けものフレンズR  Returning a favor (社畜狂戦士)
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りぐれっと
狩人


…なぜ、かなしいのだろう

なぜ、くるしいのだろう


おもいだせない…

…おもいだしたくない


わからない

けれどわすれていたくない


わたしは…

わたし、は……


―――ォオ――オオォォォ――オオオォ――……

 

 

 

暗く、押しつぶすように暗く。

分厚い雲と吹き荒れる風。

 

高く低く、叫ぶように。

夜の山風が降り積もった雪を蹴散らして疾る。

 

横たわる岩肌を氷が這い、結びついては奇妙に折り重なり。

舞い散った雪がそれを、再び白く塗りつぶす。

 

 

針葉樹の森が途切れた先、起伏も少なくただ広く。

 

最奥を隠す霊峰の前庭のように。

…訪れる何者をも拒むかのように。

 

 

雄大に、無慈悲に、大雪原はそこにあった。

 

 

 

じゃらり。

 

 

音のある静寂に割り込んだ異音。

繋がれた金属が立てた、わずかな…

…しかし、確かな。

 

襲撃の予兆。

 

 

白い闇の中、うずもれるように身を隠していた《それ》は、己の身に迫る危機を理解した。

 

 

 

ずるり、

雪から這い出て、目を凝らす。

 

無機質な球体に眼球が一つ。

何とも言えない紫色の巨体は、この白の大地に馴染むにほど遠く。

 

けれど雪原という足場の悪い環境では、転がる事で少ない抵抗での移動を可能にする。

 

 

…そのはずだった。

 

 

ぎょろり、ぎょろり。

単眼を回して警戒を行う。

 

本来は複数体で固まり、各方位を群体で索敵警戒する。

そういう設計の巨体、そういう設計の群体。

 

 

…その設計はいまや、すべて無意味だ。

 

群体は分断され、蹴散らされ。

追い回され、追い詰められ。

 

 

一つ、ひとつ。

順番に順番に。

 

孤立した個体から脱落し。

この大雪原に入った群体は……

 

 

…白い闇に踊りだした影法師。

察知した時にはもう、襲撃者は《それ》の目の前まで迫っていた。

 

 

 

…じゃらり。

 

 

 

振り抜いた爪、振り子のように揺れた鎖がやっと動きを止めた時。

 

 

パッカーン!!

 

 

場違いなほど派手に、軽快な音を立てて《それ》は弾け散った。

 

 

 

―――GRRR……

 

 

 

唸り声とともに漏れた吐息。

獲物を仕留めても警戒を解かぬ姿は、野生の獣そのもの。

 

 

…風に乱れた、縞めいたコントラストのロングヘア。

ほつれ、擦り切れの見え隠れするベスト。

 

両腕には冷たい光沢の枷がはめられ、そこから伸びた鎖は途中で引きちぎられたかのよう。

わずかな雪明りにぼんやりと浮かぶ黄色いチェックスカート。

 

縞模様の入ったオレンジ色のタイツが、スカートからすらりと伸びた脚を包み。

雪に溶け込むような白のブーツが、凍り付いた大地に足跡を刻む。

 

 

長く、太い尾が揺れる。

まだ見ぬ敵を、狩るべき獲物を探るように。

 

 

少女の姿を取りながら。

見る者を圧倒する風格さえ備える、雪原の狩人。

 

 

 

…わずかに乱れた呼吸を整え。

ゆらりと振り返るころ。

 

 

狩の痕跡は吹き付ける雪風に消えつつあった。

 

《残骸》は虹色の揺らめきになって風に舞い。

切り裂くような風に運ばれ、どこかへ行くのだろう。

 

 

金色の双眸は、その揺らめきを追っているようで。

その実、何処も見ていないようにも見えた。

 

 

 

―――オオォオ―――ォオオォォォ―――……

 

 

 

甲高く、そして低く。

嘆くように、叫ぶように疾る風。

 

風の彼方に揺らめきが消え去るのを見届けて。

 

 

…じゃらり。

 

 

やがて少女は歩き出す。

何処へともなく、何をするでもなく。

 

 

じゃらり、じゃらり。

 

 

銀世界の白い闇へ溶けて、その姿は見えなくなった。



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銀世界への入門

…山の天気は変わりやすい。

 

 

嵐のような山風も今日は何処へ行ったやら。

晴天は青の彼方に吸い込まれて行くよう。

 

ゆるやかに風に浮かぶ、まばらなすじ雲。

さんさんと降り注ぐ太陽の光。

 

 

降り積もった雪はそれを吸い上げるように受け止め、花開くように輝きを大気へ返す。

 

白一色の銀世界。

しかしそこは、きらめきと彩りに満ちていた。

 

 

 

「……………わぁぁぁぁあ…っ♪」

 

 

足跡一つない雪原に、感極まったような声が上がる。

針葉樹の登山道が開けた先、転がるように林から飛び出す人影が一つ。

 

 

額や頬の輪郭に添うような、白のグラデーションの入ったグレーのショートヘア。

そこから突き出たとがった耳がピンと立ち。

 

グレーと白のツートンカラーの上着に白のセーターを着込み。

胸元を飾る赤いハーネスが伸びた先、首周りにはやわらかなネックウォーマー。

 

これまたグレーを基調としたプリーツスカートの下。

ふさふさとした尻尾がものすごい勢いで揺れており。

 

いつもやや控え目な彼女には珍しい、ハイテンション状態なのが一目で見て取れる。

 

 

 

「ともえさん、ともえさん!!すっごいですよ!まっ白ですよ!!」

 

 

 

きょろきょろとあたりを見渡しながら、嬉しそうに。

 

金色の左目と空色の右目。

そのどちらも雪化粧の世界の負けず劣らず、きらきらと輝いて見えるのだが。

 

 

「…う、うん。そーだねー、イエイヌちゃん」

 

 

二拍、遅れて。

登山道と雪原を区切る茂みをかき分けながら。

 

「ともえ」と呼ばれた少女は、若干気後れしたように。

…困ったように返事をした。

 

 

「どうかしました、ともえさん?」

「うん……なんていうか、な…?」

 

 

…春の若葉を思わせる、緑色の髪。

その頭にはいつもの帽子はなく、かわりに動物の肉球をあしらったデザインのイヤーマフとマフラー。

 

 

黒い長袖シャツの上にダウンジャケットを着こみ、斜めに下げたショルダーバッグには数日分のジャパリまん。

それらを潰さないように脇に寄せられたスケッチブックと、先の形がちがう鉛筆が2本。

 

手前の内ポケットには、ゴリラにもらったマッチの箱をすぐ出せるように。

 

分厚い動物図鑑を置いてきた分、軽くはなったけれど。

かわりに入ったジャパリまんの分だけ膨らんだバッグがすこし窮屈そう。

 

 

荷物は、軽くなってるはず。

でも、なんだかともえに元気がない。

 

 

(…ともえさん、寒いのかな?)

 

 

トレッキングブーツで固めている足元。

しかしショートパンツから伸びる脚は、黒の靴下こそ履いているが素足がむき出しだった。

 

 

…ほっぺにあたる風は、たしかに冷たい。

でも、寒がってるようには見えないし……?

 

 

テンションの差に不思議そうに首をかしげるおともだちに、黄色いリボンで結ったおさげを指先で遊ばせて。

深いブルーの瞳が、困ったように笑う。

 

 

 

「……悪いことしちゃったなあって」

「…あー……ゴマちゃんさん…」

 

 

 

…ようやくともえの言いたい事を理解し。

大回転だった尻尾がしゅん、と気まずそうに下がる。

 

 

少々事情があったとはいえ、おともだちを「ひとじち」にしてしまうなんて。

 

 

「…間が、わるすぎましたねぇ…」

「…うん。ゴマちゃん、すっっっっごいタイミング悪いんだもの…」

 

 

ぽつり、こぼれるため息。

話をそれ以上こじらせないためにも、ジャングルの群れのリーダー・ゴリラのためにも。

 

ともえとイエイヌは「にんむ」を受けることを決め、ゆきやまちほーに住む島の長・ユキヒョウの元を訪ねる、その途中なのだ。

 

 

今まで登ってきた登山道を視線で追い…

やがて、ふもとにあるうっそうとしたジャングルが目に入る。

 

 

…そう、これは「にんむ」。

ゴマちゃんさんを助けるための……

 

 

 

「…なんか見つけないと、だね。おみやげ」

 

 

…「にんむ」を忘れてはしゃいでしまった。

気を落としてしまったイエイヌに、ともえはできるだけ明るく声をかけ。

 

これから向かう、山頂の方へと目を向ける。

 

 

 

…空はよく晴れ、彼方にはまばらなすじ雲。

吹き抜けた一陣の風は、冷え切っていて。

 

 

雪山の厳しさの片鱗を覗かせているようだった。

 

 

 

――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― 

 

 

 

歩く、歩く、歩く。

雪に埋もれた道を、掘り起こすように。

 

行けども行けども立ちふさがる、白。

誰かが通った痕跡を踏み外せば、そのまま腰まで飲み込まれてしまう。

 

…けれども。

 

 

 

ずぼっ、と。

 

 

 

イエイヌがまた雪に埋もれる。

が、

 

 

「っ♪」

 

軽く、ジャンプ一つで雪から脱し。

 

「わ、わ♪」

 

跳んだ先でまた、雪にはまる。

 

 

 

しかし。

 

 

「このへんちょーっと深いみたいですよ、ともえさん♪」

 

 

気にすることなど全くなく。

むしろ、心底楽しそうに。

 

後ろを歩くともえを気遣いながら、元気いっぱいにはしゃぐイエイヌ。

 

 

「うん、ありがとうイエイヌちゃん」

 

 

 

楽しそうにしているが。

実際問題、雪に埋もれる事は実に厄介だ。

 

 

見た目と裏腹に、まとまった量の…

…それも埋もれるほどの量となれば、雪はかなり重い。

 

そして何より、柔らかく冷たい雪の足場は。

なれない者がはまり込めば、支点にした雪が崩れて身動き取れなくなり。

無理に出ようとすれば、雪の中に靴を残して脚を抜くことになる。

 

 

…最初はともえも同じくはしゃいでいたが。

進めば進むほど深くなる雪は、ともえの脚力では次第に抜けられなくなり。

 

今では完全に、イエイヌに先行してもらって彼女が作った道をおっかなびっくり歩いているような状態だった。

 

 

 

「…ごめんね、大変でしょ?」

 

 

謝るともえ、しかし。

 

 

「いーえー♪わたし、さむいのには強いんですよ♪」

 

 

楽しそうにイエイヌは笑いながら自分が通ったその跡を固め。

ともえが通りやすいように道を作りながら。

 

 

「とうっ♪」

 

 

今度はわざと雪に飛び込んで見せる。

雪の重みも冷たさも感じさせない軽やかさ。

 

 

 

「…元気だなぁ」

 

 

しみじみとつぶやくともえ。

 

雪の怖さを知ってしまった自分と対照的な、足取りの軽さ。

…あの白いブーツの元気さが、今の自分にはちょっとまぶしい。

 

 

「にんむ」を受けた時に借りた、イヤーマフとマフラー。

耳元と首筋はこれで守られているが。

 

 

 

――ヒュオオオオオオォォ……

 

 

 

…時折吹く山風に、木々が揺れる。

その寒さは、ハーフパンツと靴下だけのともえの脚にはこたえるモノがあった。

 

 

 

…ああ。

 

(お絵かき、したいなぁ…)

 

 

イエイヌの即席けものみちを歩きながら、ぼんやりと考える。

 

 

 

登山道のすぐ脇、茂みの向こう。

 

緩やかな斜面の白い輝きと、一定の間隔で建つ青い柱。

その奥には、今まで通ってきたジャングルや荒れ地が見え。

 

もっと奥には、イエイヌのおうちやともえが眠っていたあの《遺跡》があるのだろう。

 

 

高いところからでなければ見えない風景に、心が躍る。

 

 

 

描きたい……でもちょっとつらい。

それに、「にんむ」もしなきゃだし。

 

 

…歩き疲れたのか、すこし崩れてきた思考。

でも。

 

 

 

(…だめ、だめ)

 

 

 

頭を振って思考を切り替える。

それじゃ、何をしに来たかわからなくなる。

 

ゴマちゃんと、置いてきた帽子。

がんばる理由は、それで十分。

 

 

 

脚に力を入れなおし、前を向く。

 

 

雪の登山道は、まだ長い。

 

ここを抜ければ中腹…

『げれんで』にたどり着いても、「にんむ」のためにはもっと奥へ…

 

ユキヒョウのおうちのある、山の奥までいかなくては。

 

 

 

「…イエイヌちゃん、もーすこしゆっくり、ね?まだ先長いんだから」

「はーい♪」

 

 

待っていてくれる、だいじなおともだちのために。

 

ともえは、一歩、また一歩。

歩く、歩く、歩く。



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げれんでにて

…開けた視界、広がる銀世界。

 

登るにしたがって段々と深くなっていく雪。

やがて芯のあるような硬さを持ち始めた事で、すっぽりと腰まで埋もれる事も少なくなり。

 

表層が解け、そして再び凝固した雪の大地の別なる顔。

踏みしめるブーツにも、やわらかさによる雪の不安定さでなく。

ザクザクとした、やや粗い氷の感触が伝わってくる。

 

 

上りと下り、二つの斜面の中間地点となる山の中腹。

『げれんで』は今までとはまた違う、ゆきやまちほーの在り方をともえとイエイヌに示しているようでもあった。

 

 

 

「はぁ―――……のぼったねぇ」

 

 

 

ふう、と息をつきながら、ともえ。

吐く息は白く、やや乱れた呼吸。

 

寒さは、感じない。

…今のところは。

 

 

まともに動ける足場のおかげで上がった体温。

冷えた大気も、今はちょうどいい。

 

 

「ここでまだ、半分らしいですし。

ともえさん、きゅうけいしましませんか?」

 

イエイヌにはまだ余裕があったが、まだ目的地は遠く。

 

 

(ともえさん、疲れてないかな?)

 

確認半分で提案すると。

 

 

「ん……そうだね、そうしよっか」

 

…ともえも自覚があったのだろう。

ちょっと疲れたね、と笑って受け入れた。

 

 

 

青い柱のそばに、ふたり並んで腰を下ろして。

 

「はい、イエイヌちゃん」

「ありがとうございますー♪」

 

ショルダーバッグから取り出した濃い緑色のジャパリまんにかじりつく。

 

 

…これは……何味だろう?

