ハリー・ポッターと魔法の本 (Syuka)
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賢者の石 編
第1話 「魔法学校からの誘い」


 原作の魔法界とは異質の、違う流れの中にあったクリミアーナ家。その一人娘アルテシアが主人公となります。なので、まずはクリミアーナ家でのエピソードから始めようかとも思ったのですが、そのことにはストーリーのなかでおいおいと触れていったほうがいいとの判断から、お約束とも言えそうな『お誘い』『入学準備』『ホグワーツ特急』というパターンでのスタートとしました。
 毎日更新のあの物語には及ぶべきもありませんが、週2回の更新を目標に進めていこうと思います。よろしければ、おつきあいお願いします。



 ミネルバ・マクゴナガルが歩いているのは、とある片田舎の片隅。

 その背筋をピンと伸ばした歩き方は、まさに彼女そのものと言えるだろう。たとえどんなところでも、どんなときにでも、いつもとちっともかわらない。それこそがミネルバ・マクゴナガルだと、彼女を知る人は、誰もがそう思うに違いない。

 マクゴナガルは、ホグワーツ魔法魔術学校の副校長を務めており、授業では変身術を教えている。そんな彼女が、新学期を目前にひかえた忙しい時期にもかかわらず学校から遠く離れた田舎町を訪れているのは、もちろん理由があってのこと。この町に住む少女を、新入生として迎えるためなのだ。

 副校長が自らやるべき仕事かどうかはさておき、もっと早い時期にするべきであったことだけは間違いない。なにしろ、新学期を迎える生徒たちを乗せたホグワーツ特急がキングズ・クロス駅を発車するまでには、今日を含めても3日しかないのだ。

 のどかな景色の中を歩きながら、マクゴナガルは考える。校長のアルバス・ダンブルドアは、なにを思って彼女の入学を決断したのだろうか。そして、この役目が自分に回ってきたのはなぜなのか。今回のことはあまりにも急だったので、そのあたりのことはまだダンブルドアから聞きだせてはいなかった。

 なおも、マクゴナガルは考える。実は、少女の母親とは以前に一度だけ会ったことがある。だが、そんなことがこの役目が自分に回ってきた要因だとは思っていない。母親と会ったのはもうずいぶん前のことであり、少女はまだ1歳にもなっていなかったからだ。あのとき少女は、ただ母親のそばでスヤスヤと眠っていただけで、結局、寝顔しか見せてくれなかった。だから少女とは、実質的には面識がないともいえるのだ。

 では、あのとき母親から受けた相談のことだろうか。それが、今回のこととなにか関係があるのだろうか。

 だがあのときの話の内容を思い返してみても、なにか関連のありそうな重要な相談だったとは思えない。なにしろ、昨晩ダンブルドアから指示を受けるまで、この親娘のことはすっかり忘れていたくらいだ。あの母親がすでに他界してしまっていることも、そのときダンブルドアから初めて聞かされたのだ。

 思いつく理由がないことからも、自分がこの役目にはふさわしくないと言えるわけだが、ダンブルドアは適任だと言う。なんとか少女を説得して入学させて欲しいと言うのだ。わざわざ副校長を派遣してまで入学を実現させようというのだから、なにかしら意味があるのには違いないが、その意味するところはなんなのだろう。

 そんなことを考えつつ、歩いていく。少女の住む家は、こののどかな田舎町の中心部に近いところにある。いわゆる田園地帯とでも言うのか緑豊かな地域であり、近くには森も広がっている。遠目ではあるがその家を初めて見たとき、マクゴナガルには家の敷地を囲む白い壁と森の木々とが重なって、その家が森の中心であるかのように、ちょうどそこに浮かんでいるかのように見えた。

 だがもちろん、そんなはずはない。森は家の後方にあり、広い門のなかには、手入れのされた庭と、意外にがっしりとした武骨な感じを受ける造りの家屋とがあった。かなり大きな家である。

 広く作られた門に、門扉はない。ただ門柱があるだけなので、門の外からいくらでも家の様子がうかがえる。そのことをいぶかしく思いながら、マクゴナガルは門をくぐった。そして、声をかけられた。

 

 

  ※

 

 

『 アルテシア・ミル・クリミアーナ 殿

 

  このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可され

  ましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要

  な教材のリストを同封いたします。

  なお、新学期は9月1日に始まります。

 

              校長  アルバス・ダンブルドア

              副校長 ミネルバ・マクゴナガル 』

 

 わずかに黄色みがかった厚めの羊皮紙には、そう書かれていた。それを、明らかに驚いた様子で、何度も目を通しているのが、この家の主であるアルテシア。巻き毛の黒髪に青い目をした、もうすぐ11歳になるという少女だ。

 

「魔法魔術学校、ということですが、なぜわたしが、そこに入学を許されたのでしょうか?」

 

 ようやく羊皮紙を、もとの封筒へと戻し、アルテシアはマクゴナガルを見る。マクゴナガルの目も、アルテシアに向けられている。椅子に座っていても、その背筋はピンと伸びている。

 

「それは、あなたが魔女だからですよ。ホグワーツは特別な能力を持った者のための学校で、魔法が使えるものは、皆、等しく教育を受けることができるのです。ホグワーツは、あなたを歓迎しますよ」

 

 そう言ってはみたものの、それが、彼女の問いに対するふわさしい返事だとは、マクゴナガルは思っていない。あたりさわりのない、ごく一般的な答えにすぎないことは自覚していたが、それでも、そう返すしかなかった。彼女の入学許可を出したのは校長のダンブルドアであり、その意味するところをまだ聞かされてはいないからだ。

 それに、この家に来てアルテシアと対面し、思い出したことがある。思い出したのは、アルテシアが彼女の母親にそっくりであったからだろう。遠い記憶を呼び覚ますほどによく似ていたからか、あるいはそうなるようにと、なんらかのしかけがされていたのか。それはともかく、あのときの本来の相談事ではない、雑談のなかで交わされた言葉。何気ない会話の中で触れられたそれらの言葉がいま、マクゴナガルの頭の中を駈けめぐる。

 そのひとつに、彼女は魔法が使えないということがある。あのときの会話をよく思い出してみれば、そういうことになる。もちろん“いまの時点で”と付け加えるべきではあるのだろう。クリミアーナ家の娘は13~14歳ごろに魔法の力に目覚めるのが普通なのであり、それまでは魔法書による勉強を続けていくことになるらしい。

 

「――マクゴナガル先生と、そうお呼びしてよろしいですか?」

「かまいませんよ。ちなみにわたしは、学校では変身術を教えています」

「変身術、ですか? それはどのようなものなのですか? わたしがホグワーツへ入学したなら、学べるのでしょうか?」

「もちろん学ぶことができますよ、ミス・クリミアーナ」

 

 無意識なのだろう、興奮気味にそう言ったアルテシアに、マクゴナガルは思わず笑みを浮かべた。それまでほとんど表情を変えなかったのだが、さすがに魔法に関することとなると好奇心は抑えられないらしい。ホグワーツへも興味を持ってくれているようだ。だがそれもつかのま、アルテシアの顔から表情が消えていく。その理由をマクゴナガルは、不安だと見てとった。アルテシアは、まだ10歳。13歳ではないのだ。だから、魔法は使えない。将来的には使えるようになるとしても、それはあくまで予定であり、未来はどうなるのかわからない。そこに不安を感じないはずはないのだから。

 

「マクゴナガル先生、実はわたしは、まだ魔法が使えないのです。クリミアーナを名乗れないのですから、ホグワーツ魔法魔術学校への入学は、ご辞退申し上げねばなりません」

 

 やはり、そうかという思い。やはり、アルテシアは魔法が使えない。それゆえの、拒否の返事。アルテシアの気持ちを考えてみれば、こういった返事が返ってくるのも仕方のないことかもしれないとマクゴナガルは思う。だがここで、それを受け入れるわけにはいかない。この娘は、魔女だ。魔法が使えないとしても、それはいまだけのことだ。クリミアーナ家の魔女なのだ。アルテシアは、きっとすばらしい魔女になる。あの母親のように。

 

「ミス・クリミアーナ。1つ、聞きます」

「は、はい」

「この家に生まれた娘は魔女になる。そう聞いていましたが、あなたは、魔女になるつもりなどないというのですね?」

「え?」

 

 少し、きつい言い方になってしまうのは仕方のないところ。だがマクゴナガルは、それでいいと考えていた。ここは、反発というか、反論してほしいところ。本音が聞きたいのだ。重ねて言う。

 

「だって、そうでしょう。ホグワーツは、魔法を学ぶ場所です。そこへの入学を拒むのは、つまりは魔法の勉強を拒むということ。その結果として、魔女になれなくてもよい。魔女にはならない。そういうことではありませんか」

「ち、違います。そうではありません。わたしは、魔女になります。なりたいのです。クリミアーナの娘として目指すものがあるのです。勉強だって、3歳のときから毎日、欠かしたことなどありません」

「では、なぜです? ホグワーツで学ぶことは、決して遠回りではありませんよ。むしろ、あなたがすぐれた魔女となるために、大いに役立つでしょう」

「マクゴナガル先生」

 

 魔女になりたい。それがアルテシアの本音であろうことに、疑いはない。その言葉を言わせたことで、マクゴナガルは説得には成功したと思った。あとは、いま少女にあの表情をさせているのが何なのかを探るだけ。そのわだかまりさえ解消してやれば、アルテシア・ミル・クリミアーナは、明後日の11時、キングズ・クロス駅の9と4分の3番線からホグワーツ特急に乗るだろう。

 

「なにか、気がかりがあるのですね。言ってみなさい」

「はい。あの、マクゴナガル先生」

「なんでしょう」

 

 さすがに言いにくそうにしているが、相談する気にはなったようだ。ほどなくして、その言葉が語られる。

 

「魔法族と称される人たちがいることは知っています。ホグワーツは、その人たちの学校なのですよね?」

「ええ、そのとおりです」

「その魔法族の人たちとわたしたちの魔法は違う。似てはいるが、違う。わたしはそう思うのです。そんな異端のわたしでも、ホグワーツは受け入れてくれるのでしょうか? わたしはそこで魔法を学べますか?」

 

 魔法が違う? さすがのマクゴナガルも、その言葉には違和感を覚えずにはいられなかった。だが、それも一瞬のこと。なにをもって魔法が違うと言うのかはよくわからなかったが、おそらくそれは見かけ上のことにすぎない。たとえるならば、言葉における方言のようなもの。その程度の違いはあったにせよ、魔法というものの本質は変わらない。魔法は魔法だ。

 マクゴナガルは、そのように考えた。ゆえに、アルテシアが悩む必要などないのだと。そしてそれは、そのままアルテシアへと伝えられる。

 その夜、マクゴナガルは、クリミアーナ家に泊まることになった。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルは、クリミアーナ家の食堂にいた。こうして夕食を終えたあとも食堂に残っているのは、アルテシアから相談したいことがあると言われたからだ。そのアルテシアは、持ってくるものがあるからと、いま部屋を出ている。自分の部屋にでも行ったのだろう。

 お茶を飲みながら、アルテシアを待つ。それにしても落ち着く部屋だ、とマクゴナガルは思った。夕食はとてもおいしかったし、このお茶も、口に合う。まるで、自分の好みを知っているかのようだ。

 

「すいません、お待たせしました」

 

 軽くドアがノックされ、アルテシアが戻ってくる。その手には、黒塗りの本が1冊。さしずめこれが魔法書なのだろうと、マクゴナガルは思った。クリミアーナ家では、魔法の勉強に魔法書を使うのだと聞いたことがある。もしかするとなにかで読んだのかもしれないが、たぶん、彼女の母親に会ったときに聞かされたのだ。

 

「マクゴナガル先生、教材と教科書は、明日買いに行くということでしたが、わたしにも杖が買えるのでしょうか? もちろん、明日お店に行けばわかることではありますけど」

「もちろん、買えますよ。いいお店を知っています。心配はいりません」

「そうでしょうか」

 

 ここにもなにか、気がかりとなることがあるようだとマクゴナガルは見てとった。だがアルテシアは、それ以上はこのことに触れず、話題を変えた。その手にしていた本を、マクゴナガルに示す。

 

「この本は、学校指定の教科書ではありません。ですが、わたしにとっては魔法の勉強には欠かせないものです。これを、ホグワーツで勉強に使用しても大丈夫でしょうか」

「その本を、学校に持っていきたいというのですね」

「毎日、少しずつでも読んていきたいのです。でも、こっそりと隠れて読んだりなどはしたくありません。なので、あらかじめおうかがいしておこうかと」

「ひょっとしてそれは、魔法書ではありませんか?」

 

 この言葉に、アルテシアはかなりびっくりしたらしい。マクゴナガルが、魔法書のことを知っていたことが意外だったのだ。そのことは、誰も知らないとでも思っていたのだろう。

 

「どうしてご存じなのですか?」

「どうして?」

「まさか、ご存じだとは思いませんでした。これはクリミアーナ家歴代のご先祖の手によるものなので、クリミアーナ以外ではだれの目にも触れることがないはずのものなんです。まさか、知っている人がいるなんて思いませんでした」

 

 実は、クリミアーナ家の歴史がいつはじまったのかは、はっきりしていない。先祖の手による魔法書のすべてが残っていればともかく、その一部しか残されていないからだ。クリミアーナ家の魔女は、自分が得た知識、その魔法力のすべてを詰め込んだ本を残し、この世を去る。そしてその本が子孫たち、すなわちクリミアーナ家に生まれた娘への教材となる。この本を学ぶことで、クリミアーナ家の娘は、クリミアーナの魔女となるのである。

 そんな貴重な本のすべてが残されていないのは、本の差し替えが発生するからだ。たとえばアルテシアが魔女となったとする。アルテシアは成長し、知識を得て、さらに魔法力を磨いていくだろう。その結果として、彼女が学んだ本を残した先祖の魔女を超えてしまうかもしれない。本の差し替えは、そのときに発生するのだ。残るのは、より高く深い能力を持つほうの本だけ。なのでその数が増えることはほとんどない。それが魔法書たちの意思によるものか、それとも誰かの仕掛けによる結果なのかは不明だ。

 

「さすがに授業中に広げることは許可できませんが、休憩中や自由時間に読むのはかまわないでしょう。わたしが認めます。学校に持っていってもいいですよ」

「ほんとですか! ありがとうございます」

 

 アルテシアは、ほんとうに嬉しそうだった。それほどに大切な本なのだろう。そのとびきりの笑顔に、マクゴナガルは興味をひかれた。この少女は、こんなふうにして笑うのだ。そしてこの笑顔こそが、彼女そのものなのだろう。

 

「ミス・クリミアーナ。とても大切そうなその本が、いったいどういう本なのか、聞かせてもらってもいいですか?」

「え? ご存じだったのではないのですか」

 

 この本を見るなり魔法書だと言ったのは、ついさきほどのこと。なので当然、知っているものだと思っていた。そんなアルテシアに、マクゴナガルは、苦笑いを浮かべながら、こう言った。

 

「魔法書だということはわかりますが、詳しいことはなにも。たとえばどのようなことが書かれているのですか?」

「ええと、そうですね。言葉で説明するのはとても難しいのですが、あえて言うなら、ここには魔法が書かれていて、わたしたちは、それを読むことで魔法力を身につけていきます。そのための本ということです」

「読めば魔法力が身につく、のですか。いま、そう言いましたね」

 

 そのときマクゴナガルが思ったのは、スクイブのことだ。あるいはマグルがこの本を読んだらどうなるか。

 スクイブというのは、せっかく魔法族の家に生まれながらも魔法力を持っていない人のことであり、マグルは、魔法族ではない人たちのこと。たとえばこの人たちがこの本を読んだなら、魔法力が身につき、魔法使いとなれるということなのか。そんなことが可能なのか。

 マクゴナガルの常識では、たとえばマグルがホグワーツに入学し、欠かさず授業に出席し、懸命に勉強したとしても、魔法使いにはなれない。魔法力のない人は、どうやっても魔法は使えないのだ。だがもし、魔法力そのものを身につける方法があるのだとしたら。もし、そうならどういうことになるのか。いや、まさかそんなことが……

 

「あの、先生。マクゴナガル先生、どうにかされましたか?」

「え?」

 

 おもわず考え込んでいたらしい。そんなに長い時間ではないはずだが、その間にアルテシアが言ったことは聞き逃してしまったのだろう。

 

「すみません、おかしなことを言ったつもりはなかったのですが」

「あぁ、いえ。そういうことではありません」

 

 いったいわたしは、何を聞き逃したのだろうか。なにか、とても大切なことだったような気がする。だが、そのことを後悔している暇はなかった。その後のアルテシアの提案は、それほど衝撃的だった。

 

「では、マクゴナガル先生。もしよろしければですけれど、この本を学んでみられるのはどうでしょうか」

「え! わたしがこの本を」

「はい。本のことを言葉で説明するのは、ほんとうに難しいのです。興味がおありでしたら、実際に体験していただくほうがいいのではないかと考えました」

「わたしがこの本を、ですか。みせてもらっていいですか?」

 

 テーブルの上には、アルテシアが持って来た本が置かれている。実際に手にとり、なかを見てみたかったのだが、アルテシアは立ち上がった。

 

「先生、こちらへどうぞ」

「え?」

「寝室へご案内します。先生の本を決めるのは明日の朝にしましょう。朝のほうがいいのです」

 

 明るい太陽の笑顔で、アルテシアはそう言った。本を決めるとは、どういうことだろう。いろいろ聞きたいことはあったが、マクゴナガルはアルテシアのあとに続いた。

 

 

  ※

 

 

 翌朝。

 目を覚ましたマクゴナガルは、身支度をすませると部屋を出る。そして、食堂へと向かう。昨夜、そうするようにと言われていたからだが、食堂には、50歳くらいかと思われる女性がいた。もちろん、初めて見る顔だ。アルテシアの姿はない。

 

「ああ、ホグワーツの先生さまですね。あたしは、パルマというものです。この家で、アルテシアさまのお世話をしている者ですがね」

「ああ、そうですか。昨日はおいでではなかったようですが」

「へえ、たまの休みというやつでしてね。シャイの家に遊びに行ってましたよ。おかげでのんびりさせてもらいましたが、先生さまには不自由おかけしてすみませんでしたね」

「いいえ、その点は大丈夫でしたが、ミス・クリミアーナはどこに?」

 

 椅子をすすめられ、そこへ腰を下ろしながらの会話だ。すぐに飲み物が運ばれてくる。

 

「ミス・クリミアーナ、ですか。変わった呼び方をされるんですね」

「そうでしょうか。ごく普通だと思いますが」

 

 この女性は、いわゆる使用人なのだろう。アルテシアさま、という呼び方を考慮すれば、そんな答えが出てくる。だされた飲み物へと手を伸ばす。

 

「シャイもそうですけど、このあたりの住民はみな、お嬢さまって呼ぶんですよ。だから、意外な感じがしましてね」

 

 テーブルの上に、焼きたてらしいロールパンにサラダ、コーンスープが並んでいく。朝食、ということだ。

 

「アルテシアさまは、書斎で待っておられますよ。食事が済んだらご案内しますです」

「そ、そうですか」

 

 寝ぼうしたつもりはないのだが、アルテシアのほうはすでに朝食を終えているらしい。

 

「パンには、マーマレードかバターか、どっちがいいですかね。そのままでも、十分においしいですけどね」

「では、このままいただきましょう。焼きたてのようですが、これはあなたが?」

「いいえ。パンづくりはアルテシアさまにお任せしていますからね。あたしよりずっと上手なもんで、いつもお願いしてるんですよ」

 

 たしか、パルマと名乗ったはずだった。パルマの口調や声の響きが、耳に心地よい。適当に会話をしながらの朝食は、意外に楽しいものだった。

 

「ところで、先生さま。あたしもホグワーツとやらに行くことはできませんかねぇ。全寮制だそうですが、アルテシアお嬢さまのお世話はあたしがしたいんですけどね」

「それは許可できませんが、あのしっかりしたお嬢さんならなにも心配いらないと思いますよ」

「お嬢さまにもそう言われたんですけどね。けどね、先生さま。アルテシアさまがこの家を出るのは生まれて初めてなんですよ。心配にもなろうってもんですよ。でも、仕方がない。この家の留守もまもらないといけないし」

 

 そんなこんなで食事も終わり、アルテシアの待つ書斎へ。だがそこは、マクゴナガルが想像する書斎とはずいぶん様子が違っていた。なにしろ、広い。入って左側にはずらりと本棚が並び、その全部に本が詰まっている。書斎というより、図書室だ。食堂にあったものよりは小さいが、椅子が6脚あるテーブルは、おそらく閲覧用なのだろう。奥には机もある。揺り椅子も置いてあった。

 

「マクゴナガル先生、おはようございます」

「おはよう、ミス・クリミアーナ。おいしい朝食をいただきましたよ」

「はい。お口に合ったのならよかったです」

 

 そこで、パルマが割って入る。

 

「アルテシアさま、あたしはいないほうがいいんですよね」

「あ、そうだね。邪魔にするつもりはないんだけど」

「なに、承知してますよ。では、出かける支度をして待ってますです」

 

 パルマが書斎を出る。いちおう、書斎と言っておく。

 

「では先生、始めようと思いますが、いいですか? もちろん、やめられてもかまいませんけど」

「いえ、ぜひお願いしたいですね。あなたもこれからホグワーツで学ぶのですから、わたしもあなたたちのやり方を学びましょう。お互いにがんばりましょう」

「はい。では、こちらへ」

 

 閲覧用の広いテーブルの入口側に立つように指示される。アルテシアは、その反対側に。そして、テーブルの上に並べられたのは、昨日、アルテシアが持っていた黒塗りの本と、外見上はまったく同じ本が4冊。

 

「マクゴナガル先生、これがわが家に伝わる魔法書です。わたしたちの魔法では、大きく4つの系統に分けられます。その、それぞれを代表する4冊です。そしてここに、もう1冊あります」

 

 それは、アルテシアが手に持っていた。その本を、並べられた4冊とは別の列に置く。マクゴナガルに近い方の列に4冊、アルテシアに近い方の列に1冊ということになる。

 

「それで、どうするのですか?」

「どうぞ、お好きな本を選んでください。それが、マクゴナガル先生の本ということになります」

 

 選べ? 選べと言われても、外観上はまったく同じ本なのだ。中身は違うのだろうが、こうして見ている限りでは、それはわからない。開いてみるしかないだろう。

 マクゴナガルは、とりあえず中を見てみるために自分の側の列の右から2番目の本を手に取った。その本は、見かけとは違いさほど重くはなかった。背表紙になにか記号のようなものが刻まれているが、それ以外にはなにもない、なんの文字も刻まれていないただ黒いだけの本。その表紙を開いてみる。

 

「なんでしょう、これ。なにが書いてあるのか、全然わからないのですが」

「それでいいのです、先生。初めての人は、そういうものです」

 

 みればアルテシアは、他の本を片付け始めている。だがマクゴナガルは、まだ本を選んだつもりはない。ただ様子を見るために手にとっただけなのだ。

 

「あの、ミス・クリミアーナ。わたしは、まだ」

「いいえ、先生。先生は、選択しました。その手に本があるのが、何よりの証拠ですよね」

 

 ほんとうに、この子の笑顔は見ていて気持ちがいい。こっちまで笑顔にさせられてしまうようだ。そんな笑顔で言われたからというわけではないが、きっと、これでいいのだろう。そう思うことにした。どうせ、それぞれの本の違いなどわからないのだし。

 

「先生、その本の上に手を置いてください。こんな感じで」

 

 みればアルテシアは、テーブルに手を着いている。それを真似て、本の上に手を乗せる。

 

「自分の名前を言ってください。そうすれば、その本はマクゴナガル先生の本となります」

「名前を?」

「はい。たとえばこんなふうに。『わたしは、ホグワーツ魔法魔術学校のミネルバ・マクゴナガル。これから、あなたを学びます』」

 

 とにかく、言われたとおりにするしかない。それがどんな意味を持つのかわからないが、とにかくそのとおりにすると、一瞬、本が光った。そんな気がしただけかもしれないが、一瞬だけ、たしかに輝いたようだとマクゴナガルは思った。

 

「これで終わりです。じゃあ、先生。教材を買いに行きましょう。ええと、どこに行くんでしたっけ?」

 




 1話あたりの分量をどうしようかと、実は悩んだのです。今回は多めかもしれません。適量がどれくらいになるのかは、この先おいおいとわかってくるかな、と。
 それはさておき、クリミアーナ家の一人娘であるアルテシア嬢は、ホグワーツ入学を決意しました。1話のなかで触れられていたとおり、アルテシアは魔法が使えません。そんな娘を、なぜホグワーツに入れるのか。その理由は、ダンブルドアが第3話で話してくれるでしょう。第2話では、ダイアゴン横丁での買い物のお話となります。


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第2話 「母のおもかげ」


 ブルックさんから、第1話の感想いただきました。ありがとう。
 たしかに、ハリポタ小説はたくさんありますね。私が書いてみようと思ったのは、あの『野望の少女』の物語に触発された感はありますね。このごろは更新ないですが『魔法の世界のアリス』にも感心させられました。

 さて、本作で主人公が魔法力を発動させるのはいつになるのか。作者はそれを楽しみにしています。



 アルテシアたちは、クリミアーナ家の門の外に立っていた。

 マクゴナガルの計画どおりであれば、いまごろは教材購入のための場所であるダイアゴン横丁を歩いているはずだったのだが、いまだ足止め、といったところである。

 マクゴナガルが言うには、このクリミアーナ家では『姿くらまし』『姿あらわし』といった移動のための魔法が使えないらしい。そのため、クリミアーナ家の敷地の外へと出てきたのだ。

 

「不審なものが勝手に出入りできないようにと、ホグワーツでも敷地内での『姿あらわし』は予防魔法によってできなくしてあります。それと同じようなものでしょう」

「すみません、先生。わたしに魔法が使えれば、そんなことは問題にならないはずなのに」

「それはしかたがないことですから、気にしなくてよろしい。しかし、クリミアーナ家のご先祖は、高位の魔法使い揃いだったようですね」

 

 お世辞ではなく、マクゴナガルは、本心からそう思った。『姿くらまし』『姿あらわし』を防ぐだけではない。ほかにも、いくつもの保護魔法がかけられている。おそらくはあの家には、そのなかにいる人を守るための保護魔法がかけられているのだ。しかもアルテシアだけではなく、来訪した客までもがその対象となっているのではないかと思われる。それが居心地のよさにも通じていたのだろう。こうして外に出てきた今、それがはっきりとわかる。この家は、いろんな意味で不思議だ。

 

「それはさておき、マグルの電車で行くには時間がかかりすぎます。煙突ネットワークもムリだし、どうしても『姿くらまし』しないと」

 

 敷地外であれば『姿くらまし』はできるのだろう。だがその場合、その瞬間をマグルたちに見られるかもしれないという問題がある。外に出てくれば、あちこちにマグルの姿があるのだ。こちらを注目している人はいないようだが、それでも安心はできない。念のために目くらましの魔法をかけておくにせよ、その過程も、目撃される可能性はあるわけだ。

 ともあれ杖を取り出すと、それを見ていたアルテシアが微笑む。

 

「マクゴナガル先生、このあたりの人たちになら、見られても平気ですよ。みんな、クリミアーナ家が魔女の家系だと知っていますし、わたしが魔女であると理解してくれています。クリミアーナに不思議はつきもの、なにがあっても気にしないこと、と納得してくれますから」

 

 そんなことがあるのか、とマクゴナガルは思った。いろいろ言いたいことが頭の中をよぎるが、ともあれそれらをすべて振り払う。そして、アルテシアの腕を掴んだ。

 

「あなたも、わたしにしっかりつかまりなさい。『姿くらまし』します」

「はい」

 

 続いて目を閉じるように言われ、そうした瞬間に、不思議な感覚が身体を包む。そして、目をあけたとき。そこは魔法族の街だった。

 

「うわあ、ここがそうなんですか」

 

 商店が並び、多くの人が行き交っている。さまざまな品物がならび、買い物客の話し声も聞こえる。

 

「まずは、制服を買いに行きましょう。仕立て直しの時間が必要になるでしょうから、そのあいだに教科書を買うことができますからね」

「はい」

 

 制服は、マダム・マルキンの洋装店が取り扱っているらしい。店も書店などより近くにあるという。マクゴナガルに連れられ、その店に入っていく。

 店には、他の客はいないようだった。アルテシアたちの来店に気づいたすこし太めの魔女が出てくる。この人がマダム・マルキンなのだろう。藤色の服を着ていた。

 

「おや、マクゴナガル先生。今日は、どうされたのです?」

「新入生を連れてきたんですよ。必要な制服をそろえてくださいな」

「まあ、新学期は明日からでしょうに、いまごろ? なにか不都合でもあったんですか?」

 

 そう言いながらも、巻尺を取り出し、アルテシアの背丈などの採寸に取りかかる。魔法界においては驚くようなことではないのだろうが、巻尺は、それ自体が意思を持つかのように自在に動き回る。結局のところ、必要な採寸作業はこの“生きた”巻尺がすべて行い、マダム・マルキンの出番はなかった。そのためなのかどうか、マダム・マルキンは、アルテシアが着ている白いローブに注目していた。

 

「先生、この子はどういった子なんです?」

「どういった、とは? なにか気になりますか」

「いえね、ちょっと。ただ、お嬢ちゃんの着ているローブの生地がね」

「ローブの生地? それがどうしたのです」

 

 考えるようなそぶりをみせたのは、ほんのわずか。そのすぐあとで、笑顔をみせた。

 

「先生。お嬢ちゃんのローブは、おそらくエウレカ織りですよ。それも、最高級の逸品。間違いないわね」

 

 そのときマルキンの手元へ、巻尺と寸法が記録された羊皮紙とが戻ってきた。アルテシアが、ようやく“生きた”巻尺から解放されたのだ。

 

「お嬢ちゃん、採寸はこれでおわり。あとは制服をそれに合わせて仕立て直しってことになるんですけど、ちょっと待ってもらっていいですかねぇ、先生」

 

 最初はアルテシアへ、そしてマクゴナガルへと顔を向けながらである。仕立て直しの時間が必要であることはわかっていた。その間に教科書を買いに行くつもりにもしていた。なのでその問いかけには、ただうなずくだけでよかったはずなのに、マクゴナガルは質問を返した。それほど気になったのだろう。

 

「待つのはかまいませんが、つまり、どういうことなんです?」

「いえね、ちょっと事情がありまして。ええと、ちょっとお待ちくださいな」

 

 そして、店の奥へ。待てと言われた以上は待つしかないのだが、どういうことなのか、マクゴナガルにはさっぱりわからなかった。それは、アルテシアも同じであったろう。

 ほどなくして、マダム・マルキンが戻ってくる。その手には、数着のローブと手紙とがあった。そのままアルテシアの前に立つ。

 

「間違ってたらごめんなさいね、あなた、マーニャさんの娘さんでしょう?」

「えっ! 母を、母をご存じなんですか!」

 

 アルテシアが驚くのはムリもないことだろう。初めて訪れた場所での、初めての店。その初対面の店主から母の名が出てきたのだから。

 

「直接、お会いしたことはないわ。手紙をもらっただけ。ほら、これよ」

 

 持って来たローブの上においてあった手紙をアルテシアへと手渡すと、マダム・マルキンはマクゴナガルへと顔を向けた。

 

「先生、制服はすぐにお渡しできるようです」

「どういうことなんです? 彼女の母親をご存じだったようですが」

「はい。もちろん説明させてもらいますが、少し長い話になりますよ」

 

 マダム・マルキンが語ったこと。それは、いまアルテシアが読んでいる手紙が、マダム・マルキンのもとへ届けられたことに始まる。

 

 

  ※

 

 

「まあね、そういうこともあるでしょう。魔法というつながりがあるのですからね」

 

 マダム・マルキンの洋装店を出て、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店へと向かう途中。いまの言葉は、マダム・マルキンの話を聞いたマクゴナガルの、いわば感想である。マダム・マルキンがアルテシアの母であるマーニャからの手紙を受け取ったのは、およそ10年まえのこと。そして、1年ほどにわたって手紙のやりとりは続いたのだという。

 それは、ローブの仕立て方についての教えを請う手紙で、娘の成長にあわせた大きさにしたい、すなわち3歳のとき、5歳のもの、7歳、10歳、15歳などではどのような寸法にしておけばよいか、何に気をつけたらよいか、といった相談からはじまったのだという。

 

「あなたのお母さまからは、そんな話は聞いていないのですね」

「はい。でもたしかにわたしのローブは、成長にあわせた大きさのものがいくつも作ってあります。マダム・マルキンのおっしゃられたとおりなんだと思います」

 

 アルテシアには、マダム・マルキン特製のローブが手渡された。もちろんホグワーツの制服として仕立てられたものなので、布地がさきほどの話のなかに出てきたエウレカ織りの特別製であったとしても、学校で着るのには何の問題もない。使用された布地は、マダム・マルキンがアルテシアの母であるマーニャから貰ったもので、ローブの仕立てについての相談に応えたお礼であったらしい。

 そのお礼のエウレカ織りを受け取ったマルキンは、とても驚いたという。いったいどこで、誰がこの織物を作っているのか。さすがの彼女も、このような立派な布地は見たことがなかった。そして、考えた。マーニャが魔女であることに疑いはない。ならば、この布は魔法に関するものかもしれないし、その娘も魔女に違いない。であれば、いずれホグワーツで学ぶことになり、こうして制服を買いに来るだろう。そのとき、他の一般的な生地のローブではなく、このエウレカ織りで仕立てた制服を渡してやろうと。

 

「ともあれ、制服は手に入りましたからね。次は教科書です」

 

 みれば、すぐ前にフローリシュ・アンド・ブロッツ書店。いたるところに本が並び、天井にとどこうかというところまでぎっしりと積み上げられている。その書店に一歩入るやいなや、店主がやってくる。

 

「これはこれは、マクゴナガル先生。お元気そうでなによりです」

「ありがとう。今日は、新入生を連れてきたんです。1年生用の教科書をひとそろいお願いしますよ」

 

 そこで、店主の視線はマクゴナガルの後ろのアルテシアへ。だがひと目見ただけだった。

 

「あの、マクゴナガル先生。実はその、もう明日が新学期ですしね、そんなわけでその、あれなんですよ」

「なんです、どうしたというのですか?」

「いえ、そのう。新学期は、明日ですからね。いまごろ新入生がくるとは思わないもんですから」

「まさか、教科書がない、なんてことはないでしょうね」

 

 その、まさかだったらしい。店主は、もう新入生もいないだろうからと、教科書用の本の追加補充をしていなかったのだ。もっとも、その全部ではなくごく一部、1冊だけらしいが。

 

「では、揃うものだけ揃えてくださいな」

「は、はい。それはもう」

「それで、不足しているのは何の本ですか?」

「え! ええと、その」

 

 なおも言い渋る店主だったが、やがて隠しとおせるものではないと観念したらしい。しぶしぶながら、こう言った。

 

「ないのは、そのう。『変身術入門』です」

「その他は、全部あるのですね」

「はい、それはもう」

「他の本はそろっているのに、よりによって『変身術入門』だけがないというのですね」

「え、ええ、まあ、そうなんですけど」

「わたしが学校で、どの教科を教えているのか、ご存じですか?」

「あ、あの、存じております」

「なのに、よりにもよって『変身術入門』だけがない、というのですね」

「はい。そのう、先生の教科ですのに、大変申し訳ないことで」

「よろしい。では『変身術入門』はわたしがなんとかしましょう。すぐにその他の本をそろえてください」

 

 そんなこんなで大騒ぎ、というほどでもないが、とにかく教科書を買い求め書店を出る。その間、終始不機嫌な様子をみせるマクゴナガルだったが、店を出たところで、その表情にわずかに笑みが浮かぶ。その一瞬を、アルテシアは見逃さなかった。見逃さなくてよかったと思った。

 

「さて、あとは杖ですが」

 

 言いながらアルテシアを見て、言葉が途切れる。アルテシアの楽しそうな笑顔に、ふといぶかしさを感じたのだ。なにがそんなに楽しいのかと。だが、この子がニコニコと微笑んでいるのはいつものこと。とくに、気にすることもないのだろうと思い直したところへ、こんな言葉が返ってきた。

 

「マクゴナガル先生、ちょっとしたイジワル、なんですよね?」

「なんのことです?」

「いいです、答えてくれなくても。先生がとてもいい先生なんだって、あらためてわかりましたから」

「ミス・クリミアーナ、何の話をしているのです」

「わたしが、ホグワーツでもなんとかやっていけそうだって、そういう話です」

 

 マクゴナガルは、何も言わなかった。話はそれまでとばかりに背筋をピンと伸ばし、通りを歩く。そのあとをアルテシアが続き、最後の買い物のために訪れたのは紀元前382年創業・高級杖メーカーとの掲示がされた店だった。

 通称、オリバンダーの店。実はアルテシアが一番楽しみに思い、そして不安に感じていたのがこの店だった。はたして自分に杖が買えるのか、杖を売ってもらえるのか。

 いざ店を目の前にしてみると、不安のほうがどんどんと大きさを増していくような気がする。不安の理由は、いわゆる魔法族と自分とでは、魔法が違うということにある。少なくともアルテシアは、そう思っている。その端的な例といえるのが、杖。その理由のひとつが、魔法の杖にある。

 まだマクゴナガルにも言っていないことだが、クリミアーナ家の魔女は、杖を必要としないのだ。通常、魔法族は魔法使用の際には魔法の杖を使用するが、クリミアーナ家歴代の魔女たちのなかに、魔法の杖を使用していた者はいない。そんな記録も言い伝えも、クリミアーナ家には残っていないし、もちろんアルテシアの母も、杖など持ってはいなかった

 そんなアルテシアの不安がマクゴナガルにも伝わったのだろう。そっと、アルテシアの肩に手を触れる。

 

「大丈夫ですよ、アルテシア。あなたに合う杖は、きっとこの店に置いてあります。いままで杖が買えなかった、なんていう生徒を、わたしは一度もみたことがありません」

「はい、マクゴナガル先生。でもわたしには、杖は必要ないのかもしれません。だってわたしの家は」

「まあ、お待ちなさい。昨晩もあなたは、杖に関して何かしら気にしていたようですが、ともあれお店に入ってみませんか。杖が買えるかどうか、その答えはすぐそこにあるのです。あなたに合う杖は、きっとあるはずです」

 

 マクゴナガルがドアを開け、アルテシアを先に店の中へと入らせる。どこか奥のほうでチリンチリンとベルが鳴った。

 

 

  ※

 

 

「むずかしい客じゃの。……さて、次はどうするかな」

 

 そう言って、傍らのショーケースの上に杖の入った細長い箱を置く。それは、オリバンダーによってアルテシアには不向きと判断された杖である。これでもう、6個め。

 その数が増えるたび、アルテシアの不安は強くなる。やはり自分は杖など持てないのだという思い。たとえ杖がなくとも、クリミアーナ家の娘にとっては、なんら不都合はない。もちろんアルテシアは、そのことをよく理解している。だがそれでも、気持ちは落ち込んでいく。その表情からは、笑みなどとっくに消え失せていた。

 

「では、これを試してみなさい。26センチ、不死鳥の羽根にマホガニーの組み合わせ。振りやすく、妖精の呪文にはぴったりの杖じゃ」

 

 だがその杖もこれまでの6本同様、オリバンダーの判断は早かった。アルテシアの手に触れた瞬間に、と言えば大げさかもしれないが、それほどの短い間に取りあげられ、ショーケースの上に並ぶことになる。

 

「どうもいかんな。じゃが、心配はいらぬよお嬢さん。必ずあなたに合う杖をお探ししますでな。……さて、次はどうするかな。……おお、そうじゃ。たしかあれが……」

 

 それは、店頭には出されていなかったらしい。オリバンダーが、いったん店の奥に入って行く。

 

「ミス・クリミアーナ。とにかく、オリバンダーに任せましょう。そうするしかありません」

「はい、先生。でもオリバンダーさんは、なにを基準にして、あの杖がダメだとおっしゃるのでしょうか」

 

 ショーケースの上の7つの箱。その中の杖にアルテシアが触れたのは、どれもほんの一瞬のこと。ただ1度、その手に持ったというだけなのに、それでいったいなにが分かるというのだろう。

 

「わたしの経験からいって、あなたと杖とのあいだにつながりが見えなかった、ということだと思いますよ」

「つながり、ですか」

「ええ、杖と魔法使いは共に助け合うような関係です。互いの信頼が必要になるのだと思いますよ」

 

 そのあたりの理屈は、アルテシアにはよくわからなかったが、オリバンダーが戻ってきたので尋ねることはできなかった。

 

「お嬢さん、この杖を試してみなされ。これならきっと大丈夫」

 

 渡された杖を、アルテシアが手に取る。その瞬間、ほんの一瞬ではあるのだが、杖が光ったのを3人は目撃した。だがその一瞬を除けば、それまでの7本と同じ。少なくともアルテシアはそう思った。手にした感触などは、これまでの杖とまったく同じだったのだ。だがオリバンダーは、そうではないらしい。

 

「すばらしい。いや、よかったよかった。じゃが、さて。さて、さて、これはいったいどういうことになるのか」

 

 これまでのようにあっという間というわけではないが、アルテシアの手から杖を取りあげて箱に戻すと、茶色の紙で包んでいく。どうやらこれが、アルテシアの杖、ということであるらしい。オリバンダーはそう判断したのだ。

 

「良質でしなやかなヒイラギの木なのですじゃ。めったにないとてもいい材質の木を使った杖で24センチ」

 

 そこまで言って、アルテシアを見る。包み終わった杖の箱をアルテシアへと差し出し、握手を求める。マクゴナガルが近づいてくる。

 

「いまの説明には、杖の芯についてのことが抜けていたように思いましたが」

「ああ、気づかれましたか。たしかに、芯のことには触れてません。杖には、強力な魔法力を持った物が芯に使われます。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。ですが、この杖に使われた芯が、はたして何なのか。それがわからんのですから、説明のしようがない」

「わからない?」

「さようです。もう10年ほど前のことになりますかな、われながらとてもいい杖ができたと思ったもんです」

 

 オリバンター老人は、コツコツと足音をたてて店内を歩きながら話を続けた。

 

「一角獣も、ドラゴンも、不死鳥も、みなそれぞれに違うし、素材の木にしてからも同じものではない。すなわち、一つとして同じ杖はない」

「それは、よく知っていますが」

「マクゴナガルさん、考えてもみなさい。杖が魔法使いを選ぶのです。となればわしはあの日、今日のために、このお嬢さんのためにこの杖を作った、いや作らされたということになる。いったい、この杖とお嬢さんとのあいだにどんな縁《えにし》があるのやら」

 

 いったいオリバンダーはなにが言いたいのか。結局のところ杖の芯がなんであるのかはわからないらしいが、それでちゃんと杖として機能するのだろうか。気になるのはそこだ。

 

「マクゴナガルさん、心配はいらない。この杖は、わしの作ったなかでも最高のできばえの杖なのじゃから」

「でも、使われた芯が何かわからないのでしょう?」

「そう、それはそのとおり。じゃがそれは、呼び名がわからぬというだけのことでしてな。杖の芯となるべき素材としては申し分のないもの。それは確かなのですぞ。じゃからお嬢ちゃんが気にする必要はないのじゃよ」

 

 アルテシアはべつに、杖の素材については気にしてはいなかった。というのも、何度か触れたが、彼女にとって杖は重要なものではないからだ。必要ではないと言ってもいい。クリミアーナ家の娘としてはそれでいいのだが、これからはホグワーツで魔法を学ぶのだ。この先の学校生活を考えれば、杖が必要となるのはあきらか。だから、杖が欲しかったのだ。たとえ素材が不明であっても、ちゃんとした杖であればそれでよかった。

 

「まあ、そういうことならばいいでしょう。ミス・クリミアーナ、あなたもそれでいいですね?」

 

 杖の代金を支払い、オリバンダー老人に見送られて店を出る。これで買い物は終わった、ということになる。マクゴナガルに連れられるようにして、アルテシアはダイアゴン横丁を、戻っていく。

 

「ところで、ミス・クリミアーナ」

「あ、はい先生。なんでしょう」

 

 いまごろ、と言っていいだろう。ダイアゴン横丁を歩き、書店の前を通りすぎようとしたときになって、ようやくアルテシアがなにも荷物を持っていないことに気づいたのだ。アルテシアは、巾着袋をぶら下げているだけ。そのひもは長めにしてあり、ちょうど肩掛けのポシェットとでもいった感じで左肩からたすき掛けにし、腰の右側にくるようにしてあった。

 

「あなた、荷物は? 教科書などはどうしたのです?」

 

 教科書だけではない。そういえば制服も持っていないし、いま買ったばかりの杖までも。つまりアルテシアは、巾着袋以外は何ももっていない。手ぶらなのだ。

 

「教科書なら」

 

 だがアルテシアは、慌てた様子もなく、腰の横に提げられた巾着袋に手を伸ばす。とても教科書が入るとは思えない大きさのその巾着袋の中から、ミランダ・ゴズホーク著「基本呪文集(一学年用)」が取り出される。続いてバチルダ・バグショット著「魔法史」。

 

「そのなかに、教科書が入っているのですか」

「はい。そうですけど」

 

 制服や杖も、その中ということなのだろう。なるほど、秘密はあの巾着袋か。おそらく空間拡大の魔法かなにか、収容に関するものがかけられているのだろう。古くから続く魔女の家系なのだ。そんな物があっても不思議ではない。そういえば、こんなことを言っていた。クリミアーナには不思議がつきもの、なのだと。そう考えると、なんだか気持ちが楽になったようだ。ともあれ必要な準備は終わったのだ。あとはこの少女をクリミアーナ家へと送り届けるだけ。それで、ひとまずの役目は終わる。

 マクゴナガルは、アルテシアの手をとった。ここはダイアゴン横丁だ。この場所からでもかまわない。

 

「しっかりつかまりなさい。『姿くらまし』します」

 




 第2話は、女子2人でのお買い物となりました。原作では、大鍋ですとか、ほかにも買うべきものはいくつかありましたが、主要3品お買い上げ、に限らせていただきました。ペットについては、最初から考慮はしませんでした。ペットよりも、パートナー。友人など相手役との関わりに重きをおきたいと思っています。
 主人公には、どれも良い物を持たせたい。特に杖は・・ との気持ちが働いたのは否定しません。でも制服だって、重要なアイテムなんです。教科書のほうは、主人公が魔法書愛読者であるため、登場場面はほとんどないかもしれません。



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第3話 「ホグワーツ特急」

 第3話のお届けです。感想いただいた数名の方をはじめ、読んでいただいてる方に、その感謝を込めてのお届けです。
 感想のなかで『女子』という言葉に、注目が! なんか気に入ったので、また使ってみようと思いました。
 今回は、ホグワーツ特急。主人公にお友だちができるようです。でもそのまえに、ダンブルドアさんのお話を、お聞き下さいませ。



 その朝、マクゴナガルはホグワーツの校長室を訪れていた。ダンブルドアにアルテシアのことを報告するためである。ダンブルドアの意向どおりにというべきか、ともあれアルテシアは今日、ホグワーツ行きの特急列車に乗ることになった。その切符も渡してある。

 それにしても、とマクゴナガルは思う。今回のことは、とても貴重な体験であった。昨日も、買い物を終えた後『姿くらまし』であの家に戻ったのだが、アルテシアを送り届けるだけでは終わらなかった。あの広いクリミアーナ家の庭ではすでに宴席の用意がされており、いつのまにか、近隣の住民たちも集まっての『お祝い』に参加していた。魔法学校入学という“修業の旅”の祝いだという。

 あきらかにマグルである人たちと同じテーブルに着き、魔法を話題に盛りあがる。そんな経験は、もう二度とできないのに違いない。

 

「どうやら、無事に入学してくれることになったようじゃな」

「ええ、必要な物も買いそろえ、ホグワーツ特急の切符も渡しておきました」

「なによりじゃ。お茶でもいかがかな?」

「いただきましょう」

 

 もちろん、このまま帰るつもりはない。この機会に、アルテシアの入学についてのダンブルドアの意向を確かめておきたいのだ。なにしろアルテシアは、今夜、このホグワーツに来るのだから。

 

「それで、アルテシア嬢はどんなようすだったかの?」

「気になりますか」

「なに、簡単にはいくまいと思っていたのじゃよ。これまで、クリミアーナ家からホグワーツに入学した魔女はいないのでな」

「そのことですが、ダンブルドア。ミス・クリミアーナは、自分たちの使う魔法は少し違うのではないかと言ってました。いわば異端の者をなぜホグワーツは受け入れるのか、そこで魔法は学べるのかと気にしていましたよ」

「ふむ。なるほどの」

 

 そういった事情をダンブルドアが知らぬわけがない、とマクゴナガルは思っている。それに問題は、もう1つある。

 

「ご承知でしょうが、ミス・クリミアーナは、まだ魔法が使えません。クリミアーナ家歴代の魔女たちの例でいけば、13歳から14歳ごろその力に目覚めるのが普通だそうです。なのにいま、入学させねばならない訳があるのでしょうか」

「もちろんじゃよ、それでいい。れっきとした魔法使いでありながらも、魔法が使えない。なぜか。なぜ魔法が使えないのか。どうやって魔法力を得るのか。どういう過程を経て魔法使いとなっていくのか。どんな魔法を使うのか。それらを知りたいとは思わんかね」

「それはつまり、ミス・クリミアーナが魔女として成長していく過程を間近でみるため、ということですか。そのために入学させるのだと」

「そうじゃよ、ミネルバ。わしらは知らねばならぬのじゃ。ヴォルデモートは、決して滅びたわけではないのじゃからの」

 

 ミネルバと呼ばれることに、抵抗はない。だがいま、マクゴナガルの気持ちはざわめいていた。いったい、なにがそうさせるのか。むろん、ヴォルデモートの名前が出たからではない。それだけは違うとマクゴナガルは思った。

 ちなみにヴォルデモートとは、かつて、魔法界を限りのない恐怖の色に染めあげた人物のことである。その名前を言ったら殺されるという噂が広まり、間接的に『例のあの人』や『名前を言ってはいけないあの人』などと呼ばれることがほとんどだ。その配下の者たちはデス・イーター(死喰い人)と呼ばれ、悪事を重ねたという。ヴォルデモートはいま、行方不明となっている。10年ほど前に魔法族であるポッター家を襲撃した際、ハリーという名の赤ん坊を殺すことに失敗し、そのときより行方が分からなくなっているのだ。

 

「校長先生は、『あの人』は死んだのではなく戻ってくるとお考えなのですね」

「さよう。あやつはいま魔法力を失っておるだけじゃ。ふたたびその力を得れば、かならず戻ってくる。じゃがはたして、あやつはその力をどうやって得るのかのう」

「まさか、クリミアーナ家がそれに関与すると」

「そうではない、ミネルバ。あの家が直接的にヴォルデモートを支援する、などとはわしも思わんが、可能性は考慮すべきじゃと言うておるのじゃよ。彼女が気づかぬまま利用されるかもしれんしの」

「し、しかし」

「よいかな、ミネルバ。あの家では、先祖の持つ魔法力、その魔法を子孫へと受け継ぐということがごく普通におこなわれておるらしい。いかにして、そのようなことが実現できるのか。アルテシア嬢がどういう過程を経て魔法使いとしての力を得るのか。これは、重要なことじゃとわしは思うし、それがためにあの娘が狙われたとしても不思議ではないのじゃからな」

 

 ダンブルドアの言いたいことはわかる。向こう側にとられてしまう前にこちら側で、ということだ。こちらの監視下に置くことでの保護、という意味もあるのだと思いたい。だが、素直には賛同できない。なぜなら、あの家でアルテシアと会ってしまったからだ。

 マクゴナガルは思った。そういうことであれば、アルテシアをあの家から連れ出さないほうがよかったのだ。おそらくアルテシアは、あの家にいたほうが安全だ。あの不思議な家にいたほうが、きっとホグワーツにいるよりも安全なのだ。だがそれを口に出すことはしなかった。しないほうがいいと思ったのだ。

 ヴォルデモートが自らの復活のためアルテシアを狙う、そんなことが本当に起こるとは思えなかった。ダンブルドアは可能性があると言うが、もしそうだとするなら、ホグワーツに連れてくることでその可能性を高めてしまったのではないか。

 

「ミネルバ、どうにかしたのかね?」

「ああ、いえ。そういえば、ハリー・ポッターも入学してきますね」

「おお、そうじゃの。ハリーも今年の新入生じゃ。いずれは彼も、ヴォルデモートに狙われることになるじゃろうがな」

「では、2人ともに注意をせねばなりませんね」

 

 ダンブルドアは、満足そうにうなずいてみせた。

 

「そうじゃな。じゃがハリーのほうは、少なくともヴォルデモートが魔法力を回復するか、あるいはその目途をつけるまでは心配なかろうと思う。他の先生方の目もあるし、セブルスにも頼んである。もちろんわしも気にかけておくからの」

「セブルス・スネイプ先生ですか」

「さよう。マクゴナガル先生には、アルテシア嬢のことを頼みたいのじゃ。同じ女のほうが都合がよいこともあろうしの」

 

 言われなくとも、アルテシアへの注意を怠るつもりなどなかった。彼女のことは自分が引き受けねばならない。そうする責任があるのだ。なにしろ、あの家からアルテシアを連れ出したのは、ダンブルドアの指示があったにせよ、自分なのだ。ハリーのことも気になるが、ダンブルドアの言うように、スネイプ先生に任せたほうがよいのだろう。その分、アルテシアに目を向けることができるのだから。

 そのアルテシアと、そしてハリー・ポッターはいま、ホグワーツ特急に乗るために移動中であった。

 

 

  ※

 

 

 キングス・クロス駅の9と4分の3番線に、紅色の蒸気機関車が停車していた。プラットホームの上には『ホグワーツ行特急11時発』との表示があり、車体にも金文字で「ホグワーツ特急」と書いてある。

 間違いない。確認を終えたアルテシアは、連結された車両の中ほどよりも後ろ側に乗り込む。まだ早い時間のためか、車両内に乗客の姿はない。おかげで、どのコンパートメントも自由に選ぶことができる。

 アルテシアは、その車両の前方にある4人席のコンパートメントを選んだ。窓際の席に座り、ホームに目を向ける。人影は、まばら。発車まで1時間以上あるとなれば、こんなものだろう。

 まだ制服は着ていない。クリミアーナ家の公式衣装である、白いローブ姿のままだ。袖のまわりが赤く染められ、裾のところも下5センチくらいのところに、こちらは青い色の線がぐるりと一周している。

 少なくとも学校に着くまでは、制服には着替えないつもりだった。マダム・マルキンのおかげで生地こそ同じエウレカ織りなのだが、母マーニャの手作りローブには、さまざまな保護魔法がかけられているからだ。本質的にはクリミアーナ家を守っている魔法と同じで、着ている者を守ってくれるのだ。この安心感は、なにものにも代えがたい。制服ではなく、このローブで学校生活を送りたいものだが、学校指定の制服があるので許可はされないだろう。となれば、制服に同じ保護魔法をかければいいということになるが、これもいまの時点ではムリ。すでに母は亡くなっており、いまだ魔法が使えない自分が残されているだけなのだから。

 発車まで、とくにすることがなかった。早く来たのは、キングス・クロス駅がアルテシアにとって初めて訪れる場所であるからだ。なにか不都合があったとき、時間に余裕があるというのは、心強いもの。クルッとコンパートメントを見回すと、となりの空いた席に手をかざす。

 

「フラクリール・リロード・クリルエブン。光の精たちよ。わたしの本をこの手に」

 

 キラキラとした小さな輝きが、その手の下に渦を巻くようにして集まってくる。そして、次の瞬間には黒塗りの本がそこに現れた。その本を、なにごともなかったように手に取り、開く。いまのは、いわゆる呼び寄せの魔法によるものなのだろうか。まだアルテシアは、魔法が使えないはずなのだが。

 ともあれアルテシアは、発車までその本を読みながら過ごすことにしたらしい。ちなみにこの本はクリミアーナ家伝来の魔法書。クリミアーナ家で、アルテシアがいつも読んでいるものだ。先祖の誰かが残した本であり、こうして読むことで魔法を学び、魔法力を得る、ということになっている。誰か、と記したが、それを知ることができるのは、おそらくはそれを読んだ人物だけではないか。

 いつものように本に集中していたつもりだったが、どこか勝手が違っていたらしい。コンパートメントの戸が開けられる気配に顔をあげる。普段なら、パルマに本を取り上げられるまで気づきもしないのに。

 顔を見せたのは、栗色の髪をした女の子。おそらくはノックもしたのだろうが、そちらは気づかなかったようだ。

 

「ねえ、ここ一緒にいい? それ、教科書じゃないみたいだけど、何の本?」

 

 言いながら、コンパートメントのなかへと入ってくる。まさか、本に興味を持ってこのコンパートメントを選んだわけではないのだろうが、その視線はじっとアルテシアの本を見つめている。席を立ち、笑顔で出迎える。

 

「どうぞ、席なら空いてるわ。わたしは、アルテシア・クリミアーナ。今年からホグワーツに入るの」

「クリミアーナ!? いま、クリミアーナって言ったわよね?」

 

 たしかにそう言ったが、ここで驚かれるのには違和感がある。いぶかしみながらも、席をすすめ、向かい合わせで座る。どちらも窓際だ。まだホグワーツ特急は発車していないが、それも間もなくだろう。窓から見えるホームには、たくさんの人が歩いている。

 

「ごめんなさいね、突然に。でもね、わたしが驚くのもムリはないのよ。あなただって、わたしの立場だったら、きっと驚いてたに違いないもの。だってわたし、クリミアーナ家のこと知ってるのよ。わたしの家からはそんなに遠くないんだから」

「そ、そうなんだ。じゃあ、これまでに会ったこととかあるのかしら」

 

 そんなはずはないが、と思いつつも聞いてみる。と同時に、うまく魔法書から彼女の興味がそれてくれたことを心の中で感謝する。なにしろ彼女とは初めて会ったのだから、魔法書のことはまだ伏せておきたかったのだ。だがもし彼女がクリミアーナ家の近くに住んでいるのなら、魔法書についても知識があるかもしれない。むろん、クリミアーナ家のことを知っていても不思議ではない。

 

「会ったことはないわ。クリミアーナ家だって、見たことないんだけど、でもね、古い本に載ってたの。とっても歴史のある家なんでしょう? その本には場所も紹介されてて、それによれば、ウチからそんなには離れていないの。まだ行ってみたことないんだけど、そのうち機会があればって思ってるの」

「その本って、いま持ってる?」

「いいえ。去年の今ごろだったけど、移動図書館が廻ってきたことがあったの。そこの本だから、返さなきゃいけなかったのよ。でも、内容はバッチリ覚えているわ」

 

 では、どんな本にどのように紹介されていたかはわからない、ということになる。目の前の彼女にどれほどの記憶力があるのかは知らないが、現物を見ることができないのは残念だった。クリミアーナを知る人はごく限られた人たち、それもクリミアーナ家周辺の住民たちに限られると思っていたが、魔法界では、意外と知られているのかもしれない。少なくとも、本に記載されるくらいには。

 それはさておき、それまでアルテシアが読んでいた本がいまこのコンパートメントのどこにもないことに、彼女は気づいているのだろうか。べつにアルテシアが隠したわけではない。あの本は、所有者がいま読める状態にあるのかどうか、読むつもりなのかどうかを判断することができるのだ。ゆえにいまあの本は、クリミアーナ家の書斎にある特別な本棚に並んでいる。先ほど、アルテシアの手元へやってきたのは、本がアルテシアの呼びかけに答えたということだ。あの本には、そんな仕掛けもされているのである。

 

「それにしても、これは偶然とは思えないわ。コンパートメントにしても、他にも空いてるところはいくつもあったのに、ここを選んだのも不思議といえば不思議だし、そこにたまたまクリミアーナの人がいて、同じ新入生だなんて」

「そ、そうね」

「運命的な出会いってところね。あの本が会わせてくれたんだと思うわ。あなた、お名前は?」

 

 とっくに名乗ったはずなのだが、彼女の記憶には残らなかったらしい。これでは彼女の記憶力も疑わしくなってくる。いや、そんなことはないはずだ。いままでクリミアーナという名前で盛りあがっていたのだから。ちなみに、アルテシアが読んでいた本のことは彼女はすっかり忘れているらしい。

 

「わたしの名前は、アルテシア。アルテシア・ミル・クリミアーナ」

 

 印象に残りやすいようにと、そんな言い方をしてみる。もしこれでも覚えてくれないとしたら、運命的な出会いというのも、怪しいものだ。

 彼女がようやく『ハーマイオニー・グレンジャー』だと名乗ったところで汽笛の音が聞こえ、ホグワーツ特急が動き出す。そしてまもなく、コンパートメントのなかは、4人に増えていた。4人席なのだからあたりまえではあるが、ホグワーツ特急が動き始めてまもなく、パーバティ・パチルとパドマ・パチルの双子の姉妹が空席を求めてやってきたのである。ちなみに、パーバティのほうが姉だ。

 途中、車内販売で買ったものを食べながら、女子4人によるおしゃべりが続いた。

 

 

  ※

 

 

「僕はマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ」

 

 ノックもなしに戸が開けられ、男の子が3人入ってくる。その真ん中にいた青白い感じの子が、叫ぶように名乗った。両脇の2人は無言のままだが、どちらもガッチリとした身体で力もありそうだった。

 そんな突然の乱入者に、アルテシアたちのおしゃべりは中断。全員が、マルフォイたちに目を向けている。

 

「ああ、こいつはクラッブで、こっちがゴイルさ。ハリー・ポッターがいるって話を聞いてね。だったらご忠告もうしあげようかと思って来たんだ。でもこのコンパートメントじゃなさそうだな。女が4人か」

 

 その4人のなかで最初に金しばり状態から脱したのは、アルテシアだった。席を立ってあいさつしようとしたのだが、ハーマイオニーが、それを押しとどめるようにして身を乗り出す。

 

「その女の子ばかりの部屋のドアを突然開けるなんて、失礼だと思わない? まずノックするべきでしょう」

「なるほど。だが礼儀うんぬんを言うのなら、まず名乗ったらどうだ。ぼくは、そうしたぞ」

「なんですって」

 

 一気に空気が重くなる。どちらの言い分にも理があったためか、事態はにらみあいに突入。その重い空気を振り払おうとでもいうのか、アルテシアはハーマイオニーとドラコの間に割り込んだ。

 

「わたしの名前は、アルテシア。アルテシア・ミル・クリミアーナよ、よろしくね」

 

 スッと手をだし、握手を求める。だがドラコは、その瞬間、さきほどの女の子たちのような金しばり状態に落ち入っていた。いったいなにがそうさせたのか。ともあれアルテシアは、その手を、そのままパチル姉妹のほうへ向けた。

 

「こちらは、パーバティ・パチルとパドマ・パチル。みてのとおりの双子の姉妹よ。そしてこちらが、」

「ハーマイオニー・グレンジャーよ。どうせ、名前なんて覚えてくれるつもりなんてないんでしょうけど」

 

 そんな嫌みな言葉がきっかけだったのかどうか、ドラコはようやく金しばり状態から脱出。ずっとアルテシアへと向けられていた視線が、ハーマイオニーを見る。

 

「だ、だまれ。おまえの名前なんか、どうでもいいんだ。それよりいま、なんと言った?」

「わたし? わたしがどうしたって?」

 

 ふたたびドラコの視線は、アルテシアへ。いまやアルテシアとドラコは、その他の5人から注目を集めていた。いったいなにがどうしたのか。

 

「たしかいま、クリミアーナと言っただろう?」

「言ったよ。それがわたしの名前だからね。わたしは、アルテシア・クリミアーナ」

「なんと、こんなところでクリミアーナ家の人に会えるとは。光栄だ。ぼくはドラコ。ドラコ・マルフォイ」

「わたしの家のこと、知ってるの?」

 

 ドラコの差し出した手は、握手のためだろう。だが、それに応えようとしたアルテシアの手は、パーバティによって止められる。

 

「ちょっと待って。そのまえに、マルフォイから話を聞くべきよ」

「え?」

「なぜクリミアーナ家を知ってるのか、話してくれるよね、マルフォイ」

 

 すでにドラコは、このコンパートメントに入ってきたときのような落ち着きを取り戻していた。口調も、元通り。

 

「いいだろう、話してやるからよく聞け」

 

 アルテシアにではない。パーバティとパドマ、そしてハーマイオニーに対してだ。

 

「魔法族といっても、いろいろだ。昔からの純粋な魔法族だけじゃなく、マグルとの混血やマグル生まれの者がいる。キミたちの家がどうかは知らないが、マルフォイ家はもちろん純血だ」

 

 これもまた、アルテシアにではなく、パーバティとパドマの姉妹とハーマイオニーに対しての言葉らしい。ドラコの言葉が続く。

 

「クリミアーナ家は、先祖代々、優秀な魔女を生み出してきた名門の家だ。ぼくは、そう聞いている。ホグワーツを創設したサラザール・スリザリンたち4人の魔法使いに匹敵するくらいの歴史を持つ家だってね。それだけじゃないぞ」

「待って、マルフォイさん。それ、どこで聞いたの?」

「ドラコでいいよ。ぼくもアルテシアって呼ばせてもらう。いいだろう?」

「それはいいけど、でもクリミアーナの歴史をなぜ? もう誰も知る人なんていないと思ってた。なのになぜ? どこで聞いたの? なぜあなたは、それを知ってるの?」

 

 意外な話の成り行き、と言っていいだろう。パーバティたちは、口を挟むのも忘れて、話に聞き入っている。ちなみにクラッブとゴイルは、このコンパートメントに姿を見せたときからひと言もしゃべっていない。話を聞いているのかも疑問だ。

 

「大丈夫だよ、アルテシア。キミの家は魔法界とは少し距離を置いてきたようだけど、これからはぼくが力になる。ぼくがいろいろと教えてあげよう」

 

 ドラコが、ふたたび握手を求めて手を差し出してくる。アルテシアは、その手に応じるしかなかった。今度は、パーバティが止めてはくれなかったのだ。

 

「いや、キミに会えて良かったよ。ハリー・ポッターにも同じ忠告をしなきゃいけないので、ぼくはこれで失礼するけど、学校で会えるさ。同じ寮になれるといいな」

 

 意気揚揚といった感じで、ドラコがコンパートメントを出て行く。アルテシアは、疲れたようすで椅子に座り直した。パドマが話しかけてくる。

 

「大丈夫?」

「ありがとう、平気よ。ちょっと、驚いただけ」

「あの、ドラコってやつ。マルフォイ家でしょ。気をつけた方がいいよ」

 

 パドマたちが言うには、マルフォイ家の当主であるルシウス・マルフォイは、かつてはデス・イーター(死喰い人)と呼ばれる人たちのなかにいたらしい。でもそれは悪い魔法使いにあやつられていたからであり、そのことで罪に問われることはなかったらしいが、よくないうわさがあるのは確からしい。

 

「それはそうと、さっきのマルフォイの話だけど、私も実は、クリミアーナ家のこと聞いたことあるんだよね」

「えっ、本当に」

「うん。なにかで名前を聞いたことがある。ま、それだけなんだけど。ねぇ、ハーマイオニーは・・ あれ? ハーマイオニーがいない」

 

 そういえば、彼女の姿がない。ドラコが来たときには間違いなくいたのに、どこへ行ったのか。いつからいなかったのか。

 

「おおかた、ハリー・ポッターでも見に行ったんじゃない。あの子、好奇心強そうだし」

「だろうね。すぐ戻ってくると思うけど、興味あるなら行ってみる?」

 

 正直に言うと興味はなかった。だがドラコの話しぶりなどから、それに関することは知っておくべきだと思った。

 

「ね、パドマ。ハリー・ポッターって、どういう人なの?」

「ハリーはね・・」

 

 どこまで正確なのかはわからない。しょせんは噂話だからね、との前置きで、ハリー・ポッターについての話がはじまった。

 




 今回は学校に着くのかと思いきや、もう少しかかるようですね。しかも、物語はまだまだ動き始めるといったところまでいってません。先の長い物語なのに進行が遅くてすみませんが、気長におつきあいいただければと思います。
 主人公は、クリミアーナ家のことは誰も知らないと思っていたようですが、意外と魔法界では知られているようです。そのことが、役に立つのか立たないのか。ダンブルドアさんのお言葉は、マクゴナガル先生の考えに少なからず影響を与えたようですが、さて。
 次回のメインは、やっぱり『組み分け』でしょうね。はたして主人公は、どこの寮に入るのか。もはやバレバレのような気もしますが、あれこれ想像してみると楽しいかも。ではでは。


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第4話 「ホグワーツ入学」

 第4話のお届けとなります。今回のメインは組み分けとなりますが、それはさておき。
 3話までの文字数の合計が、スゴイことになってましたね。偶然に違いないんですけど、あの数字を変更したくなくて、第4話の登録を延期しようかと、けっこう本気で考えてしまいました。



 窓の外は、だんだんと暗くなっていた。深い紫色の空の下に山や森が見える。それにつれ、アルテシアたち3人のおしゃべりも、そろそろ疲れてきたのか終わりが近いらしい。誰もしゃべっていないあいまができはじめた頃になって、ハーマイオニーが戻ってきた。

 

「あら、どこに行ってたの?」

 

 どうせハリー・ポッターのところなんでしょ、とまでは言わない。そんなパーバティの問いかけに対するハーマイオニーの返事は、アルテシアたち3人にとってはちょっと意外なものだった。

 

「あのとき、コンパートメントの外に、ヒキガエルが見えたのよ。誰かのペットだろうと思って、捕まえようとしたんだけど」

「ヒキガエル、ですって」

「そうよ。結局、ネビルって子のヒキガエルだったんだけど、見失っちゃって、けっこう大変だったんだから」

「それはそれは」

 

 ハーマイオニーは、椅子に座ると自分のトランクに手を伸ばす。

 

「そういえば、ハリー・ポッターに会ったわ」

 

 ああやっぱり、と誰もが思ったが、誰もが口には出さない。そんな3人を不思議そうに見回しながら、ハーマイオニーは自分の荷物をまとめ始める。

 

「ハリーのところにも、さっきのマルフォイとかいう男の子が来て、言い争いになってたみたい。大声になってたし、ケンカしてたんじゃないかって思うんだけどね。それより皆さん、急いだ方がいいわ。ローブを着て。運転手さんに聞いてきたんだけど、もうまもなく着くって。アルテシアもよ。そのローブじゃだめ。制服じゃないとね」

 

 いよいよ、か。もうこれ以上は、このローブを着ていられないようだとアルテシアは思った。不安はあるが、仕方がない。慣れるしかないのだ。せめて布地が同じエウレカ織りであることを喜ぼう。

 

「あと五分で駅に到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」

 

 そんな車内放送が聞こえてくる。汽車も速度を落とし始めたようだ。おおげさに考えることはないのだと、アルテシアは覚悟を決める。なにも危険はないのだ、と。

 

「わたし、トイレで着替えてくる」

 

 それだけ言い残して、コンパートメントを出る。とはいうものの、できるだけ長く、このローブを着ていたかった。トイレに行くのはそのためだ。せめて学校に着くまでは、とも思ったが、通路にあふれてくる人たちは誰もが制服姿。これ以上はムリだ。

 トイレで着替えている間に、汽車はますます速度を落とし、完全に停車。到着したのだ。

 

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」

 

 外から、そんな声が聞こえてくる。コンパートメントに戻ると、ハーマイオニーたちはいなかった。先に降りたのだろう。その瞬間、なぜかものすごい不安感に襲われる。その理由に想像はつくが、もはやどうしようもない。とにかく汽車を降りる。

 ものすごく背の高い人が、叫んでいた。

 

「さあ、ついてこいよ――あとイッチ年生はいないかな? 足元に気をつけろ。いいか! イッチ年生、ついてこい!」

 

 もう、ずいぶんと暗かったので、どんなところを歩いているのかよくわからなかった。滑ったり、つまずいたりしている人もいるようだ。

 

「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ。この角を曲がったらな」

 

 そんな声のあとで、狭い道が急に開け、大きな黒い湖のほとりに出た。次の瞬間には、一斉に声が湧き起こった。

 むこう岸に高い山がそびえ、そのてっぺんに壮大な城が見えた。大小さまざまな塔が立ち並び、キラキラと輝く窓が星空に浮かび上がっていた。あれが、ホグワーツなのだろう。

 

「4人ずつボートに乗って!」

 

 4人と言われ、ハーマイオニーやパチル姉妹の顔が頭をよぎる。ちょうど4人になるのだが、あの人たちはどこにいるのだろう。周囲を見回していると、岸辺につながれた小船の横に、同じ顔をした2人が立っていた。見つけたとばかりに、駆けよる。なぜか、涙が出た。とまらなかった。

 

「あらあら、どうしちゃったの」

「わたしたちとはぐれてさみしかったのね」

 

 パーバティとパドマだった。ハーマイオニーはいなかった。

 

「ごめん、なんだか急に不安になっちゃって。恥ずかしいんだけど、どうしようもなくって」

「とにかく、乗ろうよ。ハーマイオニーは、例のヒキガエルの男の子たちとボートに乗ったわ。ハリー・ポッターも一緒だったよ」

 

 突然襲ってきた、涙ぐむほどの不安感。その理由のひとつに、いつものローブを着ていないことがあげられるだろう。生まれてからずっと、いつもあのローブを着ていたのだから、最初は苦労するだろうが、こればかりは慣れるしかない。あのローブはいわばクリミアーナ家の制服であって、ホグワーツの制服ではないのだから。

 ともあれ、パドマたちとボートに乗る。定員は4名なのだが、あと1人が乗らぬうちに、引率者の大きな男の声がした。

 

「みんな乗ったか? よーし、では、進めえ!」

 

 ボートの船団が一斉に動き出す。これも魔法なのだろう、誰も何もしていないのに、その掛け声とともに、鏡のような湖面を滑るように進んでいく。そびえ立つような巨大な城が、みるみるうちに近づいてくる。

 ボートの船団は、蔦のカーテンをくぐり抜け、その陰に隠れていた崖の入口へと進んだ。そこをくぐり、船着き場に到着。全員が無事に岩と小石の上に降り立った。そして石段を登り、巨大な樫の木の扉の前へと集まる。

 

「みんな、いるか? いるな? なにも、問題はないな。ようし、ではいくぞ」

 

 とても背の高い大きな人が握りこぶしを振り上げ、城の扉を三回叩いた。

 

 

  ※

 

 

 そこからの引率者は、ミネルバ・マクゴナガルだった。松明の炎に照らされた玄関ホールは広く、天井はどこまでも高く、壮大な大理石の階段が正面から上へと続いている。

 案内されたのは、ホールの脇にある小さな空き部屋。そこまで来たところで、マクゴナガルがあいさつを始める。

 

「ホグワーツ入学おめでとう。新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、そのまえに、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。寮の組分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間は、寮生が学校でのみなさんの家族のようなものです。教室でも寮生と一緒に勉強し、寝るのも寮、自由時間は寮の談話室で過ごすことになります」

 

 寮は4つあるのだという。それぞれ、グリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、そしてハッフルパフという名がついている。そのどれになるのか。またも不安がアルテシアを襲う。そんなアルテシアの肩をポンとたたいたのはパドマ。

 

「一緒の寮になれるといいね」

「あ、うん。でも、どうやって寮を決めるのかしら」

 

 マクゴナガルのあいさつは続いているが、そんな会話が、あちこちでささやかれていた。やがてマクゴナガルの視線がアルテシアをとらえる。アルテシアには、マクゴナガルがわずかに微笑んでくれたように思えた。

 

「まもなく全校生徒の前で組分けの儀式が始まります。準備ができているか確認してきますので、静かに待っていてください」

 

 マクゴナガルが部屋を出ていく。その後ろ姿を見ながら、アルテシアは思った。ここには、マクゴナガル先生がいるのだ。たった二日ばかりだけど共に過ごした、見知った先生がいるのだ。なんとなく、ほっとした気分になる。気持ちがずいぶんと落ち着いた。そう言えば、ハーマイオニーはどこにいるのだろう。

 そのハーマイオニーを探しているところで、マクゴナガル先生が戻ってくる。

 

「組分け儀式がまもなく始まります。一列になって、ついてきてください」

 

 部屋を出て再び玄関ホールへと戻る。そこから二重扉を通って大広間へ。そこには、不思議な光景が広がっていた。何千というろうそくが空中に浮かび、周囲を照らしている。天井はビロードのような黒い空で、星が点々と光っていた。

 

「本当の空に見えるように魔法がかけられているのよ。『ホグワーツの歴史』に書いてあったわ」

 

 そんな声が聞こえた。あれは、ハーマイオニーの声だ。どこかはわからないが、近くにいることはたしかだ。そんなことも、安心感につながったのだろう。アルテシアの表情は、ずいぶんとおだやかなものになっていた。そのことに、そばにいたパーバティとパドマが、顔を見合わせて微笑んでいる。

 大広間には長テーブルが4つあって、そこに上級生たちが着席していた。他に教職員用のテーブルもあり、アルテシアたち1年生は、その教職員用のテーブルのところに、上級生の方に顔を向け、先生方に背を向けるかっこうで一列に並んだ。

 マクゴナガルが、1年生の前に黙って4本足のスツール椅子を置く。その上には、とんがり帽子が置かれていた。

 

「名前を呼ばれた者から順に、この椅子に座り、帽子をかぶってもらいます。よろしいですね」

 

 それが、組み分け儀式なのだろう。マクゴナガル先生が長い羊皮紙の巻紙を手にして前に進み出る。

 

「アボット・ハンナ!」

 

 ピンクの頬をした、金髪のおさげの少女である。一瞬の沈黙…… そして「ハッフルパフ!」と帽子が叫んだ。

 右側のテーブルから歓声と拍手が上がり、ハンナはハッフルパフのテーブルに着いた。組み分け儀式は、こんな感じで進んでいった。

 呼ばれるのはアルファベット順だ。なので、アルテシアの順番が来るのは早かった。

 

「クリミアーナ・アルテシア!」

 

 どこの寮に決まるのか。自分のことより、ハーマイオニーやパチル姉妹のことが気になった。だがもちろん、それがわかるのは彼女たちの順番がきてからになる。

 帽子を手にしたマクゴナガルが、アルテシアを見て軽く微笑み、うなずいてみせた。アルテシアも笑みを返す。椅子に座る。帽子が乗せられる。帽子はアルテシアにとっては大きく、目のあたりまでをすっぽりと隠してしまう。

 

『ほう、これはこれは。お久しぶりというのは間違いでしょうかな』

「えっ!」

 

 声が聞こえた。小さな低い声だった。いったい誰の声か。それに驚き思わず声をあげていたが、幸いにもそれは大声にはならなかった。

 

『まさか、ご本人ではありますまい。お会いしたのは、もうずいぶんと昔のこと。しかし、よく似ておいでだ』

『わたしが、ですか』

 

 声の主は、帽子に違いない。まさか、帽子に話しかけられるとは思っていなかったアルテシアだが、今度は、おちついて小さな声でささやく。

 

『4人の創立者によってこのホグワーツが創立されて間もないころのこと。学校を視察に来られましたな』

『ホグワーツを訪れたことがあったんですね』

『あれからクリミアーナの方は、どなたもおいでにはならなかった。あなた以外には』

『それは、こことは違う勉強法を選んだからだと思います』

『なるほど。ともあれあのときより、ずっとお待ちしておりましたぞ』

『ホグワーツは、わたしを受け入れてくれるのでしょうか』

『もちろんですとも。まずは所属する寮を決めましょう。しがない組み分け帽子が愚考しまするに、あなたさまにはグリフィンドールがよろしかろう』

『グリフィンドール?』

『さよう。なにものにも負けない強い信念、そして勇気と優しさ。まさにグリフィンドールこそふさわしいといえましょう」

『そ、そうかな』

『むろんロウェナ殿とのことは承知しておりますぞ。だがここは、やはり』

 

 「グリフィンドール!」と、帽子はそう叫んだ。これでアルテシアの所属寮は、グリフィンドールと決まった。帽子を脱がせながら、マクゴナガルが小さく耳打ち。

 

「おめでとう。グリフィンドールの寮監は、わたしですからね」

 

 その後も組み分けは続き、アルテシアの気にしていたハーマイオニーとパーバティはグリフィンドールとなったが、パドマはレイブンクローだった。その他では、ヒキガエルに逃げられていたネビル・ロングボトムや、有名なハリー・ポッターもグリフィンドール。汽車の中でいろいろとあったドラコ・マルフォイはスリザリンと決まった。

 

 

  ※

 

 

 新入生を迎える歓迎会は、まさに盛会であった。テーブルの上にはたくさんの大皿。そこにローストビーフ、ローストチキン、ポークチョップやソーセージなど、さまざまな料理が並び、誰もが食事に夢中だ。そして全員がお腹いっぱいになるころには、デザートが現れる。アイスクリームやアップルパイ、糖蜜パイ、エクレア、ゼリーなどなど……。

 そんななか、テーブルの端のほうでは、ハーマイオニーがパーシー・ウィーズリーと話をしていた。パーシーは、グリフィンドール寮の監督生だ。

 

「勉強することがいっぱいあるんですもの。わたし、特に変身術に興味があるの。ほら、何かをほかのものに変えるっていう術。もちろんすごくむずかしいっていわれてるけど……」

「はじめは小さなものから試すんだよ。マッチを針に変えるとか……」

 

 その反対側には、あのハリー・ポッターやロン・ウィーズリーなどが、グリフィンドール塔に住むゴーストと話をしていた。ちなみにロンはパーシーの弟だ。

 

「グリフィンドール新入生諸君、今年こそ寮対抗優勝カップを獲得できるよう頑張ってくださるでしょうな? グリフィンドールがこんなに長い間負け続けたことはない。スリザリンが6年連続で寮杯を取っているのですぞ!『血みどろ男爵』はもう鼻持ちならない状態です……スリザリンのゴーストですがね」

 

 ゴーストは、各寮にそれぞれいるらしい。

 

「君のこと聞いてるよ。『ほとんど首無しニック』だ!」

「むしろ、呼んでいただくのであれば、ニコラス・ド・ミムジー……」

 

 グリフィンドール寮憑きのゴーストの本名は、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン。そう名乗ろうとしたのだろう。だが途中で、言いよどむ。そのとき、思いがけないものを見たからだ。

 

「どうしたの?」

 

 だがその問いかけには応えぬまま、姿が消えた。どこへ行ったのかとハリーたちが周りを見回しているなか、アルテシアとパーバティーのところへあらためて出現。ニックは、優雅に敬礼してみせた。

 

「ごぶさたしております、姫さま。もし、人違いでなければ、の話ではありますが」

「わたし、ですか。それともこっち?」

 

 パーバティがそういうと、ニックはその顔に笑みを浮かべ、改めてアルテシアの側へと一歩分、近寄った。

 

「あなたさまが姫さまのはずはない、とは承知しておりますよ。なにしろあれは、遠い昔のこと。この私がゴーストとなる前のことですからね。ゆえにグリフィンドールの新入生であるあなたが、姫さまであるはずはないとわかってはいるのです。ですが、遠い日を懐かしみたいのです。あの日と同じようにごあいさつをさせてください」

「わたしが、誰かに似ているとでも? サー・ニコラス」

「お、おお。おお、おお、おお、そうですとも」

 

 ニックは、おおげさともいえるほど身もだえしながら宙に浮かぶと、そのまま姿が消えた。だがそんなニックの行動は、とっくに他の生徒たちの興味の対象からはずれていたこともあって、注目されてはいなかった。彼らの興味を引くものは、他にもいっぱいあったのだ。だが、間近にいたパーバティはそうではなかった。

 

「なんだったの、いまの? まさか知り合いじゃ、ないよ、ね?」

 

 パーバティの問いには、微笑んだだけ。そして、そのあとで。

 

「もちろん、はじめて会ったと思うんだけど。でも、姫さまかぁ」

「そんなこと言ってたけど、家族にそんな呼び方される人っているの?」

「家族はいま、わたし1人なんだ。家には、パルマさんがいてくれてるけど」

 

 アルテシアがそう言い、パーバティがまたなにか言おうとしたところで、教職員用のテープルから大きな声がした。

 

「エヘン――全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある」

 

 校長のダンブルドアだった。

 

「校内にある森に入ってはいけません。また、管理人のフィルチさんより授業の合間に廊下で魔法を使わないようにという注意がありました。クィディッチのチームに参加したい人はマダム・フーチに連絡してください。それから、とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入ってはいけません」

 

 ざわざわとした声が、あちこちで聞かれはじめるなか、校歌の合唱が始まる。そして。

 

「さあ、諸君、就寝時間じゃ。かけ足!」

 

 歓迎会はこれで終わり。いよいよ、それぞれが所属する寮へと向かうのだ。グリフィンドールの新入生たちは、監督生であるパーシーに続いて、大広間を出る。廊下を通るときには、壁にかけてある肖像画の人物が注目していたり、ポルターガイストのピーブズにいたずらをしかけられたりと、なにかしら起こるなかを歩いて行く。そして、廊下のつきあたり。ピンクの絹のドレスを着た、太った婦人の肖像画から『合言葉は?』と尋ねられる。それには、パーシーが答えた。

 

「カプートドラコニス」

 

 肖像画がパッと前に開き、その後ろの壁にある丸い穴から、グリフィンドールの談話室へと入って行く。基本的に円形の部屋で、ひじかけ椅子がたくさん置いてあった。女子寮へ続くドアと男子寮へと続くドアがあり、そこから女子寮へ。

 各部屋のドアには、名前が記されていた。アルテシアは、ハーマイオニーとパーバティ、そしてもう一人の女子のグリフィンドール生であるラベンダー・ブラウンと同室となった。初めて会うラベンダーとあいさつをかわしながら、部屋の中へ。

 

「うわぁ、なかなかいい部屋じゃない。ねぇ」

 

 とラベンダー。それに答えてアルテシア。

 

「うん。思ったより広いわね。4人だからかな。これなら、パドマも一緒でよかったのにね」

「まあ、しかたないわね。でもパドマがレイブンクローって、なんとなく納得できるんだ、あたし」

「合同授業とかあるし、ちょくちょく会えると思うけど」

 

 そう言ったハーマイオニーは、とびきりの笑顔をみせていた。明日から授業が始まるのが、よほど嬉しいのだろう。だがアルテシアは、不安だった。なにしろ、まだ魔法が使えないのだ。それが影響しないわけがない。それなのに、他の人たちのなかでやっていかねばならないのだ。いったい、授業とはどういうものなのだろう。これまでのように本を読むだけ、では済むまい。

 

「心配しなくていいよ、みんな、これからスタートなんだからさ」

 

 パーバティの言葉に、アルテシアは微笑んでみせた。ハーマイオニーは、自分のベッドのうえで、教科書を広げていた。ラベンダーは、荷物の整理にいそがしそうだった。

 




 主人公の寮は、ほとんどの方が想像されたであろうグリフィンドールに決まりました。
 違う寮にしようかとも思いましたが、ここは素直にグリフィンドールとさせていだきました。いよいよ次回からは授業が始まることになりますが、さてさて、アルテシアさんはどうするのでしょうか。


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第5話 「授業、始まる」

 第5話のお届けです。いよいよ授業がスタート。魔法が使えない主人公はきっとオロオロするしかないのでしょうね。そしてそれは、作者も同じ思い。主人公さん、がんばってね。


 魔法界で有名だというのはこういうことなのだと、ハリー・ポッターをみてアルテシアは思った。自分だって、クリミアーナ家の周辺に限れば有名なほうだとは思う。だが、ここでは違うのだ。たとえ母のことを洋装店のマダム・マルキンが知っていたとしても、それだけのこと。ホグワーツの組み分け帽子にしても、会ったことがあるのは先祖の誰かだし、ゴーストのニックことサー・ニコラスの場合も同じだ。その昔に関わりがあったとしても、それは当時のことでしかない。だから、教室へと続く廊下などで、誰もが注目し、ひそひそと話をされたりしているハリーとは、その本質は全然違うのだと思う。

 とはいえ、自分もそうなりたいかというとそうではない。生徒たちだけではなく、あちこちに掛けられた肖像画の人物にまでも目を向けられ、なにかと話題にされるというのは、とても大変そうだ。クリミアーナに帰れば自分も似たようなものなんだけど、と苦笑する。なにしろ、クリミアーナでうっかり風邪でもひこうものなら、どこで知ったのか、周辺の人たち何人もが看病におしかけてくるのだ。もちろん、その全員が治ったと認めるまでベッドから出してはもらえない。

 ところでハリーだが、よくよく気をつけて見てみると、ごく普通の男の子だということがわかる。クリミアーナ家の近くにも子どもは何人もいるが、そんなマグルの子たちと変わったところはどこにもない。悪い魔法使いであるヴォルデモートを退けた子どもとして、早くから魔法の英才教育を受け、いまでは優秀な魔法使いになっているのかと思いきや、意外にもそうではなかったようだ。聞けば、マグルの家庭で育ったらしい。

 となれば、スタート地点は同じ。いや、むこうはいちおう魔法は使えるのだから、自分のほうが後方からのスタートになるのか。それも、ずいぶんと後ろだ。もちろん、競うようなことではないことくらいわかってはいるのだけれど。

 望遠鏡による夜空の観察、星の名前や惑星の動きの勉強。ずんぐりした小柄なスプラウト先生からは、温室で「薬草学」を学ぶ。不思議な植物やきのこの育て方、どんな用途に使われるのか、などがその内容だ。

 また「魔法史」という授業もあった。ゴーストのビンズ先生による講義なのだが、魔法というものの歴史には興味があり、とてもおもしろかった。ただ、先生の声がききとりづらいのが難点ではあったけれど。

 レイブンクロー寮の寮監でもあるフリットウィック先生は「呪文学」の担当だった。呪文を覚えるのはなんとかなるだろう。だが魔法が使えないので、正しく覚えられたのかどうかを確かめてみることはできなかった。

 グリフィンドール寮の寮監でもあるマクゴナガル先生の授業では、生徒に対しこんな警告がされた。

 

「いいかげんな態度で私の授業を受ける生徒は出ていってもらいますし、二度とクラスには入れません」

 

 むろん、そんな態度で授業を受けるなど、とんでもない。ありえないことだと、アルテシアは思う。自宅の書斎で魔法書を読むときだって、同じだ。中途半端なことをしていては、結局、魔法は身につかないのに違いない。

 次にマクゴナガルは、生徒たちの目の前で机を豚に変え、また元の姿に戻してみせた。いずれは、こんなことができるようになる、ということだろう。

 アルテシアは考える。クリミアーナ家には、このような魔法はない。少なくとも自分の学ぶ魔法書のなかにはないし、過去にこんな魔法を使った先祖がいたとも聞いていない。だからクリミアーナの魔女になれたとしても、机を豚に変え、それを元に戻すことなどできはしない。なぜならこの魔法は、クリミアーナの常識からは外れた位置にあるからだ。だがしかし、現実にはそんな魔法が存在するのだ。たったいま目の前で見たし、これからそれを学ぶのだ。

 そう考えてみると、こうしてホグワーツに入学したのはムダではない気がする。おそらくクリミアーナの魔法のなかにも、ホグワーツにはない魔法はあるはずだ。その両方を学び、身につけることができれば。きっと変身術以外にも・・

 そのとき、頭をコツンとたたかれた。ハッとして顔をあげると、隣にマクゴナガル先生が立っていた、

 

「教室を出ていきますか? ミス・クリミアーナ」

「あ、いいえ、そんな。あの、すみません、先生。ちょっと考えごとを」

「そのようですね。次からは減点の対象とします。気をつけなさい」

 

 マッチ棒を手渡された。見れば、他の生徒たちもみな、同じマッチ棒を手にしている。これを、針に変えるのだという。その練習が始まったが、もちろんアルテシアに、そんなことなどできるはずがない。そのことを知っているはずなのに、とマクゴナガルに目で訴えてみるが、マクゴナガルは何も言わずに他の生徒のところへ言ってしまう。

 ならばと、いちおう杖を手にしてはみたものの、そのまま他の生徒たちのようすを観察する。彼らは、彼女らは、どのようにしてその魔法を実現しようとするのか。まずは、それを知ることが大切だとの判断だ。それがきっと役に立つ。

 だがハーマイオニー・グレンジャー以外、だれ1人として成功した人はいなかった。そのおかげと言ってよいのかどうか、アルテシアが魔法を使えないということに、気づくものはいなかった。そのことに安堵はしたものの、それが時間の問題であることくらい、マクゴナガルにもわかっていた。

 「闇の魔術に対する防衛術」という授業は、誰もが待ち望むものだったが、そのクィレル先生が、生徒たちには不評だった。教室に漂うにんにくの強烈な匂いは吸血鬼対策であるらしいが、では頭に巻いたターバンはなんのためなのだろう。見た目にもいいものではなかった。アルテシアの感想はただひとつ。『この人、なんかヘンだ』。

 ホグワーツに入学して最初の週の最後の授業は、スリザリンとの合同授業となる「魔法薬学」である。ちなみにスリザリン寮の寮監であるセブルス・スネイプ先生の担当だ。

 そんな週末の日の朝も、いつものように大広間での朝食の場にふくろうがなだれ込んでくる。いわゆる郵便配達の時間だ。ふくろうたちは、朝食が並ぶテーブルの上を旋回し、目的の相手を見つけると手紙や小包をその膝に落としていくのだ。

 生徒の誰もが、まるで恒例行事かのように自然と受け入れているようすなのだが、アルテシアは、これがキライだった。ふくろうが、という意味ではない。食事の席を飛び回られるのに、どうしても慣れることができないのだ。

 真っ白のふくろうがグリフィンドールのテーブル席に近づき、ハリー・ポッターのところへ舞い降りる。あのふくろうは、ハリー・ポッターのペットであるらしい。どこからか、手紙が届いたのだろう。

 

「ちょっといいかな?」

 

 ふいの声に振り返ると、あのドラコ・マルフォイが立っていた。クラップとゴイルの取り巻き2人も一緒だ。この3人が別々にいるところを、アルテシアはまだ見たことがなかった。

 

「ああ、えっと、マルフォイさんだったよね。それに、クラップさんとゴイルさん」

「ドラコだ。ドラコでいいと言ったはずだぞ」

「何のよう? スリザリン生が、こんなところに来ていいの?」

 

 アルテシアのとなりにいたパーバティが、とがめる。だがドラコは、パーバティには用はないとばかりに吐き捨てた。

 

「うるさい。おまえに会いに来たんじゃない。だまっててもらおうか」

「な、なんですって」

「ちょっと、落ち着いてパーバティ。それから、あなたもそんな言い方はしないほうがいいよ」

 

 パーバティをなだめ、同時にドラコにも注意をうながす。だがドラコは、そんなことはおかまいなしに自分の話を進めていく。

 

「今日はグリフィンドールとの合同授業がある。魔法薬学だ。知ってるだろう?」

「あ、うん。授業は地下牢教室ってところなんだってね。スネイプ先生とは、まだお会いしたことがないけど」

「いい先生だよ。尊敬に値すると、ぼくは思うね」

「そうなんだ」

「そのとき、キミのことをスリザリンの仲間に紹介したい。汽車のなかでも言ったけど、友だちは選んだ方がいいからね」

 

 そこで、ドラコの視線がパーバティに向けられる。そのことに、パーバティが気づかないわけがない。

 

「なによ。あたしなんかがアルテシアの友人になっちゃいけないっていうわけ? 残念だけど、もう遅いわよ。あたしとアルテシアはとっくに友だちだもの」

「ポッターのことだ。おまえも、覚えておくがいい。あのポッターはダメだ。赤毛のウィーズリーや、なんとかいうなまいきなマグル出の女もダメだ。ぼくは、母上に聞いたんだ。クリミアーナ家は、聖なる魔女の家なんだってね。もっと大切にされなければならないんだ」

 

 純血主義、という言葉がある。魔法族だけの血筋を大切にするという考え方で、これがマグル生まれの魔法族や彼らを擁護する魔法族の排除につながるとされている。スリザリン出身者に多く、あの悪の魔法使いヴォルデモートがそうだったと言われている。

 

「あの、ドラコさん」

「ドラコと呼ぶんだ、アルテシア」

「ねえ、あなたのお母さまはクリミアーナを知ってるの? なぜ知ってるの?」

「なぜ? おかしなことを言うね。ぼくがクリミアーナ家のことを知らないはずがない。有名とはどういうことなのか、ハリー・ポッターに思い知らせてやりたいよ」

 

 有名? クリミアーナが? なぜ? 疑問だけが頭をめぐり、言葉が出てこない。そんなアルテシアに一瞬けげんな表情を見せたものの、ドラコは上機嫌で自分たちのテーブルへと戻っていく。言いたいことはすべて言えたのだろう。パーバティが、アルテシアの手をとった。

 

 

  ※

 

 

 魔法薬学の最初の授業も、他の授業と同じく出席を取ることから始まったが、アルテシアはうわの空だった。それでも、自分の名前を呼ばれて返事はしたのだろう。スネイプ先生からとがめられることはなかった。その代わりに、というわけではもちろんないが、スネイプの標的とされたのは、ハリー・ポッターだった。

 あとからその話をパーバティに聞かされ、大いに反省もするのだが、このときアルテシアは、授業のことなどすっかり忘れて考え事に没頭していた。疑問だったのだ。不思議だったと言ってもいい。なぜ、ドラコ・マルフォイはクリミアーナ家のことを知っているのか。母親から聞かされたようだが、いったい何をどのように聞いたのか。そのことが、頭から離れなかったのだ。

 しかもそれは、ドラコだけに限ったことではないのだ。ハーマイオニーが移動図書館で読んだ本には、紹介記事まで載っていたというし、パチル姉妹もクリミアーナという名を知っていた。そのことを、どう考えればいいのか。

 パーバティは、そんなアルテシアを、はらはらしながら見ていた。いまにもスネイプから叱責されるのではないかと、恐ろしくさえあった。幸いにも、といってはハリーに申し訳ないが、スネイプは無理難題とも言えるような質問をハリーに浴びせかけ、彼をあなどるのに夢中だ。だがそれに飽きてくれば、アルテシアも無事では済まなくなるに違いない。

 一刻も早くアルテシアが戻ってきてくれるようにと、軽くひじでつついてみたりもするのだが、効果はない。ならば、ほおをつねったり足を踏んづけたりもしてみたいところだが、それでは、かえって注目を集めてしまうだろう。となればもう、願うしかなかった。スネイプに気づかれませんように、と。

 魔法薬学の授業が始まる直前、またもあのドラコ・マルフォイがやってきて、スリザリン生を紹介していった。ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルはすでに見知っていたが、そこに女子生徒のパンジー・パーキンソンとダフネ・グリーングラス、男子生徒のセオドール・ノットが追加されたのだ。パーバティには、この人たちが選ぶべき友だちだとは思えなかったけれど。

 ハーマイオニーが、椅子から立ち上がり精一杯に手を伸ばしている。ただハリーを困らせるためだけの質問だというのに、どうしてそれに答えようとするのだろう。そのことに気づかないのか、それとも、よほど目立ちたいのか。

 きっと後者だろうと、パーバティは思う。あの子は、そういう子なのだ。いい子には違いないが、すこし高慢なところがある。おそらくは、難しい質問に答えることで自分の知識を示し、周囲にそれを認めさせたいのだろう。そんなところが、話しにくさにつながっているのだ。アルテシアのほうは、いつもほがらかで明るいという印象だ。話し上手で聞き上手、イヤな思いをさせられたことなど一度もないが、困ったことにときどきいなくなることがあるのだ。

 行方不明という意味ではない。ちょうどいまのように、何をしても、何を言っても、応えてくれなくなるのだ。身体はそこにあっても心がそこにない、とでも言えばいいのだろうか。何も見えてはいないし、何も聞こえてはいない。たとえばナイフを持った暴漢が近づいてきたとしても、実際に刺されるまで気づきもしないだろう。だから、というわけでもないが、こんなときは周りがよくよく注意してやらないといけない。だがおそらくハーマイオニーは、こんなアルテシアには気づいていない。彼女の旺盛なる好奇心は、ハリー・ポッターと新しい本に向けられているのだから。

 となれば、その役目は自分が引き受けねばならない、とパーバティは思っている。そしてその役目が、少しもイヤではないし負担だとも感じない。迷惑だとも思わない。だってアルテシアは、友だちなのだから。

 それはさておき、授業は簡単な魔法薬の調合へと進んでいった。黒板にその手順が書き出され、2人1組でやるようにと、指示が出される。教室内にざわめきが起きる。そのときがチャンスとばかり、パーバティは、アルテシアの肩に手をかけ、軽く揺すってみる。

 

「アルテシア、聞こえる? あたしと一緒に薬の調合をするよ。いいよね?」

 

 返事が返ってくると思っていたのか、いなかったのか。そのとき、奇跡的にもアルテシアが、その問いかけに応えて微笑んだのだ。まにあった、ようやく戻ってきた。

 

「何をつくるって?」

「だから、おできを治す薬よ。黒板に書いてあるでしょ。その調合を、いまからあたしとやるの。わかった?」

 

 スネイプに気づかれることなく、危機は去ってくれたようだ。そのことにほっとしたが、はたして、課題の魔法薬調合がうまくいくのかどうか。

 

「ええと、材料はこれだね。これでおできをなおす薬をつくるって。ふーん。なるほどね」

「ねぇ、アル。あたしはやったことないんだけど、作れる?」

「なんとかなると思うよ。じゃあ、パーバティは、イラクサの葉っぱを量ってくれる? 乾燥してあるから大丈夫と思うけど、とげがあるから気をつけて。それからナメクジをゆでる準備をお願いね」

「わ、わかった」

 

 アルテシアは、蛇の牙を砕き始める。パーバティが大鍋で湯をわかし、ナメクジをゆでる。頃合いを見計らったところで、干しイラクサと砕いた蛇の牙を入れる。

 

「これも入れるんでしょ? 山嵐の針だっけ」

「ああ、それはもう少しあとでね。まずゆっくりとかき回して。ゆっくりとね。ゆーっくり右に3回。そうそう」

「3回でいいの?」

「3回だけ回したら、今度は逆に1回よ。左に1回、そうそう、うまいじゃない」

「そ、そうかな」

「じゃあ、もう一度、右に3回と左に1回。そうよ、ゆーっくりとね」

 

 黒いマント姿のスネイプは、そのとき、生徒たちのあいだをゆっくりと見回っていた。あちこちで生徒たちの間違いを指摘しながら歩いていたのだが、このときは何も言わずに見ていた。そして。

 

「うまいものだな。あとは、山嵐の針を入れるタイミングに注意することだ」

「あ、ありがとうございます」

 

 パーバティもアルテシアも、そこにスネイプがいることには全く気づいていなかった。とはいえ、調合中の薬からは目が離せない。あわてて返事だけして、調合薬に向かう。

 

「えっと、そろそろいいみたいね。じゃあ、火を止めるね」

「え? 止めるの。まだ、入れてないけど、ヤマアラシ」

「あれは、火を止めてからのほうがよかったと思う。えっともう一度かき回して。3回と1回ね。それから入れよう」

「う、うん。わかった」

 

 あいかわらずスネイプはそこにいるのだが、2人は、うまくそれを意識からはずせたようだ。そのとき、教室じゅうに緑色の煙がひろがった。シューシューという音も聞こえる。誰かが、調合に失敗したらしい。

 

「バカ者!」

 

 スネイプのどなり声がして、初めてアルテシアたちもそのことに気づいた。そのときスネイプの杖が振られ、失敗した薬の後始末があっというまに終わる。しくじったのは、グリフィンドールのネビル・ロングボトムだった。失敗した薬剤を頭からかぶってしまい、腕や足、顔などに真っ赤なおできがいくつもできていた。この魔法薬は、ちゃんと作ればおできを治すのだが、失敗すると逆におできを作るというやっかいな作用があるのだ。

 

「医務室に行く必要があるが、そのまえにこの薬を試してみよう。そこの2人、もうできているな?」

 

 アルテシアたちのことだ。騒ぎに気づくまでに薬の調合の手順は終えていた。だが、実際の治療につかえるのかどうか。アルテシアは調合中の大鍋に目を向ける。うん、とうなずく。

 

「大丈夫です、できました」

「では、ネビル・ロングボトムに塗ってやりたまえ。うまくできていれば、彼のおできは治るだろう」

 




 今回のメインは、魔法薬学。魔法が使えなくともなんとかなる授業なんだろうと思いました。でもそれだけでこの授業をメインにしたわけではなくて、スネイプさんに主人公を印象付けしたいとの意図からです。これからもスネイプさんには、いろいろと絡んでほしいと思ってます。
 しかし、なんですね。物語の展開がもう少し早くてクリスマスあたりまで進められていれば、ちょうど時期的にもピッタリだったなあ、なんて思ったり・・
 ではまた。


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第6話 「マクゴナガルの本」

 主人公が活躍できるであろう、唯一の授業の魔法薬学が終わりました。でもこれからは、魔法を使えない主人公にとって、授業は楽しいものではなくなっていくんでしょうね。大丈夫なのかなぁ、とマクゴナガル先生も心配されてます。この先、どうなる・・


「待て、少し待つのだ」

 

 これは、スネイプの声。地下牢教室を出ようとしていたアルテシアとパーバティを呼び止めたものだ。

 ちょうど入学して初めての魔法薬学の授業が終わったところであり、他の生徒、とくにグリフィンドール生は少しでも早くこの教室から出たかったらしく次々と教室を後にしていたので、アルテシアたちが最後となっていた。あと片付けに少々手間取った2人がわずかに出遅れたといったところである。

 

「おまえ、名前はなんという?」

「わたしですか、アルテシアです。アルテシア・ミル・クリミアーナといいます。こっちはパーバティ・パチル」

 

 どうやら、パーバティの名前まで期待していたわけではないらしい。スネイプの視線は、ほんのわずかも動くことはなく、まっすぐにアルテシアを見ている。

 

「そうか、おまえがそうだったのか。伝言を預かっているぞ。この授業が終わったら顔を出すようにとな」

「あの、どこへでしょうか」

 

 その前に『誰から』の伝言なのかというのも抜けている気がするんだけど、とパーバティは思った。しかも、今ごろ言うなんて。そう言ってやりたかったが、言えるはずもなくその場に立っている。

 

「マクゴナガル先生のところだ。場所は知っているはずだな。それよりも、聞きたいことがある」

「はい」

「ミス・クリミアーナ、さきほどはみごとだった。簡単な調合ではあったが、いきなりあれができるとはな。おそらくこれまでに魔法薬学を教えられたことがあるとみたが、どうだ。誰に学んだ?」

「こういう授業といった形では初めてですが、幼いころに母から聞かされたことがあります。母は、身体が弱く病気がちで、その治療法を探していたのですが、そのとき魔法薬の作り方を教えてくれた人がいたそうです」

「ほう、興味深い話だ。つまりおまえは、母からその内容を聞き、魔法薬の作り方を覚えたというのだな」

「そうですけど、まだ学んでいるところです。覚えたとは言えません」

 

 覚えたと言えるのは、魔法の力に目覚めたとき・・ アルテシアは心の中でそうつぶやく。だが声には出さずにすませても、微妙な表情の変化までは隠せなかった。まだそれができるほどには成長していないというところか。むろんスネイプは、わずかな表情の変化も見逃したりはしない。

 

「ミス・クリミアーナ、どうにかしたか?」

「あ、いいえ。ちょっと、母のことを思い出してしまって」

 

 もちろん、うそを言ったつもりなどなかった。魔法の力に目覚めたとき、堂々とクリミアーナを名乗れるようになったとき、その姿をまっさきにみて欲しいのは、母だ。母に負けないくらいの魔女になりたいのだ。母のことは、いつも頭の中にある。

 

「おまえの母も、当然にして魔女なのだろうな」

「はい、そうです」

 

 いまの自分は、まだまだ未熟だ。だが、クリミアーナの娘としてやらなければならないことがあるのだ。そのためには魔法が必要となる。クリミアーナの娘としての誇りを持ち、為すべきことを為す。自分が自分であるために。そのために魔女となり、使命を立派に果たしていきたいのだ。

 

「ほう、いい目になったな。なにか目標を持っている者の目は、いい輝きをしているものだ」

「ありがとうございます」

 

 思っていることが、そのまま表情に出てしまうらしい。アルテシアにはそんなつもりなどないのだが、スネイプには一目瞭然であったのだろう。そんなところでスネイプは話を切り上げ、ようやくにしてアルテシアとパーバティは地下牢教室を出る。

 そこには、ハーマイオニーとハリー・ポッター、ロン・ウィーズリーがいた。アルテシアたちが出てくるのを待っていたらしい。

 

「大丈夫だった?」

「え?」

 

 心配そうに話しかけてきたのは、ハリー・ポッター。スネイプにさんざんいじわるされた後だけに、アルテシアたちを案じていたのだろう。ロンも、気にしてくれていたようだ。だがアルテシアには、そのことは伝わらなかったらしい。何のことかよくわからないといった表情の彼女に代わって、パーバティが苦笑ぎみに答える。

 

「心配ないわ、怒られたりはしてないから。スネイプから、マクゴナガルの伝言を聞いてただけよ」

 

 このパーバティの報告はうそではないが、正確とはいえまい。でもそれでいいと思っていた。それだけでハリーたちは納得するはずなのだ。どうやらスネイプにほめられたみたいだ、などと余計なことを言ってもいいことはないとの判断だ。

 

「マクゴナガルの伝言だって?」

「そうよ。アルテシアにすぐ来るように、だって」

「なんだ、そうだったのか。スネイプのことだから、てっきりなにか嫌みを言われてるんだと思ってたよ」

「だよな。スネイプのやつ、やたらとスリザリンをひいきするからな。なぁ、マクゴナガルのところに行くんなら、僕たちをひいきしてくれって言っといてくれよ」

 

 そのロンの言葉が一同を笑わせる。授業中にずいぶんとイヤな思いをしたあとだけに、ハリーの笑い声は多少おおげさな感じもしたが、きっと気のせいなのだろう。ともあれ地下牢教室での授業は終わった。ハリーとロンは、一足先にと足早に歩いていったが、ハーマイオニーは、アルテシアの横にピタリと寄り添った。

 

「ねえ、アルテシア。あなた、魔法薬学の勉強って、どうやってるの?」

「それって、これからどうするのかってことじゃなく、これまでどうしてたかってことだよね。でも、なんでそんなこと、聞きたいの?」

 

 ハーマイオニーの質問はアルテシアに対してのものだったが、それに答えたのはパーバティだった。なおも、言葉を続ける。

 

「あたしは、魔法薬学って初めての経験だった。いきなり薬の調合やらされるなんて思ってもみなかった。だから、次の授業はどうなるかなって、ちょっと心配なんだけどな」

「それはあたしもそうだけど、でもあなたたちはちゃんと薬を作ったでしょう。あたしも、黒板に書かれていたとおりにやってみたんだけれど、うまくいかなかったの。だからきっと、アルテシアは経験があるんだと思ったんだけど」

「経験は、ないわ。実際には作ったことないの。あれが初めて」

 

 経験なし、とそう言ったアルテシアに、ハーマイオニーは疑わしそうな目を向ける。そうであれば、なぜ魔法薬を完成することできたのか。その返事では答えになっていない、まだ疑問は解消されていない、といいたげな目であった。アルテシアは、軽く笑って見せる。

 

「ほんとうよ。ほんとうに作ったことはなかったの。作り方を聞いたことがあっただけよ」

 

 それで、ハーマイオニーが納得したのかどうかはわからない。わからないが、その話はそれまでとなった。アルテシアが、ネビル・ロングボトムのお見舞いに行くと言い出したからだ。ネビルのおできは魔法薬をぬることで治ったのだが、校医であるマダム・ポンフリーのチェックを受けたほうがいいということになり、医務室へと連れて行かれたのだ。

 

「でもアルテシア、あなたはマクゴナガル先生に呼ばれているんでしょ」

「そうだけど、彼のようすを見てから行くわ」

 

 ということで、アルテシアはひとり、医務室へと向かった。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルの部屋では、紅茶の用意がされていた。いわゆるアフタヌーン・ティーというもので、スコーンなど数種のお菓子類が3段重ねのティースタンドに乗せられていた。意外と狭いこのテーブルにはちょうどよいのかもしれない。アルテシアがこの部屋に来たときは紅茶の用意が終わる直前といったタイミングであり、ネビル・ロングボトムの見舞いで医務室に寄ったことによる遅れの影響はなかったようだ。

 あいさつをすませ、勧められるままにテーブルの席に着く。ちなみにネビルの容態は、何の問題もなし、であった。

 

「ホグワーツでの最初の週を過ごしたわけですが、どうです? なにか気になったところはありますか」

 

 それは、最初の問いかけの言葉としてはありきたりのものだと言えなくもないが、マクゴナガルは、本気でアルテシアのことを心配するようになっていた。なにしろ彼女は、魔法が使えない。それは、この魔法魔術学校においては致命的といってもいいくらいのものであり、この先、さまざまなことで影響があるはずなのだ。実際、自分の担当する変身術の授業では、渡されたマッチ棒を手に、ただまわりをきょろきょろとしているだけだった。

 もしかすると魔法力発動のきっかけになるかも、との期待はあった。だがそれは、空振りに終わった。この先、このことがどう影響してくるのか。当面の心配ごとは、その点にあった。

 

「来週になれば、それぞれの授業で魔法を使う、という場面も増えてくるはずです。それはつまり、あなたがまだ魔法が使えないことが知られてしまう、ということになるわけですが」

「でも、それが事実ですから。受け入れるしかないです」

「それはそうですが・・ 学校に来てから試してみたことはありますか?」

 

 むろん、魔法を使用してみたか、ということであろう。気づいていないだけで実際には使えるようになっているのではないか、と考えるのは無理もないことかもしれないが、アルテシアは、明確にその可能性を否定する。そのことに気づかないことなどありえないというのだ。

 

「魔法力が解放される瞬間は、はっきりと自覚できるものだと言われています。かならず気づくはずなんです」

「そうですか」

「大丈夫です、先生。そのときは、そんなに遠くはないはずなんです。魔法書だって、もう読むのに不自由はないんですから」

「なるほど。あなたは、あの魔法書がすらすらと読めるのですね」

 

 クリミアーナ家でつかの間みせてもらった魔法書。その中身を、マクゴナガルはまったく理解できなかった。なにが書かれているのか、さっぱりわからなかった。記号なのか文字なのか、その区別すら難しい本のことが思い出される。

 とはいえ、あれは魔法書なのだ。アルテシアは、それを読むことで魔法力が身につくといっていた。あれが読めるか読めないか、読めるようになるのかどうかが、おそらくは重要な点であるのだろう。

 アルテシアをみれば、いつものごとく、ニコニコと微笑んでいる。そういえば、自分用にとされたあの魔法書はどうなったのか。

 

「ミス・クリミアーナ。少し魔法書のことを聞きたいのですが」

「ああ、はい。そのことは、ちょうどわたしもお話ししたいと思っていたんです」

 

 ではちょうどいい、と考えたのかどうか。マクゴナガルは、話の内容をクリミアーナの魔法書へと移すことにした。アルテシアがまだ魔法を使えないという点については、彼女も言うように、現状を受け入れるしかないのだから。

 

「まずは、あなたのほうから聞きましょう。話したいこととは、なんですか?」

「いいんでしょうか、わたしが先で?」

「かまいませんよ」

 

 それでもアルテシアは、ためらうようすをみせていた。だが、ニコッとほほえむと、かるく頭を下げる。そして。

 

「おそらくは先祖の残したものだと思うんですが、クリミアーナには、いくつかの言葉が伝えられています」

「たとえば、どんな言葉ですか」

「はい。そのひとつに、こんなのがあります。『この本が読めなければ魔女にはなれないし、魔法が使えなければこの本は読めない』」

「その本とは、魔法書のことなのでしょうね」

 

 頭の中に軽く疑問を覚えながらも、マクゴナガルはそう言った。そんなマクゴナガルに、アルテシアは意外そうな顔をみせる。

 

「なんです?」

「あ、いえ。わたしはこの言葉、とても不思議な言葉だと、ずっと思っていたんです」

「まあ、たしかにそうですが。どのような意味があるのかは、わかっているのですか?」

 

 魔法が使えないと読めない本が読めなければ、魔法使いにはなれない。たしかに、矛盾を感じる言葉である。マクゴナガルもそう感じていたがゆえの問いかけだ。そこにどんな意味があるのか、と。

 

「もちろん、わたしなりの解釈はあります。それが正しいとするなら、きっと先生は、あの魔法書がずいぶんと読めるんじゃないか。もしかすると、全部読めたりするのかなって」

「さあ、どうでしょうか。試してみたくても、手元に本がありませんからね」

「え!」

 

 さすがに、アルテシアは驚いた。本がない、とはどういうことだ。あの本がなくなる、なんてことがあるのか。それが、驚きの理由である。

 

「あの、先生の魔法書は、ほんとうにないんでしょうか?」

「手元には、ありません。どうやら、あなたの家に置いてきてしまったようです」

「あの、それって…… あっ、そうか。わたし、言ってなかったんだ!」

 

 考え込むようなそぶりをみせたのは、わずかの間だった。なにを言い忘れたのか、アルテシアは、何度もマクゴナガルにお詫びの言葉を告げる。

 

「わかりました。そのことはもう、気にしなくてよろしい。で、何を言い忘れたのですか?」

「はい、ほんとにすみません。実はあの本は、普段はクリミアーナ家の書棚にあります。なので、読みたいときには呼び寄せるんです」

「呼び寄せる?」

「はい。実際にやってみたほうが早いと思います。まず、わたしがやってみます」

 

 そう言って、両手を前にだす。手のひらは下むきだ。左手を上にして重ねられており、テーブルのなにも置かれていない場所の10センチほど上にあった。

 

「この手のひらの下に本がやってきます。ひざのうえでも机の上でも、どこでもいいですが、本を置いても大丈夫なところでお願いします」

「あの、ちょっと待ちなさい」

「はい?」

「あなたは、魔法が使えない。そうではなかったのですか?」

 

 すこし戸惑ったような顔、とでもいえばいいのか。それでも、その顔に笑みはわずかに残っていた。

 

「これは、魔法ではないんです」

「魔法ではない?」

「フラクリール・リロード・クリルエブン。光の精たちよ。わたしの本をこの手に」

 

 その言葉とともに、いくつものキラキラとした小さな輝きが、手のひらの下に渦を巻くようにして集まってくる。そして、次の瞬間には黒塗りの本がそこに現れた。その瞬間を、マクゴナガルはたしかにみた。あの本が、確かにそこにある。

 魔法ではない。これは、魔法ではないとアルテシアは言った。では、なんなのだ。いわゆる呼び寄せ呪文、たとえば『アクシオ』の魔法とはすこし違うようだが、でも本質的にはそんな魔法ではないのか。

 その本を、なにごともなかったように手に取り、アルテシアは微笑む。

 

「マクゴナガル先生も、必要なとき、おなじようにして先生の本を呼び寄せることができます。そのために名前を覚えさせたんですから」

 




 この先、マクゴナガル先生はクリミアーナの魔法書を勉強することになります。きっと簡単ではないんでしょうけど、主人公が魔法力の解放のときを迎えるのと、どちらが先になるか。そもそも、習得は可能なのか。いやぁ、楽しみですねぇ。
 年末までに、もう1話アップするつもりです。どうぞ、よろしく。


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第7話 「うわさ」

 なんとなくですが、読んでくれてる人が着実に増えているようです。とっても嬉しいです。ありがとう。
 同時に、ちゃんと書かないとって意識も生まれてきております。年内はこれで最後になりますが、年明け早々、というかすぐに続きをアップしたいと思ってますんで、これからもよろしくネ。


「先日、飛行訓練のおりにちょっとした事故があったそうですな、校長」

 

 セブルス・スネイプは、ゆっくりと校長室を歩き、ダンブルドアの前までやってくる。

 

「その事故のおかげとはいいませんが、グリフィンドールに1年生のシーカーが誕生することになったとか」

「ふむ。あいかわらず情報は早いし正確じゃの。そのとおりじゃよ、セブルス。ケガ人も出たようじゃ」

「ダンブルドア校長。そんな異例の出来事のうらで、こんなうわさがあるのをご存じか」

「うわさ、じゃと」

 

 テーブルを挟んで向かい合わせに座る。とくに飲み物など用意されてはいないが、どちらも、その準備をするつもりはないらしい。そんなことより、話が優先というわけだ。

 

「グリフィンドールの1年生アルテシア・クリミアーナは魔法が使えない、というものなのですが」

「なんと、そんなうわさがあるのかね」

「あるのですよ、校長。まさか、ご存じなかったと?」

「いや、そういうわけでもないが」

「今日は、そのうわさの真偽について。すなわち、あの娘の魔法についてうかがいたいと思っているのですがね」

 

 互いの視線がぶつかる。その数秒後、先に目を伏せたのはダンブルドアだった。

 

「なぜそんなことを気にするのかね。アルテシアは、スリザリンの生徒ではないぞ、セブルス」

「いかにも。スリザリンの生徒でないからこそ、ひとまずこうして校長室を訪れているのですぞ」

「さもなくば、直接本人に確かめておる、ということかの」

「むろん、お許しがあればそうしますが。それで、どうなのです。大きな問題となりかねませんぞ」

「ふむ」

 

 ダンブルドアの視線がうごき、ふたたび互いの視線がぶつかる。スネイプは、わずかにほほえんでみせた。

 

「あの娘が、魔女でないはずはない。魔法が使えないフリをしているのは、なにか秘密があるからでしょう。それを話していただきたいものですな」

「いいや、セブルス。秘密などはなにもないのじゃ」

「ほう、ではうわさは真実だというのですな。あの娘は、まこと魔法が使えないと」

「そうじゃ、それを否定はせぬよ。だがの、セブルス。それだけですべてを判断せぬことじゃ」

 

 しばしスネイプは考える。無言のままにダンブルドアをみる。そして。

 

「わかりました。聞けば、マクゴナガル先生に見守るようにと命じておられるのだとか。それだけでも、あの娘になにかあることは明らか。なのに、なぜそれを吾輩に話してくれないのか。ともあれ吾輩も、もっとよく気をつけて見ていくとしましょう。正しい判断ができるように」

 

 席を立つ。だがダンブルドアは、スネイプを引きとめる。

 

「待て、セブルス。そなたには、クィレル先生を探るようにと・・」

「むろん、覚えておりますよ。いまもっとも疑わしいのは、あやつ。あの男もなにやら隠し事をしている。ですが校長、それが何かも、あなたは知っているはずだ。それを教えてくれれば話は早いのですがね」

「わしとて、全てが分かっているわけではない。じゃがおそらくは、ヴォルデモート卿の復活に手を貸そうとしているのじゃろうと思っておる。狙いは賢者の石。あの石を狙っておるのじゃろうの」

「ならば、あなたがその手に握りしめていればどうです? そうすれば誰にも奪えない」

「かもしれんが、ずっとそうしているわけにものう。ともあれ、ハリーのこともあるしの。はてさて、どうするのが一番よいのかまだ答えが出せぬ。情報不足であることに間違いはないじゃろ」

 

 そこでスネイプは、フンと鼻をならしてみせた。嘲笑のような笑みとともに。

 

「では情報を提供しましょう。ご存じですかな、ダンブルドア校長。アルテシア・クリミアーナは、魔法に関する知識は優秀であり、どの生徒よりも、いやもしかすると我々教師陣に近いものを有しているのかもしれない。だが実技に関しては、まったくの正反対。なにひとつできはしないのです」

「ふむ」

「スクイブか、それともマグルなのか。いずれにしろ級友たちからは浮き上がり、白い眼でみられ、仲間はずれとなりつつあるのです。この先、学校を辞めるような事態にならないとも限らない」

「そのへんは、マクゴナガル先生がうまくやってくれると思うがの」

 

 またもスネイプは、鼻をならす。あたかも、ダンブルドアがなにもわかっていない、とでも言うかのように。

 

「問題の本質は、あの娘が魔法を使えないという点にある。いくらマクゴナガル先生でも、ごまかしきれるものではない」

「むろん、ごまかせるとは思わん。そもそも、ごまかす必要などない」

「ほう。ではあの娘のことは放っておくつもりだと」

「そうではない、セブルス。さきほども言うたはずじゃ。マクゴナガル先生がうまくやってくれると」

 

 まっすぐにダンブルドアに向けられていた視線が、数秒の時を経て、途切れる。やれやれといったふうに頭を振り、ダンブルドアに背を向けたのだ。

 

「帰るのか、セブルス。なにをそこまで、気にしているのじゃ」

「校長、あの娘は、魔法薬の作り方を母から伝授されている。なるほど、授業では見事に薬を作って見せた。ではその母は、いかにして魔法薬の作り方を学び得たのか」

 

 背を向けたままのスネイプの言葉に、ダンブルドアは何も言わなかった。

 

 

  ※

 

 

「ハーマイオニーが出て行ったけど、どこに行ったんだと思う?」

「さあね。あの子のことは、よくわからない。ポッターたちと一緒だと思うけど、夜中に出歩くのはダメだって自分でも言ってたくせにね」

「そう、だよね」

 

 ハーマイオニーと同室の、パーバティとラベンダーだ。もうベッドに入っていたが、こっそりと起き出したハーマイオニーの気配に気づいたのだ。2人とも夕食のとき、ハリー・ポッターとスリザリンのドラコ・マルフォイとが、夜中に“魔法使いの決闘”の約束をしているのを聞いている。そのときハーマイオニーは、それを止めようとしていたのだ。なので、ハーマイオニーの行き先に見当はついていた。

 パーバティが、アルテシアのベッドへと目を向ける。アルテシアは、眠っているようだ。

 

