日陰者が日向になるのは難しい (柳野 守利)
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1話目 日陰者と日向者

 いつか、自分たちは大人にならなければならない。いくら嫌だと言っていても、時間の流れは止まってくれない。ならば、自分はどんな大人に……いや、どんな未来を歩むというのだろう。

 

 今まで見てきた大人の中で、こうなりたいと思う人はいなかった。むしろ、その逆だ。中学時代、どんな先生だろうと影で皆に笑われていた。そんな先生を見ていると、とてもつまらなそうな人生を送っているように見えてしまう。

 

 こんな大人になりたくない。けれど、こうなってしまう気がして仕方がなかった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 前の席の人から配られてきたプリントを見て、彼は顔を歪めた。プリントには進路希望調査と書かれている。彼が一年生の頃から教師に口酸っぱく言われていたことだが、いざこうして目の前にこられると、どう書いたものかわからない。

 

 彼のいる高校は坂上(さかがみ)高校という県立の学校。千葉県にある高校の中では中より上程度の偏差値を誇る進学校だ。何人かは難関大学に受かるが、それ以外はそれなりの大学か公務員になるようなそんな学校。その中で、彼──垣村(かきむら) 志音(しおん)はそれなりに上位の成績を収めていた。

 

 それでも難関大学に受かるかと言われれば、今のままでは受からないだろう。それに、まだ高校二年だ。時間に余裕はあるけれど、垣村は内心焦って仕方がなかった。

 

 教師の「土日で書いて月曜日に提出するように。じゃあ号令」という言葉で、クラスのルーム長が「起立」と言う。そして礼が終わった途端に教室の中は一気に騒がしくなった。皆それぞれ友人のもとへ行き、どうするのかを尋ねるのだろう。

 

 正直、周りの雑音が聴くに耐えない。カバンの中から黒色の耳掛け式イヤホンを取り出してつけようとしたところで、垣村の机に一人の男子生徒が近寄ってきた。学校で積極的に話しかけてくる奴なんてのは一人しかいない。

 

 顔を上げてみれば、そこには柔らかい雰囲気で笑みを浮かべている彼がいた。垣村にとって唯一友人と呼べる西園(にしぞの) 翔多(しょうた)である。西園もさっき配られた進路希望調査の紙を持ちながら、その見た目からも想像できるくらいふにゃふにゃとした言葉で話しかけてきた。

 

「志音ー、どうするよこれー」

 

「どうするも何も、自分の将来のことだろ」

 

「いや、でもさー。正直書くのに困るっていうかさー」

 

 西園は「どうしよっかなー」なんて言いながら、空いている隣の席に座って携帯をポケットから取り出し始めた。おい、聞きに来たんじゃなかったのかよ。垣村は呆れつつも、西園がそういう男なのだとわかっていた。

 

 彼は雰囲気が朗らかなだけで、そこまで他人と話せるような性質(タチ)ではない。人見知りもそうだが、なによりも口数がそこまで多くなかった。だからこうして、垣村と西園はよく一緒にいることが多い。互いに沈黙が苦にならないからだ。

 

 垣村は手元にあるプリントを見て、どうしたものかとため息をついた。周りを見回してみれば、普段からふざけている男子生徒や、くだらない話をしている女子生徒なんかも笑いながら「ねぇねぇ、どうしよー」なんて話している。人生に悩みなんてなさそうな連中だというのに、と垣村は心の中で毒づいた。

 

「……あんな奴らに限って、なんか人生上手くいきそうな気がするよ」

 

「そうだねぇ。顔も良ければ人生も良し。むしろ顔が人生を物語っているに違いない」

 

 小声で呟いた言葉に西園は答えてくれた。学校には誰が作り始めたのか、スクールカーストなんてものがある。垣村はカースト下位に位置する陰キャと呼ばれる生徒だ。癖のある髪の毛なうえに、休み時間はどこに行くにも両耳にイヤホンをつけていて、他人と会話をすることが少ないのだからカースト下位にいるのも必然だろう。

 

 そんな垣村と一緒にいるせいで、西園もカースト下位にいるのだが、本人は全く気にしていない。彼は本来もっと上位カーストにいるような生徒なのだ。運動部に所属していたが、「なんか面倒だから辞める」という事態になっていなければ、男の友人も多かったことだろう。

 

 生まれ持った性格なのか、面倒事を嫌うし、「なんかもうどうでもいいやー」なんてよく口にする。そのくせ本人は飄々としていて、話し方もどこかふわふわとしている。そのせいで会話の内容がそのまま消えてしまうこともあった。そんな彼も、やはり自分の将来の事となると悩むらしい。

 

「なぁなぁ、志音は進路どうすんの? 進学?」

 

「どうだろうね……」

 

「やっぱ悩みますよなー。なんつうか、高校生の悩みっぽいよなー」

 

「俺たちは高校生だろうに」

 

「ばっかお前。高校生つったら、彼女とイチャイチャしてー、電車乗って遠くまで遊びに行ってー、海とか男女混合で行ったりするのが高校生ってもんだろ」

 

 西園は右手をぐっと握りしめて、高校生らしさというものを語り始めた。彼のいう高校生らしさというものがそういう事なら、垣村たちはどう考えても高校生ではない。けど、高校でも大学でも、きっと自分は何も変わらないんだろうと垣村は確信していた。陰キャに華々しい生活なんて想像できない。

 

 なんというか、灰色だ。人生に色がない。そんな道を歩んでしまったら、自分の将来の色を決めるのに苦労する。事実しているのだから。バイトは禁止だし、普段の生活にも楽しさがないのなら、将来に対する楽しそうな予想もできやしない。

 

 けれど、つまらない将来を歩みたくはない。それだけはずっと垣村は思い続けていた。周りからは「教師になってみたいなー」なんて話す女子の声が聞こえてくる。本当にそう思っているのかと、垣村は問いただしたくなってきた。普段は先生のことを嘲笑ってるくせして、自分がそうなりたいとどうして思えるのか、垣村には不思議で仕方がなかった。

 

 つまらない公務員になんてなりたくない。けれど大学に行ったところでどうするんだろう。その先は。必死に考えても、垣村の頭には何も思い浮かばなかった。

 

「おや、雨が降ってきそうだねぇ」

 

 西園が教室の窓から空を見上げていた。曇天な空模様。おかげで夏でも少し涼しく思える。携帯の天気予報は雨だと告げていた。垣村は折り畳みの傘がカバンに入っているから問題ない。

 

 けれど電車通学の垣村とは違い、西園は自転車通学だった。「雨降ってくる前に、お先ー」なんて言って教室から出て行ってしまう。

 

 ボールペンがそろそろ切れそうだから新しいのを帰りに買って帰ろうと思っていたけど、どうしようか。そんなことを考えながら、ふと外の景色を見た。窓の外で好き勝手に流れていく灰色の雲を見て、どうしようもなく不条理な感情が満たされていくのを感じる。

 

 灰色なお前は空を風に吹かれるまま飛んでいるのに、灰色な自分は世間の風に吹かれるのは許されない。晒されないように日陰にいるというのに、お前は日向を独り占めするのか。なんとも羨ましい。両耳にイヤホンをつけて、垣村もまた教室から一人で出ていった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 学校のすぐ近くにある黄色い看板が目印のスーパーにやってきて、黒のボールペンとスケッチブックを購入した。放課後なせいか、やけに生徒が多い。雨が降ったせいで外の部活も休みになったんだろう。別に一人で回ることに恥も何も感じないが、集団で行動している連中を見ると、一人でいるのがやけに惨めに思えた。

 

 本当に嫌になる。なるべく視界に入れないように、そして視界に入らないように適当に物を見て回っていると、何か大きな音が聞こえてきた。イヤホンを外してみると、外から神立(かんだち)が響いているようだ。雨は雨でも雷雨になったらしい。

 

 周りからは「きゃっ」なんて女の子の悲鳴が聞こえてくる。馬鹿馬鹿しい、と垣村は息を吐く。かわいい女の子アピールか何かか。自分のかわいさの為に普段から気を張っていなきゃいけないというのが女子なら、たいそう疲れる事だろう。皮肉げに歪んだ口元を抑えて戻しながら、垣村は店の中を歩き回る。

 

 陰キャは誰に見栄を張るわけでもないから楽でいい。カースト上位の連中にだけ気を張っていればいいのだ。

 

 なんてことを考えていたら……

 

(……いるなぁ、アイツら)

 

 置かれている雑貨の棚の向こう側に男女数人のグループがいた。自分のクラスのカースト上位、いやトップカーストとも言える人物たち。サッカー部のイケメンとその友人の男三人に加えて、彼らと普段一緒にいる女子生徒が二人。

 

 男子の方はワイシャツをズボンから出して、第二ボタンまで開けて着崩している。女子の方はというと、短いスカートに、胸元に隠すようにつけられたネックレス。隠している耳にはピアスがついているらしい。校則違反しまくりだ。

 

 別に自分のことじゃないし、短いスカートを好んで履くというのなら、それはそれでいい。横目で見るだけでも目の保養になる。問題は、そういう連中に限って後ろ指さして嘲ってくることだ。ただヒソヒソと話しているだけでも、まるで自分のことを貶すような内容を話しているんじゃないかと不安になる。だから垣村はトップカースト集団が苦手だった。

 

「この雨の中、(ゆい)ちゃん一人で平気かなー。雷まで鳴ってるよ?」

 

笹原(ささはら)なら平気そうじゃん? 気が強そうだし」

 

「いやでも、案外アイツこういうの弱いかもよ?」

 

 女の子が「それありえそー」なんて他人事のように話している。いつもは六人グループだけど、今日は五人しかいない。女子生徒が一人足りないようだけど……なんて考え始めている自分に気がつきため息をついた。なんでそんなこと考える必要がある。どうだっていいことだろう。

 

 向こう側は、モブが一人いるな程度にしか認識していないはず。何か小言をボヤかれる前に退散した方がいい。再びイヤホンを両耳につけた垣村はポケットに手を突っ込みながらその場から離れていく。

 

 スーパーは駅のすぐ近くにあった。南にある出入口から出れば、駅は目と鼻の先にある。濡れて風邪をひき、土日を潰すのも馬鹿らしい。夏の風邪は長引くとよく言われることだ、早く帰るべきだろう。

 

 垣村が出入口にまでやってくると、イヤホンをしていてもわかるくらいの雨音が響いていた。スーパーに来る前までは降っていなかったが、たったの十数分で一気に雨が降ってきたらしい。地面を叩きつける雨が止まることなく音を奏でている。

 

(……雨音の中に交じる、車の音。水たまりを歩く足音。教室の喧騒に比べたら、こっちの方がいい音色だ)

 

 屋根と雨の降る道の境界線で立ち竦む。気がつけばイヤホンを外していた。人工の音楽が消えた世界からは、自然発生した音楽が聞こえてくる。雨音はどうしてか心を落ち着かせてくれる気がした。それらに交じる足音も、水の跳ねるぴちゃぴちゃという音も、雑音ではなく一種の音楽だ。

 

 そんな音に溢れた世界で、きっとあのトップカースト集団は五月蝿い雑音としか思わないんだろう。ただ単に垣村と彼らの価値観の違いとも言える。それでもなんだか、この雨音が音楽のように感じられることを、垣村は少し誇らしげに微笑んだ。

 

(……視線?)

 

 聞こえる音の余韻に浸っていると、ふと誰かに見られているような気がした。こんな陰キャを見つめる奴なんて、物好きな奴がいたもんだと心の中で苦笑しながら、不自然な動きにならないように辺りをチラッと見回してみる。

 

(げっ……)

 

 一瞬だけ、時が止まったような感覚に陥った。視線と視線が確実に交差している。垣村の感じた視線は正しく、確かに見ている人がいた。問題は、その目の合った人物がトップカーストの人間、それも女子生徒だったこと。

 

 短い髪の毛で、右耳は隠しているけれど左耳だけは髪の毛がかきあげられて見えるようになっている。髪の色は茶色に見えなくもない黒色。驚いているのか、その一瞬だけは目をパッチリと開いていた。小さな桃色の唇は潤っているように感じ、下に目線を下げていくと短いスカートの丈から見える太ももが目に入ってくる。彼女は垣村から少し離れた場所で膝を曲げて座り込んでいた。

 

(笹原かよ……)

 

 目が合ったのは本当にその一瞬だけだった。向こうは視線を逸らし、垣村もまたすぐに目線を切る。余韻が台無しだった。

 

 さっき見たトップカーストのグループが話していた内容を、垣村は思い出した。笹原は一人で先に帰ったのだと。目の前にいるのが、その笹原 唯香(ゆいか)だ。ここにいるということは、恐らく傘がないから帰れないのか。それとも親が迎えにでも来てくれるのか。

 

 確か、笹原は上りの電車に乗るはずだ。垣村は下りの電車だが、向かい側のホームにいるのを何度か見た事がある。家が近くということはないだろう。

 

「……あ、あのっ」

 

 その時は、垣村は自分がなぜ話しかけたのかわからなかった。けれども、上ずった声で話しかけてしまった以上、何も言わないわけにはいかない。女子生徒と話すことなんてそうそうないものだから、垣村の心臓は外にも聞こえているのではないかと思うほどに脈動していた。

 

 笹原は座った状態のまま、鬱陶しそうに見上げてくる。射抜くような冷たい目線が垣村を貫いた。彼女はかなりサバサバした人間だったということを思い出したが、垣村はもう止まれなかった。手に持っていた紺色の折り畳み傘を彼女に突き出すように差し出すと、垣村は続ける。

 

「か、傘……使いますか」

 

「いや、別にいい。アンタの無くなるでしょ」

 

 突き放すような荒々しい言葉だったが、どうにも引き下がるに引き下がれなかった。垣村は傘を彼女のすぐ側に置いてその場から数歩離れていく。笹原の驚いた顔が、垣村には見えていた。

 

「俺、大丈夫だから。それじゃ……」

 

 駆け出すように雨の中へと飛び込んでいく。笹原が傘を拾ったのかなんて確かめる余裕もなく、走りながらイヤホンが濡れないようにポケットにしまいこむ。その時、背後から雨の音に混じって、確かに聞こえてきた。

 

「きもっ」

 

 さっきまで暴れていた心が一気に冷めていくのがわかった。一方的にとはいえ、傘を貸したのにそれはないだろう。まして赤の他人ではなく一応クラスメイトだ。確かに、自分でもらしくないと思ってる。下心なんてものがなかったとも言えない。灰色な人生に、ほんの少しでも色がつくかなって、そう思っただけで。

 

(きもいは、ねぇだろ)

 

 駅についた垣村は、服が濡れていることも気にせずにイヤホンを取り出して耳につけた。流れてくる音楽が、垣村と世界とを遮断する。

 

 聞かなきゃよかったんだ。あんな雑音は。駅のホームにあるベンチに座って、垣村はタオルで身体を拭いていく。頭から流れてくる雨が口に入った途端、しょっぱく感じたのはきっと気のせいだ。陰キャは陰キャらしくしているべきだった。トップカーストなんて、嫌いだ。




結局向こう側でも読んでくれる人は少ないので……こちらにも投稿することにしました。

視点を交合させる書き方ですが、それでもよければよろしくお願いします。


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2話目 視界に映る

 雨の中を傘もなしに走り抜け、案の定風邪をひいた垣村は土日両方を布団の中で眠って過ごした。幸いにも月曜日にはなんとか動けるようにもなり、火曜日は学校に来る事ができた。

 

 自分の席に着いてカバンの中から進路希望調査の紙を取り出す。男子にしては丁寧な字で、それなりの理系大学の名前が書かれていた。もっとも、垣村はこの大学に行きたいとは毛ほども思ってはいない。ただ、書いて出さないと先生に怒られてしまう。

 

 己を偽るのも、一つの処世術だ。どうせ表面しか見ない世界なのだから、いくら取り繕ったって構わないだろう。顔面は正義。数日前にハッキリと思い知らされたことだった。

 

「うーっす、病み上がり平気かー?」

 

 背後から近寄られて、西園に声をかけられた。首のすぐ横から顔を覗かせ、持っている紙を見てくる。特になんとも思うことがないのか、ふーんっと鼻を鳴らすような声を出された。彼は何を書いたのだろう。垣村は気になって聞いてみた。

 

「西園は、何書いた?」

 

「ん、俺? まだ決まらないってデカデカと書いて提出してやったぜ」

 

 彼は何も悪びれていないようで、「おかげで呼び出しくらっちまったー」とヘラヘラしていた。そういうところが、羨ましい。考えてみれば、西園は自分のような日陰者ではなく、日向にいるべき人物だ。そこら辺にいる人達と同じような、楽観視する性質が彼にもあるんだろう。口にするのは失礼だけど。

 

「第一、まだ俺たちには早いよ。まだ何にも将来のこととか決まってないのにさー」

 

 西園の言う通りだとは思う。けれど、そうじゃダメなんだと思っている自分もいた。もっと前を見ておかなければ、恐ろしくて仕方がない。つまらない大人になんて、絶対になりたくないから。

 

「まぁ、そのうち焦り始めたら嫌でも考えることになるし。俺はまだまだいいかなー」

 

「……そんなこと言ったら、先生に怒られるだろ」

 

「おう、怒られたぜ」

 

 言ったのか。能天気を通り越して阿呆なのか。楽観視が過ぎるというか、なんというか。垣村は呆れて何も言えず、苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 

「そうだ、昨日文化祭でやること決まったぞ。女装喫茶だって」

 

「……冗談だろ?」

 

「安心しろ。俺とお前は外回り、やるのはイケメン君たちだから」

 

 それなら良かったと垣村は安堵し息を吐いた。理系クラスには女子生徒が少ない。だから男子主軸で文化祭の出し物を決めたようだ。羞恥心もかなぐり捨てる年頃の男子生徒の発案に少なからず反対意見も出たが、トップカーストの意向には逆らえない。女子生徒は特に反対することも無く、垣村のクラスは女子から借りた制服で男子が接客をするとのこと。

 

 しかし高校の文化祭とはいえ、食べ物に関しては規制が厳しい。焼きそばなんてものは作れないし、強いて作れるのならパンケーキだ。とりあえずソレと飲み物を適当に出して回していくらしい。

 

「文化祭かー。なんか、他の高校だと規制が緩かったり、遊びに来た他校の生徒が男女で一緒に写真撮ったりするらしいよ」

 

「コミュ力の化け物か」

 

「人見知りには辛いよねー。したいとも思わないけど」

 

 初めて会う人と馴れ馴れしく話して、それで一緒に写真を撮って。そんなことが可能なのだろうか。そう思ったが、やはりそれも顔面特権だ。格好いい男とかわいい女だけが許される。SNSで偉い人もそう呟いていた。どの道、そんなものに縁もゆかりも無いけれど、と垣村は考えるのをやめた。

 

 先日きもいと言われたばかり。傷心もあるが、もとより垣村はポジティブな思考は得意でない。過去の失敗をずっと考え込んでしまう性格だ。なんで神様はこんな中途半端な男を作り出してしまったんだろう。信じてもいない神に向かって、垣村は心の中で毒づいた。

 

「文化祭が終わったら、クラスで打ち上げもあんだろ? ほとんど強制参加みたいなもんだよなー。俺たちいなくても変わりない気がするのに」

 

「二つに分けよう。陰キャとパリピで」

 

「じゃあ俺パリピに混ざってくるから……」

 

「おい」

 

 さりげなく逃げようとした西園を、垣村は逃がさんとばかりに制服の袖を掴む。へらへらと笑っている西園を見て、つられて笑ってしまった。他愛もない話をして、チャイムがなったら席に戻る。そして長ったらしい先生の話が終わったら、両耳にイヤホンをつけてうつ伏せになる。

 

 打ち上げ、参加しなくてはならないのだろうか。別に西園と一緒にいればいい話ではあるが、ちょっと面倒だとも思う。パリピの話は、聞いてる分には面白い。だが、そこに混ざれるのかどうかはまた別だ。

 

 会話に混ざりたいと思ったことは、最初の頃だけ数度あった。けれど、結局は誰かを貶める話が増えていく。それとは違い、陰キャはいい。話の内容なんてもの、ゲームくらいしかないのだから。陰口で笑い合うよりも、ゲームについて話していた方がよっぽどいい。それに自分が誰かを蔑むというのなら、それ以上に自分のことを蔑んでいるのだから。

 

 自己肯定感が低い。それが自分たちのような存在なんだ。腕を枕にしている垣村の口元は嘲笑するかのように歪んでいた。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 

 文化祭当日。垣村のクラスは朝から騒がしかった。女子の制服を着た数人の男子生徒が、理系クラスの数少ない女子生徒から黄色い声を浴びている。女装した生徒以外は、皆ラフな格好だ。文化祭などの行事の時だけは、クラスTシャツの着用が許可される。垣村のクラスTシャツは黒の布地に2-Eという文字と、全員の名前が書かれていた。

 

 しかし書いてある名前といえば、まさやん、やまこー、リンリン、などの渾名ばかり。無論、垣村と西園は自分の名前を平仮名で入れてあるだけだ。

 

(毛まで剃るのか……)

 

 彼らの足元を見て、毛ひとつない綺麗な足が目に入ってきた。なんだろう。凄いというより、呆れが先に来た。垣村は女子生徒から手渡されたプラカードを持ち、クラスの隅の方で壁に背を持たれかけている。カードには、女装喫茶と大きく書かれており、なんだか持っているのが恥ずかしい。

 

「おーい、志音。外回ってこようぜー」

 

「ん、わかった。今行く」

 

 文化祭だからか。近寄ってきた西園のテンションも少し高い気がした。頷いて、プラカード片手に教室よりもなおのこと騒がしい廊下へと出ていく。

 

 普段の学校生活とは違い、校内は色とりどりであった。装飾もそうだが、なにより普段は学ランかワイシャツなので、クラスTシャツの色が派手に見える。

 

 同性同士。もしくはカップル。そんな生徒たちが次から次へと現れてはどこかへ去っていく。プラカードを持っていない西園は、パンフレットを見て暇を潰せそうなところを探していた。

 

 しばらくしたら女装した男子生徒がプラカードを持つことになっている。影響力のない自分が持っていたところで意味はないのに、と垣村はボーッとした頭で考えていた。文化祭は二日にかけて行われている。一日目は学生だけ。二日目は一般の人も来る。昨日の段階である程度店は機能していた。もう回る必要もないんじゃないのかと、手作りのプラカードを見て思う。

 

 チラホラと一般の人の姿が増えてきた。それに加えて他校の学生らしき人たちもいる。子連れの親子も見えるし、小学生らしき子供だけで歩いているのもいた。そんな雑多な人々の中で一際目立つ人物がいる。スーツ姿の男性という場違いな人が周りをキョロキョロと見回していれば嫌でも目に入ってきた。西園はそれを見てどことなく顔を明るくさせ、その場から早足で近づいていく。

 

「おーい、庄司(しょうじ)さーん!」

 

 西園は近づきながらスーツ姿の男性の名前であろうものを呼んだ。どこか挙動不審に周りを見回していた男性は西園に気がつくと、へらへらとした笑みを浮かべる。垣村はなんだか不思議な既視感を覚えた。

 

「おっ、しょー君じゃない」

 

「庄司さん、仕事は?」

 

「んー、しょー君の文化祭が今日だって聞いたからねー。それを今朝思い出して、そのまま来ちゃったよ」

 

 短髪で真っ黒な髪の毛。しかしスーツはよれてるし、会社に行かずにそのまま来たと言っていた。なんだか軽そうな男だという印象を受ける。顔立ちも柔らかいというよりも、薄っぺらいというべきか。

 

 そこまで考えて、垣村は既視感の正体がわかった。西園と、この庄司と呼ばれる男が似ているのだ。庄司は西園の隣にいる垣村に気がついたのか、ニコニコと笑いながら自己紹介をし始めた。

 

「どうも、この子の叔父です。しょー君と仲良くしてやってねー」

 

「ど、どうも」

 

 軽くどもってしまったが、自己紹介を終えた。庄司は周りを見ながら「いやいや、若いっていいねー」と言葉を漏らす。その言葉を言うにはまだまだ若いと思った。おそらく三十はいっていないんじゃないか。

 

「うーん、困ったな。オジさんひとりで回るってのも中々レベル高いなぁ」

 

「なら、俺達と回る?」

 

「それもありか……おっと、失礼」

 

 バイブの音が鳴り、庄司はポケットから黒色の携帯を取り出した。そして映っている文字を見て、面倒くさそうに眉間に皺を寄せてため息を吐く。

 

「いやー参ったね。会社からのお電話だ」

 

「えっ、休むとか言ってないの!?」

 

「どうだったかなー。電話したようなしてないような……。まぁいっか、急病ってことで休んじゃえ」

 

 それはいいのだろうか。社会人ってそんなに生易しいものではないと垣村は認識しているが、目の前の男からはそれが全く感じられない。行動も仕草も言動も、何もかもが軽すぎる。一息吹けば飛んでいくのではないか。

 

 庄司はその場から離れていき、しばらくすると帰ってきた。先程までのへらへらとした笑みもなくなり、苦笑いだけが浮かんでいる。

 

「いやー、ごめんね。なんか今日会議があるから休むなって。あの会社オジさんのこと殺す気なのかなー」

 

「ピンピンしてるのに、行ったらズル休みしようとしたのバレるんじゃない?」

 

「んー、まっ大丈夫でしょ。遅れる許可は貰ったし、のんびりと会社に向かおうかなー。ラーメン食べてくってのもいいなー」

 

 どこかフラフラとした足取りでその場から去っていく庄司を見送った二人。自己紹介以外、垣村はまったく口を開かなかった。会話に割り込む必要がなかったとも言えるが。

 

 西園は庄司の姿が見えなくなると、垣村に庄司のことを尋ねてきた。どんなふうに感じたのか、と問われたが……垣村には軽そうな男だとしか思えず、なんとも言えない濁し方で答えを返すだけだった。

 

「庄司さんってさ、根はしっかりしてるんだけど基本フラフラしてるっていうか……見た目が軽そうじゃん? あんな感じなの、憧れててさ。あんなんでも一応会社では上手くやってるし」

 

「なんか、お前と似てる気はしたよ」

 

「マジ? 少しは庄司さんに近づけたかな」

 

 見た目や立ち振る舞いが完全にダメ男なのだが、西園はそれでいいんだろうか。まだ彼とは初見だし、能ある鷹は爪を隠すとも言う。馬鹿の振りをする天才ほど面倒なものはないと、垣村は何かで聞いたことがあった。

 

 でも、どう見たってアレは天才と呼ばれる人間じゃないと思う。西園がそれでいいと思うのなら、何も言うことはない。

 

 隣で庄司さんのことについて、つらつらと語っていく西園に相槌を返しながら歩いていると、ようやく垣村達の交代の時間になった。クラスに戻るとすぐに女装をした男子生徒が笑いながらプラカードを受け取り、「よっしゃあ行くぞ!」なんて声を上げて客寄せに行く。

 

 正直持っているだけで恥ずかしい代物だ。手元からそれがなくなったことに安堵し、これでようやく目立たずに回ることができると二人で密かに笑っていた。

 

「ここら辺は見て回ったし、一年の教室でも見に行こうぜ」

 

「あぁ、いいよ」

 

 西園の提案に頷き、二人で四階へと上がっていく。坂上高校は、二階に三年生の教室があり、階が上がる事に学年が下がっていく。彼らが一年生の階に向かうと、そこでは一年生達がより活気的に活動していた。

 

 おそらく文化祭のやる気は二年生が一番ないのだろう。一年生は初めての文化祭。三年生は最後の文化祭だ。垣村は例年やる気がないが、二年生はあまり積極的にならない。その熱の入りようの差は見るだけで明らかだった。

 

「やっぱ、一年って何もかもが初めてだから楽しそうだよなー」

 

 そうだな、と軽く返事を返す。廊下の奥の方では嬌声を上げて写真を撮ろうとしているグループがいた。よく見てみれば、それは垣村のクラスにいるトップカーストグループ。一年生の女子二人が、そのグループの男子生徒に写真を頼んだのだろう。

 

 女装した男子生徒が三人。そして制服を貸したせいでジャージ姿の女子生徒も三人。垣村はいつかの雨の日を思い出して、どうにも恥ずかしくなり額を抑えた。あの時のことは忘れてしまいたい。しかし強烈な過去ほど忘れられないものだ。

 

(……まぁ、いるよな)

 

 当然その中には、垣村にきもいと言った笹原 唯香もいる。写真を強請られる男子生徒に対してどこかニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 

(あんな顔もするのか)

 

 垣村にはそれが不思議に思えた。いつも無表情に近く、笑う時もそこまで大袈裟には笑わない。すまし顔の似合う女子だと思っていたのだ。ところが、今視界の奥の方で彼女は口元を浅く歪めて笑っている。

 

「んー、誰か気になる人でもいたの?」

 

「いいや、なんでもない」

 

 ボーっとしている垣村を不思議に思ったのだろう。西園も垣村に倣って廊下を見渡すと、「あら、松本(まつもと)たちじゃん」とトップカーストに気がついた。松本 快晴(かいせい)。それこそがあのトップカーストグループの中心人物。顔よし運動よし器量よしと揃った人物だ。次期サッカー部の部長だという噂も、垣村の耳に入ってきていた。

 

「お仕事放棄で女子生徒と写真かよー」

 

「シフト、休憩だったんじゃない」

 

「なるほど。いやでも、女子の制服着てもキモイとか言われない辺り、顔が良い奴って羨ましいよなー」

 

「……そうだね」

 

 本当に。一瞬だけ苦々しく顔を歪めた垣村は、遠目で彼らがどうするのかを見ていた。一年生らしき女子生徒が松本に近づいていき、二人でツーショットを撮る。

 

 数分後にはSNSに載っかっているのだろう。今時の女子高生というのは、人の顔が載っていても平気で写真をアップする。垣村は、そういった事をする人たちにどうしようもなく呆れていた。

 

(……あっ)

 

 その光景を見ていたら、不意に笹原が垣村の方へと振り向いた。過去の出来事もあり、垣村は怪しまれないように視線を逸らす。

 

 なんでこうも目が合いそうになってしまうんだろう。前は視界にすら入ってこなかったというのに。

 

「なぁ、笹原の奴こっち見てるんだけど。お前何かしたの?」

 

「別に、何も。クラスの人がいたから見てるだけじゃない?」

 

「ふーん」

 

 何か言及されるかもと焦った垣村だったが、西園は鼻を鳴らすように返事を返すだけだった。彼の口元はいつものように柔らかくニヤニヤと笑っているだけで、本当は何を考えているのか、垣村にはわからない。「そういえばさ」っと西園が続けてくる。

 

「庄司さんから聞いた話なんだけど。カラーバス効果って知ってる?」

 

「なにそれ」

 

「一度意識してしまうと、その事に関しての情報が集まってくることなんだって。今までどうでも良くてスルーしてたのが、スルーできなくなるらしい」

 

「……なんで今それを?」

 

「気づいてないの?」

 

 いつもとは違う西園の不敵な笑みに、心臓がナイフを突きつけられたかのようにドキリとする。

 

「最近、お前の視線の先に笹原がいることが多いぞ」

 

「……馬鹿言わないでくれ。なんで俺が」

 

「いいやー、なんとなく?」

 

 西園が笑いながら聞いてくるのに呆れてしまい、垣村はポケットからイヤホンを取り出そうとした。「悪かった、自分の世界に引きこもらないで」とポケットに突っ込んだ手を西園に抑えられ、やれやれと言ったようにため息をつく。

 

「まぁ、庄司さんはそれを使って、皆に意識されないようにして仕事サボってるらしいけど」

 

 なんとも呆れる理由だった。けれど、彼の話を聞いて垣村は何かがつっかえるような感覚を覚える。

 

 カラーバス効果。意識してしまうと情報が集まってしまう。確かに、自分の状態と似ている気がしていた。しかし、垣村は自分では笹原を視線で追っている自覚はなかった。最近目が合いそうになることが多いとは感じていたが、気のせいだと誤魔化していた。

 

(……それは恋心とかじゃなくて、ただ自分の失態を忘れられないだけだよ)

 

 自分に言い聞かせるように、心の中で反芻させる。そもそもありえない事なんだ。彼女と自分の間には、何も起こらないはずなんだ、と。



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3話目 紺色の空模様

 初めて見た時、根暗な奴だと思った。両耳にイヤホンをつけて生活して、友人と話すとき以外ではうつ伏せになって眠っている。

 

 そんなアイツをしっかりと認識したのは、酷い雷雨の日だ。今時天気予報なんて見ない。昼間は晴れていたから、傘なんて持っていなかった。

 

 皆とスーパーまでやってきたのはいいけど、紗綾(さや)たちと別れた手前、戻って傘を買いに行くのもなんだか変にはばかられた。雨が降っているんだから、別にそんなこと気にする必要もないのに。

 

 どうしようかと座りながら打ち付ける雨をぼんやりと見ていると、アイツはスーパーから出てきた。相変わらずイヤホンをつけていたけれど、急に外したかと思えば、雨を見ながら誰に向けるわけでもなく微笑んだ。なんだか珍しいものを見ている気がして、不思議と視線を逸らせなかった。そのままじっと眺めていたら……気がつかれたのか、一瞬だけ目が合ってしまった。

 

 その後は、挙動不審なアイツが傘を無理やり渡して逃げるように去っていったのを、ポカンとした顔で見ていたと思う。おどおどして、視線も合ってなくて。そんなオタクみたいな男の背中に、いつものように軽口できもいと言ってしまったのも……別に普通のことだと思う。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 あの雷雨の日の翌週。月曜日になって、笹原は学校につくなり教室の中を見回した。先週の金曜日に一方的に渡された折りたたみ傘を返さなくてはいけないから。

 

 教室の中では生徒がごった返すように蠢いている。その後ろの隅の方を見てみるけれど、そこに彼の姿はなかった。カバンの中にしまってある傘を見て、どうやって返そうかと悩んでいると……いつもように、笹原の友人たちが近づいてくる。

 

 セミロングの女の子。紗綾は笹原が学校に着くといの一番に挨拶しにくる。明るく「おっはよー、唯ちゃーん」なんて言ってくるものだから、月曜日特有の気だるさがほんの少し、どこかへ飛んで行った気がした。

 

「おはよ、紗綾」

 

「ねぇねぇ、進路調査のやつなんだけどさー」

 

 紗綾は紙を取り出して自分がどういう進路を進むのか話し始めた。笹原はそれに頷きながら、自分の将来について考え始める。けれど、明確な未来の自分の姿というのはまったく思いつかなかった。

 

 そのうち他の人も集まってきて、男子たちは「そんなもんあったっけ」なんて紙の存在すら忘れていた。なんとも彼ららしいと小馬鹿にするように笑っていると、時間は刻々と過ぎていき、登校完了時刻になる。先生が教室に入ってきて、笹原は話が始まる前に何気ない感じで後ろの方を見た。けれど彼の席であろう場所には、誰も座っていなかった。

 

 そして結局、彼は学校には来なくて、傘は返せずじまい。カバンの中には女の子らしい薄い赤色のペンケースやポーチ。それらと対称的な、紺色の折りたたみ傘がある。

 

(……風邪引いたのかな。馬鹿みたい)

 

 放課後になって皆が帰る支度を始める中、笹原はあの雷雨の日に見た彼の姿を思い浮かべては、何度も「バーカ」と罵った。あの日の情景が、忘れようとしても忘れられない。あんな馬鹿みたいなことをした彼の姿が、インパクトがデカすぎて消えないみたい。

 

(そういえば……昼の時、いつも一緒に食べてる人がいたような)

 

 カバンの中にある傘を見ながら、必死に記憶を掘り起こす。普段は視界の中に入っていても意識すらしていないせいで、彼が誰と食べていたのかなんてのは中々思い出せなかった。諦めて帰ろうかと廊下を見たら、ちょうどこれから帰るらしい男子生徒が目に入ってきた。

 

 それを見て笹原はピンと来た。目の前を歩いている軽そうな面持ちの男子生徒、西園が普段は彼と一緒に食べていたはず。カバンから傘を取り出して、笹原は西園の背中を追いかけた。

 

「西園、ちょっと待って」

 

「ん? あれ、笹原さん?」

 

 話しかけられたことが意外だったのか、西園は驚いた顔で笹原のことを見てきた。そんな彼に向けて、笹原は手に持っていた傘を突き出すように差し出す。

 

「西園って、アイツ……垣村と仲いいでしょ。これ、返しといて」

 

「傘……なに、笹原さんって志音と仲よかったっけ」

 

「違う。アイツが私に一方的に貸してくれただけ」

 

 別に仲なんてよくないし、それどころか話したことすらない。けれど一方的とはいえ貸してくれたものを返さないわけにもいかない。西園が返してくれるというのなら、それはそれで都合がよかった。西園は垣村と一緒にいることが多いけど、それでも垣村よりは皆から敬遠されていなかったから。話すのも別になんてことはない。

 

 けれど西園は傘を受け取らず、へらへらとした顔で笹原に言ってくる。

 

「それでも貸してもらったんなら、自分で返しなよー。せめてお礼くらいは言ってあげるとかさ」

 

「お礼って……」

 

「笹原さんってさー、志音と話すの嫌なの?」

 

 そのへらへらとした顔を崩さないまま、彼は問い詰めるように話す。笹原は苦々しそうに顔を歪め、目を細めて西園を睨みつけた。笹原はよく強かな女子だと言われるが、そんな彼女に睨まれても西園は意に介さず、また怖気ることもなかった。

 

「別にそういうわけじゃない。でも、そういうの、なんとなくわかるでしょ」

 

「空気を読めってやつ? 文字も何も書いてないのに、読めるわけないじゃんかー」

 

 笹原はなんだか凄いムカついてきた。目の前の男に向かって一発殴りたくなってきたけれど、ぐっと堪える。空気を読むのなんて当たり前のことだ。今時じゃ小学生でもしなくてはならない。

 

 それに彼、垣村は自分とは違う。立場や、生き方、派閥。笹原が彼に話しかけるというのは、一種の異常事態のようなものだ。そんなことになればクラスの人たちが浮き足立つのが想像できた。

 

「ていうかそもそも。西園ってなんで垣村みたいなのと一緒にいるの? アンタ、オタク趣味とかあったっけ」

 

「……いやいや、俺は別にオタクだから志音と一緒にいるわけじゃないし。そもそも皆、考え方がおかしい気がするよ」

 

 西園のへらへらとした笑みがなくなる。いつも細められていた目は開かれ、鋭い眼光が笹原のことを射抜いた。

 

「一緒にいて楽しいと思うから一緒にいるんじゃん。理由なんてそんなもんじゃないの? 打算で一緒にいるとか、窮屈なだけだよ」

 

 彼の変化に、笹原はしれずと生唾を飲み込んでいた。真面目な表情をしていたのはその瞬間だけで、すぐにいつものへらへらとした軽薄な顔つきに戻る。

 

「自分で返しなよー。志音って悪いやつじゃないしさ」

 

 そう言って彼は踵を返し、その場から去っていく。追いかける気にもなれなくて、笹原はその場で立ち尽くしていた。手に握られている傘の持ち主は、自分とはいる場所が違う。

 

 オタクというだけで、下に見られてしまうのが学校だ。何をするわけでもなくカースト下位に位置されてしまう。けれど笹原がいるのはカースト上位のグループ。互いに話すことなんてなく、接点すらもないはずだった。だからこそ気になってしまう。

 

(なんでアイツは、私に傘を貸してくれたんだろう)

 

 ふと考えてみた。けれど思いつくことなんてなくて、もしかしたら私のことが好きなのかもしれないなんて考えまで出てくる。自惚れも甚だしいけれど、もしそうならスッパリと振ってあげよう。

 

 カースト下位の垣村とカースト上位の笹原。そんな二人が一緒にいることなんてないはずだ。まるで昔の身分差の恋みたいに。そんなことが起こり得るはずもない。

 

(机の中に、お礼を書いた紙と一緒に入れておけば文句ないよね)

 

 どうしても、立場というものが邪魔をする。笹原は垣村に話しかけたくなかった。絶対に面倒なことになる。今は紗綾たちがいないから西園にも話しかけたが、普段は必ずいつものメンバーで固まってしまう。

 

 放課後に呼び出すのも気が引ける。いいや、そんなことをしたら確実に嗅ぎつけられる。今時の女子高生はそういったものに目敏い。

 

 だからこそ、今のうちに誰にもバレないよう、机の中に入れてしまいたい。教室に戻ってきた笹原は小さなメモ用紙に、ありがとうと一言だけ書いて彼の机の元に向かおうとした。

 

(……そっか。まだ人いるんだ)

 

 放課後になっても、残る人は残っている。男子が数人と、女子が二人。いつもは早く帰ってしまうから、残っている人がこれだけいるとは思わなかった。笹原の席の位置は知られている。そんな彼女が傘を誰とも知らない机の中に入れていたら気がつくだろう。

 

 カバンの中にある傘と、彼の机を見比べて……諦めたようにため息をついた笹原は、カバンを持って教室から出ていった。同じ学校に通って、同じクラスにいるから、そのうち返せるはずだと。

 

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 けれども、次の日になって垣村が学校に来ようとも。笹原は傘を返すことができなかった。これほどまでに周りの人が鬱陶しいと感じたことは無い。ただ一瞬、ほんの一瞬だけなのに。彼のもとへと行って、傘を返すだけなのに。たったそれだけのことができなかった。

 

 紗綾たちと話しながら、どこかいいタイミングはないかと考えていると、どうしても視線が垣村の方へと向いてしまっていた。それだけじゃない。友だちと話してる最中に、ふと周りを見回してみると……何故か垣村が視界に入ってくる。向こうは気がついているのか、いないのか。時折視線が合いそうになってしまった。

 

(……なんだ、意外と笑うんだ)

 

 お昼になって、お弁当を食べながら視線の先にいる彼を見て思った。白米を口の中に運ぶと、西園が彼に話しかける。その会話の内容はわからないけど、彼は口元を抑えて笑っていた。優しく細められた目が、あの雷雨の日と重なる。

 

「唯ちゃん、ボーっとしてどうしたの?」

 

「っ……なんでもない」

 

 見てるのがバレたのかと、心臓がドキリとした。「変な唯ちゃん」と紗綾は笑ってからお弁当の中身を口に含んでいく。

 

(……なんでこんなに視界の中に入ってくるわけ)

 

 今までは数える程しかなかったのに。今では一日に何回も視界の中に入ってきている。正直鬱陶しいとすら思えるけど、まだカバンの中に入っている折りたたみ傘を思い出すと、自然と息が漏れた。

 

 私のせいじゃない。全部あの、垣村のせいだ。そう考える。

 

 なんであの時、私に傘を貸したの。接点も何もないのに。ねぇ、どうして。

 

 視界の隅に映っている垣村に向かって、心の中で尋ねた。もちろん、答えなんて返ってこない。

 

(返さなくちゃ、いけないよね)

 

 西園に言われた通り、自分の手で返さなくちゃいけない。それが礼儀というものだとわかっていた。けれど、それだけのことが難しい。

 

 これが他の男子、松本とかならともかく、なんでよりにもよって垣村なんだろう。松本が相手なら、何も気にすることなく傘を返しに行けるのに。

 

(あぁ、雨なんて大っ嫌い)

 

 頭の中にあの日を思い出しながら、笹原は奥歯をかみ締めた。

 

 化粧は崩れるし、足は濡れるし、スカートだと寒いし。それに……傘を無理やり渡してくる馬鹿がいるし。だから、雨なんて大っ嫌いだ。

 

 刻々と時間だけがいたずらに過ぎていく。今日は返せなかった。明日になっても返せなかった。ズルズルと日にちだけが伸びていく。

 

 カバンの中にある似合わない色をした紺色の傘は、いつからか馴染むように鎮座していた。



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4話目 まかれた芽

 学校から少し離れた場所にある、お好み焼きやもんじゃ焼きが食べられるお店が文化祭の打ち上げ会場として選ばれた。文化祭は一応成功として幕を下ろし、それなりにクラスの人たちは楽しめていたように思える。打ち上げの会場にいる生徒は制服ではなく、皆私服だった。垣村も黒地のシャツに灰色の薄いパーカーを羽織り、ジーパンを穿くというラフな格好だ。

 

 テーブルをくっつけて、ひとつの長い机のようにして垣村たちは座り始める。男女の境目となる場所には、やはり松本のようなトップカーストが。端の方には日頃目立つことのない男子生徒たちが座っている。もちろん垣村はそのテーブルの端も端。一番奥で座って、対面にいる西園と焼いたもんじゃを食べながら話をしていた。熱々のもんじゃを口に運びながら、西園は不思議そうに尋ねてくる。

 

「うーん……なぁ、もんじゃとお好み焼きの違いってなんだ?」

 

「混ぜながら食べるか、生地が固まるまで焼いて食べるか。それくらいじゃない?」

 

「食い方の違いで名称が変わるのなら、変な話だよなー」

 

「もんじゃって、関東の人しかあまり食べないってネットに載ってた」

 

「へぇー。まぁ、俺はどっちでもいいけど」

 

 焼き切る前に食べるのも、焼き切って食べるのもどっちも美味しい。双方に違いがあろうとも最終的には腹の中に入ってしまえば何も変わらない。そう考えるのは無粋なんだろうな、と垣村は思った。美味いものは美味い。それでいい。

 

 ちょうどいい感じに焼けたもんじゃを口の中に運び、想像していたよりも熱くてコップになみなみ注がれたお冷で熱を冷ましていく。対面を見れば、西園が面白いものを見たように笑っていた。

 

「今すっげぇアホ面だった」

 

「そっか……お前のがうつったかな」

 

「俺ってアホ面なの?」

 

「いいや、ただのアホだ」

 

 ケラケラと笑いながら「そりゃひでぇや」と言う西園に、垣村もくすくすと笑い返す。端の方ではこうした大人しいやり取りが繰り広げられているが、女子寄りの場所では教室にいる時よりもはるかに煩い喧騒になっていた。

 

 教室が同じとはいえ、男子が女子との接点を持つのは難しい。だからこそこういった機会に女子に近づいていき、自分は優しい男なんですよとアピールする。横目でそんな光景を見ていた垣村は、あまりにも馬鹿馬鹿しくて鼻で笑った。

 

 媚びへつらうのは好きじゃない。もし仮に自分があの場に行っても、何もすることはなく西園と話しているんだろうと予想がついた。ヘタレなだけかもしれないが、あんなふうにいつもと違う自分を見せつけにいくのは、どうも違うだろう。

 

 そうしてぼんやりとその光景を眺めていると、視界の中に明るい黒髪の女の子が映り込んでくる。笹原が女子との会話を楽しんでいる中で、急に横から男子の手が入り込み、一瞬めんどそうな顔を浮かべては直ぐに元に戻す。向こうではお好み焼きを焼いているようで、いい感じに焼けた部分を笹原によそってあげたらしい。

 

(……一瞬すっげぇ嫌な顔してた。あれじゃ、アピールも形無しだな)

 

 ざまぁないね、と嘲っていると笹原はよそられたお好み焼きを小さく切り分けて、それを口の中に運んでいく。柔らかそうな唇が揺れ動き、不思議と咀嚼音まで聞こえてくる気がした。口元を手で抑えるが、垣村の位置からは見えている。唇の間から出てきた舌が、チロリと唇についたソースを舐めとっていく。なんだか、扇情的だった。

 

(何考えてんだよ、俺)

 

 なんだか変な気分になりかけた垣村はそっと目を逸らす。逸らした先にいるのは西園だ。彼はもんじゃを焼く小さなヘラ、はがしと呼ばれるものを口に咥えながらじっと垣村のことを見ていた。自分が何をしていたのかを思い返した垣村はハッとなり、視線から逃れるべくお冷を呷るように飲み込んだ。

 

「へいへい志音。俺がいるのに余所見してるのか? そんなにあの集団気になってるの?」

 

「別に気になってはない。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 言葉を濁した垣村に対して、西園は「ふーん」と鼻を鳴らす。コップの中身を少し飲んで、小さく息を吐いていた。

 

「傘まだ返してもらってないの?」

 

「えっ……?」

 

 口元を浅く歪め、ニヤニヤと笑うように西園は尋ねてきた。そんなこと言われるとも思っていなくて、しかも西園が知っているなんて考えてもみなくて。驚いて言葉を詰まらせた垣村は、少しの間を開けて聞き返した。

 

「なんで知ってるの?」

 

「笹原さんがお前に渡しといてくれって言ってきてさ。自分で返すのが礼儀だろーって突っぱね返しちゃった」

 

 あははと笑う西園を、垣村は訝しげに睨みつけた。おそらくそれは自分が休んでいる間に起きたことだろうし、その日に自分がいなかったから西園に頼もうとしたのだとも安易に予想がつく。

 

 そこで受け取ってくれればよかったものを、どうして突っぱねたんだ。あんなことがあった手前、こっちは廊下ですれ違うだけでも心臓に悪いっていうのに。

 

「いやいや、睨まないでよー。俺としてはさ、正しいことしたと思ってるんだから」

 

「受け取ってくれたらよかったのに」

 

「だって態度がなんか嫌だったし。何かしてもらったらお礼を言うのが当たり前。どっちかが嫌な思いした訳でもないし、別にいいじゃんよ」

 

 こっちは嫌な思いをしてるんだよ、と言いかけた。あの時のことは忘れようにも忘れられない。陰口なんてものは普段は聞かないようにイヤホンで閉じているけれど、あの時は違った。背中に投げかけられたあの言葉は、確かに自分の心に傷をつけたのだから。

 

「なんかさー、世の中って生きづらいよな」

 

 一人心の中で苦悶していると、西園はどこか遠くを見るような目で話しかけてきた。人差し指を宙に浮かして、何かを書き始める。

 

「なぁ志音。これ見えるか?」

 

「……いいや」

 

「だよなー。見えないもんを読めって、そりゃ無理難題だよなー」

 

 彼が何を言いたいのか、いまいち垣村にはわからなかった。彼が宙に書いたのはなんだったのだろう。いや、文字ではなかったのかもしれない。ぼんやりとした目で虚空を見つめる西園を見ていると、なんだか心配になってきた。

 

「あるものだけを見て生きるのって、ダメなのかな」

 

「ダメじゃないかな。冤罪ってのが起こるのは、そういうことがあるからでしょ。背景を見る必要がある」

 

「それも全て過去のこと。でも、俺たちが生きてるのって現在(いま)じゃん? これから起きることを予想するのも、今どうなってるのかを読み取るのも。なんだか面倒じゃない? なんかこう、縛られてるみたいでさ」

 

 何が言いたいのかはいまいち理解ができなかったけれど、少しはわかった。確かに今の自分が未来のことを考えるのは億劫だ。けれども、考えなくてはいけない。だってつまらない将来になりたくないから。

 

「空気を読んで自分のしたいこと、すべきことをできなかったら……それは、つまんないよな?」

 

 そう尋ねてくる西園に、頷いて返した。やりたいことをやる。やるべきことをやる。それが他者に迷惑をかけず、また公共の福祉に反しないのであれば。誰に咎められる必要もないだろう。

 

「読めないねぇ。空気も、展開も、将来も」

 

「……そういうもんだよ」

 

「ハハッ、そういうもんかー」

 

 今までの空気を払拭するように、西園は無理やり笑った。互いに焼きすぎたもんじゃを口に運んで、焦げ目が美味いと同時に意見を漏らす。

 

 誰にも縛られたくはないけれど、誰かに引っ張っていって欲しいと思うのは変だろうか。道無き道を歩いていくのは中々に怖い。成功した人が、それか信じれる人が、この手を引っ張っていってくれるのなら、なんて楽で安全な道だろう。

 

 再び口の中にもんじゃを運んでから、そっと視線をトップカーストたちに向ける。笑いながら食べている彼らを見ていると、道がなくても笑いながら進んでいくんだろうなと思えてしまう。なんにも怖くなさそうだった。

 

(羨ましくはない。けれど……妬ましいな)

 

 何も考えずに、のうのうと生きることができたなら……どれだけ、幸せなんだろう。垣村はもんじゃの焦げを口の中に入れると、苦々しく顔を歪めた。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 季節はまだ夏。夜になると心地よい程度の気温になる。各々現地で解散をし、何人かは集まって駄弁ったりする中、垣村と西園は帰ることにした。西園は自転車で来ていて、そのまま乗っかって家へと帰っていく。

 

 対して垣村は電車だ。駅まで歩かねばならず、下りの電車は一時間に一本。時間を確認すれば、ちょうど電車が出てしまう頃合だった。急ぐ必要もなくなり、近くにあったコンビニで適当にお菓子を買ってから駅へとゆったり歩いていく。

 

 人通りも少なく、また車通りもない。そんな寂れた公園の近くにまでやってきた垣村は、ポケットからイヤホンを取り出して左耳だけにつける。音が漏れていないか確認するためだ。そして携帯で普段聞いているゆったりとした音調の音楽を流し始めると……。

 

「っ……」

 

 音楽がイヤホンからではなく携帯から流れ出してしまった。ポケットの中に入れていたせいか、擦れてプラグの部分が少し外れていたらしい。夜で静かだったこともあり、垣村は驚いて携帯を落としそうになったが、すぐにプラグをさし直す。なんでもない事とはいえ、不思議と恥ずかしかった。これが夜の電車の中だったら、比べ物にならないくらい恥ずかしい思いをしていただろう。

 

(焦った……ワイヤレスのイヤホン、買ってみようかな)

 

 片耳だけイヤホンをつけたまま、足を止めて携帯を弄る。音量を調節して、いざ駅に向かって歩きだそうとした時だ。

 

「おい、待てって!」

 

 誰かの怒鳴り声が公園から聞こえてきた。痴情のもつれだろうか。垣村の右側には仮設トイレがあり、位置的に何も見えない。馬鹿馬鹿しいし、何も聞かなかったことにして帰ろうと、垣村は右耳にイヤホンをかけようとする。

 

 そうしたら、公園を囲むように植えられていた小さな木を飛び越えるようにして目の前に誰かが飛び出してきた。あと数歩前を歩いていたら衝突していたことだろう。飛び出してきたのは女の子だった。息を切らし、茶色の肩下げカバンを大事そうに抱えている。左耳だけを見せるようにかきあげたその髪型に、垣村は見覚えがあった。

 

(……笹原?)

