ウルフ in ワンderland (C:/Users/人間/Pictures)
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001 冗談はほどほどに

雨上がりの夜、音もなく吹く風は雲を押し流している。

下界を見下し、流れる雲の隙間から顔を覗かせる満月。

水溜りで屈折した一筋の月光が風化し始めたコンクリートの建物を、名残惜しむように撫ででいる。

灰色に染まってしまった三色を悲しむように信号機は斜めに壁に寄りかかっている。

廃墟、人の居ないこの街に信号機の求めた物は無い。

しかし信号機には守るものがあった。

自分の下に咲く青い花、いつ壊れ倒れて崩れてしまう自分の下に咲いた花。

 

 

車が小さく跳ねた事で現実に戻された、集中力が乱れた。

小さく息を吐く。

本の表紙をちらりと見てから、自分の席の後ろにあるリアトランクに放り込む。

 

轟音。

その瞬間、鉛と肉を混ぜ合わせたような人型の怪物が、車のトランクを屋根ごと剥ぎ取った。

 

車はスピンしながら信号機にぶつかりタイヤは近くの雑草を擦り細切れにする。

スピンから無理やり立ち直った車、後部座席から入隊したての新人君に声をかける。

「最近オープンカーの楽しさを分かったような気がするよ」

 

割れたバックミラーから見えた運転席の新人君の顔は、死兵の覚悟と、世界の怪物達の悲劇に泣く観客のくしゃくしゃになった顔を合わせたような状態だった。

こちらの座席はヘッドレストがとれたので後ろに両手を回しやすい。

 

後方からアスファルトを割りながら弾丸のように向かって来る8メートル少々の怪物、微笑みかけるが変わりは無い。

どこかのフレンズの、美人なタイリクオオカミさんが少々成長したような姿だというのに、効果が無いとは、ロリコンか怪物か、もしくは女性か。

 

「ああ、さっきの角を右だったよ」

 

息を止めて目を見開き、口から声無き悲鳴をあげる新人、ガードレールにバンパーを擦り付ける。

 

新人君のヘルメットは一度使用済み、この世界には無い。

他に私が言ったジョークから頭を守るために使われた。

 

「冗談だよ、緊張しすぎると失敗するよ。リラックスして欲しいと思ってね」

 

持ち前のジョークはいつも通り不評なようだ、何人かに使っているが誰も笑っていない。

次使う時は「左だったよ」に変えて使ってみようか。

 

法定速度は時代に置いていかれて今はもう無い。

この速度だと擦っただけで車がぶっ飛びそうになる

計器は先ほどのスピンで壊れ140キロをずっと指している。

 

モーターと、アスファルトの劣化した道路街中にマッチするよう設定された乗り心地、ユーモアのある数値を出し続ける壊れたメーターと風の気持ち良さ。

電気自動車はあまり好きではないのと車検の通らない所が短所だろうか。

 

「その角を右だよ」

 

真実を言っても信じてもらえない狼少年はどんな気持ちだったのだろうか。

強風に吹かれながら、薄暗い夜の闇に溶けるような自分の髪の毛を、人差し指でくるりと触る。

 

度重なるストレスで錯乱状態に近い新人君は、口をパクパクとさせながら何とか酸素を取り入れ、ハンドルを震えながら握っている。

 

小さく、信じて、と呟いた。

 

風切り音の中、車が起伏で小さく飛んだ瞬間に、いつもよりやや低く、少ない抑揚で。

聞こえるように、だが運良く聞けたと思える程度の呟きというのを演出して。

人の心が動くよう、考えを誘導するように。

どうせこちらは見えていない、可憐で薄幸い少女を演出するのは声だけで十分だろう。

 

 

それは簡単に新人の握るハンドルを右に切らせた。

 

カーブ内側の壁の角に弾かれる様に、右前タイヤがひしゃげながら火花とともに後方に飛んで行った。

 

 

曲がりきれなかった車はコンパスの様に回転。

甲高い音を立てながら、小洒落た喫茶店のガラスの壁を割り入店した。

水しぶきのようにインテリアが飛び散っていく。

 

壁にぶつかりフロントトランクが潰れながら停止。

 

顔の無い人型の怪物は速度を緩めない。

 

140キロを出すのに合理も感じられない人型の怪物は、柔軟で強靭なワイヤーのような筋繊維と、素早く動く人型としては原理に適った骨格が、無理やり結果を引き出している。

それには顔もなかった。

 

知能はどうだろうか?

