【英雄】は止まらない (ユータボウ)
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プロローグ

 ダンまちのベル君逆行ものです。タグにある要素が含まれますので、苦手な方はご注意ください。


 僕が祖父を失ったのは、もう一年も前のことだ。

 唯一の肉親を亡くし、無力感と喪失感に苛まれる日々。

 そんな、ただぼんやりと毎日を生きる僕を発破したのは、他ならない祖父が生前に口にしていた言葉だった。

 

迷宮都市(オラリオ)にはなんでもある。行きたきゃ行け。誰の指図でもない、自分で決めろ。これは、お前の物語(みち)だ』

 

 僕は決めた。冒険者になると。

 英雄譚にあるような、運命の出会いをしてみせると。

 

 そして、

 

 ()()()()()()()()()()その翌日のことだった。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「──おい、坊主。見えてきたぞ」

 

 ガタゴトと音を立てる荷馬車の主、行商人である恰幅のいい男性の声に、閉じていた瞼を開ける。

 荷台から顔を出し、男性の指差す方へ視線を向けると、高い白亜の外壁が平坦な草原に仰々しく佇んでいた。

 

「……すごいな」

「はっはっはっ。オラリオを初めて目にする奴は皆そう言うぜ」

 

 ポツリとこぼれた感想に、男性は得意げな顔をして笑った。

 迷宮都市オラリオ。富も名声も、運命の出逢いも、何もかもが手に入る『世界の中心』。

 目的地への到着を目前に、僕の胸は確かな高鳴りを見せていた。

 

「俺は仕事柄、色んな国や町を巡るんだがよぉ。あんなところは二つとねぇ」

「山奥の村に住んでた僕からすれば、どんなところだってすごいところです。でも……あそこはやっぱり違いますね」

「あぁ、分かるぜ。俺も初めて来たときは、そりゃもう度肝を抜かれたからなぁ」

 

 当時の興奮を思い出したのか、男性は微かにその体を震わせた。

 

「あそこには数えきれねぇ人と物が集まる。それに神々もな。他の国なんかとは比べ物にならねぇぜ」

「モンスターの潜む魔窟……ダンジョンがあるから、ですよね。それに、そこに挑む冒険者も」

「おお、よく知ってるな」

「僕も冒険者志望なんです。だから、オラリオについては自分なりに調べてたことがあって」

 

 そう答えると、男性は「なるほどなぁ」と納得したように頷いた。

 

「それじゃ、坊主が有名になったら冒険者依頼(クエスト)を頼ませてもらおうか。そのときには、よろしく頼むぜ?」

「はい。任せてください」

 

 にやりと笑う男性に、僕もまた笑みを返す。そうして、またオラリオの外壁に視線を戻した。

 

 ──ようやく、帰ってきたんだ。

 

 オラリオを囲む壁は、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「それじゃあ、ありがとうございました」

「いいってことよ。死ぬんじゃねぇぞ、坊主」

 

 オラリオの外壁に辿り着くと、男性と別れて門の方に向かった。自分でも驚くほどに、その足取りは軽い。

 が、そこにあったのは長蛇の列。老若男女、そして様々な種族の人が、オラリオの門をくぐる瞬間を今か今かと待っていた。

 流石は『世界の中心』。そう感心しながら、僕もまたその列の最後尾に加わって順番を待つ。

 

「次の者!」

 

 そして、いよいよ僕の番がやってきた。

 

「通行許可証はあるか?」

「いえ」

「そうか。なら、冒険者志望の旅人といったところかな。ではとりあえず、『神の恩恵(ファルナ)』の有無だけ確認させてもらおう。こっちに背中を向けて」

 

 その言葉に素直に従い、僕は門番に背中を差し出す。

 『神の恩恵(ファルナ)』。文字通り、神様から与えられる『恩恵』で、冒険者となるには必ず必要なものだ。それらは例外なく、背中に刻まれる。

 ここで『恩恵』の有無を確認するのは、他国の【ファミリア】や密偵、犯罪者の都市侵入を防止するためだ。そのために使われるのが、門番が手にしている魔法具(マジックアイテム)である。

 

「『恩恵』は……ないみたいだな。よし、大丈夫だ。楽にしてくれていい」

 

 確認が終わったのか、門番に軽く肩を叩かれる。

 僕はお礼を言い、身嗜みを軽く整えた。

 

「冒険者登録をするには『ギルド』に向かってくれ。そこで各種手続きが行える。ただし、登録の条件は『神の恩恵(ファルナ)』を授かった者、神々の【ファミリア】に入団していることが最低条件だ」

「分かりました。ありがとうございます」

「君がよき神と巡り会えることを祈っているよ」

 

 最後にもう一度門番に頭を下げ、門の先に一歩を踏み出す。

 この瞬間を、果たしてどれだけ待ちわびていたことか。

 込み上げてくる万感の思いに、自然と頬が緩み、口からは深い吐息がこぼれ出た。

 

「相変わらず、すごい人だな」

 

 目の前に伸びる通りは、大勢の人でごった返していた。ヒューマン、エルフ、ドワーフ、獣人などなど、異なる種族の人々が入り交じって歩く様子が見られる場所など、世界中を探してもオラリオ(ここ)だけだろう。

 そんな懐かしい光景に足を止めること数秒、僕は人だかりの間を縫うように走り出した。

 

 探さなければならない。

 僕の大切な女神様を。

 

 走る。

 とにかく走る。

 あの(ひと)がどこにいるかなんて分からない。だからこそ、全てを直感に任せて走り続ける。

 自分なら彼女を見つけられる。そう信じて。

 

 そして日も暮れ始め、辺りが茜色に染まり出したとき。

 僕はようやく、彼女を見つけた。

 

 その(ひと)は、小さな広場にある長椅子に座って、ぼんやりと空を眺めていた。

 右手には好物のジャガ丸くんを持って、時折思い出したように口に運んで、飲み込んだ後は決まって物憂げなため息をこぼした。

 そんな元気のない、記憶にある底抜けな明るさとは対照的な姿を見せる神様に、僕はゆっくりと近付いていく。

 

「こんにちは。どうかされましたか?」

「んー? 誰だい君は?」

「──ただの冒険者志望ですよ」

 

 一体誰なのか。

 そんな神様からすれば当たり前の疑問に、一瞬だけ返答に詰まる。けれどすぐに取り繕って、笑みを浮かべた。

 その言葉を聞いた神様は、澄んだ蒼色の目を見開いて僕のことを見つめた。その体が震えているように見えるのは、きっと気のせいではない。

 

「ぼ、冒険者志望……? 嘘は……言ってない。ということは、本当……!?」

「はい。ついさっきオラリオに来たばかりで、今はどこか入れそうな【ファミリア】を探しているんです」

 

 そう答えつつ、神様の隣に腰を下ろした。

 それからはお互い無言のまま、時間だけが流れていく。

 

 ……うん、やっぱり駄目だ。回りくどい言い方は、僕には似合わない。

 自分の意志は自分の口から、はっきり伝えなければ。

 

「神様」

「な、なんだい……?」

「僕を、神様の【ファミリア】に入れてください」

 

 僕は神様に頭を下げた。

 ひゅっ、と神様が息を呑む音が聞こえる。

 

「ほ……本気で言っているのかい……?」

「本気ですよ。嘘は言ってません」

「ボクの【ファミリア】は……まだ誰も眷族がいないんだ。オラリオにはもっともっと大きくて、立派な【ファミリア】があるんだよ……?」

「知っています。でも、僕は神様の【ファミリア】がいいんです。神様と一緒にいたいんです」

「ボクは、一柱(ひとり)じゃ何も出来ないへっぽこだよ……? きっと君には、たくさんの迷惑をかけることになる……」

「構いません。むしろ、遠慮せずにどんどんかけてください。迷惑さえも、僕には嬉しい」

 

 震える声で言葉を紡ぐ神様の目を見て、僕は精一杯の思いをぶつける。

 他にどんなすごい【ファミリア】があったとしても、僕の神様はヘスティア様(このひと)だけだ。

 誰よりも明るく、優しく、そして慈悲深いこの小さな女神様が、僕には必要なのだ。

 

「だからお願いします。どうか僕を、あなたの家族にしてください」

 

 もう一度、僕は神様に頭を下げた。

 返事はない。チラリと様子を窺えば、神様は俯いて、何かを堪えるようにその小さな体を震わせていた。

 そして──、

 

「っっっぃいやったぁあああああぁああああ!!」

 

 弾けた。

 

「やったやったやったやった!! ありがとう! こんなボクにそこまで言ってくれるなんて、君はなんていい子なんだ! ボクはもう、とっっっっても嬉しいよ! 君みたいな子が眷族になってくれるなら、もう百人力さ!」

「ちょっ、神様、落ち着いて……」

 

 感極まり、飛びついてきた神様は、僕の体を強く抱き締めながら一気に捲し立てる。その勢いはなかなかのもので、うっかり気を抜けば長椅子から落ちてしまいそうなほどだ。

 そんな全身で喜びを露にする神様の背中に、僕もまたそっと腕を回した。小さく、華奢な体からは、神様の優しい温もりが伝わってくる。

 

「僕、ベル・クラネルといいます。自己紹介が遅れてすみません」

「ベル・クラネル……。なら、君はこれからベル君だね! ボクはヘスティア! よろしくね、ベル君!」

 

 そう言って僕の胸から顔を上げ、笑顔を浮かべた神様は、この世の何よりも綺麗だった。

 

「はい。よろしくお願いします、神様」

 

 

 

 さぁ、新たな【眷族の物語(ファミリア・ミィズ)】を、

 

 ここに始めよう──。

 

 

 

「な、な、なんで『スキル』が二つも発現してるのさぁああああああああ!?」

「えーっと……それは……あはは……」

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続。

 ・懸想(おもい)の丈により効果向上。

 【英雄証明(アルゴノゥト)

 ・能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

 




 本作の展開とは全く関係ありませんが、僕はリューさんが好きです。


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第1章 白兎再跳
第1話


 既にたくさんの評価と感想を頂いていて嬉しくもあり、若干怖くもありますが、とにかく更新していきます。


 翌日、僕と神様は朝からギルドの本部である、白い柱で作られた荘厳な万神殿(パンテオン)を訪れた。

 ここで僕は冒険者登録を、神様は【ファミリア】結成に関する諸々の手続きを、これからしなければならない。

 この迷宮都市オラリオにおいて、ギルドの存在はなくてはならないものだ。ここで手続きを怠れば、僕たち【ファミリア】はギルドに活動を認可されていない派閥となり、出来ることが大幅に制限されてしまう。

 逆にギルドに届出をすれば、オラリオにおける一定の地位と権利が約束され、加えて様々な支援を受けることが出来る。もちろん、定期的に監査が入ったり、ギルドから依頼が入ればそちらを優先したりする必要があるものの、全うな【ファミリア】であれば、得られる恩恵の方が遥かに大きいのは間違いない。

 そんな訳で、僕たち【ヘスティア・ファミリア】も新興派閥として、ギルドに登録をしに来たのである。

 

「ふぅ……。こんなものかな」

 

 空欄を埋め、職員に提出した僕は机に肩肘をつき、このギルドに行き来する冒険者たちを、ぼんやりと眺める。

 相変わらずギルドの本部は、いつもたくさんの人がいる。ただ、やはりまだ午前中だからか、ダンジョンから帰ってきた人たちが『魔石』の換金に押し寄せる夕方に比べれば、まだ控えめであるように思えた。

 そんな感想を抱く僕のもとに、奥の方から一人の女性がやって来る。

 

「お待たせしました。ベル・クラネルさん、ですね?」

 

 その聞き覚えのある優しい声に、胸の内から温かい気持ちが込み上げてくる。けれど努めて平静を装い、僕は声の方へと顔を上げた。

 ギルドの制服を着こなした、ハーフエルフの女性。眼鏡をかけ、綺麗な緑玉色(エメラルド)の瞳と、肩の辺りまで伸びたブラウンの髪をした彼女は、公私共に何度もお世話になった恩人だ。

 そして、僕にとって大切な女性の一人でもある。

 

「はじめまして。今日からあなたのアドバイザーとなりました、エイナ・チュールといいます。よろしくね」

「ベル・クラネルです。よろしくお願いします」

 

 ──エイナさんとは、また前みたいな関係を築けたらいいな。

 

 心の中でそうこぼしつつ、椅子から立ち上がって頭を下げた。

 

「うん。それじゃあ今日から冒険者になったクラネルさんには、今から冒険者としての心得や、ダンジョンついての知識を身につけてもらうため、講習を受けてもらいます。これを受けてもらわないとダンジョン攻略は認められない決まりだし、知っていて損することはないから、しっかり聞いていてね? 時間の方は大丈夫かな?」

「問題ありません。あ、よかったらベルって呼んでくれませんか?」

「ふふっ、じゃあベル君って呼ばせてもらうね? 私のこともエイナでいいよ」

「はい! エイナさん!」

 

 親しみやすい素敵な笑顔を浮かべるエイナさんに、つられて僕も笑う。

 初心者向けの講習など、僕にとっては今更なことばかりなのかもしれないが、それでもエイナさんと一緒にいられるのであれば、退屈に感じることはないだろう。

 数時間に及ぶ講習後、エイナさんと別れた僕は神様と合流した。

 どうやら神様も神様で僕と同じように、【ファミリア】をまとめる主神としての在り方を叩き込まれたらしく、随分と疲れているようだった。心なしか、二つに結んだ黒髪もしゅんとなっているように見える。

 

「うー……やっと終わったよ……。何時間も椅子に座らされて、延々と話を聞かされ続けるなんて……退屈で死んじゃうかと思った」

「お疲れ様です、神様。とりあえず、お昼ご飯を食べに行きませんか? 結構いい時間ですし」

「そうだね、そうしよう……」

 

 そう言って深々とため息をついた神様に、僕は曖昧に微笑することしか出来なかった。

 

「そういえばベル君、朝と格好が変わっているみたいだけど、もしかしてそれが冒険者の装備なのかい?」

「はい。ギルドが販売してる駆け出し冒険者用の装備一式です。早くダンジョンに行きたくて、思わずもらってすぐに着替えちゃいました」

 

 金属製の胸当てを叩き、軽く胸を張る。すると神様から「なかなか似合ってるぜ」と褒め言葉を頂いた。

 ちなみにこれら装備一式にかかった費用は、合計で八六〇〇ヴァリス。当然手持ちの分では足りないので、購入に借金をすることとなったのは秘密だ。

 短刀(ぶき)、防具、そしてアイテムと、冒険者に必要なものが一通り手に入るのだが、些か値段が高すぎるような気がしないでもない。しかし、僕のことを純粋に心配してこの装備を勧めてくれたエイナさんの好意を、「いえ、結構です」と断れなかったのも事実だ。

 なんにせよ、せっかく買ったのだから大切に使わせてもらおう。一〇〇〇〇ヴァリス程度の借金など、頑張れば一週間ほどで返済出来るのだから。

 

「……やる気があるのは結構だけど、無茶だけはやめておくれよ? まぁ、君にはボクの助言なんて不要かもしれないけど」

「そんなことありません。神様のその言葉、胸に刻みます」

 

 ダンジョンでは何が起こるか分からない。

 それは先程の講習で、エイナさんにも何度も言われたことであり、僕自身の経験からも身に染みて分かっていることだ。

 僕のレベルは1。かつての経験があるとはいえ、駆け出しのルーキーであることに変わりはない。むしろ生半可に経験がある分、調子に乗りやすいともいえる。

 故に、油断も無茶も厳禁だ。それだけは、しっかり肝に銘じなければならない。

 

「それじゃあ神様、いってきますね」

「うん! 気をつけるんだぜ、ベル君!」

「はいっ!」

 

 昼食を済ませ、摩天楼(バベル)の入口まで神様に見送られながら、僕はダンジョンに至る螺旋状の階段を駆け下りていった。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 オラリオの地下迷宮、1階層。

 『始まりの道』とも呼ばれる大通路に立った僕は、目の前に広がる薄青色の壁面と天井に、思わずその場に立ち尽くしていた。

 

 ──また、この場所に戻ってきた。

 

 喜びも、

 悲しみも、

 苦難も、

 冒険も、

 そして出会いも、

 その多くが、ダンジョンと共にあった。

 

 過去の出来事が瞬間的に脳裏を過り、込み上げてくる様々な感情にしばらくの間、その場に立ち尽くした。

 

「──行こう」

 

 それからどのくらいそうしていたのか。

 濁流のように押し寄せてきた記憶を整理し、一度深呼吸をしてから、僕は大きく一歩を踏み出した。

 

 ここはダンジョン。

 死の危険がそこかしこに溢れる、モンスターの坩堝だ。誇張でもなんでもなく、一瞬の気の緩みが生死を分ける。

 これから先は、感傷に浸っている暇などない。

 

『グルルルル……』

「……いる」

 

 曲がり角付近から聞こえてきた唸り声に、腰に挿していた短刀を鞘より抜く。カチリと、自分の中で意識が切り替わるのを感じた。

 目を凝らし、武器を構える僕の前に、やがてそのモンスターは姿を現した。

 『コボルト』。鋭い牙や爪を武器にする、犬頭のモンスターだ。

 

『ウゥ……ガァアアア!』

 

 僕を視認するや否や、コボルトは雄叫びを上げて駆け出した。ギラリとその目を光らせ、口からは涎を撒き散らして、僕のもとへと一直線に走ってくる。

 振り上げられるコボルトの腕。鋭利な爪が、天井からの燐光を浴びて小さく輝く。

 まともに受ければ怪我は免れないであろう一撃を、僕は半歩ほど横にずれることで躱した。

 

「ふっ──!」

 

 短く息を吐き、力強く握り締めた短刀を、コボルトの胸めがけて突き出す。

 肉を抉る感触と、血の臭い。それに一瞬遅れて、何かを砕いたような手応えが伝わってくる。

 短刀の刺突は狙い通り、コボルトの胸にある魔石を寸分違わず捉えていた。

 

『ガ……ァ……』

 

 断末魔に微かな呻き声を残し、コボルトは灰に還った。

 核たる魔石を砕かれたモンスターは消滅する。それは上層のコボルトから深層の階層主まで、例外なく全てのモンスターに当てはまる弱点だ。

 当然、下層のモンスターになればなるほど、魔石を狙うのも困難になっていくが、それでも砕きさえすれば、理論上どんな相手でも一撃で屠ることが出来るのである。

 

「……やっぱり、思ったようにはいかないか」

 

 コボルトを倒した際の一連の動きを振り返り、僕は短刀を握る手をじっと見つめる。

 ()()()()()

 自分の出せる最高の速さで、最高の一撃を急所に叩き込んだつもりだった。

 だがそれは、かつて【英雄(アルゴノゥト)】と呼ばれていた第一級冒険者時代に比べれば、あまりに遅く、鈍く、弱々しいものでしかなかった。

 あの頃と今とでは何もかもがまるで違う。【ステイタス】も、装備も、身長も、全身の筋肉量も、そのしなやかさも。以前と同じ感覚で戦おうとすると、加減や間合い、立ち回り方など、そのことごとくを誤りかねない。

 

「まずは現状に慣れるところから、かな」

 

 自分の力を把握し、違和感を覚えることなく戦えるようになるには、恐らく数日はかかることだろう。こればかりは一朝一夕に成せることではない。

 そして必要なのは何よりも場数。つまり戦闘あるのみだ。とにかくモンスターと戦って、少しずつ調整を繰り返していくしかない。

 

 やることは決まった。ならば早速行動に移そう。

 頭の中に1階層の地図を思い浮かべた僕は、モンスターを探すべく移動を開始した。



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第2話

 感想と評価、ありがとうございます。ルーキー日刊にもランクインすることが出来て嬉しい限りです。


 モンスターを倒し、探して、また倒す。

 

 自分の動きを確かめながら1階層を歩き回ること数時間、ふと気になって懐中時計を取り出してみると、いつの間にか夕方になっていたことに気がついた。

 

「今日はそろそろ帰ろうかな……」

 

 腰から下げられた小さな巾着を撫でると、チャリンと中にある魔石が音を立てた。

 戦い方の調整に重きを置いていたせいか、得られた魔石はダンジョンにいた時間の割に多くない。換金しても二〇〇〇ヴァリスに届くかどうか、といったところだろう。倒したモンスターからたまに得られる『ドロップアイテム』も、今日は見つけることが出来なかった。

 僕はお金欲しさにダンジョンに潜っている訳ではないため、収入が少なかろうがあまり気にはしない。ただ、僕の【ヘスティア・ファミリア】は眷族が僕一人の零細【ファミリア】。つまり、〝僕の稼ぎ=【ファミリア】のお金〟なのである。

 僕の敬愛する神様に、ひもじい思いはさせたくない。

 

「……とりあえず、実践は明日からかな」

 

 もう少し魔石を残すような倒し方も意識した方がいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、僕は出口に向かって歩き始めた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 ダンジョンを後にし、バベルの公共施設で身嗜みを整えた僕は、ギルドにある魔石の換金所に向かった。

 一応、換金所自体はバベルにもあるのだが、ギルドのものに比べると小さなそこは、他の冒険者たちでなかなかに混雑していた。故に、少し離れたギルド本部に足を運ばなければならなくなったのである。

 とはいえ、混雑しているのはギルドの方もさほど変わりはない。屈強な男性から端整な顔立ちの女性まで、様々な人が換金の順番を待って列を作っていた。

 

「あっ、ベル君!」

 

 列の端に加わり、ぼんやりと順番を待っていると、不意に名前を呼ぶ声が聞こえた。声の方に顔を向けると、受付の方からエイナさんが出てきたところだった。

 ここで話をするのは邪魔になる。そう思った僕は列から外れ、早足でエイナさんのもとに向かう。

 

「どうも、エイナさん」

「うん。もしかして、ダンジョンに行ってきたの? どうだった? 怪我とかしてない?」

「はい。なんとか大丈夫でした」

「そうなんだ。よかった……」

 

 真剣な面持ちでそう尋ねてくるエイナさんは、僕の言葉にほっと安堵の息をついた。

 その優しさに、思わず表情が緩む。

 

「ありがとうございます。僕のこと、心配してくれて」

「ううん、担当アドバイザーとして当然のことだよ。特にベル君はまだ若いから、余計に気になってて……」

 

 でも本当によかった、と。

 緑玉色(エメラルド)の双眸を細め、穏やかな声色でエイナさんは微笑んだ。

 

「それで、初めてのダンジョンはどうだった? モンスターと戦ってみた感想とか、もしよかったら聞かせてくれないかな?」

「あー、そうですね……」

 

 さて、その問いにはどう答えたものか。顎に手をやり、ふむと考える。

 エイナさんの目に映る僕は、〝今日冒険者になったばかりで、初めてダンジョンに挑んだヒューマンの少年〟だ。ダンジョンでのことは、間違っても馬鹿正直に答えてはいけない。まず信じてもらえないだろうし、何よりもエイナさんに不信感を抱かれるのは嫌だ。

 数秒の沈黙の後、僕はゆっくりと口を開いた。

 

「えっと……とにかくたくさん驚きました。地下迷宮っていうくらいだから暗いのかと思ったら、案外そんなことなかったり、壁なんかから本当にモンスターが産まれたり、モンスターも地上の個体とは何回か戦ったことがあるんですけど、ダンジョンのはそれよりも強かったり……」

「うんうん、そうだね……って、え? ベル君、モンスターと戦ったことがあるの?」

「あっ、はい。僕の故郷って山奥の村なんですけど、たまにモンスターが出るんです。その関係で、何度か……」

「そ、そうだったんだ……」

 

 そうこぼし、こくこくと頷くエイナさん。

 パッと思いついた感想ではあったが、どうやら上手く切り抜けられたらしい。嘘をついたことに対する罪悪感で胸が痛いが、ひとまずは安堵する。

 ちなみに、後半のモンスターについて言ったことは本当だ。

 地上のモンスターは、遥か古代にダンジョンから進出してきた連中の子孫であり、その力はダンジョンに現れる個体に比べて大きく弱体化している。ゴブリンやコボルトといった下級の相手なら、『神の恩恵(ファルナ)』がなくとも倒すことは可能なのである。

 

「けどベル君、アドバイザーとして一言言わせてもらうなら、絶対調子に乗っちゃ駄目だよ? 今日は何事もなく無事に帰ってこれたけど、次も同じようにいくとは限らないんだから。特にベル君は単独(ソロ)の冒険者で、その分危険だし、何かあっても誰も助けてくれない。朝も言ったことだけど、絶対に無理と無茶はしないでね。死んじゃったら、何もかも終わりだから」

 

 僕の目をまっすぐ見つめて、エイナさんは真摯に語りかけてくる。

 アドバイザーとして、僕以外にもたくさんの冒険者を見てきた彼女の言葉には、とても実感がこもっていて説得力があった。

 『冒険者は冒険しちゃいけない』。

 かつて毎日のように言われていた、しかしいつからか、あまり聞くことのなくなったエイナさんの言葉を思い出し、僕は深く頷いた。

 

「エイナー! ちょっと聞きたいことがあるんだけどー!」

「はーい。もう、ミィシャったら……。ごめんねベル君、呼び止めちゃった上に、色々聞いちゃって」

「いえ。僕もエイナさんとお話出来てよかったですから。別に謝る必要なんてありませんよ」

「うふふっ、ありがとう。それじゃあ、気をつけて帰ってね」

 

 最後に素敵な微笑を残し、エイナさんは奥の方へと戻っていった。 

 その背中を見送り、僕もまた換金所前に作られた列に再び並び直した。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「ただいま帰りました」

「おぉかえりぃいいいいいいいい!!」

 

 本拠(ホーム)である教会地下の隠し部屋の扉を開けるや否や、腹部に強い衝撃が走る。

 ソファーに寝転がっていた神様が飛びついてきたのだと気付いたのは、衝撃に一瞬遅れてからだ。

 

「わっ……と。あの、神様、危ないから急に飛び込んでくるのはやめてください」

「いやぁ、ごめんね。ベル君が帰ってきたんだと思うと、つい……」

 

 僕のお腹に抱き着いたまま、えへへと悪戯っぽい笑みを浮かべる神様。

 そんななんとも嬉しそうな彼女の様子には、注意する気も失せてしまう。

 僕がこういうのに弱いというのもあるけれど、なんというか、こういうとき、女の子という存在はつくづくずるいと思う。

 

「もう……仕方ないですね」

 

 僕は手袋を外し、ちょうど胸の高さにある神様の頭に手を置く。そして髪型が崩れてしまわないよう、優しく撫でた。

 

「っ……ん……ふぅ……。ありがとうベル君。ボクは今、とっても幸せだよ」

「ふふっ……。なら、よかったです」

 

 神様の抱擁から解放された僕は、身につけていた探索用の装備から部屋着へと着替え、ソファーに腰を下ろした。

 上層とはいえ、危険なダンジョンに潜っていたからか、こうして力を抜くと一気に疲労が押し寄せてくる。このまま横になれば、すぐにでも眠れそうだ。

 

「お疲れ様。ジャガ丸くん、食べるかい?」

「いただきます」

 

 隣に座った神様からジャガ丸くんを受け取り、一口頬張る。

 

 ──うん、美味しい。

 

 空腹は最大の調味料とは、果たして誰が言ったのか。広がる素朴な味わいに舌鼓を打ちながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

 

「おいおい、そんなにがっつかなくてもジャガ丸くんは逃げたりしないぜ? おかわりもあるから、もっとゆっくり食べなよ」

「すみません。ありがとうございます」

「いやいや、遠慮なんていらないよ。ベル君はダンジョンで頑張ってきたんだし、その労いくらいはさせておくれよ」

 

 そう言って水の入ったコップを差し出してくる神様に、僕はもう一度お礼を言ってコップを受け取る。

 

「それでベル君、ダンジョンはどうだった? モンスターとは戦えたかい?」

「はい。1階層のコボルトくらいなら、問題はありませんでした。でも、大人の頃とは勝手が全然違ってて……勘を取り戻すのには少し時間がかかりそうです」

「ふむふむ……なるほどねぇ」

 

 神様がした問いかけは、奇しくもエイナさんがしたものとほとんど同じものだった。

 しかし、僕の答えは違う。

 僕の『秘密』を知る神様に、嘘をつく必要はない。故にダンジョンで感じたこと、気付いたことを正直に喋った。

 

「まぁ、未来の君がどうであれ、ベル君は今を生きているんだ。無理に焦ることはないんだからね? 君が傷つくのは、ボクはとても悲しいから」

「はい、神様」

「……よし! それじゃあ寝る前に【ステイタス】の更新をしようか! さ、こっちにおいで」

 

 手招きをする神様に従い、部屋の奥にあるベッドまで移動した僕は、そこで上着を脱いで寝転がった。

 【ステイタス】の更新。それは冒険で得た『経験値(エクセリア)』を糧に、『神の恩恵(ファルナ)』の刻まれた冒険者を成長させる神の業だ。

 どれだけダンジョンで冒険をしようとも、【ステイタス】を更新しなければ能力は変わらない。また、最初のうちは能力の伸びが著しいため、なるべく頻繁に更新することが望ましいのだ。

 

「ふっふっふ~、さぁて、記念すべき一回目の更新だ。一体どれくらい伸びてるの…………?」

「……? 神様?」

 

 だんだんと尻すぼみになっていく声に、チラリと横目で神様の様子を窺うと、僕の背中を凝視したまま固まっていた。その蒼い、澄んだ空のような瞳は大きく見開かれ、恐らくは更新されたばかりの【ステイタス】に向けられている。

 

「あの……どうかしましたか?」

「……はっ!? す、すまないベル君! すぐに共通語(コイネー)に写すから!」

 

 そう言って神様は、慌てた様子で【神聖文字(ヒエログリフ)】で記された【ステイタス】を、共通語(コイネー)に翻訳していく。

 そして数分後、【ステイタス】の記された羊皮紙を受け取り、僕はそれに目を通した。

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I0→35 耐久:I0→11 器用:I0→78 敏捷:I0→67 魔力:I0

 

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続。

 ・懸想(おもい)の丈により効果向上。

 【英雄証明(アルゴノゥト)

 ・能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

 トータル上昇値190オーバー。いくら伸びやすい『恩恵』の刻まれた直後とはいえ、明らかに異常な数値だ。1階層のゴブリンやコボルトを半日相手にした程度で、これほど成長することはまずあり得ない。

 僕は基本アビリティの欄から、下の『スキル』欄に目を移した。そこに記された『スキル』、その一つを指でそっとなぞる。

 

「【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】……。早熟する、なんて書いてあるからどんなものかと思ってたけど、まさかこれほどだったとはね……」

「あはは……そうですよね」

 

 羊皮紙を僕の隣から覗き込みながら、神様はむむむと難しい顔で唸っている。

 その反応がなんとも新鮮で、思わず小さく笑いがこぼれた。

 今はこうでも、やがては「まぁ、ベル君だし」の一言で全てがまとめられるようになるのだから、慣れとは恐ろしいものである。

 

「それでベルくぅん? 君が誰を想っているのか、この『スキル』の相手が誰なのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかなぁ?」

「いや……それはちょっと、神様にも秘密にしておきたいというか……」

「いいや! これは君の主神として把握しておかなければいけないことだよ! さぁ、吐くんだベル君!!」

「か、勘弁してください~!」

 

 その後、神様の追及を避けるため、小一時間もの時間を費やすこととなった。

 

 そして余談だが、数日後に神様とデートをする約束を交わした。

 



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第3話

 感想と評価、ありがとうございます。日刊ランキングにも載ることが出来、やる気がどんどん湧いてきています。

 あと、少し長いです。


 空を見上げれば雲一つない快晴だ。燦々と降り注ぐ日差しが眩しく、おもむろに手を伸ばして太陽に翳してみる。

 お出かけ日和とは、まさに今日のような日のことを言うのだろう。

 長椅子の背凭れに体を預けながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

 今日は神様とのデートの日。「女の子の準備は時間がかかるものなんだぜっ!」と、本拠(ホーム)を追い出されたのは、今から数十分ほど前のことだ。

 そういう訳で、特に準備も予定もなかった僕は、一足先に待ち合わせ場所であるこの中央広場(セントラルパーク)に到着し、神様が現れるのを待っているのである。

 

「神様とデート、か……」

 

 未来の記憶を持つ僕からすれば、神様と二人で出かけるということは、別に初めてのことでもない。緊張していないのかと問われれば、それは否だが、そこまで気負っていないのもまた事実である。

 つまり何が言いたいかというと、純粋に楽しみだということだ。

 今日という日に備え、ここ数日でお金もしっかり稼いできた。その額、およそ三万ヴァリス。駆け出しの冒険者が持つには十分すぎる金額だろう。エイナさんに怒られるのを覚悟で、朝から晩まで4階層に挑んだ甲斐があった。

 これなら神様が何か欲しい物を見つけたとき、すかさず買ってあげることが出来る。いわゆる、度量の見せ所というやつだ。

 

 ちなみに、シルさんと出かけるときだけは、安易に支払いを申し出ることは控えなければならない。あの人はそういうところでちゃっかりしているため、下手をすればとんでもない物を要求されることがあるからだ。もちろん、全てが全てそうなる訳ではないけれど……。

 

「おーい! ベルくーん!」

 

 と、そのときだ。

 声の方へ顔を向けると、道行く人の波をかき分け、大きく手を振りながら神様が駆けてくる姿が見えた。

 今日のために用意したのか、その服装はいつもの純白の装いではなく、ひらひらとした水色のワンピースだ。髪型も二つ括りではなく、艶やかな黒髪をまっすぐに下ろしている。つばの広い帽子を被り、笑顔を顔いっぱいに浮かべた神様は、可憐で、普段よりも一層魅力的だった。

 

「ごめんね。待たせてしまって」

「大丈夫ですよ。それよりもその服、とても似合ってます」

「えへへ……。そうかい? ヘファイストスのところにいたときに買ってもらったものなんだけど、君がそう言ってくれて嬉しいよ!」

 

 気恥ずかしそうに笑いながら、くるりと軽やかにその場で回ってみせた神様。それに合わせてワンピースがふわりと揺れる。

 そんな彼女に、僕は惜しみない拍手を送った。

 

「ふふっ、それじゃあ行きましょうか」

「うん!」

 

 差し出された手を繋ぎ、歩き出す。

 

 こうして、僕らのデートが始まった。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 まず初めに僕たちが向かったのは、北のメインストリートだ。

 この通りの周辺は主に商店街として賑わっており、特に有名なのが服飾関連だ。ヒューマン、エルフ、アマゾネス、小人族(パルゥム)など、多種多様な種族に合わせた衣服を揃えた店が、所狭しと並んでいる。

 

「はぁ~、すごいねぇ。こんなにたくさん種類があるんだ」

「どうします、神様? どこから見て回りましょう?」

「う~ん、やっぱりヒューマン用のところからかなぁ。流石にアマゾネスとか小人族(パルゥム)の服は着れないよ、ボクには」

 

 神様の言葉に、僕は「ですよね」と苦笑する。

 服、と一口に言っても、種族が違えばその意匠は大きく異なってくる。各種族の持つ伝統や特徴といったものを取り込んだ衣服は、驚くほどに多種多様なのだ。

 例えばエルフ。他者との触れ合いを避け、露出の少ない格好を好む彼、彼女らの服は、丈が長く厚手のものが多い。色合いに関しても、派手なものより落ち着いたものの方が多いように思われる。

