青い泪とその従者 (すぷれえ)
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青い泪とその従者

「今日の分だ…。おいておくぞ」

 

 そう言っていつもの男は目も合わさずに去っていく。毎日の見慣れた光景だ。鉄格子の嵌められた小さな窓があるばかりの、この暗く狭い部屋に入ってくるのは、あの男を除いて他にはいない。窓は高く、外の景色を見ることも叶わない。

 

 自分がどうしてこうなったのか、ここに来る前はどうしていたのか。それももうあまり思い出せないが、『母』と呼んでいた人が最後にこちらを見てきたその青い瞳が、鋭くこの身体を貫いたことだけは覚えていた。あれは、あの視線は『憎悪』であったのか、『厭気』であったのか、いずれにせよ悪感情であったことは間違いないだろう。

 

 一人だけ慕ってくれた女の子も、この部屋には一度も来なかった。ここに来ることは赦されないのだろう。彼女はいずれこの家のメイドとなるべき人間だ。そのように教育され、また本人も自身の運命はそうだと確信していた。雇い主である『母』には逆らえない。一つ下の妹などは、すでに兄は死んだと聞かされているかもしれない。あるいは、『母』に教育されているであろう。

 

 

 この部屋は英国有数の名家、荘厳な外見と名にふさわしい内装を持つ『オルコット家』の中で、唯一の秘匿すべき汚点である。

 

 

 

「チェルシー。明日からの留学の準備。出来ておりますわね」

「はい。すべて滞りなく」

 

 英国貴族オルコット家の当主、セシリアは二人の従者に自室でそう問いかける。新たに拝命した『代表候補生』の肩書をひっさげ、来週には極東の地へと向かうのだ。仲の悪かった父と母がそろって巻き込まれ、帰らぬ人となってからずっとこの家を守ってきたその肩には決して降りることのない貴族の責がのしかかっている。

 

 ずっとそうしてきた。己はそうあるべきだと思っていたし、またそうあらねばならないと思っていた。たかが小娘と侮り、『オルコット家』の財を欲して近づいてきた政界の人間から、この家を守り抜くのは至難の業であったが、こうしてついて来てくれたチェルシー=ブランケットをはじめとした従者たちに力を借り、やってくることが出来た。

 

 ――――そして、もう一人。

 

「明日はプライベートジェットですが、さすがに極東の地までは時間がかかります。環境の変化にお嬢様のお体にもさわります。今日は早くお休みくださいませ」

「貴方に言われなくてもわかっておりますわ、ヘンリー。それ以上言いたいことがないならすぐに下がりなさい」

「申し訳ございません、お嬢様。失礼させていただきます」

 

 そう言って、もう一人の従者はチェルシーとともに下がっていく。執事服に身をつつんだセシリアの一つ上の男。かつては『あの部屋』で亡き者とされていた、ヘンリー=オルコットである。

 

 二人が出ていくのを見とどけたセシリアは、そのままベッドへと体を沈めた。彼女は明日、英国の名を背負って極東のIS学園へ向かうのだ。そこには楽しい学園生活などカケラも存在しない。ただ他国の開発中のISの戦闘データを収集し、自分と互角かそれ以上の力をもつIS学園教員との戦闘で『ブルー・ティアーズ』の実戦データを取り、本国へ送る使命があるのだ。

 

 あわよくば、IS学園に居る『世界最強』と戦闘を交え己の糧とし、英国国家代表の座を勝ち取るために。

 

 セシリア=オルコットには頼れる『従者』はいる。だが、彼女の負う責を分かち合える『共に並び立つもの』は、居なかった。

 

 ――――――可能性があった男はいたが、彼女はそれを諦めた。まだ大人の権力を知らぬ小さなころ、この邸宅の広い庭で、必死になって後を追った兄の背中は、今はもう彼女の中の幻想にしか過ぎない。

 

 今いるのは、チェルシーが目をかけているだけの、仕事のできない、常に自分の下の身分でセシリアに諂うしかないだけの、兄と呼ぶのもおぞましい抜け殻だ。

 

「男なんて、そんなもの――――」

 

 言い聞かせるように、セシリアは布団を頭までかぶった。

 

 

 

「全く、お嬢様ったら――――」

「何回も言っているけど、あれはもうしょうがない。兄らしくできなかった、俺の責任だ」

 

 妹の部屋を二人で出る。そのまましばらくは二人とも何も言わずに歩いてきたが、俺の部屋に入るなり、チェルシーがこぼす。

 

「ですけれど、仮にも『兄』である坊ちゃまに対してあのような口は――――」

「チェルシー」

 

 そういって名前を呼ぶ。不満げな彼女はあからさまなしかめ面を隠そうともせず、だからと言ってそれ以上続けることもなかった。軟禁されてからも俺のことを忘れずにいてくれ、両親が死んでからは、真っ先に俺を助けに来てくれたことだけでも感謝しているのに、ここまで慕ってくれるのは正直ムズかゆい。

 

 ただ、『母』を思わせるあの青い瞳に、どうしても苦手意識が先行してしまうのは、どうしようもない事実だった。たびたび『無能』呼ばわりされるが、当主としての責をすべて一つ下の妹に任せきりにしているのは、いくらISのせいで女尊男卑が進んだこの世の中でも決して褒められたことではない。

 

 妹のいうことは正しく、この身は『無能』である。真に妹がつらいとき、隣に並び立つことが出来なかった俺には、『兄』も『家族』も名乗ることはできない。

 

「わかりました。もう言いません。明日からの留学が心配ですが、ヘンリー様もお気をつけて」

「財政のことは任せる。苦労を掛けるが、よろしく頼む」

「今からでも遅くないので、それだけでもお嬢様に打ち明けたらどうですか?身の回りのお世話をするのはヘンリー様だけになるので、遅かれ早かればれてしまうと思いますが」

「隠し通せるところまでは隠し通すさ。母の後を追っているセシリアにはその『像』を崩したくはない」

 

 チェルシーは本家に残り。俺はセシリアについて日本へ行く。セシリアがISの代表候補生になってからは特に、オルコット家の運営は二人でやってきた。ISの訓練も激しいものなのに、セシリアにそれ以上の負担はかけられない。表ではチェルシーが指揮をとり、すべての財政をはじめとした運営を。裏で俺は、小さな当主に手を伸ばす金の亡者を、時にはこの手にかけたりもした。

 

 すべてセシリアは知らなくてよいことだ。彼女にとって俺は、未だに妹の瞳を満足に見られない臆病な男でしかないし、青い瞳を見られないのは本当だ。彼女もそんな俺を見て母に媚び諂う父に重なるところがあるのだろう。情けない兄、それでいいと諦めてしまっている自分がいた。今更打ち明ける気にもならないし、見返すという気も起きない。見返して何になる。彼女の肩書とそれに見合うだけの努力を知っているから。そういう風に追い込んでしまったのは、『並び立てる』可能性があったのにそれをしなかった俺のせいだ。 

 

 ――――――――所詮抜け殻のこの身にできるのは、彼女の歩く道が少しでも幸多からんことを願うのみである。

 

 

 

そして。留学したIS学園で、お嬢様が抜け殻のこの身とは違う、一本の芯を持った男に出会うこととなる。  

 従者として、抜け殻ではあるが兄として。これ以上ない幸せである。

 

 

 彼女はようやく、『並び立てる』ものに出会えたのだから。

 




 つりおつやってたら書きたくなった。
 リハビリがてら書きました。
 細かい設定とかガン無視。

 セシリアさんに「大変に気分がいいですわ」って言わせたかっただけ。
 できずに終わったけど。

 続きません。
 


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