 

熱帯のフルーツみたいな熟した甘味。

甘さの中にほんのりとした酸味と、うっすらとした苦み。

少し、クセがある感じもするけれど。

 

 

「おいしいですねー、これも♪」

「うん、あたしもすき」

 

いつもとは違う味も、これはこれでおいしい。

 

 

 

…「にんむ」を受けた時にゴリラから渡されたジャパリまん。

 

行きで一日分、帰りで一日分。

そして、予備として何日か分。

 

ふたりで食べるには多すぎる量だけれど。

 

 

 

(…ゆきやまは荒れた時が、ヤバイ…)

 

 

 

思い出す、ゴリラの言葉。

…今はまだ、そんな気配はないけれど。

 

厳しい態度だったけど、こっちのことも心配してくれてるのはすぐに分かった。

 

ピリピリするような張り詰めた空気。

そこにやってきたのがともえとイエイヌ。

 

 

そしてゴマちゃん……

 

 

 

「……ともえさん?」

 

 

 

声を掛けられて隣を見れば。

こっちを心配するような、気遣うようなイエイヌの顔がすぐそばにある。

 

 

「あ、ごめんね、なんでも……」

 

言葉を濁しかけて。

 

「…ううん。なんでも、あるね」

 

 

…ちゃんと、イエイヌちゃんの意見も聞いておかなくちゃ。

それに、しっかり体も休める時間も必要。

 

少し、言葉を選びながら。

ともえは心配させてしまったイエイヌに口を開いた。

 

 

 

「……ここまで、のぼって来たけど…」

 

 

 

続く言葉を考えながら。

何を言いたいのか、伝えたいのか。

 

 

「…ほかのフレンズちゃん、見ないね……」

「………それは…」

「…でも、それだけじゃないよ」

 

 

イエイヌの言葉を、遮るように。

目で、ごめんね、と謝って。

 

 

 

「フレンズになってない動物たちも、いない」

「……、………」

 

 

 

…フレンズたちがいないのは、「にんむ」の話を聞いたときには分かってたこと。

 

 

『ゆきやまちほーにたっっっくさんのセルリアンが出た』

『フレンズたちがみんなひなんして来てる』

 

 

フレンズたちが逃げてきたゆきやまの奥、ひとり残っているユキヒョウ。

ともえたちはユキヒョウに会いに、ゆきやまを登っている……

 

 

ゆきやまとじゃんぐるの境目で、避難する途中のユキウサギやライチョウと会ったのを最後に。

 

ともえはイエイヌ以外のフレンズや動物を見ていない。

 

 

 

………それだけ、じゃない。

 

 

 

 

「………セルリアンも」

 

 

 

 

 

『たっっっくさん出た』はずのセルリアンも、いない。

 

誰かがいた痕跡はあっても。

誰かがいる気配は、ない。

 

いるはずのセルリアンの気配さえも……

 

 

 

―――風が、吹く。

 

笛の音のように、高く、低く。

雪を散らし、木々を揺らしても。

 

森は応えない。

ただ、麓へと疾り抜ける。

 

 

…風の過ぎ去った木々のざわめき。

 

その中に。

 

 

誰とも知らない《何か》がじっと、こちらを伺っているような気さえしてくる……

 

 

 

「……ともえさん」

 

 

 

金の瞳と空色の瞳。

ともえの赤と緑の瞳孔を、まっすぐに見つめながら。

 

 

「…考えすぎだとおもいますよ、わたし?」

「あ、やっぱり?」

 

 

困ったように笑うイエイヌに、ともえも笑う。

その笑顔はややぎこちなく、弱い。

 

 

 

…おかしいことが起きてるのは、間違いないだろう。

けれど、それは眼前に迫った危機なのか。

 

たぶんそれは。

おそらく違う。

 

 

 

「わたしは鼻がききますし。セルリアンが近いなら、すぐ分かるはずです」

 

ちょこっとだけ、誇らしげに胸を張って。

 

 

 

「ともえさんを守るのが、わたしの使命ですから」

 

 

 

それが、当然のことだというように。

イエイヌは笑顔で言い切った。

 

 

 

「……えいっ」

「わわっ」

 

 

ぎゅっと、抱きしめる。

 

…ちょっと恥ずかしくなった照れ隠しと。

 

 

 

「ありがと、イエイヌちゃん……ちょっと、楽になった」

 

 

心のどこかにあった不安を打ち消してくれた、おともだちに。

 

 

「…元気でました、ともえさん?」

「うん。すっごく」

「えへへ…あ、そのままもふもふは反則ですー」

 

 

抱きしめから撫でまわしに移行した、おともだちに。

 

 

…古びた、塗料のはがれつつある青の柱。

かつては機械仕掛けの何かをつないでいただろう、それの陰で。

 

ふたりの少女の、他愛のない笑い声。

静寂の銀世界に、陽だまりのように。

 

 

空はよく晴れ、数を増やしつつある羊雲。

 

山頂はまだ遠く、その奥に隠した大雪原と霊峰が悠然と待ち受けているよう。

 

 

 

………山の天気は、変わりやすい。

 

 

この言葉をふたりが思い知るのは、もう少し後のことになる。

 



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追走

…じゃらり。

 

 

 

獣は不機嫌だった。

 

 

 

――――RRRR、GRRRRR……

 

 

 

苛立ちの隠せない唸り声。

伏してまで嗅ぎ取ろうとしていた臭いが途切れている。

 

 

横殴りの風、視界を遮る白。

本格的になり始めた吹雪が、《不届者》の痕跡を消して行く。

 

 

足跡も。

臭いも。

サンドスターの痕跡も。

 

 

覆い隠すように、塗り潰すように。

すべてが、白い闇へと消えて行く。

 

 

 

――――GRRRR…

 

 

 

ゆらり、身を起こす。

 

 

仕留め損ねた《不届者》は、上手く吹雪に身を隠したのだろう。

耳障りな甲高い風の叫びの中、雪に霞む視線を巡らせる。

 

山頂から吹き付ける疾風と雪。

長い尾を揺らめかせ、気配を探りながら。

 

 

風上の山頂方面はあり得ない。

…臭いで気付くし、何より斜面を登り逃げるならば追いついている。

 

 

なだらかに山裾へ下りてゆく斜面。

…逃げるには向く地形、足跡はそっちに伸びたが。

駆け降りた、となればこちらもどこまで走ることになるか。

 

 

開けた斜面の脇、針葉樹の森か。

…身を隠すには向くが、そこは庭も同然。

今もそこにいるなら、臭いもサンドスターの痕跡もそこにある。

 

 

だが。

襲撃を受けた場所にのこのこ戻るような間抜けとも思えない。

 

 

 

残るは、わずかな雪の起伏……

…そこにいるのなら。

 

すでに気配を捉えているだろう。

 

 

……完全に、取り逃がした。

面白くもないが、そう判断せざるを得ない。

 

 

 

じゃらり。

 

 

 

乱れた呼吸を整えながら。

左手を持ち上げ、負った手傷を確認する。

 

一撃をくれてやった爪。

代償として受けた甲から腕へ走った裂傷。

 

裂傷は繋がれた枷に阻まれてそこで止まっていた。

 

 

…浅い。

が、手傷を負ったのは何時ぶりだろうか。

 

 

 

《獲物》は、強い。

 

 

 

べろり、傷を舐める。

血の匂いと鉄臭さ。

 

金色の双眸が、妖しく紫色に輝く。

 

 

 

 

獣は、不機嫌だった。

だが、同時に嗤っていた。

 

 

 

《狩り》は失敗した。

だが、あの《獲物》ならば……

 

 

 

――――RRR、RR……

 

 

 

しゅう、と息を吐き索敵を切り上げる。

 

襲撃と追撃、追走を繰り返し、気付けば縄張りの端。

《獲物》よりも厄介な相手の縄張りにもほど近い。

 

勢いを増しつつある粉雪の乱舞にもてあそばれる長い髪。

 

 

おそらく、きっと。

この吹雪は酷くなる。

 

雪原で生き抜く為のカンが鳴らす警鐘。

 

 

…嵐をやり過ごしてから、改めて仕留める。

方針を切り替え、獣は歩き出す。

 

 

 

…じゃらり。

 

 

 

警戒は解かぬまま、ゆらり、ゆらりと。

 

吹雪く風を背負い、金色に戻った双眸で。

 

 

白い視界の奥、わずかに見える古びた山小屋へ。

 

 

じゃらり、じゃらり。

 

 

少女の姿をした獣は、歩く。

 

…肩を落とし、迷子のように。

 

 

叫ぶように、歌うような雪風の中を、歩く。

 

 

 

…じゃらり。



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青の追憶

とくん、とくん、とくん…

 

 

 

脈打つ鼓動が時を刻む。

 

目を閉じた闇の中。

 

 

低く、高く。

地鳴りのように、叫び声のように。

 

 

丸太材の壁一枚向こう、吹き抜ける風の音。

 

それは舞い散る雪を乗せ、木々を揺らし。

ざわめきを雪で蹴散らしながら、ただ、疾る。

 

 

 

…誰もいない、古びた山小屋。

荒れてはいるが、誰かが時折手入れをしている形跡が残る。

 

ゆきやまちほーに住まうフレンズ達が、吹雪を避ける為に使う小屋。

そこは誰の物でもなく、ゆきやまに在る者すべてのための避難場所の一つ。

 

 

とりあえず、といった感じで置かれた木箱がいくつかと、椅子とテーブル。

燃え差しの残る囲炉裏と、年代を感じさせる古びた薪の束。

 

どこからか持ち込まれたのだろう、厚手の毛布が何枚か。

誰かが使ったのをそのままに、無造作に床に放り出してある。

 

 

 

…木箱と木箱の陰、一目では気付かない死角。

獣は顔を伏せるようにうずくまっていた。

 

 

 

とくん、とくん、とくん…

 

 

 

丸太材の壁の外、吹き付けられた雪は嵩を増し。

積もった雪は保温と消音に長けた壁となってざわめきも、風の叫びさえも押し殺し。

 

低く、低く。

うめき声にも似た雑音が、距離以上に遠く、響く。

 

 

何もかもを白く塗り潰す、音のある静寂。

 

取り残されるように、己の心音が耳に届く。

 

 

じわり、とうずく傷。

呼気で生まれるわずかな熱。

 

 

 

獣は微睡む。

 

擦り切れ、色あせた遠い日を。

 

 

 

……顔も思い出せない、《影》。

 

でも、分かる。

知っている。

 

 

「あの子」が、笑う。

 

 

音も、ない。

思い出せない。

 

 

わたし、を呼ぶ声。

 

知っている、声。

 

 

でも、分からない。

 

 

「あの子」が、分からない。

 

 

 

そばにいた、「あの子」が、分からない。

 

 

 

…ユキが、いて。

 

わたしが、いて。

 

「あの子」が、いて…。

 

 

 

……あ、お。

青い、あおい…。

 

 

 

…甘い微睡みをむさぼるように。

 

体温と心音だけが命ある事を証明する、過酷な大地。

 

摩耗した記憶にすがる、わずかばかりの安息。

 

 

 

とくん、とくん、とくん…

 

 

 

獣は微睡む。

 

それは砂糖菓子のように甘く。

そして、もろく崩れ去ると知っていても。

 

 

 

手を、つないで。

 

ふたり、ならんで。

 

…ユキが、すこし遅れてきて。

 

 

「あの子」が……笑って……

 

 

 

…色あせていても。

擦り切れ、継ぎ接ぎだらけになっても。

 

音さえ朽ちた記憶の中。

 

 

脳裏に焼き付いて離れない、《青》。

 

 

何を忘れてしまったのか。

何を、思い出せないのか。

 

 

…分からない。

思い出したくない。

 

 

…けれど。

それは。

 

 

幸せな、記憶。

微睡みの中でだけ会える、青の蜃気楼。

 

 

 

獣は、ただ微睡む。

 

頬に一筋、涙の跡を刻みながら。

 



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山小屋の一夜  1

……微睡みは不意に破られる。

 

 

反応したのは耳が先か。

それとも気配を捉えたが先か。

 

 

 

軋むドア、唸るような吹雪の叫びが小屋の中まで届いた後。

 

 

 

「ともえさん!しっかり、しっかりしてください!!」

「かっ、かかかかきかかっっこっほぉぉ……っ!!」

 

 

 

転がり込むようにやってきた騒音。

 

入り込んだ凍り付くような外気に目を開き。

身じろぎせず、夜目の利く視線だけで何者かを探る。

 

 

 

…ふたり。

 

元気な方と、そうでない方と。

 

 

 

見た目、臭い、気配。

そのどれもが知っているモノと違う事を確かめ。

 

 

「その気」になれば、狩れる。

 

すぐさまそう判断し、獣は再び目を閉じた。

 

 

 

…外は、吹雪。

ならば《よそもの》が避難所にやってくる事もある。

 

狩るのはたやすいが「やまのおきて」、なれば。

 

 

 

………。

 

 

無視して、寝る。

 

獣の出した結論はそれだった。

 

 

 

「だっだだだだだ、、だいっじょおぶぅ…!!」

「大丈夫じゃないですね!なにかさがしてきますから…!!」

 

 

 

がさがさ、ごそ。

 

 

…小屋の中を物色し始める音。

ぱたぱたと、小走りに動き回る足音。

 

 

 

「毛布ありました!とりあえずこれを…!!」

 

 

ごそごそ、…ごとん、ぎしっ。

 

重量感のある音とともに床が揺れ。

 

 

テーブルを横倒しにでもしたのだろうか。

じりじりと体温を奪うすきま風が遠くなる。

 

 

 

…混乱、してるのだろう。

 

あまりに騒々しいなら……

 

 

…いや、むしろ。

ここで《よそもの》に手を出す方が、「やまのおきて」に背くことになるか。

 

 

目を閉じたまま巡らせた思案。

騒音を拾う耳と、こめかみの辺りがぴくぴくする。

 

 

 

…無視、無視だ。

 

 

 

「い、いいいいいいいいぇいぬちゃ…ア、レ……!!」

「ど、どれです!?これですか!?」

 

 

ごとん、ごとん。

がらがらがら……

 

 

 

…積んであった何かが崩れる音と振動。

 

 

 

「こここ、こっこれで…っ!!」

 

 

がたごと、がさ、がさがさ。

がらがら、ごそ。

 

崩れた何かを使って何かをしてるであろう、音。

 

 

 

……獣は無視した。

 

 

 

 

「あ、あああ、ああああああ」

「ひろいます、わたしがひろいますから!!」

 

 

 

…何かを落としてしまったらしい。

それを元気な方が必死に取り繕おうとする声。

 

床に散らばった何かをかき集め。

 

 

 

「ともえさん……!!」

「う…くっ……!!」

 

 

…かり、かりかりかりかり、かり。

 

 

軽い何かをひっかこうとする、音。

 

 

 

「だ…め……、手……ふるえ、ちゃって…」

 

 

 

震える、声。

寒さか、絶望か。

 

…その両方か。

 

 

 

………獣は無視した。

無視、しようとした。

 

 

 

「い…ぇいぬちゃ……おね、が……!」

「え、ええええ!?や、やってみます、けど…!!」

 

 

恐怖に震える声。

未知への、でなく。

 

見知った恐ろしいモノへ挑む恐怖。

 

 

…そして、それが失敗を許されないことと理解しているゆえの、恐怖。

 

 

 

「と、ともえさん………う、ぅうう……!」

 

 

 

切羽詰まった声。

せめぎ合い、交錯するためらいと覚悟。

 

 

 

 

……う る さ い。

 

 

 

 

ゆらり、身を起こす。

冷え切った空気に、逃げていく体温。

 

血が冷え、研ぎ澄まされていく苛立ち。

 

 

…何だというのだ。

何だというのだ!