 そしてそんな中でも、今神様の言った二つの種族の服は、他のものと比べても非常に特徴的だ。

 大人になっても全く背丈の変わらない小人族(パルゥム)の服は、ヒューマンでいうところの子供用のものと等しい。意匠面では大丈夫なのだが、僕や神様ではそもそものサイズが合わない。

 そしてもう一方のアマゾネスの衣装なのだが、こちらはとにもかくにも肌の露出がとても多い。水着や下着の間違いでは、と思うような、目のやり場に困る服ばかりなのだ。神様が遠慮するのも当然のことだろう。

 

 目についたヒューマン用の衣服専門店に入ると、棚や壁に飾られたきらびやかな衣装の数々に迎えられた。上質な素材で丁寧に作られているのだろう、値段も一着数万ヴァリスと高い。

 買えないこともないが、買ってしまえば今日はもう何も買えないな、と。

 ポケットに忍ばせた財布を軽く叩きつつ、その横を通り過ぎた。

 

「この辺りかな? 比較的お手頃な価格なのは……」

「はい。でも、もう少し他の店も回ってみませんか? ここ以外にもまだ色んなところがありますから」

「うん、そうだね。そうしよう。時間はたっぷりあるんだし」

 

 他愛のない会話を交わしつつ、僕と神様は通りにある様々な店に足を運んだ。

 衣服だけに限らず、装飾品や小物の専門店、靴屋など。立ち並ぶ店を練り歩き、何かを見つけては「これはどうだろう?」と話し合い、相談した。

 その結果、神様は僕に赤いスカーフを、僕は神様に新しい髪留めとネックレスを、それぞれ購入することになった。

 

「ありがとうございます、神様。僕のためにわざわざ……」

「いいんだよベル君。君だけに贈り物を貰うなんて申し訳ないからね。……そうだ! せっかくだし、ボクが巻いてあげるよ!」

 

 メインストリートから離れた小さな広場、そこで神様は大切そうに抱えていた紙袋からスカーフを取り出した。そして、屈んだ僕の首にゆっくりと巻いていく。

 

「えっと、どうですか?」

「うんうん! とってもよく似合ってるぜ! やっぱりボクの目に狂いはなかった!」

「ありがとうございます。大切にしますね」

 

 首元のスカーフをそっと撫で、僕は自信満々に頷く神様に頭を垂れた。

 神様からの贈り物。この燃える炎のように鮮やかなスカーフは、僕の一生の宝物になることだろう。 

 

「……あの、神様。よかったら、僕にもつけさせてもらえませんか?」

「い、いいのかい!? なら、ぜひお願いするよ!」

「もちろんです。それじゃあ、後ろから失礼しますね……」

 

 断りを入れてから神様の後ろに回り込み、先程購入したばかりの髪留めで神様の髪を括り始める。

 さらさらとした黒髪は、まるで上質な絹のような肌触りだ。軽く指を通せば、引っかかることなくすっと通り抜けていく。

 髪を結び終えたあとはネックレスだ。僕の瞳と同じ、深紅(ルベライト)の輝きを放つ小さな宝石があしらわれたそれは、素人目にも丁寧な装飾がなされていることが分かる。値段は一三〇〇〇ヴァリス、我ながらいい買い物をした。

 

「はい。終わりましたよ」

「ありがとう。ど……どうかな?」

 

 頬と耳を赤く染めながら、神様はおずおずと振り返った。照れくささからか、蒼い目は落ち着きなく辺りを泳いでいる。

 その胸元には、僕がつけたばかりのネックレスが確かに輝いていた。

 僕はそんな彼女に──見蕩れた。

 

「──綺麗です、神様。とても、とても綺麗ですよ」

「そ、そうかい? なんかこう……変じゃないかな……?」

「変だなんてとんでもないです。本当に、よく似合ってます」

 

 まっすぐ目を見つめて本心からの言葉を伝えると、神様は頬を赤らめたまま、「えへへ……ありがとう」と微笑んだ。

 

 ──拝啓、おじいちゃんへ。

 ──僕の女神様は、こんなにも可愛いです。

 

「おーい、ベル君? どうかしたのかい?」

「あっ、いえ! 少しボーッとしてて……。そういえば神様、そろそろお腹が減りませんか?」

「お腹? ……あぁ、確かに。夢中になってたから気付かなかったよ」

 

 僕は神様に同意しつつ、素早く懐中時計で時間を確認する。

 現在時刻は午後の一時前。朝は低かった太陽も、今では高い位置まで昇っている。買い物も一段落ついたところであるし、ここらで少し休憩を兼ねて昼食にするというのも手だろう。

 

「神様、何か食べたいものはありますか?」

「う~ん、特にこれが食べたいってものはないかなぁ。ベル君は?」

「僕も特には。なら、この辺りを歩いてみて決めましょうか?」

「うん、そうだね! そうしよう!」

 

 方針は決まった。

 僕らは肩を並べ、賑やかな人混みへと一歩を踏み出した。

 

 

 

     △▽△▽

 

 

 

 ──ベル君が行きたいところに行こう。ボクはそこについていくから。

 

 昼食後、神様の一言に僕が向かったのは、オラリオの中心に聳え立つ白亜の塔、『摩天楼(バベル)』だった。

 目的地はその八階、【ヘファイストス・ファミリア】のテナントだ。

 

「へぇ~、こんなところにヘファイストスのお店があったんだね」

「この階にあるのは駆け出しの鍜冶師(スミス)の打った装備で、値段も僕みたいな新米冒険者でも手が届くんです。例えば……ほら、これとか見てください」

 

 試しに手に取ってみた槍は一一〇〇〇ヴァリス。予想より手頃な価格に、神様は感嘆の息をこぼした。

 

「なるほどねぇ。それでベル君もここで装備を探そうと思ったんだ」

「はい。その……すみません。行きたい場所って言われても、ここしか思いつかなくて」

「気にすることはないよ。ボクにとってはどこへ行くかより、君と一緒にいるっていう方が大事なんだからさ」

 

 さぁ、行こう、と。

 神様は笑みを浮かべ、僕の手を引いた。

 

「……はい!」

 

 繋がれた手を固く握り返し、神様と装備品の数々を見て回る。

 僕の使用する武器は短刀。また、成長してからは長剣や大剣なども扱う機会があった。今の手持ちでは複数を揃えることは出来ないので、今回はどれか一つを選ぶことになるだろう。

 冒険に欠かすことの出来ないものとして防具もあるが、そちらは後回しにしてしまっても問題ないと思っている。【ステイタス】はLv.1のそれであっても、元第一級冒険者として、ダンジョン上層のモンスターに遅れを取る気は毛頭ない。

 極端な話、やられる前にやってしまえばいいのだ。

 

 ほどなくして刀剣類の置き場を見つけたため、この辺りを中心に探すことにする。

 籠いっぱいに収められた剣やナイフを一本ずつ手に取り、刃渡りや重量、手への馴染み具合を確かめていく。

 命を預けることになる相棒だ、妥協はしたくない。

 

「どうだいベル君? いいのは見つかりそうかい?」

「今のところはまだ……ん?」

 

 そんなときだ。

 とある短刀を手にした瞬間、他のどの武器とも違う感覚が掌に走った。

 圧倒的馴染みやすさと、そして懐かしさ。

 すかさず引っ張り出したその刀身には、思っていた通りの名前が刻まれていた。

 

 ──Welf Crozzo(ヴェルフ・クロッゾ)、と。

 

「ははっ……やっぱりだ」

「? その短刀がどうかしたのかい?」

「いえ。まさかこんなところで見つかるとは思ってなかったので」

 

 首をかしげる神様にそう言ってから、あらためて短刀に向き合う。

 刃渡りはおよそ三〇(セルチ)。曇りのない刀身は緩やかな弧を描くように湾曲しており、鋭利な切っ先はモンスターの爪を彷彿させる。恐らく、ドロップアイテムを加工して作成したのだろう。切れ味は分からないが、ヴェルフの打った武器である以上、心配は不要だ。彼の作った装備を使い続けてきた身として、それだけは断言出来る。

 

「神様、決めました。これにしようと思います」

「うんうん、いいじゃないか! 僕は武器のことなんててんで分からないけど、ベル君が選んだんならきっと間違いないよ!」

 

 迷うことなく購入を決めた僕は、会計を済ますためにその場から踵を返す。

 するとそのとき、前方から一人の女性が歩いてきている姿が目に留まった。

 女性は眼帯に隠されていない左目を動かし、何かを探すように周囲を見回していたが、ふと僕たちの──正確には僕の隣の神様の存在に気付くと、「おおっ!」とその表情を綻ばせた。同時に、神様も「あっ!」と目を見開いた。

 

「君は、ヘファイストスの眷族君じゃないか!」

「主神様のご友神ではないか! 久しいなぁ! 主神様に追い出されたと聞いていたが、息災そうで何よりだ!」

「ちょっ!? 声が大きいよ!?」

 

 慌てて声を張り上げる神様だが、女性──椿・コルブランドさんはどこ吹く風とばかりに豪快に笑った。

 迷宮都市オラリオ最高の鍜冶師(スミス)と名高いこの人に出会うとは、なんという偶然なのだろうか。

 

「それで、ここに何用かな? 随分と洒落た格好をしているようだが、生憎ここには冒険者の武具の類いしかないぞ?」

「そのくらい分かってるよ。ボクにもようやく眷族になってくれた子がいてね、その子の装備を見に来たんだ」

「ほうほう、なるほどな。で、その眷族というのがそこの小僧か」

 

 チラリと、椿さんの隻眼が神様から僕に移される。

 その見定めるような視線に、自然と背筋が伸びる。

 

「手前は椿・コルブランド。【ヘファイストス・ファミリア】の鍜冶師(スミス)だ。お主、名前は?」

「ベル・クラネルです。よろしくお願いします」

「うむ。にしても、ベルか……。ベル吉ではヴェル吉と被るな。よし、ならベル坊だな!」

 

 一人で何やら納得したように頷くと、椿さんは僕の前に右手を差し出した。その手を取り、握手を交わす。

 

「ベル坊は何を探しておるのだ? 手前でよければ案内くらいはしてやれるぞ?」

「あっ、いえ、実はもう決まってて……」

 

 僕は持っていたヴェルフの短刀を椿さんに手渡した。

 それを受け取った椿さんは鞘から短刀を抜き、「ほぉ……」と瞠目する。

 

「一ついいか? お主は何故この得物を選んだのだ?」

「……言葉では上手く伝えられません。でもこの短刀を握ったとき、これだって思ったんです。他の武器にはない何かが、この短刀にはあったんです」

 

 問いかけてくる椿さんから、僕は目を逸らさなかった。

 流れる沈黙。それを破ったのは──椿さんの哄笑だった。

 

「くっ、ははははっ! なるほど、なるほどな! 分かるぞベル坊! 確かにその感覚は言葉では表せぬよな! それもヴェル吉の短刀とは! いやはや、実に面白い!」

 

 そう言いながら、バシバシと僕の背中を叩く椿さん。強烈な衝撃と鈍い痛みに、思わず苦悶の声が漏れる。

 

「ベル坊、お主の感じたそれは、まさに運命というやつよ。お主がこの短刀を見つけたのは偶然ではなく、必然だったという訳だ」

「う、運命だってぇ!?」

「応とも。試しに使ってみるでもなく、手に取った瞬間にこれだと閃いたのであれば、それはもう運命といっても相違なかろう」

 

 椿さんの言葉に神様が驚く一方、僕は心のどこかで腑に落ちていた。

 今ではない、未来において培ったヴェルフとの縁が、僕をこの短刀に導いてくれた。再び彼との繋がりをくれた。

 そう考えると、なんだか無性に嬉しくなった。

 

「椿さん。この短刀、大事に使いたいと思います」

「そうしてやってくれ。手前はそれを打った男をよく知っている。事情があって少し意地になっているところもあるが、ベル坊ならきっと打ち解けられる筈だ。整備が必要になればいつでも訪ねてやるといい」

 

 溌剌とした笑みを浮かべた椿さんに短刀を返してもらいながら、僕はしっかりと頷いた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「神様、今日はありがとうございました」

「ほぇ?」

 

 夕日に照らされるメインストリートを歩いていた途中、神様にお礼を言うとすっとんきょうな顔をされた。

 少し唐突すぎたかなと気付いたのは、肝心のお礼を言ってからだった。

 

「あ、えっと、今日一日神様と過ごして、とても楽しかったです。だから、そのお礼をと思って……」

「……あぁ! なるほど! ごめんね、突然だったから少しびっくりしてしまったよ」

 

 誤魔化すように苦笑した僕に、神様はくすりと笑った。

 

「お礼を言うのはボクの方さ。一緒にいて、素敵なプレゼントまでもらって、今日はとっても楽しかったよ」

 

 だからありがとう、と。

 先程僕がしたように、神様も感謝の言葉を口にした。

 

 それを受けて、僕の心を幸福感が満たしていく。

 

 ──この(ひと)と一緒にいられて、本当によかった。

 

「……神様、また一緒に出かけましょうね」

「ほ、本当かい!? 言質は取ったよベル君! 約束だからね!」

 

 やったぁああああ! と勢いよく空に拳を突き上げ、駆け出した神様。僕はそんな彼女を、慌てて追いかけることになった。

 

 そのときの僕は、確かに笑っていた。

 




 まさか最初に登場する二人以外の原作キャラが椿になるとは、作者も思いませんでしたね。

 追記 エイナさんのことをすっかり忘れていた僕のことを、どうか殴ってください。


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第4話

 日刊ランキング2位になれました。皆様のご愛読と応援のおかげであります。本当にありがとうございます。

 また誤字脱字の報告をしてくださった方々も、ありがとうございます。


 ずっと考えていたことがある。

 過去に戻った、あるいは未来を思い出したあの日から。

 かつて経験した出来事がもう一度、同じように繰り返されるのだとしたら。

 僕はどうするべきなのだろうか、と。

 

 僕の歩んできた道には、たくさんの失敗と後悔があった。

 それこそ、挙げ始めればキリがないほどに。

 結果的に上手くいったことであっても、もしあのとき、と思ったことは一度や二度ではない。

 

 あのとき、もっと早く気付いていたら。

 あのとき、もっと早く駆けつけていれば。

 あのとき、もっと強かったなら。

 

 それらの失敗や後悔を、僕は繰り返したくない。

 未来を、この先何が起こるかを覚えているなら。

 誰かが悲しい思いをしなくていいように、僕は必ず立ち上がるだろう。

 【英雄(アルゴノゥト)】を名乗ることを許された冒険者として。また、一人の男として。

 

 そして、もう一つ。

 例え未来を知っていたとしても、挑まなくてはならない冒険もある。

 僕が僕であるためにも、避けては通れない道もある。

 

 冒険者となっておよそ半月。

 ベル・クラネルの原点とも言えるその瞬間が、刻一刻と迫ってきていた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 地下迷宮5階層は、上層における一つの節目として覚えておかなくてはならない階層だ。

 4階層までと比べて構造が一気に複雑となり、モンスターが現れるまでの間隔も格段に短くなる。上の階層と同じと考え、気を緩めた新米冒険者の多くがここで命を落としてきた。

 必要になるのは【ステイタス】の他に、装備、経験、判断力などなど。冒険者として生きていくために欠かせない要素が試されるのである。

 

『アアアアァアアァアアア!!』

 

 耳障りな絶叫と共に迫り来るゴブリン。その数、六。4階層まででは考えられない数のモンスターに、両手に握り締めた二本の短刀を構えた。

 まずは先制。群れの先頭に立っていたゴブリンへ疾駆し、その首を右手で持っていた短刀──前に神様とデートをしたときに買ったヴェルフ作の短刀──の大振りで断つ。踏み出した左足を基点とし、振るった勢いで回転、左手の短刀を最寄りにいた獲物の頭に突き立てた。

 

『ゲゲゲゲゲッ!!』

「──」

 

 背後から聞こえた声に体を右へ僅かにずらす。間もなくして僕のいた位置を、ゴブリンの爪が通り過ぎた。生じた風圧が頬を撫でるのを感じながら、振り返り様の回し蹴りを鼻面に叩き込んだ。

 手応えは有り。その証拠に、吹っ飛んだゴブリンはピクリとも動かなくなっていた。残るは半分の三体だ。

 

「はぁっ!」

 

 怯んでいた個体に飛びかかり、二本の短刀で即座に解体する。崩れ落ちるゴブリン、それを見届けることなく近くにいたもう一匹を斬り伏せる。

 これで最後。顔を上げた僕は辺りを見回し──ふっと体を暗い影が覆ったことに気付いた。同時に、上目掛けて得物を投擲する。

 

『ゲェ!?』

 

 僕に襲いかかろうとしていたゴブリンは、その胸を貫かれて落下した。ドサッと音を立てた体は、刺さった短刀を残して灰に還っていく。どうやら急所である魔石に当たったようだ。

 

「……ふぅ」

 

 周囲にモンスターがいないことを確認してからゆっくりと脱力し、投げた短刀を拾う。緩やかに湾曲した刀身に付着した血糊を拭い、鞘に収め──ようとしたその瞬間、ダンジョンの壁が音を立てて割れた。

 

『グルルル……!』

『ウゥ……グァアア!』

 

 現れたのは四匹のコボルトだ。通路の中心に立つ僕に対し、前後に二匹ずつ、ジリジリと距離を詰めてきている。

 僕は魔石の残ったゴブリンの死体を放置し、まずは前の二匹から倒すことを決めた。基本アビリティの中で『器用』と並んで高い『敏捷』を生かし、地面を蹴って速攻を仕掛ける。

 

「でやぁああああ!!」

 

 刺突。繰り出した短刀による一撃は、コボルトの胸に吸い込まれるように突き刺さった。ガリッと魔石の砕ける音がし、その体躯が灰と化す。そこから即座に身を翻し、驚愕に目を見開くコボルトの喉笛を掻き切った。

 二匹のコボルトを片付け、しかし息をついている暇はない。武器を構え直し、後ろから迫ってきていた二匹を迎え撃つ。

 同時でも焦ることはない。動きを見極め、攻撃を確実に避けてから反撃すればいいのだ。

 短刀の刃が閃き、魔石ごとコボルトたちの胴を切り裂いた。

 

「……今度こそ、大丈夫かな」

 

 しんと静まり返った見回し、今度こそ短刀を鞘に収める。それと入れ換えるように取り出したのは、魔石回収用の小型ナイフだ。

 無造作に転がるモンスターの亡骸から、僕はてきぱきと魔石を抜き取っていく。今度はモンスターが発生することはなく、無事に作業を終えられた。

 

 そして魔石の回収が終わり、小さく一息ついた、そのときだ。

 研ぎ澄まされた五感が、微かな大気の震えを感じ取った。

 

「──来た」

 

 一言呟き、立ち上がる。

 目を閉じて意識を集中させると、地面を揺らすほどの衝撃と破砕を伴った足音が、下層からこの5階層に駆け上がってくるのが分かった。

 それは紛れもない異常事態(イレギュラー)であり、駆け出しの冒険者には死の体現に他ならない。最適解はすぐさま踵を返し、ダンジョンから逃げ出すことだ。立ち向かうなど自殺行為でしかない。

 これから現れる怪物は、文字通り格の違う相手なのだから。

 

 それを承知で、僕は通路の先の暗闇に向けて構えを取った。

 

「……分かってるよ」

 

 逃げろ、死ぬぞ、と。

 警鐘を激しく鳴らし、そう訴えてくる本能を黙らせ、一度深呼吸をする。昂っていた心に少しずつ平静が戻り、強張っていた体から余計な力が抜けていく。

 今の僕を誰かが見れば、馬鹿な奴だと思うことだろう。加えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それでもこの場に立つことを選んだのだから、我ながら全くもって度し難い。

 

 けれど、考えたのだ。

 これから起こる一連の出来事を経ずして、果たしてベル・クラネルの冒険(ものがたり)は始まるのかと。

 否。

 それは断じて否だ。

 僕を僕たらしめることとなった、憧憬との遭逢。僕の原点とも呼べるあの瞬間は、今も脳裏に色褪せることなく焼きついている。

 

 出会わなくてはならない。

 僕が僕であるためにも。

 冒険者、ベル・クラネルを始めるためにも。

 ここで、あの人と。

 

「──さぁ、来い」

 

 睨みつけた先から現れたのは、牛頭人体の怪物『ミノタウロス』。

 一度目(あのとき)は逃げることしか出来なかった相手に、僕は短刀を両手に立ち向かった。

 

 

 

     ▽△▽△ 

 

 

 

 上へ、更に上の階層へ。

 アイズ・ヴァレンシュタインとベート・ローガ、二人の第一級冒険者は脇目も振らず駆け抜ける。その表情には二人にしては珍しい、焦燥の念が浮かんでいた。

 

 それは『遠征』からの帰路の最中だった。二人の所属する【ロキ・ファミリア】一行が17階層に到着したとき、その前にミノタウロスの群れが出現、交戦となった。

 ダンジョン中層における強力なモンスターとして知られるミノタウロスだが、深層の攻略すら可能な強者揃いの【ロキ・ファミリア】には到底敵わない。一体、また一体と返り討ちに遭い、あっという間にその数を半分ほどにまで減らした。

 このまま残りを倒して終わりと、【ロキ・ファミリア】の誰もが考えていた。しかし、ここで予想だにしなかったことが起きる。

 

 アイズたちのあまりの強さに恐れをなしたのか、ミノタウロスたちが逃走したのだ。

 

 モンスターの逃走というまさかの事態に、流石のアイズたちも動きを止めた。が、すぐさま我に返ると、ミノタウロスの追走を開始した。

 ダンジョンには当然、アイズたち【ロキ・ファミリア】以外の冒険者がいる。この中層に見合った能力で探索を行う彼、彼女らからすれば、押し寄せるミノタウロスの群れなど悪夢でしかない。自分たちの取り逃がしたモンスターで犠牲者を出さないためにも、一刻も早い掃討が求められたのだ。

 しかし、地下迷宮を散り散りになって逃げ回るミノタウロスの撃破は、歴戦の【ロキ・ファミリア】であっても困難を極めた。更に運の悪いことに、逃走するミノタウロスの数匹が、17階層からかけ離れた上層にまで上がっていってしまったのである。

 上層にいるような経験の浅い下級冒険者がミノタウロスに見つかればどうなるかなど、火を見るより明らかだ。ろくに抵抗も出来ないまま、一方的に惨殺されてしまう。

 いつ最悪の事態が起こっても不思議ではない。その思いが、アイズとベートに焦りを募らせていた。

 

「……! アイズ、こっちだ!」

 

 狼人(ウェアウルフ)の優れた嗅覚で、とうとう最後のミノタウロスの居場所を突き止めたベート。数ある通路の一つに向かう彼の後ろに、アイズもすぐに続いた。

 

『ブモォオオオオオオオオ!!』

「っ!」

 

 響き渡る咆哮は間違いなくミノタウロスのものだ。確信した瞬間、アイズは走る速度を一段と上げ、先行していたベートすらも追い越して疾走した。

 そしてついに、その金色の双眸が追い続けていた赤銅色の背中を捉えた。腰に帯びていた愛剣、《デスペレート》を抜き放ち、その背中を貫かんと構える。

 

 そこで、彼女は気付いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……?」

 

 嬲っているのではなく、戦闘。

 それはすなわち、ミノタウロスと打ち合える相手がいるということだ。

 

 下層を目指す上級冒険者にでも見つかったのだろうか。

 そんなことを考えるアイズの前で、ミノタウロスが丸太のように太い腕を地面に叩きつけた。強烈な衝撃と共に巻き上がる粉塵、その中から〝彼〟は現れた。

 

「あっ……」

 

 ミノタウロスと戦っていたのは、年若い一人の少年だった。

 髪の色は処女雪を思わせる白。闘志に満ちた眼光を放つ瞳は宝石のような深紅(ルベライト)だ。両手に二本の短刀を握り締め、細かくステップを刻むことでミノタウロスを撹乱している。彼が動く度に、首に巻かれた真っ赤なスカーフが揺れた。

 

「おいアイズ、何ボーッとしてやがる!」

「ベートさん、あれ……」

「あぁ? ……なんだ、ありゃ?」

 

 僅かに遅れ、アイズに追いついたベートは声を張り上げるが、彼もまたミノタウロスと戦う少年に気付くと、その光景に目を奪われた。

 少年は下級冒険者だ。それは身につけている装備を見れば分かる。一般的な第三級、または第二級冒険者の装備に比べると、少年の使っている武器や防具は、お世辞にも質がいいとは言えなかったからだ。

 だが少年の立ち回りや迷いのなさは、明らかに場慣れした者のそれであった。まるで何年もモンスターと戦ってきたかのように、その動きには一切の逡巡も見られない。一瞬の攻防の中に見え隠れする洗練された所作の一つ一つには、迷宮都市オラリオの誇る第一級冒険者のアイズとベートですら目を見張った。

 

 とてもLv.1とは思えない技量で強大な怪物に立ち向かう少年。

 しかし彼には一つだけ、致命的な欠点が存在していた。

 

「……()()()()()()()()

「武器が弱すぎんだ。ついでに『力』もか? なんでもいいが、あれじゃあ一生かかったって倒せねぇぞ」

「そんなっ……!」

 

 少年に足りないもの、それはモンスターを倒す上で欠かせない攻撃力だ。

 どれだけ少年が優れた技を持っていても、どれだけ少年がミノタウロスを翻弄していても、少年の刃はその悉くが厚い皮膚の前に阻まれ、傷をつけることが出来ないでいる。ダメージを与えられない以上、少年がミノタウロスを倒すことは事実上、不可能だった。

 底なしのスタミナを持つモンスターとは違い、人間の体力には限界がある。『神の恩恵(ファルナ)』を授かった冒険者とて、その例外ではない。このままでは少年はやがて力尽き、その骸を曝すこととなるだろう。

 

 ──そうはさせない。

 

 愛剣の柄に手をかけ、アイズは一歩を踏み出した。そんな彼女に、ベートは肩をすくめる。

 

「おいおい、横槍入れる気か? せっかくあのガキが食らいついてるところなのによぉ?」

「今はそうかもしれません。けど、このままじゃ遅かれ早かれ、あの子が倒れてしまう……」

 

 何より、とアイズは言葉を区切った。

 

「ミノタウロスがここまで来たのは、私たちのせいです。だからあの子は、私が助けないと」

「はぁ……好きにしろ。ガキに何言われようが知らねぇからな」

 

 ふんと鼻を鳴らしたベートを一瞥し、アイズは再び前へ向き直った。

 ミノタウロスまではおよそ二〇M(メドル)。距離を詰め、撃破するまで十秒とかからない。第一級冒険者である彼女には、それが可能だった。

 デスペレートを抜刀。姿勢を低くし、足に力を込める。今のアイズは、さながら引き絞られた矢だ。放たれれば音すら置き去りにし、ミノタウロスを一太刀のもとに斬り捨てるだろう。

 

 標的を見据え、地を蹴る。

 その瞬間だった。

 

 ミノタウロスの剛腕を躱した少年と、

 確かな光を宿した深紅(ルベライト)の双眸と、視線がぶつかった。

 少年は、決して諦めてはいなかった。

 

「……!」 

 

 ドクン、と。

 心臓が一際大きく跳ねる。同時に、少女の頭を疑問が埋め尽くしていく。

 攻撃は通じない。一撃でも当たれば死に直結する。少年に勝ち目はなく、故に今の状況は絶望的な筈だ。

 それなのに、その筈なのに、

 

 ──どうして、諦めないの?

 

 構えを解き、食い入るように少年を見つめるアイズの耳に、儚い(ベル)の音が響いた。

 



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第5話

 日刊ランキング1位になれました。皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

 引き続き、『【英雄】は止まらない』をよろしくお願いします。

 今回は特殊タグを多用しているため、見にくいと思う方もおられるかもしれません。ご了承ください。


 ──やはり、効かない。

 

 振るった短刀の感触を確かめながら、ミノタウロスの脇腹に目をやった。直撃を見舞った筈のそこには、掠った程度の傷痕しかついていない。

 Lv.1の僕とLv.2のミノタウロスでは、そもそもの地力が圧倒的に違う。ただでさえ断ちにくい強靭な肉体は、レベルの差もあって堅牢な壁とも錯覚する。このままではとてもではないが倒すことは出来ないだろう。

 

『ブモォオオオオォオオオオオォオオオ!!』

 

 轟く咆哮(ハウル)に大気がビリビリと震える。二M(メドル)を越える巨体から放たれる凄まじい覇気に、思わず気圧されそうになる。

 それでも気持ちだけは負けてはいけないと、僕は精一杯の力でミノタウロスを睨みつけた。

 

『ウウゥ……! オォオオオオ!!』

 

 そんな僕が気に食わないとばかりに、ミノタウロスは荒く鼻を鳴らして突進してくる。

 当たれば必死。故に大きく横に跳び、確実に回避する。転がった地面から素早く体を起こし、顔を上げると、そこには既に腕を振りかぶり、攻撃体勢に入るミノタウロスがいた。

 

 ──前だっ!

 

 そう叫ぶ直感に従い、ミノタウロスの懐へと体を潜り込ませる。刹那、拳が唸りを上げて頭上を通り過ぎていった。

 猛攻は止まらない。技も駆け引きも何もない、ただ本能に身を任せた滅茶苦茶な攻撃ではあるが、その全てが容易く僕を屠るだけの威力を孕んでいる。気を抜くことは微塵たりとも許されなかった。

 歯を食い縛る。

 目を見開く。

 全身に張り巡らされた神経という神経を研ぎ澄まし、荒れ狂う暴力の嵐を捌いていく。

 

 そして、

 焦点の合っていない視界の端に輝く金色が映ったのは、そんな最中のことだった。

 十分の一秒にも満たない、ほんの一瞬の出来事。

 けれど確かにその瞬間、僕たちの視線は交差していた。

 

「──っ!」

 

 下から上へ振るわれた剛腕を避けつつ、その際に生じた風圧を利用して後退、距離を取る。向こうからの追撃は、ない。

 僕は深く息を吐き、右手に持っていたヴェルフの短刀を今一度握り直した。

 

 あの人が、すぐそこにいる。

 あの人が、僕を見ている。

 在りし日の記憶が、脳裏から甦る。

 

 ──あの……大丈夫、ですか?

 

 虚空に向かって僕は小さく頷く。そして武器を構え、怪物と対峙する。

 

 

アイズ・ヴァレンシュタインに、もう助けられる訳にはいかないのだから。

 

 背中に刻まれた【ステイタス】が熱を帯び、右手に光が収束する。雪よりも細かい純白の粒子がこの場に、リン、リンと、規則正しい音色を響かせた。

 半端な攻撃を何度繰り返したところで意味はない。必要なのは一撃だ。強力無比の一撃があれば、それで全て事足りる。

 僕の纏った光を脅威と判断したのか、ミノタウロスは地を蹴り、憤怒に満ちた形相で疾駆を開始する。伸ばされた腕は、しかし僕を掴むことなく地面に突き刺さり、派手に土煙を巻き上げる。

 

『ヴォオオオオォオオオオオオ!!』

「っ、ぁあああぁあああああ!!」

 

 先程にも増して激しくなったミノタウロスの勢いに、全身が軋み、痛みで悲鳴を上げる。直接攻撃に当たっていなくとも、そこに伴われる圧が容赦なく降りかかってくるのだ。こちらの限界も、いよいよ近い。

 

 だが、

 それでも、

 

「勝つのは、僕だっ!」

 

 憧れるだけではない。示すのだ。

 意地を。矜持を。精神(こころ)を。覚悟を。魂を。

 かつて、曲がりなりにも【英雄(アルゴノゥト)】の二つ名を賜ったのであれば、それを証明してみせろ。

 【英雄証明(これ)】は、そのための『スキル』だ。

 

 ──リィン!

