偽典・女神転生ーツァラトゥストラはかく語りき (tomoko86355)
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チャプター1

テメンニグル事件終了後のお話。
ライドウがヴァチカンに収容されて、療養中の間にあった出来事です。


世界最小の国―ヴァチカン市国。

カトリックの総本山としても広く知られるこの国は、イタリア・ローマ北西部、テベレ川の右岸にある世界最小の独立国家である。

面積は東京ディズニーランド(0.52km2)よりも小さく、国の総面積は約0.44km2程しかない。

しかし、狭い領土の中には、サン・ピエトロ広場を始め、サン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン宮殿、ヴァチカン美術館など、歴史的にも芸術的にも重要な建築物が多数、肩を並べている。

「見て見てぇ♡ライドウくぅん♡このエンパナーダ(肉包みミニパイ)美味しそうだよぉ♡」

昼のオッタヴィアーノ通り。

道路の屋台に陳列されている料理を眺めながら、瓶底眼鏡の科学者は口から大量の涎を溢れさせていた。

「おい、さっき滅茶苦茶昼飯喰った筈だよなぁ?」

カジュアルジャケットにビンテージジーンズ姿の少年が、呆れた様子で子供の様にはしゃぎ捲る超天才科学者に言った。

 

テメンニグル事件から数日後―怪我の経過が良好と教会の専属医師から診断を貰ったライドウは、射場流の計らいでリハビリも兼ねての市内観光をしていた。

ヴァチカン市内のイタリア料理店で、ピザやパスタをこれでもかと平らげた筈であるが、この瓶底眼鏡の優男の胃袋は底なしらしい。

露店でグリッティベンツと呼ばれる人形型のパンを紙袋一杯に買い込み、笑顔でその一つを齧っている。

「見て見てぇ♡あそこで何か楽しそうな事してるぅ♡」

ヴァチカン庭園を訪れたライドウ達は、観光客相手に大道芸を披露している一団を見かけた。

大怪我を負っている少年の事等お構いなしに、瓶底眼鏡の優男は、グイグイとその細い腕を掴んで引っ張り始めた。

「うぉおおおい!(# ゚Д゚)まだアバラが痛ぇ・・・・・駄目だ聞いてねぇ。」

純真な子供の様に眼をキラキラと輝かせ、大道芸を眺めている流を見て、ライドウはガックリと項垂れた。

本当にコイツがヴァチカン最高の頭脳なのかぁ?

ヴァチカン悪魔殲滅部隊―『ドミニオンズ』が使用している強化鎧骨格―タクティカルスーツや、フレーム・アーム。

果ては、空中移動要塞『アイアンメイデン』の設計など、全て彼が手掛けている。

そればかりではなく、人類の最終兵器と言って過言ではない軌道衛星魔導兵器―『ロンギヌスの槍』の開発なども行っていた。

 

「あー、楽しかったねぇww明日は何処で遊ぼうかぁ?」

再びオッタヴィーアーノ通りに戻って、その商店街のカフェテラス。

最早致死量近い砂糖をこれでもかと投入したカプチーノを一口飲んだ流が大満足の溜息を吐いた。

そんな瓶底眼鏡の科学者を軽蔑しきった眼差しで悪魔使いの少年が見つめている。

「あのなぁ・・・此処数日、俺と一緒に市内観光してるけど、仕事とか大丈夫なのかよ?」

最も過ぎる質問。

ヴァチカン科学技術開発部の総責任者が、こんな連日遊び歩いて本当に大丈夫なのかと他人ながらに心配になる。

「アハハッ、大丈夫大丈夫(^▽^)/、化学班のチームは僕より数百倍優秀だからねぇー。僕がいなくてもちゃーんと仕事は回るんだよぉー。」

「お前・・・自分でそれ言ってて悲しくならないか?」

へらへら笑う瓶底眼鏡の優男が急に哀れな小動物に見えて来た。

きっとチームのスタッフ連中から、大分煙たがられているに違いない。

「そうだ、今度はジョンを誘って3人で遊ぼうよ?昔に戻ってさぁー。」

ジョンとは、ヴァチカン異端審問官13機関(イスカリオテ)の総司令官―ジョン・マクスゥエル枢機卿の事だ。

「アホか、今のアイツは義理の兄貴を法王猊下にしたくて色々駆けずり回っているんだろ?忙しいんだからそっとしとけ。」

法王選出のコンクラーヴェは明日から行われる。

昔と違い、現在は投票制で選挙が行われ、その期間は最長で1週間以上だ。

所定の用紙に無記名で行われ、投票者自らが手書きで記入し、容器に入れる事としている。

第一日目の午後、最初の投票が行われ、それで決まらなければ、翌日、午前2回、午後2回の計4回の投票が実施される。

又3日目になっても決まらない場合は、1日投票のない日が入り、祈りと助祭枢機卿の最年長者による講和が行われる。

そして、更に7回の投票が行われ、それでも決まらない場合は、再び無投票の日が入り、今度は司祭枢機卿の最年長者が講和を行い、それでも決まらなければ、同じことを繰り返して、次は司教枢機卿の最年長者の講話が行われる。

それで最後の投票で最多得票を得た上位2名の候補者による決選投票に移行する。

因みに決選投票に候補者達は加わる事が出来ない。

「ユリウス様が次期教皇になるのは決まっているのにねぇ?何故、あんな面倒臭い選挙を一々するのか、ぼかぁ全く理解が出来ないよ。」

ガーイウス・ユリウス・キンナ。

危機的状況に陥ったイタリア経済を救ったITの世界的大企業―ヘルメスの現CEOである。

彼の祖父母がイタリア出身で、祖国の経済的危機を知った彼の父が何とか貢献出来ないかと多額の資金援助と経済向上を率先して行った。

そのかい有り、イタリアは危機的状態から何とか平均的な水準へと回復する事が出来たのである。

その為、キンナ一族は、世界的大富豪と知られる他、イタリア政府の救世主として名を轟かせる事にもなった。

「声がデカいぞ?あんまり外でそんな事を言うんじゃねぇ。」

コイツは怖いモノ知らずか?

ライドウは、ココアパウダーがたっぷりと乗ったティラミスを上手そうにスプーンで掬(すく)って口に運ぶ科学者を呆れた様子で眺めた。

「うーん、難しい話はこの際置いといて・・・君、ジョンと寝たの?」

流の核爆弾に匹敵する質問にライドウは盛大に口に含んでいたフルーツのフレーバーティーを噴き出した。

「な、ななななななななななな、何言ってんの?君何をほざいていやがるんでござりましゅるかぁ???????」

「アハハハハッ、ライドウ君凄い顔♡」

顔中紅茶と涎まみれな悪魔使いをヴァチカンの頭脳が指を差して笑う。

「もー、お互い結婚する前の話でしょ?ノーカンノーカンww」

「ノーカンじゃねぇ!てか何処をどうやったら、そんな頭イカレポンチな質問が出て来るんだよぉ!」

テーブルに置かれている使い捨てのナプキンで顔を拭きながら、物凄い形相で向かいに座る優男を睨み付ける。

「だって君達あんなに仲が良かったのに、急に疎遠になるし・・・おまけに折角会っても余所余所しいし、これは何かあるなぁ?て勘繰るのが普通でしょ?」

「別に大した事はねぇ・・・ホラ、有名なバンドが突然解散する理由と同じで、お互い音楽性の違いってヤツで仲が悪くなるのと一緒だ。」

余りジョンとの関係は突かないで欲しい。

確かに流が言う通り、一度は性的関係になった事もあるが、それっきりだ。

当時は、彼にもれっきとした婚約者がいたし、自分も先代―16代目、葛葉ライドウの愛娘、月子との婚前の儀を控えていた。

あの出来事は若気の至り・・・ちょっとした火遊びと一緒だ。

「因みに再婚する気は無いの?君のお子さんまだ小さいでしょ?」

「・・・・・無いな・・・あの子等がそれを望んでいない。」

ライドウにとって最愛の宝物―”明”と”ハル”は、もう既に彼の手元から消え失せている。

長男の明は、自分を忌み嫌い決して顔を合わせ様ともしないし、妹のハルに至っては、その類稀な霊力と魔力を組織『クズノハ』の上層部に目を付けられ、身柄を拘束されている。

そんな友人に対し、何かを悟ったのか、普段ガサツで無神経な流はそれ以上聞いて来る事はしなかった。

「そういうお前はどーなんだよ?あの美人な彼女さんと結婚しないのか?」

ティラミスを平らげ、更にスィーツの追加注文をしようとしている大喰らいの優男にライドウが半ば呆れつつもそう言った。

「アレックスの事?確かに彼女とは何回かHしてるけど、お互い全然そういう感情は湧かないなぁ?」

同じ職場の女性とは、単なるセックスフレンドとして仲良く付き合っている。

向こうにも何人かボーイフレンドがいるし、自分も彼女と似たようなモノだ。

それに結婚で束縛されるなんて、正直考えたくもない。

「あ、そうだ・・・後で僕の仕事場に立ち寄らないかい?君に是非見せたいものがあるんだ。」

「見せたいモノ・・・?」

追加注文したグラニータと呼ばれるフルーツをシャーベット状にしたドルチェを美味しそうに食べながら、流はライドウにそう言った。

 

トリノで最も有名な広場の一つ、サン・カルロ広場。

その広場に宮廷文化を今に伝える、トリノ王宮が建っている。

普段は、観光客にイタリアに君臨していたサヴォイア王家ゆかりの武器やコレクションを公開しているが、その地下に巣(ネスト)と呼ばれる蜂の巣上の巨大研究施設がある事は、ヴァチカンの上層部以外知られてはいない。

「おい、大丈夫なのかよ?いくら同盟契約を結んでいるとはいえ、俺は完全な部外者なんだぞ。」

地下研究施設―巣(ネスト)へと続く直通エレベーター内で、ライドウは不安そうに自分よりも頭一つ以上高い、流を見上げた。

「大丈夫大丈夫。僕は此処の責任者だよ?その僕が良いと言っているんだから何も問題はなーいよ♡」

ぶっちゃけ全然大丈夫ではない。

名義上、『クズノハ』と『ヴァチカン』は、同じ思想を掲げる故に協力関係になってはいるが、第二次世界大戦終結以前は、血で血を洗う勢力争いを行っていた。

今でも、『クズノハ』の中では『ヴァチカン』に対して良い感情を持っている者はおらず、隙あらば潰そうと考えている物騒な輩もいるのだ。

その代表格が、八咫烏総元締め、十二夜叉大将の長、薬師如来の名を冠する化け物龍―骸である。

手が自然と常に常備している腰に下げられた赤味の鞘に収まっている刀に触れる。

これは歴代ライドウが所有している神器で、名を『草薙の剣』と呼ぶ。

噂によると本来の持ち主は骸で、初代ライドウ―安倍晴明が彼から承ったのだそうだ。

「着いたよww」

電子音声と共にエレベーターのドアが開かれる。

そこに脚を踏み入れた刹那、ライドウは思わず言葉を失った。

壁一面に展開されるマリンブルーの大パノラマ。

蒼い海の世界を我が物顔で泳ぐ魚達の群れ。

その中には、大型の海洋生物の姿も何体か見られる。

「どう?凄いでしょ?100年ぐらい前に絶滅した海洋生物の遺伝子を採取して、複製したんだ。」

流は、巨大水槽の世界で泳ぐ魚や哺乳類達を一つ一つ丁寧に説明していった。

曰く、彼等は海洋生物学者達が採取したDNAのサンプルをバイオテクノロジーで再生。

見事現代に蘇らせる事に成功したのだという。

今の時代、塩素配列の研究は80%解読されている。

人のDNAによるクローン臓器や角膜、はては血清などもごく普通に医療業界では使用されているのだ。

しかし、人体の構造に関しては、未だ100%解明されてはいなかった。

「出来る事ならさ・・・この子達を海に返してあげたいよね?でも帰るべき家が毒の巣じゃ、この子達は長くは生きられないだろう・・・。」

いくら人体解析のプログラムの一環で生まれた存在とは言え、こんな狭い水槽の中で生かし続けるには余りにも忍びない。

しかし、返してあげたくても、人類の長年の愚行により海洋汚染は深刻なレベルまで進んでいた。

「口では環境汚染がどーとか、対策がどーとか理想ばかり言ってるけど、現実問題、汚染区域が全くと言っていい程改善されてない。汚染した土壌を再生する技術は開発されてるけど、いかせん予算が少なすぎてね。」

皆自国の経済を発展、安定するのに忙しく、環境にまで回す資金がないのだそうだ。

おまけに、未だに毒の液体やガスを垂れ流す愚か者が居なくならない。

こんな調子では、環境が安定するまで2000年以上はかかるだろう。

「・・・・・俺と同じだな・・・・。」

限られた空間でしか生きられない魚達を見て、悪魔使いはぽつりと呟いた。

人の理から外れてしまった自分。

組織『クズノハ』の中でしか生きられない己とこの水槽の中でしか生きられない魚達を重ね合わせているのだろう。

淡いマリンブルーの照明に照らされる悪魔使いの少年を流は素直に美しいと思った。

「ねぇ・・・キスしても良いかな?」

自然と伸びた流の手が、悪魔使いのビスクドールの様に整った頬に触れる。

不釣り合いな黒い眼帯。

この下には、マリンブルーの照明と同じ、蒼い魔眼が隠されている。

「・・・・・別に・・・・好きにすれば良いだろ?」

まるで壊れ物を扱うかの様に、慎重に触れる科学者の手の感触を感じながらそっと目を閉じる。

この男に触れられるのは不思議と嫌じゃない。

おずおずと言った感じで降りてくる唇も・・・・自分を抱きしめる大きな腕も・・・自然と受け入れられる。

気が付くとライドウは、相手の大きな背に細い腕を回していた。

「フフッ・・・流石にこれ以上を君に求めちゃうと、番の彼に怒られちゃうかな?」

短くそれでいて濃厚な口付けの後。

瓶底眼鏡の優男は、腕の中の悪魔使いにヘラっと何時もの笑顔を向ける。

「・・・・・・馬鹿々々しい、俺達、召喚術師にとって性行為何か手段の一つだ。アイツも俺も割り切って番と主人の関係を続けてる。そこに愛なんてある筈が無いだろ。」

そう、魔導士にとって性行為は、魔力を得る為の習慣にしか過ぎない。

故に道徳心とか人間としての理性とかを求めてしまうのが可笑しいのだ。

「でも、彼はそう思っていないかもしれない。我が身を犠牲にして、君への愛に殉ずる。素晴らしい事じゃないか。」

「・・・・。」

流の言っている事は、全て的を射ている。

現在、自分の番を務めているクー・フーリンは、半分人間の血が流れていた。

矢無負えない事情が出来たので、魔界から人間界に連れ帰ったが、仲魔として育てるつもりなど微塵も無かった。

本当なら、人間としての生を全うさせてやりたかったのだ。

しかし、クー・フーリンはそれを捨てて、完全な悪魔になる道を選んだ。

自分を護る為に、無力な人間のままでは限界があると知ったからだ。

 

 

翌日、フェミチーノ空港。

キャリーバッグを下げた悪魔使いがそこに居た。

未だ本調子とは言い難いが、このままズルズルとヴァチカンの世話になっている訳にもいかない。

日本にはまだやる事が山程残っているのだ。

それに、早く帰って息子を安心させてやりたい。

「傷が完治するまでゆっくりすれば良いのに・・・。」

名残惜しそうに流が、頭一つ分低いライドウを見下ろす。

結局、あの後、二人の間に何も起こる事は無かった。

巣(ネスト)から寄宿舎に帰り、主治医から無理矢理、日本への帰国許可を出させたのだ。

医者は終始、渋い顔をしていたが、有無を言わせぬライドウの言葉に渋々了承するより他に選択は無かった。

「お前と違って俺は忙しいんだよ・・・最近、内壁の悪魔共が騒がしいらしいからな。それに、DDSネットにスティーブンってハンドルネームの奴が、悪魔召喚プログラムをばら撒いたらしい。悪用される前に対策を立てないとな。」

「わぁーお、それは大変・・・。」

瓶底眼鏡の優男が大袈裟に驚いて見せる。

悪魔召喚プログラムとは、悪魔を現世に喚び出す為の魔法陣の構築、並びに儀式などを簡略化してくれるプログラムの事である。

本来ならば、このプログラムは極秘事項として国が厳重に取り扱ってきたが、一体どういうルートで手に入れたのか、そのスティーブンと言うハンドルネームの人物は、一般人にも簡単に使用出来る様に改造して、ネットに流したのだ。

悪質なソフトとして消去してくれれば良いが、悪魔に対して多少知識のある者や、興味本位で手を出す輩がいたら、非常に厄介な事態になる。

 

「あ、そうだ忘れる所だったよ。」

流は手をポンっと叩くと、一緒に付いて来た助手のアレックスに、目配せした。

モデル並みに見事なプロポーションと美貌を持った助手は、黒い大きなアタッシュケースを上司に渡す。

「これ、君から預かったモノだよ。データは粗方取ったから君に返すよ。」

ずっしりと重いアタッシュケース。

中身は、テメンニグル事件でライドウが魔界から持ち帰ったスパーダの愛刀『大剣フォース・エッジ』である。

「それとダンテ君の身元引受人が見つかったらしい・・・名前はJ・・・うーんと何だっけ?」

引受人の名前を度忘れした流が、後ろに控えている美貌の助手に小声で聞いた。

「J・D・モリソン。」

「そうそう、その何とかモリソンって名前の情報屋だよ・・・詳しい事は全然分からないけど。」

ヘラヘラと笑う天才科学者を美貌の助手と悪魔使いが冷めきった表情で眺めた。

 

空港から飛び立つ旅客機。

ビジネスクラスのゆったりとした座席に身を預け、ライドウは小さくなっていくヴァチカン市国を飛行機の窓から見つめた。

別れ際、流の助手であるアレックスから、J・D・モリソンの連絡先を聞いている。

日本に帰ったら早速、大剣『フォース・エッジ』を返す為に使いをモリソンの仕事場である事務所に派遣させる予定であった。

(・・・ダンテ・・・・か・・・・。)

素肌に深紅のロングコートを纏った奇抜なファッションセンスの銀髪の大男。

まだ、少年の幼さを残す魔狩人は、若さに任せて大分自分に不敬な態度を取り捲っていた。

最後に分かれたのは、不浄なる地獄の門だった。

たった一人の家族を殺され、きっと彼は自分を激しく憎んでいるだろう。

そっと自分の唇を手で触れる。

悪質な冗談とはいえ、あの時は、2度ほどダンテとキスをした。

かなり濃厚で情熱的なキス。

昨日、流と交わした相手を思いやる優しい口付けではない。

全てを奪い取る様な、荒々しいやり方であった。

(ちっ、俺もどうかしてるぜ。)

いかがわしい妄想に発展しそうになり、慌てて打ち消す。

今は下らない事を考えている余裕は無かった。

一刻も早く日本に還らなければ・・・子供達の待っている葛葉の屋敷に還らなければならないのだから。

 




軽いネタバレが幾つか・・・現在、連載している話と一緒に見てくれると嬉しいです。


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チャプター2

デビルメイクライ5に入る前のお話。
『テメンニグル編』でもちこっと出てきましたが、くずのは探偵事務所の所長、葛葉キョウジとバージルは義理の親子関係という設定です。


魔界の北に位置する酷寒の地―ホド。

大地が全て凍てつき、生命の息吹を根こそぎ刈り取るこの地は、四大魔王―バァルが支配している。

その氷の国の更に外れ、険しい山々が連なるミティカス山地に人影があった。

今にも強風で吹き飛ばされそうになりながらも、両手に持ったトレッチングポールを岩場に突き刺し、一歩また一歩と前に進んで行く。

「おやっさん!これじゃ俺達まで遭難しちまう!今回はこれぐらいにしとこうぜ!」

傍らに付き従う、魔獣グリフォンが強風に必死に抗いながら羽根を動かす。

まるで凶器の様な氷の礫が、容赦なく二人の躰に突き刺さった。

「分かってる・・・・でも、後少しでアイツを見つけられそうなんだ・・・。」

ゴーグルとマスクで顔を隠している為、どんな容姿をしているのか分からない。

だが、グリフォンに応えた言葉と声質、そしてがっしりとした体躯からして、壮年の男性である事が分かる。

壮年の男は、愛用のGUMPを腰に吊るしているガンホルスターから取り出し、確認した。

蝶の羽の如く展開した液晶パネルに一つの光点が映し出されている。

微かに明滅を繰り返すソレは、彼のたった一人の息子―バージルのモノであった。

「バージル・・・。」

マスクの下で男・・・・13代目・葛葉キョウジが唇を噛み締めた。

無事でいてくれ、どんな姿に変わり果てても構わないから、生きていてくれ。

その一念をポールに込めて、猛吹雪に抗いながら前へと進む。

 

「お?猫ちゃんがバージルを見つけたってよ!」

キョウジの仲魔―魔獣・シャドウがある一点に向かって唸っている。

同胞の言葉を理解出来るグリフォンがすぐに訳して、主人であるキョウジに伝えた。

必死に腰を覆い尽くす雪をかき分け、シャドウが立っている崖の先端まで辿り着く。

深い切れ目を覗き込むと、崖下に人型をした何かが横たわっているのが見えた。

「・・・・!バージル!!」

崖を滑り降り、その人型の所まで近づく。

刹那、探偵は言葉を失った。

余りにも変わり果てた愛しい息子の姿。

左腕は付け根から欠損しており、傷口は結晶化されて塞がれている。

右足も左腕と同様の状態であった。

そして何よりも探偵を絶望の淵に叩き付けたのは、バージルの顔。

左側面が全て崩壊し、蒼白い結晶で埋め尽くされている。

「こ・・・こりゃぁ、酷ぇ・・・。」

何時もは、下らない軽口を叩く魔獣も、この時ばかりは何も言えない状態であった。

キョウジは、マスクを外すと愛しい息子を抱き上げる。

躰の大半を覆い尽くす蒼白い結晶の正体は、彼が義理の息子・バージルと別れる際に渡した『ソーマの雫』である。

魔帝による人智を超えた改造手術、その上、17代目・葛葉ライドウとの激闘がバージルの半人半妖の強靭な肉体を完全に崩壊させた。

魔力を根こそぎ奪われ、人間の形を保てなくなったバージルは、無意識に義理の父親から渡された『ソーマの雫』を使ったのだろう。

崩れ落ちる肉体を結晶化させる事で、辛うじてこの現世に留まらせる事が出来たのだ。

「バージル・・・。」

キョウジは、背負っていた登山用のリュックサックを降ろすと、脇のポケットから注射器が入ったエナメルのケースを取り出した。

魔力の素・エーテルが入った注射器をバージルの首筋に突き刺す。

プランジャーを親指で押し込むと、シリンジに入ったエーテルが息子の体内に入って行った。

「バージル・・・バージル・・・!頼む、返事をしてくれ!」

厚い手袋を外し、腕の中の息子の頬を優しく叩く。

酷寒の空気が、素肌を針の様に突き刺すが、それにも構わずキョウジは、辛抱強く息子の氷の様に冷たい頬を手でさする。

死ぬな・・・死ぬな・・・死ぬな・・・・。

心の中で何度もその言葉を繰り返す。

すると父親の一念が通じたのか、閉ざされていたバージルの瞼が微かに痙攣した。

ゆっくりと開かれる瞳。

視界に唯一心を許した愛する父親の姿を認めた瞬間、バージルの眼から熱い涙の雫が盛り上がった。

「・・・ご、ごめんなさい・・・・・と、とうさん・・・。」

か細い声でそれだけを告げる。

「良いんだ・・・・良いんだ・・・。」

息子の心からの謝罪に、千切れる程唇を噛み締めたキョウジが、懐深く抱き締める。

そして、腰に吊るしてあるガンホルスターから、愛用のGUMPを取り出すと、蝶の羽の如く液晶パネルを展開させた。

「聞こえるか?カロン・・・・バージルを見つけた・・・すぐにそっちに転送してくれ。」

『分かった・・・。』

キョウジの報告に、冥府の渡し守からの返事がすぐに返って来る。

程なくして、二人の躰を転送魔法の淡い光が包んだ。

 

13代目・葛葉キョウジが魔剣士・スパーダと人間の女性との間に生まれた半人半妖の子・バージルと出会ったのは、今から10数年前である。

 

東アジアに位置する島嶼(とうしょ)台湾島。

観光地から大分離れた古びたホテルの一室で、壮年の探偵は、皮張りのソファーに座り愛用の煙草を胸のポケットから取り出した。

「俺は子守りじゃねぇんだけどなぁ・・・?」

煙草を口に咥え、使い古したジッポライターで火を点ける。

彼の目の前には、濃いサングラスを掛けた60代後半と思われる口髭が特徴的な男とその隣には、怯えた表情をしている10歳にも満たない幼い少年が、向かいのソファーに座っていた。

「すまない・・・頼めるのは君しかいないんだ。」

サングラスの初老の男は、隣に座る銀髪の少年に視線を移す。

少年―バージルは、血の気が完全に失せた蒼白い顔色で、実の父・スパーダの形見である『閻魔刀』をしっかりと両手で握り締めていた。

「この子はいずれ世界を救う鍵となるやもしれん・・・だからこそ、兄弟達に渡す訳にはいかないのだ。」

「兄弟ねぇ・・・・オタク等、天使達にも色々と事情があるのは知っているけどさ。」

胡散臭気に、不釣り合いな程長い日本刀を大切に抱き締める見事な銀髪をした美少年を眺める。

本当にこの痩せぎすな少年が、最終戦争を止める存在になるとは到底思えなかった。

否、そもそも最終戦争等本当に起こり得るのであろうか?

この現世は、事実上、彼等天使達が支配していると言っても過言ではない。

流石にドイツとヨーロッパを支配下にしているドラグール・ヴラド・ツェペシュとイタリアの”現代版ワイルドバンチ”ことブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドのコンビが少々厄介ではあるが、それでも他の秘密結社(イルミナティ)は、天使達に至って従順な態度を示している。

キョウジは煙草の煙をゆっくりと吐き出した。

その独特な匂いが嫌なのか、少年は顔をしかめると手で煙を追い払う。

「私の知っている人間の中で、君が一番信用たる存在なのだ・・・世界を救う為にも力を貸して欲しい。」

「ケネス・・・・・。」

サングラスの初老の男・・・・ケネス・リードの言葉にキョウジは、この依頼をどう対処すべきか逡巡する。

この男は、組織『クズノハ』での自分の立場を良く理解している。

組織の鼻つまみ者である自分を頼って来たのだから、余程の理由があるのだろう。

「・・・・分かったよ・・・オタクには色々と借りがあるからな・・・。」

座天使(天使の階級の3位)である大天使に頭を下げられては、流石の探偵も了承するより他に術が無かった。

あるかないか分からない最終戦争。

もし、この大天使の言っている事が全て事実であるならば、人類存亡の危機と言っても過言ではない。

既に短くなった煙草を厚い硝子で出来た灰皿に押し付ける。

改めて自分が引き取る事になる少年を見つめる。

見事な銀の髪に薄い蒼の瞳。

高位の悪魔が封じられている魔具『閻魔刀』を握り締めるその姿は、何処となく儚く映った。

 

半人半妖の少年、バージルとの生活は、当然、順風満帆とはいかなかった。

30数年間生きて来て初めての子育てである。

上手く行かない事は当たり前なのであるが、その一番の原因は、バージルが驚く程、キョウジに対して従順であるという事だった。

己の背中を常に狙われる立場にあるバージルのこれからを考えて、キョウジは自分の持てる最低限の知識と戦う術を教えた。

と、言っても本業である”クズノハの務め”が忙しく、バージルの面倒は自分の造魔である『ニュクス』に任せきりで、親らしい親としての務めはほぼしていない状態であった。

それでも、バージルは何一つ文句も言わずに、学校に通い、頭脳明晰な大人しい少年へと成長していった。

 

本当にこのままで良いのだろうか?

 

そんな不安がキョウジの胸を過る。

何時もの様に体術の稽古を付けている時であった。

子供というモノは、本来反抗期があって紆余曲折しながら、大人へと成長していくものである。

しかし、バージルにはそれがまるで無い。

躾けられた飼い犬の様に大人しく、言われるがままに人間としての生活を送っているのだ。

そこには、驚く程、喜怒哀楽がなく、まるで人形と対話している様な気分にさせられる。

何の不平不満を漏らす事無く、普通に成長しているのだから、何ら問題は無いのではないかと思う。

何時ものキョウジなら、些末な問題として放置していた筈だ。

だが、それが無性に気に入らない。

子供なら子供らしく、もっと我儘に接して欲しい。

そう考えてしまう程、キョウジはバージルに対して子としての情を抱いていたのであった。

 

「撃って来い。」

バージルの前に跪いたキョウジが、大きな両掌を広げた。

体術の基礎訓練を終えた時の事である。

「何故?訓練の時間は終わったでしょ?」

予想外なキョウジの言葉にバージルは訝し気な表情になる。

少年にとってこの男との訓練は最早苦痛でしか無かった。

剣術も体術も全て基礎ばかり・・・自分はもっと新しい事を学びたいのに、キョウジは基本の事しか決して教えようとはしなかった。

「良いから撃って来い。お前の力がどの程度か確かめてやる。」

「・・・・・。」

不満気に唇を尖らせたバージルが、渋々キョウジの掌に向かって拳を撃ち込む。

しかし、その手は乱暴に叩き落とされた。

「痛っ!」

10歳になったばかりの子供に対し、キョウジは全く容赦が無かった。

赤くなった手を押さえるバージルに向かって、再度掌を広げる。

「駄目だ、もう一度早く撃って来い。」

「・・・・・っ。」

腹腔から怒りの炎が灯る。

自分は選ばれた人間だ。

悪魔の軍勢をたった一人で退けた魔剣士・スパーダの優れた血を引く人間だ。

それが、たかが悪魔使いの男に良いようにあしらわれ、馬鹿にされている。

バージルは唇を噛み締めると、先程と違い、腰を捻って十分に体重が乗った一撃をキョウジの右掌に向かって打ち込む。

だが、大の大人を昏倒する程の一撃も簡単にいなされてしまう。

「全然駄目だ・・・もう一度撃って来い。」

再び、掌を血の繋がらぬ息子に向ける。

「・・・・何で?何でこんな事するの?僕の力が見たいなら叩く必要なんて無いじゃ無いですか。」

キョウジの意図が全く掴めない。

持てる力を知りたいなら、もっと別な方法がある筈だ。

「・・・そんなに実の親父は素晴らしいか?バージル。」

「え・・・・・?」

広げていた掌を降ろし、自分の顔を覗き込むキョウジを見つめ返す。

「悪魔召喚術師(オレ)から言わせれば、スパーダは只の悪魔だ。矢来地下道に行けば幾らでも見かける悪魔共と何の変わりも無い。」

「!!?」

その侮蔑とも取れる言葉を聞いた瞬間、バージルの視界が真っ赤に染まった。

拳を握り締め、全身で目の前の探偵に襲い掛かる。

物凄い形相で飛び掛かる少年をあっさりと躱し、畳の上に捻じ伏せてしまう探偵。

いくら半分、上級悪魔の血が流れているとはいえ、その実力の差は歴然としていた。

「畜生!殺してやるぞ!人間如きが!」

尊敬する父親を侮辱され、バージルが叫ぶ。

それは、彼が今まで心の奥底で貯め込んでいた鬱積であった。

この男は、優れた血族である自分に人間と同じ生活を押し付けた。

退屈でしかない学校、ひ弱なクラスの連中。

それでも、一般の子供と同じ立ち居振る舞いをして、何とか自分なりに溶け込もうと努力はしたのだ。

何時か大人に成長し、この男の元から出ていく為に。

「父親を馬鹿にされて腹が立ったか?バージル。」

完全に抑え込まれ、身動き一つ出来ないバージルを見下ろす。

「激しい怒りは、冷静な判断力を奪うが、己を律し、上手くコントロール出来れば立ち上がる原動力にもなる。」

悔し気に自分を睨み付ける蒼い瞳。

その瞳に戸惑いの色が混じる。

「感情を押し殺して生きる事は、引き絞り過ぎた弦と同じだ。何時か弓が壊れ、己を見失ってしまう・・・良いか?バージル、まずは自分の中にある感情をコントロールする事から始めるんだ。」

組み伏せていた少年を立ち上がらせる。

己の心を何処までも見透かす黒曜石の双眸。

その瞳を前に、バージルは悔し気に唇を噛み締めて黙って俯くより他に術がなかった。

 

(子供なんて一生持たないと決めていたんだがなぁ・・・。)

豪華客船『ビーシンフル号』の中にある研究施設の一区画。

マグネタイトの液体に満たされた培養層に浮かぶ銀髪の青年をキョウジは、黙って見つめている。

無性に煙草を吸いたい気分ではあるが、生憎此処は研究施設の為、当然禁煙である。

 

北の地―ホド。

その険しい山岳地帯であるミティカス山地で、漸く見つけた我が子・バージル。

7年振りに再会した息子を収容し、欠損した肉体を再生させる為に、腐れ縁である錬金術師のヴィクトルの元を訪れた。

直ぐに再生カプセルに入れたが、再び元の肉体に戻るのは、かなり難しいという。

 

「人の親になるってのは、並大抵な苦労で出来るもんじゃねぇ・・・特に俺達みたいな人種にはな?17代目。」

強化ガラス越しに我が子の顔をなぞる。

最初は、ただ面倒なだけであった。

何の因果でこんな糞生意気な餓鬼を育てなければならないのかと、常に疑問に思っていた。

しかし、今なら良く分かる。

人の道を踏み外した自分達、悪魔召喚術師が如何に家族の温もりを欲しがっているかを・・・。

そして、嫌な程思い知らされる。

『クズノハの使命』の為に、失った人間らしい感情をこの青年が取り戻させてくれたかを・・・。

「待ってろよ?バージル・・・俺が絶対にお前を元に戻してやるからな?」

キョウジにとってバージルは、最早掛け替えの無い存在となっている。

日々の戦いで摩耗した心を唯一癒してくれる大事な家族。

その家族の為なら、自分はどんな代償を支払う事も厭わない。

端正なバージルの顔の輪郭をなぞっていた手を固く握り締めた。

 

 

continuing to Devil May Cry 5。

 




意味不明なまま終了。


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チャプター3

またもやフライングの内容。
一応人物紹介。
明は、ライドウがとある事情で引き取った養子。
鋼牙は、葛葉四家の人間ですが、悪魔召喚術師の能力はありません。
共に法具を使って鬼に変化出来ます。
ハルは、ライドウと月子の間に出来た実子。
神の器として国会議事堂の地下に軟禁状態です。


東京都「山谷」

ドヤ街と呼ばれ、かつては日雇い労働者が肩を寄せ合って暮らしていた街。

しかし、高齢化が進み、彼等が住んでいた簡易宿泊所も外国人相手のバックパッカー向けのホテルとして姿を変えてしまう。

そして、18年前に起こった未曽有の大災害・・・・第二次関東大震災。

その影響は、当然「山谷」にも多大なる被害を及ぼした。

震災後、日本は国連の協力の元、大規模な復興作業が行われた。

東京23区再生計画と銘打った大規模な再興は、山谷のある台頭区を除いて順調に行われた。

台頭区の山谷だけ復興が遅れた理由は、その治安の悪さ故であった。

不法就労による外国人の移民流入。

ボランティアに紛れた窃盗目的の犯罪者。

そして、震災によって親を失い生き場を無くしたストリートチルドレン。

そんな輩が、地震によって崩れた簡易宿泊所に住みついてしまったのだ。

 

山谷、歓楽街の一区画。

未だ震災の爪痕が残るその場所に蛍光灯の看板で『椿屋』と書かれたその店はあった。

リーズナブルな金額で上手い食事と酒を提供する事で有名なこの店は、山谷を中心に活動するチーマー達の溜り場となっていた。

その店に二人組の如何にも何処かのチームに所属していると思われる不良少年達が訪れる。

店に入った二人は、別段何かを注文する訳ではなく、真っ直ぐにジュークボックスの前で煙草をくゆらせている背の高い青年の所へ向かった。

2mは優にあるだろうか?

長く伸ばした前髪で双眸を隠したその青年は、ぼんやりとした表情で、ジュークボックスの中で回る円形のメモリーボードを眺めている。

「いたいた、探したぜ?”用心棒”さんよぉ。」

二人組の一人、短く刈り込んだ短髪の青年がジュークボックスの前に居る少年に声を掛けた。

「獲物を隅田川方面に追い込んだ・・・撮影は出来てるから早く来てくれ。」

「・・・分かったよ。」

長い前髪の少年は、短くそう応えると、ジュークボックスの傍に置かれているプラスチックの灰皿で煙草を揉み消した。

 

浅草・二天門船着き場。

昼間は観光客で賑わうこの場所も、夜には全く別の顔を見せる。

水上バスが停泊しているその船着き場を一人の少女が息を切らせながら懸命に走っていた。

「ヒヒヒヒヒっ!ヒヒャハハハハハハハハハハ!!」

その後をスーツをだらしなく着崩した30代半ばと思われる中年男性が、口から涎を垂らしながら追い掛ける。

愛らしい顔を恐怖で歪め、つぶらな瞳に涙を溜めた少女は、とうとう船着き場の先端まで追い詰められ、完全に逃げ場を失ってしまった。

「ヒヒッ、もう鬼ごっこは終わりだよ?お嬢ちゃん。」

恐る恐る此方を振り返る少女に向かって、サラリーマン風の男が不気味に相貌を崩した。

久し振りに味わえる人間の・・・しかも子供の肉。

こんな上等な御馳走、絶対に逃がして何かやるものか。

恐怖と憎悪は特上のスパイス。

ゆっくりと絶望を与えた上で、柔らかいその肉を味わい尽くしてやる。

醜く歪んだ笑顔を浮かべたサラリーマン姿の怪物を、突然光の海が覆い尽くす。

「な!何だぁ?????」

強烈なヘッドライトの光で視界が一瞬真っ白になる。

頭の中を無数に飛び回るクエスチョンマーク。

そんな化け物を尻目に一人の背の高い人物が光の洪水を背に現れた。

「明くぅん!!!!」

頬を微かに紅くした少女が、その人物の元へと走っていく。

「待てぇ!!俺の御馳走!!」

目の前を横切る黒髪の少女に向かって、怪物が手を伸ばした。

刹那、その鋭い爪を伸ばした右掌が爆散する。

「ぎゃぁあああああああああ!」

闇夜を切り裂く怪物の悲鳴。

四散した右手首を握り締め、サラリーマン姿の化け物が転げ回る。

「ミーコ!早くコッチに来い!!」

椿屋で”用心棒”を迎えに行った短髪の少年―巧が、黒髪の少女を呼んだ。

巧の乗った改造車のGS400に向かって、ミーコが走る。

「ちゃんとカメラ回せよ?元(ハジメ)。」

ミーコが後ろのシートに乗ったのを確認した巧が同じく椿屋で”用心棒”を迎えに行った仲間の金髪の少年に声を掛ける。

「了解!」

前に撮った動画の収益で買った30万の超高性能望遠デジタルカメラを片手に、CB250の改造車に跨った元がニヤニヤ笑いながら応えた。

中級、とはいえ、相手は大型の悪魔だ。

これなら中々見応えのある良い画が撮れるだろう。

「ぎ・・・貴様等かぁ・・・最近、俺達の仲間を次々殺して回っているのわぁ・・・。」

未だ血を噴き出す右腕を左手で抑えた怪物が、憎々し気にバイクのヘッドライトを背に立つ少年を睨み付ける。

そんな悪魔を長い前髪で双眸を隠した少年が、右手に持った掌に収まるぐらいの大きさをした石を弄びながら、無表情に眺めていた。

 

今から18年前、天海市を中心に起こった未曽有の大地震・・・第二次関東大震災。

関東全土を襲った巨大地震は、人類が想像だにしなかった最悪な事態を引き起こした。

悪魔と呼ばれる未知の生物。

その生命体が、震源地である天海市を中心に突如として現れ、人々に襲い掛かったのだ。

事態を重く見た日本政府は、悪魔召喚組織の『クズノハ』に討伐を依頼。

『クズノハ』は、人類の盾であるヴァチカン13機関『イスカリオテ』と協力し、呪力で出来た強固な壁を天海市全体に覆う事で、悪魔によるパンデミックを半ば強制的に収束させた。

しかし、事はそれだけでは終わらなかったのである。

 

「ヒヒッ!餓鬼どもが!余り俺達を舐めるんじゃねぇぞぉ!」

砕けた右手を押さえ、サラリーマン姿の悪魔が呪詛の言葉を吐きながら立ち上がる。

すると、地面が盛り上がり、身の丈程もある大鎌を手に持った悪魔―ヘルカイナ達が姿を現した。

「おい、流石に助っ人に入らないとヤバイんじゃねぇか?」

巧と同じGS400の改造車に跨ったドス六こと秋津睦彦が、矢来銀座の裏街で手に入れたショットガンを構えた。

ざっと見ても、ヘルカイナの数は全部で10体以上いる。

”山谷の用心棒”がいくら強くても、この数の悪魔を相手にするには無理があるだろう。

「馬鹿!下手に俺等が手を出したら、明の邪魔になっちまうだろうが!」

不安がるドス六と違い、巧は”山谷の用心棒”に全般の信頼を預けていた。

あんな程度の低級悪魔の群れ、”用心棒”なら簡単に蹴散らせる。

自分達に出来る事は、明の邪魔にならない様に事が終わるのを見守るだけだ。

 

「手足を引き千切って・・・・?????」

大量の仲魔を呼んで気が大きくなったサラリーマン姿の悪魔がそう言いかけた時であった。

突然顔に何かの液体がビシャリと振り掛かる。

見るとそれは、自分のすぐ近くに立っていた配下の体液であった。

頭部を爆散したヘルカイナの一体が力なく地面に倒れ込む。

「な?ななななななな?????????」

余りの出来事に意味不明な言葉の羅列が口から洩れた。

その間にも配下のヘルカイナ達が胴体や頭を砕かれ倒されていく。

冷静な人間が明を観察すれば、少年の右手が何かを弾き飛ばしているのが分かっただろう。

弾き飛ばしている物体の正体は、掌に収まるぐらいの小さな石。

此処に来る前に予め拾って来た石に、闘気を十分に乗せ、散弾の様に指で撃ち出しているのである。

「す、すげぇ・・・・。」

改造したGT380に跨る長谷錠が、最早人智を超えた現状に驚愕の呻き声を洩らした。

彼等だって23区の無法地帯と呼ばれる『山谷』で、日々の生活を送っている訳ではない。

低級悪魔に幾度か襲われた事だってある。

だが、これは・・・・・この余りにも現実離れした光景は一体何だ?

「ひ、ひぃ!貴様本当に人間かぁ?」

成す術も無く、倒れていく同胞達。

そんな悪魔を完全に無視した明が、背後でカメラを回す元を振り返った。

「良い画撮れてるか?」

「駄目だ、これじゃ普通に銃で殺してるのと同じだぜ?」

もっと相手の悪魔には本気になって貰わないと困る。

自分達と同じ様に悪魔を殺している動画は多数ネットに流れている。

此処最近では、『悪魔召喚プログラム』を使って使役した悪魔同士を戦わせる動画も出ているのだ。

インパクトのある画像を動画サイトに投稿しなければ、視聴者にすぐ飽きられてしまう。

「そうか・・・・おい、オッサン。いい加減本来の姿になれよ?何だったら仲魔を呼ぶ時間ぐらいくれてやるぜ。」

元の言葉に思わず舌打ちする。

明日は久し振りの学校だ。

これ以上、無断欠席が続くと進学にも響くし、それに何より、幼馴染の相方が煩い。

「な、舐めやがったなぁ!!ガキィイイイイイイイイイイ!!」

明の態度に憤怒を覚えたサラリーマン姿の悪魔が、擬態を解く。

膨れ上がる肉体。

鎌状になった前足。

ゴキブリやシロアリを連想させる網翅目特有の不気味な躰。

妖獣・エンプーサの上位種、エンプーサクィーンへと姿を変える。

「おほ♡いいねぇいいねぇ♪一気に閲覧数が上がったぜ?」

スマホでこの状況をネット配信していた巧が口元を綻ばせる。

有料会員制のチャンネルには、立ち見の客が沢山押し寄せて、この戦いの行く末をネットを通じて見守っている。

中には高額なアイテムを投げて寄越す連中までいた。

「ふー、早く終わらせねぇと明日の授業にひびくな・・・。」

明は溜息を一つ吐くとレッグポーチから何かを取り出した。

それは音叉と呼ばれる、U字状に別れた金属製の器具であった。

中央に鬼の装飾が彫り込まれている音叉に明は息を吹きかける。

すると涼しい音色が辺りに鳴り響き、波紋の様に音叉を中心にして空間が歪んだ。

それを額に翳すと波紋は次第に大きくなり、明の躰を眩い光が包む。

「よっしゃぁ!きたぜきたぜぇ!!」

撮影担当の元が興奮の雄叫びを上げた。

紅い光の柱を薙ぎ払うかの様にして現れたのは、頭部に鋭角な二本の角を生やした深紅の鬼。

目と鼻は無く、その代わり歌舞伎の隈取の様な文様が顔に刻まれている。

黒と赤を基調にしたメタリックな質感を持つ鎧は、一分の隙も無く全身を覆い、両手には二振りの反り返った刀を持っていた。

 

 

東京都港区。

南麻布、南青山、六本木、赤坂等、上流階級が生活している地区として有名な場所である。

「おはようー!咲!」

聖エルミン学園高等部に通う日下・麻津里は、前を歩いている長い黒髪の少女の肩をぽんと軽く叩いた。

「おはよう、今日は朝練無いんだね?」

長い黒髪の美少女―八神・咲が、小等部からの親友に笑顔を向ける。

彼女達は、港区の高校の中でも進学校で有名な『聖エルミン学園』の生徒であった。

右肩に校章であるワッペンを付けており、自由な校風の為、思い思いに制服を着崩している。

スカートを短くして、膝まである長い縞のソックスを履いている麻津里と違い、咲はキチンとした基本的なエルミン学園の制服を着ていた。

「うん、全国大会終わったからねぇー。暫くの間、朝練はお休みなのだ。」

陸上部に所属する麻津里は、天性の運動神経を買われ、一年生の中でも期待のホープである。

既にレギュラーメンバーに選ばれており、全国大会では走り高跳びで惜しくも2位という成績を収めていた。

「あーあ、麻津里が羨ましいなぁ・・・1年生の中で主力選手の一人で、おまけに中等部の時は、高跳びの学生新記録まで出しちゃうんだもん。それに比べて私はウンチだし・・・。」

学園の中でもその人柄の良さから、人望が厚い麻津里は咲にとって眩しい太陽の様な存在だ。

人見知りが激しく、口下手な咲は典型的なインドア派で、今時図書館で読書をするのが好きなちょっと陰気な娘である。

「お主、それ本気で言ってるのかね?拙者知っておるのだぞ?学園新聞でエルミン一の美少女高校生に選ばれたって事。」

麻津里は胡乱気に隣を歩く幼馴染を睨み付ける。

小等部からの腐れ縁である八神・咲は、防衛省長官―八神・誠の一人娘である。

曾祖父の時代から続く官僚の血統であり、当然、家柄も南麻布一の良家として有名だ。

生徒会に所属し、頭脳明晰、今の時代失われた大和撫子を絵に描いた様な存在が、八神・咲という美少女であった。

「や・・・やめてよ あ、アレは本当に恥ずかしかったんだからね 」

顔を真っ赤にして拗ねた様に頬を膨らませる。

新聞部の連中に生徒会の広報誌用に一枚写真を撮らせてくれ、と頼まれて渋々引き受けたのが間違いの始まりであった。

まさかあんな学校新聞を出されるとは思ってもみなかったのだ。

題名は確か『聖エルミン学園』美少女コンテストと書かれていた。

その中で、咲はまさかの一位を獲得してしまったのである。

 

そんな他愛もない会話を二人が交わしている時であった。

バイクの激しいエキゾースト・ノートの音が二人の背後から聞こえる。

何事かと振り返った二人のすぐ脇を突風が通り過ぎて行った。

二人の視界に深紅の外装をした大型のモンスターバイクが映る。

フルフェイスのヘルメットを被っている為、ライダーの顔は分からないが、着ている制服は咲達と同じ、『聖エルミン学園』の男子学生の夏服であった。

「もー!ばっきゃぁあろぉおおお!危ないじゃないのさぁー!!」

此処は学校の通学路、しかも制限速度は30キロぐらいである。

しかし、深紅のモンスターバイクはその制限された速度を遥かに超えるスピードで突っ走っていた。

麻津里が怒りの声を上げるのは当然である。

「遠野君・・・・?」

怒り心頭の麻津里のすぐ傍で、咲はぼんやりとエルミン学園に向かって遠ざかる大型バイクを見送っていた。

 

 

放課後、夕陽に染まる空き教室。

一週間振りに登校した遠野明は、幼馴染兼仕事仲間の山刀鋼牙(さんとうこうが)に話があると無理矢理引っ張り込まれた。

「コレ、一体何なんだい?」

グレーのスマートフォンに映る映像を不貞腐れた表情をしている明に見せる。

そこには、鬼に変化した明がエンプーサクィーンの頭部を斬り飛ばしている動画が映し出されていた。

「僕達”八咫烏”の規則は分かっているよね?マダムは、今の所黙っているけど、もし御頭に知られたら・・・・。」

「クズノハの使命を遂行してるんだから、別に問題ねぇだろ?」

只じゃ済まないと言い掛けた鋼牙の言葉を明が乱暴に遮る。

「明・・・・いくら君が御頭のお気に入りでも、周りの連中は納得しない。特に四神の連中は君の事を良く思ってないんだよ?」

呆れた様子で鋼牙が溜息を吐いた。

確かに自分達が所属する『組織・クズノハ』の戒律で、”人間を悪魔から護る”という教えがある。

しかし、それは人知れず行われる事であって、こうやって収益目的の動画としてネットに垂れ流す事ではない。

「”探偵稼業”と言って悪魔狩りして金稼いでいるお前と俺がやってる事と一体何処が違うんだよ?」

一々、姑の如く小言を垂れる鋼牙にうんざりとした様子で明が睨み付けた。

「そ、それは・・・・。」

痛い所を突かれて、黒縁の眼鏡を掛けた少年が押し黙る。

明よりも小柄な体躯をしているこの少年は、師匠である13代目・葛葉キョウジの経営している『くずのは探偵事務所』に居候している。

現在、師であるキョウジは、「極秘任務」と弟子である鋼牙に伝えて、此処数か月間行方不明になっていた。

その所長不在の探偵事務所をこの小柄な眼鏡の少年が、一人で切り盛りしているのである。

 

暫しの沈黙。

先に折れたのは、意外にも明の方であった。

「・・・・悪かったよ・・・中等部のツレから煩く頼まれて・・・仕方なく引き受けたんだ。」

糞が付くほど真面目な鋼牙が、”八咫烏”の規律に違反してまで『探偵稼業』をしている理由は良く分かる。

師である13代目・葛葉キョウジが帰る場所を彼なりに、必死に護っているのだ。

矢来銀座にある『くずのは探偵事務所』は、組織”クズノハ”から支給される資金によってその殆どが賄われている。

所長が不在、ちゃんとした業務が為されていないと組織が知れば、最悪、事務所は閉鎖となってしまうだろう。

「鬼の力を悪用しようとかは思ってねぇ・・・”八咫烏”の指令もちゃんと従う・・・だから心配すんな。」

「うん・・・・分かってる・・・。」

型破りな行動が何かと目立つ幼馴染みであるが、筋を通す所はちゃんと心得ている。

汚れ仕事ばかり任されてはいるが、明は何ら不平不満を口にする事なく、任務を確実に遂行していた。

それに、彼の養父・・・17代目・葛葉ライドウの存在もある。

義理の父親であるライドウを超える逸材を組織がみすみす手放すとは到底思えなかった。

「・・・・その・・・余計な事だとは思うけど、17代目とはちゃんと話をした方が良いと思う・・・志郎さんの事もあるし・・・・。」

詳しい経緯は知らないが、ライドウは4年前に長年連れ添った番をある事件で失った。

化学班の赤根沢礼子の所で必要最低限の魔力は、一応供給出来てはいるものの、魔力特化型の17代目では、すぐに枯渇してしまう。

きっと今も魔力不足で苦しんでいるに違いない。

「・・・あの人の事はどうでも良い・・・どうせ番が居なくたって・・・。」

そう言いかけた明の脳裏に、自分達十二夜叉大将の長、骸に組み伏せられる養父の姿が過った。

キチンとスーツを着込んだ蝋の如く白い肌と長い濡れ羽色の髪を持つ美青年。

その下で、半裸に剥かれた義理の父は、必死に快楽を堪えようと声を押し殺していた。

「どうかしたの?」

急に黙り込んだ幼馴染みを訝し気に見上げる。

「別に・・・何でもねぇ・・・。」

幼い日に体験した思い出したくも無い悪夢。

大事な家族である妹を失い、信頼する父親は上司に凌辱され、一生消えない烙印を押された。

『目を逸らすな・・・・お前の愛する人が死ぬぞ?』

配下の十二夜叉大将の連中に抑え込まれ、無理矢理、陰惨な光景を最後まで見せられた。

当然、幼馴染みである鋼牙は、自分が上司である骸に過去、何をされたかは知らない。

組織に対し何故、反抗的な態度を取るのかを知らない。

不良グループの『スペクターズ』とつるんで、悪魔狩りの動画をネット配信しているのは、”クズノハ”否、骸に対する一種の意趣返しだ。

でも、鋼牙はその真相を知らない。

否、知らなくて良い。

知れば彼がどんな態度を取るかなど、明白である。

(そうさ・・・コイツは何も関係ない・・・何時も通りの日常を過ごせば良い。)

決して日が差さぬ暗闇に閉ざされた道を歩むのは自分一人だけで良い。

 

今は馬鹿やってるけど・・・何時か必ずあの人を救ってみせる・・・そして妹の”ハル”も取り戻す。

4年前のあの夜に誓った。

十二夜叉大将の長、化け物龍こと骸をこの手で倒すと。

 




前置きの続き。
咲と麻津里という二人の少女は、ヒロイン格。
明と鋼牙が悪魔と戦う非日常的な生活を送っている傍らで、普通に学生として生活しているという対比が書けたらなぁっと思って登場させました。
まぁ、この世界の日本は、ある一部の地域が悪魔によって汚染されている為、厚い壁で守られているっていう設定です。


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チャプター4

少し解説。
ライドウがまだ17代目を襲名する前は、『クズノハ』の暗部『八咫烏』の十二夜叉大将の一人、毘羯羅大将(びきゃら)でした。
病院の院長は、ライドウの元同僚で同じ十二夜叉大将の一人、宮毘羅大将(くびら)。
喋り方は紳士的ですが、性格は残忍で、十二夜叉大将の長、骸を心酔しております。



私の知っている世界は、この真っ白な壁と鉄格子の嵌った簡素な窓。

そして白いシーツと怖い顔をした大人達だけだった。

偽りの笑顔を浮かべた看護婦さんが、定期的に私の体温と血圧を測って、何時もの様にお薬を飲ませに来る。

お薬は大嫌い。

愛想笑いを浮かべる白衣を着たお医者様はもっと嫌い。

何で、皆私の事をそんなに怖がるんだろう。

びくびく皆して怯えた様子で当たり障りのない会話を交わしては、病室から出ていく。

唯一の楽しみは、大好きなお父さんとお兄ちゃんがお見舞いに来てくれる事。

一度、お父さんに何時になったらまた一緒に暮らせるのか聞いてみた。

そうしたら、お父さんは一瞬だけ悲しそうな表情をして「お医者さんがもう少しで病気が治ると言っているから、それまでの辛抱だよ。」と、笑顔で応えてくれた。

お兄ちゃんもお父さんと同じ表情をしている。

二人のそんな悲しい顔は見たくない。

だから、私は二度とこの質問はしない事に決めた。

 

それから暫く経った嵐の夜。

風が轟々と吹き荒れ、雨粒が容赦なく鉄格子が嵌った硝子の窓を叩いた。

その日は、朝からとても嫌な予感がしていた。

お腹の底がグツグツ熱くて、気分が苛々して、大好きな本を読んでいても落ち着けなかった。

機嫌が悪い私を敏感に察したのか、看護婦さん達も何時ものバイタル測定と投薬をするだけで、余計な会話をする事は無かった。

 

「ハル・・・ハル、起きるんだ・・・ハル。」

遠くで誰かが私を呼んでいる。

薄っすらと眼を開けると、そこに大好きなお父さんがいた。

「・・・お父さん?」

今は深夜と言っても良い時間帯だ。

面会の時間はとっくに過ぎている。

どうして、お家にいる筈のお父さんが此処にいるの?

どうして、何時もの恰好じゃないの?

黒い布で覆われた左眼と同じ色の口布。

皮の肩当に銀色に光るクナイが何本か収まった腰帯。

そしてナイフが仕込まれたグローブ。

まるでテレビで見た暗殺者みたいな衣装。

「しーっ、静かに・・・・・まだ夜中だからな?皆を起こしたら可哀想だろ?」

口布を下げたお父さんが、自分の口元に人差し指を当てる。

頭の中をクエスチョンマークが飛び交う私。

でも、これだけは判る。

お父さんは、今とても焦っている。

「今日は、特別に外出許可が取れたんだ・・・三人で海外旅行に行こう。」

嘘だ。

何故か分からないけど、私の肩に触れるお父さんの手から、例え様も無い不安と焦りと揺るぎない決意が否が応でも伝わって来た。

私の事を『クズノハ』と呼ばれる怖い人達から護る。

『人柱』には絶対にさせない。

ひとばしら・・・・?人柱って一体何だろう・・・・。

「お父さん・・・・・ひとばしらって何?・・・私がソレになると死んじゃうの?」

人柱の意味が分からなくて、優しい笑顔を浮かべるお父さんに聞いてみる。

するとお父さんが驚いた様子で私を見た。

「は・・・ハル・・・まさか、俺の心を読んだのか・・・・。」

「・・・・・?」

お父さんの言っている意味が分からない。

私は只、お父さんの”声”が聴こえたから聞いてみただけなのに。

お父さんは、唇を噛み締めると私を優しく抱きしめた。

「大丈夫、お前は絶対俺が護る・・・母さんとの約束だからな!」

大好きなお父さんに抱き締められると、とても安心する。

優しくて、強くて、格好良い、私のお父さん。

テレビで観るヒーローみたいに、私のピンチに必ず駆け付けてくれるお父さん。

だから大丈夫。

どんな事があっても、お父さんと一緒なら私は全然怖くない。

 

そっと私の病室を出て、廊下に出る。

目指すは、お父さんがセキュリティを一時的に麻痺させた病院施設の職員通路。

そこなら、怖い人達にバレずに病院から外へと逃げ出せる。

お父さんに導かれ、私はこの迷路みたいな病院の出口へと進んだ。

しかし、病院から出て高くて分厚い壁の向こうへと続く、職員専用搬入経路へと行こうとした瞬間、眩しい光が私とお父さんを照らした。

「困りますなぁ?毘羯羅(びから)殿・・・否、17代目・葛葉ライドウ様と言った方が良いですかな?」

光の向こうから声がする。

見ると職員専用出口を塞ぐ様にして、ゴツゴツとまるで戦車みたいな車が数台、停まっていた。

その前に白衣を着た眼鏡のお医者さんが立っている。

何時も私の定期検診に来るこの病院の院長先生だ。

「宮毘羅(くびら)・・・・・。」

とても怖いお父さんの顔。

私を護る為に自分の背後に押しやる。

「何故、我々が此処に居るのか不思議だ?と言わんばかりの表情ですなぁ?」

にこにこと笑う院長先生。

でも、分厚い眼鏡の下は、どうやってお父さんを虐めてやろうかという、残酷な考えでいっぱいだ。

とても怖くて思わずお父さんの腰帯を握り締める。

「此方には優秀な監視者がいる事をお忘れですかな?17代目。」

「・・・・安底羅(あんちら)か・・・・・。」

お父さんの大きな手が私の肩に触れた。

私なら判る。

お父さんは、こんな奴等には絶対負けない。

「御屋形様の大事な人を傷つけるつもりはありません。さぁ、大人しく巫女様をお渡し願えますかな?」

戦車の様な車から、鎧を着た人達が大勢降りてくる。

テレビで観た散弾銃や機関銃を手に持った兵隊達が、私とお父さんに狙いを定めた。

「俺もお前達と戦うつもりはない・・・素直に道を開けてくれたら、見逃してやる。」

腰に刺してあるクナイの一本を取り出す。

緊張が高まる周囲の空気に、私は唇を噛み締めて恐怖に耐える。

「ククッ、強がりを言っても無駄ですよ?GUMPと”草薙の剣”を業魔殿に置いて来た事までリサーチ済みです。いやぁ、非常に残念ですなぁ・・・一度”神殺し”の悪魔をこの眼で見てみたかったのですが・・・。」

院長先生の合図で、鎧を着た兵隊達が動き出す。

狭まる包囲網。

余りの恐怖に思わずぎゅっと眼を閉じる。

すると、遠くで車のエンジン音が聞こえた様な気がした。

ううん、気のせい何かじゃない。

ソレはどんどん大きくなり、職員専用出口を何かが突き破る。

真っ赤な車体をした荷台付きのラングラー。

まるで映画に登場する様な硬い装甲が付いたフロントバンパーのジープを運転しているのは、私より4歳年上の明お兄ちゃんだ。

「なっ!」

それまで勝ち誇っていた院長先生の表情が崩れた。

突然の出来事に装甲服を着た兵隊達が狼狽する。

「ハル!しっかり眼を閉じて俺に掴まっていろよ!」

お父さんが私を抱き上げるのと、お兄ちゃんが院長先生達に向かって何かを投げつけるのはほぼ同時だった。

激しい閃光が辺りを包む。

「せ、閃光弾?」

投げつけられたモノの正体は、閃光手榴弾だった。

言われた通り、眼を閉じて必死にお父さんに掴まる私。

大きく跳躍したお父さんは、院長先生や兵隊達を軽々と飛び越え、お兄ちゃんが運転する真っ赤な車の荷台に飛び乗る。

「明!出せ!!」

「了解!!」

ジープは、大きく円を描く様に旋回すると、そのまま外へと飛び出した。

 

私は、お父さんの腕の中に抱かれながら、ぼんやりと平らに流れていく山々の景色を眺めていた。

4年前に入院してから、一度もあの冷たい建物から外に出た事は無い。

気が付いたらあの病院の中に居たから、あそこがこんな深い森の中に建てられた施設だったなんて初めて知った。

「箱根にいるお薬屋さんの事は覚えているか?」

不意にお父さんに声を掛けられる。

見上げると口布と眼帯で隠されたお父さんの顔から唯一見える右眼が優しく笑っていた。

「・・・・フレイア先生の事?」

遠い、遠い記憶の淵を一生懸命探る。

蘆ノ湖にある小さな食堂を経営している魔法使いの叔母さん。

お店の地下には魔法の呪文を唱えないと行けない『工房』と呼ばれる異世界があって、そこには沢山の妖精と地霊が住んでいた。

「そうだ、箱根の先生には前もって連絡してある。あそこまで行ければ、おっかない悪者達もそう簡単には手が出せないは・・・・。」

筈だ・・・と言い掛けたお父さんの言葉が、車を運転しているお兄ちゃんの叫び声に遮られた。

私とお父さんが視線を前に移すと、石で出来た巨大な手が山道の舗装道路を塞いでいる。

「あれは!オオミツヌか!!」

「ちぃっ!!」

このままでは巨人の掌に激突しちゃう。

お兄ちゃんは、舌打ちするとハンドルを大きく右にきった。

車体が激しく曲がり、私は思わずお父さんにしがみつく。

ガードレールにぶつかり、崖下に落ちていく車。

躰が宙に投げ出される浮遊感を感じた直後、私の意識は失墜した。

 

 

「・・・・こ・・・様・・・命(みこと)様。」

自分に仕える官女の声に、彼女は現実に引き戻された。

声のした方に視線を向けると、上掛けを持った長い黒髪を背で一つに纏めた着物姿の女官が心配そうに此方を見つめている。

「また考え事でありんすか?最近、御飯も召し上がられてないみたいだし、一度奥医師に診て貰った方が良いでありんす。」

「白菊・・・。」

この女官は、自分が此処に幽閉された時からお世話係として仕えている悪魔だ。

容姿は、年若い女性の姿をしているが中身は何百年も生きている化け猫だ。

「大丈夫・・・少しだけ昔の事を思い出していただけだから・・・。」

そう言って優しく微笑む。

前の主人、串蛇(くしなだ)を失った出来事が未だに深い傷となっているのか、この従者は少々、心配性なところがある。

しかし、超国家機関『クズノハ』の手によって、国会議事堂の地下深くへと幽閉され、孤独で押し潰されそうな彼女を唯一支えてくれる存在でもあった。

「・・・・糞ジジィ(オモイノカネ)に口止めされてたでありんすが、17代目がイギリスの諜報員からの依頼で”マレット島”と呼ばれる島に行ったそうでありんす。」

この主人の心労の原因は知っている。

実父である17代目、葛葉ライドウの安否が気になって仕方が無いのだ。

「マレット島・・・・。」

聞きなれない言葉に秀麗な眉根を寄せる。

17代目(おとうさん)は、今も単身、危険な任務を務めているのだ。

あんな酷い事をされても、娘である私を護る為に懸命に組織に尽くしている。

そして、歳の離れている義理の兄も・・・。

「いくら屋内でも夜は冷えるでありんす。」

物思いに耽る少女の躰に、白菊は手に持っていた上掛けを肩に掛けてやった。

「ありがとう、白菊。私もそろそろ寝屋に戻ります。貴方も部屋に下がって・・・。」

そう言いかけた命の言葉が止まった。

湖を思わせる池が一望できる釣殿。

自分達が居るその場所に一人の人物が近づいて来ているのを見つけたからだ。

「こんばんわ・・・姉上・・・・。」

蝋を思わせる病的に白い肌に濡れ羽根色の長い黒髪。

赤を基調とした武官束帯に身を包む麗人は、十二夜叉大将の長―骸だ。

「・・・・骸・・・。」

思いもよらないこの来訪者に、女官は警戒心を露わにする。

「夜分に失礼・・・・姉上の御様子が気になりまして・・・。」

三日月の如く双眸を細める。

弧を描く口元は、一見するとまるで人を嘲っている様にすら見えた。

「新しい御身体の調子はどうですか?転生の儀は滞りなく行われたと聴きましたが・・・。」

「・・・何も問題はありません・・・。」

毛を逆立て威嚇する女官を後ろに下がらせる。

人間の姿をした怪物。

否、そうしてしまったのは、他ならぬ父上と自分自身なのかもしれない。

「それは何よりです・・・・姉上が無事に黄泉返りを果たして頂き、私も安堵していたところですよ。」

命から少し離れた位置に骸は、腰に刺していた刀を脇に置いて座る。

「・・・私は自分の役目を全うするつもりです・・・・だから、いい加減、貴方も17代目を解放して自由に・・・・。」

「奴は、謀反を起こした罪人ですよ。」

未だ、娘・・・ハルの人格を強く残す命を見越したのか、骸は少々語気を強くして遮った。

「本来ならば、見せしめとして無間地獄に堕としてやるつもりでしたが、奴が残した実績と”神殺し”の力は非常に惜しい・・・故に、”草薙の剣”を取り上げ、”蟲術”を施す程度で許してやったのです。」

傍らに置いてある赤味の鞘を人差し指で触れる。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも呼ばれるこの神器は、歴代ライドウが代々受け継いでいったモノだ。

「心にも無い事を・・・・・貴方なら幾らでも私達家族を引き離せた筈です・・・態と希望を見せて・・・何て残酷な仕打ちを・・・。」

十二夜叉大将の長、薬師如来の名を持つこの男なら、もっと簡単に家族から自分を奪えた筈である。

なのにあんな山奥の収容施設に彼女を病気と偽って軟禁し、父親である17代目に監視まで付けた。

最初から、ああなる事を知っていて・・・。

「姉上・・・・。」

「帰って・・・今は、貴方の顔を見たくありません。」

泣いている顔をこの男にだけは見せたくない。

弟から顔を背け、毅然とした態度を取る。

「・・・やれやれ・・・随分と嫌われたものだ。」

態とらしく肩を竦めると、骸は傍らにある『草薙の剣』を手に取り立ち上がる。

「ああ・・・大事な事を言い忘れるところでした・・・。」

釣殿から去ろうとした骸は、何かを思い出したのか急に立ち止まると、背後にいる姉の方を振り返った。

「須佐が受肉したそうです・・・・未だ古の記憶が戻らぬ様ですがね。」

「・・・・!須佐が・・・。」

非業の死を遂げた弟の名を出され、命は驚いて骸に視線を向ける。

そんな姉の様子に、黒髪の美丈夫は皮肉な笑みを口元に刻んだ。

「私個人としては、記憶など戻らず人間としての生を謳歌して欲しいのですがね。」

それだけ伝えると骸は釣殿から出て行く。

その後ろ姿を命は黙したまま見送っていた。

 




命のお世話係をしている猫又の白菊は、葛葉ライドウ・コドクノマレビトに登場した白菊をモデルにしてます。


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チャプター 5★

またもやフライング。
ちこっとだけアニメ版の内容を織り交ぜておりまする。
そしてぬるい性表現。
愛の暴走特急となったダンテをライドウは受け止められるのか?


深夜1時過ぎ。

眠りを知らぬ不夜城には、仕事を終えた人々や酒場を梯子する連中達で絶えず通りを行き帰りしている。

その中を縫う様に一人の背の高い男が歩いていた。

真紅のロングコートに目の覚める様な銀の髪。

身の丈は2メートルを軽く超えているだろうか?行きかう人々の中でも、頭一つ分高い。

通り過ぎる人が必ず振り返る程、彼は目立っていた。

迷わず、地下通りにある人気が少ない一軒の酒場へと向かう。

腐ったゴミと黴(かび)の饐(す)えた臭いは、何処となく何時も贔屓にしている『ボビーの穴倉』と良く似ていた。

 

樫の木で出来た酒場のドアを開く。

客の来訪を教える為に備え付けられた鈴がカランコロンと涼やかな音をさせた。

「いらっしゃい。」

バーのカウンターテーブルで洗い物をしている店主らしい髭の男が陰気な声で、酒場の客を迎える。

銀髪の大男は、無言でカウンター席へと腰を降ろした。

「ご注文は?」

席に座る客を見ようともせず、店主が棚に磨いていたグラスを戻しながら、不機嫌そうに応対する。

「ストロベリーサンデー。」

組んでいる両手の甲に顎を乗せた銀髪の青年が何時もの様に注文する。

「お客さん・・・。」

余りに常識知らずな注文に店主が困った様に太い眉根を寄せて、銀髪の青年が座るカウンター席を振り返った。

「おいおい、此処は酒場だぜ?お子様はファミレスでも行けよ?」

カウンター席の少し離れた4人用のテーブルで、ポーカーに興じていた男が銀髪の青年に軽口を叩く。

同じ席に座る仲間らしい男達もニヤニヤと下品な笑みを浮かべていた。

「ほぉ・・・その割には、酒の匂いより血の匂いの方がツンっと来るぜ。」

銀髪の青年がちらりと背後のテーブルに座る男達と店内の様子を伺う。

ポーカーに興じている如何にも荒事師らしい男達が4人。

それと、店内の隅に黒いスーツに身を包む女がいた。

遠くから見ても判るモデル並みに均整が取れた見事なプロポーションにサングラスと長い黒髪。

この場にそぐわぬ美貌の女性は、細いシガリロの煙草をくゆらせ、英国新聞に視線を落としている。

「まぁ、良い・・・それより変な噂を耳にした・・・ここ等でおっかねぇ暴力バーがあるんだと、金の代わりに命を獲られちまうらしい。」

その女に幾ばくかの不信感を抱きながらも、銀髪の青年―ダンテは、視線をカウンターで酒瓶を取り出す店主へと戻す。

「ちっ!!」

カスな手札に舌打ちしたポーカー仲間の一人が、手に持っていたトランプをテーブルに叩き付ける。

「へっ、悪いな・・・・。」

そんな仲間の様子を嘲笑いながら、もう一人の仲間・・・ダンテに軽口を叩いた男が、持っていた自分の手札をテーブルに置こうとした。

「ロイヤルストレートフラッシュか・・・そんな役出してると寿命が縮むぜ?」

テーブルに並べたカードを見る事なく、ダンテが軽口を叩く。

そんなダンテに構う事なく、ポーカーの一人勝ちをして気分が良くなった男は、座っていた席から立ち上がった。

「皆・・・一杯奢るぜ・・・。」

そう言うのと、ダンテが持つ巨銃”エボニー”から鋼の凶器が発射されたのは、ほぼ同時であった。

寸分違わぬ正確さで、額を穿たれ吹き飛ばされる男。

床に叩き付けられる刹那、男の躰が爆散し、中から異形の怪物が飛び出す。

その姿は、一言で表すならば悪魔。

現世とは違う、別の次元から這い出て来た怪物は、カウンターに座るダンテに向かって、一直線に襲い掛かる。

それを紙一重で躱すダンテ。

他のポーカー仲間達も席から立ち上がると、次々と異形の魔モノへと姿を変える。

魔法の様な速さで双子の巨銃の片割れ”アイボリー”をホルスターから取り出す魔狩人。

デザートイーグル並みのハンドガンが火を噴き、吐き出された鋼の凶器が悪魔達の躰を引き裂いていく。

「ぐおぉおおおおお!!」

怒りの咆哮を上げる怪物。

ダンテの右腕に鋭い牙を突き立てる。

血管を喰い千切られ、噴き出る血潮。

噛みつかれた衝撃で、握っていた”エボニー”が床へと落ちる。

「やるじゃねぇか・・・ロイヤルストレートフラッシュ。」

己の腕に喰らいつく悪魔に皮肉な笑みを浮かべると、ダンテは店の窓に向かって左の掌を広げた。

刹那、窓を破壊して何かが店内に飛び込んで来る。

月夜に光る銀の鬣と硬い鱗に覆われた長い尾。

口にダンテの愛刀、大剣『リベリオン』を咥えるのは、冥府の門番、魔獣・ケルベロスだ。

首の一振りで、銀髪の魔狩人に組み付いている悪魔を両断。

返す刃で、背後から襲い掛かる悪魔の胴と頭を斬り飛ばす。

「ナイスタイミングだぜ?ワン公。」

「ケルベロスだ。」

ダンテの軽口を一蹴し、魔獣は、口に咥えた大剣を男に投げ渡す。

「下らん仕事を手伝わせおって、子倅が・・・。」

「働かざる者食うべからざる・・・だぜ?ワン公。」

大剣『リベリオン』を受け取ったダンテと、白銀の魔獣が背中合わせに立つ。

店内には、異空間から這い出て来た怪物達が、炯々とした血の様に赤い瞳で魔狩人と魔獣を睨み付けていた。

 

 

マレット島の事件が終結して数日が経つ。

長年連れ添った番を失ったライドウは、四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝・ムンドゥスとの激闘で重傷を負い、現在、ダンテの事務所で世話になっている。

ライドウの所属する超国家機関『クズノハ』に依頼をして来たイギリスの秘密情報部、Secret Intelligence Service、通称M16に所属するトリッシュ(恐らくは偽名)の紹介で、魔導に精通している闇医者に診せ、応急措置を受けた。

その医者の診断によると、数日間は絶対安静なのだという。

 

(ち、全く面倒な事になったな・・・・。)

鋭い牙と爪を剥き出しにして襲い掛かる悪魔を硬い鱗で覆われた長い尾で殴りつける。

頭蓋をあっさりと砕かれ、脳みそを床にぶちまける怪物。

無残な屍を晒す同胞達と同じ様に壁に叩き付けられ、ビクビクと死の痙攣を繰り返す。

背後で戦うダンテも、最後の一体を大剣『リベリオン』を振り下ろした兜割りで仕留めていた。

(早急に日本に帰らねばならぬと言うのに・・・。)

尾に付着した返り血を振り落とし、魔獣は忌々しそうに舌打ちする。

肉体と精神、両方のダメージがかなり深刻なライドウは、未だ眠りの淵から目覚めない。

適切な措置を受けたお陰で、命に別状は無いが、クー・クラックス・クラン、通称KKK団が縄張りにしているこの土地に留まるのは、非常に拙いのだ。

『クズノハ』と事を構えた事は無いが、KKK団は白人至上主義の悪魔崇拝者で構成されている。

かなり過激な思想の連中で、当然、組織の中にはライドウ同様、SS(ダブルエス)クラスの悪魔召喚術師(デビルサマナー)もいるのだ。

今の所、此方の存在には勘づかれてはいないみたいだが、もし知られれば、法外な賞金首目当てに面倒な事態に発展する可能性は十分ある。

(それもこれも、全てはあの馬鹿弟子が招いた事なんだがな・・・。)

事の始まりは、セルビアの黒手組(ブラックハンド)と中国の天地会を敵に回した事だった。

悪魔を食い物にする彼等のやり方に、腹を立てたライドウが、両組織の支社や各施設を潰して回ったのだった。

当然、自分の顔に泥を塗られた両組織は黙っている筈が無く、ライドウの首に法外な賞金を懸けた。

まぁ、欲に目が眩んだ馬鹿共を悉く返り討ちにしたのは言わずもがななのだが。

「何してる?とっとと帰るぜ。」

大剣を背に収めた銀髪の青年が、未だ店内にいる魔獣を振り返った。

マグネタイトを失い、塵へと還っていく魔モノ共の亡骸。

朝日が完全に天に昇る頃には、跡形もなく消え失せているだろう。

「もう一人バーに客が居たと思ったんだがな。」

確か店内の隅の席に、新聞を読んでいたサングラスの女が居た筈だ。

しかし、悪魔共との戦闘が開始された直後には、既にその姿は何処にも無かった。

闘いに巻き込まれたのかと危惧もしたが、女の死骸すらも見当たらなかった。

「きっと逃げちまったんだろ?それより俺は早く飯を喰って寝たいんだ。ここんとこ睡眠不足なんだよ。」

大あくびをしながら、ダンテが酒場のドアを開けた。

馴染みにしている情報屋のモリソンから今回の依頼料を受け取ったら、最早習慣となっている『ボビーの穴倉』で早目の朝食を採るつもりだ。

苺と生クリームをふんだんに使ったボビー特製のストロベリーサンデーは最高だ。

モリソンや同僚のグルーからは、お子様な食べ物はいい加減卒業しろと嫌味を言われるが、勿論、止めるつもりなど毛頭ない。

「・・・・。」

そんな魔狩人の背を眺めていた魔獣は、やれやれと一つ溜息を零した。

 

「やっぱり・・・ベリアルの言う通りだったわね・・・。」

殺戮が行われた酒場から少し離れた店舗ビルの屋上。

そこに黒いスーツを着た女が淡い光を放つ月を背に立っている。

先程、店内の隅にある席で新聞を読んでいたサングラスの女だ。

濃いサングラスの下では、激しい殺意と憎しみに満ちた金の双眸が、酒場から出て行く深紅のロングコートを纏う銀髪の青年を見つめている。

「今更のうのうと現世に蘇るなんて・・・・・ルーシー・・・。」

紅いルージュの引かれた唇で小さく呟くと、黒髪の美女は、闇の中へと溶け込み消えた。

 

 

誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。

段々と明瞭になる意識。

頬を嬲る炎の熱と、鼻腔に漂う何かが焼ける饐(す)えた臭いが、カオルの意識を現実へと引き戻す。

「カオル!しっかりしてよ!カオル!!」

相棒の電霊『ネミッサ』の声に、雨宮カオルは漸く意識を取り戻す事が出来た。

薄っすらと眼を開けると、心配そうに眉根を寄せるネミッサの顔が見える。

「ね・・・ネミッサ・・・・?」

自分の顔を覗き込むパートナーの姿に、カオルは、此処が天海モノリスで、『スプーキーズ』のリーダー、桜井雅弘に憑依した”ファントムソサエティ”の幹部、魔王サタナエルと戦闘中である事を思い出した。

「戦いはどうなった?リーダーは?スプーキーは一体どうなった?」

激しい頭痛と吐き気を耐えながら周囲の様子を伺う。

魔王サタナエルのメギドラをまともに喰らい、吹き飛ばされてからの記憶がごっそりと抜け落ちている。

ダメージは未だ残っているものの、こうして生きているという事は、自分達はサタナエルに勝利してリーダーである桜井雅弘を救う事が出来たのだろうか?

「なぁ?ネミッサ教えてくれよ!リーダーは一体何処にいるんだ!」

額が切れているのか、そこから流れ出る血が目に入って、中々よく見えない。

傍らに座る銀の髪を持つ少女に問い掛けると、彼女は何故か顔を俯け、震える手である一点を指差した。

つられて其方に視線を向けるカオル。

するとそこには、まるで何かのオブジェの如く、夥しい(おびただしい)鮮血で壁を汚し、その下で力無く項垂れるスプーキーこと桜井雅弘の姿があった。

 

「はっ!!!!」

開いた隻眼がまず捉えたのは、罅割れた薄汚れた天井であった。

激しい動機と息遣い。

ぐっしょりと汗で濡れたシーツが不快感を伝えている。

「此処は・・・何処だ・・・・。」

ムンドゥスとの最終決戦以降、記憶が不明瞭だ。

ダヴェドの宮廷魔術師であったオルフェウスの助力で、魔帝を倒したところまでは辛うじて覚えている。

しかし、その後どうなったのか、どうやって絶海の孤島・マレット島から脱出したのかまでは覚えていなかった。

「そうだ・・・志郎は・・・・?」

脳裏に砕け散る鎧と鮮血、そして血に濡れた番の姿が過る。

己の腕の中で、満足そうな笑顔を残して消えた番に、彼の死を始めて実感した。

「・・・・くそっ。」

自分自身の不甲斐なさと激しい憤り。

もっと慎重に立ち回るべきだった。

感情に任せて動いてしまった。

悪魔召喚術師(デビルサマナー)とは、常に冷静で注意深い判断力を求められる。

自分は、その一番大事な事を完全に喪失していた。

「らいどぉおおおおおおおおお!!」

全身に走る激痛を堪えながら、上半身を起こした悪魔使いの顔に何かが張り付いた。

仲魔の一人、ハイピクシーのマベルだ。

「やっと意識が戻ったんだね?三日間も眠りっぱなしだったから、口から心臓が出ちゃう程心配したんだぞ!ダンテと奥方様は、仕事でどっか居なくなっちゃうし!」

わんわん大泣きしながら、マベルは早口で捲し立てる。

「ダンテ・・・・そうか、俺を助けたのはアイツなのか・・・。」

薄れゆく記憶の中、見事な銀の髪を持つ青年が、自分をその逞しい腕(かいな)で抱き上げたのを覚えている。

心配そうに自分の顔を見下ろす蒼い瞳。

レッドグレイブ市を中心にして便利屋家業を営む荒事師の男。

その時、寝室のドアを誰かが開けた。

この事務所兼アパートの持ち主、自称、魔狩人(デビルハンター)のダンテだ。

魔帝との激闘で寝込んでいるライドウの様子が気になって、覗きに来たらしい。

「よぉ、大丈夫なのかよ?」

痛々しい包帯に巻かれ、辛うじて上半身を起こしているライドウの傍に歩み寄る。

「ああ、何とかな・・・。」

顔に張り付いている妖精を引っぺがすと、側へと座る銀髪の男を見つめる。

仕事が終わって塒(ねぐら)である事務所に戻って来たばかりらしい。

トレードマークである深紅のロングコートを脱いだその身体からは、僅かな硝煙の香りと血の匂いがした。

「すまねぇな・・・面倒かけた。」

摘まんでいたマベルの羽根を離し、自嘲的な笑みを口元に浮かべる。

どんな結果に終わったにしろ、この青年に救われた事に違いはない。

礼を言うのは当たり前だ。

「気にすんな・・・殆どアンタ一人で魔帝の野郎をぶっ倒しちまったみたいなもんだからな。」

悔しいが自分は何も出来なかった。

それどころか、双子の兄、バージルの一件で頭に血が昇り、身勝手な行動に出てしまった。

その結果、予想通り足を引っ張り、ライドウの大切な相棒を失う要因を作ってしまったのである。

「おい?そんな身体で何処行くんだよ?」

呻きながらベッドを降りようとする隻腕の少年を慌てて押し留める。

「何処って、何時までもお前の世話になってる訳にはいかねぇだろ?」

男に掴まれている腕を振り解こうにも、相手の力は予想以上に強く、中々離れない。

おまけにコッチは大怪我を負っているのだ。

「頼むから手を離してくれ、身体中痛くて堪んねぇんだよ。」

「だったら怪我が治るまで此処にいりゃ良いだろうが。」

「お前・・・・・俺がたった一人の家族を殺した奴だって判った上で、そんな能天気な事言ってんのか?」

黒く光る隻眼に睨まれ、銀髪の青年は黙り込む。

十数年前に生き別れた双子の兄、バージル。

この悪魔使いは、魔帝・ムンドゥスによって改造され下部と成り果てたバージルを殺害した。

実際、止めを刺したのはダンテ自身ではあるが、瀕死の状態まで追い詰めたのは他でもない、目の前にいる片手片目の少年である。

「アンタは・・・俺やバージルを救ってくれた・・・・。」

真剣なダンテの蒼い双眸に見つめられ、ライドウは視線を外す。

傍らでは、小さな妖精が事の成り行きを固唾を飲んで眺めていた。

「3年前のテメンニグルの時も、今回のマレット島の時も、アンタは赤の他人の俺達兄弟の為に一生懸命助けようとしてくれた。」

「止せ・・・俺は何もしてねぇ・・・。」

俯くライドウが小さく呟く。

気が付くと、掴んでいた少年の右腕に巻かれた包帯から微かに血が滲んで来ている。

それを見た銀髪の青年は、慌ててその腕を離した。

「もう、アンタ達一体何しているのよ。」

呆れた様子でマベルが主の傍に近づくと、血が滲む箇所に回復魔法を唱えようとした。

それを手で制するライドウ。

怪訝な表情をする妖精に穏やかな笑みを浮かべる。

「これぐらいの傷、舐めときゃ治る。それより、一晩中、看病して疲れてるんだろ?もう大丈夫だからGUMPに戻って休んでくれ。」

「でも・・・・。」

確かにライドウの言う通り、意識不明の重体である主人の為に、無理を押して回復魔法を唱え続けたのは事実である。

魔力の残量はほぼ無いに等しく、介護の為、睡眠不足で正直倒れてしまいそうだった。

「・・・・・分かったよ・・・。」

こういう時のライドウは、とても頑固だ。

表情はとても穏やかだが、その実、余計な世話は受けたくないと無言で拒絶している。

こうなったら、梃子でも自分の考えを曲げない事を知っている妖精は、渋々、デジタル化してGUMPへと戻った。

「そこで座っててくれ・・・包帯巻きなおすから。」

サイドテーブルに置かれている救急セットから、ダンテが新しい包帯を取り出す。

ライドウは、溜息を一つ零すと仕方なしに言う通りにする事にした。

 

「・・・・お前、結構不器用だろ・・・・・。」

真剣な表情で自分の腕に包帯を巻く銀髪の青年を見下ろす。

躰に巻かれた包帯はどれも歪で、御世辞にも上手いとは到底言えない。

「う、うるせぇな!こちとら人の怪我を看病するとか初めてなんだよ!」

常に怪我が日常茶飯事の荒事師をしているダンテではあるが、意外にも絆創膏一つ貼った経験すらも無い。

己の躰に半分流れる悪魔の血のお陰か、驚異的な再生能力によって、あらゆる怪我を瞬時に治してしまうからだ。

おまけに気の許せる相手としか接しない為、人を介抱した経験などまるで無い。

「もういい貸せ、自分でやるから。」

ライドウは、銀髪の青年から無理矢理包帯を奪い取ると、口と脚を使って器用に血で汚れた包帯を変えていく。

テキパキと無駄のない作業に、ダンテは思わず感心した様に眺めていた。

「驚いたぜ・・・・結構、慣れてるんだな?アンタ。」

「ああ、何時もの事だからな。」

上位悪魔と融合した肉体ではあるが、基本スペックは殆ど人間と変わらない。

ダンテや仲魔の様な優れた再生能力等無いし、銃弾を跳ね返す程の強靭な肉体も無い。

仕事柄、大怪我を負うなどしょっちゅうなので、包帯で自分を捲くどころか、医療針を使って切れた箇所を縫合するのもお手の物だ。

「なぁ?俺の服は何処にあるんだ?流石に素っ裸じゃ外には行けないぜ。」

短時間で綺麗に包帯を巻き直したライドウは、傍らにいる銀髪の青年を見上げる。

「呆れたな・・・アンタまだ帰るつもりでいるのかよ?」

ライドウの寝ているベッドに座るダンテがやれやれと肩を竦めた。

「俺が此処に居るのは色々と拙いんだよ。お前には言ってなかったが、結構ヤバイ奴等に目を付けられてるんだ。」

秘密結社の中でも武闘派で有名な黒手組(ブラックハンド)と天智会は、まだ自分がこのスラム街に居る事を知らない。

まぁ、この辺一帯を取り仕切っているのは、白人至上主義を掲げるKKK団(クー・クラックス・クラン)なのだから、そう簡単に奴等の息が掛かった殺し屋が入り込む事は考えられないのだが。

「だったら俺がソイツ等を追い払ってやるよ。生憎、面倒事には慣れっこでね。」

便利屋家業を始めて既に5年以上が経っている。

ダンテがこの職業に就くまで便利屋等は、裏社会の雑用係でしかなかった。

それを自分の気に入った仕事しか受けず、おまけに仲介屋を通す独自の美学は、到底闇社会の古株達からは受け入れられなかった。

それ故、ダンテを敵視する輩も多く、実際何度も襲われている。

「・・・・・お前に絡んで来るチンピラやマフィア連中とは質が全く違う。奴等は悪魔を手足に使う魔導師ギルドだ。生身の人間相手じゃないんだぞ。」

「なら猶更大歓迎だぜ。人間相手にドンパチやるのは飽き飽きしてたんだよ。」

「お前な・・・・・。」

駄目だ、コイツと会話していると永遠平行線を辿ってしまう。

軽い頭痛を覚えて、ライドウは右の蟀谷(こめかみ)を押さえた。

「兎に角、これ以上、俺に拘わるな。それと、お願いだから服返して頂戴。」

これ以上、コイツと話をしていても時間の無駄だ。

何か着るモノは無いかと室内に視線を走らせるが、何処にも彼が着ていた服は見当たらなかった。

仕方なしにベッドから降りようとしたライドウの右腕をダンテが再び掴む。

「い、痛ぇ!離せってぇ!!」

何の遠慮も配慮すらも無い力。

掴まれた腕から激痛が伝わり、思わず悲鳴を上げるが銀髪の青年は決して離そうとはしなかった。

「冗談じゃねぇ・・・・やっと、やっとアンタを手に入れられたのに、そう簡単に逃がして堪るかよ。」

「ダンテ・・・・・!?」

苦痛の涙で滲む視界が急に反転した。

硬いスプリングのベッドに叩き付けられ、一瞬、息が詰まる。

衝撃で折角、取り変えた包帯から血が滲んで来るが、銀髪の青年はそれを見ても一向に押さえつける力を緩める事は無かった。

「止せ!こんな事しても俺は・・・・・!」

男の意図を察し、抵抗しようとするが、いかせん力の差があり過ぎる。

気が付くと顎を無理矢理掴まれ、噛みつく様な口付けを受けていた。

 

ギシギシと揺れるベッド。

所々、血で汚れたシーツの上にうつ伏せた華奢な体躯をした隻腕の少年が、苦痛から逃れる為か、唯一残された右腕でシーツを握り締めていた。

手酷い行為に縫った傷が開いてしまったのだろう。

躰に巻かれた包帯から血が滲み出て、真っ白いシーツを更に汚している。

白い肌に浮かぶ細かい汗と引き攣れた無数の傷跡。

これが、葛葉ライドウと呼ばれる男が歩んできた道程なのだろうか?

恐らく、ぬるま湯で浸かった自分の人生など笑い飛ばしてしまいそうな程、過酷な地獄を経験して来たに違いない。

「ライドウ・・・好きだ・・・愛してる・・・。」

欲望に濡れた瞳で、己の下に組み伏せている哀れな獲物に愛の言葉を囁く。

これは立派な強姦だ。

レイプしている相手に幾ら愛を囁いた所で、相手には一ミリとて自分の想いが伝わらないのは当然だろう。

でも止められない・・・・止まらない。

何人もの女を抱いた。

時には気に入った同性とも寝た事もある。

しかし、こんな狂気にも似た激情を抱いたのは、葛葉ライドウ只一人だ。

「ひぃっ!!」

肉穴に剛直を更に捻じ込ませた激痛で、少年の華奢な肢体が背後へとしなる。

切れたのか、受け入れた箇所から血が滴り、股から真っ赤な鮮血が伝い落ちる。

「こんな・・・・こんな行為に意味何て無い・・・・魔導師の俺を幾ら犯した所で・・・お前が満たされる事は・・・・。」

歯を食いしばり、苦痛に耐えながら、男の愛の言葉全てを否定する。

そう、魔導士相手の性行為など、パンを食べるのと一緒だ。

これは只の魔力を得る為の虚しい行為だ。

そんなライドウにダンテは忌々しそうに舌打ちすると、疲弊する少年の躰を無理矢理反転させ、膝の上に抱え上げる。

食いしばった歯の間から、くぐもった悲鳴が漏れた。

「アンタから愛が返って来るなんて思ってねぇ・・・俺は、最低な糞野郎だ・・・でも、でも止められないんだよ・・・アンタを見てると・・・。」

かつて小さな妖精に言われた言葉を思い出す。

『愛したらその分愛し返せ何て傲慢よ・・・そんなの好きな人にする事じゃない・・・アンタの愛は彼を傷つけるだけ・・・。』

確かに彼女の言う通りだ。

自分の愛は、この愛しい人を壊すだけ。

「ダンテ・・・・。」

力強く、自分を抱き締める哀れな男。

震える腕は、まるで母親が離れる事を恐れる幼子の様で、こんな酷い行為をされているというのに、不思議と怒りが湧いて来ない。

すっかり包帯が解け、醜い傷跡を晒す右腕を男の広い背中へと回す。

相手からの予想外の行為に、銀髪の青年は驚いて首筋に埋めていた顔を離した。

「ったく・・・クールでスタイリッシュな凄腕の便利屋が何てザマだ。」

もうすぐ40半ばのオッサンに完全に入れあげてるこの青年が可笑しくて堪らない。

裏社会の荒事師共を震え上がらせるこの銀髪の美丈夫が、自分の前では幼い子供の様に映る。

「俺を好きになっても無駄だ・・・俺はお前を愛せない・・・だから・・・。」

他の誰かを愛せという悲しい言葉を唇を塞ぐ事で黙らせる。

唇を噛み締めた時に切れたのか、その口付けは、鉄の錆びた味がした。

 




冒頭に登場した黒髪の美女は、真女神転生で登場した泉の美女です。


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チャプター6

思いつくまま小説、第3弾。
時間軸的には、マレット島の事件から更に4年経過した時の話です。
自分設定では、ネロは17歳。
キリエは24歳で、音楽大学を卒業後、進学塾の臨時講師をしています。
で、ネロが10歳ぐらいの時に、ライドウは魔剣祭の参加と騎士団の視察をする為、一度、フォルトゥナに番のクー・フーリンと一緒に来日してます。



想えば、自分に家族と一緒に過ごした記憶などロクに残っていなかったなぁと、改めて思い知らされる。

魔剣教団の騎士であるネロは、天外テラスの下に広がる商業区の街並みを見下ろす。

そこでは、フォルトゥナに住む一般市民や各国から観光目的で来た人々が思い思いにショッピングや外食を楽しんでいた。

その人波の中に、幼い子供連れの家族が目に留まる。

綺麗なドレスが並べられたショーウィンドウを興味津々で眺めていたその少女は、母親らしき女性の袖を引っ張り、夢中で何かを喋っていた。

「もう、外を出歩いても大丈夫なの?」

聞き覚えのある声。

振り返ると紅茶色の長い髪を後ろで結い上げた20代半ばの女性が立っていた。

天涯孤独なネロを引き取り、実の息子の様に育てている魔剣教団の騎士団長―クレドの歳が離れた妹、キリエだ。

世界でもトップクラスを誇る音楽院の一つであるウィーン国立音楽大学に在籍していた彼女は、その高い歌唱力を買われ、現在は教団の歌姫を任されている。

「いい加減、病院のベッドで寝ているのにも飽きたんだ。」

グレーのシックなスーツを身に付けた彼女は、どうやら仕事先である学習塾の帰りらしい。

肩には、重そうな教科書と辞書が入ったショルダー鞄を下げている。

「また、病院を無断で抜け出したのね・・・。」

キリエは、右手にギプスを捲いて三角巾で固定されたネロを見つめ、呆れた溜息を吐き出した。

 

三日前、ネロは教団から悪魔討伐の依頼を受け、ミティスの森の外れにある霊廟へと向かった。

厭世的で皮肉屋、協調性に著しく欠けるネロは、団体行動を嫌い、常に一人で任務にあたる事が多い。

この時の任務も、何時の通り一人で行っていた。

しかし、それが災いし、ネロは右腕に大怪我を負ってしまったのである。

 

「後もう少しで右腕を切断する程の大怪我だったのよ?お願いだから兄さんに見つかる前に病室に戻って。」

少々、キツイ言い方だとは思うが、これぐらいの口調で言わなければこの少年には通じない。

いかつい騎士団の大人達ですら手を焼く悪餓鬼なのである。

「分かった分かった。もう少し外の空気を吸ったら病院に戻るよ。」

やれやれと大袈裟に肩を竦めたネロは、テラスの柵に背中を預ける。

改めて目の前の女性を眺める。

キリエは、容姿がとても美しく、そればかりではなく芯のしっかりと通った賢い女性だ。

人当たりも大変良く、誰からも好かれ、慕われている。

ネロにとっては、少々口煩い姉の様な存在だった。

「そういえば、今年の魔剣祭に、ライドウ様が来て下さるそうよ?ネロは覚えてる?」

「ライドウ・・・・17代目・葛葉ライドウか・・・。」

隣でテラスから広がる商業区の街並みを見下ろしたキリエが、ネロに言った。

闇社会にとって、葛葉ライドウこと『人修羅』の名前は、かなり有名だ。

SS(ダブルエス)クラスの悪魔召喚術師(デビルサマナー)であり、五大精霊魔法及び、様々な法術を習得する魔導師(マーギアー)の資格をも手に入れている。

また、そればかりではなく、三体の最上級悪魔(グレーターデーモン)を従えているのだという。

「あんまり覚えてねぇよ・・・・餓鬼の頃だったし、遠くからチラッと見ただけだ。」

当時、騎士団の訓練生だったネロは、キリエの兄・クレドの案内で、訓練場を視察するライドウの姿を一度だけ見た事がある。

長い黒髪を三つ編みで背後に結い、白い新雪の様な肌に不釣り合いな左眼を覆う黒い眼帯。

遠目からでも判る整ったその容姿は、まるで人形の様に美しかった。

背後にパートナーらしい、スーツ姿の美青年を従え、闘技場で基礎訓練に励む候補生を眩しそうに眺めていた。

 

「あれがフォルトゥナを救った英雄か・・・? すっげぇ美人。」

同期である候補生の一人が、呆けた様子でぽつりと呟く。

確かに彼の言う通り、ライドウには、とても同性とは思えない神秘的な美しさがあった。

魔剣教団の騎士団長、クレドの古くからの親友で、17年前に城塞都市・フォルトゥナを襲ったソロモン12柱の魔神の一人、堕天使・アムドゥスキアスを封印した英傑。

教団の幹部連中とにこやかに挨拶程度の会話を交わすその様子を見ても、とても上位悪魔を軽く蹴散らす魔導師とは思えなかった。

 

 

「それより・・・嫌な噂を耳にしたんだ・・・・もうすぐ戦争が起こるって・・・。」

遠い過去の記憶から、現実の商業区の街並みへと戻る。

城塞都市であるフォルトゥナ公国と隣国のディヴァイド共和国は、オイルシェルと呼ばれる特殊な鉱石の使用権を巡り、長く対立関係にあった。

この鉱石は、抽出すると石油の原料が生成出来るという性質があり、第二のエネルギー源として、大企業や各国から注目を集めていた。

また、宗教間の違いもあり、一時は血みどろの紛争にまでなりかけたが、国際連合安全保障理事会の介入もあり、現在は、停戦状態に留まっていた。

「そんなの有り得ないわ。 私もその噂を聞いて、一度、クレド兄さんに聞いてみたけど、只のデマだって笑い飛ばしていたもの。」

キリエもネロの言う様に、戦争の噂は幾度も耳に入って来ている。

戦争を経験した事がある彼女にとって、その悲惨さは身に染みて判っていた。

穏健派で有名なクレドだってきっと気持ちは彼女と同じ、もし、教団内で利権を強引に手に入れようとする強硬派が現れても、兄が何とかしてくれるに違いないと信じている。

「前の戦争で国は酷い財政難だって・・・見た目は観光客を多く呼び込んで、潤っている様に見えるけど、その実、国は借金だらけで火の車だって、ネットの掲示板に書かれてた・・・。」

「もー、ネロったら・・・ネットの書き込み何て信じてるの?」

SNSの有りもしない噂を真に受けている少年に、キリエは呆れた様子で苦笑を浮かべる。

しかし、そんな彼女に対し、ネロは終始暗い顔のままだ。

「騎士団内の連中も言ってる・・・国境付近に軍を配備しているのは、共和国との戦争に備えてだって・・・そのうち俺達も戦争に駆り出されるとか・・・。」

「やめましょ、そんな話・・・・教団の教えを忘れたの? 私達、魔剣教団の教義は、悪魔から人間達を護り、平和で安寧な世界を造る事・・・そんな、私達が人間同士の争いに参加するなんて有り得ないし、教皇様も決して許さないわ。」

この国は、魔剣教団が強い権限を持っている。

そう言った意味では、世界最小の先進国と言われるヴァチカン市国と質は似ているのかもしれない。

唯一の違いは、ヴァチカンは神を信仰する国であるが、フォルトゥナは悪魔を信仰しているというだけだ。

「そうだな・・・・君の言う通りだよ・・・。」

これ以上、彼女を困らせたくなくて、ネロは無理に笑顔を作る。

もうすぐ魔剣祭が始まる。

国を挙げての大掛かりな祭りだ。

きっと今以上に観光客が訪れて、商業区や教団も潤うに違いない。

 

その時、キリエが肩に下げている鞄からスマートフォンの着信音が鳴った。

ショルダーバッグから、スマホを取り出すと、電話に出る。

「あっ、兄さん・・・・え? 今空港・・・うん、うん・・・・あ、お食事は家で食べてくれるって・・・・? うん!判った。 また後でね。」

どうやら相手は、彼女の歳が大分離れた兄のクレドらしい。

微かに頬を赤く染めたキリエは、嬉しそうにスマホの通話を切った。

「ライドウ様が国際空港に到着したって、 今、迎えに行った兄さんと一緒だそうよ? 夕食は家で食べてくれるから、早めに食材を買いに行かないと・・・。」

そこまで言い掛けて、キリエは急に言葉を止める。

無断で抜け出しているとはいえ、現在、ネロは入院中なのだ。

無神経な自分の言葉が、彼を傷つけたのではないかと気が付いた彼女は、気まずそうにネロの方を見つめた。

「気にしなくて良いよ・・・・大事なお客様なんだろ? 俺は大人しく病院に戻るから、夕飯の買い物に行きなよ?」

そんなキリエに苦笑を浮かべ、何でもない様に応える。

本音を言えば、あまり楽しい話ではない。

幾ら昔フォルトゥナ公国(この国)を救った英雄とは言え、赤の他人である事に変わりはないのだ。

しかも、自分の想い人は、大分、その英雄にご執心らしい。

「ごめんね・・・? それと、早く怪我を治してね? 」

キリエは、それだけ言うと、腕時計の時刻を確認し、足早に商店街の方向へと去って行く。

そんな彼女の後姿を見送ったネロは、つまらなそうに舌打ちした。

初恋は、大抵の確率で失恋する・・・・そんなジンクスを何かの本で読んだ気がする。

ズボンの後ろポケットに捻じ込んである小さな箱を取り出す。

それは、一週間後に行われる”魔剣祭”で、キリエに送る為に彼が買った細やかなプレゼントであった。

「”クズノハ”最強の悪魔召喚術師(デビルサマナー)様相手じゃ、やっぱ勝てねぇよなぁ・・・。」

彼にとって、キリエは家族以上の存在だ。

しかし、彼女とは大分歳が離れている上に、幼い時に、命を救ってくれた日本の超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術師(デビルサマナー)に、今でも憧れの感情を抱き続けている。

自分は、あくまで手の掛かる可愛い弟。

それに比べ、アッチは、国を救った英雄の上に幾つもの武勇伝を持つ魔術師だ。  

どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、此方に勝ち目など到底有り得ない。

ネロは、溜息を一つ零すともう一度ポケットに箱を捻じ込み、病室へと戻る事にした。

 

 

continuing to Devil May Cry 4。

 

 

 




テメンニグル編で挨拶程度に登場したヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーは、魔剣教団の出身。
クレドとは、幼馴染み設定で、そのつてでライドウと知り合ってます。
ヨハン死後、事件現場から彼の遺体は回収出来ませんでしたが、一応、生まれ故郷であるフォルトゥナに、彼の父親の隣の墓で形だけの埋葬が行われました。


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チャプター7

ライドウがまだ17代目を襲名する前の話です。
当時は、ナナシ(後の妻となる月子が名前が無いと不便だという事で付けてくれた名前)と名乗っており、16代目の元で厳しい訓練を受けておりました。
しかし、魔法意外、体力と膂力が並み以下だった為、周りの訓練生から大分、馬鹿にされていたみたいです。



「何故、それ程までに強くなりたいのだ?」

右掌に出来た血豆が全て潰れ、激痛で刀が握れない少年に向かって雪の様に白い肌を持った黒髪の美女が言った。

 

奈良県の山深い山地。

平安時代に設立され、以降、陰陽道で日ノ本の国を陰から支えて来た超国家機関『クズノハ』。

その聖地とされるのが『葛城の森』と呼ばれる封印されし地であった。

毎年、優秀な悪魔使いを輩出するこの土地は、強力な結界で覆われ、葛葉由来の血縁者意外、足を踏み入れる事が許されぬ秘境であった。

 

 

「決まってんだろ・・・・強くなって周りの連中に認めて貰う為だよ。」

苦痛で顔を歪ませ、粗い吐息を吐き出しながら、少年は自分を見下ろしている女を睨み付ける。

深夜帯、既に人の気配など微塵も感じぬ訓練場。

そこで、左目に薄汚れた包帯を巻く少年と黒髪の美女が照らし出されている。

「ふん・・・・成程、葛葉の縁者ではない故、周りの心無い連中に酷い言葉でも浴びせられたか・・・。」

口元に弧を描く微笑を浮かべ、女が疲労で動けぬ少年を見下ろす。

土埃と汗で顔が斑模様に汚れ、服も激しい訓練で擦り切れている。

左腕は、肩の付け根から消失しており、邪魔なのか袖が硬く結ばれていた。

「う、煩せぇ!一体何者なんだよ?アンタ!毎回、毎回、俺の修業の邪魔しやがって!」

漆黒の外套に黒のパンツと皮のロングブーツ。

組織『クズノハ』でこんな格好をした召喚術師も符術師も見た事が無い。

しかし、女は至極当然と言った様子で誰にも咎められる事無く、広場の片隅で訓練生の様子を眺めている。

そして、居残って修練に励む自分をからかうのだ。

「おっと、これは失礼した・・・・ 私の名は鶴姫。 16代目・葛葉ライドウの番をしている。」

「え?・・・・16代目の番・・・・?」

女―鶴姫の思わぬ言葉に、少年は眼を見開いて驚く。

16代目・葛葉ライドウと言えば、歴代ライドウの中でも文武両道に優れた高潔な人物として有名だ。

様々な武勇伝を持ち、四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝・ムンドゥスと覇権を争った大悪魔・アビゲイルを封印した事で、闇社会で一躍その名を轟かせた。

 

「嘘吐けよ!16代目の番は、魔獣・ケルベロスだろ!」

組織にいる若手連中の中で、羨望と尊敬の念を集める16代目の名前を出して無知な自分をおちょくっている。

そう勘違いした少年は、全身の毛を逆立てて怒りを露わにした。

「うーん、そう言われてもなぁ・・・・説明すると少々面倒なのだが、アレも一応私なのだ。」

思案気に指先を顎に当て、鶴姫は野良猫の様に爪と牙を剥き出しにして警戒する少年に溜息を吐いた。

「訳の分かんねぇ事言ってんなよ!修行の邪魔だ!どっか行っちまえ!」

シッシッと手で追い払う。

足元に転がる『無銘の刀』を拾い上げ、杖代わりにして何とか立ち上がった。

「そんな身体でまだ修練を続けるのか・・・・? とんだマゾヒストだな。」

誰の眼から見ても、少年が疲労困憊なのは一目瞭然だ。

そんな呆れる鶴姫を完全に無視し、少年は大木の枝に吊るされた鉄板へと向き直る。

ロープで括り付けられたソレは、魔具の材料として使用される魔界の鉱物―ウルツァイトで出来た分厚い板であった。

血豆が潰れ、破れた皮膚から絶えず鈍痛が少年を襲う。

しかし、歯を食いしばってその痛みに耐えると刀を強く握り正眼に構えた。

刺突で魔界一硬いとされる鉱物のウルツァイト製の鉄板を叩き割ろうとしているのだ。

そんな少年を、数歩離れた位置で腕組みをした女が眺める。

結果は、最後まで見なくても分かり切っているのだが、敢えて口に出す無粋な真似はしなかった。

 

「はぁ!!」

裂帛の気合と共に、鉄板に向かって必殺の一撃を繰り出す。

しかし、無情にも刀は弾き返され、ダメージが少年の躰を突き抜けた。

勢いを殺せず背後の硬い地面に叩き付けられる少年。

血が付着した柄が手から離れ、”無銘の刀”は、少年から少し離れた位置に突き立った。

「前から何度も言っているだろう・・・お前は剣士(スレイヤー)には向かない、どちらかと言えば魔導師(マーギアー)だ。大人しく、精霊魔法や法術の修業をした方が良いのではないのか?」

大の字に倒れる隻眼の少年を呆れた様子で眺める。

魔導師として類稀な才能を持つこの少年は、五大精霊魔法を巧みに操れる他、封印術や結界術等の数法術士系の魔法も使う事が出来る。

それだけでも、組織内では天才の部類に十分入るだろう。

素直に魔導師(マーギアー)としての修練を積んで行けば、『八咫烏』の中でも精鋭部隊で有名な十二夜叉大将に入る事も夢ではない。

「・・・駄目なんだよ・・・そんなんじゃ・・・・何時までも、彼女に甘える訳にはいかねぇんだよ・・・。」

「・・・・彼女?」

少年から出た言葉に女が首を傾げる。

この女に指摘されなくても、少年自身、自分が剣士(スレイヤー)に向かないのは良く理解している。

前の躰ならいざ知らず、この脆弱な肉体は魔力に秀でていはいるが、体力面と力が哀しい程乏しい。

おまけに内在する闘気が常人以下で、近接戦闘になるとすぐにボロが出る。

自分は、誰かのサポート役に徹して初めてその真価が発揮される。

嫌と言う程、判ってはいる・・・・判ってはいるが決して認めたくはない。

 

「何すんだよ?」

何とか上半身を起こした少年の傍に女が跪くと、その腕を取った。

血塗れの右掌に己の手を重ねる。

途端に、回復魔法の暖かい波動が掌を包んだ。

「この躰はお前だけのモノではない。 内にいる少女を想うのであれば、大事に扱ってやらねば可哀想だろう。」

「・・・・・っ!!」

見透かされている。

自分の中にもう一人いる事をこの女は知っている。

驚愕で目を見開く少年に、鶴姫は苦笑を浮かべた。

そして、立ち上がると地面に突き立っている少年の愛刀『無銘の刀』を引き抜く。

「至極僅かな闘気だけでも、この板を割る事は可能だ。」

刀を正眼に構え、ウルツァイト製の分厚い板へと狙いを定める。

「お前の場合は、闘気の流れが乱れ、力が分散していた・・・・それでは、一生掛けてもあの板は割れない。」

剣の切っ先に意識を集中する。

口からゆっくりと息を吸い、腹腔の中心、丹田へと空気を送り込む。

「一点集中・・・・点の力は大岩をも穿つ・・・。」

再び口から先程吸った息を吐き出す。

刹那、鋭い刺突が放たれ、刀の切っ先がウルツァイト製の板・・・・丁度中心辺りに深々と突き刺さった。

「なっ・・・・・。」

余りの速さに目が追いつかなかった。

見開かれる少年の視界の中で、魔界一硬いと謳われる鉱物・・・・ウルツァイト製の板が粉々に砕け散る。

「まぁ、こんなところだ・・・修行も結構だが、程々にしておけ、壊してしまっては元も子も・・・。」

そう言いかけた鶴姫は、足元で土下座する少年を見つめて言葉を止める。

「た、頼む!俺をアンタの弟子にしてくれ!」

「・・・・・・小僧・・・貴様、自分が何を言っているのか判っているのか?」

呆れ返った様子で、足元で頭を下げる少年を見つめる。

この少年には、既に優秀な師がいる。

己の番であり、組織『クズノハ』の中でも英傑と周りの人間達から称賛される16代目・葛葉ライドウだ。

こんな言葉を主人の宗一郎が聞いたら、どんな反応が返ってくるだろうか?

「今の言葉は聞かなかった事にしてやる・・・・今日のところは大人しく宗一郎・・・16代目の屋敷に帰って休め・・・。」

「い、嫌だ!アンタがうんと言うまで俺は帰らない!」

そんな鶴姫の言葉に対し、少年は頑として引き下がる様子は無かった。

額を地面に擦り付け、尚も懇願する。

「俺はどうしても自分の力だけで強くなりたいんだ!これ以上、ネミッサの負担になりたくないんだ!頼むよぉ!」

血を吐く様な少年の独白。

ネミッサと言う悪魔の力で自分が生かされているという事実を、この少年は痛い程理解している。

その上で、彼女の膨大な魔力に頼って魔導師の資格を得る事に強い抵抗感を持っているのだろう。

あくまで他人の褌で相撲は取りたくない、と言ったところか。

「・・・・何故、そこまで強さに拘る(こだわる)?今のままでは満足出来ぬか?」

「・・・・・っ!!」

黒髪の女は、土下座する少年の前に跪くと、ゆっくりと言い聞かせる様に言った。

「番の私が言うのも何だが、宗一郎は馬鹿でお人好しで、すぐに人に騙される。 私が武芸の師になったとしても何も文句は言うまい。 しかし、番である以上、主人の面子を立てねばならん。 私の言いたい事は判るな?」

次代のライドウを継ぐ為に、組織の目付け役であるマダム銀子が連れて来た少年。

他者の血を取り入れる事を嫌う風習があるこの組織では、当然風当たりも相当強かった。

地に落ちたライドウの名を返上する為に、態々、外部から優秀な人材を連れてくる等浅ましいと陰口を叩かれている事も知っている。

否、もっと酷い事を言われているかもしれない。

「判ってる・・・・先生は大好きだし尊敬してる・・・俺のせいで先生が周りの奴等から白い目で見られてるのも・・・。」

大悪魔・アビゲイルを討伐し、組織『クズノハ』の中でも英雄として知られる16代目・葛葉ライドウ。

だが、周りが彼に対し、称賛の言葉のみを称えている訳ではない。

その理由は、自分と彼の愛娘にあった。

「俺は・・・俺は、悪魔と融合した化け物だ。 周りの奴等がその事で俺を責めるのは一向に構わない・・・・本当の事だし、才能がまるで無いのも知ってる。 でも・・・でも、月子お嬢様まで悪く言われるのは我慢出来ねぇ!あの人は関係ねぇだろ!」

悔しさでボロボロと残った右眼から涙が零れ落ちる。

自分が化け物と罵られるのは、まだ耐えられる。

しかし、生まれ持った病気のせいで、周りの連中から謂れも無い迫害を受ける16代目の愛娘が不憫で堪らない。

「成程・・・・お前の気持ちは良く判った・・・。」

この少年は、16代目の愛娘に恋をしている。

生まれつき遺伝子疾患と軽度の発達障害を持つ彼女は、その障害故に人の悪意が理解出来ず、赤子の様に純粋だ。

もしかしたら、過去に幾度か月子の優しさに救われた経験があるのかもしれない。

 

「ナナシぃ・・・何処にいるのぉ?」

その時、遠くから少女の声が聞こえた。

16代目・葛葉ライドウの愛娘・月子だ。

一向に屋敷に帰って来ない少年を心配して、修練場まで探しに来たのだ。

「あ、月子お嬢様・・・。」

ピンク色の花びらが散った可憐な着物を着た濡れ羽色の長い黒髪を後ろで結い上げた美少女。

長年の闘病生活の為か、肌が蝋の如く白く、発育不全の為、年齢の割に背丈が驚くほど低い。

「そんなにあの少女を護りたいのか?」

「・・・・・?」

顔に付いた泥と涙を拭いもせず、呆けた表情で、目の前の女剣士を見上げる。

そんな少年に対し、鶴姫は困った様に苦笑を浮かべると、徐に立ち上がった。

「彼女に対する気持ちに嘘偽りがないのなら、明日、この時間にもう一度此処に来い。闘気の使い方を基礎からみっちりと叩き込んでやる。」

それだけ言って、女剣士は闇に溶け込む様にして消えた。

 

 

あれから幾月の月日が流れたのだろうか?

もう長すぎて思い出す事も叶わない。

高層ビルが犇(ひし)めくレッドグレイブの都心部。

アールデコ調のビルの突端に、黒髪を短く刈り上げた10代半ば辺りの少年が、身体を丸めて夜風に身を任せている。

隻腕の少年―17代目・葛葉ライドウは、古傷だらけの右掌を何気なく眺めた。

昼夜問わず、刀を振り続け、掌の皮膚が破れ血を流しても止めなかった。

その為か、所々皮膚が変な風に硬化し、歪な形に変形してしまっている。

無骨過ぎる手、 でも妻の月子は働き者の綺麗な手だと褒めてくれた。

「はぁ・・・感傷に浸るなんて・・・俺もまだまだ未熟者だな・・・。」

番のクー・フーリンを失って5日が経とうとしていた。

未だ傷は癒えず、身体に痛々しい包帯と頬には大きな絆創膏が貼られていた。

(あの馬鹿のお陰で、大分マシにはなったけど、本調子って訳にはいかねぇからなぁ。)

溜息を零し、摩天楼の光に照らされる夜空を見上げる。

三日間の昏睡状態から目覚めた直後に、ダンテに犯された。

自分の心無い言葉が彼を煽り、レイプと言う暴挙に出させたのだが、そのお陰か、無意識に彼から大量の魔力を吸い上げる形となった。

自分の治癒魔法で、幾らか動ける様になったが、流石に現場復帰するのは難しい。

正式に契約した番が居ればまだ話は違ったが、ライドウ自身、クー・フーリン以外のパートナーを作る気は毛頭無かった。

「日本に帰れば、まだ状況は違うと思うんだがな?」

「お袋さん・・・。」

腰に下げたガンホルスターに収まっているGUMPから、御目付け役兼指南役の魔獣・ケルベロスが、電子音声で話しかける。

「まぁ、その身体では日本に帰るのは当分無理だな・・・あの子倅が言う様に暫く世話になるしかあるまい。」

マレット島での激闘で負った傷は、想像以上に重症だった。

本当なら、ベッドに安静にするべきなのだが、幾ら小言を言ったところで、この悪魔使いが言う通りにする筈が無い。

幸い、組織のお目付け役であるマダム・銀子には、事の経緯を全て伝えてある。

傷が完治するまで、そこで待機していろと許可は出たが、いつ何時、事態が急変するとも限らない。

「新しい番を作る気はもう無いのか?」

「・・・・・今は・・・志郎意外考えられない・・・。」

お袋さんの言いたい事は判る。

魔力特化型のライドウにとって番と言う存在は必要不可欠だ。

今は、骸が植え付けた巫蟲(ふこ)がるからまだ何とかなってはいるが、それでも限界は必ずある。

「まぁ、クー・フーリンを失ったばかりだからな・・・しかし、何時かは必ず決めねばならん事だ。」

「分かってる・・・・傷が癒えて日本に帰ったら、次の番を探すよ。」

組織に戻れば、名を上げたい剣士(スレイヤー)達が、挙(こぞ)ってライドウの番になりたがるだろう。

並み以下の実力しかない剣士でも、SSクラスのライドウが後衛役を務めれば、100%の確率で必ず勝たせてしまう。

かなり昔の話になるが、Bクラスの実力しかない銃剣使い(バヨネット)が、ライドウと組んだお陰で魔王クラスの上位悪魔を討伐した事があった。

ライドウは、その鋭い観察眼で、上級悪魔の動きを全て読み、的確な指示を与え、魔法の多重発動を駆使して、その銃剣使いを完全にサポート。

結果、死傷者を最小限に止め、魔王クラスの大悪魔を倒す事に成功した。

そんな経緯がある為、無名の新人達や中々目が出ない悪魔狩り達は、ライドウをパートナーにしたがる。

おまけにどんな美女ですら足元にも及ばぬ美貌。

ライドウがその気になれば、パートナーなど引く手あまたなのは言うまでもない。

 

「もー、それなら俺っちを番にすれば、万事解決っしょ?」

 

頭上から降って来た声に伏せていた顔を上げると、何時の間に現れたのか、神父姿の浅黒い肌をした青年が、隣に立っていた。

マレット島で仲魔にした魔神・アラストルだ。

本来、魔具なのであるが、支配する気が全くない主人のお陰で自由気ままに人間ライフを楽しんでいた。

 

「俺っちなら、人修羅様のお役に必ず立てますし、伽のお相手も完璧にこなしちゃいますよ?」

桃色思考全開の魔神に、大分引き気味になるライドウ。

マレット島で、圧倒的なまでの実力差を見せつけられたお陰か、この悪魔はライドウにぞっこんだ。

オルフェウスとの契約が切れてからは、枷が外れたせいか、自分を番にしろとしつこく付き纏って来る。

「ばっかねぇー!アンタみたいな中級悪魔何て、ライドウが番にする筈がないでしょ!」

GUMPに収納されていたハイピクシーのマベルが実体化して現れる。

この変態悪魔を愛する主人の半径500m以内に近づけては、ならない。

 

「ひっでー!俺っちは上級悪魔だって何度言えば判るんだ!このチビ妖精!」

「何よぉー!マレット島の時は、ムンドゥスにビビって何も出来なかった癖に!」

「あんな化け物、俺っちだけじゃどーにも出来ないっての!」

「皆が命懸けで戦っていたのに、アンタはブルブル震えていただけじゃない!ビビり野郎!」

「ビビりって言うなぁ!!」

 

眼前でしょうもない言い争いを始める二人に、ライドウはやれやれと肩を竦める。

しかし、そんな二人のお陰か、落ち込んでいた気分が大分、上向きになった。

視線を再び、眠らない街―不夜城の繁華街へと向ける。

3年前にダンテの双子の兄、バージルと、元ファントムソサエティのダークサマナー、シド・デイビスによって引き起こされたテメンニグル事件。

その傷跡は未だ残るものの、復興は大分進んでいるのか、元に日常へと戻った人々がせわしなく公道を行き来している。

 

『僕達、悪魔召喚術士(デビルサマナー)の役目は二つある。 悪魔から人を護る事、悪魔と強い信頼関係を築く事、両者はとても違う様に見えて、実は凄く似ているんだよ?』

 

ふと、師である16代目の言葉が脳裏に蘇る。

確かに師の言う通り、自分達、悪魔使いは、人の天敵たる魔物の力を行使しなければ、とても無力で脆弱な存在だ。

そして、悪魔と強い信頼関係を築けば、例えどんな大悪魔であろうと打ち勝つ事が出来る。

自分の盾となり、剣となったクー・フーリンがそれを証明している。

幾度、彼のお陰で窮地を脱する事が出来たか分からない。

 

ライドウは、レッグポーチから使い古したジッポライターを取り出す。

それは、遥か昔、まだ人間だった時に入っていたハッカーグループ、 スプーキーズのリーダー、桜井雅弘が愛用していたライターだった。

 




鶴姫の正体は、現在、御目付け役兼指南役をしている魔獣・ケルベロス。


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チャプター8

デビルメイクライのアニメコラボ小説。
アニメのヒロイン、パティが登場。



その日、ダンテの事務所『Devil May Cry』に珍しく客が訪れた。

仲介屋を務める初老の男、J・D・モリソンと、依頼人らしい10歳未満の幼い少女だ。

 

「聞いているのか?ダンテ。」

 

黒檀の頑丈なデスクに、だらしなく両脚を投げ出し、興味なさげに雑誌のページをめくっている銀髪の男に、黒人の仲介屋が呆れた様子で言った。

 

珍しく彼向きの仕事だと思って、依頼人を連れて来たが、どうやらそれが拙かったらしい。

少女の姿を見た途端、便利屋のやる気が削がれているのが、手に取る様に分かった。

 

「今は、勉強中だ・・・・仕事なら別の奴に回してくれ。」

 

こうなってしまうと完全にお手上げだ。

例えどんな破格な報酬がある仕事を持って来ても、彼が気に喰わなければ、自分の世界に引き籠り、外界の音をシャットダウンしてしまう。

そのくせ、金にならない仕事でも、気に入れば喜んで引き受ける。

このダンテと言う偏屈を動かすには、相当、強い手綱を持って来なければ不可能だろう。

長い付き合いでその事を嫌と言う程知っている初老の仲介屋は、どうしたものかと海より深い溜息を吐き出した。

 

その時、事務所のドアに備え付けられている呼び鈴が、涼やかな音をさせた。

三人が入り口のドアに視線を向けると、大きな紙袋を持った片腕の少年が立っている。

ダンテの所で居候をしている日本人―葛葉ライドウだ。

ロクな日用品も今夜食べる食材すらも無い為、態々、商店街まで出向いて買い物に行っていたのだ。

 

「あれ?お客さんが来てたのか・・・。」

 

未だ、傷が癒えていないのか、中性的な美貌を持つ少年の左眼には、痛々しく包帯が巻かれ、右頬には大きめの絆創膏が塗布されていた。

 

「アンタ、また勝手に外を出歩いたのか? 」

 

何時もはクールなダンテにしては珍しく、呆れた様子でデスクに投げ出していた脚を降ろす。

 

”マレット島事件”が終結して一週間近くが経過している。

魔帝・ムンドゥスとの激闘で、瀕死の重傷を負ったライドウは、仲魔とダンテのお陰もあり、何とか順調に回復していった。

しかし、靭帯損傷と肋骨を数本折った上に、大量の出血により三日間近く昏睡状態であったのだ。

いくら回復したとはいえ、絶対安静である事に変わりはない。

 

「だってお前、歯磨き粉はきれてるわ、洗剤もないわ、毎朝食べる米すらも無いんだぞ?買い物に行くのは当然だろうが。」

 

革張りのソファーの前に置かれているテーブルに、重そうな紙袋を置く。

良く見ると服の隙間から、身体に包帯が巻かれているのが見えた。

 

「しかも、毎日毎日デリバリーのピザとか・・・俺を糖尿にさせたいのかよ?」

 

「良いから、アンタは部屋に戻って寝てろ!」

 

ブツブツと聞こえよがしに文句を垂れる少年に、銀髪の青年が二階の自室を指差す。

モリソンが余計な仕事の依頼を持って来て、不快指数が上がり捲っているのだ。

これ以上、自分を怒らせないで欲しい。

 

「あ、やべぇ、お客さん来てるならお茶とか茶菓子とか出さないと拙いよな?」

改めてモリソンと依頼主である少女の存在を思い出したライドウは、慌ててキッチンに向かおうとする。

 

「良いんだよ!こいつ等は!どうせ仕事受ける気ねぇんだから!」

 

そんな悪魔使いの右腕をダンテが咄嗟に掴んだ。

普段、クールでスタイリッシュな自分が何故、こんな三文芝居をしているのだろう?