 

 

 

…獣は、非常に、不機嫌だった。

 

 

 

……じゃらり。



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山小屋の一夜  2

―――か、しゅ…

 

 

 

光が、灯る。

 

か細い音ともに震えながら、されど激しく。

こすり付けられたマッチの先。

 

 

小さな小さな炎が燃える。

 

 

 

「ひっ……」

 

息をのむ、イエイヌの声。

困惑と、戸惑い。

 

……そして、恐怖。

 

 

 

揺らめきながら、闇を切り裂いて。

突き刺さるような眼光が、真っ先に浮かび上がった。

 

 

…照らし出されたのは、見知らぬ《誰か》。

 

射貫くように見据える金の双眸に、ともえの視線が釘付けになる。

 

 

 

……どくん。

 

 

ぎゅっと、胸を締め付けるように。

 

一拍、高鳴った鼓動。

全身から血の気が引く。

 

 

理解が追い付かない。

けれど、体は反応する。

 

 

 

明確に差し迫った、命の危機。

呼吸も止まるような、圧倒的な存在感。

 

 

…音さえ消えた、引き伸ばされた時間の中。

釘付けになった視覚が、次々と情報を拾い集めてくる。

 

 

 

シャープな顔立ちを強調する、オレンジ色のくせっ毛。

毛先に入る白のグラデーションと、縞めいた黒のコントラストが走るロングヘア。

 

悠然と、笑うような口元で。

鋭い八重歯が、ぎらりと鈍く光る。

 

燃えるマッチを器用につまむ、鋭い爪の伸びた大きな手。

 

…手袋などではなく。

ふかふかした毛皮とつややかな肉球のある、獣の手指。

 

無骨かつしなやかな機能美の塊に繋がれた、冷たい金属の枷。

否応なく異物の存在を叫ぶ、刺さるように冴え切った光沢。

 

 

…今まで出会ったフレンズたちとは、違う。

 

音もなく…イエイヌにさえ気づかれず。

息が届くような距離まで忍び寄ってきた、少女の姿をした《獣》。

 

 

 

まっすぐこちらを見ているようで。

どこも見ていないような瞳が、ともえの目をのぞき込む。

 

黒い満月のような瞳孔が、三日月のようにすぼまり。

怒気と苛立ちを隠さず、値踏みするかのように…

 

 

 

心臓をわしづかみにされたように、背筋に走る震え。

ともえは、金の双眸から目をそらせなかった。

 

…だが。

 

 

 

 

(………きれ、い…)

 

 

 

 

ともえの中に浮かんだ感情は、畏怖でも恐怖でもなく。

突然姿を現した何者かへの、好奇心と感嘆だった。

 

 

指先一つ、動かすことさえできない緊張感。

 

 

おそらく、きっと。

《彼女》がほんの少し、「気まぐれ」を起こせば。

 

…ともえも、イエイヌも。

あの爪で、切り裂かれてしまうだろう。

 

 

戦うことのできないともえでも瞬時に理解できる。

 

 

 

傍若無人、と言えるのかもしれない、孤高の存在。

 

 

……怖い。

でも、それ以上に。

 

 

ともえの心を惹きつける何かを、《彼女》は持っていた。

 

 

 

…実際以上に長く重厚な、数瞬の見つめ合い。

 

 

 

―――GAAHRR、RRR……

 

 

 

…「うるさいぞ」、と言いたげに一声唸り。

囲炉裏の上へ、燃えるマッチをぽとりと落とした。

 

 

《彼女》は背を向ける。

「用は済んだ」とでも言うように。

 

 

 

…じゃらり。

 

 

 

両腕に繋がれた鎖を鳴らしながら。

明かりの届かぬ暗がりの中へ……

 

 

 

「……えさん、ともえさんっ!」

 

 

 

…イエイヌの、声。

 

引き伸ばされていた時間が動き出す。

 

 

「え……、…あっ…」

 

 

…囲炉裏に組みなおした燃え差しと薪の上に、小さな火。

頼りなく揺れるそれを見て、ようやくともえは我に返った。

 

 

「…ぇつだって、イエイヌちゃ…!!」

「はいっ!!」

 

 

自分でも驚くようなかすれた声。

それでもイエイヌは即答する。

 

 

そばに転がっていた薪を拾い。

 

「ここ……おねが…」

「こ、こうですか!?」

 

はがれ掛けた表皮をイエイヌに外してもらう。

 

 

「…っ」

 

しっかりとつまもうとしただけで、かじかんだ指先がじくりと痛む。

 

 

…けれど。

それでも。

 

 

消えかけたマッチの火炎の先端へ、樹皮を差し出す。

 

 

 

…この火は、絶対に消しちゃいけない。

火を継ぐ手の震えを、必死で押さえながら。

 

 

乾いた薄皮を、なめるように。

 

 

 

―――ぱち、、、、

 

 

 

燃え移った小さな火。

そのままでは消えてしまっていただろう、か細い火。

 

ゆらり、揺らめきながら少しずつ燃え広がり。

油分の多い樹皮に達して、炎は音を立てて大きくなった。

 

 

「わっ…」

「ま、だ……!」

 

 

小さく声を上げるイエイヌをたしなめ。

慎重に、慎重に、燃え差しと薪の隙間へ、そっと落とす。

 

新たな侵攻先を求め、炎は燃え差しに絡みつき。

燃え差しは、含んだ水分を白い煙に変えて侵攻を阻む。

 

 

 

「…ふー…、ふー…っ」

 

消えないように、消さないように。

細く、長く、唇を尖らせて息を送る。

 

 

 

「ふー…、ふー…っ」

「ふ…ふー…、ふー…っ」

 

 

ともえの隣でマネをし始めたイエイヌ。

 

 

…火が、怖い。

そのはずのおともだちが、手伝ってくれている。

 

 

冷え切った体、けれど、気力だけは尽きてはいない。

今も、イエイヌから勇気を分けてもらっている…!

 

 

ふり絞る気力。

イエイヌに外してもらった樹皮の残りを、場所を選んで火に足していく。

 

 

ふたりの息を受けて少しずつ、少しずつ勢いを増す炎。

 

白煙は火の勢いに押され始め。

燃え差しがもう一度、炎に身を沈めるのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

…やがて、薪にも燃え移る炎に育った頃。

 

 

 

「………はぁ……」

 

 

 

いつの間にか額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら。

ともえはほっと、息を吐いた。

 

…ここまでくれば、もう大丈夫。

ちょっとやそっとじゃ消えないたき火になってくれたことに、充実感を覚えながら。

 

 

「と……ともえ、さん…?」

「…うん。もう大丈夫だよ、イエイヌちゃ…」

 

 

ずっと隣で手伝ってくれたお友達を振り返ると。

 

 

 

「……はうぅ、よかったでずー」

 

 

 

…いまさらになって、抑えてた恐怖が戻ってきたのだろうか。

 

下を向いた、耳と尻尾。

金色と空色の瞳には、うっすらと涙。

 

 

ともえはそんなイエイヌをぎゅっと抱き寄せ。

 

 

「……おなか、すいちゃった」

「…ともえさん。ちょっと元気になりすぎてません?」

 

 

叩いた軽口に、イエイヌがちょっと困ったように笑って。

声は、少しだけ鼻声で。

 

 

 

「…ありがとね、イエイヌちゃん」

「…♪」

 

 

 

照れ隠ししながらの、お礼。

イエイヌは尻尾で応え。

 

…ともえもやっと、笑うことができた。



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山小屋の一夜  3

―――ぱち、ぱち、、、、

 

 

 

火の粉が、散る。

薪の中に含んでいた空気が温まり、炎に触れて、火の粉に変わる。

 

完全に夜になってしまった避難小屋の囲炉裏に灯る、たき火の明かり。

木組みの小屋のすきま風に揺れながら、煌々と、ぼんやりと。

 

陽の光とはまた違う、橙色の光と暖かさで照らしてくれる。

 

 

 

 

「…あのー、イエイヌちゃん?」

 

 

 

恐る恐る声を掛ける、ともえ。

 

 

「動きにくいんだけど……?」

「ともえさんは無茶するので。だめですー」

「えー……?」

 

 

耳元で聞こえる声。

不満を伝えてみたが、却下されてしまった。

 

 

…風よけに横倒しにしたテーブルに、背中を預け。

毛布に包まれながら、ともえを後ろから抱きしめて離さないイエイヌ。

 

 

(…ちょっと、怒ってる?)

 

 

顔の見えないお友達の声に、ちょっぴりトゲを感じる。

 

……まあ、仕方ないのかもしれないけれど。

 

 

 

ただちょっと…

 

  

 

「…………」

 

 

 

囲炉裏の、向こう。

二つの木箱の陰にいる、名前も知らない『あの子』の様子を見たいだけなんだけど…

 

 

 

……

………?

 

 

……ふと、気付く。

 

 

 

(…さっきより、ちょっと、近づいてきてる……?)

 

 

 

気のせい、なのだろうか?

位置が悪くてよく見えない。

 

  

ぎゅっ、と。

ともえを抱きしめる力が強くなる。

 

 

 

「…ダメですよ、ともえさん」

 

耳元でイエイヌがささやく。

 

 

 

「刺激しちゃ、ダメです。

…その気がないみたいですから…そのままにしておきましょ?」

 

 

 

穏やかな声音。

けれど、緊張と真剣さをにじませながら、わずかに震える。

 

 

顔が見えなくても理解出来る。

 

 

『あの子』の事だ。

もし、『あの子』がその気になったら…

 

 

…ともえには、その覚悟と決意が少し悲しかった。

 

 

 

「…わかったよ、イエイヌちゃん」

 

 

首だけ振り返り、お友達の目を見て。

安心してもらえるように、ともえもささやく。

 

 

 

…短い、見つめ合い。

 

ゆっくりと、抱きしめる力が抜けて行き。

 

 

 

「…ほんと、ダメですからね?」

「わかったってばぁ」

 

 

 

念押しされながら解放され、ともえは苦笑した。

 

 

 

…ちらり、と。

囲炉裏を向こう、木箱の辺りを…

 

  

 

「…わお」

「…ほら。刺激しちゃダメですって」

 

 

 

…覗きこむ必要は、もうなくなっていた。

 

 

四角い囲炉裏の、すぐ反対側。

たき火のすぐそばに、堂々と。

 

音も気配も感じさせず、『あの子』はうずくまるように陣取っていた。

 

 

 

…こちらを気にする風はなく。

 

けれど、ぴん、と。

気配を探るような緊張感を漂わせて。

 

 

 

…じろり。

 

片目でこっちを牽制すると、また目を閉じる。

 

 

うるさくするな、そう言うように。

 

 

 

 

「…寒かったのかな?」

「…ともえさん?」

 

 

 

くいっ。

疑問を口にしたともえの背中を、イエイヌが引っ張って抗議する。

 

 

 

刺激、しちゃ、ダメ。

無言の圧力。

 

 

再度念押しされて、ともえも無言で頷いた。

 

 

 

 

……とは言え。

 

実際問題、やる事も出来る事も少ないわけで。

 

 

…やりたいやりたいと思っていたお絵かきも、もしかしたら『あの子』の気に障るかもしれないし。

 

 

たき火を絶やさないように、薪をくべる。

 

 

「………」

「………」

 

 

自然と、『あの子』に行ってしまう視線。

…その度にイエイヌから圧が掛かるけども。

 

それでもやっぱり、気になって仕方ない。

 

 

「…何の、フレンズちゃんなのかな?」

 

 

イエイヌを振り返り、小声で聞いてみる。

 

 

「…わかりません。でも…」

 

 

イエイヌが言葉を濁す。

迷うように、ためらうように。

 

 

…が。

 

 

 

「そうだ。図鑑。図鑑見たら分かるかな?」

「……ゴマちゃんさんにあずけてませんでした、それ?」

「…そーでした」

 

 

 

…折れる、話の腰。

ごそごそとバッグを引っ張り出すともえに、なんとかツッコミを入れて。

 

それでも一応、バッグを確認。

 

 

「うわぁ。ジャパリまん冷たぁい…」

「おなか痛くなりそうですねぇ…」

 

 

かわりに出てきた、かっちかちに冷えたジャパリまんにふたりで肩を落とす。

 

 

…そういえば、お昼から何も食べていない。

 

 

……

………

 

 

「…火のそばに置いといたらもとに戻るかな?」

「あ、あぶなくないですか、ともえさん?」

 

 

火も、だけれど。

たき火のそばの『あの子』を刺激しそう。

 

けれど思い出してしまった空腹は、どうにも我慢できそうにない。

 

 

 

…反応をうかがいながら、そっと。

 

ともえのとイエイヌのと。

濃い緑色のジャパリまんを並べて置く。

 

 

…『あの子』は片目を開けてこっちを見たが、それ以上は動く気はなさそうだった。

 

ほっと息を吐くイエイヌ。

 

 

遠火で、じっくり。

少しずつ、少しずつ、回しながら温めていく。

 

 

…やがて、鼻をくすぐるように広がり出した香り。

 

ふわりと、甘く。

薪の煙とはまた違う食欲を誘う香ばしさ。

 

 

 

――くう、きゅう。

 

ふたりのお腹が仲良く鳴って。

 

 

 

―――ぐぎゅるるおおおぁぉうぅぅおお。

 

 

 

…続いた豪快な腹の虫の声に、見合わせた顔が真顔になる。

 

 

 

(…………イエイヌちゃん?)

(ちがいますー!!)