 

 一際甲高い音を響かせた右手から、蓄力(チャージ)が完了したことを理解する。時間にして約一分といったところか。Lv.1の今の僕では、それが最大なのだろう。

 だが構わない。これで十分だ。

 眩い閃光に包まれた右手と短刀を一瞥し、迫る拳や蹴りを紙一重で躱していく。口の中に血の味が広がり、体が負荷を訴えようと、その痛みも力に換えて突き進む。

 

『ブォオオオアアァアアアアアア!!』

「ォオオオオオオ────!」

 

 そして、吼える。

 喉から最後の雄叫びを絞り出し、穢れなき閃光の刃を、『英雄の一撃』を叩きつけるように薙いだ。辺りが白一色に塗り潰され、視覚がまるで利かなくなる。

 そんな中で、僕は確かに、ミノタウロスがかき消されていく様を見届けた。

 

 ──僕の、勝ちだ。

 

 飛散していくミノタウロスだった灰に向かって、声には出さずとも宣言する。

 破壊音と絶叫が絶えず反響し、あれほどうるさかった通路は、今や嘘のように静まり返っている。聞こえるのは僕の荒い呼吸だけ。壁や地面に残された凄絶な有り様さえなければ、夢か何かと錯覚していたかもしれない。

 しかしこれは現実だ。現実であり、僕は勝ったのだ。

 かつて逃げることしか出来なかった相手を、打ち倒したのだ。

 

「ハァ……ハァ……! ぐっ……!」 

 

 勝利の余韻に浸る間もなく、全身を激痛が走った。戦闘中は無視出来ていたツケが、ここにきて一気に回ってきたようだ。視界が点滅し、上下左右の感覚が狂う。体から力が抜け、立つことも儘ならない。

 やがて、ぐらりと自分の体が傾くのを感じた。一度立つことを放棄した体は重力に引かれ、地面へと落ちていく。衝突に伴う痛みに備え、僕は反射的に目を閉じた。

 

「……?」

 

 しかし、衝撃と固く冷たい地面はいつまで経ってもやって来ない。代わりに僕を包んだのは温かく、柔らかな何かだった。

 一体何が。恐る恐る目を開けた僕の視界に映ったのは──思わず見蕩れてしまいそうになるほどの美貌と、キラキラと輝く金の長髪であった。

 

「あ……」

「……大丈夫?」

 

 小さく首をかしげ、僕に尋ねてくるアイズさん。

 さながら精緻な人形のように整った顔立ちは、記憶にある面影に比べれば、やや幼さが垣間見える。大人になった彼女を知っているが故の違和である。

 そして、抱き留められていると気付いたのは、それから一拍遅れてのことだった。

 

「え……と、す、すみません。もう大丈夫です」

 

 そう言ってその腕から離れようとした僕だったが、どういう訳か、アイズさんの腕はピクリとも動いてくれなかった。

 これには流石に困惑した。顔を上げれば、そこには相変わらず無表情のアイズさんが、じっと僕のことを見つめている。

 彼女が何を考えているか、読み取ることは不可能だった。

 

「……」

「あの……何か……?」

「……モフモフ」

「え……? ちょっ……!?」

 

 不意に左手が伸ばされ、頭をわしゃわしゃと撫で回された。

 僕の理解が全く追いつかない一方、アイズさんは妙に満足そうだ。端から見ればさっきと違いはないように思うかもしれないが、僕には分かる。僅かに緩められた口元と細められた目が証拠だ。

 

「おいアイズ」

 

 と、そのときだ。通路の向こう側から歩み寄ってくる男性に、アイズさんは「ベートさん……」とその人の名前をこぼした。

 ベート・ローガさん。【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者の一人で、【凶狼(ヴァナルガンド)】の二つ名を持つ狼人(ウェアウルフ)だ。

 

「いつまでそんなことしてるつもりだ? 目障りったらありゃしねぇ」

「……」

 

 乱暴な口調で告げるベートさんに、アイズさんは名残惜しそうにしながらも僕を解放した。

 痛みに顔をしかめつつ地面に立った僕は、すぐに回復薬(ポーション)を飲み干した。激闘でボロボロになっていた体に活力が宿り、痛みも少しずつ和らいでいく。

 

「あの……よかったら」

「い、いえ! 結構です! もうほぼ治りましたから!」

 

 傷を癒す僕を見てアイズさんが取り出したのは、なんと回復薬(ポーション)の最上位である万能薬(エリクサー)だった。文字通り、致命傷すら治すことの出来るそれは、最高品質のものになると単価五〇万ヴァリスはくだらない。決して浅くないとはいえ、この程度の怪我に使うには過ぎた代物だ。

 

「おいガキ」

「は、はい!」

「テメェ、最後のありゃなんだ?」

 

 ベートさんはアイズさんに向けていた鋭い眼光を僕に移した。ミノタウロスとはまた違う迫力に表情が強張る。

 

「ベートさん、それは……」

規則(ルール)違反だってか? んなことは分かってる。だがアイズ、お前も見ただろう? こいつがミノタウロスを一撃で消し飛ばしたところを。あれが神々の言う反則(チート)じゃねぇっていう証拠がどこにある?」

 

 アイズさんにそう反論しつつ、ベートさんは僕を指差した。猜疑心に満ちた目で、僕の僅かな挙動すら観察している。

 あたかも、嘘や誤魔化しは通じないぞと言わんばかりに。

 

「黙ってないでなんとか言いやがれ。それとも図星か? テメェんところの神に泣きついて力を貰って、それで英雄気取りか?」

「……!」

 

 ベートさんの言い分は分かる。

 『英雄の一撃』(あんなもの)を目の前で見せられて、不正を疑うなという方が無理な話だ。隣に立つアイズさんも無言を貫いてはいるが、その金色の眼はどうなのかと問いかけてきている。

 

「おい──」

「あれは、僕のものです!」

 

 発言に被せるように声を張り上げた僕に、ベートさんの目が軽く見開かれる。

 僕はその琥珀色の瞳を、真っ正面から見つめ返した。

 

 デタラメな力だということは、僕自身が一番理解している。

 けれどこれは、紛れもない僕の力だ。

 僕の中にある想いが生んだ結晶だ。

 疚しいところなど一つもない。胸を張って、堂々と宣言出来る。

 

「詳しくは話せません。不正じゃないって証拠もありません。だけどあれは貰いものなんかじゃない、僕の力なんです。それだけは、例え誰であっても否定させません!」

「はっ、言うじゃねぇか……!」

 

 にやりと獰猛な笑みを浮かべ、ベートさんはふっと息をついた。

 

「兎野郎、テメェの顔、覚えたぞ」

「兎野郎じゃありません。【ヘスティア・ファミリア】、ベル・クラネルです」

「ふん、雑魚の名前なんて一々気にしてられるか。覚えてほしけりゃ、精々強くなりやがれ」

 

 最後に鼻を鳴らし、ベートさんは踵を返して行ってしまった。

 この場に残されたのは僕と、そしてアイズさんだけだ。

 

「……ベル・クラネル、っていうんだね」

「へ? は、はい」

「ベル・クラネル……ベル・クラネル……うん、覚えた」

 

 僕の名前を何度も呟き、こくこくと頷くアイズさん。

 なんというか、少しだけくすぐったい。

 

「私は、アイズ。アイズ・ヴァレンシュタイン、です」

「あっ……ベル・クラネルです。よろしくお願いします、ヴァレンシュタインさん」

「……アイズでいい。【ファミリア】の皆は、そう呼ぶから」

「じゃあ僕のことも、ベルで構いません」

 

 なんとも遅い自己紹介を済ませ、僕たちは小さく笑い合う。

 

「本当は、もう少し話が出来たらいいんだけど……私、行かないと」

 

 名残惜しそうな素振りを見せるアイズさんが振り返った先には、もうベートさんはいなかった。

 戻らなければならないのだろう。

 自らの所属する、【ロキ・ファミリア】のもとへ。

 

「それじゃあ、()()()。ベル」

「……はい。アイズさんも、()()

 

 ──また、どこかで会いましょう。

 

 短く、けれど確かに再会の約束を交わし、僕たちはそれぞれの道を歩き出した。

 

 僕にとって始まりの一日は、こうして無事に幕を下ろした。

 



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第6話

「ただいま帰りました」

「おおっ! ベル君、おかえりぃ!」

 

 帰宅早々、飛びついてきた神様を受け止め、僕は深くソファーに腰かけた。目を閉じ、脱力して深く息を吐き出す。

 ミノタウロスの激闘を経て消耗した体は、何よりも休息を求めていた。

 

「お疲れ様。随分と疲れてるみたいだけど、何かあったのかい?」

「中層から上がったきたミノタウロスと戦ってました……」

「ふむふむ、ミノタウロスとね。……って、えぇ!? ちょっ、大丈夫なのかい!? 怪我とかしてないよね!?」

 

 驚きのあまり、ギョッと目を剥いた神様は、ペタペタと僕の体を触り始めた。

 そんな彼女を僕は「大丈夫ですよ」と苦笑しつつ、宥める。

 

「けど、確かミノタウロスってとても強いモンスターなんだろう? よく倒せたね」

【英雄証明】(スキル)のおかげですよ。あれがなければ勝てませんでした」

 

 ただ、最大まで蓄力(チャージ)して『英雄の一撃』を放った代償か、ヴェルフの短刀は刀身が砕け、見事に使い物にならなくなってしまった。これは近いうちに新しい武器を探すか、あるいは可能なら本人に直接作ってもらった方がいいかもしれない。

 

 ──……いや、流石にそれは迷惑か。

 

「ふぅ……。神様、【ステイタス】の更新をしてもらってもいいですか?」

「うん、任せておくれ! どこまで伸びてるのか、楽しみだね」

 

 一休みしたところでいよいよ【ステイタス】の更新だ。神様の言う通り、格上のモンスターであるミノタウロスを倒した僕のアビリティは、どこまで伸びているのだろうか。

 

「う~ん……相変わらず凄まじい伸び具合だね……。普通の子の【ステイタス】の成長がどんなものかは知らないけど、そんなボクでも明らかにおかしいって言えるよ……」

「そんな伸びてましたか?」

「うん。いくらミノタウロスを倒したってことを考慮しても、これは少し伸びすぎかな」

 

 更新のために装備を外し、終わり次第、部屋着に着替える。再び戻ってくる頃には【ステイタス】の書き写しも完了したようで、僕は神様から羊皮紙を受け取った。

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:F323→E406 耐久:G212→283 器用:E457→D531 敏捷:E428→D505 魔力:I 0

 

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続。

 ・懸想(おもい)の丈により効果向上。

 【英雄証明(アルゴノゥト)

 ・能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

 トータル上昇値300以上。たった一度の更新でここまで成長するのは、過去を振り返っても珍しいことだ。

 僕が冒険者となって半月。以前とは違い、最初から【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】を持っていたこともあって、この時点で『器用』と『敏捷』がDにまで到達している。流石にランクアップはまだ出来ないだろうが、着実に強くなっているという事実に、ふっと口元が緩んだ。

 

「さてと、神様、そろそろ夕食の支度をしますね」

「ん、いいのかい? もう少し休んでてくれてもいいんだぜ?」

「いえ、大丈夫です。その分、食べてからゆっくりしますから」

 

 前かけをつけ、手を洗ってから魔石製品である冷蔵庫から食材を取り出し、ぎゅっと袖を捲る。

 シルさんに振り回され、『豊饒の女主人』の手伝いを幾度となく繰り返してきたため、こう見えても台所での作業には腕に覚えがある。料理も女将であるミアさんにはまだまだ程遠いが、神様は喜んで食べてくれるので、作る側としてもやり甲斐があるのだ。

 

「……うん、じゃあやっていこうかな」

 

 献立は決まった。

 くるりと手元にあった包丁を回し、鼻唄と共に調理を開始した。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 翌日、神様と朝食を食べた僕はダンジョンへ行かず、『摩天楼(バベル)』の八階にある【ヘファイストス・ファミリア】のテナントを見て回っていた。

 

「う~ん、やっぱりしっくりこないな……」

 

 首をかしげつつ、握っていた長剣を元の場所に戻す。

 その出来は決して悪い訳ではない。だが、やはりヴェルフの短刀に比べると、どうしても馴染み具合が劣ってしまうのだ。

 それからしばらくの間、ヴェルフの武器を探してあちこちを漁っていたが、最終的には大人しく店員を頼ることにした。これ以上の足掻きは、きっと時間の浪費にしかならない。

 

「あの、すみません。ヴェルフ・クロッゾさんの武器ってありませんか?」

「ヴェルフ・クロッゾ氏の武器ですか? 少しお待ちください」

 

 カウンターにいた男性店員にそう尋ねると、彼は一旦奥の方へと引っ込み、書類を抱えてまた戻ってきた。

 

「えー……ヴェルフ・クロッゾ氏の作品は……現在はライトアーマーが一つだけのようですね。残念ながら氏の武器は取り扱っておりません」

「そう、ですか……」

「お時間があるなら直接訪ねてみてはどうでしょう? ここにはなくとも、本人の手元にならあるかもしれませんね」

「……分かりました。ありがとうございます」

 

 にこやかに答える店員にお礼を言い、ひとまずはそのライトアーマーを探す。

 幸いにもそちらはすぐに見つかった。彩色の施されていない、白い金属光沢を放つブレストプレートや膝当てなどの一式は、紛れもなくヴェルフの打った防具であり、愛用していた兎鎧(ピョンキチ)シリーズの旧型に他ならない。値段は九九〇〇ヴァリス、僕は迷うことなく購入を決めた。

 

「あとは……武器か」

 

 テナントを後にした僕の頭には、先程の店員の言葉が残っていた。

 直接会いに行くという選択肢は、これまで僕がなるべく避けていたものだ。僕にとって【ヘスティア・ファミリア】の皆は、何物にも代えられない大事な人たちなのだが、今を生きる彼、彼女たちにとって、僕はただの赤の他人でしかない。接点が皆無である現状、会いに行ったとしても厄介がられ、相手にされないことは目に見えていたからだ。

 

 しかし今なら。

 ヴェルフを訪ねるきちんとした理由のある今なら、あるいは──。

 

「──よし、行こう」

 

 腹は決まった。

 バベルを出た僕はその足で、オラリオ北東のメインストリートへと向かい始める。

 

 北東のメインストリート周辺は主に魔石製品を生産する工場など、職人たちの作業場の立ち並ぶ工業区だ。道行く人々の多くがヒューマンやドワーフといった種族であり、また作業服に身を包んでいる。時折吹く風からは、仄かに鉄の臭いがした。

 そんな通りをまっすぐ進み、あるところから細い路地に入る。人気のない石畳の道は薄暗く、さながら迷路のようだが、僕はそこを淀みない足取りですいすいと歩いていく。

 目的地はかつて、何度も足を運んだ場所だ。如何に複雑であろうとも、その道順はしっかりと頭に入っている。

 そうして辿り着いた平屋造りの建物、すなわちヴェルフの工房の鎧戸を、僕は強く叩いた。

 

「ごめんください! どなたかいらっしゃいませんか?」

 

 作業中でも聞こえるよう、必要以上に声を張り上げる。

 すると数秒後、重々しい音を立てて鎧戸が開き、燃えるように真っ赤な短髪をした青年が姿を現した。

 

「えっと……どちら様で?」

「はじめまして。僕、ベル・クラネルっていいます」

 

 ぺこりと頭を下げ、名を名乗る。そして、不思議そうな顔をする青年──ヴェルフに、僕は砕けた短刀の柄を差し出した。

 

「っ!? お前、これってもしかして!」

 

 大きく目を見開き、柄と僕の顔を交互に視線を動かすヴェルフ。

 そんな彼に、僕はこくりと頷いた。

 

「……一つだけ訊かせてくれ。お前は、魔剣目当てで来た訳じゃないんだな?」

「はい。僕はこのナイフを打ったあなたに会いに来たんです」

 

 真剣な面持ちで尋ねてくるヴェルフから目を逸らさず、はっきりと答える。僕たちの間に沈黙が流れ、やがてヴェルフが小さくふっと表情を緩めた。

 

「……悪いな、疑うような真似をしちまって。とりあえず中に入ってくれ。立ち話で済ませるには長くなりそうだ」

「あっ、はい。お邪魔します」

 

 ヴェルフに通され、僕は工房の中に足を踏み入れる。

 鍛冶師(スミス)の仕事場だけあって、小ぢんまりとした一室には炉や作業台、鎚などの設備や道具がところ狭しと並んでいる。どこか懐かしい光景に目を奪われていると、奥から椅子を持ってきたヴェルフが、「そんなに珍しいか?」と苦笑した。

 

「さて、とりあえず自己紹介からしておくか。俺の名前はヴェルフ・クロッゾ。【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師(スミス)だ。家名は嫌いでな、呼ぶならヴェルフって呼んでくれ」

「【ヘスティア・ファミリア】、ベル・クラネルです。よろしく、ヴェルフ」

「あぁ。よろしくな、ベル」

 

 互いに名前を呼び合い、握手を交わす。

 

 またヴェルフと、かけがえのない大切な仲間と出会えた。

 その事実に、喜びで笑みが浮かんでくる。

 

「それで、わざわざこんなところにまで俺を訪ねてきて、一体なんの用だ? 特注品(オーダーメイド)か? 記念すべき顧客の第一号だ、遠慮せずに言ってくれ」

「えっと、じゃあヴェルフの打った武器が見たいかな。さっきまでバベルにあるテナントの方に行ってたんだけど、そこではヴェルフの作品は全然見当たらなくて……」

「おう。ならあの辺りにまとめてあるぜ」

 

 そう言ってヴェルフが顎で示した先には、彼の打った作品たちが壁に立てかけられていた。剣、槍、鎚など、その種類は様々だ。飾り気のない機能性を重視したであろう造りが、なんともヴェルフらしい。

 

「どうだ? お前好みのはありそうか?」

「そうだね、短刀があれば一番いいんだけど……でも、この小剣(ショートソード)とかいいかも。あ、こっちの大剣もかっこいいなぁ」

「おいおい、小剣(ショートソード)と大剣なんて全然違う武器だぞ? ……それにしても、短刀か。参考程度に訊きたいんだが、お前の持ってきたのはなんであんな風になっちまったんだ?」

「あー……上層に上がってきたミノタウロスと戦って、そのときに……」

「はぁ!? 上層でミノタウロスと!? いやでも、だとしたらあの有り様も納得はいくか……。ていうか、お前Lv.1だよな!? よく生きてたな!」

 

 驚愕するヴェルフに苦笑を浮かべ、「運がよかったんだ」と返す。そんな僕をヴェルフは何か言いたげに見つめていたが、それ以上追及してくることはなかった。

 

「う~ん、どうしようかな……」

「やっぱり短刀がいいのか?」

「……そうだね。一番使い慣れてる武器だし。でもそうなると一から作ることになるんだよね?」

「あぁ。でも本当に遠慮なんてしなくていいんだぞ? 自分の作品を使ってくれる冒険者がいる、鍛冶師(スミス)にとってこんなに嬉しいことはないんだからな」

 

 にっと溌剌とした男前な笑みを見せるヴェルフ。

 その姿に、胸の内に温かい気持ちが込み上げてくる。

 

 ──そうだ、ヴェルフ・クロッゾとはこういう人だった。

 

 まっすぐな性格の職人気質で、面倒見のいい兄貴分。

 頼れる相棒の在り方は、今も昔も変わらないままだった。

 

「ふふっ、じゃあ、頼んでもいいかな?」

「任せとけ。最高の一振りを用意してやるよ」

 

 ぐっと親指を上げ、ヴェルフは自信満々に答えた。

 



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第7話

 お気に入り登録数が3000を越えました。たくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。


 ベルがヴェルフのもとを訪ねている頃、ヘスティアはソファーに寝転がり、ぼんやりと天井を眺めていた。

 日々アルバイトに奔走する彼女にとって、今日は久しぶりの休日。故に、ゆっくりと読書でもして過ごすつもりだった。

 しかし、いざ本を開いてみても内容が全く入ってこない。どれだけ集中しようとしても、すぐに別のことが頭に浮かんできてしまうのである。

 

 それは、【ヘスティア・ファミリア】唯一の眷族であるベルのことだ。

 

 処女雪のような穢れのない純白の短髪と、優しさに満ちた深紅(ルベライト)の瞳をした、十四歳の少年。性格は素直かつ善良で、更には強い正義感の持ち主でもある。時折見せる大人びた立ち振舞いや思慮深さも、ヘスティアにとっては魅力の一つだ。

 自分にはもったいないくらいの子だと、ヘスティアはつくづく思った。

 ベルにはとある秘密があることを、ヘスティアは知っている。彼の背に『神の恩恵(ファルナ)』を刻んだその日に、直接本人から聞いたのだ。

 

 曰く、自分は未来のことを覚えている、と。

 

 結果から言えば、それを知ったヘスティアが何かをするということはなかった。

 ヘスティアは『炉』の女神。『時間』、あるいは『運命』といったものに関しては完全に門外漢だ。いくら疑問に思ったところで、ベルの身に起きたことを説明することは出来ず、最終的には「そういうこともあるのかもしれない」という結論に落ち着くこととなった。

 むしろヘスティアはベルに大いに感謝し、【ファミリア】の結成を喜んだ。

 だらけた生活をしていたばかりに親友(ヘファイストス)のもとから追い出され、【ファミリア】を作ろうと勧誘をしても一向に上手くいかない。そんな日々が続き、体力的にも精神的にも参ってしまっていたとき、手を差し伸べてくれたのがベルなのだ。何か大きな秘密を抱えていたところで、彼を厄介がる理由などどこにもなかった。

 更に、冒険者として経験を積んできたベルには、相応の強さと知恵があった筈だ。それを活かせば、【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】など、誰もが憧れるオラリオの二大派閥に入ることも出来ただろう。その上で、彼が自分のことを選んでくれたことが、ヘスティアには堪らなく嬉しかった。

 

 ──ベル君の力になりたい。

 

 そう思うようになり始めたのは、【ファミリア】の結成から二週間が経過し、今の生活にも慣れてきた頃だった。

 現状、【ヘスティア・ファミリア】の団員はベル一人しかおらず、生活費などの多くが彼頼りとなってしまっている。その負担を減らすため、ヘスティア自身もほぼ毎日アルバイトをしているが、それでもベルに養われているというのが現実だ。

 

 自分は甘えてばかりで、何もしてあげることが出来ていない。

 これでは主神失格だ。

 何か自分にも出来ることはないだろうか。

 

 それがここ数日における、ヘスティアの悩みの種であった。

 

「……でも、ボクに何が出来るんだろう?」

 

 天井を見つめたまま、ヘスティアは途方に暮れる。

 下界で生きる神々の決まりに従い、『神の力(アルカナム)』を封印している今の彼女は、ただの人間同然だ。一部の神々は自らの持つ技術や知恵を活かし、様々な分野で活動しているようだが、ヘスティアにそういった類いの能力はない。

 せめてヘファイストスのように武器を作れたらなぁ、と。

 深くため息をついた、そのときだった。

 

「──ん? ヘファイストス?」

 

 何気なく浮かんだ親友の名前に、停滞していた思考が一気に加速していく。

 寝転がった体勢のままブツブツと何かを呟いていたヘスティアは、考えがまとまると同時にその体を勢いよく起こした。そしてすぐさま食器棚に飛びつくと、中段にある引き出しを漁った。

 

「……あった」

 

 お目当てのものを発見し、ほっと息をついたヘスティア。

 その手には『ガネーシャ主催 神の宴』と書かれた招待状が握られていた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 『ウォーシャドウ』というモンスターがいる。

 

 地下迷宮6階層から出現するモンスターで、その身の丈一六〇(セルチ)ほど。影を思わせる黒一色に染まった体と、長い腕の先に備わった三本の鋭い指が特徴だ。

 このウォーシャドウはダンジョンの上層において、新米冒険者では敵わないモンスターの筆頭として知られている。移動速度、攻撃力、攻撃の間合いなど、多くの要素において『ゴブリン』や『コボルト』といった、6階層までに出現するモンスターとは比べ物にならない強さを秘めているからだ。この6階層が上層における一つの区切りと見なされているのは、ひとえにこのモンスターの存在に依るところが大きい。

 

 そんなウォーシャドウが合計で四体、()()()を囲むように出現した。

 

「囲まれたね……」

「あぁ。けど慌てることはねぇぞ。ウォーシャドウは確かに強いが、落ち着いて対処すれば問題ない。二体同時に相手しなけりゃ、ベルなら十分やれるさ」

 

 背中から聞こえるヴェルフの言葉に頷き、借り物である大剣を中段に構えた。普段使っている短刀とは違う、ずっしりとした重量の得物を強く握り締める。

 

「よし、いくぞっ!」

「うんっ!」

 

 その声を合図に、僕たちは前へ飛び出す。

 既に臨戦態勢に入っていた二体のウォーシャドウは、飛び出してきた僕に向かってその長い腕を振り上げた。鋭利さと切れ味を両立させたナイフのような指が、風切り音を伴って迫ってくる。

 ズバッ、と。薄暗い通路に何かが切り裂かれる音が響いた。

 

「はあっ!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、距離を詰めて蹴りを放った。二つあった真っ黒な体躯の一つが宙を舞い、少し離れた壁に激突する。

 今ので倒すことは出来なかったようだが、これで一対一の状況を作り出すことには成功した。僕は残ったウォーシャドウに狙いを定め、一歩を踏み出す。

 

『────!』

「やぁあああああ!!」

 

 先程と同様、伸びてきた腕を切り払い、懐へと潜り込む。ここまで接近すれば、ウォーシャドウはその腕の長さが仇となり、満足に攻撃することが出来ない。それは僕も同じだが、しかし僕の武器は一つではない。

 大剣を手放し、腰の後ろに装備していた短刀──最初にギルドで購入した支給品──を抜刀すると、ウォーシャドウの胸に深々と突き刺す。そして、そのまま一気に頭頂部まで振り抜いた。

 真っ二つに裂かれたウォーシャドウは力なく崩れ落ち、灰へと還っていく。その様を確認してから、僕は大剣を拾い上げて残る一体に目を移した。顔のないウォーシャドウだが、その様子は怒っているように見えなくもない。

 

『────!!』

 

 今度はあちらから攻めてくるウォーシャドウ。けれど片腕を失った今、その脅威は半減している。

 冷静に攻撃を受け止め、反撃として体重を乗せた袈裟斬りを叩き込む。それだけで、ウォーシャドウはあっさりと沈黙した。

 

「……ふぅ」

「お疲れさん。いい戦いっぷりだったぜ」

 

 軽く息を整えていると、大剣を担いだヴェルフが歩み寄ってくる。

 

「お疲れ様。どうだった?」

「残念ながら落ちなかったな。まぁ、こればかりは運だししょうがないさ」

 

 ヴェルフは肩をすくめつつ、首を横に振る。

 

 『ウォーシャドウの指刃』。

 それが今回の探索の狙いとなるドロップアイテムであり、僕の新しい短刀の材料としてヴェルフが選んだものだ。ただ、製作するには手持ち分だけでは数が足りないとのことで、こうしてパーティを組み、ダンジョンに足を運んだのである。

 ちなみにドロップアイテムとは、モンスターを倒したときにその一部が灰化せず、形を残したもののことだ。ヴェルフが言った通り、得られるかどうかは完全に運次第なため、僕たちは先程からウォーシャドウを見つけては撃破するということを繰り返していた。

 

「それにしても、背中を預けられる仲間がいるってのはいいもんだな。心強いし、何よりも単独(ソロ)と比べて遥かに安全だ。流石にウォーシャドウ四体を相手するのは、一人じゃ難しかっただろうからな」

「そうだね。本当にそう思うよ」

 

 はははは、と声を揃えて笑い合う。

 理由は違えど、僕とヴェルフは共に単独(ソロ)でダンジョンに挑む冒険者だ。故に、味方がいるということの安心感とありがたみを、身に染みて実感していた。

 ダンジョンは死の危険が常にまとわりつく場所だ。そこに単身で挑むのか、誰かと挑むのか、それだけで攻略難度が大きく変わってくる。

 

「けど驚いたぞ。大剣を使わせてほしいなんて言われたときには耳を疑ったが、なかなかどうして様になってるじゃないか」

「一応昔から練習してたからね。頭の中でだけど」

「ぷっ、はははははははっ! なんだそりゃ!」

 

 未来で使っていた経験がある、などと正直に言う訳にもいかないので、少しばかりおどけてみせると、どうやらヴェルフのツボに入ったらしい。哄笑が通路に響き渡った。

 

 そんなときだ。ピキピキという音が鳴り、壁の一部がひび割れる。

 現れたのはゴブリンの群れ。しかしこの中には、ちらほらとウォーシャドウの姿も見える。その数は優に十を越えており、これにはヴェルフも笑いを止めて真剣な面持ちを作った。

 

「ふぅ……。さて、こりゃ冗談言って笑ってる場合じゃねぇな」

「だね。どうする?」

「そんなもん、蹴散らすに決まってるだろ。半分頼めるか?」

「もちろん」

 

 こくりと頷き、大剣越しにモンスターの群れを見据える。

 敵の数は多い。そして、数というのはこのダンジョンにおいて、それだけで脅威となる要素だ。囲まれ、袋叩きにされてしまえば、どんな冒険者でも死は免れない。

 

『グガァアアアアァアアアアアア!!』

「よっしゃあ! どっからでもかかって来やがれ!」

「さぁ、来い!」

 

 反響するゴブリンたちの雄叫びに、負けじと僕たちも声を張り上げた。己を鼓舞し、精神を奮い立たせる。

 

 ここに、乱闘が始まった。

 



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第8話

 ストックがなくなったので更新速度がガクッと落ちます。時間があれば書いていきますので、お付き合いいただけたらと思います。


「換金が終了致しました。こちら、一九二〇〇ヴァリスになります」

「ありがとうございます」

 

 ヴァリス硬貨の入った袋を受け取り、辺りをキョロキョロと見回す。すると、少し離れたところにあるテーブルに座っていたヴェルフが、こちらに向かって大きく手を振ってきた。

 

「おーい、こっちだこっち」

「お待たせ。換金してきたよ」

「おう、ありがとな。まぁ座れよ」

 

 そう言って椅子を引いたヴェルフに従い、彼の隣の席に腰を下ろす。

 

「換金、いくらになった? あれだけウォーシャドウやらゴブリンやらを倒したんだ、結構高かったんじゃないのか?」

「一九二〇〇ヴァリスだって。大金だよ、ヴェルフ!」

「おおっ、すげぇな! 俺が単独(ソロ)で丸一日潜ったとき以上の稼ぎだぞ!」

 

 確かな重さの袋を持ち上げ、子供のようにはしゃぐヴェルフ。その気持ちには、僕も大いに共感することが出来た。

 目的である『ウォーシャドウの指刃』も必要数集まり、副次的とはいえ、こうしてお金も手に入り、何より怪我をすることなく帰還出来たのだから、今回の探索は大成功と言えるだろう。

 

「なぁベル、素材集めのついでとはいえ、これだけ稼いだんだ。今晩は一緒に飯でも食いに行かないか?」

「いいね、それ。あ、でもそうなると神様が一柱(ひとり)だけになっちゃうな……」

 

 流石に神様を一柱(ひとり)残して、僕だけが外食に行く訳にもいかない。【ヘスティア・ファミリア】は僕と神様だけの派閥なのだから。

 

「そうなのか? なら、お前のとこの主神様も連れて来いよ。俺は全然構わないぞ?」

「本当? ありがとうヴェルフ!」

「おう。やっぱり飯を食うなら賑やかな方が美味いからな。だが──」

 

 笑顔だったヴェルフはそこで悩ましげに首をかしげた。

 

「そうなるとどこに行くかだよな。誘っておいて悪いんだが、ベルはどこかいいところを知らないか?」

「ん~……そうだね、僕の知ってるところでよければ。値段は少し高いけど、すごく美味しい料理の出てくるんだ。多分、ヴェルフも気に入ると思う」

「おぉ、いいじゃねぇか! なぁ、なんて店なんだ?」

 

 上機嫌で尋ねてくるヴェルフに、僕は少しだけ得意げに答えた。

 

「『豊饒の女主人』、だよ」

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 それから僕は一旦ヴェルフと別れ、本拠(ホーム)に戻った。神様を呼んでくることはもちろんのこと、装備や手荷物など、直接『豊饒の女主人』に向かうには色々と不便だったからだ。

 しかし、本拠(ホーム)である教会地下の隠し部屋に神様の姿はなく、代わりに一つの書き置きが残されていた。なんでも、今晩はミアハ様とタケミカヅチ様の三柱(さんにん)で飲み会をしてくるらしい。

 

「──そんな訳で、僕が帰ったときには神様はもういなかったんだ」

「そうか。まぁ、先約があるならしょうがないな」

 

 夜の帳が下り始め、通りにも魔石灯が点り出した頃、待ち合わせ場所である中央広場(セントラルパーク)で事情を説明すると、ヴェルフはそう言って快活に笑った。

 そんな彼を連れて、僕は目的地へと移動を始める。

 

「着いたよ。ここが『豊饒の女主人』だよ」

「ほぉ、酒場って割には結構立派なところなんだな。テラスのある酒場なんてなかなか見ないぞ」

 

 西側のメインストリート沿いに建てられた、周りのお店と比べても一際大きな石造りの酒場。

 ここが『豊饒の女主人』だ。

 入口からそっと店内を窺ってみると、そこは多くの人たちで賑わっていた。笑顔で料理を堪能し、酒を飲んでいる彼、彼女らの楽しげな雰囲気が、見ているこちらにもよく伝わってくる。

 そのときだ、近くを通りかかったキャットピープルのウエイトレスが、店内を覗く僕を見て「ニャ?」と声を上げた。

 

「ん~……ニャニャ! 白髪頭ニャ! 一体何しに来たのニャ?」

「こんばんは、アーニャさん。ていうか何しに来たって……ただご飯を食べに来ただけですよ。二人なんですけど、大丈夫ですか?」

「ちょっと待つニャ。えっと……おっ、あそこのテーブルがちょうど空いてるみたいニャ。ミャーが案内してやるニャ」

 

 「二名様、ご来店ニャー!」と、店内に声を響かせるアーニャさんの後ろについていく。そうして案内されたのは、ちょうど二人用の小テーブルだ。向かい合いように置かれた椅子に、僕たちは腰を下ろす。

 

「いい雰囲気だな。こういう賑やかなのは嫌いじゃないぜ」

「そう言ってくれると嬉しいな。はい、メニュー」

「助かる。……ははっ、なるほどな。こりゃ確かにいい値段だ。他所(よそ)の数倍はあるぞ」

 

 軽く笑いながらヴェルフが指差したのは、他の店でも出されているようなパスタ。しかしその値段は三〇〇ヴァリスと、相場を考慮すればかなり高くなっている。他の料理も同様である。

 もちろんその分、味は文句なしだ。女将であるミアさんの料理はどれも絶品なのだけれど、やはり一見さんからすれば驚くのも無理はないのかもしれない。僕も初めてシルさんに連れてこられたときは、その価格の高さに目を疑ったものだ。

 

「すみません! 注文を!」

「はーい、お待たせしました! あっ、ベルさん! こんばんは」

「こんばんは。お邪魔してます、シルさん」

 

 周りの談笑にかき消されないよう大きな声で呼ぶと、やってきた鈍色の髪をしたヒューマンの女の子が、僕の顔を見てぱっと表情を綻ばせた。

 彼女の名前はシル・フローヴァさん。ここ『豊饒の女主人』に勤める店員の一人だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()けれど、今はあまり関係のない話である。

 

「お邪魔なんてそんな。わざわざ来てくださってありがとうございます。あ、ご注文を承りますね?」

「僕は鶏の香草焼きと果実酒、あとはこのピザを一枚、お願いします。ヴェルフはどうする?」

「俺はステーキと醸造酒(エール)にするぜ。今はガッツリいきたい気分だ」

「ふふっ、分かりました。少し待っててくださいね」

 

 にこりと可愛らしい笑顔を残し、シルさんは厨房の方へと姿を消していった。

 それから約十分後、ヴェルフと一緒に他愛のない話をしていると、できたての料理が僕たちの前に並べられた。鼻腔を擽るいい匂いが食欲をそそり、腹の虫が鳴く。

 

「よし、それじゃあ乾杯しようぜ!」

「うん。それじゃあ……今日は一日、お疲れ様でした! 乾杯っ!」

「乾杯っ!」

 

 果実酒のグラスと醸造酒(エール)のジョッキがぶつかり合い、カァン! と音を立てる。

 いっぱいに入った鮮やかな色合いの液体を一口呷ると、柑橘類特有の爽やかな味わいが広がった。酒にあまり強くない僕でも、この酒は飲みやすい。

 続いて料理。香草の添えられた大きな鶏肉を、ナイフで切って口に運ぶ。咀嚼する度に肉の旨味が口の中を満たし、溢れ出す肉汁と油にはしつこさがない。その食べやすさに、どんどん食事の手が進んでいく。

 

 ──うん、やっぱり美味しい。

 

 合間に果実酒を挟みつつ、ほっと息をついたところで、ふと前に座るヴェルフに目をやると、彼は厚切りのステーキを夢中になって頬張っていた。醸造酒(エール)のジョッキを傾け、喉を鳴らして豪快に飲む様子は、見ているこちらも気持ちがいいくらいだ。

 

「んぐ……んぐ……ぷはっ! 美味いっ! 料理も酒も、本当に美味いな! これだけ人が集まる訳だぜ」

 

 店内をぐるりと見回したヴェルフは、こくこくと納得したように何度も頷いた。

 

「にしても、こうして誰かと飯を食うのも久しぶりだぜ。いつもは大抵一人か、たまに誰かと行くにしても相手は椿──【ファミリア】(うち)の団長くらいだったしな」

「そ、そうなんだ」

「あぁ。あいつら、揃いも揃って俺のことをのけ者にするんだ。酷い話だろ?」

 

 苦笑するヴェルフに、僕は思いきって踏み込むことにした。

 

「もしかして……『クロッゾの魔剣』のことで?」

「……あぁ、その通りだ」

 

 『クロッゾの魔剣』。

 それは名前の通り、鍛冶一族である『クロッゾ』が打った魔剣のことだ。また、この世界で初めて作られた魔剣としても知られている。

 『精霊』の血を引くとされる『クロッゾ』の作る魔剣は、他の鍛冶師(スミス)の魔剣を遥かに凌駕する凄まじい威力を誇っており、『海を焼き払った』とも伝えられているほどだ。過去にこの『クロッゾの魔剣』を多数有した王国(ラキア)は、その圧倒的な力で向かうところ敵なしだったと言われる。

 しかし、『クロッゾの魔剣』を手にしたラキアは暴れすぎた。森を焼き、山を抉り、何もかもをめちゃくちゃにしていく彼らの所業に、故郷を追われたエルフだけでなく、『クロッゾ』に血を与えた精霊たちもまた、怒りを露にした。

 その結果、『クロッゾの魔剣』は全て破砕し、『クロッゾ』の一族は魔剣を打つ力を失った。

 ただ一人、ヴェルフを除いて。

 

「確かに俺は『クロッゾの魔剣』を打てる。でもな、俺のところに来た客は、どいつもこいつも魔剣、魔剣としか言わなかった。汗水垂らして作り上げた作品たちには、誰一人として見向きもしないんだぜ? そりゃ、俺だって自分の腕がまだまだだってことくらい分かってるが……それでも、なぁ? 腹だって立つさ」

 

 客は全て魔剣目当て。自分が本当に見てほしい作品は、これっぽっちも見てもらえない。

 その状況が如何にヴェルフを苦しめたのか、想像するに難くない。辟易もするだろう。

 

「だからベル。お前が俺の作品を使ってくれて、俺の作品が欲しいと言ってくれて、認めてくれて、鍛冶師(スミス)としてこんなに嬉しいことはなかった。今更だが、あらためて言わせてくれ。本当に感謝してる」

「え……あ、いや、お礼を言うのは僕の方だよ! ヴェルフの作品は僕にぴったりで、すごく使いやすくて、ダンジョン探索ではいつも助けられてるから……その、ありがとう」

 

 お互いに頭を下げ、顔を見合せ──ぷっと吹き出した。

 感謝されて、感謝して。

 そんなやり取りがおかしくて、僕たちはしばらくの間、肩を揺らして笑った。

 

「なぁ、一つ提案があるんだ」

 

 ──俺と、直接契約をしないか?

