クソの役にも立たないチート能力もらって転生した (とやる)
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クソの役にも立たないチート能力もらって転生した

 やあジョニー。神様転生ってやつは知ってるかい?

 

 もはや改めて説明する必要もないだろう。

 トラックに轢かれたり、いきなり現れた殺人犯に殺されたり。とにかく死んだと思ったらそれは神様のミスで、お詫びにチートを持って別の世界に転生させてやろうってやつだ。

 

 御察しの通りおれは転生者だ。

 道路に落ちてた500円玉を拾おうとしたらトラックに轢かれるというべったべたなテンプレで死んで、目が覚めたら居た辺り一面真っ白な世界で爺さんの神に「めんご」とひと言謝られて転生した。

 一連の流れを鮮やかな手並みで高速処理されたおれには、チートを選ぶ暇も転生する世界を選ぶ時間もなかった。全て神の意のままにってやつ。

 ざけんなクソジジィ!と別世界に飛ばされる間際に叫ぶと、呑気な声でファミリアに入れとかなんとか。

 

 急速にぼやける意識の中でおれは強く神に願った。

 いや、神っていうとあのクソジジィもか。おれは苦楽を共にした青春のバイブル(健全図書)に強く願った。

 

 ーーどうか美しいエルフのいる世界でありますように……!!

 

 おれはファンタジーが好きだったのだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 気がつけば、クッソでかい塔が目の前にあった。

 

 なにこれでかっ!!?

 その貫禄におれは思わず驚愕する。

 きょろきょろと辺りを見回しても、いいところ明治中期ぐらいの木造建築や石造りの民家しか見えないというのに、目の前の巨大な塔は素人目にも明らかに建築技術が周りと逸脱しているのがわかった。

 仮におれが住んでいた平成の日本でもこの塔を作り上げることは不可能だろう。

 

 ぼけっと塔を見上げて動かないおれを不審に思ったのか、さっきから人の視線をやけに感じる。

 おっといけないいけない、まずは世界観の把握をしないとな。

 塔を見たときはSFかと思ったが、周囲に科学技術が使われているようなものは見受けられない。

 都会をイメージするとわかりやすいが、仮に科学技術が発展していた場合見渡す限りの人で埋め尽くされるこの場にそれらしいものがひとつもないのは考えにくい。

 それに、剣を携えたり鎧を着込んだ人がさっきから塔に出たり入ったりしてるのを見るに、ファンタジー世界の線が強いな。

 

 ……てことは、もしかしてエルフがいるのでは!?

 

 エルフ。媒体によって設定は多種多様だったりするが、容姿が整っていたり、自然を尊んだり、高潔だったりの共通点も多くある。

 そして何よりエルフ耳と呼ばれる細長い耳が特徴だ。

 隠さずに言おう。おれは耳フェチなのだ。

 いやあ、学生時代はエルフモノのバイブルによくお世話に……ごほんごほん。

 

 とにかく、エルフがいるかもしれないのなら話は早い。

 転生特典としておれに与えられているはずのチート能力を存分に活用し、エルフの美少女とのめくるめくるラブロマンスをするのだ。

 

 行動の指針を決めたおれは、取り敢えずさっきからファンタジー風な衣装のお兄さんお姉さんが出入りしている塔の中へ入る。

 塔は内部もとても現代日本の建築力では実現し得ないような構造になっており、科学技術以外のなにか超常的な力が存在する事は間違いない。

 ファンタジーっぽいし魔法かな?

 

 どうやらファンタジー世界の住人たちはおれの目の前に見える通路から地下へと降りているようだった。

 ふむ……地下か。どちらかというとワールドマップで世界中を探索するのがメインだが、地下迷宮を攻略するパターンの作品も少なくはない。

 もしかしたらここは地下に迷宮がある都市なのかもしれないしな。

 装備を持ち込んでいるということは十中八九害をなす敵がいるのだろう。

 地下に人が向かう目的は分からないが、そこにバトルがあるのだけは間違いない。

 

 ふっふっふ。神様転生のお約束として転生者はとんでもなく強いチート能力を持っている。クソジジィに勝手に決められておれに与えられたチート能力がどういうものかは知らないが、チート能力自体はあるはずだ。

 なんだろう、やっぱ王道の超魔力とかかな?エルフって魔法使いのイメージがあるから、すごい魔法使いだとお揃いっぽくてこう……いい。

 でも肉体強化系の能力も捨てがたいな……ステゴロ最強は男の浪漫っていうか。いや、やっぱ自分で動くの怠いし怪我することありそうだから魔法でいいや。痛いのは普通に嫌だ。楽してチートムーヴしたい。

 

「……!?」

 

 おれとすれ違った魔導師風のお姉さんがぎょっとした目でおれを見た。

 え……そんなにおれキモいっすかね……と落ち込みかけたが、よく考えたら今のおれは手ぶら、いわゆる装備無しの裸状態なのでそれに驚いたのだろう。

 心配を掛けさせるのも悪いから、大丈夫ですよ。自分チートあるんで!って想いを込めてマッスルポーズを取っておいた。

 なんか見てはいけないものを見たかのように目を逸らされたが、おれは気にしない。気にしないったら気にしない。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 階段を降り切ったら広い空間に出た。

 その広さゆえに地下とは思えないほどの開放感があるが、一面の岩肌や薄暗い光量がここは地下なのだと視覚に訴えてくる。

 日本だとなかなかお目にかかれない光景にほえーと感嘆しながら進んでいると、前方に見える壁がぼこり、と盛り上がった。

 なにやつ!?と身構えるおれをよそにそれは放射状に広がり、やがて1匹の生物を産み落とす。

 それは太った子どもぐらいの大きさの豚のような二足歩行する生き物だった。

 

 えっキモい。

 

 思わず漏れたおれの呟きを理解したのか、その生物はキェー!と人の耳では聞き取れない鳴き声を上げて猛然とおれに向かってくる。

 

 待って待ってキモいキモい無理無理無理。

 転生前のおれならばこんなの見た瞬間に即逃げるのだが、今のおれはひと味違う。

 見た目はキモいが所詮お前はただの経験値。これから始まるおれのエルフハーレムの最初の礎となることを誇ってあの世に行くといいわ!

 さあ!神から譲り受けたチート能力を刮目せよ!

 

 ちょっとカッコつけて顔の前で腕をクロスさせ、勢いよく両腕を突き出す。

 おれの両手から発射された灼熱の炎がキモい生き物を飲み込みーー……。

 

 えっ!?ちょっと魔法でないんですけど!?

 

 目と鼻の先まで迫っていた生物の体当たりを頭から飛び込んで躱す。

 胸から着地してグエッとヒキガエルのような声が出るが、今のおれはそれどころじゃなかった。

 ポーズが違ったのか……?それなら!

 

 素早く立ち上がったおれは右手を高々と掲げて叫ぶ。

 いでよ裁きの落雷よ!奴を討ち滅ぼせ!

 おれの声に天から呼び起こされた青き雷が生物を焼き尽くしーー……。

 

 だからなんで!?

 

 雷は出ず、またもや眼前に迫る生物の体当たりを必死で躱す。

 これもしかしておれのチート能力は魔法じゃないのか?スーパーマン的な肉体強化とかのチート能力か?

 

 魔法チートじゃないのはめちゃくちゃ残念だが、まあ肉体強化なら及第点だ。

 痛いのは嫌だが、腐っても神の与えたチート能力だ。どんな攻撃も跳ね返す鋼のボディのはずだ。

 

 肩幅ほどのスタンスを取って腰を落としたおれは、襲いくる生物相手に回避行動をとらず一歩踏み込んだ。

 出来るなら触りたくないけど喰らえ!通信空手仕込みの正拳突きぃ!

 

 おれの右拳が自分でも自画自賛するほどキモい生物の心中を的確に捉えーー。

 

 ぼき。

 

 乾いた音が響きおれの右手が折れた。

 

 いっっっってええええええ!!?

 右手を起点に脳を走る痛覚の大合唱に意識が弾ける。

 生きている間骨折をした事がなかったおれにとってこれは未知の痛みだ。

 痛い以外の事がまったく考えられない。

 だから、おれは生物の追撃に気がつく事ができなかった。

 

 がつん、と頭を殴られる衝撃。

 あまりの衝撃にトラックに轢かれたのかと嫌な記憶がフラッシュバックするが、真っ白に染まる頭は直ぐにそんなことも考えられなくなる。

 数回ごろごろと転がって止まったが、とてもじゃないが立ち上がれない。

 立ち上がるどころか右手は熱いし頭も熱いし痛いし頭の中に鐘が取り付けられてぐわんぐわん叩かれまくってるように響く。

 鼓膜が心臓に変わったんじゃないのかと錯覚するレベルに耳鳴りが酷かった。

 もう痛すぎて左手で頭を触ったらべったりと血がついてるし、それを認識した瞬間の恐怖はそれはもう凄まじいものだった。

 

 殺される。

 

 自分より格下だと思っていたはずの生物が、その時のおれには死神よりも恐ろしい何かにみえた。

 とにかくその生物から距離を取りたくて、おれはみっともなく涙を流しながら尻を地面に擦り付けて後ずさる。

 太ももを生温かい液体が伝っていることも気がつかないほどにおれは取り乱していた。

 

 だが、その生物はそんなおれをまるで意に介さず猛然と襲いくる。

 立ち上がって逃げることも出来なくて、おれは数秒後に来るであろう衝撃に恐怖して硬く目を閉じた。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

 ーー美しい声が聞こえた。

 歌うように、されど力強い声が聞こえたかと思えば、大気を焼くような雷撃が轟く。

 いつまでも来ない衝撃を不思議に思ったおれが恐る恐る目を開ければ、そこにはとても美しい女性がいた。

 

 さらりと流れる黒髪は絹のようで、触れるととても気持ちがいい事が分かる。切れ長の双眼に収まる紅い瞳は宝石のように煌めいて見えた。その身を包む白の戦闘着は彼女の高潔な精神を表しているように思えた。

 

 そして何より、その細長い両耳はーー!

 

「美しい……」

 

「ーーは?ちょ、おい!」

 

 こんなに綺麗なエルフがいるなんてファンタジー最高だなおい。

 困った顔も美しい……なんて思いながら、痛みで張り詰めたおれの精神は助かった安堵によって暗転した。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「む。目が覚めたか」

 

 ぱちぱちと瞼を動かすおれが身体を起こせば、そこには気を失う前に見た美しいエルフの女性がいた。

 

 ひゃっほう!やっぱとんでもなくかわいいな!?エルフ最高かよ!

 おれのテンションは瞬時に最高潮へ。当たり前だ。夢にまで見て実際に夢であれやこれやを散々したエルフが目の前にいるのだ。しかも目を見張るような美人のエルフが。これで手を出さないのなら男じゃない。

 

 ねえねえ君名前は?今暇?どこ住み?一緒に遊ぼうよ。

 

「ちょっ、やめ……私に触れるなァ!」

 

 ごふっ。

 手を握ろうとしたら、美人エルフさんの持っている片手杖の先端がおれの腹にめり込んだ。

 ちょ……あかんで。それはあきまへんでエルフさん。暴力ヒロインは時代遅れって話ですよ。

 いや今のはおれが悪かったか。

 

 腹の痛みで思い出したが、そういえばあれだけ痛かった身体が嘘のように痛くない。

 不思議そうな顔でエルフさんを見れば、ゴミを見るような目で語ってくれた。ありがとうございます。

 

「折れているようだったからポーションで治療しておいた。……冒険者の義理は果たした。次はしっかりと準備しておくんだな」

 

 そう言ってエルフさんはさっさと歩いて行ってしまう。

 いや待って。今彼女に置いていかれると心細すぎてやばい。今は痛くないとはいえあの痛みはしっかりとおれの身体に刻まれてしまった。そんな生物が現れるかもしれない場所に1人でいられるか!お願い待ってエルフさーん!……止まる気配がない。

 おれの声が虚しく響く。

 ほほう。もうおれとは関わらない腹積もりですか。なるほどなるほど……逃すかァ!!

 エルフさんの手を掴むべくおれはクラウチングスタートを切った。

 

「ひっ!?なんで追いかけて来るんだ!?怪我は治してやっただろう!?」

 

 あら可愛い悲鳴。

 って違うそうじゃない。怪我を治してくれたのは嬉しいありがとう!けど心細いからひとりにしないで!あと耳触らせて!ってか結婚して!

 

「ふざけるな!?私は高潔なエルフだぞ!?……というか本当に近寄るな!!臭い!!」

 

 え?臭い?

 お風呂は毎日入るタイプなんだけど……あ。

 ここにきてようやくおれは自分が失禁をしていた事実を思い出した。

 いやん!

 

「気色悪い声をだすなぁ!!」

 

 怒気を孕んだエルフさんの声も可愛いが……っていや走るの早すぎない?

 中高と陸上部だったおれは走りにはかなり自信があったのだがどんどん引き離されていく。これは本気でまずい。

 薄暗くて視界も悪いしおっかない生き物はいるしチートはないし、エルフさんに置いていかれると今度こそ死にかねない。

 何とかしてエルフさんを引き止めないと……そうだ!

 

 おいエルフさん!おれはクソ雑魚だぞ!放っておいたら死ぬぞ!エルフさんが見捨てたからおれは死ぬんだ!それでいいのか!!?

 

 おれの叫びにエルフさんがぴたりと止まる。

 ふふん、作戦成功。

 見ず知らずのおれを助けて治療してくれるような優しい高潔な美少女エルフであり、暫定おれのヒロインでもあるエルフさんはおれを見捨てられないだろう。

 咄嗟に相手の良心に漬け込むこの手腕。詐欺師の才能がありそうだ。

 ……いや、割と最低なことをしている自覚はある。あるけど生きるためだから。仕方ないね、うん。

 

「一階層で死ぬ冒険者は……」

 

 一階層?地下一階ってことか?

 冒険者っていうのもさっきエルフさんが言ってたな。恐らくこの世界のジョブかなんかだろう。

 おれは葛藤している様子のエルフさんに畳み掛ける。

 

 実際おれは死にかけていただろう?エルフさんが来なければ死んでいたぜ?へへ、あまりおれの弱さを舐めない方がいい。何せ大学入ってからぐうたら生活の極みだったからな。下手したら運動部の中学生と喧嘩して普通に負けるまである。

 

「ぐっ……!」

 

 ぷるぷると震えるエルフさんを見ておれは最後のダメ出しをする。

 ここでーーきめる!

 

 そんな後味の悪い思いはしない方がいいだろう?ほら、一緒に地上まで行こう。

 

「…………………………地上までだからな」

 

 ちょろい。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 エルフさんの半径5メートル以内には絶対に近寄らないという条件に心が泣いたが、取り敢えずおれは無事に地上に帰還することができた。

 潜っていた時間は体感として1時間ほどのはずなのに、陽の光が随分と懐かしく感じる。

 

 地上に出た瞬間エルフさんはソッコーで立ち去ろうとしたが、運命はおれを見捨ててはいなかった。

 

「おや?フィルヴィス?」

 

 その声にばっと勢いよく振り返ったエルフさんにつられて振り向くと、そこには優男然としたイケメンがいた。

 

 なんだぁ、テメエ……。

 

 おっといけない。イケメンを認識したら反射で呪詛を唱える悪い癖が出てしまった。

 それにしてもエルフさんはフィルヴィスって名前なのか……美少女エルフは名前まで素敵なんだなあ。

 

「その彼は……」

 

 イケメンが不思議な顔を向ける。

 なになに?おれのことが知りたいの?いいだろう、教えてやろう。

 おれはフィルヴィスの夫!天衣無縫の無一文!

 

「ふざけた自己紹介をやめろ!!」

 

 ごふっ。

 本日2回目の片手杖の殴打を頂いた。

 叩くなら叩くでせめてその綺麗な手で直接やってほしい。

 

「お前に触れるぐらいなら死ぬ」

 

 道のりは険しそうだ。

 

「……くっ、ふふっはははっ!そんなフィルヴィスは初めて見た!」

 

「ディオニュソス様!」

 

 おれたちのやりとりを見ていきなりくつくつと笑い始めたイケメンにフィルヴィスがぷりぷりと怒る。

 何だイケメンにしてはいいやつ……は?今ディオニュソスって言った?

 それってギリシャ神話のあの葡萄酒の???

 

「ああ。私はそのディオニュソスだよ……よく知っているね」

 

 まじかよ。

 てことは、おれがファンタジー世界だと思っていたこの世界は実は神様たちが戦争をするラグナロク的な世紀末な可能性が微レ存。

 確かにファンタジーはファンタジーだがおれが求めているのはそういうのじゃない。

 てか、神様がこうして目の前にいるって事はもしかしてあのクソジジィにも会えるのでは?

 

 出てこいクソジジィぃぃぃ!!!てめえチート能力寄越すって話ちげえじゃねえかああああ!!!

 

 しかし、ディオニュソスによるとそんな神は見たことも聞いたこともないらしい。

 もうまぢ無理。凹む。

 

 それから、では私たちはこれで、と別れようとするディオニュソスとフィルヴィスを泣き喚いて引き止め、この世界のことについて教えてもらった。

 泣き喚いてばっかだなおれ。流石にみっともなさすぎて涙がで、でますよ。

 でもまあ居た堪れなくしたもん勝ちみたいなところあるしね、仕方ないね。

 

 ディオニュソスによると、この世界は天界という場所から神様がやってきて【神の恩恵】というものを人間に与えファミリアを作るらしい。

 んで、その【神の恩恵】を与えられた人は要約するとスーパーマンになれるらしい。

 ……ん?そういえばあのクソジジィもファミリアに入れって言ってたな。これはもしやおれのチート能力のフラグたったのでは?

 

 話が逸れたが、そうやってスーパーマンになった人を冒険者と呼ぶんだとか。その冒険者は、特にオラリオではおれが潜っていた地下を探索してモンスター倒し、生活資金を稼いでいるらしい。

 要するにモン○ンか。なるほど理解した。

 フィルヴィスは目の前のイケメンのファミリアに属しているという。その【ディオニュソス・ファミリア】は出来たばっかで、今はまだフィルヴィスしか団員がいないとか。

 

 おれに電撃走る。

 2人しかいないファミリア。めくるめくる開かれる神と人の禁断の恋。

 いけません!いけませんよこれは!フィルヴィスはおれのヒロインだ!NTRとかきょうび流行んねえんだよ!

 そこまで一瞬でシミュレーションしたおれは、おれもファミリアに入れてくれ!と力強く言った。

 

「ーーは?絶対に嫌だ」

 

 おっふ。

 フィルヴィスの目が冷たすぎて背筋が震える。おかしいな、今日はぽかぽかしているはずなんだけど。

 出会ってからまだそんなに経ってないのにどうしてここまで好感度が下がっているのか……全部おれが原因ですね。本当にありがとうございます。凹む。

 

「……いや、いいだろう。彼もうちのファミリアに入ってもらおう」

 

「そんな!?お考え直してくださいディオニュソス様!」

 

 イケメン……!お前……!

 なんだよ……イケメンにもいい奴っているんだな……!

 やったーと歓声を上げ全身で喜びを表現するおれを、フィルヴィスは牛乳を拭いて三日放置した雑巾を見るような目で見てくるが、まあここから好感度を上げれば問題ないだろう。

 へへっ、ギャルゲーはおれの数少ない得意分野なんだ。直ぐにその固く閉ざされた心を開いておれにメロメロにしてやるよ。

 

「ディオニュソス様!私は嫌です!こんな下卑た男を入れるなど!?」

 

 ……これ本当に好感度上がるのか?