 

 

視線と、ジェスチャー。

分かっていても、取ってしまった確認。

 

 

あたしでも、イエイヌちゃんでもない。

ということは。

 

…ふたり揃って、視線を向ける。

 

 

視線の先。

たき火のそばの『あの子』は。

 

 

「自分ではない」、そう言うように。

顔を伏せたまま、そっぽを向いていた。

 

 

 

…先に動いたのは、ともえだった。

 

 

 

たき火のそばのジャパリまんを、そっと確かめる。

 

…温かい、まではいかないけど。

食べれるくらいまでは戻ってる。

 

 

表面に、焼き目のついたそれを。

両方手に取って。

 

一歩、前へ。

 

 

 

「あ…あの……っ」

 

 

 

…刹那、

 

 

 

暖まっていた空気が、凍るような。

 

 

伸ばしかけたイエイヌの手を、拒むような圧力が押し留める。

 

 

 

…それでも。

 

 

 

「……さっきは、、ありがとうございまし、たっ」

 

 

 

ともえは、言葉を続ける。

圧力に気圧され、詰まりながら。

 

 

 

「よ、かったら…、こ……れ……っ」

 

 

 

おそるおそる差し出したジャパリまん。

 

 

 

――ぐるり、

 

 

そっぽを向いていた顔が、金の双眸が。

もう一度、明確に、ともえの視線と交錯した。

 

 

 

―――KAAAHHR……

 

 

 

鈍く光った、鋭い八重歯。

威嚇の意思を込めた声なき呼気。

 

 

 

……青と、金色。

重い重い、わずかな数瞬。

 

 

………

……

 

 

圧が、消える。

 

「好きにしろ」、とでも言うように。

 

 

『あの子』はもう一度、そっぽを向き。

追い払うように、不機嫌そうに長い尾を波打たせた。

 

 

 

…ゆっくり、と。

ジャパリまんを、『あの子』の方へ並べて置いて。

 

 

「こ…こわかったぁ………」

 

 

わずか一歩の距離を半べそで戻ってきた、ともえ。

イエイヌは無言で胸に受け入れて。

 

 

「……だから。刺激しちゃダメですって。ともえさん」

 

 

…優しさを、誉めるべきか。

向こう見ずを、叱るべきか。

 

ちょっと複雑な心境で、イエイヌはともえの背をさすっていた。



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山小屋の一夜  4

「…しゃべれないフレンズちゃん、、なのかなぁ……?」

 

 

 

自分達の分のじゃぱりまんを食べ終えて、ともえがつぶやく。

 

 

視線の先には、やはり『あの子』。

 

 

…お腹が減ってるはずなのに。

ジャパリまんに手をつけてくれないのが、やっぱり気になるし。

 

目を引く、両手のあの枷。

あれは、なんなのだろう。

 

 

 

…なんで、あんなものが付いているのだろう。

 

 

 

…真正面から怖い目にあっても、好奇心は薄れないらしい。

そこはとても、ともえらしいのだが。

 

 

 

(…ちょっと、はんせいして欲しい気もしますー…)

 

…危機感的な意味で心配の種が増えたイエイヌ。

 

 

 

「…ふつうのフレンズ、じゃないと思います」

 

言葉を選んで。

首元のネックウォーマーに、きゅっと手を当てて。

 

 

 

「たまに…『ああいう子』がいるって、長がいってました」

「…ああいう子?」

 

 

問い返すともえ。

小さく…ためらいながら頷く。

 

 

「フレンズみたいに見えても、動物にちかい……

…そんな子が、生まれてくるみたいなんです」

 

なんでそうなるかはわからないですけど、

そう続けて。

 

 

「長なら……なにか、知ってるかもしれないですね」

「………おはなし、できないのかなぁ…」

 

 

おはなし、してみたいなぁ…

ぽつり、こぼれるつぶやき。

 

 

 

「…えいっ」

「うにゃっ」

 

 

 

…イエイヌは、そんなともえを抱き寄せて。

ひざ枕する形で横にさせる。

 

 

「…寝てください、ともえさん。つかれてるんですから」

「……でも」

「だいじょうぶです」

 

 

くしゃっ、と。

上げようとする頭を優しく撫でながら。

何を言いたいのか汲み取って、柔らかく即答する。

 

 

「まき?を入れるだけなら、わたしでもできます」

「………」

 

 

火は……やっぱりこわいですけど、

困ったように笑うイエイヌ。

 

 

 

いたわってくれる、ありがたさ。

横になったとたんに押し寄せた、自覚していた以上の疲労にともえは反論を見失う。

 

 

…たき火と体温のぬくもり、毛布の肌触りがさらなる眠気を誘い。

 

…まぶたが、、、重い………

 

 

 

「…ごめんね……おや、す……」

 

 

 

言い終わる前に遠のいた意識。

すぐに寝息をたて始めたともえを、丁寧に毛布でくるみながら。

 

 

 

「……おやすみなさい、ともえさん」

 

 

 

若葉色の髪を、もう一度優しく撫で。

イエイヌはゆっくりと顔を上げた。

 

 

…背中を預けた、横倒しのテーブル。

肩口に引っ掛ける形で、毛布で身を包み。

ひざの上には、ともえ。

 

 

自由に動くのは、毛布から出た右手だけ。

手元に集めておいた、薪のひとつを手に取って。

 

慎重に、慎重に。

重さを、確かめる。

 

 

 

赤く、赤く。

光と熱を散らして、炎が揺れる。

 

燃え行く薪。

焼け崩れる炭。

燃え尽きた灰。

 

弾けた火の粉の音が、イエイヌの恐怖心を煽る。

 

 

 

…慎重に、慎重に、慎重に。

手を伸ばす距離を、、、

 

 

 

……からん、

投げ込まれた薪。

 

 

 

揺れた影。

波打つように。

 

長く太い、縞模様が視界の端を滑る。

 

 

……目が、あった。

 

 

新たな薪に絡み付く、炎の先。

金の瞳と半月の瞳孔が、面倒くさそうに。

 

けれど。

先程とは打って変わった、見守るような柔らかな眼光。

…眼力は変わらず、刺さるようだけど。

 

 

後押しするような視線に、イエイヌはためらいながらさらに手を伸ばして。

 

 

……からん。

たき火へ転がって行く薪。

 

 

 

「……できた…」

 

思わずこぼれた言葉。

 

拍子抜けするほど、あっさりと。

…小さな充実感をともなって。

 

 

 

気まぐれな金色が、笑う。

…笑うように細くなり。

 

くあ、と。

 

大きなあくびをひとつ残して。

まぶたの下に隠れてしまった。

 

 

 

「………」

 

 

 

…見届けて、もらった。

見守って、くれた。

 

 

長から聞いていた話とのギャップ。

動物に近い、のかもしれないけれど。

 

 

 

「ふつうの……フレンズ、みたいですねぇ」

 

 

 

それが、そのことが。

ただただ、嬉しかった。

 

…やっぱり、ちょっと怖い気持ちも残っているけど。

 

 

それでも。

ともえが気にかけていたように。

 

 

「…どんな子、なんでしょうか…」

 

 

 

…そして、なぜ。

そんな風になってしまったのか。

 

考えても出ない答え。

少なすぎる、情報。

 

 

知っていることを思い出そうとしていくうちに。

 

 

…いつしかイエイヌも、眠りへと落ちて行った……

 

 

 

――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――

 

 

 

静かに、静かに。

日は登り、闇を追い払う。

 

去っていった吹雪の向こう、顔を出した太陽が真っ白に笑う。

 

揺らめく朝もやはゆるやかに風に流され。

静寂に沈んだ山小屋にも、光が差し始めた。

 

 

 

「……ん…、………こほっ」

 

 

 

山小屋の中にも訪れた朝日の輝き。

軽いのどの痛みに、ともえがうっすらと目を開く。

 

 

「ともえさん、おはようございますー」

 

 

最初に視界に入った、イエイヌの笑顔。

 

…よく知った顔。

旅を始めてから毎朝、この笑顔と一緒に一日が始まる。

 

 

冷え切った空気に遠ざかっていく眠気。

 

 

「…おはよ、イエイヌちゃん」

 

 

挨拶を返しながら、ゆっくりと身を起こす。

乾いた空気にのどに広がる違和感。

また、軽いせきが出て。

 

「……ひどい声」

「のど、がらがらですねぇ」

 

ふたりで、困ったように笑った。

 

 

毛布で身を包んだまま、もう一度視線を巡らせる。

木組みの隙間から差し込んだ光で明るくなった山小屋は、昨夜よりマシではあっても…毛布を手放したくないくらいには寒い。

 

 

囲炉裏の火は燃え尽き、くすぶる煙ももはやなく。

燃える炭の存在を隠した灰の下から伝わってくる、ぼんやりとした熱。

 

 

 

…たき火を起こせなかったら、今頃どうなってたんだろう。

 

 

 

昨夜の騒ぎを思い返し。

助けてくれた恩人の事を、ようやく思い出した。

 

 

「……『あの子』は?」

 

 

…囲炉裏の先。

『あの子』が陣取っていた場所には、もう誰もいない。

 

最初から、誰もいなかったかのように。

 

 

「……行っちゃいました」

 

 

静かに、残念そうに。

自分も立ち上がりながら、イエイヌは告げる。

 

 

「おひさまが出てくるまえに……まるで吹雪がいつやむのか、しってたみたいでした」

「……そっかぁ」

 

 

…何となく分かっていた。

『あの子』なら、そうする。

 

イエイヌや今まで出会ってきたフレンズ達と、距離感が違う。

 

 

 

…でも。

 

 

 

「…もらってくれたみたい。ジャパリまん」

「…ですね♪」

 

 

 

見向きもしてくれなかった、焼き目のついたジャパリまん。

それがふたつともなくなっている。

 

昨日の大きなお腹の音を思い出してしまい。

くすっと、イエイヌが笑った。

 

 

 

…耳が、音を拾う。

小屋の外…たぶん、ふたり。

 

 

 

急に表情を険しくし、背もたれ代わりにしたテーブルの先…

入ってきた、山小屋のドアに向き直るイエイヌ。

ともえも半歩、身構え。

 

 

「……きます」

「うん…っ」

 

 

 

っぎいいいぃぃぃ……

 

 

 

内から、外へ。

軋みながら開く、重みのある木製のドア。

 

 

 

「……すから、長!わたくしもたたかえますわ!!」

「気持ちだけで十分じゃ、オコジョ。それより、ほれ」

 

 

 

開いたドアの先から、流れ込む光の奔流。

昇った朝日が逆光となって、シルエットと影法師だけを小屋の中のふたりに見せつける。

 

 

 

「無事なようじゃな、お客人……あの吹雪をよくしのいだのう」

 

 

 

のんびりとした口調、しかし裏腹に威厳のある立ち振る舞い。

 

 

青みのかかったグレーのロングヘアの先を、黄色い布で一つに束ね。

突き出た耳はやや丸く、アイスグリーンの瞳が人懐っこそうに笑う。

 

髪と同じ色の丈の短い着物風の衣装に、落ち着きのある青の帯を黄色い飾り紐でくくり。

水玉のような縞模様の入った袖や裾、アクセントのようにフリルがのぞく。

 

白いタイツと短い丈をカバーする淡い藍色のミニスカートが素足を隠し。

スカートの下から伸びる長く太い尾にもまた、水玉めいた縞模様。

 

首元に巻いた白いケープはもこもことして。

防寒性だけでなく、見た目にやわらかな印象を与えるのに一役買っている。

 

 

…可憐なようで。

見た目にそぐわない圧力に似た存在感に、ともえがすこしたじろぐ。

 

 

 

「…まあ。ここで立ち話もなんじゃな。場所を変えぬか?」

 

 

 

気さくにそう提案し、差し出された手のひら。

 

 

 

………じゃらり。

 

 

 

その手首の枷から伸びる鎖が、重々しい音を立てた

 



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縛鎖

緩やかな傾斜が途切れる、針葉樹の森の縁。

朝もやに沈み、あいまいになった地形の輪郭。

 

 

山小屋を訪れるふたり分の人影。

…山小屋から出る、ふたり分の人影。

 

 

それらが山頂方面へ向かうのを見届けて、獣はゆっくりと茂みから抜け出した。

 

 

金の双眸は、相変わらず何を見ているか定かではないが。

 

…迷いこんだ《よそもの》が保護されて安堵しているようにも見える。

 

 

 

「やまのおきて」は、守られた。

 

 

 

じゃらり、

 

獣はゆらりと背を向ける。

 

 

 

……「やまのおきて」、とは言え。

厄介な相手を呼び込んだ事に変わりない。

 

早々に立ち去るべきだ。

 

 

 

………

……

 

 

……立ち去るべき、だ。

 

 

 

思考に反して動かない足。

それが何故なのか分からない。

 

 

 

―――GRRR…

 

理解できない苛立ち。

喉の奥から唸り声が漏れる。

 

 

 

………あ、お。

青い、あおい…

 

 

 

脳裏にちらつく記憶の影。

 

訳も分からず、もう一度振り返る。

 

 

 

小さくなっていく四つの人影。

 

…厄介なやつ。

小うるさいの。

昨日の元気な方と、そうでない方と。

 

 

…それらが針葉樹の森へ姿を消すまで、目をそらす事もできなかった。

 

 

 

……何だというのだ。

 

 

 

じゃらり、

 

苛立ちに握りしめた拳、繋がれた鎖が音を立てる。

 

 

 

思い出せない朽ちた記憶。

 

 

…思い、出せない。

思い、出したくない。

 

 

 

矛盾する感情、思考、記憶。

 

 

 

けれど。

けれど、そのすべてが。

 

忘れてはならないと告げている。

 

 

 

…わたし、は。

なにをわすれている…?

 

 

…わからない。

わから、ない……

 

 

 

摩耗した意識に浮かぶ疑問。

答えなど出ず、また泥のように沈んでいく。

 

 

 

…苦しい。

胸を締めつけられるように。

 

 

…悲しい。

胸を、引き裂かれるように。

 

 

 

でも、それが何故なのか。

 

…分からない。

思い出せない。

 

 

 

縛り付けて塞いだ、胸の穴。

 

揺さぶられれば溢れ出て、たとえがたい感情が胸を焦がす。

 

胸の傷を焼く度に、傷を塞ごうと締め上がる《縛鎖》。

 

 

 

―――AAAHH………

 

 

 

悲鳴にも似た吐息が漏れる。

 

 

忘れてしまいたい。

忘れていたくない。

 

 

 

矛盾する感情、そのどちらも真なれば。

 

 

 

…じゃらり、じゃらり。

 

 

 

獣は苦悶する。

忘れてしまった答えを求めて。

 

 

今は彼方、なくしてしまった《青》を求めて。

 

 

 

発作のような記憶と感情、思考の錯綜。

あいまいな意識を吹雪のようなめまいが襲う。

 

 

 

…まだ、だ。

 

まだ、わたしは……っ

 

 

 

歯を、食いしばり。

ふらつく体に喝を入れ。

 

前のめりに、一歩。

 

 

踏み出した足と長い尾で危ういバランスを保つ。

 

 

 

―――ぽすっ。

 

 

 

懐からこぼれ落ちた、何か。

 

丸まった背中、下がっていた視線。

 

 

音の発生源に自然と顔が向く。

 

 

 

まっ白な雪の絨毯の上に、半ば埋もれるように落ちたそれ。

 

焼き目のついた、濃い緑色のジャパリまん。

 

 

 

元気がなかった方が差し出してきたそれを視界にとらえ。

 

……錯綜の吹雪が凪いだ。

 

 

 

怯えながら、それでもまっすぐに自分に向けられた深いブルーの瞳。

昨晩の記憶、それが遠いどこかで重なって。

 

 

 

 

「    、      」

 

そう言って笑う、「あの子」の声。

 

 

 

 

確かに聞いた、声。

 

塗りつぶされた記憶が、刹那よみがえり。

刹那のうちに、再び過去へ消える。

 

 

 

…引き戻された現実。

引き剥がされた幻日。

 

懐から雪の上に落としたジャパリまんを前に、ただただ立ち尽くし。

 

 

…じゃらり。

 

 

枷の繋がれた手がゆっくりと、それを拾い上げた。

 

 

 

……何だと、いうのだ。

 

 

 

巡らせてみても答えの出ない思考。

 

記憶の吹雪は過ぎ去り。

あいまいな意識を残したまま、感情の波も鎮まった。

 

 

拾い上げたジャパリまんにほんのり残った自分の体温。

眺めるうちに、空腹だったことを思い出し。

 

…もう一つ、懐にしまってあることを確認して。

 

 

ためらいがちに、ジャパリまんにかじりついた。

 

アクセントとなって鼻孔をくすぐる焼き目の香ばしさ。

 

 

甘い。

 

 

味への感想もそこそこに、わずか三口で平らげ。

ジャパリまんをつまんでいた指三本を、順に一本ずつ舐め上げる。

 

 

 

……悪くない。

これならば「あの子」も喜ぶだろう。

 

…量的には不満だが、仕方あるまい。

 

 

《不届者》を仕留めるのは、これを届けてからでいいだろう。

 

 

 

じゃらり。

 

 

 

久々に上機嫌になった獣はゆっくりと歩き出す。

後生大事に、二つ目のジャパリまんを懐に温めながら。

 

しっかりとした足取りで、もう後ろを振り返る事さえなく。

 

 

金色の双眸が、嬉し気に笑う。

 

 

…じゃらり、じゃらり。

 

 

鎖の音を、静寂に沈んだ朝もやの銀世界に響かせて。

 

悠然と、堂々と。

 

 

獣は雪原のねぐらへとゆらり、ゆらり、歩いていく。

 

 

 

……ああ、おかしいな。

 

 

歩きながら、漠然と問答する。

 

 

 

わたしは、なぜ………ないているんだろう?