 

 ひとしきり笑い終えた後、表情を真剣なものへと変え、僕の目を覗き込んできたヴェルフは、そのまま言葉を続けた。

 

「お前は俺にとって初めての顧客だ。俺が心血を注ぎ込んで作った作品を使ってくれる男だ。ベルのためなら、俺はきっと最高の装備を作ってやることが出来る」

「……本当に、僕でいいの?」

「お前で、じゃない。俺はお前がいいんだ。もちろん、お前がその気じゃないなら無理強いはしないが──」

「結ぶ! 結ぶよっ!」

 

 思わず椅子から立ち上がり、勢いよく身を乗り出す。

 周りの客が何事とばかりに僕に振り返るが、そんな視線も今は気にならなかった。

 

 だってヴェルフが、あのヴェルフが、僕と直接契約を結びたいと言ってくれたのだ。

 以前とは違う、まだ駆け出しの無名である、この僕と。

 こんなにも、こんなにも嬉しいことはない。

 

「お、おい、落ち着けよ。ほら、あそこの女将がすごい形相で見てるぞ?」

「ひっ!? ご、ごめん……!」

 

 瞬間、背中にゾクリと悪寒が走り、僕は慌てて頭を下げながら席につく。

 この店ではミアさんが法、面倒事を起こしたり、他のお客に迷惑をかけるような輩は、あっという間に放り出されてしまうのだ。

 座ったまま身をすくめ、じっと大人しくしていると、のしかかってきていた威圧感が徐々に引いていく。チラリと様子を窺うと、鼻を鳴らしながら厨房に戻っていくミアさんが見えた。

 どうやら見逃してもらえるらしい。それが分かるや否や、無意識のうちに安堵の息がこぼれた。

 

「ごめんヴェルフ。その……ヴェルフにそう言ってもらえたことが、すごく嬉しかったから」

「気にすんな。それより、っていうことはだ、直接契約を結んでくれるってことでいいんだよな?」

「うん。こちらこそ、お願いします」

 

 断る理由はない。むしろ願ったり叶ったりだ。

 そのことを伝えると、ヴェルフの表情がみるみるうちに喜色に染まっていった。大きく開かれたその瞳は、まるで無邪気な少年のように輝いている。

 

「本当かっ!? ははっ! やったぜ! これからよろしくな、ベル! よし! そうと決まれば、今夜はどんどん食って飲むとするかぁ!」

 

 空になったジョッキを掲げ、近くを通ったウエイトレスを呼び止めるヴェルフ。既にお酒が入っているからか、その気分はいつもより高揚しているようだ。

 いや、きっとそれだけではない。

 僕の思い違いでなければ、ヴェルフもまた直接契約をしたことを喜んでくれているのだ。

 そのことが、堪らなく嬉しい。

 

 食べて、飲んで、話をして、僕たちの時間は過ぎていく。

 

 僕はすっかり忘れてしまっていた。

 5階層でミノタウロスと遭遇した日の翌日、つまり今日という日にこの場所を、誰が訪れるのかを。

 ヴェルフと出会い、共に冒険をした。

 そのことが大きすぎて、つい失念していたのだ。

 

「ご予約のお客様、ご来店ニャー!」

 

 思い出したときには、もう遅かった。

 



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第9話

 その人たちが現れた瞬間、店内に漂っていた空気が一変した。

 黄昏を思わせる朱い髪をした女神を先頭とした、数十人にも及ぶ冒険者の一団。彼、彼女らの放つ圧倒的な存在感に、僕を含めてこの場に居合わせた誰もが目を奪われた。

 

 【ロキ・ファミリア】。

 迷宮都市オラリオの誇る二大派閥、その一つである。

 

「おい、あれってもしかして……」

「【ロキ・ファミリア】だ……すげぇ……」

「第一級冒険者が揃い踏みかよ……」

「いい眺めだなぁ。へへっ、上玉揃いだぜ……」

「馬鹿、殺されるぞ……!」

 

 ひそひそと他の冒険者たちが声を潜める中、主神であるロキ様と団長であるフィン・ディムナさんを筆頭とした眷族の人たちは、特に気にした様子もなく悠然と進んでいく。日頃から注目されているだけあり、この程度の視線や囁きなど慣れているのだろう。

 そんな集団の中には、昨日僕が出会ったアイズさんとベートさんの姿もあった。

 

 ──雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ。

 

「っ……」

 

 かつて突きつけられた残酷な一言が脳裏を過り、無意識のうちに身を縮めてしまう。言われたのはもうずっと前のことだというのに、今でも当時の光景は鮮明に思い出せるあたり、どれだけ強烈な出来事だったのかということが窺えるというものだ。

 ただ冷静になって考えると、あれもまた現在の僕を形作るきっかけの一つだったのかもしれない。

 ダンジョンと英雄、そして運命の出会いに憧れ、故郷を飛び出した僕は、あのとき無情な現実に酷く打ちのめされた。自分という存在が如何に甘ったれていたのか、嫌というほどに思い知らされたのである。

 

 惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、怯弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱。

 

 悔しくて悔しくて堪らなかった。

 情けなさに涙が止まらなかった。

 弱い自分が許せなかった。

 

 強くなりたいと、心の底から初めて願った。

 

 苦い思い出であることには違いない。しかし、ベル・クラネルには確かに必要なことだった。

 あの日、あの瞬間、僕の進むべき道が決まったのだから。

 

「【ロキ・ファミリア】……。大派閥の片割れがなんでこんなところに……?」

「【ロキ・ファミリア】の皆さんはうちのお得意様なんです。なんでも、主神のロキ様がこのお店のことをいたく気に入られて……時々、ああしてここで宴会を開かれるんですよ」

 

 ヴェルフの口からこぼれた疑問に答えたのは、僕たちのテーブルに料理と飲み物を運んできたシルさんだった。

 この『豊饒の女主人』に勤めるウエイトレスの人は、見目麗しい美人ばかりだ。そしてロキ様は、無類の美男美女好きな神様でもある。そんなロキ様がこの店を気に入ったということは、もちろん料理やお酒の美味しさもあるだろうが、恐らくはそういうことなのだろう。

 

「……あの、やっぱりベルさんも【ロキ・ファミリア】さんが気になるんですか? さっきからずっとあちらを見られてますけど」

「へ? あ、あぁ……そう、ですね。このオラリオを代表する探索系【ファミリア】で、たくさんの冒険者がいますから……その、僕もあんな風になりたいなって……」

 

 記憶の海に沈んでいた意識が、シルさんの声で浮上する。ロキ様の音頭で宴会が始まり、わいわいと盛り上がり出した【ロキ・ファミリア】の様子に、僕はすっと目を細めた。

 僕にとって一番の冒険者は言うまでもなくアイズさんだが、【ロキ・ファミリア】の人たちもまた、尊敬の対象であることに変わりはない。冒険者としての強さはもちろん、レベルでは測れない技術や在り方など、見習うべきところがいくつもあるのだ。

 

「ベルさんならきっとなれますよ。【ロキ・ファミリア】の皆さんにも負けない、すごい冒険者さんに」

「ふふっ、ありがとうございます」

「あっ、その笑い方、信じてませんね? 私の勘って結構当たるんですよ?」

 

 頬を膨らませ、「怒ってます」とばかりに唇を尖らせるシルさん。

 するとそこに近付いてくる一つの影があった。

 

「シル、お話の途中で申し訳ありませんが、ミア母さんが呼んでいますよ」

「はーい。それじゃあベルさん、私はこれで失礼しますね」

 

 ぺこりと頭を下げ、早足で去っていくシルさんを、軽く手を振って見送る。それから僕は彼女を呼びに現れた、薄緑色の髪のエルフの女性に視線を移した。

 

「こんばんは、リューさん。お邪魔してます」

「はい。いらっしゃいませ、クラネルさん」

 

 澄まし顔を僅かに軟化させ、小さく一礼をするこの人は、リュー・リオンさん。

 【疾風】の二つ名を持つ凄腕の冒険者であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 リューさんと共に乗り越えた死線は数知れず、また窮地を救われた回数も数えきれない。偉大な先達として僕を導いてくれた恩人である。

 

「今日もダンジョンに挑まれたのですか?」

「はい。ヴェルフ──そこの彼と二人で6階層まで」

「パーティを組まれたのですね。それはいいことです。クラネルさんはいつも一人だと、シルも心配していましたから」

 

 そこでリューさんはヴェルフに向き直り、真剣な面持ちを作った。

 

「酒場の一店員が差し出がましいようですが、どうかクラネルさんをお願いします。彼を喪うようなことがあればシルが……私の大切な人が悲しむ」

「お、おう。もちろんだ。ベルは俺にとっても大事な相棒だからな。無茶しないよう、ちゃんと見張っておいてやるよ」

「えぇ。それなら安心です」

 

 リューさんが答えた直後、近くのテーブルからウエイトレスを呼ぶ声が上がった。

 

「すみません、どうやらいかなくてはいけないようです」

「あぁ、はい。少しの間でしたけど、リューさんに会えてよかったです」

「……やはり貴方は不思議な人だ。こんな無愛想なエルフに、会えてよかっただなんて」

 

 そんな疑問を残し、リューさんはそそくさと僕たちのもとを後にしていった。

 今のリューさんの態度や反応に、寂しさを覚えないと言えば嘘になる。とはいえ、今の僕と彼女とは客とウエイトレスの関係でしかない。いつの日か、心を開いてくれるときが来ればいいのだが、今はまだ仕方がないと割り切るしかないだろう。

 

「……ベルって案外、女から好かれる(たち)なんだな」

「んぐっ!? ゴホッ! ゴホッ……!」

 

 何気ないヴェルフのその一言に、水を飲んでいた僕は盛大に噎せ返る。

 

 ──え、何!? どうしたの急に?

 

「お、おい! 大丈夫か?」

「う、うん、平気……。平気だけど……いきなりなんでそんなことを?」

「あー……いや、なんていうか、さっきのヒューマンといい、エルフといい、随分とお前に気を許してるようだったからな。ベルも結構慣れてるように見えたし、それで、つい」

「そ、そうなんだ……」

 

 ばつの悪そうな表情を浮かべ、目を泳がせながらヴェルフは頬を掻く。

 その言葉を肯定する訳にもいかなければ、否定するにしても些か心当たりが多すぎた。神様やリリなど、周囲の女性たちから好意を向けられていたのは、紛れもない事実なのだから。

 

 故に、曖昧に笑って誤魔化すことしか出来なかった。

 

「そ、それよりさ、ヴェルフは明日から鍜冶を始めるの?」

「ん、あぁ、そうだな。『ウォーシャドウの指刃』や他の素材も必要数集まったし、早速始めていこうと思ってる。ただ、今回は色々やってみたいことがあるから、完成には何日かはかかることになるだろうな」

「やってみたいこと?」

 

 言われたことをそのまま返すと、ヴェルフは「おう」と頷いた。

 

「直接契約を結んだ相手に最初に送る作品だ、今までで最高の出来に仕上げたい。すぐに渡せないのは申し訳ないんだが、少し我慢してくれると助かる」

「うん、もちろん。楽しみにしてるから」

 

 鍜冶師(スミス)でない僕には、ヴェルフのやろうしていることは見当もつかない。それでも、それが悪いようになることはない筈だ。使える武器が威力最底辺のナイフだけなので、完成までの数日は探索出来る階層が限られてしまうだろうが、それも大した問題にはなるまい。

 信じて、待つこと。それが今の僕に出来る、最大限の信頼の示し方だ。

 

 話が一旦落ち着いたことで、僕たちは食事を再開した。

 目の前には先程シルさんの運んできてくれた料理が、所狭しと並べられている。温かいうちに食べなければ美味しさが損なわれてしまう上、作ってくれたミアさんに失礼というものだ。

 黙々と食事の手を進め、その味に舌鼓を打つ。

 僕とヴェルフの間には、カチャカチャという食器の音だけが響いていた。

 

「ふぅ~、食った食った。やっぱり誰かと食う美味い飯は最高だな」

「うん……。流石にもう食べられないや」

 

 大きく息を吐きながら背凭れに寄りかかったヴェルフが、しみじみといった風に呟き、膨れたお腹を叩いた。

 人数にしては多めに料理を頼んだつもりなのだが、テーブルの上にある食器類には食べ残し、飲み残しの一片もなく、綺麗に片付けられている。それらをあらためて眺めてみると、我ながらよく完食したものだと感心した。

 

「さて……そろそろ行くか。これだけ今日は飲んで食ってしたんだ、明日から気合い入れていかねぇとな」

「そうだね。明日は僕もまたダンジョンかなぁ」

 

 二人でぼやきつつ、支払いを済ませるために席を立つ。お酒のせいか、少しばかり頭が重いが、このくらいなら夜風に当たればすぐに治るだろう。

 

「……あれ?」

 

 ──そういえば、【ロキ・ファミリア】の人たちは何をしているのだろう?

 

 足を止めて振り返り、【ロキ・ファミリア】の占める店の一角に目をやると、そこでは先程から変わらず宴会が行われていた。店内の喧騒に紛れて会話などは聞こえないが、その様子は実に楽しげかつ賑やかで、端から見ても盛り上がっているのが分かった。

 少なくとも、誰かが誰かを嘲笑しているようには見えない。視線を巡らせ、僕を嗤ったベートさんの姿を探すと、彼は琥珀色の液体の入ったグラスを傾け、満足そうに息をついているところだった。

 

「……あれ? アイズさん?」

 

 その際に、僕は気付いた。

 【ロキ・ファミリア】の輪の中に、いるべき人がいないことに。

 ロキ様。フィンさん。リヴェリアさん。ガレスさん。ティオネさん。ティオナさん。ベートさん。レフィーヤさん。ラウルさん。アナキティさん。

 やはりだ。何度見てもアイズさんだけが見当たらない。

 

「あの……」

「うひゃあっ!?」

 

 【ロキ・ファミリア】に意識を向けていた僕は、突然隣からかけられた声にすっとんきょうな悲鳴を上げた。思わずその場から後退(あとずさ)り、何事と顔を向けた先にいたのは──、

 

「えっと……こんばんは」

 

 たった今僕の探していた、アイズ・ヴァレンシュタインその人であった。

 



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第10話

 遅くなりました。だいぶ長くなりそうなので、とりあえず書き上がってる前半部分を投稿します。やや短めかも。

 後半部分はまた近いうちに完成させます。


「よっしゃあ! 皆、ダンジョン遠征ご苦労さん! 今夜は宴や! 飲めぇ!!」

 

 【ロキ・ファミリア】の宴会は、主神たるロキの一言で始まった。その次には、一斉にあちこちでジョッキが音を立てる。

 団員たちがそれぞれ盛り上がる中、アイズもまた手にした杯で、同じテーブルを囲むティオナやレフィーヤらと乾杯をした。

 

「かんぱーい!! お疲れ様ー!!」

「うん。お疲れ様」

「か、乾杯です!」

 

 鮮やかな色をした果汁(ジュース)を一口、続いてアイズは所狭しと並べられた料理に手を伸ばした。

 鶏の香草焼きや山盛りのパスタなど、視界を彩るそのどれもが絶品と言っても過言ではない。既に食を進めていた者は、誰もが舌鼓を打っている。

 そんな団員たちに倣い、綺麗な狐色に仕上げられた芋の揚げ物──彼女の好物であるジャガ丸君とは似て非なる料理──を皿に取ったアイズは、小さな口にそれを運んだ。サクッと、小気味よい音が耳に触れ、素朴な旨味が広がった。

 

「……美味しい」

 

 他派閥の同業者からは人形とも囁かれる無表情を綻ばせ、アイズはほっと息をついた。それからは早すぎず、それでいて遅すぎない調子で、彼女は食事を楽しんでいく。

 

「おーしっ! ガレス、うちと飲み比べ勝負すんでー!」

「がははっ! いいじゃろう、返り討ちにしてやるわい!」

「お、言うたな? 他の子もやらんか!? 賞品はリヴェリアのおっぱいを好きに出来る権利でどうやっ!」

「じ、自分も参加するっすよぉ!!」

「俺もだ!」

「私も!」

「ンー……じゃあ僕も」

「団長ォオオオオオ!?」

 

 ロキの悪ノリにあちこちが沸き立ち、リヴェリアが眉間を押さえて深々と嘆息し、ティオネが血涙を流さんばかりの勢いで悲痛な叫びを上げる。宴の席は瞬く間に混沌と化した。

 

「な、なんだかすごいことになってましたね……」

「……そうだね」

 

 隣で苦笑を浮かべるレフィーヤに、アイズは微笑と共に頷く。

 騒がしいのはあまり得意な方ではない。それでも、仲間たちが笑顔でいるこの空気は、アイズにとってとても心地よいものであった。

 

 やがて喧騒が落ち着くと、話題は遠征のことへと移っていった。本拠(ホーム)で帰りを待っていたロキや、参加していない団員たちに対し、参加した者たちは口々に遠征での出来事や己の活躍を話している。

 その中でも特に挙がったのが、50階層で起こった未知のモンスターによる襲撃であった。第一級冒険者の扱う上質な武器や防具すら溶かす酸を持つ、さながら芋虫のような気味の悪いモンスターの大量発生により、物資の喪失や多数の負傷者を出した【ロキ・ファミリア】は、未到着階層を目前に撤退を余儀なくされたのである。

 

「まぁしゃーないな。得物なしに遠征の続行は出来へんし。皆無事やっただけ儲けもんやろ」

「あぁ。次の遠征では対策として『不壊属性(デュランダル)』の装備を用意しておく必要があるだろう。近々、【ヘファイストス・ファミリア】に話を通しておかないとね」

「これでまた【ファミリア】の運営は火の車か。遠征に莫大な費用はつきものとはいえ、儘ならんな……」

「うむ。じゃが、こればかりは割りきるしかないのぅ。人手を集めてダンジョンに潜るしかあるまい」

 

 ロキ、フィン、リヴェリア、ガレスの順に、【ロキ・ファミリア】の首脳陣が語る。

 そのすぐ近くではティオナを中心とした幹部たちが、また違う話題について言葉を交わしていた。

 

「それにしてもさ、びっくりしたよねー」

「えっと、何がですか?」

「17階層だっけ? 遠征の帰りにミノタウロスが出てきたでしょ? あたし、結構長く冒険者してるけど、モンスターに逃げられるなんて初めてだったなー」

 

 レフィーヤの問いに答えたティオナは、そのときの様子を思い出し、くすくすと笑い声を漏らした。それなりの量の酒を飲んだせいか、その頬はほんのりと赤く染まっている。

 

「笑い事じゃないわよ。集団でミノタウロスが、それも上の階層にどんどん逃げていったなんて。私たちで全部始末出来たからよかったけど、他の冒険者に被害が出たりしたら大問題になってたわ」

「た、確かにそうですよね……」

 

 ティオネの一言に最悪の状況を想像したレフィーヤは、微かに身を震わせた。自分たちの逃がしたモンスターのせいで犠牲者が出たとなれば、笑い話にもなりはしない。

 そんなレフィーヤの様子を横目にアイズが思い浮かべたのは、5階層でミノタウロスと戦っていた一人の少年、ベル・クラネルのことだった。

 処女雪のような白髪と深紅(ルベライト)の瞳。どこか兎を彷彿させる容姿は、頼もしさより先に愛らしさを感じさせた。

 しかしそのおよそ冒険者らしからぬ外見とは裏腹に、ミノタウロスとの戦闘時に見せた動きは、技は、駆け引きは、歴戦の冒険者たるアイズですら目を見張るほどであった。自分がLv.1のときにあれだけ洗練された戦い方が出来ていたかと問われれば、アイズの答えは否に尽きる。

 当時の自分に出来なかったことをやってのけるベルに、アイズは少なくない興味を抱いていた。

 

 ──あの子は今、どこで何をしているのだろう?

 

 グラスを両手にぼんやりと物思いに耽りながら、アイズは何気なく店内を見回した。

 

「あ……」

 

 そして、見つけた。

 柔らかな魔石灯の光に照らされ、数多の冒険者たちで賑わう中に、その少年の姿を。

 

「アイズ?」

「ア、アイズさん?」

 

 自分を呼ぶ仲間たちの声には耳も貸さず、アイズは静かに席を立った。第一級冒険者として培った経験と技術を存分に発揮し、気配を殺してゆっくりと少年──ベル・クラネルに近付いていく。

 

「あの……」

「うひゃあっ!?」

 

 やがてベルの隣まで辿り着くと、アイズは小さく声をかけた。すると彼の肩が大きく跳ね、すっとんきょうな声と共に勢いよく後退(あとずさ)った。

 

「えっと……こんばんは」

 

 もしかして怖がらせてしまっただろうか、と。

 ベルの驚き様にどこか申し訳ない気持ちになりながら、アイズは小さく頭を下げて挨拶をした。その姿に呆気にとられていたベルも、やがて状況が呑み込めてくると、「こ、こんばんは」とぎこちない笑みを浮かべた。

 

「……」

「……」

「……」

「……えっと、何かご用ですか?」

 

 先に沈黙を破ったのはベルだった。困ったような表情で尋ねるベルに、アイズはどうしたものかと首をかしげた。

 何せ、ベルに声をかけたのは彼を見かけたからであり、完全に思いつきからの行動であった。会話を続けるための話題などある筈もない。

 

「……もしかして、迷惑だった?」

「いえ! そんなことは全然なく! あはは……」

「そっか。よかった……」

 

 込み上げる罪悪感のままに尋ねたアイズは、ベルの否定にほっと胸を撫で下ろした。

 そのときだった。

 

「う、うちのアイズたんが、知らん男と仲よさげに話しとる~!?」

 

 女神(ロキ)の絶叫が、店内に響き渡った。

 まるでこの世の終わりを目の当たりにしたかのごとく絶望に満ちた顔で、人差し指をベルとアイズに向け、わなわなと震えている。その目尻には涙すら浮かんでいた。

 そんな彼女の反応を皮切りに、店内は瞬く間に唖然となった。()()アイズ・ヴァレンシュタインが男に声をかけたという事実に、この場に居合わせた誰もがポカンと口を開け、そしてすぐに騒ぎ始める。好奇、羨望、そして嫉妬の眼差しが、一斉にベルへと突き刺さった。

 

「おいおい、嘘だろ……?」

「あの【剣姫】に男だと……!?」

「しかもあんなガキが……!?」

「ア、アイズさんが……知らない男の人に……声をかけて……! くぅうううぅううううう~!」

「ちょっとアイズ! その子、誰!?」

 

 一瞬にして凄まじい喧騒に包まれた『豊饒の女主人』。店に長く勤めるウエイトレスたちですら、この状況をどう収めたものかと困惑する中、ベルは隣で不快感を露にするアイズにこう囁いた。

 

「あの、耳を塞いでいた方がいいですよ。()()()()()()()()()()()

「……? 分かった」

 

 何が来るのかと疑問に思いつつも、ベルの言葉に従い、両耳を塞いだアイズ。

 数秒後、彼女はその意味を理解することになる。

 

「人の店で馬鹿みたいに騒いでんじゃないよアホンダラァアアアアァアアアアアアアアア!!」

「ふぐぅ!?」

 

 怒り心頭となった女将(ミア)の雷が、容赦なくロキの脳天を直撃した。

 



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第11話

 お待たせしました。今のところ、一番難産の回でした。


「……さて、まずは謝罪をさせてほしい。こうして君のことを引き留めてしまったことと、僕らの主神が迷惑をかけてしまったこと。重ね重ね、すまなかった」

 

 ほとぼりが冷め、いよいよ店内もいつもの空気に戻り出した頃。アイズとの関係についてを巡り、ベルを【ロキ・ファミリア】のテーブルに招いたフィンは、開口一番に謝罪をした。

 ちなみに、ベルと共に『豊饒の女主人』に来ていた赤毛の青年は、一足先に家路についており、この場にはいない。フィンがベルを呼び止めた際、彼が一人残ることに難色を示していた青年だったが、他ならないベルの「あの人たちなら大丈夫だから」という()()()()()()()()一言を受け、そこまで言うならと引き下がったからだ。

 

「いえ、そんな。僕はあまり気にしてませんから」

「……ありがとう。こちらとしても長引かせるつもりはない。なるべく早く事を済ませるよ」

 

 フィンはテーブルを挟んで座るベルに微笑んだ。

 その裏で、持ち前の観察眼を十全に駆使しながら。

 

 ──【勇者】(ぼく)を前にしても随分と落ち着いているね。

 

 神すら認める偉業を五度も成し遂げた、オラリオでも数えるほどしかいないLv.6の冒険者にして、二大派閥として知られる【ロキ・ファミリア】の団長をも務めるフィン。世間一般的な認識として雲の上の存在とされる彼を前にすれば、一部の対等とされる存在やよほどの無知を除き、ほとんどの者が敬意や畏怖の念を態度、あるいは表情に出すものだ。

 故に、やや居心地悪そうにしながらも、自然体を貫く目の前の少年に、フィンはその評価を数段階引き上げた。同時に、注意の度合いもである。

 アイズ・ヴァレンシュタインの興味を引き、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナを筆頭とする【ロキ・ファミリア】の面々に囲まれていながら平静を保つ少年が、見かけ通りである筈がないのだから。

 

「ではあらためて、僕はフィン・ディムナ。知っているかもしれないが、【ロキ・ファミリア】の団長をさせてもらっている。よろしく」

「【ヘスティア・ファミリア】、ベル・クラネルです。よろし──」

「はぁ!? 【ヘスティア・ファミリア】やてぇ!?」

 

 ガバッと、ミアの拳骨を受けてテーブルに沈んでいたロキが、ベルの言葉に起き上がった。その尋常でない様子にフィンが尋ねる。

 

「ロキ、何か知っているのかい?」

「あー、知っとるっちゅーか……ヘスティア言うたらぶっちゃけ、うちのあんま好かん女神や。こんくらいのチビのくせしてあんな胸しおって……あーもう! 思い出したら余計腹立ってきたわ!」

 

 怒りに任せ、ジョッキになみなみと注がれた酒を呷るロキ。要領を得ない彼女の発言にフィンたちが首をかしげる中、唯一ベルだけは苦笑いを浮かべていた。

 

「んぐ……ん……ぷはっ。にしてもドチビのやつ、いつの間に【ファミリア】なんて作りおったんや? てか、あれやろ? もしかせんでもバリバリの新興零細派閥なんとちゃうん?」

「そうですね。半月前に興したばかりで、団員もまだ僕だけです」

「うわっ、思ったよりもマジなやつやん。自分、よぉあのグータラな駄女神についていこうと思ったな……」

 

 げんなりとした表情でロキは大きく息をつき、もう一度ジョッキを傾けた。

 

「ふぅ……。ともかく! 自分なんかにうちのアイズたんはぜっっっっったいにやらん! ドチビの眷族なら尚更や!」

「ははは……。まぁ、ロキの言うことはさておき、僕としても君とアイズの関係は少し気になるところではある。あまり言いたくはないけれど、何か問題が起きてからでは遅いからね。いくつか質問に答えてもらえないかな?」

 

 穏やかな口調で語るフィンだが、その目はまっすぐにベルと、そして彼の横に座るアイズへ向けられている。

 彼の言葉は提案という形をとってはいるものの、事実上、命令に等しい。肩書きや地位といった類いを持たないベルに、【ロキ・ファミリア】団長の提案を断る術はなかった。

 

「……ふぅ、分かりました。お話し出来る範囲でよければお答えします」

 

 ベルは姿勢を正し、にこやかに頷いた。

 

「ありがとう。それじゃあまず、二人はいつから面識が?」

「それは──」

「昨日」

「……昨日?」

「うん。昨日」

 

 芋の揚げ物をつまみながら答えたアイズに、フィンだけでなく聞いていた誰もが耳を疑った。あれほど騒がしかった一帯が嘘のように静まり返る。

 

「……フィン」

「ンー……なんとなく予想はしていたけれどね……。それにしても、昨日は流石に予想外だったかな」

 

 その場になんとも言えない微妙な空気が流れる中、リヴェリアの呟きにフィンが苦笑する。

 そんなとき、「あれ?」と声を上げたのはティオナだ。

 

「でもアイズ、あたしたちって昨日、遠征からの帰りでずっとダンジョンにいたんだよ? なのに兎君とは昨日会ったって、なんかおかしくない?」

「ベルと会ったのは、5階層。逃げたミノタウロスを追いかけていって、そこで……」

「……はっ! つ、つまり、そこでアイズさんがミノタウロスに襲われていたこのヒューマンを助けたんですね!」

 

 流石ですアイズさん! と、目を輝かせ、尊敬の眼差しを向けるレフィーヤ。

 しかし、アイズは首を横に振った。

 

「ミノタウロスを倒したのは、ベル。私は、見てただけだよ」

「……へ?」

 

 彼女の言葉に、再び周囲が沈黙する。

 

 彼女はなんと言った?

 ミノタウロスを倒したのが、新興派閥に属する駆け出しの少年だと?

 

「……嘘やあらへん」

 

 極めつけが、ロキの一言だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()神の肯定に、【ロキ・ファミリア】の冒険者たちは目を見開いた。

 ミノタウロスは強い。

 強靭な肉体は生半可な攻撃を通さず、その膂力は盾の上から防具を砕く。最大の武器である二本の角を用いた突進は、まさに必殺と言っても過言ではない。アイズたち第一級冒険者にすれば取るに足らない相手であっても、単独での撃破が敵う者は全冒険者中、三割から四割に届くかどうかといったところだろう。

 少なくとも、所属する【ファミリア】が半月前に作られたばかりの新米冒険者に成せることではない。

 

「……なるほどね。アイズの惹かれた理由はそれか」

「いやはや、じゃが納得したぞ。駆け出しの若造に目の前でミノタウロスを倒す様を見せつけられたともなれば、興味を持つのも当然のことじゃのう」

「だが、果たしてそんなことが可能なのか? 冒険者になって半月だぞ? 【ステイタス】もろくに上がっていない状態で、ミノタウロスに太刀打ち出来るとは到底思えないが……」

 

 髭を撫でながら目を細めるガレスを横目に、眉間にしわを寄せ、リヴェリアは怪訝な表情を作る。

 【ステイタス】とはそう簡単に上がるものではない。『恩恵』を刻まれて間もないうちは伸びやすい傾向にあるものの、その期間が終われば地道に【経験値(エクセリア)】を溜めていく必要があるのだ。

 冒険者になって半月となれば、基本アビリティは一番高いものでH。Gになっていれば出来すぎなくらいだ。

 だが、それではミノタウロスを倒すことは出来ない。それどころか、傷一つつけることも不可能だろう。

 相手は文字通り、レベルが違う存在なのだから。

 

「……まぁ、この話は一旦置いておこうか。それより先に、僕たちは彼に謝らないとね」

 

 事の発端は【ロキ・ファミリア】がミノタウロスを逃がしたことだ。例えベルがミノタウロスを討っていたとしても、本来であればさらされることのなかった危険にさらしたという事実は変わらない。いくらダンジョンでは異常事態(イレギュラー)が起こりうるとはいえ、原因が自分たちにあるならば、何よりも先に謝罪をすべきだろう。

 答えの出ない疑問は後回しにし、フィンは外していた視線をベルへと戻した。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 ──……なんや、よう分からん子やったなぁ。

 ──分からなかった、か。具体的にはどういうところがだい?

 ──いやだって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()? どう考えてもおかしいやろ。

 ──ふふっ、そうだね。少なくとも見かけ通りの人物でないことは確かだ。少年や駆け出しというには、()()()()()()()()()()()()。どんな手を使ったのかは知らないけれど、ミノタウロスを真っ向から倒したというのも、今なら頷けそうだよ。

 ──嘘はついとらんかったけど、それもどこまでホンマなんやか。十中八九、なんか隠しとるで。いくら神でも心の中までは覗けへん。あの子はきっと、そこらへんを分かって受け答えしとったわ。

 ──……あの少年に何か裏があると思うか、フィン?

 ──ンー……まだ断定は出来ないけれど、ロキやリヴェリアが思っているような子ではないと思うよ。

 ──ほう、その根拠は?

 ──親指が疼かなかった、だけでは不十分かな?

 ──……ま、端から見てた限りやけど、なんか企んだりするような性格とちゃうかったしな。ドチビの眷族や言うとったし、度を越した悪さは流石にせんやろ。

 ──ふっ、そう願いたいものだな……。

 ──あのさ、そういえばベートは? さっきからずっと静かだけど。

 ──……確かに、珍しいわね。いつもならこういうとき、真っ先に噛みついてくる筈なのに。

 ──だよねー。アイズ絡みだったら特に。

 ──あぁん? 喧嘩売ってんのか馬鹿ゾネス……!

 ──じゃあなんで黙りだったのさ? 雑魚のくせに~、とか、調子に乗るな~、とか、いつものベートなら絶対言ってたって。

 ──チッ……。んなこと、あの兎野郎はとっくに分かってんだよ。

 ──……へ?

 ──何それ? どういう意味よ?

 ──知るか。テメェらで考えやがれ。

 ──えー!? 訳分かんないよー!