頭の片隅で疑問が一瞬過ったが、敢えて知らない振りをする。

 

「はぁ?折角仕事を持って来てくれたのに、そんな態度はないだろ? 」

 

ダンテが居ない間に、コッソリと事務所の家計簿を調べてみたが余りにも酷い有様であった。

ロクに記載されていないのもそうだが、此処最近の収支が完全にゼロ。

おまけにツケや借金が、雪だるまの様に膨れ上がっているのだ。

ちゃんと仕事をこなして金を稼がないと、事務所を維持していく事すらも難しくなる。

 

「餓鬼のお守りみたいな仕事何て出来るか、 俺は確かに便利屋だが、保育士じゃねぇ。 」

 

依頼人を目の前にして、何たる失礼極まる言い草だ。

ライドウの眉根が、怒りでピクリと跳ね上がる。

 

「お前なぁ、今の事務所の経営状態把握出来てるのか? 1セントの余裕すらもねぇじゃねぇか! 下手すると明日にでもホームレス決定なんだぞ!? 」

「はぁ? 何でアンタがそんな事知ってるんだ? 」

「事務所の帳簿を見た。 餓鬼のお小遣い帳みたいに酷いシロモノだったけどな。 」

「・・・・・・てめぇ(# ゚Д゚)」

 

そんな下らないやり取りを二人がしている時であった。

今迄、室内の雑多な品々や壁に飾られているオブジェ、ジュークボックス等を興味なさげに眺めていた少女が、何時の間にか、言い争いを繰り広げる二人の傍に立っていた。

 

「ピーターパン・・・・ねぇ?貴方、ピーターパンでしょ? 」

 

キラキラと興味津々な双眸で、頭一つ分高い隻腕の少年を見上げる。

 

「はぁ・・・君の夢を壊して申し訳ないが、俺はごく普通のオッサンだ。 緑のタイツを履いて空は飛べない。 」

 

唐突も無い少女の言葉に、固まっていたライドウであったが、何かを勘違いしていると悟り、どうしたものかと困った様子で頬を掻く。

傍らのダンテも大袈裟に肩を竦めていた。

 

「嘘!だってティンカーベルがそこに居るもの! 」

 

ライドウの右肩に座る小さな妖精を指差す。

仲魔のハイピクシー・・・・マベルだ。

少女に指を差された当の妖精は、「え?てぃ・・・ティンカーベル?何それ?」と困惑した表情をしていた。

 

「もしかして、君は彼女が見えるのか? 」

 

先程とは打って変わり、悪魔使いは真剣な表情をして金髪の少女に質問する。

 

「うん、紅い髪と綺麗な翅をしてる・・・・前に孤児院で見た映画と一緒。」

 

悪魔使いの言葉に少女は、嬉しそうに頷く。

彼女がいる孤児院で有志をしているボランティアの一人が、ピーターパンのアニメフィルムを寄付してくれたのだ。

親の居ない寂しい子供達が、目を輝かせて擦り切れるぐらいフィルムを何度も何度も見ていたのを覚えている。

 

「ミスター・モリソン、この子の依頼を教えてくれないか? 」

 

勝手知ったる事務所の冷蔵庫から、アイスコーヒーの缶を取り出す初老の仲介屋に向かってライドウが言った。

突然、話を振られ、仲介屋が戸惑う。

 

「別にそれは構わないが、オタクは便利屋じゃないだろ? 」

「ああ、でも依頼の内容によっては、俺がコイツの代わりに引き受けてやっても良い。」

「・・・・・! ライドウ!!」

 

勝手極まるライドウの態度に、ダンテが怒りの声を上げる。

 

「勝手な事するんじゃねぇ! 大体、アンタは怪我人だろうが! 経営に口挟む前に大人しく寝てろ!! 」

 

事務所の台所事情を知られた上に、経営者である自分の許可も取らずモリソンが持って来た依頼を受けようとしている。

流石に、これ以上の狼藉を許してやる訳にはいかない。

 

「事情が変わったんだ・・・ギャンギャン吠えるんじゃねぇよ。」

 

呆れた様子で溜息を吐いたライドウが、興味津々で自分の肩に座っている妖精を眺めている少女に向き直る。

跪き、視線を少女の高さに合わせると、改めて自己紹介をした。

 

「俺は葛葉ライドウ・・・この事務所で居候をしている、良かったら君の名前を教えてくれないか? 」

「わ、私は、パティ―・ローエル・・・皆は、パティって呼ぶわ。」

 

優しい悪魔使いの笑顔に、顔を熟れた林檎の様に赤くした少女がしどろもどろに応える。

そばかすがとても特徴的な愛らしい娘だった。

 

一代で巨万の富を築いたと言われるローエル家。

そのローエル家の現当主が、病により先日亡くなった。

表向き、マスコミには病死と発表されてはいるが、実際のところ本当の死因は定かではない。

しかし、それよりも重大なスキャンダルが持ち上がった。

何と亡くなった当主の残した遺言書に、隠し子の存在が明らかにされたのだ。

それが、ダウンタウンの孤児院で生活しているパティ・ローエルという10歳になったばかりの少女であった。

 

 

「一体何を考えてやがる? 」

 

ローエル家のあるロックランド群へと向かう電車の中、不貞腐れた様子で座席に足を投げ出す銀髪の大男が、向かい側に座る短髪の美少年に向かって言った。

 

「別に良いだろ・・・・そういうお前こそなんで付いて来たんだ? 餓鬼のお守りは嫌なんだろ? 」

 

平らに流れていく景色を眺めながら、ライドウが嫌味たっぷりに返してやる。

すると、余程腹に据えかねたのか、何時もクールなダンテが、苛々した様子で舌打ちした。

本音を言えば、こんな餓鬼の使いみたいな依頼はお断りだ。

しかし、心底惚れ抜いた相手が、便利屋でも無いのに、モリソンの持って来た仕事を受けてしまった。

故に、大怪我を負っているライドウを放置する訳にもいかず、仕方なしに用心棒として、依頼を受ける羽目になってしまったのだ。

 

「・・・・彼女は、稀人だ・・・放っておくと悪魔に狙われる・・・だから依頼を受けたんだ。」

 

子供の様にへそを曲げるダンテに苦笑を浮かべると、ライドウは依頼を受けた理由を説明した。

 

「稀人・・・・・?」

「そう、霊格の高い人間をそう呼ぶんだ。 彼等は高濃度のマグネタイトを持つ体質で、霊圧を下げて姿を隠している悪魔を視認する事が出来る。」

 

視認っと言っても人それぞれで、ハッキリと悪魔の姿を見る事が出来る人間は、それだけ体内に蓄積されているマグネタイトの質も高いのだという。

 

「マグネタイトは、悪魔が生きていく上でも必要不可欠だ。 濃度が高ければ高い程、奴等に狙われ易い。」

「成程ね、だからモリソンの野郎の仕事を引き受けたのか。」

 

ライドウの説明に合点はいったが、それでも僅かな蟠り(わだかまり)だけは残る。

明日の6時までに、ロックランド群にあるローエル家の屋敷に送り届けなければ、相続権を剥奪される。

縦(よ)しんば、彼女を夕方の6時までに送り届けたとして、その後どうするつもりなのだろうか?

 

「お前の言いたい事は分かるよ。 俺が知りたいのはローエル家の内部事情だ。 あれだけ高い稀人の血筋なら、何かしら自分達を護る術を心得ている筈だ。 あの娘の力を話せば・・・・・。」

 

と、突然、ライドウが言葉を止める。

腰に巻いてあるナイフケースに収まった、アセイミナイフの柄に手をかけた。

 

「早速、お客さんのご登場ってか・・・。」

 

警戒態勢に入るライドウの様子を横目で眺めたダンテが、徐に起き上がる。

 

「全部で、3・・・・・・否、6体近くがこの車両に入り込んでいるな。」

 

レーダーの如く、精神波を張り巡らせたライドウが、敵の正確な数を割り出す。

息を潜め、此方が油断するのを待っているのか中々動きを見せない悪魔達。

ピリピリとした緊張感が次第に高まる。

 

一方、ライドウ達とは反対側の席に座ったパティは、胸元から銀色のロケットペンダントを取り出した。

 

「へぇ、綺麗な人だね? 」

 

パティの被っている帽子の上に寝転んだマベルが、ロケットの中にある写真の女性を覗き込む。

 

「うん、私のお母さん・・・・私が赤ん坊の時、病気で死んだって院長先生が言ってた。」

 

ロケットの中で微笑む女性を見つめながら、パティは、自分の生い立ちを独り言の様に話始める。

パティが赤ん坊の時、生活苦の為、母親が孤児院に自分を預けた事。

仕事を幾つも掛け持ちした事により、過労が祟って母親が病気で死んだ事。

でも、同じ境遇の子供達が居たから全然寂しくなかった事等を夢中で喋り続ける。

きっと、そうでもしないとこの少女の小さな胸は、不安と孤独で押し潰されてしまいそうなのかもしれない。

 

「もしかして・・・パティは、お母さんの事を知る為に、ローエル家に行くつもりなの? 」

 

少女の意図を読み取った妖精が、パティに問い掛ける。

 

「うん、私、何も知らないから・・・・ねぇ?マベルは、良い悪魔だから話すけど、お母さんは病気で死んだ訳じゃないの・・・本当は・・・・。」

 

そこまで言い掛けたパティは、周囲を包む不穏な空気を読み取って言葉を止める。

帽子の上に乗ったマベルも、殺意を剥き出しにする悪魔の気配を敏感に感じ取り、臨戦態勢に入っていた。

 

「パティ!後ろ!!」

 

マベルが電車の車窓を指差し叫ぶ。

慌てて窓の方を振り返るパティ。

刹那、眼前に現れた巨大な悪魔が、華奢な少女の躰を噛み砕かんと、鮫の様に鋭い牙が並ぶ凶悪な顎を開いていた。

声も出ず放心状態で固まる金髪の少女。

そんな少女の頬を突風が吹き抜けた。

ライドウが放ったクナイだ。

寸分違わぬ正確さで、その悪魔の眉間をぶち抜くと頭部がまるで西瓜の様に破砕する。

ペンキの様に周囲にぶち撒かれる悪魔のどす黒い鮮血と脳髄。

べっとりと返り血を浴びた少女の袖をマベルが引っ張る。

 

「しっかりして!パティ!この下に隠れるのよ!」

 

油の切れたブリキの玩具の様に、ギクシャクと覚束ない態度で、座席から降りるパティ。

余りの恐怖で半ば意識を失い掛けている少女を座席の下に押し込み、蹲る様に指示する。

 

「良い? 眼を閉じてじっとしてるの、 私と一緒に10まで数字を数えましょ? そうすれば、こんな悪い夢から絶対覚めるから。 」

良いわね? と念を押す妖精の言葉に、パティは何度も何度も頷く。

マベルとパティが数え始めるのと同時に、ダンテとライドウ、そして異形の怪物達の死闘が始まった。

 

 

一体、どれぐらい経っただろうか?

震える声で「じゅう・・・。」と呟いた少女の耳元に、ライドウの優しい声が、頭上から降って来た。

 

「パティ、大丈夫か? 」

 

何故だか理由は分からないが、何処か恐怖心を掻き消してくれる力強い声。

固く閉じていた瞼を恐る恐る開く。

すると目の前に、中性的な美貌を持った左眼に包帯を巻いている悪魔使いの笑顔が映った。

 

「ライドウ!! 」

 

恐怖と不安・・・・・そして、堪らない安堵感。

様々な感情が、どっと溢れ出し、少女は嗚咽と共に目の前に片膝を付く悪魔使いに抱きつく。

 

「あ、悪魔!悪魔が私を殺そうと襲って来て!! 」

「どうどう、落ち着け、 きっと何か悪い夢でも見たんだろ? そろそろ駅に着くから、降りる準備をしとこうな? 」

 

悪魔使いの言葉に戸惑う少女。

慌てて、抱き着いていた躰を離し、悪魔の返り血を浴びたであろう、自分の服を改めて確認してみる。

しかし、そこにどす黒い悪魔の血は、一滴も付着してはいなかった。

電車の車窓に映る自分の躰を調べて見ても、顔にも被っている帽子にも、悪魔の血は何処にも見当たらない。

 

「おい、何やってんだ? とっとと降りて今夜泊まる宿を探すぞ? 」

 

大剣『フォースエッジ』が収められた大きめのアタッシェケースを片手に持った銀髪の大男が、呆れた様子で、ライドウとパティの二人を見下ろす。

電車は、既に終着駅に到着していた。

閉じていたドアがゆっくりと開いていく。

 

 

 

ローエル家の屋敷から少し離れた位置にある歓楽街。

明日の夕方6時、相続権の手続きまで十分間に合うと判断した二人は、その歓楽街にある大分寂れたモーテルで、一泊を過ごす事を決めた。

 

「よし、これで中級クラス程度の悪魔は、そう簡単には入って来れないだろ? 」

 

チョークの粉で汚れた右掌をズボンの裾で叩く。

むさ苦しい男共と一緒の部屋何て冗談じゃないっという、妖精の提案で部屋を二つ借りる事になった。

部屋のドアや床、そして壁等には、白いチョークで魔除けの五芒星が描かれている。

夜間、少女が襲われない様に悪魔使いが施した法陣であった。

 

「それで、悪い怪物達を追い払ってくれるの? 」

 

昼間、電車内で悪魔達に襲われた事が相当堪えたらしい。

硬いスプリングが敷かれた簡易ベッドに座る金髪の少女が、不安そうに悪魔使いを見上げた。

 

「ああ、このお呪いが君を護ってくれるからね。 それに、マベルもいるから寂しく無いだろ? 」

 

少女の隣に座ったライドウが、優しく彼女の頭を撫でてやる。

きっと今迄、悪魔に襲われずこの歳まで生きて来たのだろう。

高位の霊格を持つ稀人としては、大変珍しい事だ。

余程、運が良いのか、それとも、彼女を護る何かがあるのか・・・。

 

「ライドウ、私の・・・・私のお母さんは、悪魔に狙われていたの・・・・お母さんは、赤ん坊だった私を護る為に、孤児院に預けたって・・・・・・。」

 

院長先生が、誰かと自分の事で話していたのを、偶々、立ち聞きしてしまったらしい。

しどろもどろに、パティは、話始めた。

 

「私も殺されちゃうの?悪魔に狙われたら逃げ切れないの? 」

「・・・・大丈夫、君は死なないよ・・・悪い奴等は俺が全部やっつける、何を隠そう俺は正義のヒーローなのだ。 」

「ライドウ・・・・。」

 

陳腐で如何にも子供騙しな言葉。

しかし、ライドウの笑顔を見てると、不安で押し潰されそうな心が安らいでいく。

この男なら、きっと何とかしてくれるだろうという、安心感が、何処からか湧いて来る。

 

「そうよ、ライドウは数え切れないぐらい強い悪魔をぶっ飛ばして来たんだからね!アイアンマンとかキャプテンアメリカみたいに強いんだから!」

 

パティの隣にいる小さな妖精が、まるで自分の事の様にエッヘンとふんぞり返って自慢する。

魔界の西の地―ティフェレトを統べる領主、魔帝・ムンドゥスを倒したのは、他でもない超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術士、17代目・葛葉ライドウその人だ。

どんな悪魔が襲って来ようとも、ライドウの敵ではない。

 

「君のピンチには必ず駆け付ける。 だから、安心してお休み?パティ。 」

「うん、ありがと。 」

 

微かに頬を染めた少女が、頷いた。

 

 

「んで、御姫様はちゃんと寝てくれたのかよ? 」

 

依頼主の少女を寝かしつかせ、自分達の部屋に戻って来たライドウを待っていたのは、ダンテの如何にも不機嫌そうな顔であった。

たった一泊しかしないのに、マベルとパティの大分強引な申し出を呑まざる負えなくなり、仕方なくなけなしの金を叩(はた)いて部屋を二つも借りる羽目になったのだから無理もない。

 

「魔除けの護符は、施して来た。 中級クラス程度の悪魔は外から入れない筈だ。 護衛としてマベルを付けてあるし、大丈夫だろ。 」

 

ダンテが横になっている簡易ベッドの真向かいにあるソファに座り、ライドウはレッグポーチから愛用のジッポライターと煙草を取り出す。

口に咥え火を灯すと、如何にも上手そうに一息吸い込んだ。

 

「ち、酷ぇ匂いだ・・・・もう歳なんだから煙草控えろよ?オッサン。 」

「うっせぇ、俺はまだまだ現役だ。 」

 

悪態を悪態で返す。

態とダンテに向かって煙を吐き出すと、本当に嫌なのか、うざったそうに手で追い払っていた。

 

「随分とあのチビ妖精を信用してるんだな?もし、悪魔が入り込んだら、アイツじゃ対処出来ないだろ? 」

「そんな事はない、戦闘経験だけなら彼女の方が俺より遥かに上だ。 お前だってマレット島の時は、かなり助けて貰ってたんだろ? 」

「・・・・・。 」

 

確かに、ライドウの言う通りである。

ファントム戦や、ネロ・アンジェロ戦では、彼女の助力が無かったら死んでいたかもしれない。

 

「俺達、召喚術士(サマナー)は、数ある魔導職の中では一番最弱の部類に入る。 何せ、悪魔の助けが無ければ、何も出来ないんだからな。 」

 

だから、使役する悪魔と信頼関係を持ち、お互いの長所と短所を補い合う。

それが出来てこそ、一人前の召喚術士と成れるのである。

 

「なら、俺の事も信じろよ? 」

 

何時の間に傍に居たのか、ダンテはライドウが口に咥えている煙草をあっさりと奪い取る。

悪魔使いが何かを言うよりも早く、ダンテは奪った煙草を一口吸った。

 

「ひっでぇ味だな?よくこんなモン吸えるぜ? 」

 

激しく咽込み、煙草をテーブルの上にあるプラスチック製の灰皿で揉み消す。

 

「あーっ!お前何てことすんだよぉー!! 」

 

貴重な煙草を奪った挙句、まだ吸いかけなのに、何の躊躇いも無く消しやがった。

余りの暴挙に涙目になったライドウが、思わずダンテの胸倉を掴んで激しく揺さぶる。

 

「何だよ? 煙草一本ぐらいで大袈裟な。」

「馬鹿野郎!これは唯の煙草じゃねぇんだぞ!”しんせい”っていう、銭形警部も愛用していた銘柄なんだ!日本じゃもうJTが生産を中止にしてるし、マニアの間でしか取り扱ってない、貴重な貴重な煙草だったんだぞぉ! 」

 

滂沱の如く涙と鼻水を迸らせながら、ライドウが捲し立てる。

ライドウの言う通り、表向きは売り尽くされてJTから廃止が発表されたが、それでも根強いコアな愛煙家達によって、裏のルートで売り買いされている希少な煙草であった。

それ故、従来の価格の何倍も値が張り、少ないお小遣いの中から爪に火を灯す思いで、やっとこさ手に入れたのである。

何パックか保管はしているが、それでも一日一本と決めて、大切に吸っていた。

 

「山本周五郎先生に土下座しろ!三島由紀夫先生と同じ様に腹を切れ!イアン・フレミング先生の”ジェームズボンド”シリーズを100万回音読しろ! 」

「分かった、分かった。 落ち着けってライドウ。 」

 

えぐえぐと子供の様に泣きじゃくる悪魔使いに深い溜息を吐き出す。

本当にこんな奴が、あの西の地―ティフェレトを支配していた魔帝・ムンドゥスを倒した最強の悪魔召喚術士なのだろうか?

 

その時、何かを感じ取ったのか、ライドウの表情が一変した。

掴んでいたダンテの胸倉を離し、部屋のドアへと走る。

 

「おい!一体どうしたんだ?ライドウ!? 」

 

背後で、自分を呼び止めるダンテの声が聞こえるが、全く応える様子はない。

勢い良くドアを開けて、マベルとパティがいる真向いの部屋へと走り出してしまう。

そんなライドウに舌打ちしたダンテが、慌てて後を追い掛けた。

 

 

 

少女と妖精がいる部屋に到着すると、中は既にもぬけの殻となっていた。

窓は開け放たれ、簡易ベッドには人が寝ていたであろう跡が残されている。

 

「ち、やられたぜ!」

 

どんな方法を使ったかは定かではないが、恐らく催眠暗示等をパティに掛けて、少女が自分から部屋を出る様指示を出したのであろう。

外からの護りには強いが、内からの攻撃は殆ど無効なのが、魔除けの護符の特徴だ。

まさか護る対象者が自分から、護符を剥がすとは誰も考えてはいないからだ。

 

 

 

自分は何故、こんな所を歩いているんだろう。

ぼんやりとした半覚醒状態で、何処かの歌劇場らしい建物の長い廊下を歩くパティ。

誰かが自分の名前を呼んでいる様な気がする。

何処かで聞いたことがある女の子の声。

応えて上げたいのに、頭がぼんやりとしていて何もしたくない。

意思とは裏腹に、勝手に両脚が動く・・・・どうして?

気が付くとパティは、広い演劇ホールの中に居た。

馬蹄形の平土間と垂直に構えられた上座席。

伝統的な造りをした歌劇場のその舞台の上に、煌びやかなドレスを纏った女性が立っていた。

 

「お母さん!? 」

 

美しい金の髪に新雪の様な白い肌。

見間違える筈が無い。

その女性は、パティが肌身離さず持っているロケットペンダントの写真の人物と生き写しの容姿をしていた。

 

「お母さん! お母さん! 」

 

夢中になって階段を駆け下りる。

赤ん坊の時に悪魔から自分を護る為に、孤児院に預けて行方不明になった母。

きっと、お母さんは悪魔に殺されてもうこの世にいないと諦めていた。

でも、心の何処かでは、母親が何処かで生きているに違いないと、淡い期待を抱いていた。

その夢にまで見た母が、今、目の前にいる。

 

やっとの思いで舞台に昇ったパティは、中央に立つ母親に思い切り抱き着いた。

 

「お母さん!会いたかったよぉ! 」

 

母の柔らかい躰に顔を埋める。

優しい体温。

夢にまで見た母親の感触。

 

「ごめんね?パティ、もう貴方に寂しい想いはさせないわ・・・・だって・・・。」

 

母親の優しい声色が急に変わる。

獣の様な唸り声。

異変を感じた少女が顔を上げると、そこには、鋭い牙を生やした有隣目特有の眼をした怪物がいた。

 

「私が今すぐ食べてあげちゃうからねぇ!!」

 

涎を垂らした醜悪な怪物が、両腕に生やした蟷螂の様な鋭利な鎌で、金髪の少女を切り裂かんと襲い掛かる。

悲鳴を上げる事を忘れ、彫像の様に固まる少女。

しかし、銀色のクナイが化け物の左蟀谷に深々と突き刺さる。

勢いで、真横に吹き飛ぶ蟷螂女。

張りぼての背景にぶち当たるのと一緒に緞帳が上から物凄い勢いで降りて来た。

 

「パティ!! 」

 

呆然とする少女の目の前に、左眼に包帯を巻いた隻腕の少年が降り立つ。

蟷螂女の毒牙からパティを救った、『クズノハ』最強の悪魔召喚術士(デビルサマナー)、葛葉ライドウだ。

 

「・・・ライドウ? 」

 

急激な場面展開に脳内がついていけない。

放心状態だったパティは、先程、母親に擬態した悪魔に襲われ危うく殺されかけた事を思い出した。

途端、あらゆる感情が押し寄せ、愛らしい蒼い瞳から涙が溢れ出し、夢中で隻腕の少年に抱き着く。

 

「私、私、お母さんに会いたくて! そしたら、こんな所に居て!」

 

支離滅裂な言葉の羅列。

余りの恐怖故か、正常な思考に中々戻れない。

でも、これだけは分かる。

ライドウは嘘吐きじゃなかった。

 

「ううっ・・・何とかぎりちょんセーフね。 」

「でかしたぜ?チビ助。 お前のお陰で御姫様を無事、助けられた。」

 

悠々と階段を降りてくる真紅のロングコートを纏う、銀髪の青年と、その傍らにいる小さな妖精。

催眠状態のパティの後を必死に追い掛けていたマベルは、その途中で事の経緯を主に念話で報告。

少女が入って行った歌劇場の正確な位置を教え、転移魔法(トラポート)を使用して、ダンテとライドウの二人を運んだのである。

 

「パティ、あのお兄さんと一緒に悪い悪魔共をぶっ倒して来るからな?君は、マベルと一緒に少しだけ此処で待っていてくれ。」

 

緞帳の幕を突き破り、醜悪な姿を晒す怪物達。

それを衝撃系中位魔法―『マハザンマ』で吹き飛ばす。

真空の刃に切り刻まれ、舞台端へと再び吹き飛ばされる異形の怪物共。

パティをマベルの居る舞台下手へと押しやり、ダンテと共に舞台用語でへそと呼ばれる全体中央へと移動する。

 

「さぁて、こっから先はR指定だぜ。」

 

魔法の様な速さで双子の巨銃―”エボニー&アイボリー”を抜き放つダンテ。

彼と背中合わせに立つライドウも、腰のベルトに刺してあるアセイミナイフを取り出す。

二人を隠す様に降りてくる緞帳。

照明の光に照らされ、異形の怪物共と魔狩人、そして悪魔使いの死の舞踊が影絵となって映し出されていた。

 

 

 

アメリカ合衆国ニューヨーク州に位置する一番小さな郡・・・・ロックランド郡。

マンハッタンの北北西19kmに位置するその場所に、広大な敷地面積を持つローエル邸はあった。

古くから土地を収める領主としてロックランド郡に住む人々から知られてはいたが、1929年の世界恐慌の煽りを受け、一度は没落の危機に瀕した。

何とか一家離散を免れたものの、莫大な借金を抱えてしまう。

長く、貧乏貴族として周囲の人々から謗(そし)られて来たが、近年、商才に恵まれたローエル家の長男のお陰で、莫大な富を築く事になる。

そして、一週間前、優秀な家長が突然の病に倒れ、この世を去った。

 

「お前は本当にその絵が好きなんだなぁ・・・。」

 

壁一面に描かれた壮大な絵画。

ヨハネの黙示録に記される4人の騎士をイメージして描かれたその巨大なパノラマの前に、やや赤味がかった髪をした短髪の青年が立っていた。

ローエル家の四男坊だ。

 

「決めたよ・・・・僕は遺産にこの絵を貰う。今度開く予定のイベントに飾れば、皆喜んでくれるだろ? 」

「確かに、インパクトがある画だからなぁ。」

 

プロモーター会社を経営している弟に弁護士の次男坊が苦笑を浮かべた。

確かこの絵は、後のブリデン王、アーサー・ペンドラゴンを導いたと言われる魔導士、アンブローズ・マーリンが描いたという逸話の有る絵画だ。

しかし、その価値を一体何人の人間が正しく理解出来るかは、甚(はなは)だ疑問であった。

 

「やったぜ!もう6時を過ぎた!やっぱり兄貴に隠し子が居た何て嘘だったんだよ!」

 

まるでフットボールの選手並みにガタイが良い三男坊が、壁に掛けられている柱時計を指差す。

見ると時針が丁度、夕方の6時を指示(さししめ)していた。

と、突然、広間のドアをノックする音が聞こえる。

ドア越しに屋敷の執事を務める初老の男性から、来訪者がこの屋敷に来た事を一同に告げた。

扉が開かれ、中から見事なブロンドの髪をボブカットにした女性が入って来る。

見事なプロポーションと派手な紅いスーツを着たその女性は、口元に皮肉な笑みを浮かべ、室内にいる3人の男性を見渡した。

 

「初めてお目に掛かれて光栄ですわ・・・・私、パティ・ローエルと申しますの。」

 

何処か寒気を覚えさせる酷薄な笑み。

一同に緊張感が走る。

 

「う、嘘だ!パティ・ローエルは幼い少女だと聞いてるぞ!」

 

何時もは大人しい四男坊が、この時は珍しく声を荒げた。

 

「フェイクですわ・・・あらゆる事態を想定して・・・運良く同姓同名の女の子を見つける事が出来ました。 」

 

皮肉な笑みはそのままに、勝ち誇ったエメラルドグリーンの瞳で、広間に居る3人の兄弟を嘲弄する。

パティ曰く、自身の身の安全を考慮して、腕の良い情報屋を雇い、同姓同名の女の子を探し出した事。

又、その娘が、都合の良い事に親の居ない孤児だった事。

少女を身代わりにしたお陰で、快適な旅行が出来た事まで、自信たっぷりに解説してみせた。

 

「む、無効ですよ・・・・遺言書によると兄が死亡して、夕方の6時までにこの屋敷に来る事が、遺産相続の絶対条件です。」

「あら?私が聞いた話によりますと、父が死亡してから一週間後の夕方6時28分までですわ。 ほら?時刻までまだ余裕がありましてよ? 」

 

自称、弁護士を気取る次男坊に、態とらしく腕時計を指示してやる。

既に勝負は決まっているというのに、往生際が悪くて見苦しい事この上ない。

 

「身分を証明するのは、運転免許証で良いかしら?それともパスポート? 」

「いいえ・・・・その必要はありません。 」

 

肩に下げているショルダーバッグから、身分証明の為に運転免許証を出そうとした美女を、弁護士である次男が止めた。

訝しがる女に向かって、眼鏡を徐に外した次男が振り返る。

 

「何故なら、パティ・ローエルの生存は確認出来ないからです。 」

「!!!!!? 」

 

醜悪な怪物の姿へと、突如、変貌する次男坊。

驚愕する一同の目の前で、身体が室内の天井まで届く程の巨体へと膨れ上がっていく。

 

「遺産は私だけのモノだ!誰にも渡さん!!」

 

凶悪な牙を剥き出しにした悪魔が、ソファに座る四男坊と立ち上がった三男坊を吹き飛ばす。

血を吐き、首があらぬ方向に捻じ曲がって床に叩き付けられる三男坊と、壁一面に描かれた巨大な絵画の上に、べっとりと血のオブジェとなって加わる四男坊。

殺戮で濡れた紅い双眸が、今度は大広間の入り口に立つ、ブロンドの美女へと向けられる。

 

「貴様もだぁ!!」

「いやぁあああああああああ!!」

 

血で染まった鋭い爪で、自分の莫大な遺産を奪い取ろうとする不敬な女を惨殺せんと襲い掛かる悪魔。

しかし、彼女の前に、突如現れた不可視の壁によって弾き飛ばされる。

物理攻撃を反射する高位魔法―『テトラカーン』だ。

自分の攻撃をモロに喰らい、壁に叩き付けられる怪物。

震えるブロンドの女の視界に、無様に大の字に倒れる悪魔の姿が映った。

 

「アンタだったのか、モリソンを使ってパティのボディーガードをする様、依頼してきた張本人は。」

 

10代半ばと思われる少年の声に、事態を全く呑み込めない様子の女が振り返る。

すると、広間の入り口に左目に包帯を巻いた隻腕の少年と銀髪の大男、そしてその後ろには小さな妖精を頭に乗せた10歳ぐらいの幼い金髪の少女がいた。

 

「ボディーガードを依頼したのは、この子に対するせめてもの償いだったのか・・・・? それとも、本物のパティ・ローエルに対する贖罪の念か・・・。 」

「・・・・!何故貴方がそれを!! 」

 

少年が最後に言った言葉に、ブロンドの女が過剰に反応する。

そんな二人のやり取りを、大きなアタッシェケースを持つ、銀髪の大男が遮った。

 

「罪とか償いとかそんなモン後回しにしようぜ? 今はコイツをぶちのめすのが先だろ? 」

 

ライドウの造り出した防護壁によって吹き飛ばされた悪魔が、よろよろと起き上がる。

衝撃によって、両手の爪は全て根元からへし折れているが、その両眼に宿る殺意の闘志は失われていなかった。

 

「ぱぁっとド派手なライブと行こうぜ! 」

 

そんな怪物に笑みを浮かべたダンテが、アタッシェケースを開き、中に収められている大剣『フォース・エッジ』を取り出す。

標的をダンテに変え、不揃いな牙を剥き出しにして襲い掛かる悪魔。

その身体に、ライドウの放ったクナイが突き刺さり、ダンテの操る大剣『フォースエッジ』が大木の様に太い腕を斬り飛ばす。

激痛にのたうち回る怪物。

止めとばかりに下からフォースエッジの切っ先が、悪魔の下顎へと深々と突き刺さり、天井に縫い留めてしまう。

弱点である心臓を完膚なきまで破壊され、その活動を停止する悪魔。

血飛沫が雨の様に豪奢な絨毯を真っ赤に染めた。

 

 

 

ローエル邸の屋敷に数台のパトカーが停まっている。

頭にタオルケットを被った女が、両脇を二人の警察官に固められ、屋敷の入り口から出て来た。

ローエル家の隠し子として遺産相続の手続きに訪れた、ブロンドの美女・・・・パティ・ローエルだ。

しかし、彼女は本物のパティでは無かった。

本物の隠し子は、何者かの手によって既に殺害されており、つい三日程前に、住んでいたアパートメントの浴室で、変わり果てた姿となって発見された。

パトカーの赤色灯で照らされた女、女優志望のエリーと言うルームメイトによって・・・。

 

 

「あの人・・・・これからどうなっちゃうの? 」

 

二人の警察官によって、パトカーに乗せられる女を、パティが何とも言えない表情で見つめる。

騙されていたという事実にショックは隠せないが、何故だか怒りが湧いて来ない。

それよりも、哀しみに似たやるせない感情が、心の中を満たしている。

 

「彼女は、これから長い生涯を掛けて、罪を償っていくのさ・・・それこそ、死ぬまで友達を殺したという重責をその背に背負ってね・・・。 」

 

ライドウもまた、パティと同じ表情をしていた。

きっと幼い少女と同じ、心情を抱いているのだろう。

 

「もしかして・・・アンタ、全部最初から知っていたのか? この事件の真相を。 」

「・・・・まさか、俺は予知能力者じゃない。 この屋敷に到着するまでは、この子が本物のローエル家の隠し子だと思っていたさ。 」

 

ダンテの言葉をあっさりと否定すると、ライドウは、レッドグレイブ市の便利屋事務所に帰る為、さっさと惨劇の行われた屋敷に背を向ける。

やれやれと肩を竦めるダンテ。

こんな後味の悪い事件からは、とっととおさらばしたいとライドウの後を追い掛ける。

パティも仕方なしに、二人の後に従った。

 

「ライドウは見えたんだよ・・・・彼女の心の中が・・・・ごめんなさい、ごめんなさいって、一生懸命謝ってた。 」

「マベル・・・・・? 」

 

パティの被っている帽子の上に座る妖精が、ポツリポツリと事件のあらましを話し始めた。

 

ひと月前、ある不運が二人の女性を襲った。

お互い、天涯孤独、同じ趣味、同じ夢を持っていた二人は、姉妹の様に仲が良かった。

しかし、ある出来事が二人の仲を引き裂いた。

それは、友達の一人が、ロックランド郡の中で有数の大富豪の隠し子である事が判ったからである。

 

「殺すつもりじゃなかった・・・・・でも本物のパティ・ローエルのちょっとした悪戯心が、エリーを凶行に走らせた。 ”召使として雇ってあげる・・・・”その一言が、彼女の理性を壊してしまったの。 」

「・・・・・。 」

 

気が付くと握り締めていた果物ナイフが、パティの喉に深々と突き刺さっていた。

慌てた彼女は、バスルームに遺体を隠し、アパートメントから逃げ出したのである。

 

「可哀想・・・・だね。 」

「確かにな・・・・プライドを捨て、コールガールとして生計を立てていた彼女にとっては耐え難い屈辱の言葉だったのかもしれない。 でも、人を殺し、本物になり替わろうとしたあざとさは許せない。 そんな真似をしたって、自分が犯した罪から逃れられる筈は無いのにな。 」

 

因果応報・・・・悪い行いは、必ず別の災厄となって己に降りかかる。

エリーと言う女性は、それを承知していたのだろうか?

 

 

 

事件から数日後、レッドグレイブ市にある便利屋事務所。

 

片腕の少年が、テーブルの上に焼き上がったビスコッティの盛られた皿をソファに座る少女の前に置いてやる。

途端に顔を綻ばせる金髪の少女。

ピンクの愛らしいドレスが良く似合っている。

 

「美味しそう!これ本当にライドウが作ったの? 」

「ああ、日本にある超高級ホテルで働くメイド長直伝のスィーツなんだぜ? 」

 

アーモンドやレーズン、チョコレートなどをふんだんに使ったこの焼き菓子は、彼が何時も世話になっている豪華客船『ビーシンフル号』で、メイド長を務めているメアリーから教えて貰ったお菓子だ。

味は誰もが保証付き。

同じホテルの料理長、第三十三代目、村正すらも唸らせる逸品だ。

 

事件後、パティのいる孤児院である出来事が起こった。

日本を代表する大企業―Human electronics Company、通称『HEC』社から突然、多額の寄付金が送られて来たのだ。

またそればかりではなく、貴方の養護施設を全面的に支援したいという有難い申し出がメールで送られ、本や教材、果ては施設で暮らす子供達の衣服や食料品まで援助される事になったのである。

 

「うわぁあああ!何だぁ?この部屋わぁ??」

 

シャワー室のドアから素っ頓狂な声が聞こえた。

二人が其方に視線を向けると、シャワーを浴びて出て来たばかりらしい、上半身裸の男が、変わり果てた事務所の内装にあんぐりと口を開いている。

 

ピンク色の壁紙に、花やアニメのキャラクターらしきイラスト等が所狭しと張り付けられている。

そして、極めつけが、ソファや床などに置かれた数々のヌイグルミ達。

此処が荒事専門の便利屋事務所だとは、到底想像出来ない有様である。

 

「煩いわねぇ、事務所があんまりにも汚すぎるから、私達三人で綺麗に掃除してあげたのよ?感謝ぐらいしときなさいよね。 」

 

テーブルの上で胡坐をかいてビスコッティを齧っている妖精が、心底軽蔑しきった眼差しで、タオルを被る銀髪の大男を見つめる。

 

「感謝?ふざけんな!俺の大事な事務所をこんなイカレた部屋にしやがってぇ! 」

「まぁまぁ、そんなに怒るな? お前の分もあるからコッチに来て喰えよ。 」

「ライドウ!何でアンタはそんなに冷静なんだよ! 」

「もー、朝から煩いなぁ、静かにお茶が飲めないじゃない、ねぇ?マベル。 」

「そうそう、煩い男は嫌われるわよ?ダンテ。 」

「はぁ? 居候の分際でデカイ顔すんじゃねぇ! 」

 

清々しい朝とは裏腹に、繰り広げられる下らない茶番劇。

しかし、それが途轍もなく愛おしい。

ライドウは、悪態を吐き合う三人を傍らで眺めながら、自分がかつて失ってしまった日常を思い出していた。

 




読みづらかったら申し訳ない。
アドバイス頂けたら改善致します。


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チャプター 9

再びコラボ小説。
女悪魔狩人、レディー登場。
自分設定で大分変えております。


ニュージャージー州、リバティ公園付近。

廃材が積まれた古びた倉庫内。

腐臭を漂わせる異形の姿をした怪物・・・・・悪魔の死骸の傍らに一人の華奢な体躯をした人影が立っていた。

 

「17代目・葛葉ライドウ・・・・・・・? 」

 

その人影は、どうやら歳若い女性らしい。

鼻の頭に真横に一本走る傷が特徴的な黒髪の美女であった。

均整の取れたスタイルをしており、髪を整え、化粧をすれば、トップクラスのモデルとしても十分通用する程の美しさを持っている。

しかし、身に纏う気配は、まるで獲物を狙う獰猛な野獣そのものだった。

 

「そうだ、日本の組織『クズノハ』に所属するSS(ダブルエス)級の悪魔召喚術士だ。 」

 

女性と会話をしている人物・・・・黒いスーツを身に着けた男は、周囲に漂う硝煙の香りが苦手なのか、僅かに眉根を寄せていた。

真夜中であるにも拘わらず、黒いサングラスを掛けている為、その容姿は判らない。

 

「噂なら聞いてるわ・・・・・三体の最上級悪魔(グレーターデーモン)を従える怪物。 闇社会じゃ”人修羅”って通り名でかなり有名じゃない? 」

 

視界の端で、形が保てず塵と化していく怪物を眺めつつ、女は肩を竦めた。

 

葛葉ライドウの名は、闇社会に属する者ならば、知っていて当たり前な程、その名は知れ渡っている。

例え、SS級の悪魔召喚術士であっても、従えられる最上級悪魔(グレーターデーモン)は、一体までしか使役出来ない。

それは、通常の悪魔と違い、召喚器を使わず、術士の肉体そのものを依り代にするからだ。

しかし、ライドウは、その神や魔王を三体も従わせている。

召喚士の常識では、到底有り得ない存在である。

 

「出来る事なら、あんな化け物には近づきたくないんだけどね。 」

 

何故、そんな怪物が此処・・・・レッドグレイブ市にいるのかは判らない。

噂によると、その市内で便利屋家業を営んでいる男の事務所で居候をしているらしい。

 

「うちのお嬢が人修羅をジョセフ坊ちゃんの番にするって言って、聞かないんだよ。 俺やドクもあんな化け物に拘わるなと再三忠告してるんだがな。 」

 

スーツの男は、心底困り果てているのか、大袈裟な溜息を吐いた。

本音を言えば、気持ちは女と一緒だ。

何を好き好んで、あんな他組織の・・・・しかも、人外の化け物と関りを持ちたがるものか。

 

「番? 確か彼には、”クランの猛犬”がいるんじゃなかったっけ? 」

「詳しい事は知らないが、どうやらその番は死んだらしい。 今はフリーだと聞いている。 」

「へぇ・・・・番を使い捨てにするって噂は、どうやら本当みたいね。 」

 

男の言葉に、女は呆れた様子で溜息を吐いた。

 

悪魔召喚術士にとって番は、召喚器と同様、無くてはならない存在だ。

優秀な番程、召喚士は、大事にする。

だが、人修羅は番の扱い方が酷いのか、これまで多くのパートナーを死なせていた。

 

「んで、貴方達は一体私にどうしろって言うの? まさか、私にテレサを説得しろって言う訳じゃないわよねぇ? いくら従妹でも、私が彼女に嫌われているのは知っているでしょ? 」

 

女・・・・悪魔狩人のレディは、赤と青のオッドアイで、従妹の用心棒であるサングラスの男を見つめた。

 

「分かってる。 アンタに頼みたいのは、人修羅が一体どんな奴か見極めて欲しいんだ。人間観察者(マンハント)のアンタの言葉なら、俺やドク・・・・他の連中も納得出来る。 」

 

それなりの報酬は出すっという男の言葉に、レディはやれやれともう一度溜息を吐いた。

 

 

 

レッドグレイブ市、西区、スラム2番街通り。

 

血反吐と折れた歯を吐き出しながら、如何にもチンピラ風の男が吹き飛んでいった。

 

「はいよ、今回の依頼料だ。 」

 

生ゴミの詰まったポリバケツに突っ込む男を横目で眺めながら、煙草の専売店の店主である老婆が、カウンターで呑気に頬杖をついている10代半ばぐらいの少年にドル紙幣を数枚渡した。

 

「どーも、何時も助かるよぉ♪ばっちゃん。 」

 

依頼料を貰い、ニッコリとほほ笑む少年。

店の前では、ゴミの山に頭から突っ込んでいる男意外に、荒事師風の男達が数名、死屍累々と言った感じで横たわっていた。

彼等は、皆、この界隈で恐喝や強盗をしているチンピラ達だ。

高齢者が営む、小さな煙草店の売り上げを掠め捕ろうとしたらしいが、生憎運が無かったらしい。

 

「そりゃ、コッチの台詞だよ。 こんな端(はした)金でチンピラ共を追い払ってくれるんだからね。 」

 

老婆の言う通り、荒事専門の便利屋にしてはリーズナブルな値段で、ゴロツキ共をぶちのめしてくれるのだから、大助かりである。

 

「おい、終わったぞ? 」

 

当たり障りのない世間話に花を咲かせる二人の所に、チンピラ共を叩きのめした張本人が現れた。

 

真紅のロングコートに、目の覚める様な銀の髪。

レッドグレイブ市を中心に活動している便利屋・・・・ダンテである。

 

「ご苦労、ご苦労。 そんじゃ、次の仕事行ってみよかぁ♪ 」

 

そんな便利屋に労いの言葉を掛けるのは、左眼に痛々しい包帯を巻いた隻腕の少年・・・・葛葉ライドウ。

相棒兼居候の言葉に、ダンテはあからさまにうんざりとした表情を浮かべる。

 

「またかよ、 今日一日で一体何件下らねぇ仕事をさせる気なんだぁ? 」

「はぁ? 何を言ってんだよお前、 俺達は、街の害虫を駆除する尊いお仕事してんだよ。 次は、ジャニスの惣菜店が強盗に襲われたらしいからな。 あそこのマッシュポテトは最高なんだ。 襲った奴等は絶対許せん! 」

 

成敗じゃ、と意気込むライドウは、ダンテの着ているロングコートの端を握ると、何の遠慮も無くグイグイと引っ張って行ってしまう。

そんな凸凹コンビの後ろ姿を、老婆は微笑ましく見送っていた。

 

 

ライドウが怪我の療養という名目でこの街に滞在してから、既にひと月近くが経とうとしていた。

怪我も大分良くなり、身体に巻かれていた包帯も殆ど取れている。

未だに、生々しい傷跡は残っているものの、普通に生活を送る分には何ら問題は無かった。

 

 

「ダンテ、 何だか不機嫌だね? 」

 

ライドウの出されたラズベリーパイを美味しそうに一口齧ったパティが、如何にも不貞腐れた様子で黒檀のデスクに両足を投げ出している銀髪の大男を眺めた。

 

「気にすんな。 真面目に労働したせいで疲れているんだよ。 」

 

甘さ控えめのアップルティーをパティの前に置いたライドウが、手に持っている盆で自分の肩を軽く叩く。

ダンテがへそを曲げている理由は唯一つ、仲介屋であるモリソンが取り扱っている仕事をライドウが勝手に受け捲っているからだ。

昼間、老婆が営む煙草の専門店を襲った強盗達を叩きのめした様に、その依頼の殆どは用心棒や窃盗など、悪魔とは全く関係ない内容の仕事だ。

トラブルシュータ―紛いの仕事を此処最近やらされ続け、流石にダンテの我慢にも限界が来ているらしい。

 

午後の和やかなティータイムを楽しんでいる一同の耳に、事務所のドアに設置されている呼び鈴の音が聞こえた。

見ると、入り口のドアの前に大きな黒革のギターケースを担いだ20代半ばぐらいの黒髪をざんばらに刈った美女が立っている。

 

「はぁい、お久しぶり♡ 」

 

店に訪れたのは、ダンテと同じ便利屋家業を営んでいる女荒事師のレディだ。

勿論、本名ではない。

 

「お? 珍しくお客さんが来てくれたぜ。 」

 

馴染みにしている仲介屋のモリソン以外に、ダンテの事務所に来訪者が来る事は、滅多にない。

積極的に仕事の宣伝をしていないのも原因の一つであるが、店の責任者であるこの男が、気に入らないといった理由だけで、依頼人を無下にあしらっているのが最大の理由だ。

 

「何しに来た? 借金ならこの前返してやっただろうが・・・。 」

 

無遠慮に店内に入って来る同業者をダンテが胡乱気に見つめる。

正直言ってこの女は大の苦手だ。

金にはがめついし、それに何より人の心を見透かすその態度が気に入らない。

 

「半額分だけでしょ? 残りはまだ大分残っているじゃない。 」

 

呆れた様子でレディは応えると、肩に背負っていた重そうなギターケースをダンテがだらしなく両脚を投げ出している黒檀のデスクの前に置いた。

中身は、借金のカタに取り上げたダンテの愛刀・・・・・大剣『リベリオン』だ。

 

「一応、これだけは返してあげる。残りは後日キッチリと頂くから覚えておいてね? 」

 

忌々しそうに舌打ちする男をからかう様に見つめると、真向いのソファーに座る金髪の少女とその傍に居る隻腕の少年に視線を移す。

 

「アレが噂の相棒? 物凄い美人じゃない。 」

 

赤と青のオッドアイが、エプロン姿の片目、片腕の少年を見つめる。

左眼に真っ白い包帯が巻かれた少年は、レディが感心する程、美しかった。

中性的な美貌に、女性の様にスラリとした無駄な筋肉が一切ない華奢な体躯。

この少年が、日本の超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術士とは誰も想像出来はしまい。

 

「初めまして、私は同業者のレディという者よ。 貴方がミスター・ライドウ? 噂は色々と聞いてるわ。 」

 

黒檀のデスクに踏ん反り返る男から離れたレディは、ソファーの前に立つ隻腕の少年に近づいた。

鋭い視線が少年の容姿を観察する。

付け根から欠損した左腕、唯一残された右腕は、良く見ると細かい傷があちらこちらに残っている。

自分等よりも更に過酷な戦場を歩んできたことが伺い知れた。

 

「初めまして・・・・意外と俺って有名人なんだねぇ・・・・て、言ってもどうせ悪い意味で有名なんだろうけど。 」

 

ニッコリと人好きしそうな笑顔を女荒事師に向ける。

その姿は、とても三体もの最上級悪魔(グレーターデーモン)を従える怪物とは思えない。

街に行けば何処でも普通に歩いているティーンエイジャーと同じだ。

 

「おっと、今からすぐお茶を用意するよ。 」

 

パティがいるソファーの隣へ座る様に促すが、レディーは首を振って丁重に断った。

 

「用件だけ伝えたらすぐに退散するから、構わなくって結構よ。 」

「用件? 」

「そ、大事な仕事の話よ。 」

 

意味深なその言葉に、ライドウは敏感に反応した。

鋭い視線を女荒事師に向け、呆れた様子で溜息を吐く。

 

「悪魔絡みの仕事ならご遠慮する。 うちは真っ当な案件しか引き受けないんだ。 」

「ライドウ、てめぇ勝手な事を・・・! 」

 

この店の責任者は自分だ。

ライドウの勝手極まる言い分に、ダンテが声を荒げ様としたが、悪魔使いの鋭い隻眼に睨まれ、喉元まで出かかった言葉を思わず呑み込んでしまう。

 

「この際だからハッキリと言っておく、 お前が今迄、悪魔退治としてやって来た事は全て違法だ。 狩猟者(デビルハント)の資格を持たない奴が、悪魔を狩る行為はご法度なんだよ。 CSI(超常現象管轄局)に知れたら問答無用で投獄される。 自分の経歴に泥を塗りたく無かったら、大人しく人間としての生活をしていろ。 」

 

ライドウの言う通り、悪魔が引き起こす事象は全て各国の政府が管理する事になっている。

厳重な緘口令が敷かれており、一般の人間に知られる事は決してない。

もし、架空の生物だと思われている悪魔が実在すると知られれば、世界は大パニックとなってしまう。

下手をすると中世で行われた魔女狩りが再び始まるかもしれないのだ。

そんな最悪な事態を避ける為の防御措置ともいえた。

 

「狩猟者(デビルハント)? そりゃ、一体何なんだよ? 」

 

ダンテが、デスクの端に座っている小さな妖精・・・・マベルに向かって言った。

 

「フリーの悪魔退治屋の事よ。 魔導士職(マーギアー)か剣士職(ナイト)の役職を二つ持つ者だけが、得られる資格なの。 各国の政府は、そういった連中を何人も雇っているのよ。 」

 

要は、対悪魔の用心棒と言ったところだ。

悪魔の起こす災害度に合わせてランクが分けられる。

ランクはSからDまであり、それに見合った実力を持つ狩人が選別されるのだ。

勿論、災害度が重大な程、獲得できる報酬も高額になる。

 

 

「そう怖い顔しないでよ? 言っとくけど私はちゃんとした狩猟者(デビルハント)の免許を取得してるからね? 」

 

傍若無人で有名なダンテを黙らせるライドウの眼光に、レディーは降参と言った様子で大袈裟に肩を竦める。

そして、ウェストポーチから二つ折りのパスケースを取り出した。

女荒事師から渡された革のパスケースを開いてみると、確かに政府からの狩猟資格証が入っている。

彼女が取得しているのは、銃剣使い(バヨネット)と魔術医(ドクター)の二つだった。

 

「確かに本物だな。 」

「これで分かってくれたかしら? 私は、政府からの依頼で悪魔討伐を引き受けているって。 」

 

悪魔使いからパスケースを返して貰い、再び腰のウェストポーチに仕舞う。

 

「だが、魔導のまの字も知らない素人を巻き込むのは感心しないな? 」

「あら? 私達、狩猟者がどんな協力者を選ぶかは自由よ? そこら辺はグレーゾーンなの。 政府も黙認しているから、罪に問われる事はない。 」

 

彼女の言う通り、悪魔討伐の依頼をした狩猟者がどんな方法で狩りを行うかは不問とされている。

酷い奴になると、態と事情を知らぬ一般市民を悪魔をおびき出す餌として使用する事もあるのだ。

餌に使われた一般市民が死んでも、要因となっている悪魔が無事退治されれば、何ら問題は無いのである。

 

 

「彼が殺しても簡単に死なない事ぐらい貴方も知ってるでしょ? 」

「知ってる・・・・俺が言いたいのは、無資格の人間を巻き込むなと言っているんだ。 」

「そう・・・なら、貴方がこの依頼に協力してくれるのかしら? かの有名な17代目・葛葉ライドウが手伝ってくれるというなら、私も大分、心強いんだけどね? 」

「・・・・。 」

 

傍若無人な女の言葉に、ライドウは思わず押し黙ってしまう。

 

そんな二人のやり取りを不安そうに眺めるパティ。

幼い少女の心の中では、女荒事師は完全な悪者で、自分が大好きな悪魔使いを虐めている様に映っているのだろう。

 

「・・・・・分かった。 依頼の内容を教えてくれ。 」

 

金髪の少女を安心させる様に一度、微笑むと、ライドウはレディーに言った。

 

 

ニューヨークの市街地から大分離れた山岳地帯のハイウェイ。

古びた酒場の駐車場で、大勢のバイカー達がラジカセを大音量で響かせながら、花火や爆竹等をして、馬鹿な大騒ぎを楽しんでいる。

 

 

「何よ?これぇ・・・・これの何処が質の悪い悪魔なのぉ? 」

 

マベルが呆れた様子で、駐車場内を走り回っているバイクを眺めている。

確かに、酒場の店主や国土交通省にとっては、彼等は悪質な悪魔と同じなのかもしれない。

 

「まさかコイツ等を追い払えっとでも言うつもりじゃねぇよなぁ? 」

「否・・・その前に何でお前までついて来たんだよ。 」

 

蟀谷に血管を浮かせたライドウが、背後でバイカー達を眺める銀髪の大男を睨みつける。

事務所で大人しく待っていろという言葉が通じなかったらしい。

 

 

レディーが持って来た依頼内容は、この山岳地帯の陸橋で、時々現れる悪魔を討伐して欲しいというモノであった。

7年前から、この地帯を住処にしており、既に何十人ものバイカー達が餌食にされている。

 

 

「別に良いだろ? 俺の勝手だ。 」

「はぁ? お前、俺の言った事ちゃんと理解してますかぁ? 狩猟資格がない奴が悪魔と拘わるとお縄になっちゃうんですよぉ? 」

 

顔を真っ赤にして怒りを露わにするライドウ。

しかし、いかせん身長が低すぎる為、睨みつけても全然効果がない。

小山の様に高い男の体躯が憎らしくて仕方がない。

 

「まぁまぁ、下らない三文芝居はそれぐらいにして、さっさと仕事を始めるわよ。 」

 

ギャンギャン吠える悪魔使いを適当にあしらう銀髪の青年を他所に、レディーは、適当に近くに居た二人組のバイカーに声を掛けた。

 

 

 

この付近の走り屋・・・・『デビルズ・ネスト』のリーダーであるヴィンセントは苛々していた。

理由は、唯一つ、自分の兄―ミッシェルを殺した謎のライダー『レッドアイ』を中々見つけられないからだ。

 

「もう、いい加減諦めたらどうだ? 」

 

チームメンバーの一人である丸眼鏡の男が言った。

此処数日、人喰いライダーが夜な夜な現れるという陸橋を朝方まで走り回っているが、一向に噂の怪物は現れない。

それどころか、ここら辺一帯の警察の取り締まりが更に厳しくなり、下手をすると問答無用で檻に閉じ込められてしまう。

 

「馬鹿野郎! 兄貴を殺した奴がこの近くにいるんだぞ! 仇を討つまで止められる訳がねぇだろ! 」

 

ヴィンセントが思わず苦言を呈した仲間の胸倉を掴んだその時であった。

少し離れた場所から、誰かがチームメンバーの連中と言い争いをしている声が聞こえた。

どうやら、仲間と諍いを起こしている相手は女で、微かに聞こえる話の内容だと、ここら辺一帯を仕切っているバイカーのリーダーを探しているらしい。

最初は、警察か何かか?と疑ったが、女の恰好を見て、すぐに違う事が判った。

 

「俺が此処のチームの責任者だ。 」

 

ヴィンセントが仲間と黒髪の女の仲裁に入る。

女―レディーは、皮肉な笑みを口元に浮かべると赤毛のリーダーへと近づいた。

 

「アンタ達、悪いんだけど此処からすぐに立ち去ってくれない? 」

 

女の余りな言い草に、赤毛のリーダーの眉根が不快に歪む。

 

「俺達が何処で何をしようが勝手じゃねぇか! 」

 

そう喰って掛かったのは、ヴィンセントではなく、彼の傍らにいた仲間の一人だ。

自分達が気持ち良く走りを楽しんでいるのに、急に現れた何処の馬の骨とも知れない奴にいきなり出て行けと言われたのだから、いきり立つのも当たり前だ。

 

「なーにやってんだよ? そんな奴等に何を言っても無駄だ。 自分達さえ良ければそれでいいって連中だからな。 」

 

レディーから少し離れた位置に立っている銀髪の男―ダンテが、呆れた様子で溜息を吐いた。

そのすぐ隣では、何故か不機嫌な片目、片腕の少年が仁王立ちで立っている。

 

「何だと?てめぇ! 」

 

言いたい放題言い捲る身の程知らずな青年に突っかかる仲間をヴィンセントは押し留めた。

 

「アンタ等の迷惑は良く判っている。 でも、今は好きにさせてくれないか? 」

 

自分達がどれだけ近隣住民に迷惑を掛けているかなど、十分承知している。

本音を言えば、連日、こんな馬鹿騒ぎをする為に集まっている訳ではないのだ。

 

「俺はどうしても仇を討たなきゃならない・・・・三週間前に死んだ兄貴の仇をな。 」

 

ヴィンセントが言うには、この先にある陸橋に伝説の走り屋がいるのだという。

ソイツは、陸橋を通りライダーに走りの勝負を挑んでは、悉く事故を起こさせ、餌食にしているのだそうだ。

 

「俺の兄貴も、ソイツと走りの勝負をして殺された。 俺にとって兄貴は憧れの存在だったんだ。 だから・・・・。」

「君が敵討ちをしたところで、君の兄さんは喜ばない。 」

 

そんなヴィンセントの言葉を遮ったのは、銀髪の大男の傍らにいる隻眼の少年であった。

何処か哀し気な表情をして、赤毛のリーダーを見つめている。

 

「縦しんば、そのレッドアイって奴に巡り会えたとしても、君では奴には勝てない。逆に死んだ兄さんと同じ目に会うだけだ。 」

「・・・・っ! そんなのやってみなきゃ分かんねぇだろうが! 」

 

全てを見透かす黒曜石の瞳に一瞬だけ気後れする。

しかし、持ち前の胆力で、何とか怯みそうになる自分を鼓舞した。

 

「もし、君が自分と同じ様に事故を起こして死んだら、君の兄さんはどう思う? 残された家族は? 君が・・・否、 此処に居る全員がやろうとしている事は、自分達に優しくしてくれた大事な肉親達を傷つけるだけの行為だと何故、分からない? 」

 

ライドウの言葉に、その場に居た全員が押し黙る。

確かに少年の言う通りであった。

走りの快楽を一時味わえたとしても、自分達がやっている事は、周りに対する迷惑行為でしかならない。

事故を起こし、自分かそれとも相手に怪我を負わせ、死に至らしめれば、残された家族がどう思うかは、明白である。

 

「有難いご高説痛み入るがな・・・コイツ等にどんな優しい言葉を投げかけても絶対返って来る事はないぜ? 」

 

そんな場の雰囲気をぶち壊したのが、少年の隣にいる銀髪の大男であった。

生まれた時から、天涯孤独で厭世的な生き方をしてきたダンテにとってライドウの言葉は何処にも響く所がない。

たった一人の家族である双子の兄、バージルも魔帝・ムンドゥスに散々利用され、挙句、殺された。

 

「俺は別にお前に言ってるんじゃない。 この子達の良心に訴えているんだ。 」

 

ダンテの心情を知ってか知らずか、ライドウは呆れた様子で溜息を吐いた。

彼等は、確かに社会に適合出来ない退廃的な人間なのかもしれない。

だが、そんな人間にも生み育ててくれた愛すべき家族がいる。

大事な家族が、自分の行いで哀しむ姿は、誰だって見たくはない筈だ。

 

「まぁ、話の決着がつかないなら、別の勝負でつけるってのはどう? 」

 

中々話が進まず、膠着状態なその場の雰囲気をどうにかしようと、それまで黙って事の成り行きを伺っていたレディーが言った。

 

「あの二人のどちらかと走りで勝負をする。 負けた場合は、大人しくこの場を去るっていうのはどうかしら? 」

「おい、勝手な事を言ってんじゃねぇぞ?」

 

此方の了解を得ず話を進めるレディーに、ダンテが不愉快そうに眉根を寄せた。

 

「良いじゃない、貴方が勝負に勝てば仕事は終わり、 ギャラは全額貴方のモノよ。 」

 

後ろで悪態を吐くダンテをからかうな眼差しで振り向く。

そんな女荒事師に、銀髪の大男は思わず舌打ちした。

 

「おい、俺は別に走りの勝負をするとは・・・・・! 」

 

手前勝手なレディーの話に、今度はヴィンセントが文句を言った。

自分が勝負を挑むのは、あくまで伝説のライダー、レッドアイだけ。

こんな訳も分からない連中と走りの勝負をする気など更々ない。

 

「分かっているわ。 貴方の目的は兄さんの復讐でしょ? でも、このまま陸橋を走り回ったところで兄さんの仇は現れないわ。 」

 

レディーは、皮の手袋をはめた人差し指をヴィンセントの唇に当てた。

言葉を呑み込み、女荒事師のオッドアイを見つめる赤毛のリーダー。

そんな走り屋にレディーは、悪戯っぽく片目を閉じる。

 

「もしかしたら、 彼と勝負をしたらレッドアイは姿を現すかもね。 」

「アンタ一体・・・・・? 」

 

この女が何を考えているのか皆目見当がつかない。

しかし、大事な家族を殺した仇に回り逢う為には、この女荒事師の言葉を信じるより他に方法が無い様に思えた。

 

 

激しいエギゾーストノートの音が、山林の車道に木霊する。

愛車のZX-RRに跨る『デビルズネスト』のリーダー、ヴィンセント。

その横には、バイカー達の一人から借りたZX-10Rに乗る深紅のロングコートを纏う銀髪の大男、ダンテ。

 

 

「うぉおおおおおい! 何で俺が縛られなきゃなんねぇんだよぉ! 」

 

二人から少し離れた所にいるレディーの傍らには、何故か荒縄で罪人宜しく締め上げられたライドウが胡坐をかいて吠えていた。

 

「貴方のその身体じゃ、走りの勝負なんて出来ないでしょ? 」

 

呆れた様子で、レディーが自分の足元で縛り付けられている悪魔使いを見下ろす。

彼女が言う通り、ライドウは片目の上に片腕だ。

勝負云々の前の問題である。

そうなると、必然的にレースに出るのは、ダンテ只一人という事になる。

 

「そうそう、年寄りは余り無理をしない方が良いぜ? 爺さん。 」

 

メットを渡そうとするレディーをやんわりと断り、代わりに背負っていた大剣『リベリオン』が入った革のギターケースを渡す。

これはあくまで走りの勝負。

それには、武器は必要ない。

 

「誰が爺だ! 俺はまだそんな歳じゃねぇぞぉ!糞餓鬼! 」

 

ダンテの軽口に簡単に乗せられたライドウが、眉間に青筋を立てて怒鳴り捲る。

そんな悪魔使いに、心底呆れた様子でレディーが溜息を吐いた。

 

「ちょっと、貴方仮にも『クズノハ』最強の召喚術士なんでしょ? あんな程度の挑発に一々反応しないでくれる? 」

 

超国家機関『クズノハ』といえば、裏社会でもヴァチカンに次ぐ組織として有名だ。

上層部は、全員が人外の化け物。

その中でも、とりわけ17代目・葛葉ライドウは、規格外の怪物として知れ渡っている。

それが、こんな安い挑発にホイホイ乗るとは・・・・正直呆れて言葉も出ない。

 

「じゃぁ何で俺を縛るんだよ? 理由を教えてくれ? あんだーすたん? 」

 

えぐえぐと今度は涙目でレディーを見上げる悪魔使いに、女荒事師は大袈裟に肩を竦める。

 

「貴方が走りの勝負を邪魔するからでしょ? 折角盛り上がっているのに水を差す様な真似はしないでくれる? 」

 

バイクで違法なレースなんて危険すぎる、此処は、男らしくじゃんけんで勝負を決めようと、阿保らしいライドウの提案に、その場に居た全員が氷点下まで白けそうになった。

その為、止む無く・・・・本当に仕方なく、ライドウには縛り付けて完全な部外者になって貰う事で、話に決着がついたのである。

 

「レディー、何時までもそんな爺さんに構っている暇はねぇだろ? いい加減、こんな茶番は終わらせたいんだ。 さっさと合図を出してくれ。 」

「了解。 」

 

『爺って言うなぁ!』と再び怒りのボルテージを上げる中身40代半ばのオッサンを完全に無視し、赤と青のオッドアイの美女は片手を上げた。

 

彼女が手を降ろすと同時に走り出す2台の大型バイク。

目指すは、ゴールである陸橋の出口。

 

 

「ねぇ? 貴方はもう、レッドアイが何処にいるか分かっているんでしょ? 」

 

走り去る2台のバイクを見送りながら、レディーが足元で歯ぎしりする少年を見下ろした。

ライドウ程の魔導士ならば、姿を隠した悪魔の位置を探るなど造作も無いだろう。

 

「何言ってるのよ? そのレッド何たらって悪魔は、此処の走り屋のリーダーが乗ってたバイクの中に居たわよ? 」

「何ですって? 」

 

すっかり不貞腐れて唇を尖らせる悪魔使いの代わりに、主人の頭に座った妖精が応えた。

マベルの説明によると、レッドアイという悪魔は、バイカー達が此処で屯(たむろ)し始めた当初から、ヴィンセントに目を付け、彼の愛車に潜り込んでいた。

そして、至極僅かな瘴気を周りの連中に吸わせて、徐々に正常な判断力を奪っていった。

バイカー達が、周囲に迷惑行為を行う様になったのはその為だ。

 

「俺が少し、殺気を当てただけで委縮しやがった。 相当慎重なタイプなのか、それとも只の臆病なのか・・・・。 」

 

先程、ライドウの言葉に一同が押し黙ったのはそれが原因である。

悪魔使いの無言の威圧に、バイクに憑依した悪魔は、一瞬漂わせていた極微量の瘴気を止めた。

そのお陰で、彼等は今迄やって来た馬鹿な行いを省(かえり)みる事が出来たのである。

 

「それで? バイクに憑依したその悪魔は、貴方に恐れを抱いて逃げてくれるのかしら? 」

「さぁな・・・・何もしないで逃げてくれるならそれで良いが、多分、赤毛の坊やは頂いていくだろうな。 」

 

あの悪魔は、相当ヴィンセントに執着していた。

天敵が現れた程度で、上質なマグネタイトを持つ彼をそう簡単に手放すとは思えない。

 

「正体を現すとしたら、陸橋の中盤辺り、そこで必ず獲物を喰らう筈だ。 」

「そう・・・なら、ぐずぐずしている暇は無さそうね? 」

 

レディーは、腰に下げたウェストポーチから、小型のナイフを取り出す。

そして、悪戯っぽく、足元で胡坐をかいている悪魔使いを見下ろした。

 

「見せて貰うわよ? クズノハ最強の悪魔召喚術士(デビルサマナー)の力をね?人修羅さん。 」

「・・・・・・勝手にしろ。 」

 

 

陸橋に差し掛かり、そろそろ橋の半ば辺りへと疾走する二台のバイク。

風圧が情け容赦なく二人の顔を叩くが、決して怯む様子は見せなかった。

二人共、真剣な表情で、橋の出口へとバイクを走らせる。

 

「ちっ! 」

 

内心の苛立ちに、ヴィンセントは思わず舌打ちしていた。

流石にバイカー達のリーダーをしているだけあり、彼のドライビングテクニックは、プロ顔負けの技術を持っている。

しかし、そんな彼の技術ですら、隣を走る銀髪の大男を追い抜く事は出来なかった。

ヴィンセントの隣にピッタリとくっつき、決して引き離れない。

 

「どうした? そんな程度のスピードじゃぁ、兄貴の仇を討つなんて到底無理だぜ? 」

「畜生! 」

 

少しでも気を緩めれば、追い抜かれてしまう。

焦りとダンテに対する怒りが、彼の心に火を点けた。

ニトロが搭載された加速装置のスイッチを親指で押す。

ニトロの爆発的力によって更にスピードが増すZX-RR。

瞬く間にダンテが乗るZX-10Rを追い抜いてしまう。

 

「ハハッ!どうだ!?ざまぁみろぉ!! 」

 

遥か後方へと引き離したダンテを振り返り、勝ち誇るヴィンセント。

刹那、彼の躰に異変が起きた。

視界が急に暗くなり、手足の感覚が完全になくなる。

 

(か、身体が動かねぇ・・・・それに、意識が・・・・・。)

 

猛烈な睡魔がヴィンセントを襲う。

此処でもし眠りに堕ちれば、バイクの操作が不能になり、硬いアスファルトに叩き付けられてしまう。

事故への警笛が脳裏を一瞬過るが、それ以上に全身を覆う倦怠感が勝っていた。

ブラックアウトする思考。

首がガクリと前に堕ちる。

 

 

「あ、アレは一体・・・・?? 」

 

一方、ダンテの視界の中でも前方を走るヴィンセントの異変を見る事が出来た。

彼が跨る車体から、バイクの部品と分かるチェーンやチューブが飛び出す。

それは、まるで意思を持つ生物かの如く、ヴィンセントに巻き付くと、彼をバイクの一部へと取り込んでしまった。

 

「ちぃ!何てこった!! 」

 

そこで初めて、自分達の獲物であるレッドアイが、ヴィンセントの愛車の中に初めから潜り込んでいた事を知る。

懐のガンホルスターから双子の片割れである巨銃―”アイボリー”を引き抜く。

何発か引き金を引くが、発射された鋼の牙が、モンスターバイクを貫く事は敵わなかった。

 

「・・・・っ! 」

 

銃ではあの悪魔を止める事は出来ない。

持って来た魔具『リベリオン』は、同業者であるレディーに預けてしまった。

唯一、アレに対抗出来るのはライドウしかいないが、その頼みの綱である悪魔使いは、煩いと言って縛り付けてスタート地点に置いて来てしまっている。

どうする?と、内心焦りを感じる魔狩人の耳に、此方に近づいてきているバイクの排気音が聞こえた。

見上げると、一段高い高速道路の上を深紅のカラーリングが施されたバイクが走っている。

華奢な肢体をしているそのライダーは、女荒事師のレディーだ。

 

彼女は、ダンテと視線を合わせるとある一点を指差す。

何事かと彼女が指し示す方向に視線を向けるダンテ。

するとそこには、真紅の魔槍『ゲイボルグ』を握る白銀の魔狼が、陸橋の上に立っていた。

 

「ライドウの野郎か!? 」

 

どうやら自分は、見事に釣り餌として利用されたらしい。

 

そんな魔狩人を他所に、白銀の魔狼は、自分へと迫りくるモンスターバイクに魔槍の切っ先を向けると膝を落とし、狙いを定める。

眩い閃光となって疾走する魔槍士。

禍々しい怪物と美しい鎧を纏った白銀の騎士が交錯する。

 

「ぐぎゃぁあああああああ!! 」

 

鋭い一閃。

寸分違わぬ正確さで心臓を破壊されたレッドアイが断末魔の悲鳴を上げる。

実体化が保てず、バラバラに解体される異形のバイク。

その中に、赤毛のリーダーが混じっていた。

奇跡的に悪魔に吸収されるのを免れたのだ。

気を失ったヴィンセントは、無防備な状態で宙へと投げ出される。

それを受け止める白銀の魔狼。

華麗に着地すると、赤毛のリーダーをアスファルトへと降ろす。

 

「うっ・・・・あ、アンタは一体・・・・・? 」

 

少々、手荒く降ろされた衝撃で、ヴィンセントは意識を取り戻した。

驚嘆の表情で、自分を見下ろす左眼に蒼き炎を宿した白銀の騎士を見上げる。

すると、騎士の躰が眩く光り、魔鎧化を解いた隻眼の美少年が現れた。

 

「お見事、流石、”クズノハ”最強の悪魔召喚術士ね。 」

 

ライドウとその足元で未だに尻餅をついているヴィンセントのすぐ傍に、ライダースーツを纏ったレディーがバイクを止めた。

 

バイク型の悪魔、レッドアイの弱点である心臓の位置をあっさりと見抜き、一撃の下で倒したのだ。

並みの狩人では到底真似できない芸当である。

 

「おい、よくも俺をダシに使ってくれたな? 何が狩猟資格の無い奴を巻き込むな、だよ。 」

 

憤懣やるかたないといった様子で、ダンテが三人の所へとバイクを停車させる。

ライドウの事だ、最初から悪魔がヴィンセントの愛車に憑依していた事を知っていたに違いない。

 

「・・・・・違う、これは悪魔じゃない。 」

 

しかし、そんなダンテを無視すると、ライドウは下の河川敷へと降りる為の階段へと向かってしまう。

訝し気な表情になる一同。

仕方なしに、悪魔使いの後について行く。

 

 

河川敷へと降りた悪魔使いは、暫く近くの藪を探っていた。

そして、一体の兎の人形を拾い上げる。

何かのアニメのキャラクターらしいそのヌイグルミは、泥と埃で大分汚れていた。

 

「・・・・っ!その人形は!!? 」

 

ライドウが手に持っている人形を見て、激しく動揺する赤毛の青年。

忌まわしい過去が、否が応でも蘇る。

 

「やっぱり、この人形に見覚えがあったのか・・・・・。 」

 

青年の反応を見ても、ライドウは別段怪しむ様子は無かった。

それどころか、ヴィンセントが動揺する事も、この人形が一体何なのかも、全て把握しているらしい。

 

「一体どういう事なんだ? いい加減、俺達にも理解出来る様に説明しろ。 」

 

痺れを切らしたダンテが、苛々とした様子で言った。

レディーとライドウに、良いように使われ、挙句、一番美味しい所を持っていかれたのだ。

普段クールな自分が、不機嫌を露わにするのも当然だ。

 

 

 

「この依頼を受ける前に、この場所で起こった事件や事故を一通り調べたんだ。 そしたら、レッドアイと呼ばれる伝説の走り屋が現れる前に、5人家族が乗った乗用車が質の悪いバイカー連中に絡まれ、事故を起こして死亡していた事が判った。 」

 

今から7年前、夏休みを利用してキャンプ場へと行った帰りに、一家は信号待ちをしていたバイカー集団に絡まれ、陸橋で散々煽られた挙句、追突事故を起こして、転落。

河川敷へと落ち、奇跡的に一人助かったものの、残りの家族は全て溺死してしまった。

その事件に、ヴィンセント兄弟も関係していたのである。

 

「あ、あの時はどうして良いのか判らなかった。 俺も餓鬼だったし、兄貴もかなりテンパってた・・・・気が付いたら、一家の乗っていた車はガードレールに追突して河に落ちてしまったんだ。 」

 

当時、車の免許を取得したばかりの兄は、練習がてら弟のヴィンセントを乗せて、父親の車でちょっとしたドライブに出た。

その帰り、道中で、二人は泥酔したバイカー達に煽られる乗用車を見つけたのだという。

兄は高校を卒業したばかり、ヴィンセントに至ってはまだ14歳になったばかりの中学生だ。

当然、そんなショッキングな場面に遭遇するなど数える程も無い。

どうして良いのか分からず迷っていた二人の目の前で、乗用車は運転を誤り、陸橋のガードレールを突き破って、下の河川敷へと落ちてしまった。

 

すぐに正気に戻った兄は、急いで車を止めて、弟に警察に連絡するよう命令すると、自分は落ちた家族を助ける為に、河へと飛び込んだ。

しかし、全ては遅すぎたのである。

 

 

「潜ったんだ・・・・肺が破れるぐらい、何度も何度も潜ったんだ・・・・・。」

 

救急車と数台の警察の車が放つ赤色灯の中、タオルを頭から被った兄が震えながら弟にそう言った。

一方、弟は、虚ろな視線で担架に乗せられ、運ばれていく10歳未満の少女を眺めている。

 

「ひ、一人しか助けられなかった・・・・後は車の中だった・・・・一生懸命助けようとしたんだ・・・・でも、でも駄目だった。 」

 

湖の底へと沈む乗用車。

その窓から引っ張り出せたのは、身体の小さな女の子であった。

絶望に歪む家族の顔が、焼き付いて離れてくれない。

 

 

「唯一助かった女の子が握っていたのがその人形だったんだ。 俺は嫌な事件だと思って忘れようとしたけど・・・・兄貴は・・・・。 」

 

覚えていた。

恐らく、彼の兄にとっては、生涯忘れる事が出来ない事件だったのだろう。

 

「追儺の鬼だな・・・・。 」

「ついなのおに? 」

 

ライドウの呟きにダンテがオウム返しで応える。

 

「古来から日本では、豆を撒いて厄災を祓う行事があるんだ。 でも、大昔は豆じゃなく石の礫を偽装鬼に投げつけていたんだよ。 」

 

遥か平安時代。

裕福な貴族達は、力の弱い貧民層から偽装鬼を一人選び、己の憂さを晴らす為に硬い石の礫を投げつけていたのだという。

石を投げつけられ、怪我を負わされた偽装鬼は、怒りと憎しみから本物の鬼となり、度々、京の街に現れては、人々を喰い殺していった。

 

「酷い話ね・・・。」

「ああ、全く救い様がない話だ。 」

 

レディーの言葉にライドウはそう応えると、人形を地面に置き、レッグポーチから聖水の入った小瓶を取り出した。

中身の液体をヌイグルミに降り注ぐと、瞬く間に蒼白い炎を発して燃え上がる。

 

7年前に起こった痛ましい事件。

その唯一生き残った少女は、愛する家族を奪ったバイカー達への憎しみから本物の鬼となった。

彼女は、この近くの峠に集まるバイカー達のバイクに憑依しては、次々と餌食にしていったのである。

どんな手段を使って外法を手に入れたのかは知らないが、式神を倒された以上、術者である少女も生きてはいまい。

 

「これは俺の憶測何だが、君の兄さんは、レッドアイの正体を知っていた。 だから、彼女にこれ以上、過ちを犯させない様に説得しようとしたんだ。 でも、自分の命を救ってくれた恩人の言葉より、バイカー達への憎しみの方が強かった。 」

 

故に殺された。

理性を奪い取る程の激しい憎しみは、人間を簡単に悪魔へと変える。

 

「ううっ・・・・兄貴・・・・・。 」

 

押し殺した声で嗚咽を洩らすヴィンセント。

聖水の炎に焼かれた人形は、やがて塵となり夜空へと舞っていった。

 

 

 

翌日、レッドグレイブ市にある便利屋事務所。

 

 

「これで分かったろ? 悪魔と拘わってもロクな事にならないってのがな。 」

 

事務所の床をモップ掛けしているライドウが、黒檀のデスクにだらしなく両脚を投げ出している銀髪の青年に向かって言った。

 

「悪魔が起こす事件の要因は、必ず人間側にある。 この仕事をしていると嫌って程、人間のどす黒い部分を見せられる。 」

 

バケツの水で一旦汚れたモップを洗うと、絞ってまた汚れた箇所を掃除する。

ライドウが、毎日掃除してくれるお陰で、空き瓶やゴミクズだらけだった事務所内は、見違える程綺麗になっていた。

 

「アンタはどうなんだ? 」

 

だらしなく両脚を投げ出した事務所の主が、隻眼、隻腕の少年を見つめる。

自分等より、遥かに長い人生経験を持つ悪魔使い。

この男は、一体どんな想いを抱いて悪魔召喚士の仕事をしているのだろうか?

 

「・・・・・何も感じないよ。 20年以上もこんな事続けているんだ。 心が麻痺して痛みも苦しみも感じなくなったよ。 」

 

モップを再びバケツに漬けると、ライドウは諦めた様な深い溜息を吐いた。

その時、事務所の扉を開ける鈴の音が聞こえた。

金髪の少女、パティ・ローエルだ。

最近、事務所に入り浸る様になった彼女は、孤児院を抜け出しては、ライドウに会いに来ていた。

 

「ライドウ! 映画の始まる時間になっちゃうよぉ! 」

 

悪魔使いの腰に抱き着いた少女が、つぶらな蒼い瞳で見上げる。

事務所の壁に掛かっている時計を見ると、既に約束の時間になりかけていた。

 

「おっと、もうこんな時間か・・・・ごめんな、パティ。 すぐに用意するから。 」

「映画・・・・? 一体何の話だ。 」

 

二人のやり取りに、ダンテが胡乱気に声を掛ける。

 

「この前、ゴロツキ共を追い払ってあげた煙草屋のおばあさんから、お礼に新作アニメ映画のチケットを貰ったのよ。 」

 

ライドウの代わりに、主の肩に座る小さな妖精が応えた。

ダンテは知らないが、ライドウは足の悪い老婆の為に、時々買い出しなどを請け負っているのだ。

又、煙草屋の老婆だけではなく、惣菜屋のジャニスが営む店の雨樋(あまどい)や看板を直してやったり、一人で切り盛りしているピザ屋のアンディーを手伝ったりもしている。

何時の間にか、ライドウはダンテ以上にこの街に『親愛なる隣人』として皆から愛され、馴染んでいた。

 

「そんじゃ、留守番頼むわ。 」

 

ニッカリと太陽の様な笑顔を浮かべて、パティと共に映画館のある街へと向かうライドウ。

彼等が消えた事務所の扉を、ダンテは大分不満そうに眺めていた。

 




追儺の鬼とは、孔雀王の一話目に出てましたねぇ。
アレも救い様が無い話でした。


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チャプター 10★

温い性的表現が少々。
テメンニグル編で登場したヴァチカン13課のエージェントが登場。
コードネーム、ガンスリンガーは、ヴァチカンの科学技術部門の責任者、射場流の弟です。
そのパートナーのフランベンジュこと、ケン・アルフォンス・ラ・フレーシュは結構いってる性格してます。



月の淡い光に照らされる室内。

ギシギシと鳴る簡素なベッド。

低い男の呻き声と何かを堪えるかの様な小さな喘ぎ声。

 

「ライドウ・・・・・。 」

 

細かい汗を浮かべ、自分を見下ろす銀髪の大男。

どんなみっともない姿を、この一回り以上も年齢が違う青年に見せているのか考えたく無くて、隻眼の少年は、硬く瞳を閉じる。

 

ライドウがダンテを受け入れている理由は、魔力を得る為である。

魔帝から受けた傷は相当深く、体内に植え付けられた巫蟲だけでは、全快する事が叶わない。

それ故、仕方なしに始まった行為であった。

 

(畜生!早く終われ!)

 

唇を噛み締め、この不毛なセックスが終わるのを待つ。

この行為に愛など決して生まれる事はない。

魔力供給と、体内に寄生している蟲の腹を満たす為だけの行いだ。

しかし、男の手腕は此方が舌を巻くほど長けており、危うく流されそうになってしまう。

 

「・・・・・っ!止めろ!余計な事すんじゃねぇ! 」

 

いきなり男の手が、立ち上がった自分の性器に無遠慮に触れて来た事に、慌てて手を払い退けようとする。

しかし、いかせん片腕ではどうする事も出来ず、大きな男の手に握り込まれてしまった。

 

「俺だけ気持ち良くなっていたら、申し訳無いだろ? 」

 

ニヤリと口元を皮肉な笑みで歪める。

この悪魔使いが考えている事等全てお見通しだ。

絶対自分を愛さない。

このセックスは、義務であり、そこに決して愛など無い。

 

一番敏感な部分を親指で擦られ、身体を仰け反らせる悪魔使いの喉元に顔を埋める。

 

最初の夜に無理矢理犯してから、ライドウは此方がビックリするぐらい従順に身体を許した。

仕掛けるのは、何時もダンテの方。

悪魔使いは、仕方なく好きにさせている様に思えた。

 

 

行為が終わった後、片目、片腕の少年は、気を失うかの様に眠りに落ちた。

後に残るのは、何とも言えない虚しい気持ちだけ。

幾ら身体を繋げても、ライドウは決してダンテに心を開く事は無かった。

 

「こんなにすぐ近くにいるのにな・・・。 」

 

汗に濡れた前髪をかき上げてやる。

華奢な体躯に散らばる無数の傷。

特に脇腹辺りが酷かった。

抉られたかの様な傷跡が、生々しく白い肌に残っている。

 

(本当なら優しくしてやりてぇんだ・・・でも、アンタはそれを望まないだろ? )

 

ライドウが、未だに前のパートナーである黒髪の魔槍士を想っているのは痛い程判っている。

どれ程の長い時を一緒に過ごしたか等、知る由もない。

しかし、二人の深い信頼関係がある故、ダンテは決して黒髪の魔槍士の代わりにはなれないのだ。

 

 

 

その日、レッドグレイブ市にあるダンテの便利屋事務所に、古くから馴染みにしている情報屋、J・D・モリソンが訪れた。

理由は、勿論仕事の話である。

 

 

「おや? お前の大事な相棒はいないのか? 」

 

事務所内に、片手、片目の美少年の姿が見えない事に、モリソンは少し残念そうであった。

彼が来客者に振舞う焼き菓子は、どれも絶品で、初老の仲介屋も彼の作るお菓子を目当てにしているところがある。

 

「ライドウなら、野暮用があると言って商店街に行ってる。 まだ怪我も治りきっていないのに、呑気なもんだぜ。 」

 

ダンテの言う通り、魔帝によって負わされた傷は、どれも未だに完治していない。

しかも、体力も大分落ちている事が素人目でも良く判る。

本当ならば、事務所で大人しくしていて欲しいのだが、目を離すとすぐ何処かへと消えてしまうのだ。

 

「仕方ない。 上手い手作り菓子を期待してたんだが、今日は諦め様。 」

 

モリソンは、大袈裟に肩を竦めると、来客用のソファーに腰を降ろした。

 

「んで? 何しに来たんだよ? 」

 

どうせ、つまらない仕事内容である事は判り切っている。

ライドウは、無資格者であるダンテが、悪魔と拘わる仕事を請け負う事を良く思っていない。

CSI(超常現象管轄局)や、街を仕切っている秘密結社(イルミナティ)に目を付けられる事を恐れているからだ。

 

「キャピュレット・シティーて街を知っているか? そこの市長の娘が、最近質の悪い男に付き纏われているらしい。 娘も大分、迷惑しているみたいだから、なるべく穏便に追い払って欲しいそうだ。 」

 

予想通りのありきたりな依頼内容。

此処、最近、悪魔の出現率がガクリと落ちている為か、ソレ絡みの仕事は殆ど起きる事が無い。

まぁ、起きたとしても、ライドウが目を光らせている以上、悪魔絡みの仕事は持って来れないのだが。

 

モリソンが、依頼内容が記されている書類を黒檀のデスクの上に置く。

デスクの上に置いていた両脚を降ろし、書類が入っているA4サイズの茶封筒を手に取る。

中身は、依頼主であるヘイゲル家の家庭事情と、娘―アンジェリナに関する情報。

そして、彼女に付き纏っているストーカー、ブラッドという名前の20代半ばと思われる青年の写真であった。

 

 

 

 

キャピレット市、セントラルパーク。

中央広場から少し離れた人気が余りない森林公園内。

その場所に、隻腕の小柄な少年・・・・超国家機関『クズノハ』最強の召喚術士と謳われる17代目・葛葉ライドウが足を踏み入れていた。

彼は、周囲の気配を慎重に探りながら、一際、大きなブナの木の前で立ち止まった。

 

ブナの木の根元には、通常の人間では視認不可能な小さな淀みが溜っていた。

ライドウは、腰に下げてあるナイフケースから、銀色に光るアセイミナイフを取り出すと、口内で小さく何事かを呟く。

そして、何の躊躇いも無く、深々とナイフの切っ先をその淀みへと突き刺した。

淀みは真っ黒いガス状の瘴気を噴き出すと、跡形も無く消えていく。

そこだけ重かった空気が、心無しか軽くなった様に感じられた。

 

「ふぅ・・・・・。 」

 

額に溜まった細かい汗を、洋服の袖で乱暴に拭う。

彼が今している事は、現世と幽世(かくりょ)の歪みを修正しているのであった。

このまま歪みを放置していると、周りの瘴気を取り込み巨大化、最後は、魔界へと続くヘルズゲートにまで成長してしまう。

そうならない為に、ライドウは、レッドグレイブ市又は、隣の都市部まで足を運び、こうして淀みを浄化する措置を行っているのである。

 

「無理しちゃ駄目だよ? まだ、完全に治った訳じゃないんだからね? 」

 

主人の肩に座った小さな妖精が、心配そうに主の顔を覗き込む。

マベルの言う通り、今のライドウは、とても本調子とは言えない状態であった。

魔力特化型の彼にとって、常に魔力を循環出来る番の存在は、必要不可欠だといえる。

しかし、今はその番を失い、枯渇状態。

体内に寄生している腹中蟲が、その代役を担っているが、所詮、呪術によって生み出された式神の力。

得られる魔力などたかが知れていた。

 

「大丈夫、後数か所、怪しい場所を回ったら、素直に帰るよ。 」

 

アセイミナイフを腰のケースに戻し、ライドウは何時もの笑顔を浮かべた。

しかし、彼が相当無理をしているのは、誰の眼から見ても明らかだ。

 

その時、不穏な気配を二人は感じた。

 

 

 

市内を一望出来る展望台の一区画。

そこに二人の男女がいた。

 

 

 

「ブラッド! お願い私と一緒に逃げて! 」

 

此処、キャピュレット・シティーの市長、マイク・ヘイゲルの一人娘、アンジェリナ・ヘイゲルは、眼鏡を掛けた長身の優男に抱き着いた。

 

「落ち着いて、一体どうしたんだい? 」

 

極度の興奮状態にあるアンジェリナを優しく宥める眼鏡の優男―ブラッド。

腕の中の恋人は、両目に涙を溜めて、自分よりも頭一つ分以上高い優男を見上げる。

 

「お父様が、誰かを雇ったみたいなの・・・・貴方を殺せって・・・・。 」

「殺す・・・・? 僕を・・・・・? 」

 

ブラッドから身体を離したアンジェリカがポツリポツリと、事の経緯を話し始める。

 

前々から自分達の関係を知っていた彼女の父、市長のマイクは、ブラッドを危険視していた。

興信所を使って彼の身辺を探らせたのだ。

その結果、ブラッドが最近、キャピュレット市で頻繁に起きている通り魔事件と深い拘わりがある事が分かった。

 

「お父様は、貴方が通り魔事件の犯人じゃないかって疑ってるわ。 警察の知り合いにも話はしているみたいなんだけど、状況証拠だけじゃ動けないって・・・だから荒事専門の人間を雇って、貴方に酷い事を・・・・。 」

「アンジェリカ・・・・・。 」

 

マイク・ヘイゲルにとって、アンジェリカは大事な一人娘だ。

妻に先立たれ、男手一つで彼女を育てたのである。

それ故、彼女に対する愛情は誰よりも深く、不審な輩が娘に近づくのを最も嫌う。

ヘイゲル市長がこんな強硬手段に出るのは、矢無負えないと言えた。

 

 

ブラッドが震えるアンジェリカの肩に触れようとしたその時であった。

二人がいる展望台の木陰から、人影が現れる。

まるで軍服の様な漆黒のキャソックに、同じく黒の皮手袋。

緑色の色眼鏡を掛け、長い黒髪を後ろで束ねている。

 

鍛え上げられた逞しい体躯を持つその男は、一つ大きな欠伸をすると、如何にも面倒臭そうに、ブラッドとアンジェリカを眺めた。

 

「何だよ? 上級悪魔だって聞いたのに、いるのは下級悪魔のゴミばっかじゃねぇか・・・・。期待外れも良いとこだなぁ・・・全く。 」

 

黒髪の男が両肩に下げている深紅のストラを見た瞬間、ブラッドの顔色が変わった。

金の刺繍糸で縫われた二つの雷に槌の紋章。

悪魔を情け容赦無く殺戮する狂気の集団、ヴァチカン第13課・・・・・異端審問官(イスカリオテのユダ)だ。

 

「ブ、ブラッド? 一体どうしたの!? 」

 

尋常ならざぬ想い人の狼狽振りに、アンジェリカは意味が分からず秀麗な眉根を寄せる。

今、自分達の目の前にいる男は、父親が雇った荒事師ではない。

確かに父も自分も敬虔なクリスチャンであるが、こんなならず者みたいな神父の知り合いなどいない。

 

 

「まぁ、・・・・てめぇをとっ掴まえて、ボスの居場所を吐かせりゃ良いんだからな。 言っとくけど、仲間の助けが来るのは期待しない方が良いぜ? なんせ、俺が全部ぶっ殺しちまったからなぁ。 」

 

そんな二人の様子など意に介さず、黒髪の男は、懐からシガーケースを取り出す。

一本、引き抜き、口に咥えると愛用のジッポライターで火を点けた。

 

「た、頼む、僕はどうなっても構わないから彼女だけは助けてくれないか? 」

「あぁ? 」

 

予想外なブラッドの申し出に黒髪の男は胡乱気に応えた。

 

「彼女は、普通の人間なんだ・・・僕の事を何も知らない・・・お願いだ!何でもするから、彼女だけは助けてくれ! 」

 

異端審問官に見つかった以上、逃げる事は恐らく不可能だろう。

男の言葉を信じるならば、仲間の悪魔達は全て殺された。

ならば、せめて愛しいアンジェリカだけでも救いたい。

 

 

「ぷっ、ひゃひゃひゃひゃ! なーんだそりゃ? ゴミクズ悪魔が、人間の女と恋愛ごっこかよ? 」

 

 

しかし、そんなブラッドの懇願を、黒髪の異端審問官は、下品な声で笑い飛ばした。

そして、魔法の様な素早さで、デザートイーグル並みの大型拳銃”ルーチェ”を取り出す。

 

「悪魔と拘わった以上、その女も同罪だ。 仲良く神罰喰らわせてやるから、感謝しろよ? 」

「・・・・・っ! 」

 

狂信者に何を言っても通じる筈がない。

ブラッドは舌打ちすると、己の躰を盾代わりに、アンジェリカの前に出た。

 

「ブラッド!!? 」

「アンジェリカ、僕が奴の気を引き付けている間に君だけでも逃げるんだ! 」

 

こんな行為は気休め程度にしかならない事等、百も承知だ。

異端審問官の男が漂わせる雰囲気は、上級悪魔のソレを遥かに凌いでいる。

下級悪魔でしかない自分では、囮になるどころか一瞬で狩られてしまうだろう。

 

 

そんな緊張感が高まる場の雰囲気を、間抜けなくしゃみがぶち壊した。

3人の視線が、不敬な闖入者へと注がれる。

展望台の入り口に片目、片腕の10代半ばぐらいと思われる日本人の少年が立っていた。

 

 

「うー、やべっ、風邪引いちまったかなぁ? 」

 

小さな妖精を肩に乗せた少年は、洋服の袖で鼻を拭う。

そして、改めて巨銃を突きつける男と二人の男女へ視線を向けた。

 

「お? どこのチンピラかと思ったらマー君じゃねぇの? 暫く見ない間に随分と立派になったなぁ。 」

「じゅ、17代目・葛葉ライドウ・・・・? 」

 

少年の顔を見た瞬間、今度は異端審問官が焦り始めた。

それもその筈、超国家機関『クズノハ』最強と謳われる悪魔召喚術士が、よりによってこんな異国の地にいるなど、誰が想像出来るだろうか?

 

 

「お前ん所の馬鹿兄貴は元気にしてるかぁ? 3年前は随分と世話になっちまったからな。 今度、菓子折り持って挨拶しようと思ってたんだぁ。 」

 

ニコニコと殺伐とした場の雰囲気を完膚なきまで叩き壊してくれる。

マー君・・・・、異端審問官第9席、射場守ことZEROは、忌々しそうに舌打ちした。

 

「何でアンタがこんな所にいるんだ?何て阿保らしい質問する気はねぇ。 今は大事な任務中なんだ・・・・邪魔するとアンタのドタマに風穴開けるぜ?人修羅さんよぉ。 」

 

音速の速さで双子の片割れ”オンブラ”を背のホルスターから引き抜き、狙いをライドウの眉間に定める。

こんな化け物相手にハンドガンが通用するとは到底思えない。

しかし、邪魔をするなら優男の心臓に鉛の弾を容赦なくぶち込むつもりだ。

 

「訳ぐらい聞かせてくれても良いだろ? 任務の内容によってはお前等を手伝ってやっても構わないんだぜ? 」

 

話の流れに全くついて行けず、戸惑う二人の男女に視線を向けながら、ライドウは呆れた様子で溜息を吐いた。

 

「アンタ馬鹿か? 俺等は極秘任務してんだよ。 話せる訳がねぇだろうが。 」

 

異端審問官が担う役目は、どれも国家機密に該当する内容だ。

ライドウも組織の人間であるならば、それぐらい理解していても不思議ではない。

それなのに、態々、機密扱いの任務内容を喋れという。

ZEROの頭に軽い頭痛が襲った。

 

「そっか・・・・・なら、余計にその二人は渡せないな。 」

 

右手首に仕込んだクナイを取り出す。

白い包帯越しに光る蒼い魔眼。

異端審問官の背筋をゾクリと、何とも表現し難い怖気が走る。

 

 

『もう良い・・・・その場は一旦引け、ガンスリンガー。 』

「フランベンジュ。 」

 

不図、ZEROの右耳に付けられているインカムから、無線が入った。

彼のパートナーである異端審問官、第7席、コードネーム『炎の剣(フランベンジュ)』こと、ケン・アルフォンス・ラ・フレーシュだ。

 

仲魔の眼を借りて、事の事態を知った彼は、自分の番に連絡を入れて来たのだ。

 

『”クズノハ”と事を構える気はない。 それに、その男は君の兄上の大事な友人だ。怪我をさせると博士が哀しむ。 』

「ち、糞馬鹿兄貴が・・・・・。 」

 

ZEROは、此処には居ない歳の大分離れた兄のニヤケ面を思い出し、悪態を吐いた。

魔法の様な素早さで、二丁の巨大なハンドガンを背のホルスターへと収めると、悪魔使いが立っている展望台入口へと歩を進める。

 

 

「今は見逃してやるけどな。 次はねぇと思えよ? 」

「おっかないねぇ・・・・兄貴の流とは大違いだ。 」

 

すれ違い様交わされる軽口の応酬。

ZEROは、苛正し気に舌打ちすると、展望台から姿を消した。

 

 

 

アンジェリカの住む高級住宅街。

展望台での一件で、騒ぎを聞きつけた野次馬連中が集まって来た為、三人は急いでその場を後にした。

ブラッドの提案で、アンジェリカを一番安全な彼女の屋敷へと送り届ける。

当初は、帰りたくないと駄々をこねていたが、恋人に優しく諭され、仕方なく彼女は自分が住む屋敷へと戻って行った。

 

 

 

「アンジェリカと知り合ったのはつい数週間前でした。 」

 

繁華街から少し離れたカフェバー。

カウンター席に華奢な体躯をした隻眼の少年と眼鏡の優男が座っている。

 

「家の門限に遅れそうになった彼女は、誤って階段を踏み外して足をくじいてしまったんです。 」

 

階段から落ちたアンジェリカは、捻挫し、痛みで動けなくなってしまった。

そこを偶然、ブラッドが通りかかったのである。

捻挫の痛みで家に帰れず困り果てていた彼女を、得意の治癒魔法で治してやった。

それが縁となり、度々、父親の眼を盗んでは、逢瀬を繰り返していたのであった。

 

「成程ねぇ・・・・恋愛映画によくあるパターンだぜ。 」

 

アンジェリカとブラッドの出会いの経緯を黙って聞いていたライドウは、注文したジンジャーエールを一口飲む。

そういえば、今日は色々あり過ぎて、もう既に夕食の時間を過ぎている。

ダンテの奴は、ちゃんと飯を喰ったのだろうか?

そんな下らない疑問が頭に浮かびそうになり、慌てて打ち消した。

 

「こんな事を貴方に言っても信じてはくれませんが、 僕は本気で彼女を愛しています。 出来る事なら、彼女と一緒に生きて行きたい。 」

「無理だな。 」

 

ブラッドの細(ささ)やかな願いを、ライドウは無下に切り捨てた。

一瞬、凍り付くブラッド。

しかし、直ぐに諦めたかの様な溜息を零す。

 

「分かっています。 僕は、主人の情けによって生かされている存在です。 下級悪魔の僕が、こうして飢えを知らずに生きていられるのは、全て主のお陰・・・・後ろ盾を失えば、僕は・・・・・。 」

 

マグネタイトが枯渇し、実体化すらも出来なくなる。

そうなれば、待っているのは死だけだ。

 

「どっちみち、異端審問官に目を付けられた時点で僕は終わっているんです。 貴方はもう気づいているみたいですね? 僕の契約が破棄された事を・・・。 」

「・・・・・。 」

 

蜥蜴の尻尾切り。

ブラッドを使役している召喚士は、自分の使い魔が次々と殺されている事を既に把握している。

そして、異端審問官のエージェントが、ブラッドの前に現れた事も。

被害が此方に及ぶ前に、ブラッドの口を封じるのは定石である。

 

「もし・・・・もし、貴方に情けがあるのなら僕を・・・・・。 」

「仲魔にするつもりはない。 生憎、俺の持ってるストック数は満杯なんだ。余計なお荷物をしょい込む余裕なんてねぇよ。 」

 

ライドウは、ジンジャーエールのグラスを一気に飲み干すと、カウンター席から立ち上がる。

薄情な事を言っているのは十分理解している。

しかし、いくら主の命令だったからとはいえ、通り魔に見せかけて人を殺し、不当にマグネタイトを回収していた事実は許せない。

 

「お前が素直に魔界に帰るというのなら、俺は喜んで手を貸してやる。 だが、未だに現世に未練を残し、アンジェリカに付き纏う様なら・・・・。」

 

悪魔使いは、自分のメールアドレスと携帯番号が掛かれたメモ用紙をブラッドの目の前に置く。

もし、現世に残り、市長の娘に手を出すなら容赦なく狩る。

そう、無言の威圧を残して店を出た。

 

 

 

仮の自宅であるダンテの事務所に帰る帰路の途中。

仲魔のマベルが、我慢出来ずに主人の悪魔使いに話し掛けて来た。

 

「ねぇ?本当にこれで良かったのかな? あの二人を放っておいて大丈夫なの? 」

 

アンジェリカとブラッドの事が心配で堪らない。

ブラッドとライドウの会話を邪魔しない様に、黙って傍らで聞いていたが、同族が苦しむ姿は見ていて楽しいモノではない。

 

「13課(イスカリオテのユダ)が出て来た以上、俺のやるべき事は何一つとして無い。 奴等の目的が何かはさっぱり分からねぇが、キャピュレット市で起こっている通り魔事件の犯人を追い掛けている事は間違いないだろう。 後は彼等の仕事だ。 」

 

ライドウもまた、彼等と同様、ヴァチカンと事を構える気は毛頭ない。

彼等がこの一件を穏便に解決出来るかは、甚だ疑問ではあるが、自分が所属する組織、『クズノハ』と同じく、人類の護り手である事に変わりはないのだ。

通り魔を無事、討伐出来れば、素直に本国へと還るだろう。

 

すっかり暗くなった路地を歩くライドウの背後から、車のクラクション音が聞こえた。

振り返るとかなり年季の入ったビートル車が、少年の傍らにピタリと寄って来る。

 

 

「いよぉ、ライドウ。 良かったら事務所まで送って行くぜ? 」

 

運転席側の窓ガラスを降ろして話しかけて来たのは、黒人の仲介屋―J・D・モリソンだ。

何気に後部座席の方に視線を移すと、案の定、銀髪の大男・・・ダンテが大分不機嫌そうに頭の後ろに両腕を組んで、シートに座っていた。

 

 

 

 

「一体、何を考えていやがる? 」

「へ? 」

 

隣の席に座る隻眼の少年を、怒りを露わにしたアイスブルーの瞳が睨みつけて来た。

銀髪の青年が一体何に対して怒っているのか皆目見当がつかないライドウは、間抜けな声を上げる。

 

「とぼけんじゃねぇ、 アンタがさっきまで一緒にいた眼鏡男についてだ。 」

 

どうやら、セントラルパークの展望台で助けたブラッドの事を言っているらしい。

何処から見ていたのかは知らないが、彼と一緒にカフェバーに行った事が相当気に喰わない様だった。

 

「おい、ダンテ。 ちゃんと説明してやらないとライドウが可哀想だろ? 」

 

愛車のビートルを路肩に停めると、仲介屋は数枚の書類が入ったA4サイズの茶封筒を片腕の少年に渡す。

そして、今回の依頼内容を丁寧に話始めた。

 

 

 

「成程ね・・・・・市長の大事な一人娘を、通り魔の疑いがある正体不明の男から護って欲しいか・・・・。 」

 

モリソンの説明をある程度聞いたライドウは、望遠カメラで撮影されたと思われるブラッドの写真を封筒にしまうと、運転席にいる仲介屋へ返した。

 

「そ、そんで、市内で目的の男を見つけたは良いが、その隣に歩いていたのが、何とお前さんだったという訳だ。 」

 

カフェバーへと入る二人の姿を目撃したモリソンは、大層驚いたそうだ。

因みに後部座席に座っている銀髪の大男が、鬼の形相だった事は、この際言わないでおく。

 

「・・・・・悪いが、この依頼は既に解決してる。 市長の娘さんに付き纏っている不埒な優男は、二度と現れないし、近隣住民を襲っている通り魔もすぐ捕まるだろう。 」

「何でそんな事がアンタに分かるんだ? 」

 

事の次第によっては唯では済まない。

そんな剣呑な雰囲気を前面に押し出して、ダンテは隻腕の少年に言った。

 

「詳しい事を説明する気はねぇよ。 兎に角、この依頼は万事解決。 マイク市長も枕を高くして寝られるってなもんだ。 」

「てめぇ・・・っ! 」

 

茶化すライドウに怒り心頭なダンテは、思わず悪魔使いの胸倉を掴み上げる。

それを初老の仲介屋が慌てて止めた。

 

「頼むから狭い車内でおっぱじめるのは勘弁してくれ。 痴話喧嘩するなら、事務所に帰ってから幾らでもしてくれよ。 」

「ちっ・・・・。 」

 

モリソンの言葉に忌々しそうに舌打ちしたダンテは、掴んでいたライドウの胸倉を離す。

そんな二人の様子に、小さな妖精が呆れた様な溜息を一つ零した。

 

 

展望台での一件後、自宅であるヘイゲル邸へと戻ったアンジェリカは、父親であるマイクに平手打ちを受けた。

門限を破った上に、あれ程、会うなと忠告していたブラッドと密会している事が知られてしまったのである。

娘の身の上を誰よりも心配している父・マイクの怒りは、当然だと言えた。

 

 

「大丈夫ですか? お嬢様。 」

 

屋敷で働く下男の年若い赤毛の青年が、アンジェリカに冷たい水で絞ったタオルを渡す。

 

「有難う・・・・大丈夫よ。お父様に怒られるのは何時もの事だから。 」

 

自室のベッドに腰掛けたアンジェリカは、差し出されたタオルを受け取り笑顔を下男へと向けた。

 

父・マイクから厳しく躾けられているアンジェリカにとって、体罰は日常茶飯事である。

しかし、父が殴るのはあくまで自分に非があった時だけ。

それ以外は、誠実などの家庭よりも愛情深い人物である。

 

「旦那様は、とても素晴らしい方です。 市民達からも信頼が厚くて、僕と同じ様にこの屋敷で働く人達は、全員、あの方を慕っている。 でも、いくら旦那様でも女性の顔を殴るのはやり過ぎです。 」

 

つい先程、起こった出来事が余程、この青年にはショッキングに映ったのだろう。

眉根を寄せて不快感を露わにしている。

 

「ケン・・・・貴方はとても優しいのね。 」

 

濡れたタオルで、腫れた頬を押さえたアンジェリカが、目の前に立つ赤毛の青年・・・・ケン・アルフォンソを見つめた。

 

数か月前から、この屋敷で働き始めているこの青年は、アンジェリカと歳が近く、心根が純粋で優しい為、彼女の愚痴や不満を良く聞いてくれる。

彼女にとっては、弟みたいな存在であった。

 

 

「あ、もうこんな時間だ。 すぐに夕食をお持ちしますね? 」

 

自室の壁に掛けられた時計の時刻を見たケンは、慌てた様子で出て行った。

後に残されるアンジェリカ。

それまで抑え込んでいたブラッドへの想いが溢れかえり、熱い涙が頬を濡らす。

 

逢いたい・・・・彼に・・・。

でも、それは決して叶わぬ願いである。

父・マイクは、ブラッドの事を通り魔の犯人だと勝手に決めつけ、信じている。

確かに犯行現場に、眼鏡を掛けた優男の姿を目撃した、という報告が多数ある事は事実だ。

そして、昼間、展望台で起きた黒いキャソックを纏ったならず者風の神父。

 

彼女の心の中で、ブラッドを信じたい気持ちと疑う気持ちが激しく闘っている。

声を必死に抑えて泣くアンジェリカ。

その嗚咽をドア越しに、赤毛の下男・・・・ケン・アルフォンソが聞いていた。

 

 

 

夕食後、アンジェリカは、自室のベッドの上で眠れぬ夜を過ごしていた。

頭に浮かぶのは、想い人のブラッドの事ばかり。

彼女の自室のドアには、頑丈な南京錠が掛けられている。

父・マイクが執事のクリス・オラムに命じて付けさせたものだ。

多少、酷いとは思うが、娘を想うが故にした仕置きであった。

 

「誰!! 」

 

突然、南京錠の鍵を開けて、自室に誰かが入って来た。

屋敷で働く年若い青年・・・・・ケン・アルフォンソだ。

赤毛の下男は、ドアを開けるとそのままばたりと床に倒れてしまう。

 

「一体どうしたの!!? 」

 

ベッドから飛び降りたアンジェリカは、急いでケンの元に近づき抱き上げた。

額から血を流しているのか、彼女の手に血糊がべったりと付着する。

 

「だ、旦那様が・・・・・怪物に・・・・。 」

 

下男は、それだけ伝えるとガックリと気を失った。

見ると脇腹にも怪我を負っているのか、白いシャツが血でどす黒く変色している。

恐らく、過剰に出血を起こしている為、貧血状態になったのだ。

 

「ケン!ケン!!ああっ、何て事なの!!? 」

 

下男の血で、寝間着が汚れるが、今の彼女にそれを気に掛ける余裕は、まるで無かった。

取り敢えず、父の安否を確認する為、下男を床へと寝かせると一階の広間へと向かう。

階段を駆け下り、玄関ホールを真っ直ぐ進んで、暖炉のある広間へ。

大きなドアを開けた瞬間、まずアンジェリカの眼に飛び込んだのが、魔法陣の上で頭から血を流して倒れる父、マイク・ヘイゲルの姿が映った。

 

 

 

深夜、キャピュレット市、高級住宅街。

如何にも金持ちが住んでそうな屋敷が並ぶ通りを、片手、片目の少年と深紅のロングコートを纏う銀髪の青年が歩いていた。

 

「だぁああああかぁああらぁあああ、何でお前が付いて来るんだよ! 」

 

歯茎を剥き出しにした悪魔使いが、物凄い形相で後ろを歩く青年を振り返った。

 

「徘徊老人が心配でな・・・迷子になっちまわないように監視してるんだよ。」

 

ギリギリと威嚇する悪魔使いに対し、魔狩人がしれっと応える。

 

モリソンが運転するビートルで、便利屋事務所へと戻った二人。

事の経緯をしつこく聞き出そうとするダンテを適当にあしらい、アンジェリカが無事か確かめる為、便利屋事務所をコッソリと抜け出した。

しかし、今度は上手くはいかなかったみたいである。

 

 

「依頼は終了したって何度言えば判るんだ! お前が出る幕何て今回はないの! 大人しくお家に帰んなさい! ハウス! 」

 

蟀谷に青筋を立てた悪魔使いが、便利屋事務所のあるレッドグレイブ市の方向を指差す。

しかし、当のダンテは全く意に介する様子は無かった。

 

「じゃぁ、何でアンタはヘイゲル邸に向かっているんだ? 市長の娘が心配だから様子を見に行くんじゃねぇのかよ? 」

 

ライドウの考えている事等全てお見通しだ。

自分だけ蚊帳の外何て、正直面白くも糞も無い。

 

「・・・・余計な詮索は良いから、大人しく事務所に帰れ、奴等にお前の存在を知られる訳にはいかないんだよ! 」

「奴等・・・・・? 」

 

思わず口を滑らせた事に気が付き、ライドウはバツが悪そうな表情になった。

しかし、納得がいく説明をしなければ、この青年は決して引き下がらないだろう。

諦めて全てを話そうとしたその時であった。

ライドウの視界の隅に、眼鏡を掛けた長身の男性の姿が映る。

下級悪魔のブラッドだ。

 

「・・・!アイツ!! 」

 

結局、アンジェリカの事が忘れられず、もう一度、彼女に逢おうと、ヘイゲル邸へと訪れたのだろう。

悪魔使いは、銀髪の大男を押しのけると、屋敷の正門前に立つ眼鏡の優男へと近づいた。

 

「この馬鹿野郎が!死にたいのか!! 」

 

無遠慮に優男の胸倉を掴むライドウ。

しかし、ブラッドに脅えの表情は微塵も無かった。

此処まで来るのに相当マグネタイトを消費したのだろう。

まるで死人の様な蒼白い顔で、苦笑いを浮かべている。

 

「僕は・・・・アンジェリカを愛してる・・・・貴方の好意を裏切って大変申し訳ないが・・・一人で魔界に還るつもりはありません。 」

 

ブラッドは死を覚悟していた。

召喚士に見捨てられた時点で、彼の命運は既に決まっていたのである。

このまま此処に居れば、明け方には体内のマグネタイトが無くなり、塵へと還るだろう。

しかし、愛する女性の温もりが感じられるこの場所で死ねるなら、本望ではないのだろうか?

 

「今すぐ異界の扉を開いてやる! 四の五の言わずに大人しくホームへ帰れ! 」

「嫌です・・・・あんな所に還るぐらいなら死んだ方がマシだ。 」

 

怒りと焦りで歪む黒曜石の瞳と、深い悲しみに満ちたダークグリーンの瞳。

そんな二人の様子を傍らで眺めているダンテ。

ブラッドとライドウの間に一体何があったかなど、知る由もない。

しかし、原因は判らないが、眼鏡の優男は大分弱っている。

ライドウが、魔界に彼を帰したいのは、そこに理由があるのかもしれない。

 

睨み合う二人に、ダンテは割って入ろうとする。

そんな彼の耳に、若い女性の悲鳴が聞こえた。

 

 

ヘイゲル邸、大広間。

床に巨大な魔法陣が描かれ、その上で頭から血を流し倒れるマイク・ヘイゲル市長。

そのすぐ傍らでは、娘のアンジェリカが執事のクリスに背後から短剣を突き付けられていた。

 

 

「こ、これは一体どういう事なの? クリス・・・・どうして貴方が・・・・。 」

 

この初老の執事は、彼女が幼い頃からお世話になっている人物だ。

温厚で人当たりが良く、父親のマイクからの信頼も厚い。

また、新人教育にも長け、屋敷で働く使用人達は、全員、彼を頼りにしていた。

 

 

「くくっ・・・・先代・・・つまり貴方の御爺様・・・アレク・ヘイゲル様を恨んでください。 あの男のせいで、私の家族・・・否、私の人生全てが滅茶苦茶にされた。 」

 

温厚な仮面を脱ぎ捨て、醜悪な本性を晒すクリス。

 

マイクの父、アレク・ヘイゲルは、かつて裏社会では有名な高利貸しであった。

暴利な金利を要求しては、悪質なやり方で取り立て、家財全てを奪っていく。

またマフィアとも繋がりがあり、脱税や犯罪で儲けた金を綺麗に洗浄する掃除屋紛いの事までしていた。

 

かつてクリスは、街外れで小さな工場を経営していた。

不況の煽りを喰らい、多額の負債を抱える事になってしまったクリスは、アンジェリカの祖父から、金を借り、それにより、苛烈極まる取り立てを受けて、工場と家、そして大事な家族までも失ってしまったのである。

 

 

「一度は、忘れてやり直そうとも思ったんですよ? でも、駄目でした。 あの市長選が私の復讐心に火を点けてしまったんです。 」

 

街が選挙で賑わう中、掃除夫にまで身を落としたクリスは、広場の壇上で演説をするアンジェリカの父を目撃した。

その傍らには、車椅子に乗る家族を奪った憎い仇、アレク・ヘイゲルと孫娘のアンジェリカ。

彼の視界が、怒りで真っ赤に染まったのは言うまでもない。

 

「嘘よ・・・・御爺様がそんなこと・・・・・。 」

 

アンジェリカの記憶の中に居るアレクは、とても優しく、思慮深い人物である。

初孫である彼女を心から可愛がり、怒ったところなど一度も見せる事は無かった。

 

「まぁ、信じる信じないは貴方次第です・・・・それでは、仕上げといきましょうか。 」

 

クリスは、アンジェリカの喉元にナイフを突きつけたまま、ポケットから掌に収まるぐらいの大きさをしたスマートフォンを取り出す。

何桁が番号を打ち込むと、それに呼応するかの如く、床に描かれた法陣が禍々しく輝き始めた。

 

「い、一体何を!!? 」

「ふふっ、貴方は初めて見るんでしたね? 悪魔を呼び出すんですよ・・・・七つの大罪に比肩(ひけん)する魔神の一柱・・・ベルフェゴールをね。 」

「あ・・・悪魔・・・・? 」

 

狂気に濡れた執事の双眸に、言い知れぬ怖気が走る。

悪魔など、人々が思い描いた架空の生物だとばかり思っていた。

しかし、悪魔は実在していたのである。

ガクガクと恐怖で震える両脚。

アンジェリカの目の前で、巨大な魔法陣から、異形の姿をした怪物が徐々に姿を現す。

 

「ハハハハハッ! 感謝しますぞ! 我が君、魔神皇! 貴方のお陰で、我が復讐は成就する!! 」

 

あの男が造った街を完膚なきまで破壊し尽くしてやる。

勝利を確信した執事の哄笑を、広間のドアをぶち破る銃声が引き裂いた。

樫の木で造られたドアが、四方に砕け散る。

中から現れたのは、真紅のロングコートを纏う銀髪の大男であった。

 

「き、貴様、何者だ!! 」

 

折角の宴を邪魔され、初老の執事が怒りを露わに、銀髪の大男を睨みつける。

 

「おっと、悪い。 どうやらノックが強すぎたみたいだ。 」

 

両手に大型拳銃を持つ銀髪の男、ダンテが大袈裟に肩を竦める。

その肩口から、光る何かが飛んで来た。

銀色に鈍く光るクナイだ。

鋼の凶器は、アンジェリカを羽交い絞めにしている執事の右肩に深々と根元まで突き刺さる。

 

「ぐわぁあああ! 」

 

予想外の攻撃に、悲鳴を上げる執事のクリス。

その隙に、広間の窓を破って室内に入り込んだブラッドが、茫然自失としているアンジェリカを奪い取る。

 

「き、貴様等ぁ!! 」

 

ライドウが投擲し、突き刺さったクナイを押さえ、クリスが怒りの咆哮を上げる。

 

一方、魔法陣では、何ら罪もない人々から集めたマグネタイトを喰らい、七つの大罪の一柱・堕天使 ベルフェゴールがその姿を現していた。

雄々しき二本の角に、牡牛の如き相貌。

全身が硬い毛で覆われ、背には巨大な蝙蝠の翼。

両腕には鎖が巻かれ、鋭い鉤爪が、獲物を引き裂かんと耳障りな音を立てている。

 

ダンテと、その背後にいる悪魔使いを獲物と判断した堕天使は、八つ裂きにして喰らわんと、猛然と襲い掛かって来た。

その時・・・・・。

 

ドン!ドン!ドン!

 

周囲の空気を震わせる銃声。

牡牛の角が爆ぜ割れ、身体から紫色の体液が噴き出す。

 

「ち、アンタのせいで出遅れちまったじゃねぇかよぉ。 」

 

ライドウ達の頭上を軽々と飛び越え、一人の男が降り立った。

対物ライフル・・・アンチマテリアルライフルを両手に持つ漆黒のキャソックに深紅のストラを両肩に下げた黒髪の神父。

ヴァチカン13課、異端審問官第9席、コードネーム『ガンスリンガー』こと、ZEROだ。

 

「何だ? コイツは・・・? 」

 

突然の闖入者に、ダンテが胡乱気な表情になる。

しかし、緑の色眼鏡を掛けた神父は、魔狩人の存在などまるで意に介していない様子であった。

執事のクリスが立つ背後、その暗闇に向かって大分、不機嫌な声を掛ける。

 

「おい、何時までそこで高見の見物してんだぁ? いい加減、仕事しろぉ、仕事ぉ。 」

「はいはい。 」

 

暗闇の中から若い男の声がする。

月明かりに照らされる広間へと姿を現すもう一人の異端審問官。

その姿を見た途端、ブラッドの腕の中にいるアンジェリカが余りの驚きに、双眸を見開く。

広間に現れたのは、重傷を負って自分の自室で倒れている筈のケン・アルフォンソであった。

 

「ケン・・・どうして貴方が・・・・? 大怪我をして動けない筈じゃ・・・・。 」

「ああ、実をいうとこれ、全部悪魔の返り血なんです。 驚かせてすみませんね? アンジェリカさん。 」

 

血でべったりと汚れる果物ナイフを手で弄びながら、下男の赤毛の男はにっこりと笑った。

 

クリスが屋敷で働く従業員を皆殺しにする為に、解き放った悪魔達を、ケンはたった一本の果物ナイフで全て処理していたのだ。

態と悪魔に襲われた振りをして、アンジェリカの目の前で倒れたのは彼なりの演出。

従順な執事の役に徹していたクリスの本性を暴く為にした演技であった。

 

 

「貴様・・・・貴様等は・・・・。 」

 

恐怖と怒りで身体が小刻みに震える。

自分は決して失態など犯してはいなかった。

誰にも気取られずに、慎重に、慎重に行動していた筈だ。

 

主から、悪魔召喚プログラムを渡された時も、すぐにその痕跡をデーター上から消した。

使い魔達を使役し、通り魔に見せかけてマグネタイトを回収した。

ヴァチカンの狂信者共に知られる筈が無いのだ。

それなのに、何故・・・・・。

 

「嘆く事はありません。 主イエスは、例え罪人であろうと寛容な御方なのです。 貴方が心から懺悔し、悔い改めれば、イエスはお許しになってくれますよ? 」

 

冷酷に歪む唇。

これが本当に、自分を姉として慕ってくれた下男なのだろうか?