 今朝登校中にぶつかった美少女転校生とか目じゃないぐらいに嫌われてるような気がするんだが……ま、まあおれは転生者だし大丈夫だろう。

 転生者ってやつはだいたいハーレムを作るんだ。おれ知ってるよ、詳しいから。

 

 猛反対するフィルヴィスも結局はディオニュソスに宥められ、おれは【ディオニュソス・ファミリア】に所属することになった。

 今は零細ファミリアという事でディオニュソスとフィルヴィスが共同生活をし、おれはお金だけもらって安アパートに転がり込む手筈になった。

 いやさらっと言ったけどおれのフィルヴィスと同棲とか見逃せねえからなあ!?と騒いでみたものの、フィルヴィスはおれを生理的に嫌悪してるみたいだしお金はないしでおれの主張は認められなかった。凹む。

 これはせっせとお金貯めてホームってやつを買うしかねえな……。おれもフィルヴィスと1つ屋根の下がいい。

 

 そうそう。

 ファミリアに入ったからおれも【神の恩恵】を刻んでもらったんだけど、そこでようやくおれのチート能力が判明した。

 

「ーーすごいな。もう魔法が発現しているよ」

 

 魔法!?

 やっぱおれのチート能力は高火力魔法だったか!

 クソジジィさんきゅーな!

 喜び勇んでディオニュソスからおれのステイタスが記された羊用紙を受け取る。

 やっぱ王道は炎の魔法だよなー。主人公っぽくてかっこいいし。でも雷も水も捨てがたい。いっそ全部とか!?

 どれどれ、おれの魔法は……。

 

 魔法

 

【メガンテ】

 ・自爆魔法

 

 …………………………………………。

 理解し、飲み込むのにしばしの時間を要した。

 そこに記されていたのは、かの有名なドラ○エのアレだった。

 

 おれ死ぬじゃねえか!?

 

 ざけんなボケェ!てめっ、クソジジィィィィィィ!!

 確かに高火力の魔法だけど!一回こっきり!しかもおれの命と引き換えじゃこんなん無いのと一緒だわ!だれが使うか!!!

 しかもあれはゲームだから許されるんであって、これ現実では使ったらどうなるんだ?

 身体が爆散して血肉を撒き散らすとかのショッキング映像に成りかねない気が……いや絶対使わんけども。

 

 こうして、微塵も使えないゴミみたいなチート能力を与えられて転生したおれのエルフハーレムを目指す冒険が始まった。

 

「いいか!?ディオニュソス様のお言葉で仕方なくお前と探索するが絶対に私に触れるな!近づくな!破ったら私は自分を抑えられるか分からないからな!?」

 

 前途は多難である。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 月日が流れるのは早いもので、おれが【ディオニュソス・ファミリア】に入ってから3年が過ぎた。

 

 3年というのは長いようで短い。だが、おれたちが積み上げた時間は小さくも着実な成果となって現れている。

 まず、団員が増えた。

 おれとフィルヴィスだけだった団員も今はなんと15人もいる。

 フィルヴィスとの2人きりのダンジョン探索が出来なくなったのは残念だけど、稼ぎが目に見えて増え賑やかになったのはおれとしても嬉しい。

 特に、おれは早くに両親を亡くして1人暮らしをしていたからこの賑やかさがとても好ましかった。

 まだホームは買えないけれど、この調子ならもうそろそろ買えそうである。

 夢のフィルヴィスと1つ屋根の下までもう少しだと思うと胸とか期待とかあといろんなものが膨らみますね。

 

 それから、おれとフィルヴィスはLv.2にランクアップした。

 ……いやね。結局チートは無いに等しかったわけで、おれとしても痛い思いはできる限りしたくはなかったんだけども。

 フィルヴィスはがんがん強くなるからさ……おれも強くならないと求婚したときの報復でガチで死にかねない。

 なら求婚をやめればいい?ははっ、抜かしおる。

 おれが美少女エルフヒロインを諦めるわけがない。

 なんか緑髪のとんでもねえ美人のエルフさんも見かけたが、おれの目はフィルヴィスしか見えていない。ギャルゲーとかも1ルート1人がスタンダードだしね。あの緑髪のエルフさんはフィルヴィスを攻略してからだ。

 

 ここまででもうわかったかと思うが、積み上げた3年という月日はおれとフィルヴィスの関係になんら変化をもたらさなかった。

 毎日のように求婚しているというのに、フィルヴィスの態度にデレのデの字も見当たりやしない。

 あ、フィルヴィス発見。おーい!結婚してくれ!耳触らせて!!

 

「近寄るな!死ね!」

 

 ごふっ。

 へへ……この片手杖の打撃にももう慣れてきたぜ……。

 そんなおれたちの様子に周囲の団員からまた副団長が懲りずにやってる……と冷ややかな視線を向けられる。

 おかしいなー、結構死線を共に乗り越えたと思うんだけど……普通こういったパターンだとともに危機を乗り越えるうちに愛が芽生え……ってやつじゃない?そんなにおれが嫌いってことですか?凹む。

 

 まあでもおれは諦めない。

 絶対にフィルヴィスを落としてあんなことやこんなことをしてそのエルフ耳を触ってみせる。

 覚悟しておくんだな!

 

「死ね」

 

 怖いんでガチトーンで言うのはやめてください。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 さらに1年の月日が流れた。

 

「「「かんぱーい!!」」」

 

 迷宮探索は順調で【ディオニュソス・ファミリア】はついにホームを手に入れることが出来た。

 昨日ようやくホームが完成し、今日は完成したホームでファミリアのみんなでお祝いである。

 

「みんなの頑張りのおかげだ。本当によく頑張ってくれた」

 

 優雅に葡萄酒を飲みながら団員と談笑しているディオニュソスを尻目に、おれは湧き上がる歓喜に震える。

 くそ……イケメンは絵になるな……。

 おっと。尻目どころかがっつり見てしまっていた。

 とにかく、念願のホームである。フィルヴィスとの1つ屋根の下である。同棲である。水浴びを覗き放題である。

 あれほどおれを嫌っていたフィルヴィスがおれと一緒のホームで暮らし、同じ釜の飯を食べる。これはもう結婚といっても差し支えないのでは?

 

「黙れ。耳が腐る」

 

 なん…だと…!?

 いつもなら二言目には死ねが飛んでくるのに!

 苦節四年、ついにフィルヴィスがおれにデレた……!

 長かったなあ……じゃあ早速結婚しよう、フィルヴィス。耳触らせてくれ。

 

「ええい、近寄るな!ふん!」

 

 伸ばしたおれの手を避けるようにガタッと椅子を引いたフィルヴィスはそのままずんずんと歩いて行ってしまう。

 ああ……せっかく副団長の職権濫用でフィルヴィスの隣の席を手に入れたのに……。

 

「相変わらずですね、副団長」

 

 空いたおれの隣の席に妖艶なエルフの女性が座る。

 えっろ……じゃなかった。彼女はアウラさん。おれの後にファミリアに入ったエロフ間違えたエルフの女性。

 相変わらずも何も、フィルヴィスはおれのヒロインだからね。いつか絶対に耳を触ると決めてるんだ。

 

 アウラさんはこくこくとお酒を飲み、ふぅと一息ついてから流し目を作っておれを見つめ甘い声で言った。

 えっっっっろ。

 

「私の耳でよければ触らせてあげましょうか?」

 

 まじで?

 アウラさんのその細いエルフ耳を触らせて頂けるのですか?

 今さら取り消しても遅いですよ?

 

「ええ。構いませんよ」

 

 目を閉じたアウラさんが頭を差し出すようにぐいっとおれに近づく。

 

 えっ。

 いや待って待って。

 耳を触るだけじゃおれは止まりませんよ。

 アウラさんのエロフボディを隅から隅までねちっこく堪能するまで止まりませんからね。ぐへへ。

 さあ、酔っていたと取り消すなら今のうちですよ!

 

「……触らないのですか?」

 

 片目を開けたアウラさんがおれを見つめる。

 

 え。

 アウラさん本当に酔ってるの?まじで触るよ?

 …………いや。

 ほら、最初に触るエルフ耳はフィルヴィスのって決めてるっていうか。

 だからほら、アウラさんのエルフ耳を触ったらその誓いが守れなくなるというか!

 めっちゃくちゃ残念だけど!血涙するぐらい惜しいけども!

 やっぱそこは譲れないっていうかね!?

 

「……ふ、ふふっ」

 

 身振り手振りを交えながらまくし立てるおれがおかしかったのか、アウラさんは堪え切れないというように吹き出した。

 

「まあ、こうなるだろうとは思っていました。副団長はフィルヴィス一筋ですものね」

 

 ……いやいやいやいや。

 おれはエルフハーレム目指しているから。

 今はフィルヴィスをおれにメロメロにするのにかかりっきりなだけだから!

 ぜんっぜん!これっっぽっちも!そんなじゃないんだからねっ!?

 

「ええ、そうですね。ダンジョンでフィルヴィスがピンチの時は、自分の身を厭わずに駆けつけますものね」

 

 なっ。

 そ、それはほら、ピンチを助けられたどきどきが恋のどきどきになるっていうか!?

 アウラさん吊り橋効果って知らないの!?おっくれてるー!

 そもそもおれは痛い思いもしんどい思いもしたくないの!だから強いモンスターとかいたら躊躇いなく逃げるね!

 それにファミリアで1番強いフィルヴィスが無事ならそれだけおれが安全になるし!

 

「なら、私たち団員のピンチにもぼろぼろになりながら守ろうとするのはなぜですか?」

 

 そ、それはほら。フィルヴィスの好感度稼ぎ的な?

 おれに惚れさせるために点数稼ぎのためにあえて団員を助けてるんだよ。

 いやー、おれの点数稼ぎのためにいつもすまんね!

 フィルヴィスにもっとおれの武勇伝をカッコよく伝えてくれよな!

 

「ふふ、そういう事にしておきましょうか」

 

 意味深げにそう言い残し、アウラさんはディオニュソスの元へ向かう。

 ……くっそ、完全に弄られた。副団長をなんだと思ってやがる。

 あーもうだめだ。これはだめだ。なんか胸がぐわーってなる。

 こうなったら……フィルヴィスー!大好きだー!結婚しておれのハーレムの1人目になってくれー!あと耳触らせてくれ!!!

 

「死ね」

 

 ほんとまじで怖いんでガチトーンはやめてください。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「いい加減応えてあげたら?彼、あんなこと言ってるけど本当は……」

 

「ふん。ファミリアへの貢献は認めるが誰があんなクソ野郎なんかと」

 

「素直じゃないですね」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ホームが完成してから2年経ち、おれとフィルヴィスはLv.3になった。

 

 いやほんとおれよくここまで来れたな……。

 思わず自画自賛するのも仕方がない。結局チートは無いに等しいが、転生前と比べるとLv.3の身体能力は十分チートの範疇である。

 だってジャンプしたら二階建ての民家の屋根に登れるからね。

 こんなのオリンピック選手でも無理だよ。おれすげえ。

 

 思い返すと、本当に色々あったなあ……。

 痛いのは嫌だしんどいのは嫌だと言い続けていたのに、気がつけばおれの役割は盾と剣をもって最前線で戦う純戦士である。

 どうしてこうなったと小1時間ぐらい問い詰めたい。

 モンスターはまじで怖いし、ミノタウロスを最初に見た時はションベンちびるかと思った。もう失禁は勘弁だと寸前で堪えたが。

 ごめん嘘本当はちょっとだけちびった。

 

 モンスターの攻撃は痛いし、フィルヴィスの杖殴りはもっと痛い。運が悪いと骨が折れるし、水浴びを覗いてガチギレしたフィルヴィスの魔法でまた転生するところだった。

 おかしい。デレる気配が全くない。

 あれれー?おっかしいなー?

 しかし、ここにはどんな難事件も解決してくれる麻酔を撃ちまくる名探偵はいない。おれは自分でこの難題を考えなければならなかった。必ず解き明かしてやる……!ギャルゲーマスターの名にかけて!

 だが何故だ……。随所で仲間を助けるファンタジー界隈のカッコいい行動ムーヴを繰り返し、毎日愛の言葉を紡いでいるというのに。

 考え始めて数秒で迷宮入りしてしまった。

 エルフハーレムの道は険しい。

 

「はい、更新できたよ」

 

 おれの背中に指を添えてステイタスの更新を行なっていたディオニュソスがぽん、とおれの背中を叩く。

 上着を着てから受け取った羊用紙をみれば、耐久が大きく伸びたおれのステイタスが記されていた。

 

 さんきゅーディッオ。

 あれかな、やっぱ毎日フィルヴィスに杖で殴られてるから耐久だけ抜きん出てるのかな?

 

「まあ、そうだろうね」

 

 やっぱそうかー。

 フィルヴィスのやつ、おれの耐久が成長するに合わせてより力を込めてきてる節があるからなー。

 お陰でいつも新鮮な鈍痛がおれに寄り添う。

 お前じゃなくてエルフに寄り添って欲しいんだよふざけんな。

 いつになったらデレてくれるのかなーほんとに。

 出会った当初よりは距離を縮められたと思ってたんだけど、おれの勘違いなのか……。

 

「そうでもないと私は思うよ。君といるときの彼女はどこか楽しそうだ」

 

 まじで?

 でもフィルヴィスっておれにはあんま笑顔見せてくれなくて……。

 今日も朝挨拶したらいつも通り杖と熱烈な抱擁をする事になったし……。

 

「ま、まあ君が諦めなければいつか思いは届くかもしれない……いや、今のままだと無理かな……」

 

 おい。

 ……おい。言ってることちげえじゃねえか。

 神だからって何言っても許されると思うなよ。

 おれ、ひさびさにキレちまったよ。屋上いこうぜ。

 

「……あ、おーい!フィルヴィス!ちょうどいい所に!」

 

 おれの怒気に冷や汗を流したディオニュソスが、偶然通りかかったフィルヴィスに手を振りながら駆け寄っていく。

 

 あっこいつ!

 待てこらっ!逃がさねえからなあ!?

 それはそうと……フィルヴィスー!おれだー!結婚してくれー!耳も触らせてくれー!

 

「いい加減にしろ!」

 

 ごふっ。

 あ、朝と同じ場所を的確に杖で……これが時間差二重の極みってやつか……。

 腕を上げたなフィルヴィス……。

 

「本当におまえというやつは……!もっと誠実に振る舞えないのか……!」

 

 腰に手を当ててぷりぷり怒るフィルヴィスがものすんげえ可愛いなって思った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「最初は監視が目的でファミリアに入れたが……彼が居てくれて良かった。そう思うだろ?」

 

「……いいえ。全く思いません」

 

「ははは、素直じゃないな」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ギルドからの強制任務。

 ある一定のランクまで達したファミリアは、ギルドから直々の命令を下されることがある。

 それは拒否が出来ず、命令されたファミリアはそれに従うしかない。

 あくる日の【ディオニュソス・ファミリア】及び他複数のファミリアはギルドからの強制任務により27階層まで行くことになった。

 

 あーーーーーーめんっどくせ。

 

「………………」

 

 思わず心の底から出てしまったおれの本音にフィルヴィスがゴミを見る目になる。ありがとうございます。

 

 強制指令の内容は27階層に集まるらしい闇派閥の打倒。

 どうも隠密に進める電撃作戦らしく、これから直ぐに準備をして出発になる。

 いやもうほんとに面倒くさい。闇派閥のやってる事はそりゃおれも良くは思ってないが、だからといって自分から闇派閥を倒してやろうとは思わない。

 そんなのは【ロキ・ファミリア】とか【フレイヤ・ファミリア】とかのバケモン連中に任せておけばいいのに……なんでおれらがって気持ちでいっぱいだ。

 

「ぐずぐずしてないでさっさと準備をしろ」

 

 やる気0でだらけるおれを軽蔑するような声音でフィルヴィスが急かす。

 団員の編成に装備の点検、最終的な確認その他諸々と副団長の仕事は意外に多い。なんでおれ副団長なんてやってんだ。こんなにめんどくさいのに。

 ……まあフィルヴィスと少しでも一緒に居たいからなんだけど。

 残念なことにフィルヴィスはあまりおれと仕事をやりたがらないのでその目論見を果たせているかどうかは怪しいが。凹む。

 あ、でも。最近は結構一緒にやる事が多くなったかな。団員が増えて雑務が多くなったっていうのもあると思うけど……もしかしてついにおれの魅力に気がついてくれた?結婚しよう。耳触らせてくれ。

 

「いいから早くやれ」

 

 ごふっ。

 この片手杖の一撃も何千回目か分からんな……なんせ初めて出会ってから明日で7年だ。

 その間毎日プロポーズしてるというのに目の前の美少女エルフさんはちっとも靡いてくれない。

 いい加減におれも挫けそうになる。いや諦めないけどさ。

 7年目の記念日はとっておきのものも用意してるんだ……ぐへへ、明日を楽しみにしておくんだなフィルヴィス!

 なんせ今日がシャリアという姓を名乗る最後の日になるんだからな!

 ぐっへっへっ、明日フィルヴィスについにあんなことやこんなことをできると思うと胸と息子が期待に膨らむぜ!

 

「はあ……本当におまえというやつは……」

 

 美少女エルフのため息を全力で吸いにいったら思いっきり蹴られた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 そこは地獄だった。

 

「うわああああああッ!!」

 

「う、うああああ、ああああああっ!!」

 

 絶え間なく鼓膜を引き裂くような悲鳴と怪物の雄叫びが響き、甲高い金属音が空間を蹂躙する。

 

 27階層に辿り着いたおれたちを待ち受けていたのは、闇派閥と思わしき人影と視界を埋め尽くすほどのモンスターだった。

 罠だ、と気がついたときにはもう遅かった。

 一部の隙もなく空間を埋め尽くすモンスターに囲まれたおれたちには迎撃の選択肢しか残されていない。

 

 敵も味方もない大乱戦が始まった。

 

 ダンジョンは下に潜れば潜るほど出現するモンスターが強くなる。

 下層に分類される27階層に出現するモンスターはかなり強い。この世界に転生した日におれが殺されかけたあの怪物など比較にもならない。さらに途方も無い物量で迫られると悪夢以外の何者でも無かった。

 おれは必死で無尽蔵かと見紛うほどの怪物の大群を捌いていた。

 

 視認不可避の弾丸のような速度で突撃する【イグアス】を何とか盾で防ぐ。

 ずしりと重い衝撃に立ち止まりそうになる身体を気合いで動かし、1匹でも多くの怪物を倒すために前へ。

 目の前には、怪物の物量に押し倒された団員の姿があった。

 

 やめろっっ!!!くそ、どけよ!!!

 

 地を踏み砕かんばかりに突進するが、とてもじゃないが間に合わない。

 おれだけだったなら。

 

「【ディオ・グレイル】!」

 

 団員を守るように白亜の盾が展開される。

 それは怪物の攻撃を防ぎ、その間に距離を殺したおれが即座に致命の一撃を叩き込む。

 

 どん、と背中と背中がぶつかった。

 ……半径5M以内には近づかないんじゃなかったか?

 

「いつの話だ。無駄口を叩く暇あるなら1匹でも多くの敵を倒せ!」

 

 その檄に尻を蹴られるように、おれは目の前の怪物に飛びかかる。

 盾で冷静に攻撃を捌きつつ、混戦に浮き足立つ団員たちに矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 指揮能力もこの数年で随分と磨かれたものだ。

 

 他のファミリアの人間には悪いが、おれたちの生還を最優先させてもらう。

 うちのファミリアで最も戦闘能力が高いのはフィルヴィスだ。情けない事この上ないが、フィルヴィスには踏ん張ってもらわないといけない。

 

「お前こそ、私に遅れるなよ」

 

 こんな状況だというのに、ハッパをかけるようにフィルヴィスの口角が上がる。

 ……言ってくれるじゃねえの!