 ──おやおや。まさかアイズだけじゃなく、あのベートもとはね……。

 ──うわぁ、ホンマか……。こりゃびっくりやな……。

 ──【ヘスティア・ファミリア】、ベル・クラネル。覚えておいた方がよさそうだな……。

 



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第12話

 お待たせいたしました。更新になります。

 ダンまち15巻の発売までそろそろですね。続きが楽しみなことももちろん、この作品に生かせるところはどんどん取り入れていきたいところです。


 僕がヴェルフと『豊饒の女主人』を訪れた夜から数日、今日のオラリオはいつもとは少し違った賑やかさに包まれていた。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)

 【ガネーシャ・ファミリア】が主催する年に一度の催しで、ダンジョンから連れてきたモンスターを、人々の前で調教(テイム)する。言わば見世物であるが、しかしその真の目的は、いずれ来るべき人とモンスターとの融和の足がかりとなることだ。

 

 ここで言う『モンスター』とはただのモンスターのことではない。知性を持ち、地上に対して強い憧れを抱く者たち──異端児(ゼノス)のことである。

 僕の知る限り、人と異端児(ゼノス)の融和は確かに叶った。しかし【イケロス・ファミリア】が原因で起きた一連の騒動などで、実現までに相当な時間がかかってしまったことも事実だ。そして、そのせいで異端児(ゼノス)側にも少なくない犠牲が出てしまったことも、僕は知っている。

 

 そんな悲しい出来事を、二度繰り返すつもりはない。

 

 彼らは僕の恩人で、親友だ。その悲願を遂げるためなら、協力は厭わないだろう。

 

 ──いつかまた、皆と笑い合える日が来ますように。

 

 今はダンジョンの下層、そこでひっそりと暮らしているであろう異端児(ゼノス)の皆に想いを馳せながら、僕は華やかな装飾の施された大通りを駆けていった。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「おはよう、ヴェルフ」

「おう、おはようさん。とりあえず上がれよ」

 

 工房を訪れた僕をヴェルフは快く迎えてくれた。

 この数日、ヴェルフは僕の武器を打つため、ほとんどの時間をこの工房で過ごしていた。きっと昨日も夜通しで作業を行っていたのだろう。その表情には疲労の色が見え隠れしている。

 

「思ってたより早い到着だったな。そんなに待ちきれなかったのか?」

「あはは……。まぁ、そんな感じかな。朝から押しかけちゃってごめん」

「気にすんなよ。作業自体はもう終わってるし、なんならベルが来る直前まで寝てたところだ」

 

 そう言って快活に笑い飛ばしたヴェルフは、一旦奥の方へ姿を消すと、その手に何かを持ってすぐに戻ってきた。

 

「ほら。これが完成したお前の短刀だ」

「わぁ……! ありがとう! 見せてもらってもいい?」

「もちろん」

 

 差し出された短刀を受け取り、持ち手(グリップ)の感触を確かめながら、僕はその出来映えに見入った。

 全長はおよそ四〇(セルチ)。刀身だけなら三〇(セルチ)ほどか。鞘から軽く抜いてみると、暗闇を思わせる漆黒が顔を覗かせた。深く、混じり気のない透き通るような黒色と、うっすらと浮かんだ刃文は、じっと除き込んでいると吸い込まれてしまいそうで、そんな不思議な魅力が僕の心を惹きつけた。

 

「……綺麗だね」

「だろ? だが外見だけじゃねぇ。武器としての性能も間違いなく、これまでで最高傑作だ」

「へぇ。あのさ、名前とかってもうあるの?」

「あぁ。仮だが一応考えてある」

 

 にやりと、ヴェルフは得意気に笑った。そして──、

 

《絶†影》だ

「……《絶影》?」

「いや、《絶†影》だ」

 

 《絶†影》

 内心で復唱し、手元の短刀に目を落とす。

 僕の発音とは微妙に違う抑揚であるのは、きっとヴェルフなりのこだわりなのだろう。相変わらず彼の感性は独特だ。

 しかし僕の記憶が確かなら、それは(ミコト)さんにつけられた二つ名ではなかっただろうか。偶然だとは思うが、なんとも不思議なこともあったものである。

 

「で、どうだ? 俺としては結構自信ある名前なんだが……」

「うーん……名前はそれでいいと思うんだけど、響きなら《絶影》の方が好みかな」

「そうか。そのままじゃ安直すぎるかと思って捻りを加えてみたんだがなぁ……」

 

 「絶影……絶影……」と、噛み砕いて飲み込むように呟きながら、ヴェルフはこくこくと頷いた。

 

「……よし! じゃあそいつの名前は《絶影》に決まりだ!」

 

 命銘完了。

 今この瞬間から、この短刀は《絶影》だ。

 

「ねぇ、少しだけ動いてもいいかな?」

「試し振りか? そりゃ構わねぇけど流石にここじゃあな……。やるなら表に出た方がいいと思うぜ」

「うん。ありがとう」

 

 ヴェルフの言葉に従い、僕は貰ったばかりの《絶影》を片手に外へ出た。人気のない路地、その真ん中でゆっくりと構えを取り、基本となる動きを一つずつ試していく。刃が風を切る音と石畳の鳴る音、そして僕の呼吸だけがこの場を支配した。

 

 ──やっぱり、ヴェルフの武器は僕の手によく馴染む。

 

「どうだ? 実際に振るってみた感想は? 違和感とかがあったら遠慮なく言ってくれ」

「ううん、大丈夫。すごく使いやすくて、気になるところなんて一つもないよ」

 

 一通りの動作を試し終えた僕は短刀を鞘に戻し、ふっと息をついた。

 

「……そういえば、前に言ってたよね。これを作るのに、色々とやってみたいことがあるって」

「ん? あぁ、そのことか。そうだな……一言で言えば、『アダマンタイト』の量を弄ったんだよ」

「アダマンタイトの量を?」

 

 おうむ返しに尋ねると、ヴェルフは「おう」と肯定を示した。

 

「モンスターの素材の中には金属の素材を持つものがある。俺たちが集めた『ウォーシャドウの指爪』もその一つだな。で、そいつらには本当にごく少量だが、稀少金属のアダマンタイトが含まれてるんだ」

 

 それは昔、ヴェルフが僕に聞かせてくれたことだ。

 アダマンタイトもモンスターも、同じくダンジョンで産まれるものだ。モンスターの組成に金属の性質があったとしても、何もおかしなことではない。

 

「それをヴェルフは弄ったっていうの?」

「あぁ。加工するときに色々と手を加えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ぜ、全部って……! 僕たち、結構たくさん集めたけど、あれを全部この一振りに使ったの!?」

 

 僕は思わず手元にあった短刀をじっと見つめた。

 純粋なアダマンタイトの鉱石が採取出来るのは、主にダンジョンの下層や深層だ。それと比べると上層で手に入る『ウォーシャドウの指爪』から採れるものなど、格段に質が劣っていることだろう。

 だが、例え劣化していたとしても、それがアダマンタイトということに変わりはないのである。第一級冒険者の武具にも使われる金属を、可能な限り多く使って鍛えられたこの短刀が、強くない訳がない。

 

「だから言ったろ? 最高傑作だって。これは俺の見立てだが、そいつに上層のモンスターで斬れない敵はいない」

 

 自信満々に、ヴェルフは断言する。

 その言葉に嘘偽りがないことは、僕もよく分かっていた。

 故に、最高の称賛を彼に送る。

 

「ありがとう、ヴェルフ。本当にありがとう。この短刀、しっかり使わせてもらうよ」

「あぁ、そうしてやってくれ。使い惜しまれちゃ、なんで打ったのか分からないからな」

 

 がっちりと握手を交わし、僕たちは小さく笑い合った。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「そういえば、今日はフィリア祭だね」

「……あぁ、そうか。もうそんな季節なんだな。すっかり頭から抜け落ちてた」

 

 不意にこぼれた僕の呟きに、ヴェルフはがしがしと頭を掻きながら苦笑した。

 

「しかし怪物祭(モンスターフィリア)か……道理で、通りの方が騒がしい訳だ。ベルは見に行くのか?」

「うん、そのつもり。よかったらヴェルフもどう?」

「そうだな……ずっと工房に籠りっぱなしで体も鈍ってたところだ。散歩がてら、回ってみるのもいいかもな」

 

 ならば決まりだ。

 僕たちは簡単な支度を整え、最寄りのメインストリートへと繰り出した。

 

 フィリア祭という催し事があるからか、通りはいつも以上に多くの人たちで賑わっており、路肩には出店も開かれている。あちこちから漂う香りは様々で、しかしどれも例外なく食欲をそそる匂いだ。

 

「あー……ベル、悪いが少し待っててくれるか? 実は朝からまだ何も食ってなくてな、適当に食い物でも買ってきたいんだが……」

「うん、分かった。この辺りで待ってるね」

「悪いな。すぐ戻ってくる」

 

 雑踏に消えていくヴェルフを見送り、近くの適当な壁に背中を預ける。

 空を見上げればそこには一面の蒼が広がっており、燦々と爽やかな日差しが降り注いでいる。そこから少しずつ視線を下げていくと、風に揺れる【ガネーシャ・ファミリア】の紋章(エンブレム)の旗が目についた。描かれた像頭は主神であるガネーシャ様を表しており、楽しげに通りを歩く人々のことを優しく見守っているようだ。

 

 見るからに平和なこの時間が、しかし長くは続かないことを僕は知っている。

 

 調教(テイム)のために捕らえられていたモンスターが、なんらかの理由で檻から解き放たれてしまうからだ。

 そして僕は、そんな中の一体である『シルバーバック』と出会し、神様と共に命懸けの逃走劇を繰り広げることになるのである。

 同じことが必ず繰り返されるという保証はないが、ミノタウロスの一件などが記憶の通りに起きたのだ、今回のこともまた然りと考えいいだろう。事前に防ぐことも最早難しい以上、如何に上手く切り抜けるかに頭を使う方がきっと有意義というものだ。

 

「神様、今どこにいるのかな……? 早く合流出来ればいいんだけど……」

 

 いや、そもそも前はどうやって合流したのだったか。

 古い記憶をなんとか思い出そうと、眉間に指を当てて小さく唸る。

 少しの間そうしていると、不意にこちらに近付いてくる足音が耳を打った。

 

「待たせたな。よかったら食えよ。待たせちまった礼だ」

「ありがとう。いただくね」

「おう。それと、お前を探してるって(ひと)がいるんだ」

 

 ヴェルフからジャガ丸くんを受け取った直後、死角となっていた彼の後ろから、ひょっこりと見覚えのある黒髪が顔を覗かせた。

 

「やぁベル君! 久しぶりだね!」

「か、神様!?」

 

 僕の名前を呼び、満面の笑みを浮かべるその(ひと)は、間違いなく僕の神様だった。思いがけない再会に思わず大きな声を上げてしまう。

 しかし、どうしてヴェルフと神様が一緒にいるのだろうか。

 僕は嬉しそうな様子の神様から、隣のヴェルフに視線を移した。

 

「えっと、なんでヴェルフが神様と?」

「屋台に並んでるときに偶然な。白髪で赤い目をしたヒューマンの男の子を知らないか、って訊き回ってるのが聞こえて、話をしてみればベルの主神様だって分かったから、ここまで連れてきたんだよ」

「いや~、まさかボクも声をかけてくれた子がベル君の専属鍜冶師(スミス)とは思わなかったけどね。とにかくありがとう! 本当に助かったよ!」

 

 ぺこりと神様に頭を下げられたヴェルフは、照れくさそうに頬を掻いた。そんな彼に、僕もまた感謝する。

 偶然とはいえ、ヴェルフのおかげで神様と合流することが出来たのだから。

 

「ところで二人はフィリア祭を見に行くのかい? よかったらボクもいいかな?」

「もちろんです。ヴェルフもいいよね?」

「あぁ、問題ないぜ」

 

 メインストリートの先、そこにある闘技場を目指して、僕たちは横一列に並んで歩き始めた。

 




 (実は投稿が遅れた理由はずっと短刀の名前が浮かばなかったからです。ヴェルフのセンスは難しい……)


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第13話

 ダンまち15巻、よかったです。メインキャラの過去について触れられていましたが、結構な新情報が出てたんじゃないかなぁと思います。


 色んなものを見て、食べて、回って。

 僕は神様と、そしてヴェルフと共に、この怪物祭(モンスターフィリア)という催しを精一杯楽しんでいた。

 これから先に何が起こるかは分かっている。だが、それは今を楽しまない理由にはならない。

 そう自分に言い聞かせ、時間の許す限り、この心地よい騒がしさに身を任せていた。

 

 だが、やはりその時間は長くは続かなくて、

 ふとした瞬間を境に、周囲を漂う空気が変わるのを感じた。

 

「──」

 

 興奮と盛況で満ちたこの地上に、冷たく重い、戦場の風が吹き抜ける。僕の世界から一瞬だけ、全ての音と色が消え失せた。

 灰色だけで構成されたその中心で、手にしていたクレープを貪るように嚥下し、ゆっくりと腰に帯びた《絶影》の柄に手を伸ばす。

 

「ベル君?」

「おい、どうした?」

 

 突然足を止めてその場に立ち尽くした僕に、神様とヴェルフは不思議そうな顔をしている。

 そして、どこからか絶叫が上がったのは、その直後のことだった。

 

「モ、モンスターだぁあああああああああ!!」

 

 その絶叫を皮切りに、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑い始める。笑顔と笑声に包まれていた通りは、一瞬にして恐怖と動揺に支配されてしまった。

 やがてそこに、一体のモンスターが姿を現した。

 

『グォオオオオォオオオオオォオオオオオ!!』

 

 白い剛毛に覆われた、ミノタウロスを越える巨大な体躯。尻尾と見間違える長い銀の髪。四肢を縛る拘束具らしき鎖は強引に引き千切られ、一部がぶら下がって地面にとぐろを巻いている。

 メインストリートを我が物顔で進むそいつは、僕たちを視界に収めるや否や、その目を血走らせ、歓喜するかのように全身を震わせた。

 

「おいおい……あれは……!」

「……シルバーバック!」

 

 その名をこぼすのと、シルバーバックが走り出したのは同時だった。

 野猿のモンスターはその巨体にあるまじき軽やかさで、一気にこちらへ迫ってくる。

 

「ヴェルフ! 神様を!」

「なっ!? 一人でやる気か!?」

「僕のことは大丈夫! だから神様をお願い!」

「……分かった! ヘスティア様、下がりましょう!」

「わっ!? ちょっ、ベル君!」

 

 張り上げた声に弾かれたように動いたヴェルフが、神様の手を引いてこの場から離れていく。神様が何かを叫んでいるが、僕の意識は既に前へ向いていた。

 《絶影》を抜刀し、突っ込んでくるシルバーバックと対峙する。

 

「さぁ、いくぞ!」

『ォオオオォオオオオオォオオオ!!』

 

 突っ込んでくるシルバーバックを横に跳んで躱し、崩れた屋台を足場に大きく跳躍。空中で身を翻し、逆手に短刀を構える。振り返ったシルバーバックと視線が交錯した。

 

 ──大丈夫だ。

 ──今の僕なら、絶対に負けない。

 

 甦るはかつて感じた恐怖。

 目の前に現れたこのモンスターが、恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。

 けれど、僕が戦わなければ神様が危険にさらされる。そう思えたからこそ、勇気を振り絞ることが出来たのだ。

 

 では今はどうだろうか。

 恐怖がない訳ではない。しかし、自分でも驚くほどに目が冴えていて、心も冷静さを保っている。

 不思議なくらいに、負ける気がしなかった。

 

「ふっ──!」

 

 振り下ろした黒き刃は寸分違わず、シルバーバックの右目に深々と突き刺さった。すかさず柄を両手で握り、捻りながら更に奥へと押し込む。吹き出した鮮血に全身を汚しながら、激痛に絶叫するシルバーバックの顔面を横薙ぎに斬り裂いた。

 

『ガアアァアアアア────!?』

 

 血まみれの顔を両手で覆いながら、しかしシルバーバックは倒れなかった。指の隙間から覗く左目は真っ赤で、これ以上ないくらい怒りに染まっていた。

 やはり一筋縄ではいかないか、と。

 距離を取り、気を引き締め直した僕に、垂れ下がっていた鎖がジャラリと音を立てて振るわれた。路肩に並ぶ屋台や建物が次々に破壊され、生じた風圧が強く肌を叩く。

 

「くっ、望むところ……!」

 

 巻き起こる砂塵と鉄鎖の渦に真っ正面から飛び込む。駆け抜けた石畳が直後に炸裂し、衝撃に崩れそうになる体勢をすぐに立て直す。絶えず目を動かすことで次の動きを予測、最小限度の回避で済ましつつ、前へと進んでいく。

 実際には数(メドル)ほどの、しかし感覚では遥かに長く感じた距離を詰め、再びシルバーバックに肉薄する。その間隔は一(メドル)もない。ここまで近付けば、最早僕の間合いだ。

 恐らく、シルバーバックが完全に我を忘れていなければ、接近することはもっと困難だった筈だ。傷を負わされたことに激昂し、大振りの攻撃をめちゃくちゃに繰り返すだけだったからこそ、上手くやり過ごすことが出来たのである。

 

「食らえっ!」

 

 突撃槍(ペネトレイション)

 全身を一本の槍に見立て、シルバーバックの胸──正確にはそこにある魔石目掛けて、短刀を突き出す。巨躯が僅かに浮き上がり、背中から落下して勢いよく地面を滑った。

 

 ──獲った。

 

 得物を通して伝わる確かな手応えに顔を上げると、シルバーバックは弱々しい呻き声を最後に動かなくなった。僕が上から退くと、その体は灰へと還って霧散した。

 

「……よし」

 

 自分の中で張っていた緊張の糸が弛み、小さく息をつく。

 静まり返った通りにしばらく立ち尽くしていると、後ろからばたばたと足音が連続した。

 

「ベル!」

「ベル君! 大丈夫!? 怪我はないかい!?」

 

 駆け寄ってきたのは神様とヴェルフだ。シルバーバックとの戦闘が終わるまで、どこかに隠れていたのだろう。

 心配そうな顔をしてやってきた二人に、僕はふっと微笑みかける。

 

「大丈夫ですよ、神様。怪我なんて一つもありません。ヴェルフも神様をありがとう」

「そっか……。よかったぁ……」

「しかし驚いたな。まさか本当にシルバーバックを倒しちまうなんて……」

 

 しみじみとばかりにヴェルフが呟いたそのとき、新たな鳴き声が辺り一帯に響いた。

 敵の姿は見えない。だが、近い。

 

「ベ、ベル君……」

「……行きましょう。西側の、僕たちの本拠(ホーム)までは、流石にモンスターたちも来ない筈です」

 

 不安に瞳を揺らす神様の手を取り、僕たちは西側のメインストリートを目指して移動し始めた。

 しかし、一刻も早くこの場を離れようとする僕たちの行く手を阻むように、新たな脅威が立ちはだかった。

 

 湾曲した刃を思わせる角が特徴の雄鹿のモンスター、『ソード・スタッグ』。

 20階層以下の領域に出現する俊足を持つ敵が、通りの脇から躍り出てきたのである。

 

「……まずいな」

 

 寸前で物陰に身を隠したおかげか、まだ向こうはこちらに気付いていないようだ。ただ、このままこうしていても見つかるだけ。故に今すぐにでもこの場を離れたいところなのだが──。

 

「まずいって、どういうことだ?」

「逃げきれないんだ。神様を連れた今の僕たちじゃ……ううん、神様を連れてなかったとしても、Lv.1の僕たちじゃ確実に追いつかれる」

 

 ソード・スタッグは速い。

 同じLv.2であるミノタウロスが膂力と体力に優れたモンスターだとすれば、ソード・スタッグは敏捷さに優れたモンスターと言えよう。一度捕捉されれば、今の僕たちに振りきることはほぼ不可能だ。

 

「そんな!? じゃ、じゃあどうすればいいのさ!?」

「……囮か?」

 

 真剣な面持ちで答えたヴェルフに、僕はこくりと頷く。

 見つかれば追いつかれる。ならば、誰かが注意を引くしかない。

 一刻も早く神様を逃がすためにも、これが現状における最善策だ。

 

「神様、【ステイタス】の更新をしてもらえませんか?」

「へ? い、今ここでかい?」

「はい。時間稼ぎとはいえ、ソード・スタッグと戦うなら、少しでも強くなった方がいいと思うんです。ここ数日、神様の不在で更新が出来てなかったから、やってみる価値はあるかと思います」

「待てよベル、残るなら俺が──」

「ヴェルフ」

 

 上着を捲り、背中の【ステイタス】を神様の前に晒しながら、僕はヴェルフを制した。

 

「その気持ちは嬉しい。けど、武器も何もない今のヴェルフには危険すぎるから」

「っ……! けどよ……!」

「大丈夫。これだけ大きな騒ぎなんだ、きっとすぐに他の冒険者が来てくれる。僕だって最初から足止めに徹すれば、そう簡単にやられたりしないよ」

 

 だから、と。

 僕はヴェルフの目を、まっすぐ見つめた。

 

「神様をお願い。僕だけじゃ神様を守ることは出来ない。これは、ヴェルフにしか頼めないことなんだ」

「俺にしか……頼めない……」

 

 僕の言葉を、ヴェルフ噛み締めるように繰り返す。僅かに俯いた彼の表情を、今の位置から見ることは出来ない。

 

「……よし。終わったよ、ベル君」

 

 漂っていた沈黙を破ったのは、そんな神様の一言だった。

 ありがとうございますと感謝を告げ、服装を正す僕に、神様はずっと背負っていた包みをほどくと、その中身である小型の箱を差し出した。

 入っていたのは漆黒の鞘に収められた、漆黒の柄を持つ短刀。

 それを見た瞬間、僕の口から「あっ……」と声がこぼれた。

 

 見間違える筈がない。

 それは、僕の窮地を何度も何度も救ってくれた、大切な神様からの贈り物。

 《神様のナイフ》だ。

 

「神様、これ……」

「本当はもっときちんと渡したかったんだけどね。いつもお世話になってるベル君へのサプライズさ」

 

 神様はにこりと笑い、僕の肩に手を置いた。

 

「ベル君、僕は待っているからね。君が僕たちの本拠(ホーム)に帰ってきて、大きな声でただいまって言ってくれるのをさ」

 

 蒼穹を思わせる澄んだ瞳が、僕のことを正面から見据えている。そこに懸念や不安の色は皆無だった。

 神様はどこまでも純粋に、僕のことを信じてくれていた。

 そんな彼女の気持ちを、裏切る訳にはいかない。

 

「──はいっ!」

 

 《神様のナイフ》を受け取り、手早く腰の辺りに装備する。

 なくなっていた欠片(ピース)がまた一つ戻ってきたような気がして、こんな状況だというのに口元が緩んだ。

 

「ヴェルフ、あとはお願い」

「……あぁ。気をつけろよ」

「ありがとう。神様、いってきます」

「あぁ、いってらっしゃい!」

 

 二人の激励を背中を受け、僕は勢いよく物陰から飛び出していった。

 



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第14話

 ベル君にヤケクソ強化を入れても原作だって大概だから「これ強くなってる……?」って不安になりますね。

 あと鹿の鳴き声って結構すごいんですね。調べて少し驚きました。


 立ちはだかるソード・スタッグへ果敢に立ち向かったベル。自らを囮とする彼の行動の結果、ヘスティアとヴェルフは無事中央広場(セントラルパーク)まで到着することが出来た。

 

「はぁ、はぁ……。ここまで来れば、もう大丈夫かな……」

「はい。とりあえず、ここらで少し休みましょうか」

「そうだね、そうしよう。ふぅ~……」

 

 一秒足りとも足を休めずに走り続けていたヘスティアは、既に息が上がっており、中央広場(セントラルパーク)に着くや否や、近くにあった長椅子に腰を下ろした。

 一方、『神の恩恵(ファルナ)』を与えられた冒険者であるヴェルフは、ヘスティアに合わせて走っていたということもあり、さほど呼吸は乱れていなかった。しかし、その面持ちは依然として硬いままだった。

 

「……ベル君が心配かい?」

「……えぇ」

 

 ヘスティアの問いかけをヴェルフは肯定した。

 ソード・スタッグはLv.2のモンスター。下級冒険者が一人で挑むには強大すぎる相手だ。ベルはすぐに他の冒険者が来てくれると言っていたが、到着まで彼が立っていられる保証はどこにもない。いや、普通に考えるなら敗れる可能性の方が遥かに高いだろう。

 

「大丈夫だよ」

 

 しかし、ヘスティアは断言した。

 

「ベル君はあんなモンスターには負けない」

 

 女神の名に相応しい、優しさに満ちた微笑を浮かべて。

 そんな彼女につられて、ヴェルフもまた硬かった表情を緩めた。

 

「……信じてるんですね、ベルのこと」

「もちろんさ。主神であるボクがベル君を信じてあげなくて、誰があの子を信じるっていうんだい?」

 

 ふふんと得意気に鼻を鳴らしながら、ヘスティアはその豊満な胸を張った。

 

 ──あぁ、そうだ。

 ──ベル君は絶対に負けない。

 

 雲一つない青空を見つめる彼女の脳裏を、別れる直前に更新したベルの【ステイタス】が過った。

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:E442→C615 耐久:F304→393 器用:D584→B788 敏捷:D561→A803 魔力:I0

 

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続。

 ・懸想(おもい)の丈により効果向上。

 【英雄証明(アルゴノゥト)

 ・能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

 全アビリティ熟練度、上昇値トータル700オーバー。

 更新以前の【ステイタス】でもミノタウロスを下したベルが、ここで更なる飛躍を遂げたのである。

 ヘファイストスの眷族であるヴェルフにこのことを話すことは出来ないが、この事実を知るヘスティアは、ベルがソード・スタッグに敗北するとは微塵も考えていなかった。

 

「──早く帰ってくるんだぜ、ベル君」

 

 東側のメインストリート、その先で今も命を懸けて戦っているであろうベルに向かって、小さな女神はポツリと囁いた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 (ソード)の名に恥じない研ぎ澄まされた二本の角が、僕の目前で空を切る。二度、三度と立て続けに襲いくる追撃、それらを両手に握った得物で捌いていく。

 一撃を受け流す毎に手が痺れる。だが、決して我慢出来ないほどではない。神様に【ステイタス】を更新してもらったおかげだろう。体の方もシルバーバックと戦ったときよりずっと動く。

 

「ふっ、はぁっ!」

 

 目を狙った刺突、しかしそれが当たることはない。頭を下げたソード・スタッグの剣角に阻まれ、キィンと甲高い金属音を鳴らすに留まった。ならばと横に一歩を踏み出し、体の側面を斬りつけようとするが、こちらも軽やかな足運びで躱されてしまう。

 単純な素早さや身のこなしならばあちらに軍配が上がる。一番の武器である敏捷さで上回られている僕にとって、相性が悪いと言わざるを得ない。ある意味ではミノタウロスよりも強敵だ。

 

「……」

『フー……フー……!』

 

 数(メドル)の間隔を空けて対峙する僕とソード・スタッグ。その一挙一動を細かく観察しながら、ゆっくりと深く息を吐き出す。 

 神様とヴェルフを逃がすという目的は既に達成している。ここからは僕自身がどうやって生き残るかだ。

 思考は、そこで中断される。

 

「っ!」

 

 地を蹴って方向転換し、存分に助走をつけてから突進してくるソード・スタッグ。その三日月刀(シミター)を彷彿させる湾曲した角が、凄まじい速度で迫った。

 警鐘を鳴らす直感に任せ、形振り構わず身をよじる。刹那、一瞬前に僕の立っていた場所を、銀色の刃が通り過ぎていった。その勢いに煽られた僕は、ゴロゴロと地面を転がる。

 少しでも行動に移るのが遅れていれば、この命はなかったかもしれない。

 肝を冷やしながら立ち上がり、全身に響く鈍痛に顔をしかめた。

 

 思っていた以上に厳しい、というのが正直なところだ。

 レベル差がある時点でこちらが不利は承知の上だが、やはり速さで負けているというのが大きい。ミノタウロスのときと異なり、そもそも攻撃が当てにくいという事態に陥ってしまっている。

 僕には『スキル』がある。格上のモンスターすら倒し得るその力も、しかし当たらないことには意味をなさない。今のままでは不発に終わることは明白だ。

 

『キィアアァアアアア──!!』

 

 鋭い咆哮を上げ、再びソード・スタッグが走り出す。またしても繰り出される必殺の突撃に対し、僕が出来ることは回避だけ。それ以上のことをしている余裕はとてもない。

 

 ──こうなったら、『英雄の一撃』を突撃に合わせて叩き込むか?

 

 そんな考えが思い浮かんだが、すぐに頭を振って却下する。

 突っ込んでくるソード・スタッグの正面に立つなど、いくらなんでも捨て身すぎだ。万策が尽きた場合の最終手段としてならともかく、一番最初から試していい手ではない。

 けれど、それ以上に何も思いつかないのもまた事実。ほんの数秒だけでも動きを止めることが出来れば、まだこちらに勝ち目があるというのに。

 

「……ん?」

 

 後ろから聞こえたメキメキという音に振り返ると、ソード・スタッグが路肩に並ぶ屋台を薙ぎ倒しているところだった。

 あれだけの速度だ、止まろうにもすぐに止まることが出来なかったのだろう。

 とはいえ、あのモンスターが屋台に激突したくらいで堪えるとは思えない。これがもっと頑丈な物であったなら話は別なのだが──。

 

「……ん?」

 

 そのとき、頭の中で何かが閃いた。

 

 ──激突。

 ──頑丈な物。

 ──……壁?

 

「……試してみる価値はある、かな」

 

 上手くいくかは分からない。

 それでも、現状を打破出来る可能性が少しでもあるのなら、賭けてみるには十分だ。

 小さく頷いた僕は《絶影》を鞘に収め、蓄力(チャージ)を開始した。《神様のナイフ》が白光に包まれ、リン、リンと鈴のような音を鳴らす。

 

「さぁ、勝負だ」

 

 屋台の残骸を踏み越え、悠々と現れたソード・スタッグを、白く輝く得物越しに睨みつける。

 一秒、二秒、三秒と。

 沈黙が漂う中、時間だけがさっきまでと変わらずに流れていく。

 

『フー……! フー……! アァアアアアァア!!』

 

 そしてとうとう、痺れを切らしたソード・スタッグが動いた。ダンッと踏み締めた地面を力強く蹴り、疾走を開始する。

 僕はそんなソード・スタッグを限界まで引きつけ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その壁をも足場にして、更に高く跳躍する。

 

『!?』

 

 ソード・スタッグは止まらない。否、止まれない。

 先程の屋台とは異なり、建物の厚い壁はソード・スタッグの突進を見事に耐え抜いた。その結果、ソード・スタッグは跳ね返ってきた衝撃によろめき、その動きを止めるに至る。

 空中を漂う僕の前に、絶好の隙を晒した。

 

 蓄力(チャージ)時間はおよそ十秒。

 やや心許なさはあるが、急所を穿つにはこれで事足りる。

 

「くらえっ!!」

 

 自由落下の勢いを乗せた『英雄の一撃』。直上から放たれた純白の一閃が、ソード・スタッグの魔石に届く。

 硬直し、そして灰へと還る体躯を横目に、着地した僕は深く息を吐き出した。

 その直後だった。

 

『ォオオオォオオオオオオオ!!』

 

 突如として轟く咆哮に、弛みかけた緊張の糸が再び張られる。

 顔を上げ、闘技場の方を見た僕の視界に映ったのは、四(メドル)ほどの巨体を揺らしながら歩いてくる、醜悪な顔面をした人型のモンスターだった。その目は間違いなく僕のことを捉えており、逃がさないと言うように唸り声を漏らしている。

 

「っ、『トロール』……!」

 

 20階層以下に出現するモンスターと、まさかの連戦である。悪態の一つでもつきたくなる気持ちを抑え、ゆっくりと《神様のナイフ》を構える。

 こちらは既に体力を消耗しており、戦闘が長引けばその分だけ不利になる。時間の許す限り蓄力(チャージ)し、最初の一手で頭部か魔石を貫くしかない。

 

 ──諦めて堪るもんか。

 ──僕は、絶対に生きて帰るのだ。

 

 得物を握る右手に力を込め、すぅと息を吸い込む。

 燐光が刀身に灯り、儚い音色を奏で始める。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()

 

「──あ」

 

 口からこぼれたのは、そんな情けない声。

 僕の意識が、一瞬だけトロールから外れる。

 その一瞬で、既に勝負はついていた。

 

『ォ……オォ……』

 

 短く呻き、トロールが地面に倒れ伏す。灰に還り出したその体には、たった一つだけ斬撃を受けた痕が残っていた。

 一撃必殺。

 僕が成そうとしたことを、〝彼女〟はいとも簡単にやってのけたのである。

 

「久しぶり、ベル」

「……はい。お久しぶりです、アイズさん」

 

 見せつけられた圧倒的な実力の差に苦笑しながらも、少しだけ得意気な様子のアイズさんに頭を下げた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 あれからアイズさんに助けられた僕は、その後モンスターに出会うことはなく、無事本拠(ホーム)に帰ることが出来た。

 絶えず集中し続けていた反動か、いつも以上の疲労感を背負うこととなった訳だが、とにもかくにも、神様との約束は守ることが出来たのだ。隠し部屋の扉をくぐった直後、抱擁と共にかけられた「おかえりなさい」の一言には、思わず涙腺が緩んでしまった。

 

 それにしても、戦闘中に感じていた()()()()()()()()。まるで僕を試すように、あるいは値踏みするように向けられたそれが、記憶が正しければ〝あの女神様〟のものだった。となると、今回の一件も彼女の手によって引き起こされた可能性が高い。

 僕を試そうとすることについては百歩譲っていいとしよう。しかし、ヘルメス様もそうだが、どうして僕の大切な人まで巻き込もうとするのかが理解出来ない。神の気まぐれと言われればそれまでなのだが、周りのことを少しは気にかけてほしいものである。

 

 何はともあれ、怪物祭(モンスターフィリア)の騒動はこうして幕を下ろした。シルバーバックに加え、ソード・スタッグという強敵とも戦うことになったものの、怪我をした人は──少なくとも僕の身の回りでは──出ていない。一件落着と言っても問題はないだろう。

 

 そしてその翌日、僕はとある神様に向けて手紙を(したた)めていた。

 

「ねぇベル君、一体何をしてるんだい?」

「ヘファイストス様にお手紙を。ナイフを打っていただいた、せめてものお礼をと思って」

 

 正確にはそれに加え、神様がご迷惑をかけたことについても記しているのだが、それを神様に言う必要はないだろう。

 なんでも神様はヘファイストス様に武器を作ってもらうため、極東に伝わる秘技、土下座までして頼み続けていたらしい。無論、僕のためにそこまでしてくれた神様には感謝しかないのだが、それはそれ、これはこれだ。

 書き終えた手紙をあらためて見直し、おかしな部分がないことを確かめてから封をする。ただ、このまま普通に出しても届かないことは明らかだ。

 

「神様、もしヘファイストス様にお会い出来たら、この手紙をお願いします」

「うん。ヘファイストスは多忙だから今日会えるかは分からないけど、でも必ず渡しておくよ」

 

 神様はこれからアルバイトに行く。いつものジャガ丸くんの屋台にではなく、摩天楼(バベル)にある【ヘファイストス・ファミリア】のテナントにだ。

 僕の武器を買うために背負った、二億ヴァリスもの借金を返済するために。

 

「それじゃあ、いってくるぜ!」

「はい。お気をつけて」

 

 ぐっと親指を立てて神様が出ていく。その後ろ姿を見送り、僕もまたすぐに準備を開始する。

 静まり返った部屋の中、防具の金具だけがカチャカチャと擦れ合っていた。

 

「さて、いってきます」

 

 誰もいない部屋に向かって、最後に小さく言い残す。

 それに応えるように、閉まった扉がパタンと音を立てた。

 




 第1章はこれで終了です。次回から第2章に入ります。引き続き、応援をよろしくお願い致します。


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第2章 猛牛殺し
第15話


 お待たせ致しました。第2章 猛牛殺し(オックス・スレイヤー)、スタートです。

 ……タイトルでオチがついてるとか言わないで(小声)


 くすくすと、その女神は笑声を漏らした。

 

「──素晴らしいわ」

 

