探偵は秘密がお好き (ねことも)
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注意事項・登場人物設定

自営サイトからの重複投稿になります。
このシリーズは、黒執事の二次創作です。
他ジャンルからの登場人物もでてくるため、クロスオーバー要素が加わっていて、そのキャラが仲間になります。

主な中心となる人物は…以下の通りです。

◆このシリーズの主人公
◆マダム・レッド
◆原作キャラ
◆オリキャラ
◆他ジャンルのキャラ(王国心など)


《注意事項》

・オリジナル主人公と他ジャンルキャラとの恋愛要素も含まれていますので、そういったものが苦手な方は読まない事をお勧めします。
・原作では死亡するキャラを救済する予定です(誰にするかはまだ未定)。
・この連載は、マダム・レッドが主人公のパートナーとなります。そのため、大幅に彼女の待遇が変わってきます。
・上記の設定のため、切り裂きジャック事件の犯人や物語が原作とは異なります。
  


【主人公設定】

 

◇ リエ・クローチェ

 

この連載の主人公。

少し薄い栗色の長いストレートヘアー。

髪は中間あたりをリボンで束ねている。

前髪の上部分で、少量の髪が、少し内側方向に飛び跳ねている箇所がある。

顔は綺麗と可愛いの中間。瞳は青空のようなスカイブルー。

 

明るいフワッとしたやさしい雰囲気を醸し出す、笑顔が素敵な女性。

他人に優しく、少し天然な所もあるが、冷静に物事を見る。

 

基本は温厚で優しい。

大抵、感情が激しい人物を宥めて説得したり、好戦的な猛者相手でも、

微笑みながら対話したりと滅多な事では動じず肝が据わっている。

その反面、理不尽な行為や大切な人を傷つける者に対しては怒りを露わにする。

 

【年齢】

外見10後半~20代前半。

 

【服装】

通常時の服装は黒色のノースリーブのハイネックで、上から白いワンピースを着ている。

レモン色のショールのようなものを羽織っている。

 

【武器】

キーブレードを変異させた【キーロッド】

キーチェーンを変化させた結晶石『リンク・ソピア』を杖の先端に埋め込むことで、形状を変えられる。

 

【追記】

今までいくつもの【世界】を渡り歩いてきた渡航者。

光と闇の陣営を問わず多くの人物と交流関係がある。

リエの活躍により救済された人も多く、王国心のⅩⅢ機関に所属していた過去があったりと…多くの世界で名が知られている有名人。

温厚な人柄であるため、光や闇の陣営に問わず、多くの人物と友好関係を築いており、一般人からその世界毎の主要人物、対立関係に位置する人達など

…身分を問わずにつながりがある。

 

黒執事の本編が始まる数年前に生死の境を彷徨っていたマダム・レッドと出会い、彼女の運命を大きく変えてしまう要因となってしまう。

 

 

*** ****** ***

 

 

【この連載のもう一人の主役】

 

◇アンジェリーナ・ダレス

 

この連載の準主役。

元バーネット男爵の妻であり、未亡人。

顔立ちの整った美人であり、父親似の赤い髪と好んで着ている

赤い服装がトレードマーク。

 

通称『マダム・レッド』

《社交界の花形》《夜会の女王》などの美称を持つ。

 

物語が始まる数年前、夫と共に馬車事故に巻き込まれた際に生死の境をさまよう。

その際に、リエと出会い、生まれてくる子供の命を守りたい一心で契約を交わした。

どんな契約を交わしたのかは現段階で不明だが、アンジェリーナがある目的を達成するまでの期限つきである。

 

現在、息子に恵まれてロンドン王立病院で働いている。

リエが仕事がする時に助手としてサポートしたり、また知人からの仕事を斡旋する事もある。

リエが普通の人間ではない事や、世界の理を教えてもらっているため、必然的に《協力者》の立場となっている。 

  



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物語の単語・専門用語辞書

作中に登場する単語や専門用語の説明を記載しています。
物語が進むごとに増やしていく予定。
  


【エクレシア】

 

全ての天上界において『神の卵』とよばれている神族の総称。

オーブ(魂)の中でもその素質を持っている者が神々の選定により選ばれ、修行を積んでいき、エクレシアとなれる。

エクレシアは通常の天使や神族とは異なり、全世界を任意で移動できるほか、悪意のある行動以外は基本的に自主行動を許されている。

 

また、一般的特徴としては、言葉に力を込める能力が強く、殆どの者が歌を得意である事。

酒や毒物などにも耐性がつき、訓練しだいで身体にあらゆる免疫を作ることも可能である等、治癒系の能力に特化している。

 

身体的特徴として、体のどこかに【エイコーン】と呼ばれる各個人特有の紋様があり、あらゆる血液の型に対応できる【覚醒の血】をもつ事。

普通の天使とは異なり、透き通った妖精の羽を連想させる色付きの【光翼】である事などがあげられる。

 

エクレシアの最終的な目標は《成長する神》へ神化する事。

現段階で、認定されているエクレシアはリエを含めるヴァルハラ所属の9名。

 

 

*** ***** ***

 

 

【オーブ】

 

死んだ人間や動物や植物などのいわゆる『魂』。

 

 

*** ***** ***

 

 

【ハートレス】

 

闇から生まれた闇の生き物。

人の心の闇が膨らみ続けて完全に闇に染まると、その心はハートレスという怪物と化す。

そして、ハートレスは人の心の闇に反応し、心を奪って次々と増殖してゆく。

知性は乏しく、基本的には心を奪うという本能のみで行動する。別称「心なきもの」。

 

 

*** ***** ***

 

 

【キーブレード】

 

選ばれた者だけが使うことができる伝説の武器。

鍵状の刀身を持っており、ハートレスに対して絶大な威力を持つ。

また、世界中のあらゆる鍵を自由に封印・解放できる力を持っている。

 

より心の強い者に反応する性質を持っており、光はもちろん闇に属する一部の者も扱う事ができる。その強力な力である故に、世界を滅ぼしかけたこともある。

先端にキーチェーン(キーホルダーみたいなもの)を付けることができ、キーチェーンを付け替えることにより、姿形や能力ががらりと変わる。

※中には、まったく鍵の意匠を残さないものもある。

 

普段は実体がないが、必要時にその姿を現し、所有者の意思に応じて離れた位置にあっても手元に戻るため、奪われたりすることはない。

 

リエの武器である【キーロッド】は、キーブレードを変異させた杖であり、能力はキーブレードと同じ。杖の先にキーチェーンを変化させた「リンク・ソピア」をはめ込む事で形状も変化する。

  



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プロローグ

  
原作で、マダム・レッドが【例の事件】に至った理由が不幸な出来事が重なってしまったからでした。
もしも…マダム・レッドの運命を変えるとしたら、どこだろう?
その疑問を突き詰めてみて、一つの回答として事故に遭遇した時に、自らの子宮と子どもが無事だったIFの物語を描きました。
  



その日―――ある女性が、人生で大きな転換点を迎えた。

 

アンジェリーナ・バーネット夫人は、夫と共にロンドンの郊外にいた。

夫人は妊娠7カ月目。

生まれてくる子どもの為に、夫は服や玩具を買おうと専門店を廻っていた。

 

「次はあの店に行こう!」

「もう…これで何軒目?」

「まだまだ、回るにきまってるじゃないか!」

 

子どものように無邪気に笑って、そう断言する夫。

誠実で素朴な、優しい人だ。

 

アンジェリーナには忘れられない人がいた。

15歳の時に初めて会って、一目ぼれした青年。

彼女が大嫌いだった赤い髪を褒めてくれたおかげで、彼女はコンプレックスがなくなった。

でも、その青年は別の女性と結婚。

その人との間にも、9歳の息子もいる。

 

未だに彼に対して未練を持っている事を知った上で、今の夫は求婚してくれた。

そして…自らのお腹に芽生えた命。

 

アンジェリーナは思った。

生まれてくる子どものためにも、けじめをつけよう。

淡い初恋の思い出は忘却の彼方へおいて、今の家庭を守っていこう。

そう考えていた矢先、とんでもない悲劇に見舞われた。

 

…暴走した馬車が人込みへ突っ込んでいき、彼女と夫ははねられたのだ。

 

 

―――いたい…くるしい…

 

ぼんやりとする視界が鮮明になった。

 

(ここはどこ?……私は、確か…暴走した馬車がきて…)

 

そこは、緑色の絨毯が続く草原地だった。

太陽が降り注ぐ草原に一人たたずむアンジェリーナ。

一筋の風が頬を撫でる。

 

「あなた…ねえ、あなたどこ!?」

 

だんだんと思考が冷静になり、一緒にいた夫の姿が頭をよぎる。

夫を探そうと前へ進もうとしたその時…

 

「それ以上先へ行ってはいけません」

 

誰かが腕を引っ張って引き留めた。

振り返ると、そこには一人の女性がいた。

薄い青と銀色の長い髪、20代位の美しい人だ。

 

「だれ…?」

「…簡単に言うと“人間ではない”ですね」

 

人間ではない…その言葉で、アンジェリーナは眼前の女性が、神様の使いなのだと察した。

 

「私は…死んだの?」

「いいえ、貴女はまだ生きています」

 

恐る恐る聞いた質問に、女性は温和な口調で「否」と答えた。

自分が生きていると分かり、若干胸の恐怖が和らぐものの、すぐに別の不安が生まれた。

 

「あの人…私の夫はどうなの? 生きているの?」

 

不安を打ち消したい一心で訊いたら、女性は悲しげな表情で緩慢に首を左右に振る。

そんな…と力なく腰を落としてしまう。

 

 

*** ****** ***

 

 

『君がその男性の事を忘れられなくてもいい。私の妻になってほしい』

 

初恋の男性が忘れられない私を受け入れてくれた…寛容な人だった。

 

『アン、誕生日おめでとう。君に似合うといいんだけど』

 

結婚してから迎えた誕生日にプレゼントをくれた…私の生まれた月の誕生石を使ったシンプルだけど綺麗な指輪。

 

『男かな? 女かな? 早く生まれてきてほしいなぁ…』

 

妊娠した事を誰よりも真っ先に喜んでくれた。

そうだ…あの人はいつも私の傍にいてくれた。

報われなかった恋にいつまでもしがみついていた私を見捨てずに、愛人だって囲わずにいてくれた。

 

私は、彼の事をどう思っていた?

優しい彼の気持ちに甘んじて、ずっと過去にばかり囚われていた。

なんで、今更気づいてしまったんだろう…。

 

「ごめんなさい…」

 

―――『愛している』

 

その言葉の重みを痛感した。

失って初めて、私は夫を心の底から愛していたのだと実感した。

 

 

*** ***** ***

 

 

「貴女が現世へ戻るにはまだ時間がかかります。

此処で、これからの事を考えて…少しでも心の傷を癒していただければ幸いです」

 

「…ねぇ、私は元の場所に戻れるのよね?」

 

アンジェリーナは顔を俯けたまま、再度確認した。

女性が「はい」と肯定すると、さらに言葉を紡ぐ。

 

「じゃあ…私のお腹にいるこの子は…? あの人との間の子は…戻れるの?」

 

縋るような思いで尋ねた。

そんな彼女の思いに反して、女性は困った顔を向ける。

 

「それは…難しいです。貴女は馬車に引かれて腹部に多大な損傷を受けてしまいました。

お腹に宿っている命も…貴女から離れつつある」

 

衝撃の言葉に、アンジェリーナは起き上がるやその女性の両の肩を強く掴んだ。

あまりにも強く掴まれて痛みが伴う…けれども、女性は軽く右目を瞑り耐えるように、アンジェリーナの顔を見る。

 

「お願い……この子を助けてッ!」

「お気持ちは分かりますが…」

「助けて、この子を助けて…助けて!…お願いよぉ……」

 

真珠大の涙をぽろぽろと目元から流し、アンジェリーナは懇願した。

 

「あの人を…失って…そのうえ、この子まで消えてしまうなんて…

私だけ生きるなんてできるわけないじゃないッ!」

 

「アンジェリーナさん…」

 

「この子を助けるためならなんだってする…私の命をささげたっていいッ…!

この子を…連れて帰りたいの!」

 

初恋の人…愛してくれた夫。

欲しかったもの…大切だったものは私の前から消えてしまった。

 

でも、子どもだけは…失いたくない。

失ってしまえば、私にはもう何も残らない。

空虚と後悔だけが残る現世で、独りぼっちになりたくない。

 

「この子が助かるのであれば、私は犠牲になっても構わない。

この子と現世で生きていけるなら…私はなんだってできる」

 

生存への切符を放棄したとしてもいい。

神の摂理に反する行為をしろ、と言うならそれすら行ってやる。

そんな決意を宿した目に…女性は微かに目を見開くと、閉じていた口をゆっくり開いた。

 

「どんな事でもしてみせる…そんな事を易々と語ってはいけませんよ」

「あんたに何が分かるのよ! あんたに私の気持ちが分かるっていうの!」

 

アンジェリーナは女性の胸倉を掴んで、憤りに近い感情をぶつける。

女性はそれに怯む事無く、冷静に…かつ真剣な顔つきでさらに言う。

 

「『言葉』には力が宿ります。

人を元気づけ癒す事もあれば、傷つけ不幸にする事だってできる。

それに、言葉は場合によっては『契約』にも相当する証となる。

一度それを口にしたら取り消す事は難しい。

もしも、悪魔や心無い力のある人の前で、その言葉を口にしてみなさい。

……死ぬ事よりも辛い境遇に陥りますよ」

 

力強い瞳と美しくも気迫のこもった顔でそう指摘され、アンジェリーナは圧倒される。

衣服を掴んでいた手が緩められ、女性は改めてアンジェリーナにこう言った。

 

「でも…貴女の子どもに対する強い愛情と覚悟は感銘を受けました」

「…えっ…」

「家族を失う悲しみ…私にも分かります」

 

女性は哀しそうに笑みを浮かべる。

アンジェリーナは思った。

…ああ、この人もまた、大切な誰かを失くしてしまったのか、と。

 

「…貴女は子どもを助けたい。その気持ちに嘘偽りはありませんね」

「……ええ」

 

「一つだけ、二人とも助かる方法があります。

でも…この方法を選ぶと、生涯貴女は“リスクを背負う”事になります。

それでも…よろしいのですか?」

 

女性は問いかける。

 

「リスクって…?」

「本来なら死ぬ魂を生き返らせるために、貴女は対価を払わなくてはならない。その生を全うするまで」

 

子どもと二人で、現世で生きるために…アンジェリーナは選択を迫られる。

けれども、アンジェリーナの決意は揺るがなかった。

 

「分かったわ…その対価を払う」

「茨の道を歩む事になりますよ。……それでも?」

 

再び同じ問いをする女性。

アンジェリーナは目を閉じて刹那の間をおくと…口を開いた。

 

「―――答えなんてとっくに決まってるのよ」

 

彼女の決意は揺るがなかった。

その答えに満足した女性は口元を緩める。

 

「分かりました。貴女の覚悟見届けます」

 

そう告げられるや、視界が眩い光で覆われ、アンジェリーナの意識は暗転した。

 

 

 

【プロローグ】

 

 

 

「…さま。奥様!」

「…ん?」

 

目を開けると、そこは屋敷の自室だった。

ああ、そういえば…午前中から論文を書いていてそのまま寝てしまったな…とおぼろげな記憶をたどった。

 

「奥様、お疲れなら一休みした方がよろしいかと」

「あぁ…大丈夫。随分、寝ちゃったけど…今何時…」

 

心配する執事に対し、手の甲で口元からでていた涎を拭きながら懐中時計をみるや、

アンジェリーナの顔は一変した。

 

「やばっ! もうこんな時間じゃない!?」

 

ガタッと椅子を倒す勢いで立ち上がると、メイドに外出する準備をしてもらい、着替える。

鏡を前に、自らの姿を確認する。

父親譲りの赤い髪、赤を基調としたドレス。

 

(そう…これが私の姿だ)

 

「遅くなるかもしれないから、夕食はなしでいいわ」

「かしこまりました」

 

執事にあれこれ告げていると、ぽふっと足元に小さな赤いものがしがみつく。

視線を下ろすと、そこには3歳の息子がいた。

じぃーと訴えかけるようなまなざしを送る息子に、アンジェリーナは苦笑すると同じ赤い髪を優しく撫でる。

 

「できるだけ早めに帰ってくるから。いい子で待ってなさい」

「! ……うん!」

 

母の言葉に満足したのか、ぱぁ…と目を輝かせて頷いた。

乳母に預けると、アンジェリーナ…マダム・レッドは馬車に乗って出かけた。

…ロンドンに住むある知人に会うために。

 

 

 

【つづく】

 



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第1章:誘拐事件は危険な出会いの始まり
見かけに判断されるべからず(1)


本編軸に入ります。
マダム・レッド視点で物語は進みます。
原作の主人公(シエルとセバスチャン)との絡みはもう少し先の話となります。
  



私の名前は、アンジェリーナ・ダレス。

今亡き夫、バーネット男爵の妻であり、王立ロンドン病院の医師でもある。

父親譲りの赤い髪と真紅のドレスを普段から愛用しているから、社交界では【マダム・レッド】と言われている。昔はコンプレックスであったこの髪の色は、今では私のトレードマークになっている。

 

3年前、私は馬車に轢かれてしまい、生死の境を彷徨った。

その時に、不思議な体験…世に言う『臨死体験』をしてしまった。

当時、妊娠していた私は子どもを助けるために、とある人物と取引をした。

それ以来、その人物とこの現世においてちょくちょくコンタクトをとっている。

今日は、仕事も休みであり、その張本人…もとい“彼女”の住む家へ向かっているのだ。

 

 

ゆらゆらと揺れる馬車の中で回想するアンジェリーナ。

ロンドンの町中にくると、そこで降りた。

人々で賑わう街道を、カツカツとヒールの音を立てて歩き出す。

途中、パン屋と雑貨屋が並ぶ道の角を曲がった。そこから少し歩くと…大きなトンネルがあった。

 

 

(…毎回思うけど、これってどんな仕掛けになってるのかしら)

 

 

不思議の国のアリスが白いウサギを追いかけていき、穴に落ちて別世界にきた気分とはこんな感じだろう。本来、此処は住宅が並んでいる道であるはずなのだ。

アンジェリーナはトンネルの中へ入る…中は所々にランタンが設置しているが、ほのかに暗い空間はどこか異質な世界に迷い込んだ錯覚を起こさせる。

ほどなくして、向こう側に陽の光が差し込んでおり、トンネルの出口が見えてきた。

 

トンネルを抜けるとそこには…花と植物に囲まれた一軒家があった。

薄黄色と白桃色のクライミングローズを纏わせたアーチに囲まれたレンガ道を歩いていく。

道の周りに咲く花々を横目で鑑賞しながら、その一軒家の門まで進んでいく。

 

古びた雰囲気の木材とレンガを使用したガーデンハウスだ。

開かれた門をくぐると、私の視線は家の傍にある樹にとまった。

蜜柑がなっている樹だ…そこで、脚立を使用して蜜柑の実をもぎとっている人物の姿があった。

 

「美味しそうに実ったわね~」

 

挨拶代わりに、蜜柑の感想を少しわざとらしく口にしたら、その人物はくるっと首だけこちらに向けた。

 

「いらっしゃいませ。アンさん」

 

前髪の上部分で、少量の髪が内側方向に飛び跳ねている、薄い栗色の長いストレートヘアー。

それを髪の中間でリボンでまとめている。

透き通った青空に似ているスカイブルーの瞳。

黒色のノースリーブのハイネックで、上から白いワンピースを着ている。

ふんわりとした優しいバニラアイスのような雰囲気の女性。

 

「御機嫌よう―――『リエ』」

 

…彼女は、リエ・クローチェ。

この『秘密の花園』に住む、私の『悪友』である。

 

 

 

*** ***** ***

 

 

 

家に入って、リビングルームへ案内された。

私は、座り心地の良い椅子に腰かけると紅茶の準備をするリエに話しかけた。

 

「顔見せるのは数か月ぶりだったわねぇ…【旅行】は楽しかった?」

 

「ええ、二、三カ国ほど回りましたね。

知り合いの方を尋ねて用事を済ませた後は、専ら観光してました」

 

「いいわねぇー、異国への旅行…私なんて暫くしてないわよ」

 

夫が生きていた頃は、仕事や貴族主催のパーティに出席する時とか、近隣諸国へ赴く事もあった。息子が生まれて以降は、ほとんど旅行していない。

…というか、マジ羨ましい~と頬杖ついてぼやくと、リエは「あらあら」と苦笑する。

 

 

「息子さんが大きくなられたら、一緒に行ってみたらどうです?」

 

「そうね…あの子にもいっぱい色んな事をさせてあげたい。

少なくとも…一人立ちできるまでには」

 

 

真面目な口調で言った…これは本音だ。

あの子は無事、現世で生まれる事ができた。

病院で産声を上げて、私の体内からでてきたあの子を見た時、こらえきれないほどの涙が流れ落ちた記憶が昨日のようだ。

 

…元気に成長しているあの子を眺めながら思う。

“私の選択はまちがってなかった”って。

 

でも、その平穏で幸せな時間を継続させられるために…

私は“ある事”をし続けなければならなくなった。

 

 

「お待たせしました」

 

 

思案にふけっていると、リエが紅茶を差し出した。

 

「この香り…セイロンね」

 

「お菓子は、シフォンケーキをご用意しました。

お好みで生クリームとブルベリージャムをどうぞ」

 

焼きあがったプレーンシフォンケーキをフォークで一口サイズにカットする。

生クリームを適度にぬって、口元へいれた。

 

「おいしぃ~…」

 

ふんわりしっとりした触感に、生クリームのなめらかさが絶妙に合わさり、舌を楽しませる。甘さがくどくなく、おかわりしてしまいそうだ。

 

「お口にあったようですね」

 

リエは満足そうに微笑む。

気付けば、五分でケーキを食べ終え、紅茶を飲んで一息ついていた。

かれこれ約3年の付き合いだが、リエの料理スキルは半端ない。

それこそ、一流の料理人レベルに相当するほどだと思う。

 

 

「貴女ほどの腕なら、貴族の専属シェフとしてやっていけるんじゃない?」

 

「そうですね。でも…そうなると時間が取られてしまいますし、都合上長期間居続けられるか分かりませんからね」

 

 

リエは、数年前まで“とある組織”に所属していた。

そこでの仕事は『世界』各地を回る大規模なもので、その中でも彼女はかなりの功績をあげていたようだ(詳しくはあんまり知らないけれど)。

 

その筋で、大分有名になった事もあって、彼女は組織から独立したようだ。

 

 

「それに『探偵』という職種に憧れていましたから♪」

 

 

そして…リエの現在の職業は『探偵』

ハッキリ言うと、似合ってない気がするんだけど…これはオブラートにしまっている。

 

私は本職の医師業の傍ら、時々リエの探偵の手伝いをしている。

リエはかれこれ、十年ほど副業をしながら探偵業を行っているのだ。

外見から、到底そんな事できるのかって疑う人の方が多いはず…

現に、私も彼女の仕事を手伝い始めたころはそんな感じだった。

 

だが、…彼女は大小はあれどどんな仕事も完遂していった。

人探し、浮気調査、近所の野良犬の追い出し(と言っても、強制的ではなく話し合い(!?)で交渉してた)とか…。貴婦人がスリにあった時なんか、走り去ろうとする犯人を背負い投げして、バタンキューさせた位だ。この一件で…リエが武術に長けている事を、私は知ってしまった(純粋にすごっ!って思ったもの)。

 

中には、殺人事件など大きな事案を担当する事もあって、それを解決に導いた。

余談だが、それがきっかけで、あの警視総監のアーサー・ランドル卿と面識ができて、たまに事件で相談されるようになったらしい。

 

私は甥関係で彼と既に知り合っていたけれど、ぶっちゃけあのプライドの高いランドル卿とタメで話せる奴なんて、そうそういない。

 

私の知る限りでは、甥とリエぐらいだろう。

前置きが長くなったから本題に入ろう。

今日、私がリエのもとを訪れたのは単に遊びに来ただけじゃない

…『探偵の依頼』をもってきたのだ。

 

 

「今回の依頼は『人探し』。この女性を探してほしいの」

 

  



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見かけに判断されるべからず(2)


(1)の続きとなります。

  


 

持参してきた写真をリエに見せる。

そこに映っているのは、茶髪の長い髪をまとめた大人しそうな印象の女性。

名前は『ヘレン・ブライズ』、18歳。

2年前に、田舎からでてきたガヴァネス(女家庭教師)だ。

 

 

「彼女の父親は牧師をしててね、慈善事業で何度か会った事があるの。

貧しい実家を支えようと、ガヴァネスになってロンドンまで来たみたい」

 

「いなくなったのは二週間前。

新しい雇い先へ面接へ向かったのを最後に行方が分からなくなった。

ガヴァネスの寄宿舎にも戻らず、連絡がこない事を不審に思った知り合いの方に

よって発覚した…ようですね」

 

「真面目で恋人がいたとか浮付いた噂はなかったようだし…もしかしたら事件に巻き込まれたんじゃないかってご両親が知人経由で私に相談があった訳」

 

「市警(ヤード)に捜索願は?」

「とっくに届けてるわ。あんまり期待してなさそうだったけど…」

 

 

ロンドン警察(スコットランドヤード)は捜査に熱心な反面、大した成果をあげられない。

上記の事から、一部の市民から彼等があてにならないと揶揄される事もある。

 

「…ブライズさんは、以前貴族の屋敷にいたようですが、辞めた具体的な理由は

なんでしょうかね?」

 

リエが、資料を一枚ずつめくりながら疑問を口にする。

 

「あくまで勘だけど…追い出された可能性大よ。

まだ若い女性だし、雇われ先で扱きつかわれてたかもね」

 

この時代、ガヴァネスは結婚をしない女性の数少ない職業だ。

自立したレディの姿として憧れを抱く者もいるが、現実は使用人と同等の扱いをされる。

メインである子どもへの教育は勿論、子守や裁縫と言った雑用までこなさくてはならず、就寝時間以外はフルタイムの労働を強いられていた。

 

 

「女性の社会進出が叫ばれてるけど、公に仕事するなんて御法度! 的な空気があるもの問題よ。そこから根本的に変わらなきゃ、意味ないと思わない?」

 

「そうですね。どこの国でも、社会問題が取り上げられる時、必ずと言っていいほど

女性関連の問題はあがります。長年の男性優位の封建社会と概念を覆すにはまだまだ

時間がかかりますよ、きっと…。

それをいかに解決していくのかは…指導者の発想と手腕次第ですけれど、ね」

 

 

私の愚痴に対して、リエがやんわりと意見を言うと、読み終えた資料をテーブルにおいた。

 

「この依頼、承りました。調査には少し時間がかかりますが、よろしいでしょうか?」

「そう、じゃあ調査が済んだら連絡頂戴ね」

 

こうして、本日のお茶会は終了した。

あの不思議なトンネルを今度は逆戻りすると…見慣れたロンドンの街並みだった。

 

(時間かかるって言ってたし、一週間ぐらいかかるかも…

依頼人に連絡しておいて、根気強く待つしかないわね)

 

そう考えながら、私は帰路へ着いた。

 

 

 

 

翌日…自室の書斎で書類のチェックをしてると、来客がやってきた。

 

「おはようございます。マダム・レッド」

「リエっ…!」

 

いつもとは違う身だしなみ…控えめな色だけれども上品な英国風淑女の服装に

身を包むリエだった。

 

「例の依頼の調査、完了しましたので報告に上がりました」

「えっ、完了って…まだ一日しか経ってないじゃない!」

「はい。一日ちょっとかかりました」

 

そう言うと、持っていた鞄からどさっと資料の束をデスクにおいた。

念のために一枚一枚ぺらぺらと内容を確認していく。

 

「今回、情報収取するのは思いの外苦戦しましたよ。

例えば、同じ寄宿舎に住んでいるガヴァネスや前の職場に住んでいる使用人、雇い主、彼女がよく通っているパン屋や雑貨屋……etc」

 

スラスラと綺麗な発音の英語で喋るリエに、思わず脱帽してしまう。

…彼女が詳細を説明している通り、資料にはヘレン・ブライズがここ数年関わった人物の詳細や動向などが記述されていた。

 

毎回思うのだが、彼女の情報網は半端ない。

以前の事件も、市警(ヤード)さえも迂闊に調べられないイーストエンドの暗黒街の情報を入手していたし…。どうやってコネをつくったのか、過程がとても気になる。

 

「それで調査中に、ある噂を聞きました」

「噂?」

 

「ここ数ヶ月の間に、ロンドン市内で行方不明が多発しているようです。

行方不明者数は六人。いずれも市警(ヤード)に届け出がでています」

 

「へぇ…でも、今回の件と関係があるの?」

 

英国の年間の行方不明者数とか、その辺の情報は疎いため、本筋とどう関係しているのか、

疑問符が浮かぶ。

 

 

「その行方不明になった方々は、10代後半から20代の若い女性

…しかも『ガヴァネス』です」

 

「あっ…!?」

 

「さらに、そのガヴァネス達は寄宿舎の求人情報で、ガヴァネスを求めている

ある好条件の『家庭』へ面接に行っています。その後、行方が分からなくなった…」

 

「全員、ヘレン・ブレイズと同じじゃない…」

 

「そして、ブレイズさんもまた、彼女達と同じ住所の家庭へ面接に向かった

…これは偶然でしょうか?」

 

 

リエは、あたかも大学教授が生徒を試すような感じで問いかける。

若い女性、ガヴァネス、好条件の求人広告…これだけ共通しているのに偶然なんてありえない。一連の失踪は…明らかにつながっている。

 

「それで彼女達が面接に行ったっていう家庭は割り出せたの?」

「ええ、すぐにその住所まで行きましたが…誰もいませんでした」

「…という事は、偽の求人で若い女性達を誘き出して拉致した」

 

導き出した答えに、リエが「正解です」と言った。

けれど、そうなると連続行方不明の事件の背後には裏社会に携わる連中の仕業になる。

 

「犯人は…目星ついてる?」

「はい。ある外国の会社が今回の事件に関わっています。でも…」

「何か問題があるの?」

 

「直接、会社先へ問い詰めても上手くはぐらかされるか、門前払いされるのがオチです。

だから…別の手段で攻めた方がいいですね」

 

リエは、そう言いながら出された紅茶を優雅に飲む。

 

「そのためには、アンさんの力が必要なんです。協力していただけますか?」

 

ティーカップを皿において、ニコリと笑うリエ。

傍からみれば、花のような微笑みを浮かべる可憐な女性だ。

男性がみたら運命を感じずにはいられないだろう。

 

しかし、私は知っている。

彼女が…案外、策士な所があるしたたかな女である事を。

 

 

 

【見かけに判断されるべからず】

 

 

 

それから、私達は打ち合わせをした。

 

「それじゃあ三日後…私はいくわ。貴女も…OK?」

「はい、かしこまりました」

 

犯人は、裏社会に身を置く人間。

実は、私も目にした事がある人物かもしれない。

その人物は、三日後ロンドンから少し離れた屋敷で行われる茶会に出席する。

私も…その茶会の参加者だ。

 

「用心しておいたほうがいいわよ。

あそこに集まるのは表社会の貴族とは違う意味で厄介なのばかりだから」

 

リエに限ってあり得ないが…犯人が感付いて彼女に害を与えるリスクはある。

念のために注意喚起すると、リエは面白そうに…まるで難解な謎解きに直面した数学者が挑戦心を駆り立てられた時の如く、愉悦を含んだ笑みを浮かべた。

 

 

「それは…気をつけないといけません、ね」

 

 

 

【つづく】

 

 



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The trap after a tea party(1)

  
この話から、原作の主人公二人(シエルとセバスチャン)が登場します。
  


 

ロンドンから少し離れ、霧ぶける森を抜けると手入れの行き届いた屋敷(マナーハウス)が

あらわれる。

 

その屋敷の主は、シエル・ファントムハイヴ。

若干12歳にして、広大な領地を収める伯爵。

玩具・製菓を中心とする巨大カンパニー「ファントム」社の社長としての顔も持つ。

 

そして、彼にはもう一つの顔がある。

裏社会の者達は、彼をこう呼ぶ。

―――『女王の番犬』と。

 

 

*** ***** ***

 

 

彼の朝は早い。

夜は誰より遅く仕事を終え、朝は誰より早く仕事を始める。

鏡の前で黒の艶のある前髪を整える一人の青年。

 

「随分髪が伸びてきましたねぇ……嗚呼、勝手に縮めてはいけないんでした」

 

ブツブツと独り言をつぶやきながら、青年は伸びた前髪を耳にかけ、燕尾服を纏う。

白い手袋をはめながら、カツカツと使用人達が集合しているだろう厨房へ向かう。

彼の名前は、セバスチャン・ミカエリス。

ファントムハイブ家の執事だ。

 

きぃ…と大きな扉を開くと、厨房には4名の人物がいた。

麦わら帽子を首にひっかけた、金髪碧眼の10代の少年。

顔立ちは東洋系で、眼鏡をかけた20代のメイドの女性。

背が高く、ややいかつい風貌で眠たそうに欠伸をしている料理人の男性。

そして、部屋の隅で座布団に座って、ほのぼのとお茶を啜っている小さなご老人。

 

「皆さん。本日の仕事の内容を申し上げます」

 

セバスチャンは、使用人達に一日の仕事の指示をしていく。

 

「まずは、メイリン。リネンの整備をしてください」

「分かりましたですだ!」

 

「フィニ、貴方は庭の手入れをお願いします」

「はーい!」

 

「バルド、昼食の材料の準備を…くれぐれも調理はしないでくださいね」

「ふぁ~、へいへい…」

 

「タナカさんは…お茶でも飲んでてください」

「ほほほっ~」

 

指示を一通り言い終えると、最後にセバスチャンはこう告げた。

 

「本日は、お客様が多数お越しになります。くれぐれも粗相のない様に」

「「はい(ですだ)!」」

「りょーかーい~…」「ほほほっ」

 

「さあ、持ち場へ行ってください! ボサッとしない!」

 

ぱんぱんと手を叩くと、使用人達は颯爽と持ち場へ向かう。

彼等を見送ると(約一名はお茶をすすっているが)、セバスチャンは食器棚から

ティーセットを取り出す。

 

「本日の紅茶は…」

 

そして、彼もまた当主の目覚めの紅茶(アーリーモーニングティー)と朝食の準備を

始める。それらをカートにのせて、当主の寝室へ赴くセバスチャン。

 

 コンコンッ

 

「坊ちゃん、お早うございます。お目覚めの時間です」

 

セバスチャンは、扉をノックして入ると、笑みを浮かべて朝の挨拶をする。

シャッとカーテンを開けると、暗かった寝室に朝陽が差し込み、その光で当主

…シエルが目を覚ました。

 

「まぶしい…」

 

「本日の朝食は、スクランブルエッグとソーセージ、フルーツサラダをご用意しました。

付け合わせはトースト、スコーン、クロワッサン、どれにいたしますか?」

 

「ふぁ~…クロワッサン」

 

生欠伸をしながら、シエルは紅茶の香りを楽しむ。

 

「…今日は、ブレンドか」

「インドの方で良い茶葉を仕入れましたので、セイロンと合わせてみました」

「そうか…今日の予定は?」

 

紅茶を一口飲むと、新聞を広げて読みながらスケジュールを問う。

 

 

「午前中は各工場の売り上げ表と新商品の企画書のチェック

…午後は『お茶会』がございます」

 

「…そういえば、最近“鼠”が多いな」

 

「ロンドンで異常発生してると新聞各紙で取り上げられていますね。

屋敷の方は私を含め使用人達で対処しております」

 

「一匹ずつ仕留めていっても、うじゃうじゃ湧いてくるからな。

増える前に…“一気に、確実に駆除”した方がいい」

 

「そのためにイタリアから取り寄せたのでしょう? 【例の物】を…」

 

 

セバスチャンが笑って言うと、シエルは口元に弧を描く。

 

 

「見物だな。あれがどう動くのかが…」

「ふふふっ」

 

  



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The trap after a tea party(2)

  
(1)の続きとなります。
  


 

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 

午後、セバスチャンは屋敷に訪れた…招待状を送った客人を案内する。

若い細目の中国人、厳格そうな風貌のイギリス人、流行のスーツを着た顔にキズの

あるイタリア人……その中に赤い帽子とドレスを纏ったマダム・レッドもいた。

 

「ようこそ、マダム・レッド」

「御機嫌よう、セバスチャン。いつみても良い男ねぇー、あんた」

「お褒めいただき光栄です。ところで…そちらのレディは?」

 

マダム・レッドの一歩後ろに、見知らぬ女性が付き添っていた。

 

外見は、19,20歳の若い女性だ。夜空のような黒い髪を後ろで上品に纏めており、派手でなくかといって、地味ではない控えめな服装をしている。

緊張する事無く落ち着いている様子から、貴族階級の家の空間に場馴れしているようだ。

顔立ちの良さ、眼鏡をかけている事で知的な要素もミックスされて、上品な淑女にみえる。

 

「彼女は、私の付き添いよ。知人の友達で、ガヴァネスをしていたの」

「御目文字叶いまして光栄に御座います。フィリア・エルベットと申します」

 

鈴が鳴るような声音、それに美しい英語の発音だ。

 

 

「さようですか…では、失礼ながら何故こちらに?」

 

「フィリアは一度、結婚してガヴァネスの職を退いていたんだけど、3年前に夫を亡くして独り身になったの。現役復帰したいけど、なかなかいい職場がなくてね。

だから、伯爵にいい所がないか、お願いしようと思って、直接本人もつれてきちゃったのよ」

 

 

お茶会終わってからでいいから都合つけてくれる、とウィンクしてお願いするマダム・レッド。

 

 

「かしこまりました。その旨を主人にお伝えします」

 

 

セバスチャンは、頭を下げるとすぐさま主人のもとへ向かった。

招待状を直接持っている訳ではないため、フィリアは正規の客人ではない。

しかし、マダム・レッドは主人であるシエルの母方の叔母にあたり、親戚関係。

その上、表の社交界や医療業界にも人脈がある重要な客人でもある。

 

「如何なさいますか? 坊ちゃん」

「……分かった。茶会の後で会ってみよう」

 

シエルは、マダム・レッドの性格をよく知っている。

断って後々、色々と言われるのも厄介だと感じて了承する事にした。こうして、マダム・レッドは奥の特別ルームへ…フィリアは別の部屋へ案内される事となった。

 

「じゃあ、フィリア。終わるまで暫く待っててねー」

「はい、マダム・レッド」

 

すると、行く前にマダム・レッドはフィリアの耳元に口を寄せて呟いた。

 

《うまくやりなさいよ》

《はい、勿論》

 

行ってくるわね~とルンルン気分で特別ルームへ向かうマダム・レッド。

微笑んで、小さく手を振るフィリア。

そんな二人の様子をちらりと見ながら、セバスチャンは意味深げな笑みを浮かべた。

 

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

 

30分後、ゲストルームで用意してくれたお茶を飲んでいたフィリアの耳に、

部屋の外で誰かが喋る声が聴こえた。

扉を少しだけ開けてみると…使用人が複数、天井のパネルを見ていた。

 

「あ~、やられてら」

 

天井のパネルを外して、電線をチェックしていた料理人のバルドがそう言葉を漏らした。

 

「電線パスタは相当お気に召したらしいな、ネズミどもめ」

「また、ネズミですだか?」

「今年は多いねえ」

 

メイドのメイリンと、庭師のフィニが困惑した様子で言う。

バルドは電線の修理を終えて、脚立から降りると後頭部を掻きながら溜息を漏らす。

 

「ロンドンで異常発生してるって話ァ聞いてたが、まさかこんな郊外まで足を伸ばしてやがるとはなぁ。こんなしょっちゅう停電させられてたんじゃあ、商売あがったりだぜ」

 

「どんな商売ですだ」

 

バルドの言葉に、メイリンがツッコんでいると、フィニが「あっ!」と声を上げた。

ネズミが一匹、通路を素通りしていく。

 

「ネズミ、見っけ。えいっ!!」

 

咄嗟に、フィニは近くにあった彫刻…大人でも数人がかり必要な重たいもの…を両手で軽々ともってネズミ目掛けて叩きつけた。

 

「あっ、逃げられちゃいました!」

 

しっぱいしっぱい、てへっ☆と舌を出すフィニに対して、バルドは怒鳴りつける。

 

「てへっ☆じゃねェ!! オレの事も殺す気かッ バッキャロ―――!!!」

 

危うく巻き添えをくらいそうになったメイリンはドキドキとしており、タナカさんはほほほっと和やかに笑っている。

 

「とにかくあいつらに正面から挑んでもムダだ! 頭(ココ)を使うんだ!」

「頭(ココ)……?」

 

疑問符を浮かべる三人に、バルドはさらにこう言った。

 

「頭をしぼって、敵の行動パターンを読むんだ。突撃ばかりが戦じゃねぇ。

そう…陽動作戦(ダイヴァージョン)だ!」

 

俺の作戦はこれだ! とバルドは寸胴鍋をドンッとおいた。

 

「大量発生したせいで、奴らは食糧難とみた。戦場での空腹程辛いものはねェ。

そこで『これ』だ!!

題して“バルドシェフの手料理 ネズミ☆まっしぐら”作戦!!!」

 

寸胴鍋のふたを開けると、ごぽごぽっと泡をたてた怪しい色のシチューがあらわれた。

見るからに食べたくない代物だ。

コレが玄人(プロフェッショナル)ってもんよ、と自慢げに鼻を親指で擦るバルドに、

三人は「おおおーっ」と尊敬の眼差しを送る。

 

すると、フィニとメイリンもはいはーいと挙手した。

 

「じゃあ、僕は“永遠の宿敵対決 トメとジュリー大作戦”ですッ」

 

いつのまにか、たくさんの野良猫たちを連れてきて、自信満々にフィニは言う。

 

「ま、負けないですだよ!!

こっちは“一度掴んだら離さないネズミホイホイ大作戦”ですだ!!」

 

メイリンは、買い込んだネズミホイホイを広い通路一面に設置した。

そして、タナカさんは麦わら帽子を被り、虫取り網を持って、ほほほっと準備万端のようだ。

 

「よーしそれじゃあ、作戦開始だーっ!」

 

おっー! と四人は拳を上げて、ネズミ退治作戦を決行した。

 

 

 

 

彼等がすばしっこいネズミと格闘する中、奥にある特別ルームにもその声が筒抜けていた。

 

「随分と騒がしいな」

 

コンッとビリヤードの球を突く音。

 

「どうやら『ココ』にも鼠がいるようだ」

 

薄暗い部屋の中、誰かがそう言葉を発した。

 

「食料を食い漁り、疫病ばかりふりまく害獣をいつまでのさばらせておく気だ?」

 

サンドイッチをモシャモシャと食べる恰幅のいい男性が不満を漏らす。

 

「のさばらせる? 彼は“泳がせている”のでは?」

 

すると、細目の若い中国人が違う意見を口にした。

 

「そう、いつだって彼は一撃必殺(ナインボール)狙い。

次もパスなの? ファントムハイヴ伯爵」

 

中国人に同調するように、マダム・レッドはそう言いながらちらりと、上等な肘掛椅子に優雅に座るシエルに目を向けた。

 

「パスだ。打っても仕方ない球は打たない主義でね」

「御託はいい。鼠の駆除はいつになる?」

 

コンッと若いイタリア人の男性が玉を打つ中、しびれを切らしたように、厳格そうなイギリス人が口を開いた。

 

彼の名前は、アーサー・ランドル卿。

ロンドン警察(スコットランドヤード)の警視総監であり、マダム・レッドもたびたび顔を合わせる人物だ。市警が、表の世界で起きる裏関係者が関与する事件を捜査する際、裏社会の複雑な構造が捜査の妨げになってしまう事が多々ある。

そのため、事件を秘密裏に暴き、始末を行う役割を担う機関に協力を頼む事になる。

 

その機関こそ、ファントムハイヴ家。

英国女王の直々の命令を遂行するため、手を汚し、時には粛清さえも辞さない

…裏社会を監視する貴族である。

 

ランドル卿は以前にも説明したが、プライドの高いイギリス貴族だ。

マダム・レッドは知っている。

自らが統率する市警が介入しにくい事件を、ファントムハイヴ…闇の機関に委ねる現状に不快と歯痒さを感じている事を。

 

さらに、当主はまだ12歳の少年。

自分の実子よりも幼い子どもなんかに、毎回頭を下げなくてはならない

…それがまた、彼のプライドを著しく傷つけている事も。

 

ランドル卿の苛立ちを軽く受け流すように、シエルの口は綺麗な弧を描く。

 

「すぐにでも。すでに材料はクラウスに揃えてもらった」

 

シエルの口から出てきた人物…壁に背を預けている40代位の男性…クラウスは優雅に

酒を飲んでいる。

 

「巣を見つけて鼠を根絶やしにするのは、少々骨が折れる。

それなりの報酬は覚悟してもらおうか」

 

ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ランドル卿を見つめるシエル。

 

「……ハゲタカめっ…」

 

ランドル卿はいよいよ我慢できなくなり、悪態をついた。

その言葉に、シエルの目が鋭くなる。

 

「貴殿に“我が紋”を侮辱する権利が?