「わからないと言えば、その子も、アルテシアもそうだよね」

「え?」

「魔法は使えないのに、やたら魔法には詳しくてさ。不思議な子だよね」

 

 アルテシアは眠っているようだ。でもこの話を続けるのならそのことの確認が必要だ、とばかりにパーバティは自分のベッドを降りてアルテシアに近づいていく。顔を近づけると、規則正しい寝息が聞こえた。たしかに眠っている。

 

「いまじゃパーバティくらいだと思うよ、その子と話をしてるのは」

 

 パーバティが自分のベッドに戻るのを待っての、ラベンダーの指摘。パーバティは苦笑いを浮かべた。

 

「そうでもないよ。少なくとももう1人いるしね」

「もう1人? 誰?」

「パドマ」

「ああ、あんたの、妹だっけ? 姉さんだった?」

「妹だよ」

 

 パーバティとパドマは双子の姉妹だ。組み分けではなぜか別々の寮となってしまったが、アルテシアとはホグワーツ特急で一緒のコンパートメントだったこともあり、面識はあるのだ。

 

「パドマが言うには、レイブンクローじゃ話題になってるらしい。いったいアルテシア・クリミアーナは、どうやって魔法の勉強をしてるのか、あの知識はどこからきてるのか。その勉強法が知りたいって」

「なるほど。実技はダメでも、知識はすごい。いったいどうしてって、思うよね。ハーマイオニー・グレンジャーのほうは実技もちゃんとできるし、わかりやすいんだけどさ」

 

 ハーマイオニーは、いつもたくさんの本を持ち歩くなど、そこから知識を得ていることは誰の目にも明らか。実際、よく勉強しているし『図書館に行かなくちゃ』の口癖も知らないものがいないくらいだ。一方、アルテシアはと言えば・・

 2人の視線は、アルテシアの机に向けられていた。本といえば、教科書が並んでいるだけ。それに羽根ペンが2本とインク壷があるだけだ。よく整理がされているといえばそのとおりなのだが、あまりにあっさりしすぎている。ハーマイオニーの机のほうは本が山積みで、机だけでは足らずに、彼女のベッドの上にまで進出していた。

 

「ずいぶん違うよね」

「うん。でもアルテシアは、よく本を読んでるわよ」

「ああ、あの黒い表紙の本でしょ。あれ、何の本? みたことある?」

 

 返事の代わりに、ゆっくりと首を横に振る。あの本を、みせてもらったことはない。だが、アルテシアが読んでいるのを、横からのぞいたことはあった。のぞいても隠そうとはしなかったのでしばらく見ていたが、その内容は理解できるものではなかった。だがアルテシアは、あの本が読めているようだった。もしあのとき何の本かと聞いていたら、どんな返事が返ってきたのだろう。

 

「彼女、魔法が使えないのに、どうしてホグワーツに入学できたのかな。不思議だと思わない?」

「不思議、なのかな。あたしは、そうは思わないんだよね」

「え? なんで、どうして?」

 

 ラベンダーは不思議だと言うが、パーバティは違うことを考えていた。ホグワーツ入学は、学校側が決めたのだ。なにか意味があってのことに違いないし、それになにより、自分がそばにいてそう思うのだ。アルテシアは、魔女だと。

 

「あたしはね、アルテシアが魔女だってこと、疑ったことないんだ」

「どうして。だって彼女、魔法使えないじゃん」

「うん。それはそうなんだけど。でもさ、クリミアーナ家は魔女の家だよ」

「けど、スクイブかもしれないじゃん」

「そんなことないと思うけど」

 

 実際、魔法の実技を伴う授業では、アルテシアはなにもできなかった。その手に杖はあるものの、手も足も出せない状況のなかでうつむいていることしかできないのだ。先生の問いかけには、いつも『すみません』『できません』と告げるのみ。自然、周囲から奇異な目を向けられることになり、またたくまに“アルテシアは魔法が使えない”といううわさがひろまった。

 

「彼女に聞いてみたことはないの?」

「あるよ、もちろん」

「あるんだ。で、なんて?」

「心配かけてごめん、でももう少し待ってほしいって」

 

 もう少し待て。その意味するところは、なにか。いろいろあるのだろうが、待てというのだから、待つだけだとパーバティは思っている。

 

「待つのはいいけどさ。そのうちスリザリンのやつらとかにも、からかわれたりいじめられたりするんじゃない。なぜかマルフォイはハリーにからんでばかりだけど、パンジー・パーキンソンが、すごい目でアルテシアをみてたよ」

「ああ、うん。でもダフネが止めてくれてるみたいだし、あたしも黙ってないよ、そのときは」

「ふうん。でも、なんでそんなに一生懸命になれんの。同級生だから? 同じ寮だから? ベッドが隣だから?」

 

 その質問には、パーバティは答えられなかった。それで会話が途切れた形となり、やがて2人は目を閉じる。ラベンダーはほどなくして寝付いたようだが、パーバティは、目を閉じたまま、さきほどの質問のことを考えていた。

 たしかに、アルテシアは同級生だ。でも、そんなことが理由ではないような気がする。では同じ寮だから? もちろんそれもあるだろうけど、でも理由はそんなことではないようだ。パーバティは、なおもあれこれといろんなことを考える。

 それからどれくらい時間がたったのだろう。なにかの気配を感じ、パーバティは目をあけた。うつらうつらと、ごく浅い眠りのなかにいたらしい。顔を上げてみると、ハーマイオニーがベッドに潜り込もうとしているところだった。

 偶然、目があった。

 

「あ、ええと」

「あなたが規則破りするなんて、めずらしいこともあるものね。でも、気をつけた方がいいよ」

「うん。そんなこと、わかってるんだけど、閉め出されちゃって」

 

 なんのことかパーバティにはわからなかったが、なんだかずいぶんと疲れたようすだったこともあり、それ以上の追及はしなかった。なのでハーマイオニーも、それ以上の説明はせずにベッドのなかに入る。

 そして次の日。

 疲れたようすをみせていたのは、ハーマイオニーだけではなく、ハリーもロンも同じだった。同じだったが、ハリーとロンの2人は顔を寄せ合い、なにごとか熱心に話をしていた。でも同じ経験をしたはずのハーマイオニーが、なぜかその話の輪の中に入っていこうとはしないのだ。

 そんなハーマイオニーを見て、パーバティは首をかしげる。いつもなら進んで口を突っ込み、とくにロンからは煙たがられ、ときには怒鳴られたりもしているのに、そうならないのはなぜか。パーバティには、それが不思議だったのだ。いったいハーマイオニーたちは、夜中に何を見聞きしてきたのだろう。なにごとかあったからなのに違いないが、その予想はつかなかった。

 それから数日のち。いつもの朝のふくろう便でハリーに細長い包みの荷物が届くのだが、おかしなことに、それ以降ハリーたちとハーマイオニーの雰囲気は、なおも悪くなったように感じられた。ちなみにこのときハリーに届いたのは、ニンバス2000という競技用の箒であったらしい。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアが、校庭を歩いていた。どうやら、その先にある森をめざしているらしい。だがその森は『禁じられた森』とも呼ばれているところであり、当然、生徒の立ち入りは禁止されている。そのことを知ってか知らずか、アルテシアの足は止まらない。ただまっすぐに、森をめざして歩いていく。

 だか、いくら夕暮れのうす暗くなりかけたころだといっても、その姿を周囲から見とがめられぬはずはない。これもまた当然のごとく、森の寸前で呼び止められることになる。

 

「おいこら、なにしちょる」

 

 見上げるばかりに背の高い、大きな人だった。アルテシアが小柄なだけによけいに大きく感じるのかもしれないが、文字通りに見上げなければ、アルテシアには、相手の顔が見えなかった。

 

「森に行こうとしとるんじゃあるまいな。いかんいかん、すぐ校舎に戻るんだ」

「あの、ご迷惑をかけるつもりはないんです。ほんの少し散歩したいだけなんです。それでもダメでしょうか?」

 

 アルテシアには、この大きな人に見覚えがあった。駅から学校までを先導してくれた人に違いない。というか、見間違えようがない。

 

「散歩するような場所じゃねぇぞ。しかもすぐに暗くなる。悪いこたぁ言わん。校舎に戻んな。もう、晩飯の時間だろうが」

「それは、そうなんですけど」

 

 いかにも名残惜しそうに、森を見る。そして、ふーっとため息。アルテシアとて、森への立ち入りが禁止されていることは知っている。知っているが、それでもなお、森に入ってみたかったのだ。

 

「おまえさん、名前は?」

「あの、アルテシアです。アルテシア・ミル・クリミアーナ」

「俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人をやっちょる。だもんで、おまえさんを見逃してやるわけにはいかんのだ」

「……わかりました。どうも、すみませんでした」

 

 こうなっては、さすがにあきらめるしかない。お詫びに頭を下げ、校舎のほうへと向きを変えると、うなだれたまま歩き出す。そんな後ろ姿がどのように見えたのか、アルテシアを、ハグリッドが呼び止める。

 

「なんでしょうか?」

「いちおう聞くが、森でなにをするつもりだった? たしか散歩だとか言っとったが、まさかホントじゃあるまい」

「いいえ、本当です。ちょっとだけ散歩したかっただけなんです。本当です」

「なんのために? そんなことしてなんになる?」

 

 そう問われ、何を言おうとしたのか。だが訴えかけるような目はそのままに、開きかけた口を閉じた。いったい何を言おうとしたのか、あるいはスネイプであればその表情からいくらかでも読み取ることができたのかもしれないが、ハグリッドには無理だった。

 

「どうした?」

「あ、いえ。あの、このところ気持ちが落ち込むことが多くて、それで、気分を変えたかったんです。なんとか気持ちをひっぱりあげないと、自分が自分でなくなりそうで」

「森の散歩で、それが、なんとかなるっちゅうのかい」

「はい。でも、もういいんです。ご迷惑かけました」

 

 だがハグリッドは、腕を組んでなにやら考えるようなそぶり。なのでアルテシアは、軽く頭をさげて校舎に戻ろうとした。だが、いくらも歩かぬうちに、ハグリッドの大きな手が、アルテシアの腕をつかんだ。

 

「まぁ、待て。こっちゃこいや。もう少し話を聞かせてくれ」

 

 アルテシアが連れて行かれたのは、校庭の外れにある木の小屋。ハグリッドの住む家だ。そこでどのような話の流れとなったのか、その数十分後に小屋を出てきたアルテシアはそのまま森へと向かい、ハグリッドはそれを見送った。

 そしてそのころ。長テーブルに夕食の並んだ大広間では、パーバティが騒いでいた。あちこちに顔をだしては、引きつった声で問いかけるのだ。

 

「アルテシアがいないんだけど、どこに行ったかしらない?」

 




 今回は、主人公に魔法が使えないことが学校内に知れ渡るという回となったわけですが、直接的な表現は避け、うわさという形にしてみました。それがよかったのかどうか、ご意見いただければ嬉しいです。


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第8話 「トロール」

 みなさま、あけましておめでとうございます。
 今年も、魔法の本におつきあいいただけると、嬉しいです。よろしくお願いします。と、これが言いたいがため、元日にアップさせていただきました。
 ということで、お話の続きをお届けします。年の初めの最初から、なにやら騒動が起こるようですが、ご容赦ください。



 ハロウィーンの日の朝は、パンプキンパイを焼くおいしそうな匂いとともに始まった。そして、この日の授業の目玉はフリットウィック先生の「呪文学」。物を飛ばす練習をしましょう、との言葉に誰もが沸き立った。誰もが、やってみたくてしかたなかったのである。だが、なんのいたずらか。二人ずつ組んでの練習での組み合わせが、波紋を呼ぶことになった。

 いつもならハリーとロンが組むところなのに、今日のハリーの相手はシェーマス・フィネガン。ロンのほうは、このところ気まずい雰囲気のただようハーマイオニーが相手。そんなこんなでパーバティはラベンダーと組むことになり、アルテシアは、1人だけあぶれることになった。

 

「ビューン、ヒョイ、ですよ。いいですか、ビューン、ヒョイ。呪文を正確に」

 

 フリットウィック先生のキーキー声とともに、あちらこちらで練習が始まるが、パーバティは、なにもできないでいた。アルテシアのほうをチラチラ見つつ、ラベンダーになにか言いたげな視線をむける。その意味をラベンダーは理解していたが、気づかないふりをした。たとえアルテシアを仲間にいれたとしても、意味はない。アルテシアは魔法が使えないので、3人組となるよりも1人にしておいたほうがいいのではないか。ラベンダーはそう思っているし、きっとそのほうが、アルテシアも気が楽なのだ。そうに違いないと思うのだけれど、パーバティはなにか別のことを考えているようだ。

 ラベンダーは、パーバティへと杖を向けた。パーバティだって、そのへんのことはわかっているはずなのだ。わかってはいるが、認めたくない。そんなところなのだろう。あの子も苦労するわね、とラベンダーは思う。

 

「いい? あたしから、やってみるからね」

「あ、うん」

「ウィンガーディアムレヴィオーサ」

 

 だが、空中に浮きあがるはずの羽は、わずかに震動してみせただけ。失敗だった。これはかなり難しいものらしく、まだ誰も成功してはいないらしい。隣にいたロンたちの声が聞こえる。

 

「ウィンガディアムレヴィオサー!」

「言い方がまちがってるわ。ウィン、ガー・ディアムレヴィ・オーサ。『ガー』と長ーくきれいに言わなくちゃダメ」

「そんなによくご存知なら、君がやってみろよ」

「いいわ、みてなさいよ」

 

 ロンの怒鳴るような声に、ハーマイオニーが甲高い声で応酬。そして、次の瞬間。ハーマイオニーの呪文とともに、羽は空中に浮きあがった。

 

「オーッ、よくできました! 皆さん、見てください。グレンジャーさんがやりました!」

 

 すかさず、フリットウィック先生が歓声をあげる。クラス中の視線が、宙を舞う羽に向けられる。もちろんアルテシアも、その羽をみあげる。そのとき杖を持つ手は、この呪文に必要となる動きをみせていた。なにやらつぶやいているのは、声は聞こえないがあの呪文なのだろう。そんなアルテシアを見ていたのは、パーバティただ1人。

 授業が終わり廊下に出ると、ちょうど、ロンの不機嫌な声が聞こえた。

 

「だから、誰だってあいつには我慢できないっていうんだ。まったく悪夢みたいなヤツさ」

 

 ハリーだけに聞こえるように言ったつもりなのだろうが、その不機嫌さゆえか、少々声が大きかった。なので、その後ろを歩いていたハーマイオニーにも聞こえたし、そのすぐ後ろにいたアルテシア、パーバティ、ラベンダーの耳にも入った。ハーマイオニーは、その瞬間、ハリーにぶつかりながらも2人を追い越して駆け去って行く。

 「今の、聞こえたみたい」とハリーが言えば「それがどうした?」とロンが返す。ロンは、ハーマオニーのことが少しも気にならないようだ。だが、アルテシアはそうではなかった。ロンの横に来ると、ハーマイオニーが去って行った方を指さす。

 

「ロン、すぐに追いかけて。あなた、ハーマイオニーにあやまるべきよ」

「なんでだよ。そんな必要がどこにあるっていうんだ」

「あなたの言葉が彼女を傷つけたからよ」

「傷つけたって? 冗談じゃない、傷ついたのはこっちだ。キミだってそうだろう。あれだけ言われて傷つかないのか。魔法が使えないことを、いろいろと言われてるじゃないか。知らないわけじゃないんだろう」

 

 その言葉は、アルテシアから表情をうばうこととなった。このところ暗い顔をすることが多くなってはいたが、わずかに残っていたほほえみすらも、消えうせる。パーバティがアルテシアの腕を掴み、引き離す。

 去って行く2人を、ロンとハリー、そしてラベンダーが見送る形となった。

 

「ロナルド・ウィーズリー、余計なことを言ってくれたわね」

「な、なんだよ」

「彼女の顔、見たでしょ。すくなくともあなたは、アルテシアからほほえみを奪った。その罪は大きいかもね」

 

 ハーマイオニーは、その次の授業には出てこなかった。アルテシアは、教室の隅でぼんやりと授業を受けていた。そして夕刻。大広間に向かう途中でハリーとロンは、パーバティとラベンダーのひそひそ話を漏れ聞いた。それによると、ハーマイオニーはトイレで泣いていて、一人にしてくれと言っているらしい。アルテシアは、寮へ着替えに戻ったのだとか。なんでも、気持ちを落ち着けるためということらしい。

 それを聞き、さすがに2人ともバツの悪い思いをしたが、ハロウィーンの飾りつけがされた大広間でのご馳走の魅力には勝てなかった。テーブルに乗った金色の皿にご馳走が現れる。そして、そのご馳走との格闘が始まろうとした、まさにそのときだった。

 全速力で部屋にかけこんで来たクィレル先生が、みんなが見つめる中、ダンブルドアの席へとかけよる。その顔は、なにかにおびえたように、引きつっていた。

 

「ト、トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思って」

 

 さほど大きな声ではなかったが、誰もがクィレル先生に注目していただけに、その言葉に騒然となった。すぐさまダンブルドアの指示が出て、各寮の監督生の先導で寮に戻ることになった。

 

「トロールなんて、どこから入ってきたんだろう」

 

 そんな会話が、そこかしこで聞こえる。誰もが寮へとむかうなか、それを思い出したのはなんの因果だろうか。ハリーは、ロンの腕をつかんで引き留める。

 

「だめだ。このままじゃ寮に戻れない」

「なんでだよ」

「ハーマイオニーだ。あいつ、トロールのこと知らないよ」

 

 ロンが唇をかんだ。そういえばそうだ。女子トイレで泣いているとかいないとか。

 

「チクショウ!がり勉め!」

 

 彼女に、トロールのことを知らせねばならない。方向転換をし、反対方向に行くハッフルパフの寮生たちに紛れ込む。そして、誰もいなくなった方の廊下をすり抜けてハーマイオニーのいる女子トイレへと行こうとしたのだが、その先にパーバティがいるのをみつけた。

 

「あいつ、まさか」

「たぶん、目的は同じだ。とくかく行こう」

 

 ハリーたちは、またたくまにパーバティに追いついた。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、女子トイレにいた。ハーマイオニーがここで泣いていると聞いてやってきたのだが、とてもしずかで、物音すらも聞こえない。だが、ここにいることは間違いない。

 パーバティがウソをついた、などとは考えない。アルテシアは、ゆっくりと中へ入っていく。個室のドアが、一カ所だけ閉まっている。いるとすれば、あそこに違いない。

 だがアルテシアは、そのドアのすぐ前で立ちすくむかのように動きを止めた。中にハーマイオニーがいるのは間違いない。ここまで近づけば、人のいる気配を感じる。同様にハーマイオニーも、誰かがやってきたことには気づいているはずだ。それでも、どちらも声をださない。

 それからしばらくして、ようやくアルテシアの右手が動きをみせた。ドアをノックしようというのだろう。だがその手は、ノックする寸前でとまる。まだどこかに戸惑いのようなものがあるらしい。

 実のところアルテシアは、ハロウィーンのごちそうなどには目をつむり、寮の部屋に閉じこもって寝てしまうつもりだった。だが寮に戻る口実のためにパーバティに告げた『部屋で着替えてくる』のひと言が、この結果を招くことになった。寮に戻ったアルテシアは、その言葉のままに着替えることにしたのである。ホグワーツの制服から、幼いころより着慣れたクリミアーナの真っ白なローブへ。

 アルテシアがこのローブに袖を通したのはホグワーツ特急以来で、学校内では初めてのことになる。着慣れたその感触が、どこまでも果てしなく落ち込んでいく気持ちを、その心を、かろうじてひっぱりあげてくれたのだ。

 魔法が使えない。そのことに対する周囲の目は、とても厳しかった。もちろんその覚悟はしていたが、予想の範囲を超えていた。学校中が自分を批判しているかのような状況には、耐えがたいものがあった。もしパーバティがいなかったら。たまたま廊下で会ったとき、パドマが笑ってくれなかったら。ハグリッドが森の散歩を許してくれなかったら。そのとき、自分というものを、どれだけ保っていられただろう。いや、すでにもう、自分というものを、その存在を忘れていたのかもしれない。

 だが、いま。真っ白のローブが、思い出させてくれたのだ。ローブにかけられた母の魔法が、思い出させてくれたのだ。わたしは、クリミアーナの娘、クリミアーナのアルテシア。アルテシアは、大きく息を吸い込み、そして吐き出した。ドアをノックする。

 

「ハーマイオニー、そこにいるんでしょ。アルテシアだけど、おなかすかない? 今日は、ハロウィーンのごちそうらしいよ」

 

 返事はない。どうやら、簡単にはいきそうになかった。ハーマイオニーとハリーたちの間になにごとかあったのはたしかであり、あの2人から、特にロンからはかなりきつい言葉を浴びせられていた。立ち直るのにはもっと時間が必要、ということだ。

 

「ねぇ、ハーマイオニー。わたしね、相談したいことがあるんだ。魔法のことなんだけど、あとで・・」

 

 ふいに、アルテシアの言葉が途切れる。そのことに、トイレのなかにいたハーマイオニーは顔をあげた。少し前にようやく泣き止んだところであり、まだほおのあたりが涙に濡れてはいたけれど、その目に涙はたまってはいなかった。

 だがアルテシアは、どうしたのだろう。なぜ、途中で言うのをやめたのか。ドアの外のようすをうかがうが、はっきりしたことはわからない。そばにいるのは間違いないようだが、なぜ急に黙ってしまったのかはわからない。

 声をかけるべきかどうか。ハーマイオニーは、迷った。そうこうしているうちに、ふたたびドアがノックされ、アルテシアの声が聞こえた。

 

「ごめん、ハーマイオニー。またあとで迎えに来るから、そこにいて。いい? 迎えに来るまで、そこにいてよ。出てきちゃだめだよ」

 

 一瞬、返事をしそうになった。したってかまわないのだが、あわてて口を手のひらでおさえる。そのときだった。ものすごい音がして、トイレのなかが震えた。地震ではない。あのものすごい音の衝撃が、この揺れの正体なのだろう。

 

「アルテシア、どうしたの? なにがあったの?」

 

 もう、だまってなどいられなかった。思わず、叫んでいた。これは、ただごとではない。あの、ものすごい音は何だ。

 

「心配ないよ、ハーマイオニー。とにかく、そこにいて。あとで迎えにくるから」

 

 ふたたび、衝撃音。洗面台や鏡などが壊れる音ではないかと、ハーマイオニーは思った。これは、誰かが力任せに壊している音ではないのか。いったい誰がそんなことを。衝撃音が続く。

 もう、じっとしてはいられない。ハーマイオニーは立ち上がり、ドアノブに手をかけた。外のようすを知るには、まずドアを開けねばならない。そっとノブをひねり、ゆっくりと開ける。まず目に入ったのは、床に飛び散った残骸。おそらくは、洗面台の壊れた破片だ。やはり、ただごとではないようだ。視線をあげていくと、正面には、トイレの出入り口。その開いたままの出入り口のむこうに、人影がみえた。あれは、ハリーとロン、そしてパーバティか。アルテシアは?

 思い切って、ドアを全開。外に一歩踏みだし、右側を見る。と、そこには。

 天井にも届こうかというほどの大きな身体と、その体にみあうほどの巨大な棍棒。トロールだ。トロールがそこにいた。しかも、アルテシアめがけ、その棍棒を振り下ろしたところであった。

 

「あぶないっ!」

 

 思わず発した悲鳴のような声。振り下ろされた棍棒が、アルテシアを襲うその一瞬。すばやく右側へと身体をそらしたため、棍棒は、床に思い切りたたきつけられることになる。だがこの一撃は避けたものの、ふたたび襲ってくることはあきらか。つかの間、アルテシアの視線がハーマイオニーをみる。逃げろ、とでも言いたいのだろう。だがこの一瞬が、致命傷となった。

 アルテシアとしては、次の一撃までには、ふたたび棍棒を振り上げる時間が必要になると考えたのに違いない。だからハーマイオニーへと視線を向けたのだ。だが棍棒は、地面をたたいたそのままの勢いで、アルテシアめがけ、なぎ払うように動く。時間的余裕を与えることのないその一撃は、確実にアルテシアをとらえた。棍棒はアルテシアの胸から腹にかけてのあたりを直撃。その勢いで、トイレの出入り口付近まではじき飛ばしたのだ。ちょうど女子トイレへと到着したハリーとロン、そしてパーバティとハーマイオニーは、その瞬間を目撃した。

 出入り口近くまで飛ばされたアルテシアのそばに、なぜかトロールの棍棒があった。おそらくはトロールが、勢いのまま思わず手を離してしまったのだろう。アルテシアが棍棒を奪った、とするのは考えすぎに違いない。

 倒れたままのアルテシアが、ようやく身体を起こす。だが、上半身がやっとだ。その目が、パーバティを見つめる。

 

「アルテシア、大丈夫? 大丈夫だよね」

 

 もう、泣きそうになっていた。そんなパーバティに、アルテシアは何ごとか言おうとしているようだった。声にはならないが、その口は動き続けた。その動きと、そして右手の動き。それが、何を意味するのか。ロンもハリーも、そんなアルテシアをみていた。

 

「そうか、わかったぞ」

 

 これは、ロンの声。同時に、杖を取り出し、呪文を唱える。

 

「ウィンガーディアムレビオーサ!」

 

 突如、床に転がっていた棍棒が、ふらふらと浮き上がり、まるで生き物であるかのようにトロールめがけて宙を飛んだ。棍棒は、ボクッという妙な音とともに、トロールの頭部を直撃。そのままトロールは、大きな音をたてて倒れる。その衝撃が、またもトイレのなかを揺らした。

 

「やったぞ、ロン。トロールをノックアウトしたんだ」

 

 ハリーの歓声。ロンは、杖を振り上げたままの姿勢で、倒れたトロールを見ていた。パーバティはアルテシアに抱きついたが、ハーマイオニーは、ノックアウトされているとはいえトロールのそばを横切ることができず、ハリーたちの側へは行けなかった。

 バタバタと足音が聞こえ、そこにマクゴナガル先生が飛び込んでくる。あとには、スネイプ先生とクィレル先生が続いた。ここで繰り広げられた大騒動が、自分たち以外の誰にも気づかれない、なんてありえないことだったのだ。

 

 

  ※

 

 

「いったい全体あなた方はどういうつもりなんですか」

 

 口調は冷静だが、怒りが満ちていた。ハリーとロンを見すえたマクゴナガルは、明らかに怒っている。だが、今にも始まるかと思われた説教を止めたのは、意外にもスネイプだった。

 

「お話の前に、医務室に連れて行くべきだと思いますな、マクゴナガル先生」

「そのようじゃな。生徒だけではなく、先生もな」

 

 いつのまにか、ダンブルドアもここに来ていた。ダンブルドアは、胸を押さえてトイレに座り込んでいるクィレル先生に目を向ける。

 

「なるほど。では吾輩が連れて行こう。ですが、校長」

「なんじゃな」

「事の次第の報告は、あとで聞かせてもらいますぞ」

「無論じゃ」

 

 気絶しているアルテシアを抱きかかえ、スネイプはパーバティに目を向けた。

 

「ついてくるか?」

「は、はい」

 

 パーバティが、拒否するはずもなかった。スネイプは、意図的にパーバティをこの場から連れ出したのである。クィレル先生は、自分の足でしっかりと歩いていた。トロールから離れるほどに、元気になるようだった。

 

「さて、ミネルバ。このトイレの後始末はわしが引き受けるゆえ、その3人の処置はまかせてもよいかの」

「もちろんです、校長。全員がグリフィンドールの生徒ですから」

 

 マクゴナガルは、ハリーたち3人を近くの空き教室に連れて行った。事情を聞くのに、トイレはふさわしくないと思ったのだろう。3人を椅子にすわらせ、その前に立つ。

 

「殺されなかったのは、実に運がよかったのです。そのことをわかっていますか」

 

 3人は、無言のままに頭をさげた。ハーマイオニーなどは、あの恐ろしい棍棒が勢いよく振り下ろされるところを、目の前で見ている。死なないまでも、大けがをしていて不思議ではないのだ。アルテシアは、大丈夫なのだろうか。

 

「さて、寮にいなければいけないあなた方が、どうしてここにいるのか、説明してもらえますか?」

 

「マクゴナガル先生。聞いてください――私のせいなんです」

「ミス・グレンジャー、どういうことです」

「私がトロールを探しに来たんです。私、やっつけられると思いました――あの、本で読んでトロールについてはいろんなことを知ってたので」

 

 ハリーもロンも、びっくりしたようにハーマイオニーをみた。あのハーマイオニーが、先生に嘘をついている?

 

「もしみんなが来てくれなかったら、私は今ごろ、死んでいたかもしれません。先生方に知らせにいく時間なんてなかったんです。あの、先生。アルテシアは、アルテシアは大丈夫でしょうか」

 

 マクゴナガルは、3人をじっと見ていた。マクゴナガルとて、アルテシアのことが心配なのだ。どうやら今回のことでは、ケガをしたのはアルテシアだけのようで、この3人は無傷だ。マクゴナガルは、小さくうなずいてみせた。

 

「よろしい。まあ、そういうことでしたら……」

 

 ハーマイオニーはうなだれていたし、ハリーは言葉もなくロンと顔をみあわせるばかり。まさか、ハーマイオニーが規則を破ったふりをして、僕たちをかばってくれるなんて。

 

「より詳しい説明を、またのちほど聞くことになるかもしれませんが、怪我がないならグリフィンドール塔に戻った方がよいでしょう。ハロウィーンの続きを、寮の談話室でやっているはずです」

 

 3人はゆっくりと立ち上がった。だが、マクゴナガルの言葉は、まだ終わってはいなかった。

 

「ミス・グレンジャー、あなたの愚かな行為により、グリフィンドールから5点減点します。よく反省しなさい」

 

 そして、今度はハリーとロンの方に向き直る。

 

「とはいえ、あなたたちの勇気ある行動が、トロールによる被害を最小にとどめたのも事実。それぞれに5点ずつあげましょう。帰ってよろしい」

 

 3人そろって、大急ぎで教室を出る。こんな程度で許されるなんて、それこそ奇跡のようだ。そして寮へと向かって歩き始めるが、3人は何も話さなかった。話すことはあったはずだか、なにから話すべきか、分からなかったのだ。

 

「点数、10点ってことかな。少ないよな」

 

 寮への入り口である、太った婦人の肖像画が見え始めた頃、ロンがぽつりと言った。すぐさまハリーが訂正する。

 

「5点だろ。ハーマイオニーの5点を引かなきゃ」

「違うと思うな」

 

 ハーマイオニーの声だった。ハーマイオニーは、ハリーとロンのすぐ後ろを歩いていたので、当然、話は聞こえていたわけだ。

 

「違うって?」

「それより、ハリーとロンにはほんとに感謝してるわ。ありがとう」

「あ、いや、そんな。ぼくらこそ、ありがとう」

 

 誰も来てくれなければハーマイオニーはトロールに襲われていたはずだし、ハーマイオニーのウソがなければ、ハリーたちは罰を受けていたかもしれないのだ。当然、あの5点だってなかった。そんな意味での『ありがとう』なのだろう。

 これ以来、3人のなかにあった妙なわだかまりは消えることになる。共通の経験が、互いを近づける。今夜のことは、そんな貴重な体験のように思われた。そしてそれは、この3人だけにはとどまらないのかもしれない。

 

「あたし、明日の朝はやく、アルテシアのお見舞いに行くわ。あなたたちも来るでしょう?」

 

 その夜、見舞いにいかなかったのは、正解であった。当然、校医のマダム・ポンフリーが許可してくれるはずなどなかった。マダム・ポンフリーは、スネイプやマクゴナガルだけでなく、ダンブルドアまでも許可しなかったのだから。

 




 トロールって、実際はどれくらいの危険度なのかとか、よく分からないところもあったんですが、ともあれ原作参考で暴れてもらうのと、その退治の回となりました。このエピソードは欠かせないものだと思ってます。
 とはいえ、原作では不思議というか違和感があった箇所なんですけどね。というのも、どんだけ広いトイレなんだってことでした。トロールの身長はどれくらい? 天井ってそんなに高いの? ロンが浮遊呪文で浮かせた棍棒はどこまで上昇した? そのあたり、初めて原作読んだときから感じてたんですが、今回、自分で書くにあたっても、その違和感から逃れるのは難しかった。自分にトロールについての知識がないことが、その原因なのかも。


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第9話 「スネイプの疑問」

 今回は、トロール騒動の、評価編といったところでしょうか。教師側の主要人物3人による検討がされていきます。みなさまになるほど、と思っていただけるのか、それとも納得してもらえないのか。気になるところです。よければ、ご意見ください。



 深夜にもかかわらず、校長室には、灯りがついていた。紅茶の並んだテーブルを、ダンブルドアとスネイプ、そしてマクゴナガルの3人が囲んでいる。今夜の出来事についての話し合いなのだ。

 

「さて、遅い時間となってしもうたが、今宵にいったい何があったのか。そのことについて話し合いたいと思う」

「あの、校長先生。ミス・クリミアーナのことですが・・」

 

 さっそくマクゴナガルが声を上げるが、ダンブルドアはそれを制するように手をあげ、自身で言葉をつづけた。

 

「アルテシア嬢の容態については、それぞれ、医務室を訪れてマダム・ポンフリーから説明をうけたじゃろう。それ以上のことはわしにもわからぬし、面会できるのは夜が明けてからとなるようじゃ」

 

 ダンブルドアの目は、じっとマクゴナガルをみていた。スネイプは、ほとんど無表情であった。ダンブルドアの言葉どおり、3人はそれぞれに医務室を訪れており、校医のマダム・ポンフリーから、同じ説明を受けていた。

 

「それゆえに、いまはアルテシア嬢のことは横に置き、話をすすめたいのじゃが、よろしいかな」

「校長、今夜の出来事については大きな疑問があるのですが、その答えを聞かせてもらえるのでしょうな」

「ふむ。まあ、順序よく進めていくことにしよう」

 

 ダンブルドアは、紅茶へと手を伸ばし、2人にも飲むように進める。飲みながら話そう、ということらしい。たがスネイプは、紅茶には手をつけなかった。そのまま、ダンブルドアの言葉を待つ。

 

「あのトロールは、たまたま学校内に迷い込んだのではない。校内を混乱させるため、何者かによって引き込まれたものじゃ」

「その何者かが、誰なのか。まさかそれがわからない、などとはおっしゃらないでしょうな」

 

 スネイプの皮肉めいた口調にも、ダンブルドアは顔色ひとつ変えない。だが、視線はマクゴナガルへと動く。

 

「クィレル先生の仕業じゃろうと思う。トロールとは予想外であったが、混乱に乗じて4階の例の部屋に入ろうとしたのに違いない」

「狙いは、賢者の石。校長、いくら仕掛けを施してあるとはいえ、このままでは盗まれてしまう。置き場所を考え直すべきだ」

「これでクィレル先生が、ヴォルデモートとつながりのあることがはっきりした。ああ、セブルス。言いたいことはわかるが、もう少し話させておくれ」

 

 自身の言葉を無視された格好に、不満げのスネイプ。そのスネイプにひと言声をかけておき、さらに話を続ける。

 

「クィレル先生が、なにやら怪しい。それはわかっておった。なればこそ、ホグワーツに招き、その動向を探ろうとしたのじゃよ。ようやくあやつはしっぽを出したが、まだヴォルデモートに関することはつかめておらん。もう少し、ようすをみねばなるまいて」

「そのためのエサとして賢者の石を使う、というのであれば、賛成はしかねますが」

「さよう。私もそれは、よい方法ではないと思いますな」

「あの石を壊してもよいと、持ち主であったニコラス・フラメルからは許可を得ておる。もともと、そうしてくれと依頼されて受け取ったものじゃからの。ゆえにある条件がそろえば消滅するようにと細工をしてある。闇の者の手に渡ることはないのじゃ」

 

 そこまでは2人とも知らなかったのか、一様に驚いたような顔をしている。ダンブルドアが言うのは、賢者の石をオトリとして使うことに変わりはないが、悪の手に渡らぬための保険もかけてある、ということ。なので、心配はせぬようにと。

 ちなみに賢者の石とは、錬金術における最高傑作品とも言えるもので、あらゆる金属を黄金に変えることができ、飲めば不老不死になる『命の水』をも作り出せるという、貴重なものだ。現存する唯一の石を錬金術師として有名なニコラス・フラメルが所有していたが、それがいまはホグワーツにあるというわけだ。ダンブルドアによれば、フラメルとその夫人は、身辺整理に必要なだけの命の水を保有しており、しずかにそのときを迎えるつもりであるらしい。

 それはさておき。

 

「じゃがこれで、ヴォルデモートの状態ははっきりした。賢者の石を狙うのは、命の水のためじゃろう。それすなわち、そこまで生命力が衰えておることの証明となる。『命の水』を得たのち、魔法力を回復させ復活するという計画じゃろう」

「では、そうさせぬためにクィレルの動向を探らねばならない、ということですな」

「さよう。セブルスには、引き続きその役目を頼みたい。マクゴナガル先生には、これからもアルテシア嬢に近づく者について目をひからせておいてほしいのじゃ」

 

 返事の代わりに、うなずいてみせる。マクゴナガルには、その言葉の意味はよくわかっていた。魔法力回復の手段として、あの魔法書に目をつけないはずがない。魔法書のことが知られれば、当然、そうなるはずなのだ。クリミアーナ家を訪れたとき、アルテシアの言った言葉が頭の中に蘇る。

 

『わたしたちは、それを読むことで魔法力を身につけていきます』

 

 アルテシアは、そう言ったのだ。あの魔法書の存在とその効力に目をつけられたなら、アルテシアが狙われる。魔法書を奪うため、アルテシアを狙ってくることは十分に考えられる。ゆえに魔法書のことは、誰にも知られてはならない。

 マクゴナガルは、改めて自分にそう言い聞かせる。秘密にせねばならないのだ。たとえダンブルドアであろうとも、そのことを知る人を増やさぬほうがよい。誰にも言わぬほうがよいのだ。アルテシアにもそうするように言っておかねばならない。

 

「それはともかく、アルテシア嬢は、いったいどうやって魔法を勉強しておるのかのう。むろん、授業以外で、ということじゃが」

「校長、すでに申し上げているとおり、あの娘は魔法が使えない。だが私には、どうしてもあの娘が魔女でないとは思えないのです。あの娘は魔女だ。なのになぜ、魔法が使えないのです?」

 

 ダンブルドアが、ゆっくりと紅茶に手を伸ばす。飲んだのは一口だけ。そしてあらためて、スネイプを見る。マクゴナガルは、沈黙したままだ。いま話に出た疑問の答えを、マクゴナガルは知っている。知っているが、もはやそれを言うつもりはなくなっていた。言えば、魔法書の秘密に触れることになるからだ。

 

「セブルス、さきほど言っておった大きな疑問というのは、そのことかの」

「いいでしょう、校長。答えてもらえないのなら、また改めてということでもいい。ですが、今夜のことについては答えていただきますぞ」

 

 スネイプは、もともと今夜の出来事について大きな疑問があると言っていたのだ。なので、ダンブルドアにはぐらかされたとでも思ったのだろう。アルテシアがなぜ魔法が使えないのか、という疑問は、これまでにも何度もダンブルドアにぶつけたものであり、その都度、いまのようにして答えはもらえなかったのだ。

 

 

  ※

 

 

「私はあのとき、あの娘を医務室へと連れて行きましたが、友人だと思われるパーバティ・パチルなる娘を同行させ、なにがあったのかを説明させた」

 

 たしかにあのとき、スネイプはパーバティも連れて行ったが、それは、話を聞くという目的であったらしい。それによると、ハリーとロン、そしてパーバティの3人は、アルテシアがトロールの棍棒によって横殴りにされる瞬間を目撃したらしい。そのときアルテシアは棍棒とともに出入り口付近へとはじき飛ばされ、その棍棒を、ロンが習ったばかりの浮遊呪文でトロールにぶつけ、ノックアウトしたという流れになる。教師陣が到着したのは、トロールが倒れたすぐあと。

 

「そうじゃの。ハリーたちも、そう言っておった。そういうことで間違いあるまいと思うがの」

「そうですね。私も、あのときトロールが倒れた音を、たしかに聞きました」

 

 その、どこに疑問があるのかとでもいいたげな2人をまえに、スネイプは、杖をとりだした。

 

「セブルス、なにをするつもりじゃ」

「いいですかな、校長。ロナルド・ウィーズリーは浮遊呪文を使ったのです。 ウィンガーディアムレビオーサ!」

 

 呪文とともに、校長室に置かれていた花瓶が宙に浮かんだ。それが、スネイプの杖の動きとともに、3人のいるテーブルの上へとすべるようにしてやってくる。

 

「こうして棍棒を浮遊させトロールにぶつけた。だが、そんなことでトロールが倒せますかな。さほど広くもないあの空間では、棍棒に勢いをつけることさえ難しい」

 

 その指摘には、ダンブルドアも思い当たることがあったらしい。視線は、マクゴナガルのほうへと動く。

 

「私は、そんなことはできないと考える。棍棒をぶつけた事実は認めますが、それだけでトロールは倒せない。むしろ、トロールの怒りを買うだけでしょうな」

「しかし、セブルス。現実にトロールは倒されておる」

「さよう。いかにも、そのとおり。ゆえに私は、大きな疑問だと申しあげたのです。トロールを倒したのは誰か。どうやってトロールを倒したのか。その答えをうかがいたい」

 

 その答えを持っているはずだとばかりに、スネイプはダンブルドアをにらみつける。だがダンブルドアは、その視線からするりと逃れ、紅茶に手を伸ばした。

 

「おかわりが必要ですかな、校長」

 

 なるほど、紅茶のカップのなかは、すでにからになっていた。マクゴナガルが、すぐさまティーポットを手に取る。

 

「セブルス、きみはどう考えておるのかね。そなたの考えを聞こう」

「お尋ねしたのは、私のほうなのですがね。質問に質問で返すのはいいことではないと思いますぞ」

「いかにも。じゃがのう。ともあれ、聞かせてくれぬか」

「まあ、いいでしょう。思うに、ウィーズリーが浮遊呪文で棍棒をぶつけたときには、すでにトロールは失神していたのではないか。おそらくは、棍棒を手放したそのときに」

「なるほど。そうでなければ、あのトロールが棍棒を手放したりはせぬか。トロールが気絶した直後、ちょうど浮遊呪文によって棍棒がぶつかり、倒れたというわけじゃな」

 

 これは、ダンブルドアがスネイプの考えに同調したということか。そのことにスネイプは、苦笑交じりに席を立つ。背を向けたのは、その顔に現れた笑みを見られぬためだろう。

 

「マダム・ポンフリーは、あの娘の容態についてこう言っておられた。あの棍棒で、少なくとも3回は殴られていると」

「うむ、確かにの」

「そしてこうも言ったのです。今夜は安静にさせたいので、面会は明日から。退院は、あさってになるだろうと」

「わしもそのように聞いたが、そこにも疑問があるのかね」

 

 くるりと、スネイプが振り返る。その顔は、いつもの無表情に戻っていた。マクゴナガルは、もう何杯目になるのか、コクリコクリと紅茶を飲みつつ、無言を保っている。

 

「3度も殴られておきながら、その程度のケガで済むものでしょうか。トロールですぞ。まともに直撃されれば、死んでいてもおかしくはない。なにか、あったのだ」

「なにか、とは?」

「校長、あの娘は、ほんとうに魔法が使えないのですか。実は魔法が使えて、トロール退治に役立てた。自分を守るのにも、魔法を使った。そう考えねば、今回のことには説明がつかない」

「しかし、セブルス。魔法が使えないのは本当じゃよ。魔法学校において、そのようなウソをつく必要などあろうか。無意味じゃよ」

 

 フンと、大きく鼻を鳴らし、改めて椅子に座り直す。ダンブルドアの言うとおりであるのは、よくわかっていた。

 

「だが、なにかある。なにかあるはずだ。吾輩は、それが知りたいのだ。断じて言うが、ウィーズリーの浮遊呪文がトロールを倒したのではない」

 

 強い調子でそう言い、ダンブルドアを見る。つかのま、にらみ合う形となった2人を、マクゴナガルは複雑な思いで見る。ダンブルドアの話しぶりからは、魔法書のことを知っているのかいないのか判断はできなかった。いったい彼は、何を知っていて何をしらないのか。

 そして、セブルス・スネイプ。彼は、もしかするとアルテシアのことを心配しているのだろうか。それとも単なる好奇心でみているだけなのか。その判断はつかないが、たとえ前者だとしても、魔法書のことを彼には話せない。彼は、ヴォルデモートとつながりのあった男だ。デス・イーターとして、その配下にいたのだ。ダンブルドアは心配ないというし、自分もそう思ってきた。だがこの先、万にひとつの可能性をこそ、まず考えるべきなのかもしれない。

 ともあれ、さまざま判断ができるまでは、アルテシアに関するどんなことでも、不用意には言わないほうがいいと思った。よくよく考えてから言わねば、と。

 

「ミネルバ、どうにかしたかね?」

「え? ああ、いえ。スネイプ先生の疑問のことを考えていました」

「ほう、マクゴナガル先生には、なにか合理的な説明がおありですかな」

 

 そんなはずはないが、とでも言わんばかりの顔。そんなスネイプに、小ばかにされたような気がしたのかもしれない。思わず、声に出していた。そうでもなければ、おそらくは言わなかったはずの言葉を。

 

「アルテシアはいま、必死に勉強しているのです。でも、あと2年ほどはかかってしまうのです」

「なんですと。それはどういうことです、あと2年?」

 

 一瞬で、マクゴナガルの頭の中の温度が下がる。と同時に、冷静となった頭で考える。この失言をどう挽回すればいいのかを。

 

「これは入学前、私がクリミアーナ家に彼女を迎えに行ったとき、聞いた話なのですが」

「ほう、それは興味深い。で、何をお聞きになったのですかな」

「クリミアーナ家の魔女は、その歴代の例によれば13歳から14歳頃にその力に目覚めるのが普通らしいのです。であれば、あと2年ほどはかかることになります」

 

 このことは、すでにダンブルドアには報告済みだし、ダンブルドアもその以前から知っていたはず。なのでマクゴナガルは、話の筋をこちらのほうへ持っていこうとしていた。勉強法の側へと流れないようにするために。

 

「魔法が使えないことを一番悩んでいるのは、あの子なのです。ですが、いずれは魔女としての力に目覚めます。それまでは、じっとと見守っていくこと。そのことが大事だと思うのです。それに」

「ああ、マクゴナガル先生。すこしお待ちください」

 

 一気に話をより別の方向へと向けようとしたのだが、そこでスネイプの待ったがかかる。彼は、ダンブルドアに視線を向けた。

 

「校長、あなたのご意見もうかがいたいですな」

「なにをじゃね、セブルス。いまの話のことなら、たしかにマクゴナガル先生から聞いておるよ。それゆえに、アルテシア嬢は魔法が使えないのじゃと」

「いいでしょう、校長。あの娘は魔法が使えない。それで納得してもいいが、今の話からすれば、そのことはあの娘が入学する前からわかっていた。つまりあなたは、それがわかっていて入学させたことになる。なぜです? なぜそんなことを。そこにどんな秘密があるのですか?」

 

 はたして、うまくごまかせたのか。話の流れは、マクゴナガルの意図したとおりに違う方向へと流れてくれたようだ。だがスネイプは、そしてダンブルドアはどう思ったのか。スネイプの疑問に校長はどう答えるのか。マクゴナガルは何杯めかの紅茶を飲み干した。飲み過ぎだ。今夜は眠れないのに違いない。

 

「ともあれ、セブルス。アルテシア嬢はこのホグワーツの生徒であり、われらは教員じゃ。マクゴナガル先生の言うように、見守っていこうぞ。そうすることが大事だと、そう思わんかね」

 

 スネイプは、何も言わなかった。代わりに薄笑いを浮かべ、ようやく紅茶へと手を伸ばした。そして、すでに冷め切った紅茶を一気に飲み干す。

 

「わかりました、校長。そういうことにしてもよろしいが、なんらかの手立ては必要となるでしょう。おそらくあなたは、あの娘が学校を辞めてしまうとなにかとお困りになるはずだ」

「いまのままでは、ようすをみるだけではダメだということかの」

「いうまでもないこと。ともあれあの娘とは、いずれいろいろと話をせねばなりませんな。あ、いや。もちろんそれを、止めたりはなさいませんでしょうな」

 

 そのとき、ダンブルドアは何も言わなかったし、マクゴナガルは、紅茶を飲んでいた。

 




 さすがはスネイプ。いろいろと細かいところを見ているようです。ダンブルドアもそれくらい気づいていて不思議はないんですが、スネイプに指摘され、気づかされるというパターンにしてみました。マクゴナガルは、もっと別の答えを持っていますが、自分の胸の中にしまいこむ。そしてこの先、どうするのか。どうなるのか。
 進行遅くて申し訳ありませんが、このトロールの話は、もう少し引きづらせていただきます。次回もよろしくお願いします。


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第10話 「お見舞い」

 第9話を、ちょっとだけ変更しています。というのも、スネイプの『吾輩』、なんでもかんでもそうしていたんですが、場合によっては使い分けが必要なのだと気づかされたからです。ご指摘ありがとう。
 そんなわけですこーし修正してますが、改めて読み直す必要はありません。ともあれ、第10話を読んで下さいませ。



 こんなに早起きしたのは、たぶん、生まれて初めてのことだ。確かめようはないけれど、そう言ってしまって間違いないはず。なにしろ、レイブンクロー寮ではまだ誰も起きてはいなかった。少なくとも、寮を出るまで誰にも会わなかったし、こうして医務室に着くまでにも、人影すらも見なかったのだから。

 だけど、とここまで来てパドマは思う。こんな早い時間ではマダム・ポンフリーが、いやマダム・ポンフリーはどうでもいいが、肝心のアルテシアが寝ているのではないか。負傷して入院しているのだから寝ていてもらわないといけないのだけれど、でもどうせなら起きていてほしい。少しぐらいは話もしたいし、なにがあったのか、彼女の口から聞いてみたい。昨夜のうちにおおまかなところを聞いてはいたけれど、容体についても自分の目で直接たしかめたいのだ。

 そのアルテシアまでの第一関門ともいうべき、医務室のドアは開いていた。昨夜はここでマダム・ポンフリーに追い返されたのだが、今朝はその心配はない。医務室にマダム・ポンフリーの姿はなかったし、たとえいたとしても、彼女は夜が明けるまで面会禁止だと言っていたのだ。日付も変わったのだから、もう自由に面会できるはずだ。夜が明けた、と言っていいのかどうかは微妙なのかもしれないけれど。

 

「あれ?」

 

 病室には、先客がいた。姉のパーバティだった。

 

「ああ、あんたも来たんだ」

「そりゃあ、ね。これでも、一番乗りのつもりだったんだけど」

「あたし、昨日からいるんだ」

「え? どういうこと」

 

 アルテシアは、眠っていた。そのベッドの脇に姉が用意してくれた、丸椅子へ座る。

 

「なんか、心配でさ。マダム・ポンフリーには何度も寮に戻るように言われたんだけど、医務室の外で待ってたんだ」

「一晩中ってこと?」

「そうなるのかな。しばらくしてマダム・ポンフリーが病室に入れてくれたんで、待ってた時間はそんなでもないんだけどね」

 

 いったいパーバティは、いつから病室にいたのか。それも気になったが、ここに来た一番の目的はアルテシアのお見舞いであり、確認だ。なにがどうして、どうなったのか。なぜアルテシアが、こんなことになったのか。

 

「聞いたんだけど、トロールに襲われたんだってね」

「うん。でも大丈夫だよ。念のためもう1日入院するらしいけど、ケガのほうは心配ないってさ。トロールに襲われたにしては、奇跡に近いほどの軽傷らしいんだ」

「うわさじゃ、ロナルド・ウィーズリーが魔法で倒したらしいけど、そうなの? そうじゃなきゃ危なかったらしいけど」

「ああ、うん。そうだね。ウィーズリーはすごいよね。あの状況で必要な魔法が使えたんだもんね」

 

 いちおう、会話はスムーズに進んでいる。だがパドマは、居心地の悪さを感じていた。いつもの姉とは、どこか違う気がする。そのため、居心地悪く感じるのだろう。どこが、と問われると困ってしまうけれど。

 

「あたしとハリーとね、ハーマイオニーとロン。4人で駆けつけたとき、アルテシアがトロールの棍棒で殴られてさ」

「えっ」

「あたしたちのほうへ飛ばされてきたんだ。なぜだか棍棒もいっしょにね」

「……」

「たぶん、声がでなかったんだろうね。でも、口だけは動いてた。右手がね、杖はなかったんだけど、こう、こうやって動いてさ。あんた、わかる?」

 

 おそらくは呪文なのだろう。その口の動きと、そして手の動き。パーバティのそれを見て、思いつくことといえば。

 

「あたしだって、わかったんだよ。アルテシアは、魔法が使えないからさ。だからあたしにやってくれって。アルはね、あたしにやって欲しかったんだと思う。でもウィーズリーのほうが、少しだけ早かったんだ」

「ええとさ、それってさ」

「なんでアルは、魔法、使えないんだろう。そしたら、トロールをやっつけられたのに。なんであたしは、魔法、使ってあげられなかったんだろう。アルの代わりにトロールをやっつけられたのに」

 

 アルテシアが眠るベッドの横に、姉のパーバティがいつからいたのかは知らない。どれだけの時間、ここに座っていたのかは知らない。でもパーバティは、姉は、ずっとここで、同じことを考えていたのだ。後悔にも似たことを。

 

「あのさ、お姉ちゃん」

「わかってるよ、パドマ。考えても仕方ないってわかってる。アルテシアは、無事だった。ひどいことにならずに済んだ。それを喜べばいいんだよね。それくらいのことわかってるよ」

「だったら」

 

 言えたのは、そこまでだった。姉の目に光る涙。そんなのを見たのは初めてだったから。その意味が、わかったから。だから、何も言わなくていいと思った。いま必要なのは、時間なのだ。

 姉妹が言葉を交わしたのはそこまでだった。アルテシアのそばで、静かな時間が過ぎていく。

 

 

  ※

 

 

「アルテシアの具合は、どうなの?」

 

 病室に飛び込んできたのはハーマイオニー。続いて、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーが入ってくる。すでに朝食の時間になってはいたが、どうやら3人とも食事はせずに病室へと来たらしい。ハーマイオニーによれば、もっと早く来るつもりだったのに、男の子2人が遅れたのだという。

 

「それに、パーバティがあたしを誘ってくれてたら、あたしだって、もっと早かったと思うわ」

「ああ、ごめんなさい。今度からは、ちゃんと誘うわ」

「お願いね。でも、今度なんてないほうがいいのよ。それは忘れないで。こんなことはもう二度とないほうがいいんだからね」

 

 総勢5人で、アルテシアのベッドを取り囲む。その中心たるアルテシア本人は眠っていたので、話題はどうしても昨日の出来事に及ぶことになる。

 

「けどさ、トロールなんて、どこから来たんだろう。トロールが学校にいるなんておかしいよね」

「スネイプが引き込んだんだと思う。あのとき、あいつの姿を見たんだ。4階に行こうとしていた。後姿だったけど、スネイプに違いないんだ」

 

 あのとき、トロールがいることをハーマイオニーに知らせに行こうと急いだ。途中、パーバティを見つけて合流したが、そのときロンは、スネイプの姿もみたというのだ。自分たちがスネイプに見つかるわけにはいかなかったし、ハーマイオニーのところへ急ぐ必要もあったので、そのまま見過ごすしかなかったらしいのだが。

 

「でもスネイプが犯人だったとして、なんでトロールを。スネイプは、あたしたちを助けに駆けつけてくれたじゃない」

「あいつが、助けに来たとは限らない」

「じゃあ、何しに来たっていうの。スネイプは、アルテシアを医務室に連れていってくれたわ」

「まあ、まちなよパーバティ。ぼくは、こんなふうに考えてる。スネイプは、学校内の騒動にまぎれて4階に行こうとしていた。4階になにがあるか知ってるかい?」

 

 パドマは、そのとき現場にはいなかった。なので、姉の意見も、ハリー・ポッターの言うことも、ただ聞いているしかなかった。レイブンクロー寮にまで漏れ伝わってきたうわさ話だけでは口をはさめない。

 

「なにがあるの?」

「新入生の歓迎会のとき、ダンブルドアが言ったこと、覚えてる? とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい4階の右側の廊下に入ってはいけません」

「あ、そういえば」

 

 そんなことを言っていた。入学してすぐの校長先生の言葉だったので覚えてはいたが、どういう意味があるかとか、考えたことはなかった。

 

「しばらく前に、ぼくたちはその部屋に入ったことがある」

「あの日よ。あたしが夜中に出歩いてた日のことなんだけど、あたしたちは、その部屋で三頭犬をみたのよ」

「そうさ。なんで学校にあんなのがって思うだろ。ぼくたちもそう考えた」

 

 ハリーが、そしてハーマイオニーと、ロン。だが3人がかりでしゃべっては聞くほうも大変だということで、ハリーが代表して話をすることになった。

 

「ハーマイオニーが言うには、三頭犬は仕掛け扉の上にいたらしい。何かを守ってるっていうんだ。何を? 誰から? 実はぼくたちがホグワーツに入学する前にグリンゴッツで事件があったんだ」

「ハグリッドの小屋に、日刊予言者新聞があったんだ。それに載ってた。七一三番金庫に侵入した者がいたんだぜ」

「ロン、ハリーが話すはずでしょ」

「…わかってるよ」

 

 グリンゴッツの事件のことなど、パチル姉妹は知らなかった。だが、ハリーたちの話を黙って聞いていた。いったいその事件が、今回のトロール事件にどうかかわってくるのか。

 

「その金庫には、茶色の紙でくるまれた小さな包みが入ってた。ハグリッドがダンブルドアの指示でそれを持ち出すとき、ぼくもいたんだ。金庫はからっぽになったから、侵入者はなにも盗み出すことはできなかった」

「あ! つまりそれがいまホグワーツにあって、それを、そのなんだっけ? なんとかいう犬が守ってるのね」

 

 パドマの声。思わず言ってしまってから、しまった、とばかりに口に手をあてる。だが、皆の視線が集まったのは一瞬だけ。ハリーがすぐに続きを話し始めたからだ。

 

「それがなんなのかはわからない。わからないけど、大切なものに違いないんだ。だから生徒たちも近づけないようにしてるんだ。騒動を起こしたのは、誰にも気づかれないように4階に行くためだと思う」

「それを盗もうとしたっていうのね。でもスネイプは、すぐにあのトイレに来たんじゃなかった?」

「そう。あのときはマクゴナガルが来て、そのあとでスネイプとクィレルが来たんだ。スネイプとクィレルはいっしょだったと思う」

「だったら」

「スネイプは、途中でクィレルに会ったんだ。だから4階の部屋には行けずに、しかたなくトイレに来た。ぼくはそう思ってる。話は戻るけど、三頭犬が何を守ってるのかをぼくたちは知らなきゃいけない。知らなきゃ守れないからね。それがなんであれ、スネイプが狙ってるのなら、それを守らなきゃいけないんだ」

 

 パーバティは何も言わなかった。パドマも黙っている。なので、納得してくれたと思ったのだろう。視線をベッドへと向けたハリーは、アルテシアの目が開いているのに気づいた。すぐに声をかけようとしたのだが、ほんの一瞬だけ遅れた。

 ハリーよりも、マダム・ポンフリーの声のほうが早かったのだ。いつのまにか、マダム・ポンフリーが病室に来ていた。

 

「あなたたち、もう授業が始まる時間ですよ。すぐに戻りなさい。患者が目覚めたようですから、少し診察させてもらいます。さぁさ、面会は終わりです。また夕方にでもいらっしゃい」

 

 アルテシアの目が覚めたのなら、少しだけでも話をしたい。パドマもパーバティも、そう思ったに違いないし、アルテシアだって同じことを思っていたのかもしれない。だが、朝の面会はここまでとなった。

 

 

  ※

 

 

「具合はどうじゃな」

 

 そう言ってダンブルドアが病室を訪れたとき、アルテシアはベッドに上半身を起こした状態で座っていた。何をするでもなく、ただぼんやりと自分の手を、ときおり手のひらを閉じたり開いたりしつつ、見つめていた。

 視線が、ダンブルドアへと動く。

 

「校長先生、ですよね」

「そうじゃよ。そういえばこうして会うのは初めてということになるのう。ま、姿を見かけたことは何度かあるが」

「はい。わたしも」

 

 ニコッと笑い、杖を振る。ベッドの脇に肘掛けのついた椅子が現れ、そこにダンブルドアが座る。

 

「そういうことが、わたしにもできるようになるでしょうか」

「もちろん、なれるとも。そのために毎日勉強しているんじゃないのかね」

「それは、そうなんですけど」

「自信がないのかね?」

 

 無言でいるのも、立派に返事となるらしい。ダンブルドアは、二度三度とうなずいてみせた。

 

「少し、話を聞かせてもらおうかと思っての。昼食までにはもう少し時間がある。それまでかまわんかね」

「はい。昨日のことでしょうか」

「あのトロールは、ロナルド・ウィーズリーが倒した。浮遊呪文を使って棍棒を飛ばしトロールにぶつけたのじゃ。覚えておるかね?」

 

 うなずく。だがアルテシアが覚えているのは、あのトロールが倒れたときまでだ。そのとき、床の振動とともに気を失い、気がついたときにはベッドに寝ていたのだ。場所がどこかはわからなかったが、聞き覚えのある声がいくつか聞こえた。ハリーやロン、パーバティたちの声だった。

 

「キミにはケガをさせてしまったが、おかげでさほどの被害もなく終息させることができましたな。感謝してますよ」

「いいえ、そんな。わたしは何もできずに逃げ回っていただけなんです。なにかの役にたったとは思えません」

 

 ほとんど感情のこもらない、平坦な声だった。普段のアルテシアのことは知らないが、こんな陰気な少女ではあるまいとダンブルドアは思う。つまりそれほど、今回のことが彼女に影響を与えたということなのだ。だが、なぜだ。たしかにケガはしたが、今回のことはそれほど心の負担となるものなのだろうか。

 

「すみませんでした、校長先生。あのときわたしに魔法が使えていれば、ひとまずトロールの動きを封じることもできたはずなのに」

「ほう、トロールの動きをのう。それは麻痺させるということかね」

「いいえ、動けなくするというより、制限をかけるんです。そうすればハーマイオニーを安全に避難させることができたし、トイレを壊されることもなかったはずなんです」

 

 このときダンブルドアの頭のなかにあったのは『ステューピファイ(Stupefy:麻痺せよ)』。相手を動けなくする魔法だが、どうやらアルテシアが思い描いているのは、その魔法ではないようだ。では、なにか。

 

「その制限をするというのは、どういうものなのか教えてもらえるかね。それがいわゆるクリミアーナの魔法なのかね」

「そうですけど、でも校長先生にも同じことができるんじゃないですか」

「おぉ、そうじゃの。たしかにそうじゃが、キミの言う動きの制限とは、いったいどういうものなのかね?」

 

 だがアルテシアは、顔をあげてダンブルドアを見ただけだった。なにか言いかけはしたものの、口を閉じてうつむいてしまう。ダンブルドアは、軽くため息。だが、アルテシアは黙ってしまったわけではなかった。

 

「校長先生、4階には何があるのでしょうか。あのトロールは、4階の部屋をさぐろうとした人が、騒ぎを起こすために」

「待ちなさい。それはいったい、何の話じゃね?」

「トロールを操った人がいて、その人は、4階の部屋に隠してある物が欲しかったんだと聞きました。いったい、何があるんでしょうか。もう一度、同じような騒動が起きるのでしょうか」

「待ちなさい、というたがの、ミス・クリミアーナ。いや、アルテシアと呼んでもいいかのう」

 

 拒否する理由はなかった。むしろ、クリミアーナと呼ばれるほうにこそ抵抗感があった。いまはまだ、クリミアーナとは呼んでほしくはない。それが本音だった。

 

「では、アルテシア。たしかに4階にはある物が隠してあるし、それを欲しがっている者がいることも確かじゃよ。じゃがの、お嬢さん。誰もそこには行けないように工夫がしてある。何も心配することはないのじゃよ」

 

 事実、そこに隠された『賢者の石』は、いくつもの仕掛けによって守られている。簡単にはたどり着けないし、仮にそれを奪われたとしても、最後の保険もかけてあるのだ。

 アルテシアは、下を向いていた。

 

「どうかしたかね、お嬢さん」

「校長先生、本当に、心配はないんでしょうか」

「むろんじゃよ、お嬢さんはなにも心配しなくてよい。それより、レモン・キャンディーはいかがかな?」

「え?」

 

 顔を向けたアルテシアに、ダンブルドアは左手を差し出した。手のひらに、なにか載っている。

 

「レモン・キャンディーじゃよ。マグルの食べる甘いものじゃが、わしゃ、これが好きでな」

「あ、ありがとうございます」

 

 それをアルテシアが受け取る。ダンブルドアは、微笑みながら立ち上がると、杖を取り出す。そして、いままで座っていた椅子を消した。

 

「ゆっくり食べるといい。わしはこれで帰るが、いつでも校長室に遊びにきなさい。魔法の勉強について、話もしたいしの」

 

 ダンブルドアとしては、いますぐにでも、その話をしたかったはずである。だがアルテシアの様子からみて、日を改めたほうがいいと判断したのだろう。

 ダンブルドアが病室を出たあとで、レモン・キャンディーを口に入れる。そのレモン・キャンディーが、アルテシアの口の中で溶けてなくなったころ、マクゴナガルが姿をみせた。

 

 

  ※

 

 

「ずいぶんムチャをしたものですね。減点したものか、加点したものかは、おおいに迷うところですが」

「すみません、先生。まさか、こんなことになるとは」

 

 ベッドの上に、ローブが置かれる。学校の制服だ。アルテシアは、トロールと遭遇したときに着ていた、クリミアーナの白いローブのままだったのだ。

 

「あなたの部屋から持ってきました。退院するときにはこれに着替えなさい。そのローブが、あなたの命を守ってくれたのでしょうけれど、規則ですからね」

「わかっています。いま、着替えます」

「いいえ、いまでなくてよろしい。退院するときでかまいません。それより、言っておきたいことがあります」

 

 いつにない真剣なまなざしに、アルテシアも表情を固くする。いったい何を言われるのか、と。

 

「そんなに、固くならなくてよろしい。魔法書のことです」

「魔法書、ですか」

「そうです。今回のトロールの件などから考えても、あの魔法書のことは、誰にも話さないほうがいいと思うのです。少なくとも、あなたが魔法を使えるようになるまで。できることなら、ホグワーツを卒業するまではそうしてほしいと思っています」

「それは、なぜですか」

 

 マクゴナガルは、ダンブルドアのように魔法で椅子を出現させるようなことはせずに、壁際に置かれた丸椅子を持ってきて座った。

 

「詳しい理由は話せませんが、あの魔法書のことが知れ渡れば、それを欲しがる者が現れることになるでしょう。そうならないようにするためです」

「それは、トロールを操っていた人に対して、ということでしょうか。今回のようなことがまた起こるのでしょうか。4階には何があるのでしょうか」

「待ちなさい、ミス・クリミアーナ。そのことを、どこで聞いたのです?」

「校長先生です。4階にはある物が隠してあり、それを欲しがっている人がいると聞きました。校長先生は、なにも心配いらないとおっしゃいましたけど、そういうことでいいんでしょうか」

 

 そこで、マクゴナガルは、大きくため息。すでにダンブルドアはここに来ていたのだ。そして、アルテシアから魔法書に関することを聞きだしたのに違いない。ダンブルドアのことだから心配はいらないと思うが、一歩遅れた、という感は否めない。

 それに、アルテシアが4階のあの部屋のことを知っていることにも驚かされた。ダンブルドアが、自分からこの秘密を明かすとは考えにくい。いったいアルテシアは、どうやってあの秘密を知ったのか。

 

「4階のことは、校長先生がおっしゃったとおりですし、心配いらないというのも本当です。ですから、あなたはもう忘れなさい。他には、何を話しましたか?」

 

 アルテシアは、答えない。その目をマクゴナガルに向けたまま、何か考えているようだ。マクゴナガルは、その目に見覚えがあった。あれは、クリミアーナ家を訪ねたとき。ホグワーツへの入学を決意しようとしていた、あのときの目だ。

 

「考えるのをやめなさい、アルテシア。何も考えてはいけません。あなたは、何も心配しなくていいのです」

「アルテシア、と呼んでくれるのですね、マクゴナガル先生」

「呼び方など、どうでもよろしい。とにかく、わたしに任せなさい。いまあなたがするべきことは、魔法を学ぶことなのですよ」

「もちろんです、先生。でもこのままでは、学校にはいられません。だってわたし、クリミアーナの娘ですから」

 

 そこでアルテシアは、ニコッと笑った。アルテシアにとっては久しぶりの笑顔と言えるだろう。だがマクゴナガルにとっては、笑えるような気分ではなかった。

 

「それはどういう意味ですか? 何をするつもりなのです? すべて、わたしに話しなさい」

 

 アルテシアは答えない。返事の代わりではないだろうが、ダンブルドアが来たときのように、右手を前に出し、手の平を上にして握り、そして開く。二度、三度。そして、改めてマクゴナガルを見る。

 

「マクゴナガル先生、わたし…」

「わかりました、アルテシア。あなたが退院したあと、わたしの部屋で話をしましょう。いまわたしが知っていることを隠さずに話します。そうすれば、さしあたっての危険など、なにもないのだとわかるでしょう」

 

 なにか言いかけたアルテシアだったが、それをさえぎるようなマクゴナガルの声。真剣そのものであり、人によっては怒っていると感じるかもしれない。そんな目でアルテシアを見つめる。

 

「あのですね、先生」

「改めて言っておきますが、それまで、何もしてはいけませんよ。何も決めてはいけません。わたしの知っていることをあなたに話しますから、あなたもすべてをわたしに話しなさい。何をするにも、そのまえにわたしに話すのです。いいですね」

「…わかりました」

 

 返事をするまでにためらいがあったような気もしたが、ともあれアルテシアに約束させた。そのことにマクゴナガルは、安堵を覚えたが、ほっとしてばかりもいられない。

 この娘は、アルテシアは、すでになにごとかを決めたか、決めようとしているのだ。それが何かはわからないが、なんとしてもそれを聞き出さねばならない。そのためにも、自分も正直に話そうと思った。こちらが隠していては、相手も同じことをするに違いない。マクゴナガル自身、わかっていないことは多いが、それはそれとして、正直に告げるべきだろう。そうしなければアルテシアは、心配しなくてもいいのだと納得などしないに違いない。

 実際のところ、なにがどうなっているのか、詳しいことはほとんどわかっていない。全体像を把握しているのはダンブルドアだけ。だが、差し迫った危険があるわけではないのも事実。いずれはヴォルデモートが関係してくるのかもしれないが、仮にそうなるとしても、それはまだまだ先のこと。どうなるのかはわからない。とにかく、魔法書の秘密さえ守りとおせばいいのだ。

 アルテシアが、顔をあげた。

 

「では先生、とにかく一度、クリミアーナへ帰りたいのです。許可してもらえますか」

「それは学校を辞めるということですか。ダメですよ、アルテシア。そんなことは許しません」

 

 さすがのマクゴナガルも、これには慌てずにはいられなかった。

 




 前回に引き続き、トロールのお話を引きずらせていただきました。ちょっとしつこいようですが、主人公にとっては、これが大きな転機となるのです。そんなエピソードとしたかったんです。次回より、物語は新たな展開。そうしようと思っていますが、作者のくせに、なかなか思うようにはいかないんです。なんでだろ、とっても不思議です。


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第11話 「アルテシア、始動」

 すでにからとなったティーカップ。ティーポットのほうにも、紅茶は残っていない。すべて飲み干してしまったのだ。十分に用意したつもりだったが、足りなかった。つまりが、話がそれほど長くなったということ。

 カップにポット、それにティースタンドをかたづけながら、マクゴナガルは思う。これは、喜ぶべきことなのだと。でも、そんな気持ちになれないのはなぜだろう。

 

 

  ※

 

 

 あれから10日ほどがすぎたが、アルテシアの日常は変わってはいなかった。医務室からは解放されたものの、それが寮での居心地に変化を与えることはなかった。トロール退治はロナルド・ウィーズリーの手柄であり、アルテシアはそのおかげで軽傷で済んだ。つまりヒーローはロンなのだから、寮生たちの態度に変化がないのも当然であった。

 ただハーマイオニーと話をする機会は、確実に増えていた。あとは、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーが、ときおり声をかけてくれるようになったくらい。パーバティがそばにいることが多いが、これはいつものこと。

 それでも、アルテシアに笑顔が戻ってきた。ムリをした笑顔ではない。自然に笑えている。医務室から戻ってきたのは、そんなアルテシア。少なくともパーバティはそう思っていた。

 でも、ときどきなにか考え込んでいる。遠くを、具体的には校庭の向こう側にある森、その森を見ることができるようなところでは、森を見ながらなにか考えている。何を考えているのかなんて、わからない。でもそんなときパーバティは、なにか話題をみつけて話しかける。つまりが、邪魔をするのだ。アルテシアが泣きそうな顔をしているとか、つらそうだとか、そういうことではなかった。そのまま森の奥へ、つまりが遠くに行ってしまいそうな気がして、ほおってはおけなかったのだ。

 そんな日が、続いていた。

 学校は、クィディッチ・シーズン真っ直中。グリフィンドールチームの秘密兵器は、あのハリー・ポッター。その初試合となるスリザリンとの試合を明日に控え、いつもより騒々しい談話室。そんななか、パーバティは寮の出入り口付近に陣取って、アルテシアが戻ってくるのを待っていた。

 アルテシアがマクゴナガルに呼び出されてから、いったい何時間たったのだろう。いくらなんでも、長すぎる。ようすを見に行った方がいいのではないか。そんなことを思い始めてからも、ずいぶん時間がたっていた。アルテシアがようやく戻ってきたのは、寝床へとむかう寮生も出始め、談話室がひっそりし始めたころだった。

 

「遅かったね、アル」

「待っててくれたんだ。ごめんね、なかなか話が終わらなくて」

 

 それはそうだろう。問題は、何を話していたのかだ。だがパーバティは、そのことを聞こうとはしなかった。知りたくないはずはないが、アルテシアが教えてくれるのを待つつもりなのだ。そのアルテシアは、パーバティの手を取り暖炉の脇へ。つい先ほどまで燃えさかっていた火は消されていたが、おかげで寒くはない。

 

「いろいろとマクゴナガル先生に約束させられたんだけど、わたしは、わたしにできることをするつもりよ」

「え?」

「ね、パーバティ。明日、すこし付き合ってくれない? 話したいことがあるの」

「明日・・」

 

 明日はクィディッチの試合がある。最初に思ったのはそれだった。ハリー・ポッターのデビュー戦。相手は、スリザリン。

 

「忙しい?」

「あ、ううん。大丈夫、どこでも付き合うよ。で、なんの話?」

「詳しいことは明日話すけど、そうね、わたしのことかな。ヒントは、お待たせしました」

「え?」

 

 たしかに、ずいぶん長いこと待っていたが、それとなんの関係があるのだろう。だがパーバティは、その疑問を口に出すことはしなかった。明日になればわかるのだからそれでいい。アルテシアが話してくれると言うのだから、いまは、それでいいではないか。

 明日の約束をしただけで、2人は、自分たちの部屋へと戻っていった。

 

 

  ※

 

 

 テーブルに両肘をつき、ほおづえしながら考える。はたして、これでよかったのかと。

 思いつく限り、必要な約束はさせた。どれだけ約束させても不十分だとする気持ちは消えないが、果てしなく続けるわけにもいかない。よかれと思ってさせた約束ではあるのだが、それらはみな、裏を返せば彼女を縛るみえない鎖ともなりうる。どうするのがよかったのか、そんなことはわからない。その答えはきっと、どこにもないのだ。

 むろん彼女には、約束を守らないという選択肢がある。だがあの娘は、そんなことをするような娘ではない。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツには、その敷地内に湖がある。入学したばかりのころ、ボートに乗ってホグワーツ城へと到着したが、そのときの湖だ。せめて春先などであれば、気持ちよく水辺を歩けただろう。だがいまは、この寒さだ。ましてやちょうどクィディッチの試合が行われている今、湖に近づく者の姿はない。この2人以外には。

 

「うわぁ、寒いね、やっぱり。ね、ここに座ろうか」

「うん、そうだね」

 

 パーバティが、湖のそばにいくつか置かれたベンチを指さす。アルテシアもうなずいたので座ったのだが、そのアルテシアは、すぐには座らず、右手の人差指を立て、自分の鼻の頭を軽く2度トントンとしたあとで、ちょうどベンチの周りを囲むように四隅を指さしてみせた。

 

「何してるの?」

「ううん、別に。寒いなか、呼び出したりしてごめんね」

「いいんだよ、そんなこと。それより、話したいことって?」

 

 話をせかしたわけではなかった。ごめんね、と言われることがてれくさかったのだ。だから、話題を変えたかっただけのこと。アルテシアも、パーバティの隣に座る。

 

「昨日、マクゴナガル先生と話をしたわ。ほんとにいろいろと」

「それを、あたしに教えてくれるってこと?」

 

 首を横に振る。そうではないらしい。左手が、パーバティの前へと差し出される。手のひらが上だ。

 

「パーバティには、見せてあげる。とにかく、これを見て。話はそれから」

「う、うん」

 

 だが、手のひらになにかが乗っているわけではない。なにもないのだ。見ろと言われても、何をみればいいのか。手のひらを見て、そしてアルテシアを見る。アルテシアは、右手の人差指と中指をそろえて立て、手のひらの中ほどを、トンと軽くたたいた。だが、それがなんだというのか。パーバティがなにか言おうとしたとき。

 

「あっ!」

 

 そこには、ベンチがあった。いま、自分が座っているのと同じようなベンチが手のひらに。びっくりしてアルテシアをみる。ニコッとほほ笑むアルテシア。右手の人差指と中指で、今度は、そのベンチを軽くたたく。

 

「わ、わたし?」

 

 アルテシアの右手が離れたとき、手のひらの上にある小さなベンチに自分が座っていた。パドマなのかもしれないが、そこに、自分自身の姿があった。どうみても、それは自分だ。アルテシアの右手が、そのうえにかぶさってくる。そして、両手でそれを包み込むようにして自分の胸元へと引き寄せた。

 

「ありがとう、パーバティ。これからは、わたしがあなたを守っていくからね」

「え? あの、アルテシア、それって… これって魔法、だよね」

「うん」

 

 アルテシアは笑っていたが、パーバティはどう反応してよいのか困っているといった感じだった。いまの言葉の意味を尋ねたいところだが、でもそんなことより、魔法が使えたことを喜んだほうがいいのではないか。

 

「あのさ、アル。あんた、魔法、使えるようになったんだね」

「うん。いろいろ心配かけてごめん。それと、ありがとう」

 

 視界がにじんだ。同時に、口をついて出たのはこんな言葉だった。

 

「よかったね、アル。ほんとに、ほんとによかった。これでもう、仲間はずれにされたりしないよね。もう、これで…」

「パーバティのおかげだよ。パーバティがいたから、だよ。パドマもだけど、わたしなんかといてくれて、ほんとにありがとう」

「ううん、そんなことない。わたしが、アルテシアと一緒にいたかったんだ。だから一緒にいただけ。でも、ほんとによかったね」

 

 二人して手をとりあい、喜び合う。ひとしきりそんな話が続いたあと、話が落ち着いてくると、気になり始めたのはもう1つのことだった。『これからは、あなたを守っていく』といった、アルテシアの言葉。聞き流しても問題ないのか。それとも、ちゃんと意味を尋ねておくべきなのか。だが、迷うのはやめにした。そこにどんな意味があったにせよ、明日も明後日も、10日後だろうと1年後だろうと、アルテシアと一緒にいるつもりだし、アルテシアも、そばにいてくれるだろう。きっとそういう意味なのだ。

 

「あ、そうだ。アル、あんた、いつから魔法が使えるようになったの? いま突然にってことじゃないんでしょう?」

「それがさ、はっきりしたことはわからないんだ。たぶん、トロールに殴られて気絶したときだと思うんだけど」

「ふうん。でも、もう少し早かったらよかったのにね。だってあのトロール、アルが倒せてたってことだよね」

 

 だが、アルテシアは首を横に振った。

 

「そうかもしれないけど、あの急場では、なんにもできなかったんじゃないかな。でもこれからは違うよ。これからは、違うんだ」

 

 

  ※

 

 

 グリフィンドール対スリザリンの、クィディッチの試合。グリフィンドール生のリー・ジョーダンによる実況放送と、観衆の大歓声。もちろん競技場にいなければ詳細などわかりはしないのだが、その場にいなくても、熱気は伝わってくる。そんな、白熱した試合。だがもちろん、ホグワーツの全員がその試合に注目していたわけではない。湖のほとりにはベンチに座っている2人の少女がいたし、各寮の談話室にも何人かの生徒の姿があった。

 この試合でハリー・ポッターの箒が妙な動きをみせて落っこちそうになったことや、観客席にいたセブルス・スネイプのマントに火がついたことなど、2人の少女は知らなかった。

 

 

  ※

 

 

「クリミアーナの娘はね、だいたい13歳くらいで魔女になるんだ。先祖の例からいっても、あと2年。それくらいかかると思ってた」

「あ、だからもう少し待てって」

「うん。でもね、必ずしもそうじゃないことだってある。たとえばわたしの母は8歳で魔法が使えたそうだし、10歳でその力に目覚めた人もいたらしい。なにか特別なきっかけがあった人は、13や14でなくても魔女の血に目覚めることができたらしいんだ。もちろんちゃんと魔法の勉強をしてなきゃムリだし、20歳を過ぎてもダメだった人もいたそうだけどね」

「じゃあ、あのトロールがそのきっかけになったってこと?」

 

 その目は、湖に向けられていた。互いを見てはいなかったが、アルテシアの左手とパーバティの右手は、触れあっていた。そこにお互いの存在を感じつつ、話をしていた。

 

「魔女の血に目覚めたとき、そのときは、本人にははっきりわかるって言われてきた。でもわたしは、そのとき気絶してたみたい。あとでベッドで目が覚めてから、なにかいつもと違うなって。そのこと、ずっと考えてた。なにが違うんだろうって。校長先生がお見舞いに来られて、マグゴナガル先生が来られて話をして。そうだってわかったのは、マグゴナガル先生がアルテシアって呼んでくれた、そのあとだったかな」

「アルテシアって呼んだの、ミス・クリミアーナじゃなくって」

「うん、そう。なんていうんだろ。やっぱり嬉しかったかなぁ」

「へぇ。でもあたしだって、アルテシアって呼んでるんだけどな」

 

 ちょっぴりすねた様子をみせるパーバティだったが、なにも本気ですねているわけではあるまい。アルテシアだって、そんなことはわかっていた。

 

「パーバティはね、アルテシアって呼ばなくていいよ。あんたがアルって呼んでくれるのが、なんかうれしい」

「おっと、そうきたか。まあ、いいか。それでいいよ」

「あはは、ごめん。でもね、うれしいのはホントだから。アルって呼んでくれるのがパーバティだけってのもホントだし」

 

 だが、笑い声はそこまで。アルテシアの話が再開したからだ。

 

「とにかく、魔法が使える。だったらわたしにも、できることがあるっていうか、しなきゃいけないんだ。ね、パーバティ。あのとき医務室で、ハリー・ポッターたちと話してたよね。4階になにか大切なものが隠してあって、それを欲しがってる人がいるって」

「ああ、そうだった。でもあんた、聞いてたの?」

「うん。あのとき目が覚めたら、パーバティたちの声が聞こえた。頭がぼーっとしてたけど、話だけ聞いてた」

「あれはさ、ポッターたちがそう思ってるってだけの話だよ。なにか、勘違いしてるんだと思うな。スネイプ先生が何かを盗み出そうとしているとか言ってたけど、そんなことってあると思う?」

「どうだろう。わたしはスネイプ先生がそんなことするなんて思ってないけど、でも、ポッターたちがそう考えた理由があるはずだよね。少なくとも、なにがどうなってるのかはちゃんと知ってたほうがいいんじゃないかって思ってる」

「たぶん、ポッターたちが調べてるとは思うけど。気になるんなら、聞いてみようか?」

 

 ハリー・ポッターたちの話を、パーバティはあまり重要視してはいないらしい。そのことに、アルテシアはほっとした。このようすなら、パーバティは4階に近づこうとはしないだろう。そのほうがいいのだ。マクゴナガルからは友だちを巻き込むなと言われているし、あの場所は、もしかすると本当に危険なのかもしれないのだから。

 

「ううん、わたしが聞いてみるよ。談話室でも会うだろうし、話のついでにさ」

「そうだね。でも、なにかの勘違いだと思うよ。スネイプはみかけほど、イジワルじゃないもん。あのときだって、アルを医務室に連れてってくれたんだから」

「あ、いけない。まだスネイプ先生に、そのお礼を言ってない」

「わたしも、一緒に行こうか?」

 

 それには、軽くうなずくだけの返事を返し、アルテシアは立ち上がった。そろそろ、この話も切り上げどきだと思ったのだ。パーバティも立ち上がる。

 

「でもよかった。アルが魔法使えるようになって。パンジー・パーキンソンはくやしがるんだろうけど」

「どうして?」

「あいつが、アルのこと、なんて言ってるか知ってる? あいつはきっと方向音痴のマグルに違いない。ホグワーツに来たのは道に迷ったからだろうって」

「ああ、聞いたことあるかな。ほかにもいろいろと」

「これで、見返してやれるじゃない」

 

 にこっと微笑んだだけだった。そして、校舎のほうへと歩き出す。もちろんパーバティもそのあとに続く。

 

「魔法は使えるようになったけど、杖をうまく使えるかどうか。これから練習しないとね」

「杖? あ、そういえばあんたの杖は? さっき、杖使ってたっけ? うわっ、寒っ!!」

 

 ベンチからは、せいぜい2~3歩離れたといったところか。まだ湖のほとりと言ってよい場所で、冷たい風が、パーバティに吹きつけた。

 

「ねぇ、パーバティ。杖ってさ、授業のときだけ持っていくんじゃダメなの? いつも持ち歩くべきなの? そのほうがいいのかな」

「あたりまえでしょ。いつも持ってないと、いざってときに困るじゃない」

「あ、そうか。そうだよね」

「もう、しっかりしなよ」

 

 そう言って笑い合うあいだも、冷たい風が体温を奪っていく。アルテシアと並んで歩きながら、ふとパーバティは思った。あのベンチでずいぶんと話し込んだはずだけど、あのとき風なんて吹いてただろうか。寒いなんて思っただろうか。こんなふうに、冷たい風に震えたりした覚えなどないのだ。いや、むしろ暖かかったような気が・・

 アルテシアを見る。まさか、ね。

 

 

  ※

 

 

 ロンとハリーとハーマイオニーの3人は、クィディッチの試合のあと、ハグリッドの小屋を訪れた。そこでの話題は、もっぱら、試合中のスネイプの行動について。3人によれば、試合中にハリーの箒がおかしな動きをみせたのは、スネイプが呪いをかけたからであり、スネイプのマントに火がついたのは、呪いをかけるのをやめさせるためにハーマイオニーがしたことであるらしい。いろいろとスネイプをかばおうとしたハグリッドだったが、3人を納得させることはできなかった

 ハーマイオニーは、スネイプの行為に怒っていた。

 

「このこと、パーバティやアルテシアにも言っておかなきゃ。あの2人は、スネイプのことをいい人だなんて思ってる。とんでもない勘違いだわ」

「まてよ、ハーマイオニー。そう思わせとこうぜ。あいつらには、内緒にしておいたほうがいいんじゃないかな」

「どうしてよ」

「ぼくも、ロンの意見に賛成だ。アルテシアは、トロールに襲われてケガをしたんだぞ。またあぶない目にあわせるわけにはいかない。ぼくたちだけでやったほうがいい」

 

 その意見には、さすがのハーマイオニーも、耳を傾けないわけにはいかなかった。たしかにそうだ。あの三頭犬は、危険だ。もしかするとトロールよりも。

 せっかくハグリッドから聞き出したニコラス・フラメルのこともある。まずそれを調べてからでなければ、自分たちだって、動きようがないのだ。不用意に話をして、あの2人を巻き込むことになるのは避けるべきだろう。

 

「そうね、ロンの言うとおりだわ。いいわね、あなたたち。アルテシアとパーバティには、何も言っちゃダメ。とにかく、このことは私たちだけで調べていくことにするわ」

 

 と、高らかに宣言する。だがハーマイオニーたち3人は、このとき湖から戻ってきたアルテシアが、近くまできていたことには気づかなかった。どのあたりから聞こえていたのかはわからないが、少なくともハーマイオニーの宣言くらいは聞いただろう。そこでアルテシアは引き返す。話の輪の中に入ろうとはせず、そっとその場を離れたのだ。

 一緒に湖から戻ってきたはずのパーバティは、そのとき、さすがに冷えきった体を温めようとラベンダーと一緒に暖炉のそばにいた。そのパーバティのところへと歩いていくアルテシア。もちろんアルテシアには、このことをパーバティに告げる気などない。それはハーマイオニーが考えたことと同じ理由によってだ。アルテシアは、考える。いま、なにをするべきか。何をしなければいけないのか。

 さすがにもう、行動開始とせねばならないだろうと思った。できれば、明日から。いや、むしろ今夜からそうしたほうがいいのかもしれない。

 




 タイトルにもあったとおり、いよいよアルテシアが行動開始。アルテシアの魔法力発現のきっかけとして、トロールのイベントを利用する予定だったので、あの話を少し引きずってしまいましたが、とにかくこれで、魔女の仲間入りです。
 行動開始のアルテシア。さて、なにをしでかしてくれるのでしょうか。お楽しみに。


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第12話 「過去を求めて」

 第11話を変更していますが、それはハーマイオニーの宣言のときうしろにアルテシアがいたのに気づかなかった、という部分をより不自然でなくなるようにと修正してみたものです。あまりうまくはないですが、そういうことです。では、12話をどうぞ。



 たぶん、そうだろうとは思っていた。でも、この予想ははずれて欲しかったなと、閉じられた研究室のドアを見ながら、アルテシアは思う。

 研究室で寝起きをしているなどと思ってはいなかったが、この研究室以外にいそうな場所など思いつかなかったのだ。スネイプ先生の部屋はどこなのだろう。

 いないのだから、ここにいても仕方がない。おそらくは魔法による施錠がされているであろうドア。いまのアルテシアであればそれを突破することもできるはずだが、そんなことをしても意味はない。目的はそんなことではない。

 スネイプと話がしたかったが、引き返すしかなかった。とにかくハリー・ポッターたちが言うように、トロール騒動を引き起こしたのがスネイプなのかどうか。アルテシアは、それを聞いてみるつもりだった。マクゴナガルからの情報では、スネイプは無関係だ。だが、なにか知っていることはあるはず。それを、聞いてみたかったのだ。いまなら、あのトロール騒動のときのお礼のついでということで、その話題に触れることができるだろう。

 だが、ものは考えようだ。これですぐに寮に戻ることができる。寮を抜け出してきたことを、パーバティに気づかれずに済むだろう。なにしろ今は、校内をうろついていると叱られることになる時間帯なのだ。余計な心配はかけたくない。

 だが、階段を登っているときにふと思いつく。なにかと話題の4階のあの部屋を見ておく必要があるのではないか。いまがそのチャンスではないのか。せっかく寮を抜け出したのだ。その正確な場所はしらないが、とにかく。そう思って、顔をあげたとき。

 

「ここで何をしている」

 

 スネイプだった。ここでスネイプと出会ったのは、幸運だったのか、それとも不運か。ともあれ、アルテシアは頭をさげた。

 

「スネイプ先生、どうもありがとうございました。トロール騒動のとき、わたしを医務室まで連れて行ってくれたそうで、感謝しています」

「ほう。いまごろそんなことを、な」

 

 それには、2つの意味がありそうだった。すなわち、時間と日付。こんな時間にか、ということであり、あれから何日も経っているぞ、ということだ。アルテシアも、瞬時にそのことを察する。

 

「あの、先生。遅い時間だということはわかっています。でも、教えていただきたいのです。あのとき、なにがあったのでしょうか」

「なんだと」

 

 意外だったのだろう。さすがのスネイプも、わずかに表情を変化させた。すくなからず驚かされたらしいが、それも一瞬。

 

「それを聞きにきたというのか」

「そうです。あのとき気を失ってしまって、スネイプ先生が医務室まで連れて行ってくださったことは、あとから聞きました。なぜトロールなんかが、あそこにいたんでしょうか」

「それを、吾輩に聞こうというのか」

「だめでしょうか」

 

 さすがにムリがあったかな、とは思う。でも、なにか知っているはずなのだ。ほんのわずかでも、聞かせてほしかった。

 

「よかろう。吾輩もおまえと話をしたいと思っていた。だがマクゴナガル先生が目を光らせているから、遠慮していた。そのおまえから、こうして来てくれたのだ。吾輩の研究室へと招待しよう」

 

 そのままアルテシアの横を通りすぎ、地下への階段を降りていく。アルテシアもその後に続くが、どうしても急ぎ足にならざるをえない。大人と子どもの歩調の差と言ってしまえばそれまでだが、スネイプもいつもよりは早足であるようだ。

 スネイプの研究室には、さまざまなものが置かれていた。どれも魔法薬の調合に使うものなのだろうが、それらに目を奪われていては話が進まない。

 

「紅茶なら用意できるが、必要か?」

「いえ。それよりあらためてお礼申し上げます。あのときは、本当にありがとうございました」

「そのことは、もう忘れてしまうがいい。それより、なぜトロールがいたのか、ということだったな」

 

 アルテシアは提供された椅子に座っていたが、スネイプは立ったままだった。当然、アルテシアを見下ろす形となる。

 

「およその事情について、おまえはマクゴナガル先生から聞いているはずだ。そのうえ、何が聞きたいのだ」

「たしかにお聞きしましたが、それが全てではないような気がするんです。もっと情報が欲しいんです。正しい判断をするために」

「おもしろいことを言うヤツだ。ちなみにおまえはどのように判断しているのだ。野生のトロールが学校に迷い込むなどあり得ないこと。当然、誰かが引き入れたということになるが」

「それがスネイプ先生だといううわさがあります。でもわたしは、そうは思わないんです」

「ほほう。そう判断した理由に興味があるが、そんなことはいい。ともあれ吾輩からは、トロールのことはなにもかも忘れてしまうべきだと忠告しておこう」

「そうでしょうか。同じようなことは、もう起こらないのでしょうか。そうであればいいと思ってはいるのですが、そういうことにしていいのでしょうか」

 

 そんなアルテシアの返事に、スネイプはほとんど反応を示さない。さきほどのように驚いた様子もみせなければ、微笑んだりもしなかった。

 

「それでよい。おそらくおまえは、マクゴナガル先生からもそう言われているはずだ。すなおに言うことをきけ」

「でも、先生。この件には続きがあるような気がします」

「だとしても、校長がなんとかするだろうし、吾輩も気をつけておく。それでいいな」

 

 もう少し食い下がってもよかったのかもしれないが、マクゴナガルに聞いた内容とも食い違いはないし、この件からは手をひくようにと言われているのも事実だ。となれば、納得するしかない。アルテシアはうなずいてみせた。

 

「では吾輩からも、いくつかおまえに尋ねたい。だが忘れないうちに、グリフィンドールから5点減点しておこう。いちいち理由を説明はしないが、それでかまわんな」

「は、はい。すみません」

 

 寮にいるべき時間に、そうしなかったというのが減点の理由だろう。スネイプのことだから、いくらでも理由を見つけ出すことはできるのだろうけれど。

 

「吾輩はクリミアーナ家のことなどなにひとつ知らなかったが、いろいろ調べてみて、いくつか判明したことがある」

「そ、そうですか」

「クリミアーナ家は魔女の家系であり、おまえが魔女であることはわかった。おまえが魔法を使えないのも納得した。だが不思議なことにこれまでクリミアーナ家は魔法界とは常に距離を置いてきている。そのことに、吾輩は興味を持った。その理由を、おまえは知っているのか?」

「いえ、そこまでは」

「そうか。では、こんな話はせぬほうがいいのかもしれんな。寮に戻れ」

 

 突然の、打ち切り宣言。アルテシアには、意外でしかなかった。クリミアーナ家が、魔法界とは常に距離を置いてきた理由。アルテシアも知らないその理由を、スネイプは知っているというのだろうか。そのようなことを、どうやって調べたのだろう。それが不思議だった。このことは調べることができるのだ。それも、意外であった。

 

「あの、スネイプ先生」

「寮に戻れと言ったはずだが」

「でも、先生。そんなこと、どうやって調べたんですか。教えてください」

「戻らねば、さらに減点するぞ。それでもいいのか」

 

 教えてくれるのなら、減点されても仕方がない。だが、減点だけされて放り出されるのは本意ではない。おとなしく戻るべきか。パーバティの顔が頭に浮かぶ。もう、気づかれているだろう。

 

「わかりました。でもスネイプ先生。その理由をご存じなら、いつかわたしに教えてください。お願いします」

 

 頭を下げ、研究室をでるアルテシア。研究室のドアを閉じるとき、スネイプはひと言だけアルテシアに告げた。

 

 

  ※

 

 

 『太った婦人』の肖像画。グリフィンドール寮への入り口でもあるその絵に、ご本人は不在であった。ちょっとしたお出かけなのだろうが、戻ってくるまで談話室へは入れないことになる。つまりが、閉め出されたわけだ。

 仕方なく、アルテシアはその横に座り込む。戻ってくるまで待つしかない。いや、それともこの空間と寮の自分のベッドのなかとを入れかえてしまおうか。部屋のなかのことはよく知っているので、すぐにイメージができる。そうすれば、パーバティにはベッドで寝ていたといいわけもできるし、とそこまで考えて、いや、それはダメだと首を振る。それではパーバティにウソをつくことになってしまう。相手がパーバティでなくとも、ウソはダメだ。場合によっては言わないこともあるにせよ、ウソだけはダメだ。

 やはり、待つしかない。

 

『理由は知らんが追放されたようだ』

 

 スネイプが、ドアを閉じるまぎわに言った言葉だ。その意味するところを、アルテシアは考える。追放、それが魔法界と距離を置く理由なのか。さすがのアルテシアも、そのあたりのことは知らなかった。もしかすると『追放』という厳しい言葉ではなく、仲違いや行き違いによる分裂といったとらえ方をするべきことなのかもしれないが、そういうことなら修復は可能であるはず。だが当時の人たちはそうすることをせず、それがそのまま今日まで続いてきた。それは、なぜだ。スネイプの言うことは本当なのか。本当にクリミアーナは魔法界から『追放』されたのか。

 これまで、そんなことを考えてはこなかった。そんなことに思いが到らなかったことは反省すべきかもしれないが、『追放』されたなどと思いたくはない。もしそうなら、クリミアーナはなんのために魔女の血を受け継いできたのか。その思いを受け継いできたのか。違う、絶対に違う。なにかほかに理由があるはずだ。

 自分にできることは何か、何をすればいいのか。ものごころついてからというもの、いつも、そのことを考えてきた。それが、クリミアーナの娘だからだ。誰もが自然に呼吸するかのように、クリミアーナの娘はそのことを考える。そして、行動する。いま、自分がしなければいけないことは何か。

 ごそごそと、なにか音が聞こえた。見れば、肖像画に『太った婦人』が戻ってきていた。目のあった婦人が軽くウインクしてきたところで肖像画がパッと前に開き、その後ろにある壁の丸い穴から人が出てくる。

 

「アルテシア、こんなところで何してるの!」

 

 最初に出てきたのは、パーバティ。彼女はアルテシアを見つけるなり、そう言った。続いて出てきたハーマイオニーが、そんなパーバティをなだめる。

 

「落ち着いて、パーバティ。たぶん『太った婦人』がお出かけしてて、閉め出されちゃったんだと思うわ。あたしにも経験あるもの」

「合い言葉を忘れたのかもしれないよ。ネビルは、何時間も寮に入れなかったことがあるんだ」

 

 その次はハリー・ポッター。そして、ロンも。

 

「とにかく、談話室に戻ろうぜ。それとも、このまま外にいてなにかいいことでもあるってのか」

「そ、それはそうね。とにかく戻りましょう。話はそれから」

 

 談話室には誰もいなかった。ベッドに入る時間は過ぎていたのだ。だからこそ、アルテシアがいないのに気づいたのだろう。パーバティはアルテシアの左手をしっかりと掴んでいた。

 

「で、どこに行ってたんだい」

 

 口火を切ったのはロンだった。アルテシアは、みんなの前で頭をさげた。

 

「心配かけてごめん。スネイプの研究室に行ってた」

 

 それぞれに、驚きの声と表情。アルテシアの行き先に、誰もがびっくりしたわけだ。

 

「な、なんだってそんなとこに?」

「呼び出されたのか、あいつに」

「ううん、違うよ。トロールのとき助けてもらったお礼だよ。まだ言ってなかったから」

「そんなことで、あんなとこまで行ったのか。こんな時間に」

 

 スネイプにお礼など言う必要はない。それが、ロンとハリー、そしてハーマイオニーの考えだった。ハーマイオニーなどは、クィディッチの試合でハリーの箒に呪いをかけたのはスネイプに違いないと考えており、おもわずそのことを言ってしまったくらいだ。

 そんな話をする予定ではなかったから、ハリーたちはあわてた。だが、言ってしまった言葉は戻らない。

 

「そんなことがあったのね」

 

 パーバティはもちろん、知らなかった。なぜなら、その試合を見ていない。それがスネイプの呪いによるものだとしても、なぜそんなことをせねばならないのか。それがわからなかった。

 

「スリザリンに勝たせたいからだろ。シーカーは真っ先に狙われるんだ。あいつは、スリザリンの寮監じゃないか」

「そんなことで・・ 落ちたら死ぬかもしれないのに」

「でもハリーは、落ちなかっただろう。最後はちゃんとスニッチを捕った」

 

 そんな話のなか、アルテシアはずっと黙っていた。そのためなのかどうか、パーバティが、勝手に外出などさせないと言いだし、そのときは一緒に行くことを了承させられる結果となった。

 

 

  ※

 

 

 今日の朝食の席には、グリフィンドール寮のゴーストである、ほとんど首無しニック(ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿)も姿を見せていた。彼自身はなにか食べるわけではなかったが、生徒たちの食べる姿は、見ていて楽しいものらしい。

 そのニックのもとへ、アルテシアが近づいていく。パーバティはラベンダーと談笑中であり、ハーマイオニーはいつもの3人で頭をよせあって何事か話し合っていた。

 

「サー・ニコラス。聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

「おう、これはこれは。もちろんですとも」

 

 了承が得られたところで、パチンと指をならす。アルテシアとしては、ニックとの会話を周囲の人に聞かれたくなかったのだろう。魔法族でのマフリアート(Muffliato:耳ふさぎ)とほぼ同じもので、パチンとなったときの音が余韻として残り、周囲の人に会話が聞かれにくくするというものだ。

 

「ねぇ、ニコラス。あなた、わたしのことを“姫さま”って呼んだことあるわよね。あれって、誰のこと?」

「おやおや、やはり気になられるようだ。いつかは聞きに来られるのではと思ってはいましたがね」

「心当たりは、あるの。たぶんわたしの」

「ご先祖さま、ということでしょうな。まだこの首が、こうなる前のことですからね」

 

 そう言って、首のあたりをピタピタと叩いてみせる。

 

「わたしね、ご先祖のことを調べてみようかと思っているの。クリミアーナの歴史が生まれたころまでさかのぼることになるかもしれないけど、知る必要があると思うんだ」

「なるほど。それでわたしに知っていることを話せというのですね」

「ええ。おねがいよ、サー・ニコラス。遠い昔になにがあったのか、それを知りたいの」

 

 ほとんど首無しニックに限らず、クリミアーナ家のことを知っている人からは、話を聞いてみようと思っていた。幸いにもそんな人は皆無ではないようだし、まずは情報集めだ。いったいクリミアーナ家の過去になにがあったのか。セブルス・スネイプにできたことなら、自分にもできるはずだ。きっと、スネイプと同じだけの情報は得られるのに違いないのだ。

 加えてアルテシアには、クリミアーナ家の娘としての知識がある。その知識と合わせれば、より正確なことがわかるだろう。

 

「つまり、あなたにそっくりである、その姫さまについて話せばいいのでしょうな。このわたくしのことよりも」

「その人って、わたしに似ているの?」

「ええ、似ていますとも。そっくりというか、わたくしのふるぼけた記憶がいまも正しいとするのなら、あの姫さまはあなたですよ。いや、あなたがあの姫さま、というべきなのか」

「どっちでもいいけど、その人は何をしてたの? 名前は?」

 

 ニックからは、すぐに返事が返ってこない。きっと、思い出そうとしているのだろう。

 

「どうしたの、サー・ニコラス」

「いや、お名前が、さて、なんでしたか。いつも姫さまとお呼びしていたもので」

「じゃあ、名前を聞いたことなかったのね」

「いえ、お伺いしたことはございますよ。ですから、そのうち思い出すでしょう。ともあれその人は、その城の女主人。その地域一帯を治めるご領主さまでした。わたくしも、ずいぶんとお世話になったものです」

「ご領主・・」

「はい。もう何代も続いた魔女の家系でもありました。あのころは、各地で争いごとなどもありましたからね。でもあの方は、ご自分の領地をしっかりと守っておられた。姫さまを慕い集まってくる人たちを守っておられたのです」

 

 自分の持つ知識を総動員して考える。その城は、たぶん今のクリミアーナ家と同じ場所にあったはずだ。そして治めていたという領地は、なにかとアルテシアの面倒をみてくれる人たちが住んでいる地域一帯なのだろう。もちろんその広さはずいぶんと違うのだろうけど。あの家が建てられたのはいつだったのか。記憶ではあの家は、クリミアーナの歴史の始まりとともに、その初代当主を慕う者たちの手で建てられたものであるらしい。

 

「知っていることはそれくらいですかねぇ。あの城に立ち寄ったときはいつも歓迎していただきましたよ。わたくしがこうなってからはお会いする機会もなくなりました。姫さまはいま、どうされているのか」

 

 そこでニックは、はっと思い出したようにアルテシアを見た。

 

「わたくし、いま気がつきました。あなたですよ、姫さま」

「え? なに」

「そっくりですって。いいえ、とんでもない。あれはあなたです。わたくし、ヘンなことを言ってますね。そのこと、自覚してますけどね」

 

 ゴーストも笑うのだ。もちろん怒るし、悲しみもするのだろう。だが、いまの言葉はどういう意味か。

 

「ありがとう、サー・ニコラス。またなにか思い出したら教えて」

「お安いご用ですとも、姫さま。これからはアルテシア姫とお呼びしますが、かまいませんよね?」

「ダメよ、さすがにそれはおかしいでしょう」

「そうでしょうか。ともあれ、名前を思い出せるようにわたくしの記憶をひっくりかえしてみましょう」

 

 パチンと、もう一度指を鳴らす。見た目には何の変化もないが、アルテシアの魔法が終わりを告げた。そのことに、誰も気づくことはなかった。パーバティはあいかわらずラベンダーと話をしていたし、ハーマイオニーたち3人の密談も続いていた。

 




 アルテシアの過去というか、クリミアーナ家の歴史的なものについては、実は第1話でやろうかなと思っていたものです。クリミアーナ家というものを分かってもらってから物語に入るつもりでいたんですが、思い直して、入学案内からお買い物、そしてホグワーツ特急というノーマルなパターンにしたものです。そのほうがよかったとは思っていますが、ホントにそうか、と自分に問いかけるわたしがいたりします。


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第13話 「クリミアーナの意志」

 いくつも感想いただいてます。ありがとうございます。ひとつひとつに返事を書きたいのですが、近いうちに実現、ということにさせていただきます。あしからずご了承くださいませ。
 第13話は、クリスマス休暇中のお話。ホグワーツから離れクリミアーナへとご招待。



 クリスマスが近づいていた。それとともに寒さも増していき、暖炉が恋しくなるのは理解できる。その気持ちはわからなくもないが、アルテシアのそれは異常だと、パーバティは思っていた。パーバティだけではない、寮は違うがこの話を聞いたパドマもそうだし、ハーマイオニーも同意見だった。なにしろ、この数日というものアルテシアは暖炉のそばから動かないのだ。もちろん、授業には出席する。だが授業中も、どこかうわのそらといった感じだ。アルテシアは魔法が使えないということになっているので、教師の側もほったらかしだし、まわりの生徒たちも、そんなアルテシアには関心を示さない。

 だが、パーバティはそういうわけにはいかなかった。暖炉のそばに座り、じっと燃え上がる炎を見つめているアルテシアのことが、気になって仕方がない。でも、話しかけてみても返事はないし、腕をつついてみても反応はない。まさに、心、ここにあらずだ。こんなことはまえにも何度かあったが、今回はとくにひどい。こんなに何日も続くのは初めてだが、とにかくそばにいるだけだ。

 

「アル、あんたがなにしてんのかわかんないけど、あたしはここにいるからね」

 

 自然の成り行き、とでもいえばいいのか。パーバティも暖炉のそばで過ごすことが増えた。さすがにラベンダーはそんなパーバティにも話しかけてくるが、ハーマイオニーはなにやら忙しそうで、近づいてはこない。忙しそうだと言えば、ハリーとロンもそうだった。3人共通の調べ物があるらしく、揃って図書館に行ったりしている。一度、ラベンダーが何をしているのか聞いたことがあったが、ハーマイオニーは教えてはくれなかった。

 そんな、いわば静かな日々のまま、クリスマス休暇を迎えた。

 

 

  ※

 

 

「待ちなさい、それはどういうことですか」

 

 マクゴナガルのまえにいるのは、パドマ。クリスマス休暇となり、実家へと戻る生徒たちはすでに出発したはずだった。もちろんパチル姉妹もそうなのだ。なのに、その妹のほうだけが、学校にいるのはどういうわけか。

 

「どうやら姉は、アルテシアのところへ行ったようなんです。実は、実家のほうでは姉がいないと困る用事がありまして。ですから迎えに行こうと思うんですが、行くにも場所がわからないので先生に教えていただきたいんです。先生ならご存じですよね」

「待ちなさい。お姉さんは、その場所を知っていたというのですか。クリミアーナには、簡単には行けませんよ」

「え?」

「このごろ、いろいろとわかってきたのです。やはり、勉強というものは必要なのです。あなたは、かなり優秀だと聞いています。わたしの授業でも、積極的に学ぼうという姿勢を感じていますよ」

 

 そんなことはどうでもいいが、簡単には行けないというのはどういうことなのか。単に住所を知り、そこを訪ねるだけではダメだということなのか。そういうことであれば、この計画はあやうくなる。だが、そんなことってあるのか。パドマは、ごくりとのどを鳴らす。

 

「あなただから言いますけどね、ミス・パチル」

「は、はい」

「クリミアーナ家に関する書物を、アルテシアに借りて読んでいるのです。難しい本ですが、このごろほんの少しですが理解できるようになってきました」

「そ、そうなんですか」

 

 いったい、何を言われるのか。心臓のドキドキが極限に達しようとでもしているらしく、その音が聞こえてくるようだ。マクゴナガルは、めずらしく笑顔を見せた。

 

「ウソですね、ミス・パチル。あなたはウソを言っています。まあ、その気持ちはわからないではありませんが」

「あの、先生」

「まあ、いいでしょう。ここ数日のアルテシアの様子は、たしかにおかしかった。あなたがたが、親しい友人であるということもわかっています。心配してのこと、なのでしょうね」

 

 自分のウソなど、こんな簡単に見破られてしまうのかと、パドマは思った。姉と2人で考えた計画だったが、その最初のところでつまずくことになろうとは。

 

「支度は済んでいるのでしょうね、ミス・パチル。わたしが『姿くらまし』で連れていきましょう」

「あの、ホントですか、先生。いいんでしょうか」

「よくはありませんが、あなただって引き下がるつもりはないでしょうし、わたしにも、気になることがあります。ようすを見に行きましょう」

「すみません、先生」

「知っているとは思いますが、学校の敷地からでは『姿くらまし』はできません。ついてきなさい」

 

 ということで、いったん学校を出なければならなかったが、それでも1時間もしないうちに2人は、クリミアーナ家の門をくぐることになった。出迎えたのは、パルマという50歳くらいに見える女性。パルマによれば、いまアルテシアは不在だという。

 

「出かけている、のですか。外出は控えるようにと言ってあったのですが」

「ああ、そうですか。でもね、先生さま。それはムリってもんですよ。怒らないでやってくださいね」

「どこへ行ったのです?」

 

 家の中へと通される。パドマは、まだ一言もしゃべっていないし、話しかけられてもいなかった。

 

「森、ですけどね」

「森? それは、この家の裏手にある森のことですか」

「そうですがね。なんでもホグワーツには、自由に散歩できるところなんてなかったそうで。ほれ、なんていうんでしたっけ、ええと、ホグワーツにも森はあったそうですけどね。とにかくあの森ならば、なんの心配もねぇですから」

「まあ、そうだとは思いますが」

 

 マクゴナガルが初めてこの家を訪れたときにも通された応接室。そこでパドマと2人、腰を落ち着ける。

 

「飲み物でもいかがです? お嬢ちゃんは、甘いやつのほうがいいですかね?」

「あ、わたしは… あの、パドマ・パチルと言います。学校では友だちで」

「わかってますよ、パドマさん。双子の姉妹さんがアルテシアさまと仲良くしていただいている、そういう話は聞いてますです」

 

 マクゴナガルの前に用意されたのは、紅茶。パドマには違うものが置かれたが、どちらからも温かい湯気が立ち上っていた。

 

「学校とやらで、アルテシアさまはどんな様子ですかね。うまいことやれてるんですかねぇ」

 

 パドマに対しての問いかけなのだが、さて。パドマは、すぐには返事ができなかった。魔法が使えないということで、アルテシアはずいぶんとつらい思いをしただろう。それを知っているだけに、安易な返事はできなかったのだ。

 

「まあ、戻ってくるなり森に行ってしまいましたからね。どう過ごしていたかは想像できますけど、でも、それだけじゃないような気がするんですよね」

「アルテシアからは、何もきいておられないのですか」

「おや、先生さま。たしか、ミス・クリミアーナとか呼んでらしたんでは」

「いろいろありましてね。呼び方は、変わってしまいました」

「もしよければ、先生さま。森に案内してもいいんですけど、アルテシアさまが戻ってくるまでお待ちいただけますかねぇ。なにか、いろいろ考えることがおありのようでして」

 

 そう言えばアルテシアは、あのトロール騒動のあと、クリミアーナ家に帰りたいと言ったことがある。許可することはできなかったが、家に戻りたいというより“森に行きたい”ということだったのかもしれない。

 

「すぐ戻ってくると思いますよ。来客があったことはあの森にいてもわかるはずですし」

「どういうことです? その森には、なにがあるのです? わざわざ行くのはなにかがあるからなのでしょうが、アルテシアはそこで何をしているのです?」

 

 マクゴナガルがそれを知りたいと思ったのは、当然のことかもしれない。隣に座っているパドマも、同じ思いだったろう。そんな2人にすれば、パルマの説明は、望んだものではなかったのかもしれないが、話はつながっていく。

 

「アルテシアさまは、あの森がお気に入りでしてね。小さいころから、なにかあるとお出かけでした。毎朝の散歩の場所でもありましたねぇ」

「では、とくになにもないと」

「墓地はありますけどね。そこにはマーニャさまが、あ、マーニャさまっていうのはアルテシアさまのお母上ですけどね」

「では、その墓参りということですか」

「違うとは思いますけど、そうかもしれないですねぇ。まあ、クリミアーナ家の娘さんですからね。こういうことはよくあるっちゃあ、よくあることなんですよ」

 

 そこで、マクゴナガルが席を立った。あわてて、といった感じではないが、ピンと背筋を伸ばして立ち、パルマを見る。

 

「森に行きます。案内してください」

「お待ちいただいたほうがいいと思いますがね。じきに戻ってくるはずですよ」

「かもしれませんが、ほおってはおけません」

「べつに、危険なことなんかねぇですよ。むしろ安全だと思いますよ、あの森は」

 

 そんな話となったところへ、アルテシアが戻ってきた。なるほど、来客があったことに気づいて戻ってきたらしい。

 

 

  ※

 

 

「ねぇ、パドマ。明日の朝、散歩につきあってくれない。森の中なんだけど、みせたいものがあるの」

「いいよ。こうなったら、なんでも見て帰らないと。おみやげ話だけじゃ、姉は満足しないんだろうけど」

 

 そう言って、クスッと笑ってみせた。本来なら客間を使うところなのだが、今夜はアルテシアの部屋にベッドを並べさせてもらい、同じ部屋で寝ることにしたパドマである。ちょうどいま、ベッドの中に入ったところだ。ちなみにマクゴナガルは、アルテシアと1時間ばかり話し込んだあとで、学校へと戻っている。いろいろと用事があるらしい。

 

「パーバティも来ればよかったのに。この部屋は、3人だって寝れるよ」

「そうだけど、2人とも家に戻らないとなると、ちょっとね。親だってさびしがるだろうし」

「ああ、そうか。そうだよね」

「この次は姉がここに来て、あたしが家に帰るんだ。交替でそうしようって約束したの。最初はあたしから。いいでしょ、あんたたちはいつも同じ寮の同じ部屋なんだから」

 

 パドマは、レイブンクローだ。パーバティとパドマは双子の姉妹でありながら、別々の寮に別れてしまったのである。

 

「そうだ。わたしが魔法が使えるようになったこと、パーバティから聞いてる?」

「聞いてるよ。でもしばらく内緒にしとくんだって? そんなことする意味なんてないって思うけどな」

「さあ、どうなんだろ。わたしにはわからないけど、マクゴナガル先生がそうしなさいって。でもね、授業で習う魔法は覚えたものから使っていいことになってるの。クリスマス休暇が終わってからだけど」

「じゃあもう、これで誰にも無視されたりせずにすむんだね。成績だって、実技ができるようになったら、すぐにハーマイオニーを追い抜けるんじゃないの」

 

 成績の学年トップは、間違いなくハーマイオニーだった。知識面だけで言えばアルテシアも相当なものだが、これまでは魔法の実技がお話にならなかった。かたやハーマイオニーは、実技もトップクラス。総合成績ではとてもかなわない。

 

「学校の成績はね、あんまり気にしてないんだ。詳しいことは明日話すけど、やるべきことができれば、それでいいんだ。わたしの魔法は、そのためのものだから」

「やるべきこと?」

「うん。わたしがやるべきこと。クリミアーナの娘として生まれたからには、やらなきゃいけないことがある。ずっと、それができるようになりたいと思ってた。そのために勉強もした。これからは、それをやりとげなきゃいけないんだよね」

「ふうん」

 

 その具体的な内容は、おそらくは明日の話ということだろう。そう思ったパドマは、それ以上は尋ねなかったし、アルテシアもそれ以上のことは言わなかった。

 そして、翌朝。焼きたてのパンにサラダが食卓に並ぶ。パルマの陽気な声が響く中、いつになくにぎやかな朝食が終わると、アルテシアはパドマを連れて家をでる。アルテシアにはいつもの散歩コースというものがあるが、今日はパドマがいることもあり、主な目的地である森へとむかう。

 森へは、いったん庭へと出て家の裏手を回って行くことになる。冬場のことでもあり寒さ対策もした2人が、森の中をゆっくりと歩いていく。そして着いた先は、クリミアーナ家の墓地だった。

 

 

  ※

 

 

 墓標を前にして、アルテシアが祈っていた長い時間。パドマはその後ろに立ち、アルテシアの背中を見ていた。クリミアーナ家歴代の墓地だというからもっと広い場所を想像していたが、並んだ墓標は20個ほどか。木々のあいまから日の光がさし、柔らかな風が吹く。そばを流れる小さな川のせせらぎ、どこからか小鳥のさえずりも聞こえてくる。そんなのどかな場所だった。

 ようやく、アルテシアが立ち上がる。終わったのかと思いきや、その右隣の墓標の前に移動。これには、さすがのパドマもその目を疑った。まさかすべての墓標の、そのひとつひとつに祈るのか。20個ほどもあるのに。

 だがアルテシアは、その墓標のなかほどに手を置いただけだった。ほどなくして振り返ったアルテシアは、パドマに笑顔をみせた。

 

「パドマ、これ」

 

 その手にはあったのは、一握りの透明な玉だった。直径にして3センチか4センチ。せいぜいそれくらいのものだが、それをアルテシアはどこから持ってきたのか。たしか、なにも持っていなかったはずなのに。

 

「これが、どうしたの? どこからこれを」

「もらったの。譲り受けたって言うべきなんだろうけど、パドマには特別にみせてあげる」

「え?」

「ほら、よく見て」

 

 いわゆる、無色透明。透き通ったその玉は、もしかすると水晶玉だろうか。だがよくみれば、その中になにかがあるようだ。それがなにか、よく見ようとして顔を近づける。その中には。

 

「うわ。これ、なに。魔法、だよね?」

 

 そこには、たとえばとても高い塔から地上を見下ろしたような、そんな風景が映っていた。いわゆる田園風景、のどかな田舎町とでも言おうか。風景が動いていき、景色が変わる。どうやら中央あたりの広い道に沿って動いているらしい。その先に白い家と森が見えてくる。

 

「ああ、これってクリミアーナ家だよね」

「そうだよ。いま見てもらったのが、クリミアーナ。ここに住む人たちのことも含めて、わたしがすべて引き継いだ。この玉は、その証明みたいなものだね」

「引き継いだって?」

「うん、そう。これまではわたしのお母さん、マーニャって名前だけど、マーニャの名によってこの地は守られてきた。わたしが5歳のとき亡くなったけど、まだ魔法が使えなかったわたしは、そのあとを引き継ぐことができなかったんだ」

「あの、よくわかんないんだけど」

 

 わからないのも、ムリはない。アルテシアの説明は、簡単すぎた。だがアルテシアには、細かなところまで説明するつもりはないようだ。

 

「ごめん、説明ヘタで。でもね、これで私は、正式にクリミアーナ家を継ぐことができたの。この玉を持っている人が、クリミアーナ家の当主なの。つまりこれで、クリミアーナの娘だと、堂々と名乗れるってことなの」

 

 それでもパドマには、いまひとつピンとこなかった。だが、アルテシアが喜んでいるのはわかる。きっと、彼女にとっては待ち望んだ瞬間だったのだろう。あの玉は、おそらくはご両親の遺品に違いないとパドマは思った。保管場所としてはどうかと思うが、魔法が使えるようになるまで、たぶんお墓に保管されていたのだ。それをいま、取り出したってことなんだ。

 

「よかったね、アルテシア。これは、嬉しいことなんだよね」

「うん。でも責任重大だよこれからは。わたしには、まだわからないことがいっぱいあるし、できないことも多いし、魔法だって未熟だし。でもね、パドマ。どんなことがあろうと、守りとおしてみせる。この森とあの家とクリミアーナを守るんだ。パドマ、あなただってそうだよ」

「え、わたし?」

「うん。パーバティもだけど、パドマはわたしが守る」

「ええっと、もう少し詳しく説明してくれる? その“守る”ってことが、きのうの夜に言ってた、あなたのやりたいことなの?」

 

 笑って応えず。そうやってごまかすつもりなどないのだろうが、アルテシアは、楽しそうに笑いながらうなずいた。そして、もう一度手のひらの玉をみせる。パドマがのぞき込んでみると、今度はそこに、まったく同じ顔をした姉妹が映っていた。

 

「パドマ、紹介するね」

「え?」

 

 そして、墓標のひとつの前へと引っ張っていかれる。アルテシアが、長い間祈っていた墓標だ。その墓標には、名前だと思うのだが、なにやら文字が刻まれていた。だがパドマには、それを読むことができなかった。

 

「ここには、わたしのお母さんが眠ってる。マーニャ・クリミアーナ。8歳のときには魔法が使えたくらいの天才だったんだけど、身体が弱くてね。医者からは子どもを持つことはあきらめるようにって言われてたそうよ」

「えっ、まさかそれって」

「あなたの身体は出産には耐えられない。あなたか、こどもか、それとも両方か。不幸な結果となるからあきらめるようにってね」

「そんなことって。じゃあ、お母さんが死んだのは」

 

 アルテシアが首を横に振らなければ、最後まで言ってしまっていただろう。言わなくてよかったとパドマは思った。

 

「お母さんが死んだのは、わたしが5歳のとき。だから、違うよ。母は、病気で死んだんだ。そのとき、25歳。早すぎだって思うけど、こればっかりはどうしようもないもんね」

 

 人は、かならず死ぬ。それが自然の摂理、つまりがあたりまえということだ。だが25歳でそれを迎えるのは、たしかに早すぎる。母は、やりたいことをやりおえたのだろうか。したいことをすることができたのだろうか。アルテシアのなかには、常にその疑問があった。だが、だれもその答えをくれはしない。自分のなかで考え、導き出すしかない。

 

「こっちの墓標は、クリミアーナ家初代の当主の墓だって言われてる。そう言われてるだけで、名前もいつごろの人かもわからないんだけどね。クリミアーナには失われた歴史っていうのがあって、そのころのことは、誰も知らないの」

 

 今度は、アルテシアがあの水晶玉らしきものを取り出した墓の前へと来ていた。

 

「でも墓標になにか書いてあるよ。名前とかじゃないの」

「そこにはこう書いてある。『そのときは突然やってくる。だが歴史は終わらない。意志を継ぐ者がいる限り』」

「どういう意味?」

 