 おれはエルフハーレムを作る野望のためにこんなところで死ぬわけにはいかないからな!フィルヴィスこそおれのハーレム要員なんだから死ぬなよ!

 

 おれとフィルヴィスが最前線で戦い、アウラさんを中心とした残りの団員がひと塊りになって怪物の対処に当たる。

 壁際の地形も利用して、とにかく生き残ることを最優先だ。

 このまま消耗戦になるのはまずいが、今はこれ以上の手がない。

 戦力を一点突破させればこの包囲網も突破できそうだが、混沌を極めるこの戦場で他のファミリアと連携を取るのは難しいだろう。

 一撃で戦況を覆せる大火力があれば話は別だが、そんなものはどこにもない。

 

 怪物を斬り、殴り、潰し、蹴り飛ばす。

 剣を振るったら横から別の怪物の攻撃を喰らい、盾で防げば狭まった視界から強襲を受ける。

 ポーションはとっくの昔に底をつき、身体が傷を負うたびに加速度的に体力が失われていく。

 

 これはマジでやばい。

 本気のマジで死にそう。

 

 弱った身体が弱音を絞り出すが、おれはそれを根性で捩じ伏せる。

 痛いのも苦しいのもしんどいのも本当の本当に嫌で嫌で仕方がないが、死ぬのはもっと嫌だ。

 なんせ夢にまでみたエルフのいる世界に転生したというのに、エルフハーレムはおろかエルフ耳すら一度も触れていないのだ。

 他のファミリアの人間を踏み台にしてでも絶対に生き残ってやるからな。

 倫理観とか知るか。こんな状況でそんなこと言う奴は頭がいかれてる。誰だって自分の命が一番おしい。当たり前だ。

 

「うぁーーっ!」

 

 不意に、耳に馴染んだ美しい声が聞こえた。

 凄まじい焦燥感に駆られて振り向けば、マインドダウン寸前なのか苦しそうに膝をついたフィルヴィスが怪物に殴り飛ばされる瞬間だった。

 

 頭が真っ白になった。

 気がついたときには、おれはフィルヴィスを突き飛ばしていた。

 

「ーーーーーぁ」

 

 おれに押されたフィルヴィスがどうして、と目を見開く。

 驚いた顔も可愛いぜーーなんて思った瞬間意識が飛びかけるほどの衝撃がおれを襲った。

 

 凄まじい勢いで吹き飛ぶおれは別の怪物にぶつかってすぐに止まる。

 刹那、また別の怪物の牙がおれの横腹を食い破った。

 

 肉と内臓を食いちぎられる灼熱の痛みに頭が沸騰し、人の喉から出たとは思えないほどの絶叫をあげる。

 火花が散る視界が捉えたのは、続けざまにおれをがぶりと狙う怪物。

 

 お、おれなんか食べたらお腹壊しますよ。

 声に出そうとして掠れた音が喉から絞り出され、怪物はおれの喉笛を食い千切ろうと牙を突き出す。

 咄嗟に掲げた右手により絶命は免れたが、その代償におれの右腕は肘の中程から先がなくなった。

 

「うあああああっ!!!」

 

 悲痛な叫びをあげるフィルヴィスが怪物をおれが落とした剣で薙ぎ払い、そんなフィルヴィスを守るように団員たちが奮戦する。

 くっそ、フィルヴィスを守るのはおれの役目だぞ。点数稼ぎの邪魔しやがってこのやろう。

 

「おい!おいっ!!しっかりしろ!!」

 

 膝をつき、横たわるおれを抱きかかえたフィルヴィスが必死に呼びかける。

 身体中痛くて痛くて仕方がないのに、初めて触れた彼女の体温が温かくて、それが嬉しくて仕方がなかった。

 へへ、こんなに近くでフィルヴィスの顔を見たの初めてだ。

 

「ばかっ!喋るな!今すぐ治療をーー」

 

 ポーションを取り出そうとしたフィルヴィスの手が止まる。

 すぐにおれのポーチに手を伸ばしたが、当然そこにもポーションはない。とっくの昔に使い切ったのだから、あるわけがない。

 

「あ、ああああ、あああぁぁっ」

 

 表情を絶望に染めたフィルヴィスがか細い悲鳴をあげる。

 

「だ、だれか……だれか!!回復魔法を使える者はっ!!?早く……早く来てくれ!!!お願いだから……っ!!!」

 

 必死に叫ぶも、こんな混沌とした戦況では意味がないだろう。

 おれが他のファミリアより自分のファミリアを優先したように、他のファミリアもそうするだろう。

 仮におれが回復魔法を使えて、おれの近くに今のおれのような人がいたとしても、きっとおれは回復魔法を使う事はない。

 だから……さ。もういいよ、フィルヴィス。

 

「よくない!よくな、い……から……!お前は喋るな……っ!」

 

 いいや。もういいんだ。自分の身体のことだからな。もう無理だってわかる。

 

「うるさい……っ!いいから、喋るな……!今すぐ止血をすればきっと……!」

 

 フィルヴィスが止血をしようと尽力するが、血の勢いが緩むだけで止まる気配がまるでない。

 密着しているのでおれの身体から急速に体温が失われていくのが分かったのだろう。

 フィルヴィスの宝石のような紅い瞳の双眼から大粒の涙が溢れ出す。

 それはぽたぽたとおれの顔に落ちて、頰の血糊と混じって伝っていく。

 美少女エルフは泣いても美しいなあ。耳を触らせてくれ。

 

「……結婚してくれとは……言わないのか……っ」

 

 言ったら結婚してくれるの?

 

「生きて帰ったら応えてやる!だから、だから……!死ぬな!……死なないで……っ!!」

 

 涙で声を震わすフィルヴィスの姿は痛ましいのに、おれは嬉しくて仕方がなかった。

 全く酷いやつだ。美少女エルフを泣かせて、しかもそれを嬉しいと思うなんて万死に値する。

 でも……へへ、やったぜ。数年かかったけど、フィルヴィスを攻略できた。転生者の面目躍如ってところかな。

 けど、だったら尚更結婚してくれとは言えないなあ。もう居なくなるような奴がそんな事を言えるわけがない。

 

 ……あ。でも、1つだけお願いがあるんだ。いいかな?

 

「……ふ、うぅ……なん、だ……」

 

 エルフ耳触るのがおれの夢なんだ。最期に触らせてくれ。

 

「……好きなだけ!!好きなだけ……触っていい……から……最期なんて……言うな……っ」

 

 やったぜ。では遠慮なく……。

 鉄でも埋め込まれたのかと錯覚するほど重い左手をなんとか持ち上げてフィルヴィスの耳を触る。

 すべすべとしてて、ほんのりフィルヴィスの体温が感じられて、なんというか幸せで胸がいっぱいになった。

 あっくそ。右手なくなったんだった。この感触を堪能できないとは哀れな奴だ。いやおれなんだけど。

 

 ……転生する前からの夢、叶っちゃったなあ。

 

 そうそう。そういえばおれって転生者だった。

 あと、役に立たなさすぎて存在を忘れてたけどあったわ。一撃で戦況を覆せる大火力。

 

 フィルヴィス、悪いんだけどおれを立たせてくれないかな?なんかもう身体重くて仕方なくて。

 

「何を……する気だ……?」

 

 いやほら。逃げるにしても立たないとダメでしょ?だからね、お願い。

 涙を流すフィルヴィスの助けを借りておれはなんとか立ち上がる。

 フィルヴィスの白い戦闘着がおれの血で赤黒く染まっているのが申し訳なかった。

 ーーひとつ、嘘をついたことも。

 でも、きっと彼女は今からおれがしようとすることを正直に言えば協力してくれないだろうから。

 だから、ごめんなと心の中で謝った。

 

 アウラぁ!フィルヴィスを頼む!!!

 

 叫んで、おれはフィルヴィスを振りほどいて走る。

 ぐじゅりと嫌な音がして血が吹き出るが知ったことか。どうせあと数秒の命だ。

 

「ーーなっ、おい!まて!待ってくれ!!」

 

「フィルヴィス!!ダメよっ!!」

 

 咄嗟におれを追いかけようとしたフィルヴィスがアウラさんに羽交い締めにされる。

 追いかける側と追いかけられる側があの時と逆になったな、なんて思った。

 彼女にだけは一度話したことがある。

 なんでだっけかな、酒の席で酔いがまわってだったか……とにかく、無事におれの意図を汲み取ってくれたようだ。

 

 さあ、見せてやるぜ腐れ闇派閥と怪物ども。

 知ってるか?転生者ってやつは例外なくとんでもないチート能力ってやつを持ってるんだ。

 おれの命を賭けるんだ。これでゴミみたいな火力だったら化けて出てやるからなクソジジィ。

 

 怪物の攻撃を回避も防御も迎撃もせず、ひたすら前へ。

 ただただ中心を目指す。

 おらおら死にたくないやつは今すぐおれの後ろの壁際まで避難しろ!どうなっても知らねえからなあ!!?

 右腕をもがれ、腹が引き裂かれ、もう【神の恩恵】を刻まれたLv.3の冒険者の生命力に任せて動いてる感じだ。

 それももう限界だ。間違いなくおれはあと10秒もないうちに死ぬ。

 

 最期に、怪物どもの中心に飛び込みながら振り返ったおれは彼女を見た。

 

「やめて……っ!いくな……っ!いかないで……ーーっっ」

 

 ……初めて名前を呼ばれちゃった。

 へへ、嬉しいなあ。もう、本当に思い残すことはないや。

 あ、やっぱりひとつだけある。もっと君の笑顔が見たかったかな。

 

 ーーさあ、いくか。

 大好きなエルフの美少女が……彼女が笑って生きていけるように。

 おれは英雄じゃなくて、弱くて、情けない奴で、人間が出来てる奴でもない。

 むしろクズな部類に入るだろう。

 でも、そんなおれにだって譲れないものがひとつだけある。

 惚れた女も守れなくて、男を名乗れるかよ。

 

 だから、お前らは邪魔だ。おれが相手をしてやる。

 本当にうじゃうじゃと嫌になるが……お前らを倒すのに百や十の攻撃も要らない。

 

 「一撃だぜ」

 

【メガンテ】を となえた !

 

 

 ☆☆☆

 

 

 その事件は後に27階層の悪夢と呼ばれた。

 闇派閥の策略により事件に関わったファミリアは少なくない死者を出した。

 

 駆けつけた救助隊が見たのは、まるでダンジョンの空間がごっそりくり抜かれたかのような破壊跡。

 26.27.28階層にまで渡るそれは、信じられないことにひとりの冒険者によって成されたという。

 

 それを見たものは一様に口を揃えてこう言った。

 

『温かな白い光だった』と。

 

 

 ☆☆☆

 

 

『フィルヴィスへ。

 

 手紙なら素直になれるかなと思って書くことにしてみた。

 でもやっぱり恥ずかしいから単刀直入に言います。

 

 一目惚れでした。

 出会ったその日からおれの心は君に奪われていました。

 一緒のファミリアに入り月日を重ねるたびにもっと好きになっていきました。

 おれがエルフを好きなのも、エルフハーレムの夢がある事も本心です。

 でも、君が大好きです。

 君だけを愛しています。君しか考えられないです。

 恥ずかしくて茶化すように言っていたけど、君と番いになりたいと本気で言っていました。

 君がおれの隣に居てくれるだけで何も要らないと心の底から言えます。

 

 ……やっぱり恥ずかしいな、これ。

 この手紙は渡すかどうか分からないけど、もし読んでるなら……君には迷惑かもしれないけど、本気で向き合ってほしいと思う。

 おれも、もう茶化したりせずに本気で君にプロポーズするから。

 振られたら泣くと思うけど、変に距離を取らないでいてくれると嬉しい。

 

 プレゼントに用意した片手杖は気に入ってくれたかな。

 実はおれ、最初に見た君の魔法が大好きなんだ。

 おれを助けてくれた君の魔法。

 見た目も結構悩んだんだけど、綺麗な君にこの白い杖は似合うと思う。

 魔力を増幅する効果もあるから、戦闘にも使えるよ。

 良ければ、使ってくれると嬉しいです。

 

 顔から火が出そうなほど恥ずかしくてこれ以上書けそうにないので、ここで筆を置く事にします』

 

「……ばか」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 これは【ディオニュソス・ファミリア】が27階層より1人を除き全員生還し、白い戦闘着を纏う森の妖精が【死妖精】と呼ばれず。

 

 いずれ出逢う山吹色の髪の妖精やその仲間と笑いあえる、そんな未来がある世界の話。

 

 ひとりの転生者がひとりの妖精の幸せを願った、それだけの話だ。




別視点→


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2話

 第一印象は決して良くはなかった。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

 遠目に怪物に一方的に襲われている人が見えて、咄嗟に魔法で助けた。

 戯言を言って気を失ったヒューマンの男が武器も鎧も何ひとつないのが分かり、何を考えているんだと呆れつつも、赤々と腫れあがる右手やぱっくりと裂け血を流す頭を見てポーションを使う。

 新興ファミリア故の資金難にポーションの1本でも節約したいのは山々だが、気付いてしまった以上は放置するのは憚られた。

 バベルの治療施設にでも運んでやるのが1番なのは分かるが、エルフという種族は貞淑を重んじる傾向がある。

 もちろんエルフである私にもその傾向はあり、一刻を争う状況ならともかく……いや、たとえ一刻を争う状況であっても、心を許していない異性に触れるなど考えられなかった。

 ……それによほど怖かったのか、その……粗相をしてしまっているようだし。

 とは言っても意識のないそいつを放置する事も出来ず、私は適度な距離を取って怪物に襲われぬよう見張りをしていた。

 

「ぅ……? あれ、おれは確か……」

 

 微かなくぐもった声に目を覚ましたかと首を向ければ、意識が戻り、身体を起こしてきょろきょろと辺りを見回す男と目があった。

 

 交差する視線。

 クワッと男の目が見開く。

 

「やっぱり美しい……」

 

 ほうっと内心の感情を抑えきれなかった、というように熱のこもった声が溢れた。

 瞬間、素早く立ち上がった男は早口で何かを喋りながら私に近づき手を取ろうとする。

 

「ごふぁっ!?」

 

 思わず、私は装備している短杖を男の腹に叩き込んだ。

 ぐいぐい迫られる忌避感もあったが、何より見ず知らずの男に肌を触れられるなど冗談ではない。

 しかし、腹を抑えて蹲る男に流石にやりすぎたかと少しばかり反省を……。

 

「ぐ、おおお……出会った美少女エルフさんは暴力ヒロインだったか……っ。おれが悪かったとはいえっ。しかし我々の業界では……杖を介していてもご褒美になるのか?」

 

 ……反省をしようと思ったのだが、何やら葛藤をし始めたその様子にそんなものは秒で吹き飛んだ。

 頭と右手の痛みが引いていることに気がついたのか、不思議気に私を見る男に治療をした旨を伝えて立ち去る。

 何やら呼び止めようとしているようだが、冒険者として最低限の義理は果たしたのだから、これ以上私が関わる必要性はどこにもない。

 やがてその声も聞こえなくる。

 装備なしでダンジョンに潜るような男だ……恐らくもう会うこともないだろう。

 

「エルフさああああああんっっ!!!!」

 

 離れたというのに何故か近くから聞こえた声にちらりと後ろを振り向けば、無駄に良いフォームで猛然と走ってくる男がいた。

 ひっ。

 驚いた私は反射的に逃げ出した。

 

 男が必死の形相で迫るというのは普通に怖い。

 というかなんで追ってくる!? 怪我は治したというのにまだ何かあるのか!? 

 

「怪我治してくれてありがとう! でもひとりにしないでくれ! あと良ければ耳を触らせてほしいし結婚して欲しい!」

 

 その言葉に、私の思考が一瞬止まった。

 ……耳を触る? 結婚? 

(何故耳なのかは全くわからないが)出会ったばかりの男が、私の肌に触れ、あまつさえ番いになれと言うのか? 

 

 ………………ふざけるな!? 

 私をエルフと知ってそんな事を言うのなら、どれほど軽薄なのか自ずと分かると言うもの。

 出会ったばかりの異性に求婚など、薄情者以外のなんだと言うのだ。

 エルフである私にとって、その男は酷く下賤の輩のように見えた。

 こんな男にこれ以上関わることもない。

 

 男の敏捷値は高くないのか、すぐに距離が開いていく。

 ……距離が開く? まだルーキーである私とここまで差が出るのはおかしくないか? 

 まさか【神の恩恵】が……いやいやそんな馬鹿がいるわけがない。昨日今日冒険者になったのだろう。このまま引き離してそれで終わりだ。

 

「待つんだエルフさん! おれはめちゃくちゃ弱いぞ! エルフさんが居なくなったらおれは死ぬぞ! エルフさんが見捨てたから死んじゃうぞほんとマジで!!!」

 

 ぴた、と私の身体が止まる。

 男はまるで生き死にがかかっているかのように私に訴えかけようとしていて、その声は数巡前の私の思考に真実味を帯びさせる。

 まさか本当に……いやでも流石にそれは……それに1階層で死ぬ冒険者は滅多にいない。つまり、それほど出現する怪物が弱いということだ。

 

「でも実際おれは死にかけていただろう? へへ、あまりおれの弱さをなめない方がいい」

 

 くっ……! 

 何故か自信満々に宣言する男に、私は思わず拳を握り込む。

 確かに、私が助けなければこいつは死んでいただろう。

 普通ならば死なないような、弱い怪物しか出ない1階層で。

 それは確かに、男の弱さを裏付ける確固たる証拠だった。

 

「後味の悪い思いはしない方がいいだろう? 一緒に地上まで行こう。いやほんとまじでお願いします」

 

 ……非常に腑に落ちないが、確かにこんな男でもこの後直ぐに死なれると後味が悪い。

 せっかく使ったポーションも無駄になるわけだし。

 頭を下げる男に数秒……いや数十秒悩んだ末に、私は男と地上まで行くことにした。

 

「美少女エルフさんと2人で並んで歩く……これが洞窟デートというやつか……」

 

 だが条件がある。私の半径5M以内には近づくな。

 

「ええっ!?」

 

 当たり前だろう。なんでそんな驚天動地みたいな顔が出来るんだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 いつ距離を詰めてくるのかと警戒していたが、意外にも男は私の言葉をしっかりと守った。

 最初は私の警戒心に気づいているのかと思ったが、そもそも近づこうとする素振りが一切なかった。

 まあ、だから何だという話ではあるが。

 それにやたらと話しかけてくるのは鬱陶しかったし。

 

 日光を浴びて伸びをする男を尻目に目的は果たしたと踵を返す。

 この男といるとどうにもペースを乱されてしまう。普段の私は声を荒げるのも珍しい方だというのに。

 身体がどっと疲れたような気がするが、これでようやく終わりだと思うと肩の力が抜けるようだった。

 

 しかし、運命は私を見逃してくれなかった。

 

「おや? フィルヴィス?」

 

 私の名を呼ぶ声に弾かれるように振り向けば、そこには私の主神であるディオニュソス様がいた。

 

「フィルヴィスっていうんだ……」

 

 ぼそりと呟く男に私の名を知られたのは面白くなかったが、それだけならまだよかった。

 問題はこの後だ。

 

「ふ、ふふっ、はははっ! そんなフィルヴィスは初めて見た!」

 

 男の自己紹介に怒った私のやりとりを見ていたディオニュソス様が愉快だと笑う。

 その後、些か以上に世界の常識に欠ける男がいくつかの問答をディオニュソス様と交わし、天を睨みつけたりとよく分からない行動を取ったりした男は、力強く言った。

 

「おれを【ディオニュソス・ファミリア】に入れてくれ!」

 

 ──は? 絶対に嫌だ。

 思わず、私の口から自分でも驚くほど冷たい声が出た。

 

「さ、さっきの話を聞くに【神の恩恵】があればおれのチート能力が使えるから役に立つ……はず……!」

 

 私の態度に焦ったのか男が言葉を重ねるが、役に立つ立たないの話ではない。

 何を言っているか半分ぐらい分からなかったが、私はエルフとしての性で軽薄な男を嫌う。

 だから、嫌だと言っているのだから。

 

「……いや、いいだろう。彼にうちのファミリアに入ってもらおう」

 

「っしゃあっ!」

 

 しかし、そんな私の想いも虚しくディオニュソス様は男をファミリアに入れるように決めたようだ。抗議をするも、まあまあとディオニュソス様は苦笑を浮かべるばかり。

 喜ぶ男とは対照的に、急速に感情が死んでいくのが分かった。

 そんな私の視線に気がついたのか、男はビシッとキメ顔を作り宣言する。

 

「大丈夫だ! 直ぐにおれに惚れさせてみせる!」

 

 ほら見てくださいディオニュソス様! こいつはあんなやつですよ! 本当にこんな奴入れるんですか!? 