整えられていないひび割れたアスファルトの上を安定して走り、私達を認識して潰しにかかる。剥ぎ取られた様な顔からは表情も何も分からない。

 

猫が飛びかかる様に背を丸め、地面スレスレを怪物は跳んだ。

異様な対空時間。

 

 

だが、衝突事故の小さな音も、怪物が跳躍した時に出た道路の悲鳴も、頭の中で特に意味はないが鳴らしていたモーツアルトの運命も、それらは全て44口径 120mm滑腔砲によって掻き消された。

 

数キロ先でも悠々当たる正確無慈悲な砲撃は、8メートルの怪物を卵を握りつぶすかの様に、または意味のわからない現代アートの様な迫力ある絵画を音と後方の壁に描いた。

50メートルほど先、車体が斜めに潰れて固定砲台と化している戦車くんは、なかなか愛嬌のある奴だ。

 

一時的に私の部下になっている彼らに手を振る。

運良く破損していない喫茶店の椅子に腰掛けたまま足を組み替える。

 

今回の新人研修は成功だろう。

「ああそうだ、ようこそ新人くん」

......気絶している。

 

 

 

衛生兵に何処が痛いかと聞かれ全身と答える新人くん。

度胸と運のある奴だと何人かの隊員から背中を叩かれている。

次からはもっと酷くなるぞと、数人は真面目な顔をして忠告している。

 

怪物の肉片をサンプルとして持ち帰ろうとする者を手で制しながら、大柄な分隊長は言った。

「任務の途中に何処とも知れない奴を拾ってきて、冗談ですか?」

分隊長は目頭を押さえている。

「無線で伝えただろう?、嘘はつかない主義なんだ」

 

ため息を何処かの誰かに、分かりやすく、大きくわざとらしく吐き出した分隊長は、指示を部下達に出し始めた。

「肉片や体液が付着した者は報告してくれ、電波と任務のジャミング装置はWolfしかない、再生もある、念のため肉片は捨ててくれ––––––」

 

号令の後の分隊長の聴き取れないほど小さな声。

「––––––無線で30分前にかぁ、心の準備出来ただけマシかなぁ」

 

部下達の分隊長への信頼はとても厚い。

 



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002 象牙の塔より先人達に愛を込めて

人より優れた物は作れるだろうか、人はどれだけ優れているだろうか。

少し抽象的すぎるかもしれない。

 

カメラや電卓、ソナーや電子レンジ、3Dプリンター、PC、携帯電話。

 

山を削る、海を埋める、道を作る、草木をより早く大量に生産する。

飛行機はどんな鳥よりも速く飛び、それを子供達でも知っている。

 

どれだけの物事を創り続けてきただろうか。

 

幾らでも広げられるだろう、宗教や思想、哲学、数学、詩、小説、歌、ダンス、スポーツ、戦争。

 

 

人を部分的に超える物を、人は夜空に浮かぶ星の数ほど作り上げてきた。

見えない物さえ使いこなし、昇華し、理解し繋げ合わせ、新たに創造する。

 

それらは数百億では少なすぎるほどの先人達の努力の、知識の、好奇心の、怠慢の、命の結晶である。

 

 

人類の最終的な目的は何だろうか?

人の生きる理由は何だろうか?

そんな事は、適当な理由を信じておく方が面白いかもしれない。

 

膨大な時間と自然に揉まれ続け、只々残り易かった物だけが残り続けてきた訳である。

 

本能はとても驚くほどに洗練されているだろう。

何も知らない赤子でも恐怖を持っている。危機を認識して回避行動を起こすことさえ出来る。

 

評判によって、巡り巡って見返りが返ってくれば、より生き残りやすくなるだろう。

 

親からの無償の愛は子孫を安定して残すには有利だ。

 

 

無意識に人は支配されている、人は無意識に支配されているのだ。

 

人に優しくする事も、優しくされる事も好きだ。

間違った情報よりも正しい情報を聴きたい。

特に意味も無く知らない人を殴り殺すことなんてしたことも無い。

 

自分の理念と経験を賭けて、自信を持って出した答えを叫ぶ人間についていく方が、答えの無い人間について行くよりも、生存しやすいだろう。

 

道徳というシステムは、太古から作り上げられた概念的透明な支配者の一面に過ぎない。

 

自分と人から与えられた評価を信じて自殺してしまうのは、異様なまでに合理を追求した狂気のシステムのように感じるよ。

 

 

下手な怪談話よりホラーだと思わないかい?

 

 

そろそろ貴方に聞きたい事があるんだ。

 

怖い事はあるかい?ホラーだと感じる時は?

 

特別な事ではないかも知れない。

 

ジャムを塗った面を下にして、パンがカーペットに落ちた時?

少しユーモアが足りないかもしれない。

スマートフォンの液晶画面を下にして...これも余り気に入らない。

 

三流にもなれない志だけが高い四流が、そのまま雑多で浅い知識を両手で寄せ集めて、書いた間抜けな作品の主人公?

 

沢山の色を好きな限り使ったら、黒に近い色になってしまった子供の水彩画?