 

 向こう側も垣村に気がついたようで、呼吸を整えるために開かれた口を閉じることなく、またいるとも思っていなかった相手がいることに目を見開いていた。

 

「待てよ、笹原!!」

 

 再び聞こえる怒鳴り声。その声にハッとなって笹原はその場から後ずさっていく。そして笹原と同じく、公園から飛び出してきたのは背丈の高い男だ。黒色のパーカーを羽織っているその男は垣村に気がついていないようで、逃げようとしている笹原だけを見ていた。

 

「こ、こっち来んな!! 誰が、アンタみたいなのとっ……」

 

 男が一歩前に出れば、笹原は一歩後ずさる。男を挟んで向こう側にいる笹原の縋るような目が垣村を射抜いてきた。彼女が何も言わずとも、助けてと懇願しているのが嫌でもわかる。

 

(……なんで俺が)

 

 助けなくちゃいけないんだ。そう心の中で思ってしまったのは、あの雨の日のことがあったから。

 

 気まぐれで起きたことでも、あの時言われたあの言葉は確実に傷を残していった。きもいと言ったあの笹原を、自分が助ける必要はあるのだろうか。それにどうせ、彼女のことだ。彼女自身にも非があるに違いない。自業自得だ、きっと。

 

(でも、いいのか。見捨ててしまって)

 

 男が必死に笹原を怒鳴りつけている。まるで幼稚みたいな言葉がつらつらと並んでいき、目の前の男の語彙の少なさに唖然となる。

 

 追い詰めようとする男から少しずつ離れていく笹原。逃げたら追いかけられるのだとわかっているんだろう。そして追いかけられたら最後、男の足には適わないのだと。

 

 いつも自分のような存在を見下し、嘲っているトップカースト。そんな彼女が今、震える体を抑えるようにしながら懇願するかのように視線を向けてきている。

 

 本当に、助けなくていいのだろうか。いや、厚意を無下にし、あまつさえきもいと言ってきた彼女を、本当に助けてやる必要があるのか。

 

(……助けなかったら、ただのクズだ。それこそ、トップカーストよりもなおタチが悪い。そうじゃないのか)

 

 唇をかみしめ、持っていた携帯でカメラのアプリを開く。そして録画開始のボタンを押す。ピコンッと電子音が鳴って、録画が開始された。

 

「っ……!!」

 

 男が振り向く。静かな夜だ、嫌でもこの音に気がつくだろう。右手に持った携帯を見せつけるように男に向けて、垣村は心臓が暴れ出しているのを堪えながら口を開く。

 

「現実じゃお前に勝てないけど」

 

 声を出す度に、震えてしまいそうになる。その言葉が早口になってしまわないように気をつけながら、ガチガチと震えそうな奥歯を強く噛み締めて、また言葉を放つ。

 

「ネットなら、オタクの方が強い」

 

 男の顔が引き攣る。録画されているという事実に気がついたようだ。笹原と接点があるのならば、学校の生徒だろう。そして見たことがない時点で、理系ではなく文系クラス。だとしても、ネットの拡散力は怖い。垣村がその動画をアップすれば、瞬く間に学校内に広まるだろう。

 

「お前がこの動画を消すために殴りかかってくるなら、その間に笹原は逃げ切れる。このまま笹原に迫れば、月曜にはクラスの話題で持ちきりだ」

 

 垣村に向かって迫ろうとしていた男の動きが止まる。正直逃げたかった。体格差を考えたら、自分は呆気なくやられてしまう。でも、もう口は動いてしまった。後はもうなるようになるしかない。垣村は覚悟を決めて、最後の警告を告げた。

 

「今何もせずに消えれば、動画をアップするのはやめてやる。だから……」

 

「っ、クソッ!!」

 

 男はその場から公園の中へと戻り、走り去っていく。その背中が見えなくなるまで待ち、そして大きく息を吐いた。緊張が一気に解け、脈打つ心音がより一層存在感を増してくる。携帯のアプリを閉じて、ポケットの中にしまいこんだ。

 

 静かな夜だというのに、とんだ騒音騒ぎだ。自分がこんなことに巻き込まれるなんて思ってもいなかった。左耳につけたままのイヤホンから流れてくる音楽が今の心境に合わなくて、外してその場から歩き出す。

 

 危害を加える男がいなくなって安心したのか、笹原はその場で膝を抱えて座り込んでいた。なんだか変な既視感を覚える。

 

(またきもいとか言われたら嫌だし……もう、あの男も何もしてこないだろ)

 

 あぁ、笹原には何もしないだろうけれど。もしかしたら今度は自分が狙われるんじゃ。そう考え始めたら怖くなってきたので、垣村は軽く身震いしてその場から離れていく。

 

 笹原の隣にまでやってきて……何もせずに、そのまま通り過ぎていく。

 

 本来関わるべきじゃない。日陰者が、こんな日頃から輝くような日向みたいな人物と。

 

「ま、待ってよ……」

 

 弱く掠れるような声が背後から聞こえてくる。今ほどイヤホンをつけていなくて後悔したことはない。つけていればこんな雑音は聞き取らなかった。けれど、垣村は既に足を止めてしまっている。もう逃げようにも逃げれなかった。

 

 垣村は仕方なく振り返る。いつも気丈に振る舞い、笑っている彼女が今では捨てられた子犬のように大人しい。いつもと違う彼女の様子が、欠片ほど残された垣村の良心をジクジクと痛めつける。らしくない、そう思っていても近寄らないわけにはいかなかった。座っている彼女の隣にまでやってきて、話しかけるでもなく、ただその場で呆然と立ち尽くす。涙目の彼女は垣村を見上げてから、そっと右手で垣村の服の裾を掴んだ。

 

「……ありがと」

 

 小さな声でも、しっかりと垣村の耳に届いてくる。けれど、まさか素直にお礼を言われるだなんて思っていなかった。

 

 返す言葉が何も出てこなくて、垣村は彼女の隣に立ったまま反対の方に視線を向ける。

 

「……あぁ」

 

 そんな短い言葉だけが辛うじて喉の奥から漏れ出た。鼻をすする音と、煩いほどに脈動する心音だけが垣村の耳に届いてくる。

 

 笹原が落ち着くまで動くこともできず、ただじっと……静寂な世界に取り残された音を拾って、適当に音楽を紡いでいた。



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5話目 意識・認識

 どれほどの時間が経過したのか、よくわからない。数分だったのかもしれないし、十数分は過ぎていたのかも。間に流れる沈黙は重く、口を開こうにも開けない。笹原は公園のベンチに座って俯いており、おかげでその表情がわからない。

 

 こんな状況になってしまっては、イヤホンをつけて自分の世界に閉じこもることすらできなかった。未だに垣村の裾は彼女に掴まれたままで、離す気配はない。遠くから聞こえる車の音と、草の影から響く虫の音。そして風になびくコンビニのビニール袋の音だけが聞こえている。なんとも、息が詰まりそうだ。まるで学ランのホックを締めたときのようで、私服だというのに首元を弄りだした。

 

「……垣村」

 

 唐突に、ポツリと呟かれた彼女の言葉はもう震えていなかった。しかし、弱々しいのには変わりない。名前を呼ばれて何かと見てみれば、彼女は肩下げカバンの中を探り始め、紺色の筒状の物を取り出した。

 

 垣村にはそれに見覚えがあった。あの忌々しい日に貸したまま返ってこなかった折りたたみ傘だ。

 

「あの時、貸してくれてありがと。返すの遅れて……ごめん」

 

「あっ……うん」

 

 返す言葉がすんなりと出てこない。喉の奥につっかえて、別の音へと変わってしまっているみたいだ。差し出された折りたたみ傘を受け取り、垣村は自分のカバンの中にしまい込む。

 

 待てと言った理由がこれだけなら、もう帰ってもいいだろう。いや、正直垣村は帰りたくて仕方がなかった。既に垣村の中では、笹原 唯香という人物は要注意人物を通り越して、危険人物だ。彼女の一言で、学校生活が変わりかねない。あの雨の日の出来事を話すだけで、垣村は皆から笑いものにされてしまう。

 

 滅多にない女子と話す機会だというのに、緊張とはまた別の理由で体が強ばっていた。早く帰りたい。垣村のどんよりとした瞳がそれを雄弁に物語っている。

 

「……何も、聞かないの?」

 

 細々とした声で尋ねてくる彼女の顔を、垣村は横目で盗み見た。教室に居る時のように明るくない。しかし今は先程よりも面持ちに余裕ができている。どちらかといえば、無表情よりもムスッとした感じだろう。垣村には彼女の目つきがどうにも不機嫌そうに見えていた。

 

「別に、聞くことでもないと思って……。大体、予想できるっていうか……」

 

「……そう」

 

 呆れられたような声を出された。相手が何を考えているのか全くわからない。聞こえないように息を吐ききり、脈打つ心臓を抑えようとする。隣に女子がいることといい、先程のことといい、どうにも心臓に悪い。

 

「あの時さ、なんで私に傘を貸してくれたの」

 

 彼女の視線はどこか遠くを見ているようだ。傘を貸したといえば、記憶に深く根づいているあの日のことだろう。思い出したくもない話題、そしてそれを話す相手が笹原だということが、余計に垣村の心を抉っていく。

 

 けれども聞かれたからには答えなくてはならない。あの日傘を貸した理由。灰色な日々に、色がつくかもと思っていた。しかしそれとはまた別な理由も、垣村は感じていた。

 

「多分、怖かったからだと思う」

 

「……はぁ? それ、どういう意味?」

 

 遠くを見ていた彼女が垣村に向き直り、少し距離を詰めてくる。たじろぎ、言葉を詰まらせた垣村はやってしまったと心の中で悔やんだ。頭が正常に働かなくなってきている。もっと言葉を選ぶべきだったのに。

 

 やばい。どうしよう。焦りの感情が募っていくが、笹原は眉をひそめて垣村を睨みつけていて、弁解させる余地はなさそうだ。彼女の目が、早く続きを言えと語りかけてくる。

 

「い、いや……その、目が合った時に、何かしなくちゃいけないんだって思ったっていうか……。相手が何もしていなくても、そういった視線だけで脅迫されたように思うのって、ない……かな」

 

「なにそれ、意味わからない。つまり私が怖いってこと?」

 

「笹原さんが怖いとかじゃなくて、こう……仲良くない人とか、赤の他人とか。そういった人の視線が突き刺さるっていうか」

 

 なんだろう。上手く言葉が纏まらない。それに自分の思ったことを伝えることすらままならない。確かに自分の感性を率直に伝えるのは難しいことだ。けれども、普通ならもっとわかりやすく言えるはずだ。

 

 女子と話すのはこんなにも緊張するのか。相手が相手というのもあるんだろうけれども。にしても、目つきが怖い。彼女自身が怖いというのも、確かにあるのかもしれない。笑ってる時はかわいらしいと思う。けれど、こんな風にムスッとしている彼女は、少し怖い。

 

 垣村の言葉が伝わったのか、伝わっていないのか。彼にはわからなかったが、少なくとも笹原は垣村を睨みつけるのをやめていた。

 

「……オドオドし過ぎ」

 

「女子と話すの、慣れてないから」

 

「目線も合ってない」

 

「人の目を見て話すの、苦手だから」

 

 横から視線を感じるものの、垣村は彼女の方を見ずに正面を向き、決して彼女を真っ直ぐに見ようとはしなかった。女子と話すのは苦手で、男子でも女子でも目を見て話すのはかなりキツイ。けれど、西園が相手ならば垣村は多少なりとも視線を合わせられるし、会話も弾む。

 

 ようするに、彼は人見知りであった。コミュ症は一般的にどんな人が相手であろうとも上手くコミュニケーションが取れないことを言うが、人見知りは仲の良い人が相手ならば何も問題はない。しかし初対面の人などにはめっぽう弱いのだ。それが例え、クラスの一員であろうとも。

 

 会話の続かない垣村に対して、笹原は無言な空気が苦手なのか無理やりにでも会話を続けようとしてくる。

 

「何かないの」

 

「……助けに入ったのが、松本とかじゃなくてごめん」

 

「はぁ!? 何か言ったかと思えば、それこそ意味わかんないんだけど!」

 

 何か言ったら言ったで、物凄い剣幕で迫られる。じゃあどうしろと言うんだ。垣村は軽く項垂れ、右手で頭をガシガシと掻き毟るようにしてから、彼女に言った。

 

「だって、助けられるのなら俺なんかより、いつも一緒にいる松本とかの方が良かったんじゃない? イケメンだし」

 

「だからって、普通今謝る!? アンタの頭ん中どうなってるわけ!?」

 

「酷い言い草だ」

 

「なんかもうちょっと別の話とかあるでしょ!」

 

「いや……人に話すようなネタはない、かな」

 

 もっとも、君に話すようなネタだけど。口に出さずに心の中でそう呟いた。別に好きでもなんでもない、むしろ嫌いや苦手といった部類の人と話すネタなんてものは持ち合わせていない。それに彼女は沈黙が苦手らしい。西園は沈黙を苦としないから一緒にいやすいが、彼女の隣で話をするというのは中々垣村にとっては厳しいことだ。

 

 煮え切らない態度をとり続ける垣村に呆れたのか、笹原は長いため息をついた。人の目の前でそんなため息をつくとは、なんてふてぶてしい奴だ、と垣村は視界の隅にいる彼女を軽く睨んだ。

 

「それ、何買ったの」

 

 笹原は手元にあるコンビニの袋を指さして、そう尋ねてきた。中に入っているのはお菓子が一袋だけだ。長方形の袋の中に、三日月のような茶色の菓子とピーナッツが混ざって入っている。柿ピーと呼ばれるものだ。それを袋から取り出して、彼女に見せる。

 

「好きなの?」

 

「まぁ、かなり」

 

「ふーん」

 

「……食べる?」

 

「ならちょっと……って、何嫌そうな顔してんの!? まさか、また脅迫されたように思ったわけ!?」

 

 半ば当たりだ、と垣村は小さく頷く。好物は家でゆっくりと一人で食べたかった。それがここで気も休まらないまま食べるというのはちょっと……いや、かなり嫌だ。自分がとても子供っぽいことを考えているのに気がついた垣村は、本当に仕方なく袋を開けようとしたが……「いや、そんなに好きならいいから」と笹原に押しとどめられる。正直なところ嬉しかった。

 

「何考えてるのかわかんないけど、意外と子供っぽいところあるんだ。お菓子取られたくないとか」

 

「誰だって好きなものは取られたくないと思うけど」

 

「その反論も子供っぽい」

 

 普段の生活を見ていたら、君たちの方が子供っぽいとは言わなかった。どうせ言うだけ無駄だろう。

 

「垣村って、なんで普段イヤホンつけてるの?」

 

「聞きたくもない音を聞かないために、かな」

 

「なにそれ、変なの」

 

 調子が戻ってきたのか、彼女の表情もだいぶ柔らかくなってきている。口元には柔らかそうな笑みも浮かんできていて、傍目から見れば確かにかわいいんだろうなと垣村は思った。そりゃあ、あんな風に男に襲われそうにもなるはずだ。もっとも、垣村は現実で起こるとは欠片も思ってはいなかったが。しかし、現実を考え出すと少し憂鬱な気分が垣村の中に湧き上がってくる。

 

「はぁ……月曜から学校平気かな」

 

「なんで?」

 

「邪魔しやがってって、逆恨みされるかもしれない」

 

「あぁー、でも動画撮ってたでしょ? なら、大丈夫じゃん」

 

「撮ってないよ」

 

「……はぁ!?」

 

 本日何度目だろう。耳元で大きな声で驚かれると、垣村も連られて驚いてしまう。彼女は垣村のポケットの中にしまわれている携帯を見てから言ってきた。

 

「だって、さっき……」

 

「ハッタリだよ。本当に最後の方しか録画してないから、決定的な場面、撮れてない」

 

「なのにあんな、堂々と言ったの? バレるかもしれないのに?」

 

「バレたって良かった。笹原さんに襲いかかったら、それを録画して警察呼んで、間に入る。俺に殴りかかったなら、笹原さんは逃げられる。どっちに転んだって、それなりに事は運んでたから」

 

「殴られても良かったって言うの?」

 

「良くない。けど、笹原さんが襲われるよりマシだ」

 

 どうせ、自己満足だ。じゃなきゃ彼女を助ける理由がない。自分で思っているよりも、優しい人物じゃないなんてわかりきっている。むしろ、自分が優しい人だと思い込んでいる時点で優しくないようなものだ。

 

 あくまで合理的に、自分にできることをしただけ。ただそれだけのことだ、と自分で自分を納得させるように垣村は心に言いつける。そんな垣村の返事に、笹原は不満があったようだ。まるで叱りつける母親のように彼女は言う。

 

「自分のこと、蔑ろにしすぎじゃない」

 

「そんなことないけど……。痛いの嫌だし、俺だって自分のことがかわいくて仕方がない」

 

「なにそれ、垣村の言ってることおかしいよ」

 

 笹原は何がおかしいのか、クスクスと笑っていた。別に変なことを言ったつもりはない。考えてることがわからないのは、そっちの方じゃないのかと思った。

 

「……ありがとう、垣村。助かったよ」

 

 ひとしきり笑った後で、笹原は目線を合わせようとしない垣村の横顔に向けて笑顔のままお礼を言う。そんな顔で言われるとも思っていなかった垣村は不意のことに心臓がドキリと跳ね上がった。

 

 ……本当に、わからない。そんな吹っ切れたような笑顔で感謝されても、あの時傷つけられた傷が癒えるわけじゃない。

 

「別に……」

 

 彼女から視線を逸らし、別の方を向く。例え嫌な相手からだとしても、感謝されるというのはむず痒かった。それに、なんだか蒸し暑い。

 

「ねぇ、下の名前なんていうの」

 

「志音、だけど」

 

「そうだ、そんな名前だった。ちなみに私は唯香ね」

 

「一応忘れないようにしとく」

 

 下の名前で呼ぶことなんてないだろうけれど、伝えられた以上忘れてはいけないだろう。笹原は次の日には忘れているかもしれないが。

 

 そうな感じで話し込んでいると、だいぶ長い時間をここで過ごしていることに気がついた。携帯の電源を入れて時間を確認したら、次の電車の時間が迫ってきている。そろそろ帰らなければならない。

 

「そろそろ、電車が来そうだ」

 

「じゃあ、駅まで歩こうか」

 

「……一緒に?」

 

「なんで嫌な顔するわけ!? あんなことあったのに、私一人で帰らせる気なの!?」

 

 そんなこと流石に垣村でもわかっている。だが、念のために聞いただけだ。自分と帰りたがるような人じゃないと心のどこかで思っていた。これで勘違いして調子に乗り始めたら、今度こそ色々と終わりだろう。

 

「いや、笹原さんみたいなかわいい人なら、日常茶飯事なのかなって思ってた」

 

「っ……んなわけないでしょ!!」

 

 笹原は立ち上がって、垣村の服を引っ張るようにして立たせる。そして駅の方に向かって服を引っ張りながら歩いていくので、垣村も仕方なく彼女の隣にまでやってきて歩くしかなかった。

 

 これで変な噂がたったらどうする気なんだろう。それで変な矛先が向けられるのは勘弁して欲しいところだ。ただでさえ、さっき追い払った男子生徒に逆恨みされそうで内心ビクビクしているというのに。

 

「垣村って、電車どっち」

 

「下り」

 

「じゃあ、電車は別なんだ」

 

「……まさか上って家まで送れって?」

 

 そうなってくると話は別だ。電車の時間を考えると、流石に笹原を家まで送るのは厳しい。いやそもそも、そこまでやってやる必要はあるのか。笹原の評価に対してどこまでやってやれるのか、垣村にはわからなくなってきていた。

 

「流石にそこまで言わない。これ以上迷惑かけたくないし」

 

「そう。下りって一時間に一本しかないから、送ってけって言われたらどうしようかと思った」

 

「少なっ。え、本当に一本しかないの?」

 

「ないよ」

 

 信じられないといった目で笹原に見られている。反対側、しかも下りの電車なんて彼女は見ないのだろう。一時間に一本しかないのは、今向かっている駅から下だけなのが本当に面倒だと思う。都会の方なら、電車は時間なんて気にしないで乗れるとか言うけれど、本当なのだろうか。

 

「垣村って、オタクだと思ってたけど……案外図太いんだね。今じゃそんなにキョドってないし」

 

「第一、俺はオタクじゃない」

 

「違うの?」

 

「笹原さんの言うオタクは、アニメオタクとかそんな感じでしょ。俺は、アニメは見ない」

 

 正直アニメに関してはあまり興味がわかない。だというのに、根暗なだけでオタク扱いされてしまうのだから困ったものだ。誰も日陰なんて見やしない。見られなければ、勝手に想像されるだけ。アイツはあぁいう奴なんだって。実際垣村はそう思われているのだから。

 

「正直、垣村のこと誤解してたのかも」

 

 服を引っ張ったまま歩き続ける笹原は、ちょっとだけ笑いながら垣村のことを見てくる。それに対して、垣村は努めて無表情を保つようにして言い返す。

 

「俺は、笹原さんは印象通りの人だった」

 

「そう。どんな?」

 

「人に向かってきもいって平気で言う人」

 

「……アレ、聞こえてたの?」

 

「聞こえてた」

 

 笑顔から一変して、どこか焦ったような顔つきになる。慣れてしまったのか、垣村の心は少しずつ穏やかになってきていた。軽口が平気で言える程度には、いつもの調子に戻ってきているらしい。

 

「いや、そのさ……その場しのぎみたいな感じで言ったっていうか……ほら、エモいとか、そんな感じで」

 

「俺にはJK語はわからないけど……軽々しくきもいと言うのなら、自殺者が増えるな」

 

「ご、ごめん……」

 

 顔を俯かせて、しかし歩みは止めずに進み続ける。彼女に謝られようとも、心につけられた傷なんてものはそう簡単に治るわけじゃない。生々しい傷跡を残して、未だに心臓を抉り続ける。

 

「……なのに、私のこと助けてくれたの?」

 

「正直、助けたくなかった。でも、あんな場面で助けないなんて選択、できないから」

 

「……調子がいいこと言うかもだけど、許してもらえない?」

 

「いいや、許せない」

 

 そう伝えた途端、掴まれている部分が更に強く握られる。笹原は顔を合わせることもできないようで、垣村もまた顔を合わせる気もなかった。

 

「けれど」

 

 そう、垣村は続ける。

 

「そのうち、気にならなくなることはあるかもしれない」

 

 いつかそれが笑い話にできるのなら。そういった道を歩めたのなら、それはそれでいいんだろう。許さない、けど気にしない。相手に贖罪させる機会を与えることくらいは、してやってもいい。先程までの会話で、垣村はそう思えるようにはなっていた。

 

「……ありがとう、垣村」

 

 一度垣村を見て、また顔を正面に戻す。彼女が先程の言葉をどう捉えたのか。わからないが、感謝されて悪い気はしない。

 

「なんだか、垣村のその言い回し……詩人みたい」

 

「……そんな大層なこと言った覚えはないけれど」

 

 詩人と言われて、少し擽ったく感じる。その後は、互いにしばらく無言の時間が流れていた。座って話していた時は窮屈で仕方がなかった無言が、今ではあまりそうは感じない。笹原も同じように思っているのか、無理にでも会話を繋げようとはしてこなかった。

 

 歩き続けて数分。嫌というくらい明るく光を放っている駅が見えてきた。スーツ姿の人達が数人階段を降りてきているのが見える。幸いにも生徒の姿はなさそうだ。垣村が足を止めると、笹原も同じく足を止めて垣村のことを見てきた。

 

「ここまで来れば、大丈夫でしょ」

 

「駅まで行かないの?」

 

「一緒に行って、ウチの生徒がいたら変な噂がたつよ」

 

「……それも、そうだね」

 

 否定して欲しかったわけじゃないが、なんだろう。なんとなく残念だ。

 

 笹原は握っていた服を手放して、数歩前に歩み出てから垣村に向かって振り返る。

 

「本当にありがとね、垣村。また月曜日に」

 

「……あぁ、気をつけて」

 

 華やかに笑った横顔を見せながら、彼女は軽く手を振ってその場を去っていく。彼女が階段を上りきったあたりで、垣村も階段を上り始めた。

 

(……本当に、顔はいいんだよな)

 

 先程見た笑顔を思い出して、ふとそう思う。なんだかまた体が蒸し暑くなってきている気がして、垣村は手で顔を扇いだ。

 

 まぁ別に……嫌な奴ではないんだろう。トップカーストには変わりないんだろうけれど。垣村の中で、少しだけ笹原に対する印象は変わっていた。



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6話目 変わらない日

 月曜日になって垣村が学校に行っても、日常風景は何一つ変わることはなかった。教室の前の方で話をするトップカースト、隣では暇そうに携帯をいじっている西園。放課後辺りに例の男子生徒から呼び出しでもくらうかと少し恐怖していたものの、そんなこともなく終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

 何も変わらない。いや、変わったこともあるのかもしれない。垣村は駅のホームにある椅子に座ってそんなことを考えていた。

 

(結局月曜になっても何も無かったな……。いや、何も無い方がいいんだけど)

 

 笹原に対してあれほど視線が向かっていたというのに、今では落ち着きを取り戻している。傘を返してもらったから懸念すべきことがなくなり、注目する必要もなくなったということなのだろうか。悩むも、答えは出ない。変わらなかったのではなく、元に戻ったとも言えるのだろう。

 

(何も変わらない世界で、たったひとつ小さな出来事があったとしても、やっぱり世界は何も変わらない。別に変えたいとも思わないけど、でも……変えたくないとも思わないんだ)

 

 椅子に座ったまま両耳にイヤホンをつけ、周りから音を遮断する。そして脳内で流していく言葉の羅列。けれどもしっくりとこない。この程度の変化では、自分の中では何も変わらなかったのか。小さなため息と共に、垣村は携帯で音楽を流し始めた。

 

 好きなアーティストの曲を適当に流していくと、自分の力との差を明確に理解してしまう。歌詞を作るというのは、難しいものだった。

 

(昔はすんなりできたはずなのに。成長するにつれて、むしろ作詞は止まってしまったみたいだ)

 

 垣村の好む曲はゆったりとしたものが多い。奇しくも、垣村の気に入る曲というのはラブソングが多かった。高校生たるもの、少しは甘い未来を想像したいものだ。垣村もそれに漏れず、音楽を聴きながら妄想に耽けることもある。

 

 そうやって流れゆく時間をいつものように無為に過ごそうとしている時だ。唐突に垣村の右耳に開放感を感じ、そこから周りの煩わしい音が響いてくるようになる。

 

「垣村っ!」

 

「ぉっ!?」

 

 次いで聞こえてきたのは女子生徒が自分の名前を呼ぶ声であった。驚いてすぐに声の方を向けば、そこには立ったまま垣村を見下ろしている笹原がいる。その手には垣村がつけていたイヤホンがあり、表情は眉をひそめて怒っているように思えた。驚かされて早まる鼓動といい、目の前の女子といい、まるで今から怒られるのではないかと感じてしまう。

 

「これだけ呼んでるのに聞こえてないとか、どんな音量で聞いてるわけ?」

 

「い、いや……話しかけられると思ってなくて。それよりも、なんでここに?」

 

「それはこっちのセリフ。ここ上りだよ」

 

 どこか不貞腐れつつ、笹原はイヤホンを返してくる。受け取って一応左耳のイヤホンも外した垣村は、自分がなぜ上りのホームにいるのかを説明し始めた。

 

「今から塾なんだよ」

 

「ふーん……週何回?」

 

「確か……月、木、土の三回かな」

 

 勉強は大事だ。子供の頃にもっと勉強しておけばよかった。いや、俺の頃は勉強したくてもできなかった。多くの大人はそう言って勉強を無理強いする。けれども、宛もなく砂漠をさまよう様に、勉強というのは終着点がない。

 

 百点を取れば終わりか。いや、終わらない。次も次も、と続いていく。では良い大学に入れば終わりか。いや、むしろそこからまた新たな勉強を始めなくてはならない。じゃあ大学院。そこまでいけば、確かに『勉強』という行為に終止符が打たれるようにも思える。

 

 じゃあ、良い大学ってなんだ。大学院で何を学べばいい。頭が良くなければ良い大学には行けないというけれど、行ってどうしろというのか。未だになりたい自分という曖昧な存在に、垣村は出会えていなかった。

 

 塾のある日を聞いた笹原は、興味があるのかないのか。ただもう一度、「ふーん」と軽く鼻を鳴らすように返事をするだけだった。

 

「一つ前の電車に乗ったりしないの?」

 

「その電車は人が多いから。塾が始まるまで時間があるし、それに……人混みは好きじゃないんだ」

 

「こんな日陰で人が少なくなるまで待ってるってわけ?」

 

 笹原の言う通り、垣村の座っている椅子がある場所はホームに降りる階段の裏手にある。普通なら降りてそのまま目の前にある椅子に座るだろうが、垣村は利用人数の少ないこの場所を好んでいた。

 

「良いもんだよ、一人で過ごす時間って」

 

「つまらなそうだけど……まぁ、いいや。とりあえず、これ」

 

 笹原はカバンの中からコンビニの袋を取り出すと、それを垣村に押し付けてきた。何かと思い中を見てみれば、柿ピーが2種類入っている。普通のものと、わさび味のものだ。

 

 何故今これを渡してきたのか。不思議に思い、垣村が彼女を見上げると、そのまま視線を逸らされてしまった。

 

「その、好きだって言ったじゃん、それ。一応この前のお礼のつもり」

 

 どこか照れくさそうに髪の毛を弄り始める。そんな彼女と袋の中身を見比べ、別にお礼を期待していたわけじゃなかったけれどっと内心思いつつ、垣村はお礼を言った。

 

「ありがとう。家で食べさせてもらうよ」

 

「お礼を言うのはこっちだし。垣村が助けてくれなかったら、今頃学校に来てないだろうしね。あっ、そういえばあの男子に何かされた?」

 

「いや、何も。相変わらず、平和だったよ」

 

「そう……ならよかった」

 

 そう言って笹原が近づいてきたかと思えば、何を考えているのか垣村の隣の席に腰を下ろした。距離が近い。普段感じることのない距離感と、すぐ横に座っているのが女子生徒だという事実に垣村の心臓は速まっていた。

 

 別に隣に座る必要もないだろうに。いや、成り行きか。確かにこの状況で間をひとつ開けて座るというのもなんだかはばかられる。仮に自分が彼女の立場だったのなら、同じように……いや、やっぱり隣には座れない。彼女は男の、しかも自分のような奴の隣に座るのに忌避感はないのだろうか。なんだか一気に情報量が増えて、垣村はパニックになりかけていた。

 

 しかしそんな状況にした本人は何処吹く風といったようで、カバンを膝の上で抱えたままどこか遠くを見つめている。何か話した方がいいのではないか。そんな焦燥に駆られ始め、垣村は彼女に問いかけた。

 

「……さ、笹原さんはいつもこの時間なの?」

 

「ん、今日は……たまたまだよ。てか、慣れたのかと思えばいきなりどもるんだね」

 

「自分から女子に話しかけるのが苦手なだけだよ」

 

「割とビビリ?」

 

「かもしれないね」

 

 おばけ屋敷は苦手ではないが、やはり怖いものは怖い。何より怖いのは、人間だけれども。

 

 垣村が答えると、笹原は「へぇー」っと口元を浅く歪めてニヤニヤと笑っていた。何か嫌な予感がする。垣村が身を固め始めると、彼女は笑いながら「何もしないって」と言ってくる。絶対嘘だ。確信できるくらい、彼女の瞳は笑っていた。

 

「垣村はさ、休みの日とか何してるの?」

 

「何って……家で適当にのんびりしてる。たまには外に出るけど」

 

「じゃあ、暇なんだ。なら今度遊園地にでも行く? おばけ屋敷入ろうよ」

 

「嫌だ」

 

「行ったら絶対楽しいって」

 

「楽しいのは笹原さんだけだよ」

 

 ジトっとした目で笹原のことを睨みつける。「バレた?」と楽しそうに笑っている彼女を見ると、なんとも怒れなかった。

 

 女子ってずるい。これが男だというのなら頭を一発小突くぐらいはしているというのに。

 

「垣村ってさ、普段イヤホンつけてるじゃん。何聴いてるの?」

 

「何って……そりゃ、色々だよ」

 

「有名なヤツ?」

 

「そういうのもあるし、インディーズもある」

 

 多少答えを濁らせた。人には人の趣味というものがある。読書、料理、お菓子作り。そういった一般的なものだったら良かったかもしれない。

 

 先程の休日の過ごし方というのも、かなり濁していた。垣村はその他大勢という名の一般的なものから外れている。なにしろ、彼の聞く音楽の中には機械音声と言われるものを使って歌を歌わせているものがあった。VOCALOID、ボカロと言われるものだ。

 

 世間的にオタクと言われる類に属するのだろう。だが、垣村本人は否定している。オタクではない。自分が興味があるのはそこではなく、創作という部分だけなのだと。

 

「ふーん……どんな感じのが好きなの?」

 

「どうって……どう、なんだろう」

 

 個人的には静かな歌の方が好みではあった。しかし、だからといって激しい曲が嫌いかといえばそうでもない。歌詞だ。紡がれる言の葉、作者の叫びだ。それこそが垣村を引きつけるのだろう。だからこそ、どうとも言えない。曲にラブソングが多いのは、そういった叫びが顕著に現れている気がするからだ。

 

 ラブソングだけじゃない。悲恋も、斜に構えたような曲も。それが響くように聞こえたのなら、垣村にとっては素晴らしい曲だった。だからこそ……。

 

「心に響くような曲……かな」

 

 そう答えた。それに対して、笹原は一瞬キョトンとする。思いがけない答えだったからだろう。想像すらしていなかったその回答に、数秒経ってから彼女は噴き出すのを堪えるように笑い始めた。

 

「に、似合わない……ふふっ」

 

「酷いな」

 

 自分でも似合わないとは……いいや、ならむしろ誰が似合うというのだろう。そんな問の結論はすぐに導き出せた。顔だ。顔、顔、顔。まったくうんざりだ。

 

 例えオタクでも、格好よかったら何も思わないんだろ、君たちは。そんなこと昔っから知ってるんだ。

 

 垣村の中学時代。容姿で馬鹿にされていた男の子がいたのを覚えている。クラスの人気者たちにからかわれては、物を隠されたりと、地味な嫌がらせを受けていた。

 

 自分でなくて良かったと、安堵していたのを垣村は覚えている。けれども……そこからだ。その男の子はギターを習っていたらしい。それが発覚して、皆に「似合わない」と笑われ、練習していた音楽が深夜アニメのエンディングだとバレた時も、笑われていた。

 

 ……けれども、笑われ続けても男の子はギターを手放さなかった。彼はそれからも練習を続けていたらしい。

 

 それを格好いいと思ったのはきっと自分だけだったのだろう。外面ばかりの他の奴らになんて、何もわかりはしないんだ。苦労も、努力も、好きなことに必死になることすらも。彼らにとっては笑い話になってしまう。

 

 だから、嫌いだ。トップカーストは嫌い。そのグループの一人が……今、垣村の隣にいる。

 

「……黙りこくるのはなし。暇だから何か話してよ」

 

「携帯でも適当に見ていなよ。暇つぶしにはなる」

 

「隣に話し相手がいるのに?」

 

「あぁ。何も気にしない」

 

 どうして彼女は隣にいるのだろうか。いや、今回はお礼を渡すために話しかける必要があった。だとすれば、きっとこれが最後なんだろう。彼女が自分と一緒にいる理由なんて、もうないはずだから。

 

 垣村も笹原も話すことがなくなり、互いに携帯を弄り始める。やがて、上りの電車が目の前までやってきた。いつも通り、電車の中はガラガラで、生徒らしき人は遠くの方に数人いる程度だ。

 

「本当だ。この時間人少ないね」

 

「気遣う必要がないから、楽でいいよ」

 

 そう言って垣村は椅子の一番端に腰を下ろす。すぐ横にもう一人座れる場所があるが、手すりがついていて二人並んで座ると少し狭く感じる。だから彼女は一つ空けて座ると思っていたのだが……。

 

「よいしょっと」

 

 躊躇うこともなく垣村の隣に腰を下ろした。これには流石に垣村も動揺する。隣に座る必要はないだろう。いや、まさかトップカーストはこれが普通なのだろうか。

 

「隣座ってると、変な噂たてられるかもよ」

 

「平気じゃない? 人いないし」

 

 いいや、これは意識されていないのだろう。なるほど、なら納得がいく。バレないように小さくため息をついた垣村は、どうせこれが最後だろうと思いながら膝の上にあるカバンを寄せるように腕の中に抱いた。

 

 彼女はトップカースト。自分が忌避すべき存在。だというのに、なんでこんなことになったんだろうか。原因は自分にあるような気もするけれど……それも、終わりだ。

 

 彼女が自分と一緒に帰る理由も、これでなくなるのだから。

 

 

 

 




もう評価入れてくれた人がいますね……。
ありがとうございます。15話程度までなろうにあげてあるので、そこまでは毎日少しずつ更新する予定です。


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7話目 興味と好奇心

 月曜日が好きな人というのは、多分少ないんだろう。けれども笹原の心の内では、月曜日に対する憎さ半分、好奇心半分であった。その好奇心の正体は、間違いなく先日助けてくれた垣村への気持ちだ。

 

 流石に言葉だけのお礼では足りない程のことをしてくれた。だから、彼が好きだと言った柿ピーを買って渡そうというのも、別に不思議なことじゃないはず。話しかける口実にもなる。そう思って、学校に行く途中でコンビニに寄り二種類の柿ピーを買っていく。どっちが好きなのかわからなかったし、もしかしたら両方好きかもしれない。

 

 両方好きなら、嬉しさ二倍。なんて、バカみたいなことを考えてみる。放課後のことを考えて、少しばかり胸を踊らせるなんて……いつぶりだろう。

 

「唯ちゃん、おっはよー」

 

 教室に着けば、毎度のように明るい声で紗綾が挨拶してくる。「おはよ、紗綾」と笹原も返事を返し、自分の席に座る。

 

「ねぇねぇ、昨日テレビでやってたドラマ見た?」

 

「あー、ううん。見るの忘れてた」

 

「えー!? 好きな俳優が出るから見るって言ってたのに!?」

 

「色々あって、忘れちゃっててさ」

 

 カバンの中から荷物を出す。そんな単調な作業の間に、笹原の視線は自然と彼の机付近を盗み見るようになっていた。意識はしていない。本当に、ごく自然と見てしまっていた。あの雨の日から、随分と彼のことを無意識で目で追ってしまっている。

 

 冴えない見た目のくせに、結構肝が据わってて。そのくせ、女の子と話す時は挙動不審になって。なんだろう、わりとかわいいのかもしれない。そんなことを考えている笹原の口元は、ひとりでに緩んでいた。

 

(話せるのは……放課後かぁ)

 

 そんなことを、一日に何度も考えていた。授業中に時計を見て、いつもなら早く終わらないかなと退屈で仕方なかったけれど……今日に限っては、退屈というよりかは焦りに近かったのかもしれない。早く、早く、と急くような気分になって、どうにも落ち着かない。

 

 休み時間の時に、トイレから帰ってきて教室に入る際には、シレッと見渡す感じで窓際の後ろの方を見る。相変わらず両耳にはイヤホンをつけていて、何を聞いているんだろう、と少し不思議に思ってみたりした。

 

 そして……そういう日に限って、時間の流れは遅く感じてしまう。昼休みまでが本当に長くて、六限目が終わる頃には笹原の心臓が焦りすぎて疲弊してしまっているみたいだ。けれども、ようやく。ちょっとした期待のようなものに胸を踊らせながら、放課後はやってきた。

 

(さて、垣村の奴は……)

 

 チラッと盗み見たら、垣村は西園と話している最中だった。西園が携帯を見せながら何かを自慢しているらしい。それを垣村は、ただ優しく笑いながら相槌を返している。

 

(あっ、笑ってる)

 

 そういえば自分の前では笑っているところを見たことがない。あの夜は、彼は一度たりとも笑うどころか微笑みすらしなかった。なんだろう、西園に負けている気がして少し癪に障る。

 

「唯ちゃん、なにぼーっとしてるの?」

 

「あっ、紗綾。なんでもないよ。やっと学校終わったなーって思ってさ」

 

「学校が終わっても、うちらは部活あるんだよねー」

 

 目の前で「帰宅部はいいなぁ」なんて紗綾は言う。けれど、何度か部活をしているところを見たけど……随分と楽しそうに部活をしていたと思う。部活をしているからこそ、帰宅部に対する羨望みたいなものがあるのかな。

 

「そういえばさ、この前の練習試合で彩香(あやか)が他校の男子生徒ですっごい格好いい人見つけてさ。これこれ、見てよ」

 

 紗綾が携帯の画面を見せてくる。そこには、多分サッカー部の男の子が映っていた。髪の毛はワックスで固められていて、それほど筋肉質って訳でもない。ちょいワル系みたいな感じ。

 

 件の彩香は松本と話しているけれど……よくまぁ見つけてすぐに写真なんて撮れるね。私にはちょっとできる気がしないな、と笹原は写真を見ながら思う。垣村は写真なんて撮らせてくれないだろうし。

 

(……いやいや、なんで垣村が出てくるし)

 

 あっ、そういえば垣村は。完全に意識の外になっていて忘れてしまっていた。首をちょっと動かして、視界の隅に入れる形で垣村の机を見る。

 

(……いなくなってるし)

 

 いつの間にいなくなったのか、机にはもう誰もいなかった。なんてことだ、これではお礼を渡すどころか話すことさえできない。せっかく放課後まで待ったのに、また明日待つというのは中々に堪える。

 

「じゃあ、私たち部活行くね。バイバイ、唯ちゃん」

 

「あっ……うん。バイバイ」

 

 楽しそうに笑いながら、紗綾は彩香を引き連れて部活へと向かっていく。あの楽しそうな笑いが、笹原にほんのちょっとだけ、怒りの気持ちを湧かせた。せっかく待ったのに、こんな仕打ちになるなんて。

 

 でも……仕方がない、か。また明日も学校に来れば会えるんだから。話す機会は……なんて、前も考えていた気がする。傘は結局、自分から話しかけて返せなかったじゃないか。これじゃあ、お礼を渡すのもまた時間がかかってしまう。

 

(あぁ……垣村が、もっと格好よかったらな。もしくは、もっと積極的だったら)

 

 そしたら、カースト下位になんていないし、話しかけやすい。けれども、それは垣村なのだろうか。あの垣村だからこそ、話してみたいと思っているんじゃないか。

 

 けど、好き好んでカースト下位になんていたくもないはず。髪型を変えてみたり、あのイヤホンもやめさせればそれなりにクラスカーストは上がるんじゃないかな。あとは、挙動不審をなくすとか。

 

(……気がつけば垣村のことばかりだ)

 

 好き? いや、ない。断じて。これはちょっとした物珍しさとか、そんなものだ。第一、付き合うなら格好いい人がいい。確かに助けてくれた垣村は、その時はそれなりに格好よかったけれど……。

 

 そんなことを考えながら荷物を纏めて、笹原は教室から出ていく。その足取りは少し重く、緩やかであった。坂を下っていって、今朝も通ったコンビニの横を素通りし、女子たちが楽しそうに話しているカフェをちらっと見てから駅にまでやってくる。

 

(そういえば、アイツ下りなんだっけ)

 

 以前垣村が言っていたことを思い出した。電車は一時間に一本しかないと。もしかしたら、まだ残っているのかな。そんなことを考えながら、いつも使う上りのホームに降りていく。普段よりもゆっくりと歩いてきたせいか、生徒はあまり見かけない。

 

(向こう側の……どっかにいるのかな)

 

 向かい側のホームを見ながら、隅から隅まで移動するつもりだった。けれども、階段の下にある椅子のところまで歩いてきたら……イヤホンをつけた、ある意味最近見慣れたその姿が目に入ってきた。垣村が、何故か上りのホームにいる。不思議だったけれど、これはこれで運が良かった。

 

 周りに知ってる人はいなさそうだ。それを確認し終えると、笹原は彼の近くまで近寄っていく。そして少し小さな声で、彼の名前を呼んだ。

 

「垣村」

 

 けれども彼は気がつかない。仕方がない、今度はもう少し大きな声で。

 

「垣村っ」

 

 二度目にも反応がない。彼は真っ暗な携帯の画面を見つめたままで、笹原に気がつく素振りすら見せない。そんな態度に笹原は、ほんのちょっとだけムカッときて、すぐ隣まで歩いていくと彼の右耳から強引にイヤホンを奪い去った。

 

「垣村っ!」

 

「ぉっ!?」

 

 驚き目を見開いた彼の声に、思わず笑ってしまいそうになる。なんだ、今の声。おかしな発音だった。けれど、笑ってしまったら変に思われるだろう。それにちょっと怒っているんだから……と、笹原は眉をひそめて彼のことを見下ろした。

 

 彼は話しかけられると思っていなかったらしい。友達が少ないからなのかな。少し失礼かもしれないけれど。

 

 垣村は塾に通うために上りのホームにいたみたい。塾か……高校受験以来、塾に通っていない。大学受験が近くなったら、きっと行くことになるんだろう。彼は月曜日と木曜日、そして土曜日の週三回、この次の時間の電車で上っていくらしい。なるほど、少なくとも週二回はこの時間に来ればここで話すことができそうだ。

 

 そうそう、忘れてはいけない。お礼の柿ピーを渡さなくちゃ。カバンの中から取り出して彼に渡す。そしたら垣村は……本当にキョトンとした顔で笹原のことを見上げてきた。そんな反応をされると少し言い出しづらい。

 

「その、好きだって言ったじゃん、それ。一応この前のお礼のつもり」

 

 なんで、こっちが恥ずかしがっているんだろう。思わず視線を逸らしてしまった。その逸らした先には、カップルらしき学生がいて、思わずハッとなる。前に襲いかかってきた男子生徒に、垣村は何もされなかっただろうか。

 

 聞いてみたら、何もなかったらしい。その事実にホッと胸をなでおろした。これで嫌がらせとかされていたら、どうすればよかったのか。初手の印象も悪かったし、これ以上変に嫌われるようなことをしたくはない。

 

 まぁなんにしても、何もないのならよかった。電車が来るまで時間もあるし、椅子に座って話でもしてみようか。そう思ったけれど……これ、隣に座るべきかな。一個あけて座るのは、ちょっと距離を感じるというか、嫌がってるって思われそう。ここは、隣に座ってみよう。

 

 ほんのちょっと意を決して、彼の隣に座る。チラッと彼の顔を見てみるけれど、済ました顔で向かい側のホームを見ていた。これじゃ、自分だけが変に意識しているみたいじゃないか。ちょっと恥ずかしくて、笹原はカバンを抱えたまま同じように向かい側のホームを見つめ始める。

 

「……さ、笹原さんはいつもこの時間なの?」

 

 初めてまともに話した時のように、垣村は若干どもりながら話しかけてきた。そんな彼の反応に思わず笑いそうになる。今日はいつもより遅く駅に来たけれど、その理由は垣村のことを待っていたからだ。気がついたら先に帰られていたけれど。でも、そんなこと言えるわけもなく、たまたまだよと返事を返した。

 

 その後の会話も、垣村はちょっと距離を測りかねているというか、ビビっているというか。そんな小心者の彼を見ていると、思わず虐めたくなってしまう。ちょっとしたイタズラをしてみたら、ジト目で睨まれてしまった。

 