アンジェリカは、恐怖で震えながら、目の前に立つ赤毛の青年を見つめる。

 

 

「今のうちにマイク市長を回収して、此処からずらかるぞ。 」

 

ダンテの背を叩き、ライドウが言った。

 

「あ? 何言ってやがる。 獲物を横取りされて黙ってろっていうのか? 」

 

突然、現れた何処の馬の骨とも知れない連中。

此処の所、悪魔と戦えずフラストレーションが溜まり捲っているのだ。

黙って獲物を譲ってやる程、お人好しにはなれない。

 

「最初から、この事件は彼等のヤマだったんだ。 俺達が出る幕何て無かったんだよ。 」

 

訝しむダンテを他所に、ライドウは頭から血を流して気を失っているマイク市長の元へと向かう。

悪魔使いの言っている意味がまるで分からない銀髪の青年は、舌打ちすると仕方なくその後へと従う。

 

「うわぁあああ! 死ねぇ!死ねぇ! ヴァチカンのイカレた殺人鬼共ぉ!! 」

 

クリスは、余りの恐怖で発狂していた。

主人の命に従い、縦横無尽に暴れ回る角を折られた牡牛の悪魔。

その攻撃を二人の異端審問官は、巧みに躱していく。

 

「いい加減、血で汚れた躰をシャワーで洗いたいんだ。 早々にケリをつけるぞ? 」

「ち、仕方ねぇなぁ。 」

 

手首に装着したアームバンド型のハンドヘルドコンピューターを機動させるケン。

ZEROは、舌打ちすると目を閉じ意識を集中する。

 

『召喚(コール)!!』

 

二人の声が同時に詠唱される。

ケンの背後から眩く光り輝く七つの魔法陣が展開。

中から、金色の鎧を纏ったメタリックな翼を持つ、7人の機械仕掛けの天使達が現れる。

高潔と美徳を象徴とする力天使・ヴァーチューズだ。

 

「跡形も無く殲滅しろ。 」

『イエス!マスター!! 』

 

聖槍を掲げ、堕天使・ベルフェゴールへと向かう力天使達。

鋭い鉤爪で応戦するが、機械仕掛けの天使達には全く通じない。

両腕を斬り落とされ、弱点である心臓を七本の槍で、同時に串刺しにされる。

時間にして僅か数十秒。

七つの大罪に属する悪魔を葬り去るには十分な時間であった。

 

「ば、馬鹿な・・・・。 」

 

目の前で四散していくベルフェゴールを前に、絶望でがっくりと床に膝を付く執事。

右肩に深々と突き刺さったクナイから、血が多量に流れ出ている。

そんな執事の前に赤毛の青年が立った。

躰を屈め、クリスの顎を乱暴に掴む。

 

「さぁ・・・・御祈りの時間です。 」

 

にっこりと、それは楽しそうに微笑む青年。

男の人差し指が、自分の額を抉るのをクリスは何処か他人事の様に感じていた。

 

 

 

キャピュレット大学病院。

 

ヘイゲル邸から逸早く脱出したライドウ達は、ダンテが馴染みにしている仲介屋のモリソンに連絡をして、大怪我を負ったマイク市長を救急病院へと運んだ。

ライドウの適切な応急措置と、治癒魔法のお陰か、ヘイゲル市長は一命を取り留め、現在、大学病院のICUへと収容されている。

 

何か言いたそうなアンジェリカを病室に残し、ブラッドとライドウ、そしてダンテの三人は、人気が少ない病院施設の中庭へと移動した。

 

「夜が明けるまでもう時間が無い。 異界の扉を開くから、大人しくホームに還るんだ。 」

 

眼鏡の青年の躰が限界なのは、誰の眼から見ても明らかであった。

肌は紙の様に白く、人の形を保てず、罅割れ、ボロボロと崩れている。

ライドウは、左眼を覆っている包帯を外すと蒼き魔眼を解放した。

異界の扉を開くには、大量の魔力を消費するが、今はそんな事を気にしている余裕はない。

 

「僕は・・・・彼女と一緒にいたかった・・・・魔界で虐げられる僕に初めて優しく接してくれた・・・・魔界に還れば、もう二度と彼女に会えなくなる・・・そんなのは・・・。」

「お前が死ねば、彼女はもっと苦しむぞ。 」

 

尚も迷うブラッドをライドウが冷たく突き放す。

 

「例え生きる場所は違えど、いずれ時が経てば回り逢うチャンスは必ず訪れる。希望を持って生きるんだ。 強い想いは必ず報われる。 」

「人修羅様・・・・。」

 

眼を見張るブラッドに優しい笑みを浮かべると、ライドウは扉を開ける為の呪文を口内で小さく詠唱する。

しかし・・・・。

 

「困るんだよなぁ・・・そういう勝手な事されちゃうと。 」

 

詠唱を中断され、霧散する魔法陣。

一同が、声のした方向を見つめると、漆黒のキャソックを纏い、両肩に深紅のストラを垂らした赤い髪の青年が此方に近づいた。

ヴァチカン13課、異端審問官第7席、ケン・アルフォンス・ラ・フレーシュだ。

 

背負った大剣を抜こうとしたダンテをライドウが手で制する。

 

「何しに来た? 任務はとっくに終わったんだろ? 」

「ええ・・・お陰様で無事、七つの大罪の一柱は討伐出来ました。 後は、事故処理をすれば全て完了ですよ。 」

「事故処理? 」

 

オウム返しにダンテが応えた時であった。

突然、ブラッドの躰が真横に吹き飛ぶ。

余りの出来事に凍り付くダンテとライドウ。

見ると倒れた眼鏡の青年の心臓部分に弾丸で撃ち抜かれた跡が残っていた。

 

「てめぇ!!!! 」

 

その様子に、怒りの声を上げたのは、意外にもライドウではなく、ダンテであった。

ライドウが止める間もなく、背負っている大剣『リベリオン』を引き抜き、赤毛の青年へと迫る。

と、突然、その大柄な躰が前のめりに倒れた。

超遠距離射撃によって左脚を撃ち抜かれたのである。

 

「対悪魔用に改造した法儀式済みの水銀弾頭です。 いくらスパーダの血族とはいえ、これを喰らったら簡単に死にますよ? 」

 

地面に倒れ伏す魔狩人を、赤毛の青年は冷たく見下ろす。

 

「ああ、それと一つ忠告しときます。 うちの狙撃手は5KM離れた場所からでも正確に標的を狙えます。なので、幾ら気配を探っても無駄ですから。 」

 

身を屈め、ブラッドの生死を確認していたライドウに向かってケンが言った。

悪魔使いが探知出来る距離は2KMまで。

流石にそれ以上となると、何処から撃って来るのか判別出来ない。

 

「化け物が・・・・・。」

「あは♡ 貴方からそんな言葉が出て来るなんて光栄ですよ。 」

 

侮蔑を多分に含んだライドウの言葉に、ケンは心底嬉しそうに応えた。

 

口惜しそうに唇を噛み締める悪魔使い。

心臓を一瞬で撃ち抜かれたブラッドは即死。

最早、実体化が保てず、身体は人の形を失い、塵へと還っている。

 

「・・・・何故殺した? 彼は己が犯した罪を悔いていた。 幾らでもやり直せたんだ・・・それを・・・。」

「ソイツは37人も人を殺してるんですよ? そのうち二人は自分の食欲を満たす為に喰っていた。 」

 

そう、ブラッドがクリスの命令で、人を殺しマグネタイトを回収していた事は、隠し様も無い事実である。

実際、殺めたのは別の仲間だったのかもしれない。

しかし、飢えの欲求に負け、仲間と一緒に人間の肉を喰らってしまった。

 

「ああ、もしかしてヘイゲル市長の娘さんの事を心配してるんですか? それなら安心して下さい。 ブラッドという悪魔に関する記憶は綺麗さっぱり消してあげました。勿論、父親のヘイゲル市長もね? 」

 

忘れるって人間の美徳ですよねぇっと、嘯き(うそぶき)ながら、ケンは実に楽しそうい真紅の双眸を細める。

 

ヘイゲル親子に関しては、屋敷に盗みに入った強盗に襲われ、怪我を負ったという偽の記憶を植え付けてある。

彼等の中に、眼鏡を掛けた優男の記憶は一片も残ってはいない。

 

「気に入らねぇな・・・・。」

 

左脚を撃ち抜かれ、水銀の毒によって再生機能を殺されている筈のダンテが、大剣『リベリオン』を杖代わりに立ち上がろうとする。

しかし、超遠距離攻撃によって撃ち出された弾丸が、杖代わりにしている大剣を弾き飛ばし、銀髪の青年を再び地面に這いつくばらせた。

 

「何が気に入らないって? 」

 

尚も立ち上がろうとするダンテを嘲る様にケンが言った。

この男は自分の立場を正確に理解しているのだろうか。

命の手綱は、此方が完全に握っているというのに・・・・。

 

「てめぇら異端審問官の汚ねぇやり口がだよ・・・。 」

 

泥で汚れた顔を目の前に立つ、赤毛の異端審問官へと向ける。

 

今から三年程前、ダンテの住むレッドグレイブ市をヴァチカン13課が所有する空中戦闘要塞が無差別に空爆した。

古の塔、テメンニグルによって発生した悪魔の群れを駆逐する名目で、である。

空爆されたスラム一番街では、僅かに生き残った人々が救助されたが、市民の殆どがヴァチカンの戦闘機による爆撃によって、悪魔諸共死亡した。

その中に、ダンテが駆け出しの便利屋をしていた頃に世話になった、銃のアキュライズを専門とするガンスミス、ニール・ゴールドスタインがいたのだ。

 

「三年前、てめぇらが無差別に爆撃してくれたお陰で、俺の大事な人間が死んだ。 婆さんは、逃げ遅れた市民を誘導する為に犠牲になったんだ・・・・。」

 

怒りと悲しみに満ちた蒼い瞳で、目の前にいる赤毛の異端審問官を睨みつける。

しかし、ケンは、常人を震え上がらせるダンテの眼力を鼻で笑い飛ばした。

 

「三年前のテメンニグル事件ですか・・・・確かに、あの時は大勢の人間が犠牲になりました。 本当に痛ましい出来事です。 」

 

地面に転がっているダンテの愛刀、大剣『リベリオン』を拾う。

大剣の鍔に施された髑髏の装飾を眺めながら、ケンの唇は弧を描く。

 

「でも哀しむ必要はありません。 彼等は神のご加護の元、天国(はらいそ)へと導かれたのです。 貴方のその大事な人間も、きっと来世では祝福された人生を送るで・・・。 」

 

そう言いかけたケンの胸倉をダンテが掴み上げた。

水銀の毒は確かに効いている筈なのに、それを全く感じさせない気迫である。

 

「止せ!ダンテ、離すんだ!! 」

 

慌ててライドウが、銀髪の青年に向かって制止の声を上げる。

しかし、ダンテは止まらない。

赤毛の青年の胸倉を掴み、自分の眼の高さまで持ち上げる。

 

「今まで色々人間を見て来たが、てめぇみたいに反吐が出そうな奴は、初めてたぜ。 」

「ぜーろ。 」

 

怒りの吐息を吐くダンテに向かって、ケンが小さく呟いた。

刹那、砕かれる銀髪の青年の手首。

人間の一般常識を超える、精密度の射撃が、ダンテの右手首を破壊したのだ。

 

「ぐあぁ!! 」

 

撃ち抜かれた衝撃で、地面に倒れるダンテ。

男の手から解放された赤毛の青年は、秀麗な眉根を寄せると態とらしく胸元の埃を叩いた。

倒れ伏すダンテの眼前に、大剣『リベリオン』を突き立てる。

 

「この世界で生きて良いのは、神に選ばれた人間だけだ・・・・・薄汚い害虫の悪魔は息をするな・・・モノを喰うな・・・声を立てるな・・・排便するな・・・生殖して子を増やすな・・・眠るな・・・臭いんだよ、汚いんだよ、見るのもおぞましいんだよ。 」

 

地を這う様な低い声。

今迄の慇懃無礼な態度は、完全になりを潜め、代わりに凄まじい狂気がオーラとなって全身を包む。

 

「今は、17代目の顔を立てて見逃してやるが、次に会ったら確実に殺す。 跡形も無く滅する・・・覚えておけ?薄汚い悪魔め。 神の命に従い人間(ひと)を護るのは、我等ヴァチカンの信徒だけだ。 」

 

言いたい事だけ言うと、赤毛の異端審問官は、ダンテとライドウに背を向ける。

去って行くその後ろ姿を見つめ、ダンテは、唇が切れる程に噛み締めた。

 




全体的に救い様が無い。


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チャプター 11

キャラクター解説。

玄武、骸の側近『四神』の一人。
昔、ライドウが十二夜叉大将の一員だった時の代理番。
その正体は、日本の歴史の中で最強と謳われた剣豪。

アイザック、 KKK団の一員。
フォレスト一家が経営する高級プールバーの副支配人。
一応、ちょくちょく登場予定。


レッドグレイブ市、商店街の大通りにあるコーヒーショップ。

そのカウンター席に片目、片腕の少年と、金色の髪が特徴的な10歳未満の少女が座っていた。

 

 

「はい、ストロベリーサンデー。 」

 

カウンター席に立つ店主らしい、いかつい体躯をした40代ぐらいの男が、金髪の少女・・・・パティ・ローエルの前に生クリームと苺をふんだんに盛り合わせたパフェを置いた。

途端に目を輝かせる少女。

スプーンで生クリームが付いたバニラアイスクリームを人さじ抄(すく)うと、口の中へと運ぶ。

 

「ううっ、美味しい! 此処のストロベリーサンデーは最高よね♡ 」

 

甘さ控えめな生クリームと甘酸っぱい苺。

そしてバニラアイスクリームとチョコのハーモニーが何とも堪らない。

 

パティは、自分の肩に座っている小さな妖精、マベルにも、スプーンで掬った苺と生クリームを食べさせてやりながら、幸せそうに笑った。

 

そんな少女を微笑ましく眺めている中性的な美貌を持つ少年。

アジア人特有の顔立ちには、左眼に痛々しい包帯が巻かれ、左腕は肩の付け根から欠損している。

この時代、サイバネ技術が発展している為か、肉体に機械的サポートをしている人間は大して珍しくはない。

しかし、少年にそういった器具はまるで無く、そのせいか、店内でも大分浮いて見える。

 

「ライドウは、食べないの? 」

 

隣に座る少年の前に置かれているのは、ミルクも砂糖も入っていないブラックのコーヒーだけだ。

そういえば、便利屋事務所に遊びに行くと何時も美味しい手作りの焼き菓子を振舞ってくれるが、少年が、自分の作ったお菓子を食べている所を一度も見た事が無い。

 

「ああ、実を言うと甘いものが苦手なんだよ。 」

 

ライドウは、大の辛党だ。

お菓子作りは、あくまでストレス発散の為に始めただけである。

 

「え? じゃぁ、何でお菓子作り何てしてるの? 」

 

パティにとっては、衝撃の事実であった。

てっきり自分が食べる為に作っているとばかり思っていたからである。

 

「死んだ嫁さんが、お菓子を作るのが好きでね・・・暇つぶしに付き合っていたら、何時の間にかハマっていたんだ。 」

「ふーん、ライドウの奥さんがお菓子作りを好きだったんだぁ・・・・・!?うぇ???奥さん!!!」

 

驚嘆で目玉が飛び出る程、見開いた少女が隣に座る片腕の少年を改めて眺める。

見た目は、10代半ばか後半辺りぐらいの少年にしか見えない。

そのライドウに奥さんがいた。

初恋の相手が髄婚者であるという事実に、パティは打ちのめされてしまう。

 

「因みに、ライドウには子供が二人いるわよ? 」

 

パティの肩に座る妖精が面白そうにニヤニヤ笑うと、そう付け足した。

 

「奥さん・・・・子供・・・・それも二人も・・・・そんな小さな躰で・・・頑張ったんだねぇ。 」

 

一体何を頑張ったのか、果たしてこの少女は理解しているのだろうか。

ショックの余り、口からエクトプラズムを吐き出している少女に、ライドウは呆れて海より深い溜息を吐き出す。

 

「うん、分かってた・・・・そういう反応が返って来る事はよぉーっく分かってた。 」

 

自慢では無いが、ライドウが結婚していて、子供が二人いるという話をすると、全員が全員、同じ様な反応を返す。

どっかのアニメの探偵小僧では無いが、見た目はひょろひょろした痩せっぽちの餓鬼だが、中身は今年、44歳になる立派なオッサンである。

 

 

 

 

「もー、好い加減にしてくれない?これじゃ、仕事にならないんだけど。 」

 

ライドウとパティの二人が座るカウンター席の斜め後ろでは、コーヒーショップのウェイトレス、シンディと、金色に染めた髪をオールバックにしている筋肉質な大男、アイザックがちょっとした諍いを起こしていた。

 

「何で俺じゃ駄目なんだよ? お前に心底惚れちまったんだ。なぁ? 付き合ってくれよ? 」

 

強面な顔を情けなく歪め、アイザックは、頬に星形のフェイスペイントをしている紅茶色の髪をしたウェイトレスに尚も迫る。

 

「だから、アンタみたいな筋肉ゴリラはタイプじゃないの、それに追っかけられるのも好きじゃないしね・・・・どちらかと言えば追いかけたい?みたいな・・・。 」

 

意地の悪い笑みを口元に浮かべたシンディが、熊男をおちょくる。

 

このアイザックという名の熊の様に大きな男。

毎日の様にシンディが働くコーヒーショップを訪れては、彼女を捕まえ、しつこく口説いていた。

しかも、彼女のシフトを全て把握しているらしく、勤務時間に合わせて来店して来る。

ハッキリ、タイプじゃない、アンタなんか好きにならないと意思表示はしているのだが、全くと言っていい程、効果が無い。

 

「なんだよ?そりゃぁ・・・・だったら、どんな男がタイプなんだよ。 」

「そうねぇ・・・・強いて言うなら本物の男。 頭が良くって、セクシーで、ワイルドで・・・でも、女にはとても優しくって、余裕があって・・・・あと可愛い人♡ ライドウみたいな男の子がタイプね。 」

「・・・・何だって・・・・・? 」

 

ウェイトレスの口から予想外な名前が出た事に、アイザックは顔色を変えた。

しかし、シンディは、そんなアイザックの様子に気が付かないのか、カウンター席に座る片腕の少年を指差す。

 

「あの綺麗な男の子よ。 最近、うちの店に来てくれる何でも屋さんなの。 商店街の角にある煙草屋のお婆さんの買い出しをしてあげたり、ジャニスの惣菜屋の看板を直してあげたり・・・そういえば、この前はひったくりを見事捕まえていたわね。 兎に角、街の困った人を助けてくれるヒーローよ。 」

 

片目、片腕の綺麗な少年は、この街ではちょっとした有名人であった。

老婆が営む煙草屋の前で迷惑行為をしていたゴロツキを追い払ったり、惣菜屋を襲った強盗を捕まえたり、時には、道に迷った人を助けたりしている。

正にレッドグレイブ市の『親愛なる隣人』であった。

 

 

「アンタが、ライドウみたいになったら考えても良いわ。 」

 

シンディは、それだけ言うと、ローラースケートで店内の厨房へと走り去ってしまう。

しかし、当のアイザックは、カウンター席に座る隻腕の少年の姿に釘付けになって目が離せなくなっていた。

 

「ひ・・・・人修羅? マジかよ・・・・・。 」

 

呻く様な低い声で呟く。

緊張感に、口内がカラカラに乾いていた。

 

 

 

 

アイザックがその噂を聞いたのは、彼が働く会員制のプールバーであった。

 

「人修羅ぁ? 何だそりゃぁ・・・・? 」

 

胡乱気な表情で、自分よりも大分低い身長をしている禿頭の小男を見下ろす。

 

「ばっか、 お前知らねぇの? 裏社会じゃかなーり有名なウルトラスペシャルの超危険人物なんだぜ? 」

 

プールバーでボーイ兼用心棒として働く仲間のアイザックに、禿頭の小男、サミュエルは、人修羅こと17代目・葛葉ライドウがどれだけ恐ろしい人間か、懇切丁寧に説明し始めた。

 

サミュエルの説明によると、葛葉ライドウは、日本と呼ばれる先進国の中にある召喚士で構成された組織の幹部なのだそうだ。

トップクラスの実力を持ち、悪魔達から『人修羅』という通り名で恐れられているらしい。

 

 

 

「そんなヤバイ奴がどうして、レッドグレイブ市なんかにいるんだよ? 」

 

 

布巾でテーブルを拭いているアイザックが、モップで床掃除をしているサミュエルに向かって言った。

就業時間は、とっくに過ぎている為、客は殆ど帰っている。

この店に居るのは、自分達と数名の従業員だけだった。

 

「俺が知るかよ。 それより拙いのが、うちのテレサお嬢様だよ。 」

 

テレサお嬢様とは、この会員制プールバーの経営者、ジョナサン・ベッドフォード・フォレストの長女である、今年、16歳になる少女だ。

かなりの資産家であるフォレスト家は、このプールバー意外に、数件のホテル、不動産を多数所有していた。

 

「コイツはちょっと小耳に挟んだ話なんだが、テレサお嬢が、よりによってその人修羅をジョセフ坊ちゃんの番にしたいと言い出したんだ。」

 

テレサには、三つ歳が離れた弟がいる。

名をジョセフと言い、一年前に不慮の事故で死亡した父・ジョナサンの跡目を継いだのだ。

姉のテレサは、その弟ジョセフの後見人という立場になっている。

 

「なっ、なんだってぇ? 」

「まぁ、覇権争いで、うちの組織はゴタゴタしてるからなぁ・・・ お嬢が強力な助っ人を欲しがるのは仕方ねぇのかもしれねぇが・・・・あんな、悪魔を喰う化け物を仲間にするとか正気の沙汰とは思えないぜ。 」

「あ・・・・悪魔を喰うのか? その人修羅ってのは? 」

 

サミュエルが、最後言った言葉に、アイザックの顔が引きつる。

図体は恐ろしい程デカイが、蚤の心臓を持っている事を知っているサミュエルは、にたりといやらしい笑顔を向けた。

 

「此処最近、中級どころか低級悪魔の姿も見えねぇだろ? 仲間達の噂じゃ、夜な夜な人修羅が街中を徘徊しては、悪魔を喰い捲っているらしいぜ? 」

 

真っ青になって生唾を呑み込むアイザックを面白そうに禿頭の小男が眺めた。

 

 

 

夕食の買い出しに付き合ってくれたパティと孤児院の前で別れた片腕の少年は、繁華街から大分離れた人気のない路地を歩いていた。

その後を追い掛ける大きな影。

 

 

「ねぇ? ライドウ・・・・。 」

 

少年の肩に座った小さな妖精が耳元で囁いた。

彼女の鋭い探知能力が、背後で自分達の後を付けている何者かを察知したのだ。

 

「分かってる・・・・熊男に好かれる趣味はねぇんだけどな。」

 

上手く気配を消して後を付けてはいるが、10年以上も暗殺者(アサシン)として活動していたライドウの眼を欺く事は敵わなかった。

 

コーヒーショップから、しつこく後を追い掛けているのは、ウェイトレスのシンディを口説いていた金髪の大男だ。

名前も当然判らないし、尾行される理由も判らない。

しかし、あれこれ詮索している時間は無かった。

早く便利屋事務所に帰ってやらないと、腹を空かせた質の悪い大型犬が、飯を喰わせろとギャンギャン吠えるからだ。

 

 

ライドウは、一つ溜息を零すと、いきなり貸しビルと思われる建物の角を曲がる。

その後を慌てて追いかける追跡者こと、アイザック。

しかし、標的が通ったと思われる狭い通路の先に、片腕の少年の姿は何処にも見当たらなかった。

 

「なっ・・・・・?い、一体何処に消えやがった? 」

 

自分の尾行は完璧な筈だった。

追跡(ウィッチャー)が得意な仲間に散々、教えられたのだ。

気配を消し、足音を忍ばせ、一定の距離を保って追い掛ける。

教本通り立ち回り、相手に気づかせるヘマ等した覚えなどないのに・・・。

 

「俺に何か用かい? 」

 

いきなり背後から声を掛けられ、アイザックは飛び上がる程、驚いた。

慌てて後ろを振り返ると、大きな紙袋を右手に持った、隻腕、隻眼の少年が、小山の様に高い自分を見上げている。

 

「い、いい何時の間に!!? 」

 

どうやら、気配を消し、薄汚れた壁を背に立つ少年を視認出来ず、自分はそのまま通り過ぎてしまったらしい。

隠遁の術という、暗殺者(アサシン)にとっては、極初歩的な技術だ。

勿論、そんな事等知りもしないアイザックにとっては、何も無い所から、いきなり人が湧いて出た様に感じただろう。

 

「KKK団(クー・クラックス・クラン)か・・・この地域一帯は、お前等の縄張りだからな、 いずれは何らかの形で、俺に接触して来るだろうとは思っていた。 」

「・・・・・っ! 」

 

完全に此方の正体を見抜かれている。

アイザックは、何も言い返せず、黙って口惜しそうに唇を噛み締めるより他に術が無かった。

本音を言えば、こんな化け物に拘わろうとは微塵も考えてはいない。

面倒事には極力拘わらず、なるべく穏便に済ませたい日和見主義者である。

しかし、それがフォレスト家に関する事ならば、話は別だ。

 

 

「俺を尾行しろと命令されたんだろ? 安心しろ、 俺はお宅等のシマを荒らす様な真似をする気はねぇ。 それと、オタク等、組織の内部争いにも興味はねぇからな? 」

「なっ、何でそれを?? 」

 

フォレスト家の家長であるジョナサンが、1年前の不慮の事故により死亡した事を皮切りに、現在、同じ組織内のマーコフ家と熾烈な縄張り争いが起こっていた。

それまで、些細ないざこざで、マーコフ家とは諍いを起こしていたが、その度に家長であるジョナサンが上手くその場を治めていたのである。

抑え役が居なくなった途端、マーコフ家が我が物顔で駘蕩(たいとう)し、賭博場やその他のビジネスを乗っ取ろうと画策し始めたのだ。

当然、家長代理である長女のテレサが異を唱えた。

 

 

「俺をKKK団に取り込みたいなら諦めてくれ、 内部抗争に手を貸す気はねぇし、コッチは、気楽な便利屋の真似事が気に入ってんだ。 」

 

マフィア同士の争いに巻き込まれるつもりなど、微塵も無い。

ライドウは、言いたい事だけ言うと、あっさりとアイザックから背を向ける。

そんな隻腕の魔導士に向かって、金髪の大男が慌てて声を掛けた。

 

「まっ、待ってくれ! あ、アンタ、何でこんな所にいるんだ? 日本っていう国の大組織の幹部なんだろ? 本国に帰らなくて良いのかよ? 」

 

捲し立てる様な早口で、思っている事を悪魔使いにぶつける。

何もする気が無いのなら、大人しく日本に帰って欲しい。

そうすれば、テレサも人修羅を弟のジョセフの番にするとは、言わなくなるだろう。

 

そんなアイザックの言葉に、ライドウは諦めたかの様な溜息を一つ零す。

彼の言っている事は、最もだ。

魔帝との激闘で負った怪我を癒す目的でこの地に残ってはいるが、ダンテに対する未練の気持ちが強い。

何時の間にか、自分は、あの男を前の番・・・クー・フーリンと同じ様に見ている。

 

 

「・・・・・観光だよ。 長期の休みを利用して遊びに来てんだ。そのうち日本に帰るよ。 」

 

一度、アイザックの方を振り返ると、ライドウは苦笑を浮かべ、前に向き直る。

そして、そのまま何も言わずに便利屋事務所へと帰って行った。

 

 

 

 

 

ライドウが便利屋事務所に着くと、ガンっと何かを叩く音が聞こえた。

見ると事務所の主である銀髪の大男が、杖でジュークボックスを叩いているのが分かった。

 

「おいおい、何やってんだよ? お前。 」

 

食材が入った紙袋をテーブルに置くと、ライドウが呆れた声を上げる。

 

「壊れちまったのか、音が出なくなったんだよ。 」

 

大分、ご機嫌斜めなのか、不貞腐れた様子のダンテが、何時もの定位置である黒檀のデスクへと戻る。

その右腕は、肩から下げたアームホルダーで吊られていた。

 

数日前にキャピュレット・シティーで起きた、通り魔事件。

その一件で、ダンテはヴァチカン13課(イスカリオテのユダ)に所属する異端審問官によって深手を負わされた。

法儀式済みの水銀弾頭による毒によって、再生機能が殺されただけではなく、撃たれた周辺の肉も壊疽を起こしてしまったのだ。

早目に中和剤を打ったお陰で、何とか切断の憂き目を免れたが、それでも、数週間は後遺症が残る。

 

しかし、ダンテがへそを曲げるのは、もっと別な所に理由があった。

 

 

「アンタの得意な魔法で直してくれたら、助かるんだけどな。 」

「馬鹿言え、アニメや漫画じゃねぇんだ。 壊れたジュークボックスなんて直せる訳がねぇだろうが。 」

 

テーブルの上に、今日、買った食材を袋から取り出しながら、ライドウは呆れた溜息を吐く。

 

キャピュレット・シティーでの事件は、本当に嫌な記憶しか残らなかった。

 

ブラッドという哀れな悪魔を救えなかった。

ダンテに至っては、自尊心を完膚なきまで叩き潰された。

 

あの事件後、マイク市長の一人娘、アンジェリカの事が気になり、それとなく馴染みにしている仲介屋のモリソンに彼女の事を調べて貰った。

赤毛の異端審問官が言う通り、彼女は、恋人のブラッドの事を完全に忘れており、あの夜の事件も、屋敷に忍び込んだ強盗が父親を襲った、という偽の記憶を信じ込んでいる。

更に、来年には海外留学が決まっているのだという。

 

忘れるという行為は、人間にとっての美徳・・・・不図(ふと)、赤毛の異端審問官が言った言葉を思い出す。

人間の持つ愛情など、どれだけ陳腐で安っぽいものか、あの異端審問官は、皮肉っているのかもしれない。

 

 

「・・・ダンテ、キャピュレット・シティーでの事件は忘れろ。 異端審問官と拘わるとロクな目に会わない。 奴等と事を起こそうなんて馬鹿な考えは捨てろよ。 」

 

備え付けの冷蔵庫に、来客用の缶コーヒーを入れながら、隻腕の少年は、黒檀のデスクに座る銀髪の青年に釘を刺す。

 

カトリックの総本山、ヴァチカン市国が極秘裏に持つ、対悪魔の武力組織。

超高度な戦闘訓練を受けた13人の使徒によって構成された、狂気の殺戮集団。

いくら、スパーダの優秀な血筋を引いているとはいえ、悪魔を討伐する事に長けた戦闘狂相手に敵う筈もない。

 

 

「腹減った・・・飯。 」

 

しかし、ダンテはライドウの言葉に応える事無く、机の上に置かれた雑誌を顔に乗せると不貞寝を決め込む。

そんな銀髪の青年に溜息を吐くと、「はいはい。 」と応えて、ライドウは、食材を抱えてキッチンへと消えた。

 

 

 

まんじりともしない気分で、アイザックは、勤め先であるプールバーで、接客業をしていた。

カクテルグラスが乗った盆を持ち、玉突き等をして楽しんでいる客に渡す。

成金の客達に愛想笑いを返しながら、脳裏に浮かぶのは、昼間、後を付けていた人修羅との会話だった。

 

「内部抗争に興味はない。 」「気楽な便利屋の真似事が気に入ってる。」

 

人修羅・・・・ライドウは、確かにそう言っていた。

彼の言葉を信じるならば、此方に干渉する気は一切ない筈だ。

それなら、アイザックも幾分気が楽ではあるが、一抹の不安は拭えない。

 

「何なんだぁ? このくっせぇ店は? 」

 

そんな取り留めも無い事を考えている時であった。

店内の奥から、何やら不穏な怒鳴り声が聞こえる。

 

「しかも、犬のしょんべんみたいなシャンパン出しやがって・・・客を馬鹿にするのも大概にしろってんだ。 」

 

如何にもゴロツキ風の男が、グラスに入ったシャンパンを床に撒き散らす。

注文された品を出したであろうウェイトレスの女性が、怯えた様子で男達を見つめていた。

 

「ありゃ、マーコフ一家の連中だな。 」

 

騒ぎを聞きつけた禿頭の小男・・・・サミュエルが、怒鳴り声を上げているゴロツキ達を見てそう言った。

実を言うと、こういった嫌がらせを受けるのは、今回が初めてではない。

マーコフの連中は、自分達、フォレスト一家が所有する幾つかの風俗店でやりたい放題していた。

その為、一般の客が寄り付かなくなり、泣く泣く閉店に追い込まれた店は、数件にも及ぶ。

 

 

何を思ったのか、口を真一文字に引き結んだアイザックが、騒ぎを起こしている一番奥の席へと向かった。

慌てた様子で、サミュエルが止めようとするが、全く聞く耳を持たないのか、ずんずんと歩いて行ってしまう。

 

「申し訳ございません。 うちの人間が、何かお客様にご迷惑をおかけしたのでしょうか? 」

 

今にも泣き出してしまいそうなウェイトレスを後ろに下がらせ、アイザックは礼儀正しく、この無法者達へと頭を下げる。

そんな、金髪の大男に対し、マーコフ一家の連中は、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。

 

「あぁ? 金貸しの業突く張りが一丁前に会員制のバーなんて開いてるって噂を聞いてな? どんなもんかと遊びに来てみたら、安酒を出すわ、店内は獣臭ぇわで、コッチは、散々酷い目に合わされたって訳よ。 」

 

滅茶苦茶な理屈を並べ、ゴロツキの一人が赤ワインを片手にアイザックの傍に近づいて来た。

そして、頭を下げるアイザックの金色に染めた髪に、ワインを垂らす。

 

「この世界は、人間様が住む所なんだよ。 獣は獣らしく、養豚場か動物園でも開いてな。 」

「・・・・・っ! 」

 

数十名の客が見ている前で、屈辱的な言葉を投げられるアイザック。

ワインによって赤く染まる頭髪。

悔しさで唇を噛み締める。

 

「野郎ぉ!! 」

 

余りの仕打ちに、仲間のサミュエルが吠えた。

それをゴロツキにワインをぶっかけられたアイザック本人が、咄嗟に止める。

 

「止せ!親父さんの言葉を忘れたのか! 」

「・・・・・っ! だっ、だってよぉ!! 」

 

今にもマーコフ一家の連中に、突っかかって行きそうな禿頭の小男をアイザックがその肩を抑える事で、制止した。

 

実を言うと、アイザックもサミュエルも普通の人間ではない。

ライカンスロープと呼ばれる獣人で、通常の人間よりも長命で、頑強な肉体を持っている。

各地の伝承などでは、ウェアウルフ、ヴァラヴォルフと言われ、森や畑を荒らしたり、時には人間を襲撃する悪しき存在として伝えられてきた。

それ故、彼等はいわれなき迫害を受け、各地を転々と追われる流刑民へと身を落としたのである。

 

「我慢しろ! 俺等の力は弱き人を護るためのモノだ! 人間を絶対、傷つけちゃならねぇ! 」

「・・・・・クソッタレェ・・・。 」

 

アイザックの言葉に、サミュエルはがっくりと項垂れる。

それまで生ごみを漁るかの様な酷い生活を送っていた彼等を救ったのが、先代、フォレスト一家の家長、ジョナサン・ベッドフォード・フォレストであった。

行き場を失った彼等を手厚く持て成し、住む場所を与え、生きる為に仕事まで用意してくれた。

そんな彼の口癖が「私利私欲の為に、人間に危害を加えてはならない。 」という言葉だった。

 

 

「頼みます、俺等は只静かに暮らしたいだけなんだ。 アンタ等と争うつもりは微塵もねぇ。 この通りだ。 今日は、大人しく帰ってくれ。 」

 

未だ憤懣やるかたないサミュエルを離すと、アイザックは、マーコフ一家の連中の前で両膝を付き、頭を下げる。

土下座する金髪の大男を前に、ニヤニヤと嘲笑するゴロツキ達。

リーダー各らしい男が前に出て来ると、丸めた一ドル紙幣をアイザックの頭に投げつけた。

 

「中々、躾けられたお犬様じゃねぇか。 ご褒美にチップやるから口で拾ってみろよ? 」

 

丸めた紙幣を犬の様に口で拾え。

余りにも馬鹿にした言い草。

しかし、此処で揉め事を起こしたくないアイザックは、大人しく従うより他に方法が無い。

屈辱に身を震わせながら、意を決して、目の前に落ちている紙幣を咥えようとしたその時であった。

 

 

「アンタ等、それぐらいにしたらどうや? 正直、見てて気分がめっちゃ悪ぅなるやないけぇ。 」

 

訛りがかなり強い声が、ゴロツキ達とその足元で跪くアイザックに掛けられる。

見ると、金色の髪を肩口で綺麗に切り揃えた20代半ばぐらいと思われる若い男が、ビリヤードのキューで自分の肩を軽く叩いて、此方を不機嫌そうに眺めていた。

 

「全く、せぇーっかく大将から長期休みもろーて、海外旅行楽しんどるのに、気分が台無しや・・・しっかも、こないに可愛い姉ちゃんを大の男が寄ってたかっていびり倒すとか・・・・おどれらちゃんと金玉ついとるんかい? 」

 

おかっぱ頭の男は、キューを乱暴にビリヤード台に投げると、アイザック達の所へと近づいた。

どうやら男は日本人らしい。

アジア人特有な顔立ちをしており、中々の美形だった。

 

「何だぁ? てめぇは? 」

 

ゴロツキ達の中で一番、血の気が多い大柄な男が、おかっぱ頭に喰って掛かる。

何処の馬の骨とも知れない奴に、言いたい放題言われているのだ。

しかも相手は日本人。

黄色い申に馬鹿にされて黙っていられる筈が無い。

 

「ぎゃぁああああ!! 」

 

大柄な男がおかっぱ頭の胸倉を掴もうとした時であった。

突然、腕を抑えて大男が蹲る。

見ると、掴もうとした腕が、あらぬ方向へと捻じ曲がっていた。

 

「汚い手でワイに触るな。 変な菌が移ったらどない責任取ってくれるんや? 」

 

まるで路傍の石を見るかの様な、何ら感情の籠もらぬ瞳で、折られた腕を抑えてのたうち回る大男を見つめる。

一体どんな手品を使ったかは知らないが、視認不可能な速さで、大男の太い腕を簡単にへし折ってみせたのだ。

 

騒然となる店内。

マーコフ一家のゴロツキ達が途端に殺気立つ。

 

「野郎!舐めやがって!! 」

 

ゴロツキの一人が懐から、手の中に納まるぐらいのスマートフォンを取り出す。

何桁が番号を打ち込もうとした所を、リーダー格の男に止められた。

 

「馬鹿野郎! こんな所でアレを使うんじゃねぇ!! 」

 

スマートフォンを取り出した男を怒鳴り付け、目の前でポケットに手を突っ込んで、此方を嘲弄しているおかっぱ頭を睨みつける。

 

「てめぇが何者かは知らねぇがな、 一つだけ忠告しといてやる。 あんまりこいつ等とは拘わらない事だ。 五体満足で日本に帰りたきゃな。 」

 

それだけ捨て台詞を吐くと、仲間に命令して腕を折られた大男を抱えさせると、プールバーから出て行った。

後に残される、アイザックとサミュエル、そして涙で化粧がすっかりぐしゃぐしゃになったウェイトレスの女性。

呆然とする三人は、突如現れた、見知らぬ日本人を改めて見つめる。

 

「あ・・・・アンタ、一体・・・。」

 

未だ涙を流すウェイトレスにハンカチを渡してやるおかっぱ頭に、アイザックが呻くように言った。

 

常人より遥かに優れた動体視力を持つ、ライカンスロープの自分ですら、大男の腕を折った早業を視認する事が出来なかった。

当然、普通の人間ではない。

昨日、裏路地で対峙した人修羅と同じぐらいの威圧感をこの男から感じる。

 

「気にする事あらへん。 ワイは唯の観光客や。 ちぃとばっかり探し物をしとるだけのな? 」

 

そんな意味深な台詞を吐くと、おかっぱ頭の男は、にたりと口元を皮肉な笑みで歪めた。

 

 

 

 

清々しい快晴の朝。

 

事務所の前をホースの水で洗い流していた隻腕の少年の背に、若い女の声が掛けられた。

振り返ると、黒髪をざんばらに刈った赤と青のオッドアイが特徴的な一人の美女が立っている。

ダンテと同じ荒事師のレディーだ。

 

「はぁい、お久しぶり。 」

 

隻腕の少年に片手を軽く上げると、茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。

彼女とは、レッドアイ事件以来だ。

 

「やぁ、いらっしゃい。 」

 

ライドウも一般常識的な返事を返す。

正直言うと、ダンテ同様、ライドウもこの女性が苦手だ。

仕事以外の付き合いなら別に構わないのだが、金と悪魔絡みの話になると途端に性格が豹変する。

 

「貴方の相棒は、元気にしているかしら? 」

「まだ寝てるよ。 この時間帯は熟睡してるから、どんな事しても絶対起きないぜ? 」

 

あの銀髪の青年の起床時間は、大体、昼の10時頃だ。

その間は、例え殴っても頭に鉛弾をぶち込まれても決して目を覚まさない。

 

 

「ふぅん、相棒の貴方を働かせて自分は高鼾(たかいびき)とは言い御身分ね? 」

「居候の身だから気にしてねぇよ。 」

 

一通り水を捲き終わったライドウは、蛇口を絞めてホースから流れる水を止める。

 

「んで? 今日は一体何の用だい? 」

 

この女が此処に来るのは、大抵自分の手に負えない面倒な仕事をさせる為だ。

どれぐらいピンハネしてるかは知らないが、金になる仕事を持って来てくれるのなら有難い。

 

「借金の取り立てよ。」

「え? 」

「ほら、前回も話したでしょ? アイツが私に返済したのは半分だけ。 残りはまだ全然返して貰って無いって。 」

 

確かに、あの馬鹿は、この女荒事師に多額の借金をしているのだった。

何とか半分返済出来たお陰で、借金のカタとして取り上げられていた大剣『リベリオン』を返して貰えたが、残りの金額は未だに清算出来ていない状態だ。

 

 

「全く、 アイツはどれぐらい借金作ってんだよ。 」

 

金にずぼらな相方に、ライドウは呆れてがっくりと肩を落とす。

この便利屋事務所で居候してから一か月未満。

看板の修繕や、猫探し、足の悪い老婆に代わって買い出しに行ったり、引っ越しの手伝いをしたりと、荒事とはまるで関係のない仕事を受けて日銭を稼いでいた。

勿論、あの男がこんな雑用みたいな仕事をする筈もなく、全部、ライドウ一人でやって来たのだ。

お陰で、ピザ屋やバーなどのツケは、何とか完済出来たが、それでも、ダンテが作った借金はまだまだある。

 

 

「貴方も大変ね。 いっその事、あんなろくでなしとは完全に手を切って、私の所に来れば良いのに。 」

 

そうすれば、大歓迎してあげるわ、という女荒事師の申し出を、ライドウは丁重にお断りする。

女の笑顔に薄ら寒いモノを感じたからだ。

 

「あの馬鹿のケツをひっ叩いてでも、君に作った借金を返済させるよ。 今日の所は申し訳ないが、帰ってくれないか? 」

 

さっきも言ったが、熟睡中のダンテは、どんな事をしても起きない。

借金返済は後日にして貰いたいという隻腕の少年の申し出に、女荒事師は、意地の悪い笑みを口元に浮かべる。

 

「そうねぇ、 折角来たのに、手ぶらで帰るのも何だか癪だわ。 貴方に、あの馬鹿の代わりになって貰おうかしら。 」

 

いきなり華奢な少年の腕をむんずと掴むと、レディーは繁華街に向けてズルズルと引きずって行く。

 

「お、おい! 何処へ連れて行く気なんだよぉ!? 」

「言ったでしょ? 借金返済の為に、あの馬鹿の代わりになって貰うって。 」

 

慌てふためくライドウの様子が面白いのか、女荒事師は口元に微笑を浮かべると、問答無用で、愛車である真紅の車体をしたバイク、GPXへライドウを乗せた。

 

 

 

女荒事師、レディーに連れて来られたのは、一軒の会員制のプールバーであった。

当然、就業時間ではない為、豪奢な店内には従業員以外、客は一人もいない。

 

「あれ? お久しぶりですね。 一体どうしたんですか? 」

 

従業員の一人らしい、黒縁眼鏡を掛けた優男が、女荒事師と逃げられない様にがっちりと腕を掴まれている隻腕の美少年を見つめる。

 

「此処の店長はいるかしら? 折り入って大事な話がしたいんだけど。 」

 

一体何がどうなっているのか分からず呆然としている悪魔使いを尻目に、レディーは店の店主が何処に居るのか眼鏡の従業員に聞いた。

 

「ディンゴさんなら、会合があるので今はいません。 その代わり、副店長を呼んできます。 」

 

眼鏡の従業員はそれだけ言うと、副店長を呼びに店の奥へと消えてしまう。

この店とレディーがどんな関係にあるのかなど、知る由もない。

おまけに彼女が、一体何をライドウにさせたいのかも判らない。

今は黙って事の成り行きを見守るしか無かった。

 

暫くすると、眼鏡の従業員が、金色に染めた髪をオールバックにした大柄な男を連れて来た。

二日前、コーヒーショップから、ライドウとパティの後を付けて来た熊の様に大きな男・・・アイザックである。

顔を合わせた両者が、「あっ。 」と驚いた声を上げた。

 

「あら? 知り合いだったの? 」

「ちょっとな・・・・。 」

 

胡乱気に聞いて来るレディーに適当に応えると、ライドウは、鋭い視線を金髪の大男へと向ける。

この男が此処に居るという事は、この店は、KKK団が経営する風俗店の一つなのだろう。

勿論、レディーもその事は承知の筈だ。

さっきの従業員の態度と言い、もしかしたら、彼女もKKK団と何かしらの関係があるのかもしれない。

 

 

僅かばかりの蟠り(わだかまり)を残しながら、一同は、店の応接室へと移動した。

 

「昨日は、大変だったみたいね? 」

 

上質な革張りのソファーに座ったレディーが、出されたコーヒーを一口啜る。

 

「知ってたんスか・・・流石、耳が早いんですね。 」

「まぁね、 貴方達、フォレスト一家と組織の中でも武闘派で名が通っているマーコフ一家のゴタゴタは有名だもの。 」

 

ニューヨークのハーレム地区を中心に活動しているKKK団。

その中心となっているのが、フォレスト家とマーコフ家、ルッソ家の三家である。

本来、マフィアの組織構成は、首領(ボス)とアンダーボスを頭とし、複数のカポレジームつまり幹部とその下にソルジャーと呼ばれる大勢の兵隊達がいる。

しかし、KKK団は魔導士一族によって作られた組織の為、立ち上げた三家の魔導士を頭にそれぞれの幹部と兵隊達で構成されているのだ。

 

「奴等の嫌がらせは今に始まった事じゃないっス。 前々から、ちょっとした争いはありました。 その度に、おやっさんがルチアーノの奴と話を付けてたんス。 」

 

ルチアーノとは、マーコフ家の家長、ルチアーノ・リット・マーコフである。

昔気質(むかしかたぎ)の人物で、組織拡大の為に精力的に動いている事でも有名だ。

目的の為なら手段を択ばない為、潔癖症であるフォレスト家の家長の娘、テレサとは何かと衝突を繰り返していた。

 

 

「それで? 俺に一体どーしろってんだ? 言っとくけどマフィア間の派閥争いに巻き込まれるのはごめんだぜ? 」

 

それまで黙って二人の会話を聞いていたライドウが、ウンザリとした様子で言った。

 

一応、こう見えても、自分は日本の組織『クズノハ』でそれなりの立場にある。

下手にKKK団の内部争いに巻き込まれると、今度は、自分の組織と大きな戦争に発展しかねないのだ。

 

「別に派閥争いに加われ、何て無茶な事は言わないわ。 貴方には、この店の用心棒をして欲しいの。 」

「用心棒? 俺が? 」

 

胡乱気に目の前のソファーに座る金髪の大男を見上げる。

如何にも荒事に慣れてそうな風体をしている。

自分等、手を貸さずとも、一般のゴロツキなら簡単に追い払えそうだ。

 

「嫌がらせをしてくるマーコフ一家の連中を追い払って欲しいのよ。 アイザック達、従業員は、理由があって彼等と事を起こす事が出来ないの。 」

 

こう見えても、このバーで働く従業員達は、フォレスト家の兵隊も担っている。

家長の命令とあらば、戦争に幾らでも参加する覚悟は出来ているが、それ以外は、一般人と同じ生活をしているのだ。

流血を避け、穏便に暮らしたいのが本音だろう。

 

「成程・・・ライカンスロープか・・・。」

 

目の前に座るアイザックの瞳を見たライドウは、レディーの言う、マーコフ家の連中と事を起こせない理由を察した。

 

ライドウの呟きに、アイザックの顔色が途端に変わる。

 

「なっ、何でそれを・・・・? 」

「瞳孔の変化さ・・・。 二日前、裏路地で少しだけ話をしただろ? その時、オタクの瞳孔が、若干縦に変化したのを見たんだ。 」

 

通常、人間の瞳は、光量に応じて、その径を変化させる。

それは、どの動物も同じで、ライカンスロープの場合は、少しの時間だけ瞳の形が猫と同じ様に縦に変わるのだ。

 

「随分と詳しいのね? 」

「昔、一度だけライカンスロープを番にした事があるんだよ。 」

 

レディーの言葉に、ミルクと砂糖を抜いたブラックのコーヒーを啜りながら、ライドウが応えた。

 

彼等、ライカンスロープがいわれなき迫害を受けている事は知っている。

十数年前に、メキシコの移民に混じって、多くのライカンスロープが、此処、ハーレム地区へと流れついた。

人が少ない田舎の地方よりも、大勢の人間達で犇めく(ひしめく)大都会の方が、素性を隠し、普通の人間として暮らしていくのに適していると考えたのだろう。

しかし、そんな浅知恵が通用する筈も無く、スラム街で、一番底辺な暮らしを余儀なくされた。

 

「お、俺達だって、本当はマーコフの奴等をぶちのめしたい。 でも、親父さん・・・先代の恩義もあるし、俺達みたいに戦える連中は少ない。 第三世代になると普通の人間と全く変わらねぇんだ。 そいつ等は一生懸命、生きる為に働いてる。 アイツ等の居場所を無くさねぇ為にも、マーコフ一家の嫌がらせに耐えなきゃなんねぇんだ。 」

 

そうしないと仲間の生きていく場所が、全て失われてしまう。

流刑民の彼等にとって、安心して暮らせる場所は、数える程も無い。

遥か昔から、悪魔同様、怪物として忌み嫌われていた彼等を唯一受け入れてくれたのが、先代のジョナサン・ベッドフォード・フォレストだ。

 

『今は一番辛い時かもしれない。 でも、何時か笑って暮らせる明日を信じて生きるんだ。』

 

ジョナサンは、そう言って、行き場を失った彼等を迎え入れ、仕事と食事、そして給金まで与えてくれた。

彼等にとって、ジョナサンは神にも等しい存在だったのである。

 

「ま、そういう事だから、第三者の貴方の力が必要って訳。 」

 

未だに渋るライドウの顔を覗き込みながら、オッドアイの女荒事師は言った。

 

「はぁ・・・簡単に言ってくれるぜ。 」

 

飲み干したカップを受け皿に戻すと、ライドウは、海より深い溜息を吐いた。

 

日本の超国家機関『クズノハ』・・・その長である天照大御神を守護する四家の一人が誰あろうライドウ本人である。

マフィアの組織で言えば、大幹部に等しい地位にいる。

そんな人間が、他組織の覇権争いに首を突っ込めば、どんな最悪な結果になるかは、火を見るよりも明らかだ。

 

これが、単なるゴロツキ同士のいざこざなら話は簡単なのだが、KKK団は、秘密結社(フリーメーソン)の中でもそれなりに有名だ。

もし、拘わったら・・・・・。

 

 

「困っている人間を見過ごせない、”街のヒーロー”なんでしょ?貴方。 」

「へ? 」

 

レディーの予想外な言葉に、ライドウは大分間抜けな返事を返した。

 

「貴方は知らないかもしれないけど、 レッドグレイブ市に住んでいる人達からかなり有名よ? 困っている人を助けてくれる”街の親愛なる隣人”だってね。 」

「・・・・・・ち、分かったよ。 」

 

楽しそうにからかうオッドアイの女荒事師に、ライドウは諦めたかの様に再度、溜息を吐いた。

 

 

こうして、半ば強引に用心棒の仕事が始まった。

 

数日後、フォレスト一家が経営する会員制のプールバー。

 

「あ、アンタ、一体何してるんだ? 」

 

厨房の片隅で、片腕と脚を器用に使ってジャガイモを剥くライドウの姿を金髪の副店長が呆れた様子で眺めていた。

 

「あん? 脚は綺麗に洗ってあるから大丈夫だぞ? 」

 

丸椅子に座ったライドウが、背後に立つ金髪の熊男を見上げる。

因みに悪魔使いの足元には、綺麗に皮を剥いたジャガイモの山が、銀のボールに入っていた。

 

「い、否、そういう問題じゃなくって、何で用心棒のアンタがこんな事してるんだ? 厨房の連中にやらせりゃ良いだろ。 」

 

確かにアイザックの言う事は最もだ。

レディーの紹介で、ライドウはこのプールバーの用心棒として雇われているのだ。

開店前とはいえ、用心棒にこんな雑用みたいな仕事をさせる訳にはいかない。

 

「別に良いだろ? 俺が好きでやってんだ。 それに、人手不足で大変そうだったからな。」

 

連日のマーコフ一家の嫌がらせで、バーで働く一般の従業員は殆ど辞めてしまった。

此処に残っているのは、アイザック達、純血のライカンスロープと第三世代の力の弱い連中だけだ。

それでも、フォレスト家が所有する風俗店は、この街で数十軒もある。

幾ら、第三世代の数が多いとはいえ、とても手が回る状態では無かった。

 

「好きにさせてあげたら? うちのマスターこういうの得意なんだよ? 」

 

主人の頭にちょこんと座った妖精が、悪戯っぽく笑う。

アイザックは、当初戸惑っていたが、仕方なくライドウのやりたいようにやらせる事にした。

 

それから、悪魔使いは、周囲が唖然とする程、精力的に働き始めた。

酒や食品の買い出し、店内の掃除に皿洗い、時には男性給仕の恰好をして接客業までこなす。

 

「ほ、本当にアレが、人修羅なのかよ? 」

 

禿頭の小男・・・サミュエルが、まるで水を得た魚の如く、店内を駆けずり回って客を接待している悪魔使いの姿に、思わず我が目を疑った。

それは、アイザックも同感だった。

『悪魔を喰う怪物』、それが当初、アイザックがライドウに抱いていた印象であった。

裏路地で初めて会話した時も、その威圧感に終始圧倒され捲りだった。

しかし、実際、接し、会話して見ると、彼の印象がガラリと変わった。

それまで恐れていた感情が嘘の様に無くなり、逆に好感が持てる。

彼が傍にいるだけで、派閥争いで辛気臭かった店内の空気が明るくなる。

意気消沈していた従業員の心に活気が戻り、ライドウに負けじと、第三世代の従業員達も、積極的に客の対応を始めた。

 

 

(どことなく親父さんに似てる。 )

 

ニコニコと従業員達と会話するライドウの姿に、アイザックは、今は亡き、彼等の恩人、ジョナサンの姿が重なった。

『明日を信じて生きるんだ。』 先代、フォレスト一家の家長、ジョナサンの言葉。

家長でありながら、下っ端の連中と一緒になって身を粉にして働いた。

辛い時は、共に励まし、悲しい時は、一緒に泣いた。

共に笑い合える明るい未来を信じて歩んだ。

 

 

「アイザック、ちょっといいか? 」

 

目頭が自然と熱くなる金髪の大男の傍に、マネージメントを引き受けている黒縁眼鏡の青年が、電話の子機を片手に周囲の目を気にして声を掛けた。

 

 

 

 

「ライドウさん、申し訳ない。3番テーブルにジントニックを持って行ってくれないか? 」

「あいよー。 」

 

すっかり従業員達と打ち解けた悪魔使いが、ジントニックが入った盆を鼻歌を歌いながら、目的のテーブルへと運ぶ。

するとそこには、金色に染めた髪を肩口で綺麗に切り揃えたおかっぱ頭の若い男が、脚を組んで待っていた。

 

「よぉー♪ お久しぶりでんなぁー? 17代目。 」

「・・・・!? 玄武?? 」

 

その顔を見た途端、悪魔使いの表情が凍り付く。

 

このおかっぱ頭の若い男の名前は、玄武。

勿論、本名ではない。

名前も素性も全て謎の男である。

十二夜叉大将の長、薬師如来の名を冠する『化け物龍』骸の懐刀・・・四神の一人であり、剣術指南役を任されている。

これはあくまで噂であるが、13代目・葛葉キョウジも彼の門弟だったらしい。

 

 

「ギャルソン姿がえらい似合ってまんなぁ♡ 流石、大将の女や。色っぽくって堪らんわぁ。」

「・・・っ!てめぇ!! 」

 

あからさまな侮蔑に、常人ならば震え上がる程の鋭い視線を向ける。

しかし、当の玄武は、どこ吹く風?といった様子であった。

ニタニタといやらしい笑みを浮かべて、ライドウに隣に座る様促す。

 

「何しに来た? まさかあの外道に、俺を日本に連れ還れと命令されたのか? 」

「まさかぁ、 ワイはアンタと同じで長期休暇中や。 一人で海外旅行を楽しんどる最中ですのん。 」

 

男の申し出を無下に断り、ライドウは警戒心を露わにしていた。

このおかっぱ頭の言葉を信じるつもりは微塵も無い。

情夫と同じ様に、何を考えているか判らない奴なのだ。

いきなり後ろから心臓を刺す事だって、平気でやるかもしれない。

 

「大怪我したって聞いて心配しとったんですよぉ? アンタにもしもの事があったら、うちの大将が哀しみますからなぁ? 」

「嘘吐け、糞野郎が。 」

 

どうやら自分を連れ戻す気は更々無いらしい。

コイツが何を考えているのかさっぱり分からないが、一分でも一秒でも傍には居たくなかった。

ジントニックが入ったグラスを玄武の前に置くと、さっさと違うテーブルに移動しようとする。

その手を玄武が素早く掴んだ。

 

「まぁ、待ちぃやって。 折角、久し振りに会えたんや。 お互い知らん仲でも無いしぃ、楽しく昔話でもしようやぁ♡ 」

「俺はてめぇと話す事何ざぁ、一ミリもねぇよ。 」

 

傷だらけの右手の甲を愛おし気に撫でさする玄武に、嫌悪感で吐きそうになる。

 

ライドウが17代目を襲名する遥か前、十二夜叉大将の一員として暗殺稼業に明け暮れていた時、玄武は彼の代理番だった。

直ぐに魔力不足になって倒れるライドウの為に、頭目である骸が態々、選別して当てがったのである。

勿論、魔力供給を名目に、肉体関係を結んだ事も幾度かある。

性行為で魔力を得るのは、魔導士にとってパンを食べるのと一緒。

そこに、何らかの感情が芽生える事等、決して無い。

 

「アンタの大事な命様から、手紙を預かっとるって言ってもかぁ? 」

「・・・・・っ! 」

 

玄武の口から、天照大御神の名前が出て、あからさまに顔色を変えるライドウ。

そんな、悪魔使いに冷酷な笑みを浮かべると、もう一度、隣に座れと促す。

今度は、抵抗なく、ライドウは渋々従った。

隣に座る悪魔使いの細い腰に、玄武が馴れ馴れしく腕を回す。

 

「あは♡ 懐かしいナナシの匂いやぁ。 」

「・・・・っ、良いのか? 骸の糞野郎が見てるぞ? 」

 

首筋に顔を埋めるおかっぱ頭に、ライドウが駄目元で、釘を刺す。

 

自分の体内には、骸の式神である巫蟲が寄生している。

蟲を通して、ライドウの一挙手一投足を常に監視しているのだ。

今置かれている状況を、骸が知らない筈はない。

 

「ふん、他の男に簡単に脚を開く淫売に言われたないわい。 知っとるで? 志郎の奴が死んで、もう、別の男漁っとる事。 大将の女やからって良い気になっとったら痛い目見るで? 」

 

耳元で囁かれる冷酷な言葉。

死んだ番の名前を出され、ライドウの躰が固まる。

悔しそうに唇を噛み締める悪魔使いに、玄武が顔を寄せる。

 

「止せ!此処は店内だぞ!? 」

「大丈夫やって♡ 丁度死角になっとって他の奴等には見えへん。 久し振りに会うたんや。 逢瀬くらい楽しませて・・・・・。 」

 

そう言いかけた玄武の耳に、カチリと撃鉄を起こす音が聞こえた。

頭に固い銃口が付き付けられる。

 

 

「・・・・・っ!ダンテ、どうしてお前が此処に!? 」

 

おかっぱ頭に大型拳銃『エボニー』を押し当てているのは、便利屋事務所で養生している筈の銀髪の魔狩人であった。

完全に完治はしていないが、左脚は何とか動ける様になっている為、杖は使っていない。

しかし、砕かれた右腕は中々、再生出来ないのか、黒いアームホルダーで未だに固定されていた。

 

 

「レディーの奴に、アンタが慣れない酒場の用心棒してるって聞いてな。 ちょっと心配だったから様子を見に来たんだ。 」

 

女狩人は、もしもの事を想定して、ダンテにも声を掛けていたのだ。

案の定、バーに足を運んでみると、ギャルソン姿のライドウが、見知らぬ男に店の隅の席に引きずり込まれて、口付けを迫られているのを目撃した。

 

 

「はぁ・・・・・折角、これからお楽しみだっちゅうのに・・・・空気が読めんやっちゃのぉ。」

 

ライドウを組み敷くおかっぱ頭は、大袈裟に溜息を吐く。

すると次の瞬間、その姿がダンテの視界から忽然と消えた。

 

「・・・・・っ!」

 

背後に気配を感じて振り返る。

すると、丁度真後ろに、背を向ける形でおかっぱ頭の男が立っていた。

 

「ほんじゃ、命様の手紙は確かに渡したでぇ。 」

 

気障ったらしく片手を上げて、プールバーから出て行く玄武。

その後ろ姿を呆然とした様子で、銀髪の魔狩人が見送った。

 

 

 

 

 

右頬を情け容赦なく、殴り飛ばされる。

衝撃で吹き飛ぶアイザック。

敷地内の隅に置かれたポリバケツにぶち当たり、生ごみを撒き散らしながら背後へと倒れる。

 

「アイザック!畜生!離しなさいよぉ!!」

 

コーヒーショップのウェイトレス、シンディが悲痛な声を上げた。

自分を押さえつけている男の手を振り解こうとするが、いかせん、そこは女の非力な力。

鍛え抜かれたマーコフの兵隊達に敵う筈もない。

 

 

此処は、繁華街から大分離れたビルの建設現場。

時刻は、既に深夜を回ろうとしている。

当然、現場作業員の姿は全く見かけず、いるのは鼻腔から血を流す金髪の大男とコーヒーショップのウェイトレス、そして、マーコフ一家の兵隊達だけであった。

 

今から数時間前、アイザックが働くプールバーに、何者かから電話が入った。

予想通り、相手はマーコフ一家の兵隊。

数日前に、玄武に叩きのめされたゴロツキ達だった。

 

『お前の大事な女を預かってる。 返して欲しかったら、埠頭の建設現場に来い。』

 

まるで定型文の様な脅し。

しかし、自分を名指しにした事、そして、大事な女というキーワードに、否が応でも嫌な予感が心を過る。

確認の為に、ルームメイトであるシンディの友達に連絡を入れて見ると、彼女はこの時間になっても仕事から帰って来ていないとの返事が返って来た。

迂闊だった。

まさか、マーコフ一家の連中が此処までするとは思わなかった。

何処で自分の事を調べたかは知らないが、足繫くシンディの勤めているコーヒーショップに通う、アイザックを見ていたのだろう。

そして、彼にとって一番の弱点である彼女を誘拐した。

マーコフと熾烈な覇権争いをしている真っ只中で、惚れた女に会いに行かなければ良かった。

これは、自分の心の弱さが招いた結果である。

地面に尻餅をつくアイザックは、己の不甲斐なさに、唇を噛み締めた。

 

 

「へっ!獣が、一丁前に人間の女とイチャコラかよ。 」

 

シンディを押さえつけていたマーコフの兵隊が、仲間に目配せするとあっさりと彼女を離す。

デジタルカメラを持ったもう一人の仲間が、倒れるアイザックに駆け寄るシンディを映した。

 

「お前の彼氏の正体を教えてやるぜ? お嬢ちゃん。 」

 

リーダー格の男が、手下に合図を送る。

手の中に納まるぐらいの大きさをしたスマートフォンに何桁か打ち込む兵隊。

すると空中から、赤く光る魔法陣が幾つか現れ、中から実体化した悪魔。

妖獣・アサルトが、金髪の大男とウェイトレスの前に飛び出してくる。

 

「ひっ!!! 」

 

その姿は、まるで巨大人型蜥蜴の怪物だった。

兜と盾を装備する悪魔に、シンディが短く悲鳴を上げる。

若い女の柔らかい肉の匂いに引き寄せられ、大量の涎を垂らす妖獣の群れ。

悪魔召喚プログラムによって、呼び出された怪物達は、次々とシンディに襲い掛かった。

その時・・・・・。

 

「ぐぎゃぁ!! 」

 

何かを殴る打撃音。

吹き飛ばされる妖獣・アサルト。

余りに現実離れした恐怖に、硬く双眸を閉じていたシンディが、恐る恐る瞼を開くと、目の前に小山程も大きな体躯をした人狼が立っていた。

 

 

「あ・・・アイザックなの? 」

 

茶褐色の毛並みをした人型の獣。

震える彼女を安心させるかの様に、優しいアイスブルーの瞳がウェイトレスを見下ろす。

 

この最悪な事態を招いてしまったのは、全て自分の軽率な行動が原因だ。

今置かれている現状を受け入れられず、繁華街で働く彼女を見初め、しつこく口説く様な真似さえしなければ、シンディを巻き込む事は無かった。

自分の尻は、自分で拭う。

アイザックは、確固たる覚悟を決め、鋭い視線を暴風を操る強襲型の悪魔へと向き直る。

 

 

「へっ、等々、正体を現しやがったなぁ?化け物が。 」

 

紅茶色の髪をしたウェイトレスを護るかの様に立つ、一匹の人狼を見据え、リーダー格の男が勝ち誇った笑みを浮かべる。

そして、手下達に命令してスマートフォンにインストールした悪魔召喚プログラムを、次々と起動させた。

無数に空中に浮かび上がる真紅の魔法陣。

そこから、妖獣や幽鬼等の怪物達が現世に実体化していく。

 

 

「シンディ、今すぐ逃げろ。 こいつ等の目的は、俺を殺す事だ。 」

「あ、アイザック! 」

 

余りの恐怖に、涙を流すウェイトレス。

そんな彼女を庇う様に、赤褐色の毛並みを持つ大きな体躯をした狼が、シンディの前に立つ。

 

彼女に指一本だって触れさせはしない。

この命に代えても、絶対護り通してみせる。

 

 

 

 

深夜、某テナントビルの屋上。

シガーケースから、愛用のマルボロを一本取り出したおかっぱ頭の男は、涼しい夜の風に身を任せながら、使い捨てのライターで煙草に火を点けた。

肺一杯に煙を吸い込み、美味そうに吐き出す。

 

「暫く見ないうちに大分、痩せちまったなぁ? アイツ。 大将も酷いお人やでぇ・・・あんなに虐めたら流石に可哀想やろ。 」

 

先程、プールバーで10数年振りに再会した悪魔使いの事を思い出す。

十二夜叉大将に所属していた当時は、感情がまるで無い殺戮人形だった。

与えられた任務を忠実にこなし、女、子供・・・・同じ釜の飯を食って来た親友すらも、何の躊躇いも無く殺して来た。

その刹那的な生き方に、玄武は大層惹かれたが、今の彼は全く真逆な性格へと変わっている。

愛する女と添い遂げた。

子供を作り家庭の暖かさを知った。

それが、17代目・葛葉ライドウをあそこまで弱くした要因となったのか・・・。

 

「ま、ワイが一々気にする事じゃあらへん。 今は、与えられたお役目を遂行するだけや。 」

 

皮肉な笑みを口元に浮かべ、眼下にある一軒の建物を見下ろす。

先程まで自分が居た、会員制の高級プールバーだ。

そこから、真剣な表情をした片腕、片目の少年が、布に包まれた槍を片手に飛び出してくる。

その後に続くのは、自分の頭に大型拳銃を突き付けた銀髪の大男。

名前は確か、ダンテと言ったか。

 

「それにしても、フォルトゥナの騎士と言い、魔界から連れて来た亜人の餓鬼といい、17代目はとことん変わった奴を番にしたがるんやなぁ・・・。 」

 

埠頭へ向けて走って行くライドウ達を見送りながら、おかっぱ頭の男は闇の中へと消えて行った。

 

 

 

 

「ぐわぁ!!」

 

アイザックの悲鳴。

地中から飛び出した幽鬼メフィストの鋭い爪が、獣人の脚を貫く。

血が噴き出し、倒れる巨漢の獣人。

その光景を余りの恐怖に、声も無く震えるシンディが見つめている。

 

「おい、しっかり撮れてるかぁ? 」

 

リーダー格の男が、隣で撮影している手下に声を掛けた。

 

彼等が持つ悪魔召喚プログラムが、ネット上に無差別にばら撒かれて三年の月日が流れる。

当初は、何か質の悪いウィルスだと思われていたが、試しにインストールした人間が、実際に悪魔を呼び出した事から、その価値が全く変わった。

誰でも気軽に悪魔を召喚、僅かなマグネタイトを使用するだけで、下級悪魔ならば従わせる事が出来る。

ネットの掲示板で、忽ち(たちまち)噂になり、自分が育てた悪魔同士を戦わせる動画まで、投稿する様になった。

事態を重く見た警察機構が、すぐさま取り締まりを行ったが、後の祭り。

流出したプログラムを回収する事が出来ず、悪魔を使用した犯罪件数だけが増えていく結果となった。

 

 

「あの獣が嬲り殺しにされるとこまでしっかり撮れよ? ネットに上げてフォレスト一家の連中に見せしめにするんだからな? 」

「了解。 」

 

リーダー格の命令に、カメラで撮影している手下が、冷酷な笑みを口元に張り付かせた。

 

「アイザック!アイザック!!!」

 

血を流し、片膝を地面に付く獣人を庇う様に、シンディが立つ。

良く見ると、アイザックの躰には、戦いで負ったであろう無数の傷が、あちこちに付いて血を流していた。

 

「し・・・シンディ、逃げろ。 」

「馬鹿!! アンタを置いて逃げられる訳が無いだろ!! 」

 

アイザックの言葉に、紅茶色の髪をした女性が首を振って拒絶する。

 

例え、どんな姿に変わっても、アイザックはアイザックだ。

好きな女を口説く為に、足繫く店に通う、何処か憎めない男。

当初は、面倒だと思っていた。

しかし、十人並みの容姿しか持たない自分の何処に惚れたのか、金髪の大男は何度も彼女が働くコーヒーショップに通っては、花や細やかなプレゼントを持って来た。

そんな彼に、次第に絆(ほだ)される自分が居た。

 

 

「グォオオオ!! 」

 

凶悪な咢(あぎと)を開き、二人に襲い掛かる妖獣・アサルト。

血塗れのアイザックに抱き着き、シンディが死を覚悟する。

 

 

グシャァ!!

 

 

飛び散る血潮。

しかし、それはアイザックとシンディのものではなかった。

月夜から飛来した真紅の槍が、襲い掛かったアサルトの頭蓋を深々と貫き、地面に縫い付けたのだ。

 

「何ぃ!!!? 」

 

予想外の出来事に、驚愕するマーコフ一家の兵隊達。

続いて、銃声が幾度か轟き、凶悪な鋼の牙が、妖獣と幽鬼の群れを蹂躙していく。

 

 

「い、一体何が・・・・・? 」

「ほらほら、何時までも馬鹿面してないで、コッチに隠れる。 」

 

血を噴き出し、醜い屍を晒す悪魔の群れを信じられないといった様子で、見つめるアイザックの耳元に、声高い少女の声が聞こえた。

厨房で会ったライドウの仲魔、ハイピクシーのマベルだ。

小さな妖精は、アイザックとシンディの目の前に現れると、作業員が使用しているプレハブ小屋の陰を指差した。

 

「うちのマスターが来たからもう大丈夫、アンタの傷を治してあげるから、早くコッチに来て。 」

 

にっこりと微笑む妖精に、狐に化かされた様な表情で頷いた。

 

 

 

真紅の魔槍『ゲイボルグ』の切っ先が閃く、次々と切り裂かれる怪物達。

ダンテの操る巨銃が火を噴き、悪魔達を粉々に粉砕していく。

 

「て、てめぇ等!一体何者だぁ!!!? 」

 

予想外の闖入者に、リーダー格の男が、最早悲鳴に近い叫びを上げる。

こんな筈ではなかった。

自分達は、人間社会に溶け込み、悪事を働く怪物達をこの街から追い出すつもりだった。

その目論見は成功し、化け物の本性を暴く事が出来た。

撮った動画をネットに流し、フォレスト一家の本性を世間に暴くつもりだった。

それなのに・・・・・。

 

「通りすがりの便利屋だ。 見逃してやるから、手に持っている召喚器とカメラを置いて行け。 」

 

ライドウが、悪魔の血で濡れた『ゲイボルグ』の切っ先を、リーダー格の男へと向ける。

喉の奥からくぐもった悲鳴を上げる男。

顔面が蒼白になり、脚がブルブルと震える。

 

 

「おい、良いのかよ? こいつ等はマーコフ一家の兵隊共だろ? 」

 

召喚された悪魔の群れを粗方片付けたダンテが、呆れた様子で言った。

誘拐されたシンディと、プールバーの副店長であるアイザックは、一応無事である。

しかし、彼等の命を狙った以上、それなりの報復をするのは当然だ。

 

「コイツ等は、マーコフ一家の兵隊じゃない。 経済的不況で職を失ったホームレス達だ。 」

「何だと? 」

「正確に言えば、ホームレスの支援センターで暮らしていた奴等だな。 マーコフ一家の連中にある事無い事、吹き込まれ、己の鬱憤晴らしにこんな事をしたんだろう。」

 

ライドウの言う通り、マーコフ一家の兵隊だと思われていた連中は、実は端金で雇われたホームレス達だった。

マーコフ一家は、彼等を焚き付け、フォレスト一家が経営する風俗店に嫌がらせをさせていたのだ。

 

「な・・・何で、そんな事を? 俺達はアンタ等に何もしてないじゃないか? 」

 

人間の姿へと戻ったアイザックが、驚いた様子で、男達を見つめる。

リーダー格の男は、忌々しそうに舌打ちする。

そして、怒りに燃える双眸を、傷だらけのアイザックに向けた。

 

「お前等、化け物が此処に居るから、俺等が真っ当な職に就けないんだよ。 人間の振りして、人間様の大事な生活をぶち壊しにしやがって。 おまけにマフィアの物真似で犯罪までして金を搔き集めているそうじゃねぇか。 お前等はこの街の癌だ!俺等は正しい事をしてるんだよ! 」

 

そう、自分達は決して間違って等いない。

 

現在、NYでは若年層のホームレスが大問題になっている。

4人に一人が寝場所を得る為に、性を売る程深刻になっているのだ。

例え、職にありつけたとしても、低賃金で散々働かせた挙句、日々の生活にすらも困窮する有様だ。

マーコフ一家は、そういった連中に目を付け、召喚器を与える事で、使い捨ての駒として利用したのである。

 

「・・・・生まれ育った環境が悪かったお前等には同情する。 だが、その怒りを最も弱い所にぶつけるのは、卑怯なやり方だ。 自分で変わろうとする努力をせず、誰かが救いの手を差し伸べてくれるのを待つなんてのは、馬鹿のやる事さ。 」

「何だと! 」

 

ライドウの言葉に、男達が色めき立った。

殺気立つ瞳を隻腕の少年へと向ける。

 

「長い歴史の中、アイザック達、ライカンスロープは常に耐えて来た。 いわれなき誹謗中傷を受け、住処を奪われ、時には理不尽な暴力に晒されても、人間には決して危害を加えず、歯を食いしばって耐え忍んで来たんだ。 何時か自分達の存在を理解してくれる人間が現れるのを信じてな・・・。」

 

強い意志を秘めた黒曜石の瞳。

その眼に見つめられた途端、今まで怒り心頭だった男達の心に迷いが生じる。

 

「そんな最も弱い人間を、同じ人間である筈のお前達が追い詰めた。 自分達の勝手な怒りを彼等にぶつけた。 マーコフ一家の甘い言葉に乗せられ、懸命に生きる仲間を踏み付けた。 そんなお前等こそ獣だ。 そこに転がっている悪魔と一緒なんだよ。 」

 

仮初の命の火が消え、形が保てず塵となる悪魔の死骸。

それを見たホームレスの一人が、手に持つ召喚器を放り投げ、逃げる様にその場から去る。

一人、また一人と、同じ様にスマートフォン型の召喚器を捨て、建設現場から逃げて行った。

後に残るのは、カメラを持つ黒人の男と、リーダー格の男の二人だけ。

 

「どうする? お前等も他の連中みたいに逃げるか? 」

 

ダンテの呆れた声に、カメラの男とリーダー格がお互いに顔を見合わせる。

 

「すまねぇ、 俺は心まで化け物になりたくねぇ。 」

 

そう言って、黒人の男が手に持っていたカメラを地面に投げ捨てる。

がっくりと項垂れるリーダー格の男。

しかし、その双眸には、未だ拭えぬ怒りが宿っている。

 

「俺は、絶対に認めねぇぞ? お前等化け物をな。 」

 

そう捨て台詞を吐くと、黒人の男と一緒に建設現場を後にした。

 

 

 

マベルの回復魔法のお陰か、幸い、アイザックの負った怪我は、それ程大した事は無かった。

妖精から治療を受ける金髪の大男と、その傍らにいる紅茶色の髪をした女性。

そんな光景を、ダンテとライドウは、少し離れた場所から眺めていた。

 

「さっきの奴等に、アンタの説教は響いたのかな? 」

 

男達が投げ捨てたスマートフォン型の召喚器を拾い、手の中で弄んでいたダンテが言った。

こんなちっぽけな機械で、悪魔が簡単に呼び出せるなんて、世も末だ。

 

「・・・・・さぁな。 俺の言葉は、あくまで第三者の声だ。 彼等の中で変わろとする意志が無い限り、何も響く事は無いだろう。 」

 

去って行くリーダー格の男を思い出す。

この不況の中、まともな職に就けるなど、宝くじに当たるのと同じぐらい確率が低い。

まともな家庭環境で暮らし、大学を出て、それなりの学歴があるならいざ知らず、それすらも無い彼等が待っているのは、決して抜け出せない蟻地獄だ。

アメリカのNPOが、彼等を救済する措置を行っているが、莫大な費用が掛かる為、全く拾い切れていないのが、現状である。

 

 

「でも、今回の事件は少しだけ救いがあったんじゃねぇのか? 」

 

 

ダンテの言葉に、ライドウが改めてアイザックとシンディの二人を見つめる。

彼女は、生粋の人間だ。

それなのに、アイザックの正体を知りつつも、逃げる事をせず、彼の傍から決して離れない。

 

「ああ、そうかもしれないな。 」

 

 

ジョナサン以外に、ライカンスロープを受け入れてくれる人間が現れた。

それは、長く苦しい差別を受けて来た彼等亜人にとって、大きな成果である事に変わりは無かった。

 




玄武のモデルはブリーチの平子真子です。


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チャプター 12

久し振りの投稿。
百合子・・・・ガイア教団の幹部。
トリッシュ・・・・百合子と同じガイア教団の幹部である氷川に雇われたフリーの魔導士。



マンハッタン、クライスラービル。

レキシントン街、405に位置する、煉瓦造りの世界で最も高い建造物である。

その外壁に一人の少年が居た。

涼しい夜風に身を任せながら、片腕の少年は、一枚の手紙を握り締め、身を屈めて蹲っていた。

 

 

『 拝啓、お父さん。

お元気ですか?私は、とても元気です。 此処に連れて来られてもう三年が経ちます。

最初は、凄く怖くて寂しかったけど、お世話係の白菊がいるから大丈夫です。

この前、明お兄ちゃんの事が心配で、白菊に頼んで調べて貰いました。

岡本さんに迷惑を掛けないで、ちゃんと学校に通ってはいるそうです。

でも、今はお父さんの事が少し心配。

私のせいで無理をしてるんじゃないかと思うと、心が痛みます。

私の事は気にしなくて良いからね? ちゃんとご飯も食べてるし、御役目も勤めてます。

お父さんもお体には気を付けて、大事なお仕事頑張って下さい。

ハルより。 』

 

 

かつての番、四神の一人、玄武から渡された最愛の娘からの手紙。

筆跡から、彼女が大分無理をしているのが分かる。

手紙の一か所に、涙の跡があるのを見つけた。

 

「・・・・・ハル・・・・。 」

 

切れる程、唇を噛み締める。

 

 

助けられなかった。

人柱の宿星から、娘を救い出す事に失敗してしまった。

あの時、自分は迷ってしまったのだ。

娘の命と、この世界に住む70億以上の命。

その二つを天秤に掛けた時、傾いたのは当然、70億以上の命だった。

 

 

 

 

 

レッドグレイブ市、便利屋事務所。

 

室内に置かれたジュークボックスから、時代遅れのジャズが流れている。

それを聞きながら、この事務所の主、ダンテがソファーに寝転んで、脚でリズムを刻んでいた。

 

「しっかし、お前さんの所に来ると借金がまた増えているなぁ。」

 

頑丈な黒檀のデスクに腰掛けた初老の仲介屋が、束になった督促状やら、電気水道等の支払いを催促する警告状を見て、思わず深い溜息を零した。

 

彼がもう少し、仕事に対して前向きになれば、裏稼業でトップクラスになる事は間違いないのだが、当の本人にやる気が全く無いのだから仕方がない。

気に入った仕事しか請け負わず、金にもならない事ばかりしているのだから、こうなる事は当然であった。

 

 

「仕方ねぇだろ? どいつもこいつもギャラの代わりに請求書だけ置いていきやがる。 」

 

再び音が出なくなってしまったジュークボックス。

知り合いのリサイクルショップの店主に、二束三文で買ったのだから致し方ない。

寝転んでいたソファーから起きると、ダンテはジュークボックスを足で蹴り上げる。

常人よりも遥かに優れた膂力を持つ男の一撃だ。

見事に前カバーが砕け散り、ジュークボックスは短い生涯を閉じた。

 

 

 

「ただいまぁー。 」

 

ジュークボックスが見事に散ってから数分後、片腕、片目の少年が、事務所のドアを開いた。

その表情には、少しばかり疲労の色が出ている。

 

「いよぉ、お仕事ご苦労さん。 」

 

そんな少年・・・・葛葉ライドウに返事を返したのは、壊れたジュークボックスを修理する初老の仲介屋、J・D・モリソンだった。

因みにこの事務所の主であるダンテは、不貞腐れた表情でソファーに寝転んでいる。

 

 

「アンタも大変だな? モリソン。 電気屋でも無いのにジュークボックスの修理なんて。 」

「はぁ・・・好きでやってる訳じゃないさ。 半分、趣味みたいなもんだな。 」

 

もう半分は、恐らく妥協だろう。

ソファーに踏ん反り返っている銀髪のろくでなしの機嫌を損ねると、折角、持って来た仕事を請けて貰えなくなる。

そんな仲介屋の苦労を痛い程、知っているライドウは、ソファーで寝ている銀髪の青年に多分に含んだ軽蔑の視線を向けた。

 

 

「一晩中、一体何処に行ってたんだ? まさか、まだ用心棒の仕事してる訳じゃねぇよな? 」

 

夜中から昼近くまで帰って来なかった少年に、ダンテが胡乱気な視線を向けた。

 

「アイザックの店を手伝ってた。 マーコフ一家からの嫌がらせが減ったとはいえ、人手不足なのは変わらないからな。 」

 

寝不足の為、大欠伸をした美貌の少年が、素っ気なくそう応える。

 

数日前、ライドウは、女荒事師のレディーにダンテの借金を肩代わりさせる為に、KKK団の一つ、フォレスト一家が経営する会員制のプールバーの用心棒を任された。

その時、フォレスト一家が所有している風俗店の嫌がらせをしていたのが、マーコフ一家が金で雇ったホームレス達であり、ライカンスロープであるアイザック達、亜人に悪質な偏見を持つが故に行っていた事が分かった。

ライドウは、支配人であるディンゴと女荒事師のレディーに事の経緯を話し、早速対策して貰ったのである。

 

 

「お人好しにも程があるぜ。 用心棒代はあの悪魔の女が全部せしめてるんだろ? 完全なタダ働きじゃねぇかよ。 」

 

 

悪魔の女とは、レディーの事だ。

金に対してがめついのは確かだが、あちこちに借金を作るダンテに言われる筋合いはない。

 

「はぁ? ちゃんと店を手伝った分の給金は貰ってるぞ? お前のくっだらねぇ借金で全部消えちまうがな。 」

 

ダンテの悪態にきっちりと悪態で返してやる。

 

良い歳をした大人が、ピザを食うか昼寝するかのどちらかなのだ。

どんなにライドウが、一生懸命働いても、全てこのろくでなしの交遊費か食事代、家賃&光熱費に消えてしまうのだから、恨み言の一つや二つ、自然に出るのは仕方ない。

 

「端金で良いようにこき使われてる奴に言われたくねぇーなぁ? 爺さん。」

「その爺さんのお陰で、ピザ屋やバーのツケが完済出来たんだろ? 少しぐらいは感謝したらどうだぁ? 鼻垂れ小僧。 」

「全く、爺は小言が多くて嫌になるぜ。 」

「お前、日本国憲法の三大義務知ってるかぁ? 教育の義務、納税の義務、勤労の義務だ。 お前には、そのどれもが欠けてる。 つまり、人間として終わってるっつーことだ。」

「生憎だったな? 此処は日本じゃねぇーよ。 」

「俺が言いたいのは、人間性の問題だ。 に・ん・げ・ん性のな!! 」

 

両者睨み合い、果てしなく悪態を吐き合う姿に、ジュークボックスを修理していた仲介屋が深い溜息を零す。

 

「お前さん達、それぐらいにしとけ。 ライドウ、一晩中、フォレスト一家の店を手伝って疲れてるんだろ? おまけに怪我も治ってないんだ。 ゆっくり休んだ方が良い。 それとな? ダンテ、こりゃ新しい部品を何処かで仕入れないと直らないぞ。 」

 

モリソンの言う通り、こんなに派手に壊れては、買い直すか、部品を何処かで発注するしかない。

しかし、当然、この事務所にそんな金などびた一文とて無かった。

そうすると、このろくでなしに働いて貰うより他に方法がない。

 

モリソンは、黒檀のデスクの上に置いてある自分の鞄から、書類が入ったA4サイズの茶封筒を出した。

 

「ほれ、お前さん向きの仕事だ・・・・おっと、悪魔絡みじゃないから安心しろよ? 」

 

ダンテに書類を押し付けたモリソンは、慌てて、ライドウに訂正する。

『狩猟者(デビルハント)』の資格を持たないダンテに、ソレ絡みの仕事をさせるなときつく言われたからだ。

 

本来、悪魔が発生させる事件、事故は、CSI(超常現象管轄局)によって厳重に情報統制されている。

発生する事象の難易度によってランク分けされており、そのランクに見合った実力を持つ『狩猟者』が選ばれ、討伐するのだ。

しかし、極稀にCSIの緻密な情報網から零れ落ちる案件がある。

モリソン達、”闇の情報屋(ブローカー)”が違法と知りながら、その案件を拾い上げ、政府には報告せずに無免許の狩人にその仕事をさせる。

これは、立派な犯罪行為だ。

しかし、ライドウはモリソンの正体を知りつつも、敢えてCSIに報告する事はしなかった。

そうしなかったのは、彼がダンテの唯一心を許せる知人であり、仕事のパートナーであったからだ。

そして、モリソンもライドウが温情で、CSIに密告しない事を知っている。

故に、恐ろしい人修羅の逆鱗にこれ以上触れない為にも、ダンテに悪魔絡みの案件を持って来る訳にはいかなかった。

 

 

「護衛の仕事? 」

「そ、今、音楽業界を賑わせている”ロック・クィーン”こと、エレナ・ヒューストンのボディーガードだ。 」

 

興味なさげに封筒から取り出した書類を眺めるダンテに、モリソンが改めて説明する。

 

5年前、新星の如く芸能界に現れ、破竹の勢いでオリコン上位へと食い込んだ、ロックの歌姫・・・・それが、エレナ・ヒューストンだった。

彼女の唄声は、人を惹きつける不思議な魅力があり、その為、彼女の唄声に魅了されるファンが多い。

 

 

「芸能世界じゃ良くある話だ。熱狂的なファンが悪質なストーカーに変わり、彼女のライブに現れては、ストーキングを繰り返す。 」

「成程、 それで、俺にストーカー退治をして欲しいって訳か。 」

 

 

書類を封筒に戻し、デスクの上に放り投げる。

全く魅力も糞も無いありきたりな内容の仕事だ。

当然、請け負うつもり等、更々無いが、山の様な請求書と督促状、おまけに背後では隻眼の悪魔使いが此方を射殺さんばかりに睨んでいる。

此処は、支払いの為にも受けざる負えなかった。

 

 

「言っとくけど、俺は全然寝て無いんだ。 店も粗方落ち着いたし、暫く休んで良いと言われてるからな。 遠慮なく、2階の寝室で寝かせて貰うわ。 」

 

お前の仕事は、絶対手伝わない。

無言でそれだけ伝えると、ライドウは大欠伸をして事務所の奥へと消える。

そんな悪魔使いの後ろ姿を黙って見送る二人。

 

 

「ま、ライドウも此処の所忙しかったみたいだからな? 少しは休ませてやろう。 」

「ちっ・・・・・・・。 」

 

紳士的なモリソンの言葉に、ダンテは不貞腐れた様子で舌打ちした。

 

 

 

NY市、ロウア―・マンハッタン。

ハドソン川河口部の中州に位置するこの島は、様々な企業や観光地、ショッピングモールやホテル等がひしめき合っている。

エレナ・ヒューストンが所属する音楽事務所は、マンハッタン島の南西部、チェルシーと呼ばれる地区にあった。

 

レッドグレイブ市から、マンハッタンへと訪れたダンテとモリソンは、事件の詳細を聞く為、一路、タクシーでその音楽事務所へと向かう。

 

 

「何時までへそを曲げてるんだ? ダンテ。 」

 

唇をへの字に曲げて、平らに流れていく商業都市を眺めている銀髪の青年に向かって、モリソンの大分呆れた声が掛けられた。

 

「別に、へそなんて曲げてねぇよ。 」

 

隣に座る初老の紳士に、大分ご機嫌斜めな返事を返す。

 

 

「あんまりライドウに腹を立てるなよ? あの綺麗な魔法使いは、お前さんの事が心配で仕方がないみたいだからな。 俺に、悪魔絡みの仕事を持って来るなと言ったのも、CSIにお前さんが目を付けられるのを恐れた為だ。 お役人を怒らせると後が怖いからな。 」

 

各国に点在するCSI(超常現象管轄局)は、連邦捜査局と同じ様な性質を持つ。

世界中で起こる超常現象を内密に調査、厳重な情報統制を敷き、決して外部には洩らさない。

その為、外部に漏れそうな人物を特定したら、問答無用で捕捉、魔法で記憶を改ざんし、酷い場合は、精神病棟へと収監してしまう。

 

 

「分かってるよ。 耳にタコが出来るぐらい聞かされた。 」

 

連日の如く聞かされるライドウの小言。

ダンテの身を案じての言葉であるが、当の本人にとっては有難迷惑である。

要は、狩猟資格を取れば良いだけの話ではあるが、悪魔使いは、決してその方法を教え様とはしない。

それ程、ダンテに悪魔と拘わって欲しくないからだ。

 

 

「余計なお世話なんだよ・・・今まで俺はこのスタイルを貫き通して来た。 今更、別の生き方なんて出来るか。 」

「・・・・。 」

 

悪魔を狩る事は、20数年間生きて来た彼の大事な指針だ。

最愛の母親を奪った悪魔を倒す為に、荒事師として自身を鍛え上げ、無数の怪物達を殺して来た。

そんな自分の生き方を、あの悪魔使いは真っ向から否定する。

過去を忘れろ、人間として生きろ、悪魔に拘わるな。

幾ら、心底惚れた相手でも、そんな説教など聞く耳はない。

 

 

重い無言の空気に包まれたまま、ダンテとモリソンを乗せたタクシーは、ロッククィーンが居る音楽事務所に到着した。

 

二人を迎え入れたのは、エレナの幼馴染みでありマネージャーを務める、ティムという名の30代半ばぐらいの男性だった。

ストーカー事件で、相当参っているのか、顔色が大分悪く、疲労の色が濃い。

 

「貴方がダンテさんですか? お噂はかねがね聞いております。 」

 

ロックランド郡の富豪、ローエル家の遺産相続事件で、ダンテの名前は広く知れ渡る事となった。

そのお陰か、待遇の良い仕事が事務所に多数舞い込んで来たが、どれも気に入らないといった理由だけで、蹴り捲っていたのである。

当然、悪魔使いの怒りが頂点に達したのは、言うまでもない。

 

事務所の応接室で、一通りの挨拶を終えると、ティムは早速本題に入った。

エレナが質の悪いストーカーに目を付けられた事。

連日の様に事務所や彼女が暮らしている高級マンションに悪戯電話が掛かって来る事。

そして、ライブ後、彼女にナイフを持ったストーカーが襲い掛かって来た事等。

 

「あの時は、幸い、彼女に怪我は無かったんですけどね。 寸での所で警備員達が、そのストーカーを取り押さえようとしましたが、結局、逃げられてしまいました。 」

 

ステージの上に居る彼女を襲おうとしたその族は、数十名の警備員に邪魔され逃げて行ったのだそうだ。

何かの体術を心得ているのか、屈強な警備員達が全く歯が立たなかったのだという。

 

 

「その時、ストーカーの顔は見たのかい? 」

 

モリソンの質問に、ティムは力なく首を振る。

 

「マスクとサングラスをしていたので、分かりませんでした。 それに、一瞬の出来事でしたからね。 その事件後、腕の良いライフガードを何人か雇ったのですが・・・・。」

 

全員、そのストーカーに返り討ちにされてしまったのだという。

 

「そりゃ・・・只者じゃねぇなぁ・・・・。」

「はい、とても人間の仕業とは思えない殺され方をしていたそうです。 」

 

モリソンの言葉に、ティムが頷く。

雇ったライフガード達は、全身の骨を内側から砕かれ、おまけに内蔵を丸ごと抉り出されていたそうだ。

 

「悪魔の仕業だな? そいつは・・・・。 」

 

質の良い革張りのソファーに踏ん反り返ったダンテが、口元に皮肉な笑みを浮かべる。

只のトラブルシュータ―紛いの仕事だと思われていたが、どっこいとんでもない内容であった。

掘り出し物のお宝を見つけた様な気分だ。

 

一方、隣に座るモリソンの顔色は、青を通り越して土気色になっていた。

拙い・・・・ライドウにバレたら確実にCSIに通報される。

 

「そんなにビビるなよ?モリソン。 あの爺さんに黙ってりゃ、絶対バレねえって。 」

「・・・・・お前なぁ・・・・。 」

 

他人事だと思って何と呑気な。

一応、裏社会で闇の情報屋(ブローカー)という仕事をしている以上、17代目・葛葉ライドウこと人修羅の噂は良く知っている。

 

血も涙もない殺人鬼。

人修羅が通った後は、ぺんぺん草すらも生えない。

 

そんな、嘘か誠か判らない逸話が独り歩きしている。

しかし、ライドウの実力は本物だ。

実際、この目で見た訳ではないが、鋭い洞察力でここ最近、起こった事件を見事解決している。

そして、何よりもこの隣にいる偏屈男が、憧憬にも近い感情をあの悪魔使いに抱いている事だった。

 

 

こうして、エレナ・ヒューストンの護衛依頼を請け負う事になった。

因みに本人は、新しい作詞&作曲制作の為、此処暫く自宅に引き籠っているらしい。

まぁ、それは建前で、異常極まるストーカー事件に内心参っているのが本音だろう。

 

エレナが住んでいる場所は、マンハッタンの中で高級住宅街として有名な、アッパー・イーストサイドにあった。

セントラルパークとイースト川に挟まれたこのエリアは、確かに裕福層が住むにふさわしい場所だ。

ダンテ達が住む、下級層で犇(ひし)めく、レッドグレイブ市とは大違いである。

 

 

 

「貴方達が新しいボディーガード? 」

 

自宅の高級マンションに訪れたダンテ達を、如何にも不機嫌そうなエレナが迎えた。

見事なブロンドの髪とモデル並みに均整の取れたプロポーションを持つ、中々の美人だ。

しかし、音楽雑誌で見る彼女と違い、実物は大分疲れた表情をしている。

微かに、煙草とアルコールの匂いがした。

 

「彼等は、その道でもかなり名が通ったプロのトラブルシュータ―だ。きっとストーカーを捕まえてくれるよ。」

 

リビングとダイニングルームが続いている構造の室内。

高級なソファーに座ったマネージャーのティムが、ダンテと、その仲介屋であるモリソンを紹介する。

 

「・・・・・無理よ・・・そう言って何人の人間がアレに殺されたか知ってるの? 」

 

冷たいアイスブルーの瞳が、銀髪の青年と初老の仲介屋を見つめる。

かなり疑心暗鬼になっているらしい。

まぁ、ライフガード達があんな死に方をしたら、当たり前ではあるが。

 

「アレは、人間じゃない・・・・化け物よ。知り合いの警察官にも、その事で散々話をしたけど、まともに取り合ってもくれなかった。」

 

エレナは、苛々とした様子でテーブルの上に置かれているメンソールの煙草を手に取ると口に咥えてライターで火を点ける。

 

「落ち着いてくれ、エレナ。 実を言うとこの方達は、怪物退治もしているんだ。今までのボディーガードとは違うんだよ。」

 

いきなりとんでもない事を平然と言うティムに、モリソンが驚いて目を見開いた。

一方、その隣に座るダンテは、ある一点を見つめている。

リビングに飾られているエレナが今迄、出したレコード。

その中に、一枚、彼女のモノとは明らかに違うジャケットを見つけたからだ。

 

「私が、ボイスロイドのファンなのがそんなに不思議? 」

 

ダンテの視線の先を見たエレナが、皮肉な笑みを口元に浮かべる。

徐(おもむろ)に立ち上がり、レコードが飾られている戸棚の所に向かった。

 

「・・・・私も、最初はAI TAIKを馬鹿にしてた。 人の作った声なんてたかが知れてる。 プロのミュージシャンの足元にすらも及ばないってね・・・でも、彼女は違った。 」

 

そのジャケットは、日本のクリエーターが造り出した人造の歌姫、『ネミッサ』だった。

 

この時代、プログラム技術が更に進化し、人と同じ様な抑揚で喋ったり唄う事が出来るAI TAIKに人気があった。

人では不可能な音階で歌わせ、それをネットで販売する音楽会社まである。

ネミッサは、そう言ったクリエーター達によって生み出されたウェブアーティストだった。

 

「今から十年前よ・・・彼女の唄を始めて聴いたのは・・・。 あの当時は、バイトをする傍ら、夢を追って路上ライブに明け暮れてた。 」

 

元々、エレナは下級層が集まるスラム街出身の人間だった。

音楽業界を飾るアーティスト達に憧れ、コーヒーショップ等でアルバイトをして生計を立てながら、路上でライブを行っていた。

次第に彼女の優れた歌唱力は、人々の知るところまでになったが、メジャーデビューする事は叶わなかった。

何ら後ろ盾も無い彼等は、レコード一枚出すのも難しかったからである。

 

「小さなショウパブを回ったり・・・路上での店頭販売・・・正直、私にとっては地獄だったわ・・・でも、そんな時に彼女の唄声を聴いたの。 」

 

気晴らしに視聴した動画サイト。

そこに映っていたのは、銀の長い髪を持つ、一人の美しい少女だった。

 

「ネミッサの唄を聴いた瞬間、震えが走った。 そして、絶望した・・・私では絶対無理、彼女の様には唄えない・・・あんな、人の心を魅了する唄声なんて出せない。 」

 

ジャケットに描かれているネミッサのイラスト。

それを指で辿りながら、エレナは当時の事を思い出す。

絶望と言葉では現わしているが、本心を言えば、彼女は、ネミッサに心奪われていた。

彼女が持つ、唄の力。

それは、とても人の手で造り出された存在だとは思えないシロモノであったのだ。

 

「彼女は、変わらない・・・・歳をとって力が衰えていく私と違って、彼女は永遠に美しいまま・・・人の記憶の中と同じ姿で存在するの・・・憎らしいとは思わない? 」

 

そう言って、ダンテの方を振り返る。

先程の怯えた様子は完全に成りを潜め、今は何処か自暴自棄な様相を呈していた。

 

「ねぇ? 貴方、怪物専門の退治屋なんでしょ? だったらこの女を殺してくれないかしら? 」

 

ネミッサのレコードを銀髪の青年の前に置く。

肌が露出した際どい衣装を着る歌姫。

何処となく哀し気に見えるのは、気のせいだろうか。

 

「俺が殺せるのは、この世にいる怪物だけだ。 残念ながら、存在しない奴を殺す事は出来ねぇよ。 」

 

エレナの申し出を、大分不機嫌そうに突っ撥ねるダンテ。

その途端、狂った様に、金髪の女は笑い始めた。

 

「フフッ、そうよね? 私ったら本当、馬鹿みたい・・・。」

 

一頻り笑い続けた彼女は、急に大人しくなる。

確かにダンテの言う通りだ。

電子の世界でのみ存在する彼女を殺せるのは、唯一、生み出した創造主だけ。

HEC社・・・Human electronics Companyの科学技術部門だけが、ネミッサを永遠に消し去る事が出来るのだ。

しかし、それは永久に有り得ない。

何故なら、ネミッサは、日本という国が代表するアーティストなのだ。

外交にすら利用される彼女を、消し去る理由が全く無い。

 

 

 

エレナから、ストーカーの情報を貰ったダンテ達は、マネージャーのティムが用意したホテルに泊まる事になった。

 

「明日は、ミッドタウンにあるラジオ局にパーソナリティーとして出演予定、その後は、テレビ局のミュージック番組、プロデューサーとの打ち合わせ兼夕食会に・・・・高級ジャズクラブでギターのソロ演奏と・・・。」

 

中々盛沢山な仕事内容だ。

これを丸々一週間、休む暇なく繰り返しているのだから、ミュージシャンも結構ハードである。

 

モリソンは、革張りのソファーに座り、煙草をくゆらせながら、分厚いメモ帳を片手に、ティムから聞いたエレナのスケジュールを反芻する。

一方、ダンテは、ホテルの窓から一望できるマンハッタンの街を無言で眺めていた。

宝石の様に煌びやかな摩天楼。

泥臭い生き方をしてきた自分とは、まるで真逆な世界である。

 

その時、ダンテのポケットに入っているスマートフォンが鳴った。

今時、携帯一つ持たないなんて恥ずかしい。

仕事柄必要不可欠だろうと、ライドウが態々、彼の為に買って無理矢理持たせたのだ。

通知相手は、案の定、悪魔使いからだった。

 

『よぉ、仕事頑張ってるか? 』

 

電話に出ると、悪魔使いの妙にテンションが高い声が聞こえた。

 

「なんだよ? 一人寝が寂しくなったか? 爺さん。 」

『ばーか、お前がちゃんと仕事してるか心配になったから電話掛けたんだよ。 』

 

ライドウ曰く、現在、アイザックの同僚、サミュエルの三男坊が3歳の誕生日を迎えたのだそうだ。

その為、一時、店を貸し切りにして、盛大なバースデーパーティーを開いているのだという。

電話の向こうでは、酒に酔った従業員達の馬鹿騒ぎが聞こえた。

 

 

 

『俺が汗水垂らして働いてるってのに、良い気なもんだな?糞爺。 』

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ?糞坊主。 」

 

受話器を肩に挟んだ状態で、右腕だけで、器用にオレンジのチーズケーキを切り分ける。

今日が、サミュエルの子供の誕生日だと前もって聞いていたライドウが、態々、作って持って来たものだった。

 

「ちゃんと、モリソンに迷惑掛けないで仕事してるかぁ? お前の事だから気に入らねぇって理由だけで、平気で投げ出すんじゃないかとヒヤヒヤするぜ。 」

 

均等分に切ったケーキを皿に盛り付け、傍らにいるパティに渡す。

甘いケーキの香りにニコニコする金髪の少女。

ケーキの乗った皿を何枚か盆に入れると、子供達がいるテーブルへと運んでいく。

 

『アンタこそ、この前みたいな変な野郎に絡まれない様気を付けるんだな。 』

 

恐らく、四神の一人、玄武の事を言っているのだろう。

あの一件後、おかっぱ頭の優男は全く姿を見せる事は無かった。

恐らく何処かで、自分の事を監視しているのだろう。

 

 

『エレナ・ヒューストンは、世界的に有名なロックシンガーだ。 上手く立ち回れば、お前の評判も上がってまた待遇の良い仕事が舞い込んで来るかもしれない。 そうなりゃ、借金で頭を悩ませる事も減るだろう。』

 

心配性なライドウの言葉に、ダンテがあからさまに舌打ちする。

ローエル家の事件で一時的に上がった株を、叩き潰したダンテを皮肉っているのだ。

確かに、エレナ・ヒューストン程有名な芸能人のライフガードを務めれば、その手の業界から名が知れ渡り、高額な仕事が事務所に入って来るかもしれない。

しかし、便利屋事務所の主であるダンテ自身が、売名に全く興味が無いのだから仕方が無いのだ。

気が乗らない仕事は決して受けない。

母親・・・エヴァの敵討ちをする為に、悪魔狩人をしている。

便利屋になったのも、己の心身を鍛え上げる為だ。

 

「爺さんは、余計な事を考えなくて良い。 今は誕生日パーティーとやらを楽しんどけよ。 」

 

何か言い掛けたライドウを無視して、通話を切る。

好い加減、小言を聞かされるのはうんざりだ。

ライドウの言い分も分かるが、自分の選んだ人生なのだ。

人にとやかく言われる筋合いではない。

 

「その顔を見ると、ライドウからだな? 大方、ちゃんと仕事をしているかの確認電話だろ? 」

「全く、俺は爺さんの息子じゃねぇっての。 アレは駄目、これも駄目、人間として普通に生きろ・・・お節介にも程があるぜ。 」

 

確かに一回り以上も歳が違うライドウにとって、ダンテは出来の悪い息子みたいな存在なのだろう。

悪魔絡みの仕事から、ダンテを遠ざけたいのも彼なりの配慮だ。

その事は、馴染みの情報屋として、常に拘わっているモリソンが一番良く判っている。

 

「お前さんだけじゃないと思うぞ? あの綺麗な魔法使いは、自分に拘わる人間達が気になるんだろう・・・パティやライカン達が良い例だ。 」

 

稀人としての能力故、悪魔に絶えず狙われるパティを護る為、マベルを護衛に付けたり、若年のホームレス達から嫌がらせを受けるライカン達の悩みを解決したのは、決してお節介からくる感情だけではない。

ライドウ自身が生来持つ、損得勘定が全く無いお人好しな性格故だ。

 

 

 

翌日、ダンテ達はエレナの護衛を開始した。

日中は、何事も無くスケジュール通りに仕事は進んだ。

しかし、最後のジャズクラブでのギター演奏で事件は起こったのである。

滞りなく、ソロでの演奏が終了し、控室へと戻ったエレナ。

着替える為、控室前の廊下で待機していたダンテ達の耳に、彼女の悲鳴が聞こえた。

急いで中に入ると、エレナと対峙する形で、濃いサングラスと白いマスクを付けたストーカーが立っている。

手には注射器らしい器具を握り締めていた。

 

「エレナ!! 」

 

マネージャーのティムが、エレナを護る為に、彼女の傍へと駆けていく。

ダンテは、双子の巨銃の片割れ、”アイボリー”をホルスターから引き抜くと、正体不明のストーカーに狙いを定めた。

 

舌打ちし、ストーカーは、控室の窓を破って外に躍り出る。

此処は5階建てのビルだ。

当然、落ちれば唯では済まない。

しかし、ストーカーは、空中で右手首に仕込まれたアンカーを使い、フックを射出する。

フックは、ビルの外壁に突き刺さり、ワイヤーを巧みに操作して、ストーカーは路上へと降り立った。

 

「ちっ!逃がすかよ!! 」

 

何も考えていないのか、割れた窓から飛び降りるダンテ。

 

「お、おい!!此処は5階だぞ!? 」

 

何の躊躇いも見せず飛び降りるダンテに、モリソンが驚いて声を上げる。

しかし、悪魔の驚異的な膂力を持つ銀髪の青年にとって、それは杞憂であった。

空中で華麗に身を翻すと、そのまま地面へと着地する。

常人では有り得ない芸当だ。

 

「全く、アイツは・・・・・。 」

 

何事も無くストーカーを追い掛けるダンテに、初老の仲介屋は呆れた溜息を零した。

 

 

 

ブルックリンブリッジパーク。

ブルックリンブリッジの近くにあるこの水辺の公演は、マンハッタンの絶景を一望する事が出来る。

その公園内で、ダンテはストーカーを捕まえる事が出来た。

 

「もう逃げられないぜ? いい加減諦めろ。 」

 

人影が最も少ない深夜帯。

漆黒の巨銃が、背を向けるストーカーに狙いを定める。

どうやら観念したらしい族は、ダンテに振り返ると目深に被ったフードと濃いサングラスを外す。

見事なプラチナブロンド。

整った美しい容姿に、ダンテと同じアイスブルーの瞳。

 

ストーカーの正体は、マレット島で出会ったイギリスの女諜報員、トリッシュだった。

 

「てめぇ・・・確か、あの時の・・・・・。 」

「可愛い魔法使いの坊やは元気にしているかしら? 便利屋のお兄さん。 」

 

悪戯っぽく微笑む女に、ダンテが鋭い視線を向ける。

 

魔帝・ムンドゥスとの激戦で、瀕死の重傷を負ったライドウに応急処置を施したのが、この女だった。

そして、魔導専門の医者を紹介し、何時の間にか姿を消していたのである。

後で、ケルベロスに聞いた話だと、ライドウ達『クズノハ』に、マレット島調査を依頼したのがこの女だった。

そのトリッシュが何故、此処に?

 

「何の目的で、エレナを襲った? 返答によっちゃぁ、只じゃおかねぇぞ。」

「そういう貴方こそ、私の仕事の邪魔をしないでくれないかしら? 」

「仕事だと? 」

 

ダンテの鋭い視線。

そんな便利屋に対し、ブロンドの女諜報員は、不敵な笑みを浮かべる。

 

「この一件は、貴方みたいな素人が出る幕じゃないって事よ。 痛い目に会いたく無かったら、大人しくお家に帰りなさい。 」

「はっ、舐められたもんだぜ。 」

 

銃口の照準を、女の眉間にピタリと合わせる。

いくら母親のエヴァに瓜二つな容姿をしているとはいえ、中身はまるで別人だ。

マザコンの気質がある双子の兄、バージルなら躊躇うだろうが、自分は違う。

女の出方次第では、容赦なく手足を撃ち抜くつもりだ。

 

「良いから言う事を聞いてくれないかしら?坊や。 早くしないと手遅れになってしまうわ。 」

「だから一体どういう事なんだって! 」

 

そう言い掛けたダンテは、背筋を走り抜ける殺気を感じた。

見ると、何時の間に発生したのか、無数の紅い法陣が、トリッシュとダンテを取り囲む様にして展開している。

 

「ちっ、どうやらあの蛇女に気づかれたみたいね。 」

「蛇女? 」

 

次々と真紅の魔法陣から実体化する悪魔達の群れを見て、舌打ちしたトリッシュの言葉に胡乱気に応える。

そんなダンテを尻目に大きく跳躍する女諜報員。

身体強化の魔法を使用したのか、公園内にある電灯に飛び移ると、悪魔の集団に取り囲まれる便利屋を見下ろした。

 

「悪いわね?ソイツ等の相手任せるわ。 」

「おい!一体どういう事なのか説明しろ!! 」

 

背負っている大剣『リベリオン』を引き抜き、遥か頭上にいる女諜報員を睨みつける。

しかし、トリッシュはそれには応えず、投げキッスを送ると、移動魔法を使って何処かへと跳んで行ってしまった。

 

 

 

 

グリニッジビレッジのナイトクラブ。

ストーカーに襲撃されたエレナを一旦、別室で休ませ、ティムは警察に連絡するべく店のオーナーの所へと向かった。

 

「すぐにニューヨーク市警が来てくれるそうです。 」

 

人が掃けた店内。

テーブル席で煙草をくゆらせているモリソンの所に、警察に連絡をしたマネージャーのティムが現れた。

 

「エレナを一人にして大丈夫なのかい? 」

「・・・・・大分、パニックを起こしているのか、一人になりたいと言って聞かないんですよ。 」

 

心底困った様子で眉根を寄せたティムが、エレナが休んでいる控室の方向を見つめた。

あの後、警察の所に行って保護して貰おうとエレナに言ったが、どういう訳なのか彼女は、頑としてそれを聞き入れず、触るな、一人にしろっ、とヒステリックに叫んでいた。

こうなると全く手が付けられない事を知っているティムは、仕方なく店のオーナーに頼んで、別室で寝かせる事にしたのだ。

 

 

 

エレナがいる控室。

高価な革張りのソファーに、エレナはうつ伏せて寝ていた。

何処か調子でも悪いのか、蹲り、苦痛の呻き声を洩らしている。

 

「ああ・・・・お腹が空いた・・・・お腹が空いて死にそう・・・薬・・・薬が欲しい・・・。 」

 

喉の渇きを癒す為に、何度も生唾を呑み込む。

激しい程の飢餓感。

普通の食事何て駄目だ。

血の滴る生の肉・・・・人間の内臓の柔らかい肉が食べたい。

 

「フフッ、大分辛そうね? エレナ。 」

 

頭上から掛けられる女の声に、エレナは慌てて顔を上げる。

ぼやける焦点。

そこに見知った女の姿を認めて、慌ててうつ伏せていたソファーから転げ落ちるかのように降りた。

 

「薬!お願い!薬を頂戴!!! 」

 

漆黒のスーツを纏う女の足元に縋りつく。

今、エレナの頭の中は、身を焼くほどの飢餓感と恐怖感で溢れていた。

 

お腹が空いた・・・・薬、薬を呑まないと怪物になってしまう。

 

そんなエレナの様子をまるで楽しんでいるかの様に、眺めているスーツの女。

蛇を思わせる縦の瞳孔が、残忍な光を放つ。

 

「薬? もしかしてコレの事かしら? 」

 

女は、胸元から小さなビニール袋に入った薬を取り出す。

足元に居るエレナにちらつかせると、まるで餌を欲しがる犬の様に、3錠程入った薬のビニール袋へと飛びつこうとした。

 

「駄目駄目、只では上げられないわ。 」

「お金?お金ならいくらでも上げるわ!だから、薬を頂戴!! 」

 

薬欲しさに必死に懇願するロッククィーンを、まるで嘲るかの如く、冷酷な微笑を浮かべる黒髪の女。

髪の色と同じ黒いマニュキュアが施された右掌で、エレナの顔を鷲掴む。

 

「お金何ていらない・・・・私が欲しいのは、貴方が今迄搔き集めてくれた人の心よ。 」

 

怪しい光を放つ右掌。

途端に、エレナが口から泡を吹いて激しく痙攣する。

エレナから吸い上げられる赤い光の束。

それは、黒髪の女の掌で丸い球体となる。

 

「ふん、こんな程度しか集まらないなんて・・・・世界的ミュージシャンだと聞いたけど、大した事は無いのね。 」

 

ポケットから小瓶を取り出すと、球体をその中に入れる。

液状に変わる、人の心の結晶体・・・・マグネタイト。

軽く振ると、真紅の液体は、ちゃぽんと音をさせた。

 

「次はカーネギーホールで、コンサートなんでしょ? この倍はマグネタイトが集まる様に期待してるわ。 」

 

紅い液体が入った小瓶をポケットに仕舞うと、女はエレナの目の前に薬が入ったビニール袋を落す。

涎と涙で酷い様相となったエレナ。

必死でビニール袋を握り締めると、乱暴に破って中の錠剤を取り出す。

貪る様に薬を呑み込むと、途端に恍惚の表情へと変わった。

 

「ああ・・・・・お腹が空いたぁ・・・・・・。 」

 

みるみるうちに変貌していくロッククィーンの肉体。

手足が異様に長くなり、指が鋭い鉤爪へと変わる。

口が耳元まで裂け、淡いグリーンの瞳は、血に飢えた赤色へと変色した。

 

「全く・・・・”クリフォトの根”から抽出した樹液で、人間を悪魔に変える薬を開発したのは良いけれど、この食人欲求には困りモノね。アグナスって言ったかしら・・・彼に報告して、改良して貰う必要があるわね。 」

 

完全に悪魔へと変貌したエレナは、己の食欲を満たす為に、室内の窓を突き破って、表の繁華街へと躍り出る。

それを無言で見送る女。

一つ溜息を零すと、闇の中へと消えて行った。

 

 

 

 

ニューヨーク、ハーレム地区125丁目。

そこに、フォレスト一家がオーナーの会員制のプールバーがある。

時刻は既に深夜帯。

普通の子供なら、既に就寝して夢の世界に居る筈だが、パティ・ローエルだけは、しっかりと起きていた。

 

 

「ライドウ、寝ちゃってる。 」

 

ソファーの上で大きな鼾をかき、だらしなく腹を出して眠る片腕、片目の美少年。

これでは、100年の恋もあっという間に冷めてしまう。

 

「仕方ないよ・・・アイザックの店の手伝いとか、嫌がらせしてたホームレス達の為に職を斡旋してあげたりとか、色々忙しかったみたいだからね。 」

 

苦笑を浮かべた紅茶色の髪をした女性、シンディが、大きく口を開けて熟睡しているライドウに毛布を掛けてやる。

 

ライドウは、KKK団(クー・クラックス・クラン)の幹部の一人であるディンゴに掛け合い、フォレスト一家が所有する店舗に嫌がらせをしていたホームレス達の職を紹介してくれる様に頭を下げたのだ。

彼等は、マーコフ一家の口車にまんまと乗せられ、業務妨害をしていただけである。

職を失い、明日をも知れぬ彼等を救済すれば、この騒動も落ち着くと考えたからであった。

ディンゴもライドウの申し出を快く受け取り、フォレスト一家が経営するバーやホテル、土木建築等に、彼等の仕事を紹介する様、手を回してくれた。

お陰で、店に嫌がらせをしていた若年層のホームレス達の数は、みるみるうちに減ったのである。

 

 

「赤の他人の為に此処までする奴って、中々居ないよね? 」

 

ライドウの寝顔を眺めながら、シンディは、ぽつりと呟く。

パティも子供ながらに、彼女の言いたい事は、何となく判った。

 

孤児である自分や亜人種のライカン、そして貧困故に道を踏み外した若者達にも救済の手を差し伸ばすライドウ。

見返りなど一切求めず、人の為に一生懸命働く彼の姿に、周りの人々も何とかしたいと同じ様に動く。

日々の辛い生活で、忘れかけていた人間が本来持つ優しさを、この悪魔使いは思い出させてくれるのだ。

 

「アイザックが言ってたよ、”この人は親父さんの生まれ変わりだ”ってね。 」

「親父さん? 」

「この店のオーナーよ・・・・ハーレム地区でも有数な資産家なんだって。 」

 

ジョナサン・ベッドフォード・フォレスト。

KKK団の創始者の一人であり、ホテル王として、ハーレム地区で有名な実業家でもある。

数週間前に、不慮の事故により死亡。

その後は、長女であるテレサが家長代理として、父親の事業を引き継いだ。

 

「物凄く良い人だったみたい・・・アイザック達、ライカンを偏見で見ないどころか、仕事と住む場所まで用意してくれたみたいよ。 まさに現代版のキング牧師ね。 」

「ふうん、そうなんだ・・・。 」

 

シンディもパティも純粋な人間である為、彼等、亜人種であるライカンの苦しみは判らない。

きっと、想像も出来ない苦しみを体験してきたのであろう。

そんな彼等を救済したのが、KKK団(クー・クラックス・クラン)の創始者である一族の一人、ジョナサンであったのだ。

まさに、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として有名だった、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を彷彿とさせる人物である。

 

 

「・・・・私・・・ライドウの事が大好き・・・・優しくって、強くって・・・どんな辛いことがあっても、何時もニコニコ笑ってる。 」

 

鼾をかいて熟睡している悪魔使いの寝顔を眺めながら、パティは自分が抱えている想いを吐露する。

紅い髪を持った妖精を従える、人形の様に綺麗な顔をした片目、片腕の少年。

どんなに強い悪魔でも、難なく蹴散らし、自分のピンチに必ず駆け付けてくれるヒーロー。

 

「・・・・小さい時から孤児院に居たから、本当のお父さんやお母さん何て知らない。でも、ライドウと一緒に居ると、お父さんってこんな感じなのかなぁって、何時も思うの。 」

「・・・・・そうね、ちょっとお人好しで、危なっかしい所があるけど、こんな人がお父さんだったら素敵かもね。 」

 

そんなパティの言葉に、苦笑を浮かべて頷くシンディ。

ソファに寝ている片目片腕の少年と、それを眺めている金髪の少女と、紅茶色の髪をした女性。

窓辺に映る彼等を、建物の真向かいにあるテナントのビルの屋上から、一人の少女が見下ろしていた。

銀の長い髪に、新雪の如く白い肌。

蒼い双眸が、プールバーの控室の窓に映る暖かな光景を、眩しそうに見つめている。

 

「心配しなくても大丈夫よ・・・・彼は、貴女が傍にいるから絶対に壊れない。 」

 

銀色の髪を持つ少女の肩に座る小さな妖精。

哀し気な色を宿す、蒼い瞳の少女を見上げる。

 

「うん・・・・・でも、あの時みたいに無理してるのが分かる。スプーキーが死んだ時も同じ様な顔をしてた。 」

 

天海モノリスでの死闘。

彼等の大事な仲間の一人、スプーキーズのリーダー、桜井雅弘に憑依した『ファントムソサエティ』の幹部の一人、魔王・サタナエル。

望んだ戦いでは無かった。

本当なら、スプーキーを助けたかった。

しかし、それは叶わぬ願いとなった。

結果は、最悪な事態となって終わり、自分達は永遠に消えぬ傷を背負う事となった。

 

 

「ネミッサ・・・・・。 」

「歯がゆいよ・・・・マベル・・・・私は、彼に何もしてあげられない・・・。 」

 

そう・・・今の彼女は、実体を持たぬ電霊。

愛する男性(ひと)の命を救う為に、その力と躰を捧げたのである。

 

 

 

 

一夜明けて、エレナ・ヒューストンが所属するレコード会社の応接室。

眠れぬ夜を過ごしたダンテと、その仲介屋であるモリソンは、彼女のマネージャーであるティムに昨夜起こった出来事を報告していた。

 

 

「トリッシュ・・・ですか・・・申し訳ありません。そんな名前の女性は知りませんね。 」

 

ダンテからストーカーの正体を聞いたティムは、残念そうに首を振った。

全く一睡も出来ていない為か、顔色が悪く、目の辺りも心成しか落ち窪んでいる。

無理もない。

エレナは極度の興奮状態にあり、ストーカー襲撃後、ストレスの余り室内の硝子窓を自分の手で叩き割っている。

医者に診せて応急処置はして貰ったが、入院だけは頑なに拒んでいた。

 

「エレナはその・・・・大丈夫なのかい? 」

「正直、大丈夫とは言えません。 精神的に大分不安定になっていますし、本当なら何処か安全な所で療養させてやりたいのですが・・・・・。 」

 

絶対に、今週末に行われるカーネギーホールでのライブイベントを行う。

ティムがどんなに宥めすかしても、エレナは頑としていう事を聞かず、今週末に行われる大規模なライブイベントに参加すると言い張っているのだ。

 

疲れた様に重い溜息を吐くマネージャーに、モリソンは憐憫の情で眺めた。

 

 

一通り、報告を終えたダンテとモリソンは、一度用意されたホテルに戻る為、レコード会社の地下駐車場へと向かった。

 

「気に喰わねぇな。 」

 

レンタカーに乗り込むと、助手席に座ったダンテが吐き出すように呟いた。

 

「何が気に喰わないんだ。 」

 

車のエンジンをかけ、ハンドルを握るモリソンが訝し気に聞いた。

 

「ティムって野郎の態度だ。 ストーカーに襲われたばかりだというのに、平気で彼女を自宅のマンションに帰している。 おまけに病院に連れて行くどころか警察にも連絡してねぇ。 」

 

確かにダンテの言う通りである。

百歩譲って警察がエレナ達の訴えを虚偽と判断し、取り合わないのは分かるとして、窓ガラスを割って怪我をした彼女を病院に連れて行かないのはおかしい。

 

「あのマネージャーが嘘を吐いていると? 」

「分からねぇ・・・・只、あの女が一枚噛んでいるとしたら、大分厄介な事件である事は間違いないがな。 」

 

悪魔の群れに襲撃された時に、トリッシュが洩らした『蛇女』という言葉。

これは予想の範囲を遥かに超えるが、もしかしたら、エレナはその蛇女とやらと何かしら関係があるのかもしれない。

そして、恐らくあのマネージャーもその事を知っている。

 

 

まんじりともしない気分のまま、二人は滞在しているホテルに到着した。

モリソンは、ダンテを駐車場前で降ろすと、別件の仕事が入ったから、一旦自分の事務所があるレッドグレイブ市に戻ると伝えた。

 

両手をコートのポケットに突っ込んだダンテが、去って行く車の後ろ姿を眺める。

不図、自分の背後にある気配を感じた。

徐に振り返ると、そこに昨夜、予想外の再会を果たした女諜報員、トリッシュが数歩離れた場所で立っている。

昨日と違うのは、彼女の右腕に包帯が巻かれ、右頬に大きな絆創膏が貼られていた。

 

「まさかそっちから俺に会いに来るとはな? 」

 

濃いサングラスを掛けた金髪の美女に、皮肉な笑みを浮かべる。

そんな銀髪の大男に向かって、女は一つ溜息を吐いた。

 

「本音を言うと、貴方に頼りたくは無かったんだけどね。 あの女に目を付けられた以上、貴方に協力して貰うより他に方法がないのよ。 」

 

そう言って、トリッシュは、懐のポケットから何かの溶液に満たされた小瓶を取り出す。

 

「貴方にお願いがあるの。 この薬を彼女・・・・エレナ・ヒューストンに飲ませて欲しいのよ。 」

 

ダンテに向かって、その小さな小瓶を投げ渡す。

自然とソレを受け取るダンテ。

掌に収まるぐらいに小さい瓶には、蒼い液体が入っていた。

 

「一体、何の薬だ・・・・? 」

「中和剤よ・・・・・悪魔になってしまった人間を元に戻すね・・・・。 」

「何だと? 」

 

トリッシュが事の経緯を簡単に説明する。

彼女曰く、エレナは『蛇女』に働き蜂として目を付けられた事。

”ゼブラ”と呼ばれる人間を悪魔に変えてしまう『魔薬』の被検体にされた事。

そして、マネージャーのティムがその事を知りつつも、何もしない事を告げた。

 

「成程な、だからお前はコイツを彼女に飲ませようと襲った訳か。 」

 

これである程度の事件のあらましは理解出来た。

しかし、『蛇女』の正体と『働き蜂』の役割が分からない。

 

「詳しい説明は後、 それより一刻も早く中和剤を打たないと・・・・。」

「人の大事な仕事を邪魔するなんて悪い子ね? マリー。」

 

そう言い掛けたトリッシュの言葉を車の物陰から現れた人物が遮った。

漆黒のスーツに身を包んだ、蝋細工の如く白い肌をした黒髪の女。

蛇の如く鋭い金の双眸が、ダンテとその傍らに居るトリッシュを眺める。

 

「百合子・・・・・。 」

「ナオミの一番弟子だったから、色々と大目に見てあげたけど、流石にお仕置きが必要らしいわね。 」

 

百合子と呼ばれた黒髪の女は、視線をトリッシュからダンテに移す。

殺意に濡れた金の瞳。

ダンテの背を言い知れぬ怖気が走った。

 

この女・・・普通の人間じゃない。

 

「そういう貴女こそ一体何を考えているの? あの薬はまだ実験段階で、実用するには危険過ぎるのよ。 」

 

トリッシュは、腰に吊るしてあるホルスターからグロック26のグリップに手を伸ばす。

女性でも扱いやすく、165mmというコンパクトなボディをしている。

しかし、小型ながらも鋭いリコイルで命中精度もそれ程悪くはない。

この距離ならば、確実に女の眉間を撃ち抜ける。

 

「だからこうして実験してるんじゃない? 食人欲を抑えれば、そこそこ使い物になるわよ。 」

 

冷酷な笑みを口元に浮かべた百合子は、パチンと指を鳴らした。

瞬く間に、ダンテとトリッシュの二人を取り囲むかの様にして出現する無数の法陣。

ブルックリンブリッジパークで、現れた魔法陣と酷似している。

 

「お喋りはもうお終い、私は次の狩場に移動するわ。 」

 

蜘蛛の躰に女の顔をした怪物・・・・アルケニーを数体召喚した百合子は、ダンテに鋭い視線を向けたまま、闇の中へと溶け込み消えた。

後に残されるダンテとトリッシュ、そして数十体にも及ぶ化け物蜘蛛の群れ。

退路は完全に断たれ、戦うより他に術は残されていなかった。

 

 

 

ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウン。

そこに世界でも有名な巨大コンサート会場、カーネギーホールがあった。

1891年に建設されたこの建物は、メイン・ホール、室内楽ホール、リサイタル・ホールの三つの部分から構成されている。

その室内楽ホールのすり鉢状のステージの上に、エレナ・ヒューストンの幼馴染みでありマネージャーのティムが立っていた。

 

「此処でライブを行うのは、一体何回目になるんだろうね? エレナ。 」

 

舞台の端、暗闇に閉ざされた場所に向かって、ティムは話し掛ける。

しかし、暗闇に立つ人物・・・・エレナは応えない。

終始無言のまま、ステージ中央に立つ男を眺めている。

 

「・・・・・昔の事を覚えているかい? あの時はとても大変だったね・・・・レコード一枚出すのに四苦八苦して・・・あちこち営業周りをして・・・・。」

 

何の後ろ盾すらもない自分達に、世間の風は冷たすぎた。

どんなに素晴らしい才能を秘めていても、音楽の世界は決して彼女を認め様とはしなかった。

しかも、現在は、人工知能ツールのAI TALKに絶大な人気があり、人間では表現不可能な音階を意図も容易く唄ってみせる。

最早、人が歌う魂の声など、過去の遺物として扱われていた。

 

「エレナ・・・・・僕は、君の夢が叶えられれば良いと、そればかり考えていた。 君の唄声は、人々を惹き付ける力がある。人が失ってしまった大事なモノを思い出させてくれる力がある・・・・そう、信じていたんだ。 」

 

かつて、多くのバンドが音楽世界を席巻していた。

AI talkなどという紛い物が現れる遥か以前の話である。

人間の魂の籠もった声は、日々の生活で摩耗する心を癒してくれた。

その癒しの声を、エレナが再び蘇らせてくれるとティムは考えたのである。

 

 

「・・・・・私は勝てない・・・・ネミッサには絶対敵わない・・・・彼女は、私なんかより遥か遠くの存在なの。 」

「エレナ・・・・・? 」

 

舞台端から現れる金の髪を持つ美しい女。

しかし、その瞳には魂の火が完全に消え、両手には痛々しく包帯が巻かれている。

 

「私が今迄してきた事は、彼女の唄をただ模倣するだけ。 一度だって自分だけの・・・オリジナルの唄なんて唄った事はないわ。 」

 

そう、10年前のあの日、夢に破れ、全てに自暴自棄になった彼女の耳に流れて来たラジオの歌番組。

その時に流れて来たネミッサの唄声が、彼女に現実を突きつけ、絶望の底へと叩き落したのである。

 

「そんな事は無い!エレナ!君には才能があるんだ!ネミッサなんて、人が造り出したプログラムじゃないか!熱い血が通った君のロックとあの人形は・・・・!!」

「もう止めて!貴方の慰めなんて沢山よ!!」

 

ティムの言葉をエレナは、乱暴に遮ると、己の両腕で震える肩を抱く。

自分に対する彼の愛情は、痛い程伝わって来る。

しかし、彼が過剰に自分に期待すれば期待する程、エレナを否応も無く追い詰めていく。

 

「喉が渇く・・・・ああ、喉が渇いて仕方がないの。 」

 

スーツのポケットから、ビニール袋に入った錠剤を取り出す。

それは、昨日、ライブハウスの控室で、百合子から渡された薬だった。

 

「・・・・エレナ・・・・まさか、その薬は・・・・・? 」

「お腹が空いて堪らない・・・・ティム、貴方の内臓を頂戴。 」

 

袋から錠剤を一粒取り出すと、それを舌の上に乗せる。

薬を胃の中に呑み込むのと、エレナの肉体に異変が起きた。

口から涎を垂らし、激しく痙攣を始める。

スーツを突き破り、異様な程長くなる手足。

口は耳元まで裂け、鋭い牙が血肉を求めて凶悪に伸びる。

 

「え・・・・エレナ・・・・。 」

 

恐怖で見開かれる双眸。

これが本当に人々を魅了する唄声を持つ、ロッククィーン、エレナ・ヒューストンなのだろうか?