 アルテシアは首を振る。その言葉が意味することの、本当のところはわからないのだという。だが、後の世代の者たちによってさまざまに解釈はされてきた。有力な説のひとつが『いずれ争いごとに巻き込まれることになるのではないか。だがクリミアーナ家の血筋を絶やさぬ限り、クリミアーナは存続する』というものだ。だがアルテシアは、少し違う解釈であるらしい。

 

「たぶん、その解釈は正しいんだと思う。でも意志ってなんだろうって思うんだ。たしかにクリミアーナ家は魔女の血筋だし、わたしの母は、その血筋を絶やさぬためにと命がけでわたしを生んでくれた。でも意志とは血統のことなのかな」

「意志ってさ、考え方とか気持ちとか、そんなことだよね」

「わたしは、これが、その意志だと思ってる。この玉に、その意志が込められてるんだと思ってるんだ」

 

 その水晶玉らしきものを墓におさめたままにしておいてはいけないのだ。その手につかみ、実際に行動するものがいてこそ、新たな歴史は生まれていくことになる。歴史は終わらない。アルテシアの解釈は、そういうことであるらしい。いまその手に、玉がある。そのなかにあるものを守りたい。ずっとずっと守っていきたい。それが、クリミアーナを引き継いだアルテシアの願い。

 そのなかに、ホグワーツをもいれるべきかどうか。このところのアルテシアは、そのことを考えていた。そうしてよいのかどうかの判断は、まだできていなかったのだ。いまは保留でいい。そうしようと思った。せめてもう少し、事情がわかるまでは。

 




 クリミアーナ家の娘である、アルテシア。彼女が背負っているもの、それが見えはじめてきた回となりました。最初にこの話をもってきて、あの玉にホグワーツらしきものが写り、アルテシアがなんだろうと思っているところへ入学案内が届き、ああこのことかと気づき入学を決意する。そんなふうにして物語が始まるといった構想があったりもしましたが、ここでようやく追いついたといった感じですかね。
 では、また。次回もよろしく。


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第14話 「クィリナス・クィレル」

 パチル姉妹がケンカをしたのは、これが初めてではない。いわゆる姉妹ゲンカというもので、何度も経験してはいるのだが、今回は、お互いがお互いのことを、あまりにうらやんだことがその発端である。すなわち。

 

「そんなびっくりするような話があるのなら、わたしが直接お母さんから聞きたかったな」

「わたしだって、アルがそんなところに連れてってくれるんなら、行きたかった。話だけ聞くんじゃなくって」

 

 つまりがパドマは、クリスマス休暇は自分が自宅に戻っていればよかったと言ってるのである。その話を、姉を通してではなく直接聞きたかったというのだ。パーバティは、それを言うのなら自分もクリミアーナの森や墓地に行ってみたかった、とすねてみせた。そんなささいなことから始まったものが、なかなか終わらない。そんな状況が続いているのである。

 ここで気になるのは、パーバティが母親から聞かされたという話の内容だ。パドマはそれを姉のパーバティを通して聞いたのであるが、その内容に驚いたことも、その要因のひとつであるのかもしれない。すなわち、どう受け止めていいか迷い、決められない。なので、ひとまず怒ってみせたといったところだろう。これが自宅であれば、しょっちゅう顔を合わせることでもあり、自然消滅といった感じでいつのまにか仲直りとなってしまうのだろうが、ホグワーツでは別々の寮だ。顔をあわせずとも済むだけに、仲直りのきっかけが難しかった。

 だがこのことは、その本人たちを別にすれば、どうということのない出来事だ。せいぜい、あの仲良し姉妹がめずらしいわね、などとうわさされるくらいのものだろう。だが、アルテシアにとってはそんなに簡単ではなかった。パドマとパーバティは、とても大切な友だちなのだ。ほおっておいてもそのうち仲直りする、そんな程度のケンカだとわかっていても、ほおってはおけなかった。どうしても気になってしまうのだ。

 

「あのさ、パーバティ」

「なに」

 

 とにかくパーバティに話しかけてみる。いつもとかわらぬパーバティではある。だがそれは、パドマとの仲直りを提案しなければ、という前提条件があってのことだ。そのことに触れれば、とたんに機嫌が悪くなる。パドマのほうも似たようなもので、パーバティとの仲直りについては、口にすることができない。そんなことをすれば、すぐさま寮に戻ってしまう。これでは、なんの進展もない。

 

「わたしね、決めたから」

「なにを?」

「あなたたちと、絶交する。2人が仲直りしない限り、もう口も利かない」

「え! あんた、なに言ってんの。それ本気なの?」

 

 もちろん、本気ではない。2人にきっかけを作りたいだけのこと。とはいえこれは、アルテシアにとっては危険な賭けであった。思惑通りにいかなければ、どういうことになるのか。

 明らかに自分が不利な賭けだと言えた。ただ2人の友人を失うというだけではない。クリミアーナの娘として守っていくだのだと、そう決めた2人なのだ。むろん、絶交しようとも見守っていくことはできるだろう。だがそれでは、いけない。十分ではないのだ。見守る以外には、もうその人のために何もすることができない。そんな状況など、望まない。

 内心での、そんな思いが顔に表れていたのだろう。まじまじとアルテシアの顔をみつめていたパーバティが、急に笑い出した。

 

「あはは、あんたってホント、わかりやすいねぇ」

「な、なによ」

「そうか、自分ではわかんないんだ。そりゃそうか。鏡でもない限り、いまどんな顔してるかなんて、わかんないよね」

 

 自分が笑われているのは確かだが、いま自分がどんな顔をしているのかわからないのは確かだし、口を利かないと言ったばかりだということもあって、怒るに怒れなかった。でも、パーバティと並んだまま廊下を歩いていた。今日の授業はもう終わり。いまは、寮に向かっているところだ。

 

「ほら、今度は困った顔してるよ。絶交するなんて言っちゃったものの、ホントにそうなったらどうしようってところかな」

 

 いまは、顔が赤くなっているだろう。さすがにそれは、アルテシアにもわかった。こんなに簡単に気持ちを読み取られてしまうことに、気恥ずかしさを覚えたのだ。それにここまで見透かされているようでは、この絶交作戦は意味をなさないことになる。失敗というわけだ。

 

「アルって、不思議だね。普段はこんなにわかりやすいのに、ときどき、なに考えてるのかわかんないときがある。そのこと、自覚してる?」

 

 アルテシアは、上目遣いにパーバティを見ただけだった。パーバティは軽くため息。

 

「口を利かない、か。わかった。あたしだって、アルと絶交なんてことになったらイヤだし、パドマもそれは同じだと思うから。仲直りするよ。パドマと話してみる。だから返事はしてよね」

「う、うん。ごめんなさい」

 

 そこで、パーバティは立ち止まった。空き教室の前だ。

 

「ちょっとだけ、話があるんだ。誰にも聞かれないほうがいいと思うから」

 

 たしかに廊下にはちらほらと何人かの姿はあった。だがそれよりも、立ち話ではないほうがいいと思ったのだろう。入り口にはカギがかけられていたので、パーバティが杖を取り出す。だが、思いついたようにアルテシアを振り返った。

 

「やってみる?」

 

 アルテシアも杖を取り出した。学校で習った魔法であれば使ってもいいということになっていたので、杖を使い、カギをあける。厳密にいえば、カギを開けるためのアロホモラ(Alohomora:開け)の呪文は授業では習っていないのだが、アルテシアのなかでは、杖を使っての魔法ならOKという判断がされているのだ。おそらくマクゴナガルも、それくらいは認めるだろう。

 カギが開いたので、2人は教室のなかへと入り込み、適当なところに座る。

 

「さすがだね。ホントに魔法が使えるようになったんだ。よかったね」

「ありがとう。わたしもね、なんだか不思議なの。練習しなきゃダメなんだと思ってたんだけど」

 

 不思議に思うのは、それだけではなかった。魔法を使おうとするときは、とくに意識することなく必要な魔法が頭に浮かぶものだ。考えることなく、無意識のうちにその魔法を発動しているといってもいい。この場合なら、自分が立っている空間を扉の向こう側へと移動させていただろう。より安全策を取るならば、いったん扉の向こう側をこちらへ移しだし、そこが危険な場所ではないことを確かめてから自分を転移させ、扉の向こうに戻す、というやり方を選ぶ。カギなどはどうでもよかったはずなのある。だが杖を持ってその前に立ったとき、カギを開けるという魔法が、最初の選択肢として頭に浮かんだのだ。空間転移に関することは、そんな方法もあったなと、頭をよぎるくらいのもの。

 都合良くできていると言えば、そうなのだろう。だが、そのことに不安を感じないわけではない。やはりクリミアーナの、いつもの魔法のほうが信頼できるような気がするのだ。試したことがないのでなんとも言えないが、杖を持っているときはクリミアーナの魔法が使えないのかもしれない。だから、そこを飛び越えるのではなくカギを開ける、という発想が最初に来るのだとしたら。だとすれば、どういうことになるのか。

 もっとも、試してみれば済むこと。やってみれば分かるのだ。仮にそうなのだとしても、いざというときは杖を放り出せばいい。そうすれば、いつもの魔法が使えるのだから。

 

「もしもーーし、アルテシアさん、私の声、聞こえてる?」

「あ、ああ、ごめん。聞こえてるよ」

「いま、何か考えてたでしょ。そんなときだよ。そんなときは、あんたが何考えてんのかわかんないんだ。いつもなら、ひと目でわかるのにさ」

「そ、そうなんだ」

 

 たしかに今、考えごとをしていたように思うが、そんなに極端に変わったりするはずがない。アルテシアがそう言おうとしたとき、ガラッと音をたてて教室のドアが開かれた。入り口には、クィレル先生が立っていた。

 

 

  ※

 

 

 自分以外は誰もいない、クリミアーナの家。その食堂にある大きなテーブルの前にパルマは座っていた。いつもの自分の席である。アルテシアは、休暇が終わり学校へと行ってしまったので、その席は空いている。母親のマーニャの席もずっと空いたままだし、来客用としてある2つも空席だ。あと1つ席があるが、そこも、もちろん空席だ。

 あわせて6人が一緒に食事ができるのだが、パルマが知る限り、ここに6人が揃ったことはない。クリミアーナ家は、意外に少人数だ。というより、マーニャさまが亡くなるのが早すぎたのだとパルマは思う。

 パルマがマーニャのもとへとやってきたのは、マーニャが20歳のとき。すでに妊娠しており、お腹も大きくなり始めたころだった。マーニャを無事に出産させること、それがパルマの使命だった。

 身体が弱かったマーニャは、医師に出産を止められていた。だがマーニャは妊娠した。まさに究極の選択であった。あきらめるべきか。だが自分が出産をあきらめれば、クリミアーナの魔女の血筋は途絶えることになるのだ。自分の命との引き換えになりますよ、と医師は言うが、それでもあきらめることはできなかった。

 マーニャは出産を決意した。自分は死んでもいい、元気な娘を残せれば、それでいい。

 そんなマーニャのそばで、パルマはさまざまに手をつくした。マーニャの体調を管理し、体力をつけさせ、出産もできるだけ安産となるようにと手をつくした。結果、マーニャは25歳まで生き、いまは森にある墓地でしずかに眠っている。本来なら、パルマの役目はもう終わっている。アルテシアが生まれ、その顔をマーニャにみせることができた時点で、完了しているのだ。だが、いまだにクリミアーナにいるのはなぜだろう。アルテシアの席をみる。ここを離れたくはない。

 席を立ち、飲み物の用意をする。これは、クリミアーナに伝わる秘伝の飲み物。来客をもてなすために特別に考えられたもので、パドマが泊まりに来たときにも作ったが、いまでは、その作り方を知っているのは自分だけ。

 ぜひとも、アルテシアさまにお教えせねば、と思いつつ、それができないでいる。というのも、それをしてしまえばクリミアーナ家での仕事がなくなってしまう気がするからだ。アルテシアが不在中の今は、家の留守を守るという役目があるけれど。

 だかパルマは知っていた。この家は、留守を守る必要などないのだ。たとえ無人であろうとも、この家に侵入できる者などいるはずがない。

 パルマの願いは、ただひとつ。この家でずっと暮らすこと。家に戻り『ただいま』というアルテシアに『おかえり』と言うことができさえすればそれでいい。アルテシアに看取られ、森の墓地のマーニャの隣にでも葬られることになれば、なにも言うことはない。

 おや? 願いはひとつじゃなかったわね。パルマは、しずかに笑った。

 

 

  ※

 

 

「キミたち、ここでなにをしている」

「あ、すみません先生。少し相談したいことがあって、話をしてました」

 

 パーバティが、あわてて説明する。だがクィレルは、そのまま教室内に入ってくる。

 

「空き教室とはいえ、勝手に使うのはよくないな。グリフィンドールから5点減点」

 

 言いながら、近づいてくる。2人ともに、クィレル先生は多少つっかえ気味に話すという印象を持っていた。だがいまは、いつものかん高い震え声ではなく、冷たく鋭い声だった。ヘンだ、とアルテシアは思った。マクゴナガル先生からは、クィレル先生には気をつけるようにと言われていた。この妙な気分は、そのせいかも知れない。

 クィレルは笑った。

 

「見ていたよ。魔法でカギを開け、教室に入るところをね」

「あの、それはいけないことだったんでしょうか。もしそうなら」

「謝らなくていい。もう減点したから、そのことはいいんだ。教えてほしいことがあるだけだよ」

 

 クィレルが立ち止まる。アルテシアたちとは5歩分くらいは離れていた。アルテシアの手には、杖があった。カギを開けるときに使い、そのまま持っていたのだが、この杖をどうするべきか、とアルテシアは考える。いったい今は、安全なのか。それとも危機に面しているのか。その判断ができぬまま、パーバティを見る。

 いけないことをして先生に怒られている、とパーバティは思っているのだろう。そこには、恐縮はあっても、恐怖はない。だがアルテシアは、そうではなかった。クィレルからは、なにかしら妙なイメージが伝わってくる。自分たちは見られている。足下から頭まで。たとえば獲物を品定めするように、観察されているのだ。このイメージは、好意的なものでは決してない。

 

「うしろのキミ、キミはたしか、魔法が使えなかったはずだね。級友たちからはスクイブだ、マグルだとからかわれ、授業ではいつも、片隅でしょんぼりとしていた。そんなキミが、魔法でカギを開けた」

「あれはわたしが」

「黙れ。ちゃんと見ていたと言ったろう」

 

 パーバティが口を開いた瞬間、クィレルらしからぬ怒声が飛ぶ。いつもの彼とはまったく違っていた。ここでアルテシアは、自分の杖を、いつもの巾着袋へと戻すことを選択する。マクゴナガルとの約束では、使ってよいのは学校で習った魔法だけ。そう約束させられている。だから杖は持っていたほうがいいはずなのだが、その杖をそっと袋へ入れたのだ。

 

「つまりキミは、魔法の力を得たわけだ。ま、キミだってホグワーツの生徒だからね。魔法が使えても不思議ではない」

 

 杖のなくなった手で、パーバティの腕をとり後ろへ引く。そして、その反動を利用し、前にでる。立ち位置を入れかえたわけだ。クィレルは明らかにアルテシアに話しかけているので、それほど不自然ではなかっただろう。クィレルも、気にした様子はないし、パーバティも同じだ。

 

「不思議ではないが、見過ごすことなどできない。なぜ急に? どうやって魔法力を得たのか、あるいは高めることができたのか」

 

 気にしすぎなのかもしれない、それは常に頭の中にある。だが、万が一の場合を考えておくべきだとアルテシアは思った。このイヤな感じは、普通ではない。次第に強くなってくる。

 アルテシアは、考える。マクゴナガルとの約束をやぶりたくはない。では約束を守るかたちで、この場面を逃れる方法があるだろうか。そのことを気にしなくてもよいのなら、方法はいくらでもある。あるにはあるが、それは最後の手段とするべきだろう。

 

「なにか方法があるのだろう。それを教えなさい」

「一生懸命、勉強するだけです」

「ほう」

 

 それは、ウソではない。クリミアーナの娘は、3歳の誕生日に本を与えられ、魔法書を学ぶのだ。アルテシアもそうしてきた。クィレルが、興味深そうにアルテシアをじろじろとみつめてくる。さすがにパーバティも、妙な雰囲気を感じてきたらしい。

 

「あの、先生。本当ですよ、アルテシアは一生懸命勉強してます」

「だめよ、パーバティ。何も言っちゃいけない」

「え? でもアル…」

「とにかく、黙って」

 

 時間がないのだと感じる。クィレルは、今にもなにかしそうだ。そんな気がする、だけなのかもしれないけれど。

 まず考えたのは、寮の部屋への転移だ。そこは、いつも自分がいる部屋。どこになにがあるのか、細かいところまでイメージできる。自分とパーバティの2人を転移させるくらいのことは簡単だ。だが問題は、クィレルに転移魔法を見られること。それはマクゴナガルの禁止事項に触れることになる。

 では、クィレルをどこかへ飛ばしてしまうのはどうか。いや、ダメだ。なにが起こったのか、クィレルは即座に気づくだろう。あるいは彼の周囲だけ、時間の流れを半減させるのはどうか。すなわち、クィレルにとっては相手の動作が倍加することとなり、アルテシアたちとにっては、クィレルの動作が半減することになるわけだ。それだけの差があれば、逃げ出せるはず。その調整率をいくらにすればよいか。そこまで考えて、だめだとアルテシアは思った。たしかに、逃げることは可能だろう。だがクィレルは、気づくはず。では、どうする。

 数秒後。イメージしろ、とアルテシアは自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。マクゴナガルの部屋。テーブルを挟んでともに紅茶の飲んだ、あの部屋。マクゴナガルの机。マクゴナガルの椅子。そこに座り、机に向かうマクゴナガル。

 

「言え、言うのだ。何かあるはずだ。どんな方法なのだ」

 

 マクゴナガルを、この部屋へ呼ぶ。最終的にアルテシアはそう考えた。マクゴナガルなら、突然に自分の部屋からこの空き教室へと転移させられてもすぐに状況を把握してくれるはずだし、クィレルも、そこにマクゴナガルがいれば何もできなくなるのに違いない。だが、マクゴナガルが部屋にいるかどうかはわからない。いなければ、単に空気のかたまりが運ばれてくるだけだ。

 確率が高いのか低いのかわからないが、やるしかない。やるなら、早いほうがいい。そう思いながらもためらってしまうのは、マクゴナガルとの約束があるからだ。だが、マクゴナガルは許してくれるだろう。約束に反して魔法を使うことにはなっても、そのことに気づくのはマクゴナガルだけなのだから。よし決めた。

 教室のドアが開いたのは、まさにアルテシアの魔法が発動されようとする、その寸前だった。

 

「……な、なんで……よりによって、こ、こんなときに セブルス、君にあ、会わなくちゃいけないんだ」

 

 やってきたのは、スネイプ先生だった。教室の中まで入ってきたスネイプの姿をみたとたん、クィレルは、アルテシアたちのよく知る、いつものクィレル先生に戻っていた。

 

「なにやら、よからぬことが行われているという情報を得たのでね」

「よ、よからぬことなど、な、なにもない」

「そうかもしれんが、そうでないかもしれん」

 

 スネイプの視線が、アルテシアとパーバティへと向けられる。ニヤリと笑ったようにも見えた。

 

「教室を出ろ。ここは、使われていない教室だ。生徒が入ってはいかん」

「は、はい」

 

 なぜスネイプがここに来たのか。そんなことは知らないが、この場を逃れる絶好のチャンス。パーバティの手を引き、出口へむかう。そのアルテシアに、スネイプが追い打ちをかける。

 

「ミス・クリミアーナ、教室無断使用の処罰だ。休暇中におまえが学び知り得たことを、羊皮紙5枚にまとめて提出せよ。さすれば、吾輩も自ら添削して返却しよう。聞こえたなら、もう行け」

 

 アルテシアは何も言わなかった。ただ頭を下げただけで、パーバティを先にして教室を出ると、すぐにドアを閉めた。

 

「ごめんね、アル。あたしがここで話そうって言ったから、こんなことに」

「そんなの、気にしないで。でも、スネイプ先生はどうしてここへ来たのかしら」

「それは、僕が知らせたからさ。感謝してほしいね」

 

 スネイプたちが残っている教室を離れながら話している2人の背後から、声がした。ドラコ・マルフォイだった。

 

「キミたちが、クィレルとなにやらもめているのを見て、スネイプ先生にお伝えしたんだ。コソコソと空き教室に入るキミたちのこともみていたよ」

「マルフォイ、それって、あたしたちが何を話しているのか、盗み聞きしようとしてたってことでしょ。弱みを握れるかもしれないと思ったのよね。感謝なんて、聞いてあきれるわ。きっと、盗み聞きしていたところをスネイプ先生にみつかりそうになったから、あわてて報告したんだわ」

「し、失礼な。僕は盗み聞きなんかしないぞ」

 

 いつもの青白い顔が、赤く染まる。パーバティの指摘は、きっと大当たりなのだろう。だがこれで、ピンチを脱出したのは事実だ。自分の妄想が勝手に作りだしたピンチだったのかもしれないが、アルテシアは、素直にお礼を言った。

 

「ありがとう、ドラコ。あなたのおかげで助かったわ」

「あ、いや。いいんだ、アルテシア。キミが魔法が使えるようになることくらい、わかっていたさ。母上もそう言ってたからな」

 

 ドラコが気になることを言ったが、聞き流すしかなかった。パーバティが、なおもマルフォイにつっかかっていったからだ。

 

「アンタとしちゃ、からかうネタが欲しいんだろうけどさ。そうやって、コソコソと他人の秘密をさぐろうなんてしないほうがいいよ。そのうち、大ごとになるんだから」

「黙れ、僕は盗み聞きなんかしてないんだ」

 

 真っ赤な顔のマルフォイと別れ、寮へむかう。パーバティの横を歩きながら、アルテシアは考える。魔法に関する制限を緩めて欲しいと頼んだなら、マクゴナガルは、妥協してくれるだろうか。ムリかなぁ。

 ともあれ、もっともっと魔法の勉強が必要なことだけは間違いない。

 



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第15話 「探検調査」

 今回は、マクゴナガル先生とのお勉強のシーンを入れてみました。もっと早くにそうしたかったけれど、入れるタイミングが合わなかったんですね。2人は、こんな感じで交互に先生役となりながら、お互いの魔法を学んでいます。どちらも完全に身につけたなら、きっとすごい魔法使い、いや魔女か。そうなるんでしょうね。では、どうぞ。



 羊皮紙5枚。スネイプに、処罰として提出を命じられたレポートを書くためのものだ。とにかく用意はしたものの、まだ1文字も書いてはいなかった。いったい何を書けばいいのか。スネイプは、何を望んでいるのか。

 羊皮紙を前に、アルテシアは、そんなことを考えていた。この処罰のレポートが、空き教室に入り込んでしまった件とは無関係であることくらい、アルテシアにはわかっていた。そこには、別の意味があることも、そしてその意味をも、アルテシアには理解していた。だが、その理由がわからない。なぜスネイプは、そんなことに興味を持つのだろう。

 スネイプの研究室で話をしたとき、スネイプは、クリミアーナ家が魔法界と距離を置いてきた理由を知っているのかと聞いてきた。アルテシアは、知らないと答えた。事実、知らなかったのだ。そこをスネイプは誤解したのだろうか。それとも、休暇中に知らなかったことを調べたはずだと予想し、なにかわかったのなら教えろと、そう言っているのだろうか。

 後者である可能性のほうが高いのだが、もしそうなら、レポートは出さなくてもいいのではないか。直接話をしたほうが。部屋のドアが開かれる音に、振り返る。

 

「ハーマイオニー、どうしたの?」

 

 あきらかにいらついている。一見しただけでそれがわかった。

 

「どうした、ですって? …どうもしないわ」

 

 途中、一拍だけ間を取ったのが気になるといえば気になるが、ハーマイオニーは自分のベッドに腰かけ本を手に取ったので、アルテシアは机に向き直る。さて、この5枚の羊皮紙をどうするか。これがいつもの宿題なのであれば、すぐに埋めてしまえる量ではあるのだけれど。

 羽根ペンを手にとる。スネイプは『休暇中に学び知り得た』ことをまとめろ、と言った。そうすれば添削して返すと。それはつまり、お互いの情報を交換したいということにならないか。もちろん先に提供するのがアルテシアであり、添削がなされるのかどうかは不透明。加えて、休暇中に新たに判明した事実などないのだから、レポートはまったく進まない。書けるとすれば、正式にクリミアーナ家を継いだことくらい。そんなことに、スネイプが興味があるとは思えないけれど。

 ふと、人の気配を感じて、横を見る。ハーマイオニーが立っていた。

 

「なにしてんの、アル」

「あ、レポート書かないといけないんだけど」

「宿題? そんなのあったっけ」

 

 正確には宿題ではないのだが、それよりもいま。目を見開いたアルテシアに、ハーマイオニーは、いくらか照れくさそうだった。

 

「いいでしょ、べつに。パーバティのまねしたわけじゃないわよ。あたしも、そう呼びたいの」

「そ、そうなんだ。うん、いいけど」

「で、なんの宿題なの、それ」

「ああ、これはスネイプ先生から書くように言われたの。処罰なんだけどね」

「処罰。あんたが?」

「うん」

「ふうん。アルテシアが処罰を、ね」

 

 アルと呼ぶ、のではなかったのか。まぁ、ハーマイオニーであれば、なんと呼ばれようとかまわないのだけれど。

 

「ねぇ、アルテシア。あなたの本、見せてよ」

「え?」

「ほら、あなたがよく読んでる黒い表紙の本よ。あれ、どこにあるの? ちょっとね、調べたいことがあるの」

「えっと、何を調べるの?」

 

 ハーマイオニーが言うのは、魔法書のことだろう。もちろんあの本のことを、ハーマイオニーが知っていても不思議ではない。毎日読む必要があったので、とくに隠そうなどとはしてこなかったのだ。なのでハーマイオニーには、これまで何度も読んでいるところを見られている。たぶんハーマイオニーも、そのページくらいは何度か見たことがあるのではないか。

 

「もう、ずっと調べてるんだけどわからないの。クリスマス休暇中も調べてたのよ。でもわからないの。ハリーはどこかでみたことあるっていうんだけど、それがどこなんだか」

「なにを調べてるの? わたし、わかるかもしれないよ」

 

 相手は、ハーマイオニーだ。本を見せても問題ないだろう。だがいまは、クリミアーナ家の本棚にあるのだ。つまりハーマイオニーに、それを呼び寄せるところをみせることになる。それでもかまわないとは思うのが、それよりもハーマイオニーの疑問を解消してしまえばいい。そのほうが手っ取り早い。

 

「ニコラス・フラメル。詳しいことはいえないけど、その人のことが知りたいの。知ってる?」

「ああ、お会いしたことはないけど、その人は… えっ! そうか。そうだわ。わたし、なんで今まで気がつかなったのかしら」

「ど、どういうこと。どうしたの」

「ああ、ごめんなさい。わたしもね、昔のことを調べてるの。サー・ニコラスにも聞いてみたけど、500年くらい前でしょ。でもこっちのニコラスなら600、ううん700年くらいかな。もう少しなにか分かるかもしれない」

 

 たしか、そんな年齢だったんじゃないか。うろ覚えだが、大きく違ってはいないはず。サー・ニコラスより、もう少し昔のことが聞けるのではないかと思ったのだ。だが、どうやればその人から話を聞けるだろうか。

 

「ニコラス・フラメルのこと、知ってるのね、アルテシア」

「知ってるけど、知識としてよ。実際にはお会いしたことはないし、お住まいも知らないんだけど」

「それでいいわ。ヒントだけでいいの。あとは自分で調べるから」

「ニコラス・フラメルは、錬金術に関係したひとで、金属変成や賢者の石の製造に成功したって言われてる人よ。たぶん、あなたのベッドのところにある、あのおっきな本にも載ってたはず」

「え?」

 

 ベッド? ハーマイオニーの机の上は、すでにたくさんの本でいっぱいだ。そこにおけなくなったからなのか、それとも読みながら寝るためか、あふれた本は、ベッドの上にまで広がっている。そこに、厚さが15cm、縦は1mほどもある大きな本があった。

 

「これだわ。ずいぶん前に図書館から借りてそのままになってたの。わたし、どうして忘れてたのかしら。そうよ、この本はまだ調べてなかった。忘れてたと言えばアルテシア、あなたにはなにも言わないつもりだったのも忘れてた。だからあなたは、このことは忘れるのよ。いいわね」

「え… あ、待って、ハーマイオニー」

 

 だがハーマイオニーは、その本を抱えて部屋を飛び出していった。きっと、ハリーとロンに知らせに行ったのだろう。アルテシアは苦笑するしかなかった。

 

『あなたにはなにも言わないつもりだった』

 

 過去形だ。つまり、いままではそうでもこれからは違う。きっとそうなのだと思いたい。でもハーマイオニー、そうじゃなかったとしても、あなたはずっと、わたしのそばにいてほしい。

 アルテシアは、あらためて机上の羊皮紙に目を向けた。

 

 

  ※

 

 

「今日は、あなたの番ですね、アルテシア」

「はい。ですがその前に、相談があるのですが、いいですか」

「いいえ、ダメです。あなたが何を言いたいのかくらいわかっていますが、話はあとです」

 

 話はあと。それはつまり、相談を聞いてくれるということだ。望みがあるのかな、とアルテシアは思う。ただ話を聞くだけ、ということにはならないはずだ。少しは進展するのかも。

 アルテシアとマクゴナガルは、週末の1日、その午後に勉強会を開いていた。お互いがお互いの先生であり生徒となって、それぞれの魔法を学ぶのである。今日はアルテシアが先生役、マクゴナガルが生徒側となる順番にあたる。

 

「では、マクゴナガル先生。今回は、クリミアーナでの魔法の仕組みについてお話しします」

「このあいだの続きですね」

「そうなります。といっても、実際に魔法がどのようにして実現されていくのかなんてわかりません。ただ実感として感じるだけですけど、わたしたちの魔法は自然界の協力なくしてはありえない、そう思っています」

「なるほど。魔法書にやたらに森や湖などが出てくるのはそのため、クリミアーナ家が森のそばにあるのはそのため、ということですね」

「はい。わたしは、自然を愛せない人にこの魔法は使えない、と思っています。実際にはそんなことはないみたいですけど」

 

 では、無関係ではないのか。それが、魔法というものの仕組みとどんな関係があるというのだろう。そんな説明で、マクゴナガルは納得できているのだろうか。

 

「たとえば、ここにあるティーポット。それを見ることができるのは、光のおかげです。まったく光のない暗闇では見ることはできません」

「あたりまえのことのように思えますが」

「そうですね。でも、こうするとどうでしょうか」

 

 右手の人差指。それで、鼻の頭を軽く2度たたく。見方によれば、静かにせよと示しているように思えるが、もちろんそんなことではない。そのまま人差指で、ティーポットを指さす。

 

「消えましたね」

「はい。でもティーポット自体はそこにありますよね」

 

 マクゴナガルが、手を伸ばす。なるほど、触感ではたしかに、そこにティーポットがあった。手に持つこともできた。だが、相変わらず見えはしない。

 

「見えるというのは、つまり、物体にあたった光がはね返ってきて、目に入る。だから見えるのです」

「なるほど。たしかにそうですが、それがどういうことになるのです。このポットはなぜ見えないのです?」

「タネあかしは、光の操作です。物体にあたるべき光を、そのまま透過させます。当然、はね返ってくる光はありません。かわりに本来ならティーポットの影に隠れる部分からの光がティーポットを通り抜けて目にやってきますから、そこにあるはずのものは見えない。相変わらず説明がヘタですけど、わかりますでしょうか?」

「ええ、わかりますよ。なるほど、それが光の系統の基本なのですね」

「はい。透過率の調整もできますし、方向を変えてやるとか、順番を変えるとか、いろいろ応用はできます」

 

 2人の話は続いていく。実はこれらのことは魔法書を読めばそこに書かれている。おそらくアルテシアの説明よりは具体的であり、より分かりやすいのだろうが、まだマクゴナガルは、そこまで魔法書を読めてはいない。だがアルテシアのアドバイスに従い、とにかく知識として頭に入れておくことにしたのだ。そうすれば、より早く魔法書が読めるようになるらしい。つまり、その知識をあらかじめたくさん持っている人ほど、魔法書をより早く身に着けることができるということ。

 だからアルテシアは、魔法学校の教授であるマクゴナガルであれば、魔法書をスラスラと読めるのではないかと思っていた。だが実際は、そううまくはいかなかった。魔法族の魔法とクリミアーナのそれとでは、やはり違うのだ。似てはいるのだが、どこか違っている。承知しているはずだったが、そのことは確かな現実として、そこにあった。

 だから2人は、こうして定期的に勉強会の時間をとり、互いに教えあうこととした。この場合は逆もまた成り立つわけで、クリミアーナの魔女として目覚めたアルテシアではあっても、魔法族の魔法に関しては、それこそ1年生。まだまだ未熟なのだから。

 

「そろそろ時間ですね。これまでとしましょうか」

「はい」

「さて、なにか言いたいことがあるのでしょ。クィレル先生とのことは、スネイプ先生から聞いていますよ」

「え、そ、そうなんですか」

「あたりまえです。こういったトラブルは寮監には報告されるものなのです。すでに話したと思いますが、あなたとハリー・ポッターのことは要注意とされているのですから、なおさらです」

 

 これはスネイプの告げ口といったことではなく、学校側のシステムということだろう。寮への加点や減点が、教師がそう決め発言した時点で自動的に行われることにも似ている。

 

「ですが、あなたの口から聞きたかったですね」

「もちろん、お話しするつもりでした。そのうえで、お願いしたいことがあります」

「あなたとわたしとの約束は、これからもキチンと守りたい。そう考えています。ああ、お待ちなさい。あなたの言いたいことは分かりますが、わたしが言えるのは、なにかあったとしても教師が生徒を全力で守るということです」

 

 マクゴナガルにしても、クィレル先生が怪しいのは承知しているのだ。ダンブルドアも同意見ではるあるが、いまはようすを見るという判断がされている。この返事は、それらの事情を踏まえたもの。そのことを良しとしてはいないが、危険なことにアルテシアを巻き込みたくはない、というのも本音なのであった。

 

「でも、先生」

「正直に言いますが、まだあなたは、魔法力に目覚めて日が浅いのです。杖の扱いにも、もう少し慣れる必要があるでしょう。あぶないことはさせたくありません」

「練習はしています。パーバティが手伝ってくれています」

「それでも、クィレル先生にはかなわないでしょう。授業は仕方ありませんが、あの先生には近づかない、関わらないと約束なさい」

 

 自分を心配してくれてのこと、それはよく分かっている。それだけに強く反論もしにくいが、このまま引き下がるわけにもいかない。

 

「では、先生。せめて例の場所を見に行かせてください。その場所を見たいのです。どういうふうに保管されているのかを、見ておきたいのです」

「ですから、あぶないことをさせるわけにはいかないと」

「あぶなくないです。あぶないことはしません。約束は守ります」

 

 せめてこれだけは。これ以上は譲れない。そんな思いでマクゴナガルを見る。しばし見つめ合う形となったが、マクゴナガルが先に折れた。

 

「いいでしょう。こんなとき、クリミアーナの娘が何を考え、どう行動しようとするものなのか。わたしも魔法書を勉強していますから、少しは理解できるつもりです。我慢などできないのでしょうね」

「マクゴナガル先生」

「ただし、杖を使用するという原則は変えません。よほどのトラブルでもないかぎり、クリミアーナの魔法は禁止です。身の危険があるなどの緊急時に限り、使ってよろしい」

「あ、ありがとうございます」

「危険が予想されるときは、事前にわたしに言うのですよ。場合によってはわたしが付き添いますからね」

 

 マクゴナガルが、そこまで心配性だとは思わなかった。それがアルテシアの感想だった。だがもちろん、心配をかけているのは自分だ。まだまだ頼りないと思われているからだ。もっとしっかりしなければ。もっと、魔法を学ばねば。

 思いの行きつく先は、いつもそこだった。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアにとって、三頭犬を見るのは生まれて初めてであった。ここに三頭犬というものがいると、あらかじめ知っていたからこそ、こうして静かに観察していられるが、もし知らなかったなら、悲鳴どころではすまなかっただろう。

 頭が3つもある、巨大な犬。それぞれに大きな口と牙がある。ヒクヒクと動く鼻やギョロリとした目も、どれもとても大きい。そんな巨大な犬が仕掛け扉の上にいるのだ。なるほど、これでは中には入れない。仮に犬をなんとかできたとしても、扉の先には、いくつものトラップが仕掛けられているそうだから、マクゴナガル先生が、完全に守られていると言うだけのことはあるようだ。

 だけど。

 アルテシアは、人差し指でその犬の指さし、そのままくるっと輪を描くように動かした。同時に、三頭犬の低いうなり声が聞こえなくなる。いや、聞こえないわけではない。うなり声はしているが、なんとも間延びした妙な音になった。せわしなく動いていた鼻や口の動きも、ひどくゆっくりとしたものになっている。

 パン、と手を打ち鳴らす。その瞬間、アルテシアの立ち位置と三頭犬の位置とが入れ替わった。いま仕掛け扉の上にいるのは、アルテシアだ。すぐに屈んで、仕掛け扉にある引き手を引っ張る。扉が跳ね上がった。

 

「ごめんね、三頭犬さん。毎日、警備ご苦労さま」

 

 扉の中に飛び込む。同時に扉が閉まり、三頭犬も、元の位置に戻っていた。うなり声の調子も、いつもどおり。これでアルテシアは、三頭犬の守りを突破したことになる。

 本来ならば、扉の中へと飛び込んだ者は、そのまま落下し、薬草学のスプラウト先生が仕掛けた植物の上へと落ちることになっている。だがこのときのアルテシアは、ゆっくりゆっくりと、落ちていた。いや、これでは降りていたと言うべきか。三頭犬の動きを遅らせたように、今度は自分の動きを遅らせているのだ。おかげで『悪魔の罠』と言われるトラップに捕らえられることはなかった。もちろん、事前知識があってこその、回避策。植物のつるのからまる様子などをじっくりと観察。

 そこからは、一本道になっていた。少し、下り坂だろうか。周囲を見回しながら、通路を進む。なにやら羽音のようなものが聞こえ始めると、出口についた。そこは、かなり広い部屋だった。天井も高く、見上げるとキラキラとした無数の小鳥が飛び回っていた。羽音は、この鳥たちのものだ。部屋の奥に扉がある。

 

「次は、あの扉ね」

 

 アルテシアはひとりだ。いちいち言葉で言う必要もないのだろうが、もちろん、無意識であろう。扉には、カギがかかっていた。ここでアルテシアは、ニコリと微笑むと、いつも持っている巾着袋に手を突っ込んだ。取り出したのは杖。

 

「開くかな? アロホモラ!」

 

 さすがに、ムリだった。これはなにも、アルテシアの魔法が未熟すぎる、ということではないのだろう。つまりが、開けることのできるカギを入手せねばならないのだ。天井を見上げる。とうぜん、そのカギはあの飛び回る小鳥たちのなかにあるはず。

 両手の親指と人差し指とで四角形をつくり、そのなかを通して小鳥たちを見る。できるだけたくさんの小鳥をとらえたところで、軽くウインク。あたかも、カメラのシャッターのようだ。これで記憶した、らしい。

 賢者の石を盗み出そうとする侵入者はカギを探してこなければならないが、アルテシアの場合、とくにカギなど必要としない。だが扉の向こう側がどうなっているのかわからないので、ひとまず扉の向こう側をこちらへ。それは、真っ暗な空間だった。少し、首をかしげて考える。暗いだけで、危険な場所ではないようだ。だが、真っ暗だと思ったその場所は、アルテシアが侵入した瞬間、光が満ちた。

 

「あ、これって」

 

 巨大なチェス盤。その駒は、まるで石像だ。なるほど、そういうことかと納得する。前夜、マクゴナガルとここへ来るにあたっての打ち合わせをしたあとで、『わたしとチェスをしましょう』と誘われた。アルテシアはチェスなどしたことはなかったが、ルールは覚えさせられたのだ。それは、この罠のためだったのだろう。

 では、この罠を正面から突破するのはムリだ。ルールを覚えたあとでマクゴナガルと対戦してみたが、手も足も出なかった。これはマクゴナガルの仕掛けたものなのだから、勝てるはずがない。この罠を正面から突破するのはムリだ。

 とはいえ、これで戻るのはあまりにもったいない。このときだけとの条件付きではあるが、せっかくいつもの魔法を解禁してもらったのだ。できるだけ抵抗させてもらおう。

 どれかの駒となって、対戦に参加し勝つ。これが突破条件だ。アルテシアはナイトを選んだ。一手、二手と手が進む。アルテシアは必死で考える。勝つのだ。なんとしても勝つのだ。

 こんなことは可能だろうか。あの駒とこの駒を入れかえる。そうすれば、あの邪魔な白のクイーンをとることができる。もちろんインチキだけど、と秘かに笑う。驚いたのは、それが可能だったことだ。たぶん盤面も含めての入れかえだからだろう。となれば、もう敵はいないようなもの。相手のキングが王冠を脱ぎ、前方の扉への道が空いた。

 次の部屋には、トロールがいた。以前、ひどい目にあった覚えがある。さすがに身がすくむ。引き返したくなったが、ここががまんのしどころ。あのときは、まだ魔法が使えなかった。なので実際にはできなかったが、思い描いた対処法はまだ覚えている。ということで、その動作速度を10分の1に制限したトロールが相手となった。それでも恐怖に足が震えていたこともあり、あぶない場面もあったがなんとか逃げ切った。

 次の部屋に入ると、通ってきたばかりの入口で火が燃え上がった。そして、出口とおぼしき前方のドアの前でも黒い炎が上がる。

 

「あらっ、閉じ込められたってわけね」

 

 トロールにおびえ震えていた足は、すっかり元通り。炎に閉じ込められたことは、恐くも何ともないらしい。楽しそうな顔で、部屋の中にあるテーブルの、その上に置かれていた7つの瓶を見る。添えられた巻紙に、それぞれの瓶のことが書かれていた。それによると、7つの瓶のなかのどれかが前方をさえぎる炎を突破できる薬であり、どれかが後方の炎を乗り越えることのできる薬であるらしい。残りは、イラクサ酒と毒入りなので、適当に選んでは失敗する確率が高い。巻紙に書かれた内容がヒントとなるが、答えを得るには、およそ魔法とは関係なさそうな論理的思考が必要となる。それが苦手な人には、どうすることもできない罠だ。だが、幸いなことにアルテシアは、それが苦手ではない。答えは、すぐに見つかった。

 次の部屋には、いや、部屋ではと言うべきか。そこには、ダンブルドアが立っていた。

 

「さすがじゃの。数々の罠もキミには簡単であったようじゃな」

「あの、ご存じだったんですか」

「キミが魔法の力に目覚めたことかね? むろん、気づいておったとも。マクゴナガル先生はまだまだ未熟だと言っておったがの」

 

 アルテシアが尋ねたのは、この立入り禁止エリアに侵入したことについてだ。だがいまさら、そんなことを聞くまでもない。

 

「最後の難関、であってほしいとは思っておるが、最後は、このわしの仕掛けを突破せねばならんのじゃよ。さもなくば、石は手にはいらん」

「石、やはりフラメルさんの石なのですね」

「ほう。キミは、ニコラス・フラメルを知っておるのかね」

「お会いしたことはありません。知識として知っているだけです」

 

 こうなっては、何をしても同じとばかり、アルテシアはダンブルドアのいる場所へ近づいていく。すぐ横にある姿見のような大きな鏡が、最後の難関なのだろう。どうせなら、よく見ておきたい。

 

「鏡は、見ぬ方がよいぞ。これには見た人の『のぞみ』が映る。キミになにが見えるか興味はあるが、いまはこうさせてもらおう」

 

 杖を振って、鏡に布のカバーをかける。

 

「キミは、魔法の力に目覚めた。もう、教えてくれてもよかろうと思うがの」

「なにを、でしょうか」

「魔法書というものがあるのじゃろ。あれが秘密のカギじゃとわかった」

「秘密?」

「キミの友だちが、このことを話しておった。それで、おおまかじゃが、理解はできた。もちろん、仕組みはわからんがの」

「友だちが? どういうことでしょうか」

 

 友だちといえば、パドマとパーバティ。それにハーマイオニー。あとは、ハリー・ポッターたちやスリザリンの数人。

 

「双子の姉妹じゃよ。なにか言い争いのようなことをしておった。そのときのに」

 

 そういえば、2人は仲直りしたのだろうか。パーバティがそうすると言ってくれたことで安心し、確認していなかった。それはともかく、魔法書だ。なぜ、そんな単語が2人の間で出てくるのだろう。2人は、魔法書のことを知っているのか。たしかに、本は何度も見ているだろうが、それが何の本かは教えたことはなかったはずだ。

 

「2人にはぜひとも仲直りしてほしいが、さしあたっての問題は、このことをクィレル先生が聞いたかもしれんということじゃ。ああ、クィレル先生のことは知っておるじゃろうの」

「はい」

 

 いろいろ、マクゴナガル先生から聞いているし、自分でも実際に体感した。あの先生は、ヘンだ。

 

「すこし、キミと話をするべきじゃろうと思う。今夜、校長室へ来るといい」

「あの、校長先生」

「ん? ああ、わかっておるよ。すぐに戻りたいのじゃろ。自分で戻るかね。それとも」

「お願いします。校長先生」

 

 ダンブルドアは、にっこりと微笑んだ。もちろん、アルテシアも。自分の魔法で一瞬にして校舎内へと戻ることはできるが、いまは、目の前にダンブルドアがいるのだ。お願いしたほうがいいに決まっている。

 




 あの三頭犬からはじまる教師陣のトラップの連続を、主人公に体験してもらいました。もちろん、下調べという意味合いです。チェスの試合では、明らかなズルをしてしまいましたが、もし主人公が「賢者の石」を取りに行ったなら、こんな感じになるんでしょうね。最後の部屋では、待っているのがダンブルドアではなくクィレルにする、という案も考えたんですが、クィレルと決着をつけるのはハリーなので、やめておきました。でも、必ずしもハリーである必要もないわけで、悩むところです。次回は、パチル姉妹とのお話となるでしょう。ではまた。


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第16話 「パチル姉妹の告白」

 いま、パチル姉妹とアルテシアのあいだでは、微妙な空気が流れています。そのことで話し合いもされるようです。原作では、パチル姉妹の親戚関係の詳細はなかったように思うので、ちょっと創作させてもらうつもりです。



「ダンブルドア、アルテシアのことなのですが」

 

 それが、校長室を訪れたときのマクゴナガルの最初の言葉だった。普段は校長先生などと呼んでいるのだが、いくらかあわてているのかもしれない。というのも、アルテシアの冒険が、ダンブルドアにみつかってしまったからである。急ぎ、その弁解に来たというわけだ。アルテシアが例の『賢者の石』がどのように保管されているのかを実際に見に行ったとき、ダンブルドアと出会っているのだ。いわば、現行犯なのだから、言い訳のしようもないのだが。

 そのときダンブルドアは、彼にはめずらしく紅茶の準備をしているところだった。お菓子の準備もしてあるようで、それに気づいたマクゴナガルが目を丸くする。だが、ダンブルドアは平気だ。

 

「初めて校長室にお迎えするのじゃから、おもてなし、というものをやってみようかと思っての。一緒に来たのかね?」

 

 そう言って、マクゴナガルの後方に目をむけるが、そこには、誰もいない。

 

「来たのはわたしだけですが、誰を待っているのです?」

「アルテシア嬢じゃよ。今夜少し話をしようと、校長室へ来るように言ってある。べつにかまわんじゃろ?」

「それは、もちろんですが、アルテシアと約束を? もしかすると、今日は来れないかもしれませんが」

「ふむ。では、お友だちとの話し合いが難航しておるのじゃな。うまく仲直りができるとよいがのう」

「そ、そのこともご存じなのですか」

 

 マクゴナガルに椅子をすすめ、ちょうど用意していた紅茶を提供する。マクゴナガルは恐縮しているようだ。

 

「さて、ミネルバ。せっかく来てくれたのじゃから、いろいろ聞かせてもらおうかの。なに、アルテシア嬢とはいずれたっぷりと話ができるじゃろう。急ぐことではないしの」

「ダンブルドア、賢者の石を見に行かせたのはわたしの判断です。なので、あの子を怒らないでやってくれませんか。あらかじめその場所を見ておくことは、あの子にとってとても有益なことなのです。もちろん、危険なことはしないと約束させました。あの子は、約束は守ります」

「ミネルバ、あなたのいまの発言には、ふたつほど認識違いがあるようですな」

 

 ともあれ紅茶を飲みなさいとダンブルドアに勧められ、マクゴナガルもティーカップを手に取る。

 

「わしはべつに、アルテシア嬢を叱るつもりはないのじゃよ。それがひとつ。もうひとつは、あの娘が約束を守るということじゃな」

「それが、間違いだというのですか。アルテシアは約束など守らないと」

「そうではない。きっとあの娘は守るじゃろう。じゃがそれが、危険との裏返しであることを理解しておるかね? たとえば今回、あの場所で待ち伏せていたのがわしではなく、クィレル先生だったとしたら。危険なことはしないと言いつつ、あの場所へと行くのは、まさに危険な行為となるのではないかね」

 

 なんとも表現のしずらい表情となる。マクゴナガルとて、そのことを考えなかったわけではないが、無意識に気づかぬふりをしてきたのかもしれない。そのことを、ズバリと指摘されたようなもの。

 魔法の使用制限についてダンブルドアが知っているはずはない。そのはずだが、いまの指摘は、まさにピタリと当てはまる。よかれと思ってしたことには違いない。だが、迷っていたのも事実。それゆえ、身の危険を感じたときにはいつもの魔法を使ってよいと、制限の緩和に同意したのだ。だがダンブルドアの指摘を踏まえて考えてみれば、制限はなくしたほうがいいということになる。

 

「とはいえ、さすがはクリミアーナ家の魔女。杖なしでの魔法がお得意なのじゃな。初めて見る魔法も使っておった」

「すべて、見たのですか?」

「見たとも。アルテシア嬢に気づかれないようにと苦労はしたがね」

「わかりました、ダンブルドア。たしかにわたしは、間違っていたのかもしれません。このことは、アルテシアとよく話し合いましょう。今後、どうするのがよいか」

 

 今度は、ダンブルドアが表現のしずらい表情となる。マクゴナガルの言うことに、いまひとつピンとこない部分を感じるからだ。

 

「ミネルバ、どういうことかね、その今後とは」

「ダンブルドア、わたしはあの子が、アルテシアがかわいいのです。かわいくてかわいくて仕方がない。なぜ、こんな気持ちになるのかわかりませんが、とにかく、あの子を守りたい。危険な目にあわせたくなどないのです。そのためには、どうすれば。どうするのがよかったのでしょうか」

「ふむ。なにやらよくわからんのじゃが、かわいい子には旅をさせよ、という言葉があっての。危険なことはしないと約束させたそうじゃが、そんなことはすべきではないと思う。むしろあの娘は、ほおっておけばよい。さすれば自ら判断し、自ら行動するじゃろう。それがクリミアーナ家じゃよ。おお、まさにグリフィンドールの生徒の多くがそうではないのかね」

「た、たしかに」

 

 勇気と信念のグリフィンドール。クリミアーナ家も、それに似ている気がする。であれば、その信念に基づく行動を縛るのは、間違いか。

 

「わしら教師は、その判断と行動のためになるであろう知識を教え、その経験を伝えているのにすぎん。あきらかな間違いでもないかぎり、生徒の判断は尊重せねばの」

「よくわかりました、ダンブルドア。あの子のかわいさゆえに、少し考え違いをしていたようです」

「ふむ、それは良かった」

 

 今さらにして、教師としての心構えを教えられているようでもあった。だがマクゴナガルは、決して不快ではなかった。むしろ、気持ちが軽くなっていた。紅茶がおいしかった。

 

「ときにアルテシア嬢のことじゃが、いったいどのようにして魔法を習得したのか。どうやって魔法力を得たのか。それを教えてもらえるかね。もちろんあなたは、それを身近で見てきたはずじゃ」

「たしかに。ですがわたしは、それを秘密にしようと考えました。校長がおっしゃるように『例のあの人』が」

「ミネルバ、ヴォルデモートと言わねばの」

「そうでした。魔法力を回復させるため、アルテシアを狙うかも知れない。そうならないために、秘密にしておこうと考えたのです」

「なるほど。賛成できる考え方じゃが、わしには、教えてくれてもよかったと思うがの。それともわしが、ヴォルデモートの復活に手を貸すとでも」

 

 もちろん、冗談で言ったのだろう。そんなことになるはずがないことは、マクゴナガルもよく知っている。だがそれでも、すべてを明かすことはことはできない。おそらくダンブルドアには、おおまかなことは分かっているのだろう。だが、仮にそうだとしても、話せない部分はある。それを話すのは自分ではない。アルテシアであるべきだと思うからだ。

 

「クリミアーナ家に行ったとき、アルテシアから本を見せられました。教科書ではないこの本を、学校に持っていってもよいかと聞かれたのです」

「それが、いわゆる魔法書というものじゃな」

「やはり、ご存じだったのですね」

「なに、名前だけじゃよ。アルテシア嬢の双子の友人が、そんなことを話していたのでな」

「え? パチル姉妹が魔法書のことを」

 

 意外だった。なぜ、パチル姉妹が魔法書のことを知っているのか。その本を見たことはあっても、それが何の本であるのかは知らないはずなのだ。いったい、どの程度まで知っているのか。なるほど、そのこともあってアルテシアは、パチル姉妹と話し合うことにしたのか。単に、ケンカの仲直りといった話し合いではないのだろうと、マクゴナガルは思った。そのアルテシアたちはいま、自分の執務室にいる。

 

 

  ※

 

 

 話は少し戻るが、アルテシアがパチル姉妹を連れてマクゴナガルの部屋を訪れたのは、ちょうどマクゴナガルがダンブルドアのところへ行こうとしていたときだった。ダンブルドアのペットである不死鳥のフォークスが、手紙を届けてきたからだ。ふくろうでないところがダンブルドアらしいともいえたが、書かれているのは、ただ1行。完結に書かれた手紙は、マクゴナガルを十分に驚かせた。すなわちそれが『賢者の石の隠し場所でアルテシア嬢と会った』ことを知らせてきたものだったからだ。

 かくして、マクゴナガルは校長室へ。マクゴナガルの部屋はアルテシアたち3人への貸し切り状態、ということになったのである。

 3人は、テーブルに向かい合わせて座った。

 

「誤解しないでね、アルテシア。あたしたちはケンカしてるわけじゃない。意見が合わないだけ。だから、どうするのがいいのか決められない。決められないから、なにもできない。それだけなの」

「う、うん」

 

 そのパドマの説明は、少しも具体的ではなかった。なので要領を得ない。もっと詳しく説明してくれればいいのに、とアルテシアは思う。そして同じことを、パーバティも思ったらしい。

 

「ええとね、まずアルに話しておかなきゃいけないことがあるんだ。とにかく、話を聞いて。パドマもいいよね?」

「ええ。でも話すのはあたしよ」

 

 それは、クリスマス休暇中でのこと。自宅に戻ったパーバティは、アルテシアのことを母親に話してきかせた。学校のようすや出来事などを話すとき、アルテシアのことに触れないわけにはいかないからだ。自宅に戻らなかったパドマは、そのときの母親のようすをパーバティを通して聞くことになった。

 

「あなたと初めて会ったとき、あたしたち、クリミアーナのこと知ってるって言ったよね? 名前だけだけど、聞いたことあるよって」

「うん、覚えてる」

「なぜだと思う? なぜ知ってたんだと思う?」

「ええと」

「たまにだけど、親類の叔母さんがウチに遊びに来たときにね。お母さんと叔母が話してるとき、そのなかでときどき、クリミアーナの名前がでてきてた。だから、聞き覚えがあったの」

「そうなんだ」

 

 詳しい内容は知らないが、クリミアーナの名前は耳に残っていた。そういうことであるらしい。

 

「クリミアーナには近づくな、あの家と付き合ってはいけない。そう言われたのよ」

「えっ!」

「もちろん、イヤだって言ったわ。なぜそんなことを言うのか、そんなこと納得できなかったからね。パドマもね、なんども手紙を書いてふくろうを家に飛ばしてくれてる。とにかくお母さんを納得させないとダメなんだ」

 

 黙っていられなくなったらしい。パーバティが、パドマの顔を見る。パドマがうなづく。

 

「その叔母の家は、お母さんの実家なんだけど、ずいぶん昔にクリミアーナに住んでいたらしいんだ。でもいまは違うよ。わたしたちの家からはちょっと離れたところにある」

「待って、その叔母さんって、名前は? クリミアーナに住んでいた人なら、わたし、全員知ってるよ。出て行った人なんて」

「追い出されたって、聞いてる。それから、とても苦労したんだって、お母さんは言ってた。もう昔のことだから、詳しいことを知ってる人もいないけど、あの家とは付き合うな、クリミアーナに近づいてはいけない、ということだけは言い伝えられてきたんだって」

「そんな、そんなことって」

「あるはずないよね。あたしも、そう言った。でもさ、叔母さんの家では、生まれた子どもには魔法を教えないようにしてるんだって。魔法を覚えたらクリミアーナとのつながりができるから、あえてそうするんだって。だから叔母も母も、魔法の勉強はしなかったそうよ」

 

 昔のことで、詳しく知る人はいない。その言葉が、アルテシアの胸に響く。それはつまり、そのとき何があったのか、本当のことは誰にも分からないということなのだ。

 

「わたしたち姉妹もね、魔法の勉強なんてしたことなかった。だけど魔法を使うことはできたのね。だから、ホグワーツから入学案内が届いた。お母さんはとても喜んでさ、それで入学することになったの」

「クリミアーナ家のお嬢さんがホグワーツに入学するなんて思ってみなかった。友だちになるなんて考えもしなかった。それが分かってたら入学なんてさせなかった」

「お母さんは、そう言ったの。だったら、わたしたち姉妹はどうするべきか。2人で話し合ったんだけど、どうするのがいいかなんてわかんない。結論なんてなかなか出ない。このごろ、お母さんの言うことも変わってきてるから混乱のしっぱなし」

「どういうこと」

「いまは、ふくろう郵便で話をしているの。もう家族みんなの問題なのよ」

 

 アルテシアは、言葉もなかった。まるで2人に責められているかのように、うつむきしおれていた。なるほど、そういう事情だったのか。おそらく、姉妹それぞれに思うことが違うのだろう。だから言い合いになってしまうのだ。それが口論でもしているかのように見え、ケンカしていると思われてしまうのだ。どうすればいいだろう。アルテシアは考える。

 その昔になにがあったのか、そもそも詳しいことがなにもわかっていない。わからなければ、対処のしかたも、わからない。アルテシアは顔をあげた。

 

「あの、その叔母さんに会える? 話を聞いてみたいんだけど」

「ダメ、だと思う。あたしたちも会えなかったし」

「お母さんは?」

「とにかく、アル。もう少しだけ待って。あたしたち、ちゃんと話し合うし、ちゃんと決めるよ。ちゃんと決めるから。決めたら、すぐあんたに言うからさ」

「う、うん」

「ねぅ、アル。あんた、仲直りしなかったら絶交する、なんて言ったことあったよね」

「うん」

「あのとき、あたしが言ったことは、本当だから。あれがあたしの本音だから」

 

 あのとき、パーバティが何と言ったか。もちろんアルテシアは覚えていた。とにかくこの件は、パチル姉妹の出す結論を待つしかない。決めることができるのは、本人たちだけだ。それで納得しようとしたとき、ふと思い出したことがあった。ダンブルドアは、パチル姉妹の言い合いのなかで魔法書のことを聞いたと言っていた。いったいどこから、そんな話が出たのか。

 

「あの、魔法書のことなんだけど」

「え?」

「あ、ごめん。なんでもないよ。とにかく待ってるから。あなたたちが何を決めようと、あなたたちは友だちだからね」

 

 話は終わった。魔法書のことも聞きたかったのだが、いまは、話をややこしくするだけだろう。パチル姉妹の抱える問題が先であるべきなのだ。

 まだマクゴナガルは戻ってきていなかった。なのでアルテシアが残って待つことになり、パチル姉妹は、先に寮へと戻ることになった。だが、このことをどう解釈すればいいのか。クリミアーナが、本当に住民を追い出すようなことをしたのだろうか。とても信じられない。アルテシアは困惑していた。過去にそんなことがあったなんて、聞いたことも見たこともなかったからだ。

 

 

  ※

 

 

 表面上は、とても穏やかで静かな日々だといえた。だがそれは、もちろんそう見えるだけのこと。グリフィンドール寮生たちの多くは、いきなり150点も下がってしまったことに力を落としていた。せっかくスリザリンから寮杯を奪い取るチャンスだったのに、それがつぶれてしまったのだ。こともあろうに、その立役者であるはずのハリー・ポッターが、150点もの減点の原因を作ったというのだから、元気がなくなるのも無理はない。

 ハリー・ポッターが、クィディッチの試合でヒーローとなったあのハリーが、寮の点をこんなに減らした。数人のバカな一年生と一緒に。

 そんなときであったので、アルテシアがしょんぼりとしているのはあまり目立たなかった。その隣には、いつものようにパーバティがいたが、そこにほとんど会話がないことにも、グリフィンドール寮生たちは気づかなかった。試験が近づいていることも要因のひとつなのかもしれないが、うつむいたまま黙々と勉強を続けるハーマイオニーも、そんなアルテシアたちになんの疑問も持たなかった。

 そんなある日。

 

「森に行くのか。だがいまはダメだぞ」

「え? でもハグリッドさん。ときどきなら森に入ってもいいって」

「たしかに、そう言ったがな。だが、いまはダメだ。森のユニコーンを襲っているヤツがいる」

「ユニコーンを、襲う…」

 

 アルテシアだった。このところの、寮での重苦しい雰囲気に耐え切れず、森のなかを散歩しようとやってきたのだ。だが、以前は許してくれていたハグリッドが、ダメだというのだ。危険だから近づくなと。

 

「ユニコーンを捕まえるなんて、たやすいことじゃねぇのにな。怪我させられるどころか、すでに死骸も見つかっとる。いいか、アルテシア。勝手に森に入るんじゃねぇぞ」

「でも、ハグリッドさん」

「言うことをきけ。いま森には、森にいるべきでない何者かがおるのだ。おれがなんとかする。それまで待つんだ。いいな。わかったらなら、もう戻れ」

 

 ハグリッドは自分の小屋へと戻っていったが、アルテシアはその場所に立ったままだった。何を考えているのか、その目は森をにらみつけていた。もう数十歩もあるけば、森に入れるといった場所。そこから森をみつめ、耳を澄ます。なにかの気配を感じようとしているのだ。そのまま時間だけが過ぎていく。

 

「見つけた」

 

 すでに暗くなっていた。夕食の時間でもあったが、アルテシアはその場所へと自分自身を移動させた。そこにいたのは。

 

「おまえか。何をしていると聞くのもおろかだが、とにかく邪魔をするな。今だけは見逃してやるから、さっさと行ってしまえ」

「いいえ、あなたこそ、この森にいてはいけない。いますぐ校長先生か、もしくはハグリッドさんのところへ行くべきです」

「ハグリッド? 昨日もあいつに邪魔されはしたが、あんなウスノロになど用はない」

 

 フードでスッポリと頭を包んでいるので、それが誰なのかはっきりとはわからなかった。その人物が、かたわらに身を屈める。それまで気づかなかったが、そこに何かが倒れていた。ケガをしているだけなのか、それともすでに死んでいるのか。フードの人物が、頭を近づけ、傷口とおぼしき場所から血を飲みはじめた。

 

「それ、ユニコーンですよね」

 

 その人物は、答えない。なおも、のどを鳴らして飲み続ける。

 

「そんなことをすれば、報いを受けると言われてますよ。死んだ方がましだとさえ思うような呪いみたいなものなんだとか」

「黙れ、もうこうするしかないのだ。『賢者の石』さえ手に入ればすべて解決する」

「やはり、狙いはそこですか」

「心配ない、もうじき手に入ることになっている。どこにあるかも知っている。おまえには関係のないことだ」

 

 たしかに関係ないのかもしれないが、こんな無茶を見てほおってはおけない。それはともかく、現場を見られたにもかかわらず、そのままとどまっているのはなぜなのだろう。逃げ出す気などないようだ。フードの男が立ち上がる。背を向けているので、その顔はわからない。

 

「そうそう、おまえから1つ、貰い受けたいものがある」

 

 返事はしない。要求するものが何であるのか、なんとなく予想ができるからだ。

 

「おまえは、急に魔法力を得た。あるいは高めることができた。魔法書というものがあるそうだな。魔法書さえあれば、それができるというわけか」

 

 否定も肯定も、しない。どこで魔法書のことを知ったのか、そのことを問うたところで、返事が帰ってくるはずもないので、無言でいる。

 

「わがご主人は、魔法力の回復が必要だ。つまりおまえの持つ魔法書が必要となる。こちらに渡せ。賢者の石とおまえの魔法書があれば、わがご主人はより完全に復活できるのだ」

 

 目的はそれか。だがもちろん、同意できるようなことではない。無言でいるより拒否だけはしておこうとしたが、相手はアルテシアの返事など待ってはいなかった。

 

「渡さぬというのなら、それでもかまわん。奪い取ればすむことだ。だがおまえは、困ったことになるだろう」

「それは、どういう意味ですか」

 

 だがフードの男と話せたのは、そこまでだった。突然飛んできた矢が、2人の会話を終わらせたのだ。フードの男はたちまち姿をけし、残されたアルテシアの前にハグリッドが現れた。矢は、ハグリッドの石弓から放たれたものだった。

 

「森に入ってはいかんと、そう言ったはずだぞ」

「ご、ごめんなさい」

「まさか、いまのヤツと知り合いではなかろうな。なにやら話をしていたようだが」

「いまのは、たぶんクィレル先生です」

「なんだと。なんで学校の先生が、こんなことをしなくちゃならんのだ。おまえさんの見間違えだろう。とにかくすぐに帰れ。ここにいてはいかん」

 

 そのときハグリッドの目は、すでに死骸となってしまったユニコーンをくやしそうに見つめていた。

 




 今回、どうやってかはともかく魔法書のことがクィレル先生に知られてしまうこととなりました。ハリーとは賢者の石をめぐる攻防、主人公とは本をめぐる攻防、ということになります。次回もよろしく。


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第17話 「魔法書の秘密」

 あの森で見たことを、アルテシアはマクゴナガルに報告した。本来ならば、その相手はダンブルドアがふさわしいのだろうが、アルテシアが選んだのは、マクゴナガル。そこには、いささかの迷いもなかった。それはなにも、ちょうどその日が2人の勉強会の日に当たっていたからでは、決してない。

 そのことを話している途中、ダンブルドアから校長室に来るようにと言われていたことを思い出したアルテシアだったが、あれから半月ほどは経っている。あの約束がまだ有効であるのかどうかは、微妙なところだ。そういえば、ダンブルドアとはほとんど話をしたことがなかった。トロール騒動の直後に医務室で話をしたことはあったが、あれはお見舞いのついでだ。じっくりと話をしたわけではない。

 

「ダンブルドア校長には、わたしから話をしておきます。あなたは行かなくてよろしい」

 

 マクゴナガルにそう言ってもらえたこともあり、アルテシアは校長室には行かなかった。行くべきかなとも思ったのだが、身の回りのことに気を取られ、頭の隅へと追いやることになってしまったのである。クィレル先生のことは教師側の問題なので、手出し無用と言われてしまったが、禁止という言葉は使われなかったので、なにかあれば手出しはするつもりではいた。

 パチル姉妹のほうでは、ふくろう郵便で叔母さんからの手紙が届いたらしい。アルテシアのようすを聞いてきたそうだ。もちろんそれだけではないのだろうけど、パーバティが教えてくれたのはそれだけだった。

 それに、試験の時期を迎えたこともある。試験勉強の追い込みが必要なのだが、そんな日々のなか、寮の部屋でなにか違和感を感じるようになっていた。それがなにかはわからなかったが、わからないだけによけいに気になったし、違和感を感じていたのは、アルテシアだけではなかったのだ。あるとき、ハーマイオニーが声をあげた。

 

「やっぱりヘンだわ。本の位置が違ってる」

 

 同じ部屋の他の3人、アルテシアとパーバティ、そしてラベンダーが注目するなか、ハーマイオニーは、机の上に山積みとなっていた本を指さした。

 

「ほら、これを見て。位置がずれてる。引き出しだって、開けられてるわ」

 

 反射的にアルテシアも、自分の机を見る。自分のところでそんなことが起こっているのかどうかはわからなかったが、ラベンダーが声をあげる。

 

「まってよ、ハーマイオニー。まさかあたしが無断で開けたとか言いたいの?」

「そうじゃないわ。そんなの、いまさらでしょ。あたしが言いたいのは、ほかの誰かが部屋に入ってきてるんじゃないかってこと。何かを探しているのか、調べてるのか。とにかく、ここで何かしてるんだわ」

「でも、なんだってそんなことがわかるのよ。あんたの勘違いかもしんないじゃん」

「ええ、そうね。そうかもしれない。だから確かめるために罠をしかけたのよ」

 

 『罠ですって!』と、他の3人の異口同音の反応にハーマイオニーは満足げに言葉を続けた。

 

「マグルの世界では、よくある罠よ。罠っていうより、目印かな。とくに男の子がやるみたいなんだけど」

 

 ハーマイオニーが言うには、自分の髪の毛を積み上げられた本の一番上のページにはさみ、もう一方の端っこを一番下の本にはさんでおいたのだという。こうしておけば、本を動かしたことがすぐにわかるというのだ。引き出しのほうも、開ければ髪の毛が切れるようにしてあったらしい。それを、実際にやってみせる。

 

「ほらね、こうしておけばすぐにわかるでしょ」

「なるほど」

「みんなは、ヘンだと思ったことないの? どこか違ってるって思ったことない?」

「あるわ。たしかに、なんかおかしいなって思ってた」

 

 ああ、そうなのか。ここ数日の違和感は、それだったのか。誰かがこの部屋で、何かを探している。気づかれないようにと、動かした物は元に戻しているのだろうけど、まったく同じにはならない。微妙にずれてしまっていることが、違和感を生んでいたのだ。

 

「だとしても、誰が何のために? ここで何をしてるっていうの?」

「たぶん、本だと思う。ええと、試験が終わるまで言わないつもりだったけど、そうもいかないわ。アルテシア、きっとあなたの本だと思う。あの黒い本。あれが魔法書なんでしょ」

「えっ!」

 

 驚かずにはいられなかった。それは、残りの2人も同じなのだろう。その目は、アルテシアとハーマイニー、それぞれに向け、右に左に、交互に動いていた。

 

「ハグリッドが言ってたわ。あなた、禁じられた森に行ったでしょ。そこで、ユニコーンを襲った相手から魔法書を渡せと脅された。ハグリッドが、それを聞いてるのよ」

「そ、それは…」

 

 たしかにそうだったが、まさか、話を聞かれていたとは。急いで言い訳しようとしたのだが、そのときのパーバティの動きは速かった。アルテシアがほとんどしゃべらないうちに、アルテシアのところへと飛んできて肩を掴んだのだ。

 

「アルテシア、あなた、大丈夫なの?」

「ええと、平気よ、パーバティ。ケガもしてないし、お腹も痛くないわ」

 

 もちろん、心配してのことなのだろう。一瞬ののち、皆に注目されていることを感じてか、パーバティは、掴んだ肩から手を離し、自分の所へと戻る。いくらか、顔を赤くしていた。

 

「ええと、話の続きなんだけど、いいかしら」

 

 誰からも返事はないが、それが同意を意味することくらい、ハーマイオニーも承知している。

 

「その誰かさんは、アルテシアの魔法書が欲しいのよ。だから、こっそり探してるんだと思うわ。ね、アルテシア。大切なものなんだろうけど、渡しちゃうってことも考えた方がいいんじゃない。いつまでも隠してると、今度はあなたが襲われることになる」

「違うわ」

「え?」

「違うのよ。そうじゃない」

 

 何が違うというのか。誰もが視線をむけたのは、アルテシアではない。ついさっきは赤い顔だったのに、いまは青い顔をしているパーバティだった。

 

「パドマなの。魔法書を探しているのは、パドマよ」

「な、なに言ってるの」

「もう、正直に言うわ。ほんとはすべてがはっきりしてからアルテシアだけにって思ってたんだけど、わたしとパドマは、アルの魔法書を手に入れようとしてたの」

 

 

  ※

 

 

「じゃあ、なにか。賢者の石だけじゃなくて、その魔法書ってやつも守らないといけないっていうのか」

「ええ、そうよ。あたしは、必要なこと、いまわかってることを全部、あなたたちに伝えたわ。これまでの説明をちゃんと聞いててくれたんなら、ロンにだってその理由がわかってるはずなんだけど」

「待ってくれ。そりゃ、キミの言ってることはわかるさ。でも、信じられるかそんなこと。そんな本がほんとにあるんなら、フィルチだって魔法使いだぞ。あいつは、スクイブなんだ」

「でもアルテシアは、ちゃんと魔法が使えるようになったでしょ。このことは、どう説明するの」

「あいつは、もとから魔女だったってことだろ。フィルチとは違うさ」

「あたしがウソついてるって言うのね」

 

 ここで、話がおかしな方向へと行ってしまわないようにと、ハリーが間に入る。

 

「そうじゃないんだよ、ハーマイオニー。ロンは、疑ってるんじゃない。いろいろありすぎて、納得するのに時間がかかってるだけだよ。ロンだって、ちゃんとわかってるんだ」

「だったらいいんだけど」

 

 そのときロンに向けられた視線が、なんだかとても冷たい。さすがにロンも、これはマズいと思ったのだろう。

 

「そ、そうさ。ハリーの言うとおりさ。こういうことには、時間がかかるものなんだ。それはともかく、あいつがあれだけいじめられたりからかわれたりしてもメゲなかったのは、そういうわけか。いずれは魔女になれるって知ってたからなんだろな」

「ロン、あなただってからかったことがあるんだからね」

「まあまあ、2人とも。つまり話をまとめると、こういうことだろ。これまでべつべつだった2つのことが、実は1つだったってことさ」

「どういうことだい」

「いいか、ロン。まずは賢者の石だ。今までずっと、スネイプが自分のためにあの石を欲しがってるんだと思ってた。でも違った。ヴォルデモートのためだったんだ」

「その名前を言うのはやめてくれ!」

 

 どこかでヴォルデモートが聞いているのに違いない。まるでそう思っているかのごとく、ロンは震えだした。だがハリーは、そんなことには気づかない。

 

「賢者の石が手に入れば、命の水がつくれるだろ。ヴォルデモートが復活するためには、それが必要なんだ。だから、あの石を手に入れようとしている」

「その名前を言うなって言ったろ」

「いいか、ロン。賢者の石が奪われたら、あいつは命の水を得ることになる。そのあとは、魔法の力だ。せっかく魔法力の回復手段を見つけたんだ。手を出してこないわけないだろう」

「それが、アルテシアの本ってわけか」

「そうさ。きっと狙ってくる。いや、もうすでに手に入れようとしているんだ。キミもハグリッドから聞いただろ。アルテシアが、魔法書を渡せって脅かされてたって」

「そうだけど、信じられるか。魔法力を得ることができる本だぞ。そんな本が、ほんとにあるってのか」

「まだ、そんなこと言ってるの。あたしは、何度も見たわ。黒い表紙の本よ。アルテシアが読んでるところ、あなたたちは見たことないの」

 

 そんなこと、あったっけ。ロンの考えてることは、丸わかりだった。だがはたして、実際に目にしていたのかどうか。アルテシアが談話室でその本を読んだのは、数えるほどしかない。あとはもっぱら、寮の部屋だ。

 

「けど、そうだとして、どうすりゃいいんだ。賢者の石はフラッフィーが守ってて、いまのところスネイプは手が出せない。けどあいつは、無防備だろ。ぼくらが守るとしても、スネイプはあいつを呼び出すことができるんだ」

「そうだけど、アルテシアは、スネイプじゃないって言ってるわ。怪しいのはクィレル先生だって」

「え!」

「まさか、そんなことあるはずないだろ。スネイプに決まってる。絶対にスネイプだ」

 

 クィレル先生犯人説には、ロンもハリーも驚かずにはいられない。ハリーは、信じようともしない。

 

「とにかく、相手が誰だろうと賢者の石を盗まれちゃいけないわ。なんとしても守らないと。それがアルテシアを守ることにもなるの。わかるでしょ」

「わかるけど、ほんとかなぁ。魔法の本だぞ。そんなの、ほんとにあるのかな」

「まだ言ってるの。あなただって、アルテシアに勉強みてもらったことあるはずよ。あたしより教え方がうまいって言ってるの、聞いたことあるんだから」

「そんなこと、言ってないぞ」

「とにかく、協力するのかしないのか。どっちなの?」

 

 そう言われてしまうと、イヤだとは言えないロンであった。ハリーももちろん賛成したので、ハーマイオニーは満足したようだった。

 

「じゃあ、アルテシアにもそう言っておくからね」

「まてよハーマイオニー、疑問が1つあるんだ」

 

 急いで寮に戻り、このことをアルテシアに報告しようとしたのだろうが、そのハーマイオニーをハリーが呼び止める。

 

「アルテシアの本が魔法書だって、どうやってわかったんだ? そんな本だってどうして」

「それはもちろん、アルテシアが教えてくれたからよ。あたしは最初、いろんな魔法が紹介されてる本だと思ってた。でもそんな本なら図書館に行けば、いくらでもある。だから、脅されてるんなら渡しちゃえばいいって言ったのよ。そしたらね」

「どうしたんだ」

「反対された。とても大切なものだからそんなことできないってね。なにがそんなに大切なのか、いろいろと聞いてみたわ。なかなか言わなかったけど、一晩かけてようやくわかったの。クリミアーナ家では、あの本で魔法の勉強をして魔女になるのよ。つまり、あの本から魔法の力を得るってわけ。念のために言っておくけど、これは秘密だからね」

 

 それを聞き出すまえにひと騒動あったし、その騒動がなければ聞き出せなかったかもしれないのだが、ハーマイオニーは、そのことには触れなかった。触れなくても、この話は完結するからだ。あの件は、アルテシアとパーバティの、いやパチル姉妹の問題だ。もちろん口出しはするんだけど、とハーマイオニーは心の中で思った。

 

 

  ※

 

 

 試験が終わった。試験結果の発表は1週間後なので、それまでは自由時間のようなものだった。アルテシアは、他の生徒たちとおなじように、さんさんと陽の射す校庭にでた。そのあとを、パーバティがついてくる。2人は、湖までの道を、ゆっくりと歩いた。

 

「じきに、パドマも来るはずよ。話したいことがあるって言ってた」

「うん」

 

 試験が終わったら、ゆっくり話をしよう。そんな約束をしていた。場所は、湖のほとりのベンチ。冬場の寒い日に、アルテシアとパーバティが2人で話をした、あのベンチだ。あの日と違い、陽の光がまぶしいくらいだった。

 ベンチに座る。話は、パドマが来てから。どちらもそう思っていたのだろう。しばらくは、陽の光を反射してキラキラと光る湖面を見つめていたのだが。

 

「そういえばさ、あのとき。寒い日だったのに、このベンチで話をしてても、そんなこと全然思わなかったんだよね。ひょっとしてあのとき、アル、なんかした?」

「ううん、べつになにも。ただ風邪ひかないようにって思ってただけだよ」

「ふうん。このウソツキめ、よく言うよ」

 

 クスクスと、軽く笑いあう。こんなふうに笑いあえるのも、ひさしぶりだ。というのも、パドマ姉妹とのあいだにある問題に、解決の目途がついてきたからだった。解決できると、2人は思っていた。夏休みになったら、実家へアルテシアを連れていく。そこで叔母さんと会う。そんな約束ができていた。実際に会って話をすれば、いろんなことが解決するはずなのだ。

 かつて、クリミアーナを追い出されたという叔母。もちろんその先祖ということだが、それから数世代の時が過ぎた今へと、当時のすべての事情が正しく伝えられてきたとは限らない。どこかに思い違いや行き違いなどがあって、誤解している部分があるのではないか。それを、可能な限り確かめようというわけだ。

 もちろんアルテシアは、『クリミアーナには近づくな、あの家と付き合ってはいけない』という言葉の意味するところを聞いてみるつもりだったし、可能ならクリミアーナに戻ってきてもらいたかった。

 

「でも、ほんと。ごめんね」

「もういいよ、気にしないで、パドマのお姉さん」

「な、なによ、その呼び方は」

「あはは、でも間違ってはいないでしょ」

「そうだけど、なんかヤだ」

 

 イヤなら、もうその話はしないで。アルテシアは、そう言っているのだ。だが、そのことに触れないわけにはいかない。無かったことにはできないし、このことがあったからこそ事態は進展した、とも言えるのだ。

 ハーバティは、母親に何を言われようとも、アルテシアとは友だちでいるつもりだった。なにも変わることはない。だがパドマには、母の納得が必要だったのだ。だから、説得を試みた。何度も何度もふくろうを飛ばし、ようやく叔母を引っ張り出すこともできた。魔法書のことは、その叔母から聞かされた。叔母は、クリミアーナの娘がホグワーツにいるなど、とうてい信じられないと言うのだ。もし本当なら、魔法書があるはずだと。クリミアーナの魔女は、あれで魔法を学び身につけるのだから、ホグワーツに入学するはずがない、そもそもそんな必要はないのだからと。

 パドマは、叔母に魔法書を見せると約束した。叔母は、アルテシアが本当にクリミアーナの娘であるのなら、本当にそうだというのなら、パチル姉妹の母親も交えて話をしてもいいと言ったのだ。昔のことも、もっとよく調べてみると約束もしてくれた。だから、その証明として魔法書が必要だったのだ。

 相談してくれればよかったのにと、アルテシアは言った。なるほど、今思えばそうなのだが、パチル姉妹はそうしなかった。パチル姉妹の考えた作戦は、パーバティがアルテシアを寮の外へと連れ出している間に、パドマが寮の部屋を調べるというものだった。パチル姉妹は双子だ。パドマがグリフィンドール寮にいても、気づかれない。誰もがパーバティだと思うだけ。部屋に入っても、不審に思われることはない。

 だがハーマイオニーには、気づかれてしまったというわけだ。

 

「あれ、ハリー・ポッターだよね」

「ほんとだ。ウィーズリーもいるけど、ハーマイオニーはいないね」

 

 その2人は、すぐにやってきた。ベンチに全員は座れないので、ハリーとロンは立ったままだ。

 

「アルテシア、なるべく人の多いところにいたほうがいいよ」

「うん、わかってる。でもほら、今日は、校庭にもたくさんいるわ。ここでパドマと待ち合わせなの」

「そうか。だけど僕の額の傷がうずくんだよ。これは、警告なんだ」

 

 たしかにハリー・ポッターの額にはイナズマ型の傷がある。その傷が『名前を言ってはいけないあの人』につけられた傷だということは聞いていた。

 

「痛むんなら、マダム・ポンフリーのところに行ったほうがいいんじゃないの」

 

 そう言ったパーバティを、ハリーがにらむ。

 

「僕は病気じゃない。何か危険が迫ってるってことなんだよ」

「ほんとだぜ、アルテシア。寮の部屋にいたほうがいいんじゃないか。キミ、狙われてるんだろ。その、スネイプにさ」

「違うわよ、ロン。スネイプ先生は、そんなことしない。処罰のレポートを早く出せ、とは言われるけどね」

「レポートだって。なんのはなしだよ」

 

 結局アルテシアは、スネイプから命じられた羊皮紙5枚分のレポートは提出しなかった。スネイプもアルテシアの顔を見るたび『レポートを提出しろ』と言ってはくるが、あまり強くは言わないところを見ると、本気ではないのだろう。夏休みのパチル家訪問が終わり、いい結果となったなら、新学期にスネイプのもとを訪ねていくつもりにしている。もっとも、スネイプが居所を教えてくれるかどうかはわからないのだが。

 

「ハリー、心配してくれてるのよね。ありがとう。でもわたしは、あなたたちのほうこそ心配よ」

「ぼくたちは大丈夫さ。狙われてるのはキミのほうだ」

「違うわ、ハリー。あなたは例のあの人と因縁があるでしょう。今回のことは、それとつながってると思うよ」

 

 ハリーは、返事をしなかった。アルテシアの言うことに、心当たりがあるからだ。彼自身も、今回のことはヴォルデモート復活のための事件だと思っている。まず賢者の石を手に入れて生命力を得る。そして、魔法書によって魔法力を回復させる。そうなれば魔法界は、かつてのような暗黒のときを迎えることになるのだ。そんなことは、させない。賢者の石は、絶対に守るんだ。

 ハリーは、改めて自分に言い聞かせる。もちろん、アルテシアの魔法書も、渡したりするもんか。

 

「ハリー、あの石を守ってる罠のことはハーマイオニーに伝えてあるわ。でも十分に気をつけて」

「わかってるさ。けど大丈夫だ。スネイプはフラッフィーをおとなしくする方法を知らないんだ。それがわからない限り…」

 

 そこまで言って、ハリーは口をつぐんだ。ちなみにフラッフィーとは、三頭犬の名前だ。

 

「どうしたんだ、ハリー?」

 

 ハリーの言葉が不自然に途切れたことに気づいたロンが問いかける。ハリーの顔は真っ青になっていた。

 

「今、気づいたことがあるんだ。すぐ、ハグリッドに会いに行かなくちゃ」

「どうして?」

「とにかくこい」

 

 そして走りだそうとしたが、思い直したように止まる。

 

「アルテシア、キミは寮に戻るんだ。あとでハーマイオニーを行かせるから、ぼくたちがOKを出すまで、部屋をでちゃいけない。いいね」

「なんなの、ハリー・ポッター。どういうことなの」

「パーバティ、キミにもお願いだ。アルテシアを、部屋に閉じ込めておいて。ぼくたちがOKを出すまでだよ。いいね」

 

 今度こそハリーは、ロンとともに走り去る。行き先は、その方向から見てハグリッドの小屋。ハリーは気づいたのだ。ハグリッドが、フラッフィーの秘密を漏らしてしまったかもしれないということに。その可能性があることに気づいたのだ。

 ほどなくして到着したハグリッドの小屋で、ハリーたちは、その可能性が現実となっていたことを知った。ハグリッドが、うっかり三頭犬のフラッフィーをおとなしくさせる方法を漏らしてしまっていたのだ。となれば、賢者の石があぶない。

 アルテシアは、フラッフィーをどうやって切り抜けるか、これが一番難しいと言っていた。そのあとにも罠は仕掛けてあるけれど、クィレル先生であれば、難なく通り抜けるだろうと。ハリーは、クィレル先生ではなくスネイプだと思っているが、この際それは、どっちでもいい。問題は、賢者の石が奪われてしまったかもしれないということだ。

 

「どうするんだ、ハリー」

 

 ロンの問いかけには答えず、走りだす。そしてようやく校舎へと戻ってきたところで立ち止まる。

 

「ロン、校長室ってどこだ。ダンブルドアのところに行かなくちゃならないんだ」

 

 だがその場所を、ロンも知らなかった。

 




 賢者の石と、そして魔法書をめぐる攻防も、いよいよ終盤です。ハリーたちと主人公とが協力することになったようです。もっと早くにそうしてもよかったんですけど、魔法書の秘密を知るのはクィレル先生のほうが先、という形にしたかったんですね。それに、主人公にそのことを告白させるタイミングも難しかった。いま思うと、トロール騒動で入院しているときがチャンスだったのかも。
 賢者の石は終わりつつありますが、秘密の部屋をどうするか。ともあれ、次回もよろしく。


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第18話 「決断と実行」

「ダンブルドア先生にお目にかかりたいんです」

 

 ちょうど通りかかったマクゴナガルに、ハリーはそう尋ねた。とにかく、できるだけ早くダンブルドアに会わなければならなかった。なので、その方法を選んではいられなかったのだ。

 

「ダンブルドア先生にお目にかかる?」

 

 マクゴナガルは、なぜそんなことを、とばかりにハリーを見る。そこでハリーは、失敗だったと思った。いくらなんでもマクゴナガルに尋ねるべきではなかった。このあと、その理由を聞かれるに決まっている。いったい、どう説明すりゃいいんだ。

 

「理由は?」

 

 思ったとおりだ。さあどうしよう。まさか『それは秘密です』なんて言えるはずもない。ハリーは知らなかったのだ。ここでアルテシアの名前を出し、正直にすべてを話せばよかったのだということを。

 押し黙ったままのハリーに、マクゴナガルはあきれたように言った。

 

「ダンブルドア先生は、10分ほどまえにお出かけになりました。魔法省から緊急のふくろう便が来たのです。すぐにロンドンへと向かいました」

「先生がいらっしゃらないですって。この肝心な時に」

「肝心な時? それはどういうことです」

 

 またしてもハリーは、返事に困った。黙ったままのハリーに、マクゴナガルは軽くため息。

 

「いいでしょう、ポッター。私に何も言うつもりがないのは、よくわかりました」

 

 マクゴナガルの口調は、固く冷たいものだった。ちゃんと理由を言っていればこうはならなかったのだろうけれど。しかたなくおじぎをして、先生の前を離れようとしたのだが、マクゴナガルは、そうさせてはくれなかった。

 

「待ちなさい、ポッター。アルテシアがいま、どこにいるか知っていますか?」

「アルテシアですか、湖のところでパーバティとしゃべっていましたけど、それがなにか」

「ふむ。ちゃんと言いつけを守っているようですね。ではポッター、それにウィーズリー。あなたがたも外に行きなさい。そしてアルテシアと話をするのです。わかりましたね」

「あの、先生。それって」

「アルテシアと話をしなさい、と言いました。二度は言いません。さあ、もう話は終わりです。こんな日は室内にいるべきではありません。外へ行きなさい」

 

 話は終わり。足早に去って行くマクゴナガルを、呼び止める勇気はなかった。ダンブルドアもいない。ではいま、何ができるのか。ロンが近寄ってくる。

 

「どういうことだろう、アルテシアと話をしろって言ってたよな」

「わからない。でもこのことは、アルテシアには話せない。言えば、あいつを引っ張りこむことになる」

 

 それとも、話したほうがいいのか。マクゴナガルが、どういうつもりであんなことを言ったのか、それがわかればいいのに。ハリーはじれったさを感じていた。だが、のんびりとはしていられない。

 

「今夜だ、ロン。今夜なんだ」

「おい、ハリー。声がでかいぞ」

「スネイプが仕掛け扉を破るなら今夜だ。必要なことは全部わかったし、ダンブルドアも追い払うために、スネイプがニセ手紙を送ったんだ」

「けど、どうするんだ。アルテシアのこともあるんだぞ。あいつに言うか」

「ダメだ。アルテシアは、スネイプのことを信用してるし、魔法書のこともある。僕たちだけでやるしかないんだ」

「にしても、おれたちに何ができるかなぁ。お、ハーマイオニーだ」

 

 見れば、ハーマイオニーがこちらへ走ってきている。あわてているようだ。

 

「大変よ、あんたたち。アルテシアがいなくなった」

「なんだって」

「いないのよ。試験が終わって、一緒に答え合わせをしようと思ってるんだけど、いないのよ」

「なんだよ、そんなことか。てっきり、スネイプにさらわれたのかと思った。ああ、ぴっくりした」

「そんなことか、ですって。とっても大切なことでしょう。いい、アルテシアはね」

「まあ、待ちなよハーマイオニー。ぼくたち、ついさっき湖のそばのベンチでアルテシアと会ったよ。パーバティと一緒だった」

 

 だが、そんなことをのんびりと話しているときではないのだ。なにか言おうとするハーマイオニーを押しとどめるように、手のひらで待ったをかける。

 

「聞いてくれ。スネイプが動き出すのは、今夜だ。フラッフィーをおとなしくさせる方法が、スネイプにもれたんだ。しかも今夜はダンブルドアがいないときてる」

「どういうこと」

「このままじゃ、賢者の石が盗まれてしまうんだ。そうするとどうなるか、わかるだろ」

「え、ええ。でも、今夜ですって」

「今夜はダンブルドアがいないんだ。なら、僕がやるしかない。僕が、先に賢者の石を手に入れる。ダンブルドアが戻ってくるまで、誰にも渡さない。もし石をスネイプにとられてしまったら、ヴォルデモートが復活することになる。そうなったらおしまいだぞ。衰えているはずの魔法力だって、アルテシアの魔法書があれば、きっとすぐに回復するんだ。とにかく、僕は行く。仕掛け扉を開けて賢者の石を手に入れる。もう、そうするしかないんだ」

 

 ハリーは、一気にしゃべった。ロンとハーマイオニーは目を丸くしていたが、それぞれに決断したらしい。

 

「そ、そうよね、ハリー」

「キミの透明マントを使おう。3人なら、なんとか入れるだろう。アルテシアは留守番だ」

「もちろん、あいつは連れていけない。賢者の石と魔法書、両方ともいっぺんに奪われることにもなりかねない」

「そうかしら。アルテシアがいれば、あたしたち、とっても助かると思うんだけど」

「バカ言うなよ、マントに4人も入れるわけないだろう。ムリに決まってる。それともキミが残るかい?」

 

 反対の理由は、ソレなのか。だがハリーは、何も言わなかった。結局は、アルテシアを連れて行かないということだからだ。アルテシアを危険なめにあわせたりなんか、できるもんか。

 

「わかったわ。とにかく、段取りを決めましょう。誰にも気づかれないようにしないと」

 

 

  ※

 

 

 夕食の後、とりあえず談話室に戻る。みんなが寝静まるのを待って行動開始するつもりなのだ。ゆっくり時間が過ぎていき、談話室にいる人もだんだんと減っていく。そんななか、3人組のところへアルテシアがやってくる。

 

「ハリー、ロン、ハーマイオニー。3人とも、行くつもりなのね」

「な、なんのことだい、アルテシア」

 

 アルテシアがにこっと、笑う。いつもならほほえましく思うその笑顔が、このときばかりは、悪魔の微笑みに見えた。

 

「賢者の石をとりに行くんでしょ。わたしも行くって言ったら?」

「だめに決まってるだろ。魔法書だって狙われてるんだから、キミはここにいたほうがいい」

 

 さあ、どうやって説得するか。さまざま考えをめぐらすハリーだったが、意外にもアルテシアは、あっさりと引き下がった。

 

「わかってるわ。寮にいろって言うんならそうするけど、マクゴナガル先生に相談すればよかったのに」

「なんだって。どうしてそれを」

「ハリーたちと話をしたかって聞かれたのよ。それでピンときたの」

「言うわけにはいかなかったんだ。わかるだろ。まさか、マクゴナガルに全部バラしてないだろうな」

「そんなことしないわよ。それで、今からいくの?」

「気づかれないように、みんなが寝静まってからにするつもりだけど。キミは寮から出ちゃダメだぞ」

 

 どうしたというだろう。ハリーたち3人は、居心地の悪さを感じていた。アルテシアが、妙に素直すぎるのだ。もともと、素直なほうではあるのだけれど。

 

「あの、アルテシア。わたしたち、行ってもいいのよね? あなたまさか、邪魔しようなんて思ってないよね。マクゴナガル先生に告げ口なんて、しないわよね」

「大丈夫よ、ハーマイオニー。そんなことしないけど、5分だけ時間をくれないかな。ハーマイオニーに話があるの」

 

 それから5分、いや正確にはその倍ほどはかかったのだが、アルテシアとの相談を終えたあとで、ハーマイオニーとハリー、そしてロンとが、寮を抜け出す。3人組が4階の廊下にたどり着いたときには、あの部屋の扉は少し開いていた。誰かが開けたのだ。つまりが、ハリーたちは一足遅れたということになる。ゆっくりと扉を開ける。

 

「みろ、やっぱりだ。あそこに落ちてるのはハープだろう。あれで音楽を聴かせたんだ」

 

 透明マントを着てはいたが、三頭犬は、なにかの気配を感じているらしい。グルグルといううなり声とともに、3つの鼻が、3人のいる方向へと向けられる。ハリーは、マントの中でほかの2人を見た。

 

「ロンもハーマイオニーも、戻りたかったら、戻ってもいいぞ。なにも3人で行く必要はない。僕1人で大丈夫だ」

「バカなこと言うな」

「そうよ、ハリー。いまさら、何言っているの。ここで戻ったりしたら、アルテシアに顔向けできないわ」

「どういうことだい」

「アルテシアは、三頭犬が一番の難関だって言ってたわ。知ってるよね?」

 

 たしかにそうだが、それがなんだというのか。いま、そんな話をしている場合か、と言おうとしたが、ハーマイオニーがなにやら黒っぽい丸い物を取り出したので、言うのをやめた。

 

「これがあれば、フラッフィーを突破できるわ。これを床に投げればいいの。一瞬であたしたちとフラッフィーの場所が入れ替わる。危険なしで仕掛け扉の中に入れる。アルテシアが作ってくれたの」

「けど、そんなの必要ないだろ。音楽きかせりゃいいんだから」

「ええ、そうね。でもアルテシアは、音楽のことを知らなかったのよ。教えてないもの」

「とにかく、行こう。急がないと」

 

 ハリーが、ハグリッドにもらった横笛を唇にあてて吹きはじめる。とにかく音さえしていればいいらしい。でたらめに吹いているのに、たちまち三頭犬はトロンとしはじめ、ついには眠りこんだ。

 

「チャンスだ」

 

 3人は、マントを抜け出した。大急ぎで、そして慎重に仕掛け扉の方へと移動していく。三頭犬の巨大な足の上にのっているさらに巨大な頭のすぐ横を通らねばならなかった。

 

「イヤだわ。やっぱりアルテシアの魔法玉を使いましょうよ」

「そんな必要ないよ。ほら、これで開くんだ」

 

 ロンが、なんとか犬の足をまたぎ、屈んで仕掛け扉の引き手を引っ張る。すぐさま、扉が跳ね上がった。

 

「ロン、飛び降りても大丈夫よ。下は、柔らかいクッションみたいなものだから」

「なんだって」

「だから、この下はスプラウト先生の『悪魔の罠』なのよ。下に降りたら、じっとしてて。あたしがすぐに火をつけるから、それで簡単に脱出できるわ」

「ほんとか」

「ほんとよ。とにかく行くわよ」

 

 ハーマイオニーが飛び込む。続いてロン。ハリーは笛を吹きながら。ハーマイオニーが言ったように、小さな炎のおかげで、『悪魔の罠』はなんなく突破できた。

 

「なんで、知ってたんだ」

「アルテシアが教えてくれた。次はフリットウィック先生の『鍵の罠』よ。とにかく最後の部屋までの罠は、全部わかってるから」

 

 フリットウィックの罠は、飛び回る何百羽もの羽のついた鍵のなかから、正解の鍵ただ1つを見つけるというものだった。事前にわかっていても、飛び回るたくさんの鳥たちのなかから見つけ出すのは簡単ではなかったが、次の、マクゴナガルの『巨大チェス』の部屋へと行くことができた。

 

「さぁ、どうすりゃいいんだい。なんであいつが知ってるのかも聞きたいけど、それよりも攻略法だな」

「チェスをするのよ、ロン。あたしたちがチェスの駒になって、相手に勝てばいいの」

「簡単に言ってくれるよな」

 

 それぞれが駒となり、勝つには勝ったが、戦いの中で、ロンは駒として相手に取られてしまったのだ。『これがチェスなんだ!』というロンの言葉に後押しされ、ロンを残して先へ進む。次の部屋のトロールは、すでにノックアウトされ、床にころがっていた。

 

「スネイプのしわざだろう。トロールと戦わずにすんでよかったよ」

 

 ハリーが言った。もちろんハーマイオニーも同意見だった。次の部屋へ入ると、いま通ってきたばかりの入口でたちまち火が燃え上がり、同時に前方の出入り口でも黒い炎が上がる。

 

「聞いてたとおりだわ。ハリー、あたしが行けるのはここまで。ここを通れるのは一人だけなのよ」

「なんだって」

「ほら、あそこにいくつか瓶がおいてあるでしょ。そのうちの1つを飲めば、黒い炎のなかを進めるようになるの。もう1つの薬で元の道を戻れるようになるから、あたしはロンを助けに行くわ。そしてマクゴナガル先生のところに行く。アルが言ってたの。もしものときは、マクゴナガル先生にお願いすればなんとかしてくれるって」

「そんなことしたら、マクゴナガルに怒鳴られる。ヘタすりゃ退校処分だ。それより、通れるのは1人だけってホントなのか」

「見て!」

 

 ハーマイオニーは、瓶の横に置かれていた巻紙を取り上げてハリーにみせた。

 

「1つは前への薬、1つは後ろへの薬、残りはイラクサ酒と毒。さあハリー、どれを選ぶ?」

「ええと、こんなのわかんないよ」

「これは魔法じゃなくて論理よ。パズルなの。大魔法使いといわれるような人でも、論理のかけらもない人がたくさんいる。そういう人はここで行き止まりってわけね」

 

 そう言いながら、ハーマイオニーは1つの瓶を手に取った。それをハリーに渡す。

 

「これが、そうなの?」

「ええ。あたしは、これを飲むわ」

 

 今度は、右端にある丸い瓶を手に取る。

 

「ねぇ、ハリー。もし『例のあの人』がスネイプと一緒にいたらどうするの?」

「そうだな。1度は幸運だったから、2度目も幸運かもしれない。だろ?」

 

 2人は、それぞれに薬を飲み、お互いの方向へと駆けていった。

 黒い炎の中を進むのは、ハリー・ポッター。薬のおかげで、炎がハリーの身体を焼くようなことはなかった。しぼらくの間、黒い炎しか見えなかったが、とうとう最後の部屋へと出た。

 

 

  ※

 

 

「おや、キミはハリー・ポッターか。来るとしたら、あのアルテシアとかいう娘かと思ったよ。魔法書を持ってきてくれるはずなんだ」

「なんだって」

「魔法書だよ。ああ、そうか。キミは知らないのか。かといって、教えてやるつもりはないけどね」

「そんなことは、どうでもいい。けど、なんであなたが? スネイプはどこに行ったんだ?」

 

 クィレルが、笑う。声を出しはしなかったが、その顔はあきらかに笑っていた。

 

「スネイプ先生は、お休みじゃないのかな。もう遅い時間だからねぇ」

「僕は、ここにいるのはスネイプだと思っていた」

「アルテシアに聞かなかったのかね? あの娘には、ばれてしまっていたようなんだがね」

 

 たしかにそうだった。アルテシアは、クィレルが怪しいと言っていたのだ。でもスネイプだって、十分に怪しかったんだ。

 

「まあ、そんなことはいい。どうせキミには、死んでもらうつもりだから」

 

 クィレルが指をパチッとならした。どこからともなく現れた縄が、ハリーの体を縛っていく。

 

「ポッター、キミは賢者の石のことを知ってるんだろうね。あれを手にいれて、私が何をしようとしているのか、気づいてしまったというわけだ。だからここへと来たんだろうけど、もう遅いよ。もうすぐ石は手に入る。この鏡のなかにあるのかな?」

 

 いまごろ気づいたが、クィレルのそばに、姿見のような大きな鏡があった。その鏡が『みぞの鏡』であることを、ハリーは知っている。その鏡が『のぞみ』を映し出すことも。

 

「この鏡こそが、賢者の石を見つけるための鍵なのだよ。石を手に入れたら、次は魔法書だ。クリミアーナの娘はうまく隠しているようだが、なに、すぐに手に入るだろう。そうすれば、どうなると思うね、ポッターくん」

 

 どうなるかって? そんなの考える必要なんてないんだ。そんなことにはならない。賢者の石も、アルテシアの魔法書も、絶対に渡すもんか。

 クィレルは鏡の枠をコツコツ叩いている。

 

「ダンブルドアなら、こういうものを考えつくだろうと思っていたよ。だが彼は、今ロンドンだ。あわてる必要はない」

 

 クィレルが、鏡の裏側に回り込む。そのすきにとハリーは、縄をほどこうともがく。だが結び目は固く、ほどけない。

 

「ハリー・ポッター、むだなことだ、やめておけ。その縄をほどいたところで、おまえの運命はかわらんのだから」

 

 そうかもしれないが、それでも精一杯の抵抗をしてやる。絶対に、クィレルより先に賢者の石を見つけるんだ。ハリーは考える。いまここにあるもので、役立つものといえば。

 

「いったいどうなってるんだ。この鏡はどういう仕掛けなんだ? いっそ、割ってみるか。なかに入っているのかもしれない」

 

 ついにクィレルがそんなことを言い出した。だが、割られては大変だ。たぶん、あの鏡を見れば、石がどこにあるのか見えるはずだ。あの鏡は僕ののぞみを映し出してくれるのだから、きっと、見せてくれるはずだ。だが、近づこうにも足もきっちりと縛られているので思うように動けない。だが。

 

(静かにして、縄をほどくから)

 

 突如、ささやくような声が聞こえてくる。反射的にクィレルを見る。クィレルは鏡に夢中だ。

 

(その声は、アルテシアだろ。どこだ、どこにいる)

(しっ、黙って。縄をほどく魔法がわかんないの。ハリー、知ってる?)

(僕だって、わかんないよ。なんでもいい、縄を切ってくれ)

(それは考えたんだけど、切るって魔法もわかんないんだ。とにかく、ほどいてみるから)

 

 いったい、どこが魔法使いなんだ。それで魔女だといえるのか。それぞれ、そんな思いを持ったことだろうが、分からないものは仕方がない。ややあって、アルテシアの努力でなんとかほどくことに成功する。

 

(ありがとう、これで動けるよ。でも、どこにいるんだい)

(いまは秘密。とにかくわたしがこっそりサポートするから、賢者の石を探して)

(わかった)

 

 幸い、クィレルはこちらに気づいていない。こっそりと移動を開始。とにかく鏡を見ればなにか分かるはずなんだ。だが、そのとき別の声がした。しかも声はクィレル自身から出てくるようだった。ハリーはゾッとした。

 

「なにかいる。誰か、いるぞ。そやつが、なにか知っているに違いない。その子に鏡を見せるんだ」

「わかりました、ご主人様」

 

 クィレルが振り返る。どうやらアルテシアがいることにも気づかれたらしいが、ハリーのほうも、『例のあの人』がそこにいることを理解した。

 




 第15話で、すでに主人公が、あの三頭犬から続く罠の連続を通り抜けていますので、またそれを書くのもどうかなとは思ったのです。今回はそこをすっとばしてクィレルとの決着、というのも選択肢としてありましたけど、ハリーたちには一通り体験してもらいました。これで良かったんだろうと思ってます。今回、原作どおりのセリフを、いくつも使わせていただきました。
 次回は、いよいよ「賢者の石」での最終話です。よろしく。


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第19話 「1年目の終わり」

 はたしてクィレルは、アルテシアのことに気づいてるのか。そもそも、アルテシアはどこにいるのか。それは、ハリーにも分からない。

 

「ここへ来い、ハリー・ポッター。鏡を見るのだ。何が見えるかを言え」

 

 それは、ハリーも望むところ。言うとおりにするようでしゃくだが、クィレルの方へと歩いていく。なにも正直に教えてやる必要などない。鏡に何が見えても、嘘を言えばいいのだ。クィレルのすぐ後ろに回り、鏡をみる。そこに見えたのは。

 

「何が見える?」

「僕がダンブルドアと握手をしているのが見える。グリフィンドールが寮杯を獲得したんだ」

 

 もちろん、作り話だ。見えたのは、そんなものではない。そこに見えたのは、アルテシア。そのアルテシアをやさしく抱きよせると、彼女がいつも提げている巾着袋に、手に持った真っ赤な石を入れたのだ。これはつまり、賢者の石を手に入れたということではないのか。どこにいるのかわからないが、賢者の石はいま、アルテシアが持っている。というか、持たせたんだ。

 ならば、逃げ出せばいい。ここからアルテシアを逃がせば、賢者の石は守られるのだ。

 

「こいつは嘘をついている……嘘をついているぞ……わしが話す……」

「ご主人さま、あなたさまはまだ十分に力がついていません!」

「このためになら……使う力がある……」

 

 その瞬間、ハリーは、金縛りにでもあったかのように動けなくなってしまう。そのハリーのまえで、クィレルがターバンをとく。そこから現れたのは、蝋のように白い顔と血走った目の、恐ろしい顔だった。

 

「ハリー・ポッター…」

 

 その顔が、言った。ハリーは逃げ出したくなったが、足が動かない。アルテシアは、どうしているんだろう。すぐに逃げだすように言わなければならないのに、居場所がわからない。

 

「命の水さえあれば、わしは自身の体を創造することができるのだ……魔法書があれば、昔のような魔力へと回復させることができるのだ。さあ、言え。あの娘はどこだ。あの娘が、両方持っているのだ。教えろ、さもないと死ぬぞ」

「イヤだ。僕は死んだっていい。誰がおまえなんかに、アルテシアのことを教えたりするもんか」

「ほう、娘の名は、アルテシアか。待て。その名は…… まさか、まさかクリミアーナ家の娘ではあるまいな」

 

 そのとき、突然足の感覚が戻った。動けるようになった。ハリーはよろめきつつも後ずさりし、その顔と距離をとる。

 

「なぜだ。なぜ、知ってる。おまえなんかが、なぜアルテシアのことを」

「おれさまの勝ちだな、ハリー・ポッター…… おまえの、母親。おまえを守ろうとし、おれさまに呪いをはね返すだと。くくくっ、愚かしいマネをしてくれたものだ。だが、お返しはたっぷりとしてやる。覚えておけ。わしは必ず復活する。捕まえろ!」

 

 その顔が、すなわちヴォルデモートが叫んだ。次の瞬間。クィレルの手が、ハリーの手首をつかむ。と同時に、針で刺すような鋭い痛みが額の傷跡をつらぬく。その痛みにハリーが悲鳴を上げる。だがなぜか、クィレルもその手を火ぶくれで真っ赤にし、苦痛に体を丸めたのだ。

 なぜだかわからないが、クィレルはハリーに直接触れない。そう悟ったハリーは、クィレルに抱きついた。思ったとおりに、クィレルが苦痛でうなり声を上げる。もちろんハリーの額の傷にも痛みが走ったが、悲鳴をあげるほどではなかった。

 ヴォルデモートの声がする。

 

「殺せ、殺してしまえ! そいつを殺せぇ」

「あああアアァ!」

 

 クィレルの叫び声。ハリーの額の痛みが、ますますひどくなる。クィレルの恐ろしい悲鳴とヴォルデモートの叫び。そして。

 

「ハリー、ここまでだ。戻るよ」

 

 そんな声を、聞いたような気がした。ふーっと、気が遠くなる。意識が…… 途切れる……

 

 

  ※

 

 

 もう一度まばたきをした。でもそこにいるのは、そこに見えるのは、やはりダンブルドアだった。なぜ、アルテシアじゃないんだろうとハリーは思った。ハーマイオニーでも、ロンでさえもなかったのだ。

 

「やあ、ハリー。元気かね」

 

 ダンブルドアの声。ハリーはダンブルドアを見つめた。

 

「ダンブルドア先生、ロンドンから戻ってこられたのですね」

「おお、そうじゃよ。マクゴナガル先生がふくろう便を送ってくれたのじゃ。おかげでなんとか間に合うことができましたな。キミがそうするように言ったと聞いとるよ」

「僕が」

 

 いや、違うだろうとハリーは思った。僕は、怒らせてしまったのだ。あんなに怒っていたマクゴナガルが、そんなことをしてくれたはずがない。きっとアルテシアだろう。あいつが、口添えしてくれたのに違いない。

 

「さて、なにか聞きたいことがあるかね。もしなければ、わしから少し話をさせてもらいたいのじゃが」

「先生、アルテシアはいま、どこにいますか。何をしてますか」

「なんと、まずはそこからなのかね。そうじゃの、アルテシア嬢はいま、眠っておるじゃろう。実はいまは真夜中なのじゃよ」

 

 真夜中か、じゃあ、あんまり時間は経っていないんだなとハリーは思った。だが実際は、あれから丸2日が過ぎていた。

 

「一応、言っておくが、あの夜から2日が過ぎておる。夜が明ければ3日めということじゃな」

「え、そんなに」

「さよう。みんな、キミを心配しておる。気がついたと知ったらホッとするじゃろう」

「あの、先生。あのとき、どうなったんでしょうか。アルテシアがいたはずなんですが、あいつ、ケガとかしてませんよね。そうだ、あいつの魔法書がどうなったか、先生、ご存じですか」

「落ち着いて、ハリー。そんなに一度には答えられんよ。ええと、まずはアルテシア嬢のことじゃな」

 

 ハリーは、身体を起こし、ベッドに腰掛けた。ダンブルドアの手を借りずとも、そんなことは簡単だった。あの夜のダメージは、もう残ってはいないようだ。

 

「アルテシア嬢は、いま謹慎しておるよ。マクゴナガル先生との約束らしいのじゃが、詳しいことはわからん」

「謹慎って、じゃあ僕は、いつ彼女と会えますか」

「ふむ。まあ、新学期になれば大丈夫だとは思うがの」

「そんなに。でも、なぜです。謹慎されるようなこと…」

 

 してるな、とハリーは思った。それでもアルテシアは僕を助けに来てくれたんだ。どうやったのかはよくわからない。でもあのとき、動けたのは、きっと。

 

「キミの友人、ハーマイオニー嬢とウィーズリーくんも元気じゃよ。もし問題があるとすれば、キミのことを心配するあまり何も手につかなくなっておるということぐらいじゃな。ま、キミが目覚めたので、それは解決したことにはなるが」

「そうですか。よかった。安心しました」

「ほかにまだ、聞きたいことはあるかね」

 

 たくさんあるのだろうけれど、すぐには思いつかないような気がした。ハーマイオニーもロンも無事なんだ。あとで、直接本人に聞けばいい。それで十分だ。

 

「では、わしから少し言わせてもらうとするかの」

「はい、先生」

「まずは、ようやったと言わせてもらおう。もちろん、規則破りもたくさんあるし、危険なことにも首を突っ込みすぎじゃ。じゃが、そうせねばならなかったことも理解できる。まあ、それがグリフィンドール寮のよいところじゃからな」

「そうだ、先生。例のあの人が」

「ハリー、ヴォルデモートと呼ぶべきじゃよ。適切な名前を使うべきなのじゃ。名前を恐れていると、そのもの自身に対する恐れも大きくなる」

 

 どうなのだろう、そのあたりハリーにはよくわからなかった。

 

「わかりました。でも先生、ヴォルデモートはどうなったんでしょうか。あいつが魔法書を手にしたら、どうなりますか。あいつは、その、どこかにいるはずですよね?」

「実はの、ハリー。あのとき、ヴォルデモートはそこにいたのじゃよ。じゃがわしは、どうすることもできなかった。あやつは、いわば魂だけのようなもので、自身の身体を持ってはおらなんだ。どうすることもできなかった。じゃがあやつは、ついには逃げだしクィレル先生は死んでしもうたよ」

「クィレル先生を死なせて、逃げた?」

「そうじゃ。いまは、誰か乗り移る体を探していることじゃろう。さすればまた、キミの前にあらわれるかもしれん。そのときはまた、力を貸してくれるじゃろうか」

 

 ハリーはうなずいた。いろいろと思うことはある。疑問はまだある。それをいま、ダンブルドアに聞いておくべきなのかもしれない。でもなぜか、言わない方がいいような気がした。あとで、アルテシアに聞けばいい。

 実はこのとき、アルテシアは医務室にいたのである。ハリーとは別の部屋だが、マクゴナガルによって隔絶されたその部屋で、疲れ切った身体を休めていた。マダム・ポンフリーによれば、絶対安静が必要とのこと。マクゴナガルとも相談のうえ、表向きは謹慎処分ということにしてあるのだ。ハリーは目覚めたが、アルテシアはまだ眠り続けている。

 

 

  ※

 

 

「仕方ないわね。でも、5分だけですよ」

 

 その一言で、ようやくロンとハーマイオニーは、ハリーの病室に入ることが許された。でも、5分はあまりに短い。それでも話ができることに変わりはないけれど。

 

「あぁ、ハリー。私たち、あなたがもうダメかと……ダンブルドア先生もとても心配してたのよ」

「学校中がこの話でもちきりだよ。本当は何があったの?」

 

 ハリーは、2人と別れてからのことを話して聞かせた。クィレルのことやヴォルデモートのこと、アルテシアの声がしたこと、そして賢者の石のこと。

 

「それじゃ、いまあの石は、アルテシアが持ってるのか」

「いや、それはないと思うな。あいつはきっと、マクゴナガルに言ったはずだ。だから謹慎処分を受けたんだ。夜中に出歩いて危険なことに首を突っ込んだ。そのこと、白状するようなもんだろ」

「だな。けどそうなると、僕らもそうなるよな。やったことは同じだろ」

「いいえ、そうはならないと思うわ」

 

 なぜ? 当然のようにロンが尋ねる。

 

「あたしたちは、ダンブルドアに会ったでしょ。ダンブルドアは、あたしたちがやってること知ってたみたいだった。知っててやらせてくれた。というか、自分ではやらずにあたしたちにやらせたのよ。だからあたしたちは、処分は受けない」

「けど、それはアルテシアだって同じだろう」

「いいえ、ハリー。あたし、ずっと思ってたんだけど、アルテシアとマクゴナガルって、なんかさ、よくわかんないけど、とにかくアルテシアは、ダンブルドアよりもマクゴナガルを信頼してるんだと思う。今度のことだって、マクゴナガルに言わずにダンブルドアに言ってればよかったのよ。そうすれば処分はされなかったのに、それがわかっててもアルテシアは、マクゴナガルに言ったのよ」

「そういうことだよな。あいつ、いまどこにいるんだろう。大丈夫かな。寮にはいないんだろ」

「ええ。でもパーバティが、そんな心配そうにはしてないのよ。きっと彼女は、ようすを聞いてるんだと思う。教えてはくれないんだけど、だからアルテシアは大丈夫なはずよ」

 

 マダム・ポンフリーが、病室へと入ってくる。その後ろにはマクゴナガルの姿もあった。

 

「あなたたち、もう15分も経っていますよ。さあ、部屋を出なさい」

 

 もう、話もほとんど終わったようなもの。ロンとハーマイオニーは、おとなしく病室を出た。残ったのは、ハリーとマクゴナガル。もちろん、マダム・ポンフリーもいたけれど。

 

「マクゴナガル先生、アルテシアを許してやってもらえませんか。謹慎処分だって聞きました。でもあいつは、僕を助けるために、そのために来てくれたんです。規則破りをするつもりなんてなかったんです」

「ポッター。その件は、すべてわたしに任されています。心配してくれているのはわかりますが、口出し無用です」

「でも先生。では先生、あの石はどうなりましたか。僕があいつに持たせたんです。あいつに責任はありません。あいつ、大丈夫なんですか。ケガとか」

「待ちなさい、ポッター。わたしがここへ来たのは、あなたの質問に答えるためではありませんよ。あなたが話ができるようになったというので、アルテシアからの伝言を伝えるために来たのです。石のことは、校長先生にお任せしてありますし、アルテシアのケガうんぬんについては、マダム・ポンフリーにお聞きなさい」

 

 たしかに自分の担当分野ではあるが、それを私にさせるのか。あきらかにマダム・ポンフリーは、そんな顔をしてマクゴナガルを見た。そんな彼女に、マクゴナガルは軽く頭を下げた。そして。

 

「ポッター。あなたに謝っておいてほしいとのことです。未熟なばかりに迷惑をかけた、そのことを反省していると」

「待って下さい。それって、どういうことですか」

「それだけです。このことは、わたしからもお詫びしておきます。では、確かに伝えましたよ。明日は学年末のパーティーです。よく、身体を休めておきなさい」

 

 それだけ言うと、マクゴナガルは部屋を出て行く。ハリーは、マダム・ポンフリーをみた。マダム・ポンフリーは、軽くうなずいてみせた。

 

「あの子にケガはないし、身体に異常もみられない。おかしなところは、なにもない。これでいいかしら」

 

 

  ※

 

 

 ようやく病室を出ることを許されたハリーは、そのまま、学年度末パーティーが行われる大広間へと向かった。ちょうど間に合う時間に退院が許可されたので、グリーンとシルバーのスリザリン・カラーで飾られた大広間に着いた時には、すでに生徒たちでいっぱいだった。

 ダンブルドアが立ち上がる。

 

「一年が過ぎた! さてご一同、ごちそうのまえに、寮対抗杯の表彰を行うことになっておる。各寮の点数は…」

 

 ダンブルドアが話し始める。その声を聞きながら、ハリーは教員席にマクゴナガルの姿がないことに気づいた。なぜ、いないんだろう。いないといえば、グリフィンドールのテーブルにもアルテシアの姿がない。まだ謹慎が続いてるということなのか。マダム・ポンフリーの話では、身体を休めさせるために謹慎ということにしてあるのであって、処罰ではないらしい。つまり体調さえ戻っていれば、このパーティーの席にいるはずなのだ。ということは… いったいあのとき、本当はなにがあったのだろう。

 ダンブルドアが、各寮の点数を発表している、ちょうどそのとき。マクゴナガルは、医務室にいた。そこにある病室で、ようやく目を覚ました生徒に声をかける。だがそれは、およそマクゴナガルらしからぬ言葉のように思われた。

 

「わたしには、こんなバカ娘に対して、言う言葉がみつかりません。よくも、こんなことを」

「すみません、マクゴナガル先生」

 

 ベッドに寝ているのは、アルテシア。その顔を見る限り、かなり疲れているようだ。マクゴナガルは、そのベッドのすぐ横に椅子を置いて座る。

 

「たしかに魔法の使用を許可しました。ですが、こんなムチャをしていいとは言ってませんよ。危険を回避し、身を守るため。そのためになら使ってよろしいと」

「はい。でもハリーたちが、寮から出てはいけないと言うので、そのとおりにしなければと」

「だから、バカだというのです。いいですか、もう一度言いますよ。こんなバカ娘には、言う言葉もありません」

 

 病室には、マダム・ポンフリーもいるのだが、そのマダム・ポンフリーから、笑い声が聞こえた。マクゴナガルが顔を向ける。

 

「マクゴナガル先生、言う言葉がないのなら、処罰を言い渡すこともできませんね。よかったわね、あなた。やさしい先生で」

 

 最後は、アルテシアに対してだ。アルテシアは、ゆっくりとうなずいてみせた。

 

「と、とにかく。元気になってから、改めて話をします。それまでに、どうすればあなたがムチャをしなくてすむのか、ようく考えておきましょう」

「わかりました、先生」

「とはいえ、あのようなことができるとは、驚きです。わたしには、理解不能ですよ、まったく」

「いいえ、先生。先生だって、そのうちできるようになられるはずです」

 

 マクゴナガルは返事をしなかった。アルテシアが目を閉じたからだ。眠いのなら、寝かせておいてやろう。きっと、そういうことなのだろう。

 寝息に変わったところで、マクゴナガルは立ち上がる。代わりにマダム・ポンフリーがアルテシアのそばへ。だが、とくに診察するまでもないと判断したようだ。

 

「寝ちゃったようですね。あんなに寝ていたのに、まだ眠いのかしら」

「ほんとですよ、まったく。でもま、起こす気にはなりませんけど」

 

 軽く笑いあったところで、2人は、ベッドから少し離れたところでお互い向かい合わせで座る。

 

「でも先生、あの子はずっと寮の部屋のベッドにいたんですよねぇ。友だちの子が恐くなって、先生を呼んだとか」

「ええ。たしかにそのとき、ベッドに寝ていました。そのままここに連れてきて、ずっとあのベッドの上です」

「でもハリー・ポッターは、あの晩、彼女と一緒にいたと言ってましたね。助けてもらったと。これはどうします?」

「ほおっておけばよいでしょう。しかし、おどろきです。クリミアーナでは、あのような魔法… 魔法なのだと思いますが、あんなことができるとは」

「でも、そのたびに倒れちゃうのだとしたら、考えものですね。便利な魔法なのでしょうけど、校医の立場としては、使用禁止にすべきだと思いますよ」

「ええ。わたしも、副校長として禁ずるべきだと」

「でも、個人的には、そんなことできませんよねぇ」

 

 またも、軽く笑いあう。こんなことを言っているが、マダム・ポンフリーもマクゴナガルも、そのときなにが起こったのか、実はアルテシアから聞いて知っているのである。実際にその目でみてもいるのだが、およそ理解不能なことだったので、どちらからともなく、そんなことはなかった、とすることで同意している。ちなみにアルテシアもそうすることを了解済み。つまり、なにもしなかったということになっている。いまの会話は、その前提においてのもの、ということになる。

 マクゴナガルに知らせた友だちというのは、パーバティのことだ。いくらベッドのなかにいるとはいえ、まったく身動きしないアルシアに不審を覚えぬはずがない。心配の余り、つついたり揺すったりしてみたが、それでも起きないことで不安になり、マクゴナガルに知らせたというわけだ。

 

「ところで、まさかとは思いますが、あのバカ娘、また2日も3日も寝込んだりしませんよね」

「大丈夫。明日の朝には、普通に目が覚めると思いますよ」

 

 そのころ、飾り付けをグリフィンドールの垂れ幕とライオンのシンボルへと変えた大広間では、年度末のパーティーが最高潮を迎えていた。

 アルテシアにとっての、ホグワーツでの1年目は、こうして終わりを告げた。

 




 原作「賢者の石」のお話は、ここまでですね。長かったけど、ようやくここまできました。読んでいただいたみなさま、ありがとうございます。
 引き続き、原作2話の「秘密の部屋」へと続いていきますので、どうぞ、よろしくお願いします。


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秘密の部屋 編
第20話 「家系図」


 今回より、原作第2巻「秘密の部屋」編です。
 1年次と同じく、学校から始まらないということになってしまいました。学校に着くのは第2話(通算で21話)になるのかな。
 では、秘密の部屋へとご案内。よろしくお願いしますね。


『こんにちは、ロン。

 ねぇ、おかしいと思わない? なにか起こってるんじゃない?