 

 

おかしい。おかしいな……

 

 

 

……じゃらり。



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シグナル・レッド

色には意味がある。



派手な色は、注意を引くためだ。


豪奢で鮮やかな尾羽を見せ付け異性を誘う、クジャクは求愛において代表例と言えるだろう。
色の鮮明さや羽の状態を見れば、個体としての強さや栄養状態も知ることができるのだ。

往々にして、そういった求愛の色は派手ながら心惹かれるような彩りを持っている。


対して、拒むような派手な彩りも存在する。


サンゴヘビやヤドクガエルといった有毒の動物たちがこれにあたるだろう。

求愛の色とは対照的に、鮮やかながら毒々しいと思わせる妖しい彩り。
あえて目立つ色合いをまとう事で、手を出そうとする者に「ひどい目にあうぞ」という警告をしているのだ。

…そのコントラストが、一部の物好きを惹きつけていることはさておき。



色の意味は、本能に近い部分に刷り込まれている情報だ。



そう、例えば……


…赤、赤、赤。

 

 

 

赤い光が点滅する。

四方八方を取り囲み、矢継ぎ早に、統一性なく。

 

 

唸り声のように。

耳をつんざく金切声のように。

 

高く、低く。

口々に放たれるサイレン。

 

 

 

「警告、警告。立入禁止エリアに侵入しています。直ちに退去してください」

「警備班へ、至急警備班へ。禁止エリアへの侵入を確認。至急応答されたし」

「このエリアは一般の入場が制限されています。スタッフの誘導に従い…」

 

 

 

チカチカと、違うテンポで。

何度も何度でも、何重にも。

 

繰り返される明滅する赤。

 

 

排除の意思を隠そうとしない、警告の赤。

 

 

 

「なに、これ…!?」

「………っ」

 

 

困惑するともえを守るように背に隠すイエイヌ。

だが、イエイヌ自身もどうしていいか分からない。

 

警告を発する相手への驚きと困惑が、ふたりの対応の幅を狭め。

動けないふたりに、行く手を遮った《彼ら》は取り囲むようにじりじりと距離を詰めてくる。

 

 

…ともえの膝ほどの大きさ。

丸みをおびたつるりとしたボディに、尖った耳とふさふさな尻尾。

 

水色を基調とした寒色系のカラーリングに、耳の部分を赤く光らせて。

縦長のツインアイの下に締められた黒いバンド、そこに四角い縁に丸いレンズのようなパーツが下がる。

 

…そのレンズもせわしなく緑色に不規則に点滅し。

耳に聞こえない声で互いに相談しているようでもあった。

 

 

 

ひょい。

 

さらなる新手が茂みの中から弾むように飛び出し。

 

 

 

「ココハ、立入規制エリアダヨ。入ッタラダメダヨ」

 

 

 

良く見知った口調で、とがった耳を赤く光らせながらともえとイエイヌに語り掛ける。

 

 

 

…ラッキービースト。

 

 

フレンズ達からは「ボス」と親しまれる、謎多きパークの守護者。

普段はしゃべることはなく、どこからともなくジャパリまんを運んできてくれる存在。

 

旅する中でもたびたび世話になった、フレンズ達の隣人。

ともえの前で言葉を発し、イエイヌが仰天したのも記憶に新しい。

 

基本的に単独行動しているのか、同じ場所にラッキービーストが集まる事自体もかなり珍しい。

 

 

…その彼らが、見える限りではちにん。

森の奥から響くサイレンを考えれば、もっと。

 

一か所にこれだけの数のラッキービーストが集まるだけでも、もはや異常事態とさえ思える。

 

 

さらには、彼らは明確に意思表示をしてくることはあまりない。

 

…特に。

こちらを取り囲みながら威圧の意思をあらわにしてくる事など、イエイヌは見た事も聞いた事もなかった。

 

 

 

対して。

 

 

 

「……長。前よりすごいことになってません?」

「そうじゃなあ。この数はちと、想定外じゃが」

 

 

 

長ともうひとり…

ユキヒョウとオコジョはそれなりに予測していたようで。

 

 

やや戸惑いを隠せてないオコジョに、ユキヒョウは想定外と言いつつも普段通り、のんびりした口調で答える。

 

懐から何かを出しながら、一番近くにいたラッキービーストの前にしゃがみ。

 

 

 

「これラッキーたちよ。客人じゃ、通してくれぬか?」

 

 

…じゃらり。

 

差し出した手に繋がれた鎖が、騒音の嵐の中に異音を刻む。

 

 

手の平に収まる程度の、横長の四角。

 

角は丸められ、薄く、凹凸なく。

けれど、多少の力では割れない程度に厚みはある。

 

 

黒いベルトから下げられたレンズに灯った、先ほどとは違う緑の光。

ユキヒョウの差し出した四角の表面をなぞるように走る。

 

 

 

「…ID認証、完了」

 

 

 

ぴたり、と。

 

一斉に鳴りやむけたたましいサイレン。

 

 

目配せするような二拍の間。

 

騒音の名残が耳に残るいびつな静寂の中。

集まったラッキービースト達が、数瞬のタイムラグを刻みながら一斉に散る。

 

 

 

まるで何事もなかったかのように。

 

…いや、何事かはあったのだ。

 

 

生き物の気配のない森。

降り積もった新雪に刻まれた、複数の足跡。

 

残響の森に灯った赤い光が薄れかかった朝もやを彩る。

 

 

……赤は、血の色。

 

 

明滅する警告は、凄惨な幻影を浮かび上がらせるかのように。

 

不気味に、不吉に。

異常な何かが進行しつつある事を告げていた。

 

 

 

「目的地ハ《ケイブ・ベース》デイイカナ?」

 

 

 

…投げかけられた質問。

 

残ったひとり…

最後に茂みから飛び出してきたラッキービーストが問いかける。

 

彼もまた耳を赤く光らせ、無表情に無感情に。

四角い板を差し出したユキヒョウへ無機質な視線を向ける。

 

 

「うむ。というかそこしか知らぬのじゃが…」

 

 

異様さを漂わせるラッキービーストに怖気づく素振りさえなく。

 

むしろ、楽し気に。

からかうようにユキヒョウが笑う。

 

 

「他にもああいうのがあるのかの?」

「ソレハ機密事項ダヨ」

「ラッキーはつれぬのう」

 

 

そっけない彼の受け答え。

あっさりと、しかし冗談めかしてユキヒョウはそれを受け入れる。

 

 

…余裕、というのだろうか。

自分に持っていない何かを、ともえは目の当たりにした気がして。

 

 

「……もしかして。ユキヒョウ…さん、ってすごいひと?」

「あたりまえでしょ?……って、あなた今年生まれでしたわね…」

 

 

つぶやいたともえ。

たしなめようとして、軽く聞いたともえとイエイヌのなれそめを思い出したオコジョ。

 

 

「長、じゃからの♪」

 

 

屈託なくユキヒョウは笑って見せて。

 

 

「ぬしも大変じゃな、イエイヌや?」

「…あ、あはははは…」

 

 

…そう話を振られて、イエイヌは笑ってごまかすしかなかった。

 

 

「ルート検索、完了。案内ヲ開始スルヨ」

 

 

ラッキービーストはそんなよにんをよそに歩き始め。

 

 

「話は落ち着いてからじゃな。もう、そう遠くはない」

 

 

ユキヒョウも残るさんにんを促すように歩き出す。

ともえ達も後に続く。

 

 

 

新雪に刻む、ごにん分の足跡。

半ば氷と混じったそれは、ざくざくと音を立て。

 

生き物の気配の消えたゆきやまの静けさをさらに引き立て。

ちらつく赤い光が、不安と緊張感をあおる。

 

…木々の陰や、茂みに身を隠した散ったはずのラッキービースト達。

いまだ赤く発光する耳が、こちらを監視する彼らの存在を浮き彫りにする。

 

 

 

…この奥には何があるんだろう。

……このゆきやまで、一体何が起きているんだろう。

 

 

 

先を行くユキヒョウとラッキービーストを追いかけながら。

こみ上げてくる不安をごまかすように、ともえは頭を振って思考を追い出した。



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ユキヒョウとオコジョ  1

「さ。改めて名乗らせてもらうかのう。

わらわはユキヒョウ。島の長じゃ」

 

 

 

……じゃらり。

 

 

丸めるように、柔らかく。

軽く握った右手、手首だけをふにゃりと曲げる。

 

 

…まねきねこのような、気さくでフレンドリーなポーズなのだが。

 

右手に繋がれた枷の鎖が揺れ、調度品が揃っていながらどこか殺風景な部屋に金属音を響かせる。

 

 

ともえ達が通された『げすとるーむ』。

 

小綺麗に掃除された室内に、黒く、何だが高級感のあるローテーブルとふたり掛けのソファーが二つ。

 

手前側のソファーに、ともえとイエイヌが。

ローテーブルを挟んで奥側に、オコジョとユキヒョウが向き合うように腰を下ろす。

 

 

視線だけで見回した部屋の中。

 

カーテンで閉ざされた窓枠が一つ。

暖色系の壁紙はどこか古びて、時間の経過を感じさせる少し浮いてしまっている継ぎ目。

火の気もなく、灰もない赤レンガの暖炉はおそらく飾りなのだろう。

 

 

冬のゆきやまちほーの山々を描いた絵が、暖炉の上に掛けられた額縁の中で埃をかぶっていて。

誰かが描いたその絵も、雄大な雪に覆われた山々が何となく黄色みがかっているように見える。

 

奥の部屋に備えられた大きめのベッドから察するに、来訪者が宿泊する施設だったのだろうか。

 

 

…手の届くところだけ綺麗に掃除され、そのまま古びてしまった。

そんな印象を受ける、今も誰かが手入れをし続ける部屋。

 

何となく感じてしまったもの悲しさを、思考の隅に追いやって。

 

 

改めて名乗ったユキヒョウに促され、ともえとイエイヌも背筋を伸ばし。

 

 

「あの……ともえ、です」

「イエイヌです」

 

 

イエイヌが軽く一礼するのを見て、ともえもそれに続く。

 

 

「あの、あたし達……!」

「…ゴリラの遣い、であろ?」

 

分かっておる、と頷きながら……ユキヒョウがちらりと隣に座るフレンズに向けた視線。

…気まずくて、まっすぐ見れなかったともえの視線もそちらに移る。

 

 

真っ白い、まるで雪のようにつややかなセミロングの髪。

輪郭に沿うように分けた前髪、一房だけ額を隠すようにおろし、そこの毛先だけが墨のように黒い。

 

髪からのぞく大きな耳は丸くふわふわとしていて、ともえの触ってみたい欲求を駆り立てるものの。

…膝を抱え、ちょっと涙ぐんじゃってるなんとも言えない視線が八つ当たりのようにともえに刺さる。

 

白のカッターシャツに白のネクタイ、さらに上に着込んだ長袖のセーターまで白く。

これまた白のスカートと、その下から伸びるふっさふさの大きな尻尾もまた白い。

 

白のハイソックスとスカートの隙間を隠すように尻尾を巻き付け。

墨を吸った筆のような尾の先が、気まずさともどかしさを表すように、所在無げに揺れた。

 

 

…まるで、ゆきやまに生きるために生まれたような、溶け込むような純白のフレンズ。

前髪の一部と尻尾の先だけが黒いのもアクセントになっており、愛らしさを違和感なく際立たせているのだが。

 

 

 

……どーにも、非常に、オコジョは気分を害しているようで。

 

 

 

「……で。このぶーたれておるのが…」

「…くびだけおばけのオコジョですわ…」

「これ、オコジョ」

 

 

たしなめるユキヒョウ、だがオコジョはぷいとそっぽを向いてしまう。

 

はあ、ため息が一つ。

 

 

 

「…すまぬのう、気が強くてのう」

「ああああああああ……ごめんねぇ、オコジョちゃんごめんねぇ…」

「…………、……」

 

 

 

謝るユキヒョウ。

取り乱すともえ。

さらにしあさっての方へ視線をそらしたオコジョ。

 

 

(……どーしましょう、これ……?)