鼠一匹しとめられない猟犬ばかりに大枚をはたいている貴殿に」

 

痛いところを疲れてしまい、ランドル卿はぐっと口を噤んでしまう。

 

「残念、ファールだ。台球は難しいな」

「次は伯爵か どうする?」

 

若いイタリア人の呼び掛けに、シエルは腰をあげた。

 

「そろそろこの下らないゲームも終わりにするか。

それで、報酬はいつ用意できる?」

 

すれ違いざまに、ランドル卿に再び報酬の件を問いかける。

「こ、今晩には…」と悔しさを滲ませた口調で、ランドル卿は答えた。

 

「いいだろう。後で迎えの馬車を送る。ハイティーを用意してお待ちしよう。サー」

「残り3球から九番を狙うのかい?」

「当然だ」

「《ゲームの天才》のお手並み拝見といこうじゃないか」

 

他の客人の視線がシエルに集中する一方、ランドル卿はこう言い放った。

 

「《強欲》は身を滅ぼすぞ シエル!」

 

そんな言葉さえもどこ吹く風。

シエルは球をついた…それはカツンとボールにあたっていき、見事に九番のボールは

穴に落ちた。

 

    



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The trap after a tea party(3)

  
(2)の続きとなります。
原作の1巻では、携帯電話がさらりと登場しているので…マダム・レッドも所持している設定にしています。  
  


 

「あの…皆さん、大丈夫ですか?」

 

フィリアは、思わず部屋の外へ出て声をかけずにはいられなかった。

寸胴鍋とおたまを交互に持ち、ネズミにシチューをぶっかけようとしているバルド。

しかし、ネズミには当たらずに綺麗なカーペットはところどころ変色している。

 

自らも猫の衣装をきて、ネズミを追いかけるも逆に集めてきた猫達にかまれているフィニ。

折角、設置したネズミホイホイに逆に自分が捕まってしまったメイリン。

そして…ネズミを虫とり網でのほほんとおいかけるタナカさん。

 

「おう、嬢ちゃん! すまねえが、今オレ達は見てたら分かるだろーが、取り込み中だ!」

「ギャー! かまないでぇええ!!」

「足にネズミホイホイがぁ―――! 助けてですだぁ~!」

「ほほほっ~」

 

「…はい。大変そうですね」

 

「悪いが、この戦に巻き込まれたくなけりゃ部屋で大人しくしてな!

あっ、ごらっ待ちやがれェ!」

 

ちょろちょろと素早いネズミに、四人(約一名楽しそう)は悪戦苦闘しているようだ。

 

 

♪♪♪~ ♪♪♪~

 

 

そんな彼等を少し後方から眺めているフィリアは…ハミングをし始めた。

 

「へっ…」「あれっ?」

「はい?」「ほほほっ」

 

すばしっこく逃げていたネズミ達が、ぞろぞろとバルド達の足元をかいくぐり、

一斉にある方向へ駆けていく。

そう…ハミングしているフィリアのもとへ。

 

 

「ふんふんふーん♪ ふんふんふーん~♪」

 

ちゅー ちゅちゅ? ちゅちゅちゅー!

 

 

フィリアの足元にぞろぞろと輪を囲む形で集まるネズミ達。

 

「すごーい! ネズミ達が、お客様の歌聞いてるよ~!」

「あんなにたくさん…今なら捕まえられますだ!」

 

フィニとメイリンがそろ~とネズミ達のもとへ近づこうとするが、「いや、待て…」と

バルドが制止する。

 

「今一歩踏み出すと、あいつらこっちに気付いてまた逃げちまうぞ」

「じゃあどうするだか?」

 

バルドの目がフィリアに向かう…すると、彼女は視線に気付いたようだ。

ぱちぱちと数回瞬きして、アイコンタクトしてきた。

 

「…あの嬢ちゃんに任せてみるか」

 

バルドの言葉で、四人は様子見する事にした。

 

「ふんふんふーん♪ ふんふふふーん♪」

 

フィリアはにこっと微笑むとそのままハミングしながら、歩いて移動する。

つられるようにネズミ達も、ちょこちょこと彼女の後を追っていく。

窓が開いたバルコニーへやってくると、屈んでネズミ達にこう言った。

 

 

「さぁ、お帰りなさい」

 

ちゅー、ちゅちゅ~、ちゅちゅちゅー!

 

 

フィリアの言葉に、「YES!」と言うように、ネズミ達は一列ずつ並ぶと二階の壁を

つたって、外へでていった。

その光景を壁に隠れてみていた四人は、おおっ~! と歓喜する。

 

「嬢ちゃん、やるなぁー!」

「あのネズミ達を歌で追い出すだなんて…!」

「すごいです! どーやったらそんな事できるんですか?」

 

「ふふふっ…ちょっとしたネズミよけの歌を創作しただけですよ」

「創作…って今作ったのかよ!?」

「どんなマジックですだか!?」

「その歌教えてくださーい♪」

 

バルド、メイリン、フィニが、フィリアに次々と質問攻めをしていると…

 

「まったく…何してるんですか。あなた方は」

 

タイミングを待っていたかの如く、後方から別の声がした。

ぎくっと三人が一斉に振り返ると…

 

「お客様になんて事をさせているんですか…」

 

そこには、愛想よく笑っているもののこめかみに青筋を立てている執事の姿があった。

 

「「「あっ(げっ)! セバスチャン(さん)」」」

「あらっ…先程の執事さん」

 

次の瞬間、廊下の一部で雷が鳴り響いた。

 

 

 

10分後…廊下の隅で正座している四人(タナカさんはお茶を飲んでいる)をよそに、

セバスチャンは恭しく頭を下げた。

 

「フィリア様、大変申し訳ございません。

使用人達が騒がしい上に、あろうことか大事なお客様にネズミ退治をさせるなど…

なんとお詫び申し上げたら…」

 

「いいえ、ただ…私も手伝いたかっただけですから」

 

フィリアは苦笑して、気にしないでくださいと言う。

 

「ああ、寛大なお言葉を頂けるとは…恐縮でございます。

―――バルド、いつ動いていいと言いましたか?」

 

足が痺れて態勢を変えようとしたバルドに、セバスチャンは間髪いれず静かに怒を孕んだ口調で指摘する。バルドは慌てて、背を伸ばして再び正座する。

 

「あなた方の声は、特別ルームのお客様にまで筒抜けでした。

何度も言ってますが、“密やか”にできないのですか?」

 

上司の気迫のこもった笑みに、バルド達は顔色を蒼白にして、ガクブルする。

 

「おい、セバスチャン!」

 

説教を続けようとしたら…主であるシエルがそれを妨げた。

 

「坊ちゃん」

「説教は後にしてやれ。それよりも、今夜ランドル卿の屋敷へ馬車を迎えに出せ」

「馬車を?」

「今夜は《夜会》を開く」

 

その意味を理解したセバスチャンはニコリと笑い、「かしこまりました」と言った。

 

「では、場所の手配を済ませましたら、お部屋にアフターヌーンティをご用意いたします。

それから、坊ちゃん…こちらの方がマダム・エルベットです」

 

「フィリア・エルベットと申します。

ファントムハイヴ伯爵様、本日はご多忙の中、お時間を割いてくださりありがとうございます」

 

「いや…マダム・レッドの頼みです。

僕としても困っている方々のお役に立ちたいのでね。話は僕の書斎で行いましょう」

 

シエルは愛想よく笑いそう言葉を返した。

 

「後ほど、お茶菓子をお持ちいたします。

本日のお茶菓子は『リンゴとレーズンのディープパイ』をご用意しております。

焼きたてをお持ちしますので、少々お待ちください」

 

「ああ」

「すみません、伯爵…マダム・レッドはどちらに?」

 

「あの人は、急用が入り一旦お帰りになりました。

また、こちらに戻ってきますよ。こちらです」

 

シエルが、フィリアを自室へ連れて行った。

二人を見届けると、セバスチャンは「さて…」と正座している四人に視線を戻す。

 

「さ、貴方達も仕事なさい。

今後、ネズミ退治は騒がしくしないようにお願いします。返事は?」

 

「ふ ぁ い……」

 

バルド、フィニ、メイリンはげんなりした雰囲気で返事した。

ちなみに、彼等のやりとりの背後で、タナカさんがほほほっと穏やかに笑って、虫取り網で残っていたネズミ数匹とっていた事に…全然、誰も気づいていなかった。

 

 

書斎に入っても、相変わらず使用人達の騒がしい声が響く。

 

「賑やかな方々ですね」

 

フィリアがクスッと笑って感想を言うと、シエルはハァ…と溜息を漏らす。

 

「いえ、お恥ずかしい限りです。あの者達は少々平和すぎて…」

 

シエルが振り返り、弁解しようとしたその時、フィリアの背後から何者かが忍び寄り、彼女の頭に銃を突きつけた。

 

「きゃっ…」

「おっと。ファントムハイヴ伯爵…此処で叫ぶと、このお嬢さんの頭に穴があくぜ」

「……何者だ……うっ…」

「あんたに名乗る程のもんでもねえよ」

 

シエルも背後から口元に布をあてがわれた。

睡眠薬がしみこまされていたため、抵抗しようするが、すぐに意識を失ってしまった。

 

『よし…連れてくぞ』

『その女は?』

『捕獲対象だとよ。“あの人”の命令だ』

 

『時期がきたら売るのか、上物なのにもったいねえな~。一回ぐらいは…』

『おこぼれ預かれる立場じゃねえだろ…それにいい女はどーせ、【あの人】が独占するんだ』

『くっそ、うらやましいぜぇ…』

 

英語とは違う言語で喋る侵入者二人。

凶器を突き付けられ、為す術のないフィリア。

 

しかし…彼女は恐れ怯えるどころか、静かに大人しくしていた、いやあまりにも冷静だ。

そんな態度を不審に思う事無く、侵入者の男達は意識を失ったシエルとフィリアを抱えて開いた窓から脱出し、連れ去った。

 

 

 

【The trap after a tea party】

 

 

 

一方、ファントムハイブ家を離れたマダム・レッドは馬車に乗って、あるところへ向かっていた。後方にはもう数台の馬車が走っている…その中にはまだ誰も乗っていない。

 

「もしもし、ロンドン警察(スコットランドヤード)ですか?

私…アンジェリーナ・バーネットと申します。

ええ、はい。そうです…すみませんけど、ランドル卿をお願いできます?」

 

馬車の中で、電話をするマダム・レッド。

 

 

「御機嫌よう、ランドル卿。実はお話ししたい事があって

…とっておきの《ネタ》がありますの」

 

 

 

 

【つづく】

  



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さぁ、ショータイムの始まりです(1)

  
シエルsideと主人公sideで交互に話が進んでいきます。
オリキャラが二名(誘拐されたガヴァネス)登場します。
余談ですが、二人は「レディー・ヴィクトリアン」という少女漫画に出てくるキャラをモデルにしています。
  


 

アフターヌーンティーの準備を整え、書斎までやってきたセバスチャン。

 

「坊ちゃん、アフターヌーンティーをお持ち致しました」

 

コンコンッと扉をノックしたが、主の返事がない。

 

「…? 坊ちゃん?……!!」

 

不審に思い、セバスチャンは扉を開けると驚愕した。

そこには書類がばらまかれ、窓が大きく開かれていた。

そして、いるはずの主と客人のフィリアがいない。

 

「これは―――嗚呼、何という事だ…」

 

セバスチャンは困惑した。

そして、主と客人が何者かに誘拐されたのだとすぐに察した。

 

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

 

フィリアが目を覚ますと、そこは鉄製の扉とコンクリートの壁に囲まれた牢屋の中だった。

 

「あ、起きたのね!」

「御加減はいかが…?」

 

上半身をゆっくり起こすと、自分以外にも若い女性が二名いた。

 

「ここは…?」

 

「分からないけれど、どこかのアジト……私達、ガヴァネスで…

いい条件付きのお屋敷の募集を見かけて面接に行ったら」

 

「見知らぬ怖い人たちに連れられて…此処に閉じ込められたの」

 

彼女達はガヴァネス…しかも、数日前に行方不明者リストに乗っていた人だ。そして、一人は茶髪の長い髪に、大人しそうな印象の女性―――探し人、ヘレン・ブライズだった。

 

「失礼ですけど、お二人の名前は?」

「ヘレン・ブライズです」

「私は、セリア・メイシー。そう言う貴女は?」

 

セリアから名前を聞かれると、フィリアは少し思案すると、ほんのりと笑って言った。

 

「私はフィ…いえ…リエ・クローチェと申します」

 

 

 

*** ****** ***

 

 

 

「英国裏社会の『秩序』…逆らう者は絶対的な力で噛み殺す女王の『番犬』

……何代にも渡って政府の汚れ役を引き受けてきた『悪の貴族』

一体、いくつの通り名を背負って、一体いくつのファミリーを潰してきた?

シエル・ファントムハイヴ?」

 

捕えられたシエルは、黒幕と対峙していた。

ベルトで腕を縛られ、拘束されている状態だが、怖れ泣き崩れる素振りもみせず、

極めて冷徹な表情で、その男を見つめていた。

 

「やはりお前か……フェッロ・ファミリー アズーロ・ヴェネル」

 

そう、茶会に参加していた客人のイタリア人の男性だ。

彼が誘拐を企てた犯人であり、シエルが現在追いかけている『鼠』。

 

「なァ、リトル・ファントムハイヴ。

イタリアンマフィアにこの国はやりづらい。

英国人は皆、頭に茶渋がこびりついてやがる。

俺達みたいな家業のモンが一番稼げる方法は何だ?

掃除(ころし)や運び以上に手っ取り早く儲けられる…それが麻薬(ドラッグ)だ」

 

最近、英国の裏社会のみならず表社会にまで麻薬が広まっている。

表向きは外国企業を装い、市警(ヤード)にバレない様巧妙な手口で、麻薬を売りさばいていたのだ。シエルは、既に協力者の一人…クラウスに協力を仰ぎ、その決定的証拠を取り押さえており、後は秘密裏に制裁を加える予定だった。

 

あの茶会で手始めに揺さぶってみたが、茶会後にこういう形で仕掛けてくるとは

…不覚だった。

 

「なのに、この国ときたら番犬が睨みをきかせているせいで芳醇な香りひとつたちゃしない」

「鼠(売人)と疫病(麻薬)はのさばらせるな、と女王からのお達しだ」

 

「あぁ、ヤダヤダ。お堅いねえ。これだから英国人は嫌いなんだよ。

女王! 女王! 女王信者ばかりだ。結局俺達は、同じ穴の狢だろ?

どうせなら仲良く一緒に儲けようぜ」

 

「悪いが、薄汚いドブ鼠と馴れ合うつもりはない」

「……物分かりのわりいお坊ちゃまだ」

 

アズーロは静かにそう呟くと、シエルの頬をドガッと拳で殴った。

 

 

「ブツの在り処さえ吐いてくりゃ、首が繋がったままおうちに帰してやるよ、

リトル・ファントムハイヴ」

 

「僕が戻らなければ、クラウスの手から政府に証拠が渡るようになっている。

残念だったな」

 

 

嘲笑うシエルに、アズーロは青筋を立てて、持っていた銃の照準を合わせる。

 

「大人をナメんなよ、クソガキが! すでにお前の屋敷に部下を待たせている。

ブツはドコだ? 早いトコ吐かねェと一人ずつ使用人ブチ殺すぞ」

 

脅しをかけるアズーロに対し、シエルは一瞬だけ顔を俯けると…

 

「可愛い飼い犬がちゃんと『とってこい』を出来ればいいんだがな」

 

ニコリと無邪気な微笑みを浮かべてそう言い返した。

アズーロはフッ…と笑うが、すぐに顔に苛立ちを露わにさせ、シエルに容赦なく蹴りを

いれた。

 

「聞こえたか? 交渉決裂だ―――殺せ!」

 

アズーロはすぐさま電話で、部下に抹殺命令を下した。

 

 

 

 

その頃、リエは牢屋の中で周囲を見渡して、状況を把握しつつあった。

 

(この牢屋にいるのは、私を含めて三名。

マフィアの関係者を除いて…向かい側の牢屋に女性が二人。

隣の部屋に二人…これで全員ですね)

 

おそらく、行方不明になっている他の女性達だろう。

まだ、売人(バイヤー)に売り渡されていなかったのが幸いだ。

 

 

「それでは…ヘレンさんとセリアさんは、偽の求人広告に騙されて、こちらに?」

 

「…ええ、指定された住所に行ったら、怖い顔つきの黒い服装の人達に口を布でおおわれて。

気づいたら此処にいたの」

 

「あの人達…誘拐した私達に『暫く我慢すれば、いい就職先へ送ってやる』って言ったの。

『帰してください』って懇願する人も勿論いたわ…でも、殴って黙らせたのよ!」

 

 

ひどすぎるわ…とセリアはその時の事を思い出したのか、眉を潜めてスカートの裾をギュッと握りしめる。

 

「暴力で人を支配するなんて…確かに紳士として、いえ人として許されない事ですね」

「…どうにかここから逃げ出さないと。こんな所にいたら何をされるか分からない」

 

セリアは、不安そうに視線を斜め下へ向ける。

 

「でも…あの人達、こっちが何も言わなければ、暴力を振るいませんし、食事も三食出してくれる。もしかしたら、本当にいい職場を紹介してもらえるかも…」

 

その時、ヘレンが顔を少し俯けたまま、意外な言葉を口にした。

彼女の言葉を聞いたセリアとリエは大きく目を見開く。

 

「ヘレンさん、何言ってるの! そもそも、私達誘拐されたのよ。

そんな事する人達が本気で、私達の職場を探してくれる訳ないじゃない!」

 

「でも、此処から逃げたとしても…私達の居場所なんてない…ッ!」

 

セリアが必死に反論しようとしたら、ヘレンが声を荒げた。

大人しそうな印象の彼女が感情を奮い立たせて言い返してきた事に、セリアはビクッと

口を噤む。

 

「ガヴァネスなんて…いくら知識があったって、プライドがあったって…

所詮、雇い主から『貧乏人』って蔑まれて、使用人からも小馬鹿にされる…。

子どもの授業が終わったら雑用させられるか、家族に手紙を書くしかない…

一人ぼっちで誰一人、味方してくれない…ッ…」

 

ヘレンは以前まで勤めていた上流階級の家庭での嫌な事、苦しかった事を曝け出すと、

ポロポロと涙をこぼして、泣き出した。

 

「…でも、父や母に迷惑をかけたくなくて…いつも手紙には嘘しか…書けない。

私みたいな年齢の人を雇ってくれる家庭なんて…ほとんどないし…

だったら…外国でもなんでもいいから、そこで仕事について…仕送りできれば…って」

 

「…私の勤めていた家庭もそうだった。

『若い娘だから』って夫人から白い目で見られたり、年齢の近い男爵から…

『愛人にならないか』と言い寄られたりした」

 

事情を語るヘレンに触発されたのか、セリアも勤め先での辛い体験を話す。

 

「まあっ…! それでいかがなされたんですか?」

 

はしたないと思いつつも、リエは思わず聞き返してしまった。

 

「…その…本当に恥ずかしい事なんですけど、足踏んづけて顔に拳を叩きつけてしまいました」

「…す、すごい…」

 

視線を逸らして頬を紅潮させながらも、前の職場を辞めされられた理由を語ったセリアに、ヘレンも涙が止まり、ドン引きしている。

どうやら、セリアという女性は意外と口よりも先に手が出てしまうタイプのようだ。

 

「…お二人の話を聞いていると、英国の女性進出の難しさを感じますね」

「…リエさんは、どうしてガヴァネスになったの?」

 

やっぱり家庭の事情から…とセリアが尋ねると、リエは緩慢に首を左右に振る。

 

 

「少々、特殊な事情です。

まだ語る段階ではありませんので保留にしていただけますか?」

 

「…あっ、その嫌な事思い出させたならごめんなさい」

「いいんですよ。ただ…まだ此処では口外できないだけで」

 

 

リエがそう言いかけた時、ドンドンッと鉄製の扉をノックする音が響いた。

 

  



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さぁ、ショータイムの始まりです(2)

  
(1)の続きとなります。
  


 

鈍い音を立てて扉が開くと、一人の男性が顔を出した。

派手なスーツを身にまとった如何にも、マフィアらしい顔立ちの30代の男だ。

今までの黒ずくめの服を着た下っ端ではなく、上の立場の人物だと…推測した。

 

「新入りのレディは誰だぁ?」

「あら、私の事ですか?」

 

顔面蒼白のヘレンと顔を強張らせているセリアがハッと息をのんだ。

如何にも極悪そうな顔の男相手に、リエは怯える様子もなく、朗らかに笑みを浮かべて小さく挙手する。男は、リエの上から下までじぃーと舐めまわすように見つめる。

 

「こりゃいい…なかなかの上玉じゃねえか! リーダーの夜枷の相手にするにゃ勿体ねえな」

「なっ…」「夜枷だなんて…!」

 

「リーダー…このお屋敷のご主人様の事でしょうか?」

「へっ、案外肝も座ってるな。手始めに30分後に俺が手解きをしてやるよ」

 

男はきひひっと下品な笑みを浮かべて、一度去っていった。

 

「…どうやら、このままだと私は美味しく食べられてしまいますね」

「私達もいずれ…娼婦にされてしまうのね」

「そ、そんな…」

 

薄々予感していたのか、セリアはままならない現実に打ちひしがれたように顔を歪める。

ヘレンにいたっては絶望を目の当たりにして、さらに泣き崩れてしまう。

 

「お二人とも、顔を上げてください」

 

悲観している二人に対し、リエは凛とした口調でそう言った。

 

「諦めてはダメですよ。

この状況をピンチととるかチャンスをとるかによって…道は分かれてしまうのだから」

 

「…で、でも、こんな所からどうやったら脱出できるの…?

チャンスだなんて…到底ありえない…」

 

泣きじゃくるヘレンに対し、リエはハンカチを差し出した。

 

 

「ヘレンさん、セリアさん、人は生きている間に様々な困難に遭遇します。

大切な人を失ったり、信頼していた人に裏切られたり…

そういう風に心を切り裂くような辛くて悲しい試練が立ちはだかったりします。

その試練に耐えきれず逃げてしまう事も…一つの選択でしょう。

でも、それで本当にいいのかしら?」

 

 

リエが真っ直ぐな目で、二人に問いかける。

 

「そ、それは…」「……」

 

「私は思うんです。

神様が試練を与えるのは、きっかけを作る事で、その人が成長できるか否かを

試すためだと。だから…私は今からその試練に“立ち向かう選択”をします」

 

リエはニコリと微笑んで言った直後に、閉ざされている鉄の扉の向こう側が

騒がしくなった。

 

『どうした?』

『リーダーからの命令だ。悪の貴族の番犬が乗り込んでくるそうだ。警備を怠るな!』

 

「これは…私達に追い風が吹いてきたようですね」

 

漏れてくる下っ端達の会話に、リエはクスッと口元に弧を描く。

 

「きゃっ…!」

「ちょ、ちょちょちょっと…なんで脱いじゃうの!?」

 

リエが立ち上がると着ている淑女服の胸元の紐を緩めて、脱いでいく。

突然の意味不明な行動に、ヘレンは両目で手で覆い、「破廉恥なッ」とセリアは顔を真っ赤にして慌てふためく。

 

しかし、するりと服を脱ぎ捨てて露わになったのは彼女の裸体ではなく…別の衣装。

 

「やっぱり、この姿が一番落ち着きますね」

 

黒色のノースリーブのハイネックで、上から白いワンピース

―――慣れ親しんだ、この服装が、リエの戦闘スタイルでもある。

 

夜空のように艶のある黒い髪は、薄い栗色へ変化する。

戸惑う二人をよそに、リエは鉄越しの扉に耳を押し当てる。

牢屋付近を徘徊していた男達は侵入者の撃退に廻って、いなくなったみたいだ。

 

「素敵なタイミングですね」

 

リエはそう呟くと、扉の鍵穴に手を翳した。

すると、鍵穴からポォ…と微弱な光が放たれ、リエはゆっくりと扉を押すとガコンッと

音を立てて開いてしまった。

 

 

「えっ…えええっ…?」「うそ…!」

 

「さて…外は危険な香りのする殿方が大勢いらっしゃいます。

私はその方達と話し合いをするため、一旦此処から離れます。

お二人や他の淑女の方々は…そうですね、刺激が強すぎると思いますので、此処でお待ちいただけますか?」

 

 

あんなに頑丈そうな扉を意図も容易く開いてしまった…どんなマジックを使ったのと混乱しているヘレン。パニクっている彼女とは異なり、セリアは…まだ頭の整理がつかない状態だが…思わず聞かずにはいられなかった。

 

「リ、リエさん…貴女は一体、何者なんですか…?」

 

その問いかけに対し、リエは右目をウインクをして唇に人差し指を押し当てて…

 

「探偵です」

 

自らの身分を明かすと、優雅な足取りで牢屋の外へでていった。

 

 

 

【さぁ、ショータイムの始まりです】

 

 

 

「悪の貴族の番犬が乗り込んでくんぞ!!」

「門を堅めろ、ネズミ一匹通すんじゃねえ!!」

「そいつを一歩も屋敷に入れるな!!」

 

上層部の伝令の下、多くのマフィアの構成員が武器を携えて玄関口に集い、

シエルを助けに来るだろう護衛対策に備える。

大勢の男達が急げ、遅れるなとピリピリした緊張感に包まれていると…

 

「いやー、立派なお屋敷ですねー」

 

呑気に屋敷の感想を口にする第三者の声がした。

 

「なっ…!?」

「なんだ、テメーは!!?」

「どこから入った!!」

 

その人物は、燕尾服を纏った黒髪の執事…セバスチャンだった。

 

「燕尾服(バトラー)が何の用だ! ドコの輩(モン)だ!!?」

 

気配もなく、空気に溶け込むようにいつの間にか屋敷に不法侵入していたセバスチャンに、周囲の構成員達は警戒を全開にして、彼を取り囲む形で銃を突き付ける。

セバスチャンは「ああ、そうでしたね」と何かに気付いたのか、恭しくお辞儀をした。

 

 

「申し遅れました、私…『ファントムハイヴ家の者』ですが」

 

 

顔を上げた瞬間、妖しい笑みを浮かべている彼を目にした構成員達は血の気が引いていく。

数秒後、彼等の叫び声が屋敷全体に木霊する事となる。

 

 

 

【つづく】

  



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ゲームセット × 強敵(?)登場(1)

  
引き続いて、シエルsideと主人公sideが交互に展開されていきます。
この話から王国心のとある人物が登場したり、王国心要素が出てきます。
  


 

アズーロは怖れ、緊張していた

銃の弾を補充して、注意深く部屋の周りへ視線を何度も往復させる。

 

 

ドドドドドドドドッ!

 

ガガガガガガガッ!

 

 

派手な銃声音が鳴り響く。

どうやら、部下の男達はファントムハイヴの刺客と交戦しているようだ。

 

 

(くそっ…!)

 

 

 

*** ****** ***

 

 

 

つい先刻まで勝者の余韻に浸っていたアズーロが、此処まで取り乱しているのには理由があった。三十分前…麻薬を流行させた証拠の提出を拒んだシエルに対し、見せしめに使用人達を殺そうと、ファントムハイヴの屋敷へ向かわせた殺し屋に撃ち殺すよう指示した。

 

しかし、電話で獲物を殺すのに失敗したとの連絡が入り、苛立ったアズーロは一度戻るように命令した。その時…電話越しに、殺し屋二人の驚愕の声が鼓膜を震わせた。

 

 

『なんだ アリャぁぁッ!!?』

 

 

熊でも出たのかと笑い飛ばしたが…

 

『もっとスピード出せ!!!』

『無理だ!!!』

『ダメだ! 来る!!!』

 

男達の切羽詰まった会話を聞き、冗談ではないと感付いた。

 

『わぁぁっ!』

『ダメだっ! 来た……ッ!!』

 

 

―――ガシャーンッ

 

 

『『ぎゃあぁあぁあぁぁ――――!!』』

 

車が壊れた派手な音と二人の叫び声がはもり、その直後電話が切れてしまった。

アズーロを含め、部下の男たちの間に形容しがたい不安が広がる。

 

そして…また電話が鳴り響いた。

急いで受話器越しに、殺し屋達に怒鳴り散らしたが……

 

『もしもし? そちらに当家の主人がお邪魔しておりませんか?』

 

出てきたのは、全く別の人物だった。

テノールのように綺麗な男性の声音…おそらく、屋敷にいる護衛の可能性が高い。

 

『もしもし、どうなさいましたか?』

 

アズーロは答えられない。

電話の主の丁寧で礼儀正しい口調が…逆に形容しがたい怖さを助長していった。

ドクン、ドクン、と胸の高鳴りが警鐘を鳴らし、受話器を握る手もガチガチと震えていく。

 

「わんっ」

 

その時、床に倒れていたシエルが犬の鳴き声を真似た。

 

 

『…かしこまりました。すぐにお迎えに上がります。

少々お待ちくださいませ』

 

 

電話の主はそう言って、会話を終了させたのだ。

アズーロの行動は早かった。

すぐさま、屋敷内の部下達に緊急指令をだしたのだ。

彼に仕える護衛達が総出で仕掛けてくる事を想定して、勿論切り札も用意している。

ボーンボーンと時計が五時を知らせる音を奏でる。

 

「…チッ、あいつらがヘマしなけりゃ今頃、女を堪能していたのにな」

「……女?」

 

「お前といっしょに捕まえたガヴァネスだよ。

マダム・レッドの知人だってな…ありゃ遠目からみてもいい女だったぜ。

連れ込んだガヴァネス達の中じゃかなりの上玉だ」

 

アズーロが喋った事に、シエルは大いに眉を潜める。

 

「…半年前から若い女性達が行方不明になっていた原因もお前だったのか」

 

新聞の小さな記事だったが…シエルの記憶に残っていた。

行方不明となった娘たちが『ガヴァネス』である共通点が引っかかっていたが、

まさかこういう形で犯人をあぶり出すとは思わなかった。

 

「性欲処理のためか、それとも人身売買か…」

 

「フン、俺達は働き口がない憐れなレディ達に親切にも職を紹介してやっただけだ

―――ガヴァネスなんかよりもよっぽど稼げる仕事だ。

最近はそこらの娼婦よりも、知識や淑女として教育を受けた女を手籠めにしたがる客層も多くてな…貞淑な女程、開拓したくなるもんだろ?」

 

「…下衆だな」

 

ガヴァネスの女性達を誘拐した理由を聞き、シエルは吐き捨てるように言った。

…共に捕えられたマダム・エルベットの安否が気掛かりだ。

彼女の身にもしもの事があれば、マダム・レッドの信頼に傷がついてしまう。

 

それに、一般人を裏社会に関わらせてしまった事自体、マナー違反なのだ。

マダム・エルベットと他のガヴァネス達も、目の前のこの男を始末次第、

表社会へ帰さなければならない。

 

 

(…まったく、今日は厄日だな。

もっと早く来れないのか、あいつは…)

 

 

シエルは、このアジトへ猛ダッシュで来ているはずの執事に対して、胸中で文句を呟いていた。

 

 

 

 

 

牢屋から抜け出したリエは、気配を消して長い廊下を移動していた。

その時、複数の気配がしたので曲がり角の壁から様子を見た。

銃を構えた構成員達が銃やライフルを手に持ち、走って反対方向へ急いでいる。

どうやら、侵入者が思いの外大活躍をしているようだ。

 

「さて…私はその間にガヴァネスの方々の逃走経路を確保しないといけないわ」

 

ポンッと両手を軽く叩くと、騒がしくなっている玄関口付近とは反対方向へ踵を返す。

 

「おい!」

「女が一人いるぞ、脱走者だ!」

 

素早く移動している途中、強面の比較的若者二名とすれ違った。

彼等が侵入者ではなく、捕えたガヴァネスだと認識したのはある意味凄い

…結構、スピードを出して疾走していたのだが。

 

「あらいけない、見つかってしまいましたね」

「お嬢さんよぉ…勝手に逃げられちゃ困るんだ」

「そうそう、あんたは俺達を満足させなきゃなんねーだからよぉ」

 

逃げ足の速い非力な女だと思い込んでいる男達は、下品な笑みを浮かべて近付いてきた。

リエはふぅ、と一息漏らすとふわりと柔らかく微笑む。

男達は彼女の綺麗な笑みにドキッと胸が高鳴る。

 

「申し訳ございません。

実は…鮮やかなスーツを纏った人に別の部屋へ連れていってもらっていたのですが、誰か危険なお客様がいらしたようで…私、一人置いてきぼりにされてしまいました」

 

「おい、あの侵入者だぜ。きっと…」

「俺達も行かなきゃなんねーけど…」

 

構成員二名はちらちらと侵入者がいるはずの部屋とリエを交互に見つめる。

 

「おめえ行けよ。俺がこのレディを部屋まで送る!」

「なんだと…抜け駆けすんなよ!」

「俺が行く!」

「いいや、俺だ!」

「俺だ!」

 

言い争う二人に対し、リエはまあまあと宥める。

 

「もしよろしければ、お二人とも、詳しく教えていただけませんか?

お屋敷の事とか…あなた方の事も」

 

リエがふふっと花が綻ぶように笑うその姿は、見る者の心に癒しを与える程の

魅力を放っている。

 

「「是非とも喜んで」」

 

それは…目の前にいる彼等にも絶大な効果をもたらしたようだ。

 

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

 

セバスチャンは、懐中時計を確認していた。

彼の周りは、息絶え絶えの構成員たちが横たわっている。

彼が此処に侵入したのは、数分前の事。

そのわずかな分単位の間で、十数人のマフィアを倒したのだ。

 

「失礼。先を急ぎますので」

 

倒した男達に、さして興味も示さず業務的な口調でそう言うと、懐中時計を閉じて

階段上にある扉を開く。

 

 

(五時三十分……ギリギリですね)

 

「来たぞ!」「撃てェエエ!!」

 

 

ドドドドドドドドッ!

 

ダダダダダダダダッ!

 

 

扉を開くや、待ち構えていた構成員達が一斉に銃を発砲しだした。

セバスチャンは向かいくる無数の銃弾を瞬時に避け、所持していた銀の丸いトレイをブーメランのように飛ばした。

 

「ぐぁああ!」「ギャアッ!」

 

ブーメランと化したトレイは鋭い刃物のように、何人かの身体を切り裂き、何人かの所持していた銃を真っ二つにした。

 

「…のヤロー!」「ぶちのめしてやる!」

 

横から突入してきた構成員が柄の長い斧を両手に構え、襲い掛かってきた。

 

 

ぐるん、ガッ! ゴゴゴッ ザンッ!

 

 

セバスチャンは、後方にあったコート掛けを即座に掴み上げると、片手で混を操るように振り回し、構成員を意図も容易く打ちのめした。

投げていた銀のトレイがシュルルルと回転しながら、セバスチャンの元へ急降下していく。

パシッとそれを片手で受け止めると、再び懐中時計を開いた。

 

 

「五時三十四分―――スピードを上げなくては…」

 

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

 

「ふむふむ…出口は表以外にこの裏口しかないんですね」

 

 

リエは、そのもう一つの出入り口を間近で確認しながら、男性二人に教えてもらった屋敷内の構造を頭の中で浮かび上がらせ、牢屋からの距離を測る。さらに、現在暴れまくっている侵入者とたくさんの構成員達となるべく遭遇しない方法を思案する。

 

(今、どのルートを通っても戦闘になる確率が高いわ…うーん…)

 

リエは頬に手を軽く押し当てて考える。

数秒の思考の末、辿り着いた結論は…

 

「…仕方ないけれど、構成員の人達を大人しくさせましょうか」

 

彼女はそう呟くと、壁にもたれかかってぐーすかと眠っている道案内をしてくれた

男二名にクスッと笑いかける。

 

 

「ご案内ありがとうございました。良い夢を見てくださいね」

 

 

リエはそう言い残すと、踵を返して足を進めていく。

…戦闘が盛んに行われている場所へと。

 

  



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ゲームセット × 強敵(?)登場(2)


(1)の続きとなります。
  


 

セバスチャンが再び扉を開けると、そこは大広間。

長いテーブルには10名の席があり、皿や銀食器が用意されている。

 

「いたぞ!!!」「殺せ!!」

 

足を踏み入れるや、二階部分に設置されている通路から、構成員達が銃を乱射してきた。

襲いくる銃弾を銀のトレイでガードしつつ、セバスチャンはテーブルに乗ると、置いてあった皿等を狙撃手に投げつける。見事、顔面に命中して再起不能にさせる。

背後から斧を振りかざそうと忍び寄る男を、足蹴りで倒す。

 

「応援呼んで来い!」

「蜂の巣にしてやる!」

 

「鼠共がぞろぞろと…埒があきませんね」

 

さらに応援がかけつけてくる状況に、セバスチャンは面倒くさそうだ。

…その時だった。

 

 

 ~♪♪♪ ~♪♪♪

 

 

どこからか歌声が聞こえてきた。

聴くモノに新緑あふれる森の木漏れ日を…あるいは清冷な水を連想させ…豊かな生命力を表す素晴らしい曲だ。その美しい歌に思わず聞き惚れているのはセバスチャンだけでなく、他のマフィアの構成員達もだ。

 

すると、どうだろう…

歌に耳を傾けていた男達がバタッ、バタッと倒れ込んでしまった。

セバスチャンはちらりと床に倒れている一人の男に目を向ければ、すーぴーと涎を

垂らして眠っている。

 

「この歌…魔術の一種か」

「ご名答です」

 

声がした方へバッと視線を移す。

二階の通路付近に、見慣れない女性がいた。

血と薬物の匂いが充満するマフィアの巣窟には不釣り合いな、清浄なオーラを纏う

不思議なレディだ。

 

「…どなたか存じ上げませんが、何故このような場所へ?」

 

「とある方から依頼を受けて、この屋敷に閉じ込められているガヴァネスの方々を

助けに来た者です」

 

「ガヴァネス…なるほど、麻薬以外にも手を付けていたのですね、この屋敷の主は」

 

彼女の返答を聞いて、セバスチャンはすぐにその意味を察した。

 

「執事さん、どうぞ先へお進みください」

「よろしいのですか?」

 

「私は、レディ達の逃げるルートを確保したいだけです。

貴方にも…助けたい方がいらっしゃるのでしょう?」

 

女性がやんわりとした口調で指摘した事に、セバスチャンは微かに目を見開いて「…おっしゃる通りですね」と小さく頷く。

 

「お言葉に甘えて…急がせていただきます」

「ご武運をお祈りします」

 

ニコリと笑顔で会釈すると、セバスチャンは目にもとまらぬ速さで駆けて行った。

女性…リエは応援の言葉を送り、彼の背中を見送る。

そして、辺りを万遍なく見渡して男達が起きる兆しがない事を確認すると、そのまま牢屋へ戻ろうとした。しかし、リエは一歩踏み出そうとした足を止めた。

 

(今、微かだけれど…闇の気配がした)

 

反対方向の二階の通路へ目を向けると、そこに真黒なコートを纏った謎の人物がいた。

 

「…どなたですか?」

 

その黒いコートに見覚えがあった。

かつて敵対関係にあった、今は親しい仲間がいる組織の制服だ。

でも…そのコートを纏う人物のオーラは組織のメンバーの誰でもない。

深々とフードを被り、口元だけが露わになっているその人物…体格からみて男性のようだ。

 

 

「…やっと…見つけた」

 

 

ニヤリと口角が吊り上げるのが見えた。

ゾクッと背筋に悪寒が走り、リエはすぐに手元から自らの武器…白金色の星の形をした杖を出現させて身構える。彼女の戦闘態勢に反応したのか、男性は手を頭上へかざした。

 

ぐらり…と空間が歪み、その狭間から『黒い生き物』が出現した。

ありのような金色の瞳をした全身真っ黒なその生物は―――ハートレス。

人の心の闇から生まれる魔物だ。

 

「…! 貴方は…」

 

リエが再度、視線を向けると、その男性は背後から出現させた闇の回廊へと姿を消した。

ハートレスは、意識のないマフィアの構成員達には目をくれずリエに対して襲い掛かってくるが……

 

 

  バシュッ シュンッ

 

 

リエは鳥が羽ばたく様に跳躍すると、とびかかってきた複数のハートレスを杖

…キーロッドで一閃する。

 

トンッと一階へ着地すると、地面から発生してくるハートレスに目を向ける。

 

(あの人は誰かしら…でも、まずはこの子たちをなんとかしないと)

 

頭を切り替えて、リエは真面目な顔でキーロッドを構えなおした。

 

 

「さぁ…かかってきなさい」

 

 

 

 

 

その頃、セバスチャンは主が捕えられている部屋へ辿り着いていた。

 

「お邪魔いたしております。主人を迎えに参りました」

 

銃を構えていたアズーロは現れたセバスチャンを見て拍子抜けした。

 

「は…は、驚いたな。あれだけの人数を一人でヤッちまうなんて、参ったね。

どんな大男が現れるかと思えば、燕尾服の優男(ロメオ)とは」

 

しかし、目の前の執事が大勢の配下を一人で倒した事実に変わりない。

警戒心を怠る様子もなく、引き攣った笑みを浮かべながらアズーロは問う。

 

「あんた何者だ? ファントムハイヴに雇われた殺し屋か?

特殊部隊上がりの傭兵か? ただの執事じゃねえだろう」

 

「いいえ、私はあくまで執事ですよ。‟ただの”ね」

「は…そうかい。とにかく俺ァアンタとヤリあうつもりはねーよ」

 

余裕の表情を崩す事無く、ツカツカと近づいてくるセバスチャンに、アズーロは

そう答えるや…

 

「だがな、手に入れた‟ブツ”だけは置いていってもらうぜ」

 

シエルの首に手を回し、こめかみに銃を突きつけて、証拠を置いていけと脅してきた。

 

「貴方がたの欲しい物は…」

 

セバスチャンはやれやれ、とどこか冷めた目つきで胸元からその証拠らしきものを

取り出そうとしたその刹那…

 

 

  バシン、ドパパパパッ!

 

 

セバスチャンの頭をどこからか飛んできた銃弾が貫通し、そして次から次へと放たれた凶弾が彼の体中を貫いた。全身から血を流して、床へと倒れてしまったセバスチャン。

シエルが視線を壁に向けると、絵画を隠れ蓑に潜んでいた構成員達が視界に映る。

 

「…はははっ、悪ィな、優男(ロメオ)。このゲーム…俺の勝ちだ!」

 

アズーロは脅威が消えた事に安堵し、高笑いをしだした。

 

「相手は‟女王の番犬”だ。俺だって切り札(ジョーカー)くらい持ってたさ。

これで…後はお前を殺せば完璧だ」

 

アズーロはニヤけながら、シエルの髪の毛を鷲掴みする。

 

「この調子で、俺達はこの英国で天下を取ってやるよ!

だがなぁ…アンタは解体する(バラす)には勿体ねえ顔だ」

 

銃でシエルの右目につけていた眼帯を外しながら、アズーロは品定めをする目つきで

彼を観察する。

 

「ちょっとばかり傷物になっちまったが、アンタなら内臓(パーツ)でなくても

値段がつくだろう」

 

アズーロは下品な笑みで、シエルに対して薬漬けにして頭のいかれた変態のコレクションにする事を画策している事を漏らした。

だが、シエルの呟いた一言で、彼はこの後戦慄する事となる。

 

 

「おい、いつまで寝ている」

 

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

 

 バシュッ シュッ ザンッ

 

 

うじゃうじゃと現れるハートレス達に対し、リエは攻撃の手を緩めない。

最初はありのぬいぐるみの姿の【ピュアブラッド】だけだったが、徐々に機械的な姿をした【エンブレム】というタイプのものまで姿を見せてくる。

空中から飛んでくるタイプ、犬型、魔法に特化したタイプ、それからピュアブラッドの成長型の【ネオシャドウ】まで出てきた。

 

しかし、襲い掛かってくる大量のハートレス相手でも…

 

「その御名の許 この汚れた魂に裁きの光を降らせ給え…【ジャッジメント】」

 

彼女の優位は全く揺らがない。

高位の天使術で、まばゆい光の雨を降らせ、一気にハートレス達を消滅させた。

倒した後に浮かび上がったたくさんのハートが、リエのキーロッドにつけられている装飾の結晶石へと吸収される。これらはのちに、本来の心の持ち主へ戻されるはずだ。

 

 

 パチパチパチッ

 

 

どこからか、手を叩く音が響く。

後方へ視線を移すと…あの黒いコートの男性が壁にもたれかかる形で立っていた。

 

「お見事、【幽玄なる祈り人】」

「私の二つ名をご存じとは…恐縮です」

 

「あれだけのハートレスを一人で…

しかも、倒れているマフィア達を傷つけずに、難なく倒してしまうとは

…驚愕ものだな」

 

男性は、未だに夢路にいるマフィアの何人かを足で平然と踏んづけながら、リエの方へ歩を進めていく。リエは冷静に警戒を怠る事無く、近づいてくる男性に対してこう尋ねた。

 

「貴方は…何者なんですか?」

「この世界にとっての【イレギュラー】さ。“君と同じ”ようにな」

 

男性は敢えて名を名乗らずに、自らの立ち位置を明かした。

その言葉にリエが「やっぱり…」と納得をしたように呟く…その一瞬のスキに、

男は姿を消した。

 

「嬉しいよ。こういう形でも…君と出会えた事が」

「……ッ!」

 

いつの間にか、背後にその男性は移動しており、リエは驚きを顔に露わにする。

 

「……あの…」

 

「―――この時を待っていた。

『あの男』が眠りについている今なら…君を…」

 

フードで目元を隠しているが、その声音は愛おしい想い人への情愛の気持ちに溢れている。

動揺しているリエの顎を優しく掴み上げると、男性はゆっくり唇を重ねようとした。

 

  



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ゲームセット × 強敵(?)登場(3)


(3)の続きとなります。
  


 

「いつまで遊んでいる。床がそんなに寝心地がいいとは思えんがな」

「そ…そんなバカな!」

 

アズーロは絶句した。

目の前の信じがたい現象を目にして、心身とも恐怖に支配されてしまったからだ。

 

「いつまで狸寝入りを決め込むつもりだ…セバスチャン」

 

シエルが呆れた眼差しを今しがた殺したはずの執事へ向ける。

主の声に反応するかのように、倒れているセバスチャンの指がピクッと動き、

ゆっくりと起き上がった。

 

「…やれやれ、最近の銃は性能が上がったものですね。

『百年前』とは大違いだ」

 

けふ、ごほんと軽く咳をしながら感想を口にするセバスチャン。

 

「何をしてる、殺せぇエッ!」

 

アズーロの命令に、同じく言葉を失っていた部下達が我に返り、咄嗟に銃の引き金を

弾こうとする。

 

「お返ししますよ」

 

 

 ズダダダダダダ!