蟷螂目を連想させる鎌の様な形状を持つ両腕、節足動物の様な鋭い鉤爪の付いた脚。

目の前の獲物に襲い掛からんと、前傾姿勢を取る。

 

 

 

「!!!!!? 」

 

 

その時、何処からともなく飛来したコーヒーの缶が、怪物と化したエレナの頭部に命中した。

二、三歩よろけるエレナ。

何事かと投げつけられた方向に顔を向ける。

扇型に広がる観客席。

舞台へと続く階段の上に一人の男が立っている。

日本の対悪魔組織、『クズノハ』に属する暗部、八咫烏。

その元締めである骸、直属の配下、四神の一人である玄武がそこにいた。

 

「あーあ、勿体ない。 まだ空けても無かったのに、思わず投げてもーた。」

 

玄武はわざとらしく肩を竦めると、ゆっくりとした歩調で舞台に近づく。

金色の髪を肩口で綺麗に切り揃え、右手には根元に『阿修羅』と刻まれた木刀を握っている。

 

「何者?? 」

 

怒りに染まる金色の瞳が、不埒な闖入者を睨みつける。

お腹が空いて堪らないのに、私の大事な食事を邪魔しないで。

 

「名乗る程のモンやない。只の通りすがりの観光客や。 」

 

口元に皮肉な笑みを浮かべた東洋人の男が、木刀の切っ先を悪魔と化したエレナに向ける。

舞台中央で対峙する金髪のおかっぱ頭の男と怪物となったロッククィーン。

 

「しっかし、けったいな事もあるもんやなぁ、人間を悪魔に変えちまう薬とはねぇ・・・800年以上生きて来たけど、こんなん初めて見たわ。 」

 

木刀の峰で自分の肩を軽く叩く。

蟷螂の如く鋭い鉤爪を持つ両腕、異様に伸びた脚。

そして耳元まで裂けた口と、悪魔特有の金色の瞳。

あの美しかった唄姫の面影は、微塵として残ってはいなかった。

 

 

「お腹が空いた・・・・ああ、もう我慢出来ないのよぉ! 」

 

滂沱と涎を流し、鬼女と化したエレナが玄武に飛び掛かる。

それを軽く躱す男。

鋭い一閃が、鬼女の右腕を綺麗に斬り落とす。

 

「ひぎゃぁああああああああ!! 」

 

舞台に転がる自分の腕を見た瞬間、エレナが悲鳴を上げた。

噴き出る鮮血が、ステージをどす黒く濡らして行く。

 

「エレナぁ!! 」

 

藻掻き苦しむ愛する女の姿に、ティムが顔色を真っ青に変える。

そして縋りつく様な視線を、舞台端へと移動した金髪のおかっぱ頭へと向けた。

 

「た、頼む!彼女は、あの女に操られているだけなんだ!薬の効果が切れれば、また人間に戻れ・・・・。 」

「もう、戻れんわドアホ。 この女はかなりの数の人間を喰っとる。 もうとっくに心も身体も悪魔なんや。 」

 

ティムの懇願を冷酷に切って捨てる玄武。

彼の鋭い嗅覚が、エレナの躰から漂う人間の生臭い血の臭いを嗅ぎ取っていた。

二人や三人だけでは済まない。

恐らく十数人にも及ぶ人間の臓物を喰らい続けていたに違いなかった。

 

 

「ワイ等がしてやれるのは、なるべく苦しまない様に一秒でも早く、楽にしてやる事だけや。 」

 

脚を開き、上体を僅かに前に倒して、木刀を脇の辺りまで下げる。

木刀の柄を右手で軽く触れ、数歩先に居る悪鬼と化したエレナを静かに見据えた。

 

「欲しい・・・・欲しい・・・・・。 」

 

右腕を斬り落とされ、苦痛で悶えるエレナ。

しかし、その痛みよりも身を焼く程の飢餓感が彼女の心を支配していた。

喰いたい、喰いたい・・・・・生きている人間の内臓の肉が喰いたい。

 

「貴方の内臓が欲しい!! 」

「表居合術3ヶ条・・・・抜討之剣(ぬきうちのけん)。」

 

狂気に満ちたエレナの絶叫と玄武の静かな呟きが、見事に重なる。

一条の閃光となって消える玄武。

次の瞬間、おかっぱ頭の男は、エレナの真後ろ、数歩離れた場所に先程と同じ姿勢で立っていた。

 

「え・・・・・エレナ・・・・? 」

 

人間の動体視力では、到底追いつけない早業。

木刀『阿修羅』の刺突によって、心臓を潰され、胸に大きな穴を穿たれたエレナがゆっくりと舞台の上で倒れる。

 

「何て・・・・・馬鹿な夢・・・・・。 」

 

悪魔の力が抜け、元の人間へと戻るエレナ。

最後にか細い声で、それだけ呟くと、絶望に満ちた表情のままこと切れた。

 

 

 

 

ホテル地下駐車場での一戦後。

妖獣・アルケニーの群れを排除したダンテ達は、自宅にエレナが居ない事を確認した。

急いで彼女が所属する音楽事務所に問い合わせると、マネージャーのティムと共に今週末で行われるコンサート会場に向かった事を知らされた。

休む間もなく、マンハッタン区ミッドダウンにあるカーネギーホールへと向かう。

室内楽ホールへと脚を踏み入れると、ステージの上で人の形をした塩の塊で力無く項垂れるマネージャーのティムを見つけた。

 

「てめぇは確か・・・・・・!? 」

 

舞台端に立つおかっぱ頭の男を見つけたダンテの視線が鋭く変わる。

右手に持つ木刀で軽く自分の肩を叩いていた男・・・玄武が、室内の入り口に立つダンテとトリッシュの方を振り向く。

途端、唇の端が三日月の様な弧を描いた。

 

「何や? 17代目のペットやないかい。 ご主人様はどないしたんや? 」

「・・・・・っ! 」

 

咄嗟に、双子の巨銃の片割れ、”アイボリー”をホルスターから抜き、玄武の眉間に狙いを定める。

しかし、そんな銀髪の魔狩人を女諜報員、トリッシュが止めた。

 

「この男に銃何て無意味よ・・・逆に殺されてしまう。 」

「・・・・奴が何者か知ってんのか? 」

「ええ・・・ライドウと同じ組織・・・”クズノハ”の一人よ。 」

 

トリッシュは、それだけ説明すると状況が全く理解出来ないダンテをその場に置いて、玄武達がいるステージへと向かった。

 

「それ・・・・もしかして、エレナ・ヒューストン? 」

 

アイスブルーの瞳が、塩の塊へと向けられる。

上質な白いスーツと人の形をした塩の山。

事態から鑑みて、エレナである事はまず間違い無いだろう。

 

「せや、ワイも一応”クズノハ”の人間やからな? 掟に従って人間(ヒト)に害成す悪魔を討伐しただけや。 」

 

いくら観光目的で訪れた異国の地とはいえ、人間に仇名す悪魔を放置する訳にもいかない。

戒律に従い、悪魔を殺した・・・・ただそれだけだ。

 

「・・・・・っ。 」

 

ニタリと笑う男に言い知れぬ怖気が走る。

彼女は”ゼブラ”という魔薬で悪魔となった哀れな犠牲者だ。

中和剤を投与すれば、元の人間に戻せたかもしれない。

しかし、それを説明したところで、エレナが死んでしまった以上、最早無意味である。

 

 

「・・・・・全部、僕のせいだ・・・・・僕があの女をエレナに紹介しなければ・・・彼女は怪物になる事も、死ぬ事も無かった。 」

 

生気が全く無い硝子玉の瞳で、かつてエレナだった塩の塊を見つめながら、ティムはぽつりぽつりと事のあらましを説明し始めた。

 

いくら才能があっても、何のコネも無い彼等にとって世間は余りにも残酷だった。

各音楽事務所は、決して彼女の唄声を認め様とはしてくれなかった。

音楽業界は、人間の肉の声ではなく、機械が造り出すAIの唄声だけに魅了されていたのである。

人間では、到底表現不可能な音階を意図も容易く唄ってみせる彼等、ボイスロイド。

ネットでは、彼等の唄声が支配し、人間が唄う生の声は、時代遅れの遺物として扱われていた。

エレナの唄声は、数世紀も遅れた過去の存在。

そんなモノに、時代の最先端を行く彼等が見向きもしないのは当然である。

 

現実に打ちのめされ、絶望の淵を漂う彼等の前に現れたのが、『百合子』と名乗る黒髪の美女であった。

芸能プロデューサーという肩書を持つその女は、エレナに類稀な才能があると持ち上げ、是非、自分に彼女を担当させて欲しいと言って来た。

当初は、半信半疑だったティムであったが、藁にも縋りたい状況であった為、何の躊躇いも無く了承した。

それが、間違いの始まりであったのである。

 

どんな魔法を使ったのか知らないが、メジャーデビューを果たしたエレナは、瞬く間にロッククィーンとして音楽の世界にその名を轟かせた。

彼女が出すCDは飛ぶ様に売れ、テレビ局やマスコミ各社は、こぞって彼女を取り上げた。

人が忘れ去ったロックを見事、復活させた現代の唄姫。

人々は、そう称賛し、彼女を文字通り女王として崇めた。

しかし、その時からエレナに異変が起こり始めていた。

 

 

「彼女から、僕が住んでいるアパートメントに電話がありました。 電話口の彼女は、酷く動揺していて・・・取り返しのつかない事をしてしまった。助けて欲しいと・・・僕は、急いで彼女が住んでいるマンションに向かったんです。 」

 

そして、そこで彼女の付き人である、女性の変わり果てた姿を見つけた。

内臓を引きずり出され、絶望に歪んで死んでいる年若い女性。

その前で、血で染まった両手で顔を覆い、蹲るエレナ。

 

「私は再三貴方に忠告したわ。 百合子という女から手を引けってね。 でも貴方は決して聞き入れてはくれなかった。 それどころか、エレナが魔薬に手を出しているのを知りつつ、見ない振りを続けた。 」

 

魔薬”ゼブラ”の力を借りて、人々を魅了させる唄声を造り出す彼女をティムは、薄々、勘づいていた。

一番、エレナを止める事が出来る立場にあるティムに、トリッシュは近づき、何度も魔薬に手を出すのを止めさせる様に忠告した。

しかし、ティムは、トリッシュの忠告を無視し、エレナの好きな様にさせた。

 

「じゃぁ、ストーカーってのも・・・・。 」

「出鱈目よ。 エレナが悪魔化して、襲った人間達の死体を処理する為の嘘。」

 

トリッシュの事を狂信的なストーカーとして仕立て上げる事で、マスコミ各社の眼を誤魔化していたのである。

 

「ケッ、あほらし・・・自分が甘い汁を啜る為に、その女を利用していただけやないか。 ホンマ、しょうもない生き物やな?人間ってのは。 」

 

玄武が侮蔑を多分に含んだ視線で、変わり果てたエレナを呆然と見つめるマネージャーに向ける。

彼女には、才能がある。

絶対、音楽業界で成功出来る。

人々が忘れ去った真のロックを甦らせる事が出来る。

そんな彼の期待と重圧が、エレナを追い詰めてしまったのだ。

 

暫くの間、無言で佇む一同の耳に、警察のサイレンが鳴る音が聞こえた。

トリッシュが前もってCSI(超常現象管轄局)に、連絡を入れていたのである。

後の始末は、CSIに任せるとして、トリッシュとダンテは、カーネギーホールを後にする事にした。

 

 

 

翌日、新聞の見出しは、ロッククィーンこと、エレナ・ヒューストンの謎の失踪という記事で賑わった。

事件後、カーネギーホールを出た、ダンテは一緒に居た筈のトリッシュの姿が何時の間にか消えている事に気が付いた。

あのおかっぱ頭の優男も、綺麗に気配を消して居なくなっている。

マネージャーのティムがこの後どうなってしまうのか、エレナを怪物に変えた女の正体等、色々と気になる点は幾つかあるが、今のダンテにはどうする事も出来ない。

 

 

 

 

「結局、護衛の依頼は失敗。前払いで貰った半額分だけって事か・・・・まぁ、貰えないよりそっちの方が良いのかもな。 」

 

カフェテラスで、新聞の見出しを眺めていた仲介屋のモリソンが、溜息と一緒に咥えていた煙草の煙を吐き出した。

骨折り損のくたびれ儲け、とまでは言わないが、後味の悪い事件であった事は間違いない。

 

「・・・・・? 」

 

不意に高層ビルの外壁に設置された大型街頭ビジョンに映る、一人の少女の姿が、ダンテの目に留まった。

電脳世界の唄姫、ネミッサである。

透明感のある声量が、マンハッタンの街に流れていく。

 

「知ってるか? 今の世の中、人間の唄より、プログラムで造り出した電子音声の唄に人気があるんだってよ。魂が籠もった声より無機質な機械の声の方が需要があるんだと・・・・・。」

「らしいな・・・・俺は、頭にガンガン響く、激しいロックが好きなんだけどな。 」

 

ダンテの脳裏に、生前、エレナが言っていた言葉が思い出される。

 

 

『ねぇ? 貴方、怪物専門の退治屋なんでしょ? だったらこの女を殺してくれないかしら? 』

 

アレは、もしかしたら彼女の本心だったのかもしれない。

無意識に、ネミッサの唄声を模倣してしまう程、エレナは電子の歌姫に心酔していたのだ。

 




何とか投稿疲れた。


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チャプター 13

やっとこさ投稿。
テレサ・・・・フォレスト家の家長代理。 B級の悪魔召喚術士。
ジョセフ・・・・テレサの三つ歳が離れた弟。 医術士と詠唱士の資格を持つ。
ディンゴ・・・・テレサの右腕。アイザックと同じライカンスロープ。
  


NYで最も有名な繁華街、タイムズスクエア。

ブロードウェイ・ミュージカルが上演されている各シアターが所在するこの場所は、観光名所として広く知られている。

その繁華街から少し離れたビルの地下。

シックな風潮をしたバーに、フリーの魔導士、トリッシュが居た。

カウンター席に座り、カクテルを一口呑む。

スミレの香りと、レモンの風味が合わさったフルーティーな味わい。

ブルー・ムーンは、トリッシュが最も好きなカクテルの一つだ。

 

 

「お隣、良いかしら? 」

 

すぐ傍らから聞こえる女の声。

振り返り、その女の姿を見た瞬間、余りの驚愕にトリッシュの躰が固まった。

 

「ゆ・・・・百合子。 」

「フフッ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。 」

 

酷薄な笑みを口元に浮かべ、蝋細工の如き白い肌をした黒髪の美女が、隣の席に座る。

陶器で出来た灰皿を引き寄せ、シガーケースから、シガリロを一本取り出した。

 

 

「別に貴女をどうこうするつもりはないわ。 少しだけ話がしたくて此処に来たの。 」

「・・・・私は、貴女と話す事なんて無いわ。 」

 

余りの緊張感に喉がカラカラに乾く。

女に殺意は微塵も感じられないが、油断は禁物だ。

何時襲って来るか分からない。

 

 

「エレナ・ヒューストンの件で、私が貴女に腹を立てると思った? なら、安心して、私は別に何とも思ってないから。 」

「・・・・・・。 」

 

今から数日前に起こったロッククィーンの失踪事件。

世界的に有名な歌姫の失踪に、世間は様々な噂で賑わったが、それも一時の事。

今では、大分沈静化されて、エレナ・ヒューストンと言われる人物は、過去の人間として片付けられている。

 

 

「貴方が”マレット島”から持ち帰った”クリフォトの根”で、新薬を開発したのは良いけれど、流石に、あの食人欲求は困りものでね・・・・開発責任者のアグナスに報告したの。 そうしたら、担当から外されてしまったわ。 」

 

針の様に細いシガリロに愛用のライターで火を点け、一口吸う。

ゆっくりと味わう様に煙を吐き出す百合子。

金の双眸が、隣に座るブロンドの美女に向けられる。

 

人間を悪魔に変えてしまう魔薬”ゼブラ”。

その薬の人体実験をする為、百合子は中々芽が出ない、ミュージシャンの卵、エレナに近づき、薬を与えた。

期待通り、エレナは力に覚醒し、人々から大量のマグネタイトを回収出来るまでに至ったが、その代償として、生きた人間の内臓を喰らう様になってしまったのである。

 

 

「アグナス曰く、”ゼブラ”開発に相応しい実験場を見つけたそうよ? 後は、自分が全てやるから、私は余計な事をするな・・・ですって。 」

 

百合子の辛辣な言葉に、アグナスの高すぎる矜持を傷つけてしまったらしい。

口元に皮肉な笑みを浮かべる。

 

「実験場・・・・・? 」

 

不穏な百合子の言葉に、トリッシュが眉根を寄せる。

 

「”フォルトゥナ公国”と呼ばれる小国よ。 古くから悪魔を崇拝する変わった風習があるみたいなの。 どんなコネを使ったか知らないけれど、アグナスは、そこで技術開発責任者として潜り込めたらしいのよ。 」

 

城塞都市・フォルトゥナ。

ロシア領土の外れに位置する小さな国。

大国ロシア連邦と同盟関係にあるディヴァイド共和国とは、次世代のエネルギー源、オイルシェルを巡って対立関係にある。

国境を挟んで睨み合い、常に小さな衝突を繰り返しているのだという。

 

 

「彼、生物兵器を量産するのにあの薬を使うみたい・・・環境的にも申し分ないし、フォルトゥナの代表であるサンクトゥスって男は、目先の欲を優先させるお馬鹿ちゃんらしいから御し易いと喜んでいたわ。 」

「・・・・・。 」

 

それだけ言うと、百合子はシガリロを陶器の灰皿で押し潰す様に消して、席から立ち上がった。

金の瞳が、カクテルグラスに視線を落としたまま固まるトリッシュへと向けられる。

 

 

「そうそう、いい加減、日本に帰って来いと氷川が言っていたわ。 新しい仕事を貴女に依頼したいそうよ? 」

 

氷川とは、百合子と同じガイア教団の幹部である。

表向きの仕事は、サイバース・コミュニケーションという通信大手企業のチーフ・テクニカル・オフィサーをしている。

 

片手を上げ、去って行く百合子。

その後ろ姿を眺めながら、トリッシュの胸にチクリと針で刺した様な小さな痛みが走った。

 

 

 

ニューヨーク州とニュージャージー州との境界を挟んで流れているハドソン川。

都心部から少し離れた場所にあるその河川敷に、一人の少年が釣りをして遊んでいた。

歳の頃は、13歳ぐらいだろうか? ゆっくりと流れる川に釣り針を垂らし、ぼんやりとした表情で、風に流れていく雲を眺めている。

 

良く見たら、少年の頬に大きな絆創膏が貼られ、左腕には湿布が塗布されていた。

学校の階段で、背後からいきなり突き落とされたのだ。

幸い、寸での所で、受け身を取って掠り傷程度で済んだが、下手をすると腕か脚の骨を折っていた。

 

「はぁ・・・・・今頃、姉さん怒っているだろうなぁ・・・。 」

 

ジョナサン・ベッドフォード・フォレストは、三つ歳が離れた姉、テレサ・ベッドフォード・フォレストの鬼女の如き形相を想像して、思わず深い溜息を吐いた。

 

学校で起こった一件は、恐らく担当教師から鬼の様に怖い姉の耳に必ず入っている筈だ。

面倒事になる前に、保健室の窓から抜け出して来たが、その事を知った姉が烈火の如く激怒するだろう事は、確かである。

 

(姉さんは、何事も大袈裟に捉えすぎなんだ。 ナイフで刺されるとか斧で叩き割られるとかなら別だけど、たかが階段から突き飛ばされたぐらいで・・・・。)

 

クラスメートの些細な虐め等、ジョセフにとっては日常茶飯事である。

皆、誰もが彼を恐れて直接ちょっかいを掛けて来ないだけで、陰で悪口を言ったり、あからさまに無視をしたりなどされている。

 

不意に、ジョセフの握っている釣り竿に、手ごたえがあった。

魚が、釣り針に付けた餌に喰いついたのだ。

ぼんやりと物思いに耽っていたジョセフは、慌てた様子で釣竿を引き上げる。

すると、30cmぐらいの大きさをしたアユが川から姿を現した。

 

「・・・・・!!!!!? 」

 

思わぬ獲物に、意気揚々と引っ張り上げようとしたジョセフは、突然、釣竿を放り投げてしまう。

30cm程の大きさをしたアユの尾に、不気味な仮面が咬み付いていたからだ。

 

 

 

 

レッドグレイブ市、繁華街から少し離れた古びた雑居ビルにある便利屋事務所。

 

 

「スリーカード、悪いな? 俺の勝ちだ。 」

 

そう言って、この事務所の主である銀髪の大男、ダンテは、テーブルの上に数枚のカードを無造作に置いた。

その真向いには、小さな妖精・・・ハイピクシーのマベルを肩に座らせた少女、パティ・ローエルが、神妙な表情をして両手に持っているトランプのカードを眺めている。

 

「俺は、勝利の女神と仲が良くてな? 」

 

10歳になったばかりの子供を相手に大人気ない。

何処か得意気な表情をした銀髪の青年が、テーブルの上に置かれているコインの山を自分の所へと引き寄せようとした。

すると・・・・・。

 

「フルハウス。」

 

同じランクのカードが3枚、それとは違う同じ目のカードが2枚。

それをテーブルの上に広げた金髪の少女が、意地悪く目の前で呆けている男を見つめる。

 

 

「パティの勝ちね? まぁ、幸福を運ぶ妖精であるアタシが付いているんだから当たり前なんだけど。 」

 

少女の肩に座る妖精が、してやったりとばかりに薄い胸を張る。

10戦目にして漸く手に入れた勝利だと思ったが、幸運の女神は、中々、便利屋の男に微笑んでくれる気はないらしい。

 

「ホレホレ、ゲームで遊ぶのもそれぐらいにして、お茶の時間にしないか? 」

 

特製マフィンの皿を三つ乗せた盆を持つ、片目、片腕の美少年が、ポーカーに興じる二人の所にやって来た。

チョコレートとカフェオレの甘い香りが三人の鼻腔をくすぐる。

 

「わぁ、美味しそう♡ 」

 

栗の入ったチョコマフィンを目の前に、目を輝かせる少女。

その隣には、砂糖控えめのカフェオレが置かれている。

 

「俺様特製のチョコマフィンだ。 隠し味にラム酒を入れるのがみそだな。 」

 

ラム酒は、サトウキビの糖蜜を発酵させて作る蒸留酒だ。

パウンドケーキやチョコレートスイーツに加えると、豊かな香りが際立つ為、美味しく仕上げる事が出来る。

 

 

「いい加減、その腕どうにかした方が良いんじゃねぇのか? 」

 

嬉々とした表情で、特製マフィンに齧りつく妖精とブロンドの少女を眩しそうに見つめていた悪魔使いに、ダンテが声を掛けた。

 

マレット島での激闘で失ったライドウの義手。

半月近くも片腕の状態で家事や便利屋の仕事等を手伝っている。

傍で見ていてとても不便そうだ。

 

「モリソンに頼んで、知り合いのサイバネ医師に義手を付けて貰ったらどうだ?そうすりゃ、少しは楽になるだろ。 」

「別に気にしてねぇよ。 コッチの方が慣れてんだ。 」

 

実を言うと、サイバネティックアームを装着したのは、至極最近だ。

義手を付け始めたのは、三年前のテメンニグル事件から、それまでは、ずーっと右腕のみで暗殺稼業を続けていた。

それ故、別段不便と思った事は一度として無い。

 

 

その時、来訪を告げる鈴が鳴った。

事務所の出入り口に、甘栗色の髪をした16歳ぐらいの少女とその背後に金色の髪をオールバックに撫でつけた大男。

そして、その大男の背に隠れる様にして13歳ぐらいの少女と同じ髪の色をした少年が立っていた。

 

 

「お? こんな真っ昼間からどうしたんだ? アイザック。 」

 

甘栗色の髪をした美少女の背後に立つのは、高級プールバーで働くライカンスロープのアイザックだった。

何時ものラフな格好ではなく、きちんとスーツとネクタイを着用している。

 

「い、いやぁ・・・・実はですね・・・・。 」

 

心底困り果てた表情で、アイザックがライドウの言葉に応え様とした時だった。

腕を組み、何故か尊大な態度をしている甘栗色の少女が、二人の会話を遮る。

 

「貴方が組織『クズノハ』最強と謳われる17代目・葛葉ライドウ? うちの大事な部下が大分お世話になったみたいね? 」

 

有無を言わせずアイザックを黙らせると、パティの傍らに立っているライドウではなく、ソファに踏ん反り返って興味無さ気に眺めている銀髪の大男、ダンテの傍へと近づく。

どうやら、ダンテの事を闇社会で人修羅と呼ばれ恐れられている、17代目・葛葉ライドウと勘違いしているらしい。

 

「ち、違いますよ!お嬢! ライドウさんはソイツじゃ無くて、あの女の子の傍に居る片腕の人です。 」

「え? あの貧相な餓鬼がそうなの? 」

 

慌てて、視線をダンテからパティの座っているソファの傍らに立つ片目、片腕の少年へと向ける。

 

「えー、コホン。 貴方が組織『クズノハ』最強の召喚術士、17代目・葛葉ライドウ? うちの大事な部下が大分お世話になったわね? 」

 

わざとらしく咳払いを一つして、仕切り直す少女。

彼女の名前は、テレサ・ベッドフォード・フォレスト。

ハーレム地区を中心に様々な事業を展開している資産家、フォレスト家の家長代理を務めている。

又、亜人種・ライカンスロープを保護しており、ハーレム地区に住むライカンは、皆、フォレスト家の庇護の元、一般人と同じ様に生活を送っていた。

 

『貧相な餓鬼』という不敬極まりない言葉に違和感を覚えつつ、立ち話も何だと、テレサ達を来客用のソファに座らせる事にした。

何時もの癖で、テレサ達にコーヒーを出すライドウ。

渋みと何処となく甘味が香るカフェオレを前に、フォレスト家、家長代理の少女は、尊大な態度を崩す事無く、自己紹介を始めた。

 

ライカンが巻き込まれた事件で知り合いになったアイザック。

その隣に座るのは、テレサの三つ歳が離れた弟・ジョセフ・ベッドフォード・フォレストだ。

本来ならば、彼が家長を継ぐべきなのだが、ジョセフは13歳と未だ幼い。

それ故、姉であるテレサが家長代理として、フォレスト家が所持する事業、全てを任される事になった。

 

 

「そんで? 俺に何の用事で此処に来たんだ? 」

 

彼女がこの便利屋事務所に来た理由は、何となくだが察しが付く。

恐らく、自分をフォレスト家が所属するKKK団に引き込みたいのだろう。

 

「貴方をヘッドハンティングしに来たの。 是非ともうちの弟、ジョセフの番になって貰いたいのよ。 」

 

案の定、テレサは、三つ歳が離れた弟、ジョセフの番になって欲しいと言って来た。

予想通りの言葉にライドウは、内心溜息を吐くと、アイザックの隣に座る少年を見つめる。

何処となく姉と容姿が似た少年は、彼女が話している最中、終始居場所が無さそうに俯いていた。

恐らく、大分強引なやり方で此処に連れて来られたのだろう。

良く見ると、怪我をしているのか右頬に絆創膏と左腕には包帯が巻かれている。

 

「見ての通り、うちの弟は何者かに命を狙われているの。 先日もこの子が通う学校の階段で、誰かに突き落とされたのよ。 」

 

1週間前に実父・ジョナサンが不慮の事故により死亡した事を始まりに、弟が正体不明の人物に怪我を負わされる事件が頻発した。

学校の送り、迎えは部下に任せられるが、学校内ではそうはいかない。

今は、軽い怪我程度で済んでいるが、暴行は段々とエスカレートしている。

 

 

「成程、それで君は俺にこの子の番になって、守って欲しいという訳か。 」

 

砂糖とミルク抜きの苦いブラックのコーヒーを一口啜り、ライドウは、アイザックの隣で下を向いたまま黙っている少年に再び視線を向ける。

 

「そうよ。 貴方程の術者なら、私の弟に危害を加えている連中を見つけ出すなんて容易いでしょ? 」

 

甘いカフェオレを一口飲んだ、テレサが隣にいる部下のアイザックに目配せする。

困った様子で、太い眉根を八の字に寄せた金髪の大男は、銀のアタッシェケースを机の上に置いた。

 

「取り敢えず、100万ドル用意したわ。 勿論、貴方が望むなら、この倍は出してあげても良いわよ? 」

 

100万ドル、日本円に換算して1億3千万前後の金額である。

エナメルケースにぎっしりと詰まった新品の札束を目の前に、パティは思わず口の中のマフィンを詰まらせそうになった。

 

「・・・・断る。 俺は、番を作るつもりは無い。 」

 

しかし、ライドウの返事は予想外だった。

鋭い視線を、真向いに座るテレサへと向ける。

 

「それに、君は番という存在を大分、誤解している。契約者はあくまで俺だ。つまり、君の弟は俺の下部となり、僕であるならば、それ相応の実力を持たなければならない。 」

「・・・・・なんですって? 」

 

自分の弟が、動作不良の欠陥品だと言われたみたいで、テレサの表情が忽(たちまち)ち険しくなる。

そんな、姉に対し、ライドウは尚も辛辣な言葉を続けた。

 

「KKK団の一人ならそれぐらい知っているだろ? 召喚術士の番とは、我が身を盾とし、何時いかなる状況に負われたとしても、術士の命を優先させる義務がある。 選ぶのは俺であって君の弟じゃない。 選択権は俺にあり、当然、使い物にならないお荷物は切って捨てる。 」

 

術士の番とは、金でカタが付く問題では無いのだ。

それに、ライドウは日本の組織『クズノハ』の中でも、長である天照大神を守護せし、”葛葉四家”の一人だ。

大金を幾ら積まれたとはいえ、うんと頷く道理も無い。

 

「ば、馬鹿にしないでよ! こう見えても私は、アンタと同じ召喚術士なんですからね! 番と術士の関係ぐらい知ってるわよ! 」

 

怒り心頭のテレサが、顔を真っ赤にして立ち上がる。

B級とはいえ、テレサも一応、召喚術士(サマナー)である。

番と術士の力関係ぐらい承知はしていた。

そして、自分がどんな間抜けな申し出をしている事も理解している。

理解はしているが、それを強引にでも押し通さなければならない状況なのだ。

 

「う、うちの弟は、才能があるのよ! この歳で医術師(ドクター)と詠唱師(ゲサング)の役職を習得してるんだからね! それに・・・・。 」

「もう、止めようよ? 姉さん。 」

 

顔を赤くして捲し立てるテレサを、弟のジョセフが止めた。

俯いていた顔を上げる。

その表情は、何処か諦めたかの様な、疲れた顔をしていた。

 

「この人の言っている事は正しい。 だから、余計に僕達が惨めで恥ずかしいよ。 」

 

溜息混じりにそれだけ言うと、ジョセフはソファから立ち上がり、事務所の出入り口へと向かう。

 

「ま、待ちなさい!ジョセフ!! 」

 

その背を追い掛け、引き留めようとするテレサ。

しかし、そんな姉に振り返る事無く、ジョセフは無情にも事務所から外へと出てしまう。

 

「どうやら、弟の方がお利口さんだったみたいだな? 」

 

そんな姉弟のやり取りを終始黙って見ていたダンテが、皮肉な笑みを浮かべて言った。

一瞬、怒りの籠もった視線を、この事務所の主である銀髪の男へと向ける。

しかし、すぐに自分が情けなくなり、唇を噛み締めて俯いた。

 

「お、お嬢・・・・・。 」

 

いたたまれ無くなったアイザックが、悔しそうに俯く年若い主に声を掛ける。

 

テレサは、只、弟のジョセフを護りたいだけだ。

しかし、今の自分は、フォレスト家の事業を一手に任され、日々、馬車馬の如く各支店を走り回らなければならない。

今は亡き、父、ジョナサンの遺志を継ぐのに必死なのだ。

その為、弟の身辺まで手が回らない、というのが今の現状だ。

 

 

「今の所は帰るわよ。 でも、私は絶対に諦めないから。 」

 

テレサは、それだけ言うとさっさと便利屋事務所から出て行く。

その後を、大金が入ったアタッシェケースを抱えた金髪の大男が続いた。

 

 

 

テレサとアイザックが出ていた事務所の戸口を眺めるライドウ。

そんな悪魔使いの背に、大分、機嫌が悪そうな男の声が掛けられる。

 

「お節介のアンタにしちゃ、随分と手荒く追い返したな? 」

 

未だにアイザック達、ライカンスロープが働くプールバーの手伝いをしているのだ。

それなりに思う所もあるだろうに、この悪魔使いにしては珍しく、けんもほろろな対応であった。

相棒(パートナー)になる事は断ったとしても、何かしら理由ぐらいは聞くだろうと思ったのだ。

 

「金で解決出来る問題じゃないからな。 」

 

ライドウは、一つ溜息を吐くと、全く手を付けられていないカフェオレのマグカップを盆の上に乗せた。

 

不図、脳裏にテレサの弟、ジョセフの姿が浮かぶ。

13歳という年齢の割には、随分と冷めた態度をしていた。

丁度、自分の愛息子、明と同じぐらいの歳だ。

自然とあの悲惨な出来事を思い出しそうになり、慌てて頭を振って打ち消す。

 

 

「ねぇねぇ、つがいって何? 」

 

マグカップを流しで片付け、事務所内に戻って来たライドウに向かってパティが言った。

魔導に関しては、全く興味がないが、先程、テレサが言った『番』という響きが気になったのだ。

 

「うーん、簡単に説明すると主である契約者を護る用心棒兼貯蔵タンクってところかな? 特に、俺達召喚術士(サマナー)は、高位悪魔を召喚する時に膨大な魔力を行使するから、すぐガス欠になっちまうんだ。 それを補うのが”番”と呼ばれる存在なんだよ。 」

 

故に、番として選ばれる人物は、魔力&実力共に優れた人物でなければならない。

特に、魔力特化型であるライドウにとっては、絶対外す事が出来ない重要なポイントで、そのどちらかが欠けていると、直接死に繋がる。

 

「良いのか? 今のままで・・・・。 」

 

甘いカフェオレを一口飲んだダンテが、パティの隣に座るライドウを見つめる。

 

ライドウの番は、先の”マレット島事件”で、主である悪魔使いを庇って死亡した。

魔力特化型であるライドウは、番がいなければ魔力を循環出来ず、忽ち(たちまち)衰弱してしまう。

今の所、そんな様子は見られないが、体力が中々戻らないのはその為だろう。

 

 

「良いんだよ・・・番が居なくたって何とかなってんだから。 」

 

ダンテが何を言いたいのか、何となく判る。

次の番を作らなくて良いのかと、聞きたいのだ。

 

長年、連れ添った『志郎』を失った痛手は、未だ癒える事は無い。

否、今迄、尽くしてくれた番達は、己の無力さが故に死なせてしまったのだ。

これ以上、失う痛みを味わいたくない。

 

 

 

ハドソン川河川敷。

そこに、一人の少年が釣りを楽しんでいた。

フォレスト家の家長、ジョセフ・ベッドフォード・フォレストである。

何時も一人で釣りをしている彼ではあるが、今回ばかりは、少し違っていた。

 

 

「姉さんに酷い事言っちゃったかな? でも、あの人の言い分は正しいし・・・・。 」

 

何もかもを金で解決するテレサのやり方が、気に喰わなかった。

 

魔導結社の一つであるKKK団の人間であるジョセフは、幼い頃から魔導の英才教育を受けている。

それだけに、姉がどれだけ支離滅裂な提案をしているのか、少年にも理解が出来た。

もし、ジョセフがライドウの番になれば、立場はあちらが上である事は容易に想像出来る。

主に身を護って貰う番など、聞いた事もなかった。

 

「君はどう思う?ジンニー・・・。僕は酷い奴なのかな? 」

 

自分の傍らにいるソレに向かって、ジョセフは声を掛ける。

当然、ソレは応えない。

ウネウネとゲル状の躰を蠢(うごめ)かせ、無機質な仮面を静かに流れていく川に向けているだけだ。

 

「姉さんの気持ちも判るんだ・・・僕を護る為に必死なんだよ。 姉さんだって頭の中では、自分が間違っている事ぐらい理解してる・・・でも、それ以外に方法が思いつかないんだ。 」

 

頼れる大人がいない。

否、信頼できる大人が居るには居るが、彼等の力では到底解決出来ない大きな問題を、この姉弟は抱えている。

裏社会で、”人修羅”と呼ばれ、三体の最上位悪魔(グレーターデーモン)を操り、五大精霊魔法を駆使する、17代目・葛葉ライドウ以外に頼る以外ないのだ。

しかし、当の”人修羅”は、他組織の人間である。

KKK団内で起こった問題は、同じ身内である彼等が解決するのが道理。

世間の事柄を右も左も知らない少女にとって、それは余りに残酷だった。

 

「・・・・お前は、姉を救いたいのか? 」

 

流れる川を眺めていたソレ・・・ジンニーが言った。

 

ジンニーという名前は、ジョセフがソレに付けてやったモノだ。

本当の名前は知らない。

勿論、ソレが何処から来て、何故、少年に接触したのかも分からない。

しかし、そんな事、ジョセフにはどうでも良かった。

 

「助けたいよ・・・でも、僕の力じゃ無理だ。自分の事で手一杯だし、とても姉さんを助ける余裕なんて無い。 」

 

否、本当は判っている。

自分がしっかりして、父の遺志を継ぎ、事業を引き継げば全て丸く収まる。

しかし、ジョセフにその技量も、ましてや度量も無かった。

 

 

「あ、拙い・・・もうこんな時間だ。 」

 

父親から貰った懐中時計をポケットから出したジョセフは、14時をとっくに過ぎているのを確認した。

既に午後の授業は始まっている。

こっそりと教室に戻りたいが、学校に行けば陰湿な嫌がらせが待っている。

 

 

(学校に行きたくないよ・・・・このまま此処で時間潰しちゃおうかなぁ? でも、後で姉さんにバレると面倒だし・・・・・。)

 

ジョセフは、クラスの同級生から虐めを受けていた。

彼が、この辺一帯の資産家である事を知っている為、直接、暴力や悪口を言われる事は無いが、その代わり、鞄を隠されたり、あからさまに無視などもされる。

階段から突き落とされたのだって、虐めグループの誰かがやったのかもしれない。

 

一度、姉のテレサに「学校に行きたくない。 」と、言ってみた事があった。

すると姉は、逃げている、フォレスト家の男子の癖に情けないと、まるで生まれたばかりの雛鳥を巣から叩き落す様な事を言われた。

確かに、姉は強いのかもしれない。

でも、自分は違う。

 

 

「・・・・お前の願い叶えてやろう。 」

「え・・・・・? 」

 

まるで自分の心の中を探られたかの様なジンニーの言葉に、ジョセフは目を見開く。

釣竿を眺めていた視線を、隣にいるであろう仮面の悪魔へと向けるが、そこにジンニーの姿は影も形も無かった。

 

 

 

マンハッタン区、北部に位置する繁華街。

そのテナントビルの一区画に、ライカン達が働く会員制の高級プールバーがあった。

 

「昨日は、悪かったな。 」

 

店の床にモップ掛けをしていた片腕の悪魔使いが、店内のテーブルを拭いている巨漢の男に向かって言った。

 

「別に気にしないで下さい。 コッチもライドウさんに大変失礼な事をしたんですから。 」

 

アイザックは、太い眉根を八の字にして苦笑いを浮かべた。

 

テレサの我儘は何時もの事だ。

小さい頃は、それが原因で周囲の人間達を大分、辟易させていた。

今は、丸くなったとはいえ、フォレスト家の責務を全うする為か、性格が昔以上にきつくなっている。

 

「ライドウさん、俺等、アンタの事が好きだ。 赤の他人・・・しかも、人間じゃないライカン達の為に一生懸命になってくれる・・・アンタ見てると、死んだ親父さんが生き返ったんじゃないかと思うんだ。 」

 

親父さんとは、フォレスト家の前家長、ジョナサン・ベッドフォード・フォレストの事だ。

各地を追われ、ハーレム地区へと流れて来た彼等、ライカン・スロープ達を心から受け入れ、住む場所と働く仕事場を提供してくれた。

 

「アンタにとっちゃぁ迷惑かもしれないが、本音を言うと、俺達もお嬢と気持ちは同じなんだよ。 アンタがウチに来てくれたらきっと良くなるんじゃないかって。 」

 

家長であるジョナサンが死んだ事によって、現在、フォレスト家は、同じKKK団の一つであるマーコフ家と熾烈な覇権争いをしている。

金と暴力で強引に推し進めるマーコフ家の家長、ルチアーノのやり方に、フォレスト家の家長代理であるテレサは、真向に否定し、戦う姿勢を崩していない。

同じ組織内のルッソ家の家長、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソが二人の仲を取り持ってはいるが、それも何時まで続くか分からない。

 

 

「・・・・すまない・・・・俺は・・・・・。 」

「良いんすよ。 アンタは大組織の幹部だ。立場的に色々難しい事ぐらい俺等だって判っていますよ。 」

 

だから、昨日の件は全て忘れて欲しい。

俯くライドウに向かって、アイザックが困った様な笑顔を浮かべた。

 

そんな会話をしている時であった。

何者かが店内の戸口を静かに開ける。

人の気配を察知したライドウが、出入り口の方向を見ると、そこに甘栗色の髪をした少年、ジョセフが立っていた。

 

「坊ちゃん、何か御用ですか? 」

 

同じく気配を感じたアイザックが、ドアに隠れる様にして店内の様子を伺っている少年に声を掛ける。

 

「・・・・・でぃ・・・ディンゴはいるかな? 」

 

当初、戸惑っていたジョセフは、逡巡しながらもこの店のオーナーの所在を聞いて来た。

 

ディンゴは、アイザック達と同じライカンスロープである。

姉、テレサの右腕を務めており、此処以外に何軒か飲食店や風俗関係の店を任されている。

 

「ディンゴさんなら、お嬢と一緒にタイムズスクエアに言ってますよ? 改装工事の経過観察に行くって・・・・。 」

 

ハーレム地区でも有数な資産家であるフォレスト家は、建築業にも手を広げている。

現在、タイムズスクエアにあるブロードウェイミュージカルなどを上演するシアターの改装工事を任されていた。

ディンゴは、主であるテレサと一緒に、その進捗状況を確認しているのだ。

 

「そ、そうなんだ・・・・・。 」

 

ディンゴの不在に、残念そうに俯くジョセフ。

すると、店の中に設置されているテレビから、ニュース番組の音声が流れて来た。

三人が振り返ると、マンハッタン近郊をドライブしていた4人家族の乗る乗用車が、運転操作を誤り、ファーストフード店に突っ込んだという、内容のニュースが放送されていた。

幸い、店内は客がまばらで、乗用車に乗っていた家族も軽症で済んだらしい。

 

 

「う・・・嘘だ・・・そんな・・・。 」

 

テレビ画面に表示されている事故を起こした家族の名前を見たジョセフが、呻くように呟く。

見ると目を見開き、顔面は死人の如く蒼白になっていた。

 

「何か心当たりでもあるのか? 」

 

微かに震える少年。

その尋常ではない様子に、ライドウが眉根を寄せる。

 

「ど、どうしよう・・・・僕だ・・・・僕のせいだ・・・・。 」

 

激しい後悔と不安、そして同じぐらいの恐れ。

少年から伝わる例え様もない負の感情。

優れた精神感応力でそれらを感じ取ったライドウは、全てを悟り、やれやれと溜息を吐く。

 

 

「お友達を止めたいなら、手伝ってやるぞ? 」

「・・・・・・!!? 」

 

予想外の悪魔使いの言葉に、弾かれたかの如く顔を上げる少年。

何で・・・・何でこの人は、アレの存在を知っているんだ?

 

「アイザック、テレサお嬢ちゃんの居場所は判るか? 」

「あ、はい。 一応、ウチが改装工事をしている劇場の場所は知ってますけど? 」

 

4人一家の自動車事故と、テレサの関係がイマイチ分からない。

訝し気な表情をするアイザックに、急いで車を回す様に伝えると、ライドウは有無を言わせずジョセフの腕を掴んだ。

 

「逃げるのは悪い事じゃない。 でも、自分がやった事に対して何の責任も取らずに頬かむりするのは、最低な奴がする事だ。 俺の言っている意味、分かるな? 」

 

自分の腕を掴む、力強い悪魔使いの手。

自分よりもそれ程、年齢は離れていない様に見えるのに、この悪魔使いはジョセフよりも、遥かに年上の様に感じる。

 

「僕は・・・・CSI(超常現象管轄局)に捕まるんですか? 」

「さぁな・・・・それは君の行動次第だ。 」

 

この悪魔使いは、自分がした行いを全て承知している。

どう足掻いても逃げ切れない状況に、諦めたのか俯くジョセフ。

そんな甘栗色の髪をした少年を、ライドウは困った様に苦笑を浮かべて優しく見つめた。

 

 

 

「あの悪魔・・・・ジンニーと出会ったのは、一週間ぐらい前でした。 」

 

テレサが居るタイムズスクエアの劇場に向かう道中、アイザックが運転する車の中で、ジョセフはポツリポツリと事の経緯を話し始めた。

 

その日、ジョセフは何者かに学校の階段から突き落とされた。

犯人は、知っている。

乗用車で、ファーストフード店に突っ込んだ四人家族の次男坊だ。

幸い、脚と頬を擦り剥く程度の軽症で済んだが、姉のテレサや陰湿な虐めをしてくる連中のせいで気が重い。

こっそりと保健室の窓から抜け出したジョセフは、気晴らしにハドソン川の河川敷で釣りをする事にした。

釣りは、彼にとって唯一、嫌な事を忘れさせる行為の一つだ。

ゆっくりと流れる川を眺めながら、自分が一番幸せだった頃の出来事を思い出す。

何時も仕事で忙しい父・ジョナサンの代わりに一緒に遊んでくれたのが、実姉テレサだった。

引っ込み思案で、内向的なジョセフは、当然、友達と呼べる存在がいない。

何時も孤独だったジョセフを慰めたのが、姉のテレサだった。

当時は、姉も今と違って優しく、病弱な母が入院している病院に、良く二人でお見舞いに行った。

そんな、取り留めも無い過去の思い出に浸っていたジョセフの目の前に、突然、アレが現れたのだ。

 

 

「最初は、ビックリしました。 慌てて誰かに助けを求めようとしたんです。 でも生憎、周りに人はいませんでした。 」

 

偶々、釣り上げた魚の尾に、その変な仮面は喰いついていた。

驚いて釣竿を放り投げるジョセフ。

陸に投げ出された仮面は、瞬く間に魚を呑み込むと、ゲル状の肉体を持つ悪魔、本来の姿へと変わった。

 

「よ・・・良く、無事でいられましたね? 」

 

車を運転するアイザックが、バックミラー越しに後部座席に座る甘栗色の髪をした少年を見つめる。

下に俯くジョセフは、怯えていた先程までの態度とは違い、何処か冷静だった。

 

「・・・・ソイツ、マグネタイトを失って大分弱ってたんです。 逃げ出した僕に追いつけない程・・・・あの時は、ちょっと可愛かったなぁ。 」

 

よちよちと、覚束ない足取りで必死に逃げ出した自分の後を追い掛ける悪魔。

流石に様子がおかしい事に気が付いたジョセフは、暫く立ち止まってその悪魔の様子を伺った。

よくよく見ると、仮面は所々、罅割れ、ゲル状の躰も、実体化が不安定な為か徐々にしぼんで来ている。

一目で、今にも死にそうな事が分かった。

 

「何故、追い払わなかった? 君は詠唱師(ゲサング)の資格を持っているんだろ? その気になれば、致死説を唱えて殺す事も出来た。 」

 

平たく流れる景色を眺めながら、ライドウは隣に座る少年を一瞥する。

 

「・・・・弱っているソイツを見てたら、何だか自分みたいだと思って・・・殺す事が出来ませんでした。 」

 

生きる為に、必死に足掻いているその悪魔を見ていたジョセフは、周りから「怪物」と疎まれ、クラスメート達から虐められる自分の姿と重なった。

 

「だから、自分の持つマグネタイトをその悪魔に分けてやったという訳か。 」

「はい・・・・至極僅かな量ですけど・・・。 」

 

延命するだけがやっとな量。

それでも、魔導士として未熟なジョセフが上げられる、精一杯のマグネタイトである。

それ以上を与えると、流石に少年の命に係わる。

 

「な、何だってそんな真似を? そいつは坊ちゃんの命を狙って来たんでしょ? 下手したら自分が喰われちまうじゃないですか? 」

 

怒った様子でアイザックが言った。

当然である。

その悪魔が、ジョセフを喰らう為に、姿を現したのは間違いない。

幾ら弱っていたとはいえ、自分を殺そうとした怪物を生かす理由が、アイザックには分からなかった。

 

「・・・・・僕、あの時、死のうと思ったんだ・・・こんな辛い思いをしてまで生きている理由が分からなくなった・・・・。 」

 

唐突なジョセフの言葉に、アイザックが口を噤(つぐ)む。

隣に座るライドウも、黙って少年の話を聞いていた。

 

「普通に生きたかった・・・・普通の人間に生まれてくれば、皆優しくしてくれるかなぁ・・・姉さんだって、普通の家庭に生まれれば、僕に辛く当たらなくなるかなぁ・・・・。 」

 

 

ハーレム地区有数の資産家に生まれたジョセフ。

周囲の人間達から見れば、とても恵まれた環境で育っていると思うだろう。

しかし、魔導士の一族で生まれた事が、KKK団と呼ばれる秘密結社(フリーメーソン)の一つに所属しているという事が、この少年にとって、不幸の始まりであったのである。

 

 

「ジン・・・千夜一夜物語のモデルになった悪魔か・・・・伝承に知られるジンは、目に見えない煙の様な気体の姿で、善と悪の二種類いるそうだ・・・どうやら、君が会ったのは、悪い方のランプの魔神だったらしいな。 」

 

傍らにいる少年から、再び視線を流れる景色へと戻したライドウは、呟く様に言った。

 

ジンとは、アラブの伝承から生まれた人ならざぬ存在で、精霊や妖怪、または魔人など、一群の超自然的な生き物の総称とされている。

人間に悪人と善人がいる様に、ジンにも善なる存在と悪なる存在、ムスリム(イスラム教の信者)と非ムスリムの二つの種類に分類される。

善なる存在は、人に取り憑くと聖者となり社会に利益をもたらすが、悪の存在が取り憑くと狂人と成り代わり社会に害を及ぼす。

ジョセフが出会ったのは、人を狂気に貶める悪なる存在であったのだ。

 

 

 

 

ニューヨーク、タイムズスクエア。

アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにある繁華街・交差点の名称である。

観光地としてもかなり有名で、ブロードウェイミュージカルが上演される各シアターが点在している。

そのうちの一つ、老朽化が進み、リフォーム途中の建物の中に、テレサとその右腕であるディンゴがいた。

 

「社長・・・・・。 」

「分かってる・・・全く、今日は不愉快な日だわ。 」

 

ライカンの中でも一番、鼻が効くディンゴが、周囲に漂う不穏な空気を敏感に嗅ぎ取る。

大袈裟に溜息を吐くテレサ。

背広のポケットから、手の中に納まるぐらいの大きさをしたスマートフォンを取り出す。

 

「そこに隠れているのは判っているのよ? さっさと出て来たらどうなの? 」

 

部下に建設作業員達を避難させる様に合図すると、テレサは舞台の物陰に不機嫌そうな声を掛けた。

暗闇からのそりと現れるソレ。

建設作業員達から、驚きの声が上がる。

 

「社長!! 」

「余計な手出しは無用よ。 今日は物凄く虫の居所が悪いの。 コイツで憂さを晴らさせて貰うわ。 」

 

自分の前に出ようとしたディンゴを下がらせ、テレサは冷酷な笑みを口元に浮かべる。

曲がりなりにも、自分はハーレム地区を仕切る秘密結社(フリーメーソン)の幹部だ。

下級悪魔如きが、子供と思って侮ったら、痛い目に会う事を教えてやる。

素早く、何桁かの数字を手の中のスマートフォンに打ち込む。

すると、蒼白く光る巨大な法陣が現れ、中から魔獣”オルトロス”が姿を現した。

 

 

 

「あ、あのぉ・・・・やっぱり、こういうのは理不尽だと思うんすよ。 」

 

テレサ達がいる劇場前に到着したライドウ達、乗用車から降りる悪魔使いの背に、アイザックの遠慮がちな声が掛けられた。

 

「理不尽? 」

「そ、そうっす! 坊ちゃんは、只辛くて苦しくて寂しいからこそ、その悪魔を友達にしようとしただけっす! だから、坊ちゃんがやる事は無いッス! 俺が代わりにその悪魔と戦います! 」

 

そう、ジョセフは唯、自分の苦しい状況を理解してくれる友達が欲しかった。

亜人として生まれ、いわれなき迫害を受けて育ったアイザックは、何となくだが、ジョセフの気持ちが分かる。

故に、悪魔を殺す様に強要するライドウの態度が納得出来なかった。

 

「何処にも居場所が無い辛い気持ちは、俺だって判る。 さっきも言ったとは思うが、その過酷な環境から逃げ出す事は悪い事じゃない。逆に自分の身を護る最善の措置だ。 しかし、 第三者に他者を傷つける様に命じ、その責任を全て押し付け逃げる事は、最も下劣なやり方だ。 それでは、この子の為にもならない。 」

 

ジンニーは、「願いを叶えてやる。 」とジョセフに言ったらしいが、本心で思った事なのかは分からない。

否、知能が低い下級悪魔が、己の本能を押し殺して生きる事は不可能だ。

もしかしたら、それは方便で、自分の食欲を満たすというのが、本音なのかもしれない。

ジョセフは、ジンニーに自分の置かれている辛い状況を話している。

ジョセフを虐めていたクラスメートの一人を襲ったのが、何よりもの証拠だ。

そして、今度は、姉のテレサを襲おうとしている。

 

 

「ジョセフ・・・・君は頭が良い子だ。 俺が何を言いたいのか、分かるな? 」

「・・・・・はい。 」

 

普段腰に刺してあるナイフケースから、銀色に光るアセイミナイフを取り出す。

美しい装飾が施された短剣。

地霊ドワーフが造り出した魔除けの短剣を差し出され、甘栗色の髪をした少年は、躊躇う事無くソレを受け取る。

 

逃げる事は悪い選択ではない、しかし、自分の恨んでいる相手を第三者である悪魔に襲わせ、その責務を全て、その怪物に負わせるのは卑怯者がする事だ。

この悪魔使いは、ジョセフにそうなって欲しくないからこそ、敢えて心を鬼にして、ジンニーを始末する様に言っている。

 

 

 

オルトロスの長く太い尾が、仮面の怪物を薙ぎ払う。

機材等が置かれている舞台の隅へと吹き飛ばされる悪魔・・・・・ジンニー。

機材を薙ぎ倒し、壁に激しく全身を打ち付ける。

 

「ふん、 喧嘩を売る相手を間違えたみたいね? 」

 

B級の召喚術士とはいえ、れっきとした名家、フォレスト一族の人間だ。

こんな低級程度の悪魔に後れを取る程、落ちぶれてはいない。

腰に手を当て、無様に這いつくばる悪魔を見下ろす。

 

一方、ジンニーの方は、不安と焦りで恐慌状態にあった。

先程、4人家族が乗っている乗用車を襲撃したが、思う様にマグネタイトを回収出来なかった。

喰らおうとした瞬間に、警官隊が来て邪魔された。

仕方なく、その場を撤退し、次にジョセフの話に出て来た姉のテレサを襲った。

相手は、年端もいかない少女一人。

おまけに目を付けていた少年より、若干劣るが中々、純度の高いマグネタイトを持っている。

憑依先の肉体としても申し分ないだろうと、事を起こしたが、相手は自分が想像する以上に手強かった。

 

「ううっ・・・・・俺を助けてくれ。 」

 

よろよろと起き上がったジンニーが、テレサに命乞いをする。

 

「はぁ? 一体何を言っているのか分からないんだけど? 」

 

勝手に自分を襲っておいて、立場が危うくなったら命乞い。

余りにも無様過ぎる悪魔の態度に、甘栗色の髪をした少女は、大袈裟に肩を竦める。

 

「もし、助けてくれたらお前の願いを叶えてやろう。 」

 

勿論、この言葉はジンニーの虚言だ。

力弱きジンニーは、弱肉強食な魔界の世界から、この現世へと逃れて来た。

しかし、当然、狩りをしなければ彼等悪魔が生きていく上で必要不可欠な栄養源・・・マグネタイトは手に入らない。

それ故、この世界に来て初めて覚えた処世術が、「願いを叶える。」という、事実無根の妄言であったのだ。

 

「へぇ? そうなの・・・・なら、私に永遠の若さと命をくれないかしら? 」

 

下僕である魔獣を一旦下がらせ、テレサは、悪戯っぽい微笑を浮かべる。

部下のディンゴが何かを言い掛けたが、そのまま作業員の避難を続ける様に、目配せした。

 

「無理だ・・・・それは出来ない。 」

 

只の人間に、過ぎた力を与えるなど、上位悪魔でも極一部しか使えない。

当然、下級悪魔に過ぎないジンニーが、ソレを出来る筈がない。

 

「そう・・・・なら、世界中の宝石が欲しいわ。 一度、宝石のお風呂に入ってみたいの。 」

 

そんな事、この悪魔に出来ない事ぐらい、テレサも承知の上だ。

しかし、只、始末するだけではつまらない。

少しの間だけ、この悪趣味な遊びに付き合ってやろう。

 

「駄目だ・・・気が乗らん。 」

 

予想通りの悪魔の返答。

テレサは、やや芝居がかった様子で態と落胆すると、額に手を当て次の願い事を言った。

 

「それじゃ、ドレスを一着くれないかしら? 」

「駄目だ・・・・お前の為になら・・・・・。」

 

そう言い掛けたジンニーの躰を、オルトロスの尾が吹き飛ばす。

情け容赦なく、殴り倒される仮面の悪魔。

再び、壁に叩き付けられ、ズルズルと力無く床に倒れ込む。

 

「馬鹿な悪魔ね・・・・命乞いするなら、もう少しまともな事言ったらどうなの? 」

 

まるで路傍の石でも見るかの如く、無感情で、床に這いつくばる悪魔を見下ろす。

何処でこんな馬鹿な言葉を覚えたのかは知らないが、命を助けて欲しいのならば、素直に言えば良かったのだ。

まぁ、素直に言ったところで、助ける気持ちなど更々ないが。

 

「ううっ・・・俺に出来る事は、人間を喰うだけ・・・・それ以外の願いは叶える事ができ・・・・。」

「最初から判っているわ。 これは、遊び・・・・最初にも言ったでしょ? 私の憂さを晴らす為の遊びだって・・・・。 」

 

無知で愚かな悪魔に、死刑宣告を下し、僕のオルトロスに止めを刺す様命令する。

と、突然、改装途中の劇場内に誰かが入って来た。

テレサの三つ歳が離れた弟・・・・ジョセフだ。

右手には、銀色に光るアセイミナイフが握られている。

 

「ジョセフ・・・・?何故、アンタが此処に? 」

 

この時間帯は、学校に居る筈だ。

予想外の弟の登場に、テレサは驚いて目を見開く。

 

「俺が連れて来た。 」

 

そう言って、ジョセフの背後からもう一人の人物が現れた。

人修羅こと、17代目・葛葉ライドウである。

 

「人修羅・・・? アンタがどうして弟と一緒にいるの? て、いうか一体どういう事なのか説明して欲しいわね? 」

 

敵意剥き出しで、片腕の美少年を睨みつける。

 

「細かい説明は後だ。 悪いがその悪魔の始末は、俺達に任せてくれないか? 」

「何ですって? 」

 

ライドウの言葉に、改めてオルトロスに押さえつけられている仮面の怪物を見下ろす。

この悪魔と弟との関係が分からない。

まさか、この怪物を弟が喚び出した?

否、有り得ない。

残念ながら、弟のジョセフに自分と同じ、召喚術士(サマナー)の才能は無いのだから。

 

「ジョ・・・・ジョセフ? 」

「ごめんよ?ジンニー・・・君は、何も悪く無いのにね。 」

 

疑問符だらけの姉を他所に、ジョセフは銀色に光る短剣・・・・アセイミナイフを握り締めると、魔獣に押さえつけられている悪魔の前に跪く。

 

少年の言う通り、この悪魔は何も悪くない。

彼は、ただ空腹を満たす為に人間を襲っただけだ。

自分の与える僅かばかりのマグネタイトだけでは、ジンニーに苦しみを与える事はあれど、決して幸せにする事は出来ない。

全ては、少年の身勝手過ぎる理由が原因なのだ。

自分の苦しみを理解してくれる友達が欲しい。

それは、思考力が劣る下級悪魔に求めるモノでは無い。

 

 

両目に涙を溢れさせ、震える手で短剣を握る。

狙うのは、悪魔の心臓たる仮面。

それを破壊すれば、この哀れな怪物は生命活動を停止する。

 

「ジョセフ・・・・・俺とお前は友達だった筈だ・・・・友達とは、助け合うモノじゃないのか? 」

「そうだね・・・・確かに君にそう教えた・・・・でも、それは人間同士で成立する関係だ。 君と僕とじゃ、ソレは成り立たない。 」

 

無慈悲に握り締めていたナイフを振り上げ、仮面に切先を突き立てる。

断末魔の悲鳴を上げる悪魔。

硬く閉じたジョセフの目から涙がとめどなく流れ落ちた。

 

 

 

 

翌日、レッドグレイブ市、便利屋事務所。

 

「んで? 結局、その後どうなったんだよ。 」

 

不機嫌そうな様子を隠す事も無く、ビリヤード台の前に立つ銀髪の青年は、両手に持ったキューで玉を打つ。

白いボールが8と書かれた青い玉に当たり、真っ直ぐにポケットへと落ちた。

 

「別に・・・・悪魔を倒した後は、普通に帰ったぞ? 」

 

濡れた布巾で、黒檀のデスクを拭いていたライドウが、銀髪の青年・・・・ダンテにそう応える。

 

あの後、仮面の悪魔・・・・ジンニーを始末したジョセフは、気を失ってしまった。

余程、神経を張りつめていたらしい。

ジンニーを自分の手で殺した事で、緊張の糸が解け、気絶してしまったのだ。

幾ら魔導の知識があるとはいえ、13歳になったばかりの少年。

少しばかり、酷な事をしてしまったのかもしれない。

 

 

「事情をテレサに話したら、ジョセフを暫く休学させると言っていた。まぁ、当然と言えば当然だな。 」

 

デスクの上を粗方片付け終えたライドウが、不貞腐れた様子でビリヤードをしている青年の方を振り向く。

ダンテが不機嫌な理由は、大体想像が出来る。

要は、自分を蔑ろ(ないがしろ)にして、悪魔退治をした事が気に喰わないのだ。

 

「アンタは、これで全てが解決したと思っているのか? 」

 

キューで玉を突きつつ、デスクに寄り掛かってポケットから出した愛用の『しんせい』を一本咥えて、使い古したジッポライターで火を点けるライドウに視線を向ける。

 

「・・・・・解決はしていない。 間接的にとはいえ、クラスメートの家族に怪我を負わせたのはジョセフ自身だし、冷静な判断力を失わせる程、あの子を追い詰めたのは、姉のテレサだ。あの二人は、これからもずっと、その大きな問題を抱えながら生きていかなければならない。 」

 

 

起きてしまった出来事は、最早どうする事も出来ない。

あの幼い姉弟は、余りにも大きすぎる十字架を二人で背負って生きるしかないのだ。

 

 

 

ハドソン川に面したとある河川敷。

そこに一人の少年が、釣りを嗜んでした。

少年・・・・・ジョセフ・ベッドフォード・フォレストは、ぼんやりとした表情で川に垂らした釣り糸の先を眺めている。

 

 

本当に疲れた。

あの時の出来事は、正直、曖昧にしか覚えていない。

後で、アイザックから聞かされたが、自分はジンニーの心臓である石の仮面にナイフを突き立てた所で、気絶してしまったのだそうだ。

次に目覚めたのは、ジョセフの自室だった。

そこで、実姉のテレサから、暫く学校を休学する事、そして、アイザック達ライカンスロープが働いている店を手伝う様に言われた。

 

「”働かざぬ者、喰うべからず”よ。こき使ってやるから覚悟するのね。 」

 

そう辛辣な言葉を実の弟に言うテレサは、何処となく自分を責めている様に見えた。

 

 

 

「竿が引いてるぞ? 」

 

右隣から聞こえる壮年の男の声に、ジョセフは慌てて釣竿を引っ張り上げる。

すると、餌に喰いついた大きな鮎が、川から姿を現した。

 

「ハハッ、大物じゃないか?やったな?ジョセフ。 」

 

大きな鮎がぶら下がる釣り糸を持つジョセフに向かって、顔に大きな傷がある男がニヤリと笑う。

マーコフ一家の家長、ルチアーノ・リット・マーコフだ。

釣竿の入ったケースを肩に下げ、人好きがしそうな笑顔で少年を見下ろしている。

 

「ルチアーノ叔父さん? どうして此処に? 」

 

予想外な人物に、ジョセフは驚いて目を見開く。

手広く不動産業を営んでいるルチアーノは、秒スケジュールであちこちを走り回っている。

平日の昼間は、忙しく働いていると思っていたのに・・・。

 

「あぁ?気晴らしだ、気晴らし。 最近、気が滅入る事が多すぎてな? 」

 

うんっと大きな背伸びをすると、ルチアーノは、早速、ケースを叢に下ろし、中からロッドとルアーを取り出す。

ジョセフが持っている安物の釣竿より、かなり高価な釣り具セットだ。

手慣れた様子で、釣竿を組み立てていく。

 

 

「ごめんなさい、僕の姉さんが原因ですよね? 」

 

傍に置いてあるバケツに、釣り針から外した鮎を入れる。

 

現在、マーコフ一家と自分の家族・・・フォレスト一家は、利権を求めて対立している。

実の父、ジョナサンが生きている時も、小さな小競り合いはあったが、此処まで酷い状態になった事は一度も無い。

 

「大人の下らない事情だ。 お前が一々気にする必要はない。 」

 

 

釣り針に餌を取り付けると、早速、目的の場所に向かって糸を垂らす。

 

ルチアーノにとって、ジョセフは実の子供と同じだ。

長年連れ添った妻とは、別居中。

二人の間に子供が恵まれる事は無かった。

 

 

「僕・・・・・叔父さんの事が好きだ・・・・父さんなんかよりずっと・・・・。 」

「なんかよりって言うな。 お前の親父は立派な男だ。 」

 

暗い顔をして俯く少年を横目で眺める。

意外にも取られがちだが、ジョセフは父親と一緒に過ごした記憶が余りない。

事業が忙しく、共にいてやれる時間が、実姉より少なかったからだ。

一緒にいられる時間があったとしても、軽く挨拶を交わす程度で、親子の会話など一度としてない。

ジョセフにとって父親は、外面が良く、家族に対しては冷たい印象であった。

 

 

「姉さんも皆も叔父さんと同じ事を言うよね? 母さんの葬式にも顔を出さなかったのに。 」

「仕方ないさ。 あの時は、移民たちに紛れて来たライカン達を受け入れるのに大変だったんだ。 」

 

当初、KKK団は、移民達に紛れてハーレム地区に来たライカン達を追い払おうとした。

しかし、それに異を唱えたのが、ジョセフの父親で、彼は、率先してライカン達を保護し、仕事や住む場所まで提供した。

 

 

「母さんが病気で苦しんでいる時も、一度もお見舞いに来なかった。 家族を犠牲にしてまで、人の為に尽くす必要ってあるのかな? 」

 

確かにジョナサンは、聖人君主を絵に描いた様な人物だったのかもしれない。

姉のテレサも、父親を尊敬しており、彼と同じになりたいと日々、努力している。

しかし、ジョセフは違った。

家にも近寄らず、妻が病で倒れた時も、一度として顔を見せる事は無かった。

それどころか、危篤と告げられても、決して病院に来る事は無く、葬式も代理を立てる始末。

これが、本当に誰からも尊敬される人物とは、到底、考えられない。

 

 

「アイツは、不器用だったからな。そのくせ欲張りな所があって、出来もしない事を平気でやろうとする。 」

 

ルチアーノは、隣で座る少年の頭を優しく撫でてやる。

柔らかい甘栗色の髪。

この子の母親と同じ髪の色だ。

 

「だがな、俺は嫌いじゃ無かった。 お前の親父は馬鹿だったが、何事も一生懸命だった。 人の為に全てを犠牲にして生きる・・・俺にゃぁ出来なねぇよ。 」

 

未だ暗い顔をして俯く少年を困った様に眺める壮年の男。

秋風が、二人の頬を優しく撫でた。

 




前回よりも短め。
ネタがそろそろ出なくなってきました。


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★ チャプター 14

キャラ紹介。
グルー・・・ダンテと同じ便利屋を営む荒事師。
ジャン・ダー・ブリンデ・・・自称賞金稼ぎの便利屋転向組、その正体は、ライドウのかつての番、ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリー。
エンツゥオ・・・モリソンと同じ情報屋。
バアル・・・・黒エルフの生き残り、父親の愚行により一族郎党を皆殺しにされ、ライドウに復讐を誓う。
モデウス・・・・バアルの歳が離れた弟。兄と同じくライドウに復讐する為に現世に現れた。


繁華街から人気のない路地。

そこに『ボビーの穴蔵』と呼ばれる居酒屋がある。

日暮れと共に店を開き、日の出と共に店を閉める、酒飲みには非常に有難い時間帯で経営されるその酒場には、如何にも荒事専門と言った感じの男達が酒を楽しんでいた。

 

 

「おお?やっと、新しい腕が付いたのか? 」

 

酒場の常連客であるグルーが、中性的な美貌を持つ黒髪の少年の左腕を眺める。

この男は、ダンテと同じ便利屋である。

中年に差し掛かった相貌には、かなり苦労しているのか深い皺が刻まれていた。

 

「今日、モリソンに紹介されたサイバネ技師に取り付けて貰った。 馬鹿高い料金の割には、動作がイマイチだぜ。 」

 

やや不満なのか、日本人の少年・・・葛葉ライドウは、唇を尖らせて、左腕の義手を握ったり開いたりしている。

右腕一本だけでは何かと不便だろうと言われ、腕の良いサイバネ技師を進められたのだ。

確かに特殊チタニウム合金の腕は、装甲が頑強でちょっとやそっとじゃ壊れないだろうが、神経との接続にやや難があり、何時動作不良を起こすか分からない。

 

「まぁ、普通に日常生活を送る分には問題ねぇだろ? 」

 

苦笑を浮かべつつ、注文したジンジャーエールを一口、喉に流し込む。

体質的に酒が受け付けない為、酒場に来てもジュースかコーヒーしか頼めない。

それならば、何故こんな荒くれ共が居る酒場に来ているのかというと、隣で鳥の腿肉を齧っている銀髪の大男に連れてこられた為だ。

 

 

「噂で聞いたんだが、随分と面倒事に巻き込まれているらしいな? 」

 

恐らく、フォレスト一家とマーコフ一家の抗争に巻き込まれている事を言っているのだろう。

こういう家業を続けていると要らぬ情報まで入って来る。

 

 

「爺さんが余計な事に首を突っ込んでくれたお陰だけどな? 」

 

腿肉を咀嚼しながら、銀髪の青年が悪態を吐く。

元を正せば、この男が全ての元凶なのだが、本人は全く理解していないらしい。

 

「お前が、ヤバイ女に借金しなければこんな事にはならなかったんだ。 」

 

ヤバイ女とは、勿論、狩猟者(デビルハント)のレディの事だ。

彼女は、フォレスト一家と何らかの繋がりがある。

この男は、よりによって、その女に多額の借金をしているのだ。

 

 

「はぁ・・・俺が悪かったよ。だから喧嘩は勘弁してくれ。 」

 

忽ち(たちまち)不穏な空気が漂う二人の様子に、グルーは大袈裟に溜息を吐く。

どうやら自分は、振ってはいけない話題を振ってしまったらしい。

 

 

「よぉ、これが噂のカワイ子ちゃんかい? 」

 

そんな険悪なムードが漂う二人の間を割って入るかの様に、とぼけた声が背後から聞こえて来た。

一同が振り返ると、少々小太りな男が喧騒にごった返す店内に立っている。

JD・モリソンと同じ情報屋のエンツォ・フェリーニョだ。

 

自称、『売れっ子仲介屋』は、いやらしい目つきで、中性的な美貌を持つ悪魔使いを上から下まで、まるで嘗め回す様にして眺めていた。

 

「ヒュー♪すげぇ上玉じゃねぇかよ。 片目ってのが玉に瑕だが、一体何処から拾って来たんだ?ダンテ。 」

 

誰とも馴れ合わず、一匹狼を貫き通す便利屋のダンテに、綺麗な相棒が出来た。

その噂は、同業者の間ではかなり有名である。

エンツォも当然、その噂話を聞いていた。

 

 

「おい、今日は”お前さんの日”じゃ無い筈なんだけどな? 」

 

そう冷たく切り出したのが、中堅便利屋のグルーだ。

肉体的に障害を持つライドウを、不敬極まりない視線で眺めるエンツォに対して、嫌悪感を隠そうともしてはいなかった。

 

そもそも、エンツォが『ボビーの穴蔵』を訪れる日は、毎週火曜日と決まっている。

仲介屋は、何もエンツォだけではない。

数多くの情報屋がこの酒蔵に訪れ、多種多様な仕事の内容を持って来る。

その為、仕事の流れを途切れさせない様に取り決めた暗黙のルールであった。

 

 

「悪い悪い。今日は仕事絡みで来た訳じゃねぇんだ。 」

 

グルーの鋭い視線に睨まれ、エンツォはバツが悪そうに肩を竦める。

そして、店内の戸口に向かって声を掛けた。

すると、一人の如何にも上質そうなスーツに身を包んだ背の高い人物が入って来る。

 

「本当なら、昨日のうちに紹介しときたかったんだけどな? 」

 

知り合いに頼まれて矢無負えなく引き受けたらしい。

エンツォは、自称賞金稼ぎ崩れの便利屋転向組と称されるその男を連れて来た。

頭の先から下まで白い包帯が巻かれ、ダークグリーンのスーツを着るその男の右手には、特徴的なやや反り返った刀を握っている。

冬の湖面を思わせるその蒼い瞳を見た瞬間、ライドウの背を形容し難い痺れが走った。

 

「名前は、ジャンって言うらしい。まぁ、仲良くしてやってくれや。 」

 

ニヤリと愛想笑いを浮かべる仲介屋の小男。

無神経で好い加減に見られがちだが、エンツォは意外と義理堅い性格をしている。

まぁ、そうでなければ、便利屋達から信頼を勝ち得る事は出来ないのだが。

 

一瞬の静寂。

否、店内の喧騒は相変わらずなのだが、グルー達、三人は黙してジャンと呼ばれる男を見つめている。

一つでも気を抜けば、喉首を掻き斬られる・・・・そんな危険な空気を孕みながら。

 

 

「・・・・・君が、この中で一番の腕利きらしいな? 」

 

ジャン・ダー・ブリンデ、と名乗るその包帯の男は、ライドウの前に立つと徐(おもむろ)に口を開いた。

ライドウは、応えない。

否、応えられない。

包帯から覗く、蒼い瞳を凝視(ぎょうし)したまま、固まっていた。

 

 

「悪いが、腕試しの相手なら間違ってるぜ? その子は、一般人の素人さんだ。 喧嘩売るなら俺か、その隣にいるデカブツに言ってくれ。 」

 

 

壮年の便利屋は、固まって動けないライドウを庇う。

肉体的にハンディキャップを背負っている相手に喧嘩を売るとは・・・大層な経歴を持っているみたいだが、存外、大した事は無いのかもしれない。

 

 

「私は彼と話をしている、邪魔をしないで貰えないかな? 」

「何だと? 」

 

まるでお前など眼中に無い、と言わんばかりのジャンの態度に、グルーが途端に気色ばむ。

幾ら温厚で有名なグルーでも、便利屋としての矜持は幾らかはある。

こんなあからさまに馬鹿にされた態度を取られて、黙っている筈がなかった。

 

 

「やめとけ、グルー。 コイツの言っている事は正しい。 」

「ダンテ。 」

 

それまで、黙って事の成り行きを見ていたダンテが、今にも銃を抜きそうな壮年の男を制した。

鳥の腿肉は、骨と筋を残して綺麗に食べ尽くされている。

 

「どうすんだ?爺さん。 腰が痛くて辛いなら俺が変わって相手してやっても良いんだぜ? 」

 

包帯の男から視線を外し、俯く悪魔使いに向かってダンテが言った。

短い日数ではあるが、ライドウのこんな態度を見たのは初めてだ。

テメンニグルの時も、マレット島の時も、軽口を叩いて不敵な態度を崩さなかったというのに、これは、一体どういう事なのだろうか?

 

 

「グルー、アンタここら辺で、少々、暴れても問題にならない場所とか知ってるか? 」

 

ゆっくりと顔を上げるライドウ。

未だ、何かを迷っているのだろうか?

その双眸には、戸惑いの色が多分に含まれていた。

 

 

 

『ボビーの穴蔵』から数軒離れた鉄のフェンスで囲われた広場。

テナントビルの建設予定地であるその場所に、右手に日本刀を持つ包帯の男と小柄な片目の少年が対峙している。

鉄のフェンスの外には、酒蔵から来た野次馬達が、物珍し気に二人の様子を眺めていた。

 

 

「おいおい、流石にこりゃ拙くねぇかぁ? 」

 

小柄な仲介屋が、ハラハラとした様子で、数メートルの間隔を置いて対峙する二人を見つめている。

 

グルーの言う通り、ライドウは便利屋ではない。

ダンテ曰く、日本からNYを観光に来た居候らしい。

まぁ、それが事実だとしても、華奢で人形みたいに綺麗な容姿をした少年が痛めつけられる所を見て喜ぶ程、悪趣味じゃない。

 

 

「知るか、本人がやりてぇって言うんだから仕方ねぇだろ? 」

 

グルーは、呆れた様子で溜息を吐くと、隣に立っている真紅のロングコートを纏う青年を横目で眺める。

 

ダンテは、間違いなくあの日本人の少年に惚れている。

駆け出しの便利屋だった当時から付き合いがあるグルーは、この偏屈男の癖や性格を知り尽くしていた。

時折見せるライドウに対する深い愛情。

否、愛情などという生易しいモノではない。

燃え盛る業火の如きその激しい感情を、必死で押し殺している。

常にクールで、異性との付き合いも後腐れが残らない、実にシンプルな関係を好む、この男らしからぬ行為であった。

 

 

「君は、随分と私の事を下に見ているんだな? 」

「え? 」

 

ジャンの無感情な声に、ライドウが頓狂な返事を返す。

武器を携帯しない悪魔使いに、嫌味を言っているのだ。

 

「武器を持て、 流石に丸腰の相手と手合わせする気にはならない。 」

「あ、そっか・・・・ごめん。 」

 

ジャンに指摘されて、初めて自分が丸腰である事に気が付いたらしい。

呆れた声と如何にも馬鹿にしたヤジを飛ばす荒事師達。

グルーが苦虫を数百匹噛み潰したかの様な、渋い顔をするのに対し、隣に立つダンテは、何故か無表情だった。

 

そんな二人と野次馬達を他所に、小柄な少年は、きょろきょろと周囲を見回す。

すると、手頃な大きさと長さがある角材を近くで見つけた。

 

「コイツで良いかな? 」

 

角材を拾い上げ、一振りする。

鋭い日本刀に対し、直ぐに折れてしまいそうな棒きれ。

勝負どころか子供の喧嘩にすらもならない。

 

「おいおい、あのお嬢ちゃん頭は大丈夫か? 」

「てか、あの包帯野郎、エンツォが紹介した新入りの便利屋だろ? 」

「子供相手に手合わせとか、アイツこそ頭がイッてるんじゃねぇのか? 」

 

そんな便利屋達の声に、小柄な仲介屋は、いたたまれない気分になる。

 

知り合いから、「凄腕の賞金稼ぎ崩れだから、きっちり穴蔵の連中に紹介してやってくれ。 」と頭を下げて頼まれたが、まさかこんな事態になってしまうとは。

きっと自分の評判は、地の底よりも深く落ちてしまっただろう。

 

 

一方、そんな喧騒を他所に対峙する二人。

ライドウは、正眼に角材を構えると目を閉じ、その先端へと意識を集中する。

淡い光に包まれる木の棒。

ゆっくりと閉じていた右眼を開く。

 

「良いぜ・・・かかって来い。 」

 

先程のとぼけた表情とは、打って変わった静かな声。

角材を右手に持ち、包帯の男に手招きする。

そんな悪魔使いに対し、皮肉な笑みを口元に浮かべるジャン。

迅速の速さで踏み込み、一気に間合いを詰める。

常人では視認する事が不可能な、高速の抜き打ち。

しかし、それを意図も容易く、ライドウが往なしてみせる。

返す刃での鋭い一撃。

それを身を逸らせる事で躱すジャン。

後方に跳び、ライドウの死の間合いから何とか逃れる。

 

息を吐く暇さえない、一瞬の攻防。

周囲の野次馬達から、どよめきの声が上がる。

 

「お、おいおいおいおいおい! 一体、何者なんだよ?あのお嬢ちゃんは??? 」

「俺が知るかよ・・・・。 」

 

夢中で袖を引っ張るエンツォを、煩そうに振り払うグルー。

周りの荒事師達も、気分はエンツォと同じなのだろう。

子供と大人の、戯れ程度の手合わせ。

誰もがそう思っていた筈だ。

たった一人の人物を覗いて。

 

 

 

「闘気術・・・・か。 しかも、えげつないおまけつきだな? 」

 

左掌を貫通する鉄の棒。

鉛筆の様な円柱の形状をしており、正式名称を『八角棒手裏剣』という。

手の裏に隠れる程度のサイズで、投擲に優れ、戦国時代の武士などに多く利用されていた。

 

ライドウは、ジャンの一撃を躱すと同時に、死角から眉間を狙って、棒手裏剣を投げつけていたのだ。

 

 

「・・・・・・・・何故だ・・・・何故、今頃になって・・・・。 」

 

左掌を貫通する棒手裏剣を、口で引き抜くジャン。

その包帯男の姿に、ライドウは何処か苦しそうに呟く。

 

自分の手の内を知らなければ、あの一撃は躱せない。

闘気術・・・・体内で気を循環させ、”気”の質をコントロールする武術は、あくまで囮。

本命は、手の裏に隠し持った八角棒手裏剣であった。

相手が自分の繰り出した一撃を躱したと油断した、絶妙のタイミングを狙った。

長年、暗殺者(アサシン)として培われた経験に基づく、必勝法。

しかし、この包帯男は、それを簡単に見切ってみせたのだ。

この男は、確実に自分の手の内を知っている。

そして、一番考えたくない事に、自分は、この男の正体に心当たりがあった。

 

 

「い、生きていたのなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ? そうすれば、俺は・・・・・。 」

「子供達を連れて、俺と駆け落ちしてくれた・・・か? 出来もしない事を軽々しくいうなよ。 」

 

ジャンの言葉に一瞬、身を固くするライドウ。

驚愕に見開かれる双眸に、包帯男は、皮肉な笑みを口元に浮かべる。

 

 

「”志郎”が死んだんだってな? お前を庇って・・・・。 」

「・・・・・っ!! 」

 

止めのジャンの言葉に、死人の如く、顔面を蒼白にさせる。

その一瞬の隙を突いて、包帯男が一閃を放つ。

真っ二つに斬り落とされる角材。

衝撃に、ライドウが尻餅をつく。

 

 

「・・・・甘いな・・・・昔のお前では考えられないぜ? カヲル。 」

 

白い喉に突き付けられる、日本刀の切っ先。

少しでも力を込めれば、簡単に貫いてしまうだろう。

勝敗は決まった。

周囲の荒事師達から、再びどよめきが走る。

 

 

 

「どうした? 随分と機嫌が悪そうだな? 」

「うるせぇよ・・・・アンタにゃ関係ねぇ事だ。 」

 

グルーの軽口に、ダンテが忌々し気に吐き捨てる。

 

ダンテの予想では、ライドウが確実に包帯男に勝つだろうと思っていた。

初めて出会ったテメンニグルの時では、完膚なきまでに自分を叩きのめしたのだ。

しかも、武器も何も携帯していない素手でだ。

ライドウの実力は、ダンテが誰よりも良く知っている。

故に、この結末に納得が出来なかった。

 

 

 

「なぁ~んや。 まさか生きとったとわなぁ・・・・。 」

 

建設予定地を取り囲む様にして立つ、古びたビルの屋上。

金髪に染めたおかっぱ頭の青年が、バドワイザーの瓶ビールをグイっと煽る。

眼下では、仕立ての良いダークグリーンのスーツを着た包帯の男が、刀を鞘に納めていた。

その足元では、未だ尻餅をついた状態の少年が、唇を噛み締めて下に俯いている。

 

 

「ま、これはこれで、中々楽しい展開やないの。 」

 

組織『クズノハ』に属する暗部”八咫烏”。

その中でも、最強と謳われる四神の一人、”玄武”は、とても楽しそうに唇を歪めた。

 

 

 

 

ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーという男は、一言で現すと人間のクズだった。

フォルトゥナ公国の第三皇子として生まれ、幼くして死んだ実母の代わりに伯母達に目の中に入れても痛くない程、甘やかされた。

それがいけなかったのかもしれない。

類稀な才能を秘めているものの、それを全く活かせず、己の欲求ばかりを優先する酷く子供じみた性格をしていた。

特に異性との関係が最悪だった。

あちこちの女性に手を出し、酷い時には、人妻とも関係を持つ。

最低限のマナーである避妊すらしない。

当然、妊娠した女性達は、ヨハンに責任を取る様に迫った。

しかし、彼は彼女達を一生の伴侶にする事は決してせず、養育費と称した大金を毎月、渡すだけで「勝手に生んで育てろ。 」と言う。

 

 

「良く、教皇がお前の悪行を許しているな? 」

 

張り手を噛まし、去って行く女性の後ろ姿を眺めながら、ライドウは呆れた溜息を吐いた。

一体、幾度目になるだろうか? こんな光景に出くわすのは。

 

「あぁ? 許す訳がねぇだろ? 女との関係がバレる度に、死ぬ程ぶん殴られてるぜ? 」

 

やや腫れた頬を手で押さえ、ヨハンは大袈裟に肩を竦める。

実父にとって、末息子であるヨハンは、悩みの種であった。

他の二人の兄達は、文武両道に優れ、誰からも信頼される人物であった。

しかし、先の内戦と病により、若くして二人の兄が他界。

成り行き上、第三皇子であるヨハンが、この国を継ぐ正当継承者であるのだが、本人にその自覚が爪の先程も無い。

 

 

「別に・・・・俺は部外者だから、この国がどうなろうと興味は全く無いんだけどな・・・・流石に傍で見ていて気分が良いもんじゃ無い。 」

 

自分は、悪魔討伐の為に、フォルトゥナ公国に依頼されてこの異国の地に居る。

依頼を完遂すれば、もうこの国に何の用も無い。

本国に還り、また次の依頼を受けるだけだ。

 

 

「何だ? もしかして、俺に興味があるのか? 」

「はぁ?」

 

一体、どこをどう捉えたら、そんな馬鹿げた言葉が出て来るのだろうか?

まるで、別の生命体でも見るかの様な奇異な目で、ニヤニヤと笑う銀髪の美青年を見つめる。

 

 

「そういう台詞が出るって事は、少なからず俺に興味があるんだろ? 良いぜ、俺とアンタは番(パートナー)だからな。 お互いの事を深く知る事は大事なことだぜ。 」

「馬鹿が・・・・お前、番の意味を知っているのか? お前は俺の道具だ。 俺に魔力を与える為だけの存在だ。 そして、断っておくが、俺の本命(パートナー)は別に居る。 お前は代理・・・・この依頼が終わるまでの代替品だよ。 」

 

軽い頭痛を覚えて、額に手を当てる。

番とは、魔術師に魔力を提供する、云わば魔力貯蔵庫みたいな存在だ。

ライドウの様に『魔力の大喰らい』は、直ぐに魔力が枯渇してしまう。

そうならない為に、番を常に傍に置いておかなければならないのだ。

しかし、彼の現在の番は、とある事情で別行動を取っている。

その為、止む無く代理の番として、魔剣教団の中でも飛びぬけた実力を持つ、この男が選ばれたのだ。

 

 

「その本命さんは、今、何処に居るんだ? 」

「・・・・・っ! 」

 

ヨハンに痛い所を突かれて、ライドウの表情が厳しくなる。

 

ライドウの番である玄武は、現在、『八咫烏』の長である骸の護衛として、別件の任務に就いている。

天皇陛下とローマ法王の懇談会に招かれたのだ。

いくらソロモン12柱の魔神の一人に数え上げられる堕天使・アムトゥジキアスとはいえ、小国『フォルトゥナ』で起こった事件。

先進国同士の会合の方が、もっとも優先すべき役目なのである。

 

 

「大事な主を放り出して別の仕事か? アンタも随分と下に見られているんだな? 」

「・・・・・何とでも言え、お前には関係が無い事だ。 」

 

こんな安い挑発に簡単に乗ってしまう程、自分は愚かではない。

否、これぐらいの侮辱など、組織に居れば毎日の様に受けているのだ。

一々、目くじら立てるなど、馬鹿馬鹿しい。

 

「俺ならずっと傍に居る。 大事な相棒をほっぽり投げる様な真似はしない。 」

 

ヨハンは、ライドウの細い腕を掴む。

強い信念が宿る蒼い瞳。

放蕩息子として謗(そし)られ、周囲の人間達から白い目で見られている人物とは到底思えない。

 

「女達もそうさ、 無責任な真似はしない。 餓鬼も大人になるまで面倒を見る。 」

「面倒? 金だけ払ってるだけが責任を取るって事じゃねぇんだぞ。 」

 

男の言葉に、心底呆れてしまう。

何事も金で全てを解決させようとするこの男から、責任と言う二文字が出るなんて信じられない。

 

「・・・・ネロ・・・この前、生まれた俺の息子。 相手は娼婦なんだけどさ、これが結構、良い女で、俺がガチで惚れた相手なんだ。 」

「・・・・・? 」

 

今度は一体何を言い出すのだろうか?

子供の様な、無邪気な笑顔を浮かべる銀髪の青年は、呆れ返るライドウを他所に、更に言葉を続ける。

 

「一目見て、その女が気に入った。 アンタみたいに妙に真面目な所が玉に瑕なんだけどさ。 」

 

仕事柄、娼婦は妊娠を恐れ、薬や器具等を使って避妊をする。

その女性も他の娼婦達同様、避妊具を付けていたが、惚れに惚れ抜いたヨハンが、生活費全般を援助すると、説得した為、渋々といった様子で了承した。

 

「それと、俺の事と一体どんな繋がりがあるんだ? 」

 

訝しむライドウに、銀髪の美青年はニヤリと笑みを口元に浮かべる。

裏表の無い笑顔に、不覚にも見惚れてしまう。

 

「分かんねぇかな? アンタ、その女にびっくりする程似てるんだ。 自分を殺して真面目に生きた挙句、損をするとことかさ。 」

 

だから放っておけない。

自分が初めて生まれた息子と、惚れ抜いた女と同じ様に、全力でアンタを護る。

無言で、そう言われているみたいで、ライドウは途端に気恥ずかしくなり、思わず下へと俯いた。

 

 

 

 

「何、考えてんだ? 」

 

不機嫌と苛立ちが入り混じった不穏な声。

閉じていた目を薄っすらと開けると、鋭い双眸を組み敷いている獲物へと向ける、銀髪の青年が映った。

荒事師として長年、鍛え上げられた肉体に、細かい汗が浮かんでいる。

繋がった箇所が、火箸で捩じりこまれたかの様に熱くて痛い。

 

「べ・・・別に、何も・・・うぐっ! 」

 

いきなり突き上げられ、押し殺した悲鳴が口から洩れる。

粗末なスプリングの効いたベッドが、ギシギシと揺れた。

 

 

「さっきの包帯野郎は、何者だ? まさか、アンタの知り合いじゃねぇよな? 」

 

リズミカルに腰を動かしつつ、ダンテが苦痛と快楽で歪む悪魔使いの顔を眺める。

 

 

今から数時間前、ライドウは、古株である情報屋のエンツォが紹介した、賞金稼ぎ崩れの包帯男に腕試しを申し込まれた。

結果は、ライドウの負けだったのだが、周囲を驚愕させてしまう程の戦いだった。

 

 

「し、知る訳がねぇだろ? 変に勘繰るんじゃねぇよ・・・・!いっ!! 」

 

突然、抱き上げられ、ダンテの膝の上に座らされる。

肉の槍が深く己の肉体を抉り、激痛に細い肢体が綺麗にしなった。

 

 

「気に入らねぇな・・・アンタらしくねぇ。 」

 

建設予定地で行われた、腕試しの死合いが気に喰わない。

詳しい内容までは聞き取れなかったが、ライドウとジャンっと名乗る包帯男は、二言三言、何か会話を交わしていた。

二人の間には、ただならぬ関係がある。

男としての直感が、嫌な予感を頻りに訴えている。

 

 

「あんな奴に後れを取るアンタじゃない。 何故、態と負けた? アンタなら十分勝てただろ? 」

 

腹腔からマグマの様に滾る怒り。

自分等よりも経験も技術もある悪魔使いが、あんな程度の技量しかない包帯男に負けたのが納得出来ない。

ダンテから見ても、ライドウが完全に手を抜いている事は、分かっていた。

 

ギシギシと鳴る安い素材で出来たベッド。

苦痛の余り、ライドウがダンテの大きな背に爪を立てる。

 

(耐えろ・・・こんなのは大した事が無い。 嵐と同じ・・・過ぎ去るのを待つだけだ。 )

 

これ以上、悲鳴を上げない様に、歯を喰いしばる。

建設現場での一件が、この男の怒りに火を点けたのは明らかだ。

しかし、他者に関して驚く程、無関心なこの男が何故、これ程までに、自分に対して怒りを露わにするのか理解出来ない。

男の心の中は、怒りと例える事が叶わぬ苛立ちで荒れ狂っている。

 

こんなに愛しているのに、何故応えてくれない。

愛せ、もっともっと俺を愛せ。

駄目だ・・・人間ではない自分が、その愛に応える事等出来ない。

 

 

 

 

「・・・ヲル・・・カ・・・ヲ・・ル。」

 

遠くで誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。

俯いた顔を上げるライドウ。

声のした方向を振り向くと、大分、不機嫌そうな番の姿がそこにあった。

 

「これから、西区に向かおうってのに、随分余裕だな? 」

 

棺の様に大きなケースを肩に下げた番・・・・ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーが、呆れた様子で此方を眺めている。

 

 

此処は、天海市、東区に設営された仮設基地。

数軒のプレハブ小屋が並び、大きなテントには、調査隊のメンバーが忙しなく動き回り、薬品や消耗品、各種物資が所狭しと置かれている。

 

二人は、現在、天海市を取り囲む様に建てられた分厚い壁の内側に来ている。

13年前に起こった大霊”マニトゥ”による事件。

その後遺症が今も尚、深い傷跡となって残り、二上門地下遺跡を中心に異界化が進んでいる。

その調査として、ライドウとその番であるヨハンが派遣されたのだ。

 

 

「わ、悪い・・・軽く瘴気に当てられたみたいだ。 」

 

良く見ると周囲に居る調査隊達は、防護服とマスクを着用していた。

魔界の穴から発生する瘴気を吸わない為だ。

何の訓練もされていない人間が、瘴気に当てられると生気を吸われた挙句、酷い幻覚に襲われる。

それを防ぐ為に、特殊に作られた防護服を着るのが常なのだが、瘴気に対してある程度、免疫のあるライドウは、戦闘に際し、邪魔になる防護服を敢えて着ないでいる。

 

 

「頼むからしっかりしてくれよな? 相手は相当、スキルが高い奴らしいからな。 」

 

ヨハンは、ガスハーフフェイスマスクを装着している。

この男もライドウ同様、瘴気に対してある程度、免疫があるが、これから彼等が向かう西区は、此処より更に濃度が濃い。

簡易テーブルに置かれた各種銃器をチェックしながら、腰のホルスターに収めていく。

 

「一応、アンタも持って行け。 」

 

皮の肩当と紅い腰帯、隠しナイフが仕込まれた鉄の手甲を着用している悪魔使いに、S&W M442の短銃身・リボルバーを渡す。

水銀と法儀式が施された弾丸が収められてるその銃は、小型ではあるが上級クラスの悪魔にも十分、通用する代物だ。

 

「・・・・銃は嫌いだ。 」

「そんな事言うなよ。 あくまで護身用だ。持ってて損はねぇだろ? 」

 

不快そうに銃を受け取るライドウに対し、ヨハンが呆れた様子で窘める。

 

この主は、頑なに銃を使用する事を嫌う。

理由は、硝煙の臭いがどうしても受け付けないのだそうだ。

まぁ、上位悪魔と融合している肉体な為、悪魔の弱点である水銀に過敏に反応しているのかもしれない。

 

 

「殺られた連中は、どれもAランク以上の召喚術士達だ。 アンタも気を付けないと足元を掬(すく)われるぞ? 」

「分かってる・・・御守り代わりに持ってるよ。 」

 

仕方なしにリボルバーを腰のホルスターへと収める。

無鉄砲を絵に描いた様な、この男にしては、今回は随分と慎重だ。

西区調査に向かい、連絡が途絶えた先遣隊の中にはAランクの召喚術士が数名同行している。

状況的には、既に死亡しているだろう。

それ故、誰よりも主を想うヨハンが、常になく神経質になるのは仕方が無かった。

 

 

 

野営地で武器と防具を揃えた二人は、早速、問題の西区へと向かった。

 

「・・・・っ!何なんだよ?こりゃ? 」

 

地中から突き出た歪な形をした植物の根。

幾本もの根は、建物の壁や看板などに絡み付き、まるで亜熱帯のジャングルを思わせる。

 

「”クリフォトの根”・・・何でこんな所に? 」

 

この歪な根には見覚えがあった。

魔界を放浪していた時に、パトロンとして番契約をしていた”四大魔王(カウントフォー)”の一人、反逆皇・ユリゼンが『賢者の石』生成の為に育てていた魔界樹だ。

 

「”クリフォトの根”? 」

 

ライドウの言葉に、ヨハンがオウム返しに応える。

 

「ああ、冥界にしか生息しない魔界樹だ。 生物の生き血が好物で、それさえ与えなければ全く害の無い植物だよ。 」

 

ヨハンに説明をしながら、”血溜まり”と呼ばれる枝の根っこへと近づく。

この”血溜まり”を破壊すれば、根に行き渡っている栄養源が断たれて忽ち(たちまち)枯れ果てる。

しかし、果実を生成している”本体”は、もっと別の場所にある。

これを壊した所で、気休めにしかならないだろう。

 

「・・・・っ! 」

 

腰のナイフケースから、愛用の”アセイミナイフ”を取り出したライドウが、”クリフォトの血溜まり”を破壊しようとした時だった。

何処からともなく飛来して来た漆黒の剣が、小柄な悪魔使いに襲い掛かる。

殺気を感じ取ったライドウが、咄嗟に躱す。

その眼前に、深々と漆黒の剣が突き刺さった。

 

 

「カヲル!? 」

「大丈夫だ。 」

 

棺の様に大きなケースを担いだ銀髪の青年を手で制し、長剣が投げつけられた方向へと視線を向ける。

するとそこには白の長外套と純白の鎧を纏った、強面の男が立っていた。

左手には、投げつけた漆黒の長剣と同じ形と色をした剣を握っている。

猛獣の如き鋭い双眸が、呪術帯で口元と左目を覆ったライドウを見据えていた。

 

「コイツが、調査隊を殺した奴か。 」

 

肩から下げた棺の如き巨大なケースを地面に降ろす。

視線を白髪の騎士に向けたまま、ヨハンは、ケースを開閉させるボタンに指を掛けた。

 

 

「止せ、この程度の相手に”ソレ”を使う必要はない。 」

「で、でもよぉ・・・。 」

 

先程も述べたが、調査隊の中にはAランクの召喚士が二人もいた。

おまけにかなり腕の立つ剣士(ナイト)と銃剣士(バヨネッテ)も同行している。

そんな先鋭達を、この白髪の騎士は、難なく倒してみせたのだ。

”ケースの中身”を使用するに、十分に足る相手である事は間違いない。

 

「俺がコイツの相手をする。 お前は、そこで芋っている奴を頼むわ。 」

「成程ねぇ・・・・了解”マスター”。 」

 

ライドウの指摘通り、族はこの白髪の騎士だけでは無かった。

注意深く周辺の気を探ると、破壊された建物の屋上に、もう一人、かなり強烈な魔素を持つ悪魔が隠れているのが分かる。

一度降ろしたケースを再び肩に担ぎ直すと、ヨハンは其方の方へと音も無く向かった。

 

 

「さて、”冥府の果実”を持ち出したのは、お前か? 」

「そうだ・・・・。 」

 

白髪の騎士が、未だクリフォトの根に突き刺さる漆黒の剣に向かって、右掌を向ける。

すると、剣はまるで生き物の様に脈動すると、主に向かって回転しながら戻って行った。

 

「なら、俺達の前に此処に来た人間達を殺したのもお前だな。 」

 

 

視線を白髪の騎士に向けたまま、腰のナイフケースに収まっているアセイミナイフの柄に手を掛ける。

この悪魔から放たれる鬼気は相当なモノだった。

上級クラス・・・・否、魔王クラスに匹敵するかもしれない。

 

 

「全ては、貴様等・・・・”反逆皇・ユリゼン”に虐殺された我が同胞の無念を晴らす為・・・特に”人修羅” 貴様だけは断じて許せん。 」

 

 

二本の長剣を正眼に構える。

殺意に濡れた銀の双眸が、華奢な悪魔使いを見据えていた。

 

 

「銀の瞳に、尖った耳・・・イェソドとティフェレトの境界線付近の氏族・・・”スヴァルトアールヴ”族か・・・良く覚えているよ。 」

 

争いと混沌を好むダークエルフ達の中でも、スヴァルトアールヴ族は、結構変わっていた。

自ら争い事を好まず、己自身の能力を高め、牧歌的生活を送る氏族。

控えめで、質素な生活を好む彼等は、他種族と関りを持つ事を極力抑えていた。

数も少なく、イェソドにある”精霊の谷”を渡り歩く生活を送っている。

そんな彼等が、イェソドを統べる四大魔王(カウントフォー)の一人、魔王ユリゼンに目を付けられたのは、とある理由があった。

 

 

「”ミスリルの加工技術”・・・・お前達一族は、加工不可能と言われるその鉱物の加工技術を知る唯一の存在だった・・・だから”あの変態野郎”に目を付けられた。 」

 

白髪の騎士が構える二振りの剣を見つめる。

恐らくミスリルと呼ばれるダイヤモンドより遥かに硬い鉱物で、作り上げられた剣なのだろう。

鋭い切先が、獲物を求めて鋭く光っている。

 

 

「”ミスリルの加工技術”は、我等、スヴァルトアールヴ族にとって秘伝中の秘伝。おいそれと公言する訳にはいかぬ。 特に”ユリゼン”の様な下郎にはな。 」

 

愛する同胞達が、無残に殺されていく情景を思い出し、腹腔から怒りのマグマが競(せ)り上がる。

 

この”反逆皇・ユリゼン”のかつての番は、奴の配下である”灼熱の獣王・ゴリアテ”と”魔鳥(まちょう)の三魔女・マルファス”と組んで、一族を皆殺しにした。

同胞達は、どれも腕の立つ『強の者』達ばかりであった。

しかし、それをあっさりと、そして女子供に至るまで無慈悲に殺したのが、この”人修羅”なのである。

 

 

「父を殺し、母を凌辱した貴様だけは絶対に許せん。 我が同胞の無念、思い知るが良い。 」

 

ライドウの首を斬り落とさんと、猛然と迫る白騎士。

腰のナイフケースから、地霊”ドワーフ”が造った魔法の短剣を引き抜いたライドウが、迎え撃つ。

 

 

 

 

 

「来たか・・・・。 」

 

かつてはテナントか何かの商業施設のビルだったのか、破壊され、人気が全くないその屋上に、漆黒の長外套を纏う黒髪の青年がいた。

瞑目していた双眸をゆっくりと開き、背後に立つ銀髪の美青年を振り返る。

 

 

「いよぉ、下の奴はアンタのお仲間かい? 」

 

ガスハーフフェイスマスクを付けた銀髪の美青年、ヨハンは、気安く片手を上げて見せる。

 

此処に来て初めて判る。

この黒髪の悪魔は、相当デキる。

 

「兄だ・・・・君の主人に一族全てを殺され、僕とバアル兄さんの二人だけになってしまった。 」

 

何処か、物憂げな表情をする黒髪のエルフ。

右手には、身の丈程もある漆黒の長剣を握っている。

 

「・・・・一族の敵討ちって訳か・・・・。 」

 

番であるライドウが、その昔、長期間に渡って魔界を放浪していた事は知っている。

その間の話は詳しく知らないが、目的の為ならば手段を選ばぬあの苛烈極まる性格ならば、このエルフ兄弟の一族に何をしたのかは、容易に知る事が出来た。

 

ヨハンは、一つ溜息を零すと、肩に背負っている棺の様な漆黒のケースを地面に下ろした。

魔剣教団のマークが刻まれたその漆黒のケースには、ヒュースリー一族に代々伝わる神から授かりし、武器が収められている。

 

 

「何となくだが、お前等の気持ちは判るぜ・・・・でも、哀しいかな、俺は人間なんだよ。 」

 

柄に備え付けられている開閉ボタンを押す。

すると漆黒のケースが縦に割れ、剣と思しき握りが飛び出した。

 

「悪いが、討伐させて貰うぜ。 」

 

右手で剣の柄を握り、ゆっくりとケースから引き抜く。

そこから現れる灼熱の刀身。

ヨハンが一振りすると、刀身の高温で床が解け崩れ、周囲を真っ赤に燃え上がらせる。

 

 

「それは・・・・神器”レーヴァティン”か・・・・初めて見たな。 」

 

炎を噴く剣を見た途端、人形の様に感情が無いその容姿に初めて、動揺の色が浮かんだ。

 

神器”レーヴァティン”とは、北欧神話に登場する巨人スルトルが、ラグナロクの際に振るったと言われる剣である。

この剣に関する伝承は、驚くほど少なく、狡猾なロブトルこと魔王・ロキによって鍛えられ、女巨人シンモラが保管している、という記述しかない。

 

 

「君は、巨人族の血が流れているのか? 」

 

この剣は、巨人族の長、スルトルの血筋の者しか扱えないと云われている。

”レーヴァティン”は、使用者の生命力を糧とし、尋常ならざぬ神の力を振るう事が出来る。

故に、並みの人間が触れようものなら、忽ち生命力を吸い尽くし、また、魔族が触れれば聖なるスルトルの炎によって焼き尽くされてしまう。

 

 

「ああ、爺ちゃんから聞いた話によるとウチの先祖は、巨人族の女が、魔剣士・スパーダに見初められ、子を孕んで生まれた一族らしい。 まぁ、数千年前の話だし、人間の血が混じり過ぎて、そういう化け物は滅多に生まれなくなっちまったらしいが・・・。」

 

数百年に一度、その両方の力を引き継ぐ者が生まれるらしい。

俗に言う、『先祖返り』というやつだ。

人間よりも強靭な肉体を持ち、魔族特有の驚異的再生能力。

そして、神族の不老長寿を同時に併せ持つのだ。

ヨハンの曾祖父も当然、彼と同じ能力を持ち、800年以上生きた。

当然、彼が持つ神器”レーヴァティン”は、曾祖父から受け継いだモノである。

 

 

「神族と魔族両方の特性を持つのか・・・・成程、あの”人修羅”が番にする訳だな。 」

 

ミスリルで造られた漆黒の長剣を構える。

神器使い相手に、自分がどれ程戦えるか正直分からない。

剣の技量は、兄より上。

しかし、神の炎に抗える程、自分は決して強くはない。

 

 

 

スヴァルトアールヴ族の”バアル”と”モデウス”は、ティフェレトとイェソドの境界線にある『精霊の谷』と呼ばれる渓谷で生まれた。

一年中、猛吹雪が吹き荒れる豪雪地帯である『精霊の谷』は、希少な鉱物が取れる鉱山としても有名であった。

多くの地霊や妖精が住み、その手先の器用さで多くの工芸品を生み出した。

 

”黒エルフ”一族の中で、スヴァルトアールヴ族は、反り返った二本の大きな角と長い体毛を持つ大型の草食獣、”ヌー”を連れて、季節毎に谷を巡回する遊牧民の様な生活を送っていた。

決まった巣(ネスト)を作らず、根無し草の様な生活を送っているのには、訳がある。

 

加工不可能と言われる魔界一、硬い鉱物・・・・ミスリル。

その鉱物を加工する技術を、彼等は持っていたからである。

バアル達一族は、その秘術を悪用されない為に、各地を転々としていたのだ。

厳しい環境と質素な生活。

しかし、彼等は平和であった。

イェソドを支配する四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンは、冷酷無比な悪魔であったが、規律を重んじる性格をしていた。

暴力による略奪を禁じ、手先が器用なエルフやドワーフ達を重宝した。

その恩恵は、勿論、黒エルフであるモデウス達にもあった。

剣の技術に優れる彼等は、境界線を護るという密約をユリゼンと交わし、食糧と金品の援助を受けていたのである。

だが、その密約は唐突に破られた。

 

 

「離して下さい!兄様!母上が!母上が!! 」

 

無理矢理、翼竜に乗せようとする兄の手から逃れようと、幼いモデウスは懸命に暴れる。

しかし、体格差があり過ぎる為、あっさりと抑え込まれてしまう。

 

「俺と一緒に逃げるんだ! モデウス! 母様の言葉を忘れたのか! 」

 

轟々と燃え盛る炎。

涙に濡れた弟の視線の先には、赤々と燃える煉瓦造りのL字型の建物があった。

昨日まで、何の不自由もなく笑って暮らしていた自分達の家。

剣の師であり、一族の長であった父。

優しく美しい母。

だが、今はもういない。

殺されてしまった。

火を吐く巨大な悪魔と三つ首の魔女・・・・そして恐るべき魔法を使う人間によって。

 

「ううっ、母上ぇ!何で?何でこんな事に?? 」

 

ボロボロと泣き崩れる幼い弟。

それに釣られ、嗚咽を洩らしてしまいそうな自分自身を、必死に叱咤する兄。

 

泣いては駄目だ。

自分がしっかりしなければ、弟も死んでしまう。

弟には類稀な剣と魔法の才能がある。

護り抜かなければ・・・・・。

自分の命に懸けても護り抜かなければ、スヴァルトアールヴ族は終わってしまう。

 

ぐっと口元を引き結んだバアルは、泣きじゃくる弟を背負い、翼竜の手綱を握った。

 

 

金属と金属が激しくぶつかりあう事で生まれる橙色の光。

音速の速さで繰り出される斬撃。

それらを器用に身を捻り、時には右手に持ったナイフで往なしながら、的確に白騎士にダメージを与えていく小柄な悪魔使い。

 

 

「ぐはっ!! 」

 

悪魔使いの回し蹴りが、白騎士・・・・バアルの鳩尾に見事に決まり、二歩、三歩と後ろにたたらを踏む。

その蟀谷に、独楽の如く旋回した悪魔使いの蹴りが見事に決まる。

躱す余裕も無く、吹き飛ばされる白髪の騎士。

倒壊したビルの壁面にぶち当たり、そのままずるずると地面へと沈んでしまう。

 

 

「どうした? もうお終いか? 」

 

 

息一つ乱す様子も無く、力無く頽れる白騎士を侮蔑を多分に含んだ視線で眺める。

この男の父親とも一度やり合ったが、太刀筋が単調過ぎて、見切り易い。

下級、中級の悪魔なら圧倒出来るであろうが、流石に四大魔王(カウントフォー)相手では、児戯に等しい。

 

「な・・・・舐めるな・・・・私は、まだ・・・・まだ負けてはいない。 」

 

蹴り飛ばされた左蟀谷から、大量の血を流し、よろよろと立ち上がるバアル。

軽い脳震盪を起こしているのか、視界が定まらず、両脚に力が全く入らない。

それでも、己を鼓舞し、双剣を構える。

 

強い・・・・まさか、これ程の実力差があるとは思わなかった。

彼の父親は、黒エルフの中でも強の者として知られている。

それを意図も容易く打ち破ったのだから、当然と言えば当然であった。

 

 

「・・・・はぁ、お前の親父もそうだったが、ダークエルフってのは、下手に気位だけは高いんだな? 」

「何? 」

 

父親に対するあからさまな侮辱の言葉に、バアルの視線が鋭くなる。

 

「プライドだけは一丁前と言ったのさ。 ま、そのせいでお前の一族は滅びちまった訳なんだが。 」

 

今更だが、『ミスリルの加工技術』を素直に教えれば、一族郎党が滅びる悲劇は起きなかった。

四大魔王(カウントフォー)の一人、ユリゼンは、冷酷ではあるが話が通じない相手ではない。

相手の実力を評価し、認める広い心を持っている。

バアル達、スヴァルトアールヴ族は、黒エルフの中でも誠実で、戦闘に関しても優秀だ。

でなければ、ティフェレトとの境界付近の警護を任せる筈がない。

 

 

「黙れ!卑劣な手段で我が一族を滅ぼしておきながら、何をほざくか!! 」

 

怒りで視界が真っ赤に染まる。

それまで平穏で、ユリゼンに対し忠実だったバアル達一族。

そんな彼等を、何の前触れも無く襲撃したのは、誰あろうユリゼンの配下達であった。

 

 

「”ミスリルの加工技術”を素直に渡せば、滅びる事は無かった。 あの事件が起こる大分前から、ユリゼンは、お前の親父に言っていたんだ。 知ってるか?お前等、谷の中でも一番優遇されていた事を。 」

「何?」

「お前達が集落として暮らしていたあの土地は、元々、白エルフ達が住んでいた。それを強引に退かせたのがユリゼンだ。 お前の強欲な親父は、豊富な土壌を手に入れたのにも拘わらず、今度は金品を要求してきやがった。 」

 

 

黒エルフの長であるバアルの父親は、『ミスリルの加工技術』を盾に、ユリゼンに取引を持ち掛けたのだ。

永住できる豊かな土地と多額の金。

しかし、どれだけ金と食糧を援助しても、バアルの父親は、決して秘術を渡す素振りはしなかった。

それどころか、もっと寄越せと要求してくる始末だったのだ。

 

 

「で、出鱈目を言うな!! 」

「出鱈目じゃねぇよ・・・・じゃぁ聞くがな、何故、遊牧民として谷の各所を転々としていたお前等一族が、あの土地に腰を据える事になった? 何故、極寒の厳しい環境に居るにも拘わらず飢えを知らずに生活出来た? 周りの連中が、腹を空かせて明日をも知れぬ生活をしてるってのによ。 」

「だ、黙れぇ!! 」

 

知りたくも無かった真実。

バアルがあの土地に暮らす様になったのは、モデウスが生まれるかなり前であった。

あの当時は、とても幼く、牛車に揺られながら、寒さに震えていた事だけを覚えている。

父があの土地を見つけ、長い放浪の生活を終わらせようと皆に伝えた時は、誰もが素直に喜んだ。

まさか、そんな裏の事情があるとは知らずにだ。

 

 

雄叫びを上げ、悪魔使いの躰を二振りの剣で両断せんと、猛然と襲い掛かる。

それを紙一重で躱すライドウ。

刹那、バアルの右脚に激痛が走る。

 

 

「ぐぅ? こ、これは・・・・? 」

 

 

右大腿部に突き刺さる棒状の投擲武器。

八角棒手裏剣だ。

 

痛みに片膝を付く白騎士は、忌々しそうにその棒手裏剣を引き抜く。

 

「終わりだな? お前の親父もそうだったが、軽い挑発にすぐ乗ってくれて助かるぜ。 」

「ぬかせ! こんな程度の攻撃、私に効くとでも・・・・・っ!? 」

 

 

すぐさま立ち上がろうとしたバアルであったが、何故か力が入らず、再び地面に片膝を付いてしまう。

ガクガクと震える両脚、否、身体中が痙攣し、動けという脳からの命令を無視する。

 

 

「お前等って本当、人間を舐めすぎているよな? 一体、何千年、お前等悪魔と付き合っていると思ってんだよ? いい加減、研究され尽くして、どんな毒が効くとか、何処にお前等の弱点である心臓があるのかとか、把握されてるっての。 」

 

バアルが投げ捨てた棒手裏剣を拾い上げると、悪魔使いは、侮蔑を多分に含んだ双眸で完全に動けない白騎士を見下ろす。

 

 

「ば・・・馬鹿な・・・・こ・・・こんな・・・・。 」

「こんな筈じゃなかった・・・・脆弱な人間如きに後れを取る訳が無い。 」

 

手の中で棒手裏剣を弄びながら、ゆっくりとした歩調で、白騎士の周りを歩く。

そして、目の前に辿り着くと、膝を屈めてバアルと視線を合わせる。

 

 

「お前の親父も、これと全く同じ手に引っ掛かって、おまけに同じ戯言をほざいていたよ。 我々、誇り高く強い黒エルフ族が、下賤な虫けらの人間に負ける筈がないってな。 」

 

体内に侵入した水銀の毒は、瞬く間に白騎士の肉体を侵食し、中枢神経を狂わせる。

棒手裏剣によって穿たれた穴は、忽(たちま)ち壊死し、そこからどす黒い血を流していた。

 

 

「ひ、卑怯者め・・・貴様の様な外道は、地獄の業火に・・・・・。 」

「焼かれて苦しむが良い・・・お前の親父もあの時、そんな事をほざいていたな・・・知ってるか? 頭が弱いお前等悪魔程、虚しい遠吠えを吠えるんだぜ? 」

 

くるくると手の中で回る棒手裏剣が、ピタリと止まる。

 

強欲で愚かな父親。

そして、そんな父親の本性を知らず、哀れにも敵討ちをする息子。

彼が、父親の所業を知れば、少しでも結果は違ったのだろうか?

 

 

「悪魔は、此処を破壊されると人間と同じ様に、脳に障害が起きるらしい・・・一度、試してみたいと思ってたんだ。 」

 

ピタリと棒手裏剣の切っ先を、白騎士の額に当てる。

ドッと流れ落ちる冷や汗。

これから起きるであろう、想像を絶する苦痛と絶望に、白騎士の双眸が恐怖で見開かれる。

 

 

「こ、この外道・・・・。 」

「何人も同胞を殺しておいて、今更、簡単に死ねるとか思うなよ? 」

 

左眼と口元を呪術帯で多い、唯一覗く、悪魔使いの右眼。

そこからは、何の感情も読み取れない。

底の見えぬ暗闇が、ただ広がっているだけだ。

 

 

「兄さん!! 」

 

その時、何処からともなく聞こえて来た年若い青年の声が、バアルとライドウの間に割って入った。

逸早く殺気を感じ、その場を離れるライドウ。

刹那、衝撃波が走り抜け、先程まで居た場所が大きく抉れる。

 

 

「無事か? 兄さん? 」

「も・・・・モデウス。 」

 

黒髪に同色の長外套。

女性の如く美しい容姿をした美青年が、白騎士の傍らに現れる。

バアルと同じ、スヴァルトアールヴ族のモデウスだ。

歳の離れた兄に肩を貸し、抱き抱える様にして何とか立ち上がる。

 

 

「ち、逃がすかよ! 」

 

思わぬ伏兵に、ライドウは舌打ちすると、右掌に紅く光る法陣を急速展開させる。

しかし、火炎魔法を放とうとするよりも早く、相手に強制離脱魔法(トラフーリ)を唱えられ、周囲を強烈な閃光が包んだ。

 

 

 

ヨハンが、主人である悪魔使いの所に戻ると、獲物は既に逃げた後であった。

短い付き合いであるが、悪魔使いが相当、苛立っているのが、その背を見ただけで判る。

こりゃぁ、小言の一つや二つ覚悟しておいた方が良いなぁっと思いながら声を掛けると、案の定、鋭い視線が此方に向けられた。

 

 

「何をしていた? 」

 

怒気を多分に含んだ低い声。

拙い、相当、御冠(おかんむり)の御様子だ。

 

「あー・・・芋ってた奴を無事見つけたんスけど、斬り合ってる最中に、離脱魔法を使われて逃げられちまいました。 」

 

まるで射殺さんばかりの視線を避けつつ、ヨハンは素直に応える。

 

ライドウの指示で、廃屋のテナントビルの屋上で、同じ黒エルフと思われる悪魔を見つけ、直ぐに交戦状態へともつれ込んだ。

一度の斬り合いで、相手が相当の手練れである事が分かる。

神器『レーヴァティン』を操り、慎重に斬り結んでいたが、突然、相手が何かを察知したのか、不意を突かれて逃げられてしまったのだ。

 

 

 

 

「なぁ? いい加減機嫌治してくれよ? 俺だって結構、頑張ったんだぜ? 」

 

連絡を絶った、西区の調査隊達の安否を確認する為、彼等が使用していた駐屯地へと向かう道すがら、棺桶の如く大きなケースを担いだ銀髪の青年が大袈裟に肩を竦めた。

しかし、ライドウは応えない。

ヨハンと敵の仲間である黒髪のエルフとの経緯を聞いたその後は、終始無言を貫いている。

こうなってしまうと完全にお手上げであった。

 

 

 

「!! 」

 

暫く歩いていた二人は、西区駐屯基地へと辿り着く。

しかし、そこに広がる光景は、筆舌し難き酷い惨状であった。

 

まるで駐屯地全体を覆うかの様に、群生した”クリフォトの根”。

そして、身体中の血液を全て奪われ、干からびたミイラと化した人間の死骸が、襲われたそのままの形で残っている。

恐怖で引き攣った形相のまま、醜いオブジェとなっていた。

 

 

「こりゃ、酷ぇな・・・あのエルフ共の仕業か? 」

「多分な・・・・”クリフォトの果実”の餌にされたらしい。 」

 

 

相当無念だっただろう、想像を絶する程の苦痛と恐怖だっただろう。

調査隊達の亡骸を見ただけで、自然とソレが伝わってくる。

 

 

「・・・・・奴等の一族を滅ぼしたんだってな・・・・。 」

 

 

何か使えそうな物資は無いかと、周囲に転がっている資材を物色していたライドウの背に、ヨハンが声を掛けた。

返事が返って来るとは、思っていない。

只、思った言葉が、素直に口から出ただけだ。

 

 

「どうしてそんな事をしたのか、知りたいのか? 」

 

思った程の収穫が得られないと知った悪魔使いは、徐に立ち上がる。

振り返ると、神器が収められた大きなケースを背負う銀髪の青年と、目が合った。

 

 

「話したくないなら別に構わない。 だが、コイツ等の死がアンタのとばっちりなら、少しは気分が悪くならねぇかと思っただけさ。 」

 

ついつい嫌味たらしく言ってしまう。

この悪魔使いが、自分の過去を話したらがないのは良く知っている。

口数が少なく、必要最低限の事しか話さない。

それは、出会った当初も、番となった今も同じで、彼の本名を知るのにも相当苦労したのを覚えている。

 

暫しの沈黙。

しかし、先に折れたのは、意外にもライドウの方であった。

 

「・・・・今から、10年近く前だ・・・俺が、”クズノハ”に入って3年ぐらい経った時だな・・・”異界送り”の儀式で魔界に渡った・・・・。 」

 

当時の出来事は、今も鮮明に覚えている。

『17代目・葛葉ライドウ』の名を得る為に、彼は単身、魔界へと堕ちた。

目的は、唯一つ・・・最強の悪魔と呼ばれる魔王・アモンと契約する事。

その為には、彼の悪魔が封印されている『ノモスの塔』を探し出さなければならない。

たった一人のか弱き人間が、その偉業を成し遂げるには、大海原に投げ落とされた小さな針を探し出すよりも難しい行為であった。

 

「俺の力は、余りにも弱くて脆い・・・そんな奴が、弱肉強食を絵に描いた世界を生き抜くには、強力なパトロンが必要だ・・・・だから。 」

「四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンの番になったのか。 」

「・・・そうだ。 」

 

魔王・アモンの力を得る為、ライドウは、イェソドの統治者である魔王・ユリゼンと仮契約を交わした。

ライドウは、ユリゼンの信頼を勝ち得る為に、彼の悪魔の走狗となり、残虐非道な行いに手を染めた。

領地拡大の為に、あらゆる事をやった。

抵抗する者が現れれば、それが、例え女子供であろうと容赦する事無く皆殺しにした。

バアルやモデウス達、スヴァルトアールヴ族も、そんな氏族の一つだったのである。

 

事の経緯を話し終えたライドウは、レッグポーチから愛用の煙草ケースを取り出すと、口元を覆っている呪術帯を下げ、抜き出した煙草を一本咥えると、使い古したジッポライターで火を点ける。

吐き出された白い煙が、冷たい冬の風と交じり合い溶けていった。

 

 

「成程な・・・・奴等の素性は理解出来たぜ。 」

 

此方に漂ってくる煙草の煙をうざったそうに手で払う。

4年、この悪魔使いの番を務めているが、どうしても煙草の煙だけは慣れない。

煙草独特の臭いが、生理的に受け付けないのである。

 

 

「・・・・俺の番を辞めたくなったか? 」

 

ライドウは、倒壊したプレハブ小屋の壁に背を預ける銀髪の美丈夫を横目で眺める。

そういえば、この男の生まれ故郷であるフォルトゥナ公国には、三つになったばかりの幼い息子がいる。

名前は、ネロと言ったか? 

噂によると実母である娼婦が、突然行方を暗まし、引き取り手のいないネロをヨハンの幼馴染みである魔剣教団の現騎士団長、クレドが引き取っているのだという。

本来ならば、幼い息子を置き去りにしたまま、行方不明となった女の安否が心配なのだろうが、何故か、ヨハンは祖国に帰る素振りを見せる様子が無かった。

 

 

「まさか・・・・アンタを放っておくと何処かで野垂れ死にしてそうで怖いからな。誰かがしっかりと監視しとかねぇと・・・・。 」

 

 

ヨハンが大袈裟に肩を竦める。

この悪魔使いにどんな過去があろうが、関係は無かった。

王位継承権を捨て、夜逃げ同然で祖国を捨てて、心底惚れ抜いた相手の番となったのだ。

そう簡単に、手放してやるつもりなどない。

 

「良いのか? アンヌとネロをこのままにして・・・・。 」

 

思い切って核心を突いてみる。

義理堅く、情に脆いこの男が、家族の事を心配していない筈がない。

きっと本心では、母国に帰りたいと切に願っているに違いなかった。

 

 

「あの二人の事は、クレドの奴に任せてある。連絡も取り合っているしな・・・それより今は、アンタの方が心配だ。 」

「・・・・・っ。 」

 

何の迷いも躊躇いも無い、真っ直ぐな蒼い瞳。

その眼に見つめられ、ライドウは一瞬、言葉を失う。

この四つ歳が離れた青年は、自分の今、置かれている辛い立場を誰よりも理解している。

 

強烈な心的外傷体験により、心を壊され、幼児退行を起こしてしまった妻、月子。

葛葉一族発祥の地である『葛城の森』で、今も尚療養生活を送っているが、回復の兆しは一向に現れない。

心の病でとても子を産めぬ状態となってしまった妻と、部外者でありがなが、”ライドウ”の名を継いだカヲルに対する、周りの謂われなき誹謗中傷。

組織の中で、カヲルは完全に孤立してしまっている。

 

 

「・・・俺は大丈夫だ・・・・月子も、少しづつだが、回復はしている。 」

 

吸い終わった煙草を、地面に捨て、ブーツで揉み消す。

 

『ライドウ』の銘を継ぐと決めたその時から、ある程度の事は覚悟していた。

あの日・・・・「娘を連れ戻して欲しい。」という、師、16代目・葛葉ライドウの懇願を受け入れ、親友であり、同期のサンタこと、百地三太夫(ももちさんだゆう)を手に掛けた。

愛する男を目の前で殺され、今迄耐えていた月子の心が完全に壊れてしまった。

全ては、『ライドウ』の銘(な)欲しさに行った、自分の蛮行のせい。

それ故、余りにも大きな罪の十字を、一生涯、背負うと心に決めた。

 

 

その時、腰に吊るしてあるガンホルスターに収まったGUMP(銃型端末)から、警告音が鳴った。

この近くに、強大な悪魔の反応を感知したのだ。

 

 

「此処から2km離れた先・・・・湾岸倉庫街の何処かだな。」

 

腰に吊るしたガンホルスターから、GUMPを抜き出し、蝶の羽の様に液晶パネルを広げる。

天海市湾岸倉庫街、第三倉庫の辺りに赤い光点が明滅していた。

バアル達、黒エルフの兄弟は、そこでクリフォトの果実を育てているらしい。

 

 

「そんじゃぁ、とっとと倒して家に帰るか。 ガキ共が首を長くして待ってるからな。 」

 

うーん、と一つ背伸びをすると、地面に置いてある黒い棺を肩に担ぐ。

 

東京の都心・・・・葛葉の屋敷で共に暮らしている二人の少年。

13歳になったばかりの少年達は、母親の様にライドウを慕っている。

特に、ライドウが魔界から連れ還った亜人の少年・・・・・志郎は、神の如く悪魔使いを崇拝しており、その番であるヨハンを快く思ってはいなかった。

 

 

「そうだな・・・・。 」

 

ライドウも口布をあげ、GUMPを腰のホルスターへと収める。

何時までも黒エルフ2匹に時間を取られている訳にもいかない。

それよりも、自分達にはやるべき大事な使命があるのだ。

 

 

 

天海市、湾岸倉庫街。

海に面して建設されたこの倉庫街は、かつて、海外の流通拠点として活躍していた。

しかし、10数年前に発生した悪魔によるバイオハザードによって、倉庫街は閉鎖。

天海市全体を覆う様に、分厚い壁で覆われてしまう。

勿論、人間が住める環境ではない為、この場所は、スキルの異様に高い、悪魔達の住処と成り果てていた。

 

 

「ちっ、ライアットにケイオス・・・・・おまけに厄介な魔法を使うバフォメットまで、出て来やがる。 」

 

デザートイーグル並みの巨銃を巧みに操り、襲い掛かる妖獣達の頭蓋を次々に撃ち抜く。

そのすぐ傍らでは、両手にクナイを持った悪魔使いが、的確に悪魔達の心臓を破壊していた。

 

 

「魔界樹の根から発生される、人間の生き血の匂いに引き寄せられているな。 どうやら、”クリフォトの果実”は、この近くで間違いなさそうだ。 」

 

そう言って、ライドウが自分の立つ足元へと視線を向ける。

 

現在、彼等は、湾岸倉庫にある第三冷凍倉庫に居る。

電力は、遥か昔に途絶えている為、冷凍倉庫である面影は完全に消えていた。

あるのは苔むした床と、黒く腐食した壁だけ。

ライドウ達が探している『クリフォトの果実』は、この地下3階の何処かにあるらしい。

 

 

「あの黒エルフ兄弟もそこに居るのか? 」

 

重い棺で、バフォメットの頭部を叩き割ったヨハンが、呪術帯で左眼と口元を覆った悪魔使いの方を振り向く。

 

 

「多分な・・・・奴等にとって”クリフォトの果実”は唯一の生命線だ。 命懸けで死守するだろうな。 」

 

ケイオスの心臓部に突き立てられたクナイを引き抜き、ライドウが応える。

恐らく、あの黒エルフは、自分達が此処に来た事を察知しているに違いない。

しかし、『クリフォトの果実』がある以上、彼等は逃亡出来ない。

それは、人修羅に対抗出来る彼等に残された、たった一つの希望だからだ。

 

 

 

 

「・・・・兄さん、奴等が来たよ。 」

 

第三倉庫、地下3F。

その一室に、モデウス兄弟はいた。

 

 

「くそ・・・・後もう少しで果実が実るというのに・・・・。 」

 

兄のバアルが口惜しそうに、壁一面を覆う、”クリフォトの根”を見つめる。

その中心部には、人間の心臓が如く鼓動する真紅の果実が埋め込まれていた。

 

 

「兄さん、諦め様・・・今は、一旦魔界に堕ち延びて、次のチャンスを待つんだ。 」

「諦める・・・・? 」

 

まるで咬み殺さんばかりの勢いで、傍らに立つ弟を睨みつける。

果実は、後もう少しで実る。

此処まで来て、今更何を諦めるというのか。

 

 

「逃げるのなら、貴様一人で逃げるが良い。 俺は、果実を手にするまで此処を離れるつもりはない。 」

「に、兄さん? 」

 

いきなり歳の離れた兄に、胸倉を掴まれ、モデウスは戸惑う。

そこに、かつての優しい兄の姿は何処にも無かった。

一族への復讐に燃える、一人の黒エルフの戦士が、腑抜けな弟を蔑んでいるだけだ。

 

 

「それに、今更、魔界に還ってどうする? かつて我等が住んでいた集落には、白エルフや地霊共がのさばり、黒エルフは、劣悪な環境へと押しやられている。最早、我等に安住の地など無いのだ。 」

 

そう、全ては反逆皇・ユリゼンとその配下である人修羅のせい。

ユリゼンが人修羅に討たれ、支配権が魔帝・ムンドゥスへと譲渡された今でもそれは変わらない。

バアル達、黒エルフは谷の隅へと追いやられ、ただ滅びの時を待つだけだ。

この破滅の運命を変えるには、絶対的な力が必要なのだ。

”クリフォトの果実”は、その為の鍵。

むざむざ諦める訳にはいかないのだ。

 

 

凄まじい破壊音。

見ると倉庫の扉が吹き飛び、濛々(もうもう)と土煙が上がっている。

そこから、灼熱に熱しられた剣を持つ銀髪の美青年が現れた。

元魔剣教団最強の騎士であり、人修羅の番であるヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーだ。

 

 

「お取込み中、申し訳ないが、邪魔するぜ? 」

 

ニヤリと皮肉気に、口角を吊り上げる。

 

 

「ふん、 態々、我々に殺されに来るとはな・・・・。 」

 

掴んでいた弟の胸倉を乱暴に離すと、バアルは、愛刀である二振りの魔剣を地面から召喚させる。

魔界でも加工不可能と言われているミスリルで造られた、剣。

この剣ならば、神器と対等に渡り合う事は出来るであろう。

 

 

「雑魚は、一切無視しろ。 俺達の目的は、果実の回収又は、破壊だ。 」

 

 

番の背後から、左眼と口元を呪術帯で覆ったライドウが現れる。

悪魔使いの視界に、復讐に燃える黒エルフ兄弟の姿は一切映ってはいなかった。

見えているのは、壁全体を覆うクリフォトの根の中心に実る真紅の果実。

 

 

「舐めるな!虫けらがぁ!! 」

 

怒髪天とはこの事をいうのであろうか?