 いつもイヤホンをつけている彼。一体何を聞いているのか、尋ねてみた。それと、どんな感じの曲が好きなのかも。案外ロックとか聞くのかな、なんて思っていたら……。

 

「心に響くような曲……かな」

 

 一瞬何を言ったのか理解できなかったけど、すぐにその意味を理解して、流石に笑うのを堪えきれなかった。予想外も予想外。普通の男子からは聞けるはずもない台詞が飛び出してきた。言った本人は恥ずかしそうにそっぽを向いているし。

 

 あぁ、なるほど。だから面白いんだ。普通の男子と話していても、普通の答えしか返ってこないから。けれど垣村は違う。普通とはちょっと違っているから、その答えも笹原の想像の斜め下か、上を行く。だから、話してみたいって感じたのかもしれない。

 

 ほらまた、彼は隣に女子がいるのに携帯を弄り始める。普通じゃありえない、女の子を放っておくなんて。けれども、なんだろう。不思議とそれを悪いとは感じなかった。隣にいても何もしないという、そんな微妙な距離感にどこか安らぎすら感じている。気を張る必要がないから、なのかな。

 

 そのうち電車がやってきて、笹原と垣村は同じ車両に乗り込む。垣村が言うように、この時間は生徒がほとんどいない。電車の中はガラガラだった。彼は「気遣う必要がないから、楽でいいよ」だなんて言って、一番端の椅子に座るけれど……私には気遣ってくれてもいいんじゃないか、と笹原は内心ムッとする。端の椅子には、誰だって座りたいだろう。だからささやかな仕返しの意味も込めて、笹原は彼の隣に腰を下ろした。ちょっとだけ体を近づけてみたりしたけれど、やっぱり彼は動じない。

 

「隣座ってると、変な噂たてられるかもよ」

 

 ……人に気遣わないくせに、こういうところは気が回るのか。まぁ、人もいないし平気だろう。笹原はそう答えて、電車の揺れに身を任せ始めた。

 

 隣に座る彼は、何をするでもなくカバンを抱えたまま、じっとどこかを見つめている。結局、この日も彼は笹原に向けて笑うことはなかった。

 

 

 



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8話目 オジさんとカキッピー

 塾の講師からは空いている時間に英単語を覚えろ、とよく言われる。けれど、塾が終わってそうそうにそんなことができる訳もない。夕方に塾が始まり、外が真っ暗になる頃には終わっている。塾内の静かな雰囲気とは異なって、一歩でも外に出てみれば賑やかとも五月蝿いともとれる喧騒が耳を(つんざ)くように刺激する。それは少し好みじゃない。垣村は両耳にイヤホンをつけ、左手だけをズボンのポケットに入れながら歩きだした。

 

 駅に向かって歩くと、すれ違うのは大学生らしき人たちやスーツ姿の社会人。疲れた顔や、笑ってる顔。自分はどちらになるのだろう。年中疲れた顔をしている気がしてならない。最近は将来のことで不安になることが多かった。残念ながら、両親とはあまり話をすることがない。垣村はその心の内を誰かに話して解消するという機会がなかったのだ。

 

 途中、イヤホンをしているのに大きな音が聞こえてくるようになった。バイクの音だ。意味もなくエンジンをふかし、自己主張するようにハイスピードで駆け回る。周りの鬱陶しそうな目に、彼は気がつくことはないんだろう。いや、むしろ気づいてやっているのか。どちらでもいいが、煩わしい音だ。なんて醜い雑音だ。その音で耳を壊すのをやめてくれ。遠ざかっていくバイク乗りの背中に向けて、眉をひそめて睨みつける。その更に先に見える信号機は……赤色だ。

 

(信号無視で事故ればいいのに)

 

 垣村は善良な市民という訳でもない。いや、そうであっても……癪に障るものがあれば、そう思ってしまうものだろう。案の定、バイク乗りは赤信号であっても構わず右折して街のどこかへと消え去って行った。残念ながら、バイクのふかす音は聞こえたまま。事故に合わなかったらしい。

 

(そう考える俺がクズなのか。それとも、そう思わせる行動をとるのがクズなのか。両方なのかもな)

 

 次第に音は小さくなっていき、イヤホンには最近話題になっている歌手の失恋ソングが再び息を吹き返す。穏やかで、しかし激しい。サビに入る時のアップテンポになる瞬間が、とても心地よい。思わず鳥肌がたってしまうほどに。

 

 あぁ、いい曲だ。そんなことを考えながら道を歩いていると、駅の方から流れてくる人の中にどこかで見たような男の人をみつけた。よれた黒いスーツがどうにも仕事のできなさそうな印象を与えるが、けれども不思議と似合っている。仕事用の鞄を肩に背負うように持ち歩くその姿を一言で表すのならば、だらしがないとでも言うのだろう。見間違えでなければ、それは垣村の友人である西園の叔父だった。垣村が見ているのがわかったのか、彼の方はへらへらとした緩みきった顔で近づいてくる。仕方なく、彼は耳からイヤホンを取り外して歩み寄った。

 

「やー、どうも。確かしょー君と一緒にいた……カキッピーだったっけ?」

 

「垣村 志音です。そんなお菓子みたいな名前じゃありません」

 

「まぁまぁそんな堅いこと言わずに。塾帰り? 学生は学生で大変だねー」

 

 軽い。そのノリも、態度も、何もかもが軽い。しかも会うのはまだ二度目だというのに、カキッピーなんて呼んでくる始末。精神年齢が幼いまま体だけ育ってしまった大人なのではないか。垣村は彼に気づかれないように小さくため息をついた。学校のトップカーストとまではいかないが、それなりに相手をするのに疲れるタイプかもしれない。

 

 そんな垣村の内心なんて知らない庄司は、ずっとへらへらとした笑みを崩さないまま話を続けてくる。

 

「オジさんはさ、会社の飲み会が面倒くさくてねぇ。用事があるって言って帰ってきたのよ。でも、なんだかんだ言ってお酒は飲みたい。そんな気分なんだよねー」

 

「はぁ……」

 

 のっぴきらない返事を返す垣村だが、庄司はどうやら逃がす気がないらしい。左腕の袖を少しまくって腕時計で時間を確認すると、垣村に「今時間ある?」と尋ねてきた。まさかこんな未成年を飲みに誘う気なのだろうか。内心断りたい気持ちでいっぱいであったが、垣村には親しくない人と話すためのスキルがない。よって、その提案を断るというのが難しかった。嫌という一言が言えなかったのだ。「えぇ、まぁ……」なんて曖昧な返事を返してしまったが最後。庄司は満面の笑みを浮かべて垣村の肩を叩いて歩き出してしまった。

 

「よーし、じゃあオジさんのオススメの場所に連れて行ってしんぜよう! お酒は飲ませられないけど、おつまみ代は出すよー」

 

 なんて言うものだから、奢りならいいかと少しだけ気分を持ち直し、庄司の隣を歩く形で彼のオススメだというお店まで向かっていくのだった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

「いやー、この仕事終わったあとのビールって中毒性があるよねぇ。まぁ缶チューハイとかもオジさんは好きなんだけどさ」

 

 大通りから少し逸れた場所にある小さな居酒屋。そこのテーブル席で腰掛けて頼んだビールを庄司は呷るようにして飲んでいった。もちろん垣村はお酒を飲むつもりはない。頼んだコーラをチビチビと飲みながら、タレがふんだんにかかった焼き鳥を口の中に運んでいく。

 

「この店、焼き鳥と唐揚げが美味いんだよね。なにしろ、このタレがいいのなんの。昼間も居酒屋じゃなくて焼き鳥と唐揚げ売ってるから、友達と買いに来なよ。オジさんが若い頃は、よく友達と買いに来たもんさ」

 

 確かに彼の言うとおり。焼き鳥は程よく柔らかくて、なおかつタレがとても美味しい。なんともお米が欲しくなるが、奢られる身である。贅沢なことを言える立場じゃない。けれども塾帰りでお腹も減っていて、そんな状態で味の濃い美味いものを食べれば自然と頬が緩んでいくというもの。緊張はどこへやら、垣村は目の前にある焼き鳥に夢中になっていた。

 

「……そういえば、どうして自分なんかとこんな場所に来たんですか?」

 

 暗に、まだ会うのは二度目ですよねということも示唆する。庄司はその言葉に対して一口ビールを口に含んだ後で、ニヤニヤと笑いながら答えてきた。

 

「ビールにはつまみが欲しくなる。しょっぱいものでも、甘いものでもいい。まぁ要するに、カキッピーの青春時代を酒の肴にしようってことさ」

 

「そんな大層な話なんてもの、ありませんよ」

 

「いやいや、高校生といえば激動の時代さ。思春期拗らせちゃった男女の、甘い恋。苦い失恋。いいねぇ、酒が進むよ」

 

 そんなことを言いながら庄司は「枝豆ひとつお願いしまーす」と、更におつまみを増やすようだった。高校の話なんてものは西園から聞けばいいだろうに、と垣村は思う。なにせ、期待に添えるような話はない。彼女いない歴イコール年齢。甘い話も、浮ついた話もない。まぁ、苦い経験なら最近したことはあるが、それは今後何も影響することはないだろう。

 

「んで、実際どうなのカキッピー。彼女とかいるの?」

 

「いないですよ。浮ついた話なら西園……翔多の方があると思いますけど」

 

「んー、しょー君に聞くのもいいけどねぇ。まぁ近くにいたし、運が悪かったってことでさぁ。じゃあ、チャチャッと言ってみよー」

 

 普段の様子と何ら変わりない酔っ払い。急かすように言われるが、垣村には特に話せることもない。友人と遊ぶことも少ないし、他人に話せるような趣味というものを持ち合わせていない。西園相手であればくだらない話でもするのだろうが、相手は社会人。高校生あるあるなんてものを話しても意味はないだろう。少々困ったことになってしまった。

 

 なかなか話し出さない垣村の様子に、庄司は苦笑いを浮かべて「あぁ、そういうことかぁ」と一人で納得し始めた。

 

「カキッピーはあれか。社交的スキルがなさそうだねぇ。しょー君はその辺適当にやるから何ともなさそうだけど」

 

「……翔多とは違って、自分は完全に陰キャなので。女子と話すことすら億劫なコミュ障ですよ」

 

「いやぁ、女子と話すのが苦手か。わかるわかる。最近SNSとか物騒だしねぇ。何かやったら悪口書き込まれたり、写真載っけられたりするんでしょ? オジさんだったらすぐ載せられちゃいそうだなぁ」

 

 彼の言うとおりで、確かに垣村も女子……というか、女子高生が割と怖い。水面下ではバチバチと火花を散らすような小競り合いを繰り広げているらしいが、いざ結託すると垣村のような男子生徒はボコボコにされてしまうだろう。身体的にも、社会的にも、精神的にも。

 

 男は体に。女は心に。傷をつけて争う喧嘩。男は存在が怖くなるが、女は行動が怖くなる。時にヒステリックなんて起こされてしまえば、十中八九悪いのは男である垣村になってしまう。男性と女性が争えば、男性が悪いと言われてしまう世の中だ。

 

「まぁ……内容が悪かったかなぁ。じゃあ何か相談事とかない? オジさん、これでも社会人だからさー。何か話しをしてあげられるかもしれないよ? ロクな道歩いてないけどね」

 

 あははーっととぼけるように笑う庄司に対して、垣村はどうするべきなのかを悩んでいた。相談事。親に話す機会はないが、この人に話していいものなのか。そもそも、この人に話して何か変わるのか。薄っぺらくて、軽くて、いつもへらへらニヤニヤと笑っているような男に、相談事というのはできるものなのか。

 

「……将来のこととか、庄司さんはどんな風に考えていましたか?」

 

 考え抜いた結論は、ダメ元でいいから話してみるだった。満足のいく答えが返ってくるとは思っていない。けれど、その言葉のひとつが自分の道を少しでも増やせるかもしれない。そんな淡い期待を微かに込めながら、彼は相談してみた。

 

「なぁるほど。それもまた、思春期特有だねぇ」

 

「─────ッ」

 

 垣村はその一瞬で息を飲んだ。声音も変わっていない。態度も変わっていない。だが、庄司の目は先程よりも鋭く細められていた。ニヤニヤと笑っている時のような、柔らかい目つきではない。話し方は何も変わっていないはずなのに、まるで人が変わってしまったように思えた。

 

「オジさんは、特に将来とか何も考えてなかったなぁ。普通に大学いって、就職してって感じ。ただまぁ……昔っから変わらないのは、今を楽に生きるために精一杯頑張るってことかな」

 

「……楽に生きるために、頑張る?」

 

「そうそう。何もしないのは楽だけど、それってなんだか嫌じゃない? 楽はしたいけど、怠けたいわけじゃないんだな、これが。だからこそ、精一杯楽をする。いつだってそう。これからもそう。定時退社するために、オジさん毎日頑張ってるのよ」

 

 うんうん、と小さく頷きながら手元にあるビールを一口飲み込んだ。その目は鋭さを失い、また柔らかい雰囲気が戻ってきている。あの一瞬の、嫌に真剣な雰囲気はなんだったのだろうか。あの時だけ、息が詰まるほどの緊迫感があった。今も少しだけ、垣村の腕がピリピリとしている。

 

「息が詰まる生活は、したくないよねぇ。らくーに生きて、苦しまずに死んで、来世でも同じよーにしたい訳よ」

 

「随分と、軽いんですね」

 

「身軽なのはいいもんだよ。そのうち、空でも飛べる気がしてくるんだ。竹とんぼを頭に括りつけたら飛べたりしてね」

 

 冗談を言いつつ、枝豆を口の中に放り込んでいく。そしてまたビールを飲む。それが至福を感じる行動なのだとハッキリわかるくらい、彼の顔は緩んでいた。人生を楽しんでいるのだというのが、目に見えてわかる。結局は、垣村のように悩む者より、普段ダラダラとしているトップカーストの人たちの方が世渡り的にも上手くやっていけるという事なのだろうか。なんだか、垣村は少しだけ鬱っぽい気分になってきた。

 

「庄司さんは、学校のトップカーストとかどう思いますか?」

 

「んー、オジさんの頃はカースト制度はそこまでなかったような気がしなくもないんだけどねぇ」

 

 いや、多分あなたが気づいていないだけ。そう言いたくなるのを垣村はぐっと堪えた。普段からこんな態度なら、カースト中位から上位の間辺りを知らぬ間にのらりくらりとしていたことだろう。敵を作らないようなタイプの人だ。

 

「トップカーストは、何をしても許されるし、上手くいく。そう思えて仕方がないんです」

 

「ハハッ、そりゃ君の自信がないのが原因だね。周りが好き勝手に動く中で、自分だけが枷によって行動が制限される。そうなると窮屈になって、自信はどんどん失われていく。すると、周りが羨ましくなるのさ。間に物凄い差が開いているような気がして、ね」

 

 焼き鳥を食べ終えたあとの串を垣村に向けながら、普段の物言いとは考えられないほど真面目な回答が返ってくる。やはり答える時には、彼の目つきは少しだけ鋭くなっていた。なるほど、どうやら彼は相談事には真面目に取り組むタイプらしい。普段の態度はともかく、その辺は垣村にとって有難いことではあった。庄司には酒が回っていき、どんどん饒舌になっていく。それにつられる様に、垣村の口数もだんだんと増えていった。

 

「……雨が降ってる時に、トップカーストの女子に傘を貸したんです。いや、貸したというよりは、なんというかアレな感じだったんですけど……」

 

「ほーん。んで、その傘が返って来るのが割と後の方だったと」

 

「はい……。ちょっとしたアクシデントみたいなのがあって、その時に」

 

 つまらない話になるだろうが、と垣村はあの忌々しき日のことを話してみた。女子という単語が出た瞬間、庄司の目がキラキラと輝いて、華々しい展開を期待するかのように話を急かし始めた。グイグイとくる庄司に対してどうすることもできず、話さなくてもいいようなことまで曖昧にぼかしつつ話してしまった。それらが一通り話し終わった時には、庄司は今日一番の笑い声を上げて垣村をからかう様に言ったのだ。

 

「アッハッハッハ! いやいや、カキッピーったらちゃんと青春してるじゃない!」

 

 青春、なのだろうか。あの苦々しい日を青春の一ページだというのならば、垣村には甘い春は来ないだろう。ずっと苦々しい青のまま。果実が熟れることもなく、未熟な青のまま。どうせこの後何が起こることもないだろう、と垣村は予想していた。果実に色づくことはなく、種が芽吹く春も来ず。落ちて枯れてしまうのだろう。それが垣村 志音の今までの人生だったのだから。

 



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9話目 垣村と西園

 教室の片隅。いつものように両耳にイヤホンをつけて外界からの音を遮断する。周りの生徒たちが今日の日課や、近づいてきた小テストについての話をしている中で、ただ一人携帯の画面を睨みつける。そこには時間ごとのグラフが示されていて、100や200といった数字も刻まれている。それらを見つめて、垣村は誰にもわからないように小さくため息をついた。

 

 それは多くの一般人が利用している小説投稿サイト。垣村もその利用者の一員であった。ランキングに載るような小説を書いているわけではないが、彼は一作家だ。無論、誰かに評価されたいなどの欲もある。だがしかし、現実はそうではない。ランキングに載っているものと自分の書いたものを比べては、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのだ。評価を見てみればわかる。自分の作品は劣っているのだと。けれども……一体どこが劣っているのだろう。書き方、語彙、キャラクター。どれも劣ってはいないと自負していた。けれども、彼の作品は読まれない。

 

 流行というものはいつだって存在する。近頃の女子高生は机を囲んで雑誌を読んだりはせず、訳の分からない踊りをSNSに投稿するのが流行りらしい。もちろんその小説投稿サイトにも流行というものはあった。それはタイトル。人間で言うところの、外見だ。そのタイトルを見れば中身もわかる。そんな長いタイトルが流行りで、しかし垣村はそれに逆らっていた。周りと同じ。それは、個性がないのでは。そう思ってしまったから。誰だってそうだ。自分だけは何かしらの特別でありたいという、自分の存在証明。それを得たかったのだ。

 

(……中身を読まず、外見で判断する。まるで人間みたいだ)

 

 外見よりも中身で評価されたい。垣村はそう思う側だった。けれども、彼はカースト下位の生徒であり、彼をよく知らない生徒は外見で判断するだろう。根暗オタク、と。まったく馬鹿馬鹿しい話ではあるが、何も行動を起こさない自分にも非はある。だからといって、行動を起こせるわけではないのだが。明日も明後日も、垣村は両耳にイヤホンをつけて生活するのだろう。

 

「志音、おはよー」

 

 右耳から圧迫感がなくなり、代わりに聞こえてきたのは西園の声だ。横を見れば、朝早くで鬱屈する時間帯だというのに彼はへらへらとした柔らかい笑みを浮かべている。それを見ていると、垣村はなんだか羨ましく思えて仕方なかった。西園は劣等感を感じたりしなさそうなタイプであったから。

 

「おはよう」

 

「進捗どうですかー?」

 

「編集者みたいなこと言うのやめて」

 

 からからと笑いながら西園は垣村の机に腰かけた。彼は垣村が小説を書いているのを知っているし、他にもいろいろな事をやっているのも知っている。最初は明かす気はなかったものの、西園はそういったものを悪く言ったりはしないだろうとわかってから、垣村は特に隠すことなく話してしまった。時折こうして携帯を覗き込んでは「伸びないねー」なんて軽口を叩いてくる。垣村もそんなことはわかっているのだが、他の人から事実を突きつけられると、やはり少しはしょんぼりとしてしまうものだ。「ほっとけ」と西園の脇腹を軽く小突く。相変わらず、西園はへらへらとした笑みを崩すことはなかった。それを見ていると、つい昨日庄司と会ったことを思い出す。

 

「そういえば、昨日庄司さんに会ったよ」

 

「マジで?」

 

「半ば無理やり、居酒屋に連れて行かれたかな」

 

 悪い思い出ではない。焼き鳥は美味しかったし、庄司はなんだかんだ言って面倒見が良さそうだった。性格上、子どもと波長が合わせやすいのだろう。昨晩の話を聞いた西園は「いいなー、羨ましい」と笑っていた。西園は本当に庄司のことを慕っているらしい。

 

「なぁなぁ、庄司さんどうだった?」

 

 いつか聞いた質問だった。以前垣村はその質問に対して、曖昧な言葉を返すばかりであったが……今はちゃんと答えを伝えられる。

 

「……まぁ、良い人だね」

 

「だろ?」

 

 まるで自分が褒められているみたいに西園は笑った。庄司は相談事に真剣に乗ってくれて、他愛のない話で少しは盛上がることができた。人見知りな垣村が話しやすいように向こうから話題を振ってくれたり、くだらないギャグを挟んできたり。悪い人ではない。そう、簡潔に答えるとするなら、良い人だという一言に尽きる。

 

「志音も庄司さん目指して生きてみようぜ」

 

「それはない」

 

 それとこれとは別である。あの様な軽々しい雰囲気は自分には似合わない。あれは庄司だからこそ適しているのだ。けれども、憧れがないわけでもない。西園が庄司のようになりたいと言うのも、垣村はちょっとだけ理解できるような気がした。しっかりした大人ではないけれど、良い人だから。見た目の軽薄さとは裏腹に、中身はちゃんとしている。

 

(……あぁ、そっか)

 

 結局は、関わらない限り他人について知りようもない。だからこそ想像するしかない。外見で判断してしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。少しだけ現実を痛感しつつも、垣村は西園と一緒に時間になるまで庄司についての話で盛り上がった。きっとその辺で中身のない話をするトップカーストよりも、有意義な時間だっただろう。珍しくお互い、笑いが絶えない話題だったのだ。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 帰りのホームルームが終わって、教室内の生徒たちは自分のカバンを持ち、友人たちと語らいながら教室から出ていく。部活、委員会。それらの活動から縁のない垣村と西園は基本的に一緒に下校している。とはいっても、駅まで一緒に帰るだけだが。さすがにニケツで帰れば怒られてしまうので、学校の前にある長い長い坂を自転車を押す西園と共に下っていく。陽はまだまだ高い。斜めから刺すようにして放射される日光のせいで溶けてしまいそうだ。ワイシャツの背中側は汗のせいで少しだけ引っ付いているような感覚がある。「夏って嫌だねー」という西園の言葉に対して、「耳にタコができるほど聞いたよ」と呆れるように返事を返した。

 

「たまーにさ、この坂をノンストップで駆け下りたくならない?」

 

「こけるだろうけど、やってみたくはある」

 

「だよねー。自転車でやったら事故りそうだからやらないけど」

 

 こうして友人と呼べる人と一緒に坂を下って下校している自分を、ちょっと俯瞰するように考えてみる。それは何の変哲もないことだけど、なんとなく特別感がある。まるで自分が青春を謳歌する普通の学生のように思えた。いや、自分は学生だけれども、普通ではない。普通というのはきっと、今頃部活に励むトップカーストのような人たちだろう。けれども、今この瞬間だけはまるで主人公にでもなったみたいな、そんな感覚があった。西園も垣村と同じように考えているのか、眩しい空を細目で見ながら話を続けてくる。

 

「こーやって何気なーく帰るのって、なんか高校生っぽいよなー。駅前でクレープでも食う?」

 

「それはどちらかと言えば、JKっぽいよね」

 

「JKって言い方は普通な気がするけど、男子高校生のことをDKって言わないよねー」

 

「ゴリラかよ」

 

「猿とゴリラの違いって何?」

 

「……さぁ?」

 

 なんとなくいつもよりもハイテンションで彼らは帰路を歩いていく。坂を下りきって少し歩くと、小さな公園が見えてきた。公園と言っても、ブランコや滑り台、シーソーくらいしかない本当に小さなものだ。端の方では小学生たちが元気に走り回って遊んでいる。半袖短パンで動き回る彼らを見ていると、自分にもあんな時期があったなと感慨深い思いに駆られた。初対面との会話が苦手になったのは、中学生からだったか。小学生の頃は、あんなふうに遊んでいたはずなのに。時の流れは残酷だな、と垣村は小さくため息をついた。そして、ふと横を見て見たら……隣を歩いているはずの西園の姿がない。振り返ればすぐそこで西園は自転車と共に立ち止まっていた。公園の中を見つめたまま、動かない。

 

「西園、どうかしたの?」

 

「んー、いや……アレ」

 

 西園の指さす方向には倒れているゴミ箱があった。蓋もない、鉄で作られた簡素なものだが……それが風で倒されたという訳ではないだろう。中に入っていたはずのゴミは無残にも近くに転がったままだ。遠くまで飛んでいったり、動いたような形跡はない。ごく最近倒れたのだろう、と垣村は予想していた。それを西園は、いつものへらへらした笑みを浮かべることなく見つめている。

 

「……はぁ」

 

 今度は西園にも聞こえるようなため息をついて、彼は西園の隣にまで歩み寄っていく。

 

「……かたすか?」

 

 面倒だけれども、仕方がない。そんな意を込めた言葉だったが、西園は一瞬だけハッと表情を固めたあと、いつものように笑いながら「やるかー」と言って自転車を停めてから、垣村と一緒に散乱するゴミの元へと向かう。プラスチックの弁当箱、カップ麺、お菓子のゴミ。あまり手で触りたくはないが、手袋のようなものを持っているわけでもない。幸いにも、すぐ近くには公園に設置された水道がある。手を洗うには困らないだろう。それでも、他人が口をつけたものを触るというのは個人的に遠慮したいものなのだけれど。

 

「まったく、誰がやったんだか」

 

「だよねー。こんな重いゴミ箱、風じゃ倒れないし」

 

「おおかた、うちの生徒じゃない? 倒れてから時間経ってないよ、コレ」

 

「おっ、名推理ですか?」

 

「見りゃわかるよ。それより、手を動かして欲しいな。俺だけにかたさせるつもり?」

 

「いやいや、ちゃんとやるってー」

 

 それなりに多くのゴミが散らばっていたのだが、二人してパッパと集めてしまえば事の他早く終わるものだった。日照りがキツイ、この暑い中ゴミ拾いをしていた二人の額には汗が滲み出ている。垣村の頬をツーッと垂れていった汗が地面に斑点を作っていく。暑い。とにかく暑い。ゴミを拾いきった垣村はすぐに水道で手を洗い始めた。そしてついでとばかりに、頭から水を被る。ひんやりとした水が熱を奪いさり、不思議と幸福だという感情が湧き上がってくる。この感情は、ゴミ拾いを経験しなければ感じることもなかったのだろうと思うと、少し得をした気分になる。

 

「あっぢぃよー。志音、俺も水浴びさしてー」

 

「はいはい」

 

 十分堪能した垣村は水浴びをやめて、カバンの中からタオルを取り出して風呂上がりのように頭をガシガシと荒く拭いていく。西園も垣村と同じように頭から水を被って「あぁー」っと気の抜けた声を出していた。気持ちはわかる。心地良さそうな友人の姿を後ろから眺めながら、垣村はひっそりと笑っていた。

 

 やがて西園も水浴びをやめて、タオルで頭を拭きとっていく。日差しは暑いままだが、時折吹く風が半乾きの頭を優しく撫でつけていくのが涼しくて気分がいい。特に帰る気にもなれなかったので、休憩がてらに垣村は近くにあったベンチに座り込んだ。頭上にはいい感じに木が生えていて、日陰になっている。日向と日陰では、随分と温度差が違う。やはり日陰は心地よい。

 

「志音、コーラとサイダーどっちがいい?」

 

 西園の声が聞こえて、見てみれば彼は両手に先程言った二つのペットボトルの飲料を持っていた。「金ならいいよー」と西園は言うので、お礼を言ってからサイダーを手に取る。そして二人でベンチに座って、呷るようにして炭酸飲料を喉の奥へと流し込んでいった。シュワシュワとした感覚が喉元を通り過ぎ、爽快感が体を駆け抜ける。同じタイミングで口を離して、「ぷはっ」と言葉を漏らした。

 

「いやー、こういう時の炭酸っていいよなー」

 

「わかる。めっちゃ美味い」

 

 互いにひとしきり笑いあった後で、少しの間沈黙が二人の間に生まれる。疲れていた垣村はベンチに背中を預けて、青空に浮かぶ雲の数を数え始めていた。そんな時だ。

 

「ありがとね、志音」

 

 隣からお礼の言葉が聞こえてきた。それも、いつもよりかなり真剣な声で。間延びしない彼の声を聞いたのはいつぶりだろう。いや、初めてか。あまりにも珍しかったものだから、垣村は少しの間固まってしまっていた。それを見た西園はいつもの笑いに戻って、話を続けてくる。

 

「いやさ……例えば松本とか。あぁいったメンバーと一緒にいたら、俺はきっと見て見ぬふりをしたと思うんだよねー。多分ゴミ箱を指さしても、倒れてるねーで終わっちゃうんだよ」

 

「……そう?」

 

「そうだよ。でもさ、志音ってこういったこと面倒だけど一緒にやってくれるじゃん? 俺のやろうとすること、笑わないでいてくれるってのはありがたいんだよねー」

 

「……まぁ、俺が小説書いてても西園は笑わなかったからね」

 

「だってすげーって思ってるし。誰にでもできることじゃないじゃん?」

 

「そんなことはないよ」

 

 今のご時世、誰だって携帯で簡単に小説は書ける。わざわざ紙にペンを走らせる必要がない。その気になれば誰にでもできるお手軽なことなんだ。だから別に、何もすごいことじゃない。そう垣村は伝えたが、西園は「そうじゃないんだよー」と否定した。

 

「誰にだって書けるかもしれない。でも、志音のレベルまで到達するのに時間はかかるじゃん。最初からあんな文を書けたわけじゃないって前に言ってたし。そこまで継続するのは、誰にでもってレベルじゃないと思うんだよねー」

 

「……そうかな?」

 

「そうなんだよ。誰にでもできることをやるのは、別に悪いわけじゃないし。むしろ良いことなんだよね。誰にでもできることをするから、誰にもできないことができるようになる。志音みたいにねー」

 

 そこまで褒められると、少々照れくさくなってしまう。頬を指で掻きながら、垣村はそっと視線を逸らした。夏の日差しから守るように、木陰がひっそりと自分たちを包み込んでいる。

 

「自分がやりたいことをやれないのは嫌だなー。けど、志音が一緒にいれば、やりたいことをやれる。こんな泥臭いことでもねー」

 

「俺は、都合のいい女か何か?」

 

「都合がいいってのはちょっと言い方がなー。こういうのを、友人っていうんじゃないかなー」

 

「女を否定する場面じゃない?」

 

 垣村の言葉に、あははーっと笑って誤魔化した。西園ならば自分と一緒じゃなくてもやるんじゃないのか、と垣村は思ったが……西園は「一人でやるのは恥ずかしい。俺はそこまで強くないよー」と卑下していた。自分と一緒なら。その言葉が耳の奥で何度も反芻する。そして、友人という単語も。なんだか嬉しくて、垣村は口端が上がりそうになるのを必死に堪えていた。

 

 視界には日向と日陰の境界線が見えている。自分たちは日陰にいる。涼しくて、心地よい。憎たらしいほど晴れ渡る空を見上げながら、垣村は言葉を零した。

 

「日陰も、悪くない」

 

「だねー」

 

 二人の小さな笑い声は、遊んでいる子供たちの声でかき消されていった。

 

 



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10話目 次に会える日

 不思議と朝特有の気だるさを感じなかった笹原は、学校前の坂道を自転車を押して上っていく男子生徒を尻目に悠々とした様子で学校へと向かって行った。いつもより、ほんの少しだけ足取りが軽い気がする。登校する時に毎回長くて嫌になる坂を上るのがそこまで苦ではなかったのはいつぶりだろう。高校入学当時は嫌だとは思っていなかったはず。これから新しい学校だという期待に胸を膨らませて歩いていた。それと同じような気分なのかな。

 

 教室に入ると、朝でもそれなりに騒がしかった。机に何人かで集まりながら話をしていたり、カバンの中からタオルを取り出して汗を拭き取っている生徒がいたり。そして、教室の後ろの方。窓際の席に両耳にイヤホンをつけたまま携帯を見ている男子生徒がいたり。

 

(……いつも通りだ)

 

 特に笹原と垣村の関係が劇的に変わったわけではない。日常的に接することなんてないし、おはようと挨拶を交わすような間柄でもない。それにきっと変わらない。どこか確信的な感覚がある。

 

 私の周りは何も変わらないし、垣村の周りも何も変わることはない。

 

 今の時代の人たちは変化することを拒む。例に漏れず笹原もそうだった。今の環境に不満は特にないし、友人と遊ぶことも多い。男子との仲も悪くはない。ただ……そう。ほんの少しだけ。誰にもわからない変化は欲しいのかもしれない。例えば、決まった曜日に、決まった場所で会えたりとか。別に、ただ帰り道が同じなだけだというのに、そうやって考えてみると少しだけ特別感のようなものが湧いてくる。

 

「唯ちゃん、おっはよー」

 

 いつも通り。朝一でも元気な紗綾は明るい挨拶とともに笹原に近づいてくる。笹原もやんわりと笑みを浮かべて返事を返した。

 

「あっついよねー。もう来る時に汗かいちゃってさ。背中とかくっついたりしてない?」

 

「んー、平気だよ。私もついたりしてない?」

 

「唯ちゃんもついてないから大丈夫だよ」

 

 お互い背中を見せあって汗で制服がくっついていないかを確認した。汗で湿ってしまうと、中に着ているものが透けて見えてしまう。それはさすがに嫌だ。でも、案外目を凝らすと見えてしまう。夏を嫌う女子高生は多いはず。腕をまくったり、体操服のまま授業を受けたりすると男子からの視線は結構気になったりする。

 

 笹原の隣の椅子に腰掛けて、ちょっとだけ汗で湿ってしまっている腕や首周りを制汗シートで拭いていく。笹原も同じようにシートで汗を拭いていった。スーッと心地よい爽快感が拭いた場所から感じられ、教室の中が暑くてもほんの少しだけ涼しく思えた。

 

 首周りを拭き取りながら、何気なく首を動かして周りを見回す。そして視線は気がつけば教室の窓際後方を見ていた。携帯を睨みつけていた垣村はイヤホンを外して西園と話し込んでいる。何を話しているのかはわからないけれど、二人とも稀に見る笑顔だった。

 

(……あんなふうに笑うんだ)

 

 垣村の笑っているところは何度か見た事はある。西園と話している時にだけど、今の笑顔はいつもよりも爽やかだ。普段は小さく笑うか、あの雨の日みたいに微笑むように笑っているくらいだったのに。そんなに面白い話をしているのかな。

 

 私と話す時は笑わないくせに。笹原の心の中で小さな嫉妬が生まれ始めていた。男子生徒に嫉妬するなんて馬鹿らしい。そう考えても、胸の中の一部を埋めているこの感情はどうにも制御できなかった。垣村とあんなふうに笑って話せたら、それなりに楽しそうだと思うけれど。

 

『許せない。けれど、そのうち気にならなくなることはあるかもしれない』

 

 少し前に聞いた、あの詩人のような言葉を思い出す。そのうち。そう、そのうち。いつかはわからないけれど、いつかは。私も西園のように、垣村と笑って話せるようになるのかな。

 

「唯ちゃん、どこ見てるの?」

 

「えっ? いや、どこも見てないよ」

 

「嘘だー」

 

 長々と見過ぎたみたいだ。笹原を冷やかすように紗綾は二の腕をツンツンと突いてくる。汗は引いたはずなのに、今度は冷や汗が背中を伝っていった。

 

「……西園君?」

 

「違うってば。そもそも、見てないし」

 

 垣村と話す仲だというのはあまり知られたくない。知られたら最後、ずっとからかわれるはず。だからといってはなんだけれど、西園だと誤解してくるのならそれはそれでいい。それほど大きな波風は立たないはず。

 

 西園は垣村と一緒に居るから皆が話しかけないだけで、離れていたり、一人でいる時には話す人はそれなりにいる。カースト下位なのは、隣に垣村がいる影響というだけだった。本人はそれを好んでいるらしく、基本的に二人で行動している。西園はともかく、垣村は一人でいても誰かが話しかけることはない。むしろ本人がイヤホンまでつけて話しかけるなという雰囲気を醸し出している。一見両極端な二人なのに仲がいいのが、笹原には疑問だった。

 

(……目、合わないな)

 

 数日前まで、学校にいれば何度か目が合いそうになっていたというのに。今はそんな兆しはない。

 

 それをどこか残念だと思っている自分がいるのに気づいた笹原は、垣村に視線が向いてしまうのをなんとかして抑えようと決意した。だって、なんか負けた気がする。意地を張り続けたとしても……そのうち、目は勝手に追ってしまうのかもしれないけれど。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 午後の授業も終わり、放課後が訪れた。いつものように紗綾たちは部活に勤しみ、笹原は帰る支度をし始める。二年生は部活動に熱が入りやすい。先輩がいなくなり、後輩を引っ張っていかなければならない立場になる。

 

 そういえば、松本は皆からキャプテンってからかうように言われていたっけ。何人か候補はいたみたいだけど、見事にキャプテンに選ばれたらしい。張り切っている彼を見ていると、体育会系男子は元気が有り余っているのがわかる。

 

(それに比べて、アイツは元気のげの字もない)

 

 人が少なくなった教室は視線が通りやすい。何気ない感じで後ろを見てみたら、もう既に垣村はいなかった。昨日もそうだけど、帰るのが早い。さっきまで西園と話していたと思ったらもうこれだ。

 

 別に今日は急がなくてはならない用事もないし、垣村も塾ではない。いつものように一人でゆったりと帰ろう。荷物を持って、笑顔で部活の話をしている生徒たちとすれ違いながら学校の外へ出る。駅に向かうために、また長い長い坂を通らなければならない。まぁ、上るよりはマシだ。日照りがキツく、額に既に数滴ほど汗を滲ませながら坂を下っていく。

 

 下った先を少し歩けば、子供たちの騒がしい声が笹原の耳に届いてきた。途中にある公園では小学生らしき子供たちが集まって遊んでいた。何人かはボールを蹴って遊んでいて、女の子たちはベンチに座って何かをしている。そして、あぶれたようにベンチに座ってゲームをしている男の子もいた。垣村の子供時代もこんな感じだったのかな、なんて考えてみる。そして視線を少し逸らしてみたら……。

 

(……垣村と、西園?)

 

 腰を屈めて必死に何かを拾い集めている垣村と西園がいた。遠目からなのでよくわからなかったけど、近づいてみたらどうやらゴミを拾っているらしい。

 

 笹原は気がつけば公園の近くにまでやってきて、乱雑に生えている木の後ろ側に隠れるように立っていた。別に何もやましいことはしていない。そんな感じを装うためにポケットから携帯を取り出して、適当に操作しているフリをする。

 

 耳に届いてくる声のほとんどが子供たちの声だ。けれど耳をすませば、確かに二人の会話が聞こえてくる。互いに笑いながらゴミを集めては設置されたゴミ箱に捨てていく。

 

(……何やってるんだろう、私)

 

 こんなコソコソと隠れるような真似をして。挙句盗み聞きだなんて。最近の私はどうかしている。でも、この場から動こうとは思わなかった。

 

 笹原の額には暑くてかいた汗の他に、立ち聞きしているという罪悪感のようなものから発生した冷や汗のようなもので湿っていた。バレないようにパタパタと手で扇ぎながら、横目で彼らを見つめる。ゴミ拾いは終わったらしく、二人は水道で手を洗い始めた。先に洗っていた垣村は頭から水を被る。間の抜けた声が聞こえてきて、笹原まで笑いそうになってしまった。

 

 西園と交代して、タオルで頭を荒く拭いていく。位置的に垣村の顔はよく見えないが、横顔だけならば少しだけ見える。くせっ毛な彼の髪の毛の先端から水が滴り落ちていく。拭き終わった頭は完全に乾き切ったというわけじゃない。若干濡れたままの彼は、時折吹くやわらかい風を受けて幸せそうに頬を緩めていた。

 

(あっ……こっちに来る)

 

 咄嗟に顔を隠して彼らの視界に入らないようにした。すぐ後ろにはベンチがある。軋む音が聞こえたから、座っているみたいだ。

 

 離れていた西園が飲み物を買ってきて、二人して飲んでいる。どんな話をしているのか耳をすまそうとした時、視界の隅にこちらに向かって歩いてくる二人の女子生徒の姿が見えた。顔を見た感じ、面識はなさそう。笹原はそのままその場で立ち、すまし顔のまま携帯をいじる。楽しそうに会話している二人の女子生徒は目の前を歩いていき、駅の方へと向かっていった。

 

(……変に思われてないかな)

 

 ベンチに座る男子生徒と木を挟んで向かい側で立ちすくむ女子生徒。自意識過剰になってしまっているだけかもしれない。けど、こんな場面を同級生が見たらどう思うんだろう。お願いだから、誰もこないでほしい。笹原の心臓の脈が、まるで体育で走った後のように早くなる。脳が周りを気にしていても、耳だけは彼らの会話を逃すまいと拾い続けていた。

 

「自分がやりたいことをやれないのは嫌だなー」

 

 西園の言っただろうその言葉が、嫌に耳に残っている。垣村と西園が楽しそうに会話をする傍ら、笹原はその言葉を何度も頭の中で繰り返していた。

 

 自分がやりたいこと。やらなきゃいけないこと。

 

 結局、周りの目を気にして何もできない自分がいた。私は垣村に話しかけられない。きっと、彼と話したいと思っているはずなのに。傘を返すのだってそう。やらなきゃいけないことで、早く返してあげなきゃいけないものだった。なのに、周りから何か言われるのが嫌で。私は結局なにもできないでいた。

 

 垣村はどうだろう。彼はもし、例えば教室の中でとは言わないけれど、昇降口で傘もなく立ったままの私に傘を貸してくれるのかな。

 

 そこまで考えて、笹原は小さく首を振った。大事なのはそこじゃない。今から何ができるのか。傘を借りたことといい、助けてもらったことといい、彼には返すべき恩があるはず。

 

(……私は彼の、何なんだろう)

 

 友達ではない。気軽に話せる間柄でもない。だとしたら、私と彼の間にあるものはなんだろう。考えても、笹原には答えが出てこなかった。

 

 やがて公園から出ていく二人の後ろ姿をその場で見ながら、笹原は遅れて駅へと向かっていった。当然、駅のホームには垣村の姿はない。昨日座った場所と同じ場所に座って、一番端の席を開けておく。

 

 目を閉じてみれば、昨日の光景がありありと浮かんできた。素っ気ないようで、けどおどおどとしていて。気配りができないかと思えば思わぬ所で気遣って。そんな彼と話せない。嫌なモヤモヤが心の中に残留して、じくじくと痛めつけていくのがわかる。

 

 次に話せるのは多分木曜日。それまで……長いなぁ。



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11話目 不明瞭な関係性

 暑苦しい日々が続く。学校から出てしまえば制服の着こなしなんてどうでもいいものだろう。垣村は駅の改札を抜けた辺りでワイシャツの第二ボタンを外し、胸元をバタバタとはためかせた。そこまで涼しくはないが、気分的に涼しく感じられる。

 

 階段を降りて日陰の椅子を目指して歩いていき、彼の定位置と化した右端の椅子に座る。もうすぐ電車が来る。垣村はその後の電車だが、早く帰りたい生徒にとってはこの時間の電車が一番タイミングがいい。立ちながら話している男子生徒たちを視界に収めながら、ポケットから携帯とイヤホンを取り出す。今の気分は激しめだ。最近アニメで使われたあの曲がいい。イヤホンをつけてしまえば、辺りの喧騒は無音になる。そして代わりに聞こえてくるのは、体が振動しているのだと錯覚してしまいそうな重低音な曲。耳が震えている。携帯を持っている右手の人差し指が勝手にリズムに乗ってカバーの端を叩き始めた。

 

 文化祭が終わった。この次に来るものといえば、夏休みだ。学校というしがらみから解放され、トップカーストや周りの目を気にする必要もなくなる。学生は部活に勤しみ、垣村のような生徒は塾に通いながら趣味に興ずる。なんて素晴らしい。これで気温が高くなければ両手を上げて喜ぶというのに。

 

(ざわめきたつ人たちを、鉄の箱が攫っていく。行く宛もない僕は、周りに流されるまま……)

 

 頭の中で歌詞を紡いでいく。けれども、やはりしっくりとこない。小さなため息ばかりが増えていく。やがて垣村の耳を音楽ではなく電車の音が埋めつくしていき、その音は次第に遠ざかっていった。周りには生徒は残っていない。ぐっと背を伸ばして、足も伸ばしきる。誰にも迷惑をかけることはない。だったらここで自分が何をしてもいいだろう。狭い世界の中で、小さな自由を謳歌する。のんびりとした時間は好きな方だ。垣村は次の電車が来る二十数分後まで、目を閉じて自分だけの世界にこもろうとした。

 

 真っ暗な世界では音楽だけが垣村の隣にいる。そう思っていたのだが……不意に体が軋み始めた。いや、体じゃない。多分誰かが椅子に座ったんだろう。

 

 そう考えたのも束の間。左耳に感じる開放感。そして聞こえてくる、音楽以外の音。

 

「垣村」

 

「っ……!!」

 

 堪えた。驚いて変な声を上げてしまわないように。前回と同じ轍を踏まないように。しかし声は上げなかったものの、垣村の体は驚きでビクリと震え、開かれた瞳はそのまま隣にいる人物を見つめた。

 

 少し色の抜けた黒髪。左耳を見せるようにかきあげた髪型。笑っているのか、唇は三日月のように弧を描いている。あろうことか、笹原がまた隣の席に座って垣村を見ていたのだ。

 

「おはよう」

 

「お、おはようございます……」

 

「またビクってなってたね」

 

 平日の、それも学校があった日の放課後。だというのに、おはようと挨拶するのは変じゃないか。しかも安息のひとときを邪魔されたようなものだ。垣村の眉は自然とひそめられ、仕方ないといった様子で左耳のイヤホンも外して少しばかりの怒気を孕ませた声で返事を返す。

 

「目を閉じてる時にやられたら、誰だってそうなるよ」

 

「寝過ごして電車に乗り遅れたら大変だなって思ったから起こしてあげたんだけど」

 

「……それはどうも」

 

 感謝はしたものの、笹原が思っていることが嘘だというのは垣村にはわかっていた。楽しそうに笑っているのがその証拠だ。善意ではなく、本人の悪戯心のようなものが刺激されて起こしただけなのだろう。そのイタズラがイジメに変わるのは、何度か見てきたことだ。本人にとっては楽しいことも、やられた側からすれば苦しみを感じるだけ。相手の気持ちを汲み取れない。いや、カースト下位の気持ちなんて知ったことではないトップカーストにはわからないのだ。いじりと評していじめられる日陰者のことなんて。

 

「それで、俺に何か……?」

 

「次の電車まで暇だから、話し相手になってもらおうかなって」

 

「……何度か話していてわかると思うけど。話し上手じゃないし、ネタもないよ」

 

「なら私が話すから」

 

 強引な人だ。いかにもトップカーストらしい。横目で彼女の顔を見た垣村は、どうにも笹原のテンションが上がっていることに気がついた。前に話した時よりもかなり楽しげで、普段はキツそうな目つきが柔らかくなっている。学校でなにかいいことでもあったのか。それの自慢にでもしに来たのだろう。なるほど道理で、自分のところにまでわざわざ来る訳だ。視線を動かして、真正面を見据える。向かい側のホームはめっきり人がいない。さすが田舎だ、と垣村は自嘲していた。

 

「一昨日さ、西園と一緒にゴミ拾いしてたよね」

 

「えっ……?」

 

 見られていたのか。予想外な話題に垣村は咄嗟に顔を動かしてしまった。向けた先はもちろん笹原の方で、彼女はえくぼができるくらい笑い始めた。

 

「あはは、そんなに驚くことでもないじゃん。帰り道同じなんだから」

 

「……それは、確かにそうだけど」

 

 でも誰かに見られているとは思わなかった。いや、見られたからどうという訳でもない話なんだけれど。なんだか恥ずかしくなった垣村は、ただでさえ暑いというのに体温が上昇していくのを感じていた。額に汗が浮かんでいくのがわかり、ポケットの中のハンカチで拭っていった。

 

「一昨日もこんなに暑かったのに、よくやるよね」

 

「別に、西園と一緒だったからすぐに終わったし……」

 

「そっか。そういえば、垣村って汗っかき? 日陰なのに汗かいてるし」

 

 暑いから汗をかいたわけじゃない。そう言いたかった垣村だが、じゃあなんでと聞かれたら答えられない。仕方なく「そうだよ」と返事を返した。すると笹原はカバンの中から制汗シートを取り出して垣村に差し出してくる。

 

「はい、これ」

 

「……ありがとう」

 

 受け取って顔の周りを拭いていく。ついで首の周りも拭いていくと、スースーとちょっとした痛みとともに清涼感が感じれるようになった。涼しい。垣村の頬が少しだけ緩んでいく。

 

「どうしてゴミを拾ってたの? 普通、あんなことしないと思うけど」

 

「どうしてって、そりゃ……」

 

 西園が一緒にいたから。その言葉を言おうとして、飲み込む。彼女の言った言葉がどうにも気に入らなかった。普通はあんなことしない。普通って、それは君たちの普通だろう。なんだか説教臭くなりそうな気分だったので、垣村は笹原を視界の隅にも入れないようにして、目線を逸らした。

 

「……普通って、なんだろうね」

 

「えっ?」

 

「普通の行動って、なんなのかなって。全員の行動を平均化したもの? 大衆の行動基準?」

 

 普通とは。一言で表すには難しい。でもここに他の誰かがいて、話を聞いていたとするなら。笹原は普通で、垣村は普通じゃないと答えるんだろう。そういうものだと垣村は理解している。世の中明るくて、好き勝手するような子どもがきっと普通なんだ。自分はその対極に位置していると自覚している。

 

「笹原さんの普通は、俺にとっては普通じゃないよ。多分ね」

 

「……垣村の普通って?」

 

「少なくとも、今この状況は普通じゃないと思う」

 

「確かに、そうかもね」

 

 彼女の返事を最後に、会話はそこで途切れた。遠くから聞こえる車の音や、今しがた駅に着いたのであろう学生たちの声だけが聞こえてくる。夏の訪れを感じさせるセミは、まだ鳴いていない。代わりに鳴るのは垣村の心の警報だ。アラート。トップカーストとの会話でギクシャクしました。SNSに悪口が書き込まれることくらいは覚悟しておこう、と垣村は小さな後悔を覚えていた。

 

「普通じゃなくて、特別だったら悪い気はしないよね」

 

 周りから聞こえる雑音に紛れたその声は、しかし垣村の耳にしっかりと届いてくる。彼女の明るい声だけが周りから切り離されたようで、それを聞くことができたのは自分だけで。

 

 顔を少しだけ動かして、彼女の顔を見てみる。恥ずかしいのか。それとも気温のせいか。頬がほんのりと薄く赤く染っていて、なんだかドキリとする。ナイフでも突きつけられたかのような、そんな気分。怯えではなく、驚き。心臓がキュッとしまったような気がした。