 

しかし、ニヤリと妖しい笑みを浮かべたセバスチャンが、掌から己に打ち込まれたはずの血で濡れた銃弾を周りにいた男達に投げつけた。

 

…男性達は悲鳴を上げる事無く倒されてしまった。

セバスチャンは立ち上がると、バッバッと埃を払い、穴だらけで血塗れの燕尾服に

溜息をつく。

 

「嗚呼…何という事だ。服が穴だらけになってしまいましたね」

「遊んでいるからだ、馬鹿め」

 

「私は坊ちゃんの言いつけを忠実に守っていただけですよ。

―――“それらしく”していろ…とね」

 

悪態をつくシエルに、セバスチャンはクスクスと笑って言い返した。

 

「それになかなかイイ格好をされているじゃないですか。

芋虫の様にとても無様で素敵ですよ。小さくて弱い貴方にピッタリだ」

 

「く、来んなッ、止まれ!」

 

怯えながら警告するアズーロを完全に無視して、セバスチャンは一歩ずつ近づいてくる。

 

「…誰に向かって口を聞いている」

 

シエルはムッとした顔で、早くしろと急かす。

 

「止まれェ! と…とと止まれって言ってんだよ!

それ以上近寄ったらブチ殺すぞ!!」

 

「さぁ、どうしましょうか? 私が近づけば殺されちゃいますよ」

 

アズーロの言葉に怯むどころか、逆にこの状況を楽しんでいるセバスチャン。

 

「貴様…『契約』に逆らうつもりか」

 

「とんでもない。“あの日”から私は坊ちゃんの忠実な僕。

坊ちゃんが願うならどんな事でも致しましょう。

―――捧げられた犠牲と享楽を引き替えに」

 

「何ワケのわかんねえこと言ってやがる! 変人共(スプーキー)がぁ!!」

 

大声で吠えるアズーロは最早蚊帳の外状態。

セバスチャンは艶やかにこう言った。

 

「坊ちゃん、おねだりの仕方は教えたでしょう?」

「命令だ、僕を助けろ!」

 

 

――――ズガァアアン

 

 

黙れぇええ、と恐慌状態のアズーロの声とともに、銃弾が鳴り響いた。

 

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

 

「ええーい!」

 

バシンッという音を立てて、男性は頭を叩かれた。

男性の手が離れ、危うく口付けをされる寸前だったリエは、何事が起きたのかと

目を数回瞬きさせる。

 

頭を抱えながら唸る男性の背後にいたのは…

 

「セリアさん!」

 

なんと、牢屋で待っているはずのガヴァネスの一人、セリアだった。

 

「この不埒な男! レディの唇を奪おうとするなんてなんて破廉恥なの!」

 

どこからか入手した箒を両手に構えて、バシバシッと勢いよく、男性を叩いて攻撃する。

不意をつかれた男性は、戸惑っているようで数歩後退するが…

 

「きゃあああ、こ、来ないでぇええ!」

 

右横から、もう一人のガヴァネスのヘレンが袋をもって、その中に入っている

白い粉を男性目掛けて投げつけてきた。

男性の顔面に見事命中したそれ…袋のパッケージに「小麦粉」と書かれている。

 

「ぐっ…なんだ、この娘達は…」

「あら、戦う女は苦手かしら?」

 

別の方向から聞こえてきた色気のある女性の声。

リエと男性は目を向けた瞬間、きらりと光る何かが、男性のフードをかすった。

ドガッと音を立てて、床に突き刺さったそれは医療用のナイフ。

 

「でも、敢えてアドバイスさせていただこうかしら。

…強引な口説き方は、返って女心を萎えさせるわよー」

 

「アンさん!」

 

フフフッと得意げな顔をして、優雅な足取りで現れたのはマダム・レッドだった。

 

「珍しいわね、リエ…貴女がピンチになるなんて」

「ちょっと油断してしまいました」

 

助けてくださり、ありがとうございます…とリエはほんのり笑ってマダム・レッドに

礼を言う。

 

「どーいたしまして♪ 捕えられていた他のガヴァネスの娘達はもう避難させたわ。

そろそろ市警(ヤード)も来るはずよ…」

 

「でも、セリアさんとヘレンさんはどうして…?」

 

救助されているはずの二人が、なんで此処にいるのか。

 

「あの子達、貴女の事が心配で…私に懇願して此処までついてきたのよ」

 

マダム・レッドが、穏やかな声音でその答えを教えてくれた。

 

「…リエさんが、まだ会って間もないのに…私達のために危険を冒してマフィアのところへ行ってくれて…それなのに…私達だけ安全なところに逃げるなんて…できなくて…」

 

「このままじゃいけないって思ったんです…だから、私達も微弱ながら加勢いたします!」

 

涙をこらえながらも理由を語るヘレンと、箒をぶんぶん振って「さあ、かかってきなさい」と言わんばかりに、男性を睨み付けるセリア。

 

リエは微かに目を見開くが、二人の勇気ある行動にじーん…と胸が熱くなる。

 

「セリアさん…ヘレンさん。ありがとう」

 

「…さてさて、そこのあんた、私の可愛い相棒になんで迫ろうとしていたのかは分かんないけど、その訳たぁーぷりと吐いてもらいましょうか?」

 

マダム・レッドがビシッと人差し指で、黒いコートの男性を指さして言った。

その男性はやれやれ…と首を緩慢に振ると、コートについた小麦粉を振り払うかのように

フードを下ろした。

 

 

 

 

 

「な、なんで…死ん…でね」

 

こめかみに向けて銃の引き金を弾いたはずなのに、シエルは生きている。

アズーロは仰天して、頭が混乱している。

 

「お探し物ですか? 弾丸(コレ)、お返しいたします」

 

その疑問は…いつの間にか後ろに回り、耳元でセバスチャンが囁いた事で解明された。

コロンと胸元のポケットに弾丸を入れ、セバスチャンはさらに言葉を続けた。

 

「こちらは主人を返して頂きましょう。まず、その汚い腕をのけて頂けますか?」

 

セバスチャンがスッと指先を動かすと、アズーロの腕はバキバキと音を立てて、

折れてしまう。

 

「ぎゃあああ!」

 

痛みに呻き声を上げるアズーロ。

セバスチャンは、もがき苦しむアズーロから解放されたシエルを丁重に抱きかかえた。

 

「今回のゲームもさして面白くなかったな」

 

つまらなさそうに呟くシエルを、セバスチャンは苦笑しながら近くのソファーに座らせる。

拘束具を解いていると、アズーロがセバスチャンに向かって必死に叫んだ。

 

「ま ま…待てよォ…あんたっ…! ただの執事だろ!?

俺はッ、こんな処で終われねぇんだよッ!!

用心棒として給金は今の5倍、いや10倍出すッ!!

酒も女も好きなだけ…だからッ、俺につけ!!!」

 

アズーロは破格の条件をつけて、セバスチャンを味方につけようとする。

だが、彼から返ってきた回答は―――

 

「…残念ですが、ヴェネル様…私は人間が作り出した硬貨(ガラクタ)等には興味がないのです」

 

ブチブチとベルトを引きちぎり、シエルを自由の身にしたセバスチャンは薄らと妖しい笑みとともにこう続けた。

 

「私は…“悪魔”で執事ですから」

 

彼の口から信じられない事実を明かされるや、アズーロは頭の中が真っ白になった。

 

「坊ちゃんが“契約書”を持つ限り、私は彼の忠実な下僕(イヌ)。

『犠牲』『願い』そして…『契約』によって、私は主人に縛られる」

 

―――その魂を引き取るまで

 

左手の手袋をとったセバスチャン。

手の甲には、シエルの右目に浮かび上がる同じ紋様…『逆ペンタグル』が描かれていた。

 

「あっ…あああああ…」

「残念だが、アズーロ―――『ゲームオーバー』だ」

 

シエルがその言葉を言い放つや、アズーロの視界は暗転した。

 

 

 

【ゲームセット × 強敵(?)登場】

 

 

 

フードを下げて、顔が露わになった男性。

銀色の長い髪、少し日に焼けたような褐色の肌に、月を連想させる金色の瞳。

見る限り、20代くらいの年齢の青年だ

 

多くの殿方と親しいマダム・レッドの目からみても、かなりイケメンの部類に思えた。

彼女の眼力を証明するかのように、ガヴァネスのレディ二人も頬を赤らめて、

その男性に見惚れている。

 

「貴方は……!」

 

その男性の素顔を目にしたリエは驚きを隠せずにいた。

リエのその態度から、彼と面識があるのか…?

 

「思わぬ邪魔が入ってしまった。

……だが、チャンスはいくらでもある」

 

よく耳を立てれば声までイケメンじゃない、反則過ぎない!?…とマダム・レッドは

内心ツッコむ。

 

「まさか…貴方は『ゼアノート』さん?」

 

ゼアノート―――それが眼前の人物の名前らしい。

でも、名前を口にした割に、リエは半信半疑といった感じで、彼の名前がそれで当たっているのかすら微妙な様子だ。

 

なら、初対面なのだろうか…

それだと、この人物と思われる名前を、何故彼女は知っているのだろう?

 

 

「名は好きに呼んでくれて構わない。【幽玄なる祈り人】」

 

 

男性…ゼアノートはそう言葉を返すと、いつの間にかリエの近くまで来ており、彼女の右手を握り持ち上げると、手の甲にキスを落とした。

その行為に、見ていたヘレンはキャッと頬をますます赤らめ、セリアは口をパクパクさせる。

 

「また会おう…リエ」

 

耳元で甘く艶やかにそのメッセージを囁くと、ゼアノートは床から出現させた狭間の闇へと姿を消した。あまりにも不意打ちな行動に、リエはトクトクッと胸の鼓動が早くなっている事に気付き、そっと両手で胸元を抑えた。

 

 

 

 

【つづく】

 

  



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事件解決!


第1章のエピローグとなります。
途中から、マダム・レッド視点となります。
  



 

あまりにも理解を超えた一連の出来事に、呆然としているレディ二名。

 

(…て何がどーなってんのよ、これ…)

 

マダム・レッドもまた、敵か味方か今一つ不明な謎の美青年の登場で、頭が少しパニック気味だ。

その美青年がやけに夢中である、リエが未だに硬直している事に気付き、たまらず声をかけた。

 

「ちょっと…リエ、貴女…大丈夫?」

「えっ……あっ、はい。大丈夫です」

 

リエは刹那の間、ぽぉーと放心状態だったが、マダム・レッドの声で我に返ったようだ。

 

「本当に…ゼアノートさん…?」

「…なに?」

「…いいえ。なんでもありません。それよりも、早く此処から退散した方がいいですよ」

 

忘れてはいけない…ここは、イタリアマフィアの構成員たちの根城だ。

リエの術で眠っているとはいえ、いつ起きるか分からない。

 

「アンさん。セリアさんとヘレンさんをお願いします」

「えっ…リエさんは…?」

「私は会わないといけない人がいます。その人に挨拶をしてからこのお屋敷から出ようと思います」

「あ、危ないんじゃ…」

 

人に会うために残ると言うリエに、ヘレンは心配そうに止めた方がいいと勧める。

すると、リエは柔らかく笑みを浮かべてこう返した。

 

「大丈夫。ちょっとお話しするだけですから。アンさん…」

「…分かったわ。さぁ、二人とも行くわよ」

 

リエの気持ちを汲み取ったマダム・レッドが、二人を裏口へと誘導する。

三人がいなくなったのを見計らうと、リエは一呼吸する。

 

(あちらも…終わったみたいですね)

 

二階の一室で、一つの気配が消えた。

セバスチャンも、主を救出する事に成功したのだと、リエはすぐに察した。

もの凄いスピードで、二つの気配がこちらの広間まで近付いてくる。

そして…数秒立たないうちに、彼等はやってきた。

 

「…どうやら、救出に成功したようですね」

「ええ、おかげさまで」

 

リエが「お疲れ様です」と労いの言葉を言うと、セバスチャンはニコリと笑って「どうも」と返す。

 

「セバスチャン…何者だ、この女性は?」

「こちらのレディは、アズーロ様に囚われていたガヴァネスの方々を救うために、こちらへ潜入していたそうです」

 

セバスチャンが簡潔に説明すると、シエルは胡散臭そうにリエを見つめる。

すると、リエはシエルの顔をみるや近づいてきた。

殴られてできた青痣、拭いたとはいえ、鼻や口、ところどころに血がついている…相当酷い暴力を振るわれたのだろう。

 

「怪我していますね…」

「別に…関係ないだろ」

 

シエルが素っ気なく言い返したその時…顔に届くか否かの距離で手を翳された。

そこから淡い緑色の光が放たれ、シエルの全身を包み込んでいく。

 

(なんだこれは…痛みが引いていく…!?)

(これは高位の癒しの術…)

 

「これで大丈夫」

 

手を除けると、シエルの顔は元通り…最初から傷なんてなかったかのように、癒えていた。

そっ…と目や口を軽く触るシエル。

 

「…いったい、お前は何者なんだ?」

「自己紹介がまだでしたね…私はリエ。探偵です」

「探偵…ですか」

 

普通の人間ではないとすぐに分かり、警戒心を露わにしたシエルが尋ねると、リエは自らの名前と職業を明かした。

セバスチャンは、その自己紹介に興味をかられたのか、口元を手で隠すようにジッと彼女を観察している。

 

「ガヴァネス達は?」

 

「もう避難させました。あと…そろそろこの屋敷から離れないと、騒がしくなりますよ。

市警(ヤード)が来ますから」

 

「市警(ヤード)が? 貴女が手配したのですか?」

「正確には、“優秀な助手さん”がですけれど。それでは、私もこの辺でお暇させていただきます」

 

リエはワンピースの裾をつまんで、会釈すると踵を返して去って行った。

彼女を後ろ姿を、シエルは眉を潜めて黙って眺めていた。

 

「セバスチャン…帰るぞ」

「イエス・マイロード」

 

リエの姿が見えなくなり、シエルはようやく口を開いた。

セバスチャンは主人の命令にクスッと笑いながらも、彼を担いだまま瞬時に姿を消した。

 

 

 

 

 

後日、私はリエの事務所を訪れていた。

依頼は無事に成功。

ヘレン・ブライズとセリア・メイシーを含めたガヴァネス全員も、市警(ヤード)の協力の下、親元に帰す事が出来た。

 

「イタリア貿易商フェッロカンパニー、何者かに襲われる…か」

 

新聞を読みながら、私はトップ記事にのせられている題を口にした。

アズーロを含めるイタリアマフィアの構成員の半数近くは死傷した。

これは、甥のシエルを誘拐して奪還しにきたファントムハイヴの手の者によるものだろう。

もう半分の構成員はリエの魔術で爆睡していたようだ。

…多分、極楽な夢見心地から一転、すぐに「獄中」と言う名の地獄へ送り込まれるけれど。

 

私は、今回の任務成功を祝して打ち上げ会を行おうと提案した。

リエがちょっと豪華な食事を作って、私が特上のワインをもってくる担当だ。

 

「あら、いい香りですね」

「フフフッ、先日購入したイタリア産。結構高かったのよ~」

 

グラスにワインを注ぐと、芳醇な香りが鼻を擽る。

テーブルには、スコーン、サンドイッチ、えんどう豆のスープ、ローストビーフ、ニース風サラダ、

スティッキー・トフィー・プディング…など。パン、スープ、メイン、デザートまで…すべて勢ぞろいだ。

 

「相変わらずおいしそーね…でも、二人で食べるには多くない?」

「余ったら、また夕食に食べようと思います。今日は娘がくる予定ですから」

 

リエはそう言いながら、サンドイッチを乗せたお皿を私に手渡した。

 

「そういえば、貴女って…既婚者だったのよね」

 

以前、リエの家族構成についてさりげなく、本人に訊いてみた事があった。

外見は、10代後半程度なのに成人している娘が二人いる(その事を知った時、紅茶を吹き出してしまった事が記憶に新しい)。

あと、旦那はいるみたいだが、価値観の違いから別居しているようだ。

 

「私以外の仲間はまだまだ独身の方が多いですよ」

「仲間…ていうか、エクレシアってどのくらいいるの?」

「私を含めて9人」

「すくなっ!」

 

彼女が特殊な種族だというのも一応、知っている。

私が今、住んでいる世界以外にもたくさんの世界がある事や、エクレシアが旅をする神族だっていう事も…。

 

「先月、娘から連絡があって2人増えたんですよ。

まだ面識はありませんが…いずれ会いたいですね」

 

「えっ、お互いに顔知らないのって珍しくないの?」

「常に、他の仲間の人と会えるわけじゃありませんから」

 

リエの説明に、ふーん…と私は相槌を打ちつつ、海老とアボガドのサンドイッチに手を伸ばそうとした。

その時、ある事を思い出してナプキンで手を拭くと、持ってきたバッグの中から二つの封筒を出す。

 

「これ、貴女宛に預かったものよ」

「…お手紙、ですか?」

「ミス・ブライズとミス・メイシーからのお礼状よ」

 

読んでみなさい、と勧めると、リエは早速二人の手紙を読み始めた。

 

 

手紙の内容から、二人のその後が分かった。

 

まず、親御さんから直接依頼があったヘレン・ブライズは実家で療養中だ。

まだ前の職場や誘拐された事でできた心の傷が癒えた訳ではないが、あの誘拐先でのリエの言葉が、

立ち止まっていた彼女自身を奮い立たせたようだ。

 

ヘレンもまた、リエのようにはいかなくても、自分なりに人生の試練に向き合いたい…と書面に記述されていた。

また近々、両親の知り合いを通じて、別の村の学校の教師になる事が内定したらしい。

まだ、できて間もない学校で、給料も差してもらえず、何にもない貧しい場所だが、子どもが大好きで、

教える事が好きな彼女にとっては魅力あるお誘いのようだ。

 

 

続いて、セリア・メイシーだが…彼女は以前いたガヴァネスの寄宿舎へ戻って専ら就職活動に励んでいた。

誘拐事件に巻き込まれた張本人という事で、他のガヴァネスや関係者の人からは同情や好奇の目で遠巻きに見られていたようだが、

本人はほとんど気にするなく、就職活動を続けたようだ。

そして…三日前にとうとう、再就職先が決まった。

 

 

「あら、よかったですね~…セリアさん。

えっと、その就職先は…あら?」

 

 

リエは目をパチクリさせて、文面の一部分をじっくり読み返す。

そこに書かれていた再就職先の家庭の名前は…『バーネット』

パッパッと視線を書面と私の交互へ移していくリエの姿に、私は悪戯が成功した様にニンマリと笑みを浮かべた。

 

「その子、うちで雇う事にしたのよ」

「ええっ~…!」

 

「あの誘拐事件の時に、いけめんの謎の男に対して物怖じせずに、箒で立ち向かったでしょう。

前の家庭じゃ、セクハラしようとした御曹司相手に、急所を蹴ったそうじゃない。

…そんな度胸のあるおもしろ…いえ、気概のある子ってなかなかいないわぁー」

 

「(今、さらりと本音が…)でも…まだ『あの子』に、家庭教師をつかせるのは早すぎませんか?」

 

リエの言う通り、『あの子』の年齢で家庭教師を雇うのは時期尚早だ。

普通ならもう少し成長してからの方が望ましい。

 

「でも、あの子懐いちゃったのよ。ミス・メイシーに…。

ミス・メイシーも兄弟が多いから子どもの面倒になれてるって言うし…」

 

それに、私個人もミス・メイシー…もといセリアが気に入ってしまった。

あの子の世話をしていた乳母も家庭の事情があってやめちゃったし、新しい乳母が決まるまで任せる事にした。

勿論、乳母が決まった後も彼女を雇い続けるつもりだ。

あの子がある程度成長するまでは、私の秘書として仕事を手伝ってもらうつもりだ。

 

「そうですか…アンさんがそれでいいと仰るなら、私は何も言いませんよ」

 

リエも、私の考えを理解してくれたようだ。

さっすが、私の相棒、柔軟性があっていいわ。

 

「じゃあ、今日は依頼の達成とミス・メイシーの再就職を祝って、思いっきり飲んで楽しむわよー!」

「ふふ、かんぱい」

 

カチンとグラスが鳴らして、私達は祝杯をあげた。

 

 

 

【事件解決!】

 

 

 

  コンコンッ

 

 

扉をノックをする音に気付いたシエルは「入れ」と一言返した。

扉を開くと、セバスチャンが一礼して入室してきた。

 

「坊っちゃん、本日のお茶菓子を持って参りました」

 

本日のお茶菓子は、ベリーをふんだんに使ったタルトだ。

セバスチャンがタルトをカットしている最中、シエルは新聞に目を通していた。

彼の目に映したのは、フェッロカンパニーの死傷事件…そして、アズーロが裏で糸を引いていた《ガヴァネス誘拐事件》

 

「…セバスチャン」

 

主に呼ばれ、セバスチャンは「はい」と彼の方へ向く。

 

「すぐに調査してほしい案件がある」

 

主からの命令…どうやら、先日の一件がよほど気にかかっているようだ。

 

「承知いたしました」

 

セバスチャンは恭しく頭を下げ、余裕の笑みで返答する。

ファントムハイヴ家の執事たるもの…如何なる命令も遂行するのは当たり前なのだから。

 

 

 

【第2章へつづく】

  




第1章はこれにて終了となります。
第2章以降の投稿はストックの関係でゆっくりなスピードで投稿していく予定です。

それでは、ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
  


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第2章:人には【光】と『影』がある
『彼女ら』と『彼ら』のとある午後の話(1)


第2章の始まり。
変身中のある人物とオリキャラが登場します。
  


「リエ~…」

 

その日、リエは庭で摘んだイチゴを使って、ジャムを煮詰めている最中だった。

甘い香りがキッチンに広まっていたその時、バーンと扉が盛大な音を立てて開く。

客人は、アンジェリーナだった…が、その表情はいつになく疲れていて…不機嫌であった。

 

「いらっしゃいませ、アンさん」

 

挨拶をすると、アンジェリーナはソファーに座り込んで大きく溜息を吐いた。

 

「ごめん……嫌な事があって」

「…もうちょっとでジャムができます。スコーンも焼けましたし、お話聞きますよ」

 

 

 

 

 

「まったく…やになっちゃうわ!」

 

サクサクのスコーンにたっぷりいちごジャムをぬるや、アンジェリーナは齧り付いた。

アンジェリーナが怒っている理由…それは、仕事関係で、女性患者が言い放った言葉だった。

 

「なにが『子どもは邪魔』よ! 『子連れじゃ客もとれやしない』よ! ふざけんじゃないわ!」

「…アンさん。落ち着いてください。口周りがジャムだらけになっちゃいますよ」

 

うがーと吠えながら、スコーンを一気食べするアンジェリーナ。

今日、担当した女性患者は娼婦だった。

妊娠したために、仕事に支障をきたすから堕ろしてくれと頼んできた。

 

「お腹に芽生えた命をなんだと思ってんのよ、あの女! 物じゃないつーの!」

「それで、アンさんは…その患者様の依頼を受けたんですか?」

 

「あの時、怒りを抑えるのに必死で、堕胎するにはそれなりに時間とコストがかかるから考え直したらって指示したわ。

そしたら、あの女、『そんなに時間がないから安く請け負ってくれる別の医師のところに行く』って出ていったのよ!

…あぁ~! 『だったら最初っから来るな』って追い返しゃよかった!」

 

女性患者の去り際のムカつく態度と言動を思い出して、アンジェリーナはさらにスコーンを食べまくる。

 

「娼婦の方々は生活のために好きではない男性と身体を重ねないといけない。

そういうやむおえない事情もありますけれど…子どもを簡単に堕胎する選択は賛成できませんね」

 

「…もし、私があの時…『あの子』を救えていなかったら、今日来た女性患者を憎んでたわ。

世の中、子どもが好きでも妊娠できない女性だっているのに…」

 

ハァと軽く息を漏らして、アンジェリーナは紅茶を飲む。

言いたい事をぶちまけたおかげで、大分スッキリしたようだ。

 

「ごめんなさい、愚痴聴いてもらっちゃって」

「いいえ、私で良ければいくらでも」

「…~ッ! いい相棒に恵まれてよかったわ。私が男だったら、迷わず貴女にプロポーズしてるわよ!!」

「あらあら、それは魅力的な事ですね」

 

いつもの調子が戻ってきたようだ。

リエは「ありがとうございます」とほんのり笑って言葉を返すと、冷蔵庫にしまっていたアイスクリームを取り出して、

彼女に食べてもらう事にした。

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

「坊ちゃん、『例の件』の報告書がまとまりました」

 

同時刻、ファントムハイブ邸の書斎で書類をまとめていたシエルのもとに、セバスチャンが報告をしていた。

例の件―――先日のマフィアが関与していた誘拐事件の際に彼らの前に現れた謎の女の事。

 

 

「過去10年以上を遡り、英国内で発生したすべての大小の事件を検証した結果、一人の人物が浮上しました。

―――『リエ・クローチェ』

事件記録は市警(ヤード)の権限から名前は省かれていましたが、当時の事件関係者の証言から、明らかになりました」

 

「10年前…先代の頃から市警(ヤード)と繋がりがあったのか」

 

 

あの屋敷から脱出する前に、市警(ヤード)がやってくるとリエが発言していた事から、相互関係があるとは思っていた。

先代…シエルの父親が、リエの存在を知っていたかどうかは不明だ。

少なくともこちら側が、女王から命令されて担当した案件以外…表側の人間のみで解決できるだろう事件に、リエが携わっていた事になる。

 

「表では市警(ヤード)が解決した事件の半数近くは、実際はリエ・クローチェの助力によって迷宮入りを

免れたものばかりの様です」

 

「フンッ、表社会で対処できるレベルの案件すら人の手を借りなければまともにできないとは

…呆れたものだ」

 

市警(ヤード)の無能さに、シエルは冷笑を浮かべる。

 

「それから…興味深い事もいくつか判明しました」

「なんだ?」

 

セバスチャンが、口元に綺麗な弧を描くとさらに報告を続けた。

 

 

 

 

 

「あれとそれ、ちょうだい。あとそこの帽子もお願い」

「かしこまりました」

 

あれから数時間後、アンジェリーナは只今、買い物を楽しんでる真っ最中。

仕事上でのストレスを発散するため…もあるが、折角ロンドン市内まで足を運んでいるのだ、

以前から気になっていた商品が買いたい。

 

思い立ったら吉日。

本日は非番なリエを巻き込んで、贔屓にしている御店を何軒かはしごする事にした。

 

「リエ、折角だから貴女も何か買いなさいよ」

「いえ、特にありませんので」

「遠慮しないでちょーだい! 安心しなさい、今日は私が奢るから」

「ハァ…どうも(奢るって…そんな気軽にラーメンを食べに行くような感覚にはなれませんよ)」

 

リエは冷や汗を流し、苦笑するしかない。

何故なら、アンジェリーナが回っている御店はすべて一般庶民には届かないレベルばかり。

上流階級お達しの物をおいそれと購入するなんて恐縮する。

 

「あらっ、あそこにある服もいいわねぇ」

 

アンジェリーナが最新のファッションに目を奪われている中、リエは店内を目で楽しむ事にした。

 

(買うのは躊躇っちゃいますけど…見るだけなら)

 

服、帽子、靴、小物…煌びやかな一流の商品を眺めていると、どこか非現実的で夢見心地に浸ってしまう。

  



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『彼女ら』と『彼ら』のとある午後の話(2)

  
(1)の続きとなります。
  


 

―――ドンッ

 

その時、背中に衝撃が走り、思わず前のめりに倒れてしまいそうになる。

 

「大丈夫ですか?」

 

…が、床に接吻しそうになる前に誰かが身体を支えてくれたおかげで未然に防げた。

反射的に瞑っていた目を開けると、そこには一人の男性がこちらを心配するように見ていた。

 

外見は20代後半。

茶色の短髪を清潔に整えた、人の良さそうな雰囲気の紳士だ。

 

「ありがとうございます…私は平気です」

「いえ、こちらこそ…私の使用人が粗相をしてしまい、すみません」

「も、もも申し訳ありませんでした!」

 

男性の一歩後ろで、執事服を着た男性が頭を深く下げて謝罪している。

眼鏡をかけ、黒い長髪を真っ赤なリボンで後ろ手に留めている、気弱そうな感じの人物だ。

 

「いえ、私の方も不注意でしたし、お気になさらないでください」

 

「優しいお言葉を…貴女はとても慈悲深いレディですね。

ほら、グレル。こちらのレディに言うべき事があるだろう」

 

「あ、ああありがとうございます!!」

 

執事…グレルはさらにぺこぺこと頭を深く下げて、今度は御礼を言い始めた。

 

「こちらこそ…あの、もうお気持ちは十分伝わりましたので、そのくらいで…」

「は…はい、すみませ…」

 

リエの言葉を聞き、グレルは頭をゆっくりとあげていく。

 

「…ッ!」

 

すると、リエの顔を目にするや彼はハッと…何かに気付いたかのように息を飲み込んだ。

 

「? 私の顔に何かついていますか?」

「い、いいえいえいえ、なんでもございません!」

 

グレルは慌てたように首を左右に振る。

 

(?…この人…)

 

そんな彼の様子を見ながら、リエは小首を傾げてある違和感がした。

 

「ちょっと、リエ~…何かあったの?」

「あ、アンさん」

 

リエが誰かに絡まれているように見えたのか、アンジェリーナが目を細めて何事かとこちらへ近づいてきた。

 

「えっ…貴方…」

「あれっ、君は…アンジェリーナかい!?」

「ジェームズじゃない! ひっさしぶりね~」

 

驚きを露わにする紳士と、顔に喜びの色を出すアンジェリーナ。

 

(二人は…どうやらお知り合いのようですね)

 

導き出された結論は…至ってシンプルなものだった。

 

 

 

「この人は、ジェームズ・スピアリンク子爵。私の医学生時代の同期」

「はじめまして。まさか、アンジェリーナの友人だったとは思いませんでした」

「こちらこそ、御目文字叶いまして光栄に御座います。スピアリンク子爵」

 

リエはスカートの裾をつまんで会釈する。

 

「そう固くならないで。私の事は気軽にファーストネームで呼んでください」

 

ジェームズは苦笑しながら言う。

リエは少し逡巡するが、分かりましたと小さく頷いた。

 

「ところで、ジェームズ。今日はなんで此処に?」

「明後日が妹の誕生日なんだ」

「あぁ、そういえば末の妹さんいたわね。もう17だっけ?」

 

「ハハハ…まだまだ手がかかる子だよ」

「なーに言ってんの。もう17歳よ。社交界にもデビューしたって聞いたわよ」

 

アンジェリーナが久方ぶりに再会した知人と会話に花を添えている中、リエは会話が弾んでいる二人から視線をグレルに移した。

グレルは彼女の視線に気づくとビクッと反応し、落ち着かない感じであちらこちらへ目を逸らす。

 

「また、機会があれば家に来てくれないか? 『社交界の花形』として名高い君なら、妹の指南役になってくれるはずだしね」

「あーら、言ってくれるじゃない。良いわ。その時は連絡して」

 

話を終えると、ジェームズは「それでは失礼」とリエに微笑み会釈すると、グレルを連れて店から出ていった。

 

「仲がよろしいんですね」

「まぁね。医学生時代に仲良くなった数少ない友達だから」

 

数少ない…という発言はリエは小首を傾げる。

社交的な性格のアンジェリーナでも、医学生時代は友達の数が少なかったのか。

 

 

「ガヴァネス誘拐事件の時にも言ったけど、この国じゃまだ女性進出に抵抗のある人が少なくないでしょう。

女が医師を目指すって事自体を批判する人も多かったの。

特に医学を学ぶ場なんて、看護師ならまだしも医師志望の大半が男。

そんな中で女の私は結構浮いた存在だったのよ」

 

 

アンジェリーナ曰く、冷やかしや嫌味を言われる事もあったらしい。

でも、女性と言うカテゴリーに囚われずに一人の同じ仲間として見てくれた医学生も何人かいた。

その中の一人が、ジェームズだった。

 

「同期の中じゃ、一番成績が良くて患者の立場に立って気持ちをよく考えてたわ。

いずれ、いい医師になるだろうって周りも期待してた」

 

「期待してた…?」

 

アンジェリーナの言葉…リエはその部分が過去形である事が気になった。

 

「ジェームズにはお兄様が一人いたんだけど…馬車の事故でお父様のスピアリンク卿と一緒に亡くなられてしまったの。

それで家督を継ぐ事になってね…」

 

家督を継ぐため、医師になって病院勤めや開業をする事は諦めたそうだ。

 

「でも、家督を継いでも医師として働く方もいらっしゃるんじゃ…」

 

「ジェームズのお母様が気難しい性格なのよ。

表の社交界でも時々話題に上がる人でね…こう言っちゃあれだけど、あんまりいい噂は聞かないわ。

元々、彼が医師業をする事にも反対してたようだし…だからやむなくって感じみたい」

 

アンジェリーナは眉をさげて、肩を竦めてその理由を語ってくれた。

あんなに素朴で優しい紳士も、家庭で苦労しているようだ。

いや、ジェームズのみならず他の貴族もこういった家庭の問題をそれぞれ抱えているのだろう。

 

「私だったら、『あの子』が将来何を目指そうとも反対しないわよ、絶対にね!」

 

辛気臭い話になったのをかき消すように、アンジェリーナはそう断言した。

リエは、彼女のそんな明るさに心が和んだ。

 

「さーて! 気分を切り替えて美味しい物でも食べに行きましょうか!」

「ふふっ、そうですね」

 

 

 

【『彼女ら』と『彼ら』のとある午後の話】

 

 

 

「…以上が、私が調べ上げる事が出来たリエ・クローチェに関する全ての情報です」

 

セバスチャンの報告を聞いた後、シエルは大いに眉を潜めていた。

 

「まさか、『彼女』と繋がりがあったとは…」

 

「おそらく、先日の件も意図的に巻き込まれたのでしょうね。

間接的とはいえ…こちらを利用する算段で」

 

愉快そうに推測を語るセバスチャン。

あの誘拐事件の際に、リエとある人物が裏側で暗躍していた事はとっくに気付いていた。

己の主も、この報告をする前までに薄々感づいていたのだろう。

 

「いかがなさいますか?」

 

「今は放っておく。

…あちらはあくまでガヴァネス達の救出が目的で、リスクを冒してまで僕らを欺いたんだ。

文句を言ったところでメリットもない」

 

ただ…とシエルは目を細めてこう続けた。

 

「こちらに障害をもたらすなら…容赦はしない」

「…その時は、然るべき処置をすると?」

「二度も言わせるな」

 

確認の問いに対し、シエルはスパッと言い返すと、少し冷めた紅茶を口にする。

主の返答に、セバスチャンは「御意」と口角をあげた。

 

 

 

 

【つづく】

  





※原作では、看護師から医師になった経緯のアンさんですが、この小説では大学にも通っていたというオリジナル設定にしています。
  


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スケジュール調整(1)


序盤から王国心要素があります。
アンジェリーナは、戦う技術を二年かけて身につけた設定です。
  


闇が町を支配する宵の時刻、ロンドン市内をある人物が徘徊していた。

フードを深くかぶり、黒いコートに身を包んでいる。

 

「今日はこの辺から…ですね」

 

ほとんどの人が寝静まったこの時間帯にたった一人でうろついている

…第三者がいれば、明らかに不審者とみられるだろう。

 

その人物の背後から忍び寄る黒い影。

人影と思わるソレは、うねうねと形を変えていき、影から生まれ出る形で、魔物として姿を現した。

 

―――《ハートレス》

 

ハートレスは、まだ前方を向いたままのその人物に狙いを定めて襲い掛かった。

 

 

 バシュッ

 

 

しかし…その人物の胸を貫く事は叶わず、一閃されて黒い霧と化し、ほのかな薄桃色に輝くハートが現れた。

その仲間の消滅を合図に、建物の壁や道などから続々と出没するハートレス。

 

「…フフッ、いらっしゃい」

 

右手を差し出して、挑発を含んだ誘いの言葉を呟くその人物。

触発されたハートレス達は、勢いよく一斉に飛びかかった。

 

 

*** ***** ***

 

 

「ふぅ、終了しました」

 

暗闇に綺麗な明りを灯すたくさんのハート。

それらは、その人物の持っている星形の杖に装飾されている結晶石に吸い込まれていく。

 

「早く元に戻りますように…」

 

祈りの言葉を囁くと、その人物…リエは被っていたフードを取り外した。

栗色の長い髪を、さらぁと綺麗な円を描く形で靡かせる。

青空を連想させる両方の空色の瞳を開くと、闇夜へ視線を上げた。

 

「…星が見えないのが残念ですね」

「ぜぇぜぇ…同感ね」

 

後方から聞こえてきた女性の声に、リエは首だけ後ろへ向けた。

 

「アンさん。そちらは終わりましたか?」

「…はぁはぁ…完了よ」

 

息切れしながら、親指を立てるものの、顔色は疲労に満ちている。

二時間ほど、彼女はリエと共にこの地帯に潜んでいたハートレスを退治していたのだ。

 

「…ったく、なんなのよ! あの『ハートレス』ってありんこ!

あの変則的な動き! 反則よ反則!」

 

「でも、二年前よりもずっと上達してきましたよ」

 

リエが素直な感想を言った。

「あら、そう?」とアンジェリーナは満更でもなさそうにほほほ…と笑う。

そんな彼女に、リエはふふふっ…とほんのり笑う。

 

これはお世辞ではなく、本心からだ。

二年間、リエはアンジェリーナに戦闘の基礎を教えてきた。

体力にはそこそこ自信があったアンジェリーナでも、最初は戦闘を見守るだけ

…視覚でリエの俊敏な動作を追いかけるのに精一杯だった。

 

それが今では、リエのサポートなしでハートレスを倒せるレベルになった。

まだレベルが高かったり、巨大なクラスのモノには敵わないが…

それ以外のタイプのハートレスには臨機応変に対応できるようになっている。

 

「…にしても、今夜はやけに多いわねー。十匹は遭遇したわよ」

「…今夜だけとは限りませんよ」

「?? どういう事???」

 

リエが口にした言葉に、アンジェリーナは疑問符を浮かべる。

 

「この一年の間に、全体的にハートレスが活発化しています。

以前は夜の時間帯にしか出現しなかったのに、最近は限られていますが…

人通りの少ない場所にも出てくるみたいです」

 

「ちょ、それ…マジで!?」

 

「まだ一般市民の方々には被害が出ていないようですけど…

近い内にまた『封印術』を施す必要はありますね」

 

リエは真剣な表情で語っていると、パッと右斜めにある建物の屋上へ視線を向けた。

 

「なに、ハートレスがいたの?」

 

「いいえ…気の所為でした。

この一帯にハートレスの気配もありませんし、今日はこの辺にしましょうか」

 

「そうね…ふあぁ~…明日は遅寝決定だわ」

「お仕事は?」

 

「明日はお休み。ハートレス退治の翌日はどっと疲れがでるもの。

ゆっくり体を休めないとねー」

 

口元を手で抑え、ふぁーと生欠伸をするアンジェリーナ。

 

「もしよかったら家まで来ませんか?

以前依頼で知り合った方から、美味しいコーヒー豆を頂いたんです」

 

「さんせーい♪」

 

先程の疲労はどこへやら…深夜のお茶会を楽しむため、アンジェリーナはルンルン気分でリエの隠れ家へと足を進める。

苦笑しながら、リエも後をついていく。

 

しかし、二人は気付いていなかった。

その様子を別の建物の上から眺める一人の影がいた事に…。

 

 

 

 

 

三日後、王立ロンドン病院の食堂でアンジェリーナは休憩をとっていた。

 

「今日も待合室は満員ね」

「今年は、例年に比べて風邪をこじらせる人が多いらしいですよ」

「予防法を書いた張り紙を出した方がいいんじゃないか?」

「最近新しいコーヒーハウスができたんだって。今度仕事帰りに行かないか?」

 

同僚の医師達と、仕事と余暇の話題で盛り上がっていると、一人の医師がある話を口にした。

 

「そういや、今日の新聞読んだか?」

「ああ、見た見た…物騒だよな」

 

そういえば、今日の新聞読み損ねたっけ…とアンジェリーナは思い出した。

 

「何か恐ろしい事件でもあったの?」

「ホワイトチャペルで娼婦が殺されたらしいんだ…さっき店で購入したものがある…っとコレだ!」

 

散らかった机をあさりながら、その医師は今日の新聞を見つけ出すと、アンジェリーナにそれを渡す。

どれどれ…とアンジェリーナはその記事を見た瞬間、大きく開眼した。

 

記事に書かれていた被害者の名前は―――『メアリ・アン・ニコルズ』

一週間前に、アンジェリーナのもとへ堕胎手術を依頼に来たあの女性だったからだ。

  



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スケジュール調整(2)


(1)の続き。
アンジェリーナ視点になります。
あと、オリキャラ(アンジェリーナの息子)がこの回でハッキリと登場しています。
  


 

仕事が終わり、屋敷へと帰宅した。

食事の前に入浴したい気分だったので、風呂の準備をするよう使用人に指示すると、私は二階のある部屋まで足を運んだ。

 

「ただいまー」

「あぁ~、ママ!」

「おかえりなさいませ、アンジェリーナ様」

 

息子と、ちょうど彼の世話をしていたセリアが出迎えてくれた。

 

「ただいま~、ランス。ちゃーんといい子にしてた?」

「うん!」

 

この子の名前はランスロット。

3歳になる私の息子だ。

顔立ちと髪の毛の色は見事私の遺伝だ。

穏やかそうな目つきは夫に似ている。

性格は…最近年相応に活発になっているけれど、今の所、半々って感じだ。

 

「きょうもカンジャさんいっぱいだった?」

「いっぱいだったわよ~。お風邪ひいて大変な人ばっかり。ランスも気をつけなさい」

「うん!」

 

元気いっぱいに頷く我が息子。

溜まっていた疲れもこの子の可愛さで吹き飛んでしまう。

 

「セリア、今日もありがとうね」

「そんな…勿体ないお言葉です。アンジェリーナ様」

 

あの誘拐事件がきっかけで、家に就職する事になったセリア・メイシー。

ランスロットのガヴァネスだけど、私の秘書として簡単な仕事もしてもらっている。

 

「本日届いたお手紙です」

「どうも」

 

セリアから手紙の束を手渡された。

仕事関係、馴染み深い知人からそうでない貴族まで…舞踏会への誘いの手紙が大半だ。

 

英国では、最も気候の良い5月~8月は「社交期(シーズン)」と呼ばれる。

地方の屋敷(マナーハウス)から、貴族はこぞってロンドンの町屋敷(タウンハウス)へ社交に精を出す。

 

「えっと…この日はよし、この日はダメだから丁重にお断りの返事をして」

 

一枚一枚読んでいって、仕事や秘密裏に行っている『アレ』の予定と被っていないかどうかで出席を決めていく。

 

「社交期が終わりに近いのに、結構な量くるわねぇ…ん?」

 

最後の手紙の差出人を見ると、それは意外な人物…甥のシエルからのものだった。

 

「あら、あの子から直々に招待状がくるなんて…」

「あっ…そちらのお手紙ですが、午前中にお客様がいらっしゃいまして、頂いたものです」

 

セリアが語ってくれた話によると…

今日の午前10時頃、屋敷の庭でランスロットとボール遊びをしていた時の事。

ふと、執事服に身を包んだ見目麗しい青年が屋敷の門をくぐり、玄関口で屋敷に勤めている年配の使用人と

会話している場面に遭遇した。その青年は、使用人に手紙を託すと礼儀正しくお辞儀をして颯爽と

立ち去って行ったとの事だ。

 

「…セバスチャンね」

「お知り合いの方ですか?」

「まあね…」

 

封を開けて中身を取り出して目を通した。

そこに書かれていた内容とは―――

 

 

 

 

 

 

「協力要請…ですか」

「ええ、女王からの命令でね。次の事件の調査をしているみたい」

 

翌日、リエの隠れ家へと訪れたアンジェリーナは手紙の一件を語った。

 

「具体的な事は、ロンドンの町屋敷で話すから二日後に来なさいって書かれたわ」

「それは急なお達しですね」

 

アンジェリーナの話を聴く真向いで、リエは温かい紅茶をいれる。

本日の紅茶はアッサムのミルクティー、お菓子はアップルパイ。

きたきた…とアンジェリーナはミルクティーの香りを楽しみ、一口含む。

それから、フォークでアップルパイをサクッと一口サイズに切って味を堪能する。

 

「だから、暫くの間は“あっちの仕事”はできなくなりそう。ごめんなさいね」

「構いませんよ」

 

リエは笑って承諾した。

ありがとう、とアンジェリーナは礼を言うと、アップルパイを食べ進めていく。

 

「そういえばさ…さっき、此処に来た時にご婦人とすれ違ったけど…依頼?」

 

先程、此処の入り口に到着した際に、中年の女性とすれ違った。

探偵の依頼は、アンジェリーナが仲介役となって斡旋するパターンもあるが、人伝にリエの存在を知り、

依頼人が直々に訪れるケースも珍しくない。

 

この秘密の花園へ入るための条件をクリアしている事が前提だが…。

 

「はい。事件とは…違いますけれど、ある人物の相談に乗ってもらいたいという依頼を受けました」

「ん?…事件じゃなくて悩み相談なの?」

「ええ、先程のご婦人ではなくて、彼女が仕えているとある御方が大きな悩みを抱えているそうです」

 

話からアンジェリーナは独自に人物像を推察してみた。

相手は上流階級か郷紳(ジェントリ)クラスの人物。

年齢は、多分10代中盤~後半の内気な女子だ。

 

 

「理由は?」

 

「自ら赴く事なく、わざわざ使いを出して依頼をしに来るなんて、貴族か裕福な家庭だけでしょう。

性別が女だって思ったのは、男の場合は悩みを異性に打ち明けるのは抵抗があるから。

リエの性別を分かった上で依頼するなら同性の可能性が高いはず」

 

「それでは、年齢を10代半ばに絞ったのは何故ですか?」

「その年齢層の女子は思春期でいろんな悩みが出始めている時期だからよ。貴女にも経験あるでしょう?」

 

 

アンジェリーナがクスッと笑って指摘すると、リエは小さく頷いて「確かに…」と同意する。

 

「社交的だったり、友達が多ければ悩みを共有できるはず。

そうしないのは、その依頼主は身近に気軽に相談できる相手がいないって事。

でもその人物にとったら悩みを誰かに打ち明けたい衝動に駆れている。

だから、貴女の存在を知って依頼をした…どう、私の推理?」

 

得意げに言うアンジェリーナに、リエはパチパチと拍手する。

 

「さすがです。アンさん」

「ほほほっ、私の頭脳も伊達じゃないわよ」

 

「アンさんの仰るように、今回の依頼主の人物像は慎重で…

あまり自分に自信をもてないタイプだと私も考えています。

まだ会う日は決めていませんが…近い内に予定を組まないといけません」

 

「…忙しくなりそうね。貴女の方も」

「はい。お互い頑張りましょう」

 

 

 

【スケジュール調整】

 

 

 

「さって…時間も余った事だし、可愛い我が子にお土産でも買っていこうかしら」

 

秘密の花園のゲートを潜り、元のロンドン市内へ戻ってきたアンジェリーナ。

息子のために買い物しようと、軽い足取りで鼻歌を奏でながら百貨店まで歩いていく。

そんな彼女の動向を賑わう人混みの中で観察していた一人の男性。

 

「…なるほど、あそこが出入口でしたか」

 

執事服を纏う美青年…セバスチャン。

アンジェリーナが出てきた時空の狭間と思われる付近を注意深く観察しながら、試しに手で触れようとする。

 

 

 バチッ、パシュッ

 

 

「案の定…厄介な類の術をセキュリティとして施していますね」

 

結界が張られているのは感知できるが、破るには難易度が高すぎる。

強行突破はできない仕掛けとなっており、侵入するには骨が折れると判断した。

 

 

「入るためには暗号か、条件を満たす必要がありますね

…おっと、もうこんな時間だ」

 

 

そろそろ、夕食の準備に取り掛からなくてはいけない時刻がきている。

今日はこの辺にして、屋敷に帰らなければ…。

セバスチャンは懐中時計を閉じて胸元にしまうと、人目がない場所へ移動していき、空高く跳躍していった。

 

 

 

 

【つづく】

  



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捜査協力(1)

  
アンジェリーナ視点です。
   


 

「今日はいい天気でよかったわ、絶好の外出日和ねぇー♪」

「雨が続いていたからね~」

 

揺れる馬車の中、私は裏の社交界で付き合いのある中国人、劉(ラウ)と

一緒にある場所へ向かっていた。

 

 

私の名前は、アンジェリーナ・ダレス。

王立ロンドン病院勤務の医師であり、元バーネット男爵の妻、子どもがいる未亡人。

表の社交界では【マダム・レッド】の名で知られている。

 

私の甥は裏社会の秩序を守る【女王の番犬】 シエル・ファントムハイヴ伯爵。

今回、彼から招待状をもらって町屋敷へと出向く事となった。

 

「マダム・レッド。そちらのお嬢さんは?」

 

「彼女はセリア・メイシー。

最近、息子のガヴァネス兼、私の個人秘書になった子よ」

 

「お、お初にお目にかかります。ら、劉様」

 

あと、私のお気に入り…セリアも秘書として同行してもらっている。

セリアには、もう裏社会の事を大まかに教えておいた。

彼女が、これから私の秘書として仕事をしていく上で、裏社会へのある程度の

関与は絶対に避けては通れなくなるだろう。

 

だからといって、強引にこちら側へ引き摺りこむのは可哀想だと、

事前に私は選択肢をもちかけた。

 

…話をなかった事にして、息子のガヴァネスとして働き続けるか?