 地下迷宮の真上に築かれた白亜の塔、その中の最上品質にして最上階の一室に、美の女神フレイヤはいた。

 艶やかな肢体を黒のドレスに包んだ彼女はワイングラスを片手に、夜空の星々のごとくまばらな輝きを見せるオラリオの様子を一望している。

 その口から出た言葉は、しかし目の前に広がる絶景に向けられたものではない。

 

「素晴らしい、ですか」

 

 その問いを投げかけたのは、入口の大扉の隣に佇む猪人(ボアズ)の偉丈夫である。

 

「えぇ。彼、まだ冒険者になって間もないというのに、あのモンスターたちを容易く倒してしまったの。本当に予想以上よ」

 

 熱っぽい吐息と共にフレイヤは体を震わせた。

 嬉しくて、愉しくて仕方がないとばかりに、その銀の瞳は爛々と輝いている。

 

 フレイヤが少年を見つけたのは本当に偶然だった。

 だがその姿を、魂を見た瞬間、一目で心を奪われてしまった。

 純白。

 綺麗で、まっすぐで、雄々しく、そして眩しい。これまで数多の人間(こども)たちを見てきたフレイヤですら、これほどまでに穢れのない色は初めて目にした。

 

 ──欲しい。

 

 久しく忘れていた喜びが全身を駆け巡る。少年のことを考えるだけで下腹部が疼いてしまう。

 己の内に熾烈な炎が灯るのを、フレイヤは自覚した。

 しかし、今はまだ時期尚早。冒険者となったばかりの少年がどう成長していくのか、見守ってからでも遅くはない。

 

 そう考えていたのだが──つい、手を出してしまった。

 

 少年の困った顔を、泣く顔を、何よりも勇姿を見たい。

 そんな子供のような感情を抑えることが出来なかった。

 故に、彼女は怪物祭(モンスターフィリア)において、モンスターたちを解き放ったのだ。

 

 フレイヤが見守る中、少年は襲いくるモンスターと戦った。そして最初はシルバーバックを、次はソード・スタッグを、彼は見事に撃破した。駆け出しの冒険者では到底敵わぬ相手を、その勇気と気高き精神で打ち負かしたのである。

 格上の敵を前に一層輝きを増した純白の魂と、その敵へ果敢に立ち向かう小さな背中に、フレイヤは歓喜のあまり身悶えした。絶頂にも似た幸福感に包まれ、少年以外何も見えない。時間が経過してもそれは変わらず、むしろ彼女の欲望は際限なく膨れ上がっていた。

 

 ──もっと、もっと見たい。

 ──その魂が、輝く様を。

 

「ねぇオッタル」

「はっ」

「貴方にはあの子がどう見えた?」

 

 夜景から従者へと視線を移し、尋ねる。

 主の言葉に偉丈夫、オッタルはしばしの沈黙の後、こう答えた。

 

「……自分の目には、酷く歪に映りました」

 

 その言葉にフレイヤは「へぇ」と呟き、口角を上げた。

 

「それは、どういう意味?」

()()()()()()()()()()()、と言いましょうか。かの少年は確かにLv.1の冒険者です。が、それはあくまで【ステイタス】の上での話。その精神は、既に完成しているように思えました」

 

 故に、歪。

 迷宮都市オラリオ最強の冒険者である【猛者(おうじゃ)】は、一度の観察で少年の異常性を見抜いていた。

 

「器が伴っていない、ね……。なら、その器というものを成長させれば、彼はもっと素晴らしくなるかしら」

「恐らくは」

「では、そのために必要なことは何?」

「器を昇華させるに足る艱難辛苦、それをなしに高みに至ることは不可能です。如何に歪であろうとあの者も冒険者ならば、必要なのは『冒険』以外にありますまい」

 

 静かに、されど力強くオッタルは断言した。

 過去に六度の『冒険』を乗り越えた、冒険者の頂点に立つ者として。

 持論を。そして真理を。

 

「ふふふっ、そう。ならオッタル、あの子については貴方に任せるわ」

「……よろしいのですか?」

 

 巌のような硬い表情を微かにしかめ、錆色の視線に困惑を浮かべたオッタルに対し、フレイヤは妖艶に微笑む。

 

「だって、貴方の方が上手くやれそうだもの。同じ冒険者だからかしら。存外にあの子のことをよく分かっているのね」

 

 思わず嫉妬しちゃうくらいに、と。

 からかうような主神の言葉を受け、オッタルは口をつぐんで黙りこくった。それに合わせ、頭部の猪耳がやや変な方向に曲がる。

 その様子を見て、フレイヤは更に笑みを深めた。

 

「……でも、それならあの子にも何かしてあげなければ不公平ね」

 

 おもむろに呟いた彼女は、部屋の隅に鎮座する大型の本棚へ歩み寄った。その中にある一冊に細い指を伸ばすと、ストンという音と共に手に収まる。

 

「うふふっ……楽しみね、ベル」

 

 取り出した本の表紙をそっとなぞりながら、フレイヤはうっとりとした様子で少年の名をこぼした。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 『お勉強会』。

 それは僕の担当アドバイザーであるエイナさんが定期的に開く講座のことだ。

 冒険者にとって大切なのは何も腕っぷしだけではない。ダンジョン各階層の特徴や対策、出現するモンスターの種類、強さ、習性、弱点など、生き残るためにはそういった知識も身につけておく必要がある。

 そのために開かれるのが、この『お勉強会』なのだ。

 

「エイナさん、終わりました」

「うん。じゃあ採点するね」

 

 ギルド本部にある個室にて、今日の仕上げとして出された問題を解き終えた僕は、対面に座るエイナさんにその回答用紙を手渡した。受け取ったエイナさんは羽ペンを片手に、淀みなく羊皮紙に目を通していく。

 

「……」

「……」

 

 手持ち無沙汰となった僕は机に肩肘をつき、採点作業中のエイナさんを見つめる。

 肩口の辺りで切り揃えられた明るいブラウンの髪。エルフ特有の木の葉を思わせる尖った耳と、整った顔立ち。眼鏡越しに見える緑玉色(エメラルド)の瞳。浮かぶ表情は穏やかで、時折見せる微妙な変化が僕を飽きさせない。髪をかき上げ、耳にかける仕草はいかにも女性的で、思わず胸が高鳴った。

 結論、やはりエイナさんは綺麗だ。

 

「うん、全問正解だね。おめでとう、ベル君」

「あ、ありがとうございます」

 

 羊皮紙から顔を上げ、微笑んだエイナさん。そんな不意討ちの笑顔に、今まで見つめていたことが申し訳なくなり、僕はつい目を逸らしてしまう。

 

「? どうかしたの?」

「い、いえ、何も。それよりもうお昼ですね。よかったら一緒にどうですか?」

「ふふっ、ありがとう。なら、お言葉に甘えちゃおうかな」

 

 そうと決まれば話は早い。

 エイナさんがお昼休憩に入ると、僕は彼女を連れ、西のメインストリートから少し外れた路地にある、こぢんまりとした喫茶店を訪れた。

 初老のエルフの男性が奥さんと二人で切り盛りするここは、静かで落ち着いた雰囲気が人気の隠れた名店であり、お昼には常連客で賑わうのが特徴だ。今日もその例に違わず、既に残る席も少なくなっていた。

 

「わぁ……。こんなところにこんなお店があったんだね」

「通りから外れた、少し見つけにくい場所にありますからね。僕も偶然見つけたんですけど、いいお店ですよ」

 

 キョロキョロと店内を見回すエイナさんと言葉を交わしつつ、空いていた窓際の席に座った。ほどなくするとこのお店のご主人がやってきたので、二人分の注文を伝える。

 

「ベル君は午後からどうするの? ダンジョン? それともお休み?」

「ダンジョンに行こうと思ってます。今日はヴェルフが用事で来られないそうなので、一人で挑むことになりますけど」

「そうなんだ。なら、十分に気をつけてね。クロッゾ氏がいないってことは、危なくなったときに助けてくれる人がいないってことなんだから。ベル君はまだ冒険者になったばかりだし、無理して深い階層に行っちゃ駄目だよ?」

 

 単独(ソロ)でダンジョンに挑むと言った僕に対し、エイナさんは真剣な面持ちで人差し指をピンと立てた。

 どうやらエイナさんの中の僕はまだまだ駆け出しの未熟者であり、ダンジョンで戦えているのは相方のヴェルフに依るところが大きいと思われているようだ。

 それは確かに正しいし、仕方のないことなのだろう。とはいえ、実際は決してそうではない。

 僕とヴェルフはお互いに背中を預け合い、助け合う相棒同士なのである。どちらかがどちらかに頼りきり、と思われているのは本意ではない。

 

 ──エイナさんには悪いけど、いつもより深く潜ってみようかな。

 

 意地になっている自覚はある。それでも、やめるつもりはない。

 今の僕が一人でどこまで戦えるのか、この機会に試してみようではないか。

 

「ベル君?」

「……あ、すみません。少しボーッとしてました」

「大丈夫? 疲れてるなら休んだ方がいいよ?」

「いえ、本当に大丈夫です」

 

 内心を悟られないよう、笑って誤魔化す。良心が痛むが、ここで引き下がるのも何か違うような気がした。

 我ながら子供だなぁ、なんて思いながらも会話を続けていると、微笑を浮かべたご主人が料理を運んできてくれた。本日のおすすめと銘打たれていた、色合い豊かな野菜のパスタが、僕たちの前にそっと並べられる。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに、自然と頬が緩んだ。

 

「美味しそうだね」

「ですね。戴きましょうか」

 

 手に取ったフォークにパスタを巻きつけ、口へと運ぶ。野菜の酸味や甘味がしっかりと絡んでおり、とても美味しい。素材の味がよく活かされている、というのが僕の感想だ。

 チラリと視線だけでエイナさんの方を伺うと、口元を綻ばせて調子よく食事の手を進めていた。普段はなかなかこういったエイナさんを見る機会はないため、なんとも新鮮な感じがする。

 そんな様子を少し眺めていると、やがてエイナさんも僕に気付いたようで、きまりが悪そうに小さく咳払いをした。

 

「ベル君、女の人をあんまりじっと見るのはよくないよ?」

「ふふっ、すみません。美味しそうに食べるなぁと思って、つい」

「んっ……!? と、とにかく、そういう風に女性をジロジロ見るのはいけません。いい?」

 

 頬を微かに赤くしながら、ずれた眼鏡を元に戻すエイナさんに、僕は苦笑と共に頷いた。

 

 食事を終え、一息ついたところで時間を確認すると、エイナさんが「あっ……」と声を上げた。どうやらお昼休憩の終わりが近いらしい。ギルドに戻る時間を考えると、このお店でこれ以上ゆっくりしている暇はなさそうだ。

 

「ごめんねベル君。その、支払い、全部任せちゃって……」

「いえ、声をかけたのは僕の方からですし、気にしないでください」

 

 支払いといっても二人分の食事で、たかだか三〇〇ヴァリス程度、冒険者としてお金を稼いでいる僕からすれば痛い出費でもない。むしろエイナさんとお昼を一緒に出来たのだと考えると、このくらい安いものである。

 

「それじゃあエイナさん、午後からもお仕事、頑張ってください」

「うん。今日はありがとう。ベル君も気をつけてね」

「はいっ!」

 

 大きく手を振り、ギルド本部に戻っていくエイナさんを見送る。その背中が完全に見えなくなったところで、僕もまた踵を返した。

 

「──さぁ、頑張るぞ」

 

 天高く聳える摩天楼(バベル)に向かう最中、僕は確かに笑みを浮かべていた。

 



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第16話

 ソード・オラトリア12巻を読んだ勢いで書き上げました。今現在も複雑な思いが胸の内を渦巻いておりますが、とりあえず素晴らしかったとだけ言わせていただきます。


 『キラーアント』、『パープル・モス』、そして『ニードルラビット』。

 同時に襲いかかってきた三体のモンスターをどの順番で倒すべきか、答えを弾き出したときには、既に体は動き始めていた。

 

 まず狙うべきはキラーアント。錆色の甲殻を有する大蟻のモンスターは、身に危険が迫ると仲間を呼ぶ習性がある。物量での圧殺はこのダンジョンにおいて、最も恐れるべきことの一つだ。故に、一撃で確実に仕留める必要がある。

 キラーアントの次はパープル・モス。このモンスターはその毒々しい体色に違わず、毒の鱗粉を撒き散らしてくる。毒に即効性はないものの、『発展アビリティ』の『耐異常』や解毒薬を持たない今の僕には治癒する手段がない。キラーアントには劣るが、撃破の優先順位は高いモンスターだ。

 そして最後に残るのがニードルラビット。キラーアントのような厄介な習性もなければ、パープル・モスのような毒を使う訳でもない。額の辺りから生えた一本角を用いた突進は要注意だが、それさえ警戒していれば特に恐ろしい敵ではない。

 

『キシャアアア!!』

 

 奇声と共に振り下ろさせるキラーアントの爪を、両手の得物で受け流して距離を詰める。敵の持つ頑丈な甲殻は下級冒険者の生半可な一撃など通さないが、ヴェルフの鍛えた《絶影》はその鎧を、そして内側にある魔石を容易く切断した。

 キラーアントが灰になる寸前、その死体を足場に頭上を羽ばたくパープル・モスに向かって跳ぶ。

 空中でぐっと体を捻り、一閃。

 毒蛾の怪物はそれだけで絶命し、力なく地面へと墜ちていった。

 残るはニードルラビットのみ。そう考えながら着地した直後、背後から足音が連続した。

 

「せあっ!」

 

 振り返り様に放った回し蹴りが、飛びかかってきたニードルラビットの頭部を的確に捉える。ゴキリと骨の砕ける音が、やけに大きく聞こえた。

 短い草の生えた草原を滑り、動かなくなったニードルラビットを一瞥し、辺りを見回す。生きているモンスターの姿はなく、ただ亡骸だけが転がっている惨状。動く影がないことを確かめ、そこでようやく息つくことが許された。

 

「……まずまずってところかな」

 

 現在僕がいるのは地下迷宮の9階層。普段ならヴェルフと二人で挑んでいる場所である。

 この階層でモンスターと戦闘した回数は、先のものを合わせて十数回ほど。そのどれもを危なげなく切り抜けることが出来ている。

 つまり、9階層ならば単独(ソロ)でも十分にやっていけているということだ。慢心や自惚れはなく、ただ純然たる事実として。

 

「……行こう」

 

 地面に横たわる亡骸から魔石を抜き取り、移動を開始する。

 地図は必要ない。下層や深層へ向かう度に通った道なのだ、最短の道筋を体が覚えているのである。

 

 辿り着いた10階層は9階層とは大きく異なる階層だ。

 特筆すべきは視界を妨げる霧。深くはないが、それでも戦闘において厄介になることは間違いない。天井からの光源も9階層の燦々としたものとは違い、どこか薄ぼんやりとしたものになっている。

 ダンジョンにおいて初めて視界の妨害を受ける階層。それがこの10階層なのである。

 

『ブォオオオ……!』

 

 そんな霧にうっすらと影が浮かび、モンスターが現れる。

 『オーク』。

 茶色い肌に醜悪な豚の顔面をした大型級のモンスターだ。その手には大きな棍棒が握られている。

 あれは『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』という、ダンジョンの特性がもたらした天然武器(ネイチャーウェポン)だ。視界を妨げる靄同様、この10階層における大きな特徴である。

 

 睨み合うこと数秒、先に動いたのは僕の方だった。

 辺りからはこのオーク以外にもモンスターの気配がする。ぐずぐずしていては囲まれてしまう危険があるからだ。

 

『ブフォオオォオオオ!!』

「っ、はっ!」

 

 大きく振りかぶられた棍棒を紙一重で回避し、オークの左足に《神様のナイフ》を突き刺す。その柄を精一杯握り締め、後ろへ回り込みながら肉を引き裂く。そして跳躍、体勢を崩して動きを止めた敵の頭目掛け、振り下ろした。

 

『ゴッ……ォ……』

 

 緑色の血液を後頭部から吹き出しながら、事切れたオークはゆっくりと倒れ伏した。

 オークの魔石は胸の奥にあり、僕の短刀では届かない。故に頭を狙い、確実に仕留める必要があるのだ。

 ここに魔法があればもっと早く倒すことが出来るのだが……無い物ねだりをしても仕方がない。

 

 迷わないよう注意しながら道を進んでいると、不意に自分以外の草を踏む音が耳を打った。それも一つではなく複数だ。靄のせいでその姿は未だに見えないが、その正体に当たりはついている。

 

『ギイイイイイ!!』

「そうくると、思ってたよ!」

 

 甲高い鳴き声を上げながら背後より迫った『インプ』を、振り向き様に斬り捨てる。

 胴体を断たれた小悪魔のモンスターは、何が起きたのか分からないとばかりに目を見開いたのを最後に、灰となって消えた。

 

『ギィイイイ!』

『ギァアアアァア!』

 

 最初の一体がやられたのを見た周りのインプたちは、今度はまとまって一度に襲いかかってきた。

 インプは知能が高く、狡猾なモンスターとして知られている。似たようなモンスターであるゴブリンはまず行わないであろう、不意討ちや集団での強襲などをしてくるため、非常に厄介な相手なのだ。オークよりインプの方が恐ろしい、と言われることも少なくない。

 大切なのは慌てないこと。数こそインプの方が多いが、単体で見れば決してそうではないのだ。深追いせず、冷静に各個撃破していけば包囲網は自然と瓦解する。

 

「そこっ!」

『ギェア!?』

 

 《神様のナイフ》と《絶影》。二つの得物を駆使し、インプを斬り伏せる。動き回ることで敵を翻弄し、隙を見せたところを一体ずつ叩く。

 やがて音が止み、この通路がしんと静まり返るまで、そう時間はかからなかった。

 

 ──戦える。

 

 二度の遭遇戦を経て込み上げてくる実感に、手の開閉を繰り返す。

 一度理解してからは早かった。出くわしたモンスターを片っ端から斬り捨て、蹴散らし、圧倒する。積み重ねてきた技術を存分に使い、目についた敵から順番に屠っていく。

 この場にヴェルフがいなくてよかったと、僕は心の底から安堵した。

 どこまでも冷酷に、そして餓えたように、モンスターを狩り続ける。

 こんな姿は、とても見せられたものではないからだ。

 

「強く、なるんだ」

 

 これから先に待ち受ける困難を乗り越えるために。

 そして何よりも、あの人の隣に立つために。

 熱を帯びる【ステイタス】と猛る本能に身を任せ、寄せ来る怪物に向かって疾駆した。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 地に伏したモンスターの骸から魔石を回収し、大きく膨らんだ巾着へ詰め込む。口を縛るのにも一苦労なほどになった巾着には、これ以上の魔石を入れることは出来そうにない。

 探索の継続自体は可能だ。しかし、倒したモンスターから魔石を回収せずに放置し、その魔石を他のモンスターが捕喰するようなことがあれば、強化種という危険な存在を生むこととなってしまいかねない。

 

「……今日はここまでかな」

 

 懐中時計で地上の時間を確認すると、間もなく夕方に差しかかろうとしていた。今から地上に戻れば、暗くなる前には本拠地に帰ることが出来るだろう。

 軽く呼吸を整えた僕は踵を返し、撤退を開始した。他の冒険者たちの通った跡を頼りにすることで、極力戦闘を避けつつ上層へと戻っていく。

 そして2階層に辿り着いたとき、突然曲がり角の向こうから怒声と思われる声が反響した。

 

「さっさと歩け! このウスノロが!」

 

 角から顔だけを出して様子を窺ってみると、そこでは一人の男がバックパックを背負った人物に罵倒を浴びせかけていた。バックパックに隠れてよく見えないが、背丈からするにまだ子供か、あるいは小人族(パルゥム)だ。となると、十中八九『サポーター』に違いない。

 

「ったく苛つくぜ……! オラ、とっとと行くぞ」

「……はい」

 

 声を荒らげる男に小さく返事をしたサポーターは、男の後ろをとぼとぼと歩き始める。

 そのとき、ほんの一瞬だけ、僅かに横顔が僕の方に向けられた。

 ドクン、と心臓が大きく跳ね、カッと目が見開かれる。

 

「……リリ」

 

 見間違える筈がない。

 癖のある茶色い髪と円らな瞳。それが見えたのは一瞬だったが、断言することが出来た。

 目の前を歩く少女こそ、リリルカ・アーデその人であると。

 

 僕は離れていくリリに向かって一歩を踏み出し、しかしそこで脳裏を過った疑問に足を止めた。

 

 ──声をかけて、しかしそれでどうするというのだろう?

 ──今の僕たちは【ファミリア】(かぞく)じゃない。なんの繋がりもない他人同士でしかないのに。

 

「うるさい」

 

 浚巡は一秒にも満たなかった。

 弱音を囁く自分自身を押さえつけ、小さくなっていく二つの背中を追いかける。

 

 認めよう、僕は怖いのだ。

 かつてたくさんの時間を共に過ごした大切な女の子と、一緒にいられなくなるかもしれないということが。

 未来を知るが故に、過去である今において何か余計なことをしたばかりに、リリルカ・アーデに懐疑され、拒絶され、嫌われることが、何よりも恐ろしいのである。

 

 だが、それは僕が過去を、または未来を知っているからこそ起こる恐怖だ。

 『かつて』は捨て置け。

 『今』だけを見ろ。

 僕の目に映っているのは【ヘスティア・ファミリア】のリリルカ・アーデではない。

 冒険者に不当な扱いを受け、意味のない罵声と暴力に曝されるサポーターの女の子だ。

 首を突っ込む理由には、これだけで十分ではないか。

 

「我ながら単純だよなぁ、ほんと……」

 

 小さく苦笑しつつリリと男を尾行し、ダンジョンを出る。摩天楼(バベル)に戻ってきた二人が真っ先に向かったのは、やはりと言うべきか、魔石の換金所だ。

 一悶着起こるとしたらここだろうと、僕は一層の注意を払って様子見に徹する。

 すると案の定、ヴァリスの入った袋を持ってきたリリに、男が「おいっ!」と声を張り上げた。

 

「このクソガキ! 魔石をちょろまかしやがったな!?」

「……何を仰いますか? リリは言われた通り換金してきただけですよ」

「嘘をつくんじゃねぇよ……! 今日の稼ぎがたったこれっぽっちな訳ねぇだろうがよぉ! あぁん!?」

 

 周囲からの目を集めながらも男が止まる様子はない。怒りと不満を全面に押し出し、何もしていないと主張するリリのことを睨みつける。

 

「ふざけた真似しやがって……! てめぇみてぇな屑に払ってやる金なんて一ヴァリスもねぇ! さっさと消えろっ!」

「っ……!」

「なんだその目は? 消えろって言ってんだよっ!」

 

 そしてとうとう椅子から立ち上がった男は、リリに向かって拳を振り上げた。間もなく訪れる痛みと衝撃に、リリはぎゅっと目を瞑る。

 だが、それが彼女に来ることはなかった。

 

「……なんだ、てめぇ?」

「駄目ですよ。気に入らないからってすぐに手を出すのは」

「てめぇには関係ねぇだろ! ぶっ殺すぞ!」

 

 唾を飛ばしながら右腕に力を込める男だが、僕に掴まれた腕は微動だにしない。

 それはつまり、僕の【ステイタス】が男のそれを上回っていることを意味していた。

 

「このっ! ガキが! 離しやがれ!」

「ねぇ、君は本当に魔石をちょろまかしてなんかないんだよね?」

「は、はい。リリは、まだ何もしてません……」

 

 ──まだ、か。

 

 突然声をかけられたことに対する動揺からか、リリは僕の問いに素直に答えた。

 まだ、ということはこれから何かしらのことをするつもりだったのかもしれない。が、それはあくまでこれからのこと。現状で何もしていないのであればリリは無罪だ。

 

「くそっ! 舐めやがってぇえええぇえええ!」

 

 癇癪を起こしたように怒声を撒き散らしながら、男は左腕で強引に殴りかかってきた。

 僕は素早く男の足を払い、体勢を崩したところで一気に拘束して押さえ込んだ。喚き、もがく男だが、完全に極ったこの状態から抜け出すことは不可能だ。

 

 そうこうしていると騒ぎを聞きつけたのか、換金所からギルドの職員と【ガネーシャ・ファミリア】と思わしき冒険者が数名、僕たちのもとに駆けつけてきた。リリと男、そして僕の三人はそこで事情聴取を受けることとなったのだが、騒ぎの始終を見ていた人たちの話もあり、僕とリリの二人は速やかに解放される流れとなった。

 そして現在、僕とリリは並んで夜のメインストリートを歩いている。お互いに無言で、ただしリリの方は何か言いたげにして、僕の顔色をチラチラと窺っていた。

 警戒はされているだろう。だが、それよりも純粋な疑問の方が強いように感じた。

 関係ない筈なのに何故、この人は横から現れたのか、と。

 

「ごめんね、外野の人間なのに首を突っ込んじゃって」

「……いえ、こちらこそありがとうございました。冒険者様のおかげでキチンとお金も貰えましたし、殴られずに済みましたから」

 

 思いきって僕の方から先に話しかけると、リリは小さな声でお礼を言った。

 

「……サポーター、なんだよね? いつもああなの?」

「……そうですね。冒険者様たちにとって、リリのようなサポーターは単なる荷物持ちでしかありませんから。まともな報酬を貰えたことの方が少ないですよ」

 

 自嘲気味に答えたリリに心がざわつく。僕は無意識のうちに握り拳を作っていた。

 サポーターは役立たずで落ちこぼれ。

 このオラリオでそういう風に考える冒険者は、残念なことにかなり多い。一人では戦えず、誰かについていかなければならないサポーターは、冒険者にとって侮蔑と嘲笑の対象なのである。

 本当に、馬鹿馬鹿しい話だ。

 

「ではリリはこの辺りで。さっきは本当にありがとうございました」

 

 中央広場(セントラルパーク)に到着したところでリリは最後に頭を下げると、僕とは別の方向へ進んでいこうとする。

 僕たちは赤の他人同士。やがて別れるのは当然の帰結だ。

 

 ──これでいいのか?

 

 小さな背中が、遠ざかっていく。

 ようやく見つけた大切な人が、どこかに行ってしまいそうになっている。

 耳元で囁くもう一人の自分に、僕は決心して顔を上げた。

 

「あの! よかったら──」

 

 離れていく彼女を、僕の言葉が繋ぎ止めた。

 



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第17話

 お気に入り数が5000を越えました。たくさんの読者様にお気に入り登録をしていただき、本当にありがたい限りです。今後ともよろしくお願い致します。


 中央広場(セントラルパーク)噴水前。

 僕とヴェルフがダンジョンに挑む際、いつも待ち合わせをしている場所だ。

 

「ヴェルフ、おはよう」

「おはようさん、ベル」

 

 人混みをかき分けてやってきた相棒に手を振って応える。

 黒い着流しに身を包み、大剣を背負った赤髪の青年は、今日も人当たりのいい快活な笑みを浮かべていた。

 

「よし、じゃあ行くか」

「あのさ、ダンジョンに行くのなんだけど、ちょっと待ってくれない?」

 

 いつもなら二言返事でダンジョンに向かうところなのだが、今日は少しだけ変わってくる。

 怪訝そうな顔をするヴェルフと共に更に待つこと数分、僕はキョロキョロと辺りを見回しながら現れた〝彼女〟を見つけると、その名前を呼んだ。

 

「リリ! こっちこっち!」

「あっ、ベル様、おはようございます!」

 

 大きなバックパックを背負い、僕の姿を見つけるや否や、駆け寄ってきたリリ。

 僕がすぐにダンジョンに向かわなかった理由が、彼女の存在だ。

 

「……知り合いか?」

「うん。紹介するよ。彼女はリリルカ・アーデさん。サポーターとして僕たちの探索を手伝ってくれることになったんだ」

「はじめまして、冒険者様。リリルカ・アーデといいます」

 

 僕の名前を口にする見知らぬ少女の登場に面食らうヴェルフに、僕は昨日あった出来事とその後のことを話した。

 

 あの夜、リリと別れる直前、僕は彼女をパーティに勧誘した。

 対等な仲間として一緒に探索をしてほしい、頭を下げながらそう頼んだ僕に対し、リリは長考の末、『明日の探索には同行するが、それ以上は考えさせてほしい』と答えたのである。

 正直、出会ったばかりの冒険者にこんなことを言われても頷かないだろうと思っていただけに、リリが承諾したのは意外ですらあった。報酬か、あるいは何か思うところがあったのか、いずれにせよ条件つきとはいえ、彼女を仲間に引き込むことが出来たのは、僕にとって幸運以外の何物でもなかった。

 

 だが、それはあくまで僕にとっての、である。

 話を聞き終えた後もヴェルフは眉をひそめたまま、思案するように唸り声を上げた。

 

「……こんな言い方はなんだとは思うが、信用していいのか? 確かにサポーターが同行してくれるのはありがたいんだけどよ……」

 

 それは至極当然の疑問だった。

 リリのことをよく知っている僕は、その能力が高いことも分かっている。しかし、いきなり初対面の誰かがパーティに参加するようになったと言われても、素直に納得出来る人はほとんどいないに違いない。十中八九、ヴェルフのように難色を示すことだろう。

 

「うん。だから今日はそのための一日なんだ。リリは僕たちのことを見定めるつもりなんだろうけど、逆に()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから今日一緒にダンジョンに潜って、もしヴェルフがリリのことを信用出来ないと思ったなら、そのときは遠慮なく言ってほしいんだ」

 

 リリがまずは一日だけと言ったのは、恐らく僕たちのことを値踏みするためだ。

 だがそれは、何もリリだけに当てはまることではない。

 リリのことを知らないヴェルフにも彼女のことを見てもらい、判断してもらいたいのである。

 

「……なるほどな。分かった、そういうことなら言うことはねぇ」

「ごめんね、事後承諾みたいになっちゃって……」

「気にすんなよ。さっきも言ったが、サポーターが来てくれること自体は歓迎してるんだ」

 

 にっと男前に笑ったヴェルフは、「待たせちまったな」とリリに視線を移した。

 

「自己紹介が遅れた。俺の名前はヴェルフ・クロッゾ。【ヘファイストス・ファミリア】の鍜冶師(スミス)だ。よろしくな」

「……クロッゾ? クロッゾというと、あの魔剣貴族の『クロッゾ』ですか?」

「……あぁ。でも家名は嫌いなんだ、呼ぶならヴェルフって呼んでくれ」

 

 『クロッゾ』の名で呼ばれたヴェルフは僅かに言葉に詰まったが、すぐにいつもの様子に戻った。

 

 そのとき──リリが一瞬だけ、嗤ったような気がした。

 

「分かりました。ではヴェルフ様とお呼びさせていただきます。リリのことも、どうか名前でお呼びください。どうぞ、よろしくお願いします」

「おう。よろしくな、リリスケ」

「リ、リリスケ……」

 

 突然の渾名呼びに、今度はリリが困惑する番だった。ヴェルフに悪気はないのだろうが、端から見ていると意趣返しと受け取れなくもない。

 

「……なんだ? どこかおかしかったか?」

「うんん、なんでもないよ」

 

 小さく吹き出した僕にヴェルフが不思議そうな顔をしている。

 リリもそこでヴェルフに他意がないことに気付いたようで、肩をすくめて苦笑していた。

 

「さて、そろそろ行こう。頑張ろうね、皆」

「あぁ」

「はい!」

 

 お互いに打ち解け合い、緊張も解れてきたところで号令をかける。

 僕とヴェルフと、そしてリリ。

 かつてとは加わった順番が違うとはいえ、またこの顔ぶれで冒険出来ることに、僕は確かな喜びを感じていた。

 

 

 

     △▽△▽

 

 

 

 結論から言うと、今日の探索は大成功だった。

 リリというサポーターの参加で、戦闘により集中出来るようになった僕とヴェルフは、二人のときよりも遥かに素早くモンスターを片付けていった。

 また、リリの手際も記憶にあった通りであり、僕たちの倒したモンスターから手早く魔石を抜き取り、死体が邪魔にならないように努めてくれた。彼女が場を整えてくれたおかけで勢いに拍車がかかり、過去一番の撃破数となったことは間違いなかった。

 

 そして現在、僕たちはここ最近通うようになった酒場、『焔蜂亭』にて今日の健闘を祝っていた。

 

「お疲れ様! 乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯です!」

 

 醸造酒(エール)の入ったグラスで乾杯し、ぐっと呷る。渇いていた全身が潤いを取り戻し、活力が湧いてくる。

 

「いやぁ、本当にお疲れ様でした! ベル様もヴェルフ様も、とってもお強いのですね!」

「いやぁ、リリのおかげだよ。周りを気にしなくていいってこんなにも戦いやすいんだって、びっくりしたなぁ」

「全くだぜ。あんなに気持ちよくやれたのは初めてだ!」

 

 湯気を立てる料理に手を伸ばしながら、僕たちは口々に今日の感想を言い合う。

 最初こそリリのことを気にしていたヴェルフも、今ではすっかり彼女を受け入れているようだ。それ相応の活躍をしてくれたのだから、その変化も頷けるというものである。

 ちなみに、今日の冒険で稼いだ金額は、なんと四八〇〇〇ヴァリスにもなった。僕とヴェルフの二人のときは大抵二万ヴァリスと少し、一般的なLv.1の冒険者が五人でパーティを組んだときの稼ぎが、およそ二五〇〇〇ヴァリスと言われていることを踏まえると、如何に目覚ましい成果であるか分かるだろう。

 

「それにしても、ベル様たちは変わっておられますね。リリのようなしがないサポーターにも報酬を等分して払い、挙げ句には食事まで一緒にしたいなんて。他の冒険者様は普通、ここまでしてくださいませんよ?」

「一緒に冒険した仲間なんだし、このくらい当然だよ。ね、ヴェルフ?」

「あぁ。俺たちをこれまでみたいな器の小さい連中といっしょくたにされちゃ困るってもんだ」

「お二人共、随分とお人好しでいらっしゃるのですね。リリはとっても感激しています」

 

 お人好し。

 そう言ったリリの瞳には、微かに影が差しているように見えた。

 僕はそれに気付かない振りをして、おもむろに口を開いた。

 

「あのさ、リリ。リリのおかげで今日はすごくやりやすかったし、リリより腕のいい人なんてそうはいないっていうのも感じたんだ。だからリリさえよかったら、このまま一緒にパーティを組んでくれないかな?」

「ベル様……」

 

 昨日交わした約束、その答えを問うた僕に、リリはしばし沈黙した。目を伏せて考え込むリリの様子を、ヴェルフと二人でじっと見守る。

 でも、本当は分かっていた。

 今のリリが僕たちの誘いを断る筈がないということを。

 

 ──だって、この頃のリリは……。

 

 と、そんなことを考えているうちに、リリがゆっくりと顔を上げた。

 そこに浮かんでいたのは、作り物のような笑み。

 

「こんなリリでよければ、喜んでお手伝いさせていただきます。どうか、よろしくお願いします」

「……うん。ありがとう、リリ。これからよろしくね」

「よろしく頼むぜ、リリスケ!」

 

 【ヘスティア・ファミリア】団長として、僕は決意を固める。

 一日でも早く、彼女が心から笑えるようになるために。

 嘘も偽りも演技もない、ありのままの素顔でいられるように。

 出来る限りのことを為そうと。

 差し出された小さな手を取り、握手を交わしながら、そう胸に誓った。

 