 

 

…本格的に、どうしていいのか分からなくなり。

イエイヌには苦笑半分の乾いた笑いでごまかすのがやっとだった。

 

 

(……えーっと…)

 

 

…問題解決の糸口を求めて、イエイヌは記憶をさかのぼる。

 

 

遠くない過去。

 

『けいぶべーす』の入り口にたどり着いた辺りに焦点を絞り。

 

 

…己の心に問う。

何故、と。

 

 

(…どうして、こんなことに……)

 

 

…ゴリラからの「にんむ」とゴマちゃんさん。

ゆきやまの異変と謎のフレンズ。

 

長・ユキヒョウとオコジョ、そしてともえ。

 

 

聞きたい事。

知りたい事。

やるべき事は、たっぷりとある。

 

 

……時間は少し、巻き戻る。



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ユキヒョウとオコジョ  2

…ごこん。

 

地鳴りのように響く、何か大きな物が動く音。

 

 

しゅ、う……

 

次いで、閉じ込められていた何かが抜け出すような音が漏れ。

 

 

 

……目の前の岩肌が、なめらかにスライドしていく。

 

 

 

「………へ?」

 

言葉にしようとして、言葉にならなかったのか。

 

ともえの口から気の抜けた声が漏れ。

イエイヌはぽかんと口を開けてたまま固まっている。

 

 

 

岩肌にしか見えなかったそこに隠されていた、機械仕掛けの通路。

 

ラッキービーストとユキヒョウの持っていた四角。

その二つが揃って初めて姿を現す、パークに眠る秘密の一部。

 

 

 

「の?の?どうじゃあ?すごいじゃろこれ♪」

 

 

その反応を待っていた、とばかりにはしゃぐユキヒョウ。

 

「…本当は皆に見せたいんじゃがのう」

「機密事項ダカラ、ダメダヨ」

「……の?ラッキーはつれぬのー」

 

ラッキービーストに釘を刺され、すねたような口調でおどけて見せる。

 

 

「さ、この奥じゃ。休むにも話すにも都合がよいしの」

 

ちらり。

オコジョの方へ視線を送り。

 

 

「秘密というのは、理由があるから隠しておるのじゃ。

…ちと、早いかもしれぬが。こうなったからにはぬしにも動いてもらうぞ?オコジョよ」

「……はいっ!!」

「よい返事じゃ♪」

 

 

迷いなく、目を輝かせるオコジョにユキヒョウが笑う。

 

ゆきやまのふもと…じゃんぐるにいたゴリラやイリエワニ、ヒョウ達と似た間柄。

でも、ふたりの間の空気と距離感は、ゴリラ達とは違っていて。

 

長という役割を、ともえは少しだけ教えてもらったように感じた。

 

 

「誘導灯ノ点灯ヲ確認。ジャア、ツイテキテネ」

 

 

ひょい、と一番最初に動き出したのはラッキービースト。

 

先導に警戒する素振りもなく、するりと中へ入っていくユキヒョウ。

オコジョも遅れないように後を追い、ともえ達もおそるおそる後に続く。

 

 

…岩の上とも、さっきまで歩いていた半ば凍った雪の上とも違う、靴底の感触。

平らな……自然に出来た物とはまったく違う、無機質な平坦さ。

 

 

「やっぱり…慣れませんわ、ここ」

「歩きやすいんじゃがのー。…勝手が違いすぎるのも困りものじゃのう」

 

 

進行方向を示すように並ぶオレンジ色の光が、暗い通路の足元だけを照らし。

何気なく触れた壁はざらざらとした、土とも石とも違う質感。

 

 

ぼんやりと、闇に慣れたきた目がひろう通路の全容。

 

ごにんで歩いて、まだまだ余裕のある広さ。

みんなが荷物を抱えていたとしてもおそらく普通に通れるだろう、目的を持った機能性。

 

この通路が自然に出来たものでないと主張する、壁に埋め込まれた金属の枠組み。

それなりの距離の先、ぽっかりと口を開けている通路の出口がなんとか視認できる。

 

 

…暗闇の中、規則的にずらりと並ぶ金属の枠とオレンジの誘導灯。

そこを進む自分達は、まるで巨大な何かの喉を通り抜けようとしているようで。

 

理由も分からない不気味さが、ともえの口数を減らす。

 

 

 

―――その光景が、記憶のどこかを刺激するのか。

 

 

視界と脳裏にちらつくノイズ。

白昼夢とも幻覚ともつかない、正体不明の影が揺れる。

 

 

 

…分からない。

思い出せない。

 

でも、知っている。

あたしは、きっと……

 

 

 

「………ともえさん?」

「……う、ううん。なんでも、ないよ…」

 

 

 

……ここに、来たことがある。

 

 

 

気にかけてくれたイエイヌに、なんとか返事をして。

 

 

きゅっと。

何気ない素振りでイエイヌが手を取った。

 

 

「…もう少しですから。がんばりましょ、ともえさん」

 

 

つないだ手から伝わる体温。

不思議なほどに不安が薄らいでいく。

 

それ以上の追求をしないイエイヌの気遣いが、今のともえには嬉しくて。

 

 

「……うんっ」

 

 

出来るだけ元気な声で、ともえはそう返事をした。



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フラジイル

……油断していた、んだと思う。


そばに、お友達がいてくれるから。
イエイヌちゃんが、支えてくれるから。



…だから、大丈夫。
何があっても、きっと。


あたしは大丈夫。

あたしは、「あたし」のままでいられる。



…そう思ってた。



薄暗い通路を抜けて。


ばちん。


大きな音と一緒に、広がった空間に光が差して。



………どくん。



目の前の光景に、心臓が跳ねた。


乳白色の、なめらかな不思議な石の柱。
茶褐色の模様が不規則にグラデーションをつけて。

…「見覚えのある」、くり貫かれた鍾乳洞。



《……ッ………ザ……ァア………》



…水の音。
足のすぐ下を、勢いよく流れるそこから伝わる冷気。

……この感触も、「知っている」。



《………ザ…ッ……ザァ………ザッザリッ……》



耳鳴りとめまい。

聞こえる音に混ざったノイズ。
一つのモノが、二つにも三つにもぶれて見える。



『………、…………?』

誰かの、声。
分からないけれど、知っている声。



……それが、懐かしくて。
安心できて。

………その事が。
とても、怖い。



「………っ……は、ぁ……っ」



繋いだ手に、力が入る。

イエイヌちゃんの、手。
優しくて、安心できる手。



……力を、入れているはずなのに。

温かさも、柔らかさも。


あたしには、感じることができなかった。


――――ザァァァァァァアアァァァァァァ………

 

 

 

……水の音が、する。

 

こんこんと、とうとうと。

走るように、急ぐように。

 

せせらぎと呼ぶには騒がしい水の流れが、足場のすぐ下を駆け抜けていく。

 

 

…生き物の匂いは、しない。

 

清らかな…

ただただ、清らかな。

 

 

コケのような植物の匂いさえしない、清らかすぎる水。

 

 

降り積もった雪が解け、岩肌に染み込み。

岩盤の隙間を潜り抜ける度に、ろ過され、浄化され。

 

徹底的に不純物を取り除かれた冴え切った水は、靴底に脈打つようなリズムを伝える。

 

 

どこからか注ぎ込む地下水脈はまるで川のよう。

悠々と流れて水車を回し、繋がれた歯車が重いうなりをあげて。

 

 

 

ごぅぅん……ごぅぅん……ごぅぅん……ごぅぅん……

 

 

 

低く、低く。

遠雷のように、心音のように。

 

発電機を動かし、水を汲み上げ。

不自然に整った地底湖へと水を注ぐ。

 

 

 

……ぽたり、、、ぽたり。

 

 

 

天井から滴る雫。

その中に含まれるわずかな成分が、気が遠くなるほどの時間を掛けて結び付き。

 

つららのように垂れ下がり。

やがて柱のように立ち並び。

 

 

一滴、、、、、また一滴。

 

 

小さな雫が波紋を広げ。

 

その音は、不思議なほどに大きく。

無数の音の反響する中で、耳に心地よく響いた。

 

 

 

「………っ……は、ぁ……っ」

 

 

 

…ともえさんの、様子がおかしい。

 

 

苦しそうな呼吸。

つないだ手も冷え切っていて。

もう片方の手は、何かをこらえるみたいに胸を押さえていて。

 

 

何よりもおかしいのは、顔色。

 

通路を抜け、大きな機械が光るまで分からなかったけど。

どこか具合が悪いのは、ひとめですぐに分かった。

 

 

血の気の引いた頬。

真っ青な唇。

 

…それでも。

どことなく焦点の合わない瞳で、あちらこちらを見まわし続けてる。

 

 

 

「…長」

「んむ、分かっておる」

 

 

声をかければすぐに返ってきた返事。

 

 

 

…じゃらり。

 

「鍵を開けてくるのでの。…無理せず、ゆるりとしておれ」

 

 

 

そう言い残して、ボスを抱えて長がいそいで走り出す。

 

 

「ともえさん。少し、すわってましょ?」

「……う、…ん……」

 

 

…反応も、鈍い。

肩を支えながら、ゆっくり腰を下ろさせる。

 

その間にも、ともえさんはうつろな目をさまよわせ。

 

 

 

「………ぁ、あ」

 

 

 

オコジョさんの方を向いて、視線が止まった。

 

頭から、足の先まで。

じっと、すみずみまで眺めるえんりょのない視線。

 

 

 

「……あ、あなた。ひとをじろじろ見る趣味でもあって…?」

 

 

 

あきらかにふつうじゃない視線に気圧されたのでしょうか。

歯切れの悪いオコジョさんの声。

 

……たぶん、冗談にしたかったのかな。

ほんにんも予想できないほどに、きつくなってしまった口調。

 

 

オコジョさんの目が、泳いでいる。

 

 

「…ともえさん?」

 

反応の薄いともえさんに、ささやくように、なだめるように。

声をかけて、反応をうながして。

 

 

「…………け、………」

「……だいじょうぶ、です。もう一回いってください」

 

 

…少しだけ。

さっきよりも大きく、ともえさんの口が動く。

 

 

 

「……くびだけ…おばけ……」

「………はい?」

 

 

 

思わず聞きかえしてしまった。

 

……くびだけおばけ…?

 

 

そのまま、ぐったりと体から力が抜けて。

あわてて支えるけれど、もう、ともえさんははんぶん意識がない状態で。

 

 

………

……

…。

 

 

…なんとなく、いやな予感がしてオコジョさんの方を見る。

 

 

雪のように白い肌。

ただ頬っぺただけが赤く染まり。

 

くりっとした大きな黒い瞳はちょっと涙目で。

泣いてるのか、怒ってるのか。

 

…どうしていいか、分からないのか。

 

何か、言おうとして。

言葉に、ならなくて。

 

 

……きりっ、

 

歯を食いしばる音がして。

 

 

 

「何なのですのおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」

 

 

 

行き場のない感情と思考をはきだすみたいに。

オコジョさんの絶叫が、鍾乳洞に響き渡って。

 

こだまする叫び声、耳がびりびりするくらいの大音量。

 

……それでも、ともえさんはぐったりしたままで。

 

 

…口に出さないですけど。

同じ気持ちです、オコジョさん。

 

心の中で、わたしもオコジョさんに同意したのでした。




『……あなた。ひとをじろじろ見る趣味でもあって?』



からかうような口調で、「オコジョちゃん」が言った。

トゲのある言葉、でも、冗談だってわかる。
ユキヒョウさんみたいな、余裕のある…なんかちょっとドキドキする口調。


《……ザザアッ……ザッザリッ……ザザァア……ザザッ》


頭から、足の先まで。
雪のように真っ白で。

白い大型ライトの光が照らす、乳白色の鍾乳洞の中で。
まるで溶け込むみたいに見えにくくって。


「…く、くびだけおばけ……」


黒い前髪のある顔の部分だけ、浮かんでるように見えて。
あたしは思わず、そう言ってしまった。


『す、すみません、長……ほら、ともえちゃん?』


「イエイヌちゃん」が「オコジョちゃん」に謝るけれど。


『子供の言う事ですもの…よろしくてよ♪』


「オコジョちゃん」はむしろ楽しそうに笑って。
あたしの顔の高さに合わせて、膝を曲げて。



『わたくしは、オコジョ。……くびだけおばけですの♪』



にっこり、笑って。

あたしの頭に、羽のついた帽子をのせてくれて……



《ザッ…ザリザリザリッ…ザザザッザァ……ザァアアァァァアアアアアアアア》



………そこまでが、限界だった。

重なり合った、今と記憶。
まったく違うのに、奇妙に一致してしまった「それ」。


頭も、心も、何もかもが混ざりあって、裏返ってしまうようなおかしな感覚がとまらない。


…大きくなっていく、ノイズとめまいに飲み込まれて。

あたしは、意識を手放した……


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ユキヒョウとオコジョ  3

(……んーーーー……?)

 

 

 

思い出せば、思い出すほど。

考えれば、考えた分だけ。

 

首を傾げたい気持ちが強くなり、イエイヌは煮詰まった思考を頭から追い出した。

 

 

…足りない情報が、多すぎる。

 

ともえが何を『思い出した』のか。

それにどう、オコジョが関係あるのか。

 

……そもそも「くびだけおばけ」って何だろうとか。

 

分からないことが、多すぎる。

 

 

 

「ううぅ……」

 

…どうしていいのか、分からないのだろう。

イエイヌの隣でソファーから立ったり座ったり、そわそわと落ち着きのない半べそのともえと。

 

 

「………」

 

膝を抱えて、もはや背中を向けてしまったオコジョ。

…戸惑うように揺れている尻尾を見るに、意固地になりすぎてると思ってる……のかもしれない。

 

 

 

「くびだけおばけ、のう……?」

 

ユキヒョウも、首をひねりながらつぶやき。

ちらり、とイエイヌに心当たりを問いかけるように視線を投げかけた。

 

 

 

「…えーと、そのー……」

 

整理が追い付いていない頭、話を振られても言葉がまとまらない。

改めてじっくりと、オコジョを観察しながら。

 

 

「オコジョさんはまっ白なので……あの。雪があると、ですね……?」

 

 

何故か一緒にわたわた動く手。

変な緊張だけが高まり、自分でもうまく説明できてないのが分かる。

 

 

 

「ふぅむ……のう、オコジョや」

 

 

それでも、ユキヒョウは何か糸口をつかんだようで。

 

いつも通りの、のんびりとした口調。

いつもよりすこしだけ、柔らかい口調。

 

 

 

「前の夏を覚えておるかの?」

 

オコジョが、視線だけユキヒョウに向けたのを見届けて。

穏やかに続ける。

 

 

「昼寝してたわらわを踏んづけた…そう、アレじゃ」

「あ!あれは、その……岩のかげで、長が見えなかったからで……」

 

 

慌ててユキヒョウに向き直るオコジョ。

…だんだんと尻すぼみに小さくなる声。

 

そのまま、バツが悪そうに。

口をつぐんでしまうが、ユキヒョウはゆっくりと首を振って。

 

 

 

「よいのじゃ」

 

 

…じゃらり。

 

優しく、梳かすように。

オコジョの髪を撫でる、枷の繋がれた右手。

 

 

「岩場のわらわと同じように、雪あるところでそなたをはっきり見据えられる者がどれほどおるかの?