鋭い犬歯を剥き出しに、殺意に濡れる金の双眸を見開き、華奢な悪魔使いに向かって猛然と襲い掛かるバアル。

弟のモデウスが止める隙すらも無かった。

 

 

「駄目だ! 兄さん!! 」

 

簡単に敵の挑発に乗る兄を止めるが、時既に遅しであった。

不意に人の気配を察し、慌ててその場から跳び退く。

すると、何時の間にそこに立っていたのか、神器”レーヴァティン”が収納されている棺桶の如く巨大なケースを背負う、銀髪の青年がいた。

 

 

「悪いな? お前等が大事に育てていた果実は、俺達が始末させて貰う。 」

 

 

親指で、背後にある冥府の果実を指し示す。

未だ熟さぬ赤き果実。

調査隊の血を吸い尽くした果実は、更なる生贄を要求している様にも見える。

 

 

「そうはさせない!! 」

 

あんなに苦労して『クリフォトの種籾(ためもみ)』を手に入れ、現世で人間達の生き血を与え、此処まで育てたのに、むざむざと敵に奪われる訳にはいかなかった。

こうなってしまったら最早、逃亡は不可能。

ならば、最後は無様と謗(そし)られても構わなかった。

兄と同様、足掻くだけ足掻いてやる。

 

モデウスは、兄のバアル同様、地中から漆黒のロングソードを召喚した。

 

 

二振りの剣が、何度も閃き、鋭い斬撃を華奢な悪魔使いに繰り出す。

しかし、当たらない。

悉く紙一重で躱され、虚しく壁と床を抉るだけであった。

 

 

「ば、馬鹿な? 何故、我が剣技が奴に効かぬ!!? 」

 

 

かつて魔界でも、戦闘民族として名を轟かせていたスヴァルトアールヴ族。

中でも、その剣術は、かの魔剣士『スパーダ』に匹敵するとも言われ、恐れられていた。

しかし、目の前に対峙する悪魔使いには、全くと言っていい程、通用しない。

焦りが冷静な判断力を奪い、剣撃が次第に大振りになっていく。

 

その隙を見逃さぬライドウでは無かった。

小さな躰を利用し、瞬く間に、バアルの懐に入り込む。

刹那、白騎士の両眼に、例え様も無い激痛が走った。

 

 

「ぐがぁあああああああ!!! 」

 

 

両目を抑え、大きく後退するバアル。

ライドウの二本の指が、白騎士の両眼を深々と抉ったのだ。

 

 

「兄さん!!! 」

 

兄の異変に、素早く察したモデウスが、バアルの元に駆け付け様とする。

だが、その眼前を、ライドウの番であるヨハンが塞いだ。

 

 

「人の心配をする余裕があるのか? 」

「退けぇ!!!! 」

 

怒号を発し、銀髪の美丈夫へとロングソードの斬撃を繰り出す。

それを身を翻す事で躱すヨハン。

素早く腰のナイフケースから、あるモノを取り出し、それを振り上げる。

 

斬り落とされるモデウスの利き腕。

まるで焼け火箸を押し付けられたかの様な激痛が、モデウスを襲う。

 

「い、一体・・・何が・・・???? 」

 

苦痛の涙で歪む視界に映る己の右腕。

肘から先が、綺麗に切断され、肉の焼ける匂いが鼻腔をつく。

 

 

「高周波ブレードか・・・・技術班の連中が、ナイフ並みに小型化するのに成功したから、是非使ってくれって持たされたが、結構役にたったな? 」

 

 

超高速で振動する不可視な刃。

一見するとアウトドア等に使用される、フォールディングナイフに良く似ている。

高速振動によって発生する熱により、あらゆる物体を溶断する。

通常の刃物を遥かに超える威力を持ち、アメリカ軍が持つ特殊部隊では、既に実用されていた。

 

 

「無駄な抵抗は止めとけ。 お前の手の内は、さっきやり合って大体判る。 」

 

激痛を堪え、ロングソードを構える事で、尚も抵抗の意思を見せるモデウスに、ヨハンは半ば、呆れた様子で言った。

 

数合の撃ち合いで、モデウスの実力や剣筋等、全て把握済みだ。

彼等、悪魔は非常に純粋で騙されやすい。

態と隙を作って、誘いこめば簡単に乗ってしまう。

それは、非力な人間に対する優劣から来る傲慢さであり、綿密な頭脳戦を必要としない魔界での生活故であった。

 

 

「こ、この程度で、僕に勝ったつもりでいるなよ? 」

 

苦痛で脂汗を浮かべ、悔し気に唇を噛み締める。

 

この男も、自分の大事な家族や一族を滅ぼした憎き人修羅も、想像を絶する怪物だ。

自分達、兄弟はこの二人に勝つ事は、永劫出来ないだろう。

しかし、兄だけは・・・・愛するバアルだけは、むざむざと死なせる訳にはいかない。

 

モデウスは、移動魔法(トラポート)を唱えて、魔界樹の果実が実る場所へと移動する。

何を考えているのか判らず、訝し気な表情になるヨハン。

そんな銀髪の青年に、皮肉な笑みを浮かべ、モデウスは、愛刀の切っ先を己の心臓へと向ける。

 

 

一方、視界を奪われ、苦痛でのたうち回るバアル。

敵の位置が全く把握できず、両手に持つ双剣を矢鱈目たらに振り回す。

 

 

「お前達は、この世界の住人ではない、黙秘権も無いし、当然、人権すらも無い。 」

 

 

鋼鉄の義手に付着した人差し指と中指の鮮血を、レッグポーチから取り出したガーゼで拭う。

何ら感情の籠もらぬ隻眼が、無様に二振りの剣を振り回す白騎士へと向けられた。

 

 

「此処でお前達を拷問し、殺した所で俺達が咎められる事も無いし、お前達の死を悼む者達も居ない・・・・。 」

「黙れぇ!!卑劣な方法で、我が誇り高き一族を滅ぼした怪物風情が何をほざく!!」

 

 

もう既に勝敗は決まっていた。

人間よりも遥かに優れた視野を奪われた事で、バアルの強靭な心は完全に折れてしまっていた。

彼の叫びは、虚しい負け犬の遠吠えのソレだ。

最早、戦う気力や力すらも微塵も残されてはいない。

 

その時、バアルとライドウの頭上で、何者かの声が聞こえた。

歳が大分離れた白騎士の弟・・・・モデウスだ。

 

 

「勝てよ!兄さん!! 」

 

 

何処か勝ち誇った弟の声。

口元に笑みを浮かべたモデウスが、寸分たがわず、己の心臓を愛刀の切っ先で貫く。

 

 

「モデウス!! 」

 

 

弟の意図を察した兄が、悲痛な叫びを上げる。

しかし、全てが遅すぎた。

兄の制止の声を振り切り、己の命を魔界樹の贄へと捧げる弟。

モデウスの内在する膨大な魔力と生命力を得た”クリフォトの根”は、活性化し、倉庫内を暴れ回る。

 

 

「ちっ!! 」

 

弟の意思を汲み取ったかの如く、ライドウとバアルの間に割って入る魔界樹の根。

咄嗟に跳び退くライドウの視界に、魔界樹の果実を手にするバアルの姿が映った。

 

「ヨハン!一旦、此処から離脱するぞ!! 」

「了解!! 」

 

このままでは、活性化した魔界樹の根によって倉庫が破壊されてしまう。

崩落する瓦礫に押しつぶされるより早く、ライドウは番であるヨハンを回収すると、第三倉庫の外へと移動する為、移動魔法(トラポート)を唱えた。

 

 

 

 

微かな寒気を感じ、不意に目が覚める。

自分を包むかの様な温もり。

見ると銀髪の大男が、華奢な自分の躰を背後から抱える様にして眠っていた。

 

既に朝日は昇り、労働者が仕事場へと向かう時刻。

本来ならば、隻眼の少年も起きて朝餉の支度をしている最中であった。

しかし、昨夜の”腕試し”で、自分が態と包帯男・・・・ジャン・ダー・ブリンデと名乗る賞金稼ぎ崩れの男に負けた為、それを納得しないダンテによって手酷く抱かれた。

行為の最中、何度も理由を尋ねられたが、ライドウは頑として喋る事はしなかった。

それが余計に嗜虐心を煽られたのか、ダンテは情け容赦なくライドウを責めた。

疲労と苦痛で、意識を失い、そして今、漸く目が覚めたという訳だ。

 

傍らで眠る男を起こさぬ様、慎重に起き上がる。

腰から頭頂部に掛けて走る激痛。

見ると、秘部が切れたのか、白いシーツには所々血が付着し、悪魔使いの新雪の如き白い肌にも、掴まれた痣と咬み付かれた歯形があちこちに残っていた。

 

 

「ちっ・・・・無茶苦茶やりやがって・・・糞餓鬼が・・・。 」

 

 

昨夜の出来事を思い出し、悪態を吐く。

普段は、クールでスタイリッシュを売りにしているダンテであるが、ライドウの事となると様相が一変する。

まるでお気に入りの玩具を取られると癇癪を起す子供の様に、周りが一切見えなくなってしまうのだ。

圧倒的な力でねじ伏せ、自分の元から離れる事を許さない。

そう言った意味では、自分の情夫である骸と共通している所が多々あった。

 

一つ溜息を零し、ベッドから抜け出す。

躰の中に残る男の残滓が気持ち悪くて仕方がない。

早く掻き出してしまいたいと、痛む腰をさすりながら、よろよろと覚束ない足取りで浴室へと向かった。

 

 

(はぁ・・・・まさか、あの時の事を夢に見るとはな・・・・。)

 

 

全身に熱い湯を浴びながら、十数年前に起こった黒エルフ兄弟の事を思い出す。

天海市、湾岸倉庫街で起こった事件。

調査隊と弟の命を代償に、黒エルフのバアルは、”クリフォトの果実”を手に入れた。

 

移動魔法(トラポート)を使い、崩壊する第三倉庫から逸早く逃れたライドウとヨハン。

第三倉庫は、見るも無残に倒壊している。

刹那、そこから巨大な火柱が吹き上がった。

天を貫く程の巨大な炎の柱。

その中に、何か黒いシルエットが見える。

猛牛の角を生やし、まるでギリシャ神話に登場する架空の生物、ケンタウロスを彷彿とさせる四つ足の姿。

灼熱の炎を突き破って現れたのは、巨大な大剣を持つ異形の怪物であった。

 

 

「やれやれ・・・・”果実”を喰らっちまったみたいだな? 」

 

 

肩に背負う棺の様に巨大な漆黒のケースを地面に降ろすヨハン。

『クリフォトの果実』を喰らったバアルは、正直手が付けられない。

アレに対抗するには、神器”レーヴァティン”を再び、解放するしかないだろう。

しかし、そんな番を主である悪魔使いが押し留めた。

 

 

「”アモン”を召喚するぞ。 」

「はぁ? あんな程度の相手にアレを使う必要なんてねぇだろ? 」

 

 

いくら『クリフォトの果実』を吸収し、魔王クラスにまで力を増しているとはいえ、自分達の敵ではない。

最上級悪魔(グレーターデーモン)を喚び出すにしても、魔神『ヴィシュヌ』で十分事足りる筈だ。

 

 

「奴等、兄弟は俺達人間を舐めすぎている。 現世で暴虐の限りを尽くせばどうなるか・・思い知らせる必要がある。 」

 

 

呪術帯の下で冷酷に光る蒼い魔眼。

主の意図を汲み取った番が、大袈裟に肩を竦める。

 

 

「分かったよ、マスター。 確かに躾は必要だ。 」

 

 

改めて、炎の鎧を身に着け、殺意に濡れた黄金の双眸で此方を見下ろす巨人を見上げる。

かつては、誇り高きスヴァルトアールヴ族の若き剣士。

しかし、今は、悪魔使いの復讐の炎を滾らせる怪物へと姿を変えている。

彼の憎悪と哀しみの炎は、滅多な事では燃え尽きる事はないだろう。

 

 

「人修羅ぁ・・・死ねぇええええええ!! 」

『召喚(コール)!!! 』

 

 

振り下ろされる炎の大剣と、呪術帯で覆われた左眼の魔眼を解放するのは、ほぼ同時であった。

球体の魔法陣に包まれる、悪魔使いとその番。

粉微塵にせんと振り下ろされた大剣は、その法陣に阻まれてしまう。

 

 

「ば・・・馬鹿な・・・人間(ひと)族如きが魔人化だと・・・・? 」

 

 

驚愕で見開かれるバアルの双眸。

己の振り下ろした大剣を受け止めるのは、禍々しい鎧に身を包む悪魔使いの番であった。

鋭い棘の生えた肩当、胸当ての背には蝙蝠の様な翼が生え、頬当てには鋭い牙がずらりと並んでいる。

バイザーから覗く両眼は、血に飢えた真紅の色をしていた。

 

 

「叩き潰せ。 」

「了解。 」

 

 

蒼い炎を宿す魔眼の主。

主人の命令に、禍々しい鎧の身を包む番は応えると、右手で受け止めている巨大な剣を意図も容易く押し返してしまう。

不意を突かれ、炎の悪魔は、二歩、三歩とたたらを踏むのであった。

 

 

 

中のモノを粗方掻き出し、ライドウは浴室から出ると、大きめのシャツを羽織った状態で事務所へと向かう。

明け方まで責められ、身体の節々から悲鳴を上げている。

素足で事務所の床を歩くと、ひやりとした感触が伝わった。

喉の渇きを覚えて、来客用の冷蔵庫から、アイスコーヒーを一本取り出す。

痛む身体を引きずりソファーに身を預けると、一つ溜息を吐いた。

 

 

「はぁ・・・・何をやってんだろうなぁ? 俺は・・・・・。 」

 

 

しぃんと静まり返る事務所内に、ライドウの呆れた声が響く。

仲介屋のエンツォが紹介した男・・・・ジャン・ダー・ブリンデは、間違いなくかつての番であり、10年以上前に死亡したと思われた、ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーだ。

あの腕試しで、それは逃れ様も無い真実だと確信した。

 

 

(俺に復讐する為に、態々、姿を現したのか? )

 

 

矢無負えない事情とは言え、自分はあの地獄の業火の中に、愛する番を置き去りにしてしまった。

両眼を閉じると、今でも彼の最後の笑顔が焼き付いている。

 

アレさえ見つけなければ・・・・。

二上門地下遺跡・・・・・かつて、大霊マニトゥと死闘を繰り広げたあの場所で、聖櫃を発見しなければ、彼は今も生きて、自分の傍らにいたかもしれない。

 

無糖の冷たいアイスコーヒーを、乾いた喉に流し込む。

瞼の裏に、あの哀れな黒エルフの兄弟が浮かんだ。

一族郎党を皆殺しにした自分に対する復讐に燃え、周りが見えなくなった兄、バアル。

そんな兄と共に現世に足を踏み入れ、愛する兄を救う為に、己の躰を魔界樹の果実へと捧げた弟、モデウス。

自分が彼等と拘わらなければ、今も魔界でひっそりと暮らしていただろうか?

否、四大魔王の一人、反逆皇・ユリゼンと拘わった以上、彼等、スヴァルトアールヴ族は遠からず滅ぼされていたに違いない。

例え、生き残れたとしても、あの兄弟には悲劇しか待ってはいなかった。

 

 

 

『 俺を生かしていた事を必ず後悔させてやる!! 』

 

 

アモンの鎧を纏ったヨハンにより、瀕死の重傷を負わされた黒エルフのバアル。

魔界へと逃れる彼が最後に残した言葉は、今でも鮮明に覚えている。

 

弟の命を糧に実る事が出来た『クリフォトの果実』。

だが、強大な力を手に入れたのも束の間、更なる力によって完膚なきまで叩き伏せられてしまった。

唯一、生き残った家族を失い、矜持すらも失った彼の絶望は、想像を絶するだろう。

 

呑み終えたコーヒーの缶をテーブルに置くと、痛む身体を引きずり、壁に掛かってある自分の上着から、スマートフォンを取り出す。

液晶パネルを操作し、メールボックスを開くと、本国から一通のメールが来ていた。

 

『彼の組織を調査されたし、それまでは16代目・葛葉忍に貴殿の役目を務めて貰う。 』

 

メールの内容は、それだけであった。

彼の組織とは、勿論、KKK(クー・クラックス・クークラン)団の事である。

此処、レッドグレイブ市に滞在している期間で起こった事件、事故は全て組織に報告していた。

その中に、KKK団の事も含まれており、こうしてヴァチカンから正式に調査依頼が『クズノハ』に来たという訳だ。

 

 

「・・・ったく・・・完全に下請け業者じゃねぇかよぉ。 」

 

 

膝を抱え、ソファーの上で蹲る。

 

ギシギシと時折悲鳴を上げる四肢の痛みよりも、今は、心の中が重苦しくて仕方がない。

原因は、分かっている。

かつての番・・・・ヨハンが生きて、自分の前に現れた。

あの地獄の業火の中に、置き去りにした自分への復讐。

それ以外に、一体どんな理由があるというのだろうか?

 

ライドウは、一つ溜息を零すと瞼を固く閉じて、窓から降り注ぐ陽の暖かさに身を任せた。

 




投稿が大分遅れました。
理由は、モンハンにハマって遊び捲っておりました。


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チャプター 15

登場人物紹介

百地三太夫・・・ライドウの同期。十二夜叉大将の一人、安底羅大将。
        実は、ライカンスロープであり、一時的にライドウの番になってい
        た事もある。

月子・・・ 先代ライドウの一人娘。
      類稀な霊力と魔力の持ち主であるが、生まれた時から身体が弱く、葛城の
      里から出た事がない。後のライドウの妻。

魔神皇・・・ 今回は、名前だけ。
       ”キング”を影で操り、大量のマグネタイトを違法に回収している。



      


ニューヨークで最も有名な河・・・・・ハドソン川。

アディロンダック山地を水源として流れるこの河は、ニューヨーク州を通り、大西洋へと繋がっている。

その河の中央を、煌びやかなイルミネーションを放つ一隻の豪華客船が、優雅に泳いでいた。

 

 

「凄ぉーい。船の中とは思えない。 」

 

 

見事なブロンドの髪と、そばかすが残るあどけない容姿をした10歳未満の少女が、物珍しそうに船内の様子を見渡す。

愛らしいドレスに身を包む少女の傍らには、シックなグレーの背広と茶のコートを来た紳士が、右手に大きなアタッシュケースを持って立っていた。

 

 

「フォレスト家が経営するカジノ店の一つだ。 カジノの他にエステや映画館、プールバーに宿泊するホテルまで、何でも揃っている。 」

 

 

紳士・・・・闇の情報屋(ブローカー)、JD・モリソンが、手摺に乗り出して階下を見下ろしているパティ・ローエルに説明してやる。

 

現在、彼等は、フォレスト家の依頼で、この豪華カジノ店に来ている。

依頼主は、勿論、フォレスト家の家長代理、テレサ・ベッドフォード・フォレストだ。

日本の組織『クズノハ』最強と謳われる、17代目・葛葉ライドウを目当てに、御供のアイザックを連れて、レッドグレイブ市の便利屋事務所へとやって来た。

当初は、また「弟の番になれ。」としつこく言って来るだろうと難色を示していた悪魔使いであったが、只の仕事の依頼だと言われ、大分、毒気を抜かれた。

 

 

 

「あら? 貴方達だけ? 17代目は一体何処にいるのかしら? 」

 

暫くの間、船内を散策していたモリソン達に声を掛けたのは、このカジノ店のオーナー、テレサ・ベッドフォード・フォレストであった。

後ろに秘書兼ボディーガードのライカンスロープ、ディンゴを従えている。

お得意様である政財界の金持ち達がいる手前、テレサも黒いドレスで正装していた。

 

 

「ライドウ達なら、もう到着している筈ですよ? 」

 

一応、テレサは、依頼主であり、大事なお客様だ。

口調こそ丁寧ではあるが、モリソンの双眸は、手の掛かる子供を見る大人のソレだ。

 

 

正直言って、この少女は大の苦手だ。

仕事柄、性格にやや難がある依頼主を相手にしているが、この少女は、そんな輩の中でも更に群を抜いていた。

仲介屋である自分を通さず、又、便利屋であるダンテを完全に無視して、悪魔使い本人だけに仕事の依頼をする。

何度も説明するが、悪魔使いは便利屋ではない。

その手の依頼をするには、仲介屋である自分に話を持って来て、モリソンが、その仕事に適した便利屋を紹介する。

それが、この世界の暗黙のルールである筈なのだが、テレサは全くと言って良い程、意に介さず、それどころか、ダンテとモリソンを完全にモブ扱いしているのだ。

流石に、この態度にキレたのが、便利屋事務所の主であるダンテであった。

 

 

「帰れ、てめぇん所の失態はてめぇで何とかしろよ。 」

 

歯を剥き出し、威嚇するダンテ。

しかし、当のテレサは、どこ吹く風、と言った様子だ。

 

「まぁ、怖い。 ペットの躾がなってなくてよ? 17代目。 」

 

優雅に足を組み、出されたカフェオレを啜るテレサ。

彼女の視界の中では、完全にダンテは排除され、その傍らで困った様に頭を掻く10代後半辺りの少年しか映っていない。

中性的な美貌に、アジア人特有の黒い髪と肌。

華奢な肉体には、一切の無駄な筋肉が無く、まるで有名な彫刻家が長い年月をかけて造り出した芸術作品の様にも見える。

この自分と幾らも歳が離れていない様に見える少年が、日本の巨大組織『クズノハ』の幹部で、その中でも、最強と謳われる悪魔召喚術士なのであった。

その噂は、現世だけではなく、魔界にすらも轟き、悪魔達から恐れられている。

 

 

「お、お嬢  拙いですよ! 」

 

テレサの傍らに座るアイザックが、顔面を蒼白にさせて、小声で窘める。

真向かいに座る銀髪の大男から、凄まじい殺意の波動が伝わって来る。

ライドウが居なければ、今頃、事務所から叩き出されていただろう。

 

「・・・・君の言い分は分かった。 つまり、そのカジノ店で消息不明になった客と、彼等を攫っている犯人を捕まえて欲しいって訳なんだな? 」

 

隣で行儀悪くテーブルに両足を投げ出し、ソファーに座る相方を横目で眺めつつ、ライドウは盛大に溜息を吐く。

 

「そうよ。此処数日で、十数名に及ぶ常連客が消えているわ。 おまけに、消息不明になった連中の中に、このNY市でも結構名の知れた実業家や地主までいるから厄介なのよ。 」

 

連日報道されるニュースに、マスコミ各社が出すゴシップ記事。

その中に、フォレスト家が経営するカジノ店の名前が書かれた事から、NY市内に住む人々から変な噂が出た。

曰く『このカジノ店に出没する”キング”と呼ばれる伝説のギャンブラーと勝負をすると、負けた場合、何処かへと攫われる。 』という、如何にも下世話な噂話である。

 

 

「またマーコフ一家の嫌がらせと言う可能性は、無いんですか? 」

 

ライドウ達と同じソファーに座り、甘いカフェオレを一口啜ったモリソンが言った。

 

現在、マーコフ家とフォレスト家は、組織の利権を巡り、激しい抗争を繰り広げている。

KKK団三家の一つ、ルッソ家の家長・ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの介入があり、現在抗争の火は鎮火したかに見えるが、その実、裏では小さな諍いが幾つも起こっている。

 

 

「その可能性は無いわ。 ルチアーノの糞親父は、品行下劣で性格も吐き気がする程、最悪だけど、一般市民を巻き込む様な真似だけはしない。 精々、チンピラを雇って店に嫌がらせするぐらいよ。 」

 

KKK団(クー・クラックス・クークラン)は、普通のマフィア組織とは違う。

本来は、悪魔の侵攻から力を持たぬ人々を護る自警団であり、長い年月を経て今の様な組織形態へと変わってしまっただけである。

人々を悪魔から護るという信念は未だに健在であり、当然、家長であるルチアーノもそこら辺は弁え(わきまえ)ていた。

 

 

「君達も優秀な召喚術士や魔導士(マーギア)がいるだろ? 態々、俺達に依頼する必要はないと思うんだけどな? 」

 

ダンテの意見に同意する気持ちは更々無いが、仮にもKKK団を代表する三家の一つである。

セキュリティーシステムも、一般とは段違いに優秀だろうし、これがもし悪魔の仕業ならば、それなりに対処も出来る筈だ。

 

「相手が並みの術者なら、どうとでもなるわよ。 誘拐事件があった当初は、腕の立つ連中を何人も問題のカジノ店に潜り込ませたわ。 でも、髪の毛一つの痕跡すらも残さず、標的だけを攫ってる。 悔しいけど、とても私達だけじゃ対処できる相手じゃない。 」

 

口惜しそうに唇を噛み締めるテレサ。

 

犯人の姿は未だに特定されてはいない。

事件が起こったカジノ店では、優秀な術者(マーギア)や剣士(ナイト)を常時、監視に付けてはいるが、犯人はまるで煙の如く現れては、獲物を攫っている。

まさに幽霊(ゴースト)である。

 

 

「実を言うと、誘拐事件が大きくなり過ぎちまって、今度、ルッソ家の家長・ジョルジュさんが様子を見に来る事になってるんス。 お嬢の手に余ると判断されたら、カジノ店の経営権は、強制的に取り上げられちまう。 」

 

KKK団(クー・クラックス・クークラン)の三家、ルッソ家は、組織が円滑に行われる様、監視するのが本来の役目である。

もし、組織の利権を利用し、私的に財産を着服するならば、有無を言わさず没収する権限を得ている。

当然、今回の件も目を付けられ、テレサ一人で対処出来ない場合は、ルッソ家が介入し、最悪、カジノ店の経営権を剥奪されてしまうのだ。

 

 

「随分と横暴だな? 」

「仕方がないんス。 あの船は、組織が共同出資で造ったヤツですし、一応、フォレスト家(うちら)が経営権を手に入れてますが、売り上げの半分は、組織に渡してます。 」

 

その為、半ば強引に経営権を取り上げられても、フォレスト家は強く出られないのだという。

 

モリソンの疑問に、眉根を八の字に歪めたアイザックが、簡単に説明してやる。

あの豪華客船は、いわばフォレスト家の名を売るためのプロパガンダみたいなものだ。

実際、そのお陰で建設業や風俗業に客や依頼主が流れている。

船の経営権を剥奪されたら、自然と客足は遠のき、忽ち干上がってしまうだろう。

 

 

「頼みます!ライドウさん! 今、あの船の利権を取られちまったら、フォレスト家の財政は更に苦しくなっちまう! そうなったら、俺等、家族(ライカン)を養えなくなっちまうんだ! この通りだ! 犯人を捕まえて下さい! 」

「ちょ、アイザック! アンタねぇ!! 」

 

主人を差し置いて、悪魔使いに頭を下げる従者を、テレサは半ば呆れた様子で眺めた。

ライドウも困った様子で、テーブルに頭をぶつけんばかりに下げる金髪の大男を見つめている。

 

フォレスト家の苦しい台所事情は、ライドウも良く知っていた。

誰よりも仲間想いのアイザックが、これだけ一生懸命になるのも判る。

フォレスト家の事業が縮小すれば、それだけ多くのライカン達が職を失う。

人間と殆ど変わらない第三世代は、何とかなるかもしれないが、第一、第二世代はそうもいかない。

何時正体がバレ、再び住む場所を追われるのか分からないのだ。

 

 

「・・・・・分かった。 但し、ジョルジュ氏には俺の存在は伏せていてくれ。 バレると後々面倒だからな? 」

「ありがとうございます!ライドウさん!!」

「・・・・・。 」

 

渋々といった様子で依頼を引き受けるライドウに、感動で涙腺を潤ませるアイザック。

そのすぐ隣では、苦虫を100匹噛み潰した様な顔をするテレサが、金髪の大男を睨みつけていた。

 

 

 

超豪華クルーズ船。

そのブランチの一区画に、モリソン、パティそして依頼主であるテレサと秘書兼用心棒のディンゴが、丸いテーブルを囲って椅子に座っていた。

 

一同を包む重苦しい空気。

その発生源であるこの超豪華カジノ店のオーナー、テレサ・ベッドフォード・フォレストは、不機嫌そうに初老の仲介屋と幼い少女を眺めている。

 

「ねぇ? 何時になったら17代目は姿を現してくれるのかしら? それと、何でアンタ達まで此処にいるのかちゃんと説明して欲しいんだけど? 」

 

苛々とした様子を隠しもせず、トントンと繊細な指先でテーブルを叩く。

 

彼女の機嫌がすこぶる悪いのは、当然であった。

依頼した凄腕の召喚術士は、ちっとも姿を見せない。

いるのは、頼りない仲介屋の老人と如何にも生意気そうなブロンドの餓鬼だけだ。

 

「この人、嫌い・・・・。」

 

真向いで此方を睨んでいる10代半ばの美少女を、負けん気の強いパティが睨み返す。

そんな金髪の幼い少女を、初老の仲介屋が窘めた。

 

「あー・・・ライドウは、ちょっと用意された衣装が気に入らなくて駄々をこねているというかぁ・・・・まぁ、レディーが説得して連れて来てくれるだろ? 」

「レディー・・・・? 」

 

モリソンの言葉にオウム返しでテレサが応えた時であった。

ブランチで思い思いに食事を楽しんでいた客達から、感嘆のどよめきが聞こえる。

何事かと一同が其方に視線を向けると、シックな紫のスーツを着た女荒事師、レディーに付き添われる一人の少女がいた。

目の覚める様な蒼いドレスに新雪の如き白い肌。

銀の長い髪をアップに結い上げ、顔には薄化粧を施されている。

前髪で左目を隠しているのは、組織『クズノハ』最強の召喚術士、17代目・葛葉ライドウその人であった。

 

余りの驚愕にあんぐりと口を開けるテレサと、その美しさに目を奪われる従者のディンゴ。

まるで御伽噺に登場する、麗しき姫君となったライドウは、レディーに半ば強引と言った様子で、モリソン達の所へと引きずられてきた。

 

 

「は、離せよ!レディー! こんなの聞いてねぇよ! 」

「もー、好い加減に諦めなさいよ? 貴方も一応は男でしょうが。 」

 

お互い悪態を吐きつつ、依頼主であるテレサ達がいるテーブルへと近づいて来る。

 

「綺麗!まるで絵本に出てくる御姫様みたい! 」

 

一同の前に来たライドウを開口一番、瞳をキラキラと輝かせた少女が、蒼いドレスで女装するライドウを上から下まで眺めていた。

 

 

「ううっ・・・・ありがとうなぁ・・・パティ。 」

 

褒められてるのに、何故か全然嬉しくない。

滂沱と屈辱の涙を流すライドウ。

生まれて来て44年間、まさか女装される日がこようとは、夢にも思わなかった。

 

 

「め、メアリー・・・・貴方がどうして此処に・・・・? 」

「久し振りね?テレサ・・・母さんの葬式以来かしら? 」

 

一方、そんなライドウの心の葛藤を他所に、女荒事師とフォレスト家、家長代理との間に険悪な空気が流れていた。

 

実を言うと、この二人は叔母と姪の関係にある。

昔は、歳もそれ程離れていなかった為、姉妹の様に仲が良かったが。

レディーこと、メアリーの母、カリーナの死がきっかけに二人の関係は疎遠になってしまった。

 

 

「あ・・・えーっとぉ、ダンテの奴はどうしてるんだぁ? アイツも確かこのカジノ店に来てるんだろ? 」

 

重苦しい空気になる二人を見たモリソンが慌てて、違う話題を出した。

 

モリソンの言う通り、便利屋事務所の主であるダンテの姿が何処にもいない。

相方のライドウが此処にいる以上、必ず船内の何処かに居る事は確かなのだが?

 

「ふん、どーせ、スロットかカードの賭け事でもして遊んでんだろ? 最初からこの仕事にやる気が無かったからな? あの馬鹿は。 」

 

どっかりと空いている椅子に座り、完全に不貞腐れモードに入ったライドウが、砂糖とミルク抜きの如何にも胃が悪くなりそうなコーヒーを啜る。

高級ホテルが出す馬鹿高い豆で挽いたコーヒーであるが、当然、何も入れないとかなり苦い。

それを眉根一つ動かさず、美味そうに飲んでいる辺り、ライドウの味覚は、大分壊れているに違いない。

 

 

「誰が馬鹿だってぇ? 」

 

そんなライドウの頭上で聞き覚えのある声が降って来た。

見上げると前髪をオールバックに撫でつけた銀髪の大男が、悪魔使いを見下ろしている。

何時もの真紅の長外套ではなく、トラッドな形のビジネススーツにシンプルなドレスシャツと蝶ネクタイに赤のベスト。

胸ポケットには、真っ赤なハンカチーフを入れていた。

 

「あら? 結構似合うじゃない? 」

 

前もってテレサが用意させたスーツに身を包むダンテを、真向いに座るレディーがからかい気味に眺める。

 

元々、モデル並みに整った容姿をしているのだが、長い前髪と怠惰的な生活態度をしている為、知り合いからは悪い印象しかない。

こうやって髪を整え、ちゃんとした服装をすれば、周囲から注目される程の美男子なのである。

 

 

「ちっ・・・呆れて帰ったと思ったのになぁ・・・・。 」

「世間知らずの徘徊老人を放置させる程、俺は人でなしじゃないんでね。 」

 

ライドウの隣に座ったダンテが、優雅に足を組む。

こうして二人が並ぶと、美男美女のベストカップルにも見える。

しかし、今にも咬み殺さんばかりの険悪な雰囲気が、大分ご破算にしていた。

 

 

「これで全員揃ったんです。 問題のカジノエリアに移動しましょう。 」

「・・・・分かったわ。 」

 

視線をレディーに向けたまま、口を閉ざしている主に向かって秘書のディンゴが促した。

それに、渋々と言った様子で応えるテレサ。

しかし、その瞳の色は、抑えることが出来ない怒りとそれと同じぐらいの戸惑いで揺れていた。

 

 

カジノエリア。

多彩な種類のスロットマシン。

一流のディーラーがエスコートするテーブルゲームでは、一時のスリルを味わう政財界の成金達が、雑談などをして楽しんでいる。

 

 

「どう? 悪魔の気配を感じる? 」

 

右隣に立つレディーが、ライドウに小声で囁く。

因みに、パティとモリソンは、シアターエリアに移動している。

仕事の邪魔にならない為に、「ライドウと一緒にいたい。」と愚図るパティを何とか説得してモリソンに預けて来たのだ。

 

「今のところは何も感じないな・・・て、いうかそれよりも・・・・。 」

「それよりも・・・・? 」

「め、めっちゃ、俺、見られてんだけど気のせいかなぁ? 」

 

無遠慮に突き刺さる周囲の視線。

特に妙齢なご婦人からの好奇な視線が、抉り込む様に痛い。

貞操の危機を否が応にも感じて、大分、居ずらい気分になる。

 

 

「仕方ないわよねぇ・・・貴方、物凄く美味しそうに見えるんだもの。 」

「はぁ? そりゃぁ、一体どういう意味だよ? 」

 

呆れた表情で、自分より頭一つ分高いレディーの顔を見上げる。

 

何も好き好んで女の恰好をしている訳じゃない。

裏社会で、名前も顔も知れ渡っているライドウの為に、女荒事師が行った最善の配慮だ。

当然、悪魔使いが自分で女装すると言った訳ではないので、半ば強引にドレスを着せられ、化粧されたのだが。

 

「全く、変装したのは良いけれど、別の意味で目立っていちゃ、仕事にならないんじゃないかしら? 」

 

そんな二人のやり取りを、呆れた様子でテレサが眺めた。

 

テレサの言う通り、この中で一番、ライドウが目立っている。

ビスクドールの様に愛らしく、又、触れる事が厭われる神秘的な美貌。

上流階級の人間が集まる高級カジノ店とはいえ、こんな俗世的な場所では、どうしても不釣り合いに映ってしまう。

 

「あら? 別に目立って良いじゃない? 犯人を誘き寄せる釣り餌になるかもしれないわよ? 」

 

馴れ馴れしくライドウの腰を抱き寄せ、レディーがその耳元に唇を寄せる。

性的匂いを多分に含ませる大胆なスキンシップに、ライドウの顔が茹蛸の様に真っ赤になる。

その背後では、銀髪の大男が、不愉快そうに眉根を寄せて、女荒事師を睨みつけていた。

 

「どういう意味? 」

「私なりに事件の概要を調べて見て、一つだけ誘拐された被害者達に、ある共通点がある事が分かったのよ。 」

 

後ろで咬み殺さんばかりに睨みつけている、銀髪の青年に悪戯っぽく微笑むと、女荒事師は説明を続けた。

 

曰く、誘拐された被害者達は、このカジノ店でもギャンブラーとして名が知れていた事。

ポーカーやスロットで、多額の金を稼いでいた事。

そして、最後が、彼等に親、兄弟がいない事であった。

 

 

「つ、つまり俺にギャンブルをしろって事か? 」

 

肩を抱き寄せ、此方を見下ろす女荒事師を、ライドウは少々困った顔をして見上げる。

 

「まぁ、そういう事になるわね? 貴方なら簡単でしょ? 賭け事に勝つ事ぐらい。 」

 

レディーは、自分の腕の中にいる麗しき姫君の顔を覗き込んだ。

と、突然、背後にいたダンテが、ライドウの腕を掴むと、半ば強引に二人を引き剥がす。

余りに露骨なセクハラに、自分の大事な玩具が弄られて我慢出来なくなったのだ。

 

 

「いい加減にしろ・・・見ていて気分が悪いぞ。 」

「あら? もしかして怒ったの? 怖いわぁ。 」

 

赤と青のオッドアイが、不快に眉根を寄せる銀髪の美男子を見上げる。

その腕の中では、いきなり腕を掴まれ、苦痛で顔を歪ませる悪魔使いがいた。

 

「もー、おふざけはそれぐらいにして頂戴。 今は誘拐犯の”キング”と被害者の安否を確認するのが大事でしょうが。 」

 

そんな二人のやり取りに、呆れた様子でテレサが言った。

女の直感ではあるが、ライドウとダンテが只の仕事上の付き合いで無い事ぐらいは、大体察しがつく。

それはレディーも同じで、彼女の場合は、ただ単にダンテ達をからかって面白がっている所があった。

 

 

「・・・・・言っておくが、俺の魔法(ちから)は、イカサマをして賞金を荒稼ぎするモンじゃない。 力無き人々を救う為のモノだ。 」

 

未だに腕を掴んでいるダンテの手を強引に振りほどくと、ライドウは、女荒事師に鋭い視線を向ける。

彼女の言いたい事は、大体判る。

つまり、魔法(ちから)を使って、イカサマをして、このカジノ店で名前を売れと言っているのだ。

 

 

「はぁ・・・”レッドアイ事件”や用心棒の件で大体判ってはいたけど、貴方って本当に真面目というか・・・頭が滅茶苦茶固いのね? これは、誘拐犯を誘き寄せる為の計画よ。 その為に、イカサマする事ぐらい何の問題にもならないでしょうが。 」

 

軽い頭痛を覚えて、女荒事師は額に手を当てる。

この悪魔使いは、すこぶる頑固で、汚い手段を極度に嫌う。

まぁ、それがこの人物の魅力であると言ってしまうとそれまでなのだが、何十年も裏社会で生きているのであるならば、多少の汚れ仕事ぐらい目をつぶってくれても構わない筈だ。

 

「爺さんが嫌なら、俺が代わりになっても良いぜ? 」

 

何故か得意気な顔で、自分を指すダンテに、一同の視線が一瞬だけ集まる。

暫しの沈黙。

 

「仕方ない・・・”キング”て野郎を炙り出す為の作戦だもんなぁ・・・被害者達の生死も気になるし・・・やるしかねぇよなぁ・・・。 」

「分かってくれて嬉しいわ? ライドウ。 」

「そうと決まったら、早速、VIPルームに移動しましょ。 」

 

完全に銀髪の青年を無視し、話を纏めるテレサとレディー、そして悪魔使いの少年。

先程の申し出を無言で却下され、銀髪の大男の顔がみるみる不愉快に歪む。

そんな便利屋の肩を、テレサの秘書、ディンゴが優しく叩いてやるのであった。

 

 

 

「何時まで膨れているんだぁ? いい加減、機嫌を直して欲しいんだけどなぁ。 」

 

此処は船内にあるシアタールームの一室。

部屋の体積の半分を埋める液晶画面の前に、一人の金髪の少女が座っていた。

初老の仲介屋を完全に無視し、リスの頬袋みたいにパンパンに膨らませて、日本のアニメーションを眺めている。

 

「ライドウ達は、仕事で此処に来てるんだ・・・・彼の邪魔をしたらいけないだろ? 」

「・・・・分かってる・・・・でも、何だかすっごく嫌な気分なの。 」

「はぁ・・・・嫌な気分ねぇ・・・・。 」

 

ラウンジでライドウ達と別れてから、ずっとこんな調子だ。

お気に入りの日本のアニメビデオでも観せれば、少しは曲がったへそが元に戻るだろうと期待してはいたが、全然その様子は見られない。

 

(まぁ、子供ながらにあの二人の関係を察しているんだろうなぁ・・・。)

 

座っている高級な皮のソファーにもたれかかり、シミ一つ無い綺麗な天井を見上げる。

 

ライドウとダンテは、肉体的関係にある。

それは、男女の様な生温い関係では決してない。

例えるならば、血に飢えた野獣同士が、互いの肉を喰らい合うのと似ているだろう。

相手の独占権を手に入れる為に、力でねじ伏せる。

捻じ伏せるのは、ダンテであり、ライドウは、仕方なくそれに付き合っている様に、モリソンは感じた。

当然、そんな歪な恋愛が長続きする筈がない。

いずれは破綻する。

 

(Xデーは何時になるのやら・・・・あんまり悲惨な結果にならない事だけを願うしかないな・・・。)

 

胸ポケットから、愛用の葉巻が入ったシガーケースを取り出すと、一本口に咥えて使い古したジッポーライターで火を点けた。

 

 

VIPルームの広い室内に入ると、そこには既に何名かの先客がいた。

ルーレット台の下座に4人の男女が椅子に座って、ワインやカクテルを楽しんでいる。

 

「皆様、この度は、当カジノにご足労頂き感謝しておりますわ。 」

 

そんな彼等に、何時ものビジネススマイルを向けるテレサ。

流石、ハーレム地区きっての資産家だけあり、16歳と言う年齢の割には、それなりに貫録が漂う。

 

「これはこれはテレサ嬢。 今日は、何時にも増して美しいですねぇ。 」

 

そう言ったのは、30代半ばと思われる黒髪の紳士であった。

通称『ゴールド・アーム・ジョー』と呼ばれ、黄金の腕を持つと言われる名うてのギャンブラーだ。

 

「特別ゲストを連れて来ると言っておりましたが、その後ろの御三方がそうなんですかな? 」

 

白髪と長い髭が特徴的な老人が、物珍し気にテレサの後ろに控えているライドウ達を見つめる。

この老人の名は、『サンタクロース』。

勿論、本名ではなく、何時も袋一杯に賞金を持ち帰る事から、そんな仇名が付けられた。

 

「まぁ、何て綺麗な娘(こ)? まるでお人形さんみたい。 」

 

老人の隣に座る妙齢な女性が、ライドウの神秘的美しさに思わず溜息を零す。

この女性の名前は、アマンダ。

ギャンブラー達からは、『ラッキーアマンダ』と呼ばれ、女神の幸運を持つと噂されている。

 

「・・・・・・。 」

 

最後に、終始無言でテレサ達の様子を伺っているのは、陰気臭い中年男性であった。

名前は、ポール。

本名なのか、偽名なのか分からない。

最近、このカジノ店で異様な程の勝率を上げている無名のギャンブラーだ。

 

「まさか、”キング”を呼ぶ為に、態々こんなお膳立てをしたのか? 」

「そうよ。 本当なら、私だってこんな茶番はしたくなかったんだけどね。 」

 

小声で問い掛けるライドウに、テレサは、小さな溜息を吐く。

 

”キング”と呼ばれる誘拐犯に目を付けられた被害者は、その界隈で結構名の知れたギャンブラー達であった。

明日は、三家の一人、ルッソ家の家長、ジョルジュがこのカジノ店を視察する。

故に、今日若しくは明日中に犯人の尻尾を掴みたいテレサは、止む無くVIPルームを用意し、釣り餌としてカジノ店で荒稼ぎしている彼等を招待したという訳だ。

 

「因みに、この案を出して来たのは、うちのディンゴ・・・まぁ、その女が余計な入れ知恵をしたんでしょうけど。 」

 

鋭い視線を自分の右隣に立つ、淡い紫のスーツを着た女荒事師へと向ける。

テレサに睨まれ、大袈裟に肩を竦めるレディー。

 

「君等の間に何があったか知らないが、今は仕事に集中してくれ。 」

「分かっているわよ。 」

 

僅かな蟠り(わだかまり)を残しつつ、テレサは無念そうにレディーから視線を外す。

ライドウの言っている事は正しい。

カジノ店の利権を取り上げられない為にも、連続誘拐犯の身柄を確保しなければならない。

 

 

「今日は、皆様に特別ゲストを用意致しましたの。私の友人で、名をグェンと申します。 」

 

そう一同に紹介したテレサは、無遠慮にライドウの背を押す。

仕方なしに、前に出るライドウ。

彼等の視線が物凄く痛い。

もし、穴があるなら入って地中深くまで潜りたい心境だ。

 

「可愛い・・・食べたら熟れた林檎の様に甘そうね? 」

 

まるで血に飢えた肉食獣の様に、アマンダが舌なめずりをする。

途端に怖気で、顔色を真っ青にするライドウ。

駄目だ・・・・この作戦(プラン)、絶対に失敗する。

 

「しっかりしてよ! 貴方、”クズノハ”最強の召喚術士(サマナー)なんでしょ!? 」

「分かっているよ! でもあのお姐さんがめっちゃ怖いんだよぉ! 」

 

レディーの叱責に、半ばライドウがキレ気味に返す。

 

アマンダだけじゃない。

他の面子も女装したライドウに対し、明らかに性的欲望を滾(たぎ)らせているのが分かる。

唯一、無関心なのが、陰気臭い中年のポール只一人だ。

 

 

「えー、この娘(こ)、ギャンブルに対してちょっと興味があるみたいで・・・もしよろしかったら皆様に手解きなんてして頂けたら、嬉しいと思いますの。 」

 

我ながら苦しい言い訳だ。

本当ならば、自分が彼等の相手をする予定であった。

綿密に練られた計画(プラン)を急に変更され、テレサは内心腸が煮えくり返る気分であった。

 

 

「若い娘が賭け事に興味を持つのは関心せんな。 」

「良いじゃないですか? 偶(たま)には、こういう遊び心も必要だと思いますよ。 」

「私もジョーに賛成。 精神を削り合うギャンブルばかりじゃ、ストレスが溜まるだけですもの。 」

 

渋い顔をする老人ギャンブラーに対し、残る二人はそうでもない様子であった。

このレセプションを完全に”遊び”として楽しんでいる。

まぁ、この飯事(ままごと)に付き合えば、多額の報酬を頂けるのだから、何ら不満が出る筈も無いのだが。

 

 

そんなこんなで、早速ゲームが開始された。

 

カジノで最早定番とされているルーレットには、アメリカンとヨーロピアンの二種類に分かれる。

違いは、0と00を含むか含まないかであり、38分の1と37分の1では、当然、後者の方が当たる確率が高い。

その為、アメリカンルーレットの方が、最も取り扱いが多いのである。

 

 

「こういうのは、初めてかしら? 」

 

渋々、指定された席に座るライドウに、隣にいるアマンダが早速声を掛けて来た。

テーブルの台に肘をついて、悪戯っぽく笑っている。

 

「えぇ・・・・まぁ・・・・。 」

 

男とバレない様に、わざとらしく裏声でライドウが応える。

そして、視線を右隣にいるアマンダから真向かいにいる白髭が特徴的なサンタクロース、そして紳士的な男性、ジョーと陰気な中年男、ポールへと順々に向けた。

 

「大丈夫、私が優しく教えてあげるから。 」

 

赤いルージュが引かれた唇を笑みの形に歪め、アマンダが馴れ馴れしくテーブルの上に置かれたライドウの手を握る。

意味有り気に悪魔使いの右手の甲をなぞる、白い指先。

戸惑いと嫌悪感で、ライドウの顔が引きつる。

 

「狡いんじゃないですか? ミス・アマンダ。 席が彼女の隣っていう理由だけで、エスコートを独占するなんて。 」

「そうだな。 むさい男共の隣なんて息が詰まるだけじゃ。 」

 

そんな二人の様子に、ジョーとサンタクロースから不満の声が上がった。

これは、何時もしているギャンブルではない。

特別手当が貰える子供のお遊びだ。

インセンティブを要求して何が悪いというんだ。

 

「御免なさい、この娘(こ)のレクチャーは、私がやる事になっているの。 」

 

針の筵(むしろ)状態のライドウに助け舟を出したのは、淡い紫のスーツを着た女荒事師であった。

その背後では、苦虫を100匹以上噛み潰した様な渋い顔をしている銀髪の大男が不機嫌そうに足を組んでソファーに踏ん反り返っている。

本当なら、相棒である筈の自分が買って出る役目である筈だが、気の短いダンテでは、すぐ喧嘩になってしまうだろうと、此処は敢えてレディーが出て来たという訳だ。

 

従業員に命じて、ライドウの隣に椅子を運ぶ。

着席するレディーを、ギャンブラー達は面白くもなさそうに眺めていた。

 

 

数時間後、何試合か楽しんだ一同は、一時休憩を挟む事になり、VIPルームから出て行った。

室内に残っているのは、店のオーナーであるテレサとその秘書、ディンゴ。

銀髪の便利屋に女悪魔狩人と悪魔使い、そして陰気な顔をしているギャンブラーのポールだけであった。

 

 

「貴方、結構ギャンブルの才能があるじゃない? 魔法(イカサマ)を使わずこれだけ勝てる何て大したものだわ。 」

「・・・別に・・・37分の一の確率を当てるだけのゲームじゃねぇか。 」

 

感心するレディーに対し、ライドウは何処か不貞腐れた様子で応える。

 

7試合行われ、結果、4試合、ライドウの予想は見事的中している。

もっと本気を出せば、全試合勝つ事も出来たが、そこは敢えて態と外していた。

あまり勝ちが続くと、周囲から不審の目で見られてしまうからだ。

 

 

「それで? 彼等の中に犯人は居たの? 」

 

窓辺に佇み、外の景色を眺めているポールに注意しつつ、テレサが小声で聞く。

彼等の本来の目的は、連続誘拐犯と目される”キング”なる人物を捕まえる事だ。

名うてのギャンブラー達に勝つ事では無い。

 

 

「うーん、この室内に居るのは間違いないんだけどな・・・・てか、舐められているとしか思えねぇな。 」

「どういう意味だ? 」

 

何故か苛々とした様子のライドウに、ダンテが胡乱気に聞く。

 

「まるで猟奇殺人事件の犯人が、態と痕跡を残すみたいに、この誘拐犯もベタベタとあちこちに魔素(におい)を残していやがる。 」

 

ライドウ曰く、先程、対戦した賭け事師達の躰に魔素の残り香が僅かに残っているのだそうだ。

そして、彼等ばかりではなく、ルーレットを回したこの船専属の一流ディーラーや、オーナーのテレサ達にまで、その匂いはしっかりと付着している。

 

「必ず何処かで”キング”と接触している筈だ。 心当たりは無いか? 」

「ちょっと、いくら私がB級の召喚士(サマナー)だからって、馬鹿にしないで欲しいわね? その手の奴等が近づいたら一発で分かるわよ。 」

「私も社長と同じです。 一般人と悪魔の違いぐらい体臭で分かります。 」

 

嫌悪感丸出しのテレサと、困惑気味に眉根を寄せる秘書のディンゴ。

一応、彼等も魔導結社の一つ、KKK団に所属する人間だ。

魔導と深く関りがある以上、術士や悪魔の気配を察知する事ぐらい簡単に出来るだろう。

 

「・・・・あのポールって奴はどうなの? 如何にも犯人って感じがするんだけど。 」

 

それまでライドウ達のやり取りを眺めていたレディーが、窓辺に立って外の景色を眺めている陰気な中年男を指差した。

 

ゲーム中、一言も喋らず、終始無言であった。

皆、”お遊び”に興じ、普段はしない大胆なベットをするにも拘わらず、ポールは常に堅実であった。

一同の会話に加わらず、無言でディーラーが回すホイールを見つめているだけ。

 

 

「違うよ・・・彼は至って普通の人間だ。 」

 

しかし、そんなレディーの言葉をライドウはあっさりと否定する。

容疑者と思しきギャンブラー達の中でも、一番怪しい人物だと誰もが思うが、ライドウの見解は完全に違っていた。

 

「不安と苛立ち・・・何故、自分がこんな所に招かれたのか理解出来ない・・・それと、部屋の外にいる上司を何とかして欲しい・・・・て、ところかな? 」

 

実を言うとあのポールと呼ばれる人物は、仕事上の接待としてこの豪華客船に来ただけであった。

真面目で実直を絵に描いた様なポールは、上司のちょっとした悪ふざけで、無理矢理スロットをやらされ、それが偶々当たってしまっただけであった。

そして更に不幸な事に、彼は強運の持ち主であったのである。

恐ろしい程の勝率で、スロットを当て続けた他、カードゲームでも、一流ディーラーを出し抜く形で勝ってしまった。

 

「贅沢な悩みだぜ。 」

「そうよねぇ、 どっかの誰かさんは、ギャンブルの才能が哀しい程、無いっていうのにねぇ。 」

 

高級な革張りのソファーに踏ん反り返る銀髪の美男子を、レディーがテーブルに頬杖をついて横目で眺めた。

 

「仕方ない・・・あまりこの手は使いたくなかったが、この室内にいる全員の脳内にハッキングを仕掛けるしかないな。 」

 

ライドウが、何時もの砂糖なしの苦いコーヒーを喉に流し込む。

 

ギャンブラー達の心の中を覗いただけでは埒が明かない。

このVIPルームにいる全員。

カジノ店専属のディーラーやテレサ達を含む人間達の深層意識に脳侵食(ブレインジャック)を行い、彼等に共通する人物を洗い出す必要があった。

 

「そんな事出来るの? 」

「さぁな・・・人間の精神構造は、悪魔と違って複雑だ。失敗する確率は高いが、何時までも時間を潰している訳にもいかねぇからな。 」

 

大分、分の悪い賭けではある。

ディーラーがノブを捻ってホイールにボールを投げ入れる瞬間。

室内にいる全員の意識が集中するその僅かな時間を狙うしかない。

 

「ちょっと、私達は、高い依頼料と金を掛けてこれだけの場所をセッティングしてるのよ? 確実に犯人の尻尾を掴みたいのよ? 分かる? 」

 

余りに無計画なその内容に、当然、依頼主であるテレサが異を唱えた。

犯人と疑わしきギャンブラー達を集め、その上、彼等に報酬まで支払わなければならない。

ライドウ達に対する依頼料と合わせれば、馬鹿に出来ない金額だ。

 

 

「大丈夫、君の期待に応える様に努力はするつもりだ。 」

 

そう言って、ライドウはドレスのポケットから愛用の小型スマートフォンを取り出す。

流石に仕事で使用しているGUMPは持って来れない為、予(あらかじ)め、悪魔召喚プログラムをそのスマホにインストールしていたのだ。

 

何桁か番号をスマホに打ち込む。

すると空中に小さな魔法陣が展開し、データー化した悪魔が姿を現した。

 

「そんじゃ、何時も通りサポート頼むわ。」

「了解♡ マベルちゃんにおまかせ! 」

 

魔法陣から実体化したのは、ハイピクシーのマベルであった。

 

 

1時間程の休憩後、賭け事師達は、再び、VIPルームに集まった。

早く家に帰りたいのか、陰気な中年男のポールは、ブツブツと口内で上司に対する文句を呟いている。

 

 

「それでは、後半戦を行いたいと思います。 皆様、最後まで十分お楽しみ下さいね? 」

 

普段の高飛車な態度は微塵も感じさせず、テレサはその愛らしい容姿を存分に生かした笑顔を一同へと向ける。

内心は、ライドウに対する不信感と、レディー(叔母)に対する怒りと苛立ちで複雑な心境であるだろう。

しかし、それを噯(おくび)にも出さず、営業スマイルで完全に隠している辺り、流石、プロだとライドウは思わず感心した。

 

 

「私とテレサの関係が気になる? 」

 

ライドウの隣に座ったレディーが、小声で囁いて来た。

怪訝な表情で、右隣に座る女荒事師を見上げる。

すると、彼女は悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。

 

「どうしてあそこまで私を嫌っているのか、理由を知りたいでしょ? 」

「別に・・・他人の家庭事情に干渉する気はないよ。 」

「そう? その割には、ダンテに関しては大分気になるみたいね? 」

「何? 」

「アイツが悪魔に拘わるのを必要以上に避けようとしている。 まるで何かから彼を護っているみたい。 」

 

女荒事師に核心を突かれ、ライドウは思わず黙ってしまう。

レディーから視線を外し、チップを置く配置が描かれたテーブルへと落した。

 

「一体、何からアイツを護っているの? ヴァチカン13機関(イスカリオテ)? それとも、”クズノハ”(あなたたち)からかしら。 」

 

俯き、押し黙った状態で、テーブルの上を見ている悪魔使いを横目で眺める。

レディーの推測は、100%的を得ている。

ライドウがダンテを護る理由は、恐らく後者。

自分が所属している組織『クズノハ』からだろう。

魔導に身を置く人間なら、日本の巨大国家機関『クズノハ』の存在は誰もが知っている。

そして、その組織が抱える暗部も・・・。

 

「・・・・・君は、何かを勘違いしている。 俺は唯、面倒臭いのが嫌いなだけだよ。 」

 

自分の肩に座り、心配そうに主を見上げる小さな妖精に微笑みかけながら、ライドウは周囲に聞こえない様に小声で応える。

そんなやり取りを交わしている時であった。

カジノ店専属のディーラーが、ホイールと呼ばれる直径82cmの回転する円盤の前へと立つ。

一同の視線が、そのディーラーへと集まる。

年若いディーラーの青年は、ベット(賭け)を開始するベルを1回鳴らした。

思い思いの予想で、専用のコインをインサイドベットやアウトサイドベットへと置く賭け事師達。

ライドウは、倍率が低いアウトサイドベットに手持ちのコインを数枚置く。

 

 

「此処からが勝負だな・・・・マベル、サポート頼むな。 」

「了解。 」

 

回転盤の上部に取り付けられているノブに手を掛けるディーラーを横目で眺め、悪魔使いが仲魔に合図を送る。

回転盤が回り、白いボールがポケットに入るまで数分間。

その間に、室内にいる全員の心に入り込み、魔素の汚染原因を洗い出す。

 

緩やかな速度で回るホイール。

追加のベットを行う者、又、それの変更を行う者。

全員の意識が、白と赤のポケットに別れた回転する円盤へと向かったその瞬間、ライドウは瞼を閉じて『脳侵食(ブレインジャック)』を仕掛けた。

 

 

 

「本当に上手く行くのかしら・・・。 」

 

双眸を閉じて、下へと俯く悪魔使いを少し離れた所で見つめるテレサ。

落ち着かないのか、ソファーの上で組んでいる右足首を何度も上下にゆすっている。

 

「落ち着けよ?お嬢ちゃん。 爺さんなら確実に犯人を見つけ出せるさ。 」

 

同じくソファーに座る銀髪の美青年が、興味無さ気に美しく着飾った悪魔使いを見ていた。

 

「さっきから気になっているんだけど、アンタ、17代目を”爺さん”呼ばわりとか良い度胸ね? 」

「あぁ? 」

 

胡乱気に二人分離れた位置へと座っているテレサに、ダンテが視線を向ける。

負けん気の強い蒼い瞳が、不遜な態度を取り続ける便利屋を睨みつけていた。

 

「裏社会で人修羅・・・17代目・葛葉ライドウを知らない者はいないわ。 ”血も涙もない冷酷な殺し屋””全てを破壊する魔王”・・・そう言って、皆恐れてる・・・まぁ、私もそのうちの一人だったんだけど・・・。 」

 

テレサの後ろで直立不動に立っているディンゴが、心配そうに若い主と便利屋を交互に眺めている。

しかし、部下の危惧を他所に、テレサは更に言葉を続けた。

 

「実際、会ってみて、この目で彼を見て、噂が半分出鱈目だと知った。彼は、素晴らしい召喚術士(サマナー)であり、人間としても誠実で信用に足る人物であるとね。」

 

今迄の経緯を見て来た彼女なりの答えであった。

怪物として人間達から、忌み嫌われてきたライカン達を、ライドウはごく自然に受け入れた。

また、そればかりではなく、父・ジョナサンと同じ様に彼等に寄り添い、共に苦労を分かち合った。

それ故、アイザック達、ライカンからあれだけの信頼を得る事が出来るのだ。

 

 

「だったら、そんなに心配する必要なんてないだろ? 」

 

真剣な表情で、向かい側に座る悪魔使いを見つめる甘栗色の髪をした少女に、ダンテが呆れた様子で言った。

そこまで、ライドウの事を調べたのなら、何を不安に思う必要があるのだろうか?

 

 

「あら? 分からない? 私はアンタに対して嫌味を言っているのよ。 」

 

ルーレット台に居るライドウから視線を外し、テレサがダンテに皮肉な笑みを見せる。

彼女は気に喰わないのだ。

そんな素晴らしい人物の傍らに、”便利屋”如き、不埒な輩が傍にいる事が。

 

「悪いと思ったんだけど、貴方の事も調べさせて貰ったわ。 出て来た答えは唯一つ・・・アンタがどうしようもない”クズ”って事。 」

「・・・・・。 」

「貴方、あの伝説の魔剣士の息子なんですってね? まぁ、嘘か本当か分からないけど、貴方が普通の人間じゃない事ぐらいは判るわ。 」

 

荒事師の間で、ダンテはかなり有名だった。

数年前、ふらりとこの街に現れ、便利屋の仕事を始めた。

それまで、便利屋なんて仕事は裏社会の雑用係として大分、中途半端な存在でしかなかった。

それを、仲介屋を通して自分の好きな仕事を選ぶスタイルに定着させたのは、この男であり、彼等の存在を気に入らない裏社会の古株達を黙らせたのも、このダンテなる人物だったのである。

 

常人よりも遥かに優れた膂力とタフネスさ。

大剣『リベリオン』を背負い、大型二丁拳銃を巧みに操る凄腕の荒事師。

 

 

「三年前の”テメンニグル事件”覚えてる? あの一件の首謀者がアンタの双子の兄貴だったそうじゃない。 」

 

無言でルーレットゲームに興じる賭け事師達を眺める銀髪の美青年。

甘栗色の髪をした少女が、ちらりと一瞥を送る。

 

「あの事件で、スラム一番街に住んでいた人達が大勢死んだわ。 異界から大量発生した悪魔共と、それを駆除するヴァチカンの戦闘機のせいでね。 」

「何が言いたいんだ? お嬢ちゃん。 」

「あら? 分からない? 自分の家族がそんな大事件の首謀者だって事に対して、何か思う事は無いのか?と聞いているのよ。 」

 

テレサが何を言わんとしているのか大体察しはつく。

双子の兄、バージルが古の塔『テメンニグル』を復活させなければ、あの悲劇は起こらなかった。

馴染みにしていた”45口径の芸術家”として知られるガンスミスのニール・ゴールドスタイン。

彼女が、空爆に巻き込まれ、死ぬ事も無かった。

否、あの一番街に住んでいた人々も、あの事件さえ起きなければ、今も笑って日常生活を送っていただろう。

 

「ねぇ? 今どんな気持ち? 自分の実の兄貴が下劣な殺人鬼だって知って・・・あの地区に住んでいた人達に対して、アンタは何も思わないの? 」

「しゃ、社長・・・・!! 」

 

あの事件で、ダンテを責めるのは完全にお門違いだ。

大体、ダンテとバージルは、幼い時に生き別れている。

十数年前に、死んだと思われた双子の兄がひょっこり現れ、魔界と現世を繋ぐ古の塔を甦らせ、悪魔を大量に呼び込んだ。

真実は、まさにそうなのだが、あの一件で肉親を失った第三者は、そんな簡単に納得しない。

 

「・・・・・兄貴は・・・バージルは、確かにクズだ・・・・そして、その兄貴を止められなかった俺は、もっとクズだ。 」

 

氷を連想させるアイスブルーの瞳が、ルーレット台の前に座る美しい悪魔使いを見つめる。

 

ライドウがあの場所に居なかったら、事態はもっと酷かった筈だ。

自分と兄、バージルだけでは、あのダークサマナーを倒す事は出来なかっただろう。

被害は、レッドグレイブ市だけに留まらず、NY全体に及んでいたかもしれない。

 

「ダンテさん・・・・。 」

「・・・・・。 」

 

そんな銀髪の青年をやるせない気分で見つめる秘書のディンゴと、その主、テレサ。

本心では、彼等も判っている。

ダンテもまた、あの事件の被害者であるという事を。

 

 

 

一方、深層意識の世界へと足を踏み入れたライドウ。

 

 

「ぷ・・・・何だよ? こりゃ。 」

 

幾つも目の前で展開されている記憶のディスプレイ。

その中の一つに、妻に蹴り飛ばされる男の姿が映っていた。

女に蹴られたのは、ゴールドアーム・ジョーという通り名を持つ賭け事師であり、どうやら家族と買い物に行く約束をして大分遅刻をした挙句、釣り具店で高価なルアーを黙って購入していた事がバレてしまったらしい。

活火山の如く、大噴火した妻は、幼い我が子の手を引っ張り、さっさと商店街方面へと向かってしまう。

その後を、情けない顔をしたジョーが追い掛けていた。

 

「ジョーって奴は、しがない証券マンと・・・。 それから、サンタクロースって爺さんは、小学校の用務員で、アマンダっておっかない姐ちゃんは、三人の子供を持つ専業主婦。 」

 

次々に映り変わる記憶の映像。

花壇やグラウンドを整備する初老の男。

我儘を言う子供達に辟易しながらも、何とか家事をこなす30代半ばの女性。

不器用な研修医と恐妻家を持つ、証券業者のサラリーマン。

この豪華客船とは、地球の裏側程も縁が無さそうな一般人達だ。

 

 

「うーん、それにしても分かんねぇなぁ・・・彼等との共通点が全く見いだせない。 」

 

彼等、4人の中に”キング”と呼ばれる連続誘拐犯の可能性は、限りなくゼロに近い。

それはこのVIPルームにいる人間達も同じで、当然、テレサ達は除外される。

 

もっと古い記憶・・・更に彼等の深層意識にアクセスしなければならないだろう。

そう、ライドウが考えている時であった。

映像の一つに、ある建物が映った。

 

「これは・・・・・。 」

 

4人に共通する記憶の断片を探り当て、悪魔使いが、その建物を拡大する。

 

観光客で人気スポットの、ワシントン・スクエア・パーク。

その公園に面して建てられた白い建物。

Washington general Hospital 建物に設置されている看板には、そう表記されている。

 

ジョーは、毎日の様に妻から受けるDVで精神的に参っており、神経性の胃腸炎を患っていた。

サンタクロースは、持病のリュウマチの治療の為に週一回内科に受診。

アマンダは、子供の胃腸炎を移され、内科に受診しており、ポールは、その病院に研修医として勤務している。

 

「病院・・・・成程ね・・・そういう事か。 」

 

これで、犯人の目星は大体ついた。

後は、彼を捕まえて、身辺調査をするだけだ。

ライドウは、テレパシーでサポート役である仲魔のマベルに連絡を取ろうとする。

しかし・・・・・。

 

唐突に破られる精神空間の壁。

砕け散る破片の中から、何者かの巨大な腕が現れ、ライドウの華奢な躰を鷲掴む。

 

「しまった!! 」

 

拙い、油断していた。

抵抗する間もなく、暗闇の中へと引きずり込まれるライドウ。

最後に視界に入ったモノは、ポールの上司であり、内科外来の医者の姿が映った。

 

 

 

ライドウの異変に逸早く気づいたのは、サポート役の小さな妖精であった。

 

 

「ライドウ!!? 」

 

テレパシーで呼び掛けるが、時既に遅く、主の意識は、何者かの深層世界に取り込まれていた。

 

「一体どうしたの? 」

 

只ならぬマベルの様子に、レディーが訝し気に未だに俯いて微動だにしない、悪魔使いの顔を覗き込む。

すると、左の顎から蟀谷(こめかみ)にかけて走る、不気味な痣を見て、一瞬だけ息を呑んだ。

 

ライドウの情夫である骸が彼に施した外法、蟲毒という呪術である。

普段、悪魔使いの体内で大人しく身を潜ませていたが、主の意識が完全に消失した為、表に出て来たという訳だ。

 

「ライドウが!ライドウが敵に・・・・!! 」

 

右隣にいる女荒事師に、マベルが緊急事態を伝えようとしたその時である。

VIPルーム全体を魔界の瘴気が包み、室内の内装がみるみるうちに異形のソレへと変わっていく。

 

 

「くくくっ・・・・捕まえた・・・・。 」

「こんなに上手く行くとは思わなかった・・・・。 」

「流石・・・SSクラスの召喚術士(サマナー)だねぇ・・・俺とは格が違うわ。 」

 

それまで、ルーレットに興じ、楽しんでいた賭け事師達。

しかし、自我は既に失われている。

白目を剥き、不気味に顔を歪ませていた。

 

 

 

「一体どうなっているの? 」

「どうやら、敵さんが本性を見せたらしいな? 」

 

異変は、当然、テレサ達やダンテにも起こっていた。

壁全体に浮き出る植物の様な触手。

VIPルームの大きな出入り口の扉を覆い、完全に退路を断ってしまう。

 

「で、出口が!! 」

「社長!お下がり下さい!! 」

 

床や壁から這い出して来る異形の群。

食虫植物の様な頭部を持つその怪物は、魔界に生息する樹から生み出される悪魔・・・キメラシードであった。

常に腹を空かせ、寄生する獲物を求めて舌なめずりの様に真っ赤な触手を蠢かせている。

 

「こ、これはキメラシード・・・どうして魔界の植物が現世にいるの? 」

 

秘書兼用心棒のディンゴに護られ、テレサが恐怖に顔を引きつらせる。

 

「知るかよ・・・判っているのは唯一つ、俺達は完全にハメられたって事だ。 」

 

両脇のガンホルスターから、愛用の双子の巨銃”エボニー&アイボリー”を引き抜く。

ダンテの言う通り、自分達は敵の巧妙な罠に掛かってしまった。

だが、それは別段構わない。

先程、テレサに煽られ、腹の虫が悪かったところだ。

存分にコイツ等で憂さを晴らさせて貰う。

 

 

「ヒーッヒヒヒ! ラリホォー!! 」

 

異界化したVIPルームに響き渡る甲高い声。

賭け事師達の口から、ガス状のマグネタイトが吐き出され、夢遊病者の如く茫然自失とした状態で立つポールへと集まる。

強制的にマグネタイトを引き抜かれ、糸の切れた人形の様に倒れる賭け事師達とカジノ店専属のディーラー。

皆、一様に真っ青な顔をして、苦しそうに呼吸を繰り返している。

幸いな事に、命だけは取られていないらしい。

 

 

「夢魔”インキュバス”ね・・・・。 」

 

賭け事師達のマグネタイトを得て実体化する悪魔。

蒼白い肌に蝙蝠の様な羽根。

長く尖った鼻に、ぎょろりと大きな目が女荒事師とその傍らで机に突っ伏す悪魔使いへと向けられる。

人間(ヒト)を悪夢へと誘う悪魔、夜魔・インキュバスだ。

 

「おチビちゃん、ライドウの事は貴方に任せたわよ。 」

 

両脇のガンホルスターから、ベレッタM9を引き抜き、照準をポールの肩に座る悪魔へと向ける。

ライドウが囚われてしまった以上、状況は此方の方が圧倒的に不利。

マベルが深層意識から主を引き戻してくれるのを願いつつ、全力で彼を守るしかない。

 

「ヒヒッ、こんな地獄の真っ只中でも希望を決して失わない・・・良いねぇ、俺ちゃんそういう奴等は大好きだぜ。 」

 

此方に銃口をピタリと向ける女狩人を見て、悪魔がおどけた様子で肩を竦める。

悪魔らしからぬ何処か人間臭い態度だ。

 

「一つ聞きたいんだけど、貴方一体何者? 只の悪魔じゃないわね? 」

 

キメラシードの群に取り囲まれ、逃げ場が何処にも無い。

絶望的な状況。

しかし、レディーの声からは、そんな気配など微塵も感じられない。

 

「その通り、コイツは唯の着ぐるみ。 俺様自身は、この船の何処かに居る。 」

 

強者故の奢りか、インキュバスは何処か得意気に応える。

 

「さっき、SS(ダブルエス)の召喚術士がどうとか言っていたけど・・・貴方が誘拐犯(キング)じゃないって事? 」

「アハ・・・♡ そんな事俺ちゃん言ったかなぁ? どうも、歳を取り過ぎたせいか物忘れが激しくていけねぇ。 」

 

インキュバスがパチリと指を鳴らす。

それを合図に、レディー達に襲い掛かるキメラシードの群。

ベレッタM9を巧みに操り、魔界の植物達を撃ち落として行くが、数体だけ取り零してしまう。

 

「しまった!! 」

 

取り逃がしたキメラシード達が、ルーレット台で突っ伏すライドウへと襲い掛かる。

未だ深層意識から戻れぬ悪魔使いに抵抗する術など当然なく、そのすぐ傍にいる妖精は、主を引き戻すのに必死だ。

槍の様に尖った触手が、無抵抗な悪魔使いを貫く刹那、凶悪な鋼の牙が、魔界の植物を次々に引き千切っていく。

レディーが、銃弾の放たれた方向を見ると、両腕をクロスさせる形で銃を構えたダンテがいた。

 

「しっかりしてくれよ? コッチは、嬢ちゃん護るので手一杯なんだからよぉ。 」

「分かっているわ。 」

 

上着に隠してある腰のサブマシンガンを引き抜くレディー。

短機関銃が吠え、キメラシードの群を吹き飛ばす。

 

 

「社長!私から離れないで下さい! 」

 

上着を脱ぎ棄て、ライカンスロープ本来の姿へとメタモルフォーゼするディンゴ。

全身を覆う白い体毛に、鋭い爪と牙。

二本の強靭な後ろ脚で立つ、ベンガルトラの白変種へと姿を変える。

 

「舐めないでよ。 こう見えてもKKK団(クー・クラックス・クークラン)のメンバーなのよ。 」

 

か弱き主を我が身を盾にして護る従者に舌打ちすると、テレサは、脚のガーターベルトに差し込んである管と呼ばれる細長い筒を取り出す。

蒼白い光を放ち、筒が開く。

中から、テレサの仲魔”オルトロス”が召喚された。

 

 

「ふん、あれがダンテか・・・・・悪魔と人間の合いの子って噂は本当らしいな? 」

 

キメラシードの大群を、たった二丁のハンドガンで薙ぎ倒していく銀髪の便利屋を、ポールの肩に座ったインキュバスが、頬杖をついて眺める。

 

主を護らんと獣化したライカンスロープと、仲魔を召喚し、指示を出す甘栗色の髪をした少女。

サブマシンガンとベレッタM9を巧みに操り、キメラシードを倒している女悪魔狩人。

しかし、病的な蒼白い肌をした小柄な悪魔の視界に映るのは、銀色の髪をした大男だけであった。

憎しみの色を湛えたぎょろりと大きな目が、ダンテの端正な横顔を見つめる。

 

「すまねぇなぁ? ポール。本音を言うとお前を利用するつもりとかは、全く無かったんだぜぇ? でも、仕方がねぇのさ。 お前の隠された才能を見つけちまったのがよりによって俺様だったのがいけなかったのさ。 」

 

自我を失い、マネキン人形の様に棒立ちになっている中年男性の頭をポンポンと軽く叩く。

 

 

 

底の見えない暗闇の中へと堕ちていく。

不意に襲う肌を貫く様な寒気。

薄っすらと閉じていた双眸を開くと、古い屋敷の内装が飛び込んで来た。

襖が外された大広間。

縁側へと続く廊下には、雪に埋もれた庭が見える。

 

 

「こ・・・此処は・・・・? 」

 

見覚えのある景色。

不図、自分の躰を見下ろす。

革の肩当に赤い腰帯。

両手には、仕込みナイフがある手甲を付けている。

十二夜叉大将に所属していた当時の服装だ。

 

「ちっ・・・・・敵の罠か・・・・。 」

 

嫌悪感に、呪術帯で覆われた相貌を歪ませる。

賭け事師達の深層意識を探っている時に油断してしまったのがいけなかった。

まんまと敵の罠にハマリ、彼等の深層意識とは別の場所に引きずり込まれてしまった。

此処は多分、己の精神世界の中だ。

 

 

「ううっ・・・・どうして・・・どうしてこうなっちゃうのかなぁ? 」

 

何処からともなく聞こえてくる低い呻き声。

見ると部屋の片隅に、茶の襦袢と着物を着た40代後半辺りの男性が、蹲る様にして啜り泣いている。

 

「僕は・・・・僕は唯、あの子に幸せになって貰えたらと思っていただけなんだ・・・ナナシ君だって判るだろ? 」

「・・・・っ、先生。 」

 

此方に振り返る男の容姿を見た瞬間、驚愕に唯一露出している右眼を見開く。

 

蹲って泣いている男は、先代・葛葉ライドウその人であった。

涙と鼻汁でぐしゃぐしゃになった顔が、哀しそうに歪む。

 

「三太夫(さんたゆう)君と月子の事は、最初から知っていたんだ。 三太君は真面目で良い子だったし、月子も彼を好きだったから、二人の事は知らない振りを続けていたんだ。 」

 

でも、それがいけなかった。

まさか、月子が三太夫の子を身籠るとは思っていなかった。

そして、それが彼等が葛城の森から出奔するきっかけになるとも想像してはいなかった。

 

「は・・・晴明が・・・・彼が子供を堕ろせと・・・ライドウの正統な血筋を獣で汚すなと・・・・僕は何度も抗議したんだ・・・壬生の大婆様にも必死に頭を下げた・・・でも駄目だったんだ。 」

 

畳の上に、ぼたぼたと涙の雫が落ちる。

 

「ううっ・・・・僕がもっと早く二人を引き離しておけば良かった・・・・そうすれば、こんな事には・・・・僕のせいだ・・・僕の・・・・。 」

「先生・・・・。 」

 

声を殺し、只泣く事しか出来ない哀れな男。

この人物が、四家の中でも文武両道に優れ、英傑と謳われる人物とは到底思えない。

 

「な・・・ナナシ君・・・こんな事を君に頼むのは筋違いだと理解している。でも・・・でも、僕じゃ駄目なんだ・・・・出来ないんだよ。 」

 

涙で濡れた双眸を此方に向ける。

 

やめろ・・・・やめてくれ。

その後に続く言葉だけは聞きたくない。

余りの嫌悪感に顔が歪む。

しかし、肉体は己の意思に反して、全く動けないでいた。

 

「つ・・・連れ戻してくれないかなぁ? い、嫌な役目を押し付けているのは判っているんだ・・・月子を連れ戻すのは、父親である僕の役目なんだ・・・でも・・・。 」

 

己の足元で土下座し、恩師が必死に頭を下げる。

矜持も16代目・葛葉ライドウという名の誇りも、今は関係が無かった。

 

「頼むよ! 月子を連れ戻してくれ! どんな代償を支払っても構わない! あの子を・・・月子をこの屋敷に連れ戻してくれ! 」

「・・・・先生。 」

 

自分は、かつてこの男に憧れた。

法術に優れ、人徳があり、誰からも慕われる素晴らしい悪魔召喚術士(デビルサマナー)だと思っていた。

だが、今は何もない。

己の名誉を護る事しか考えていない、利己的で卑しい人間だ。

 

 

 

 

「ライドウ・・・! 一体何処にいるのぉ・・・・!? 」

 

吹雪が吹き荒れる薄暗い山道。

白い息を吐きながら、小さな妖精が懸命に主を探す。

 

(さ・・・寒い・・・・恐怖と嫌悪感が凄い伝わって来る・・・・・。)

 

ガタガタと身を震わせ、真っ白く染まった視界を見渡す。

 

此処は、ライドウの精神世界の中だ。

敵は、主の深層心理の更に奥まで、引きずり込んだ。

危険を承知で、自分も飛び込んでみたが、主の姿が全く見つける事が出来ない。

 

その時、藪に覆われた木陰の向こうから、人の呻き声が聞こえた。

主の声ではない。

聞き覚えが全くない、別の人間の声だ。

 

「ライドウ? 」

 

そこに行ってはいけないという、己の警告を無視し、小さな妖精は声がした方へと近づく。

叢を掻き分け、拓(ひら)けた場所へと出る妖精。

その視界に最初に映ったのは、鮮血で真っ赤に染まった地面と、その返り血を浴びた主の姿であった。

 

 

 

殺気を感じ、身体が無意識に右へと避ける。

その傍らを走る突風。

異界化した肉の壁を大きく抉る。

 

「ちっ、惜しい・・・絶妙なタイミングだと思ったんだけどな。 」

 

口惜し気に舌打ちする声。

振り返ると、蝙蝠の羽根を持った悪魔が、悔しそうに此方を見ていた。

 

「人の背中を狙うとは、良い度胸してるな? チキン野郎。 」

 

どうやら疾風系の中級魔法、”ガルーラ”を撃たれたらしい。

みるみるうちに修繕されていく肉の壁を横目で眺めつつ、ダンテが鋭い視線を陰気な中年男性の肩に座るインキュバスへと向けた。

 

「俺の兄貴に教えて貰ったのさぁ・・・”自分より強い奴と喧嘩をする時は、相手が油断した所を狙え”ってな・・・。 」

 

何処から取り出したのか、如何にも高級そうな葉巻を口に咥え、同じく高価なジッポーライターで火を点ける。

旨そうに煙を吐き出したインキュバスが、キメラシードと対峙するダンテに皮肉な笑みを向けた。

 

「ほぅ・・・お前に兄貴がいたなんて意外だな。 」

 

槍の切っ先を連想させる、鋭い触手を向け飛び掛かるキメラシードの一体を回し蹴りで蹴り飛ばす。

続く数体を”エボニー&アイボリー”から吐き出される鋼の牙で引き裂くが、植物型悪魔の勢いを止める事が出来ない。

今回の仕事には不要と、大剣”リベリオン”を仲介屋のモリソンに預けて来たのが悔やまれる。

 

「・・・俺の兄貴は、お前と同じ便利屋だった・・・中堅どころのな・・・”騙し討ち”専門のどうしようもねぇ、糞野郎だった・・・。 」

「・・・・・。 」

「それでも、俺にとっちゃぁ憧れの兄貴だったんだ・・・餓鬼の頃は、馬鹿みたいに兄貴の後を追い掛けてた・・・。 」

 

独白の様な言葉を続けるインキュバス。

その瞳に憎い仇である筈のダンテの姿は映されていない。

遠い、幼き日の情景を思い出している。

 

「兄貴の人生が狂ったのは、上司の汚職を見つけた時だった・・・正義感の強かった兄貴は、上層部にその事実を話したが全く相手にされず、逆にいわれのない罪を被せられ、警察を免職されちまった・・・。 」

「・・・・・・で?俺に何が言いたい? 上司にハメられ、職を失ったお前の兄貴に同情しろと? 」

 

キメラシードの頭をハンドガンで吹き飛ばしたダンテが、ポールの肩に座る夢魔へと振り返る。

そんな便利屋に対し、インキュバスはニタリと凶悪極まりない笑みを口元に浮かべた。

 

「まぁ、聞けってダンテ・・・お前にも関係がある話なんだからよ。 」

「何だと? 」

 

この悪魔が何を言いたいのか、さっぱり皆目見当がつかない。

そんな便利屋に構わず、インキュバスは話を続けた。

 

「兄貴は、昔のツテを使って便利屋に職を変えた。 ”オッズ・クラブ”って知ってるかぁ? お前が叩き潰した組織の一つだ。 」

「・・・・っ! まさか、お前の兄貴ってのは・・・。 」

 

そのマン・ハンティングを生業とする裏稼業の集まりなら覚えている。

そして、それに加入していた幹部の名前も。

 

「ヒヒッ! コイツぁ意外だ。 俺ぁてっきり忘れていると思ったんだけどよぉ。 」

 

予想外なダンテの反応に、インキュバスは多少驚いたみたいだ。

ぎょろりと大きな目玉を細めている。

 

「”狂犬、デンバーズ”か・・・・奴に弟がいたとは初耳だぜ。 」

「思い込みはいけねぇなぁ・・・・どんなクズにも家族の一人や二人ぐらいはいるもんだぜ? 」

 

薄くなったポールの頭皮を撫でつつ、インキュバスが皮肉な笑みをダンテへと向ける。

 

「兄貴は世間体だけは人一倍気にする質だったからな。 俺の事を心配して自分から兄弟の縁を切って来た。 それだけじゃねぇ、大学だけはちゃんと出ろと、学費まで工面してくれたんだぜぇ? 良い兄貴だろ? 」

 

デンバーズ兄弟の親は、経営していた会社が倒産し、父は自殺。

母親は、女手一つで子供達を育てるのに疲れ果て、勝手に男を作って蒸発してしまった。

それ以降は、兄が父親代わりとして、弟の面倒を見ていたのである。

 

「中々、泣ける話じゃない。 でも、貴方の兄さんを殺したのはダンテじゃない。デンバーズを殺したのは・・・・。 」

「悪魔だろ? 知ってるよ。モルグで変わり果てた兄貴を見た時、人間の殺し方じゃねぇってのは、一目で分かった。 」

 

女荒事師の言葉を、蒼白い顔の悪魔が遮った。

頬杖をつき、天井に向かって葉巻の煙を吐き出す。

 

「だったらどうして・・・。 」

「こいつぁ、只の八つ当たりだ。 自分自身に対するな。 」

「言っている意味が分からないわね。 」

 

飛び掛かって来たキメラシードの一体をベレッタM9で吹き飛ばす。

しかし、幾ら倒しても数が一向に減らない。

それどころか、今度は、キメラシードよりランクが高い妖獣・ケイオスやアルケニーが壁や床から這い出して来る。

 

 

「俺はよ・・・自分の立場を護る為に、兄貴の存在を無かった事にしたかったのさ・・・警察の職を失い、便利屋にまで堕ちた兄貴だ・・・どうせロクな死に方はしねぇと諦めてた。 せめて、俺の迷惑にならない様に死んでくれと、心の何処かで願ってたのさ。 」

 

しかし、兄・デンバーズは予想に反する惨たらしい最期を迎えた。

目を閉じれば、今でも思い出す。

薄汚れた死体安置所で、内臓を丸ごと引き抜かれ、真っ二つにされた兄の亡骸を。

 

「だがよ・・・惨たらしく殺された兄貴を見た時、それまで持っていた自分の卑しさに吐き気がした。 俺の為に色々と尽くしてくれた兄貴に対して、何もしてやれなかったってよ・・・。 」

 

地獄絵図の様な周りの状況を完全に無視し、インキュバスは独白を続ける。

まるで、自分の中にある蟠り(わだかまり)を全て吐き出してしまうかの様に。

 

「そんなある日だ・・・俺のPCに一通のメールが届いた。」

 

メールの中身は、”悪魔召喚プログラム”という、如何にも怪し気なソフトが添付されており、『罪を贖罪せよ。』という、意味深なメッセージだった。

しかし、その短いメッセージを見た瞬間、男の背を形容し難き震えが走ったのだ。

 

このメールを送った相手は、自分のこれまで生きて来た事全てを知っている。

死んだ兄に対する己の気持ちも・・・・。

 

「分かるぜ・・・だったら、兄貴を殺した悪魔に復讐しろと言いたいんだろぉ? だが、残念。 その悪魔はてめぇが殺しちまった。 」

 

悪魔の大群と大立ち回りを演じるダンテが、此方を睨んでいる事に気が付き、インキュバスはニタリと厭らしい笑みを浮かべる。

 

デンバーズは、只、巻き添えを喰らって死んでしまったのだ。

あの日、目障りだったダンテを殺す為に、ありったけの兵隊を搔き集めたデンバーズは、意気揚々と彼に襲い掛かった。

しかし、結果は何時も通りの惨敗。

おまけに共通の敵を持つ昔馴染みの連中に頭を下げて金を借り、兵隊を集めたにも拘わらず、傷一つ負わせる事も出来なかった。

着ていたコートも失い、寒さを凌ぐ為に、嫌々ながらも穴だらけとなったダンテの真紅のロングコートを着たデンバーズ。

だが、そのちょっとした行為が、彼の死期を早めてしまった。

 

「成程な・・・兄貴の仇を俺に取られちまったから、だから俺に八つ当たりしてやるって事か・・・。 」

「うーん、そうなるのかぁ? まぁ、俺はただ、お前が兄貴の事を覚えていたって結果に大満足なんだけどな。 」

 

ダンテの言葉に、何故かインキュバスは困った様子で頭を傾げた。

そんな悪魔の様子に、未だに状況を呑み込めない女荒事師が、訝し気に眉根を寄せる。

 

この悪魔の姿を借りた召喚術士くずれの男が、何を考えているのか全く分からない。

理不尽とも取れる恨みを晴らす為に、自分達を罠にハメた訳でも無い。

兄の事を話したのは、ダンテがデンバーズの事を覚えているかどうかを知りたかっただけ。

それが本来の目的ならば、自分とテレサ達はいい迷惑だ。

 

 

 

漸く見つけた主は、余りにも酷い状態だった。

革の肩当にナイフが仕込まれた両腕の手甲。

赤い腰帯には、数本のクナイが収まり、顔には左眼と口元を覆う呪術帯が巻かれている。

十二夜叉大将に毘羯羅大将(びからたいしょう)として所属していた装束だ。

 

「ら・・・ライドウ・・・・? 」

 

尋常ならざぬ主の様子に脅えつつ、ゆっくりと近づく。

するとその足元に二人の人物がいる事が分かった。

一人は、主と同じ格好をした男が、右肩から左わき腹へと袈裟懸け状に斬られて倒れ伏し、その少し離れた所に10代後半辺りと思われる少女が座り込んでいる。

股の間から血を流した少女は、血塗れた両手に持ったソレに向かって、ニヤニヤと笑いながら何かを語りかけていた。

 

「・・・っ!ひ、酷い・・・・。 」

 

少女の持っている物体が、まだ形を成さぬ胎児である事を知った妖精は、思わず言葉を詰まらせる。

どうやら、連れの男は彼女の体内に宿っていた赤ん坊の父親で、目の前でライドウに惨殺された光景にショックを受け、その場で流産してしまったらしい。

 

(これは・・・彼の過去の記憶・・・・。)

 

戦慄に瘧(おこり)が掛かった様に、ブルブルと震えながら、何とか周りの状況を呑み込む。

倒れて絶命している男は、恐らくライドウと同じく、十二夜叉大将に属する安底羅大将(あんちらたいしょう)こと、百地三太夫(ももちさんたゆう)。

その隣で気が触れているのが、16代目・葛葉ライドウの愛娘、月子だろう。

 

三太夫の子を身籠った月子は、お腹の赤ん坊を護る為に、葛城の里を出奔。

月子の父親、16代目の命令で後を追い掛けたライドウは、心ならずも三太夫と交戦。

その結果、三太夫が倒され、その光景を目の当たりにした月子は、お腹の赤子を流産してしまったのだ。

 

「・・・っ!! ライドウ!駄目だよ!!! 」

 

突然、手に持つ血塗れたクナイを自分の喉へと押し当てる主を見て、小さな妖精が慌てて縋りつく。

切先が皮膚を破り、真っ赤な血が白い首筋へと伝った。

 

「お願い!目を醒まして!!これは現実じゃないんだよ!過去の出来事なの!! 」

 

懸命にマベルが呼び掛けるが、主の耳には届かない。

クナイを持つ手に更に力が入り、刃の切っ先が徐々に白い喉へと喰いこんでいく。

 

 

 

その異変に逸早く気づいたのは、シアタールームでアニメ映画を見ていた金髪の少女であった。

それまで、リスの頬袋よろしく、頬を膨らませて不機嫌そうに映画を見ていた少女は、何を思ったのか突然、立ち上がったのだ。

 

「ライドウが危ない! 」

 

そう一言だけ呟いたパティは、急いで室内の出入り口へと駆けていく。

 

「お?おい!? 一体どうしちまったんだよ? パティ!? 」

 

止める間もなく、ドアを押し開け廊下へと出る少女。

それを初老の仲介屋が戸惑いながら追い掛けて行った。

 

 

 

その日、エヴァン・マクミランは、勤務先である病院の休憩所で、愛用のスマートフォンを眺めていた。

とある掲示板のチャットルームへと入った彼は、真剣な表情で、そこで交わされている会話の内容を読んでいる。

 

『その計画(プラン)は、気乗りしない。 自分の私情で大事な後輩を巻き込みたくない。 』

『なぁんだ、弱虫。 お兄さんの仇を討ちたくないの? 』

『仇は討ちたいさ・・・でも、ダンテという男が犯人であるという証拠がない。 』

『頭の固いオッサンwwwこれだから医者って人種は気に入らないんだ。 』

 

チャットルームに参加している人数は、自分を含めて計4人。

うち二人は、どうやら未成年らしい。

言葉の端々に、幼い印象を感じる。

 

 

『貴方が慎重になるのも分かります。 確たる証拠がない以上、罪のない人間の命を奪ってしまう可能性があります。 』

『でも、話に聞くとソイツ人間じゃ無いんだろ? 』

『悪魔と人間のハーフ? きm。 』

 

もう一人は、自分と同じかなり慎重な人物らしい。

目上の者に対する態度がなってない二人と違い、丁寧な物腰でマクミランに話し掛けて来る。

 

『 ・・・・君の兄さんを殺したのはダンテという男ではない。 』

 

その時、新しい来訪者が掲示板のチャットルームへと入って来た。

何処でダンテの経歴を調べて来たのか、便利屋の家族構成と生い立ち。

そして彼が持つ、事務所の正確な住所まで、事細かに掲示板に書き込んでいる。

 

『残念だ・・・チャックルズ。 君の仇はダンテに殺されている・・・つまり、君の討つべき悪魔はもう既に存在していないんだ。 』

 

淡々とした文面で、魔神皇というハンドルネームを持つ人物は、マクミランにそう告げる。

因みにチャックルズというのは、マクミランがこの掲示板を利用する時に使っている名前だ。

 

『なぁんだ。つまんねーの。 』

『折角、私が育てた悪魔を使えると思ったのに。 』

『お兄様の無念を晴らせず、心中お察し致します。 』

 

三者三様の反応。

しかし、この中で一番納得出来ないのが、当のマクミランであった。

順風満帆な自分の人生を危険に晒す事無く済んだ事に対する安堵感と、そんな己自身を恥じる理性が激しく葛藤している。

 

兄は、きっと想像を絶する苦しみと恐怖を味わって死んだに違いない。

あの薄暗いモルグで処置台に乗せられた兄の死骸を見れば、否が応でもそれが分かる。

兄・・・デンバーズは確かにろくでもない人間であったかもしれない。

兄の死後、デンバーズの足取りを自分なりに調べて見た。

出て来るのは、どれも兄に対する誹謗中傷だけ。

でも・・・それでもとマクミランは思う。

ダンテと言う人物と拘わらなければ、兄はあんな惨い最期を迎えずに済んだのではないのか?

警察官としての職を失い、兄弟の縁を切ろうと兄が言い出した時、全力で自分が拒絶し、何時も通りに一緒に暮らして居れば、この悲劇を回避出来たのではないのか?

 

 

『自分を責める必要はない。 チャックルズ。 』

 

その時、押し黙ったまま、何も喋らないマクミランに対して、魔神皇が声を掛けて来た。

 

『君は何がしたい? 何を求める? 真実から眼を逸らし、人間として生きる事か・・・それとも、自分の犯した罪を贖う事か・・・・嘘偽りのない、君の言葉を聞かせて欲しい・・・。 』

 

そう、これから先の選択権は、マクミラン自身にある。

唯一の家族を殺された復讐か・・・それとも、これから先も惰性に流されるがまま生きる事か・・・。

震える自分の指が、ゆっくりとキーボードを打つ。

 

 

 

豪華客船内。

赤い絨毯が敷かれた廊下を金色の髪をした少女が走る。

目的の場所は、もう分かっていた。

シアターエリアを抜け、宿泊施設へと向かう。

 

 

「はぁはぁ・・・た、頼むよ、パティ・・・・年寄りをあんまり走らせないでくれ。 」

 

客室の一区画の前で立ち止まった少女に、初老の仲介屋が漸く追いつく。

しかし、パティは、背後にいるモリソンを振り返る事は無かった。

室数あるスイートルームの一つ。

501とプレートの付けられたドアの前に立ち、ポケットから掌ぐらいに収まる小さな人形を取り出す。

 

「・・・分かる・・・分かるの・・・・この部屋の中に”キング(犯人)”がいる。 」

「な・・・・なんだって・・・・?? 」

 

予想外なパティの言葉に、モリソンが驚愕で双眸を見開く。

 

 

スイートルームの室内。

マンハッタンの夜景が一望できる窓辺の傍に設えられたソファーの上に、30代半ばの男が座っている。

膝の上にiPadを乗せ、液晶画面に映る惨状を顔色一つ変える事無く、無言で眺めていた。

 

「チェックメイト・・・といったところか・・・案外、あっけない幕切れだったな。 」

 

もう少し手こずるかと思っていた。

しかし、彼・・・エヴァン・マクミランの予想に反し、事態は何の支障も起こさず、スムーズに運んでしまった。

 

(全ては、あのお方の手の中・・・と言う訳か。)

 

正直言って、自分は何もしてはいない。

魔神皇の指示に素直に従っただけだ。

獲物を罠の中へと誘い込み、後は魔神皇が組み上げたプログラムを発動するだけ。

このプログラムは、強力な結界で敵を閉じ込め、無数の悪魔を召喚し襲わせる。

敵が悪魔を殺せば殺す程、その死骸の腐肉を喰らい、更に強力な悪魔が喚び出される仕組みとなっている。

後は、それの繰り返し。

次第に獲物は疲弊し、悪魔達の餌食となる。

 

コンコン。

 

不図、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえた。

どうやら、先程頼んだルームサービスが届いたらしい。

マクミランは、iPadをテーブルの上に置くと、室内の出入り口へと向かった。

 

「夕食をお持ち致しました。 」

 

このカジノ店の従業員らしい若い男の声が、分厚いドア越しから聞こえる。

覗き窓を見ると、夕食のディナーが乗ったワゴンを背に、ホテルの白い制服を着た青年が廊下に立っていた。

カードキーを使って、ドアの施錠を開く。

と、突然、グレーの背広を着た黒人男性が、無理矢理室内に入って来た。

仲介屋のJ・D・モリソンだ。

夕食を運んできた従業員に、事の詳細を話し、無理を承知で協力して貰ったのだ。

 

「何だ? 君達は!!? 」

 

余りの出来事に、マクミランが声を荒げる。

無意識に手が、後ろに隠し持ったハンドガンへと伸びた。

 

「アンタみたいな悪者をやっつける正義の味方よ! 」

 

そう言ったのは、モリソンのすぐ傍らにいる金髪の少女だった。

右手に握り締めていた小さな人形を、マクミランに向かって投げつける。

 

「シキオウジ!ソイツを捕まえて!! 」

 

少女・・・・パティ・ローエルの声に反応するかの如く、小さな人形は無数の霊符へと姿を変えると、驚愕の余り動けぬマクミランの四肢に張り付いて行く。

両脚を絡め獲られ、床へと転倒する内科医師。

衝撃で、取り出そうとしたハンドガンが絨毯の上に放り投げられる。

 

 

「騒がせて申し訳ないが、CSI(超常現象管轄局)に連絡を入れてくれると有難いんだが。」

 

床に転がる拳銃を拾いあげたモリソンが、背後で固まっている従業員に声を掛ける。

真っ青な顔をした年若い従業員は、どもりながら返事を返すと、ポケットからピッチを取り出し、上司に内線電話を掛けた。

 

 

 

異界化したVIPルーム。

蒼白い肌をした悪魔・・・・インキュバスが突然、苦しみだし、実体化が保てず四散する。

それと同じくして、悪魔達も次々、塵へと返り、室内の壁や床を覆っていた触手が跡形も無く消え、元の大広間へと戻る。

 

 

「だ・・・大丈夫ですか? 社長。 」

 

秘書兼用心棒のディンゴが、背後にいるテレサを振り返る。

身を挺して主人を護っていた為か、全身に傷を負い、血を流していた。

 

「私は大丈夫よ。 それよりアンタの方が大変だと思うけど? 」

 

仲魔のオルトロスを管へと戻したテレサが、獣人化を解いたディンゴの躰に中級回復魔法・ディアラマを唱えた。

幾ら気丈な振る舞いをしているとはいえ、まだ16歳になったばかりの少女だ。

傷の上へと翳(かざ)す掌が、微かに震えている。

 

 

「一体どうなってやがる? いきなり悪魔共が消えたぜ? 」

「さぁね? きっと日頃の行いが良いから、神様がサービスで助けてくれたのかもよ? 」

 

大量の悪魔の群を相手に大立ち回りをしていたダンテとレディーは、唐突な幕切れに拍子抜けする。

共に来ているスーツはボロボロ。

レディーに至っては、スカートの裾が裂け、太腿が大胆に露出していた。

 

 

「ライドウ!お願いだから正気に戻って!! 」

 

二人の間を割って入るかの様にして、切羽詰まった妖精の声が聞こえた。

見ると壁に背を預ける形で床へと座り込む主に向かって、マベルが懸命に呼びかけている姿があった。

 

「どうやらアッチはまだ、解決していないみたいね? 」

 

互いの得物をホルスターへと収め、項垂れて座り込んでいる悪魔使いの所へと向かう。

 

主の胸を叩き、マベルが大声で呼び掛けているが、当のライドウは全く目覚める様子は無かった。

固く目を閉じて、苦痛に顔を歪めている。

右の首筋から蟀谷へと伝わるどす黒い痣を見たダンテは、思わず目を見張っていた。

 

「・・・・っ! ライドウ! 」

 

身を屈め、ライドウの頬に浮かんだ不気味な痣に触れる。

良く見ると、何かで切り裂かれたのか、右の首筋から血が流れ落ちていた。

真っ赤な鮮血が、蒼いドレスの襟元を汚している。

 

「・・・・何だよ? これは・・・。 」

「蟲毒と呼ばれる中国の呪術よ。 何者かは知らないけど、誰かが彼に外法を仕掛けていたみたいね。 」

 

ドクンドクンと不気味な脈動を続けるどす黒い痣。

 

これは、かつて古代中国で行われた呪術である。

蟲道(こどう)、蟲術(こじゅつ)、巫蟲(ふこ)とも呼ばれ、100匹の猛毒を持つ蟲や爬虫類を一つのカメに閉じ込め、互いに殺し合わせる事で生き残った最後の一匹を生贄にして呪術を行う。

本来は、呪殺などに使われるが、時には富を得たり、富貴(ふうき)を図るのにも用いられるのだ。

 

 

「ねぇ、テレサ。 この船に精神系の術に詳しい医者とかいないの? 私じゃ専門外だからどうにも出来ないわ。 」

 

深手を負った部下の治療を行っている姪に向かって、レディーが声を掛けた。

しかし、この船はあくまで一般市民向けのカジノ店だ。

そう都合良く、精神系に優れる魔術医が乗り合わせている筈がない。

 

「ドクに連絡を入れて見る。 彼ならなんとかしてくれるとは思うけど、此処に来るのにかなり時間が掛かると思うわ。 」

 

ドクとは、テレサの弟、ジョセフの主治医である。

KKK団(クラックス・クークラン)に所属する精神科医で、当然、魔術にも精通している。

 

「それじゃ遅すぎる。 早くしないと彼の躰がもたない。 」

 

レディーがポケットからハンカチを取り出し、ライドウの首筋から流れ出る鮮血に押し当てる。

こんな程度の止血では、焼け石に水だ。

何とかしてライドウを深層意識から、現実世界へと連れ戻さないと、身体の方が先に壊れてしまう。

 

「おい!何とかならねぇのかよぉ!? 」

「喚かないで! さっきも言ったけど、私じゃ彼を救えない。 唯一の頼みの綱はこのおチビちゃんだけなのよ。 」

 

常になく取り乱すダンテを、レディが窘める。

 

悔しいが、いくら魔術医(ドクター)の資格を得ているとはいえ、自分は外科専門で精神系は門外漢だ。

魔法が使えない為、精神系は学んでも意味がないと思っていたのだ。

自分に姪と同じ、魔法の才能があれば・・・・否、今更それを悔やんでも仕方がない事だ。

 

 

 

 

吹雪が吹き荒れる薄暗い山林。

血の海に倒れるかつての同志と、その傍らに座り込む許嫁。

 

百地三太夫(ももちさんたゆう)は、少し抜けた所はあるが、義理人情に厚く、誠実な男だ。

異端な存在である自分を快く受け入れ、過酷なこの世界で、賢しく立ち回る術を教えてくれた。

彼がいなかったら、十二夜叉大将に抜擢される事も、今の恩師、16代目・葛葉ライドウと回り逢う事も無かっただろう。

共に生き、何時か笑い合える明日を信じて生きて来たのに・・・何故。

 

最早、今のライドウに冷静な判断力など皆無に等しかった。

懸命に呼びかける仲魔の声も届かない。

あるのは唯、早くこの悪夢から醒めたいという切なる願望だけ。

その為には、自分の首に押し当てられているクナイの刃を真横に引けば良い。

たったそれだけで、この辛い現実から逃れられる。

 

 

「駄目だよぉ! この世界で死んだら、現実の貴方も死んでしまう! これは過去なの!過去の出来事なの! ナナシはちゃんと過去を克服出来たでしょ!? 」

 

必死の主の胸元を妖精が叩く。

服の下に硬い鎖帷子を仕込んでいる為、叩くと拳が痛い。

しかし、そんな事に構っている余裕は無かった。

今はどんな手を使ってでも、主を正気に戻さなくてはならないのだ。

 

「ナナシ! お願い正気に戻って! 貴方の帰りを明とハルちゃんが待ってる! また三人で一緒に暮らすんでしょ!? 」

 

此処は地獄だ。

全てに絶望し、自ら死を望んでも致し方ない。

しかし、それでも希望はある。

その僅かな希望の光を消さない為にも、彼には生きていて貰わなくてはならないのだ。

 

涙を流し、声が潰れる程主の名を呼ぶ。

そんな時であった。

妖精の背筋を言い知れぬ怖気が走った。

見ると、主の背後に何者かが立っている。

 

蝋の如く病的なまでに白い肌と漆黒の長い黒髪。

血の様に赤い唇が弧を描いている。

十二夜叉大将の長、”人喰い龍(むくろ)”だ。

 

「やれやれ、どこまでも仕様がない奴だな? ナナシ。 」

 

繊細な白い指先が、クナイを握るライドウの手に触れる。

金色の瞳に蛇の様な縦の瞳孔。

恐怖で小さな妖精の躰が固まる。

 

「私を殺すんだろ? あの時の誓いは嘘だったのかな? 」

 

ライドウの耳元で吐息の様に囁く。

刹那、悪魔使いの躰が動いた。

死人の様だった双眸に生気が宿り、己の首筋へと当てていたクナイを背後の憎き仇の心臓目掛けて突き出す。

 

 

 

 

「ライドウ!!? 」

 

突然、悪魔使いの細い躰がしなった。

口から黒い煙が吐き出され、右頬から蟀谷(こめかみ)にかけて走っていたどす黒い痣が消えていく。

吐き出された黒い煙は、天井の辺りまで昇ると人の形へと変わる。

 

「あ、アレは・・・陰魔・サキュバス。 」

 

金色の長い髪に蝙蝠の様な羽。

夢魔・インキュバスと対なる存在である陰魔・サキュバスだ。

インキュバスより遥かに高いレベルを持つ女悪魔は、眼下に居る一同を憎々し気に睨みつけると、再び肉体をガス状に変化させ、通風孔から逃げて行った。

 

「どうやら、アイツが17代目に取り憑いていたみたいね。 」

 

部下の治療を終えた甘栗色の髪をした少女が、悪魔が消えた通風孔を未だ見上げている。

B級とは言え、そこは召喚術師。

それなりに、悪魔の事に関しては詳しい。

 

 

「うっ・・・・気持ち悪ぃ・・・・。」

 

精神汚染の原因であるサキュバスが離れた事で、ライドウも漸く正気に戻れた。

唐突な吐き気に口元を抑え、薄っすらと眼を開ける。

流れ出ていた鮮血も止まり、嘘の様に傷が消えていた。

 

「うーっ・・・もう、駄目・・・・・。 」

 

ライドウが目覚めると同時に、マベルが疲労困憊といった様子で剥がれ落ちる。

その小さな躰を、女荒事師が受け止めた。

 

「ご苦労様、貴方のお陰でライドウが助かったわ。 」

「・・・・私のお陰・・・・・? 」

 

レディの言葉に、精神世界での出来事を想い出す。

 

陰魔・サキュバスの罠にハマリ、深層意識の更に奥まで引きずり込まれたライドウ。

それを救うべく、危険を承知で自分も飛び込んだ。

何とか、主の精神体を見つける事が出来たが、酷い状態だった。

自死しようとした主を助けようと、必死に呼び掛けたが、マベルの言葉は全く届かなかった。

絶望の淵に立たされ、自殺しようとしたライドウを救ったのは、怨敵でもある『八咫烏』の長、骸だ。

恐らく、ライドウの躰に寄生している蟲を使って、悪魔使いの深層意識へと入り込んだのだろう。

 

 

「私じゃない・・・私は何も出来なかった・・・・。 」

「マベル・・・・? 」

 

俯き、悔し気に唇を噛み締める掌の上にいる妖精を、女荒事師が訝し気に見つめる。

その隣では、意識が戻った悪魔使いを銀髪の便利屋が抱き締めていた。

 

 

 

「名前は、エヴァン・マクミラン。 グリニッジにある総合病院の内科医だ。 」

 

事件後、ベルリントンガ港に停泊した豪華客船から、数名の黒服の屈強な男達に囲まれる様にして一人の30代後半辺りの男性が降ろされた。

男は、NY市マンハッタン区にあるグリニッジ・ヴィレッジの総合病院に勤務する医師であった。

無作為にばら撒かれた『悪魔召喚プログラム』を悪用し、カジノ店で名の知れた賭け事師達を誘拐。

マグネタイトを無理矢理奪い、死亡した彼等の死体を仲魔である悪魔に喰わせる事で処理をしていた。

 

「信じられない・・・・他の医師達と違って、患者に対して真摯に対応する医者で有名だったのよ・・・・。 」

 

モリソンの説明に、テレサが不信感で秀麗な眉根を寄せる。

テレサの言う通り、マクミランはグリニッジにある数ある病院の中でも、患者に対して親切で腕の良い医者として有名であった。

テレビや雑誌にも、何度も取り上げられており、特に貧しい家庭やホームレスを無償で看ていた事もあった。

 

「ポールは、研修医としてマクミランと同じ病院に勤務していた。それと、VIPルームに集められたギャンブラー達は、全員、彼の患者だ。 」

「成程ね・・・名医の隠された裏の顔・・・って訳ね。 」

 

CSI(超常現象管轄局)の捜査官達に付き添われ、黒塗りの乗用車へと乗り込むマクミランをモリソンとレディが眺める。

因みに、VIPルームに集められた賭け事師達は、幸いな事に全員無事であった。

マグネタイトを大量に奪われ、未だ意識は戻らないが、それでも命に別状はないらしい。

全員、救急隊に収容され、適切な処置を受けている。

 

 

「全然、納得して無いって面だな? 」

 

ドレスから普段着に着替えたライドウの背に、自称相棒である銀髪の青年が声を掛けた。

此方も、窮屈な正装から普段のラフな格好へと戻っている。

 

「・・・・マクミランの動機がイマイチな・・・・・医者である彼が、金儲けの為に人間を誘拐して、マグネタイトを抜き出し、違法に売買してたってのが、腑に落ちない。 」

 

ライドウが疑問に思うのは当然であった。

マクミランは、医者としてそれなりに成功している。

確かに、マグネタイトは、高価な代物だ。

魔導士ギルド間では、億単位の金で取引される事もある。

しかし、名医として名高いマクミランが、果たして金儲けの為だけに、人命を弄ぶ事が出来るのだろうか?

 

「俺に復讐するのが目的だったんじゃねぇか・・・アイツは、デンバーズって野郎の弟らしいからな。 」

「その為に、何人も誘拐したってのか? 無理があり過ぎる。 」

 

マクミランの素性は、レディから聞いている。

かつてダンテと問題を起こしていた荒事師の弟だった。

兄を悪魔に殺され、復讐を誓うも、その悪魔はダンテが葬り去ってしまった。

やり場の無い怒りを、逆恨みと知りながらもダンテで晴らそうとした。

しかし、それが目的であるならば、何人も犠牲にする必要は無かった筈だ。

 

「確かにな・・・でも、今はアンタが心配だ。 」

「・・・・? 」

「どっかの誰かに、変な術を掛けられているんだろ? 」

 

蒼い瞳にジロリと睨まれ、ライドウは思わず言葉を失う。

陰魔・サキュバスに取り憑かれている時、蟲が精神汚染から宿主を護ろうと姿を現した。

その時の痣を、事もあろうにこの男・・・ダンテに見られてしまったのだ。

 

「いい加減、隠し事は無しにして貰いたいぜ。 アンタの立場が色々面倒なのは知っているけどよ。 」

「・・・・。 」

 

詰問された所で、話す理由がまるで無い。

否、もしかしたらこの男を巻き込む事になってしまうかもしれないのだ。

脳裏に、変わり果てた姿となった三太夫と月子の姿が浮かぶ。

 

駄目だ・・・・絶対に、自分と拘わらせてはならない。

 

「ライドウ!! 」

 

そう悪魔使いが逡巡している時であった。

着替えを済ませたライドウ達を見つけたパティが、此方に駆けて来る。

頭に小さな妖精を乗せた金髪の少女は、そのままの勢いでライドウの腰に抱き着いた。

 

「良かった!無事だったんだね!? 」

 

今にも泣き出してしまいそうな表情で、パティが自分より頭一つ分高いライドウの顔を見上げる。

いきなり登場したこの闖入者に、話を完全に削がれ、忌々しそうに舌打ちするダンテ。

そんな銀髪の青年を横目に、ライドウはやれやれと溜息を吐くのであった。

 




大分尻切れトンボな終わり方。
パティが持っていた人形は、予め、ライドウがお守りとして彼女に渡していた式神。
主犯格のマクミランは、魔神皇の命令でマグネタイトを回収していた。
因みに、彼以外にも魔神皇の信者は、各国におり、DDSの掲示板を通して連絡を取り合っている。


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チャプター 16

一応、前編、中編、後編と分けて投稿する予定。
登場人物

ジョルジュ・ジェンコ・ルッソ・・・・KKK団(クー・クラックス・クラン)の創立メンバーの一人、ルッソ家の家長。

ニーナ・ジェンコ・ルッソ・・・・ パティの実母であり、ジョルジュの娘。
パティと同じ”稀人”の力を持っている。

ロック・ジェンコ・ルッソ・・・・ 名前のみ登場、ニーナの弟。
徴兵制度により、日本の天海市に調査隊として志願した。
悪魔の襲撃を受け、救難信号を出すが、何故か本部から見捨てられ、非業の最期を遂げる。


渋谷、道玄坂通り。

渋谷駅ハチ公口前から目黒方面へと向かう上り坂の一区画にあるカラオケ店。

その一室に小学校高学年ぐらいの三人組が、携帯ゲームを片手に遊んでいた。

 

「もー、後もう少しでボスを倒せそうだったのにぃ! 」

 

如何にも負けん気が強そうな12歳ぐらいの女の子が、両手に持った携帯ゲーム機を見て、唇を噛み締めた。

 

「白川は、育て方が甘いんだよ。 俺のロアだったら余裕で倒せたね。 」

 

悔しそうに頬を膨らませる女子を、右耳にピアスを付けた男子が鼻で笑う。

欧米人とのハーフなのか、彫の深い顔立ちをしていた。

 

「うっさい!チャーリー!! 」

「うわぁ、白川がヒステリー起こしてるぅ。 」

「二人共、喧嘩は止めて下さい。 」

 

言い争いを始める二人の間を、理知的な容姿をしている黒縁眼鏡を掛けた少女が止めた。

膝の上に10.2インチのiPadを乗せている。

その液晶画面には、何処かの防犯カメラで撮影されているのか、数名の黒服の男に両脇を固められた30代後半ぐらいの男性が、警察車両と思われる車に乗せられる姿が映し出されていた。

 

「・・・・チャックルズさん、どうして逃げなかったんですかね? ”悪魔召喚プログラム”を使えば、CSIに捕まる事も無かったのに。 」

 

黒縁眼鏡の少女・・・赤根沢 玲子が、口惜しそうに呟く。

 

この三人組は、都内某所にある進学塾に通う生徒である。

それまでお互いに面識は無かったが、世界的人気のあるオンラインゲーム、DDSを通じて意気投合。

同じ学習塾に通っているという事もあり、こうして度々集まっては、ゲームやカラオケなどをして遊んでいた。

 

「知らない。 だってアイツのせいで、私のサキュバスちゃんが酷い目に会ったんだもん。 おまけにヘマして捕まるなんて馬鹿としか言えないわ。 」

 

座っていたソファーの背凭れに身を預け、肩口で綺麗に髪を切り揃えた少女、白川 由美が辛辣な言葉を吐く。

 

「同感、大人は馬鹿ばっかだからな。 信用何てしちゃ駄目って事さ。 」

 

ストローでコーラを一口飲んだピアスの少年、黒井 真二が隣に座っている玲子の膝に置かれたiPadを覗き込む。

 

その時、彼等のいるボックスのドアを誰かが叩いた。

ドアを開け、中に入って来たのは、グレーの背広を着た30代ぐらいの男性であった。

 

「何だ? 此処に居るのはお前等だけか? 」

 

子供が相当苦手なのか、嫌悪感で眉根を寄せる男性。

軽子坂高校の化学教師をしている大月 清彦だ。

風紀委員会の顧問を務めており、生徒達からは大分嫌われている。

 

「先生、15分の遅刻ですよぉー。 」

 

風紀委員会の顧問を務めている事を知っているチャーリーが、嫌味たっぷりに言ってやる。

忽(たちま)ち、大月の表情が不愉快な色に染まった。

 

「煩い、暇を持て余しているお前等餓鬼共と違って、コッチは汗水流して働いているんだ。 全く、うちの馬鹿生徒共と言い、お前等といい、子供は質の悪い病原菌と同じだな。 」

 

正直言って、高校の教師などにはなりたくなかった。

一生、早稲田大学の理工学部で化学の研究を続けていたかった。

しかし、父親が病に倒れ、他界してから支援が止まってしまい、働かざる負えない状況になってしまったのだ。

高校教師と言う職を選んだのは、同じ餓鬼でもコッチの方がまだマシだろうと思ったからだ。

 

「仲間割れは止めて下さい・・・・それより、チャックルズさんが。 」

「知ってる・・・CSI(超常現象管轄局)に捕まったんだろ? Jから事の経緯は全て聞いたよ。 」

 

大月は空いている席に座ると、テーブルの上に置かれた灰皿を引き寄せた。

愛用のマルボロを背広の内ポケットから取り出し、一本抜き出して口に咥える。

使い捨てライターで火を点けると、由美が嫌そうに眉根を寄せた。

 

「Jの話によると、チャックルズの奴は自分からCSIに投降したらしい。 まぁ、最近奴は家族の事で落ち込んでいたからな。 私も色々と相談にはのっていたが・・・・惜しい人材を失ったよ。 」

 

Jとは、自分達と同じDDSで知り合った同士である。

NYに在住しており、裏社会にも精通している。

 

「奴の仕事は、Jが引き継ぐ事になった。 近々、デカイ花火を上げると言っていたな? 」

「え? もしかして、例の悪魔、もう喚び出せるの? 」

 

大月の意味あり気な言葉に、興味深々と言った様子でチャーリーが身を乗り出した。

 

「例の悪魔・・・・? 」

 

興奮するチャーリーと対照的に、由美は間の抜けた表情をしている。

魔神皇の思想に共感した同士達が、『悪魔召喚プログラム』を使ってマグネタイトを回収している事は知っている。

現に自分達も、育てた悪魔を使って、悪い大人や悪魔達を殺してマグネタイトを集めていた。

きっと魔王クラスの凄い悪魔を呼び出すだろうとは思っていたが、それが一体どんなモノなのかまでは把握していない。

 

「アビゲイルだよ。 四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝・ムンドゥスに匹敵するぐらい凄い悪魔らしいんだ。 」

「ふーん・・・どんな悪魔か知らないけど、日本(ここ)で呼び出す訳じゃないんでしょ? 」

 

キラキラと目を輝かせるチャーリーと違い、由美は何処までも冷めている。

実際、この目で見れる訳じゃないし、大嫌いなこの国を壊してくれる訳でも無い。

彼女にとって、自分の利益にならない事は、全く興味がわかないのである。

 

「詳しい日時までは教えてくれなかったけどな。 花火を打ち上げる際は、”チャットルーム”で配信してくれるらしい。 お前等も気になるなら、私のラインに連絡をいれてくれ。 」

 

大月はそれだけ言うと、吸い終わった煙草を灰皿で揉み消し、立ち上がった。

 

「え? 偉出夫が来るまで待たないんですか? 」

 

革の鞄を片手に、さっさとボックスから出て行こうとする大月の背に、玲子の戸惑った声が掛けられた。

 

「言ったろ? 私はお前達と違って忙しいんだ。 これから中間試験の問題を作らないといけない。 あの方には申し訳ないが、帰らせて貰う。」

 

ドアノブに手を掛けた大月は、玲子達に一瞥を送る。

そして・・・。

 

「ノルマ達成も結構だが、お前達もちゃんと勉強をしろよ? そうしないと、社会のゴミになってしまうからな? 」

 

と、言いたい事だけ言って、カラオケボックスから出て行った。

後に残された、玲子、チャーリー、由美の三人。

「ちっ・・・ロリコン爺が偉そうに・・・・。」と、由美が嫌悪感に顔を歪め、口内で呪いの言葉を吐いた。

 

 

 

NY市グリニッジにあるprimary school(小学校)。

何時もの様に授業を終えたパティ・ローエルは、児童養護施設へと帰る送迎のバスへと乗り込もうとしていた。

その背を担任の教師が慌てた様子で呼び止める。

神経質そうな細身の女性教師は、パティに来客が来ている事だけを告げると、有無を言わせずその二の腕を掴み、引きずる様にして来客用の応接間へと連れて行った。

最初は、戸惑っていたパティであったが、この女教師に逆らうと後が怖い事を知っているので、敢えて大人しく従う事にする。

 

教師に連れられ、応接室に到着すると、校長先生が出迎えた。

何時も傲岸不遜な態度を崩さない、でっぷりと肥え太った校長が、この時ばかりは緊張で顔を強張らせている。

何故だろう?と不思議に思い、パティが室内に入ると60代半ばと思われる上質なスーツに身を包んだ初老の男性がソファーに座っていた。

紳士然としたその男性の後ろには、一目で護衛と分かる、黒服に身を包んだ二人組の屈強な体躯をしている男達が、壁を背に直立不動で立っている。

 

「遅れて申し訳ありませんでした。ミスター・ジョルジュ。 この娘が、先程お話に出ておりましたパティ・ローエルです。 」

 

胸ポケットから取り出したハンカチで、額に浮き出た脂汗を拭いつつ、校長がパティを真向いのソファーへと座らせる。

 

自然と眼が合う二人。

その蒼い瞳を見た瞬間、少女の背を電流の様な痺れが走った。

 

(私・・・・この人を知っている。 )

 

「ああ、自己紹介がまだだったね? 私の名前は、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソという名前だ。 宜しくね?パティ。 」

 

紳士がパティに、にっこりと朗らかな笑みを向ける。

しかし、パティはその挨拶に応える事が出来なかった。

目を見開き、初老の紳士の顔を凝視している。

 

「パティ! ジョルジュ氏に返事を返しなさい。 この方は、コネチカット州でも有数の資産家で、様々な福祉事業をしている事でも有名なんだぞ? 」

 

パティの隣に座るやや肥満気味の校長が、小声で叱責する。

 

校長の言う通り、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソという人物は、金融サービス会社を何件も所有しており、ボランティア活動も精力的に行っている。

特に、学校や福祉事業等に毎年、多額の寄付をしている為、校長や教師がこの人物を前に固くなるのは当たり前だといえた。

 

「ふふっ・・・・いきなり変な叔父さんが現れてびっくりしているのかな? まぁ、無理も無いだろうね。 話に聞くと君は天涯孤独でずっと一人ぼっちだったみたいだからね。 」

 

ジョルジュは、真向いに座る10歳未満の少女に、朗らかな笑みを向ける。

 

グレーの背広に白いシャツ。

茶のネクタイを絞め、白髪交じりの甘栗色の髪をしている。

かなり苦労を重ねて来たのか、その顔には深い皺が刻まれ、パティと同じ濃いブルーの瞳をしていた。

 

「成程・・・・こうして見るとニーナに良く似ている・・・あの子の幼い時に瓜二つだ。 」

「・・・・・ニーナ・・・・? 」

「君のお母さんの名前だ・・・・私は、君のお母さんのお父さん・・・つまり、君にとってはお爺さんという事になるのかな? 」

「・・・・・っ!? 」

 

ジョルジュの口から出た衝撃的な言葉に、パティの躰が強張る。

そんな少女に対し、優しい笑みを絶やさぬ初老の紳士。

優雅に足を組み、嬉しそうに双眸を細める。

 

「私が此処に来た理由は、君を引き取る為だ。 後で君がお世話になっていた児童養護施設にも話をするつもりだよ。 」

「私を引き取る・・・・・? 」

 

未だ夢見心地の様な気分で、ジョルジュの言葉が半分も理解出来ない。

唐突に現れた祖父と呼ばれる男の存在に、パティはどう対処して良いのか分からずにいた。

 

「本当に今迄苦労をかけさせてすまなかった。 長い間、興信所や様々な機関に依頼して君達親子の事を調べさせていたんだ。 」

 

そのかいあってか、漸く娘のパティを探し当てる事が出来た。

一時は、既に死亡したと諦めた時もあった。

しかし、神はこの男の努力を無駄にはしなかったのである。

 

「・・・・・・・。 」

 

深々と頭を下げる初老の紳士に対し、パティは複雑な心境であった。

物心ついた時から、彼女は独りぼっちだった。

施設の白い壁と薄汚れた天井を見ながら育った。

学校に通い始めても、親友と呼べる存在は出来なかった。

児童養護施設で生活するパティを、クラスの皆は物珍し気に眺めるだけ。

決して自分達から、友達になろうとするアプローチすらも無かった。

 

 

「そうだな・・・いきなり納得しろと言うのも無理な話だ・・・。 少しの時間だけ、何処か別の場所で話をしよう。 」

 

パティを警戒させない様に、慎重に言葉を選ぶ紳士。

パティも、担任教師と校長に睨まれ、不承不承頷くしかなかった。

 

 

 

 

レッドグレイブ市、便利屋事務所のある貸しビル。

何時もの様に、退屈な日常が始まる予定であった。

 

「何度も言うけどな、俺はお前を番にするつもりはない。 」

 

黒髪を短く刈った中性的な美貌を持つ10代後半辺りぐらいの少年が、不貞腐れた様子でソファーに座る銀髪の大男を睨みつけた。

 

「何でだ? 番ってのがいなきゃ、アンタは本来の力が出せないんだろ? 」

「確かにその通りだが、魔導の訓練を受けてない奴を番にする訳にはいかない。 」

 

呆れた様に溜息を吐くライドウ。

幾度目だろうか? ダンテとこんな押し問答を繰り返すのは。

先日起こった『連続誘拐事件』から、こんな調子で「自分を番にしろ。」と迫って来る。

やはり、体内に寄生している蟲をコイツに見られたのが拙かったらしい。

幾ら、人体に害はない。

蟲に魔力を補って貰っていると説明はしているのだが、一向に聞き入れる様子はなかった。

 

「爺さんの事を心配して言ってるんだぜ?俺は。 」

「余計なお節介だ。 お前は、俺の事より、まずは自分の事を心配したらどうなんだ? 」

「あぁ? そりゃ、一体どういう意味だよ? 」

「いい加減、悪魔狩りごっこを止めろと言っているんだ。 」

 

これも何度目になるか分からない。

ダンテは、悪魔狩り(デビルハント)の資格を持たない無資格者だ。

本来、悪魔を狩るには、国から正式な資格を得て討伐の依頼を受ける。

しかし、ダンテはその大事な資格が無い上に、闇の情報屋(ブローカー)から違法に悪魔討伐の仕事を引き受けていたのだ。

これは、立派な犯罪である。

闇社会で生活を行っている者は、グレーゾーンとして見て見ぬ振りをするのが普通なのだが、潔癖症で馬鹿が付くほど真面目なライドウは、それが出来ない。

 

「悪魔狩りごっこだと? 」

「そうだ。 何度も言うがな、悪魔と拘わるのはもう止めろ。バージルの事を忘れたのか? 」

 

怒りでソファーから立ち上がり、黒檀のデスクに腰掛けているライドウの目の前に来るダンテ。

しかし、悪魔使いはそれに臆することなく、逆に鋭い視線で銀髪の大男を見上げる。

 

「お前の兄は、悪魔の力に溺れ、自我を失い、魔帝の手駒にされた。 悪魔と拘わってもロクな目に会わないとお前も知っているだろう。 」

「俺は、バージルとは違う。 」

「良いや違わない。 お前と同じ事を言って道を踏み外した奴を俺は何人も知っている。 ダンテ、お前は人間なんだ。 人間のルールに従い、人間として生きろ。 」

 

ぶつかり合う、薄いブルーの瞳と黒曜石の色を宿す隻眼。

こうやって二人の意見は、常に平行線を辿っていた。

 

ダンテは、ライドウを愛している。

それ故、彼の今現在置かれている危うい立場が気になって仕様が無いのだ。

己の身を犠牲にし、この悪魔使いを護りたいとすら思っている。

しかし、それを良しとしないのがライドウ本人であった。

自分と拘わらせる事で、前の番であったクー・フーリンの様に、この青年を死なせる事が恐ろしくてならない。

 

一触即発な空気が流れる事務所内を、ドアを開ける鈴の音が邪魔をした。

入って来たのは、馴染みにしている情報屋のJ・D モリソンだ。

 

「おっと、お取込み中の所だったかな? 」

 

険悪なムードで睨み合う二人を見た初老の仲介屋が、わざとらしく肩を竦める。

 

「ノックぐらいしろよな? モリソン。 」

「したよ? 何度もな。 」

 

返事が無かったので留守かと思い、確認の為にドアを開けたのだという。

 

初老の仲介屋は、何時も通りに事務所内に入ると、来ていたコートを脱ぎ、ハンガーへと吊るした。

 

「変な所を見せて悪かったな?モリソン。 今、コーヒーの用意をするよ。 」

 

目の前に立つダンテを押し退け、ライドウがキッチンへと向かおうとする。

それを、初老の仲介屋が手で制止した。

 

「待ってくれ、 その前にお前さん達に伝える事がある。 」

 

何時にない真剣な表情をするモリソン。

来客用のソファーに座り、テーブルに置かれている灰皿を引き寄せる。

 

「この前の”連続誘拐事件”の主犯格、エヴァン・マクミランを覚えているか? 」

 

シガーケースから、葉巻を一本取り出し口に咥える。

 

「”狂犬デンバーズ”の弟だろ? 確かCSI(超常現象管轄局)に捕まった筈だよな。」

 

その内科医の事なら良く知っている。

かつてレッドグレイブ市(この街)に来たばかりのダンテに、何かと咬み付いて来た荒事師の弟だ。

ロクデナシの兄貴と違い、此方は医者としてかなり成功していた。

しかし、その裏では『悪魔召喚プログラム』を利用し、KKK団が所有している豪華カジノ店の客達を誘拐。

マグネタイトを根こそぎ奪い取り、殺害していた。

 

「首を吊って自殺した・・・・昨日の深夜だそうだ。 」

 

火を点けた葉巻を一口吸い、天井に向かって吐き出す。

煙は、薄汚れたコンクリートの天井に吸い込まれる様にして消えた。

 

モリソンの説明によると、エヴァン・マクミランは収容されている拘置所で、ベッドのシーツをドアに結んで首を吊っていたのだそうだ。

発見した刑務官が、直ぐに救急病棟へと運ぶ様に手配したが、既にマクミランは絶命していた。

 

「事情聴取をする前だったらしい。 念の為に精神系の術師に脳味噌を調べさせたが、どういう訳か、協力者に関する記憶がゴッソリと抜けていたそうだ。 」

 

CSIにも精神系の魔法に優れる術師は、何人もいる。

死亡したマクミランの死体を解剖する際、協力者に関する記憶を探し出そうとしたが、何の痕跡すらも残さず消されていた。

 

「インキュバスだな・・・・あの悪魔は、人間の記憶を改ざんしたり消したりする事に長けている。 恐らく、海馬と大脳皮質を弄られたんだろう。 」

 

初老の仲介屋の話を黙って聞いていたライドウが、そう言った。

 

マクミランが契約していた悪魔は、夢魔・インキュバスだ。

古来、インキュバスは睡眠中の女性を襲い、精液を注ぎ込み、悪魔の子を妊娠させると伝承で伝えられている。

それ故、都合の良いように記憶を消したり、又、偽の記憶を植え付ける事など容易いのだ。

 

「多分な。 因みに、CSIのお役人さん達が、マクミランのPCや書類を押収して調べたが、奴に協力していた連中の証拠は、見つからなかったそうだ。 」

 

一体誰が、マクミランに『悪魔召喚プログラム』を与えたのか、誰の指示で動いていたのか、そして、奪った大量のマグネタイトの在処すらも、以前、分からないままである。

 

「ちっ、用意周到な事だな。 」

 

舌打ちしたダンテが、不貞腐れた態度で長椅子に寝転ぶ。

 

マクミランの目的は、自分に拘わったせいで悪魔に殺された兄、デンバーズを思い出させる事であった。

彼の口振りから推測すると、ダンテが同業者であったデンバーズの事を覚えていた事に、大分満足していた様にも見える。

命を奪おうとしたのは、あくまで成り行き上。

本来の目的は、協力者が使役するサキュバスに、ライドウを襲わせる事にあった。

 

その時、事務所の出入り口に人の気配を感じた。

ライドウが其方に振り向くと、薄く開いたドアの所に金色の髪をした10歳未満の少女が立っている。

開いたドアから、事務所内を覗いていたのは、孤児のパティ・ローエルであった。

 

「パティ? そんな所に隠れて一体どうしたんだ? 」

 

中に入るのを何故か躊躇っている少女に向かって、ライドウが声を掛けた。

途端に顔を真っ赤に紅潮させる少女。

一度背後を振り返ると、おずおずと言った様子で事務所内へと入って来る。

 

「誰だ? アンタ。 」

 

寝ていた長椅子から起き上がったダンテが、不機嫌そうに問い掛ける。

事務所内に入って来たのは、パティ一人だけでは無かった。

薄い茶のビジネスコートと、その下に如何にも高級そうなグレーのスーツを着た60代後半辺りの紳士が、彼女の背後に立っていたのだ。

 

「お初にお目に掛かる、私の名前は、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソ。 KKK団(クー・クラックス・クラン)に所属している。 」

 

何か言いたそうなパティを優しく制し、紳士が朗らかな笑みを口元に浮かべた。

 

 

 

ジョルジュ・ジェンコ・ルッソ。

フォレスト家、マーコフ家に連なるKKK団(クー・クラックス・クラン)の創立メンバーの一人だ。

ハーレム地区を拠点として活動し、主に金融機関に精通している。

又、慈善事業も行っており、貧民層からは”あしながおじさん”と呼ばれて慕われていた。

 

 

「こいつは驚いたな。 まさかNYきっての名士がご登場するとは・・・。 」

 

来客用のソファーに座る紳士を、モリソンが無遠慮に上から下まで眺める。

 