 

「私ができないことを普通にやるのは、特別って感じがしない?」

 

「……どうだろう。そういうのは異端って言うんじゃないのかな」

 

「でも聞こえはいいよ。ちゃんとゴミを拾った垣村は、私からしたら特別なことをした。どう?」

 

「どうって……」

 

「気分上がったりしない?」

 

「まぁ、少しは」

 

「ならよかった」

 

 彼女は照れくさそうに笑って、かきあげられていない左の髪の毛を触る。垣村も顔を正面に戻して頬を指で数回掻いた。先程とは違う空気が二人の間を流れていく。息苦しいのではなく、落ち着かない。息を深く吸って、吐き出していく。それでもまだ落ち着かなかった。

 

「ちょっと、なにため息ついてるの」

 

「ため息じゃないよ。それを言うなら笹原さんだって、この前隣でため息ついたでしょ」

 

「っ……あ、あの時とは色々違うじゃん」

 

「何も違わない気がするけど」

 

「細かいよ! それ以上何か言ったら目の前で柿ピー食べるよ!?」

 

「なにその地味な嫌がらせは」

 

 思わず西園と話す時と同じような感覚で言葉を返してしまった。失敗したな、と思いつつ笹原のことを見るが、彼女は今のやり取りのどこが面白かったのか。口元をおさえて笑っていた。

 

「垣村って、そんなに柿ピー好きなんだ」

 

「俺が何を好きだろうと勝手じゃないか」

 

「そうだけどさ、なんか笑える」

 

 意味不明だ。前髪をかきあげるように額をおさえた垣村は体の中に残っている僅かな空気を口元から一気に流していく。耳にはまだ微かに彼女の笑い声が響いている。やはり今日の彼女のテンションはおかしい。

 

「笹原さん、何かいいことでもあったの?」

 

「ん、いや別に。何もないけど」

 

「テンションが高いよ」

 

「そう? じゃあ、案外ここで会話するの楽しみにしてたのかもね」

 

 なんてことはないと言いたげな顔で笹原に言われる。テンション上がりすぎだ。普通こんなこと言わないだろこの人。あまりにも予想外な言葉に垣村の脳内が軽くパニックを起こしていた。楽しみだと言われても、垣村には楽しませる気はサラサラないし、まして会話なんてそこまで多くないのに。

 

「まぁ、それもあと三週間で終わるよ。夏休みだし」

 

「あーそっか。夏休みかぁ」

 

 夏休みになってしまえば彼女との接点もなくなる。さすがに休み明けもここに来るなんてことはないだろう。過ぎてみれば、自分のことなんて忘れているはずだ。それどころか、来週ここに来ることも確定しているわけじゃない。彼女はトップカーストとの付き合いがある。その付き合いに自分は邪魔だ。そもそもなんで、こんなに近づいてくるのだろう。垣村は彼女の心の内を測りそこねていた。

 

「垣村は夏休み何するの?」

 

「家でゴロゴロしてる」

 

「つまり暇なんだ」

 

「あとは夏期講習かな」

 

 長い間拘束されるのは好きではない。ちょっとだけ憂鬱な気分になっていた。勉強なんて誰だって嫌いだろう。垣村とて好きとは言えない。趣味に使う時間が欲しいと垣村は切実に願っていた。

 

 笹原からの質問に答えたのはいいが、これは聞き返さなくてはいけないものだろう。別に聞くまでもない話だし、興味もないのだが垣村は彼女に聞き返した。

 

「笹原さんは、何するの?」

 

「皆と遊ぶかな。花火も見に行く」

 

「……そう」

 

「聞いたのにそこまで興味なさそうに返事しないでよ」

 

「遊びに行く間柄でもないし、まして……友達ってわけでもないでしょ」

 

 彼女と自分は友達じゃない。笹原はトップカースト。垣村はカースト下位。遊んでいるところを見られたら誰かに茶化され、笹原は現在の地位から落ちていくことだろう。それは垣村にとっては別にどうでもいいことだが、周りが騒がしくなるのは嫌だった。だからこそ、事を荒立てたくはない。こうして二人で会話するのも、どこで誰に見られているのかわかったものではないのだから。

 

 それなりに拒絶するような言葉だったはずなのに。視界の隅に映っている笹原の横顔は曇ってはいなかった。意外だ。眉をひそめて睨みつけてくるかと思っていたのに。

 

「友達じゃないかもしれないけど……こうして話したりするのも、普通じゃないよね。じゃあ、特別な関係ってこと?」

 

 何を言っているんだお前は。思わずそう言ってしまいそうになる。けれどあまりにも不意打ちなその言葉に、飲み込んだ言葉以外の言葉を失っていた。なんて言うべきだ。西園相手なら馬鹿じゃないのかって言えるのに。女子にそれを言うべきなのか。

 

 垣村が何も言えずに笹原のことを見ていると、彼女も自分の言った言葉の意味に気がついたのか、慌てて手を振って先程の言葉を否定し始めた。

 

「ち、違う! 特別な関係って、そういうのじゃなくて!」

 

「自分で言ったのに」

 

「だから言葉の綾だって!」

 

 あまりにも必死に否定してくるので、思わず垣村も笑いがこみあげてきそうになった。笑いそうになるのをぐっと堪えて、口元を右手で隠す。けれど笹原はそれを笑っていると捉えたのか、垣村の左肩を軽く叩いて「笑うな」と怒っていた。

 

「知り合い以上友達未満で、駅でだけ会話する。普通じゃない特別感あるでしょ」

 

「錯覚だよ。俺が中学の同級生と会ったら多分そうなると思う」

 

「交友薄っ。中学の時からそんな感じなの!?」

 

 中学の時からそんな感じとは、君たちもじゃないのかと言いたくなる。成長してないよなって。さすがに言うことはないが、適当に「そうだよ」と垣村は返事をする。

 

 自分と彼女は特別な関係ではない。でも普通でもない。じゃあ異端か。それとも違う気がする。二人の関係をどう表したらいいものなのか。垣村は電車が来るまで頭の中で考えてみたものの、それらしい答えは出てこなかった。

 

 人のいない電車に乗って、端っこに座って。そしてその隣に笹原は躊躇い無く腰を下ろす。広々とした電車でわざわざ隣に腰を下ろすのは、友達未満の関係でやることなのだろうか。いや、それがトップカーストの普通なのであって、垣村にとっては特別な事のように感じてしまっているだけなのかもしれない。優越感など抱いてはいけない。垣村は隣に座る笹原を見ないように、向かい側の窓の外を見つめていた。



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12話目 夏休み前最後の日

 次の週になり、さすがにもう笹原が自分の元まで来ることはないだろうと思っていた垣村だったが、予想に反して彼女はなんでもないですと言いたげな顔で隣の椅子に座り、イヤホンを取り上げてくる。正直な感想は、毎度毎度鬱陶しいだろう。音楽を聴いて自分の中で物語やインスピレーションを閃かせようとしている時にそれをされるのだから。

 

 けれども垣村は彼女には怒れない。怒ったら逆ギレされて晒しものにされる可能性がある、という理由だけでなく……単に、笹原が笑っているからだ。満面の笑みというわけではない。イヤホンを耳から取り外しては、口角をほんの少し上げるように笑いかけてくる。そして放課後だというのに「おはよう」と場違いな挨拶をして、次の電車が来るまで待つのだ。

 

 その次も。また週が変わっても。笹原は垣村の隣に座って話しかけてくる。途中からは垣村も来るのだとわかってきて、いつも取り外される左耳だけイヤホンをつけずに彼女を待つことにした。足音が聞こえて、少しだけ顔を向ける。その日は垣村がいつもと違う様子だったためか、笹原は驚いた顔で彼を見つめてから、やはり少し笑って「おはよう」と挨拶してきた。なんてことはない、誰もが使う挨拶。けれどもこの場では不思議な特別感があった。学校でも顔を見て、帰りの道も一緒なのに同じ時間に帰らず、駅で待ち合わせをしているわけでもないのに、元から決まっていた約束があったかのように日陰の椅子で隣り合わせになる。さながら「おはよう」とは、垣村にとって合言葉のように感じられた。

 

 そして夏休み前最後の週。駅のホームで片耳だけのイヤホンから流れ出る音楽を楽しみながら、右耳で外の世界の音を拾う。生徒たちはもうすぐ夏休みだということで浮き足立っているようだ。黄色の線のすぐ近くで三人の女子生徒たちが夏休みの計画を話していて、遊園地に男子を誘って告白するだのという内容だった。遊園地で告白すると別れるという噂を垣村は聞いたことはあったが、所詮は噂だ。垣村が影でありもしないことを言われるのと同じこと。

 

(男を誘う勇気がよくあるよなぁ。そこら辺、やっぱり世渡り上手は違うのかな)

 

 自分が女子を誘うなんて夢のまた夢だ、と垣村は自嘲する。意味もなく目の前の景色を眺めていたところ、ヒュウっと涼しい一陣の風が垣村の世界に襲いかかった。視界の隅ではスカートの裾を抑えている女子生徒がいて、思わず垣村の視線が集中してしまいそうになる。短いスカートから、ほっそりとした足が伸びている。見ていたいという欲はあるが、罪悪感を心に覚えるので垣村はそれ以上見ないようにした。

 

 女子生徒たちはスカートのことよりも恋バナの方が大切らしく、未だに楽しげな声が垣村の耳に届いてくる。誰にも聞こえないように、静かにため息をついた。

 

(夏の熱に僕は憂かされ、君は恋の熱に浮かされる)

 

 夏。女子生徒。君と僕。パズルがハマっていくような感覚を覚え、頭の中に言葉が浮かぶ。なるほど、中々悪くない。垣村は今の言葉を忘れないように脳裏に焼きつけた。幸いにも焼きつけるための熱は嫌という程感じている。なんて、くだらないことを考えていたら誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。

 

「垣村、おはよう」

 

 場違い。いや、時違いな挨拶と共に笹原はやってきた。垣村が挨拶を返すよりも早く彼女は隣の椅子に座って体を伸ばす。

 

「あぁー、あっつい」

 

「男子よりも涼しげな格好だけど」

 

「大して変わらないって」

 

 暑い暑いと何度も呟きながら彼女は顔の近くで手をパタパタと動かして風を感じようとしていた。横目で彼女のその仕草を見ていると、額に薄らと汗が滲んでいるのが見えた。それが頬を伝い、首筋を通って胸元へと消えていく。彼女の襟元には鎖骨が出ていて、男のそれは屈強そうに見えるのだが、女のそれはどこか変な気分にさせられる。

 

(……鎖骨が見えるのがいいって西園は言ってたけど、わからなくもないな)

 

 いつか西園が言った言葉を思い出し、一人心の中で頷いた。横目で彼女の鎖骨辺りを見ていると、何故だか垣村自身も暑くなってくる。カバンの中から黒の下敷きを取り出して団扇代わりに扇いだ。涼しい風が垣村を癒していくが、隣に座る彼女は不服そうにそれを見ていた。

 

「垣村、それ貸して」

 

「自分のはないの?」

 

「取り出すのめんどくさい」

 

「俺も暑いんだけど……」

 

「……傘は無理やり貸すくせに」

 

 ボソリと聞こえるように呟かれた言葉が垣村の心臓をえぐっていく。眉間にシワが寄りそうになるのを堪えて、仕方なく下敷きを彼女に渡した。受け取ったらすぐに扇ぎ始め、「涼しぃー」と頬を緩める。対称的に垣村は仏頂面だ。

 

(反則だろう、その言葉は……)

 

 あれから時が経ったとはいえ、垣村にとっては忌まわしき過去。当事者でもある笹原からの言葉は、鳩尾に拳を入れてくるような鈍痛を感じさせる。

 

 過去を思い出して恥を感じ、また体温が上がっていくのを鬱陶しいと感じながら、垣村と笹原は遠くから響く電車の音を聞き流す。下敷きの貸し借り以降、二人の間にそれといった会話はない。手元にある携帯を眺めながら時間を過ごす。隣同士なのに会話がないのは、出会った頃は窮屈で仕方がなかった。しかし今の二人はそれを感じない。無言でも苦しくない。たった手摺りひとつ分の距離感。それが適切だったのだ。

 

 やがて電車が生徒たちを連れ去っていき、ホームに垣村と笹原だけが取り残される。それでも気にせずに垣村は携帯で2chと呼ばれる電子掲示板を眺めていると、耳に届いていた下敷きで扇ぐ音が聞こえなくなった。そこから数分、環境音だけが周りに響く状態が続く。やがてそれを破ったのは、どこか固い彼女の声音だった。

 

「ねぇ、垣村」

 

「……なに?」

 

「もうすぐ、夏休みだね」

 

「あぁ。明明後日からは、学校に来る必要がなくなる。気楽だよ」

 

 わざわざ学校で勉強する必要もない。部活も入っていない。趣味に時間をかけられる素晴らしい期間。宿題も適当にやっていけば期間内には終わる。それが明明後日からやってくるのだ。周りの浮かれている生徒たちと同様に、垣村も楽しみであった。

 

「気楽、かぁ」

 

 だがしかし、笹原はそうではないらしい。なんとも言えない微妙な表情を浮かべては、どこか遠くの方を眺めている。

 

「友達と会えなくなって、暇だなとか寂しいとか思ったりしないの?」

 

「……いや、特には。西園くらいしか友達いないし、アイツなら時折遊びに行く程度で気分は満たされると思う」

 

「そっか」

 

 垣村から見て、笹原は友達と会えなくても暇だなとは思えど、寂しいとは思わないだろうと感じていた。しかし今の彼女の様子だと、そうではないらしい。女子同士の繋がりというのはよくわからない。集団で行動して、何が面白いのか音楽に合わせて踊る動画を撮って、ろくに食べもしないパフェを写真だけ撮ってはネットに上げて。挙句自分の顔写真を簡単に載せるのだから、ネットリテラシーもあったものではない。

 

 それにSNSを見ていると女子高生は変な言葉を使う。ゎたしとか、もぅマヂ無理、だとか。訳の分からない言語を使うなと言ってやりたくなる。可愛さアピール。正直好きではない。どうせ笹原もそんな感じなのだろうと垣村は思っていたのだ。

 

「女子ってね、結構大変なんだよ。メッセージの返事はすぐに返したり、最近の話題とかにも注意しないといけないし。しばらく会わなかっただけで、関係が拗れたみたいになる」

 

「……それって、友達?」

 

「私にとっては」

 

「男子よりも面倒だね。女子は男子よりも成長が早いだなんて言うけど……まるで子どもじゃないか」

 

「私が子どもだって言いたいの!?」

 

「子どもでしょ、俺たち。背伸びしたって、ろくな事にならないよ」

 

 煙草を吸う生徒がいれば、酒を飲む生徒だっている。垣村の中学時代にも、素行不良の生徒が学校で煙草を吸って集会が開かれたことがあった。何故そんなことをするのか、垣村にはわからない。言った通り背伸びしたいのか。それとも、現実を忘れたい程のストレスでもあるのか。

 

 それは女子高生にも言える。高いブランドの服だとか、カバンだとか。垣村にはどうにも理解できない。気に入った服ならなんでもいいし、靴だって質素なものでいい。わざわざ一万を超えるような靴を買う必要性を感じない。けれど、それを自慢するように「俺この前一万の靴買ったんだぜ」と言う生徒もいる。価値観の違いと言えばそこまでだ。垣村には女子生徒、ひいては笹原のことなんて理解できるはずもないし、その逆もそう。垣村と笹原は、生き方が違うのだ。

 

「……電車、来ちゃったね」

 

 笹原の声が聞こえる反対側から、垣村の乗る電車がやってくる。目の前でゆっくりと速度を落としていく鉄の箱には、やはり人は少ない。これから塾だというのが少し憂鬱だが、仕方のないことだ。垣村は立ち上がって電車に乗り込むが、近くに笹原の気配がなかった。後ろを振り向いてみれば、彼女はまだ椅子に座ったまま動いていない。どこか俯きがちなその姿に、さすがに心配の情がわく。普段は教室でも明るい彼女が、まるで打ち上げの日の夜みたいな暗さになっている。具合でも悪いのだろうか。

 

「笹原さん、乗らないの?」

 

「……乗るよ」

 

 顔を上げた彼女は不機嫌そうだった。思わず、何かしてしまったのかと不安になる。けれども原因は思い当たらない。半ば逃げるように垣村は端の席に座ると、笹原も少し遅れてその隣に腰を下ろす。

 

 垣村が降りる駅まで会話はなく、笹原の急な機嫌の変化もあって、息苦しい状態のまま彼らは別れを告げていった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 居酒屋。酒の匂いと焼き鳥の匂いが混ざり、時間も相まってとてもお腹が空く。塾帰りを見計らっていたかのように待ち伏せしていた庄司によって、垣村はまた居酒屋へ連れてこられたのだ。テーブル席に向かい合って座り、既に届けられた焼き鳥と飲み物を口に運んでいく。庄司は相変わらずジョッキのビールを呷っては幸せそうに「くはぁー」っと言葉を漏らしていた。

 

「うーん、やっぱり仕事終わりのビールは美味いねぇ。カキッピーも大人になったらこれの良さがわかるよ」

 

「お酒は、まぁ……。でも苦いの苦手ですし」

 

「いやいや、青いねぇ。この苦味がわかったとき、少年は大人になるのだよ」

 

 彼は変わらずのほほんとした人だった。おつまみとして頼んだ枝豆を食べてから、ニヤニヤと笑って垣村に尋ねてくる。

 

「それでどうなの、カキッピー。気になるあの子との進展は」

 

「気になるって……別に、なんとも。そもそもそういう関係じゃないです」

 

「どうだかなぁー」

 

 酒が回ってぐいぐいとくる庄司に根負けして、仕方なく垣村はこれまでのことを話し始めた。駅で会って、隣り合わせで座り、適当に会話をする。ただそれだけの関係なのだと。けれども庄司は垣村の話を聞いて、より一層楽しげに笑い始めた。

 

「進展してるじゃないのー。いいねぇ、若いねぇ」

 

「別に、いいとは思ってないです。気まずい雰囲気がなくなったかと思えば、今日は最後不機嫌でしたし」

 

「なーにがあったんだろうねぇ。あれかな、女の子の日かな」

 

「とばっちりくらっただけじゃないですか」

 

 ちょっとヤケ食い気味に焼き鳥を頬張る。染み付いたタレが口内に届いていき、噛んで飲み込む頃には先程までの苛立ちも鳴りをひそめる。そんな垣村の様子を見ていた庄司はニヤニヤと笑っては「羨ましいもんだねー」と言うばかりだ。

 

「実際、カキッピーはどうなの? 女の子と会話してて、案外楽しかったんじゃない?」

 

「そうでもないです」

 

「またまた、意固地になっちゃってー」

 

「俺は、なんとも思っていません」

 

 笹原と過ごすことを特別だと思ってはいけない。彼女にとってはなんてことはない日々のはずで、垣村との会話は暇つぶしで。だから驕ってはいけない。天狗になってはいけない。笹原が垣村に何か思うことなんてあるはずもない。彼女が居るべき場所と、自分が居るべき場所の差は明確だ。感じ方も価値観も違う。だから、なんとも思ってはいない。否、いけないのだ。

 

「カキッピーって、自己肯定感が低いよねぇ」

 

 庄司の目つきが変わる。少し細められた瞳が垣村を逃がさんとばかりに見据えていた。心の奥まで見透かすような庄司の様子に、垣村は言葉を失ってしまう。彼の言葉の先を、じっと待っていた。

 

「何をそんなに恥ずかしがったり、拒絶する必要があるのかなーって、オジさんは思うわけよ。むしろ見ていて痛々しいくらいさ。こうに違いない。だから自分はこうあるべきだーって思ってるんじゃない?」

 

 庄司の言葉は、垣村の心を読んだのではないかと思う程に正確だった。反論する言葉もない。軽く俯き、グラスの中に注がれたコーラの水面を見つめる。そこには何も映し出されていない。言い当てられた虚しさを表しているようで、悔しさが増してきた。

 

「事実はどうあっても変わらないことだよ。女の子と過ごすなんて、普通に考えたら嬉しいことじゃない。男の子なんだし、そう考えるのは当たり前のことだよ。恥ずかしいことでも、悪いことでもない。オジさんだったら舞い上がってオヤジギャグ連発しちゃうね」

 

 なぜオヤジギャグなんだろう、というツッコミが頭に過ぎるが、事実はどうあっても変わらないことだという庄司の言葉が耳に残っていた。垣村は笹原と話をした。それは変わらない。垣村は女の子と会話をした。事実だ。イヤホンを外して彼女を待っていたのも、おはようという挨拶に何か特別性を感じたことも、事実なのだ。

 

「……そう、ですね」

 

 グラスを傾けて中身を飲み干していく。残った氷が、カランッと音を立てた。自分ばかりがそう思っていたのだという空虚さを飲み込む。俯きがちな顔を上げ、自嘲するように笑いながら垣村は答えた。

 

「案外、彼女が来ることを期待していて、楽しんでいたのかもしれません」

 

「うんうん、それでいいんだよ。いいなぁ、高校生。セーシュン、アオハル、羨ましいねー」

 

 茶化すように焼き鳥の串を向けて笑ってきた庄司に対して、垣村もまた照れくさそうに口元を抑えて笑い返した。



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13話目 残暑

 学校に通っていて同じクラスである以上、笹原は垣村と校内で顔を合わせることがそれなりにある。移動教室、登下校、トイレに行く時。朝の学校で紗綾たちと偶然下駄箱で鉢合わせになり、教室に向かう途中で垣村とすれ違ったこともあった。ほんの一瞬だけ、垣村は笹原を見ていたし、また笹原も彼のことを見た。けれど、それだけ。素知らぬ顔で通り過ぎて、紗綾たちと会話をしながら教室へと向かう。

 

 たった一言「おはよう」と言うことすら叶わない。同じ学校、同じ教室、同じ生徒同士。きっと紗綾たちが隣にいなければ挨拶くらい簡単に交わせたのだろう。邪魔だとは思わないが、少なからず笹原は胸を締め付けられた。言いたいことも言えない関係。話したくても話せない関係。なんて、歯痒い。けれど……週に二回。たった二日だけ彼と話す機会がある。月曜日と木曜日、その日は早く学校が終わらないものかと思ったりもした。

 

 そしていざ駅に向かえば、彼は既に椅子に座ってイヤホンから流れる音楽に身を任せている。そんな彼の隣に座ってイヤホンを外してやり、その驚いた顔に笑わせられながら挨拶するのだ。「おはよう」と。朝は言えないから。この場所で、この時間で、朝の挨拶をする。それが特別に思えて、ちょっとだけ優越感のようなものを感じられた。だが、最初からその挨拶をしようと思っていたわけではない。ただこの場所で顔を合わせた時、彼がイヤホンをつけたまま目を閉じていたからそう言ってしまっただけで。気がつけばそれが当たり前になっていたけれど。

 

 次の週になっても笹原は駅のあの場所へと足を運ぶ。垣村も慣れてきたのか、どもることは少なくなり、会話も少しだけ増えた。それでも、互いに会話がなくなるときがある。携帯を見て、電車が来るまで時間を潰す。その無言が、沈黙が、苦痛だと感じなくなるのにさほど時間はかからなかった。むしろ、楽だとも感じる。何か話さなきゃいけない。間が持たない。気まずい。友達と一緒にいると、そんな脅迫感に苛まれることがある。けれど垣村は違う。隣にいても気まずくはない。好きなように時間を過ごして、何かあれば話しかける。SNSで見つけた笑える話だとか、ふと思い出した課題についてだとか。

 

 垣村の抱いていた笹原への苦手意識が、互いを適切な距離感へと導いたのだ。たった手すり一つ分の距離。それがとても心地よい。

 

 また別の日。笹原は足取り軽く、駅の日陰の椅子へと向かって歩く。椅子に気怠げに座っている彼の姿を見て、どこか変だと笹原は思った。いつもつけられているイヤホンが、左耳だけつけられていない。不思議に思いつつ、彼の元へと笹原は近づいていく。コツンッ、コツンッと彼女が履いているローファーの硬い足音が聞こえたのか、彼は顔をほんの少し向けてくる。来ることがわかっていて、待っていてくれたようで……その対応に、心のどこかで嬉しがっている笹原がいた。その様子を隠すことなく、笑顔で彼に言う。「おはよう」と。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 教室の中はもうじき来る夏休みの話題で持ち切りだった。休み時間に友達と集まって、どこへ行こうかなんて話をしている。来年からは受験勉強で忙しくなるだろうし、今年は目一杯遊べるだけ遊べたらいいな。

 

 そんなことを考えながら携帯をいじっていると、紗綾が笹原の席に近づいてきた。その後ろには彩香もいて、松本もいる。いつも一緒にいる他のサッカー部の男子二人は後ろの方で携帯を見せ合いながら笑いあっていた。

 

「ねぇねぇ、夏休みになったら皆で花火いかない?」

 

「皆でって、松本たちも?」

 

 確認を取るように笹原が松本の方を見れば、彼は照れくさそうに笑って「ダメかな?」と聞き返してきた。いくら普段一緒にいるとはいえ、まさか花火を一緒に見に行くだなんて思わなかった。普通は男同士か女同士、カップルで行くだろう。

 

 しかし笹原には今のところ予定はない。こちらを見てくる紗綾も今から楽しみだと言いたげなくらいニンマリと笑っていた。松本のようなカッコイイ上に運動もできる男の子と一緒に回れるのが嬉しいんだろうな。別に私も吝かではない。クラスの人気者と一緒に花火を見る。友人と一緒に回る。それはそれで、思い出になるかもしれない。そう笹原は考えて、頷いて「いいよ」と返した。

 

「おっ、マジで!? 笹原、浴衣とか着てくる?」

 

「浴衣は……ないかなぁ」

 

 女の子と一緒に回れるのが嬉しいのか、松本はえらい喜んでいた。後ろを振り向いて他の二人に向けて、「笹原も行くってよー」と告げる。こんなに人気があるのに、どうして彼女がいないのか。できそうなもんなのになぁと思いながら花火の日程などを確認していく。場所は学校の最寄り駅からかなり下ったところらしい。下りといえば、電車がかなり少ないんだっけ。夜の八時とか電車が一本もないんだよって、垣村が言っていたような気がする。

 

(……垣村、か。アイツ夏休みとか暇してそうだなぁ。花火とか見るより、西園と一緒にゲームしてそう)

 

 その光景がありありと思い浮かぶ。けれど、もし仮に垣村と花火を見に行ったとして。その光景は全然考えられない。隣を垣村が歩いて、きっと人混みではぐれないように考慮してくれたりもしないし、屋台で何か買う時も率先してお金を出したりしないだろう。会話なんて、どんなことを話すのか。浴衣を着ていったらどんな反応をするのか。照れるのか、褒めてくれるのか、それとも前みたいにどもるのかな。

 

(本当に……考えられない)

 

 松本たちはきっと普通の男子生徒のように振る舞うんだろうな。見栄を張って、お金を出して、容姿を褒めて。普通だ。簡単に想像できてしまう。

 

(……アイツは普段何を考えてるのかな)

 

 他の男子と違うから。劣っている部分が多い。容姿、態度、話し方、間の繋ぎ方。でも、気楽だ。何も考える必要がない。見せつける必要がない。それがきっと、他の男子との違いなのかも。

 

「唯ちゃん、今度洋服買いに行かない?」

 

「ん、いいよ。花火用?」

 

「それもあるし、水着も買いたいなー。海とか行ったら楽しそうじゃない?」

 

「確かに、楽しそうだね」

 

 紗綾は花火が待ち遠しいみたい。新しい洋服を買って、アピールしたいのかな。普段私服なんて見せることないし。けれど暑いからって露出を多くするのは、あまり好きじゃないなと笹原は楽しそうに笑う紗綾を見ながら思った。

 

(……垣村は私服のセンスなさそうだなぁ)

 

 紺色のジャージ姿の垣村を想像して、心の中で彼を嘲笑う。思考の片隅には、いつしか彼の影がチラつくようになっていた。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 明明後日からは夏休みだ。おかげで月曜日でもそこまで学校に来るのが辛くなかったような気がする。相変わらず気温は高いままで、笹原の額には薄らと汗が滲んでいた。駅にまでやってくると、もうすぐ来る電車に乗るために生徒がごった返している。それらを後目に、いつもの椅子へと向かった。日陰になっている椅子の右端には、第一ボタンを開けて暑そうにしている垣村がいる。相変わらず、片耳にはイヤホンがつけっぱなしだ。

 

「垣村、おはよう」

 

 その挨拶を言うことに何も抵抗はない。気がついた垣村は座り方を少し直して、若干右寄りに体を寄せる。平気そうな顔して、やっぱり恥ずかしいのかも。済まし顔のくせに初心な反応をする彼を見ていると、どうにもいじり倒したくなって仕方がなかった。

 

 学校での疲れを吹き飛ばすように、笹原は椅子に座ったまま体を伸ばす。月曜日の憂鬱さは感じないが、酷い暑さは感じている。そこまで汗っかきな体質ではないが、彼女の体内に残っている熱は未だに汗を流そうと頑張っていた。汗なんてかきたくないのに、と誰もが思うようなことを笹原も考えていると、不意に涼しい風が隣から吹き始める。見れば、垣村が下敷きで扇いでいた。涼しそうに表情を緩ませているのを見ると、羨ましくて仕方がない。

 

「垣村、それ貸して」

 

 その言葉に、垣村は心底嫌そうな顔をしていた。けれど笹原とて暑いものは暑い。汗もかきたくない。意地悪な言葉かもしれないが、彼女は「……傘は無理やり貸すくせに」と彼を初めて認識した日のことを口走った。未だに引きずっているのか、垣村は一瞬顔を歪めたものの下敷きを笹原に渡してくれた。有難く思いつつ、笹原は下敷きで顔を扇いでいく。

 

 そのうち電車がやってきて、生徒たちが乗り込んでいく。笹原と垣村の間にそれといった会話はなかったが、その間彼女はずっと考えていたことがあった。

 

(今日で夏休み前、ここで会えるの最後なんだよね)

 

 明明後日からは夏休み。その期間に入ってしまえば、笹原は垣村と会うことはなくなる。正直な話、なくなるのは惜しいと思っていた。何も考えず、無為とは言わずとも、ゆっくりとした時間を過ごす。いつからか、笹原はこの時間を気に入っていたのだ。

 

(……垣村はどうなんだろう)

 

 いつも自分のことを話すのは少ない。そんな彼の心は全然読めない。だからこそ気になる。彼は惜しいと感じているのか。それとも、どうでもいいと思っているのか。

 

「ねぇ、垣村」

 

「……なに?」

 

「もうすぐ、夏休みだね」

 

 遠回しに、少しずつ会話を詰めていく。彼は学校に行かなくて楽だ、と普通の男子生徒のような回答を返してきた。学生なんてそんなものだろう。

 

 それから何度か会話を挟んで、聞きたいことを言い出そうとしても……中々言葉には出せない。脱線して、友達とはなんたるや、だなんて話もしてしまう。女子同士の関わりは、色々と面倒だ。紗綾はあの性格だから拗れたりはしないと思う。けれど、彩香はどうかわからない。少しの間違いで捻れて歪んでしまうような、そんな感覚がある。一歩間違えたら、昨日の友は今日の敵になる。二つくらい隣のクラスでも、そんなことがあったという噂を聞いたことがある。三人のうち一人が片方を嫌っていて、悪意のある嘘でもう片方を騙して喧嘩させ、結果的に二人だけになったという話。そんなものが、日常的だった。

 

(……電車が、近づいてきてる)

 

 遠くから響いてくる電車の音。笹原と垣村を分かつ場所へと連れていくもの。下敷きを返すと、彼はそそくさと荷物を纏め始めた。一応笹原も荷物を纏め始めるのだが……どうにもモヤモヤとした気持ちが心の中で渦巻いている。苛立ちともとれるものだった。それは彼に素直に聞くことができない自分自身へのものか、それとも無神経に荷物を纏める彼のものか、その両方か。

 

「……電車、来ちゃったね」

 

 来ちゃった。来なければよかった。そう取れる言葉だったが、垣村はそれに気づいていないみたい。惜しむような言葉を言ってしまった自分にも驚いたが、垣村の鈍さのせいで苛立ちの方が大きくなってしまう。

 

(……すんなりと立てるんだ)

 

 電車が来て、垣村はすっと立ち上がる。名残惜しむこともなく、何も感じている様子はなく。なんで、自分だけが特別に感じていたみたいじゃないか。馬鹿みたい。

 

(……本当に、馬鹿みたい)

 

 垣村に心を苛立たせられる自分がいる。この時間を好んでいた自分がいる。名残惜しむ自分がいる。目の前の男は、それに何も気づいていない。

 

「笹原さん、乗らないの?」

 

 そう無神経に尋ねる彼に対して、無愛想に言葉を返してしまうのも仕方がないこと。垣村が悪いんだ。全部、全部。

 

『自分がやりたいことをやれないのは嫌だなー』

 

 頭に西園が言っていた言葉がよぎる。やりたいこと。聞きたいこと。素直じゃないから、何もできない。そんなこと分かってる。意地になっているのも、わかってるよ。

 

 電車の椅子の端っこに座っている彼は、向かい側の窓の風景を眺めている。表情を固めたまま。だから、本当に何も感じていないんだろう。この時間がなくなるのが寂しいとか、嫌だとか。なんでこんな男に思わなきゃいけないんだろう。

 

 言葉にしたくてもできない。態度で表すこともできない。夏休み前最後の時間は、互いに気まずさを抱えたまま終わることになってしまった。電車を降りて塾へと向かう垣村を電車の中で眺めながら……明日も学校で顔を合わせるというのに、今生の別れのような気がして、いい気分にはなれなかった。座る場所を一つ隣にずらす。椅子には夏の暑さとは別の暖かさが残っていた。

 

 

 



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14話目 日向になった人

 いつも垣村が学校へ行くのに利用する駅よりも上。あまり知り合いのいなさそうな場所に、長期休みになるとよく足を運ぶ。その日ばかりはイヤホンをつけず、季節の移り変わりだとか、流れていく人の様子だとか、そういった風景を眺めるように歩く。向かう先はこじんまりとした喫茶店。ちょっとオシャレで、古めかしい。これが所謂、アンティークっぽいというものなのだろう。垣村は窓際のテーブル席を一人で座って、甘い珈琲を啜りながらそう思う。

 

 周りを見回してみても、客入りは少ない。夜になれば少しは客が増えるだろう。ウェイターの女性も、厨房にいる人と会話をしながら時間を潰していた。

 

 一人きりで座る垣村のテーブルには様々なものが置かれている。置いてあるノートパソコンには素人目ではよくわからないウィンドウがいくつも開かれていた。複雑な波形を描くものなど、見ただけでは何をどうすればいいのかわからない。けれど、垣村の被っている黒色のヘッドホンや手元に開かれたメモ帳。それらを見比べてみれば、曲を作ろうとしているのだろうとなんとなくわかる。

 

「……っ、ふぅ」

 

 ヘッドホンを外して、小さくため息をつく。しっくりとこない。何度も何度も繰り返している。曲を作るためには自分の経験が必要だ。技術的なことじゃない。見聞きしたこと、体験したこと。それらを得るために普段から気を配っている。けれど、曲にならない。苛立ちや不満が心の中で渦巻いて爆発してしまいそうだ。

 

 SNSを開き、創作用のアカウントで不満を呟く。できない、作れない。何か掴めそうでも、それより先にいけない。歯がゆさだけが残る、と。数分もしないうちに知らない人からリプライが飛んでくる。待っている人がいる。そう実感できると、少しだけ気分が楽になった。少し温くなった珈琲をまた口に含んでいく。苦味、酸味。そしてほんのちょっとの甘み。まるで人生みたいだ、とロクに生きていないのに達観したような考えを抱く。

 

「あ、あの……すいません……」

 

 すぐ隣から女性の声が聞こえてくる。こんな場所で話しかけられるのは珍しい。しかもパソコンを開いて作業しているように見えているにも関わらず。一体誰なのだろうか。顔を半分ほど向けるようにして見てみれば、そこにいたのは黒縁メガネをかけた女の子だった。髪の毛は短く切りそろえられていて、笹原とは違って綺麗な黒髪をしている。なるほど、清楚系だ。西園が好みそうな温和な顔立ちをしている。

 

 ヘッドホンをつけていたから新しい客が入ってきたのにも気づかなかったのだろう。入ってきた時にはいなかった気がする。そんなことを頭の片隅で考える傍ら、女の子は手に持っている薄い桃色の携帯をこちらに見せつけてきた。

 

「こ、これ……」

 

 言葉を交わすよりも先に、その画面を見つめてみる。見覚えのあるどころか、つい今しがた見ていたものだ。垣村の創作用アカウント。気がついた途端、心臓を鷲掴みにされたような気分になる。恐る恐る、顔を上げて女の子を見た。緊張と興奮とで震えそうになっているのを必死に抑えようとしているのが目に見えてわかる。

 

「もしかして、柿Pさんですか!?」

 

 マズい、身バレした。背中に寒気が走り抜けていくのを感じ、どうにかしなくてはと思うものの……垣村にはこの状況を打破する算段が思いつかない。人違いですと言っても彼女は信じないだろう。ほぼ確信的だと信じている。柿P。所謂、ボカロ作家の一人。それが垣村のネット上の身分だった。公にしたくないことだというのに、もうどうしようもなくて……垣村は「はい、そうです……」としか言えなかった。

 

「やっぱりっ……こんな所で会えるなんて思ってなかったです!」

 

「あの、店の中なので……」

 

「あっ、ごめんなさい……」

 

 言われて大人しくなったかと思えば、自分の席に戻って会計票を取ってくると垣村の反対側に座り込んだ。その行動に目を見開かずにはいられない。何だこの人、ちょっと怖い。とりあえずパソコン類を端に避けて、個人情報の漏洩だけは防ごうと垣村は心に決めた。

 

「私、前から柿Pさんのファンで……今でも曲を聴いているんです!」

 

「そ、それはどうも」

 

 まさかファンがいるとは思ってもいなかった。所詮は一時だけの有名人だと思っていたのに。面を見て伝えられた言葉に、垣村も照れくさくなってしまう。視線を窓の外へと泳がせ、口元を隠すように珈琲を啜る。初めて高評価を貰った時のような嬉しさ、いやそれ以上。垣村の珈琲を持つ手がわずかに震えていた。

 

「現役中学生の作った曲って、本当だったんですね! 私と同い年の子が作曲して人気になるとか、凄いなーってずっと思ってたんですよ!」

 

「昔の話ですから……それに、今はあまり活動していませんし」

 

 垣村がまだ中学生だった頃、他の人とは違う存在になりたいと願っていた。なんだっていい、自分だけのものが欲しい。存在価値が欲しい。時間の有り余っていた垣村は様々なものに手を出し始めた。小説、作曲、動画作成。その中で彼の作り上げた作品がヒットしたのが、作曲だ。

 

「……正直、あなたのような人が聞いているとは思っていませんでした」

 

 目の前の女の子。彼女の容姿や服装からして、トップカースト付近の生徒だろう。ファッション雑誌に載っているような、水色の半袖のシャツにジーパンという格好。活発そうな印象を与え、それでいて立ち振る舞いに大人しさが滲み出ている。男子女子、両方から好かれそうな人だ。そんな人に、自分の曲が聞かれるわけがない。なにせ、あの曲は人の表と裏を皮肉るような内容だったから。

 

「えっと、私も本当は昔はこんな感じじゃなくて……あっ、私は園村(そのむら) 詩織(しおり)っていうんですけど」

 

 今更な自己紹介をしつつ、彼女はまた携帯を見せてきた。人に見せることに抵抗はないのかと思いつつ、垣村はその画面を見る。中学校の入学式の写真のようだ。学校を背にして撮られている女の子は、髪の毛が長くてちょっとふくよかな体型をしている。差し出す写真を間違えたんじゃないのか、と垣村が顔を上げて園村のことを見た。

 

 けれども園村は恥ずかしそうにそっぽを向く。その反応が、写真の人物が彼女本人であることを示している。随分と変わったものだ。今の彼女と写真の中の彼女が同一人物だとは中々考えられない。

 

「私、中学の時はこんな感じだったんです。オタクっぽくて、根暗で、虐められてて……そんな時に、柿Pさんの曲に出会ったんです。『陰日向』が有名になり始めた頃だったかな」

 

 垣村の作り上げた、柿Pが有名になった代表曲。それが陰日向。人の見ているところと見ていないところで言動が変わること、と辞書にはある。曲の内容もそのままだ。クラスの人気者たちの、表と裏の顔。人当たりのいい言動をするくせに、自分のような日陰者にはまるで汚れたものを触るように接してくる。それが嫌で、どうしようもなくて……書き殴った、垣村の叫びだった。

 

「そう、だったんですね……」

 

「高校に入る前、変わりたいって思って、必死に頑張って……。雑誌もたくさん読んで、メイクも頑張ったんです。体型は……その、虐められてる時に減っていったといいますか……」

 

 あはは、と自嘲するように園村は笑う。その笑みが痛々しくて、垣村は直視できなかった。逃げるように飲み続けていた珈琲も、もう既に中身がない。なんとか場を切り替えたくて、ウェイターに注文を頼んだ。垣村の分と、園村の分の二つ。会計票を見る限り、カフェオレの方がいいだろうと判断して、垣村の会計票に二つとも加えてもらう。

 

 奢ってもらう訳にはいかないと園村は反対したが、垣村も彼女の境遇を聞かされたとはいえ、単純に嬉しかったのだ。辛さを乗り越えられる曲を提供できたこと。そしてなにより、恥をかくかもしれないのに自分に話しかけてくれたこと。ファンである彼女に対しての、自分なりのファンサービスだと、垣村は伝えた。

 

「園村さんがあの曲で何かしら力を貰えたというのなら、それはとっても嬉しいです。けれど……決して綺麗なものじゃないんです。誰かを楽しませたいだとか、共感してもらいたいとかじゃなくて、ただ自分の境遇を嘆くように、自分以外の何者かになりたかったから作ったんです。自己否定と他人への蔑みの塊なんですよ、柿Pは」

 

 陰日向以降の作品はそれなりに聞いてくれる人が増えた。それでも陰日向に比べると再生数も落ちるし、コメントも減る。逃げるために作ったはずなのに、いつしか首を絞めているような感覚を垣村は覚え始めた。当時のことを話してくれた彼女に、自分の過去を少しずつ話す。それは紛れもなく、同族であったから。園村と垣村は、同じ立場にいたのだ。ただ、園村は日陰者から頑張って日向者になって、垣村は日陰者のままというだけ。

 

「でも、それでも柿Pさんの叫びが私を奮い立たせてくれたんです。イヤホンで閉じこもった自分の世界で、あなたの作った曲だけが私を救ってくれた。それからずっと追い続けています」

 

 園村の真っ直ぐな瞳が垣村の瞳を射抜いた。逸らしたくても逸らせない。彼女の真摯な想い、態度。それらが垣村を逃がさない。互いに初対面で、でも共感できる部分がある。同い年というのも気分的に楽な理由だった。やがて運ばれてくる二つのカップが来るまで、互いに沈黙を保ったまま睨み合うように過ごす。垣村が気まずさを感じるよりも先に、この人はなんて強いんだろうという考えが浮かび上がった。過去を乗り越えて、未来を変えようとしたその姿。それは垣村にはないものだ。カップからのぼりつめる湯気が垣村を曇らせていく。

 

「……園村さんは、凄いですね」

 

「い、いや……私よりも、柿Pさんの方が凄いですって。誰にでもできることじゃないんですよ」

 

「誰にでもできるんです。こんなの、やる気と機材があれば、誰にだって」

 

 小説を書くことも、曲を作ることも、動画を作ることも、絵を描くことも、全て、全て垣村の持っているノートパソコンでできる。知識がないなら本を読めばいい。それら全て、特別な才能だとか知識が必要なわけじゃない。手を伸ばせば、誰にだってできることだ。

 

「それでも、自分にはあの曲しかなかったから……また、曲を作ろうって思って。それでも思ったように伸びなくて、いつしか再生数に惑わされるようになった。それに捕われた途端……終わったんですよ。何も、作れなくなったんです」

 

 鬱憤を晴らすように作った作品でも、作ってる時は楽しかった。それは事実で、その作品を見てくれた人が賞賛してくれたことが嬉しかった。己の暗い想いをぶちまけた牢獄のような作品が、垣村にとっての最高傑作だった。それ以降、彼に良い作品は作れない。作っていても、楽しくない。作らなきゃいけない。でないと褒めてくれた人がいなくなってしまう。そうなると、自分は何でもないただの人だ。作らなきゃいけないという強迫観念に怯え、数に惑わされ、休みを取り、いつしか他のものへ逃げた。

 

「過去に縋ることしかできない自分と……過去を乗り越えて今を生きる園村さんとじゃ、圧倒的に違うんです」

 

「……誰にでも、作れるわけないじゃないですか」

 

 園村は端に置かれたパソコンを見ながら呟くように言う。けれど垣村は頑なにそれを否定した。誰にだってできる。自分でさえできたのだから。

 

 昔の話ばかりしていると、その時の感情まで蘇ってくる。組み合わされた両手が細かく震えた。目尻に涙が溜まってきそうになり、奥歯を噛み締める。それでも垣村の心には虚しさや怒りなどの負の感情ばかりが立ち込めていった。

 

「……私にはわかりません。どんな音を出せばいいのか、どんな台詞を言えばいいのか。それでも、柿Pさんはわかる。例えば窓から見える景色だって、あなたは難なく文章にできるんじゃないですか」

 

「そんなこと、やろうと思えば誰にだって」

 

「やろうとすら思わないんですよ、そんなことを」

 

 震える両手を、園村の手が強く包み込む。手の温かさ、窮屈さ、柔らかさ。それら全てを通して伝わってくるのは、彼女の必死さだった。笑みすら浮かべていない、真剣な表情が垣村を見つめている。

 

「でも、あなたはやったんです。それは、絶対に凄いことなんですよ」

 

「い、や……俺は……」

 

 逃げたくても、逃げられない。対面にいる園村の顔が動いて、垣村のパソコンを見た。そしてまた、垣村の心を締め付けるような言葉を伝えてくる。

 

「まだ、曲を作っているんですよね」

 

「だって、俺には……それに縋るしか、ないから」

 

「まだ諦めてないってことですよね。あの曲に近づくために、頑張ってる。誰にでもできることじゃない。あなたは、柿Pさん以外の何者でもない。誰かがあなたの代わりになんてなれない。あなたが紛れもなくあなたであることを……私は、知ってます」

 

 垣村のことを、一般人というカテゴリではなく一人の人物として認めてくれる。そう園村は言った。誰でもない、唯一の誰かになりたい。そんな願いが、希望が、ずっと垣村の心を苦しめていた。将来への不安も、そこからきている。

 

(……あぁ、強いなぁ……)

 

 だからこそ、その言葉にどれほど救われたのか。いつしか垣村の手の震えは止まり、そこには暑いほどの熱が籠る。それでも、その熱が彼女の心の熱だと思えば……なんて、心地良いものなのか。

 

「……ありがとう、ございます。ちょっとだけ、気が楽になりました」

 

 とうとう我慢の限界も近づいて、目尻に溜まった涙が溢れてしまいそうになる。それでも彼は目を細めて、彼女に向けて微笑んだ。これで自分の気持ちが伝わってくれたらいいなぁ、と思いながら。

 

 それに応えるように、園村も笑い返してきた。包まれていた手が離れていき、残留する熱が人肌の恋しさを感じさせる。それを紛らわせるために、垣村は両手でカップを持って珈琲を飲んだ。珈琲の熱さと、彼女の手の温かさは別物だ。それがハッキリとわかってしまい、垣村は気恥ずかしくなってしまう。

 

「柿Pさんにズケズケと立ち入った話をしてしまったのもあれなんですけど……もし、良かったら……私と、友だちになってくれませんか?」

 

 恥ずかしそうに尋ねてくる彼女に対して、垣村は快く承諾した。互いに交換し合う連絡先。垣村にとって、初めてのちゃんとした女の子の連絡先だ。それがまたどうにも嬉しくて、ニヤけてしまうのを必死に抑える。壁が取り払われた二人の間には、オタクならではの話だとか、中学時代の話で持ち切りになり、気づけば夕暮れになるまで話し込んでしまっていた。喫茶店を出て、互いに言い合う。「またね」と。その約束はきっと果たされることになるのだろうと、お互い思っていた。

 

 



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15話目 待ちぼうけ

 朝からそわそわとどこか落ち着かない垣村は、鏡の前で何度か服装を確認してから家を出た。とはいっても、ジーパンとシャツの上に適当に黒系の上着を羽織ったいつもの格好だが。昼食を家で食べてから駅に向かい、バスに乗って大きなショッピングモールへと向かう。入口のすぐ側には座れるような場所があり、そこが待ち合わせ場所だった。集合時間は二時。なんとか十分前には着くことができた。

 

 携帯を開けば、笹原とのトーク画面が映っている。夜中に通知が来て何かと思えば……それがまさか笹原からの遊びの誘いだとは、垣村はまったく思ってもいなかった。『笹原 唯香さんがあなたを友達に追加しました』と表示されたときは、何かのバグかと思ったほどだ。最後に彼女と別れた時は、随分と不機嫌だったはずなのに。

 

(……まさか、笹原さんが誘ってくるなんて。けど、よりによってここか)

 

 見渡す限りの人、人、人。家族連れ、カップル。それらが入っていく店は、垣村にはまったく馴染みのない服屋や靴屋。夏物の半袖で涼しそうな服がショーウィンドウに飾られている。中に入るのを躊躇うくらい、垣村にはこの場所が合っていないと感じていた。お金のない高校生が来る場所じゃない。

 

 とりあえずは日陰の椅子に座りながら、笹原が来るのを待つ。誘われたときはどうしたものかと思っていたが……女子から誘われるということ自体が初めてで、ほんの少し期待してしまったのも事実。最近何かと絡みが多かったのもあり、何かしら得られるものもあるだろうと遊ぶことを決意した。その後ショッピングモールに行くと聞いて、体のいい荷物持ちに選ばれたのだと若干は落胆したが、それはそれだ。垣村が女子と遊ぶのは事実。庄司にも言われたことだ。過ぎたことは変わらない。決定したことは覆らない。だから少しは喜んだっていいだろう。

 

 蝉の音が少々鬱陶しく感じる時期になり、暑さも増したが……それでも外に出ていいだろうと思う程度には楽しみにしている。夏休みに入って笹原との接点はゼロだ。夏期講習が終わって帰る時に、何故か庄司に捕まることは多々あるのだが。

 

(あの人、まさか待ち構えてるんじゃないよな)

 