こたびは、アレと同じじゃ」

「………、…」

 

 

諭すように。

噛んで含めるように。

 

オコジョの尻尾がユキヒョウの言葉に揺れ。

 

 

 

「のう、オコジョよ。

…わらわのマネをしても、わらわにはなれぬぞ?」

 

 

 

続く言葉に、ぴたり、と。

オコジョの尻尾が動きを止めた。

 

 

内心を見透かした言葉。

 

けれど、それは。

 

 

「わらわはわらわで、そなたはそなた、じゃ」

 

 

戸惑い、焦り、恐れ、不安。

 

オコジョの抱えているモノを言い当て、それを肯定する言葉。

こわばった尻尾から、力が抜けていくのが分かる。

 

 

 

「…そも、わらわのマネをするには修行が足りぬぞ?」

 

 

最後は、ちょっと冗談めかして。

少しだけ恥ずかしそうに、ユキヒョウは笑う。

 

 

 

……もう、大丈夫だろう。

 

 

「…ともえさん、ほら」

「……うん」

 

 

 

促されて、おずおずと。

歩み寄るともえと、向き直るオコジョ。

 

…お互いにちょっと涙目で。

 

気まずさが数拍の間を作った後。

 

 

「……ごめんね、オコジョちゃん」

「わたくしの方こそ…その、ごめんなさい、ね?」

 

 

ぺこり、

お互いに下げた頭。

 

それがちょっと、気恥ずかしくて。

なんだか、照れくさくって。

 

 

くすっと、何故か笑ってしまう。

 

 

「…ね、オコジョちゃん。耳、さわってみていい?」

「えっ…その……優しく、お願いしますわ…」

 

 

まだぎこちないけれど。

じゃれ合いはじめたともえとオコジョ。

 

少し打ち解けたふたりに、イエイヌはほっと息を吐く。

 

 

 

「すまぬのう、イエイヌや。気が短くてのう」

「あ、いえ。…まじめな子ですねぇ」

「うむ。わらわよりしっかりしておるかもしれぬ」

 

 

長のとりなしとねぎらいが、嬉しくて。

……懐かしい。

 

おうちに引きこもりがちな自分を気にかけてくれて。

色々な話をしてくれたのも、岬の遺跡に行ってみる事になったのも。

 

 

「うわあ……ふわっふわだぁ…」

「んっ…もう少していねいに、んんっそこ、は……」

 

 

…思えば。

ともえに出会ったのは、長が遠いどこかできっかけを作ってくれていたのかもしれない。

 

 

「なんだか…なつかしいですね。こうして長とお話しするのもひさしぶりです」

「そうじゃなぁ…ここしばらく、ゆきやまを離れられなくて、の。

そなたは少し……変わったの、イエイヌや?」

「…あっ、やっ、やめ……っ」

「…そうですか?」

「そうじゃとも。顔つきが」

「…やめろっつってんだろがァっ!!………あ」

 

 

とどろいた怒声。

思わず振り返れば、固まったともえと慌てるオコジョ。

 

 

「…いえ、違うんですの。そう、じゃなくて、その……」

 

…原因になったとはいえ。

至近距離で怒号を浴びて半べそのともえを、なんとかなだめようとするオコジョ。

 

 

「……オコジョや」

 

 

ユキヒョウは、ゆっくりと首を振って。

 

 

「じゃから。修行が足りぬと言っておるのじゃ…」

「…ともえさんも。調子にのるの、ほどほどにしましょうね?」

 

 

もう一度、長とふたりで仲裁に入り。

 

…少し、変わった。

長にそう言われた意味が、イエイヌはちょっとだけ分かった気がした。



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ユキヒョウとオコジョ  4

「すまぬのう、血の気が多くてのう」

「い、いえ。……こちらこそ、ともえさんがすみません」

 

 

頭を下げるユキヒョウ、イエイヌも改めて頭を下げ。

微妙になってしまった空気を仕切りなおそうとしてみるものの。

 

さすがに三度目となると、仕切りなおす口実も当たり障りのないモノを見つけるのはちょっと難しい。

ともえもオコジョも、しょんぼりして小さくなってしまっている。

 

続く言葉を探し始めたところで。

 

 

 

……ふと。

甘い香りが鼻をくすぐる。

 

花の蜜、とまでは行かないが。

野に咲く花のような、やわらかく、優しい匂い。

 

 

香りを追って、イエイヌが『げすとるーむ』の入り口を振り返るのとほぼ同時。

機械仕掛けのドアが滑らかにスライドする。

 

 

「オ茶デモドウカナ?気分転換ニナルヨ」

 

 

姿を見せたのは、ラッキービースト。

 

『げすとるーむ』に通されて以来、見かけなかった丸いボディ。

尖った耳の上に、不可思議なほど平然と丸いお盆を乗せて。

 

お盆の上に乗った四つのカップと、判別がつくくらいに強くなった匂い。

 

 

これは、知ってる。

自分のは、花の匂いはしないけれど。

 

 

…こく、喉が鳴る。

そういえば朝から何も食べてなかったなぁ。

 

そうぼんやりと考えた、まさにその時。

 

 

 

―――ぐぐううぅ………、ぐぅう。

 

 

 

大きな音を立てて空腹を主張する、誰かのお腹。

みるみるうちに顔を赤くするともえ。

 

…我慢、しようとして。

無理だったユキヒョウが吹き出して。

 

 

「…そうじゃなあ。あさげがまだじゃものなぁ」

 

のどの奥でくつくつ笑いながら、

 

 

「のう、オコジョや?」

「わ、わたくしは、何も…」

「しっかり聞こえておる。恰好つけずともよいのじゃ」

「あう…」

 

 

今度は、話を振られたオコジョが真っ赤になった。

…どうやら最後のは、オコジョの、らしい。

 

顔を赤くしたふたり、気まずそうな視線を交差して。

 

「…何ですの?」

「ううん、なんでもないよ」

「……もうっ」

 

困ったように笑った。

 

 

空気が、緩む。

変な緊張感も、意地の張り合いも、もう終わり。

 

なるほど、ちゃんと気分転換になってる。

…まだ飲んでないけど。

 

 

 

「ボス、ありがとうございますー」

 

運んでくれたお盆をローテーブルに乗せなおし、白磁のカップをひとりひとりの前に配るイエイヌ。

 

 

自分の分のカップを手に取って、そっとのぞき込んでみれば。

 

赤みがかった明るい茶色をしたお湯。

湯気の先に映り込んだ顔、しかし飾り気のないカップの底を見通せる透明さもあわせ持つ。

 

ふわり、

揺らめく湯気に乗って、鼻をくすぐる甘くさわやかな香り。

 

やはり、花の匂いはここからする。

 

 

「いいにおい……お湯に葉っぱをいれたやつですよね、これ?」

 

明るくなった場の空気に、疑問を口にしてみると。

 

 

「紅茶ト言ウヨ。オ茶ノ葉を発酵サセタ後デ乾燥シ、オ湯ヲ注イダ物ダヨ。

今回ノハ、カモミールノ花ト合ワセタモノダネ」

「あ、それでお花のにおいがするんですね」

 

返ってきた解説に、普通に納得してしまって。

 

 

「カモミールティーハ、リラックス効果ガアルトイウヨ。気ニ入ッテクレタカナ?」

「…やさしくって、なんだか落ち着く気がしますー。ボス、ありがとうござ……?」

 

 

……言いかけて、はたと気付く。

 

わたしは。

だれと、お話を……?

 

 

「え…?わたし、ボスとお話しして……へ…?」

 

ひとりで取り乱す自分と、きょとんとするさんにん。

みんなの反応の薄さに、違う意味で広がる混乱。

 

 

 

「…ああ。そうじゃった、そうじゃったのう。

当たり前になっておったなあ、ボスと話すのも」

 

 

やっと理解した、というようにユキヒョウがしみじみと口を開いた。

 

 

「ラッキーや。すまぬが、ジャパリまんも頼めるかの?

食いしん坊めらにしっかり食べてもらわねばならぬのじゃ」

「マカセテ」

 

 

軽いフットワークでまた退出するラッキービースト。

 

…さっきとは違う感じで、空気が引き締まる。

 

 

 

「…堅苦しいのも、説教くさいいのも嫌いじゃ。

じゃが。それも含めて話をせんとのう……」

 

 

面倒くさそうに。

…せっかく明るくなった空気を壊さないように。

 

冗談めかしながらユキヒョウは言う。

 

 

まじめな話が、始まる。

イエイヌもオコジョも、少し姿勢を正し。

 

 

 

「あ、あの…」

 

 

ともえだけはおずおずと、発言の許可を求めるように手を挙げて。

 

 

 

「…昨日の夜に、フレンズちゃんに会ったんです。

その子…すごく、お腹を空かせてて……あの…」

 

 

つっかえながら、言葉を探しながら。

なんとか説明しようとするともえ。

 

山小屋で出会った…ちょっと怖い、不思議なフレンズ。

…その子にも、食べさせてあげたい。

 

 

「そなたは優しい子じゃな、ともえや。

……会っておったか、『あの子』に」

 

 

その思いは、ユキヒョウにちゃんと伝わったようで。

 

 

ちらり、

イエイヌに飛んできた確認の視線。

 

こくり、

肯定の頷きをイエイヌがするのを見届けて。

 

 

 

「『あの子』の話にもなるじゃろう。じゃが、まずはわらわ達が食べねば。

…食べれるときに食べておかねば、動きたいときに動けぬ。

 

じゃから……まずは、食べるのじゃ」

 

 

噛みしめるように、絞り出すように。

…自分に言い聞かせるような響きさえある言葉。

 

その重みに、ともえは頷いて。

 

 

……ゆっくりと、ユキヒョウが口を開く。

やわらかく、微笑みながら。

 

 

 

「あの子は、アム。

アムールトラ。

 

……わらわの、ともだちじゃ」

 

 

 

昔を懐かしむように。

思い出に浸るように。

 

そして、何かを諦めるように。

 

 

……じゃらり。

 

 

右手に繋がれた鎖が、重く音を響かせた。



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雪原へ

「よいな?雪原はアムの縄張り。…十分に気を付けるのじゃぞ」

「はい。長も、お気をつけて」

「いってきまーす!」

「あなたが一番気をつけるんですの!!」

 

 

氷と入り混じった崖の岩肌。

山頂へと延びるそこに、隠し飲んだ機械仕掛けの洞窟への入り口でユキヒョウと別れ。

 

西へ、西へ。

 

 

山頂に背を向け、尾根を伝い。

雪原を目指して、足跡を刻む。

 

 

 

…寒くは、ない。

 

刺さるような風も通さない、かちっとした灰色のコートは暖かくて動きやすいし。

縫い目やポケットの縁取りにオレンジの色ラインが入っているのもかわいくてお気に入りだ。

 

足元の冷えも紺色のタイツと、コートと同色のパンツのおかげで全然違う。

つるりとした表側と裏起毛の内側の二重構造になっていて、裾をブーツに入れ込んでしまえば、雪が隙間から入ってくることもなくなった。

 

 

どちらも『けいぶべーす』にあった借り物だけれど、登ってきた時よりも格段に過ごしやすくなっている。

 

なぜ、自分にぴったりの…すこしゆとりがあるくらいの服が、そこにあったのか。

それだけは分からないけれど。

 

 

 

動きやすく、暖かい恰好になったことで生まれた心の余裕。

それは、見ていた世界の彩りをより鮮やかに映し出す。

 

 

 

崖の岩肌にしがみつく苔にも霜が這い、絡み合って凍り付き。

半ば一体化たことで生まれた、不愛想だった岩肌を飾るほのかな色合い。

 

 

崖を離れれば背の低い茂みのような木々が増え。

春に芽吹くのだろう、葉を落とした枝先がやわらかに膨らむ。

 

その枝先を包むように、飾るように。

白く色づく氷が宝石のように輝きながら風に揺れ。

 

 

通り抜けるだけだった針葉樹の森も、目的が変われば見方が変わる。

 

 

 

誰かが通った痕跡のある茂み。

岩にもたれてトンネルのようになった倒木は、ところどころ樹皮が剥がれていて誰かがその周りで遊んでいたかのよう。

 

いずれ土に還る倒木の乾いた質感と、根を張った木々のしっとりとした質感。

その先についた葉も、倒木のそれは茶色く変色し。

 

 

―――ぱきっ。

 

乾ききった枝はともえの手でも簡単に折れ、そのちょっとした衝撃にもぱらぱらと葉を落としてしまう。

 

 

…『あの子』が、アムールトラが。

助けてくれなければ、自分も「こう」なっていたのだろうか。

 

昨日、いやと言うほど知ったゆきやまちほーの過酷さ。

 

 

そしてその過酷な大地に、たったひとりで暮らすアムールトラ。

ユキヒョウの群れにも近づかず、セルリアンの多い谷のさらに奥。

 

近づく者もほとんどいないその雪原で、何を思っているのだろう。

 

 

余裕が出て、回るようになった思考。

 

…何が、出来るわけではないけれど。

ちゃんとお礼が言いたいし。

 

 

オコジョとユキヒョウ、ふたりの言う事に「ずれ」があるような気がして。

 

それが何なのか、知りたい。

放っておいては、いけない。

 

 

そんなことを考えながら、不思議そうにこちらを振り返るオコジョとイエイヌのもとへ急ぐ。

 

 

ごうごうと音を立てる、冷えきった大気にも凍らない沢は雪を溶かしながら流れて。

溶かしきれなかった雪は沢の水と混じりあいながら、縁に溜まって凍りつく。

 

そんな沢に掛かった3本の丸太を並べた橋からは、ずらりとつららが垂れ下がり。

アーチを描くように、真ん中は短く。

根本の方は走るように流れる沢の縁まで達していて。

 

 

まるで彫像のようにがっしりと、根を張るように向こう岸とを結び付ける。

 

 

 

…不安が先に立って、見回す余裕もなかった前とは違う。

 

たぶん、ここに来なければ見られなかった風景の数々に、むずむずと。

頭を持ち上げてくるともえのお絵描き欲。

 

 

「ダメですよ?ともえさん」

「…まだ何も言ってないよ、イエイヌちゃん」

「目がきらきらしてますもの。見ればわかりますわ」

「えぇ…オコジョちゃんまで……」

 

 

降り積もった雪の白。

取り囲む木々の暗い緑。

薄茶色の樹皮や枝は存在感を残しながら、不思議なほどになじんでいて。

 

ところどころに姿を見せる氷は、透き通ったりそうじゃなかったり。

けれど一貫して寒色系の、触れれば刺さるような冷たさを主張してくる。

 

 

ゆきやまの、その奥地でしか見られない顔。

だが、ここに暮らすフレンズ達にとっては日常の一部なのだろう。

 

 

「休憩するならもっと先で、ですわ。

谷の入り口を抜ければ雪原……あの子の縄張りですもの」

「……戻ってくるまでは。そこがさいごの休憩ってことですね」

「じゃ、そこならお絵かきしていい?」

「…ちゃんと体を休めるんですのよ?」

「はぁい」

 

 

 

…それが、遠いどこかの『記憶』をかすめても。

 

 

 

湧き上がる感情が、違う。

不安はあっても、いやな感じはしないし。

 

楽しかったんだと思う、きっと。

自分でない「自分」と、初めて一致した意見。

 

 

 

「あたし」は。

どんな子だったんだろう。

 

 

 

…分からない。

思い出せない。

 

けれど。

 

 

お絵かきが好きな子、だったらいいな。

 

何となく、そう思った。

 



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爪痕と願いと

「…………、……」


言葉が、出ない。

目の前に広がった惨状。
何と言っていいのか分からない。


なぎ倒された木々。
あちこちに飛び散った枝。
踏み散らされ、根本から折れた茂み。


降り積もった雪と、隠しきれない傷跡。


稲妻のように鋭く、深く。
切り裂く、というより引き裂くに近い荒々しさ。

それでいて、力任せではなく。
奇妙なほどなめらかな爪痕が、獲物を追うかのように。


縦横無尽に駆け抜けて、曲がりくねりながらげれんでの方へ続いている。


冷徹で迷いのない、≪狩り≫の痕跡。



……『らんぺいじ』。

長に教わったばかりの言葉が脳裏に浮かんで。



じわり、と。

いやな汗が一筋、流れ落ちた。


「昨日までは…こんなの、ありませんでしたわ……」

 

 

 