 たとえ彼女が、過去にどんな過ちを犯していようとも──。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「ほんと、呆れるくらいのお人好しですね」

 

 道行く人々の間を縫うようにすり抜けながら、リリルカは一人嘆息した。

 その口元が描いているのは普段の人懐っこい笑みではない。今日一日を共にした二人に対する侮蔑と軽蔑、そして嘲笑であった。

 

「まぁ、運がいいことに間違いはありません。まさか『クロッゾ』の末裔と出会えるなんて……ベル様には感謝しておかないと」

 

 『クロッゾ』の末裔であるヴェルフ、そして彼の打つ『クロッゾの魔剣』。

 かつて湖を干上がらせ、森を焼き、山を抉ったとされる至高の魔剣は、このオラリオにいる冒険者には垂涎の一振りである。市場に出たとなれば、恐らく何億ヴァリスという破格の値段で取引されるに違いない。

 リリルカには突然舞い込んできた、まさに一攫千金の機会である。ここを物にすることが出来れば、彼女の願いは叶ったも同然となる。

 

 全ては忌々しき【ファミリア】から抜け出すため。

 何者にも虐げられない自由のために。

 

「精々リリのために利用されてくださいね、ベル様、ヴェルフ様?」

 

 まずはヴェルフを説得し、『クロッゾの魔剣』を持って来させよう。一筋縄ではいかないだろうが、焦る必要はない。稼ぎは三人で山分けだ、ただ一緒にいるだけでも十分な金額が入ってくる。

 ゆっくりでいい。じっくりと親交を深めていき、隙を見せたときが彼らの最後だ。

 

 虚空にほくそ笑みながらオラリオの夜に消えていくリリルカ。

 だが、このとき彼女は知らなかった。

 

 自分に手を差し伸べた少年が、一体何者なのかを。

 【英雄(アルゴノゥト)】の二つ名を賜った人物が、リリルカの予想を遥かに上回る、底抜けのお人好しであることを。



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第18話

 遅くなってしまった分、今回は長めです。


 リリが僕たちのパーティに加わり、あれから数日が経過した。彼女が参加してからというものの、探索や戦闘の効率は見違えて変わるようになり、既に彼女はいなくてはならない存在にまでなっていた。

 そして今日も今日とて、僕たちは10階層まで足を伸ばし、探索を行っていた。

 

「ヴェルフ様、一つよろしいですか?」

 

 探索の途中、ルームと呼ばれる出入口が一つあるだけの空間で休息をしているとき、不意にリリが口を開いた。

 

「どうした、リリスケ?」

「いえ、気に障ってしまったなら申し訳ないのですが……ヴェルフ様は何故、『クロッゾの魔剣』を持たれないのですか? かの魔剣があれば上層のモンスター程度、恐れるに足りないとリリは思うのです」

 

 おずおずといった様子で尋ねるリリに、ヴェルフは渋い顔をして「あー……」と言葉にならない声をこぼす。

 この話題はよくない、そう思った僕は横から割り込もうとするが、それを制したのは他ならないヴェルフ自身であった。

 

「ヴェルフ……」

「いいんだ。リリスケの疑問も尤もだしな。赤の他人に言われたならともかく、パーティを組む仲間に訊かれたなら答えない訳にもいかないだろ?」

 

 そう言ってヴェルフは、あらためてリリに向き直った。

 

「俺が魔剣を持たない……いや、打たないのはな、単純に魔剣が嫌いだからだ。使い手を残して勝手に砕けていく魔剣が、使い手を腐らせる魔剣が、俺は大嫌いなんだよ」

 

 嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てるように告げるヴェルフ。これまで見たことのないその一面に、リリは微かに怯むも、すぐに「で、ですが……」と言葉を紡ぐ。

 

「魔剣とは、そういうものではありませんか。絶大な力を発揮する反面、いずれは壊れてしまうもの。それが魔剣です」

「そうだな、その通りだ。()()()()()()()()()

「へ……?」

 

 ヴェルフの返答に、リリは意味が分からないとばかりに開口した。

 

「いいかリリスケ、魔剣ってのは道具じゃない。あれは武器であり、そして武器ってのは使い手の半身だ。使い手がどんな窮地に立たされようが、武器だけは絶対にそいつを裏切っちゃいけないんだよ」

「……」

「魔剣は確かに強力だ。『クロッゾの魔剣』ともなりゃ、中層のモンスターでも倒せるだろうよ。でもな、使えば砕ける魔剣は、武器として見りゃ欠陥品もいいところだ。鍜冶師(スミス)として、そんな欠陥品は打ちたくない」

 

 そう語るヴェルフの瞳には確固たる意志が宿っていた。

 鍜冶師(スミス)たるヴェルフには、職人という仕事柄故か、一度決めたことは曲げない頑固な部分がある。彼が打たないと断言した以上、どんなに言葉を尽くそうとも、その決定を変えることは困難を極めることだろう。

 

「……ヴェルフ様のお考えは分かりました。ですが、やはりリリは魔剣があった方がいいと思うのです。たとえ積極的に使うことがなかったとしても、万が一の場合の保険として持っておく分には、これほど心強いものはありません。魔剣があれば生き延びられた、なんて事態に陥らないとも限りませんから」

 

 リリは自分の考えを述べながら、同意を乞うような視線を僕に向ける。

 リリの言っていることは間違っていないと思う。このダンジョンにおいて、不慮の事態というのはいくらでも起こり得ることだ。そういったときの備えとして『クロッゾの魔剣』があれば、危地を打破出来る確率は飛躍的に上がるに違いない。

 しかし──。

 

「無理強いはしたくない、かな」

 

 彼の相棒として、友として、その覚悟を踏みにじるような真似はしたくない。

 打つか打たないか、それを決めるのはヴェルフ自身だ。彼が打たないと言ったのであれば、僕から言うことは何もない。

 

「ベル様……」

「心配いらないよ、リリ。この辺りの階層で出てくるモンスターなら、魔剣がなくたって対処出来る。僕たち三人で力を合わせれば、きっと大丈夫」

「し、しかしダンジョンでは何が起こるか──」

「分からない、だよね? 僕もそうだと思う。だからそのときは──」

 

 不安に揺れるリリの瞳を見て、ふっと微笑む。

 

「僕が君を守るよ」

「っ……!」

 

 やらせない。

 絶対に傷つけさせはしない。

 僕が必ず、君を守ってみせる。

 

「……ふっ、違うだろ、ベル。僕が、じゃねぇ。()()()()、だ。仲間外れにしてもらっちゃ困るぜ」

「ふふっ、そうだね。ごめん」

 

 こつん、と。突き出した拳同士が軽く音を立てる。

 不敵に口元を吊り上げるヴェルフは、魔剣などよりもずっと心強い味方だ。

 

『ウウウゥ……』

「おっと、どうやら休憩もここまでみたいだな。お出ましだぜ」

 

 微かに聞こえた唸り声に、意識を切り替えて立ち上がる。《神様のナイフ》を構えた視線の先、立ち込める靄には複数の影が映っていた。

 

「手筈通りにいこう。二人共、気をつけてね」

「あぁ、任された」

「……はい、分かりました」

 

 交わす言葉は短くていい。それだけで意思は十分に伝わる。

 自らに課せられた役割を果たすため、僕は地を蹴ってモンスターの群れに突っ込んだ。

 

「守るなんて、嘘に決まってます……」

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 夜、探索を終えた僕たちは『豊饒の女主人』を訪れ、いつものようにテーブルを囲んだ。

 今日一日の健闘を讃え、明日も頑張ろうと英気を養う。そして最後は程よい満腹感と共に解散する。その筈だったのだが──。

 

「ベルさん、これも追加でお願いします」

「は、はいぃ……」 

 

 店を出る直前、シルさんに声をかけられたのが運の尽き。そのままあれよあれよという間に裏口へ連れ込まれ、何故か皿洗いをすることになってしまったのである。

 

「あの……なんで僕は皿洗いをさせられてるんですか?」

「ごめんなさい。今日に限って従業員の子たちが揃って体調を崩してしまって……。書き入れ時の間だけでいいので、お願いしてもいいですか?」

「そういうことはせめて連れ込む前に言って欲しかったです……」

 

 悪びれた様子もなくにこにことしているシルさんには、思わずため息がこぼれる。こういうときに怒るに怒れないのだから、美人というのはつくづくずるい。

 ともあれ、そういう事情があるなら仕方がない。シルさんに付き合わされるのも初めてでもないし、どこまで力になれるのかは分からないが、皿洗いくらいなら喜んで引き受けよう。

 

「あ、もしお皿を割るようなことがあればミアお母さんがすっごく怒ると思うので、扱いには気をつけてくださいね?」

「……それだけは聞きたくありませんでしたよ」

 

 ミアさんが怒る、その一言だけで手にした皿が何億ヴァリスもする芸術品とも錯覚した。

 

 ──もしこれを割ってしまったら……。

 

 ゾクリと、その先を考えるだけで悪寒が走った。

 とにかく、万が一がないよう丁寧に作業していかなければ。

 

「……何をしているのですか、クラネルさん?」

「えっと、シルさんに頼まれて皿洗いのお手伝いを……」

「シルが? ……なるほど、そういうことですか」

 

 かけられた声に振り返らずに答えると、何やら察したような呟きが返ってくる。それから間を置かず、視界の端を薄緑色の髪がちらついた。

 

「手伝います。この量を一人で片付けるのは厳しいでしょう」

「え、いいんですか?」

「はい。そもそもこれらの片付けは本来、私たち従業員の仕事ですから」

 

 隣に立ったリューさんは淡々と語りながら、慣れた手つきでお皿やグラスを洗っていく。そんな彼女に倣って、僕もまた作業に意識を集中させる。

 

「ときにクラネルさん、最近はずっとダンジョンに挑まれているそうですが、調子は如何でしょうか?」

「自分で言うのもなんですけど、かなりいい調子だと思います。リリ……あ、今日一緒に来てた女の子がパーティに入ってくれてから、すごくやりやすくなったんですよ」

二人一組(ツーマンセル)三人一組(スリーマンセル)とではやはり安定感が違う。クラネルさんがそう感じるのも道理ですね」

 

 微かに口角を上げたリューさんにこくりと頷く。

 会話はそこで終わり、沈黙が訪れる。だが、僕はこの空気が嫌いではなかった。

 リューさんの人となりはよく知っている。無理に会話を引き伸ばす必要などないのだ。

 

「ニャニャ!? 白髪頭とリューが仲良く皿洗いしてるニャ!?」

「くぅ~! リューの奴、ずるいのニャ! そのうちさりげなく少年のお尻に手を伸ばすに違いないニャ!」

「馬鹿なこと言ってないで働くよ! どやされても知らないからね!」

「……すみません、クラネルさん。アーニャとクロエには後できちんと謝らせますので」

「い、いえ。別に気にしてませんから」

 

 途中、そんなやり取りを挟みつつも次々と運ばれてくる食器を洗い続ける。

 結局、切り上げる機会を最後まで見失った僕は、閉店間際までお手伝いをすることとなった。

 

「お疲れ様です、ベルさん! 今日は本当にありがとうございました!」

「お疲れ様です、シルさん。次からはせめて先に何をするのか教えてくださいね?」

「えへへ、覚えておきます」

 

 ──あ、これ絶対覚えてないやつだ。

 

 悪戯っぽく笑うシルさんに呆れていると、お店の奥からミアさんが近付いてきた。ここからではよく見えないが、その手には何かを持っている。

 

「坊主、こいつを持っていきな」

「へ? わっ!?」

 

 突然投げ渡されたそれは、一冊の本だった。表紙にあるべき題名は記されていない。

 しかし、これがどんな代物なのか、僕は即座に理解した。

 

「あの、これって──」

「店を手伝わせちまった礼さ。アタシたちには無用の長物だからね、アンタにくれてやるよ」

 

 言うべきことは言ったとばかりに、ミアさんはさっさと店の中に戻っていってしまった。その背中を僕は見送ることしか出来ない。

 

「あの、本当にいいんでしょうか?」

「いいんじゃないですか? ミアお母さんもああ言ってることですし」

「……そうですね」

 

 きっとミアさんのことだ、今から返そうとしたところで「アタシは忙しいんだよ!」と相手にされないのは目に見えている。どういう意図があって僕にこの本をくれたのかは分からないが、貰えるのであれば大人しく貰っておこう。

 これは、それだけ価値のある物だから。

 

「じゃあ、そろそろ帰りますね」

「今日はありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」

「はい。おやすみなさい、シルさん」

「おやすみなさい、ベルさん」

 

 手を振るシルさんに手を振り返し、ようやく家路につく。きっと今頃、神様は僕の帰りを待ちくたびれていることだろう。

 早く帰って謝らなくては、そう思うと僕の足は自然と速くなっていた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「遅いぞベル君!!」

「本当にごめんなさい!」

 

 本拠(ホーム)に戻った僕を待っていたのは、案の定、怒り心頭となった神様だった。腕を組み、二つに括った黒髪すら逆立てて怒る神様に、僕は事情を説明し、ただただ頭を下げて謝ることしか出来なかった。

 どうにか神様を宥め終えると、ここにきて今日一日の疲労がどっと押し寄せてきた。このまま眠ってしまうのもいいが、しかしまだやるべきことがある。

 

「そういえばベル君、その本は一体なんなんだい?」

「あー、魔導書(グリモア)ですよ。お店を手伝ってくれたお礼に、ってことで貰ったんです」

「……へ?」

 

 なんでもないように言った僕の言葉に、神様の動きが停止する。

 魔導書(グリモア)

 言ってしまえばそれは、魔法の強制発現書である。『発展アビリティ』の『魔導』と『神秘』を極めた者だけが作成することが出来、その値段は【ヘファイストス・ファミリア】の一級品装備にも匹敵する。

 つまり、これを読めば僕は魔法を覚えることが出来るのである。

 

「ベ、ベル君、本当にそれは貰った物なんだよね? 使っても怒られたりしないよね? 後から何か言われたりしないよね?」

「お、落ち着いてください神様」

「これが落ち着ける訳ないだろう!? だって魔導書(グリモア)っていったら一冊何千万ヴァリスもするんだよ!? ただでさえヘファイストスに借金があるのに、これ以上増えたら堪ったものじゃないよ……!」

 

 半狂乱もかくやとばかりの神様。その気持ちは分からなくもないが、あのミアさんがくれたのだからきっと大丈夫な筈なのだ。多分。恐らく。

 気を取り直し、あらためて題名のない表紙をめくる。『自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・目指せマジックマスター編~』、『ゴブリンにも分かる現代魔法! その一』など、開幕からいきなり隣の神様がものすごい顔をしている。とはいえ、肝心の内容は健全そのものだ。

 ページをめくる。

 ページをめくる。

 ページを、めくる。

 

『さて、それじゃあ始めようか』

 

 ふと顔を上げると、そこには『僕』がいた。

 今よりも大人びた顔立ちと高い身長をしたその『僕』は、紛れもなく【英雄(アルゴノゥト)】と呼ばれていた頃の自分に他ならなかった。

 

『ベル・クラネル、君にとっての魔法は何?』  

 

 『僕』が僕に尋ねる。

 僕にとっての魔法、それは力だ。

 立ちふさがる敵を倒す。傷ついた人を守る。困難を乗り越える。

 魔法とはそのための力だ。

 

『君は魔法に何を求める?』

 

 雷霆のような速さを。

 そして猛炎のごとき雄々しさを。

 決して冷めることのない熱を。

 誰かの隣に寄り添える温もりを。

 僕は求める。

 

『相変わらずだね』

 

 どこか照れくさそうに『僕』が笑う。

 当たり前じゃないか。

 だって、僕は僕のままなんだから。

 

『それでこそ僕だ』

 

 頑張ってね、と。

 『僕』は最後に言い残し、すぅと溶けるように消えていった。

 

「──ル君、ベル君!」

 

 耳元で聞こえた神様の声にふっと我に返る。隣に目をやると、心配そうな顔をして僕を覗き込む神様がいた。

 

「神様……」

「よかったぁ。いきなり上の空になってボーッとし出したから、一体何事かと思ったよ……」

 

 そう言って安堵の息をこぼした神様は、「それで」と言葉を続けた。

 

「どうだった? 実際に魔導書(グリモア)を読んでみた訳だけど」

「……掴むべきものは掴みました。【ステイタス】の更新をお願いします」

 

 上着を脱ぎ、よしきたと意気込む神様に背を向ける。

 かつて僕が魔導書(グリモア)で覚えた魔法は【ファイアボルト】。詠唱いらずで魔法にあるまじき発動速度をした速攻魔法だった。この魔法に助けられた回数は数えきれないし、願わくはもう一度使えるようになれたらとも思う。

 しかし、きっと()()()()()

 漠然とした予感ではあるけれど、それでも以前と同じではないと、僕の中で何かが囁いていた。

 

「んん?」

「? どうかしましたか?」

「い、いや、なんでもないんだ。魔法はばっちり発現してるよ。今から君も魔法の使い手の仲間入りさ」

 

 おめでとう、と羊皮紙を手渡してくれた神様をお礼を言い、その中身に目を通す。

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:A822→864 耐久:E497→D534 器用:S936→984 敏捷:S914→968 魔力:I 0

 

 《魔法》

 【ケラウノス・ウェスタ】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・詠唱式【雷霆よ(ケラウノス)】。

 《スキル》

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続。

 ・懸想(おもい)の丈により効果向上。

 【英雄証明(アルゴノゥト)

 ・能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

「どうしてベル君が、大神(ゼウス)の雷を……?」

 

 【ステイタス】を読むことに集中していた僕は、そんな神様の呟きに気がつかなかった。

 



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第19話

 誤字報告をしてくださった方、ありがとうございます。


 すぅすぅと、規則正しい寝息が聞こえる。

 ベッドで深い眠りに落ちている神様とは対照的に、ソファーで横になる僕の目はすっかり冴えてしまっていた。

 その原因ははっきりしている。先程発現した新しい魔法だ。

 【ケラウノス・ウェスタ】。

 速攻魔法の【ファイアボルト】とは違う、僕の新しい力。一体どんなものなのか、想像を膨らませれば膨らませるほど、僕の胸は子供のように高鳴り、眠気など容易く吹き飛ばしてしまうのである。

 目を瞑り、寝返りを打つ。けれどすぐに目が覚めて、また寝返る。

 さっきからずっとその繰り返しだ。

 結局好奇心に負け、ベッドから起き上がるまでそう時間はかからなかった。

 

「……ごめんなさい、神様」

 

 聞こえていないのは承知の上で謝罪を残し、最低限の支度をしてダンジョンに向かう。誰もいないメインストリートを駆け抜け、とうとう1階層に辿り着いた。

 いよいよ試せる、そう思うと早鐘を打つ心臓が余計にうるさく感じた。何度も深呼吸を繰り返し、ようやく心を落ち着けたところで、視界の端に一体のゴブリンが入ってくる。

 魔法を試す相手としては格好の獲物だ。

 

「……よし」

 

 魔法とは名を呼んだだけで発動するものではない。速攻魔法などを除く大半の魔法は、それぞれ定められた詠唱式を唱えることで、初めて扱うことが出来るのである。そして、その威力や効果は詠唱の長さに比例するとも言われている。

 かつての魔法、【ファイアボルト】が詠唱なしであった僕にとって、詠唱のある魔法を使うのは今回が初めてとなる。そう考えるとまた興奮の熱が起こりそうになるが、あまり力んでは『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』などということも起こりかねない。最初の魔法で『魔法暴発(イグニス・ファトゥス)』など、格好がつかないにもほどがあるというものだ。

 落ち着いて息を吸い、そして吐く。

 顔を上げ、まっすぐ前を見据えながら、万感の想いと共に詠う。

 

「──雷霆よ(ケラウノス)

 

 瞬間、僕の周囲を蒼白の雷が走った。

 

「わっ!?」

 

 バチィ! という派手な音を至近距離で耳にした僕は、思わずその場から飛び退いてしまう。しかし驚いたのも束の間のこと、僕の周りを不規則に点滅する雷光に、言葉もなくしてただただ魅入ってしまった。

 その光はまるで精霊だ。消えたり現れたりする気まぐれな精霊が、僕を中心に踊っている。パチパチという弾けるような音は足音か何かとも思えてくる。

 

『ウウウゥ……!』

「はっ……そうだ」

 

 低いゴブリンの唸り声が立ち尽くす僕を現実に引き戻す。はっとなった僕は頬を叩き、あらためて意識を前に向ける。

 距離はおよそ一〇(メドル)といったところだろう。虚空を走る雷を警戒しているのか、近付いてくる気配は感じられない。

 【ケラウノス・ウェスタ】は付与魔法(エンチャント)、つまりアイズさんの使う『風』と同じ種類の魔法だ。全く同じといかないまでも、ある程度なら参考に出来る筈なのだ。

 

「アイズさんは、確か……」

 

 まず、アイズさんは『風』を纏っていた。その全身に纏った『風』で空を飛ぶ、あるいは武器に纏わせて攻撃力を強化したり、身を守る盾や鎧としても使っていたりした。

 対する僕の魔法では、恐らくアイズさんのように空を飛ぶことは出来ない。だが、それ以外の使い方なら模倣出来るかもしれない。

 

「纏う……纏う……」

 

 口に出し、自分に言い聞かせながら想像を固めていくと、周囲を走るだけだった雷に変化が表れた。耳を打つ音が近くなり、髪の毛が逆立って上を向く。四肢をはじめとして、僕の全身を雷電が包み込んだ。

 怖さはない。むしろこの光は温かくて、不思議と僕に安心感を与えてくれる。

 次に試すのは武器だ。鞘から抜き放った《神様のナイフ》に意識を集中させると、雷が刀身を這い、蒼白の輝きを帯び始めた。

 このナイフの材料は魔力伝導率の優れた『ミスリル』。付与魔法(エンチャント)である【ケラウノス・ウェスタ】とはとても相性のいい素材だ。意外なところで噛み合った武器と魔法に、思わず頬が緩むのを感じる。

 ひとまず準備は整った。後は試すのみである。

 

「さぁ、いくぞ」

 

 地面を蹴る。瞬間、脚部の雷光が小さく弾け、僕の動きを一気に加速させる。一〇(メドル)の距離が一瞬で詰まったことに驚きつつも、勢いを乗せて煌めく短刀を振り抜いた。

 斬撃を受けたゴブリンは一度大きく痙攣し、そして()()()()

 

『──』

 

 断末魔すら残せぬまま、蒼い炎に魔石ごと焼き尽くされるゴブリン。

 その様を見て、僕はようやくこの魔法を理解した。

 

 【ケラウノス・ウェスタ】。

 言い換えるなら、『聖火の雷霆』

 

 ただの雷属性の魔法ではない。この雷に打たれた相手は、立て続けに聖なる焔にも呑まれるのだ。

 攻撃性に富んだ雷と炎の複合魔法、これが【ケラウノス・ウェスタ】の正体だ。

 

「雷と……炎?」

 

 そのとき、ふと一つの可能性が頭を過り、辺りを見回す。

 近くにモンスターはいない。ならば狙うは壁だ。

 目を瞑り、左手を固く握り締める。光が収束し、バチバチと激しい音を鳴らし出す。

 思い起こすは不滅の炎。色褪せない記憶と共に、その名を高らかに吼える。

 

「──()()()()()()()()!!」

 

 左手を突き出し、解放。

 刹那、稲妻がジグザグに宙を駆け抜け、壁を焼き焦がした。

 

「……やった」

 

 出来た。

 再現出来た。

 魔法スロットを使わない、一つの『技』として、かつての魔法を使うことが出来たのだ。

 確かに焼き焦げた壁を見つめながら、僕は呆然と呟いた。そして、続いて込み上げてくる歓喜に拳を高く振り上げる。

 

「~~~っっっ!!」

 

 声にならない絶叫を上げ、しばらくその場に立ち尽くした。

 

 

 

     △▽△▽

 

 

 

 魔法のあれこれを試しつつダンジョンを進んでいると、いつの間にか3階層まで来てしまっていた。我ながら調子に乗りすぎたかと反省しつつ、消費した精神力(マインド)の回復のため、階層同士を繋ぐ階段に腰を下ろして休息する。

 魔法の使用には精神力(マインド)を消費し、精神力(マインド)が底をつけば精神疲弊(マインドダウン)となって動けなくなってしまう。たった一人しかいない現状、ダンジョンのど真ん中で倒れることは、すなわち死に等しい。

 

「……とりあえず、これからは精神回復薬(マジック・ポーション)も用意しておかないと」

 

 これはまだ確定した訳ではないが、【ケラウノス・ウェスタ】の魔力消費は非常に荒い。

 雷と炎という二つの属性を持ち、幅広い場面に対応する汎用性を兼ね備えたこの魔法は、率直に言ってとても強い。ただ、強力であるということはそれだけで相応の魔力を必要とする。加えて、付与魔法(エンチャント)は基本的に発動した状態を維持しなければならない都合上、どんどん魔力を食われてしまうのである。今の僕では魔法を最大限に活かそうとしても、そう長く保つことは出来ないだろう。

 

「まぁ、それも仕方ないことだよね」

 

 魔力量や魔法の威力は『魔力』のアビリティに依存する。そしてその『魔力』を伸ばすためには、とにかく魔法を使うしかない。

 これまで魔法を覚えていなかった僕の『魔力』は当然最低値のIであり、成長するまで不自由は避けて通れない道だ。こればかりはどうしようもない。

 なんにせよ、これで魔法の要領は掴んだし、ついでに課題も見つけられた。試行にしては十分な成果だ。

 欠伸を噛み殺しながら立ち上がり、踵を返した僕だったが、後ろから感じた気配にふと足を止めた。

 モンスターではない、これは人のものだ。

 

「……ベル?」

「ア、アイズさん?」

 

 足を止めて間もなく角の向こう側から姿を現したのは、なんとアイズ・ヴァレンシュタインさんその人だった。

 思わぬところでの出会いに、思考が白一色に塗り潰される。

 

「どうした、アイズ? そこに誰かいるのか?」

「うん。ベルがいるよ」

「ベル? む、君は……」

 

 そのアイズさんに続き、固まる僕の前に現れたのは、綺麗な翡翠色の長髪と杖を携えるエルフの──正確にはハイエルフの女性であった。

 【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴさん。

 【ロキ・ファミリア】をまとめる首脳陣の一人であり、オラリオ最強の魔法使いでもあるLv.6の冒険者だ。

 

「えっと、こんばんは」

「こ、こんばんは。こんな時間までダンジョンに潜ってたんですか?」

「うん。37階層まで、ちょっと」

 

 37階層。

 忘れもしない、そこはかつて、リューさんと二人で取り残されたダンジョンの深層だ。常に死と隣り合わせだった当時の恐怖は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。あれほど過酷な冒険をした経験は、過去を振り返っても数えるほどしかない。

 そんな場所まで『ちょっと』で行って帰ってこれるアイズさんは、やはり冒険者として超一流なのだとあらためて思わされる。

 ただ、身につけている鎧はボロボロになっており、激しい戦闘の跡が窺える。37階層でアイズさんほどの猛者がここまで消耗する相手となると──。

 

「ベルはどうしてダンジョンに?」

「えっと、それは……」

 

 思考はそこで中断される。アイズさんの当然の問いかけに、僕は言葉を濁した。

 話すべきか、誤魔化すべきか。

 いや、隠したところで遅かれ早かれバレるものはバレる。アイズさんとリヴェリアさんなら吹聴されることもないだろう。

 

「……実は魔法が使えるようになりまして、その試行というか、練習に」

「魔法が?」

 

 返答を受け、微かに瞠目するアイズさん。心なしか、その金の瞳が輝いているように見える。

 

「もう魔法まで覚えたんだ。おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 おめでとう。

 何気ない一言だが、アイズさん本人に言われたというそれだけで頬が緩む。

 そのときだ、ピキリと小さく音を立て、ダンジョンがモンスターを生んだのは。

 

「……アイズさん、ここは任せてもらえませんか? 少し見ていてほしいんです」

「え?」

 

 産声を上げるゴブリンとコボルトに、徒手空拳のまま近付いていく。剣の柄に手をかけたまま、怪訝そうな顔をするアイズさんを一瞥し、短く詠唱式を紡いだ。

 

──目覚め(おき)ろ、【雷霆よ(ケラウノス)

 

 蒼雷が、瞬く。

 

「これは……」

「超短文の詠唱、そして付与魔法(エンチャント)か」

 

 アイズさんとリヴェリアさん、二人の声を背に僕は走り出した。

 固く握り締めた右手を前に突き出し、その技を叫ぶ。

 

「ファイアボルト!」

 

 光速で放たれた一条の雷は二体のコボルトを穿ち、一拍遅れて火だるまにする。突然炎上し始めた同胞に怯むモンスターたち、その隙に一体のゴブリン目掛けて、電撃を纏った跳び蹴りを叩き込む。

 

『グォオオオオ!』

『グルァア!』 

 

 着地した位置は集団の真ん中。自ら飛び込んできた僕に対し、複数のコボルトとゴブリンが嬉々として爪を振り上げ、襲いかかってくる。

 そして今、最後の一体が射程へと踏み込んだ。

 

──迸れ、【雷霆よ(ケラウノス)】!

 

 収束、からの拡散。

 全身の魔力を膨らませ、無差別に放電、半径数(メドル)以内にいた全てのモンスターを一掃する。それに伴う盛大な炸裂音がダンジョンに反響した。

 数秒前まで怪物だった灰が宙を舞う静寂の中、魔法を解除して息をついた。それと同時に、僕の視界に逆立っていた前髪がはらりと下りてくる。

 

「……付与魔法(エンチャント)、なんだ。お揃いだね」

「そう、ですね。言われてみれば確かにお揃いです」

「……」

「……」

「……」

「……あの、アイズさん」

「いいよ」

 

 僕が言い終わる前に、アイズさんは手をかけていた細剣をゆっくりと抜き放った。鋭い銀の切っ先が、僕の方へと向けられる。

 

「私も、君とは一度やってみたかったから」

 

 その眼差しは、どこまでもまっすぐだった。

 

「ありがとうございます、アイズさん」

「ん。リヴェリア、立ち会ってもらっていい?」

「……いいだろう。ただし加減は忘れるな。やりすぎるようであれば即座に止めるぞ」

「うん。ありがとう」

 

 やれやれとばかりに肩をすくめながら、リヴェリアさんは双眸を細めて僕たちを見据えた。

 

「では──始めっ!」

 

 凛とした力強い声が、立ち込める沈黙を破る。

 それと同時に、僕たちは前へと大きく一歩を踏み出した。

 



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第20話

お待たせしました


「まさかこれほどとはな」

 

 感嘆の念を滲ませ、ポツリと呟くリヴェリア。

 目の前で行われている目まぐるしい応酬には、第一級冒険者である彼女の目をも見張らせるものがあった。

 

「ふっ……!」

 

 オラリオ最強の女剣士、アイズの繰り出す攻撃はことごとくが鋭く、そして速い。幼少期からアイズの成長を見てきたリヴェリアには、彼女が慣れない手加減をしようとしていることが分かるのだが、それでもLv.2程度の馬力は出ているようだった。

 加えて彼女には、十年近く冒険者として積んできた経験に裏打ちされた『技』がある。【ステイタス】では表せない諸々を全て含めると、第二級冒険者に匹敵していてもおかしくない。

 ただの下級冒険者であれば、いくら手加減されているとはいえ、アイズの前に立つことは数秒も出来なかっただろう。

 だが、ベル・クラネルはその枠に収まる器ではなかった。

 

「っ、はぁっ!」

 

 響き渡る金属音、それはベルがアイズの剣を防いでいる証拠に他ならない。

 己よりも数段は速いアイズに、ベルは必死になって食らいつく。一挙一動を見逃すまいと深紅(ルベライト)の瞳を絶えず動かし、巧みな短刀捌きで迫る切っ先を逸らしている。その表情に余裕はないが、しかし容易く倒れることはないと思わせる気迫があった。

 格上との戦いに慣れているのだろうなと、ベルを見てリヴェリアは思う。

 かの【剣姫】を相手に一歩も引かない少年の姿に、彼女は十日ほど前、『豊饒の女主人』での邂逅と当時のやり取りを思い出し、人知れず納得した。確かにこの少年ならば、ミノタウロスを単独で撃破したと言われても頷けると。

 

「あ」

 

 そんなときだった、何か鈍い音と共にアイズがすっとんきょうな声を上げたのは。

 

「あの、リヴェリア……」

「はぁ……。何故そこで私を見る……」

 

 まるで悪いことをしたのが母親にバレた子供のように狼狽えるアイズに、リヴェリアは眉間を押さえて深く嘆息する。

 少し離れたところに転がるベルと、その場に立ち尽くすアイズ。何が起きたのかは火を見るより明らかだった。

 アイズがベルを吹っ飛ばしたのである。

 大方、自分の動きについてくる少年に嬉しくなり、つい加減を誤ってしまったのだろう。なんとなくやらかすような気はした、というのはリヴェリアの偽らざる気持ちであるが、まさか本当にそうなるとは呆れてものも言えない。

 とはいえ、自らの監督不十分で起きた事故であることもまた事実。目に見えて落ち込むアイズのすがるような視線を受けたリヴェリアは、ゆっくりと倒れ伏すベルに歩を進める。

 

「っ……ぐぅ……!」

「……! 大丈夫か?」

「はい、なんとか……。いてて……」

 

 痛みに呻き声を漏らしながらもベルは体を起こし、瞠目するリヴェリアに向かって笑ってみせる。が、全くの無傷ではないようで、起き上がるとすぐに回復薬(ポーション)を嚥下した。

 

「ぷはっ。ごめんなさい。いきなりのことでびっくりしちゃって」

「……いや、それよりも本当に大丈夫なのか? 望むなら回復魔法もかけてやれるが」

「いえ、もう大丈夫です。加減の苦手な人にこうして転がされるのも、前はよくあることでしたし」

 

 答えながら在りし日を思い出したのか、ベルはばつが悪そうに苦笑した。

 ちなみに、戦闘以外でのポンコツが未来においても直ることはなく、ベルを吹っ飛ばす度に「……私はいつもやりすぎてしまう」と肩を落としていたとあるエルフは、現在住み込みで働く酒場ですやすやと眠っていた。

 

「よいしょ、と。アイズさん、続きをお願いします」

「……いいの?」

「はい。次は簡単にやられたりしませんから」

 

 未だに不安そうなアイズの前に立ち、ベルは目を瞑った。

 

──覚醒し(おき)ろ、【雷霆よ(ケラウノス)

 

 紡がれる詠唱、それと同時に蒼雷が瞬いた。処女雪を思わせる白髪が逆立ち、ゆっくりと開かれた瞳がアイズをまっすぐ捉える。

 

「──いきます!」

「っ」

 

 気圧された。

 僅かでも確かに。

 微かに息を呑んだアイズだが、愛剣《デスペレート》を構え、即座に迎撃の姿勢に移行する。

 突き出された短刀、それを軽やかにいなしたアイズは、右腕から迸る雷にすぐさま後退した。

 不意を狙った魔法による第二の刃から、恐るべき反射速度で逃れたアイズに、ベルはぐっと左手を伸ばし、吼える。

 

「ファイアボルト!」

 

 牙を剥くは蒼白の電撃。光速で宙を走る一撃を、アイズは《デスペレート》の一振りで打ち払った。そして、そのまま攻勢に転じる。

 第二級冒険者にも匹敵する速度で細剣が唸る。が、それは当たらずに紙一重で空を切った。続く二撃目、三撃目も僅かに届かず、ベルを捉えるには至らない。

 それまでほとんどを弾くか流すことしか出来なかったベルが、回避という選択を可能にしているのである。

 

「いいよ、ベル」

 

 同じ付与魔法(エンチャント)の使い手故か、綻んだ口から素直な称賛の言葉をこぼれる。

 

「もっと、もっと君を見せて」

 

 返事はない。その代わりに見せたのは──不敵な笑み。

 

「おぉおおお!!」

 

 ベルの四肢を包む輝きが一層強くなり、ここにきて更なる加速を生む。勢いのままに大きく足を踏み出し、一気にアイズへと肉薄した。

 鳴り響く剣戟の音は、数秒の間に十を優に上回る。

 短刀の持ち味である取り回しのよさを、己の技量と高まった身体能力とで最大限に発揮したベルは、目にも留まらぬ猛攻でアイズを防戦一方に追いやっていく。弱点である一撃一撃の軽さも、今は付与魔法(エンチャント)によって補われており、ぶつかり合う度に腕を伝う確かな重みに、アイズは内心で舌を巻いた。

 

 ──私も、応えなきゃ。

 

 レベルの差など関係ない、どこまでもまっすぐ、ひたむきに、全身全霊でもって立ち向かってくるベルに、アイズは己の闘志に今一度火がついたことを感じ取った。

 彼の前に立つ先達として、ここで退く訳にはいかない、と──。

 

──【目覚めよ(テンペスト)】!