 居酒屋に連行されては、笹原との関係を根掘り葉掘り聞いてくる。最近は喫茶店で会った園村の話をして、そのついでに自分の趣味についても話してみた。もちろん、庄司は垣村を笑うなんてことはせず、その場で曲を聞くという公開処刑に近い仕打ちをされたが。「良い音楽じゃない。オジさんには内容は合わないけれど」と言われたが、それでも十分に嬉しい感想だった。

 

(……笹原さん、遅いな)

 

 もう既に二時は回っている。どうやって来るのかを垣村は聞いていなかったが、現地集合だというならそれなりに家が近いのかもしれないと思っていた。それに、女性の支度は大変だという話も聞く。多少遅れるなんてこともあるだろう。トップカーストなら、例えば松本ならば「いやぁーごめん、遅れたわー」と頭を掻きながらやって来るに違いない。もうしばらく待ってみようか。

 

(……暑い。それに、周りの目がキツイな……)

 

 周りの人が垣村をどう見ているのかは知る由もないが、それでも垣村は周りの視線が気になって仕方がない。こんな根暗そうな男が一人でずっと同じ場所にいたら、変に思われることだろう。ボッチでここに来たのかな、とか。待ち合わせすっぽかされたのかな、とか。行き交う人たちがそんなことを思っている気がして、どうにも垣村は落ち着かなかった。イヤホンをさす気にもなれない。

 

 連絡を入れてみようか、とも思ったが……指は止まってしまう。催促するような話をしたら、楽しみにしているのだと思われてしまうかもしれない。ただの荷物持ちとして呼ばれているくせに、と。

 

 日陰にいても、気温が垣村の体力を尽く奪い去っていく。もう少し待ってみよう。あとちょっと待って、来なかったら連絡してみよう。まだ、あともう少し……。時間を気にしながら最近また手をつけ始めた作曲のことを考えていると……とうとう一時間過ぎてしまっていた。笹原からメッセージは送られてきていない。

 

(……バカバカしいな、これじゃ。勝手に舞い上がって、期待して、落胆して。アイツらはそういう連中だって知ってたはずなのに。これは罰ゲームか何かで、きっとその辺から見て笑っているんだろう)

 

 垣村が中学の頃、罰ゲームで告白したり、イタズラしたりなんてのはよくあったことだ。当然、やっていたのはトップカースト。やられていたのは垣村のようなカースト下位の生徒だ。幸いにも垣村は標的にならなかったが、大柄でおっとりとした生徒がやられて、次の日にはクラスどころか学年で話題にのぼっていた。これもきっと、その類なのだろう。最近は自分の立ち位置を誤解してしまうような出来事が多かった。だからきっと、こうもあっさり騙されてしまうのだろう。

 

 苛立ちを感じるよりも、落胆の方が大きかった。それだけ、垣村は楽しみにしていた。一応笹原に連絡を入れてみたものの、返事どころか見られてすらいない様子。更にそこから十数分待ってみたが、笹原が現れる様子はない。自分は騙されたのだ。いつまでも幻想を夢見るな、と叱責して立ち上がろうとしたところで……見慣れた人物が視界に入ってきた。白と灰色のストライプのシャツに、黒色のチノパン。けれどよく見てみると、ズボンは若干よれている。だらしなさを感じさせるその風体は、庄司であることを明確にさせていた。庄司も垣村に気づいたのか、へらへらと柔らかい笑みを浮かべながら近づいてくる。

 

「やぁーカキッピー! こんなところで会うなんて奇遇だねぇ。買い物かい? オジさんでも中々手を出そうとは思わないよー、ここ」

 

「いや……まぁ……」

 

 煮え切らない返事をするときは、何か隠し事がある。庄司にはそれがわかっていた。垣村は対人経験が少な過ぎて、差が顕著に出る。垣村と過ごした時間はそれなりに多い。接し方も年の離れた孫や従兄弟といったところか。何か悩み事があるんだろうと察知し、庄司は彼の近くの椅子に腰を下ろした。

 

「ショッピングモールに男一人は中々キツイものがあるんじゃない? まぁ、オジさんくらいになると痛くも痒くもないんだけどねー」

 

「……庄司さんは、買い物ですか?」

 

「んー、ここのフードコートにあるラーメン屋が美味いんだなこれが。それ目当て。あとついでに帽子も買ってみた」

 

 カバンの中から袋を取り出すと、中に入っていた白と黒の縞模様のキャップを出して被った。シャツといい帽子といい、庄司はストライプが好きなのだろうか。自分には似合わないなと垣村は思いつつ彼を見てみるが……なんと言えばいいのか。絶望的に似合わないのに、しっくりくる。不思議だ。顔に合わないけど雰囲気に合うと言えばいいのか。伝えようにも伝えられない。垣村は「あぁ……まぁ、いいんじゃないですかね」と苦笑いを浮かべて返す。

 

「おっと、そう思う? いやー、店員さんもカキッピーと同じように笑いながらお似合いですよって言うもんだからさー。思わず買っちゃったよー」

 

 似合わないなら別のヤツを勧めろよ、笑顔じゃなくて苦笑いじゃないか、と垣村は顔も知らない店員に向けて苦言を漏らす。この人本当に大丈夫だろうか、色々と。自分の気持ちと拮抗するくらい庄司への心配が大きくなりかけていた。「まぁそんなことより……」と庄司は買ったばかりの帽子を手で弄りながら話を切り出してくる。

 

「カキッピーはどうしたの? まっさか一人でお買い物?」

 

「……待ち合わせ、していたんですけどね。連絡も来ないし、多分すっぽかされたんでしょう」

 

 言葉にするには辛く、苦い。さすがに垣村も無表情を保つことはできなかった。「あらら……そりゃまた……」と庄司も苦々しく顔を歪める。

 

「こんな純情ボーイを悲しませるなんて、いけない子だねー。待ち合わせからどれくらい経ってるの?」

 

「一時間半は過ぎてます」

 

「うん、ごめん。オジさんでも会社にそんな遅刻しない」

 

 遅刻はするのか。そう思うが、言葉にはならない。ツッコム気力もないようだ。この暑さの中待ちぼうけをくらってしまえばそうなってしまうのも無理はないことだろう。

 

 庄司も顔を歪ませていたものの、しばらくすればいつものへらへらとした軽い表情へと戻った。そしておもむろに立ち上がると、近くの自販機まで歩いていって缶珈琲を二つ手に持って帰ってくる。片方を垣村に渡して、自分の分を少し飲んでから話し始めた。

 

「にがーい経験しちゃったもんだねぇ。相手に何があったかは知らないけどさ」

 

「……トップカーストって、そんなもんでしょう」

 

「カースト以前に人間性の話な気がするけどねぇ……まぁ、おかげでわかったことがあるからいいじゃない」

 

「女子に誘われて舞い上がって勝手に落胆する阿呆がここにいることですか」

 

「いやいや、違うったら」

 

 棘を感じさせる垣村の言葉に特に苛立ちも何も感じていない庄司は、ただいつものように笑いながら右手でぎこちなく垣村の頭を撫でつけた。

 

「カキッピーはちゃんと約束を守れて、時間を過ぎても待ち続ける優しくてお人好しな男の子だってこと」

 

「……お人好しって、あまりよくないですよ」

 

「何事も捉え方は前向きに。それが生きるのに役立つスキルだよー。今回の失敗は、君の人間性を確かめさせるものだったのさ」

 

 だからめげることはない。そう言ってくる庄司に対して、垣村は何も言えない。缶珈琲を開けて、喉の奥へと流し込んでいく。苦い。苦渋を舐めるとはこの事か。

 

 ただ……それでも、隣にいる庄司の優しさが多少なりとも垣村の心をなだめたのは事実だ。垣村は強い男の子ではない。本質的に弱く、周りから怯えるような子だ。傷ついていたところに差し出された優しさは、垣村の心を揺さぶる。気がつけば、泣きそうになっていた。必死に堪えるその姿を、庄司はただじっと見つめている。何か元気づけられるものはないかと視線を逸らしたところで、歩き回る人混みの中を慌ただしく走り回る人物を見つけた。

 

「……おやおや? もしかして、アレがそうじゃない?」

 

「……えっ?」

 

 何をそんなバカなことを、と言いかける。庄司の指差す方を、仕方なく垣村は見てみた。そして目に入ってくるのは……この炎天下の中、必死に走っている女の子の姿だ。白を基調とした半袖のシャツに、七分丈のジーンズ。明るい黒髪が走っているせいで大きく揺れている。

 

「……笹原、さん」

 

 いや、まさか。本当に遅れただけだというのか。どうしたものかと庄司さんに意見を貰おうとしたら、振り向いたそこに彼の姿はない。いつの間に、なんて思っていたらもうすぐそこにまで笹原は来ていた。垣村を見つけたらしく、どこかホッとしたような顔で近づいてくる。息を切らし、肩が上下に動く。垂れ流される汗は、彼女が本気で探していたのだと実感させられた。

 

 すぐ目の前まで走ってくると、膝に手をついて息を整えようとする。そしてまだ完全に整っていないのに、頑張って顔を上げて垣村を見上げてきた。

 

「ご、ごめん、垣村っ。遅れ、ちゃって……」

 

「あっ……いや、平気、だけど」

 

「松本たちに、会って……なんとか一人で来ようとして、バスも過ぎちゃってて……携帯も、充電が……」

 

「わかった。いいから、休もう」

 

 カバンから黒いタオルを取り出して、彼女に渡した。拒むほどの余裕もないらしく、何度もはぁはぁと苦しそうに呼吸をしながら、先程まで庄司が座っていた椅子に座り込んだ。そのまま体を前に力なく倒して、ぐでっとしたまま動かなくなる。首に巻いたタオルで何度も顔の汗を拭きながら「ごめん、ごめん……」と呟いていた。そんな態度を取られると、垣村も何も言えなくなってしまう。

 

 それに、松本たちに会ったと言っていた。一人で来ようとしてとも言っていたし、からかわれるのが嫌だったのだろう。自分といたら炎上間違いなしなのは目に見えて明らかだ。それでも、なんとか必死に約束を守ろうとしたのだろう。口元をタオルで隠し、項垂れたままの笹原はくぐもった声で話そうとしてくる。

 

「一時間以上も、待たせちゃって……もう、帰っちゃったかと思ってた」

 

「……あとちょっと遅かったら、帰ってたと思う」

 

「ごめんっ……やっぱり、怒ってるよね……?」

 

 顔を少し動かして、上目遣いで見つめてくる。汗で濡れ、瞳は潤み、赤く染った頬や額はどうしても垣村の情欲を掻き立てる。視線を逸らして、遠くを見つめながら彼は答えた。

 

「怒ってた……けど、なんかもう、どうでもよくなった。笹原さんが、必死だったから」

 

 必死に走って、汗をかいて、それで謝って。そんなことをされてしまったら、怒るに怒れない。甘いヤツだと言われるかもしれないけれど、何も言えないんだ。嫌という程暑いこの中を、走って探しに来た。その事実は、変わらないことだから。そう思って、垣村はそっと微笑んだ。

 

「……ありがと、垣村」

 

 視界の隅にいる彼女が笑っている。汗だくな彼女が可笑しくて、つい笑ってしまいそうになる。目を細めたら、さっきまで流れ出しそうだった涙がついに溢れてしまった。隠すように拭うも、笹原は目敏くそれを指摘してくる。

 

「なんで、泣いてんの」

 

「汗だよ。あっついから」

 

 先程まで酷く打ちのめされていたというのに、気がつけば汗だくの彼女によってまた気が持ち直されている。約束を守るのに必死になった彼女を、もう責めることはできなかった。むしろ自分のためにここまで必死になってくれたことを、嬉しいとすら感じる。だから、目頭が熱くなってしまうのも、仕方のないことなんだ。

 

 垣村と笹原の中に残留し続ける熱は、彼らの身と心を焦がし続けていく。夏の暑さは厄介だ。けれど、この暑さを夏の魔法だと言う人がいるように……厄介だけれど、悪くはないのかもしれない。息を切らしていても、大量の汗をかいていても、疲れたように笑う彼女の姿が魅力的に見えたのだから。

 



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16話目 借りて返す

 茶色や白の家具の多い寝室。女の子らしさはないが、落ち着いたような印象を与える。誰に見られても恥ずかしくないし、誰にでも好感の持てそうな部屋だ。

 

 ベッドの上にごろんと転がり、充電していた携帯を手に取る。画面をつけてみれば、友人からの通知でいっぱいだった。それらにひとつひとつ返しながら、面倒くさく感じ始めた。見たらすぐ返す。当たり前だけれど、やっぱり面倒くさい。男子からくるメッセージなんて、会話を長引かせようとする魂胆が見え見えだった。花火大会用のグループでは他愛ない話とともに当日の行き方も話されていて、皆楽しみなんだなとわかる。楽しみといえば楽しみだけれど……なんとなく、別のことを考えてしまう。いつもの皆と一緒じゃなくて、一人でふらふらと歩いていたら偶然アレと出会ってしまうこととか。

 

(……何考えてんだろ)

 

 いたらいたできっと面白そうだ。どんな服を着てくるんだろう。甚平……はなさそう。見せる相手もいないだろうし。私服、そういえば打ち上げの日の服装は普通だった。

 

(……垣村、か)

 

 アプリの友達一覧には彼の名前はない。クラスのグループに一応彼は入っているが、何かしらメッセージを送ることもない。友人である西園以外にはわりと排他的なイメージがあった。それでも笹原は知っている。意外と気遣いができたり、西園と一緒にゴミを拾う優しさもあり、隣に笹原がいても自慢話をせず、会話を長引かせようとはしない。ちょうどいい距離感。夏休みに入ってしばらく経つが、遊びに外に行っても彼と出会うことはない。駅でいつもの場所に行ってもいないし、反対側を眺めていても彼の姿は見当たらない。

 

(夏期講習以外は暇だって言ってたっけ)

 

 駅での会話を思い出しながら、指はクラスグループのメンバーをクリックし、その中から垣村 志音という名前のアカウントを探し出す。プロフィールの画像は、黒色のヘッドホンの絵だ。いつも音楽を聴いている彼らしいと笹原は思いながら、彼にメッセージを送るというボタンを押そうとして……指が止まる。

 

(急にメッセージ送ったら嫌がるかな。でも、そうしないとメッセージ送れないし……そもそも、もう十二時過ぎてるし。わりと真面目だから起きてるかもわからない)

 

 他の人より垣村を知っているはずだと思っていても、存外彼のことを深く知れていなかったことに気づく。送ろうか、送らないか。五分くらい足をじたばたとさせながら迷った挙句……思いきってメッセージ画面を開いた。これで垣村の方にも通知がいくはずである。後戻りも何も出来ない。クラスの仕事で男子に連絡する時は何も感じないのに、不思議と手が震えて仕方なかった。

 

『今日何か予定ある?』

 

 メッセージを送って、気づく。もっと先に言うべきこととかあったんじゃないか。こんばんわとか、夜分遅くにごめんとか。いや、そこまで気遣う必要もないのかな。不自然だし、こっちの方がきっと自然なはず。

 

 たった一文メッセージを送っただけだというのに、変に疲れてしまった。笹原は両手を広げて布団に力なく叩きつける。送ってからというもの、時計の針が動くチクタクという音がどうにも心を落ち着かせなかった。時間が経つほど、返事がないことに不安な気持ちがうまれてくる。

 

「……ッ!!」

 

 ピコンッと通知を知らせる音。思わずビクリと身体が震えてしまう。これで他の人からのメッセージだったら気落ちするものだが……画面に書かれた垣村 志音という文字に、安心して長いため息がでてしまった。緊張やら安心やらが襲いかかってきて、気がつけば瞼が重くなってくる。とりあえず約束だけでもとりつけないと、と思いながら文字を打っていって……そのまま眠ってしまった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 暑苦しいと感じながら、笹原は目を覚ます。右手には携帯が握られたままで、どうやら寝落ちしてしまったらしい。遊ぶ約束はできたから時間までに準備しないと、と思いつつ時計を見た。時間は既に正午を過ぎている。

 

「やばっ……!?」

 

 まさかこんなに眠っているとは思わなかった。すぐに飛び起きて、適当にリビングにあったパンを食べながら急いで支度をしていく。日差しが強いので半袖のシャツを着て、下はスカートでもいいかと思ったけれど、垣村が動揺しそうだから短めのジーンズを履いた。これなら変に思われることもないだろう。身支度を整えて、すぐに家を出た。バスの時間を確認したら、このまま向かえば十分間に合う。けれど……携帯の画面には充電不足を知らせるマークが浮かんでいる。少し不安になりながらも、笹原は足早に駅にあるバス停へと向かった。

 

 夏休みだからか学生らしき人が多い。すれ違う人たちは楽しそうに会話するカップルだとか、部活に向かう男子生徒だったり。学校で集まりでもあるのか、学生服に身を包んだ人も何人かいた。どうやら電車が駅についたらしく、多くの人が駅の階段を降りて散らばっていく。バス停は駅を挟んで向かい側だ。時折見てくる男子生徒の目線を無視しながら階段をのぼって、向かい側まで歩いていこうとした時だ。

 

「あれ、笹原?」

 

 改札前で、ちょうど出てきた松本と数名の男子生徒に出くわした。青色のジャージには坂上高校と書いてあり、部活帰りのようだ。松本の後ろには普段一緒にいる二人の姿もある。

 

 ちょっとだけ面倒なことになったかも。笹原はなるべく表情に出さないよう、松本に挨拶を返した。彼は笑いながら近づいてきて笹原の隣にまでやってくる。他のサッカー部員は皆それぞれ別れて帰っていく中、笹原と松本だけがその場に残っていた。

 

「どっか遊びに行くの?」

 

「うん。ちょっと買い物行こうかなって」

 

「そうなん? なら手伝おうか。荷物持ちぐらいならするよ」

 

 えっ、と言いかける。笑顔のまま手伝いをすると言ってきた彼に対して、言葉が出てこなかった。誰にも垣村と遊ぶことを伝えていない。いや、伝えられない。このままついてこられるのは無理だ。垣村と一緒にいるところを見られてしまえば、茶化されるどころの話ではない。どう断ろうかと悩んでいる笹原に、たたみかける様に松本が話しかけてくる。

 

「そういえばもう飯食ったの? まだなら何か食べようか。俺部活帰りで昼飯食ってないからさー。確か階段降りたところにレストランっぽいのがあったはずだし」

 

「いや、私もうご飯食べちゃったから。それに、買い物も一人でいくよ」

 

「一人だと何かとあれじゃない? 俺なら別に何持ったって平気だからさ」

 

「……中学の友だちと待ち合わせしてるの。気まずいからやめておきなよ」

 

「別に笹原の友だちだっていうなら平気だけどなー」

 

 何度言っても食い下がってくる。いつも一緒にいるとはいえ、流石に休みの時にも一緒にいようとは思えない。「別にいいから」と断っても「その友だちの中に男とかいる?」とか、何としてでも情報を探って一緒にいる口実を作ろうとしてくる。笹原も段々イライラしてきた。すまし顔の多い彼女だったが、眉をひそめて明らかに苛立っているのがわかる表情になり、松本に向けて突き放すように言う。

 

「しつこいよ。昔の友だちだけで集まるって言ってるじゃん」

 

 鬼気迫るような物言いに驚いたのか、松本は身を少しだけ引いて申し訳なさそうに「わ、わりぃ……」と謝ってきた。もう無理だとわかったのだろう。「じゃあ、またな」と言ってその場から離れていく。なんとか一人になることができた。そう安心したのもつかの間、バスが来るまで時間がなかったのを思い出す。笹原はすぐにその場から移動してバス停へと向かうのだが……。

 

(あっ……もしかして、あれ?)

 

 階段を降りる途中で見えたのは、一台のバスが動き出す光景だった。そのバスが止まっていたバス停を見れば、今しがた出たものが乗ろうとしていたバスらしい。仕方なく次のバスの時刻を調べてみるが……一時台のバスはもうなく、二時台のバスも四十分頃。完全に遅刻だった。

 

(嘘っ……あぁもう、遅れちゃうし)

 

 引き止めてきた松本に対して恨み言を心の中で呟きながら携帯を取り出す。垣村に遅れることを伝えなくちゃ。画面をつけて彼とのメッセージ画面を開いたところで、画面が黒色のものへと切り替わる。中心に浮かぶのは携帯の機種名。そしてとうとう何も映さなくなる。ボタンを押しても、何も反応しない。

 

(なんでこんな時に限って……)

 

 バス待ち用の椅子に座りこんで、項垂れる。どうしよう。垣村に遅れると伝えたいけど、携帯は充電が切れた。予備充電器は学校用のリュックの中。電話をかけようにも、彼の電話番号は知らない。今から家に帰って、また戻ってくる? いや、それでまたバスに間に合わなかったら元も子もない。駅をひとつ下れば、そこにも確かショッピングモール行きのバスがあった気がする。けど、時間を調べることができない。

 

(あぁ、もう……)

 

 深いため息をついて、地面を見つめる。日陰でも暑いのに、こんな中彼を長い時間待たせてしまったら……。

 

 なんだかんだいって、彼は待ってくれるだろう。少なくとも、一時間くらいは待つかもしれない。でも、仮に自分がそれをやられたら、かなり嫌だ。時間になっても来ない。メッセージも読まない。そんな状態で、ただただじっと来るかもわからない人を待ち続ける。そんなの、耐えきれない。

 

(会ってすぐ、謝らなきゃ。いや、そもそも……会えるの?)

 

 待っていて欲しい。そんなわがままなことを考える自分が嫌だった。自分にできるのかも怪しいのに、それを他の人に強要するなんて無理だ。

 

 あぁ、会ってなんて謝ろう。頭を下げて、ごめんって言って。それでも足りないから、何か奢った方がいいのかな。

 

 頭の中でぐるぐると、何度も何度も考える。心臓付近がずきりと鈍く痛んだ。脈がどくんっといく度に、ずきりっと。痛い。痛い、ごめん。走ったわけでもないのに、心臓は嫌という程暴れ回る。早く。早く。急かしても時間は早くならない。

 

 やがてバスがやってくる頃には、もう考える余裕すら残されていなかった。乗り込んで、そのまま揺られていくこと数十分。店の壁が連なるショッピングモールへと、ようやくたどり着いた。待ち合わせ場所はバス停を降りてすぐのところにある広間。周りを見回しても、垣村らしき人物は見当たらない。

 

(やっぱり……帰っちゃったよね……)

 

 もう、ほとほと疲れてしまっていた。動きたくない。彼にはもう嫌な奴だと思われていたのに、更に悪く思われてしまう。

 

 笹原が座れる場所を求めて、とぼとぼと歩いて案内板の元まで行くと、広い地図が目に入ってきた。笹原の降りたバス停は北西側。ショッピングモールの多くは服屋や靴屋で埋め尽くされている。フードコートにでも行って休もうと思っていた時に、ふともうひとつのバス停が目に飛び込んできた。それは笹原の最寄り駅よりも下の駅から出ているバスが止まる場所。それは彼女が今いる場所とは正反対な、南東側にある。そして、そのバス停の目の前には広間もあった。普段来るときはこちら側しか利用しない笹原は、そのもうひとつのバス停をすっかり忘れてしまっていた。

 

(垣村の家は下の方だから、もしかしたら……)

 

 行き方を覚えて、すぐにその場から走りだした。走っている彼女をいろいろな人が見てくるが、それでも脇目も振らずに走る。日頃運動しないせいで、体力はそれほどない。息もすぐに切れて、呼吸をするだけで喉の奥が痛い。汗も酷い。こんな汗をかいた女が隣にいたら、嫌だ。絶対に臭うし。でも、でも……と心の中で呟きながら笹原は走り続ける。そこにいるかもしれない、ただその可能性だけを信じて。

 

 苦しい。足を止めてしまいたい。けれど動かし続ける。笹原も意地だった。走って、走って、そしてようやく見えてくる。広間を行き交う人たちの中にいるかもしれない彼の姿を、揺れる視界の中で必死に探した。そして……見つけた。日陰の椅子に座っている彼を。

 

(……いて、くれた。待ってて、くれたんだ)

 

 嬉しさと申し訳なさ。それらが混ざりあって、更に息たえだえ。その表情を表すのなら、必死としか言えない。あと少しの距離だ。最後の力を振り絞って、彼の元へ。そのまま力なく彼の元へ倒れてしまいたいが、それは許されない。謝らなきゃいけない。心配そうな彼の声が耳に届く。そしてタオルを貸してくれた。こんな暑い中待たせてしまったのに、どうしてこんなに優しくしてくれるのか。泣きそうになってしまうのをタオルで隠しながら、笹原は謝る。ごめん、ごめんっと。

 

 椅子に座ってしまうと、とうとう動けなくなる。言い訳がましいことも言ってしまった。怒られたくなくて、嫌な奴だと思われたくなくて。けれど彼は怒っていなかった。首だけを上げて見てみると、その表情は可笑しそうに笑っていたから。

 

「なんかもう、どうでもよくなった。笹原さんが、必死だったから」

 

 許してもらえた。それだけで、すっと心が楽になっていく。息を整えながら彼を見ていたら、目尻に涙がたまっているのが見えてしまう。尋ねてみても、はぐらかされてしまった。恥ずかしそうに「汗だよ」と答えるその姿が、ちょっとだけかわいらしいと思えてしまう。

 

 それにしても、体中べとべとだ。汗が滲んで、服にシミができている。恥ずかしいどころの話ではなかった。こんな格好じゃ、垣村も嫌がるだろう。

 

「ごめんね、垣村。こんな汗まみれの格好で……隣にいたら、不快に思うでしょ?」

 

「……いや、別に。笹原さんが必死になった結果だって、俺はわかってるから。気にならないよ」

 

「……ありがとう、垣村」

 

 服がひっつくような感覚は嫌いだけれど、彼がそう言ってくれたおかげでちょっとは嫌な気分がなくなった。落ち着くまで座りながら話をして、最近起こったこととか面白かったことを話していく。そんな中で、ふと思い出したように垣村は尋ねてきた。

 

「なんで俺を誘ったの? 荷物持ちなら、俺よりも他の人の方が良かったんじゃない?」

 

「荷物持ちで誘うって……あんたさぁ……」

 

 呆れてものも言えない。素直に誘われたことを喜べないのか。垣村はそういった経験がなさそうだから、勘違いしてしまうのも仕方のないことかもしれないけど。

 

(……そういえば、私が垣村の初めての相手? 女の子と遊んだこととか絶対なさそうだし)

 

 そう考え始めた途端、暑かった体にまた熱がこもり始める。タオルで口元を隠して、にやけてしまうのを見られないようにした。それにしても、口元にタオルを持ってくると匂いがする。笹原はついさっきまで余裕がなかったので気づけなかったが、時間が経つにつれその匂いが垣村のものであることに恥ずかしさを感じ始めた。男子にしては、ちょっと甘い匂いがする。

 

「なら笹原さんは、どんな服を買いに来たの? 悪いけど、そういったセンスはないから選ぶのは無理だよ」

 

「私の服だけじゃなくて、垣村のもだよ」

 

「えっ、俺のも?」

 

 そんなこと考えてもいなかったと言いたげに驚いていた。垣村の私服のセンスは良くも悪くも普通だった。奇抜でもないし、オシャレでもない。ただ地味な感じはするけれど、それは垣村らしさに合っている。けれど、もっと格好よくなれるかもしれない。服を変えて、合わせて、それで髪型とかもいじってみれば。

 

「垣村はもっと格好よくなれるよ。髪型変えて、伊達メガネとかつけてみたら?」

 

「い、いや……俺にはちょっと……」

 

「服も組み合わせ変えてみたりとかさ。黒とかじゃ地味になっちゃうよ。明るい色とか、柄物とかさ。そうすれば見栄えも良くなるし」

 

 こうした方がいい。そうすればもっと格好よくなる。そんなアトバイスを垣村に伝えていくが、途中から彼の表情が硬くなっていった。苦虫でも噛んだような、曖昧な表情。それに気づかずに笹原は話を続けていくのだが……割り込むように、垣村は言ってくる。

 

「笹原さんは、どうして俺をそんなに見栄え良くしたいの?」

 

「どうしてって……垣村は、なりたくないの?」

 

「いや、そりゃなりたいけど……強要されてなるのは、なんかちょっと違うかなって」

 

「ふーん、変なの」

 

 誰だって格好よくなりたいし、かわいくなりたいはず。けれど垣村は違うらしい。相変わらず何を考えているのかはわからない。

 

「笹原さんは……俺に、格好よくなってほしいの?」

 

「ふ、ぷふ……か、垣村、そんなこと普通聞く?」

 

「いや、その……気になって」

 

「あははっ……でもさ、格好よくなれるならそれでいいじゃん」

 

 あまりにも聞いてくる内容が可笑しくて、笹原は笑ってしまう。格好よくなってほしいの、と問われれば……多分なってほしいと笹原は思っていた。見栄え良く、それなりの服に身を包んだ垣村なら、隣にいても何もおかしくはない。茶化されることもないし、悪い気もしない。垣村が格好よくなるなら、それはそれでいい事のはずだ。けれども、垣村は困ったように眉をひそめるだけ。笹原には何が不満なのかわからなかった。

 

 そのあとは、特に追求することもなく二人で歩き回る。服屋で祭り用の服を見て、垣村に合いそうな服を見繕ってみたりして。会話が途切れても、何か面白そうなものを見つけたらそれを題材に話を広げていく。暑い中待たせてしまっても、彼はそれに対してグチグチと不満を漏らすこともなく、荷物を持ってくれたり、休む時に飲み物を取ってきてくれたり。それなりに気を遣ってくれた。その行動に下心があるようには思えず、ただ彼の人となり故の行為だったのだろうと思える。だから、彼の隣は居心地がよかった。そんなに気を遣うのに神経質になることもない。会話が途切れても気まずくならない。そして何よりも……彼が待っててくれる優しい人で、遅れてきた笹原を許してくれたこと。それが嬉しかった。

 

 時間が過ぎて、夕暮れになる前に帰ることにした二人。「またね」と言い合って、それぞれのバス停へと別れていく。またね、と心の中で笹原は何度も繰り返した。また、知り合いが誰もいなさそうな場所で遊ぶことができたなら。きっと、楽しいはずだ。それに、タオルも返さなくてはならない。借りたものを返す。それは笹原と垣村を結びつけたもの。なんだか懐かしいような、そんな気分になって……バスの中で笹原は、タオルを両手に持って静かに微笑んだ。




なろうにあがっているのはここまで。
ここから先は不定期更新になりますので、気長にお待ちください。
感想、評価などお待ちしております。


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17話目 外見よりも

 居酒屋。塾の帰りに待ち伏せしていた庄司に連れられ、垣村はまたこの場にやってきた。相変わらず庄司のスーツはよれているし、やる気のない顔つきもいつものことだ。ネクタイを緩めながら「つっかれたー」と言って体をぐっと伸ばす。いつからか垣村の携帯には彼の連絡先が入っていた。『今日暇ー?』なんて、まるで学生同士のやり取りのようなメッセージが時折届いてくる。

 

「さぁーて、また焼き鳥とビールを……そういえば、カキッピーはあれから進展あったの?」

 

「進展と言われても。二回くらい、出かけた程度でしょうか」

 

 注文を頼みながら、垣村の身の上話を展開していく。あれから笹原と二度出かけ、タオルも返してもらった。そして園村とも数回一緒に出かけたことがある。カラオケに行ったり、本屋に行ったり。目の前で自分が作曲したものを歌われると、どうにも恥ずかしくて仕方がなかったのを思い出す。彼女との間柄は気兼ねなく遊べる友人感覚だった。

 

 笹原の方はどうなのかといえば、それなりに楽しんではいた。だが、時折笹原は周りの目を気にするようにキョロキョロとすることがある。垣村もわかってはいることだが、知り合いに会いたくないのだ。それ故に、気軽に遊ぶというのは中々に難しかった。

 

「ふーん、園村ちゃんねぇ……。カキッピーと同じオタッキーなんだっけ」

 

「オタッキーって……別に、そんな酷くはないですよ。園村さんは自分とは違って、ちゃんと前を向いて努力できる人です。いつまでも陰気臭い自分よりも、ずっと強い女の子ですから」

 

「おっとサブヒロイン登場にまさかの評価どんでん返し。サブヒロインがヒロインを追い越してしまうのか……!?」

 

「あの、どっちもただの友人みたいなものなんですけど」

 

 庄司は目の前で生きている青春動物が面白くて仕方がない。垣村は確かにコミュニケーションは得意ではないし、初対面相手に自分から話していけるような性格でもない。けれども、そんな彼のとる行動や周りの反応がとても愉快だった。予想の斜め上か斜め下。青春を過ごす彼らのやきもきした関係。それらを聞きながら、運ばれてきたビールを飲む。中々に至福の時間だった。

 

「……そういえば、庄司さん」

 

「なんだいカキッピー」

 

「格好悪い……見栄えが良くないのは、やっぱりダメなんでしょうか」

 

 夏休みに入って初めて笹原と遊んだとき。彼女は執拗に、この服を着れば格好よくなるだとか、眼鏡をかければ見栄えが変わるとか、髪型をもっと短めにしてワックスをつけてみる、とか。何かと垣村のことを変えようとしてきた。垣村自身、容姿に自信があるわけじゃない。彼女の言葉がただの善意からくるものであったのなら、それなりに聞き流せただろう。しかし、その露骨さに気がついてしまえば……どうにも正面からは受け取れない。

 

「笹原さんと自分が並んでいるのは、不相応だってわかってます。だからきっと、彼女は見栄えを良くしたがってる。誰かに見られても、恥ずかしくないように」

 

 自分で口に出してみると、心臓がずきりと痛んだ。苦々しく顔を歪める垣村を、庄司はじっと見つめている。

 

「自分は……外見より、心を見てもらいたい。それは、いけないことなんでしょうか」

 

 見栄えの悪い外見よりも、垣村の人間性を見て欲しい。外見よりも中身が大事だと、誰かは言う。その言葉通りであったらいいと、垣村は何度も思ってきた。けれど……その言葉を言う人は決まっている。容姿に優れた人が、決まってそう言うのだ。

 

「そりゃあ、難しいねぇー。うん、ぶっちゃけ無理だよ」

 

「……ぶっちゃけますね」

 

 いつものようにニヤニヤと笑いながら、歯に衣着せぬ彼の言葉に、やっぱりそうだよなと垣村は少しだけ落胆した。わかっていても、少しは肯定してくれるかなと期待していたから。

 

 庄司は焼き鳥を頬張り、ビールを飲んで一息つく。そして垣村に焼き鳥の串を向けながら、いつにも増して真剣な顔で話し始めた。

 

「人は見た目が何割だのって、よく言われるね。けど実際そんなもんよ。目に見えるものと、見えないもの。どっちを信じるのかって言ったら、そりゃ見える方に決まってるよねー。だって事実だもの。人の心なんて、簡単にうつろって変わるし、騙すことさえ簡単さ」

 

 向けた串をゆらゆらと揺らしながら、垣村の心を抉るように言葉を吐いていく。頼んだコーラをちびちびと飲みながら、垣村は自嘲するように笑った。彼の言葉は正しい。目に見えるものこそ信じるべきで、透明なものほど掴み難い。容姿に優れた人が有利に生きることができ、そうでない者は茨の道を歩くことになる。

 

「人は心よりも見た目。論より証拠と同じさ。いくら僕の心は素晴らしいんだーって叫んだところで……じゃあ証拠はって言われちゃおしまいよね。例え人に見えない場所で良いことをしても、自慢げに話した途端その価値は暴落する。どう足掻いても、容姿が優れた人が有利なのは変わりないことだよ。容姿の優れた彼らは、見た目で判断されない。だから心や行動を見てくれる。対して、優れない人。見た目でマイナスされたら、その後ずーっと引きずられるのさ」

 

 いつも細い目つきは更に細くなる。言葉は軽くとも、その質が重く感じた。その言葉ひとつひとつが、確かに垣村の脳内を刺激していく。容姿がいいからプラスなのではなく、ダメだからマイナス。スタート地点で前に出ているのではなく、むしろ自分はスタート地点に立ってすらいないのだと言われてしまった。

 

 容姿が良ければ人が寄ってくる。そうすれば性格も、心も見ることができる。人に寄られない、寄せつけようともしない垣村にはそれはできない事だった。

 

「でもねカキッピー。そんな容姿に優れない人でも、心を見せることはできる」

 

「……どのように、ですか」

 

「そりゃもちろん、関わるのさ。人という字が支え合ってできてるって金パッチが言ったように、人ってのは関わりあわなきゃいけない動物なのさ。そうすれば、誰かに見てもらえる。大切なのは、コミュニケーション能力ということだね」

 

「それは、無理難題ですね……」

 

 人と接するのが苦手な垣村には、それは酷なことだった。けれども、そうしなきゃいけないんだろうなと納得はしている。関わることがなければ、庄司はただのだらしないオジさんだったことだろう。笹原は、嫌なトップカーストでしかなかっただろう。園村は容姿に優れた女の子だとしか思えなかっただろう。西園が実は周りの態度をかなり気にするタイプだとは気づかなかっただろう。

 

 そう、結局は関わらなきゃいけない。とても難しいことだけれど。容姿に優れない段階で、自分に自信が持てなくなってしまう。だから、話しかけることすら難しい。煙たがられるのではないかと思えてしまう。だとしたら、そんな人はどうすればいいのか。

 

「どうしても、自信が持てなくて話せない人は……どうすればいいですか?」

 

「うーん、これは最近聞いた話なんだけどねぇ……」

 

 先程までとは打って変わって、ニヤニヤと笑い始める。真剣モードは途切れたらしい。それでも、何か伝えてくれることがある。もしかしたらそれが、自分の在り方を変えてくれるかもしれない。微かな期待を込めながら、垣村は彼の言葉の続きを待つ。中々勿体ぶるように、庄司は残っていたビールを呷ってから答えた。

 

「モテない男は自家発電して死ね、だってさー。あははははー」

 

「笑い事じゃないんですけれど、それ……」

 

 期待していた自分を殴りたくなる。彼の真剣な雰囲気が途切れた段階で、まともな答えを期待するべきじゃなかった。小さくため息をついて、垣村もコップに残ったコーラを飲み干す。酒でも飲んで酔っ払ってみたい。垣村は目の前で顔をほんのりと赤くしている庄司を見て、そう思ってしまった。

 

「まぁまぁ、そんなに落ち込んじゃダメだよー。まだ時間はあるんだから。変わりたいと思った時に、変わればいい。少なくともオジさんはカキッピーのこと知ってるし? 何かあったら叫んであげよう。カキッピーは女の子相手におどおどするけど根は優しい男の子なんですよーって」

 

「本気でやめてください」

 

「校庭の中心で愛を叫ぶ! 本命はギャル子、それとも真面目ちゃん? 二ヶ月後に、乞うご期待!」

 

「やりませんから、絶対に」

 

 庄司は酔いが回ってきているらしい。やかましいと思いながらも、これほど自分について相談できる相手はそういない。両親でさえ、ロクに話をしないのだから。

 

 欲しいものは買ってもらえるし、学校にだって行かせてくれる。けれども、垣村の両親は日々忙しなく働いていた。家族で出かけるというのは、本当に少ない。だからこそ、自分が働くことで少しでも楽にしてやりたい。そのために、自分は何になればいいのか。未だに将来のことは決まらない。

 

 それでも……最近、また音楽を作ることに対して意欲が湧いてきていた。それはきっと園村と出会えたからだろう。彼女の真摯な言葉のおかげで、垣村の作曲することからの逃避はなくなった。前よりも良いものを。それは創作者として当然のこと。けれど、とても難しいことでもある。挫折して、作れなくなって。けれどもまた、諦めずに手を伸ばそうとしている自分がいた。まだ続けてみよう。垣村はボカロPとしての自分を捨てずに、また歩き出していた。

 

「……見た目で判断されない世の中に、ならないものでしょうか。大手を振って、ボカロPであることを宣言できるような、そんな世界に」

 

「まぁ難しいだろうねー。少数派は、疎まれる運命さ。日本人だからね」

 

 多数派でいることを好む。多数派であることに安心する。日本人とはそういうものだ、と庄司は言う。その言葉には頷くしかない。垣村もそうだから。少数派であるから、高らかに宣言することもできない。誰かに伝えることもできない。ハンドルネームの柿Pでなくては、顔も年齢も名前も知らない誰かでなくては、発信することができないのだ。チヤホヤされたいわけではない。すげーって言われたいわけでもない。ただ、そうなのかと認めて欲しいだけ。

 

 承認欲求。自己肯定。誰でもない、紛れもなく自分自身で、ただ一人の代わりがいない存在になりたい。自分の存在意味を、存在意義を持ちたい。だからこそ、また今日も家に帰れば垣村はパソコンを触る。音を奏で、言葉を綴り。世界に二つと無い、垣村にしか作れないものを作る。

 

(……音楽、か。それも、いいのかもなぁ)

 

 趣味を仕事にするのは良くない、と言われる。けれど、楽しくないことなんて続かない。苦しいことなんて続けたくもない。だとしたら、今自分が続けようとしているコレは……一体どうなのだろうか。日がな一日、ただその事だけを考えて生きていたら。それはそれで、いいのかもしれない。少しだけ、薄暗い未来に光明が見えた気がした。

 

「そういやぁカキッピー。そろそろ花火大会があるじゃない。笹原ッチと行くの?」

 

「いいえ、笹原さんとは行きませんよ。っていうか、花火大会で女子と回るだなんて難易度が高い……」

 

 そこまで言うと、突然垣村のポケットから短い音楽が流れ始めた。メッセージの着信音。西園か、それともスパムの類か。いざ取り出して確認してみると……最近メッセージを送り合うことが多くなった人物から、意外な内容が送られてきていた。瞬きの回数が増えた垣村を見て、庄司は「ははーん、女の子かー?」と彼の隣にまでわざわざ移動してきて携帯を覗き込んでくる。

 

 イヤホンをつけた、デフォルメされた猫の画像。それは園村 詩織の連絡先。彼女から送られてきたメッセージは、たった一言。

 

『花火大会に一緒に行きませんか?』

 

 タイムリーな話で、思わず声を上げそうになる。女子からのお誘い。しかも花火大会。まったく思ってもいなかった事態だ。垣村がぎこちなく庄司を見上げると、彼はいつもよりニヤニヤと笑いながら見ていた。

 

「ひゅー。いいねぇ、女の子と花火。夜空に咲く花、カップルだらけの現地。思わず恥ずかしくなって手と手を取り合う二人……」

 

「ぁっ……ぇ……」

 

「あらら、カキッピーったら予想外すぎて思考が追いついてないや」

 

 肩を軽く叩いてから庄司は元の位置に戻って「まぁ楽しみたまえよー少年ー」と楽しそうに笑っていた。一方垣村は女子に花火大会に誘われたという事実に戸惑ったまま、手を動かすことができずにいる。女子と二人きりで花火はかなりレベルが高い。相手が園村ではあるが、それでも女子だ。ちょっとしたオタク特有の話をしても会話が途切れることはないが、難易度が高いことには変わらない。

 

 どう返事をするべきなのか、数分悩む。そんな彼の頭の中で繰り返されるのは、庄司の言っていた言葉。関わりあわなきゃいけない動物、それが人間だと。変わりたい時に変わればいい。別に現状不満を抱えて爆発しそうというわけではないが……それでも、何か変わることができたのなら。少しでも、人と関わってみよう。垣村は彼女に、いいですよと文字を打ち込んでいく。無様に指が震え、心臓は走っている時のように暴れだしていた。

 

 こんな自分を誘ってくれた。そんな彼女のためにも、ちょっとだけ頑張ってみよう。返事をした垣村の顔は薄らと赤く、けれども瞳だけは揺れ動くことなく彼女へのメッセージを見つめていた。



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18話目 夜空の花園

 服装に気を使うのは年にそう何度もない。しかし最近、鏡の前に立って格好を確認するのが多くなった。垣村にも人と、それも身なりに意識を向けなくてはならないような友人と交遊する時間が増えたからだ。

 

 デキる男は三十分前には待ち合わせ場所にいるものだよ、と庄司に言われた垣村だが、電車は下り方面。園村は垣村よりも上の駅から下りてくる。先に待っていようにも、そんなことはできない。前から二つ目くらいにいると連絡が来ていたので、垣村はホームの前付近で立っていた。

 

 周りには人が多い。今は夕暮れ時だが、普段昼間だろうと全然人が乗り降りしないのに、こういう時だけは利用者が多かった。それもほとんどがカップルらしく、浴衣を着た煌びやかな女性が目に入ってくる。こんな状況の中でぽつんと立っていると、なんだか変な虚しさが湧いてきた。どうにも居心地が悪い。早く来ないものか、と待ち続ければ……ようやく電車の音が遠くから聞こえてきた。

 

 目の前を通過していき、ちょうど二両目辺りの車両が垣村の目の前で停止して扉を開く。なだれ込む人に紛れるように中へと入り、背伸びして周りを見回した。浴衣や甚平だらけの中に、私服姿が何人か見える。後ろ側の扉付近で立っている園村を見つけることができたのは本当に幸いだった。彼女が浴衣を着ていたら見つけることは困難だっただろう。人混みを掻い潜って移動し、近くにまでいくと彼女も垣村に気づいて小さく手を振ってくる。

 

 いつもの黒縁メガネ。一枚ガラスを隔てた向こう側にある瞳が安心したように揺れる。表情も和らいでいた。こんな大勢の人が乗る電車は、彼女にとって厳しいものだったのだろう。

 

「見つけられてよかった」

 

「これで会えなかったらどうしようかと思ってたよ。柿P、ちょっと腕貸してね」

 

 揺れ動く電車の中で、園村は左腕の袖近くを掴む。右手はつり革を掴み、左腕は彼女のせいで動かせなくなる。何もすることができない左手は、宙でゆらゆらと揺れて彼女の服に何度か擦れるように当たった。体に触れたわけではないが、いけないことをしてしまっている気がして垣村は気が気でない。周りのカップルの密着率よりも、園村との距離の近さが気になる。変な匂いはしないか、とか。いらない心配ばかりが考えついてしまう。

 

「ここから、どれくらいだっけ」

 

「一時間くらいかなぁ」

 

「……長いなぁ」

 

「長いね」

 

 彼女の長いは、電車が辿り着くまで長いねと言ったのだろう。対して垣村は、この状況があと一時間も続くのが長過ぎると思っていた。少し動かせば、電車が揺れた時に彼女の方に体を寄せれば、左手が彼女の体に触れることだろう。柔らかいのか、気になってしまうが……そんなことをして幻滅されたくはない。垣村はじっと堪え、つり革を掴む手に力を込める。揺れてなるものか、と。

 

「緊張してるの、柿P」

 

 強ばった垣村の表情を見て、彼女は笑う。周りにはいろんな人がいた。その中には、化粧が濃かったり、薄いのに綺麗に見える人がいたり。そんな中でも、園村の笑顔が一番良いと思えたのは身内贔屓のようなものがあるせいだろうか。

 

「人混みは、ちょっとね」

 

「あはは、私もそう」

 

 小声で話す内容はカップルのものではない。それなりに気の許せる友人程度の間柄。方や創作者で、方やそれのファン。垣村は顔が割れていないちょっとした有名人ではあるが、それでもこれは稀有なことだろう。

 

 前に遊んだ時は彼女はスカートではなくズボンだった。けれど今の彼女は、膝丈くらいの黒いスカートと対照的な白のシャツの上に薄い茶色の上着を羽織っている。スカートをはくのはあまり好みじゃないと話していた記憶があったが、どうしたのだろうか。横目で見ていると、彼女も見上げるようにして垣村の肩を優しく叩いてくる。

 

「ねぇ柿P、言うこととかあるんじゃないかなー」

 

「なにか、あったっけ」

 

「柿Pってギャルゲーとかやらないの?」

 

「……あぁ、そういうことか」

 

 納得したように小さく頷いて、顔を半分ほど彼女に向ける。真正面から見て伝えられるほど、垣村に根性はない。そんなことは彼女もわかっていることだろう。

 

「園村さん、その服似合ってますね」

 

「んー、言われてみたかったけど、いざ言われてみると……なんかちょっと恥ずかしいね」

 

「恥ずかしいのはこっちだよ……」

 

 周りの視線が気になる。小声とはいえ、近くにいた人には聞かれていたことだろう。互いに少し顔を赤くして黙りこくる。そのうち園村が「良いこと思いついた」と言ってショルダーバッグから携帯とイヤホンを出す。左耳のイヤホンを垣村に。右耳のを彼女がつけると「なんでもいいよね」と聞いてきた。頷くよりも早く、イヤホンから音楽が流れ始める。ボカロやアニソン。まぁ、下手にラブソングを流されるよりも気分的に楽だ。

 

 そのまま二人でイヤホンを共有したまま、電車は目的地へと向かっていく。何度か左腕を握り直してくる彼女の行動に、もどかしさとむず痒さを感じながら、狭苦しい中でもゆったりとした時間を過ごしていった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 花火大会の開催される最寄り駅は、二人が着いた時には既に人で溢れかえっていた。垣村はあまり来たことはないが、その時の記憶は人をあまり見かけない風景だ。海が近く、別荘が建てられていたりする場所だが、こと花火大会に限っては砂浜は砂の代わりに人で埋め尽くされ、道路は辛うじて一人くらいなら割り込める程度の空きしかない。家族で来ることはあったが、友人となんて来たことがない垣村は、足を前に出すのが億劫に感じてきていた。駅から出たくない。けれども、園村はそうではないらしい。

 

「柿P、端っこの方は人少ないらしいよ!」

 

「なら、そこにしようか」

 

「あとは、何か適当に……じゃがバターとりんご飴と、カステラもいいなぁ」

 

「園村さんはよく食べるね」

 

「今はこうだけど、昔は……ね? 食べるの大好きな女の子だったからさ」

 

 ふくよかな体型だった彼女は中学時代のイジメによって体重を激減させた。努力で得たものではないし、痩せていることを誇らしく思えるわけでもない。自分の幸福を掴み取るために努力した彼女は、食べる幸せも逃したくはないのだ。食べられる時に食べる。食べたいから食べる。一緒に歩きながら屋台を見ては「焼きそば……お好み焼き……どうしよう柿P、食べきれないよ!!」と頭を悩ませていた。微笑ましくて垣村も笑ってしまう。

 

「食べきれなかったら家で食べればいいんじゃない?」

 

「その場で食べないと、屋台っぽさとかなくなるし。それに……値段と美味しさが噛み合ってない気がしない?」

 

「屋台の品物ってどれも高いからね。それでも買っちゃうけど」

 

「だよねー。場の雰囲気っていうのかな」

 

 とりあえず片っ端から見て周り、袋の中が溢れてしまいそうになるくらい食べ物を買っていく。片手で持つには重たそうだ。これは持ってあげるべきなのか。垣村は考えながら隣を歩き、意を決して彼女に尋ねてみる。

 