 

…裏社会に関与する事を覚悟で、私の秘書をやるか?

 

予想通り、セリアは悩んだ。

少し時間が欲しいと懇願してきたので、私は快く了承した。

 

『アンジェリーナ様…どうかご指導お願い申し上げます』

 

一日半かけて、彼女が紡ぎ出した答えは後者だった。

その瞳には迷いはなく、強い意志を宿していた。

 

私の目に狂いはなかった。

彼女、セリア・メイシーは単純な勧善懲悪だけが価値観だという固定概念に

とらわれない柔軟性がある。

 

…鍛え上げたら、優秀なレディになるはずだ!

 

「そんな畏まらなくても、我(わたし)の事は劉って呼んで構わないよ」

「そ、そんな恐縮でございます!」

「いいのよ、セリア。この人は気軽に呼び捨てでOKだから」

「そ、それでもアン様のご友人を呼び捨てにはできませんよー!」

 

慌てふためくセリアはどこか小動物的な可愛らしさがある

…からかい甲斐があるわー♪

 

そうこうしている内に、私達は目的地へと到着した。

 

 

「いらっしゃいませ。マダム・レッド」

 

 

扉をノックすると、セバスチャンが出迎えてくれた。

 

「劉様、ご無沙汰しております」

「マダムに誘われて来ちゃったよ」

「失礼ですが、レディ。お名前をお聞かせいただけますでしょうか?」

「セリア・メイシーです。先月からアンジェリーナ様の秘書として働いております」

 

「左様ですか…それでは改めまして、セリアさん。

私、セバスチャン・ミカエリスと申します」

 

自己紹介するセバスチャンに、セリアは微かに頬を赤らめている。

初めて接触する大半の女性は、彼に胸をときめかせるパターンが多い。

容姿端麗な青年の執事なんて、そうそうお目にかかる事はないからだ。

 

「主がお待ちです。こちらへどうぞ」

 

セバスチャンに案内されて、私達は奥の部屋へと進んだ。

 

 

「ようこそ、マダム・レッド、劉。

それから…初めまして、レディ・メイシー」

 

 

上等な椅子に座った各人に、この屋敷の主…シエルが挨拶をする。

 

「お久しぶりね、伯爵。

招待状をよこすなんて…今回は、どんな勅令が下ったのかしら」

 

「それはおいおい説明する、まずはお茶でも飲みながらリラックスしてほしい」

「じゃあ、お言葉に甘えるよ」

 

アンジェリーナと劉は慣れた感じで、シエルと会話をする。

ただ、新参者であるセリアだけは上流階級の雰囲気に呑まれつつ、恐縮しているようだ。

 

「どうぞ」

 

セバスチャンはさりげなく、紅茶を差し出した。

セリアはどうも…と軽く会釈すると、それを口にする。

 

「あっ…おいしい…」

 

「お褒め頂き光栄でございます。

本日はジャクソンの『アールグレイ』をご用意いたしました。

こちらのレアチーズケーキも一緒にご賞味くださいませ」

 

長机にコトッと置かれたレアチーズケーキ。

上に薄切りのレモンを乗せた見た目も綺麗なデザインだ。

フォークで一口切り分けて口へ入れると、濃厚なチーズの味が万遍なく広がる。

それでいてしつこくなく、一噛みしていく毎になめらかな味わいへ変化していく。

すぅーと舌へ浸透していき、完全に消えた後も余韻に浸ってしまう。

 

「うーん…セバスチャン、あんたの作るデザートも最高だわ!」

 

アンジェリーナも、セバスチャンの菓子作りの腕前を高く評価した。

 

「昔、どこかで菓子職人(パティシエ)の修行でもしてたのかい?」

 

「そんな大層な事はしていませんが…ファントムハイヴ家の執事たる者、

主を満足させるデザートをつくれなくてはなりませんから」

 

セバスチャンは、にこやかに劉の質問に答える。

 

(一流の執事って、こういう技能も持ち合わせていないといけないのね…)

 

レアチーズケーキを味わいながら、セリアは一流の執事の凄さに衝撃と感銘を

受けていた。実際の執事がそういう技能が必須と言う訳ではないのだが…。

 

 

「…ここからが本題だが」

 

 

ティーカップを皿に置くや、シエルが口を開いた。

 

「あら、ようやく話してくれるのね」

「今回はどんな命令を受けたんだい?」

「…数日前、ホワイトチャペルで娼婦の殺人事件があった」

 

シエルが口にした話題に、アンジェリーナは微かに目を見開く。

 

「何日か前から新聞が騒いでいるヤツね、知ってるわ。

だけど、アンタが動くってことは何かあるんでしょう? シエル」

 

「そうだ、ただの殺人ではない。猟奇的…最早、異常といっていい。

それが‟彼女”の悩みのタネというわけだ」

 

「どういうこと?」

 

「被害者の娼婦、メアリ・アン・ニコルズは何か特殊な刃物で

原型も留めない程、滅茶苦茶に切り裂かれていたようです」

 

アンジェリーナの疑問に、セバスチャンが答えた。

シエルが、ケーキを一口食べながらその続きを紡ぐ。

 

    



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捜査協力(2)

(1)の続き。
  


「市警や娼婦達はこう呼んでいるそうだ。

―――【切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)】

僕も早く状況を確認せねばと思い、急ぎロンドンへ来たというわけだ」

 

 

説明を聞きながら、アンジェリーナは眉を潜める。

まさか、あの患者が殺された事件の話題がこういう形で出てくるとは…。

診療を遠回しに断ったあの日…彼女は別の医師を探すと言っていた。

その間に、犯人に殺されたのだろうか?

 

(あんな結末を迎えるだなんて…思わなかった)

 

授かった命を簡単に殺そうとした事は許せない。

同時に、無残に命を奪われてしまった被害者を可哀想だと思う自分がいた。

 

 

 

「話が変わるが…マダム・レッド」

「うん?」

 

一通りの話を終えるや、シエルが話しかけてきた。

 

「貴女を招待した件なんだが…聞きたい事があるんだ」

「どんな事で?」

「『リエ・クローチェ』という女性をご存じか?」

 

一瞬だけ固まってしまった。

何故…シエルが彼女の事を聞くのか?

 

(…てか、私とリエとの関係、もう調べ上げてるの?)

 

この間のガヴァネス誘拐事件で間接的とはいえ、ファントムハイヴ家を

利用してしまった。それがバレてしまったのか?

いや、もしくはリエの情報をちらつかせて、こちら側が動揺するのを誘い、

確信を得ようとしている可能性もある。

 

「リエ・クローチェ…って私立探偵をやっている婦女子の事だよね~」

「劉様はご存じなのですか?」

 

その時、劉が会話に参加してきた。

これは、うまくかわすチャンスかも…とアンジェリーナは思った。

 

「名前だけね。我の知人が昔、世話になったらしくて…時々手伝ってるとは聞いてるよ」

「…ほぉ、裏社会にもコネがあるのか、あの探偵は」

「ハハハ、みたいだね。で…マダムはどうなの?」

 

「すぐにブーメラン、返さないでよ!」とアンジェリーナは胸中でツッコんだ。

しかし、沈黙したままだと逆に怪しまれてしまうため、ココは…試しに探る事にした。

 

「ええ、その名前は知ってるわよ。でも、なんで彼女の事を訊く訳?」

 

「以前、誘拐事件で接触したんだ。

念のために彼女の素性を調べてみたんだが…貴女と接点がある事が判明した。

マダム・レッド…彼女とはどういった関係で?」

 

そう尋ねてはいるものの、シエルの事だ…既にリエの探偵の助手を務めている事は

お見通しだろう。隠す必要もないな…とアンジェリーナは口元に綺麗な弧を描く。

 

「ふふっ、リエとは確かに面識はあるわ。

彼女とはここ数年来の親友みたいなものよ」

 

「では、あの誘拐事件の際に、坊ちゃんに紹介したガヴァネスは…

彼女だったのですね」

 

「仕方なかったのよ。誘拐されたガヴァネス達を救おうにも手段が限られていたし…

時間も限られていたもの」

 

その件ももうバレてるか…とアンジェリーナは肩を竦めて白状した。

 

「まあ、事情を説明しなかった事は悪かったわ。ごめんなさいね」

「謝らなくていい。ただ、事実確認をしたかっただけだ」

「(あら?)…そう、ありがとう」

 

嫌味の一つでも言うかと思ったが、シエルの態度は意外にあっさりしていた。

 

「ところで、レディ・クローチェは今回の事件に興味を持っているのでしょうか?」

 

「そうだな。表社会でも騒ぎになっているくらいだ。

依頼がきている可能性もありそうだが…」

 

二人は、どうやらリエが切り裂きジャック事件を捜査しているのかどうか…

探りを入れているようだ。

 

「ああ~…この間リエに会いに行ったけど、彼女…今、別件で忙しいみたいよ?」

「そうですか、残念でしたね。坊ちゃん」

「…別に急ぐ事でもないだろう」

 

セバスチャンがクスッと笑って、主であるシエルにそう言葉をかけると、

シエルはそっけない感じで返事する。

 

(この二人…リエと接触したがってる?)

 

前の一件をすんなりと許してくれたものの、彼らの言動の節々から、

リエの事を深く詮索しようとする魂胆が見え隠れしている。

 

(また、隙を見てこの事連絡した方がいいかしらね…)

 

…女王の番犬に目をつけられてしまった。

アンジェリーナは、胸騒ぎがした。

リエとこの二人が再会した時…何かが起きる、そんな予感がしてならない。

 

 

 

【捜査協力】

 

 

 

「それよりも、これからどうするの? 現場に直接行くつもり?」

 

「いや、行く必要はない。

どうせ既にヤジ馬だらけでろくに調べもできんだろう。

僕がいけば、警察もいい顔をせんだろうしな」

 

確かに…ランドル卿が露骨に嫌な顔をする場面がいとも容易く想像できる。

それに、検死に慣れているアンジェリーナとそういった血生臭い事は平気な劉は

ともかく、今回は裏社会とは今まで無縁だったセリアがいる。

 

凄惨な女性の遺体を目にするのは、10代後半の彼女にとっても酷な話だろう。

 

「伯爵…まさか…」

 

劉がハッとした顔で息を飲み込む。

 

「そのまさかだ。僕もできるなら避けたい道だが、やむおえん。

こういう事件に奴ほど確かな情報を持ってる奴はいないからな」

 

シエルもあまり気乗りしていないが、切り裂きジャックに関する有力な手掛かりを

提供してくれる情報屋がいるようだ。

 

「セバスチャン、馬車の準備を」

「イエス・マイロード」

「セリア…貴女どうする? 此処で待ってる?」

 

外出の準備をする中、アンジェリーナはセリアに行くか否か聞いた。

シエル達が切り裂きジャックの犯行の手口を話していた時から、

彼女の顔色はすぐれなかった。

 

これから赴く情報屋でも、遺体に関する話題がでるはずだ。

秘書とはいえ、あまり無茶はさせたくないが…

 

「だ、大丈夫です。私もお供いたします!」

 

どうやら、セリアの熱意は本物のようだ。

 

「そう…じゃあついてきて。でも、気分が悪くなったら遠慮なく言ってね」

「はい…!」

 

こうして、アンジェリーナ達はシエルの贔屓にしている情報屋の元へ向かった。

 

 

 

【つづく】

  



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執事の神業(1)

葬儀屋さんの回。
原作と異なる場面も出てきます。
  


町屋敷を出て、アンジェリーナ達は馬車でロンドン市内までやってきた。

途中で馬車を降りて、シエルを先頭に目的の場所まで徒歩で移動する。

…約10分後に、5人はそこへ辿り着いた。

 

「ふぅー、やっと着いたね…で、ここどこ?」

「ちょっと劉! あんた、さっき知ってる風だったわよね!?」

 

屋敷にいた時は、その場所を知っている感じでシエルと会話していたが…

どうやら、知ったかぶりをしていたようだ。

盛大にツッコむアンジェリーナを、セリアは落ち着いてくださいと

冷や汗を流して宥める。

 

「坊ちゃんのお知り合いが経営なさっている葬儀屋(アンダーテイカー)さんですよ」

「「葬儀屋?」」

 

言葉を反芻させるアンジェリーナとセリアに、シエルはついてきてくれ、と言うと

店の扉を開けた。

 

「なにここ…幽霊屋敷?」

 

眉を潜めたアンジェリーナの第一感想はそれだった。

必要最低限の蝋燭の灯りしかつけず、店全体が薄暗い。

内装は至って不気味だ…天井や壁に設置している絵画の所々に蜘蛛が巣を張っており、

壁には棺がいくつも立てかけてある。

 

東洋の葬式で使いそうな道具や臓器が入ったホルマリン漬け、怪しそうな薬品が

そこらに置いてあったり…万人が通いそうな店とは思えない。

 

「いるか? 葬儀屋」

 

シエルが呼びかけると、どこからか笑い声が…

 

 

《……ヒッヒッ…そろそろ来る頃だと思ってたよ…》

 

 

突如、聞こえてきた謎の声に、アンジェリーナの視線はすぐ近くにある棺桶へ

向いたその瞬間、ぎぃいいいと棺が開いた。

 

「よぅ~~~こそ。伯爵……」

「きゃああああ!」

 

距離的に棺に近かったセリアが盛大に叫び声をあげて腰を抜かしてしまった。

アンジェリーナと劉も、棺に潜んでいた怪しい男に言葉を失ってしまう程、

顔を青ざめて震えている。

 

「やっと小生特製の棺に入ってくれる気になったのかい…!」

「そんなワケあるか、今日は…」

 

シエルが言葉の続きを紡ごうとしたら、葬儀屋は彼の唇にピトッと人差し指を

つけてそれを遮った。

 

「言わなくていい。

伯爵が何を言いたいのか、小生にはちゃ~~~んとわかってるよ。

ああいうのは『表の人間』向きの『お客』じゃない。

小生がね、キレイにしてあげたのさ」

 

「……その話を聞きたい」

 

シエルが真面目な顔で用件を言った。

 

「じゃあ話をしよう。お茶でも出すよ…そのへんに座っててもらえるかい?」

 

そこらにあるのはソファーや椅子ではなく…床に置いてある棺。

 

(椅子=棺ってこと…!?)

 

なんて罰当たりな事させるんだ、此処の店の主人は…。

アンジェリーナは血の気の引いた顔で、内心ツッコみながらも、仕方なく棺に腰を下ろした。

シエル、劉、セリアも同様に座り、セバスチャンはシエルの後ろで立つ事にしたようだ。

 

「はい、どうぞ」

 

葬儀屋が温かいお茶を一人ずつに配っていく。

香り立つそのお茶は、おそらくダージリンだと思われる。

問題は、その紅茶をなんで普通のティーカップではなくビーカーに入れているのかだ。

 

「…此処って実験室も兼任してるのかしら」

「…あ、味は美味しいです」

 

セリアが恐る恐る口をつけて毒見をしてくれた。

どうやら、味は保証できるもののようだ。

 

 

「―――さて、聞きたいのは切り裂きジャックのことだろう?」

 

 

葬儀屋は、骨壺の蓋を開けながら話を再開した。

 

「今頃になってヤードは騒いでいるけれど…

小生がああいうお客を相手にしたのは今回が初めてじゃないよ」

 

「初めてじゃない? どういうこと?」

 

「昔から何件かあったんだよ。

娼婦殺しが…ただ、どんどん手口がハデで残酷になっている」

 

そう言いながら、葬儀屋は骨壺に入った骨型クッキーをシエルに差し出すが、

シエルは嫌そうな顔で「いらん」と断る。

 

「最初はそんなにスプラッタじゃなかったから警察も気づいてなかったけど、

ホワイトチャペルで殺された娼婦には皆共通点がある」

 

「共通点?」

「…ですか?」

 

シエルとセバスチャンが聞き返すと、葬儀屋は骨型クッキーを一枚食べ終え、

開けた骨壺の蓋を閉めながらニヤニヤと笑う。

 

「さてねぇ、なんだろう、なんだろうなぁ。気になるねぇ…」

 

(ふーん…なるほど)

「あの…アン様。葬儀屋さんはなんで話を途中ではぐらしているんでしょうか…?」

 

葬儀屋の態度の意味が分からず、セリアがこそっと小声で質問してきた。

 

「この先の話は有料って事。

情報屋って言うのは、重要なネタになるとそれ相応の金銭を要求してくるのよ」

 

アンジェリーナが小声で教えると、セリアは「へぇー」と理解したように小さく頷く。

それにしても…葬儀屋はどれほどの金額を請求してくるのだろうか?

 

「成程ね。そういう仕事か。葬儀屋は『表の仕事』という訳ね…

いくらだい? その情報は」

 

劉が口にした言葉に、葬儀屋はピクッと反応して、素早くずずずいっと詰め寄った。

 

「小生は女王のコインなんかこれっぽっちも欲しくないのさ」

 

急接近してきて、自らの対価はお金でない事を主張する葬儀屋に、

劉はビクッと震える。

それを見ていたアンジェリーナとセリアもまた、彼の行動を見ながら

「うわっ…」と顔色を青ざめて引いてしまう。

 

葬儀屋はぐりんと首を動かし、視線をシエルへ狙い定めると、

今度はシエルへ近づいていく。

 

 

「さあ、伯爵…小生に‟あれ”をおくれ…極上の《笑い》を小生におくれ…!!

そうしたらどんなことでも教えてあげるよ…!!」

 

 

ハァハァ…と頬を紅潮させながら愉悦をはらんだ笑みを浮かべて言う葬儀屋。

意外な対価に、アンジェリーナ達は呆然となった。

「変態め」とドン引きした顔でそう言い放つシエルに対し、

葬儀屋は自分の世界に浸ってるようで全然応えていない。

 

  



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執事の神業(2)

(1)の続き。
  


「伯爵、そういうことなら我にまかせなさい」

 

すると、劉が自信ありげに前へ出てきた。

 

「上海では“新年会の眠れる虎”と呼ばれた我の神髄…とくとごらんあれ!!」

 

率先して、葬儀屋を笑わそうと意気込んでいる劉。

果たして、どんな方法で笑わせるつもりだろうか…?

 

 

「ふとんがふっとんだ」

「……」「……」

「……」

「??? えっと…どういう意味ですか?」

「……(劉、あんたねぇ…)」

 

「…あれ?」

 

 

寒いギャグをかました結果、見事に周囲の空気を凍らせた。

 

「だらしないわね、劉…仕方ない」

 

この微妙になってしまった空気を変えるのは自分しかいない!

 

「社交界の花形、このマダム・レッドがとっておきの話を聞かせてあげるわ!」

 

アンジェリーナはふふふっ…と得意げに笑みを浮かべて立ち上がった。

セリアはおおっ…と、雇い主がどんな話を語るのか、とドキドキしながら見守る。

シエルとセバスチャンも注目する中、アンジェリーナは口を開いた。

 

 

「―――でね、そいつったら(ピーッ)が(ピーッ)だったの!!

さらに(プー)が(バキューン★)だったワケ!」

 

「あ、アン様ぁああああ―――…!」

 

 

アンジェリーナが語りだしたのは、お子様には到底きかせられない

R指定な内容(下ネタ)だった。

突如、雇い主の赤裸々な体験談を聞かされて、セリアは顔をゆでだこのように

真っ赤にしながら大混乱に陥っている。

これは坊ちゃんの耳に入るには刺激が強すぎる…と判断したのか、

セバスチャンはシエルの両耳を塞いだ。

 

話を一時間続けたものの…葬儀屋は全く無反応。

 

「さて残すは伯爵のみだよ」

 

ひひっと愉快そうに笑いながら告げる葬儀屋。

彼を笑わせる事ができなかったアンジェリーナと劉は、口にバツ印のマスクを

被せられてしまった。当人たちはブーブーと文句を言いたそうだ。

 

「前回はチョットおまけしてあげたけど…今回はサービスしないよ」

 

シエルはうっ…と冷や汗を流しながらたじろく。

彼が前回どうやって、葬儀屋を笑わせたのかは不明だが、今回は笑いのレベルが

それ相応に高くなければ、葬儀屋は認めないようだ。

 

「仕方ありませんね」

 

「くそ…」と悪態をつくシエルに助け舟を出したのは、セバスチャンだった。

 

「へぇ…今回は執事君が何かしてくれるのかい?」

「セ…セバスチャン」

 

おい、大丈夫なのか…と不安そうに目線で訴えるシエルに、

セバスチャンは「ご安心を」といつも通りに答える。

 

「みなさん、どうぞ外へ…絶対に覗いてはなりませんよ…」

 

ギラリと目を光らせ、警告をすると葬儀屋を除いた全員を一旦、外へ出させた。

ぱたむ、と扉を閉めてし…んと静寂が漂う。

…次の瞬間だった。

 

 

《ギャハハハ! ブフォッ、ア”ハハハ!! ヒィ…もう…やめ…》

 

 

葬儀屋の盛大な笑い声が響き渡った。

その凄さは、店の看板さえも傾かせる程に…。

「中はどうなってるの!?」とアンジェリーナとセリアがドキマギしていると

…ガチャッと扉が再び開いた。

 

「どうぞお入り下さい。話して頂けるようです」

 

セバスチャンが爽やかな笑みで入室を促した。

葬儀屋はというと…

 

「さて…話の続きだね。ぐふっ…なんでも教えてあげるよ…」

 

小生は理想郷を見たよ…と涎まで垂らして至福の気分を味わっていた。

 

「何したんだ…」

 

葬儀屋があまりにもヘヴン状態に陥っている事に、シエルはドン引きしながら

セバスチャンに尋ねるが、彼は「いえ、大した事は」と真顔で返した。

 

…兎にも角にも、これで重要なネタを聞く事が出来る。

 

時間をおいて、落ち着きを取り戻した葬儀屋がその事を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

「昔からねぇ、ちょくちょくいるんだよ…〝足りない”お客様が」

「…足りない?」

「そう、足りないのさ…『臓器』がね」

 

人体模型の頭を持って見せる葬儀屋の言葉に、その場にいる全員は息を飲み込んだ。

 

「お客様には棺で眠る前にキレイになってもらわないとだろ?

はみ出したものをしまったりさ…その時にちょっとだけ検死させてもらうのが

小生の趣味でね」

 

アンジェリーナとセリアは紅茶の入ったビーカーにハッと目を向けた。

まさか、その趣味の時に使用しているものでは…と嫌な想像が頭をよぎり、

ぞぉーと背筋に悪寒が走る。

 

「皆、臓器が片方ないとかそういうことかい? だとすると金融業とか?」

「窟(あなぐら)に住む中国人は考えが物騒だねぇ」

「ムッ、失礼な」

 

おおコワいコワいと人体模型を抱きしめて頭を擦る葬儀屋に、劉は青筋を立てる。

 

「そういうことじゃない。そうだ…そこにいるお嬢さん」

「わ、私ですか…?」

 

「ココでクイズを出そう。

女性にしかできない一生涯にくるイベントってなーんだ?

答えてもらえるかい?」

 

葬儀屋は突然、セリアにクイズを出題した。

セリアは戸惑いを露わにしながらも、うーん…と両目を閉じて一生懸命考える。

すると、ピーンときたのか瞼を開けてこう答えを口にした。

 

「もしかして出産…?」

 

女性が人生に一回、遭遇するかもしれないイベント…それは男性にはできない事。

その二つのヒントをもとに考えられるもの…それは、すなわちお腹に生命を宿し、

この世に生み出す行為―――【出産】だ。

 

「ヒヒッ、正解。つまり、殺された娼婦達には、その出産のためには

絶対不可欠な臓器がなかったのさ。―――『子宮』がね

 

告げられた事に、セリアは顔面蒼白になり、ひっ…と口を両手で塞ぐ。

犯人のあまりにも酷い行為に、シエルとアンジェリーナも顔を歪める。

 

「最近、急にそういう『お客』さんが増えてねぇ。

しかもどんどん血化粧(メイク)は派手になる。小生も大忙しってワケ」

 

「しかし、いくら人通りが少ない路上で…しかも真夜中となると、

的確にその部位を切除するのは素人には難しいのでは?」

 

セバスチャンの言う通りだ。

夜の時間帯、街頭の灯りがない場所は視界に慣れるまでにかなりの時間を要する。

さらに、そんな視界の悪い中で子宮だけを切り取るのは難しい。

 

「鋭いね、執事君。小生もそう考えているんだ」

 

葬儀屋も同じ意見のようだ。

 

「『手際の良さ』…それから『ためらいのなさ』から考えて

まず表の人間ではないね。多分『裏の人間』だ」

 

葬儀屋は腰を上げて後ろからシエルに近づき、耳元で囁く様に話しかける。

 

 

「伯爵がくるって分かったのはそういうことさ。

犯人が『裏の人間』の可能性があるなら、必ず君が此処へ召喚されると思った。

きっとまた殺されるよ。ああいうのはね、誰かが止めるまで止まらないのさ。

止められるのかい? 『悪の貴族』 ファントムハイヴ伯爵」

 

 

葬儀屋は試すような口調で、シエルを挑発する。

 

「裏社会には裏社会のルールがある。

理由なく表の人間を殺めず、裏の力を似て侵略しない」

 

シエルは、ガタッと棺から立ち上がるとセバスチャンにコートを着せて

もらいながら言った。

 

「女王の庭を穢す者は、我が紋にかけて例外なく排除する。

どんな手段を使ってもだ」

 

シエルは迷いのない冷徹な顔でそう言い切ると、「邪魔したな、葬儀屋」と告げて

店から出ていく。

 

「私達も行きましょうか」

「そうだねー」「は、はい!」

 

犯人の手掛かりも掴んだ…後は情報を頼りに犯人を割り出すのみ。

 

「チョットいいかな? マダム」

 

シエルの後を追おうと席を立とうとした時、葬儀屋に呼び止められた。

 

「えっ、私?」

 

「そうそう、マダム・レッド…だったね。

つかぬことを伺うけど、昔…事故とかに遭遇したことあるかい?」

 

「…数年前に馬車の事故にあったわ。それが何か?」

 

おかしな事を訊いてくる葬儀屋に、アンジェリーナは眉を潜めて返すと…

 

「いやいや…単に気になっただけだよ。

そう、君から〝あの匂い”が漂っていたから」

 

「…!」

「アン様…?」

 

葬儀屋から遠回しにある事を指摘された事に、アンジェリーナは目を見張る。

その様子が妙だと思い、セリアが声をかけると…

 

「ふふふ、なんでもないわ…急ぎましょう」

 

アンジェリーナは笑って誤魔化すと、「えっえっ…」と戸惑うセリアの背中を

押して、そそくさと店を後にした。

パタンと扉が閉まり、客人がいなくなった店内で、葬儀屋はニンマリと口端を

吊り上げる。

 

 

「久しぶりだよ…あの系統の種族と契約を交わした人間を見るのは」

 

  



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執事の神業(3)

(2)の続き。
最後の方でオリキャラが登場しています。
  



「さっきの話で大分絞れるな」

 

帰りの馬車の中で、シエル達は葬儀屋から手に入れた情報をもとに

犯人像を推定していた。

 

「そうですね…まず『医学・解剖学に精通する者』。

その中で『事件発覚前夜にアリバイのない者』。

そして臓器などを持ち去っていることから儀式性…

『秘密結社や黒魔術に関わる者』も挙げられます」

 

セバスチャンが口にした犯人の特徴。

 

「ちょっとどこが絞れてるのよ。

この社交期に一体どれだけの人が首都に集まってると思うの!?」

 

だが、あくまで大まかな目安が判明しただけであり、明確な犯人への手掛かりに

繋がってはいない。また、アンジェリーナが指摘したように、今は大勢の貴族や

富裕層が集う時期だ。

 

ロンドン市内で働く医者だけでなく、貴族が地方から連れてきた医者、

医者になっていない医大卒大生、人体に詳しい渡来人…

あまりにも容疑者の数が多すぎる。

 

「あと一週間もしない内に社交期が終わって、主治医は地方に戻ってしまうわよ、

どうやって…」

 

「では、それまでに調べれば良いのです」

 

アンジェリーナの言葉に重ねる様に、セバスチャンがそう言い切った。

 

「なんだって…?」

「社交期が終わる前に全ての人物を尋ね、アリバイを確認すればいいのです」

「いやいや…いくらなんでもそれは難しいんじゃない?」

「そうよ、まだ正確な数も分かってないのに、どう確認するのよ!?」

 

1週間以内に、容疑者を割り出すなんて不可能だ。

劉とアンジェリーナが否定的な見解の中、セバスチャンはにこっと笑う。

 

「お任せ下さい。ファントムハイヴ家の執事たる者、それくらい出来なくて

どうします?」

 

セバスチャンのあまりにも余裕な態度とその発言に、アンジェリーナ達はぽかーんとしてしまう。

周囲が呆然とする一方、シエルだけはふっ…と微笑んでいる。

 

「では、早速容疑者名簿を作り、全ての人物をあたってみようと思います」

「ん、任せる」

「えっちょっ…早速って今、馬車走ってるのよ!」

 

ツッコむアンジェリーナをよそに、セバスチャンは馬車の扉を開ける。

 

「では失礼します」

 

礼儀正しく挨拶をすると、馬車の扉をパタンと閉めた。

 

「って、大丈夫なの…!?」

「かなりのスピードで走ってますけど…!?」

 

慌てるアンジェリーナとセリアに、シエルは「問題ない」と即座に返答する。

実際、後ろの窓から確認すると、セバスチャンらしき男性の姿はなく、

忽然と姿を消していた。

 

「セバスチャンはああ言ったけど…いくら優秀な執事でも、時間がかかるでしょうに」

 

「あいつがやると言ったんだ。必ず何か掴んで帰って来るだろう。

僕らは紅茶でも飲みながら待っていればいい」

 

シエルは動じる事無く、頬杖をついて窓を眺めながら言った。

 

「えらい信頼してるのねぇ…」

「……別にそう言う訳じゃない。ただ『あいつ』は嘘だけはつかない。絶対に」

 

〝嘘だけはつかない”

 

彼の発したその言葉が…アンジェリーナの脳裏にある記憶を蘇らせる。

 

 

『アンさん、―――…以上…―――…これだけは守ってください。

どうか、自分自身に嘘は付かないで。素直になってくださいね』

 

 

あの時、彼女とあの誓約を交わした。

自分の心に嘘をつかないように…と。

今の私は…あの誓約を守れているのだろうか…?

 

「…様、アン様」

「えっ…ああごめん。なに?」

「もう町屋敷に着きましたよ」

 

セリアに言われて、初めて気づいた。

馬車は屋敷前にとっくに留まっており、自らが随分と長く考え事をしていたのだ…と。

 

「マダム、どうしたんだい? ずーと上の空だったけど…?」

「あ…うん。ちょっと仕事のことを思い出してたの」

 

心配する劉に、アンジェリーナは曖昧に笑って適当に思いついた理由を

言って誤魔化した。些細だが、違和感のある態度…この時、彼女は甥が静かに

観察していた事に気付かなかった。

 

「セバスチャンも時間かかるだろうし…セリア、紅茶淹れてくれる?」

「かしこまりました」

 

「じゃあ、お菓子は我が持ってきた中国の手土産でもあけようか?

美味しいって評判なん…だ…」

 

午後の紅茶(アフターヌーンティ)の話題を喋りながら、馬車を降りて劉が

町屋敷の扉を開けると…

 

 

「お帰りなさいませ、お待ちしていました」

「「「―――ッ!?」」」

 

 

なんと…つい先程、情報収集にいったはずのセバスチャンが出迎えてくれたのだ。

 

「今日のおやつは?」

 

シエルは何時の間にか帰宅していた執事に対し、ごく普通に「午後の紅茶の準備ができたのか」と聞く。

 

「はい、洋梨とブラックベリーのコーンミールケーキです」

「ちょっ…あんた何でココに!?」

 

容疑者のリストを作るために情報収集しに行ったんじゃないのか、と驚く

アンジェリーナに対し、セバスチャンはにこやかに笑う。

 

 

「用事が済みましたので先に戻らせて頂いておりました」

「用事って、もう名簿が作れたの!?」

 

「いえ? 先程の条件に基づいた全ての方の名簿を作り、

全ての方に直接お話を伺ってきただけですよ」

 

貴族の主治医まで調べていたので少々時間がかかりましたが…と語るセバスチャンに、

全員はぽかんと開いた口が塞がらない。

 

「ちょっとセバスチャン…そりゃあんた、いくらなんでも無理があるんじゃない?」

 

馬車で屋敷まで着く間…途中下車したとはいえ、そんな短時間で調べてあげるなんて、

人間には到底不可能だ。

しかし、セバスチャンはフッと口角を上げると所持していた数本の長い巻物を

一本ずつ広げながら喋り出した。

 

 

「チェインバーズ伯爵家主治医 ウィリアム・サマセット メアリ・アン・ニコルズ殺害時ハーウッド伯爵主催パーティーに出席にてアリバイあり 秘密結社等の関与なし…~~etc」

 

 

スラスラと巻物に書かれている容疑者の名前、事件前後の足取り、アリバイを一名ずつ早口であげていくセバスチャン。

シエルは執事のその仕事ぶりに満足げに笑い、劉は感心し、セリアはうそ…と目をパチクリさせて感嘆する。

アンジェリーナは被っていた帽子がズルッと落ちそうになる位に、絶句してしまう。

 

「…以上の調査結果より―――条件を満たす人間はただ一人にまで絞り込めました。

詳しいお話はお茶にしてからにしましょう」

 

「…ははっ、一体どんな手を使ったのよ、セバスチャン?

あんた…本当にただの執事?

O.H.M.S.S.(女王陛下秘密情報部)とかなんじゃないの?」

 

アンジェリーナは半信半疑な感じで尋ねるにはいられない。

セバスチャンは爽やかに微笑みながらこう返した。

 

 

「…いいえ 私は―――あくまで 執事ですから」

 

 

 

【執事の神業】

 

 

 

その頃、リエはロンドン郊外にある広大な屋敷に招かれていた。

 

「初めまして。私立探偵、リエ・クローチェと申します」

「お、お初にお目にかかります」

 

上等そうな椅子に腰を掛けている依頼主。

ウェーブがかった長い金色の髪、ブラウン色の瞳、眼鏡をかけており、

派手でもなく地味でもない華美な普段着のドレスに身を包んでいる。

とても謙虚で大人しく…可愛らしい庇護欲を駆られそうな容姿の美少女だ。

 

「あ、あの…その…依頼…内容はですね…」

「慌てないでください。落ち着いてお話ししてください」

 

リエがふわりと微笑みながら、依頼主の少女にアドバイスする。

少女は「は、はい」と少し落ち着いた感じで返事をすると…すぐに本題を話し出した。

 

「実は…探偵さんにお願いがあります。非常に…言いにくい事なのですが…」

 

少女が沈んだ表情で語りだした依頼内容

―――リエは耳を傾けながら微かに眉を寄せた。

 

 

(これは……とても“深刻な依頼”だわ)

 

 

 

【つづく】

  



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潜入! 子爵邸パーティー(1)


こ爵邸のパーティー編、スタートです。

  


 

「それで…その容疑者は誰だったの?」

 

セバスチャンの用意した午後の紅茶と菓子を味わいながら、アンジェリーナ達はセバスチャンの報告を聞いていた。

 

『医学・解剖学に精通する者』『事件発覚前夜にアリバイのない者』、そして『秘密結社や黒魔術に関わりがある者』

この条件を満たしている者はただ一人…ドルイット子爵 アレイスト・チェンバー様だけです」

 

…『ドルイット子爵』

 

アンジェリーナもその名は知っている。

自らと同じく医大を卒業しているが、病院への勤務や開業はしていない若い青年だ。

社交界でも名は広く知られており、年頃の若い女性人やマダムからも人気が高い貴族である。

 

「社交期には何度か自宅でパーティーを催しております…が、どうやら裏では彼と親しい者だけが参加できる秘密パーティーが催されているという話です」

「そういえば、黒魔術みたいなのにハマってるって噂は聞いたことあるわね」

「つまり、その『裏パーティー』で儀式的なことが行われていて…娼婦達が供物にされてるっていう疑いがあるってことか」

 

アンジェリーナと劉の言葉に対して、「ええ」とセバスチャンは肯定しつつ、言葉を続ける。

 

「本日の19時よりドルイット子爵邸でパーティが行われます。

もうすぐ社交期も終わりますし、潜り込めるチャンスは今夜が最後だと思っていいでしょう」

 

シエルはカチャッとフォークを皿へ置くと、アンジェリーナへ目を向ける。

 

「マダム・レッド、“そういう”わけだ…なんとかなるか?」

「舐めないでくれるかしら? 私、結構モテるのよ。招待の一つや二つどうにでもしてあげるわ」

 

得意げに笑みを浮かべ、髪をかき上げるアンジェリーナ。

 

「決定だな。なんとしてもその【裏パーティー】に潜り込むんだ。

ファントムハイブの名を一切出さないこと。取り逃がすことになりかねん」

 

―――『チャンスは一度きり』

 

かくして、シエル達は裏パーティーへ潜り込むための準備に取り掛かった。

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

「招待状は入手できたし…他にやる事はないわね~」

 

パーティーに行くためのドレスも用意したし、シエルやセリアの潜入のための準備も行った。

後は、時間がくるまで待つのみだ。

 

「退屈ね~…」

 

屋敷の二階にある部屋で、アンジェリーナは背伸びをする。

シエルとセリアは、セバスチャンの指導を受けている最中であり、劉は仕事関係で一旦屋敷を離れている。

時間を潰すにしても、話し相手がいないとつまらない。

 

「あーあー…なんか面白い本でもないかしら」

 

本棚を見ながら、指先で書籍のタイトルをなぞってみるが、読んだ事があったり、興味のないモノばかり。

 

「もうちょっと、レディが楽しめる作品位購入しておきなさいよ~…」

 

ぶーと口を尖らせて文句を言っていると、携帯の音が鳴り響いている事に気付いた。

画面に「リエ・クローチェ」の名前が表示されてる。

 

「もしもし…リエ?」

『こんにちは、アンさん。お変わりないようで何よりです』

「そういう貴女も元気そうね…で、電話をかけてきた理由はなーに?」

『そちらの方は調査は進んでいますか? 気になってしまいまして…』

「ぼちぼちよ~…そっちの方はどう?」

 

丁度、暇を持て余していた所だ。

さりげなく、依頼の方がどうなったのか探りを入れてみた。

 

『…そうですね。思ってた以上に複雑な内容で、暫くはこの案件に集中する事になりました』

「へぇ…それで、私の推理は当たってた?」

『ふふっ…さてどうでしょう』

 

「ちょっと~、教えなさいよー」

『個人情報に関わるためコメントは控えますね』

「もぉー、ケチ~」

 

こちらが事件に関わっていない時、リエの口は堅い。

依頼主の個人情報は部外者には口外しない。

…いわば、基本中の基本を忠実に守るタイプだ(但し、アンジェリーナも助手の立場で協力する場合は教えてくれる)。

 

「こっちの事件が片付いたら助手として手伝うから…教えてくれない?

一つだけでも…」

 

『…個人情報はダメですが、一つだけならいいですよ』

「ほんと!」

 

これは聞き漏らすまい、とアンジェリーナはきらりと目を光らせて耳を傾ける。

 

『依頼主の要望で今日、とある貴族のパーティーに出席する事になりました』

「あら、奇遇ね。私の方もよ」

『その依頼主の人と同席する事になりまして…ちょっと準備に時間がかかってしまいました』

「ドレスとか?」

『ええ…でもようやく整いました』

 

携帯越しにふぅーと息を漏らすリエ。

パーティーへの準備を行いながら、電話をかけていたのか…器用な事をする。

すると、別の第三者…声音から中年の女性…が彼女を呼ぶ声がした。

 

『時間のようです。アンさん、幸運を祈ります』

「貴女もね。上手くいけば、数日後に合流できそうだし、その時に近況報告しましょう」

 

通話を終えると、携帯をバッグへしまう。

時計の時刻を確認すると、出発まであと一時間となっていた。

 

「…シエル達の様子、見に行こうっと」

 

 

 

 

 

 

「割と盛大ねぇ…やっぱり今夜が今年の社交期、最後なのかしら」

 

19時…一行はドルイット子爵邸へと足を踏み入れた。

ザワザワと賑わう招待客を見ながら、真紅のドレスに身を包んだアンジェリーナは感想を口にした。

 

「楽しい夜になりそうじゃないか」

 

タキシードを身に着けた劉は、腕を組んで愉快そうに言う。

そんな二人に対し、シエルが厳しい口調で忠告する。

 

「一度警戒されれば終わりだ。いいか…遊びに来ている訳じゃない…気を抜くな」

 

…その姿は、淑女が纏う上質の厚手の絹のドレス。

ツインテールのウィッグを付け、いつも眼帯をつけている個所は花弁をあしらったミニの帽子のヘッドドレスで隠している。

 

「わかってるわよーう! んも~っ、かわいいわねっ♪」

 

あまりにも愛らしい甥の女装姿に、アンジェリーナはたまらなくなってギュッと抱擁してしまう。

 

「離せッ!! なんで僕がこんな恰好を…」

「なによ、気に入らなかったの? モスリンたっぷりフランス製ドレス」

 

流行のドレスなのに~、何が不満なのと不服そうに尋ねるアンジェリーナ。

 

「気に入るかッ!!」

 

シエルは顔を真っ赤にして「NO!」と言葉を返す。

 

「おやおや、レディがそんな大声を出すものではありませんよ」

 

騒ぐシエルを、変装をしたセバスチャンが窘める。

 

「セバスチャン…貴様」

「そーよー、設定どおりにちゃんとやってくれなきゃ…」

 

セバスチャンに続ける形で、アンジェリーナがその設定を語る。

 

「劉は私の若い燕役」

「アイジンでーす」

 

「シエルは田舎からでてきた私の姪っ子役」

「ムスッ…」

 

「セバスチャンはその姪っ子の若い家庭教師(チューター)役」

「僭越ながら、その大役拝命させていただきます」

 

「セリアは、社交界にデビューしたばかりの私の友達の娘役よぉ、なかなか素敵じゃないvv」

「そ、そんな勿体ないお言葉です…!」

 

セリアもいつものガヴァネスの服装ではなく、ベージュ色を基調としたドレスに身を包んでいる。

傍から見れば、上流階級のレディのように見える。

 

「だからっ…なんで僕が姪っ子役なんだ!」

「私、女の子が欲しかったのよねぇ。フワッフワなドレスの似合う可愛い子!」

 

きゃはっとにこやかに笑うアンジェリーナに、シエルはそんな理由で…とワナワナと青筋を立てる。

 

「ってのはまあ、冗談として…ファントムハイヴってバレたらまずいでしょう?」

「うっ…」

 

尤もな意見を耳打ちされ、シエルは反論できない。

 

「第一、身なりのいい執事を連れた隻眼の少年だなんて、見る人が見りゃすぐアンタだってバレるわよ!

それが一番いい変装じゃない」

 

「うぅ…そ、それは…」

 

アンジェリーナの意見に、シエルは押され気味だ。

 

「…おっと、此処だと訪れた他のお客様の邪魔になりますよ。

“お嬢様”、皆様…中へ進みましょう」

 

「おいっ…セバスチャン…!」

 

セバスチャンが口にした呼称に、シエルは文句を言いかけるが、場の空気を読んで歯ぎしりしつつ奥へ歩いていく。

 

「あの、アン様……この配役で大丈夫なんでしょうか?」

「なんとかなるでしょう、きっと♪」

 

前方の二人の様子を心配そうに見ながら尋ねるセリアに、アンジェリーナは気にしないで、いつもあんな感じだからと笑って言った。

 

「さて…まずはドルイット子爵を見つけなくてはいけませんね」

 

セバスチャンの言う通り、大勢の紳士・淑女がいる中で、このパーティーの主催者…ドルイットを探さなくてはならない。

子爵はどこにいるのだろうか…?