モリソンが驚くのは当然で、このジョルジュなる人物は、経済雑誌のNEW YORK MAGAZINEに連日取り上げられる程の資産家だ。

金融機関だけではなく、ホテルを幾つも所有しており、最近、レッドグレイブ市に出来たアミューズメントパークも、彼の持ち物だ。

 

 

「君の噂は聞いているよ? 17代目。 うちのテレサが随分と迷惑をかけてしまったみたいだね? 」

 

ライドウが出したコーヒーを前に、にこりと柔和な笑みを浮かべる紳士。

 

「迷惑をかけているのは、私も一緒です。 逆に彼女が仕事を持ち込んでくれるお陰で大分助かっていますよ。 」

 

ライドウが隣に足を組んで座っているダンテに一瞥を送る。

本来、応対するのはこの事務所の主であるダンテの仕事なのだが、本人はまるでやる気が無さそうだ。

 

「ハハッ、そう言ってくれると私も気が楽だよ。 」

 

そこは年の功なのか、慇懃無礼なテレサに反し、ジョルジュは紳士的な態度を崩さない。

 

「挨拶はそれぐらいにして、いい加減、パティとアンタの関係を教えて欲しいね。 」

「ダンテ・・・お前なぁ。 」

 

相手が超が付くほど有名な資産家でも、傲岸不遜なダンテの態度は全く変わらない。

隣に座っているライドウが窘めるも、全くどこ吹く風?と言った様子だ。

 

「そうだな。 君達が不審に思うのも当然だ。 私は、この子の母親、ニーナ・ローエルの父親だ。 つまり、この子とは孫と祖父の間柄になる。 」

「ぱ・・・パティが、ミスター・ジョルジュの孫・・・・・? 」

 

まさに現代版の『オリバー・ツイスト』とはこの事だ。

驚愕で双眸を見開いたモリソンが、ジョルジュとその隣に座るパティを交互に見つめる。

 

「成程な・・・・この娘に召喚術師(サマナー)の資質があるのに納得した。 」

 

ライドウは、ジョルジュの隣で未だ俯いている金髪の少女に優しい眼差しを向ける。

 

パティには、類稀な稀人の血と召喚術師としての優れた才能を秘めている。

それ故、『連続誘拐事件』の調査の際に、前もって自分が作った式神を彼女にお守り代わりとして渡していた。

ライドウの期待通り、パティは式神・シキオウジを巧みに操ってみせた。

 

「実を言うとな?17代目。 私は君に依頼する為に此処に来たんだ。 」

「依頼? 」

「私の娘・・・・ニーナ・ジェンコ・ルッソを探し出して欲しいんだ。 」

 

ジョルジュ曰く、パティの母、ニーナ・ジェンコ・ルッソは、成人するとすぐに家を出てしまった。

一方的に親子の縁を切り、母方の性を名乗る様になったのである。

 

「何故、私に? 貴方なら優秀な人探し(ウオッチャー)が沢山いると思いますが? 」

「君の言う通り、優秀な”人探し(ウオッチャー)”を何人も雇って、あの子の行方を捜索させた。 しかし、幾らベテランの彼等でも、あの子の髪の毛一つ探し出す事は出来なかったよ。」

 

コーヒーに映る自分の顔を眺めつつ、ジョルジュは、困った様子で眉根を寄せる。

 

パティの母、ニーナは、娘と同じ様に稀人の血を引いている。

その為、悪魔達から自分の身を護る為に、厳しい魔導の訓練を受けていたのだ。

ジョルジュの話によると、ニーナは、詠唱師(ゲサング)と回復系の白魔法(ホーリー)その他に、精神系魔法(ガイスト)の資格も習得しているのだという。

 

「ニーナがレッドグレイブ市(この街)に居る事は間違いない。 頼む17代目。あの子を見つけ出してくれないか? 」

 

報酬は幾らでも払うと言って、ジョルジュが頭を下げる。

しかし、ライドウは応えない。

何かを躊躇っているのか、暫く逡巡した後、徐に口を開いた。

 

「残念だが、私はウオッチャーじゃない。貴方の期待には応えられませんよ。ミスタージョルジュ。 」

 

予想とは反する応えに、隣にいるモリソンが驚いた様子で、悪魔使いを見つめる。

 

「らしくねぇなぁ? 爺さん。 アンタなら簡単に見つけられるだろ? 」

「俺にも出来る事と出来ない事がある。 人探し専門の連中が見つけられないなら、門外漢の俺なんて役に立つ訳がねぇだろ。 」

 

隣に座るダンテをライドウがジロリと睨みつける。

確かに、ライドウは魔導師(マーギア)の資格を全て習得している達人(マイスター)だ。

しかし、彼の専門は悪魔討伐であって、人探しではない。

 

「・・・・私には時間がないのだよ?17代目。 」

 

そんな二人の間をジョルジュが割って入った。

真剣な深い藍色の瞳が、悪魔使いを見つめている。

 

「末期の肝臓癌なんだ。主治医に余命半年と宣告されている。 」

 

思わぬジョルジュの告白に、一同が言葉を失う。

 

病気はかなり進行しており、内臓のあちこちに癌が転移して、最早手の施し様が無いのだそうだ。

 

「見ての通り、パティはまだ幼い。 私の後を継ぐには、信頼できる後見人が必要だ。 その為に、どんな手を使っても構わないからニーナを見つけ出す必要があるのだよ。 」

 

この事実を知る者は、少ない。

マーコフ家の家長、ルチアーノやごく一部の幹部には伝えてあるが、ジョルジュを慕っているフォレスト家の家長代理、テレサには伏せている。

16歳と言う若さで、重責を担う彼女にこれ以上の精神的ストレスを与えたくないという、ジョルジュなりの配慮であった。

 

「・・・・・貴方もご存知だとは思うが、私は”クズノハ”の人間だ。 そんな話をして外部にリークするという危険性を考えなかったのか? 」

「君はそんな事はしないよ。 真面目で融通が利かないのが難点だが、情に脆く、子供に甘い。 特にパティの様な年齢の女の子にはね。 」

 

ジョルジュの意味あり気な言葉に、一瞬だけ、ライドウの双眸が鋭くなる。

 

この男は、悪魔使いの弱味を知っている。

恐らく、今現在、ライドウが置かれている状況も把握済みだろう。

パティをダシに交渉を持ち掛けるとは、随分と良い性格をした糞爺じゃないか。

 

「・・・すまんな・・・本当なら、こんな真似はしたくないんだ。 しかし、私もルッソ家の人間。 誰かを後継者に選ばなければならない。 それは・・・葛葉四家の君なら分かる筈だ。 」

 

ジョルジュは、無理矢理にでもパティを自分の後継者としてルッソ家を継がせる。

右も左も分からない子供が、いきなり毒蛇の巣の中へと放り込まれるのだ。

巨万の富を巡り、パティは大人達に利用される。

そうならない為にも、一番信頼できる母親のニーナが必要であった。

 

「卑怯ですよ・・・そんな事を言われたら、私が断れないのを貴方は知っている。 」

 

唇が切れる程、噛み締め、ライドウは目の前に座るルッソ家の当主を睨みつける。

しかし、そんな悪魔使いに対し、NYの名士は顔色一つ変える様子は無かった。

 

「それでは交渉成立だな。 仕事に必要な経費や前金は、後日支払わせて貰うよ。 」

 

柔和な笑顔は最後まで崩さず、ジョルジュは立ち上がると、振込先を知るため、仲介屋のモリソンに連絡先が書かれた名刺を渡す。

そして、未だソファに座っている幼い少女を振り返り。

 

「今度、二人で夕食でもゆっくりと食べよう。 」

 

とだけ伝え、パティをその場に残したまま、便利屋事務所を後にした。

 

 

 

児童養護施設へと帰るダウンタウンの大通り。

見事なブロンドの髪を持つ少女と、左眼に眼帯をした少年が歩いていた。

 

「ライドウ・・・お母さんの事、探してくれるの? 」

 

頭一つ分高いライドウの顔をパティが心配そうに見上げる。

 

今日は、色々な事がいっぺんに起こって頭の中がぐちゃぐちゃだ。

物心ついた時から、独りぼっちだったパティにとって、祖父と呼ばれるジョルジュの存在は、喜ばしい出来事なのかもしれない。

しかし、隣を歩く暗いライドウの表情を見ると、素直に喜べないでいた。

 

「パティ・・・君は、お母さんに逢いたいかい? 」

 

質問を逆に質問で返され、パティは思わず戸惑ってしまう。

何時にない真剣な表情をするライドウに、少女は思わず下へと俯いた。

 

「会いたい・・・会いたいよ・・・お母さんが生きているなら、会って話がしたい。 」

 

写真の中でしか知らない母親。

無意識に肌身離さず付けている、母親の写真が入ったペンダントを服の上から握り締める。

 

「そっか・・・・そうだよな。 」

 

辛そうなパティの表情を見たライドウは、バツが悪そうに一人、納得する。

 

パティだけではなく、児童養護施設に居る子供達は、両親と共に生活したいと切に願っている。

金銭的な理由で預けられる子、両親からの暴力の為に引き離される子。

そんな様々な理由で、子供達は施設にいる。

 

「・・・パティ、明日お母さんに会いに行こうか? 」

「・・・・っ!? お母さんのいる場所を知っているの?? 」

 

ライドウの思わぬ言葉に、パティは無意識に彼の腕を握る。

震える小さな少女の手を、ライドウは優しく握り返してやった。

 

「ああ・・・でも、一つだけ約束して欲しい。 例えお母さんに会えたとしても、それが決して期待通りの結果になるとは限らないという事だ。 」

「それ・・・・どういう事・・・・? 」

 

ライドウが何を言いたいのか分からない。

そして、何故、今すぐ会わせてくれないのか、その理由も分からない。

 

「お母さんが君と一緒に暮らせないのには、大きな理由がある。 その理由は、お母さんに逢った後で必ず説明する・・・だから、今日は施設で一晩、ゆっくりと休むんだ。良いね? 」

 

パティの目線の高さまで屈んだライドウが、優しく微笑む。

言葉の端々に感じる、パティに対する優しい気遣い。

それを感じ取った金髪の少女は、不承不承、頷くより他に術が無かった。

 

 

未だ納得しないパティを施設に送り届け、便利屋事務所へと戻って来たライドウを待っていたのは、これ以上に無いぐらい不機嫌なダンテであった。

 

「モリソンは? 」

「自分の事務所に帰った・・・・ミスター・ジョルジュと仕事に関して細かい打ち合わせをする為にな。 」

 

何時もの様に大分ご機嫌斜めな銀髪の青年が、長椅子に寝転んだまま、そう応える。

 

ダンテのへそが曲がっている理由は、大体察しが付く。

自分が完全に蚊帳の外に居るのが気に喰わないのだ。

そして、ライドウが探し人であるニーナ・ジェンコ。ルッソの居場所を知っている事も、内心気が付いている。

 

 

「俺に言いたい事があるんじゃないのか? アンタ。 」

 

薄いアイスブルーの瞳が、ジャケットを脱いでハンガーへと吊るすライドウを睨みつける。

 

好い加減、この悪魔使いの秘密主義にはうんざりする。

自分一人だけ納得し、細かい説明は後回し。

ダンテを巻き込まない様に、心配りをしてくれているつもりであるのは分かるが、正直、コッチはストレスが溜まるばかりだ。

 

「ニーナの事か? 確かに、彼女の居場所を知ってはいるが、お前には関係がないだろ? 」

「あるね、俺はアンタの相棒だ。 情報を共有するのは当たり前だろうが。 」

 

ダンテが寝ていた長椅子から起き上がる。

そんな銀髪の大男を他所に、ライドウは熱いコーヒーを飲むためにキッチンへと向かった。

 

「俺はお前の相棒になったつもりは無いんだけどな。 」

 

空のポットに水を入れ、スイッチを押して沸騰させる。

ライドウが、この便利屋事務所に居候する前は、キッチンにはポットどころか調理器具など一切無かった。

毎日、飽きもせずジャンクフードや、何時も贔屓にしている『ボビーの穴蔵』で、適当に飯を済ませていたからだ。

今では、綺麗に清掃されたキッチンで、来客用のコーヒーカップが揃い、冷蔵庫には食材がぎっしりと入っている。

 

「アンタに無くても、俺にはある。 事務所(ここ)に居る以上、アンタは俺のモノだ。 」

 

悪魔使いの背後に立ったダンテが、背の高さを利用して威圧的に見下ろす。

 

大分、子供じみた独占欲。

自分は、ライドウの全てが知りたい。

しかし、この悪魔使いは、自分との距離を一定に保ったまま、それ以上、決して近づこうともしない。

それが、もどかしくて堪らないのだ。

 

「・・・・俺は日本と言う国の所有物だ。 お前のモノじゃない。 」

「あぁ? そりゃ一体どういう意味だ。 」

「そのまんまの意味だ・・・俺は、超国家機関”クズノハ”に所属する召喚術師(サマナー)であり、その命は日本と言う国家に既存している。つまり、国に害する存在を排除し、国の繁栄の為に喜んで命を捧げるって事だ。 」

「ちっ・・・小難しい事をベラベラと・・・そんじゃ、アンタは、国が死ねって言ったら死ぬのかよ? 」

「そうだ。」

 

ポットの中に入っているお湯が沸騰した事を告げる。

ライドウは、背後に立つダンテから視線を外すと、用意していた自分のマグカップに湯を注いだ。

 

「取り敢えず、今日の夜、パティがいる児童養護施設に行く。 俺の推測が正しければ、ニーナもそこに来る筈だ。 」

 

白い湯気を立てるマグカップを片手に、ダンテを押し退け事務所内へと向かう。

挽きたてのコーヒーの香りが、鼻腔をくすぐった。

 

「どうしてそんな事が分かる。 」

「パティの持っているロケットだ。 アレはヒランヤと呼ばれる護符で、中級程度の悪魔を退ける他に、対象者の行動を監視する事も出来る。 」

 

ジョルジュが言う通り、パティの母親は、レッドグレイブ市(この街)に潜んでいる。

非常事態が起こったら、すぐ駆け付けられる様に、護符を通して娘のパティを見守っているのだ。

 

「ニーナは、パティがジョルジュ氏と接触した事を知っている。 すぐにでも娘を連れてこの街から出て行きたいと思っている筈だ。 」

 

砂糖もミルクも入っていない、ブラックのコーヒーを一口啜る。

普通の人なら、苦くてとても飲めたシロモノでは無いが、甘いのが苦手なライドウは、コッチの方が自分に合っている為、好んで飲んでいた。

 

「まるで、パティを孤児院に預けて隠れているのは、父親から逃げているって言い方だな? 」

「・・・・・不思議に思っていたんだ。 何故、魔導師ギルドに名を連ねるKKK団に娘を保護してくれるように頼まなかったのか。 いくら父親との確執が原因で家を出たにしろ、それは自分自身の問題であって、パティには関係が無い。 」

 

両親との問題で、家を出る事は良くある話だ。

しかし、ニーナとパティは一般家庭とは明らかに事情が違う。

類稀な”稀人”の血を持つ為、悪魔達から命を狙われる危険性があるのだ。

ニーナには、夫の存在が全く感じられない。

乳飲み子を抱えたまま、避難出来る場所も無い状態では、自然、父親であるジョルジュを頼るより術が無いのだ。

 

「しかし、どういった訳か、ニーナは父親に助けを求めていない。 余程、父親を憎んでいるのか・・・それとも恐れているのか・・・・まぁ、どちらにしろ、ジョルジュ氏を避けているのは確かだな。 」

「成程、だから今夜中にでも、パティを連れて別の場所に逃げると言いたいんだな。 」

 

ライドウが、態とパティを孤児院に帰したのは、母親のニーナをおびき寄せる為だ。

これで漸く合点がいったが、別の疑問が湧いて来た。

 

「アンタ・・・ニーナを捕まえた後は一体どうするつもりなんだ? 依頼通りにミスター・ジョルジュに引き渡すつもりなのか? 」

「取り敢えず、彼女と話をしてみる。 個人的な我儘でパティを危険に晒すつもりなら、有無を言わせずジョルジュ氏に引き渡す。 だが、もし、他に理由があるのなら・・・・。 」

 

その時は、CSI(超常現象管轄局)に連絡を入れて、アメリカ政府にニーナ親子を保護して貰うつもりであった。

 

 

 

深夜、ダウンタウンにある児童養護施設。

低い垣根を乗り越え、施設内に無断で入る一つの小柄な影。

華奢な体躯をしたその影は、数ある窓の一つを見上げ、思わず溜息を零す。

 

 

「ニーナ・ローエルさん? それとも、ニーナ・ジェンコ・ルッソと呼んだ方が良いですかね? 」

 

突然、背後から声を掛けられ、人影・・・・ニーナ・ジェンコ・ルッソが弾かれた様に振り返る。

彼女の視線の先には、フードを目深に被った左眼に眼帯をしている少年と真紅のロングコートを着た銀髪の青年がいた。

 

「貴方達・・・・父が頼んだ”人探し(ウオッチャー)”ね。 」

 

ニーナは、魔法の様な速さで、銀色に光るナイフ・・・・アセイミナイフを取り出す。

 

「そんなに警戒しないでくれ。 俺達は、アンタ等親子に危害を加えるつもりは無い。」

「父の命令で、私とパティを捕まえに来たんでしょ? 信用何て出来ないわ。 」

 

ライドウの言葉を、ニーナがあっさりと斬って捨てる。

父親譲りの深い藍色の瞳。

余程、実の父親が憎いのか、ニーナは、ナイフを構えたまま一向に警戒心を解こうとしない。

 

「確かに、君が言う通り、俺達はミスター・ジョルジュの依頼で此処に居る。だが、話によっては、君達、親子に協力するつもりだ。 」

「言っている意味が分からないわ。 」

「アンタが親父さんから逃げ回っている理由を教えろと言ってんだ。 話の内容によってはアンタ達親子を俺達で匿ってやるよ。 」

 

鋭く睨むニーナに対し、ダンテが大袈裟に肩を竦める。

この親子を依頼主である祖父のジョルジュに引き渡せば、法外な値段の報酬を手に入れる事が出来る。

しかし、ライドウは素直にジョルジュの依頼を引き受けるつもりは更々無いし、それはダンテも同じであった。

 

「此処だと一目に付いたら拙い。 もし良かったら別の場所で話さないか? 」

 

ライドウの提案に、ニーナは渋々と言った様子で頷く。

この二人を信用して良いのか未だに判断出来ないが、悪魔使いが言う通り、養護施設の関係者に見つかったら、言い訳が出来ないからであった。

 

 

 

「で? 何で私まで巻き込まれなきゃならない訳? 」

 

マンハッタン区北部にあるハーレム地区。

高級プールバーの経営者、フォレスト家、家長代理であるテレサ・ベットフォード・フォレストは、はた迷惑な来客を前に、腕を組んで椅子に座っていた。

 

「君がジョルジュ氏に黙ってニーナを匿っていた事は知っている。 理由までは分からないが、彼女達親子を助けるのに何ら問題は無いと思うんだが? 」

 

テレサが態々用意してくれたVIP専用のボックス席。

その如何にも高級そうな皮張りのソファーに座った悪魔使いが、真向いに座る甘栗色の髪をした美少女をジロリと睨む。

 

「私じゃないわ・・・・私の父さんがこの女の世話を色々としていたのよ。 」

 

テレサが、自分の隣に座るニーナを忌々しそうに見つめる。

 

今から数年前、先代であるジョナサン・ベットフォード・フォレストは、一人の女性をテレサ達が住む屋敷へと連れて来た。

父は、テレサに幼い弟の面倒を見る為に、住み込みで雇ったベビーシッターだと説明した。

甘えたい盛りの時期に母親を失った弟は、ニーナにすぐ懐いたが、テレサは違った。

勘のいい彼女は、父とニーナが男女の関係である事を知っていたのである。

 

「父さんは、住む場所と当面生活する為のお金を渡していた。理由なんて知らないし、父さんが事故で死んだ後、この女がどうしていたのかも知らない。 」

 

実の母親が病死して、それ程間が空いていないのに、父は別の女性と付き合っていた。

その事実が、テレサには受け入れられない。

辛そうな表情で、自分を見つめるニーナの視線から、テレサは態とらしく顔を背けた。

 

「先代のジョナサン氏が、貴女の為に偽造IDと住居、それと仕事も紹介していたという訳ですか。 」

「そうよ・・・あの人は、何も聞かずに私や娘の為に色々と良くしてくれた。 父との問題が解決したらパティを養女としてフォレスト家に迎え入れてくれるとまで言ってくれたの・・・でも・・・。 」

「一年前に不慮の事故で亡くなってしまった。 」

 

ライドウの言葉に、ニーナは無言で頷く。

 

これはあくまで推測の域を出るが、パティの実の父親は、フォレスト家の先代当主、ジョナサン・ベットフォード・フォレストでは無いかもしれない。

ニーナの様子から、相手は何も知らない一般人男性であった可能性がある。

ジョナサンは、それを全て知った上で、彼女の面倒を見ていたのであった。

 

 

「良く、フォレスト家がニーナに手を貸していた事が分かったな? 」

 

それまで、黙って事の成り行きを見ていたダンテが、傍らに座るライドウに小声で言った。

 

「消去法だ。 ニーナが10年近くも父親の目を掻い潜ってレッドグレイブ市(この街)に潜伏するには、それなりのパトロンが必要だからな。 」

 

NY市でも名士として名を轟かせているジョルジュから身を隠し続けるには、かなりの経済力と情報収集力を持つ人物が後ろ盾としていなければならない。

KKK団(クー・クラックス・クラン)の創立メンバーの一人であるマーコフ家の現当主、ルチアーノ・リット・マーコフは、ジョルジュを実の兄と同じ様に慕っている。

そうなると、残るは同じ創立メンバーのフォレスト家という事になる。

 

「・・・・・貴方は、私が父から逃げている理由をもう分かっているんでしょ? 」

 

ニーナが真向いに座る小柄な悪魔使いに視線を向ける。

 

「まぁ、一応はな・・・・。 此処半年間、俺なりに調査した結果、NY市の極一部で時空の歪みを幾つか見つけた。もしかしたら、俺が把握出来ていない場所では、もっと大きな歪みがあるかもしれないけどな。 」

 

ライドウが、度々、ダンテの事務所から姿を消していたのは、何もパティの母親を探す為だけではない。

レッドグレイブ市を中心に広がる時空の歪みを調査又は、修正する目的もあった。

悪魔使いは、腰に下げているガンホルスターから、愛用のGUMPを取り出すと、蝶の羽の様に液晶ディスプレイを展開させる。

幾つかキーボードを押すと、空中にレッドグレイブ市を中心としたNYの地図が、立体映像として浮かび上がった。

 

「この赤い光点は、此処最近に起こった悪魔絡みの事件だ。 それを線で引いていく・・・・。 」

 

慣れた手つきで、空中に展開される立体映像を操作していく。

まず最初に起こった『ローエル家遺産相続事件』、そしてNY近郊にある山岳地帯で起こった『レッドアイ事件』。

その他、悪魔が起こしたであろう小さな事件を線で繋いでいくと、巨大な魔法陣が形成された。

 

「も、もしかしてこれって・・・。 」

「そう、地獄門(ヘルズゲート)だよ。 」

 

ハーレム地区を中心に広がる巨大な法陣。

それは、現世と魔界とを繋ぐ地獄の門であった。

 

「まさか此処最近に起こった悪魔絡みの事件は、全てミスター・ジョルジュが裏で関係してたって言うんじゃねぇだろうな? 」

「さぁな。 これはあくまで俺が独自に調査した事だし、ルッソ家・・・否、KKK団(クー・クラックス・クラン)が関わっているのかまでは、ハッキリと断定出来ない。 」

 

そう言ってライドウが、真向いに座るテレサに一瞥を送る。

途端に、甘栗色の髪をした少女の顔色が、真っ青に変わった。

 

「ちょっと! 私は何も知らないわよ! 変な言い掛かりは止めなさいよネ!! 」

 

思わず立ち上がって、テレサが大声で怒鳴る。

 

勘違いされがちだが、秘密結社(フリーメーソン)は、犯罪組織ではない。

力を持たぬ人間達から、悪魔の脅威を護る役目を負っている。

確かに、中には悪魔の力を利用し、犯罪を犯して利益を得る不届きな輩もいる。

しかし、大半の組織が、人間達の護り手である事は間違いなかった。

 

「君達を疑うつもりは無い。KKK団(クー・クラックス・クラン)は、アメリカの開拓時代から存在する由緒ある組織だ。 」

 

顔を真っ赤にして怒り狂う少女を、ライドウが窘める。

 

KKK団(クー・クラックス・クラン)が設立されたのは、16世紀のルネサンス時代だ。

イタリア人の航海者・クリストファー・コロンブスと共に、彼等の先祖は、アメリカ大陸へと渡り、その魔導の力で、領土拡大に力を貸して来た。

しかし、長い年月を経ると組織の理念は、歪に変わる。

 

「父が・・・・ジョルジュ・ジェンコ・ルッソが何を考えているのか正直、私には分かりません。 ただ、分かるのは、あの人がこれから恐ろしい事をするだろうという事だけです。 」

 

憤懣やるかたなしといった様子で、荒々しく席に座るテレサをニーナが横目で眺める。

 

ニーナの父、ジョルジュはとても厳格な性格で、真面目な人物であった。

先代達が伝える思想と義務を重んじ、組織やNYの市民達を護る為には、己の身を犠牲にしても厭わない。

子であるニーナにもそれを教え、彼女が幼い時から、厳しい魔導の訓練を課して来た。

 

「私は・・・・父が嫌いだった・・・・子供の時は、それが当たり前だと思って魔導の訓練にも耐えていたけど、社会に出て人と違う自分に戸惑い、絶望した。 」

 

ジョルジュは、自分だけではなく、家族にすら犠牲を強いて来た。

ニーナは、社会に出て、自由に生きる同年代の若者達に激しい羨望を抱いたのである。

 

「成程な・・・・躾に厳しい家族に良くある出来事だぜ。 」

 

ダンテには、成人してすぐ家を飛び出したニーナの気持ちが何となく分かる。

物心ついた時から施設暮らしであったダンテは、規則規則で雁字搦めな生活を無理矢理送らされた事がある。

破れば躾と称した暴行。

職員連中から毎日の様に殴り飛ばされ、血塗れになるなど日常茶飯事であった。

 

「・・・・”稀人”である君を護る為だったんだ。 力をコントロールする術を身に付ければ、悪魔から身を隠す事が出来る。 能力が上手く開花出来れば、達人(マイスター)の称号だって夢じゃない。 」

「何だよ?爺さん。 今度はやけにミスター・ジョルジュの肩を持つじゃねぇか。 」

「うるせぇ・・・子を持つ親の気持ち何て、お前にゃ分かんねぇだろ。 」

 

横で軽口を叩くダンテを、ライドウは忌々しそうに睨みつける。

 

ジョルジュは別に犠牲を強いる為に、ニーナに厳しくしていた訳ではない。

組織に従属せよという気持ちが無かったと言えば嘘になるかもしれないが、”稀人”として高い魔法の資質を持つニーナを期待していたのかもしれない。

それは、彼女の愛娘であるパティが、ライドウの作った式神を簡単に操って見せた事からでも分かる。

 

 

「ええ・・・貴方の言う通りかもしれない・・・でも、私は駄目だった。父の期待に応えられなかった。」

 

苦笑を浮かべ、俯くニーナ。

出産し、母親になった今だから分かる。

父、ジョルジュが自分の才能を誰よりも早く見抜いていた事。

達人(マイスター)の称号を得れば、国から手厚く優遇され、CSI(超常現象管轄局)の捜査官どころか、大統領府に務める事も夢ではないのだ。

 

「私は、父から勘当同然で家を飛び出した。 父も、弟のロックがいたから私を家に無理矢理連れ戻す事はしなかった。 」

「つまり、アンタは自分の嫌な事を全部、弟に押し付けたってわけ? 最低。 」

 

椅子の背凭れに寄り掛かり、隣に座るニーナをテレサが心底軽蔑した眼差しで見つめる。

16歳でフォレスト家家長代理という重責を背負わされたテレサにとって、姉の後釜に強制的に座らされた弟が不憫でならなく映ったのだろう。

 

「そうね・・・本当に最低な姉だったわ。 でも、ロックは嫌な顔一つしないどころか、家を出た私を心配して父に隠れて連絡を取ってくれたの。」

 

ニーナの弟、ロック・ジェンコ・ルッソは、温厚で姉想いな人物であった。

何かと父親に反抗的な態度を取る姉と違い、従順で、どんな訓練にも耐える忍耐強さを持っていた。

もしかしたら、姉の様な魔導の素質を持たない事を悔やんでいたのかもしれない。

 

「私は、名前を変えて小さな出版社に就職した。 最初は、慣れない仕事に苦労したけど、ルッソ家に居る時より遥かにマシだった。 どんなに辛くてもちっとも苦にはならなかったわ。 」

 

母方の性を名乗る様になったニーナは、マンハッタンにある会社に就職した。

一般人と同じ、自由を手に入れた彼女は、毎日がバラ色だった。

慣れない仕事に何とか順応し様と努力し、気心が知れた友人や、好きな男性も出来た。

しかし、当時付き合っていた男性の子供を妊娠した事で、彼女は否が応でも過酷な現実を知らされたのである。

 

「娘・・・・パティが、私と同じ体質を持っていた事を知ったのは、妊娠した時でした。 ”稀人”の血を持つせいで、周りに悪魔の姿が見える様になった。 」

 

護符で何とか中級悪魔程度は退ける事が出来るが、それ以上になると幾ら魔導の訓練を積んだ彼女でも対応出来ない。

周りに被害が出るのを恐れ、相手に妊娠した事実を告げる事も、仕事を続ける事も出来なくなってしまった。

日増しに強くなる胎内にいるパティの力。

仕事を辞め、途方に暮れていた彼女を救ったのは、テレサの父、ジョナサン・ベットフォード・フォレストであった。

 

「最初は、父に頼ろうと思ったんです。 でも、私のつまらない意地が父に頭を下げるのを躊躇わせた。 お金も無くなり、生活出来なくなった私をテレサちゃんのお父さんが助けてくれたの。 」

 

恐らく、ニーナの弟、ロックが姉の置かれている現状を知って、ジョナサンに相談したのだろう。

彼女の当時住んでいたアパートに現れたジョナサンは、無事に赤ん坊を出産するまで、自分の屋敷で暮らすと良いと、快く申し出てくれた。

 

「何で、子供が産まれてすぐ家の屋敷から出たの? 子供を養護施設に預ける必要なんて無かったじゃない。 」

 

テレサが疑問に思うのは当然だ。

安全なフォレスト家の屋敷で生活すれば、娘のパティを養護施設に預ける事も無かった筈である。

 

「それ以上、貴女の御父さんに迷惑を掛けたく無かったのよ。 当時は、貴方の御婆様・・・カリーナの死でジョナサンも大変だったし・・・難民達に紛れて、ハーレム地区に入って来たライカン達の対処で忙しかったし・・・。 」

「関係無いわよ! 貴女が急に居なくなって、私やジョセフがどれだけ心配したか分かっているの? 特にジョセフは毎日毎日、貴女の名前を呼んで泣いていたんだからね。 」

 

ニーナの言葉に、テレサが思わず声を荒げる。

辛辣な態度でニーナに接するテレサであるが、その実、彼女も寂しかったのだ。

心根の優しいニーナを、弟のジョセフは母親の様に慕い、テレサも実の姉と同じ様に想っていたのである。

 

「有難う・・・・優しいのね? テレサちゃん。 」

「ば、ばばば馬鹿言わないでよねぇ! 私はアンタの事なんかこれっぽっちも心配してないんだからね! 」

 

顔を真っ赤にして背けるテレサに、ニーナは苦笑を浮かべ、ライドウとダンテは呆れた様子で眺める。

 

「んで? パティを孤児院に預けたアンタは、何時も通りの生活に戻ったのか。 」

「・・・・・ええ、そうよ。 パティと一緒に暮らす為に、一生懸命お金を貯めた。 」

 

ダンテの質問に、ニーナがそう応える。

 

ジョナサンに紹介された仕事に就いた彼女は、身を粉にして働いた。

何時か娘と二人で暮らせる時を夢見て頑張った。

娘との生活に落ち着いたら、心から父、ジョルジュに謝罪する気持ちが生まれるかもしれない。

もし、許されるならば、父に娘の顔を見せてやりたかった。

しかし・・・・・。

 

「ジョナサンが、父には逢うなと・・・・弟のロックが、兵役していた先で死んだ・・・それも、普通の死に方じゃなかった・・・と・・・。 」

 

ある日、いつも通りに仕事を終えたニーナは、住んでいたアパートへと帰宅した。

その時に、ジョナサンが部屋の前で待っており、彼女の弟、ロックが”壁内調査”に志願した事。

上級悪魔が生息する最前線へと送り込まれた事。

そして、救難信号を出したが、本部はそれを受け入れず見殺しにされた事を告げた。

 

「”壁内調査”って、もしかして”シュバルツバース”の事? 」

「しゅば・・・・? 何だ?そりゃ・・・・? 」

 

テレサの聞きなれない言葉に、ダンテが訝し気な表情になる。

 

「知らないのも無理は無いわね。 国連が極秘裏にしている機密事項だもん。 」

 

『シュバルツバース』の存在は、各国にある秘密結社や国の上層部でも極一部の者しか知りえない超機密情報である。

 

今から20数年前、日本にある海上都市・・・『天海市』と呼ばれる場所で悪魔による大規模なバイオハザードが起こった。

国は、陸上自衛隊や米軍基地に要請し、天海市に住む住民を避難。

都市部を分厚い壁で覆った。

一般市民達やマスコミには、天海市にある原子力発電所が事故を起こし、大量の放射能が漏れた為、そこに住む市民達を強制的に退去させたと偽の情報を流した。

しかし、事実は、天海市の二上門と呼ばれる古墳から周囲を破壊・吸収しながら拡大する未知の亜空間が突如出現した事にある。

 

「その亜空間内は、下級から上級までの悪魔が我が物顔で支配していて、とても人間が住める様な状態じゃないって・・・まぁ、私は実際この目で見た訳じゃないから、そこまで詳しく言えないんだけど・・・・・。」

 

そこまで説明したテレサが、ダンテの隣に座る悪魔使いに一瞥を送る。

しかし、当のライドウは真剣な表情で顎に指を当てたまま、微動だにしていなかった。

 

「兎に角、魔導師ギルドに所属している者は、必ず徴兵制度を受ける義務があるの。私の父も悪魔が発生する地区に兵士として1年間就任してたし、ジョルジュ叔父様やルチアーノの糞親父も兵役に服していたわ。そして、多分、私も・・・。 」

 

悪魔が発生している場所は、何も『シュバルツバース』だけではない。

世界各地で”歪み”は存在しており、そこから這い出て来る悪魔による被害は、年々増加の一途をたどっている。

しかし、悪魔に対抗しうる者はそれ程多くない。

近代化し、悪魔の研究が進み、対抗手段が幾つか開発されているとはいえ、慢性的な人手不足である事に違いはないのだ。

故に、魔術師(マーギア)や剣士(ナイト)による徴兵制度は未だに続いている。

 

「テレサちゃん・・・。 」

「そんな顔しないでよ。 フォレスト家を継ぐって決めた時から覚悟はしていたわ。 ロックさんだってルッソ家を護る為に、きっと私と同じ気持ちだった筈よ。 」

 

徴兵を免れる為には、習得した全ての資格を魔導師ギルドに返上しなければならない。

そうなると、当然、家督を継ぐ事は出来ず、最悪、組織から追放されてしまう。

 

「爺さんもそうだったのか? 」

 

ダンテが隣に座る悪魔使いを横目で眺める。

裏社会がこれ程、厳しい世界だとは知らなかった。

徴兵制度等、時代遅れの野蛮な風習ぐらいにしか思っていなかった。

 

「俺は・・・・。 」

「アンタ、本当に何も知らないのね? 17代目・・・ううん、”葛葉四家”やヴァチカンの”13機関(イスカリオテ)”は、常に人類の最前線に立って悪魔と戦っているのよ。 」

 

言い淀むライドウを代弁するかの様に、テレサが横から口を挟んだ。

 

「特に17代目クラスになると、一番過酷な戦地に送り込まれる。 彼等は名を襲名したその直後から、命が尽きる瞬間まで、国に従属する義務があるのよ。 」

 

自由など初めから無い。

悪魔がこの地上から、一匹残らず消え去るまで、ライドウは戦い続ける運命にあるのだ。

 

「そういう事か・・・・・。」

 

今になって初めて、ライドウの言った言葉の意味を理解した。

 

ライドウは常に戦場に立って、人類を護り続けている。

甘ったるい恋愛感情など、語る余裕などある筈が無い。

 

周囲が沈鬱な空気に包まれたその時、突然、VIPルームに光の球体が現れた。

蒼白く光る球体は、テーブルの上に落ちると小さな人型へと変わる。

 

「・・・っ!マベル!! 」

 

球体から姿を現したのは、ライドウの仲魔であるハイピクシーのマベルであった。

何者かに傷を負わされたのか、満身創痍の彼女は、力尽きて、テーブルの上に倒れ伏す。

 

「しっかりしろ! 一体、誰にやられたんだ? 」

 

すぐに主であるライドウが、小さな妖精を大事そうに両手で抱き上げた。

悪魔使いが唱える回復魔法の淡い光が、妖精の躰を優しく包む。

 

「つ・・・・連れて行かれちゃった・・・・ジャン何とかって包帯男に・・・パティが・・・・。 」

 

悔し涙をボロボロと零し、それだけを必死に伝えるマベル。

パティの母親であるニーナの顔色が、真っ青に変わった。

 

 

 

 

マンハッタン、コンコルドホテル。

NY近代美術館とセント・パトリック大聖堂に近い、この超高級ホテルの一室に、見事なブロンドの髪をした10歳未満の少女がベッドで寝ていた。

上質なスプリングが効いたダブルベッドで、パティが規則正しい寝息を繰り返す。

その頬を祖父であるジョルジュが愛おし気に撫でた。

 

「便利屋と言う人種は、薄汚い野良犬集団だとばかり思っていたが・・・・中には、君の様に優秀な人材もいるんだな。 」

 

ダブルベッドに腰掛け、視線を眠る孫から室内の出入り口に立つ包帯の男へと向ける。

包帯の男・・・・ジャン・ダー・ブリンデは、グレーの背広に身を包み、右手には反り返った刀身が特徴的な刀を握っていた。

 

つい数週間前、ふらりとこの街にやって来たこの男は、破竹の勢いで便利屋のトップへと上り詰めた。

客受けも大変良く、どんな仕事に対しても決して「ノー。」とは言わない。

また、金に対してそれ程執着心が無いのか、収入の殆どを『ボビーの穴蔵』に集まる便利屋仲間に振舞う為、彼等からも大変評判が良かった。

 

「少々、やり方が強引過ぎるのでは? 相手はあの”人修羅”だという事を忘れた訳ではないですよね? 」

「分かっている・・・彼の恐ろしさは十分理解しているつもりだよ。 」

 

ジャンの忠告をジョルジュは、軽く受け流す。

 

この少女に手を出せば、17代目・葛葉ライドウが黙ってはいないだろう。

三年前、レッドグレイブ市のスラム一番街で起きた『テメンニグル事件』。

そして、最近ではイギリスの海外領土で起きた『マレット島事件』。

そのどちらも”人修羅”こと17代目・葛葉ライドウが介入し、無事解決している。

特に、『マレット島事件』では、首謀者である四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝・ムンドゥスを討伐し、魔界に再封印したと聞いていた。

 

 

(出来る事なら、彼を私の味方に付けたかったが・・・・恐らく無理だろうな。)

 

孫の健やかな寝顔を眺めつつ、ジョルジュは内心溜息を吐く。

 

一度、彼を見た時から、同志として仲間に引き入れるのは無理だと判断した。

彼は余りにも実直で真面目過ぎる。

理想と崇高な志を抱き、ルッソ家の家督を継いだ若かりし頃の自分自身と同じだ。

 

「予定が急に変更したんだ。 今夜、獲物がジョン・F・ケネディ国際空港に到着する。 テロ対策で極秘裏に此方に来日するそうだ。 」

「・・・・ユリウス・キンナ法王猊下ですか・・・。 」

 

三年前に就任したヴァチカンの最高権力者。

12月24日、キリストの生誕祭を祝うイベントに、ヴァチカンの若き教皇が参加するとマスコミ各社はテレビや雑誌で報道している。

今年、50代半ばを迎えるガーイウス・ユリウス・キンナは、イタリア有数の資産家であり、逼迫した国の財政を見事立て直した事でも有名だ。

ヴァチカンに在住する市民達からの信頼も厚く、歴代教皇の中でも人気が高い。

 

「奴に、息子と同じ苦しみを与えてやる・・・・その為にも、彼の悪魔を早急に手に入れなければな・・・・。 」

 

何も知らず深い眠りへと落ちている金髪の少女。

そんな幼い少女の頬を、暗い顔をした祖父が優しく撫でてやるのであった。

 




レッドグレイブ編もそろそろ終了です。


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チャプター 17

登場人物紹介

射場流・・・ヴァチカン化学技術研究所主任。エキセントリックな性格をしている地上最強の天才科学者。 ライドウとは古くからの知り合い。

ケビン・ブラウン・・・CSI(超常現象管轄局)ニューヨーク支部長。元グリーンベレーの隊員で国から幾つも勲章を授与されている英雄。流が開発したスーツの被験者であり、それが理由で色々と酷い目にあわされる。

アレックス・・・流の研究助手。才色兼備を絵にかいた才女。



「それじゃ、行って来るよ・・・父さん。 」

 

大きなボストンバッグを背負った20代前半の青年が、朗らかな笑みを口元に浮かべて見送る父親に手を振る。

 

父・・・ジョルジュ・ジェンコ・ルッソは、空港へと向かう車に乗り込む息子の背を辛そうに見つめた。

 

各国に点在する魔導師ギルド。

数ある戒律の中に、徴兵令というギルドに属する魔導師(マーギア)や剣士(ナイト)が兵役義務を定めた法令がある。

資格者は、成人すると必ずこの兵役に服さねばならず、免除されるには習得した資格を国に返上しなければならない。

就任期間は、約1年間。

場合によっては、任期が伸びる可能性もある。

 

(何も危険度の高い”日本”に行く必要は無かったのに・・・・。)

 

ジョルジュは、去って行く車を見送りながら、内心唇を噛む。

 

世界各地にあると言われる時空の歪(ひずみ)。

そこから出現する悪魔達は、生きる為に人間達が持つマグネタイトを喰らう。

それを討伐する目的で、各国から能力者が兵士として送り込まれるのだが、近年では、悪魔の研究が進み、対抗手段も幾つか開発されてはいる。

実際、ソレ専門の民間企業も幾つか存在はしているのだ。

しかし、人手不足の問題は一向に解消されない為、強制徴募に近いやり方は未だに続いている。

 

 

「まさか・・・アレが息子(ロック)と交わした最後の言葉になるとはな・・・。」

 

マンハッタンとブルックリンを結ぶ巨大な橋。

その橋を渡る黒塗りの高級車に乗ったジョルジュは、車窓から流れる景色を眺めながら一人呟く。

傍らには、母親譲りの見事な金髪をした愛らしい少女が、ジョルジュの膝を枕にして眠っていた。

 

「もうすぐキンナの野郎を乗せた専用旅客機が、空港に到着する様だぜ。」

 

真向いに座るマーコフ家家長、ルチアーノ・リット・マーコフが、スマホを背広の内ポケットに仕舞うとそう言った。

 

現在、彼等はルチアーノが所有しているブルックリンにある薬品研究所へと向かっている。

表向きは、医薬品や各種サプリメント、栄養機能食品などを開発しているが、裏では悪魔の生態や、その細胞から造り出した人造の怪物等を違法に研究している所だ。

 

「すまんな・・・・お前を巻き込むつもりは無かったんだ。 」

 

真向いに座る頬に大きな傷を持った60代半ばぐらいの男に、ジョルジュは言った。

すると、ルチアーノは大分大袈裟に溜息を吐く。

 

「水臭い事は無しだぜ?兄貴。 アフガニスタンの戦地で交わした約束を忘れたのかよ? 」

 

内ポケットから葉巻が入ったシガーケースを取り出し、一本口に咥える。

愛用のジッポライターで火を点け、薄く開いた車の窓に向かって煙を吐き出した。

 

最も時空の歪(ひずみ)が大きな場所・・・アフガニスタン。

今から40数年前、彼等は、国連の指示により、湾岸の戦地へと送り込まれた。

ルチアーノが20歳、ジョルジュが24歳の時であった。

 

 

「俺が今こうしていられるのも、全部兄貴のお陰だ。 アンタは俺の命の恩人。だから、何処までも付いて行くぜ? 兄貴。 」

 

アフガニスタンでの地獄の様な毎日。

血に飢えた悪魔共と戦い、無事生還出来たのは、目の前にいるジョルジュの功績が大きい。

派遣された仲間達が、誰一人欠ける事無く、生まれ故郷へと帰る事が出来た。

あの感動は、今でも心の奥底で刻み付いている。

 

 

「このミッションが失敗しても成功しても、死ぬ事になるんだぞ? 」

「ハッ! 上等だ。 人生の最後に、どデカイ花火を打ち上げられるんだ。後悔なんてねぇよ。 」

 

ジョルジュの真剣な言葉に、ルチアーノは豪快に笑い飛ばす。

 

言葉の通り、後悔など微塵たりとて感じない。

もう60年以上生きて来たのだ。

後世をテレサの様な若い命に繋げ、老体は見事に花を咲かせて散る。

こんな素晴らしい生き方など、誰一人とて出来る筈がない。

 

 

 

レッドグレイブ市、ダンテの便利屋事務所。

 

テーブルの上に大きな銀のエナメルのアタッシェケースを広げた隻眼の悪魔使いが、中から装備一式を取り出す。

両手にナイフが仕込まれた手甲を付け、特殊な繊維で編まれたジャケットを着る。

腰には、ドワーフが打った魔法のナイフ・・・アセイミナイフを腰のケースへと仕舞い、紅い布で覆われた魔槍・・・”ゲイボルグ”を背負った。

 

 

「まさか、一人で行くつもりじゃねぇよな。 」

 

COMP内に居る仲魔の状態を確認している悪魔使いの背に、呆れた様子の男の声が掛けられた。

 

傷だらけのマベルが、主であるライドウの元へ戻り、パティが祖父であるジョルジュの雇った包帯男の便利屋に連れ去られたと告げて、数時間後。

テレサが経営するマンハッタンの高級プールバーを急いで出て、レッドグレイブ市にある便利屋事務所へと戻った。

連れ去られたパティを取り戻す為、装備を整えに来たのである。

因みに、母親のニーナはテレサに護衛を頼み、プールバーに残している。

 

「お前は、テレサの店に戻って彼女と一緒にニーナを護れ。母親もパティと同じ”稀人”だ。祖父のジョルジュに狙われないという保証はない。 」

 

呪術帯で口元と左目を覆ったライドウが、背後に立つダンテを振り返る。

まるで射殺さんばかりの鋭い表情。

ダンテが一瞬、息を呑む。

 

「ふざけんな。 俺も一緒に行くぜ。 」

「駄目だ。 これは今迄の悪魔退治とは違う。 相手は、お前と同じ人間なんだぞ。 」

 

銀髪の青年を押し退け、悪魔使いが出入り口へと向かう。

その細い腕をダンテが、有無を言わせず掴んだ。

 

「俺はアンタの相棒だ。 爺さん一人だけ危険な所に行かせる訳にはいかねぇよ。 」

「離せ! 俺はお前を相棒にした覚えはない! 」

 

掴むダンテの手を乱暴に振り払おうとする。

しかし、その腕は意外に強く、ライドウの力では中々振り払えない。

 

「さっきも言ったと思うが、アンタは俺のモノだ。 俺の知らない所で死なれちゃ困るんだよ。 」

「お前・・・・本当に何も分かっていないんだな・・・。 」

 

常になく真剣なダンテに、ライドウは大袈裟に溜息を吐く。

これから戦う相手は、正真正銘の人間だ。

しかも、自分と同じ様に魔導に精通し、悪魔を使役する能力を持っている。

力で押し切る単純な悪魔とは訳が違うのだ。

そして、この男が、『殺し』に対して、ある種の嫌悪感を持っている事を知っている。

そんな甘ちゃんを相棒として連れて行く程、ライドウはお人好しではない。

 

 

「ルッソ家の家長、ジョルジュは、俺と同じSS級(だぶるえす)の召喚術師だ。 しかも剣士(ナイト)の最高役職、剣豪(シュバリエーレ)の称号を持っている。俺でもまともに戦って勝てるかどうか分からない相手なんだぞ。 」

 

KKK団(クー・クラックス・クラン)の創立メンバー三家の一つ、ルッソ家の家長、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソは、闇社会でもかなり有名な人物だ。

 

今から40年前、イランとアフガニスタンの国境沿いで、邪龍ベヒーモスが出現した。

数ある邪龍の種族でも最高位に位置するドラゴンである。

イラン政府は国連に救援を要請、すぐに徴兵令で搔き集められた剣士(ナイト)と魔導士(マーギア)の部隊が派遣された。

その中に、若かりしジョルジュとルチアーノの二人がいたのである。

 

「だったら、余計に助っ人が必要だろ。」

 

そんな手強い強敵ならば、当然、ライドウ一人だけでは無理だ。

しかも、今のライドウは番を失い、本来の力が出せない。

 

「・・・・お前を連れて行っても足手纏いになるだけだ。余計な手枷は付けたくない。 」

「何だと? 」

「そのまんまの意味だ。 甘ちゃんの坊やは大人しく留守番していろ。 」

 

この男に『殺し』は出来ない。

暗殺者(アサシン)としての長年の勘が、そう告げている。

凄まじい殺気を宿す隻眼に睨まれ、流石のダンテも気圧される。

掴んでいた男の手が緩んだのを見計らって、ライドウが乱暴に振り解いた。

 

 

『いい加減にせんか・・・17代目。 』

 

その時、腰に吊るしていたガンホルスターに収まるGUMPが明滅した。

光の粒子がGUMPから漏れ出し、巨大な獣へと姿を変える。

ライドウの御目付け役兼指南役、魔獣・ケルベロスだ。

 

「まったく・・・下らん事に拘(こだわ)りおって・・・志郎の様にこの男を失うのがそんなに怖いのか? 」

「・・・っ、お袋さん。 」

 

一番痛い所を突かれて、ライドウが言葉を詰まらせる。

そんな悪魔使いにケルベロスは、溜息を零す。

 

「ダンテを連れて行け・・・・今のお前には必要な男だ。 」

「・・・・断る。 いくらお袋さんの命令でもそれだけは聞けない。 」

「ライドウ・・・あの娘は、お前の子供では無いぞ。 」

 

この魔獣は、ライドウの内心を全て見透かしている。

下手な言い訳など通用する筈が無い。

 

「今のお前は冷静な判断力を欠いている。 この男ならお前を止める役目として申し分ないだろう。 」

 

ケルベロスが背後に立つ銀髪の青年を振り返る。

 

ライドウは、自分の子供とパティを重ね合わせていた。

膨大な魔力と優れた霊力、そして”稀人”としての特殊な力。

パティは、今現在、組織に人質として取られている娘の”ハル”と非常に似ている。

それ故、ライドウは与えられなかった自分の子供への愛情を、パティ・ローエルと言う少女に与えているのだ。

 

 

 

同時刻、マンハッタン市街地、フォレスト家が経営する高級プールバー。

 

ボロボロになった仲魔の報告で、児童養護施設に居たパティが、彼女の祖父、ジョルジュの雇った包帯男の便利屋に連れ去られたと報告を受けたライドウ達は、慌しくテレサの店を出て行った。

テレサも部下であるアイザック達に腕の立つ連中を至急、この店に搔き集める様指示を出す。

パティの実母、ニーナ・ジェンコ・ルッソを護る為だ。

忽(たちま)ち、喧噪へと包まれる店内。

closedの看板を店に出し、地下の隠し部屋から武器を取り出した男達が、店の中を走り回る。

 

 

「ごめんね・・・・テレサちゃん。 」

「アンタのせいじゃないわ・・・・謝る必要なんて無いわよ。 」

 

S&W、M&P9シールドにマガジンを装填し、スライドを引くテレサは、俯いたまま椅子に座るニーナを横目で眺めた。

 

今回の事件は、ニーナの父、ジョルジュが引き起こしたものだ。

彼女達は、完全な被害者。

責められるいわれはない。

 

「私も・・・もっとあの二人の動向を気にするべきだった・・・・法王庁の例の指令を受けて一番、反発したのはルチアーノの奴だけだった・・・ジョルジュ叔父様は私の父さんと同じ穏健派だとばかり思ってた・・・・それが、全ての間違いだったのよ。 」

 

法王庁の指令・・・それは、各国に存在する秘密結社(フリーメーソン)の武装放棄であった。

法王庁(ヴァチカン)は、各国で秘密裏に活動する秘密結社(フリーメーソン)の存在を危険視し、急遽、縮小する様に命令をして来たのである。

当然、各国の秘密結社は猛反発した。

特に、ドイツとヨーロッパを支配下に置いている薔薇十字結社(ローゼンクロイツ)とイタリアの巨大マフィア組織、コーサ・ノストラの怒りは凄まじかった。

何も知らない世間知らずの若き法王が何をほざいていやがるっと、歯を剥き出しにして怒りを露わにしている。

今も尚、境界線を挟んで睨み合いの膠着状態は続いていた。

 

 

「父さんは、アンタと同じ様な性格だった。 唯一違うのは、御婆様の言いなりだっただけ・・・アンタみたいに家を飛び出す勇気が無かった。 私やジョセフに対する愛情もそれ程無かった・・・・仕方ないよね? 母さんと結婚したのは、御婆様の命令だったんだもん。 」

 

ハンドガンを脇のガンホルスターへと収め、テレサは遠い過去を思い出す。

 

テレサとジョセフの父、ジョナサン・ベットフォード・フォレストという人物は、典型的な事勿(ことなか)れ主義者であった。

面倒な事や揉め事を嫌い、困難な事態に直面するとすぐに母親であるカリーナに泣きついた。

フォレスト家が持つ事業の経営を全て母親に押し付け、自分は下っ端と同じ仕事を好んでやった。

変わり者、と言ってしまえばそれまでだが、その姿勢が、下で働く者達に好感を持たれたのは言うまでもない。

カリーナも、それを知っていて敢えて息子に何も言わなかった。

テレサとジョナサンの母親を選んだのも、上に立って指示を出す事を嫌う息子を支える為だった。

気が強く、芯がしっかりと通った女性を選んだ。

自分が居なくなった後を考えて、カリーナがジョナサンに無理矢理当てがった。

しかし、ジョセフを出産後、母親は病で倒れ、回復する兆しを見せないまま他界。

その後を追う様にして、祖母のカリーナもこの世を去った。

 

「御婆様は、最後まで父さんの事を心配してた・・・孫の私やジョセフ・・・叔母のメアリーの名前なんて一度も出なかった。 御婆様の最後の言葉が、ジョナサンを助けてフォレスト家を護れ・・・・本当、メアリーの奴が家名を捨てて、フリーの狩人(ハンター)になった気持ちが良く判るわ。 」

 

テレサにとって、フォレスト家は重い十字架だ。

レディーみたいに兄を溺愛する母親に嫌気が刺して、家を出てしまう事が出来たらどんなに清々しいだろう。

しかし、彼女にはそれが出来ない。

フォレスト家は、先代達が築き上げた名誉ある歴史がある。

 

「・・・・テレサちゃん。 」

「でも、捨てちゃ駄目なの・・・私達の代で終わらせちゃ駄目なの・・・・私がしっかりしてフォレスト家・・・ううん、KKK団(クー・クラックス・クラン)を護り通さないと、このNY(まち)を護る為に命を懸けて来た先代達に申し訳がない。 」

 

店内では、武器を確認している部下達がいる。

彼等は、皆、亜人として人間達から迫害され、生き場を失った者達だ。

世間知らずでお人好しな父、ジョナサンが、そんな彼等を保護し、住む場所と生きる糧を与えた。

今迄散々家族に迷惑を掛けた父親だったが、心優しい彼を何故か憎めない。

テレサ自身も家族を顧みない父親に辟易していても、本気で嫌う事が出来なかった。

 

 

「そういう意地っ張りな所、死んだ母さんにそっくり。 」

 

聞き覚えのある声に、テレサは俯いていた顔を上げる。

見ると店の出入り口を背に、叔母のメアリーこと女悪魔狩人のレディが立っていた。

 

「メアリー? 何でアンタが此処に居るのよ? 」

「ディンゴから連絡が入ったの。 ジョルジュさんがこの街で異界の扉を開こうとしてる。 頼むからそれを阻止するのに手を貸してくれってね。 」

 

背に単発式ロケットランチャーを背負い、腰にはマガジンケース、両脚に装着されたレッグホルスターには、ハンドガンが収まっている。

完全武装したレディは、苦笑いを浮かべると大袈裟に肩を竦めた。

 

「ディンゴの奴・・・・余計な事を・・・・。 」

 

此処には居ない秘書兼用心棒に、テレサは忌々しそうに舌打ちする。

 

「あまり彼を責めないで・・・貴女やジョセフの事を誰よりも心配しているのよ? 」

 

現在、別件で仕事をしていたディンゴは、緊急招集をかけて仲間を集めている。

揃い次第、すぐにでも此方の店に駆け付けるだろう。

因みに、テレサの弟ジョセフは、自宅の屋敷に居る。

 

「それで? パティを連れ去ったジョルジュの居場所は分かっているの? 」

「・・・・工業地帯のあるブルックリン区よ。 あそこにはルチアーノが所有している薬品研究所がある。 噂だと捕獲した悪魔をそこに連れて行って生体研究の材料にしてるって言われてるわ。 」

 

仕方なしに、テレサが知っている情報を叔母に告げる。

 

ライドウは、自分の身を護る術としてパティに式神・・・”シキオウジ”を渡している。

普段は、護符を折って作った紙人形なのだが、術師の意思に従って本来の悪魔の姿へと戻る。

就寝する時も食事の時も、肌身離さず持つ様教えている為、パティは片時も離さずこの人形を持っていた。

そのお陰で、GUMPに内蔵されているエネミーソナーで、誘拐された少女の位置を特定出来たのである。

 

 

「まさかとは思うけど、アンタもそこに行くの? 」

「勿論、貴女の秘書から多額の依頼料を貰っているからね。 料金分はきっちりと働くつもりよ? 」

 

姪の言葉にレディが軽口で応える。

しかし、彼女も腐ってもフォレスト家の人間。

父親同様、NY市を護る為に命を懸けるだろう事は、テレサ自身が一番良く理解している。

 

「何で・・・・父さんや御婆様を憎んでいるんじゃないの? 」

 

今迄、内に秘めていた疑問を吐露する。

 

フォレスト家の中でも、レディ・・・メアリーの扱いは余りにも不遇だった。

実兄と違い、魔法の才能が無い彼女に対し、母カリーナの態度は冷たかった。

せめてフォレスト家の役に立てと、幼い時から厳しい戦闘訓練をさせてきた。

同年代の少女達が、ショッピングや遊びで夢中になっている時、メアリーは組織を運営する経営学と各種格闘技、武器の扱いを教え込まれた。

全ては、兄、ジョナサンを支え護る為である。

凡庸な兄が原因で、彼女は人生で一番楽しい時期を失ってしまったのだ。

 

「そうねぇ・・・確かに最初は、兄さんや母さんを激しく憎んだ。 現に兄さんが私に助けを求めて来た時、私は追い返してやったわ。 フォレスト家を捨てた人間に頼るな。私の協力が欲しかったら金を払えってね・・・。 」

 

徴兵令により、中央アフリカで一般兵として派遣されていたレディは、1年間の兵役を終了させ、母国へと帰還した。

しかし、彼女を待っていたのは義理の姉と実母の死であった。

母の葬儀後、自分を縛り付けていた枷が外れたレディは、当然、家名を捨て自由の身になろうとした。

それを、実兄のジョナサンが必死に引き留めた。

 

今迄、母がしてきた事は確かに酷い行いだった。

だが、その母親はもういない。

これからは、兄妹で一緒にフォレスト家を護って行こう。

そう言って、兄は妹を説得しようとした。

しかし・・・・。

 

 

「いい加減にしてよね?兄さん。 姉さんと母さんが居なくなったら、今度は私に頼る訳? 貴方、それでも由緒あるフォレスト家の男子なの? 」

「メアリー・・・僕は別にそう言った意味で言った訳じゃ・・・。 」

「もう沢山、兄さんは何時もそう。 そうやって人に自分の尻を拭わせるだけ・・・私は兄さんの保護者じゃない。 これからは、自分の思い通りに生きる事にしたの。 」

 

眉を八の字に寄せ、今にも泣き出してしまいそうな情けない兄を、大分、冷めた表情で妹が見つめる。

実の事をいうと、メアリーとジョナサンは本当の兄弟ではない。

彼女達の父、先代フォレスト家の当主が孤児だったメアリーを里親として引き取ったのだ。

若くして先代当主は、病死してしまったが、母・カリーナが言うには、兄・ジョナサン同様、お人好しで面倒事が嫌いな質だったらしい。

父親の一番悪い所を、兄・ジョナサンは全て引き継いでしまったのだ。

 

 

「メアリー・・・・・。 」

「その名前で呼ぶのも止めて頂戴。 私の名前はレディ、メアリーなんて名前の女はもうこの世の何処にもいないのよ。 」

 

そんな捨て台詞を残して、レディはフォレスト家を出て行った。

そして、それがこの兄妹の最後の会話となったのである。

 

 

「今から考えると、もっと兄さんの話を聞いてあげるべきだったわね。 あの時から、兄さんはジョルジュさんの危険性を感じ取っていたのかもしれない。 」

 

きっと兄は、これから起こるであろう悲劇を自分と一緒に止めて欲しかったのかもしれない。

だが、そんな兄の気持ちを汲み取れず、一方的に齟齬にしてしまったのは、レディ自身だ。

 

 

 

NY市に置かれた行政上の5つの区の一つ・・・・ブルックリン区。

イースト川、ニューヨーク港、大西洋に囲まれたクィーンズ区と接するこの場所は、全米で3番目に人口が多い都市として知られている。

そのブルックリン区へと続く大きな橋を一台の紅い乗用車が走っていた。

 

「何時までへそを曲げているつもりなんだ? 爺さん。 」

 

車内の重苦しい空気に耐えられず、ダンテが隣の助手席に座る悪魔使いをルームミラー越しで眺める。

口元と左目を呪術帯で多い、フードを目深に被った悪魔使いは、そんな便利屋の言葉を完全に無視していた。

無言で平らに流れていく都心を眺め、一言も喋らない。

 

(ちっ・・・・またコレかよ。)

 

ライドウに無視されるのは、別にこれが初めてじゃない。

この悪魔使いは、自分の立場が悪くなったり、機嫌を損ねると途端に無言になってしまうのだ。

酷い時になると、一日中何も言葉を発しない時がある。

そういう場合は、下手に拘わらず、放置するのが一番なのだが、今の状況ではそうもいかない。

 

今から数時間前、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソに連れ去られたパティ・ローエルを救出する為、ライドウは一人で彼等の拠点であるルチアーノ所有の薬品研究所へと向かおうとした。

それを止めたのが、お目付け役兼指南役の魔獣・ケルベロスだ。

暴走するライドウを諫め、ダンテに同伴する様命令してきた。

当初は、それを断ったライドウであるが、剣の師であるケルベロスの命令には逆らえず、こうして不本意ながらも仕方なく連れて行く事になった。

そして30分以上も、無言を通している。

 

「爺さん・・・。 」

「・・・・ブルックリン区に入ったら左折して車を止めろ。 テレサの用心棒がそこで待ってる。 」

「あぁ? 何で嬢ちゃんの用心棒がそこに居るって分かるんだよ。 」

「ラインで連絡が入ったからだよ。 」

 

ダンテが運転している傍らで、ライドウはずっとスマートフォンで誰かと連絡を取り合っていたらしい。

ラインの相手は、テレサの秘書兼用心棒のディンゴで、彼が選んだ数名の精鋭達と一緒に橋を渡った先の広場で、ライドウ達の到着を待っているとの事であった。

 

「頼むから、その自分ルールどうにかしてくれねぇかな? アンタと仕事をするのに邪魔で仕方がねぇんだけど。 」

「嫌なら今すぐ此処で降ろせ。 俺は、別にお前と一緒に仕事をするつもりはないからな。 」

「俺に喧嘩を売っているつもりなのか? 爺さん。 」

 

掌サイズのスマホをウェストポシェットに仕舞うライドウを、ダンテがジロリと睨む。

 

この悪魔使いが、態と神経を逆撫でしている言動を吐いているのは、良く理解している。

彼は未だに納得していないのだ。

”お袋さん”が自分を止める役目に、ダンテを選んだ事を。

 

「言っとくが俺を怒らせる様な事をしても無駄だぜ? どんな事があっても、この件から降りるつもりはねぇからな。 」

「・・・・・お前に、バージルと同じ道を辿って欲しくない。 」

「また、糞兄貴の話かよ・・・いい加減、うんざりなんだけどな。 」

 

 

何時もの説教タイムが始まり、ダンテはハンドルを握ったまま大袈裟に肩を竦める。

 

悪魔絡みの仕事で無茶をやらかすと、ライドウは決まって彼の双子の兄であるバージルの名前を出した。

実の父、スパーダの強大な力に憧れ、選民思想が強かった母・エヴァの影響を多分に受けた兄・バージル。

完全無欠な悪魔になる事を願うが、それを元”ファントムソサエティ”のダークサマナー・・・シド・デイヴィスに利用され、挙句、四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝・ムンドゥスの手駒へと改造された。

力の信奉者となった兄の、哀れな最後である。

 

 

「何度でも言うけどな・・・俺とバージルは違う。 兄貴の様には絶対ならない。 」

「・・・・。 」

「俺から言わせれば、一番無茶をしているのはアンタだ。 三年前の事件や半年前に起こったマレット島でも、アンタは何度も死に掛けただろ? 」

「・・・・・。 」

「おまけに大事な事は何一つ話してもくれねぇ。 全部自分一人でしょい込んで、無かった事にしようとする。 アンタに付き纏うおかっぱ野郎とか、包帯野郎とか・・・それとその蟲もな。 」

 

今迄、溜めに溜め込んだ鬱憤を一気に吐き出す。

 

悪魔と拘わってもロクな事にならない。

護る筈の人間達の汚い内面ばかり、嫌と言う程見せられる。

そんな事、この悪魔使いに言われずとも骨身に染みて良く判っていた。

伊達に荒事師として、何年間もこの街で過ごして来た訳ではないのだ。

 

「俺の事はどうでも良いだろ。 」

「良くねぇ! 勝ち逃げで死なれちゃコッチが困る! 」

 

橋を渡り切り、左折した所ですぐ車を乱暴に停める。

ダンテは、鋭い視線を助手席に座るライドウへと向けた。

 

「自慢じゃねぇがな・・・・俺は、喧嘩で一度も負けた事がねぇ。 」

「・・・・・。 」

「親父の・・・・スパーダの血のお陰で、連戦連勝負け知らず・・・裏社会でも一目置かれるぐらいの荒事師になれた・・・アンタに出会うまではな・・・。」

「・・・・・。 」

「三年前、アンタが俺の目の前に現れて、地の底まで叩きのめされた。 素手のアンタに俺は手も足も出なかった。 絶望って言葉を始めて知ったよ。 」

 

そう、惚れた腫れたの感情だけで、ダンテはライドウを束縛している訳ではない。

 

実父・スパーダの持つ悪魔の力のお陰で、常人より遥かに優れた生命力と膂力を持つダンテは、当然、人間達の裏社会で頭角を現す事が出来た。

レッドグレイブ市で便利屋を始め、それまで我が物顔でのさばっていたマフィアの古株達をぶちのめし、トップクラスの便利屋として君臨してきた。

向かう所敵なし、悪魔達からも恐れられる男・・・・それがダンテだった。

しかし、そんな彼の矜持を粉々に砕く存在が現れた。

日本という小さな島国から来た、悪魔使いとその従者だった。

圧倒的な実力差で、従者・・・・クー・フーリンに敗れ、自分の愛刀”リベリオン”を心臓に突き立てられた。

己の体内に流れる悪魔の血のお陰で、何とか無事だったが、次は主である悪魔使いに完膚なきまで叩きのめされた。

しかも、何も武器を持たない素手の相手にだ。

 

 

「負けっぱなしは俺の性には合わねぇからな。 何時かアンタを倒す。 正々堂々と真正面からアンタに喧嘩を売って、勝ってやる。 」

 

ダンテにとってライドウは、目指すべき指針であり、そして、越えなければならない壁だ。

そこまでの道程は決して楽では無いだろう。

しかし、鍛錬を重ね、経験を積んで行けば必ずこの悪魔使いに勝てる自信はある。

 

「だからアンタは死なせねぇ。 その下らねぇ自殺願望を俺がどうにかしてやる。 」

「自殺・・・・? 俺が・・・・・? 」

「違うか? アンタの今迄の行動を見てると、死に場所を求めてるって感じだったぜ? 」

 

見つめ合う黒曜石の隻眼と薄いブルーの双眸。

 

死ねば、全ての重責から逃れられる。

17代目、葛葉ライドウとしての役目も、妻や友への贖罪も・・・・子供達への深謝も、全てのしがらみからも解放される。

そんな20数年以上も抱き続けて来た想いを、この若造に見抜かれていた。

 

ライドウは、ダンテから視線を外すと下へと俯く。

ダンテも一つ溜息を零すと、テレサの秘書であるディンゴとの合流場所へと向かうべく止めていたエンジンを掛けた。

 

 

 

ダンテとライドウが指定された立体駐車場に到着すると、そこにテレサの秘書であるディンゴと見知らぬ人間達がいた。

 

「・・・・・っ、ケビン? 」

「久し振りだな? ナナシ・・・おっと、今は17代目・葛葉ライドウだったな。 」

 

ディンゴの隣に立っている黒ずくめの男が、態とらしく肩を竦める。

 

年の頃は、50代ぐらいだろうか、茶色の髪には白いモノが混じり、顔には深い皺が刻まれている。

しかし、肉体は鍛え上げられ、がっしりとした体躯をしていた。

 

「北アメリカの掃討作戦以来だったから・・・・もう20年以上になるのか・・・当時と全く変わらんな? 君は・・・。 」

 

ケビンと呼ばれた男は、上から下まで無遠慮にライドウを眺める。

呪術帯で顔の殆どを隠しているライドウは、大袈裟に溜息を吐いた。

 

「そういうアンタは随分と爺になったな・・・・グリーンベレーから海兵隊に移籍後、大将まで上り詰めて、デスクワークでもしてるんだとばかり思っていたんだが。 」

「ハハッ、俺は根っからの人殺しだ。 ドンパチ出来ない人生なんてつまらなくて仕方がない。 」

 

壮年の男は、そう言って豪快に笑う。

傍らにいるディンゴと男の後ろに控えている部下らしい黒づくめの捜査官達が、大分白けた表情で、このやり取りを眺めていた。

 

「今はCSI(超常現象管轄局)の支部長(Branch chief)を任されてる。 毎日、悪魔を追い掛け回しているよ。 」

「大将の椅子を蹴ったっていうのか? やっぱり変わり者だな? アンタ。 」

 

グリーンベレーでの功績を称えられ、国から数えられない程の勲章を与えられた男だ。

そんな英雄が、格下のCSI(超常現象管轄局)のNY支部にいるなんて、想像も出来なかった。

 

「爺さんの知り合いか? 」

 

それまで黙って二人のやり取りを聞いていたダンテが、我慢出来ずに声を掛けて来た。

 

「ああ、俺が”クズノハ”に入って初めての単独任務の時に色々と世話になった。 」

 

ダンテの問いかけにライドウが素直に応えてやる。

 

今から丁度、23年前。

北アメリカで中級悪魔のオーガが大量発生する事件が起こった。

中級の中でもオーガは、別格とも言える程の強さを誇り、中には魔王クラスに匹敵する程の力を持つ特殊個体も居る。

その特殊個体と通常個体、数十頭が、数万匹にも及ぶゴブリンの群を引き連れ、アメリカ合衆国とカナダの国境付近に出現したのだ。

当時は、悪魔掃討専門の国連軍1個師団が派遣されたが、瞬く間に壊滅。

事態を重く見た各国の政府首脳が、日本の超国家機関『クズノハ』とアメリカの特殊部隊『グリーンベレー』に討伐指令を要請した。

その時の総司令官が、今目の前にいるケビン・ブラウンその人であったのだ。

 

 

「一連の事件は、フォレスト家の方から聞いている。 まぁ、その前に俺達も内密にルッソ家とマーコフ家に探りは入れてたんだけどな。 」

 

ケビンは、少し離れた所で控えているテレサの秘書、ライカンスロープのディンゴとその部下である数名の男達に視線を送った。

 

「新法王陛下の法令が、事件の動機か・・・・・? 」

「それもあるだろうが、一番の原因は・・・・。 」

「ロック・ジェンコ・ルッソの死・・・・か・・・・・。 」

 

何故か言い淀むケビンの代わりに、ライドウが応えてやる。

少々、驚いた様子のCSI支部長が、小柄な悪魔使いを振り返った。

 

「やはりと思ったが・・・・まさかお前さん、ジョルジュ氏の御子息と何か関係があるのか・・・・? 」

「・・・・・事件当時、俺もそこに居た。 救援要請があったのを知って急いで現場に駆け付けたが、全てが遅すぎた。 」

 

当時の事を思い出すのも嫌なのか、ライドウは呪術帯で覆われた相貌を嫌悪感で歪める。

 

数年前、内壁調査へと入ったロックが所属する部隊は、中級から上級を含む悪魔の群に襲撃された。

すぐさま、救援要請の無線を飛ばしたが、何故か西駐屯地は応答せず、結局、ロックの部隊は一人残らず悪魔に惨殺された。

 

 

「もっと注意するべきだった・・・13機関(イスカリオテ)が居た時点で、こうなる事は判っていた筈だ・・・・俺が甘すぎたんだ。 」

 

否、もう少し早く現場に到着していれば、誰か一人ぐらいは助けることが出来たかもしれない。

やるせない想いに、爪が肉に喰いこむ程、拳を握り締める。

 

「そうやって自分を責める所は変わらんな。 何もかもしょい込んじまうのはお前さんの悪い癖だ。 」

 

ケビンは、深い溜息を吐き出すと、ライドウの背後にいるダンテに視線を向ける。

 

「ご主人様は、こういう性格だ。 君も大分苦労しているだろうな? 」

「いや・・・・俺は・・・・。 」

「コイツは、番じゃない。 俺が居候している便利屋事務所の店主(オーナー)だ。 」

 

話を急に振られ、応対に困るダンテの代わりに、ライドウが素っ気なく応える。

 

「番じゃないのか? これだけの魔力の持ち主なのに・・・・勿体ない事をしているな。 」

 

流石は、CSI(超常現象管轄局)の支部長を任されているだけはあり、ケビンはあっさりとダンテの潜在能力を見抜いていた。

 

ライドウは、典型的な魔力特化型の悪魔召喚術師である。

それ故、優秀な能力と膨大な魔力を持つ番を欲しがるのだ。

しかし、この17代目という男は、素質よりも人間性を重視する傾向にある。

並み以下の能力しかない相手でも、性格が真面目で向上心があれば、喜んで番にした。

現に、ケビンが初めて出会った当時は、凡庸な能力しかない銃剣使い(ベヨネッタ)を番にしていた。

 

 

「そんな下らない事より、早くパティを助け出さないと。 法王猊下がケネディ国際空港に到着するまで後数時間もない。 」

 

苛々とした様子で、ライドウが目の前にいるケビンを睨みつける。

そんな悪魔使いに、CSI支部長は大袈裟に肩を竦めた。

 

「全てお見通しと言う訳か・・・・一応、ケネディ国際空港には、俺の部下と国に要請した特殊部隊が向かっている。 まぁ、猊下には13機関(イスカリオテ)の変態共がいるから大丈夫だと思うが。 」

 

13機関(イスカリオテ)の悪名は、アメリカ政府どころか各国にも知れ渡っている。

 

13人の使徒から成り立ち、1等級騎士(パラディン)からはては、世界に名を轟かせるテロリストまでいるのだ。

人間の命よりも、聖務を重んじ、悪魔を討伐する為ならば、一般市民等虫けらに等しいとすら思える扱いをする。

3年前、レッドグレイブ市1番通りのスラムに住む住民達を、発生した悪魔諸共空爆して皆殺しにしたのが良い例だった。

 

「相手は、あの羊飼い(シェパード)だ。 何をしてくるか分からないぞ? 」

「だよなぁ・・・・俺が奴さんを内偵していたのも把握済みだろう。 そしてお前さんの存在もな。 」

 

思案気に顎に指を当てたケビンが、小柄な悪魔使いに一瞥を送る。

 

「羊飼い(シェパード)・・・・? 」

 

聞きなれない言葉に、ダンテがオウム返しに言ったその時だった。

一同が居る地下駐車場内に、エンジン音が轟き、背に厳つい砲台を積んだ装甲車両が現れる。

外装に描かれた槌と雷のエンブレムを見た瞬間、ライドウとダンテの表情が険しくなった。

 

 

「お・ま・た・せ♡ 」

 

対悪魔用の特殊チタニウムで出来たメタリックな光沢を持つ装甲車両から降り立ったのは、瓶底眼鏡のアジア系の男・・・・・ヴァチカン科学技術部主任、射場流だった。

対悪魔用の装甲服に身を包む兵士達、数名を従えて、朗らかな笑みを口元に浮かべ、手を振りながら此方へと近づいて来る。

 

「一体どういう事だか説明して欲しいんだがな? 」

「すまん・・・・言えば、お前さんが絶対嫌がるのは分かっていたから話せなかった。 」

 

鋭い眼光で此方を睨むライドウに、ケビンがわざとらしく顔を背ける。

 

ケビンも本音を言えば、13機関(イスカリオテ)がこの件に介入して来る事を良しとは思っていなかった。

出来る事なら、17代目と共に成るべく被害を最小限に留めた状態で、首謀者であるジョルジュとルチアーノの身柄を確保したかった。

 

 

「わぁ♡ ライドウ君!久し振りぃ! 」

 

三年振りに再会した友人に、流は思い切り抱き着く。

激しすぎるスキンシップに、ライドウは一瞬対応が出来ず固まってしまう。

 

「マー君から話は聞いたよぉ? また大怪我したんだってね? 君は無茶ばっかりするから親友の僕としては、非常に心配だぞぉ? 」

「分かった!分かったから離せ!それと顔が近い!! 」

 

緊迫した状況からの、気が抜け捲る寸劇。

白ける一同を他所に、流は尚も抱擁を繰り返す。

 

カチリ・・・・。

 

瓶底眼鏡の優男の耳元で、不穏な音が聞こえる。

魔法の様な速さで、巨大なハンドガン”エボニー”を引き抜いたダンテが、流の後頭部に銃口を押し当てていた。

 

「ねぇ? この後ろの怖いお兄さんは、一体誰なんだい? 」

「俺が居候している便利屋事務所の店主(オーナー)だ。 」

 

何とか流の腕から逃れたライドウが、簡潔に説明してやる。

 

「あー、立て込んでいる所申し訳ないが、そろそろパーティー会場に向かわないか? 猊下が空港に到着するまでもう時間が無い。 」

 

そんな一触即発な3人の間に、ケビンが咳払いをして割り込んで来る。

確かに壮年の捜査官が言う通り、ユリウス法王猊下がケネディ空港に到着するまで後僅かだ。

こんな所で無駄に時間を潰している暇は無かった。

 

 

 

 

「ロックが死んだ・・・・・? 」

 

その訃報を聞いたのは、何時もの仕事を終え、自宅アパートメントへと帰って来た時であった。

ニーナが住んでいる部屋の前に、フォレスト家の家長であるジョナサン・ベットフォード・フォレストがいたのだ。

こんな所で立ち話は何だと、室内に招き入れると、ジョナサンが3つ歳が離れたニーナの弟、ロックの死を告げた。

 

 

「彼が・・・”シュバルツバース”の調査隊に志願したんだ・・・ジョルジュさんは、大分反対したらしいんだけど・・・。 」

 

就任直後、初任務に就いた時の悲劇であった。

西区一帯を調査する為、ロック達、調査隊は出発した。

その近隣一帯に出現する悪魔は、非常にスキルが低く、危険度もそれ程高くない。

何時も通りに地質調査を終えて、本部に帰還する予定であった。

 

「ギガント級の巨大な上級悪魔数体が、ロック達の調査隊を襲撃したらしい。危険度が低いという事もあって、調査隊のメンバーは経験の浅い人員で組まれていたんだ。 」

 

それが災いを招いた。

戦闘経験に乏しい人員数名で組まれていた為、ロクな抵抗も出来ずにロックの部隊は全滅。

誰一人として助かる者はいなかった。

 

「どうしてそんな!? 確かあの国には”クズノハ”がいる筈でしょ? 内壁調査には必ず四家の一人が付いていると聞いたわ! 」

 

ニーナの言う通り、日本の天海市で発生している”シュバルツバース”の調査には、葛葉四家の一人と対悪魔専門の特殊部隊が配属されている筈であった。

各調査隊に救難信号が発生すれば、すぐにでも駆け付けられる様になっている。

当時のロック達、調査隊もマニュアル通りに救難信号を出していた。

 

「・・・・・現場の状況がどうだったのか知らないから詳しい説明は出来ないが・・・・ロック達調査隊が出した救難信号を何者かが握り潰したらしい。 」

「どういう・・・事なの・・・・? 」

「そのままの意味だよ・・・本部は彼等の救援要請を無視したんだ。 噂だとロック達が配属された駐屯地に13機関(イスカリオテ)の人間がいたらしい。 」

 

余りに衝撃的な事実。

ニーナは軽い眩暈を覚え、立っていられなくなった。

傍にあったテーブルに両手を突く。

 

 

「まさか・・・・例の法令が原因で・・・・でも、父さんは貴方と同じ賛成派だった。 書面にもサインをすると・・・・・。 」

「法王庁は、ジョルジュさんを危険視したのかもしれない・・・あれだけの功績を残した人だ・・・もし、反対派の連中と組んだら、厄介な存在になると思ったのかもしれない・・・だから・・・。 」

 

ルッソ家の力を衰退させる為に、後継ぎである長男のロックを謀殺した。

法王庁は、ジョルジュの肉体を蝕んでいる病気も知っている。

故に、彼の意思を継ぐ後継者がいなくなれば、ルッソ家否、KKK団(クー・クラックス・クラン)の勢力が弱まると確信したのだ。

 

「・・・・・父さんの所に行かなきゃ・・・・私がロックの代わりに父を支えないと・・・・。 」

「駄目だ! 君は絶対にジョルジュさんの所に行ってはいけない! 」

 

ショルダーバッグを手に取り、今すぐにでも室内から飛び出そうとするニーナを、ジョナサンが慌てて止めた。

咄嗟に彼女の腕を掴み、その場に押し留める。

 

「何故!? どうして父さんの所に行ってはいけないの?? 」

 

全ての原因は自分にある。

ニーナが家をルッソ家から飛び出さなければ、弟のロックが死ぬ事は無かったかもしれない。

資格を国に返上せず、自分が徴兵令を受けて、戦場に行けば良かったのだ。

双眸に涙の粒を溜め、鋭く此方を睨むニーナを、ジョナサンが哀し気に見つめ返す。

 

「今のジョルジュさんが危険だからだ。 君は”稀人”だ。もし、彼の所に行ったら何をされるか分からない。 」

「一体・・・どういう・・・。 」

「君のお父さんは、ロックの死で完全に変わってしまった・・・・僕が、此処に来たのは君達親子に危険を知らせる為なんだ。 」

 

何時もの温厚なジョナサンらしくない、真剣な表情。

そんなフォレスト家の家長を見たニーナは、黙したままその場を動けなくなった。

 

 

 

マンハッタン区、フォレスト家が所有している高級プールバー。

 

「彼女・・・一人にしておいて大丈夫かしら?」

 

単発式ロケットランチャーを背負う、女狩人のレディがVIP室のドアを見つめる。

 

「多分、大丈夫だとは思う・・・・一応、アイザック達に護衛はさせるけど。 」

 

実戦経験が余り無いものの、ニーナは魔導士職を三つも習得している。

おまけにその道で優秀な”人探し(ウオッチャー)”を出し抜くしたたかさも持っているのだ。

今迄、父親であるジョルジュから身を隠し続けていられたのも、それだけ彼女が優秀な術師である事が伺える。

 

「・・・・ねぇ? ブルックリン区に行く前に一つだけ聞きたい事があるの・・・。」

「何? 」

「・・・・・法王庁が、私達、秘密結社(フリーメーソン)の武装放棄令を出していた事は知っているわね? 」

「ああ、あの糞法令ね・・・・。」

 

その事なら良く知っている。

世界各地に存在する秘密結社(フリーメーソン)は、技術・マジックアイテム等の武器をヴァチカン法王庁が管理下に置き、法王庁が悪魔討伐の依頼要請をした時のみ、活動を許可するといった内容である。

 

テレサは、慎重に言葉を選びながら話を続けた。

 

「元々、争い事が嫌いな父さんは、その法令に賛成だった。 上手くすれば徴兵令制度を撤廃出来ると考えていたからよ。 」

「各国に点在する秘密結社(フリーメーソン)の持つ技術を法王庁に提示すれば、それだけ彼等の軍事力が向上する。 そうなれば、人員不足を理由に、無理矢理徴兵する必要も無くなる・・・・成程ねぇ、兄さんらしい甘い考えだわ。 」

 

きっとジョナサンは、拡散している武力を一つに纏めれば、それだけ志願兵を搔き集める必要が無くなると思っていたのだ。

法王庁の軍事力が高まれば、それだけ悪魔達に対抗出来る。

しかし、それには大きなリスクが生まれる。

ヴァチカンが力を持てば、ギルド内で絶対君主制を強いる可能性があるのだ。

 

「ジョルジュ叔父様も最初は、父さんと同じ様に、その法令に賛成派だった・・・理由は・・・父さんと違うと思うけど・・・。」

「・・・・・・ロックの死が、彼の考えを変えた・・・賛成派だったミスター・ジョルジュが突然、反対派になったのは、息子が法王庁に謀殺されたから・・・。 」

 

自分の今迄、抱いていた疑問を先に言い当てられ、テレサは渋々、頷く。

 

「父さんは・・・・ジョルジュ叔父様が、ヴァチカンに復讐する事を恐れてた。 法王庁に反感を抱いている秘密結社(フリーメーソン)は沢山いる・・・表向きは、素直に従っているけど・・・もし、法王猊下が死んで、ヴァチカンの力が衰退したら・・・・。 」

「戦争が起こるわよねぇ・・・群雄割拠と息巻いて、各勢力が台頭してくるわ・・・特にセルビアの黒手組(ブラックハンド)とか中国の天智会とか・・・。 」

 

そうなると、まさに暗黒時代の到来である。

悪魔の脅威から人間達を護っていた者達が、己の権力欲に取り憑かれて、お互いを殺し合うのだ。

 

「・・・・私、ずっと父さんの死が納得出来なかった・・・父さんは事故で死んだんじゃない・・・もしかしたら、誰かに殺されたんじゃないかっ・・・て・・・。」

 

1年前のジョナサン・ベットフォード・フォレストを襲った不幸な事故。

泥酔した父がハンドルの操作を誤り、乗っていた車ごと海に転落。

酒の飲めない父親が、何故、前後不覚になるほど、深酒をしたのかその理由が分からなかった。

だから、父は何かの原因で、飲酒運転が元で事故を起こした様に見せかけて殺されたと、そう考えていた。

 

「ミスター・ジョルジュを説得しようとしたが、それが上手く行かず、兄さんは彼に殺された・・・そう言いたいわけね。 」

「・・・・最初は、反対派のルチアーノに殺されたと思ってたんだけど・・・。 」

 

今の状況なら、それで全ての辻褄が合う。

 

しかし、心の何処かでそれを否定したい自分がいる。

1年間、父親の代わりとなってフォレスト家を支え続けていられたのは、ジョルジュの存在が大きい。

真面目で忠実な部下達が居てくれたのも有難いが、やはり、NY市きっての名士であるジョルジュ・ジェンコ・ルッソがテレサを後押ししてくれたから、今迄何とかやってこれた。

 

そんな心の葛藤を繰り返している時であった。

突然、部下のアイザックとサミュエルが、血相を変えて此方に走って来る。

 

「大変だ!お嬢!!マーコフの連中が殴り込みに来やがった!!」

「・・・・っ!!? 」

 

予想通り、父親であるジョルジュが、ルチアーノに命じて”稀人”である娘のニーナを奪い取りに来たのである。

 

アイザックの説明によると、ルチアーノが乗る黒塗りの高級車を先頭に、米軍が使用しているストライカー装甲車数台が、店の前に来ているらしい。

 

「やれやれ・・・自分の娘を迎えに寄越すにしては、随分と過保護な親ね? 」

 

レディは、大袈裟に肩を竦めるとそんな軽口を叩いた。

 

「先が読めない馬鹿で無能な連中よ! もう頭に来たわ! ボッコボコにしてあの馬鹿親に叩き返してやる!! 」

「ちょっと・・・・テレサ・・・。 」

 

突然、キレ出した姪に、レディが呆れた様子で窘める。

しかし、そんな叔母を完全に無視した姪は、壁に立て掛けてあるM41Aパルスライフルを手に取り、店の出入り口へと向かおうとした。

 

「テレサちゃん!お願い待って!! 」

 

VIPルームのドアが開き、ニーナ・ジェンコ・ルッソが姿を現す。

ドア越しでレディとテレサの会話を聞いていた彼女は、マーコフ家の襲撃を聴いて黙っていられなくなったのだ。

顔色は、紙の様に白く、握る拳は、微かに震えている。

 

「父の目的は、私を捕まえる事よ。 私が素直に彼等と一緒に行けば・・・。 」

「アイザック、彼女はアンタに任せるわ。 ルチアーノの糞親父に指一本だって触らせちゃ駄目だからね。 」

 

そんなニーナの言葉を遮る様に、金髪の大男に命令すると、テレサは、屈強な部下数名を連れて店の出入り口へと向かおうとする。

 

「テレサちゃん!! 」

「ニーナさん、アンタは俺等が命に代えても護る。 今は、部屋に戻って下さい。 」

 

目の前から去って行くテレサの背を追い掛け様としたニーナを、大柄なアイザックが優しく押し留めた。

その双眸には、与えられた使命を全うする強い意志が宿っている。

 

「ど・・・・どうして・・・そこまで・・・・。 」

 

これは、ルッソ家内で起こった問題だ。

40年前、アフガニスタンでの戦いで、彼女の父、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソは、魔導師ギルド内で英雄として称えられる程の功績を残した。

法王庁は、そんな彼を危険視し、ルッソ家を衰退させる為に息子のロックを謀殺。

真実を知った父が、復讐の為に一連の事件を起こした。

父、ジョルジュの蛮行を止めるのは、その娘であるニーナの役目だ。

同じ組織内の仲間とはいえ、ジョナサンやその子供であるテレサの役目ではない。

 

「貴女の為じゃない・・・・KKK団(クー・クラックス・クラン)いいえ、NY市に住む全ての住民達の為に、あの娘は戦おうとしているのよ。 」

 

そんなニーナに、傍らにいる女狩人が説明してやる。

 

KKK団が設立されたのは、19世紀の西部開拓時代からだ。

新大陸を発見したクリストファー・コロンブスと共に、アメリカ大陸に上陸した先人達は、その地に住む悪魔達の脅威から、陰ながらに護り続けて来た。

 

『我等は力無き者達の牙。彼等の日々の安寧を護るのが役目。 』

 

先代から伝えられてきた言葉。

その誇りと何者をも恐れぬ強い意志が、今のテレサを突き動かしていた。

 

 

 

パティが目を醒ますと、そこは見知らぬ場所であった。

清潔そうな白い壁と、クリーム色のアクリル製の床。

窓は一切なく、天井に備え付けられている空調が室内の空気を循環している。

 

 

「此処・・・・何処なの・・・・? 」

 

訝し気な表情で、寝かされていたベッドから起き上がる。

見ると、何時も着ているパジャマではなく、検査着らしい服を着せられていた。

 

「やぁ、目が覚めたかい? パティ。 」

 

病室のドアを開き、パティの祖父、ジョルジュが入って来る。

如何にも上質なスーツを着た60代半ばの紳士は、孫の座っているベッドに近づくと、彼女と同じ視線まで身を屈めた。

 

「何時も生活していた施設の大部屋では無くてびっくりしただろう。 すまないな・・・ちょっと事情があって、君を此処に連れて来た。 」

 

申し訳なさそうに眉根を寄せた紳士は、大きな両手で孫の小さな手を愛おし気に握る。

自分の手を握る祖父の節くれだった大きな手。

良く見ると小さな傷があちこちに付いている。

 

「お爺さん・・・・・何でそんなに泣いてるの? 何処か痛いの? 」

 

不思議と嫌悪感も恐れも感じない。

ただ、祖父が何かを恐れ、苦しんでいるのだけが分かった。

 

「・・・・・流石だな・・・・”稀人”のお前につまらん嘘は無駄・・・という訳か。 」

 

パティの言葉に一瞬だけ驚いた表情をしたジョルジュは、一人納得したのか諦めたかの様に瞑目する。

そして、濃い藍色の双眸で、もう一度、孫の愛らしい顔を見つめた。

 

「パティ・・・君に大事な事を伝えたいんだ・・・服を用意したからね・・・それに着替えたら、ある場所に行こう。 」

 

ジョルジュは、それだけ伝えると、室内の外で控えていた侍女達を招き入れ、パティに服を着つける様命じると、部屋から出て行った。

 

 

 

400年余りの歴史を持つアメリカの中でも、ブルックリン区は最も歴史ある地区の一つと言われている。

17世紀より開拓が始まり、19世紀による橋や地下の建設、そして1898年には、ニューヨーク市の一部として併合された。

 

 

「大昔の徴兵制度は、そりゃぁ酷かった・・・・なんせ資格さえあれば、15・6の餓鬼が、平気で戦場に放り込まれてた時代だったからな。 」

 

マーコフ一家が所有する薬品研究所へと向かう、装甲車の中。

CSI(超常現象管轄局)のNY支部長、ケビン・ブラウンは遠い過去を思い出す様に、装甲車の天井を見上げた。

 

数世紀にも及ぶ、悪魔と人類との長い戦いの歴史。

人類は、その優れた頭脳を生かし、悪魔に対する様々な対抗手段を編み出して来た。

しかし、強靭な肉体と驚異的な膂力。

他種族を取り込み、更に優れた生命体へと進化する悪魔の力に、人類は防戦一方を余儀なくされていた。

 

 

「ジョルジュとルチアーノの二人が送り込まれたアフガニスタンの戦地も、部隊の殆どが16歳ぐらいの子供だったらしい。 当然、実戦経験何てありゃしない。資格を取得した直後に無理矢理連れて来られた奴等ばかりだった。 」

「む・・・惨い事を・・・子供達の両親は、良く黙っていましたね。 」

 

ケビンの言葉に、ライカンスロープのディンゴが、嫌悪感を露わにして言った。

 

亜人として長い年月、人間達から迫害されてきたものの、根が誠実で優しいディンゴには、聞くに堪えない内容であった。

 

「徴兵令で集められる少年兵の殆どが、貧しい国の子供達だったからさ。 家族は、魔導師ギルドから出される法外な補償金目当てに、自分の子供を売るんだよ。 」

 

そんなディンゴに、優雅に足を組んでシートに座る瓶底眼鏡の優男が、簡潔に説明してやる。

 

内戦やテロなどで一番の被害を受けているのは、何の抵抗手段すらも無い一般市民達だ。

特に農村地帯が酷く、家族の中には娼館に子供を売ったり、時には違法な臓器販売等に生まれたばかりの赤子を売る親さえいる。

 

「でも、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソは、そんな子供達を上手く指揮して上位悪魔のベヒーモスを倒し、おまけに部隊の殆どを死なせる事無く、無事生還したんだよねぇ。 」

 

流が膝の上に置いてあるIPADを操作し、ジョルジュの経歴をホログラフィーで車内に映し出す。

 

アフガニスタンでの戦闘後、NY市マンハッタン区の北部にあるハーレム地区へと戻ったジョルジュは、26歳でルッソ家の家督を継いだ。

多人数を想定とした短剣術や長柄の武器術に優れ、剣士(ナイト)の中でも最高峰と名高い剣豪(シュバリエーレ)の称号を取得。

又、人柄も大変良く。

彼の優れた刀剣術を学ぶ為に、遠方から剣士(ナイト)見習いの若者達が訪れる程であった。

 

「成程な・・・・だから羊飼い(シェパード)か・・・。 」

 

ジョルジュの経歴を眺めていたダンテが、顎に手を当てて低く唸る。

 

実戦経験などまるで無い子供達を率いて、見事に邪龍ヘビーモスを倒してみせた。

並外れた統率力と、カリスマ性を持つ人物だ。

法王庁が、ジョルジュを危険視するのは当然だった。

 

「俺達、CSIの動向も、17代目の事やオタク等ヴァチカンの存在も、ミスター・ジョルジュは承知済みだ。 返り討ちにしてやろうとあらゆる策を弄して来るだろうなぁ・・・。 」

 

これから自分達が戦う相手は、中国の諸葛孔明やカルタゴの将軍、ハンニバル・バルカに並べ称される程の策士だ。

武力や兵力は、此方の方が遥かに上かもしれないが、天才軍師であるジョルジュに掛かれば、あっという間に戦況が逆転してしまう可能性すらある。

 

「あれこれ考えていても仕方ないよぉ。僕達は聖義の元、ユリウス法王猊下を護り、悪を懲らしめないといけないからねぇ。 」

 

ヘラヘラと笑いながら、IPADを脇に置いた流が足元に置いてある鉄の重厚なアタッシュケースを膝に乗せる。

 

「まぁ、僕が此処に来たのはコイツの動作テストをするのが目的なんだけどね? いい結果を残したいからすぐ死んじゃ駄目だよ?ケビンさん。 」

 

ニコニコと無邪気な笑みを浮かべて、とんでもない事を平然とのたまうマッドサイエンティストに、CSIのNY支部長は、大袈裟に溜息を吐く。

 

「全く・・・・泣けるぜ・・・。 」

 

 

数分後、ヴァチカンの特殊装甲車を先頭に、数台の車がマーコフ一家が所有する薬品研究所へと到着した。

 

 

「敵のアジトにしては、随分と警備が手薄だな? 」

 

悪魔使いと共に装甲車から降りたダンテ。

少し離れた場所で、望遠レンズ越しに施設内を粗方見ていたが、意外な程、外を巡回している人間の数が少ない事に首を傾げた。

 

「ミスター・ジョルジュは、俺達が到着した事を知っている。外の警備を緩くしているのも、俺達を誘い込む為の罠かもしれない。 」

 

ライドウが、左眼を覆っている呪術帯を押し上げ、解放する。

蒼く光る魔眼。

研究施設全体が透過され、サーモグラフィの様に施設を警護している人間の姿を浮かび上がらせる。

 

「正面玄関に3人、2階バルコニー付近に4人、職員専用入り口に2人・・・・計9人か・・・。携帯している武器は、コルトガバメントにS&W・・・一般の警備会社と変わらないな。 」

「相変わらず凄いな?お前さんのその眼は・・・。 」

 

巡回している警備員の人数だけではなく、携帯している拳銃まで見通せるライドウの邪眼に、ケビンは思わず感嘆の溜息を零した。

 

「動きが素人臭いからすぐわかる・・・彼等は民間で経営している警備会社の人間だ。 恐らく中で何が行われているか何て知りもしないだろう。 」

 

呪術帯で左の魔眼を封印すると、ライドウは右手の手甲に内蔵されているワイヤーを少し離れたブナの樹に射出する。

特殊な繊維で編まれているワイヤーが、電動で巻き戻され、悪魔使いは一気に数メートルの高さにある太い木の枝へと飛び移った。

 

「お、おい! 勝手な真似をするんじゃない! 」

 

悪魔使いの予想外な行動に、ケビンの顔色が真っ青になる。

 

「俺は先に潜る・・・・陽動はアンタに任せた。 」

 

それだけケビンに伝えると、ライドウはさっさと施設内へと入って行ってしまう。

後に残されるCSI捜査官達とフォレスト家の用心棒達・・・そして、ダンテと何を考えているのか分からない瓶底眼鏡の科学者とその御付きのテンプル騎士団の団員数名。

 

「ちっ、糞爺が・・・面倒臭ぇ・・・。 」

 

まるでムササビの様に、木々を伝い、高い塀へと容易く飛び移る悪魔使いに、ダンテは忌々しそうに舌打ちする。

 

こうやって置いてけぼりを喰らうのは、何も初めてではない。

初めて会ったテメンニグルの時も、先のマレット島でも同じ事をされた。

自分一人だけ突っ走り、周りの心配を他所に、自ら望んで狂気渦巻く戦いへと身を投じていく。

そのくせ、ダンテが悪魔と拘わる事を良しとせず、敢えて遠ざけようとする。

正直言って面白くはない。

 

ダンテは、ライドウの後を追おうとコートを翻し、警備が手薄な箇所から施設内へと入ろうとした。

その背を慌てた様子のケビンが呼び止める。

 

「おい!公僕を前に一般市民が粋がるな!これはCSI(俺達)の仕事だぞ! 」

 

いくら荒事専門の便利屋とはいえ、れっきとしたNY市民だ。

その市民を護る筈の公務員が、逆に一般人に護られるなど本末転倒どころの話ではない。

 

「痴呆老人を連れ戻しに行くだけだ・・・アンタ等はアンタ等の仕事をしてくれ。 」

 

そんなケビンに対し、ダンテは素っ気なく応えると、彼等に背を向け、常人とは思えぬ膂力で大きく跳躍。

ライドウと同じ様に木々を伝い、建物内へと入って行ってしまう。

それを苦虫を1000匹以上噛み潰した様な渋い顔で見送る、CSINY支部長。

 

悪名高い”人修羅”と拘わった時点で、ある程度は覚悟しておくべきだった。

『穏便に事を済まそう。』などと思わなければ良かった。

 

「こりゃぁ、”ステルス・エントリー”は無理そうだね?まぁ、奴さんには僕達の手の内なんてバレバレだから、今更って気はするけど・・・。」

 

心中穏やかとは言い難い心境のケビンを他所に、鉄のアタッシュケースを右手に持った瓶底眼鏡の優男が呑気に大きな欠伸をする。

そんなマッドサイエンティストを恨めし気に振り返るケビン。

気付くと、流の後ろに控えていたテンプル騎士(ナイト)の姿が、影も形も無くなっていた。

 

「おい、オタクの保護者達は何処に行った? 」

「うん?僕のアシスタントを残してケネディ国際空港に向かわせた。 君の部下とフォレスト家の助っ人さん達が居れば十分でしょ? 」

 

蟀谷に青筋を立てる捜査官の質問に流は、シレっとした態度で応える。

 

自分の造った”作品”に余程自身があるのか、これ以上の戦力は不要と、装甲車ごとジョン・F・ケネディ国際空港へと向かわせたのだ。

流の背後に立つ、モデル並みに均整の取れた美女が無表情にCSINY支部長を見つめていた。

どうやら、彼女がこの優男のアシスタントらしい。

 

「まぁ、僕の計算が正しければ、君とコレだけでも十分おつりは残ると思うけど・・・。 」

「・・・・・・やっぱり・・・・俺がコイツを使わないと駄目なのか・・・・?」

 

流からアタッシュケースを受け取ったケビンが、実に嫌そうな表情をして言った。

 

「俺以外にも適任者は沢山いると思うんだけどなぁ・・・・・。」

「今更だよ?ケビン・・・試験期間中も説明しただろ、コレは、君の身体能力を元にして調整されてるんだ。 いわば、君の為に新調したスーツと同じだよ?」

 

背後にいる若い部下達に助けを求めるが、誰一人としてケビンの視線に合わせる者などいなかった。

逆に関わりたくないと、あからさまに視線を背ける者達までいる。

誰も助けが入らないと分かった初老の捜査官は、がっくりと肩を落とす。

 

来年には、初孫が生まれるというのに・・・何故、こんな事になってしまったのだろうか・・・。

 

「ささ、素直に諦めて、とっととジョルジュ氏と面会する為にアポ取りに行こ?令状はちゃんと用意してあるんでしょ? 」

「ああ・・・お前さん達のお陰でな・・・。」

 

ヴァチカンの情報部が入手したKKK団(クー・クラックス・クラン)の違法な生態研究の物的証拠や情報のお陰で、最高裁判所から気持ちが悪い程、すんなりと強制捜査令状を手に入れる事が出来た。

恐らく、CSIに提示した証拠以外に、裏で色々と動いていたらしい。

 

 

 

侍女達にドレスを着つけられたパティは、ジョルジュの秘書と名乗る30代半ばの黒縁眼鏡を掛けた女性に連れられ、祖父がいる部屋に通された。

 

室内に入ったパティは、その余りに豪華な内装に思わず言葉を失う。

大理石で出来た暖炉に、高価なダイニングテーブルとそこに整然と並ぶ数脚の椅子。

天井には豪奢なシャンデリアが吊るされ、壁には有名な画家が描いたと思われる数点の絵画が飾られている。

まるで、中世のお城に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。

 

 

「ほぅ、良く似合っているじゃないか? 」

 

上座の席に座った祖父のジョルジュが、愛らしいドレスに身を包んでいるパティを見つめて、眩しそうに双眸を細める。

 

「有難う、ジョー。下がって暫く休んでいなさい。 」

「はい、会長。 」

 

ジョルジュの秘書は、恭しく頭を下げると、静かに室内から出て行った。

後に残されるパティと祖父のジョルジュ。

所在なげでその場に立ち尽くすパティをジョルジュが下座の席に座る様に促した。

 

「お腹が空いただろう? 今、夕食を持って来させるよ。」

 

不安そうな孫の様子に、祖父は優しく微笑むと、手元に置いてある鈴を2,3回振る。

涼やかな音色と共に、サンタクロースの衣装を着た小人達が豪勢な食事が乗ったワゴンを押して現れた。

 

「あ・・・悪魔・・・・??」

 

一見、雪だるまの様にも見える小柄な悪魔達。

驚いて目を見開くパティを他所に、サンタクロースの衣装を着た小人達は、手際よく食事をテーブルの上に並べていく。

 

「彼等は、ジャックフロストと呼ばれる妖精族の仲間だ。もし気に入ったのなら、この中の一体をお前の使い魔として譲渡してやってもいい。」

「え・・・でも、アタシ・・・・・。」

 

ジョルジュの申し出に、パティは困った表情をして両手に握られた紙の人形へと視線を落とす。

 

この紙人形は、ライドウから御守りとして渡された式神である。

『連続誘拐事件』では、主犯格のエヴァン・マクミランを確保するのに大いに役立った。

悪魔使いに教えられた訳ではないが、パティは無意識に式神を操ってみせた。

それだけでも、彼女の『悪魔召喚術師』としての資質の高さが覗えられる。

 

「私の妻・・・つまりお前の御婆さんになるんだが・・・彼女も優秀な悪魔召喚術師(サマナー)だった・・・・。 」

 

祖父は、遠い過去を思い出すかの様に双眸を閉じる。

 

「私の妻は、アメリカ大陸の先住民・・・ホピ族の巫女の家系に生まれた女性だった。」

「ホピ族・・・・? 」

「インデアン・・・と言えば分かるかな? 西部劇で登場する悪役だよ。 」

 

ジョルジュは、幼いパティでも分かる様に丁寧に解説しながら教えてやる。

 

ホピ族は、アリゾナ州に居留区を持つアメリカ先住民達の事である。

南米のマヤ・アステカ文明等と同じ宇宙・世界創造の神を崇拝しており、高い霊力と魔力を併せ持つ部族であった。

ジョルジュの妻、ナターシャは代々伝わるホピ族の巫女の血筋を色濃く継ぎ、幼少の時から、高い悪魔召喚師(サマナー)としての才覚を持っていた。

 

「彼女もお前と同じ”稀人”だった・・・魔導師(マーギア)の資格を全て習得した達人(マイスター)で、何の才能も無い私には勿体ない女性だったよ。」

 

何故、それ程才能に溢れた女性が、何の取柄も無い自分を愛してくれたのか未だに理由は分からなかった。

その気になれば、国の中枢に入り込み、17代目・葛葉ライドウと同じ様に強大な権力を欲しいがままに出来ただろうに、何故かナターシャはルッソ家に嫁ぐと、そのまま夫を立てる貞淑な妻として尽くしてくれた。

 

「一度だけ、彼女に聞いたことがある。もっと自由に生きたらどうなのか?とね・・・そうしたら、彼女は笑ってこう答えてくれたよ。」

 

”貴方が好きだから”

困った様子でそれだけ応えるナターシャ。

少女の様な邪気の無いその笑顔に、ジョルジュはいつも救われていた。

 

「だが・・・そんな優しい妻を・・・私は殺してしまった・・・。」

「え・・・・? 」

 

祖父の思いがけぬ告白に、パティは一瞬、言葉を失う。

 

「・・・肺癌だった・・・彼女は、私に心配かけまいと最後まで黙っていた・・・私がもっと彼女を良く見ていたら・・・否・・・今更何を言っても遅いな。 」

「・・・・・。 」

 

祖父の激しい怒りと哀しみの感情。

自分自身に対する怒りと、そしてアメリカ合衆国(この国)の政府に対する例える事が出来ぬ憎悪。

感情の放流が、パティの小さな躰を貫いていく。

 

「薬・・・のせい・・・御婆さんが死んだのは、病気だけじゃなくて、治療薬を呑んだから・・・。」

 

ジョルジュの妻は、夫に黙って病院に通院していた。

肺の癌は、早期に発見出来たお陰で、一部を摘出し、後は抗がん治療を続ければ完治出来ると医者から診断されていた。

ナターシャは、医者の言葉に従い、手術を受けて治療に専念した。

しかし、そこに予想も出来ない大きな落とし穴があったのである。

 

「”夢の抗がん剤”、”夢の新薬”それを謳い文句に、国は副作用の事を国民に告げず、無責任にも認可した。 私の妻以外に大勢の人間が、その馬鹿気た薬のせいで死んだよ。 」

 

無意識に握り締められる拳。

もっと早く、彼女の異常に気付いてやれれば・・・。

自分の知り合いの医者に彼女を診せてやれれば・・・こんな悲劇は起きなかったのかもしれない。

 

「ああ、すまんな・・・折角の楽しい食事が台無しに・・・。」

「私のお母さんが出て行ったのは、御婆さんのせい・・・? お爺さんが、被害者の人達と一緒に裁判を起こさなかったから・・・・?」

「・・・・パティ・・・。」

 

この子には、嘘や誤魔化しなど通用しない。

”稀人”の力を上手くコントロール出来ないが故に、人の心の奥底を読んでしまう。

このまま、訓練を受けなければ、この娘の心が壊れてしまう。

 

「裁判を起こしても、我々に勝ち目は無かった・・・現に、製薬会社の責任は認めたが、国に対する責任は一切認めなかった。僅かばかりの賠償金を支払って終わりだ。それでは、意味が無い。」

 

NY市きっての資産家であるルッソ家が裁判に参加した所で、結果は変わらなかった。

国は知らぬ存ぜぬを貫き通し、全ての責任を開発元の製薬会社に押し付けた。

 

「全ては私のせいだよ・・・・私は、妻の命よりもルッソ家の使命を優先してしまった。 ルッソ家・・・・KKK団(クー・クラックス・クラン)の役目を重んじ、大事な家族を犠牲にした・・・・ニーナ・・・お前の母さんが私を憎むのは当然だ。 」

 

全てを諦めたかの様なジョルジュの笑顔。

それを見た途端、パティの双眸に涙の粒が盛り上がる。

 

「お爺さんは、悪くない・・・お爺さんもずっと苦しんで来た・・・だって分かるもん。御婆さんの事が今でも大好きだ・・・って・・・。」

 

声を殺して無く少女に、ジョルジュは困った様な苦笑を浮かべる。

 

これから自分は、この心優しい少女に酷い事をしようとしている。

このNY市全体に影響を及ぼす、未曽有の大災害を起こそうとしている。

もし、ソレを知った時、この少女は自分を許すのだろうか?

 

 

『ミスター・・・楽しいディナーを邪魔して申し訳無いが、厄介な来客が来た。 』

 

重苦しい空気を割って入るのかの様にして、ジョルジュの右耳に装着されたインカムから、包帯男・・・ジャン・ダー・ブリンデの報告が入った。

すぐに自分の席に備え付けられているスイッチを押す。

するとホログラフィーで造られたキーボードと、監視カメラで撮影されている施設内の映像が、展開された。

画面には、総合受付所にいるCSI捜査官数名と大分くたびれたトレンチコートを着る瓶底眼鏡の40代ぐらいの男。

 

「ふむ・・・予想よりも早く来た様だな。 」

 

顎に手を当てたジョルジュが、低く唸る。

CSI(超常現象管轄局)が自分達の組織周辺を嗅ぎまわっていたのは知っている。

いずれ此処を探り当て、何かしら接触して来るだろう事も予測はしていた。

 

(”人修羅”の姿が無いな・・・・もしかしたら既に施設内に入り込んでいるかもしれん。)

 

暗殺者が態々、正面玄関から入り込むなど、常識外だ。

人殺しは人殺しらしく、闇に紛れて此方の寝首を掻きに来るだろう。

 

その時、偶然なのか、ジョルジュの視線と画面に映る眼鏡の男の視線が合った。

トレンチコートの男はニヤリと口元に笑みを浮かべると、何事かをジョルジュに告げる。

刹那、ジョルジュの表情が一変した。

 

 

 

薬品研究所、総合受付。

 

「先生よぉ・・・まさか、一緒について行くなんて言わないよな? 」

 

監視カメラにピースサインをしている呑気な科学者に、CSINY支部長が呆れた様子で言った。

 

「勿論、付いて行くに決まっているだろ? さっきも言ったけど、僕は君が手に持っているソレの機動実験に来たんだ。 途中で不具合が出たら君が一番困るだろ? 」

「そりゃぁ、そうだけどよぉ・・・。 」

 

右手に持っているアタッシュケースを見下ろし、ケビンは今日何度目になるか分からない溜息を吐いた。

 

出来る事ならこんなモノ使いたくはない。

死んでも使いたくない。

いっその事、新人の奴等に押し付けてしまおうか?

 

そんな邪な事をケビンが考えている時であった。

突然、館内に鳴り響く警告音。

分厚い防護シャッターが、出入り口と強化ガラスで出来た窓を全て塞いでしまう。

 

「わーい♡ こんなやっすい挑発に乗るなんて、羊飼い(シェパード)も大したことがないね? 」

「挑発? アンタ何をしたんだ? 」

 

能天気にはしゃぐ瓶底眼鏡の科学者を他所に、武器を構えて警戒態勢に入るCSI(超常現象管轄局)の捜査官達。

ケビンも鉄のアタッシュケースを開き、中から手の中に納まるぐらいの大きさをした特殊な機器を取り出す。

 

宙に幾つも描かれる真紅の法陣。

中から氷の吐息を放つ中位悪魔、フロストが数体現れた。

 

「これは・・・・ディヴァイド共和国の国境付近で目撃された悪魔と似ていますね。 」

 

アシスタント・・・・流の研究助手、アレックスがレッグホルスターから抜いたハンドガンを構える。

こんな異常事態であるにも拘わらず、その声は至って冷静だ。

 

「ふーん、錬金術で造った人造の悪魔か・・・むかーし、僕がやってた研究を誰かが引き継いで続けてたって事かな? 」

 

錬金術を使い、人工の悪魔を使役出来るのは、何も四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝ムンドゥスだけではない。

 

かつて流もサンプルとして捕獲した悪魔の遺伝子を組み替えて、人間の命令に忠実に従う生物兵器を創り出そうとした。

もし、完成すれば慢性的な人手不足を解消出来る他、人間世界に侵攻する悪魔の軍勢に対抗出来ると考えたからだ。

しかし、結果は失敗。

一応、人間の簡単な指示に従うクリーチャーは造り出す事には成功したが、流が理想に叶う作品は生み出せなかった。

 

「よーし!ケビン君!早速実験の時間だぞ? 」

「勘弁してくれよぉ・・・。」

 

退路は完全に断たれ、四面楚歌な最悪な状況。

しかし、瓶底眼鏡の科学者は、ウキウキ気分ではしゃぎ捲る。

 

「良いかい?君達は絶対、支部長を助けちゃ駄目だからね? これは大事な実験なんだ。一同は、物陰に隠れて力一杯彼を応援すること。」

「そんな馬鹿な命令聞ける訳が・・・。 」

「良いんだよ、エド。 先生さんの命令に従って皆を下がらせるんだ・・・ああ、それと外に待機しているフォレスト家の連中には絶対連絡するなよ?」

 

M56スマートガンを構える黒人の捜査官・・・ジェームズ・エドワーズをケビンが制し、右手に持っている装置を腰に当てる。

するとバックルが射出され、ベルトの様にケビンの腰に装着された。

 

『Zero One driver setup!! 』

 

腰に装着された装置が、変身対象者を承認。

何で一々、機械音声で認証されるのか甚だ疑問ではあるが、これを造ったのが隣にいる狂気の天才科学者なのだから仕方がない。

 

「ほらほら、敵さんが襲って来ちゃうぞ?さっさとオーソライザーにプログライズキーを認証させてぇ♡ 」

 

顔を真っ赤にさせて俯くケビンを煽る様に、少し離れた物陰に隠れる流が囃(はや)し立てる。

襲い来る羞恥心を必死に堪え、ケビンは同じく鉄のアタッシュケースから取り出した黄色のカードキーを、バックルに内蔵されている認証装置へと翳した。

 

『Jump! Authorize! 』

 

プログライズキーを読み込んだ認証装置が、地球の軌道上にある人口衛生『ベロニカ』にアクセス。

衛星に内蔵されている”あるモノ”が光の粒子となって射出される。

刹那、強烈な光が総合案内所全体を包む。

吹き飛ばされる悪魔達。

騒々しい電子音が周囲を包む中、一同の目の前にメタリックな光沢を持つ、巨大なバッタが姿を現した。

 

「ほらほらぁ♡恰好良く変身ポーズを決めてぇwww。」

「やかましい!そこで黙って見ていろぉ!!」

 

最早我慢の限界のケビン。

鬼の形相でプログライズキーを開くと、腰に装着されている『ドライバー』と呼ばれる装置にセットする。

 

『Progrise! The rise is a riser! Rising hopper! 』

 

機械音声と共に特殊なスーツに包まれるケビン。

それと同じくして、メタリックなバッタの巨体が宙でバラバラになり、両脚、両腕、そして顔面にまるで鎧の如く装着された。

 

CSI(超常現象管轄局)NY支部長の余りにも変わり果てた姿。

グリーンベレー時代から付き合いのある優秀な部下達が、全員口をあんぐりと開けて対悪魔用の特殊スーツに身を包む上司を見つめる。

 

「見てごらん?アレックス。 皆が僕の造ったスーツに感動しているよ? 」

「いえ、アレは呆れて開いた口が塞がらない状態ですよ?博士。 」

 

上司の天然なボケを部下のアレックスが冷酷に斬り落とした。

 

 

 

「ふっふーん。中々楽しくなってきたやないけぇ。」

 

薬品研究所正門前。

黒塗りの乗用車の上に、金色に髪を染めたおかっぱ頭の男が胡坐をかいて座っている。

その周りでは、フォレスト家の執事、ディンゴとその部下であるライカンスロープ達が気を失って倒れていた。

 

「さっすが16代目やなぁ・・・こないな薬で簡単に眠りおったわ。」

 

おかっぱ頭の男・・・玄武は、懐から掌に収まるぐらいの小さな袋を取り出す。

中には特殊な薬が入っており、一般の人間が嗅いでも害は全く無いが、ライカンスロープの様な亜人が嗅ぐと途端に意識が昏倒し、深い眠りへと堕ちてしまうのだ。

玄武は、特殊な香が入っている袋を再び胸ポケットへとしまうと、車の屋根から軽やかに飛び降りる。

 

「さぁて、ほなワイもパーティーとやらに参加させて貰おうかなぁ。」

 

握りの部分に阿修羅と刻まれた木刀を片手に、玄武は薬品研究所の門をくぐった。

 




仮面ライダーゼロワンに激しいインスピレーションをもらいました。


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チャプター 18

物語用語解説

ゼロワンドライバー・・・・ヴァチカンの化学技術総責任者である流が、とある特撮番組にインスピレーションを受けて造り出した対悪魔用強化スーツ。

魔導師職(マーギア)・・・医師・詠唱師・白魔法・黒魔法・数法術師の計5職からなる魔導士職の総称。全ての役職を習得すると達成者(マイスター)の称号が貰える。

剣士職(ナイト)・・・銃剣使い・格闘士・爆破技師・宮廷騎士・短剣使いの計5職からなる剣士職の総称、因みに全ての役職を習得すると巨匠(マスターオブマスター)と呼ばれる。



マーコフ家が所有する薬品研究所。

通風孔から地下研究所施設内へと入り込んだライドウは、音も無く実験施設通路へと降り立つ。

 

此処まで気持ちが悪い程、順調に建物内に侵入する事が出来た。

上に居るケビン達、CSI(超常現象管轄局)が上手く敵の注意を引き付けてくれているのか、人の気配がまるでしない。

否、全ては羊飼い(シェパード)の手の中で、態と此処におびき寄せられているという可能性もある。

 

「・・・・・・!!」

 

背後から感じる何者かの気配。

長年、地獄の戦場を潜り抜けて来たライドウの本能が、無意識に反応する。

魔法の様な速さで手首に仕込んだクナイを取り出すと、背後にいる何者かの首を斬り落とさんと鋭い刃を向ける。

刹那、その鈍色に光るクナイが途中で止まった。

 

「勘弁してくれ・・・爺さん。 もう少しでチビっちまうところだったじゃねぇか。 」

 

観念したかの様に、両手を上げる銀髪の大男。

レッドグレイブ市で荒事専門の便利屋事務所を経営している悪魔狩人・・・ダンテだ。

 

「・・・っ、お前、どうして此処に居る? 」

 

ダンテの喉元に突き付けているクナイを下げ、手首のナイフホルダーへと仕舞うライドウは、鋭い隻眼で睨みつける。

 

この施設内に入り込む際、完全に気配は絶っていた。

敵に気づかれない事は勿論だが、半分は、このお荷物(ダンテ)を振り切る意味もある。

 

「あぁ? コイツがアンタの居場所を教えてくれたのさ。」

 

そんなライドウに態とらしく肩を竦めたダンテが、背負っていた大剣を引き抜いた。

 

「・・・? アラストル・・・? 何でダンテと一緒にいるんだ? 」

「ひーん、ごめんなさい!人修羅様ぁ。」

 

ダンテが背負っていたのは、何時もの『リベリオン』ではなく、雷神剣の『アラストル』であった。

 

マレット島での激戦後、前の持ち主であったオルフェウスが、妻のエウリュディケーと共に、新世界へと”輪廻転生”をする為、旅立った。

その事により、アラストルを縛っていた所有者の権利がライドウへと移行。

ムンドゥス戦で負った怪我の為、気絶したライドウと共にダンテの事務所で居候していたのだが・・・。

 

「お、俺っちのご主人様は人修羅様只一人です!勿論、拒否はしましたよ?全力で嫌だって言いましたよ??でも・・・その・・・・お、奥方様に無理矢理言われて・・そのぉ・・・し、仕方なくですね・・・。 」

「もういい・・・分かったよ・・・。」

 

早口で捲し立てるアラストルをライドウは、呆れた様子で手で制止する。

 

要は、嫌だと一応、拒否だけはしっかりとしたが、ダンテの威嚇と御目付け役であるケルベロスに諭され、渋々、言う事を聞く羽目になったのだろう。

 

「アラストルの”能力”を使って、俺の後をずっと付けていたのか・・・・。」

「ああ、ギャンギャン煩せぇのを我慢すれば、意外と使えるぜ? コイツ。 」

 

口元に苦笑を浮かべ、ダンテは滂沱と涙を流す魔界の剣を再び背に収める。

 

アラストルの持つ”精神感応力”は、非常に優れている。

ライドウの仲魔、ハイピクシーのマベルに匹敵する程、正確に対象者の居場所を探り当てる。

恐らく、ケルベロスはそれを予め知っていて、ダンテに連れて行く様命じたのだろう。

 

「今更、帰れ・・何て無しだぜ? 此処まで来ちまったんだ、最後までアンタに付き合う。 」

「・・・・本当に、救い様が無い馬鹿なんだな・・・お前は・・・。」

 

軽口を叩く銀髪の大男に背を向け、ライドウは先へと進む。

そんな悪魔使いに、ダンテは大袈裟に肩を竦めた。

 

予定外のアクシデントはあったものの、一同は敵の襲撃を受けず、培養実験室と思われる大分広い部屋に辿り着いた。

室内には、培養ポットの装置が幾つかあり、中には見た事も無い悪魔が培養液のプールに浸かっている。

どうやら、此処で悪魔の生態実験をしていたらしい。

 

「随分と趣味の悪い実験をしているらしいな? 」

 

培養液に満たされたカプセルの中で浮かぶ、不気味なクリーチャーを見て、ダンテが訝し気に眉を顰(ひそ)める。

マレット島で戦った四足の悪魔”ブレード”と姿形は、非常に似ている。

しかし、形が若干だが異なっていた。

 

「錬金術で造り出した人造の悪魔だ。 四大魔王(カウントフォー)の一人、魔帝・ムンドゥスと同じ事を此処でやっていたんだ。」

 

下級並びに中級の悪魔を兵士として敵地へと送り込む。

人間の命令に忠実に従い、おまけに死を恐れない。

核兵器の様に、環境に影響も与えないし、人件費も大分浮く。

 

「まさか、素直に此処まで入り込むとはな・・・。」

 

聞き覚えのある声。

ダンテが背に収まっている雷神剣・アラストルの柄を握り、ライドウが両手に仕込んだホルダーから、クナイを取り出す。

培養装置の陰から、人影が姿を現した。

頭の先から首の所まで包帯でグルグル巻きにし、如何にも高級なスーツを着る長身の男。

ボビーの穴蔵で、情報屋の一人、エンツォ・フェリーニョに紹介された賞金稼ぎ崩れの男・・・ジャン・ダー・ブリンデだ。

 

「久し振り・・・と言った方が良いのかな? 17代目・葛葉ライドウ。 」

「・・・っ、ヨハン。 」

 

予想外な男の出現に、ライドウは嫌悪感に呪術帯で覆われた顔を歪める。

 

ボビーの穴蔵近くにある、建設予定地での腕試しから数週間。

ライドウは、意識的にこの男を避ける為、敢えて穴蔵に近づく事はしなかった。

ダンテも何となくライドウと包帯男との間に、何かあると察してボビーの穴蔵へ連れて行く事はしなかったし、仕事仲間のグルーも、二人を穴蔵に誘う事はしなかった。

 

「ミスター・ジョルジュの読みは素晴らしい。 予定した時刻ピッタリだな。」

 

右手に持つ懐中時計の蓋を閉じると、胸ポケットへと仕舞う。

 

ジャンの口振りから察するに、どうやら自分達は、まんまとこの場所に誘い込まれてしまった様だ。

 

「ヨハン・・・お前は自分が一体何をしているのか分かっているのか? 」

 

こんな事を聞いても無駄だ。

この男は、かつて自分と共に悪魔の脅威から人類を護った同士ではない。

だが、それでも聞かずにはおれなかった。

 

「ヨハン・・・・? 知らない名前だな。 私の名はジャン・ダー・ブリンデ。 ミスター・ジョルジュに雇われた便利屋だ。 」

 

予想通りの応え。

包帯から覗く、氷の如き冷たいアイスブルーの双眸が、数歩離れた位置に立つ、小柄な悪魔使いを嘲る。

 

「最初に謝っておく・・・趣味の悪い実験に付き合ってくれ。」

 

包帯の下で、皮肉気に唇を歪ませたジャンが、指を鳴らした。

すると、培養槽に眠っていた筈の怪物達が目を醒まし、強化ガラスを突き破って次々と外に飛び出して来る。

 

「とある国が生体兵器のサンプルとして、資金提供しているルッソ家に寄越したモノらしい。どれ程、人間の指示に従うのか君達で試して欲しいそうだ。」

 

数にして数十体。

ライドウとダンテの退路を完全に断つ形で、取り囲んでいる。

血に飢えた有隣目独特の眼が、二人を見つめていた。

 

「ハッ、やっとこさ、パーティーらしくなったじゃねぇか。」

 

周囲を取り囲む怪物達の群を眺めつつ、ダンテが軽口を叩く。

一方、銀髪の大男と背中合わせに立つライドウは、何処か哀しい表情で包帯の男を眺めている。

 

「爺さん、アンタとあの包帯野郎がどんな関係だったか俺は知らない。だが、これだけは分かる。 あの野郎に説得は無駄だ。 」

「・・・・分かっているよ。 」

 

ダンテの言う通りだ。

どんな言葉も今のヨハンには届かない。

今は、この危機的状況を打破しなければならないのだ。

 

 

 

マンハッタン区北部、ハーレムにあるフォレスト家が経営する高級プールバー。

その店先に、黒塗りの高級車を先頭にして、M1126ストライカー歩兵戦闘車4台が停まっている。

屋根に取り付けられた重機関銃が、一斉に目の前にあるプールバーへと向けられていた。

 

 

「さーて、大人しくニーナ嬢を渡してくれると助かるんだけどな? 」

 

黒塗りの高級車から、マーコフ家家長、ルチアーノ・リット・マーコフが姿を現す。

右頬に大きな傷がある50代半ばの大柄な男は、同じく車から降りた部下から、拡声器を手渡された。

 

『おーい、聞こえるかぁ?テレサのおチビちゃんよォ。俺達は、オタク等と戦争をしに来た訳じゃねぇ。 オタクん所で預かってるニーナ・ジェンコ・ルッソの身柄を引き取りに来たんだ。頼むから大人しく引き渡してくれると有難い・・・。』

 

そう言い掛けたルチアーノに向かって、突然、店のドアを蹴破ったテレサが、肩に担いでいるRPG-7をぶっ放した。

それを見たマーコフ家に属する魔導師部隊が咄嗟に、防御シールドを張る。

凄まじい爆発音。

荒れ狂う熱風と煙。

余りの衝撃に、マーコフ家の導師達が耐え切れずに路上に吹き飛ばされていく。

 

「流石にちょっとやり過ぎじゃない?テレサ。」

 

撃ち終わった空の薬莢を持つ甘栗色の髪をしている美少女に向かって、その背後に立つ女荒事師が呆れた様子で肩を竦めた。

 

「ふん、今迄散々アイツ等には嫌がらせをされて来たのよ。これぐらい丁度良いわ。 」

 

薬莢を傍らに置いたテレサが、得意気に鼻で笑う。

いくら魔導師結社とは言え、所詮、素人の烏合の衆だ。

突然、ロケットランチャーを撃ち込まれ、マーコフ家の連中は右往左往している。

唯一、家長であるルチアーノと数名の手練れと思われる部下だけが、泰然としていた。

 

「ちっ、やってくれるじゃねぇか・・・じゃじゃ馬が。」

 

最早用済みとなった拡声器を、傍らにいる部下に押しやるルチアーノ。

同じく部下から差し出されたエナメルケースのアタッシュケースから、デザートイーグル並みに大きな巨銃を二丁、取り出す。

 

「なるべく手荒な真似はしたくなかったが、仕方がねぇ。」

 

年端もいかぬ16歳の少女相手に、大分大人気ないとは思う。

しかし、相手は曲がりなりにも、秘密結社(フリーメーソン)を代表する魔導師組織、KKK団(クー・クラックス・クラン)の幹部なのだ。

甘く見ていると喉笛を平気で咬み千切られてしまだろう。

 

 

今から思うと、ルチアーノ・リット・マーコフの人生は、余り恵まれているとは言えなかった。

幼い時に腎障害を患い、透析治療を余儀なくされた。

医者からは、成人するまで身体が持たないだろうと診断された。

父親から腎移植を受けたが、結局、自分の躰には適合出来なかった。

しかし、それでもルチアーノの両親は、諦める訳にはいかなかった。

何故なら、マーコフ家の後継ぎがルチアーノ只一人だったからである。

 

マーコフ家の男子は、生まれると必ず何かしらの遺伝子疾患を持っていた。

ルチアーノには、兄と姉の兄弟がいたが、兄は生まれてすぐに小児癌を発症し、12歳と言う幼さでこの世を去った。

姉も成人し、嫁いで男子を出産したが、生まれてすぐに小児麻痺を患い、その子が死ぬまで介護に追われた。

まさに呪いである。

ドナーが見つからず、ルチアーノが12歳の時に、焦りを覚えた父親は等々、闇の臓器売買に手を出してしまった。

悪魔の遺伝子と人間の遺伝子を掛け合わせて造り出した人工の臓器。

当初、抵抗を覚えた両親であったが、日に日に衰弱し、車椅子生活を余儀なくされた我が子に耐えられず、法外な値段で、その臓器移植を依頼した。

正に悪魔に魂を売る所業である。

しかし、それが功を奏したのか、ルチアーノはみるみる元気になった。

車椅子から自立歩行が可能になり、異常な程の速さで筋力が、常人の倍以上ついた。

肉体も頑強になり、身長も2メートル近くまで大きくなった。

両親は手放しで喜び、ルチアーノも無事、大学まで進学し、アメリカンフットボールのサークルに入り、優れた筋力とタフネスさのお陰で、レギュラー入り。

雑誌等でもフットボール界の超新星ともてはやされ、その手のスポーツ雑誌に取り上げられるまでになった。

 

だが、病魔を克服し、頑丈な肉体を持って喜んでいたのもそれまでだった。

すぐに彼は自分の肉体の異常に気付かされた。

悪魔の遺伝子がどんな影響をルチアーノに与えたのかは分からないが、傷を負っても次の日には、跡も残さず綺麗に治っていた。

骨折してもすぐ元通りになり、どんなに大怪我を負っても、たちどころに治ってしまう。

最初は、病院にも通う必要が無く、便利だと思っていたが、徴兵令で兵役を無事終了し、結婚してから激しく後悔した。

 

後天性による造精機能障害。

精子を造り出す機能に問題が起こり、精巣や内分泌系の異常が障害を引き起こす病気である。

恐らく悪魔の遺伝子が、ルチアーノの肉体に何らかの影響を与えたのだろう。

彼は、子供が作れない身体になっていた。

それに気づかされたのは、結婚してから半年後である。

中々、子宝に恵まれない事を不審に思ったルチアーノと妻が、産婦人科に通院した時に医師からそう診断された。

 

子供が出来ない。

それはNY市きっての名家であるマーコフ家には、死活問題である。

兄弟から養子を得ようにも、兄は幼くして既に他界、姉夫婦には当然、病死した子供以外誰もいない。

児童養護施設から、養子縁組をするしか他に方法が無かった。

しかし、最早、自暴自棄に近い感情になっているルチアーノは、外から子供を得る方法に余り乗り気ではなかった。

妻もそんな夫の気持ちを感じ取ったのか、子供の話は滅多にしなくなった。

己への不甲斐なさと愛する妻への申し訳無さで、今にも潰れてしまいそうなルチアーノは、気分転換に釣りでもしようと、ハドソン川の畔まで散歩に出かけた。

釣りは、彼の祖父から教えられたものである。

そして、そこでフォレスト家の長男、ジョセフと出会った。

 

 

単式ロケットランチャーの爆風が周囲を包む。

デザートイーグル並みの二丁拳銃を構えるルチアーノ。

その視線の先、フォレスト家が経営するプールバーの出入り口に、見知った人物の姿を目撃し、鋭い双眸を見開いた。

 

メアリー・ベットフォード・フォレスト。

かつて一端の”銃剣使い(ベヨネッタ)”に育て上げて欲しいと、フォレスト家の女傑・カリーナに頼まれて、育て上げた愛弟子である。

 

 

「よぉ、久し振りだな? お嬢ちゃん(レディ)。」

「5年振りぐらいかしら? 先生(マスター)。」

 

遮蔽物越しに交わされる軽い挨拶。

 

当時とは比べ物にならない程、メアリーは美しく成長していた。

こんな状況でなければ、お互いにハグをして再会を喜んだだろう。

 

「残念だ・・・・兄貴の予想通り、お前はソッチ側に付いたみたいだな。」

「私は、兄さんと同じ事勿れ主義なのよ・・・。」

「そうかい・・・そいつは残念だ!」

 

部下に目線で指示を出し、車の陰から飛び出す。

レッグホルスターから、二丁のハンドガンを引き抜くレディ。

お互いの得物が火を噴いた。

 

 

対悪魔用の特殊スーツに覆われた右腕が、深々と氷の悪魔、フロストの胴体を貫く。

悪魔の弱点である心臓を破壊され、粉々に砕ける中級悪魔。

仲間を殺され、怒りの咆哮を上げるもう一体が、黄色と黒をベースにしたスーツを纏うCSI捜査官へと襲い掛かる。

放たれる氷の爪。

しかし、光の速さで移動するCSI(超常現象管轄局)捜査官にその鋭い爪が届く事は無かった。

黄色い軌跡を残し、氷の爪を全て破壊。

爪を放った悪魔の背後へと移動した捜査官が、蹴り一発で心臓(コア)を潰す。

 

「す、凄い・・・これがヴァチカンが開発した対悪魔用破壊兵器(ゼロワンドライバー)か・・・。」

 

M56スマートガンを両手に構えるCSI(超常現象管轄局)の捜査官、ジェームズ・エドワーズが、驚愕の表情でスーツに身を包む上司の戦闘を見つめていた。

 

「凄いのはスーツではなく、ケビン・ブラウン大佐です。 普通の人間があのスーツを着用したら、パワーに振り回されて戦いどころではありません。」

「そうそう、おまけに出力の50%も出してない。僕達に被害が出ない様に気を遣いながら最小限の力で悪魔を倒してる。 」

 

そんなエドの背後で、呑気に解説をするマッドサイエンティストとその助手。

助手は、手の中に納まるぐらいの小さな高性能ビデオカメラで、ケビンの戦いを撮影し、その傍らにいる大分くたびれたトレンチコートを着る瓶底眼鏡の科学者は、棒付きキャンディーの包装を破っていた。

 

「流石、エルヴィン君のお父さんだよねぇー。One Army Only(一人だけの軍隊)て、通り名は伊達じゃ無いって事かな? 」

 

美味しそうに棒付きキャンディーを咥える瓶底眼鏡の科学者は、最後の1体の頭を踏み潰すケビンを頼もし気に眺める。

 

「おい、その名前を出すんじゃねぇよ。 先生。」

 

ドライバーからプログライズキーを抜き取り、元の姿に戻ったケビンが、鋭い視線で瓶底眼鏡の科学者を睨む。

 

「おっと、もしかして聞こえてた? 」

 

おどけた様子で態とらしく流が肩を竦める。

ケビンにとって、息子の名前は禁句だ。

グリーンベレー時代から、ケビンに付き従っている優秀な部下達も、決して彼の息子の名前は出さない。

 

「まぁ、その話は別として・・・・全然、駄目駄目じゃないか・・・これじゃぁ、100点満点中、50点しか上げられないね。」

「はぁ? 」

 

流が言っている意味が全く分からず、ケビンは大分間の抜けた表情になる。

 

博士の指示通り、嫌々、このふざけた強化スーツを着て悪魔と戦い、何の被害も出さずに無事全滅させた。

これの何処がいけないというのだろうか?