「袋、持った方がいい?」

 

「そこは、さっと自然に持っていくのが好感度上昇すると思わない? ほら、貸せよみたいに」

 

「園村さん。目の前にいるのはギャルゲー主人公じゃなくて根暗なボカロPだというのを忘れないで」

 

「いやギャルゲーとかじゃなくても……普通、男の子ってそんなもんじゃないかなって」

 

「男の子だからって考え方は、あまり好きじゃないかな。女の子だからってのもあれだけど……そもそも、園村さんが重たそうに持ってると周りからの視線が痛い」

 

「柿Pは気にし過ぎだね。わからなくもないけどさ」

 

 園村が「はいっ」と袋を差し出してくる。受け取ってみるが、片手で長い間持っていたら疲れてしまいそうだ。彼女から「ありがとう」と言われてしまえば、面倒だとは思えなくなってしまったけれど。

 

 一番人の多い中央付近を歩いていると、向かい側からやってくる人のせいで垣村と園村が分断されてしまいそうになる。慌てて園村が垣村の袖口を掴むことではぐれずに済んだ。掴まれた時はまたヒヤッとしたものだが、電車の中で腕を掴まれていた時に比べたら優しいものだった。それでも恥ずかしさが拭えないけれど、彼女もきっと恥ずかしがっていることだろう。これは離れないようにする処置であり、決してやましい意味などはない。そう心の中で決めつけ、二人は前へ前へと進んでいく。

 

「ねぇ柿P、後で写真撮らない?」

 

「SNSに載せる気?」

 

「柿Pなうって呟いたらバズりそう」

 

「顔出しNGなんだからやめてよ。それに、顔が写った写真を載せるのは好きじゃないんだ」

 

「柿Pってそこら辺しっかりしてるよね」

 

「ネットを使うのならルールを守る。ネットリテラシーがない人はちょっと危険だよ」

 

 使うものに振り回されたら元も子もない。園村は「しょうがないかー」と言って、適当に携帯をいじり始める。おおかた「友だちと花火なう」とでも呟いているのだろう。女子高生とはそういうものだ。近頃は男子高校生もやっているのを見かけるが。

 

 男子高校生で、ふと思い出す。この花火大会は他県でやるわけじゃない。当然垣村の高校に通う生徒も足を運ぶ確率はかなり高いのだ。周りに知人がいたらどうしよう。彼女と一緒に歩いているというだけで話のネタにされてしまいかねない。周辺を目線だけ動かして探ってみるが、それらしい人物は見つけられなかった。

 

「園村さんは、自分なんかと一緒に花火大会来て良かったの? 学校の人に見られたりしたら迷惑じゃない?」

 

「柿Pと一緒にいることの何がダメなの?」

 

「いやだってほら……」

 

 顔は良くない。髪の毛も整っていない。服も彼なりに気を使ったが街中で見かける格好いい服ではない。高校生にしては地味な印象を与えがちだ。そんな人と一緒にいれば、園村の評価も下がってしまうのではないか。そんな心配事が浮かんでくる。けれども、それを聞いた彼女は笑わずに問い返してきた。

 

「それの何がダメなの?」

 

「園村さんは、ほら。それなりに学校でも人気がある方なはずだし。そんな人と俺が一緒ってのは……」

 

「あのね、柿P」

 

 隣を歩く彼女は歩くスピードを落とさないまま、一瞬だけ黙りこくる。真正面から彼女を見ているわけではないので、どれほど真剣な顔をしているのかはわからない。でも、垣村の服の袖を掴む手には力が込められている。

 

「どうでもいいよ、そんな人」

 

 突き放すような言葉。けれども刺々しさはなく、芯のある言葉だった。垣村が庄司と話している時にも時折感じる、言葉の重さ。しっかりと考えた上で、自分の意思を伝えてくるからこそ感じられるものだ。思わず垣村は息を飲んでしまう。

 

「私は周りからの評価が悪くて、イジメられてきた。だから私は、そうなりたくない。人を見た目とかで評価したくない。もし仮に柿Pと一緒にいることで私の評価を下げる人がいるなら、そんな人どうでもいいよ。私は私のしたいように生きたいから」

 

 彼女の言葉が垣村の心に突き刺さる。その言葉が嘘偽りではないというのがわかってしまう。真剣っぽいからとか、場の雰囲気でとか、そんなものではない。ただただ重たいのだ。その言葉が、ふくまれる意味が。

 

 彼女と同じように考える人を知っている。少し前まで垣村にとって唯一の友人だった男、西園だ。彼は自分のしたいようにできないのは嫌だと言っていた。だから垣村の隣にいるのだと。見た目で評価せず、その行動を見て隣にいようとした。彼女と西園は似ているのだ。

 

「……強いね、園村さんは」

 

「そうでしょ? でも、強くなれるきっかけをくれたのは、柿Pだよ」

 

 笑ってくる彼女に対して、照れくさそうに顔をそむける。垣村は周りの目を気にしてしまう男の子だ。それでいて自分に自信もない。今だってクラスの誰かに見られていないか不安に駆られてしまう。だから目の前の女の子が羨ましくて仕方がなかった。

 

 周りの目を気にしない西園と園村。気にしてしまう垣村。ならば、笹原はどうなのだろうか。今までの行動からしてかなり気にするほうだろう。トップカーストでも園村と笹原には違いがある。前に庄司に言われたように、関わったからこそわかったことだ。ロクに知りもしないで一方的な決めつけで悪だと断じてしまうのは、良くないことなのだろう。垣村はここ数日でそれを学ぶことができた。

 

「人少なくなってきたね。あの辺とかどうかな?」

 

 端の方までやってこれたらしい。園村の指さす場所は砂浜と道路とを隔てる胸壁。何人か座っているが、間隔を開けて座れるくらいにはスペースがある。それでいいだろうと、二人は並んで座り、買った食べ物を口に入れていく。垣村が焼きそばを食べながら、横目で彼女を見てみる。お好み焼きを切り分けて口に運んでいく彼女の顔は、幸せそうに笑っていた。口端についたソースを、舌でチロッと舐めとっていく。可愛らしいと思ってしまえば、そんな女の子と一緒にいる事実も相まって体温が上がってしまう。買ったお茶を飲んで落ち着こうとしたが、どうにも効果はない。

 

「柿P、いつ花火上がるかな?」

 

「もうそろそろだと思うよ……あっ、ほら」

 

 海の遠くで船が何隻か移動していた。そしてそこから、花火が上がっていく。白のような黄色の玉がゆらゆらと動きながら上昇していき、やがて身を震えさせる程の音を出しながら花火を開花させる。次々と打ち上がる、花火たち。赤、青、緑、黄色。花の火で花火と呼ばれるように、まさしく空は開花した花畑のようだった。

 

「うわぁー、綺麗。このどーんって音いいよね!」

 

「わかる。煩いだけの音のはずなのに、不思議と嫌だとは思えない。この音は……心地いいよね」

 

「あははっ、曲でも作ってみる?」

 

「……なんだか、できそうな気がする」

 

「本当っ!? じゃあ約束ね。ちゃんと作って、聞かせてよ柿P!」

 

 小指を差し出され、垣村もそれに合わせる。彼女が明るい声で「指切りげんまん」と言うが、その声も花火の音でかき消されていく。それでも交わされた小指は確かに約束を結んでいった。

 

 耳を揺らし、心を揺さぶる。どーんっ、どーんっという花火の音。大の大人が太鼓を叩くよりも、気持ちがいい音だ。

 

 夜空に咲いた花園を、二人一緒に見に耽ける。僕と君の鼓動を、音が一律に揃えていく。交わされた約束を果たすために、何度でもこの景色を思い出すんだ。

 

「……柿P、いいフレーズでも思いついたの? 笑ってるよ」

 

「ん……悪くはない、かな。照れくさいけど」

 

 少しずつ前に進めている感覚はあった。不安なことはまだまだ沢山ある。もし仮に、あの雨の日に笹原に傘を渡していなかったら。きっとこうはならなかったんじゃないかとすら思えていた。自分が前に進めているのは、人との関わりがあったからだ。きっと、そうだ。人と関わるのは怖いし、苦手。それでも、少しずつ頑張らなきゃいけない。

 

 成長できたといえば、隣にいる園村の功績も大きいのだろう。垣村にとってはもう既に気の許せる友人だ。けれど、二人でこうして花火を見ていると、なんだか特別な関係じゃないのかと錯覚してしまいそうになる。手が重なり合いそうな距離。花火が終わるまで不思議と会話はなく、終わったあと二人で顔を見合わせてはぎこちなく笑いあった。多分考えていたことは二人とも同じなのだろう。

 

「花火が終わるとさ、夏も終わりなんだなって思えちゃうよね」

 

「……あぁ、そうだね。夏休みも、あと少しだ」

 

「憂鬱?」

 

「学生だし、皆そうでしょ」

 

「それもそうだね」

 

 他愛ない話をしながら帰路につく。駅は来た時よりも込み合っていて、自然と二人の距離が縮まってしまう。電車の中で座ることもできず、立ちっぱなしになってしまうが……園村は彼の腕を両手で掴んで揺れないようにしていた。昼間よりも接触面積が広い。女子って柔らかいんだなと思いながらまた二人でイヤホンをつけ、曲を聴きながら帰る。流れてくる最近話題のラブソングのサビが、嫌なくらい垣村の耳に残り続けていた。




感想や評価など頂けると、励みになります。

……園村がヒロイン力高すぎる。


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19話目 イヤホン

 男三人。女三人。比率的にはちょうどいいけど、祭りを回るとなると六人でぞろぞろ歩くのは少々難しい。前から来る人たちを避けようとする度に、横並びの彼女たちは離れそうになってしまう。

 

 笹原は紗綾と彩香から離れないように固まって動く。男子も同じように固まっているが、隙あらば女子の隣に移動しようとする。横並びで歩くときは松本が笹原の隣にきた。男女と境目だから仕方がないことだ、と思いながら彼の話に適当に相槌を返していく。

 

 空は既に暗いが、屋台の明かりのおかげでまったくそうとは思えない。買ったポテトやりんご飴などをそれぞれ食べながら海辺の近くを歩く。砂浜の上にはシートがいくつも敷かれており、男女のカップルが周りの目も気にしないで体を密着させている。なんだか目に悪い。少しうんざりしていた。

 

「そーいや、この前の練習試合で松本がさー」

 

「バッカお前、それ俺のせいじゃねぇんだって!」

 

「快晴がなにやらかしたの?」

 

「こいつゴール前で……」

 

「あぁあぁ言うなって!」

 

 彩香が話を聞きにいくと、松本は慌てた様子で違うんだと否定する。格好悪い自分を知られたくないらしく、笹原の耳にも確かにその声は届いているが、反応は薄い。視線を動かしてキョロキョロと周りを見回しているその姿は、誰かを探しているのかもと思えてしまう。

 

「唯ちゃん、誰か探してるの?」

 

「えっ、いや誰も探してないよ」

 

「本当にー?」

 

 若干挙動の怪しい笹原を見て紗綾は口元を緩めた。別に誰を探していたわけじゃないのに。それに、こんな場所にいるはずがない。アイツが西園と二人でここに来ることは、多分ないはず。それでも周りの人を見てしまうのは、期待だとかそんなものじゃなくて、そう……ほんのちょっとの、好奇心のようなものだ。見かけたら、あとでメッセージを送る口実にもなる。一人でなにしてんの、と送ったら慌てるのだろうか。

 

 そんなあるはずのない妄想をしている笹原の顔を、紗綾は覗き込むように下から見上げてくる、

 

「西園君でも探してるの?」

 

「違うって。なんで西園のこと探さなきゃいけないの」

 

「えー、だって気になるんじゃないの?」

 

「そんなこと一言も言ってないって」

 

 笹原は強く否定する。けれど、否定すればするほど彼女たちは面白い玩具を見つけたようにはしゃいだ。恥ずかしいから否定しているのだと思われているのだろう。それに、近くに彼らがいるにも関わらずそんなことを話してしまえば、色恋に盛んな男子生徒も食いついてきてしまう。案の定松本たちが食い気味に話しかけてきた。

 

「笹原って西園のこと好きなの!?」

 

「だから、違うってば」

 

「恥ずかしがらなくてもいいのに」

 

「恥ずかしがってないって! 紗綾は変なこと言わないでよ!」

 

 紗綾に向けて怒るが、彼女はどこ吹く風と聞き流す。西園のことなんてまったく興味もないのに。なんでこんなに詰め寄って聞かれなきゃいけないの。

 

 小さくため息をついて、否定を繰り返す。そうこうしているうちに、会場の端の方まで来てしまっていた。花火を見るには少し遠い気がするけど、その代わりに人が少ない。好機と言わんばかりに、笹原は「ここで見よう」と言い出した。他の人も否定する意見はなく、砂浜に少しだけあった草の上に腰を下ろし始める。花火が始まるまでもうしばらく時間があった。幸いにも先程の笹原が西園のことが好きだという話はなくなって、いつも通りのくだらない話に戻っていく。笹原は胸をなでおろし、安堵の息をついた。

 

 彼らの話に合わせながら言葉を返し、目の前の海を見つめる。暗い水が流れてきては引き返され、少し上を向けば月が見えた。満月じゃない、微妙な月。それなりに楽しめているはずなのに、物足りない。

 

(……なんでかな)

 

 心の中で呟いても、答えは返ってこない。どこか物憂げな表情の笹原と、対照的に笑っているその他。去年の自分なら、きっと笑っていたのかな。そう思って去年を思い返せば、紗綾と彩香の三人で回っていた記憶がある。馬鹿みたいに笑って、写真を撮って、美味しいものを食べて。それと今、何が違うのかな。

 

「……ごめん、ちょっと手洗いに行ってくる」

 

 気持ちを一旦切り替えたくなり、笹原は立ち上がって公衆トイレへと向かおうとする。それにつられるように、松本も立ち上がった。

 

「ナンパされたりすっかもしれないし、俺もついてくわ」

 

「うわっ、普通女子についていく?」

 

「うっせ、心配だろうが」

 

 彩香に茶化されながら照れくさそうに顔を逸らす。ナンパされるとは考えてもいなかったけれど、男避けになってくれるというならありがたい。着いてこられるのに少し抵抗はあるものの、笹原は松本の提案を受け取り、二人で歩き出した。

 

 道すがら話す内容は、先程までとそう変わりない。手を繋いでいるカップルが視界に入る度、今の自分と松本はそう見えているのだろうかと考えてしまう。二人きりで行動するというのも中々なく、時折口数が少なくなって沈黙してしまいそうになる。すると、慌てて彼は適当に話を切り出した。沈黙が気まずいのだろう。笹原も、隣を無言で歩かれるというのは少しだけ忌避感があった。無言ってこんなに辛いものだったっけ、と頭を悩ませる。

 

「じゃあ俺、外で待ってっから」

 

 トイレの前まで来ると、松本は少し離れた場所に移動した。返事をして中に入る。公衆トイレのせいか、少しだけ掃除されていない匂いがした。薄汚れた鏡の前に立ち、自分の顔を見つめる。無愛想な顔つきだ。前はもう少し明るかった気がする。

 

 携帯を取り出して、メッセージ画面を開こうとしたところで圏外になっていることに気づく。人が多過ぎて電波が混雑しているらしい。小さくため息をついて、また鏡を見る。かきあげた髪の毛を触っていると、洗面台からピチャンッと一粒水が落ちた。連想して、雨の景色が浮かんでくる。雨が降った時にも思い出してしまう、その光景。落ちていく雨を見ながら微笑む彼と、目線も合わせようとせず傘を渡そうとしてくる彼の姿。思い出したら、またいじりたくなってきた。次に会った時にでも、その時の光景について話してみよう。そしたら、どんな反応をするのかな。

 

 そんなことを考えていたら、鏡に映る自分の口元は緩んでいた。笹原はまた小さく息を吐くと、トイレから出ていく。松本はすぐに笹原を見つけたらしく、探すよりも早く彼の方が近づいてきた。

 

「待たせてごめんね」

 

「別にいいよ。んじゃ、戻っか」

 

 彼は笑いながらそう答え、二人して皆の元へと歩いていく。人混みを抜け、また端の方へと近づいてきた。人が少なくなってきて、もう少し歩けば皆のいる砂場につく。道行く人はいなくて、皆もうすぐ上がるはずの花火を見るために座っていた。

 

「なぁ笹原」

 

「なに?」

 

「いや、そのさ……さっき西園のことが好きだとか話してたじゃん」

 

「私は一言も好きとか言ってないし。紗綾が勝手にありもしないこと言ってただけだよ」

 

 あの話題から抜けられたと思ったのに、また掘り返されてしまった。強く否定し、西園のことは好きでもなんでもないと答える。松本は「そっかー」と間の抜けた声を出した。どこか安心したような、そんな声のように思えて笹原は怪訝そうに眉を顰める。

 

「あのさ、笹原……」

 

 松本が足を止める。あと少し歩けば、皆の場所だというのに。先程からの見え透いた態度、そわそわと落ち着きのない行動。自惚れているわけじゃないが、笹原は自分の容姿がそれなりにいい方だとは思っている。わかってしまうのだ。目の前の男が、何をしようとしているのか。

 

 それがわかっていて、随分と覚めた気分でいる自分に気づいた。けれど彼は気づかない。笹原に向き直り、恥ずかしそうに笑ってから一呼吸置く。そして笹原の目を見ながら軽く頭を下げて頼み込んできた。

 

「好きです。俺と、付き合ってください」

 

 しっかりと目をそらさずに伝えてくるあたり真剣なのだろうとは笹原もわかっている。けれど、あまりにも心が揺れなかった。自分でも不思議に思うくらい、冷めている。目の前の彼は絵に描いたようなモテ男だろう。それなりに人気があり、サッカー部の部長を務め、女子からは良いなぁという声も聞こえてくる。紗綾だって気があるのではないかと思わせる行動を見せた。それくらい、女子にとってはこの告白自体が貴重なもののはず。

 

 付き合うのなら格好いい人の方がいい。そう思っていたはずなのに。こんなにも、嬉しいとも幸せだとも思えないなんて、私はどうかしている。

 

 松本の真剣さと笹原の気持ちは噛み合わない。自然と笹原は目を逸らしてしまう。

 

(……あれ、は)

 

 逃げた先に見えたもの。胸壁に座っている二人の後ろ姿。知らない女の子と、見た事のある男の子。くせっ毛で、背もそんなに高くない。猫背で、髪の毛はちょっと長め。そんな後ろ姿が、記憶の中にある彼と重なる。

 

(垣村、なの?)

 

 手を動かして、何かを食べているようだ。一瞬だけ、彼の顔が女の子の方にほんの少し向けられる。見えた横顔は、間違いなく垣村だ。隣の女の子の顔は見えない。けれど、その後ろ姿は落ち着きがあるように見えて、多分自分とは正反対な子なんだろうと笹原は思った。

 

(……なんで)

 

 時間がゆっくりと流れている気がしていた。笹原の胸あたりがきゅぅっと苦しくなる。締めつけられているような、棘を刺されているような。今自分は何の感情を抱いているのだろうか。垣村の隣に女の子がいることに対する嫌悪感。女子の中では自分だけが垣村という男の子のことを知っていたはずなのにという、独占欲のようなもの。一番近いのは、それなのかもしれない。

 

(垣村……ちゃんと、女の子の友だちいるんだ。それも、彼女みたいな関係の……)

 

 普段は地味な服のくせに、今日だけは彼なりに頑張ったんだろうと思える少し明るめの服。本当は、彼は優しい男の子だということを知ってる。傘を貸してくれたり、自分よりも強そうな男の子に立ち向かったり、約束の時間を大幅に過ぎていても待っていてくれたり。その優しさが自分にだけ向けられていたのだと、きっと心の中で思っていた。それは自分にだけでなく、周りにいてくれる人全員に向けられていたんだ。

 

「笹原……?」

 

「っ……」

 

 松本が心配そうな声で名前を呼ぶ。中々答えずに、しまいには目を背けたのだ。ダメなのかと思ってしまうものだろう。

 

 どう答えるべきか。松本と一緒にいるのはそれなりに楽しいはず。見てくれもいい。気遣いはそれなりにできるはずだ。率先して、何かしようと提案してくれるだろう。学年の付き合ってみたいランキングを作れば、きっと上位にいるはずだ。そんな男の子に告白されて……どうして、答えられないのか。

 

 格好いい人と付き合いたい。ずっとそう思っていた。その条件を、彼は満たしている。付き合ったとしたら、きっとそれなりに楽しい時間を過ごせるはずだ。手を繋ごうと提案されることだろう。家の前まで送っていってくれることだろう。遅くまでデートして、良い雰囲気に持っていかれ、なし崩し的にいろいろなことをしてしまうのだろう。楽しいはず。幸せな時間を過ごせるはず。そんな予想ができる。

 

 けれども、きっとあの時間だけは手に入らない。無言のあの空間が。手を伸ばせば届く距離なのに、ただ一緒にいるだけで何もしない、あの瞬間が。それでもいい、この時間を長く過ごしていたいと思えてしまったあの状況を、きっと彼とは手に入れることはできない。

 

(……ここで振ったら、いつものメンバーも気まずくなる。付き合ったら、あの時間はなくなってしまう。単純に考えたら、メリットよりもデメリットが目立つのに。なのに、私は……)

 

 この心の痛みを、無視することができなかった。

 

「ごめん……付き合えないよ」

 

 また目を逸らす。視界の隅で、彼はまるで振られるとは思っていなかったような顔つきになっている。口がほんの少し開いたまま、笹原を見ていた。唖然と、呆然と。その抜け殻のような状態が動き出したのは、まるで分単位の時間が過ぎたのではないかと思えてしまう程後のことだった。彼の口から漏れ出たのは、いつもの軽快な声ではなく、覇気のない低音だ。

 

「……なぁ、俺の何が悪いの?」

 

「悪い、とかじゃなくて……」

 

「悪くないなら、なんで……っ」

 

 松本が一気に詰め寄ってくる。両手で肩を掴まれ、笹原は目を見開いて彼の顔を見た。今にも泣いてしまいそうな表情だというのに、どこか怒りの感情が垣間見える。

 

 怖い。それだけが笹原の心を染め上げた。肩を掴む手には力が込められていて、痛い。こんなに近くに詰め寄られたのは、二度目だ。一度目は、打ち上げの帰り。あの日、笹原は垣村に助けられた。その光景が思い返される。

 

(垣村っ……)

 

 心の中で叫んでも、届くはずもない。彼は助けに来ない。仮にここで叫んだら、来てくれるだろうか。いいや、来てくれる。けれども……笹原は声すらあげられなかった。あの日の恐怖まで蘇り、体は強ばって言うことを聞かない。瞳が揺れ、潤う。目じりに涙がたまって一筋右頬を垂れていった。

 

「あっ……」

 

 涙が流れて、ようやく松本が我に返る。自分が何をしたのか。それを理解した途端手を離して一歩後ずさった。驚愕と後悔で歪んだ顔のまま、頭を下げる。

 

「ご、ごめんっ。そんなつもりじゃ……」

 

「もう、いいから……一人にして……」

 

「っ……ごめん、笹原……」

 

 松本はその場から遠ざかっていく。数回振り向いたが、そのまま皆の元へと向かっていった。濡れた頬を手の甲で拭い、その場から少し移動する。胸壁に座ったままの二人の後ろ側。道路を挟んだ向かい側の縁石に座り込んだ。周りが騒がしくて、この距離では彼らの会話は聞こえない。

 

 いつか垣村に、なんでいつもイヤホンをつけているのかと尋ねたら、『聞きたくもない音を聞かないために、かな』という言葉が返ってきたのを思い出した。周りの喧騒が煩わしくて、聞きたい声が聞こえない。彼の場合は聞きたいものは音楽で、今の自分は……彼の声だ。

 

(……花火だ)

 

 身を震わせるような振動と音。そして光。綺麗なはずの花火。いや、汚く見えているわけじゃない。ただ、その花火と二人の座っている場所の角度が、偶然いい感じに並んでしまっていて、まるで祝福するように花が咲いていたように思えてしまった。

 

(なんで、こんなに苦しいの……)

 

 垣村に恋をしていたのか。垣村を好きになってしまっていたのか。それともまだ別の理由があるのか。好きでもないのに、彼を取られたくなかったのか。

 

 心の中はぐちゃぐちゃで、整理がつかない。この気持ちを何と呼べばいいのか、笹原にはわからなかった。

 

(見てるのも、つらい)

 

 知らぬ間に歯を食いしばっていた。立ち上がって、前へと歩いていく。道路を超え、歩道に立つ。目の前で二人とも空を見上げていた。すぐ後ろにいる笹原に気づく様子もない。

 

(何やってるの、私)

 

 伸びそうになる手を我慢し、その場を離れる。少し歩けば、砂浜に座っている皆が見えた。松本は男女の間ではなく、端で居心地が悪そうに座っている。紗綾の隣に向かって歩いていくと、途中で気がついて笑いかけてきた。

 

「遅かったね。トイレ混んでたんだって?」

 

「あ、うん……人多くてさ」

 

 笹原は無理やり笑う。松本がそう言ったのだろう。なら、無理に真実を伝える必要もない。きっともう、そんなに軽々しく近寄っては来れないだろう。

 

(……音、すごいなぁ)

 

 耳に響き、心を揺らす。花火が開花した時の音は、笹原を包み込んで全ての音を遮断してくれている気がした。

 

(……イヤホンをつける理由、私にもわかったかもしれない)

 

 誰だって、一人の世界にこもりたくなるんだ。ただ、ぼーっと花火を眺めていると、上がる度に沸き起こる歓声も聞こえなくなる。どーんっという音だけの世界。何も考えず、音だけを聞く世界。彼の考えが、今更わかってしまった。





前回の話を投稿して、初めて誤字報告というものを貰いました。いやー、便利ですねアレ……助かりました。

それはそうと、笹原サイドは書きづらいという話を以前したかと思います。えぇ、今回もとても辛かった。誰か笹原の話だけ書いてってお願いしたいくらいです。


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20話目 気になる

 夏休みがあと一週間。あと五日。あと三日。今日で最後。終わりになると、時間の流れがとても早く感じるものだった。気がつけば夏休みは終わり、また学校生活が始まる。夏休みが過ぎても暑苦しいのはまったく変わりない。垣村は教室の隅でイヤホンをつけ、以前と全く変わらないその姿を生徒に見せた。心の在り方が多少変わっても行動がそんなに早く変わるなんてことはない。

 

 音量はそれなりに上げているはずなのだが、垣村の耳には周りの生徒たちの話し声が聞こえてくる。どれだけ大きな声で話しているのか疑問だが、内容はほとんど同じようなものばかり。課題が終わってないだとか、今日の集会が終わった後にあるテストのことだとか。進学校を自称している学校なので、初日からテストをするらしい。垣村も昨年は、嘘だろと若干嘆いていた。今年はちゃんと課題も勉強もしたので、特に困ってはいない。

 

 腕から目だけを上げるようにして周囲を見回す。話している生徒、課題を見せあっている生徒、携帯をいじりながら話している生徒。そして、女子生徒に囲まれて話をしている笹原。距離的にどんなことを話しているのかはわからないが、少なくとも楽しそうにはしている。

 

(……あっ)

 

 久しぶりの目が合いそうになる感覚。逃げるように顔を動かし、腕に顔をうずめる。多分向こうも何か気づいたんじゃないのかと思う。寝るふりをして見ていたなんて気づかれたら、いろいろと変に思われそうだ。いや、変というかキモい。

 

(……自分で言ってへこむなよなぁ)

 

 窓の外から差し込む日射も相まって、垣村の体力をジリジリと奪っていく。更には笹原を見ていたことに対する羞恥心。背中にじんわりと汗が滲んでいくのがわかった。

 

 下敷きで仰ごうかと思い始めた頃、右耳から音楽が消えていく。代わりに聞こえてきたのは西園の声だった。

 

「志音ー、頼むから起きて英語の課題見せてくれー」

 

「起きてるよ……てか、それくらい前日にでも言ってくれれば見せたのに」

 

 肩を揺らしてくる西園に対し、これ幸いと思いながら体を起こす。相変わらず、課題が終わってないのに焦った表情ひとつない。そんな彼に呆れたように笑いながら英語の課題として渡された本を貸した。やることは本文を訳して問題に答えるというものだ。何故やらなかったのか、なんて問わなくてもわかる。西園が面倒くさがっただけだ。

 

 最近は庄司を見る機会も多く、二人の表情の差や仕草なんてものも似てるんだなと思えてきた。西園はそれほどまでに庄司のように生きたいらしい。そのことを以前庄司に話してみたのだが、その時の彼の返答はこうだ。

 

『多分ねー、しょー君は怖いんだと思うよ。元々そんなに元気いっぱいって子でもなかったし。オジさんの真似をすれば、少なくともなんとか生きていけるって思ったんじゃないかなー。自分の生き方で生きていくって、なんとなーく怖いじゃん? それに、先駆者がいるのって心強いしね』

 

 西園の元の性格というものを知らなかったので、それを聞いた時には垣村も驚いた。皆、それなりに努力しているのだ。未来に向けて、少しずつ。

 

「なぁ志音、知ってる?」

 

「主格が抜けてる」

 

「えっ嘘……って違う違う。笹原さんのことだよ」

 

 本を見ながらどこを間違えたのかと一瞬だけ西園は探していた。それが面白くてつい笑ってしまったが、その後にでてきた笹原という言葉に、思わず表情が固まってしまう。

 

「松本に告られたんだってさ」

 

「……へぇー」

 

 笹原が告白された。その事実に、どうしてか胸が苦しく感じる。まぁ、松本と笹原ならお似合いのカップルだろう。自分なんかとは違って、彼はとても格好いいし人気もある。けれど、そうなると教室であの二人のイチャつきを見ることになるのか。少しげんなりとしつつ、垣村は教室の前の方を横目で見る。笹原は女子生徒たちと。松本は男子生徒たちと話していて、お互いの距離は教室の端と端だ。

 

「……付き合ってる割には随分と距離があるね」

 

「いや、振られたんだってさー」

 

「松本が?」

 

「そうそー。意外だなーって皆話してたよ。言っちゃ悪いけどさー、笹原さんって面食いそうじゃん?」

 

「……確かにね」

 

 尻すぼみになる彼の言葉に、垣村も肯定の意を返した。彼女は結構そういったことを気にするタイプのはずだ。だというのに松本を振ったというのは、少しだけ気になる。いつも一緒にいる友人。それを振るというのはそれなりにリスクもある。だが、好きでもないのに付き合うというのもバカバカしい話ではあるが。

 

「他に好きな人でもいるのかな」

 

「雨の日に傘を渡されちゃった人とかー?」

 

「西園、課題返して」

 

「終わったらねー」

 

 相変わらずニヤニヤへらへらと、軽い男だ。時間になるまで垣村は話し相手になり、西園は課題をそれなりのスピードで書き写していく。

 

 時折突き刺さるような視線を感じて、視線を前の方へと向ける。おそらく笹原のものだろう。イケメンを振った女の子に視線を向けられる垣村。字面だけなら、それなりに期待の高まるものだ。例えそれがありえないものであったとしても、夢を見るくらいはいいだろう。少しだけ優越感を感じていた垣村だった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 学校初日で少しだけ早帰りなのにも関わらず、垣村には塾がある。上りのホームにある階段下の椅子。いつもの定位置。ここに来るのも久しぶりに感じていた。反対側のホームや、周りにいる生徒は少ない。初日から部活があるのだから、やっている人は大変そうだ。だが本人にとっては楽しいのだろう。垣村が創作に打ち込むのと同様に、仲間と運動することに時間を割く。それなりに運動ができたのなら、自分にもそういった未来があったのかもしれない。

 

 今のままではありもしないことを考えつつ、イヤホンから流れてくる音楽を変える。少しでも昔の自分から成長したい。ならば、過去の自分というものをよく知らなくてはいけない。鳴り響くのは機械音声。垣村が有名になった『陰日向』だ。世の中を皮肉るような歌詞。聴いているだけで恥ずかしくなる。昔の自分は、こんな世界を見ていたのだと感慨深くなった。考え方は変わらない。けれど、見えてる世界は少しだけ変わっている気がする。少しは人間として成長できた、ということなのだろう。

 

 曲も中程まで差し掛かる。そんな時に、どこか懐かしい感覚に見舞われた。左耳に感じる開放感。そして聞こえてくる彼女の声。

 

「お、おはよう……垣村」

 

「おはよう、笹原さん。珍しいね、どもるなんて」

 

「うるさい。垣村のがうつったんだよ」

 

 イヤホンを手に持ちながら、彼女は隣の椅子に座る。横目で見える彼女の表情は、不機嫌とかではなく気まずそうな様子だった。何かあったのだろうかと考えながら、垣村はイヤホンを外して音楽を止める。夏休み中に何度か遊んだとはいえ、気になる話題というのもあり自分から話してみようと思った。無粋なことかもしれないが、それなりに気になることだ。垣村も思春期の男の子なのだから。

 

「笹原さん、松本のこと振ったんだって? なんか、広まってるらしいけど」

 

「えっ、あっいや……そうなんだけどさ。なんで広まってんのかな……多分松本が誰かに話して、そこから広まったんだろうけど」

 

「モテる男女は大変そうだね。話題になりやすいし」

 

 それに比べ、自分は女子生徒から名前が挙がることすらない。挙がったとしたらそれはきっと、陰口だろう。腿の上に肘を置いて、手のひらに顎を乗せて楽な姿勢をとる。随分とこの空間も気楽になった。最初の頃は何をするにも怯えていたというのに。今となっては少し懐かしい感じすら垣村は感じていた。

 

「……垣村はさ、花火大会行った?」

 

 斜め後ろから聞こえてくる声。その言葉にどう返していいものなのか、垣村は悩んだ。園村と一緒に行ったことを言うべきか。話してしまったら何かと追求された挙句女子の間で話題になり、彼女の学校にまで広まるのではないか。なんとか言葉を濁した方がいいだろうと思って「花火大会?」と返す。

 

「偶然、なんだけどさ……。端っこの方で垣村に似てる人見かけたから」

 

「えっ?」

 

「女の子といなかった?」

 

「あっと……その……」

 

 否定する言葉がすんなりと出てこない。曖昧な言葉を返してしまったが最後、彼女は確信を持ってしまっただろう。社交スキルをお金で買えるのなら買いたい、と垣村は心の底から思っていた。

 

「垣村って、彼女いるの?」

 

「違うよ。ただ、ちょっとした縁で知り合ったっていうか……うん、友だちだよ。彼女とか、そういった関係じゃない」

 

「……なんだ」

 

 興味を失ったのか、低く小さめな声が聞こえてくる。仮に彼女だと答えたら追求する気満々だったことだろう。けれども、垣村にとって園村は友人だ。事実を捻じ曲げてはいけない。

 

「仲良さそうに見えたけど、そうじゃないんだ」

 

「仲は、まぁ……良い方なんじゃないかな、多分。出会い方が特殊だったっていうか……」

 

「雨の日に傘を無理やり渡して雨の中走り去っていくより?」

 

「……同じくらい」

 

 日に二回も同じような事を言われてしまうとは。流石に恥ずかしくて垣村は両手で顔を覆い隠す。「はぁー」っと深いため息をつくと、笹原に「何恥ずかしがってんの」と笑われてしまった。顔が赤く染っていないか不安は残っていたが、体を起こして椅子に背中を預ける。

 

 視界の隅に映るのは、未だにイヤホンを手に持ったままこちらを見ている笹原だった。

 

「ねぇ垣村、さっきまで聞いてた曲とか流してよ」

 

「えっ……」

 

「なんで嫌そうに顔歪めるの。まさか、音楽じゃなくて変なサイトでも見てた?」

 

「いや違っ……そんなの見てないって」

 

「ならいいじゃん。垣村が普段どんなの聴いてるのか気になるし。人受け良さそうなのに変えるとかナシだからね」

 

 頬を指で突き刺すのではないかと思えるくらい、彼女は人差し指を向けてくる。聞いていたのは自分の作った曲。それを聴かれるのは恥ずかしい上に、歌わせているのはボーカロイドだ。幻滅されるなんてものじゃない。なんとかして曲を変えようかと思っていても、笹原はじっと垣村の顔と携帯を見比べている。

 

「……笹原さん。そのイヤホンで聴く気なの?」

 

「別に気にしないけど」

 

「しかも、持ってるの左耳のやつ……」

 

「いいから、早く。なんなら私が開くよ。パスワード教えて」

 

「わかった。わかったから……」

 

 彼女の手が垣村の携帯に伸びてきて、握っている手と重なる。流石に焦って、垣村は了承してしまった。彼女はなんの躊躇いもなく垣村のイヤホンを左耳につける。

 

「ほら、垣村もつけて」

 

「いや、聴くだけなら笹原さんが両方つければ……」

 

「は・や・く・つ・け・ろ」

 

「なんか強引になったね……いや前からだけど」

 

 仕方なく垣村も右耳につける。コードの長さの関係上、笹原は垣村の顔のすぐ近くにまで頭を寄せなくてはならない。彼女の右耳と垣村の左耳がくっついてしまうのではないか。いや、既に髪の毛が当たっている気がする。垣村の心拍数が跳ね上がって、携帯を持つ手が震えているような気がした。逃げ出したくても、彼女は逃がしてくれないだろう。彼女の呼吸音すら聞こえてくる距離だ。もうヤケクソになり、垣村は再生ボタンを押す。陰日向が流れ出してしまった。人の声ではないが、それなりに人が歌っているように調教してある。それでも恥ずかしくて仕方がない。

 

「……やっぱり垣村ってこういうの聴くんだね」

 

「……人の勝手でしょ。何聴いたってさ」

 

「そうだね。でもまぁ……悪くないんじゃない?」

 

 心臓が跳ね上がる。笹原は知らない。隣にいる男がこの曲を作ったのだと。本人が本当にそう思っているのか、わからないが……例えそれが世辞であったとしても、嬉しくて仕方がなかった。彼女との距離の近さもあって、顔に熱が集まってしまう。こんな距離じゃ、この熱すらも伝わってしまうんじゃないか。なんとかしてクールダウンしようとする垣村とは対照的に、笹原は曲が二番のサビに入った途端鼻歌でメロディを刻み始めた。

 

(恥ずかしくて死ねる……なんだこの公開処刑はッ……!!)

 

 時間が長い。こんなに長い曲を作った記憶はない。さっさと終わってくれと願い続けて、ようやく曲が終わる。そしてすぐ後、アナウンスで電車が来ることを告げてきた。もう次の電車に乗ってしまおう。そう決意して、垣村はイヤホンを外す。

 

「笹原さん、次の電車乗るからイヤホン返して」

 

「あともう一曲いけるんじゃない?」

 

「無理」

 

 主に俺が。そう心の中で答えて、顔を背ける。差し出した手に彼女がイヤホンを乗せてきて、そのままスっと立ち上がって垣村よりも前に歩み出る。すると彼女は口元を抑えて笑い始めた。

 

「あははっ、顔真っ赤だし。初めて見たかも」

 

「暑っついんだよ」

 

「本当にー?」

 

「しつこいなぁ……」

 

 また体を前倒しにして手のひらで顔を覆う。上から聞こえてくる彼女の声は楽しそうだった。なんだろうか、この羞恥プレイは。学校始まって早々こんな感じで、大丈夫なのか。

 

 心配になってくる垣村を助けるかのように、電車の音が聞こえてくる。次第に大きくなる音、そして目の前で止まって扉が開く。二人で乗り込んで、前と同じように端に垣村が座ると、笹原もすぐ隣に腰を下ろした。幸いにも同じ車両に人は少ない。知り合いの姿もなさそうだった。

 

「ねぇ垣村。今日は塾早いの?」

 

「いや、いつも通りだけど」

 

「ならちょっと遊んでいこうよ。カラオケとかどう?」

 

「正気? 暑さで頭やられてない?」

 

「馬鹿にするな。垣村の降りる駅にカラオケあるんだから、行くよ」

 

 マジかよ、と垣村は心の中で呟く。彼女は考えを改める気はないらしい。女子とカラオケなら、園村と何度か行ったことがある。けれども、お互い歌う曲はアニソンやボカロといった類であったし、女子という認識はそこまで強くはなかった。しかし笹原は違う。短めのスカート、半袖のシャツ。明るめの髪色に、左耳を出すようにかきあげられた髪型。女子であることを強く意識してしまう。

 

(……歌う曲、選んだ方がいいよなぁ)

 

 頭の中で歌える曲をリストアップしつつ、電車は二人を運んでいく。タイムリミットはすぐそこだった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 カラオケから出て、街中をぶらつく。思っていたよりも普通に楽しめたことが驚きだった。笹原は気分の上がるような軽快な曲を好み、垣村はゆったりとした曲を選ぶ。流石にラブソングはやめた方がいいかと思っていたが、笹原が遠慮なく歌い始めたので垣村も歌ってしまった。そのうち「さっき聴いた曲歌ってよ」と言われてしまい、自分の作った曲を自分で歌うというあまりにも惨い仕打ちを受けた。その他にもボカロ曲を強請られ、最終的には気にせずに歌ってしまう。笹原は終始笑顔のままカラオケを楽しんでいるようだった。

 

 ただ、垣村が気になったのは……トイレに行く途中で見たことがある後ろ姿を何度か見かけたこと。それは垣村の高校の生徒であったり、他校の女子生徒……園村の姿らしきものも見えた。学校が早帰りの学生が考えることは似通うらしい。

 

「垣村高い音苦手すぎじゃない?」

 

「そもそも歌うのそこまで得意じゃないんだって」

 

「無理やり歌おうとして掠れたの、流石に笑っちゃったよ」

 

 塾の方面に向かいながら、笹原は先程までの垣村の様子を話し始める。歌うのが得意じゃないからボーカロイドで歌わせているというのに。垣村は静かにため息をついて、携帯で時間を確認する。塾の時間までまだしばらくあった。それに、少しお腹がすいてきている。コンビニで何か買おうかとも思ったところで、庄司に言われたことを思い出した。

 

「笹原さん、お腹すいてる?」

 

「少しはって感じ」

 

「なら、よく行く店があるんだ。そこの唐揚げが美味しいから、買いに行こう」

 

「いいよ。垣村の奢りなら」

 

「……仕方ないな」

 

「冗談だよ。ちゃんと払うって」

 

 嫌そうな顔をする垣村に、笑いながら彼女は背中を軽く叩いてくる。道を逸れて、しばらく歩くと庄司とよく来る居酒屋に辿り着いた。昼間は唐揚げなどを売っていると言っていたのは嘘ではなく、入口の隣にある窓で買い物ができるようになっていた。中ではいつも居酒屋を営んでいる四十代くらいの女性が働いている。近づいてきた垣村に気がついたようで、女性は近寄って話しかけてきた。

 

「あら、随分と今日は早いね。いつも一緒の人じゃないんだ」

 

「またいつか夜に来ますよ。あと、唐揚げ二人分ください」

 

「はいよ。彼女ちゃんの分、ちょっと安くしちゃおうか」

 

「いや、彼女じゃ……」

 

 否定しようにも、女性は笑って「いいのいいの」と唐揚げをパックに詰める作業を始めてしまう。タレがふんだんにかかった唐揚げの匂いは離れていてもわかる。その匂いを嗅いでしまえば、先程よりもお腹が空いた感覚が強くなってしまう。

 

 詰め終わったパックを二つもらい、垣村がお金を渡す。払おうとしていた笹原は面食らった様子で垣村を見てくる。それを無視しつつ、背後から聞こえてくる女性の声に返事をしながら少し離れた場所にある広場のベンチで座って食べることにした。広場には誰もおらず、子供すら遊んでいない。

 

「お金払うって言ったのに」

 

「あの方が早かったし、安くしてもらえたからいいよ」

 

「それに、なんで居酒屋の人と顔見知りなの。まさか酒飲んでる?」

 

「飲んでないって。よく知り合いの大人に連れていかれるだけだよ」

 

「ふーん……あっ、この唐揚げ凄い美味しい」

 

「でしょ?」

 

 自分が作ったわけじゃないのに、垣村はどこか誇らしそうにそう答える。タレ、肉、硬さ。どれをとっても素晴らしい以外の言葉がない。爪楊枝で刺して、ひとつずつ口に運んでいく。美味しさのあまり、二人とも口元が緩んでいた。

 

「やっぱり、垣村と一緒にいると意外なことばっかりだよ」

 

「そうかな?」

 

「居酒屋なんて普通来ないし。男が誘うところなんて、手頃なレストランとかファミレスでしょ」

 

「確かに、そうかもね」

 

「まぁ、退屈しないから私はいいけど」

 

 タレのついた唐揚げを齧る彼女の姿を視界の隅に捉える。齧りつく時の唇の動きだとか、周りについたタレを舐めとる舌の動きだとか。打ち上げの時にも、彼女の食べる仕草を見て、やたら扇情的だと。ド直球に言い換えればエロいと感じていた。思春期には中々来るものがある。今日何度目かわからない心臓の暴走に辟易しつつも、彼女の食べる姿を盗み見ることをやめられない。

 

「……垣村」

 

「っ、なに?」

 

「変態」

 

「な、何がっ!?」

 

 バレていたのか。見ていないですと答えるのを我慢して、何もしていないんですけどと言い返す。笹原は狼狽える垣村の様子を笑いながら、口の中に半分ほど食べた唐揚げを放り込む。そして垣村から見えないように、口元を隠してしまった。なんとかこの空気から脱したく、垣村は彼女に話しかける。

 

「そういえば、笹原さんってなんで松本のこと振ったの?」

 

「普通そういうの聞く?」

 

「い、いやその……気になって」

 

 流れを変えたかったとは言えない。気まずそうに顔を逸らす垣村を見て、また笹原は笑う。「仕方ないなぁ」と彼女は言って、食べる手を止めた。座る距離を少し詰めてきて、垣村の耳元で囁くように告げる。

 

「実は、気になる人いるんだよね」

 

「……そうなんだ。松本を振るってことは、よっぽどイケメンなのか、優しいのか」

 

「さぁー、どうなのかな。イケメンかもしれないし、優しいかもしれないし」

 

 耳元にかかる息がくすぐったい。笹原が離れてから垣村が彼女を見ると……悪戯が成功した子供のように、無邪気そうな顔で笑っている。

 

(……これで自分に気があるんじゃないかと思ったら、負けなんだよなぁ)

 

 トップカーストはそれなりに人との距離を詰めたがる。椅子しかり、電車しかり。だからこの行動もきっと、彼女にとってはなんの意味もない普通のことなんだろう。自分に言い聞かせるように、数回心の中で呟く。驕るな、と。

 

 彼女がどういう人間なのか、それなりに知っているはずだ。自分に可能性がないことくらいわかるものだろう。ただの友人、園村と同じようなものだ。そんな彼女と、沈黙が苦にならず、時折話す内容が実のないことであっても、塾の時間ギリギリまで話してしまったのは……それなりに関わって、互いを知ることができたという証なのだろう。




垣村サイドの書きやすさよ。

それと……ひとつ言っておきます。私は普段人間とバケモノの心や差異について書き表すクトゥルフものを書く、クトゥルフ作家です。
そんな私がヒューマンドラマを描く。当然……私は自分なりにえげつないものを書きますよ。誰もそんなこと書かないだろう、と思えるようなものを。
終わりはもうすぐです。


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21話目 悪意のない言葉

 笹原は夏休みに入る前よりも、かなり意識的に垣村を見るようになっていた。教室に入る時、お弁当を食べている時、帰る時。些細な暇があれば、違和感のないように視線だけを彼に向けている。ほとんど無意識的に。目が合いそうになれば、見ている自分に気づいて背けてしまう。そして羞恥で体に熱がこもり始め、夏の暑さだと誤魔化すように手で扇ぐ。

 

 学校が始まって初日から、垣村と一緒にいられる機会が巡ってきた。塾までの時間を一緒に過ごして、あの懐かしいゆったりとした時間を堪能する。

 

 少しずつ、彼に意識してもらえるように。少しでも、彼が見てくれるように。不意に手を触ってみたり、顔を近づけてみたり。恥ずかしいけれども、それでも近寄っていかないといけない。花火の時に見た、あの女の子。普通花火を見るのに異性の友だちと二人っきりで、そういった感情を持たないはずがない。彼女もきっと気づいている。垣村の良さとか、そういうものを。

 

 取られたくない。垣村が他の女の子と一緒にいると考えるだけで胸が苦しくなる。だからこそもっと積極的にいかなくてはいけない。翌日になり、帰りのホームルーム中に垣村のいる下りのホームにでも向かおうかと考えていた。教壇に立ったまま話をしている先生の言葉を聞き流し、ルーム長の号令で学校は終わる。放課後になった途端、生徒たちはすぐにざわめきたった。

 

 荷物をまとめる振りをして、後ろの方に視線を向ける。窓際の席では、垣村が西園に話しかけられていた。

 

「唯ちゃん」

 

「っ、な、なに紗綾?」

 

「この後さ、ちょっと時間ある?」

 

 不意に近づいてきた紗綾に話しかけられて戸惑ったものの、笹原は「大丈夫だよ」と返事をする。彼女は今日部活が休みらしい。下りのホームに行くのは難しそうだな、と笹原が考える中で……紗綾は困ったように苦々しく笑っていた。

 

 彼女の言うこの後、というのはそれなりに時間が経ってからのことだった。笹原と紗綾、彩香だけが教室の中に残されている。その時間になるまで他愛のない話で盛り上がっていたのだが、誰もいなくなったことを紗綾が確認すると、おもむろに話を切り出した。

 

「ねぇ唯ちゃん。昨日いろいろなSNSで同じような投稿があったんだけどね……」

 

「なに、なんかあったの?」

 

「その、これなんだけど……」

 

 紗綾が見せてきたのは、広く普及している鳥のマークのSNSだ。投稿主は、おそらくサブアカウントだろう。画像も何も設定されておらず、名前も名無しになっている。そのアカウントが投稿していたのは、写真だった。一枚ではなく、何枚も。それらに写っているのは全て同じ人物。

 

「これ、唯ちゃんと垣村君だよね?」

 

 その光景は間違いなく、昨日垣村と一緒に遊んでいた笹原の写真だ。画像だけの投稿ではない。複数ある投稿の全てにつらつらと恨み言のような言葉が綴られている。二年E組の笹原 唯香は陰キャと付き合っている。金でも払ってもらったのか。随分と不釣り合いだ。なんて言葉は序の口で、後の方になると事実無根な悪口に変わっていく。そこに送られてくるコメントも、とてもじゃないが良いものではない。

 

「えっ、なにこれ……」

 

「ウチの学校の人、けっこう拡散してるみたいだよ。男子のやっかみじゃないの? てか、写真撮ってるやつストーカーかよ、怖っ」

 

「多分、彩香の言う通りだと思う。それで、なんだけどさ……唯ちゃんって垣村君と付き合ってるの?」

 