 

「……攻略不可ルート入ってない? 大丈夫これ?」

 

 無視してディオニュソス様に詰め寄る私の後ろから不安げな男の声が聞こえる。一瞬で聞き流した。

 

「フィルヴィス、よく聞いてくれ」

 

 ディオニュソス様が声を小さくして、私の耳に口を寄せる。

 擽ったいのでやめてほしい。

 

「彼について気になることがある。そのためにはファミリアに入れた方がいいと思ったんだ」

 

 そうは言っても、同じファミリアになれば関わり合いは避けられない。

 私の本音としては、それは嫌だった。

 そう告げる私に、ディオニュソス様はまるで杞憂だというように笑った。

 

「……ははは、フィルヴィス。彼は1度も『嘘』は吐いていないよ」

 

 …………? 

 その言葉の意味が飲み込めず、私の頭の中でぐるぐると回る。

 嘘を吐いていない。それはつまり、誰にでも愛を囁けるような薄情な男だということに他ならないではないか。

 だって、私とあの男は出会ってからまだ1日も経っていないのだから。

 

 ──でも。

 ディオニュソス様の言葉の意味はそうではない気がして。

 男とディオニュソス様の言葉が、ぐるぐる、ぐるぐると頭を回り続けた。

 

 その後、住む場所もないという男と一悶着あったが、男はディオニュソス様から【神の恩恵】を刻まれ冒険者になった。

 

「ざけんなボケェ!! あんのクソジィィィィ!! 次会ったら覚えてろよォ!?」

 

 その最中、そんな声が聞こえたが、やはり私とはとことん合わない男だ。何というか品がない。

 将来の番い、なんて年頃の乙女の様な事は考えた事もないが、今日もし私にそんな相手が出来るのなら誠実に私だけを想う人がいいと思った。

 例えば、幼い頃に憧れた『護人ベリアス』のような……。

 

 そこまで考えて、私はそれを打ち払う様に頭を軽く振る。

 なんにしてもあの男には全く、これっぽっちも関係のない事だ。

 

 こうして私だけだったファミリアに本当にしょうがなくひとりの男が入り、2人の冒険が始まった。

 

「チートはクソだったけど【神の恩恵】でスーパーマン自体にはなれるみたいだし、まあいいか。これからよろしくなフィルヴィス!」

 

 私はよろしくしたくはないけどな。

 ……で、お前なんで木を削って弓なんか作ってるんだ。

 あと私の名を呼ぶな。

 

「え? 痛いの嫌だし死にたくもないから弓で後衛やるつもりだからだけど。自作してるのは節約のため。最強職ってだいたい弓でしょ? 背中は任せてくれ!」

 

 私は魔法剣士だぞ。バディで後衛は入らないからさっさと剣を持ってこい。

 

「なん……だと……!? いやでも剣と盾なら魔法と合わせて勇者スタイル……っておれのチート僧侶じゃねえか!? 絶対使わねえけど!」

 

 いいから早く行け。

 

「ぶっきらぼうなフィルヴィスも超かわいい。結婚しよう。耳触らせて」

 

 死ね。

 私は短杖を振るった。

 

「ごふっ。相変わらず容赦ねえ……」

 

 いいか? ディオニュソス様のお言葉で仕方なくお前と組む事を忘れるな。

 もし近づいたり触れたりしたら私は自分を抑えられるか分からない。

 あと私の名を呼ぶな。

 

「おいこれ難易度ルナティックってレベルじゃねえぞ。ボムどこだボム」

 

 何を言っているのか分からないが取り敢えず短杖は常に持ち歩こうと思った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 誰にでも平等に時は流れていく。男が【ディオニュソス・ファミリア】に入り約2年の時が過ぎ、私がLv.2にランクアップしたことで遂に中層へ挑む事になった。

 

 事前準備をしっかりと行い、10人となった団員全員で初の中層へ踏み入る。

 ランクアップをしているのは私だけだが、団員全員アビリティがひとつはB以上とファミリアの総合力としては中層でも申し分ない。

 16階層以下に入らなければそう苦戦はしないだろうという評価だった。

 

 結果は上々。

 団員たちの尽力もあるが、自分で言うのもアレだがランクアップした私の能力は驚くほどに上がっていた。

 踏み込みは軽く、地を駆ける身体は羽根が生えたように速い。

 振るう剣は豆腐のように怪物を斬り裂き、放たれた魔法は別物かと思うほどに威力が跳ね上がっていた。

 初のランクアップにより上昇する身体能力に高揚してしまったが、上層を探索していた先日までの倍近いヴァリスを稼ぐ事が出来た。

 

「わー! こんなにいっぱい!」

 

「団長のおかげで危ない場面もなかったしな!」

 

 換金所で喜ぶ団員たちを見ると、私の胸にも温かな気持ちが込み上げる。

 お世辞にもコミュニケーションに優れているとは言い難い私だが、自分でも驚くほどにファミリアに馴染んでいた。

 以前ファミリア内での女子会なるものに誘われたときに、私がいてはリラックスもできないだろうと遠慮したのだが、私を誘いにきた団員たちは顔を見合わせ『副団長といる時の団長を見てそんなこと思う人いないよ!』と笑った。

 初めて参加した女子会は楽しかった。

 

 ……認めるのは中々複雑だが、確かにあいつはファミリアに貢献していた。

 口では「痛いしんどい苦しい転職したいのに弓がまさかこんなシビアな武器だったとは」と不平不満を言いつつも、毎日隠れて鍛練をしているのを知っている。

 今日もその剣と盾を持って最前線でその顔を汗と泥に汚させていた。

 ……私も、危ないところを助けてもらった事もある。

 それに、いい意味でも悪い意味でも距離感というものを測らないあいつは団員たちとのコミュニケーションも多い。私だけでは多分ここまで和気藹々としたファミリアにはならなかっただろう。

 認めたくはないけど! 

 

 2年も経つというのに未だに私に求婚はしてくるし、いい加減諦めないのだろうか。

 毎回(何故だか本当に理由は分からないが)耳を触らせてくれと言うし。

 というか、団員には同朋の女性もいるのだがまさかやってないだろうな……? 

 辟易としてファミリアを脱退するかもしれないし、そういうのは止めるよう一度強く言う必要があるかもしれない。未婚のエルフは貞淑を本当に重んじるのだから。

 いや、私にならやっていいという意味ではないのだが。

 やめろと言ってもやめないからな……名前呼びしかり求婚しかり。半ばやめさせるのを諦めつつある。

 

 そこまで考えて、ふと。

 腰に吊っている短杖に指先で触れた私は、そういえば今日はこの短杖を戦闘にしか使わなかったなと思った。

 いや、それが普通なのだが。

 

 それから約1ヶ月後の迷宮探索の際。

 

 産み落とされた怪物に向かって駆ける私を追い抜く1つの影。

 それは、中層の怪物を一撃で屠った。

 

「うわ!? 副団長すごっ!?」

 

「えっ、副団長ランクアップしたの!?」

 

「はっはっは! おれにかかればこんなもんよ!」

 

 驚く団員たちに囲まれるやけにぼろぼろの装備を纏うあいつは、その輪の外からそれを見つめる私に気がつき、満面の笑みを浮かべた。

 

 それに、胸が少しだけ疼いたような気がしたが、きっと気のせいだ。

 気のせいったら気のせいだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……本当にやるのですか? 下手をすれば死にますよ。貴方は強くはないのですから」

 

「……それでも、今ここで何もしなかったらおれはフィルヴィスに置いていかれる。今日、それを初めて痛感した。……それに死なねえよ! そのためにアウラさんに保険を頼んでるわけだし! ……フィルヴィスには内緒にしててね?」

 

「……それは別に構いませんが。それにしても、怪物の集団をおびき寄せての連戦ですか。効率重視で危険度外視……普段の口癖はどこに行ったのやら」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 私がランクアップしてから約2年の時が過ぎ【ディオニュソス・ファミリア】のホームが完成した。

 

「「「かんぱ〜い!!!」」」

 

 団員たちの掲げるグラスがカチンと音を立て、祝いの席が始まる。

 ファミリア念願のホームという事もあり、団員たちも一様に笑顔を浮かべて喜んでいる。

 かくいう私もホーム完成は嬉しいので純粋に喜びたいのだが……。

 

「念願のフィルヴィスと1つ屋根の下……!! おれが寝る屋根の下ではフィルヴィスも眠っている……もうこれは同棲、いや結婚と言っても差し支えないのでは?」

 

 隣にこいつがいるので台無しだ。

 ファミリアの皆が食事を取るための食堂にあたる場所にはそこそこ大きい卓を囲むように20の椅子が置かれている。

 別に座る場所を明確に決めているわけではないのだが、団員たちに自然と上座の方へ誘導されてしまった。

 そしてさり気なくこいつが私の隣に座ろうと来たので団長命令で遠ざけたのだが、気がつけば私の隣に舞い戻っていた。一体何をしたお前。

 

「あのフィルヴィスがついにデレた……!? やっとおれの気持ちを受け入れてくれる決心をしてくれたのか! 早速結婚しよう、フィルヴィス。耳を触らせてくれ」

 

 ええい、近寄るな! 一体何を根拠にその判断を下した!? 

 手を私に向かって伸ばしてきたので椅子を引いて避け、そのまま女性団員が固まっている席へ向かう。

 あいつはガーンという音が聞こえそうなほど落胆しているが私の知ったことではない。

 ……まあ、避けなくてもあいつは私の許可なしに私に触る事はない。それをやったのは出会ったときの最初の一回だけで、その後は全て私に確認を取っている。変なところで律儀というかなんというか。ならいい加減私に求婚するのをやめろと言う話で、そもそもエルフハーレムとか頭の痛くなる事を言うなという話でもあるが。

 あと本当になんで耳なのだろう。四年も経つが未だに分からない。

 

「あ、団長」

 

「こっち来たんですか? 副団長は……ああ、なるほど」

 

 私に気がついた団員たちが上座の方に目を向け、納得したように頷く。

 ファミリアの内外問わず、何故か私とあいつはセットのように扱われることが多い。あいつが何かと私に付き纏うからだと思うが、私の気持ちの事も考えて欲しい……。

 

 話に花を咲かせるうちに、最近ファミリアに加入した同朋の少女がディオニュソス様との話を終えて戻ってきたので私はある事を聞くことにした。

 あいつのエルフに対する執着は中々のもので、迷惑を被っていないか心配だったのだ。

 なんせエルフハーレムを作ると堂々と公言するようなクソ野郎だ。

 

「あれ? 団長知らなかったんですか?」

 

 しかし、その問いには同朋の少女からではなく、アウラと同時期に入団したヒューマンの団員から答えられた。

 

「副団長がああいう事するのって団長だけなんですよ」

 

「ねー」

 

「何から何まで言ってる事とやってる事全然違うよね、副団長」

 

「あれ絶対照れ隠しだよ」

 

「ありそう! 副団長ぐいぐい行く奥手っぽい」

 

「なにそれ矛盾してるじゃん」

 

 そのまま井戸端会議に突入する団員たちを前に、私はその言葉の意味が分からず呆けてしまっていた。

 いや、それはないだろう。だって、あいつは出会って1日も経たない私に好きだと言えるような男なのだから。

 エルフの私を前にしてエルフハーレムとか言う軽薄な男なのだから。

 

 でも、確かに私以外にそういう事をしているのを見た事も、聞いた事もなかった。

 

 前に、何やらアウラとコソコソやっているのに気が付いたときは遂にやったかと心の底から軽蔑したが、その後直ぐにあいつがランクアップしてそれは無くなった。

 アウラに聞いても「フィルヴィスが考えているような事ではありません」と言うだけで教えてくれない。あれは結局何だったのか……そういえばあの頃のあいつの装備はやけに傷付いていた様な気がするが、まあ関係ないだろう。

 死なないための鍛練こそすれ、痛みを嫌うあいつが自分から命を危険に晒す真似をするとは思えない。

 

「ぶっちゃけ団長は副団長のことどう思ってるの?」

 

 その声に意識が現実に引き戻される。

 見れば、目を輝かせた女性団員たちが私を見つめていた。

 しまった、恋の話題は年頃の女性にとって格好の栄養である。

 あいつの奇行にも慣れたしどうとも思っていない、と答えただけでは逃がしてくれそうにない雰囲気だった。

 

 ……どうとも思っていない? 

 

 自分の思考に、魚の小骨が喉に引っかかるような違和感を覚える。

 私は、あいつのことが嫌いではなかったのか? 

 軽薄で薄情な、下賤な男だと思っていたのではないのか? 

 そうだ、確かにそう思っていた。でも、今、あいつとのやり取りを悪くないと感じている自分がいなかったか? 

 

 ぶんぶんと首を振る。

 そんなはずはない。

 そんな事があるはずがない。だって、それではまるで──。

 

「おーい! フィルヴィス──! おれのエルフハーレムの1人目になってくれー! 耳も触らせてくれー!」

 

 死ね。

 ほら見ろこいつはこんな奴だ。クソ野郎だ。

 机を挟んだ向かい側から笑顔を向けるあいつを見て、私は数巡前の思考を打ち消す。

 団員の問いがあいつの乱入によって有耶無耶になったことに、僅かな安堵を覚えながら。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……スキルも魔法もないのに良くやりますね。本当に死にますよ?」

 

「……死なないから。意地でも生き残ってやるわ。おれは自分の命が1番大事なんだ。それに魔法ならとっておきのやつがあるし。いや絶対使わんけど」

 

「……へえ、それは初耳です。気になりますね」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ホームが完成してから1年が経った。

 団員も順調に増え、到達階層も22階層にまで伸ばした。今や【ディオニュソスファミリア】は中堅どころ1歩手前となっている。

 当然、それに伴う変化も多々あった。

 

「くっそ……アニメや漫画だと簡単そうにやってたのにな……」

 

 その中でも1番の変化は、こいつが戦術や指揮を本気で勉強し始めた事だろうか。

 人数が増えだした最初の頃は中衛である私が指揮官のような役割をしていたのだが、いつしかこいつが代わりにやるようになっていた。

 私や団員たちの様子をつぶさに観察し、危ないときには直ぐにフォローに入っていたのでもしやとは思っていたが、こいつの広域を把握する観察眼とも言うべきものは相当だ。

 たとえ大勢の人でごった返す密集地帯であってもこいつは難なく走り抜けられるだろう。

 ……私がそれを褒めると鬱陶しいぐらい舞い上がるだろうから絶対に言わないが。

 兎も角、団員が15人のうちは独学でやっていたそれを、なにやら他のファミリアにまで赴いて教えを請うているその姿に思うところはある。

 痛いのは嫌、しんどいのも嫌、苦しいのも嫌だと今でも口癖のように言うのは変わらないが、その実こうして陰ながら努力していた。

 

 ……まあなんだ、最初の第一印象からは随分と変わった。それは認めよう。

 私が並行詠唱の習得に熱を上げ始めた時期と一致するのが気になるが、気のせいだろう。あいつも一応ファミリアの命を預かる副団長の身として責任感があるのだろう。流石にあるよな? 

 因みになんで陰ながら努力している事を知っているかというと、アウラが頼んでもいないのに報告してくるからである。

 何でも「言うなと言われた事は言ってませんもの」との事らしいが、正直よく分からなかった。

 

 しかしだからと言ってあいつの事を受け入れたわけではない。

 男性団員たちと一緒になって子どものような悪ノリはするし(むしろ主導している節すらある)、発言はだいたいクズだし、何より私の水浴びを覗くし!!! 

 

 あれは許せなかった。初めて18階層にまで到達した際、そこまでの道中で疲弊した団員たちを先に休ませるために野営地を整えたあと私とあいつで消耗品の補充をし、キャンプ地に帰り汗やら泥やらでベタついた身体を清めようと水浴びをしていた私をあいつはあろう事か覗いたのだ!! 