 

 瞬間、大気が唸りを上げて逆巻き、ベルの小柄な体躯を木っ端のように吹き飛ばす。拡散した風はアイズのもとに集い、先の勢いが嘘のようにその体を優しく包み込んだ。

 付与魔法(エンチャント)【エアリエル】。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの誇る、風属性の魔法。威力、汎用性、持続力など、あらゆる要素が高い水準でまとまった万能魔法である。

 

「ゲホッ、アイズさん、それは……」

「ベルは魔法の使い方が上手。でも、まだまだ荒削り」

 

 だから、と。

 アイズの纏う風が金の長髪を揺らし、そして《デスペレート》と重なった。

 放たれる尋常でない威圧感に、ベルの頬を冷や汗が伝う。

 

「私が少し、見せてあげる」

 

 短く告げ、アイズはとんと地を蹴った。たったそれだけで、彼女はベルの視界から影も形もなく消え失せる。

 風を操っての爆発的な加速、言ってしまえばそれだけだ。

 問題はあまりにも速すぎること。予測して身構えていたベルですら、反応がまるで追いつかないほどに。

 

「ッ──!!」

 

 警鐘を打ち鳴らす本能のままに、ベルは左手足の雷電を起爆、強引に生み出した推力で身を捩る。その一瞬後、寸前まで立っていた地点を、《デスペレート》の切っ先が通過した。

 躱せた、と安堵したのもつかの間、吹きすさぶ風に煽られ、勢いよく地面を転がった。

 

「がっ……!」

 

 全身の節々に響く衝撃に顔を歪めながら、それでも素早く体勢を立て直すベル。

 だが、それすらも遅い。

 彼が顔を上げたときには既に、アイズは得物を構えていた。

 

「──」 

 

 間に合わない。

 肌を刺す濃厚な死の気配に、ベルは避けようのない無慈悲な現実を理解した。

 回避──不可。

 防御──不可。

 魔法で迎撃──不可。

 加速した思考が無数の選択肢を提示するものの、それらのことごとくが却下されていく。

 死神の大鎌が、ゆっくりと振り下ろされる。

 

「やりすぎだ、馬鹿者」

 

 振りかぶられた細剣は、しかしベルに届くことはなかった。

 彼の視界いっぱいに、翡翠色の髪が舞う。

 リヴェリア・リヨス・アールヴ、立会人を務めていた彼女が、ここでついに動いたのである。

 

「リ、リヴェリア……」

「アイズ、そこになおれ」

「え……?」

「聞こえなかったか? なおれと言っているのだ」

「いや、あの……」

「アイズ」

「……はい」

 

 怒気を孕んだ母親(ママ)の眼光には、流石のアイズも従う他なかった。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 リヴェリアによるお説教は、それからたっぷり一時間近く続いた。

 加減の失敗についてはまだいい。魔法の使用についても目を瞑ろう。だが、相手方に致命傷を負わせる一歩手前までいったことは、いくら同意のもとに行われた模擬戦とはいえ、流石に見過ごせることではなかった。

 ベルは他派閥の冒険者、付け加えるなら【ヘスティア・ファミリア】唯一の団員だ。たった一人しかいない家族を失ったヘスティアが深い悲しみに暮れること、またベルを手にかけたアイズ、及び彼女の所属する【ロキ・ファミリア】が重大な責任を問われることは想像するに難くない。更には【ロキ・ファミリア】をよく思わない者たちがこの事件を持ち上げ、都市最大の座から引きずり下ろさんとすることもあり得る。

 多少盛られた部分はあれど、おおよそこういった内容の話を滔々と説かれたアイズは、顔を真っ青にして涙目の状態となっていた。

 都市最強の女剣士にして数多の冒険者が恐れ敬う【剣姫】も、戦場以外ではまだ一六歳の少女に過ぎない。それどころか、精神面では同年代と比べて幼くすらあるのだ。リヴェリアの語る現実味を帯びた最悪の事態に、アイズはすっかり意気消沈して力なく俯いた。

 

「……あの、アイズさん。僕、全然気にしてませんから。だからその、あんまり気を病まないでください」

「でも……リヴェリアがいなかったら、私、ベルのこと……」

 

 あまりの落ち込み様に見かねたベルが声をかけるも、アイズは目を伏せて塞ぎ込んでいる。

 無論、アイズにベルを害するつもりなど毛頭なかった。彼女にあったのは、臆することなく向かってくるベルに対する敬意と喜び、そして先達として後進にいいところを見せてやろうという、年相応の可愛らしいやる気だけだ。そこへ心の中の幼い彼女(アイズ)が声高に声援(エール)を送るものだから、つい力を出しすぎてしまったのである。

 落ち込むアイズの姿にどうしたものかと思案すること数十秒、咳払いをしたベルはアイズの正面に回り込み、その金色の瞳を覗き込んだ。

 

「アイズさん、また機会があれば、こうして手合わせしてもらえませんか? もっと僕に魔法のこととか、教えてほしいんです」

「え……?」

 

 ベルの言葉にアイズの眼が見開かれた。

 下を向いていた顔が、自然と前へ上がっていく。

 

「だけど、私は、ベルを……」

「誰にだって失敗の一つくらいありますよ。確かにもう駄目かなって思いましたけど、リヴェリアさんに助けてもらって無事ですし。わざとじゃないなら、僕から言うことは何もありません」

 

 ベルはそっとアイズの手を取った。

 

「だから、アイズさんさえよければ、また僕に付き合ってもらえませんか?」

「……本当に、私でいいの?」

「はい。僕はアイズさんがいいんです」

 

 ぎゅっと、繋がった手に力が込められる。

 そこから伝わる温もりは、アイズの逡巡を容易く打ち消した。

 

「……うん。ありがとう。私でよければ、喜んで」

「はいっ。よろしくお願いします、アイズさん」

 

 沈んでいたアイズの表情がゆっくりと普段の調子に戻り、そして笑みを見せる。

 その様子を見届けたベルはほっと胸を撫で下ろし、アイズに倣って朗らかに笑った。

 

「……本当は止めるべきなのだろうな」

 

 他派閥の冒険者と個人的な関係を持つことは、【ファミリア】の活動に支障を来す他、多くの場合、何かしらの問題が起こるため控えるべきとされている。ましてやアイズは【ロキ・ファミリア】の幹部、軽率な行動は慎まなければならない立場だ。

 【ファミリア】の副団長としてリヴェリアがすべきことは、アイズを止めることである。だが、いつにもまして柔らかな雰囲気の彼女を見ると、このまま正論で否定するのも酷であるように思われた。

 故に、リヴェリアはアイズを止めようとする自らに言い聞かせる。これは罪滅ぼし、ミノタウロスの一件と今回の件、二度も命の危機に陥らせてしまったベルに対する贖罪なのだと。

 ふっと息をついたリヴェリアの口元は、微かだが確かに緩んでいた。

 



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第21話

 2章も(多分)後半戦へ。


「甘い」

 

 振り下ろされた巨大な剣を猪人(ボアズ)の武人、オッタルは軽々と受け止め、弾き返す。

 生じた凄まじい衝撃に、()()()()()()()()()()()()()()の巨体が宙を舞い、背中から地面に落下した。

 

『ヴォオオオオ!?』

「……足りんな、これでは」

 

 苦悶らしき悲鳴を上げるミノタウロスを見下ろしながら、オッタルは吐き捨てるように呟く。

 女神フレイヤの命を受けたオッタルが、この17階層でミノタウロスの『教育』を開始して、およそ一週間が経過する。群れの中から厳選され、都市最強の冒険者が直々に鍛え上げたこのミノタウロスは、通常の個体を優に上回る力と、そして知恵をつけるまでに至っていた。

 だが、これでは足りないとオッタルは頭を振る。

 思い出すのは十日ほど前に行われた怪物祭(モンスターフィリア)でのこと。シルバーバック、ソード・スタッグという格上のモンスターを立て続けに撃破した少年のことだ。

 フレイヤに見初められたかの少年に試練を与える、それがオッタルの賜った使命だ。そしてオッタルには件の少年がただのミノタウロス程度、容易く打ち倒すであろうことは目に見えていた。加えて、少年には魔導書が送られるともなれば、鍛えた個体でも怪しいと言わざるを得ない。

 それでは駄目だ。

 最初から勝ち目のある試練など、器を昇華させるに足る『冒険』にはなりはしない。

 

「……これを喰らえ」

『オォ……?』

 

 もがくミノタウロスの前に投げられたのは、大小様々な紫紺の欠片、魔石であった。

 意味が分からず戸惑うミノタウロスは魔石とオッタルに交互に目をやり──やがて魔石を喰らった。

 瞬間、変化が訪れる。

 

『ォ──オォオオオォオオオオオオ!!』

 

 突如として全身を漲る力に咆哮するミノタウロス。勢いよく立ち上がり、荒い息をこぼすその体からは、薄く煙のようなものが揺らいでいた。

 魔石を喰らったモンスターは強くなり、やがて『強化種』となる。冒険者の間では広く知られており、同時に恐れられていることでもある。『強化種』は従来の個体を遥かに凌駕する力を持ち、場合によっては上級冒険者揃いの精鋭すら返り討ちにすることもあるからだ。

 喰らった魔石が少量であったが故に『強化種』とまではならなかったものの、ミノタウロスは確かにその力を増した。その事実に、オッタルは薄く笑む。

 

「そうだ、それでいい」

 

 ──試練とは、『冒険』とは、かくあるべきだ。

 

 迷宮都市オラリオ最強の冒険者、【猛者(おうじゃ)】による『教育』が、今一度始められた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「ベル君、顔色が少し悪いようだけど大丈夫かい?」

「あー……少し寝不足ですけど、一応問題はないです」

「気をつけるんだよ? 無理しちゃ駄目だぜ?」

「はい。それじゃあいってきます!」

 

 朝から神様とそんなやり取りを交わし、いつものように本拠(ホーム)を出る。

 魔法の練習とアイズさんとの模擬戦で蓄積した疲労は、数時間の睡眠では抜けきってはくれなかった。今も体がどことなく怠く、頭痛も併発している。

 とはいえ、こんなことで弱音を吐いていられない。我慢出来ないほどでもないため、いつも以上に注意していけば問題はないだろう。

 

「さて、と」

 

 待ち合わせ場所である中央広場(セントラルパーク)に向かう前に、寄らなければいけないところがある。

 西のメインストリートから少し外れた路地裏、五体満足の人を模した【ファミリア】の紋章(エンブレム)が看板のように飾られたそのお店は、治療と製薬を専門とする【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『青の薬舗』という。

 

「おはようございまーす」

「ん、ベル。いらっしゃい……」

 

 木製の扉を開けると小さく鈴の音が鳴り、薬棚に向いていた犬人(シアンスロープ)の女性がゆっくりと振り向いた。その目は半分ほどしか開いておらず、抑揚の少ない声の調子もあって相変わらず眠たそうな印象を受ける。

 

「ご無沙汰してます、ナァーザさん」

「久しぶりだね。十日ぶりくらい? なかなか顔を出してくれないから寂しかった……」

「すみません。でも、頻繁に怪我をしていたらこっちの身が堪りませんから」

「それもそっか。で、今日は何か入用?」

 

 ナァーザさんは微笑を浮かべ、ゆらりと肌触りのよさそうな尻尾を揺らした。

 

回復薬(ポーション)精神回復薬(マジックポーション)を二本ずつ。あと栄養剤を一ついただけますか?」

精神回復薬(マジックポーション)? 魔法でも覚えたの……?」

「えぇ。でも魔力の消費が荒いみたいで、いざってときのための備えが欲しいなぁと」

「それはいい判断。ダンジョンで精神疲弊(マインドダウン)を起こせば、ほぼ間違いなく死んでしまうから……」

 

 お得意様がいなくなるのは私も悲しい、と。

 数ある棚から五本の試験管を用意しながら、ナァーザさんはぽつりと呟いた。

 

「はい。合計一八〇〇〇ヴァリス」

「……あれ? それじゃ足りなくないですか?」

「ベルはお得意様だから特別。それに、前は悪いことをしてしまったし……」

 

 気まずそうに身動ぎしたナァーザさんは、半分ほど瞼の下りた目を伏せた。

 ナァーザさんの言う『悪いこと』とは、かつてされた回復薬(ポーション)の品質詐欺のことだ。二度目ということですぐに見破って事なきを得たため、僕自身はあまり気にしていないのだが、騙そうとしたナァーザさん本人は未だに後ろめたいところがあるらしかった。

 

「いいんですか? 割引出来る余裕なんてあまりないんじゃ……」

「うん。けどその代わり、これからもうちを利用してくれることが条件。ベルが来てくれれば、ミアハ様も喜ぶから……」

「……分かりました。約束します」

 

 受け取った回復薬(ポーション)類を懐にしまい、栄養剤をその場で飲み干す。

 倦怠感や頭痛に効果があるかは分からないが、少なくとも何もしないよりはいい筈だ。

 

「ナァーザ、少しいいか……む、おおっ、ベルか。よく来てくれたな」

「おはようございます、ミアハ様。お邪魔してます」

「うむ。いつも『青の薬舗』を贔屓にしてくれて感謝するぞ」

 

 奥の扉から顔を出したのは長身の男神、ミアハ様だ。

 僕を視界に収めるなり、ミアハ様はふっとその表情を綻ばせた。

 

「……そうだ。ミアハ様、これを」

 

 その顔を見てここですべきことを思い出した僕は、しまったばかりの財布から三〇〇〇ヴァリスほどを取り出し、ミアハ様に差し出した。

 

「ん? ベル、この金はなんだ?」

「以前ミアハ様からいただいた回復薬(ポーション)のお代です。やっぱり、無料っていうのは申し訳なくて」

「はぁ……。ミアハ様、そういうのはやめてって言ったのに……」

 

 ナァーザさんの冷ややかな視線がミアハ様の背中に刺さり、その頬を一筋の汗が伝っていく。「いや、ナァーザ、これはだな」と口を開くも、既にナァーザさんは顔を背けて聞く耳を持たない様子だ。

 

「むぅ……。ベルよ、すまなかったな。よかれと思ってしたことが、かえって迷惑をかけてしまったようだ」

「迷惑なんてそんな。僕もミアハ様の回復薬(ポーション)には危ないところを助けられましたから。だからこれは、その正当なお礼です」

 

 僕の言葉にミアハ様は考えるような素振りを見せ、やがて小さく頷いた。

 

「……分かった。そなたがそう言うのであれば、ありがたく受け取っておこう」

「はい。よければナァーザさんと二人で、何か美味しいものでも食べてください」

「なるほど、それはよき考えだ。ぜひそうさせてもらうとしよう」

 

 ミアハ様がすんなりとお金を受け取ってくれたことに、内心で胸を撫で下ろす。

 これでやるべきことは終わった。少し名残惜しいが、そろそろ行かなくては時間に間に合わなくなりそうだ。

 

「それじゃあ、僕はもう行きますね。お邪魔しました!」

「気をつけてね、ベル……」

「うむ。無理は禁物だぞ」

 

 二人の声を背に受け、『青の薬舗』を後にした。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 燦々と輝く太陽の下を走り、辿り着いた中央広場(セントラルパーク)。朝から多くの冒険者たちが行き交う中において、赤髪の背中は分かりやすい目印となっていた。

 

「ヴェルフ、おはよう」

「おう。今日もよろしくな!」

 

 噴水の近くに佇んでいたヴェルフと合流し、懐中時計で時間を確認する。時針は待ち合わせ時間の数分前を指しており、どうやら遅刻という事態は回避出来たようだ。

 

「リリはまだ来てないの?」

「あぁ。いつも時間前には来てるっていうのに、珍しいこともあったもんだよな」

 

 彼女に何かあったのだろうかと、首をかしげたそのときだった。

 

「おい、そこのガキ」

 

 長剣を背負ったヒューマンの男が、僕たちの前に姿を現した。

 この声と口調、記憶が正しければ、以前摩天楼(バベル)で揉めた冒険者だ。

 

「まさかこんなとこで会うとはなぁ。忘れたとは言わせねぇぞ」

「……何か用ですか?」

「チッ、澄ました面しやがって。まぁいい。知ってるぜ? お前ら、アーデの奴と組んでるんだってな」

「それがどうかしたのかよ?」

 

 いまいち要領を得ない男の問いに、ヴェルフが眉根を寄せる。

 男は相も変わらず、ニヤニヤと不気味に笑っていた。

 

「ちょいと手を貸せ。あいつを嵌めてやるんだ」

「──ッ!」

 

 浮かんでいた予想の中でも最低の部類に入る答えを当たり前のように口にした男に、思わず拳を握り締める。

 そんな僕に気付いた様子もなく、男は話を続けた。

 

「楽な仕事さ。お前らはいつも通り、アーデとダンジョンに行けばいい。そこであいつを孤立させてさえくれりゃ、残りは俺がやって終わりだ」

「……そんな話、俺たちが頷くとでも思ってんのか?」

「うるせぇな。口答えしてんじゃねぇぞ。大人しく俺の言うことに従え。それで金が手に入るんだ、いい儲け話だろうが」

 

 内側からふつふつと怒りが込み上げる。噛み締めた奥歯が、ギリッと音を立てた。

 ここにヴェルフがいてくれてよかった。同じ思いの人が隣にいるという事実が、血の上った頭に少しの冷静さを与えてくれている。

 

「大体、代わりになるサポーターなんて他に掃いて捨てるほどいるんだ。あいつ一人消えたところでなんてことないだろ?」

「てめぇ……!?」

「ヴェルフ、もう行こう。これ以上聞かない方がいい」

 

 そうでなければ僕かヴェルフか、どちらかが必ず我慢出来なくなる。避けられる騒ぎは避けるべきだ。

 

「おい、話はまだ──」

 

 額に青筋を浮かべた男が声を荒らげ、僕の肩を掴む。

 僕は即座にその手を払い、正面から男を睨みつけた。

 

「リリは僕たちの大切な仲間だ。あなたの話には絶対に乗らない……!」

「っ……馬鹿が。あいつだって結局は俺たちと同じ穴の狢なんだ。金さえ手に入りゃ、すぐに裏切るに決まってるぜ……!」

「リリは、あなたたちとは違うっ!!」

 

 大声を叩きつけると男は狼狽えて一歩後ずさった。その隙にヴェルフを連れてこの場を離れる。

 確かにリリはこれまで悪事を働いてきたかもしれない。だが彼女を虐げ、搾取し、悪行に手を染めるきっかけとなったであろう連中が、彼女と同じであるものか。

 

「おいベル、あれ見ろよ」 

「……リリ」

 

 不意にヴェルフが立ち止まり、とある方向に指を指す。

 広場の中心から外れた一角、そこにある木陰にリリの姿と、彼女を囲むように立つ三人の冒険者らしき男を確認した。険しい形相で口々に言い放つ男たちと必死に首を横に振るリリの様子は、遠目から見ても到底穏やかな雰囲気とは言えない。

 

「早く出せ! もたもたするな!」

「で、ですから、リリが持ってるのは本当にこれだけなんです……」

「嘘をつくな、このクソ小人族(パルゥム)! お前が最近稼いでるのは知ってんだぞ!」

「さっさと出さねぇと、また痛い目をみることになるぜぇ?」

 

 近付くにつれて鮮明になっていく会話の内容は、あまりに酷く醜悪なものだった。怒りのあまり、全身が燃えるような熱を帯びる。

 さっと横目でヴェルフを一瞥、彼が間髪入れずに頷いたことを見てから、一気にリリと男との間に割り込んでいく。

 

「リリ!」

「リリスケ!」

「っ、ベル様、ヴェルフ様……」

「あぁ? なんだお前らは?」

 

 突然の乱入者に声を上げる男たちには目もくれず、リリの手を引いて数(メドル)ほど距離を取る。これで向こうが急に動いたとしても対応が間に合う筈だ。

 

「俺たちはそのガキと話してる最中なんだ。邪魔すんじゃねぇぞ!」

「話? 恫喝の間違いだろ? いい歳した野郎が子供に寄ってたかって、恥ずかしくないのか?」 

「なっ!? こいつ!」

 

 漂う空気はまさに一発触発、僕の手を握るリリの力が微かに強くなった。そんな彼女の手をそっと握り返しつつ、男たちから目を離さない。

 男たちは体格こそ恵まれているが、服の上からでもあまり鍛えていないことがよく分かる。間違いなくLv.1の下級冒険者、それもごろつきが『神の恩恵(ファルナ)』を得て強くなった程度のものだ。もしこのまま正面から当たるような事態になったとしても、僕とヴェルフなら負けることはまずない。

 

「そこの人たち、一体何をしているのですかっ!」

 

 と、そこまで思考を張り巡らせていたところに、聞き覚えのある女性の声が飛び込んできた。はっとなって顔を上げた視界の端に、ギルド職員の制服が映る。

 

「あ、危な──」

「おい、ギルド職員だ!」

「早く行くぞ! 捕まっちまうと面倒だ!」

「くそっ、ついてねぇ!」

「あっ、こら! 待ちなさい!」

 

 危ないから来ないでください、と。

 こちらに向かってくるその人に叫ぼうとした直後、男たちは一目散に逃げ出していった。僕たちが呆気に取られる中、その背中は人混みに紛れてすぐに見えなくなる。

 

「もう、全く……。ベル君、大丈夫? 怪我はない?」

「え? あ、はい。大丈夫です」

「そう? ならよかった」

 

 僕の返事にギルド職員、エイナさんは安心したように息をつく。が、すぐに面持ちを真剣なそれに戻した。

 

「さっきの人たち、ベル君の知り合いじゃないよね? 逃げられちゃったし、出来れば少し話を聞きたいんだけど……」

「は、はい。それはいいんですが、よかったら場所を変えたいかなって……」

 

 先の騒ぎとエイナさんの登場が合わさり、さっきから痛いほどの視線が向けられている。この状況で話をするというのは、なかなかに堪えるものがある。

 

「うん。じゃあ、悪いけど本部の方に来てもらってもいいかな?」

「分かりました。二人もそれでいい?」

「あぁ。早くダンジョンに行きたいところだが、こうなっちまったもんは仕方ないしな」

「……はい」

 

 先導するエイナさんに従い、僕たちもまたそそくさとその場を後にした。

 



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第22話

 お久しぶりです。更新します。

 これまで『ホーム』というルビを『本拠地』という単語に当てていましたが、原作を読み直したところ、正しくは『本拠』であることに今更ながら気付きましたので、訂正させていただきます。


 ギルド本部の一角にある円形の机を囲むように座ったところで、エイナさんが「さて……」という前置きと共に眼鏡を軽く持ち上げた。

 

「色々聞きたいことはあるけど、まずは一体何があったのか、最初から教えてもらっていい?」

「はい。僕たち三人がパーティを組んでダンジョンに挑んでいるのは、エイナさんもご存知だと思います。それで今日もいつも通り、朝から待ち合わせをしてダンジョンに向かうつもりでした」

「うん、それはよく覚えてるよ。パーティが三人になりましたって、すごく嬉しそうに報告しに来てくれたもんね」

 

 エイナさんの微笑ましさに満ちた視線に気恥ずかしさが込み上げる。右にいるヴェルフも、何故かにやにやと意地悪そうに笑っている。

 なんとも微妙な空気を戻すため、一度大きく咳払いをした。

 

「と、とにかく、僕らは三人でダンジョンに行く予定だったんです。けど、待ち合わせの時間になってもリリが来ませんでした。リリはパーティを組むようになってから遅れたことなんてなかったので、ヴェルフとどうしたのかなって話していたら……」

「知らない冒険者に声をかけられたんだ。それも、俺たちが揉めてた連中とは別の奴にな」

「……つまり、ベル君とクロッゾ氏は私が見たあの場面より前にも、別の冒険者に絡まれていたってこと?」

 

 確認するようなエイナさんの言葉に、僕とヴェルフは肯定の意を示す。

 エイナさんはそれを受けて少し悩んだような素振りを見せると、手元の羊皮紙にさらさらと何かを書き込んだ。

 

「それで、その人はなんて言って二人に絡んできたの?」

「それは……」

 

 言いよどんだ僕は左側の席に座る、先程から下を向いたままのリリを一瞥する。

 果たして本当のことを言っていいものかと躊躇いが生まれるも、ここにきて今更嘘をつくことは出来ない。

 腹を決めたところで顔を上げ、エイナさんの緑玉色(エメラルド)の瞳を正面から見据えた。

 

「リリを、罠に嵌めないかと言ってきました」

 

 ビクッと、リリの小さな肩が目に見えて跳ねた。

 エイナさんは不快感に眉をひそめつつも、据わった目で続きを促してくる。

 

「僕たちはすぐに断ってその場から離れました。そうしたら、三人の冒険者にリリが囲まれているところを見つけて……聞こえてきた会話の内容に我慢出来なくて、割って入っていって……」

「そこに私が来た、と……。うん、ありがとう。おおよそのことは把握出来たよ」

 

 羊皮紙への書き込みを終えて微笑するエイナさんは、そのままリリへ視線を移した。

 

「リリルカ・アーデ氏でよろしいですね? ギルド職員を務めるエイナ・チュールです。早速ですが、あなたに言い寄ってきた三人の冒険者に心当たりはありますか?」

「……あの人たちは、【ソーマ・ファミリア】の冒険者です。昔から何かと理由をつけて脅してきたり、リリからお金を取っていくんです。リリは【ファミリア】の中でも弱いサポーターですから、今まで何度もやられてきました」

「……神ソーマは、何も言われないのですか?」

「言いませんよ。ソーマ様は、お酒を造ることしか頭にない方ですから」

 

 半ば吐き捨てるように告げたリリは、それから【ソーマ・ファミリア】の現状と、そこにおける自らの立ち位置について、おもむろに語り始めた。

 曰く、【ソーマ・ファミリア】の団員は、主神のソーマ様が造る『神酒(ソーマ)』に取りつかれている。

 曰く、『神酒(ソーマ)』はより多くの金を納めた一部の者にしか与えらず、それ故に団員は金を稼ぐことしか頭にない。

 曰く、彼らは金のためなら手段を選ばず、リリのような一人では戦えないサポーターをいいように使い、そして搾取している。

 最初こそ『神酒(ソーマ)』に魅了され、取りつかれていたリリも、辛い日々にいつしか正気を取り戻した。全てを捨てて逃げ出したこともあったが、結局はそれも失敗し、サポーターに戻ることを余儀なくされてしまったという。

 

「【ファミリア】を抜けるには多額の脱退金が必要です。けれどリリの手元に入ってくるお金なんて微々たるもので……必要額には、とても届きそうにありません」

「……ひでぇ話だな」

 

 沈んだ空気の中、この場にいる僕たちの気持ちを、ヴェルフの一言が代弁していた。

 

「……申し訳ありません。リリのつまらない私情に付き合わせてしまって。どうか弱小サポーターの笑い話として、聞き流してください」

 

 そう言ってリリは笑った。

 僕にはそんな彼女が、酷く泣きそうな顔をしているように見えた。

 あまりの痛ましさに、胸の奥が苦しくなる。

 

「そんなこと、言わないでよ」

 

 喉から出た声は、沈黙で満たされていたこの場に驚くほどよく通った。

 リリが、ヴェルフが、エイナさんが、一斉に僕の方へと顔を向ける。

 

「さっきのリリは、すごく辛そうな顔をしてた。話すのも苦しそうだった。それなのに、つまらない私情だとか、笑い話だとか、自分を蔑ろにするような言葉なんて、言ってほしくないよ」

 

 込み上げる思いは気を緩めれば際限なく溢れてしまいそうで、それらを一旦留め、整理し、ゆっくりと語りかける。

 

「リリが僕たちのことをどう思ってるかは分からない。けど、少なくとも僕たちは、リリのことを大切な仲間だと思ってる。仲間が困っているなら、力になりたいんだ」

「……どうしてですか? リリは、ただのサポーターです。このオラリオにはリリの代わりなんて、それこそ掃いて捨てるほどいるんですよ? こんな傍迷惑な事情を抱えたサポーターに、どうしてそこまでしようとするんですか?」

「はははっ、なんだリリスケ。そんなことも分からないのか?」

 

 その物言いにリリがヴェルフを睨むが、当人は全く堪えた様子がない。ただいつものように、にっと白い歯を見せるだけだ。

 

「さっきベルも言ってたろ、仲間だからだ。簡単なことじゃねぇか」

「……それだけ、ですか?」

「なんだ、納得いかなかったか? 理由としては十分だと思うんだがなぁ」

 

 ちらと僕の方を一瞥したヴェルフに、頷きを一つ返す。

 仲間だから。

 小難しい理屈なんて必要ない。どんな含むところがあったとしても、リリは僕たちを支えてくれた大事な仲間で、そんな彼女が困っているなら力になりたい、助けてあげたい。

 一日でも一秒でも早く、心から笑えるようになってほしい。

 ただ、それだけなのだ。

 

「……信じられません。そんなの、絶対嘘に決まってます」

 

 しかし、そんな想いは届かない。

 

「リリは、冒険者が大嫌いですっ。自分より弱いリリに酷いことばかりして、何もかもを奪っていって……! 今までリリを見捨ててきた冒険者を、今更信じられる訳がないじゃないですかっ!」

「っ、リリ!」

 

 椅子を蹴飛ばし、涙を流しながら走り去っていくリリの背中を、僅かに遅れて追いかける。後ろからヴェルフとエイナさんが何か言っているが、耳を傾けている余裕はない。

 幸いにもリリは大きなバックパックを持つ小人族(パルゥム)と、少し離れていても一目で分かる姿をしている。そして体力、『敏捷』の【ステイタス】も共に僕の方が上であり、このまま追いかけていればいずれは追いつけるだろう。

 だが──。

 

「おい、危ねぇだろ!」

「す、すみません!」

 

 メインストリートを行き交う人は今日も多い。いくらリリの後ろ姿が分かりやすいとはいえ、気を抜けばすぐ見失ってしまいそうだ。加えて、道行く人々にぶつからないようにしながら追いかけるとなると、思っていた以上に気を遣う必要が出てくる。

 しかし弱音を吐いている余裕はない。

 ここでリリを見失えば、きっともう二度と会えなくなる。

 確信に近い予感が、僕の足を動かし続けた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 リリの追跡は困難を極めた。

 かさばるバックパックを背負っているとは思えないほど軽やかな足取りで人を避け、入り組んだ路地ばかりを選んで逃げ回る彼女を追いかけるのは、決して簡単なことではなかった。途中、何度か撒かれそうになりながらも見失わずに済んだのは、幸運の味方に依るところが大きい。

 とにもかくにも、時間の経過も忘れて走り回った結果、どうにかリリの手を掴むことが出来た。その頃にはお互いに息が完全に上がっており、僕たちはしばし無言で息を整えることとなった。

 

「ふぅ……ふぅ……! やっと、追いついたよ……!」

「はぁ……はぁ……。ベル様、しつこすぎます……。どうして……リリに構うんですか……!」

「どうしてって……やっぱり、放っておけないからだよ」

 

 人気のない路地裏、そこで二人並び、壁に背中を預けて座り込む。

 逃げることは諦めたのか、手を離してもリリが逃げる気配はない。

 

「この際だからはっきり言わせていただきます。ベル様のお気持ちは、迷惑です」

「……」

「力になりたいだとか、仲間だからだとか、そんなこと言われても信用出来る訳がないありません。安い同情と正義感でものを言うのは、やめておいた方が身のためですよ」

「ははっ、手厳しいなぁ」

 

 苦笑に喉を鳴らすと、リリは「……ふざけてるんですか?」と眉をひそめた。

 強く拒絶すれば大人しく引き下がると思っていたのかもしれない。だが、このくらいの拒絶で断念するほど、僕の決心は鈍いものではない。

 

「迷惑でもやめるつもりはないよ。リリの事情を知った以上は、見て見ぬ振りなんて出来ない。僕もヴェルフも、リリの力になりたいんだ」

「……それは、リリが仲間だから、ですか?」

「うん。少なくとも、僕たちはそう思ってるよ」

「……リリは、ベル様たちを仲間だなんて思っていません」

 

 そう言って俯いたリリの表情は、ここからは伺えない。

 それからしばらく、僕は四角く区切られた空を見上げていた。

 雲行きはよくない。本拠(ホーム)を出たときは、よく晴れていた筈なのに。もしかすると、じきに一降りするかもしれない。

 

「──お前なんかと出会わなければよかった」

「え……?」

「昔、リリが言われた言葉です。大好きだった花屋のお爺さんとお婆さんに」

 

 路地裏に立ち込める静寂に、リリの言葉が響く。

 僕は何も言わず、黙ってその声に耳を傾けた。

 

「どれだけ優しくしてくれた人でも、最後にはリリを見限りました。非難と嫌悪に満ちた視線で、リリのことを拒絶するんです。ベル様たちがそうはならないなんて保証が……一体どこにあるというんですか?」

「……」

「もう、嫌なんです。たくさんなんです。誰かを信じて、期待して、最後に裏切られるのは」

 

 ポツリと、降り始めた雨粒が石畳を濡らした。

 勢いは決して強くない、けれど冷たい雨は確かに僕たちの身を打ち、熱を奪っていく。

 

「……もう、行きますね」

 

 膝を抱えていたリリがすっくと立ち上がり、僕の方を見ずに告げる。小さな背中をこちらに向けた彼女は、やがておもむろに一歩を踏み出し──。

 

 

 

「僕は、待ってるからね」

 

 

 

 その一言に、動きを止めた。

 

「明日も、明後日も、その次の日も、いつも集まったあの場所で待ってるから」

 

 だから、

 だから、

 

「さよならは言わないよ」

「……」

 

 返事はない。僕の言葉を最後まで聞き終えたリリは、そのまま脱兎のごとく走り去っていってしまった。

 もう足音も聞こえない。耳を打つのは、静かな雨の音だけだ。

 

「……少し、寒いかな」

 

 こぼれた呟きは、誰の耳に入ることもなかった。

 



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