絞り出すようにつぶやいたオコジョ。

さらに血の気が引いて、もはや青ざめて見える白い肌。

 

 

鼻の奥に、ツンとしびれるような刺激。

訳の分からない異臭。

 

 

 

…強いて何が近いか言うのなら。

 

サンドスターが、爛れたような。

 

 

 

セルリアンの匂いに近いけれど、決定的に違う。

生き物っぽい、不自然な生臭さ。

 

 

……その中に。

誰かが流した血の、いやな匂いが混じる。

 

 

 

「……ひどいね、これは」

 

 

 

近づく事もためらう惨劇の現場に。

迷いなく、しかし慎重に。

ともえは足を踏み入れる。

 

 

「っ、ともえさ…」

「大丈夫だよ、イエイヌちゃん」

 

軽い調子で遮られた声。

 

 

「……大丈夫」

 

 

ちらり、と。

こちらを安心させるように振り返りながら。

 

自分に言い聞かせるように繰り返した言葉。

わずかに震える語尾、強がりも含んだ言葉。

 

 

「新しい足あと、ついてないでしょ?だから、大丈夫……たぶん」

「たぶん、じゃないですかぁ」

「……あなた。無茶しますわね、ともえさん…」

 

 

結果的には、それは正解なのだろう。

けれど、やっていることは無策もいいところだ。

 

半ば慣れっこになってしまっているやり取り、もはや呆れているオコジョ。

それだけ信頼されてる、ということなのかもしれないけれど。

 

 

 

………あの、『目』。

 

 

 

深いブルーの瞳。

瞳孔だけが赤と緑のオッドアイ。

 

…おそろいだね、と笑ったあの瞳。

 

 

それが今は、怖い。

 

 

 

慎重なようで大胆不敵。

無鉄砲なようで小心者。

 

感覚的なようで理性的で。

 

人懐っこいようで臆病者。

 

 

矛盾するようで、芯のある。

けれど、その芯に不安定さを抱えた、一番のおともだち。

 

 

 

…優しい子だと知っている。

 

だから、怖い。

 

 

 

深いブルーの瞳。

底の見えない水のように。

 

水底に妖しく揺れるのは、赤と緑の光。

 

 

その揺らめきは、何かの意思を持っているように。

 

 

漠然と、唐突と。

ともえを突き動かしたかと思えば、なくしてしまった記憶のかけらを差し出してくる。

 

 

自分の知っている「ともえ」ではない何者かが、潜んでいるような違和感。

 

揺らめく赤と緑に、おぼろげに浮かんだ不安。

 

 

 

…そして、それは。

自分にも、当てはまるのかもしれない。

 

 

 

さり気なく触れた首筋。

やわらかな手触りの、ネックウォーマーの下。

 

自分にも分からない秘密が、そこにある事を確かめて。

 

 

「せめてですけど。なにかする前に言ってくれませんこと?」

「それは、その……ごめんね?」

「…かわいく言ってもダメですー」

 

 

まずはともえに言うべき事を言いながら。

何気なく、オコジョと交差した視線。

 

 

「あなたも…大変ですわね、イエイヌさん」

「んー……まあ。慣れです、慣れ」

「あまり慣れたくないですわ…」

 

 

変なところで一致してしまった意見に、ふたりで苦笑して。

 

 

「イエイヌちゃん、ちょっとここお願い」

「うっ……何ですかコレ」

 

 

先にひとりで現場を調べ始めたともえに寄り添い。

積もった雪を払って、何があったかを調べていく。

 

 

 

……あの『目』が、怖い。

それは間違いない事実。

 

 

だからこそ、放っておけない。

 

 

そう思うのも、これもまた事実。

 

 

「ほら、オコジョちゃんも手伝って」

「へ?わたくしもですの?」

「あの……慣れてください、オコジョさん」

「慣れたくないですわ!」

 

 

オコジョも巻き込みながら、検分を始めていく。

 

 

「戻ってきたらどうするつもりですの!?」

「大丈夫だよ…たぶん。ね、イエイヌちゃん」

「あ、わたし鼻がききますから。こんなに強い匂いならすぐわかりますー」

「イエイヌさんもなんか毒されてませんこと!?」

 

 

 

(……選ぶ時が、くる…)

 

 

 

噛み締める、長の言葉。

 

…それが、何を意味するのか分からないけれど。

 

 

きっと、いつか。

いつか、どこかで。

 

やってくるのだろう。

 

 

自分の秘密にも、ともえの記憶にも。

 

…向き合う時が。

そして、何かを選ぶ時が。

 

 

……せめて、その時まで。

 

そばに、いたい。

できるなら、その後も。

 

 

 

心の底から、 そう思った。

 




深く刻まれた爪痕。
その鋭さとなめらかさに肝が冷え。

爪痕にこびりついた、粘液のような何かにぞっとする。


指先で、そっと。

採ってみた《それ》は、思ってたよりもさらりとしていて。


わずかな風に乗って、虹色にきらめきながら消えて行く。



……間違いない。
サンドスターが変質したモノだ。



「…ひどい匂いですわ」


残った異臭に顔をしかめ。
風に舞い散る《それ》を見送りながらつぶやく。



……あの子が。
アムールトラが。

昨日の吹雪の前に《何か》と戦っていた。


そう結論するしかない。



「傷は…深くはない、のかな?」

残された血の跡と量を調べながら、ともえ。


「ですね…たぶん。
大きな傷なら、きのうあったときに気づいてると思いますー」

血の匂いの行く先を追いながら、イエイヌがうなづく。


…手を止め、上げた顔。

恐怖と、困惑と。
不安の入り交ざった、複雑な表情。


「……うん。ちょっとだけ、ほっとした」


それが安堵したように、困ったように、ともえは笑って。


(…不思議な子、ですわね……)


その笑顔を見ながら、改めてそう思った。



――山から避難せよ。


長から下った命に、何かいやな予感めいたモノを感じて。
フレンズ達の最後尾、じゃんぐるを目指すみんなを尻目に、そっと抜け出して。

おうちに戻る、のではなく。
長が行きそうなところを探して回って。


吹雪が本降りになってきたころ、ようやく見つけた長。
赤い大きなセルリアンを仕留めたその顔が、驚きと呆れに染まる。

…吹雪の中、《けいぶべーす》で一夜を過ごし。
しこたまお説教と説得を受けて。

それでも無理やり、長に同行して。


見回り先の一つ、山小屋でふたりと出会った。


ともえと、イエイヌ。
なんだか不思議なふたり組。


まじめで、優しい子たち。

ちょっととぼけた感のあるともえ。
控え目で気配りのできるイエイヌ。

……少しずつ認識は変わってきたけれど。



『そなたと良い友達になれると思うのじゃ』


心の中、繰り返した長の言葉。
確かに気が合うし、見ていて飽きないというのもある。

それだけじゃなく。


放っておけない。
…放っておいては、いけない。


なんとなくそう思う。


どことなく似ているふたり。
…どことなく、影があるように思えるところまでよく似ている。


そして、それは。
長にも…ユキヒョウにも同じことが言えた。



さんにんに共通する、「過去の記憶」。
自分でない「自分」の、覚えのない記憶。

他にも「それ」を持っている子がいるとも聞くけれど。


(どんな気分…なのでしょう)


自分には分からない感覚。
でも、それでも。

辛そうな時がある事も分かるし、大事にしている事も、分かる。


…この子たちは、あの子を。
アムールトラを、どう思うのだろうか。



自分さえもなくしてしまった、あの子の事を。
なくしてしまった何かを探し続ける、あの子の事を…



……答えの出せない問を、頭から追い出して。


「ともえさん、イエイヌさん。何か見つかりましたの?」
「んーとね…」


ふたりに別の話題を振ってみる。



…願わくば。

長の決意とは違う答えを、ふたりが出してくれることを祈って。


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ユキヒョウとオコジョ  5

「思うのじゃが。どうやってコレを頭に乗せたのじゃ?」

「ソレハ機密事項ダヨ」

「ラッキーは謎だらけじゃのう」

 

 

素っ気ないラッキービーストの返答、あっさりと笑って流すユキヒョウ。

 

頭の上にバスケットを載せて戻ってきたラッキービースト。

小高くジャパリまんを盛った、それを受け取って。

 

 

「…食べぬのかの?」

 

 

ひとりひとりの前に、遠慮するなというように差し出されるバスケット。

誰も手を出さない事を不思議がるように小首をかしげる。

 

 

「あの……長」

 

 

微妙な沈黙を破って、イエイヌはおずおずと手を挙げる。

発言の許可を求める…というよりも。

 

ささやかな抗議の意味合い。

 

 

「食べにくいです…すごく」

 

 

…これからまじめな話がある、そう分かっていて。

 

イエイヌだけでなく、ともえにもオコジョにも。

我先に手をのばす勇気はなかった。

 

 

「そう言うでないイエイヌや。わらわとて、もっと気楽に話したいのじゃー」

 

 

場の空気の固さをちゃかすように、愚痴るような口調でおどけてみせる。

 

いつも通りの穏やかな笑顔の中で。

笑っていない、アイスグリーンの瞳。

 

 

………、…。

 

 

…それに自分で気付いたのだろうか。

はぁ、とため息が一つ。

 

 

バスケットをローテーブルに置いて、空気をごまかすのもあきらめて。

 

 

「はて……話す事は色々あるが、の」

 

 

改めて切り出したユキヒョウ。

できるだけ明るく、気楽な声で。

 

…待っているだろう、「まじめな話」。

明るい声の裏にそれの存在がちらつくが、いつまでも引きずるわけにもいかない。

 

 

 

「まずは。コレが気になっておろう?」

 

 

じゃらり。

 

 

 

差し出された右手。

繋がれた枷、垂れ下がった鎖が無機質にきしむ。

 

なんの変哲もないほっそりした手、ゆっくりとじっくりと。

手のひらにも手の甲にも、何もないことを見せつけて。

 

 

…淡く。

揺らめく陽炎のように。

 

ぼう、と灯った不思議な光。

差し出された右手とアイスグリーンの双眸が淡く輝きを放つ。

 

 

輝きの中、姿を変えていく右手。

 

華奢な手は無骨に。

指先には鋭い爪。

 

 

ヒトの手指という原型を残しながら、戦士の武器へ。

 

 

野生解放。

 

動物本来の力を呼び戻す、フレンズ達のわざ。

イエイヌやオコジョにも出来る、戦うためのちから。

 

 

 

「…見ておるのじゃぞ?」

 

 

 

さらに姿を変えて行く右手。

うごめくように、波打つように。

 

アイスグリーンの瞳に一瞬だけ、紫色の光が妖しく奔る。

 

 

「……!!」

 

 

室温が下がるような錯覚。

冷たい何かが背筋を這うかのよう。

 

…見ているだけで身震いするような、強烈な圧迫感。

 

 

 

ヒトのそれの形から、獣のそれへ。

 

 

銀色に近い、灰色のぶち模様。

真っ白な、雪のようにやわらかそうな毛並が生え揃い。

 

指先と掌にはくすんだ肌色。

…ヒトの指には決してない、猛獣の肉球。

 

 

二度、三度。

拳を握る。

 

変貌した己の手指を、確かめるように。

 

 

 

「…の?」

 

 

 

…乱れた呼吸をゆっくりと整え。

どこか、自嘲めいてユキヒョウは微笑んで。

 

形を成した、肉球と毛皮の狭間から。

刃のように鋭い爪を、音もなく伸ばして見せた。

 

 

 

「……ユキヒョウ、さん」

 

 

とまどうように、ためらいがちにともえが声を上げる。

 

不安に揺らぐ深いブルーの瞳。

ややかすれた声。

 

続きを言おうか迷っている彼女をユキヒョウは目でうながし。

 

 

 

「その……ぷにぷにしていいですか?肉球」

「ともえさん!?」

「あなた、マイペース過ぎませんこと!?」

 

 

 

出てきた言葉に思わずツッコミを入れた、イエイヌとオコジョ。

 

 

「だって!こんなりっぱな肉球ぷにれるチャンス他にないよ!?」

「そうですけど!そうじゃないですー!!」

 

 

…切れる、緊張の糸。

張り詰めた緊迫感が変な方向へ崩れていく。

 

真顔で力説するともえを、イエイヌはどうにか方向修正しようとするが。

 

 

「ああ、もう!長からも何か言ってくださいまし!!」

 

 

どうにもならない、そう判断するのはオコジョの方が早い。

これ以上の脱線を食い止めるべく、長に水を向ける。

 

 

「…ともえや」

 

 

やさしく、なだめるように。

落ち着き払った声で、神妙な面持ちで。

 

語り掛けるユキヒョウに、ともえも耳を傾ける。

 

 

…が。

 

 

「そこはでりけえと、なのじゃ」

 

 

続く言葉はイエイヌの予想とも、オコジョの期待とも違っていて。

 

 

「じゃから……優しく、の?」

「はぁい」

 

 

悪ノリを始めた長、しかしそれでおとなしくなるともえ。

 

 

「……なんで顔が赤くなるんですか、長ぁ…」

「…肉球、そんなに触りたかったんですの…?」

 

 

なんとか絞り出したツッコミ。

毒気を抜かれてしまって、それ以上の言葉が出てこない。

 

…そんなふたりをよそに。

 

差し出されたユキヒョウの右手。

枷の先だけが獣へと変わり果てたそれを、ともえは両手でやさしく受け止めて。

 

 

マッサージをするように、両方の親指を動かしていく。

 

 

「わ、ぁ……♪」

「ん……、ふむ…」

 

 

つややかな見た目に反して、ざらついた表面はやや硬く。

ひやっとした感触、けれど血の通った、温かみのある弾力。

 

ともえの指に合わせて形をなじませ、硬すぎず、柔らかすぎず。

不思議な感触が、ともえを夢中にさせる。

 

 

「ともえや」

 

 

熱心に肉球をもむともえに、ユキヒョウが声を掛ける。

 

…顔は上げない、が。

聞いていると判断し、続きを口にする。

 

 

「怖くは…ないのかの?」

 

 

自嘲と不安に色づいた問いかけ。

ともえの手が、止まる。

 

顔を上げたともえ、裏表のないまっすぐな視線。

 

 

 

「怖くない、ですよ」

 

 

 

安心させるように、笑って。

瞳の色だけが、少し悲しげに揺れる。

 

 

 

「…ユキヒョウさんですから」

 

 

……ああ。

 

 

目の前の少女を、少しだけ理解する。

 

この子は、聡い。

隠しているものを感じ取り、応えてくれる。

 

 

きっと。

それこそが、ともえの「わざ」なのだろう。

 

…だけど。そのちからは……

 

 

 

「…ふふ。ならばよいのじゃ」

 

 

 

新たに浮かんだ不安を、思考から追い出し。

ユキヒョウは笑った。

 

奥底に隠していた不安。

それを、分かってくれる者がいる。

 

部屋を包んでいた重い空気さえ、このやり取りで薄めてくれた。

 

 

それで十分。

 

 

…好きにさせよう。

 

 

変貌した右手をともえに預け、ユキヒョウはそう決めた。



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