 ホームで散々私の風呂を覗くと言いつつも1度も実行しなかったので完全に油断していた。磨き上げた並行詠唱を十全に用いて魔法を撃ち放った私は悪くない。

 あいつは不可抗力だと言っていたが覗きの不可抗力などあってたまるか。

 私だけだからまだ良かったものの……いや良くはない。何を考えているんだ私は。あいつはちょっとしか見ていないと言っていたが、実際どこまで見られたか分かったものではない。未婚のエルフの一糸纏わぬ姿を見るなど信じられない。

 その日から2週間ぐらい口も利いてやらなかった。

 ……日に日にあいつは窶れていったが。

 

 それに出会ってから5年も経つ今になってもあいつは変わらない。

 相変わらず求婚するし、本当に意味がまるで分からないが耳を触らせてくれと言ってくる。

 いい加減諦めないのだろうか。まだエルフハーレムなんて言っているし、本当にその気があるのなら私など放っておけば良いものを……いやエルフハーレムを推奨しているわけではない。

 兎に角あいつは薄情な奴なのだ。

 

「本当にそう思っていますの?」

 

 ある日、アウラにそんな愚痴を零せば、彼女は呆れたようにそう言った。

 

「私たちエルフの5年とヒューマンである彼の5年は違います。この意味を良く考えなさい、フィルヴィス」

 

 アウラは、教え諭すように私の顔を見つめた。

 

 誰にでも時間は平等に流れる。でも、その時間の重みは平等ではない。

 寿命の長いエルフと短いヒューマンでは、こと恋に置けば『今』に置く比重がそもそも違う。

 彼女は、そういうことを言った。

 

 ……じゃあ、どうだというのか。

 あいつは、本気の本気で、私のことが好きだとでも言うのか。

 なら、なんで冗談のように結婚してくれと言い、エルフハーレムなんて戯言を言うのか。

 私がそれに忌避感を持っているのは気づいているだろうに。

 私には、分からなかった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……並行詠唱を身に付けたフィルヴィスに置いていかれないよう学び始めた指揮が実を結びつつあるのは何よりですが……どうして覗きを?」

 

「……いやその、リヴィラで買い物デートしてるときに嫌な視線を感じて……警戒してたら案の定覗きに来た男どもが居たからバトってたら……ね? 男どもとまとめてテュルソられたから一瞬しか見てないけど、正直めっちゃ綺麗で女神かと思った。あ、男どもにはおれの命に代えても見させなかった」

 

「……これは擁護できないですね……私に相談するより今までのように大人しく誠意を持って、フィルヴィスの許しが出るまで謝り続けてください」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 それから、さらに1年が過ぎた。

 

【ディオニュソス・ファミリア】は単独での【ゴライアス】の討伐に成功した。

 17階層の階層主の討伐は熾烈な戦いだった。それを死者0で成し遂げられたのは団員たちの奮戦と、あいつの指揮のお陰だろう。

 もともと数年の積み重ねがあったあいつの指揮能力は、先達に教えを請い貪欲に学ぶことで飛躍的に伸びた。

 一口に指揮能力と言っても、それを十全に成し得るためには団員ひとりひとりの事を細かに把握し、様々な状況から最善手を導き出すための知識と経験がなくてはならない。

 あいつは一体、どれほどの努力をしたのだろうか。

 団員はあいつの指揮を心の底から信頼し、だからこそ戦うことにのみ集中して全力を尽くせる。

 それは、もちろん私もだ。

 

「あ、おはようフィルヴィス。いつもの戦闘着も超かわいいけど私服のフィルヴィスは新鮮でちょっとどうかしちゃいそうなぐらい可愛い。結婚しよう。おれのために毎日耳を触らせてくれ」

 

 なのに当の本人はこんなんである。

 

「ごふっ。私服なのに短杖は装備していたのか……抜かりねえ」

 

 もう半ば癖になってしまった短杖を叩き込む動作をしながら、私は思う。

 ああ、認めよう。このやり取りを悪くないと私は感じている。

 何年も何年も続けてきた、こいつがいつものように私に迫ってきて、私がいつものようにあしらって、それを見たディオニュソス様や団員たちがいつものようにまたやってると苦笑をもらす。

 それは、いつしか冒険者として苛烈な日々を送る私の、穏やかな日常の象徴のひとつになっていた。

 

 こいつが私に近寄ることすら心がざわついていたというのに、今はもう隣にいる事を受け入れてしまっている私がいる。

 きっと、その手を握ることだって……。

 

「えっ? フィルヴィスがおれに教えて欲しいことがあるってマジ? ……まさか手料理を作ってくれるとか!? 大丈夫! 美少女エルフが作ってくれたものは全部おれの好物だ!」

 

 本当にこれさえなければ……。あとアレとアレとアレとアレ。

 教えて欲しい事があると言っただけで目を輝かせるのを見て、私はため息をこぼす。

 

 信じていなかったが、こいつが私にしかこういう事を言わないと私はもう知ってしまった。

 同じファミリアの同朋にも、オラリオに住む同朋にも……そして、あのリヴェリア様にも。

 彼女たちと出会っても、1度もこいつは求婚はおろか(こいつの耳に対する執着は6年も経つが未だに分からない)耳を触らせてくれとも言わなかった。

 

 ここまでくれば、アウラの言葉の意味が分からないほど私は阿呆ではない。

 つまり……その、つまり。

 

 出会ったあの日からずっと、今日まで。

 こいつは、私だけを想っている。

 

 ……だからどうしたという話だけど! 

 だいたい、そうならもっと誠実に振舞うべきなのだ! 

 なんだ、エルフハーレムって! どうしてなんて事ないように結婚してくれと言う!? あと耳を触らせろって本当になんなんだ!? 

 それは、もっとこう、雰囲気というか……! とにかくもっと大切な言葉であるはずだろう!? 

 

 頭の中で一息に言い切ってゼェゼェと荒い息を吐く器用な真似をしながら、私はやっぱりと結論づける。

 

 そういう事を軽く言ってるうちは応えてやるもんか。

 私の心が欲しいのならクズっぽい発言もやめて、もっともっと、誠実な男になれ。

 ……私だって女だ。例えば英雄譚のような……そういうのに憧れたりだって、するのだから。

 

 まあ、本人には絶対に言わないけども。

 

「……え。教えて欲しい事って指揮……」

 

 舞い上がっていたこいつは、私が教えて欲しいことの内容を告げると急降下するように気落ちした。

 ファミリアの人数が増えたために、私とこいつの2つの班に分けようかという話が出てきた。

 こいつは全力で阻止しようとしたが結局その方向で話が進んだので、私がこうして指揮を学びに来るのは予想できる事だと思うのだが……。

 

「フィルヴィスにおれが教える……2人きりの勉強会……夕暮れの図書室……静かな空間で隣にいる彼の存在をどうしても意識してしまって……いやでも……」

 

 ブツブツ言っていることの半分以上意味が分からなかったが、こいつが渋るとは思わなかった。

 自意識過剰みたいであまり言いたくはないが、私と一緒に……やっぱり恥ずかしいのでそこで思考をやめた。

 

 今日は都合が悪かったか? 

 

「そういうわけじゃないんだけど……ファミリアの為になるっていうの分かるし……でも、その……ほら、ね?」

 

 ほら、ね? と言われてもさっぱりだ。

 やけに歯切れの悪いこいつの返答に業を煮やした私は、理由を言わないと1週間無視すると言い放った。

 こいつの気持ちに付け込んだ悪辣な手段のようで心が痛んだが、もしかしたら団員の命に関わる事態になる可能性あるし。

 私の言葉に膝から崩れ落ちたこいつは、消え入るような声でぼそりと呟いた。

 

「フィルヴィスが指揮まで出来るようになったら……おれがファミリアに要らなくなるような気がして……今度こそフィルヴィスに、置いていかれちまう……」

 

 その声は、すぅっと私の鼓膜に染み込んだ。

 ………………ふ。

 こんな事で悩んでいたのか、こいつは。

 何に悩んでいたのか理解した私は、思わず小さく笑ってしまった。

 

 仮に私がお前のように団員たちを導けるようになっても、お前を必要ないと言う団員は【ディオニュソス・ファミリア】には1人もいない。

 私に置いて行かれるというのはよく分からないが、団長の私が団員を放っていくわけがないだろう。お前は自分がどれだけ団員たちに慕われているか分かってなかったのか? 

 

「──────ー」

 

 そんな事を笑いながら言った私を、こいつはぽかんとした顔で見つめていた。

 普段の団員たちの様子を見れば分かるだろうに……副団長、副団長と頼りにされているではないか。

 怠い嫌だしんどい嫌だ腹痛の予定があるから嫌だと言うわりに、何だかんだ理由を付けてしょうがない風を装って力になろうとしているくせに。

 

「ふぃ、フィルヴィスが……おれに……無防備に、え、笑顔をみせ……っ!」

 

 聞き取れないほどの小さな声で何かを言ったあいつは、まるでこれ以上は耐えられないとでもいった様子で弾かれたように走って行ってしまった。

 

 ……? 

 常ならざる珍しい反応に、なんだか顔も朱かったし調子が悪かったのかと少しばかり申し訳なく思いながら、また別の日に教えてもらおうと今日は自分で勉強する事にした。

 

 その数時間後。

 

「フィルヴィスー! おれだ──! 結婚してくれ──! 耳を触らせてくれー!!!」

 

 朝からそんなに時間は経っていないぞ。いい加減にしろ。

 

「ごふっ。朝と同じ場所を的確に……腕を上げたなフィルヴィス……あれ、その短杖……」

 

 なんで評論家気取りなんだ。

 ちょっと心配をしたら直ぐこれだ。

 今日という今日はお前に誠実さというものを教えてやる。

 

 正座をして私の説教をどこか幸せそうに聞くこいつにイラッとする。

 そんな私たちを、ディオニュソス様は優しい目で見つめていた。

 

「彼が居てくれてよかった。そう思うだろう?」

 

 ……私がそう言うとあんな風に調子にのるので全く思いません。

 

 日常が流れていく。

 団員たちが居て、笑って、あいつが変な事をして、私が怒って。

 そんな『今』を私は甘受していた。こんな日々も悪くないなと。そう、思っていた。

 それがこれからもずっと続くのだと思い込んでいた。

 ──そんな事、あるわけがないのに。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……教えるお礼に名前を呼んでほしいって言えば呼んでくれると思う?」

 

「……いつものように茶化さなければ、大丈夫だと思いますよ。でも、出来ますか?」

 

「……恥ずかしくて、多分無理。……その、アウラさん。ちょっとお願いがあるんだけどいい? プレゼントでちょっと──」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ギルドからの強制任務。

 それにより私たちは27階層まで赴くことになった。

 

「あ──────めんっどくせ」

 

 隣で心の底からありったけの気持ちを吐き出しましたとばかりにダラけるこいつに思わず私の目も冷たくなる。

 

 強制任務の内容は27階層に集まるという闇派閥の打倒。

 直前まで秘匿された強制任務により闇派閥に動きを悟らせず、電撃作戦によって奇襲を仕掛ける。

【ディオニュソス・ファミリア】は最高レベルこそ3だが、団員全てがLv.2以上という中堅ファミリアへと成長していた。

 

 時間がないのでさっさと準備をしろと言うと、面倒くさそうではあるもののやるべき事をこなしていく。

 その淀みない処理能力は、これまで真面目に取り組んできていることを何よりも雄弁に物語る。

 

 本当に随所のクズっぽさがなければ……。

 しかし、それも含めてこいつだ。何だかんだ、やるときはやってくれる奴である事も。

 

「そういえば」

 

 出発のための諸々を終え、あとは消耗品の確認のみとなってこいつは今思い当たった、という風に言った。

 

「最近はよく一緒に雑務やるね。もしかしてついにおれの魅力に気がついてくれた? 結婚しよう。耳を触らせてほしい」

 

 ………………はあ。

 もはや無意識化の行動にまで落とし込まれた短杖を振るう動作を自動で身体が行う。

 あと何で耳なんだ。私たちエルフの耳は形が違うだけでヒューマンの耳と大差ないぞ。

 

「ごふっ。もうこの状態がおれの身体のスタンダードになってるな……」

 

 乾いた笑みを浮かべるこいつは、直ぐに「でも!」と立ち上がり、

 

「明日を楽しみにしておくんだなフィルヴィス! 今日がフィルヴィス・シャリアという名を名乗る最後の日になるぜ!」

 

 自信満々にそう宣言した。

 何処からその自信が生まれるのか皆目見当も付かないが、だったら私を少しでもどきどきさせてくれとため息を吐いた。

 

「ごふぁっ!?」

 

 きゃあっ!? 何するんだおまえ!? 

 急に近寄ってきたこいつを反射で蹴り飛ばす。

 どきどきさせろってそういう意味じゃない。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 地獄というものがもしあるのなら、それはこんな光景だろうと思った。

 

 視界を埋め尽くす怪物から漂う獣臭と、至る所で流される血の臭いが空間に充満する。

 27階層に踏み入った私たちを待ち受けていたのは、自滅覚悟の闇派閥による階層主さえ巻き込んだ怪物進呈だった。

 

 敵も味方もない大乱戦が幕を開けた。

 

「壁際へ!!!」

 

 瞬間、状況を把握したあいつが唾を飛ばす。

 あまりの光景に呆然自失となる団員もいたが、これまでの信頼関係の積み重ねがその身体を動かす原動力になった。

 未曾有の混戦に浮き足立ちながらも、怪物を打ち倒しながら叫ぶあいつの声を信じ己を奮い立たせる。

 

 魔法を連発する私が先頭で怪物を破竹の勢いで撃破し、殿であいつが怪物を抑える。最も密度が薄い壁際に即座に移動し、素早く壁を破壊して態勢を立て直した。

 これにより前方と左右の怪物を相手にすれば良い事になり、動く事も厳しいこの空間ではそれは生存への大きな一歩となる。

 

「くそ、どけよっ!!!」

 

 血を吐くようなあいつの叫びが響く。

 その目の前には怪物の物量に押し負けたのか逃げ遅れた団員がいたが、怪物が邪魔であいつの位置からだと間に合わない。

 

 咄嗟に私は魔法を唱えた。

 超短文詠唱からなる白亜の盾は怪物の攻撃から団員を守り、それを予期していてかのように距離を殺したあいつが怪物を斬りふせる。

 その連携には確かな月日の積み重ねがあり、それは私とあいつが共に過ごした時間の密度だ。

 団員を守るように構える私とあいつの背中がぶつかった。

 

「……半径5M以内には近づかないんじゃなかったか?」

 

 いつの話だ。そんなものとっくの昔になくなっている。

 私は檄を飛ばすように叫び、弾かれるようにお互いが飛び出した。

 

 目の前の怪物をとにかく倒す。

 倒して灰にしていかなれば、無尽蔵かと思うほどに押し寄せる怪物の物量に押し潰されて死ぬだろう。

 今、何よりも求められているのは火力だ。

 そして【ディオニュソス・ファミリア】で怪物を最も打ち倒す事ができる火力を持っているのは私だ。

 こんな状況だ、ファミリア間での協力など望むべくもない。

 つまり、私の尽力にファミリアの命運が掛かっている。

 

「踏ん張ってくれフィルヴィス!」

 

 盾で冷静に攻撃をさばきつつ団員たちに指示を飛ばすあいつが、信頼を宿す瞳で私を見る。

 ……ああ、任せろ。団長としてファミリアの仲間は絶対に死なせない。

 でも、私だってお前のことを信頼しているんだ。お前なら、きっとこの絶望的な状況でもファミリアの仲間と共に生還する道を掴み取ってくれると。

 

 だから、お前こそ私に遅れるなよ。

 

「……おれは夢を叶えるまで死なねえよ! フィルヴィスこそおれのエルフハーレムに入るんだから死ぬんじゃねえぞ!!」

 

 こんな状況だというのに、いつもと変わらぬ笑みをあいつは見せた。

 私を入れたハーレムとか思ってもないくせに。冗談を言う暇があるなら大丈夫そうだな! 

 

 私とあいつがそれぞれ単独で奮戦し、アウラを中心とした団員たちがあいつやアウラの指揮のもと尽力する。

 皆が皆、決死であり全員で生還するために命を振り絞っていた。

 喉から気合を迸らせ、仲間に近づく怪物を片っ端から消し飛ばす。

 剣で斬り裂き、魔法で撃ち払い、短杖で殴り飛ばす。

 あいつとの日々で磨かれた短杖による打撃は思いの外威力が出た。

 ──そんな日常に戻るために、今を生き抜く。

 

 空になったポーションを投げ捨て、間断なく襲い来る怪物に立ち向かう。

 あいつも、アウラも、団員たちも、私も傷ついていた。

 根本的に数が多すぎる。戦いにおいて数とは絶対の力だ。それが、自分とほぼ同程度の相手に数の絶対的有利があるなど悪夢にも程がある。

 

「ぐっっ、そ!!」

 

 血の叫びが鼓膜に届く。

 あいつは既にぼろぼろだった。

 私と同等のステイタスを持っていても、あいつには【スキル】も私のような【魔法】もない。

 それに加え、団員たちの指揮を取りつつ守るように戦っているため余裕がないのだろう。

 それでも、あいつの瞳は生への渇望で燃え上がっていた。

 痛いのは嫌だ、しんどいのは嫌だと口癖のように言うあいつは、生きるために命を燃やしていた。

 

 負けていられない。

 他人を踏み台にしてでも自分が生き残ると豪語するあいつが仲間との生還のために命を賭しているのに、団長である私がそれに応えなくてどうする。

 

 決意に呼応するように身体に力が張り巡らされる。

 しかし、現実は甘くはない。

 

 意識しないようにしていたが、ついにそれも叶わぬほどの倦怠感を身体が覚え始めた。

 精神疲弊(マインドダウン)

 最初に道を切り拓くために連発したのもあり、私の身体は悲鳴をあげていた。

 動けなくなるのは不味い。それはダメだ。だが、状況が私に魔法の行使を強要してくる。

 剣で即座に斬り裂けない怪物は私が魔法で倒すしかない。

 そうしなければ、仲間が死ぬかもしれない。

 そうして使わされた魔法の数は既に10を超える。

 

 ──あと、1発が限界だ。

 撃ってしまえば、もう魔法は使えない。

 怪物と切り結びながら脂汗を浮かべる私に、怪物の攻撃を盾で弾き斬り捨てるあいつの後方から、凶爪を振り上げる怪物の姿が見えた。

 団員の元へ迫る怪物の迎撃に身体が流れるあいつは、それに気がつかない。

 

 ──私は、迷いなく最後の魔法を撃った。

 超短文詠唱により瞬発力のある私の魔法は、白き雷光を待ち散らして怪物を数体巻き込んで焼き殺し、直線上にいたあいつを後方から襲おうとした怪物と団員へ迫る怪物を灰にした。

 

 物理的な重さを持っているのかと錯覚するほどの倦怠感が私の身体に降りかかる。

 歯を食いしばって顔を上げれば、私に飛びかかるモンスター。

 

 迎撃に振るった剣は弾かれて地を滑り、その衝撃に苦悶の声が絞り出され膝が沈む。

 その私を、別のモンスターの剛腕が狙っていた。

 

 ──あ、死んだ。

 

 すとん、と。

 驚くほど冷静に私はその事実を受け入れた。

 精神疲弊の寸前で耐久値もさほど高くない私が下層の怪物の剛腕の直撃を食らえば、死なずとも確実に意識が飛ぶだろう。

 意識を失った私は、直ぐに遺体も残らぬ程に怪物に喰われる。

 死ぬ直前の引き伸ばされたように感じる時間でその未来を幻視した。

 

 まあ、でも。

 私は、最後にあいつを生かせた。

 自分の命が大事で、どんな状況でも生きる事を最優先するあいつなら。

 バレバレなのに、本人は陰ながら努力してると思い込んでるあいつなら。

 クズっぽい事を言いつつも、ファミリアの仲間を大切に思っているあいつなら。

 ……7年も振られ続けているのに、私のことをちっとも諦めなかった、諦めの悪いあいつなら。

 きっとこんな絶望の中でも、みんなを連れてあのホームへ、ディオニュソス様の元へ生きて帰ってくれるだろう。

 私はそう確信をして、死を受け入れるように目を閉じた。

 

 

 

 

 

「フィルヴィス!!!」

 

 

 

 

 

 ──もう耳に馴染んだ声が聞こえて、どん、と強く押し飛ばされた。

 

 予想外の衝撃に瞠目する私の目に、良かったというように笑う、そこに居るはずのないあいつが映り、直後怪物に殴り飛ばされて視界から消える。

 

 冗談のように吹き飛ばされたあいつは直ぐに別の怪物を巻き込んで止まり、地に横たわるあいつの腹を別の怪物が食い破った。

 

 あいつの絶叫が耳にへばりつく。

 

 状況を考える余裕すらなかった。

 早くあの怪物を殺さなければあいつが死ぬ。

 その恐怖だけが身体を突き動かし、意識を落とすような倦怠感に蝕まれていた身体はあいつが落とした剣を握りしめていた。

 

 悲鳴を上げて疾走した私があいつに覆いかぶさる怪物を薙ぎ払う。

 事態に気がついた団員たちが私たちを守るように決死の防衛ラインを敷く。

 抱き抱えたあいつの腹からは塊のような血が流れ落ち、右手は食い千切られていた。

 

「……あいつら……フィルヴィス、……を守るのは……おれの……やく、め……だぞ……」

 

 いつもの軽口を叩こうと開く口が血を吐き出し、私の白い服に赤黒い模様をつける。

 やめろっ!! 喋るなっ!! 喋らないでくれっ!! 