 まさかこんな事態になっているとは、笹原は思いもしなかった。確かに学校が早帰りで、生徒も多くいたことだろう。見られていてもおかしくはない。それに彩香の言っていた通り、男子からのやっかみとなると心当たりもある。松本がやらないとも限らないし、打ち上げの帰りに会ったあの男かもしれない。どちらにしても証拠はないし、どうにもできない。

 

(垣村と付き合っているわけじゃない……けど、どう言えばいいんだろう)

 

 正直に全てを話すなんてことはできない。垣村とよく一緒に遊ぶような仲だと知られたら、彼女たちはなんて思うだろう。サバサバした彩香ならば、キモいと言うかもしれない。紗綾も微妙な顔を浮べることだろう。それくらい、垣村は下に見られるような生徒だった。そんなことを、今更再認識してしまう。話してみれば、一緒に過ごしてみればそんなことはないとわかるはずなのに。

 

(見た目、だけで……)

 

 見た目だけ。だが、自分もそうだったじゃないか。もし仮に立場が違ったら。垣村のことを何も知らず、紗綾が一緒にいたとしたら。きっと、マジかぁ、垣村かよ。なんて笑ってしまうかもしれない。

 

(どう、言えば……)

 

 この状況を、どうすればいいのか。苦しくなって口から漏れ出た言葉は……。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 学校が始まってしまうと、夏休みが恋しくなる。放課後までの長い時間を過ごし、ようやく終わりを迎える。今日はさっさと帰って作曲の続きでもしようかと思っていた垣村だったが、放課後になった直後に西園が右手に冊子を持ちながら近づいてきた。

 

「志音ー、一緒に日直のこれ返しに行こうぜー」

 

「しょうがないなぁ」

 

「よっしゃー。なんか進路希望の紙出して説教くらったから、職員室行きづらいんだよねー」

 

「完全に自業自得じゃん」

 

「まぁまぁ、そう言わずにー」

 

 柔らかい笑みを浮かべている西園に、垣村も笑い返す。最近笑顔が増えてきたような気がした。きっと少しは変われているということなんだろう。そんなちょっとした実感を感じつつ、荷物をまとめて職員室へと向かう。

 

 夏休みが終わったからと言って、西園は何が変わったとかはなかった。いつも通り、へらへらとした顔のままだ。前までは呑気なやつだと思っていたが、今となってはそうは思えない。垣村も西園も、将来に不安を持つもの同士であり、彼は模倣という手段で地盤を固めていこうとしているだけだ。怖いから新しいことに挑戦しない。既存のものを真似ていく。それもまた、ひとつの手ではあるのだろう。そこに進化があるのかはわからないが、それはきっと彼が自分で歩みだした時に掴んでいくものなはずだ。

 

「んじゃ、欠席とかのやつ書いといてー」

 

「ん、わかった」

 

 西園は職員室へと入っていき、垣村はすぐ近くにある黒板に欠席人数を書き込んでいく。書き終わるのと西園が出てくるタイミングは、そうズレてはいなかった。「んじゃ、帰るかー」という彼に返事をして、昇降口に向けて歩いていく。その途中で窓の外を見た時、運動しているテニス部の姿が見えた。声を出して玉を打ち返し、走って追いかける。短いスカートのような練習服が目につく。ついつい目で追ってしまうのも、男の(さが)だろう。西園も同じように外に目を向けていた。

 

「いやー、暑っついのによくやるよねぇ。にしても、あれスカートなんかな。見えそうじゃない?」

 

「ひらひらしてるけど、ちゃんとズボンだと思うよ」

 

「んー、ロマンのありそうな服だよなぁアレ」

 

「短さだったらバレーのも同じくらいだと思う」

 

「バレーなー。確かにアレも短いよなー」

 

 歩きながら女子テニス部を見ている変態二人。あまり長々としていると苦情を言われそうなので、そっと目を逸らす。けれども二人の会話内容は完全にそっち方面へと流れていってしまった。

 

「そーいやさー、剣道って下なにも履かないんだってー」

 

「着物の下って何も着ないらしいからね」

 

「エロくない?」

 

「まぁ確かに」

 

「今度ちょっくら稽古の風景見てこよっかなー」

 

「男も混じってるんだけどね……てか、女子って確か少ないでしょ」

 

 剣道部に女子生徒は少なかった記憶がある。それを聞いて西園は「そっかー、男の比率が高いかー」と特に残念な様子を見せずに答えた。本気で見に行こうとは思っていなかったらしい。これで見に行くと言い出したら、流石に垣村も呆れた目をするしかなかったが。

 

 西園はまだ思春期の男子高校生らしい話をやめるつもりはないらしく「野球ガールもいいよなー」と言い始めた。あいにく、垣村にはスポーツ少女の良さというものが彼ほど理解できてはいない。頭の中で良いなぁと思い浮かぶ構図というのは、ヘッドホンを首にかけ、ちょっとキツめの目で睨みつけるように見てくる女の子だ。ポケットに手を突っ込んでいたら、なかなかグッとくるものがある。残念ながら西園には「んー、強気な女の子は苦手かなー」と共感は得られなかった。

 

「けど、志音の理想図がそんな女の子とは……おや、もしかして気になる子とかできちゃった感じ? まさかの傘関係が続いてる感じですかー?」

 

「傘関係って何さ……」

 

「まぁまぁ。確かに笹原さんってキツそうな見た目だもんなぁー。わりと志音の性癖どストライクだったりする?」

 

「だから、別に俺はなんとも……!!」

 

「わかってる、皆まで言うな……。人気者の松本を振った笹原さん。その視線の先にいたのは全く交流のなかった同級生。ザッ、ラブコメディー」

 

「本当、庄司さんに似てるな……引っ叩きたくなってきた」

 

 そのノリは時折人をイラつかせる。西園が笑っているものだから、ついつい許してしまいがちだが。それすらも計算に入れた態度だというのなら、それはもう流石だと言うしかない。普段の庄司や西園を知っている人ならば、こんなへらへらした笑みをしているというだけで、いつものことかと許してしまいたくなる。ずるい。まして顔が整っている方なのだから、より一層。

 

「……あっ、ごめん忘れ物したかも」

 

「何忘れたのー?」

 

「今日出された英語の課題」

 

「明日ないのに真面目だねー。ちゃちゃっと取り行っちゃうかー」

 

 ふと思い出し、垣村と西園は自分たちの教室がある三階に向かう。上に向かえば向かうほど、吹奏楽部の演奏が華やかになってくる。演奏している曲はどこか聞いたことがあるものだ。映画か何かでやっていたものだろう。不思議と気分を後押しさせるような、高揚感のある曲だった。

 

 そんな音と共に自分たちの教室へと向かう。まだ時間も早いというのに、扉は閉め切っていた。施錠されるには早い時間だ。西園に顔を向けると「開いてなかったらしゃーないなー」と、元から課題などやる気はありませんよとでも言いたげに返してきた。まったく仕方のないやつだと思いつつ、垣村は扉に手をかけようとして、動きが止まる。吹奏楽部の演奏に紛れて、中からは小さな話し声が聞こえてくるのだ。

 

「誰か残ってるのかな?」

 

「んー、扉閉まってるし告白系かなー。ガラッと行くには勇気がいるねぇ」

 

「様子を聞いてみて、入っても大丈夫そうなら行こうか」

 

「立ち聞きかー」

 

「仕方ないでしょ」

 

 扉から離れて、教室の壁側に背中を預ける。意識して聞けばなんとか耳に届くような声量だ。その声質からして女子生徒、おそらくトップカーストのあの三人だろうとは予想がついた。中に笹原がいる。こんな立ち聞きを見られてしまったら、少しばかり軽蔑されそうだ。けれども、笹原がいるとなっては入るのにも躊躇いが増してしまう。

 

 他愛のない話のようだったが、途中から話の雲行きが怪しくなっていった。女子生徒の言うことには、昨日の垣村と笹原が一緒にいる写真が撮られていたらしい。SNSを確認すると、確かに見つけることができた。垣村を誹謗中傷する言葉の羅列に、思わず指が震える。隣で覗き込む西園も、いい顔は浮かべていない。

 

「唯ちゃんって垣村君と付き合ってるの?」

 

 その言葉が聞こえた途端、心臓が締め付けられる感覚に陥る。西園も携帯を覗くのをやめて、壁に頭を押しつけるようにして耳を澄ました。

 

(付き合ってるわけじゃない。嘘を言うわけじゃないし、別になんと言われようが……)

 

 どうでもいいと思う反面、どこか期待するような感情もある。肯定的な言葉が出てこないかな、と。そんなこと、ありえるわけがないと知っているはずなのに。そう期待してしまうのは、きっと昨日関わり過ぎたせいだ。心を落ち着かせるように、誰にも聞こえないくらい小さく息を吐いていく。壁越しに心臓の音が響いているんじゃないか、と不安になった。

 

「私は、垣村と付き合ってないよ」

 

(……まぁ、当然か)

 

 少しばかりの落胆。けれども当然の答えだ。この雰囲気では中に入るなんて無理だろう。西園に目線で帰ろうと伝えようとしたところで、話がまだ続くらしい言葉のやり取りが聞こえてきた。

 

「でも、二人っきりで写ってるし。普通一緒にいる? しかも垣村と」

 

(……傷つくってもんじゃないぞ、これ)

 

 社交的でなく、排他的。顔も良くない。であれば、妥当な評価なのだろう。せめて陰口ならばよかったが、知ってしまえばもう妄想では終わらない。これからも日々、彼女たちが笑っているだけで自分を貶しているのだと思い込んでしまう。事実を覆すのは、無理なことだ。苦々しく顔を歪める垣村と、気まずそうに頭を掻く西園。彼女たちのやり取りは終わらない。

 

「別に偶然だって。たまたま同じ電車だったからちょっかいかけただけだし」

 

「ちょっかいかけたって、カラオケまで一緒だったらしいじゃん。普通二人っきりでカラオケまで行く?」

 

「だから違うんだって。偶然、本当にちょっとした気の迷い」

 

 これはもうとっとと帰った方がいいんじゃないか。そう思う垣村だが、足は床とくっついてしまったかのように動かない。心臓だけがひとりでに暴れ回る。握りしめた拳の代わりに壁を殴るかのように、脈拍が壁を伝っていく。

 

「あぁもう、違うって言ってんじゃん。垣村なんかと好んで遊ぶように見えるの?」

 

(……垣村なんか、か)

 

 力強く握りしめていたはずの拳がゆっくりと半開きになる。そのまま地面に座り込みそうになるのを、笑っている膝で必死に我慢した。そんな満身創痍の垣村にトドメを刺すかのように、壁一枚向こう側から響く悪意ない陰口が襲いかかる。

 

「それもそっか。てゆーかこの写真どうすんの。垣村と一緒の写真かなり広まってるし」

 

「一応通報してあるよ。でも……簡単には消えないだろうね。何か言ってくる人とかいるんじゃない?」

 

「今言ったみたいに説明すればいいだけでしょ。ただの偶然。私が垣村なんかと一緒に遊ぶわけがないって。話しかけたらすぐオドオドするし、目なんか合わないし」

 

「うわ、想像できるわそれ。そんなんやられたら絶対笑っちゃうし」

 

 彼女に悪意はない。そうわかっている。いや、本当にそうなのか。今話しているのは、本音なのか。出任せなのか。それすらも判断できなくなるほどに、垣村の思考はぐちゃぐちゃにかき混ざる。まともな思考なんてものはできない。全てがマイナス方面へと向かいつつある。

 

 震え始める体。そんな彼の腕を掴んで、引きずるようにその場から連れ出したのは西園だった。掴まれている部分が痛むほど、彼は力を込めている。その痛みの甲斐あってか、階段を降り始める頃には周りをしっかりと認識できるようになっていた。

 

「西園、ちょっと痛い」

 

「あっ……悪い。って、そうじゃなくてさ。アイツら一体何様のつもりだよ」

 

「……悪気は、きっとないんだよ」

 

「そりゃないに決まってるよ。その行為を悪いって思ってないんだから」

 

 西園も怒っているのか、擬態が剥がれている。自分のために怒ってくれているのか。そう考えると、少しだけ心が落ち着くような気がした。

 

 踊り場まで降りてきて、手すりに背中を預ける。ほんの数秒、二人の間には沈黙が流れた。それを断ち切るように口を開いたのは、垣村の方だ。

 

「仕方がないことなんだよ。だってほら、俺こんなんだから。笹原さんだって、口からの出任せだよ」

 

「あんなこと言ってたのに? 志音、お前少しは落ち着いて考えてみろよ」

 

「落ち着いてる。ちゃんと考えてるよ。それでも……出任せだって、思いたいんだ。だって知ってるから」

 

「何を」

 

「笹原さんが、どんな女の子なのか」

 

 周りの目を気にするタイプ。周りから置いていかれないように、合わせようとするタイプ。確かに垣村のことを格好いいとは思っていないかもしれない。けれども、垣村は知っている。彼女が汗水垂らして、約束を守ろうとしてくれたこと。自分が作った曲を褒めてくれたこと。カラオケで歌っても、馬鹿にせず笑ってくれたこと。

 

 それら全て、彼女と関わったからこそわかったことだ。関わらなければ、彼女の言葉が真であることを疑わなかっただろう。垣村は、彼女の言葉が偽であることを信じたかったのだ。

 

「……例え、お前がそう思っていたとしても」

 

 隣にいる西園の顔は、笑っていない。彼は真剣だった。庄司が真面目に話を聞いてくれている時のように。彼はちゃんと垣村を見据えて話してくれている。だからこそ……その言葉が、重くのしかかってきた。

 

「アイツは、お前と一緒にいることを恥だと思っている奴なんだぞ」

 

「ッ………」

 

「だから言い訳なんかするんだろ。だから、否定するんだろ。お前と一緒にいるのを、誰かに見られるのが嫌だから。恥で、汚点だと思うからッ……」

 

「だって俺は、格好よくない……」

 

「お前の責任じゃないだろ! アイツに非はなくて、自分は傷ついてないからどうでもいいとでも言いたいのかよ!」

 

 彼の静かに怒鳴る声が階段に響く。笹原たちに聞こえないように配慮してくれているのだろう。吹奏楽部の演奏もあって、その声は近くにいなければ校内のざわめきの一つとしか思えない。

 

 隣にいた西園は、気がつけば垣村と向かい合うように立っていた。彼の顔を直視することができない。俯き、目を逸らす。事実や現実から目を背けるように。

 

「別に、俺は……」

 

「なんとも思っていないだなんて、嘘だ。本当にそう思ってるなら……そんなに、泣きそうな顔するなよ」

 

「……ごめん」

 

 その言葉を口にしたらもう、何も言えなくなってしまった。垣村の口からは言葉はもう出てこない。奥歯を噛み締め、瞬きを堪える。そんな震える彼を、西園は何も言わずに見守っていた。

 

「……なぁ、志音。思っているだけならまだしも、口に出してしまえばそれはもう事実なんだよ」

 

 流れ続ける音楽に消えてしまいそうな、微かな声だった。

 

「俺は、アイツのこと嫌いになったよ」

 

「……悪い人じゃ、ないんだよ」

 

「だとしても、言葉ってそういうものだから」

 

 正面に立っていた西園は、また垣村の隣に移動する。互いに顔を見合わず、身を包み込む音楽にかき消されそうな声で会話をする。顔を見なければ真意は伝えられないかもしれない。けれど、見ない方が本音を言えることもある。正面切って伝えるのが恥ずかしいものは、特に。

 

「俺は志音と一緒にいても、恥だともなんとも思わないよ」

 

「……ありがとう」

 

 彼は「おう」と小さく返事をする。そして数歩、下りの階段に向けて歩みを進めてから振り向いた。そこには先程までの彼はいない。けれども、今までの彼もいない。優しく微笑む、彼の姿は初めて見るものだった。

 

「クレープでも買って帰ろうか」

 

「……そうするよ」

 

 笑うことはできずとも、零れそうになる涙を拭って着いていくことはできる。もう生徒も見かけない廊下を二人揃って歩いていく。外から聞こえてくる野球部の声。テニス部のボールを打つ音。吹奏楽部の演奏。生きているだけでいろいろな音が溢れている。それら全てがそれぞれ独立するように生きていて、そんな音を聞きながら歩く自分たちはまるで世界から取り除かれたような、そんな気持ちになる。

 

「……最終的にどうするのか決めるのは、自分だよ」

 

「そう、だね」

 

「俺がどう思っていようが、志音が決めることだから。けどまぁ……相談くらいは乗るよ」

 

「……ありがとう」

 

「ん。友だちって、きっとこういうものだろうしねー」

 

 照れくさそうに笑う彼に、垣村も頑張って微笑み返す。少しだけ気が楽になった気がしていた。

 

 けれども、垣村は心の中でずっと悩み続ける。真偽がどうの、という話だけではない。西園が言ったように、言葉にしてしまえばそれはもう覆らない事実だ。本人がどう言おうが、受け取り手の解釈次第になってしまう。例え本人が嘘だと言っても、受け手が信じられなければそこまでだ。

 

 悪意のない行動なんてものは、探してみれば腐るほど見つかる。本人がそれを悪だと思っていないのなら、殊更凶悪なものと化す。謂れのない罪、偏見、決めつけ。トップカーストはそういったものを息を吐くように行う輩だと、垣村は思っていた。だから関わり合いたくなかったはずなのに、気づけばこうだ。これから先、笹原とどのように接すればいいのか。彼には何も決められはしなかった。



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22話目 笹原と西園

いや、あの……ここ数日ですごい伸びたんです。
日間ランキングにも載りまして、本当にありがたい限りです。指が震えて上手く書けないくらい嬉しかったのですが、そんな時に限って笹原サイドです。
文章の書き方とか怪しいかもしれません。


 憂鬱で、モヤモヤとして、心臓が痛い。学校が始まってすぐに、垣村と一緒にいる写真がネットで拡散された。別にそれはどうだっていい。自分で説明すればいいだけの事だ。尋ねてくる人全てに、笹原は垣村なんかと付き合っていないと答える。その答えを聞いて、確かにそうだよなと笑う人が多かった。その事実に、唖然となる。確かに差はあるだろうと思っていて、それでも縮まることがあるんじゃないかと希望的観測を持っていた。

 

 だというのに、尋ねる人は誰もが垣村を見下していた。笹原と垣村との間にある壁は、彼女が思っているよりも高く、また周りの人は垣村のことを見向きもしない。

 

 けれど、それでもいいのかもしれないと笹原は思ってしまった。なにせ、敵がいなくなる。今のところ垣村に近づこうとしているのは、花火大会で見かけたあの女の子だけなのだから。

 

 周りの人が、彼を見なくていい。そう思っていた笹原は……二日後には違和感を覚え始めていた。垣村と目が合いそうにならない。それどころか、見られてすらいないようだった。駅のホームで彼に問いただそうとしても、彼はいつもの場所にはいない。メッセージを送ってみても、『少し忙しくなるから先の電車に乗る』と返された。

 

 端の席に誰も座っていない、日陰の椅子。そこで、ぽつんと一人で座っている。嫌な虚しさだけが心を埋め尽くそうとしていた。イヤホンを取り出して、両耳につける。音楽だけが流れる世界。目を閉じて、思い出す。隣にいた彼のことを。

 

(……これで、良かったのかな。また写真撮られるかもしれないし)

 

 あれほど拡散されていたのだ。垣村も知っているはず。だから彼は離れたのだ。これ以上面倒ごとにならないように、と。そもそも犯人が誰なのかすらわかっていない。そんな状態で、彼と一緒にいたら噂が信憑性を帯びるだけだ。だから、この状況は間違っていない。

 

 笹原は何度も自分に言い聞かせる。けれども……彼女の心はそれを許容できなかった。日に日に増す、痛み。離れた場所から見ているだけで、話すことすらできない。挨拶すらまともに交わせない。歯痒いなんてものではなかった。

 

 次の週になっても、垣村の視線は感じない。それどころか、露骨に視線を逸らそうとしているように見えた。何か、嫌われるようなことでもしたのではないか。それを聞きたくても、この距離ではどうしようもない。彼は接触を拒み、笹原は周りの目に縛られる。

 

 話したいのに、本当につまらないことでもいいから、言葉を交わしたいのに。ただそれだけのことなのに。笹原と垣村が交流するという事象を、周りが認めてくれない。

 

(……どうすればいいの)

 

 頭を悩ませ、放課後になる。授業の内容なんてロクに入ってこないくせに、休み時間の垣村と西園の会話は耳に届いてくる。彼の声が聞こえて、それだけで胸が苦しくなった。

 

(……西園なら、何か知ってるのかな)

 

 いつも一緒にいる彼ならば。思いついてしまえば、もう行動に移す他なかった。帰宅部や部活のない生徒でごった返す駐輪場に行き、帰っていく生徒たちを携帯をいじりながら見ていく。私は何もしていませんよ、と思わせるように歩きつつ、彼女は自分のクラスのスペースにある自転車を片っ端から見ていき、西園の名前を探し出した。

 

 そして彼の自転車の近くで待つこと十分程。斜めがけのカバンを揺らしながら歩く、西園の姿らしきものが見え始める。遠くから見ている間は、彼の表情はどこか柔らかい笑みを浮かべているようにも見えた。しかし彼が近づいてきて、笹原のことを認識した瞬間にその顔は消え失せる。いつもの彼は、そこにはいなかった。

 

 目の前までやってきても、まるで笹原を無視するかのように自分の自転車に手を伸ばす。籠にカバンを無理やり突っ込んで、鍵を開けようとする彼の背中に、笹原は声をなげかけた。

 

「西園、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

 

「んー、笹原さんが俺に?」

 

「そう、なんだけど……」

 

 振り向いた彼の表情は、いつものだった。へらへらとした軽い笑みを浮かべる彼の顔。けれども細められた目は一切笑っていない。鋭く睨みつける眼光は、まるで鬱陶しいと告げているかのようで、思わず息が詰まってしまう。

 

(……私が、何かしたんだ)

 

 自分が何かしてしまい、垣村と西園の両方から距離を置かれている。そう確信できてしまった。けれども……いや、だからこそ。ここで彼に尋ねなくてはならない。

 

 全身が強ばるような緊張感に襲われながらも、笹原は彼の目を見据えて続きの言葉を発した。

 

「SNSに載ってた写真のこと、知ってる?」

 

「あぁー、アレね。もちろん知ってるよー」

 

「実は、その……そのことで、垣村とも話したくて。でも最近避けられてる気がしてさ。西園の方から、なんとかならないかな」

 

「んー、どうしよっかなぁー」

 

「垣村に、伝えてくれるだけでいいから」

 

 どうか、お願い。そう懇願する笹原の姿を、西園は冷えた目で見つめる。庄司ならば、きっとまだその態度を出さないだろう。限界まで話を聞いて、それでふとした拍子に己の意志を表に出す。けれども西園は、まだそこまで成長できている訳ではない。先程から漏れ出ている不快感は、彼がまだ子どもらしさを持っているという証。否、それこそが西園 翔多という男の子らしさなのだろう。

 

「……笹原さんは、傘を渡してきた時も俺と面識はなかったはずだよね」

 

「……えっ?」

 

「名前だけ知ってるクラスメイトって間柄だったはず。話したこともないし、連絡先の交換もしてない」

 

 自転車に体重をかけるように背中を預け、ハンドルを片手で支えながら姿勢を保つ。傍から見れば、だらしがなさそうな態度のように見える。けれども彼の目の前にいる笹原には、それが見下されているのだと思えてしまった。

 

「そんな俺には話しかけるのに、志音には話しかけない。何が違うの。俺と、アイツにどんな差異があるの。顔、性格、態度? それとも、目に見えもしないくだらないカーストってやつ?」

 

「いや……それ、は……」

 

 返事に困る。言葉がつっかえて出てこない。いや、そんな話をしに来たのではない。笹原は話を戻そうと思っても、目の前にいる彼の豹変ぶりに戸惑い、瞬きひとつできないでいた。

 

 縛られて動けなくなったような彼女を見て、西園は落胆したように息を漏らす。結局はそういうことなんだろう、と。

 

「大変だっただろうねぇ。垣村"なんか"と一緒に写真に写っちゃって」

 

「ぁ……いや、違っ……まさか、聞いてたの……?」

 

「んー、どうだろうねぇ。どの道教える気もないし。志音の外見を貶して、その在り方を見下して、笑いながら言えちゃうような人なんてさー」

 

 細めた目が、嘲笑するように歪む口が、その腑抜けたようにも見える態度が、まるで犯した罪を裁く閻魔のように見える。嘘をついた舌を抜き去るが如く、灼熱の地獄に叩き落とすように、彼女から言葉を奪い去り、心の内に芽生えた罪悪感を燃え滾らせた。

 

「どーでもいいんだよねー」

 

 関心なし。興味の喪失。関係の根絶。明確に、西園は彼女を拒絶したのだ。

 

 あぁ、なんてことをしてしまったのか。そんな後悔をしようが、時既に遅し。彼女はもう口にしてしまったのだ。知っていながら、彼を貶し、蔑み、共にいることを汚点だと恥じてしまった。それが例え、出任せであったとしても。周りを納得させるためだけの、上辺だけのものだったとしても。彼女は思ってしまっていたのだ。垣村と一緒に歩いているところを見られ、垣村なんかと一緒にいるという事実をからかわれるのが嫌だった。

 

「じゃあ俺は行くけどさー、志音待たせてるし」

 

「っ……ぁ……」

 

 待って。そう言おうにも、言葉は声にならない。遠慮がちに伸ばした手だけが、何も掴むことなく下ろされる。

 

 自転車の鍵を開けて、西園はその場から少し離れていく。動く気配のない笹原の様子に、彼は立ち止まった。本当に、どうでもいいと思っているのだ。けれども足を止めてしまったのは、違うとわかっているから。

 

 何が違うのか。その比較対象は、彼にとってひとつしかない。背中を向けたまま、誰に言うでもなく呟くように告げた。

 

「誠意ってもんを見せなよ。志音のことちゃんと考えてるならさ」

 

「っ……」

 

「……自分のやりたいようにできないのは、嫌だよねー。そんな立場になって、そんな友だちに囲まれちゃったら、おしまいだなー」

 

 きっと庄司ならばこうするだろう。たったそれだけの理由だ。自分のやりたいことをやれるように、西園は垣村と一緒にいる。都合がいいとも言えるのかもしれない。それでも、他の男の友人らしきものとはまた違う。

 

 他の人を指さして、アレは友人かと問われたら西園は、まぁそうだねーと曖昧に言葉を濁すだろう。

 

 垣村を指さして、アレは友人かと問われたら、その言葉に笑いながら頷き、そうだよと返すだろう。そんな間柄だった。

 

「……誠意って」

 

 遠ざかっていく自転車を見ながら、消えてしまいそうな声で呟く。駐輪スペースの日陰にいるはずなのに、汗が止まらない。心臓はもはやペースを落とすということを知らず、胃の中身がせり上がってきそうになる。

 

(……今日は、木曜日で、垣村がホームにいる日で……)

 

 誠意とは何か。それすらもまともに考えられない。ただ、彼に会わなくては。それだけを考えていた。

 

 その場から覚束無い足取りで笹原は歩き出す。日差しを浴びてよろめくように歩く彼女の姿は、まるで熱中症になってしまったかのよう。それでも足を止めずに、駅へと向かう。

 

 けれども、いつもの場所にはやはり垣村はいなかった。

 

(どうしよう……どうしたらいいの……)

 

 いつもの場所ではなく、垣村の座っていた椅子に座ってみる。イヤホンをつけ、また目を閉じる。そこには温もりなんてものは当然なく、無機質な椅子の冷たさだけがあった。

 

 垣村。いつからか、頭から離れなくなってしまった人。そう、初めて認識しあった時から、酷い仕打ちをしてしまった。けれども、そんな笹原に向けて彼が言った言葉が頭をよぎる。

 

『許せない。けれどそのうち、気にならなくなることはあるかもしれない』

 

 打ち上げの帰りに、彼が言ったその言葉。結局は、謝るしかない。西園の言ったように、誠意を持って。けれども、後一歩足りない。足が踏み出せない。一言メッセージを送ることさえも、躊躇ってしまう。

 

 言葉は透明な弾丸だ。放ったことさえも自覚せず、その流れ弾に当たってしまった人は傷つくなんてものでは済まされない。笹原が言葉で彼を傷つけたように、西園によって精神的に打ちのめされていた。

 

 どうにかして会わなくてはならないのに。伝えなくてはいけないのに。結局笹原には、金曜日になっても話しかけることさえできず、向けた視線は西園の冷徹な目で諌められ、苦痛ばかりが募っていった。

 

 そんな不安定な彼女の思考は、段々と脆く愚かになりつつある。会いたいのならば、連絡を取ればいい。けれどそれが怖くてできない。無視されてしまったらと思えば、指は震えてしまう。だから……探したのだ。それはもう、自分以外の何者かに縋るように。どうにかして欲しいと、自分以外の何者かに願っていた。

 

 わざわざ土曜に彼の通う塾がある駅に向かい、ぼんやりと人を眺めながら時間を潰す。けれども、見つけることはできなかった。諦めたらいいものを、家で何もせずに過ごしているだけで吐きそうになるのだ。逃げ場がなく、闇雲に探すことでしか、心を安定させることができなかった。

 

(……あれ、は)

 

 もう空が暗くなりつつある。そんな時間帯に、公園を歩く二人の後ろ姿を見つけてしまった。それは間違いなく、垣村であり、その隣を歩いているのは花火大会の日に見たあの女の子だ。近寄り難い。足が棒のようになり、その場で立ち竦む。笹原の目尻に、涙が溜まり始めた。

 

(見つけ、られたのに……)

 

 視線の先にいる二人。どうしようもなく、胸が痛む。謝りたくて、また話をしたくて。あぁ、それどころか……あの二人の仲を引き裂きたいとすら思えてくる。

 

 もうボロボロだった。自分のしでかした罪を、償いたい。そしてまた、あのゆったりとした時間を取り戻したい。できることならば……ずっと。

 

 目の前を歩く二人の後ろ姿を追うように、笹原は歩き出していた。涙を拭い二人を見つめるその瞳は、ただただ必死そうに鈍く輝いている。

 

「垣村っ!!」

 

 叫ぶ。そして、彼が振り向く。どうしてここに、とでも言いたげに驚いていた。そして、その隣にいた女の子も。

 

「……笹原」

 

 名前を呼んでくれたのは、彼ではない。隣にいる眼鏡をかけた女の子だった。苛立たしそうに睨みつけてくる。怒気を孕んでいるその声に……どうしてか、聞き覚えがあった。




さて……多分次回、私が一番書きたかったシーンになりますかね。
お気に入りや評価、感想をくださった方、本当にありがとうございます。作者の励みになりました。


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23話目 過去の罪

ここ一週間、毎日徹夜して朝の8時や10時に寝て、9時や11時半に起きるストレスフルな生活を送っていました。一週間が期日の課題量じゃない。
愚痴はともかく、書き方すら忘れてしまいました。拙い文かもしれませんが……今回長めに書いたので、どうか読んでもらえると嬉しいです。


 他人から向けられる視線というのに、垣村はあまりいい印象を持っていなかった。なにしろ、彼にとって向けられる視線や感情というものはそれ程よいものではなく、基本的には見下されているように思えるものばかりだ。

 

 しかしトップカーストによる陰口の件があって以降、自分に向けられている視線の数が増えたように感じていた。いや事実、増えていたのだ。なにしろ笹原はそれなりに人気もある女子生徒であり、そんな人と垣村が一緒にいる写真が拡散されたとなれば、学生にとっては週刊誌の一面を飾る芸能人のスクープのようなもの。いわば、文集砲だ。

 

 そんな状況で学校生活を今までのように送れるわけがなかった。どこに行くにも、アレが垣村かという視線を向けられる。校内の生徒たちの注目の的になっていた。

 

 精神的にくるものもある。前よりも音量を上げて、イヤホンで世界を遮断するように校内を歩く。そして教室でもいつものように、垣村は腕を枕にして顔を隠した。周りの視線から逃れるためだけでなく……笹原の視線からも逃れたかったというのもある。

 

 月曜日には笹原と一緒の時間を過ごさず、またそれ以外の連絡を取ることもない。度々目が合いそうになる学校生活を送っていたが、今となっては明確に見られているのだとわかるほど、彼女は垣村を見てくる。それに応えることは、彼にはできなかったが。

 

 そんな精神的磨耗の続く日々を送って、結局木曜日も笹原と一緒の時間を過ごすことはなく塾へと向かう。気まずいのもあるし、笹原の言葉がそれなりに心に傷を負わせていた。何も知らない他人だったら、これほど傷つくことはなかったのだろう。

 

(……関わるって、いいことばかりじゃない。そんなの、知ってたはずなのに)

 

 関わらなければ相手を知り得ない。だが逆に、知らない相手だからこそ無視できるものもある。垣村は、随分と彼女と一緒の時間を過ごしてしまっていた。短く刹那的な期間であろうとも、その濃さというものが関係をより深くしてしまう。

 

 傘を無理やり渡したあの日。きもいと言われ、心に傷を負った。まさにその古傷が掘り返されているような気分だ。音楽を聴いていても落ち着けない。授業に集中している時はそうでもないのに、終わった途端に思考の隅で意識してしまい、動悸が早くなる。

 

 金曜日になっても、そんな状態が続いていた。心配してくれているのか、休み時間になる度に西園が話しかけてくれる。垣村の机の上に座り、他愛のない話をしてきた。その座る位置のおかげで、笹原が見えなくなる。彼が気づいてやっているのかはわからないが、少なくとも今はそれが嬉しかった。

 

「志音ー、今日もどっか寄って帰ろー」

 

「まぁ……いいけど」

 

「ならバッセンでも行ってみる? 俺ホームラン狙っちゃうかもよー」

 

「場違いだよ、俺には。それと多分打てない」

 

 放課後になって、また西園と遊ぶ約束をする。気を遣ってくれているのだろう。少なくとも、彼と一緒に遊んでいる間は面倒なことを考えずに済む。家に帰れば……また、一人で思い悩んでしまう。どうにも、作曲にも手がつかない状態だった。

 

(……西園?)

 

 話している最中、彼はふと目をそらすことがあった。自然と首を回すように動かす彼の仕草は、彼のことを知っている垣村としては不自然に思えるものだ。二人で話している時は、彼は周りを気にするようなことはなかった。周りを見回すくらいなら、携帯を見ているような性格だったはず。

 

「……どうかしたの?」

 

「んー、いやなんでもないよー」

 

 垣村に向き直った彼の瞳は、優しげに緩んでいる。けれども、振り向く一瞬、確かに細められた彼の目が見えた。心の奥底まで見てきそうな、庄司のような目付き。彼は一体、何を見ていたのか。きっと尋ねても答えてはくれないだろう。

 

 西園の挙動に怪しさを感じていた垣村だったが、手に持つ携帯が震えたことで現実へと意識を戻すことになった。通知には、園村 詩織の名前が表示されている。

 

 彼女とのやり取りも、多少は慣れたものだったが……どうにも文面が普段と違う。連絡する時は明るく挨拶してきたり、顔文字を使ったりする彼女だったが、表示された文にそのようなものは見られない。『明日会えますか?』という一文だけだった。

 

 それを覗き込んで見てきた西園は、怪訝そうに顔を顰めながら尋ねてくる。

 

「女の子のお友だち? いつ知り合ったのさ」

 

「ちょっと前に、ね。色々あってさ」

 

「ふーん、まぁいいけどさー……良い子なの?」

 

「まぁ、そうだね」

 

「最近、女運なさそうな生活送ってるからなー」

 

「心配し過ぎだよ……園村さんは、そういう人じゃない」

 

 どちらかというと、こちら側。言葉にはしなかったが、西園も本人がそこまで言うのならと納得した様子だった。「まぁ楽しみなよー」と笑いながら言う彼に、苦笑いを返す。あまりにも単刀直入な誘いに、どうにも違和感を覚えてしまった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 土曜の塾が終わるのは、空が暗くなり始める頃合いだ。そのあとで園村と会う約束をしていた。正直、気になりすぎて授業の内容がロクに入ってこなかったが。

 

 これから帰るのだろう他校の生徒に紛れて、垣村も塾の外へと向かっていく。入口の窓ガラスの向こうに、既に立って待っている彼女を見つけた。携帯を弄りながら立っている彼女の顔は、どことなく暗く感じる。垣村が扉を開けて外に出ると、彼女はすぐに垣村に気づいて顔を上げた。

 

「園村さん、待たせてごめん」

 

「ううん、さっき来たところだし。それに、塾があったのにごめんね」

 

「それは大丈夫だけど……」

 

 どうにも話しづらい。いつものように明るく、といった雰囲気ではなかった。彼女もそれをわかっているのだろう。垣村の隣にまで歩いてくると、服の袖を引っ張るように掴んできた。

 

「柿P、ちょっと話したいことがあるの。歩きながらでもいいから」

 

「……なら、近くに公園みたいな広場があったはず。そこに行く?」

 

 彼女は静かに頷いて歩き出した。世間話をする、といった空気でもない。若干息苦しく感じつつも、垣村は彼女の隣を歩いていく。

 

 遠くの方からはカラスの鳴き声が響いてくる。橙色の空の大半を雲が隠していて、雲行きが怪しいとはまさにこの事なんだろう、と垣村はひとりでに納得していた。

 

「あのね、柿P」

 

 さほど大きい声ではない。それに、どこか震えているような気もする。自分は彼女に何かしてしまったのか。そんな不安さえも感じ始めた。

 

「SNSにさ、写真……載ってたよね」

 

「あっ……うん。やっぱりけっこう広まってるのかな」

 

「私の学校にまで拡散されてきたからね。結構、嫌なこと書かれてて……あんまり、いい気分にはなれなかったかな」

 

「見た時は、俺もそうだった」

 

 もう消されてしまっているが、あの誹謗中傷の羅列はさすがに看過できないものがある。普段からどんな目で見られているのかもわかったし、周りな人がどんな人間なのか、というのも目に見えてしまった。知りたくはなかったけれど、それでもひとつだけ良いことがあったとするならば……西園が、本当に垣村のことを考えてくれているのだとわかったことだろう。

 

 何事も捉え方は前向きに。庄司に言われた言葉だった。嫌な部分だけじゃない。見つけられたものには、良い部分もある。そう考えることもできるようになっていた。少なくとも、致命傷にならずに済んだのは良かったのだろう。

 

「アレを見た時、正直ちょっと驚いてた。もしかしてさ……あの子が、柿Pが傘を貸したって女の子?」

 

「そう、なるね……」

 

 やはりこの話題は恥ずかしい。垣村はそっと視線を背けて、進む足を早める。塾から公園まではそう遠くなかった。公園とは言うものの、ベンチは苔だらけで座る気にも慣れず、それなりに背の高い雑草が生えている場所だ。あるのも錆びたブランコとシーソーだけ。お粗末な場所だった。おかげで子供一人遊んでいない。けれども、それはむしろ話をするには好都合だった。

 

「あのさ、柿P。私が中学でイジメられてたって話、覚えてるよね」

 

「あぁ、うん」

 

「相手は女子のグループで、随分といろいろやられたよ。まぁ多分、私だけじゃない。それに……あんまり評判良くないんだ、私の中学。最近、自殺したって女の子の話も聞いたし」

 

「自殺って……イジメで?」

 

「そう。学校側は隠したけど……回ってくるものなんだよ、こういうのって」

 

 寂れた公園の真ん中辺りで、二人揃って立ち並ぶ。隣にいる彼女の声に抑揚はあまりなく、物悲しいというよりも怒りを感じさせるものだった。

 

 彼女が言うには、自殺した女の子は強姦まがいの仕打ちを受けたらしい。女子グループにトイレに連れ込まれ、仲間の男に体を触られ。強姦まがい、というのも……遺書にそう書かれていたからだった。指だの、ボールペンだの。正直聞いていて、垣村もいい気分はしない。垣村の中学では、イジメこそあったものの、そこまでのものではなかった。恵まれていたのではなく、園村の学校が腐っていたというだけの話だ。

 

「私は、そこまで酷くはなかったけどさ……やっぱり、イジメって本当に屑のやることだよ。そう思わない、柿P?」

 

「そりゃ……そうだと思うけど」

 

「笑いながら叩いて、罵って、何がしたいんだろうね。それをやって、何か満たされるのかな。柿Pは、私を殴って何か満たせるものがある?」

 

「いや……そんな趣味はないよ。人それぞれなんだと、思うけど……俺は、そんな人になりたくないってずっと思ってたから。きっと、理解はできないと思う」

 

 垣村がそう答えると、掴まれたままだった服の袖がより強く握りしめられた。彼女を見やれば、表情は凍りついているかのように固まっている。口元を薄らと歪ませながら……。

 

「柿Pは、そういう人だよね。うん……知ってたけど、ちょっとだけ安心した」

 

「園村さん……?」

 

「……酷いこと言うかもしれないから、先に謝っておくね。ごめんね、柿P」

 

 園村が垣村のことを正面から見るように、体を向ける。彼女の瞳が揺れ動いているのがわかった。彼女が今から口にする言葉は、それほど彼女にとって大事なことなのだろう。そして、自分にも関わりがある。

 

 早まる心臓を感じながら、彼女の言葉の続きを待つ。「私は……」と言ったところで……二人の時間を壊すかのように、声が響いてきた。

 

「垣村っ!!」

 

 慌てて、声のするほうを向く。そこにいたのは、必死な顔で近寄ってくる笹原だった。最近彼女との仲はうまくいっていない。いろいろと、タイミングが悪いなと困っていたところで、隣から聞こえる声に心臓を掴まれたような錯覚を覚えた。

 

「……笹原」

 

 いつもの彼女からは考えられない、底冷えするような声。思わず同一人物なのかと疑ってしまうほどだ。

 

「園村さん……知ってたの?」

 

「そうだね……でも、ちょうど良かったかも」

 

 何が、ちょうど良いのか。今起きている事態に、垣村はついていけなかった。

 

 笹原は二人のすぐ目の前まで近寄ってくる。何か言われるかと身構えた垣村だったが……思いがけないことに、彼女は園村に向けて軽く頭を下げ、懇願してきた。

 

「お願いっ、垣村と少しだけ話をさせて。本当に、少しだけでいいから……」

 

 必死に頼み込んでくる彼女の姿に、垣村は目を見開いていた。先週色々とあったが……自分と話すためにここまでやってくるのかと、思わずにはいられない。会う約束もしてないのに、塾の時間だって教えていないのに。彼女はきっと、ずっと探していたんじゃないか。

 

 園村に、彼女の話を聞いて欲しいとお願いしようとした垣村だったが……園村は、垣村の袖を握ったまま薄らと笑う。

 

「柿P、いいこと教えてあげる」

 

 今ここで、言うことなのか。そう言いたかったが、垣村の口は動かない。園村の笑う姿に気圧されていたのだ。今までこんな彼女は見た事がなかった。思わず生唾を飲む。

 

「私のこと、中学でイジメてたのはね」

 

 その言葉が聞こえた途端、思わず手を強く握りしめた。いや、嘘だろう……そう思っていても、続く言葉は現実を見せつけてくる。

 

「目の前にいる、笹原 唯香だよ」

 

「……えっ?」

 

 声を上げたのは笹原だった。垣村に至っては、声を上げることすらできない。冷たく笑う彼女が伝えてきた言葉が、真実なのか。

 

 頭を上げて驚いている笹原に目線を送る。けれども彼女は、頷きも否定もしない。困惑した様子で園村のことを見つめていた。

 

「私のこと、覚えてるよね。園村 詩織、あなたの元クラスメイト」

 

「園村って……嘘……」

 

「変わってて、気づかなかった? 不登校の間、あまり食べ物食べれなかったから」

 

 中学までは義務教育だ。不登校は問題ではあるが……それでも彼女は、ちゃんと勉強はしていたらしい。高校だって、頑張って受かったと言っていた。けれども……そうしなくてはならない原因に、笹原が関わっているなんて。

 

 彼女は垣村と視線を合わせようとして、すぐに逸らした。まるで、親に知られたくないことを知られてしまった子供のように。

 

「……柿P。これが、あなたと一緒にいた笹原だよ。私をイジメて楽しんでいた内の一人。あなたが毛嫌いする、トップカーストのイジメっ子」

 

「……本当なの、笹原さん?」

 

「あ……い、や……その、私は……」

 

 彼女は半歩下がって、白黒とする瞳のまま体を縮こまらせる。いつもの元気さの欠けらもない。知られたくなかった。隠し通したかった。そもそも教える気すらなかった。どれなのかはわからないけれど……垣村は、この場で何も言うことはできなかった。

 

「夏休み前に、仲良くなったんだよね。不思議じゃない? 私みたいな、それこそ柿Pだって……彼女たちのイジメの対象に選ばれるんだよ。ずっと、騙されていたんじゃない? SNSだってさ、柿Pの悪口は多かったけど……笹原の悪口って、そんなに多かった?」

 

「……数えてないよ、そんなの」

 

「本当は、あなたを陥れて笑うためだったんじゃないかな。心当たりくらい、あるんじゃない?」

 

「ち、違う! 私は、垣村にそんなこと……」

 

 彼女は否定するも、その声はだんだんと小さくなる。心当たり、と言われると……思い出すのは、あの陰口だろう。けれども、本当にそうだろうか。夏休みに、彼女は汗を流して必死に探しに来たじゃないか。

 

「柿Pの考えてること、私にはわかるよ。けどね……」

 

 そんな垣村の考えを、打ち壊すように彼女は言う。

 

「過去は消えないよ。彼女は、私だけじゃなく、もっとたくさんの人をイジメてたんだよ。思い出で美化するの、やめよう? どうやっても……彼女の過去は、事実なんだから」

 

(……事実、なんだろうけれど)

 

 何も言えない。垣村は中学時代の笹原を知らないから、思い出で美化できる。けれども彼女はそうではない。被害者であり、思い出も何もない。そして高校の彼女も知らない。いや、もしかしたら笹原はまだ、高校で何かやっている可能性だってある。

 

 今までいろいろとあって、不思議な縁で繋がった二人。その縁が、園村の言葉によって朽ち果てていくのがわかった。

 

「っ……あの時は、本当に……ごめんなさい……」

 

「……それで、謝罪したところで何か変わるの? そんなの、あの時聞き飽きたよ」

 

 涙声だった。また頭を下げて謝った笹原から、地面に向かってぽつりっ、ぽつりっと涙が落ちていく。砂の地面に斑点が増えていくのを……垣村は、見ていることしかできなかった。

 

「柿P、謝罪ってさ……誰に対してするのか、知ってる?」

 

「……迷惑をかけた、相手に」

 

「違うよ。謝罪はね……自分に対してする、免罪符なんだよ」

 

 彼女の言っていることを、いまいち理解できない。けれども彼女の瞳は強く、ブレない。どれだけ彼女が本気でそう思っているのか、嫌でもわかってしまう。

 

「あの時だってそう。不登校になって、イジメが発覚して。先生に集められてさ……本人同士で謝れって、先生は言ってたけど……馬鹿だよね。何もわかってない。口だけの謝罪しかしない人たちなのにさ……そんなの、許すと思う? 私の時間を奪ったのにさ」

 

「……思え、ない」

 

「だよね。許さなかったよ。でもそしたら……なんて言ったと思う?」

 

 未だに頭を下げ続けている笹原を見下しながら、園村は垣村の服の袖をまた強く握りしめた。

 

「"謝ったのに、なんで許してくれないの"……だって」

 

「っ……」

 

「結局はさ、心の中で謝ったのにって思ってるんだよ。謝罪したから、別にもういいじゃんって。自分の罪を帳消しする、そのための謝罪だよ。相手に許してもらいたいだなんて思ってない。しまいには、先生まで来てさ……"許してやれ"だって。私が許すって言うまで、部屋から出す気もない」

 

 彼女の経験した過去が、次々と垣村の心を抉っていく。何が正しくて、何が間違っていて。そんなものは、きっとここでは何も意味はないんだろうと思えた。彼女の言い分は真っ当で、笹原のやったことは怒りを感じるもので。

 

 垣村だって横暴な仕打ちをされた。自分にも非はあったが……西園の言う通り、彼女は自分が恥をかきたくないからあんなことを言っていたのだ。笹原を擁護する必要はないだろう。むしろ、責めるべきなのだ。そのはずなのに……垣村は何も言えなかった。頭を下げ続け、泣き続け、謝り続ける彼女をずっと見ていることしかできなかった。

 

「ごめんなさい……」

 

「何度謝っても、無意味だよ。私が受けた傷が消えるわけじゃない。私の時間と幸せを奪った挙句……自分が幸せになろうだなんて、烏滸がましいと思わないの?」

 

「私は……皆から、嫌われたくなくて……」

 

「この期に及んで、言い訳までするの? 柿P、あなたと一緒にいた笹原は、こんな女の子なんだよ。それでも、あなたはまだ一緒にいたいって思うの? 何やられるのか、わかったものじゃないのに?」

 

 垣村の目を見ながら、彼女はそう尋ねてくる。それに、肯定も否定もできなかった。気まずそうに目を逸らし、早まる心臓を抑えるべく、浅くゆっくりと呼吸を繰り返す。

 

「……俺、には……何も」

 

「柿P、ちゃんと伝えてあげることも、優しさだと思うよ。いっそのこと否定してあげた方が、きっと楽になれるかもしれない」

 

「……園村さんは、彼女に不幸になって欲しいだけだよ。だから俺には……何も言えない。君の怒りは、至極真っ当なものなんだろうけど」

 

 その場凌ぎの言葉を伝えるしかなかった。それでも、園村は逃がす気はないらしい。垣村の右手を両手で握ると、また目を合わせてくる。包まれた手には、やっぱり彼女の温かさがあり、今まで見てきた優しく強い彼女は嘘ではなく、また目の前にいる冷徹な女の子も彼女自身であることには変わりない。それらを全部まとめて、園村だということだった。

 

「あのね、柿P」

 

 今までの冷たい笑みはなく、いつもの明るい表情へと戻る。包まれた手が、強く握りしめられた。

 

「私は柿Pのこと、好きだよ」

 

「……えっ?」

 

 驚いて、頓狂な声を上げてしまう。けれども彼女の瞳はそれが嘘ではないことを物語っていて、握られていた手は伝えることを伝えて、安心したかのように緩められた。

 

「私は柿Pのこと、ちゃんとわかってあげられる。趣味だって共有できる。作曲でも、小説でも、なんだろうと私は応援してあげられるよ」

 

「園村さん……君は……」

 

「本気だよ。本当に、私は柿Pのことが好き。だから……私と、付き合ってください」

 

 笹原を傷つけたいだけなんじゃないか。そんな想いは軽々と砕かれた。見つめてくる彼女の瞳は、本気だ。一切ぶれることなく、瞳の奥まで見据えるように見つめてくる。

 