 ハリーのところに手紙を書いたんだけど、返事が来ないのよ。』

 

『やあ、ハーマイオニー。

 そんなこと、僕にもわかんないさ。けど、心配するのも今日までだ。

 だって、ここにハリーを連れてくるんだから。』

 

 ウィーズリー家の兄弟たちの間で『ハリー・ポッター奪還作戦』が計画・実行されたのは、それからまもなくのこと。ハリーの住むダーズリー家から首尾よく連れ出すことに成功したが、そのハリーがもたらした話は、ロンの言葉を借りるなら、おっどろきーっ。

 

「それじゃ、そのドビーっていうハウスエルフが、僕らの手紙を隠してたのか」

「そうなんだ。ドビーは、僕に学校に戻っちゃいけないって言うんだ。すごく危険だからって。でも、それだけじゃない」

 

 この『ハリー・ポッター奪還作戦』の根幹を支えているのは、ウィーズリー家が保有しているフォード・アングリア。旧式の車だが、ロンの父であるアーサー・ウィーズリーによって手が加えられており、空を飛ぶことができるのだ。いまは、その空飛ぶ車でウィーズリー家へと移動中、いや飛行中なのである。

 ロンのすぐ上の兄である双子のジョージが運転し、フレッドがナビゲーター。ロンとハリーは、後部座席だ。ロンたちの家につくまでのあいだに、ハリーはドビーのことを話して聞かせた。突然やってきたドビーという名のハウスエルフが、警告の言葉を残していったというのだ。

 

「つまり、なにかあぶないことをたくらんでる家があるってことだな。ハウスエルフってのは、魔法族の旧家にいたりする妖精なんだよ。大きな館や城なんかに住んでて、それなりの魔法力も持ってる。ハリー、キミのことを恨んでいそうな、そんな家に心当たりがあるかい」

 

 運転席から顔をのぞかせてそう言ったのは、フレッド。ジョージはさすがに前方を向いたままだが、同じ意見であるらしい。

 

「あるとすればドラコくらいだけど、あいつに、そんな大それたことをする根性なんてないよな」

「ロン、おまえに聞いてるんじゃないぞ。けど、マルフォイ家ならあり得るぞ。ドラコって、そこの息子だよな。あの家のおやじは、例のあの人に付き従ってたらしいんだ。つまり部下だったのさ」

 

 たしかにハリーも、そんなうわさを聞いたことがあった。ヴォルデモートが復活したなら、彼らはそこへ戻るのだろうか。その復活に力を貸したりするのだろうか。だがハリーには、そんなことより気になることがあった。

 

「おかしなことは、もう1つあるんだ。ドビーは、アルテシアのことを知ってる。クリミアーナってアルテシアのことだよな」

「そうだけど、どういうことだい」

「ドビーが言ってたんだ。ドビーのやつ、何かいいかけては頭を叩いたりしてすぐに自分を罰しようとするから、肝心なところがよくわからない。だけど、あいつがクリミアーナって言ったのは間違いないんだ」

「ドビーが名前を知ってるってことは、マルフォイの家でアルテシアのことが話されているってことだよな。どういうことだろう」

「まてよ、それって危なくないか」

 

 フレッドとジョージだ。いくら双子だからといっても、同じタイミングでまったく同じことを言うとは思わなかった。

 

「そう。僕もそのこと考えたんだ」

「マルフォイ家とは限らないが、気をつけた方がいいな」

 

 考えられることは、2つあるという話になった。その1つは、ハリーと同じくアルテシアも、危ないことに巻き込もうとしているのではないかということ。そしてもう1つが、アルテシア自身もそのたくらみに関係しているのではないかということ。そうでないとしても、なんらかのつながりがあるのは間違いないというのだ。

 実際のところは、どちらが正解なのかはわからない。あるいは、ほかに答えがあるのかもしれないが、なにもかも、はっきりとはしないのだ。考えてみればドビーは、肝心な部分についてはなにも話していない。ただ危険だと言うだけで、より詳しいところに話がいきそうになると、自分で自分を罰しはじめるのだ。ハリーはそれを止めるのに精一杯だった。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、ひさしぶりに戻ってきたクリミアーナ家の、自分の部屋のベッドで眠った。結局、ホグワーツでの学年末のパーティーには参加できなかったが、寮杯は、奇跡のような大逆転でグリフィンドールが獲得することになった。その1年目は、おおむね順調だったと言えるのだろう。

 トラブルはいくつかあった。なかでも学年末直前に起こった出来事は、命さえも危険にさらすものだった。なんとか乗り切ることはできたが、無茶をした反動は、同然のように返ってきた。おかげで体調をくずしてしまい、約束していたパチル姉妹の叔母とは会えずじまい。

 それでも順調だったと思うのは、アルテシアが、その結果におおむね満足していたからだ。最大の気がかりであった魔法も、なんとか使えるようになった。まだまだ未熟だし、勉強することもたくさんあるけど、とにかく使えるようになったのだ。それを順調だと言わずして、なんと言うのか。

 学年末試験でのトップは、ハーマイオニーだった。アルテシアのほうは、中間より少しだけ上といったところ。知識面ではほとんど差のない2人だが、魔法の実技ではかなりの差がついた。それゆえの結果である。ちなみにアルテシアは、試験ではいつもの魔法を使わなかった。ここはホグワーツなのであり、実技試験では杖を使うべきだと考えてのことなのだが、仮にいつもの魔法を使っていたとしても、さほど影響はしなかったんじゃないか。アルテシアはそう思っていた。

 

「おはよう、パルマさん」

「はい、お嬢さま。おはようございますです」

 

 クリミアーナ家でのアルテシアは、基本的に早起きだ。というのも、早朝の森を散歩することを、なによりの楽しみとしているからだ。ホグワーツでは朝の散歩はできなかった。散歩するのに適当な場所がなかったこともあるが、あちこち自由に動き回れるわけでもなかった。だがクリミアーナ家では、なんの気兼ねもいらないのだ。そのクリミアーナ家に久しぶりに戻ってきたのだから、アルテシアが夜明けとともに目を覚ましたのも、不思議なことではない。

 

「あのね、パルマさん。なるべく早めに戻ってくるつもりではいるんだけど」

「わかってますよ。ゆっくりと森を散歩なさりたいってんでしょ。いいんじゃないですかね。ホグワーツとやらでは、できないことですからね」

「ありがとう、パルマさん」

「いえいえ。でもアルテシアさま。なんだかこの家も、少しずつにぎやかとなっていきそうで、うれしいですよ。いずれまた、お友だちも遊びに来てくれるんでしょうから」

 

 そんな言葉に送られて、散歩へ出る。街中を通り抜けてから森へいくこともあるが、今朝は、直接森へ行くコースを選ぶ。早朝ということもあるが、早めに家に戻るためでもある。というのも、調べたいことがあるからだ。クリミアーナ家の書斎には、膨大な数の本がある。せめてひとつくらいは、関連する記載がされた本があってもいいのではないか。森の中をゆっくりと歩きながら、アルテシアはそんなことを考える。

 アルテシアが調べようとしているのは、パチル姉妹の叔母のことだ。学年末の騒動がなければ、すでに対面を終えていたはずなのだが、この時点で、まだ実現していない。あのとき、アルテシアが寝込んでしまったためだが、その叔母さんの家が、かつてクリミアーナと関係があったというのなら、いつごろクリミアーナに住んでいたのか、どういう事情で外へ出ることになったのか。そのあたりを調べることができるはずだと思っているのだ。

 仮に分からなかったとしても、キングズクロス駅からホグワーツ特急に乗るときに、会う約束ができている。出発の2時間前にホームで待ち合わせることになっているので、話が聞けるだろう。できれば、そのときまでに当時の事情について、いくらかでも知っておきたいのだ。予備知識があったほうが、よりよい話し合いができると思うからだ。

 パーバティによれば、母も叔母も、アルテシアに会いたがっているらしい。ということは、いい方向に進みつつあるということだろう。パーバティは、母や叔母が何を言おうとも、友だちでいることはやめないと言ってくれている。ありがたいことだとは思うが、お母さんや叔母さんともめ事を抱えさせてしまうようなことは、本意ではない。とにかく事情を把握し、その原因を知ることだ。それが解決への早道。パドマだって、それを望んでいるはずなのだ。

 

(そういえば、家系図があったよね)

 

 森でのアルテシアは、ときにひとり言を言うときがある。そうしたくて森に入ったりすることもよくあるのだ。

 家系図とは、つまりクリミアーナ家の先祖が、順に記された系統図のことである。そんなものがあることを、もちろんアルテシアは知っていた。見るためには魔法力が必要となるので、これまで見ることはできなかったが、いまなら見られるだろう。

 この系図には、クリミアーナ家に生まれ名前がつけられた時点で、自動的に記載がされるような仕掛けがされているので、そこにアルテシアの名前も記載されているはずだ。もちろん、その母マーニャの名もあるだろう。

 家に戻ってきたアルテシアは、朝食もそこそこに書斎に入り、家系図を開く。アルテシアの名前が書かれている。だが、他には何も記されていない。その上の方に金色の線が引いてはあるだけなのだが、そのことを疑問に思うようなことはなかった。その金色の線に触れると、その上にアルテシアの母であるマーニャの名前が現れる。もちろんその名に寄り添うように配偶者、アルテシアにとっての父親であるクリモアという名も現れる。クリモアは、マーニャがアルテシアを妊娠中に亡くなっている。

 この家系図では、金色の線がつながるその先へと進むためには、魔法の力が必要となる。始まりは自分の名前からとなるので、家系図に名前が記されていない人には、見られないということになる。そういう人は、アルテシアのとなりで一緒に見るしかないということだ。

 クリミアーナ家では、いわゆる一人っ子の場合が多いので、その系図が横へと広がることはあまりない。多くの場合は縦の方向、つまり世代が積み重なるほうへとつながっていく。マーニャの名前の上にある金色の線に触れる。その母、アルテシアにとっての祖母の名が現れる。アリーシャだ。かなり長生きした人ではあるのだが、アルテシアは会ったことがない。アリーシャは、マーニャが15歳のときに亡くなっているのだ。

 そのアリーシャのところで初めて横方向への線が現れたが、それにはかまわず、より上の世代へとさかのぼる。そうやって順々にたどっていけば、行き着く先が誰になるのか。もちろんアルテシアはその名前を知っている。知ってはいるが、それを確かめるつもりなのだろう。

 次々とさかのぼっていき、その最後へと到達したとき、アルテシアは自分の目を疑った。まさか、そんなことがあるのか。これは、どういうことなのだ。

 

「うそ、だよね」

 

 思わず、声が出ていた。なぜだろう。予備知識としては、そこにはアルテラという名前があると思っていた。いや、もちろんその名前はそこにある。当然、そこにあるべき名前なので、そのことはいいのだ。

 

「ミルバーナと、ユーリカ……」

 

 なぜなのだろう。この世代にだけ、まとめて複数の人たちの名前が現れたのだ。なぜそこに5人の名前があるのか。アルテラ・クリミアーナ、という名前はいいのだ。この人こそが、いわゆる初代さま。クリミアーナ家はこの人から始まったのであり、その後に続く娘たちにとっては、あこがれの名前だ。クリミアーナ家は、魔女の家系。魔女の血筋を受け継ぐ家とされているが、それはこのアルテラより続くもの。

 クリミアーナ家の魔女は、魔法書により魔法を学ぶ。その魔法のほぼすべてが、このアルテラより始まったとされている。アルテラが、自身の得た知識と魔法力のすべてを書き記した本を作ったことにより、クリミアーナ家は始まったのだ。それは間違いない。だが、当然存在するはずのそれ以前の歴史がわからない。アルテラが生まれ育った家のことや当時の状況は伝わっていないのだ。アルテラを中心とし、どのようして人が集い、その人たちとともにどのようにしてクリミアーナが成立していったのか。現在クリミアーナ家がある地に、どのようにして定着していったのか。そのあたりの事情は、まったくわかっていない。だから、これを称して『クリミアーナの失われた歴史』と呼んでいるのだ。

 そのことと、この予想外の結果とが、関係あるのだろうか。いや、関係あるはずだ。ここ出てきた名前が、失われた歴史をひもとくヒントであるはず。

 だがまてよ、とアルテシアは思う。いま自分が考えたようなことを、歴代のクリミアーナ家の魔女たちが思わぬはずがない。これまで誰一人としてこの家系図を見なかったとは考えられないので、このヒントからでは、失われた歴史を取り戻すには至らなかったということになるが、本当にそうだったのか。

 あらためて、その名前をみる。

 アルテラ・クリミアーナ。その左右には、フェリシアとリーナの名がある。この2人はアルテラの姉と妹であり、一人っ子であることの多いクリミアーナではめずらしく三姉妹だったことが知られている。というより、その唯一の例なのだ。

 そして、ミルバーナとユーリカ。アルテシアを驚かせたのは、この2人がクリミアーナ家の人ではないからだ。ルミアーナ家とクローデル家なのである。これは、どういうことだ。クリミアーナ家ではないこの2人が、なぜ記載されているのか。あるいはなぜ、この2人はクリミアーナ家ではないのか。

 気になることは、もう1つある。パチル姉妹の叔母のことだ。かつてクリミアーナから追い出されたそうだが、そのとき名を改めなければならなかったという可能性はあるのだろうか。もしそうなら、そのときルミアーナと名乗ったのだとしたら。あるいは、クローデルと名乗ったのだとしたら。

 心のどこかで不自然さを感じながらも、アルテシアはその可能性を考える。仮にそう考えることが不自然でないのなら、家系図にこの両家が記載されている理由が、いちおうは説明できることにはなる。だが、不自然さはぬぐい去れない。アルテシアは、軽く首を横に振った。

 そうだ、そういえば。

 アルテシアの祖母アリーシャのところで現れた、横方向への線。そこまで戻り、その線に触れる。現れたのは、ガラティアの名。そこからは、どの方向へも金色の線はない。つまりそれは、ガラティアがブラック家へと嫁いだから。系図を見る限り、そういうことになるようだ。嫁いだあとのガラティアのことは、残念ながらこの家系図ではわからない。これは、さきほどのルミアーナ家とクローデル家の場合も同様だ。

 それらの家のことを調べることができれば、あるいは、失われた歴史に近づけるのかもしれない。

 

 

  ※

 

 

『 アルテシア・ミル・クリミアーナ 殿

 

  2年次に使用する教科書のリストを同封を同封します。

  これらの本を準備のうえ、9月1日にホグワーツ特急に

  乗られますよう、ご案内申し上げます。

 

            校長  アルバス・ダンブルドア

            副校長 ミネルバ・マクゴナガル 』

 

 通常であればふくろう郵便で届くその案内を、アルテシアはマクゴナガルの手から受け取った。届けに来てくれたのだが、これはなにもハリー・ポッターのように、ふくろう郵便の手紙を隠されていたりしたわけではない。ただ単に、マクゴナガルがアルテシアに会いたかった、というところだろう。ちなみに教科書リストは、ミランダ・ゴズホークによる基本呪文集(2学年用)を除けば、ギルデロイ・ロックハートの書いた本のオンパレードであった。

 

「先生さま、ひさしぶりですねぇ。お忙しいのでしょうけれど、もっとおいでいただいてもいいんじゃないかと思いますがね」

「それはまた、なぜです?」

 

 ただの社交辞令的なあいさつなのかもしれない。しかもあまり質のいいものとはいえないが、パルマは、とてもうれしそうだ。マクゴナガルの疑問は、もしかすると、そちらのほうに対してなのかもしれない。

 

「パルマさん。わたし、明日にでも教科書を買いに行ってくるわ。新学期まで、あんまり日にちもないし」

「そうですね、そうしたほうがいいでしょう。わたしは今回、一緒には行けませんが大丈夫でしょうね?」

「はい。本屋さんの場所は覚えていますから」

「そうですか。それから一応言っておきますが、魔法界には『未成年魔法使いに対する妥当な制限』というものがあります。つまり学校以外の場所で魔法を使うと処罰を受ける可能性があるのです。注意なさい」

 

 もちろん、アルテシアはそのことを知らなかった。たまたま、この休暇中に魔法を使ってはいないが、もし違反が発覚したならどのような罰をうけるのだろうか。

 

「先日、ハリー・ポッターがこのことに違反し、警告を受けました。なので、あなたにも言っておく必要があると考えました。同じ目にあうことのないようにしなさい」

「はい。でも先生」

「でも、はなしです。言うことを聞きなさい」

「わかっています。でも先生、わたしの母は、8歳のころより魔法を使用していたらしいんですけど」

「ああ、そういうことですか。さすがの魔法省も、このクリミアーナには関与できないのでしょうね。あなたのいつもの魔法は、少し特殊に過ぎるのです」

 

 では、使ったとしてもおとがめなし? いやいや、それはないだろう。おそらく、マクゴナガルが許しはしない。

 

「ですが、杖による魔法は検知されるはずですよ。それはさておき、身体の具合はどうです?」

「もう平気です、先生。言っておきますけど、あれは無茶ではありませんから。だから、禁止はしないでください」

「では、またやるつもりなのですね」

「必要があれば」

 

 そう言って、アルテシアは笑った。これにはマクゴナガルも、苦笑を浮かべるしかなかった。

 

「そうだ、先生。魔法界にこんな名前の家はありますか。ブラック家、ルミアーナ家、クローデル家、なんですけど」

「わたしが知っているのは、ブラック家だけですね。ルミアーナとクローデルは、初めて聞く名前です」

 

 その問いに対する答えを残し、マクゴナガルは学校へと戻っていった。新学期はもうすぐだ。副校長としてやることは多いということだろう。その翌日、アルテシアはダイアゴン横町にある、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店を訪れる。1年目のときと違って買い物はこの店だけだが、アルテシアはそのあとで、マダム・マルキンの洋装店に顔を見せた。

 

「こんにちは」

「おや。おやおや、お嬢ちゃん。覚えているわよ、お元気そうでなによりね。どう、学校のほうは」

 

 とくに買うものはない。ただ、母とはつながりのあった人なので、素通りしたくはなかっただけである。

 

「おかげさまで、順調です。着心地のいい制服を、ありがとうございました」

「あらあら、そんなことはいいのよ。でもほんと、お母さまが生きておいでなら、どんなにかお喜びだったでしょうね。なにしろ、あなたの成長を、それはそれは楽しみにしてらしたのよ」

「はい。その話は聞いています」

「あら、そうだったかしら。ごめんなさいね」

 

 実はアルテシアは、その話をパルマから聞いているのだ。母マーニャは、パルマと2人でマダム・マルキンのアドバイスにも助けられながら、アルテシアの着るローブを作った。アルテシアの成長を思い描きつつ、そのローブを縫い上げたのだ。3歳のアルテシア、5歳のアルテシア、7歳、10歳、15歳… それぞれのアルテシアは、どんなだろう。何を考え、何に喜び、何に笑い、何に対して泣くのだろう。

 そんなことを話しながらの作業であったそうだ。当時、マダム・マルキンとは手紙のやりとりを続けていたので、そのことのいくらかをマダム・マルキンも知っているのだ。

 

「ええと、まだ新しい制服は必要なさそうね。でも、そうね来年あたりは、新調したほうがいいわね。もう、あの生地は残ってないんだけど」

「わたしの家にも、残ってないです。母は、あの生地をどこで手に入れたのか、言ってましたか?」

 

 考えてみれば、これだって立派な手がかりなのではないか。アルテシアは、そのことに気づいたのだ。あの生地は、どこにでもあるようなものではない。であれば、その入手先を知ることは、母のことをもっとよく知ることになる。そこまで考えてアルテシアは、自分自身に対して苦笑を覚えた。母のことを、誰よりも一番よく知っているつもりでいたからだ。

 

「あいにく、それは聞いてないわね」

「そうですか」

 

 店の入り口が、開けられる。顔を見せたのは、アルテシアとはさほど年の変わらぬ少女と、その母親らしき人物。さしずめ、ホグワーツの新入生であり、制服を買いに来たのだろう。引き上げるにはいい頃合いだ。

 

「あの、これで失礼します。また来年、来てもいいですよね」

「どうぞ、いらっしゃいな。お母さまの代わりにはなれないけれど、あなたの成長した姿を見せてもらうわ」

「はい」

 

 頭を下げ、店を出る。いや、出ようとしたのだが、店に入ってきていた少女と目が合った。その母親らしき人も、アルテシアを見ていたようだ。そのことに気づいたものの、どちらも見覚えのない人だったので会釈をしただけで店を出る。だが妙に、その少女のことが気になるアルテシアであった。

 




 ちょっと、話がややこしくなりましたね。ちょっとどころではないのかも。
 ドビーは、屋敷しもべ妖精ですが、ハウスエルフという呼び名を選びました。たぶんドビーの登場場面はほとんどないと思いますので、冒頭でお出ましいただきました。忘れないうちに、ということです。
 わかりやすく、軽快なテンポで。それを意識してはいるのですが、なかなか難しいようです。次回もよろしくお願いします。


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第21話 「ナディアさん」

 今回は、パチル姉妹の叔母さんとの位置づけでナディアさんが登場されます。
 原作では登場してなかったと思うので、勝手に創作させていただきました。その人とのおしゃべりからのスタートです。よろしくお願いします。


 キングズ・クロス駅の構内にある、さほど広くもない喫茶店。ここでアルテシアは、パチル姉妹の叔母と会うことになっていた。このあと、新学期のホグワーツへと向かう特急列車に乗らねばならないので、さほど長い時間がとれるわけではない。だが、せっかく会えるのだ。できるなら、発車のギリギリまでいろいろ話を聞きたいと、そう思っていた。だが、アルテシアが思い描いていたとおりには、運ばなかった。

 アルテシアは、パーバティやパドマも一緒に来るだろうと思っていた。だが、やってきたのはパチル姉妹の叔母さんだけ。そのことをいぶかしく思いつつも、40歳くらいだと思われるその人と、初対面のあいさつを交わして、席に着く。

 その女性の名は、ナディア。彼女は、ナディアとだけ名乗った。

 

「パーバティとパドマも一緒に来るんだと思っていました」

「そう思うのはあなたの勝手だけど、こちらにもいろいろと事情があるのよ」

 

 アルテシアは温かいココア、ナディアはレモン・ティー。それにサンドイッチが少々。そのレモン・ティーを、一口飲んだ。

 

「あなたがどう聞いているのかは知らないけど、今日のことはあの姉妹には言わないようにね。そのほうがいいと思うわよ」

「どういうことでしょうか」

「あわてないで。お互い、初めて会うんだもの。ゆっくりと話していきましょうよ。それよりあなたも飲んだら。温かいうちにね」

 

 ホグワーツ特急が出発するまで、あと1時間半といったところか。列車に乗り込むための時間も考えると、それほど余裕があるとはいえないので、あまりゆっくりとはしていられない。そう思いつつ、ココアを飲む。

 

「最初にいくつか、確かめておきたいことがあります。いいですか?」

「ええ、もちろんよ。わたしのほうにもあるんだけど、あなたが先でいいわ」

「それではお聞きしますけど、ブラック家、ルミアーナ家、クローデル家。このなかでご存じの家はありますか?」

 

 ティーカップを口元へと運ぶ手の動きが止まった。ほんの一瞬のことではあったが。

 

「なぜ、そんなことを?」

「ナディアさんが、おっしゃらなかったからです。その3家のどれかが、ナディアさんの名字ではないですか。たとえば、ナディア・ブラック。あるいは、ナディア・ルミアーナ…」

「残念だけど、違うわね。わたしは、ナディア・マーロウ。ブラックなんて名字じゃないし、ましてやミルアーナでもクローデルでもない」

「そうですか。失礼しました」

 

 アルテシアとしても、あれこれと考えてはみたのである。クリミアーナ家の書斎にあるたくさんの本はもちろん、家系図も何度も調べた。結果、いくつか新たな名前を見つけることにはなったが、それに自分の知る知識とを考え合わせてみたとき、どうしても、この3つの家のことが分からなかったのである。魔法とは無関係の家なのかと考えてもみたりもしたが、それもしっくりとはこない。

 

「でも意外ね。あなたが、ルミアーナ家のことを知ってるとは思わなかったわ。名前だけ? それともいろいろ知ってるの?」

「名前だけです。もしなにかご存じなら、教えてもらえませんか」

 

 だがナディアは、微笑んでいるだけで何も言わない。教えるつもりはないのかな、とアルテシアは思う。あるいは、何も知らないのだろうか。ゆっくりと時間だけが過ぎていく。

 

「もう一つ、聞いてもいいですか」

「あら、ルミアーナのことはもういいの?」

「いいえ、教えていただけるのなら、お願いしたいのですけど」

 

 からかわれているのだろうか。たぶんそうだと思ったアルテシアだったが、表面上は、そのことを気にしていないようなそぶりをみせる。これがスネイプ相手であったなら、たぶん無駄な努力に終わるのだろうけれど。

 

「その前に教えて。あなたの家に、つまりクリミアーナ家にだけど、よそから来た人が入り込んだ、なんてことはあるのかしら? もちろん、あなたの知っている範囲でかまわないんだけど」

「それは、幾度かあったと聞いています。例えばわたしの母は、わたしを出産するとき、身の回りのことなど手伝ってもらえる人に来てもらっています」

「ああ、そういうことね。なるほど、そんなことはあったのか」

「それで、ルミアーナ家のことですけど」

 

 言いながら、アルテシアは思う。たとえばパルマのような人は、家系図には載らない。アルテシアがパルマを追い出したとしても、記録されることはないのだ。仮にマーロウ家がパルマと同じような立場であったのなら、家系図を調べても意味はないことになる。記載されない家のことを、知ることはできないからだ。それでもブラック家などの3つの名前を知ることはできたので、まったくの無駄足だったということにはならないのが救いではあるけれど。

 

「たしかにルミアーナとは、交流があるわ。あった、と言った方がいいのかしらね」

「どういうことでしょう」

「あなたも知ってるでしょ。例のあの人、名前を言ってはいけないあの人のこと」

「あぁ、それは聞いたことがあります」

 

 聞いたことがある、だけではない。アルテシアは、その人と遭遇したことさえあるのだ。その場にはハリー・ポッターもいたし、クィレル先生もいた。クィレル先生は、例のあの人に支配されていたのだ。

 

「いちおうお断りしておくけど、ルミアーナ家に関することには、うわさや推測が入り交じってるわ。確認できないので、事実かどうかはわからないの。そのつもりで聞いてほしい。いいわね?」

「はい」

「例のあの人には、経歴不明の部分があるわ。そのあいだに部下を集めたり、闇の魔法の研究をしていたんじゃないかって言われてる。そしてあの人が本格的に動き始めるまでの間、ルミアーナ家は、あの人の近くにいた。例のあの人と関係があった。そんなうわさがあるのよ。あなたはどう思う?」

「わたしは……」

 

 それ以上、言葉はでてこなかった。返事のしようがない、といったところだろう。ルミアーナ家のことも知らなければ、例のあの人であるヴォルデモートのことも、よくは知らないのだから。

 

「当時、わたしは幼い子どもだったけど、覚えてるわ。いきなり、ルミアーナとは縁を切るって言われたの。それまでは細々とだけど、交流はあったんだけどね」

「絶縁したってことですか」

「ええ。例のあの人は死んだってことにはなってるけど、ほんとうにそうかしら。ホグワーツの校長先生なんかは、まだ生きている。力を失っているだけだ、なんて言ってるそうよ。あ、そのことは、当然あなたも知ってるのよね?」

「はい。なんていうのか、実態のない影みたいな、そんな存在らしいです」

 

 これは、ダンブルドアから聞いたというよりもアルテシアの実感としての感想だろう。

 

「じゃあもう、これ以上は言わなくてもわかるわよね」

「え?」

「あらら、けっこうニブイのかな。こういう話はしたくないんだけど、まぁいいわ。私は、こう考えてるの。ルミアーナは例のあの人に力を貸したのよ。そのおかげであの人は、大きな力を得た。だからマーロウ家は、ルミアーナと絶縁したの。例のあの人がその後にしたことを考えると、当然のことだったと思うわ。あなたも、そう思うでしょ?」

 

 そうなのだろうか。力を貸したというが、どうやって。納得するより先に疑問を感じるアルテシアであった。そんなアルテシアをしげしげと見たあとで、ナディアが言葉を続ける。

 

「ねぇ、例のあの人が魔法書を学んだのだとしたらどう? そしていま、なくした力を取り戻すために、また魔法書を使おうとするのだとしたら?」

「それは……」

 

 例のあの人に操られていたクィレルが、魔法書を要求したのは事実だ。なぜクィレルが魔法書のことを知っていたのか。アルテシアはこれまで、パチル姉妹の話を盗み聞きしたのだと思っていた。だがもしかすると、事実はそうではないのかもしれない。

 

「例のあの人は、また、魔法書が欲しくなりました。さて、どこにあるのかな。もしそうなったとき、あの人はどうするのかしら。当然、さがすよね」

 

 両手で包み込むように、ココアの入ったカップを持つアルテシア。これで手の冷たさをなんとかしようとしたのだろうが、すでにココアは冷めてしまっていた。

 

「クリミアーナには近づくな、あの家とは付き合うな。これで、なぜパチルの双子にそんなことを言ったのか、わかってもらえたと思うんだけど」

 

 アルテシアは、何も言えずにいた。それがわからないわけではないが、言葉が出てこなかったのだ。ナディアが、軽くため息をつく。

 

「はっきりと言ったほうがいいのかしら」

「わたしにも、同じことを。つまり、パチル姉妹に近づくなと、そうおっしゃりたいんですね」

「うーん、まあ、そんなところかな。ニブイのかと思ったら、そうでもないのね。理解してくれたみたいで嬉しいわ」

 

 これで話は終わった。ナディアはそう考えたらしい。椅子に預けていた身体を起こし、立ち上がろうとしたが、しおれたままのアルテシアが、気になったらしい。

 

「何を考えてるの? わかってくれたんじゃないの?」

 

 うつむいたままのアルテシアが、ゆっくりと顔をあげた。

 

「すみません、ナディアさん。お聞きしたいのですけど、いいですか?」

「なにかしら」

「まずはこれを見てください。これが何か、ご存じですか?」

 

 いつもの巾着袋のなかから取り出したのは、直径にして3センチか4センチくらいの、透明な玉だった。だが、ナディアからの返事はない。

 

「この玉に誓ってもダメですか。パドマとパーバティはこの中にいますけど、それでもダメですか。それでもダメだとおっしゃいますか? わたしには、あの2人が必要なんです。許してもらえませんか」

 

 ナディアは、何も言わない。アルテシアが見つめてくる目を、じっと見つめ返していた。

 

 

  ※

 

 

「いないよね」「うん、どこにもいなかった」

 

 ホグワーツ特急。その列車内の前方と後方、それぞれ手分けして各コンパートメントを調べたのだが、アルテシアの姿を見つけることができなかったのだ。

 

「乗り遅れたんだと思うけど」

「叔母さんとの話が長引いてるってことだよね」

「そうだね。でも、いいことなんだよきっと。物別れにはなってないってことでしょ」

「そうだけど、じゃあアルテシアはどうやって学校に来るの? まさか、もう来ない?」

「そんなことないと思うけど、とにかく学校に着いたらマクゴナガルに相談したほうがいいね」

「うん。だけど、いないのがバレたら問題になる、よね」

「たぶんね。それまでアルテシアがいないこと、気づかれないといいんだけど」

 

 パチル姉妹がそんなことを話していると、すぐ横のコンパートメントのドアが開けられた。顔を見せたのは、ハーマイオニー。

 

「あなたたち、どこに行ってたの? ここ、使わせてもらってるわよ」

「ああ、いいわよ、そんなこと」

 

 パチル姉妹の荷物は、このコンパートメントに置いてある。姉妹は、そうして席を確保したあとで、アルテシアの姿を求めて列車内をまわっていたのだ。

 

「とにかく、入ったら。気になることがあるの」

 

 このコンパートメントは6人用だった。ハーマイオニーが、そのコンパートメントのなかにいた2人を紹介する。

 

「ええと、ジニーとソフィアよ。この2人も席を探してたから入れてあげたの。ジニーは、ロンの妹なのよ」

「へぇ、ウィーズリーには、妹さんがいたんだ。似てる、のかな? どう? あたしたちは、よく似てるでしょ」

 

 にこにこと笑いながら、握手を求める。もちろん、名前も名乗りながら。

 

「あんたたちは、双子でしょ。似ててあたりまえなんじゃないの」

「そうだけど、ウィーズリー家にも双子がいるよね。あんまり、話したことないけどさ」

「あの2人には注意したほうがいいですよ。家でも、しょっちゅうイタズラばかりしてるんですから」

 

 ああ、たしかに。パチル姉妹とハーマイオニーは、ジニーの言葉に思わず苦笑い。ジニーも、その反応に満足そうだ。

 

「それであなたたち、荷物ほったらかしで、2人して何してたの?」

「なにって、人さがし。アルテシアがどこにいるかと思って」

「ああ、なるほど。それで、アルテシアは? いちおう、その分の席はとってあるんだけど」

 

 いま、このコンパートメントには5人。つまり、空席が1つあるのだ。

 

「どっかにいるとは思うんだけど、会えなかった」

「ふうん。そういえば、ロンとハリーもいないんだよね。どこ行ったのかしら」

「え! でもその人、妹さんでしょ。一緒じゃなかったの?」

 

 後ろのほうは、ジニーへの問いかけだ。だがジニーは、首を横に振った。

 

「駅までは一緒に来たので、ホグワーツ特急には乗ってるはずなんですけど。どこにいるかまではちょっと」

「ま、学校に着いたら会えるでしょ。そっちの人は? 新入生だよね」

 

 ソフィアがうなづく。うなづきながらも、ドアのほうへと視線を向けるが、そこに誰かいるわけではない。

 

「どうしたの?」

「ああ、いえ。皆さんは2年生なんですよね?」

「そうよ。なにかあったら、相談しなさいよ。このお姉さんは、学年トップの才媛なんだからさ」

「ちょっと、何言ってるの。ほんとうにすごいのは、アルテシアよ。あの子が魔法を使えたなら、あたしなんかより上だったはずなんだから」

 

 ちょっぴり顔を赤らめているハーマイオニー。いまのは、新入生を前にしてさすがに謙遜してみせたのだろう。

 

「魔法って、やっぱり難しいんでしょうね。今のお話だと、使えない人もいるみたいですけど」

「ああ、違うよ。そんな人はいないわ。といっても、上手な人とそうでない人は、やっぱりいるかな。ねぇ、ハーマイオニー」

「ええ、そうね。でもこれは、慣れよ。練習あるのみ。ジニーの前で悪いんだけど、ロンはもう少し練習しないと」

「あぁ、はい。言っておきます」

 

 そう言ってジニーが笑う。つられて皆が笑ったところで、コンパートメントのドアが開けられる。あたかもそれがおきまりのことであるかのように、ドラコが顔を見せて名前を叫ぶ。

 

「ぼくは、ドラコだ。ドラコ・マルフォイ」

 

 そんなドラコに、2年生3人は、あきれたような顔をみせる。

 

「あいからわずね、マルフォイ。で、どうなの。ちゃんと練習はしているの?」

 

 パーバティのこの言葉に、2年生3人がいっせいに笑う。パーバティたちにとっては話の続きだが、ドラコには、なんのことかわからないだろう。きょとんとした顔をしている。1年生2人は、成り行きについていけないのか沈黙したままだ。

 

「勝手に笑ってろ。ぼくは、そんなことにつきあってる暇はないんだ。覚えていろ、寮杯はかならず取り戻してやる。きっとおまえたちは、あっと驚くだろうよ」

「ふうん、そうなるといいね」

「必ず、そうなるさ。スリザリンがいかに優秀かをみせつけてやる」

「そのためにも、よーく練習しないとね、マルフォイ」

 

 またも、2年生3人が笑う。

 

「失礼なやつらだ。そこにいるのは新入生だろうが、組み分けではぜひともスリザリンになることだ。そうすれば、こんなおろかな先輩たちのようにならずに済むだろうよ」

 

 こうしてマルフォイをからかっている間も、ホグワーツ特急は順調に学校へと近づいていった。

 

 

  ※

 

 

 学校についてパチル姉妹を驚かせたのは、ハリーとロンもまた、ホグワーツ特急に乗っていなかったということだった。しかもその2人は、空飛ぶ車に乗って学校にやってきたのだという。そんな作り話のような事実が、あっという間に生徒たちに広まった。どんなトラブルがあってそんなことになったのかはわからないが、これで退校処分になるともっぱらのうわさなのだ。

 そのような状況に、真っ青となったのはパチル姉妹だった。なにしろ、アルテシアもホグワーツ特急に乗ってないのだ。しかもその原因には、心当たりがある。

 2人は、大慌てでマクゴナガルを探した。ようやく話ができたのは、新学期の歓迎会が終わったあとだった。

 

「そのことなら、心配はいりません。連絡は受けています」

「そ、そうなんですか」

「ポッターたちも、そうするべきだったのです。するべきことをせず、自動車で空を飛んでくるとは。スネイプ先生は、ことのほかお怒りです」

「それで、先生。アルテシアは、いまどうしているんですか」

 

 その対処方法を間違ったのかもしれないが、ハリーたちは、グリフィンドール寮では好意的に迎えられることになった。さすがにハーマイオニーは機嫌が悪かったが、こんな冒険話のような突飛な出来事は、とくに男子生徒には好評だったのだ。

 そんなハリーたちのおかげであまり目立たずにすんだ格好のアルテシア。事実、その翌日の夕食時に姿を見せるまでにその不在に気づいたのは、パチル姉妹を別にすれば、寮で同室のハーマイオニーとラベンダーだけだったのだ。

 夕食時、大広間に姿を見せた、アルテシア。いつも彼女が座っている場所は、その右となりがパーバティ。当然パーバティは、話しかけてくる。

 

「なにかあったの?」

「いいえ、パーバティ。なにも問題ないよ。あなたの叔母さんってさ、とってもいい人なんだね。すごく心配してるんだよ。だからわたしも、もっとしっかりしないと」

「アル。なにかあったとしても、これからなにかあるとしても、あたしたち、友だちだからね」

 

 ほほえみながら、かぼちゃジュースに手を伸ばすアルテシア。アルテシアにとってのホグワーツ2年目は、こうして始まった。

 




 さて、ナディアさんですが、はっきりと話をする人のようでいて、そうでもない人だという感じにしたかったのですが、皆様の印象はいかがでしょうか。
 あまりうまくいってないなと、本人は思ってます。何度も書き直したんですけど、これからも書き直すことになるんでしょう、きっと。


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第22話 「悩みと不安と心配と」

 前回から、ずいぶんとあいだが空いてしまいました。読んでいただいている方には申し訳ないことになってしまいましたが、今回わたし、風邪をひきまして1週間ほど寝込んでしまったのです。おかげで、予定していたことはめちゃめちゃになってしまいました。
 それでもようやく回復し、続きをお届けできるようになりました。本人は、ほっとひと息でございます。風邪には、お気を付けください。


 新しく闇の魔術に対する防衛術の担当教師となったのは、ギルデロイ・ロックハート。その最初の授業は、誰もが思いもしなかったような、妙なミニテストで始まった。テスト用紙に、目を疑うような質問が並んでいたのだ。

 

1 ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?

2 ギルデロイ・ロックハートのひそかな大望は何?

3 現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、あなたは何が一番偉大だと思うか?

 

 こんな質問が、全部で54個。誰もがこれには、あきれずにはいられなかった。マジメに解答できる者、あるいは、解答しようとする者などいない。そのはずだったのに、どんなことにも例外というものはあるようだ。このテストでいえば、ハーマイオニー。彼女は、どんなテストにも手を抜くことはしないのだった。

 

「満点です! 素晴らしい、グリフィンドールに10点あげましょう!」

 

 そんな10点など、いるものか。そう思った生徒は多かったに違いない。ロックハートは満点の生徒がいたことに上機嫌であったが、他のほとんどの生徒たち、とりわけアルテシアなどは、どうみても不機嫌そうだった。普段の彼女を知っている人ほど、その思いは強かっただろう。なにしろ、ほんのわずかすらも、その表情に笑みらしきものがないのだ。アルテシアにとっては、めずらしいことだと言えた。

 こんなテストを前にしては、それも仕方がない。もしかすると、そう思うのが普通なのかもしれない。だがここにも例外はあった。パーバティである。パーバティは違うことを考えたようで、授業が終わるとアルテシアを人のいない廊下の隅へと引っ張っていく。

 

「アル、あたしはあんたの味方だからね。なんでもいいよ、なにか心配ごとがあるなら話して。あんたの力になれると思うよ。ねぇ、アル」

「うん、わかってるよ。そのときは、すぐに言うから。いまはまだ、大丈夫」

「ホント?」

 

 疑わしそうにアルテシアを見る、パーバティ。そんなパーバティに、アルテシアはうなづいてみせた。笑顔をみせてはいたが、パーバティは、それを見た瞬間に納得するどころか怒り出した。

 

「その笑い方は、なに。それで笑ってるつもり? ウソ言ってるから、そんなふうになるんだよ。本当じゃないよね。ウソだよね、アル」

「え? そ、そんなことないよ」

「いいえ、ウソよ。わかるよ、それくらい。なんで? そりゃ、あたしなんかじゃ頼りにならないんだろうけど、話してくれてもいいんじゃない?」

「ちょ、ちょっと待って、パーバティ。わたし、ホントになにも。そんなつもりじゃ」

「じゃあ、どんなつもりなの。あたしは、あんたのこと、かけがえのない友だちだと思ってるよ。でもアルは、そんなことないんだね」

「ち、違うってば、パーバティ。わたしも、そう思ってる。あなたは、大切な友だちだよ。それは、ホントだから」

「それはホント? じゃあ、どれがウソ? やっぱりウソがあるってことじゃない。ひどいよ、アル」

 

 パーバティの声は、普段よりもずいぶんと大きなものになっていた。その声が、次第に人を呼び寄せる。その声を聞きつけた者たちが集まってきたのだ。そのなかにマクゴナガルがいたのは、2人にとって、幸運だったのか不運だったのか。マクゴナガルは、迷わずにパーバティとアルテシアの間に入ってくる。

 

「なにごとですか。いったい何があったのです?」

「いいえ、先生。べつになにもありません」

 

 もちろん、そんなことで納得するようなマクゴナガルではない。ごまかすことなど不可能、というわけだ。

 

「よろしい、それでは個別に話を聞きます。なにがどうなれば、仲の良いあなたたちがこうなるのか。人目もはばからず大声で口論などできるのか、納得のいく説明が聞きたいものです」

「でも、先生。ほんとに」

「黙りなさい、アルテシア。あなたは、あとです。いますぐ寮に戻りなさい。ミス・パチル、話を聞きます。わたしについてきなさい」

 

 有無を言わせず。まさに、そんな感じでマクゴナガルがパーバティを連れて行ってしまうと、騒ぎに集まっていた者たちも散っていく。だが残されたアルテシアに近寄ってくる人がいた。スネイプだった。

 

「ミス・クリミアーナ。それではおまえは、吾輩の研究室へ来るのだ。お友だちが行ってしまったのだから、時間はあるはずだな」

「スネイプ先生」

「おまえには、レポートの提出を命じてある。にもかかわらず、提出しないおまえに事情を聞くのだ。おかしなことではないと思うのだが」

 

 こちらもまた、有無を言わせずといったところか。拒否などできようはずもなく、スネイプのあとに続いた。

 

 

  ※

 

 

「話せることは話してしまえ。気持ちが楽になるぞ」

「え?」

 

 スネイプの研究室へとやって来たアルテシアである。それぞれ椅子に座り、向かい合ったところだが、いきなりそう言われても、どう返事をしていいものか。

 

「さきほどの話からすれば、どうせマクゴナガル先生にも同じことを聞かれることになるだろう。いま、吾輩に話しても同じだ。もはやあの娘は、いろいろ話していると思うが」

「スネイプ先生、レポートのことを聞かれるのだと思っていたのですが」

「書いたのであれば受け取ろう。だが、そうではあるまい。なるほど、あれからずいぶんと経っている。いまさら提出などせずともよいが、これまでにいろいろとわかったことがあるはずだ。それを話せ」

「では、先生。先生がご存じのことも、教えていただけますか」

 

 スネイプと話をするのは、アルテシアはとってはずいぶんと久しぶりのことだった。たぶん、レポートの提出を命じられたとき以来だろう。そのときも、ほとんど話をしてはいないのだが。

 

「もちろん、必要なことなら教えよう。それが、ホグワーツの教師である吾輩の仕事だからな」

 

 だが、その話の内容はホグワーツとは縁遠いことなのだ。そうは思ったものの、それを言うことはやめにした。それくらいのことは、スネイプだって承知しているはずなのだから。

 

「スネイプ先生は『名前を言ってはいけないあの人』などと呼ばれている人のことをご存じなのだと聞きました。それで間違いありませんか」

「ふむ。たしかに、闇の帝王のことは知っている。このホグワーツで賢者の石を手に入れようとしていたことも聞いている」

「その人は、かつてホグワーツの生徒だったとか。学校を出てからしばらくはどこかのお店に勤めたりしていたそうですが、闇の魔法使いとして本格的に活動をはじめるまでの間に、消息があいまいな時期があるそうです」

「さよう。吾輩も、そのように承知している」

 

 アルテシアが問題としたいのは、そのあいまいな時期に何があったかなのだ。これは、クリミアーナの失われた歴史のように、いつのころかはっきりとはしないような遠い過去の話ではない。たとえばスネイプ先生のように、その当時のことを知る人はいくらでもいる。本人でさえも、生きているのだから。

 

「闇の帝王、という呼び名もあるのですね」

「さよう。さまざま呼び名はあろうが、それは問題ではない。だがむろん、本当の名は知っているのだろうな?」

「はい。知りたいのは、その人が当時、何をしていたかです。誰よりも強い魔法力を有していたそうですが、それをどのようにして得たのか。生まれつき持っていたものなのでしょうか」

「それとも、その不明な期間に習得したのか。それを気にしているのだな。つまりは、魔法書か」

「やはり先生も、魔法書のことはご存じなのですね」

 

 キングズ・クロス駅で話をした、パチル姉妹の叔母であるナディア・マーロウによれば、ヴォルデモートはその間、ルミアーナ家と関係があったらしいのだ。ナディアは、魔法書を提供したのに違いないと言っていた。

 

「調査で知り得た範囲において、ということだ。当然、おまえの持つ知識には及ぶべきもない。ともあれ闇の帝王は、生まれながらにして特異な才能をお持ちだった。つまりあの強大な魔法力は、帝王が生まれながらにして持っていたのであり、それを自らの手で磨いたもの、だと考える」

「では、自分自身の力だと」

「吾輩はそう考える。必要なら、そう考えた理由も説明してやるが、ともあれこれで、おまえの考えていることは理解できた。なるほど、闇の帝王が魔法書のことを知っていたとしても不思議ではないし、それを学び、魔法力に磨きをかけたというのは、ありうる話だな」

「やはり、そうなのでしょうか」

 

 もしそうであるのなら、それはルミアーナ家だ。アルテシアは、そう考えていた。少なくともマーロウ家はそう考え、ルミアーナ家との交わりを断ったのだ。

 

「だが、ミス・クリミアーナ。仮にそうだったとしても、おまえが気にすることではあるまい。おまえがしたことではないし、クリミアーナ家が関与したわけでもなかろう」

「そうですが、魔法書を提供した者がいるとなれば、穏やかではいられません」

「悩むな。いくら悩もうとも、結果は変わらぬのだ。事実かどうかもわからぬことに悩んで、何の意味がある。それよりも今後、闇の帝王にどう対処するか。そのことにこそ、考えをめぐらすべきだ。帝王はいずれ、おまえのまえに現れるだろうからな」

 

 まさに、そのとおり。アルテシアは、仮の話に対して悩んでいるのだ。例えて言うなら、暗闇になにかがひそんでいると勝手に思い込み、怖がっているようなもの。そこには、何もないのかもしれない。怖がる必要などないのかもしれないのだ。であるならば、無意味に悩んでいるよりも、確かめてみる方が先なのかもしれない。すなわち、そこに光をあててみればいいわけだ。だがいまのアルテシアは、その方法に苦心しているともいえるだろう。

 アルテシアも、そのことは自覚しているらしい。スネイプの言葉に、下唇をかむ。

 

「吾輩からひと言、言っておこう。こういうときこそ、1人になるな。1人でいてもロクなことにはならんぞ。その意味では、おまえには格好の友人がいるではないか。あの娘を拒絶などするな」

「ええ。それはもちろんですが、もう少しはっきりしてからと考えています」

「なぜだ」

「もし仮に、わたしの心配が的外れではないのだとしたら。そのときは、パチル姉妹も無関係ではありえないからです。もしそうなら、巻き込むことなく、彼女たちに知られぬところで解決したいのです」

 

 アルテシアの本音に違いないのだろうけれど、スネイプは、軽く笑ってみせた。

 

「なるほど。ならば、おまえの好きにしろと言うほかはないが、吾輩の意見を言わせてもらうなら、そんなことに意味などないぞ。秘密のままにしておけるはずもないしな」

「わかっていますけど、その努力はしたいのです。それがクリミアーナの娘としての務めだと思いますから」

「ふむ。まあいい、吾輩からも、あの娘にはそれとなく言っておいてやろう」

 

 そこで、スネイプは立ち上がった。杖を出し、テーブルの上をコツコツと叩く。

 

「紅茶なら、用意ができる。飲むがいい」

「あ、ありがとうございます」

 

 おそらくは、スネイプ自身が飲みたかったのではないか。テーブルに現れたティーカップに手を伸ばしたのは、スネイプのほうが先だった。

 

「おまえに、伝えておきたいことがある。ブラック家のことだ」

「え? ブラック家のことをご存じなのですか」

「ブラック家は、魔法界では有名だ。多くのすぐれた魔法使いを生んだ家であり、闇の帝王の考えに賛同したことでも知られている。純血主義者というわけだな」

 

 いきすぎた純血主義がもたらした、悲劇。あのヴォルデモートを中心とした一連の出来事は、その典型であったのかもしれない。しかも、純血主義という考えは、魔法族のなかではそれほど突飛なものではないらしいのだ。

 

「そんなブラック家にも、どうしようもないろくでなし、がいたりもするがな」

「実は、そのブラック家とクリミアーナ家とは姻戚関係にあるようなんです」

「ほう、知っていたか。いや、調べてわかったのだな」

「はい」

 

 それがいつのことか、そのはっきりとした時期は不明だが、クリミアーナ家からブラック家へと嫁入りした人がいたことがわかっている。アルテシアの母の母、すなわち祖母であるアリーシャの姉妹ガラティア。姉か妹かまではわからないが、その人がクリミアーナ家直系の魔女であることに疑いはない。当然、魔法書を学んでいるはず。

 

「その女は、結局のところブラック家の家風とは合わなかったらしく、ブラック家を追い出される結果となっている。その後、女がどうしたのかまでは調べがつかなかった。クリミアーナ家に戻っているのか?」

「いえ、そんな記録はありませんでした。それで先生、これが以前に先生が言われていた『追放』ということなのでしょうか?」

「さよう。この出来事以後、クリミアーナと魔法界との関わりは、なにひとつ調べることができない。つまり、関与は認められないということだ。おまえが現れるまではな」

 

 スネイプの言うことに間違いはないのだが、いくつか不備がある。彼は、クリミアーナ家のマーニャが、自身の病の治療法を魔法界に求めた事実があるのを見落としていた。それにクリミアーナ家は、スネイプの言った出来事より、もっと以前から魔法界とは距離を置いているのだ。そこにはきっと、もう少しなにか、事情があるのだろう。

 

 

  ※

 

 

「ミス・パチル。言いたいことがあれば聞きますよ。好きなようにしゃべってもらってかまいません」

「マクゴナガル先生、もし悪いところがあるんだとしたら、それはあたしです。アルテシアを怒らないでやってくれませんか」

「それは、これから判断します。そのために事情を聞いているのですよ、ミス・パチル」

 

 どうやらパーバティは、迷っているらしい。マクゴナガルもそれを理解したのか、急かすようなことはせずに、その言葉を待っている。そして。

 

「あの、先生」

「どうぞ、なんでもしゃべってかまいませんよ」

 

 パーバティは、改めてうなづいてみせた。

 

「先生。先生はもちろん、アルテシアが新学期に遅れてきたのをご存じですよね」

「ええ」

「遅れた理由、なぜ遅れたのか、それもご存じなのでしょうか?」

 

 マクゴナガルの表情に、厳しさが増す。それまでにこやかにしていたのが、急に引き締まったといったところ。

 

「あのときアルテシアは、あたしたちの叔母さんと会っています。叔母は、話が長引いてしまい、気づいたときにはホグワーツ特急は発車していたと言っています」

「それが、今回のことと関係あるのですか」

「実は、母から『クリミアーナには近づくな、あの家と付き合ってはいけない』と言われています。それは、もともと叔母の考えでもあったので、なんとか許してもらわねばということで、実際に会うことになったんです」

「なるほど、そういうことだとは知りませんでした」

 

 パーバティは、今にも泣き出すのではないか。マクゴナガルはそう思ったかも知れない。パーバティの瞳は、それほどまで潤んでいるように見えた。

 

「アルテシアは、そのとき悩みごとを抱えてしまったんだと思います。どんな話をしたのか、いま、妹が叔母さんに問い合わせてくれてはいますけど、まだ返事は来ていません」

「なるほど。それをアルテシアにも聞いてみた、というのですね」

「そうです、先生。あたしはアルテシアと、ずっと友だちでいたい。学校だけじゃなく、卒業してからもずっと友だちでいたい。アルテシアが悩んでるのなら、相談に乗ってあげたい。力になりたい。そんなこともできなくて、友だちだなんて言えない。そう思っているんです」

「よろしい、事情はよくわかりました。ですが、安心していいですよ。わたしからもアルテシアに、それとなく言っておきます。ああ、心配はいりません。とくにあなたがた姉妹は、とても大切な友だちなのだとよく口にしています。間違いなく、アルテシアの本心だと思いますよ」

 

 それくらいのことは、パーバティにもわかっていた。だが、パーバティが気にしているのは、そういうことではない。そんなことではないのだ。

 もちろんそうなって欲しくはないが、アルテシアの気持ちが離れていったのであれば、あきらめようもあるだろうと思っている。だがもし、周囲の状況がそうさせたのだとしたら。そのために、そうせざるをえなくなるのだとしたら。アルテシアを追い詰めるような、何かがあるのだとしたら。

 すでにいま、そうなりつつあるのかもしれないのだ。マクゴナガルの言うように安心などできるはずがない。やはりどうあっても、今の状況を知らねばならない。パーバティは、改めてそう思うのだった。

 

 

  ※

 

 

「どこに行ってたの? マクゴナガルのところには行った?」

「ああ、それはまだ。あのあとすぐ、スネイプ先生につかまっちゃって。地下の研究室に行ってた」

「スネイプ先生?」

 

 パーバティは、マクゴナガルとの話を終えると、まっすぐに寮へと戻ってきていた。『次はアルテシアに話を聞きますから呼んできなさい』と指示されるかと思いきや、何も言われなかったのでアルテシアとじっくり話をしようと、そう思っていた。

 だがアルテシアは談話室にはいなかったので、その帰りをこうして待っていたのだ。

 

「まえに、羊皮紙5枚分のレポートを出すように言われたんだけど、まだ提出してないんだ。そのこともあってね」

「レポートですって、いつ?」

 

 にこっと、笑顔を見せる。この笑顔は、パーバティの不興を買うことはなかったようだ。

 

「もうずいぶん前だけどね。レポートは出さなくていいことになったけど、そのかわりに話をさせられた」

「あんたが未提出なんてめずらしすぎ。しかも、出さなくていいって? そんなことあるんだ」

「授業とは、直接関係ないことだからだと思う」

「え? どういうこと」

 

 談話室での、アルテシアたちのいつもの居場所。もちろん専用ではなく共用なのだが、2人はそこに座る。右斜め前が、ハリー・ポッターたちがよくいる場所である。いまも、いつもの3人でなにやら話をしている。

 

「スネイプ先生はさ、クリミアーナの失われた歴史に興味があるんだと思ってた。そのころのことをレポートで提出しろって言われてるんだと思ってた」

「でも、違ったんだ」

 

 ゆっくりうなずいてみせる。結局、スネイプが何を求めているのかはよくわからない。強いて言えば、クリミアーナ家そのもの、なのかもしれない。だから、自分のことを気にかけてくれるのだ、とアルテシアは思った。いつか、家にご招待するのもいいのかもしれない。きっと喜んでくれるのだろうけれど、気がかりなことのなにもかもが片づくまでは、そんなことはできないだろう。

 

「そういえば、ドラコがとうとう、スリザリンのクィディッチチームに入れたみたいよ。そのこと、スネイプ先生に報告に来てた」

 

 ひとしきり話が終わり、会話がとぎれたところで、アルテシアはそんなことを言ってみる。とたんに、ハリーとロンが振り向き、アルテシアたちへと顔を向けてくる。

 

「なんだって」

「あいつが、クィディッチチームに入ったって」

 

 いったい、どの言葉に反応したのだろう。“ドラコ”か、それとも“スリザリン”か。たぶん“クィディッチ”ではないのだろうと、アルテシアは思った。ハリーたちの後ろで、ハーマイオニーが苦笑いを浮かべていた。

 




 改めて言うのもなんですが、本作の基本テーマは、ヴォルデモートからホグワーツを守り通せるのかどうか。もちろん校舎だけ守っても仕方ありませんから、教員から生徒までってことですが、そのとき主人公の友だち(守ると決めた相手)は何人くらいになってるんでしょうか。いまのところ、パチル姉妹の2人だけですが、候補者はほかにもいますものね。


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第23話 「声が聞こえる」

「手紙が来たって?」

 

 パドマがうなづく。その手に持っているのが、そうなのだろう。パーバティはそれを受け取り、さっそく開いてみる。

 

『 パチルの双子ちゃんへ。

 手紙をくれたのは、妹ちゃんだけど、どうせお姉ちゃんも見るんでしょうから、そう呼ばせてもらうわ。

 お尋ねは、クリミアーナ家とどんな話をしたのか、だったわね。 』

 

「クリミアーナ家との話? アルテシアじゃなくって?」

 

 まだ読み始めたばかりだというのに、不思議そうな顔でパドマを見る。パドマが微笑む。

 

「なにか意味があるのかもしれないけど、気にしなくていいと思うよ。アルテシアのことでいいんだと思う。クリミアーナ家は、アルテシアが1人だけらしいし、正式に引き継いだって言ってた」

「そうだけど、なんか、変じゃない?」

「さあ。とにかく続きを読んだら」

 

 それもそうかと、ふたたび手紙を目を向ける。だがそこには、目新しい言葉が並んでいるわけではなかった。それは、これまでにも叔母のナディアから聞いたことのある内容ばかり。すなわち、例のあの人のこと。

 

『あの人が復活のために失った力を取り戻そうとしたとき、真っ先に求めるのは魔法書。だから、クリミアーナ家には近づくな。』

 

「おんなじことを、アルテシアにも言ったってことか」

「たぶん、最後は少し違うんじゃないかと思うよ。だから、パチル姉妹には近づくな」

「これって、失敗だったのかな」

 

 2人を会わせたことは、失敗だったのか。それとも。パドマの顔を見る、パーバティ。

 

「全部、読んだ?」

「読んだけど、これじゃ、アルテシアのあの様子が説明できないよね。なんかよくわかんないなぁ」

「そうだよね。でも、こう考えたらどう?」

 

 パドマには、何か考えがあるのだろうか。なにも目新しいことのない、なんら進展しそうにない、こんな手紙に。

 

「叔母さんやお母さんが、いつも言ってたこと。つまり、例のあの人のことだけどね」

「うん、それが?」

「あたしは、例のあの人が魔法書のことを知ったら危ない。だからそうしなさいって言われてるんだと思ってた。お姉ちゃんは?」

「同じだけど…… あ、そうか。考えてみたら例のあの人は、もう魔法書のこと知ってるんだよね」

 

 あの学年末の騒動については、パーバティもパドマも、その話を聞いている。なので、ヴォルデモートの現状はもちろん、そのときアルテシアが何をしたのかについても、知っているのだ。

 そのことを説明してくれたのは、マクゴナガルだ。アルテシアにも会わせてくれた。まだベッドのなかにいて眠ったままだったけど、その寝顔を見ることで、安心できた。ホグワーツ特急に乗って自宅へと帰るその寸前まで、パチル姉妹が望めば、何度でも説明してくれたし、病室にも入れてくれたのだ。

 

「ということは、だよ。わかるよね?」

「ええ。今さら魔法書のことを隠しても仕方ないし、距離を置いてみたところで、あんまり意味ないよね」

「ということは、だよ。わかるよね?」

「なによ、おんなじこと言ってるよ。まぁ、わかるけど」

 

 パドマの言いたいこと。それがパーバティにも、だんだんと分かってきていた。さすがはレイブンクロー、とでも言うのか。頭の回る早さは、姉より上であるらしい。双子ではあるが、パドマはレイブンクロー寮、パーバティはグリフィンドール寮なのだ。つまりは組み分け帽子が、ちゃんと適性を見ていたというところか。

 

「でもこれって、結局、アルが何を抱えてるのかは、わからないってことになるんじゃないの」

「そうでもないよ。よく考えてみると、2つ、あると思う」

「2つ?」

「つまりは、例のあの人にどう対処するかってことなんだけどね」

 

 例のあの人、すなわちヴォルデモートがやって来たときにどうするのか。パドマの言うのは、そういうことだろう。

 

「逃げるか、戦うかってこと?」

「うん、そうだね。その選択肢は、考えてなかったけど」

「なにそれ。でも、戦うってことになりそうだけど」

「どうなるにせよ、どちらを選択するか。逃げるか戦うか、自分か友だちか、学校に残るかやめるか、とかさ。そんな究極の選択が何度も続くんだと思う。これはつらいと思うな」

 

 究極の選択が、何度も続く。その言葉の意味するところを、パドマはつらいと表現した。だがパーバティは、まだピンとこない様子にみえた。もっと説明してほしそうなパーバティの横を、パドマはそっと足音を立てないようにして移動していく。

 2人は、使われていない空き教室に入り込んで話をしていたのだが、その出入り口へとパドマが近づいていく。しゃべらないようにと、口の前に人差し指を立てて見せながら。

 誰? と叫ぶのと、出入り口を開けるのとがほぼ同時だった。開けたドアから、誰かが走り去っていくのが確認できた。それが誰かは分からなかったけれど。

 

「なに、いまの?」

「わかんない。てっきり、マルフォイが盗み聞きしてると思ったんだけど、いまの違うよね? 誰だろ」

「こっからじゃ、よくわかんなかったけど。とにかく、ここ出よう」

「うん。でもさ、聞かれて困るようなこと、話したっけ?」

「わかんないことがありすぎるってことだけだと思うよ、話したのは」

「そうだよね」

 

 パチル姉妹は、笑いながら空き教室を出た。

 

 

  ※

 

 

 夜もふけ、談話室もがらんとし始めたころになって、ようやくハリーはグリフィンドール寮へ戻ってきた。戻ってこれた、と言いたいくらいだった。

 

「やあ、アルテシア。どうしたんだい、こんな時間に」

「ハリーこそ。どこいってたの?」

 

 アルテシアこそ、何をしていたのか。ともあれ2人は、暖炉のそばに並んで座る。暖炉といっても、もちろん火はついていない。火がつくのは、冬場だけだ。

 

「ぼくは、ロックハートの手伝いだよ。ほら、ぼくとロンは、その、ウィーズリーさんの自動車で学校へ来ただろ。その処罰だったんだよ」

「ああ、その話は聞いたわ。空を飛ぶってどんな気持ち? やっぱり爽快な気分がするのかな」

「そりゃ最高だよ。そうか、アルテシアはほうきにも乗らないし、味わったことないんだな」

「じゃあ今度、一緒に乗せて飛んでやったらどうだい」

 

 これは、ロンの声。右腕をさすりながら、アルテシアたちの向かい側に腰を降ろす。

 

「あぁ、疲れたよ。信じられるか。あのクィディッチ杯を14回も麿かせられたんだぜ。やっときれいになったと思ったら、今度はナメクジの呪いの発作だ。『学校に対する特別功労賞』の上にべっとり。あのネトネトを拭き取るのに時間のかかったこと……ロックハートのほうはどうだったんだい?」

「こっちもさんざんさ。けど、おかしなことがあったんだ」

「おかしなことだって」

 

 言いながら、アルテシアを見る。そのロンの視線に、どこか居心地の悪さを感じたアルテシア。

 

「あ、ごめん。わたし、部屋に戻るね」

 

 そう言って立ち上がろうとしたが、それをロンが止めた。

 

「なんだよ、もう少しいろよ。2年になって始めてなんだぜ。キミと話をするのは」

「そ、そうだったっけ」

「そうだよ。もっと言うなら、あの夜以来だよ。ずっとアルテシアと話がしたかったんだ。あの夜のこととか、いろいろ」

「ハリー」

 

 たしかにアルテシアは、クィレル先生とヴォルデモートから賢者の石を守り通したあの夜からずっと、ハリーたちとは話をしていなかった。そのことに、改めて気づかされる。たまたまそうなったことで間違いはないが、ハリーの言うように、話すべきことはいろいろとあるのだろう。

 

「ところでさ、キミ、ドビーは元気かい?」

「え? 誰のこと」

 

 ロンがドビーの名前を出したことに、ハリーは驚きを隠せないでいる。ドビーは、どこかの家にいるハウスエルフだ。それがどこかはわからないが、その家では、なにか危険なことが計画されているのに違いないのだ。しかもその家では、アルテシアのことも話題にでるらしい。いったいどういうつながりがあるのか。それが気になってはいたのだが、さすがのハリーも、ロンが直接聞くとは思わなかったのだろう。

 アルテシアのほうは、きょとんした顔をしていた。

 

「あれ? キミじゃなかったっけ。ドビーのこと教えてくれたのは」

「ええと、違うと思うよ。ドビーって人のこと、わたしは知らないよ」

「あ、いや。だったらいいんだ。勘違いしてたみたいだ」

「それより、聞いてくれよ。ロックハートのところで、おかしなことがあったんだ」

 

 どうやら、アルテシアはドビーのことは知らない。とぼけているわけでもなさそうだと判断したのだろう。ハリーは、あわてて話題を変えようとする。ロンも、同じことを思ったらしい。話に乗ってくる。

 

「何があったんだい?」

「ロックハートの部屋で手伝いをしているとき、声が聞こえたんだ。俺様のところへ来い……引き裂いてやる……殺してやる……」

「なんだって! 殺す?」

「ああ、間違いなくそんな声が聞こえた。けどロックハートは、声なんか聞いてないっていうんだ。遅い時間になってきたし、ぼくが寝ぼけたんだろうって。それで、やっと解放してくれたんだけど」

「つまりロックハートは、ウソを言ったのか。聞こえたのに聞こえないって言ったんなら、そういうことだよな?」

 

 ロンが、アルテシアの顔を見る。意見を求めているのだろう。そうは思ったが、返答のしようがなかった。アルテシアにも、なんのことか、よくわからなかったのだ。だが、無言のままではいなかった。

 

「えっと、たぶん気づかなかったんじゃないかな。ロックハート先生って、なんだか調子のよさそうな感じの人だけど、ここでウソを言ってもしょうがないよね」

「ロックハートのことはいいとしても、問題は、誰の声かってことだよ。よくないことを考えてるヤツがいるってことだからね」

「そうよね。注意は必要だと思うけど、いまのところは、ようすを見るしかないんじゃないかな」

「ハーマイオニーだったら、こういうだろうな。『図書館に行くわよ。何が起こってるのか調べなきゃ』ってね」

 

 ロンのものまねが、笑いを誘う。ひとしきり笑いあったところで、ハリーが、あらためてアルテシアを見る。

 

「あの夜のこと、話したいんだけどいいかな?」

「ああ、それはぼくも聞きたいな」

 

 さすがに、困ったような顔をしたものの、それもすぐにいつもの笑顔に変わった。アルテシアは、軽く指をパチンとならしてみせた。周囲の人に、会話を聞き取られにくくする魔法だ。談話室にはアルテシアたちのほかには誰もいないだが、念のため、ということだろう。

 

 

  ※

 

 

「じゃあやっぱり、アルテシアはドビーのことを知らなかったのね」

「ああ、そうさ。知らないフリをしてるとか、そんな感じじゃなかった。あれは、ほんとに知らないんだと思うな」

 

 そこでハーマイオニーが、ハリーを見る。ロンの言うことだけでは不足だったのだろう。ハリーがうなずいたのを見て、ようやく納得したようだ。

 

「やっぱり、わたしの思ったとおりね。ドビーは危険だからホグワーツに戻るなって言ったそうだけど、アルテシアは、そんなことしないわよ」

「それは、ぼくたちも同じ考えだけど、確認はしておく必要がある。ロンはそう思ったんだよ。ストレートだけどうまい聞き方だったと思うよ」

 

 それに、またとない機会でもあったのだ。それは言葉にはしなかったが、ロンは、ハリーの言葉にうなづいてみせた。

 

「そうよね。でもこれで、アルテシアも危険に巻き込まれる可能性が出てきたわね。ハリーもだけど、いろいろと面倒なことに巻き込まれることになるのかも」

「そうかもしれないけど、いまのところは平和だぜ。スリザリンのクィディッチチームのシーカーが、妙なやつってこと以外はね」

「ええ、そうね。でもあたしたちが知らないだけで、何か起こってるのかもしれないわよ。とにかく図書館に行くわ。何が起ころうとしているのか調べないと」

 

 その瞬間、ロンが笑い出したので、ハーマイオニーがにらみつける。ロンばかりか、ハリーまでくすくすと笑っている。

 

「なんなの、あなたたち。なにを笑ってるの?」

「ああ、ごめんよ、ハーマイオー。キミをばかにしてるとか、そういうことじゃないんだ。ちょっとした疑問だよ」

「疑問?」

「気にするなよ、ハーマイオニー。アルテシアと話しているとき、いまキミが言ったことをきっと言うだろうって、そんな話をしただけのことさ」

 

 そのロンの言葉には、ジロリとにらみつけただけだった。そして、その怖い目のまま、ハリーを見る。

 

「それでハリー、疑問ってなんなの?」

「あ、いや。別にたいしたことじゃ」

「なによ、とにかく言いなさい」

「いや、何が起こってるのか分からないのに、それが何かを調べられるものなのかなって。あ、ごめん。ほんとにチラっと、そう思っただけなんだ」

 

 あわてて謝るが、ハーマイオニーは、怒りだしたりはしなかった。少し考え込んだようだが、表情は、いつもどおりのそれに戻っていた。

 

「たしかにそうね。図書館に行くのはやめにするわ。もう少し、情報を集めてからのほうがいいわね」

「その情報ってわけじゃないけど、おかしなことがあるんだ。ぼく、ロックハートの部屋で声を聞いたんだ」

「なんですって、声?」

「恐ろしげな声で『俺様のところへ来い……引き裂いてやる……殺してやる……』ってね。けど、ロックハートはなにも聞いてないっていうんだけど、どう思う?」

「わからないわ。どちらかもウソを言っていないのなら、特定の人にだけ聞こえる声っていうのがある、ってことかしら」

 

 今度は、うれしそうな表情へと変わっていた。

 

「これって、図書館で調べられることよね。特定の人にだけ聞こえる声、なんてのが存在するのかどうか」

「そうだけど、ちょっと待ちなよ。アルテシアのことは、もういいのかい?」

「なによ、ロン」

「たしかにあいつは、ドビーのことを知らなかった。けどそれだけで話を終わっていいのかい? あいつは、なにかをやろうとしているんだ。それは確かなんだぜ」

「まあ、あきれた。アルテシアを疑うなんて。あなた、どれだけ世話になってると思ってるの? 知ってるのよ、あなたの折れた杖を直してくれって頼んだそうじゃないの」

「え、べつにいいだろ。それくらい」

 

 ロンの杖は、新学期の始まる日に折れてしまっていた。その日、ホグワーツ特急に乗ることができなったハリーとロンは、空を飛ぶ車にのってホグワーツへとやってきた。だが、到着時に事故を起こしてしまい、その際に折れたのである。いちおう補修はしてあるが、ときに魔法の逆噴射が起こり、本人に返ってくることがある。数日前にも、スリザリンのドラコ・マルフォイに呪いをかけようとして、失敗。逆噴射によって自分に“ナメクジの呪い”がかかってしまったのだ。

 これでは、はなはだ都合が悪い。得体の知れない相手が、なにか危険なことを計画していることが予想されているというのに、これではいざというときに困る。だからロンは、レパロ(Reparo:直れ)の魔法が使えそうな人に直してくれるように頼んだのである。この場合、自分で直せるとは考えないロンであった。

 

「杖は、まだ折れたままさ。けどハーマイオニー、キミ、勘違いしてるぜ」

「勘違い?」

「アルテシアには、やりたいことがあるんだ。それは確かだと思う。ホントだぜ。でもキミは、それが悪だくみだと思ったんだろ。そこが勘違いなのさ」

「で、でも、そういうことでしょう。あたしだって、アルテシアが悪いことするなんて思ってないわ。でも、そういうことでしょう」

 

 すがるように、ハリーを見る。もちろん、自分の考えに対して賛同を求めてのことなのだろうけれど。でもこの場合、賛成してくれるのがいいことなのかどうか。ハーマイオニーにとっては微妙なところだろう。

 

「ハーマイオニー。アルテシアと話をしてわかったんだけど、アルテシアには目標みたいなものがあるらしいんだ。クリミアーナの娘である限り、やらなきゃならないことがある。それを、ぜひともやり遂げたいんだって言ってた」

「魔法はそのための手段。だから魔法を勉強してるんだってさ。でも、すごいよな。魔法書か。あれがあれば、きっと杖だって、自分の力で直せるようになるんだ。本を見せてくれって頼めばよかったな」

「バカね。本だけあればいいってもんじゃないのよ。大事なのは、そこから何を学ぶかってこと。それでアルテシアは、なにをしたいって言ったの?」

 

 ハリーとロンが、顔を見合わせる。どちらが答えるのか、互いに譲り合ったのかもしれない。

 

「具体的なことは言わなかったんだ。でも、先祖代々に受け継がれてきたことだって言ってたよ。なぁ、ロン」

「アルテシアのところは、何代も前からの魔女の家系らしい。純血ってことだよな」

 

 それは、ロンのウィーズリー家も同じだ。ハリーの母親であるリリーはマグル出の魔女、そして父親のジェームズは魔法族出身。ハーマイオニーは、両親ともにマグルである。

 

「わかったわ。つまり歴史のある家には、それなりに大変なことがあるってことよね。それが何か、聞き出さなくちゃ」

「あれ? 図書館に行かなくていいのかい。てっきり図書館で調べるんだと思ったのに」

「まあ、失礼ね。黙んなさい、ロン。少なくとも図書館にある本には、クリミアーナのことは載っていないのよ」

「え? どういうことだい。」

 

 ハリーもロンも、意外そうな顔をしている。それはつまり、ハーマイオニーは、アルテシアのことを調べたことがあるということだし、からだ。

 

「ハリーのことは『近代魔法史』や『二十世紀の魔法大事件』なんかに出てるわ。でもクリミアーナに関することは、どこにも書かれてない。でもあたしは、一度だけ見たことがあるのよ」

「本に載ってるのをってことだよね」

「そうよ。あの本には、クリミアーナの場所も書かれてた。あたし、夏休みにアルテシアのところに行こうと思ったの。あたしの家からは、そんなに遠くないはずなのよ」

「それで、行ったのかい?」

 

 もちろんハーマイオニーは首を振る。なにしろ、本を見つけることができなかったのだ。その場所がわからない。

 

「アルテシアに聞いてみればいいだろ。パドマは行ったことあるらしいぜ」

「それ、ほんと? じゃあ、パーバティも知ってるってことよね。聞いてみるわ」

「なあ、ハーマイオニー。ひとつだけ、いいかい?」

 

 ロンだ。いまにも笑い出しそうな顔をしている。いたずらっ子が、なにかとびきりのいたずらを思いついたような、そんな顔だ。もちろんハーマイオニーにも、そのにやにやとした表情が見えている。

 

「なにか、失礼なことを言うつもりなのね」

「いや、違うよ。そうだな、アルテシアに聞くつもりがないのなら、マクゴナガルに聞けばいい。キミなら教えてくれるだろ」

 

 本当にロンが、そう言うつもりだったのか。それはもう、本人以外にはわからない。

 




 風邪が治ったつもりでいましたが、いや、治ってはいるのでしょうけれど、いろいろと手につかず、またも間があいてしまいました。気力というか、集中力というか、そういったものが、ずいぶんと低下しているようです。いいわけには違いありませんが、そんな状態です。
 いかも、お仕事、忙しいし…… ともあれ。そろそろ秘密の部屋が開きそうなところへとやってきました。次回あたりには、と思っているのですけれど。


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第24話 「最初の事件」

「わたし、アルテシアさまをお誘いしたのですよ。今度のハロウィーンが、私の500回目の絶命日に当たるものですから」

「それで、ぼくも参加しろって? でも、アルテシアさま? さまって、どういうことなの」

 

 グリフィンドールの塔に住むゴーストである、ほとんど首なしニック。ニックは、地下牢の一室を使用し、パーティを計画しているのだという。ニックの知人が集まるのだと言うが、その知人たちも、ゴーストなのに違いない。そのパーティーに誘われているところなのだが、困ったことに、その日は学校のハロウィーン・パーティーの日でもあるのだ。

 

「もちろん、ミスター・ウィーズリーやミス・グレンジャーも歓迎しますよ。でもきっと、学校のパーティの方が楽しいでしょうから、そちらに行かれるのでしょうね」

「そ、そんなことないよ。でも、みんなにも聞いてみないと返事はできないだろ。それでアルテシアは、来るって言ったの?」

「ええ、参加してくださるそうです。ですからわたし、ハリー・ポッターくんたちが来られないとしても、それはそれで仕方がないと思っているんですよ。もちろん、残念ではありますけどね」

「そ、そうだよね。うん、ぼく、ちゃんとみんなと相談するよ。それでいいかい?」

「もちろんですとも。それでは、ハロウィーンの日に」

 

 ニックの姿が消えてしまうと、ハリーは急いで談話室へと戻る。もちろん、ニックの絶命日パーティのことを相談するためだ。たぶんハリーは、みんなが『行かない』と言うことを期待していたのではないか。だが意外にも、この話を聞いたハーマイオニーは乗り気だった。

 

「ハーマイオニー、まさかと思うけど行きたいんじゃないだろうね?」

「だって、おもしろそうじゃないの。生きてるうちに招かれて参加した入って、そんなに多くないはずだわ。それに、アルテシアも行くんでしょう。きっとなにか、目当てがあるんだと思うの」

「キミ、それを調べたいから行くってことだろ。ニックに失礼じゃないか。ぼくはいやだな。自分の死んだ日を祝うなんて、理解できない。死ぬほど落ち込みそうじゃないか」

 

 ロンが反対してくれたので、ハリーも少しほっとしたようだ。

 

「とにかく、ニックにはまだ返事をしていないんだから、ゆっくり考えよう。それよりさ」

「ねぇ、ハリー。アルテシアとパーバティのようすがおかしいのよ。なにかあったんだと思うんだけど、聞いてない?」

「え? いや、とくには」

「ちょっといいかい? 本人たちに聞いてみるってのはどうなんだい? あそこにいるぜ」

 

 なるほど、ロンの指さす方向には、アルテシアとパーバティがいる。ラベンダーも一緒だ。何を話しているのか、ハリーたちの場所では聞こえないが、楽しそうな雰囲気は伝わってくる。

 

「あれで、ようすが変だっていうのか。いつもとおんなじだろ」

「ロンにはそう見えるのかもしれないわね。けどあたしには、どこかわざとらしく見えるのよ。あの笑顔が笑顔に見えないの。なぜだろうって、考えてるんだけどね」

「ウソだろう、あれが作り笑いだって? もしそうなんだとして、どうしてそんなことに?」

「だからね、ハリー。あたしは、それが知りたいのよ。きっと、あなたたちの言ってたアルテシアがやろうとしてることと関係があるんだと思うわ。それを知る必要があるのよ。だからあたし、ニックの絶命日パーティに行くわ」

 

 あなたたちは、ハロウィーン・パーティーに行ってもいいのよ。このときのハーマイオニーの目は、あたかもそう言っているかのようだった。

 

 

  ※

 

 

 ハリーとロン、そしてハーマイオニーの3人は、キャンドルなどで飾り付けがされた大広間のドアの前にいた。今日は、ハロウィーン・パーティーの日。そろそろ、始まる時刻だ。

 

「キミ、本当に行くのかい?」

「ええ、行くわ。あたし、去年のハロウィーンに参加できなかったから、今年はぜひ行きたかったんだけど、もう決めたわ」

「そうか、あのときはトロールが出たんだった」

 

 「ほとんど首無しニック」の絶命日パーティも、同じときに開かれるのだ。その会場は、地下牢にある一室。ここからは、それぞれが別行動。ハーマイオニーは、絶命日パーティへと向かう。その会場までの道筋にもキャンドルが立ち並んではいたが、大広間の賑やかさにはほど遠い。それでもハーマイオニーは、地下牢への階段を降りていく。しばらく行くと、なにやら音楽のようなものが聞こえ始める。

 

「おやおや、ミス・グレンジャー。おいでくださったのですね」

「こ、こんばんわ、ニック。あの、なんて言ったらいいのか。お祝いの言葉はヘンよね?」

「いえいえ、来てくださっただけで、わたしは最高に幸せなのですよ。今日はほかにも、アルテシアさまとご学友のパチル嬢が来てくださってますからね。生きてる人が来てくれるなんて、わたしくらいのものなんですよ」

 

 得意げにみえる、ニック。そのニックに招き入れられた部屋には、半透明のゴーストたちがたくさんいた。その多くはフロアをふわふわと漂い、まるでダンスでも踊っているかのようだった。

 

「ねぇ、ニック。アルテシアはどこ?」

 

 ハーマイオニーの吐く息が白い。さすがに部屋の中は冷気に満ちていた。

 

「さきほど、灰色のレディと話をしておられましたが、さて、どこに…… おお、あそこですよ。お友だちもご一緒ですね」

「ああ、あたし、行ってみるわ」

「どうぞ。パーティーをお楽しみくださいまし」

 

 ニック以外にも、顔見知りのゴーストはいた。顔を知っているというだけで話したことはないのだが、ハッフルパフのゴーストである「太った修道士」に、スリザリンのゴースト「血みどろ男爵」。そして、レイブンクローのゴーストである「灰色のレディ」。これらのゴーストは、たまに見かけることがあった。

 その「灰色のレディ」のところに、アルテシアとパーバティがいた。アルテシアは灰色のレディと話をしており、パーバティは所在なげにそのそばに立っている。話に入っていけないのだろう。

 

「どうしたの、パーバティ。いやにしょんぼりしてるじゃない」

「あら、あなたも来たのね。ちょっと意外だわ」

「そうかな。ここならゴースト以外は誰も…… でしょ? アルテシアと話ができると思ったんだけど」

「いつも、同じ部屋にいるのに、なかなか肝心な話はできないわよね」

 

 さびしげな笑い。ハーマイオニーを見ても、パーバティの表情はさほど晴れないようだ。

 

「それで、アルテシアは何を話しているの。あれ、レイブンクローのゴーストよね?」

「ええ。灰色のレディと呼ばれてるわ。話しかけてきたのよ。なんていったと思う? 『お久しぶりですね』よ」

「どういうこと? アルテシアは、あのゴーストと知り合いなの?」

「んー、そういうことじゃないと思う。実は、ニックに初めて会ったときも、同じことを言われたわ。たしか『ごぶさたしてます』だったと思うけど」

 

 ハーマイオニーは、パーバティを誘ってそばのテーブル席に座る。アルテシアは相変わらず灰色のレディと話をしている。なにを話しているのか、そばで聞き耳を立てるよりもパーバティと話をすることを選んだようだ。

 

「そんな話、初めて聞いたわよ」

「言ってもしょうがないでしょ。だってニックがまだ生きてたころの話だからざっと500年前よ。そのころに会った人とアルテシアがよく似てたってことなのよ。たぶんアルテシアのご先祖さまの誰かが、ニックと顔見知りだったのね」

「じゃあ、レイブンクローのゴーストも、その昔のアルテシアのご先祖さまと」

 

 ただ、うなづいてみせる。あいさつのときに交わされた内容からも、そのことがうかがえるのだという。

 

「アルテシアのクリミアーナ家って、そんなに歴史のある家なのね。あ、そういえばパーバティ。あなた、クリミアーナ家に行ったことあるそうね」

「え? そんなこと誰に聞いたの? あたしは行ったことないんだけど」

「うそ、だって……」

「パドマと間違えてるんじゃないの。パドマはクリスマス休暇のときに行ってるの。あたしは、今度のクリスマス休暇に行く予定だけど、どうなるかわからないわ」

「どういうこと?」

「アルテシアが、何を考えているのか。それを全部話してくれれば、きっと行けると思うんだけどね」

 

 パーバティは、あのクリスマス休暇からのことを、かいつまんでハーマイオニーに話して聞かせた。もちろん、言ってもいいのかどうか判断に迷うようなところはあいまいな表現にしたけれど、全体として話は伝わっただろう。

 

「ありがとう、よく話してくれたわね」

「いいの。あなたも心配してくれてるんだって、それがよくわかったから」

「でも、そうするとアルテシアは、何を悩んでいるの? 悩んでそうなことなんてなさそうだし、例のあの人のことだったら、みんなで力を合わせればいいんだと思うわ。ハリーだって、きっとそうするだろうし」

「ええ、そうね。でもアルテシアには、なにか事情があるんだと思う。あたしが相談相手になれればいいんだけど、きっとアルは、遠慮してるんじゃないかな」

「ええと、その叔母さんと何かあったってことだよね?」

 

 だがパーバティは、それには同意しなかった。ゆっくり首を横に振ったのだ。

 

「それはないと思うんだ。叔母はあいまいな言い方する人だから、アルテシアがなにか勘違いしてるのかもしれないけど、たぶんアルテシア自身のことだと思う。そのまえからも、ときどき考え込んでることあったしね。ハーマイオニーがどれだけ知ってるのかわかんないけど、クリミアーナはとても古い家なんだ。しかもアルテシア1人だけでしょ。いろいろ背負うことがあるみたい」

「1人って、他に家族はいないってこと?」

「そうよ。クリミアーナ家は、アルテシアだけなの。そのこと、パドマがクリミアーナ家に行ってわかったんだけどね」

「ね、アルテシアがやりたいことってなに? なにがしたいの? それって、とっても重要なことなんじゃない」

「だよね。そのときパドマが聞いたこととか、これまでアルが話してくれたこととか、いろいろと考えてるんだ。もしかするとアルは、もうあたしに話してくれてるのかもしれないなって。きっともう」

 

 ちょうどそこへ、「ほとんど首無しニック」がふわふわとただようようにしてやってきた。

 

「おふたりさん、楽しんでらっしゃいますか?」

「あ、ええ。もちろんよ、ニック」

「そう。それはよかった。たくさんのひとが集まってくれて、わたしも嬉しいですよ」

 

 にっこりほほえむニック。だがその瞬間、パーバティが慌てた様子で立ち上がる。

 

「どうしたの?」

「アルがいない。ねぇ、ニック。アルテシアはどこに行ったの?」

「ああ、少し前ですよ。おふたりが楽しそうに話しているので、声をかけずに戻るからと」

「ありがとうニック。あたしも、戻るわね」

「あ、待って。あたしも行くわ。さよなら、ニック」

 

 

 2人は、すぐにニックの絶命日パーティーの会場をあとにした。

 

 

  ※

 

 

 『 秘密の部屋は開かれたり

   継承者の敵よ、気をつけよ 』

 

 ハーマイオニーとパーバティがその場にやってきたとき、まず目に飛び込んできたのが、窓と窓の間の壁に書かれたこの文字だった。ハロウィーン・パーティーを終えた生徒たちが集まってきたこともあり、このときの被害者である猫のミセス・ノリスには全然気づかなかった。ちなみにミセス・ノリスとは、ホグワーツの管理人アーガス・フィルチの飼い猫だ。

 

「どういうこと。なんなの、これ」

 

 一段と甲高い声となる、ハーマイオニー。それに答えたのは、ドラコ・マルフォイだった。集まった人たちのなかから、最前列へと進み出たマルフォイは、いつもの青白い顔ではなく、頬に赤みがさしていた、

 

「そこに書いてあることが読めないのかい。継承者の敵よ、気をつけよ。つまり、おまえの番だということだ」

「マルフォイ、どういう意味? 秘密の部屋って何なの?」

 

 だがそのパーバティの問いかけは、すぐあとのフィルチの大声にかき消されることになる。なにしろ、自分の飼い猫が被害者なのだ。冷静でいられるはずもない。

 

「わたしの猫だ! わたしの猫だぞ! ミセス・ノリスに何が起こったというんだ?」

 

 フィルチの大声が廊下に響く。叫びながら、集まった生徒たちをみまわしていく。

 

「誰だ。誰がやったんだ? おまえか、それともおまえがやったのか? ちくしょう。ただではおかんぞ。この俺が、そいつを殺してやる」

 

 叫び声は続いた。そこへ、マルフォイが口を挟む。

 

「これは、ハロウィン・パーティのあいだに行われたことだ。だがそのパーティに、おまえたちは参加していないよな。つまり怪しいのは、おまえたちだ。どっちなんだい? それとも2人でやったのかな」

「な、なにを言うの、マルフォイ。あたしたちは何もしていない。あたしたちは、たったいま、ここに来たところなのよ」

「さて、それはどうかな。違うというのなら、それを証明しろよ。できなきゃ、犯人はおまえたちだということさ」

「そ、そんな……」

 

 なんと、理不尽な言いぐさだろう。明らかな濡れ衣というやつだが、それを証明するのは難しい。首なしニックの絶命日パーティーに出席していたと言ったところで、この雰囲気のなかでは信用されないのに違いない。

 

「さあ、証明してみろよ」

 

 勝ち誇ったようなドラコの声。フィルチも、その目をパーバティとハーマイオニーに向けている。いまにも、飛びかかってきそうだ。

 

「いいわ、わたしが証明します。誰がやったのか、犯人が誰なのかわかれば、それで証明になるでしょう?」

「なんだって。キミは、犯人を知ってるのかい?」

「いいえ。でも、それを調べることはできる。それがわかればいいんでしょ? パーバティは絶対にこんなことはしない。ハーマイオニーだってそうよ。でもわたしがそう言っただけじゃ、あなたもフィルチさんも納得してくれないでしょうから」

 

 アルテシアだった。いったいどこにいたのか、パーバティたちを取り囲むようにした生徒たちのなかから進み出てくる。

 

「ま、まてよアルテシア。どうやって証明するつもりなんだ。そんなのムリだろ。こいつらがやったってことでいいじゃないか」

「いいえ、そんなのはダメよ。なにもしていない人を犯人になんてできないわ。真犯人は、わたしがみつける」

「ちょっと待って、アルテシア。あなたまさか」

 

 止めようとしたのはパーバティ。そこへ、ダンブルドアと数人の先生がやってくる。マクゴナガルとスネイプ、そしてロックハートが、そこにいた。

 

「さてさて、これはどうしたことか。なにがあったのか、説明できる者はいるかね?」

 

 ダンブルドアが、生徒たちを見回す。だが、誰もなにも言わない。誰だって、ここでなにがあったのか、ミセス・ノリスがどうしてああなったのか、わかりはしないのだ。ダンブルドアたち教師陣が、壁に書かれた文字を見る。ミセス・ノリスを抱きかかえたのはダンブルドアだ。

 

「ふむ、これは」

「校長先生。わたしの猫だ。わたしの猫が殺された。その犯人を、わたしは許さない。絶対にゆるさない」

「とにかく、ここでは話はできぬ。アーガス、一緒に来なさい」

「まってください、校長先生。その女が、犯人を見つけると言ったのです。犯人が誰なのかわかると」

 

 フィルチが指さしたのはアルテシア。たしかにアルテシアは、そう言ったのだ。

 

「なんと、そんなことができるのかね」

 

 声には驚いたような調子が含まれていたが、その表情は厳しいものだった。いつもの温和な感じとはほど遠い気がした。

 

「友人の無実を証明するためです。犯人がわかれば無実が証明されますから」

「確かにそうじゃが、どうやってそんなことを」

 

 アルテシアの視線がパーバティとハーマイオニーへと向けられたのに合わせるかのように、ダンブルドアも、パーバティたちを見る。マクゴナガルが、アルテシアのすぐ横へ進んでくる。

 

「アルテシア、あなたの考えはわかりました。ですが、何もしてはいけません。何も言ってはいけませんよ」

「でも、先生」

「でもは、なしです。わたしの言うとおりにしなさい。そう約束したはずですよ」

「で、でも。先生……」

「でもは、なしだと言ったでしょう。とにかく、ダンブルドア校長。ここでは話もできません。どこかほかの場所で」

 

 そこで、ロックハートがいそいそと進み出た。

 

「そういうことでしたら、わたしの部屋をお使いください。ここから一番近いです。すぐ上ですからね。どうぞご自由に」

「では、そうさせてもらおうかの。アーガス、一緒に来なさい。それからミス・グレンジャー、ミス・パチル、ミス・クリミアーナ。君たちも来るのじゃ」

 

 猫を抱えたままダンブルドアが歩き始めると、取り巻いていた生徒たちが、左右に別れて道を空ける。もちろんその生徒たちには、すぐに寮に戻るようにと言って解散させたうえで、一行はロックハートの部屋へと向かう。ロックハートは得意げに、ダンブルドアのあとに従った。マクゴナガルにスネイプ、それに指名された生徒もそれに続いた。

 そのロックハートの部屋で、ダンブルドアはミセス・ノリスを机の上に置き、調べはじめる。誰もがそのようすをじっと見つめる。マクゴナガルも身をかがめ目を凝らして見ていたが、やがて2人が顔を見合わせ、うなづいた。

 

「アーガスや。猫は死んでおらんよ」

「死んでない? それじゃ、どうしてこんなになってしまったのですか?」

「石になっただけじゃと思う。どうしてそうなったのか、わしには答えられんが……」

「あいつに聞いてくれ!」

 

 ダンブルドアがそう言った瞬間、フィルチはそう叫んだ。あいつとは誰か、それを尋ねるまでもない。フィルチの手は、しっかりとアルテシアを指さしていた。

 

「落ち着きなさい、アーガス。あの子は、犯人ではないよ」

「でも校長、あいつは犯人を知っていると言った。どうしてこうなったのかもわかるはずだ」

「校長、一言よろしいですかな」

 

 スネイプだ。スネイプは、少しもフィルチのほうを見たりはしなかった。

 

「あの娘たちは、単にあの場にいあわせ、疑われた。そう考えるのが妥当ではありませんかな」

「おそらくそうじゃろうの。これには、高度な闇の魔術が必要となるはずじゃ。3人とも優秀な生徒じゃが、2年生でこんなことができるとは思えんしの」

「さよう。いくつか疑わしい状況が存在はしますが、この娘たちにできるようなことではない」

「し、しかし。わたしの猫が石にされたんですぞ。そんなことではすまされない!」

 

 さすがに声を荒げたフィルチに、ダンブルドアがやさしく話しかける。

 

「大丈夫じゃよ、アーガス。キミの猫は治してあげられる」

「ほ、本当ですか、校長」

「もちろんじゃとも。スプラウト先生がマンドレイクを育てておられる。十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作らせましょうぞ」

「それができれば、治るのですね、校長」

「それまでは、この猫を医務室で寝かせておこうと思うが、かまわんかね?」

 

 もちろん、フィルチはうなずいた。この話がついたところで、スネイブが改めてダンブルドアのまえに立つ。

 

「では校長。この娘たちは、そろそろ寮に帰してもよいのでは」

「そうじゃの」

「わたしが、寮まで連れて行きましょう。3人とも、グリフィンドールの生徒ですから」

 

 もしかすると、スネイブにはなにか別のおもわくがあったのかもしれない。だがマクゴナガルは、そんなことはおかまいなしとばかりに、3人を連れてロックハートの部屋を出た。

 



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第25話 「協力体制」

 学校中で、フィルチの飼い猫であるミセス・ノリスの襲われた話がささやかれていた。その襲われた場所の壁に書かれた文字が、あいかわらず残されていることも、その要因の一つであったろう。もちろんフィルチは、その文字を消そうと努力はしたのだ。だが、相変わらす文字は、そこにあった。

 ミセス・ノリスを襲ったのは誰か。秘密の部屋とは何なのか。継承者とは? その敵とは?

 

「『ホグワーツの歴史』が全部貸し出されてるわ。しかも、あと2週間は予約でいっぱい」

「どうして、そんな本が必要なんだい?」

 

 当然のようにハリーが聞いたが、その質問は、ハーマイオニーのいらいらをつのらせただけだった。

 

「どうして、ですって? 『秘密の部屋』の伝説を調べるために決まってるでしょ。ハリーは気にならないの?」

「あ、いや。でもそれって、なんなの?」

 

 どうやら、ハーマイオニーにはあきれられたらしい。それがハリーにも分かった。ハーマイオニーがため息をつく。

 

「ミセス・ノリスが襲われたこと、もうお忘れなの? あたしとパーバティは、犯人にされそうになったのよ」

「も、もちろん、覚えてるさ。それに、キミが犯人じゃないこともよく分かってる」

「まあ、いいわ。とにかく、秘密の部屋のことを調べたいの。それが何なのかを知らなくちゃ対策しようもないでしょ」

 

 その機会の訪れは、思ったより早かった。意外にも、退屈な授業の最有力に位置する魔法史の授業のなかで、その機会が訪れたのだ。

 魔法史の担当は、ゴーストのピンズ先生。その一本調子の低い声が、催眠術かなにかのように生徒たちの眠りを誘うことでも有名であり、この日もいつものようにうとうとする生徒が多かった。だがそれも、この質問がされるまでだった。

 もちろん、質問者はハーマイオニー。

 

「先生、『秘密の部屋』について何か教えていただけませんか」

「わたしがお教えしとるのは魔法史ですよ。神話や伝説ではないのです」

 

 ハーマイオニーのはっきりとした、よく通る声。それに応えて、ピンズ先生は目をパチクリ。だが、ハーマイオニーは引き下がらない。

 

「先生、お願いです。伝説というのは必ず事実に基づいているのではありませんか? その基づく事実について教えていただければと思うんですけど」

 

 ピンズ先生はハーマイオニーをじーっと見つめた。普段なら、先生もこのまま授業を続けたのかもしれない。だがいまは、クラス全体がピンズ先生に注目しているようなものだった。誰もが『秘密の部屋』のことを知りたがっていた。

 

「あー、よろしい。では、わたしの知るところを話しましょう」

 

 先生が噛みしめるように語り出した。

 

「さて……『秘密の部屋』とは……皆さんも知ってのとおり、ホグワーツには1000年以上にもなろうとする歴史があります。偉大なる4人の魔法使いと魔女によって、創設されました。その創設者の名は、各寮の名称として残っています。すなわち、ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウエナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリンの4人」

 

 もちろん、クラスのなかに居眠りなどしている者はいない。ピンズ先生は、そんなクラスを一通り見回し、感動したように話を続ける。

 

「創設者たちは、魔法力を示した若者たちを探し出しては、この城に誘い教育したのです。しかしながら、4人の間に意見の相違が出てきました。そのことに関し、いくつかのエピソードはあるようですが、なかでもスリザリンは、純粋な魔法族の家系のみ入学させるべきだという考えを持つようになり、それが他の3人との亀裂となって、ついには学校を去ったのであります」

 

 ここでピンズは、またもや口を閉じ、生徒たちを見回した。誰も居眠りなどしていない。それどころか、手を挙げている生徒までいるのだ。だがその生徒を、ここで指名することはせずに話を続ける。

 

「信頼できる歴史的資料によれば、こういうことなのです。しかし、興味本位の空想的な伝説によれば、スリザリンがホグワーツを去るまでの間に隠された部屋を作ったというのです」

「それが秘密の部屋なんですか」

 

 そんな声がかけられたが、ピンズは無視して話を続ける。

 

「その部屋は、スリザリンによって封印がされております。そののち、ホグワーツに彼の真の継承者が現れたとき、その継承者のみが封印を解き、恐怖を解き放って、学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放するというのです。ですがこれまで、そんな部屋は見つかっていない。それすなわち、生徒を怖がらせる作り話。そういうことであります」

 

 手をあげている生徒は2人。ハーマイオニーとアルテシアだ。ピンズと目のあったハーマイオニーが、指名をまたずに質問する。

 

「先生、解き放たれる恐怖とは、具体的にどういうことですか?」

「なんらかの怪物であり、スリザリンの継承者のみが操ることができると言われていますが、そんなものは存在しないのです。これは神話であります。よって、部屋は存在しない。よろしいか」

 

 これで話は終わり。ピンズは授業を再開しようとしたが、アルテシアが席を立った。

 

「先生。サラザール・スリザリンは、このホグワーツから追放されたのですか。それとも」

「スリザリンは、ゴドリック・グリフィンドールとの対立を経て、自ら出て行ったのです。さあ、もういいですか」

「先生、あと1つだけ教えてください。ホグワーツが創設されたころ、クリミアーナの先祖がホグワーツを視察しています。そのときのことは、ホグワーツの歴史に残されてはいませんか」

「な、なんですと」

 

 ピンズだけではない。クラスの誰もが、この質問には驚かされたようだ。アルテシアの真剣なまなざしが、ピンズをみつめる。

 

「よろしい。調べておきましょう。そんな事実があるのかないのか。それは神話ではない。検証できるでしょう」

 

 授業が終わり、廊下へ出る。今日の授業はこれで終わりだ。寮へと戻るのだが、アルテシアはハーマイオニーに引き留められていた。

 

「いまの話だけど、もう少し詳しく聞かせてほしい。なにか、大切なことのような気がするから」

「え? えっと、何を?」

「クリミアーナ家にも、ホグワーツなみの歴史があるってことでしょう。ホグワーツを視察したご先祖は、スリザリンとかグリフィンドールなんかと直接会ってたってことになるんじゃない?」

「どうかしら。そこまではわからないわ。でも、創設まもないころに視察に来たことは間違いないみたい」

「ほかには? ほかにも言い伝えられてきたこととか、いろいろあるんでしょうね?」

「そうね。クリミアーナには、口伝というか、先祖の残した言葉がいくつか残っているわ」

「たとえば、どんなの?」

 

 廊下には、寮へと戻るたくさんの生徒たちの姿がある。そのなかを話しながら歩いていたのだが、ここで立ち止まる。一緒にいるのは、パーバティとロン、そしてハリーだ。なかでもパーバティは、アルテシアのすぐそばに立ち、話を聞いている。

 

「そうね。クリミアーナには先祖の墓地があるんだけど、その墓石のひとつに言葉が刻まれている。『そのときは突然やってくる。だが歴史は終わらない。意志を継ぐ者がいる限り』」

「それ、どういう意味?」

「さあね。それを読んだ人が、それぞれに解釈するだけ。正確な意味は、わからないの」

 

 誰の残した言葉なのか、実はそれもはっきりとはしていない。その墓に眠る先祖の言葉だとするのが自然だが、それが正しいとは限らない。だが歴代のクリミアーナの魔女たちは、それぞれにその意味を考えてきた。その話をパーバティは、妹のパドマを通して聞いたことがあった。それに、聞いたと言えば。

 

「ねぇ、アル。パドマにもその話をしてるよね。そのとき『守る』って言ったそうだけど、それってどういう意味? あたしにも言ってくれたことあるけど、どういうことなの?」

「パーバティは、何も心配しなくていいってことだよ。いつも心配かけてるわたしが言っても、説得力ないけど」

 

 アルテシアは、そう言って笑った。その笑顔を見て、パーバティはずるいと思った。こんなふうに笑うアルテシアを見るのは、ほんとうに久しぶりだったからだ。アルテシアが笑っているのなら、それでいい。そんな気にさえなってくるからだ。本当は、いろいろと聞きたいことなどあるのだけれど、この笑顔のまえにしては、なにもいえなくなってしまうのだ。

 パーバティは、そっとアルテシアの手を握った。

 

 

  ※

 

 

 ハーマイオニーが気にしているのは、『秘密の部屋』が本当にあるのかどうかということだ。それに、猫のミセス・ノリスが襲われたときの『秘密の部屋は開かれたり 継承者の敵よ、気をつけよ』と書かれたメッセージにある、継承者の敵という言葉。

 その意味を考える。本当は、アルテシアとこのことを話したかった。アルテシアが相手だと、話がしやすいのだ。アルテシアと話すときは、必要なことだけを言えばいい。そうすれば、必要なことだけが返ってくる。言いたいことだけを言って、聞きたいことだけを聞く。そんな話ができるとハーマイオニーは思っている。

 だがこれが、たとえばロンなどが相手だった場合は、事情が変わってくる。同じことを話そうとしても、アルテシアのときの倍はしゃべらねばならなくなる。まずは、その説明から始めなければならないからだ。

 では、相手がパーバティの場合はどうなのだろう。いま、ハーマイオニーの前にはパーバティがいた。ハーマイオニーが、ほぼむりやりといった感じで、空き教室まで引っ張ってきていたのである。

 

「わたし考えたんだけど、猫を襲った犯人は、わたしたちが見つけなきゃいけないって思うのよ」

「なるほど。その相談をしようってことなのね、あたしをここに引っ張ってきたのは」

「ええ、そうよ。あのとき騒いだのはドラコ・マルフォイくらいだけど、それを信じてる人もいるかもしれないでしょ」

「マルフォイなんてどうでもいいけど、犯人は見つけたい。でないとまた、同じことが起きる気がする」

「わたしもよ」

 

 互いに笑みを交わす。これで、協力していくことの約束ができたというわけだ。

 

「ロンとハリーにも、必要なときは力を貸してもらうつもりだけど、それはいいわよね?」

「ええ。ポッターは頼りになると思うわ。もちろん、ウィーズリーもね」

「アルテシアは、どうする? かなり頼りがいがあると思うんだけど」

「なるべくなら巻き込みたくないんだけど、なるようになるんじゃない? それでいいわ」

「わかったわ」

 

 ここは握手などするところかもしれないが、どちらにもそんな気はないらしい。パーバティが、ちらと出入り口のドアに目を向けた。

 

「どうしたの?」

「ああ、べつに。なんかさ、こんなとき誰かが盗み聞きしてたり、ここに入ってきたりとかするんじゃないかと思って。なんどかあったのよね、そんなことが」

「ふうん」

「ま、それはともかく。あの猫を襲ったのは、人じゃない。そう考えた方がいいと思わない?」

 

 その理由としてパーバティは、ダンブルドアがすぐにミセス・ノリスを治せなかった点を指摘。誰かの魔法によるものであれば、ダンブルドアなら対応できたはずだし、魔法史の授業でピンズ先生が言ったことを考え合わせれば、その結論になるというのだ。

 

「解き放たれる恐怖…… それはなんらかの怪物であり、スリザリンの継承者のみが操ることができる。そう言ってたわね」

「だとすると、継承者は誰かってことになるでしょ。その敵って? 敵は襲われる?」

「その継承者が、秘密の部屋を開けたのよね。どうやって開けたのかも気になるわ」

「その部屋がどこにあるのかもね」

 

 ピンズ先生によれば、それは神話なのであり実在はしないらしい。だがハーマイオニーとパーバティは、実在すると考えていた。でもなければ、ミセス・ノリスのことに説明がつかないからだ。

 

「あなた、知ってる? 新学期になる少し前、ハリーのところにドビーって名前のハウスエルフが来て警告したのよ。たしか『危険なことが起こるから学校に戻ってはいけない』とかなんとか」

「うわあ、それってまさにいまの状況だよね。つまりこれは、計画的なのか。同じようなことが、また起きるんだわ」

「怒らないで聞いてよ、パーバティ。怒っちゃだめよ。なぜだかドビーは、アルテシアのことを知っていたのよ。ということで、考えられることは」

「2つ、あるよね」

 

 あらかじめ言っておいたからなのか、パーバティが怒りだす気配はない。そのことにハーマイオニーは、ほっとしたようだ。なにしろ、アルテシアを疑っていると思われても仕方がないのだから。

 

「そのどっちかはあきらか。もちろんあたしは、そう思ってるわよ。でもね、パーバティ。少なくともアルテシアは、その犯人となにかしら関係があるってことになるんじゃないかしら」

「ずるいわね、ハーマイオニー。あらかじめ怒るなって言われてるんだから、怒れないじゃない」

「ごめん。でもアルテシアが犯人だなんて言ってないよ。そんなこと、あたしは思ってない」

「でもなにか、つながりがあるってことだね。だからアルテシアは悩んでるのかな。そうなのかな。あのときだって、犯人と関係があったから、見つけるなんて言えたのかな」

 

 なるほど、そう考えることもできるわけだ。話のつじつまは合うような気がするが、ハーマイオニーは、そんなふうに考えてはいなかった。

 

「らしくないわね、パーバティ。そんなふうに考えちゃダメよ。そういうことじゃないんだと思うよ。きっとなにか、違う説明ができるわ。そう考えるべきよ」

「そうだけど、秘密の部屋がなんなのか、それが分からないと結論だせない気がする。継承者って誰なんだろう」

「ああ、それはたぶん」

 

 そうは言ったが、思い当たる人物など、いない。いくつかの点を無視していいのであれば、疑わしいのはドラコ・マルフォイということになるが、ムリがありすぎる。とはいえ、それで無罪放免というわけではない。継承者のことを知っているか、あるいは情報を持っていることは十分に考えられるからだ。ハーマイオニーはそう考えつつ、パーバティを見る。声が返ってくる。

 

「サラザール・スリザリンって、つまり純血主義なんでしょ。じゃあ、継承者も純血主義なのかな。スリザリン寮の生徒に多いって聞くけど」

「そういうことならドラコ・マルフォイが一番だと思うけど、あいつはたぶん違うわよ」

「そんなこと、わかってるけどね。けど、あいつには話を聞く必要があるんじゃないかな。正直に教えてくれるとは思えないけど」

 

 マルフォイ家は純血主義者であり、スリザリン寮の出身。そんな家系であることを、もちろんハーマイオニーとパーバティはよく承知していた。さて、どうやって話を聞くか。その相談へと、話は移っていった。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツの校長室では、ダンブルドアが、なにやら楽しそうに紅茶の準備をしていた。いくつかのお菓子類もあることから、いわゆるアフタヌーン・ティーの準備中であるらしい。

 部屋の中にあるテーブルの席には、アルテシアが座っていた。紅茶の準備なら自分がすると申し出たアルテシアだったが、ダンブルドアからやんわりと拒否され、いまはおとなしくテーブルの前に座っているというわけだ。

 

「さてさて、ずいぶんとお待たせしましたが、ようやく、この日が来ましたな」

 

 準備の終わったダンブルドアが席に着く。まずは飲みなさい、とばかりにアルテシアの前にティーカップが差し出される。

 

「お嬢さんとは、これまでなんどか話をする機会はあったが、ゆっくりと話はできなかった。じゃが今日は、十分に時間もあるし、お互い体調にも問題はなさそうじゃ」

「それで、何をお話しすればいいのでしょうか」

 

 これまでアルテシアは、たとえばトロール騒動で医務室にいたときや、賢者の石が保管されている状況を見に行ったときなど、ダンブルドアと話をしたことがある。ゆっくりと話をしたわけではないのかもしれないが、それでも十分だとアルテシアは思っていた。

 

「気になるのは、新学期となってからのお嬢さんのようすじゃよ。もっと明るく笑っていたはずだと思うがの。お友だちのパチル嬢も気にしておるようじゃよ」

「それは…… それは、わかっています。でも、パチル姉妹には話せないのです。話せば、危ないことに巻き込んでしまうかもしれません。そんなことはしたくないんです」

「なんと。ではキミは、危ないことに関係しているというのかね」

「そうなるかもしれない、ということです。でもわたしは、あの姉妹を守りたい。だから、少し距離をおくしかないんです」

 

 ここで、はっとしたような表情となるアルテシア。たとえば、何かをおもいついたような。

 

「どうかしたかね、お嬢さん」

「あ、いえ、べつになにも」

「ふむ。じゃがもし、それがヴォルデモート卿に関することであるのなら、力になれる。協力できると思うがの。あやつとは、いずれ決着をつけることになるのじゃから」

 

 ダンブルドアの顔を、じっと見つめるアルテシア。迷っていることがうかがえるものの、アルテシアは何も言わない。ややあって、ダンブルドアが軽くため息。

 

「いつでも相談に乗りますぞ。このこと、ようく覚えておくのじゃ。よろしいな」

「すみません、校長先生」

「では、別の話をしようかの。これ、おいしいから食べなさい。タルトとかいうものらしいが、食べながらでかまわんよ」

 

 うなづいて、それに手を伸ばす。ダンブルドアも、それを1つ口に運んだ。そして。

 

「普段のようすなどは、マクゴナガル先生やスネイプ先生たちから聞かせてもらってはいるが、それだけではわからないことも多いのでな。ああ、もちろん魔法書のことや、それが狙われておったことは承知しておるよ」

「はい。マクゴナガル先生が話してくれました。そのことは校長先生もご存知だと」

「誤解しないで欲しいが、お嬢さんのことが気になるからじゃよ。ゆっくりと話もしたかったのじゃが、なぜかそんな機会には恵まれなかった」

 

 たしかに、そうかもしれない。スネイプとは数回だが、マクゴナガルとは、なんども話をしている。そんな先生たちが、生徒のことを校長に報告するのも、ごく自然のことではあるのだろう。もちろん、話したこと全てがそのまま伝わってはいないのだろうけれど。

 

「あの夜、キミは何をしたのかな。いまにして思えば、実に不思議なことじゃと思う。あのときお嬢さんは、ヴォルデモート卿からハリーを守ってくれた。そう考えてもよいのかな」

 

 あの夜とは、クィレル先生と賢者の石を争った夜のことだろう。賢者の石を奪われることはなかったが、クィレル先生は命を落とし、ヴォルデモートは逃げ去った。

 

「ハリーを守ったのは校長先生です。わたしは、例のあの人をどうすればいいのか、わかりませんでした。ただ、おろおろしていただけでした」

「いいや、そうではないよ。ヴォルデモート卿は、このわしにも、どうすることもできなかった。いったい、あの状態をどう例えればいいのか。ともあれキミがいなければ、ハリーは無事ではなかったじゃろう」

「闇の帝王とも呼ばれているそうですね」

「おお、その名も知っておるのかね。じゃがお嬢さん。きちんと名前を呼びなさい。ヴォルデモートと呼ぶようにするべきじゃよ」

 

 それは、なぜか。だがアルテシアは、その意味を尋ねることはしなかった。質問したのは、ヴォルデモートの過去についてだ。

 

「スネイプ先生にもお尋ねしたことがあるのですが、校長先生はご存知でしょうか。その人は、ホグワーツを卒業後、闇の魔法使いとして本格的に活動をはじめるまでの間に、消息があいまいとなっている時期があるようなんです」

「そうじゃの。その間に、魔法の研究などしていたのではないかと言われておるが」

「その不明な時期に、クリミアーナに関わる者が、魔法書を提供していた。そんな疑惑があります。これが事実なのかどうか、ご存知ではありませんか?」

 

 さすがのダンブルドアも、驚きを隠せない。つまりが、このことは知らなかったということだ。スネイプは、どこからかこのことを調べてきたが、ダンブルドアはそこまではしていなかったらしい。

 

「すまんが、そんな話は聞いたことがないのう。おそらく事実ではないとわしは思うがの」

「それは、なぜですか。スネイプ先生もそうおっしゃったのですが、その理由は?」

「ヴォルデモートは、学校にいたときから、人並み外れた才能をみせておった。クリミアーナの魔法書に頼る必要などなかったはずじゃ。もし仮にそうだったとするなら、ヴォルデモートはキミと同じような魔法が使えるということになる。じゃがあやつとキミとでは、まったく違うと思う。それゆえ、事実ではないと考えたのじゃよ」

 

 無言で考え込むアルテシア。たしかに、そうかもしれない。きっと、そう考えるのが自然なのだろう。もしそうであるのなら、アルテシアにとっては良い情報といえるものだ。だがパチル姉妹の叔母、ナディア・マーロウのことがある。マーロウ家は、ルミアーナ家がヴォルデモートに力を貸したと判断し、交流を断っている。絶縁しているのだ。そうするには、するだけのことがあったはずなのだ。そのことを、どう考えればいいのか。アルテシアのなかで、その答えがでるのは、まだまだ先のこととなるのだろう。

 なにやら考え込んでいるアルテシアと、それを見守るダンブルドア。そんな2人のいる校長室に、新たな被害者の報告がもたらされたのは、それからまもなくのこと。

 襲われたのは、コリン・クリービーという名の1年生で、彼もまた、石になっていたという。その報告を聞いたダンブルドアは、思わずこう言った。

 

「『秘密の部屋』が再び開かれた。じゃが、どうやって……」

 



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第26話 「アルテシアの悩み」

 ダンブルドアのもとに、コリン・クリービーが石にされたという報告が届いたとき、ハリー・ポッターは、医務室にいた。というのも、この日のクィディッチの試合で骨折してしまったからだ。

 医務室のマダム・ポンフリーによれば、単なる骨折であれば、あっという間に直せたらしい。だがハリーの場合は、骨折直後にロックハートがその治療を試みて失敗、腕の骨がきれいさっぱり消え去ってしまったのだ。なくなった骨を復活させるには、それ相応の時間がかかるし、耐えがたい痛みが伴うものらしい。そんなわけで医務室にいるのだ。

 マダム・ポンフリーが言ったとおり、夜中となっても痛みのためにろくに眠ることもできない。だがそれでも、つかの間うとうとしたのに違いない。誰かのいる気配がしたから目が覚めたのか、目が覚めたから気づいたのか。それはハリーにはわからなかったが、とにかく目が覚めた。夜中のことであり真っ暗だったが、そこに誰かが、いた。

 

「誰、そこにいるのは誰?」

「ドビーでございます、ハリー・ポッター」

「ドビー? ドビーだって! ほんとにドビーなのか」

 

 ハリーは、あわてた。まさか、ドビーがホグワーツにいるなんて。もしそうなら、聞いておきたいこと、聞かねばならないことがある。

 

「ハリー・ポッター。あなたは、学校に戻ってきてしまった。ドビーめが警告したのに、戻ってきてしまった。なぜです。危険なのに、なぜ。どうして、ここにいるのです?」

「ドビー。ぼくはね、スリザリンとのクィディッチの試合で腕を骨折したんだ。だから医務室に」

「存じております。ハリー・ポッターを家に帰らせるために、ドビーのブラッジャーでそうしたのでございますから」

「キミのブラッジャーだって? どういう意味だい? ブラッジャーでぼくを殺そうとしたって?」

 

 ハリーは大声を出した。だがドビーは、その大きな目でハリーを見つめ、悲しげにつぶやいた。

 

「ドビーめは、考えました。学校にとどまるよりも、たとえ大けがをしたにせよ、家に送り返される方がよいのでございます。ハリー・ポッターは、けがを理由に、家に帰るべきなのです。ふたたび『秘密の部屋』が開かれのです。学校にいてはいけないのです」

「秘密の部屋だって! キミは、秘密の部屋のことを知ってるんだね。ふたたびってどういうこと? これが初めてじゃないんだね」

 

 ドビーは、ハッとしたように立ちすくむ。だが、それもほんのわずかのこと。次の一瞬には、ベッドの脇机にあった水差しをつかみ、自分の頭を殴ろうとした。ハリーは、あわてて骨折していない方の手で、水差しを持ったドビーの手をつかんで止める。

 

「おしおきなんか、しなくていい。それより、ぼくに話して。なぜこんなことをしたのか、キミはそれを話すべきなんじゃないかと思うよ」

「ああぁ、ドビーは悪い子、とっても悪い子……」

「ねぇ、ドビー。秘密の部屋は、ほんとにあるんだね? 以前に開いたのは誰なの? 今度は誰が開いたの?」

「ドビーには言えません。言えないのでございます。ドビーは言ってはいけないのです」

 

 あいかわらず、ドビーとは会話にならない。ハリーは、そう思わずにはいられなかった。初めて会ったときも、こんな調子だった。肝心のことになると自分を罰しようとするので、止めるのに大変なのだ。

 ドビーの手が、ゆっくりと水差しの方へと伸びていく。水差しを持たせてはいけない。ハリーは、すぐさま、その痩せこけた手首をつかんだ。その、あまりに細い手首をつかんだまま、ハリーは考えた。聞き方を工夫すべきなのだ。イエスかノーか、そんな返事ができる質問をし、ドビーがどう反応するか。それで判断すればいいんじゃないかと思ったのだ。

 

「なあ、トビー。答えなくてもいい。ただ、うなづいてくれればいい。秘密の部屋は、ほんとうにあるんだね?」

 

 ドビーがうなずく。そのすぐあとで、ドビーはその手を動かそうとした。水差しをとろうとしたのだろう。だがハリーが、そうさせなかった。

 

「いいかい、ドビー。秘密の部屋の怪物はマグル生まれを襲う、そんなうわさがあるんだ。キミもそう思うかい?」

「ハリー・ポッターは寝ていましたが、さきほど、襲われた者がベッドに寝かれました。ドビーは、ハリー・ポッターがそうならないようにしたいのです。ハリー・ポッターは、まず自分を助けなければいけないのです」

 

 またもドビーの手が動くが、ハリーはその手から水差しを守った。どうやら、また誰かが襲われたらしい。そしてその誰かは、いま医務室にいる。それが誰かを聞いてみたいところだが、ドビーに聞いても面倒が増えるだけだ。それが誰かは、夜があければわかるのだから。

 

「ところで、ドビー。キミはアルテシアのことを知ってるだろ。アルテシアも危険なの?」

「ドビーめは、アルテシアという人を知りません。危険かどうか、わかりません」

「え? でもキミは、クリミアーナがどうとかって言ってただろ?」

 

 ドビーの手は、動かない。これはどういうことだ? ハリーは、首を傾げた。

 

「クリミアーナでしたら、存じております。奥さまが、たまに話をされます。ですが、ハリー・ポッター」

「なんだい」

「クリミアーナには、近づいてはいけません。離れていなければいけないのです」

「どういうことだい?」

 

 ドビーが水差しを取ろうとしないので、ハリーも、ドビーの手を離していた。もちろん油断はできないので、水差しはハリーが持っているの。

 

「ずっと昔から、そう言われているのです。クリミアーナに近づいてはいけないと」

「昔から? でもなぜ、近づいちゃいけないの?」

 

 そのとき、部屋の明かりがともされた。部屋に入ってきたのは、マダム・ポンフリー。その声がするのと、パチッという大きな音がしたのとがほぼ同時だった。

 

「話し声がしますが、誰ですか? おや、今の音はなんです?」

「ああ、いえ、その。ちょっと寝ぼけてたのかもしれません」

「寝ぼけていた、ですって。なるほど。それで、その水差しをどうするつもりなのです?」

「え? ああ、いえ。おかしいな、なんでこんなの持ってたんだろう」

 

 ドビーに渡さないためにと、水差しを持ったままだったのだ。そのドビーの姿はない。いつのまにか、いなくなってしまっていた。

 

「まあ、いいでしょう。具合はどうです? まだ痛むはずですが」

「あ、痛いです。でも、ずいぶんましになりました」

「それはよかった。とにかく、しっかり直さないと。どうせ、朝になればわかるでしょうから言いますが、ミスター・フィルチの猫のように、今度は1年生が石にされました。あなたも、気をつけるのですよ」

 

 マダム・ポンフリーに腕の具合を見てもらいながら、ハリーはドビーが言ったことを考えていた。

 

 

  ※

 

 

 ダンブルドアと話をした、その翌日。アルテシアは、今度はマクゴナガルのもとを訪れる。といっても、呼び出されたとかそういうことではない。週に1回、いつも2人の間で行っている魔法の勉強会のためだ。いつもは土曜日の午後なのだが、昨日はクィディッチの試合もあったし、ダンブルドアがアルテシアとの話を望んだこともあって、今回は日曜日に変更となったのだ。

 もちろん魔法の勉強のためであり、お互いが先生役となり、それぞれ互いの魔法を学ぶのが目的だ。だが、このごろ学校内で起きていることが話題にならないはずはない。なにしろ、昨夜には2度目の襲撃事件が起こっているのだから。

 

「今日は、わたしの番ですね。勉強のテーマは、先生役の側が決めることになっています。今日は、秘密の部屋のことを話したいのです」

「いいんですか、先生。わたしが、そのことを話しても」

「もちろん。あなたには、じっくりと言って聞かせねばなりませんからね。だから、朝早くから来てもらったのです。夜までかかろうとも、あなたには約束してもらいます。秘密の部屋には関与しない、危険なことはしない、とね」

 

 いま、学校内でのもっぱらの話題は、例のあのこと。つまり、秘密の部屋に関することをうわさしあっているのだ。スリザリンの継承者とは誰のことなのか。その敵とは? 誰かが襲われるのか、といった内容だ。この時点では、第2の犠牲者であるコリン・クリービーのことは知られていなかったが、明日の月曜日ともなれば、全校生徒が知ることになるのだろう。