 口を開けば命が際限なく零れ落ちて言っているようで、私は悲鳴のような声を絞り出す。

 

「……へへ……フィルヴィスの顔、……こんな近くで見たの……はじめて、……だ……」

 

 なのに、口を開くことをやめてくれなくて。

 溢れ出しそうになる涙に、涙を流す時間すら惜しいと私はポーションを取り出そうとして、指が空を切り一瞬固まった。

 直ぐにこいつのポーチに手を伸ばすも、そこに望んだ感触はなかった。

 何も、なかった。

 

 喉が、震える。

 それがどういうことを意味するか理解した私の喉が少女のようにか細く震え、しかしまだだと辛うじて残った理性が希望を私に叫ばせた。

 

 今すぐ回復魔法を使えば間に合うかもしれない。

 いや、きっと間に合う。間に合わさせる。

 だから、叫んだ。

 喉が枯れるほどの大声をだして、喉が破れて血を吐くぐらいに何度も叫んだ。

 回復魔法を使える人がいるなら早く来てくれ。

 今直ぐこいつの怪我を治してくれ。

 お願いだから、私に出来ることならなんだってするから。

 だから、こいつを死なせないでくれ……!! 

 

「……もう、いいよ……フィルヴィス」

 

 ……なんで、そんならしくないことを言うんだ。

 いい訳ない。

 いい訳がないだろう!? 

 お前が死んでいいはずがないだろう!!? 

 お前はファミリアに必要な奴だ! みんなに慕われている奴だ! だから、私はお前を助けて死ぬならいいと思ったんだ!!! 

 

「いいや……もう、……いいんだ……おれは、もう無理だ……」

 

 うるさい!! 

 いつものお前はどこに行ったんだ!? 自分の命が大事じゃなかったのか!? 痛いのも苦しいの願い下げだと言っていたじゃないか!! 

 なのに、なんで……!! なんで私なんかを助けた!!? 

 私は、お前に生きていて欲しかったから……!! 

 

 ………………ああ。

 

 そうして、私は取り返しのつかない段階になってから、自覚した。

 

 出会いは最悪でも。きっと私は。

 月日を重ね、共に日々を過ごすうちに、お前に──。

 

「美少女エルフは……泣いても、美しいなあ……耳を……触らせてくれ……」

 

 止血をしても、勢いが緩むだけで止まる気配のない出血。

 急速に失われていく体温。

 腕に抱く存在が儚くなっていく。

 私の頰を堰を切ったように大粒の涙が次々と伝って、落ちていく。

 小さく呟かれたのはいつもの言葉のようで、ほんの少し違った。

 

 ……結婚してくれとは、言わないのか? 

 

「……言ったら……結婚、してくれる……?」

 

 死を受け入れたように揺れる瞳に生きる意志を与えようと、私は叫んでいた。

 

 生きて地上に帰ったらちゃんと応えるから。だから、お願いだから……死なないでと。

 

 でも、やっぱりいつものように私の気持ちなんかちっとも考えてくれなくて、お前は満足したように微笑むだけで。

 やめて、やめて。そんな顔をしないで。

 死なないで……私といっしょに、いっしょに生きてよ……。

 

「……あ……、ひとつだけ……お願いがあるんだ……いいかな……?」

 

 もう声を出すのも辛いのか、周囲の戦闘音に紛れてほとんど聞こえない。

 お前の顔が、いつのまにか吐息の触れる距離にあった。

 

「……エルフ耳……触るの……さ……おれの……夢なんだ……最期に……触らせてくれ……」

 

 それは、もう何度も聞いた言葉。

 7年間、毎日のようにお前から聞いていた言葉。

 本当に触りたかったのなら風俗街に行ったり、仲の良いアウラに頼めば良かったのに、私にしか言わなかった言葉。

 やっぱり、なんで耳なのかはちっとも分からないけれど。

 変な夢だ。本当に……変な夢だ。耳ぐらい、好きなだけ触っていい。触っていいから……最期なんて言わないでくれ。

 

 お前の左手がゆるゆると緩慢に持ち上がって、支えるのだって辛いだろうに優しく、壊物を触るように私の耳に触れる。

 労わるように指先がなぞり、最後に耳の先で指先が円を描き、ぱたりと落ちる。

 それがあまりにも弱々しくて、優しくて、触れた指が震えるほど冷たくて。

 ありがとうと言う顔が安らかで、本当に幸せそうで。

 私の心は痛くて、痛くて、痛くて仕方がないのに。

 涙が、止まらなかった。

 もう、瞬きをした次の瞬間にお前がいなくなってしまいそうで。

 

「……フィルヴィス……おれを……立たせて……くれないかな……」

 

 だから、何かを決意したお前の瞳に私は縋った。

 逃げるためには立たないといけないというお前の言葉を信じて。

 お前は、よく分からないことはよく言っても、私に嘘をついたことは一度もなかったから。

 生きる事を諦めないでいてくれたのだと、そう思ったから。

 

「アウラぁ!! フィルヴィスを頼む!!!」

 

 支えていた手が、振りほどかれる。

 側にあった体温が離れて、埋めるように冷たい空気が触れた。

 私の目は、怪物の群れに向かうように走る、宙に血の軌跡を描くお前の背を見つめていた。

 

 ──やめて。そっちにいったら死んでしまう。待って、お願いだから、待ってくれ! 

 

「フィルヴィス!! だめよっ!!」

 

 咄嗟に追いかけようとした私を、アウラが羽交い締めにして引き止める。

 それを後ろ背に見たお前は安心したように笑って、地を蹴った。

 

 隙間を見つけるのが難しいような空間なのに、お前はどんどん先へ進んでいく。

 振り返らず。行かないでと叫ぶ私の声が聞こえていないかのように。

 

「死にたくない奴はおれの後ろに下がれぇ!!!」

 

 僅かな命のかけらを咀嚼して声を張り上げたお前の身体から、空間が歪むほどの魔力が吹き荒れる。

 27階層の何処にいても気付きそうなほどの濃密なそれは、闘いに必死な他のファミリアが気付くには十分だった。

 一目散に私たちの方に駆けてくる彼らを追いかけるように怪物が押し寄せる。

 

 ただ前を向いて走るお前の腕が吹き飛ぶのを見た。お前の腹が喰われるのを見た。それでも、お前は一度も止まらなかった。

 お前の身体に突き刺さるように溢れ出した白い光は、命の輝きのようだった。

 何をしようとしているのかは分からない。でも、でも! お前がいなくなる事だけは、分かってしまった。

 

 ──やめて……っ! いくな……っ! いかないで……っ!! 

 

「フィルヴィス……! 堪えて……!! 彼の覚悟を無駄にしないで!!!」

 

 泣き叫びアウラを振りほどこうともがく私を抑える彼女も、涙を流していた。

 

「──っっ!!!」

 

 止まって欲しくて、行かないで欲しくて。初めてお前の名を叫んだ私を、最後にお前が振り返った気がして。

 

 白い光の柱がダンジョンに突き立った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 彼の名は極東由来のようだったから、葬儀は極東の風習に則ろうとディオニソス様は言った。

 

 初めは【ディオニュソス・ファミリア】だけで行う予定だった葬儀は、気がつけば大規模なものになっていた。

 あの27階層の事件の時に彼に助けられた人たちは全員列席したのが大きいだろう。

 あの【ガネーシャ・ファミリア】の団長が妹を連れてディオニュソス様にお礼を伝えにきた時は驚いた。

 ディオニュソス様は、良かったら線香でもあげてやってくれと微笑んだ。

 その目元は少し赤くなっていた。

 

 多くの人を救った。

 彼はそんな柄じゃないと言うだろうけど、彼に救われた人たちにとって彼は間違いなく英雄だった。

 

 彼以外の全員がホームに帰還し、事の顛末を聞いたディオニュソス様は「そうか……」と宙を仰ぎ私たちに気持ちの整理をつける時間を数日設けたあと、彼の葬儀を執り行った。

 2日間部屋に篭ったディオニュソス様は、常の優雅な姿が消え失せた状態で部屋から出てきたらしい。

 床には、葡萄酒の瓶が何本も転がっていた。

 

 彼が居なくなったホームはがらんとしていて、とても空虚な気がした。

 いつも彼が座っていた私の隣には、誰も座ろうとしなかった。

 そうしていれば、いつかひょっこり彼が帰ってくるような気がしたのだろう。

 彼は明るく、煩く、空気を読まない人だったから。

 

 それでも、悲しんでばかりもいられない。

 止まっていても、進んでいても時は流れていく。

 

 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、三週間が過ぎる頃になって【ディオニュソス・ファミリア】は立ち上がった。

 彼があの世で自慢できるファミリアにしようと。

 残された者の自己満足でしかなくても、それでも【ディオニュソス・ファミリア】はそうやって立ち上がった。

 

 空席になった副団長には、アウラがついた。

 

「……そうですね。知っていました」

 

 彼が最期に何をしようとしたかについて、彼女は察しがついていたという。

 

「……貴女に隠れてこそこそ特訓している時に、1度だけ言っていました。「おれにはすげー魔法があるんだぜ。絶対使わんけど」と。……まさか、あんな魔法だとは思いませんでしたけど」

 

 空を見上げたアウラは「殿方って勝手ですよね」と言った。

 

「置いていかれる私たちの事なんて知らないと先へ行ってしまって……帰ってこなくなる。エルフを愛したなら、しっかり考えないといけないでしょうに」

 

 それ以降、アウラは彼について話すことはなかった。

 それが、彼女なりの気持ちの区切り方だったのだと思う。

 

 強いな、と思った。

 私は、未だにあの日に囚われたままだ。

 

 ばたん、と部屋の戸を閉める。

 様々な書物が乱雑に積み重なったこの部屋は彼の部屋だ。

 荷物を整理する前に、好きなものを持って行きなさいとディオニュソス様は言った。きっと、彼もその方が喜ぶと。

 

 本は戦術書がメインで、彼の努力の跡が窺える。でも、中には恋愛に関する本もあって、それが付箋だらけなのがおかしかった。

 一度もデートになんて連れて行ってくれたことないくせに。

 いや、私が素直にならなかったからだけど。

 

 ふと、机の上に細長い箱が置かれている事に気がついた。

 それは丁寧にラッピングされていて、誰かへのプレゼントなのだろうと一目で分かった。

 その横に、直前まで渡すかどうか散々悩み、決めかねていたのか裸の手紙が雑に置かれていて、私はそれを手に取った。

 

「……ばか」

 

 つぅ、と頰を流れる涙がぽた、ぽたと手紙に落ちしみを作る。

 涙は後から後から溢れてきて、本当に、どれだけ私を泣かせたら気がすむのか、あいつは。

 

「……本気のプロポーズ、しにきてよ……」

 

 ──そうしたら、私も本気で貴方を想うから。

 

 堪えきれず、啜り哭く私の声だけが部屋に反響していた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 私は、彼が持っていたいくつかの本と、彼が用意した杖と手紙、そして剣を引き取ることにした。

 あの事件で彼の身体は消滅してしまって、残ったのはこの剣だけだった。

 女々しいな、と自分でも思うけれど、しばらくはこの剣を使おうと思う。

 そうしたら、彼が側にいるような気がするから。

 

 私はダンジョンに潜っていた。

 

 彼がいなくなってから1ヶ月。

 もうそろそろ私も前に進まなければ、彼に笑われてしまう。

 もしかしたら「美少女エルフは落ち込んでても美しいなあ。結婚して耳を触らせてくれ」なんて言いそうだけど。

 

 産み落とされる怪物に向けて杖を構える。

 紡ぐ詠唱式は私の得意な魔法。

 彼が好きだと言ってくれた、私の魔法。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

 放たれた白き雷は空間を蹂躙し、怪物を一瞬で飲み込む。

 

 杖の性能に瞠目しながらも、私はまた歩きだす。

 今はまだ難しいけれど、彼が守ってくれた未来の何処かで、いつか。

 仲間たちと、笑いあえるように。

 

 腰に吊られた剣が、応援するようにきん、と小さく震えた気がした。




??ルート→


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3話

 むせ返るような獣臭と血の生臭さが立ちこめ、怪物の息遣いが耳元に触れ、人の悲鳴が鼓膜に突き刺さる。

 命を賭して駆けた先の最期の瞬間、おれの身体の奥底から純粋な力の塊としか表現できないものが湧き上がっているのが分かった。

 解き放ったこれが、視界を埋め尽くす怪物どもを確実に消し飛ばせることも。

 

 最期に見た彼女は哭いていたけれど、それでも彼女を守れることが嬉しかった。

 たとえ自己満足だと言われようと、勝手だと罵られようとも、おれは彼女を守れることが嬉しかったのだ。

 

 でも、同時に心が引き裂かれるように苦しかった。

 脳裏に焼き付いて離れない彼女の声や顔が。走馬灯の様に次々と浮かび上がる彼女と過ごした日々が。

 怒った彼女が。呆れた彼女が。勇ましい彼女が。笑った彼女が。

 彼女の感触が、彼女の匂いが、触れた彼女の温かさが、彼女の涙が、おれの心をぎゅうぎゅうと締め付ける。

 

 もっと一緒に居たい。もっと彼女の笑顔が見たい。おれが彼女を笑顔にしたい。でも、おれはもう居ない。居なくなる。

 7年を共に過ごした彼女の側から、おれは居なくなる。

 それでも、おれはきっと今この瞬間のためにこの世界へ来たのだと確信した。

 だっておれは、今までの人生で彼女と過ごした日々ほど幸福で、彼女と日々を過ごせなくなるほど辛いことをひとつとして知らなかったのだから。

 

 彼女は悲しんでくれるだろうか。

 おれは最低なやつだから、おれが居なくなった後に彼女がその事で泣いてくれたら嬉しいと思う。でも、それぐらいは許して欲しい。

 大好きな女性を守って逝けて、その女性が逝ったおれを想って泣いてくれるなんて、男冥利に尽きるってもんだ。

 

 それに、きっと彼女なら。

 生きていたのならいつか、きっと仲間たちと笑い合えるようになるから。

 おれは、その未来を守りたい。

 

 霞む意識で彼女の幸せを願い──瞬間、おれは力の奔流に飲み込まれた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「おお てんせいしゃよ 死んでしまうとは なさけない……おわあっ!? いきなりドロップキックとか何考えとるんじゃお主!?」

 

「ええ? 死んだんじゃないのかって? 知らんのか、メガンテ使いは後々登場するのがお約束じゃろうが。ここはアケ○ンの河みたいなところじゃよ」

 

「三途の河ではない。アケ○ンの河じゃ。この格好? 王様っぽくていいじゃろう? いかずちの杖じゃぞ。……時に、好きなチートを持って好きな世界へ行くのと転生した世界へ戻るのどっちがいい?」

 

「……即答か。理由にクズっぽさが滲み出とるのう。じゃあ始めるか……ん? ザオリクではないぞい、ザオラルじゃ。成功率? ちっちっち、ワシを誰じゃと思うておる。復活させるのに三や五のザオラルもいらん。一発じゃよ

 

 かみさまは 【ザオラル】を となえた! 

 

「さあ ゆけ ──よ! もう次はないぞい。今回はお主はこの空間での事を覚えてはおれぬが……まあ、達者でな。忙しくて適当にお主を処理した事、ちっとは悪いと思っておったんじゃ。……そうそう、こんな時にぴったりな言葉があったのう。たしか……」

 

「そして 伝説がはじまった!」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 死んだと思ったけどなんか生きてました。

 

 いや、おれが一番ビビってる。

【メガンテ】を使う前からすでに死に体だったし、【メガンテ】を解放する直前身体の内側で力の塊が暴れまくってるのが分かったから気分的には「おいおいおい、死んだわおれ」だったんだけど、失神こそすれ死にはしなかった。

 完全に死んだと思ってたから意識が戻って、え? なんで??? ってめっちゃ困惑したのは内緒だ。

 あと、感覚的におれにはまだ【メガンテ】のチート能力が残っているのは分かるが、次は絶対に死ぬ予感がある。

 今おれが生きているのは言ってしまえば二度はない奇跡のようなもので、根拠はないが次は本当に死ぬと本能が確信していた。

 

 そして、恐らく【メガンテ】で出来たであろう大穴の中心で目を覚ましたおれは動ける状態じゃなかった。

 体感でいえばまるで瀕死の状態から三割ほど体力を回復したみたいだったが、右腕はないし腹は内臓が機能しているかちょっと怪しい。

 ほんとよくこんな状態で走ったものだ。自分が信じられないですね。

 傷口から出血していないのは一重にフィルヴィスが必死に止血してくれたおかげだろう。

 

 ──フィルヴィス。

 おれの命を賭けてでも守りたかった大切で、大好きな女性(ひと)

 たとえ俺が死ぬことになってもフィルヴィスが生きていてくれるなら……と死ぬ覚悟を決めたが、なんの奇跡かこうして生きているのだから、彼女に逢いたい。

 逢いたい。逢いたい。逢いたくて逢いたくて仕方がない。

 フィルヴィスを想うと胸に熱いものが込み上げてくる。

 その手に触れたい。抱き締めて彼女の体温を感じたい。彼女の笑顔がもう一度みたい。最後に見たのは彼女の泣顔だったんだ。おれは彼女の笑顔が一番好きなのだから。

 いやどんなフィルヴィスも超かわいいけどね! 

 あともう一回エルフ耳を触らせて欲しいですね。

 

 とはいえ、そのためにはここから脱出しなければならないが身体が動かない。

 どれだけの時間意識を失っていたのかは分からないが、このまま横になっていたら怪物に喰われて死ぬかダンジョンの自己修復で生き埋めになって死ぬかの二択である。

 幸いなことに【メガンテ】によって怪物を産み落とす壁や地が完膚無きまでに破壊されたので暫くは怪物に襲われることはなそうだが、それも時間の問題だ。

 二十七階層にいた冒険者や【ディオニュソス・ファミリア】のみんながおれを見つけてくれるのが理想だが……いやあ、本人ですら死んだと思ったしここ多分二十八階層だよね? アホみたいにデカい大穴が天井に空いてるし。

 流石にあんな事の直後に二十八階層まで99.9%死んでるような奴を探す余裕はないだろう。

 少なくともおれは探しに行かない。

 

 唸っても力んでも激痛こそあれど力は全く入らない。

 なんぞこれ……死後硬直かよ。いや死んだことないんだけど。

 てかまじで痛い。ほんと痛い。泣きそう。

 

 立ち上がろうと悪戦苦闘していると不意に、鼓膜が微かな足音を捉える。

 

 まさか探しに来てくれたのか、と一瞬期待して、即座にその希望を切り捨てた。

 救助はあり得ない。それを否定したのは他でもない自分なのだから。

 つまり、怪物が近くにいる可能性が高い。

 

 息を潜める。

 今のおれでは見つかれば一方的に嬲り殺しになるので、もう見つからない事を祈るしかない。

 緊張で乾く喉が生唾を飲み込みそうになるのを必死で堪え、早鐘を打つ心臓を抑えることに努める。

 

「…………」

 

 早く通り過ぎろと心中で唱え続けるおれの耳が微かな言葉を拾った。

 どこか聞き覚えのあるような……え? 言葉!? 今なんだこれはって言わなかったか!? 

 おれの理解できる言語、即ち人語を話しているという事は間違いなく人間だ。本当に助けに来てくれたのかよ!? まじか!! 

 

 おーい! おれはここだ! 助けてくごファ!? 