  



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潜入! 子爵邸パーティー(2)


(1)の続き。

  


 

「ドルイット子爵ってのはイイ男なのかしら? それによってはヤル気に差がでるわぁ~!」

「輝いているね、マダム!」

 

ギラギラと瞳を光らせるアンジェリーナに、劉はハハハと笑う。

 

「苦しい…重い(服が)…痛い(足が)…帰りたい」

 

対照的に、シエルはずーんと沈んだ面持ち。

女装する羽目になった事に加え、慣れないコルセットとヒールが辛くてげんなりしている。

 

「ふわぁ…」

 

セリアは、初めて見る舞踏会に感嘆の息を漏らす。

まさか、自らが変装とはいえ、上流階級の社交の場に赴けるなんて思いもしなかったからだ。

 

「セリア」

「は、はい…アン様」

 

アンジェリーナに呼ばれて、緩んでいた気を引き締める。

すると、アンジェリーナは所持していた扇で口元を隠しつつこう囁いた。

 

「これは任務だけど…そう硬くならなくていいの。思いっきり楽しんじゃいなさい」

 

主人の思いがけない言葉に、セリアはきょとんとするが、すぐにその意味を理解し、蕾が開いたような笑みを浮かべる。

 

「アン様…ありがとうございます!」

「ふふっ、シエルには内緒よ☆」

 

ぱちりとウインクするアンジェリーナ。

 

「マダムって、意外とお茶目さんだね」

 

「あの子には、秘書として様々な経験をさせてあげたいのよ。

それに…女の子は一度はこういう舞台に憧れるものでしょ」

 

アンジェリーナがクスッと笑って理由を語ると、劉は「なるほどー」と納得したように頷く。

 

「さーて、私もパーティーを満喫しようっと」

「マダムも結局それなんだー」

 

協力するとは言っても、実際に子爵の犯行を裏付ける捜査をするのはシエルとセバスチャンだ。

彼等の特別な指示がない限り、こちらも好きにして構わない…とアンジェリーナは柔軟な思考でそう判断した。

劉もその意見に賛成のようで、ワインとってくるねーとその場を離れていった。

 

そういえば、シエルとセバスチャンの姿が見えない。

どこにいったのやら…とアンジェリーナは頭に疑問符を出して扇子を仰ぐ。

その当人達が、正体がバレるか否かの瀬戸際に置かれている状況なのが後ほど判明するのだが、この時点で彼女は全く想像もしていない。

 

 

 

「アンジェリーナじゃないか!」

 

名前を呼ばれ、反射的にその人物の方へ振り向いた。

 

「あっ…ジェームズ」

「君もドルイット子爵のパーティーに招かれていたのか」

 

ついこの間再会したばかりの級友のジェームズだった。

 

「あらあら、奇遇ねー」

「ああ、そうだね。僕も君に会えてうれしいよ」

「お上手ね~…ところで、ドルイット子爵とは知り合いなの?」

「医学校の後輩さ。…どちらかといえば弟の方と付き合いがあるんだけど」

 

そう言って苦笑いするジェームズ。

彼のその発言から、アンジェリーナは「ああ…兄弟他にもいたんだっけ」と思い出した。

ジェームズは、亡くなった兄と末の妹、それから二歳違いの弟がいる。

尤も、アンジェリーナが知ってるのは故人の兄だけで、下の弟妹とは面識はない。

 

「今日は妹と一緒なんだ。ほら、あそこにいる…」

 

ジェームズが示した先にいる少女。

ウェーブがかった長い金色の髪、ジェームズと同じブラウン色の瞳、薄緑色の絹のドレスを纏っている。

目が悪いのか、やや厚めの眼鏡をかけている事と自信なさげな雰囲気がマイナスポイントだが、それらを除くと紳士の胸をときめかせる素質を秘めている。

 

「エレオノーラ、こっちにおいで」

 

兄の呼びかけに、妹…エレオノーラはビクッと肩を震わせ、オロオロと困った様子で立ち止まっている。

付き添っている執事のグレルが「お嬢様…は、早く行った方がよろしいかと…」と小声で助言すると、緊張した足取りでこちらへやってきた。

 

「お、お初にお目にかかります。マダム・レッド。エレオノーラ・スピアリンクと申します」

「ええ、お会いできて光栄だわ」

 

アンジェリーナが笑って話しかけると、エレオノーラは気恥ずかしそうに俯いて「は、はい…」と返事するのみ。

 

「すまないね。妹は社交の場に慣れていなくて…エレオノーラ、もういいよ」

「……! し、失礼…しました」

 

ジェームズがもう下がっていいよと許可を降ろすや、エレオノーラはドレスの裾を上げて会釈するや、その場からそそくさと立ち去って行った。

その際の足の素早さに「はやっ…!」とアンジェリーナは内心思った。

 

「…ちょっと変わった子ね」

「ハハハ…昔から引っ込み思案なところがあってね…でも優しい子なんだ」

 

ジェームズは穏やかな表情で話を続ける。

 

「父と兄が亡くなってから忙しくなって…心に余裕がなくなる事も多かった。

そんな時に、エレオノーラともう一人の弟がよく励ましてくれたんだ。

…本当にあの二人がいなかったら、僕は完全に壊れていたかもしれない」

 

意味深げな発言をするや、ジェームズの顔に陰りが生じる。

その時、彼の目の色が…赤く光った気がした。

 

「えっ…?」

 

なんだろう…今の現象は?

目を指先で擦って再度見直すと…ブラウン色だった。

 

「なんだい?」

「ううん、なんでもないわ」

 

気の所為か…単なる見間違いだろう。

 

「おっと…もうこんな時間だ」

 

ジェームズが、懐から懐中時計だして時刻を確認するやそう言った。

 

「実は…今日、客人に会う約束をしててね。僕だけパーティーの途中で帰宅しないといけないんだ」

「あら、そうなの…」

「それじゃあ…僕はこの辺で」

 

また会おうと小さく手を振ると、踵を返して他の招待客に会釈しながら去って行った。

 

「大変ね、ジェームズも…」

 

語ってくれた話から、ジェームズが苦労している事が如実に伝わってきた。

また機会があれば、相談に乗ってあげた方がいいかも…と考えていると…

 

 

「あー! アン叔母さまぁ♪」

 

 

うん? この呼び方と声は…

その方向へ視線を変えると、一人の少女がパタパタと早足でやってきた。

 

「あらまぁ…リジー」

「ご無沙汰しています。アン叔母様」

 

うふふと無邪気な笑顔でドレスの裾をあげるこの少女は…エリゼべス・ミッドフォード。

シエルの1歳年上の従姉で婚約者であり、英国騎士団長のミッドフォード伯爵の娘だ。

アンジェリーナは、彼女が幼い頃から時間があれば世話を焼いていた事もあり、仲がいい。

 

「リジー、貴女も招待されてたのね」

「はい! かわいくて素敵なドレスの人達がいっぱいで私嬉しいvv」

 

エリザベスは可愛いモノに目がない。

それゆえに、シエルの屋敷に時折、突撃訪問しては、使用人達の服や屋敷の内装を自分好みにしてしまう困った所もある。

彼女の性格に、シエルも頭を悩ませる事もしばしば…。

 

「そういえば、さっきとってもかわいいドレスを着たツインテールの女の子がいました」

「へぇ~…(リジー…その子多分、貴女の可愛いフィアンセよ)。その子どこにいたの?」

「二階へ上がる階段のところで、ドルイット子爵とお喋りしてました。でも、途中でどこかに消えちゃって…」

 

どうやら、シエルはドルイット子爵と接触できたようだ。

セバスチャンの姿も見えないし、犯行の証拠を探っている最中か…。

 

(途中でヤバくなったら…さすがに逃げられるわよね…)

 

そうは思えど、やはり甥が無茶をしていないか気になってしまう。

まさか、ドルイット子爵に変な事をされていないだろうか?

噂では、彼は女性の守備範囲がバリ広との事だ。

 

(…洒落にならない事態になっていませんように…)

「叔母様、どうしたの?」

 

口元を扇で隠して、悶々と思考に入っているアンジェリーナの様子を不思議がるエリザベス。

 

 

 ♪♪♪~ ♪♪♪~

 

 

シエルの安否を気にかけていたその時…広間に美しい歌声が響き渡った。

 

 

 

【潜入! 子爵邸パーティー】

 

 

 

「この歌は…」

「うわぁ~…綺麗な歌vv」

 

エントランスホールにいる招待客がその歌声に耳を傾け、聞き惚れている。

 

“何の曲名かしら?”

”心が癒されるわ ”

“ドルイット子爵はオペラ歌手にも依頼していたのか…”

 

深夜に囀る鳥のように、紳士淑女の囁きが波となって伝わってくる。

 

「警察だ! この広場にいる方々は決して外へ出ない様に!」

 

その歌声を遮る形で、出入り口の扉がバーンと派手な音を立てて開いた。

ぞろぞろと入室してきたのは、ランドル卿をはじめとする市警(ヤード)の警官達。

突如現れた彼等に、招待客達は驚きと困惑が入り混じったようにざわめく。

 

(…シエル達、やったのね)

 

市警へ通報をしたのは、セバスチャンだろう。

…任務は成功したようだ。

しかし、アンジェリーナはまだ個人的な謎が一つだけ解けていない。

 

「ごめんなさい、リジー…お手洗いに行ってくるわ」

「えっ、叔母様…トイレは逆方向」

 

きょとんとトイレの方向を指さすエリザベスをよそに、アンジェリーナはドレスの裾を持ち上げるや素早く階段を上がっていく。

二階の廊下を見渡す…すると、バルコニーから人影が見えた。

 

 

 ♪♪♪~ ♪♪♪~

 

 

先程とは違う軽快でアップテンポな歌が響く。

バルコニーへ一歩一歩足を進めていき、その歌を口ずさむ人物の背中に向かって、アンジェリーナはこう言葉をかけた。

 

「まさか、同じパーティーに出席してたとはね…『リエ』」

 

彼女の声に反応して、その人物…リエは振り返って微笑した。

 

 

「その言葉そっくりそのままお返ししますよ、アンさん」

 

 

 

【つづく】

 



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ダンスフロア攻防戦(1)

主にシエル&セバスチャンsideの話となります。

  


ドルイット子爵邸へ潜入するため、シエルは己の身分を隠さなければならなかった。

身なりのいい執事を連れて隻眼の少年。

己とセバスチャンは、社交界では色んな意味で有名であったためだ。

 

『セバ…セバスチャン……』

『さあ、壁に手をついて、もっと力を抜いて下さい』

『これ以上…っ、ムリだ!』

 

『もう少し我慢して下さい。すぐに慣れます』

『あっ…で……出る(内臓が)って言ってるだろう、がッ!!!』

 

変装するため、わざわざコルセットでくびれをつくる必要があるのか!?

 

『このくらい我慢してください。コルセットで内臓が出た女性はいませんよ』

 

苦しむシエルに、セバスチャンは淡々とした表情でコルセットの紐を引っ張った。

さらに、アンジェリーナも加わって『淑女』の講座も受けさせられる羽目になった。

 

『嫌だ!』

『も―――っ! ここまで準備しといて男らしくないわよ!』

 

反発するシエルに、ぷんすか怒るアンジェリーナは両手に煌びやかなドレスを

持っていた。

 

『まあまあ決まったものはしょうがない。

時に腹をくくるのも大切だよ、伯爵』

 

劉がそう宥めながら「これウチの品だけど、チャイナドレスなんかどう?」と

勧めてきた。

 

こいつ…絶対に楽しんでいる。

 

ギロリと睨みつけるシエルに、劉は動じる様子はなくハハハッと笑っている。

 

『あらっ、ダメよ! 英国上流階級の淑女は、舞踏会の時は上質で厚手の絹のドレスって決まってるんだから』

 

アンジェリーナが劉の申し出に待ったをかけた。

英国では服装やマナーなど…決まり事が厳しい。

淑女の身に着けるドレスには、他にもルールがあるらしく、色は青、銀、薄緑などが主流であり、特にピンクは舞踏会の時しか着てはいけないものなのだ。

 

『それだけではありませんよ』

『あら、セバスチャン』

 

セバスチャンが家庭教師モードで、今度は舞踏会の踊りに関する説明を始めた。

 

『どんな舞踏会でも初めは‟カドリール”という曲で始まります』

『そして次は‟ワルツ”ね』

 

アンジェリーナの言葉に、「はい」とセバスチャンは満足げに頷くと説明を続ける。

 

『曲は大体18曲から24曲。

曲目はおそらく7曲がカドリール。そのうち3曲がランサーズ。

次はワルツが7曲。円舞曲(ガロップ)が4曲。

そしてポルカ1曲という処が妥当でしょう。あとは主催の好きずきですが…』

 

セバスチャンは眼鏡を指先でかけ直すと、キラリと目を光らせてこう言った。

 

『つまり! 以前、エリザベス様のために付け焼刃で覚えて頂いたワルツだけでは

一晩乗り切れません』

 

その指摘に、シエルはうぅっ…と顔を青ざめて一歩後退する。

セバスチャンとアンジェリーナが気迫のこもった笑みを浮かべ、じりじり…と近づいてくる。

 

『話し方に歩き方、ダンスや仕草や誘惑の仕方まで……

家庭教師(わたし)とマダムが一日でみっちり体に叩き込んで差し上げますよ。

―――‟お嬢様”』

 

『安心しなさい。貴方だけじゃなくてセリアも一緒だから~

…セリアも分かってるわね?』

 

同席していた従弟のガヴァネス、セリアはガタブルしつつも「は、はいぃいいい!」と物凄い速さでコクコク頷いた。彼女もまた、自分と同じくこの後スパルタ指導を受ける羽目になった可哀想な被害者となった。

 

 

 

*** ***** ***

 

 

 

女装という恥ずかしい格好で潜入するのに成功したのはいいものの、問題はドルイット子爵にどう近づくかだ。コルセットの所為で重たいし、苦しいし、慣れないヒールで足も痛いし、とっとと任務を早く済ませて帰りたい気持ちが増していく。

 

「こんな姿、絶対に婚約者(エリザベス)には見られたくないな…」

「でしょうね」

 

おそらく、後方にいるセバスチャンは内心笑っているはずだ。

こちらの気も知らないで…とギリッと歯ぎしりして苛立ちが芽生える。

 

《きゃー、そのドレス、かわいーっv》

 

「いかん…幻聴ま…で…」

 

《そのヘッドドレスもステキーッ》

 

幻聴にしてはリアルに耳元に伝わる声。

シエルとセバスチャンはもしや…とバッと後方を振り向く。

 

「ステキなドレスの人がいーっぱいv かわいーっv」

 

そこには、エレガントな衣装に身を包んだ貴婦人達に絶賛の声を上げる婚約者

…エリザベスの姿があった。

 

「セッ…セセセ、セバスチャン」

「坊っ…お嬢様、落ちついて下さい。とりあえずあちらへ」

 

婚約者がいる事に、大いに動揺しているシエル。

セバスチャンは小声で目立たない様に、場所を移動しようとした。

 

「あっv あそこにいる子のドレス、すっごくかわいーっv」

 

やばい…シエルとセバスチャンが危惧していた通り、早速目をつけられてしまった。

 

「いけません。お嬢様、こちらへ」

 

セバスチャンの機転で、大きなケーキがおかれているテーブルに隠れた。

 

「あら? あの子、どこ行っちゃったのかしら?」

 

エリザベスはキョロキョロと辺りを見渡して、女装したシエルを探す。

 

(なんで、あいつがこんな所にいるんだ!)

 

よりにもよって大事な仕事中に出くわすなんて…。

とにかくマダム達のところに…とシエルが視線をアンジェリーナ達へ向けた。

 

だが、アンジェリーナは貴族の男性とその妹らしき少女と談話中。

劉は、並んでいるご馳走を堪能中。

ガヴァネスのセリアは、数人の貴族のご息女達に話をかけられて戸惑いつつ

対応している真っ最中。

 

(さ、最悪だ…)

(『間が悪い』とはこの事ですね)

 

シエルは背後に影ができるほどにガクッと項垂れる。

 

「まずいですね。エリザベス様がいらしてるとは」

「いくら変装したって顔を合わせれば…」

 

「バレますね」

「あいつにバレたら調査どころじゃなくなるぞ!!」

 

「それどころか、ここにいる皆さんにお嬢様が『坊っちゃん』である事が

バレてしまいますね」

 

セバスチャンの冷静な発言に、シエルはさぁーと顔を蒼白させる。

彼の言う通り、正体がバレて今までの努力が水の泡となってしまう。

 

「それに…当主がこんな恰好してるなんてバレたら、ファントムハイヴ家末代までの

恥だっ!!」

 

女王陛下に顔向けできない! とシエルはその最悪の場合を想定して、今度はカァーと顔全体を紅潮させる。そんな大袈裟な…とセバスチャンが呆れ顔でツッコむが、シエル本人にしてみれば死活問題である。

  



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ダンスフロア攻防戦(2)

(1)の続き。
  


「とにかく絶対に…」

 

反論しようとしたその時だった。

 

「ドルイット子爵は今日も美しくていらっしゃるわぁ」

「プラチナブロンドが金糸のよう」

 

淑女達が頬をほんのりと赤く染めて、うっとりとした眼差しを向けている。

その方向には、初老の夫婦と親しそうに喋っている金髪の美形の青年がいる。

 

シエルとセバスチャンはその若者に注目する。

周囲の反応から推測して…間違いない。

あの人物が『ドルイット子爵』だ。

 

「結構、若いんですね…」

「挨拶するフリをして近づくぞ」

 

一歩ずつ、ドルイット子爵の元へと歩を進める二人。

すると、セバスチャンがシエルの耳元で助言を囁く。

 

「男がいては警戒されやすいでしょうから、私はここで見ています。

教えた通り、しっかり淑女を演じて下さいね」

 

「…分かってる」

 

げんなりしてセバスチャンの作戦に頷くシエル。

慎重に歩みながら、愛想笑いを浮かべて口を開いた。

 

「こ…こんばんは。ドルイット子しゃ…」

「あ―――っ、いた―――っv」

 

挨拶途中で、背後から聞こえてきたエリザベスの声にシエルはドキッとする。

 

「(しまった…!)くそっ」

 

後一歩のところでエリザベスに見つかってしまった。

仕方なく子爵の後ろを通り過ぎるシエル。

 

「そこのあなた、待って―――!」

 

しぶとく追いかけてくるエリザベスに、シエルの顔から緊張の汗が流れ落ちる。

 

「こちらです、お嬢様」

 

その時、セバスチャンがシエルの手を握り締めて、走るスピードをあげる。

途中で、飲み物を運んでいる使用人に「あちらのレディにレモネードを」と言って、

エリザベスを足止めをする。

 

バルコニーまでやってきた二人。

息を切らしたシエルに、セバスチャンは「大丈夫ですか?」と尋ねる。

 

「危なかったですね」

「何故、僕ばかりこんな目に…」

 

ハァ…と溜息を漏らした直後、ジャンッと広間にいる楽団が音楽を奏で始めた。

 

「しまった…!!」

「広間がダンスフロアに…子爵に近づけなくなりましたね」

 

セバスチャンは、子爵のいる位置とエリザベスがいる位置をちらりと確認する。

 

「…仕方ありません。ダンスに紛れ、子爵の傍へ行きましょう。教えた通りに出来ますね?」

「公の場で僕に踊れと言うのか!? お前と!?」

 

セバスチャンの提案に、シエルは驚愕と困惑が混じった表情で声を上げる。

しかし、セバスチャンは優雅に笑みを浮かべ、シエルの手を取った。

 

 

「お忘れですか? 私は“今は”あくまで家庭教師ですから。

今宵だけは公の場でお嬢様とダンスを許される身分なのです。

執事としてではなく、上流階級出身の“教師”としてね」

 

 

そうだった…セバスチャンは今は変装して使用人ではなかった。

その設定を諸に忘れていたシエルは、冷や汗を流して微妙な顔で彼を見上げる。

 

「他のペアにぶつからない様、リードします。参りましょう」

 

それに…今、子爵は美しい淑女にアプローチしているみたいですからね。

セバスチャンはフッ…と意味深な笑みで、その方向を見つめる。

 

 

 

階段付近で、一人の淑女が佇んでいる。

シルバーと小さな宝石で象った髪留めで結わえた、暖かな栗色の長い髪。

服装は、水色と白の生地を使い、胸元にローズを象ったシルクフラワーをつけた、

絹のドレス。

 

彼女の傍にいる男女、身分を問わず、その見目麗しい外見に見惚れる。

時折、映し出される青空のような澄み切った空色の瞳が、彼女の清廉な雰囲気を際立たせており、

傍にいるだけで心が洗われる気分にさせた。

 

「お飲み物は如何でしょうか?」

「では、白ワインを…」

 

使用人が気を利かせて、飲み物を運んできた。

その女性は快くそれを受け取ると、ありがとうございますと軽く会釈する。

フフッと微笑む顔に、使用人は思わず胸がときめいてしまった。

周りにいる人達も、彼女の微笑みに心が自然と癒されてしまう。

 

「失礼…はじめまして、でよろしいかな?」

 

渡された白ワインを優雅な仕草で味わうその人に声をかけたのは…このパーティの

主催者、ドルイット子爵だった。

 

「ええ、お初にお目にかかります。ドルイット子爵」

「どちらの出身で?」

「出身は海外です。本日は知り合いの方とご一緒に参りましたの」

「そうでしたか…お名前は?」

 

名前を聞かれ、「私は…」と女性が言いかけるや音楽が鳴り始めた。

 

「あら、ダンスの時間になりましたね」

「そのようで」

「あちらで踊っている可愛らしいお嬢さんと家庭教師の方…とても絵になりますわ」

 

女性が柔らかい笑みで、踊ってこちらへ近づいてくる二人…シエルとセバスチャンを見つめる。その視線に気付いたセバスチャンは刹那の瞬間、フッと意味深げに口端を上げた。

 

「パートナーは?」

「別のご婦人と踊っています」

「それはそれは…こんなにも麗しい淑女を壁の花にさせるなんて罪な紳士だ」

 

ドルイット子爵は、女性の左手を取って甲に口付けを落とす。

 

「私であれば、もっと貴女を心から喜ばせて差し上げるのに」

「勿体ないお言葉です」

 

ですが…と女性はゆっくりと手を戻してドレスの裾を上げた。

 

「私の心は…既に《ある方》のものです。貴方の甘美な誘いに乗る事はできませんわ」

 

ごきげんよう、と会釈して女性はくるりと踵を返し、足早に立ち去って行った。

 

 

「なんと…」

 

予想外だ。

彼女はパートナーを強く想っているようだ。

自らの誘いを断られるとは思わなかったドルイット子爵は目を大きく見開く。

 

「だが…美しい…」

 

だが、ドルイット子爵の心は見事鷲掴みされてしまった。

あの淑女は一体何者なのだろうか…?

名前を聞けなかったのが残念だ。

後で、招待客のリストを読み返そう。

名前が判明するまでは、あの瞳と清廉さにちなんで【蒼宝珠の淑女(セレスタイト・レディ)】と呼ばせてもらおう。

 

そう思案している最中、ふと視線を右斜めに移すと、蒼宝珠の淑女が先程、注目していた二人組…その一人の可憐な少女に目を留まった。

リードされながら、クルクルと音楽に合わせて踊るその姿はまるで駒鳥のようだ。

少女は緊張していたのか、此処まで辿り着くと息切れをして座り込んでしまった。

相手の家庭教師が少し呆れた感じで何かを言っている。

 

蒼宝珠の淑女とは違った意味で興味深い。

拍手をしながら、ドルイット子爵はその少女に声をかけた。

 

 

◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇

 

 

セバスチャンの指示に従いながら、シエルは苦手なワルツをしながら、

たくさんの人が踊るダンスホールを移動していった。

エリザベスからは離れた距離にいる。

これなら、邪魔はされない。

 

 

  パチパチパチ

 

 

なんとか、目的地まで着いた安堵感から息切れをして座り込んでいたら、

拍手が聴こえてきた。

 

「素晴らしい。駒鳥のように可愛らしいダンスでしたよ、お嬢さん」

 

ドルイット子爵…標的のお出ましだ。

 

(向こうから声をかけてくるとは…)

「お嬢様、私は何か飲み物を」

 

セバスチャンはそう言うと、シエルを一人だけ残してその場から離れていく。

 

「えっと…お褒め頂き光栄ですわ」

「本日は誰といらしたのかな、駒鳥さん?」

 

子爵はシエルの手の甲に口付けをして尋ねる。

 

「あ、アンジェリーナ叔母様に連れてきて頂きましたの」

「マダム・レッドの? そうか…楽しんで頂けているかな?」

「素敵なパーティに感動しています。…でも、私ずっと子爵とお話ししたかったの」

 

此処でチャンスを逃すものか。

シエルは口元に弧を描き、子爵の正体を暴くため、演技しながらの交渉を

スタートさせた。

 

 

 

【ダンスフロア攻防戦】

 

 

 

先程、子爵と話をしていた淑女は上へ続く階段を昇っていき、扉窓を開いてバルコニーから外を眺めていた。

 

「パーティーはまだ終わっていませんよ」

 

聞こえてきた男性の声に、淑女は後方へ振り返る。

 

「こんばんは。家庭教師さん…いえセバスチャンさん、でしたね」

 

ドレスの裾を上げてにこやかに会釈する淑女。

合わせて、セバスチャンも“紳士らしく”挨拶を返す。

 

 

「ご無沙汰しております。ミス・エルベット

…それとも『リエ・クローチェ』様とお呼びした方がよろしいですか?」

 

 

 

【つづく】

  



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幕は下りた…?(1)

こ爵邸パーティ編の完結。
  


 

冷たい夜風が、頬を通り過ぎる。

扉が開かれたバルコニーで、リエとセバスチャンは向き合っていた。

 

「どちらでも。好きな名前で呼んでくださいませ」

「まさか、貴女がこの会場へ足を運んでいるとは思いもよりませんでした」

「いつからお気づきでしたか?」

 

リエは率直に訊いた。

セバスチャンは妖しく笑みを浮かべる。

 

「会場に入った瞬間からです。

人間達とは違う気配をいくつか感じ取っていました」

 

「あら、素晴らしい気配感知能力ですね」

「これでも“あくま”で、執事ですから」

 

さて…とセバスチャンは話を切り替えるように本題に移る。

 

「リエ・クローチェ様…貴女が何故、このパーティー会場にいらっしゃるのでしょうか?」

「“秘密”です」

 

リエはウインクして人差し指を口元に押し当てる。

 

 

「なるほど…そちらのお仕事に関わる機密事項だとお見受けしました。

ならば、深く追及は致しません」

 

「ご理解頂けてホッとしました」

 

「主人の命令も受けていませんからね。

おっと…そろそろ行かなければ」

 

ダンスフロアからの音楽が終盤に差し掛かっている事を察知したセバスチャン。

ダンスが終了したと同時に、エリザベスは女装した主の元へいくだろう

…それを止めなければならない。

 

「貴女も…一旦、こちらから“出ていく”のでしょう?

今宵は寒くなりますゆえ、長時間の外出は控える事をお勧めします」

 

「アドバイスありがとうございます。

それでは…セバスチャンさん。ごきげんよう」

 

シュッと瞬時に姿を消したセバスチャン。

彼を見届けると、リエは背中から妖精のような純白に輝く光翼を出し、

バルコニーから飛び去って行った。

 

 

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇

 

 

(ここ…どこだ…)

 

 

ふっ…と意識が浮上した。

シエルは未だ眠気が残る中、自らの身に何が起きたのか回想する。

 

 

ドルイット子爵に声をかけられ、大人になりたがっているおませな令嬢を

演じながら情報を探ろうとした。

子爵は思いの外、好意的に接してくれたが…

 

『わがままなお姫様だね、駒鳥。もっと楽しいことをご所望かい?』

 

同時に腰に手をかけたり、甘ったるい砂糖を吐くような言葉を囁いてきた。

 

『ドルイット子爵って、女性の守備範囲バリ広みたいよ』

 

叔母であるマダム・レッドが事前にこんな忠告をしていた事を思い出し、納得した。

この男…全てが終わったらすぐに始末してやる。

本当なら、すぐにでも殴りたい気分だったが、感情のままに手を下したら今までの努力が水の泡。

そう…潜入するために、セリアと共に一日かけてスパルタ淑女講座で叩き込まれた事が

無駄に終わってしまう!

 

だから、シエルは耐えた。

顔を引きつかせ、青筋を立てて演技に徹する。

 

『君にはまだ早いかもしれないよ』

 

もったいぶるな、と苛立つシエルに新たな試練が訪れる。

ワルツの音楽が鳴り止んで、踊っていた紳士淑女が挨拶をし、拍手と歓声があがる。

 

まずい…ダンスの時間が終了した合図だ。

ずっと、こちらを見ていたエリザベスがここぞとばかりに早足で近づいてくる。

 

『さっきから何を気にしてるんだい?』

 

顎に手を添えて、口説き文句を言う子爵と、どんどん距離を縮めてくる婚約者の

双方に視線が彷徨うシエル。

 

(もう終わりだ…)

 

ここで万事休すかと硬く眼を瞑ったその時…

 

 

  ドォオオン!

 

 

『宴の酣 お集まりの紳士淑女の皆様にここで一つ。

このクローゼットを使った魔術をご覧に入れましょう』

 

 

大きなクローゼットと共に、仮面をつけたセバスチャンが颯爽と現れた。

セバスチャンは劉を指名して、手品を披露すると宣言。

エリザベスは勿論、他の紳士淑女たちの視線が彼に釘付けになっている。

 

『手品なんか頼んだ覚えはないんだが…?』

『…! 子爵、私手品も見飽きてますの…だから…ね?』

 

チャンスは今しかない。

シエルは上目づかいで子爵にアプローチする。

そんな可愛らしい行動に、子爵は満更でもなさそうに「仕方ないな…駒鳥」と

キラキラと極上のスマイルを送る。

ぐょわ…と自らの行動と子爵の表情に鳥肌が現れるが、内心ガッツポーズをとった。

 

(…これで証拠を探し出せる)

 

子爵に案内され、奥の部屋へと進んでいく。

入るや、ふわん…と甘ったるい匂いに鼻についた。

 

(しまった!!…早く部屋から出…)

 

その匂いが、催眠作用のあるものだと気付いた時には遅かった。

 

「これから行くところは〝とてもいい所”だよ、駒鳥」

 

薄れゆく意識の中、ドルイット子爵が意味深げな言葉を発していたのは記憶に残っていた。

その直後で意識を失ってしまい、現状に至るのだ。

 

(暗い…いや目隠しか。何かで拘束されているな)

 

目を遮られ、両手も縄で縛られて身動きが取れない。

ただでさえ、コルセットで息苦しいのに…とシエルは舌打ちをする。

 

(とりあえず、ここはどこだ?)

 

愚痴を言っている暇もない。

問題は、自分がどこにいるのか…場所を特定するのと、そしてドルイット子爵は

何をするつもりなのかを探る事。

すると、耳元にざわざわと人の話し声が聞こえてくる。

 

 

『ご静粛に、お集まりの皆様。次はお待ちかね…目玉商品です』

 

 

ドルイット子爵が司会をする声が響く。

 

(商品…何の事だ?)

『ではご覧ください』

 

シエルがジッと子爵の声に耳を澄ませていたその時、バサッと布が取り払われる音がした。

同時に、ザワッと人のどよわきが起きる。

 

 

『観賞用として楽しむも良し。愛玩するも良し。

儀式用にも映えるでしょう。バラ売りするものお客様次第』

 

 

子爵が人々にそう説明しているのを聞き、シエルは確信した。

 

――――《闇オークション》

 

娼婦を殺して、彼女らの臓器もここで売りさばいていた

…そう考えると辻褄が合う。

 

 

「スタートは1000から!」

 

 

競売が始まった。

シエルの目を覆っていた目隠しが外される。

 

(犯人は分かった…なら、此処にはもう用はない)

 

契約印が浮かんだ瞳が露わになり、シエルは瞬きさせ、忠実な部下を呼ぼうとした。

 

 

  ♪♪♪~ ♪♪♪~

 

 

その直後、歌声が聞こえてきた。

…聞いた事のない曲。

真夜中の湖畔に映し出される青白く輝く月が脳裏にイメージとして浮かび上がる。

闇オークションのBGMにしては、不釣り合いな旋律だ。

 

「はぁ…」

「…すごくいい気分…」

「眠気が…」

 

会場内の様子がおかしい。

バタバタと人が倒れていく。

 

「この…曲……う…つく…しい…」

 

主催者の子爵がうっとりとした顔でばたりと倒れたのを最後に、会場内は寝息の合唱となった。

 

「セバスチャン、いるだろう?」

「ええ、こちらに」

 

シエルの呼びかけに、寝静まった観客席から姿を見せたセバスチャン。

寝ている観客を巧みに避けながら、檻に囚われている主の元へ歩を進めていく。

 

「やれやれ…本当に捕まるしか能がありませんね、貴方は。

呼べば、私が来ると思って不用心すぎるのでは?」

 

セバスチャンは呆れた口調で些か無防備な点を指摘するが、シエルは冷めた表情でこう返した。

 

 

「僕が契約書を持つ限り、僕が呼ばずともお前はどこにでも追って来るだろう?」

 

 

『契約書』は悪魔が契約人(えもの)を見失わぬ様につける【痕(しるし)】

『契約書』は目に付く場所にあればある程強い執行力を持つ。

その代わり…‟絶対に悪魔から逃れられなくなる”

 

 

「……もちろん、どこまでもお供します。最後まで」

 

 

セバスチャンは優雅に微笑み、そう断言した。

 

 

「たとえこの身が滅びようとも、私は絶対に貴方の傍を離れません。

地獄の果てまでお供しましょう」

 

 

檻の鉄格子を素手で強引に捻じ曲げ、シエルを出すと、指を軽く振って彼の拘束を解いた。

 

「私は嘘は言いませんよ、人間のようにね」

「……それでいい。お前だけは僕に嘘はつくな、絶対に」

「イエス・マイロード」

 

主の言葉に、セバスチャンは深々と頭を下げる。

    



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幕は下りた…?(2)

(1)の続き。
  


「…ところで、さっきの‟アレ”は…誰が歌っていた?」

 

シエルは察していた。

あの歌を奏でていたのは、こちらの手の者ではない第三者だという事を。

 

「それは後ほど説明しましょう。そろそろ市警が到着しますゆえ…」

 

セバスチャンはシエルを抱き上げると、跳躍して外の屋根へと瞬時に移動した。

 

 

  バアンッ!

 

 

「警部、ココが闇取引の場みたいです…が…」

「…全員眠ってるようです」

 

 

数秒後、部屋の広い扉を乱暴に壊す形で市警が入ってきた。

目に飛んできたのは、爆睡する子爵と顧客達。

 

「ええい…全員確保! 叩き起こして署まで連れ帰るんだ!!」

「「「は、はぃいいいい!!」」」

 

唖然とする部下に、ランドル卿が語気を荒げて命令した。

警官達がシャキッと敬礼するや、すぐに容疑者を縄にかけていく。

 

「意外と早い到着でしたね」

 

屋根から、その様子を眺めていたセバスチャンは感想を呟く。

 

「…紙一重の差だったな。まあ…僕が居ては猟犬共もいい顔をしない」

「そのお姿ではなおさら…ですしね。『お嬢様』」

 

プッと吹き出して茶化すセバスチャンに、シエルはハッ…と己の女装を思い出した。

本当に見つからなくてよかった。

気恥ずかしさを誤魔化すため、シエルはごほんと咳をする。

 

「…とにかく! 切り裂きジャック事件はこれで解決だ!」

 

想像してた割りに、随分とあっけなかった。

シエルのその感想に、セバスチャンはニコリと笑う。

 

「ところで…マダム・レッドと劉様、セリア様はいかがなさいますか?」

 

「市警が容疑者を連れていくまで屋敷内に閉じ込められるが、そんなに時間もかからんだろう。

あちらもこういう事態に慣れている」

 

「それでは、三名様が帰宅した際の準備をしておきましょう」

「そうしてくれ…ああ…疲れた」

 

仕事が一段落してげんなりしているシエル。

セバスチャンはそんな主を丁重に抱きかかえて、一足早く帰路へ着いた。

 

 

 

 

 

「ここならよさそうね…」

 

市警が屋敷内を徘徊している中、アンジェリーナは空いている部屋を見つけた。

 

「でも、これだと少し話しづらいですね、光よ…」

 

薄暗い部屋では不便だと思い、リエは魔法で部屋を明るくした。

夜の闇に浸透していた部屋が、昼間になったように椅子や家具の配置が鮮明になる。

 

「お気遣いありがとう。これで心置きなく話せるわ…」

 

アンジェリーナは真面目な顔で話を続ける。

 

「まさか…貴女が出席する貴族のパーティーが被ってるとは思わなかったわよ」

「こちらも…アンさんが携わっている事件の容疑者がドルイット子爵とは思いませんでした」

「ま、子爵は捕まっちゃって事件も解決したみたいだし、今なら話せる事だけどね」

 

ふぅーと肩を竦めて、アンジェリーナは担当していた案件が、世間を賑わせている【切り裂きジャック事件】だと明かした。

 

「なるほど…あの事件を担当していましたか」

 

「貴女も気になってたのね。

……実は、被害者の中に、私が以前言ってた患者もいたの。

正直嫌いなタイプだったけど、子宮を奪われて殺されるなんて…女として見ていられなくなった」

 

屈辱的な行為をされ、無残に殺害された被害者達…犯人の逮捕で彼女達の無念は少しは浮かばれたかもしれない。

もう犠牲者も現れる心配はなさそうだし…とアンジェリーナは安心したように笑う。

 

「…そう願いたいですね」

 

リエが微妙な顔でポツリと言う。

アンジェリーナは彼女の含みのある言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「どうしたの?」

「いえ…ところで、アンさん。お屋敷の方には何時頃戻られますか?」

「もうすぐ市警の拘束も解かれそうだし、そろそろ行こうかしら。リエは?」

 

「私の方も、依頼人の方と合流しなくてはなりませんのでこの辺でお暇させて頂きます」

「そうね~、じゃあ後日お茶会でもしましょう。その時に面白いネタを話してあげるから」

「楽しみにしています」

 

じゃあね、とアンジェリーナは手を振り、一足先に部屋を退室した。

パタンと扉が閉まるや、笑って見送っていたリエは軽く俯く。

 

 

「もう犠牲者が出ない事を祈らずにはいられませんよ。

そうでないと…物語の裏にある【真実】を直視しないといけなくなるもの」

 

 

独り言を語るリエの顔は、悲哀の色に彩られていた。

 

 

 

【幕は下りた…?】

 

 

 

翌朝、新聞の一面を飾っていた記事に一同は騒然となった。

 

「どういうことだ!」

 

 

《切り裂きジャック再び現る! 被害者はアニー・チャップマン。

またしても娼婦が…》

 

 

「子爵は昨夜どこにも行ってなかった!」

 

シエルは、デスクに新聞を押し付けて、その記事内容を信じられないという面持ちで読み直す。

 

「たった一人の容疑者が殺人不可能となると…模倣犯…いや最初から複数犯の可能性もあるね」

 

劉が冷静に指摘すると、シエルはふぅーと息を吐いて落ち着きを取り戻そうとする。

 

「また振り出しだ…もう一度絞りなおす。

セバスチャン、リストを」

 

「かしこまりました」

 

シエルは、すぐに新しい容疑者リストを作成するよう、セバスチャンに命じる。

彼等のやり取りを間近で見ているアンジェリーナもまた複雑な心境だった。

 

(どういうこと…? 劉の言うように、複数犯の仕業なの…?)

 

ふと、昨晩のリエの言葉が脳内で再生される。

 

 

『―――そう願いたいですね』

 

 

あの時の彼女の様子には違和感があった。

思い返してみると、あの発言も…あたかも、犯人に二度と犯行を繰り返してほしくない…という感じの口調だった。

 

(…リエ、もしかして犯人に出くわしたんじゃ…)

 

一つの仮説が、アンジェリーナの心を動揺させていたその時だった。

 

「アン様、お電話です」

 

セリアの呼びかけに、アンジェリーナは「誰から?」と言葉を返すと…

 

「ご友人の方からです。『マリエル』と言えば分かると…」

「!…そう、ごめんなさい。今取り込んでるからかけ直すと言ってくれる?」

 

主の指示に、セリアは「かしこまりました」と頷いて電話の主に伝えている。

再び、電話をかけるなら場所を移動した方がいい。

いや、それよりも…

 

(直接訊きに行った方が早いわね)

 

その数時間後、アンジェリーナは町屋敷を離れてロンドンへ直行する事となる。

 

 

 

【つづく】

  



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絡み合う点と線(1)

  
今回、オリ主の過去が少し明らかになります。

  


 

『初恋っていつごろだった?』

 

 

二年ほど前、リエと例の如く茶会をしていてその話題を振った。

私の初恋の相手は、姉の旦那。

馬車の事故に巻き込まれる直前まで、ずっと未練がましく慕っていた。

 

姉が羨ましかった。

好きな男と結婚して、子どもも生まれて、幸せに満ち足りていた。

いつも感じていた…胸に灼けつく感情。

…私は姉に嫉妬していた。

 

でも、大好きな姉と愛した男…二人の仲を引き裂く事なんてできなかった。

なにより、二人の間は見えない強い絆で結ばれていた。

私はどこにも付け入る余地すらなかった。

 

『…あの事件がなきゃ、私…ずっと義兄さんの事しか愛せなかったかもしれない。

ふふっ…馬鹿な女でしょ』

 

『そんな事ありませんよ』

 

リエは首を緩慢に振ってそう返答すると、自らの初恋を語ってくれた。

 

 

リエが、初めて恋をしたのは14歳の時。

元々はある異世界の小国の生まれで、城の召使いとして働いていた。

ある日、彼女は傭兵だった8歳年上の男と出会った。

その男は気難しい性格で、その国の宰相すらも手を焼く程扱いづらい人物だったらしい。

そんな問題の多い男が心を開いた数少ない異性がリエで…彼女も男の不器用な優しさに惹かれていった。

 

『それから半年後に、私と【あの人】は結ばれました』

『…って早くない!?』

『宰相の方が、準備をアレコレしてくれて…トントン拍子で結婚まで進んでいきました』

 

話を聞いてて思った。

その宰相は、リエの旦那を少しでも懐柔するために、政略結婚を仕立てたんじゃないかって。

リエもそんな裏事情も感づいていたようだけど、気にならなかった。

それだけ、夫となった男の事を愛していたから。

 

『【あの人】と結ばれて娘も授かって…とても幸せでした』

 

初恋の人と結婚して、子どももできてごくありふれた家庭を築けた。

彼女の話はとても眩しくて、聞いている私ですら微笑ましいものだった。

 

『ずっと…続いてくれたらよかったのに』

 

次に飛び出したその言葉に、私はハッとした。

リエが悲しそうに笑っていた。

 

ああ、そうか…。

彼女の当たり前だった日常は何かが原因で壊れてしまったのだ。

 

『…この続きは長くなりますから、また次の機会に話してもいいですか?』

 

気分を切り替えるように、リエは別の話題を振った。

 

思えば、私はリエの事をまだまだ知らない。

家庭事情や種族の事…今まで契約してきた人物の事だって…一部しか明かしていない。

三年という月日を経ても、私は彼女の内側へ入りこめていないのだろう。

 

けれども、それで彼女を責める気はない。

誰にだって触れられたくない秘密はひとつやふたつあるもの。

本音で人と接する事ができる人間なんてそうはいない。

心の内側を曝け出す事は、相手によっては弱味を握られる事にもなるからだ。

 

 

(それでも…ちょっとぐらい私にだけ秘密を教えてくれてもいいじゃない)

 

 

…とはいえ、不満がないといえば嘘になる。

探偵の助手として、一人の友人として、相棒として…私はまだ力不足なのだろうか?