 

「秘密の部屋について、どれくらいのことを知っていますか?」

「ほとんど何も知らない、というのが正直なところなんですけど」

「まあ、そうでしょうね。あなたにとっては、もっと大きな気がかりがあるのですからね」

「ご存じなのですか? お話ししたことはなかったと思うのですが」

 

 知られたからといって困るようなものではないが、知らないはずの相手が知っているとなれば、気持ちのいいものではない。それが、アルテシアの偽らざる気持ちであった。

 

「はばかりながら、このわたしも、クリミアーナの魔法書を学んでいるのですよ。1年と少しですが、されど1年ですからね」

「ああ、そうでした。マクゴナガル先生には、なにも隠し事などできないんだってこと、忘れていました」

「なるほど。ではあなたは、わたしに隠しておくつもりだった。そういうのですね」

 

 ここでまともに返事をするのは、負けを認めるようなもの。アルテシアは、返事ではなく、質問を返すことにした。

 

「先生、1年間の勉強でどれくらい読めるようになるものでしょうか? わたしなんかは、まったく読めなかったのですけど」

「あれは、不思議な本ですね。読むたびに、それを思い知らされるようです。魔法が使えるにはほど遠い感じはしますが、いろいろな知識が得られる。そのことは実感しています」

「魔法書は、お役に立っているようですね。うれしいです」

「貴重な本だと思いますよ。これをずっと伝えていかなければなりません。あなたの使命は重大なのですよ」

 

 その意味を、マクゴナガルはわかっているのだろうか。アルテシアは、そんなことを考えた。自分でも、ときどきわからなくなることがあるというのに。もっともアルテシアの場合は、わからないというよりも、迷いだとするほうがより近いのだろう。だが同時に、何を迷うことがあるのか、とも思う。迷う必要など、なにひとつないのだと。

 

「先生は、クリミアーナ家に生まれた娘が、何を望むのかご存じですか?」

「これはまた、難しいことを聞くのですね。さすがに想像してみるしかありませんが、魔法書だろうと思いますよ。魔法書を学び、立派な魔女となりたい。そう願うのではありませんか」

 

 その答えに、ほっとしたような、あるいは残念でもあるかのような、そんな複雑な思いに包まれるアルテシア。簡単に答えられては、そのことに悩んでいる自分があわれに思えてくるからだ。だがマクゴナガルは、魔法書を学んでいるのだ。自分でも言っていたように、さまざま知識を得たはずなのに、同じ思いをもってくれないのは、なぜだろう。そこに思いが至らないのは、1年あまりという期間のゆえなのか。

 

「違うのですか?」

「わたしは、日々のおだやかな暮らしだと思っています。大切な人、守りたいと思う人、そんな人たちが幸せに暮らせる場所。そこで皆が笑っていられるのなら、おだやかに暮らしていけるのなら、それでいい。わたしは、そう思っています」

「なるほど。それが、クリミアーナ家の考え方なのですね」

「はい。そのためにできることは何か、自分には何ができるのか、いま何をすればいいのか。そんなことを考えるのです」

 

 アルテシアの母マーニャは、自身の身体が弱かったこともあり、なによりもクリミアーナ家を存続させることを願った。クリミアーナの家系を、その血筋を次の世代へとつなげること。それが、何よりの願いであった。それができなければ、クリミアーナ家は途絶えることになる。そうなれば、クリミアーナに住む人たちはどうなるのか。

 結果、マーニャは、医者に反対されながらも自分の命をかけてアルテシアを生むことを選択する。仮にその選択がなかったなら、アルテシアが生まれることはなかった。クリミアーナ家は、マーニャの代でその歴史を終えることになっただろう。

 そんな覚悟が、自分にはあるのか。アルテシアは、自分に問いかける。母と同じような立場に立ったとき、困難な場面に直面したとき、迷わずにそんな選択ができるのか。もちろん、できると思いたい。だがいま、その自信は揺らいでいた。

 

「あなたの言いたいことはわかりますが、秘密の部屋に関わることは許しませんよ」

「先生。そうすることが、いい結果を生むのでしょうか。なにもせずにいることが、最善なのでしょうか」

 

 さすがにマクゴナガルは、苦笑いを浮かべた。つまりマクゴナガルも、それがいいことだと思ってはいないということだ。

 

「最初に言いましたが、わたしもクリミアーナの魔法書を学んでいます。クリミアーナの娘としての思いは理解できます。ですがここは、ホグワーツ。わたしはそこの教師なのです。生徒であるあなたを、危険から守りたい。そこから遠ざけたいのです」

「それが、ホグワーツの教師としてできること、するべきことだと」

「そうです。そして、一刻も早く危険を排除する。今回でいえば、秘密の部屋の謎を解き解決すること、となるでしょう。もちろん、教師陣の手で」

 

 それが、ホグワーツの教師としての最善の選択だとマクゴナガルは言う。では、ホグワーツの生徒としての最善の選択とは、何なのだろう。もちろんそれは、あれこれと悩んでいることではないはずだ。それは、わかっているのだけれど。

 

「そしてあなたは、ホグワーツの生徒。教師に頼るのは、おかしなことではありませんよ。気持ちはわかりますが、学校にいるときは、教師の言うことを聞くべきです」

「ですが、先生。わたしは、クリミアーナの、マーニャの娘なのです。そのことを忘れるわけにはいきません」

「では、近頃のあなたのようすは、どういうわけです? 表面上はとりつくろったつもりでも、わかりますよ。ミス・パチルがどれだけ心配しているか、気づいていますか?」

「それは……」

 

 気づいていないはずがない。気づかないはずがない。

 

「わたしにできること、何をすればいいのかは、わかっているつもりです。でも、自信がないんです」

「自信がない?」

「例のあの人に、その人に魔法書を提供したのではないか。クリミアーナに関係する人で、そんなことをした人がいたという疑惑があるのです」

「それが、問題なのですか。そんなこと、あるはずがない。仮にあったとしても、そんなことはその人の責任であって、あなたに罪があるわけではありませんよ」

 

 自信たっぷりにそう言い切ったマクゴナガルだが、言った後で、自分自身も魔法書を提供されていることに気づく。

 

「まさか、まさかそんな」

「それが最善だと、そんな判断がされたのかもしれません。そんな判断をした人がいるかもしれない。わたしも、そうしてしまうかもしれません」

「まちなさい、どういうことです?」

 

 下を向いてしまったアルテシア。なのでマクゴナガルからは、その表情がわからない。だが、声は聞こえる。

 

「ナディア・マーロウという人から、言われたのです。仮にパーバティやパドマを盾とされたとき、あなたはどうするのかと」

「どういうことです?」

 

 アルテシアの表情が見えたなら、それは泣き顔であったのかもしれない。声の調子には、そう思わせるような響きがあった。

 

「その答えが出たとき、もう一度会おうと言われました。でもわたしには、答えが出ない。出せないんです」

「アルテシア……」

「たとえば、パーバティを助けるためには、パドマを犠牲にしなければならない。逆なら逆が。そのとき、どうすればいいのか。例のあの人に魔法書を提供したのは、そんな事情があったのかもしれません」

 

 さすがのマクゴナガルも、かける言葉がなかった。強いて言うなら、アルテシアが仮の問題で悩んでいるのだという、その点くらいであろうか。万が一のとき、実際にそうなったときに考えればいいのではないか、と。

 だがもちろん、アルテシアだってそれくらいのことはわかっている。そういう状況を作らないようにする、というのも1つの方法であることも分かっている。だが問題は、そうなったとき、どうするかということだ。

 この問題は、アルテシアにとって避けることのできない永遠のテーマであるのかもしれない。そのとき、何ができるのか。自分に何ができるのか。いま、何をすればいいのか。常にそのことを考えるのが、クリミアーナの娘なのだから。

 

 

  ※

 

 

 同じ日曜日の朝のこと。パーバティは、ハーマイオニーとともに空き教室にこっそりと入り込んだ。アルテシアは、マクゴナガルのところへと行ってしまい、ハリーは医務室。ロンは、そのハリーを見舞いに行くだろうから、2人だけで話をするのにちょうどよい、という結論になったのだ。ハリーの腕がどうなったか気になってはいるのだが、お見舞いには行くのは、この話が終わってからということにしていた。

 適当な場所に座ったところで、ハーマイオニーが、誰にでも変身できてしまうというポリジュース薬を作ることを提案。それでスリザリンの誰かに変身し、マルフォイの周辺をさぐろうというのだが、パーバティは乗り気ではなかった。

 

「ねぇ、ハーマイオニー。そんなことまでしなくていいと思うよ。ダフネに聞けば、教えてくれるわ」

「いいえ、パーバティ。そのダフネって人のこと、あたしは知らないけど、スリザリンなんでしょ。疑うわけじゃないけど、今回はスリザリン抜きでやりたいの。きっとそのほうが、正確な情報が得られると思うのよ」

 

 そう言われてしまうと、そういうものなのかと納得するしかない。しかたなくパーバティは、ハーマイオニーの薬作りを手伝うことに同意した。だがそれでも、ダフネに協力を求めるべきだという考えは消えない。ダフネはスリザリン寮だが、あの寮の人のなかではよく話をしているほうなのだ。なので、きっと力を貸してくれるだろうとパーバティは思っている。

 それにしても、ポリジュース薬などが、本当に作れるのだろうか。そんなことをしなくても、マルフォイを問い詰めればすむという考えも、パーバティのなかにはある。だがハーマイオニーは、ポリジュース薬を作り、スリザリンの誰かに変身してこっそり聞き出すという方法を選んだのだ。

 

「けど、材料は揃うの? 揃ったとしても、作れるものなの? とっても難しいんでしょ。素朴な疑問で申し訳ないんだけど」

「材料は、クサカゲロウ、ヒル、満月草にニワヤナギ。このあたりは手に入りやすいんだけど、二角獣の角の粉とか毒ツルヘビの皮の千切りは難しいわ。どこで手に入れたらいいのか、わかんない」

「えっ! じゃあ、だめってことじゃないの」

 

 多少、あきれた感じがその声の中に含まれていた。だが、ハーマイオニーは気にしたようすはない。

 

「大丈夫よ。こういうものはあきらめないことが肝心なの。あきらめさえしなければ、なんとかなるのよ」

「そうかもしれないけれど、あなたのことだし、規則破りなんて、するつもりはないんでしょ。だったらあきらめるしかないわよ」

「どういうこと? 規則を破れば材料は揃うの?」

 

 うなずいてはみたものの、あまり気の進まないようすをみせるパーバティ。ということは、あまりお奨めの方法ではないのだろう。

 

「たぶんだけど、スネイプ先生の研究室に行けば置いてあると思うんだ。もちろん、こっそり持ち出すのは規則違反。そのまえにどろぼうだけどね」

「そうだけど、それしかないじゃない。わたしだってそんなことしたくはないけど、このままじゃ、また事件が起こるわよ。被害者はどんどん増えていくわ」

「まあ、たしかにそうなんだけどね。じゃあ、スネイプ先生のほうは、あたしが引き受けるわ」

 

 これには、さすがに驚いた顔となるハーマイオニー。だが、それも一瞬。

 

「それって、パーバティがどろぼうになってくれるってこと?」

「いいえ、スネイプ先生にお願いしてもらってくるつもり」

「それはとてもありがたいことだけど、スネイプには内緒にしておきたいの。だって、スリザリンの寮監でしょ。まずいわよ」

「そういうことは、考えなくてもいいんじゃないかな。アルテシアの名前をだせば、なんとかなると思うんだけど」

 

 ハーマイオニーが気にしているのは、この計画が漏れてしまうことなのだ。漏れてしまえば、それまで。とくにスリザリンの関係者には極秘でなければならないのだ。

 

「やっぱり材料は、あたしが揃える。スネイプには何も言わないでちょうだい」

「いいけど、マルフォイを直接問い詰めるってのはどうなの? 確実で手っ取り早い方法だと思うけど」

「そ、それは。そうか、たしかにそうね。そのほうがいいわ。うわ、そんなこと思いもしなかった」

「ウソ! ハーマイオニーともあろう人が、そんなことに気づかなかったの?」

 

 がっくりと力が抜けた、といったところか。あきれ顔のパーバティだが、それでも話を進める。

 

「じゃあ、あなたとあたしの2人でマルフォイを問い詰めるってことでいいのね」

「ええ。ハリーとロンも連れて数で圧倒したいところだけど、ハリーがいると、かえってマルフォイが元気になるような気がする」

「本当は、アルテシアがいたほうが話はスムーズにいくんだろうけど、アルは連れてかないよ」

「そういえば、マルフォイってアルテシアには悪口言ったりしないよね。なんで?」

 

 その疑問を持っているのはハーマイオニーだけではない。パーバティもそうだし、アルテシアだって答えを知らないだろう。

 

「わかんないけど、マルフォイのお母さんがクリミアーナ家のこと知ってるからじゃないかな。そんなこと話してるの聞いたことある気がする」

「それ、なんだか気持ち悪いわね」

「え?」

「ドビーは、アルテシアのことを知ってた。マルフォイ家もそうなんだとすれば…… ねぇ、魔法史の時間にアルテシアがピンズ先生にした質問、覚えてる?」

 

 少し考えるようなそぶりを見せたパーバティだが、もちろんそれは覚えていた。

 

「あれでしょ。アルテシアのご先祖がホグワーツを視察したことがあるかどうかって」

「あのときピンズ先生は、そのこと調べてみるって言ったけど、どうなったか聞いてる?」

「あれは、昔のことすぎてわからなかったらしいよ。アルが残念そうにしてた」

「ふうん。でもクリミアーナ家は、そんな昔からの魔女の家ってことでしょ。アルテシアは、その正当な跡継ぎっていうか、つまり純血の血筋なんだよね」

「ハーマイオニー、何が言いたいのかわかったから、もう言わないで。言ったら、怒るよ」

 

 怒られてもかまわないと思ったのかもしれない。2歩分ほど距離をあけてから、言葉を続けた。

 

「視察のとき、サラザール・スリザリンと会った。スリザリンはホグワーツを去ることにしていたから、クリミアーナ家からの入学者のためにと、秘密の部屋を作った」

「やめて、ハーマイオニー」

「時は流れ、クリミアーナ家からアルテシアが入学。ドビーがいる家は、きっと秘密の部屋の管理を任されていたんだわ。だから、アルテシアのことを知ってるし、部屋の開け方や開けるとどうなるかも知っていた。危険だと判断したドビーは、ハリーに知らせた」

「言わないでって言ったのに、ひどいよ」

「ごめん。でもアルテシアは、このこと気づいてるんじゃないかしら。昔のことを調べてるみたいだし、ときどき考え込んだりしてるのはそのためなのかも」

 

 怒る、と宣言していたはずのパーバティだが、怒り出すようなことはなかった。むしろ、元気をなくしたように見える。どこかで、同じようなことを考えたことがあるのだろう。

 

「あくまで想像よ、パーバティ。なにが本当なのか、すぐにわかる魔法でもあれば別だけど、そんなのないし。とにかくあたしたちでマルフォイを問い詰めましょう。ポリジュース薬は、また別の機会に作ればいいわ」

「うん、そうだね。なにかわかればいいけど」

 

 マルフォイは、何かを知っているのかいないのか。何もかも話してくれればいいが、あのマルフォイがあいてなのだから、そううまくはいくまい。それにこちらも、ある程度の情報を提供せねばならないだろう。なにも言いたくはないんだけど、とパーバティは思うのだった。

 



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第27話 「ルミアーナの少女」

 コリン・クリービーが襲われ、今は医務室にいる。このニュースは、いまや学校中で知らない人はいないだろうというほどに広まっていた。襲われないためにはどうすればいいのか、といったようなことが、あちこちでささやかれる。

 とくに1年生などは、数人のグループで移動するのが普通となっていた。なにしろ、同じ1年生のコリンが襲われている。そのコリンと「妖精の魔法」のクラスで隣合わせの席だったジニー・ウィーズリーも、すっかり落ち込んでいた。そんなジニーを励まそうと、フレッドとジョージがあれこれやってみるのだが、あまり効果はなさそうだった。

 学校中に、そんなおかしな空気が流れるなか、パーバティはマクゴナガルに呼び出しをうけた。ふくろう郵便で届けられたそれには、アルテシアには気づかれないように、との添え書きがされていた。もしこの呼び出しがなかったなら、ハーマイオニーとともにドラコ・マルフォイを問い詰めるという計画を実行するため、校内をうろうろしていただろう。だが、肝心のドラコが1人にならないのだ。計画では、ドラコが1人のときを見つけ、どこか空き教室にでも連れて行って問い詰める。そうしたいのだが、いまだに実施できないでいる。

 なぜ、ドラコは1人にならないのか。秘密の部屋の怪物を怖がってクラッブとゴイルを離さないでいるのだとするパーバティの考えは、ハーマイオニーが否定した。襲われるのは、スリザリンの敵。すなわち、純血ではないものと考えられるからだという。実際、ホグワーツの生徒たちの間では、そんなふうに考えられていた。

 それはさておき、パーバティはマクゴナガルの部屋を訪れる。この部屋を訪れるのは、初めてというわけではない。

 

「ああ、よく来てくれました。あなたに話しておきたいことがあるのです」

「アルテシアのことですか、それとも妹が何か」

「ああ、そうでした。妹さんにも来てもらえばよかったかもしれませんね。あとで、あなたから話しておいてください」

「それは、かまいませんけれど」

 

 机を挟んで、向かい合わせに座る。マクゴナガルに対すると、とたんに緊張してしまうという生徒は多いが、パーバティはさほどでもない。アルテシアと一緒に、何度も話したりしているからだろう。ついでに言うなら、グリフィンドール生に嫌われているスネイプのことも、それほど嫌ってはいないのだ。これも、アルテシアの影響なのだろう。

 

「先日、アルテシアを話をしました。あなたが、どんなにアルテシアのことを心配しているか、言っておきました」

「あ、ええと。それで、アルテシアはなんと?」

「もちろん、あなたをことを気にかけていますよ。とにかくアルテシアがいま、何を考えているのか。それを聞き出したので、あなたにも伝えておこうと思ったのです」

「ほんとうですか」

 

 パーバティの表情が、かがやいた。だが、それも一瞬のことだった。すぐに、元に戻ってしまった。そのことを、マクゴナガルはいぶかしく思ったらしい。

 

「どうしたのです?」

「なんとなく、予想はつくんです。きっと、あたしのせいなんだろうなって」

「あなたのせい? なぜです?」

 

 まさかパーバティがこんなことを言い出すなど、マクゴナガルは予想していなかったのだろう。そんな、意外そうな顔をしていた。

 

「ホグワーツでアルテシアと友だちになれて、すごくうれしかったんです。だから、クリスマス休暇で家に帰ったとき、親に話しました。母も、喜んでくれていたんです。あたしが、アルテシアの名前を言うまでは」

「名前を出したら、ようすが変わったのですか」

「クリミアーナには、近づかないようにと言われました。あの家と付き合ってはいけないと」

「近づくな、とは、どういうことです?」

「クリミアーナ家からホグワーツに入学する、ということがとても意外だったようです。ましてやその人と友だちになるなんて、母も叔母も、想像もしていなかったんだと思います」

 

 このあたりの事情を、もちろんマクゴナガルは何も知らない。アルテシアも、話してはいないのだ。

 

「そのことはもちろん、アルテシアも知っているのですね」

「あたしは何を言われても、どういうことになっても、アルテシアと友だちです。友だちでいたいんです。でも」

「でも?」

 

 マクゴナガルがそう言ったのは、パーバティがそこで言いよどんだからだ。その続きをうながそうとしたのだろう。

 

「でも妹のパトマは、母や叔母たちには賛成して欲しかった。反対されたままではイヤだったんです」

「あぁ、なるほど。覚えていますよ、あなたがた姉妹がケンカしている時期がありましたが、それが原因なのですね」

「そうです。アルにも心配かけてしまって、アルテシアが叔母さんと会うことになったんです」

「それで、どうなったのです?」

 

 アルテシアと、パーバティの叔母が会ったのは、新学期の始まる日のこと。だが、その詳細をパチル姉妹は知らないのだ。叔母さんからの手紙はもらったし、アルテシアからも話を聞いてはいるのだが、それが全てではないと、パチル姉妹は思っていた。そのことを、正直に告げる。

 

「そうですか。事情は、よくわかりました。ですが、いまあなたに聞いた話とアルテシアから聞き出した話とを考え合わせると、感想は一言につきますね」

「ひとこと、ですか」

「そうです。つまりあなたたちは、悩まなくてもいいことに悩んでいるのです。わたしのような年齢ならいざしらず、若いあなたたちが、過去のことにとらわれる必要などないでしょう。ましてや、そのとき何があったのかはっきりしないのです。はっきりしているのは、あなたたちにはなんの責任もないということだけ」

「それは… そうなんですけど……」

 

 そんなこと、改めて言われなくてもわかっている。きっとパーバティはそう言いたかったのだろう。もともとパーバティは、母や叔母から何を言われてもアルテシアと友だちでいるつもりでいたのだ。だがパドマはそうではないし、アルテシアも過去のことをを気にしている。であるがゆえに、こうなってしまったのだ。

 

「でも、そんな簡単には割り切れないんです、先生。パドマも、アルテシアも、あたしも」

「そうかもしれませんね。ともあれミス・パチル。アルテシアは、あなたたちをずっと守っていくつもりなのです。その決意は変わらねど、もしものときにはどうするのか。そのあたりのことで宿題を出されているようです。おそらくはあなたの」

「叔母ですか。叔母が、アルテシアに何か言ったんですね」

 

 ここでマクゴナガルは、アルテシアに聞いたことを話して聞かせる。本当は、最初にこの話をするつもりだったのだが、少し遠回りとなってしまった。パーバティは、しずかにその話を聞いていた。

 

「解決策ではありませんが、あなたがアルテシアに分からせるのも、1つの方法だと思いますよ」

「どういうことですか」

「あなたが、頼りになるのだと示すことです。もしものとき、保護されるだけの存在というのは、あなたも望まないでしょう」

「それは、もちろんです」

「でしたら、そうすべきです。少しは状況もよくなるはずです」

 

 具体的にはどうしろというのか。パーバティの聞きたいのは、そこだろう。マクゴナガルも、そのことはわかっている。たとえば、と前置きした上で、言葉を続ける。

 

「アルテシアは、まだまだ魔法が苦手だといえるでしょう。あなたのほうが上なのですから、もしものときには頼っていいのだと示すのです。守られる存在なのではなく、2人は共に力を合わせていく存在なのだとわからせればいいのです」

 

 それはもちろん、杖を使っての魔法ということだろう。このときパーバティが思い出したのは、去年のハロウィーンの日のこと。学校内に入り込んだトロールを前にしたアルテシアは、浮遊呪文の使用をパーバティに訴えてきた。だがパーバティは、その意味に気づいたものの、出遅れた。ロンが、その呪文でトロールを倒したのだ。

 あのことが、あの件が、頼れない存在だとアルテシアに思わせたのかもしれない。そんなことを、パーバティは考えた。

 

 

  ※

 

 

 それから数日。パーバティは、マクゴナガルの提案のことを考えていた。ドラコを問い詰める計画のことは、すっかり忘れていたといってもいいだろう。そんなパーバティの目の前で、掲示板に羊皮紙が張り出される。すぐにちょっとした人だかりができるが、パーバティはその最前列に近いところで、その掲示をみつめる。

 

「『決闘クラブ』だって! 決闘の練習なら悪くないかもな」

「しかも今夜が、その1回目だぜ」

 

 シューマス・フィネガンとディーン・トーマスが、そんなことを話し合っている。ハリーとハーマイオニーが、その人だかりの中に顔を見せる。

 

「近々、役に立つかもしれないよ」

「え! スリザリンの怪物と決闘なんかできると思ってるの?」

 

 そのすぐ横で、ロンも興味津々で掲示を読んでいた。

 

「たしかに、役に立つかもしれない。僕たちも行こうよ」

 

 そんな声は、もちろんパーバティにも聞こえていただろう。パーバティは、しばらくの間、その掲示を見つめていた。

 そして、その夜。決闘クラブの開始時刻である8時、大広間には、ハリーたちやパーバティ、アルテシアなどのグリフィンドール生だけでなく、ドラコ・マルフォイなどのスリザリン生も来ていた。

 

「さあ、みなさん、集まって。みなさん、私がよく見えますか! 私の声が聞こえますか!」

 

 ギルデロイ・ロックハートが舞台に登場した。続いて、スネイプも。ロックハートが観衆に手を振り、「静粛に」と呼びかける。

 

「ダンブルドア校長先生から、この小さな決闘クラブを始めるお許しをいただきました。自らを護る必要が生じた万一の場合に備えて、みなさんをしっかり鍛え上げるためにです。近ごろの学校の状況を考えるに、きっとお役に立つでしょう」

 

 パラパラと、生徒たちから拍手が起こる。ロックハートは満面の笑みを振りまいた。

 

「では、助手のスネイプ先生をご紹介しましょう。訓練を始めるにあたり、模範演技をするのに協力していただきます」

 

 それから、魔法使いの決闘のやり方について説明がされ、いよいよ模範演技。そのようすを、パーバティは食い入るようにして見つめていた。

 

「1、2、3」 そんな合図の直後、スネイプが叫んだ。

 

「エクスペリアームス(Expelliarmus:武器よ去れ)」

 

 目も眩むような赤い光。スネイプの杖から出た光が、まっすぐにロックハートを襲う。次の瞬間には、舞台から吹っ飛び、後ろ向きに宙を飛んで壁に激突。スネイプの圧勝だったが、ロックハートは、よろめきながらも起き上がり、壇上へと戻ってくる。

 

「いや、さすがですね。ともあれ、模範演技はこれで十分でしょう。これからみなさんのところへいって、2人ずつ組にします。実際にやってもらいますよ。スネイプ先生、お手伝い願えますか」

 

 スネイプとロックハートは、生徒のなかを歩き、2人ずつの組を作っていく。やがて、スネイプがアルテシアのところへやってくる。

 

「ほう。ミス・クリミアーナ。おまえがここにいるとは思わなかったぞ」

「スネイプ先生。さきほどは、見事なお手本でした」

「相手に問題はあったが、役に立つ魔法だ。しっかりと覚えておけ。コツがあるのだ」

 

 スネイプは、少し早口ではあるが、ざっとこの魔法について説明する。そんなことをするスネイプなど、めったに見ることはできないだろう。そんな貴重なる講義を聞いたのは、アルテシアとその相手に指名されたパーバティの2人だけ。いかにも残念なことであった。

 他には、ネビルとジャスティンとが組となり、ハリー・ポッターは、スネイプによってマルフォイと組まされることになった。ハーマイオニーは、スリザリンの女子、ミリセント・ブルストロードが相手。

 

「では諸君、いいかね。相手と向かい合い、そして礼」

 

 ハリーとマルフォイは、わずかに頭を傾けただけ。ハーマイオニーはかすかに会釈をしたが、相手はそれを無視。アルテシアとパーバティは、それぞれちゃんと礼をした。

 

「杖を構えて! 3つ数えたら開始ですよ。1、2、3」

 

 ロックハートが声を張り上げた。その瞬間、大広間のあちこちで歓声があがった。

 ハリーとマルフォイは、互いに呪いをかけあって収拾がつかなくなっており、スネイプが、なんとかその呪いを終わらせた。ハーマイオニーのほうは、ミリセントからヘッドロックをかけられており、痛みで目に涙を浮かべている。これなどは、魔法使いの決闘とはいえないだろう。

 そんなこんなで、大広間中のあちこちで小さな騒動が起きていた。そんな状況なので、そのときアルテシアとパーバティがどうしていたかなど、誰も感心を寄せてはいなかったのだろう。もしかすると別の理由があるのかもしれないが、スネイプとロックハートの模範演技のようにして、パーバティの魔法がアルテシアをはじき飛ばしたことには、誰も気づかなかったようだ。

 

「さてさて、もう一度、決闘のやり方をご説明したほうがいいようですね。誰か、モデルになってくれる組はありますか?」

 

 そのロックハートの声に答えたのは、スネイプ。

 

「マルフォイとポッターがいいと思うが、どうかね?」

「それは名案! では、2人とも壇上に上がって」

 

 誰もが注目の、この戦い。スネイプがマルフォイの方に近づいて、何事かささやく。そのマルフォイがニヤリとしたことに、ハリーは不安を覚えたが、ロックハートが頼りになるはずもない。

 

「では、始めましょう。3つ数えたら開始ですよ。1、2、3」

 

 スネイプの耳打ちは、サーペンソーティア(Serpensortia:ヘビよ出よ)の呪文であったようだ。ヘビの出現に騒然となるなか、パーバティは、もう1人の女子生徒の力を借りて、アルテシアを抱きかかえるようにして大広間を後にしていた。

 

 

  ※

 

 

「わざと、なんでしょうけど、つまらないことをしたものですね。おかげで、早まってしまいました。それが、よかったのか悪かったのか、わたしにはわかりませんけど」

「あなたは誰? どうしてここに? なにをしてるの?」

 

 ここは、深夜の医務室。各寮では、誰もが眠りについているという時間だ。アルテシアも医務室のベッドで寝ていたのだが、誰かがいる気配に、目を開けたところである。

 

「アルテシア・ミル・クリミアーナさん、ですよね。わたしは、ルミアーナの者です」

「えっ!」

 

 あわててアルテシアは、体を起こす。

 

「お姿は、何度か拝見していますよ。離れたところからですけど」

「あなたは、ルミアーナ家の人なんですね? ルミアーナって、もしかして」

「はい、そうです。よかった、この名はまだ、あなたのなかにあるのですね。それとも、最近、なにかで知ったとか?」

「クリミアーナの系図のなかに、その名があります。クリミアーナに住んでいたのだと思いますが、いまはどちらに?」

 

 ルミアーナを名乗ったのは、体つきなど、ほぼアルテシアと同じくらいに見える少女だ。年も似たようなものなのだろう。ホグワーツの制服であるローブを着ている。たぶん1年生だろうとアルテシアは思った。どこか見覚えがあるような気はするのだが、はっきりとは思い出せなかった。

 

「敬語なしでいいですよ。あなたより年下ですしね」

「ああ、うん。ありがとう。すこしずつね」

「疑問なんですけど、パーバティ・パチルの魔法を防がなかったのはなぜです? あれがもっと危険な魔法だったなら、一晩医務室で過ごすくらいでは済まなかったかもしれないのに」

「まさか、見えてたの? 騒ぎにはしたくなかったから、それなりの処置をしたのに」

「たしかに。あのスネイプ先生も気づかなかったくらいですからね。でも、わたしには無駄ですよ。こんなわたしでも、ルミアーナの魔女ですからね」

「ああ、なるほど」

 

 この少女も、同じことができるのだ。ならば、その対処法も知っていておかしくはない。アルテシアは、そう考えた。だがそうなると、この少女はすでに魔法が使えるということになる。14歳くらいでそうなるのが普通なのだが、すいぶん早い。

 

「せっかくなので、いろいろお聞きしたいと思ってるんですけど」

「わたしも、聞きたいことがあります」

「でしょうね。一番気になるのは、名前を言ってはいけないあの人と魔法書のことなのでしょ? それとも、ルミアーナの過去について、でしょうか?」

「そうだわ、思い出した。わたし、あなたと前に会ってる。ダイアゴン横町のマダム・マルキンのお店で」

「はい。でもあのとき、あいさつするわけにはいかなかったんです。一緒にいたのは母ですよ」

 

 あれは、アルテシアが2年次の教科書を買いにダイアゴン横町を訪れたときのこと。マダム・マルキンの店を訪ねたとき、母親らしき女性と一緒に店に入ってきたのだ。あのときは、ほんのわずか同じ店の中にいただけで、会話もなかった。

 

「でも、どうしてルミアーナからホグワーツへ。ここの魔法とは、全然違うでしょう」

「同じ質問をあなたにするつもりだったんですけど。でも、いいです。先に答えますけど、あなたがホグワーツに入学したからですよ。そんなの、なにをいまさら、だと思うんですけどね」

「そうかな。役立つことはあると思うよ。変身術とかね。魔法史の授業も、大好きなんだけど」

 

 わざわざ深夜に人目を忍んでやってきた、この少女。どれくらいさかのぼればいいのかわからないが、過去に何らかの関係があったルミアーナ家の魔女であり、もしかすると、例のあの人に力を貸したかもしれない家の人物。そんな相手であるのに、それなりに話がはずむのがアルテシアには不思議だった。

 

「あと、正直に言えば、チャンスだったってこともありますね。正当なる血筋のお嬢さまが、クリミアーナの家をでたんですから、わたしにとっては、まさにチャンス到来なんですよ。おかげでこうして、話ができるじゃないですか」

「あの家にいたなら、会うつもりはなかったってこと?」

「というより、会えなかったでしょう。このことがなかったら、たぶんわたしは、あなたの存在すら知らぬまま大人になってました。知らなければ、何もないのと同じです。この学校にいるからこそ、会えるんです」

「そういうことなら、もっと早くに来てくれてもよかったんじゃない? 入学してからずいぶんたつよ」

 

 それができるのに、そうしなかった。もちろんそこには、ちゃんとした理由があるのだろう。その少女は、ここでにっこりと笑顔を見せた。

 

「あなたのことを調べていました。どんな人なのか、それが知りたかったんです。知らなければ、何もできません。あなたという人がわかるまでは、話もしないつもりでした」

「聞いてもいいよね、そのわけを」

「いいですけど、教えませんよ。本当はまだ、あなたと話をするつもりじゃなかったんですから。早くてもクリスマス休暇に実家に戻って母と話をしたあとくらいから。そうなるはずだったんです」

「じゃあ、ここに来ちゃダメじゃない。お母さまにしかられるんじゃないの。大丈夫?」

 

 言い方によっては、相手を怒らせてしまうことすらできそうなセリフだが、アルテシアのそれは、相手を心配してのものだった。

 

「それ、本気で言ってるんですか。あたしは、あなたの品定めをしていたんですよ。そのためにホグワーツに入学したとは思わないんですか。あなたがどの程度なのかを見るために、それを母に報告するために、そのためだけに入学したとは思わないんですか」

「もちろん、ありのままを見てもらってかまわないわ。隠そうとも思ってない。その結果、どんな評価をされたとしても、それはそれでいい。だってわたしは、クリミアーナの娘だから」

 

 いったい、その少女はどう思ったのか。表情に、ほとんど変化はない。強いて言うなら、唇の端が、少し動いたくらいか。

 

「わたし、これで寮に戻りますけど、最後に1つだけお知らせしておきます」

「何?」

「あなたがパーバティ・パチルのみごとな武装解除呪文を受け、気を失ったあとのことです。なにがあったのか、ご存じないと思うので」

「ああ、そうね。そういえば、パーバティはどうしてるかしら。また、心配かけちゃったな」

「そう思うんなら、あの魔法を防げばよかったのに。わざと受ける必要が、どこにあるんです?」

 

 その疑問に、アルテシアは答えなかった。軽く笑って見せただけ。ルミアーナの少女も、同じような笑顔を返す。

 

「まあ、いいです。ともかくあの後、ドラコ・マルフォイとハリー・ポッターが、全員の前でもう1度対決しました。ドラコ・マルフォイは、サーペンソーティアによってヘビを出現させました。ところがそのヘビが、生徒を襲おうとしたのです」

「それで、どうなったの?」

「ハリー・ポッターが、そのヘビをおとなしくさせました。ヘビ語によって」

「ヘビ語? ヘビの言葉ってことよね。それってまさか」

「そうです。ハリー・ポッターは、ヘビと話ができる。ご存じですか? スリザリン寮のシンボルがヘビなのは、サラザール・スリザリンが、ヘビと話ができたから」

 

 どうやらアルテシアは、返事ができなかったらしい。それとも、ルミアーナの少女がすぐに話を続けたから、返事しなかっただけなのか。

 

「スリザリンの継承者は、ハリー・ポッター。学校中に、そんなうわさがひろまっています。ハリー・ポッターはスリザリンの子孫。例の襲撃事件も、彼の仕業ではないのか、と」

「わたし、ちがうと思うな」

「さあ、どうなんでしょうか。クリミアーナの子孫が誰で、ルミアーナの子孫が誰か。この質問にならはっきりと答えが出せるんですけどね」

 

 2人が、顔を見合わせる。お互い、軽く笑みをみせたところで、ルミアーナの少女の姿が消えた。自分の部屋に戻ったのだろう。そういえば、どこの寮なのか聞かなかったなと、アルテシアは思った。

 だがそんなことは、いずれわかるだろう。それよりも、ハリーのことが気にかかる。彼はどうしているのだろう。それに、パーバティはちゃんと寝ているのだろうか。あの少女の言葉がよみがえる。よかれと思ってしたことだが、どうやら、決闘クラブでのことは失敗だったようだ。

 ベッドのなかでそんなことを思いつつ、アルテシアはゆっくりと目を閉じた。

 



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第28話 「スリザリンの継承者」

 一晩を医務室で過ごし、アルテシアは、ようやく寮へと戻ることを許された。マダム・ポンフリーの手をわずらわせるつもりなどなかったのだが、なぜか、こうなってしまったのだ。このことに、アルテシアは若干の疑問を感じていた。

 なぜ、手当をしてもらわねばならなかったのか。もちろん、それが必要かどうかの判断はマダム・ポンフリーがするのだから、そのことを問題視するつもりはない。気になっているのは、医務室で目を覚ましたということだ。それほど、パーバティの魔法に威力があったからなのだろうけれど、まさか気を失うとは思わなかった。模範演技のときのロックハート先生のように、その場で起き上がれるはずだったのだ。

 

(わたしが、弱すぎるんだろうな、きっと。制服にも、保護魔法が必要かもしれない)

 

 それにもっと、体力もつけないと。廊下を歩きながら、アルテシアは考える。ともあれ今回のことで、また心配事が増えてしまった。ハリー・ポッターのこと。パーバティのこと。そして、あの少女。だがもちろん、それが自分のせいであることを、アルテシアは自覚している。ただ思い悩むだけでは、心配事が解決することなどないからだ。そんなことは分かっているのだが、ではどうすればいいかとなると、答えは容易には導けない。それこそ、思い悩む必要があるだろう。だがもう、悩んでいられるときはすぎた。そんな気がしていた。

 さしあたっては、見舞いには来なかったパーバティが、いまどうしているのか。それが一番の気がかりであった。ハリーのことは、まだいいのだ。根拠のないうわさ話はいずれ消え去るしかないのだから、しばらく待てばいい。

 

(でも、本当にそうだったら)

 

 仮にハリーが、本当にスリザリンの後継者であったとすれば、もちろん話は変わってくる。だが、そんなことはないはずだと、アルテシアは思っている。もしそうなら、スリザリン寮に属することになっていたはずだと思うからだ。あの組み分けには、そういう意味合いはあったはずだと、アルテシアは思っている。あの組み分けは、人によって所要時間がまちまちだった。それには、そういう理由があったはずなのだ。

 

「アル!」

 

 突然、名前を呼ばれた。あの声と、呼び方。これは、パーバティだ。周囲を見回す。

 

「医務室に迎えに行くところだったの。昨日、マダム・ポンフリーがそう言ってたから」

「ありがとう、パーバティ。もう、平気よ。どこも痛いところはないし」

 

 そう返事をしつつ、パーバティのようすをうかがう。アルテシアを病室送りにした、そんなことを気に病んだりしているのではないか。もしそうなら、それは自分のせいであることを、正直に話してわびるしかない。よかれと思ってしたことなのだと。

 

「そう、よかったわ。まさか、あんなにうまくいくとは思わなかったの。でも、ホント、びっくりしたんだから」

「ごめん、いつも心配かけてばかりで。パーバティ、いろいろ教えてね」

 

 パーバティは、とても嬉しそうな顔をしていた。きっとなにか、話したいことがたくさんあるのだろう。そんな感じがした。

 

「スネイプ先生と話をしたの。あの娘は、アルのことだけど、あの娘は寝不足だったのだろうって」

「え? 寝不足」

「マダム・ポンフリーも、そう言ってたよ。一晩ゆっくり寝させれば大丈夫だから、朝、迎えに来なさいって。ただ寝てるだけだからって」

「あ、ああ。そうだね。うん、よく寝たのかも」

 

 なんだか、妙な話になっていた。おそらくは先生方が、うまくパーバティをなだめてくれたのだろう。実際は、深夜に訪問者があったりしたので、寝ていた時間は、いつもよりは少ないかもしれないのだけど。

 

「そうだ、パーバティ。医務室で思ったんだけど、制服のローブに保護魔法を」

「まって、アル。あたしに先に話をさせて。あたしはね、アルとほんとうの友だちになりたい。そう思ったから、決闘クラブで、絶対にアルに勝ちたかったんだ」

「わたしは、パーバティと友だちだよ。ホグワーツ特急で初めて会って、湖のところで一緒にボートに乗って。そのときからわたしは」

「ええ、そうよね。でもね、アル。これからは、いっしょに力を合わせていけるようになりたいの。アルは、あたしを守るって言ってくれた。とっても嬉しいことだけど、あたしもあなたを守るよ。協力しようよ。どちらか一方からだけ、なんてダメだと思う。そんなのは、やめようよ。それって、寂しいことだと思うよ」

「パーバティ」

 

 もしかすると、そういう考え方は、アルテシアのなかにはなかったのかもしれない。クリミアーナにとっては苦手な、というか欠けていた考え方なのだろう。アルテシアは、その目を大きく見開いてパーバティをみていた。

 

「覚えてる? ボートに乗るとき、泣いてたよね。あのときのアルは、あたしを頼ってくれてた。あのときのままでいいよ。いまだって、これからだって、そうしてくれていいんだよ。守ってくれるのは嬉しいよ。でも、一方通行じゃつまんないし、さびしいよ。それって、一緒じゃないと思うんだ。あたしは、アルと一緒にいたいんだから」

「うん。うん。そうだね。そうだよね」

 

 ぽろぽろと、こぼれ落ちる涙。なぜ、涙があふれてくるのか。なぜ、自分は泣いているのだろう。その理由はわからなかったが、1つだけ言えることは、パーバティが教えてくれたということだ。パーバティはいま、なにかとても大切なことを教えてくれたのだ。だから自分は泣いているのだろう。そしてそこにこそ、これまでずっと考えてきた答えがあるのだ。きっと、そうだ。

 アルテシアはそう思っていた。

 

 

  ※

 

 

 その日の天気は、大吹雪。その雪のため、マンドレイクに靴下をはかせ、マフラーを巻く作業をしなければならなくなった。この作業は、薬草学のスプラウト先生でなければできない厄介な作業であるらしい。なにしろいまは、マンドレイクを一刻も早く育てねばならないとき。マンドレイクが十分に育てば、薬をつくり、ミセス・ノリスやコリン・クリービーを蘇生させることができるのだ。

 そんなわけで、グリフィンドールとハッフルパフ合同の薬草学の授業は、休講となっていた。アルテシアは、ちょうどいい機会だとばかりに、図書館を訪れる。もちろん、パーバティも一緒だ。

 

「えっと、ヘビ語に関する本だよね? そんなのあるのかなぁ」

「知りたいのは、ヘビ語がどんなものなのかってことなの。実際に聞くことができればいいんだけど」

 

 それをハリーにお願いするのは、さすがにはばかられた。ハリーは、このことをかなり気にしているようなのだ。ロンやハーマイオニーがなだめてはいたが、あれでは、そのうち精神的にまいってしまうだろう。

 

「あたしも、そのときいなかったからね。ハーマイオニーには聞いてみた? ウィーズリーは?」

「まだ。あの2人は、ハリー・ポッターと話してたから。いまは、ハリーの相手をしてもらってたほうがいいと思うんだ」

「なるほどね。でも、ヘビ語なんて調べて、意味があるの?」

「ほんとは、秘密の部屋のことをなんとかしたいんだけどね。でも、こんな気持ちになれたのは、パーバティのおかげよ」

「どういうこと?」

 

 ヘビ語に関する本があるのかどうか、書架に並んだ本の背表紙にあるタイトルを目で追いながらの会話だ。

 

「わたし、優柔不断だよね。自分でもそう思うんだ。あれこれ悩んでるだけで、なんにも決められない。パーバティとのことだって、ナディアさんに言われたこととかずっと考えてて、ほかのこと、なんにもやれてなかったと思うんだ。でもパーバティのおかげで、決めることができた」

「そりゃ、よかったわね。けど、何を決めたのか言いなさいよ。ないしょ、なんてナシだからね」

「わかってるけど、クリミアーナの名にかけて、決めたことは絶対に守る。優柔不断でなかなか決められないけど、いったん決めたなら、絶対に守る。そのこと、パーバティに言っておきたいの。ありがとう、パーバティ」

「なんか、よくわかんないんだけど。けど、とりあえずこんなもんかな。言語関係の専門書らしきものが3冊と、動物に関する本が1冊。きっと、ヘビのことも載ってるでしょ」

 

 ほかにも、アルテシアがピックアップした本が3冊。それらをもって、閲覧用のテーブル席に移動しようとしたところで、数人の生徒が入ってくる。それまでは、アルテシアたち以外、誰もいなかったのだ。

 

「ハッフルパフの人たちだね。ま、向こうも休講だからね」

「そうだよね」

 

 そのハッフルパフ生は、アルテシアたちがいるのに気づかなかったらしい。話し声が途絶えることはなかった。

 

「じゃ、アーニー。あなたは、絶対にハリー・ポッターだっていうのね?」

 

 金髪を三つ編みにした女の子。その声が、はっきりと聞こえた。

 

「そうだよ、ハンナ。きっと、そうなんだ」

 

 その、少し太めの子がアーニーなのだろう。そのときアルテシアが、右手の人差し指と中指とで、自分たちの座るテーブルをノックでもするように、コツコツと2回。もちろんそれは、パーバティに気づかれる。

 

「アル、あんた、何かしたでしょ。だめだって、そっちの魔法は。マクゴナガルに怒られるよ」

「大丈夫よ。わたしたちを見えなくしただけだから。あの人たちの話、聞いておきたいの。きっと、役に立つ」

「趣味悪いわよ、盗み聞きなんて。あ、ごめん。そういうことなら、声、大きかったよね」

「ううん、それは大丈夫。普通に話しても問題ないよ」

 

 たしかに、そのアルテシアの声も、いつもどおりのものだった。声も聞こえなくしているのだろう。本のページをめくる音も、問題ないようだ。そんなわけで、アルテシアたちがいることに気づかないハッフルパフ生の話が続く。

 

「壁に書かれた言葉を覚えてるかい」

「『継承者の敵よ、気をつけよ』でしょ」

「そうだよ。きっとポッターは、フィルチとなんかあったんだ。だからフィルチの猫が襲われた。コリン・クリービーは、なにかとポッターの写真を撮りまくって、嫌がられてた。だから、クリービーはやられたんだ」

「でも、ポッターって、悪い人には見えないわ。それに『例のあの人』とのことはどうなるの?」

 

 どうやら、ハンナと呼ばれた少女は、納得できない様子。だがアーニーは、返事に困ったりはしなかった。

 

「たしかにポッターは『例のあの人』に襲われて生き残った。そのときなにがあったのかは誰にもわからないことだけど、あの人の呪いに打ち勝ったんだろ。そんなことができるのは、強力な『闇の魔法使い』だってことさ。スリザリンの継承者だから、そんなことができたのさ」

「でも、信じられないわ」

「いろんな事実が、あいつだと言ってるんだよ。よく考えてみなよ。ちゃんとつじつまはあうんだ」

「あたしが聞いた話では、スリザリンの継承者って、アルテシア・クリミアーナらしいわよ。そんなこと言ってる子がいるのよ」

 

 そのとき、アルテシアの手が止まった。それまでページをめくっていた手が、ピタリと。それはパーバティも同じであり、その目が、アルテシアに向けられる。

 

「あいつは、ちがうだろ。怪しいのはポッターだ」

「1年生の子が言うには、アルテシアの実家はすごい昔から続く魔女の家らしいの。でもこれまで、誰もホグワーツには入学していない。なのに突然、アルテシアが入学してきた」

「まさか、秘密の部屋を開けるためにってこと。でも、去年はなにもなかったでしょ。それは?」

「様子見してたってことかもな。でもあいつの魔法は、たいしたことないぞ。スリザリンの継承者って、もっとこう」

 

 ふいに、その声が途切れた。つられて、アルテシアとパーバティが視線を向ける。そこでは、ハッフルパフの生徒たちがまるで石にでもなったかのように、固まっていた。そこに、ハリー・ポッターが顔を見せたからだ。

 

「ぼく、ジャスティン・フィンチ・フレッチリーを探してるんだけど、どこにいるか知らないかい?」

 

 いったいハリーは、いつここに来たのか。話を聞いたのか。聞いたとしたら、どこから。これは、ハッフルパフの生徒だけでなく、アルテシアたちも知りたかっただろう。ハリーには、まったく気づいていなかったのだ。

 

「あ、あいつになんの用があるんだ?」

 

 アーニーの声は震えていた。ほかのハッフルパフ生からは、まったく声がない。

 

「決闘クラブでのヘビのことだよ。ぼくは、襲わせようとしたんじゃない。ヘビをおとなしくさせただけなんだ。そのこと、ジャスティンにわかってほしいんだよ」

「僕たちみんな、あの場にいたんだ。何が起こったのか、ちゃんと見ていた」

「だったら、ぼくが話しかけたあとで、ヘビがおとなしくなったのも見ただろ。襲わせたんじゃないことくらいわかるだろ」

 

 アーニーは、顔色を青くしながらも、言い返すのをやめなかった。

 

「僕が見たのは、キミが蛇語を話しているところだ。キミが、ヘビをジャスティンの方に追い立てたんだ」

「追いたてたりしてない! ヘビは、ジャスティンに触れることなくおとなしくなったじゃないか!」

 

 ハリーの声も震えていたが、こちらのほうは怒りやいらだちのせいなのだろう。

 

「僕の家系は、9代前までさかのぼれる魔女と魔法使いの家系だ。つまり僕は純血なんだ」

「だから、なんだよ。それがどうした。マグル生まれだから襲ってるっていうのか! 純血だから襲うなっていいたいのか!」

「キミは、一緒に暮らしているマグルを憎んでるんだろ。そう聞いたよ」

 

 興奮度も上がってきたのだろう。声が大きくなっていた。さすがにこの大きさでは、司書のマダム・ピンスが、気づかないはずはない。たちまちハリーは、図書館の外へと出されることになり、ハッフルパフの生徒たちも、マダム・ピンスからのお小言のあとで、図書館を後にすることとなった。

 残されたのは、アルテシアとパーバティ。お互い、顔を見合わせるだけ。何を言っていいのかわからなかったらしい。だが、いつまでもそうではなかった。最初に口を開いたのは、パーバティ。

 

「あんた、スリザリンの継承者だったんだね」

「あ、うん。ばれちゃったみたいだね」

 

 そう言い合って、クスクスと笑いあう。だがもちろん、笑いごとではない。アルテシアをスリザリンの継承者だとしている者がいるということなのだ。しかも、具体的な説明とともに。

 ハリー・ポッターのこともあるし、パーバティだって、疑いの目をむけられたことがある。このことはつまり、できるだけ早く真相を解明する必要があるということだ。2人は、そう思った。それが、無用な疑いを解く一番の近道になるのだから。

 

 

  ※

 

 

 図書館を出た2人は、ハグリッドに出会った。外は雪だからだろう、頭巾をかぶり、厚手のオーバーを着ているためか、廊下の幅いっぱいであり、その横を通り過ぎるのにも苦労しそうなほどだった。

 

「ハグリッドさん、こんにちは」

「おお、アルテシアじゃねえか。授業時間なのにこんなところにいるのは、おまえさんも休講ってことだな」

「そうなんです。でもよく知ってますね」

 

 ハグリッドの手袋をした大きな手には、ニワトリの死骸らしきものがあった。それに気づいたパーバティが、目をそむける。

 

「さっき、ハリーにあったからな。そこのお嬢ちゃん、これはな、狐の仕業か吸血お化けかは知らんが、ニワトリが襲われとるもんでな。校長に見せて、ニワトリ小屋の周りに魔法をかけるお許しをもらおうと思っちょる」

「そ、そうですか。でも、誰がそんなことを」

「それを知りたいのは、こっちも同じだ。ひどいことをしやがる」

 

 廊下ですれ違うのに苦労したが、ハグリッドとはそこで別れる。2人は、このまま寮に戻るつもりだった。だが、廊下を数匹のクモが、おそらくは全速力であろう速さで移動してくるのが目に入った。どうやら、この先にある階段を降りてきているらしい。次々と、クモが階段を降りてくる。小さなクモではない。普通に立っていても、床を這うクモがはっきりと見えるほどの大きさのクモが、何匹も階段を降りてくるのだ。

 

「なんだろう、これ。ぜったい、おかしいよね?」

「わからないけど、この階段を上がってもいいのかどうか、微妙だよね」

 

 この上で、なにかが起こっている。2人ともに、そう感じていた。階段を上がって確かめるべきであることも、わかっていた。でもその一歩が、なかなか踏み出せない。なにかしらの不可思議な空気が、その階段を上がらせてくれないのだ。言いしれぬ恐怖のような、まるで近づくな、とでも言われているような、そんなものが、2人の足を止めていた。

 それでも、その場から離れることはできなかった。この階段は、寮へと戻る最短のコースではない。そんな、妙な雰囲気を感じているのなら、廊下を戻って別の階段を上がればいいようなものだが、そうすることも、2人にはできなかった。それができていれば、すくなくとも、このあとの騒動に巻き込まれずにすんだかもしれないのだが。

 

「でも、行くよ。いいよねパーバティ」

「スリザリンの継承者としては、ほっとけないってところだね。わかった、つきあうよ」

「あはは、また、そういうことを。そうよ、スリザリンの継承者の言うことは聞きなさい」

 

 もちろん、冗談である。おかしな雰囲気を感じていたからこそ、気持ちを落ち着かせる意味での冗談だ。だが、それがまったく別の、第三者が聞いたとなれば、冗談では済まない。

 階段の中ほどまで上ったときだった。

 

「聞いたぞ。おまえがそうだったのか。また誰か、襲ったんじゃないだろうな」

 

 その声には聞き覚えがあった。さきほど、図書館でハリー・ポッターと口論をしていたアーニーとかいう男子生徒。みれば、あのときのハッフルパフの生徒たちが、そこにそろっていた。

 

「ち、ちがうよ。いまのは冗談だから」

「うるさい。この上の廊下になにもなければ、それを信じてもいい。けど、なにかあったら」

 

 勇敢にもアーニーは、アルテシアとパーバティの横をすり抜けるようにして、階段を駆け上った。ほかのハッフルパフの生徒たちも、その後に続く。そして、そこで起こっていたことを、みた。

 

「これは……」

 

 その廊下の先に、誰かが倒れていた。アーニーたちは、こわごわ近づいていく。倒れていたのは、ジャスティン・フィンチ・フレッチリー。そして、その横に、なぜかハリー・ポッターが、ほうけた様子で、かたわらに座り込んでいた。ジャスティンの向こう側には、ほとんど首無しニックが、ふわふわと宙に浮いていた。ニックもジャスティンも、その表情は同じ。なにか、とんでもなく恐ろしいものをみたときのような、そんな恐怖の色に染まっていた。そして、ハリー・ポッターは。

 そのハリーに、みんなの視線が集まろうとしたときだった。どこから来たのか、空中で一回転したビープズが、大声で叫んだ。

 

「襲われた! また襲われたぞ。生きてても死んでても、襲われる。みんな危ないぞ、逃げろ! おーそーわーれーたー!」

 

 そこにいる人には、とてつもない大声に聞こえただろう。そくざに近くの教室のドアが開き、授業を受けていた生徒たちが、ぞくぞくと廊下に出てくる。生徒だけではない、教師たちも。

 

「静かに。静かにしなさい」

 

 マクゴナガルも、そこにいた。声をからして自分の教室に戻るように命令するが、その通りにする生徒は少ない。現場から少し距離を置いて、取り囲むように居並んだ。だが、静かにはなった。誰もが、成り行きを注目しているのだ。

 

「先生、現行犯です。ハリー・ポッターは現場にいました。それに、自分がスリザリンの継承者だと白状したやつがいます」

 

 無視したわけではないのだろうが、マクゴナガルは、そう言ったアーニーのほうを見ようともしなかった。倒れているジャスティンと、そして首無しニックを調べている他の先生たちのようすをみている。だが調べるまでもなく、過去の事件と同じことが起こっているのはあきらかだった。

 

「これまでと同じですな。ひとまず、ジャスティンを医務室に連れて行きましょうぞ」

 

 フリットウィック先生の声。ジャスティンは、フリットウィック先生と天文学科のシニストラ先生が医務室へと運んだ。次なる問題はニックをどうするかだが、とりあえず、通行の支障とならないようなところへ移動させるしかないだろう。

 

「先生、わたしがサー・ニコラスを」

「そいつです、先生。自分がスリザリンの継承者だと、そう言ってました。ちゃんと聞きました」

「おだまりなさい」

 

 だが、マクゴナガルは厳しい口調でそう言った。その視線は、ビープズへ。ビープズは、上の方からニヤニヤと意地の悪そうな笑いを浮かべ、成り行きを見ていた。

 

「ビープズ、どこか、ほかのところへいきなさい」

 

 さすがのビープズも、ベーッと舌を出してみせるのは忘れなかったが、その姿を消すしかなかった。さて、この場をどうするか。しばし、マクゴナガルは考える。無意識だろうが、その視線がアルテシアにむけられる。

 

「先生、このことは、わたしに任せてくれませんか。しばらく時間をいただければ、必ず解決してみせます。お願いします」

 

 だがもちろん、マクゴナガルが同意するはずがない。ふらふらとハリーが立ち上がり、マクゴナガルのところへやってくる。

 

「先生、ぼくじゃありません。やったのは、ぼくじゃありません」

「いいえ、先生。犯人はそいつらだ。ハリーは現場にいたし、アルテシアは白状したんです」

 

 ほかにも、なにか言いたそうな数人の生徒を前に、マクゴナガルは途方に暮れた様子だった。

 

「わかりました。アーニー・マクミラン、ハリー・ポッター、アルテシア・クリミアーナ。3人は、わたしについてきなさい。詳しく話を聞きます」

 

 どこへ行くつもりなのか、マクゴナガルは3人を連れて歩き出す。当然のようにパーバティがついて行こうとしたが、それはマクゴナガルが明確に拒否した。

 




 週2回くらいを目標にしてますが、このところは1回が精一杯になってますね。
 それに。この欄にも書けてなかったし。秘密の部屋も中盤戦。これからどうなっていくのやら。ポリジュース薬は作らないことにしました。作ってもよかったんですけどね。
 ともあれ、アルテシアの悩みも、その1つが解決したようです。これで、行動がより積極的となることでしょう。
 これからも、どうぞよろしく。


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第29話 「ダンブルドアの提案」

 マクゴナガルによって連れてこられたのは、ダンブルドアの校長室。ここを訪れたのは、アルテシアは2度目だが、ハリーとアーニーは初めてだ。そこは、広くて美しい円形の部屋。テーブルの上には銀の道具が立ち並び、壁には歴代の校長先生の写真がかかっていた。大きな机もあり、その後ろにある棚には、見覚えのある三角帽子が載っていた。

 

「あれ、組み分け帽子だよね。いまかぶってみてもいいと思う?」

 

 そう言ったのは、アルテシア。この問いかけはハリーに対してのものだったのだが、答えはアーニーから返ってきた。

 

「それで、組み分けをやり直そうっていうのかい。なるほど、今度こそキミは、スリザリンなれるだろうね。でも、そんなことする必要はないんだ」

「どういうこと?」

「それはキミが、今回のことで退校処分になるからさ。ジャスティンを襲ったハリー・ポッターと一緒にね」

「違う。違うんだ。ぼくじゃないんだ」

 

 もちろん、ハリーは否定する。だがいま言い合ってみても、さほどの意味はない。ハリーが何をどう弁解しようとも、アーニーは納得しないだろうし、当然ハリーは、自分が犯人だなどと認めるはずがない。2人の主張が変わることはないのだ。だがどちらも、ダンブルドアがきて裁定が下されるであろうことはわかっているので、言い争いが長く続くようなことにはならなかった。

 それをみとどけ、アルテシアが組み分け帽子のほうへと歩いて行く。

 

「アルテシア、ほんとに帽子をかぶるつもりなのかい? ならそのあとで、ぼくにもかぶらせて」

「ねえ、ハリー。組分け帽子って、たぶんホグワーツ創立のころからあるんだと思うの。ということはこの帽子は、ホグワーツに入学した人全員と出会っているということでしょう。その全員は無理だとしても、目立った人のことは覚えてるんじゃないかしら。そう思わない?」

「それが、なんだ。それがどうした」

 

 アーニーの声だ。アルテシアが、アーニーのほうをみる。ハリーもだ。

 

「帽子は、誰のことだか知ってるんじゃないかしら。スリザリンの継承者だってはっきりとわからなかったとしても、スリザリンにすごく近い人とか、そんなことを感じた人はいたんじゃないかしら。あの帽子は、かぶった人の性格や資質、考え方なんかを読み取れるんだと思う。そうでなきゃ、組み分けなんてできないでしょ。誰がそうなのか、もしかすると気づいているのかも」

「そ、そうだね。たしかに、そうだ」

 

 だからもう一度かぶってみたいんだ、とハリーは自分だけに聞こえるような声でつぶやいた。組み分けのときハリーは、スリザリンはイヤだと、帽子に訴えている。もしそうしなかったなら、自分はスリザリン寮となっていたのかどうか。スリザリンとなるべきだったのか。ハリーは、それを組み分け帽子に確かめたいのだろう。

 

「もしかすると、スリザリンの継承者が誰なのかわかるかもしれないよ」

 

 だが、視線を向けられたアーニーからは、返事がない。ためらっているのか、視線をあちこちへとふらふらさせている。なるほど、この部屋には興味を引きそうなものがいくらでも置いてある。もちろん組み分け帽子もそのなかの1つだ。アーニーが何も言わないので、アルテシアは組み分け帽子へと手を伸ばした。

 

「やめなさい、アルテシア」

 

 声で制止したのは、マクゴナガル。ダンブルドアの姿もある。どうやら、さきほどアーニーが視線をふらふらさせていたのは、ダンブルドアがそこにいることに気づいたからであるらしい。ということは、少し前から、アルテシアたちの話を聞いていたということか。

 

「なに、どうしてもかぶりたいというのであればかまわんよ。じゃがいまは、今日の出来事についての話をしたいのじゃ。よろしいかな?」

 

 そのためにここへと連れてこられたのだから、否やのあろうはずがない。3人は、指示されるままにテーブルの前に座った。

 

「さて、おおまかにはマクゴナガル先生に聞いておるのじゃが、これ以上の事件は、なんとしても防ぎたいのでな。もう少し、話を聞かせてもらうよ」

 

 ダンブルドアも、アルテシアたちの向かい側に座った。マクゴナガルは、その少し後ろに立っている。

 

「アーニー・マクミランくんじゃな。キミは、ハリー・ポッターが生徒を襲うのを見たのじゃな」

「あ、ええと。実際に見たわけではありません」

「なんと、現行犯だと言ってたそうじゃが、そうではないのかね」

「その瞬間は見ていません。でもすぐあとで、見たんです。ハリー・ポッターは、現場にいました。それにアルテシア・クリミアーナは、自分がスリザリンの継承者だと言っていたのです。ぼく、ちゃんと聞きました」

「ふむ」

 

 そういうことであれば、判断はくだせない。それだけでは、犯人だとすることには無理がある。ダンブルドアは、そう説明した。それが彼の出した結論であった。

 

「そのように考えるべきなのじゃよ。疑わしいのは確かじゃが、ハリーの場合は、不幸にも偶然にその場に居合わせることとなったのかもしれん。あの場所にキミが先に着き、直後にハリーが来たのであれば、立場は逆じゃよ。わかるかね?」

「でも先生。ハリー・ポッターは、その少し前からジャスティンを探していたんです。それって、襲おうとしていたってことですよね」

「それとて、ハリーが犯人じゃと証明するには、ちと難しい。そうは思わんかね?」

 

 どうやらダンブルドアは、ハリー・ポッター犯人説には乗り気ではないらしい。事情を聞いているというよりは、アーニーを説得しようとしているようだ。そんなダンブルドアが相手では、アーニーも、自分の主張を押し通すことは難しい。

 

「わかりました、校長先生。とにかく、十分に注意したいと思います。ぼくは純血ですが、いつ襲われないとも限りませんから」

 

 ついにそう言ったのだが、そのときハリーとアルテシアを、じろりとにらみつけることは忘れなかった。すべて納得したわけではないのだろうが、これでアーニーは校長室から教室へと戻ることを許された。アーニーは、マクゴナガルに付き添われて校長室を出る。これで、残ったのはハリーとアルテシア。ダンブルドアは、まずハリーに言葉をかけた。

 

「ハリー、いちおう聞くが、キミが犯人ではないのじゃな」

「ぼくは襲ったりしていません。ぼくがあの廊下に来たときには、もうあの状態だったんです」

「ではお嬢さん、あなたはどうかね? スリザリンの継承者は自分だと言ったそうじゃが、なぜ、そんなことを?」

「あれは、たんなる冗談なんです、校長先生。パーバティと冗談でそんなことを言いあっていたのを、ハッフルパフの人たちに聞かれてしまったんです」

「なるほどの。まあ、キミがスリザリンと関係があろうとは思わんが、不用意であったことはたしかじゃな」

 

 もしこのあとでアルテシアが何も言わなければ、『2人ともこれからは十分に気をつけるように』と、そう言われるだけで済んでいたのかもしれない。ダンブルドアはそうするつもりだったようだが、話は、ここで終わりとはならなかった。

 

 

  ※

 

 

 校長室の扉の、室内側のほうに金色の止まり木があった。ハリーもアルテシアも、そこに鳥がいたことなど気づいていなかったが、その鳥が、ダンブルドアが難しそうな顔をして腕を組んだときにゲッゲッと妙な鳴き声をあげたのだ。なんの声かとアルテシアたちが振りむいたとき、その鳥が炎に包まれた。

 ハリーとアルテシアが、ほぼ同時に驚きを声をあげる。鳥は、またたく間に火の玉となっていく。

 

「先生、あれは…… どうなったんでしょうか」

「心配はいらんよ、ハリー。お嬢さんも、よくみておくといい。ちょうど今日が『燃焼日』だったのじゃよ」

 

 ダンブルドアにうながされ、ハリーとアルテシアが、その場へと近寄っていく。3人が見守る中、火の中から一声、鳴き声がした。そして次の瞬間には、跡形もなくなってしまい、ひとかたまりの灰だけが残った。

 

「不死鳥なのじゃよ。死ぬときが来ると炎となって燃え上がり、そして灰の中からよみがえる。もうそろそろじゃよ、見ててごらん」

 

 その言葉のとおり、ハリーとアルテシアが見ている前で、小さなくしゃくしゃの雛が、灰の中から頭を突き出した。

 

「名前は、フォークスじゃ。いつもは実に美しい鳥なのじゃよ。羽は見事な赤と金色をしておる。驚くほどの重い荷を運ぶことができるし、涙には癒しの力がある。ペットとしては実によい生き物なのじゃよ」

 

 不死鳥が、その身を炎で焼いて生まれ変わる瞬間に立ち会えることなど、めったにあるものではないはずだ。ハリーとアルテシアは、しばしフォークスに見とれた。だがもちろん、話の続きが残っている。

 

「さて、では席に戻ってくれるかの。もう少し話がしたい」

 

 雛のフォークスは、どれくらいで大きくなるのだろう。すぐに飛べるようになるのだろうか。そんなことを思いつつ、アルテシアは席に戻る。ハリーもだ。

 

「とはいっても、お嬢さんの考えを変えさせるのは容易ではなかろうな。じゃがもちろん、この件を解決したいと思っているのは同じでな。そこで提案なのじゃが」

 

 ダンブルドアは、一度ハリーを見たあとで、あらためてアルテシアの顔をのぞきこんだ。

 

「それぞれ、力をあわせたほうがいいと思うのじゃよ。個々にではなく、協力して解決する。そうするべきじゃと思うが、いかがかな?」

 

 だがアルテシアは、何も返事をしなかった。ダンブルドアの言いたいことがわかっているからだ。その言葉には、勝手に動くなという意味が含まれているのだ。報告と相談と、そして指示・実行。そんな手順を求められているのであり、それに同意するかを尋ねられているのに違いないのだ。そのことにアルテシアは、即答できなかった。それゆえの無言なのである。

 

「どうにかしたかね、お嬢さん」

「いえ、校長先生。先生のおっしゃりたいことはわかります。つまり、わたしに勝手なことはするなと、そういうことですよね」

「いやいや、そうではないよ、お嬢さん。力をあわせて解決しようと、そう言っておるのじゃよ」

 

 フォークスの燃焼による再生が起こる少し前、アルテシアは、ダンブルドアに宣言していた。もちろん、今回の一連のできごとについてである。その解決にむけて動き出すつもりなので、そのことを承知しておいてほしいと言ったのだ。他の生徒には気づかれないようにし、迷惑とならないように気をつけるとも言ったのである。

 そのときハリーは、そんなことを言わなければいいのに、とそんなことを思った。そして、自分なら絶対にそんなことは言わないだろうと考えた。勝手にやればいいだけのことだし、むしろ、知られていないほうが行動しやすいはずなのだ。なのに、わざわざ言う必要などどこにあるのか、というわけだ。

 だがもちろん、アルテシアにはアルテシアの考え方があってのことなのだろう。

 

「わかりました、先生。先生のおっしゃるとおりにします。ですが先生」

 

 結局、そう言うしかなかった。ここはホグワーツという学校なのであり、相手は校長先生なのだから。

 

「おお、それはありがたい。じゃが、まだ言いたいことがあるようじゃな」

「わたしとマクゴナガル先生とで、約束していることがあります。先生は、そのこと、ご存じなのでしょうか」

「ああ、例の魔法使用に関しての取り決めじゃな。聞いておるよ」

「そうですか。そのことも必ず守りますので、しばらくは自由にやらせていただけませんか」

「ふむ。まあ、そのことはこれから相談していくとしましょうぞ」

 

 やはりダンブルドアは制限をかけようとしているのだ、とアルテシアは思った。もちろん、無謀なことをさせないためにそうするのであり、危険なことから遠ざけるためだとわかってはいるのだが、クリミアーナの娘であるアルテシアにとっては、もどかしく感じるだけのことである。だが、教師と生徒という立場上、それは仕方のないことだと納得するしかなかった。マクゴナガルからも、何度となくそう言われているのだから。

 

「その相談ですが、校長室をお訪ねすればいいのでしょうか」

「そうじゃの。そうしてもらってかまわんが、お嬢さんの場合は、マクゴナガル先生でもかまわんよ。そのほうが話しやすいじゃろうしの」

「そうですか。では、そうさせていただきます」

 

 もちろん、マクゴナガルからはダンブルドアへと報告がされ、指示が返ってくることになるわけだ。二度手間ではあるが、間にマクゴナガルが入ることにより、報告と指示が、100%そのまま行き来するわけではなくなる。そこには、マクゴナガルの判断という、いわばフィルターがかかることになる。

 そのことをアルテシアは、良いことだと思っているし、ダンブルドアもそう考えているのだろう。そのダンブルドアが、ハリーに顔を向けた。

 

「さて、ハリー。キミも、力を貸してくれるのじゃろうな」

「あ、ええと。はい、それはもちろん」

「なによりじゃ。ところで、なにか言うておきたいことはあるかね?」

 

 だがハリーには、何を言ってよいかわからなかった。自分がジャスティンを襲っていないことを、ダンブルドアは承知してくれている。なので、言い訳は必要ない。あと、思いつくことと言えば。

 

「いいえ。先生、何もありません」

 

 だがハリーは、そう答えていた。

 

 

  ※

 

 

 ようやく校長室から解放されたアルテシアを待っていたのは、1人の少女。その場にはハリーもいたのだが、そのことは、少女にとって問題ではなかったらしい。気にするのなら、わざわざ顔を見せたりはしなかっただろう。

 

「校長室に連れて行かれたと聞いたものですから、心配になって来てみたのですよ」

 

 そう言って、ほほえむ。だが言葉どおりには、心配しているようにみえなかった。

 

「お気づきだとは思いますけど、スリザリンの継承者だとのうわさを流したのは、わたしですよ」

「でしょうね。そうだろうと思ってた。でもなぜ? そうじゃないって知ってるはずなのに」

 

 その少女は、いくぶんはにかんだ様子で、うつむいた。それだけを見ていると、少しは後悔しているようにもみえる。

 

「ちょっといいかい? キミは誰だい? アルテシアがスリザリンの継承者だって? どういうことなんだい?」

 

 おそらくハリーには、なにがどうなっているのか、さっぱりわからなかったのだろう。そのためか、いきなり疑問だらけの言葉でその少女に対する。だが少女は、返事をしなかった。ハリーには軽く頭を下げただけで、アルテシアを見た。

 

「あ、ごめんなさい。紹介するわ。この人は、ハリー・ポッター。たぶん、知ってるのよね?」

「そうですね。お名前だけは存じてます。魔法界では有名人ですからね」

「ハリー、あの人は、ルミアーナ家の人よ。わたしもずっと知らなかったんだけど、今年の新入生なの。決闘クラブがあった日の夜、医務室にお見舞いに来てくれたの」

「お見舞い? キミは入院してたのかい?」

「ええ、一晩だけね」

 

 そのことは、ほとんどの人が知らないのだ。もちろんハリーもそうなのであり、そのことを、アルテシアは忘れていたようだ。だがアルテシアは、そんなことは気にしない。すぐに話を続けた。

 

「あなたは、どこの寮になったの? グリフィンドールじゃないよね?」

「ええ、違います。どこの寮になるかは、賭けみたいなものでしたね。同じ寮になってしまえば、あなたのことを調べることができなくなる。あなたの本当の姿が見えなくなる。そう思っていましたから」

「その結果、わたしをスリザリンの継承者だと判断したんだとしたら、笑えない冗談だわ」

「すみません。こんなうわさがたったとき、あなたがどう対処するのか、それを見たかったんです」

 

 いったい、どういうことなのか。この少女は何が言いたいのか。あいかわらずハリーには、わからなかった。だが、このままほおっておけば、目の前で意味不明の会話がどんどんと進んでいくことになる。ハリーは、思い切って声をあげた。

 

「待ってくれ。まずキミの名前を教えてくれないか。ルミアーナ家の、なんていう人なんだい?」

 

 さすがに、ルミアーナの少女は驚いた顔でハリーをみた。それは、アルテシアも同様だった。

 

「わたしの名前が、それほど重要なのですか?」

「いいだろ、別に。ふつう、名前くらい聞くんじゃないか」

 

 たぶんハリーとしては、2人の会話に割り込むことさえできれば、話題はなんでもよかったのだろう。たまたまそれが、少女の名前だったというところか。

 

「まあ、いいです。でも、この人に聞こえるところで名前を言うのは、ちょっと怖いんですよね」

「なぜだい」

 

 この人とは、アルテシアのことだろう。アルテシアの前で名前が言えない。それはどういうことなのか。どうやらアルテシアにも、その意味はわからないようだ。

 

「ハリー・ポッターさんのご友人、ハーマイオニー・グレンジャーさんには、言ってあるんです。ホグワーツ特急で会ったときに。そのこと、聞いたことはありませんか?」

「ああ、ええと。わからないな。ぼくは、ホグワーツ特急には乗れなかったんだ」

「そうですか。まあ、いいです。わたしの名前はソフィア。ソフィア・ルミアーナです」

 

 ハリーに対してそう言いながらも、ちらちらとアルテシアをみているソフィア。だが言い終わるやいなや、その目は、しっかりとアルテシアへとむけられた。どう反応するのか、それを見逃すまいとでもするかのように。

 

「待って、ソフィアって言ったわよね。ソフィアでしょ、ソフィア」

「聞き覚えがありますか?」

「知ってる。知ってるわ。ソフィアなら知ってる。知ってるわ」

「ほんとですか。よかった。この名前も、あなたのなかにあるんですね。うわ、でもそうすると、どういうことになるんだろう」

 

 この展開を、どう理解すればよいのか。ハリーは、ますます混乱していた。わからないことだらけなのだ。アルテシアも、なにやら考え込んでいるようだ。

 

「説明してくれないか、ソフィア。わからないことだらけなんだよ。頼むから、わかるように説明して」

「いいえ。もうこれ以上は、わたしからは何も申し上げません。だって、あなたはハリー・ポッター。生き残った男の子なんでしょ。わたしなんかが、話をしてよい人ではありませんから」

「どういうことだ。キミは、何を言ってるんだ」

 

 ソフィアと名乗った少女の言い方は、ハリーをいらいらとさせるのに十分であった。案外ハリーは、こういうときには短気なほうなのかもしれない。だがソフィアは、そんなハリーのことなどどうでもいいとばかりに、アルテシアに近づいていく。

 

「わたし、これで失礼します。今度会うときは、どんな話ができるのでしょうか。ともあれ、また会いましょう。では」

 

 パッと、その少女の姿が消えた。もちろんそれを、ハリーは目撃した。いくらここが魔法学校であったとしても、いくら彼女が魔女であったとしても、あのようにして姿が消えていいはずがない。その光景は、ハリーには信じられないことだった。

 

「アルテシア、キミは説明してくれるよね? キミには、分かってるんだよね?」

 

 もしここでアルテシアに拒否されたなら、きっとハリーのストレスは、身体中からあふれ出していただろう。だが幸いにも、アルテシアは、首を横には振らなかった。

 

「ごめんなさいね、ハリー。わたしにもよくわからないところはあるんだけど、ルミアーナ家っていうのは、その昔、クリミアーナと関係があった家で、彼女は、その家の人なのよ。わたしの家の系図に、ルミアーナの名が記されていたわ」

「いや、ぼくが知りたいのはそういうことじゃなくて」

 

 結局のところ、ハリーが望んでいるのは、もっと具体的な説明なのだ。たとえばソフィアが、今回のことにどう関係しているのか。あるいは、なぜ無用なうわさをひろめたりしたのか。名前を言うのをためらったのは、なぜなのか。なぜ彼女は、それらをハリーに説明しなかったのか。

 そのことに気づいたアルテシアだったが、だからといって、くわしく説明することなどできなかった。アルテシアにも分かっていないことは多かったのだ。

 



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第30話 「チェックメイト」

 ハリー・ポッターは、急いでいた。このことを、誰かに話したくて仕方がなかったからだ。

 誰に? 何を? そんなことは決まっている。ハーマイオニーとロンだ。あの2人に話をして、なにか気の利いた返事でもしてもらわないと、きっとぼくは、おかしくなる。そんなことを思いつつ、ハリーは、寮の談話室をめざして廊下を走る。

 得てしてこういうときは、スネイプあたりに出くわして『廊下を走ってはいけない』などととがめられ、寮の得点を減らされたりするものだが、このときは、なんの邪魔もはいらなかった。

 もちろん到着した談話室では、ジャスティンと首無しニックが一度に襲われた事件のことが、あちこちでささやかれている。すでに死んでいるゴーストまでもが石にされたことで、生徒たちの不安感は増しているのだ。そのことはきっと、クリスマス休暇に実家へと戻る生徒の数にも影響を与えるのに違いない。おそらく今回は、いつもの年よりも多くなるのだろう。

 そんななか、ハリーは、ハーマイオニーとロンを見つけると、部屋の隅へと引っ張っていった。

 

「ああ、ハリー。ついさっき、マクゴナガルが来ていたわよ」

「なんだって」

「キミとアルテシアは、校長室にいたんだろ。でも2人が襲撃犯だってわけじゃない。誤解しないように。なんて言ってたな、たしか」

 

 ロンの声は、明るかった。そんな調子の声だった。そしてその声は、ハリーの耳に心地よく響く。どうやらマクゴナガルは、わざわざ談話室まで状況を説明しに来たらしい。それで少しは生徒たちも落ち着いたし、ハリーに対する視線もやらわいだのではないか。

 

「そんなことより、ハーマイオニー。キミ、ソフィアって1年生を知ってるだろ?」

「え? ソフィア。さあ、どうだったかしら。でもそれがどうしたの?」

「そいつは、ホグワーツ特急でキミと会ってるらしいんだ。しかもそいつ、アルテシアの親戚かなにからしい」

「え、そうなの。親戚?」

 

 いや、そうじゃないとハリーは、首を振る。あのとき、親戚だなどとは言ってなかったはずだ。

 

「違う。そうじゃなくて、なにかの知り合いらしいんだ。けどソフィアって、なんかおかしいんだよ」

「おかしいって、どういうことだい?」

 

 そこでハリーは、ソフィアと会ったときのことを話して聞かせる。その場にはアルテシアもいたのだが、そのことも含めてだ。

 

「たしかに、妙なところはあるわね。でもきっと、アルテシアがなにか知ってるはずよ。それに、その魔法だけど」

 

 そう言ったのはハーマイオニーだが、その言葉は、そこでふいに途切れることとなった。そこにパーバティが来たからだ。

 

「ポッター、ちょっといい? アルテシアはどうしたの? 一緒に戻ってきたんじゃないの? まさか、まだ校長室だとか」

「ああ、あいつは、マクゴナガルのところだよ。これからのことを相談するとか言ってたけど」

「そうなんだ。けどよかったね。疑いは晴れたんでしょ。あたしたちが襲撃犯だなんて、とんでもないわ」

 

 だが、ハリーとロン、そしてハーマイオニーは、その言葉に乗ってはこない。パーバティが来るまでに話していたことのほうに、興味があるからだ。すぐにも、その話を続けたいのだろう。べつにパーバティに聞かれても問題ないはずなのだが、3人とも、話そうとはしなかった。

 

「どうしたの、みんな」

 

 さすがに、おかしな空気を感じたようだ。ハリーたちとしては、ここで話をやめてどこかへ行ってほしかったのだろうが、パーバティは、それならばと話題を変えてきた。

 

「クリスマス休暇は、みんな、どうするの? あたしはアルテシアのところに行くことになってるの」

「え! パーバティ、それ、ほんとなの。クリミアーナに行くの?」

 

 この話題は、ハーマイオニーの好奇心をみごとに刺激したらしい。

 

「うん。もう、アルと約束した。休暇中は、ずっとクリミアーナよ」

「うわ、あたしも行きたい。休暇中ずっとはムリだけど、あたしの家からはそう遠くないはずだから、帰りに寄ることはできるはずよ。パーバティ、あたしも行くわ」

「ええと、それならアルテシアにお願いしてみてもいいけど、本気なのよね?」

「もちろんよ。出発はいつ? どうやっていくの? ああ、そうか。ホグワーツ特急に乗るのは同じよね」

 

 興奮しているのは、ハーマイオニー1人だけ。そのことに笑ったロンを、ハーマイオニーがにらみつける。

 

「なによ、失礼ね」

「キミ、言ってることムチャクチャだぞ。まずアルテシアに話をしてOKをもらってからだろ、喜ぶのは」

「大丈夫よ。パーバティが行けるんだから、あたしも行っていいのに決まってる。ああ、今から楽しみだわ」

「せいぜい、断られないように祈ってやるよ」

 

 ハーマイオニーの鋭い視線が、またもロンにむけられる。この目は怖い、怖すぎる。そんな視線を向けられたのが自分でないことに、ハリーはあきらかにほっとした様子だし、パーバティのほうは、こんな雰囲気はまずいと思ったのだろう。ふたたび話題を変えた。

 

「そうそう、ハーマイオニー。さっきなんだけど、マルフォイに聞いてみたよ」

「え? なにを?」

「スリザリンの継承者のこと。アルテシアがそうじゃないかってことで、校長室に連れて行かれたでしょ。これはマズイと思って、マルフォイを問い詰めたのよ」

「それで? それでどうなったの」

 

 この話題には、ハリーたち3人ともが、大乗り気だった。最初からこの話をすればよかったと、パーバティは苦笑い。

 

「結果から言うと、スリザリンの継承者はマルフォイじゃないわ。じゃあ誰なのかも、マルフォイは知らないみたい」

「ウソだ。一番怪しいのはあいつだ。違うとしても、何か知ってるはずなんだ」

「そうだよ、パーバティ。キミは、あいつにからかわれたんだよ。そう簡単に本当のことを言うもんか」

「そうかもしれないけど、あたし、マルフォイにアルテシアが校長室に連れて行かれたこと、話したのよ。スリザリンの継承者だと疑われたからだって話したの」

 

 そんなことを言ってもよかったのかどうか。ハリーとロンは、そんな疑問を持ったが、ハーマイオニーは、なるほどとばかりに2度ほどうなづいてみせた。

 

「それ、いい考えね。ドラコは、なぜかアルテシアには好意的なのよ。みんなもそう思うでしょ。そのアルテシアの疑いを晴らすために誰がスリザリンの継承者なのか教えてくれって言ったのなら」

「そう。まさにそうなんだけど、マルフォイは、誰が継承者なのか知ってたならすぐにもダンブルドアに証言するけど、残念ながら知らないんだって」

「あいつが、そう言ったのか」

「そうよ、ウィーズリー。ウソなんかじゃないと思う。マルフォイは、アルテシアのことでウソなんか言わないわ」

「さあ、それはどうだかな。けど、あいつが知らないとなると、もう手がかりがないぜ。どうすりゃいいんだ」

 

 両手を広げ、お手上げといった感じのポーズを見せる、ロン。だが、パーバティの話には、まだ続きがあった。

 

「そうでもないわよ、ウィーズリー。マルフォイは、いくつか教えてくれたわ。知ってる? 秘密の部屋は、50年前にも開かれたことがあるらしい。そのときは、女子生徒が1人犠牲になってるそうよ」

「犠牲にって、死んだってことか? 石になったんじゃないのか?」

「死んでるそうよ。思うんだけど、石になってるのはなにか幸運なことがあったからで、本当なら死んでたはずなんじゃないかしら」

「待って、パーバティ。それ、ドラコが言ったの? 石になったのは幸運だってドラコが言ったの?」

「いいえ。あたしがそう思っただけなんだけど」

 

 それってきっと、解決のためのヒントになる。ハーマイオニーは、そう断言した。

 

 

  ※

 

 

「パルマさん、ただいま」

「おかえりなさいまし、アルテシアさま。お元気そうでなによりです。おやおや、お友だちがご一緒なんですね」

 

 クリミアーナ家の玄関に飛び込んでの、アルテシアの第一声がそれだった。その声に、玄関へとやってきたパルマが答える。アルテシアの後ろには、一緒にクリミアーナへとやってきたパーバティとハーマイオニーがいた。

 

「こんにちは。あの、よろしくお願いします。パーバティ・パチルです。去年は妹がお世話になりました」

「あらま、もちろん覚えてますけども、違う人なんですか。あたしゃ、おんなじ人かと」

 

 くすくすと、アルテシアが笑う。実に楽しそうに、パーバティをパルマに紹介する。

 

「あのね、パルマさん。この人は、パドマのお姉さんのパーバティ。双子だって話したでしょう」

「そりゃあ、覚えてますけどね。けどね、アルテシアお嬢さま。どこが違うんです? 違うとこなんて、ねぇでしょうに。同じ人なんでしょう。あたしをからかうおつもりなんですね」

「違うってば。そっくりなだけよ。それからこっちが、ハーマイオニー・グレンジャー。ホグワーツの寮では同じ部屋なのよ」

「おぅ、そうですか。かしこそうなお嬢ちゃんですね。さあ、みなさん。とりあえず、中へどうぞ。お疲れになったでしょう。さあさあ、どうぞ」

 

 通されたのは、応接室。そこでハーマイオニーとパーバティは、一息つく。やがて、パルマがお盆に飲み物を載せて、やってくる。

 

「アルテシアさまは、着替えてからくるそうです。少しお待ちくださいね」

「はい。ありがとうございます」

 

 2人の前に、その飲み物が置かれる。2人は軽く頭を下げたが、パドマは、そのままじっと、パーバティを見ていた。

 

「あの、なにか?」

「ああ、いいえ。すみませんね、どうしても、去年の人と同じに見えてしまって。でも、違うんですよねぇ」

「ええと、双子なので。よく、そっくりだと言われますけど」

「でしょうねぇ。けどアルテシアさまは、どうやって区別してなさるんですかねぇ。こればっかりは、あたしにはわからねぇですよ」

 

 そう言って部屋を出ようとしたのだが、ハーマイオニーが呼び止める。

 

「すみません、ちょっとだけ、いいですか」

「いいですよ。なんですかね?」

「アルテシアって、パーバティとパドマをちゃんと見分けているんでしょうか。あたしは、正直言って、外見だけだとわかりません。話し方とか、声とかで判断してるんですけど」

「そうなの、ハーマイオニー。ちゃんとわかってるんだと思ってた」

 

 だが、そうではなかったらしい。無言で2人が並んでいたとき、どちらがパーバティかを見分けることができる確率は50%だと、ハーマイオニーは自慢げに言った。それには、パルマも笑い声をあげた。

 

「ごめんなさいね。でもアルテシアさまは、ちゃんと見分けてなさいますよ。たぶん出会った人の全員を覚えていなさると思いますね。お母上もそうでしたけど、クリミアーナ家の人には、そういうところがあるみたいですね」

「そ、そうなんですか」

 

 思わず驚きの声をあげたところで、アルテシアが応接室へと戻ってきた。学校のものとは違う、クリミアーナの白いローブに着替えている。

 

「なんの話? ずいぶん楽しそうだけど」

「あ、あのね、アル。わたしとパドマが2人で並んで座っていたとするでしょ。いまは、隣にハーマイオニーがいるけど」

「え? なにそれ。それがどうしたの?」

「そのとき、どっちがあたしで、どっちがパドマかを見分けることができる確率は、どれくらいかしら?」

 

 いったい何を言っているのか。その表情からは、まったくの意味不明であることは読み取れるが、それでも返事をした。

 

「どんな答えを期待してるのか知らないけど、100%に決まってるでしょ。どっちがどっちかなんて、ひと目見れば十分よ。あ、なるほど。ほんとは顔を隠してるんだよとか、そういう引っかけ問題なのね」

「ううん、違う。そうだよね、100%に決まってるよね」

 

 相変わらず訳のわからないアルテシアだが、それでも2人の前に座った。

 

「部屋は、どうする? 一緒でも、別々でも、お好きなように用意ができるけど?」

 

 いろいろ相談の結果、それぞれが個室でということになった。ホグワーツではいつも寮で同じ部屋に寝起きしているとあって、こんなときぐらいは別々で、ということになったのである。

 

 

  ※

 

 

「おはよう、アル。早いね、あたしも早起きしたつもりだったんだけど」

「あ、おはよう、パーバティ。どう? よく眠れた?」

 

 出会ったのは、クリミアーナ家の中央をつらぬく廊下。この左側に、パーバティが泊まった部屋がある。アルテシアの部屋は右奥だ。

 

「うん、ぐっすり寝たよ。ハーマイオニーは?」

「まだ寝てるんじゃないかな。朝ご飯は、どうする? すぐに用意できるけど」

「ありがとう、もちろんいただくけど、アルテシアはもう済んだの?」

「ううん、まだ。そのまえに散歩に行くつもりだったけど、一緒に食べようか」

 

 そう言って食堂のほうへ行こうとしたのだが、パーバティが引きとめる。

 

「散歩に行こうよ。森とか、案内してよ。パドマが言ってたけど、アルは毎朝、散歩してるんでしょ。おじゃまじゃなかったら、一緒に行きたい」

「ほんと! 一緒に行ってくれるの?」

 

 そこまで喜ぶとは、パーバティも意外だったようだが、ともあれハーマイオニーもまだ寝ているのだからと、連れだって散歩に出た2人であった。

 そんな調子で始まったクリスマス休暇も数日が過ぎた。アルテシアとパーバティは、いつも一緒にいて話をしていた。これまでのことや、これからのこと。なかでも『秘密の部屋』に関することは、念入りに話を積み重ねていった。

 そのときハーマイオニーはどうしていたかというと。

 

「ずっと書斎から出てこないんだけど、大丈夫なのかなぁ」

 

 パーバティが心配しているのは、実家に帰らなくてもよいのか、という点である。そもそも、このクリミアーナ家の訪問は、ハーマイオニーにとっては、突然の話であったはずなのだ。自分でも、せいぜい数日の寄り道だと言っていたくらいなのだから。

 

「あの調子だと、学校始まるまで出てこないんじゃないのかなぁ」

「始まっても、あのままだったりしてね」

「あはは、ありえるよね。でも、アルはいいの? あそこには、クリミアーナ家の大切な本があるんでしょ。魔法書とかさ」

「そうだけど、平気だよ。ほんとうに好きな人に読んでもらえるんなら、本も喜ぶんじゃないかな」

 

 それはそうだろうが、ハーマイオニーのそれは、やりすぎの感があった。なにしろ、部屋を出てこないのである。しかたがないので、食事もパルマがお盆に載せて持って行き、夜には布団を運んだりもしているのだ。いったい、トイレはどうしているのだろう。書斎にトイレはないし、アルテシアとパーバティは、ハーマイオニーがトイレに行くところを1度も見たことがない。

 

「アルは、書斎の本は全部読んだの? って、そんなわけないか。あんなにあるんだもんね」

「そうでもないよ。ほとんどは読んでると思うよ」

「へぇ、そりゃすごいや。ハーマイオニーもそうなりそうな気がする。きっと、全部読むまで出てこないよ、あれは」

 

 そのパーバティの心配は現実化するのかどうか。アルテシアたちがそんな心配をしているころ、ホグワーツのグリフィンドール寮の談話室では、ハリーとロンが、チェスで対戦しながら話をしていた。

 

「いまごろ、アルテシアたちはどうしてるかなぁ。来年は、ぼくらも行けるかなぁ」

「クリミアーナ家にかい? そうだな、行ってみたいよな」

 

 チェスの腕は、ロンのほうが上だ。なのでハリーは連戦連敗なのだが、さしあたってすることもないのか、チェスを続けていた。

 

「なあ、ロン。アルテシアって、どこかおかしいって思わないか」

「おかしい? アルテシアがか。どんなふうに?」

「どこがってわけじゃないんだけど、よく考えてみると、やっぱりおかしいって思うんだ」

「たとえば、どんなことだい?」

 

 盤上では、ちょうどハリーのナイトが、ロンのビショップにとられたところだ。

 

「ドラコと親しいだろ。いや、親しいってほどでもないんだけど、普通に話ができてる。ドラコのやつが悪口言わないのは、アルテシアだけだ」

「そうだけど、それはドラコのほうの問題だろ。アルテシアは、誰とだって普通に話すぜ」

「魔法にしても、最初は使えなかったのに、使えるようになったじゃないか」

「ああ。でもそれは、勉強したからだろ。けど、そんなに上手だとは思えないな。ぼくの杖がまともだったなら、ぼくのほうがうまいと思うぜ」

 

 ロンの杖は、ウィーズリーおじさんの車で空を飛んでホグワーツへ来たときの騒動で折れてしまっていた。だがその杖がまともだったしても、ロンよりはアルテシアのほうが魔法はうまいんじゃないか。ハリーは、そう思っていた。もちろん、口にはだせないことけれど。

 

「ぼく、あれがわざとだったとしたらって考えてみたんだ」

「どういうことだい。わざと使えないふりをしていたって? なんのために? ぼくはそんなこと考えたこともないけどな」

「ぼくもだ。ぼくだってそんなこと思ってもいないんだけど、もしそうならって考えてみたんだ」

「それ、考える意味なんてないだろ。それで、どうなったんだい」

 

 それはハリーも自覚していたらしい。というか、思ってもいなかったことを考えるのは難しかったようだ。

 

「よくわからなかったんだ。こういうことは、ハーマイオニーが考えるべきだと思ったよ」

「だろうな。けどキミ、それはつまり、アルテシアはわざとじゃなかった。そういうことになるんじゃないか。そうだろ」

「そうだよ。そして、こう思ったんだ。あいつは、なぜ魔法が使えないのにホグワーツに来たんだろうって」

「ああ、それはたしかに不思議だな。けど、学校が許可したからだろ。それにあいつは、何代も続く魔女の家系だぜ」

 

 もちろんそれを、ハリーも否定したりはしない。でも、気になるのは仕方がない。

 

「ドビーのこともあるんだ。ドビーが危険だって言ってたのは、秘密の部屋のことだろ。たしかにいま、危険なことになってる。そのドビーが、アルテシアには近づくなって言ったんだぞ」

「ああ、そうだったな」

「思うんだけど、ドラコは純血主義だ。それって、家が闇の魔法使いだったからだろ。父親は死喰い人だったんだ」

 

 もちろんそれは、ロンも知っていた。だが、そんなことはいまさらだ。改めて言うことじゃない。ロンはそう思っているので、何も言わずにハリーを見ただけだ。

 

「クリミアーナは、どうなんだって思ったんだ。何代も続く魔女の家系なんだろ。その魔女たちが闇の側だったとしたらって」

「なんだって」

「だからドビーは、近づくなって言ったんじゃないかな。ドビーは、そのことを知ってるんだよ」

「いや、だからって」

「ドラコは、間違いなく家の影響を受けてる。じゃあ、アルテシアは? どうなんだろう」

 

 アルテシアは、いいやつだ。ハリーは、そう思っている。そのことを疑うつもりはないのだが、いろんなことを考えているうちに、こんな考えに行き着いてしまったのだ。それにもちろん、自分がヘビ語を話せるということがある。コリンやジャスティンを襲ったりはしていないが、自分だってもしかすると、闇の側となにかの関係があるかもしれないのだ。

 

「仮に家がどうだろうと、ぼくなら、気にしないな。だって、アルテシアは、いいやつじゃないか。ハーマイオニーも言ってたけど、あいつには世話になってる。なにかよっぼどの証拠でもない限り、疑う気にはなれないよ」

「それは、ぼくだってそうなんだ。でも、気になるんだ。なんだか、マルフォイたちのほうに近いって思わないか」

「思わないって、言ってるだろ。それにハーマイオニーは、とっくにそんなことは考えてると思うぜ」

「え?」

 

 ロンの言うことが、すぐには飲み込めなかったらしい。ロンが、すぐに言葉を続ける。

 

「いいか、ハリー。ハーマイオニーがいま、どこにいると思う? クリミアーナだぞ」

「そんなこと、知ってるさ」

「ぼくらが考えつくことくらい、ハーマイオニーなら、とっくに考えついるはずだろ。だからハーマイオニーは、クリミアーナに行ったんだ。クリミアーナがどんなところかを調べるのは、きっと図書館に行くよりも、直接クリミアーナ家に行ったほうがてっとりばやいんだ。そうは思わないか」

「なるほど。たしかにそうだ」

「だろ。さっき、キミは自分で言ったじゃないか」

 

 何を言ったっけ? そんな表情となったハリーに、ロンが笑いかける。

 

「こういうことは、ハーマイオニーが考えるべきなんだ。ぼくらにわからないことは、あいつが考えればいいんだよ」

「それは、そうだけど」

「いま、ハーマイオニーはクリミアーナだ。続きは、あいつが帰ってきてからでいいさ。いまのぼくらには、待つことも必要なんだ」

 

 なかなか、うまいことを言う。ハリーは、そう思わずにはいられなかった。ロンが人差し指を立て、それをハリーに示した。

 

「ハリー、1つ言っておくけど」

「なんだい」

「次の一手で、ぼくの勝ちだぞ。チェックメイトだ」

 



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第31話 「ソフィアからの課題」

 この部屋には、自分1人だけしかいないはずだった。いや、現実に誰かがいるわけではないのだ。部屋を見回してみても、自分以外には誰もいない。たぶん、うたた寝でもしていて、寝ぼけたのだろう。このところ、集中して本を読みすぎたせいだ。

 あくびをひとつ。そして大きく伸びをしながら、ハーマイオニーは、そう考えた。いったいいまは、何時ごろなんだろう。

 学校の図書館ほどではないが、十分に広い部屋。そして、そこにあるたくさんの本。量のほうは、さすがに学校の図書館の方が多いような気がするが、内容については、ひけをとらない。ハーマイオニーは、そう思っていた。

 

(こんなところだったなんて)

 

 大きめのテーブルには、いすが6脚。閲覧用だと思われるテーブルの上には、本が山積みとなっていた。もちろんハーマイオニーが積み上げたものである。読むために本棚から持ってきたものだけでなく、読み終わって本棚へ戻さねばならないものなど、ごちゃ混ぜだ。それらを見て、改めて部屋中を見回す。

 部屋のドアが開く音は、聞いていない。そんな音はしなかったはずだ。だから、自分以外の誰かがこの部屋にいるはずはないのだ。なのに、その誰かが部屋の中を歩いていた。うとうとしていたのは確かだが、そんな気配を感じたのだ。

 

(だれもいないんだけどね)

 

 いなくて当然なのだ。だから、いくら見回しても誰かの姿はない。目に入るのは、壁一面の本棚と、そこに収められた書籍の数々。それらをみて、ハーマイオニーはため息をついた。

 

(残念だけど、とても全部は読めそうにないわ。もう、学校も始まるだろうし)

 

 結局ハーマイオニーは、実家には帰らず休暇中をずっとクリミアーナ家で、いやこの部屋で過ごしていた。そのためか、今日が何日なのか正確なところがハーマイオニーには、わからなくなっていた。この部屋に閉じこもってばかりいたからだが、2~3日前から、もうそんな頃であってもおかしくはないとは思っていた。

 

(アルテシアは、きっとこの本を全部読んでいるのよね。もの知りなはずだわ)

 

 アルテシアは、生まれたときからずっと、これだけの本に囲まれて生活してきたのだ。なんとうらやましい環境だろう。ゆっくりと目を閉じる。そして、ハーマイオニーは考える。アルテシアは、すべて読んでいるのだ。だから、あんなにもいろいろと知っているのだ。

 そのとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。顔を上げる。今度は、ちゃんと音が聞こえた。ややあって、ドアが開かれる。

 

「アルテシアだよね?」

「ええ、そうよ。本は、たくさん読めた? そろそろ夕食にしようかと思ってるんだけど、食堂に来ない?」

 

 顔を見せたのは、アルテシア。いつもどおりのにこやかな表情のまま、部屋の中に入ってくる。

 

「ああ、そうね。ねぇ、アルテシア。あなたは、いまここに来たのよね?」

「そうだけど? ああ、またなにか変な質問してわたしを困らせようっていうのね」

「違う、そういうんじゃないわ。ついさっきだけど、この部屋に誰かがいたような気がしたのよ。誰かはわからなかったんだけど」

 

 ああ、なんだそんなことか。そのときのアルテシアからは、そんな声が聞こえてきそうだった。少しも気にしたようすはない。

 

「そんなの、気にしなくていいわ。わたしは経験したことないけど、同じ思いをした人は何人かいるわよ。それよりハーマイオニー、明日のことなんだけど」

「いいえ、アルテシア。見過ごせないわ。この家には、あなたとパーバティとパルマさんがいるだけなのよね?」

「そうだけど、いまパルマさんは台所よ。パーバティはそれを手伝ってるし、わたしはあなたを呼びに来たところ。それで、ほかになにか疑問はある?」

 

 アルテシアの表情は、ほとんど変わらない。入ってきたときのままで、ハーマイオニーのとなりに座る。そのいすにも数冊の本が置いてあったのだが、それはアルテシアが手に取り、抱え込んだ。

 

「でもほんとうなのよ、アルテシア。たしかにあたし、誰かがいるって思ったんだから」

「それが誰なのか。あえて言うのなら、この家かもね」

「え? あなた、何を言ってるの」

「クリミアーナには、不思議がつきもの。このへんの住民なら、誰もがそう言って納得してくれてるんだけど、ここではときどき、不思議なことが起こるらしいんだ」

「どういうことなの?」

 

 その疑問は、もっとも。それゆえかアルテシアも、二度ほどうなづいてみせた。

 

「この家には、いろんな魔法がかけられているわ。あなたが経験したことは、そのためなんだと思う。たまにこの家では、なにか不思議なことが起こるのよ。わたしの勉強不足ではっきりとしたことは説明できないんだけど、危険なことには絶対にならないから心配しないで。それだけは断言できるわ」

「家に魔法って、それってどういうことなの」

「クリミアーナのご先祖によるものなんだけど、ほとんどが保護魔法だと思うんだ。だからこの家を壊すことなんて誰にもできないし、火をつけることだって不可能。なかにいる人の安全は守られる。たとえば侵入者を防ぐ魔法なんかもかけてあるから、簡単には家の中に入ってこれないしね」

「じゃあ、あたしが誰かいるって感じたのは? あれもそのためなの?」

「そうだと思うよ。たぶんあなたのようすを見に来たんじゃないかしら。これもクリミアーナの不思議ってことで納得してくれると助かるんだけど」

 

 本ばかり読んでいるハーマイオニーを心配してのことだとする、そんな説明で納得したのかどうか。ハーマイオニーの表情を見ている限りでは、どうやらいまひとつといった感じなのだが、アルテシアにしてもこれ以上の説明となると、まだわかっていないことも多く、難しいのだ。

 

「ごめんね、ハーマイオニー。ちゃんと説明できなくて」

「ああ、いいのよアルテシア。でも、すごく不思議な気分だわ。本ばかり読んでて気づかなかったんだとしたら、もったいないことしたってところかな」

「どういうこと?」

 

 笑って答えず。ハーマイオニーは、笑顔を見せただけで、席を立った。そして、とことこと歩き、あの魔法書を収めてある書棚の前に。

 

「この本が、魔法書なんだよね。読んでもいい?」

「え?」

「さすがにこの本は、あんたに断ってからのほうがいいだろうと思ったから、まだ見てないのよ。ね、いいでしょ?」

 

 これにはアルテシアも、返事に困った。なにしろ、明日から学校なのだ。明日はホグワーツ特急に乗らなければならない。なのでこの書斎から連れ出す必要があるのだ。だから、あまり興味を引くようなことはしたくない。さて、どうするか。

 アルテシアも、その書棚の前に歩いていく。そして、一冊を手に取った。

 

「明日から学校だよ、ハーマイオニー。今夜はゆっくり寝たほうがいいと思うんだけどな」

「ああ、やっぱりね。そろそろ、そんなころなんじゃないかとは思ってたんだけど」

「パーバティは、きっと忘れてるよって言ってたわよ。でも、覚えてたんだね」

「そりゃあね。でも、あと1週間、せめて10日くらいはここにいたいわね」

 

 それが1カ月であっても、ハーマイオニーは歓迎しただろう。だがそんなことはできないと、ハーマイオニーもわかっているらしい。そのことに一安心のアルテシアは、手に持った本を開いてみせた。魔法書は何冊かあるのだが、いま開いているのは、アルテシアが3歳のときから読んでいた本である。すぐにハーマイオニーが、のぞき込む。だがマクゴナガルのときと同じく、ハーマイオニーにも、そこに何が書いてあるのかはわからないようだ。

 

 

  ※

 

 

 休暇が終わり、学校に生徒たちが戻ってきた。アルテシアとパーバティは、無事にハーマイオニーを学校に連れてくることができて、ほっとした様子である。ただハーマイオニーは、学校に着くなりロンとハリーがどこかへ引っ張っていってしまったので、いまここにはいない。誰もが夕食のため、大広間へと向かっているときだというのに、3人でどこかへ行ってしまったのだ。

 食べてからにすればいいのにと、アルテシアはパーバティとそんなことを話しながら大広間へと向かっていた。そこへ。

 

「すこし、お時間いただけますか」

 

 アルテシアたちの前に顔を見せたのは、ソフィア・ルミアーナだった。アルテシアのクリミアーナ家とは、何らかの縁があるはずのルミアーナ家だが、アルテシアには、その詳しいところはなにもわかっていない。だがソフィアのほうはどうなのだろう。ルミアーナ家には、なにか伝えられていることがあるだろうか。ソフィアは、そのあたりのことを何か知っているのだろうか。

 今度ソフィアに会ったなら、そのことを聞いてみたかった。知っているのなら、そろそろ教えてくれてもいいころだろうと、アルテシアは思っていた。そんなことも考えていたところであり、ちょうどいい機会ではあっただろう。だが。

 

「まことに申し訳ありませんが、パチルさんは席をはずして欲しいんですけど」

「え? ああ、いいけど」

 

 パーバティはそう言ったのだが、アルテシアは承知しなかった。

 

「そういうことなら、またの機会にするわ。いまはパーバティと夕食に大広間へ行くところだから」

「それは承知していますけど、そこをなんとか、お願いできませんか。早めにお耳にお入れしたいこともあるものですから」

「いいよ、アル。あたしは先に行ってるから、話をしてきなよ。あんたがいつも気にしてることがわかるかもしれないよ」

「でも、パーバティ」

「いいからいいから。じゃあ、先に行ってるね」

 

 パーバティは、そう言って足早に行ってしまったのである。こうなれば、もうこうなるしかない。

 

「すみません。空き教室までご一緒願います」

 

 その言葉が終わった瞬間、アルテシアはどこかの教室のなかにいた。たぶんソフィアの仕業だ。アルテシアはそう思った。魔法による転送。事前にイメージしていたのには違いないが、こんなに鮮やかな転送ができるとは、ソフィアの魔法もなかなかのものだと思わずにはいられない。

 

「それで、話というのはなに?」

 

 パーバティのことがあったからか、いくぶんいらついてるようだ。そんな口調のアルテシアを、ソフィアはめずらしいものでもみるかのように見ていた。

 

「大きくわけて2つあるんです。でも、ちょっとすねたりもされるんですね。意外というか、新鮮な感じがします」

「そんなことはいいから、話をすすめて」

「ええ、それはもちろん。じゃあ1つめですけど、休暇中に家に戻り、母に報告をしたんです。でも母にも、よくわからないようでした。なので休暇の間、なんどか相談をしました。結果だけを言うなら、判断はわたしに任されました。わたしが決めてもいいということです」

「何を決めるの? わたしのことを報告したんでしょうけど、なにかわからないことがあるのなら、なんでも聞いて。できるかぎり説明はさせてもらうわよ」

 

 その返事に、ソフィアは笑顔をみせた。満足できるような返事だったのだろう。

 

「そうですね。いずれは、そうさせていただくかもしれません。ですがいまは、わたしなりの方法で。ともあれ、2つめのことを話させてもらいます。夕食のこともあるので、あまり長話にはしたくありません」

「どうぞ」

「どこから手に入れたものかは知りませんが、それは、グリフィンドールの寮生が持っていました」

「え?」

「ですので、別のグリフィンドールの人が持っていったとしても仕方ないのかな、とは思うんです」

「もう少し、詳しく説明して」

「はい」

 

 いまのこの2人の関係を、どのように表現すればいいのだろう。互いに相手のことをどう思っているのか。少なくとも、出会ったころと同じ印象のままではないはずだ。なにかしら変化をしているであろうことがこの会話からも感じ取れはするのだが、さて、それぞれはどう思っているのだろう。

 それはともかく、ソフィアがわざわざアルテシアのところへこのようなことを言いに来たのには、なにか目的があるはずなのだ。もちろんアルテシアも、そのあたりのことは気になっている。ソフィアの印象も変わってきてはいるのだが、なんとかその目的を聞き出さなければと、そんなことも考えていた。

 

「3階の女子トイレ。以前に猫が襲われた事件がありましたが、そのすぐそばにあるトイレです。もちろんご存じですよね?」

「ええ、場所は知ってるけど、それがどうしたの?」

「そこのトイレを利用したことは?」

「なかったと思うけど」

 

 2人の身長は、ほぼ同じくらいだろうか。体格的にもほぼ同じように見えるのだが、1学年上であるアルテシアのほうが、小柄だと言えるのかもしれない。

 

「嘆きのマートルのことはご存じですか?」

「いいえ、知らないわ」

「いま言ったトイレに住んでいるゴーストの呼び名なのですが、このゴーストがいるため、あのトイレはほとんど利用されていないんです。そのトイレでのことです」

「まって。マートルはどうしてトイレなんかでゴーストに?」

「その件は、いまは、はぶかせてください。いずれはおわかりになると思いますから」

 

 それを知らないからなのか、それとも、教えるつもりはないのか。どちらにしろ、これから話そうとしていることには、直接の関係はないのだろう。

 

「人が寄りつかないので、目につかない。捨て場所にはちょうどいい。あるいは、すぐにも手放したい。その人は、そう考えたんでしょう。トイレに流してしまったのですが、そこにはマートルがいた。自分へのいじめであると思ったマートルは、その本を外へと押し戻してしまったのです。おかげで床は水浸し」

「本を?」

「本というより、ノートでしょうか。黒い表紙の、薄い小さなノートです。床から拾いあげたのは、ハリー・ポッター」

「え! ハリーがそれを」

「そうです。ハリー・ポッターが持って行ってしまいました」

 

 

  ※

 

 

 大広間では、夕食の真っ最中。アルテシアは、グリフィンドールのテーブルへと歩きつつ、後ろを振り返った。そういえば、いまだにソフィアの所属寮を聞いていないのだ。なので彼女がどこのテーブルに座るのかを見ていようと思ったのだが、その姿が見当たらない。一緒に大広間まで来たのだが、どこに行ったのか。

 各寮のテーブルをじっくりと見てまわりでもしないかぎり、食事のときに大広間で探すのは難しいようだ。いやそれよりも、各寮の知り合いにでも聞いてみるほうがてっとりばやいかも。スリザリンならダフネ、レイブンクローならパドマがいる。ハッフルパフにはそんな知り合いはいないのだが、ダフネとパドマにさえ聞けば大丈夫だ。2人とも知らなければ、ソフィアはハッフルパフということになる。

 もちろん本人に聞けばいいことなのだが、ソフィアと会っているときは、他の話にかまけて聞くのを忘れてしまうのだ。

 

「アル、早く食べないと夕食時間終わっちゃうよ」

「あ、うん。すぐ行く」

 

 ソフィアとはそれなりに話し込んでしまったので、夕食の時間も後半の後半くらいになっていた。だがまだ、十分に食べ物は残っている。

 

「ソフィアだっけ、あの子。何を言いに来たの?」

「課題をだされたっていう感じかなぁ。そんなこと言われなくても、なんとかしようとは思ってたんだけどね」

「課題って、まさか、襲撃事件のことでなの?」

「うん。とにかく秘密の部屋は閉じておかないとね。いろいろ危なそうだし」

 

 まさに、課題であった。だが、なぜそんなことを言われなければならないのか。ソフィアは、なぜあんなことを言うのか。

 そういう思いは当然のようにある。仮にソフィアが何も言わなかったとしても、アルテシアは、あの件をほおってはおかなかっただろう。そんなこととは関係なくアルテシアは、なんとかしようと考えていたのだ。休暇中にも、パーバティとそんな話をしていたのである。

 ソフィアは、母親から判断を任された、と言っていた。それが何を意味し、どういう意図があるのかまではわからないが、おそらく今回のことは、ソフィアが判断材料を得ようとしてのことなのだろう。食事をしながら、アルテシアはソフィアの話を思い返していた。ソフィアは、襲撃犯が誰なのかを知っているらしいのだ。

 

『それが誰かは、お教えしません』

 

 だがソフィアは、教えてはくれなかった。ハリー・ポッターもそれを知らないのだから、というのが理由だ。そのうえで、この事態にアルテシアがどう対処するのか、それを見させてもらうのだという。

 

『いろいろと、言いたいことはおありだと思います。でもわたしも、母を納得させねばなりません』

 

 もちろん、その目的は何なのかと聞いてみた。それに対しての、ソフィアの答えがこれだ。結局のところ、ソフィアからはこれといった情報は提供されない。ただ、状況の説明がされるだけ。そのうえであなたはどう行動するのか、それをみせてもらうと、そういうことなのだ。

 この場合、どうすることがソフィアの意にかなうのか。解決か、それとも、さらなる混乱か。そのどちらであるにせよ、ソフィアがそれを口にすることはないのだろうし、アルテシアも自分の考えを変えるつもりはない。ソフィアが何を思い、どんな判断をしようが、アルテシアは、アルテシアの思うがままに行動するだろう。

 

『あの黒い表紙の本には、なにか秘密がありますよ。妙なものを感じます』

 

 ソフィアによれば『見守っていた』ということになるのだが、アルテシアの普段の行動を見ていたとき、その“なにか”を感じたのだという。おかしな“なにか”はあの本から感じるのであり、持ち主がおかしな行動をしているのに気づくまで、しばらくの時間を要した。そしてついに襲わせているところを目撃したのだという。襲って、ではない。襲わせて、だ。

 

『なんとか、防ぐことはできなかったの?』

『なにしろ、あっという間のことでしたので。事前に何が起こるのかを知っていたなら、対処のしようもあったのでしょうけど』

 

 ジャスティンと首なしニックとが襲われたときのことだ。なにしろ、突然のことで対処のしようがなかった。だが予備知識を得た今ならば、違った結果を導ける。ソフィアの言うのは、そういうことだった。

 予備知識ゼロでは対処は難しいのだと、自分でそう言っておきながらも、ソフィアはそのとき何が起こったのかをアルテシアに話そうとはしなかった。ハリーにも、このことは教えないつもりだという。

 ハリーが入手した本については、ソフィアも実際に手にしたわけではないので、詳しいことはわからないらしい。だが、おかしな“なにか”は確かに感じるので、なにか秘密が隠されているのは間違いない。そこからさまざま情報は得られるはずだが、はたしてハリーが、その秘密を解き明かせるのかどうか。

 

「アル、どうしたの? どうやら、心配ごとが増えたみたいだね」

「ううん、そんなことないよ。とにかく秘密の部屋は閉じないと。危ないものは、ほおってはおけないもの」

「そうだね。あたしも手伝うからね。約束したよね」

「うん」

 

 パーバティとは、なんでも相談することにしている。お互いに力をあわせていくことにしているのだ。考えてみればパーバティは、いろいろなことを知っている。魔法書のこともそうだし、クリミアーナの魔法もそうだ。何度かパーバティの前でその魔法を使ったことがあるし、クリミアーナ家にも連れていき、墓地で先祖にも紹介した。すでに、よきパートナーなのだ。

 そういえばダンブルドアとも“相談”をしていくことになっている。パーバティとは違い、こちらのほうは報告と指示、そして行動制限が主となるものだ。約束なので仕方がないが、すべては話せない。ソフィアのことも含め、言えない部分はあるのだ。なので、ダンブルドアも認めてくれたように、話をするのはマクゴナガルが相手となるだろう。

 当然、マクゴナガルに話したことはダンブルドアへと伝わることになるのだが、100%そのままということはないとアルテシアは思っている。マクゴナガルが、うまく加減してくれるはずなのだ。そしてそれを、ダンブルドアも承知しているはず。

 

「寮に戻ろう、パーバティ」

 

 最後にかぼちゃジュースを飲み干して、アルテシアは席を立った。だが、すぐに行動開始というわけにはいかない。そのまえにマクゴナガルと話しておかねばならないからだ。それからダンブルドアへと話が行き、またマクゴナガルを介して戻ってくる。それを待たねばならない。

 もどかしいことには違いないが、アルテシアには、マクゴナガルを無視しようという考えはない。面倒ではあるが、省略しようとは考えない。それがダンブルドアの指示だったことは知っているが、魔法界へと誘ってくれたのはマクゴナガル。なにかと世話をしてくれたのはマクゴナガルなのだ。

 大広間を出る。

 そこでは、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人組が、アルテシアを待っていた。

 

「ちょっといい、アルテシア。大事な話があるの。一緒に来てほしいんだけど」

 

 3人ともに、少し緊張気味であるのか、どこか引きつったような顔をしていた。

 



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第32話 「スネイプの微笑み」

 これまでにも何度か入り込んだことのある、空き教室。そこでアルテシアたち2人組と、ハーマイオニーたち3人組とが、顔を合わせる。もちろん友だちどうしであり、普段から話もしているのだが、このときばかりはふたつに分かれ、反発しあっているといったふうにみえる。

 その原因は、ハーマイオニーだ。いつもとはほど遠い、厳しい顔つき。いまにも怒り出しそうな、そんなハーマイオニーに、アルテシアたちだけではなく、その後ろに立っているハリーやロンも、気後れしているようなのだ。

 

「どうしたの、ハーマイオニー。顔がこわいよ」

 

 わざとパーバティが、そんなことを言ってみる。だが、場の雰囲気がなごむことはなかった。ハーマイオニーの表情は変わらない。

 

「怖かったら、寮にもどっていればいいでしょ。話があるのはアルテシアだから」

「ちょっと。その言い方は気に入らないわ。言い直してくれる?」

 

 そんな、いらだちまぎれに言い返すパーバティも、めったに見られるものではない。少なくともアルテシアには、見覚えはなかった。このままでは、ほんとうにケンカとなってしまう。あわてて、パーバティを押しとどめる。

 

「待って。ちょっと落ち着こう。ええっと、わたしに話があるんだよね。なに?」

 

 とにかく話を先に進めようとしたアルテシアだが、それをパーバティが止めた。

 

「ごめん、アル。もう落ち着いたから。でも、ちょっと待ってくれる? ハーマイオニーもいいよね?」

 

 言いながら、出入り口のほうへと歩いて行く。

 

「パーバティ、寮に行くの?」

「ああ、違うよアル。戻るとしたら、あんたと一緒だから」

 

 ガラッと音を立て、ドアを開く。そして、その外側に視線を向ける。ややあって満足したのか、ドアを閉めて戻ってくる。

 

「前にね、盗み聞きされてたことがあってさ。一応、用心のためにね。大丈夫みたい。お待たせ、ハーマイオニー。話を進めて」

「盗み聞きって、誰がそんなことを?」

「わかんない。あのときは、逃げ出す後ろ姿を見ただけ。それもちらっとしか見えなかった」

「でも、そんなことをしていた誰かがいたってことよね」

 

 いったい、誰が。皆がそう思う中、アルテシアは1人の少女のことを思い浮かべた。ソフィアのことだ。そんなことをしたのは、ソフィアではないのか。だがその考えには、違和感が残る。パーバティは、その後ろ姿を見たと言ったのだ。そんな失敗をするものだろうか。気づかれずに済むような、そんな対策をほどこすのではないだろうか。

 

「じゃあ、話を進めるわ。アルテシアに質問があるの。全部きちんと答えてちょうだい」

「それは無茶よ。答えられないことだってあると思うわ、きっと」

「パーバティは、黙ってて。ああ、もう。なんであなたが怒ってるのよ。怒ってるよね? でも、怒りたいのはこっちのほうなのよ」

 

 それは、パーバティにとっては意外な言葉であったのだろう。不機嫌そうな顔から急転したパーバティの、その問いかけたそうな表情に対し、ハーマイオニーは質問を待たずに答える。

 

「学校に戻ってくるなり、この2人がなんて言ったと思う?」

「そんなの、わかるわけないでしょ」

「あたしはね、ハリーたちの言ったことで、こんな考えにとりつかれてしまった自分に腹を立てているのよ」

「だから、それはどういうことなの?」

 

 話をしているのは、もっぱらハーマイオニーとパーバティ。アルテシアとハリーたちは、その成り行きを聞いている。

 

「そんなこと、ハリーに言われるまで気づきもしなかった。ハリーと同じことを知ってたのに、そんなこと考えもしなかった。そんな自分に腹が立つって言ってるのよ」

「ハーマイオニーともあろう人が、なによ。それじゃ、何を言いたいのか全然わからない。もう少し、わかるように話してくれない?」

「ぼくが言うよ。いいだろ、ハーマイオニー」

「いいえ、だめよ。これはあたしとアルテシアとの問題なの。とっても大切なことだから」

 

 2人だけではなく、みんなの問題だと思うのだが、これでハリーは、何も言えなくなってしまう。ロンもどこか不安げにしているのだが、口を挟むようなことはしなかった。

 

「だからアルテシアには、ぜひとも答えてほしい。全部、正直に、隠さずに」

「わかった、ハーマイオニー。それで、何に答えればいいの? あなたは何を考えたの?」

「もちろん、聞かせてもらうわ。あなたの家、つまりクリミアーナ家のことよ。たしか、古くから続く魔女の家系だって言ってたよね」

 

 もはや、パーバティも邪魔はできない。だがパーバティは、アルテシアの少し前の立ち位置を変えようとはしなかった。話によっては、すぐにも止めるつもりなのだろう。

 

「誤解しないでほしいんだけど、あなたがそうだとは言ってない。でも、歴代のクリミアーナ家の魔女は闇の魔法に関わっていたんじゃないかってこと。そういう事実はあるの?」

「ごめん、ハーマイオニー。そういう質問には答えられない。ご先祖がどんな魔法を使ったのかなんて、さすがにそれは」

「わからないというのね」

「ええ。記録が残っているご先祖もいるけど、全ての人のものは残されていないのよ」

 

 アルテシアの言う記録とは、つまり魔法書のことである。クリミアーナの魔法書は、クリミアーナ家の魔女が、自身の得た知識、その魔法力のすべてを詰め込んで作るもの。すなわち、その魔女の記録と言えるものなのだ。

 

「それ、ヘンだと思わない? クリミアーナ家は歴史のある家だし、全部読んだわけじゃないけど、あの図書館みたいな部屋にはあんなにたくさんの本があったのに、クリミアーナのことが書かれた本は1冊もなかった。あってもいいはずよ」

「そうだけど、ないものはしょうがないでしょ。アルテシアのせいじゃないわ」

「そんなこと、わかってるわ。でもね、パーバティ。クリミアーナのことを書いた本はあるのよ。あたし、1度だけ見たことあるんだから」

「だから、それがなんなのよ。いったい何がいいたいわけ?」

 

 結局、パーバティとハーマイオニーの言い合いとなってしまうのは、どういうわけなのか。だが今度は、さっきのようにはならなかった。すぐにハーマイオニーが話を続けたからだ。

 