 

「何であっさり殺しちゃうのさ。ちこっとぐらい敵の攻撃を受けてくれないと耐久値のテストが出来ないだろ? 」

 

何の指示も出していないにも拘わらず、テキパキと悪魔の死骸からサンプルを回収しているCSI捜査官達を横目に、流が大袈裟に溜息を吐く。

 

「アホか!何で敵の攻撃を受けなきゃならん!? アンタのふざけたスーツを着てちゃんと悪魔共を倒したんだ! コイツはアンタに返す!そんでもって、その姉ちゃんと一緒に此処からとっとと出て行け!」

 

蟀谷に青筋を立てたケビンが、プログライズキーとゼロワンドライバーを流に差し出す。

 

先程の戦いで、戦闘データは十分取れた筈だ。

それに、本音を言うと、コイツ等とこれ以上付き合うのが限界だった。

アメリカ陸軍特殊部隊時代では、幾つもの輝かしい功績を残し、国から勲章を授与された。

悪魔討伐特殊部隊を組み、あらゆる銃火器や各種格闘技を駆使し、ギガント級の悪魔を何百体と倒して来た。

驚異的な早打ちの名手で、周囲の者達からもOne Army Only(一人だけの軍隊)という通り名で恐れられた。

その自分が、何処かの子供番組等で登場する戦隊ヒーローの恰好を無理矢理させられ、挙句、長年、自分について来てくれた部下達の前で、悪魔相手に大立ち回りをしたのだ。

正直死にたい・・・。

この世から、跡形も無く消えてしまいたい。

 

「いやぁ、帰りたいのは山々なんだけどさぁ・・・。」

 

凄まじい形相で此方を睨むNY支部長を前に、流は溜息を吐くとケビンの背後にある出入口を指差す。

何事かと背後を振り返ったケビンは、幾重にも張り巡らされた分厚い結界を見て言葉を失った。

 

「流石に、アレを壊すのは僕にも無理だ・・・と、言う訳で・・・。」

 

ケビンが押し付けたゼロワンドライバーとプログライズキーを、丁重にお返しする。

 

幾ら凄まじい破壊力を秘める対悪魔用破壊兵器(ゼロワン)でも、あの分厚い結界を破壊するのは不可能だ。

この研究所施設のセキュリティーシステムを乗っ取り、解除する以外、他に方法は無い。

 

「・・・・っ・・・な、泣けるぜ・・・。」

 

がっくりと肩を落とすNY支部長。

その手には、返すに返せないゼロワンドライバーとプログライズキーが握られていた。

 

 

 

何処までも続く砂漠地帯。

そこを一台の大型トラックと数台の装甲車両が走っていた。

 

20歳になったばかりのルチアーノは、大型トラックの荷台の上で、平らに流れていく景色を無言で眺めている。

彼の他に、14.5歳の少年達が荷台に横並びで乗っていた。

軍から支給された迷彩柄の防護服を着用し、手には、不釣り合いな程大きな5.56mm機関銃をしっかりと握っている。

皆、口を固く閉ざし、死人の様な青い顔をして床を見つめていた。

 

これから彼等が送り込まれる場所は、正真正銘の地獄だ。

人間同士が行う戦争ではない。

悪魔と呼ばれる異次元から来た怪物達と、血みどろの戦いを行うのだ。

 

「ううっ・・・・ママぁ・・・・。」

 

少年兵の中でも一番幼い、13歳ぐらいの浅黒い肌をした黒髪の少年が、その場の雰囲気に耐え切れず、小さな声で啜り泣いた。

 

彼は、内戦が続く国の農家で生まれた子供だった。

土地は痩せ衰え、思う様に農作物が採れず、日々の生活に困窮した両親が、魔導師ギルドから支払われる法外な補償金目当てに売り飛ばされたのだ。

過酷な訓練に耐え、何とか剣士(ナイト)の資格を習得したが、実践経験など当然ありはしない。

それは、このトラックに乗る他の少年兵達も同じであった。

口を真一文字に結び、泣くのを必死に堪えている。

 

 

「When the night has come(夜が訪れ)And the land is dark(辺りが闇に支配される時)And the moon is the only light we see(月明かりしか見えなくったって)No, I won't be afraid(恐れる事なんてないさ)。」

 

不図何処かから聞こえる唄声。

見ると、真向いに座るくすんだブロンドの髪をした青年が唄っていた。

御世辞にも上手いとは到底言えない唄声。

しかし、何故か乾いた心を潤す様な、優しい声量をしている。

 

「Oh, I won't be afraid(怖がる必要なんてどこにもない)Just as long as you stand(ただ君が暗闇の中ずっと)stand by me,(僕の側にいてくれたら)So, darling darling Stand by me(だから側にいてくれないか)・・・。」

 

双眸を閉じ、感情を込めて歌うその青年は、自分と同じKKK団(クー・クラックス・クラン)に所属するジョルジュ・ジェンコ・ルッソであった。

自分と同じ軍から支給された迷彩柄の防護服を着ている。

唯一違うのは、5.56mm機関銃ではなく、身の丈程も大きな大剣・・・ツーハンドソードを手に持っていた。

 

「ベン・E・キング・・・僕が好きなアメリカのソウル歌手さ。彼が唄った数多くの曲の中でも”Stand by Me”は素晴らしいと思うよ。」

 

閉じていた双眸をゆっくりと開き、濃い藍色の瞳が真向いに座るルチアーノへと向けられる。

途端、気恥ずかしくなり、微かに頬を染めるルチアーノ。

返答に困り、荷台の床に視線を落とす。

 

「この歌は、ある映画の主題歌なんだけどさ・・・僕はその映画が大好きで何度も何度も、それこそ呆れるぐらい映画のビデオを見たよ。」

 

真向いに座る幼馴染みに苦笑を浮かべ、ジョルジュは、藍色の双眸を荷台の席に座る幼い少年兵達へと向ける。

 

映画の内容は、4人の少年達が、列車に轢かれたレイ・ブラワーと言う名の少年の死体を探しに行くというモノだった。

「死体を見つければ英雄になれる。」そんな動機から、4人の少年達は、お互い助け合い、時には喧嘩もしながら、鉄道の線路に沿って旅をするのだ。

 

「その映画の中で流れるこの曲が最高でさ・・・辛くて苦しい時は、何時もこの曲を頭の中で歌うんだ。」

 

すると不思議に、辛い気持ちが薄らいでいくのだという。

 

そんなモノは、苦しい今の環境を誤魔化す為の、方便でしかない。

真向いに座るルチアーノは、そうジョルジュに言ってやりたかったが、周りに居る子供達は、真剣な表情で幼馴染みの話を聞いていた。

皆、この残酷な現実を逃れる為に、藁にも縋りたい心境なのだ。

 

「誰かが言ってたね・・・・歌を歌えば苦しい気持ちが和らぐって・・・でも、そんなのは嘘だ。辛いモノは辛いし、怪我をすれば死ぬ程痛い。」

 

唄声で人を救える筈が無い。

もし救えるならば、この世界に戦争など存在はしないだろう。

 

「でもさ・・・何かに縋るってのは悪い事じゃないと思う。縋るモノが無ければ、この世界は絶望だらけだ。」

 

優しい藍色の瞳。

ルチアーノも荷台に乗る少年兵達も、黙ってジョルジュの話を聞いている。

 

人は何かに縋らなければ生きてはいけない。

それが他者から見れば、どんなに下らないモノでも、ソレに縋る事で人は強くなれるのだ。

ジョルジュの縋るモノは、半世紀以上も前に流行った古い唄。

それを口ずさむ事で、この地獄の様な世界に居ても救われる気持ちになれる。

例えソレがどんなに儚く脆いモノでも・・・。

 

 

 

ジョン・F・ケネディ国際空港。

アメリカ合衆国、NYのクイーンズ区にあるこの空港は、ラガーディア空港、ニューアーク・リバティー国際空港と並ぶアメリカを代表する国際空港である。

その玄関口であるロビーに、黒服を着た屈強な男達、数名と軍の特殊部隊らしい防護服と銃火器を装備した兵士達がいた。

 

「そろそろ法王猊下が到着する時間だな。 」

 

CSI(超常現象管轄局)の捜査官の一人、ジェイソン・タイラーは、右腕に付けている腕時計を見た。

NY支部長、ケビン・ブラウンと同じアメリカ陸軍特殊部隊(U.S.Army Special Forces)の出身で、ナイフ術のエキスパートであり、ケビンの右腕的存在だ。

CSIの中では、ジェームズ・エドワーズの次に若い。

しかし、頭髪が哀しい程薄く、本人もソレを大分気にしていた。

 

空港のロビーには、彼等、CSIの捜査官数名と軍の対悪魔討伐特殊部隊の兵士達しかいない。

一般市民達は、全員、空港の関係者達と協力して避難させている。

 

「おい、ジェイソン、大佐がヤバイ事になってるぜ? 」

 

2メートル以上の大柄な体躯をした金髪の捜査官が、タイラーに話し掛けて来た。

この男の名前は、ガンナー・ヤンセン。

ケビンやタイラーと同じアメリカ陸軍特殊部隊の出身であり、射撃とマーシャルアーツの達人だ。

 

「大佐が”人修羅”と一緒に、マーコフ家が所有している薬品研究所内に侵入したが、何故か連絡が取れなくなった。 」

 

ガンナーは、手短にそれだけをタイラーに伝える。

 

「はぁ? 何であんな化け物が此処にいるんだよ? 」

「さぁなぁ・・・エドの話によると、俺達と同じヤマを追っていたらしい。」

 

ガンナーの話によると、マーコフ家とルッソ家が起こした一連の事件を日本の超国家機関『クズノハ』の幹部、17代目・葛葉ライドウも探っていたらしい。

ライドウは、彼等の上司であるケビン・ブラウンと面識が有り、お互いに利害も一致した為、協力する事になったのだそうだ。

しかし、両家が隠れ蓑にしていたブルックリン区にある薬品研究所に突入する際、人修羅がケビンの命令を無視して、勝手に施設内に入ってしまった。

 

 

「ちっ、これだから”クズノハ”の連中は、ろくでもねぇ。 」

 

タイラーは、忌々しそうに吐き捨てる。

 

仕事の関係上、日本の対悪魔組織『クズノハ』とは、嫌でも一緒に任務を組まされる事がある。

しかし、独断専行の気が強く、おまけに此方の指示に全く従わない。

人間の常識を遥かに覆す強さを持つ『クズノハ』の実力は認めるが、此方の被害が尋常では無い為、出来るだけ近づきたくないというのが、本音だ。

 

その時、タイラーの立っている背後の空間が微かに揺らいだ。

 

「なんだよ?スカー。持ち場から離れるなと命令しただろうが。 」

 

タイラーが背後のソレに向かって、舌打ちする。

自分よりも二回り以上、デカイそれ・・・辛うじて人型をしている事だけは分かるが、光学迷彩を使用しているのか、姿が判然としない。

ただ、目の部分だけが異様な光を放っていた。

 

「強イ魔力ノ波動ヲ感ジル・・・モシカシタラゲートガ開クノカモシレン。」

 

女性とも男性とも分からない、機械音声がタイラーに応える。

 

「ゲート・・・・? もしかして、”地獄門(ヘルズゲート)”の事か。」

「ソウダ・・・・。」

 

姿が見えないもう一人の仲間・・・スカーの言葉にガンナーが訝し気な表情になる。

 

スカーは、CSI(超常現象管轄局)の中でも、探知能力に優れている。

彼の言葉が正しければ、タイラー達が危惧している事が現実になるという事だ。

 

「ちっ・・・・全く・・・泣けるぜ・・・。」

 

次から次へと立て続けに面倒事が起こる。

タイラーは、額に手を当てると無意識に上司と同じ口癖を呟いていた。

 

 

ライドウの放ったクナイがアサルトの心臓部分を的確に貫く。

悪魔の弱点である心臓(コア)を破壊され、塵と化す爬虫類型の怪物。

しかし、死を恐れぬ化け物達は、仲間の変わり果てた姿を目の当たりにしても、決して怯む様子は無かった。

次々と跳び上がり、呪術帯で顔の殆どを隠している悪魔使いへと襲い掛かる。

鋭い爪と牙を紙一重で躱す小柄な悪魔使い。

カウンターで素早く詠唱した氷結魔法”ブフーラ”が、悪魔達を串刺しにしていく。

 

「・・・・っ!!」

 

背後から感じる殺気。

振り下ろされる刃を、咄嗟にクナイで受け止める。

橙色の火花が辺りに散る。

 

「・・・・ヨハンっ!」

「まだ、私をその名前で呼ぶのか?”人修羅”。」

 

耳障りな金属音と共に、離れる二人。

鋭い黒曜石の隻眼と、包帯から覗く薄いアイスブルーの瞳がぶつかる。

 

「ライドウ! 」

 

二人から少し離れた場所で戦っていたダンテが、悪魔使いへと駆け寄ろうとする。

しかし、その前を数体のアサルトが立ち塞がった。

 

「ちぃ!! 邪魔だ!てめぇら!! 」

 

双子の巨銃、”エボニー&アイボリー”を抜き放ち、マシンガン並みの速射を放つ。

だが、分厚い鱗で覆われたアサルトに致命傷を負わせる事は出来なかった。

鋭い爪と牙を剥き出しにして、襲い掛かるアサルト達。

それをダンテが身軽な身のこなしで躱す。

 

 

「随分と辛そうだな? やはり、番がいなければ本来の実力は出せないか。」

 

すっかり息の上がったライドウを前に、包帯の男・・・ジャン・ダー・ブリンデが嘲る。

 

ライドウは、典型的な魔力特化型の悪魔召喚術師だ。

膨大な魔力を持つ番がいなければ、当然、本来の力が振るえず苦戦を強いられる。

当初は、あの銀髪の大男が代理番だとばかり思っていたがどうやらそうではないらしい。

やはり、愚かな程、真面目な性格が彼を窮地へと追い込んでいる様だ。

 

「大きなお世話だ。 てめぇに心配される筋合い何てねぇよ。 」

 

右の首筋から蟀谷にかけて、尋常では無い痛みが走る。

恐らく体内に寄生している蟲が、もっと餌を寄越せと騒いでいるのだろう。

呪術帯で顔を隠している為、見る事は出来ないが、蟲によって生まれるどす黒い痣が、右半分を覆っていた。

 

「すぐにそうやって痩せ我慢をする・・・そういう頑固な所は昔と同じだな。 」

 

包帯から覗く双眸が、不意に和む。

 

番(パートナー)だった頃は、幾多の死線を潜り抜けて来た。

任務には忠実で、目的遂行の為ならば、どんな汚い事も平然とやってのけた。

今は、大分人間らしい瞳に戻っているが、馬鹿が付くほど真面目な性格だけは治らない。

 

「ヨハン、今ならまだ間に合う・・・ジョルジュ氏の蛮行を止めて、パティ・・・NY市(この街)を救うんだ。 」

「残念だが、それは聞けないな・・・ミスター・ジョルジュからは多額の依頼料を貰っている。 それに・・・NY市(この街)がどうなろうが、私の知った事ではない。」

 

迅速の速さで間合いを詰めるジャン。

ライドウも舌打ちし、背負っている真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を抜き放つ。

反り返った刀身と、真紅の槍がぶつかり合う刹那、ダークブルーのスーツを着た包帯の男が大きく間合いを取った。

見ると何時の間に実体化したのか、白銀の鬣を持つ魔獣が、二人の間を裂く様に立っている。

現ライドウの御目付け役兼指南役の魔獣・ケルベロスだ。

 

「ほう、剣聖殿のお出ましか。 」

「ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリー・・・・。」

 

数メートルの距離を置いて対峙する二人。

黄金の双眸と冷たいアイスブルーの瞳が激しくぶつかり合う。

 

「奴は私に任せて、お前は先に行け、17代目。 」

「お。お袋さん・・・・? 」

 

戸惑い気味にライドウが、目の前に立つ白銀の魔獣を見つめる。

魔獣の身に堕ちているとはいえ、その実力は自分とは比べ物にならない程強い。

かつて魔剣教団最強の騎士と謳われたヨハン相手でも、互角以上に立ち回るだろう。

 

「早く行け!もうすぐ地獄門(ヘルズゲート)が開いてしまう!」

「わ、分かった!! 」

 

師の言葉にライドウは頷くと、右手の手甲に装備したワイヤを射出する。

鋭いフックが、血管の様に張り巡らされた天井のパイプに突き刺さった。

強靭な特殊素材で編まれたワイヤーが、電動で巻き取られる。

その反動で、大きく跳躍する悪魔使い。

先には進ませぬと、包帯の男が手にした日本刀で迎え撃とうとするが、白銀の魔獣が襲い掛かり邪魔をする。

 

「邪魔をするなよ? 負け犬。 」

「フン、道を踏み外した外道に言われる道理などない。」

 

鋭い牙が肉を引き裂く刹那、紙一重で躱す包帯の男。

数歩離れた位置で対峙する二人の双眸が、激しく火花を散らせた。

 

 

 

物心ついた時から、パティは一人ぼっちだった。

でも、不思議と寂しいという感情は湧かなかった。

彼女の周りには、似たような境遇の子供達が大勢いて、家族の様に接していたからだ。

中には、意地が悪い子も何人かいた。

虐められる事もあったし、親が居なくて寂しいと思った事もある。

そんな辛い時は、すぐに空想の世界へと逃避した。

何時か見た古いアニメの映画。

小さな妖精、ティンカーベルを肩に乗せた空を自由に飛び回る少年、ピーターパン。

彼と一緒に幾多の冒険をして、子供達だけの国、ネバーランドで幸せに暮らす夢。

でも、そんな御伽噺は現実では有り得ない。

あるのは、施設の白い天井と薄汚れた壁だけ。

 

 

「17代目は、必ず此処に来るよ。 」

 

祖父・・・ジョルジュの言葉に、弾かれた様に俯いていた顔を上げる。

柔和な笑みを浮かべる初老の男。

しかし、その心は深い悲しみと例える事の出来ぬ怒りで満ちていた。

 

「彼にとってお前は、命に代えても惜しくない存在だからな・・・さしずめ、私は悪者のフック船長で、17代目・葛葉ライドウは正義の味方、ピーターパンと言ったところか。」

 

ジョルジュは、座っている席から徐に立ち上がると、ゆっくりとした歩調でパティの座っている椅子へと近づいた。

気が付くと右手に掌に収まるぐらいの小さな箱を持っている。

そして、祖父は孫の視線の高さまで身を屈めると、パティの目の前でその小箱を開いた。

 

「き、綺麗な指輪・・・。 」

 

差し出された小箱の中身は、藍色に光るダイヤモンドの指輪であった。

不思議な光を放つその石に、パティは思わず釘付けになってしまう。

 

 

「ホープダイヤモンド・・・・一説によれば、持ち主に不幸を与え、破滅へと導く呪いの石と呼ばれている。 」

「呪いの石? 」

「そう、だがそれは間違いだ。 彼等はこの石の使い方を誤っただけに過ぎない。 」

 

ジョルジュは、孫の小さな手を取り、箱から出した指輪を薬指に嵌めてやる。

 

「この石の本当の力は、どんな困難にも打ち勝ち、使用者に希望を与える・・・しかし、私利私欲にまみれた者が手に取れば、途端にこの石は鋭い牙を向ける。 」

 

自分の右手薬指に嵌められた指輪を見つめる孫に、ジョルジュは懐かしい過去を思い出すかの様な笑顔を向けた。

 

9世紀の大昔、インド南部のデカン高原にあるコーラルという町の川で、農夫が偶然この魔法の石を見つけた。

濃い青色をしたこのダイヤモンドは、数世紀もの時を経て、様々な持ち主の手に渡って行った。

17世紀、ジョンマッキアーという人物が、インドから持ち帰ったこの石を時の王、ルイ14世に高値で売却し、1792年のフランス革命に紛失。

1812年に宝石商のダニエル・エリアソンの手に渡るが、持ち主が謎の失踪を遂げた。

それから18年後、宝石コレクターであったヘンリー・フィリップ・ホープの手へと渡り、孫のフランシス・ホープがフィリップの遺産を相続する条件として、この石にホープ・ダイヤモンドと命名。

しかし、そのホープ家も多額の債務により破産してしまう。

 

破滅と幸運をもたらす魔法の石・・・それが”ホープ・ダイヤモンド”であった。

 

「この魔法石は、お前の祖母ナターシャが持っていたものだ。ホピ族の巫女が代々受け継ぐモノらしい。本当ならば、お前の母さん・・・・ニーナにコレを渡したかったんだが・・・。」

 

母の形見として渡す筈だったのだが、その前にニーナはルッソ家を飛び出してしまった。

全ては、己の愚かさが故である。

 

「いいかい?パティ。 どんな事があってもこの石を手放しては駄目だ。 この魔法の石は、必ずお前の命を護ってくれる。 長く暗いお前の人生を灯してくれる篝火になってくれる筈だ。 」

「・・・・お爺さん。 」

「厳しい事を言う様ですまない・・・だが、私にはお前を護ってやれる時間がもう無いんだ。 」

 

自分の躰は、既に癌によって蝕まれている。

”稀人”としての素晴らしい才能を開花させ始めているこの少女を、不敬な輩から護ってやれる暇(いとま)は既に無い。

”人修羅”と呼ばれ、現世はおろか魔界全土を震え上がらせる存在の”17代目”では、愛する孫を護り通せはしないだろう。

何故なら、その17代目こそが、憎き怨敵であるヴァチカンの走狗でしかないからだ。

 

その時、室内に侵入者を告げる警告音が鳴った。

広間に浮かぶホログラフィの画面を見ると、顔の半分以上を呪術帯で覆った悪魔使いが、護衛として施設内に放し飼いにしている悪魔達を薙ぎ払っているのが映っていた。

真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を巧みに操り、的確に怪物の心臓を破壊し屠る悪魔使い。

このままでは、後数分もしないうちに此処まで、辿り着いてしまうだろう。

 

「ふむ、予想よりも5分早く来たな・・・。」

 

ジョルジュは、右腕に巻かれているロレックスの腕時計に視線を落とす。

遅刻が無いのは関心するが、もう少しだけ孫と話をしていたかった。

初老の男は、溜息を一つ零すと、状況を未だ理解出来ない孫の額に右手を翳す。

すると、まるで糸が切れたマリオネットが如く、パティは眠りへと落ちてしまった。

 

「さて、それでは最後の仕上げといくかな・・・。 」

 

パティの華奢な体躯を優しく受け止めてやるジョルジュ。

これから自分が向かうのは、死出の旅路だ。

しかし、ソレに愛する娘と孫を巻き込むつもりは毛頭なかった。

 

 

 

マンハッタン区北部、ハーレム地区。

フォレスト家が経営する高級プールバーの前は、既に戦場と化していた。

 

両者の持つ、大型ハンドガンが火を噴く。

空中で弾心同士がぶつかり合い、周囲の壁や窓ガラスを破壊していく。

 

「はぁはぁ・・・流石、”ガンマスター”って通り名は伊達じゃないわね。コッチの攻撃を全て先読みされる。 」

 

破壊された車体の陰へと、素早く身を隠した女荒事師・・・レディが忌々し気に舌打ちした。

 

精密射撃は、彼女の得意分野だ。

しかし、ルチアーノは彼女が何処を狙って撃って来るのか全て把握している。

人智を超えた速射に難なく対応し、全て撃ち落としているのだ。

最早、人間技とは言えない。

 

テレサ達は、店内の壁や車などの遮蔽物を盾に、マーコフ一家の兵隊達と交戦中だ。

彼等の為にも、此処は自分が何とかして踏ん張らねば、忽ち(たちま)戦況は最悪な方向へとひっくり返されてしまうだろう。

 

レディは、己を鼓舞し、アサルトライフルとモーゼル軍用拳銃を構える。

戦場において、一番大事な事は、生きる気力と自信だ。

どんな不利な場面になっても、決して絶望しない。

あらゆる手段を使い生き残る事。

そして、何よりも自分自身を信じ抜く事だ。

そう、数メートルの距離を挟んで対峙する、大柄な男に教えられた。

 

全身の筋肉を撓ませ、一気に前に出るレディ。

しかし、彼女が勝負に出るだろう事は、ルチアーノも十分承知していた。

若き”銃剣使い(ベヨネッタ)”を迎え撃つ”ガンマスター”。

お互いの持つハンドガンが火を噴き、鋼の牙がぶつかり合う。

 

「今からでも遅くねぇ、俺達の所に付かないか? お嬢ちゃん(レディ)? 」

 

お互いの得物を巧みに操りながら、ルチアーノはまるで食事の約束でもするかの如く、気軽にレディに話し掛ける。

 

「お断りよ、先生(マスター)。 さっきも言ったでしょ?私は兄さんと同じで長いモノには巻かれる主義なのよ。 」

 

互いのフロントサイドが、まるで刀身の如くぶつかり合う。

命を懸けた真剣勝負にも拘わらず、両者の口元には微笑が刻まれている。

 

「一つだけ質問なんだけど? 」

「何だい?お嬢ちゃん。 」

 

ハンドガンの銃口が、お互いの額にぴたりと当てられる。

否が応にも高まる緊張感。

赤と青のオッドアイが、父親の様に慕っていた壮年の男を見つめる。

 

「どうして、こんな勝ち目のない戦争を仕掛けたの? 何事にも慎重な貴方らしく無いと思うんだけど。 」

 

一連の事件の真相を知った時に、真っ先に浮かんだ疑問。

 

幾ら、ルチアーノがジョルジュを兄貴分として慕っていたとはいえ、所詮は赤の他人だ。

慎重かつ計算高いこの男が、世界の中枢と言っても過言ではない『ヴァチカン』に喧嘩を売るとは到底考えられなかった。

 

「へっ? 他人には深く関わらない主義だったんじゃねぇのか? 」

 

皮肉な笑みを口元に浮かべたルチアーノが、愛弟子を見下ろす。

 

「そうね・・・・でも、時と場合によるわ・・・先生・・・クリスティを危険に晒す様な真似は絶対に許せない。 」

 

怒りに燃える赤と青の瞳。

ルチアーノの表情が、一瞬だが曇る。

 

「13機関(イスカリオテ)のやり方は知っているでしょ? 奴等は敵対する者皆殺す。それが、部外者であろうと、血縁関係にある以上、確実に根絶やしにする。奴等に道徳心なんて欠片も通用しない・・・クリスティが・・・貴方が愛した女性が奴等に殺されるかもしれないのよ? 」

「・・・・・。 」

 

愛弟子の血を吐く様な言葉に、壮年の男は押し黙る。

 

ヴァチカンが子飼いにする最強の殺戮部隊・・・・異端審問官。

13機関(イスカリオテ)と総称されるかの部隊は、苛烈極まる狂気の集団として知られている。

カトリック教に敵対する者を根絶やしにするのは勿論の事、その親族すらも皆殺しにする。

老若男女、乳飲み子の赤子ですら殺す。

神に反逆する者達を殺戮するのが、彼等の経典なのだ。

 

「アイツは、この俺と何十年と連れ添った妻だ。 死ぬ覚悟は既に出来ている。」

「・・・・・っ! 正気で言ってるの? 」

 

師の言葉に、レディは嫌悪感を丸出しにして、睨み付ける。

 

クリスティは、レディにとっても大切な存在だ。

幼い時にフォレスト家に引き取られてから、20数年、家族らしい愛情など一つもくれなかった。

義理母、カリーナは、歳の離れた兄、ジョナサンにべったりで、魔法の資質が無い自分に冷たかった。

フォレスト家を裏で護る為に、あらゆる戦闘訓練と経済学を叩き込まれた。

だが、そんな彼女に家族の暖かさをくれた人物がいた。

それが、ルチアーノの妻、クリスティーナである。

 

「ぶっちゃけ言うとな・・・アイツにゃ何にも話しちゃいねぇ・・・。俺とジョルジュの兄貴が、ヴァチカンと戦争すんのもしらねぇ・・・だけどよ。何となくだが勘づかれてはいるとは思う。 」

 

しかし、妻は何も聞いては来ないだろう。

ルチアーノが自分から話さない限り、知らぬ振りを続ける。

彼女は、そういう女だった。

 

「武装放棄令が全ての引き金なのね・・・ロックはそのせいでヴァチカンに謀殺された。その復讐がアンタ達の動機って事ね。」

 

核心を突いたレディの言葉。

しかし、ルチアーノは鼻でソレを笑い飛ばすと彼女の持つハンドガンを銃身で殴りつける。

弾かれる様にして距離を取る二人。

鋭い双眸が激しくぶつかり合う。

 

「正確に言うとソレだけじゃねぇ・・・・俺達はよ・・・・もう、我慢出来ねぇのさ・・・全てを犠牲にして生きるのによ。 」

「どういう意味? 」

 

ルチアーノの言葉に訝し気に眉根を寄せる女荒事師。

すると背筋を例え様も無い怖気が走った。

見上げるとどす黒い雲が、空を全て覆っている。

そして天空に浮かぶ巨大な五芒星。

 

「あれは・・・地獄門(ヘルズゲート)? 」

 

誰も彼もが、戦闘を一時中断し、空を見上げている。

NY全土を覆う巨大な魔法陣。

そこから数百もの悪魔達が、不気味な唸り声を発しながら、次々と実体化し、NYの街へと降りて来る。

 

 

 

 

「ふふっ・・・凄い光景・・・。」

 

タイムズスクエアを一望出来る高級ホテルのスイートルーム。

長い黒髪をした女が、窓辺に立ちワインを片手に上空を見上げている。

空はどす黒い雲で覆われ、その合間から蒼白い雷光がまるで蛇の如く稲光を発しながら、うねっているのが見えた。

 

不意に、無造作にベッドの上に置かれているスマートフォンが電子音を発した。

女・・・・百合子は、優雅な仕草で手に持っていたワイングラスをサイドテーブルに置くと、ベッドへと腰を降ろす。

スマートフォンを拾い上げ、繊細な指先で受信のボタンを押した。

 

『クリスマスプレゼントは届いた? 』

 

百合子がスマートフォンを耳に当てると、10歳ぐらいの少年と思われる声が聞こえた。

何か楽しい事でもあったのか、その声はとても弾んでいる。

 

「ええ・・・でも、残念。 これから仕事なのよ。 」

 

視線をベッドの脇に置かれたキャリーバッグへと向ける。

後数分後には、このホテルを出て南東ヨーロッパにあるバルカン半島へと向かわなければならない。

 

『そっかぁ・・・取り敢えず、大月先生に頼んで記録素子には残しておくよ。気が向いたらいつでもDM送ってくれ。』

 

相手の少年はそれだけを伝えると、勝手に通話を切ってしまう。

百合子は、口元に冷たい微笑を浮かべるとスマートフォンを片手にベッドから立ち上がった。

再び、窓辺へと歩み寄り、眠らぬ街を見下ろす。

眼下では、通行人達が足を止めて上空を見上げている姿が見えた。

口々に何事かを叫び、しきりに指を厚い雲の絨毯で覆われた空へと向けている。

 

「本当・・・・最後までこのショーを見れないのが非常に残念だわ。 」

 

百合子は、手の中でスマートフォンを弄びながら、それだけを呟いた。

 




まだまだ終わりが見えない。


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チャプター 19

登場人物紹介

エルヴィン・ブラウン・・・・ケビン・ブラウンの息子。元精神科医で自分の患者であった男女7人を惨殺。その肉と内臓を喰らった。
魔導師職(マーギア)と剣士職(ナイト)の役職を全て習得した巨匠(マスターオブマスター)である。13機関(イスカリオテ)第2席 コードネーム・ナイトウォーカー(夜を彷徨う者)。


アメリカ合衆国、NY、クィーンズ上空。

 

ヴァチカンの専用機に乗った人物が、何気なく機内の窓からNYの街並みを見下ろした。

 

「すまんな・・・折角の休暇を台無しにしてしまって・・・・。 」

 

視線を煌びやかな街灯の夜景へと向けたまま、男・・・・ガーイウス・ユリウス・キンナは、真向いに座る13機関総司令、ジョン・マクスゥエル枢機卿に言った。

 

「いいえ・・・・猊下の御身を護るのが我等、13機関(イスカリオテ)の役目ですから。 」

 

見事な銀色の髪をした美丈夫が、恭(うやうや)しく若き法王猊下に応える。

しかし、その声色には何処か責める様な色があった。

 

 

「・・・・・一応、義理とは言え兄弟なんだ・・・もう少し砕けた口調で話してくれると此方も有難いんだけどな。 」

「そうはいきません。 何事にも道理はあります。 」

 

困った様子で眉根を寄せる法王猊下の言葉を、速攻で叩き落とす。

幾ら自分の妻が、この男の妹とは言え、相手は法王庁の長。

それに、何処で誰が聞き耳を立てているとも限らないのだ。

 

「相変わらずつまらん男だな・・・・アナスタシアは、君の何処に惚れたのか皆目見当がつかん。」

 

ユリウスは大袈裟に肩を竦める。

聖務に対し、何処までも実直で真面目な男。

特に趣味も無く、無口で傍に居ても全くと言って良いほど面白味が無い。

それでも、最愛の妹は、この男を愛し、妻となった。

子供を出産し、今では一児の母親となっている。

 

「ふぅ・・・・悪かったよ。 今回の件は確かに軽率な行動だと思っている。だから、そんなにへそを曲げないでくれないか? 」

 

押し黙ったまま、此方に鋭い視線を向ける美青年に、ユリウスは降参と言った様子で天を仰ぐ。

この男の機嫌を損ねると、後々面倒で仕方がない。

 

「猊下の我儘は、今に始まった事ではありません。しかし、一度ぐらいは私に相談して欲しかったですね。」

 

ジョンは、深い溜息を吐くと、機内の窓から覗くNYの街へと視線を向ける。

これから起こるであろう未曽有の大惨事を知らず、街は何時もの様相を呈していた。

 

 

 

ブルックリン区、マーコフ家が所有する薬品研究施設。

その地下通路を、真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を右手に持った小柄な悪魔使いが疾走していた。

 

「・・・・っ!!」

 

長年、培ってきた暗殺者(アサシン)としての本能が危機を告げる。

殆ど条件反射で、その場を大きく飛び退るライドウ。

すると、床から鋭い刃の様な尾ひれを持つ怪魚が飛び出して来た。

 

「ったく!次から次へと面倒臭せぇ!! 」

 

怪魚は、一匹だけでは無かった。

気が付くと無数の怪物・・・・人造の悪魔、カットラスの群が、悪魔使いを取り囲んでいる。

凶悪な刃を突き立て、ライドウへと襲い掛かる怪魚の群。

しかし、その刃が悪魔使いを切り裂く事は叶わなかった。

長い槍を地面に突き立て、棒高跳びの如く上空へと舞う悪魔使い。

地に降り立つのと同時に、闘気術で両脚の筋力を倍増させ、思い切り蹴る。

黒き疾風となったライドウは、真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を巧みに操り、怪魚の群を一閃。

心臓ごと真っ二つに切り裂かれたカットラスは、断末魔の悲鳴を上げる事無く塵へと還った。

 

 

「素晴らしい・・・・。」

 

暗闇に沈む研究所内。

電子機器が放つ淡い光が、ルッソ家当主、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの姿を映し出している。

彼は、監視カメラから映し出されている映像を見て、感嘆の溜息を零していた。

画面には、真紅の魔槍を握り、塵へと還る怪物達の亡骸に一瞥を送る事無く先へと進む悪魔使いの姿があった。

 

(無駄な動きが一切ない・・・・まるで機械の如き精密さで悪魔を倒している。これが17代目・葛葉ライドウか。)

 

ジョルジュの耳にも、遠い異国の地に居る悪魔使いの噂は届いている。

超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術師。

3体の最上級悪魔(グレーターデーモン)を従え、5大精霊魔法を使う上に魔術師(マーギア)の役職全てを習得した到達者(マイスター)。

”人修羅”という通り名を持ち、かつては魔界全土にその名を轟かせた怪物(モンスター)。

それが、歴代ライドウ最強と謳われる17代目・葛葉ライドウである。

 

「本当に惜しいな・・・何故、それ程の実力を持ちながら、ヴァチカンの狗に甘んじているんだ・・・・。」

 

出来る事なら、自分の部下として傍に置いておきたかった。

だが、それは決して叶わぬ事。

ジョルジュは、溜息を一つ零すと背後の培養カプセルに視線を移す。

そこには、蒼い海に浮かぶ一人の少女がいた。

 

 

NYの上空に浮かぶ、巨大な魔法陣。

その異様な光景に、通行人達は行き交う足を止めて、空を見上げている。

 

 

「・・・っ、何て事なの・・・!!」

 

フォレスト家、家長代理であるテレサ・ベッドフォード・フォレストは、大破した車を遮蔽物に、その異常極まる光景をただ眺めるより他に術が無かった。

 

開かれた地獄門(ヘルズゲート)から這い出す異形の怪物達。

腹を空かせた悪魔達は、嬉々とした表情で、現世へと次々に実体化していく。

 

(どうしてなの・・・・どうしてこんな事をしたの? ジョルジュ叔父様!)

 

実の父親以上に慕っていた。

NYに住む人達を誰よりも愛していると信じていた。

テレサにとって、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソは目指すべき指針であった。

 

「お嬢!大変だ!! 」

 

そんな時だった。

金色に染めた髪を後ろに撫でつけている巨漢の男が、テレサが隠れている車の陰に急いだ様子で走り込んで来た。

 

「ニーナさんが何処かに消えちまった! 隠れていたVIP室の窓から逃げちまったんだ! 」

「何ですって!? 」

 

予想外な部下の報告に、テレサの表情が真っ青になる。

 

一度、ニーナの無事を確認する為、VIP室の様子を覗いたサミュエルとアイザックは、そこに彼女が居ない事を知った。

恐らく、実父であるジョルジュから、娘であるパティを取り戻しに行ったのだろう。

室内の窓は開け放たれており、そこから彼女が逃げ出した事が分かった。

 

 

 

「本当に出て行っちゃうの? 姉さん。 」

 

大きなトランクケースを抱え、屋敷から外に出ようとしたニーナの背を幼い弟の声が呼び止めた。

振り返るとそこには、今にも泣き出してしまいそうな顔をした弟、ロックが立っている。

父親と同じ、くすんだ茶色い髪をした12・3歳ぐらいの少年だった。

 

「お願いだよ姉さん、何処にも行かないで・・・・姉さんが居なくなったら・・・僕・・・。 」

「ロック・・・・・。」

 

7つ歳の離れた弟は、耐え切れずにとうとう大粒の涙をポロポロと零してしまう。

この少年にとって姉であるニーナは、母親代わりと同じであった。

実の母親を物心ついた時に病で失い、今度は姉まで家から出て行こうとしている。

孤独と例える事が叶わぬ寂しさで、幼い心は引き裂かれてしまいそうだった。

 

「私が取得した資格は全て国に返上しているわ。 もう、この屋敷にはいられないのよ?ロック。 」

 

自分がどれだけ残酷な事を言っているのかよく理解している。

しかし、魔導師(マーギア)職である医師(ドクター)、詠唱師(ゲサング)、白魔法(ホーリー)は、国に返してしまっていた。

そうなると、必然的にルッソ家の家督を継ぐ事は叶わず、当然、しきたりに従って家を出るしか他に術が無い。

父親であるジョルジュも、それは既に周知しており、彼自身も自分に逆らった娘が屋敷に居残る事を良しとはしないだろう。

 

「御免なさい・・・でも、仕事と住む場所が落ち着いたら、必ず連絡をするわ。それまで暫く辛抱してね。 」

「・・・・・うん。 」

 

優しく温かい姉の胸に抱かれ、ロックは素直に頷く。

本当なら、もっと我儘を言って姉を困らせてやりたかった。

しかし、根が真面目で優しいロックは、それが出来ないでいる。

 

名残惜し気に離れていく姉。

それが、この姉弟の最後の言葉となった。

 

 

NYの街は、既に地獄絵図であった。

地獄門(ヘルズゲート)によって発生した悪魔達が、次々と実体化し、一般市民達を襲っている。

NY市警の対悪魔専用の機動部隊が、駆け付けて対処しているが、いかせん悪魔の数が多すぎる。

対処出来ず、悪戯に被害を拡大しているだけであった。

 

 

「・・・・・っ!? 」

 

喧噪渦巻く市民や機動部隊の騒ぎに紛れ、ブルックリン区にあるマーコフ家が所有する薬品研究所へと向かおうとしたニーナ。

しかし、その前を巨大な影が立ち塞がった。

中級悪魔の妖獣・エンプーサ・クィーンである。

低級悪魔である配下のエンプーサ達を従え、空かしている腹を満たしている最中であった。

上質なマグネタイトを持つニーナを前に、血の如き真紅の複眼が半月に歪む。

生まれて初めて遭遇する悪魔に、ニーナの両脚は思わず竦んでしまった。

 

「ぐぎゃぁあああ!!!!」

 

突然、苦痛の悲鳴を上げるエンプーサ・クィーン。

見ると複眼の一つに作業用のカッターナイフが、深々と突き刺さっている。

どす黒い血を辺りに撒き散らし、矢鱈目たらに両腕に付いた鋭い鎌を振り回す怪物。

余りの出来事に、呆然とするニーナの脇を黒い突風が駆け抜けた。

 

「ひぎゃぁあああああああ!!」

 

再び、巨大な怪物から悲鳴が上がる。

何者かに鎌状になった左前脚を斬り落とされたのだ。

突風は、エンプーサ・クィーンの心臓を見つけると、右手に持っている折り畳み式のカッターナイフを突き立てる。

四方に走る亀裂。

弱点である心臓を砕かれ、醜悪な怪物は瞬く間に塩の柱へと変わった。

 

「い・・・一体、何者なの? 」

 

咄嗟に、護身用の銀の短剣を構えるニーナ。

彼女の目の前に立つのは、フード付きのミリタリーコートを着た少年であった。

目深に被ったフードから覗く顔には、紅い赤外線レンズが内蔵されたマスクを付けている。

鍛え上げられたがっしりとした体躯をしており、背丈はニーナと同じぐらいあった。

 

「ニーナ・ジェンコ・ルッソだな・・・? 俺は”八咫烏”の使いだ・・・アンタを父親の所まで案内しろと命令されて来た。 」

「や・・・”八咫烏”・・・まさか、貴女は”クズノハ”の人間なの? 」

 

”八咫烏”という名前なら聞いたことがある。

日本の超国家機関『クズノハ』の暗部だ。

悪魔討伐は勿論の事、要人暗殺まで請け負う危険な暗殺部隊である。

 

その時、生みの親であるエンプーサ・クィーンを殺害され、怒り狂った子のエンプーサ達が、一斉にマスクの少年へと襲い掛かった。

余りの出来事に、声も出ず、その場に固まるニーナ。

しかし、少年は全く動ずる様子は無かった。

コートの袖の下に仕込んだハンドガンが、スプリングの仕掛けで飛び出し、背後から襲い掛かるエンプーサ達に向かって発砲。

悪魔の弱点である水銀製の弾丸は、怪物達の額を撃ち抜き、薙ぎ払われていく。

 

「・・・・・来い。 」

 

絶命し、塵と化す怪物達。

少年は、そんな怪物達の亡骸に一瞥を与える事無く、ニーナを促し、先へと進んでしまう。

震える両脚を叱咤し、マスクの少年を追い掛けるニーナ。

悔しいが、今の自分では、凶悪な悪魔達が跳梁跋扈するこの地帯を抜け出す事は出来ないだろう。

ならば、得体が知れず信用が出来ないが、今は、この”八咫烏”の使いと称する少年に縋るしか他に術が無い。

 

 

 

メアリーは、物心ついた時から独りぼっちだった。

ネオ・ナチと称する過激派組織の起こした自爆テロに巻き込まれ、両親は死亡。

辛うじてメアリーは、軽症で済んだが、彼女の親族達は、誰も引き取ろうとはしなかった。

元々、階級が下な底辺市民達である。

世界的大恐慌に加え、仕事が何処にも無く、その日暮らしでやっとの状態であった。

とても、幼いメアリーの面倒を見る程の余裕など無い。

必然的に、メアリーは国が経営する児童養護施設へと引き取られ、10歳になるまでその施設で生活する事となった。

そんな彼女に転機が訪れたのは、10歳の誕生日を控えたある日の朝。

ハーレム地区でも資産家として有名なフォレスト家の家長が彼女を気に入り、是非養子として来て欲しいと言われた。

施設の職員達や、施設長も手放しで喜んでくれた。

勿論、こんな辛気臭い施設から一刻も早く出たいと願っていたメアリーは、二つ返事で養子になる事を決めた。

しかし、彼女の幸せは瞬く間に崩れ去った。

魔法の資質を調べる検査に、彼女は不適合の烙印を押されてしまったのである。

掌を返したが如く、彼女に対する態度は冷たくなった。

元々、気が弱く、頼りない跡取り息子であるジョナサンを支える為に、優秀な人材を探していた所に、偶々、メアリーが選ばれただけである。

期待を見事に裏切られたフォレスト家の人間達は、殊更、彼女に冷たく当たる様になった。

特に、家長の妻であるカリーナは酷かった。

幼い彼女に、礼儀作法、経済学、各種格闘技から武器の扱いまで徹底的に教育させた。

その教育担当者が、マーコフ家の家長、ルチアーノ・リット・マーコフだった。

彼は、裏社会では『ガン・マスター』と呼ばれ、あらゆる銃火器や各種格闘技に精通する銃剣使い(ベヨネッタ)であった。

幼い彼女に対し、ルチアーノは容赦が無かった。

どんな環境下でも生き残るサバイバル技術を彼女に叩き込んだ。

訓練は苛烈を極め、幾度も逃げ出そうと考えた。

しかし、そうしなかったのは、ルチアーノの妻、クリスティーナの存在があった。

子宝に恵まれなかったルチアーノ夫婦は、まるでメアリーを我が子の様に可愛がった。

児童養護施設やフォレスト家では、決して与えられない愛情を彼等はくれた。

 

 

(クソっ・・・何でこんな事になっちゃったのよ・・・・!)

 

建物の陰に隠れ、心の中で悪態を吐く。

 

父親の様に慕っていた。

経験が豊富で優秀な悪魔狩人(デビルハンター)として尊敬していた。

誰よりもこのNY(まち)を愛し、正義感溢れる人物だと思っていた。

 

レディは、舌打ちすると建物の陰から、ルチアーノの出方を伺う。

すると、一体何を考えているのか、ルチアーノは得物を手放し、丸腰でストライカー装甲車の前に立っていた。

 

「どうやら時間切れだ。 ここらでケリを付けさせて貰うぜ。」

 

ニヤリと皮肉な笑みを浮かべると、ルチアーノはジャケットの内ポケットから注射器を取り出す。

何の躊躇いも無く自分の首にソレを突き刺す巨漢の男。

すると、凄まじい激痛が全身を駆け抜けた。

 

「先生!! 」

 

思わず隠れていた遮蔽物から出るレディ。

苦痛の余り蹲る男の躰に異変が起きる。

筋肉が膨張し、ルチアーノの躰が一回り以上、膨れ上がる。

皮膚から固い赤褐色の鱗が突き出し、全身を覆う。

槍の様な鋭い突起物が生えた長い尾。

顎が迫り出し、口腔には鋭い牙がずらりと並ぶ。

爬虫類の様な縦長の瞳孔。

血の如く赤い双眸が、数歩離れた位置にいる愛弟子に向けられた。

 

「あ・・・・悪魔・・・・・? 」

 

その姿を例えるならば、二足歩行する巨大な蜥蜴。

ロール・プレイング・ゲームなどに登場するリザードマンそのものの姿であった。

 

「これが”ゼブラ”・・・・まさか、人間を悪魔に変える薬が本当だったとわね。」

 

呆然自失と言った様子で、異形の怪物へとメタモルフォーゼするかつての師を見つめるレディの傍らに、アサルトライフルを両手に持つテレサが立っていた。

 

「ゼブラ・・・・・? 」

「主治医(ドク)が前に言っていたのよ。 裏社会で人間を悪魔に変える魔薬が出回っているってね。 」

 

テレサの説明によると、数週間前に行方不明になったロック・クィーンことエレナ・ヒューストンもこの悪魔の薬を常用していたのだという。

”ゼブラ”という魔の薬を使用すると、常人よりも遥かに優れた筋力を手に入れる事が出来る。

唄を生業としている人間が飲めば、優れた歌唱力を手に入れ、アスリートが使用すれば、意図も容易く世界記録を塗り替える事が出来た。

しかし、その代償として性格が狂暴になり、常に飢餓状態となって最悪、人肉嗜食へと走る。

おまけに筋肉や骨格が異常発達し、見た目が悪魔そのものの容姿へと変化してしまうのだ。

 

「・・・・っ!見損なったわよ。 ルチアーノ。」

 

怒りの色に濡れた赤と青のオッドアイが、かつて師だった怪物を睨み付ける。

固い赤褐色の鱗に覆われた巨大蜥蜴(リザードマン)。

真紅の双眸が、笑みに歪む。

 

 

 

白銀の獅子が、鋭い爪と牙を操り、包帯の男を切り刻もうとする。

それを紙一重で避ける包帯の男。

カウンターで、鋭い斬撃を放つ。

しかし、その刃が美しい毛並みを持つ魔獣を切り裂く事は叶わなかった。

斬撃を躱し、一定の距離をとって降り立つ。

 

「生温いな・・・・まぁ、そんな姿じゃ仕方がないか。」

 

包帯の男・・・・ジャン・ダー・ブリンデが、反り返った日本刀の刃を構え、氷の如き冷たいアイスブルーの双眸を細める。

 

「一つ問う・・・・貴様が外道に手を貸す理由は一体なんだ? 我々への復讐が目的か?それとも、本当に金で雇われただけなのか? 」

 

腹腔から湧き出る怒りの吐息を吐きつつ、ケルベロスが黄金の双眸で眼前に立つ包帯の便利屋を睨み据えた。

 

「主従揃って下らない質問だな? 私が何処で何をしようと関係がないだろ? 」

「・・・・・あの時、17代目はお前の後を追い掛けて死のうとした。 」

「・・・・・? 」

「決してお前を見捨てるつもりなど無かった。 魔力切れでロクな魔法も使えん状態だった・・・それでも、お前を救うつもりであの煉獄の中へと戻ろうとしたのだ。」

 

ケルベロスの言葉に、ジャンの口元に浮かんだ皮肉な笑みが消える。

包帯から覗く、薄いアイスブルーの瞳が、静かに数歩離れた距離に立つ魔獣を見つめていた。

 

「だから何だ・・・・・今のこの状況で、昔の話を蒸し返してどうする? 」

 

鈍色に光る刀身を正眼に構える。

 

確かにジャンの言う通りであった。

今の自分は、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソに雇われた便利屋だ。

そんなカビの生えた昔話を持ち出されても、事態が好転する事は決して有り得ない。

 

 

「勘違いしている様に見えたからな・・・・一応、奴に変わって誤解を解いておこうと思ったまでだ。 」

 

これで和解するとは、思って等いない。

ケルベロスは、全身の筋肉を撓(たわ)め、何時でも襲い掛かれる様に低く身構える。

すると、そんな二人の間を割って入るかの如く、頭部を斬り落とされたアサルトの死骸が投げ捨てられた。

見ると雷神剣『アラストル』を担ぐ銀髪の青年が、俺も混ぜろと言わんばかりに、此方を睨み付けている。

 

「蜥蜴共は片付けたぜ? ワン公。 」

 

ニヤリと皮肉な笑みを口元に浮かべる。

ダンテの言う通り、人工に造られた悪魔達は、死屍累々と言った様子で醜い屍を晒していた。

 

「選手交代だ。 ソイツの相手は俺がやる。 」

「断る。 お前の様な未熟者にこの男の相手は到底務まらん。 」

「はぁ? ワン公の分際で、人間様に歯向かうのか? 」

 

反論も許さず冷たく斬り落とすケルベロスを、ダンテが鋭く睨み付ける。

 

個人的に、この包帯男には色々と聞きたい事があった。

それに、あの時の腕試しは、本当ならライドウではなく自分がするつもりでいたのだ。

 

「良いからどいてろ?糞犬。 お前は、とっととご主人様の所に・・・・。」

 

そう言い掛けた、ダンテの胴体をケルベロスの太い尾が薙ぎ払った。

余りの出来事に、受け身も取れず通路へと投げ出されるダンテ。

肺を圧迫され、一瞬呼吸が出来ずに激しくむせ込む。

 

「て・・・てめぇ・・・・。」

「今のは、かなり手加減してやった・・・・。」

「何だと? 」

 

静かだが有無を言わせぬケルベロスの言葉に、ダンテは一瞬ではあるが怯む。

背筋を走る怖気。

痛む身体を何とか起こす。

 

「分からんのか? 今の一撃を躱せんお前に、この男を倒すなど到底不可能だ。」

「あぁ? 随分と言ってくれるじゃねぇか?ワン公がよぉ。 」

「よ、止せって!ぶっ殺されちまうぞ!」

 

歯を剥き出して怒りの表情を浮かべるダンテを、アラストルが慌てて止める。

 

「相手は初代剣聖だぞ!お前みたいな洟垂(はなた)れ小僧何て瞬殺だ!瞬殺!!」

「はぁ? 何だそりゃ? 」

 

ダンテは、胡乱気な視線を右手に持つ大剣へと向ける。

 

魔導の知識が哀しい程無いダンテにとって、剣聖が一体どんなモノかなど知る術など無い。

喧嘩を売られたら必ず買う。

それが、ライドウの仲魔だろうが関係は無い。

 

「ふっ・・・・無知とは本当に恐ろしいな。 」

 

そんなアラストルとダンテのやり取りに、包帯の男が呆れた様子で肩を竦める。

 

「頭の弱いお前にも分かる様に説明してやる。 その獣はかつて地上最強の強さを持つ剣士(ナイト)だったのさ。 」

「地上最強・・・? このお犬様が? 」

 

ジャンの侮蔑を含んだ言葉に、ダンテは改めて数歩離れた位置に立つ魔獣を見つめる。

 

今から思えば、この魔獣は謎だらけの存在だった。

ライドウの御目付け役であり、冥府の女王、ペルセポネーとは旧知の仲であった。

そして、一番思い出したくは無いが、テメンニグルの事件では、双子の兄・バージルを意図も容易く斬り伏せている。

 

「剣聖とは、数少ない剣豪(シュバリエーレ)の中でも一人しか獲得できない幻の称号。 その初代が、そこにいる魔獣という訳だ。 」

 

包帯から覗く、アイスブルーの双眸が白銀の魔獣へと向けられる。

 

「ま、その偉大な初代剣聖殿も、”クズノハ”の人喰い龍には勝てなかった訳だが・・・。」

 

包帯の下に隠された唇が皮肉気に歪む。

 

ケルベロスは、人喰い龍こと骸に敗れ、魔獣の姿へと堕とされた。

偉大なる剣聖の銘を奪われ、剣士として築き上げた経験と技術も、獣の身では存分に発揮する事も叶わない。

 

「下らん事をベラベラと・・・・そのお喋りな所は昔とちっとも変わらんな?ヨハン。 」

「全部本当の事だろ?骸はアンタの弟子だった・・・その弟子に無様に負けた挙句、力を全て奪われ、冥府の王の座も捨てざる負えなくなった。ペルセポネーって名前だったかな? アンタの後釜に無理矢理座らされた可哀想な娘は・・・。」

 

燃える様な紅い髪をした美しい死の女神。

本来ならば、母親と同じ豊穣の女神として人間達から崇め奉られる存在であった。

同じオリュンポス神の血筋と言う理由だけで、当時、幼かったペルセポネーは愛する母親のデメテルと引き離され、半ば強制的に冥府の玉座に座らされた。

全て、己の力が至らなかったせいである。

 

「さっきから一体何を話していやがるんだぁ? 」

「良いから! 人修羅様を追い掛けようぜ? これ以上、奥方様の機嫌を損ねると俺っちまでとばっちりが来ちまう!」

 

意味がさっぱり分からず、訝し気な表情を浮かべるダンテを雷神剣・アラストルが促した。

 

包帯の男の実力は、さっぱり皆目見当もつかないが、あの剣聖がこれ程慎重になるのだ。

かなりの使い手だと判断しても良い。

 

焦る雷神剣(アラストル)に対し、ダンテは舌打ちすると、不本意ではあるが従う事にする。

包帯野郎を問い詰めて聴きたい事は山程あるが、ライドウを一人きりにするのは危険だ。

 

ケルベロスに背を向け先へと進むダンテ達。

それを横目に、ジャンは冷酷な微笑を包帯の下で隠されている唇に刻んだ。

 

 

 

LCLに満たされたカプセルに浮かぶパティ。

胎水(ようすい)と同じ成分で造られたこの液体は、肺の中に満たされると液体呼吸を可能にする為、酸素マスクを必要としない。

青い海に浮かぶ少女は、さながら人魚姫が如く儚く神秘的な美しさを持っていた。

 

「後もう少しで”アビゲイル”が召喚可能だな・・・・。 」

 

ジョルジュは、右手に持っているIPADに視線を落とす。

 

地獄門(ヘルズゲート)を開いた事により、腹を空かせた下級から中級の悪魔達が次々と実体化した。

彼等は、本能に従いNYの市民達を次々と襲っている。

想像を絶する恐怖と絶望。

市民達が発するマグネタイトが、此処、マーコフ家が所有するブルックリン区の製薬会社の研究所に流れ込んでいる。

マグネタイトは、あるシステムを経由して順調に回収され、大悪魔、”アビゲイル”召喚可能迄後僅かであった。

 

 

「ジョルジュ・ジェンコ・ルッソ!! 」

 

その時、背を向けている室内の出入り口から何者かが入って来た。

見なくても分かる。

超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術師(デビルサマナー)、17代目・葛葉ライドウだ。

 

スロープ状の階段の下、その出入り口に呪術帯で右眼以外の全てを覆った悪魔使いが立っていた。

 

「来たか・・・・・”人修羅”。」

 

予定通りの時刻に、此処まで辿り着いた好敵手に、ジョルジュは口元に笑みを刻む。

 

階下に立つ悪魔使いに視線を向けると、鋭く光る隻眼が応えた。

 

「今すぐその娘を解放しろ・・・・しなければ、貴様の首を刎(は)ねる。」

 

右手に持つ深紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”の切っ先を、巨大な培養槽の前に立つ壮年の男へと向ける。

凄まじい程の鬼気。

しかし、NYきっての名士は別段臆する様子も無かった。

 

「やれやれ・・・随分と物騒な台詞だな・・・・ピーターパンはそんな野蛮な事は言わない筈なんだけどな。 」

 

全身から迸る殺気を隠そうともしないライドウに、ジョルジュは大袈裟に肩を竦める。

 

「貴様の冗談に付き合う気はない・・・・人間に害成す悪党は潰す。 」

 

魔槍を構え、ジョルジュが居る2階まで一気に跳躍。

闘気術によって強化された両脚の筋力をバネに、飛翔する。

紅い刀身がジョルジュの首を斬り落とすかに思われたが、刹那、その姿が忽然と消失した。

ライドウと同じく、闘気術を使って右へと回避したのだ。

悪魔使いが2階の通路に音も無く降り立つ。

鋭い隻眼が、数歩離れた位置へと移動したジョルジュへと向けられた。

 

「フフッ・・・・良いぞ。 そうでなくては面白くない。 」

 

迷いも躊躇いも無い無慈悲な一撃。

彼は、自分が何故こんな凶行に走ったのか、その理由を十二分に理解している。

それを分かった上で、全ての黒幕であるジョルジュを討とうとしている。

 

ジョルジュは、右手に持っていたipadを投げ捨て、代わりに得物を召喚した。

壁に埋め込まれたガラスケースが爆ぜ割れ、中から飛び出した剣がジョルジュの手に収まる。

右に湾曲した独特な形を持つ剣は、船など狭い場所での戦闘を想定して造り出されているのか、刀身が短かった。

 

「紹介しよう・・・私のパートナー、フルンティングだ。 」

 

古代イングランドの叙事詩、ベーオウルフに登場する神器。

グレンデルの母親の討伐の際に、フロースガール王の家臣、ウンフェルスによって貸し与えられた名剣だ。

 

 

「無駄な抵抗は止めろ・・・・CSI(超常現象管轄局)と13機関(イスカリオテ)が動いてる。 アンタに勝ち目はない。」

「最初から、勝ち目など無い事ぐらい分かっている。 」

 

そう言った瞬間、ジョルジュの躰が再び消失。

長年、培われた戦闘経験が、無意識に反応する。

咄嗟に、”ゲイ・ボルグ”の切っ先を正眼に構えるライドウ。

刹那、金属同士がぶつかり合う耳障りな音が、室内に響いた。

 

「今の一撃を受けるか・・・・流石、”クズノハ”最強だな・・・。」

「俺は、”クズノハ”最強なんかじゃない! 」

 

橙色の火花を散らせ、再び、一定の距離を取って離れる二人。

黒曜石の隻眼と、深い藍色の双眸がぶつかり合う。

 

 

 

鋭い爪が、女荒事師を襲う。

真横に跳んで躱すが、衝撃波をまともに喰らい吹き飛ばされるレディ。

そのまま背中から壁に激突してしまう。

 

「メアリー!! 」

 

テレサが、右腕に装着したアーム・ターミナルで仲魔のオルトロスを召喚。

倒れたレディを助ける為、追撃を行おうとするルチアーノの邪魔をする様、命じるがマーコフ家直属の精鋭部隊がマシンガンで行く手を阻む。

 

「お嬢!危ねぇ!! 」

 

金髪の巨漢、アイザックが獣化し、両手に持つアサルトライフルで応戦。

その間に、同じく獣化したサミュエルが建物から飛び出し、テレサを抱えて物陰へと隠れる。

 

「離して!メアリーが危ないのよ!! 」

「耐えろお嬢!!大将のアンタがやられちゃ、この戦争負けちまう!! 」

 

サミュエルの腕を振り払い、倒れたレディの元へと行こうとするテレサを何とか押し留める。

薄情な事を言っているのは十分理解している。

しかし、テレサは自分達にとって大事な主なのだ。

 

そんな部下とテレサのやり取りを他所に、止めを刺さんと悪魔化したルチアーノが右手の拳を振り上げる。

そして、実の娘と同じぐらい可愛がっていた愛弟子の頭上に振り下ろした。

飛び散る建物のコンクリートと壁の残骸。

人間を肉片へと変える程の一撃は、レディを捉える事は叶わなかった。

攻撃が来るよりも早く、真横に跳んで躱したのだ。

ゴロゴロと転がり、何とか膝を付いてM11短機関銃を両手に構える。

吐き出される無数の鋼の牙。

だが、短機関銃の弾丸は赤褐色の硬い鱗に全て弾かれてしまう。

 

「無駄だ・・・そんな豆鉄砲じゃ、俺の躰は貫けねぇよ。 」

 

急所である目と腹を両腕の硬い鱗で護り、ルチアーノは嘲りの笑みを口元に浮かべる。

 

こんな絶望的状況下でも、確実に此方の急所を狙って来る。

”どんな状況でも決して諦めない。”

この愛弟子は、自分の教えをきっちりと護っていた。

 

「そうね、でもこれはどうかしら? 」

 

先程の攻撃で、額が切れ血を流すレディが、皮肉な笑みを浮かべる。

真後ろに跳んで距離を取る女荒事師。

何事かと訝しむルチアーノが、己の足元を見ると、無数の手榴弾が落ちているのが分かった。

愛弟子は、倒れている時に罠を仕掛け、まんまと自分をそこへと誘導したのだ。

 

凄まじい爆発と破壊音。

濛々と爆発から発生した業火と煙が辺りを包む。

しかし、この奇襲もルチアーノに致命傷を負わせる事は出来なかった。

炎と煙を突き破り、赤褐色の鱗に覆われた巨大な手が現れる。

女荒事師の胸倉を掴み、情け容赦なく壁へと叩き付けた。

 

「あぐっ!! 」

 

身体中を走る激痛。

叩き付けられた衝撃で、肺を圧迫され息が出来ない。

 

「やってくれるじゃねぇか・・・・流石、俺の弟子だぜ。 」

 

濛々(もうもう)と立ち昇る黒煙の中から、赤褐色のリザードマンが現れる。

手榴弾の爆撃をまともに喰らった為、無傷とは言えなかった。

処どころ鱗が剥がれ、全身に夥しい鮮血が流れている。

 

「親父さん!! 」

「来るんじゃねぇ!これは俺とお嬢ちゃん(レディ)の喧嘩だ!お前等は一切手を出すんじゃねぇぞ!! 」

 

部下達を一喝し、下がらせる。

 

そう、これはお互いの意地と意地をかけた神聖な果し合いだ。

そこに部外者が入り込む事は、一切許されない。

 

「あ・・・アンタは本当に救い様がないぐらいの馬鹿よ・・・ルチアーノ。 」

 

全身に走る激痛を堪えながら、レデイは何とか立ち上がる。

叩き付けられた際に、頭を打ったのか、軽い脳震盪を起こし、足元がフラフラとした。

 

「ほぉ・・・まだ、そんな減らず口が叩けるのか。 」

 

ボロボロになりならがも、決して諦めない愛弟子。

鋭いルチアーノの双眸が、一瞬だが緩む。

 

「同じ組織の同志とはいえ、何故そこまでする必要があるの? 愛する妻まで巻き込んで・・・大事な街を滅茶苦茶にして・・・アンタは一体何がしたいのよ? 」

 

レディの言っている事は正しい。

ルチアーノは、NYでも不動産王と呼ばれるぐらい有名な資産家だ。

幾つかの物件を持ち、数軒ホテルを経営している。

順風満帆な彼の人生を全て投げ出してしまう程、ジョルジュの何処に魅力があるのか正直分からない。

 

「さっきも言ったろ? 俺達は疲れちまったのさ・・・全てを犠牲にして人間を護っている事にな・・・それにヴァチカンの外道共のやり方にゃぁもう我慢出来ねぇ。 」

 

ルチアーノの脳裏に、共に戦線で戦った少年兵達の姿が思い浮かぶ。

 

皆、とても素直で純粋な心根の優しい子供達だった。

絶対に生きて祖国へ帰ろうと誓った。

ジョルジュの優秀な采配で、邪龍・ベヒーモスを倒し、全員無事に生還する事が出来た。

しかし・・・・・。

 

「貴方のいた部隊の少年兵達は、全員、使い捨ての駒にされた。 当然だ・・・彼等は親に売られた戸籍すらも無い子供達だったからな・・・。」

 

そんな二人の間を、第三者の声が割って入った。

何事かとレディとルチアーノ・・・その場に居る全員の視線が声のした方向へと向けられる。

すると、そこには漆黒のキャソックを纏った一人の神父がいた。

癖のある長い黒髪、無精ひげを生やし、胸には金の十字架と肩に真紅のストラを垂らしている。

その真紅のストラに金の刺繍糸で縫われる槌と雷の紋章。

 

「い・・・・異端審問官・・・・・。」

 

テレサが呻くように呟く。

一目で男が、ヴァチカンに所属する13機関(イスカリオテ)の異端審問官である事が分かった。

 

「これは失礼した・・・・私の名は、エルヴィン・ブラウン。ヴァチカン第13機関所属、第2席・・・・コードネーム、ナイトウォーカー(闇を歩く者)。 」

 

右眼に黒い眼帯をした男が、その場に居る一同ににこりと微笑む。

何処か寒気を覚えさせる男であった。

 

 

 

 

カルフォルニア州、アザートン地区。

比較的、裕福な人間達が住むこの場所に、ルッソ家の豪奢な屋敷があった。

 

「・・・・・っ、ジョナサン・・・・。」

 

豪華なペルシャ絨毯に横たわる40代ぐらいの男を、見下ろすルチアーノ。

初めは、死んでいるかに思われたが、微かに胸が上下に動いている事から、気を失っているだけだと分かった。

 

「中々、勘の鋭い男だよ・・・・私の計画(プラン)を嗅ぎつけた挙句、ニーナに余計な事まで喋った。 お陰で、あの子はまた地下に潜ってしまったよ。 」

 

ジョナサンの傍に跪き、首筋の脈を取っていたルチアーノに向かって、ジョルジュが氷の如き冷たい声で言った。

 

ジョナサンは、ニーナに隠れる様に命令すると、ジョルジュの蛮行を止めるべく、単身彼の屋敷へとやって来た。

しかし、説得は失敗に終わり、ジョルジュの精神魔法によって眠らされてしまったのだ。

 

「兄貴・・・・・コイツの子供達はまだ幼い。 俺がジョナサンを説得するから・・・。」

「駄目だ・・・・この男は、ヴァチカンと内通している。見せしめの為にも死んで貰わなければならんな。」

 

有無を言わせぬジョルジュの言葉。

ルチアーノが声を詰まらせ、ぐっと唇を噛み締める。

 

「取り敢えず、事故に見せかけるしかないな・・・・あからさまな私刑を行った殺し方では、逆効果になるかもしれん。 」

 

普段のジョルジュからは、到底考えられない冷酷な言葉にルチアーノが青ざめる。

 

ジョルジュが、内心ではジョナサン・・・否、フォレスト家を憎悪していた事は気づいていた。

女傑で有名なカリーナは、先の事を見越して、ヴァチカンに逸早く取り入っていた。

そのお陰か、息子・ジョナサンが徴兵令で兵役する際は、比較的安全地帯に出向出来る様に根回しして貰った。

自分とルチアーノが、激戦区に送り込まれたにも拘わらずにだ。

 

「その男の始末は、私がやる。 お前は各地のマグネタイト回収を・・・・。」

「俺が、ジョナサンを始末する。汚ねぇ仕事は何時もやってるからな。 」

 

気を失っているジョナサンを肩に担ぎ、ルチアーノが背後にいるジョルジュへと振り返る。

 

「良いのか? お前とジョナサンは幼馴染みだろう・・・。」

「良いんだよ・・・自分の戒めって意味もある。 本当ならコイツにも計画に参加して欲しかったんだけどな。 」

 

ジョナサンがヴァチカンと内通していた事は、薄々気づいてはいた。

しかし、説得し、同志として迎え入れられると思っていた。

そんな自分の甘さが、計画の漏洩へと繋がったのかもしれない。

 

ほんの少しの油断が、組織全体を崩壊させる危険性がある。

この計画は、何が何でも成功させなければならない。

ヴァチカン・・・否、キンナ一族が、ギルド内の権力を全て握ってしまったら、絶対君主の恐怖政治を行うだろう。

テレサやジョセフの様な、未来ある若者達の為に、誰かが泥を被らなければならないのだ。

 

 

エドの操るナイフの切っ先が幽鬼・ヘルカイナの首を掻き斬る。

その背後を巨大な鉈を持つ悪魔、ヘルアンテノラが振り下ろすが、あっさりと紙一重で躱され、弱点である心臓に銀色に光るナイフが突き立った。

 

「全く・・・君の部下達は、腹が立つ程、優秀過ぎるねぇ。 」

 

棒付きキャンディーを咥えた瓶底眼鏡の科学者が、無駄のない動作で悪魔達を駆除していくケビンの部下達を実に面白くも無さそうに眺めていた。

 

CSI(超常現象管轄局)の捜査官達の殆どは、ネイビー・シールズやグリーン・ベレーの様な特殊部隊出身者である。

対悪魔用の修練を積んでおり、勿論、実戦経験も豊富だ。

 

「そういえば、トレンチ君が嘆いていたね。君が優秀な人材をゴッソリ引き抜いたせいでその穴埋めに四苦八苦してるってね。 」

 

隣で愛用の葉巻に火を点けている男に流れが一瞥を送る。

 

トレンチとは、ケビンの同期組で、現在、Special Air Service(通称・SAS)で総責任者及び大将の階級を得ている。

ケビンが大将の椅子を辞し、CSI(超常現象管轄局)に移籍する際に、彼を慕う兵隊達も大勢付いて来た。

皆、経験や技術も豊富なスペシャルエース達ばかりである。

 

「アイツはデスクワークより、尻の青い新人共を育てるのが好きだからな。丁度良いんじゃないか? 」

 

濃い葉巻の煙を吐き、ケビンが大欠伸をする。

数分後、研究所内を徘徊していた悪魔達は、全て排除されてしまった。

分析班が、テキパキとした動きで悪魔の死骸からサンプルを回収していく。

 

「そういや、先生さんはハッキングに強かったな? 」

「うん? どういう事? 」

 

ケビンの言っている意味が分からず、訝し気な表情になる流。

そんな瓶底眼鏡の科学者を放置して、CSI、NY支部長は部下の一人であるエドを呼び寄せる。

 

「エド、隊の指揮はお前に任せる。この先生さんを連れてサーバールームに向かえ。」

「大佐はどうされるんですか? 」

「俺は、この先で戦ってる剣聖殿の助っ人に行く・・・・そんな嫌そうな顔するな。この先生さんなら、研究所のセキュリティを無効化するなんて朝飯前だろ? 」

 

流を押し付けられ、この世の終わりみたいな顔をする部下にケビンは大袈裟に溜息を吐く。

 

「ちょっと、勝手な行動は許さないよ。 まだゼロワン(これ)の機動実験中なんだからね。 」

 

先程の戦いでは、満足のいく戦闘データが回収出来なかったのだ。

おまけに敵の攻撃を全部避けたせいで、耐久値のテストも結果が出ていない。

被験者であるケビンには、瀕死ギリギリまでのダメージを負って貰わなければならないのだ。

 

「働かざぬ者喰うべからざる・・・だ。俺達について来ると決めたからには、俺達の指示に従って貰う。 」

 

ケビンは、ゼロワンドライバーとプログライズキーの入ったアタッシュケースを片手に、流とその助手であるアレックスを部下に任せ、さっさと先へと進んでしまう。

ぶーぶーと未だ文句を垂れる瓶底眼鏡の科学者を引きずり、助手のアレックスとケビンの部下であるエドは、命令通りサーバールームへと向かった。

 

 

ハーレム地区、フォレスト家が経営する高級プールバーの前。

業火と爆発により起こった黒煙を背に、一人の陰気な顔をした神父が立っている。

 

「コイツは驚いたな? まさか”カニバル(人喰い)”が出て来るとは・・・。」

 

赤褐色の鱗と爬虫類独特の縦の瞳孔を持つ悪魔化したルチアーノが、漆黒の神父を睨み付ける。

 

ヴァチカン13機関(イスカリオテ)、第2席、エルヴィン・ブラウン。

コードネーム”ナイトウォーカー(闇を歩く者)”

かつて男女合わせて7人もの人間を惨殺し、その肉を食べたシリアルキラーである。

7年前にCSI(超常現象管轄局)とアメリカの特殊部隊に身柄を拘束され、脱獄不可能と呼ばれるアルカトラズ刑務所に投獄されている筈であった。

 

「天におられる私達の父よ。み名が聖とされますように、み国が来ますように・・・。」

 

陰気な神父は、そんなルチアーノの言葉を無視すると胸に下げた金の十字架を右手で握り、主への祈りを捧げている。

その異様な光景に、女荒事師の背を例える事が出来ぬ寒気が走った。

 

「一体何なんだ? この男は・・・・・。」

 

テレサを店の物陰へと引きずり込んだサミュエルが、いきなり戦場に現れた漆黒の神父を見て固唾を呑み込んだ。

それは、この禿頭の小男だけではなく、その場に居る全員が、この神父を注視している。

一種一様な空気がその場の空気を包んだ。

 

「エルヴィン・ブラウン・・・・・魔導師職(マーギア)と剣士職(ナイト)の全ての役職を習得した巨匠(マスターオブマスター)よ・・・・元・精神科医で自分の患者を殺害し、その肉を食べたイカレ殺人鬼。」

「に・・・人間を喰った・・・・・? 」

 

テレサの信じがたい説明に、ショットガンを持つアイザックが生唾を呑み込む。

 

人間が人間を喰う・・・・。

それは、禁忌であり、ライカンスロープであるアイザック達ですら忌避する行為だ。

しかし、この漆黒の神父はソレをやった。

とてもまともな思考を持つ人物とは思えない。

 

 

「無視するんじゃねぇ!この野郎!!」

 

異様な空気に耐え切れなくなったのか、マーコフ家の兵隊の一人がアサルトライフルの銃口を漆黒の神父へと向ける。

 

「止せ!! 」

 

神父から放たれる殺気を敏感に感じ取ったルチアーノが、部下に対し、制止の声を上げる。

しかし、遅かった。

神父へと銃口を向けた部下数名が、突如、不可視の刃によって切り刻まれる。

 

「真空斬り(ソニックブレード)。」

 

神父の放った技に、女荒事師が呻く様に呟く。

 

祈りの姿勢はそのまま、エルヴィンは常人では視認不可能な速さで、右腕から真空の刃を作り出し、ルチアーノの部下を惨殺したのだ。

 

「み心が天に行われるとおり地にも行われます様に・・・私達の罪をお許し下さい。」

 

エルヴィンの祈りの言葉は続く。

まるで夢遊病者の如く、定まらぬ瞳孔で、赤褐色の鱗を持つリザードマンへと、一歩、また一歩と近づいていく。

 

「くっ・・・・この・・・・化け物がぁ!!」

「駄目よ!父さん!!!」

 

大切な部下を目の前で殺され、激昂したルチアーノが鋭い爪と牙を剥き出しにして、漆黒の神父へと襲い掛かる。

しかし、刃の如く研ぎ澄まされた爪が陰気な神父を引き裂く事は叶わなかった。

神父から発せられる高速の刃が、赤褐色の鱗を持つリザードマンの両腕をあっけなく斬り落としてしまったのだ。

 

 

 

ジョルジュが操るフルンティングの刃と、ライドウの持つ真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”の刃が交錯し、火花を散らす。

一定の距離を取って対峙する二人。

粗い息を吐くライドウに対し、ジョルジュは息一つ乱さず、涼しい表情をしている。

 

「素晴らしい・・・・”一匹オオカミ(ローン・ウルフ)”と同じぐらい楽しめそうだな? 」

「”一匹オオカミ(ローン・ウルフ)”?・・・・東ヨーロッパを中心に活動している伝説の傭兵か・・・。」

 

ジョルジュが言う”一匹オオカミ(ローン・ウルフ)”の異名を持つ傭兵なら、ライドウも知っている。

闇社会では、都市伝説と同じぐらいの扱いになっている最強の傭兵だ。

たった一人で、数千にも及ぶ悪魔の群を一匹残らず駆逐したり、かと思えば、悪魔が侵攻する激戦区にふらりと現れ、瞬く間に終結させたりと、神がかりな逸話を幾つも残していた。

 

「今から思えば、ベヒーモスを討伐出来たのは、彼の助力による所が大きい。 あの場にローン・ウルフがいなかったら、子供達だけではなく、私やルチアーノも死んでいた。 」

 

40数年前のアフガニスタン付近での悪魔侵攻討伐作戦。

上級悪魔数百体を従え、邪龍の中でも最強と目される怪物、ベヒーモスが出現し、その駆除にジョルジュとルチアーノ、そして数十名の少年兵達が向かわされた。

戦況は、誰の眼から見ても圧倒的にジョルジュ達部隊が不利。

死を覚悟した絶望の中、彼等を救ったのはたった一人の老練な傭兵であった。

 

「驚いたな・・・・俺ですら会った事が無い英雄にアンタは出会っただけじゃなく、共に戦ったのか。」

 

羨望にも似た感情で、改めて目の前に対峙する初老の剣士を見つめる。

 

ライドウ達、闇社会で悪魔と死闘を繰り広げている人間達にとって、”一匹オオカミ(ローン・ウルフ)”は伝説的な存在となっている。

その姿を見た者は少なく、彼が残した偉業だけが独り歩きしている状態だ。

 

「ふふっ、羨ましいかね? 17代目。 」

 

口元に微笑を浮かべた老獪な剣士の姿が、忽然と消える。

咄嗟に右へと回避するライドウ。

その右肩を熱い衝撃が走る。

 

「うぐっ!! 」

 

フルンティングの刃で、右肩を深く斬られたのだ。

特殊なケブラー繊維で編まれたジャケットが、意図も容易く切裂かれ、真っ赤な鮮血が噴き出す。

 

「ふむ、今のを躱すか・・・。 」

 

刀身に付着した血を振り払い、ジョルジュが如何にも感心した様子で、片膝をつく悪魔使いを眺める。

 

「何故だ・・・・何故、これ程の実力を持つ貴方が、NYを地獄に変える真似をした? 」

 

血が噴き出すのも構わず、ライドウは目の前に立つ老剣士を睨み付ける。

 

これまで、ジョルジュはNYの名士として様々な福祉事業に貢献して来た。

健康保険制度を受給出来ない低下層の市民達に、手を差し伸べ、最低限の生活を保障出来る様に活動していた。

その人物が、愛すべきこの街を悪魔を使って破壊しようとしている。

 

「家族の為だ。 」

 

糾弾するライドウに対し、ジョルジュは静かに応える。

怒りも哀しみも、感情の一片すらも無い静かな藍色の瞳。

 

「家族・・・・・? 」

「そうだ、私に唯一残された愛する娘とその孫を護る為だ。」

 

老剣士は、背後の培養槽で眠る愛しき孫を振り返る。

蒼い海の中で眠る幼き少女は、一体どんな夢を見ているのであろうか。

 

「君も既に知っているとは思うが、各国の政府達は、幼い少年少女を対象に魔導の適正検査を行っている。 悪魔に対抗出来る人材を創り出す為だ。」

 

ジョルジュの言う通り、各国の政府要人は、学校などの教育機関などを利用して子供達に知能測定と称した適正検査を毎年行っている。

そして、その検査に合格した子供達を更に振るいに落とす事で、優秀な人材を選び出す。

選ばれた子供達は、魔導師ギルドが管理している特殊な施設へと収容し、そこで改めて対悪魔の教育と様々な格闘術を教えるのだ。

 

「日本には、君達の様な”クズノハ”という組織があるから余り縁は無いだろうが、様々な人種が集まるこのNYは違う。 悪魔に対抗しうる才能があれば、その子供達は政府が収容し、半ば強制的に魔導の技術と知識を叩き込まれる。」

 

様々な移民が集まるこの国は、当然、貧富の差も激しい。

適正検査に合格した子供達の親は、少しでも良い生活をする為に、進んで魔導師ギルドが管理する育成所へ我が子を預ける。

そこで、一体どんな事が行われているかも知らずに・・・。

 

「私の娘と孫は、”稀人”だ。 国が特殊な才能を持つ彼女達を放置する筈が無い。もし知られれば、強制的に身柄を拘束され、最悪、非人道的な実験の材料に使われるかもしれない。 」

「馬鹿な事を・・・・ゼレーニン大統領は、歴代大統領の中でも良識的な人物で有名だ。 そんな外道を放任する筈が無い。」

「どうかな? 君は、あの女の本性を知らなすぎる。」

 

未だ片膝をつき、此方を睨み据える小柄な悪魔使いにジョルジュは、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「あの女は敬虔なカトリック信者である上に、裏でキンナ一族と深い繋がりを持っている。 魔導師ギルドの横暴極まるやり口に見て見ぬ振りを続けているのがその証拠だ。」

 

これまで、魔導師ギルドは強引な手段を使って兵隊達を集めて来た。

徴兵制度が正にその良い例であり、人権団体の糾弾のお陰で、大分マシになったとはいえ、今も尚、貧しい農村から、人身売買と同じやり口で人員を集めている。

 

「17代目・・・・君は真面目で誠実な男だ。 だから、敢えて汚い部分を見ない様にしているその気持ちは分かるよ。 」

「違う!俺は!!」

「組織や国に尽くし、国民の為に己だけではなく、家族にすら犠牲を強いる・・・私もかつてはそうだった・・・それが、力を持つ者の宿命(さだめ)だと思っていた。」

 

ジョルジュの独白に、ライドウは何も言い返せなかった。

彼の心情に酷く共感できる自分がいる。

70億人以上もの人命とたった一人の娘の命。

かつて、自分はソレを天秤に掛けてしまった。

 

「あの少年兵達は、アフガニスタンの作戦後、また別の戦場に送られ、皆死んだ・・・私の妻は、国が認可した抗がん剤の副作用で間質性肺炎を起こし、死んだ・・・息子は、ルッソ家を衰退させる目的で法王庁に謀殺された・・・。」

 

何ら感情が籠もらぬ藍色の瞳。

ライドウの背を例える事が叶わぬ怖気が走る。

 

「人間が・・・・薄汚い利権に取り憑かれた蛆虫共が、私の大事なものを奪っていく・・・・冗談じゃない。残された娘と孫は、私が命を懸けても護る。」

「・・・・っ、ミスター・ジョルジュ・・・・。」

 

その時になって初めてライドウは全てを理解した。

 

この男は、NY(この街)を激しく憎悪し、又、愛してもいる。

 

(駄目だ・・・・勝てない・・・・。)

 

死を賭して愛する家族を護る男の覚悟。

今迄、多くの悪魔と戦って来た。

20数年間、闇社会を彷徨い、修羅場を潜り抜け、師の意思を継いで17代目の銘を襲名した。

しかし、築き上げて来た自負を粉々に打ち砕いてしまう程、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの心は強い。

 

「なっさけないのぉ・・・それでも、おどれは四家の一人かいな? 」

 

そんな場の空気を引き裂く第三者の声。

ライドウとジョルジュの視線が、室内の出入り口に立つ一人の男へと向けられる。

金色に染めた髪を肩口で綺麗に切り揃えた、長身の男。

ニタリと皮肉な笑みを口元に浮かべるのは、”十二夜叉大将の長”人喰い龍こと骸の懐刀である四神の一人、玄武であった。

 




ラストまでまだ時間がかかりそう。


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チャプター 20

ラスボス(?)紹介

アビゲイル・ウィリアムズ・・・ジョルジュが呼び出した悪魔。
正体は、セイラム魔女裁判の告発者であり、虚偽の訴えにより150人以上もの罪なき人々を裁判にかけ処刑させた少女。その一件により、処刑された肉親達の怒りを買い、壮絶なリンチの末に死亡。その後、ケイオス(混沌)に墜とされ、自分が偽りの告発により死んだ市民達の怒りと哀しみの感情と混ざり合い、死霊と化す。
スカー曰く、『人間の悪意の塊』。



思えば、自分は家族の匂いなど全く感じない環境で生きて来た。

唯一覚えているのは、寝る前に母が良く読んでくれた『塔の上のラプンツェル』という絵本だけ。

彼女は、この物語が一番大好きだと言っていた。

塔の上に閉じ込められたラプンツェルと言う名の美少女と、フリンと言う自信家でナルシストな泥棒のラブストーリー。

自分と双子の兄、バージルの頭を優しく撫でながら、まるで夢見る少女の様に頬を染めて絵本を読む彼女。

長い黒髪と優しい笑顔が一番印象的だった。

 

 

「・・・・・痛ぇ!! 」

 

唐突に襲った頭痛に、ダンテは歩みを一時止める。

 

「おい、大丈夫なのか? 坊主。 」

 

ダンテが背負っている大剣『アラストル』が、訝し気に声を掛ける。

此処は敵陣の真っ只中だ。

こんな所で動けなくなったら、堪ったモノでは無い。

 

「何時もの頭痛だ。 昔の事を思い出すと何時もこうなる。 」

 

この研究所に辿り着く前に、ヴァチカンが所有する装甲車の中で聞かされたジョルジュの経歴を不意に思い出した。

 

彼の妻は、ロックを出産後、病で倒れそのまま他界。

娘のニーナは、成人後すぐに取得した資格を国に返上しルッソ家を出た。

そして残された次男のロックは、徴兵制度に従い、悪魔発生率が最も高いとされる日本へと派遣され、そこでヴァチカン13機関(イスカリオテ)によって謀殺された。

この事件の動機となるキーワードは、家族。

だからかもしれない。

あんなカビの生えた古い記憶が蘇ったのは。

 

「・・・・・? 」

 

ライドウの後を追い掛けるべく、再び足を踏み出そうとしたダンテの躰が再び止まる。

見ると数歩先に、一つの小柄な影が立っていた。

通路に設置された薄暗い照明が、影の輪郭を徐々に明確にしていく。

迷彩柄のレインコートに同色のズボンと黒革のブーツ。

目深に被ったフードには、まるで笑っているかの様な不気味なマスク、両眼には血の様に赤い赤外線レンズがはめ込まれている。

どうやら、コイツはジョルジュが子飼いにしている兵隊らしい。

 

「おいおい、随分と季節外れなハロウィン・・・・・。」

 

ダンテが呆れた様子で大袈裟に肩を竦め様としたその時であった。

突然、身体を衝撃が走る。

ドンっという音、次に腹部の辺りが猛烈に熱くなる。

見ると小柄なマスクの兵士が両手に握る業務用のカッターナイフが、深々とダンテの腹に突き刺さっていた。

 

 

 

ブルックリン区にあるマーコフ家所有の薬品研究所。

その地下研究所へと続くエレベーター内に一人の女性がいた。

パティの実母であり、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの娘、ニーナ・ジェンコ・ルッソである。

 

右手に収まっている小型のハンドガン、S&W M&P9 シールドに視線を落とす。

このハンドガンは、此処まで案内してくれたマスクの少年に渡されたモノであった。

 

『お前の娘と父親は、このハイブの最下層にいる。』

 

マスクの少年は、それだけをニーナに告げると煙の如く姿を消した。

彼が一体何者で、何の為に自分を此処まで連れて来たのかは、全く分からない。

唯一分かっているのは、自分よりも遥かに優れた戦闘能力を持ち、中級どころか上級悪魔を軽くいなす程の実力があるという事だけだ。

 

「父さん・・・・パティ・・・・・。」

 

ぐっと唇を噛み締める。

例えこの先に絶望が待ち受けていたとしても自分は、進まねばならない。

ルッソ家の長女として、命に代えても父親の蛮行を止める。

それが、彼女に課せられた使命だからだ。

 

 

 

「坊主!!!!!」

 

背負った大剣『アラストル』が悲痛な叫びを放つ。

ぼたぼたと零れ落ちる大量の血。

根元まで深々とカッターナイフの刃が埋まり、ダンテの着ているシャツとズボンがみるみるうちに血で染まって行く。

 

「くっ・・・このぉ!!」

 

子供だと思って油断した。

激しい怒りと屈辱が、腹腔内を荒れ狂う。

マスクの兵士に渾身の裏拳を叩き込もうとしたが、振り上げた拳は虚しく空を切った。

カッターナイフの刃を折り、マスクの少年が後ろへ2.3歩後退したのである。

 

(ちっ・・・純銀製のナイフか・・・・。)

 

未だ銀色の刃が埋まる腹を押さえ、ダンテも後ろに下がる。

刃に仕込まれた銀の毒が、ダンテの持つ再生能力を殺す。

皮膚が壊死し、刺された箇所を中心に皮膚がどす黒く変色する。

 

一方、マスクの少年は、そんなダンテに追撃を緩める事は決してしなかった。

 

脳裏に、暗殺術を叩き込んだ教官の言葉が蘇る。

 

『悪魔相手に、人間の格闘技術が通用するかってぇ? ばーっか、それが面白い程、通用するから教えているんだろうが。 』

 

自称、フランスの外人部隊出身という肩書を持つその男は、薄汚れた兵舎の壁に背を預け、目の前に立つ幼い自分にニタリと厭らしい笑みを浮かべた。

 

『アイツ等は、根が単純なんだ。 ”自分は強い””人間よりも優れた生命体だ””下等な人間に負ける筈が無い”ってな・・・だから俺達を頭から舐めてる。本気で戦うつもりなんざぁ一ミリもねぇ・・・・。』

 

男は、右手に持ったバタフライナイフを手の中で弄びながら、言葉を続ける。

 

『だから、舐めているうちに全力でぶっ潰すのさ・・・・己の持てる力・・・全身全霊で化け物野郎を叩き潰す。 その為の近接格闘術なんだよ。』

 

男は、ナイフの切っ先を幼い生徒へと向けた。

仄暗い殺意の炎を、その双眸に灯しながら。

 

 

スライダーで再び刃を伸ばし、正眼に構えると重心を低くして銀髪の大男へ迫る。

相手に反撃をする暇(いとま)を与えず、機動力である足を狙って地を這う様な斬撃を繰り出した。

躱す余裕すらなく、切り裂かれる両脚。

ハンドガンを引き抜く余裕すらも無い。

バランスを崩し、身体が地面に沈む。

その首に、カッターナイフの刃が無情にも突き立った。

 

「がはっ!!!!!?」

 

突然、気道を塞がれ息が出来ない。

血の塊を吐き出すダンテ。

驚愕に見開かれる視線の先に、袖下に隠したスリーブガンが手品の様に姿を現す。

一発の発砲音が、薄暗い通路に木霊する。

特殊な銀の弾丸で造られた凶悪な牙が、男の頭蓋を叩き割ったのだ。

衝撃で、背後から床に叩き付けられる銀髪の便利屋。

後頭部から流れ出る血が、床に真紅の川を作る。

 

 

(う・・・・嘘だろ? あのダンテが一瞬で・・・・・。)

 

未だダンテの背に収まったままのアラストルが、愕然とした様子で目の前に立つマスクの少年を見上げる。

伝説の魔剣士・スパーダの血を引くタフガイ。

レッドグレイブ市を中心に活動する便利屋達の中でも、トップクラスの実力を持つ事で有名だった。

そのダンテを意図も容易く殺害した。

しかも、13歳ぐらいの少年が・・・・である。

 

「なんで・・・・あの人は、こんな男を・・・・・? 」

 

不思議そうに首を傾げる少年。

カッターナイフで首を突き刺され、大の字に倒れる男は、御世辞にも強いとは到底言い難い存在であった。

”クランの猛犬”より数段劣る。

”あの人”は、何故こんな街のチンピラを番に選んだのだろう。

とても理解出来ない。

 

暫くこと切れたダンテの死骸を眺めていた少年は、諦めたかの様に溜息を一つ零すと、首に突き立てたカッターナイフを乱暴に引き抜く。

血塗れのカッターナイフをダンテのコートで拭い、腰のナイフホルダーに収めると背を向け、暗い通路の奥へと消えて行った。

 

 

 

 

「・・・・・どうして、てめぇが此処に? 」

 

血を流す右肩を押さえ、ライドウが呑気な様子で此方に近づくおかっぱ頭の男を睨み付ける。

 

「あぁん? パーティーがあるって聞いて此処へ来たんや。 食いモンも飲み物も出さん最低な会場だけどなぁ・・・・。 」

 

右手に持つ柄の部分に『阿修羅』と刻まれた木刀で肩を叩きつつ、玄武がジョルジュに皮肉な笑みを向ける。

 

一方、ジョルジュは生涯、二度目になるだろう圧倒的なまでの覇気に当てられ、内心冷や汗をかいていた。

これ程までの存在感を見たのは”一匹オオカミ(ローン・ウルフ)”以外いない。

一体、何者かは知らないが、生半可な気持ちで戦えば、あっという間に命を刈り取られる。

 

「初めまして・・・・と言った方が良いのか? まぁ、すぐサヨナラしてしまうんやけど。 」

「・・・・・”クズノハ”の人間か・・・・私の予想が間違っていなければ、あの化け物龍が子飼いにしている”四神”の一人か・・・・。」

 

先程、ライドウが零した「玄武」という名前を思い出す。

玄武といえば、”八咫烏”の長、骸の護衛役である”四神”にそんな名前の剣士がいた。

まさか、『四神』の怪物まで出て来るとは予想外だ。

 

 

 

「ナナシ、ワイと再契約しろ・・・。」

 

まるで路傍の石を見るかの如く、何ら感情の籠もらぬ視線で足元にいる小柄な悪魔使いに一瞥を送る。

 

「契約・・・・・ふざけるな、誰がてめぇなんかと・・・。」

「勝てへんのやろ? おどれは魔導士や、後衛役になって初めてその真価が発揮される・・・それぐらい、ワイが一々指摘せんでも判っとる筈やろうが。」

「・・・・・っ。」

 

悔しいが玄武の言う事は正しい。

魔導師である自分は、剣士・・・しかも剣豪の称号を持つジョルジュに、悉(ことごと)くスピード負けをしている。

盾となる前衛役を魔法でサポートし、的確な指示を与える事で、その実力が発揮されるのだ。

 

何かを決意したのか、悔し気に唇を噛み締めたライドウが、疲弊する肉体に鞭打ち、よろよろと立ち上がる。

そして、己の血で汚れた右手の掌を、玄武の背に当てた。

 

「בקש(我求める)、מה אתה עושה עם בן זוגי(汝を我が番とする事を)。」

 

詠唱と共に、玄武の躰を蒼い文様が包む。

番としての契約が完了したという証だ。

 

「ふぅ・・・久し振りやな? この感覚。 」

 

身体中に力が漲(みなぎ)るのが分かる。

ライドウと魔力のパスを通した為、彼の内在する力が流れ込んで来るのだ。

 

「玄武、あの神器の能力は・・・・。 」

「分かっとる・・・・おどれの事や、もう対策は済んどるんやろ? 」

 

玄武の問いかけに、ライドウは無言で頷く。

一方、そんな二人の会話を無言で観察しているジョルジュ。

 

例え、”四神”が”人修羅”に力を貸そうとも、この戦況が覆る事はまずない。

自分には、”最強の盾”と呼ばれる神器(デウスエクスマキナ)がある。

この能力がある以上、あの二人に勝ち目など無いのだ。

 

ジョルジュは、右手に持つ神器『フルンティング』の力を解放した。

再び、肉体が消失する老剣士。

それを合図に、ライドウが音も無く玄武から離れる。

 

ガキィイイイン!!

 

金属同士がぶつかり合う耳障りな音が、室内に木霊する。

玄武の持つサカキの樹で造り出された木刀が、ジョルジュの迅速の斬撃を軽く受けてみせたのだ。

しかも、利き腕である右手一本で。

 

「ほぅ・・・全盛期をとうに過ぎた老体の分際で、随分と重い打ち込みをするんやな? 」

「例え年老いたとはいえ、日々の鍛錬は欠かした事はありませんよ?新右衛門殿。 」

 

短い会話を交わした直後、弾かれる様に二人が離れる。

命と命の削り合い。

しかし、両者の唇には、酷く楽しそうな笑みが深く刻まれている。

 

「懐かしい名前やなぁ・・・・おとん以外やで?ワイをその名前で呼ぶんわ。」

 

右手に持つ木刀を、バトンの様に一回転させる。

 

家族の中でも覚賢(あきたか)以外に、この名で呼ぶ者はまずいない。

懐かしい鹿児島の海を想い出し、玄武の口元が思わず緩む。

 

「なぁに、暇潰しがてらに貴方の文献を少しだけ読んだんですよ。 憧れの御人にまさかこんな形で出会えるとは光栄ですね。」

 

ジョルジュもまた心の底から来る感動で打ち震えていた。

 

この目の前に立つ男は、剣人の神だ。

剣の道を志す者達は、必ずこの男を目標とする。

 

「貴方は、私が幼い頃から憧れていた偉人(ヒーロー)だ。まさか、その憧れの君を打ち倒す日がこようとは・・・。」

「ふん、何を生意気抜かしとんねん、この糞餓鬼。 御託はええから掛かって来い。格の違いを教えたるわ。」

 

木刀『阿修羅』の切っ先を老剣士へと向ける。

 

自分の残した僅かな文献に目を通していた事は褒めてやる。

しかし、高々60年ちょっと生きた程度の餓鬼が、もう自分に勝った気でいる。

それが、とても気に入らない。

叩きのめして、実力の差を思い知らせてやる。

 

そんな、玄武を嘲笑うかの様にして、再び消失するジョルジュ。

だが、おかっぱ頭の男は動かない。

木刀を突き出したまま、その場を微動だにしないでいる。

 

「ナナシぃ・・・準備は出来とるか? 」

「ああ、後、右に2cmほど”阿修羅”の向きを変えてくれ。 」

 

玄武の立っている位置から左に後方。

室内の隅へと移動し、跪くライドウがそう指示を出す。

それに、素直に従う玄武。

木刀の切っ先を僅かに右へとずらした瞬間、血飛沫が宙を舞った。

 

 

 

暗闇に沈む通路中央で、大の字に倒れる銀髪の便利屋。

額からは夥しい程の血が流れ、顔面を真っ赤に染めている。

当然、呼吸は無い。

誰の眼から見ても、既に死亡しているのは明らかであった。

 

そんな大男を見下ろす二つの陰。

一人は、喪服を着た大分、年老いた老婆であった。

その右手を見事なブロンドの髪をした10歳未満の少年が、小さな手でしっかりと握っている。

 

「何とまぁ、情けない。 折角、坊ちゃまが目を掛けたというのに、何と言う体たらくでしょう。 」

 

老婆は、白目を剥いて絶命しているダンテに、そんな辛辣な言葉を吐く。

黒いケープで顔を覆っている為、今どんな表情をしているかは分からない。

 

そんな老婆の傍らで、無言で事切れたダンテを眺める少年。

握っていた老婆の手を離すと、倒れているダンテに近づく。

そして、小さな右掌を血塗れの額に翳(かざ)した。

 

 

「早く眼を醒ませ・・・・お前の愛しいベアトリーチェが山背国造(やましろのくにのみやつこ)に帰ってしまうぞ? 」

 

刹那、ダンテの双眸に命の光が蘇る。

それを見て満足そうに微笑む少年。

喪服の老婆と共に、煙の如く掻き消える。

後に残されたダンテは、血塗れの額を押さえ、ゆっくりと起き上がった。

 

 

玄武の持つ愛刀『阿修羅』の刀身が、深々とジョルジュの腹に埋まる。

信じられないと言った驚嘆の表情で、己の腹に突き刺さる木刀を見下ろした老剣士の口から、ごぼりと血の塊が吐き出された。

 

「ば・・・・馬鹿な? 私の計算に狂いは・・・・? 」

「無かったよ、アンタの演算能力は完璧だった。」

 

ブルブルと震える手で、木刀の刀身を握る老剣士の問い掛けに、ライドウが素直に応える。

 

彼の演算能力は、一分の誤差も無く常に的確であった。

しかし、それが故に此方の誘導にまんまと引っ掛かってくれたのである。

 

「おどれの持っとる神器の能力は、高速移動じゃあらへん。 持ち主の肉体を分子レベルにまで分解し、任意の場所に再構築する事や。だから、ナナシの攻撃を防ぐ事が出来たんや。 」

 

玄武がジョルジュの肉体に埋まっている愛刀を乱暴に引き抜く。

途端に鮮血が噴き出し、床を血でどす黒く汚した。

 

ジョルジュが操る神器(デウスエクスマキナ)は、持ち主の肉体を分子の値まで分解する事が出来る。

ジョルジュは、それを巧みに使い、ライドウの斬撃を肉体の一部を分解して躱し、又、身体全体を分子レベルまでバラバラにして、己が定めた場所で再構築をしていたのだ。

傍から見たら、瞬間移動をしているかの様に思えただろう。

 

 

「肉体を分解する能力は、勿論、リスクがある。ちゃんと再構築する場所を定めないと周囲に置かれている異物を取り込む可能性があるからな。 貴方はそれを踏まえた上で、瞬時に周りの状況を見抜き、敵の動きを高速演算で予測して先読みした場所で再構築を繰り返していた・・・・流石だよ。剣士(ナイト)の強靭な肉体を生かした見事な戦略だ。」

 

ライドウは、床に突き立てた棒手裏剣を引き抜き、ゆっくりと立ち上がる。

 

大量の血を失い、がっくりと力無く片膝をつく老剣士。

高級な布地で出来たワイシャツが、みるみる血で染まって行く。

 

「わ、私のフルンティングの能力が分かったとしても、何処に再構築するかは正確に予測できない筈・・・・一体、どんな手品を使ったんだ? 」

「周りをよう見てみ? 」

 

薄ら笑いを浮かべる玄武に指摘され、ジョルジュが改めて自分の周囲を見渡す。

すると室内の自分を取り囲む様にして、五芒星の形で某手裏剣が突き立っているのが分かった。

 

「肉体を分解、再構築するのは、神器特有の電気信号(パルス)を使っとる。なら、それを逆手に取って、範囲を狭め、磁場を狂わせればええんや。」

 

玄武がこうして来る前に、フルンティングの対策は八割方終了していた。

ジョルジュと対峙していたライドウが、八角棒手裏剣を投げ、五芒星の形に配置。

そこへ、玄武が登場し、老剣士の注意を己へと向けた。

全ては、ジョルジュにフルンティングを使わせる為である。

 

「成程・・・・剣聖殿と戦う前から既に勝負は決まっていたという訳か。 」

 

まんまと敵の張り巡らした罠に引っ掛かった事を理解し、ジョルジュは自嘲的な笑みを口元に浮かべる。

 

「・・・・貴方は、本当に凄い人です。 聖剣”フルンティング”は数ある神器の中でもその性質上、最も扱いが難しい武器だ。 あのまま、戦っていたら負けていたのは・・・。」

「やめーや、ったく、自分より実力がある敵を褒めるのはお前の悪い癖やで?ナナシ。 」

 

ライドウの言葉を途中で遮り、玄武は止めを刺すべくジョルジュに向き直る。

 

年老いたと言っても、相手は剣豪(シュバリエーレ)の称号持ちの上に、戦略に長けた羊飼い(シェパード)だ。

下手に近づけば、何をして来るか分からない。

ならば、高速の斬撃で一思いに首を刎ねてしまうのが得策だ。

 

「でもまぁ、かのデンマーク王ですら投げ出した神器を此処まで操ったんは褒めたるわ。せやけど、ワイら相手に手の内を見せすぎたのがアカンかったけどな。」

 

木刀”阿修羅”を下段に構える。

天真正伝香取神道流、立合抜刀術、抜討之太刀(ぬきうちのたち)だ。

発生する真空の刃で、相手の首を一刀の元に叩き斬る。

 

「・・・・・手の内を見せたのは、態とですよ・・・・最初からこうなる事は予測していた。 」

 

そんな玄武に対し、腹から大量に出血し、最早立つ事すら出来ないジョルジュが血塗れた唇を微笑の形に歪める。

訝し気な表情になる玄武とライドウ。

片膝をつく老剣士が、震える手で己の首筋に愛刀である”フルンティング”の刃を当てる。

 

「アビゲイル・ウィリアムズ・・・・契約通り、私の魂をお前にくれてやる。 」

 

何の躊躇いも無く、刃を真横に引くジョルジュ。

刹那、間欠泉が如く血飛沫が辺りに飛び散る。

 

 

 

赤褐色の鱗で覆われた両腕が、地面に落ちる。

噴き出す血潮。

噴水の様に飛び散り、地面や建物の壁、そして破壊された車や装甲車に降り注ぐ。

 

 

「父さん!! 」

 

単式ロケットランチャー、”カリーナ・アン”を構え、ルチアーノの元へ駆け様とするレディ。

しかし、それをサミュエルの腕を振り解いたテレサが押し留める。

 

「駄目よ!メアリー!!殺されてしまうわ!! 」

 

咄嗟に女荒事師の腰に飛びつき、全身で抑え込む。

 

「離して!テレサ!!このままじゃ父さんが!! 」

「ゼブラを服用した時点で、ルチアーノは助からないわ!中和剤を打たない限り、人間には決して戻れない! 」

 

こんなに取り乱した叔母を見たのは、生まれて初めてだ。

何時も冷静で、どんな状況下でも決して諦めない。

それが自分の知っている叔母だった。

 

 

「その通りだテレサ・・・・それに、はなっから生き残ろうなんざぁ思ってねぇ。 」

 

肩口で綺麗に両腕を斬り落とされたルチアーノが、苦痛に耐えながらそれだけを二人に告げる。

血の様に赤い双眸を二人に向け、しっかりとだが、力強く立ち上がった。

 

「テレサ・・・レディ・・・メアリーを頼む。そいつはKKK(クー・クラックス・クラン)には必要な人間だ。 」

 

悪魔特有の再生力により、斬り落とされた両腕が元通りに復元していく。

凶悪な棘の様に鋭く尖る赤褐色の鱗。

五指が刃へと変わり、筋肉が倍膨らむ。

 

 

「光栄に満ちた聖ヨゼフ、マリアの幸せな浄配よ・・・・。」

 

そんなマーコフ家家長に死の祈りを始める陰気な神父。

淀んだ双眸が、鋭い爪と牙を剥き出しにして、再び此方に突進する赤褐色のリザードマンを見据えている。

 

覚悟した人間に死の迷いなど無い。

沸騰するアドレナリンが、苦痛と恐怖を麻痺させる。

だが、それで良い。

高潔なる魂を持つ者に対し、自分はこの不浄なる身体でいくらでも敬意を払ってみせよう。

 

全身の筋肉を撓(たわ)め、高速移動で一気に神父との間合いを詰める。

刃の如き鋭い五指の爪が、祈りを捧げる神父へと振り下ろされた。

しかし・・・。

 

「なっ!! 一体何処に消えやがった!???」

 

ルチアーノの双眸が、驚愕で見開かれる。

鋭い五指の爪が抉ったのは、何もないアスファルトの地面であった。

 

「イエズス、マリア、ヨゼフの尊いみ名を呼びながら、息絶える事が出来ます様に。アーメン。 」

 

不意に背後から聞こえる神父の祈り。

一体どんな手品を使ったのか知らないが、ルチアーノが視認するより早く背後へと移動していたのだ。

ルチアーノが、金の十字架を右手で握り祈りを捧げる神父へと振り返ろうとする。

刹那、その分厚い胸板が十字に裂け、鮮血が迸った。

 

剣士(ナイト)の中でも、極僅かな者しか習得出来ない超難易度技、『霞十字斬り』だ。

 

「がぁあああああああ!!」

 

悪魔の弱点である心臓を切り裂かれ、断末魔の悲鳴を上げるルチアーノ。

地響きと共にその巨体が、地面へと沈む。

 

「父さん!! 」

 

未だ腰にしがみついているテレサを押し退け、師の元へと駆け寄ろうとするレディ。

サミュエルとアイザックも店から飛び出し、女荒事師を押し留める。

 

「離して!! 」

「駄目だ!今のを見ただろ? アンタまで殺されちまうよ!! 」

「そうよ! アンタは、フォレスト家の正統な後継者なのよ! こんな所で死なれちゃ、私とジョセフ・・・ライカンの家族達が困るでしょうが!!」

 

レディに押し退けられたテレサが、前方に回り込み両手を広げる。

無駄な抵抗であると知りつつも、全身で、この陰気な異端審問官から叔母を護ろうとしているのだ。

 

「後継者・・・・? 私が・・・・・? 」

「そうよ! 父さんがジョルジュ叔父様の屋敷へ行く前日、遺書を渡されたの。内容は、ジョセフが成人するまでアンタをフォレスト家の当主とする事。一族が所有している店や事業を全て譲渡すると書かれていたわ。 」

 

テレサの口から聞かされる予想外の真実。

女荒事師の動きが、僅かに止まる。

 

兄、ジョナサンは分かっていたのだ。

ジョルジュの屋敷に行けば、殺されるという事を。

しかし、フォレスト家当主として、又、同じKKK団(クー・クラックス・クラン)の仲間として、ジョルジュの蛮行を見過ごす事が出来なかったのだ。

だから、自分が最も信用出来る人物に、フォレスト家の当主としての権限を渡す事にしたのだ。

 

 

「全く・・・・こんな所で話すつもり何か無かった・・・・もっと、時間を置いて話すつもりでいたのに・・・。」

 

ガクガクと足元が震える。

目の前にいる神父の鬼気に当てられ、身体中の震えが止まらない。

自然と恐怖で涙の粒が盛り上がる。

だが、離れない。

離れる訳にはいかない。

若き当主をこんな所で死なせる訳にはいかないのだ。

 

一方、ルチアーノを意図も容易く倒し、次の獲物を定める漆黒の異端審問官。

生気の無い落ち窪んだ隻眼が、テレサとレディ、そして彼女を押さえる二人のライカンへと注がれる。

 

と、突然、大きな振動がその場にいる一同を襲った。

激しい揺れに耐えきれず、地面へと膝を付くレディ達。

そんな彼等と違い、凄まじい振動など物ともせず、その場に立つ漆黒の神父が、無言で頭上を見上げた。

すると、そこに眩い光を放つ巨神がNY市上空に開かれた地獄門から這い出す姿があった。

 

 

ブルックリン区、マーコフ家所有の薬品研究施設地下。

額を撃ち抜かれ、白目を剥いて大の字に倒れている銀髪の大男。

その背に背負われている雷神剣『アラストル』は、今迄止めていた息をゆっくりと吐き出した。

 

(い・・・一体、何だったんだ・・・・? アレは・・・・。)

 

突然、暗闇の中から現れた喪服の老婆と少年。

一目見て彼等が普通の人間ではない事が分かる。

唯一、分かるのは、彼等が強大な力を持った”ナニカ”というだけ。

 

「ううっ・・・・・。」

 

そんな逡巡を繰り返すアラストルの耳に、銀髪の大男・・・ダンテの呻き声が聞こえた。

血塗れた額を押さえ、銀髪の青年がゆっくりと起き上がる。

 

「おっ、おい! 大丈夫なのかよ? 」

 

慌てて、大分不服ではあるが、現在の持ち主である銀髪の青年に声を掛ける。

 

迷彩柄のコートを着たマスクの少年に、両脚をズタズタに切り裂かれた挙句、頭蓋を銀の弾丸で叩き割られたのだ。

普通の人間なら、即死してもおかしくない怪我である。

 

「何とかな・・・・ちっ、血が目に入って開けられねぇ。 」

 

忌々し気に舌打ちすると、ダンテはコートの袖で額の血を乱暴に拭う。

再生能力が戻ったのか、額の傷は跡形も無く綺麗に消えていた。

両脚も、切り裂かれたズボンの箇所はそのままに、傷が治癒されている。

 

「あのマスクの餓鬼は何処だ・・・・? 」

 

殺気を多分に含んだ蒼い双眸で、通路内を伺う。

しかし、人の気配はまるで無く、聞こえるのは自分の荒い吐息だけであった。

 

「もう、とっくのとおに何処かに行っちまったよ・・・それより・・・。」

 

そう言い掛けたアラストルの言葉が途中で途切れる。

 

あれ?自分は一体、何を聞こうとしているんだ?