 視界の隅で動くもうひとつの影。笹原は泣いたまま、二人を見ていた。驚いているようにも見えるし、悔しそうに俯いているようにも、後悔しているようにも見える。

 

「……こんな時に告白されても、困っちゃうよね。ごめんね、柿P。でも本気で好きなんだ。それなのに、ね」

 

 顔を上げている笹原を、彼女は見ながら言ってくる。

 

「私の時間どころか、好きな人まで奪われるとか、絶対に嫌だから」

 

「っ……垣村……」

 

 涙声で名前を呼ぶ笹原。芯のある声で告白してきた園村。この状況を、どうしたらいいのか。決められない。優柔不断な自分が嫌になる。笹原は思っていたよりも強い女の子ではなく、園村は……想像以上に強かな女の子だった。

 

「嫌なところ、沢山見せちゃったよね。けれど、それが私だよ。完璧な人間なんて、いないし。そんな私だけど……ダメ、かな」

 

「………」

 

 その問いかけに、願いに、答えることはできなかった。俯いて唇を噛み締める垣村を、園村は微笑みながら見つめている。

 

「こんなことがあったら、簡単には決められないよね。多分、逆だったら私もそうなると思う。本当はここで決めて欲しいけど……また、今度にしよっか。ゆっくりでいいから、ちゃんと答えを聞かせて欲しい」

 

「園村さん……」

 

「……帰ろう、柿P」

 

 彼女は垣村の手を引いて、その場から離れようとする。笹原が動く気配はない。啜り泣く声が、暗い世界に響いてくる。それを聞いて、園村は立ち止まって背中を向けたまま、彼女に告げた。

 

「私はあなたが幸せになるのを許容できない。柿Pと不釣り合いなのは、あなたの方だよ。優しい柿Pを、これ以上傷つけないで」

 

 砂場に崩れ落ちる音が聞こえた。顔だけ振り向くと、彼女は地面に座り込んで涙を流している。思わず手を差し伸べてしまいそうになるのを、園村が手を強く握ることで止めてきた。彼女はそのまま手を引いて、帰り道を歩いていく。

 

 公園に残された啜り泣く声。いつか聞いた、あの弱々しい泣き声。男に襲われて座り込んでいた彼女には手を差し伸べることはできたけれど、今はそんなことはできない。

 

 手を差し伸べたくなるのは、まだ笹原のことを幻滅していないからなのか。どこか、思うところがあるからなのだろうか。

 

「……柿Pは、優しいね」

 

 途中途中で振り向く垣村を、彼女は柔らかい声で慰めてくれた。握っていた手は、気づけば恋人繋ぎに変わっていて、いつもとはまた違う感触と温かさが伝わってくる。

 

「でもね、自業自得だよ。犯した罪は、消えない。あの子がやった事は、なくならない。天罰だよ」

 

「……笹原さんと、向き合わなかったら……きっと、園村さんとも出会えなかった気がする」

 

「だとしたら、それだけは感謝しなきゃね。柿Pに会わせてくれて、ありがとうって」

 

 人通りが増えても、彼女は手を離すことはしなかった。恥ずかしそうにもしていない。繋いでいることは当然の権利で、恥でもなんでもない。見られようが構わない。そう思っているようだった。

 

 駅に着いて、改札を抜ける。電光掲示板の下で二人は立ち止まった。

 

「……ちゃんと答え、聞かせてね」

 

「……すぐには、無理だと思う」

 

「だろうね。でも……待ってるんだからね。ずっと、ドキドキしながらさ」

 

 園村は名残惜しそうに手を離していく。先程までのことが何もなかったかのように、彼女はいつものように軽快に笑った。

 

「バイバイ、柿P」

 

「……またね」

 

 上りホームへの階段に消えていく彼女の背を見送ってから、垣村も下りのホームへと下りていく。相変わらず下り側には人は少ない。上りホームには、既に電車が来ているようだった。ほんの数分後には、電車は彼女を乗せて行ってしまう。

 

 手には未だに彼女の温もりが残っている。残響する電車の音。それを聞きながら、空いている椅子に座った。

 

 空はもう暗く、曇っているのか星一つ見えない。こんな夜空の下で、彼女はまだ泣いているのだろうか。離れているはずなのに、耳に届いてくる気がする。彼女の、弱々しい姿のまま啜り泣く声が。

 

 手に残り続ける暖かさ、後ろ髪引かれるこの想い。感じた胸の高鳴り。彼女たちの過去。

 

 決めなくてはいけない。でも、どうやって。どうしたらいい。なんで将来のことを決めるよりも、悩ましい問題があるんだ。

 

 現実逃避したくなって、垣村はいつものようにイヤホンをつける。けれども……どんな音楽も、流す気にはなれなかった。





課題、今度は量を2.5倍にして期日は3倍になっています。更新がまた遅れるかもしれませんが……なるべく早く、完結させたいと思っております。


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24話目 視線

 誠意、謝罪、イジメ、過去。どうしてこうなったのかなんて、わかりきっていることだった。何もかも、自分が悪いんだって、わかってる。それでも、愚痴を零したくて。誰かに慰めて欲しくて。悪くないよって言って欲しくて。

 

 ……そう思ってしまう限り、過去からは逃げられないんだ。彼女の言っていた通り、過去が消えることはない。罪が許されることはない。だとしたら、どうすればいい。

 

 分からない。何も、決められない。彼の顔を見ることすらできない。知られたくなかった。嫌な女だって、これ以上思われたくなかった。不釣り合いなのは……私の方だったんだ。

 

 教室で、垣村の話す声が聞こえる。もう、話すことすらできないのかな。許されることじゃない。許して欲しいだなんて、傲慢だ。罪を重ね過ぎた。

 

 園村と、垣村なら……ちゃんと上手くやっていけるはず。あんな子だったなんて、知らなかった。勝ち目なんて、ないじゃないか。いいや、そもそも……選ばれたとして、その幸せを享受できるのかな。一緒にいていいのかな。

 

『許せない。けれどそのうち、気にならなくなることはあるかもしれない』

 

『誠意ってもんを見せなよ。志音のことちゃんと考えてるならさ』

 

『優しい柿Pを、これ以上傷つけないで』

 

 頭に過ぎる、これまでの言葉。そのうちって、いつ。誠意って、どうすればいい。傷つけないために、どうしたらいい。

 

 会わない方がいい。話さない方がいい。顔も見ない方がいい。

 

 でも会いたい。話したい。ちゃんと顔を見て、笑いたい。

 

『……本当なの、笹原さん?』

 

 思い出すだけで、泣きたくなる。嫌われるって、本気で思った。猜疑心に満ちたその瞳が、何もかもを砕いていく。謝らなきゃって、その決意も。何も残らなかった。暗い公園で啜り泣く私に手を差し伸べる人はいない。ただ、隣にいてくれるだけの人もいない。話しかけてくれる人もいない。

 

 ……いつから、だったんだろう。最初から。いや違う。助けてくれたあの夜。わからない。

 

 何もわからない、けれど……嫌われたくないって、思ったことは事実だった。泣いてしまったのも、胸が痛むのも、吐きそうなほど会いたくなるのも……そういう、ことなんだ。

 

 望みなんてない。きっと、欠片もない。けれど、それでも……私の心は本物なんだって、知って欲しい。それこそが、私にできる……誠意の表し方のはずだから。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 答えというものは、そう簡単に出てくるものではなかった。園村から催促されることもない。けれど、今も尚待ち続けている彼女のことを思えば、早く返事をしなくてはならないのは自明の理だ。

 

 月曜日になって学校に向かうと、西園がいつもの様子で話しかけてきた。それに適当に返しながら、教室の前の方を見る。彼女の席には誰も座っていなかった。

 

「唯ちゃん、今日休みなんだってー」

 

 前の方の女子生徒から、そんな声が聞こえてくる。笹原は休みらしい。あんなことがあったのに来れるとしたら、なかなかのメンタルだとは思うが。

 

(……何を迷っているんだろう)

 

 答えを出せない垣村には、そもそもなぜ悩んでいるのかすらわからなくなっていた。園村と付き合いたいのか、付き合いたくないのか。それだけで判断すべきではない。そんな感じがして、ずっと考え続けていた。でも、だとしたら他になんの要素があるのか。どんな欠片があれば、その答えを出せるのだろう。

 

 悩んで、考え続け。ふと思ったのは、視線の先にある彼女の机。そこに彼女がいれば、何か答えが出せるのか。

 

(……そんなはず、ない。決めたくなくて、先延ばしにしてるだけの、クズ野郎だ)

 

 自問自答を繰り返し、自責の念に苛まれる。結局、笹原は火曜日になっても学校にくることはなかった。空いている席に、いもしない彼女が座って笑っているのを幻視しそうになる。脳がどうかしてしまったらしい。

 

 笹原が学校に来たのは、木曜日になってからだった。垣村がイヤホンをつけたまま適当に時間を潰していると、教室の前の扉から入ってくる彼女を偶然見つけてしまう。笹原の視線は一瞬だけ垣村に向けられたが……すぐに逸らされてしまった。

 

 その表情は明るいとは言えない。無理をしているようにも見える。

 

 右耳から圧迫感がなくなり、生徒たちの喧騒に紛れて西園の声が聞こえてくる。彼は女子生徒に囲まれている笹原を見ながら、怪訝そうに顔を歪めていた。

 

「志音って、笹原さんと何かあった?」

 

「……いや、なにも」

 

「ふーん」

 

 追求する気はないらしい。いやそもそも、関心がないようだった。

 

 携帯を取り出して、最近のゲームのことだとか、SNSで見つけた面白い記事なんてものを見せてくる。確かに面白いものもあり、笑えるような内容だったはずなのに……どうにも、笑えなかった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 金曜日。生徒たちが明日からやってくる二日間の休みを期待しながら、最後のひと踏ん張りとして過ごす日。自然と生徒たちの会話にも、休みの日に何をするのかというものが増えてきていた。

 

 垣村には何をするという予定もない。いや、現在進行形で予定があると言った方がいいのか。今でもずっと考えている。園村への答えを。そして、この燻り続けている感情の意味を。

 

「帰りのホームルーム始めるぞー。席につけー」

 

 疲れた様子の担任が生徒たちを座らせる。あの先生も、同じような悩みを抱いたりしたのだろうか。将来について悩んで、その時の状況に板挟みになり、どうして教師になろうと思ったのか。

 

 少し前までの垣村なら、どうせなし崩し的にそうなったか、公務員ならば羽振りが良さそうだからと考えただろう。けれども、今は少し違う。どんな人にも、その人なりの人生があって、悩んでいたに違いない。疲労の裏にも、笑顔の裏にも、その人なりの悩みがあるのだろう。

 

 その悩みを解決する、してくれる何かがあって、道を決められたのだ。

 

(……人生の、とまではいかない。けれども、この悩みを一体誰が、どうやって……解決してくれるのかな。それとも、自分で解決しなくちゃいけないのか。自分の感情の問題だろう、これは。なら、自分だけで決めるべきなのか)

 

 将来についての悩みが薄れたかと思えば、これだ。園村によって歩むべき道に光が差したかと思えば、彼女と笹原によって今この瞬間こそが暗闇に包まれてしまった。

 

 時間は有限。彼女を長く待たせることはできない。自分は、どうしたらいい。どうするべきだ。

 

「はい、じゃあ号令」

 

 教師が今日の学校の終わりを告げる。垣村も他の生徒も、号令で放課後を迎えることになった。

 

(……終わらなければ、いいのに。明日なんて、来なければいいのに)

 

 まさか学校が終わって欲しくないと思う時が来ようとは思わなかった。授業を受けている間は、それ以外何も考えずに済むからだ。けれど、その束縛から解かれてしまえば……嫌でも考えざるを得ない。

 

 そんな悩みを抱いているのは、きっと少ないだろう。放課後になった途端、解放されたように生徒たちはざわめきたつ。教室は先程までとは異なって喧騒に包まれ、荷物を準備する生徒や、友人に話しかけに行く生徒の音が耳に届いてくる。

 

 どうでもいい会話内容。部活の連絡。遊びの約束。そんな音は、耳障りだ。垣村は、まるで自分だけが世界で深い悩みを抱き、苦しめられているのだと錯覚してしまう。何も聞きたくない。そう思っても、どうにもならなかった。

 

 せめてイヤホンをつけて、音を少しでも遮断しようか。そう考えた矢先、不意に聞こえてきた声を耳ざとく拾ってしまった。

 

「唯ちゃん、どこ行くの?」

 

 女子生徒が笹原を呼ぶ声。垣村も思わず反応してしまった。その件の笹原は、不思議なことにまっすぐ垣村の方へと近寄ってきている。

 

 握られている両手は僅かに震え、ぎゅっと結ばれた口は恐怖を噛みしめているようにも思え、その足取りの重たさは一歩前に出ようとするのに必死そうだった。

 

 他の生徒たちは自分の用事を済ませており、彼女のことを見ている人は少ない。それでも視界の隅に捉えてしまえば、彼女らしくないその奇行を見続けてしまうだろう。

 

 たった数人が息を飲んで見守る中、彼女の足が止まったのは……垣村のすぐ目の前だ。座っている垣村には、彼女の顔が良く見えた。目元には薄らと隈ができていて、疲れが溜まっているように思える。先程まで固く閉ざされていた口は、わずかな隙間を空けて震えていた。

 

「……あの、さ……垣村」

 

 体だけでなく、声までもが震えていた。それでも話を続けようとする彼女の姿は……ただただ、必死そうだという一言に尽きる。垣村も、彼女のそのただならぬ様子に息をすることを忘れていた。

 

 怯えているのか、詳しくはわからない。けれども、彼女の瞳だけは、揺れ動くことなく垣村を見つめていた。

 

「私はっ……垣村の、ことが───」

 

 たどたどしくも、震える声には力が込められていた。震える体を、声を、抑えつけるのに必死なのだろう。

 

 強く見えていた彼女は、知れば知るほどそうではないのだと思えた。目尻に、薄らと涙が浮かんでいるのが見える。

 

「───好きです」

 

 園村からも伝えられた、その言葉。垣村のことを好いているという告白。それをまさか、言われるだなんて思ってもいなかった。

 

 唖然として固まってしまった垣村に、彼女は想いを吐露してくる。

 

「いつからか、わからない。けど……一緒の時間を、取られたくないって、思ったの。何もしなくても、一緒にいるだけのあの時間が、大事だった」

 

 電車を待つ時間。週に二日間だけ話せるその時間。何もしなくても、いいと思えたあの時間。それがどれほど貴重で、素晴らしいものだったのか。垣村も、わかっていた。

 

「嫌われてるって、わかってる。でも……それでもっ……」

 

 彼女の声が、静まり返った教室に響く。

 

 全員が、見ていた。

 

「私と、付き合ってください」

 

 頭を軽く下げて、彼女はそう告白してきた。

 

 美談になることだろう。皆の前で告白するという勇気を、讃えるべきなのだろう。賞賛の拍手をすべきだろう。けれども、垣村にとっては……。

 

(……告白、されたのか)

 

 目を白黒させて、彼女を見つめる。視界に映るのは、彼女だけではない。放課後になったばかりの教室には、大半の生徒が残っている。そんな状況で、笹原というトップカーストの生徒が告白すれば、どうなるのか。考えなくてもわかることだ。

 

 教室に残る全生徒が、見ていた。

 

(答え……なくちゃ。答えを、言わないと、いけないのに)

 

 全員が見ている。頭を下げた笹原ではなく、その告白に対して垣村がどう答えるのかを。

 

 その視線が物語っている。声にしなくても聞こえてくる。

 

 早く答えろ。いつまで頭を下げさせてる。なんでお前なんかが笹原に。こんなことがあるのか、嘘みたいだ。

 

(答え……答え、を……)

 

 早く。早く。早く。さぁ早く答えろ。

 

 それはまさしく脅迫のようなものだった。見られている。答えなくてはならない。猶予がない。

 

 だんだんと浅くなっていく呼吸。背中にじんわりと汗が滲んで、手が震え始める。答えようとして半開きになる口は、何も告げることはない。

 

 今の垣村にとって、この状況というのは……最悪に他ならなかった。

 

「志音ッ!!」

 

 誰もが言葉を発さずに見守る中で、垣村の腕を掴む男がいた。何をしているのか、場違いな奴だと思われたことだろう。それでも彼は、西園は垣村の腕を掴んで椅子から無理やり立たせ、置いてあった彼のカバンをひったくるように持つとその場から数歩離れていく。

 

「お前のそれは、誠意なんかじゃない」

 

 笹原が振り向いて、西園を見る。いつも笑っているだけの彼の顔は、あの時見た見下すような顔でも、凍てつくような目をしているわけでもなかった。

 

 眉をひそめ、垣村の前に立つ彼の表情は……怒り以外の何でもなかった。

 

「わざわざ金曜に告白したのも、何が起きたとしても土日の冷却期間を得られるからだろ。そうすれば、少しは他の奴らが落ち着くからな」

 

「違うっ、私はただ、垣村にっ……」

 

「いい加減にしろよ。お前がやったのは……ただ志音から逃げ道を奪っただけだ!!」

 

「っ……」

 

 誰も声を出せなかった。いつもへらへらと笑っているだけの彼が、ここまで怒りをあらわにするのを見て動くことができなかった。まるで自分が怒られているように錯覚するほど、西園の割り込みは衝撃的だったのだ。

 

 彼は垣村の腕を掴んだまま、教室の扉を向いて優しく話しかけてくる。

 

「行こう、志音」

 

 その言葉に何も返せなかった。けれども静かに小さく頷いた垣村は、彼と一緒に教室の外へと出ていく。

 

「──────」

 

 教室からは、声とも呼べない嘆きが聞こえてくる。彼女の泣き声を聞くのは、何度目だろう。胸が痛む。けれど……無理だった。あの場で答えることはできない。

 

 廊下にいた生徒たちが見てくるのを無視して、二人はまた階段付近までやってくる。他の教室の生徒たちが発する喧騒のおかげか、もう彼女の声は聞こえない。届かない場所にまでやったきたのだと思った瞬間、体から力が抜けていってしまった。

 

「志音……平気か?」

 

「……平気、じゃない」

 

 支えてくれた西園から離れて、壁に背中を預ける。そのまま床にズルズルと崩れ落ちた。行き交う生徒が見てくるが、そんなものはあの教室の視線に比べればなんてことはない。いや、それを気にするほどの気力すら、彼には残されていなかった。

 

「……西園、俺は」

 

 喉の奥が震える。声を出す度に、目から涙が溢れそうになる。見上げるだけの力もなく、床を見つめながら鼻を啜る。そんな垣村を、西園は静かに見下ろしていた。

 

「どうすれば、いいんだよ……」

 

 その言葉に返せる答えはなく、せめて周りの視線を少しでも減らせるようにと壁になってやることしか、彼にはできなかった。





前回の話を投稿して、案の定お気に入りが数件減りました。予想していたよりも少なかったですが……。
えぐいの書くって、言ったんですがねぇ。


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25話目 日向になってくれた人

「ふーん、なるほどねぇ……。それで、オジさんに話を聞きに来たってわけかー」

 

 いつもの居酒屋で、庄司は軽薄そうな笑みを浮かべながらジョッキのビールを飲んでいる。それとは対照的に、垣村の口数は少なく、また表情も明るくはない。頼んだ飲み物にもあまり口をつけず、軽く俯いて縮こまっていた。

 

「まぁ確かに、しょー君には荷が重い話だねぇ。その空気の中連れ出したっていうのは、ちょっと驚いたけど。いやー、男の子の成長を見守れるのは大人の特権だねぇ」

 

「……翔多が連れ出してくれなかったら、どうなっていたのか……。想像できないし、したくもないです」

 

 皆の視線が集まる中、どういった答えにせよ口にしてしまえば、追求を逃れることはできなかっただろう。断れば笹原は逃げ出したかもしれないし、そうなればクラスの皆から詰め寄られたことだろう。逆に頷いてしまえば、今度は笹原が何か言われていたかもしれない。

 

 ……ちゃんと答えを出せなかった自分も悪いのかもしれないけれど。でもあの場面で、どうしたら良かったんだ。

 

「カキッピーは何も答えられず、半ば逃げる形で答えを言わなかった、と」

 

「……意気地無し、でしょうか」

 

「いやぁー、そうとも言えないよ? オジさんはむしろ、その場しのぎや、雰囲気にのまれて答えを言っちゃうより……ちゃんとその場で答えなかったカキッピーを尊敬するけどねぇ」

 

 庄司の言うように、あの瞬間教室には悪い雰囲気が立ち込めていた。息の詰まるなんてものではない。この場で答えなかったらどうなるのかわかってるだろうな、と脅されているような感覚さえあったのだ。

 

  悩み続けている中、そんな脅迫に手を引っ張られることなくその場で踏ん張り、答えを言わなかったのはある意味正解だと庄司は言ってくれる。西園が助けてくれなかったら、もしかしたら答えていたんじゃないのかと不安もあるが。

 

「……迷ってて、訳わかんなくて。答えなんて見つけられなくて。本当に、どうしたらいいのか……わからないんです」

 

「カキッピーは、何を悩んでるの?」

 

「何をって……それ、は……」

 

 庄司の質問に答えようにも、どうにも言葉が出ない。何を悩んでいるのか。園村の境遇について。笹原の過去について。彼女たちの気持ちについて。けれど、考えれば考えるほど沼にハマってしまう。思考に靄がかかるように、心のどこかで考えることを諦めようとしている自分を感じていた。

 

「ようするに、カキッピーは壊したくないんだ」

 

 間延びしない声に、垣村は視線をあげる。庄司の目つきは鋭く、その口元は笑みすら浮かべていない。今まで見た事ないくらい真剣だった。

 

 ちゃんと考えてくれている。答えを探してくれている。それにどれほど……救われたことか。今までだってそうだった。何度も何度も、彼の言葉には助けられてきた。何気ない言葉であっても、行動であっても、垣村にとっては嬉しく思えるものばかり。人と関わる、というのはこういうことなのだ。

 

「園村ちゃんの過去も、笹原ちゃんの罪も。そして二人の今を、君は知っている。お互い、成長しただろうねぇ。それでも、過去の遺恨はなくならない。罪は償っても消え去りはしない。それでも……二人を傷つけたくはない。その方法を探しているんじゃない?」

 

「……そうなのかも、しれません」

 

「だとしたらハッキリ言うよ。そんなことは無理だ」

 

 キッパリと、彼は答えた。垣村だってわかっている。そんな方法が見つかったらいいなと希望的観測に縋っていただけだ。

 

 自分の将来に、光をくれた人。自分のために、泥を被った人。そのどちらも、垣村にとっては大切なものだった。だから傷つけたくはない。

 

(……そんなもの、ないのに。逃げてばかりだ)

 

 机の下で両手を握り締める。また俯いてしまった垣村を、庄司は真面目な顔のまま見つめ続けた。そしてビールを飲んで喉を潤したあと、また言葉を紡ぎ始める。

 

「君には選択肢がある。園村ちゃんの気持ちに答えるのか。笹原ちゃんの気持ちに答えるのか。そのどっちにも答えずに、逃げたっていい」

 

「……逃げる、ですか」

 

「そう。答えたくないんだったら、皆傷ついちゃえばいい話だよ。それが嫌なら園村ちゃんか笹原ちゃんを説得してみる?」

 

「それは、無理……です」

 

「だよねぇ。オジさんも無理。だったらもうさ、どれ選んだっていいじゃない?」

 

 食べ終わった焼き鳥の串を、皿に突き刺すようにカツンッ、カツンッと音を立てる。串の先端が徐々に上がっていき、垣村の視線を釘付けにした。その奥側に見える庄司の口は、浅く歪んで笑っている。

 

「どれを選んでも、君は後悔するよ」

 

 後悔しない選択なんてものはない。彼女たちの気持ちに答えても、答えなくても、例えその一瞬が幸せな感情に包まれたとしても、後悔する。誰も傷つけない選択肢はない。

 

「だったら、俺は……」

 

「どうすべきなのか、って? そんなの、オジさんに聞くべきものじゃないと思うけどねぇ」

 

 やれやれとばかりにため息をついて、庄司は左手で頬杖をつく。流し目で見つめるジョッキの中のビールは、少量の泡だけを残してなくなっていた。積まれた氷が、カランと音を立てて崩れる。

 

「人間、生きてるうちに選択を迫られる機会なんてごまんとある」

 

 ジョッキの中にはもう氷以外何も入っていない。ジョッキを傾けて、残された氷を口の中に含んで噛み砕いていく。頭が痛くなったのか、一瞬庄司は顔を顰めたが、氷を食べ終わるとまた垣村を見て話し出した。

 

「選択する時間があるならいい。けど、どうしたってその場で答えなくちゃならない時がある。その場しのぎで何とかしようとしても、失敗だとか、後悔だとか、そういったものが残ってしまうものだよ」

 

「……庄司さんにも、あったんですか」

 

「あぁ、そりゃもうしょっちゅうね。そんな時どうすればいいのか。オジさんは決まって……噛み砕いて、自分の栄養にしてきたよ。それでも、何でもかんでも噛み砕けるかと言ったら大間違いだ。自分なりにやって、その果てに残ってしまったもの。それだからこそ噛み砕けるものなんだよ。オジさん、これでもやる時は一生懸命だからね」

 

 細められた目は優しく開かれ、口元も緩やかにカーブを描く。楽はしたいけど、怠けたくはない。そう言った彼は、やる時はやる男だったのだろう。今もこうして、正面切って話してくれるのだから。

 

「選択を迫られた時の判断材料は、自分の過去や経験。それらが判断するに足りないと言うんだったら……神さまの言うとおりでもするか、自分の心に従うしかないと思うんだよねぇ」

 

 優しげな顔のまま伝えてくる庄司に対して、垣村も顔をそむけずに向かい合う。その態度を見て、庄司は更に笑みを深くして言ってきた。

 

「君の判断材料は、ちゃんとあるよ。君の過去をよく思い返して決めればいい。最悪頭でもなんでも下げればいいんだから。大事なのは……君がどうしたいかだよ」

 

 自分の過去。自分がどうしたいのか。

 

 確かに、園村の恨みはもっともだ。笹原を糾弾しても悪く言うことはできない。それに、自分がファンであると伝えてくれて、花火にも一緒に行って、誰に見られても恥ずかしくないと言ってくれた人だ。

 

 対して笹原は、出会いは最悪で、一緒にいるところを見られたくないと思っていて、嘘をついた。

 

 暑い中で必死に汗を流し、いるかもしれないという一筋の希望に縋りながら走ってきた。塾の時間すら知らせていないのに、彼女は垣村を探し出した。そして……恥晒しになろうとも、皆の前で告白してくれた。

 

 一緒のイヤホンで音楽を聴いて、顔が熱くなって。笑う彼女を見てかわいいと思って。塾のある日が少しだけ楽しみになった。

 

 全て事実で、過去のこと。思い出す度に胸が締めつけられるような、自分にはもったいないくらいの日々だ。

 

「……答えは決まったかい?」

 

 庄司の言葉にすぐには答えられなかったが……垣村はゆっくりと頷いて、知らぬ間に込み上げていた涙を流しながら笑った。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 日曜日の昼下がり。照りつける太陽の暑さもそこまで鬱陶しくは感じなくなってきていた。相変わらず人気のない、雑草ばかりの公園には垣村を除いて誰もいない。時折道を通り過ぎる人たちがポツンッと立っている垣村を見てくるが、そんな人たちの視線を気にする余裕は彼にはなかった。

 

(……正しい答えなんて、多分ないと思う)

 

 過去はなくならない。今を生きる自分にできるのは、今を頑張ることだけだ。その頑張るための勇気や自信なんてものは、最初から持ってるわけじゃない。全部過去が後押しして生まれるものだ。

 

 灰色の日々だと思っていた。自分には澄み渡る青空の下で咲く桜のように、綺麗な恋はできないだろうと諦めていた。芽吹いた雑草のように、青いまま踏み潰されて枯れてしまうものなのだと。だというのに、まさかこうして気持ちを伝えるために人を呼び出すだなんて、あの日々からは考えられない。

 

 どこか懐かしい感覚に襲われながらも、垣村は公園で待ち続ける。奇しくも、立っている場所は以前彼女が地面に斑点を作り続けていた場所だった。今更ながら、誰にも襲われなくてよかったと安堵の息を吐く。

 

 そうして数分経った頃。後ろの方から土を踏み歩く音が近づいてくるのがわかった。振り向いてみれば……そこにいたのは、眼鏡をかけた女の子。園村 詩織だった。

 

 彼女の表情は嬉しさだとか、そういったものが多いように感じられる。もちろん、緊張しているだろうし、彼女自身気づいているのかわからないが、両手は握られたままだ。

 

「こんにちは、柿P」

 

「こんにちは、園村さん。来てくれてありがとう」

 

「いいよ。それに……待ってるのも、それはそれで心臓に悪いしね」

 

 両手を胸で交差するように置いて、今もまだドキドキしてると教えてくれる。垣村も、未だかつてないほどに心臓は暴れていた。緊張しない方が無理というものだろう。

 

 落ち着くために浅く息を吹いていく垣村を、園村はじっと見つめていた。早く答えを教えて欲しい、と思っているだろう。けれども、まだ答えることはできない。

 

 きっと、彼女は……あの女の子は、この場に近づくことすらできないだろう。そう思って垣村が周りを見回すと……園村が来た方とは別の入口で、乱雑に生えている木に隠れてこちらを見ている人を見つけられた。多分立場が逆だったら、自分もそうなっていただろうなと垣村は苦々しく笑う。

 

「笹原さん。お願いだから、こっちに来て欲しい」

 

 隠れている彼女にも聞こえるように、垣村は声をなげかけた。一瞬体が固まったようになった彼女だが、恐る恐るといった様子で歩み寄ってくる。そんな彼女を見て、園村は深いため息をついてから垣村に言った。

 

「……呼んだの?」

 

「そう、だね。必要なことだったから」

 

「そっか。告白でもされたの?」

 

「まぁ……うん。されたよ」

 

 答えるのに少しばかり恥じらいつつ、垣村は近寄ってくる笹原を見続けた。話はできる程度には距離は近くなったけれども、彼女はそれ以上近づこうとはしない。園村に見られて、顔を背けて居心地が悪そうに表情を暗くした。

 

「笹原さんも、来てくれてありがとう」

 

「っ……うん」

 

 小さく彼女は頷いて返事をしてくれた。ここから先は、自分が事を進めていかないといけない。正直ひとりひとり個別に答えたかったけれど、そうもいかない。これは二人にちゃんと伝えないといけないことだ。

 

 笹原が逃げなかったように、垣村も逃げずに答えようと気持ちを固めてきたのだから。

 

「あのさ、園村さん」

 

「なに、柿P?」

 

「その、さ。二人と一緒にいる時間が増えて、いろいろと変われたんだなって思う。園村さんに出会えて、また音楽を作れるようになった。将来に悩んでいたけど……今は、そういった方面に進もうかなとも思ってる。こんな自分でも、誰かにとって大切な曲を作れるんじゃないかって。それに、笹原さんと一緒にいたのだって、とても大切な時間だった。じゃないと俺はきっと……何も変われていなかったと思う」

 

 事の発端は、あの雨の日。何か変われるかもしれない。そんなことを無意識にでも思っていたのだろう。傘を渡したあの日から、周りの見え方が少しずつ変わってきたのだ。

 

 笹原と一緒にいて、西園と遊んで、庄司に連れていかれて、園村と出会って。その全てが今の自分を形作るものであると、垣村はわかっていた。

 

「……柿Pは、どうしたいの? 誰のこと、想ってくれているの?」

 

 園村も先程より表情は明るくない。不安や心配で胸が張り裂けそうなんだろう、と見ているだけでわかった。それでも眼鏡の奥から覗いてくる瞳は、やはり力強いままだ。

 

 対して、笹原はずっとどこか泣きそうなまま。いつか見たような、強気の彼女はどこにも見られなかった。それが彼女の本当なのか、それも含めて彼女なのか。おそらくは後者なんだろう。彼女は本質的には弱く、強く見せようとしていた女の子だった。

 

「俺は……」

 

 園村への、そして笹原への答え。二人ともその言葉の続きを待ち続けている。園村の射抜くような視線も、笹原の不安げな視線も、それらを受けて逃げる気はなかった。

 

 心臓が脈打つ度に、外に聞こえてるんじゃないかと思えてしまう。まだ口にしてすらいないのに、胸は締め付けられるように苦しい。それでも、この先後悔するとしても……答えるしかないんだ。

 

「……笹原さんのことが、好きです」

 

「……えっ?」

 

 名前を呼ばれるとは思っていなかったんだろう。笹原は涙で潤う目のまま、ぽかんとした表情で見てくる。

 

「……そっか」

 

 園村の声は少しだけ震えているように思えた。見上げていた顔は俯いており、見える顔も泣きそうなくらい歪んでいる。見ているだけで、罪悪感が湧いてきた。わかっていても、辛いものは辛い。どれを選んでも、後悔するのだから……もう止まるなんてことはできないし、許されない。

 

「確かに、園村さんが言った部分も彼女は持ってる。けど、それでも彼女と一緒に過ごした時間は全部事実で、俺にとってはとても大切なものだった。一緒にいるだけで、嬉しいと思えるくらい、何もないあの時間が好きになってた」

 

「……時間、か。ズルいよ、そんなの。いつもいつも、全部……アイツらばっかり得してるじゃん……」

 

 園村の言うアイツらとは、彼女をイジめていたトップカーストのこと。いやそれだけでなく、どこにでもいるそういった人たちのことを言っているんだろう。

 

 悔しそうに泣きながら、彼女は顔を上げて垣村を見てくる。

 

「人をイジめる人なんだよ。そういったことを、するような人なんだよ……?」

 

「……確かに、そうだね。それは彼女の事実で、園村さんにとっては許せないものなんだと思う。彼女は、悪い人だよ。でも……」

 

 垣村までもが泣きそうになってくる。彼女の訴えに対して、答えなくてはならない。自分の気持ちを、心を。それがどれほど彼女にとって酷であろうとも。垣村はもう、偽ることも逃げることもできないから。

 

「悪いだけの人じゃないんだよ」

 

 約束を守るために必死になれる人。自分が恥さらしになろうとも、気持ちを伝えてくれる人。彼女はいつだって、怖がりだけれど、必死な人だった。

 

「それに、好きだって気持ちはそう簡単には変わらない。その過去の事実も含めて、笹原さんに向き合わなきゃいけないと思う。そうしようって思えるくらい、俺は……笹原さんのことを、好きになったから」

 

「……柿Pは、それでいいの? 周りの人からいろいろ言われて、見捨てられるかもしれないよ」

 

「しないよ、きっと。俺が知ってる今の彼女は……そんなこと、しないと思う」

 

 彼女の目を見て、伝える。もう何を言っても変わらないとわかったのだろう。両目から流れ落ちる涙を拭きながら、彼女は背中を向けて数歩離れていく。

 

 一緒にいるだけでも辛いはずだ。彼女の気持ちだって痛いほどわかる。それでも、伝えきらないと意味がない。離れていく彼女に向けて、垣村は叫ぶような声で言葉を紡いだ。

 

「俺のこと、嫌いになってもいい。でも……どうか、俺が作った曲のことは嫌いにならないで欲しい。あの曲に罪はないから。だからっ……」

 

「……そんな簡単に、好きだって気持ちは変わらない、でしょ?」

 

 さっき言った言葉を返すように、彼女は言う。離れた場所で振り向いた彼女は、もう涙が流れているのかわからない。それでも、無理をして笑っているのはわかる。彼女は優しくて、強い女の子だった。

 

「好きだよ。志音も、柿Pも、曲も。だから……ちゃんと、約束守ってよ」

 

「……絶対、作るよ」

 

「破ったら、怒るからね」

 

 彼女と交した約束。花火大会の日に、曲を作るという約束をした。彼女はそれを待ち続けてくれるのだろう。そしてできたらすぐに、聞いてくれるはず。

 

 好きという気持ちは簡単には変わらない。彼女は自分のことを好きで、そしてそれに自分は応えてあげられない。仕方がないで済ませられないけれど、でも事実として……彼女も大切な人だった。好きな人が笹原であっただけで、心の中に彼女は確かにいた。大切なことを教えてもらって、前に進む勇気をくれた。そんな彼女との約束を……破るなんて、できるはずがない。

 

 この距離が縮まることもない。彼女は遠く離れたまま、袖で荒く涙を拭きながら笑おうとする。そして拭い終わったあとで……彼女は苦痛の笑顔を浮かべながら、言ってくれた。

 

「バイバイ、柿P。あなたは、私にとって……生きる力をくれた、日向になってくれた人だよっ!!」

 

「っ……」

 

 大きく手を振って、背中を向けて去っていく彼女に何も言うことができなかった。それでも……彼女の日向になれたのは、とても嬉しいことで。彼女はまた、前に進むための勇気をくれた。日陰者の自分が、誰かにとっての日向になるだなんて、とても難しいことだ。だから……やっぱり、彼女は垣村にとって、大切な人だった。

 

 込み上げてくる涙を、ぐっと堪える。まだ伝えなくてはいけないことはあるから。

 

 園村の姿が完全に見えなくなった頃。笹原はゆっくりと垣村に近づいてくる。お互い向かい合わせになって、顔を見合わせた。ずっと泣き続けていた彼女の瞳は赤く、服の袖は濡れている部分がわかるほどになっている。そんな泣き顔の彼女を見て、かわいいだとか、好きだとか、そんな感情すらも覚えるようになっていた。気持ちを吐露してしまえば、もう偽ることなんてできないらしい。

 

「……私で、いいの? 悪いこと、たくさんしたのに。垣村のことだって、傷つけちゃったのに……」

 

「それでも、笹原さんが好きだから」

 

「っ……私、謝れなかった……ちゃんともう一度、謝るべきだったのに……言えなかった……」

 

「そうやって後悔できるようになったなら、それはそれでいいんじゃないかって思うよ。また今度、会えたときに謝ればいい」

 

「だって……私はっ……」

 

 笹原がその場に崩れ落ちる。両目から溢れる涙が止まらない。何度も何度も手で拭っては、拭いきれなかったものが地面に落ちていく。

 

 垣村も彼女と同じ高さになるように腰を下ろして、垣村のことを見る余裕もないくらい泣きじゃくる彼女を見ながら話し続けた。

 

「過去は消えない。けど、今を形作っているのは、やっぱり過去なんだよ。背負っていかないといけないし、背負ったからこそ今を変えられると思う。そして、これから先もずっと、過去が支え続けてくれる。罪だって、忘れない限り……もう二度と同じことはしないはずだよ」

 

「私っ、わからないよ……嬉しいはずなのに、このまま、一緒にいていいのかって……」

 

「過去も、罪も、後悔も。噛み砕いて、飲み干すしかないって、教わったんだ。だから、さ」

 

 涙で濡れている彼女の右手を、垣村は両手で優しく包み込む。今できるのは、これが精一杯だけれども、これで十分であるとも言えるかもしれない。

 

 彼女の涙は罪の証。それを一緒に背負っていくことは、できるかわからない。けれど……。

 

「一緒にいよう、笹原さん」

 

 いつかそれを、気にしなくなれるまで。噛み砕いてしまえるまで。一緒にいることはできると思うから。

 

「っ……うん……」

 

 泣きながらゆっくり頷いた彼女に、垣村もまた涙を流しながら笑いかけた。

 

 包んでいた両手に、更に彼女の左手が重ねられる。濡れていても、彼女の暖かさはわかるものだった。ぎゅっと強く包まれている二人の両手。それを引き離そうと考える人は、この場にはいない。誰も邪魔をすることなく、そのまま時間を過ごしていく。

 

(……今度はちゃんと、泣いている彼女の隣にいてあげることができた)

 

 後悔してる。でも、嬉しい。この気持ちが消えてなくなったりしないように、と目の前の光景を目に焼きつける。

 

「垣村……」

 

 泣き続けて、涙が涸れたらしい彼女は、傍から見れば綺麗な笑顔ではないけれど……垣村にとっては、十分過ぎるほど魅力的に笑いながら、伝えてくれた。

 

「ありがとう……私も、好き……だよ」

 

「ん……知ってる」

 

 自分らしくはないなと思いつつも、そう返した。笹原もらしくないと思ったのか、思わず喉の奥から笑い声が溢れる。

 

 夕暮れになっても握り続けた二人の手は、その日離れてしまったとしても……ずっと熱を帯びたままだった。




次回、短くなるかもしれませんが完結です。

毎日毎日徹夜の連続で、小説を書く時間もとれず、拙い文ではあったかもしれませんが……ようやくここまできました。
次回の後書きに、身の上話だとか書こうとした経緯だとか、そういったものを載せようかななんて思っています。
それではまた、いつ書けるかは分かりませんが……次回で。
作者はまだまだ徹夜作業です。


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26話目 気にしない

 初夏は過ぎ、梅雨を超え、夏から秋へと移り変わっていく。一度形成されてしまった関係性というものは、かなり頑固なもので。中々変わらないくせに、壊そうと思えば簡単に壊れてしまうような矛盾性を孕んでいる。

 

 人間は対比する生き物だ。自分と他者を、他者と他者を比較して、その差を考えてしまう。明るく生きる者は、それなりに人に溶け込み。またそうでない人は排他されてしまう可能性を持つ。そんなあやふやで、けれど見てわかるようなカーストというものが学校にはあった。

 

 彼はトップカーストを嫌う生徒の一人。毎日両耳をイヤホンで塞ぎ、特定の人物としか話さず、髪の毛も整っていない男の子。けれども本人も気にしてはいるし、周りの目も気になる。誰でもない、唯一の誰かになりたいという、誰もが持ち得る願望を抱え、やがて誰かにとっての日向になりたいと願った人。

 

 日陰にいる人にとっての、柔らかな木漏れ日。眩しくなくてもいい。ただ人の温もり程度の暖かさを与えられたのなら。そう考えながら、彼は日々歌詞を紡いでいく。

 

 夜空に咲く花園。隣にいた大切な人。心に浸透する振動と、片耳ずつ着けたイヤホンから流れる音楽。最近流行りのラブソング。けれども花は形を保てず、輝いて消えてしまった。その光は、誰かにとっての日向になりて。

 

(……眠い、なぁ)

 

 教室の隅で、窓の外を眺めながら垣村は目を擦る。今まで納得のいく物が作れなかったのが、まるで嘘のようだった。

 

 園村に会ったあの日から、少しずつ進めていた次の曲。作業が大きく進んだのは二度。あの花火を見た日、そして今でも思い出せる……昨日の出来事。

 

 作っては消して、また作ってを繰り返していた垣村だったが、詰まっていた何かが取れたように作品は完成へと向かっていった。寝不足になろうとも、手は止まることを知らず、あの日の情景と昨日の衝動だけに突き動かされて完成させた。

 

「志音、おはよー。なんか凄いことになってない?」

 

 机に近づいてきた西園が、携帯を見せながら話しかけてくる。画面には垣村の創作用のアカウントが映っていて、夜中に呟いたコメントにメッセージと賞賛するマークが増えていく。

 

 完成させて早速、新作を投稿したのだ。それがまさか、こんなにも早く広がっていくとは垣村はまったく思ってもいなかった。ただ、心に思い描く一人に届けばいいと願っていたのに、この曲はもっと多くの人の心に届いたらしい。それは素直に喜ばしいことで、西園に言われて照れくさそうに垣村は笑う。

 

「閲覧数すっごいねぇ」

 

「久しぶりの投稿で、ここまで伸びるなんて思ってなかったよ」

 

「それだけ待っててくれる人がいたってことじゃない?」

 

「……そうだと嬉しいね」

 

 事実、垣村ひとりで作れたものではなかった。応援してくれた西園や庄司、そして園村と笹原の二人。彼ら彼女らがいなければ、この曲は完成しなかっただろう。

 

 それに、嬉しいと思えたのはそれだけではない。新曲を投稿した時に、誰よりも真っ先に反応してくれた人がいた。イヤホンをつけた猫の画像。何千、何万といる人たちの中で、いち早く反応をしてくれた彼女に……感謝の気持ちは溢れて止まなかった。

 

『ありがとう』

 

 個人宛でそう伝えてくれた彼女に、垣村は朝方に枕を濡らした。彼女の想いに答えることはできなかったけれど、ちゃんと約束は守れた。そしてこれからも……彼女の日向であり続けられるように、曲を作り続けていこうと垣村は決心する。

 

「おはよー、唯ちゃん」

 

 ふと声が聞こえて、垣村は教室の前の方を向く。彼女が登校してきたようだ。いつも月曜日は気怠げな彼女だったが、今日は違う。

 

「おはよう、紗綾」

 

 片手を上げて軽く挨拶を交し、彼女は荷物を自分の席に置いてからまた歩き出す。

 

 先週の金曜日、何があったかを生徒が忘れたわけがない。皆が教室に入ってきた笹原を見て、中には話しかけに行こうとする生徒も見られた。けれども彼女はそれを意に介さず、ゆっくりと教室の隅に向かって歩いていく。

 

 左耳だけを見せるようにかき上げられた髪の毛。茶髪に見えなくもない黒髪は、元気そうな印象を覚えさせる。小さな桃色の口は緊張しているのか、きゅっと固く結ばれていた。

 

 一歩、一歩。踏みしめるように歩いて、やがて垣村の前で止まる。

 

 金曜日に見た表情とはまるで違う。決意を固めたようでも、泣きそうでもない。どこか頬を薄らと染めて恥ずかしそうに目を逸らす彼女のことを見て、垣村もまた同じように視線を逸らす。

 

「お……おはよう、垣村」

 

 小さな声だったが、教室に響いたように思える。上擦った彼女の声に、不覚にも笑いそうになるのを、垣村はじっと堪えた。

 

 何もない時間が好きで、一緒にいるだけでよくて。周りの目が怖くて、虐められるのが嫌で。きっとどちらも、他人を怖がっていただけだった。

 

 学校で話すこともない。すれ違っても目を逸らすことしかできない。そんな自分たちだったけれども……。

 

「おはよう、笹原さん」

 

 ようやく、ちゃんと挨拶を交わせるようになれたんだ。

 

 

 

 

 

『日陰者が日向になるのは難しい -End-』




これにて『日陰者が日向になるのは難しい』完結です。
ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。
皆様、この小説はいかがでしたでしょうか。
私は、キャラがまるで生きているように思えると言っていただけて、大変嬉しい限りです。

前回書きました通り、少しお話をば。長いので読み飛ばしてくださっても全然構いません。内容は『書こうとした経緯』『作者の身の上話』『次回作について』の3つです。

『書こうとした経緯』

私はかれこれ、小説を書き始めて五年ほど経ちます。まだまだ拙い身ではありますが、それでも五年の集大成として、書籍化できる小説を書こう。せめて書籍化して恥ずかしくないものを書こう、と思ったわけです。

しかしどんなストーリーを書けばいいのか。そこで、ヒューマンドラマというカテゴリを見つけました。恋愛ではなく、ヒューマンドラマです。

まぁ恋愛を主軸にしたものだった訳ですが……恋愛モノならいつだって需要あるし、書籍化しやすいんじゃねという安直な考えです。しかし、他の誰にも書けないものを書かないと、書籍化は狙えないなと思いました。

まぁ私は『陰キャの僕がクラスの美少女に〜』とか言われても、あ ほ く さ と小説(フィクション)を否定するような考えをしてしまったクズですので、なるべく現実よりに。そして自分にしか思いつかない……。

……あっそうだ(唐突) ヒロインを格下げしよう。
で、笹原をいじめっ子にしたわけです。とても楽しかった。それと、ありきたりなシーン。例えば教室で笹原が垣村のことなんて……と言ったシーンですね。ありきたりな展開、けれども私はちょっと書き方を変えて……こうなりました。いかがでしたでしょうか?

結末は、『日陰も日向も関係ない』という笹原ルートでしたが、頭の中には『どちらも選べない庄司ルート』『日陰者が日向になるのは難しいので日陰者になりますルート』の二つが浮かんでいました。

……園村ルート? (考えて)ないです。

前回の話を投稿して、ハーメルンでは何件かお気に入りが減ってしまいました。正直作者もあまり納得がいくモノを書けたかと言われると、頷けません。かといって、今の私には多分書けません。まだまだ成長しなくてはならないなと思いました。あとは園村と出会うシーンもですかね。改善点は多いです。

けれども、作品全体としては……個人的に、ちゃんとやれたなという感覚はあります。

まぁなろうコン、一次選考すら突破できませんでしたけど!

『作者の身の上話』

私は建築を学んで大学に行っている身です。理系です。脳ミソ文系です。アホです。

正直、昔から建築に興味があっただけで、行き先をミスったかなと。そんな私が、寝る時間を使ってでも小説を書きたいと思っているんです。

正直、めんどうだと思う仕事するくらいなら、小説家でも目指した方がいいんじゃないかと思う自分もいました。まぁまだいろいろと考えつつではありますが……小説家を目指すのが、少し怖いなと思う自分もいます。けれども生活を削ってでも小説を書いていいと思えるのなら、やっぱり小説家にでもなった方がいいんじゃないか。そんな悩みを抱えながら、書いておりました。

小説を書いていると、キャラが勝手に動くというのはよくあることで。最初の頃はキャラが動いてくれなくてキツかったのですが、途中からはちゃんと動いてくれました。

西園は庄司と会わせるための友人でしかなかったのですが……おかげで、中々いいキャラになってくれたと思います。いやほんと、ここまで彼にさせる気は最初なかったんですよ。

脳内キャラ動かし技術、という作家あるあるらしきものもあるので、やっぱり私には小説を書く方が性に合っているのでしょうか。

『次回作について』

庄司のようなオジさんを主軸に、いろいろと考えさせられる異世界ものを書いてみようかなと。書き方も結末も固まってはいますが、問題は話が二つしか浮かんでいないという点。まだまだ書けませんね。

小説を書くには、やはりテーマは必要なわけです。私は書いたものを通じて、何かを伝えられたらなと、テーマは考えて書いているつもりです。この小説は、やはり人と人との関わり合いでしょう。一目惚れして、見てるだけで相手は好きになってくれません。単純接触効果的にも、やはり関わらないといけないわけです。

正直、転生しましたモンスター殺しました罪悪感ありませんウェーイ、って好きじゃなくなりました。多分心が汚れきったんだと思います。なので、私は女神転生というゲームのように、色々な考え方をさせられるような小説を書けたらなと思います。あと、ヒロインだけでなく格好いい男の子もいいですよね。私は女神異聞録ペルソナのなんじょうくんが好きです。

しばらくはクトゥルフの続きを書きながら話をまとめていこうと思います。次回作のテーマは……家族とか、そんなものでしょうかね。

序盤はゆったりとシリアスな、途中からは淫夢語録とネタ、シリアス満載なクトゥルフの方もどうか読んでみてください。


さて、これで一通り話は終わりです。付き合っていただきありがとうございます。

それでは皆様、ここまで読んでいただき、また感想や評価をくださり、本当にありがとうございました。


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