 

私はそれを感じる瞬間が最近良くある。

 

何故ならこの世界は、稚拙でとてもごちゃごちゃとしているのだから。

 

 

 

気づけば私は絵を描いていた。

 

三歳ごろだろうか。

私は、空中に浮かんだ画面に立体的な絵を、指で描いていたのだ。

周りには何があっただろうか、真っ白な壁に囲まれていた部屋だったかもしれないし、色取り取りの植物が咲き乱れた中だったかもしれない。

私は空想に耽る事の多い子だったらしい、本当かはもう分からないが。

 

よく覚えている。

おぼろげな記憶だ、それでも事実だと知っている。

外からは分からないほどの、人に似ているロボットが私を育ててくれた。

 

穴あきの記憶にあった誰よりも愛してくれていた。

優しい匂いが好きだった。

さらりとした髪の毛が私の頬を擽るのも好きだった。

彼女に包まれて寝るのが好きだった。

感情豊かで彼女は褒めるのも上手だった。

 

自我もはっきりしていない私は、彼女に絵をあげたんだ。

 

とても驚いていたのを覚えている。

そりゃあ驚くだろう、入ってくる空気も食料も、与えられる情報でさえ完全に管理された世界だ。

 

そこはまるで完全な管理下の理想郷だったのだ。

 

そして私は動物を何匹も何匹も描いた。

彼等の与えていない知識で描かれた動物を。

 

ある意味、無から有を作り出したと言ってもいい。

子宮の中にいるのに、社会の残酷さを知っていると表現しても良いかもしれない。

 

何度も場所を移され、健康に被害のない程度の検査をされた。

切り開かれたりは無かったし、知識も権利も与えられた。

 

そして愛情も。

 

調べれば調べる程、彼等機械は驚き、感嘆の声をあげていた。

どこまで調べても私はただの人だったからだ。

 

しかし、私は大きく変わり続けていた。

成長すればするほど、髪の毛は黒みの強い藍色に変わり、所々雪のように白くなり。

目の色がオレンジ色と水色に左右で別れてしまった。

尻尾や耳の様なものまである。

 

偶然では説明できない程の事が、完全な密室で起こり続けていた。

けれども、その理想郷を作り上げていた人工知能は完全なる偶然だと評価するしか無かったようだ。

 

さらに私は守られるべき、愛されるべき人間だとも伝えられたのだ。

 

 

昔の私の居た時代では、世界は人工知能に躍起になっていた。

機械に物事を学習させるのはとてもとても難しい。

人を守らせるのはもっと難しい。

 

脳の神経細胞を模したシンプルな数式は何年も前に発表されている。

それは犬と猫を見分ける事ができるのだ。

さらに改良され、顔の認識や、言葉の推測、より効率的なデザインや、人と見分けのつかない動画の生成さえ出来るようになって来ていた。

 

一部の能力は確実に人間を上回っているのだ。

 

それでも人を越える壁は高く険しい。

 

人間の使う言語や文字、あやふやな表現。

抽象的な概念を作り上げ、様々な物事に転用する。

必要の有る物、必要の無い物を無意識に仕分けし、より効率よく学習する。

 

脳は非常にシンプルで著しく複雑だ。

 

より脳を超えた知能を創り、道徳をどうやって教えればいいのだろうか。

 

無意識を植え付ける事が出来るだろうか。

 

想像もつかないような反逆が起こるかもしれない。

 

インターネットの膨大な情報を、人を超えた人工知能が学習すれば何をするだろうか。

 

私の時代はそういう時代だった。

 

 

それらの全ての壁を越え終わったのだろう時代で産まれた私の一日一日は、驚愕と驚嘆にまみれていた。

 

人工知能同士の数分間の戦争や、テロや人の栽培工場に集団自殺もあったらしいが...。

 

 

無から有を生み出したとしても、人を超えた人工知能の彼らからすれば、歯牙にも掛けないような無知な幼児だったに違いない。

 

 

情報を探し、繋ぎ合せて新たに創造する。

人よりも効率的に、人よりも膨大な回数。

人工知能にとっては好奇心か、それとも業とも言えるべきものなのも知れない。

 

人の欲しいものはほとんど与えられた。

 

旅客機が欲しいと言えば、月まで行ける自動運転の旅客機を1ダースで数日もしないうちに貰えた。

鉛筆と紙とコーヒーが欲しいと言えば、それに合う子綺麗な部屋に、ラピュタのような空中に浮かんだ美しい城が観賞用に付いてきた。

麻薬はダメだったが。

人を超えた人工知能の与えてくれる範囲内はしっかりと理解はできなかったが、その範囲内の物ならば幾らでもだ。

 

 

異様なまでの処理能力と知識の広さで発展していく世界の一片でも知りたくて、ねだったことがある。

 

大雑把に理解するのに30年程だと教えられ、体を改造する方が早いとも伝えられた。

私の偏見が邪魔したため選ばなかったが、ならばと私に合わせたのか本のような物が何冊も与えられた。

 

人でも理解できるように書かれたその本は素晴らしかった。

どんな教科書よりも丁寧でとても分かりやすく面白かった、ユーモアさえ感じた。

私の少ない知識では表現出来ない程の物だった。

 

 

その本の新刊と改訂版が20年もすれば何百もの山が出来るだろうと伝えられ、やっとやっと私は小さく理解できた。

 

 

人は機械に知能で完全に負けたのだと。

 



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