 

何を問い掛けて良いのか分からない。

とても重要な事をダンテに聞こうとしたが、その肝心な言葉が出て来ない。

 

「おい、一体どうしたってんだ? 」

 

急に黙り込む魔剣に、ダンテは少々苛々した様子で言った。

 

正体不明のマスクの餓鬼に、良いように弄ばれた挙句、頭蓋を穿たれたのだ。

こんな屈辱を味わったのは、テメンニグルの頂上で、素手のライドウに叩きのめされて以来だ。

一瞬の隙を突かれた。

気が付いたら、ナイフで腹を抉られ、機動力である脚を潰され、喉に業務用カッターナイフを突き刺された。

そして、袖に隠し持った銃で、額を撃ち抜かれた。

時間にして1分にも満たない。

僅か数秒の出来事であった。

 

何かを考えこんでいるのか、ダンテの言葉に返事を返さない魔剣に舌打ちし、未だふらつく身体を叱咤して何とか立ち上がる。

 

こんな所でウダウダ考え事をしていても仕方がない。

マスクの餓鬼に報復するのは後回しにして、今は、先へと進んだライドウの後を追い掛けなければならないのだ。

 

 

 

 

NY市上空に突如、現れた地獄門(ヘルズゲート)。

それは勿論、ジョン・F・ケネディ国際空港からでも見る事が十分に出来た。

地獄門から這い出す、光輝く巨神。

女性の如くほっそりとしたフォルムを持つその悪魔は、上半身のみを晒すと右掌をある一点の箇所へと翳した。

そこから光の粒子と化す巨神。

全てが消え去るその瞬間をCSI(超常現象管轄局)のNY副支部長のジェイソン・タイラーは、固唾を飲んで見守っていた。

 

「あ・・・・あんな悪魔、初めて見たぞ? 」

 

Special Forcesの時代から今迄、多くの悪魔と対峙してきた。

奴等と戦い続けて数十年。

身の丈、200を優に超えるギガント級の悪魔を何十体と倒して来た。

しかし、あんな人間に近い姿をした悪魔を見たのは、これが初めてだ。

 

「アビゲイル・ウィリアムズ・・・13植民地時代のアメリカで起こったセイラム魔女裁判の最初の告発者・・・・己の保身の為に、150人もの罪なき命を犠牲にした女だ。 」

 

タイラーの背後から、女性とも男性とも判別出来ない電子音声が聞こえた。

振り返ると光学迷彩の機能を解除した仲間が立っている。

兜の様な頭部を丸ごと包むマスクに、側面から後頭部にかけて黒色の先細りした器官がまるでドレッドヘアーの様に生えていた。

190cmあるタイラーより一回り大きく、プロテクターの下には筋骨隆々とした逞しい巨躯が見えた。

 

「悪魔じゃないのか・・・・? 」

「そうだ・・・・正確に言えば、人間が持つ悪意の集合体・・・・我々は、ケレス(悪霊)と呼んでいる。」

「ケレス・・・ねぇ。 」

 

スカーの説明に、タイラーは思案気に顎に手を当てる。

アレが一体何なのかは、この際置いとくとして、今現在問題なのは、此処、ケネディ国際空港のあるクィーンズ区に突如発生した悪魔共の駆除である。

ガンナーを小隊長に、特殊部隊を派遣して対応にあたらせているが、いかせん数が多すぎる。

 

「ちっ・・・・法王猊下が乗っている専用機を上空で待機させているが、燃料がもう少しで無くなる。着陸してもらわにゃならんが、こんな状況じゃぁ、危険過ぎるし・・・・かと言って、ガンナー達を引き戻せば、市民の被害が拡大する・・・。」

 

まさに頭を抱え込みたくなる四面楚歌な状態。

上司であるケビンは、マーコフ家が所有する薬品研究施設に潜入したまま、連絡が全く取れない状況だ。

そうなると、自然に隊の指揮はタイラー自身の判断で動かなければならない。

 

「・・・私が、公子の代わりに戦場の指揮を取っても構わんが・・・。」

「駄目だ、お前はCSI(俺達)の盾だ。それに、ガンナーがお前の言う事を聞く筈がないだろ。 」

 

スカーの申し出を、タイラーがあっさりと切り捨てる。

そんな時であった。

 

「すまん、到着が遅れた。 」

 

タイラーとスカー、そして数名のCSI捜査官達がいる空港のロビーに、厳つい軍服を着た大柄な男が現れた。

被っているベレー帽には、アメリカ陸軍特殊部隊のエンブレムが刻まれている。

U.S.Army Special Forcesの陸軍大将、トレンチの部下、ダッチ・シェイファー中将だ。

スカーと変わらない程の巨躯をしており、過去に悪魔との戦闘で右腕を失い、代わりにサイバネティックアームを移植されている。

その傍らには、十代後半辺りと思われる長い黒髪を結い上げた軍服の少女が立っていた。

大分緊張しているのか、顔を真っ赤に紅潮し、直立不動でタイラーとスカーを交互に眺めている。

 

「その娘は? 」

「ああ、今日付けをもってU.S.Army Special Forces(ウチ)に配属された新人の隊員だ。」

「り、リン・クロサワと申します!USMC Special Reaction Team(海兵隊特殊対応チーム)に在籍しておりました!」

 

茹蛸の様に顔を真っ赤にした少女が、極度の緊張故か、舌ったらずな口調で自己紹介をする。

ビシッと軍人らしく敬礼をするが、どこをどう見ても学生にしか見えなかった。

 

「ほぉ・・・その歳でSRT出身なのか・・・流石、トレンチのオッサンは優秀な人材を見つけるのが上手いな。」

 

タイラーが感心した様子で、自分の胸元辺りしか身長が無い少女を見下ろす。

アジア人特有な顔立ちをしており、中々の美形だ。

 

「油の匂いと機械特有の駆動音・・・・・ペンタゴンの強化人間か・・・。」

 

そんなタイラーの傍らで、スカーが小さく呟く。

 

「おい、もう少し気を使えよ。 」

 

いくら軍人とは言え、相手は年頃の娘だ。

スカーの余りな無遠慮過ぎる物言いに、タイラーが困った様子で舌打ちする。

 

海兵隊特殊対応チームは、その任務の特性上、隊員の殆どが機械的なサポートを施された強化人間で構成されている。

それは、CSI(超常現象管轄局)も同様なのだが、SRTは、対悪魔との戦争を想定してより実戦的な改造が施されているのだ。

 

「あ、あの、わ、私、スカー少佐のファンであります!”サン・ドラド”の攻防戦の記録はファイルに穴が空くぐらい何度も何度も見ております!」

 

しかし、そんな二人の会話が耳に入っていないのか、当の本人であるリンは、顔を更に真っ赤にさせて、キラキラと羨望の眼差しでマスクの大男を見上げている。

 

そんな少女に、大分引き気味になる二人。

 

「良かったな・・・・お前さんのファンだとよ。」

「・・・・・。」

 

熱烈なファンの登場に、タイラーが呆れた様子で隣にいる同僚を眺める。

一方、スカーは、何も反論出来ないのか、無言で黒髪の少女を見下ろしていた。

 

 

 

ブルックリン区、マーコフ家所有の薬品研究施設地下。

幾つもの培養槽が並ぶ、生態研究室では、魔獣ケルベロスと包帯の剣士、ジャン・ダー・ブリンデの死闘が続いていた。

 

軽く小回りが利く日本刀の鋭い一撃が、白銀の獅子を襲う。

それを紙一重で躱すケルベロス。

返す刃で硬い鱗に覆われた長い尾で襲い掛かるが、予め予測していたジャンが素早く後方に退く。

 

「どうした?もう息切れか? 」

 

辛そうに肩で息をする包帯の男に対し、ケルベロスは息一つすら乱してはいない。

ダンテがこの培養室から出て、既に20分近くが経過している。

数合撃ち合っているが、お互い決定打に欠け、未だ勝負がつかないでいた。

 

「言い訳を言わせて貰うと、この躰は欠陥品でね。長時間活動する事が出来ないのだよ。 」

「ふん・・・・そうだろうとは思っていた。 死人のお前には、現世の空気は余程辛かろう。 」

 

包帯の下から覗く、どす黒い血の染み。

恐らく、止めていた肉体の時間が戻り、壊死を始めているのだろう。

このまま戦闘が長引けば、やがて肉体は腐り、動く事もままならなくなる。

 

「”サウロン”に泣きついたらどうだ? 奴の事だ・・・大方どこかでこの下らぬショーを見物しているのだろう? 」

 

 

”サウロン”とは、セルビアを中心に活動している秘密結社(フリーメーソン)”黒手組(ブラック・ハンド)”に所属する死霊使いだ。

この現世に存在する唯一正当な死霊使い(ネクロマンサー)で、数千年を生きていると言われている。

 

「生憎、彼は別件の仕事が入って、此処にはいない・・・それに、あの業突く張りは、大金を渡さないと肉体を修復してくれないのだよ。 」

 

ジャンは、大袈裟に肩を竦める。

 

サウロンは、金を積めばどんな事もやる外道だ。

流石に、黒手組(ブラックハンド)の長であるアポフィスには、絶対服従の姿勢を見せてはいるが、その強欲な性格は、彼女の手を大分焼かせていると聞いている。

 

「成程・・・・奴とお前の関係は知らぬが、随分と難儀な事だな。」

「だろ?まともな肉体にして貰うには、それ相応のモノを奴に貢がにゃならん。例えば、”カオル”の持っている”帝王の瞳”とかな・・・。」

「・・・・っ、貴様・・・。」

 

ジャンの意図を知り、ケルベロスの表情がみるみる険しくなる。

 

ジャンは、サウロンと契約して仮初の肉体から、生者の肉体へと乗り換えるつもりでいる。

それには、金では変えられない希少な”ナニカ”を死霊使い(ネクロマンサー)に捧げる必要がある。

 

「俺が言うのもなんだが、アイツは顔が綺麗で感度も最高だ。おまけに骸の愛人ってブランドも付いている。サウロンもきっと喜んでくれると思うぜ? 」

「・・・・・正真正銘のクズに成り果てたか・・・・。」

 

女に対しだらしなく、皮肉屋で厭世的。

しかし、義理人情に厚く、芯のしっかりと通った男であると思っていた。

だが、今は違う。

あの一件で、この男は全く別人になってしまった。

 

「怒ったのか?お袋さん。 まぁ、アンタにとっちゃぁ、カオルは眼の中に入れても痛くない程、可愛い弟子だもんな。」

 

包帯から覗く、冷酷な蒼い双眸。

そこに、かつてライドウと共に悪魔の脅威から人類を護った戦士の姿など、微塵も感じられる事は無かった。

 

「その馬鹿弟子は、今でもお前を愛しているんだぞ。 」

「・・・・・・みたいだな・・・・俺が死んで10年以上も経つっていうのにな・・・。」

 

脳裏に、『ボビィの穴蔵』で再会したライドウの姿が蘇る。

あの悪魔使いは、一目見ただけで、変わり果てた自分がかつての番であると見抜いた。

建設現場で腕試しをした時も、僅かな躊躇いがあった為、棒手裏剣を投げるタイミングがコンマ数秒遅くなった。

 

 

「お取込みのところ邪魔するぜ。 」

 

そんな二人の間を無遠慮に割って入る第三者の声。

ケルベロスとジャンが、声のした方へ視線を向けると、右手に鉄のアタッシュケースを持つ50代ぐらいの男が出入り口を背に立っていた。

 

CSI(超常現象管轄局)NY支部長、ケビン・ブラウンだ。

 

「ケビン? 」

「久し振りだな? ”鶴姫”。」

 

思わぬ旧友との再会に、ケルベロスが金の双眸を見開く。

そんな魔獣に対し、気障ったらしく片手を上げて挨拶するNY支部長。

右手に持つアタッシュケースから、ゼロワンドライバーとプログライズキーを取り出し、対峙する二人の傍へと近づく。

 

「One Army Only(一人だけの軍隊)か・・・。」

 

強い気の持ち主が、此方に近づいているのは分かっていた。

まさかそれが、CSI(超常現象管轄局)のNY支部長本人であるとは予想していなかったが。

 

「君には申し訳ないが、この男は俺が貰う。 」

 

皮肉な笑みを浮かべたケビンが、ゼロワンドライバーを腰に当てる。

すると、自動的にベルトが伸びて、ケビンの腰に装着された。

 

「子供の遊戯では無いぞ。 」

「分かってる・・・・こう見えてもかなり真剣なんだぜ? 俺は。 」

 

呆れた様子で此方に視線を向ける魔獣に、CSI捜査官がウンザリとした表情で応える。

 

内心では、穴があったら入りたい心境だ。

旧友に・・・しかも、若かりし頃、本気で愛した女性の目の前で、業晒しみたいな真似事をしようとしている。

脳裏に、へらへらと緊張感の欠片もなく笑う、瓶底眼鏡の科学者の姿が映った。

決めた・・・。

この仕事が終わったら、長期休暇を取ろう。

 

金と青のプログライズキーを、装着したベルト右側の認証装置へと翳す。

 

「早速、コイツを使わせて貰うぜ。 」

 

スキャンしたデータが、地球の成層圏辺りで浮遊している通信衛星『ベロニカ』へと転送。

キーロックが解除され、メタリックな光を放つ巨大なバッタの姿をしたライダモデルが出現する。

 

「頼む・・・・そんな悲しい目で俺を見ないでくれ。 」

 

無言で此方を凝視している魔獣を見ていられなくて、ケビンは眼の端に涙を溜めながら顔を背ける。

 

瞬く間に、強化スーツに包まれるケビン。

それに呼応するかの如く、メタリックな光沢を持つ巨大バッタが宙でバラバラになり、鎧の如く、CSI捜査官の躰に纏われていく。

 

「Warning,warning. This is not a test! (警告、警告、これは試験ではない。)"No chance of surviving this shot." (この一撃から逃れる術はない。)」

 

周囲に響き渡る警告音。

ジャンの目の前に、黄色と青を基調とした鎧を纏うケビンが立っている。

胸部には戦闘補助装置である『オービタルユナイト』が埋め込まれ、頭部には四本の角、鋭角的な肩当に、蝗(イナゴ)を連想させる真紅の複眼が、包帯の男を見据えていた。

 

「はっ・・・・特撮系のヒーローにでも転向したのか? アメリカの・・・・。」

 

そう言い掛けたジャンが、殆ど条件反射で右側へと回避する。

高速移動で、包帯の男へと肉迫したケビンが、鋭い右ストレートを放ったのだ。

衝撃波で、大きく態勢を崩し、床に片膝をつく包帯の男。

壁には、まるで隕石が落下したかの如く、巨大なクレーターが穿たれている。

 

「ちっ、本当なら、今ので挽肉に変えてやるつもりだったんだけどな。」

 

相手の油断をついた見事な奇襲。

しかし、そこは腐っても元魔剣教団最強の騎士。

寸でのところで読まれ、渾身の一撃を躱されてしまった。

 

「・・・・人間が造った玩具のくせに、良く出来ているじゃないか。」

 

先程の一撃で、左腕を持っていかれてしまった。

肘の付け根から消失した腕に視線を落とし、ジャンは忌々し気に舌打ちをする。

残された右腕で、背広の内ポケットに入っているスマートフォンを取り出す。

視線を数歩先にいる、強化スーツを纏う壮年の男へと向けつつ、スマートフォンに何桁が番号を打ち込んだ。

すると、未だ膝を付いている包帯の男の背後に、巨大な法陣が姿を現す。

中から、まるでクラゲを連想させる巨大な頭部と幾つかの触手、そして両腕には錫杖と思われる杖を持った巨人が這い出して来た。

 

「邪龍・ヤムか・・・? 」

 

鋭い牙を剥き出しにして、ケルベロスが臨戦態勢に入る。

 

ヤムとは、ウガリット神話に登場する海と川を神格化した神である。

神話では、主神バアルが最初に戦う敵とされ、天上の父神イルウと妻アーシラトとの間に生まれた息子達の一人であり、伝承では、竜の姿をしていると伝えられている。

 

「さっきも説明したと思うが、私の躰は長時間の戦闘には耐えられない。最後まで相手をしてやりたいが、そうもいかなくなったよ。」

 

ジャンは、後は自分が召喚した邪龍に任せ、口内で短く強制離脱魔法(トラフーリ―)を唱える。

魔法により、眩い光の球体へと消えるジャンの躰。

後を追い掛けようとしたCSI捜査官の行く手を、邪龍・ヤムが立ち塞がる。

 

「ふん、上位悪魔を使い捨てか・・・・随分と勿体ない真似をするじゃないか。 」

 

自分よりも二回り以上デカイ悪魔を見上げ、ケビンが皮肉な笑みを口元に浮かべる。

 

召喚術師にとって、悪魔は己の身を護る盾であり、戦況を有利に運ぶ戦闘ユニットだ。

腕の良い召喚術師の中には、消耗品として平然と使い捨てをする輩がいるが、中には17代目・葛葉ライドウの様に、仲魔として大事に扱う術師もいる。

どうやら、ジャン・ダー・ブリンデと名乗る術師は、前者の様だ。

 

 

『はぁーい♡ケビン君待ったぁ? 』

 

その時、スーツに内蔵している通信機から、間の抜けた男の声が聞こえた。

ヴァチカン、13機関所属の科学者、射場・流だ。

 

「ちゃんと仕事はしたんだろうなぁ? 先生さんよぉ。」

 

能天気極まる流の声に辟易しつつ、ケビンはウンザリとした様子で通信に応える。

 

「当然でしょ?真面目なのが僕の取柄なんだからさぁ。」

 

心外だと言わんばかりに、流が不機嫌な声を上げる。

 

ケビンの指示通り、流はメインコンピューターにハッキングを仕掛け、ものの数秒で施設内のセキュリティ全てを乗っ取った。

その驚異的な手腕に、隊の指揮を任されたエドとCSI捜査官達は大層驚いたが、流に言わせると5次方程式を解くよりも簡単らしい。

 

「ソッチは結構楽しい展開になっているじゃなぁい? 」

 

セキュリティルームの椅子にどっかりと座った流れが、助手であるアレックスが持って来たノート型パソコンを膝に乗せ、液晶ディスプレイに視線を落としている。

そこには、シャイニングゼロワンスーツに内蔵されているメインカメラを通して、ケビンが今現在対峙している邪龍・ヤムの禍々しい姿が映し出されていた。

 

「今すぐ、”ベロニカ”に例のモノを転送する様に命令してくれ。 」

「了解♡ 」

 

ケビンの”眼”を通して、状況を把握した流が二つ返事で返す。

すぐさま地球の成層圏軌道上を浮遊している通信衛星『ベロニカ』にアクセスし、あるモノをケビンの所に送り届ける様、指示を出す。

それと同じくして、邪龍・ヤムが強化スーツを纏うケビンとその傍らにいる魔獣・ケルベロスへと襲い掛かった。

 

「マハブフダイン!!」

 

空中に展開される幾つもの魔法陣から、凍える吐息を放つドラゴンが何体も現れる。

二人を呑み込もうと凶悪な顎を開く氷の龍。

しかし、その攻撃が届く事は無かった。

通信衛星『ベロニカ』より送られたあるモノが、盾となって二人を守ったのだ。

 

「こ・・・・これは・・・・・??」

 

突如、現れた眼前にあるソレ。

かつて、17代目・葛葉ライドウの番として共に戦っていた頃のヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーが、使用していた神器(デウスエクスマキナ)炎の剣・レヴァーティンだ。

それが、収められている漆黒の巨大なケースが、盾となってケルベロスとケビンを凍える顎から護ったのである。

 

「ヴァチカンの調査班が、秘密裏にコイツをシュバルツバースから回収してたんだ。 因みに、今俺が着ているこのふざけたスーツは、コイツを使う為にヴァチカンの先生が開発したモノだ。」

 

ケビンが、ライズスロットに挿入されているプログライズキーを取り出し、魔剣教団の紋章が描かれているケースの差込口に入れる。

すると、冷却装置から発生する白い煙と共にケースが開き、中に収められている神器の柄が現れた。

 

 

「生身の人間が、あの神器を使うと生気を全て吸われ死亡する・・・でも、戦闘補助装置・・・オービタルユナイトが、神器に必要な分の生命エナジーを肩代わりする事で、常人でもアレを扱える様になれるのさ・・。」

 

ノート型PCを膝に乗せ、本日3本目のチュッパチャップスの包装を剥がしながら、流は口元に微笑を浮かべる。

 

今から10数年前、日本で行われたある計画。

”シュバルツバース破壊計画”が失敗し、聖櫃に封じ込められていた膨大なエネルギーが暴走する最中、17代目・葛葉ライドウの番であるヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーが、計画に参加した大勢の隊員達と共に死亡。

彼が使用していたヒュースリー家に伝わる神器”レヴァーティン”が、ヴァチカンの手で回収された。

すぐさま、科学技術開発部総責任者である流を中心に研究チームが発足。

その結果、ゼロワンドライバーが生まれた。

 

 

「ふん、貴様等が”レヴァーティン”を回収していたのか・・・17代目がこの事を知ったら何と思うか・・・。」

「そう言うなよ、鶴姫。 悪魔と対抗できる兵器があるのに、ソレを遊ばせている道理が無いだろ。」

 

魔剣教団の紋章が刻まれた漆黒のケースから、神器”レヴァーティン”を引き抜く。

黄金の炎を纏う灼熱の刀身が姿を現した。

 

「ぐぉおおおおおおおおお!! 」

 

聖なる炎を見て恐怖に似た感情を覚えたのか、邪龍・ヤムが突然、咆哮を上げる。

放たれる氷結系最上級魔法『絶対零度』。

氷の大津波が、ケビンとケルベロスに襲い掛かる。

しかし、スーツを纏うケビンが神器を軽く一振りしただけで、氷の大津波はすさまじい蒸気を発して瞬く間に消失した。

 

「ここからが、俺のターンだ。」

 

マスクの下でケビンが、皮肉な笑みを口元に浮かべる。

腰を落とし、神器”レヴァーティン”を下段に構えた。

そんなケビンに対し、今度は、無数の氷の槍を放つ邪龍・ヤム。

無数の凶悪な氷の刃が肉迫する最中、ケビンが神器を振り上げる。

 

眩い閃光。

炎の剣が肉体を刺し貫かんとした氷の槍を全て消し去り、魔法を放った邪龍・ヤムすらも吹き飛ばす。

太陽と同じ1500万度の熱に貫かれ、跡形も無く蒸発するヤム。

しかし、聖なる炎は邪悪なる竜を焼き払っただけで、培養槽の研究室内は、傷一つ付く事は無かった。

 

 

ハーレム地区、フォレスト家が経営する高級プールバー前。

 

呆けた顔で、未だ上空を見上げている漆黒の神父・・・・エルヴィン・ブラウン。

一つ、小さな息を吐き出すと、射殺さんばかりの鋭い視線で自分を睨み付けている女荒事師へと向き直る。

 

「私を殺したいか・・・・? だが無理だな・・・同じ領域に居る者以外は、僕を殺す事は不可能だよ。」

 

右眼を覆っている革の眼帯から、一瞬だけ黒い炎が灯る。

 

そう、この眼を持つ限り、この世に存在する者は、誰も彼を傷つける事は叶わない。

同じ領域に存在する絶対者以外は・・・・。

 

エルヴィンは、暫く無言で、女悪魔狩人、レディと彼女を必死で押し留めている二体のライカンスロープ、アイザックとサミュエル。

そして、彼等の前にいるフォレスト家家長代理、テレサ・ベットフォード・フォレストを順々に見つめる。

そして、何かを納得したのか、あっさりと彼等に背を向けた。

 

「天におられる私達の父よ・・・み名が聖とされますように・・。み国が来ますように・・・。」

 

まるで呪いの様に、再び主への祈りを呟く陰気な神父。

遠ざかって行くその背を、レディは唇を噛み締めて見守るより他に術が無かった。

 




まだまだ終わらなそうで萎える。


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チャプター 21

登場人物紹介

サウロン・・・・数千年を生きる死霊使い(ネクロマンサー)、黒手組(ブラックハンド)に所属しており、不老不死の霊薬”エリクシア”を開発する為に、仮死状態だったヨハンを一時的ではあるが生き返らせた。

ウィリアム・グリッグス・・・・500年前に起こった”セイラム魔女裁判”の黒幕。思念体のみ、悪霊・アビゲイルの中に留まっており、本体は別の場所にいる。ライドウ曰く天使であり、しかもかなり階級は上。


何も出来なかった。

兄の無念を晴らす事も、父の様に慕っていた男の魂を救ってやる事も出来なかった。

 

陰気な神父が立ち去って数分後、女荒事師のレディは、力無くズルズルとその場に座り込んでしまう。

虚ろな視線が、心臓を破壊され最早原型を留めている事が叶わず、塵へと化すルチアーノの無残な亡骸に向けられる。

 

そんなレディに何の言葉も掛けられず、重く押し黙る一同。

刹那、直下型と思われる大きな振動が、その場に居る全員に襲い掛かった。

 

 

「い、一体何が!!? 」

 

そう言い掛けたテレサの言葉が途中で止まる。

彼女の視界に、眩い光を放つ巨大な人型が映ったからだ。

 

ゆっくりと立ち上がる光輝く巨人。

女性の様な華奢な肢体に、不釣り合いな大きな頭。

子供の様な幼い顔立ちに、側面には純白の羽根が生えている。

 

「あの方向は、確かブルックリン区の・・・・・。」

 

アイザックとサミュエルも、驚愕の表情で、光輝く巨人を見上げている。

 

彼等が指摘する通り、現在、巨人が居る位置は、マーコフ家が所有している薬品研究施設がある場所であった。

 

 

 

 

同時刻、マーコフ家所有の薬品研究所地下施設。

 

邪龍・ヤムを葬り去ったケビンは、神器”レヴァーティン”を漆黒の棺へと納め、変身を解いた。

 

「・・・・・ケビン・・・・・何故、ヴァチカンの下らん研究に手を貸しているんだ? 」

 

白銀の獅子、魔獣・ケルベロスがCSI(超常現象管轄局)のNY支部長に問い掛ける。

 

この異常事態で、する質問ではない。

今は、一刻も早く17代目・葛葉ライドウと合流し、ルッソ家当主、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの蛮行を食い止めねばならない。

しかし、どうしても聞かずにはおれなかった。

 

「君が知る必要はない。 」

 

予想通り、ケビンは魔獣の問い掛けを冷たく切って捨てる。

 

きっと彼女は、自分の心の内を見透かしているのだろう。

だから、敢えて言葉にしたくはなかった。

 

「・・・・殺すのか・・・・・私達の息子を・・・・・。」

「・・・・・。 」

 

重く、苦しい言葉。

ケビンは応えない・・・否、応えられない。

ただ、黙って白銀の魔獣に背を向けているだけであった。

 

「あの子を殺す武器を創り出す・・・・そうなんだろ? 」

「・・・・・・・・・そうだ・・・・。」

 

ケルベロスの言葉に、ケビンは諦めたかの様に静かに応える。

 

アメリカ合衆国の特殊部隊に配属直後、彼は、彼女と出会った。

強く、美しい彼女に激しく惹かれ、お互い愛し合い、そして彼女は自然の成り行きで子供を身籠った。

己に架せられた呪いのせいで、子は産めぬと嘆く彼女に、ケビンは、人間の子として自分が育てると申し出た。

そして、彼女は子を産み、ケビンの期待通りに素直な優しい子として育った。

そう・・・・思っていた。

 

「俺は、君を裏切った・・・・人間の子供として、その一生を送らせてやるつもりだった・・・だが、失敗した。 あの子の抱えている闇を・・・俺は見抜けなかった。」

「よせ・・・お前、一人の問題ではない、私達二人の問題だ。」

 

この男一人だけに子殺しの重罪を背負わせる訳にはいかない。

 

と、刹那、研究所全体を大きな揺れが襲った。

咄嗟の出来事にバランスが取れない二人。

ケルベロスは、何とかその場で踏み止まり、ケビンは、片膝を付いて倒れそうになる神器の入ったケースを抱えている。

 

「どうやら、悠長に昔話をしている暇は無さそうだな。 」

「そのようだな・・・。」

 

この先にあるラボラトリーで、何かが起こっているらしい。

漆黒のケースを肩に担ぎ、立ち上がるケビン。

培養室内から出る捜査官の後を、白銀の魔獣が追った。

 

 

 

それは、一瞬の出来事であった。

全ての事件の黒幕的存在である、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの自決。

神器”フルンティング”の刃を自らの首に突き立て、その場に頽(くずお)れる。

その一部始終を、17代目・葛葉ライドウは呆然と見つめていた。

 

 

「しっかりせい!奴が来るぞ!! 」

 

玄武の叱咤に、ライドウは漸く我に返る。

それとほぼ同時に、研究室内が激しく振動する。

 

「パティ!!!!!? 」

 

余りの出来事に、バランスを大きく崩し、その場に片膝を付くライドウ。

その視線の先では、床を突き破って現れた巨大な手が、金髪の少女が眠る培養槽を握り締めていた。

 

「させるかよぉ!!!! 」

 

無意識に巨人によって連れ去られるパティの姿と、愛娘のハルの姿が重なる。

怒りの形相で、魔槍”ゲイボルグ”の力を解き放ち、魔鎧化するライドウ。

白銀の魔狼となった悪魔使いは、天井から落ちてくる鉄の梁を跳んで躱すと、それを足場に培養槽を奪い去ろうとする巨人に向かい、駆け抜ける。

しかし、振り上げた刃が巨人に届く事は無かった。

突如、眼前に防壁(シールド)が現れ、”ゲイボルグ”の切っ先を弾き飛ばしてしまう。

 

「うわぁ!! 」

 

己が放った力をそのまま返され、受け身すらも取れず壁に叩き付けられるライドウ。

そのまま下へと墜ちる白銀の魔狼を、番である玄武が宙で受け止める。

 

「げ・・・玄武? 」

「こんドアホウが・・・一旦、此処から離れるでぇ? 」

 

崩れた壁の一部に着地したおかっぱ頭の男が、強制離脱魔法(トラフーリ―)を唱える。

眩い光に包まれ、別のエリアへと移動する二人。

後に残された眩い光を放つ巨大なソレは、手の中の培養槽を握り潰してしまわない様に大事に両手で抱え、上に・・・・外の世界へと向かって行った。

 

 

 

ロックアイランド最西部に位置し、イースト川、ニューヨーク港、大西洋に囲まれ、クィーンズ区と隣接するブルックリン区。

ニューヨーク郡に次ぎ、2番目に高い人口密度を誇る工業都市は、現在、阿鼻叫喚の地獄へと様変わりしていた。

 

「お母さん!お母さぁん!! 」

 

崩れた瓦礫の下敷きになった母を、10歳にもならない幼い少女が必死に呼び掛けている。

小さな手で、何とか瓦礫を押し退け、大事な母を救い出したいが、か弱い少女の力では大きな破片はびくともしない。

 

「カレン!私は良いから逃げなさい!!」

 

瓦礫に脚を挟まれ身動きの取れぬ母。

娘に逃げる様に懸命に呼び掛けるが、幼い少女は頑として首を縦に振る事は無かった。

愛らしい瞳から涙の粒を頬へと流し、無駄と知りつつも、瓦礫を押し退けようと必死に押し続ける。

 

と、その小さな背を醜悪な影が覆った。

見ると両腕に幾枚もの鋭い刃を付けた中位悪魔、幽鬼・メガスケアクロウが、幼い少女の背後に立っている。

子供の肉は、悪魔に取って特上の御馳走(ごちそう)。

早速、その肉を喰らわんと、市民の血で塗(まみ)れた刃を振り上げる。

 

 

「カレン!!! 」

 

母の悲痛な叫び。

だが、無情にも振り下ろされた刃が小さな少女を細切れにする事は無かった。

何処からともなく現れた影が、凶悪な刃を両断する。

蒼い閃光。

紙細工の如く斬り飛ばされる悪魔の刃。

少女を護る様に影・・・・・漆黒のコートを纏った迷彩柄のズボンを履く仮面の少年が立っている。

目深に被ったフードの下からは、マスクに内蔵された赤外線レンズが青く光っていた。

 

「大丈夫、君も君のお母さんも、絶対に死なない。 」

 

突然、現れた正義の味方。

呆然と見上げる母子に、マスクの少年は笑い掛ける。

そして、改めて眼前に立つ幽鬼・メガスケアクロウに向き直り、左手に持つ日本刀を構え、その柄に右手を軽く添えた。

腰を落とし、片膝を地面についた居合特有の独特な構え。

 

そんなマスクの少年に対し、怒りの咆哮を上げる悪魔。

大きく跳躍し、華奢な肢体を持つ少年を押しつぶさんと襲い掛かる。

しかし・・・・。

 

「表居合術六ヶ条、抜討之剣・・・。」

 

蒼い閃光となって消えるマスクの少年。

高速の斬撃が、幽鬼を空中でバラバラに解体する。

音も無く着地する少年と同じくして、肉片となったメガスケアクロウの残骸が塵となって消えた。

 

そんな人智を超えた戦いを、声も無く只、見つめている母子。

マスクの少年は、急いで未だ、瓦礫に挟まっている母親に近づくと、軽々と大きな破片を持ち上げる。

 

「この先に、軍の特殊部隊がいます。そこに行けば、シェルターまで保護して貰えます。 」

 

蒼い遮光眼鏡が内蔵されたマスクを被る少年は、瓦礫から這い出した母親にそう告げると、特殊部隊がいる場所を説明する。

礼もそこそこに、幼い娘の手を引いて母親は逃げて行った。

その背を、瓦礫を脇に退けた少年が見送る。

 

「もー、こんな所に居たの?坊ちゃん。 」

 

蒼い遮光眼鏡の内蔵されたマスクを被る少年の背に、若い男の声が掛けられた。

振り返ると迷彩柄の忍装束を纏った赤毛の男が立っている。

顔には、鋭い犬歯が突き出た禍々しい猿の仮面を被っていた。

 

「佐助・・・・。 」

「ぶっぶー、今は摩虎羅ですよぉー。ちゃーんとコードネームで呼んでくんないと困るでしょ。 」

「・・・ふぅ・・・面倒だなぁ。 」

 

地獄の最中に居るにも拘わらず、その会話は何処か間が抜けている。

 

彼等は、日本の超国家機関『クズノハ』に所属する剣士(ナイト)達だ。

暗部”八咫烏”でも精鋭中の精鋭、『十二夜叉大将』に属している。

マスクの少年は、その『十二夜叉大将』の称号を得たばかりの新人であった。

名を伐折羅大将(ばさらたいしょう)と言い、赤毛の男は摩虎羅大将(まこらたいしょう)と言う。

 

「全く、俺様はオタク等の教育係だけど、上司でもあるのよ?もちっとそこら辺考えてくんないと。」

 

猿の仮面を被った男が、嘆かわし気に天を仰ぐ。

 

魔虎羅は、主人である”骸”の命令で新人を二人ばかり預かっていた。

しかし、初任務故か、餓鬼二人は全く自分の言う事を聞かず、挙句、単独行動を平然と行う。

 

完全に舐められている。

此処は、上司として厳しく接するのが普通なのだが、伐折羅は兎も角として、もう一人が全く手に負えないでいた。

 

「ごめん・・・人の悲鳴が聞こえたからつい・・・・。」

 

日本刀を左手に持つマスクの少年が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

こういう、素直な所に可愛気があるのだが、何度注意しても一向に直らない。

本人曰く、困っている人や悪魔に襲われている人がいると勝手に反応してしまうのだそうだ。

父親譲りの猪突猛進な所は、命の削り合いをしている戦場では致命的である。

 

「さっきも言ったけど、此処は日本じゃないんだからね。カトリック教圏内に居るって事忘れちゃ駄目だよ。 」

 

任務とはいえ、異国の地では余所者でしかない。

余計な事に手を出せば、アメリカ合衆国に反感を抱かれる結果となる。

193か国が加盟している国際連合に名を連ねている以上、余計な問題を起こしてはならないのだ。

 

「さぁて、明君・・・・じゃなかった毘羯羅(びから)を早目に探さないとねぇ・・・17代目にバレたら半殺しじゃ済まないよ。」

 

俯いてしょげている少年の頭に優しく手を置いた摩虎羅は、戦場と化したブルックリンの街へと視線を向ける。

 

毘羯羅は恐らく、17代目・葛葉ライドウの所に向かった筈だ。

助ける為ではない。

馬鹿な父親に一喝を入れて、一刻も早く日本に連れ戻すのが目的だ。

 

 

 

「・・・・ごめんなさい。 」

 

か細い妻の声。

清潔なベッドに寝かされている妻に、最早、若かりし頃の面影などまるでなかった。

あれ程美しかった金色の髪は、色を無くし、肌は水分を失い、身体はまるで枯れ枝の様に脆く、今にも折れてしまいそうだった。

 

「何故、謝るんだ。 」

 

ベッドに寝かされている妻の脇で、簡易椅子に座るジョルジュが問い掛ける。

静寂に包まれた病室。

人口呼吸器と心電図の音だけが、室内に木霊していた。

 

「私のせいで、貴女が辛い目に会っているのでしょう? ニーナが・・・・あの子が家を出た原因は全て私の・・・・・。」

「君のせいじゃない。 」

 

ジョルジュは、すっかり細くなってしまった妻・・・ナターシャの手を取る。

愛しい妻。

どんなに変わろうとも、この愛情だけは決して失われない。

 

「私のせいだ・・・・仕事や組織の責務にかまけ、君や子供達を蔑(ないがし)ろにしていた・・・・ココペリの逆鱗に触れてしまったのだよ。」

 

ココペリとは、ホピ族が崇める豊穣の神である。

ココピラウとも呼ばれ、豊作と子宝、そして幸運をもたらすと言われている。

 

「・・・・ナターシャ・・・・実は、ある組織が不老不死の研究をしている・・・私も共同出資をしているんだ・・・もし、その薬が完成すれば・・・・。 」

「・・・・・私は、その薬を飲まないわ。」

 

夫が言わんとしている言葉を察したナターシャが、冷たく断る。

 

夫が、自分の為に同胞であるルチアーノやジョナサンに黙って、ある組織に資金提供している事は知っている。

日本と言う島国にある『ガイア教団』と呼ばれる新興宗教だ。

その道に詳しい知人に頼み、彼の組織を調べて貰ったが、あまり良い噂を聞かなかった。

曰く、反社会的組織なのだという。

 

「ジョルジュ・・・・・愛しているわ・・・・今でも貴方を・・・・。」

「ナターシャ・・・・。」

「でも、貴方がしている事は・・・・多くの哀しみを生む原因になる・・・・私は・・・他者の命を糧としてまで生きようとは思わない。 」

 

”稀人”としての奇異な力が、彼女に夫の心の底を覗かせてしまう。

夫は知っている。

その研究に、多くの罪なき命が犠牲になっている事を。

不老不死の実験には、人の生命エネルギー・・・・マグネタイトが使われているという事を。

 

藍色の妻の双眸から、涙の粒が盛り上がり頬を零れ落ちる。

夫を変えてしまったのは自分だ。

本当の病気を夫に偽り、国が認可した抗がん薬を服用し、その結果、間質性肺炎を発症してしまった。

あの時、ジョルジュに真実を打ち明けていれば・・・・。

否、それは出来ない。

組織やこのNY市に住む人々の為に奔走する夫の邪魔は、決してしたくない。

 

「ジョルジュ・・・・貴方は、誇り高い正義の騎士・・・・どうか、その剣を正しい道に使って・・・・。」

「ナターシャ・・・・。」

 

それが、最愛の妻との最後の会話となった。

 

 

「・・・・・此処は・・・・? 」

 

老騎士の双眸がゆっくりと開く。

視界に入る瓦礫の山。

どうやら何処かの研究施設らしい。

建物の残骸に背を預けている為か、冷たい感触が伝わって来る。

 

「そうか・・・・・”お前”が此処に、私を運んだのか。 」

 

少し離れた場所で、地に突き立つ神器・・・”フルンティング”に視線を向ける。

 

悪霊”アビゲイル”を召喚後、崩れ落ちる地下施設の機材や建物の残骸に押しつぶされたと思っていた。

しかし、神器が元から備える防衛本能なのか、”フルンティング”は、最後の力を振り絞って、主人であるジョルジュを安全なエリアへと運んだのだ。

 

「父さん・・・・・? 」

 

その時、ジョルジュの耳に懐かしい声が聞こえた。

老騎士が其方の方に視線を向ける。

霞む視界の中、10数年前に自分の元から出て行った愛娘の姿が映った。

 

 

 

玄武の唱えた”強制離脱魔法(トラフーリー)”により、薬品研究所の屋上へと逃れたライドウ。

先程の老騎士・ジョルジュ・ジェンコ・ルッソとの戦いで負った傷は、予想よりも深く、激痛でその場に片膝を付いてしまう。

 

「・・・・っ、クソが・・・・・。」

 

切裂かれた右肩を押さえ、光輝く巨人・・・・”アビゲイル・ウィリアムズ”へと視線を向ける。

 

あの悪霊は、かつて自分の師であった16代目・葛葉ライドウの手で封印されていた筈であった。

その封印を、キンナ一族への復讐へと燃える老剣士・ジョルジュによって解かれてしまった。

一刻も早く、再封印しなければ、三年前に起こった『テメンニグル事件』とは、比べ物にならない程の大災害が起きるだろう。

 

「ええ加減にせぇ、その傷じゃ”エリンの四至宝”を操るのは無理やろうが。」

 

呆れた様な溜息を吐いて、四神の一人、玄武が片膝を付く白銀の魔狼を見下ろす。

 

エリンの四至宝とは、ケルト神話に登場する四つの神器である。

一つは、魔の剣・・・・クラウ・ソラス。

二つは、魔の槍・・・・ブリューナク。

三つ目は、運命の石・・・リア・ファル。

そして最後の四つ目が、魔の大釜・・・・ダグダの大釜である。

ライドウが持つゲイボルグは、その四至宝の一つであり、ブリューナクが、時を司る龍・ウロボロスの血を浴びた事で変異し、真紅の魔槍”ゲイボルグ”となったのだ。

 

「ナナシ、魔鎧化を解いて”アモン”を召喚せい。 ワイがカタ付けたるわ。 」

「冗談言うな、俺はまだ戦える。 」

 

粗い吐息を吐きつつ、悪魔使いが立ち上がる。

 

玄武は、アモンの力を使って”アビゲイル”を滅するつもりだ。

しかも、アビゲイルに捕えられたパティごと・・・・。

そんな事、絶対に許す訳にはいかない。

 

「あぁ?・・・・何寝言ほざいとんのや? おどれは一体何者や?『葛葉四家当主』やろうが。天照大御神を守護せし守り人が、こないな異国の・・・しかも下らん理由の為に貴重な時間を潰しとる暇なんかないやろが?」

 

玄武がライドウの胸倉を掴み、視線の高さまで引き寄せる。

 

17代目を襲名し、名実共に四家の一人となったライドウであるが、何時までも餓鬼の様な甘い考えを捨てきれないでいる。

超国家機関『クズノハ』の暗部である”八咫烏”に居た頃は、こんな弱い奴では無かった。

目的遂行の為ならば、どんな卑劣な手段を使っても眉根一つ動かさない冷酷な奴であった。

要人暗殺の為に、その家族を皆殺しにする事もした。

血も涙もない殺人鬼。

しかし、ナナシは変わってしまった。

否、たった一人の男に変えられてしまった。

ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリー。

あの魔剣教団の騎士が、ナナシを脆くて弱い人間に戻してしまったのだ。

 

「おはんのこどんすくたかやろ? せやったら四の五の言わんと、おいの言う事ば聞け。」

「・・・・・・。 」

 

相当、頭に血が昇っているのか、無意識にあれ程毛嫌いしていた鹿児島弁に戻っている。

ライドウは、暫くの逡巡の後、仕方なく魔鎧化を解いた。

 

眩い光と共に、呪術帯で右眼と口元を覆った小柄な少年に戻る。

それに納得したのか、玄武は口元に皮肉な笑みを浮かべると、胸倉を掴んでいた手を離した。

 

「アモンを喚ぶ前に一つだけ条件がある。 」

「なんや?ゆうてみ? 」

「パティを・・・・・あの子を殺さないと誓え。 この事件の黒幕は、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソだ。ローエル親子は関係ない。」

 

これだけ追い詰められても尚、あの娘を救おうとしている。

玄武は、呆れた様子で自分の胸元までしかない、小柄な少年を見下ろした。

 

「・・・・勘助並みのドアホウやなぁ・・・・さっきのを見て何も思わんかったのかぁ? とっくにアビゲイルに喰われとるわ。 」

「あの子は、生きている。 俺には、分かる。あの子は、まだ完全に取り込まれてはいない。」

 

同じ”稀人”として、パティが今現在置かれている状況が手に取る様に分かる。

 

あの娘は、強大な霊力を持つ何者かに護られている。

到達者(マイスター)級の力を持つ者によって・・・。

 

両者、暫しの睨み合い。

しかし、先に根負けしたのは、意外にも玄武の方であった。

 

「はぁ・・・・しおあね・・・こないな所で押し問答しても時間の無駄や。オドレの言う通りにしたるわ・・・・じゃっどん・・・。」

「分かってる・・・・この件が片付いたら、すぐ日本に帰るよ。」

 

大分、参っているのか、鹿児島弁と関西弁がミックスされて、分かりづらい言葉遣いになっている。

しかし、ライドウは、そこへは敢えて突っ込まず、右眼を覆っている呪術帯をずらし、『帝王の瞳』を解放した。

 

 

 

薬品研究所地下2階。

崩れた瓦礫を押し退け、真紅の長外套を纏う銀髪の青年が這い出して来た。

忌々しそうに舌打ちし、身体に付いた埃を手で叩き落とす。

 

「ふぅ・・・・危うく生き埋めにされるところだったぜ。」

 

突然、研究所内を襲った直下型の大地震。

隙間を見つけ、咄嗟に入り込んだから難を逃れる事が出来たが、少しでも遅かったら巨大なコンクリート片に激突して、暫く動けなくなっていたかもしれない。

 

「おい、爺さんの居場所はまだ分かんねぇのかよぉ。」

 

己が背負っている大剣に声を掛ける。

先程から、どうにも嫌な予感がして仕方がない。

早く、ライドウを見つけないと取り返しのつかない事になってしまいそうな気がする。

 

 

「・・・・・ヤバイ・・・これってヤバいぜ・・・何で”奴”が此処に居るんだよぉ・・”ノモスの塔”に封印されてる筈じゃ無かったのかよぉ。」

 

 

ダンテの問い掛けを無視し、雷神剣”アラストル”が、酷く怯えた声で、ブツブツと独り言をいっていた。

 

「おい、聞こえてんのかぁ? アラストル。 」

 

背負っている魔具(デビルアーツ)を降ろし、眼前に突き立てる。

殺気を多分に含んだ蒼い双眸に睨まれ、アラストルは小さな悲鳴を上げた。

 

「ひっ、人修羅様ならこの建物の屋上だ。 でも、行かない方が良いぜ? ヤバイ奴が近くにいるからな。」

「ヤバイ奴? 」

 

アラストルの言葉を胡乱気に聞き返す。

 

「”神殺し”だよ。 魔界の最下層で封印されていた筈の化け物がどういう訳か、俺っちの大事なハニーの傍にいるのさ。」

 

『大事なハニー』とは、勿論、ライドウの事だ。

”マレット島”の事件で、身の程知らずにも、アラストルはライドウに腕試しと称して喧嘩を吹っ掛けた。

結果は、火を見るよりも明らかで、素手のライドウに良いようにあしらわれた挙句、簡単に組み伏せられてしまった。

以来、アラストルは、ライドウにベタ惚れ状態になり、「自称、人修羅様の番。」としてストーカーの様に付き纏っている。

 

「屋上まで行く道は分かるか? 」

 

そんなお喋りな魔剣を再び背負うと、ダンテが崩れた天井を見上げる。

 

「は? お前、俺っちの言葉聞いてたのかよ? 」

 

アラストルが、自分の忠告を綺麗にスルーするダンテを慌てて制止する。

 

魔界の中では、”神殺し”は禁忌の存在として今も尚語り継がれている。

アラストル自身、実際にソレを見た訳ではないが、昔、興味半分で、”神殺し”が封印されている古の塔・・・『ノモスの塔』まで行った事があった。

塔付近に近づいたアラストルは、その強大な魔力に畏怖し、尻尾を撒いて逃げ出した。

 

「”神殺し”何て知らねぇ。今は兎に角、爺さんを見つけねぇとな。」

「ふざけんな! 俺っちは絶対行かねぇからなぁ! 行くんだったら一人で勝手に行って勝手にくたばれ!!」

 

あんな化け物と拘わるのは、二度と御免だ。

愛するハニーが、そのヤバすぎる悪魔の傍に何故居るのか、皆目見当もつかないが、己の身が一番大事だ。

しかし、当のダンテは全く魔剣の言葉に耳を貸す様子は無かった。

自分の背中で喚き散らす魔具を放置し、常人より優れた膂力で瓦礫の山を跳び越えて行く。

 

「小僧!! 」

 

瓦礫を昇るダンテの背に、何者かの声が掛けられた。

振り返ると、白銀の獅子とCSI(超常現象管轄局)の捜査官が立っている。

 

「屋上に行くなら、コッチに生きている貨物用エレベーターがある。一緒に付いて来い。 」

 

CSI捜査官、ケビン・ブラウンが、まだ可動出来るエレベーターがある方向を指差す。

自力で上に昇るより、エレベーターで途中まで行く方が速いかもしれない。

ダンテは、素直に彼等の指示に従う事にした。

 

 

光輝く巨人・・・・”アビゲイル・ウィリアムズ”は、怨敵を求めて迷う事無く、クィーンズ区にあるジョン・F・ケネディ国際空港へと向かっていた。

道中、軍の特殊部隊による対空砲火を受けたが、彼女を護る法陣に悉く防がれ、歩みを止める事は叶わなかった。

 

「ちぃ!空間干渉防壁かよ!生意気な真似しやがる!! 」

 

特殊部隊の指揮を取っていたガンナー・ヤンセンが、装甲車に備え付けられたガトリング砲台を手に、舌打ちする。

 

空間干渉防壁とは、自分の存在する空間を操作し、通常攻撃では決して破れない強度を持つ壁の事を指す。

あの光る巨人は、それを自在に創り出し、対空砲火の爆撃から己を護っているのだ。

 

「アレヲ破るニハ、数法系ニ優れた術師ガ必要ダ・・・公子。」

 

ガンナーがいる装甲車の屋根に、何者かが降り立った。

顔と頭部をマスクで覆い、側面から後頭部にかけて先細りの細い器官が何本も生えている。

スカーと同じ種族の亜人だ。

 

「言われなくても分かってる。 障壁干渉装置で何とか穴を空けられないか? 」

 

ガンナーの問い掛けに、マスクの亜人・・・・ボーグが思案気に顎に手を当てる。

 

 

「ヤッテハミルガ、数に限りガアル。 空けられたトシテモ、奴の動きヲ止められる程のダメージは期待出来ないダロウナ。」

 

 

空間干渉装置は、希少な鉱石である精霊石を多量に使用している為、量産が出来ない上に目玉が飛び出る程、高額だ。

CSIに支給される予算にも限界がある。

持てる数も決められており、ホイホイと無駄遣い出来る程、資金面に余裕などない。

 

 

「糞ぉ・・・・人間って生き物は、何でもかんでも金金金だな。 もっと潤沢な資金を寄越せば装備も充実して・・・・・。」

「人間に帰化シタ公子ガ言うと何か違和感がアルナァ。」

 

苛々とした様子で装甲車の硬い外壁を指で叩くガンナーに、ボーグが呆れた様子で肩を竦める。

 

彼等は、見た目通り人間ではない。

ベルセルクと呼ばれる妖鬼族に含まれる悪魔だ。

幾つもの氏族があり、彼等は人間と共存共栄を理想と掲げる穏健派だ。

故に数百年前から人間とは友好的な関係にあり、ガンナーの様に人間のアバター体を造り、そこに自我を移して、人間として暮らす者も極少数ではあるが存在している。

 

「兎に角、USSF(米軍特殊部隊)が到着するまで、奴を足止めするぞ!障壁干渉装置で・・・・。」

 

そう言い掛けたガンナーの言葉が途中で止まった。

彼等の視界、光輝く巨人の背後から、凄まじいスピードで此方に接近する人型の機影が映ったからだ。

 

雄々しい二本角が生えた兜。

鎖を噛み締める鬼の様な形をした大袖に、翼の如くはためく深紅の外套(マント)。

黒を基調とした禍々しき鎧には、金のラインが入っている。

鎧武者・・・・。

ソレを例えるならば、誰もが戦国時代に軍馬を駆る戦士を連想したに違いない。

 

「アレハ・・・・”人修羅”・・・・。」

 

マスクに内蔵されているカメラで、漆黒の武者が右腕に抱える小柄な少年の姿を確認したボーグがぽつりと呟く。

 

呪術帯で口元を覆い、右手には真紅の魔槍”ゲイボルグ”を持つのは、日本の超国家機関『クズノハ』最強と謳われる召喚術師、17代目・葛葉ライドウその人であった。

右眼の蒼き炎を灯す魔眼”帝王の瞳”を解放し、全身には赤いラインが入る文様を浮き立たせている。

 

「・・・・・前言撤回、部隊を前線から退かせる。 大急ぎで此処から離れるぞ。 」

 

赤外線付きの双眼鏡で、悪魔使いの姿を見たガンナーが、忌々しそうに言った。

 

「援護シナクテ良いのか? 」

「分かっている癖にアホな質問するな。 奴が出て来た以上、クィーンズ区(此処)は見捨てる。 」

 

それだけ部下に命令すると、氏族の次期長がそそくさと、装甲車の中に入ってしまう。

 

ガンナーの言う通り、人修羅が出張って来た以上、自分達のやれる事等何一つとして無い。

それどころか、逆に戦闘に巻き込まれて隊が全滅する恐れすらある。

ボーグは、大きな溜息を吐くと、部隊に伝達する為、急発進する装甲車から飛び降りた。

 

 

 

10数年振りに再会する父親。

腹部と首筋に夥しい量の血を流している。

一目見ただけで、既に手遅れだと分かる程の傷だ。

もって後数分、と言ったところだろうか。

 

「父さん・・・・・。」

 

ニーナは、ゆっくりとした足取りで、父の側へと近づく。

ハンドガンを握る手が震える。

自分はこれから、実の父親を殺すのだ。

 

「・・・・ナターシャ、君か・・・・・? 」

 

ジョルジュの口から出た予想外の言葉に、ニーナはぴたりと歩みを止める。

口元を己の血で汚し、優しい微笑みを浮かべるジョルジュ。

大量の血を失い、極度の貧血状態となった父親は、死の間際で幻覚を見ているのだ。

 

「ああ・・・・君が私を迎えに来てくれたのか・・・・どうやら、冷酷な神は、最後に情けを掛けてくれたみたいだな。」

 

愛する女に、血塗れた手を差し伸べる。

 

この街を護る為に、自分は全てを失った。

愛する妻、大事な子供達・・・・兄の様に慕ってくれた戦友・・・。

全てが、彼の目の前で儚く散り、跡形も無く消え失せた。

 

「と・・・・ジョルジュ・・・・・。」

 

何かを感じたのか、ニーナは敢えて父を名前で呼ぶ。

跪くと、ハンドガンを脇に置き、血塗れの手を優しく両手で握った。

 

「すまないな・・・・最後に君の姿を見たいのに、暗くて何も見えない。」

 

弱々しく、自分の両手を握り返す父。

数ある剣士(ナイト)の中でも、選ばれた者しか与えられない剣豪(シュバリエーレ)の称号を持つ父。

幼い時は、強く優れた騎士として、父親が誇らしく映った。

しかし、今は何もない。

自分の手を握るのは、これから死に直面している哀れな老人だ。

 

「私は、此処に居るわ・・・・ジョルジュ。 」

 

自然と熱い涙が頬を伝って流れ落ちる。

そんな娘に、ジョルジュは満足そうな笑顔を浮かべた。

 

「私は、愚かだった・・・・君や家族を顧みない酷い男だった・・・子供達には本当に悪い事をした・・・・特にニーナ・・・あの子は・・・・。」

 

笑顔が瞬く間に哀しく歪む。

今迄して来た自分の行いに、激しく後悔しているのだろうか。

 

 

「君と同じ”稀人”の才能を見た時、私は素直に喜んだ。 君の様な優れた召喚術師にしたくて厳しく接した・・・・ルッソ家の為に・・・・このNYの街の為に・・・・だが・・・。」

 

そこまで言い掛けて、ジョルジュが突然咳き込む。

肺に血が溜り、呼吸が困難になったのだ。

 

「父さん!! 」

 

ごぼりと血を吐き出す父の姿に、堪らずニーナが叫ぶ。

そんな娘の声が聞こえないのか、ジョルジュは尚も独白を続けた。

 

「ニーナの・・・・あの子の大事な娘を利用した・・・・・ロックが奴等に殺されたと知った時、逆上して何も見えなくなった・・・・・奴等への復讐だけしか考えられなくなっていた・・・・・。」

 

故に、16代目・葛葉ライドウが封印した悪霊”アビゲイル”の封印を解いた。

アビゲイルは、人の悪意の集合体。

それを纏めるには、優れた憑代(よりしろ)が必要だった。

”稀人”の力を持つ娘のニーナは、行方を暗まし探し出すのが困難。

そんな時にジョルジュの眼に留まったのが、ニーナの子である孫のパティであった。

 

「ああ・・・・私は取り返しのつかない事をしてしまった・・・・どうか・・・私の孫を・・・パティを・・・助け・・・・。」

 

それが、NYきっての名士である男の最後の言葉となった。

彼は、死の間際で愛する妻と再会した事で、本来の心優しい男へと戻る事が出来たのである。

既に冷たくなった父親の手を、尚も握り続けるニーナ。

彼女と父親の手の上に、一粒、また一粒と熱い涙が零れ落ちる。

 

 

 

光輝く巨人・・・・・”アビゲイル・ウィリアムズ”と対峙する漆黒の魔神。

その右腕が抱える悪魔使いは、蒼き炎が宿る魔眼で、悪霊”アビゲイル”を見据える。

 

「ちっ・・・・これが師匠(せんせい)が倒した悪魔か・・・・。」

 

蒼き魔眼が映すのは、苦悶の表情を浮かべた人々の霊であった。

セイラム魔女裁判によって無実の罪を着せられ、処刑された150人以上の霊が、同じく無念の想いを抱いて死んでいった人間達の霊を次々と取り込んでいる。

それが人の形となり、その表面には怒りと哀しみ、そして呪詛の言葉を吐く人面瘡となって浮き出ていた。

 

こんなモノの中に、パティが囚われている。

 

嫌悪感のあまり、思わず顔を歪めてしまう。

 

「さーて、とっとと始めてサクッと終わらせるかいなぁ。 」

 

そんな悪魔使いを他所に、アモンの鎧を纏った玄武が左掌を宙へと翳す。

すると、蒼白い炎が魔法陣を形成し、そこから身の丈程もある巨大な刀が出現した。

 

「玄武!! 」

「分かっとるわい。 露払いはしたるからオドレは、餓鬼を探して連れ戻して来い。 」

 

玄武が如何にも面倒臭そうに、そう応える。

蒼き燐光がアモンの鎧から発し、左手に持つ大剣の刃から、同色の炎が吹き上がった。

 

一方、突如現れた天敵に、怒りの形相を露わにする巨人。

本能的に、相手が自分を滅する力を持つ強敵であると判断した彼等は、死への恐怖故か、威嚇の唸り声を上げる。

それに呼応するかの如く、展開する幾つもの魔法陣。

獲物を焼き尽くさんと数千度の炎を纏う紅き龍が現れる。

火炎系最上級魔法・・・・”マハラギダイン”だ。

しかし、その地獄の業火が、漆黒の鎧を纏う魔神に届く事は無かった。

魔法干渉結界・・・・”マカラカーン”の障壁が、アビゲイルの放つ炎の魔法を悉く弾き返す。

己の放った炎をまともに浴びた巨人が、二、三歩と下がる。

 

戦闘形態へと変わる鎧の魔神。

鬼の形をした大袖が、咥えていた鎖を咬み千切り、禍々しい顎を開く。

全身を包む髑髏の形をした蒼き炎。

纏っていた外套(マント)も髑髏の炎へと変わり、夜空を明々と照らし出す。

 

 

「ふっ・・・・やっぱり土佐守(とさのかみ)と再契約したか・・・・一度、裏切ったとはいえ、”人喰い龍”はカオルを手放す気が無いらしいな。」

 

そんな人智を超えた戦いを、建物の屋上から眺める一つの影。

グレーのスーツを着る包帯の男・・・・ジャン・ダー・ブリンデだ。

ケビンとの戦闘で、左腕を肘の先から失った包帯男は、強制離脱魔法(トラフーリー)を使い、此処まで逃れていた。

 

「いやぁ、美しい・・・・アレが噂に聞く”神殺し”なのかい? 」

 

そんな包帯男の側へと近づく一人の男。

漆黒の長外套に同色のシルクハット。

浅黒い肌に、右眼には金のモノクルを付けている。

 

セルビアを中心に活動している秘密結社(フリーメーソン)『黒手組(ブラックハンド)』に所属する死霊使い(ネクロマンサー)、サウロンだ。

 

「サウロン・・・どうして此処に? 」

 

私用で、ロンドンに居る筈の死霊使いに、ジャンが胡乱気に問い掛ける。

 

「なぁに、君の様子を伺いに来たのさ。そろそろ薬が切れる頃合いだろうと思ってね。 」

 

そう言って、サウロンは銀のアルミケースを包帯男へと投げて寄越す。

自然とソレを受け取るジャン。

中身を開くと、紅い液体で満たされた注射シリンジが一本入っていた。

 

「随分と気前が良いな・・・・俺は、まだノルマを達成していないぞ? 」

 

サウロンが提示した金額まで、まだ満額揃えてはいない。

にも拘わらず、希少な霊薬を与える死霊使いの意図が全く読めないでいた。

 

「私にとって君は、貴重な実験材料兼足だ。君に動けなくなられると私が困る。 」

 

浅黒い肌をした壮年の男は、ニヤリと口元に笑みを浮かべると、再び視線を蒼い炎を纏う魔神へと向ける。

襲い来る無数の死霊達を、大剣で薙ぎ払う魔神・アモン。

その姿は、さながら北欧神話のラグナロクの様だ。

 

「要するに使いっぱしりって事か・・・。」

 

ジャンは、アルミケースから取り出した注射器を無造作に自分の首へと打ち込む。

紅い霊薬が躰の中へと浸透し、欠損していた左腕の肉が盛り上がり、瞬く間に再生していく。

また、そればかりではなく、腐敗を始めた肉体も元の躰へと修復された。

 

「これでどれぐらいもつんだ? 」

「半年・・・・・と、言っても”エリクシア”の試作品だ。何時、薬の効果が切れるかは分からん。 」

「いい加減だな・・・アンタのモルモットにされる俺の身にもなってくれよ? 」

 

ジャンは、傍らに立つ死霊使いに呆れた溜息を吐く。

 

「おやおや・・・・私は死人の君を現世に蘇らせた恩人だぞ? 少しは感謝して欲しいものだがね? 」

 

10数年前に、国連とヴァチカンの連合軍によって行われた”シュバルツバース”破壊計画。

二上門地下古墳で発見された”聖櫃(アーク)”。

大霊”マニトゥ”が護りし、聖なる箱の中には膨大なエネルギーが封印されていた。

それを使い、シュバルツバースを閉じようとしたが、聖櫃の中に封印されていたエネルギーは、彼等の予想を遥かに上回る程、強大だった。

案の定、コントロールを失い暴走。

地下古墳内は煉獄の世界と化し、多くの調査隊達が犠牲となった。

その中に、ライドウの番であったヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーもいたのである。

 

「当然、感謝はしている。 アンタのお陰でもう一度、現世の陽の光を浴びる事が出来たんだからな。」

 

肉体の八割方を失い、それでもあの煉獄から抜け出したヨハンを偶然、その場に居合わせたサウロンが拾った。

仮死状態になったヨハンに、仮初の肉体とジャン・ダー・ブリンデの名前を与えたのがこの男である。

 

「なら、私の為に何をすべきか・・・・・君なら分かっているだろ? 」

「ちっ・・・・それが難しいから苦労してんだろうが。」

 

悪戯っぽく微笑む死霊使いに、ジャンは忌々し気に舌打ちする。

 

サウロンが求めるモノは、”絶対者”の力だ。

全ての因果律を支配する彼等の力を使い、不老不死の霊薬”エリクシア”を完成させる事。

その為に、ジャンを手駒として生かしているのだ。

 

「さて、もうそろそろ戻らねばな・・・・この後、クライアントと会食する約束をしているのだよ。」

 

胸ポケットから、高価な宝石が埋め込まれた銀の懐中時計を取り出したサウロンが、時刻を確認してぽつりと呟く。

そして、不貞腐れるジャンの方を振り向き。

 

「良かったら、君も付き合うかね? 」

 

と、誘った。

 

「相手は? 」

「ビクター・ローラン・・・現在、薔薇十字結社(ローゼンクロイツ)を纏めている最強の血族(ロード・オブ・ヴァンパイア)だ。私の大事なパトロンの一人だよ。」

 

銀の懐中時計を胸ポケットに仕舞ったサウロンが、ジャンの質問に応える。

 

薔薇十字結社は、その構成員の殆どが長命種(ヴァンパイア)であり、人間社会に上手く溶け込んでいる。

組織の長は、3長老と呼ばれる最強の血族(ロード・オブ・ヴァンパイア)が就任する決まりとなっており、三人が二百年の周期で交代を繰り返していた。

 

「確かあの組織には、4代目剣聖殿がいたな・・・。」

「ああ、あのボンクラか・・・・歴代剣聖の中でもずば抜けた才能を持つが、頭が馬鹿過ぎてとても人の上に立つ器ではないらしい。ローラン殿もその事で、随分と悩んでいたよ。」

 

4代目剣聖、アルカード・ヴィラド・ツェペシュは、薔薇十字結社(ローゼン・クロイツ)に所属する剣士(ナイト)だ。

正当なる長命種の始祖の血と人間の血を持つヴァンピールで、組織の中でもトップクラスの実力を持つ。

しかし、根が純粋で馬鹿が付く程、真面目。

おまけに有り得ない様な間違い、勘違いを繰り返す為、任務の際は必ず大事故を起こすという厄災が人の形を作った様な奴だ。

目下、現組織の長であるビクターの頭痛の種であり、扱いにほとほと困り果てているらしい。

 

「まぁ、他組織の内部事情等、全く興味は無いがね。 」

 

そう言って、サウロンは空中に異空間へと続く扉を作るとさっさと中に入ってしまう。

そんな雇い主に肩を竦め、後へと続くジャン。

最後に、魔神・アモンとその右腕に抱かれる悪魔使いへと一瞥を送った。

 

 

クィーンズ区を舞台に繰り広げられる悪霊”アビゲイル”と魔神”アモン”との戦いも最終局面を迎えていた。

ライドウの魔法により、強化された蒼き炎の刀身を持つ大剣が、”アビゲイル”の障壁を縦に切り裂く。

アモンが放つ斬撃は、障壁を破壊するだけに留まらず、光の巨人の躰にも傷を負わせていた。

大きく切り開かれる巨人の胸元。

そこから溢れ出る大量の死霊達。

力を失い、巨人の顔が苦痛で歪む。

 

「今や!ナナシ!! 」

 

玄武の声を合図に、ライドウが”アモン”の腕から飛び降りる。

真紅の魔槍”ゲイボルグ”の秘めたる力を解放し、白銀の鎧を纏う悪魔使い。

白狼と化したライドウが、悪霊”アビゲイル”の切り開かれた胸元から彼女の体内へと侵入した。

 

 

 

アビゲイルと従妹のベティ・パリスは、とても仲良しだった。

何時も一緒に居る為、隣近所からは、しばしば本当の姉妹ではないかと思われていた。

アビゲイルの両親は、ネイティブ・アメリカンに両親を殺害され、その後は叔父・サミュエル・パリスと共にセイラムで住んでいた。

 

ある日、セイラムの小さな田舎町に奇妙な事件が起こった。

アビゲイルと従妹のベティが、とある民家の煙突に登っていたのだ。

それを発見したのは、街の牧師であるディオーダッド・ローソンであった。

少女二人を捕まえた村人達は、身体が有り得ない方向に曲がっていたのを見て大変驚いたのだという。

直ぐに二人は、街の医師であるウィリアム・グリッグスの元で診察を受ける事になった。

しかし、どんなに彼女達を調べても医学的根拠が見つかる事は無かった。

そこで、ウィリアム医師は、何らかの魔術的要因が元で起こった事では無いかと示唆した。

すぐさま、尿検査が行われた。

少女二人の尿を採取し、それを混ぜたケーキを犬に食べさせるという方法だ。

ケーキを食べた犬がもし、彼女達と同じ症状を発症すれば、魔術的理論を証明出来る。

案の定、犬は彼女達と同じ症状を現し、直ぐに犯人を炙り出す為の魔女裁判が行われた。

 

 

眼も眩む様な、強烈な光の洪水。

暫しの静寂後、人の気配を感じた白銀の鎧を纏う魔狼が、ゆっくりと閉じていた瞳を開く。

 

「此処は・・・・? 」

 

どうやら何処かの街の広場らしい。

木造建築の民家や酒場と思われる店が、まばらに建っている。

一目で、現代ではなく西部開拓時代のとある小さな田舎町である事が分かった。

 

突然、人の悲鳴と怒声がライドウの耳に聞こえた。

見ると二本の木材を組み合わせた逆L字型の絞首台に、二人の罪人らしい男女が首に縄を掛けられ、立たされている。

必死の形相で、無実を訴える罪人達。

その絞首台の下では、この街に住む民衆達と、自警団らしき屈強な体躯をした男達が立っていた。

 

 

「セイラム魔女裁判・・・・か。」

 

余りにも惨過ぎる光景にライドウは、言葉を失う。

 

中世ヨーロッパでは、天変地異の結果による飢餓、感染病、そして貴族による重税で民衆の暮らしは困窮を極めていた。

そんな人々のはけ口として”魔女裁判”と呼ばれる、事実無根の非人道的な裁判が行われていたのである。

 

セイラム魔女裁判は、ソレの典型であり、アビゲイル・ウィリアムズという当時13歳ぐらいの少女の告発によって、200人以上もの罪なき人々が虐殺された事件であった。

 

よく見ると処刑台のすぐ傍に、甘栗色の髪をした一人の少女が、地面に膝を付いて懸命に祈りを捧げている。

恐らく、あの娘が、告発者のアビゲイル・ウィリアムズなのだろう。

涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、謝罪の言葉を何度も何度も繰り返していた。

 

 

「人間とは・・・・実に哀れで弱い生き物だ。 」

 

そんな民衆達を嘲笑うかの如き声。

振り返るとそこには、白髪の牧師が無慈悲にも絞首刑に吊られる二人の罪人と、それを取り囲む民衆達を眺めていた。

 

「意図も容易く狂気へと走る・・・・だから、私が救わねばならん・・・忠実なる神の下僕であるこの私が・・・・。」

 

目尻に涙を溜めた牧師は、死人の様に肌色が悪く、酷く痩せていた。

白銀の鎧を纏う悪魔使いの脇を通り抜けると、立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

 

「・・・・ウィリアム・グリッグスか・・・・。」

 

一目で、牧師の正体を見破ったライドウが、呻くように呟く。

悪魔使いに名前を言い当てられた途端、町医者の顔がみるみる笑顔に変わった。

 

「流石は、”絶対者”。私の正体をあっさりと見抜くとはなぁ。 」

「アンタがこの馬鹿気た裁判を起こした張本人か・・・・あの可哀想な娘を使って。 」

 

鋭い眼光で、目の前の牧師を睨み付ける。

 

この亜空間に飛び込んだ刹那、ライドウは全てが理解出来た。

否、理解してしまった。

この事件の真相を。

 

「その通り・・・・当時、彼等はイギリス国協会の宗教的弾圧によって、一族郎党を皆殺しにされ、この地へと逃れて来た者達だった。」

 

この街に住む者の殆どが、イギリス国領内に住む一般市民であった。

豊かな土地で慎ましくも幸せに暮らしていた彼等は、理不尽な宗教的弾圧によって、全てを奪われてしまったのである。

おまけに当時は、ペストという伝染病が大流行であった。

岩だらけの荒んだ土地に押し込まれた彼等は、病気と飢えから次第にやり場の無い怒りを募らせていく様になった。

 

「君は、少し勘違いをしているようだが、私は彼等の怒りを解放してやっただけだ。アビゲイルと従妹のベティに幻覚剤を飲ませ、魔術によって操られたと嘘を吹き込んだだけだよ。」

「・・・・・・。」

「疑心暗鬼になって、殺し合いを始めたのは、この村の大人達だ。アビゲイルは最後まで真実を叫んでいたのになぁ・・・。」

 

痩せた牧師は、哀れな眼で跪いて一心不乱に祈る娘を見つめる。

グリッグス医師によって、大量の幻覚剤を呑まされたアビゲイルは、彼の言う通りに告発を行った。

自分達が置かれている理不尽な状況に、不満を爆発させた市民達は、存在しない”魔女”を信じ込んだ。

弾圧によって住んでいた土地を奪われたのも、飢饉や伝染病で苦しめられているのも全て”魔女”のせいだと決めつけた。

そして『セイラム魔女裁判』は起こったのである。

 

「外道め・・・・天使なら何をしても良いのか? 」

「私の役目は、人々の苦しみを救済する事だ・・・それに、私が手を下さずとも、いずれ伝染病で滅ぶ運命にある町だったからな。」

 

だから、マグネタイト回収の為に利用させて貰った。

そう、吐き捨てる牧師の胸に、真紅の魔槍”ゲイボルグ”の切っ先が突き立つ。

無感情で、己の胸部を刺し貫く槍を見下ろす牧師。

顔を上げたその口元には、嘲笑の笑みが張り付いていた。

 

「私は、思念体だ・・・・こんな事をしても無駄だよ。」

「知ってる・・・コイツは、てめぇのせいで怨霊になった哀れな娘とこの街に暮らしていた人々の怒りだ・・・しっかりと受け止めろよ。」

 

渾身の魔力を切先へと込める。

真紅の輝きを放ち、牧師の肉体は爆発四散した。

 

 

 

 

半壊した薬品研究所。

唯一、生きている貨物エレベーターを使い屋上まで辿り着いたダンテ達は、街の惨状に思わず息を呑んだ。

ブルックリンの街は破壊され、クィーンズ区の方面が深夜にも拘わらず、空が朱に染まっている。

そして、そこに見えるのは光輝く巨人と蒼き炎を纏う魔神の姿。

 

「魔王・アモンだと・・・・番もいないのにどうやって? 」

「玄武君ですよ・・・・どうやら、ライドウ君は元鞘に収まったみたいですねぇ。」

 

ケルベロスの疑問にそう応えたのは、瓶底眼鏡の科学者だった。

背後にモデル並みのプロポーションを持った美人の助手と、ケビンの部下、数名を従えている。

 

「エド、他の連中は一体何処だ。」

 

ケビンが、隊の指揮を任せていた部下、ジェームズ・エドワーズに声を掛ける。

 

「市民の避難誘導に当たらせています・・・・それと・・・。」

 

エドワーズは、手短にJ・F・ケネディ国際空港の現状と上空で法王猊下を乗せたヴァチカンの専用機を待機させている事。

そして、ブルックリン区とクィーンズ区の被害を上司に報告する。

 

「おい、何処に行こうってんだよ? 」

 

そんな彼等を他所に、無言で屋上から下へと飛び降りようとしている銀髪の大男。

嫌な予感を感じた雷神剣”アラストル”が、慌てた様な声を上げた。

 

「決まってんだろ? 爺さんの所に行く。」

「ばっか!お前!これ以上、俺っちを巻き込むんじゃねぇよ! 死ぬんなら一人で死ね! 」

 

この男は、若年性の認知症か鳥頭か?

自分の言った忠告を完全に忘れている。

アラストルが、これ以上、付き合ってはいられないと元の悪魔の姿へと戻ろうとした時であった。

 

「止せ、小僧。 お前が出来る事は何一つとして無い。」

 

ダンテの行く手を塞ぐ様に、銀の鬣を持った美しい魔獣が立ち塞がった。

 

「退けよ?ワン公。」

 

苛正し気に舌打ちしたダンテが、銀の魔獣を睨み付ける。

 

「ダンテ・・・・悪い事は言わない。17代目の事は忘れろ・・・アレは、お前の手には届かない存在だ。」

 

こんな事を言っても、決して彼はライドウを諦めないだろう。

だが、この男を此処で死なせる訳にはいかない。

何故なら、彼はいずれこの現世で必要になる男だからである。

 

「お前の愛は決して報われる事は無い・・・・どんなに愛しても、成就する事は決してない。逆に、17代目を苦しめるだけだ。」

「るせぇ、お前に言われる筋合い何てねぇよ。」

 

ケルベロスの言わんとしている事が、嫌でも分かる。

自分とライドウとでは、生きて来た年数も次元も違う。

所詮、自分は荒事を生業とする街の便利屋で、ライドウは日本という国の所有する組織の幹部だ。

いずれ己の役目を全うする為に、自分の手元から去ってしまう。

 

ダンテは、無言で魔獣を押し退けると軽々と屋上の柵を跳び越え、建物の下へと降りてしまう。

成す術も無く、視界から消えていく銀髪の青年を見送るケルベロス。

その傍らにCSI(超常現象管轄局)のNY支部長が近寄る。

 

「なーんかよ、昔の俺達を見ているみたいで切ないよなぁ。」

 

愛用の煙草に火を点け、溜息と共に煙を吐き出す。

自然と今のダンテの姿と17代目・葛葉ライドウの姿が、若かりし頃の自分達と重なる。

お互い想い合いながらも、その生い立ち故に、決して結ばれぬ二人。

所詮、神と人間。

生きて来た環境も、そして一番重要な寿命すらも違う。

ケビンは、彼女より先に老いて死ぬだろう。

しかし、ケルベロスは違う。

その無限ともいえる不老不死が故に、愛する男と共に生きる事は決して叶わないのだ。

 




もう少し、話を先に進めたかったです。


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チャプター 22

人物紹介

ジョン・マクスゥエル・・・ヴァチカン13機関(イスカリオテ)司令。ライドウの古くからの友人。

ガーイウス・ユリウス・キンナ・・・・ヴァチカン市国、法王庁、現教皇。 世界的有数な大企業・ヘルメスのCEOでもある。



未だ戦闘が続くクィーンズ区。

悪霊”アビゲイル”から放たれる最上級核熱魔法『フレイダイン』をアモンの鎧を纏った玄武が、蒼き炎を纏う大剣の刀身で薙ぎ払う。

返す刃での斬撃。

大剣より発生する衝撃波が、意図も容易く巨人の左腕を付け根から斬り落とす。

激痛により悲鳴を上げる悪霊の群。

全身に浮き出る不気味なデスマスク達の表情が、怨嗟と苦痛で醜く歪む。

しかし、それで攻撃の手を緩める玄武では無かった。

哀れな霊達に、尚も無慈悲な刃を振り下ろす。

両脚の腱の部分が、バックリと大きく割れる。

立っていられず背後へと倒れる巨人。

その衝撃で、建物が倒壊し、アスファルトの道路に巨大な亀裂が走る。

 

 

「ちぃ、何て戦いしてるんだよぉ。 」

 

人の常識を遥かに超える戦いを見せられ、ガンナーが装甲車の中で忌々し気に呟く。

 

彼等、特殊部隊は、今迄、クィーンズ区で大量発生した悪魔の駆除と一般市民の避難誘導を行っていた。

だが、悪霊”アビゲイル”の出現、魔王・アモンとその使役者である”人修羅”の介入により、一時撤退を余儀なくされたのである。

現在は、市民の避難誘導と保護を最優先事項とし、無人探査機のドローンを数台飛ばして、街の中央で大暴れしている二体の化け物の監視を行っていた。

 

「・・・・10数年前ニ見た奴ト形が違うゾ? 」

 

特殊部隊1個師団を前線から引かせたボーグは、ガンナーと同じ車両に乗り込み、無人探査機から送られる映像を眺めていた。

画面に映されているアモンは、まるで戦国時代に戦場を駆け回った鎧武者の様な出で立ちをしている。

 

「俺も詳しい事は知らんが、その手の専門家の話によると、”神殺し”って悪魔は、決まった形が無いエネルギーの塊なんだと。使役者が従えるパートナーの潜在能力によって、その姿形を変えるらしい。」

 

ガンナーが、同じ氏族の仲間に説明してやる。

 

”神殺し・アモン”とは、膨大なエネルギーの生命体である。

魔界では、強大な力を持つ悪魔を次々に取り込んだ事により、その凶悪無比な力を恐れた魔王達が、彼を”ノモスの塔”へと封じた。

そして、ソレを解放し、使役に成功したのが、17代目・葛葉ライドウなのである。

 

 

 

両脚の腱を切断され、立ち上がれぬ悪霊”アビゲイル”。

それでも、魔力を集中し、最上級火炎魔法”マハラギダイン”を放つ。

だが、その火の顎がアモンを喰らう事は叶わなかった。

逆に蒼き炎が、”アビゲイル”が放つ火炎魔法を呑み込み、己の血肉へと変えてしまう。

 

「無駄や、”神殺し”に魔法攻撃は一切通用せん。コイツは質の悪い悪食やからなぁ。」

 

冷酷に光る金の双眸が、無様に地に倒れ伏す哀れな悪霊達を見下ろす。

 

”神殺し・アモン”に、全ての魔法攻撃は吸収されてしまう。

又、物理攻撃も同様で、強固な鎧がどんな攻撃も弾き返してしまうのだ。

正に、最強無比とはこの事を言うのかもしれない。

 

(まぁ、その”アモン”でも、ウチの大将には傷一つ付けられへんのやけどなぁ。)

 

魔界全土を恐怖の底へと叩き落したアモンですらも、十二夜叉大将の長である”人喰い龍”には敵わない。

アレは、次元の違い過ぎる生き物だ。

三代目、剣聖として天部の才を欲しいがままにしていた己に、初めて『恐怖』という名の言葉を教えた男。

あの時の衝撃と、畏怖は今も尚忘れる事が出来ない。

 

 

「それにしても、ナナシの奴、一体何時まで油を売っているつもりや。ええ加減にせんとお前ごと封印してしまうでぇ? 」

 

好い加減、この不毛極まる戦いにも飽きた。

圧倒的な力で、敵を踏みにじるのは気持ちが良いが、やり過ぎると後味が悪くなるだけだ。

もっと強い奴と戦いたい。

剣人としての悪い癖が、頭をもたげてくる。

 

アモンの鎧を纏う玄武は、無数に襲い掛かる死霊の顎を大剣で薙ぎ払いつつ、大きな溜息を吐いた。

 

 

 

悪霊”アビゲイル”、異次元体内。

 

真紅の魔槍”ゲイボルグ”の刀身が閃き、喰種と化した死霊の群を斬り裂いていく。

 

彼等の魂を縛り付けていた思念体・・・・街医者のウィリアム・グリッグスを消し去った途端、街の様相が一転した。

処刑場の広場に集まっていた民衆が、次々と凶悪な喰種へと変じたのだ。

同じく、喰種と化したアビゲイルの金切り声を合図に、死霊達が白銀の魔狼へと襲い掛かる。

それを”ゲイボルグ”で斬り伏せる悪魔使い。

死霊達の群を薙ぎ倒し、彼等に指示を出している悪霊”アビゲイル”へと迫る。

 

「待ってろ、今楽にしてやる。 」

 

真紅の魔槍を巧みに操り、哀れな少女の霊へとその刃を振り下ろす。

”ゲイボルグ”の鋭い刀身が、華奢な少女の胸に深々と突き刺さった。

想像を絶する苦痛と恐怖で、悪鬼の形相と成り果てていた少女の顔がみるみるうちに安らかな表情へと変わる。

”ゲイボルグ”の切っ先から放たれる浄化の光が、500年にも及ぶ少女の苦痛と絶望を癒しているのだ。

 

「あ・・・・り・・・が・・・とう。 」

 

心からの嘘偽りの無い感謝の言葉。

ライドウとアビゲイルを中心に、取り囲む様に立っていた死霊達も、浄化の光を浴びて安らかな眠りへと就く。

眩い光の放流。

気が付くとアビゲイルと死霊の群は、跡形も無く消え去り、鬱蒼と茂る草原の中に、白銀の鎧を纏う悪魔使い唯一人が残されていた。

 

 

 

ケネディ国際空港。

漸く着陸許可が下りたヴァチカン専用旅客機が、エアポートへと降り立つ。

すぐさま、数台の装甲車に護られた給油作業車が近づき、燃料補給が行われた。

 

「はぁ・・・・折角、楽しいショーが始まっているというのに、外に降りられんとは残念だ。 」

 

若き法王、ガーイウス・ユリウス・キンナは、10インチのIpadを膝に乗せ、実につまらなそうに飛行機の窓に頬杖をつく。

Ipadの画面には、漆黒の鎧を纏う魔王と光の巨人が、壮絶な死闘を繰り広げていた。

 

「堪えて下さい猊下。 この飛行機の装甲は対悪魔を想定して造られています。万が一、何か不測の事態が起きたとしても、この中に居れば安全です。」

 

米軍の特殊部隊が操る無人探査機をハッキングして送られる生の映像を見ても、この男の好奇心を満足させるまでには至らないだろう。

ヴァチカン13機関(イスカリオテ)司令、ジョン・マクスゥエル枢機卿は、困った様子で秀麗な眉根を寄せた。

 

「ふん・・・・これが魔王”アモン”か・・・・確か、召喚術師の番の肉体を媒体として様々な形態へと変わる悪魔らしいな? 」

 

そんな枢機卿を他所に、ユリウス・キンナは膝の上に置かれたIpadに視線を落とす。

そこには、髑髏の形をした蒼き炎を纏う、漆黒の魔神が映し出されていた。

 

「はい・・・しかし、誰しもが、17代目の番になれたからといって、アモンの力が手に入る訳ではありません。 人智を超える精神力と肉体を持つ者のみが、あの鎧を纏えるのです。 」

 

アモンの力は、想像を遥かに絶する程、強大だ。

勿論、その力を行使するには、それ相応の力を持つ者でなければならない。

優れた才能とセンスを持つ、前の番”クランの猛犬”ですら、アモンの鎧を纏う事が出来なかった。

 

「・・・・・君なら、アモンの鎧を纏う事が出来るんじゃないのか? 」

 

ユリウスが、真向いに座る美丈夫へと視線を向ける。

 

「まさか・・・・私には無理ですよ。 」

 

そんなユリウスの言葉を、マクスゥエルはあっさりと否定する。

 

アモンの鎧を纏うという事は、17代目・葛葉ライドウの番になるという事。

いくらかつての友人とはいえ、ライドウがヴァチカン(此方)に来る事は無いし、あの”人喰い龍”がソレを許さないだろう。

 

「まだ、愛しているんだろ? 彼の事を・・・・。」

「・・・・・っ。」

 

ユリウスに心の奥底に押し込めている想いを言い当てられ、普段は無表情なマクスゥエルの顔を不快に歪める。

そんな、義理の弟を見て、兄の口元に意地悪な笑みが浮かんだ。

 

「ふふっ、どうやら図星か? アナスタシアが今の君を見たら、嫉妬で怒り出しそうだな? 」

「猊下・・・・っ!」

 

とんでもない事を平然とのたまう若き法王に、流石のマクスゥエルも不愉快を隠せない。

珍しく怒りの表情を見せる義理の弟に、降参だと言わんばかりに若き法王が両手を上に上げた。

 

「冗談だよ・・・そう怒るな。 それに、妹もアレで人生経験は豊な方だ。 君の過ちを知っても焼餅は焼くだろうが、本気で怒る事はしないだろう。」

「・・・・・。 」

 

この男は、一体何処まで自分とライドウの関係を知っているのだろうか?

確かに、ユリウスが言う通り、自分は一度だけ17代目と肉体的関係になった事はある。

あの当時は、お互い若かったし、何よりもライドウ自身のメンタルがかなり酷い状態であった。

自殺しかねない程、追い詰められたライドウを慰める為に、彼を抱いた。

それだけだ。

行為を終えた以降は、ライドウが一方的に自分との距離を置く様になったし、仕事でもあからさまに避ける様になった。

実際、三年前も、療養の為、ライドウが一時、ヴァチカンに身を寄せていたが、仕事の合間を縫って面会に来たマクスゥエルを断っている。

大学時代の同期であり、親友の射場・流にそれとなくライドウの様子を伺ったが、マクスゥエルに逢う気は無さそうだと言われた。

 

気を遣われている。

マクスゥエルは、内心そう思った。

彼は、マクスゥエルの将来を気にしているのだ。

イタリアの破綻した経済事情を救ったキンナ一族の女性を娶(めと)り、ヴァチカン13機関(イスカリオテ)の総責任者。

おまけにこの歳で、枢機卿の位まで得ている。

傍から見たら、まさに順風満帆の人生だろう。

そんなマクスゥエルに、暗殺者(アサシン)の過去を持つ自分は、汚点にしかならない。

そう、17代目は思って、敢えて自分との距離を取っているのだ。

 

 

目を醒ますと、見知らぬダイニングルームにいた。

テーブルの向こうには、大きな窓があり、綺麗に整備された庭園が広がっているのが見える。

 

「此処・・・・何処? 」

 

見事な金の髪をもった幼い少女・・・・パティは、未だ眠そうに目をこする。

確か自分は、祖父のジョルジュと一緒に夕食を食べていた筈だ。

緊張と不安で、とても食欲などわかなかった。

 

「あら?目が覚めたの? 」

 

ダイニングルームから庭園へと繋がる掃き出し窓が開き、50代初めぐらいの女性が入って来た。

手には、可愛らしいピンクと白の花が咲いている小さな鉢植えを持っている。

 

「・・・・・・ナターシャ御祖母ちゃん? 」

 

パティは、優しい微笑みを自分に向ける女性を一目見ただけで、彼女が誰なのか全て理解出来た。

自分と同じ金の髪を持ち、淡いブルーの瞳を持つ女性。

祖父、ジョルジュが唯一愛した人だ。

 

ナターシャは、真向いに座ると愛らしいガーベラの花が咲いた小さな鉢植えを孫の目の前に置いた。

 

「綺麗な花・・・。」

「ふふっ・・・・ガーベラって言うのよ・・・私の娘・・・ニーナもこの花が好きだった。」

 

そう言った祖母は、何処か遠くの出来事を想い出しているかの様だった。

 

ナターシャは、ガーデニングが趣味だった。

娘のニーナも、幼い時は良く母親と一緒に庭の手入れを手伝った。

息子のロックを出産後、体調を崩し、入退院を繰り返したが、その度に、娘のニーナが病室に自分が育てた花を見舞いとして持って来てくれた。

 

「色によって花言葉も違うのよ? ピンクのガーベラは、「感謝」と「崇高美」。 白は、「希望」と「律義」を意味しているの。」

 

ナターシャは、鉢植えに植えられている二輪のガーベラを見つめながら、丁寧に孫に教えてやる。

そして、何かを感じ取ったのか、背後にある掃き出し窓を振り返った。

 

「どうやら、お迎えが来ちゃったみたいね。」

「お迎え・・・・? 」

 

不思議そうに首を傾げたパティが、祖母の見ている視線の先を辿る。

すると、庭園の垣根の向こうから、真紅の魔槍”ゲイボルグ”を持つ白銀の騎士が使づいているのが分かった。

 

「ライドウ!! 」

 

騎士の正体を悟った少女が、椅子から立ち上がる。

転がり落ちる様に椅子から降りると、掃き出し窓へと飛びつく。

窓を開けて外へと出て行く孫の後に、祖母のナターシャも続いた。

 

 

「ライドウ!ライドウ!! 」

 

夢中で垣根の出入り口から外に出て、跪いて自分を迎える白銀の魔狼へと飛びつく。

少女が抱き着くのと同じく、鎧が眩く光り、元の悪魔使いへと戻った。

 

「有難う・・・心優しき召喚術師(サマナー)さん。あの、可哀想な娘と街の霊達を解放してくれたのね? 」

 

祖母のナターシャが、真紅の魔槍”ゲイボルグ”を背負って、幼い少女を抱き上げる悪魔使いに優しい微笑みを向けた。

 

「貴女は、もしかしてナターシャ・ジェンコ・ルッソさんですか? 」

 

左眼と口元を呪術帯で覆った悪魔使いが、唯一露わにしている右眼で目の前に立つ初老の女性を見つめる。

 

「ええ・・・そうよ。 現世への未練が故に幽世(かくりょ)を彷徨っていた私の魂を、その子の持つ指輪が導いてくれた。」

 

ナターシャの淡いブルーの双眸が、パティの右手薬指に収まるホープダイヤモンドへと向けられる。

 

「この子が悪霊達に捕り込まれなかったのは、貴女のお陰だ。 」

 

ホープダイヤモンドの輝きに導かれ、ナターシャは孫の元へと来る事が出来た。

悪霊の集合体である”アビゲイル”にパティが喰われなかったのは、一重にナターシャの力のお陰である。

彼女の優れた霊力が、悪霊達の浸食を未然に防いでいたのだ。

 

「・・・・ジョルジュを・・・あの人を許してあげて・・・彼を狂わせたのは、全て私のせいです。心無き者達の誘惑に負け、こんな大惨事を引き起こしてしまった。 」

「・・・・・・。」

「あの人は、誰よりもこのNYの街を愛していた・・・・私や子供達を愛してくれた・・・・それなのに、私は・・・・・。」

「御祖母ちゃんのせいじゃない!お爺ちゃんも、お母さんも、ロック叔父さんも悪くない!」

 

二人の会話に、パティが割って入る。

ぽろぽろと愛らしい頬を伝って涙の粒が零れ落ちる。

そんな心根の優しい孫の頬を拭ってやると、ナターシャは一輪のガーベラを渡す。

 

「召喚術師(サマナー)さん、これから先、幾多の試練が降りかかろうとも、決して希望を見失わないで。 」

「ミセス・ナターシャ・・・・。」

「さぁ、もう行って・・・・時期に此処の空間も閉じます。」

 

孫の手にしっかりと握られた一輪の白いガーベラの花。

それを見たナターシャは、満足した笑顔を浮かべると一歩、後ろへと下がる。

すると、三人の間を隔てるかの如く、地面に大きな亀裂が入った。

 

「御祖母ちゃん!! 」

 

徐々に離れていく祖母に向かって、パティが懸命に手を伸ばす。

その右手薬指には、祖父、ジョルジュから渡された”ホープ・ダイヤモンド”の指輪が輝いていた。

 

 

クィーンズ区、市街地。

光輝く巨人の動きが唐突に止まる。

 

「ふん、漸くカタつけたんかい。」

 

上空を飛翔する漆黒の鎧を纏った魔神が、蹲る巨人を見下ろす。

その巨体に走る無数の罅(ひび)。

そこから漏れ出る眩い光が四肢を包み、半壊したビルや店、アスファルトや横倒しになった車を照らして行く。

巨体が完全に砕け散り、光の放流が天を貫く。

いわれなき迫害や暴力、そして飢饉や疫病による恐怖と怒りによって縛られていた人々の魂が救済された瞬間であった。

 

光の柱から、見事なブロンドの髪をした幼い少女を腕に抱く白銀の魔狼が現れる。

緊張と恐怖からか、疲れにより深い眠りに就いているパティ。

その幼き少女を安全な場所に寝かせると、ライドウは魔鎧化を解いた。

 

 

「ほぅ、餓鬼は無事だったみたいやな? 」

 

光の柱が消え去るのと同時に、アモンの鎧を解除した玄武が、悪魔使いの前に現れた。

 

「ホピ族の巫女が、この子を護ってくれていた。彼女がいなかったら、パティは悪霊達に利用された挙句、殺されていた。」

 

一輪のガーベラの花をしっかりと握る金髪の少女。

彼女を護ったのは、優れた霊力と魔力を持つホピ族最後の巫女であった。

ジョルジュの妻、ナターシャは、死しても尚、このNYの街と愛する娘の子を見守り続けていたのである。

 

「ま、結果はどうあれ一応終わったんや・・・とっとと日本に・・・・。」

 

そう言い掛けた玄武の言葉が、途中で止まる。

視線の先に、銀髪の便利屋を見つけたからであった。

急いで此処まで来たのだろう。

粗い息を繰り返しつつ、ダンテが此方へと近づく。

 

「あーっ、たく・・・面倒くっさいのが来たわ。」

 

玄武は、盛大に溜息を吐き出すと、胸ポケットから愛用の煙草を取り出し、使い捨てライターで火を点ける。

そして、此方に来る銀髪の便利屋を忌々しそうに眺め・・・・。

 

「殺すか・・・・。」

 

と物騒な事を煙草の煙と共に、吐き出した。

 

「待て!俺がケリをつける!頼むから手を出さないでくれ!」

 

そんな玄武を慌てて制止するライドウ。

暫しの間睨み合う二人。

魂を震えさせる剣聖の闘気を当てられても尚、悪魔使いは一歩も引き下がる様子を見せなかった。

 

「ちっ・・・・ワイもホンマ甘いわ。 これだから弁助に舐められるんや。」

 

しかし、引き下がったのは意外にも玄武の方であった。

忌々し気に舌打ちすると、愛刀の『阿修羅』で肩を叩きつつ、ライドウから視線を外す。

 

「10分やで? それ以上は待てへん。 もし一秒でも過ぎたらあの餓鬼、うっころすからなぁ。」

「・・・・・分かった。 」

 

ライドウは、後の事を玄武に任せ、ダンテの元へと歩み寄った。

 

 

 

ブルックリン区ウシリアムズバーグのベリー通り。

クィーンズ区へと続くその通りを一人の女性が走っていた。

ニーナ・ジェンコ・ルッソである。

父、ジョルジュの最後を看取った彼女は、”神器・フルンティング”の能力を使って、倒壊した薬品研究施設から脱出する事が出来た。

両手でしっかりと父の遺品となった神器を握り締め、彼女は娘のニーナを救うべく、激戦が行われている市街地へと向かう。

すると、そんな彼女の目の前に再び、あのマスクの少年が現れた。

 

 

「パティ!! 」

 

マスクの少年が背負っている少女が、自分の愛娘であるパティであると知ったニーナは、慌てて駆け寄る。

マスクの少年・・・・・毘羯羅大将から、愛しい我が子を受け取るニーナ。

その際、パティの眼がうっすらと開く。

 

「・・・・・お母さん? 」

 

自分と同じ金色の髪を持つ女性。

面影が祖母のナターシャに良く似ている。

 

「御免ね‥‥御免ね。パティ。 」

 

神器を右手に、愛する我が子を抱き締める。

自然と、母の首筋に腕を回すパティ。

母の腕の中は、ナターシャと同じガーベラの花の香りがした。

 

「もうすぐ、アメリカ陸軍の対悪魔専門特殊部隊が此処に来る。見つかると面倒事になるから早めにこの街から離れた方が良い。」

 

毘羯羅はそれだけ告げると、母子に背を向けた。

 

「待って!最後に貴方の名前を教えて! 」

 

無言で去って行こうとする少年の背に、ニーナが思わず声を掛ける。

この少年は、日本の超国家機関『クズノハ』の中でも汚れ仕事を専門に行う暗部の戦闘要員だ。

普通ならば、関わり合いにならない方が賢明だろう。

しかし、この少年をこのまま行かせるのは忍びなかった。

一言でも、娘に会わせてくれた礼が言いたかった。

 

「・・・・・遠野・明。」

 

そんなニーナの内心を悟ったのか、マスクの少年はコードネームではなく、本当の名前を彼女に告げる。

そして、再びニーナ達親子に背を向けると、暗闇に溶け込む様にして消えた。

 

 

 

クィーンズ西部、中央地区。

証券ビルや銀行、貿易商のビル等が立ち並ぶビジネス街は、悪霊”アビゲイル”と魔王”アモン”との激闘で、その殆どが壊され、酷い様相を呈していた。

 

その市街地中央に立つライドウとダンテ。

少し離れた場所には、おかっぱ頭の青年が崩れた建物の壁を背に、事の成り行きを腕組みして眺めていた。

 

(ひぃ・・・・拙い・・・・これは、非常に拙いんだぜ。)

 

ダンテに背負われた雷神剣”アラストル”が内心冷や汗を掻く。

彼の優れた探知能力が、三つの強大な気を持つ人間の存在を教えていた。

一人は、ダンテから数メートル離れた軍のモノと分かる破壊された装甲車の影。

一人は、ガラス窓が全て割られ、無残な姿を晒しているビルの屋上。

そして、もう一つが一番問題であった。

人間とも悪魔とも判別出来ぬ巨大な気の塊。

悪魔使いから少し離れた位置に立つ、おかっぱ頭の青年であった。

実力は、魔王クラス・・・否、それより遥かに超えるだろう。

下手をすれば、あの初代剣聖に匹敵する程の力の持ち主だ。

 

拙い・・・・確実に殺される。

 

「なぁんだ、折角、パーティーに間に合う様に急いだってのに、結局間に合わなかったみたいだな。」

 

戦々恐々とするアラストルを他所に、銀髪の青年はいつもの軽口を叩く。

大袈裟に手を広げ、肩を竦めるダンテ。

そんな魔狩人に対し、小柄な悪魔使いは無言で此方を眺めている。

 

「どうした?爺さん、年甲斐もなくはしゃぎ捲ったから、疲れちまったのか? 」

「・・・・潮時だな・・・・。」

 

無邪気な笑顔を浮かべるダンテに、ライドウがポツリと呟く。

口元の笑みが消え、ダンテの双眸が鋭く変わる。

 

「本当に、楽しかったんだぜ?お前と便利屋ごっこをするのは・・・出来る事ならずっとレッドグレイブ(あの街)に居たかった・・・。」

 

まだ半年近くしか経っていないというのに、遥か遠くの出来事の様に感じる。

呪術帯で覆われた顔が、哀し気に歪む。

もし叶うのならば、ごっこではなく、本当に街の便利屋として彼と共に過ごしたかった。

 

「お前も知っているとは思うが、俺は日本と言う国が所有するとある組織の人間だ。今現在、彼の国は危機的状況にある。俺は、”葛葉四家”の当主として、我が身に変えても祖国を救わねばならない。」

 

それが、日本の超国家機関『クズノハ』に属する悪魔召喚術師としての役目だ。

17代目・葛葉ライドウの銘を襲名した以上、日本の国の為に全身全霊を捧げねばならない。

 

「日本に・・・・帰るってのか? 」

「ああ・・・・元々は、KKK団(クー・クラックス・クラン)の内部事情を探る為にNY(此処)に居た訳だからな。法王猊下暗殺未遂の首謀者であるジョルジュ・ジェンコ・ルッソが死亡した以上、俺が此処にいる意味は無くなった。」

 

本心で此処に残って、お前と過ごしていた訳ではない。

暗にソレを揶揄され、ダンテの顔が暗く陰(かげ)る。

何処までも糞真面目で、何処までも融通が利かない。

だが、そこに堪らなく惹かれてしまう自分がいる。

 

「俺も一緒に行く・・・・”シュバルツバース”ってのを閉じるのがアンタの役目なんだろ?だったら、俺も・・・・。」

「駄目だ・・・お前は此処に残るんだ。」

「爺さん!」

「”アビゲイル”が滅びたからといって、このNYから悪魔の脅威が消えた訳じゃない。テレサやライカン達を助けてやってくれ・・・彼等にはお前の力が必要なんだ。」

 

有無を言わせぬライドウの言葉に、ダンテはそれ以上何も言えなくなってしまう。

何時か、こんな日が来る事はある程度予感していた。

不図、ケルベロスの言葉が脳裏を過る。

 

『17代目の事は忘れろ・・・アレは、お前の手には届かない存在だ。』

 

確かにその通りだった。

満天に輝く星を手に入れたくて、懸命に背伸びしている幼子の様に、こんなに近くに居ても、決してライドウの心は自分のモノにはならない。

 

もうこれ以上、話す事は無いと、呆然とする青年に背を向ける。

無言で去って行くライドウの小さな背。

刹那、例える事が出来ぬ激情がマグマの如く噴き出す。

 

自分の手元から離れる事等許さぬ。

もし、離れるのならば、その翼をへし折ってやる。

 

最早、制御不能な感情の波が荒れ狂い、無意識に脇のホルダーに収まっている二丁の双子の銃、”エボニー&アイボリー”を引き抜いていた。

 

「坊主!止めろ!! 」

 

ダンテに背負われた雷神剣”アラストル”が、堪らず吠える。

物陰に隠れた二つの影も、条件反射で得物を手に掛けていた。

一触即発の危険な空気が周囲を包む。

唯一、玄武だけが、ニヤニヤとこの状況を楽しんでいた。

 

一体、何時間そうしていただろうか?

否、実際は数分だったのかもしれない。

撃鉄に掛けていた指がブルブルと震える。

鼓動が激しく胸を叩き、粗い息が繰り返し、口から吐き出される。

視界から消えていく、悪魔使いの背に、どうしても引き金を引けない自分がいた。

 

(行くな・・・行くな・・・行かないでくれ・・・・。)

 

心の中で、哀願にも近い言葉を何度も呟き続ける。

しかし、そんな願いも虚しく、視界から完全に消えるライドウの姿。

絶望と疲労から、力を失い、銀髪の青年ががっくりとその場に膝を付く。

 

遠く、地平線からゆっくりと登る太陽。

その淡い光が、茫然自失となったダンテの姿を優しく照らした。

 

 

 

「はぁーい♡ ダンテ君とのお別れは済んだかな? 」

 

一旦、彼等が宿泊しているラガーディア空港付近のホテルに戻る事にしたライドウ達の前に、ヴァチカン専用の装甲車が停まった。

中から、能天気にニヤニヤと笑う瓶底眼鏡の科学者が降りてくる。

その傍らには、当然の様に美人アシスタントであるアレックスが控えていた。

 

「ちっ、まーた変なのが湧きおったわ。 」

 

玄武が、ウンザリとした様子で舌打ちする。

因みに、万が一の事を想定して物陰に待機させていた摩虎羅大将と、その部下である伐折羅大将は、先にホテルへと戻らせていた。

勿論、もう一人の毘羯羅大将もパティ・ローエルを母親に引き渡したら、速やかに帰還せよと命じている。

 

「おや? そちらにおられるのが三代目剣聖殿ですか? いやぁ、光栄だなぁ・・日本でも超が付く程の剣豪に逢えて♡ 」

「はん、世辞はええわい。 それよか、一体何の用や? 」

 

ぶっちゃけ、これ以上、余計なモノには関わりたくない。

早くホテルに帰って、熱いシャワーを浴びた後は、17代目とベッドでにゃほにゃほしたいというのが本音だった。

そんな玄武の内心を見透かしたのか、瓶底眼鏡の科学者がニンマリと厭(いや)らしい笑みを浮かべる。

 

「実は、ジョン・F・ケネディ国際空港で法王猊下が、この一件で是非、お礼を言いたいと貴方方をお待ちしておりましてね・・・・もし、お時間がありましたら猊下の元までご案内致したいと思ったんですよ。 」

「ガーイウス・ユリウス・キンナ・・・・か。」

 

法王庁の主であるヴァチカン法王自らが、自分達との謁見を望んでいる。

普通で考えるならば、ソレはとても光栄な事である。

しかし、事件の真相を知るライドウにとっては、NYの名士を狂気に走らせた張本人であるユリウス法王猊下に直接会う事を躊躇わせた。

 

「ええで? 勿論、謝礼はぎょうさん貰えるんやろうなぁ? 」

 

だが、ライドウのそんな葛藤を他所に、番である玄武が勝手に謁見を承諾してしまう。

咎める様に、番であるおかっぱ頭の青年を睨み付けるライドウ。

そんな悪魔使いに対し、玄武はどこ吹く風であった。

 

「もーちろん♡ たーっぷりお礼はさせて頂きますよぉ。 」

 

流が、隣に立つ美人アシスタントに目配せする。

科学者の意図を察したアレックスが、右手に持つアタッシュケースを取り出し、ぎっしりとドル紙幣が詰まった中身を見せた。

隙間なく詰まった札束を前に、玄武の相好が厭らしく崩れる。

そんな、金に対して何処までもがめつい番に、ライドウは思わず額に手を当てた。

 

 

 

ケネディ国際空港へと向かう装甲車の中。

前金として半額を貰い、上機嫌の番を目の前に、小柄な悪魔使いは、心底軽蔑しきった眼差しを向けている。

 

「金で事件の真相を帳消しにしろって事か・・・・・。」

 

我慢出来ず、ポロリと余計な事とは知りつつ、口から漏れ出てしまう。

そんな悪魔使いに、上機嫌で札束の枚数を数えていた玄武が、呆れた様子で舌打ちした。

 

「はぁ? ばかすくら(馬鹿者)、じんじ(余計)な事を言うなや。張り倒すぞ?オドレ。」

「鹿児島弁なんて分かんねぇよ、ちゃんと標準語話してくれ。」

 

機嫌が悪くなると途端に、故郷の鹿児島弁が出てしまう番を前に、ライドウが大袈裟に肩を竦める。

そんな二人を横に、ヴァチカン最高の頭脳である科学者が、思わず吹き出してしまった。

 

「いやぁ、確かに今回の一件は、僕達”ヴァチカン”側にも非があるよ?でもねぇ、事件の要因となった”武装放棄令”にもちゃぁんと理由があるんだ。」

 

一頻(ひとしき)り笑った後、流は目の端に溜まる涙を指で拭いつつ、そんな事を二人に言った。

 

「どんな理由があるんだ? 」

 

魔導師・ギルド内で強い権限を持つ事以外に、一体どんな理由があるというんだ?

そんな疑問を胸に秘めつつ、ライドウが隣に座る眼鏡の優男を鋭く睨む。

 

「それは猊下に直接聞いたらどう? 法令を考えたのは猊下自身なんだからさぁ? 」

 

他人の口ではなく、”武装放棄令”を発令した張本人から聞け。

いくら友人でもそこまで話す義理は無い。

暗にそう言われたみたいで不機嫌になるライドウに対し、流は実に楽しそうに眼鏡の下の双眸を細めるのであった。

 

 

ジョン・F・ケネディ国際空港。

マンハッタン中心部から南東に約24KMに位置するこの巨大空港には、9つのターミナルを持つ全米第一位かつ世界有数の国際ハブ空港として有名であった。

そのエアポートに、法王猊下専用の巨大な旅客機が停泊している。

その空港内、ユナイテッド航空のターミナル7付近のラウンジにて、ヴァチカン最高の権力者であるガーイウス・ユリウス・キンナ法王が、数名の護衛を従え革張りのソファに座っていた。

 

「君が噂の”人修羅”くんか? まるでフランス人形の様に美しいな。」

 

両手を顎の前で組んだ若き法王が、目の前に傅(かしず)く悪魔使いを無遠慮に眺めている。

歳の頃は、未だ50代にもいってはいないだろう。

下手をすると自分と同年代か、幾分、年下かもしれない。

 

「この度は、猊下に謁見出来た事を恐悦至極に・・・・・。」

「ああ、堅苦しい挨拶は抜きにしてくれ、そういうのは苦手なんだ。」

 

型通りの挨拶をしようとしたライドウを、若き法王猊下が途中で止める。

そして、玄武とライドウを真向いのソファに座る様促した。

 

「こうして見ると本当に美しいな・・・・上級悪魔と融合し、その膨大な魔力を手に入れ、5大精霊魔法だけではなく、あらゆる法術をマスターした魔導師(マーギア)の到達者(マイスナー)・・・・是非ともウチに欲しい人材だ。」

 

呪術帯を外したライドウの素顔に、ユリウス法王猊下が感嘆の溜息を零す。

これで、今年40代半ばだというから驚きだ。

自分の後ろに直立不動で立つジョン・マクスゥエル枢機卿も、ライドウと同年代であるが、それでも真向いに座る悪魔使いの方が遥かに歳下に見える。

 

 

「一々、大袈裟に褒めなくても、猊下の所には優秀な人材が沢山いると思いますが?」

 

ライドウの隣に座る玄武が、憮然とした表情で言った。

 

玄武が指摘する通り、ヴァチカンには13機関(イスカリオテ)の他に、強化人間で構成されている機械歩兵団、”テンプル騎士団”がいる。

それに、下世話な話ではあるが、17代目・葛葉ライドウは、十二夜叉大将の長”骸”の御手付きとして、その界隈では結構有名だ。

葛葉の正統な血統ではないライドウが、17代目を襲名出来たのは、己の躰を使って”骸”に取り入ったという陰口すら叩かれている。

勿論、この若き法王猊下もそれを知らぬ筈が無かった。

 

「私は欲張りな質でね? 気に入ったモノは、どうしても手に入れないと気が済まぬ性格をしているのだよ。」

 

そんな玄武に対し、ユリウスは自虐的な笑みを口元に浮かべた。

イギリスの巨大IT企業、ヘルメスのCEOであり、若くして法王庁の最高権力者となった男。

欲深く、野心家で、人間と言う本質を誰よりも知る人物だった。

 

「だから”武装放棄令”を各国の秘密結社(フリーメーソン)に発令したのですか? 愛する街の為に、全てを捧げた男の大事な家族すら奪って。」

 

鋭い右眼の隻眼が、真向いに座る若き法王へと向けられる。

 

現在、ヴァチカンは魔導士ギルド内で強大な権力を持っている。

その力をより確固たるモノにする為、又、各国に点在する秘密結社(フリーメーソン)に法王庁の力を知らしめる為に、”武装放棄令”を強制的に強いているのだと、ライドウは言いたいのだ。

 

「貴様!無礼だぞ!! 」

 

ユリウスの背後に控える竜騎兵(ドラゴンライダー)の一人が、ライドウに向かって声を荒げた。

超国家機関『クズノハ』の幹部クラスとは言え、彼等にとってはたかが悪魔召喚術師の一人にすぎない。

その取るに足らない術師が、よりによって法王庁の長に嫌味を言ったのだから、彼等が憤るのは当然であった。

 

「落ち着け・・・・君も修道士の一人なら、この程度で心乱すな。」

「げ、猊下・・・・。」

 

そんな竜騎兵の一人を嗜めるユリウス。

憤った竜騎兵が思わず言葉を失う。

 

「ふむ・・・・どうやら、君は私がジョルジュ・ジェンコ・ルッソの息子を謀殺したと勘違いしている様だな。」

 

思案気に顎に手を当てたユリウスが、真向いに座る眼帯の少年を見つめる。

その眼光を黙って押し返すライドウ。

ユリウスの口元に笑みが浮かぶ。

 

「アレは事故だよ・・・・私は一切介入してはいない。 事件後、ジョルジュ氏の御子息があの現場に居たと初めて知らされたぐらいだからね。」

「私にソレを信じろと・・・・? 」

「信じる信じないは君の自由だ・・・・それに、縦しんば私がジョルジュ氏の息子を事故に見せかけて殺せと命じたとしても、それを此処で素直に話すと思うかね? 」

 

確かに、ユリウスの言う通りだ。

このラウンジには、13機関(イスカリオテ)司令、ジョン・マクスゥエル枢機卿と三人の竜騎兵(ドラゴンライダー)、そして化学開発部総責任者である射場・流の他に、CSI(超常現象管轄局)の捜査官数名と、U.S.Army Special Forcesの中将とその部下と思われる女性がいる。

自分から、不利になる様な発言などする筈が無い。

 

「ライドウ君、君にこんな事を話しても分かっては貰えないだろうが、私はこの世界を愛しているのだよ? 」

 

哀し気に顔を歪めるユリウス。

果たしてそれが演技なのか、それとも本心なのか、今のライドウには判断が出来なかった。

 

「ギルドが、人身売買で幼い子供を買い、使い捨ての兵士として育てている事は知っているかね? 当初、私はその事実を知った時、激しいショックを受けた。」

「・・・・・。」

「悪魔の侵攻から、人類を護る・・・・しかし、今現在、その護り手は余りにも少ない。その上、人間同士のつまらぬ諍いで、悪魔に対抗しうる技術は分散し、防戦一方となっているのが現実だ。」

 

ユリウスが何を言わんとしているのかは、大体理解出来る。

彼は、『武装放棄令』を使い、各国の秘密結社(フリーメーソン)が持つ技術を一つにしたいのだ。

そして、より対悪魔に特化した軍事力を築き上げる。

そうなれば、非人道的な手段で手に入れた少年兵を使い捨ての駒にする事も、徴兵令によって無理矢理、資格を持つ者達を集める必要もなくなるのだ。

 

(はぁ・・・・アホらし、綺麗事ばっか並びたてて反吐が出るわ。)

 

そんなユリウスを、ライドウの傍らに座る玄武が、白けた表情で眺めていた。

 

ユリウスが言っている事は、全て建前であり、己の利益になりえる事は何一つとして話してはいない。

如何にも、市民の為の公約を掲げて街頭演説をしている政治家共と同類に見えてしまう。

国の為に痛みを強いて貰う・・・・ならば、お前等、政治家も同じぐらいの痛みを背負え。

 

「それ故、私は悪法と知りつつも、この法令を施行したのだよ? そして、それを邪魔する輩は決して許す訳にはいかない。」

 

ユリウスが次に言わんとしている言葉を察して、ライドウが思わず立ち上がる。

悪魔使いの思わぬ行動に、周囲の空気が一気に凍り付いた。

座っていたソファから離れ、床へと膝を付くライドウ。

周囲が固唾を飲む中、法王猊下に向かって土下座をする。

 

「猊下!どうか、KKK団(クー・クラックス・クラン)の解体を思いとどまって頂きたい!」

 

血を吐く様な叫び。

こんな事を言って、この男が納得するとは思えない。

しかし、今自分が出来る事はコレしかなかった。

 

「KKK団(クー・クラックス・クラン)は、西部開拓時代から人類を悪魔の脅威から護って来た組織だ。貧困層の市民達に寄り添い、彼等の為に懸命に働いている。今、彼の組織を失ったら、大勢の人間や亜人達が路頭に迷ってしまうのです。」

 

ジョルジュを狂気に墜としたのはこの男だ。

しかし、KKK団(クー・クラックス・クラン)の命運を握っているのもこの男であった。

今、あの組織を失ったら、テレサ姉弟や多くのライカン達、そしてパティ親子の居場所が無くなってしまう。

 

そんなライドウを冷めた視線で見る玄武。

テーブルに頬杖を突き、冷ややかに法王猊下に頭を下げる番を見守る。

 

馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさか此処まで愚か者だとは思わなかった。

ガーイウス・ユリウス・キンナという男は、己の目的の為なら、どんな手段にも訴える外道だ。

そんな奴に対して、情で訴えるなど愚かしいにも程がある。

 

ユリウスの背後に立つ13機関(イスカリオテ)司令のジョン・マクスゥエルも玄武と同じ気持ちであった。

無表情ではあるが、秀麗な眉根が哀し気に寄せられている。

 

「一つ君に問いたい・・・・何故そこまでしてあの組織に拘(こだわ)る? 」

 

床に額を擦(こす)り付ける葛葉四家当主に、ユリウス法王猊下が、呆れた様子で言った。

 

ライドウ程の立場の人間ならば、KKK団(クー・クラックス・クラン)等、三流魔術師や剣士が揃った取るに足らぬ弱小組織だ。

この国には、CSI(超常現象管轄局)やU.S.Army Special Forcesの様に、対悪魔を想定とした特殊部隊が揃っている。

故に、KKK団(クー・クラックス・クラン)の様な組織が潰れようとも、痛くも痒くもなかった。

 

「力無き者達を護る為です・・・・・。」

 

ユリウスの問い掛けに伏せていた顔を上げる悪魔使い。

その真摯な瞳を暫くの間眺めていたユリウスは、一つ溜息を吐く。

 

「ふむ、これは判断に困ったな・・・・私一人では決めかねん。」

 

お手上げという様子で天を仰いだ若き法王は、後ろに控える異端審問官枢機卿を振り返った。

 

「そうだ、ジョンと17代目の二人で話し合って貰おう。その結果次第で彼の組織の処分を決める。」

「・・・・っ、猊下! 」

 

悪戯っぽい視線を此方に向ける主に向かって、無表情だったマクスゥエルの相貌が大きく崩れた。

 

「そうと決まれば、私達は一時退散した方が良いな。 悪魔の襲撃騒ぎで、長時間飛行機に閉じ込められたんだ。ホテルの広いベッドでゆっくりと躰を伸ばしたい。」

 

そんな従者の様子を完全に無視した若き法王は、座っていたソファから立ち上がる。

そして三人の竜騎兵(ドラゴンライダー)を従え、未だ床に両膝を付く悪魔使いを残してラウンジから出て行ってしまった。

 

 

「あ・・・・あのぉ・・・・何だか話し合いが終わったみたいなんですけどぉ・・・。」

 

余りの緊張の為、止めていた息をゆっくりと吐き出した若き海兵隊、リン・クロサワが、上司であるダッチ・シェーファー中将を見上げる。

 

ヴァチカンの法王猊下を間近で見るのは、生まれて初めてだし、噂に聞く『人修羅』を生で見たのも当然初めてだ。

不謹慎ではあるが、二人の姿を愛用のスマホで写メしたいという欲求はあるが、敢えてそれは押し留めている。

 

「早々に軍、本部に帰還し、トレンチ大将に報告する。」

 

ダッチは、部下のリンではなく、隣に居るタイラーにそれだけ告げると、さっさと踵を返した。

戸惑うリンを促し、空港の外に待機させているUSSF専用の装甲車へと向かう。

 

「大分、変わったな・・・・アイツ。」

 

清掃が行き届いたゴミ一つ無い綺麗な床に、両膝を付いている悪魔使いを無言で眺めていたタイラーが小さく呟く。

 

彼と初めて出会ったのは、”シュバルツバース破壊計画”の時であった。

当時は、ダッチと同じUSSFに在籍しており、シュバルツバースから這い出る悪魔の掃討を任されていた。

もう十数年以上も前になるが、あの時は、冷酷無比で破滅的な奴だと思った。

しかし、今の彼は全くの別人だ。

他者の為に、何ら利益にならない事に首を突っ込む様な奴ではなかった。

彼をあそこまで変えた原因を、タイラーは素直に知りたいと思った。

 

 

 

「ささっ、剣聖様も此方にどーぞ♡ 」

 

革張りのソファに踏ん反り返る玄武に向かって、何故か揉み手している瓶底眼鏡の科学者が近寄った。

 

「あぁ? 何でオドレと一緒に行かなアカンねん。 」

「もー、ユリウス法王猊下のお話を聞いたでしょ? 空港の近くにあるホテルを貸し切りにしちゃいましたからね? 超高級料理とワイン、それと綺麗処の御姉さん達も用意しましたよん♡ 」

「ちっ、しゃーないなぁ・・・・。」

 

綺麗処の御姉さん、という単語に敏感に反応した玄武が、ウキウキした様子で立ち上がる。

英雄色を好むという諺(ことわざ)があるが、玄武はまさにそれを体現した様な奴であった。

床に両膝を突き、顔を俯けている番を完全に無視すると、流と一緒に予約されたホテルへと向かう。

後に残されたのは、ジョン・マクスゥエル枢機卿と17代目・葛葉ライドウの二人だけであった。

 

「・・・・顔を上げろ、ライドウ。何時までそうしているつもりなんだ? 」

 

両手と両膝を床に突き、俯いたまま未だ無言の友人に向かって、ジョンが声を掛ける。

 

静まり返る空港のラウンジ内。

床に手を突くライドウの右掌が、悔し気に握り締められる。

 

「何で・・・・俺はこんなに無力なんだ・・・・。」

 

最初から、ユリウスの掌で良いように弄ばれていた。

KKK団(クー・クラックス・クラン)の命運は、ユリウスが握っており、財産全てを没収し、最悪、国外から追放する事も、首謀者の一人として投獄する事も出来るのだ。

ライドウが土下座し、懇願したからと言って、ユリウスの心が動く筈もない。

 

「君は、この街を救った・・・・ジョルジュの暴走を喰い止め、悪霊”アビゲイル”を討伐した・・・・それ以上に一体、何を求めるんだ? 」

 

立ち上がる気力すらも無い友人の傍らに、ジョンが跪く。

 

傍から見れば、マクスゥエルの言う通り、ライドウはNYの街を救った英雄だ。

称賛されこそすれ、非難される理由など微塵たりとてない。

事の原因を生み出したKKK団(クー・クラックス・クラン)は解体され、関係者は投獄、国外追放を受けて当然なのだ。

 

「・・・・ジョン、頼む。フォレスト家には手を出さないでくれ、前当主、ジョナサン・ベッドフォード・フォレストは、ルッソ家とマーコフ家の謀反を防ごうとして殺されたんだ・・・・彼等は被害者だ。頼むから全てを奪う様な真似だけはしないでくれ。」

「ライドウ・・・・・。」

 

こんな時にも尚、悪魔使いは他者の行く末を心配している。

法衣の袖を掴む友人の手に自分の手を重ねる。

 

ライドウの言いたい事は、良く判る。

だが、この惨事を引き起こしたのはKKK団(クー・クラックス・クラン)であり、実際、NYの市民達にも甚大な被害が発生している。

フォレスト家が無関係だとしても、何の責任も取らせずに無罪放免では、この街に住む市民達が納得できる筈もない。

 

「これ以上、介入するのは君の為にならない。フォレスト家にはそれ相応の処罰を受けさせねばならん。当然、組織は解体、秘密結社(フリーメーソン)からも除名させるつもりだ。」

「ジョン!」

 

怒りの形相で、自分の腕を掴む友人をジョンは、敢えて振りほどく事はしなかった。

薄い蒼の双眸が、静かにかつての友を見据える。

 

「俺はあの現場に居たんだ・・・・お前の部下が調査隊の救難信号を握り潰したのも知っている!そのせいで到着が遅れ、ロック・ジェンコ・ルッソを含む隊員の全員が死亡した!」

 

無遠慮に胸倉を掴む友を、マクスゥエルは冷めた表情で見つめる。

ライドウが言っている事は全て事実だ。

ジョンが異端審問官の一人を現場に派遣し、ロック謀殺の為に彼が所属していた調査隊に嘘の情報を流し、危険地帯に向かわせた。

案の定、調査隊は上級悪魔の襲撃に会い、救難信号を本部へと送った。

本部に待機していた部下が、救難信号を無視し、それが原因で、ロック達調査隊は全滅したのである。

 

「・・・・・証拠は? 」

 

マクスゥエルの冷たい一言に、ライドウの動きが止まる。

暫しの睨み合い。

しかし、先に折れたのはライドウの方だった。

胸倉を掴んでいた両手が、力無く離れる。

 

「確たる物証も無しに、発言するべきではないな・・・そんな事をすれば君の立場が悪くなる。」

 

項垂れる友人を冷たく見下ろす。

ライドウが言っている事は、全て状況証拠だ。

提示できる物証が無ければ、途端に立場が逆転する。

そんな事、分からぬ程、子供では無いだろうに・・・。

 

「君は・・・・変わったな・・・・初めて会った時は、人形の様に無感情な奴だと思っていたが・・・・。」

 

マクスゥエルの手が、優しく悪魔使いの頬に触れる。

 

こんな風に他者を想いやれる優しい心根の人物では無かった。

人形の如く無感情で、任務達成の為ならば、どんな汚いやり方にも手を染めた。

あの当時は、畏怖と共に素直に美しいと感じた。

しかし、今は違う。

目の前にいる友人は、何処にでもいる至極普通の人間だ。

 

「君をそこまで変えたのは、あの魔剣教団の騎士か・・・・名は、確かヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーと言ったか・・・・。」

 

まだ、この友人は10数年前に死亡した元番を愛している。

ライドウは、何も応えない。

只、辛そうに眉根を寄せ、双眸を閉じている。

 

そんな二人の様子を空港内に設置された監視カメラをハッキングして覗いている不埒な影が二人。

法王庁の主、ユリウス法王猊下と科学技術開発局の総責任者、射場流だ。

二人は、空港の駐車場に停車している装甲車の中で、IPADから映し出される映像を興味津々といった様子で眺めていた。

 

「うーん、二人共奥手なのかもどかしいなぁ・・・・こう、濃厚なキスとか、胸熱い心躍る展開を期待していたんだがなぁ・・・。」

「”アイーダ”の見過ぎですよ? まぁ、アッチは二つの国に引き裂かれた男女の悲恋を描いた物語ですけどね。」

 

そんな不埒な発言をのたまう法王猊下に、呆れた様子で真向いに座る瓶底眼鏡の科学者が言った。

 

ラウンジを後にした彼等は、装甲車内に引き込んで、監視カメラの映像を盗み見ていた。

因みに、玄武はアレックス達の案内で、空港近くのホテルの高級スィートで酒池肉林の宴を開始している。

 

「別にライドウ君の肩を持つ訳じゃないですけどね、今回の件でフォレスト家は、我々ヴァチカンやCSI(超常現象管轄局)に大分協力的でした。おまけに若年層のホームレス救済や、各福祉事業にも率先して従事している。もし、事業停止、財産没収なんてしたら市民から暴動が起きますよ? 」

 

背凭れに身を預けた流が、豪奢な法衣を纏う若き法王陛下を眺める。

 

流の言う通り、貧富の差が激しいNYで、フォレスト家の様な資産家一族が福祉事業に手を貸してくれるのは大変ありがたい。

前当主、ジョナサン・ベットフォード・フォレストが率先的に行っており、それは当主代理であるテレサに引き継がれている。

もし、彼等がいなくなったら、低所得者や貧民層の家族の生活は、一気に苦しくなるだろう。

 

「おお♡いいぞぉ♡キスしろ!キス、キス、キス!! 」

 

しかし、若き法王はそんな流の言葉を綺麗にスルーしていた。

IPADの画面の中では、想い人の頬に愛おし気に触れるマクスゥエルが、顔を寄せている映像が映されている。

期待に胸を膨らませ、下品なキスコールを繰り返す法王猊下に、流は思わず溜息を吐き出していた。

 

「あのぉ・・・僕、一番大事な話をしているんですけどねぇ? 」

「聞いてるよ・・・フォレスト家の事だろ? アレは一応あのままにしておく・・・しかし、組織存続は絶対にさせん。 KKK団(クー・クラックス・クラン)は本日をもって解体し、魔導師ギルド及び、秘密結社(フリーメーソン)からも除名させる。」

「テレサ・ベットフォード・フォレストが黙って無いと思いますが? 」

「黙るしか他に術が無い・・・なにせ、彼等が手掛けている事業は全て、ヘルメス(私)の息が掛かった企業ばかりだ。 あ、それとフォレスト家が経営権を持つカジノ船もな・・・アレの建築費用に、私も半分以上を出資しているのだよ、私が手を引けばあのカジノ船は経営が立ち行かなくなる。」

「成程・・・・大人って怖いなぁ・・・・。」

 

どう転んでもテレサ達、フォレスト家の勝ちは存在しない。

 

ユリウスは、法王庁に牙を剥いたジョルジュ達、KKK団(クー・クラックス・クラン)を潰すつもりだ。

周りの秘密結社(フリーメーソン)への見せしめと言う意味合いが濃い。

年端もいかぬ少女は、唯一の家族である弟と、ハーレム区に居るライカン達亜人、そして貧困層の市民達を護らねばならない。

理不尽とも取れる処罰を素直に受けねば、自分だけではなく、彼等の生活する場所すらも失うのだ。

 

 

「それにしても・・・良いんですかぁ? 大事な妹君の旦那さんに浮気を進めるなんて・・・聖職者としてあるまじき行為ですよ? 」

 

珍しく至極まともな意見を言う流。

仮にもあの二人は、自分にとって数少ない大事な友人だ。

お互い憎からず想い合っている所がある事を知る分、社会的立場上、決して結ばれぬ二人が不憫でならない。

 

「ジョンは真面目過ぎるんだ・・・男子たるもの少しぐらいの火遊びぐらい覚えても構わんだろう。」

「あのぉ・・・二人共一応男で、おまけに妻子持ちですけど・・・。」

「何を言ってる、それが良いんじゃないか。まさに現代版の”薔薇の騎士”だ。」

「それはあくまで創作だし・・・・オペラなんて90%以上が、浮気ばっかだし・・・。」

 

本当にこの人は、カトリックの総本山、ヴァチカン市国の長なのだろうか?

軽蔑を通り越して、呆れ返る瓶底眼鏡の科学者を他所に、若き法王猊下は、目をキラキラと輝かせて、IPADの中で甘い口付けを躱す二人を眺めていた。

 

 

 

 

1か月後、ハドソン川沿い、リバー・グリーンウェイ。

ケビン・ブラウンは、何時もの日課としているジョギングを行っていた。

 

KKK団(クー・クラックス・クラン)が起こした事件の傷跡は、未だNYの街に深く残っている。

国連による復興作業が続き、電車やバス、車などの交通機関は、何とか元に戻ったが、商業施設や民家などの修繕は、未だ目途が立っていなかった。

 

潮風が鼻腔を擽(くすぐ)る。

思考が一週間前の出来事へと戻った。

長期休暇の申請を出したケビンは、サンフランシスコ湾内にある孤島へと向かった。

アルカトラズ刑務所へと収監されている実子、エルヴィン・ブラウンに面会する為である。

面積0.076kmの難攻不落の島には、白亜の塔が建ち。

最下層の地下に、ケビンの息子は居た。

 

核弾頭ですら弾き返す特殊強化ガラス越し、簡素な椅子に座った息子は分厚い魔導書を熱心に読んでいる。

テーブルには、最新型のノートパソコンが置かれ、研究書類と魔導書がきちんと整頓されて置かれていた。

 

「御免ね、父さん・・・・今は仕事で忙しいんだ・・・・。」

 

何枚もの付箋が貼られた魔導書を片手に、使い込まれた分厚い革の手帳に走り書きをしている。

優秀な言語学者でもある彼は、先日、ドイツ・ヘッセン州にある採掘現場から発見されたグリモアールの解読を政府から依頼されていた。

又、数日後には神経・精神科医による国際学会に出席する予定になっている。

一見すると、あれ程の凶悪犯罪を犯した犯人とはとても思えない、実に優雅な生活を送っていた。

 

「すまんな・・・・実は久し振りに長期休暇を取ったんだ。 気晴らしにジルを連れてオレゴン州に居る兄貴の所に行こうと思ってる。」

 

簡易椅子に座ったジョルジュは、防弾ガラス越しに忙しなく働く息子の姿を眺める。

そんな実父を無視し、仕事に没頭する息子。

母親似の長い黒髪を無造作に後ろで束ね、右眼には黒い眼帯を付けている。

彫りの深い理知的な顔立ち、日に焼けた肌に、黒をベースにした茶の瞳をしていた。

 

「今5カ月だろ? そんな長旅をさせて大丈夫なのか? 」

「本人が言うには、安定期ってのに入ったから大丈夫だそうだ。それに、旦那が仕事でシンガポールに行ってて一人じゃ寂しいんだと。」

 

今現在、一人娘のジルは、妊娠5カ月目に入っていた。

商社マンである夫は、仕事柄出張が多く、家を不在にしがちだ。

その度に、父親の面倒を見る為、良くケビンの自宅に泊まりに来てくれた。

 

「・・・・・母さんは元気? 」

 

母親の事を問われ、ケビンが思わず口籠る。

そんな父親に、エルヴィンは意地の悪い笑みを口元に浮かべた。

 

「会ったんだろ? ブルックリンで・・・・相変わらず、貧相な犬の姿のままだったかい? 」

「エルヴィン・・・止めろ・・・・。」

 

”鶴姫”を侮辱され、ケビンの声が鋭くなる。

そんな父親に対し、息子は鼻で笑うと開いていた分厚い魔導書を閉じだ。

 

「人間と神の禁断の恋・・・・しかし、それは実らず、残ったのは神の血を引く二人の子供。 」

 

椅子から立ち上がり、ジャンル別に区分けされた本棚へとグリモアールを戻す。

手帳を紐で綺麗に結ぶと、ノート型パソコンが置かれているテーブルへと置いた。

 

「一人は、母親の神の血を色濃く継ぎ、もう一人は父親の・・・・人間の血を濃く継いだ。」

「エルヴィン・・・・・。」

 

これ以上、息子の言葉を聞いていられなかった。

彼は責めているのだ。

異端の血を引きながら、人間社会に無理矢理押し留めた自分を。

 

「・・・・・僕を殺す武器を作っているんだろ? だから、あの狂人に付き合ってる・・・大丈夫、父さんの涙ぐましい努力は必ず報われるよ。」

 

にこりと笑う息子。

そこに怒りも哀しみすらも感じ取る事は出来なかった。

 

 

「ふぅ・・・俺も歳を取ったな・・・・。」

 

ハドソン川河岸の公園、リバー・パークまで来たケビンは、すっかり上がった息を整えた。

額から流れ出る汗をタオルで拭う。

この公園には、テニス、サッカー場、バッティングセンター等、沢山の施設がある。

早朝という事もあり、人影はまばらだが、昼時ともなると球技や日光浴等を楽しむ市民で溢れかえるのだ。

 

脳裏に過る息子の姿。

邪気の無い子供の様な笑顔を浮かべていた。

自分が捻じ曲がったのは、アンタのせいだと罵って欲しかった。

我が身の保身が故に、実の息子を見捨てる外道だと蔑んで欲しかった。

だが、エルヴィンはそれをしない。

只、己の運命を素直に受け入れるだけだ。

 

不図、人の気配を感じて後ろを振り返る。

するとそこには、見事な銀色の髪をした真紅の長外套(コート)を纏う青年が立っていた。

 

「よぉ、ブルックリンの薬品研究施設以来だな・・・。」

 

まるで長年会えなかった旧友に巡り会えたかの様に、ケビンは気軽に銀髪の青年に声を掛ける。

銀髪の青年・・・・・自称、悪魔狩人のダンテは、無言でCSI(超常現象管轄局)のNY支部長を見つめていた。

 

「俺に、何か用か? 」

 

態々、聞かなくても分かる。

昨日、大学時代の同期であるフォレスト家の主治医をしている男から、数年振りに連絡が来た。

曰く、彼の受け持っている患者の一人に、”悪魔狩人(デビルハント)”の資格習得方法と、強くなる為の手段を教えてくれと押しかけて来たらしい。

返答に困った少女は、認定要件を満たす方法を教えられるが、強くなる方法は分からないから応えられないと言ったのだそうだ。

そして、主治医であるケビンの友人に相談を持ち掛けた。

旧友もその問いかけに困り果て、唯一知っている優れた狩人の名前を教えたのだという。

 

「アンタ、裏社会じゃ一番強いって有名な悪魔狩人らしいな? 」

「一番は大袈裟だな? この業界じゃ俺より強い奴なんて腐る程いる。」

 

ダンテの言葉に、ケビンは大袈裟に肩を竦めた。

 

この青年の言わんとしている事は、分かる。

そして、ソレがとても困難であり、かつて自分が敗北し挫折したいばらの道だった。

薄氷を踏む様な道を、果たしてこの青年は望んで歩むだろうか?

 

「俺にはどうしても欲しいモノがある・・・そして、ソレを叶えるにはアンタの協力が必要だ。」

 

案の定、青年はケビンの予想した通りの言葉を発した。

 

「17代目か・・・・止めとけ、アレは決して手に入らない高嶺の花だ。 普通に便利屋やって普通に生きた方がお前さんのためだぜ? 」

 

クィーンズ区の一件は、部下から粗方聞いている。

17代目・葛葉ライドウが、その番と共に悪霊”アビゲイル”を討伐した事。

目的を遂行した為、日本に帰還した事。

その際、この便利屋が組織『クズノハ』とちょっとした諍いを起こした事。

 

 

「諦められねぇよ・・・・アレは俺のだ。」

 

燃える様な蒼い瞳。

気障かつ怠惰的な性格をしているこの男からは、想像も出来ない暗い表情だ。

自分を見失ってしまう程、この男は17代目に執着している。

危険だ・・・・。

かつての自分と同じ目の色をしている。

 

「ふむ・・・・前途ある若き青年に危ない橋を渡らせるってのは、俺のポリシーに大分外れているんだけどな。」

 

思案気に顎に指を当て、首を傾げる。

もし、此処でこの青年を見放せば、彼はきっともっと危険な手段を取るだろう。

それに、魔剣士スパーダの優れた血統をむざむざ失うのは、大変惜しい。

ならば自分の手元に置いて、飼い慣らす方が遥かにマシではあるまいか?

 

「言っとくがな坊主、俺の訓練はちと厳しいぞ? 」

「ああ、望むところだ。 」

 

ケビンの軽口に、ダンテは皮肉な笑みを口元に浮かべる。

何処からともなく吹く潮風が、二人の頬を優しく撫でた。

 

 

 

 

Continue next Devil May Cry 4

 




やっと終わったよぉ。


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