「じゃあ、ズバリと言うわ。魔法書のことよ。アルテシアは、魔法が使えなかったわよね」

「でも、使えるようになったでしょ」

「そうよね。でもそれは、魔法書を学んだから。そうよね、アルテシア」

「そうだけど、それが問題なの? 魔法書のなにが問題なの?」

 

 いったい、ハーマイオニーに何を言われるのか。さすがにアルテシアも、不安な気持ちが隠せない。

 

「たしか、3歳のときからずっと魔法書を学んでいるのよね。そう言ってたよね」

「ええ、それで間違いないわ」

「あたしが心配しているのは、クリミアーナ家では、魔法書で魔法を学ぶということよ。アルテシアはホグワーツに入学したけど、クリミアーナ家の人たちは、これまで誰もホグワーツで学んだりしていない。ということはつまり、その人たちは魔法書でしか、魔法を学んだことがない。そうよね、アルテシア」

「そういうことになると思うけど」

 

 ハーマイオニーが何を言いたいのか、まだアルテシアには分からなかった。もちろん、クリミアーナに生まれた娘が魔法書で学ぶのは事実だ。もしあのときマクゴナガルがクリミアーナ家を訪ねて来なければ、アルテシアはホグワーツには入学しなかっただろう。そしていまも、魔法の勉強の場は、クリミアーナ家の書斎に限られていはずなのだ。

 

「もし、もしもよ。あなたの魔法書に闇の側の教えが書かれていたとしたら。そしたらあなたは、知らずに闇の魔法を学んでいることになる。それが魔法書に書かれていれば、そうなるわけでしょ。あたしが気づいたのは、そこなのよ。ハリーも、そのことが気になったんだと思うわ」

「え! ぼくが、なんだって……」

 

 ここで自分の名前が出てくるとは思っていなかったのだろう。そんな声と、表情。ロンも、同じ顔をしてハーマイオニーを見ている。

 

「そういう前提で考えてみると、いくつかのことが、うまく説明できるのよ。たとえば、ドラコ・マルフォイ」

「ドラコ?」

「そうよ。ドラコは、あなたにはふつうに話をするわよね。あたしたちみたいに憎まれ口を言うことなんてないでしょ。なぜだろうって思ってた」

 

 ここで何かを言うべきかもしれないが、アルテシアは何も言わずにハーマイオニーを見ていた。その顔からは、笑みは消えている。その手がパーバティの方へと動き、ローブをつかんだ。

 

「ドラコのマルフォイ家は、例のあの人の部下だったそうよ。つまり、闇の陣営に荷担していた。ドラコにも、その影響はあるでしょうね。どこかでクリミアーナの名前を聞いてたんだとしたら、説明ができると思わない?」

 

 ここでハーマイオニーは、ハリーへと目をむけた。ハリーがハーマイオニーに指摘した点は、もう1つあるのだ。

 

「ドビーっていうハウスエルフがいるの。ホグワーツで秘密の部屋が開かれるって予言をしたんだけど、そのドビーが言ったのよ。クリミアーナに近づいてはいけない。離れていなければいけないって」

「そんな話、初めて聞いたわ」

 

 返事をしたのは、パーバティ。初めてと言ったのは、もちろんドビーに関する話のことだろう。アルテシアは、表情を固くしたままで、パーバティのローブを握りしめている。

 

「ずっと、その意味は分からなかったの。でもそれだって、説明がつくわ」

「どういうふうに? あたしにはわからないわ」

「過去には、クリミアーナの魔女が闇の魔法に関わっていたからよ。そう考えれば、ドビーたちが近づかないようにしていたことも納得できるでしょ。それに気になることはまだあるわ」

「なによ」

「アルテシアには、先祖から受け継がれてきた目標みたいなものがあるって聞いたわ。クリミアーナの娘である限り、やらなきゃならないこと。それってなに? そのための魔法ってどういうこと?」

「それはアルテシアの個人的なことでしょう。あなたに、なんの関係があるのよ」

 

 返事を返しているのはパーバティ。アルテシアは、ずっと黙ったままだ。そんなアルテシアを不安げに見ているのは、ロン。ハリーは、もうこの話をやめてくれればいいのに、とでも言いたげにハーマイオニーをみていた。

 

 

  ※

 

 

「ねえ、パーバティ。闇の魔法って言うけど、それって『人を傷つけたり、命を奪ったりする魔法』という理解でいいのよね? 防衛術の授業では、そんなの出てこないけど」

「いいと思うよ。ハーマイオニーにはいろいろ言われたけど、気にしても仕方がないよ。あんなふうに考えることもできるっていう、1つの例でしょ。もちろん、違うようにも解釈できるんだから」

 

 闇の魔法と言われるものはさまざまあるが、なかでも「服従の呪文・インペリオ(Imperio)」「磔の呪文・クルーシオ(Crucio)」「死の呪い・アバダ・ケダブラ(Avada Kedavra)」の3つは、特に「許されざる呪文」とされており、人間に対して使用することが禁じられている。使用した場合、当然にして罰せられることになる。

 

「でも『クリミアーナには近づくな』か。まいったね。あたしのほうはなんとかなりそうだけど、ほかでも言われてるなんて思わなかった」

 

 空き教室に、ハーマイオニーたちの姿はない。パーバティとアルテシアの2人だけだ。しばらく前からただぼんやりと、近くの席に座ったままの2人だったが、しーんとした教室にようやく声がした。

 

「わたし、ハリーが手に入れた黒い小さなノートの話をされるんだと思ってた。あれで何かわかったから、そのことを教えてくれたり、協力を頼まれたり。そんなことだとばかり思ってた」

「ああ、あのソフィアとかいう1年生が見たっていうノートだよね。あれ、絶対に秘密の部屋に関係してるよね」

 

 ソフィアとのことは、もちろんパーバティには報告済み。もちろんソフィアにも、そうすることの了承は得ていた。

 

「ねぇ、パーバティ。あなただから言うけど、クリミアーナにも『人を傷つけたり、命を奪ったりする魔法』はあるわ」

「ええっ、それ、ほんとに?」

「クリミアーナには『失われた歴史』がある。その昔、クリミアーナ家を作ったご先祖が、どこで生まれ、育ったのか。クリミアーナ家の成り立ちに関する歴史を知っている人は誰もいないわ。分かっているのは、クリミアーナ家として定着してからの歴史だけ」

 

 その『失われた歴史』が知りたいと、アルテシアは思っていた。ずいぶん前から調べてはいるのだか、分かってはいない。もしかするとスネイプが知っているかもしれないと思ったことはあったが、結局は、スネイプもそれを知らなかった。

 

「おそらく『失われた歴史』のころの魔法だと思うけど、そんなことができる魔法があるわ。もしかすると、これが闇の魔法のもとになったのかもしれない。そう考えることは、不自然じゃない気がするんだよね」

「え? でも、おかしいよ。闇の魔法といえば、例のあの人でしょう。その人と魔法書は関係ないじゃん。クィレル先生のときだって、魔法書は守ったでしょう」

「ええ、そうね。でもね、パーバティ。例のあの人には、学校を卒業したあとに10年くらいの経歴不明のときかあるの。そのあいだに部下を集めたり、闇の魔法の研究をしていたって言われてるわ。そしてそのころ、あの人に魔法書を提供した人がいる。そんなうわさがあるの。あなたの叔母さまから聞いたことだけどね」

 

 パーバティは、何も言わなかった。それが驚きのためであるのか、ほかに理由があってのことかはわからない。アルテシアがことばを続けた。

 

「あの人は、魔法書によって魔法力を得て、闇の魔法を作り出した。もし、そうだとしたら」

「つまり、ハーマイオニーの指摘は当たってたってことになるんだね。でもそれ、ほんとかどうかわかんないわ」

「ええ、それはそうなんだけど…… ねぇ、パーバティ。わたし、どうしたらいいかな。どうするべきだと思う?」

「ああ、うん。そうだね。とりあえず、あたしと一緒にいること、かな。1人になっちゃダメだよ。1人でいると、気持ちが後ろ向きになっちゃうから。とにかくなにか、話をしよう。そのほうがいい」

「そうだね。でも、なにがどうだったとしても、わたしのやることは決まってる。決めたことは、ちゃんとやるよ」

「あたしも、一緒だからね」

 

 よく見れば、2人は手をしっかりと握りあっていた。その手を離すつもりはないらしい。そして2人は、ゆっくりと席を立つ。いったい今は何時ごろか。しばらくの間ぼんやりしていたことを考えると、ずいぶん遅い時間となっているはずだ。

 

「そうだ。スネイプ先生が、闇の魔術に詳しいって聞いたことあるよ。話をきいてみるのもいいんじゃない?」

「そうするわ。闇の魔法って、本当はどういうものなのか、ちゃんと知っておきたい。わたしたちの魔法と同じなのか、それとも違うものなのか。ちゃんと知っておきたい」

「アルテシア。いちおう言っておくけど、これって、あんたが気にするようなことじゃないんだからね」

「ああ、うん。わかってはいるんだけど、気持ちの問題っていうか、知っておかないといけない気がするんだよね。もう、前に進めないかもしれない」

 

 その言葉の意味するところ、その本当のところを、パーバティだけではなく言った本人すら、わかっていなかったのかもしれない。

 そのころハーマイオニーたちは談話室にいた。談話室に人がいなくなるのを待っていたのだが、ようやく少なくなってきたところで隅に集まり、話を始めた。戻ってこないアルテシアたちのことは、もちろん気になっていた。

 

「戻ってこないな、あいつら」

「さすがに言い過ぎたんだよ。アルテシアのやつ、顔が真っ青になってた」

「わかってるわ。でも、止まらなかったのよ。パーバティに調子を狂わされたんだと思う。途中で気がついたんだけど、でもあそこまでいってたら同じことでしょ」

 

 あたかも、アルテシアが闇の魔法使いであるかのように決めつけ、一方的に非難してしまったのかもしれない。ハーマイオニーとしては、クリミアーナ家の先祖たちにそんな可能性があるのかどうかさえわかれば、それでよかった。だが魔法書というものの存在が過去と現在を結びつけることとなり、結果として、アルテシアもそうなのだと避難するような形となってしまったのだ。

 

「これから、どうするんだい? アルテシアと会ったら、何を言えばいいかなぁ」

「それは…… とにかく、疑問は疑問としてあるんだから、はっきりさせるべきじゃないかしら。これだけはゆずれない」

 

 ロンの疑問は、3人ともが共通に持っていた疑問であったかゆえに、そのままの形で残ることとなった。ややあって、ハリーが口を開く。

 

「なぁ、ハーマイオニー。それって、図書館では調べられないんじゃないかな。アルテシアにだって、もう聞けないだろうし。そういえば、クリミアーナのことを書いた本があるって言ってたよね?」

「ええ。移動図書館で見たことがあるわ。でも、ホグワーツに入る少し前のことで、まだアルテシアのことを知らなかったから、ざっとしか読んでないのよ」

 

 もう一度、あの本が手に入れられたら。きっとハーマイオニーは、そんなことを考えているのだろう。そんなハーマイオニーに、ハリーはぽつりと言った。

 

「『T・M・リドル』の日記帳のこと話しておきたかったんだけど、あとにしたほうがいいよね」

「なんですって?」

「拾ったんだ。ロンが言うには、このリドルって人は、50年前に『特別功労賞』をもらってる。その盾を、処罰のときに磨かされたことがあるらしいんだ。どうやら日記帳らしいってことだけはわかったんだけど」

「待って。50年前ですって。50年前といえば『秘密の部屋』が開いたのも、50年前よね」

 

 ハーマイオニーが興味を示したようなので、ハリーは、あわててT・M・リドルの日記をとりだした。そして、あれこれと日記を調べていくハーマイオニーに、それを見つけたときの様子を話して聞かせる。その話に3人が夢中になっているころ、アルテシアとパーバティが談話室に戻ってきたのだが、互いに気づくことはなく、アルテシアたちは、部屋へと戻っていった。

 

 

  ※

 

 

「ふむ。おまえの言いたいことはわかった。だがなぜ、吾輩なのだ。マクゴナガル先生でもよかろうと思うが」

 

 それはそうだろう。もしくは、ダンブルドアでもいいわけだ。だがアルテシアは、真っ先にスネイプのところに来たわけではなかった。

 

「マクゴナガル先生には、話してあります。たぶんダンブルドア先生にも、この話は伝わるでしょう」

「そうか。おまえも、いろいろと大変なようだな。紅茶を用意した。飲むがいい」

 

 アルテシアのまえにあるテーブルに、ティーカップが現われる。そしてスネイプも、そばにあるいすに座った。

 

「吾輩の意見を言えばいいのだな」

「お願いします」

「だがそのまえに、一言いわせてもらおう。おまえ、それを本気で聞いているのか。吾輩は、魔法書なるものを一度も見たことがない。なので、そこに闇の魔法に関する記述がされているかどうかなど、知りようがない。一番よく知っているのはおまえだろう」

「そうなのですが、わたしには、闇の魔法というものがわかっていません。どういうものなのかがわからなければ、魔法書に闇の魔法があるのかどうか、気づくこともできないと思うのです」

 

 ここは、スネイプの研究室だ。この紅茶をスネイプ自身が入れたのかどうかは不明だが、アルテシアの口には合うものだった。マクゴナガルの部屋で飲むものと比べても、見劣りのするものではない。

 

「なるほど、そうかもしれん。だが、ミス・クリミアーナ。前にも言ったと思うが、仮にそうだったとしても、それがなんだというのだ。肝心なのは、今のおまえだ。過去にとらわれる必要などない。ましてやおまえの場合、仮定の話だろう。事実かどうかはわからんのだぞ」

「それは、わかっています。知りたいのは、闇の魔法とは具体的にどのようなものなのか、ということです」

「それこそ、ダンブルドアに聞くべきだろう。あのお方は、闇の魔法使いとも戦ってきた人だ。吾輩よりも詳しいとは思わんのか」

「そうだとしても、どうにも校長先生とは話がしにくいのです。スネイプ先生に教えていただけるものならそのほうがいいんです」

 

 そこでスネイプは、なんとも表現しづらい表情をみせた。どうやら微笑んでいるらしいが、そんなこととは思いもしないアルテシアが、それに気づくことはなかった。その、笑っているようには見えないスネイプの顔が、いつもの無表情へと戻る。

 

「おまえ、自分の言っていることがわかっているのか。それが校長を避けているということであれば、まさに闇の魔法使いであると自分で言っているようなものだぞ。まあ、多少こじつけに過ぎる解釈ではあるが」

「そうなのでしょうか。やはり、闇の魔法はクリミアーナの魔法書から出たものなのでしょうか」

「まあ、待て。そう結論を急ぐな。そもそもの話となるが、たしかおまえは、こうも言っていたな。クリミアーナの魔法は、魔法界のものとは違うと。似てはいるが、違うものだと」

 

 それをスネイプに言ったことはないような気がするが、マクゴナガルを通して伝わっているのかもしれない。マクゴナガルには、確かにそう言ったことがある。

 

「この一点だけをみても、おまえは無用な心配をしていることになる。吾輩はそう思うのだが」

「先生のおっしゃることはわかります。そのことは、わたしも考えました。でもそれだけでは、友だちを納得させられない気がするんです」

「友だちよりもおまえが納得することが肝心だと思うがな。それから、もう1つ。その友だちというのがグレンジャーやポッターのことであれば、ほおっておけばいい。それよりもおまえは、あのパチルとかいう娘を大事にせよ。ああ、理由の説明はしない。面倒だ」

 

 途中で問いたげなそぶりをみせたアルテシアを制止しながらそう言い、またもやスネイプは、笑ってみせた。といっても、先ほどよりはいくぶんそう見えるというだけのものでしかないが、もしかしたらそうかな、とアルテシアに思わせることはできたようだ。2度目ということで慣れてきたのかもしれない。

 スネイプは、ゆっくりとテーブルのティーカップを手に取った。

 

「ときにおまえは、ソフィア・ルミアーナという娘を知っておろうな。あの娘は、ときおり妙な魔法を使う。杖を使わぬ魔法だ。ばれていないつもりのようだが、吾輩にはわかる。あの魔法こそ、おまえと似ていると」

「あの、先生。それは」

「おまえのことも、ちゃんとみているぞ。おまえの杖は本物だが、あの娘の持つ杖は、ただの木ぎれにすぎん。魔法使いの杖ではない」

「ソフィアと会ったのは最近なのですが、わたしのクリミアーナ家とソフィアのルミアーナ家とは、その昔、つながりがあったようです」

「ほう。それは興味深い情報だ。今度、あの娘にいろいろと聞いてみよう。それを手がかりとして、なにかしゃべらせることができるかもしれん」

「どういうことですか。まさかソフィアは、スリザリンなのですか」

 

 ソフィアの所属寮を、アルテシアはまだ知らなかった。なぜかソフィアはそれを明かさなかったのだが、思わぬところで判明するのかもしれない。

 

「いや、スリザリンではない。あの娘はレイブンクローだ」

「レイブンクロー? そんなはずは。そうならパドマが知ってるはずなんですけど」

「おまえは、本当に知らぬようだな。なるほど。たしかにあの娘はさまざま秘密を抱えている。なにも聞いても、しゃべりはしない。だが寮まで秘密にするなど、吾輩には理解できぬことだ」

「秘密にしている、ということではないと思います。わたしが聞きそびれているだけで」

「そうか。そういうことでもよいが、あの娘はスリザリンだ。レイブンクローといったのは冗談だ」

 

 今後こそスネイプは、笑った。微笑み程度のものだが、アルテシアだけでなく、10人のうちの半分くらいはそう思うほどには笑えていた。

 




 「スネイプはんが、わらわはるなんて、めずらしーこともあるもんやわ。けど『ア』はん、最初っから気づいてあげんとスネイプがかわいそうやで。せっかくの努力も水の泡になるやんか。」
 「そない言うけど、『パ』だって、絶対に気づいてへんと思うわ。誰が、微笑むなんて思う? けっこう深刻な話してたんやで。そんなときにスネイプがそんなんするなんて、だーれもおもわんわ。」
 「そらそやけど、ハーマイオニーには、きっつい指摘されたやんか。あんなんで、これから先の友だち関係大丈夫なん? ちょっと心配になってもーてんけど。」
 「そやねぇ。けど『パ』はそばにいてくれんねやろ。それなら、なんとかなるんちゃう。そのうち、仲直りもできる思うし。」
 「けど、実際のところはどうなん? クリミアーナは、あっち系ってことでええのん? それらしいことも言ってたような気がするけど。そうそう、あの人に魔法書を提供したのって、ルミアーナ家やってんね。」
 「まだ確かめてへんねけど、それ、はっきりさせんとアカンわ。ソフィアは、このこと知っとんのやろか。聞いてみたいねんけど、いっつもあっちのペースになってまうからなぁ。聞きそびれんねん。」
 「おやおや。まぁ、がんばりやー。」


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第33話 「青い瞳」

 ホグワーツに、穏やかな日々が戻っていた。というのも、ジャスティンと「ほとんど首無しニック」の襲撃事件のあと、誰も襲われてはいなかったのだ。それに加えて、マンドレイクの発育が順調であることも報告された。石にされた人たちの復活も近いというわけだ。

 いったい、スリザリンの継承者はどうしたのか。「秘密の部屋」の怪物は、どうしているのだろう。もちろんそんなことがささやかれてはいたが、事件が起こらないので、少しずつ不安感も薄れていくこととなった。

 ロックハートなどは『今度こそ部屋は、永久に閉ざされましたよ。犯人は、私に捕まるのは時間の問題だと観念したのでしょう』などと公言していたが、そのことばを信じていない人は、教師側や生徒側を問わず、大勢いた。というより、信じている者のほうが圧倒的に少数であることは疑いようがない。

 ハリーも信じていない側の1人だったが、ロックハートのことなどどうでもよかった。それに、事件が起こらないことはいいことには違いなかった。そんな静かな日々が続くなか、そのことに気づいたのは偶然のなせる技だったのかもしれない。マートルのトイレで見つけた日記帳が、どうにも奇妙なのだ。

 きっかけは、ドラコ・マルフォイとのいさかいだ。廊下の真ん中で日記帳の奪い合いになってしまったし、鞄のなかではインク壷が割れ、鞄に入れていた本がみなインクに染まってしまうという悲劇にもあった。だが1冊だけ、あのリドルの日記帳だけが、まったくインクの被害を受けていなかったのだ。

 これは、明らかにおかしい。なにかある。調べる必要がある。そう思ったハリーは、その夜、誰よりも先にベッドに入り、何も書いていないページをめくってみた。どこにも、インクのしみ一つない。

 

(どういうことなんだろう)

 

 今度は、ベッド脇の物入れから、新しいインク壷を取り出し、羽ペンを使って日記の最初のページに、一滴だけインクを落としてみる。インクは紙の上で一瞬明るく光ったが、やがて、ページに吸い込まれるように消えていく。

 

(これは、ぜったいおかしい)

 

 この、へんな日記帳をどうするか。このときハリーが思ったのは、アルテシアだった。アルテシアにも、見てもらう必要がある。そして、意見を聞くべきだと。だがアルテシアとは、あのとき以来、一言も話していない。どうにも気まずくて、話しかけられないでいるのだ。ロンもハーマイオニーも、そうであるらしい。では、どうすればいいのか。

 ハリーは、もう一度羽ペンにインクをつけ、今度は日記帳に文字を書いてみた。

 

『どうすればいいんだ』

 

 その文字も、さきほどと同じく紙の上で輝いたかと思うと、またもや、あとかたもなり消えてしまった。だが今度は、それだけでは終わらなかった。

 

『事情を説明してくれれば相談にのりますよ』

 

 そんな言葉が、浮かび出てきたのだ。いったいこれを、どう解釈すればいいのか。ハリーは迷った。ここは男子寮だ。ハーマイオニーやアルテシアを連れてくるわけにはいかない。どうすればいいのか。

 思い切ってハリーは、もう一度、日記帳に書き込んだ。

 

『悩みは2つあります。秘密の部屋のことと、友人のアルテシアのことです』

 

 この文字も、光ったあとで消えていったが、日記帳からの返事は返ってきた。

 

『秘密の部屋のことなら、知っていますよ。ぼくの学生時代に、実際に開かれたのです。怪物が生徒を襲い、ついに1人が殺されました。部屋を開けた人物はぼくが捕まえ、その人物は追放されました』

 

 おどろくような内容だった。ハリーは、大慌てて羽ペンにインクをつけた。

 

『今、またそれが起きているのです。どうすれば、解決できますか。あなたのときは、どうやって犯人をみつけたのですか?』

『お望みだったら、お見せできますよ。ぼくの思い出のなかの、犯人を捕まえた夜にご招待できます』

 

 ハリーは迷った。いくらなんでも、これは怪しすぎる。だが、この機会を逃すと解決の手段が得られなくなるかもしれない。日記のページに、文字が浮かび出た。

 

『どうしますか?』

 

 ほんの一瞬、ハリーはためらったが、日記帳に『見せて』と書き込んだ。すると、日記のページが風にあおられたかのようにパラパラとめくれた。そしてとまったところは、6月13日と書かれたページ。それを見ていると、なんだかわからないうちに、体が前のめりとなっていき、ベッドを離れてページのなかへと入っていく。そんな感じがしただけかもしれないが、ハリーは見た。夢だ、とすることもできるだろう。だが、ハリーは体験したのだ。目を開けるとベッドに寝ていたが、ハリーはあわてて起き上がった。いま見たこと、いま体験したこと。それが本当だとするなら、ハリーは50年前の6月13日へと行ってきたことになる。

 校長はダンブルドアではなかった。その校長のところへ、リドルがやってくる。リドルは、16歳ほどの少年で、監督生の銀色のバッジを胸につけていた。リドルは、夏休みの間も学校に残りたいと校長にお願いしていたのだが、それを断られてしまう。秘密の部屋にまつわる襲撃事件の発生がその理由だった。T・M・リドルとは、トム・マールヴォロ・リドルだとわかった。

 

『トム、学期が終わったあとキミをここに残すことはできない。襲撃事件のことで、魔法省は学校の閉鎖すら考えておるのだから』

『では先生。もしその何者かが捕まったら……衝撃事件が起こらなくなったら……』

 

 そうすれば、夏休みも学校に残れるのか。そのときリドルは、必死に考えていた。そしてようやく決めたのだろう。地下牢教室に隠れ、襲撃者を待った。犯人がルビウス・ハグリッドであり、襲っていたのが当時のハグリッドが育てていた巨大なクモであることがわかったところで、ハリーは目が覚めた。いや、この場合、ベッドに戻ってきたというべきか。

 たしかに、リドルの日記は見せてくれた。50年前の犯人が捕まるところを見せてくれた。それがハグリッドだとは思わなかったが、そのハグリッドが動物好きであることを、ハリーはよく承知していた。だが、誰かを殺そうなどとは思わなかったはずだ。ハリーはそう考えた。

 翌日になってハリーは、ロンにそのことを話して聞かせた。それはハーマイオニーも知るところとなり、3人であれこれと相談が繰り返される。

 

「リドルは犯人をまちがえていたかもしれないわ。みんなを襲ったのは別な怪物だったかもしれない」

 

 そうハーマイオニーが言うと、ロンがうんざりした顔をみせる。

 

「それじゃ、ホグワーツには何匹も怪物がいることになるぜ」

「ハグリッドが杖を折られて学校を追い出されたってことは、聞いたことがある。そのあと、森番になったんだ。きっとハグリッドが追い出されてからは、誰も襲われなくなったに違いない。だからリドルは、学校から表彰されたんだ」

 

 あまりにも都合の良すぎる話じゃないか。ハリーはそう思った。このことでリドルは、夏休みの間も学校に残れるようになったはずなのだ。犯人も簡単に見つけているし、リドルにとってはあまりに都合が良すぎるように思われた。そのままを信じてしまうには抵抗がある。

 

「ハグリッドのところに行って、全部、聞いてみるのはどうかしら?」

 

 そのハーマイオニーの意見は、とりあえず保留ということにされた。3人とも、ハグリッドが犯人だとはとうてい思えなかったからようすをみることにしたのである。それからは、静かな日が続くことになった。

 

 

  ※

 

 

 校長室に来たのは何度目だろうか。それほど多くはないはずだが、はっきりと覚えてはいなかった。今回は、アルテシアのほうから会いたいと申し入れたもの。そしてダンブルドアは、その約束のときを土曜日の午後と指定してきたのだが、予定通りには始まらなかった。この話し合いの約束がされたあとで、またもや事件が起ったからだ。その対応もあって、遅くなってしまったのである。被害者は、レイブンクローの監督生であるペネロピー・クリアウォーターと、そしてハーマイオニー。2人とも、図書館の近くで石になっているところを発見された。

 ハリーによれば、何かに気づいたかのようにして『図書館に行かなくちゃ』と言って駆けていったらしいが、そのすぐあとで襲われたのだろう。そう、もうずいぶんのあいだ途絶えていた襲撃事件は、決して終わってはいなかったのだ。

 その前兆とでもいえばいいのか、前日には、ハリーの部屋が荒らされてリドルの日記が持ち去られるという事件も起こっている。だがこの件のことは、アルテシアのところにまでは伝わってこなかった。まだハリーたちとアルテシアとのあいだにあるわだかまりが解消されてはいなかったし、その現場を目撃した人たちのあいだで、話をひろめないようにしたこともある。なにしろ犯人は、グリフィンドール生である可能性が高いのだから。

 

「それでお嬢さんは、決着をつけるというのじゃな」

「はい。準備ができ次第に、そうするつもりでいます。無断ですすめることのないようにと言われてましたので、報告にきました」

「いやいや、約束を守ってくれたことはとても嬉しいのじゃが、どうやって。問題はそこですぞ。それに、知っておろうがまたも事件は起こった。危険だとは思わんのかね」

 

 ダンブルドアは、どんなつもりでそう言ったのか。表情を見る限りは、ふだんどおりのにこやかなものだ。そしてアルテシアのほうも、ほのかに笑みを浮かべた普段通りの表情。

 

「危険かどうかが問題なのではありません。安心して過ごせなくなること。それがイヤなんです。これ以上の放置は、できません」

「しかし、の」

 

 言いながら、マクゴナガルを見る。マクゴナガルも、アルテシアの付き添いのようなものとして校長室にいたのだ。アルテシアはパーバティも一緒にと思っていたのだが、それはマクゴナガルが認めなかったし、パーバティ自身も遠慮したのでここにはいない。

 

「秘密の部屋に入ってみれば、いろいろなことがわかるのではないかと思っています。校長先生、わたしたちを襲っている怪物ですが、怪物はこの50年、どうしていたんでしょうか」

「なんじゃと、それはどういう意味かね?」

「50年前にも、秘密の部屋が開かれたと聞いています。当時の怪物は、どうなったのでしょうか。同じ怪物であるのなら、この50年のあいだどうしていたのか。なにか封印のようなことがされていたのなら、もう一度そうすることができるかもしれません。それとも退治するしかないのでしょうか。先生は、どうお考えですか?」

「なるほどの」

 

 自身のひげをなでながら、感心したようにそうつぶやく。ダンブルドアとて、そんなことを考えなかったわけではないのだろうが、秘密の部屋の怪物は、この50年、このホグワーツに存在し続けていたことになる。そういえば退治されてはいないのだし、秘密の部屋も確認されていない。犯人が捕まり、事件は起こらなくなっただけなのだ。

 

「それらを解決するつもりであると、そういうことじゃな」

「はい。先生にもさまざまお考えはおありだと思いますが、決着をつけたいのです。このさき、50年、100年。どれだけ時がたとうとも安心できるようにしたいのです」

「キミの名前は、アルテシア・クリミアーナであったな。そうなれば、その名前はホグワーツの歴史に刻まれるじゃろう。50年前にも、秘密の部屋の件で『特別功労賞』をもらった生徒がおる。キミは、それを望むのかね?」

 

 どういうつもりでダンブルドアがそんなことを言ったのかはともかく、そのときアルテシアの表情から笑みが消えた。その理由を、あるいはスネイプであれば読み取れたのかもしれない。だがアルテシアは、すぐに微笑みを取り戻した。マクゴナガルは、そんなわずかな空気の変化に気づいたのか気づかなかったのか、とにかく何も言わず、そこに座ったままであった。

 

「わたしが望むのは、日々のおだやかな暮らしです。大切な人、守りたいと思う人、そんな人たちが幸せに暮らせる場所。そこで皆が笑っていられるのなら、おだやかに暮らしていけるのなら、それでいいと、わたしはそう思っています」

「ほう」

「そのためにできることは何か、自分には何ができるのか。何をしなければいけないのか。とにかくわたしにできることをやっていくつもりでいます」

「ふむ、まあよい。ところでハリーのほうは、なにか言っておるかね?」

「ハリー・ポッターは、重要なカギを手に入れています。それに、ハーマイオニーは気づいたはずなんです。そのことをたしかめようとして図書館へと向かったんだと思います。ならばハリーも、いずれは真相にたどり着くはず。そんなに先のことではないと思います」

「キミも、その真相とやらに気づいておると?」

「いいえ、わたしの場合は想像するだけです。かもしれない、と」

 

 しっかりと、ダンブルドアの目を見る。これまでダンブルドアと話すときには、目をそらしていたり、うつむいたりしていることの多かったアルテシアだが、このときばかりは、まっすぐに顔を向けていた。

 

「マクゴナガル先生、あなたの意見も聞いておこうかの」

「ダンブルドア、このままでは、学校が閉鎖される可能性があります。襲撃事件を解決しない限り、そうなってもおかしくはありません。それに、被害はこれで終わらないかもしれない」

「ふむ。たしかにそうじゃ。つまりミネルバ、あなたはお嬢さんにやらせてみようという考えなのじゃな」

「アルテシアには、約束させています。身に危険が及ぶようなことはしないと。そのうえで、秘密の部屋に入らせてみてもいいのではないかと考えています。この子ならできます。おそらく、この子にしかできないでしょう。もし万が一のことがあれば、わたしが責任をとります」

 

 すでにマクゴナガルとアルテシアの間では、話がまとまっていたということだろう。ふだんから約束している、クリミアーナの魔法使用に関する取り決めは、もちろんそのままで、ということになる。

 

「しかしミネルバ。責任といってものう。この場合は、わしがそうするべきだと思うがの」

「いいえ、校長先生。マクゴナガル先生にもお断りしておきますが、これはわたし自身の責任です。生意気などとは思ってほしくないんですが、わたしが、わたしの責任において、そうするだけです。もしあのとき、必ず相談したうえでと約束していなければ、今日こうして来ることもなかったでしょう」

「言い過ぎですよ、アルテシア」

「すみません、先生」

 

 それがアルテシアの本音であろうことに疑いはないが、ダンブルドアと相談しながらやっていくことを約束したのも、アルテシア自身。そのことを、少しも後悔などしていない。マクゴナガルと、魔法使用に関しての約束を交わしたことについても、それでよかったと思っているのだ。

 

「とはいえ、お嬢さん。どうやって秘密の部屋に入るつもりかね。その方法や場所すら、わからんのではないかね」

「それは」

 

 アルテシアがなにか言おうとしたとき、ふいに校長室のドアが、開けられた。ノックもなにもなし。無遠慮に入ってきたのは、2人の男。ひとりは、背は低いが横幅のある体型に白髪頭の男であり、もう1人は真っ黒の旅行用マントを着込んでいた。その一瞬、空気の流れが止まったようだ。その場にいた誰もが、そう感じた。

 

 

  ※

 

 

「こんばんわ、みなさん。おやおや、女子生徒へのお説教の真っ最中、だったようですな。これは失礼」

 

 その言葉どおりに悪びれた様子を見せてくれていれば、そのマントの男に対するアルテシアの印象も、また違ったものとなっていたかもしれない。そんなようすを察したのか、マクゴナガルは、軽くアルテシアの身体をつついて振り向かせ、小さく首を横に振ってみせた。何も言うな、何もするな、ということなのだろう。

 

「いったいどうしたのかね、ルシウス。それにコーネリウスも。2人は一緒に来たのかね」

「いや、偶然にも、そこでお会いしましてね」

 

 マントの男は、ルシウス・マルフォイ。ドラコの父親だ。そしてもう1人が、コーネリウス・ファッジ。魔法省の大臣である。それぞれが別に来たということは、その目的もまた、それぞれ別にあるのだろう。

 

「ともあれ、席を用意しましょうぞ。そうじゃの、お嬢さんはもう寮へと戻ったほうがいいじゃろう」

「わかりました」

 

 まだ話の途中ではあったのだが、来客では仕方がない。アルテシアは、素直にそう言って席を立った。いや、立とうとしたのだが、それをルシウスが止めた。

 

「待ちなさい、お嬢さん。たしかに夜遅い時間だが、この瞬間を、ぜひ見ていきなさい。もしかすると、校長先生と会える最後のときとなるかもしれんのでね」

「どういう意味ですか?」

 

 すかさずアルテシアが尋ねる。ほぼ同時に、マクゴナガルがアルテシアのローブを引っ張る。何も言うな、というメッセージの代わりだ。ルシウスは、そんなアルテシアを見て満足そうな笑みを浮かべた後で、視線を、ダンブルドアへと向ける。

 

「こちらの魔法大臣は、今夜、ルビウス・ハグリッドを連行なさいましたぞ」

「なんじゃと。ハグリッドを」

「さよう。今回のことで魔法省が動いた結果ということですな。そして私ども理事も、遺憾ながら、学校の現状に満足してはおりません。今日もまた2人、襲われたそうですな」

 

 言いながら、長い羊皮紙の巻紙を取り出す。そしてその羊皮紙の巻物をちらちらとさせつつ、ルシウスは楽しげに言葉を続ける。

 

「12人の理事を代表し、あなたにお伝えする。私ども理事は、あなたの『停職命令』に署名した。これは、理事全員の意思によるもので、わたしはそれを届けに来ただけ。この調子では、ホグワーツにマグル出身者はいなくなるでしょう。学校として望ましいことではない」

「ちょっと待ってくれ、ルシウス。それはいかん」

 

 止めたのは、コーネリウス・ファッジ。ダンブルドアの停職は、ファッジも全然知らぬことだったらしい。もちろん驚いたのは、ファッジだけではない。アルテシアとマクゴナガルもそうだし、ダンブルドアもそのはずだ。それに、ハグリッドのこともある。聞き流せるようなことではない。

 

「ダンブルドアを『停職』にするなど、とんでもない。ダメダメ……今という時期に、それは絶対困る……」

「ですが、魔法大臣。理事会の決定事項ですぞ。校長の任命、停職については理事会に権限がある。ダンブルドアは、今回の襲撃事件になすすべもなかったのだから」

「待ってくれ、ルシウス。ダンブルドアでさえ食い止められないなら、いったい誰に――。誰にも止められないのでは」

 

 ファッジは鼻の頭に汗をかいていた。

 

「それは、やってみねばわからないでしょうな。ともかく、後任者がうまくやってくれることを望むばかりだ」

「し、しかし。ルシウス、代わりの校長に考えはあるのかね」

「それは、まだだ。とにかく正式に決まるまで、副校長が代理ということになる。よろしいですかな、マクゴナガル先生」

「もちろん、断る理由はありません。ですが学校のことを考えるなら、いまダンブルドアが学校を去るのはいいことではありませんよ。せめて学期末まで待つべきだと考えますが」

「いや。まあ、それは。とにかくもう、決まったことですからな」

 

 返事に困ったのか、それとも面倒になったのか。ルシウスは、アルテシアへと目をむけた。

 

「ところで、お嬢さんのお名前は? 先生方に怒られていたようだが、勉強はちゃんとやらねばいかんよ」

 

 だがアルテシアは、すぐには答えない。視線をマクゴナガルへと向ける。許可を求めてのことだろうが、マクゴナガルは小さく首を横に振ってみせる。その仕草は、ルシウスには気づかれなかったようだ。

 

「どうかしたかね?」

「失礼しました。わたしは、アルテシアです。アルテシア・ミル・クリミアーナ」

「ほう、これはまた。なんとなんと、クリミアーナのお嬢さんだったのかね。これは驚いた。いや、驚く必要はないな。そういえば、ホグワーツに入学したという話は聞いていた」

 

 もう一度アルテシアが、マクゴナガルを見る。だがマクゴナガルは、相変わらず首を横に振ってみせるだけ。これ以上は話すなということだ。ダンブルドアが、前に進んでくる。

 

「ルシウス。そのお嬢さんのことを知っておるのかね」

「ああ、息子の友人だよ、もちろん。それ以外になにがあるというのかね」

「ふむ、まあよい。話を戻すが、理事全員の署名じゃと言うたな」

「そのとおりだよ、ダンブルドア。納得したなら、すみやかに学校を出て行けばどうかね」

「よかろう。理事たちがわしの退陣を求めるというのなら、わしはもちろん退かねばなるまい」

 

 ダンブルドアの明るいブルーの目が、じっとルシウス・マルフォイの冷たい灰色の目を見つめる。ややあって、ダンブルドアが口を開く。

 

「覚えておくがよいぞ。わしがほんとうにこの学校を離れるのは、わしに忠実な者が、ここに誰もいなくなったときだけじゃ。覚えておくのじゃぞ。ホグワーツでは、助けを求める者には必ずそれが与えられる」

 

 気のせいかもしれないが、そのときアルテシアは、自分に言われているような気がした。ダンブルドアが、自分をみたような気がしたからだ。ダンブルドアの目の色が青であることに、アルテシアは気がついていた。そういえば、アルテシアの瞳も青色なのだ。ダンブルドアとは少し違うが、透き通るように澄んだ青色であり、それでいて濃く深い青。なんとも表現のしづらい、不思議な色だ。その、とりあえず青と表現するしかない瞳が見つめるなかで、ダンブルドアはルシウスに促されるようにして校長室を出ていった。

 



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第34話 「ただいま、準備中」

「これは、大変なことだと思うな。なにせ、ダンブルドアがいなくなったんだ。これからは、どんどん襲われるようになるぞ」

 

 ロンがかすれ声で言った。たったいま、アルテシアが来て停職処分とされたときのようすを話してくれたところだ。まったく、こんなことがおこるなんて信じられなかった。話のついでに、というわけではないが、ハグリッドがどこかへ連行されてしまったことはアルテシアには話して聞かせた。どこに連れていかれたのかはわからないが、アズカバンと呼ばれる魔法使いの監獄であろうことは十分に予想できる。というか、それ以外の場所なんて考えられない。

 

「アルテシアのやつ、そのとき、校長室にいたんだな」

「だろうな。そしてぼくらは、ハグリッドのことを目撃した。けど、どういうことなんだろう」

 

 アルテシアが、校長室でルシウス・マルフォイとコーネリウス・ファッジの来訪に立ち会った、その少し前。ハリーとロンは、ハリーの持つ透明マントで姿を隠して、夜にハグリッドの小屋を訪れており、そこで偶然にも、ハグリッドが連行されるところを見てしまったのだ。

 

「なあ、ハリー。どういうことって、どういうことだい?」

「ハグリッドが最後に言った言葉だよ。何かを見つけたかったら、クモの跡を追いかけていけ」

「そうすりゃわかるって言ってたよな。でもそれ、アルテシアにも教えるべきなんじゃないか。さっき、言えばよかったんだよ。あいつは、ダンブルドアが言ったことを伝えに来てくれたじゃないか。ぼくたちへの伝言なのかもしれないからって言ってたけど、ハーマイオニーはいないんだぜ。あいつと協力するべきじゃないかな」

「わかってるよ。けどいまは、まだ早いと思ったんだ。とにかくハグリッドが言ったことがどういうことなのか、それがわかってからでも遅くはない。それからでいいんじゃないかと思うけどな」

「そうかなぁ」

 

 ロンは、いまひとつ納得してはいないようだった。だがハリーは、それでいいと考えていた。ああみえてアルテシアは、けっこう無謀なところがある。そんなアルテシアに言えば、きっとまた無茶をするだろう。それは、いいことじゃないとハリーは思っていた。なにも、クモのことをアルテシアに言う必要はないのだ。自分とロンとで解き明かせばそれで済むことなのだから。

 

『ほんとうにこの学校を離れるのは、わしに忠実な者が、ここに誰もいなくなったとき。ホグワーツでは、助けを求める者には必ずそれが与えられる』

 

「それよりロン、ダンブルドアの言ったことをどう思う?」

「ああ、それはたぶん、信頼しろってことだろ。そうすりゃ、ダンブルドアは戻ってくる。トラブルも解決するってことじゃないか」

「ぼくは、こう思ったんだ。襲撃事件解決のためにできることはしてもいい。もしなにかあったとしても、必ず助けるからって。そういうことじゃないかな」

「ああ、なるほど。だったら、まずはアルテシアと仲直りするべきだな。解決のためにはあいつが必要だろ。きっとダンブルドアも、あいつも助けるさ」

「わかってる。でもそれは、もう少しあとでいい。ドビーの言ったことが気になるんだ」

 

 ドビーは、クリミアーナには近づいてはいけない、離れていなければいけないと言っていた。望んでしたことではないが、いまの状況は、それに近いのだ。ならば、もう少しだけでもこの状態を続けたほうがいいんじゃないかとハリーは考えたのだ。

 季節は、もう夏。空も湖も、抜けるような明るい青。季節は、いつもどおりに移り変わっていくのだが、ホグワーツのなかは、なにかとおかしくなっていた。これも、ダンブルドアがいない影響なのだろう。誰もが、その心の中に心配や不安といったものを抱えていた。

 そんななかで、いいこともあった。ジャスティンが襲われた事件をめぐり、対立したままとなっていたハッフルパフのアーニー・マクミランが、その誤解を詫びに来てくれたのだ。それは、ハッフルパフとグリフィンドールとの合同授業となる薬草学の授業でのこと。

 

「ハリー、キミを疑ってすまなかった。キミがハーマイオニー・グレンジャーを襲ったりするはずがない。すまなかった。お詫びします」

 

 そう言ってアーニーが差し出した手を、ハリーは握った。この握手で、仲直りしたということだ。

 

「それで、ハリー。アルテシアにもお詫びしたほうがいいんだろうか。キミはどう思う? あいつも無関係だと思うかい?」

「それは……」

 

 なぜか、ハリーは言いよどむ。そんなハリーをもどかしく感じたのは、ロンだった。

 

「おい、ハリー。キミ、まさかアルテシアを疑ってるんじゃないだろな」

「そうなのかい、ハリー。じゃあやっぱり、あいつがスリザリンの継承者なのかな。ぼく、ドラコ・マルフォイじゃないかって、このごろ思うようになってたんだけど」

「いや、ドラコじゃないと思う。それにぼく、ほんとにわからないんだよ」

「おい、ハリー。そりゃ、ないぜ。いろいろ疑問はあるけど、あいつをよく見ろよ。あいつがそんなやつだと思うのか」

 

 そのロンの非難めいた言い方には、ハリーだけでなくアーニーも驚いたようだ。アーニーの友人のハンナも一緒にいたのだが、ハンナは、ロンへと顔を向けた。

 

「ウィーズリー、実はあたしもそう思ってるの。ハリー・ポッターがどんな疑問を持ってるのか知らないけど、あたしは、仲直りしてくる」

 

 そう言うと、チラリとアーニーを見たあとでアルテシアのほうへと歩いていく。そんなハンナを見送るようにして、視線を動かしたハリーは、目を見張った。そのとき、大変なものを見つけてしまったのだ。

 

「ロン、見ろ、あれを」

 

 ハリーは1メートルほど先の地面を指差していた。そこには、大きなクモが数匹。その全てが、同じ方向に向かって進んでいく。

 

「クモがどうにか、したのかい?」

 

 アーニーがそんなことを聞いてきたが、もちろんハリーは無視した。

 

「あの方向は…… 行き先は、どうやら『禁じられた森』のようだな」

「ああ、ウン。そうみたいだ」

 

 ロンは、どこかうかない表情でそう返事をした。なにしろロンは、クモが大の苦手なのだ。できれば関わりたくないというのが、本当のところなのだろう。

 

「でも、今追いかけるわけにはいかないよな」

 

 ハリーは逃げて行くクモをじっと見つめ、ロンはますます情けなさそうな顔になっていった。

 

 

  ※

 

 

 その日の授業が終わったあとで、アルテシアは医務室を訪れる。マダム・ポンフリーにお願いすることがあったのだ。それが無茶なお願いであることはアルテシアも承知していたが、ほかに方法がなかったのだ。

 

「マクゴナガル先生がご承知なさるとは、とても思えません。いちおう、確認してから返事をしますが、それでいいですね?」

「それは、もちろんです。わたしのほうも、今日すぐに、というわけにはいきません。準備ができ次第、もう一度、お願いに来るつもりですので」

「わかりました。それまでに先生に確認しておきましょう。しかし、なぜそんな無茶をするのですか。秘密の部屋のことは、魔法大臣が対応なさったと聞いていますが」

 

 あえて、ハグリッドが犯人として逮捕された、などとは言わない。たとえばロックハートなどは平気でそんなことを公言しているのだが、はたして、それが正しいのかどうか。おそらくマダム・ポンフリーは、そこにいくらかでも疑問を持っているのだろう。

 

「その話は、わたしも聞きました。でもそれは、間違いです。わたしは、そう思っています」

「間違い? ではハグリッドは、無実だと」

「そのはずです。とにかくわたしは、はっきりさせたいのです。秘密の部屋は、閉じてしまおうと思っています」

「そうしないと、また事件は起こるというのですか」

「起こる前になんとかしたいと思っています。それにわたしは、けっして無茶なことをしようとしているのではありません。これはご理解ください」

 

 無茶では、ない? あれが無茶ではないというのか。マダム・ポンフリーには、とうてい信じられないことだった。この医務室で何日も寝ていたことがあるというのに、そのことを忘れてしまっているのではないか。

 

「いいですか、アルテシアさん。あなたはこれまで、この医務室に何日間入院していたのか、それを忘れたわけではないでしょうね。あれが無茶ではないとは、わたしにはとても思えないのですけどね」

「医務室でお世話になったことは、もちろん覚えています。感謝しています。でも今回は、ああいうことにはなりません。わたしも、ずいぶんと魔法になれてきましたし」

「ともあれ、マクゴナガル先生とよく相談しましょう。あなたも、そうしなさい。いいですね」

「わかりました」

 

 この件を、まだマクゴナガルには話していない。だがアルテシアは、そのことは何も心配してはいなかった。マクゴナガルは、おそらく反対はしない。秘密の部屋を閉じるために動き出すことの了承はすでにもらってあったし、ダンブルドアにも話してあるからだ。そのとき『停職処分』のことがあったので、ダンブルドアから明確な形でOKはもらっていない。だが反対もされていないし、彼が去り際に残した言葉は、その了承の返事でもあったのだと、理解していた。

 医務室を出たアルテシアは、スリザリン寮へと向かう。ソフィアを連れ出すためだ。スリザリンの寮生だと分かっていれば、探しようはあるだろう。

 ソフィアにも手伝わせるつもりだった。ソフィアが手伝ってくれたなら、なにかと助かるだろうし、仕事が早く進むはず。もちろん、手伝ってくれたなら、ということだけど。

 寮に着くまでにソフィアに出会わなかったなら、だれかスリザリンの寮生をみつけて呼び出してもらうつもりにしていた。誰か適当な人がいればいいけど、そう都合良くダフネを見つけることはできないだろう。もっともダフネに限らず、アルテシアと普通に話をしくれるスリザリン生は何人かいるが、ソフィアに直接会えれば、それが一番いいのだ。

 そんなことを考えながら、地下への階段を降りる。スリザリンの談話室は地下にあるのだ。そのとき、向こう側がら歩いてくる人影がみえた。誰だろう。薄暗いのですぐにはわからなかったが、それはドラコだった。いつものように、クラップとゴイルの2人を連れている。そしてその後ろには、パンジー・パーキンソンもいた。

 

「やあ、アルテシアじゃないか。どうしたんだ、こんなところまで来るとはめずらしいな」

「ちょっとね。たしか、談話室はこの辺だったわよね?」

 

 そう言って、石の壁を指さす。そのどこかに談話室への石の扉があるはずなのだ。

 

「ちょっと。あんた、談話室に入ろうとしてたっていうの? 何考えてんの、グリフィンドールのくせに」

 

 パンジーが、ものすごい目でアルテシアを見る。ドラコに止められてでもいるのか、いつもにらみつけるだけで実際に手を出したりはしてこないのだが、それがわかっていても、あの目をみてしまうと、どこか気後れしてしまうのは否定できない。

 

「入れてくれたら嬉しいけど、そこまでは言わないわ。人を呼び出してほしいのよ。1年生なんだけど」

「誰だい? ぼくらはいま、談話室から出てきたところだけど、いいよ、呼んできてやるよ」

「ありがとう、ドラコ。ソフィアっていうんだけど。1年の女の子よ」

「ソフィア? そんなのいたか?」

 

 ドラコが後ろを振り返る。クラップとゴイルが、首を横に振る。この2人がなにかしたのをみたのはたぶん初めてだと、アルテシアは思った。これまではいつも、ただ黙ってドラコの横にいるだけだったのだ。

 

「あたし、知ってるわ。あの、無口で陰気なチビでしょう。あんた、あんなのと知り合いなの?」

「いま、談話室にいるかな?」

「いたけど、いつも本を読んでるだけよ。あれじゃ、そのうち病気になるわね」

「呼んできてやれよ。ぼくらは先に行ってるから」

「わかったわ」

 

 そこでドラコたちは歩いて行ってしまい、パンジーとアルテシアとが残される。なぜかパンジーは、ニヤリと笑ってみせた。

 

「じゃあ、呼んでくるからさ。いちおう、談話室の入り口がどこにあるか秘密にしておきたいから、あんたは向こうを向いてなさいよ」

「ああ、わかったわ。ごめんなさい。これでいい?」

 

 そう言って、パンジーに背中をみせた瞬間。思いっきり、というわけではなく加減はしたようだが、頭を殴られた。あまりの痛さにうずくまっているうちに、パンジーは談話室へと入ってしまう。しばらくしてふたたびパンジーが出てきたときにも、アルテシアはまだ、頭をなでながらその痛さに耐えていた。

 

「あら、アルテシア。頭をどうにかしたの? あらあら、涙まで浮かべちゃってかわいそうに。でもこれに懲りたら、ドラコにちょっかいかけるのはやめときなさいよ。ああ、そうそう。一応声はかけたんだけど、出てくるかどうかまでは責任もたないわよ」

「わ、わかった。でも、こんな不意打ちはもうごめんだよ。ほんと、馬鹿力なんだから」

「うるさいっての。呪いをかけるのはやめてあげたんだから、感謝しなさいよね。とっととグリフィンドール寮へ帰んないと、また叩くわよ」

 

 ドラコにちょっかい、とは何のことだろうか。意味不明ではあるものの、それを聞き流すことにしたアルテシアであった。パンジー・パーキンソンは、満足したかのようにドラコたちの後を追って行ってしまう。ソフィアが現われたのは、そのすぐ後だった。ちょうど入れ替わり、といったタイミングである。

 

「やめていただけませんか、こんなところまで来るのは。しかも、あの女に用事を頼むなんて最悪に近い選択ですよ」

「ああ、そうかもね。でも、こうして来てくれたじゃない。あなたに用があるのよ。ちょっとだけいいかな」

「もうじき夕食ですからね。大広間に行きながらでよければ。頭をどうにかしたんですか?」

 

 アルテシアが、後頭部のあたりをしきりになでていたからだろう。痛みもだいぶ収まってきたので、アルテシアはなでるのをやめた。

 

「どうもしないよ。じゃあ、歩きながら話そうか」

「それ、ウソですよね。あの女になにかされたんでしょ。別にいいですけど、自覚がたりないんじゃありませんか? いろいろと気をつけてもらわないと」

「ああ、うん。そうだね」

「それで、話というのは何ですか?」

 

 いま、ソフィアは何を言ったのか。まさか、気をつけろと言われるとは思っていなかった。ソフィアのルミアーナ家とクリミアーナとが、どのような関係だったのか。それを知らないアルテシアであったが、すくなくともソフィアは、自分に近いのだろうと、アルテシアは思った。それはともかく。

 

「あなたには、聞きたいことがいっぱいあるわ。でもたぶん、答えるつもりなんてないんだよね?」

「ええ、よくおわかりで。ですから、聞かないでくださいね。知らん顔するだけでも疲れるんですから。そういえば、どうしてわたしがスリザリン寮だと? お教えした覚えはありませんけど」

「そんなの、隠してもムダだよ。とにかく、あなたの家のこととかは、あなたが教えてもいいって思ったときでいいわ」

「それまで待つってことですか。きっと、おばあちゃんになっちゃいますよ」

「いいわよ。それまではわたしの近くにいてくれるってことでしょ。それで十分だわ」

 

 ソフィアは、何も言わない。アルテシアも黙ったままで、ただ大広間だけが近づいてくる。すでに夕食は始まっているようだ。賑やかな声が聞こえてくる。

 

「話したいことはそれだけですか。もう、大広間に着きますよ」

「食事が終わってからか、あるいは明日の朝早くか。どちらか都合のいいとき、時間を空けてほしいんだ。いいよね?」

「いやですね。食事はゆっくり食べたいですし、早起きは苦手です。なにか用事があるのなら、今、済ませてください」

「手伝ってほしいんだ。秘密の部屋を調べたい。怪物が、どういう状況にいるのか知っておきたい。場合によっては、部屋を閉じようと思ってる」

「わたしに、手伝えって? そんな危険なことに巻き込もうっていうんですか」

 

 危険なことは確かだ。なにしろ、怪物の正体も分かっていない。なぜ石にされてしまうのかも、解明できていない。だが、まったくわからないわけではなかった。ハーマイオニーもきっとそうなのだろうけど、アルテシアにも気づいたことはいくつかある。とにかく、それを確かめねばならない。

 

「そうだよ。巻き込まれてほしい。とにかく、時間をちょうだい。じゃあ、明日の朝。さっきの石壁のところで待ってる。そのとき、着替えのローブをもって来てほしいんだけど」

「ローブを? 何をするつもりなんですか。それに、早起きは苦手だと言ったはずです。待っててもムダですよ」

「とにかく、待ってるわ。手伝いのことはどうでもいいけど、とにかく明日の朝、来てほしい」

「待つのは勝手ですが、きっとまた、あの粗暴な女に出会うことになりますよ」

「それでもいい。とにかく、待ってるわ。じゃあ、またね」

 

 すでに、大広間には到着していた。ここでアルテシアはグリフィンドールのテーブルへ、ソフィアはスリザリンのテーブルへと、それぞれに向かうことになる。

 

 

  ※

 

 

「え! ローブに保護魔法をかける?」

「そうよ、パーバティ。実は、わたしが家で着ていた白いローブには保護魔法がかけてあるの。母が、わたしのためにしてくれたんだけど、これをね、制服にもやっておこうと思うんだ」

「いいけど、そんなことができるの? 意味あるの? 布に魔法、だよ」

「できるよ。防衛術ではプロテゴ(Protego:護れ)ってのを習うみたいだけど、そういった魔法をローブに定着させるの。もちろん、効果をずっと続かせるための工夫もするんだけどね」

 

 母が、自分のためにとしてくれたこと。それと同じことを、学校の制服に対してやろうとしているのだ。まだ自信はないけれど、やらないよりはやったほうがましというもの。きっとなにかの役に立つ。

 

「あ、でも、母と同じようにはできないんだけどね。わたしにわからない魔法が、たぶん1つだけだと思うんだけど、そんな魔法がかけてあるんだ。それだけはどうしようもないみたい」

「ふうん。でもま、いま学校はこんなだし、なにかと安心できそうな気がするな」

「いちおう言っておくけど、秘密の部屋の怪物には効果はないと思うよ。たぶんだけど、ローブを着てても石にはなっちゃう。それは防げないと思うんだ」

「えっ、そ、そうなんだ」

 

 もし、それをも防ぐとしたら。だが今の時点で、その方法をアルテシアは思いつかなかった。なにしろ、怪物の正体もまだ確かめていないのだ。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと考えてある。でもそのまえに、いろいろと確かめておきたいんだ」

「そのために、秘密の部屋に入るんだよね。止めた方がいいのか、それともついていくべきか。悩むなぁ」

「悩むのはいいけど、力を貸してね。それだけは、お願いね」

「もちろんだよ。ところであたしたちは、どこに向かってるの? いつもの空き教室なら、通り過ぎたけど」

 

 そこで、立ち止まる。そういえば、そうだ。アルテシアは苦笑いを浮かべた。

 

「ごめん。つい、うっかりした」

「おやおや、大丈夫? じゃあ、あの空き教室でいいのね?」

「うん。パーバティはそこで待ってて。わたしは、もう1人、呼んでくるから」

「もう1人って、パドマのこと?」

「パドマには、まだ声をかけてないわ。制服の保護魔法がうまくいって効果もあることが確かめられてから、勧めてみようかと思ってるんだ。パーバティには実験台になってもらうみたいで、申し訳ないんだけど

「べつにいいわよ。けど、あの魔法のことは、誰にも知られないようにしろってマクゴナガルに言われてるんじゃなかったっけ。まあ、あたしだって知ってちゃいけないんだけどさ」

 

 アルテシアは、マクゴナガルと魔法の使用に関して約束を交わしている。ほとんど一方的にマクゴナガルから押しつけられたともいえるようなものだが、アルテシアはそれを受け入れ、守るようにしていた。いまでは当初よりは緩やかとなっており、自身の身を守るために必要なときは使用してよいことになっている。

 それに加えて、クリミアーナ家独自の魔法については誰にも気づかれてはならないとされていた。アルテシアが杖を使わずに使用する魔法がこれに当たるのだが、パーバティにはなんども見られている。

 

「じゃあ、ソフィアを連れてくる。ルミアーナ家の人だけど、いいよね、パーバティ?」

「ああ、いいわよ。そうなんだよ、あいつ、ルミアーナの一人娘らしいよ。叔母さんとことは家同士で仲悪いみたいだけど、あの子がいやな子じゃなければ、べつにいいんじゃない。それで、どういう子なの?」

「うーん。なんだか、まだ自分を隠してるみたいな気がするんだよね。なんでかわかんないんだけど」

「まあ、いいよ。あたしも一緒に行こうか?」

 

 それは遠慮することにした。なにしろ待ち合わせ場所はスリザリンの本拠地ともいえる場所。もしパンジー・パーキンソンにでも会ったなら、面倒なことになりかねない。それに、ソフィアが談話室から出てこないことだって考えられるのだ。

 なのでアルテシアは、パーバティを空き教室に待たせ、1人でソフィアを迎えに行くことにした。

 



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第35話 「秘密の部屋へ」

「早起きは苦手だって言ってなかった? まさか、待っててくれるとは思わなかったわ」

 

 アルテシアが地下へとやってきたとき、そこにはすでにソフィアがいた。前日にスリザリン寮の談話室への入り口近くで会ったときよりは、いくぶん地上へと近い場所である。どうみても手持ち無沙汰にしていたので、待っていたのは間違いないのだろう。それも、しばらく前から。

 だが、ソフィアにもなんらかの意地があるようで、それを認めたりはしなかった。

 

「待っていたわけではありませんし、早起きが苦手というのも本当です。ですがたまたま、一晩中起きていることになってしまったので、そのついでということです。ご存じですか。夜中に、ハリー・ポッターが禁じられた森へと入っていったのを」

「え! ハリーがそんなことを」

「なにか、目当てがあってのことなのでしょうけど、いま、森番の人はいませんよね。しかも夜中ということで、気になってようすをみていたんです。まあ、無事に戻ってはきたんですけど」

 

 そんなソフィアを、アルテシアは大きく目を見開いて、まじまじと見る。だが、少ししてふーっと、一息。目を伏せた。

 

「なんです?」

「いいえ。とにかく行きましょ。歩くのがイヤだったら、飛ぶけど」

「ああ、それには及びません。歩きましょう」

 

 飛ぶ、とはつまり、魔法による転送。自分を含めた周囲の空間を、目的地にある相応の空間と入れ替えてしまうというものだ。その結果として、瞬時に場所を移動するということになる。

 だがいまは、そうするまでもないということ。歩きながらソフィアは、ハリーたちのようすを話して聞かせた。森の中でなにがあったのか、その詳しい所は不明だが、怖い思いをしたらしい。さすがにソフィアは、森には入らなかったのだ。

 そんな話をしながら、2人はパーバティが待っている空き教室へとやってくる。

 

「ええと、改めて紹介したほうがいいのかな?」

「いらないと思いますよ。パチルさんだって、わたしがルミアーナの者だとご存じのはずですから」

「ええ、知ってるわよ。でもその言い方は、ちょっとカチンとくるわね」

「あら、それは失礼。でも直そうなどとは思ってませんから」

 

 雰囲気が一気に悪化したが、アルテシアは明るい声と笑顔とで、それを修復にかかった。とにかく、話を進めてしまったほうがいいという考えもあったのだろう。

 

「朝食までには済ませたいんだから、2人とも協力して。さあ、ローブを出して。持ってきてくれたよね?」

 

 もちろんパーバティはすぐに出したが、ソフィアは、手に持ったままで、簡単には渡さなかった。

 

「まず、何をするつもりなのかを説明してください。話はそれからです」

「もちろんよ、ちゃんと説明するわ」

 

 言いながら、アルテシアは制服であるローブを脱いだ。そして、クリミアーナの白いローブに着替える。

 

「それは?」

「これは、クリミアーナ家のローブ。あなたなら、わかるんじゃないかと思うけど、このローブには、魔法がかけてあるわ」

 

 だがソフィアは、首を横に振った。横には振ったが、その目は白のローブに釘付けとなったままだ。

 

「わたしには、そんなことはわかりませんよ。でも、とても不思議な感じがします。ただのローブだとは思えません」

「へぇー、そんなことわかるんだ。あたしには、まったく普通のローブにしか見えないんだけど」

「それはそれで、正しいんだと思いますけど。でも、このローブがなんだっていうんですか」

 

 言いながらも、視線はアルテシアの白いローブを見つめたままのソフィアである。

 

「もう一度言うけど、このローブには魔法がかけてある。わたしの母が、いくつか保護魔法をかけたの」

「保護魔法? ああ、なるほど。それで暖かさが伝わってくるんですね」

「同じことを、制服のローブにもやってみようって思ってるの。それがうまくいくようなら、みんなにも広めていきたい」

「もしかして、わたしのローブにも保護魔法をかけようってことですか。そのためにローブを持ってこさせたと?」

「そうよ」

 

 ソフィアからローブを受け取り、あわせて3枚のホグワーツの制服を机の上に並べる。いくつか机を寄せ集めなければならなかったが、とにかく3枚がきれいに並んだ。

 

「それじゃあ、とにかくやってみるから」

「まってください。そこにあるのはわたしのローブですよ。一緒になってますけど、ほんとにそれでいいんですか。本気なんですか」

「もちろんよ。初めてやることだから失敗するかもだけど、もし成功したら、きっと役に立つと思うんだ」

 

 ソフィアは、ほとんど表情を変えることはしなかった。だが、うきうきとした様子で手近の椅子をたぐりよせ、腰を降ろした。

 

「では、お願いします。これは、きっといい材料になります。たとえ失敗したとしても」

「材料って、どういうこと?」

「パチルさん。わたしはなにも、魔法を勉強するためにホグワーツに入学したわけではありませんよ。魔法のことなら、実家にいても十分に勉強できるんですから」

「あらま、そうなんだ。じゃあ、なんのために?」

「いったい、アルテシア・ミル・クリミアーナという人は、どういう人なのか。それをこの目で見るためです。この1年でそれを見極めたいと思ってるんです」

「なんかよくわかんないけど、あんたもいろいろと、そのうしろに抱えてることがあるみたいだね。知ってるのかな? あたしの親戚に」

 

 そのとき、その空き教室の中が光で満たされた。話の途中であったが、パーバティとソフィアは、あわててその原因を探して視線を動かす。あの光はアルテシアのしでかしたことであり、魔法の行使によるものだった。

 

「なにいまの? もう、やっちゃったの?」

「うわ、パチルさんのせいで見逃したじゃないですか。じっくりと見るつもりだったのに」

「まあまあ、そんなのいいじゃない。それよりどうかな? うまくいかなかったかもしれない。手応え感じなかった」

 

 椅子にすわっていたソフィアが、真っ先に3枚のローブのところへ。だが手を触れることはしなかった。ただ、じっと見る。

 

「このローブは、どちらの?」

「それ、アルテシアのだよ。あたしのはこれだし」

 

 だが、その返事を待ってなどはいなかったようだ。ソフィアは、そのローブに手を伸ばし、手触りなど調べているようだ。パーバティも、自分のローブを手に取った。

 

「これ、クローデリアのですよね。どうして、こんなの持ってるんですか?」

「え? なんのこと」

「ああ、いえ。つまりですね、とてもめずらしいっていうか、これはめったに目にすることのない特殊な布地なんです。そのこと、ご存じでしたか?」

「名前くらいはね。エウレカ織りっていうんだけど、詳しいことは知らない。ソフィアは知ってるの?」

 

 アルテシアのローブは、もちろんマダム・マルキンの洋装店で作ってもらったもの。マダム・マルキンは、エウレカ織りの布地をアルテシアの母であるマーニャからもらったと言っていた。布地そのものは、マーニャのもとへアルテシアの誕生祝いとして届けられたものであるらしい。

 

「実物をみたのは、これが2回目です。もしかすると違うのかもしれませんけど、この織り方や手触りは、間違いなくエウレカ織りだと思います。これが、まだ織られていたなんて」

「もらい物だって聞いてるわ。誰からもらったのかまではわからない」

「調べることは可能ですか?」

 

 なにか知っていそうなソフィアだが、素知らぬ顔でそう聞いた。そのことを考えているのか、アルテシアは軽く唇をかんでいる。そんな2人に、パーバティが声をかける。

 

「それよりさ、保護魔法はローブに定着したの? 成功? それとも失敗なの?」

 

 なにより、それが肝心なのであった。

 

 

  ※

 

 

 その数日後、スプラウト先生から、マンドレイクが収穫間近であることが報告された。これでマンドレイク薬を作ることができ、石にされた生徒が復活する。そうなれば、誰が犯人であったのか、なぜ石にされたのかが判明することになる。もしかすると、自分たちが何もしなくても、すべての謎が解けて事件は解決するのではないか。

 その報告を聞いてハリーはそう思った。そしてアルテシアも、同じようなことを考えた。だが犯人が判明するとしても、怪物はどうするのだろう。そのままにしておくのだろうか。ともあれ、きちんと決着をつけておく必要はあるはずだ。部屋はどうなっているのか。怪物は、どういう状況にあるのだろう。

 

「マダム・ポンフリーは、了解してくれるかな」

「大丈夫だと思うよ。マクゴナガル先生も、とりあえず賛成してくれてるんだから」

 

 パーバティとアルテシアは、医務室へと向かっていた。マダム・ポンフリーには、あらかじめ話をしてあったが、最終的な了解をもらっているわけではない。なので拒否される可能性もあるにはあった。

 

「ええと、あたしは待機役ということになったんだよね」

「そうだけど、お仕事はちゃんとあるからね。これ、渡しておくわ」

 

 パーバティとしては、つらいところだった。アルテシアと一緒に行きたいという思いはもちろんあるのだが、さりとて、怪物は怖いのだ。石にされるだけならまだいい。数日のうちにはマンドレイクの回復薬が作られるので、すぐに元に戻ることができる。だが、死んでしまうかもしれないのだ。そうなったら、たとえばマートルのように、ホグワーツのどこかにゴーストとして住むことになるのだろうか。アルテシアの在学中はまだましかもしれないが、卒業したらどうなるのか。

 だがいま、そんな心配をすることはない。むしろ、無事に済むことを祈るべきだ。

 

「もしおかしな雰囲気感じたら、すぐに呼び戻してよ。どこでも投げつければ、これが割れて魔法が発動するから」

「わかってる。でも、ほんとにアルは大丈夫なんだよね。死んだりしないよね」

「こらこら、不吉なことを言うんじゃないの。だいじょうぶだよ、そんなことは絶対にない。わたし自身は医務室にいるんだから、最悪でも、寝込むだけで済むはずだよ」

「去年と同じってこと?」

「うん」

 

 アルテシアは、笑ってみせた。そうなのだ。前年にクィレル先生から賢者の石を守ったときにも、アルテシアは同じ魔法を使用してその場に臨んでいる。そのときは、しばらく医務室のお世話になってしまったが、今回はその経験もあるし、魔法使用に身体も慣れてきているはず。それにあのときは、ヴォルデモートという闇の魔法使いがいた。今回は、怪物への対処だけなのでそうならずに済むはずなのだ。

 

「でも、その怪物、まだはっきりしたわけじゃないんだよ。もし違ってたらどうするの?」

 

 学校中を悩ませている怪物の正体は、おそらくバジリスクだとアルテシアは思っている。実際にその姿をみてはいないのでまだ可能性の段階ではあるが、その確率はきわめて高い。パーバティも、この考えに同意してはいるのだが、やはりまだ不安なのだろう。資料によれば数百年も生きることがあるらしいし『毒蛇の王』とも呼ばれる毒のある牙に加え、その眼光に捕われた者は即死するとも言われている。バジリスクへの対処法は考えてあるが、強敵であることは、間違いない。

 気になるのは、そのことをハリー・ポッターが知っているのかどうか。ハーマイオニーから、その情報を得たのかどうかだ。ハーマイオニーは怪物の正体をつかんでいる、とアルテシアは思っている。そのことは、ハーマイオニーが石にされたとき、現場で小さな手鏡が見つかったことからもわかるのだ。

 ハーマイオニーは、手鏡を使って角を曲がった先に怪物がいないかどうかを確かめながら廊下を歩いていたに違いないのだ。その結果として、バジリスクの眼光を鏡を通して見ることになったため、即死せずに済んだのだ。さすがはハーマイオニーだと、アルテシアは思っている。

 医務室に着き、マダム・ポンフリーの前に立つ。

 

「やはり来たのですね。マクゴナガル先生から聞いてはいますが、私は、考え直すべきだと思いますね」

「いいえ。このままほおっておくことはできませんから」

「そうかもしれませんが、マンドレイク薬で石にされた生徒が元に戻れば、原因ははっきりするでしょう。それで解決するのだと思いますよ」

 

 そういいながらも、マダム・ポンフリーはアルテシアとパーバティを病室へと案内する。空きベッドが1つある。

 

「そういえば、さきほどハリー・ポッターが来ていましたよ。ハーマイオニー・グレンジャーのお見舞いだとかでね。石になっている人にもお見舞いが必要なのかどうか、わたしにはわかりませんけど」

「ハリーは、どんなようすでしたか?」

「そうですね。なにか勢い込んで戻っていきましたけど。その点だけを見れば、お見舞いの効果はあったんでしょうね。少なくともお見舞いに来た人は元気になったようですし」

 

 どういうことだろう。アルテシアは、考えた。ハーマイオニーと対面し、なにかヒントを得たとするのが妥当なところか。もちろんハリーに聞けば済むことなのだが、ハリーたちとは、このところ疎遠になっている。闇の魔法との関連について、言い争うようなことになってしまってからというもの、あまり話をしていない。ときおり話しかけてみたりもしてみるのだが、どうにも避けられてしまうのだ。

 

「ほんとうに、去年のようにはならないんでしょうね? まあ、あなた自身は医務室にいるんだから、その点は安心だといえるのでしょうけれど」

「大丈夫です。こう見えても、わたしも魔法が上達しているはずですから」

 

 本来なら、ここで笑い声が起こっていてもおかしくはないところ。だがそれは、病室に飛び込んできたソフィアのおかげで実現はしなかった。

 

「ご存じないでしょうから言いますけど、『スリザリンの継承者』が、また壁に伝言を残しました。最初に文字が残された壁の、そのすぐ下に、です」

「うそ! あなたはそれを見たの?」

「ええ。すでに騒ぎになっています。なにしろ、女生徒が1人、秘密の部屋に連れていかれたらしいのです」

「なんですって」

 

 異口同音。それぞれから、同じような驚きの言葉が発せられる。ソフィアのほうはといえば、めずらしく慌てているような印象を受けた。その目は、まっすぐにアルテシアにむけられている。

 

 

  ※

 

 

 話は少し戻るが、ソフィアが慌てて医務室へと来ることになったきっかけは、ハリー・ポッターの行動にあった。そのときハリーは、職員室にいた。職員室の左隅にある洋服掛けの陰に隠れていたのだ。洋服掛けに先生たちのマントがぎっしりと詰まっていたおかげで、十分に隠れることができたのである。ソフィアは、そんなハリーたちをいぶかしく思い、離れたところからようすを見ることにしたのだった。もちろん、その姿が見つからないようにと、工夫することは忘れていない。ややあって、続々と先生たちが職員室に入ってくる。

 

「生徒が1人、怪物に連れ去られました。『秘密の部屋』そのものの中へです」

 

 そして職員室に響いたマクゴナガルの声は、驚きに値するものだった。各先生から、さまざま声が続く。話をあわせてみると、連れ去られたのはグリフィンドールの1年生ジニー・ウィーズリーであるらしい。しかも犯人からの伝言として、壁に『彼女の白骨は永遠に秘密の部屋に横たわるであろう』と書かれてあるらしい。

 

「こうなっては、全校生徒を、帰宅させることも考えねばなりません」

 

 マクゴナガルがそう言ったところへ、ロックハートがにこにこしながらやってくる。遅れてきたことを悪びれるようすもない。すかさず、スネイプがその前に立つ。

 

「なんと、適任者がいた。まさに適任だ。女子学生が怪物に拉致されたのだ。『秘密の部屋』そのものに連れ去られた。吾輩は、あなたの出番が来たと考えるが」

「な、なんです。どういうことです」

 

 スネイプの言葉を理解しかねているらしい。だが他の先生からも、次々と同じような言葉が飛ぶ。

 

「たしか昨夜、『秘密の部屋』への入口がどこにあるか知っているとおっしゃっていましたね。まさに適任だ」

「そのとおりだ。『秘密の部屋』の怪物の正体も知っていると、自信たっぷりにわたしに話してくれましたよね?」

 

 ロックハートの顔から、血の気が引いていく。

 

「い、言いましたか、そんなこと。覚えていませんが」

「いや、吾輩は覚えているぞ。何もかもが不手際ばかりだ、最初から自分の好きなようにやらせてくれればよかったのだ、とも聞いたな」

「私は……何もそんな……あなたの誤解では……」

「それでは、ギルデロイ・ロックハート先生にお任せしましょう」

 

 マクゴナガルが、そう宣言した。

 

「今夜こそが絶好のチャンス。誰にもあなたの邪魔をさせたりはしませんよ。お望み通り、怪物に対しお好きなようになさってください。そして、生徒を救い出してください」

 

 もはや、ロックハートに逃げ道はない。隠れて話を聞いていたハリーは、そう思った。いったいロックハートは、どうするだろう。

 

「よ、よろしい。部屋に戻って、支度をさせてもらいます」

 

 場の空気に耐えられなくなったのであろう。ついにそう言うと、ロックハートは職員室を出て行った。それを見送り、マクゴナガルは決断した。

 

「これで厄介払いができました。いいですか、寮監の先生方は寮に戻り、生徒に何が起こったかを知らせ、今夜は寮からでないようにと指示してください。また、今後のことは明日の朝一番で説明すると言ってください。指示あるまで生徒が寮の外に出ないように見回りもお願いします。よろしいですね」

 

 先生たちがうなずき、職員室を出て行く。だがスネイプは、マクゴナガルのそばへ。

 

「今夜中に決着をつけさせるつもりだと、そういうことですかな。きっと、どこかの女子生徒が、なにかをするのでしょうな。あなたは、それを待って結論をだす。そういうことですかな」

「ええ、そうです。もう、そうするより方法がありません。さもなくば、学校を閉鎖することになるでしょう」

 

 そう言い残しマクゴナガルが職員室を出ると、スネイプもそのあとに続いた。誰もいなくなったところで、ハリーもロンを連れて職員室を出る。

 

「な、なあ、ハリー。可能性があると思うかい? その、ジニーが大丈夫だっていう」

「もちろんだ。とにかくぼくたち、ロックハートのところに行くべきだと思う」

「え? あんなやつに会ってもどうしようもないだろ。それより、アルテシアのほうが……」

「いいか、ロン。ロックハートは『秘密の部屋』に入ろうとしているはずだ。僕たちの知っていることを教えてやるんだ。それがどこにあって、部屋にどんな怪物がいるのか教えるんだ」

 

 あまりいい考えとは思えなかった。なにしろ、相手はロックハートだ。いくら先生たちの前であんな約束をしたとしても、本当に助けに行くのかどうか、疑わしい。

 だが、さしあたってそれしか方法がないと判断したのか、ハリーたちはロックハートの部屋へと向かう。そんな2人のあとを、女子生徒が1人、こっそりと付けていく。ソフィアだ。もちろんソフィアも、職員室での話は聞いている。

 ほどなくして着いたロックハートの部屋では、ロックハートがあわただしく荷物をまとめているところだった。

 

「先生、お出かけですか。僕たち、お知らせしたいことがあるんですが」

 

 そんなハリーに、とりあえず返事はしたものの、ロックハートはいかにも迷惑そうな顔をしていた。

 

「いやなに、緊急に呼び出されてね。しかたないのですよ、すぐ行かなければ」

「僕の妹はどうなるんですか?」

 

 ロンの叫びは、まさに当然のこと。それでもロックハートは、荷物の整理をやめようとはしない。ハリーが、もう1歩前に出る。

 

「本に書いてあるいろいろなことをなさった先生が、逃げ出すというのですか。こんな大変なときに」

「まあまあ、ハリー。よく考えなさい。私の本があんなに売れるのは、なぜか。つまり、誰も知らぬ魔法戦士や、見栄えのしない魔女などではなく、私がやったことだとすればいいのですよ。そのほうがいいのです。誰もがそう思うからこそ、本が売れるのですよ」

「わかったぞ。こいつは、他人のやったことを、自分の手柄にしたんだ。本を売るために自分がやったことにしただけなんだ。ほんとは、なんにもできやしないんだ」

 

 そのロンの指摘が正しかったことは、ようやく荷造りを終えたロックハートが、ゆっくりと杖を取り出したことで証明された形となった。杖は、ハリーとロンへと向けられている。

 

「お気の毒ですが、いまキミたちには『忘却術』が必要だ。私の秘密をベラベラとしゃべったりされたら、もう本が売れなくなりますからね」

 

 すぐさま、ハリーも自分の杖に手をかける。そして、ロックハートの杖が振り上げられるよりも、ほんのわずか早くハリーが大声で叫んだ。

 

「エクスペリアームス(Expelliarmus:武器よ去れ)」

 

 それは、決闘クラブでロックハートとスネイプがお手本として対決したとき、スネイプがやってみせた魔法だった。その魔法でロックハートを吹っ飛ばし、杖を取り上げたハリーは、ロックハートを追い立てるようにして部屋を出る。そのようすの一部始終を見ていたはずのソフィアも、少し離れてあとに続く。

 行き先は、マートルのいる女子トイレだった。そこに3人が入っていったのを見届けたソフィアは、すぐさま自分自身を医務室へと飛ばした。そこにアルテシアがいるであろうことは、十分に予想できたからだ。アルテシアが、秘密の部屋に関しどうやって決着をつけようとしているのか。その段取りについては、パーバティとともに聞かされていたし、アルテシアがそのとおりに実行しているのであれば、間違いなく医務室にいるはずだったのだ。

 医務室に着いたソフィアは、自分が見てきたことを、アルテシアに話して聞かせる。そこにはパーバティがいたし、マダム・ポンフリーの姿もあった。だが、そんなことはどうでもよかった。とにかくこのことは、アルテシアに告げるべきだと思ったのだ。それも、すこしでも早いほうがいい。遅れれば、それだけ立場が不利になるのは明らかなのだから。

 



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第36話 「リドルとバジリスク」

「素直に、すごいとは思いますよ。さすがだなって思います。でも、苦労するわりには得られる効果に乏しい気がするんですけど」

「かもしれないね。でも、必要なことなんだって思ってるよ。ホグワーツの生徒だもんね。まだここにいたいし」

 

 そのときのアルテシアの微笑みを、そしてソフィアの顔に浮かんだわずかな笑みを、どのように解釈すればいいのか。そんな表情を見せ合ったあとで、開かれたままとなっている秘密の部屋への入り口、すなわちむき出しとなったパイプに目を向けた。

 2人は、マートルの棲む女子トイレに来ていた。アルテシアのほうは、医務室での必要な段取りを終えてからの、予定通りの行動である。だがソフィアは、寮に戻ると言って医務室を出たはずなのだ。なのになぜ、この場にいるのか。まさかここが、スリザリンの寮でもあるまいに。

 

「触れることは、できないんですね」

 

 伸ばした手を、ひらひらとさせるソフィア。その手のひらは、アルテシアの右手を切断でもしているかのように、腕そのものを、左右になんどもすり抜けていく。しかも、動かすのになんの支障もないようだ。

 

「光を集めて写しているだけだからね。一種のホログラフィーって言えばわかりやすいかな?」

「この疑似的な体のなかに、本物の意識が封じられてるってことですよね。危険な場所に行くのには便利そうですけど、生身の体のほうがよっぽど楽なんじゃないですか。なぜこんな苦労を選ぶんですか。いざとなれば一瞬で戻れるのに」

「ああ、ダメよ。それを言いだしたらすべてが終わっちゃうでしょ」

「なるほど。一緒に行きますが、いいですよね?」

「いいけど、セルフ・サービスってことになるよ」

 

 それはつまり、危険な目にあっても自分の責任でなんとかしてよ、ということだ。秘密の部屋では、危険が予想される。すでにアルテシアは、難度の高い魔法を用いているのだ。しかもその状態を維持し続けねばならないのだから、ソフィアにまで気を配る余裕はない。それが、相当な負担となるのは間違いないのだ。だがアルテシアの表情を見る限りでは、そのことを迷惑がってはいないらしい。むしろ、喜んでいるというふうにも見える。

 アルテシアが、秘密の部屋への入り口を指さす。すると、そのパイプの中から飛び出してきたるかのよう、まったく同じ入り口が、空中に浮かび出た。もちろん、アルテシアのしわざである。

 

「秘密の部屋に安全に入れる場所を探すわ」

 

 空中に浮かんだ景色が変わっていく。パイプのなかを進んでいるのだ。だが進むにつれて、暗くなっていく。曲がりくねったパイプの奥にまで、入り口からの光が届かないのだ。

 

「少し待ってください。灯りを入れてみますから」

 

 その言葉とは、ほぼ同時。ソフィアの手のひらの上に、直系10センチほどの赤い玉が出現する。赤色に光っている、のではない。燃えているのだ。ソフィアが、その炎のかたまりをパイプのなかに投げ入れる。

 

「わたしでは、光の操作はできません。これくらいしか」

「十分だよ。十分に明るいと思うよ。ほら、パイプの中が見え始めた」

 

 アルテシアが投影している場所へ、ソフィアの火の玉が到着したようだ。そこに、火の玉が浮かんでいる。

 

「じゃあ、先へ進みましょう。速さは、わたしがあわせます」

「ありがとう、ソフィア」

 

 空中に浮かんだ景色が、動き始める。やがてパイプは終わりを告げ、石のトンネルへと変わった。これまでよりも広く、立ったままで歩けるほどだ。このトンネルは、ぼんやりと明るいようだ。もう、ソフィアの火の玉は必要ないだろう。石の廊下を進む。ハリーたちの姿は、ない。

 

「あ、あれは」

 

 ようやくにして、見えてきた人影。だが、なにかようすが変だ。その先には石というよりは岩と言うべきものが積み重なり、行き止まりとなっているようだし、ハリーの姿がなかった。そこにいるのは、ロンとロックハートの2人だけ。

 アルテシアとソフィアが、互いに顔を見合わせる。

 

「行くよ」

 

 互いにうなづいた次の瞬間には、2人は、そこにいた。

 

「ロン、大丈夫? ハリーはどこにいるの?」

「やあ、アルテシアじゃないか。そっちの子も見たことあるな。何しに来たって言うつもりはないけど、キミたちは引き返したほうがいいんじゃないかなぁ。なにしろ通行止めだ」

 

 それは、天井から落ちてきたものであるらしい。岩の塊が積み重なり、壁となっていた。その壁と天井との間にはわずかに隙間があるが、人が通れるほどではない。つまり、その壁を何とかしない限りは、先へ進めないということだ。

 

「ハリーは、この壁の向こうなんだ。だから、先に行ってもらってる」

「ケガなんか、してないよね?」

「大丈夫さ。それよりキミ、ぼくの杖を直してくれなくて正解だったぜ。杖がまともだったら、いまごろぼくの記憶はなくなってたところだ」

 

 ロンが言うには、ロックハートがロンの杖を奪い、ロンとハリーに忘却術をかけようとして失敗。杖が破裂してこんなことになってしまったらしい。いつだったかアルテシアは、ロンから杖を直せないかと相談を受けたことがあったのだ。

 

「ロン、ロックハート先生もだけど、医務室に行った方がいいわ」

「ぼくは、大丈夫。無傷だよ。それより、ここを通れるようにしておかないと。ハリーが戻ってこれないだろ」

「そのことだったら大丈夫よ。わたしが元に戻す。そんな魔法を知ってるから」

「へぇ、そうなのか。じゃあ、やってくれよ。今なら、ハリーに追いつけるかもしれない」

 

 そのロンの返事を聞いて、失敗した、とアルテシアは思った。とにかくロンを、ロックハートもだが、とにかくここから退去させてしまいたかったのだ。秘密の部屋は閉じてしまうつもりなのだし、怪物によって被害をうけてしまう可能性もある。ソフィアが口を挟む。

 

「それは、やめておいたほうがいいかと思いますよ。ところでウィーズリーさん、ロックハート先生のようすがおかしいです」

「ああ、そいつはそれでいいんだよ。さっきも言ったけど、自分で自分に忘却呪文をかけてそうなったのさ。当然の報いだよ。もう本人は、そのこと覚えちゃいないんだろうけど」

「当然の報い、ですか。なるほど、いろいろ事情がおありのようですね」

「たしかに、いろいろとあるな。とにかく、ロックハートはぼくが面倒見るから心配ない。キミたちは先に行けよ」

 

 ロンは、にこやかに笑いながら、アルテシアの肩をポンと軽くたたいてみせた。いや、たたこうとしたのだが、それは失敗する。ただの、色のついた光の塊であるアルテシアの体には、触れることはできないのだ。

 

「キミ、いまのは? ああ、いいんだ別に。説明はあとでいい。考えてみれば杖もないし、このまま先へ行っても足手まといになるだけなのはわかってる。ぼくは、こいつを医務室に連れていくことにするよ」

「ごめんね、ロン。そのかわり、妹さんは必ず助けるわ。医務室で待ってて。もうマダム・ポンフリーには言ってあるんだ。ベッドも予約済みなのよ」

「へえ、そうなのか。妹だけじゃなく、ハリーのことも頼むぜ」

 

 それには、うなずいただけ。アルテシアは、天井部分にできた大きな割れ目に目をむけた。ソフィアが、ロンの横へ来る。

 

「ウィーズリーさん。あの魔法のことは、できれば忘れてあげてください。いろいろと事情があるんです。マクゴナガル先生にもしかられるでしょうし」

「どういうことだい? キミはたしか、ソフィアとか言ったよね?」

「オブリビエイト(Obliviate:忘れよ)でしたか。それがわたしに使えれば、ウィーズリーさんに使用したでしょうね」

「ああ、それは困るな。あんなふうにはなりたくない」

 

 それは、ロックハートのことだろう。そんなことを話しているロンとソフィアの目の前では、アルテシアの魔法が進行中だった。ちょうど逆回転される映画でも見ているかのように、崩れ落ちてきたはずの岩が、吸い込まれるようにして天井へと戻っていく。アルテシアの作り出した半透明の区画に区切られた、その内部でいったい何が起こっているのか。崩れ落ちた天井は、またたくまに元通りとなった。

 

 

  ※

 

 

 その場所に着いたとき、ハリー・ポッターが背の高い黒髪の少年と向かい合っていた。そのハリーの足下には、誰かが倒れている。赤毛であることや状況から、それがロンの妹であろうと判断。ハリーは、その人物を抱き起こそうとしているところだ。

 この部屋にも、どこからか明かりがさしてくるようだ。薄暗くはあるが、行動には差し支えない。とても広い場所であり、ヘビが絡み合っているような模様が彫刻された石の柱がいくつもある。奥には巨大な石像まであるようだ。天井は見えなかった。どうやら、薄明かりでは見えないほど高いところにあるようだ。

 

「キミは、トムか。トム・リドルなのか?」

 

 ハリーの声が聞こえた。リドルと呼ばれた少年が領く。アルテシアとソフィアは、そこで顔を見合わせた。トム・リドルとは誰か。それを知っているかと、互いに確かめ合ったのだ。その答えは、リドルという少年から語られた。

 

「ぼくは、記憶なんだよ。その日記の中に50年間残されていた記憶だ」

 

 日記とは、たぶんソフィアが見たという黒いノートのことだろう。アルテシアとソフィアは、互いに目でそのことを確認し合う。だが、どういうことだろう。このことを聞き流すようなことは、アルテシアにはできなかった。本に残された記憶。実物をみていないのでなんとも言えないが、それは、どこかクリミアーナ家に伝わる魔法書を連想させる。だが今は、そのことを深く考えているときではなかった。そのことは、あとだ。すくなくともアルテシアはそう思ったし、ソフィアのほうは、そんなアルテシアをどこか不安げな目で見ているだけだ。

 リドルが指し示した、先。ハリーからそれほど遠くないところに、小さな黒い日記が、ページが開かれたままの状態で置いてあった。それを、ハリーは確認したようだ。

 

「とにかくトム、助けてくれ。ここにはバジリスクがいるはずなんだ。ジニーを運び出さなけりゃ。お願い、手伝って」

 

 だが、リドルは動かない。いや、床から何かを拾い上げるくらいのことはしたのだが、それはハリーの期待した行動ではなかった。リドルは薄笑みを浮かべつつ、拾い上げたもの、どうやらハリーの杖であるらしいが、それを手の中でくるくると回してもて遊びはじめた。

 

「聞いてるのか、リドル。急いでここを出なきゃいけないんだ。バジリスクが来たら、大変なことになる」

 

 急き立てるように言ったその言葉は、しかし、リドルには届かない。リドルは、相変わらずハリーの杖で遊んでいる。

 

「ここは、秘密の部屋なんだよ、ハリー。スリザリンの継承者のための部屋だ。聞いたことくらいあるんだろう? ぼくには、なんら危険な場所ではないのさ」

「キミがそうだっていうのか。とにかく、杖を返せ。ここが秘密の部屋だというのなら、必要になるかもしれない」

 

 だがリドルは、相変わらず笑いを浮かべたままで、ゆっくりとハリーの杖をポケットにしまい込む。そんなリドルを、ハリーは驚きの目で見ている。

 

「その、いまやかろうじて生きているだけの女の子が、どうしてそうなったのか。ハリー・ポッター、キミはなぜだと思う?」

 

 トム・リドルの、自慢話にも聞こえる説明が続く。それによれば、ジニーは長い間、リドルの日記に悩み事など書き続けていたようだ。それに応えることでジニーの心をつかみ、徐々にジニーの心を乗っ取っていったらしい。

 その話を、アルテシアたちは飾り模様のついた太い柱の陰に隠れて聞いていた。いや、ただ聞いているだけではない。話を聞きつつも、アルテシアはジニーに目をむけていた。ジニーを医務室のベッドへと飛ばしてしまうつもりなのだが、ハリーが抱きかかえている状況では思うようにはいかない。ハリーも含めれば簡単だが、そうすることはできない。

 

「もう、わかってるはずだ。『スリザリンの蛇』を使ってできそこないどもを石に変えたのは、ジニーだよ。もちろん、そのことを自覚していたわけじゃないさ。だがとうとう、変だと疑いはじめ、ついには日記を捨てた。それを拾ったのがハリー、キミだった。ボクにとって幸運なことにね」

「なぜだ。幸運だったって? それはどういうことだ」

 

 その声から、ハリーが相当怒っていることがわかる。要は、ジニーを利用したということになるからだ。ジニーを、元通りに床に寝かせてから、ハリーは立ち上がった。

 

「キミのことは、ジニーがいろいろ聞かせてくれたよ。そう、君のすばらしい経歴を、ね」

 

 ハリーがジニーを離して立ち上がったことは、アルテシアにとっては待っていた瞬間とも言えた。ハリーとリドルの話は続いている。どちらもいま、ジニーのことは意識から外れているはず。ほんの一瞬、その姿が消えたとて、気づかれることはないだろう。

 アルテシアが、ソフィアの顔を見る。アルテシアとしては、ここで互いに頷きあって実行、というつもりだったのだろう。だがソフィアは、軽く首を横に振った。そして、自分を指さしてみせる。代わりに自分がやる、という意思表示なのだろう。

 アルテシアの目が、さらに大きく開かれた。それは、意外というかおどろきのためだろう。だがソフィアは、医務室でアルテシアがベッドに印を付けたところを見ている。ジニーを転送させる位置の確認という意味でしたことだが、それによって転送先の状況などに気を遣う必要がなくなるのだ。おそらくソフィアも、同じことをしているのだろう。

 アルテシアはそう考えた。そして、うなづいてみせた。ならば、ソフィアにまかせてみよう。そして、自分はそのあとの処理をするのだ。そうすれば、ほんの一瞬であろうとも、ジニーの姿が消えるということがなくなる。万が一にも、リドルやハリーに気づかれることがなくなるのだ。

 

「そのときキミは、これといった特別な魔力も持たない赤ん坊だったんだろ。なのに、不世出の偉大な魔法使いを打ち破った。なぜだ? なぜ、そんなことができたんだ? ヴォルデモート卿は、キミに傷痕を1つつけただけだなんて、そんなことありえないだろ」

「なぜ、そんなことをキミが気にするんだ。なんの関係がある?」

 

 ハリーたちの話は続いている。アルテシアは、ソフィアの前に左手を広げてみせた。それを上下に振り、5本たてた指が4本となり、3本へ。これでタイミングを合わせようということだ。

 そのときリドルは、ハリーの杖を使って、空中に文字を書いていた。アルテシアたちにとっては絶好のタイミング。ハリーもリドルも、ジニーにはまったく目をむけていない。3本から2本、1本。そして。

 表面上は、なにも変化はなかった。ハリーたちは変わらず話を続けているし、床に倒れているジニーも、そのまま。だがアルテシアはその場に崩れるようにして膝をついた。ソフィアは、そんなアルテシアを支えようとしたが、手がすり抜け失敗していた。

 

「つまり、キミがヴォルデモート卿だってことか。だがキミは、偉大なんかじゃないぞ」

「なんだと」

「偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。みんながそう言っている。ヴォルデモート卿は、ホグワーツになんの手だしもできなかった。それは、ダンブルドアを恐れていたからだ」

「なるほど。だがダンブルドアは、ただの記憶に過ぎないものによって追放されたぞ」

「いいや、ダンブルドアは、それほど遠くには行ってない」

 

 それは、ウソだ。ハリーは、ダンブルドアがどこにいるのか知らない。そう言えばリドルがいやがるだろうと、そう思ってのことだった。だがそのとき、どこからともなく音楽が聞こえ、すぐそばにあった柱の上から炎が燃え上がった。

 炎の中から現われたのは、白鳥ほどの大きさの深紅の鳥。ハリーは、その鳥に見覚えがあった。ダンブルドアのペットでもある不死鳥のフォークスに違いない。こんなにキレイな鳥だったのか。

 不死鳥は、運んできた『組分け帽子』をハリーの手元に落とし、肩に止まった、

 

 

  ※

 

 

「驚きました。本当に、こうなるとは。この生徒が、ジニー・ウィーズリーなのですね」

「そうです。でも大丈夫でしょうか」

 

 そのパーバティの言葉は、なにもジニーに対してだけのものではあるまい。こうしてジニーが医務室に運ばれてきたということは、アルテシアが秘密の部屋の奥へと到着したことを意味する。それが同時に、アルテシアが無事であることの証明となるのなら、あるいはパーバティも、こんな気持ちは抱かないのかもしれない。

 マダム・ポンフリーには、そんなパーバティの気持ちが読み取れているようだ。

 

「ともあれ、この生徒の診察をしましょう。あなたは、ミス・クリミアーナのようすを見ていなさい。いまのところ、とくに変化もないようですけどね」

「はい」

 

 だが実は、穏やかに寝ているようにしか見えないアルテシアの、その表情が一瞬だけ変化したのを、2人は見落としていた。そのとき、部屋の反対側に置かれたベッドの上に、ジニーが運ばれてきたからである。もしそちらに気をとられることなく、その変化に気づいていたなら、パーバティはその瞬間に、アルテシアに渡されたボールを床へと投げつけていただろう。

 そのアルテシアは、秘密の部屋でハリーの話す言葉を聞いていた。そこにいるトム・リドルにとっての未来において、ハリー・ポッターを襲撃した際、なぜ失敗したのかを。

 

「なるほど。母親がキミをかばい、代わりに死んだのか。それが、呪いに対する強力な反対呪文になったんだろう。結局、キミにはそれしかないんだな。幸運だったということだけしかね」

 

 リドルが歩き出す。笑い声が、秘密の部屋に響き渡る。なにかをするつもりだ。ハリーだけでなくアルテシアも、そしてソフィアもそう思った。リドルは、一対となっている高い柱の間で立ち止まり、その上を見上げた。そこには石像がある。その石像へむかってリドルがなにかしゃべった。アルテシアにはシューシューという音にしか聞こえなかったが、ハリーには何を言っているのかわかっただろう。

 石像の顔、その口が動き始める。口を開けているのだ。しかもその口のなかで、なにかがうごめいている。そのなにかが、ズルズルと這い出してくる。

 

(バジリスクだ!)

 

 誰もが、そう思っただろう。その瞬間、ハリーは目を閉じた。そうしなければ、死ぬ。死なぬまでも石にされてしまうのだ。ほぼ同時に、ハリーの肩に止まっていた不死鳥が飛び立つ。続いて、何かが落ちる音がし、石の床が震えた。巨大なヘビ、バジリスクが石像から落ちてきたのだ。

 アルテシアが、魔法を発動。そのとき目を閉じていたハリーには、何が起こっているのかを見ることはできないが、赤や黄、緑などの色鮮やかな光がハリーを包み込んでいく。その色のついた光に包み込まれていくハリーの姿を外から見ることができるのは、それが半透明であるからだ。半透明であるため、その中にいるハリーも、たとえばバジリスクやリドルなどを見ることに支障はない。もちろん、目を開ける勇気があればの話ではあるが。

 ハリーを包む光の玉が完成すると、今度はソフィアを七色の光が包んでいく。それに気づいたソフィアが、あわてて首を横に振りながらアルテシアにすがりつこうとしたが、その体をすり抜けてしまう。そこに、アルテシアの体、その本体はないのだ。

 

「なんだ、それは! いったい何をしたんだ」

 

 リドルの声。だが、目を閉じているハリーには、なんのことかわからない。おそらくは目を開けたくてたまらないのだろうが、その欲求を、開ければ死ぬかもしれないという恐怖によって、かろうじて押さえこむ。視力の制限によって耳の感度が上がったらしく、ハリーには、さまざまな音がはっきりと聞こえた。バジリスクが、その巨大な胴体を床の上で滑らせる音。不死鳥のフォークスの翼が、空気を切り裂く音。その鳴き声。

 なにやら重いものが動きまわる気配が続き、ハリーは、とうとう我慢ができなくなった。おそるおそる、目を開けていく。最初に見えたのは、赤や青の色。まるでシャボン玉のように、それらの色が混ざり合って動いていた。そして、その色を通して巨大な蛇が見える。と同時に、バサバサとフォークスの羽ばたく音。バジリスクが、こっちを見た。

 ハリーは、あわてて目を閉じた。間に合ったのか、それとも遅かったのか。その顔を見た気がする。その目を見たような気がするのだが、意識はある。それはつまり、生きているということだし、石にはなっていないということだ。では、間に合ったのだろうか。

 ふたたび、フォークスの鳴き声。なにかがぶつかり合う音。バジリスクが、いっそう激しく動きまわる。いや、これでは暴れていると言った方がいいだろう。

 

「くそっ、不死鳥のやつめ。もういい、鳥にはかまうな! においで探るんだ。後ろにいるぞ! 殺せ、殺すんだ!」

 

 あるいは、ヘビ語だったのか。リドルが叫んだ。ハリーは目をあけた。真正面に蛇の顔が、そして、その目が。だが大きな黄色い球のような目からは、血が噴き出していた。察するに、フォークスのくちばしでつぶされたのだろう。

 ハリーがそう判断したとき、視線のなかにあった赤や青、黄色といった色が消え去り、視界がクリアになった。やはりバジリスクは、両眼とも潰されている。これで、即死や石化からは逃れることができるが、それでもバジリスクの戦闘力は残ったままだ。

 バジリスクの尾が、大きく旋回。尾による攻撃だ。あまりの素早い動きに、ハリーはとても逃げ切れないと思った。それでも身をかわそうと床に伏せる。そのハリーと頭の上を、バジリスクの尾が、ゆっくりと通り過ぎていく。

 ゆっくりと? ハリーは、疑問に思った。目で追えるほどのスピードだ。とてもよけきれないと思ったのに。そのはずだったのに。ハリーの頭に、フォークスが持ってきた「組分け帽子」が乗せられた。バジリスクの尾の旋回による風圧で飛ばされ、たまたまそうなったのだろう。だが、この状況で「組分け帽子」がなんの役に立つのだ。ハリーは、そう思った。だがもう、これしか残っていないのも事実。杖は、リドルに奪われたままなのだ。

 帽子をしっかりとかぶり、床にぴたりと身を伏せる。これで尾の旋回による攻撃はかわせるだろう。だが、バジリスクの牙は防げない。ハリーは考える。なにか方法はないか、助かる方法はないのか。

 

(これを使うがいい)

 

 頭の中で声がした。ぎゅっと、誰かが絞ったかのように帽子が縮んだ。そして、頭の上が重くなった。帽子の中に、何かある。

 あわてて帽子を脱ぎ、そのなかに手を突っ込む。何か、長くて固いもの。ハリーは、帽子からまばゆい光を放つ銀の剣を取り出した。柄には大きなルビーが輝いている。

 これで、バジリスクを倒せる! ハリーは立ち上がり、剣を構えた。バジリスクも、鎌首をもたげハリーへと向ける。丸ごとハリーを飲み込めるほどの大きな口が、カッと開かれ、ハリー目がけて迫ってくる。

 だが、そのバジリスクの動きはゆっくりだ。なぜかは知らぬが、十分に目で追うことができるのだ。両眼から血を流しているためかもしれない、とハリーは思った。だが、チャンスであることに疑いはない。

 長い牙のある、大きな口。そこにハリーは、全体量を乗せて、剣を突き入れた。ズブリと突き刺した。狙い通りの場所ではあったが、肘のすぐ上に焼けつくような痛みが走った。バジリスクの毒牙が1本、ハリーの腕に突き刺さったのだ。その毒牙をハリーの腕に残したまま、バジリスクが床に倒れていく。毒牙は、折れていた。

 その牙を、力のかぎりに腕から引き抜く。そこから、血が噴き出してくる。痛みもかなりのものだ。ばさばさと羽ばたきの音が聞こえ、それが、小さな爪音に変わった。爪音は、フォークスが床を歩く音だろう。

 

「フォークスだね。ありがとう、キミのおかげだよ」

 

 ハリーの傷ついた腕に、フォークスが頭を乗せる。誰かの足音が聞こえ、それがハリーの前で止まった。

 

「なかなか、やるもんだ。まさか、スリザリンのヘビがやられるとはね。だがキミも、これで終わりだ。その不死鳥を見るがいい」

 

 トム・リドルだった。

 

「キミは、これで死ぬんだ。ダンブルドアの鳥にさえ、それがわかるらしい。泣いているんだよ、ハリー・ポッター。君は死んだのだ」

 

 たしかにフォークスは、泣いていた。涙がポロポロと、そのつややかな羽毛をつたい、ハリーの腕へと落ちていく。

 

「これで有名なハリー・ポッターもおしまいだ。結局、ヴォルデモート卿はハリー・ポッターの息の根を止めたのだ」

 

 勝ち誇ったような、リドルの声。だがハリーは、異変を感じていた。あんなに痛かった腕から、痛みが薄らいでいくのだ。驚いて、腕を見る。フォークスが、そこに頭を乗せている。フォークスの流した涙が、傷口の周りを覆っていた。傷跡までもが消えていく。

 

「そうか、不死鳥の涙。癒しの力だ…… 忘れていた……」

 

 突然リドルの声がした。

 

「いまいましいやつめ、どけ、そいつから離れろ」

 

 みれば、リドルはハリーの杖を持ち、それをフォークスに向けていた。追い立てられたフォークスが、再び舞い上がった。リドルが、ハリーを見下ろし、ハリーも、リドルをにらみつける。

 

「いいだろう、1対1の勝負だ、ハリー・ポッター。決闘の方法は知っているのだろうな」

 

 だが、ハリーの右手に杖はない。左手には、傷口から引き抜いたバジリスクの牙があるが、これでは戦えるはずがない。

 そのハリーの前へ。スーっと、宙を滑るようにして小さなノートのようなものがやってくる。いったい、どこから? ハリーだけでなく、杖を構えたリドルでさえ、そのノートを見ていた。いったいどこからきたのか。なぜ、宙に浮いているのか。これをどうしろというのか。互いに、いろいろと思うことはあっただろう。

 だが、行動を再開したのは、ハリーのほうが早かった。これは、あのリドルの日記帳なのだ。ハリーは日記帳をつかむと、持っていた牙を真ん中にズブリと突き立てた。これらは、ほんの一瞬の出来事。

 

 ハリーは仰向けに寝転がり、リドルは、悲鳴をあげながら転げ回る。そのかたわらには牙の刺さった日記帳がころがり、古びた組み分け帽子と、そこから取り出した剣によってつらぬかれたままのバジリスクの死骸。そして、その上空を舞う不死鳥のフォークス。

 苦しむリドルの姿が消え去り、秘密の部屋の怪物も死んだ。これで、すべてが終わったのだ。フォークスが、ハリーだけでなく、穴の開いた日記帳や組み分け帽子、剣やハリーの杖までをもその足につかみ、飛び去っていく。

 

 誰もいなくなった、秘密の部屋。いや、そこにただ1人、ソフィアが残されていた。泣き声が秘密の部屋に響く。ソフィアが、泣いているのだ。すべてが終わったその場所で、ソフィアが声を上げて泣いていた。

 




 そろそろ、第2巻「秘密の部屋」もおわりですね。
 となれば、第3巻のお話をどうするか、なんてことになってきます。さあて、どうするかな。


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第37話 「2年目の終わり」

 まことに申し訳ないですが、内容を若干書き換えさせてもらいました。ちょっとね、勘違いがありまして。ウィーズリーおじさんとハリーは初対面、というつもりでいたのです。でも実際は、対面しているはずなんですよね。なにしろ、ダーズリー家から空飛ぶ車で脱出したハリーは、残りの夏休みをウィーズリー家で過ごしたんですから。
 そんなわけで、そのあたりの変更がされています。あしからず、ご了承くださいませ。



「よくぞ、無事に戻ってきた。まずは、そう言わせてもらいたい。医務室の世話を必要とする者もおるが、ほどなく回復するじゃろう。マンドレイク薬も完成したと聞いておるしの」

 

 なぜか、ホグワーツの校長室にダンブルドアの声。そのことに、ハリーは驚きを隠せなかった。校長職を解かれ、学校を去らねばならなかったダンブルドアが、なぜいま、ここにいるのか。

 不死鳥のフォークスに連れてこられた校長室で、まさか、ダンブルドアに会うことになるなんて、ハリーは思ってもいなかった。だが、いるべき人がいるべき場所にいる。そのことが、ハリーをほっとさせたのも間違いのないことだった。

 考えてみると、フォークスが来てくれたのは、ダンブルドアが戻ってきたからなのかもしれない。ダンブルドアが必要となりそうなものを、フォークスに運ばせたのかもしれない。

 だが、たとえそうではなかったとしても、置き場所はここしかない。

 ハリーは、ダンブルドアが座っている、いつもの執務用デスクへと歩いて行き、そこに剣と組み分け帽子、それに真ん中に大きな穴の開いた日記帳を、置いた。どれも、秘密の部屋から持ち帰ったものだ。

 誰もが、ハリー・ポッターを見つめていた。校長室には、ほかにマクゴナガルとスネイプ、それに赤毛の紳士がいる。ロンとジニーの父親であるアーサー・ウィーズリー氏だ。娘のジニーが巻き込まれたとあっては、学校に来ないではいられなかったのだろう。

 

「ああハリー、キミのおかげだよ。キミが、いろいろとしてくれたおかげだ。校長先生、そうなのですよね?」

「そうじゃとも、アーサー。まさにこの子は、真の信頼を示してくれた。ゆえにフォークスが呼び寄せられ、グリフィンドールの剣すらも手にすることができたのじゃろう」

「グリフィンドールの剣?」

 

 それは、ハリーが組み分け帽子から取り出した剣のことだ。ホグワーツ創設者の1人であるゴドリック・グリフィンドールが持っていた剣であり、真のグリフィンドール生だけが、帽子から取り出すことができると言われている。

 

「この剣を手にできたということが、キミがグリフィンドールに属するという証拠じゃよ。もう、悩むこともあるまい。のう?」

 

 ヘビ語のことや組み分け帽子がスリザリンに入れようとしたことなどから、ハリーは、自分がスリザリンに属するべきだったのではないかという悩みを持っていた。それをダンブルドアに相談したことなどなかったが、ダンブルドアは承知していたらしい。もうこれで、ハリーはこのことで悩むことはなくなるだろう。

 

「さて、ハリー。話を聞かせておくれ。いったい秘密の部屋で何があったのか、それを聞かせてほしい」

 

 ダンブルドアの目は、厳しいものでもにらみつけてくるようなものでもなかった。穏やかな温かい目をしていた。その目を、ハリーはじっと見る。

 

「話しておくれ、ハリー。今回、何があったのか。秘密の部屋でのことを説明できるのは、ここにはキミしかおらんのじゃよ」

 

 そんなことより、寝室に行きたかった。話をするより、眠りたかった。だが、そういうわけにもいかないだろう。ハリーは、ちらとウィーズリー氏のほうへと目をむけた。きっとこの人だって、医務室に行きたいんだろうに、とハリーは思う。そして同時に、ジニーが助かったらしいと知り、ほっとする。でもなければ、この人は校長室でこうしてなどいられないはずなのだ。ダンブルドアも『医務室の世話を必要とする者もおるが、ほどなく回復する』と言っていた。それはきっと、ジニーのことだ。ジニーは、大丈夫だ。

 

「最初に気づいたのは、ハーマイオニーでした」

 

 ハリーが、話し始める。姿なき声を聞き、それがヘビ語ではないかと考えたことや、石になったハーマイオニーの手に、ちぎり取った本のページが握られていたこと。ハグリッドがクモを追いかけろと言ったこと、その結果50年前の犠牲者が「嘆きのマートル」であると予想できたこと。ならば「秘密の部屋」への入り口は、マートルの棲むトイレにあるのではないかと考えたこと。

 

「秘密の部屋に入ったのは、あなただけですか?」

 

 ハリーが一息ついたので、マクゴナガルが声をかける。それはなにも、先を促す意味だけではあるまい。アルテシアがどうしたのか。それが気になったのだろう。実はマクゴナガルは、生徒を家に帰すようなことになった場合の処置やダンブルドアの出迎えなどで忙しかったこともあり、アルテシアとは話をしていないのだ。おそらくは、アルテシアのことが知りたかったのに違いない。

 

「ロンとロックハート先生が一緒でした」

 

 再び、ハリーは話し始めた。ロックハートがロンの折れた杖を奪ったこと。忘却呪文をかけようとして失敗し、杖が破裂して天井が崩れてしまったことも。

 

「そこでロンとロックハート先生とは、わかれたんです。そういえばロンは、どうなりましたか。医務室ですか?」

「その2人は、吾輩が校内を巡回中に見つけた。どちらもケガなどはしていない。必要なのは睡眠だと判断し部屋に戻って休むよう指示した。ロックハート先生は、病院に入ることになるだろう」

「病院、ですか」

「忘却術により失われた記憶が戻るか否かは、聖マンゴ病院に任せるしかない」

 

 ハリーも納得し、話を続ける。秘密の部屋の奥でジニーを見つけ、リドルに出会い、日記の秘密を聞かされ、そしてリドルがバジリスクを呼び出したこと。

 誰もが、口に出したいことはあっただろう。質問もあったに違いないが、とにかくハリーの話は中断されることなく続いた。フォークスのこと。組み分け帽子のこと。色のついた光のこと。剣のこと。バジリスクとの戦いや、ケガ。フォークスの涙。そして、結末。

 

「それが、キミが見たことのすべてであり、キミがしたことのすべてなのじゃな」

「はい。でも校長先生、ジニーはどうなったんでしょうか。なぜ、医務室に? ぼくはジニーにはなにもしていません」

「ハリー、その質問の答えを知るためにも、先にいくつか、聞かせてもらいたい。みなさんにも聞きたいことがあるじゃろうしの」

「はい」

 

 ここでダンブルドアが、視線を巡らせる。真っ先に手を挙げたのは、マクゴナガル。だがダンブルドアは、それを素通り。

 

「ハリー、キミはトム・リドルが日記帳を介してミス・ウィーズリーを操ったと、そう言いましたな。そのトム・リドルとはヴォルデモート卿のことだと、知っていたかね?」

「待ってください、『例のあの人』ですって? あの人が、ジニーに? それはトム・リドルという者の日記だと」

 

 それは、ハリーが返事をするよりもはやかった。たしかに、親として、気になることではあるだろう。

 

「アーサー、ヴォルデモート卿は、最初からそう名乗っていたのではない。本当の名は、トム・マールヴォロ・リドルじゃよ」

「なんと。ではやはり『例のあの人』は生きているのですね。滅びてはいないのですね」

「そういうことになるのう。わしの個人的な情報によれば、あやつはアルバニアの森に隠れているらしいが」

「おお、では娘のジニーが生きて戻れたのは…… なんと幸運であることか」

 

 ウィーズリー氏が、感謝の気持ちがこもった目をハリーにむける。ハリーに飛びつき、抱きしめたい。そんな気持ちもあったに違いないが、そこまではしなかった。だがハリーは、首を横に振る。

 

「ウィーズリーおじさん、ぼくはなにもしてません。なにもできなかったんです。ジニーがなぜ医務室にいるのか、その理由すらわかりません」

「だがキミは、秘密の部屋に入った。なんのためかね、ハリー? キミは、バジリスクを退治した。それは、なんのためなのかね? わたしらは、キミに感謝しておるよ。キミのお蔭だと思っておるよ」

「さてハリー。もう1つだけ、わしから質問がある。キミは、バジリスクが出てきたとき、目を閉じたと言った。そして再び目を開けたとき、赤や青などのまざりあったものが見えたと」

「はい。あのとき、それを通してバジリスクを見ました。その顔や目も見たような気がするんですが、きっと気のせいです。だってぼくは、石にはならなかった」

「それが、誰かの仕掛けた魔法だとは思わなかったかね? 他には誰もいなかったのかね?」

「あれが魔法? でもあそこには、ぼくとリドルだけしかいませんでした。ジニーは床に倒れていました」

「ふむ」

 

 ダンブルドアが、マクゴナガルを見る。そのダンブルドアに、マクゴナガルは軽く首をかしげてみせた。わからない、という意思の表示だろうか。

 

「ではハリー、フォークスがバジリスクの両目をつぶしたのはそのあと、ということになるのかな」

「そうです。フォークスのおかげでぼくは、自由に動けるようになった。目をとじなくても済むようになったんです」

「確かにの。わかりました。わしからの質問は以上じゃ。みなさんは、なにかあるかね?」

 

 ふたたびダンブルドアがマクゴナガルを見たが、今度はマクゴナガルは、手をあげなかった。

 

 

  ※

 

 

「ホグワーツ特別功労賞を、あの娘にも与えるべきだと、そうおっしゃればよかったのでは?」

「いいえ、スネイプ先生。あの子は、そんなものは欲しがらない。むしろ、いやがると思いますよ」

 

 スネイプとマクゴナガルは、医務室に向かっていた。ウィーズリー氏もともに校長室を出たのだが、一刻も早く娘に会いたいと言い残し、駆け足で先に言ってしまったのである。マクゴナガルもそうしたかったのだろうが、いつもなら廊下を走るな、と注意する立場である以上、スネイプの前でもありそうするわけにはいかなかったのである。

 

「だが、ハリー・ポッターの話のなかに、あの娘の名前は出てきませんでしたな」

「たしかに、そのことは気になりました。アルテシアが秘密の部屋に入ったのは間違いないし、ジニー・ウィーズリーを医務室へと運んだのも彼女のはずなのに、どういうことなのかと」

「ポッターが言ってましたな。色の混じり合ったものを見たと。それが、あの娘のしわざであると思いますかな」

 

 なぜ、スネイプがこうも話しかけてくるのか。しかも、嫌みのニュアンスが含まれていないのだ。普段にはない珍しいことではあったが、ともに医務室に向かっていることでもあり、歩きながらの話題として不自然だとも言えなかった。

 

「そうだと思いますね。おそらく、バジリスクの視線からポッターを守るためにそうしたのでしょう。目をみた気がすると、彼がそう言っていたのがなによりの証拠だと考えます」

「同感ですが、さて校長は、このことに気づいたでしょうかな。いっそ、おっしゃればよかったのですよ、そうすれば、ホグワーツ特別功労賞をもらえたでしょうに」

 

 一瞬、むっとしたような表情をみせたマクゴナガルだが、それを意志の強さで押さえ込む。おそらくスネイプは、わざと挑発してみせたのだろう。

 

「失礼。実は、あの娘のことはずっと気になっておるのです。あの娘は、魔法薬に関するあれほどの知識をいかにして得たのか。むろん、それだけに限らず、いろいろと知りたいことはある。お教えいただけばありがたいと、そう思っておるのですよ。おそらくはダンブルドア校長も同じでしょう」

「かもしれません。ともあれアルテシアは、スネイプ先生のことは信頼しているようです。できれば、ただのグリフィンドール生としてではなく、スリザリン生のように目をかけてやってくださればと思いますよ」

 

 どうやらそこには、スネイプを思わず苦笑させるほどの皮肉が含まれていたようだ。医務室では、ジニーのいるベッドの横に、ウィーズリー夫妻が並んで座っていた。ジニーはすでに意識を取り戻していたし、ロンの姿もあった。スネイプに気づいたロンは、下を向く。寮に戻れと言われていたからだろうが、スネイプはロンを無視している。だが、そんなことを気にすることはない、いつものことなのだから。

 

「ああ、先生。おかげさまでジニーは無事です。マダム・ポンフリーは、明日には退院してよいと」

「それはなによりです。大事にならずに済んで、本当に良かった」

 

 言いながらマクゴナガルは、ベッドの横へ。

 

「ミス・ウィーズリー。つらい思いもしたことでしょうが、今回のことでの処罰などはないと、ダンブルドア先生がおっしゃいました。苛酷な試練ではありましたが、受け止め、乗り越えるしかありません。これからが大事ですよ、いいですね?」

「…… はい、先生」

「よろしい。それから、ミスター・ウィーズリー」

 

 ロンのことだ。スネイプはまだいるが、さすがに顔をあげずにはいられない。

 

「ミスター・ウィーズリー。あなたには、ホグワーツ特別功労賞が与えられますし、ダンブルドア先生がグリフィンドールに200点を与えてくださいました」

「ほんとですか!」

「ええ、ほんとうです。スネイプ先生が証人となってくださるでしょう」

 

 もちろん彼は、そんなことの証人となるために来たのではない。だが、ダンブルドアがハリーだけではなくロンにも200点を与えたのは事実なので、否定はしなかった。だがロンは、両親の喜びようとは裏腹に、さほど嬉しそうな顔はしていない。

 

「先生、とても嬉しいことなんですが、200点のほうはともかく、ぼく、ホグワーツ特別功労賞は」

「いらないというのですか。ハリー・ポッターも受賞するのですよ」

「そうですか。でもハリーはともかく、ぼくはそれほどのことはしてないんです。ぼくより、アルテシアにあげてください。あの女の子にも」

「あの女の子? いえ、それよりアルテシアは? アルテシアはどこにいるのです?」

 

 さも、いま思い出したかのようにそう言ったのだが、マクゴナガルが真っ先に聞きたいことであったのは言うまでもない。そもそもの予定では、いまジニーがいるベッドにアルテシアがいるはずだったのだ。おそらくはジニーにベッドを譲ったのだろうと、マクゴナガルは思っている。だがジニーに譲ったあと、アルテシアはどこに行ったのか。別の病室だと考えるのが自然だが、医務室には石になった生徒も寝かされているのだ。この医務室に、それほどベッドの余裕があっただろうか。

 

「マクゴナガル先生、そのアルテシアという人も、なにかジニーのためにしてくれたのですか? ロン、そうなのか?」

「そうなのかい、ロン。もしそうなら、その人にもお礼を言わないといけないわね。家に招待したらどうだい?」

 

 ロンとジニーの母はモリー。そのモリーの口調は、ともあれジニーが生還しロンも無事であるということで、ずいぶんと落ち着いたものとなっていた。だが、マクゴナガルはそうではない。次第にその心に焦りにも似たものが広がり始める。アルテシアは、なぜいないのだ。なぜ誰も、アルテシアのことを教えてくれないのか。マダム・ポンフリーはどこにいるのだろう。そういえば、パーバティもいないではないか。

 マクゴナガルがそんなことを考え始めたころ、校長室では突然の来客であるルシウス・マルフォイが、ダンブルドアと言い争っていた。

 

 

  ※

 

 

「そうはいうが、ルシウス。わしが戻ってきたのは、君以外の理事全員が、学校を頼むと連絡をくれたからじゃよ。キミがここに来たのも、その理事たちから知らせが届いたからじゃと思うがの」

「いいや、ダンブルドア。秘密の部屋を解決できなければ、結局は同じことになると、そうお伝えするためだよ。どうやって解決するのか、解決できないときはどう責任をとるのか。それをお聞きしたいものだ」

「ほう。それならばルシウス、心配はいらんというておこうかの。実はちょうどいま、解決したところでな」

 

 それは、明らかに予想外。ダンブルドアの苦悩する表情が見られるはずだったのだ。その顔を早く見たくて、わざわざ自分の家のハウスエルフであるドビーに、付き添いの『姿現し』をさせ、校長室へと直接来たのである。なのに、その顔をしているのが自分で、それをダンブルドアに見せることになろうとは。

 通常、ホグワーツの敷地内では『姿くらまし』『姿現し』はできない。そのような対策がなされているからだ。だがハウスエルフのそれは、その制限を受けない。そのことを知っているルシウスは、ドビーの腕をつかんで『姿現し』をさせることで、便乗する形で校長室へと移動したのである。

 そういえば、アルテシアが『転移』あるいは『飛ぶ』という表現をしている魔法も、この対策による影響は受けていないようだ。こちらは厳密には移動のための魔法というわけではないが、同じような結果を得ることができる。現象面だけを見るならば、ドビーたちハウスエルフの魔法と、なにか共通する点があるのかもしれない。

 

「解決した? 襲撃をやめさせたと? 犯人を捕まえたのか!」

「前回と同じ人物じゃよ、ルシウス。じゃが今回は、この日記帳をしかけた人物こそ、大いに非難されるべきじゃろう」

 

 ダンブルドアの示した、真ん中に穴の開いた小さな黒い本。それをいまいましそうに見つめるルシウス。

 