 救助に来てくれた素敵な冒険者に場所を知らせるために叫んだら声とは別に血の塊を吐いた。

 喉に詰まってたんかな……まあ腹を何回かガブリとやられたから血が迫り上がるのも当然っちゃ当然か。

 

 吐血に邪魔はされたがおれの場所を知らせるという目的は無事に果たせたみたいで、こちらに駆け寄る足音が聞こえる。

 助かった、と息を吐き出すおれは素敵な冒険者のご尊顔を拝もうと上方を注視し……。

 

「おっこいつか」

 

 ………………………………えっと。

 ぬっと現れた素敵な冒険者(仮)に見間違いかと目をぱちくりさせる。見間違いではなかった。

 ず、随分とワイルドなお顔をしていらっしゃいますね? あ、被り物ですか? いやー、実に見事で本物の蜥蜴人(リザードマン)のようですよ。はははっ。

 

「いや、オレっちは本物の蜥蜴人(リザードマン)だぜ。悪いけど付いてきてもらう。そっちにも選択肢はねえだろう?」

 

 開かれた口には、とても作り物とは思えない鋭そうな牙がズラリと並んでいた。

 ……も、モンスターがシャベタァ!? 

 アイエエエ!? ナンデ!? 

 やべえ殺されるぅ!? 動けっ! 動けおれの身体!! フィルヴィスの笑顔をもう一度見るまで死ぬわけにはいかねえんだヨォ!? 

 

「殺さねえから落ち着けよ。じゃあちょいと失礼して」

 

 ずん、と飛び降りておれの横に着地した喋る蜥蜴人は、おれをお姫様抱っこして移動を開始する。

 何するんだ! まだフィルヴィスにもお姫様抱っこした事ないのに! 

 あともっとソフトに! 今マジで全身痛いからほんと頼んます!! 

 

「死にかけなのに元気な人間だなお前……」

 

 呆れた目をする蜥蜴人の硬い鱗で覆われた腕に抱かれながら、いつかフィルヴィスをお姫様抱っこしようと心に決める。

 あ、いっけねおれ右腕ないんだった。片腕でお姫様抱っこって出来るのかな? 

 

「オレっちは出来るぞ」

 

 うおぁ!? 怖い怖い怖い! やめて! しっかり両手で持って!? 今おれしがみつく力もないんだから!? 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 連れて行かれた先にはすんげー胡散臭そうな全身ローブが居た。

 もう十段階で評価するなら十二点付けるぐらいの胡散臭さ。

 

 話をまとめるとこうだ。

 フェルズと名乗った胡散臭い全身ローブの上司がダンジョンを監視していて、【神の恩恵】とは別物の途轍もない力を感じたそうだ。

 流石にこれは見逃せないとフェルズに至急現地に事態解明に向かわせたら、近くにいて自主的に見に来た喋る蜥蜴人と合流して、そんで未知の力の発生源の中心におれが横たわっていたと。

 

 うん、間違いなくチート能力の事ですねこれは。

 クソジジィはファミリアに入れって言ってたし、ディオニュソスから【神の恩恵】を貰っておれのチート能力が【メガンテ】である事が分かったから、てっきりチート能力は【神の恩恵】で引き出される【魔法】や【スキル】の強化版みたいな認識だったがどうも違うっぽいな。

【神の恩恵】は与えられたチート能力を可視化しただけで、実は【神の恩恵】が無くてもチート能力、おれの場合は【メガンテ】を使う事は出来たのだろう。

 じゃないと【メガンテ】が【神の恩恵】とは別物の力であるという結論にはならない。

 

 まあ実際あのクソジジィに貰ったチート能力だし、別物だと言われても理解は出来るがどう説明すれば……転生って言って信じるか? 

 おれは実体験として転生したから仮にこの世界におれの他に転生者がいても驚かないが、日本で暮らしていたときに『おれ実は転生者なんだ』って言われたら苦笑いして翌日以降付き合い方を考えるぞ。

 

「君はどうしてその力を持っている?」

 

 でもこれお茶濁しで許してくれそうにないよなあ……。

 フードを深く被りすぎて目が見えないけど雰囲気でガチなのは伝わってくる。

 フェルズの後ろには喋る蜥蜴人がいるし、身体が動かないから逃げるのも無理。

 そもそも剣も盾もどっか行ってる上に、仮に剣と盾があって万全の状態でもおれに下層をソロで進める実力はない。

 どう考えても詰みだった。

 

 ……正直に話すしかない、か。

 もう半ばどうにでもなれとやけっぱちに近い気持ちでこことは違う世界からこの世界に来るときに貰った力だ、なんて事を言った。

 自分でも何言ってんだこいつって思うぐらい酷い説明だったが、意外な事にフェルズは「一旦上に持ち帰る」なんて社会人みたいな事を言った。

 ああ……なんかお前上司と部下に板挟みにされる先輩社員みたいな哀愁漂ってるな……。

 どんまい、元気出せよ。いい事あるって。

 

「……」

 

 心からのエールを贈ったのにめっちゃ嫌そうな反応をされた。解せぬ。

 

「オレっちもひとついいか?」

 

 おれとフェルズの会話が終わるのを待っていたのか、喋る蜥蜴人がフェルズの前に歩み出る。

 リドと名乗った喋る蜥蜴人は、壁に寄りかかるように座るおれに目線を合わせるようにしゃがんだ。

 

「お前、オレっちの事が怖くねえのか?」

 

 え? 怖いけど? 

 

「なら、どうして普通にしていられる?」

 

 おれを見つめる一対の目が、これが真剣な問いであることを窺わせる。

 ……そうだなあ。普通っていうのはよく分からないけども。

 アニメや漫画では敵側から味方に転身するのは王道パターンだからな。多分リドがそうなんだろう。

 もっと言うと絶対悪だって思ってた側にも実はいい奴が……! っていうのもよくあるパターン。ファンタジーが好きだったおれにその辺の抜かりはない。

 それに、いつでも殺せるおれを殺さずに、おれの話に付き合ってくれたし。信頼しろってのは流石に無理だけど、信用はするぜ。顔は怖いけどな! 

 

「なんだそれ」

 

 意味わかんねえ、と豪快に笑ったリドはおれの背中をバシッ、と一回強く叩いた。

 いてえええええ!? えっ骨が折れてないこれ大丈夫!? おまっ、おれは重傷なんだよ分かってんのかボケェ!? 

 

 身体の負担を考えて控えめに叫ぶが、すまんすまんと笑うリドに反省の色は見られない。

 本当に分かってんのかこいつ……。

 

 それから、伊達におれも死にかけというわけではないので治癒魔法を使えるというフェルズが治癒してくれる事になった。

 最初から治癒してくれなかったあたり、今は多少おれのことを信用してくれているのだろうか……まあ難しい事はおいおい考えればいい。今は怪我が治るだけで本当に有難い。

 

 これで、やっとフィルヴィスに逢いに行ける。

 

 ──と、思っていた時期がおれにもありました。

 

「……あれ?」

 

 おれの身体を治癒魔法が包んだ瞬間、ぱっと弾けるように霧散する。

 フェルズの口から想定外とでもいうような声が漏れた。

 いやそれおれのセリフ。全治癒魔法って触れ込みじゃなかったっすか? 

 身体は多少楽になった様な気がするが、そのレベルである。全快どころか治癒にすらほど遠い。

 

「これは……」

 

 そして、フェルズの口から告げられる衝撃の事実。

 曰く、謎の力に回復魔法が阻害されている。恐らくは君が貰ったという【神の恩恵】ではない別の力によるものだろう、と。

 

 いやいやいやいや。

 今まで普通に回復魔法で治癒してもらったこと何回もあるから。その時と今で違う点は【メガンテ】を使ったかどうかだけど【メガンテ】にそんな呪いの装備じみた効果ないから。ないよね? 

 まさかとは思うが教会に行かなければ回復できません的なことは……流石にないと思いたい。

 

 何はともあれ、全く効果がないわけではないという事なので、フェルズが魔力の関係で毎日数回の回復魔法をかけてくれる事になった。

 その間、おれはリドと共にダンジョンで生活である。

 フェルズの見立てでは、全快に要する時間は約1ヶ月とのこと。

 

 ひと月もダンジョンで暮らすとかむぅりぃ。ベホマズンどこお。

 

 もうすでにおれの心は折れそうだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 一時はどうなるかと思ったダンジョン生活も、蓋を開けてみればなかなかどうしてなんとかなった。

 

 一週間ほどは自分で歩くことすら出来ないおれの介護生活みたいなものだったが、リドの仲間たちが随分とよくしてくれた。

 最初の頃は警戒していて姿すら見せてくれなかったが、人間に興味はあったのかリドと普通に話すおれに近付いてきてくれた。

 自意識を持ち喋る怪物というのも結構なインパクトがあったが、慣れてしまえばどうということはない。

 ポケ○ン世代をあまり甘く見ないでもらおうか。むしろ子どもの頃の夢が実現したようでちょっと嬉しかった。

 まだおれを警戒しているような節はあるものの、だいぶ仲良くなれたと思う。

 え? 排泄はどうしたのかって? やめろその術はおれに効く。介添え付きでも歩けるようになった事で飛び上がるほど喜んでまた怪我をしそうだったとだけ言っておこう。

 

 自意識があり、装備を纏い喋る怪物でもあるリドたちが人目に触れるのが不味いということはおれでも理解できるが、どういうわけかフェルズも目立つ訳にはいかないらしい。

 おれを地上の治療院にまで運ぶことのできない理由がそれだった。

 

 二十七階層の英雄。

 

 曰く、その身を犠牲にして闇派閥を壊滅に追い込んだ。

 曰く、ギルド傘下のファミリアを守るために単身怪物の大群に挑みその全てを一撃で倒してみせた。

 曰く、正義のために自己を顧みない特攻で多くの冒険者を救った。

 

 それが、今のおれの地上での扱いらしい。

 

うおおおおおおおおおおやめてくれえええええええええっ!!! 

 それを聞いたときおれは胸を掻き毟りたくなるような羞恥心のあまり頭を抱えて蹲ってしまった。

 違うんだ。おれはそんな高尚な信念があった訳じゃないんだっ! むしろ他のファミリアの冒険者とか生き残るための踏み台にしようとしていたんだっ。

 おれはただフィルヴィスを守りたかっただけで! 究極他のファミリアの人間とか本当についでみたいなもので、とにかくそういうのじゃないんだよっ。

 悪い事をしたのに結果的に良いことに繋がって褒められるような罪悪感がある。本当にやめてほしい。恥ずかしすぎる。おれはどうしようもないやつなんだって分かるだろっ。

 

 しかも、かなり大規模な葬儀まで執り行われたらしい。

 おいディオニュソスうううううう!! ここまで話がデカくなってるのお前が一枚噛んでねえだろなあ!? 

 これどうすんの? おれどんな顔して帰ればいいの? 「実は生きてました! てへぺろっ」とかやればいいの? 数秒後には葬式の名に嘘偽りがなくなりそうなんだが。

 

 あと深刻な問題としてフィルヴィス成分が足りない。

 ここまで欠乏したのはLv.2のランクアップに必死だった頃と覗きの制裁のとき以来だな……。

 

 ……フィルヴィスは、おれが死んでどう思ったのだろうか。

 悲しんでくれたのだろうか……。そうだったら、嬉しいと思う反面、申し訳ない。

 最後の瞬間のあれは、結局のところおれがいつものように一方的に気持ちをぶつけただけだし。

 彼女はおれが死んだと思っている。おれは、どんな顔をして彼女に逢えばいいのだろうか。彼女にどんな言葉を投げかければいいのか。彼女の制止を振り切って行ってしまったおれが、彼女に逢うことが許されるのだろうか。

 分からない。分からないけど……どうしようないほどに胸が、心が彼女に逢いたいと焦がれていた。

 

 悩むままに答えは出ず、1ヶ月の時が過ぎ──おれの怪我は完治した。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 久々に浴びる陽の光は眩しくて、遮るように左手を翳す。

 おれはバベル前の広場に出てきていた。

 

 十八階層まではリドも付いてきてくれたが、そこからはひとりだった。

 水浴びをして身体を清めて、用意してもらった服に着替える。

 おれの服は自分の血で染まっていたし、すでに服という機能を果たせるか怪しいほどにぼろぼろに引き裂かれていたため、リドたちが何処からともなく持ってきてくれた。

 所々傷んでいる戦闘着や一振りの劔をいったい何処から調達したのかが分からないほどおれは察しの悪い男ではないが、素直に感謝をして受け取った。

 持ち主には悪いが、有り難く活用させてもらう。

 

 片腕で十八階層から進まなければいけないことも考えて身体が全快するのを待ったが、フェルズから渡された深層の怪物のドロップアイテムの隠蔽効果のある皮套のおかげで怪物との戦闘は数えるほどしかなかった。

 おかげで、おれは怪我をすることもなく、誰にも見つからずにバベルを出る事が出来た。

 

 皮套を羽織りなおして、ホームへの道を歩く。

 

 本当に、彼らには助けられてばかりだ。

 どうにもこれからおれはフェルズとリドたちがやっている事に関わることになりそうな気配がするが、それぐらいなら甘んじて受け入れよう。

 いくらおれがクソ野郎でも、流石に命の恩を無下には出来ない。

 

 そういえば、彼女にも命を助けてもらったのが始まりだった。

 七年前のあの日の事を今でも鮮明に覚えている。

 

 この世界で駆け抜けた七年の時間は、彼女との時間だった。

 おれの記憶のきらきらと輝いている場所には必ず彼女がいる。

 

 一目惚れだった。

 こう言うとどこか安っぽい響きがするけど、それでもおれは初めて彼女と出会ったときからずっと好きだった。

 恥ずかしくて、照れくさくて、真正面から愛を囁くのはむず痒くて、子どものような態度をとってしまったけれど。

 彼女を好きになってからのおれの毎日は、それまでとは別物のように鮮やかだった。

 彼女と一緒に居たくて、危険なダンジョンへ潜った。

 彼女に置いていかれたくなくて、必死になって戦った。

 彼女の力になりたくて、自分にできる事を全力で模索した。

 全部全部、おれの自己満足だけど、痛いことも苦しいこともしんどいことも嫌だと言い続けてきたおれが、まさかこんな風になるなんて思ってもみなかった。

 おれは、彼女のおかげで変わったのだと思う。

 本当に、凄い女性だ。

 おれの心は、あの時から彼女に埋め尽くされている。

 

 彼女に逢いに行ってもいいのか。

 答えは出なかったから、自分の気持ちに素直になろうと思う。

 二十七階層に行く前に……何度も何度も手紙を書き直していたときに、そう決めた事を思い出した。

 おれは彼女に逢いたい。

 彼女と一緒に生きたい。

 だから、逢いに行く。

 

 ……まあ、手紙の通り……もし、彼女におれ以外の想いびとが出来たらおれは泣くだろう。

 泣いて、泣いて、泣き喚いて……そして、祝福しよう。

 おれは彼女が大好きだけど、それ以上に彼女に幸せになって欲しいから。

 実直な彼女が選んだ相手なら、きっと大丈夫だ。

 

 そう自分の中でケリをつけられるようにするために、彼女に伝えたい事がある。

 一回本気で死ぬ覚悟をしたんだ。もう、おれは逃げない。

 でも、まずはごめんなさいかな。

 きっと怒られるだろう。すごく怒られると思う。もしかしたらいつものように短杖で殴られるかもしれない。

 ああ、でも。それすらも幸せだと思う。

 

 そうして、おれは【ディオニュソス・ファミリア】のホームに辿り着いた。

 

 門をくぐる。

 団員たちはメインホールに集まっているようだった。

 不用心だなと思いつつも、今はありがたい。

 中へ入って、聞き耳を立てる。

 自分が居なくなってからどんな感じになっているんだろう、というちょっとした好奇心が刺激されたからだ。

 

「ほんと自分勝手なクソ野郎だったね副団長」

 

 ぐっはあ!? 

 聞こえたきた声に思わず膝から崩れ落ちる。

 え? 悲しんでくれてるのかなってちょっと期待はしたけどまさかの罵倒? 

 もしかしてあいついなくなって清々したぜ的な? 

 1ヶ月経っても怒りが収まらなかったの? 凹む。

 

「自分のことばっかでさ、周りの気持ちなんてちっとも考えないし」

 

「誰が助けてくれなんて頼んだんだよっ」

 

「自分の行動がどう受け取られるかに頭が回ってないんだよね。本当にクズ野郎だよ」

 

 がふぅ!? 

 やめて! 副団長のライフはもうゼロよ!! 

 力が抜け両手両足を地について嘆く。いや右手はないんだけども。

 まさかここまで嫌われていたとは……。いや確かに団員たちの頼み事を適当な理由をつけて断ってはいたが……後からしょうがねえなあって感じでやるのそんなにウザかったのだろうか。……ウザいな。想像の自分に殺意が沸くなんて相当だぞ。

 

「──何者ですか」

 

 聞き馴染みのある、大人びた声が鼓膜を震わせた。

 ホームに侵入した不審者に対する警告の意味が込められているのか、鋭利な長杖の先端がおれの首筋に当てられている。

 その長杖に、見覚えがあった。

 忘れるわけがない。約六年の間……不器用なおれを見捨てずに付き合ってくれた、一番お世話になった彼女の得物を忘れるわけがない。

 

 ぱさり、と羽織っていた皮套を脱ぐ。

 隠蔽効果が消失しおれという個人を認識できるようになり、彼女の喉が息が詰まるような音を出した気がした。

 

 ……久しぶり、アウラさん。

 

「なん……で……」

 

 いつも冷静なアウラさんがそんなに驚いてるの、珍しいね。なんか新鮮な気がする。

 

「彼は……あの時いなくなって……!」

 

 おれもそう思ったんだけど、なんか生きてたみたい。帰って来るの遅くなってごめんなさい。

 

 アウラさんはおれの顔を見開いた目で見つめて、俯いた。

 何かを堪えるように小さく震え、我慢ができなかったようにその瞳から透明な雫が溢れ出す。

 ぽたぽたと次々に涙が地に落ちるたびに、アウラさんの啜り哭く声が大きくなっているような気がした。

 

 アウラさん……? 

 

「本当に……あの人なのですか……?」

 

 アウラさんが涙を流すところを初めて見て狼狽えたおれが彼女の名を呼んで、それに重ねるようにアウラさんが喉を震わせる。

 

 うん。おれだよ。アウラさんにいっぱい助けてもらった、情けない副団長。

 

「っ!」

 

 おれがそう答えると同時に、彼女は一歩、二歩とおれへの距離を瞬く間に詰めて、おれへ触れる直前で止まった。

 放り出された長杖が乾いた音を立てて転がっていく。

 身動ぎをすれば触れそうなほど近くにいる彼女の身体は可哀想になる程に震えていて、普段の頼りになる大人の女性然とした姿はどこにもなかった。

 何かを葛藤するように両腕が震えながら持ち上がり、一瞬だけおれの背へと回って、直ぐに自分の身体を抱きしめた。

 

「今まで……何をしていたんですか……! 私は、私は……本当に……!」

 

 声に涙が混じって、耳に馴染んだアウラさんの声はそれよりも少し高かった。

 涙は止まらなくて、頼りになるアウラさんがただの少女のようで、おれはどうしたらいいのかわからなかった。

 ただただ、ごめんなさいと謝るおれの胸に、とん、とアウラさんの額が触れる。

 泣き噦るアウラさんの震えがそこから伝わってきて、涙を流して欲しくなくて、彼女を抱きしめたくなって、抑えた。

 それをする事は、何故かとても残酷な事のように思えた。

 

「……失礼しました」

 

 数分経ち、少し落ち着きを取り戻したアウラさんはおれから離れる。

 その間、おれは静かにアウラさんに頭を預けられていた。

 

「本当に……生きているんですね」

 

 腫らした目元を拭いながらアウラさんが微笑む。

 笑顔を見せてくれたことに少し安堵した。

 

「ねえ、副団長。私もまだまだ貴方に言ってやりたいことがありますが……私以外にも貴方に言いたい事がある人は多いみたいですよ」

 

 え? 