馬車の中で悶々と思考しながら、私はあそこへ向かっていた。

 

―――『秘密の花園』へ。

 

 

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇

 

 

「あら、いらっしゃいませ」

 

トンネルを通り抜けて、早歩きでレンガ道を進んでいくと、リエが待っていた。

ちょうど、庭の花々に水やりをしている最中だった。

 

「用事があるんでしょう? 急いで馬車に乗ってやってきちゃったわ」

「お電話でもよかったのに…」

「情報が漏れるのを防ぐ為よ。だから適当に理由つけて帰ってきたの」

 

屋敷の電話であれ、自分の携帯電話であれ、あそこにいたら、シエル達に聞かれる可能性があった。

切り裂きジャック事件の捜査のやり直しでそれどころではなさそうだが、念には念を…である。

 

「それではそちらで待っててください。お茶を準備します」

「ん、ありがとう」

 

庭に設置されているガーデンテーブルへ案内され、アンジェリーナは木製の肘掛椅子に腰を下ろす。

暫くして、リエが銀のトレイを運んできた。

 

「本日のスイーツは、庭で採れたオレンジを使ったケーキです」

 

持ってきたケーキをその場でカットして、小皿に乗せてアンジェリーナの前に置いた。

 

輪切りにしたオレンジをのせて焼き上げたケーキ。

オレンジの爽やかないい香りが鼻をかすめる。

フォークで一欠片切り取って口に運ぶ。

 

「うーん…しっとり柔らか」

 

上質のバターを使った風味豊かな生地に、オレンジピールの程よいの甘みと苦み、

それでいて後味がさっぱりしている。

 

いつもは紅茶が定番だが、今日の飲み物は趣向を変えてコーヒーだ。

ケーキを咀嚼しながら、コーヒーを口に含む。

苦みよりも酸味が強い味だ…焙煎度合を浅くしたのだろうか。

けれども、オレンジケーキとは相性がいい。

交互に味わう事で、口の中で見事なハーモニーを奏でている。

 

「ところで、アンさん。事件の方は如何ですか?」

 

同じくコーヒーを味わっていたリエがその話題を口にした。

ケーキを半分まで食べ終えていたアンジェリーナは持っていたフォークを置いた。

 

 

「そうね…近況報告しましょうか、‟お互い”に」

  

 



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絡み合う点と線(2)


(1)の続き。

  


 

「…という訳で捜査は振り出しに戻った。

今頃、新しい容疑者リストをつくってセバスチャンが片づけていってるはずよ」

 

 

アンジェリーナは報告し終えると、喉を潤すためにコーヒーを口に含んだ。

 

「そうですか…あちらの方は再捜査を開始したんですね」

「そういう事…ところで、リエ」

 

話は済んだと、アンジェリーナは足を組み直してリエを真っ直ぐ見据える。

 

「貴女が抱えている今回の案件…相当やばいものなんじゃない?」

「はい?」

 

「とぼけないでよ。あの舞踏会の時、貴女こう言ったじゃない…『…そう願いたいですね』って。

あの言葉、単に容疑者が捕まった事に喜んでいる感じには見えなかった」

 

アンジェリーナは目を細めて言葉を継ぐ。

 

「決め手は…これ、今朝の新聞」

 

アンジェリーナは、此処に来る間に購入した新聞を荷物から取り出し、リエに見せつける。

見出しは、『切り裂きジャック再来! またしても娼婦が被害に…』と書かれている。

 

「シエル達が見てたのは別の新聞で、詳細が同じかまでは分かんないけど…

被害者のアニー・チャップマンは生きているわ」

 

「そう…こう言ったら失礼ですが、不幸中の幸いでしたね。その女性は」

「まーだ白を切るつもり? そのアニー・チャップマンの証言が裏側に掲載されていたのよ」

 

アンジェリーナは該当する記事の部分を指さして、音読しだした。

 

 

「『暗闇を歩いていたら突如、背中を押された。

振り返ると、そこには不気味な雰囲気を漂わせる大柄の男がいて、きらりと光る刃物を振り下ろし、腕を切りつけられた。

危うく殺されると思ったが、突如黒いコートを着た細身の人物が杖で大男と応戦。

激闘の末に大男を退けてくれたおかげで難を逃れた』…

 

ちなみに、この助けてくれた人物は何も言わずに去って行ったみたいだけど、体型から女じゃないかって

言われているそうよ」

 

 

アンジェリーナはジト目で、これでもかと新聞を近づけていく。

当初は、ポーカーフェイスを崩さなかったリエだが、相方のジリジリと詰め寄る尋問攻撃に笑みは消えないものの

たじろいでしまう。

 

「リエ…あんたが顧客情報を守ろうとするその姿勢は素晴らしいものよ」

 

二人称が『あんた』に変わった。

これは、アンジェリーナが攻勢モードに入った事を意味する。

 

3年前、命がけで自らを形式契約を交わした彼女。

本来、形式契約で神族と契約した者…力関係の差は神族の方が優位に立つ。

 

「で・も・ね…この記事を読む限り、あんたは切り裂きジャック事件と関わりを持ってる。

私は甥の捜査に間接的に協力している立場だから見過ごす事は出来ないの」

 

しかし、アンジェリーナはそんな事等お構いなしに、リエの言い分に異議がある時は堂々と意見する。

 

「それに、私はあんたの相棒でしょ。

違う依頼を受けてたからって理由で肝心な事を秘密にしなくてもいいでしょうが?」

 

アンジェリーナの最も抗議したかった本音はまさにそれである。

互いに別々の案件を担当していたという前提もあり、仕事内容に触れない…という暗黙の了解があった。

 

だが、それが密接に絡まっていたとリエは知りつつ、アンジェリーナに黙っていた。

彼女はそれが一番許せなかった。

 

「…申し訳ありません」

 

アンジェリーナの怒りを感じ取り、リエは目を伏せてその言葉を言った。

 

「アンさんがそういう風に思っていただなんて…私の思慮不足でした」

 

しおらしい態度で謝罪するリエに、アンジェリーナはちくりと罪悪感が胸をよぎる。

 

(…うっ、そんな風にされると…私が意地悪したみたいじゃない…!)

 

でも、ココで許してしまう訳にはいかない。

アンジェリーナは小さく被りを振って、フンッと目力を強くする。

すると、リエが意外な発言をした。

 

「だから…私はアンさんに選んでいただこうと思います」

「えらぶ…って?」

「今回の案件が切り裂きジャック事件と繋がっていた事をアンさんに隠していたのは…他にも理由があったからです」

 

リエは意を決した様に顔を上げて、アンジェリーナにこう言った。

 

「正直に言いましょう。アンさんのご想像の通り、私は切り裂きジャック事件の犯人と一戦を交えました」

「!?……やっぱりそうだったのね…」

 

「初めは依頼人の方に頼まれてある人物を尾行していました。

その時に…チャップマンさんが襲われている現場を目撃したんです」

 

つまり、リエは仕事中に偶然切り裂きジャックの犯行真っ最中の場面に遭遇してしまった…という事。

短時間の間に、夜会を抜け出して再び会場に戻るなんて…かなりハードなスケジュールをこなしていたようだ。

 

「犯人の顔は…?」

「この目でしかと見ました」

 

エクレシアは普通の人間よりも視覚が良いため、暗闇でも相手が近距離にいるなら鮮明に顔が見える。

リエは犯人の顔姿をハッキリ覚えている。

けれども…

 

「まだ…明らかにするには時期が早すぎます」

「どういう意味??」

 

「今言える事は…犯人の心は私達が思っている以上に深い闇で包まれている事。

それこそ、引き返す事が難しいレベルにまで…」

 

リエは憐憫にかげった顔でさらに続ける。

 

「アンさん……切り裂きジャック事件の犯人の正体、見届ける覚悟はありますか?」

 

アンジェリーナは、その言葉に既視感を覚えた。

 

 

『茨の道を歩む事になりますよ。……それでも?』

 

 

そうだ…生死の境をさまよった時と似ている。

あの時のように切羽詰まった状況ではないけれども、リエが紡ぐ言葉の重みは同じだ。

 

(…この事件の真相が…私の今後に関わってくる、の?)

 

アンジェリーナは悟った。

事件解決のために直接的に携わるか、それとも助手を断り、リエにすべてを任せるか…?

 

『どちらを取っても構いませんよ』

 

リエの瞳が言外にそうメッセージを送っている。

選択の自由はある。

けれども、どちらかを取るかで、アンジェリーナにとって後悔するかしないかが決定するのだろう。

 

 

「答えなんて…とっくに決まってるのよ」

 

 

それなら…絶対に後悔しない選択を取る。

相方の答えに、リエは静かに瞼を閉じて「分かりました」と頷いた。

  



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絡み合う点と線(3)


(2)の続き。
シエルとセバスチャンsideとなります。
  




 

ザアザアと激しい雨が降り注ぐ。

シエルは、寝室の窓からちらりとその鬱陶しい天候を眺めていた。

 

 

―――コンコンッ

 

 

扉をノックする音が響く。

入れ、と指示すると執事のセバスチャンが姿を見せた。

 

「…どうだ?」

「何度シュミレーションしても子爵以外に一連の事件に関われる人物はいませんね」

 

セバスチャンに命じて、あれから容疑者リストを作成し直した。

しかし、彼が再調査を行ってもドルイット子爵以外に該当者はでてこなかった。

 

「調査条件を変えるか…」

 

シエルは前髪を掻き上げながら、ハッーと溜息を吐く。

 

「そうですね。あの時間帯にいた、子爵以外の条件を満たす人物には不可能ですから」

「とりあえず、明日には―――」

 

シエルはピタッと髪を弄るのを止めた。

セバスチャンの『ある発言』が、彼の頭の中で強烈な違和感を感じさせたからだ。

 

「セバスチャン…まさか…」

 

主人が勘付いたのだと分かり、セバスチャンはフッと口角を上げる。

 

 

「何でも言ってるでしょう。私は嘘をつきません、と」

 

 

セバスチャンの悪びれない態度に、シエルはギリッと歯ぎしりする。

 

 

「私は貴方の『力』であり、『手足』であり、『駒』。

全てを決め、選び取るのは自分だと…そのための『力』になれと。

【あの日】、貴方がそう仰ったのです」

 

 

シエルの脳裏に、【あの日】の光景がフラッシュバックする。

思い出したくない…けれども、忘れる事なんてできない。

すべては、ファントムハイブを裏切り、汚した人間を見つけ出し、自分に与えた同等の屈辱を与えるために…。

 

「“あの時、あそこにいた”、子爵以外の“該当者”には不可能なんだな」

「ええ、そうです」

「……よし、セバスチャン。命令だ…」

 

シエルは真っ直ぐに彼を見据えてある指示をした。

 

 

 

【絡み合う点と線】

 

 

 

アンジェリーナは、リエに同行する形である場所へ移動していた。

 

「…で、依頼人とはどこで待ち合わせなの?」

「この先にある公園です」

 

つい一時間前までは、雷も鳴り響いていた豪雨も止んでおり、傘を広げる必要がないため、

歩くスピードも速くなる。

 

(リエに依頼してきた子ってどんな人物かしら…?)

 

依頼を受ける前は、彼是と推理して二人とも同じ意見でまとまったが、いざその当事者と対面するとなると妙に緊張する。

切り裂きジャック事件とも糸が繋がっているとなれば、事件の被害者関係かも…?

 

「アンさん。着きましたよ」

 

脳内で色々と思案していると、目的地まであっという間だった。

つい先刻まで雨天だったため、人気がなく閑散としていた。

 

「…先方はもういらっしゃるようですね」

 

リエのその言葉に視線を変えると、すぐ近くの並木に二人の人物が立っていた。

一人は、40代くらいの中年のご婦人…以前、【秘密の花園】ですれ違ったあの女性だ。

そして、もう一人の方を目にした瞬間、アンジェリーナは絶句した。

 

 

何故…彼女が此処にいるの?

 

心の声が反芻していく。

それだけ今のアンジェリーナの胸中は混乱と動揺が生じていた。

 

その依頼者とは――― 先日、友人から紹介された妹…エレオノーラだったのだから。

 

 

 

【つづく】

  



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思わぬ依頼人と事件の鍵(1)


オリキャラの態度と言動で不快になる可能性がありますので、お読みの際はご注意ください。
  


 

「ご、ごぶさたして…お、おります…」

 

エレオノーラ・スピアリンクはあの夜会の時と同じくオドオドした挙動不審な感じで

挨拶をしてきた。

 

「アンさん」

「えっ、ええ…お久しぶりね」

 

アンジェリーナは一瞬、頭の思考が止まっていた。

リエの声で我に返り、ぎこちなく笑みを浮かべながら返事をした。

 

(別懇な間柄でしたか…)

(…まあね)

 

小声で話し合うリエとアンジェリーナ。

まさか、友人の妹とこんな形で再会するとは思わなかった。

…いや、それよりも「何故?」「どうして?」という疑問が心の中で渦巻いており、

頭で情報を上手く整えられない状況だ。

 

 

「あ、あの…」

 

 

アンジェリーナを思考の波から現実へ引き戻したのは、エレオノーラの消え入りそうな

声だった。

 

「こ、ここで…話すのもあれですから…や、屋敷にご、ご案内いたします」

「…そうね。お言葉に甘えますわ」

 

エレオノーラの提案により、アンジェリーナとリエはスピアリンクの屋敷へ招かれる事となった。

道中、こけそうになるエレオノーラを侍女である婦人(名前は「メリッサ」と言う)が支えたりする些細なアクシデントがあった事を除き、何のトラブルもなく、待たせてあった馬車で移動できた。

 

 

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

 

 

屋敷に到着すると、スピアリンク家の家令が迎えてくれた。

ロマンスグレーが印象的な、40代位の真面目そうな男性である。

 

アンジェリーナは彼に見覚えがあった。

まだ学生時代に、ジェームズを通じて数回顔を合わせた事があったからだ。

 

「モーリス、あの…」

「はい、お客様をゲストルームへご案内いたします」

「…よろしくね」

 

口下手なエレオノーラの言いたい事を翻訳したのか、家令…モーリスは恭しくお辞儀する。

エレオノーラは「ありがとう」と小さく感謝の言葉を呟いて、客人であるアンジェリーナ達へ目を向ける。

 

 

「お二人ともこちらへ…」

 

 

  パリーンッ!

 

 

エレオノーラが言いかけたその時、二階から何かが盛大に割れる音が響いた。

それに怯えるように、エレオノーラはビクッと肩を震わし、モーリスが顔を強張らせた。

 

 

「何度言ったら分かるの!」

 

「も…申し訳ありません」

 

「お前のような者はクビよ、クビ! 即効荷物をまとめて出ていきなさい!」

 

 

飛び交う女性の怒号に、エレオノーラは祈るように手を重ねて目を閉じる。

…あたかも、嵐が通り過ぎるのを待つように。

モーリスが「少々失礼いたします」と断りを入れて、二階へと急いだ。

 

「メリッサさん、エレオノーラさんをお部屋へ」

「はい、かしこまりました」

 

エレオノーラを避難させるように、リエはメリッサに指示した。

彼女は二つ返事で、震える令嬢を守るように連れて行った。

 

「アンさん、無作法になりますが…様子を見に行きましょうか」

「そうね、『こっそり』ね」

 

…二階で何が起きているのか?

調べてみようというリエの誘いに、アンジェリーナは乗った。

『相手側に気付かれないように』というやや難易度の高い条件が付くが…。

 

「アンさん、これをどうぞ」

「…なにそれ?」

 

階段を上がっている最中に、アンジェリーナはリエからあるアイテムを渡された。

…星型を模した装飾品(ブローチ)だ。

リエに言われた通り、胸にその装飾品をつけた。

 

「これは、一時的に存在感をなくす事ができるアイテムです」

「…マジで?」

 

「例え、部屋に入りこんでも、他の人は私達がいる事に気付きませんよ。

一時間くらい効果がありますから」

 

リエの言葉から、これは魔法道具(マジックアイテム)の一種なのかもしれない。

小声で話をしつつ、先程の音が鳴ったと思われる部屋の前まで二人はやってきた。

扉は多少開いており、そこから部屋の様子が見える。

アンジェリーナとリエは、その隙間から中を覗いた(さすがに、堂々と中に

侵入するのは抵抗があった)。

 

 

部屋の中にいる人物は三名。

先程、状況を確認しに行った家令のモーリス。

彼の後ろに庇われる形で、年齢が10代後半程の目に涙を浮かべているハウスメイドが立っている。

 

彼等と向かい合うのは…多少派手な服装をした婦人だ。

外見は40代中頃…若作りをしようと濃い目のメイクを施しているが、逆にそれがマイナスに働いてしまい、きつい印象の中年女性に見えてしまう。

 

アンジェリーナはうわっ…と思わず、苦々しい表情となる。

何故なら、彼女はその女性と何度かお目にかかった事があるのだ…表の社交界で。

 

「モーリス、どういうつもり!」

「奥様、落ち着いてください」

「落ち着け? いつから、お前はこの屋敷の女主人である私に指図する権限を持ったの!?」

 

「この子が何か粗相をしてしまったならば、以後そのような事がないよう教育いたします」

「その必要はないわ、その女は今日解雇するの。さっさと屋敷から追い出しなさい!」

 

「詳細を教えてください…それに応じてご主人様の意見を聞かねばなりません」

「あの子に聞く必要はないの! 私の命令を無視するつもり!」

「奥様…」

 

感情的に怒鳴り続ける婦人。

彼女とは反対に、冷静に対応していく家令。

一種の修羅場を目にして、アンジェリーナはげんなりしてしまう。

 

「まっさか、あのスピアリンク夫人がいるなんて…聞いてないわよ」

「そういえば、アンさんはご存知でしたね…あの婦人の事を」

 

顔色一つ変えずに、扉の隙間から観察しているリエに対し、アンジェリーナは小さく頷く。

 

 

「アドリアナ・スピアリンク…社交界では『要注意人物』と言われてる人よ」

 

 

アンジェリーナが、彼の人…アドリアナ・スピアリンク夫人の存在を確認したのは、

社交界デビューをしてから間もない頃だ。

 

貴族図鑑には目を通していて、名前だけは知っていた。

当時のスピアリンク子爵…ジェームズの父親は、夫人を滅多に夜会に参加させず、

エスコートするパートナーは、実妹もしくは従姉妹が代わりを担っていた。

 

妻であるアドリアナを同行させなかったのは、病弱である事を理由にしていたが…

 

 

「実際は違っていた、と」

「初めて、彼女と会った夜会でね…すぐに理解したわ。本当の事情をね…」

 

  



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思わぬ依頼人と事件の鍵(2)


(1)の続き。
  


 

あれは忘れられない。

 

当時の夫人は、現在のように濃いメイクではなく、流行のドレスを纏った華やかな雰囲気の美女だった。滅多に出席しない夫人の姿に目を奪われる殿方もいたが、それ以上に眉を顰める者

…特に年長者の紳士・淑女…がちらほらいた。

まだ若輩者であったアンジェリーナは、周囲の異変に疑問を感じていたが、その原因は

そんなに時間が経たない内に判明した。

 

 

「スピアリンク夫人は、かなり強烈な人柄だったのよ。

…ドン引きするくらいのね」

 

 

夫人は自己中心的な性格だった。

そういうタイプの人物は貴族では珍しくないが、彼女の場合はかなり顕著であった。

踊りはうまいが、協調性がなく、社交界の情勢を把握するための情報収集も得意でない。

 

親しい付き合いのある婦人から聞いた話では、上位貴族の顔と名前も正しく理解していないらしく、スピアリンク子爵が別室で相手に頭を下げる場面が何度かあったらしい。

貴族に必要なスキルが中途半端だった所為で、アドリアナが他の出席者から遠巻きで見られるのに時間はかからなかった。

 

 

「その上、当の本人は常に自分が主役でないと満足しない性質でね…

社交界で人気がある淑女達に因縁をつける問題行動も起こしてるの」

 

「アンさんも、その被害にあわれたと?」

「ええまあね…」

 

 

特徴的な真紅の髪とドレスを纏うアンジェリーナは、今や社交界の華と言われ、幅広い階層との間にコネを築いている。それが気に食わないのか、時折顔を合わせるたびに、彼女からストレートな嫌味を言われる事がある。禍根にならないように、適度に受け流す感じで対応しているが、

アンジェリーナの中では彼女はお目にかかりたくない人物リストの上位にいる。

 

 

「ジェームズの母親だと知った時は、耳を疑ったわよ。

…性格が似なくてよかったとも思ったけどね」

 

「反面教師にしたのでは?

もしくは世話係や教育係の方の影響もあるかもしれませんね」

 

 

小声で話しながら、二人は部屋の状況を逐次観察する。

夫人と家令との押し問答は、以前として膠着状態が続いている。

これが継続するのか…と思われたが、近づいてくる気配にその懸念は払拭された。

 

「アンさん、誰か来ます」

 

リエは耳元でそう囁くと、アンジェリーナの手を引いて扉から少し離れた。

すると、早足で二人の人物が階段を昇り、部屋の中へ入った。

 

「ジェームズ…」

「サトクリフさん…執事の方も一緒でしたね」

 

離れたとはいえ、すぐに視界にいる場所にいたにも関わらず、ジェームズ達はこちらに

全く気付いていなかった。もらったアイテムの効果が発揮されているようだ。

すると、部屋から激しい怒声があがった。

 

 

「私は貴方のためを思って…!」

 

「本当にそう思うなら、これ以上使用人を無断で解雇するな!」

 

 

再び扉の隙間から中を見て、アンジェリーナは息を呑んだ。

ジェームズが険しい形相で、実の母親を叱責していたのだ。

 

鬼気迫るその姿に…あの夫人が怯んでいる。

執事であるグレルはびくびくしつつも、家令に指示されてハウスメイドの女の子を

連れて部屋から速やかに退室した。

 

「ささっ、早く安全圏内へ…」

「す、すみません…グレルさん」

 

グレルは、涙を流すハウスメイドを慰めながら一階へそそくさと急ぐ。

その数分後、「勝手になさい!」と言い残し、悔し気に下唇を噛み締めた夫人が

逃げるように部屋から出て行った。

 

「モーリス、すまない…」

「いいえ、ジェームズ様がいらっしゃらなければ…奥様の暴走を止められませんでした」

 

疲れた顔のジェームズを、モーリスが気遣っている。

 

 

「アンさん…エレオノーラさんの部屋へ行きませんか?」

 

 

リエの提案に、アンジェリーナは「…そうね」と頷いた。

友人に対して何もできない歯痒さ、哀しさに、アンジェリーナは持っていたバッグを

力強く握りしめる。

 

「お気持ちお察しいたします」

「リエ…」

「私も同じですよ」

 

エレオノーラの部屋へ歩を進めている時に、アンジェリーナの内心を察知したように、リエは言った。平静な表情をしているようで…違った。

 

アンジェリーナは感じ取っていた。

…リエが怒っている事を。

 

さっきのアドリアナのような荒れ狂い、全てを破壊するような分かり易いものでない。

あたかも、すべてを飲みこむ深海のような静寂な怒り。

その瞳の底に嵐が潜んでいる事に、アンジェリーナは形容しがたい怖さを感じた。

 

 

「もうしわけ…ありません」

 

 

部屋を訪れるや、エレオノーラが深々と頭を下げて謝罪してきた。

 

「お見苦しいところを見せてしまいました…」

「いいえ、気になさらないで」

 

顔色の悪いエレオノーラに、アンジェリーナは気遣いの言葉を送った。

その傍らで、世話係のメリッサがお茶菓子と紅茶を用意した。

 

「エレオノーラさん、お加減はいかがですか?」

「はい…リエさん。ありがとう…ございます」

 

リエの判断で、自室に身を隠したおかげでエレオノーラは心を落ち着かせる事ができた。

彼女のあの反応から、母親が日常的に癇癪を起こしているのが簡単に想像できる。

 

「お嬢様、アッサムのミルクティーでございます」

 

メリッサの淹れたミルクティーを、一口飲むとエレオノーラはほっ…と安堵の息を漏らす。

 

 

「…あの…マダム・レッド。質問をしても…よろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

「リエさんと…マダム・レッドは…その…どういったご関係…なのですか?」

 

 

アンジェリーナは「あっ」とうっかり声を漏らした。

そういえば、依頼人である目の前の御令嬢は、こちらの関係をまだ知らなかった。

 

  



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思わぬ依頼人と事件の鍵(3)


(2)の続き。
  


 

「エレオノーラさん。マダム・レッドは、私のプライベートにおける親友であり、信頼できる相棒(パートナー)でもあります」

 

「…探偵を…マダム・レッドが…ですか?」

 

リエの説明に、エレオノーラは目を大きく見開く。

瞳に星の煌めきが輝いているのは気の所為だろうか…。

 

「助手みたいなものだけどね」

 

アンジェリーナは苦笑しながら付け加える。

 

「すごい…すごいです! マダム・レッドはお医者様であると兄から伺っていましたが…

探偵業も兼任しているなんて、まるで物語の主人公みたい!」

 

「そ…そうかしら」

 

今まで自信のないたどたどしかったエレオノーラの口調が…スイッチが切り替わったように変化した。あまりの変わりように、アンジェリーナはやや引いてしまう。

 

「お嬢様、その辺にしておいた方が…」

「あっ、す、すみません…私ったら。はしたない事を…」

 

メリッサに注意され、エレオノーラはハッと我に返り、顔が湯船に浸かったかのようにだんだんと赤くなっていく。アンジェリーナは思わずクスッと笑ってしまう。

 

「構わないわ。むしろ、さっきの貴女、自然体で魅力的だったわよ」

「えっ…」

 

「ねぇ、レディ・エレオノーラ。自分のペースでいいから、貴女の趣味や好きな音楽…

ご兄弟の事とか、教えてもらえる?」

 

貴女の事をもっと知りたいの…と微笑を浮かべてアンジェリーナ。

エレオノーラは少しだけ顔を俯ける。

 

身に着けていたドレスの生地をキュッと指先で摘まんだり離したりしながら、

ゆっくりと顔を上げた。

 

「うまく喋れるか…自信はありませんが…聞いていただけますか?」

「ええ、もちろん」

 

エレオノーラは、ぽつりぽつりと語りだした。

読書が趣味で、空想上の登場人物の恋愛話や冒険物が大好き。

刺繍が得意で、チョコレートやマカロンなどの甘い物、肉よりも魚料理を好んで食べる事。

小さい頃から人見知りであり、知らない人を前にすると緊張してしまう事。

 

 

「そんな時、兄三人が励ましてくれました。

特にジェームズ兄様は…泣いている私をいつも慰めてくれました」

 

 

緊張がほぐれてきたのか、エレオノーラの口調がしっかりしてきた。

彼女は、兄弟と仲が良いようだ…中でもジェームズにとても懐いている。

 

 

「叔母様や兄達がいてくれたおかげで…私は孤独にならなかった…」

 

 

だが、エレオノーラは家族の話題を途中で終わらせてしまった。

…正確には、続きを口にしようとするのを躊躇っているようだ。

 

「…私…わたくし…」

「エレオノーラさん、交代しましょうか?」

 

上手く言葉が紡げないエレオノーラを見兼ねて、リエは代弁しようかと言うが、

彼女は首を左右に振った。

 

「いえ…言わせて、私は言わないと…いけない」

「…それは、貴女がリエに依頼をした事と関係があるのね」

 

アンジェリーナは、この時点である程度の覚悟を決めていた。

依頼人がエレオノーラであると分かった時に…

いや、それよりも前の…リエから『事件を見届けるつもりか否か』を聞かれた時から

嫌な予感はちらついていた。

 

 

「お願いです…マダム・レッド、リエさん。

どうか、どうか…助けてください…!」

 

 

目尻に涙を浮かべ、懇願するエレオノーラの姿を見て

…そして彼女が求める願いを聞いて、認めざる負えなかった。

アンジェリーナにとって受け入れづらい、最も信じたくない展開が待ち構えている事を…。

 

 

 

【思わぬ依頼人と事件の鍵】

 

 

 

「つまり…次に狙われるのは、この娼婦という事か」

 

 

一時間前、町屋敷でシエルはセバスチャンに確認を取っていた。

 

「はい、間違いありません」

 

彼が新たに作った複数の調査報告書に目を通して、切り裂きジャックが標的にするだろう人物を

特定した。

 

『あの時間帯に会場にいた、条件を満たす人物』には、犯行は不可能。

…お前のその言い方で勘違いしてしまったぞ」

 

「何度も申し上げましたが、調査結果にも“何一つ、嘘はついておりませんよ”

…坊ちゃん」

 

シエルは顔を顰め、チッと舌打ちをする。意地悪な笑みで反論するセバスチャンに仕返しで報告書を投げつけるが、あっさり避けられてしまう。

 

 

「僕とした事が…あの会場にいた人物ばかりに気を取られていた。

何もそこにこだわる必要はなかったんだ…」

 

『あの時間帯に会場から離れていた出席者』がいないとは限りませんからね…」

 

 

舞踏会に招かれた出席者は最後までいる…ある種の固定観念に囚われていた。

何かしら理由をつけて、途中退席する者もいない訳ではない。

 

「あの時間帯に、いらっしゃらなかった出席者は五名。

その中で条件を満たしているのは…一名しかおりません」

 

「その真犯人が次の犯行を起こすとしたら…」

「早ければ、今夜かと」

 

シエルは座っていた椅子から腰を上げると、セバスチャンに視線を向け、こう命じた。

 

「準備をするぞ、セバスチャン」

「イエス・マイロード」

 

犯人が出現するだろう現場へ二人は急ぐ。

 

そこで、事件の全容が明かされる事となる。

…“悲しい真実”といっしょに。

 

 

 

【つづく】

  



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真犯人との対峙(1)


真犯人が判明する回となります。
  


 

スピアリンク邸の書斎で、屋敷の主であるジェームズは書類に筆を走らせていた。

ちょうど、最後の自分の名前を書ききったところで扉をノックする音が響いた。

 

「旦那様」

「グレルか…入ってくれ」

 

主人の許可が下り、執事のグレルは扉を開けて入室した。

 

「何の用だ?」

「お、お疲れかと思いまして…お茶を準備いたしました」

 

グレルはシルバーのトレイに乗せたティーセットを運んできた。

 

「夜ですので…ローズヒップのハーブティーをご用意しました」

 

グレルが淹れたローズヒップティーをジェームズは一口飲む。

 

「…ありがとう。いい眠気覚ましになった」

「きょ、恐縮でございます…」

 

主人からの褒め言葉に、グレルは謙虚な返事をする。

 

「エレオノーラの様子はどうだった…?」

 

「メリッサさんから聞いた話では…夜会で知り合った友達を招いて話に花を

咲かせていたそうです」

 

ジェームズは仕上げた書類を封筒に入れる傍ら、グレルに質問を投げかけていく。

 

「ハウスメイドのエリスは…落ち着いたかい?」

「は、はい…モーリスさんのおかげで。…暫くはエレオノーラ様付になるみたいです」

「…そうなると、『あの人』付のメイドを探さないといけないな」

 

自ずと眉間に眉を寄せるジェームズ。

『あの人』とは、スピアリンク子爵夫人…アドリアナの事だ。

実の母親の事を『あの人』と呼んでいる時点で、ジェームズが彼女をどう思っているのか

…その事実を俄かに示している。

 

そうなっても仕方ない…とグレルは思う。

夫人…いやあの女の事を、家族だけでなくこの屋敷の使用人全員が忌避している。

我儘な子どもが、そのまま大人になってしまった事例だ。

 

聞けば、あの女は生家で末娘という事で両親から甘やかされて育ったようだ。

それが原因で歪な成長をしてしまい、トラブルメーカーと化してしまった

…実家の使用人達からの評判も底辺だったらしい。

家同士の繋がりのために、そんな難のある女性を妻にしなければならなかった

先代も憐れな人物である。

 

先々代を筆頭に、嫁を教育するのに四苦八苦した

…結果は、あまり功を為さずに今に至る訳だが。

 

そして、そのツケを先代が亡くなった今、子ども達が払っている

…なんともやりきれない現状である。

 

 

「メイドの募集要項を見直すか…っ!」

 

 

ジェームズが呟いていた時、咳をしだした。

 

「だ、旦那様…!」

「ゴホゴホッ…すまない、水を…持ってきてくれ…」

 

咳込む主人の命令に、グレルは慌てて水を用意した。

ジェームズは机に置いていた錠剤を数粒口に入れ、水を一気に流し込んだ。

 

「旦那様、お休みになられた方が…」

「いや…いい」

 

おろおろと不安そうにグレルが休息を取るように勧めるが…

ジェームズはやんわりそれを断った。

 

「薬を飲んだから大丈夫だ。それよりも…グレル」

「はい…?」

「これを…明日、郵便で出してもらえないか?」

 

ジェームズが、机に置いているいくつかの分厚い封筒を指さした。

 

「かしこまりました…あの、旦那様…どちらに?」

 

部屋を出て行こうとするジェームズに、グレルは不思議そうに尋ねると…

 

「やっぱり…君の言う通り、仮眠をとる事にするよ」

「そ、それでは準備を…」

「一人でできるよ…その代わりに、エレオノーラのところへ行ってくれるか?」

 

主人の言葉に、グレルは「…はい?」と目を瞬かせる。

 

「今いる使用人の中で、あの子がメリッサと同じくらい懐いているのは、グレル…君だ。

多分、今日のあの人の癇癪でまた怯えているはずだ」

 

だから傍にいてあげてほしい…微笑んでそう告げると、ジェームズは退室した。

 

「…懐いている、ね」

 

グレルは、室内に設置されている時計に目を向ける…時刻は午後八時。

天候は未だにすぐれない。

夜だというのに、鬱陶しい灰色の雲が闇と共に空を支配している。

 

また、雨が降り出すかもしれない。

グレルは軽く溜息を吐いた。

 

「この家に来てから約三年…時の流れって早いものだわ」

 

部屋にいるのは、グレル一人だけ。

緊張感が緩んだのか、彼はだんだんと素の口調へ戻りつつある。

 

「それにしても…こんな天気に【夜の散歩】なんて、いい趣味してるじゃない」

 

グレルは感知していた。

屋敷内にいるはずの人の数が足りない事を…。

 

「でも…これってチャンスかも」

 

グレルは、口元をにんまりと大きく吊り上げる。

その姿は、普段の気の弱そうな彼とは全く異なっていた。

 

  



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真犯人との対峙(2)

(1)の続き。
主人公の能力がちょこっと判明します。
  


街中を一人の女性が歩いていた。

そこでは珍しくない質素な服装をしている。

途中、仕事帰りの労働者三人がその女性とすれ違う。

 

「ん? さっきの女…見かけねえヤツだな」

「大方、地方からやってきたか、移民のどっちかだろ」

「あの格好…娼婦だな」

「あの様子じゃ、客が見つからなかったと言ったところか。この天気だし…」

 

今日は朝から雨が降ったり止んだりと…忙しない天気だ。

客足が遠のいてしまうのは無理もない。

娼婦にとって…まさに天敵ともいえる気候だ。

 

貴族や富裕層相手がパトロンとなり、いい生活ができる高級娼婦とは異なり、

労働者や貧困街に住む娼婦はその日の暮らしのために身を売らなくてはならない。

この街ではさほど珍しくない光景である。

 

「ハァ~…持ち合わせがありゃ、俺が客になってたのになぁ」

「なら酒は我慢しなくちゃな」

「カァ~! 世知辛い世の中だよ!」

 

労働者三人の会話など気にする事様子もなく、女性はスタスタと早足で進んでいった。

その後方から、怪しい人影がついてきている事を知らずに…。

 

 

 

*** ***** ***

 

 

 

「寒い…」

 

一人の少年がブルッと身体を震わせる。

 

「坊ちゃん、やはりその服ではお寒いでしょう」

 

少年の後方で執事服を着た見目麗しい男性…セバスチャンが自らの上着を貸そうとする。

 

「いや、いい。目立つと逆に犯人が警戒するかもしれない」

 

少年…シエル・ファントムハイヴは、腕を擦りながらも断った。

いつもの上品な仕立服とは異なる、貧困街に住む子どもが着てそうな粗末な服を纏い、

変装しているのは犯人を待ち伏せするためである。

 

「ここに張っていれば…本当に“奴”は来るんだな?」

「ええ、入り口はあそこしかありませんし、唯一の通り道は此処だけですから」

 

シエルとセバスチャンの目の先にある長屋には、ある人物が住んでいる。

 

名前は【メアリ・ケリー】

英国に渡ってきた移民であり、日々の糧を得るために娼婦となった。

問題は、彼女が犯人の次の標的だという事である。

 

「?……坊ちゃん、少し気になる事態が発生しました」

「何だ?」

「長屋にいるはずの標的が……ッ!」

 

セバスチャンがそう告げている最中に、片方の眉がピクッと動く。

 

「…坊ちゃん、誰かがきたようです」

 

セバスチャンが、シエルにこちらにやってくる気配がある事を小声を伝える。

小さく頷いたシエルは、セバスチャンと共に建物の影に隠れ、様子を見る事にした。

その直後、質素な装いをした女性がやってきた。

 

この長屋の住民だろうか…?

シエルが注視していたその時…その女性の後方から大きな黒い人影が出現した。

 

「あれは…!?」

 

女性よりも、背が高い…体格からして男だ。

薄汚れた外套で、顔が解らないようフードを深く被っており、少しずつ女性との距離を縮めている。すると、懐からキラリと光る物を取り出し、女性に目掛けて振りかざそうとしている。

 

「セバスチャン!」

 

シエルが咄嗟に自らの執事の名を呼ぶ。

それに応じて、セバスチャンもすぐさま動き出そうとした。

 

 キンッ!

 

「なっ…!」「あれは…」

 

「…ッ!?」

 

だが、凶刃はその女性に届かなかった。

女性を守るように囲っている透明な壁によって、斬撃が弾かれたのだ。

 

「危ないですよ、そんな物騒な物を振り回すなんて」

 

鈴が鳴るような心地よさ、それにアクセントを加えるように凛とした強さのある声音。

シエルとセバスチャンは、その女性の声に聞き覚えがあった。

 

「お、お前は…」

「貴方が狙っている女性ではなくて、ご期待に沿えずにすみません」

 

声を震わせる男に、女性は頭に被せていた布を外して顔を露わにした。

明らかになったその女性の姿に、シエルは大きく目を見開き、セバスチャンはやはり…と

呟く。

 

二人の予想通り、女性は『あの人物』だった。

 

 

 

「一応説明しておきますと、貴方が狙っている女性…ケリーさんは

長屋にはいませんよ」

 

「なんだと…?」

 

「今頃、暖かい暖炉のある親切な方の屋敷で、栄養のあるスープを飲みながら

雨で冷えた身体と心を癒しているはずです」

 

「チッ、余計な事を…」

 

女性の言葉に、男は舌打ちをして悪態をつく。

標的であるメアリ・ケリーが保護されていると明かされ、シエルは愕然とした。

 

「セバスチャン…」

「なるほど…先程、標的の気配が急に遠のいたのは、それが理由だったようですね」

 

どうやら、先程セバスチャンが言いかけた【気になる事】とは、メアリ・ケリーの

気配が長屋から別の場所に移った事のようだ。

 

そうなると、そんな不可思議な現象が起きた原因は――――

 

「…話があります。【切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)】さん」

 

切り裂きジャックと対峙している女性…リエ・クローチェの仕業だろう。

 

  



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真犯人との対峙(3)

(2)の続き。
  


「【切り裂きジャック】さん、貴方は…」

 

リエの言葉を遮るように、男性…切り裂きジャックは所持していたナイフでリエの頭から

剣線を浴びせようとした。リエは瞬時にバックステップして、その攻撃を避ける。

 

「まだ話している最中ですが…」

「うるせえっ!」

 

切り裂きジャックは間髪入れずに攻撃を仕掛けていく。

 

「まったく…忙しない方ですね」

 

リエは眉を顰めつつ、それを紙一重に回避していく。

 

 

(…あの女、只者じゃない…)

 

 

シエルは思った。

『リエ・クローチェ』という女性が、単なる珍しい女探偵ではない…と。

切り裂きジャックの猛攻撃をかわしていくあの身体能力は、人間の域を超えていた。

 

「この女ァ…ちょこまかと逃げやがって!」

 

切り裂きジャックが懐から別のナイフを取り出し、足元を狙って投げる。

 

 

  バァン!

 

 

リエは軽く浮遊してナイフをかわすが…その刹那、頬を素早い物が掠った。

視線を戻すと…切り裂きジャックが右手に拳銃を握り締めていた。

 

「武器が刃物ばかりだと思ったかァ~、ざーんねん!

使えるモンは使う主義なんだよ」

 

「なるほど、盲点でしたね」

 

リエは頬から流れ出る血を指先で拭い取る。

 

「おぅ、どうした? 顔に傷ができて言葉も出ねえほどショックだったか?」

 

くくくっと喉元を鳴らして笑う切り裂きジャック。

フードで顔は見えないが、その表情は下品な笑みを浮かべているに違いない、と

シエルは顔を歪める。

 

しかし、すぐに彼の笑い声は止まった。

何故なら…

 

「頬は痛いけれど、そんな事よりも聞きたい事があります」

「…な、に…ッ!」

 

リエの顔に焦りや恐怖の色がなかったからだ。

弾丸を放った犯人を冷静に見据える彼女…その姿に異様な気迫が漂っている。

じんわりと首の後ろに汗が流れ落ちるのが、シエルには分かった。

 

一歩後方にいるセバスチャンに視線を向ける

…彼も猟犬のように身体を緊張させているようだ。

 

「やはり、彼女は…」

 

セバスチャンが意味深げに呟いたのが耳に伝わった。

リエの事で、セバスチャンは何か思い当たる節があるのだろうか…。

シエルがその事を尋ねる前に、リエと犯人とのやり取りに意識が向いてしまった。

 

「どうしました? 寒さが身体に浸透してきましたか?」

 

リエが質問を投げかける。

彼女の言葉通り、切り裂きジャックは喉をヒュッと鳴らし、震えていた。

…目の前にいる虫をも殺せないような女に、得体のしれない恐怖を感じているのだ。

 

「もうこれ以上、罪を重ねるのはやめてください」

「…なんだ…と…」

「どんな事情であろうと、人の命を奪い取り、魂を甚振る行為はいけない事です」

 

 

 バァン!

 

 

「…何も知らねえくせに…綺麗事抜かしやがって…ッ!」

 

リエの言葉が神経を逆なでしたのか、切り裂きジャックは持っていた銃の引き金を

弾いていた。二発目の弾丸で反対側の頬にも傷ができたが、リエの顔に感情の揺れは

見られない。

 

「私は…よほどの事でない限り、殺生はしない主義です。命の糧を求める時や…大事な人を守る時、そういう時にしかその手段を使わない事にしています」

 

リエは一歩ずつ、切り裂きジャックに近づいていく。

 

 

「く…来るな…!」

 

「貴方も分かっているんじゃないですか?」

 

「来るんじゃねえ!!」

 

「切り裂きジャックさん…“もう一人の貴方”の声が聞こえているのでしょう?

彼の心は…悲鳴を上げていますよ」

 

「来るなァアアア!!」

 

 

  バァン、バァン、バァン!

 

 

複数の銃声音が夜の街に響く。

弾丸は、リエの身体の首、胸、腹部を貫通した…かに見えた。

 

「…う、そ…だろ…」

 

切り裂きジャックは…そして、隠れた場所で見ていたシエルは目を疑った。

弾丸は、リエの身体に命中する事無く、彼女の目の前で止まっていた。

あたかも、時が停止したかのように…。

 

「い、一体何者なんだ………お前は…!?」

 

「-―――ただの【探偵】です」

 

リエ・クローチェは、ハッキリと自らの身分をそう告げた。

いつのまにか、覆っていた雲空が晴れ、薄らと青白く輝く月が出現していた。

今まさに犯人を追い詰めている、彼女の味方をするように…。

 

 

 

【真犯人との対峙】

 

 

 

眼前にいる女性が、敵わない相手だと察知したのか…切り裂きジャックは踵を返して駆け出した。

 

「セバスチャン!」

 

シエルの命令に、セバスチャンは大きく跳躍して、切り裂きジャックの行く手を阻んだ。

 

「っ!…仲間、か…」

 

セバスチャンとシエルの登場に、リエは驚いた様子はなく二人に会釈する。

 

「ご無沙汰しております、伯爵、セバスチャンさん」

「…リエ・クローチェ殿、貴女が何故ここにいるのかは後でじっくり聞かせてもらう」

 

最優先すべき事を終わらせた後でだ…と言うと、シエルは犯人へ鋭い視線を向ける。

 

「今度は、ガキと執事…か。どいつもこいつも…俺の邪魔をしやがって…ッ」

 

歯ぎしりをする切り裂きジャックに対して、シエルはふんっと鼻で笑う。

 

「セバスチャン、いますぐ…」

「待って、シエル」

 

シエルが命令を下そうとしたその時、第三者の声がそれを阻んだ。

 

「「マダム・レッド…!」」

 

「…アンさん」

 

シエル、セバスチャン…そしてリエは声が重なる形で、その人物の名前を呼んだ。

その第三者は…トレードマークである真っ赤な衣装に身を包んだアンジェリーナであった。

 

「裁きを下す前に、その男と話をさせてちょうだい」

「マダム、だが…」

「お願い……覚悟はできてるから」

 

アンジェリーナの真剣な表情を横目で見たシエルは、首を縦に振った。

 

「…な、な…ぜ…き…み…が…」

 

突如現れたアンジェリーナに、切り裂きジャックは狼狽し始めた。

アンジェリーナは、カツカツと前に歩むと…彼に向けて口を開いた。

 

「貴方が犯人だなんて信じたくなかった。

けれど…現実から目を背けて、全てを見過ごすだなんて…私にはできない」

 

アンジェリーナは悲哀に満ちた顔で、言葉を続ける。

 

「だから…私は、貴方の凶行を止める選択をするわ。

切り裂きジャック…いえ、『ジェームズ・スピアリンク』!」

 

アンジェリーナは、決意していた。

犯人である【友人】を…なんとしてでも止めようと。

 

 

 

【つづく】

  



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暴かれた犯人と迫られる選択(1)


真犯人との戦いの始まりの回。
  


 

君は覚えているだろうか?

…初めて会った日の事を。

 

その日は、講義を終えた帰りに大学の学友と一緒に大学の廊下を歩いていた。

 

「教授の話、退屈じゃねえ?」

「ちょっと話が脱線しすぎる所がなぁ~」

「…そうだな」

 

友達の話を半ば聞き流していると、ざわめく第三者の声が耳に入った。

何事かと友人達とその現場である教室へ近づいてみると、数人の男性が一人の生徒と

言い争っている。正確には…数人がかりで一方的な言いがかりをつけていた。

 

その対象となっている生徒は…女性だった。

情熱的な真紅の長い髪を上品にまとめて、白いシャツに黒いスーツと長スカートで

身を包んでいる。動きやすい地味な服装をしているにも関わらず、整った美しい素顔と

知的な雰囲気に合わさる形で彼女の存在感を引き立たせている。

 

「お、あれって『レディ・レッド』じゃないか」

「…『レディ・レッド』?」

 

「ジェームズ、お前…知らないのか? 今、社交界の間で彼女を知らない人はいないぞ」

「…そっちは兄と弟が専門なんだ。僕は苦手でね」

 

この当時の僕は、社交界に距離を置いていた。

元々、貴族の集いに苦手意識があった。

当時は婚約者も決まり、父の跡を継ぐ準備が整っていた兄や将来のコネづくりのために弟が積極的に出席していた事もあり、学業専念を理由に避けていたのだ。

 

「優等生のお前でも、苦手分野があるとは…驚きだな」

「誰にだって一つや二つ、あるだろ」

「まあそうだな。なら、事情通の俺が教えて差し上げよう!」

 

友達は得意げに解説してくれた。

 

【レディ・レッド】…アンジェリーナ・ダレスの事を。

真紅の薔薇のような髪に、同色のドレスを纏い、その美貌と高い社交性で、

高位の貴族からも一目置かれている存在。

 

その一方で、看護師として経験を積み、難関の試験に合格し、自分と同じく医者を

目指しているという…異色の経歴の人物であった。

 

 

「女で医者を目指すなんて変わってるよなぁ」

 

「けど、試験や実技で好成績出してるんだよ。

単なるステータス狙いじゃなくて、本気でなりたいんだろうな」

 

「……そうなのか」

「その所為で注目の的だ、あんな風にね」

 

 

《ここはくだらないお喋りをする場所じゃないんだ》

 

《医者なんて生半可な思いじゃやってられないのは分かってる、君?》

 

《どうせ、途中で嫁いで辞めるんだろ?》

 

 

女性の社会進出の声が出始めている一方、この国の女性は未だに封建的な柵に囚われている。

アンジェリーナと対峙するあの同期の男達も、女性でありながら己よりも優秀である

彼女に嫉妬を抱き、難癖をつけているのだ。

 

「あの人達、ああ言ってるけど…講義をしょっちゅうサボってる所為で、

単位もヤバいって他の友人が噂してたよ」

 

「だから憂さ晴らし目的で、女をいびってると。

…情けない連中だ」

 

友人達の言う通りだ。

…なんて愚かで浅はかな奴らだろう。

 

「全く、男としての品格が疑われるな…っておい、ジェームズ?」

 

この時、僕はある種の正義感から悪意をまき散らすあの男達から、彼女を遠ざけたい

気持ちで一杯だった。

 

…彼女の姿が、自ずと自分と重なっていたから。

教室へ入ろうとしたその時…

 

 

「あら、言いたい事はそれだけ?」

 

 

思いもよらない展開が起きた。

今まで沈黙していた彼女が口を開いた。

 

「ご忠告は有難く受け取っておくわ。でも一応言いますけど、私は例え結婚しても

医者を続けますから。そのために結婚相手は慎重に選びます、だからご安心を」

 

「…なッ!」

 

「『Time is money(時は金なり)』という諺は御存じ?