「まことに巧妙な計画じゃよ。ハリーが気づかなければ、ジニー・ウィーズリーがすべての責めを負う結果となったやもしれん。ジニーのしわざではないのだと、いったい誰が証明できようか」

 

 ルシウスの目をまっすぐ見つめ、静かな調子で続けるダンブルドア。そのときハリーは、ドビーを見ていた。ドビーは、まず日記を指差した。そして、ルシウスを指差し、自分の頭を殴る。なぜそんなことをするのかを考える。

 ドビーの行動が、前回、医務室でドビーと話をしたときと同じだとすれば、答えはすぐにでてきた。

 

「マルフォイさん。ジニーが日記を手にしたのは、あなたが本屋で彼女の荷物に紛れ込ませたからじゃないんですか。そして、今回の騒動を起こさせようとした。違いますか?」

 

 ハリーは、そう言った。即座に、ルシウス・マルフォイがハリーに食ってかかる。

 

「黙れ。バカな小娘がどこでどうして日記を手に入れたかなど、私が知るものか。ダンブルドア、失礼する。さあドビー、帰るぞ!」

 

 もちろん、そのままドビーの『姿くらまし』で校長室を去ることは出来たはずだが、さすがにダンブルドアの前では遠慮したのだろう。歩いて校長室を出ようとする。ハリーは、あわててダンブルドアをみた。

 

「校長先生、ハウスエルフを自由にするには、どうすればいいんですか?」

「そうじゃの。この場合はルシウス・マルフォイがドビーに、なにか身につけるもの、着るものをプレゼントすれば、ドビーは自由となれるじゃろう」

 

 瞬間、ハリーは考える。

 

「ダンブルドア先生、この日記帳をマルフォイさんにお返ししようと思うのですが」

「よいとも、ハリー。きっとうまくいくじゃろう」

 

 まさか、ダンブルドアも同じことを考えているのか。だが、ゆっくりしてはいられない。ハリーはソックスを脱ぐと、日記帳に挟んだ。そして、大急ぎで校長室を出る。

 

 

  ※

 

 

「え! じゃあドビーは、もうマルフォイ家のハウスエルフじゃなくなったのか」

「そう言っただろ、ロン。とにかくこれで、ドビーはマルフォイ家から解放されたんだ。ドビーのやつ、喜んでたよ」

「それでハリー、ドビーとはなにか話したの?」

 

 そこには、ハーマイオニーもいた。ハーマイオニーは、マンドレイク薬によって回復し、病室から解放されたばかりなのだが、さっそく3人は湖のそばへと出かけ、ベンチに座って今回のことについて話し込んでいた。

 

「もちろん、一番気になることは、ちゃんと聞いた。アルテシアのことだろ」

 

 ハーマイオニーだけではない、ロンもそのことは知りたかった。ドビーの言葉からアルテシアを疑うようなことになり、そこから生じた溝は、いまだに残ったままだ。これで、それが解消できればいいのにと、ロンはそう願っていた。

 

「ドビーは、こう言ったんだ。『クリミアーナを守らねばならないからでございます』ってね」

「どういうこと、分からないわ」

「ハーマイオニーとおんなじことを、ドビーに聞いたよ。あいつが言うには、クリミアーナのことを知られないため、らしい。ああ、わかってる。なぜ? 誰に? だろ。ぼくも、そう聞いたんだよ」

 

 そうしてハーマイオニーの質問を封じておき、ハリーは話を続ける。マルフォイ家から解放されたことにより、何か言うたびに自分を罰する必要のなくなったドビーだが、その説明はあいまいでわかりにくいままだった。

 要するにドビーは、闇の側の魔法使いをクリミアーナ家に近づけたくなかったらしい。『闇の側に奪われたなら大変なことになってしまうのです』という、その大変なことの具体的な意味などハリーにはわからなかった。だがドビーは、そうならないようにするためには、そうする必要があったのだと言う。悪い魔法を知られないために、悪い魔法を近づけないために、あえて距離を置かねばならない。そうすることが一番いいと言うのだ。

 

「なんだかよくわかんないけど、つまりそれって、アルテシアは闇の魔法とは関係ないってことだよ。そういうことだよな。そりゃそうだよな。いままで、あいつにどれだけ助けてもらったか。あいつのせいでひどいことになった、なんてことは一度もないんだ。知ってたか、ハーマイオニー。あいつがぼくの折れた杖を直さなかったのだって、きっとこのためなんだ」

「はいはい、わかってるわ、ロン。でもね、杖のことは無関係だと思う。アルテシアだって、ロックハート先生がそんなことする人だと知ってたはずないもの」

「だろうね。でもハーマイオニー、ぼくたち、アルテシアと仲直りするべきだと思う。そうするべきだよ。キミもそう思うよね?」

 

 ドビーのことがあったから、というわけではないが、アルテシアとは友だちでいたいとハリーは思っていた。友だちでいる限り、アルテシアは闇の側に行ってしまうことはないという思いもある。たとえヴォルデモート卿に誘われるようなことがあったとしても、アルテシアは、ここにいてくれるはずだ、と。

 ハリーの目には、ハーマイオニーが少し不思議そうな顔をしているように見えた。それは、わざわざ仲直りをするという必要を感じていないということか。もしかするとハーマイオニーは、そんなことをしなくてもアルテシアと普通に話せているのだろうか。

 ハリーは、そんなことも考えた。すくなくともハリーのほうは、ここしばらくアルテシアとまともに話をしていないのだ。

 

「ねぇ、アルテシアはどこにいるの? なにか話をした?」

「あ、ええと、わからないんだ。昨日からアルテシアの姿は見ていないんだよ」

 

 もし、その姿を見かけたなら。ハリーは、すぐにも仲直りをしようと思っていた。たとえハーマイオニーが反対しようとも、きっとそうするだろう。おそらく、反対はされないだろうけど。

 ドビーが、最後に言ってた言葉を思い出す。

 

『偉大なるハリー・ポッターが、クリミアーナを守ってくださるのだとしたら。ああ、こんなにすばらしいことはありません。どんなにか安心できることでしょう』

 

 その言葉は、ハーマイオニーとロンには、伝えていない。だってぼくは、偉大でもなんでもない。ごくふつうの男の子なんだ。ハリーは、そう思っていた。

 

 

  ※

 

 

 秘密の部屋が閉じられたことで、学校の日常は、いつもどおりに戻ることになる。だがもちろん、すべてが同じということにはならない。誰もが、この事件を経験したからであり、そのことが消えることはないからだ。だがそれを乗り越えたことは、大きな糧となるのに違いない。

 一番の被害者であったジニー・ウィーズリーはすっかり元気となり、犯人だと疑われたハグリッドも、戻ってきた。ロックハート先生は聖マンゴ病院に入ることになったので、闇の魔術に対する防衛術の担当教師は、変わることになる。

 ハリーとロンがダンブルドアから、それぞれ200点ずつ合計400点を得たことで、寮対抗優勝杯は2年連続でグリフィンドールが獲得。だがそれを喜ぶグリフィンドール生たちのテーブルに、アルテシアの姿はなかった。

 秘密の部屋でのことが解決したときから、アルテシアの姿を見た者はいない。そのことが問題にならないのは、すでに家に戻ったとマクゴナガルが報告したからである。なんでも、クリミアーナ家より迎えの人が来て、事情を説明し、連れ帰ったというのだ。

 その事情とは、なんなのか。そのことについては、マクゴナガルはただ一言、体調不良と言ったのみだった。

 

「クリミアーナ家から迎えの人? そんなことってあるの?」

 

 ハーマイオニーは、そんな疑問をハリーたちにぶつけた。たしかにクリミアーナ家には、パルマという人がいた。だから迎えに来るのは可能だ。それを否定はしないが、マクゴナガルの説明には疑問がある。ハーマイオニーは、そう主張したのだ。

 

「けど、あいつがいないのは確かだぜ。みろよ、パーバティを」

 

 ロンに言われるまでもなく、パーバティのようすが変なのは、ハーマイオニーも気づいていた。もちろん、ハリーもだ。

 

「だって、ロン。あなたは秘密の部屋に入っていくアルテシアをみたのよね。あのソフィアって子と一緒に、たしかに入っていったんでしょ」

「ぼく、何回もそのこと、説明したと思うけどな」

「あたしは、医務室にいたのよ。次の日にあたしがマンドレイク薬で元に戻ったとき、アルテシアは病室にいなかったわ。体調を崩したというのならいてもいいはずだし、いるのが普通だと思わない?」

「そうだけど、ベッドはいっぱいだったんだ。だからクリミアーナ家に戻ることにしたんじゃないかな」

 

 ハリーのように考えることはできる。パーバティとパドマの姉妹2人ともがふさぎ込んでいるのも、体調を心配してのことなのだろう。だがハーマイオニーには、どこか納得のいかない部分が残っていた。ハリーの言うとおりだとしても、次の日の朝くらいは、医務室にいてもよかったのではないか。迎えに来たところを、アルテシアが連れ帰られるところを、誰か見たとでもいうのだろうか。

 そんな疑問とは関係なく、ホグワーツ特急の出発時刻が迫ってくる。ホグワーツの生徒たちが、ぞくぞくと乗り込んでいく。パチル姉妹、ハリーにロン。そしてもちろん、ハーマイオニーも。

 ともあれ、秘密の部屋に悩まされた1年は終わったのだ。アルテシアにとってのホグワーツでの2年目は、こうして終わりを告げたのである。

 




 これで、原作第2巻が終わり、ということになります。読んでいただき、ありがとうございます。
 いったいアルテシアはどこに行ったのか、なんて言わなくても、内緒にする意味がないくらいわかりやすいですね。ともあれ、第3巻へと話は続くのかどうか。どーやって? それが問題ですね。


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アズカバン 編
第38話 「500年後のいま」


「アルテシアは戻ってきましたか?」

 

 さすがはマクゴナガル。凜と響くその声は、この屋敷のどこであろうとも聞こえたことだろう。だがその問いかけに対する返事は、彼女の期待したものではなかった。すなわち、否である。

 

「戻ってこれるんですかねぇ、先生さま。このまま新学期になって、そのまま学校へってことになれば、あたしゃ、どうしたらいいですかねぇ。待っているしかねぇんでしょうか?」

「その点については、幾重にもお詫びしなければなりません。こちらの事情も知らず、不用意なことをしました。ですが、クリミアーナ家とは縁のある家なのですよね? そう、聞いています。心配はいらないはずです」

「あたしは聞いたことないんですけどねぇ。ほんとにそうなんですかね。あたしじゃ、この家の交流関係まではわかりませんもので、たしかめようがないんですよね」

 

 もちろん心配はしているのだろうが、言葉のわりには落ち着いているようにも見える。話しながらも紅茶の用意をしっかりと整え、マクゴナガルの前にティーカップにポット、それにいくつか菓子類を並べていく。紅茶を用意したのは、マクゴナガルにあわせてのことだろう。これがたとえはアルテシアであれば、そこには別のものが並ぶ。クリミアーナ家特製、秘伝の飲み物だ。

 

「あなたは、いつからこのクリミアーナ家に?」

「そうですねぇ、14年か15年。それくらい前からですねぇ。ほんとは、アルテシアさまが無事お生まれになるまでってことだったんですけど」

「それは、どういうことです? あなたは、クリミアーナ家とはどういう関係なのですか。なぜ、クリミアーナ家に来ることになったのか、聞かせてもらえませんか」

 

 いまさら、そんな話を? そう思ったのは確かなのだろう。いぶかしむようにマクゴナガルを見たものの、拒否するつもりはないようだ。

 

「先生さま、ここだけの話ってことでようございますかね? とくにアルテシアさまには話さないでほしいんですけどね」

「なぜです? もちろん事情がおありなのに、ムリに話せというつもりなどはありませんが」

「いえいえ、特別な事情なんかねぇですよ。ただ、アルテシアさまが気になさるんじゃないかと、そう思いましてね」

「そうですか」

 

 尋ねないほうがよかったのではないか。そんな思いが、マクゴナガルの頭をよぎる。と同時に、パルマがいつもとは違う静かな調子で話しだす。

 

「うぬぼれるわけじゃありませんが、アルテシアさまは、あたしを信じ頼ってくだすってると思うんですよ。生まれたときからずっとお世話をしてますし、マーニャさまが亡くなってからは、2人だけで暮らしてきましたからね」

「ああ、わたしもそう思いますよ」

 

 マーニャとは、アルテシアの母親の名前である。マーニャは、アルテシアが5歳となったときに亡くなっている。

 

「もちろんマーニャさまにはお話しましたけど、アルテシアさまは知らないはずなんですよね、あたしが何者なのかを」

「どういうことです?」

「ああ、誤解なすっちゃいけませんですよ、悪いこと考えたりとか、そんなことじゃねぇんですから」

「それは、そうでしょう。クリミアーナに害をなそうとする者が、この家に入り込めるはずはありませんからね」

「ですけど、先生さまはご存じですかね。クリミアーナの主人が認めたんなら、そんなのは気にすることねぇんですよ」

 

 クリミアーナ家には、魔法がかけられている。歴代の魔女たちの手によるものであり、内容も保護魔法だけに限らない。さまざまな魔法が施されており、その効果はさまざまだ。

 そのなかに、外敵を排除することを目的とした魔法がある。これにより、マクゴナガルが言った『クリミアーナに害をなそうとする者』たちは排除される。容易には近づけないというわけだが、そんな相手でもクリミアーナ家の当主が招いたり、出入りを許可したりといったことがあれば、クリミアーナ家には入れるのだ。パルマの言うことはそういうことだ。

 

「昔のことを気にすることはないとマーニャさまはおっしゃいましたし、もともと、あたしも気にしちゃいません。ただ、アルテシアさまはご存じないはずなんで」

「なにか、あったのですか。さしつかえなければ」

「さしつかえなんかありませんけど、マーニャさまが言うには、もう誰も知らないような昔のことでしてね」

「もしかして、それが『失われた歴史』といういうものなのですか」

 

 もしそうなら、アルテシアはそのことを知りたいはずだ。マクゴナガルは、アルテシアがそのことを調べている、いや、調べようとしていることを知っていた。

 

「そうじゃねえです。あたしもその『失われた歴史』のことは知りません。誰も知らないからこそ『失われた歴史』と呼ばれてるって聞きましたけど」

「あぁ、なるほど。では、なんなのです?」

 

 クリミアーナ家には『失われた歴史』が存在する。もちろん、内部的にそう呼ばれているだけであり、たとえばホグワーツの魔法史の授業で、ゴーストのピンズ先生によってそのことが語られたりしているわけではない。

 クリミアーナ家の魔女は、魔法書により魔法を学ぶ。その、最初の魔法書が書き記されたことにより、クリミアーナ家は始まったのだ。だが問題は、その魔法書を書き記した人物の、それまで経歴だ。生まれ育った家のことや当時の状況はもちろん、どのようにして魔法を身につけ、それを魔法書という形でまとめたのかは分かっていない。つまり、どのようにしてクリミアーナが生まれたのか、誰も知る人がいないのだ。これを称して『クリミアーナの失われた歴史』と呼んでいるのである。

 

「まぁ、昔のことには違いありませんけどね」

「まさか、50年前などとはおっしゃいませんでしょうね」

「50年? いえいえ、500年ほど前だと聞いとりますけどね」

 

 50年前といえば、秘密の部屋が最初に開かれた頃だ。その秘密の部屋が再び開かれた今回の経験が、マクゴナガルにそう言わせたのであろう。

 

「500年ほど前に、クリミアーナでは大きな騒動が起こったそうでしてね」

「騒動、ですか」

「いまは平和なクリミアーナにも、争いの歴史はあったってことです。そのころの人たちは、みな、ばらばらになったそうで」

「ばらばらとは、つまりどういうことです?」

「クリミアーナから離れていったってことですよ。残ったのは、そのころのクリミアーナ家のご当主さま、ただ1人。領地も分け与えたりして、ずいぶんと小さくなったんだとか」

 

 かなり昔のことでもあり、パルマも詳しいことまでは知らないらしい。だが大きな争いが起こったのは確かであり、その事態を収拾するため、すべてをなしにして最初からやり直す、という選択がなされ、それまでクリミアーナ家とともにあった人たちはみな、この地を去ることとなったらしい。

 

「火だねと火消しってのがありましてね。騒動のもととなったほうと、なんとかそれをおさめようとしたほうと」

「なるほど」

「あたしは、争いの火だねとなった家に関係あるんですよ。でもマーニャさまは、それを知りつつ受け入れてくだすった。すばらしいお人でしたよ」

「わたしも、1度だけですが、お会いしたことがありますよ。1つ、お伺いしてもよろしいですか?」

「へぇ、そりゃかまいませんですけど、難しいことはわかりませんよ」

「そこに、ルミアーナ家はどう関係しているのですか?」

 

 その質問は、単に1つだけの疑問に留まらない。そこには、マクゴナガルのなかにあるいくつかの疑問がまとめられていた。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、眠っていた。そこがどこであり、自分がなぜそこにいるのか。それを、アルテシアは知っているのだろうか。マクゴナガルも承知のうえであることを、はたしてアルテシアは、知っているのかいないのか。

 そのアルテシアが眠る部屋のドアの外に立ち、ソフィアは考える。学年末に起こった、秘密の部屋を舞台とするトム・リドルとハリー・ポッターの争い。その決着がつこうとするその瞬間、なにもせずただ見守っていたなら、どうなっていただろうか、と。

 あのとき、アルテシアの意識はあったのだ。だから、あんなことが起こった。仮にアルテシアがなにもせず、ただ見守っていただけだったなら、どうなっていたか。

 だが、アルテシアは、そうしなかった。現実にはそうしなかったのだから、いま何を言っても推測ということになる。ソフィアの頭の中にあるのは、推測でしかないのだ。だがソフィアは、それがただ1つの、唯一の答えであると思っていた。ソフィアにとっては、それが正解なのだ。だからあのとき、涙がこぼれた。あの秘密の部屋の片隅で、ただ泣くしかなかったのだ。

 結局アルテシアは、ソフィアの母であるアディナ・ルミアーナによって、ルミアーナ家の客間にあるベッドへと移されることになった。実はその移送は、アディナがマクゴナガルの元を訪れ許可を得たときには、すでに完了していた。同時進行ということではなく、それを終えたあとでマクゴナガルのもとを訪れ、許可を得ているのである。完全なる事後承諾ではあるが、そのことを気づかせねば済むことだった。

 そのときアディナは、娘であるソフィアを同行させている。もちろんマクゴナガルの信用を得やすくするためであり、療養のためにアルテシアを預かるという許可を得やすくするためであろう。

 首尾良く、というか予定通りにその許可を得て、アディナは娘とともにルミアーナ家へと移動する。すでに許可は得ているので必要ないようなものだが、あえて、その移動魔法をマクゴナガルの目の前で発動させている。これは、ルミアーナがクリミアーナと無関係ではないことの証明となる。マクゴナガルならばそう判断するはずであり、より信用度を高めることにもなると考えてのことなのだ。

 

「ソフィア、少し話がしたいの。わたしの部屋に来てちょうだい」

 

 これは、アディナの声。おそらくは、客間のドアの前にたち、ただそのドアをじっと見つめているだけの娘を見かねたのだろう。ソフィアが振り返る。

 

「気持ちはわかるけど、そんなとこに立っていてもしょうがないわ。とにかく、わたしの部屋へ来なさい」

 

 2人は、マクゴナガルの前で見せたような移動方法は選択せず、ゆっくりと歩きながらアディナの部屋に向かう。そしてその部屋で、ソファーにゆったりと座った。

 

「ソフィア、いまは待つしかないのよ。少しは控えた方がいいわね」

「でも、かあさま。いくらなんでも、もうそろそろ」

「そうね、目覚めてもいいはずだけど、あなたの話を聞いた限りでは、ずいぶんな無茶をしてるようだし、まだムリだと思う。あんなこと、私にはとてもできないわ。さすがはクリミアーナの直系よね」

「そうだけど、魔法を使うたびにああなるんじゃ、いざってときに困るんじゃないかな。去年も同じようなことがあったらしいよ」

 

 その言葉に、アディナは笑い顔で応えた。なにしろ、母娘なのだ。そんな言い方をしているが、アルテシアのことを本気で心配していることくらい、簡単に読み取れる。だが必要なのは、休養。あせってもどうにもならないことぐらい、ソフィアも理解しているはずだと、アディナは思う。だが、必要なことは言っておかねばならない。

 

「魔法が使えるようになるのは14歳になってから。そのように言われていることは、知ってるはずよね。でも、それより早く使えるようになる人はいるし、もちろん遅い人もいる。だけど、それは優劣なんかじゃない。そんなのは関係ないの。魔法が使えないと危険だとか、そんな状況を経験したかどうかの違いだけ。あのお嬢さんには、きっとそんなことがあったのね」

「学校で聞いた話だと、トロールに襲撃されたってことがあったらしいけど」

「きっと、それでしょう。魔法なしでトロールと対するのは難しいわ。そのとき魔女の血が、いいえ、クリミアーナの血が目覚めたのでしょうね」

 

 それは、アルテシアが1年生のときのハロウィーンの日のことだ。トロールに殴り倒され、医務室に運ばれるということを経験しているのだ。ちなみにホグワーツでは、そのときトロールを撃退したのはロンの浮遊呪文ということになっている。

 

「14歳より早いとどうなるか。もちろん魔法族の人たちとは、違うわよ。あの人たちには、魔法の杖がある。これは、私たちだけの問題。杖がいらない分だけ、身体に負担がかかるのよ。だから14歳としてあるの。あのお嬢さんだって、そのことは知ってるはずよ」

「知ってる? 知っててあんなことを」

「なにしろ、血筋からいっても強力な魔法が使えるものね。光の制御は誰にでもできることじゃないし、時を操るのも大仕事。その負担はかなりのものだったでしょうね。とにかく14歳となるまでは、ムリをさせないようにしないと」

「14歳になれば、大丈夫だってこと?」

「そうよ。あのお嬢さんはずいぶん小柄だからもう少しかかるのかもしれないけれど、少なくとも大人になれば、どんな魔法でも平気で使えるようになるでしょう」

 

 アルテシアがベッドにいるのは、そういう事情であるらしい。ソフィアも納得したようだ。ちなみにソフィアとアルテシアとは、その体格はほとんど同じに見える。だが2人の間には、1学年の違いがあるのだ。小柄だとしたのは、そのためだろう。

 

「ところで、ソフィア。これからのことだけど」

「そのことなら、もう決めた」

「そうでしょうね。でもね、いちおう言っておくけど、もしもの場合を考えていないんじゃなくて? イエスかノーか、まだ返事を聞いてはいないのよ。もしノーならどうするの?」

 

 実を言えば、その返事をもらうための質問すらもしていない。なにしろアルテシアは、眠ったままなのだ。ソフィアの手もとに、ホグワーツの制服が現われる。彼女の魔法によって、呼び寄せられたのだろう。

 

「でも、これを見て。この制服には、魔法がかけられてる。着ている人を守るための魔法だよ。ノーだとしたら、こんなことは」

「ええ、しないでしょうね。でも、するかもしれないわ。それにあなたは、肝心なことを忘れているようね」

「肝心なこと?」

 

 その疑問系の言葉には応えず、アディナはソフィアの制服を手に取った。もちろんホグワーツの制服であり、秘密の部屋に入る直前に、アルテシアが保護魔法をかけたものだ。あの魔法は、成功していたらしい。

 

「たしかに魔法がかかっている。みごとだわ。こういう使い方は、さすがというしかないけど、私ならここにもう1つ加えたいところね」

「もう1つ?」

「そう。たとえば着ている人が意識を失うようなことになったらすぐにベッドに転送する魔法、とかね」

 

 そのベッドがどこのものかは、あえて言う必要はないということだろう。着ている人によっても、その行き先は変えるべきなのかもしれない。

 

「あの小さな身体で、あれだけの魔法を使っていれば、倒れてしまうのもムリはないわね」

「でも、必要だったんだと思うよ。あのときは」

「同意見ね。それは結果が示している。なにしろみんな無事だった。もっともご本人だけはベッドのお世話になってるけど」

 

 そこでアディナは軽く笑みをみせたが、ソフィアはニコリともしなかった。そのときその場にいただけに、笑う気持ちにはなれなかったのだろう。たとえそれが、形だけのものだとしても。

 

「ルミアーナ家には過去、ヴォルデモート卿を助けたという事実があるわ。当時はトム・リドルと名乗っていたらしいけど、この事実をどうするか。どうなるか。考えておかないといけないのよ、ソフィア」

 

 

  ※

 

 

 アルテシアが目を開けたとき、その目に見えたもの。それは、見覚えのない部屋の景色と、そして見知らぬ人だった。会った人のほとんどを覚えているアルテシアだが、初対面の人のことなどわかるはずがない。

 

「わたくし、イリアでございます。この家の家事を任されているものです。ただいまこの家の当主を呼んで参りますので、少しお待ちくださいませ」

 

 アルテシアの返事など、待ってはいない。どちらにしろ、いまのアルテシアは、ただ寝ているしかない。そう判断してのことだろうし、正しい判断でもあったろう。実際、この家の当主が呼ばれてやってきたときにも、アルテシアは起き上がることすらできていなかった。ただその目を、室内のあちこちに向けているだけ。

 

「身体の具合はどうですか?」

 

 相変わらず身体を起こすことはできないようだが、アルテシアの目は、しっかりとこの家の当主を見つめていた。

 

「私は、アディナ。あなたはホグワーツの秘密の部屋で、いいえ、医務室の片隅に置かれた椅子に腰を降ろしていて、というべきかしら。そこで意識を失われましたので、ここルミアーナ家にご招待もうしあげました。秘密の部屋でのこと、少しは覚えておいでですか?」

「あの、みんな無事だったのでしょうか。ハリー・ポッターやソフィアは、どうなりましたか。あのあと、あの本がどうなったかご存じですか?」

 

 声の調子からしても、まだ十分に回復していないことがうかがえる。それを自覚しているのだろう。アルテシアは、起き上がろうともしていない。

 

「トム・リドルという者の日記帳のことなら、ハリー・ポッターによりとどめをさされたそうですよ。それに、誰ひとりとして、ケガなどしていません」

「そうですか。あの本はちょっと気になったけど、みんなが無事でよかった」

「気になった?」

「その本の仕組みが、魔法書に似ているような気がしたんです。もっとよく調べたかったんだけど、あれはハリーのものだったから」

 

 アディナは、何も言わなかった。だがそれは、アルテシアが目を閉じたからではない。むしろ、アディナが何も言わなかったから目を閉じた、としたほうがいいのだろう。だがその閉じた目は、すぐにまた開かれることになる。知らせを聞いたソフィアが飛び込んできたからだ。

 ソフィアが、ベッドのすぐ脇へとやって来る。アルテシアも、そんなソフィアを見上げる。どちらも、何も言わない。そのことにじれったさを感じたのは、アディアであった。

 

「ソフィア。なにか言うことはないの?」

「あ! ううん、そんなことないんだけど」

「ソフィア。あなたが助けてくれたんだよね。ありがとう」

「そんな、違いますよ。むしろ助けてもらったのはあたしのほうで」

 

 そんな話を始めた娘に、アディナは軽くため息。本来の目的が分かっていないのではないかというのが、そのため息の理由だ。自宅にアルテシアが招いているといっても、いくらでも時間があるというわけではない。本人が帰るといいだせば、それまでなのだ。それを止めることなど、できはしない。

 そんなアディナの心配がソフィアにも伝わったのか、あるいはアルテシアのほうでそれを察したのか。2人の話は、少しずつアディアが予定していたものへと近づいていくようだ。これでいい、とアディナは思った。あとは頃合いをみて、確認をとるだけだ。誰でもない、これは自分が言うべきことであり、そのタイミングは、いま。

 

「お嬢さん、私のほうからお聞きしたいことがあるのですが」

「あ、はい。なんでしょうか?」

 

 さすがにソフィアは、何を聞くつもりなのか察したらしい。いくぶん表情が固くなっている。

 

「ですが、その質問をするまえにお話ししておかなければいけないことがあるのです。よろしいですか?」

「もちろんです。あの、身体を起こしてもらえませんか。自分では起き上がれなくて」

 

 すぐさま動いたのは、ソフィア。アディナも手伝い、たまたま部屋の片隅にあった揺り椅子に座らせる。座面も広く、背もたれ部分にもたれていれば、寝ているときとそれほど大きな差はないのではないか。

 

「ありがとうございます」

「ああ、いえ。それで、ぜひともお話ししておかなければいけないのは、ルミアーナ家は過去、ヴォルデモート卿と関わったことがあるということです。そのこと、ご存じでしたか」

 

 アルテシアは、軽く目を閉じた。その表情には笑顔が残ったままではあるが、疲れも同居しているようだ。やがて、ゆっくりと目が開かれる。

 

「そんな話を聞いたことはあります。調べてみようともしましたが、やめました。いまではどうでもいいことだと考えています」

「どうでもいい?」

「はい。失礼な言い方になってしまいますけど、そんなこと、気にしなければいいんです。過去にそんなことがあろうとなかろうと、それは問題ではないと思うようになったからです」

「な、なぜです? なぜ、そんなふうに」

「ソフィアと会えたからです。いろいろ話もしたし、一緒に行動もしました。ソフィアがどういう人なのかよくわかったからですよ」

 

 言いながら、ソフィアを見る。だがソフィアのほうは、何を言われているのかわかっていないようだ。きょとんとした顔つきをしている。そんなソフィアに、アルテシアは笑顔をみせた。

 

「ねぇ、ソフィア。あなたはもう、わたしのそばにいなくちゃいけない人になったの。だからあなたのことは」

「待ってください。待ってください。お待ちください。少し、待ってください」

 

 アルテシアが、何を言おうとしたのか。ともあれそれは、アディナが割り込んだ形となり中断されてしまう。だが言いたいことがあるはずのアディナが、何も言わずにいるのはなぜか。

 アルテシアが、微笑んだ。

 

「アディナさん、クリミアーナには失われた歴史と呼ばれるものがあるんです。それを知りたいとは思っていますが、同時に、こだわる必要などないんじゃないかと思うことがあります」

「お嬢さん、私は」

 

 何か言いかけたものの、やはりその先が続かない。アルテシアが、ソフィアを見る。なぜかソフィアは、目を赤くし、まぶたに涙をいっぱいにためていた。

 

「わたしは思うんです。まだ生まれてもいなかった頃のことで悩んでも、あんまり意味はないんじゃないかって。本当に大切なのはこれからなんだって、そう思いませんか」

「お嬢さん……」

 

 やはり言葉は、その先へと続いていかない。一息ついて、アルテシアが話を続ける。

 

「わたしは、そう思うようになりました。ところで、ご存じですか? ホグワーツには、何人ものゴーストが住んでいます。グリフィンドール塔にはニコラスというゴーストがいて、彼は500年前に首を切られゴーストとなったそうです」

「500年前……」

「彼が、500年前のことを話してくれました。バジリスクによって石にされマンドレイク薬で治療されたことが、そのきっかけとなったのかもしれませんが、思い出したことを話してくれました。500年前に起きたことを」

「え! それってまさか」

 

 アディナではない、ソフィアの声だ。いったい、何に気づいたのか。だがソフィアも、それ以上は言葉にしなかった。アルテシアは、軽くため息。

 

「ええ、そうよ。わたしはこのベッドに寝たまま、魔法でホグワーツに飛んだのだと思う。そして、サー・ニコラスと話をした。彼は、知る限りのことを話してくれた」

「500年前のことも、ご存じだったのですね」

「最初から知っていたわけではないです。もしかすると夢なのかもしれませんが、夢だったとしても、サー・ニコラスと会い話をしました。それでわかったのです。きっとそんな夢を見たのは、この部屋の寝心地がよかったからでしょう」

 

 いったん、アルテシアは言葉を切った。ここにパルマでもいれば飲み物を勧めてくれるだろうし、ここがマクゴナガルの部屋であれば、紅茶を手にできただろう。だがルミアーナ家の客間に、そんな用意はされていなかった。

 

「たとえ夢だとしても、その内容が偽りであるはずないんです。『失われた歴史』より後のことは、魔法書に残されている。クリミアーナで起きたこと、その魔女が経験したことは魔法書のどこかに記されるはずです。だって魔法書には、その時代を生きた魔女の、そのすべてが詰め込まれるのですから」

「ではお嬢さんは、私たちを、ルミアーナを…… それでも娘に、さきほどの言葉を、言ってくださるのですね」

 

 アルテシアは、大きくうなずいてみせた。そして。

 

「ヴォルデモート卿とのことも、たとえ何があったにせよ、わたしが責任を持って話をつけます。きちんと決着させますので、安心してください」

 

 アディナは、なにも返事をしなかった。何か言いたそうではあるのだが、またしても言う言葉をみつけられないか、忘れてしまったらしい。苦笑いを浮かべたアルテシアが、ソフィアに目をむける。

 ソフィアに軽くうなずいてみせたあとで、目を閉じる。そして、眠りに落ちた。

 



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第39話 「パーラーのテラスにて」

 アルテシアは、ダイアゴン横丁に来ていた。マクゴナガルから、3年次に必要な学用品のリストを渡されており、それを揃えるためである。最初の年こそマクゴナガルに案内されねば何も分からなかったが、2年目は1人で買い物を済ませることができた。3年目となる今回は、ここで友人と待ち合わせることになっている。一緒に買い物をすることはもちろんだが、その友人と、新学期となるまでにきちんと話をしておきたかったのだ。

 待ち合わせ場所は、グリンゴッツ銀行の前。そこが一番わかりやすいだろうということになり、この場所に決めた。時間は11時。どこか食事のできるお店に入り、昼食も食べることにしている。

 新学期も間近とあって、ちらほらとホグワーツの生徒を見かける。教科書など、買いに来ているのだろう。そんななかに、ようやく友人の姿をみつけた。ようやくといっても、アルテシアが早く来すぎていただけで、約束の時間どおりではある。だが、なぜ1人なのだろう。

 そのことをいぶかしく思いつつも、友人の方へと歩いて行く。その友人もこちらへと歩いてくるので、ほどなくして向かい合うことになる。

 

「どうしたの、パドマ。なぜ1人なの?」

「え?」

「パーバティも来るんだと思ってた。久しぶりに会いたかったのに」

 

 そのパドマは、さすがに驚いたような顔をしつつも、首を横に振ってみせた。

 

「違うよ、アル。あたしはパーバティ。パドマはちょっと遅れて来るけど」

「なに言ってるの? あなたはパドマじゃないの。ね、パーバティは、ほんとに来てないの?」

 

 互いに、怪訝そうな顔で見つめ合う。だが、それも長くは続かなかった。パドマが、笑い出したからである。

 

「あはは、さすがはアルテシア。まいった、まいりました」

 

 そして、なおも大笑い。タネあかしはそのあとで、ということになるだろう。

 

「ごめんね、アルテシア。あなたが言うとおり、あたしはパドマ。パーバティは、ほら、そこだよ」

 

 指さされた方を見れば、なるほど、パーバティがそこにいた。少し離れた場所ではあるが、声はなんとか聞こえていたかもしれない。

 

「ほんとにごめん。実はこれ、パーバティのアイデアっていうか、賭けなんだよ。ほんとに、あたしたちを見分けてるのかどうかを確かめたいって言うからさ」

「別にいいけど、どうしてそんなことを?」

「それは、あたしが説明するわ」

 

 パーバティは、すぐとなりまで来ていた。立ち話ではなく歩きながら話すことにした3人は、グリンゴッツ前の白い階段を並んで降りていく。

 

「パーバティ、わたしも話があるの。聞いてくれるわよね?」

「いいけど、ウチの叔母さんから、いろいろ聞かされてるよ。だいたいのことは分かってるんだけど」

「それでも、わたしから話したい。パーバティとパドマは、わたしの大切な友だちだから」

「友だち、か。ね、その友だちに、あなたの新しいお友だちは、いつ紹介してくれるの?」

 

 多少、皮肉めいた口調。だが、そのことに気づいたのだろう。軽くため息をついた。

 

「ごめん、アル。あんたに、あたるつもりはないんだけど、ちょっとイライラしちゃってるかな」

「そんなこと、べつにいいよ。けどパーバティとパドマには、ゆっくりと話す時間をとってほしいんだ。いいよね?」

 

 パーバティがうなずく。パドマは、そんな2人の少し後からついてくる。行き先は、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーという名の、カフェ・テラス。そこの席に、向かい合わせで座る。明るい陽の光は、席ごとに立てられている鮮やかな色のパラソルがさえぎり、日陰を作ってくれていた。

 まわりの席にも、客の姿がある。互いの買い物を見せ合ったり、さまざま話をしていたり。そんななか、となりのテーブルにいる人たちの話が、アルテシアの耳に入ってくる。

 

「脱走したシリウス・ブラックは、まだ捕まってないらしいな」

「ブラックは、例のあの人のいちの子分だ。アズカバンだろうと、脱走くらいできるってことだろ」

 

 ブラック、という名に思わず振り返るアルテシア。だが、そこのテーブルにいた人たちは、ちょうど帰るところのようだ。席を立ちながらの会話だったので、聞こえたらしい。

 

「どうしたの、アル?」

「あ、ううん。なんでもないよ」

 

 そうは言ったものの、ブラックという名前は気になった。いつだったか、クリミアーナの家系図を調べたことがある。そのとき、覚えのない3つの名前を見つけた。ブラック、ルミアーナ、クローデルの3つだ。そのうちのルミアーナ家とは、実際のつながりができた。クローデル家のことは、ルミアーナ家より情報を得ることができたし、ブラック家についても魔法族の旧家だと判明している。

 そのブラック家にはクリミアーナより嫁いだ女性がいるのだが、詳しいことはなにもわかっていないし、ブラック家の人とも会ったことがなかった。

 

「アル、先にあたしから言わせてもらうけど、叔母さんのところに、ルミアーナ家から連絡があったみたいよ。なんか、いい方向に進むんじゃないかな。あんたにも会いたいってさ」

「ちょっとちょっと、姉。話は、そこからなの? ほかに言うことあるんじゃないの?」

「なによ、妹。ちゃんとこれから話すわよ」

「あなたたち、少し会わないあいだに、おかしな呼び方するようになったのね」

 

 たしかにそうだ。だがそれはちょっとした冗談であり、なにも実際にそう呼び合うようになったのではないらしい。パドマがそう説明する。

 

「冗談はともかく、叔母さんもウチの母も、もうクリミアーナと関わるな、なんて言わないってさ。だからわたしたちは、これからもあんたと友だちでいられるんだけど」

 

 なぜか、声が不安げである。そう言いながら、そーっとのぞき込むようにしてアルテシアを見る。そのアルテシアはいつものように微笑んではいるものの、そこには、わずかに緊張したようすがうかがえた。

 

「わたしもよ。今度のことがあったけど、パチルの姉と妹とは、これからもずっと一緒にいたい。だから、ちゃと話を聞いてほしい」

 

 アルテシアの表情に、緊張感が増していく。微笑みが、緊張へと変わっていく。

 

「あなたたちに話しておきたいことがあるの。それを聞いたあとで、もう一度今と同じこと言ってくれたら、ホントに嬉しいんだけど」

 

 アルテシアは話を始めた。

 

 

  ※

 

 

「では、そうすることとしましょう。それでよろしいですね」

 

 そこは、大広間とでも呼ぶにふさわしいところ。かなり広い部屋なのだが、そこに集まる人の数も多く、窮屈ですらある。察するところ、部屋に入れるだけ詰め込んだ、といったところか。

 

「最後に、なにか言いたいことがあれば聞きます。誰でも、挙手してください」

 

 だが、居並ぶ人のなかから、手は上がらなかった。いや、たった1人だけ、席を立った者がいた。

 

「わたしは、挙手しろ、と言ったのですが」

「わかっています。でも、他にはおられないようなので」

 

 どうやら、発言は許可されたらしい。というより、拒否されなかったとしたほうがいいのか。

 

「クリミアーナのお嬢さまをお守りする立場にある者として、今回のこの結果は、とてもつらいものです。もはや、反省も詫びも必要ないと、アティシアさまはおっしゃいました。なので、それに従いこれ以上のことは申しません。ですが、私の願いはおわかりのはず。この先なにかの機会が訪れ、再びお会いできましたなら、そのときは」

「許しませんよ。これは決定です」

「アティシアさま」

 

 ほとんど表情も変えずに語られたそれは、明確な拒絶だと言えた。なにがあり、なにが決められたのか。ともあれ、アティシアと呼ばれた女性が『解散』あるいは『散会』とでも宣言すれば、それですべては終わりなのだ。大広間に集う人たちは、それぞれに去って行くことになる。だが、話はそこで終わらなかった。

 

「もう、決めたのです。ですが、クリミアーナはこれで終わりではない。これで終わらない。終わりにはしない。意志を継ぐ者がいる限りクリミアーナの歴史は終わらないのです。次の世代のもと、クリミアーナは続いていくでしょう。いまわたしが言えるのは、それだけです」

「おお、ではアティシアさま、子や孫の時代となり、そのような機会が訪れましたときには」

「もう一度いいますが、私が決定を覆すことはありません」

 

 改めての拒絶。すでに人が去りはじめ、隙間もみえはじめた大広間。アティシアの口から別れの言葉が告げられ、そのペースがより一層早まっても、アティシアはその場を動かない。そして同じように、その場に立ちつくしている者が、数人。

 すでに日が落ちたのか、広間から明るさが失われていく。それでも、アティシアはそこにいた。夜を迎え真っ暗となってもなお、そこにいた。ようやく他には誰もいなくなっていたが、それでもその場から動こうとはしない。だが結局、その大広間に、朝が来ることはなかった。

 

 いったい、何があったのか。どのようなことが決められたのか。それを知る人は、アルテシアの世代では、誰もいない。なにしろ500年前の出来事であり、当然、生きている人などいない。しかもアティシアは、このときの記憶を封印している。クリミアーナ家の魔女として自身の魔法書を残してはいるが、封が解かれぬ限りは、何もないのと同じ。

 だが、いまはホグワーツのグリフィンドール塔に住むゴーストのニコラス・ド・ミムジー・ポーピントンの場合は別だ。ゴーストになるまえのまだ生身の身体を持っていた頃のことではあるが、自身が経験したこと。時の流れとともに忘れてしまったことも多いだろうが、なにかきっかけさえさえあれば、思い出すかもしれない。彼としてはもめ事に巻き込まれたようなものだが、その全部ではないにせよ、騒動について見聞きしているのだし、彼自身、この大広間に足を踏み入れたことさえあるのだから。

 このころニコラスは、たびたびクリミアーナ家を訪れていた。当主であるアティシアと話をするのが楽しく、そして嬉しくもあったので、暇ができるとクリミアーナ家に顔を出していたのである。結果的にではあるが、彼が命を落としたのはそのためということになる。魔女の家に出入りしていたことから魔法使いとして囚われ、処刑されたのである。

 

 

  ※

 

 

「そんな話、初めて聞いたわ」

 

 そう言ったのは、パチル姉妹のどちらだったろう。それがパーバティだったのか、パドマであったのか、アルテシアには分からなかった。どちらか分からないなど、初めての経験だった。

 

「すべてを奪い、追い出そうとした人たち。クリミアーナを守り、争いを回避しようとした人たち。どちらも、ずっと昔からクリミアーナ家のそばで支えてくれてた人たちだけど、その騒動を収めるための選択は、すべてをなしにすること」

「なしって、どういうこと?」

「みんなバラバラになって、それぞれ独自に生きていくにした。たった1人になって、そこから再出発したんだと思う」

 

 それが最適な方法であったのかどうか。その議論はさておき、なにもかもを手放すことでそれまでをなかったこととし、事態の解決を図ろうとした。それが500年前のできごと。アルテシアは、そう説明した。

 

「なるほど、叔母さんの家がクリミアーナを追い出されたっていうのは、そういうことなんだね」

「クリミアーナに近づくな、付き合うなっていわれてきたのも、そのためってことなのかな」

 

 姉妹の、それぞれの感想。その前者はほぼ事実と言えるが、後者は少し違う。そのことをアルテシアは、ルミアーナ家のアディナから聞いていた。アディナの話では、クリミアーナ家との関係が修復するまではそっとしておくように、という意味でつながりのある人たちにそう指示していたものであるらしい。つまりそれは、ようすをみるということ。

 世代を重ね500年の時を経て、直系の子孫であるアルテシアが、クリミアーナを出てホグワーツへ入学するという事態が起きた。これは、まさに衝撃であったらしい。このことを、どう考えればよいのか。アディナは、悩んだ。悩み、考え、そして得た結論。

 

「ソフィアって子がホグワーツに来たのは、そのため?」

「ええ。500年前のことがあるので、それに反しない形で近づき、わたしのことを調べようとしたんだと思う。500年前に戻れるのかどうかを知るために」

 

 しばらくは、誰も何も言わないときが続いた。この3人ではなく、別の誰かがこの話をしたのであれば、沈黙のときなど訪れはしなかっただろう。この静けさは、この3人であればこそだ。

 すでにお昼を過ぎていたこともあり、テラスでは昼食がわりのサンドイッチなどを口にしている人たちもいる。そんななか、ハリー・ポッターがこの店にやって来たのは、なんの偶然だろう。そのハリーはアルテシアたちには気づいたものの、3人ともに押し黙ったままだったので、声をかけることはしなかった。アルテシアと背中合わせの席に座ったのは、気づかれないようにするためだろう。

 実はハリーは、1週間ほど前から、この店に出入りをしていた。このテラスは、おもに宿題をする場所となっており、宿泊先は「漏れ鍋」だ。

 

(あいつら、どうしたんだろう)

 

 そんなに心配なら声をかければいいようなものだが、ハリーは、もうずいぶんながくアルテシアと話をしていない。気後れというわけではないが、声をかけづらかったのだ。それでもすぐ近くに座ったのは、できれば仲直りしたいと思っていたからだろう。

 

「ごめんね、長い話になっちゃった」

「ううん、そんなことべつにいい」

「でも、そういうわけだから。わたしは、ルミアーナ家が願うのならそうしようと思ってるんだ」

「あたしも、それでいいと思う。じゃあアルテシア、ここで姉からひと言あるから」

 

 パドマの表情からは、さきほどの重苦しさは消え、いつものほがらかさが戻っていた。それは、パーバティも同じだったが、彼女の方には、少しだけ緊張感が見て取れる。

 

「さっきの、賭けの話なんだけど」

「賭け?」

「グリンゴッツの前で会ったとき。あのときあんたが、あたしたち姉妹をちゃんと見分けてるのかどうか、それを確かめたこと」

「ああ、あれってそういうことだったんだ。けど賭けってことは」

「うん。これからのことを、アルが見分けてくれるかどうかに賭けたんだ」

 

 その結果がどうだったのか。となりのパドマを見れば答えは明らかだとも言えたが、アルテシアはパーバティの言葉を待っていたし、その後ろでハリーが、いっそう耳をすませていた。

 

「でも、あんな賭けなんかどうでもよかった。アルが、ちゃんと話してくれたからだよ。おかげですっきりした。それにソフィアとは、もう友だちだと思ってる。秘密の部屋を閉じるために一緒に頑張ったでしょ」

「パーバティ」

「それに、例のあの人とのことで怒ってた叔母さんたちだって、ルミアーナ家と仲直りできそうなんだから、賭けたりする必要なかったんだ」

「そのことだけど、ヴォルデモート卿のことは、わたしが引き受けたの。責任持って解決するってことで納得してもらった」

「そうなんだ。だから叔母さんたち…… じゃあ、やっぱり例のあの人は魔法書で勉強したのかな」

 

 そのとき、アルテシアのすぐ後ろで、ガタッといすの動く音がした。それどころか、そのいすは、アルテシアのいすに勢いよくぶつかった。

 

「ヴォルデモートだって!」

 

 そこに、ハリー・ポッターがいた。なぜ、そこにハリー・ポッターがいるのか。アルテシアたち3人にはわからなかった。

 

 

  ※

 

 

 夏休みの最後の日も、ハリーは、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラスに席を取っていた。宿題は、すべて終わっている。とくにすることもなく、明日になるのを待つばかり。明日になれば、ホグワーツ特急に乗れるのだ。

 だがいまのハリーは、他のことで頭がいっぱいだった。数日前、この場所で聞いた、アルテシアたちの会話。盗み聞きをしていたようで気が引けたが、それでも、その意味を尋ねずにはいられなかった。

 ヴォルデモートが魔法書で勉強したとは、どういうことだ、と。

 その問いかけに一瞬顔を見合わせたものの、パドマが返した答えは、ハリーの聞き間違い、ということだった。ハリーが何を言っても、聞き間違いだと言い張り続けたのである。

 では、何の話をしていたのか。なにを聞き間違えたというのか。ハリーがそう問い返してみても、ムダだった。結局、言い争いは平行線となった。押し問答を繰り返すうちに、パドマなのかパーバティなのか、そんなのはハリーにはわからなかったが、パチル姉妹のどちらかが名前を当ててみろと言いだした。

 なかなかハリーが引き下がらないので、賭けをしようと提案してきたのだ。正解なら最初から全てを話すが、間違えればそれで終わりにしようということであり、結果としてハリーは、それで引き下がることとなってしまった。

 ハリーには、わからなかったのだ。ウィーズリー家のジョージとフレッドもそうだが、ただ静かに並んで座っていられては見分けなどつくはずがない。

 

『バカね、はぐらかされたに決まってるわ。だってあなたには、答え合わせなんてできないでしょう?』

 

 ハーマイオニーの、そんな指摘が聞こえてくるようだと、ハリーは思う。まさにそのとおりで、ハリーにはどっちがどっちだか分からないのだから、たとえばパーバティが、わたしがバドマだと言ったとしても、それがウソだと指摘することができない。あとでそのことに気づいたハリーだったが、すでに遅し、というやつだ。

 

「ハリー! ハリー!」

 

 突然、そんな声が聞こえた。声のした方をみれば、ロンもいた。2人とも、ハリーに向かって手を振っている。ロンはそばかすだらけに見えたし、ハーマイオニーはいつもより日焼けしているようだ。

 

「やっと会えたね。きっと来ると思ってたんだ。ぼく、ずっと『漏れ鍋』に泊まってて」

「知ってるぜ。パパにみんな聞いた。キミがマグルに魔法をかけたことや、家を逃げ出したこと。魔法大臣が『漏れ鍋』に泊まれるようにしてくれたことはね」

 

 そういえば、ロンの父親は魔法省に勤めている。その関係で、ハリーに起きたことを知っているのだろう。

 

「でもハリー、退学処分じゃなくてよかったじゃないの」

「ぼくもそう思ってるよ。けど大臣は、なぜ見逃してくれたんだろう。なにか知ってる?」

「そんなの知るもんか。それに、知らなくても問題ないだろ。キミが不利になるわけじゃない」

「そうだけど、気になるんだ」

「それより、驚きのニュースがあるぜ。僕たちも『漏れ鍋』に泊るんだ。明日は、みんな一緒にキングズ・クロス駅に行くことになる」

 

 それは朗報に違いなかった。きっと今夜は、楽しい夜になる。そう思っただけで、心が軽くなる。気分がよくなったところで、先日のアルテシアたちのことを話して聞かせた。

 

「それは、あれだな、うん。キミが聞き間違えたんだと思うな」

「そんなこと、あるもんか。あいつらは、間違いなくヴォルデモートに」

「おい! その名前を言うなって」

「ああ、ごめん。でもホントにあいつらは言ったんだ。聞き間違えなんかじゃない。魔法書のことも言ってたんだ」

「待ちなさいよ、少し落ち着いたら」

 

 ハリーが、だんだんと興奮してきたところで、ハーマイオニーが止めに入る。ハーマイオニーは、ロンとハリーを、交互に改めて見たあとで、ふーっとため息。

 

「ねえ、ロン。あたし思うんだけど、あなたはアルテシアをひいき目でみてるんじゃない? それにハリー」

 

 ロンに反論させないため、なのだろう。ハーマイオニーは、すぐさま話をハリーへと向けた。

 

「聞き間違いじゃないとしても、その意味を勘違いしてるってこと、あるんじゃない?」

「え?」

「話を聞いたのは、途中からなんでしょ。単にあの人のウワサをしてただけかもしれないわよ」

「そんなこと、ないと思うけど」

「重要なのは、それまでに何を話していたのかってこと、その話が例のあの人とどうつながるのかだと思う。あの3人には、なにか秘密があるみたいね」

「なあ、それってどういうことになるんだい? キミはまだ、アルテシアを疑ってんのか。それにハリー、キミだって仲直りするって言ってたじゃないか」

「うるさいわね、静かにしなさいロン。とにかくあたしの考えを言うから、2人ともしずかに聞きなさい。いい? 騒いじゃダメよ、大声はなし」

 

 こういうときのハーマイオニーには逆らうべきではない。ハリーもロンも、そのことはよく知っていた。

 

「まず、例のあの人が過去に魔法書を学んだのかどうか」

「そうに決まってるよ。あいつらがそう言ってたんだから」

「おいハリー、黙って聞くはずだろ」

 

 おもわず口を挟んだハリーを、ロンはあわてて止めた。ハーマイオニーの目が、怖さをワンランクアップさせたからだ。

 

「1年生のとき、クィレル先生がアルテシアの魔法書を狙ってたわ。魔法書であの人の魔法力を回復させるためにね。だけどアルテシアは、本は渡さなかった。それどころか、賢者の石を守るのに力を貸してくれたでしょ。アルテシアを疑うのは間違いよ」

「ほらみろ、ハリー。そうなんだよ」

「黙りなさい、ロン。クリミアーナの誰かがそんなことをしたってことは考えられるのよ」

「え! じゃあキミは、怪しいって思ってるんだね」

 

 意外だ、と言わんばかりのようす。そんなハリーを、ハーマイオニーは大きな目でまっすぐに見る。

 

「あたしは、アルテシアを疑ったりしない」

「け、けどキミはいま…」

「アルテシアは疑ってない。でも、周りの人たちのことまで責任は持てない。あの家は、とても歴史のある家なのよ。なのに、クリミアーナのことを知ってる人はほとんどいない。ロン、あなたは知ってた?」

「ど、どういうことだい?」

 

 黙れ、と怒鳴られるよりははるかにましだろう。だが予想外の質問を受けたロンは、返事に困ったらしくそう言うのがやっと。ハーマイオニーは、きゅっと口元を引き締めた。

 

「よく、聞きなさい。ホグワーツに入学してアルテシアと会う前に、クリミアーナ家のことを知っていたかどうか。ウワサでもいいから聞いたことがあったかどうか。あたしは、そう尋ねたのよ。どうなの?」

「そ、それは、知らなかったよ。学校が初めてさ。けどボクが物知りじゃないってことくらい、キミだって」

「ええ、よく存じているわ。そうね、このことは今夜ウィーズリーさんが『漏れ鍋』に来たら聞いてみることにするわ」

「そう、それがいいよ。けど、どういうことなんだい?」

 

 気になることは、聞かずにはおれない。そんなロンからは視線をはずし、ハーマイオニーはハリーを見た。

 

「たぶん、ウィーズリーさんは知らないと思うわ。なぜだかわかる?」

「わからないけど、マクゴナガルとかなら知ってるんじゃないかな」

「そうかもね。とにかく調べてみることにするわ。ハリーが聞いたことには、きっとなにか意味があるに違いないもの」

「でもキミ、アルテシアは疑ってないって、さっき」

「ええ、言ったわ。でも、なにか秘密があるのは間違いない。例のあの人とも、なにかあるはず。あたしは、それが知りたい」

 

 またもやハーマイオニーの視線が、ロンへと戻ってくる。ロンは、さりげなく視線をはずす。

 

「たぶんクリミアーナ家は、魔法界にかかわらないようにしてきたんだと思う。だから、ホグワーツに入学した人だっていない。図書館の本に載っていないのは当然だし、知ってる人もほとんどいない」

「けど、だったらなぜ、アルテシアは入学してきたんだい? それまでどおりにしてればいいだろうに」

「そのとおりよ。でもそうしなかったのには理由があるはず。これはカンだけど、例のあの人が関係してるわね」

「結局、そういうことになるのか。疑ってないとかいいながらキミは」

 

 だがロンが言えたのは、そこまで。ハーマイオニーの目が、怖さをさらにレベルアップさせたのだ。

 

「関係といっても、いろいろなの。協力とか友好とかだけじゃない、敵対っていうこともあるの。つまりあたしたちだって、例のあの人とは関係があるって言えるのよ。わかる?」

 

 わかるといえば、わかる。わからないといえば、わからない。ロンは、そんな気持ちなのだろう。だがハリーは、別のことを考えていた。アルテシアがホグワーツに入学してきた、その理由を想像していたのである。

 



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第40話 「4人席のコンパートメント」

 夕方となり、ハリーたち3人が『漏れ鍋』へ戻ってくると、ウィーズリー氏が『日刊予言者新聞』を読みながら、バーに座っていた。ウィーズリー氏も、もちろんロンと同様に赤毛である。

 

「やあ、ハリー。元気そうだね」

「はい、おかげさまで」

「いろいろ、買い物したようだね。ハーマイオニー、その猫は、まさかキミが買ったのかね」

 

 名前は、クルックシャンクスというらしい。ハーマイオニーは、嬉しそうにうなずいた。だがロンは、しぶい顔をしている。

 

「ひどい話だろ。ネズミのスキャパーズがいるのに、虎だか猫だかわからないようなのを買うなんて」

「まあ、そう言うなロン。ハーマイオニーは気に入ってるようじゃないか」

 

 そう言いながら、ウィーズリー氏がテーブルに置いた新聞には、高笑いをしている男の顔写真が印刷されていた。魔法界の写真は動くようになっているが、何度も高笑いを繰り返すその姿は、さすがに目立つ。

 

「おじさん、この男は?」

「ああ、これはシリウス・ブラックという男だよ。アズカバンを脱走したんだが、まだ見つかっていない」

「ブラックなら、何度かうわさをききました。お店のお客さんなんかが話してた。こいつがそうなのか」

「気をつけるんだよ。なにしろ、凶悪犯ということになっているんだからね」

 

 そこで、ウィーズリー夫人がバーに入ってきた。ハリーたちと同じく買い物を抱えているが、かなりの量だ。その後ろには、今度5年生となる双子のフレッドとジョージ、それに全校首席に選ばれたパーシーと末っ子のジニーがいた。

 これだけいると、あいさつするだけでも大変だ。もしかすると騒いでいるだけだったのかもしれないが、わいわいがやがや、賑わいがしばらくのあいだ続いた。

 その日の夕食は『漏れ鍋』の食堂にあるテーブルを3つもつなげ、ウィーズリー家の7人とハリー、ハーマイオニーとでフルコースの食事となった。

 

「ねぇ、明日はどうやってキングズ・クロス駅に行くの?」

「魔法省が、車を2台用意してくれるので、それで行くことになる」

「うわぁ、そりゃスゴイや」

 

 みなが一斉に歓声をあげたが、ウィーズリー氏は別の話を持ち出してきた。

 

「なあ、ロン。おまえは忘れているかも知れないが、明日アルテシア嬢を駅でみかけたら、わたしに紹介するんだよ。なにしろ、顔を知ってるのはおまえたちだけだ」

「ああ、うん。分かってるよ」

 

 言いながら、ハリーを見る。そのハリーはハーマイオニーと顔を見合わせていた。そしてハーマイオニーが立ち上がる。ちょうどいい機会だと思ったらしい。

 

「ウィーズリーさん、聞いてもいいですか?」

「もちろん、いいとも。だが、わざわざ立つ必要はないよ。座りなさい」

 

 まだ食事中でもあり、座っていたほうがいいのは確かだ。ハーマイオニーは、すぐに腰をおろした。

 

「クリミアーナのことをご存じですか?」

「ご存じもなにも、あのお嬢さんの家がそうなんじゃないのかね。校長先生たちがそんな話をしていたはずだが」

「そうですけど、アルテシアのことを知る前にご存じだったかどうか、ということなんですけど」

「ふむ。そういうことなら知らなかったということになるが、モリー、キミは聞いたことがあったかね?」

 

 モリーとは、ウィーズリー氏の奥さんの名前。つまりロンの母親のことだ。

 

「あたしも、知りませんでしたね」

「じゃあ、パチルという名はどうですか?」

 

 これには、ハリーとロンも、驚いたようだ。まさか、クラスメートの名が出てくるとは。ウィーズリー氏は『聞いたことがある』と答えたのだが、ハーマイオニーはすぐさま別の名前を持ちだしてくる。

 

「では、ルミアーナという名前はどうですか」

「ルミアーナかね、ルミアーナ… うーん聞いたことがあるような気もするが、はっきりしないな」

「そうですか」

「いったい、それで何がわかるというんだね?」

 

 当然の疑問だろう。はたしてハーマイオニーがそれに答えるのかどうか。ハリーもロンも息を詰めて見守るが、ハーマイオニーは平気な顔をしている。すでに言い訳の言葉は考えてあるのだろう。ちなみにパチルなどの名前を出したのは、もちろんカモフラージュということになる。

 

「魔法史の勉強なんです。たとえばクリミアーナ家は何百年も続く古い家で、優秀な魔女が何人もいたらしいんですけど、その人たちのこととか、いろいろ知りたくて」

「なるほど。勉強熱心なのはさすがだが、それならアルテシア嬢に聞いたほうがいいんじゃないかね。旧家であればあるほど、家の歴史などはきちんと残されているものだよ」

「それはそうなんですけど」

「しかし、それほどの旧家であれば、名前くらい聞いたことがあるはずなんだが。クリミアーナ、クリミ、アーナ…、と」

 

 これで、ウィーズリー氏は知らないということがはっきりした。ハリーもロンもハーマイオニーも、そう思った。だがそれで、どういうことになるのか。ハリーとロンには、それがわからない。わかるのは、ハーマイオニーだけ。いったい、何を考えているのだろう。

 

「そうだわ、お父さん」

「ん? なんだね」

 

 そろそろ夕食も終わろうという頃になって、モリーが声をあげた。

 

「思い出しましたよ。あー、でも名前がなんだったかしら、たしか、ガラガラとかなんとか、そんな名前でしたかね」

「ガラガラ? それは違うんじゃないかね。人の名前とは思えんのだが」

「ええ、違うでしょう。でもそんな感じの名前でしたよ。ブラック家の嫁いびりってのがあったでしょう。単なるウワサですけど、あたしたちが結婚するしばらく前のことですよ」

「あーあー、そんなのがあったな。え? まさかそのとき追い出されたという奥さんの名前が、そうだって言うのかね」

「そうです、そうなんですよ。それにその人、たしかクリミアーナの人ですよ」

 

 それは、十分に驚くに値する話だった。もちろん、ハリー、ロン、そしてハーマイオニーにとっての話だが。

 

 

  ※

 

 

 実は、ハリーを驚かせた話はそれだけではなかった。夕食が終わり、みんな満腹となってそれぞれ部屋へと戻ってからのこと。ブラック家での出来事のことがどうしても気になったハリーは、ウィーズリー氏にもう少し話を聞こうと、1階のバーへと降りていった。もちろん営業などはしていないが、そこにウィーズリー氏が残っていたからだ。

 その途中でハーマイオニーと出会う。そのハーマイオニーが、静かにするようにという仕草をみせる。そして指さした方向は、バーの奥側の席。そこにウィーズリー夫妻がいた。他には誰もいない。

 声をかけるべきなのだろうが、ハーマイオニーの指示は、黙ったままでテーブルの陰に隠れるようにということなのだ。ウィーズリー夫妻の声が聞こえてきたこともあり、ハリーはあわてて隠れる。見つからずに済んだようで、その声が途切れることはなかった。

 

「じゃあ、どうすればいいんです? 知らない顔はできないと思いますよ」

「もちろんだよ、モリー。だが、簡単なことではないよ。なにしろ、わたしらはアルテシアという子のことを知らない」

「そうですけど、悪い子じゃないはずです。だってあの子はジニーを」

「ああ、そうだね。けどそれは、ロンが言ってるだけのことだからね。本人に聞いてみる必要はあると思うよ」

 

 ハリーとハーマイオニーは互いに顔を見合わせていた。だがいまは、一言もしゃべることができない。そうすれば、見つかってしまうからだ。

 

「まったく、困ったことになった。シリウス・ブラックの脱走が、またか娘の恩人に影響してくるとはね」

「ハリーのことはともかく、あのお嬢さんまで。きっと、気づいたのはわたしたちだけですよ」

「だろうね。ハリーには話すなとファッジは言うが、そういうわけにはいかない。お嬢さんのことも、ほおってはおけない」

「ハリーには、話すべきではありませんよ。怖がらせてしまうだけです」

「いや、知るべきだと思うがね。そうしないと、自分で自分を守ることができない。そうじゃないかい?」

「そうですけど、なにもわざわざ教えなくても」

 

 いったい何のことを話しているのか。ハリーは、そのことを大声で聞いてみたいのに違いない。そんなハリーを、ハーマイオニーが心配そうに見ている。

 

「シリウス・ブラックがどこにいるのか、まつたくわからないんだ。なにしろ、絶対に不可能だと言われていたアズカバンからの脱獄すらもやってのける男だからね。正直、魔法省が捕まえる見込みは薄いと思うんだよ。ならば、あいつが狙っているハリーは、なんとしても守らねばならん。いいかい、モリー。そのためにはハリーに教え、彼にも警戒してもらう必要があるんだよ」

「わかりますけど、ハリーは子どもですよ。周りの大人が守ってやればすむことだと思いますね、あたしは」

「まあ、それも正しいことではあるがね」

 

 ハリーには、衝撃の内容だった。それはもちろん、ハーマイオニーにとっても同じだろう。だが、話はそれで終わらない。

 

「ブラックは寝言で『あいつはホグワーツにいる』と言っていたらしい。それがハリーのことだと、みんな思ってるんだよ。そのうえ、アルテシアという女の子のことも、考えなければいけなくなった。彼女は、ブラックのことを知ってるだろうかね」

「どうでしょう。いまでも親戚ってことになるんですかね。だとすると、知っていてもおかしくないですけど、ガラガラさんが嫁入りしてたときには生まれてませんからね」

「もちろんだよ。わたしらでさえ、結婚していなかった。だが旧家であるらしいから、ちゃんと記録は残っているだろう。どちらの家にもね」

「そのガラガラさんですけど、ブラック家を出されてからどうしたでしょうね」

 

 ウィーズリー夫妻の間では、その人物の名前は、すっかりガラガラさんということになってしまったらしい。ちゃんとした名前を思い出そうともしていないようだ。ちなみにその人物の正しい名前は、クリミアーナ家の家系図によればガラティア・クリミアーナである。アルテシアの祖母の妹であった人物だ。

 

「もちろん、実家に戻ったんだろうと思うがね。とにかくそのお嬢さんとは会っておきたい。駅であえなかったら、このことをダンブルドアに報告がてら、学校で会わせてもらおうと思っているんだよ」

「そうね、アーサー。でもきっと、おかしなことにはならないはずよ。ダンブルドアが校長をなさっているかぎり、ホグワーツは安心に決まってますからね」

「そうだといいが、イヤな予感がするよ。ハリーのことだけでなく、お嬢さんのこともあるとなれば、頭が痛い。ともあれ母さん、そろそろ休もうか……」

 

 ウィーズリー氏の口調からは、さも疲れたようすがうかがえた。ハリーとハーマイオニーは、夫妻がバーを出ると、すぐにハリーの部屋に向かった。とにかく、話がしたかったのだ。このままバーで話をしてもよさそうなものだが、いままで自分たちがしていたように、誰かに聞かれる恐れがある。それを避けるためには、こうするのが一番いいと、どちらともなく、そう思ってのことだ。ハリーの部屋は個室なので他人に聞かれる心配はない。夜中に2人だけでいるにはふさわしくない場所かもしれないが、そんなことは気にしていないのだろう。

 

「大声は出さないでよ。しずかに話しましょう」

「わかってるよ。けどぼく、どうすればいいんだろう。想像もつかないや」

「これで、マグルに魔法を使ったのに許された訳がわかったわね。魔法省は、あなたを守ろうとしたのよ。ここに宿を取らせたのもそのため。シリウス・ブラックが、あなたを狙ってるからよ。でも大丈夫、ホグワーツにはダンブルドアがいるわ。他の先生たちもね」

「ああ、そうだね」

 

 だがそれは、確実ではなくなったのだ。ウィーズリー夫妻はあまり口にはしなかったが、夫妻が気にしていたのは、シリウス・ブラックとアルテシアとのつながりだ。シリウス・ブラックがハリーを狙っていて、そしてアルテシアともつながりがあるのなら、ホグワーツが安全だとは、必ずしもいえないのではないか。少なくともその可能性があることを、ハリーは感じていた。

 

「わかってる。つまりぼくは、ホグズミードには行けないってことだよね。いや、行かない方がいいんだ。どっちにしろ、許可証にサインをもらってないから行きたくても行けないんだけど」

「ホグズミード? そうね、学校から出ない方がいいに決まってるけど、でも気づいてる? ホグワーツが安全だという保証がゆらいでるのよ」

「そんなの、わかってる。おじさんたちが気にしていたのも、たぶん、そのことだ」

 

 シリウス・ブラックがヴォルデモートの右腕だというのなら、ハリーが狙われてもおかしくない。ではアルテシアがブラック家と関係あるというのなら、なにが起こるだろう。いくつか思いつくことはあるが、どれも、ありそうでありえない。ハリーはそんなことを思った。ウィーズリー夫妻が、このことを口にしなかったのも、きっと、そのためだ。

 ならば、この友人はどう思っているのだろう。ハリーは、ハーマイオニーをじっと見つめた。ハーマイオニーも、そのことを考えているはずなのだ。

 

「ハーマイオニー、キミは」

「あたしは、アルテシアを疑ってないわ。それより気になるのは、シリウス・ブラックがアズカバンを脱走した方法よ。どんなところかは知らないけど、脱獄不可能とされていたのよね。なのになぜ? なぜ今なのかしら? 脱獄できるのならもっと早くてもよかったはずでしょう」

「そうだけど、なにか理由があったんだろ」

「そうね、理由があったはず。今である理由がね。あたしたちは、それがなにかを知るべきであって、アルテシアがシリウス・ブラックと協力してるかどうかじゃないわ。脱走に手を貸したりとか、そんなことあるはずない」

「けどキミ、クリミアーナ家とブラック家が親戚だってこと、忘れてるよ。それにアルテシアには、疑わしいところがある。キミだって、そう思ってるはずだ。だからウィーズリーおじさんにクリミアーナ家のこと、尋ねたりしたんだろう」

 

 そう。そもそもは、そこから始まっているのだ。古くから続く旧家であるはずのクリミアーナ家が、なぜか魔法界ではほとんど知られていない。ハーマイオニーはそこに疑問を持ち、調べる必要性を感じている。その意味からすれば、アルテシアを疑っていることになるのではないか。

 ハリーはそう思っているが、ハーマイオニーは、たぶん認めないのだろう。

 

「疑問は、疑問よ。わからないことがあれば、調べればいい。答えは、そこにあるわ。本人に聞くというのもいい方法だと思わない?」

「どうかな。たぶん、教えてくれないような気がするよ。キミが、どっちがパーバティが見分けられるんなら別だけど」

 

 互いに軽く笑ったところで、話はこれまでとなった。

 

 

  ※

 

 

 まだあまり人の姿のない、キングズ・クロス駅の9と4分の3番線ホーム。アルテシアは、そのホームを、ゆっくりと歩いていた。1年目のときと同じく、時間に余裕のありすぎる到着だ。すでに紅色のホグワーツ特急は停車していたので、列車に乗り込み、4人席のコンパートメントに席を取る。パチル姉妹とソフィアとで4人となるので、ちょうどいい。

 そう思ってのことなのだが、ハーマイオニーのことを考えると、6人席にするべきか。アルテシアは、そんなことを考えた。さすがに席が全部埋まっていたなら、ハーマイオニーも他のコンパートメントに行くだろう。でも、そのとき誰かが遅れていて席が空いていたなら。

 そんなときのためにも6人席にしようと、アルテシアは立ち上がる。もともと荷物などは持っていないので、移動は簡単だ。必要なものは、腰の横に下げた巾着袋からいつでも取り出せるのだから。

 服装は、クリミアーナ家の白いローブ姿だ。袖などに赤い縁取りがされ、裾には青のラインが入った、クリミアーナ家の公式衣装だ。いまでは自身の手で保護魔法をほどこすことができるのだが、やはり母親の手による保護魔法がかけられたローブのほうが安心するのであろう。

 その6人席のコンパートメントに、次の乗客が来たのはそれから20分ほど後。姿を見せたのは、ルミアーナ家のソフィアだった。ソフィアは、すでに制服姿である。

 

「6人席ですか。4人席のほうがいいと思いますよ。そうしませんか」

「けど、もし人数が増えたりして誰かが座れなくなったら困るでしょ」

「なるほど。でもパチルさんたちも早めに来ると言ってましたから、4人席にしましょう。いいですね?」

「いいけど、どこか開いてる? 4人席は少ないよ」

「大丈夫、もう見つけてありますから」

 

 なるほど、そういうことか。アルテシアは納得し、ソフィアとともに、そこへ移動。そして、窓側へ座る。そこからホームが見渡せたが、ホームを歩く人の姿は、まだそれほど多くはない。

 

「ところでソフィア。その言葉遣いは、なんとかならないの。なんとかするっていう約束だったよね?」

「ええ、なんとかしますよ。でも、もう少しだけ。こんな日が来ること、ずーっと夢見てきたんですから」

「それは、そうかもしれないけど」

「それに、3年生と2年生ですよ。年上と年下、つまり先輩後輩です。誰も気にしないと思いますよ」

 

 それはそうだろう。つまり気にしているのは、アルテシアだけということになる。そのことに、アルテシアは苦笑する。

 

「けど、ソフィア。その制服は、あれだよね」

「そうですよ。うちの母が、感心してました。あれから母とよく調べたんですけど、かかっている魔法の種類は6つ。なかでもカウンターアタックだって母は言ってましたが、攻撃してきた相手にそれを倍返しするっていうのが秀逸だって言ってました」

「ああ、うん。わたしは、あの魔法に命を救われたことがあるの。トロールに襲われたとき、唯一の反撃手段がその魔法だった。それで反撃できたから、気を失うくらいですんだのよ」

 

 それは、1年生のときのハロウィンの日のことだろう。そのときアルテシアは、トロールから3回にわたり棍棒で殴られている。ある程度までの衝撃であれば保護魔法によって無力化されるのだが、あまりに強すぎる衝撃の場合、その全てを防ぐことは難しい。あのときアルテシアがダメージを受けたのは、そのためだ。とうとう3回目で気を失ってしまい医務室で手当を受けることになったが、実はトロールのほうは、それ以上の被害だ。ローブにかけられた別の魔法によって、自身の攻撃力に倍する反撃を受けているのである。つまりアルテシアは、保護魔法により緩和された攻撃を3回受け、同時にトロールは、魔法により倍加された反撃を3回受けたというわけだ。

 

「もしよければ、1つ追加をさせてもらえないか、と母が言ってましたよ」

「追加?」

「ええ。着ている人が気を失うなどの異常があったとき、どこか特定の場所へと移動させる魔法です。もしよければ、ルミアーナ家の客室のベッドの上はどうか、と」

「ありがとう、ぜひお願いしたいけど、その場所は、クリミアーナ家のわたしのベッドがいいわ。けど、どうしたんだろう」

「なにがです?」

 

 アルテシアが、窓の外を指さす。ソフィアも目線をむけたそこには、パチル姉妹とハーマイオニーたちがいた。なにやら立ち話をしているのだが、もちろん、その声は聞こえてこない。

 

「あらあら、つかまっちゃってますね、パチルの双子。そういえばあの人たちの叔母さんとうちの母とが、なんどか話をしています。わたしも同席したことありますけど、あの叔母さんこそ、もっと話し方を工夫するべきだと思いますね」

「あはは、確かにちょっと、じれったくなるような話し方する人だけど、こっちの話はちゃんと聞いてくれるし、いい人だよ」

「それは、母も同意見でした。話はいい方向に進んでいますよ」

「あとは、ヴォルデモート卿とのこと、キチンとするだけだね」

「そうですけど、あせることはないと思います。すくなくとも今年1年、ムリは禁物。できれば来年も」

 

 それは、はやくに魔法力を解放させた魔女によくあること。通常14歳が境とされるが、それよりも早いとき、魔法使用による負担が体調に影響を与えることがある。事実アルテシアは、秘密の部屋騒動のあと、またも寝込んでいるのだ。

 

「ありがとう、ソフィア。でも、あなたこそムリしないでよ。わたしより年下なんだからね」

 

 それには、ソフィアは答えない。つまり『はい』と返事ができないということだろう。場合によってはムリもする、ということだ。アルテシアが、秘密の部屋でしてくれたように。

 おそらくソフィアは、そんなことを考えていたのだろう。そんなソフィアに、アルテシアは、やわらかく微笑んでみせた。たしかにルミアーナ家は、その昔、クリミアーナ家の守り神だった。そんな役目を担っていたのだ。だがこれからは、そんなことにとらわれる必要なんてない。アルテシアはそう思っていたし、そうするつもりだった。

 窓の外では、相変わらずパチル姉妹とハーマイオニーたちが立ち話をしている。

 

「ようすをみてきましょうか? 何の話をしているか、予想はつきますけど」

「そうだね。でも、行くとややこしくなるんじゃないかな。いろいろ疑われているだろうし」

「それ、疑いなんですかね。事実なところもあるんですよ」

 

 ハリー、ロン、そしてハーマイオニー。その3人がパチル姉妹と話しているのは、ダイアゴン横丁のパーラーのテラスでのことだろうと、アルテシアは思っている。あのときハリーが、なぜあそこにいたのか。あの席には、シリウス・ブラックのうわさ話をしていた2人組がいたはずだった。もちろん席を立つところだったけど、そのあと、ハリーが来たことにまったく気づかなかったのはなぜか。ハリーは、どこから話をきいていたのか。

 本当なら、そのことをこちらから聞いてみたかった。

 

「ねぇ、ソフィア。トム・リドルという人のことだけど」

「会ったことはないですよ、もちろん。母の言うとおり、ずいぶん昔に半年ほど、うちに滞在したことはあるらしいですけど」

 

 その半年ほどの間に、どういうことがあったのか。気になるのは、魔法書をみせたかどうかだが、その可能性は高いとアルテシアは思っている。クリミアーナ家でもそうだが、魔法書のことはとくに秘密にしてはいないのだ。興味を持ち、見たいという人には見せることにしている。アルテシアがマクゴナガルに見せたのも、ハーマイオニーがクリミアーナ家で目にしたのも、そういう理由からだ。

 だが、半年ほどではそれが読めるようになるとはとうてい思えない。なので、クリミアーナが闇の魔法に荷担したということにはならないはず。

 そのはずなのだが、アルテシアの気持ちは、晴れなかった。視線の中では、パチル姉妹がようやくにしてハーマイオニーから解放さたところだった。

 もうすぐ、パチル姉妹がここに来るだろうし、ハーマイオニーたちと何を話していたのかも聞けるだろう。そういう意味からすれば、4人席のコンパートメントにして正解だったようだ。

 アルテシアは、そんなことを思いつつ、ソフィアに軽くうなずいてみせた。

 



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第41話 「吸魂鬼(Dementor)」

 大きく汽笛が鳴り響き、ホグワーツ特急発車のときをむかえる。とたんに急いで列車に乗り込む人、改めてあいさつを交わしている人などで、プラットホームが一段とあわただしくなる。そんなようすを列車の窓からみているアルテシアのとなりに、パドマが座った。向かい側には、ソフィアとパーバティ。予定どおりに、と言っていいのか4人席のコンパートメントは、これで埋まった。

 

「3年目が、始まるね。この1年、なんにも起きないといいんだけど」

 

 列車が動き出し、徐々に速度を上げていく。そんななか、ぽつりと言ったのは、パドマ。パーバティはうなずいただけだったが、ソフィアは、黙ってはいなかった。

 

「それが理想ではありますけど、ムリだと思いますね」

「え?」

「すでに起こり始めているからです。パチルさんたちも、そう思ってるはずですよ。だって、あー、ええと……」

「なによ、どうしたの?」

「いえ、べつに」

 

 言いながら、ソフィアがアルテシアをみる。そのすがるような目に、アルテシアは思わず吹き出した。ソフィアの顔が、みるみる赤くなる。

 

「ご、ごめんね、ソフィア。笑うつもりなんてなかったんだけど」

「あーあ、かわいそうに。真っ赤になっちゃってるよ」

「あんたにも、そんなかわいらしいところ、あったんだね」

 

 3人からそれぞれに言われ、ソフィアはますます赤くなる。そんなソフィアに、手を差し出したのはパーバティ。

 

「な、なんですか?」

「友だちの握手だよ。これから仲良くやってこうってことだけど、お姉さんとじゃ、イヤなのかな」

「な、ば、そ、そ、そ」

「なに言いたいのかわかんないよ。“そ”がどうしたって?」

「まあまあ、そのくらいにしてあげて」

 

 アルテシアが、ソフィアの手とパーバティの手をとり、つながせる。というより、パーバティが握った格好だが、ソフィアはいやがるそぶりはみせなかった。そこを、パドマが両手で包み込む。

 

「この学校で、私たち4人だけだよ。なんでも話せるのは、この4人だけ。それを忘れないようにしよう」

 

 それぞれ、互いに顔を見合わせる。何も言わないのは、つまり納得したということだろう。クリミアーナをめぐり、この4人のあいだでは、多少なりとも秘密ができてしまった。部分的に知っている人はほかにもいるが、全体的なことはこの4人に限られるということになる。しかも4人は、家と家とのつながりもあるのだ。

 

「大丈夫よ、みんなは、わたしが守るから」

 

 アルテシアのクリミアーナ家とソフィアのルミアーナ家は、その過去において密接なつながりがある。500年前の事件以来、その関係は途絶えてきたが、アルテシアがホグワーツに入学したことがきっかけとなり、その関係は修復されることとなったのだ。パチル姉妹の家はマーロウ家と縁続きであり、そのマーロウ家とルミアーナ家とは、昔からの知り合いであるらしい。

 

「じゃあ、話をもどそうかな。ソフィア、あんた何か言いかけてたよね?」

「あぁ、ええと。とにかくその、ムリをさせたくないんです。少なくとも今年1年は」

「どういうことかな、それって?」

 

 パーバティに言われ、ソフィアがアルテシアを見る。どうにも、ソフィアは話しにくそうにしている。それはなにも、1人だけ下級生だということではないはず。ちらちらとアルテシアを見ているのは、なにか理由があるのだろう。それに応えるようにしてアルテシアが、軽くうなずいてみせる。ただそれだけのことに、ソフィアはほっとしたような表情を浮かべた。

 

「ソフィアのお母さん、アディナさんって言うんだけど、いろいろアドバイスもらってるんだ。そのなかにムチャはしないようにってのがあって、ソフィアはそのことを言ってくれてるんただと思う」

「ああ、それは賛成だな。アル、たしかにあんたはムチャのしすぎ。ソフィアも、よく気をつけてあげてね」

「はい、それはもう。でもそのためには、パチルさんたちにも力を貸してもらわないと」

 

 それは、言わずもがなであったようだ。パーバティもパドマも、にっこり笑ってうなずく。そして、

 

「おとといだけど、叔母さんのとこに行ってきたんだ。マーロウ家が知ってるルミアーナ家のことは、あることないこと、みんな聞いてきたよ」

「その言い方、おかしくないですか。ないことをどうやって聞くのか教えてほしいですね。それって結局、ウソとか作り話ってことになりませんか」

「おや、急に元気になったわね。あんたはそれでいいんだと思うけど、なにかいいことでもあったの?」

 

 そんなヒマが、どこにあったというのか。強いて言えば、アルテシアがうなずいてみせたことくらいだが。

 

「おあいにくさまですけど、そんなこと、パチル姉さんには教えませんよ」

「あらま、なまいき。さっきパドマが言ったこと、もう忘れたの。あの握手はなんだったの」

 

 誰もが笑ってるので、冗談であることは明白。雰囲気はとてもよいようだ。

 

「ねぇ、聞いてもいい? パーバティがパチル姉さんなら、あたしは? アルテシアのことは?」

「もちろん決まってますよ。好きな呼び方でいいって、さっきお許しもいただいてますからね。パドマさんのほうはパチル妹さんって呼びたいところですけど、さすがに怒られそうなんで、パドマ姉さんって呼ばせてもらいます。ダメだと言っても、もう遅いですよ。決めちゃいましたから」

 

 それには、パーバティもパドマも、あきれ顔。ひとり、アルテシアだけが笑っていた。

 

「いいんじゃないの。あたしもそう呼ぼうかな」

「アンタは、ダメ!」

 

 さすが、と言えば良いのか。そくざに否定の言葉が飛んだが、パチル姉妹のそれぞれが言ったにもかかわらず、声の調子やタイミングなど、まったく同じあった。

 

 

  ※

 

 

 ハリーたちが席をとったコンパートメントには、少しくたびれたローブを着た、白髪混じりの髪の男がいた。その人が誰で、なぜここにいるのかなど疑問はいくつかあったが、知ることができたのは、持ち物に記された名前だけ。というのも、すでに眠り込んでいたからだ。

 その眠っているルーピン先生の横で、ハーマイオニーたちは話を始める。ほんとは誰もいないところがよかったが、ほかのコンパートメントは、どこもいっぱいだったのだ。それに、眠っているルーピン先生のほうが先客なのだから、文句をいうのは間違いであろう。

 

「けど、もう3年生だよね。この1年はいろいろとありそうだから、気をつけないとね」

「まあ、そうだよな。うん。気をつけたほうがいいだろうな」

「なによ、ロン。パーバティたちの話をちゃんと聞いてたの」

「聞いてたさ。けど、いまさらアルテシアを疑えって言われても、簡単に納得なんかできるもんか」

 

 だがハーマイオニーは、あきれたようなため息をもらす。やっぱりロンは、ちゃんと話を聞いていない。そんな思いが込められたため息だ。

 

「ねえ、ロン。あたしはアルテシアを疑えなんて言ってないし、あたしだって疑ってないわ。気をつけろって言ってるだけなのよ」

「お聞きしますけど、それのどこが違うってんだ? おなじだろ。なぁ、ハリー。おんなじだよな」

「いや、ロン。ぼくにもその違いはわからないけど、気をつけたほうがいいのは確かなんだ。あいつはヴォルデモートのことで何かあるんだ」

 

 その名が出たとたん、ロンがおびえたような顔を見せたが、ハリーに気にしなかった。ハーマイオニーもとくには気にしていないようにみえる。

 

「隠してるのは、なにかあるからだろ。パーバティだって、あきらかにごまかしてた。あいつらは何か知ってる。それに、ブラック家のこともある」

「シリウス・ブラックとつながってるっていうのか。だからアズカバンを脱走できたって」

「そんなことは言ってないのよ、ロン。シリウス・ブラックは、ずっとアズカバンにいたんだから、アルテシアとは会ったことすらないはずよ」

「そうだ、そうだよな。やっぱりアルテシアは関係ないんだ。なあ、これまでどおりにしゃべったりしてもいいんだろ?」

「もちろんよ、ロン。友だちなのは変わらないわ。けど、いろんなことに注意が必要なのは確かよ。ソフィアって子もあやしいし、パーバティはあきらかに隠しごとしている。さっきホームで話して、それがはっきりわかったでしょう? ハリーの言うように、なにかあるから、隠すのよ。それを話してくれたらいいんだけど、そうでないうちは気をつけておくべきよ。そう思うでしょ、違う?」

「わかった、わかったよ、気をつけるよ」

 

 口では、絶対にハーマイオニーにはかなわない。ロンは、あらためてそのことを思い知る。同時に、この話はあまりしたくないとばかりに、話題を切り替えようとする。

 

「ところで、3年生からはホグズミードに行けるだろ。ハニーデュークスの店に行くのが楽しみなんだ」

「ホグズミードのこと、よく知ってるの?」

 

 さすがに、ハーマイオニーも興味はあるようだ。話にのってくる。

 

「マグルのいない、魔法使いだけの村なんだ」

「本で読んだわ。『魔法の史跡』ってのによると、そこは1612年のゴブリンの反乱で本部になったところだし、『叫びの屋敷』はとっても恐ろしい呪われた幽霊屋敷だって書いてあったわ」

 

 ハーマイオニーはハリーの方に向き直った。

 

「ちょっと学校を離れて、ホグズミードを探検するのも素敵じゃない?」

「だろうね。でもぼくは行けないんだ。ホグズミード行きの許可証に、ダーズリーおじさんはサインしてくれなかった」

「許可してもらえないって? そりゃないぜ。マクゴナガルに相談してみたらどうだい?」

 

 だがハリーは、返事の代わりに首を振ってみせる。マクゴナガルは、こういうことにはとても厳しい。許可証にサインなしでは、ホグズミードに行かせてくれるはずがない。

 

「だったら、フレッドとジョージに聞けばいい。あの二人なら、城から抜け出す秘密の道くらい知ってるはずだよ」

「ロン!」

 

 すぐさま、ハーマイオニーの厳しい声が飛んだ。

 

「シリウス・ブラックのこと、お忘れじゃなくて? 学校からこっそり抜け出すようなことはするべきじゃないわ」

「ああ、ウン。そのとおりだ。だけど、ぼくたちがハリーと一緒にいれば大丈夫なんじゃないかな」

 

 コンパートメントのドアが、勢いよく開けられたのは、そう言ったロンをハーマイオニーがにらみつけたのと、ほぼ同時だった。そこには、歓迎などしたくない3人がいた。

 

「ぼくは、ドラコだ。ドラコ・マルフォイ」

 

 それは、ドラコのいつもの決まり文句。その両脇に、腰巾着のビンセント・クラップとグレゴリー・ゴイルがいるのもすでにおなじみだ。

 

「なんだ、ここはポッター、ウィーズリー、グレンジャーのところだったのか。わざわざ来ることもなかったな」

「じゃあ、むこうへ行けばいいだろ。ぼくらは大切な話をしているところだ」

「まさか、アルテシアのことじゃないだろうな。言っておくが、シリウス・ブラックの脱走とはなんの関係もないぞ」

「どういうことなの、マルフォイ。なぜ、そんなこと」

 

 聞き流していれば、ドラコは立ち去っていたはずだ。だが、そんなことはできなかった。

 

「グレンジャー、誰もがおまえを物知りだと言うが、それは間違いだ。どうせ、アルテシアが手助けしたとかなんとかウワサしてたんだろ。それがイヤミな知ったかぶりだってことぐらい、そろそろ気づくべきだと思うがね」

「なんだと、ハーマイオニーを侮辱するな!」

 

 そう言ったのは、ロン。だがそれくらいでひるんだりするドラコではない。

 

「残念だったな、ウィーズリー。ようやくキミの父親が小金を手にしてエジプト旅行できたことを祝ってやろうと思ったのに、いまのでその気がうせてしまったよ」

「なんだと」

「700ガリオンも当選したそうじゃないか。日刊予言者新聞に記事が出ていた。写真も載ってたが、あれがウィーズリー家の全員なのかい? やっぱりみんな、赤毛なのかな」

「待って、そんなことより、さっきのことを教えて。アルテシアがなんだって言うの?」

「知ったかぶりのおまえにはわからないだろうが、アルテシアには、シリウス・ブラックの脱走を手助けしてやる必要なんてないんだ。おまえらみんな、勘違いしているぞ」

 

 知ったかぶりうんぬんについては、もちろん反論したい。だがここは、ぐっと我慢。なにも言わずに、ドラコの言葉を待つ。幸いなことに、ハリーとロンも、黙ってくれている。

 

「ブラック家は、クリミアーナと仲が悪いんだ。せっかくの嫁も追い出したくらいだからな。母上は、クリミアーナは大切にされなきゃいけなかったんだって言ってる」

「あなたのお母さんは、クリミアーナのこと知ってるの?」

「あたりまえだ。母上は、その嫁とは仲が良かった。だが父上と結婚したあと、ブラック家がその嫁を追い出したことを知ったんだ」

「待って、じゃあ、あなたのお母さんは」

「母の名は、ナルシッサ・ブラック。父上と結婚し、ナルシッサ・マルフォイとなったが、それがどうした?」

 

 どうもしない。ハーマイオニーにとっては、そんなことはどうでもよかった。ただ、ドラコがアルテシアにはやさしく振る舞っている意味がわかっただけのこと。それよりも。

 

「なぜ、追い出されたりしたのか、知ってる?」

「そんなこと、知るもんか。うちの家は、ブラック家とは絶縁しているからな。おそらくクリミアーナ家もそうだ。だからシリウス・ブラックを手助けしたなんてあり得ないんだ」

「そう、よくわかったわ。もう、行っていいわよ」

「な、なんだと」

 

 あとは、騒ぐマルフォイを追い出すだけだ。それには、あまり騒ぐとコンパートメントの奥で寝ているルーピン先生が起きるぞ、とハリーが言ってやるだけでよかった。ルーピン先生に気づいたドラコは、すごすごと引き上げていった。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツ特急の窓から見える景色は、灰色一色。かなり雨が強いらしい。その灰色がだんだんと暗くなっていき、通路や荷物棚などにランプがともった。窓に打ちつける雨音は、かなり大きい。

 

「もうそろそろ着くんじゃないかな。もう、腹ぺこだよ」

 

 ロンが身を乗り出し、ルーピン先生の体越しに、真っ暗となった窓の外を見る。ルーピン先生は、まだ眠っていた。そうこうするうち、汽車が速度を落としはじめる。

 

「おかしいわ、まだ着かないはずよ。早すぎる」

 

 ハーマイオニーが時計を見ながら言ったが、汽車はますます速度を落としていき、ついには止まってしまう。そしてほぼ同時に、ランプの明かりが消え、暗闇に包まれる。

 

「故障、かな?」

「さあ……」

 

 ドアを開け、廊下に顔を出してみる。暗くてなにも見えないが、完全な真っ暗闇だというわけではない。目さえなれてくれば、少しぐらいなら見えてくるのではないかと思われた。だがそれを待てない人たちが動き回り、ちょっとした騒動が巻き起こる。

 

「静かに、静かにしなさい。動いては危ないよ!」

 

 そんななかに、しわがれた声がひびいた。ルーピン先生がついに目を覚ましたのだ。その手になにかを持っているのか、カチリという音がしたあとで、灯りが揺らめきコンパートメントを照らした。

 ルーピン先生が、そっとドアの外へと顔をだす。まず、右側に目をむけ、身を乗り出す。ハリーも、その後ろからようすをうかがう。

 

「先生、あれは…… なにかいる」

「静かに。危険だ、ここにいるんだよ」

 

 そう言って、まさにコンパートメントを1歩出たそのとき。

 

「まさか。いま、なにが、どうなったんだ」

「ど、どうしたんですか」

「ああ、なんでもないよ。キミは出てきちゃいけない、奥に行くんだ」

 

 身を乗り出そうとするハリーをルーピン先生が押さえ、コンパートメントのなかへと押し込み座席に座らせる。そして、改めて廊下側に顔をむけたとき。

 そこには、マントを着た、天井までも届きそうな黒い影が立っていた。ルーピン先生の灯りのおかげで、ハリーは上から下へとその影を見ることができた。もちろんその姿を見た者は他にもいるだろうが、すぐそばにいたハリーには、よりはっきりと見えた。

 その顔は、すっぽりと頭巾で覆われていた。マントから突き出した手は灰白色に光り、がさがさの皮膚はまるで死人の手のようだ。その頭巾に覆われた何者かが、ゼイゼイと音を立てながらゆっくりと長く息を吸い込む。同時に、ぞーっとするような冷気が全員を襲った。

 ハリーは自分の息が胸の途中でつっかえたような気がした。寒気がハリーの皮膚の下深く潜り込んでいく。ハリーの胸の中へ、ハリーの心臓そのものへと……。

 

 

  ※

 

 

 ハリーが、目を開けた。ランプのともった車内は明るく、軽い振動はホグワーツ特急が動いていることを閉めている。ハリーは、なんどかまばたきをした。

 

「大丈夫かい?」

 

 ロンの声だ。ロンとハーマイオニーが、両脇からハリーの顔をのぞき込んでいた。手を貸してもらい、ゆっくりと起き上がる。ハリーは座席から床に滑り落ちたのだという。ルーピン先生の姿も見えた。

 

「あの、何があったんでしょうか。あの黒い影はなんだったんでしょうか」

「そのまえに、これを食べなさい。気分がよくなるだろう」

 

 大きな板チョコがいくつかに割られ、みんなに配られる。ハリーには、より大きな一切れが渡された。

 

「あれは、ディメンターだよ。吸魂鬼とも呼ばれているが、アズカバンからシリウス・ブラックを捜しに来たんだろうね」

 

 そこにいた全員にチョコレートを配り終えると、チョコレートの包み紙を丸めてポケットに入れる。

 

「食べなさい、元気になるから。わたしは車掌と話をしてくるよ」

 

 ルーピン先生が出て行くと、皆が、くちぐちに何が起こったのかを話し始める。なぜか、ネビルとジニーの姿があった。あの騒動のなか、どうやってここへ来たのだろう。

 ともあれ、話を総合すると、ディメンター、あるいは吸魂鬼というものが入り口から入ってこようとしたとき、ハリーが座席から滑り落ち、気を失った。身体が硬直しているようにも見えたらしい。

 

「そしたら、ルーピン先生が杖を取り出して、吸魂鬼に言ったのよ。『シリウス・ブラックをマントの下にかくまっている者は誰もいない。去れ』って」

「そして、なにかの魔法を使ったんだ。銀色のものが杖から飛び出して、吸魂鬼に向かっていった。そしたら、吸魂鬼は背を向けていなくなったんだ」

 

 口々に恐怖が語られたが、そのなかの誰も、気を失ったりしていないことに、ハリーは気づいていた。ネビルの声はいつもより上ずってはいたが『怖かった』というだけ。『もう楽しい気分になれないんじゃないかと思った』と口にするロンは、気持ち悪そうに肩をゆすったりはしたものの、座席から滑り落ちたりはしていない。めちゃくちゃ震えていたというジニーだが、それもハリーほどではないのだ。ほかのみんなはそうじゃないのに、なぜ自分だけがこんなことになったのだろう?

 そこへ、ルーピン先生が戻ってくる。なにか難しい顔をしていたが、みんなを見回して、笑顔になった。

 

「チョコレートには毒なんか入ってないんだよ。とにかく、食べなさい」

 

 ハリーは一口かじった。驚いたことに、たちまち手足の先まで一気に暖かさが広がる。チョコレートに、そんな効果があるなんて知らなかった。それがハリーの正直な気持ちだった。

 

「あと10分ほどで着くらしい。ハリー、大丈夫かい?」

 

 ルーピン先生が言った。なぜ自分の名前を知っているのかを、ハリーは開かなかった。というより、失神したことが恥ずかしくて聞けなかったのが正直なところ。ルーピン先生は、それを察してくれたのかもしれない。

 

「気にすることはないよ。キミは、アレの影響を強く受けただけだ。とくにめずらしいことじゃない。別のコンパートメントでも、倒れてしまった子がいるからね」

 

 それが誰かは、聞けなかった。そうするうちにルーピン先生がなにか考え込んでしまったからだ。質問など受け付けない。そのときハリーは、そんな雰囲気を感じとった。

 やがて、ホグワーツ特急が減速をはじめる。今度こそ、駅で止まるためのものだ。やがて列車は、駅で停車した。

 



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第42話 「魔法書の影響力」

 

『フォルチュナ・マジョール。たなぼた!』

 

 グリフィンドール寮の談話室へと続く廊下のつきあたりには、絹のドレスを着た、太った婦人の肖像画がかけてある。実はそれが談話室への入り口となっているのだ。この肖像画は、太った婦人に合い言葉を伝えることで入り口へと変わるのである。

 談話室へ入ると、ハリーはすぐに男子寮へと上っていく。すぐにもベッドに横になり、寝てしまうつもりなのだ。今日は、いろんなことがありすぎた。身体は、くたくただ。

 

(けど、あのとき、いったいなにが)

 

 気になるのは、ホグワーツ特急で吸魂鬼と遭遇したときのことだ。あのとき、叫び声が聞こえたような気がする。なにかに怯えたような叫び声だった。その人を助けなくてもいいのだろうか。ハリーは、そんなことを考えていた。

 もっとも、声を聞いたような気がするだけなのかもしれない。しかも、その人が誰でどこにいたのかすらもわからないのだ。それはつまり、どうしようもないということになる。だが現実に、あの叫び声はいまも耳に残っているのだ。なぜだろう。気を失ってしまったことと、なにか関係あるのだろうか。

 気を失うといえば、もうひとりそんな生徒がいたらしい。ルーピン先生がそんなことを言っていたけれど、それは誰なんだろう。もしかするとあの声は、その生徒の声なんだろうか? もしそうだとすると、その人はどうしただろう。

 当然、医務室には行っただろうと思うのだが、そういえば自分は、なぜ医務室ではなく、マクゴナガルの事務室だったのだろう。学校に着いたとたん、ハーマイオニーとともに事務室に連れて行かれたのだ。ハーマイオニーには、時間割についての話があるということだった。そのついでにということかもしれないが、いまから思えば、不自然だったような気もする。

 なぜ、医務室じゃなかったんだろう。なぜマダム・ポンフリーは、マクゴナガルの事務室で診察をしたのだろう。もしかすると、医務室でなにかあったんだろうか。気になると言えば気になるのだが、睡魔の訪れとともに、ハリーは眠りに落ちた。

 ところで、その医務室では。

 

「これで、何度目ですかね、ふたりしてこんな話をするのは」

 

 そのふたりとは、マクゴナガルとマダム・ポンフリー。マクゴナガルには新入生の組み分けなどの重要な学校行事があったので、こうして話ができるようになったのは、つい先ほどのことだ。

 

「でも、ハリー・ポッターに問題がなくてよかったですよ。なにかあれば、ここに連れてこないわけにはいきませんものね」

「それについては、お詫びしますよ。ほんとうに申し訳ないです。あの子が迷惑をかけてばかりで」

「ふふふ、ミネルバ、まるであの子のお母さんのようなセリフになってますよ」

「そのつもりですよ、わたしは。この気持ちは、だんだんと強くなっています。以前は、なぜだろうと気になったこともありましたが、あることに気づいてからは、楽しみでもあるのです。この先、どうなっていくのか」

「ああ、まさにお母さんですね。それは、あの子の成長が楽しみだということでしょ。それで、気づいたこととは?」

 

 マクゴナガルの好みに合わせてか、2人の前のテーブルには紅茶が用意されている。うなずきつつ、マクゴナガルが紅茶に手を伸ばした。

 

「魔法書だと思いますね、そもそもの始まりは」

「ああ、聞いたことがありますよ。なんでもそれを読めば魔法が身につくのだとか」

「そうなのですが、最近ではその認識は変わってきました。魔法書を読むことで得られるのは、おそらく魔法の知識だけではないのです。それを作ったクリミアーナ家の魔女のすべて。知識だけでなく思いや考え方といったものも含むのだと思います。もちろん、魔法も引き継ぐのですけどね」

「そうなのですか。だとすると、マクゴナガル先生はさしずめ母親の魔法書でも読んだといったところですかね」

 

 マダム・ポンフリーがどこか冗談めかした調子でこんな言葉を返したのは、まさかマクゴナガルがこんなことまでさらりと口にするとは思っていなかったからだ。これまでマクゴナガルはこのことを秘密にしようとしてきたはずであり、マダム・ポンフリーもそう承知していたからこそ、さりげなく聞き流そうとしたのだろう。しかもその言葉のなかに、彼女自身聞いたことのないような内容が含まれていたとなれば、なおさらだったろう。

 魔法書に関することを、マダム・ポンフリーは全く知らないわけではない。初めて聞いたのは賢者の石をめぐる騒動のときだが、あのときアルテシアを、半月ほどのあいだ医務室で世話した。そのほとんどを眠って過ごしたアルテシアだったが、なにも話をしなかったわけではない。

 

「母親の魔法書…… そうかもしれません。ああ、きっとそうなのでしょう。話したことがあると思いますが、母親のマーニャさんとは会ったことがあるのです。ああ、なるほど。そういうことなのですね」

「なんなの、ミネルバ。どういうこと?」

「いまにして思えば、マーニャさんはそのために、わたしと会ったのに違いありません。ああ、そうです。いまなら、それがよくわかる」

 

 マクゴナガルにはわかるのだとしても、マダム・ポンフリーには、なにがなにやらさっぱりだろう。説明が必要だとばかりに、マダム・ポンフリーはマクゴナガルに改めて視線を向ける。そのことに気づいたかどうかはともかく、マクゴナガルは、続きを話し始める。

 

「こうなることを予測しておられたのでしょうね。いずれあの子と出会い、あの子を教え、あの子を導く。わたしと会ったのは、そうなるようにと仕向けるためだったのでしょう」

「つまり、どういうことなの?」

「ああ、ごめんなさい。あまりにも、思い当たることがあるものだから、つい。そうね、なにから話せば、わかりやすいかしら」

「待って、ミネルバ。聞いておいてこういうのもおかしなものだけど、わたしなんかに話しても大丈夫なの? なにか大切なことだと思うけど。あなたはそれを、ダンブルドアに話してはいないのでしょう?」

 

 もちろん、マクゴナガルはうなずいた。だがいまや、魔法書のことは絶対に秘密とされているわけではない。もちろん、ダンブルドアは知っている。スネイプだってそうだし、生徒のなかですら、知っている者がいるのだ。そんななかで、いま新たに気づいたことがひとつ増えたからといって、それを教えてまわる必要があるだろうか。あの本の、本当の意味に気づいたものだけが知っていればいいのではないか。そしてそれに気づいたのは、クリミアーナ以外では、おそらく自分だけだろう。

 マクゴナガルは、改めてうなずいてみせた。

 

「ええ、そうね。でも、かまわないわ。他の人はともかく、あなたには知っておいてほしいの。もうあなたは、関係者みたいなものじゃないですか」

「あらま、そういうものですかね」

「それにこれは、わたしが実感として思っただけのことです。本当は違うのかも知れませんしね」

 

 そう言って笑ったが、マクゴナガルが実際にクリミアーナの魔法書を読み始めてからは、すでに2年が経過している。そのうえでの実感だというのなら、あながち的外れなものではないだろう。当たらずとも遠からず、すくなくともマクゴナガルはそう思っていた。

 

「あの本は、実在の魔女による記録なのです。魔女そのものでもあるのでしょう。あの子は、それを学び身につけようとしてきた。それはつまり、自分の中にそれを取り入れていくということになります。そういうことだと思います。だから、魔法が使えるようになるのですよ」

「待って、よく分からないわ。でもそうすると、どういうことになるの」

「アルテシアが、先祖の誰の本を読んでいるのかはわかりません。でもきっと、その先祖の影響を強く受けることになるでしょうね。なにしろ、知識や考え方などのすべてがアルテシアの中に入り込んでくるわけですから」

「まさかあの子が、その先祖そのものになってしまう、ということはないのでしょうね」

 

 それには、マクゴナガルは軽く首をかしげてみせた。これもまた、推測になってしまうということなのだろう。

 

「どうでしょうか。たとえばわたしは、すでにミネルバ・マクゴナガルとしてこれまで生きてきましたし、魔法もそれなりに使いこなしてきました。いまさらそれが塗り替えられてしまうようなことにはならないと思いますね」

「でもあの子は、幼いころからそうしているのでしょ?」

「ええ、3歳の誕生日からずっとです。魔法書とともに成長してきたようなものだと言えるでしょうね」

「だとすると、その影響力はかなりのものでしょうね」

 

 先祖の影響を強く受けること、それがいいことなのかどうかは、また別の話だ。そのような機会があったとき、いくらでも議論すればいい。気になるのは、そんなことよりもアルテシアのことだ。このときマダム・ポンフリーは、そんなことを考えていた。

 3歳と言えば、成長の過程において自分というものを持ち始めたころ。そんなときから魔法書による影響を受けて育ってきたのだとすれば、どういうことになるのか。そのすべてが魔法書の影響だというつもりはないが、あのマクゴナガルでさえ、母親のような気持ちを持つようになっているのだ。このことを、マクゴナガルはどう思っているのだろう。

 改めて、マクゴナガルを見る。

 

「ミネルバ、あなたはその影響力をどう考えますか。まさか、魔法書によって別の誰かになってしまうなんてことはないですよね?」

「それはそうよ。そこまでは考えすぎだと思うわ。あの子は、あの子自身。なにも変わっていない。クリミアーナで初めて会ったときと比べても、そんなに変わってるとは思いませんけどね」

「そうですよね」

 

 仮にいくらか変わっていたとしても、それは成長によるものと考えるべきだ。なにしろ、学校ではいつもなにかしらの問題が起こっているのだ。賢者の石をめぐる騒動もそうだし、秘密の部屋のできごとも恐ろしいものだった。そんななかで、変わらずにいられるものではないだろう。さまざまな経験により、少しずつ変わっていく。それが成長というものであり、よい方向に変わっていけるように導くのが教師の役目。もしかすると、クリミアーナ家ではその役目を魔法書が果たしてきたのかもしれない。そういう意味としての魔法書なのかもしれない。

 

「ねぇ、ミネルバ。クリミアーナ家の人は、これまで誰もホグワーツには入学していないんだったわね」

「そうね。アルテシアが初めてらしいけど」

 

 やはりそうなのだ、とマダム・ポンフリーは思う。クリミアーナ家がその歴史において選択してきたことに、おいそれと批判めいたことは言うべきではない。これはこれでいいことなのだ。

 

「あなたもいろいろ思うことはあるだろうけど、あの子はちゃんとまっすぐ、素直に育ってるじゃありませんか。それが全てですよ、それでいいのではありませんか」

「ええ、そうね。でも、医務室に来るのが多すぎだと思うわ。あのハリー・ポッターよりも多いんじゃないかしら」

「そのことなら、ちゃんと考えています。なるほど、魔法は使えるようになった。ですが体調に影響があるのは、まだその全てを身につけていないからです。それまで無理はさせられない。なにか、対策を考えないと」

 

 いったい何をするつもりなのか。多少なりとも不安を覚えたものの、おかしなことにはならないだろうとマダム・ポンフリーは思った。なにしろマクゴナガルは、アルテシアの母親、いや母親のようなものなのだから。

 

 

  ※

 

 

 新学期の授業が始まって一番の注目の的となったのは、新しく『闇の魔術に対する防衛術』の担当教師となったルーピン先生だった。その人気の理由は、実力ということになるだろうか。しっかりとした魔法の実力に裏打ちされた授業は、またたくまに生徒たちに受け入れられたのだ。ハグリッドも新しく『魔法生物飼育学』の担当教師として就任したのだが、その注目度は、ルーピン先生のほうが上だろう。

 ハグリッドの『魔法生物飼育学』は、3年生からの科目となる。他には『古代ルーン文字』『数占い』『占い学』『マグル学』があり、それぞれ選択制となっている。

 時間割の関係もあり、新しい科目での最初は『占い学』だった。先生は、シビル・トレローニー。大きなメガネをかけており、そのレンズが先生の目を実物よくも大きく見せていた。

 

「『占い学』にようこそ。あたくしの姿を見たことがない人が多いことでしょうが、それは、あたくしの『心眼』を守るためです。学校の騒がしさの中は避けておりますもので」

 

 いったい、何を言っているのか。わかった生徒は少ないのではあるまいか。トレローニーは、とことこと教室内を歩きながら、話を続ける。

 

「そこの男の子、あなたのおばあさまはお元気?」

「あ、あの、元気だと思いますけど」

 

 話しかけられたのは、ネビル。不安そうに返事を返したが、トレローニーはその返事には応えようとせず授業の説明を続けていく。

 

「この1年間は、占いの基本的な方法をお勉強いたしましょう。まずはお茶の葉を読むこと。そして手相学へと進みます。ところで、あなた。赤毛の男子にお気をつけあそばせ」

 

 指を指されたのは、パーバティ。いや、それともすぐとなりにいたアルテシアだろうか。トレローニーの人差し指は、それほどあいまいなところを指していた。互いに顔を見合わせ、ロンを見る。赤毛といえば、ロンだからだ。

 

「その後で、水晶玉へと進みましょう。そうそう、イースターのころには、クラスの誰かと永久にお別れすることになるでしょう」

 

 どう反応して良いのか分からない。そんな生徒たちがほとんどだ。これは、予言なのか。それとも適当なことを言っているだけなのか。それぞれ、どのように判断したかはともかくとして、授業はお茶の葉を読むという段階に移り、その結果、ハリーが『死神犬』に取りつかれているということになって終わった。

 魔法界では、死神犬を見たなら死が近いとされている。つまりトレローニーは、ハリーが近いうちに命を落とすと予言したことになる。だが次の授業でその話を聞いたマクゴナガルは、その予言を一笑に付してみせた。

 

「趣味が良いと言えたものではありませんが、まず死の前兆を予言してみせるのがトレローニー先生の教え方なのです。本校に着任してからというもの、毎年、その予言をしてきましたが、それが本当になったことは一度もありません。安心なさい」

 

 これで全員が安心したのかと思いきや、ロンだけは、まだ暗い顔をしていた。マクゴナガルの授業が終わり、昼食のため大広間へと向かうときも、元気がなさそうに見えた。

 

「どうしたんだよ、ロン。元気出せよ」

「なあ、ハリー。ぼく、アルテシアと仲直りとかしないほうがいいのかなぁ。ぼくは赤毛だ。あいつに迷惑かけたりするのかな」

 

 目の前に並んだ料理には手を付けず、ロンは力のない調子でそう言った。どうやら、トレローニーの言ったことを気にしているらしいことに、ハリーは気づいた。

 

「あんなのはでまかせだ。マクゴナガルだって、そう言ってただろ」

「そうさ、そう言っていた。けどキミだって、死神犬のことは気にしてるはずだ。それと同じさ」

「いや、そんなことはない。マクゴナガルのおかげで、ぼくはずいぶん気持ちが楽になったよ。ハーマイオニーだって、占い学はいいかげんだって言ってたじゃないか」

「そうだけど、ハーマイオニーは、アルテシアに気をつけろって言ったんだ。そのためだと思うな、ぼく。そんなことしてたら、きっとまた迷惑かけることになるんだ」

 

 ロンが、アルテシアに迷惑をかけたことがあっただろうか。ハリーは、考える。そりゃあったのかもしれないけれど、これがそうだと、はっきり言えるものなんてなかったはずだ。ロンより、ぼくのほうが…… ハリーは、そう思った。

 トレローニーのやっかいなお言葉は、少なからずハリーたちに影響を及ぼしていたが、はたしてスリザリンのドラコ・マルフォイはどのような予言をされていたのだろう。なにしろ、その日の午後の『魔法生物飼育学』では、ハグリッドの連れてきたヒッポグリフという半鳥半馬の生き物によって、右腕に切り傷を負わされてしまうのだ。

 ハグリッドの注意事項を守ろうともしなかったのだから、ドラコの自業自得とも言えるようなもの。とはいえ、ハグリッド先生最初の授業は失敗に終わったと言えるだろう。なにしろこの件は、あとあとまで尾を引くことになるのだ。

 

 

  ※

 

 

「ソフィア、お願いがあるんだけど」

 

 次の授業のため、その教室へと移動している最中だ。たまたま廊下でソフィアと会ったアルテシアは、ソフィアを、廊下の端へと引っ張っていく。

 

「なんでしょう。どんなことでも、全力でやり遂げてみせますけど」

 

 家と家との間にあったことがほぼ解決しているとあってか、ソフィアはすっかり明るくなっていた。1年生のときとは違い、アルテシアにも協力的になっている。もっともソフィアに言わせれば、これが本来の姿だとなってしまうのに違いないのだが。

 

「そんなおおげさにしなくていいけど、ドラコが寮でどんなようすか知りたいの。魔法薬学の授業のとき痛そうにしてたんだけど、そんなフリをしてるだけなんじゃないかっていう人もいるのよ」

「そんなの、調べるまでもないですよ。フリしてるだけってことで間違いないです。医務室から寮に戻ってきたその時から、自由に右手を使ってますからね」

「やっぱり、そうなんだ」

 

 となると、ドラコは仮病で間違いない。もちろんケガをしたのは本当だが、マダム・ポンフリーのおかげですでに完治しているのだろう。でもなんのために痛いふりをしてるんだろうかと、アルテシアは考える。ソフィアが話しかけてくる。

 

「それより気になることがあるんです」

「え?」

「シリウス・ブラックのこと、ご存じですよね」

「え、ええ。会ったことはないけど、脱走犯だってことだけは知ってる」

 

 シリウスがアズカバンを脱走したことは、たぶん学校中の誰もが知っていることだ。ヴォルデモートの部下だったとされていることから、ハリー・ポッターをつけ狙っているのではないかとも言われている。

 

「そのシリウス・ブラックですけど、どうやらハリー・ポッターの両親とはホグワーツの同級生だったらしいですね」

「友だちどうしだったってこと?」

「ポッター家の人はヴォルデモート卿の襲撃により亡くなってますが、それはブラックが手引きしたからだとか。つまりブラックは、親友を裏切ったんですよ」

「裏切ったって、まさかそんなこと。シリウス・ブラックになんとか会えないかなって思ってたんだけど、そんな人だとしたら、パーバティとパドマはなんて言うかしら」

「とうぜん、いい顔はしないでしょうね。友を裏切るなんて、最低の行為なんですから」

 

 困ったような顔をみせるアルテシア。だがソフィアは、そんなアルテシアの顔を見つめながら、にっこりと微笑んでみせた。

 

「どうしたの?」

「気になる話は、もう1つあるんです。シリウス・ブラックの脱走に、アルテシアさまが手を貸した。そう言ってる人がいるそうですよ」

「わたしが? どうして? だってわたし、シリウス・ブラックのことは全然知らなかったのに」

「ですよね。アルテシアさまがそんなことなさるはずない。そんなことわかってましたけど、問題はこのことをハリー・ポッターたちが話していたらしいということです」

「ハリーたちが。じゃあ、ハーマイオニーも?」

 

 ソフィアはうなずいてみせたが、アルテシアは、自分に対するソフィアの呼び方が気にならないのだろうか。それとも、すでにこの呼び方についての話は済んでいるということなのか。

 

「そっか。まだわたし、疑われたままなんだ。残念だな。秘密の部屋はちゃんと閉じたから、すべて解決したと思ってたのに」

「あんなに苦労したのに、報われませんでしたね」

「そんなのべつにいいんだけど、そのウワサはどこから?」

「ホグワーツ特急のなかで話していたのを、ドラコ・マルフォイが聞いたらしいですけど、はたしてどこまで本当なのか。このことで、そのうち学校側か、あるいは魔法省から何か言ってくるかもしれません。クリミアーナとブラック家との姻戚関係なんて調べればわかることですから」

「そうか、そうだよね。ハーマイオニーならどこかの本で読んでてもおかしくないし、そこからいろいろ考えるよね」

 

 あの本好きなら、その可能性は高いはずだとアルテシアは思う。ハーマイオニーの読む本が、ホグワーツの図書館にあるものだけであるはずもない。どこかでクリミアーナに関する記述のある本を見ていても、おかしなことではあるまい。果たして、そこから何を思ったのか。気になるのは、そのこと。

 

「ブラック家のことはどうします? ドラコ・マルフォイはもう少しなにか知ってるようですけど、調べてみましょうか?」

「ううん、いいわ。わたしが聞いてみる。ドラコはわりと親切だから教えてくれると思う」

「そうですか。でもそれ、アルテシアさまにだけだと思いますよ。とくにグリフィンドール生には、いじわるですから」

「あはは、そうだね。彼、ホグワーツ特急で初めてあったときからあんな調子だったけど、きっとドラコのお母さんがブラック家の人だからよ。そのせいで、いろいろ聞いてるからだと思う」

 

 おかげでアルテシアは、ハリー・ポッターのようにスリザリン生から悪口を言われたりしないし、いじわるされることもほとんどない。それはつまり、スリザリン寮でドラコがそれなりの影響力を持っているということを示している。

 

「グリフィンドール寮って、居心地はどうなんですか? パチル姉さんがいるからあまり心配はしてませんけど」

「ありがとう。居心地はいいほうだと思うよ。魔法が使えないときは、それなりに大変だったんだけどって、そうだ、思い出したわ」

「な、なんですか」

 

 どうして忘れていたのか。このホグワーツにいる限り、これは重要なことなのだ。もしかすると、ホグワーツを追い出されることにもなりかねない。

 

「ソフィア、杖を出しなさい」

「え!」

 

 アルテシアが思い出したのは、スネイプと話をしたときのことだ。スネイプはソフィアの属するスリザリン寮の寮監であり、ソフィアの持つ杖がただの木ぎれにすぎないと、アルテシアに告げている。

 

「あの、今ですか。もう、次の授業が始まりますよ。もう、行かないと」

「授業? あ、そうか」

 

 そういえば、次の授業のために移動しているのとき、ソフィアをみかけて話を始めたのだ。だが、まだ遅刻する時間ではなかった。そんなに時間に余裕があるわけではないが、あと数分は大丈夫だ。

 

「そうね。でも気をつけなさいよ。スネイプ先生はあなたの杖のこと、気づいてるわ」

「え!」

「とにかく、ゆっくりと話がしたい。放課後にでも相談しましょう」

「わかりました」

 

 もしかすると、ソフィアはこのことは話したくないのかもしれない。だがアルテシアに言われては、断ることはできないといったところだろう。

 

「それから呼び方のことだけど、学校内ではダメだよ。それこそ、意味のない誤解をうけることになるから」

「そんなのわかってますけど、2人だけのときはべつですよ。それでいいって言ったじゃないですか」

「ええ。でも注意はしたほうがいいわ」

 

 アルテシアとソフィアは、それぞれに魔法書を学んでいる。もしかするとマクゴナガルがマダム・ポンフリーに話したように、どちらもその魔法書によってさまざま影響を受けているのかもしれない。そしてそれは、互いの立場にも関係してくるだろう。

 であるとするならば、その魔法書を作った魔女が生きていたころ、おそらく、まだ両方の家は良好な関係にあったそのころも、きっとこのような関係であったのかもしれない。

 2人が話をしたのは、そこまで。それぞれ、次の授業がおこなわれる教室へと駆けていった。

 



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第43話 「ボガートと吸魂鬼」

 アルテシアがあわてて駆け込んだ教室では、すでにルーピン先生が今日の授業についての説明をしているところだった。今学期、このクラスでの最初の「闇の魔術に対する防衛術」の授業は、実地練習であるらしい。若干の遅刻となってしまったアルテシアに、クラス中の注目が集まる。

 

「たしかに今日の授業に、教科書は使わないよ。杖だけあればいいんだが、キミはその杖すらも持っていないようだね」

 

 だがアルテシアは、少しもあわてなかった。まず遅れたことを詫びてから、腰の横に下げた巾着袋の中に手を突っ込み、杖を取り出す。

 

「いつも、そこに杖を? そんな小さなポシェットに、まさか教科書までは入っていないだろうね」

「教科書も、ここにいれてありますけど」

「ああ、そうなのか。いや、いいんだ。それじゃ、全員わたしについておいで」

 

 そしてルーピン先生に従い、生徒たちが教室を出る。アルテシアも、その後ろからついていく。はたしてルーピンは、アルテシアの巾着袋のことをどのように見たのだろう。アルテシアの横に、パーバティがやってくる。

 

「どしたの?」

「ちょっとね、ソフィアと話してて遅れちゃった」

 

 歩きながらでは、細かいところまでは話しづらい。ましてや今は、授業中。ドラコのケガは、やはりそのふりをしているだけらしいことを伝えたところで、ルーピン先生の目的の場所であるらしい職員室のドアの前に到着した。

 

「さあ、みんな。お入り」

 

 ルーピン先生がドアを開ける。誰もが職員室に入るなど初めての経験だったろうが、奥行きのある広い部屋で、いろんな形の古い椅子がたくさん置かれていた。職員室には、スネイプ先生がいるだけだった。

 

「ああ、もうそんな時間なのだな。では、吾輩は退散するとしようか」

「ありがとう、スネイプ先生。今日の授業は、ここじゃないとできないのでね」

 

 スネイプはゆっくりと立ち上がり、大股でみんなのわきを通り過ぎていく。だが、ドアのところでくるりと振り返った。

 

「そうそう、ルーピン。キミが知っているかどうかわからないから言うのだが、このクラスのアルテシア・クリミアーナ嬢には、魔法の課題は与えぬほうがよいぞ。それから、もしネビル・ロングボトムくんに課題を与えるつもりなら難しいことは避け、キミ自身が十分に注意にしてやることだな」

 

 いったい、スネイプは何を言っているのだろう。ルーピンは、そんなことを考えていたのかもしれない。そのあいだにスネイプは、職員室を出て行く。ドアを閉める音が、ルーピンを授業に引き戻した。

 

「とにかく授業を始めよう。あの洋箪笥のまえに集まってくれるかい」

 

 そこには古い洋箪笥が置いてあった。そこに近づいていくと急に箪笥が揺れだしたので、誰もが驚いたようすをみせる。

 

「心配しなくていいよ。なかにボガートがいるんだ。ここのは昨日の午後に入り込んだやつで、3年生の実習に使うからと、そのままにしておいてもらったんだ」

 

 そう言いながら、ルーピンは生徒たちのようすを見ていく。箪笥の取っ手がガタガタし始めたのを不安げにみている生徒たちのなかで、明らかに怖がっているのはネビルだけのようだ。

 

「では、質問だ。ボガートとはなにか。知っている人はいるかな」

 

 とたんに手があがる。もちろん、ハーマイオニーだ。そのほかに手はあがっていないので、ルーピンはハーマイオニーを指名する。ハーマイオニーは、答えを言う前に、チラリとアルテシアの方を見た。

 