 おれの後ろを見るアウラさんの目線につられて振り向けば、沢山の目がおれを見ていた。

 

「「「副団長おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!!!」」」

 

 うおおおおおおお!!? 

 雪崩れ込むようにおれに殺到する団員たちに押し倒される。

 やめろ! 重い! まじで重いからあ!? 

 

「どこ行ってたんですか!」

「誰があんな事までして助けてほしいなんて言いました!?」

「この自己中野郎! こっちの気持ちも考えやがれ!!」

「私たちの気持ちちょっとでも考えました!?」

「絶対考えてないよ! 副団長そんな人だもん!」

「生きてたならもっと早く帰って来いよお!!」

「助けてくれてありがとぉ! でも副団長のばかやろーっ!!」

 

 口々に叫ばれても分からん! 

 てかまじで退け! 重い! 潰れる!! 

 でも、おれの主張は聞き入れてもらえなくて、しばらく揉みくちゃにされた。

 君らおれのこと嫌ってたんじゃないの……? 

 

「「「嫌いなわけないッ!!!」」」

 

 目尻に涙を浮かべて叫ぶ団員たちは本当に嬉しそうで、不覚にもおれもうるっときてしまった。

 そっか……おれなんかの事をこんなに……。

 

 事が事だけにちょっと不謹慎だと思って、緩む頰を見られないようにそっぽを向く。

 向いた先にアウラさんがいて、分かってますよ、とでも言うように微笑まれた。いや、あの、本当に恥ずかしいんでやめてください。

 

 口々に想いの丈をぶつけてくる団員たちに謝りながら、彼女の姿を探す。

 

「──フィルヴィスなら、貴方のお墓に行きましたよ」

 

 そんなおれの様子に気がついたのか、アウラさんが西の方に指をさした。

 その方角は共同墓地のあたりか。

 分不相応なおれの扱い的にもしかしたら個人墓地とかいう毛穴が痒くなるような事になってるかもしれないと危惧したが、無事その辺りはおれの意向を汲んでくれたようで何よりだ。サンキューディッオ! 

 いや死んでないんだけどね。

 

「あ、そうか団長……」

「早く行ってあげて副団長!」

「団長すっごく泣いたんだからね! 私たちもだけど!!」

「怒られてこい!!」

「もう絶対団長を泣かせるなよ!」

「いつもみたいに照れ隠ししたらダメだよ!」

 

 アウラさんの行動に気がついた団員たちが、次々とおれの背中を押す言葉を投げかけてくれる。

 ……いや照れ隠しバレとったんかい!? 

 割とマジでここ数年で一番の衝撃なんだけど!? 

 え!? これもしかしてフィルヴィスも気づいてたりすんの!? 

 

 瞠目するおれは早く行けと団員たちに尻を蹴られ、駆け出す。

 背に温かな声を受け止め、フィルヴィスの元へ。

 何度も何度も思い起こした彼女の記憶が、再び溢れるように湧き上がる。

 隻腕で全力で走るのはこれで初めてだったから、不恰好だったけど、一秒でも早く彼女に逢いたくて、彼女を見たくて、病み上がりの身体に鞭を入れて走った。

 

 それなりに手入れされている入り口から共同墓地へ入る。

 おれは新入りだからか、その中でも奥の方におれの墓があり──彼女の後ろ姿が、見えた。

 

 ──ああ。

 

 命の沸き立つ音がした気がした。

 ダンジョンに向かうつもりなのか、彼女の高潔さを表すようないつもの白い戦闘着。

 囁く風に靡く黒髪は絹のようで、柔らかに揺れる。

 彼女の種族を特徴する細長い耳が、陽の光を浴びてより白く見えた。

 

 何よりも、誰よりも逢いたかった彼女が、目の前にいた。

 

「────ぇ」

 

 石碑に手を合わせていた彼女が立ち上がり、振り返る。

 見開かれる赤緋の瞳と視線が交わり、微かに彼女の喉が震えた。

 彼女の存在が、彼女の視線や声が、彼女の熱が、おれの魂を揺らしたような気がした。

 

「……どう、して……」

 

 ふるふると震える彼女がやっとの思いで喉から絞り出したように、小さな声を漏らす。

 あり得ないとでも言うように。信じられないとでも言うように。

 だから、おれはいつものように言った。

 

 ……驚くフィルヴィスも可愛いなあ。結婚して耳を触らせてくれ。

 

「…………っ!!」

 

 驚愕と疑念が入り混じったフィルヴィスの相貌が崩れ、その双眼からひと雫の大粒の涙が溢れた。

 叫ぶのを堪えるように唇を噛んだフィルヴィスは一度硬く目を閉じて、俯いた。

 

「……私の弱さが見せた……幻覚ではないだろうな……っ」

 

 ああ。おれはちゃんと此処にいる。

 

「……本当に本当に……生きて、そこに居るんだろうな……っ! 私の夢じゃないだろうな……っ!!」

 

 夢じゃない。おれにもフィルヴィスが見えてる。フィルヴィスの声が聞こえてる。

 

「私が触れた瞬間に……っ! あの時みたいに、私から離れていかないだろうな……っ!!!」

 

 前科があるけど、今度こそ、行かない。

 

「──っ!!」

 

 正面から強い衝撃を受けてたたらを踏む。

 飛び込んできたフィルヴィスを柔らかく受け止めて、その背中に左腕を回した。

 

「ぅぁぁああっ……! あああぁぁっ!」

 

 おれの服の胸の部分を両手で掴んだフィルヴィスが嗚咽を漏らす。

 彼女の体温は温かくて、左肩に押し付けられた彼女の涙は熱くて。

 おれも訳の分からない情動がせり上がってきて、彼女を抱き締める腕に力を込めた。

 とくん、とくんとお互いの心臓が共鳴するかのように律動した。

 

「生きてる……っ! 生きてる……っ! ぅぁぁああ……っ! 生きてる……ぅ!!」

 

 おれがちゃんと生きていることを確かめるように。

 強く、強く、生きてると嗚咽を漏らしながら抱き締める彼女に、悲しんでくれたら嬉しい、なんて思った事を後悔した。

 彼女に泣いて欲しくない。彼女が泣くと、息が出来ないように胸が苦しい。やっぱり、笑っていて欲しかった。

 ごめんなさい、と謝るおれに、彼女は心を曝け出すように声をあげる。

 

「謝るならやるな……っ!! 私がどんな想いで……っ! 生きてたなら、もっと早く帰ってこい……っ! ばかっ! お前は大ばかだ……っ!! 私から離れていくの見ていることしか出来なかった……っ! 痛かった! 苦しかった! お前が居ないことが苦しくて、辛くてっ!! お前に守られてしまった自分の弱さが憎かったっ!! 置いていかれるなら、一緒に死んだ方がよかったって、思った……っ!! でもっ、お前が守ってくれた命だから、それでもっ、私は生きなきゃって思って……っ!! ばかっ! クズ! 私の気持ちも、もっと考えろ……っ! お前は最低だ……っ! 私の、私の目の前で、あんな、ぅ、ぅぁぁああっ!!」

 

 うん……本当に、ごめんなさい。

 

「だから……謝るなら……っ! 最初からやるな……っ!!」

 

 泣いて欲しくなくて、でも彼女の涙は次から次へと溢れてきて、おれも泣きたくなってきて、泣いた。

 もう二度と逢えないと覚悟したフィルヴィスと、また出逢えた。

 これからきっと、またあの日常に戻れるのだと思うと、決壊しようとする涙腺を堪える事が出来なかった。

 男の矜持として声をあげることはなかったけれど、頬を伝う涙はきっと彼女にもバレているだろう。

 

 しばらくして、意思ではなく、身体の機能として涙が止まってからおれたちは離れた。

 彼女の涼しげな目元は赤く腫れぼったくなっていて、きっとおれも同じような顔をしているのだろう。

 

 流石にあれだけの感情を発露すると、ちょっと、いやだいぶ、なんというか、むず痒い。

 俯くフィルヴィスの表情は髪に隠れて見えないが、泣いた事による腫れとは別種の朱が差しているような気がした。

 

「……プロポーズ」

 

 そわそわとした沈黙が立ち込める空間に、消え入りそうなほど小さなフィルヴィスの声が浸透する。

 Lv.3のおれの聴覚は、それをばっちりと捉えていた。

 

 ……えっと。

 まさかフィルヴィスの口からそんな言葉が出るとは夢にも思ってなかった。

 なんで……はっ!? まさか、あの手紙を読んで……!? ってよく見たらフィルヴィスの腰に吊ってる短杖おれがプレゼントに用意したやつじゃん!? まじか……心の整理を付けたものの、あの滅茶苦茶恥ずかしくて墓場にまで持っていく予定だった手紙読まれたのか……。

 

「……」

 

 無言で佇むフィルヴィスが何を催促しているか理解して、かあっと顔が熱くなった。

 え……? 本当にやるの……? いや確かに覚悟はした。覚悟はしたけど実際にいざその時になるとやっぱ怖気付くものがあるというか……! すぱっと決断できるならそもそもここまでズルズルいってない気がする! 

 結局おれはへたれて、いつもの言葉を口にした。

 

 俯く儚げな美少女エルフも美しいなあ。結婚してくれ。耳も触らせてほしい。

 

「……本気のプロポーズ、してくれないのか……?」

 

 潤んだ瞳で、朱くなった頰で、覗くようにおれを見るフィルヴィスに心臓が止まるかと思った。

 かわいい。いやそうじゃなくて! かわいいけど! 

 ……くそ、覚悟を決めろおれ。

 彼女の事が好きだ。大好きだ。愛って感情はよく分からないけど、彼女のためならおれは何だってできる。彼女を守りたいと心の底から思う。彼女の笑顔を見れば無限に力が湧いてくる。この気持ちが愛なら、おれは彼女を愛していると断言できる。

 だから、言え、言うんだ、照れるな、茶化すな、誤魔化すな、おれの心を、想いを、言え! 

 

「──初めて出逢ったあの日からずっと、貴女に心を奪われていました。貴女の笑顔を見るのが、貴女と一緒に居られる事がおれの幸せです。一生貴女だけを想います。だから、おれと、おれと! 結婚してください!」

 

 言い切って、目を瞑る。

 指輪なんてものは用意できてなくて、場所も共同墓地なんてムードもへったくれもない場所だったけど、おれはおれにできる精一杯で想いを言葉にした。

 

 彼女が身動ぐ気配を感じた。

 一度大きく息を吸って吐く音がして、彼女は言った。

 

「……もう、私を置いて行ったりしないか?」

 

 それは……。

 寿命の問題、というわけではないだろう。

 もし仮に、また、あの状況になった時に最後まで一緒に生きる選択肢を選ぶことができるかと彼女は訊いた。

 想起する。

 もし、彼女の命とおれの命を天秤にかける事があったなら。

 おれは迷わず、彼女を選ぶと思う。

 でも、もし、もし仮におれが彼女に置いていかれたら。その時、おれは……。

 

「……そこは、即答してほしかった。私は……また、あんな事をしたら……死ぬぞ。自決する。私にとっても……──は大切な人だ」

 

 その言葉に目を開ける。

 晴れ渡った空と、おれの墓と、怒ったような、嬉しそうな、そんな顔をしたフィルヴィスが見えた。

 

「だから、即答出来るようになってから……また、聞かせてくれ」

 

 ええ……かなり勇気を振り絞ったプロポーズだったんですけど……リテイクとは鬼ですかフィルヴィスさん。

 

 でも、柔らかな笑みを見せるフィルヴィスは本当に美しくて。それだけでおれの心臓は痛いくらいに跳ねる。

 ああ、惚れた方の負けってこういう事だなんだなって、もう何回考えたか分からない事を思った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 おれがフィルヴィスに初めてのプロポーズをしてから約七年の月日が流れた。

 

 いやあ……色々ありましたねえ……。

 右手でペンを動かしながら過去に想いを馳せる。

 おれの右腕は義手になっていた。

 これが目ん玉飛び出るぐらい高かった。全額返済を終えたのが四年前というのでその額の凄まじさも押して知れるというもの。

 下層にまで遠征できるファミリアの副団長の財力でほぼ全てを返済に注ぎ込んで三年の返済期間だ。バカじゃねえの? いや義手の性能を体感している身としては何も言えないんだけど。

 あと、何故か回復魔法を受け付けなかったおれの身体は、全快してから普通に回復するようになった。

 あれは本当になんだったんだろうな……まるで変な状態異常でもかかってて、完治する事でそれが解除されたみたいだ。

 暗黒闘気かよ。

 

 それから、案の定おれはフェルズとリドたち……自意識を持ったモンスターである異端児と関わることになった。

 いやまあ文句はないんだけどさ……ちょっと前に異端児が地上に出てきたときは大変でしたね……リドから話は聞いてたけどアステリオスくん強すぎちゃう? リヴィラの街で巻き込まれて危うく死ぬところだったよおれ。

 異端児のみんなが誰一人として欠けなかったのは良かったけどさ。

 

【ディオニュソス・ファミリア】の規模もどんどん上がり、今や押しも押されぬ上位ファミリアの一角である。

 あの事件は二十七階層の悪夢と名付けられた。とは言っても、ひとりの勇敢な冒険者の功績でギルド傘下の有力ファミリアは壊滅的被害を免れたので、結果的には闇派閥の自滅に近い形になった。ははっザマアミロ。

 自分で言ってて小っ恥ずかしいが、あのときは英雄の帰還とか奇跡の生還とか持て囃されて大変だったな……柄じゃないのよほんと。まあそのネームバリューもあってファミリアも大きくなったところはあるんだが……おれはもっとクズい人間なんだって……。何よりチート能力の一発ネタだから同じことやれと言われても無理だし完全に名前負けである。凹む。

 

 あと、個人的に一番嬉しいのはついにおれに【スキル】が発現した事かな。

 戦闘に役に立つわけでも、英雄のようになれる凄いものでもないんだけど、おれはこの【スキル】が発現してくれて本当に嬉しかった。他のどんなチートスキルを自由に選べるとしても、おれはこの【スキル】を選ぶぐらいには。

 

「準備はできたか?」

 

 おれを呼びにきた彼女──フィルヴィスに、もう行くから先に行ってくれ、と告げる。

 彼女の左の薬指には、シンプルなデザインのシルバーリングが嵌められていた。

 

 ……ええ、はい。結婚しました。

 義手の借金を返済して、必死にお金貯めて、いつも身につけてもらえるようにマジックアイテムとしても使えるようにしようと深層に行くたびに素材集めて、2年前に完成して、そのまま。

 オラリオを一望できる高台で、ちゃんとムードを作って渾身のプロポーズ(リテイク)をしたんだけど、フィルヴィスには『格好付けすぎだ』と笑われてしまった。凹む。

 でも、その後に幸せそうに笑って受け入れてくれて、だからおれは今も彼女と一緒に生きている。

 つまり、おれはもうチート能力は使えない。

 おれが死ねば彼女もおれを追うと断言しているので、おれは何があっても死ぬわけにはいかない。

 ゴミみたいでも一度だけ彼女を守ることが出来たおれのチート能力は、本当の本当に、何の役にも立たないものになってしまった。

 そうだな……おれの転生してからの月日に名前をつけるとすれば、クソの役にも立たないチート能力もらって転生したってところだろうか。

 

 過去に想いを馳せるのもやめて、ペンを置いて立ち上がる。

 目的地はダイダロス通り前。

【ディオニュソス・ファミリア】は人造迷宮クノッソス攻略作戦に参加していた。

 

「おや、やっと来たね」

 

 おれの姿を確認したディオニュソスが手をあげる。

 それに左手を軽く振って応えて、固まった。

 え? 何でお前ここにいんの? 

 

「私もクノッソスに踏み入るためさ。……少し、気になることがあってね」

 

 ほーん。

 ディオニュソスも迷宮にねえ……ドラァッ!! 

 

「ごふぅ!? な、何を……いきなり……!?」

 

「ちょっ!? 自分何しとん!?」

 

 ディオニュソスの腹にボディブローを叩き込んで戦闘不能にしたおれに、神ロキや一部始終を見ていた者たちがざわめき出す。

 うるせえ! あれほどダメだって言っただろうが! ディオニュソスになんかあったら【神の恩恵】消えるんだよっ!! 

 

「だ、だからフィルヴィスを護衛に……」

 

 確かにLv.5になったフィルヴィスを護衛につければそうそう滅多なことは起こらないだろう。

 だがおれはそういうことを言っているんじゃない。

 都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】と違って、うちの最大個人戦力であるフィルヴィスを! お前の護衛として! 遊ばせておく余裕が! ないって言ってんの!! 分かる!? 

 

「き、君たちがいるじゃないか……! 最近、スキルだって……」

 

 うちのLv.5フィルヴィス入れて四人だぞ。余裕ねえっつってんだろうが。

 ちなみにおれはLv.4である。フィルヴィス強すぎて努力でどうにかなる範囲を超えてしまった。

 悔しいが、今はおれにはおれにしか出来ないことがあると奮い立たせている。でもやっぱり悔しいので日々ダンジョン。

 あと、おれのスキルは長生きできるだけって知ってんだろ。いいから大人しく寝といてください。

 

 伸びたディオニュソスを【ガネーシャ・ファミリア】に預けて、突入準備に入る。ディオニュソスも美人姉妹に介抱されるんだから役得だろう。にしても、あそこの団長とその妹は本当に仲良いな……。よく一緒に買い物してたりするし。

 

 ファミリアを混ぜて再編成したいくつかの部隊を纏める大隊の指揮官がおれの役割である。

 視界の隅ではフィルヴィスと山吹色の髪の妖精が何やら楽しげに話している。あの二人とアウラさんの3人のセットをちょいちょい見かけるから、多分仲良しなのだろう。詳細はおれは知らない。教えてくれなかったんだもの。

 

「生きて帰るぞ」

 

 思考の海に沈んでいる間に、いつのまにか隣に来ていたフィルヴィスがおれの手を握る。

 繋ぐその手から無限の力が送られてきている気がして、おれも強く握り返した。

 当たり前だ。新婚早々死ねるかよ! 

 

 なんか死亡フラグっぽかったのでさっと頭を振って打ち払う。

 なんだっけな……こんな時にぴったりな言葉があったはずだ。

 

 もうあと数秒でクノッソスへの突入が始まる。

 あ、そうだ、思い出した。

 預かる部隊の冒険者たちの命も、ファミリアの団員たちの命も、彼女の命もおれは指揮官として、パートナーとして背負っている。

 なら、言うべきことはひとつだ。

 

 よしいくぞ! 

 みんなよく聞け! 

 作戦名を言うぜ! 

 

「いのち だいじに!」

 

 冒険者たちの鬨の声が鳴り響き、クノッソス攻略作戦が幕を開けた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 これは、ひとりの妖精の幸せを願ったひとりの転生者と、ひとりの転生者と共に生きたいと願ったひとりの妖精の、もしかしたらあったかもしれない、そんなお話。





エルフ好きの転生者のお話はこれでおしまいです。
死と隣り合わせの冒険者としての毎日を、彼等が笑って歩んでいけることを願って。


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