あなた方は私に構う時間があるなら、それを有意義に使うべきではなくて? 

うまくいけば、二度も同じ学年を繰り返す悲劇を迎えずに済むでしょう」

 

まさか、反撃してくるとは予想していなかったのか、男達は呆気に取られたり、

鼻白んだりしている。

 

「な、なんて生意気な! 女の癖に…ッ」

「医者になるって事は、その熟れすぎたトマト色の髪を手入れする時間もないんだぞ!」

 

中には弱味を突かれた事に腹を立て、顔を真っ赤に染め上げて怒鳴る奴もいた。

アンジェリーナの自慢の真紅の髪をネタに的外れな貶し方までして

…そこまで彼女を傷つけたいのかと憤りを覚えた。

 

だが…アンジェリーナはまたしても驚くべき行動をとった。

近くの棚に置いてあったハサミを掴みとると…

 

「あっ……」

 

「「「ええっ!」」」

 

自らの長い髪をバッサリと切り落としたのだ。

 

「答えは単純ね。髪を短くすればいいだけよ。

これで満足かしら?」

 

ふふっ…としてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべるアンジェリーナ。

 

その場にいた誰もが目を疑った。

髪を切るだなんて大胆な行動に出るなんて、誰も予想していなかったからだ。

挑発した当事者達さえも、アンジェリーナのささやかな意趣返しに唖然として、

言い返す事すらままならない状態だった。

 

切った髪が、アンジェリーナの手で宙にばらまかれる。

はらりと舞う真紅の髪を背景に、敵を見据えるその姿は

…とても美しかった。

 

…僕にとって、彼女との出会いは凄く特別なものになったんだ。

  



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暴かれた犯人と迫られる選択(2)


(1)の続き。
  


 

「アン…ジェリーナ…」

 

切り裂きジャックの声音が変化した。

その声は…リエも聞いた事のあるジェームズ・スピアリンク氏のもので間違いない。

 

「ジェームズ………残念だわ。こんな形で貴方と話す事になるなんて、ね」

「きみは……なんで…」

 

「切り裂きジャック事件の犯人を突き止めるための捜査に協力しているの。

…私、こうみえて裏の顔もあるのよ」

 

「驚いた?」と言い返すアンジェリーナ。

犯人と話をしている彼女は感情を表に出さないよう、冷静に話しかけている。

その胸中は、怒り、悲しみ、失望といった感情が渦を巻いている事を…

リエだけが感じ取っていた。

 

「正直言うと、まだ信じたくないの。親しい友人に…裏の面があったなんて」

「…それ…は…」

 

「ねぇ、ジェームズ……何故? 何故、貴方が【切り裂きジャック】なの?」

「やめ…ろ…」

 

「『医者として多くの人を救いたい』って言ってた貴方が…

どうして、〝人を殺す側”になってしまったの?」

 

「やめろ…やめてくれ…!」

 

アンジェリーナの問いかけに、ジェームズは頭を両手で抑えながら酷く狼狽する。

 

「ちがう…ちがうんだ…僕は…ぼくは……うッ…!」

「…! アンさん!」

 

 

  キンッ!

 

リエの声がしたと同時に、金属音が鳴り響く。

 

アンジェリーナはハッとした。

愛用の武器…白金色の星の形の結晶石をつけた杖を出現させて、リエがアンジェリーナの前に何時の間にか立っていた。そして…先程までの様子から一転し、険しい形相となったジェームズが持つナイフと鍔迫り合いをしている。

 

彼の凶刃から、自分を庇ってくれたのだとすぐに察した。

 

「…うっ、うぅううう……くっ…クハハハハッ!

 

「ジェームズ…」

 

「…あーあー、だから言ったろ? 『ジェームズ』

…女は信用しちゃいけないってよ」

 

声音がまたがらりと変わった。

目の前にいるのはジェームズのはずなのに…彼は高笑いしながら、己自身に言い聞かせるように独り言を言い出す。侮蔑を孕んだ眼差し、冷酷に口端を吊り上げる…まるで悪魔が憑依したかのように、別人となっていた。

 

「セバスチャン、あの男…『何か』が憑いているのか?」

 

後方にいるシエルが、セバスチャンに確認するように質問すると…

 

「いいえ、取り憑かれてはいません」

 

セバスチャンは、きっぱり憑依の可能性を否定した。

 

「なら、あの変化は…」

 

「そうですね。分かりやすく言うならば、あの人物は…

〝もう一人のジェームズ・スピアリンク氏”でしょうか」

 

「セバスチャンさんの仰る通りです」

 

彼の言葉を、前方にいるリエが肯定した。

ジェームズのナイフを杖で弾くや、一瞬生まれた隙をついて彼の腹部に蹴りを入れた。

その衝撃でジェームズは二、三歩後ずさりして膝をついてしまう。

 

「リエ…もう一人のジェームズって…」

 

「ジェームズ・スピアリンクさんには、アンさん達が知らない【二つ目の人格】が

存在します。その人物こそ…一連の事件の犯人である『切り裂きジャック』

 

杖を持ち直しながら、リエは説明を続ける。

 

「一人の人間に、別の人格が宿る…ですって?」

 

そんな事がありうるのか…と半信半疑のアンジェリーナに、リエは「実際にあるんです」と

しっかりした口調で返答する。

 

「あまり知られていませんが、ジェームズさんの症状は心の病の一種です。

彼は何かが原因で、もう一つの異なる攻撃的な人格を生み出してしまった…」

 

リエは蹲るジェームズ…切り裂きジャックを注視している。

凶器を放したとはいえ、油断できないのだろう。

警戒を怠らない彼女を見て、アンジェリーナは察した。

…目の前の友人の外見をしている殺人鬼は、まだ奥の手を隠している可能性がある、と。

 

 

「…所有者が変わりましたか」

 

 

セバスチャンがそう呟いた。

小さな囁きが耳に入り、シエルは横目でセバスチャンを見ると、彼の目がリエが所持している杖を捉えている事に気付く。

 

「気になるのか? あの杖が…」

「はい、アレを再び目にするとは思いませんでしたから」

 

彼の口調から、かなり珍しい貴重な物のようだ。

詳細を続けて訊こうとしたその時…

 

「…ッ! 坊ちゃん、失礼します!」

 

セバスチャンは急にシエルを抱きかかるや、跳躍する。

「いきなり、何事だ」と言おうとしたシエルは、宙から下を見てギョッとした。

自分達がいた…建物の影が当たっている場所が、まるで沼のように揺らいでいた。

そこからにょきっと金色の瞳をした黒い生物が顔を出し、次から次へと発生しだした。

 

「な、なんだ…あの生物は…!」

「…アレも久方ぶりに目にします」

 

「おい! さっきから【アレ】【アレ】と言ってるが、そもそもあの杖と黒い生物は

何なんだ!?」

 

「説明は後でいたします。今は…別の問題が浮上しそうです」

 

後方付近に着地するや、シエルを抱えたセバスチャンは目を細める。

あの黒い生物は、アンジェリーナとリエに向かって襲い掛かっていた。

 

「マダム・レッド!」

 

叔母の窮地にシエルは思わず声をあげた。

 

 

  シャッ パシュッ、バシュッ

 

 

彼の声に反応したのか、アンジェリーナは手元から医療用のナイフを出現させ、投げつける。

飛び上がっていた魔物を一匹、至近距離にいた二匹を一瞬で消滅させた。

 

「…まったく、空気を読めないありんこね」

 

苛立ちを露わにするアンジェリーナは、影から湧き出てくる魔物を睨みつける。

アンジェリーナのナイフ捌きに、シエルは目を疑った。

 

…叔母が、戦闘スキルを身に着けている事を知らなかった。

慣れた感じで、医療用のナイフを駆使して魔物を一発で仕留めていくアンジェリーナに、

セバスチャンもほぅ…と関心を抱いているようだ。

  



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暴かれた犯人と迫られる選択(3)

(2)の続き。
  


「…あー、もう! なんで今日に限ってたくさん出てくるのよ!」

 

こちらの意思に反して、魔物…ハートレスがどんどん増殖していく。

アンジェリーナはその都度ナイフを投げているが、追い付かなくなっていく。

 

(ハートレスの数が…増えている?)

 

リエはある違和感を覚えた。

アンジェリーナの言う通り、出現するハートレス…シャドウの数が普段よりも多くなっている。

その疑問を思案していた次の瞬間、ある映像が頭を過る。

ハッと視線を前へ戻すや、その懸念が現実になろうとしていた。

 

「まずいです…!」

 

リエの慌てた声に、アンジェリーナとシエルの視線も前方に集中した。

視界に映った光景…そこには、腹部に手を当てて、よろりと立ち上がった切り裂きジャックの背後から、大量のシャドウが押し寄せていた。

 

彼等の顔に驚愕の色が浮かぶ。

 

 

「くくっ…ハハッ…! まってたぞぉ…」

 

「…あいつ、何をする気だ!」

「ジェームズ!」

 

降りかかってくるシャドウを拒む事無く、全身で受け止める切り裂きジャック。

本来なら、シャドウに心を奪われてしまうはずだが、ジャックは自らの体内に

シャドウ達を取り込んでいく。肉体に闇の魔物を浸透させていくその行為に、

アンジェリーナは背筋に悪寒が走る。

 

「は…ハートレスと自分の肉体を一体化させるなんて…可能なわけ!?」

 

「どうやら…切り裂きジャックは闇属性のようですね。

ハートレスは闇の力を使える強い対象者には従うんです」

 

リエの言葉が正しければ、ジャックは今まで凶器だけでなく闇の力も扱っていた事になる。

それを証明するかの如く、ジャックの全身が膨れ上がり、見る見るうちに変貌を遂げていく。

 

「させません」

 

セバスチャンが両手に構えた銀食器を投げつけ、首、腹部などの急所を狙う。

深々と刺さったように見えたが…

 

「…ッ!」

 

体内に取り込まれていたシャドウの一部が顔を出し、銀食器を弾いていく。

 

「…一筋縄ではいきませんね」

 

変化を遂げた切り裂きジャックに、セバスチャンは眉を顰めてそう言った。

大量のシャドウを取り込んだ事により、肌の色は禍々しい黒紫色となり、体格が筋骨隆々と

した巨漢となった。髪の毛の色が黒色となり、生きているかのように蠢いている。

閉じていた瞼を開くや、鮮血の色と化した瞳が露わとなり、口が三日月のように吊り上がる。

 

「『不気味な雰囲気を漂わせる大柄の男』

…アニー・チャップマンの証言と一致するな」

 

「アレを使って、姿形を変えていたとは…切り裂きジャックの人格の方は随分と

狡獪なタイプのようです」

 

「ごちゃごちゃうるせぇ!」

 

話していたセバスチャンとシエルに、切り裂きジャックが体格に反した俊敏な動きで拳を

振り下ろしてきた。セバスチャンはシエルを担いで、咄嗟にその場から跳躍して離れる。

拳が直撃した地面の土が抉れ、中サイズのクレーターが出来上がる。

 

「なによあれ…反則技でしょ」

 

アンジェリーナは顔を青ざめる。

 

「一撃をお見舞いされたら、普通の人だと一気にぺしゃんこですね」

「…そうね」

 

簡単に言えば…そうなる。

リエはソフトな言葉で表現しているが、これがオブラートに包まない言い方だったら

(なおかつ、リアルに想像してみたら)…

 

アンジェリーナは、そんな刺激的な場面を思い浮かべてしまい、小さく首を左右に振る。

 

 

 ズシッ、バキッ!

 

 

切り裂きジャックは、攻撃を仕掛けてくるセバスチャンを標的にしたのか、執拗に

追いまわしている。セバスチャンはジャックを引き付けながら、建物を利用して

縦横無尽に駆けながら戦っている。

主人であるシエルがいる場所に危害が及ばないよう、距離を取っているようだ

…さすがは執事と言うべきか。

 

「アンさん」

 

二人の戦闘に気を取られていたアンジェリーナに、リエが声をかけた。

 

「単刀直入に言います。

アンさんは、切り裂きジャックをどうしたいですか?」

 

視線を合わせるや、リエがそう問いかけた。

ドクンと心臓が波打つ。

 

「私は、依頼人の意思をできる限り尊重したいと思います。

同時に、契約者であるアンさんの…貴女自身の意見を聞きたいんです」

 

裏社会の掟に沿って、切り裂きジャックを始末するのか?

それとも…

 

暗に提示された選択に、アンジェリーナは唇を震わせた。

 

 

 

【暴かれた犯人と迫られる選択】

 

 

 

ある人物がその現場を見下ろしていた。

目に映るのは、静かな夜に不釣り合いなバイオレンスな戦いの光景。

 

「介入すべきか否か…悩むな」

 

呟いた小さな囁きは、激しい轟音でかき消される。

飛んでくる小さな瓦礫を器用に避ける黒装束に身を包んだその人物は…

一連の出来事を観察していた。

 

最初は、心なき者の気配を感知し、“いつも通り討伐する”ために足を運んだ。

だが、現場に来てみるや『先客』がいた。

 

心なき者を吸収して化け物と化した憐れな男。

それを相手に戦いを挑むのは、庶民の服装をした少年と執事、赤い衣装を纏う貴婦人と

質素な服装をした女性。

 

…なんとも、ちぐはぐな組み合わせである。

 

「…ん?」

 

その中の一人に自ずと視線が向かう。

質素な服装の杖を武器にしている女性の顔を目にするや、その人物…『彼』は目を

微かに見開いた。

 

(あの人は…)

 

女性に視線を集中させていた時、別の方角から新たな気配を感じ取った。

…その気配の主は、目下の場へと着実に近づいている。

 

(おっと…見られるとまずい)

 

気配の主は、戦いの舞台へ降り立とうとしている。

ならば…自分は姿を現さない方がいい。

そう判断した『彼』は、傍観者の立場を継続する事にした。

 

 

 

【つづく】

  




※最後に登場したオリキャラが、本格的に登場するのはまだ先の話です。
  


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苦悩する契約者と、執事の正体(1)


マダム・レッドが苦悩する回。
そして……
  


 

※作中に流血シーンなどの残酷描写があります。

 そういった描写が苦手な方は、読む事を控えてください。

 

 

*** ***** ***

 

 

《父親似の赤毛が大嫌いだった。

 赤い色が大嫌いだった》

 

 

まだ世の中を知らない純粋な少女だった頃、私は父親から受け継いだ赤い髪が

コンプレックスだった。そばかすがある自分の容姿にも自信が持てず、優しくて

美人で、亜麻色の髪の姉が羨ましかった。

 

 

『君は何故、そんなに前髪を長く伸ばしてるの?』

 

 

そんな私を変えたのは…あの人だった。

 

 

『人と違うのは“恥”じゃない、個性だよ。

アンの赤毛はとても綺麗だ。

――――地に燃える【リコリス】の色』

 

 

優しい笑顔で、私の髪を褒めてくれた。

身内以外でそんな事を言われるのは初めてだった。

 

 

『君には赤がよく似合う。もっと自信を持っておいで』

 

 

貴方のあの言葉は、魔法だった。

みすぼらしい服装の灰かぶりの少女を、白銀のドレスと装飾品で着飾った美しいお姫様に

変身させてくれた魔法使いのように…

 

私に自信と勇気をくれた。

 

 

《そして、私は前髪を切った。

 父親似の赤毛が好きになった。

 赤い色が好きになった。

 ―――“あの人”が大好きになった》

 

 

『アン、良い知らせがあるの!』

 

 

でも、私はあの人の特別になれなかった。

あの人が選んだお姫様は…姉さんだった。

 

 

《―――私は硝子の靴を履けなかった。

 それでも、魔法が解けてしまわないように…

 私は自分を守るために、新しい魔法をかけた》

 

 

振り返ると、私は自分の心が壊れないように何重にも衣を重ねて本心を偽っていた。

義理兄と姉が二人で仲睦まじくいる姿を見るたびに、傷ついて…嫉妬して…

そんな感情を悟らせないように必死だった。

 

 

《赤い色が、また嫌いになった》

 

 

私は大嫌いだった夜会に、沢山出席するようになった。

派手なメイク、真っ赤なドレスで夜会を渡り歩く

…いつしか私は【レディ・レッド】と呼ばれるようになった。

 

そして、子どもの頃からの夢を叶えるために両親の反対を押し切って、医師免許も

手に入れた。

 

義理兄と姉は夫婦の絆を深めていった。

政略結婚が多い貴族階級の間では、【オシドリ夫婦】だと言われるくらいの仲睦まじさ。

可愛い子ども達にも恵まれて、温かくて幸せな理想の家庭を築き上げていった。

彼等は私を邪見する事無く、受け入れて信頼してくれていた。

 

――――私の大好きな人達。

 

同時に、灼けつくような感情をいつもどこかで感じていた。

 

 

『ごめんなさい、忘れられない人いるの』

 

『それでもいい。君が傍にいてくれるなら』

 

 

やがて、私は夜会で知り合った人と結婚した。

夫は、私が初恋の人を忘れられないにも関わらず、私を愛してくれた。

…今振り返ると、あの時の私は夫にどれだけ酷い事をしていたのだろう。

 

 

私はいつも失ってばかり。

 

…初恋の人だった義理兄。

…嫉妬していても大好きだった姉。

…私だけを愛してくれた夫。

 

過去を後悔しても、時間が戻る訳ではない。

…誰かがそんな言葉を言った気がする。

まさにその通りだ。

 

一度失ったモノを取り戻す事は難しい。

…地位や名誉、夢、信頼、愛情がそのいい例。

ましてや…命を落とした者を蘇らせる事なんて不可能だ。

 

――――私が大好きな人達はもういない。

 

私が必死に追いかけて行っても、もう手の届かない場所にいるのだから。

 

 

《魔法が解けてしまった私は悲しみに暮れた。

 ガラスの靴は履けず、最も愛を注いでくれた人を見極められず…どちらも失ってしまった》

 

 

『それでも、貴女は生きる事を選んだ』

 

 

そう…私は選んだ。

絶望から闇に飲まれかかった私に手を差し伸べた人がいた。

 

 

『貴女はまだ希望を失ってはいなかったから』

 

 

夫が残してくれた…私の身に宿っていた【命】

プライドも何もかも捨てて、藁をも縋る思いだった。

最後に残った希望を守るために、私は選択した。

 

 

『貴女は運命を覆す選択をした。

たった一つの【光】を繋ぎ止めるために…

願いを叶えるために…私と契約をした。

その【対価】として、貴女は○○○を捧げた』

 

 

《迷いなんてなかった。

 もしあの時、選択を突きつけた相手が【彼女】じゃなかったとしても…

 神であろうとも、悪魔であろうとも…

 ――――私の答えはとっくに決まっていたのだ》

 

 

これから生きていく上で、私は常に選択し続けていくのだ。

それが辛い結果を生む事になるとしても…

たったひとつの願いのために、私は生きていかなければならないのだから。

  



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苦悩する契約者と、執事の正体(2)


(1)の続き。
  


 

「逃げんな、ごらっ!」

 

迫りくる巨漢の攻撃を紙一重に避けていくセバスチャン。

 

(やれやれ…夜中に大声を連呼するとは、無作法な男ですね)

 

…とはいえ、現在進行形で【戦闘】という名の騒音を出しているこちらも人の事は言えないが。

 

切り裂きジャックの正体…ジェームズ・スピアリンクは二つの人格を併せ持つ男だった。

犯人探しの調査をしている際に、ジェームズの経歴…そして過去についても調べた。

彼が攻撃的で、女性蔑視の思想を持つ人格を生み出した原因は…既に特定していた。

…家庭内の歪な要因の所為で、負の感情を大きく育ててしまった一人の人間の憐れな話。

 

正直、セバスチャンにとって契約を交わした人物以外はバッタのようなものだ。

現在進行形で戦っている相手は、あの闇から生まれた魔物…ハートレスを従属させられるだけの

強さがある点は評価できる。

ジェームズと…切り裂きジャック自身の背負う闇と業はかなり深いのだろう。

 

だが、セバスチャンから見れば…あくまで【それなり】だ。

分かりやすく言えば、特定の分野で平均よりも多少は上にいく実力を発揮できたレベルである。

 

(…とはいえ、戦うには厄介なタイプですね)

 

切り裂きジャックは単純に外見通りの怪力だけが取り柄でなく、草食動物のような

機敏な動きもできるようだ。ハートレスをその身に取り込んでいるため、銀食器の

物理的な攻撃を跳ね返す防御力も強いので侮れない。

 

(なんとか、あのハートレスを切り裂きジャックから引き剥がせないでしょうか…)

 

攻撃を回避しながら、セバスチャンは打開策を模索する。

彼の視線は、自ずと二人の人物へ向けられていた。

 

 

 

切り裂きジャックの攻撃の手がセバスチャンに集中している一方、アンジェリーナと

リエは溢れ出てくるハートレスに対処していた。

 

「アンさん、前方をお願いします!」

 

リエはそう指示すると、飛びかかって来るシャドウを体術と合わせてキーロッドで

蹴散らしていく。

 

「ちょっと…なんでこう増えてきてるの!?」

 

アンジェリーナは医療用のメスで複数のシャドウを消滅させながら疑問を投げかける。

 

「切り裂きジャック…彼が闇の中心となって呼び寄せているからです。

彼をどうにかしないと、この仔達は無限に出てきます!」

 

リエの言葉に、アンジェリーナは下唇を噛み締める。

 

 

(私は…選ばないといけない)

 

 

アンジェリーナは迷っていた。

 

 

(ここで、切り裂きジャックに引導を渡さないとダメ…)

 

 

裏社会の掟を破った者には、裏社会の番人の手で相応の制裁を加えなくてはいけない。

ファントムハイヴ家は勿論、アンジェリーナもまた味方としてその手助けをする必要がある。

 

 

(でも、ジャックを殺してしまえば…ジェームズも…)

 

 

さらなる犠牲者が増える前に、切り裂きジャックは狩らなければならない。

しかし、それは同時にジェームズの命を奪う事を意味するのだ。

 

 

(どうすれば…どうすればいいの…?)

 

「アンさん!」

 

 

リエの呼び声に、アンジェリーナがはっと我に返る。

迫りくるシャドウ達を目にして、急いでメスを投げつけようとするが、その内の一匹が

アンジェリーナの腕にしがみつく。

 

「ちょっ…! はなれなさい!」

 

突然のアクシデントに、アンジェリーナは慌てる。

その隙を狙い、二匹のシャドウが忍び寄ろうとしていた。

 

 

――――バンッ!

 

 

その時、一発の銃声音が響き、アンジェリーナの腕にしがみついていたシャドウが

弾けるように消滅した。

 

「マダム・レッド、しっかりするんだ!」

 

離れた場所にいたシエルが声を張り上げた。

護身用の銃を構えている甥っ子を見て、彼が助けてくれたのだと分かった。

 

「その通りです、アンさん」

 

後方にいるリエもそう言うと、キーロッドを振り上げて地面を薙いだ。

地を這う二つの衝撃波が発生し、近づいていたシャドウ二匹を一瞬で倒した。

リエはそのままアンジェリーナのもとへ駆けてくると、彼女の腕を確認する。

 

「痛い所はありませんか?」

「ええ…大丈夫」

 

怪我はないかと問いかけられ、アンジェリーナは浮かない表情で答える。

 

「マダム・レッド…貴女はこの場から離れた方がいい」

 

銃を手にしたまま、歩を進めてきたシエルが冷静な口調で言った。

 

「シエル…」

「切り裂きジャックを葬り去るのは、女王の番犬である僕の役目だ」

 

シエルは真剣な顔で、戦っている自分の執事と切り裂きジャックの方向を見つめる。

 

「でも、私は…」

「ハッキリ言わせてもらう。貴女でも、もう奴を元に戻す事は不可能だ」

 

諦めてくれ、と諭すようにシエルは告げた。

アンジェリーナの精神状態を考慮した事…そして、切り裂きジャックを手にかける

場面を直接見せないための彼なりの気遣いなのだろう。

 

そして、シエルは迫りくる魔物相手にバン、バンッと的確に銃弾を撃っていく。

何の反論もできずに、アンジェリーナは項垂れてしまった。

 

「アンさん…」

「リエ…私、わたし…」

「すみません。私が選択を急かしてしまう発言をしてしまった所為ですね…」

 

申し訳なさそうにリエが謝ると、アンジェリーナは小さく首を横に振った。

 

 

「違う…頭では分かっているのよ。

切り裂きジャックを今、倒さないといけないのを…」

 

 

でも…と顔をあげたアンジェリーナの目尻には涙が浮かんでいた。

 

 

「…やっぱりダメ。私は…ジェームズを殺したくない」

 

 

かつて、閉鎖的な男社会だった大学で自分の存在を認めてくれた人。

身分など関係なく、困っている人を…病気や病で苦しむ人々を一人でも多く助けたいと

意気込んでいた優しい男性。ただ、ジェームズはアンジェリーナや友人達の前では

一つの側面しか見せていなかった。

 

――――人には【光】と『影』がある。

 

ジェームズも同様で、彼にとって『影』の部分が切り裂きジャックという大きな闇を

浮き彫りにさせてしまったのだ。

 

 

「罪を見逃すわけにはいかない。

それでも命を奪わない…別の選択をしてほしいの…ッ!」

 

 

アンジェリーナは、瞼を強く閉じて自らの願いを口にする。

裏社会に属する者として、甘い考えなのかもしれない。

それでも、あの時のように…一縷の望みを抱かずにはいられないのだ。

  



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苦悩する契約者と、執事の正体(3)


(2)の続き。
  


 

「まったく…とんだ甘ちゃんネ」

 

不意に聞こえてきた声に、アンジェリーナは目を開けて後方を振り返った。

 

「貴方は…」

 

「ごきげんよう。マダム・レッド…

今宵は喧騒が絶えないドラマチックな夜だと思いませんか?」

 

ジェームズの執事のグレルがそこにいた。

妙な事に…彼はいつものおどおどした気弱な雰囲気はなく、どこか芝居がかった口調で

挨拶をしてきた。

 

その不自然な態度に、アンジェリーナは警戒の念を露わにする。

ちょうど、ハートレス退治が一段落して安堵の息を漏らしていたシエルもまた、

突然の乱入者を訝し気に見つめていた。

 

「…グレルさんはどうしてこちらに?」

 

二人の声を代弁するように、リエは平静な表情を崩す事無く質問を投げかけた。

 

「ご主人様を追いかけてきたんです。

…体調がすぐれないのに、寒い夜中にあんな火遊びをしていたなんて

…驚きましたよ」

 

「そうですか…では、質問をしてもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

 

「グレルさん、貴方のご主人様はジェームズさんですか?

それとも…切り裂きジャック?」

 

リエの問いかけに、グレルは口元を三日月のように吊り上げた。

 

 

「そうですねぇ、教えてあげてもいいですけど…アナタはどっちだと思います?」

「【どちらでもない】…と個人的には推測しています」

「それはナゼ?」

 

「切り裂きジャックが犯した一連の事件を検証している間、彼以外にも共犯者がいるか

いないのかも合わせて調べていました。結果として…切り裂きジャックは自らの能力を

用いた単独犯で、協力者の影は見当たりませんでした」

 

 

それに…とリエは付け加えるように言葉を続ける。

 

 

「もし、貴方が関与していたなら…メアリ・ケリーさんは確実に殺されていたでしょう。

他の事件も、些細な証拠を残さずに完璧に未解決事件を作り上げていたはずです」

 

 

この数年の間に切り裂きジャックが犯した事件の内の数件で、彼の者の犯行だと示す

証拠がいくつか残っていた。万人には分からなくても、推理力に長けた人物がいたら

足跡を辿って犯人を割り出せるものばかりだった。

切り裂きジャックは狡猾なタイプだが、完璧に証拠を消す事はできなかったようだ。

 

 

「そして、一番の理由は貴方の纏う【気】を感じなかった事。

人間とは異なる…特有の神気が残っていなかった。

それこそが、貴方が『切り裂きジャックの味方ではない』という何よりの証拠です」

 

 

アンジェリーナはゴクッと喉を鳴らした。

リエの推理が正しければ…グレルは人間ではない!

 

 

 パチパチパチパチ

 

「エックセレント! 100点満点だわぁ~v」

 

 

グレルが拍手をして、賛辞の言葉を口にした。

 

「お前は…一体何者だ?」

 

シエルが目を鋭くして問いかけると、グレルはリボンとメガネを外し出した。

 

「“アタシ”は女優なの。それもとびきり一流よ」

 

「ええ、とても素晴らしい演技力でした。

私もよく観察しなければ、分からなかったくらいの実力でしたね」

 

「ウフフ、そう言ってもらえると光栄ネ☆」

 

月の淡い光がグレルの全身を映し出す。

光を浴びるや…グレルの髪色が闇を連想させる黒から、鮮血を思わせる赤へ染まっていく。

 

「やっと本当の姿になれた!

スッピンで人前に出るのは恥ずかしかったのヨ。ンフフッv」

 

「…な、なんか…キャラが一気に変わってない?」

 

乙女な口調で喋るグレルに、アンジェリーナは顔を引くつかせる。

 

「改めて、グレルさん…貴方の本当の目的を教えて頂けますか?」

 

「そうね…パーフェクトな回答をもらっちゃったし、ご褒美にリエちゃんのリクエストに

応えてあげましょうカ」

 

黄緑色の目を爛々と光らせて、グレルは話していく。

 

 

「アタシはね、女優とは別に【本業】があるの。

数年越しの仕事を終わらせるためにココに来たワケ。

…ダカラ、とっとと狩らせてもらうワヨ!

 

 

 

【苦悩する契約者と、執事の正体】

 

 

 

そう宣言するや、グレルは大きく跳躍した。

空中を移動する中、彼は大きな武器…チェーンソーを出現させて両手に構えた。

ブォンッ!と鋭い機械音を鳴らしながら、グレルが辿り着いたのは…戦闘の真っ最中の

切り裂きジャックとセバスチャンのところだ。

 

「まさか…グレルの目的って…!?」

 

アンジェリーナの顔が蒼白になっていく。

グレルの乱入は予想外だったのか、セバスチャンと切り裂きジャックの目は彼へ向かう。

 

「ごきげんよう、ようやく会えたわネ…切り裂きジャック」

「だ、ダレだ…!?」

「あーらやだ、気付かないなんてガッカリさせないデヨ~」

 

次の瞬間、動揺する切り裂きジャックの肩から斜め下にかけて亀裂が入った。

 

 

――――ブシャァアアア

 

 

その身に取り込んでいたシャドウ達が消え失せると同時に、血が飛び散っていく。

 

「正解は……アナタの執事DEATH★!」

 

真っ赤な血で濡れた衣装を気にする様子もなく、グレルは狂気に満ちた笑みと共に

決め台詞を言う。

 

…切り裂きジャックの頑丈な身体にダメージを与えた。

その場面を目の当たりにしたシエルの額から汗が流れ落ちる。

 

「あの尋常じゃない素早さ、強力な武器……奴も悪魔なのか?」

「いいえ、違います」

 

リエが緩慢に首を振り、それを否定した。

 

「グレルさんが持っている武器は特殊なもので、魂を刈るための道具です」

「魂を刈る…それって…」

 

信じられない顔でアンジェリーナは、リエに説明を求める。

戦いの現場を真剣な表情で見つめながら、リエはグレルの正体について言及する。

 

 

「この世界で人の魂を刈り取り、審査して回収するのは…

神と人との中立であるはずの存在の役目。

グレルさんの正体は、その仲介役とも言える種族…【死神】です

 

 

 

【つづく】

  




※グレルは変身を解いて、本来の姿へ戻った!

※ストックが切れたので、更新が不定期になります。

  


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赤執事の告白と、リエの実力(1)


グレルの告白と、主人公の実力が一部明かされる話。

※作中に流血シーンなどの残酷描写があります。
※原作キャラがオリキャラに対して、厳しい態度を取っています。
※女性に対する差別・蔑視を含んだ発言があります。

そういった描写が苦手な方は、読む事を控えてください。
  
  


 

その光景はスローモーションのように、アンジェリーナの視界に移される。

グレルによって、切り裂かれた皮膚からは血が溢れ出ていた。

 

「―――ジェームズッ!」

 

上空から真っ逆さまに落ちていく切り裂きジャック。

思わず名前を叫んでいた。

アンジェリーナの声に反応したのか、切り裂きジャックの瞳の色が赤から

ブラウンへと変化した。

 

盛大な音を立てて、切り裂きジャックは地面へ激突した。

…だが、体内に取り込んでいたシャドウ達が地に辿り着く直前に外へ出て

クッション替わりになったために大したダメージは受けていなかった。

 

 

「…忌々しいワ、あのぬいぐるみもどき。

あれをデスサイズでも完全に狩れないのがネックなのよネ」

 

 

グレルは愚痴を零しながら、トンッと地に立った。

 

「…死神が【執事】をしているとは、初めて見ますね」

 

同じく、地上に戻ったセバスチャンもグレルを見据える。

 

「あら★ アナタ…アタシに興味があるの?」

「貴方個人というよりも…そちらの方との関係性が気になります」

 

倒れたまま動かない切り裂きジャックを、セバスチャンはじっと観察している。

瞳の色が変化しているようだが…何か関係しているのかもしれない。

そう思案していると、グレルが軽く溜息を漏らした。

 

「ふぅ…アナタみたいな色男は好みだけど、

ストレートに情報をバラすほどアタシは軽くないわヨ?」

 

「そうですか、大体は予想できますから構いませんよ」

「冷たい人ネ!? でも、そういうとこが心擽られちゃうじゃないv」

 

恍惚とした顔で、セバスチャンを見つめるグレル。

どうやら、セバスチャンは彼女?の好みにどストライクのようだ。

 

「それにしても、悪魔が執事してるなんて初めて見るワ。

アナタと契約してるあの子に…どんな物語があったのかしら?」

 

「ファントムハイヴ家の執事たる者、部外者に当家の事情を易々語るなど

…愚かな真似はいたしません」

 

「ンフv 機密情報はきっちりシークレット…執事の鏡だワ」

 

やたらと親しそうに話しかけるグレルに、セバスチャンはポーカーフェイスを

心掛けているものの目は笑っていなかった。

 

 

「そうね…セバスちゃんと出会えた記念に、大サービスで教えてあげましょうか。

―――アタシがご主人様に仕えていた【理由】を」

 

 

グレルは目を細めて、未だに動かない切り裂きジャックへ視線を向ける。

 

「死神のお仕事はハードなのヨ。だから、各地区で担当を決めてるの。

そんなハードな回収課の一人として、アタシも日夜頑張ってるワケ」

 

でも…とグレルは険のある表情となり、言葉を続ける。

 

「ある時期から、あのぬいぐるみもどき…ハートレスの数が急に増えてきた。

アレは放っておくと厄介なのヨ。

…人間の魂を食べてしまう【悪魔】みたいにネ」

 

「その原因に…ジェームズさんも関わっていたんですか?」

 

リエが会話に参加する形で尋ねると、グレルは怪しい笑みを浮かべる。

 

 

「正解♪ あくまで要因のひとつみたいだけど、

ソレは他の同僚の担当だから説明はパス。

…で、アタシはご主人様の動向を探る役目になったの。

わざわざ出向しなきゃいけなくなったのは苦痛だったワ」

 

「グレル…きみは…最初から…わたしを殺す気だったのか…?」

 

 

切り裂きジャックが悲しそうな口調で問いかけてきた。

声音がジェームズに戻っており、アンジェリーナはハッとした。

 

「ジェームズが元に…」

「マダム・レッド、ダメだ」

 

駆け寄ろうとしたアンジェリーナを、シエルが手で制止した。

切り裂きジャックが、こちらを油断させようと演技している可能性がある。

…迂闊に近づくと攻撃されかねない。

甥の言いたい事を察したアンジェリーナは、もどかしい気持ちを堪える。

 

「あらヤダ、ご主人様。もしかしなくても戻れるの?

その様子だと…もう一人(ジャック)の事も認識してそうネ」

 

「……知るのが早ければ…よかった…

今でも…くやしくて…たまらない…ッ!」

 

ジェームズ自身は、もう一人の自分に気付いて日が浅いようだ。

誰よりも人を救いたいと願っていたのに、自分の闇が原因で人を殺めてしまった。

…その事実に傷つき、恥じて悔やんでいる。

目から一筋の涙が零れ落ちるその姿は、ジェームズ本人であるとアンジェリーナには分かった。

 

「はぁ…気付くのが遅すぎ。ソレが貴方の罪ネ」

 

グレルは溜息を吐いて、天へ顔を上げた。

 

「正体バラしちゃったし…この際だから本音を言っても構わないわよねぇ。

ご主人様…アタシ、前からスゴク言いたい事があったのヨ。

いえ、アンタだけじゃなくてもう一人(ジャック)に対してもネ」

 

改めてジェームズへ視線を向けたグレルは…嫌悪感を顔に滲ませていた。

 

 

「ハッキリ言って、アンタ達…スッゴクむかつくワ

 

 

グレルが発した言葉に、ジェームズは狼狽する。

 

「グレル……ぼくは…君に何を…」

 

「まずは…ご主人様、アンタが苦労してたのはよーく分かってるワ。

先代と後継ぎが亡くなったから、子爵の地位をイヤでも継がなきゃダメだった。

その所為で、夢を諦めないといけなかったんだもの…

両立させるなんてあのババアが許さなかったんでしょ?」

 

そう言われるや、ジェームズは瞼を強く閉じて全身を震わせる。

その当時の事を思い出したのか、苦しい表情を浮かべている。

 

 

「慣れない領主の仕事に四苦八苦。

それに加えてババアが好き勝手に行動して、周囲に迷惑をかけてしまうワ、

懇意だった貴族が離れてしまうワで大苦戦。

ババアの所為で使用人達はヤメテしまうし、働き手が来ないワ

…まさにブラックでカオスな負のスパイラル!」

 

 

かく言うアタシも、任務じゃなきゃ速攻でおさらばしてたわよ…と

吐き捨てるようにグレルは言った。

 

アンジェリーナは、ズキッと胸が痛んだ。

グレルの語りを聞いて、ジェームズが想像していた以上に辛い境遇にあった

…その事実に心が苦しくなったのだ。

 

「でもね…それならもっと早くに元凶(ババア)をどうにかしなかったワケ?」

「それ…は……」

 

「ハッキリ言って、アンタは優柔不断なのヨ。

【血の繋がりがあるから】って理由で、今でも元凶を家に押し込めるだけで

問題を先延ばしにしてるダケ。

その所為で、被害にあったのはアンタだけじゃないのよ」

 

彼女?の言葉に、ジェームズは反論しない…いやできない。

きつく聞こえるが、グレルの言う事は正論である。

それが分かっているから、ジェームズは沈黙するしかないのだろう。

 

 

「エレオノーラちゃんが、どれだけ怖い思いしてたか把握してる?

アンタがいない時に、ババアの標的にされやすいのはあの子なんだから。

一方的に振り回される上に、さんざん他人への悪口のオンパレードに付き合わされる

…精神的な拷問そのモノ。

 

反抗的なマネをするなら、怒鳴り散らすし…よくもまあ耐えてるって思うわ。

理不尽に一部の元使用人からも、クビにされた腹いせで母親の代わりに

茶器をぶつけられそうになったりしたのよ」

 

 

アタシが対処してなかったら、どうなっていたか…とその時の事を

思いだしたグレルは苦い顔になる。

 

 

「あのダンディな家令のモーリスだって、物をぶつけられて生傷ができても、

無茶難題を言われてもイヤな顔せずに我慢してるワ。

世話係のメリッサなんて、ババアの我儘が原因で実の家族とすれ違った結果、

今じゃ手紙を送っても返事がこない状況よ」

 

 

スピアリンク家のあまりにも悲惨な家庭事情に、アンジェリーナは絶句する。

 

「他家の事情に口を出すのは無粋だが…」

 

会話の一部始終を聞いていたシエルが、厳しい顔で口を開いた。

 

「ジェームズ・スピアリンク…お前は当主として選択を誤った。

中途半端な善意で、身内だけでなく無関係の人々に悲劇をもたらしてしまった。

その事実に目を逸らし、闇に落ちてしまったのは紛れもなくお前自身の責任だ」

 

「…うるせぇ!」

 

突然、ジェームズが激昂した。

声音が切り裂きジャックへ変わり、瞳は鮮血色へ戻っていた。

 

「どいつもこいつもうるせえんだよぉおオオオ!

気色わりぃ女男とガキが説教垂れやがって、何様だッ!?」

 

「…どうやら、ジェームズ氏と切り裂きジャックの入れ替わりは、

ジェームズ氏の精神状態も関わっているようですね」

 

怒りを露わにする殺人鬼に対し、セバスチャンが冷静に分析する。

切り裂きジャックが憤怒の表情を浮かべ、八つ当たりのように壁や地面を破壊する。

 

「お前らにジェームズの何が…分かる!

俺はあいつの事を…一番知っている…ッ!!」

 

「ほぉ…では、ジェームズ様が心から何を望んでいらっしゃるのでしょうか?」

 

セバスチャンが探るような目で問いかけると、切り裂きジャックはニヤリと

口端を吊り上げる。

 

 

「あいつはもう現実には戻りたくねえんだ。

…口煩い無能で有害なババアや、泣いてばかりの目障りな妹、平気で子を捨てる

阿婆擦れ共がいるこの世界から離れたいんだよ!

 

だから、俺があいつの代わりになる。

そして、この英国中のすべての女を選別し、従順なモノだけ僕にしてやる!

逆らう者共は全員粛清だァアアアア!!

 

 

切り裂きジャックは高らかにそう宣言した。

 

「バカね、そんなのムリに決まってるでしょう」

 

しかし、そんな彼の野望を叶える事が不可能だとグレルが断言した。

バッサリと即答で言われた事に、切り裂きジャックはへっ…と間抜けな声を

漏らしてしまう。

 

親友の闇の深さに心を痛めていたアンジェリーナも、グレルの発言にギョッとする。

 

「てっ…てめえ! ふざけた事抜かすんじゃね…ッ!」

 

グレルは、憤怒の表情で睨みつける殺人鬼に怯む様子もない。

それどころか、フッと冷笑を浮かべた。

 

 

「弱い者イジメしかできないアンタ如きが…女を舐めんじゃないワヨ。

アンタ以上の強さの女はもっといるんだから。

―――ねぇ、リエちゃん

 

 

流し目をしてグレルが指名するように、リエの名を呼んだ。

  



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赤執事の告白と、リエの実力(2)


(1)の続き。
  


 

グレルの言葉に、アンジェリーナ以外の周囲の目は一斉にリエへ向かった。

シエルとセバスチャン、そして切り裂きジャックの視線を受けても、

リエは動揺する事無く平静な顔を崩さない。

 

「グレルさん、もしかして…ご存じなのですか?」

 

リエが聞き返すと、グレルは「うふv」と意味深げな笑みを浮かべる。

 

 

「初めて出会った時、すぐに気付いたわ。

貴女が【エクレシア】だって事…

 

 

グレルの言葉に、アンジェリーナは驚きを顔に露わにした。

聞き慣れない単語に、シエルは目を細めるとセバスチャンに視線を移す。

主からのアイコンタクトを受けて、セバスチャンはふぅ…と首を緩慢に振ると口を開いた。

 

「リエ・クローチェ様も、人間とは異なる種族なのですよ。坊ちゃん」

「やはりそうだったのか…」

 

「彼女と同じ系統の種族を見かけたのは…数百年ぶりですね」

「なっ…!?」

 

こういう形でお会いするとは思いませんでした、と感慨深そうに語るセバスチャン。

見た事のない執事の一面に、主であるシエルは訝しそうに観察している。

 

 

 

(セバスチャンも…なの…?)

 

セバスチャンの発言を…間近で聞いていたアンジェリーナは顔を強張らせた。

元々、人離れした運動神経をしていたが…よもや人外だったとは。

 

(シエルはどうしてセバスチャンと…)

 

そうなると、契約者はシエルで間違いない。

二年前のあの事件の際に…何があったのだろうか?

 

 

 

「俺が…その女より弱い、だと? ふざけんじゃねえ!!」

 

切り裂きジャックは激昂した。

つい先程、リエの闘気に怯んだ事をすっかり忘れてグレルの発言に大声で反論する。

 

 

「そいつは、今まで殺してきた女の中じゃ断トツの容姿とプロポーションだ。

しかも、そこらの娼婦どころか、大貴族…いや王族の愛妾でも差支えねえくらいレベルだ!

だが、見る限り武器を扱うどころか、泣いて男の欲を刺激して守られるだけしか

能のない乙女そのものじゃねえか!

男の夢を具現化したヤツが、俺より強いだなんて絶対にあり得ねえ!!」

 

 

切り裂きジャックはビシッと指をさして、リエが弱者だと主張する。

どうやら、彼はセバスチャンと戦う事に夢中で、リエがハートレスを退治していた場面を

見ていなかったようだ。

 

「うーん…私は褒められているのでしょうか? 貶されているのでしょうか?」

「褒め貶しってところネ。表現の仕方がマジであり得なさすぎだけど★」

 

「全く…表の方(ジェームズ)はいざ知らず、裏の方(切り裂きジャック)は

無教養を自ら露呈しましたね。品のなさに関しては一流といったところでしょうか」

 

切り裂くジャックに対して、グレルとセバスチャンが手厳しい批評をする。

感情的にではなく、冷静にチクチクと針で刺すが如く相手に地味にダメージを与えていく。

高慢故に、切り裂きジャックは二人の毒舌に我慢できずに喚く。

 

「け…喧嘩売ってんのか、てめぇらァアア!!」

 

「コッチの言動にいちいち突っかかってくるその態度

…癇癪持ちのお子様じゃあるまいし、三流そのものヨ」

 

「至極当然の意見を申し上げただけです」

 

グレルは呆れたように肩を竦めてズバッと指摘し、

セバスチャンはしれっと即答する。

 

(この二人…何気に息が合ってない?)

(こいつら、息が合いすぎだろ)

 

アンジェリーナとシエルが心の声がほぼ重なり合った。

 

「上等だ…そいつが非力だと今すぐ証明してやるよ!!」

 

闇が一か所に集まっていく気配を感知した、セバスチャンとグレルがそちらの方に

目を向ける。彼等の視線先には、シャドウがわんさかと湧き出ている。

「やれ!」と切り裂きジャックが命じた瞬間、シャドウ達は群れとなって一斉に、

リエに目掛けて刃の如く襲いだした。

 

「まずい…!」

 

シエルが声を上げる。

セバスチャンが銀食器を構えたが、すぐに視界に映った光景に目を見開いた。

 

 

「申し訳ございませんが、ご期待に沿う事はできません」

 

 

押し寄せてきたシャドウの波を…リエが愛用の杖で一閃したのだ。

 

「あっ…えっ…? な、なぜ…だ…」

 

切り裂きジャックの脳内では、リエはハートレスの餌食となって同じ闇の魔物へ

成り果てていたはず…。それがあっさりと覆された事で、彼は衝撃のあまり言葉が

上手く紡げなくなってしまった。

 

状態異常にかかった元凶を気にする事無く、リエは杖を構える。

 

「我は汝、魂と契約を交わし『大いなる心』なり。契約の名において命ず…」

 

「リエ…チェンジする気ね」

「どういう事だ?」

 

シエルが問いかけると、アンジェリーナは真面目な顔で言葉を続ける。

 

「リエの武器は、能力に応じてデザインが変わるのよ」

 

アンジェリーナは知っている。

リエがあの呪文を唱える時は、本気モードである事を…。

 

 

「【生命を尊ぶ慈愛の女神】よ。

汝、万物の【鍵】となりて我とともに軌跡を紡ぎたまえ」

 

『あらあら~、出番かしら?』

 

 

すると、彼女の隣に緑色の粒子を放つ光の球体が現れた。

その不思議な球体を見たセバスチャンが…硬直した。

普段ならあり得ない彼の様子に、シエルはぎょっとする。

なお、グレルの方は「うそっ…マジで」と仰天顔を披露していた。

 

(そんなに…すごいものなのか?)

 

セバスチャンとグレルがあからさまに動揺している。

リエが召喚したあの光は…一体何者なのか?

 

 

 

「グリューネさん、お願いいたします」

『分かったわ』

 

リエの呼びかけに、光の球体…グリューネは了承するとリエの武器に

浸透するように入り込んだ。

 

眩い光が杖全体を覆い隠し、形状が徐々に変化していく。

目を数回瞬きする程度の時間で、その杖の全容は明らかとなる。

水色の花弁が特徴的な花(東洋にある『蓮』という花の一種)を象った装飾。

此処に美術商がいたら、速攻に買い取りたいと願うだろう美しい芸術作品に

ふさわしい杖だ。

 

「手加減せずにいかせて頂きます」

 

リエがモデルチェンジした杖を構えると、バラバラと零れ落ちていく

シャドウ達に照準を当てる。

花弁の中央にある緑黄色の六角形の宝石が、小さな粒子を漂わせながら

俄かに光を出し始める。

 

 

「静寂な夜を照らす光の蕾、月の力を経て大輪の華へ咲き誇り…」

 

 

リエが呪文を唱えていくにつれて、あちらこちらに淡く輝く蛍のような光が出現する。

それに反応したシャドウがじわじわと忍び寄ってくるが…それに反応した光は変化していく。

光は満開の花々を形作り、徐々に輝きが強くなっていく。

 

 

「やがて散る花弁よ、潜む脅威を浄化する吹雪となれ」

 

 

呪文を唱え終えるや、光の花は一気に弾けた。

散っていく夥しい数の花弁が、シャドウ目掛けて降り注いでいく。

舞い落ちてきた花弁に当たったシャドウは一瞬で消滅した。

 

 

「―――【輝きの花吹雪(ブライトネス・ブロッサムストーム)】」

 

 

花吹雪は勢いを増していき、溢れ出てくるシャドウの群れを一斉に浄化していく。

あんなに手こずっていたたくさんの闇の魔物が瞬く間に浄化されていく光景に、

シエルは愕然とする。

 

(あいっかわらず…凄すぎるわ)

 

眼前に映る戦闘に、アンジェリーナは冷や汗を流しながら苦笑していた。

リエが、杖…キーロッドを変化させて戦うのを見るのはこれが初めてではない。

今回のを含めると…三回目だ。

 

通常のキーロッドでも十分強いのだが、モデルチェンジしたものはさらに

特殊能力が追加されていく仕組みのようだ。

 

アンジェリーナが知っているのは、リエが現在進行形で使用している

『グリューネ』ともうひとつの形態の二種類のみ。

…他にも種類があるのかもしれない。

 

それでも、キーロッド…『グリューネ』は尋常でない力を持っている。

事実、あんなにうじゃうじゃと溝のようにいたアリンコもどき…シャドウ共を

一掃したのが証拠だ。

  



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赤執事の告白と、リエの実力(3)


(2)の続き。
  



 

「さて、これで…どうなると思いますか?」

 

リエが薄らと笑みを浮かべ、意味深げな発言をする。

彼女が発動させた術はまだ解除される事無く、闇の魔物を消滅させ続けている。

あまりにも信じがたい現状に、切り裂きジャックは思考が追い付かず…

形容しがたい怖れに全身を震わせていた。

 

「クローチェ様、ご助力感謝いたします!」

「ナイス・アシスタント★」

 

そして、切り裂きジャックがその言葉の意味を理解するよりも

…早く行動を起こす者達がいた。

 

セバスチャンが腹部に向けて複数の銀食器を放ち、グレルは背中を右斜めに

斬りつける。

 

「ぐっ…あぁアアアア!」

 

先程はまるで歯が立たなかった銀食器が、切り裂きジャックの腹部に刺さり、

紫がかった黒い色の煙が出てくる。

背中の方も、グレルのデスサイズによる一撃が効果覿面だったようだ。

デスサイズによって切り裂かれたところから、シャドウが五体ほど具現化して

離れていった。

 

「やはり、クローチェ様の術は切り裂きジャックにも効いているようですね」

「おかげで、さっきよりヤりやすくなったワ」

 

リエの術は、切り裂きジャックと一体化しているシャドウにも影響を及ぼしている。

そのため、切り裂きジャックの強固な鎧と化していた肉体も弱体化しているようだ。

 

 

 

「くそ…くそくそくそぉおおお!

 

切り裂きジャックは、両手で頭を抱えながら咆哮する。

容赦ないセバスチャンとグレルの攻撃をなんとか退けながら、

彼はリエを睨み付ける。

 

「なんでお前みたいな女がいるんだ!

何故、強い!? 外見詐欺だろ!!

俺は認めねえ、認めてたまるものか!!

この世に強い女なんていねえはずだ!!」

 

その目に映した先程の光景を…切り裂きジャックは必死に否定しようとしている。

肯定すれば、己の中のアイデンティティが崩れ去ってしまう。

それを防ぐために、『リエの実力は紛れである』『リエは女装した男なんだ』という

自分の都合のいい思考で無理に納得しようとしているのだ。

 

「私の事をどう思われようと構いません。

でも…一方的な女性に対する固定観念は捨てるべきです」

 

切り裂きジャックの暴言に対して、リエはハッキリした口調で言い返した。

 

「私以上に強い女性はいますよ。

物理的な力だけではない、強い心を持つ方々を…私は知っています。

切り裂きジャック…いえ、ジェームズさん。

貴方の身近にもいるじゃないですか」

 

「そんな奴いねえ…」

「本当にそうですか?」

 

真剣な眼差しのリエに問いかけられ、切り裂きジャックは言葉を詰まらせる。

 

 

「ジェームズさん、辛くて悲しい記憶がたくさんあると思います。

忘れたくて、目を逸らしたくて仕方ない事ばかりかもしれません。

でも…それだけではなかったはずです」

 

(そうだ…【彼女】は立ち向かっていた)

 

 

切り裂きジャック…ジェームズの脳裏に、あの時の記憶が蘇る。

かつて、医学生時代に【彼女】…アンジェリーナがたった一人で

理不尽な言いがかりをつける男達と戦っていた。

 

荊の道を、確固たる意志を持って進んでいくアンジェリーナは

あたかも異国の聖女を連想させるくらいに…強い女性だった。

 

 

「その人と過ごした日々は、貴方にとって心休まる日々だった

…そうではありませんか?」

 

 

アンジェリーナと友人となり、医学生として共に過ごした月日は穏やかで

満ち足りたものだった。どうして、今まで忘れていたのだろうか…。

 

 

「その思い出は、貴方にとって大切な宝物。

捨ててしまえば、二度と戻らないかけがえのないものです。

その記憶を失ってまで、手に入れようとしているものに価値はありますか?」

 

 

リエのその言葉を聞いた瞬間、切り裂きジャックの瞳の色がブラウンへ戻った。

 

「…あの記憶を捨てて、得る物…そんなものあるわけない」

「ジェームズ…」

 

「嫌だ、この記憶は…僕の心の支え…この思いだけは…

失いたくないッ…!

 

ジェームズは首を左右に振り、自分自身に言い聞かせるように大声で本音を吐露する。

残虐な【もう一人の自分】を奥へ押し込めて、封印しようと必死のようだ。

アンジェリーナはジェームズの様子に思わず駆け寄ろうとしたが…

 

「や…めろ……ジェームズ…やめろ!」

 

瞳の色が赤く染まり、再び切り裂きジャックが表に出てくる。

 

「惑わされるんじぇねえ! 記憶がどうした!

お前の支えだっていうアンジェリーナは別の男を選んだろうがッ!!

昔の思い出なんかに女々しくしがみついたところで…

ぜんっぜん意味がねえんだよ!!」

 

「まったく、しぶとい人格ですね」

 

セバスチャンはうんざりした心情を顔を露わにして、喚く切り裂きジャックの頬に

そこらに落ちていた石を容赦なく投げつけた。

剛速球のそれは見事命中してしまい、切り裂きジャックはぶぼばっ!と

間抜けな声を漏らす。

 

「同感だワ。ご主人様もとっととねちっこいそいつから主導権を奪ったら、

コッチは楽に狩れるのに」

 

「狩られてなるものか! 俺の野望を…ッ」

 

グレルの嫌味を含んだ挑発に言い返そうとした瞬間、切り裂きジャックは苦悶の表情を浮かべ、

「げほっごほっ」と激しく咳をし出す。

 

そして、咳と共に…鮮血色の液体が盛大に地面へばらまかれた。

 

 

「ご…れば…ッ」

 

切り裂きジャックは、己の口から出たそれを見て愕然とした表情となる。

 

「あいつ…まさか病を患っているのか?」

 

喀血した彼を目にしたシエルは、訝しそうにその推測を口にする。

アンジェリーナは、もしやとグレルの方へ自ずと視線を移した。

浮かびあがった、信じたくない可能性を否定してもらいたかったが…

グレルは緩慢に被りを振った。

 

「そんな、ジェームズは…」

 

「最初に言ったでしょう?

そもそも、こいつが野望を叶えるなんて絶対にムリなのヨ」

 

己の異変に動揺している切り裂きジャックに、グレルは憐みの眼差しを向ける。

 

 

「切り裂きジャック……ジェームズ・スピアリンクは肺の病に侵されている。

だから、アタシは本業を遂行しないといけないのヨ」

 

 

 

【赤執事の告白と、リエの実力】

 

 

 

「…いつからなの」

 

「判明したのは一カ月前。本人は隠そうとしてたけどネ…バレバレよ。

ご主人様は…もうそんなに長くないワ」

 

「うそだ…ウソだ…嘘だァアアア!」

 

グレルの言葉に、切り裂きジャックは狼狽する。

 

「いえ、本当ですよ。私にも分かります。

スピアリンク様の生命力が徐々に弱まりつつあるのが…」

 

「ふざけんな! 俺は認めねえ、こんな…こんな理不尽な事あるか…ッ!!」

 

セバスチャンの足を掴んで壁へ投げつける切り裂きジャック。

飛ばされる途中で、セバスチャンは一回転して軌道を変えると

切り裂きジャックの背中へ蹴りを入れる。

 

「数年間、このアタシや同期の目を掻い潜って好き勝手やってきたでしょう。

アタシの貴重な時間を奪った上に、被害者の女達を血祭りにしてきたんだから

自業自得ネ!」

 

グレルは吐き捨てるように言うと、デスサイズを構えてすかさずに攻撃を

仕掛けていく。

 

 

 

 

再び激戦が繰り広げられる中、アンジェリーナは顔を俯けて沈黙していた。

 

「今から逃げたとしても、誰も貴女を責めたりしない」

 

シエルはそう言うしかなかった。

薄っぺらい同情や気休めの言葉なんて…何の意味もない。

残酷な事実が明かされた今、アンジェリーナが誰よりも絶望しているのだから。

 

「この結末は僕が責任を持って見届ける。だから…」

「いいえ、まだよ」

 

シエルが帰宅を促そうとしたその時、アンジェリーナが待ったをかけた。

予想外の事に、シエルはぱっと隣にいる彼女へ目を向けた。

 

「まだ…私にもできる事がある」

 

そう告げると、アンジェリーナはゆっくりした足取りで前へ進んでいく。

 

 

「リエ…いえ、『マリエル・レイディアン』

 

 

セバスチャン達を加勢しようと、呪文を唱えている最中のリエに対して、

その【名前】で呼んだ。振り返ったリエは、アンジェリーナに尋ねる。

 

「なんでしょうか?」

「……貴女の力を貸してちょうだい」

 

ギュッと拳を作り、アンジェリーナは協力してほしいと言った。

 

「…覚悟を決めたのですね」

「ええ、そうよ」

 

迷う事なく答える契約者に、リエは満足そうに頷く。

 

 

「分かりました。アンさんの【願い】を教えてください」

 

 

 

【つづく】




※グレルは今までの鬱憤を発散し始めた!

※リエは仲間である【グリューネ】を呼び出し、キーロッドと融合させた!

※アンジェリーナは覚悟を決めた!


※次回は、また出来上がり次第の投稿となります。
  


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契約者の術披露と、謎の人物との遭遇(1)


アンジェリーナがリエと協力して、切り裂きジャックに立ち向かう話。

※冒頭は、アンジェリーナの回想となります。
※リエの過去が一部明らかになります。
※最後の方で、オリキャラととある人物が再登場しています。

※作中に戦闘場面や残虐描写があります。
そういった描写が苦手な方は、読む事を控えてください。
  


 

アンジェリーナは振り返る。

それは…彼女がまだ戦いの仕方を習い始めたばかりの頃の事。

 

「まずは、簡単な運動から始めましょう」

 

リエからの提案で、体操とウォーキングをするところから開始した。

ちょうど、ウォーキングを終えて休憩がてらリエと談話していた際に…

 

「えっ…エクレシアって武器にもなれるの?」

 

「正確に言うと、【契約者の願いに応じて、その人が最大限に力を発揮できる姿に

なれる】ですね」

 

形式契約を交わしたとしても、すぐにエクレシアの力を100%引き出せる訳ではない。

契約者のレベルが足りていないと、エクレシアの力を借りても上手く使いこなせず、

下手をすれば暴走するリスクもある。エクレシアの力を強引に引き出そうとして、

逆に自滅した契約者も過去に存在したそうだ。

 

「リエは、武器になった経験があるの?」

 

「そうですね。契約している方の立場によっては、何度かありました。

女子学生や狩人、花屋の従業員、魔法使い、貴族、冒険者…

変身する回数が最も多かったのは、海賊王だった男性と契約していた時ですね」

 

「契約者の職種の幅、広くない!?」

 

リエはアンジェリーナ以外に…他の世界にも契約者がいる。

リエは契約者の力量を把握したうえで、相手に合わせて力の出し加減を調整しているようだ。

ただ、契約者がレベルアップできるようにその都度トレーニングや課題を設けている。

 

「今のアンさんは、体力に関しては平均的な英国人女性よりもやや上です」

「あー…まあね。体力がないと医者はやってられないから」

 

「でも、戦う術に関してはこれから学ばなければなりません。

いわゆる【学生】の立場になります」

 

その通りである。

アンジェリーナは首を縦に振る。

そもそも、英国の上流階級にいるレディに必要なものは淑女としての教養、社交術などである。

女王陛下を守る騎士のように、戦闘スキルは求められていない。

 

 

(剣術とか、東洋の武術とか習わされるのかしら…?)

 

 

以前、知人の誘いで剣術の試合を観戦した事があるが、迫力があって見物だった。

しかし、思い返してみると…剣術とは、一朝一夕で身につくものではないと思った。

プロの騎士一人一人の剣捌きは、幼少期からのハードな鍛錬を積み重ねてきた

…いわば努力の証なのだ。

 

子持ちの未亡人であるレディが、いざ剣を手にして素振りをするなんて難しいだろう。

うーん…と眉を寄せて悶々と思案するアンジェリーナに、リエは微笑を浮かべて

こう言った。

 

 

「アンさんに必要なのは体力作りです。

それから、アンさんに合った戦い方を考えていきましょう」

 

 

 

 

 

リエの教えのもと、アンジェリーナは訓練を重ねていった。

二ヶ月ほど経過した頃には、最初に比べて体力と筋力もアップしてきて、

リエの動きに少しだけついていけるようになった。

 

「リエ…貴女って、戦い方は誰から学んだの?

プロの人から習ったの?」

 

訓練の最中に、感じていた疑問をさりげなく投げかけてきた。

リエは外見に反して、剣術や体術といった戦闘スキルが卓越している。

 

アンジェリーナは、女性の剣術の達人を知っている。

…初恋の人であり、義兄であったヴィンセントの妹、フランシスだ。

英国騎士団の団長であり、夫のミッドフォード侯爵さえも敵わない剣の使い手であり、

初めて彼女の実力を目にした時は度胆を抜かれた。

 

フランシスは、特殊な立場である生家の影響で戦う術を身に着けなければならなかったようだが…

リエの場合はどういう経緯があったのだろうか?

 

「生前、【先生】にあたる方から教わりました」

「へぇー…どういう方だったの?」

「お年を召したご婦人です」

 

リエの師匠にあたる人物は、高齢の女性だった。

名前は『ローニャ・オフェロ』

 

幼少期のリエは早くに両親を亡くしてしまい、一回り年上の姉も宮中勤めで忙しい身で

あったため、物心ついた時には一人の時間が多かった。

姉に代わり、ローニャは定期的にリエの面倒を見ていたようだ。

 

ローニャは厳格な人であり、町に住む幅広い年齢層の住民の間では…

ある意味、有名な女性であった。

 

そんな彼女は、リエにさまざまな事を教えた。

基本的な文字書きからはじまり、自国の公用語だけでなく複数の外国語や礼儀作法、

古典・歴史・数学・地理・道徳など…その中に『護身術』と言う名の【戦闘術】の科目も

含まれていた。

 

 

「ねぇ……なんか、おかしくない?」

「…? どこかおかしい所がありますか」

 

「あのね…今の話を聞いたら、私じゃなくてもツッコみたくなるわよ!

とりあえず、聞いておきたいいくつかを一つにまとめるけれど、

その人…ご近所にいる庶民のご婦人だったのよね?

そういう人が、なんで上流階級の教養やら戦闘術を嗜んでいたわけ?」

 

 

アンジェリーナの疑問に対して、リエは補足説明した。

ローニャは他国の上流階級の出身で、とある事情によりリエの故郷に来たらしい。

相当苦労したようで、その過程で世間の荒波に負けないように…生き抜くための術を

会得したようだ。

 

「そもそも、貴女の故郷では女子がそういう事を学ぶのは普通だったの?」

「いいえ、違います」

 

リエは微苦笑して返答した。

彼女の姉もローニャの世話になった経験があったが、リエのようなハードな事は

教わらなかったようだ。

 

彼女の姉曰く「リエの場合は【特別コース】」だった、との事。

 

「やっぱりね…」とアンジェリーナは顔を引きつかせて笑う。

身分やら性別とか関係なく、リエの師匠の教育カリキュラムはツッコみどころが満載だ。

 

 

「ローニャさんは、世間知らずの私が苦労しないように

生きる知恵を授けてくださったんだと思います。

そのおかげで、今の私がいますから…」

 

 

幸いと言うべきか…リエ本人は、ローニャに感謝しているようだ。

もしかしたら、ローニャが過剰ともいえる教育を施したのは、それだけリエに期待を

かけていたのかもしれない。あくまで憶測であり、真意は謎だが…。

 

 

 

 

 

はぁ…と息を漏らして、アンジェリーナは自ずと掌を眺める。

 

「…このままでいいのかしら」

 

思わずそう呟いてしまった。

スローペースだが、力はついている気はする。

だが、リエの相棒として釣り合うには…まだまだ程遠かった。

 

「アンさん」

 

自信がぐらついていたこちらの心境を察知したのか、リエが声をかけてきた。

 

「力は必要ですが…そればかり求めていたら、大切なものを見失ってしまいますよ」

「一番重要なのは――――」

 

あの時のリエの言葉は、アンジェリーナの胸に深く刻み込まれている。

そして…今、残酷な悲しい事件を終わらせるために、リエの力を使う事を決めたのだ。

  



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契約者の術披露と、謎の人物との遭遇(2)


(1)の続き。
  


 

「マダム・レッド、何をするつもりだ?」

 

シエルは、リエ・クローチェとの会話を終えたアンジェリーナの元へ近づく。

…アンジェリーナは何か仕掛けるつもりだ。

その事を察したシエルは、彼女の真意を確かめるためにその問いかけをした。

 

「シエル…いえ、ファントムハイヴ伯爵、お願いがあるの」

 

「さっきも言ったが、切り裂きジャックはもう手遅れだ。

ジェームズ・スピアリンクを元に戻す事は諦めた方がいい…」

 

「いいえ、あるわ」

 

きっぱりと即答された事に、シエルは耳を疑った。

 

「伯爵の望みは、切り裂きジャックを裏社会の法のもとで裁いて、女王の憂いを取り除く事。

私の願いは、本来のジェームズを取り戻す事。

この二つを同時に叶える方法があるのよ」

 

「…そのような奇跡が起きたとしても、ジェームズ・スピアリンクが犯した罪は

消えない」

 

シエルは低い声でその事を指摘する。

そう、仮に別の人格が引き起こした事だとしても…

ジェームズが人を殺した事に変わりはない。

 

貴族であるため、罪が軽くなるかもしれないが…

ジェームズの性格上、罪の意識に苛まれる事だろう。

 

 

「だからこそ、生かすのよ。

ジェームズはもう長くない…

限りある生がある内に、殺した被害者達とその家族への償いをしてもらいたい」

 

 

むろん、アンジェリーナもその手伝いをするつもりだ。

ジェームズが儚くなった後に、自分がその役目を引き継ぐ覚悟もある。

 

シエルは人を刺すような目つきで、アンジェリーナを見る。

彼としては、ジェームズに猶予を与えるのは無意味だと考えているのだろう。

 

 

「リエ・クローチェ」

 

 

すると、シエルが声をかけた。

…アンジェリーナではなく、リエの方に。

 

「マダム・レッドはこう言っているが…勝算はあるのか?」

 

「個人的な見解となりますが、おおよそ35%でしょうか。

理由は、切り裂きジャックの精神が有利な状態で、ジェームズさんの精神が

不安定な事ですね」

 

リエの率直な回答に、シエルは大いに眉を顰める。

すると、リエは口元を微かにあげてこう続けた。

 

「ですが、それはあくまで今の状態が続いたら…という前提で、

逆転させる事はできます」

 

「…なんだと?」

 

「そのためには、アンさんの力が必要不可欠となります。

私も微弱ながらサポートいたしますので…

上手くいけば、95%の勝算になりますよ」

 

自信を持って断言された事に、シエルは目を見張る。

 

「その言葉に偽りはないな?」

「勿論です」

「……分かった」

 

リエが力強く頷くと、シエルは暫しの沈黙を経て彼女の要望を了承した。

 

「但し、チャンスは一回だけだ。

切り裂きジャックがこれ以上暴走するようなら…即座に始末する」

 

これは、シエルなりの恩情なのだろう。

失敗したら後がない…この機を逃がさない。

アンジェリーナはギュッと拳を作り、気を引き締める。

 

 

「セバスチャン!」

 

 

戦闘中のセバスチャンに聴こえるように、シエルは声を張り上げた。

名を呼ばれたセバスチャンは、戦う手を止める事なく視線だけ主に送った。

 

(…なるほど、作戦変更ですか)

 

シエルの後方にいるアンジェリーナとリエ。

どうやら、膠着しているこの状況を一気に解決する策を見出したようだ。

 

 

「命令だ、マダム・レッドの援護をしろ!」

 

 

シエルは眼帯を外し、『逆ペンタグル』が浮かび上がる右目を露わにして命じた。

セバスチャンは口元に綺麗な弧を描くと、すっかり馴染みとなったあの台詞を口にした。

 

「イエス・マイロード」

 

セバスチャンは、暴れる切り裂きジャックに銀食器を投げつけていく。

リエが使用した術の影響で、切り裂きジャックに纏わりついているシャドウが

シャボン玉が弾けるように消滅する。

 

「ちょっとちょっと、セバスちゃーん!

貴方と契約者、何を企んでいるの…?

気になるじゃなーいv」

 

愛用のデスサイズを振るいながら、グレルが親し気に話しかけてきた。

【詮索】を含んだその問いかけに対し、「守秘義務のため、お答えいたしかねます」と

セバスチャンはばっさりと回答を断った。

 

「みとめない…みとめ…ない、俺は…おれは…!」

 

忌むべき女性…リエから見せつけられた圧倒的な実力の差。

そして、グレルから突きつけられた非情な事実。

それらは…切り裂きジャックにとって、心をかき乱す程の衝撃だったようだ。

現実から目を背けるように、ひたすら敵を自分の視界から消そうと躍起になっている。

 

 

「おれは…ジェームズは…まだ…終わらせてたまるかァアアア!!

 

 

咆哮をあげるや、切り裂きジャックは纏っている闇を盛大に放出させた。

放出された闇は多くのシャドウを出現させると…それらは結合して大きな渦となり、

セバスチャン達に襲い掛かってきた。

 

「ちょっ…! ずるいでしょ、アレは!?」

「無駄口を叩く暇はありませんよ」

 

眼前までやってきたシャドウの大群を、セバスチャンとグレルは寸前で避けた。

それらの動きは俊敏で、二人を飲み込もうと迫っていく。

 

「イヤぁアアア―――!! マジでキモすぎでしょッ!?

口に出したくない黒い虫を連想しちゃう! こっちこないでヨ!!」

 

「まずいですね…」

 

迫りくる闇の魔物の独特の動きを目にして、名前を出したくないあの虫を

連想してしまったグレルは全身に悪寒が走り、思わず絶叫してしまう。

セバスチャンは眉を顰め、うねりながら近づいてくる魔物達にこちらの攻撃が

あまり効果がない事を察する。

 

どうすべきか、と思考していたその時だった。

 

「どうやら間に合いましたね」

「…って、今度は何なのヨ!?」

 

夜の闇を払拭するように眩い光が辺り一面を覆いつくす。

その光を浴びて、目の前まで来ていたシャドウの大群が…

固まっていた土が砂となっていくように…一瞬で消滅していく。

 

次から次へと起こる急展開に、グレルは喚いてしまう。

 

 

「実に久しぶりです………あの光を見るのは」

 

 

セバスチャンは懐かしそうに呟く。

瞳に映る二人の女性を取り巻く神聖な光の帯。

その光景は、遥か昔に人間界で残虐を繰り広げた同族を倒した、異界からやってきた闇を

司る一族とその相方であるエクレシアを思い起こさせた。

 

 

 

 

 

「アンさん。【例の呪文】を唱えてください」

 

リエがそう指示すると、アンジェリーナは小さく頷く。

すぅ…と深呼吸をすると、アンジェリーナはリエの胸の前に手を翳すと唇を動かしていく。

 

 

「我はエクレシアと契約を交わし者。

エクレシアの名は【マリエル・レイディアン】」

 

 

アンジェリーナの右の手の甲に、青白く輝く印が浮かび上がる。

【七芒星】の契約印…リエと契約を交わしている盟約の証である。

 

 

「内に宿りし盟約の元、契約者『リコリス・ラジアータ』が命じる、

我に力を貸し給え!」

 

「かしこまりました」

 

 

アンジェリーナの掌から糸状の一筋の光が放たれ、リエの胸へ当たる。

二人を取り巻いていた光の帯がリエの全身を取り囲み、彼女の姿を変化させていく。

 

「…ッ! これほどとは…」

 

あまりの眩しさに、シエルは反射的に目を瞑る。

凄まじい力の流れが肌にビリビリと伝わってくる。

まるで、勢いのある滝に打たれるような…そういう感覚になった。

やがて光が収束していき、徐に目を開けると…

 

「鍵の…剣?」

 

シエルの視界に真っ先に映ったのは、アンジェリーナだ。

彼女は利き手に【剣】を握り締めていた。

剣は鍵の形をしており、護拳は時計の文字盤を、剣柄の部分は植物の茎を連想させる

造りだ。刀身は赤と白が入り混じったグラデーションで、剣脊にリコリスの花が

飾られたデザインになっている。

 

「あの剣は…リエちゃんが変身した姿なの?」

「その通りです」

 

驚愕の表情を浮かべるグレルの呟きに対し、セバスチャンが肯定した。

 

 

「エクレシアと契約を交わした者は、そのエクレシアの性質に応じた加護を

授けられます。その中には、契約者がエクレシアの力をより強く引き出せる

術式もあります」

 

 

今まさに、アンジェリーナがその術を披露しているのだ。

グレルの反応から、彼女?はエクレシアに関する知識はそこまで深くないようだ。

 

 

「術を習得する条件は二つ。

契約者に戦闘の心得がある事と、契約者がエクレシアと親交を結んでいる事。

以上の条件を満たした上で、契約者が協力を仰ぐ事で、エクレシアはその願いに応じます」

 

 

セバスチャンは丁寧に解説しながら、アンジェリーナと…リエが変身した剣を注視する。

間違いなく【キーブレード】を模したものである。

 

 

「エクレシアが、自らの力を一時的に契約者へと譲渡できる術式【クランスティル】

エクレシアが《武器》となり、契約者に力を提供する難易度の高い術式を…

マダム・レッドは使いこなせるのでしょうか」

 

 

リエはキーロッドの使い手であり、なおかつ未知数の力を秘めているエクレシアだ。

そんな彼女の力を使用するとなると、かなりの体力と精神力を消耗するだろう。

契約者であるアンジェリーナは、果たして耐えられるのだろうか…?

  



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契約者の術披露と、謎の人物との遭遇(3)


(3)の続き。
  


 

(これが…リエの力)

 

修行をして二年…初めてこの術を発動させた。

相方であるリエが変身した姿…鍵の剣は、まるでアンジェリーナの半生を

彷彿とさせるデザインだ。

 

『私の力が、アンさんに上手く馴染むようにしました』

 

鍵の剣となったリエの声が、アンジェリーナの耳に伝わる。

彼女の言う通り、剣はアンジェリーナが手にしても重くない

…まるで羽のように軽かった。

 

『アンさん、前を見てください』

 

リエから言われ、前方に視線を向けると…

切り裂きジャックが、両手で頭を抱えながら叫んでいる姿が見えた。

 

『切り裂きジャックは、先程の事で精神が揺らいでいます。

今なら…ジェームズさんを戻せる事ができます』

 

「…なら、存分に力をもらっちゃうわよ!」

『かしこまりました』

 

アンジェリーナは地を蹴って大きく跳躍した。

 

「なんて速さだ…」

 

シエルは、思わずその言葉を口にしてしまった。

人間離れした身体能力は、セバスチャンとグレルに引けを取らないものだ。

アンジェリーナは鍵の剣を片手に、一気に標的へと近づこうとするが…

 

「くそっ…女如きが…俺に逆らうんじゃねええエエ!!」

 

切り裂きジャックがアンジェリーナの動向に気付き、身体に纏っているシャドウを

一部切り離した。分離した十体のシャドウが、問答無用に襲いかかってきたが…

 

「邪魔よ!」

 

迫りくる魔物に対し、アンジェリーナは上下左右に剣線を浴びせていく。

例えるなら、舞台で情熱的な踊りを披露するかのように、洗練された無駄のない動きだ。

鍵の剣で斬られたシャドウ達はボロボロと身体が崩れ落ちていき、明るい色のハートが

解き放たれて夜空へ昇っていく。

 

アンジェリーナは俊敏さと瞬発力をフルに利用して鍵の剣を振るっていき、

湧き出てくるハートレスを消滅させていく。

 

「ウソでしょ…あの剣捌き、達人級じゃない」

 

デスサイズでハートレスを狩りながら、その様子を見ていたグレルが驚きの声を出す。

彼女?の目から見ても、今のアンジェリーナの戦闘術はかなりの腕前のようだ。

 

「どうやら、こちらの予想を上回るレベルですね」

 

そう言いつつ、飛びかかってきたシャドウを華麗に回し蹴りで一掃したセバスチャン。

建物の壁を利用して、宙に浮きながら銀食器を投げつけていく。

その攻撃は、アンジェリーナの後方等に出没するハートレスに全て命中する。

 

「そのままお進みくださいませ!」

「…ありがとう!」

 

セバスチャンからの援護で、邪魔する者は退けられていった。

御礼を告げると、アンジェリーナは真っ直ぐ標的のもとへ駆けて行った。

 

 

  ガキンッ!

 

 

切り裂きジャックの腹部に向かって、アンジェリーナは斬撃を与えようとしたが…

纏わりついた闇により、ダメージが緩和されてしまった。

 

「なんて硬さなの…!」

 

セバスチャンとグレルの攻撃にはダメージを受けていたはずなのに…と

アンジェリーナは目を疑う。

 

『グレルさんの所有するデスサイズが、通常の武器とは異なる特殊な素材で

できているからですよ。セバスチャンさんの場合は…銀食器に付加属性を

つけている可能性がありますね』

 

アンジェリーナの抱いた疑問に対し、リエがその解答を言った。

リエの放った魔法で、切り裂きジャックの闇の威力は弱まったものの、

防御の機能は衰えていないようだ。

 

『通常の攻撃では時間がかかります。

だから、魔法を使用しましょう』

 

「魔法ね、どうやればいいの…って!?」

 

二人の会話を許さないように、切り裂きジャックが拳を叩きつけてきた。

ギリギリで回避するが、切り裂きジャックはすかさず攻撃を続けていく。

 

「ころす…俺とジェームズを壊そうとする女共は…この手で殺す!」

 

アンジェリーナとリエが最大の障害だと察したのか、彼女達を執拗に狙っていく

切り裂きジャック。

 

『アンさん、剣を盾代わりに!』

「はい!」

 

リエの指示で、アンジェリーナは両手で鍵の剣を構えた。

すると、鍵の剣を中心に薄い膜がアンジェリーナを取り囲むように貼られた。

壁が見えなくなると同時に、切り裂きジャックの拳が目の前に接近していた。

 

思わず目を瞑るが、ガンッという音が耳に入っただけで衝撃がこなかった。

恐る恐る目を開けると、先程の透明な膜が出現しており、見えない壁となって

切り裂きジャックの攻撃を防御していた。

 

「焦ったわ…ていうか、咄嗟に盾にしちゃったけれど、大丈夫なの!?」

『ご安心を、この程度の攻撃は肩叩きみたいなものですから』

 

マジで…とアンジェリーナは大きく口を開いてしまう。

一発お見舞いされたら身体が変形しそうなパンチを【肩叩き】と比喩するとは…

武器に変身すると、頑丈になるのだろうか。

 

「うるぁあああアアアアア!!」

 

『アンさん、ジャンプです!』

「ああ、もぅ…!」

 

悠長に考える暇はない。

集中的な攻撃に対して回避、防御、回避、回避、防御…を繰り返す。

 

「このままだと、埒が明かないわッ!」

『隙を作る事ができればいいのですが…』

 

切り裂きジャックの攻勢に押されて、状況が不利になりつつある。

反撃するチャンスはないか、とアンジェリーナが頭をフル回転させていたその時…

 

「んふv チャーンス!」

 

グレルが後方からデスサイズを思い切り振り被り、切り裂きジャックの背中を

斬りつけた。

 

「ぐっ…くそぉ…バカにしやがってぇェエエエ!」

 

切り裂きジャックの額に青筋が複数立ち、標的をグレルへ変えた。

その際、グレルは意味深な笑みを浮かべてこちらを見た…ような気がした。

 

『アンさん、今から言う呪文を復唱してください』

 

…チャンスが回ってきた。

耳を澄まし、リエの声に合わせてアンジェリーナは口を動かしていく。

 

 

『誘う対象は悪しき心に染まりし咎人、憐れなる闇の化身…』

「い、誘う対象は悪しき心に染まりし咎人…憐れなる闇の化身…」

 

 

アンジェリーナは両手で鍵の剣を持ち直す。

剣先に薄紫色の光が灯り、どんどん大きくなっていく。

 

 

『「彼の者を捕えよ、頑強なる束縛の領域…【アレイト・サークル】!」』

 

 

放たれた一筋の光が、切り裂きジャックの背中に命中する。

すると、切り裂きジャックの足元に複雑な文様の魔法陣が出現した。

そこから、灰色の茨が彼の全身に巻き付いたかと思いきや、すぅ…と身体に浸透するように

消えてしまった。

 

「ぐ、あっ…が…!?」

 

それと同時に、切り裂きジャックは縄で縛られたように硬直したまま身動きが取れなくなった。

 

「何しやがった、このアマ!!」

「これが…魔法」

 

喚く大男をよそに、初めて魔法を使ったアンジェリーナは手に持つ鍵の剣を

見つめながらぽつりと呟いた。

 

『時と空間の応用魔法です』

「…すごすぎでしょ」

 

闇を纏っているだけとはいえ、あんな巨漢を拘束して動けなくしてしまうとは…。

アンジェリーナは密かに感動を覚えた。

 

『アンさん、ここからが本番です』

「!…えぇ、そうね」

 

リエの声で、アンジェリーナはハッと我に返った。

切り裂きジャックの動きを封じただけで、根本的な問題は解決していないのだ。

アンジェリーナが気を引き締めて、鍵の剣を構え直そうとしたその時…

 

『アンさん、ちょっと待ってください』

 

リエが何故か待ったをかけた。

 

「なんで?」

 

『まず、話さないといけない方がいます。

…グレルさん、私の声が聞こえますか?』

 

「あら、指名されちゃったワv」

 

アンジェリーナがあっ…と声を漏らして振り返る。

デスサイズを両手にスタンバイして、いつでも駆けてくる気満々のグレルが

笑みを浮かべている。

 

(危なかった…戦う事に夢中で忘れてたわ)

 

アンジェリーナは冷や汗を流しながら、グレルがこの戦いに参加している理由を思い出した。

グレルの目的は【切り裂きジャック…そして、ジェームズを殺す事】だ。

標的が拘束されている今は、彼女?が任務を遂行する上で好機とも言える状況だ。

もし、リエが声をかけていなかったら…先手を取られていただろう。

 

不穏な未来を想像してしまいそうになり、アンジェリーナは小さく首を横に振る。

  



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契約者の術披露と、謎の人物との遭遇(4)


(3)の続き。
  



 

『グレルさん、お願いがあります』

「リエちゃんから直々にね、なーんかイヤな予感がするんだけど…」

『このたびの件…切り裂きジャックの処遇に関して、こちらに任せて頂けませんか?』

 

リエからの打診に、グレルははぁ~…と大きく溜息をついて肩を竦める。

 

「それは困るワ~。コッチだって数年越しの任務を終わらせたいもの。

それに…ここでアタシがヤラなくても、その男の運命は変えられないわヨ?」

 

『勿論、承知の上です。貴方の仕事を妨害するつもりはございません。

ただ、お願いしたい事はひとつ…【時間】を頂きたいのです』

 

その要望を告げるや、グレルは眉を顰めて眼光が鋭くなる。

 

「つまり…ジェームズ・スピアリンクの魂の回収を遅らせろって事?」

 

『ジェームズさんの寿命は、まだ残っています。

この事件が終わった後、この世に未練が残らないように…

懺悔を兼ねた準備期間を、彼に残してくださいませんか』

 

「そもそも、切り裂きジャックをどうにかできるワケ?

優柔不断なジェームズ(ご主人様)がアイツに勝てると思えないワネ」

 

『いいえ、勝ちますよ』

 

疑わしそうに探りを入れるグレルに対して、リエはハッキリと断言した。

 

『私と、優秀なパートナーであるアンジェリーナ・ダレスが必ず呼び戻します』

「リエ…」

 

リエの言葉が、アンジェリーナは驚きで目を見張る。

言われた事に、嬉しい気持ちが徐々に沸き上がってきたのか口元が緩んでいった。

一方、グレルは渋い表情は変わらずにあまり気乗りしていないようだ。

 

「言いたい事は分かったワ。

で・も・ね! こっちのメリットが、ナッシングじゃない。

一方だけ、美味しい蜜を味わうなんてズルすぎデショ」

 

『それでしたら、こういうのは如何でしょうか?』

「…なによ?」

 

『今回の件を承諾してくださるなら、見返りとして…

こちら側が入手できる異世界関連の情報をいくつか提供しましょう』

 

リエからの提案に、グレルは「なんですって!」と仰天した。

 

『お困りでしょう?

近年、この世界に出始めている【外側】絡みの問題に…』

 

「…魅惑的な報酬ネ。その言葉に偽りはない?」

『はい。話し合いの席は後日で…招待状を送ります』

 

リエがYESと即答するや、グレルは先程とは打って変わり、

「んふv」と上機嫌に口角を吊り上げた。

 

「交渉成立♪ 柔軟な発想ができるのが優秀な死神なのヨ」

『お気遣い痛み入ります』

 

傍らで話を聞いていたアンジェリーナは、内心安堵の息を漏らした。

説得時の会話に不穏な内容が紛れていたのが気にかかるが、それよりもやるべき事がある。

 

『それでは、アンさん…準備はいいですか?』

「ええ、大丈夫」

 

アンジェリーナは聞こえてくるリエの声に頷くと、鍵の剣を再び両手で構えた。

剣先に真っ白な光が集まっていく。

 

「てめぇ…何する気だ…!?」

 

騒ぎ立てる切り裂きジャックを、アンジェリーナは射るように見つめる。

 

「さぁ…悪い部分を取り除くための手術(オペ)の時間よ」

 

「や、やめろ…やめろォオオオ!!

 

アンジェリーナの呟きと切り裂きジャックの悲鳴が重なる。

その直後、剣先から真っ直ぐに光が放たれ、切り裂きジャックの胸に命中した。

同時に、彼の身体全体を眩い光が包み込んでいき、次第に辺り一面を覆い尽くしていった。

 

 

「待っててね…ジェームズ」

 

 

 

【契約者の術披露と、謎の人物との遭遇】

 

 

 

「誤算だった。あれほどの力を発揮できるとは…」

 

建物の屋根から、一連の戦いを眺めていた人物がいた。

黒いコートを身に纏う銀髪の青年…ゼアノートは舌打ちしそうになる。

 

数年前に見つけ出した分裂した精神の主。

言葉巧みに唆した結果、心に闇を増幅させていく事に成功した。

だが、本来の主である男ともう一人の殺人鬼は思いの外、精神は脆かったようだ。

 

(『器』の候補にはならないが、このまま離脱させるのは早いか…)

 

ゼアノートは手を翳して、戦っている最中の切り裂きジャックに力を与えようとした。

 

 

  シュッ、ガッ!

 

 

視界に銀に光る何かを捉え、ゼアノートは一歩後退する。

屋根に突き刺さったのは…東方の国にある苦無に似ている…暗器だ。

 

「感心しないな」

「…誰だ?」

 

ゼアノートの目に映ったのは、己とは異なる黒装束に身を包んだ人物だった。

 

「夜の町を散歩中の庶民だよ」

「随分と…目立つ服装の庶民だな」

 

「そんな事はどうでもいいさ。

それよりも、第三者が戦いにちょっかいをかけるなんて…

野暮な真似はしない方がいい」

 

余計な事はするな、と黒装束の男は忠告してきた。

 

「邪魔をするなら、消えてもらおうか」

 

ゼアノートは冷笑すると、手元から凝縮させた闇の力を男に向けて放った。

 

 

 バシュッ!

 

 

「…なに?」

「問答無用に魔法を放つか…過激だねぇ」

 

黒装束の男は、面白そうな口調でそう感想を口にする。

左手に持つ…闇の力を切り捨てた…その剣を目にしたゼアノートは大きく目を見開いた。

 

「キーブレード…使いだと」

 

その男が所持している鍵の剣…間違いなくキーブレードであった。

混乱するゼアノートをよそに、男は被っているフードから見える口元に綺麗な弧を描いた。

 

 

「予定外だが、身体を動かすにはちょうどいい。

一試合しようじゃないか、【外側】からの侵入者さん」

 

 

 

【つづく】

  



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