「形態模写をする妖怪です。わたしたちが一番怖いと思うのはこれだ、と判断すると、それに姿を変えることができます」

「そう、そのとおり。わたしでもそんなにうまくは説明できなかっただろう。ボガートは、まね妖怪とも呼ばれている」

 

 ルーピンがハーマイオニーの答えに続き、ボガート(まね妖怪)の説明を始める。もちろんそれを聞きながらだが、パーバティがアルテシアに小声で話しかける。

 

「アルは、知らなかったの?」

「ううん、そんなことないけど。教科書に載ってたのはみたよ」

「じゃあ、手をあげればよかったのに」

 

 だが、アルテシアはわずかに微笑んだだけで、首を横に振った。

 

「きっとこのほうが、いいんだよ。わたしが答えるよりもね」

「なに言ってんだか。そこまで気にする必要、ある?」

 

 つまりは、ハーマイオニーに遠慮してのことなのだろう。そんな必要はないとするパーバティの言うことの方が正しいような気もするが、アルテシアはあらためて微笑んだだけだった。

 

「それでは、実際にやってみよう。もちろん、みんなにやってもらうからね」

 

 使用する呪文は、リディクラス(Riddikulus:ばかばかしい)。そのとき、自分にとって何が一番怖いのか。そしてそれを、どうすればおかしな姿に変えられるのか。そのことを頭に入れておくことが大切なのだと、ルーピンは言った。

 いよいよ、実際にやってみる段階へと移る。まずはネビルだ。ルーピンのアドバイスもあって、彼にとって最も怖いスネイプ先生を女装させることに成功。パーバティは、ミイラ男に巻かれた包帯をほどき、足に絡めさせて動けなくさせた。シェーマス・フィネガンは、嘆きの妖精バンシーから声を奪って泣けなくしたし、ロンはクモから足を取り去って転がすなど、次々に成功していく。最後は、もう一度ネビル。

 

「リディクラス(Riddikulus:ばかばかしい)」

 

 ほんの一瞬、レース飾りのドレスを着たスネイプの姿となったが、ネビルが大声で「ハハハ!」と笑うと、ボガートは破裂し、細い煙の筋になって消えた。

 

「よくやった。成功だ。まね妖怪と対決したグリフィンドール生1人につき5点をやろう」

 

 ルーピン先生の声に、全員が拍手。ネビルも、自分がしたことに驚きを隠せないでいた。

 

「ネビル、よくできた。みんなも、よくやった。スネイプ先生はあんなことを言ってたが、ネビルはみごとにやってのけたじゃないか」

 

 だが、スネイプが言ったのはネビルのことだけではない。アルテシアのこともあるのだ。アルテシアは、ボガートとは対決させてもらっていない。ハリーとハーマイオニーも対決してはいないが、この2人は最初に質問に答えている。なにもさせてもらっていないのはアルテシアだけ。この結果だけをみるなら、ルーピンはアルテシアについてはスネイプのアドバイスに従ったということになる。

 

「では、みんな。今日はこれまでだ。教科書のボガートに関する章を読み、まとめを提出してれ。月曜までだよ。では、解散」

 

 誰もが、興奮ぎみに話をしながら、職員室を出る。そんななか、ルーピンがアルテシアを呼び止めた。

 

 

  ※

 

 

「今日の授業はこれで終わりのはずだね。少し話がしたいんだけど」

「はい、かまいません」

 

 すでに職員室には誰もいない。ルーピンとアルテシア、それにパーバティがいるだけだ。

 

「できれば、キミには席を外していてほしいんだが、いいかな?」

 

 そう言われてしまうと、さすがに職員室を出るしかない。パーバティは、軽く頭をさげた。そして、職員室の外へ。

 

「キミにも、もちろんボガートと対決してもらうつもりだったんだけどね」

「スネイプ先生がおっしゃったことに従った、そういうことではないのですか」

「いいや、違うよ。キミがボガートと対したとき、ボガートが何に変わるか予想できなかったからだよ。もしもを考え、やめておいたほうがいいと判断した」

 

 ルーピンが、椅子を勧める。2人は、向かい合わせで座った。

 

「キミの名前は、アルテシア・クリミアーナだったね」

「はい、そうです。正しくはアルテシア・ミル・クリミアーナですけど」

「それは失礼。これからはアルテシアと呼ばせてもらうけど、それでいいかい?」

 

 もちろん、拒否などしない。アルテシアとしては、むしろそう呼んでもらうほうがいいのだ。

 

「実は、キミのことはダンブルドア校長から聞いているんだ。ホグワーツ特急でのことが、あまりに衝撃的だったからね。その報告とぼくの新任あいさつとを兼ねて校長室に行ったとき、キミのこと話してくれたよ」

「そうですか。悪いウワサじゃなければいいんですけど」

「あはは、そうだね。良いのか悪いのか、人によって判断は違うのかもしれないけど」

「ルーピン先生のご判断では、どちらになるのでしょうか」

 

 アルテシアは微笑んでみせたが、ルーピンは、いくらか緊張気味に見える。これでは教師と生徒という本来の立場からすれば、逆ということになってしまいそうだ。

 

「あのとき、吸魂鬼をどうしたのかな。なにがあったのか、キミがなにをしたのか、それが聞きたい。教えてくれるね?」

「それについては、誰にも話すなとマクゴナガル先生から言われています。あのとき捕らえた吸魂鬼は、たぶん校長先生がお持ちだと思いますよ。あるいは魔法省とかに渡ったかもしれませんけど」

「捕らえた? キミは吸魂鬼を捕まえたのかい」

「わたしは、吸魂鬼というものを初めて見ました。あれは人ですか? 妖怪やあやかし、精霊やゴーストなどと言われるものなのでしょうか。とにかく、怖かったんです。でもあれがわたしの友だちに手を出そうとしたので見逃せませんでした。マクゴナガル先生は無謀だとおっしゃいました。吸魂鬼を追い払うにはもっと適した魔法があるそうですが、わたしは、わたしのしたことを後悔してはいません」

 

 これでは、すべてを話したようなものではないのか。ルーピンはそう思ったが、たぶん禁止されているのは、そのとき何をしたかについての具体的な説明なのだろうと判断。であるのなら、吸魂鬼を捕らえた方法についてでなければ、話してくれるはずだ。

 

「それで、校長先生はなにか言ってたかい?」

「いえ、校長先生とはまだお会いしていないので。でも、処罰などはしないと言ってくださったとか」

「処罰? どうしてだい、処罰を受けるようなことではないと思うけど」

「吸魂鬼は、魔法省の意向によりホグワーツに来ているのだそうです。その吸魂鬼をあんなふうにしたのですから、校長先生の立場としては処罰もお考えになるのではないですか」

 

 いったいこの少女は、吸魂鬼をどうしたのだろう。ルーピンは、そう思わずにはいられなかった。あのとき、自分が見た限りでは、吸魂鬼が突然消えてしまったように見えた。わかっているのはそれだけで、ほかに情報はなにもないが、なにか起こったのは間違いない。だがそれを目の前の少女に尋ねても、答えてはもらえない。マクゴナガルが禁じているからだ。吸魂鬼を捕らえたというだけでも驚きだが、それをあたかも手渡しできるかのように、この少女は言うのだ。およそ信じられる話ではないが、これ以上となるとマクゴナガルに聞くしかないだろう。あるいはダンブルドアに聞くべきか。

 

「キミは、吸魂鬼が怖かったと言ったね。それならば、ボガートは吸魂鬼になったと思うかい?」

「わかりませんけど、たぶん違うんじゃないかと思います」

「違う?」

「ほんとうに怖いのは、友だちを失うことだと思っていますから」

 

 たしかにそうだ。ルーピンは、アルテシアの言葉に同意せざるをえなかった。友だちを得ること、失うこと。それがいかに大きなことか、ルーピンはよく知っていた。

 

「そういうことならキミとボガートを対決させてみればよかった。さぞかしボガートも困っただろう。いったい何に変身したのやら」

「いいえ、先生。先生の判断は正解だったと思います。だってわたし、魔法の使用を禁止されていますから」

「なんだって」

「使ってよい魔法が決められているっていうほうが正しいんですけど、なにしろ『リディクラス』は初めてのことなので、せっかくの授業をだいなしにしていたかもしれません」

「待ちなさい、いったいだれがそんなことを」

 

 そう口走ったすぐあとで、ルーピンの頭の中に浮かんだ名前。その人物以外にはありえないことに、ルーピンは気づいたのだ。なぜ、そんなことをするのか。そしてなぜ、この少女はそれを甘んじて受け、守ろうとするのだろう。

 ルーピンにとっては、そう簡単には納得できないことであった。

 

 

  ※

 

 

 「闇の魔術に対する防衛術」がまたたくまに学校全体で一番人気の授業となっていく一方で、魔法薬学の授業は、グリフィンドール生にとってますますおもしろみのない授業となっていく。というのも、スネイプの機嫌が悪いのだ。どうやら、ボガートがスネイプの姿となっただけでなく女装までしたということを伝え聞き、機嫌をそこねてしまったらしい。

 だがそんな理由など、多くの生徒にとってはどうでもいいことだ。スネイプが不機嫌であろうとなかろうと、魔法薬学の授業がつまらないことにかわりはない。たしかに不機嫌さゆえに嫌みが増幅され、教室の居心地をさらに悪化させてはいるが、そんなのはいまさらだ。機嫌をとったところで、授業がおもしろくなったりはしないのである。

 だが全体としてはそうでも、そんなスネイプの機嫌を気にしている生徒がいないというわけではない。アルテシアも、そんな数少ない生徒の一人だった。もちろんこびを売るつもりなどはないのだが、アルテシアは、スネイプと話をする機会がほしかった。いくつか課題を抱えているアルテシアにとって、スネイプのアドバイスはときにとても役に立つのである。

 まずはソフィアの杖の問題をなんとかしようと考えているアルテシアにとって、これは欠かせない過程と言えるもの。その結果としてスネイプの気分が少しは変わり、授業時間が楽しく過ごせるようになったならまさに一石二鳥だ。

 だが、そのまえにするべきこと、しておくべきことがある。できることをしないままでは、スネイプも相談に乗ってはくれないだろうし、しても意味は薄くなる。そのためにも、まずはソフィアとよく相談しておいたほうがいい。

 幸いにもと言えるのかソフィアとは、授業が全部おわってから夕食までのあいだに、空き教室のひとつで会うことになっている。新学期となってからのパチル姉妹も含めての習慣だが、それぞれ所属する寮が違うこともあり、こうでもしないと何日も顔を合わせないままになってしまいかねないのだ。都合により来られないときもあったりするが、いまでは大切なひとときとなっていた。

 

「それで、どうしようっていうの?」

 

 そう言ったのは、パーバティ。いつもの空き教室に4人が揃ったところで、アルテシアが自分の考えを説明し終えたところだ。

 

「とにかく、ソフィアの杖をなんとかしなきゃと思ってる」

「杖かぁ。けどソフィアって、魔法は使えるんだよね?」

 

 言いながらソフィアをみるが、ソフィアは一瞬だけパドマと目を合わせたものの、すぐにアルテシアに顔をむけた。

 

「スネイプ先生に気づかれていたとは思いませんでした。ですけど、ほんものの杖がなくても不自由したことはないですよ」

「そうだろうとは思うけど、ホグワーツにいるんだから、なにかと困ることは出てくるはずよ。ちゃんとしておくべきだと思うな」

「仮にそうだとしても、どうするんです? お店に行くんですか。行ってもたぶん、買えないと思うんですよね」

「オリバンダーさんのお店に行ったことないの?」

 

 ソフィアによれば、入学前に買ったのは制服と教科書だけ。魔法の杖については、店を訪れることすらしなかったという。

 

「母が言うには、ムダなことはやってもムダだと」

「そのムダだという根拠は、なんなの?」

「つまり、こういうことです。パドマねえさん、杖を貸してください」

「なるほど、実際にやってみようってことね。いいわ、はい」

 

 そのパドマの杖を使い、試しに魔法をつかってみる。だがそれは、当然のように失敗。というか、なにかも起こらない。

 

「あんた、本気でやってるの?」

「もちろんです。パチル姉さんとは違いますから」

「ま! それがどういう意味なのか、じっくりと話す必要があるわね」

「いいですよ。でもこの事実は変わりません。アルテシアさまでも同じ結果になりますよ」

 

 そう言って、杖をアルテシアは渡す。いや、渡そうとしたのだが、アルテシアは受け取らなかった。

 

「どうしたの、アル? さま、なんて呼ばれて怒ったの?」

「えっ! そんなぁ。いいって言ったじゃないですか」

「違うよ、ソフィア。わたしが杖を買ったときのこと、思い出してたんだ」

「そのとき、なにかあったの?」

 

 みんなの視線が集まるなかで、アルテシアは軽くため息をついた。

 

「わたしが杖を買ったとき、杖を取り替えては試してみることの繰り返しで、すぐには決まらなかったのよ」

「ああ、わたしもそうだったよ。杖とは相性があるらしくてさ。いいもの選ぶために何度か試すみたい」

「ええ、そうらしいわね。それでわたしも、何度目かで杖が買えたんだけど」

 

 ソフィアを見る。自分のことが話されているという自覚があるからか、どこか不安げなようすにみえる。そんなソフィアに、アルテシアはにっこりと笑ってみせた。

 

「大丈夫だよ、ソフィア。わたしにまかせて。あなたのことは、わたしがちゃんと守るから」

「それ、逆なんですけど。まあ、いいです。それで、わたしはどうすればいいんですか?」

「私が杖を買うとき、オリバンダーさんが言ってたのよ。もしかするとこの杖は、わたしのために作らされたのかもしれないって」

「え? どういうことなの、それ。アルのためにって」

「オーダーメイドってことですか。でも、お店に置いてあった杖なんですよね、買ったのは」

 

 もちろん、そうだ。店頭に並べられてはいなかったが、店の奥からオリバンダーが持ってきたのを、アルテシアはよく覚えている。しかも作ったのは、アルテシアが来店する10年ほど前であったらしい。その時より10年まえといえば、アルテシアが生まれてまもないころとなるだろう。

 

「オリバンダーさんは、杖の素材についても話してくれた。杖には、強力な魔法力を持ったものが使われるらしいんだけど」

「一角獣のたてがみ、不死鳥の尾羽根、ドラゴンの心臓の琴線、なんかだよね。あたしの杖は不死鳥の尾羽根だよ」

「そんなの、どうでもいいことです。それより、続きを話してください。わたしはどうすればいいんですか」

 

 最初は、口を挟んできた形のパドマに。後半はアルテシアに対して言ったのだろう。パドマもアルテシアも、そろって苦笑いを浮かべた。

 

「わたしの杖の素材がなんなのか、オリバンダーさんはわからないって言ってたわ」

「わからない? なんで。なにかわかんなくても作れるものなの、杖って」

「そうね。でも素材としては申し分ないもので、杖としてのできばえもよかったらしいわ。わたしは、この杖で魔法が使える。だからソフィア、わたしの杖を試してみなさい」

「あ、はい」

 

 どこか緊張気味のソフィア。それが伝染したのか、パチルの姉妹も、じっとソフィアの手元をみる。だが、誰もが期待していたであろう結果にはならなかった。

 

「うーん。そう簡単にはいかないみたいね」

「すみません、アルテシアさま。とにかく、杖はお返しします」

 

 杖はアルテシアの手に戻ったが、それを見ていたパドマが、アルテシアのほうへと手を伸ばした。自分にも試させてほしいというのだろう。そしてその杖を手に、魔法を発動。だかやはり、うまくはいかない。

 

「アルテシア、やってみてよ」

「ああ、うん。いいけど、わたしはいつも、この杖を使ってるんだよ」

 

 言いながら、杖を振る。そばに置かれていた机が、ふわりと宙に浮いた。

 

「おーっ、浮遊呪文ですか。ロナルド・ウィーズリーがトロールを倒したという、伝説の呪文だね」

「それ、違うよパドマ。あれはね」

「わかってるよ。わかってるけど、学校内ではそれが定説なの。ローブがトロールを撃退したなんて、誰も思ってないよ」

「そうかもしれないけど、なんとなく悔しいんだ。あたしがそうならなきゃいけなかったんだって思うとね」

 

 それは、パーバティの心の中にいまも残る、大きな悔い。心の中にささったトゲのようなもの、とも言えるだろう。宙をただよう机を見つめながら、アルテシアがつぶやいた。

 

「やっぱり、そうするしかないかな」

「え?」

「なに」

「どうするんですか」

 

 小さなつぶやきだったはずなのに、すぐさま返事が返ってくる。これにはアルテシアも苦笑するしかなかったが、それはともかくとして、やることは決まった。

 

「ソフィア、あなたの杖を出しなさい。その杖に魔法をかける」

「え、杖に魔法を」

「そうよ。ローブに保護魔法をかけることができたんだから、杖にもできるはずよ。いや、そうじゃないな。魔法力そのものを杖の中に入れたほうが……」

 

 アルテシアの声が、ふいに途切れた。しゃべっている途中で、なにか思いついたような、そんな途切れ方だった。

 

「どうしたの?」

「ああ、ごめん。思ったんだけど、私の杖って。もしかして、この杖の芯になっているものって」

 

 アルテシアは、自分の杖の芯となっているものが何なのか。具体的なことはなにも知らない。オリバンダーも、素材として申し分ないものだが、それが何かはわからないと言っていた。でもそれは。

 

「そうよ、きっとそうだと思う。そうなんだわ。でも、いったい誰が」

「アル、どういうことなの? 自分だけ納得してないで、説明してよ」

「もちろんよ。これは想像なんだけど、わたしが杖を使って魔法が使えるのは、この杖に、魔法力が封じ込められているからなんじゃないかな。オリバンダーさんは、それを材料として杖を作った。だからわたしは、この杖で魔法が使えるんだわ」

「けど、いくつか疑問があるよ」

「でしょうね。わたしもそうよ。でもこれって、わたしがソフィアの杖に対してやろうとしてたことでもあるの。もっとずっと高度なものに違いないけど、きっとソフィアは魔法を使えるようになるわ」

 

 なおも、アルテシアは詳しく説明をしていく。それによると、まず誰かが、なにかの対象物にクリミアーナの魔法力そのものを封じ込める。クリミアーナの魔女にとって、それは不可能なことではないのだ。あとえばあの魔法書が、まさにそうなのだから。

 そしてそれが、通常の魔法族の杖でいうところの芯、たとえば不死鳥の尾羽根などに相当するものとなる。それをオリバンダーが手にし、杖として作り上げたのではないかというのだ。

 

「けど、誰がそんなことしたの?」

「それは、さすがにわからないわ」

「でも、クリミアーナの人ですよね。そうでなければ、こんなことできるはずないですよ」

 

 もちろん。アルテシアはうなずいた。誰がやったのかはともかくとして、それがクリミアーナの関係者であることには、誰も異論はないようだ。

 

「けど、ローブの保護魔法とは、ずいぶん違うよね。ローブは攻撃力を弱めたりとか決まった仕事をしてくれるけど、杖なんて、どんな魔法使うかわかんないわけだし」

「その点は、問題ないわ。ね、ソフィア」

「そうですね。魔法族も同じだろうと思いますけど、魔法1つ1つを個別にってことじゃなくて全体としての魔法力ですから。あとはそれをどう使うかの問題です」

「なるほど、たしかにそうだね。魔法の種類ごとに杖が必要ってことになったら、何十本も持ち歩かないといけなくなる」

「でも、疑問が1つ。そういうことなら、ソフィアがアルテシアの杖を使えてもよさそうなものだけど」

 

 たしかにそうだ。だがその疑問には、誰からも答えは出てこなかった。たしかに疑問は残った。残りはしたが、アルテシアはこのアイデアを進めていくことにした。なによりも、ソフィアに杖が必要だというそのことが重要だったからだ。疑問に思うことは、これから解決していけばいい。答えはきっとあるだろう。それにこのことで、スネイプに相談する必要もある。話のついで、といっては失礼になるが、そのときこのことも相談してみようと、アルテシアは考えた。

 



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第44話 「ソフィアの杖」

 ホグワーツの「闇の魔術に対する防衛術」教授であるリーマス・ルーピンにとって、校長室が初めてというわけではない。ホグワーツに在学中は、友人たちとそれなりにいたずらも繰り返してきたのであるから、何度か校長室の世話になっている。だがこうして、自分から校長室を訪れるようになろうとは、さすがに思ってはいなかった。

 そんなことを考えつつ、ルーピンは校長室のドアを開ける。校長室は、ホグワーツ特急で吸魂鬼をめぐる騒動があった日の夜に続いての訪問となる。それに今回は、自分からダンブルドアに申し入れてのものだ。どうしても聞いておきたいことができたからである。

 

「やあ、リーマス。先生の仕事には慣れたかね。キミの授業は、生徒にはたいそう人気だと聞いとるが」

 

 約束してあったのでダンブルドアがいるのは当然だとしても、そこにマクゴナガルがいるのはルーピンにとって予想外。だがマクゴナガルとも話をせねばならないことでもあるので、好都合とも言えるわけだ。ルーピンは、自分をそう納得させ、テーブル脇の椅子に腰を下ろした。テーブルの上には紅茶が用意されており、それを取り囲むように3人が席に着く。

 紅茶の用意をしたのはマクゴナガルだろう。そう思いつつ、ひと口飲む。相手が2人になってしまったので、話の段取りも変えたほうがいいのだろうが、さてなにから話をするべきか。ルーピンは、そんなことを考えていた。

 

「ルーピン先生、わたくしのことは気になさいませんように。今日のわたしは、オブザーバーのようなもの。つまり傍聴人です」

「はあ、そうなのですか」

「ともあれ、リーマス。キミの聞きたいのは、アルテシア嬢のことじゃろう。それともハリー・ポッターかね」

「どちらも、と言いたいところですが、せっかくマクゴナガル先生もおいでなので、まずはアルテシアのことを」

「ふむ。じゃがキミは、実際にあの娘と話をしたのじゃろ。そのとき、本人に尋ねたりはしなかったのかね」

 

 この言葉は、さすがのルーピンも不快な気分とともに受け取らざるを得ない。聞きたいことの核心部分は、すでにブロックされていたからだ。だからこそ、こうして校長室を訪れることになったのである。マクゴナガルのしたことであるらしいが、もちろんダンブルドアも承知しているはず。マクゴナガルを同席させているのはそのために違いないのだから。

 

「わたしがホグワーツに着いた最初の夜、校長先生はアルテシアのことを話してくれました。ですが、あれが全てではなかったようですね。それが、実際に話をした印象です」

「おお、そうじゃの。じゃがわしには、あれで精一杯なのじゃよ。クリミアーナを理解するのは、なかなかに難しい。アルテシア嬢には、避けられてしまっておるしの」

「避けられてる?」

「それは冗談じゃが、なぜか話をする機会に恵まれなくての。校長室へもたびたび誘っておるのじゃが、めったに来てはくれん」

 

 その分、マクゴナガルが親しくしてくれている。あるいは、そう言いたかったのかもしれないが、ダンブルドアは、ちらりとマクゴナガルを見ただけだった。そのことに、ルーピンも気づいた。そして、あのことを持ち出す良い機会ではないのかと、考える。

 

「どうかしたかね?」

「ああ、いえ。校長先生、マクゴナガル先生でもよいのですが、ぜひとも、お答えください。アルテシアに魔法使用を禁じたのはなぜです?」

「なんじゃと、魔法を禁止したと」

「ああ、それについてはわたしがお答えしましょう。ダンブルドア校長、よろしいですか?」

 

 自分はオブザーバー。いわば傍聴人だとしていたが、必要なことは教えてくれるということだろう。もちろんルーピンにとってはありがたいことだ。だが、このことをダンブルドアは知らなかったのか。いまの話からすればそうなるが、ルーピンにとっては意外なことだった。

 

「そのまえにお聞きしますが、アルテシアはなにか魔法を使いましたか?」

「いえ。授業で使う機会はあったのですが、あの子にはやらせませんでした。ボガートと対決させたのですがね」

「そうですか。そういえば、リディクラスは、使ってよいことにはしていませんでした」

「なぜ、そんなことをするのです? ここは魔法学校のはずでしょう。魔法を使わせない理由はなんなのです?」

 

 ダンブルドアは、椅子に深く腰掛け、おなかの前で手を組んでニコニコと微笑んでいるだけだ。このようすだけを見るなら、すべての事情は知っているのだろう。

 

「ホグワーツ特急での、吸魂鬼騒動。もちろん、その場にいらしたのですから、よくご存じでしょう」

「ええ、もちろん。そのとき吸魂鬼を捕まえたと、アルテシアは言いましたよ。どうやったのかは話せないそうですがね」

 

 それを禁じたのはマクゴナガルだ。どうやらダンブルドアも承知しているようだが、なぜアルテシアは、その指示に従おうとするのか。ルーピンには、そのことも理解できなかった。

 

「あのとき、吸魂鬼が彼女の友だちに手をだそうとしたようです。友人を傷つけられると思い、とっさにしたこと。そのことを責めるつもりなどありませんが、あの子のためを思って禁止するのです」

「よく、意味がわかりませんが」

「ああ、リーマス。口を挟んですまんが、あの娘は魔法が使えなかったのじゃよ」

「なんですって」

「クリミアーナ家の娘は、魔女です。これは誰にも疑いようのない、しっかりとした事実です。ですが、魔法力が開花するのは13歳から14歳。人によって違いはありますが、それまでは魔法を使えない。いわばマグルと同じなのです」

 

 そのことを、ルーピンは知らなかった。だがそれは、彼が発した質問の答えではない。

 

「確認したいのですが、アルテシアはいま、ええと、13歳、かな」

「いいえ、まだ12歳です。もうじき誕生日を迎えますが、それでも13歳。とにかく14歳となるまでは魔法使用に関して制限をかけることにしたのです」

「それは、なぜです。重ねて言うようで申し訳ないが、魔法学校の生徒に対し、その制限が妥当だとは思えない」

「わかりますよ。ですがこれは、あの子のため。明確な形で禁止しておかないと、あの子はまた、自分の負担も考えずに魔法を使ってしまうでしょう。とにかく14歳となるまでは、決められた魔法以外は使わせません。ああ、そうですね。リディクラスは使用可能としておきます」

 

 そんなことはどうでもいい。思わず、そう叫びそうになる。ルーピンはなにも、まね妖怪ボガートのことを問題にしているのではないのだ。

 

「マクゴナガル先生、わたしが言いたいのはそういうことではありませんよ」

「失礼、それはもちろんわかっています。ですがルーピン先生は、あのときお気づきではなかったのですよ」

「なにに、でしょう」

「吸魂鬼を捕らえたあと、あの子がどうなったか」

「ええと、あのあと、ですか」

 

 たしかに、あとのことは承知していない。ルーピンはそう思った。それ以前に、そのとき何が起こったのかも分かってはいないのだ。ハリー・ポッターのほうに気を取られていたからだろう。

 

「吸魂鬼を玉のなかに封じたあと、アルテシアは気を失っています。友人がすぐさま医務室に移動させ、マダム・ポンフリーが手当を行いました。同じようなことがこれまで数回起きていますが、今回を最後とするためにも禁止する必要があるのです」

「待ってください。気を失ったのと、魔法の使用が関係あるとは思えません。ハリー・ポッターも気絶しましたが、あれは吸魂鬼の影響を強く受けたから。アルテシアの場合も同じなのでは」

「いいえ、そうではありません。アルテシアの場合は、高度な魔法を使用したためであることはあきらか。前例もありますからね」

「前例? しかし、魔法を使ったくらいでそうなるとは、ぼくにはとうてい思えない」

 

 納得できないが、どう反論すればいいのか、うまい言葉が思いつかない。

 

「リーマス、こう考えてはどうかの。そなたが吸魂鬼と相対したとする。さて、どうやって吸魂鬼を捕らえるか」

「捕らえるというより、追い払うしかないでしょうね。でもアルテシアは、捕らえたと言った。いったい、どうやって? 捕らえた吸魂鬼はどうなったのです?」

「ふむ。追い払うしかないというのは、わしも同感じゃな。決して、捕らえようなとどは思わんじゃろう。じゃがアルテシア嬢にとっては、追い払うなど思いも寄らなかった。だが、友人は救わねばならない。あの娘にとって最善の策は、吸魂鬼を捕らえることだったのじゃよ」

 

 吸魂鬼を追い払う魔法には、エクスペクト・パトローナム(Expecto patronum:守護霊よ来たれ)がある。高度な魔法で大人の魔法使いでも難しいとされているが、アルテシアは、この魔法そのものを知らなかった。だが仮に知っていたとしても、とっさのときに思いつくのは、クリミアーナの魔法であったろう。

 

「しかし、捕らえることができるとは。いったい彼女は、なにをしたのです?」

「アルテシア嬢のお友だちに聞いたところでは、にじ色と言うておったが、そのにじ色の光で吸魂鬼を包み込み、いっきに縮小させたらしい。一瞬のあいだに、そうじゃの、直径5センチほどの球形をした玉のなかに吸魂鬼を押し込めてしまったのじゃよ。その玉を拾いあげ、その手に握りしめたところで意識を失ったらしいの」

 

 説明を聞いても、まだルーピンは、納得できないでいた。なるほど、吸魂鬼を捕らえるしかなかったことは理解した。なにをしたのかもわかった。だが、気を失ったことと魔法の使用が関係するとは思えない。そのことに、納得はいかない。

 

「リーマス、キミはアルテシア嬢と会ったのじゃろ。あの小さく華奢な女の子が、吸魂鬼を捕らえたのじゃ。そのために使った魔法が、彼女の体調に影響を与えたとすればどうかな。つまりは、魔法の使いすぎじゃよ。結果として意識を失い、医務室の世話にならざるをえなかった」

「しかし、どんな魔法かは知りませんが、いくらなんでもそこまでは」

「ルーピン先生、さきほど申し上げたと思いますが、クリミアーナ家の魔女は13歳から14歳で魔女としての力に目覚める。それより早くに魔女となる例もありますが、その場合には、アルテシアのようなリスクがあるのです」

「なんですって」

「ですが、魔女として一人前となる14歳を過ぎれば、そこまで成長すれば、そのようなリスクはなくなることがわかっています。ですから、それまでは魔法を制限するのです」

 

 リーマス・ルーピンは、クリミアーナのことを知らない。だがダンブルドアやマクゴナガルは承知している。それぞれ、その前提にたっての話なので、なかなか話はかみ合わない。これらの説明が、ルーピンにいまひとつ伝わらないもの無理はないだろう。だがルーピンは、ひとまず納得はしたようだ。

 

「なるほど、わかりました。ですがあと1つ、聞かせてください」

「なんでしょう」

「このこと、セブルス・スネイプは知っているのですか?」

「魔法の制限については、スネイプ先生もご存じです。ちゃんと守っているのか監視をお願いする意味で、話してあります」

 

 なるほど。最初の防衛術の授業のとき、スネイプがアルテシアに魔法を使わせるなといったのは、これが理由だったのか。そう思ったルーピンだったが、疑問は、もう1つある。だが質問の形とするまえに、マクゴナガルからその答えが語られた。

 

「もっともアルテシアは、約束したことは必ず守りますから、監視する必要はないのですけど」

 

 アルテシアは約束したことは必ず守る。その言葉を、ルーピンは何度も繰り返しつぶやいていた。

 

 

  ※

 

 

 グリフィンドール寮の談話室。その掲示板に張り出された「お知らせ」が、生徒たちの注目を集めていた。そんな談話室の雰囲気に妙なものを感じたのか、クィディッチの練習から戻ってきたハリーが、ロンとハーマイオニーのそばへと寄っていく。

 

「何かあったの。みんな、落ち着かないようだけど」

 

 そのときロンとハーマイオニーは、宿題でもある天文学の星座図を仕上げているところだった。ロンが顔を上げ、掲示板のほうを指さした。

 

「あれ、見てこいよ。10月末、ハロウィーンの日さ」

 

 言われて、掲示板のほうへと歩いていく。そうしながら談話室のなかを見回すが、お目当ての人の姿はない。アルテシアが、このごろずっと談話室にいないのだ。パーバティの姿も見えないので、2人してどこかへ行っているのだろうが、いったいどこで何をしているのか。クィディッチの練習で忙しかったが、アルテシアのことは、いつもハリーの頭の中にあった。

 ロンもこのことを気にしているはずだが、ハーマイオニーの手前、口に出せてはいない。ハリーたち3人とアルテシアたちとの間には、いまだにみえない壁が存在しているのだ。

 だがロンは、明らかに壁の解消を望んでいる。ハリーもそうしたかったが、あのヴォルデモートと魔法書との関係が気になっていたし、ハーマイオニーは、アルテシアたちが隠し事をしているらしいことが気に入らない。加えてブラック家とのこともある。そんなわけで、いまだに壁は存在し続けているのだ。だがもし、仲直りできるのだとしたら。おそらくそれは、ハーマイオニーの調べ物が判明してからとなるだろう。もしくはアルテシアたちが、ハーマイオニー言うところの隠し事を話してくれたとき。

 ハリーとしても、仲直りするには、あのヴォルデモートが魔法書を学んだ可能性が否定されることが必要だった。誰かが可能性はゼロなんだよと、そう言ってさえくれれば、すぐにもそうしただろう。

 掲示板には、週末のホグズミード行きのことが書かれていた。とたんにハリーの気持ちは、しぼんでいく。いつのまにか、ロンがすぐ後ろに来ていた。

 

「ハリー、明日は変身術の授業がある。そのとき、マクゴナガルに聞いてみろよ、行ってもいいかって」

「ああ、うん。そうだね」

「いいえ、ハリー。今回はあきらめたほうがいいと思うわ。この次にしなさい。きっとブラックは、それまでには捕まっているはずよ」

 

 3年生以上になると、週末にホグズミード村へ行くことができる。毎週というわけではないが、その日程はこうして発表されることになる。だがハリーには、そのために必要となる保護者による許可証がない。ダーズリー家の叔父と叔母が保護者にあたるのだが、どちらも許可証にサインはしなかった。だが、許可証にサインがされていたとしても、いまホグズミード村に行くことがいいことなのかどうか。

 ほんのわずか、ハリーの心にひっかかるものがあった。

 

「ボクのパパに、サインを頼むって方法もあるよな」

「なに、バカなこと言ってるの。ウィーズリーさんは、サインなんかしないわ。ブラックのこと、心配なさってたもの」

「バカだって言うなら、ブラックだってそうさ。みんなのいるホグズミードでなんかやらかすほどバカじゃないだろ」

 

 ロンの言うことを、ハーマイオニーは相手にしなかった。ハリーが、無言のままで掲示板をにらみ続けていたからだ。

 

「どうしたの、ハリー」

「ん? ああ、いや。アルテシアは、許可証をどうしたかなと思って」

「アルテシア? ああ、そういえばアルテシアもご両親はいないのよね」

「でも家には、なんとかさんがいるんだろ。その人がサインしたんじゃないか」

 

 ロンが言ったのは、パルマのことだろう。だがこの話はここまでとなった。ハーマイオニーの猫であるクルックシャンクスが、ロンのカバンをひっかいているのが目に入ったからだ。ロンは、すぐさまカバンに駆けより、クルックシャンクスからカバンをもぎ取ろうとするが、クルックシャンクスも、簡単にはカバンを離さない。カバンのなかには、ロンのペットであるネズミのスキャバーズがいるのだ。

 この騒ぎは、やがて談話室じゅうをひっかきまわし、ハーマイオニーがクルックシャンクスを抱きかかえ、ロンがその手にスキャバーズを確保して終わった。

 そしてハリーは、さらに頭を抱えることとなった。というのも、この件でハーマイオニーとロンとの間に、険悪なムードがただようことになったのだから。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアが、スネイプの研究室の前に立っていた。いつもそばにいてくれるパーバティの姿はない。1人だけだ。その手を伸ばして、軽く研究室のドアをノックする。

 

「入れ」

 

 返事は、すぐに返ってきた。何度かノックし、カギが開いていたのでドアを開け、声をかけてようやく、といったことを想像していたアルテシアには、意外なことであった。声に従い、なかに入る。

 

「紅茶を用意してある。どうせ、話は長くなるのだろう。そこに座るがいい」

 

 まえにも一度、座ったことのある椅子だ。その椅子に座り、こうしてスネイプと向かい合うのは、これが2度目になる。例のボガートの件は日にちの経過とともにすでに忘れられたようなものだが、こうして研究室に来てよかったと、アルテシアは思った。

 

「それで、相談というのはなんだ。いちおう聞いてはやるが、本来、おまえが相談するべき相手は別にいる。それはわかっているのだろうな」

 

 おそらくは、マクゴナガルのことを言っているのだろう。そう思ったアルテシアだが、そのことは聞き流すことにした。相談するのはソフィアの杖のことなのだが、そのことをマクゴナガルは知らないはずだし、わざわざ知らせるのも得策ではない。それに気づいているのは、おそらくはスネイプだけなのだ。であれば相談相手は決まっている。それに、スネイプとは話がしたかった。

 

「まずは、これを見てください」

 

 そう言って、いつもの巾着袋から取り出したのは、杖だ。それをスネイプに渡す。

 

「魔法の杖だな。それがどうしたというのだ」

「この杖、どう思われますか」

「ふむ、つまり相談というのは、ソフィアという娘のことか。ただの木ぎれではなく、ちゃんとした杖を持たせたいというのだな」

「はい」

 

 スネイプは、その杖をさまざまな角度からながめたり、自分の杖を取り出してコツコツと叩いてみたりと、一通り調べていく。その間は、スネイプのすることをみているしかないアルテシアである。

 

「なるほど、よくできている。これは魔法の杖だ。そう思わない者など、さすがにいないだろうな」

「スネイプ先生は、どう思われますか」

「吾輩も同様だ。おまえがわざとらしくこうして見せたりするから調べてみたのであって、そうでなければ、気づくことはなかっただろう」

「でも、お気づきになられたのですよね」

 

 あきらかに、がっかりしたようすをみせるアルテシア。そのアルテシアに杖を返しながらも、いぶかしげな表情は変わらない。アルテシアが何を気にしているのか、わからないといったところか。

 

「この杖は、おまえが作ったのか」

「スネイプ先生、この杖もみていただけませんか」

 

 いちおう、スネイプは質問をしてきたのである。だがアルテシアはそれには答えず、別の杖を取り出した。その杖を、スネイプがさきほどと同じように調べていく。

 

「ふむ。若干の違和感はあるが、はっきりと指摘できるほどではない。ゆえにこれは、杖であるという結論になる」

「さっきの杖と比べて、どうですか」

「比較にはならん。ならんが、そう簡単に見分けがつくものでもない」

「これは、わたしの杖です。この杖でわたしは、魔法族の魔法を使うことができます。なぜだと思いますか?」

「質問の意味がわからんな。それすなわち、これが杖であり、おまえが魔女だということの証明にほかならぬと思うが」

 

 スネイプの言うとおりだろう。そしてこのことに、誰も疑問を感じたりはしないはず。だがアルテシアには、気になることがあるのだ。

 

「以前にスネイプ先生がおっしゃったとおり、ソフィアは杖を持っていませんでした。聞いてみると、ダイアゴン横丁で買い物したとき、オリバンダーさんのお店には寄らなかったそうなんです。魔法族の杖が役に立たないことはわかっていたからと」

「だがおまえは買いに行ったのだろう。だからこそ、この杖を得た。あの娘も、そうすべきだったのだ。さすれば、買えたであろう」

 

 そこでうなずいてはみせたものの、アルテシアは別の考えをもっていた。スネイプに尋ねたいのは、まさにそのこと。

 

「図書館で調べてみましたが、魔法族の人たちは、たとえ他人の杖であったとしても、とにかく魔法は使えるようです。であればソフィアは、その私の杖を使えば、わたしのように魔法が使えるはず。そう考えました」

「なるほど。だが、失敗したのだな」

「はい。実際に試してみました。わたしの杖をソフィアに持たせてみましたが、ソフィアは、魔法族の魔法を使えなかったんです」

 

 まっすぐに、スネイプをみるアルテシア。その理由をスネイプから聞ければ、それが一番いいのだろう。だがアルテシアは、そこまで期待しているわけではない。むしろその理由を考え、答えを導き出すのは自分なのだと、そう考えていた。

 

「そうか。だが自分の杖が最も使いやすく効果的ではあるが、他人のものでも魔法を使うことはできる。これは事実だぞ」

「ええ。友人に協力してもらって、それは確かめました。でも、わたしの場合はちがっていました」

「なるほど。ミス・パチルのどちらかにおまえを杖を使わせたのだな。あるいはその逆か」

「その結果をどう考えるべきでしょうか。そのことを考えながら、ここに来ました。とにかく、先生のご意見が聞きたいです」

 

 スネイプにしてはめずらしく、とアルテシアは思っているが、めずらしくすぐに答えを返してはこなかった。テーブルに置かれた紅茶に手を伸ばし、それを飲む。一息いれたといったところか。

 

「わたしが思ったのは」

「まぁ、待て。おまえたちの魔法と、いわゆる魔法族のものとでは、どこか違う。おまえは、これまで何度もそう言ってきた。それは、ダンブルドアも承知している。要するにだ」

 

 そこまで言って、またもスネイプは紅茶を飲む。お代わりが必要かな、とアルテシアは思った。だが、注ぎ足そうにもティーポットなどが見当たらない。そこまでの用意はされていなかった。

 

「問題は、杖だ。おまえのクリミアーナでは、杖を使わずに魔法を発展させてきた。だが魔法族はそうではない。杖とともに魔法の技を磨いてきたのだ。どこか違うと、おもえがそう思っているのは、つまりこのことに起因しているのだろう」

「やはり、そうなのでしょうか」

「だが、おまえの使う魔法とソフィアなる娘とは同じ系列だ。であればあの娘にも、おまえの杖のようなものを作ってやれるはずだ。さすれば、ひとまずの問題はなくなる」

 

 もちろん、それが解決策というわけではない。だが、当面の回避策にはなる。そのことはアルテシアも承知していたので、スネイプが木ぎれと称したソフィアの杖のなかに、自身の魔法力を入れ込んでみたのだ。だが、はたしてそれでうまくいくのか。杖として、これから使用して大丈夫なのかどうか。スネイプにみせたのは、そのチェックの意味もあったのだ。

 

「ですけど、見破られてしまいました。それを、ソフィアの杖にしようと思ったんですけど」

「これは、おまえが作ったのだな」

 

 アルテシアの前に置かれたままの杖を、スネイプがあらためて手にとる。再度の質問となるが、今度はアルテシアは、力なくうなずいてみせた。

 

「わたしの杖を、ソフィアに使わせようと思いました。ですが、ダメでした。魔法族の杖のようにはいかなかったんです。だったら、ソフィアのために作ってみるしかないと」

 

 実際の杖がどのようにして作られるのかをアルテシアは知らないが、まず芯となる物があり、それをなんらかの木材で包み込んで杖の形に仕上げる。そういうことでいいはずだと考えた。実際は一角獣のたてがみや不死鳥の尾羽根などが芯となるようだが、アルテシアの杖の芯材が何かは、杖職人のオリバンダーにもわかっていない。であれば、決まりなどはないということになる。そこに魔法力さえ宿してあれば大丈夫であるはずだ。

 ではあっても、それにふさわしいもの、ふさわしくないものはあるはず。数日かけていくつか候補をあげたなか、ソフィアのたっての希望もあって選ばれたのは、アルテシアの髪の毛であった。そんなの気持ち悪い、とはパドマの主張だが、ソフィアの主張のほうが勝ってしまったのである。

 まず、髪の毛20本ほどを三つ編みにでもするかのように編んでいく。それを3本作り、もう一度三つ編みにして、1本にまとめる。そこに、魔法力を封じこめ、それを杖の中に転送するのだ。まとめた髪の毛と、杖の内部の同等スペースとを入れ替えるのだが、アルテシアはマクゴナガルによって魔法を制限されているので、その作業はソフィアが担当した。

 ちなみに魔法力を封じこめたのは、アルテシアだ。ソフィアのものでもよさそうだが、事前の実験でうまくいかないことがわかっていた。魔法力の封じこめは、つまり魔法書をつくるのと同じこと。アルテシアにとって難しいことではないし、もちろんマクゴナガルによって制限もされていない。これは魔法ではない、という認識だ。

 

「せっかく作ったのだ。これを、ソフィアという娘に使わせればいい。ダンブルドアが手にとってみたりしなければ、気づかれることはないだろう」

「そうでしょうか」

「心配ない。そのつもりでこの杖を調べぬ限りは、誰も気づかぬだろう。吾輩が保証してやる」

 

 そんな保証が、なんになる。ハリー・ポッターあたりなら、そう思ったことだろう。だがアルテシアは、スネイプにそう言ってもらえたことでこれをソフィアの杖とすることに決めた。ほかに方法がなかったこともあるが、実験でソフィアは、この杖で浮遊呪文を成功させているのだ。

 

「わかりました。そうすることにします」

「そうするがいい。ということで、話はおわりだな」

「はい。ありがとうございました」

「気にすることはない。だが、ミス・クリミアーナ。いまの時刻は気にするべきだぞ」

「え?」

「こんな時間に、寮を出て地下へ降りてくるなど、処罰してくれと言ってるようなものだと言ってるのだ」

「だ、だって、先生がこの時間なら研究室にいるからと」

 

 そこでスネイプは、笑ってみせた。獲物を見つけたハンターが含み笑いでもしたのか、それとも、いたずらをしかけようとする子どもが、笑いだすのをこらえているだけなのか。だが、それも一瞬のこと。

 

「吾輩は、なにもウソは言っていない。ちゃんと研究室にいるではないか」

「で、でも、先生」

「立て、アルテシア。寮まで送っていこう。ほかの先生に見つかれば、減点されるぞ。おまえも、それは本意ではなかろう」

 

 考え込んだのは、わずかのあいだ。アルテシアは、元気よく立ち上がった。アルテシアは、さまざま魔法を禁じられている。寮に戻るには、歩いて行くしかないのだから。

 



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第45話 「ホグズミードの女」

 変身術の授業は終わったが、教室から出ようとする生徒たちを、マクゴナガルが呼び止めた。

 

「みなさんは、全員私の寮の生徒ですから、いまここで話をさせてもらいます。ご存じのように週末のホグズミード行きには、許可証が必要となります。提出がなければ、ホグズミードには行けませんよ。まだの生徒は、早急に提出するように。いいですね」

 

 マクゴナガルの用件は、それだけだった。だがハリー・ポッターにとっては、絶好のチャンスが到来したようなもの。生徒たちが教室を出ていくなか、ハリーは、マクゴナガルの前に進み出る。

 

「なんですか、ポッター」

 

 ハリーは、大きく深呼吸。それでも、ドキドキする気持ちはおさまらない。

 

「先生。許可証のことなのですが、あの、ボクのおじとおばが、つまりその、許可証にサインをするのを忘れたんです」

「それで」

 

 マクゴナガルのメガネの奥で、冷たい目が光った。それをみた瞬間、ハリーはダメだと思った。思ったが、ここでは終われない。

 

「あの、だめでしょうか。かまわないですよね、ボクがホグズミードに行っても?」

「だめですよ、ポッター。許可証にサインがないのであれば、許可できません」

「でも、先生。僕のおじとおばはマグルです。ホグワーツのこととか、ホグズミードとか、よく知らないんです。それに、夏休みにいろいろあったのはご存じだと思います。それで、ついその、許可証にサインをもらうのを忘れたんです」

 

 必死で訴えるハリーの横に、ロンがやってくる。口添えはしてくれなかったが、それだけでもハリーは、心強く思った。

 

「ですから、先生が行ってもよいと許可してくださればと」

「残念ですが、ポッター。わたしには、許可することはできません。両親、または保護者でなければ許可できないのです」

「だったら、アルテシアはどうなんですか?」

「なんですって」

 

 それは、ロンが言ったことだ。少し離れたところでようすを見ていたハーマイオニーも、それを聞いて近寄ってくる。

 

「あいつには、両親がいないって聞きました。もう亡くなったんだとか」

「そのとおりですが、その場合でも、ハリー・ポッターと同じように保護者による許可があればすむことです。さあ、もう行きなさい。つぎの授業に遅れますよ」

 

 さすがにこれ以上は無理だ。ハリーはそう思った。ロンの言ったことも、助けにはならなかった。もう、万事休すだ。だが、ハーマイオニーが食い下がる。ハリーの援護ということではなかったが、その質問はハリーもロンも聞いておきたいことだった。

 

「アルテシアの許可証には、誰かサインしたのですか。アルテシアの保護者って誰なんですか。サインしたのは誰ですか」

「ミス・グレンジャー。わたしがサインしたとでも考えたのなら、それは間違いですよ。もちろん校長先生も、そんなことはしていません。もしそうならポッターの許可証にもサインしてもらえる。そう考えたのでしょうけれど」

「いいえ、先生。わたしは今回、ハリーはホグズミードには行かない方がいいって、そう思ってますから」

「そうですか。それは失礼」

「それで、誰なんですか。アルテシアの保護者って」

 

 ハーマイオニーも含めた3人の顔を、マクゴナガルがしっかりと見つめてくる。その視線に耐えられなくなったハリーが目をそらしたとき、ようやくマクゴナガルが返事をした。

 

「アルテシアには、保護者と呼べる人はいませんよ。そういう人はいないのです」

「だったら先生が」

 

 今度こそ、ダメだ。ハリーはそう思わずにはいられなかった。マクゴナガルの顔から、わずかの笑みすらも消えてしまったからだ。なぜだかわからないが、これは触れてはならない話題だったのだ。ハーマイオニーにもそれがわかったらしく、言えたのはそこまでだった。ややあって、マクゴナガルが抑え気味の声で話を続ける。

 

「ミス・グレンジャー。アルテシアの保護者を、いえ、保護者代わりをどうするかについては、いま校長先生が考慮中なのです。それが決まれば、その人が許可証について判断なさるでしょう」

「わ、わかりました」

「では、行きなさい」

 

 言われるままに、教室を出るしかなかった。だが、どこかいつものマクゴナガルとは違うようだ。3人ともにそういう思いを抱きつつ、次の教室へとむかう。

 

「たぶん、だけど」

 

 その途中、ふいにハーマイオニーがつぶやいた。

 

「マクゴナガルは、自分がアルテシアの保護者だと思ってたんじゃないかしら。いいえ、きっとそのつもりでいたんだと思うわ。でも、ダンブルドア校長が誰かほかの人にしようとしてるので、不機嫌だったんじゃないかしら」

「なるほど。それは考えられるな、うん。ボクも、そうだと思う」

 

 きっと、そうなのだろう。だがそれが正解だったにせよ、それに気づいたからといって、3人になにかできるわけではなかった。

 

 

  ※

 

 

 いつもの空き教室で、アルテシアはソフィアと話をしていた。話題は、もっぱらソフィアの杖のこと。だが、パチル姉妹が来ていないことを、次第にソフィアが気にし始める。

 

「パチルの姉さんたちはどうしたんですか?」

「2人はホグズミードよ。今日一日、楽しんでくるって言ってた」

「ああ、あれですか。あれ? アルテシアさまは、行かなくていいんですか? まさか、わたしのために」

 

 つい、自分に都合の良い解釈をしそうになり、苦笑いを浮かべるソフィア。そんなソフィアを、アルテシアはほほえましげに見る。

 

「な、なんですか」

「べつに、なーんでもないわよ」

 

 だが、アルテシアにじっと見つめられて気恥ずかしさを覚えたのだろう。ふっと、視線をそらした。だが、言うことは忘れない。

 

「今からでも行ってはどうです? お供はできませんけど」

「ええ、そうね。でもあれには、許可証にサインがいるのよ。保護者のサインがね」

「許可証、そんなのがあるんですか」

「ええ。だからわたしは、居残り組よ。たしか、ハリー・ポッターもそうだったと思うけど」

 

 ソフィアにとっては、ハリー・ポッターのことなどどうでもよい。アルテシアがこんな扱いを受けることの方が問題なのである。だが、保護者のサインという障害を、どう乗り越えればいいのか。ソフィアの頭の中に、いくつか案が浮かび上がる。

 

「あの、わたしの母にさせましょうか、そのサイン」

「ありがとう、ソフィア。でも、いいのよ。気にしないで」

「10分待ってもらえれば、母のサインをもらってきます。きっと、喜んでサインしてくれますよ。まだお昼前だし、これからでも間に合うと思うんですけど」

 

 その10分で、家と学校とを往復するとでもいうのか。いくらなんでも、それは無茶なのでは。許可証はマクゴナガルに提出するのだから、どうやってサインを得たかの説明も求められるだろう。

 

「ダメよ、ソフィア。そんなことすれば、どんなに怒られるか。ちょっと想像がつかないわね」

「でも、アルテシアさま。ホグズミード村に、行きたくはないんですか」

「うーん、正直、それほど興味はないかな。パーバティとパドマにもそう言ったんだけど、わたしの気に入りそうなお店とか、探してみるそうよ。お土産話のためでしょうけど」

「でも、そんな話を聞いちゃったら」

「そうだね、かえって行きたくなるのかもしれないね」

 

 軽く笑ってはいるものの、どこか寂しげ。ソフィアには、アルテシアがそんなふうに見えた。それが、ホグズミードに行けないことが原因であればよいが、サインをしてくれる両親がいないためだったとしたら。

 ともあれソフィアは、この話をやめることにした。そのどちらであっても、ソフィアにはどうすることもできないからである。ならば、見方を変えてみればいい。これはつまり、パチル姉妹がいないという機会を得たということ。つまりは、アルテシアと2人だけ。アルテシアを独り占めできるということだ。アルテシアと話したいことはいくらでもあるのだから、そうさせてもらおう。

 

「ところでアルテシアさま。このごろ、おかしな感じになりませんか。なんとなくですけど、光の流れが少しだけずれるっていうか、あれって思ったときには戻ってるみたいなんですけど、アルテシアさまは、そんなことないですか?」

「あるわ。その原因も分かってる。不自然に時間の操作をしてる人がいるのよ。自分だけ、時間をさかのぼっているようね」

「えっ! でもそれって、光の魔法ですよね。クリミアーナの魔法の基本なのに、そんなことできる人がほかにいるってことですか? あ、まさか…」

 

 そこまで言ったのなら、最後まで言えばいいようなものだが、ソフィアはようやくそこで気づいたのだ。これが失言のたぐいであることに、ソフィアは気づいた。なぜなら、アルテシアの両親はすでに亡くなっている。しかもアルテシアは一人娘。クリミアーナの直系は、アルテシアただひとりなのだ。

 せっかく許可証の話を取りやめにしたのに、両親がいないことを思い出させるようなことは言うべきではない。ソフィアは自分にそう言い聞かせる。だが、時を操るなんてことを、ほかの誰ができるというのか。まがりなりにもクリミアーナの魔法が使える自分だが、時を操るのは、さすがにムリだ。あれはクリミアーナ本家の人でも難しいことであったはず。

 ソフィアの知識では、それが常識だった。だからこそ、アルテシアではないクリミアーナ家の魔女が、どこか近くにいるのではないかと、そんなことを考えたのである。だが、そんなはずはないのだった。つまり、自分の勘違いでしかない。

 そんなことをソフィアが考えているころ、パチル姉妹は、パブ『三本の箒』で名物のバタービールを飲んでいた。すでにいくつかの店を回ったところではあるが、アルテシアへのお土産話を集めるため、このあとも、ホグズミードのあちこちを広く浅く、みてまわることにしていた。

 

「今までのところじゃ、おすすめはお菓子屋のハニーデュークスかしら」

「うん。あれでけっこう、甘い物好きだからね、アルテシアは」

「それはあたしもだけど、ゾンコだっけ。あのお店のことはソフィアには言わないようにしようね」

「だね。あいつ、妙なところでかたくるしいもんね。ジョークが通じにくいっていうかさ」

 

 そんなことを言いつつ軽く笑っていると、2人のいるテーブルに近寄ってくる人がいた。50歳はとうに過ぎていそうな女性だ。それまでパーバティたちのとなりのテーブルで同じようにバタービールを飲んでいたのだが、2人の話が聞こえたらしい。

 

「ごめんなさいね、お嬢ちゃんたち、ホグワーツの生徒さんでしょう?」

「え? ええ、そうですけど」

「いま、アルテシアっていう名前が聞こえたんだけど、知り合いなのかしら?」

「その質問に答える前に、あなたがどなたなのか、それを先に教えてもらっていいですか」

 

 そう簡単には、教えてやらないぞ。パーバティは、そんな目でその女性を見た。だがその女性は、パーバティにやさしく微笑んでみせた。そして、パーバティの横へと、自分が座っていた椅子をずらして寄ってくる。

 

「そうよね、それが普通なんだとは思うんだけど、いまはまだ、わたしの名前は言えないのよ。ごめんなさいね」

「でしたら、わたしたちもお返事はできません。だってアルテシアは、わたしの大切な友だちだから」

 

 それでは、知り合いだと教えているようなものだ。パドマがあわててパーバティの腕をつついて振り向かせる。

 

「お姉ちゃん、それって答えになってるよ」

 

 だがパーバティは、笑顔で2度ほど細かくうなづいてみせただけ。つまりは、わざとそう言ったということになるのか。そのことには、女性のほうも気づいたようだ。

 

「あら、どうも。わたしのこと、信用してくれたのよね、どうもありがとう」

「いいえ。そういうわけじゃないです。ただなんとなくアルに、アルテシアに雰囲気とか似てるかなって」

「あら、そうかしら。これじゃ、ダメ? ダメかぁ」

「なにが、ダメなんですか」

「ううん、べつに。それより、同じホグワーツの生徒さんでも、ずいぶんちがうのね」

「ちがう?」

 

 その女性は、くすくすと笑いながらも、そのことを話しはじめる。たまたまなのだろうが、このときパブ『三本の箒』の店内には、パチルの双子以外にホグワーツの生徒の姿はなかった。

 

「なんだかね、今日はあちこちでホグワーツの生徒さんをみかけるんですよ。だから『三本の箒』に来てみたの。いつもは『ホッグズ・ヘッド』というお店にいくんだけど」

「ホッグズ・ヘッド、ですか」

 

 パーバティたちは、そのホッグズ・ヘッドという店を知らなかった。ホグズミード村に着いてから順番にみて回っているのだが、これまでみてきたところには、そのような店はなかった。

 

「どの辺にあるんですか、その店は?」

「ああ、気にしないで。お嬢ちゃんたちみたいな娘さんには、あんまりお奨めできないお店よ。店内もキレイじゃないし、このお店のほうがよほどいいわよ」

 

 つまりは、三本の箒のほうがホグワーツの生徒がより多く訪れると考え、いつもの店ではなくこの店に来たと、そういうことになるのだろう。

 

「アルテシアのことは、どうして知ってるんですか」

「いいえ、知ってるわけじゃないの。そういうことじゃなくて、なにか聞き覚えのある名前だったから。どんな人なのか聞いてみれば、どこで聞いたのかわかるかなって思っただけよ」

「そうなんですか。あ、でも今日アルテシアは、ここには来てないんです」

「そのようね。少し前に話した女の子が、そんなことを言ったわ」

「許可証がないとダメなんです。アルテシアのご両親はすでに亡くなっているので。その代わりとして許可証にサインをしようって人は何人かいたんですけど、結局、実現しませんでした」

 

 パドマは、パーバティがなんでも話してしまうので心配になり、ローブを引っ張ったりして合図を送るのだが、パーバティのほうは、全然気にしていないようだ。

 

「いろいろと事情がおありのようね。でも、あなたたちとアルテシアとはいいお友だちなんだろうって、そう思いますよ。それが伝わってきます。親しくしてるんでしょ?」

 

 もちろん、パーバティはうなずく。話のなかに入れないでいたパドマだが、そこでうなずくことは忘れない。

 

「さっきもね、男の子と女の子の2人に声をかけちゃったの。迷惑だろうとは思ったんだけど、話し声が聞こえてくるでしょ、アルテシアという名前を聞いちゃったらね、やっぱり話を聞いてみたくなるのよ」

「わたしたちも、それと同じですか。たしかにアルテシアの話はしてましたけど」

 

 その女性がうなずく。アルテシアのことを知りたいと思っていたのなら、そうするのは当然かもしれない。はたして、この女性は誰なのだろう。パドマはそのことが気になって仕方がないようだが、姉のパーバティは、そのことを尋ねようとはしない。

 

「男の子と女の子だったけど、女の子のほうがやけに積極的でね。かえって、わたしのほうが問い詰められて困ったのよ」

 

 その2人とは、誰か。パーバティとパドマは、互いの視線だけで、その人物の特定を済ませる。声に出さすとも、その2人については同じ人物を思い浮かべたようだ。

 

「わたしがアルテシアのことでなにか知ってると思ったんでしょうね。けど、知らないのは、わたしも同じ。聞きたいことがあるのは、わたしも同じ。いろいろと尋ねられたんだけど、結局、なにも返事ができなかったの。そうしたら、さっさとお店を出ていったわ。結局、最後までわたしの話は聞いてくれなかったのよ」

「すみません。たぶんその2人も、わたしたちの友だちだと思います」

「あら、そうなの。でもありがとう、すみませんなんて言ってもらえるとは思わなかったわ。ふうん、そうなんだ。アルテシアのお友だちは、双子のお嬢さんなのか」

 

 その男女2人組とは、何を話したのか。だが、話題はそこに移ってはいかない。

 

「そういうトラブルみたいなことは避けたかったんだけど、ああなるとは思わなかった。お願いしたいことがあっただけなんだけど」

「お願い、ですか」

「ええ。アルテシアのことをね、いろいろ聞かせてほしいの。身長はどれくらい? やっぱり低いのかしら」

「ええと、すいぶん小柄ですよ。身長は、わたしより5センチくらいは低いよね?」

 

 これは、パドマへの問いかけ。すぐにうなずいてみせたが、パドマは不思議だった。なぜ姉が、こうもすらすらとアルテシアのことを話してしまうのか。少しはあの女性のことを不審に思ってもいいはずなのに、そんなようすが見えないのはなぜか。

 だがパドマも、その女性を好意的に見ていることに気づいていた。この人が、悪い人であるはずがない。あきらかにウソをついてはいるが、それも事情があってのことなのだろう。そう考えたパドマは、2人と話を見守ることにした。

 

「身体は丈夫なのかしら。学校は全寮制なんでしょう。ちゃんとやれてるのかしら」

「大丈夫ですよ。寮では同じ部屋なんです、あたし。いつも元気にしてますよ」

「あら、そう。夜はちゃんと寝てる?」

「ええ、それはもう」

 

 基本的にアルテシアは、早寝早起きだ。本当は、朝早くに散歩に行きたいらしいが、ホグワーツには、それにふさわしい場所がないらしい。そんな話をひとしきりした後で。

 

「ありがとう、いろいろ聞かせてくれて。もう、これで最後にするわ。あなたたちも、行きたいところとかあるでしょうしね」

「いえ、かまいませんよ。ホグズミードには、何度も来る機会があるでしょうから。それにようやくお昼ですよね」

 

 みればパブのなかは、飲み物だけではなく、食事をしている人の姿が増えてきていた。

 

「アルテシアの目の色なんだけど、見たことある? あるわよね、もちろん。どんな色かしら」

「色、ですか。ええと、あれは」

 

 そう言いながら、パドマに目をむけるパーバティ。もちろんパーバティだって、アルテシアの目を見たことくらい、ある。だが何色かと問われても、どう答えればよいのか。目を向けたのは、助けを求めてのことだ。

 

「えっと、とりあえず、青、じゃないかな」

「あ、うん。そうだよね、ちょっと不思議な感じのする青、です」

「そう、ありがとう。とってもよく分かったわ。青、なのね」

 

 その女性が、立ち上がる。最後の質問だと言っていたので、これで引き上げるつもりなのだろう。だがパーバティは、あわてて呼び止める。

 

「すみません、1つだけ教えてください。あなたに会いたくなったら、アルテシアが会いたいって言ったら、どうしたらいいですか」

「ああ、そうね。もしあの子がわたしに会いたいというのなら。わたしが会いに行くのはムリだと思うから、ホグズミードに来てもらうしかないわね」

「どこに行けばいいですか? さっきおっしゃられてたホッグズ・ヘッドというお店にいけばいいですか?」

 

 ホッグズ・ヘッドの名前を出したのは、その女性がよくその店に行くようなことを言っていたからだが、しかし、首は横に振られた。

 

「マダム・パディフットの店は知ってる? 小さな喫茶店なんだけど、その向かい側に青い屋根の家があるの。その家に来てくれればいいわ」

 

 そこが、その女性の家なのだろう。そういうことで納得したパチル姉妹は、そのまま、その女性を見送ることにした。とりあえずは、お昼となっている。ここでなにか食べようと、2人はテーブル脇に置いてあるメニューを手に取った。

 

 

  ※

 

 

 ハリー・ポッターは、ルーピンの部屋で紅茶を飲んでいた。ハーマイオニーとロンがホグズミードに行っており、許可証のないハリーは、校内をうろつくくらいしかすることがなかった。そんなとき、ルーピンから声をかけられたのだ。

 

「ルーピン先生。あの、ホグワーツ特急でのことなんですが」

「吸魂鬼のことかい。まだ気にしているのか」

「あのとき、誰かもう1人、気を失った人がいたって、先生、おっしゃってましたよね。それが誰なのか」

「そんなことが気になるのかい。まあたしかに、ぼくも気にはなったんだけど」

 

 それが、誰なのか。ハリーは、その人と話をしてみたかったのだ。そのとき、どうだったのか。なにか、叫び声を聞いたりしなかったかどうか。そんなことも聞いてみたかったのだ。

 だが、ドアをノックする昔がして、その話は中断された。やってきたのはスネイプだった。その手に持った杯から、かすかに煙が上がっていた。

 

「ああセブルス、ありがとう。このデスクに置いていってくれないか?」

 

 言われるままに、煙を上げている杯を置いたスネイプだが、ここにハリーがいるとは思っていなかったのだろう。ハリーとルーピンを、交互に見ている。

 

「ルーピン、すぐに飲んだほうがいいと思うぞ」

「ああ、わかってる。そうするよ、もちろん」

 

 ルーピンが答えた。そして杯を取り上げ、匂いを嘆ぎつつ、ハリーをみる。

 

「スネイプ先生がわざわざ薬を調合してくださったんだよ。わたしはどうも昔から薬を煎じるのが苦手でね。これはとくに複雑な薬なんだ」

「一鍋分を煎じたが、もっと必要かな」

「たぶん、明日また少し飲まないと。セブルス、ありがとう」

「礼には及ばん。だが、少し報告しておきたいことがあるのだが」

 

 じろり、と音まで聞こえてきそうだった。スネイプの視線に、ハリーはあわてて立ち上がる。ルーピンは、微笑みながらスネイプの薬を一口飲んで、身震いしてみせた。

 

「このごろどうも調子がおかしくてね。この薬しか効かないんだ。スネイプ先生と同じ職場で仕事ができるのほほんとうにラッキーだよ。これを調合できる魔法使いは少ないからね」

「ルーピン先生、どうして」

 

 どうして、スネイプの作った薬なんか飲むのか。ハリーは、そう聞いてみたかった。飲まない方がいいと、そう言ってやりたいくらいだった。だがスネイプのいる場所では、そんなことが言えるはずもない。それに、明らかにスネイプはハリーがここにいるのを歓迎していない。

 

「ハリー、少しスネイプ先生と話をするからね。また今夜、ハロウィン・パーティで会おう」

 

 ルーピンが、一気に杯を飲み干して顔をしかめる。それを見届けるような感じで、ハリーが部屋をでる。さすがにこれ以上、この部屋にとどまることはできないだろう。

 ハリーが出て行くと、ルーピンが、それまでハリーが座っていた椅子を、スネイプに勧める。だが、スネイプは座ろうとはしなかった。つまり、話はすぐに終わると言うことだ。

 

「実は、この杯をここへ持ってくる途中、ある生徒にそれを見られてしまった。そのことを、報告しておかねばと思ったのだ」

「ああ、キミの研究室からここまではそれなりに離れているからね。そういうこともあるだろう。気にすることはないよ。ハリーには、飲むところを見られているくらいだ」

「キミがそれを気にしないのであれば、なによりだ。だがルーピン、思慮深い娘であるので無謀なことはしないと思うが、少しは気にした方がいい」

「誰のことだい? キミは誰に見られたと」

 

 だが、スネイプはその名を告げはしなかった。勝手に予想しろ、あるいは言うまでもないこと、そんなことであるのだろう。

 

「あの娘は、入学した当初より、魔法薬学では非凡なところをみせていた。もちろんいまでも学年一の、いや学校一の成績だ。仮にあの娘に材料を与え、この薬を煎じろと言ったなら、ちゃんと仕上げてくれるだろう」

「まさか、セブルス。この薬がなんであるか気づいたかもしれないと、そう言うのかい」

「可能性の話で言えば、6割から7割といったところではないかと判断する」

「まさか。できあがった薬をみただけなんだろう。それでそんなことができるものなのかい」

 

 スネイプの見立てが、どこまで正確か。どこまで、信頼できるものなのか。驚きの表情を隠せなかったルーピンだが、ついには笑ってみせた。

 

「心配ないよ、セブルス。もしそうなったとしても、それはそれだ。キミに責任のあることじゃない。気にしなくていいよ」

 

 そう言ってスネイプを帰らせたルーピンだったが、頭の中には、その話が残ったままだった。スネイプは、入学時からそうなんだと言っていた。だとすると、あの子はどこかで魔法薬学を学んだということになる。だが、いったいどこで。どうやって。

 具体的な名前を聞いたわけではない。だがルーピンは、ある少女の顔を思い浮かべていた。そして、あの薬のことは話さないようにと約束することができないものかと、そんなことを考え始めた。

 



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第46話 「襲撃の夜」

 その日、ハロウィン・パーティが近づいてもなお、あちこちでホグズミード村のことが話されていた。ホグズミードに行けなかったハリー・ポッターのところでは、ロンとハーマイオニーがつきっきりで説明していたし、おなじく居残りだったアルテシアのところには、パチルの双子姉妹がぴったりと寄り添っている。パーティが終わるまで待てない、あるいは必要なことだけでも話しておきたいということなのだろう。

 ロンとハーマイオニーは、ホグズミードでのようすを、その到着のときから順に説明していく。もちろんハリーも興味津々で聞いていた。そうするうちにハロウィン・パーティの始まる時間となってしまうほどの熱の入れようだった。

 

「もう始まる時間だわ。とにかく、話したいことがいっぱいあるの。とくに『三本の箒』で会った女の人のことは、じっくりと話したいわ。時間がかかったしてもね。それで、あなたは今日は何をしていたの?」

 

 玄関ホールを横切り、大広間へと向かいながらも、話は止まらない。もちろん、ハリーにも話しておきたいことがあった。

 

「ルーピン先生のことで、気になることがあるんだ」

「気になること?」

「うん。ルーピン先生が部屋で紅茶を入れてくれて、ぼくたち話をしてたんだけど、そこにスネイプが来て……」

 

 ハリーは、薬だというその杯をルーピンが一気に飲んでしまったことを話した。ちょうど大広間では、人の顔のようにくり抜かれたたくさんのかぼちゃにロウソクが点されたところ。そんなジャック・オー・ランタンに囲まれるなかで、パーティーが始まった。そちらに気を引かれたのか、ロンはともかくハーマイオニーは、あまり興味を示してはくれなかった。

 

「それが何の薬なのかは気になるけど、毒薬なんかじゃないはずよ。ハリーの目の前ではそんなことしないはずだもの」

「あぁ、うん。きっとそうだね」

 

 テーブルに、さまざまな料理が並んだ。ハーマイオニーの言葉を裏付けるかのように、教職員のテーブルにいるルーピン先生に変わった様子はなく、楽しそうに食事をしながら、となりのフリットウィック先生と話をしている。それをみてハリーは、そのことを考えるのをやめた。いまは、ごちそうに取り組むべきときなのだ。

 ホグワーツのゴーストたちによる余興もあるなど、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。パーティーは、ホグズミードに行けなくて沈んでいたハリーの気持ちを最高ランクにまで引っ張り上げて終わった。

 誰もが、軽い興奮状態のまま大広間を出て、寮へと戻る。ハリー、ロン、ハーマイオニーも、ほかのグリフィンドール生の後ろについて、いつもの通路を塔へと歩いて行く。だが、近づいてくるにつれて混雑しはじめ、進み具合が遅くなっていくのだ。誰もが奇妙に感じ始めたところへ、鋭く叫ぶ声が聞こえた。

 

「誰か、ダンブルドア先生を呼んできてくれ。大急ぎだ」

 

 どうやら、肖像画の入り口が閉まったままらしい。誰も寮に入れないので、こんなに混雑しているのだ。呼ばれたからか、それとも異変を察知したからなのか、すぐさまダンブルドアがやってくる。

 

「おお、なんてことじゃ。ともあれ、婦人を探さなければならん。マクゴナガル先生、フィルチさんに、城中の絵の中を探すよう言ってきてくださらんか」

 

 いつのまにか、マクゴナガルの姿もあった。それだけではなく、ルーピンとスネイプも駆けつけてきた。みれば、グリフィンドール寮の出入り口の管理を任されている太った婦人の肖像画が、ズタズタに切り裂かれている。どこへ行ったのか、婦人の姿はない。

 ふいに、頭の上のほうから声がした。

 

「ついさっきのことだよ。ズタズタになった女が5階の風景画の中を走ってゆくのを見たけどねっ」

 

 それは、ピーブズの声。さしものピーブズも、ダンブルドアにいたずらをしかけることはしないのだ。きっと、言ってることも本当のことだろう。そのピーブズに、ダンブルドアが尋ねる。

 

「ピーブズ、ここでなにがあったのか、それを見てはいないかね?」

「見ましたよ、校長。そいつは、婦人が寮に入れないと言い張るのでひどく怒っていましたねえ」

「誰じゃね、そいつとは」

「見覚えがあります。あいつも昔、ホグワーツにいたから覚えてますよ。たしかに、いたずらはしてた。けど、あんなかんしゃく持ちじゃなかったはずだけどねえ」

「ピーブズ、それが誰かと聞いておるのじゃが」

 

 そこでピーブズは、くるりと宙返り。生徒たちの視線が集まっているのを意識してのことだろう。だが、焦らしたのもそこまで。ニヤニヤしながらも、その名を告げた。

 

「シリウス・ブラックですよ、校長先生」

 

 

  ※

 

 

 その夜、大広間に、アルテシアも含めたグリフィンドール生全員が集められた。もちろんダンブルドア校長の指示によるものだが、それだけではなく、少し遅れてパドマのいるレイブンクロー生が合流してくる。ハッフルパフにスリザリンの寮生もだ。こうしてわずかのあいだに全員が集まったのは、シリウス・ブラックによるグリフィンドール寮襲撃事件が起こったから。まだシリウス・ブラックが校内にいるかもしれないので、こうして生徒を全員一カ所に集めておき、そのあいだに校内をくまなく捜索しようということになったのだ。

 

「生徒諸君、理由はおわかりじゃろう。安全優先じゃ。今夜はみな、ここに泊ってもらうことになる。監督生には大広間の入口の見張りに立ってもらうし、指揮は首席に任せよう。何か不審なことがあれば、ただちに知らせるように」

 

 マクゴナガルとフリットウィックによる戸締まりが終わり、全員分の寝袋が用意され、ダンブルドアによる指示がなされる。先生たちがシリウス・ブラック捜索のために大広間を出て行くと、首席の生徒に指揮権が移った。

 

「さあ、みんな。いいかい、寝袋に入るんだ。ぐっすり寝て朝になれば、先生方がシリウス・ブラックを見つけてくださっているだろう。それで事件は終わる。なにも心配することはないんだ」

 

 そう言ったのは、パーシー。ダンブルドアが指名した首席の生徒だ。ロンの兄でもある。だが、たちまちのうちに大広間中がガヤガヤとうるさくなった。誰もが、今夜の事件についての話を始めたからだ。

 

「みんな、おしゃべりはやめたまえ! 消灯まであと10分だ」

 

 だがパーシーが何を言おうと、全生徒がしずかになるようなことはなかった。それほどに、今夜の事件は衝撃的だったのだ。パーシーにしても、それが簡単なことだとは思っていない。消灯となり明かりを消すまではムリだろうと思っていた。だが、おしゃべりはともかく勝手に歩き回ることまでは見逃せない。グリフィンドール生の集まる場所へと近づいてくる生徒の前に、立ちはだかる。

 

「なんですか、邪魔しないでください」

「な、なんだと。キミは誰だ。自分の場所に戻りたまえ」

 

 先に邪魔だと言われ、パーシーも、いらだった声を上げた。付近の生徒たちの注目が集まる。近づいてきたのはソフィアだった。

 

「もちろん、自分の場所に戻るために来たんです。そこ、どいてもらえますか、通りたいんですけど」

「待て、自分の場所に戻るだと。キミがグリフィンドール生であるはずがない。ぼくには見覚えがない。ぼくは、主席のパーシー・ウィーズリー。キミは、誰だ?」

「わたしが誰だろうと、あなたが誰だろうと、そんなことは関係ありません。さあ、通してください」

「黙れ。まず、名前を言え。所属の寮はどこだ」

「いいでしょう、通すつもりはないということですね。きっと後悔しますよ。わたしは」

「やめなさい」

 

 その声は、アルテシア。ソフィアが名乗るところを中断させた格好だが、もちろん偶然だ。このことに気づいてアルテシアが駆けつけたのが、ちょうどこのタイミング。その後ろにはハーパティもいた。

 

「すみません、パーシーさん。その子は、わたしの知り合いです。わたしのことを心配してきてくれたんだと思います」

「キミの知り合いだって。だが校長先生もおっしゃっていたように、もう心配はないんだ。先生方が、ちゃんと対処してくださっている」

「わかっています。でも、お願いです。静かにしていますから、今夜はここにいさせてもらえませんか」

「し、しかし」

 

 言いながら、アルテシアとソフィアとを見る。アルテシアはソフィアをかばうようにして前に立ち、ソフィアはその少し後ろでうつむき加減に立っている。あれほど勝ち気そうに見えたのに、あれほど堂々と主張してきたのに、いきなり別人となってしまったようだとパーシーは思う。だが考えてみれば、今夜はべつに寝る場所が指定されているわけではない。各寮ごとにキチンと分かれて寝るように、というような指示はされてはいないのだ。

 

「わかった、そうしていい。ただし、静かにするんだよ。おとなしく寝るんだ。いいね」

「すみません、パーシーさん」

 

 パーシーが折れる形でこの騒動に決着がつくと、周りの生徒たちは、またブラックのうわさ話を再開する。アルテシアには、そんな適度なさわがしさがありがたかった。騒々しいのは好みではないが、いまは、しずかに注目されているより、よっぽどいい。ソフィアを自分の寝袋のそばへと連れていく。

 

「ここで寝ましょう。その寝袋を使いなさい」

 

 ソフィアは、何も言わない。無言のまま、アルテシアが指示した寝袋のよこに座る。

 

「けど、かっこよかったよ。そこをどけ! なんてさ」

 

 パーバティがからかうが、それでもソフィアは何も言わない。あいかわらず無言のまま、少し赤くなった目をアルテシアにむけているだけ。そんなソフィアを、アルテシアはぎゅっと抱きしめた。

 

「ありがとう、ソフィア。わたしは大丈夫だよ。もう、なんにも怖くない。ソフィアがいてくれるから、今夜は、安心して寝られる、よね…… 心配しなくて、いいよ」

 

 それでも、ソフィアは無言のままだった。ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は、アルテシアたちの場所からは少し離れたところで寝袋を並べていた。そのなかに潜り込んだ状態でアルテシアたちへと目をむけていたのだが、騒動が収まると、それぞれに顔を見合わせる。

 

「いまの、ソフィアってやつだよな。パーシーにくってかかるなんて、たいしたやつだ。しかも、自分の主張を通したんだぜ」

「アルテシアが口添えしたからでしょ。それより、シリウス・ブラックはまだ城の中にいると思う?」

 

 それが最大の関心事ではあったが、ハリーは否定的だった。こんな騒ぎとなっては、そうすることがかしこい選択とは言えない。それより、どうやって入り込んだのか。そっちのほうを気にするべきだと、ハリーは言った。

 

「『姿現わし』ってのがあるぜ。ブラックは魔法使いだ。もちろん使えるはずだろ」

「おあいにくですけどね、ロン。ホグワーツでは、そんなことはできないの。こっそり入り込めないようにと、ありとあらゆる呪文がかけられているわ。だから、ここでは『姿現わし』はできない。それに見たでしょ。ホグズミードに行くとき、校庭の入口は吸魂鬼が見張ってた。学校にだって、近づくことは難しいはずなのよ」

 

 そんな話をしているのは、ハリーたちだけではない。あちこちでそんな話がされていた。

 

「灯りを消すぞ! 全員寝袋に入るんだ。おしゃべりはやめ!」

 

 パーシーの怒鳴り声。そのすぐあとで、ロウソクの灯がいっせいに消された。だが、天井にかけられた星がまたたく魔法のおかげで真っ暗になることはない。うっすらとした明るさが残り、ヒソヒソとささやかれる声も途絶えることはなかった。パーシーが寝袋の間を巡回しておしゃべりをやめさせても、通り過ぎるとまた再開されるといった、いたちごっこがくり返される。

 それでもようやく、ほぼ全員が寝静まったころ。大広間にダンブルドア校長が入ってくる。すぐにパーシーが近づいていく。

 

「どうじゃな、変わったことはないか」

 

 低めの小さな声となってしまうのは、こういう状況では仕方のないことだろう。

 

「異常なしです。先生」

「そうかね。ともあれ朝となったら、全員に寮に戻るように言いなさい。シリウス・ブラックは、もう校内にはいないようじゃ」

「わかりました。それで、『太った婦人』はどうなりましたか?」

「ああ、3階のアーガイルシャーの地図の絵に隠れておいでじゃ。合言葉を言わないブラックを通すのを拒んだがため、ああいうことになった。婦人はまだ動転しておられるが、落ち着いてきたらフィルチに言って婦人を修復させましょうぞ」

 

 では、グリフィンドール塔の門番はどうなるのだろう。太った婦人の代わりは?

 

「そうそう、グリフィンドールの門番には臨時の者を見つけておいた。『カドガン卿』じゃよ。合い言葉については、キミと相談するよう話してある。明日、みなを連れて寮に戻ったときにでも決めるといい」

「わかりました、校長先生」

 

 シリウス・ブラックが校内に侵入し『太った婦人』の肖像画をズタズタに切り裂いたのは、まぎれもなき事実。だがすでに、シリウスの姿は校内から消えていた。いったいどうやって侵入し、どうやって出ていったのか。その目的は何か。そのことを、ダンブルドアはどう考えているのか。パーシーがそれを尋ねようとしたが、口を開いたのは、ダンブルドアのほうが早かった。

 

「では、主席よ。そのように頼む。わしは先生たちと相談があるので校長室に戻っておる。もうここへ顔は出さぬがよろしいな」

「はい、大丈夫です」

 

 シリウス・ブラックが校内にいないとなれば、問題の起こりようはない。パーシーは、元気よく返事をした。

 

「けっこうじゃ。他の先生方には、引き続きの警備をお願いしてあるからの。なにも心配はない、なにも起こらぬじゃろう」

 

 

  ※

 

 

 夜中、とするよりは明け方とするべきだろうか。そんな時刻となっているにもかかわらず、校長室に数人の人影が集まった。ダンブルドアはもちろんだが、スネイプとマクゴナガル、それにルーピンだ。

 

「諸君、椅子に腰かけてくだされ。立ったままでは、話もしずらかろう」

 

 ダンブルドアが自身の執務用デスクの椅子に腰かけ、その前に3つの椅子を用意する。スネイプたちが、そこへ腰を下ろす。

 

「さてさて、それぞれから話をしたいと言われたので集まってもらったのじゃが、むろん、おのおの個別にということであったろうとは承知しておる。なのにこうして集まってもらったのは、それらはみな関連しておると思うてのこと。望まぬというのであれば是非もないが、そうでなければ、このまま話をすすめたい。よろしいかな」

 

 誰からも、異論はでない。そういうことであればそれでいいと、それぞれ納得したのだろう。最初に口を開いたのはスネイプだ。

 

「校長、私は以前、シリウス・ブラックが学校内に侵入するには校内の誰かが手引きすることが必要だと、そうでもなければムリだろうと申し上げたことがありますが、あやつがどうやって入ったか、いまどこにいるのか。何か思い当たることはおありですか?」

「いや、いまのところは不明じゃよ。それからの、セブルス。ホグワーツ内部の者がブラックを引き入れたとは考えておらんよ」

「さようですか。だがついには、校内に侵入してみせた。しかもグリフィンドール寮に入ろうとしたのですから、その狙いは十分に予想がつきますな」

「そうじゃの。それについては、マクゴナガル先生のご意見が必要じゃ」

 

 マクゴナガルは、スネイプが話をしている間に紅茶の用意をしようとしていたのだが、指名されて、椅子に座り直した。

 

「ブラックの狙いはハリー・ポッター。これまでそう考えられてきましたが、どうやら校長先生は、ほかの可能性を考えておられるようですね」

「いかにもいかにも。考えられることはすべて考え、その対策もしておかねばならんじゃろうて。で、どう思うかな」

「待ってください。シリウス・ブラックが、ほかに誰を狙うというのです。そんな生徒がいるのですか」

「ああ、ルーピン。校長がおっしゃっておいでなのは」

 

 そこでいったん言うのをやめ、ダンブルドアをみる。名前を出してもいいのかどうかの確認だろう。ダンブルドアがうなずいたあとで、マクゴナガルにも視線を向ける。マクゴナガルは、ダンブルドアのようにうなずくようなことはせず、その名前を自分で告げた。

 

「グリフィンドールの3年生、アルテシア・クリミアーナのことですよ。わたしはまったくそんなことは思っていないのですが、アズカバンからの脱獄にも、アルテシアが関係しているのではないか。そんな疑いがあるというのです」

「なんと、それは本当ですか。あの小さな女の子が、そんなことを」

「あくまで、その疑いがあるということだぞ、ルーピン。ちなみに吾輩は、そんなことを考えてはいないが」

「しかし、あの女の子は吸魂鬼のことを知らなかった。吸魂鬼がとても怖かったと言ってましたよ。まさか、脱走を手伝うなど考えられない」

「リーマス、もちろんわしも、そのことは承知しておる。じゃが、ブラックとアルテシア嬢とにはつながりがあることがわかったのじゃ。今の段階で、その可能性を捨て去るわけにはいかない」

 

 その場に、おかしな空気が流れ始める。マクゴナガルは冷たい目でダンブルドアを見ており、その視線から、ダンブルドアはわざと目をそらしている。気づかないふりをしているようだ。ルーピンがスネイプを見る。

 

「ご存じないのであれば、説明しよう。だが、このことは口外無用」

「わかってる。それで、どういうことなんだい」

「クリミアーナ家とブラック家とは、姻戚関係にあるのだ。クリミアーナ家から嫁入りした女はすでにブラック家を出されているが、この魔法界で唯一といってよいつながりを活かし、クリミアーナ家に脱走の手引きを依頼したのではないか。まぁ、そういうことだな」

「そんな話は、知らなかった。いつ頃のことだろう。とはいえ校長、アルテシアとシリウスは、会ったことすらないのでは」

 

 シリウス・ブラックが犯罪を犯しアズカバン送りとなったとき、アルテシアはようやく1歳となったばかり。それ以降、シリウス・ブラックはずっとアズカバンに収容されていたのだ。連絡が取れていたはずもない。それがルーピンの考えだった。

 

「いかにも、そのとおり。じゃが、さきほども言うたとおり、可能性がある以上は排除すべきでない。問題ないとわかるまでは、アルテシア嬢を、ブラックから遠ざけておかねばならん。なにが起こるか、予想ができん」

「ですが、そのためにあの子をホグズミードに行かせないなんて。友だちがホグズミードに行くのを見送らせるなど、よいことではありません」

「お言葉ですが、マクゴナガル先生。先生は、ハリーがホグズミードに行くのを許さなかったと聞いています。それが、シリウスがハリーを狙っているからだということなのであれば、つまり、同じことになるのでは」

 

 ルーピンの指摘だが、そのときマクゴナガルは、大きく深呼吸。気持ちを落ち着けようとしたのだろう。もう一度、大きく息をすってから、ゆっくりとはきだす。

 

「ルーピン先生、言わせてもらいますが、まったく違いますよ。ホグズミード行きには、許可証が必要。そこに保護者のサインがなければ許可できない、それが決まりなのです」

「もちろん、それは承知していますが」

「ハリー・ポッターは、その許可証を用意できなかった。許さなかったのは、そのためです。ですがアルテシアの場合は、許可証へサインすることが禁止されたのです。そこにサインをしようという人がいたにもかかわらず」

「ミネルバ、そういつまでも怒るものではない。そろそろ機嫌をなおしてくれんか。理由は、何度も説明したと思うがの」

「それはどうも。ですが、その理由にはどうしても納得がいかないのです。もちろん、校長先生のおっしゃることもわかりますが」

 

 アルテシアには、すでに両親がいない。なので保護者代わりとして許可証にサインをする人が必要となるわけだが、ダンブルドアは、誰かが保護者代わりとなるのを認めなかった。もちろんダンブルドアが決められるようなことではないのだが、そのことを指摘した者は、いなかった。マクゴナガルを除いては。

 

「ともあれ、いまはまだ、ブラックとアルテシア嬢とを会わせるべきではないのじゃ。シリウス・ブラックがなぜ脱獄などしたのか。その理由をわれわれは知らんのだから、不用意なことはするべきでないとは思わんかね。アルテシア嬢と直接に連絡を取るためにそうしたのであれば、あるいは、魔法省が言うようにハリー・ポッターを狙っているのだとするなら」

「それぞれ、対処のしようが変わってくるということですかな」

「さようじゃ」

「しかし、校長。そのどちらでもない、まったく別の可能性もあるのでは」

 

 そう言ったのはルーピンだが、当然、その可能性はある。ダンブルドアの言葉を借りるなら、可能性がある以上は排除すべきでない。そのことも考えておく必要がある。

 

「シリウスは誰もいないグリフィンドール寮に入り込もうとしたのです。それはつまり、シリウスに別の目的があったということでしょう。なにしろ寮には、ハリーとアルテシア、そのどちらもいなかった」

「なるほど、一理ある。大広間での宴会には気づかなかったのではなく、みなが集まっていることを知っていたからこそ、無人であるはずのグリフィンドール寮に侵入を試みた。校長、この考えのほうが」

「素直に頭に入ってくる。そのとおりじゃな。じゃがのう。何度も言うてすまんが、可能性がある以上、考慮せねばならんのじゃ。ハリー・ポッターが襲われるのは避けたいし、あの娘がシリウス・ブラックと手を組む機会となってはまずいじゃろう」

「手を組んだりすると、そうお考えなのですか。アルテシアが闇の側に行ってしまうというのですか。だからアルテシアをブラックに会わせるなと」

 

 それは、マクゴナガルにとって思いもよらぬことだった。アルテシアは、このホグワーツで学び、成長し、立派な魔女となる。そうなることがマクゴナガルの願いなのだ。成長をそばで見守り、クリミアーナ家を継がせること。それが自分の役目だと、そう思っているのだ。そうなってしまったのだ。

 

「校長先生の言葉をお借りするなら、そういうことになるのでしょう。ですがもし。もしかすると、シリウスが闇の側にいるのではない、そんな可能性を少しは信じてもいいのでしょうか」

「ああ、いや。残念ながらルーピン。あのブラックがしでかしたことを思えば、その可能性はほぼないと考えるべきではないかな」

「その話はともかくとしてじゃ。生徒たちの安全を確保せねばならぬし、守っていかねばならん。そのことには、誰も異論はあるまいて。それぞれ思うところはあろうが、協力してほしい。よろしく頼む」

 

 話し合いも、このあたりがしおどきということだろう。それぞれに席をたち、校長室を出る。マクゴナガルもまた、まっすぐに自分の執務室へと向かうが、そのあとをルーピンがついてくる。

 

「マクゴナガル先生、すこしよろしいですか。アルテシアのことをお聞きしたいのですが」

「なんでしょうか」

「さきほどの話ですが、アルテシアが闇の側に行ってしまうとお考えですか。ぼくはまだ、あの子のことをよく知らない。ハリー・ポッターならば、そんなことはあり得ないと言い切れますけどね」

 

 そんなことを聞くために、わざわざついてきたのか。そう思ったマクゴナガルだったが、返事を拒んだりはしなかった。

 

「それをわたしが望めば、そうなるでしょう。あなたがそう願えば、アルテシアはそうなってしまう。わたしは、そう思っています」

「それは、どういうことですか」

「あの子を正しく導かねばならないということです」

「正しく、ですか。こう言ってはなんですが、あの子にとっては何が正しいのでしょうね」

「わたしは、アルテシアの母親と1度だけ会ったことがあります。すでに亡くなられていることはご存じだと思いますが、いま思えばわたしは、そのとき彼女に、アルテシアを託された。そう思っています。いまにして思えば、ですけどね」

 

 ルーピンから何も言葉が返ってこないのは、マクゴナガルの執務室のドアの前にアルテシアの姿を見つけたからだ。そこに、アルテシアがいたのだ。

 

「アルテシア、あなた、そこでなにをしているのです。大広間で寝ているはずでしょう」

「わたしは、いつも早起きですから。それより、マクゴナガル先生にお願いしたいことがあるんですけど、いまは、お邪魔でしょうか」

 

 そこにルーピンがいるからだろう。まさか一緒だとは思わなかったようだが、軽い会釈であいさつする。

 

「あなたを邪魔になど、するはずがありません。それで、願いとは何です?」

「ホグズミードに行きたいんです。先生に許可していただくのが一番ですけど、許可証へのサインはなんとかします。許していただけませんか」

 

 そんなことを言われるとは思っていなかったのか、マクゴナガルは、わずかに顔を引きつらせる。ルーピンは、そんなマクゴナガルに注目する。意地の悪い言い方を許してくれるなら、こんな興味深い場面に遭遇するなど、めったにないことだ。はたしてマクゴナガルはどう返事をするのか。

 

「なぜ、急にそんなことを。興味がないと言っていたはずでは。だからこそ、ダンブルドアの言うことを受け入れたのですよ」

「わかっています。申し訳ないと思っています。でも、是非とも会いたい人がいるのです。ホグズミードに行けば会えるんです。お願いです。許可してください」

「それは、誰のことです。それにさきほど、許可証のサインにあてがあるようなことを言いましたね。誰がサインをしてくれるというのですか?」

 

 まさか、シリウス・ブラックに会うつもりなのか。そんなはずはないと思いつつ、そう考えてしまうのはどういうわけか。そう思いながらアルテシアの答えを待つルーピンだが、アルテシアには、わずかながらにちゅうちょしているようすが見えた。それをマクゴナガルも察したようだ。

 

「よろしい。ホグズミードに行くのはあなたの持つ権利です。次回のホグズミード行きのときまでには行けるようにしましょう」

「ほんとうですか、先生」

「ですが、くわしく事情を聞きます。そのうえで判断します。とにかくわたしの部屋へいらっしゃい」

 

 そう言って、アルテシアの手をつかむ。その手をつかんだままで、ルーピンへと顔を向ける。

 

「そんなわけですから、ルーピン先生。ここで失礼しますよ」

 

 ドアが開き、そして閉じられる。ルーピンは、ひとり廊下に残される形となった。

 



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第47話 「ホグズミードへ」

 ルーピンは、ひとり廊下を歩いていた。その日の授業は終わり、教室から自分の部屋へと戻る途中である。ひどくゆっくりと歩いているのは、考え事をしているからだ。

 さまざまなことが、彼の頭の中をよぎる。その中心にいるのはアルテシアなのだが、はたして彼女は、ホグズミード行きを許可されたのだろうか。いったいホグズミードで誰に会うつもりなのか。

 

(まさか、な)

 

 早朝というにも少し早すぎるような時間。マクゴナガルの執務室の前で待っていた、アルテシア。マクゴナガルによれば、彼女は当初、ホグズミードにさほど関心を持っていなかったらしい。だが昨晩を境として、わざわざマクゴナガルに訴え出るほどに興味を示し始めたのだ。それはなぜか。昨晩、なにが彼女に心変わりをさせたのか。

 

(シリウスが、なにかメッセージを残していたのだろうか)

 

 アルテシアにだけわかるようななにかを残し、それを彼女が見つけた。急にホグズミードに行きたいと言い始めたのは、そのためではないか。あの場に自分がいたのはまったくの偶然だが、アルテシアはひと目につかないようにと、早朝という時間を選んだのではなかったか。

 そんなことを考えつつ、廊下を歩くルーピン。すれちがう生徒は何人もいたが、ほとんど目に入っていない。

 

(とにかく、彼女と話をしなければ)

 

 それにアルテシアには、スネイプが煎じた魔法薬を見られているのだ。薬のことをアルテシアがどう思ったか。不用意に話せばやぶ蛇となる可能性もあるが、さて、どうするのがよいのか。

 この日、グリフィンドールの3年生との授業はなかったので、アルテシアの姿を見てはいない。だが、執務室に呼び出すようなことをしてもいいものだろうか。呼べば、彼女は来てくれるのだろうか。

 なおも、ルーピンは考える。このことは、ダンブルドアに報告しておくべきだろうか。それとも、わざわざ報告せずともダンブルドアであれば、これくらいのことは気づいているとみるべきか。自分が気づくぐらいなのだから、そうであっても不思議はないが、はたしてそれは、真実なのか。

 自分の部屋へと着いたが、そう簡単にはルーピンの頭は晴れそうにはなかった。そして、同じように頭を抱えているのが、マクゴナガルだった。マクゴナガルは、校長室にいた。

 

「ミネルバ、なにも禁止じゃとは言うておらん。権利を取り上げたりはせんよ。シリウス・ブラックの狙いがはっきりするまで待ってくれと、そう言うておるのじゃ」

 

 いくらマクゴナガルがその許可をお願いしても、ダンブルドアは了承しないのである。ならば無視すればいいようなものだが、ホグワーツの副校長という立場があるからなのか、そのことは彼女の選択肢には入っていなかった。

 

「いったいどうしたというのじゃ。これまでは、まがりなりにも納得してくれていたはずであろ」

「アルテシアが、あの子が、ホグズミードに行きたいと言い出したのです。これまでは興味もなさそうでしたが、行きたいというからには行かせてやりたいと思ったのです」

「待ちなさい、急に行きたいと言い出したと。それは、いつのことじゃね?」

「今朝のことです。朝になってから、申し出を受けました」

「ほう、昨日までは興味を示さなかったのに、今朝になって、急に行きたいと言い出した……」

 

 自慢のひげに手をやり、なでながら考える。だがそれも、わずかの間であった。

 

「アルテシア嬢は、その心変わりの理由を話したかね?」

「もちろん、理由は聞きました。会いたい人がホグズミードにいるということでしたが」

「それが誰かは、もちろん聞いたじゃろうな」

「それが誰なのかを知るため、そのために会うのだと。あの子はそう言いました」

「ほほう。ではあなたは、アルテシア嬢が見知らぬ誰かに会うのを許可しろと言うのかね。それがシリウス・ブラックでないとは言えまい」

 

 そのことを、マクゴナガルは考えたのかどうか。わずかに首を傾げてみせたが、それでも彼女の主張は変わらない。

 

「ブラックではないでしょう。その相手には双子のパチル姉妹が、昨日のホグズミード行きで会っているのですが、50歳はすぎたくらいの女性だったそうです。パチル姉妹は、その人の住む家も確かめたとか」

「じゃが、その女性がシリウス・ブラックの知人であればどうなる。いや、まて。なるほど、そういうことも考えられる」

「なんです、校長先生」

「ブラック家を出されたという、クリミアーナからの嫁のことじゃよ。その嫁が、離婚したあとどうしたか知っておるかね?」

「あぁ、いえ。そこまでは」

 

 考えたこともなかった。それが正直なところなのだろう。それはダンブルドアも同じであったようだが、気づいた以上、このことに注目せざるをえない。

 

「その年齢や時期など詳しいことは知らんよ。じゃがその嫁がいま50歳すぎというのはありえることじゃろう。ホグズミードにいるその女性が何者であるのか、先に確かめておくべきではないかの」

「たしかに」

「仮にそうだとすれば、その嫁がシリウス・ブラックと連絡をとりあっていてもおかしくはない。アズカバン脱走に力を貸したかもしれんし、アルテシア嬢に会わせようとしている可能性もある」

「たしかにそうですが、まさかそんなことが」

「ともあれ、アルテシア嬢のホグズミード行きは保留ということでいいかね。この件を確かめてから結論を出すとしよう。あるいは、その人をホグワーツに招待するという方法もあるしの」

 

 賛成も、反対もない。マクゴナガルは、なにも返事をしなかった。ただ、しずかに頭を下げ、校長室を出ようとする。そのマクゴナガルに、ダンブルドアが声をかけた。

 

「アルテシア嬢には、わしが話をしよう。双子の姉妹にも話を聞いたうえでそうするが、それでいいかね?」

 

 返事の代わりだろう。マクゴナガルは、ゆっくりとうなずいてみせた。

 

 

  ※

 

 

 シリウス・ブラックは見つからなかったが、学校内のあちこちでのうわさ話がやむことはなかった。誰もが、ブラックがどうやって校内に入り込んだのか、という点に注目。その方法についてあれこれと話がされているのだが、これがそうだという答えにたどり着いた者は、まだいないようだった。

 ハリー・ポッターは、マクゴナガルからシリウス・ブラックの狙いが自分なのかもしれないと聞かされたものの、それでも夕方になるとクィディッチの練習をするためにグランドに出て行くことをやめなかった。そのことはすでに知っていたし、マクゴナガルが、フーチ先生に付き添いをお願いしてくれたからでもある。とにかく、近づいてきたクィディッチの試合には万全の準備で望み、ぜひとも勝利したかったのだ。そのため、夕刻にはグランドに出て行く。

 ハーマイオニーのほうは、あのホグズミード村で話しかけてきたおばさんのことを気にしていた。あのおばさんが誰でいまどこに住んでいるのか、そのあたりのことを聞いていなかったからだ。いまにして思えば、あのおばさんが『漏れ鍋』で聞いたウィーズリー夫妻の話に出てきた、ブラック家に嫁入りした女性なのではないかと、そんな気になっているのだ。

 たしか名前は、ガラガラさんだった。それが正確な名前ではないらしいが、あのときこの話を持ち出せていたら、もっといろいろ聞けていたのではないかという、後悔に似た思いもある。

 ロンのほうは、そんなハーマイオニーの前で宿題をすることに苦痛を感じていた。自分の考え事に気を取られているからか、いつにも増して、教えようとはしてくれないのだ。ロンには、ハーマイオニーが何か別のことを考えながら宿題をしているであろうことはわかっていた。そんなことができるなんて、驚き以外のなにものでもないが、何を考えているのかはわからない。そのことを聞いてみようと話しかけても、静かにしろとどなられるだけ。まるで自分に居場所がないかのような気分を感じていた。そんなとき目をむけるのは、いつも、アルテシアであった。

 

(あいつと、話ができたらな)

 

 はっきりと声に出したわけではない。ぼそぼそとつぶやいただけ。なにしろすぐ前には、ハーマイオニーがいる。聞かれでもしたら、怒鳴られるくらいではすまないかもしれない。ロンは、ひそかに肩をすくめてみせた。

 それはともかく、アルテシアも元気がないようだ。あの、こっちまで楽しくなってくるような明るい笑顔を、このところ見ていないと、ロンは思っていた。そういえば何日か前、アルテシアは、校長室に来るようにというダンブルドアからの伝言を受け取っていた。

 

(そのとき、なにか言われたんだろうな)

 

 それも、自分だけのつぶやきのつもりだった。だが、ハーマイオニーの鋭い目が、自分をみていることに気づいた。

 

「な、なんだい」

「そんなにじっと見つめるほどアルテシアがいいのなら、そばに行けばどうなの。あたし、宿題の丸写しなんて、させませんからね」

「キミ、勘違いしてるぜ。ボクは、そんなつもりでアルテシアをみてたんじゃない。あいつのようすが、このごろヘンだからだ」

「へぇー、それはそれは。さすがですわね、そんなことにお気づきになるなんて」

 

 その口調にはいくらかのトゲがあったが、ハーマイオニーも、視線をアルテシアへとむける。アルテシアはパーバティと横に並んで座っており、なにごとか話し込んでいる。

 

「あの話を聞けたらいいんだけど」

 

 もちろんひとり言のようなものなのだろうが、ロンのつぶやきとは違い、こちらはロンにもはっきりと聞こえた。なのでロンも、返事をせねばと思ったのだろう。

 

「ボク、聞いてみようとしたことあるぜ」

「えっ」

「でも、ダメさ。ギリギリまで近づいてみても、なんにも聞こえない。あそこまで近づけば少しは聞こえてもいいはずないんだけど」

 

 おそらくは、アルテシアが周囲の人に話を聞かれないようにする魔法をかけていたのだろう。そんな魔法のことは思いもよらないロンだが、さてハーマイオニーはどう思ったか。

 

「きっと、アルテシアがなにかしてたんでしょ。たぶんガラガラさんのことを話してるんだと思うけど」

「キミ、あのときの人のこと、ガラガラさんだと思ってるのかい。ぼくはちがうと思うな」

「どうして。だってアルテシアのこといろいろと尋ねられたでしょ。それは同じクリミアーナ家だからでしょ」

「ああ、きっとそうなんだろうな。だけど、ボクだって考えたんだ。たしかにガラガラさんだって思った方が自然だけど、アルテシアは、自分の母親以外は誰も知らないんだ。もちろんガラガラさんのこともね」

「え? どういうことなの、それ」

 

 ガラガラさんという名前は、仮のものだ。それが正しい名前でないことをロンもハーマイオニーも承知していたが、本当の名前を知らない以上、そう呼ぶしかなかった。

 

「アルテシアが生まれたとき、お父さんはもう亡くなってたんだ。クリミアーナ家は、お母さんとアルテシアの2人だけ。そのお母さんも、アルテシアが5歳のときに亡くなってる。つまりアルテシアは、母親以外、クリミアーナ家の人を誰も知らないんだ」

「それはそうね、アルテシアはガラガラさんのことを知らないのかもしれない。でもね、ロン。だからってガラガラさんがアルテシアのことを知らないってことにはならないのよ」

「そんなこと、わかってるさ。ぼくが言いたいのは、クリミアーナ家には、ほかに誰もいないってことなんだ。あいつ1人だけだぜ。もしその人がガラガラさんだっていうんなら、あいつをひとりにしておくはずがないって思わないか。母親が死んだ5歳のときからずっとだぜ。ボクなら耐えられないよ」

 

 なるほど。さすがのハーマイオニーも、これには納得させられた。身内であるからには、幼い子どもを放っておくようなことはしないはずだというロンの言葉に、説得力は十分ある。でもそうすると、あの人はいったい誰なのか。けっきょく問題は、最初に戻ってしまうのだ。あのときなぜ、あの女性のことについてなにも確かめようとしなかったのか、ということに。

 

「いいわよ、ロン。こんどホグズミードに行ったら、あの人を探しましょう。きっとホグズミードに住んでるんだと思うわ。でも、ヘンよね」

「え?」

「だって、ロン。ロンは、アルテシアが元気がなさそうに見えるのは、あの人のことを気にしてるからだと思ってるんでしょ。でもアルテシアはホグズミードに行ってないんだし、あの人のことを知ってるはずもないわ。でしょ」

「それはそのとおりだけど、キミ、勘違いしているぜ。ボクは、そんなこと言った覚えなんかない。キミが言ったんだ」

 

 たしかに、そうだ。ホグズミードで会った女性のことを言い始めたのはハーマイオニーのほうだ。だがハーマイオニーには、そんなことはどうでもよかった。

 

「じゃあ、あなたが考えた、アルテシアが元気なさそうな理由ってなに? あなたはなんだって思ってるの?」

「わからないさ。だから気になってるんだ。あいつは、このまえ、ダンブルドアに呼び出しを受けてる。そのときなにかあったんだって思わないか」

「え、そうなの」

「ああ。いまあの2人はその話をしてるんじゃないかと思うんだよな」

 

 話がそこまで及んだところで、クィディッチの練習に出ていたハリーが談話室へと戻ってくる。そのハリーは、ロンとハーマイオニーのもとへと、戻ってきたときの勢いそのままにやってくる。

 

「知ってるか、おい」

「なんだ、なにかあったのか」

「試合は明日だ。なのに、直前で対戦相手が変更になった。相手はスリザリンじゃないんだよ」

 

 クィディッチ対抗戦の、初戦の相手はスリザリン。それは、だれもが承知していることだった。だがハリーは、シーカーとしてその試合に出場する選手だ。ハリーの情報のほうが最新であり、正しいのだろう。

 

「それで、相手はどこだ。どうして、そうなったんだ」

「ハッフルパフだ。外は、ますます天気が悪くなってる。きっとマルフォイのやつに決まってる。悪天候での試合を避けるために、あの仮病のケガを理由にしたのに違いないんだ」

「ケガで手が使えないからってことか。なんてヤツだ。どんなにひどい雨だろうと、大雪が降ったとしても、クィディッチは中止にはならないんだ。それなのに、仮病なんかでそんなことを」

 

 さすがにロンも、怒りをみせた。だがハーマイオニーは、何もいわなかった。きっと、考え事でもしているのだろう。

 

 

  ※

 

 

 強風と雷鳴、そして大雨。悪天候の要素が勢揃いした感のあるこの日だが、それでもクィディッチの試合は行われた。対戦チームは、グリフィンドールとハッフルパフ。観客にしても、この雨の中でプレイのようすを見守るのはさぞかし大変だと思われた。だがそれでも、試合は中止にはならない。

 試合は、グリフィンドールの優勢で進んでいく。とはいえ、クィディッチの試合はスニッチを取るまで終わらないのだ。問題は、この天候の中でどうやってあの小さな金色のスニッチを見つけ、どうやって捕まえるのかだ。選手たちはとっくにびしょ濡れであり、これでは体力の消耗も激しいということで、グリフィンドールチームがタイムアウトをとった。

 

「だめだよ、ぼく。めがねが雨に濡れて、ほとんど何も見えないんだ」

 

 たしかにハリーの言うとおりだ。これではスニッチなど、見つけられるはずがない。めがねを外したとしても、今度は視力の点が問題となってくる。選手の誰もが途方に暮れることになったが、なにごとにも解決策は存在するものらしい。観客席にいたはずのハーマイオニーが、選手が集まっている場所まで降りてくる。

 

「ハリー、ハリー、あなたのめがねを貸して。いい方法を思いついたの!」

「どうするつもりなんだい?」

 

 この際、方法はなんでもいい。どんなことでもいい、うまくいきさえすれば。誰もがそう思いつつ、ハーマイオニーに注目。ハーマイオニーの手には杖があった。

 

「インパービアス(Impervius:防水せよ)」

 

 つまりこれで、雨によるめがねの水滴を防ぐことができる。簡単であり、大きな効果のある手段だといえた。これでハリーは、とにかく目は見えるようになったのだから。

 タイムアウト終了後、ふたたび空へと飛んだハリーは、あいかわらずの強風と雨のなか、ブラッジャーを避けつつスニッチを探して、四方八方に目をむける。ハーマイオニーの魔法の効果は絶大だった。あっという間にみつけたのだ。スニッチだ。追いかける。相手チームのシーカーも気づいたようだ。どちらが早いか、どちらが先に捕まえるのか。

 と、突然の雷。ほぼ同時に、樹木のように枝分かれした稲妻が、つかのま周囲を照らす。その光に、まるで影絵のように浮かび上がったもの。ハリーは、それをみた。雨が激しく顔を打つなか、防水処置がされためがねをとおして、それをみた。

 そのとき、ハリーの耳からは一切の音が消えていた。あれほどうるさくまとわりついていた雨と風の音が、全て消える。そして。

 

『ハリーだけは、ハリーを助けて。お願い……助けて……許して……』

 

 雨や風、雷などこれまでのすべての音が、その声となってしまったかのように、ハリーのなかへと飛び込んでくる。ハリーの頭の中は、たちまちそんな声でいっぱいとなった。そのときハリーは、観客やチームメイト、相手チームの選手たちからも注目されていた。なにしろ、まさにスニッチの争奪戦が始まったところなのだ。先につかんだほうが勝利を得るという、そんな一番の見せ場ともいうなかで、ハリーはほうきから落ちた。

 ハッフルパフチームのシーカーであるセドリック・ディゴリーは、その落下には気づかず、スニッチを追いかけていく。そのとき観客たちは、どちらのシーカーに目をむけていたのか。

 落下したハリーの行き先は、スニッチではなく地面しかない。そこへ一気に、と見ていた人は、誰もが思っただろう。だがハリーは、加速しながら落ちていったりはしなかった。その逆だ。次第に減速しながら落ちていき、地面へはふわりと舞い落ちた。この風雨のなか、そのことにどれだけの人が気づいたか。

 そこへ、ホイッスルの音が響いた。それは、試合終了を告げたものか、それともハリーのトラブルによるものなのか。

 

「たぶん、マクゴナガルには怒られるよ、アル」

「うん。でも仕方ないよ。パーバティは止めようとしたって、そう言っていいよ」

「なに、いってんだか。あんたに、責任なんかないよ」

「でもさ、吸魂鬼って、あぁやって追い払えばいいんだね。捕まえたりしなくていいんだ」

 

 みれば、ハリーの倒れたグランドにダンブルドアが立っており、その杖から、銀色をした何がが飛び出していた。おそらく、それを見たからだろう。その銀色のなにかに追われるようにして、吸魂鬼が競技場を出ていくところだった。ハリーが、あの稲妻が光ったときにみたもの。それは、競技場に入ってこようとする吸魂鬼たちだったのだ。そのときハリーは、またしても意識を飛ばしてしまっていた。

 

 

  ※

 

 

「なにか、言うことはありますか、アルテシア」

「いえ、なにもありません。約束を破ったことに間違いありません、すみませんでした」

 

 その次の日、アルテシアはマクゴナガルの執務室を訪れていた。呼び出されたわけではないが、約束を破ったことは事実。そのお詫びのためだ。

 

「あのときは、わたしも試合をみていましたからね。状況はすべて承知していますが、まさかあなたが約束をやぶるとは」

 

 言いながら、じっとアルテシアを見る。マクゴナガルは自身の机に向かって座っている。その机を挟んで、しょんぼりと立っているアルテシアのほうが、目線的には上だろう。だがアルテシアは、巨大化したマクゴナガルに見下ろされているような、そんな気持ちであったに違いない。

 

「ほかに、方法がありませんでした。ああするしか」

「そんなことより、体調はどうなのです。あの魔法は、かなりの負担となったのでは」

「それは大丈夫です、たいしたことはありません。パーバティが一緒でしたし、一晩、ぐっすり寝ましたので」

「なるほど。あのあとすぐにわたしのところに来なかったのは、そういうわけでしたか」

 

 ハリー・ポッターがほうきから落ちたとき、アルテシアは魔法を使った。その魔法は、マクゴナガルから使用しないようにと言われていたもの。結果、体調をくずしてしまい、一晩身体を休めねばならなかった。そういうことになる。

 

「そうしなければ、ハリー・ポッターは大けがをしていた。それは認めますが、約束は約束です。わかっていますね?」

「はい」

「よろしい。魔法使用に関しては、これまでどおりの制限とします。ただし、例外を設けましょう。今回のように、大けがなど身の危険が予想されるときには使用してよろしい。もちろん自分の身が一番大事であるという前提を忘れてほしくはありませんが、最低限度の使用にとどめること。わかりましたか」

 

 それはつまり、おとがめなしと同じことだ。いやむしろ、制限緩和と言ってもいい。アルテシアはそう思った。だがそれならば、もう少し穏やかな顔つきをしていてもいいはずだ。マクゴナガルは、あいかわらず厳しい顔をしている。それはなぜ。

 

「あの、先生。どうにかされましたか?」

「いいえ、べつに。ただあなたに、この決定を伝えねばならないことを、負担に感じている。それだけです」

「罰則、ですか?」

「あなたが望んでいたホグズミード行きの許可は、当面、延期となるでしょう。わたしは、このことをダンブルドアに任せることにしました。あなたがいつホグズミードに行けるのかは、校長先生がお決めになる。そういうことです」

 

 アルテシアにとって、それは重い罰だといえた。それを告げられた瞬間の表情が、そのなによりの証拠となるだろう。おなじようなものがマクゴナガルのなかにもあるようだが、どちらも、それを表にさらけ出すようなことはしなかった。

 

「アルテシア、言いたいことがあれば言いなさい。聞きますよ」

「いいえ、先生。それは、わたしのためを思ってのこと。そのために先生が、あえてそうなさるのだとわかっています。ありがとうございます」

「そこでお礼を言うのは、間違っていますよ。わからずやのばばあ、ぐらいのことは言ってもいいんだと思いますがね」

 

 そして、笑ってみせる。もちろんマクゴナガルは、数日前にアルテシアがダンブルドアに校長室へと呼び出されたことを知っている。そのときダンブルドアが何を話しアルテシアが何を言ったかも、ダンブルドアを通じてだが、そのあらましを聞かされているのだ。だからいま、ホグズミード行きの判断をダンブルドアにゆだねるなどと言えば、アルテシアがなにを思うかくらいわかっている。

 それがわかっていてもなお、マクゴナガルはそうしたのである。

 アルテシアは、おそらくそうした理由を察しただろう。だからからこそお礼を言ったのだし、マクゴナガルも、そのことに気づいた。『ばばあ』発言は、そのため。きっとそういうことなのだろう。

 

「今回のことで、校長先生からなにか言われたのですね」

「そんなことを、あなたが気にする必要はありません。これは、学校側のことですからね」

「ですけど」

 

 なおも、なにか言おうとするアルテシアを、マクゴナガルは右手を挙げて制止する。

 

「そのことは、もうよろしい。どちらにしても、すぐにホグズミードには行けないのです。次回はクリスマスの頃となるでしょう。それまでに、ダンブルドアを説得する材料をみつけたいものです」

 

 だがそれは、同時にマクゴナガルをも納得させるものでなければならない。アルテシアは、そう自分に言い聞かせる。ダンブルドアだけではダメだ。マクゴナガルをも納得させなければ、ホグズミードに行くことはできない。

 ホグズミードに、自分のことを知っている人がいる。はたして、その人は誰なのか。気にはなるが、マクゴナガルに心配をかけてまで行くようなことではないのだと、もう一度、自分に言い聞かせる。

 とにかく、シリウス・ブラックのことを解決すればいいのだ。そうすればマクゴナガルを、そしてダンブルドアを納得させられる。そのときにはもう、誰もホグズミードに行くことを禁じたり、止めたりはしないはず。きっとそれが、一番の近道となるのだ。

 そんなアルテシアの思いを知ってか知らずか。

 ダンブルドアが、ホグズミード村のなかを歩いていた。彼のよく行く『三本の箒』の前を通り過ぎ、マダム・パディフットの店がある通りへと足を踏み入れていく。その店の向かい側に、めざす青い屋根の家があるからだ。

 ダンブルドアは、パチル姉妹の妹から聞き出した情報をもとに、その家をめざしていた。アルテシアはもちろんのこと、マクゴナガルやパチル姉妹にも、誰にもなにも告げずに、例の女性のもとをめざしているのだ。

 むろんダンブルドアにも、そうすることの理由はあるのだろう。仮に問い詰めてみたならば、即座に何通りものそれらしき理由をあげてみせるだろう。だがいま、彼がそうしていることには、誰も気づいてはいない。その理由を尋ねる人は、誰もいないのだ。

 



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第48話 「守護霊の呪文」

 ハリー・ポッターは、医務室にいた。クィディッチの試合で気を失い、気づいたときにはここにいたのだ。しかもマダム・ポンフリーから週明けの月曜日までおとなしく寝ているようにと言われ、せっかくの週末をベッドの上で過ごすことになってしまったのだ。

 見舞いに来てくれた友人たちから聞かされたところでは、ハリーは試合中、20メートル以上もの高さから落下したらしい。なのでマダム・ポンフリーの言うのももっともなのだが、普段のハリーであれば、そんなことを黙って受け入れたりはしないだろう。なにしろハリーは、どこにもケガなどしていなかったのだ。

 ハリーが気絶している間にマダム・ポンフリーが直してしまった、ということではない。医務室に来るまえから、ハリーは無傷だった。20メートル以上もの高さから落下したというのに、なぜケガをしていないのか。不思議ではあったが、事実、ケガをしていないだから文句をつけても始まらない。これは、喜ぶべきことなのだ。

 スニッチを見つけて追いかけ始めた、あのとき。稲光に照らされて、見えたもの。それをハリーは、覚えていた。ほうきから落ちたのは、そのとき気を失ったからだろう。おかげで試合は負けてしまったらしい。

 ハリーがマダム・ポンフリーの言うことを受け入れ、寝ていることにしたのは、そのことも含めゆっくりと考えてみたくなったからだ。だが、昨日はそんなことをするヒマはなかった。ハリーが目覚めたことが知れると、見舞い客が、次々とやってきたのだ。誰もがハリーを励まそうとしてくれた。だがそれは、かえってハリーの気持ちを沈ませていくことになった。そのことに気づいたのは、親友のロンとハーマイオニーぐらいではなかったか。

 その見舞客も、翌日の日曜日になるとぐっと少なくなった。おかげでハリーには、物思いにふける時間ができた。

 そのときハリーは、吸魂鬼を見た。見舞いにきた友だちの誰もが、吸魂鬼は恐ろしいと口を揃えて言う。だがそれが、ハリーの気持ちを少なからず傷つけることになろうとは思っていないだろう。友人たちの誰もが、吸魂鬼のために意識をなくしたりはしていない。なぜ、自分だけが。しかもハリーの場合、声まで聞こえるのだ。あの声、あの叫び声。その内容。そうだ、あれは。

 ひとり静かにそのときのことを考えていたハリーは、ついに気づいた。あれは、女の人の声。母親の声だ。ヴォルデモート卿に襲われたとき、なんとかハリーを護ろうとした母の声だ。それに、あの笑い声は……。

 

「誰だ」

 

 ふいに、人の気配。それに気づいたハリーが顔をむけると、そこには女生徒が1人。

 

「キミは、たしか」

「ソフィア・ルミアーナです。ご気分はいかがですか、ハリー・ポッター」

 

 それは、ソフィアだった。ソフィアが見舞いに来るなど、ハリーには意外であったろう。

 

「思ったより元気そうですね。なんだか、ほっとしました」

「まさか、キミが来てくれるとはね。アルテシアはどうしてるんだい」

「一緒に来たほうがよかったですか?」

 

 他には、見舞客は誰もいない。そこにはソフィアとハリーの2人だけだ。

 

「いや、それはいいんだけど、ずっとキミに聞きたいことがあったんだ。いま聞いてもいいかい?」

「それがなにかは知りませんけど、答えませんよ。それでもよければどうぞ」

「答えないのは、ボクがハリー・ポッターだからかい。キミは、ぼくと最初にあったころにそんなことを言ってた」

「覚えてませんね、そんなこと。それより、お伝えしたいことがあります。そのために来たんです」

 

 つまり、純粋にお見舞いということではなかったということか。なんとなくだが、ハリーはがっかりしたような気持ちになった。

 

「試合の結果やその後のことは、お友だちからお聞きだと思います。ですが、あのとき競技場に入ってきた吸魂鬼のことはどうですか。あのあと、吸魂鬼がどうなったか、ご存じですか」

「ああ、知ってるよ。ダンブルドアがすごく怒ったらしいね。すぐに競技場から追い出したって聞いてるけど」

「そうですが、重要なのは、どうやって追い出したか、という点です。わたしは、どうせお仲間から話を聞くはずですよって、そう言ったんですけどね」

「どういうことだい?」

 

 ハリーのベッドの横には、丸椅子が3つほど置いてあったが、ソフィアはそれに座ろうとはしなかった。ハリーも、そのことに気づいていないのか、椅子をすすめたりはしなかった。

 

「でも、話として聞くだけよりも、実際に見たほうが何倍もいいはずだって。それもそうですよね、なんでしたっけ、そんなことわざがありましたよね」

「ああ、うん。あるだろうね。けど、どういうことなんだい?」

「あのとき、校長先生は魔法を使って、吸魂鬼を追い払ったんです。その話は、お聞きではない?」

「吸魂鬼のことは、そんなに詳しくは聞いてないんだ。きっとみんな、ぼくに気を遣ってくれたんだと思うよ。ぼくは、吸魂鬼を見ただけで気を失ってしまうからね」

 

 自嘲気味のその言葉を、ソフィアはあっさりと聞き流した。そして、話を進める。

 

「そういうことなら、わたしが来ただけのことはあったということですね。あのとき校長は、こんな魔法を使ったんです」

 

 1歩分だけ後ろに下がったソフィアが、杖を取り出して横をむき、壁に対して構える。ハリーは、ちょうど真横からそれを見ることになる。

 

「エクスペクト・パトローナム(Expecto patronum:守護霊よ来たれ)」

 

 呪文とともに、ソフィアの杖からなにか霧状のものが飛び出した。わずかに灰色がかったようなそれは、渦を巻くようにして1つにまとまろうとしたようだが、失敗したらしい。あっという間に拡散し、なくなってしまう。

 

「あぁ、失敗した。ほんとはあれが、鳥になるはずだったんです」

「鳥に? キミ、いま何をしたんだい」

「わたしじゃなく、ダンブルドア校長が、この魔法を使ったんです。あれが鳥になったと思ってください。その鳥が吸魂鬼にむかっていき、吸魂鬼は、その鳥を見て逃げ出した。つまり、そういうことですね」

「そういうことって、じゃあその魔法が使えれば」

 

 ハリーが、何を期待したのか。だがそのことを言う前に、ソフィアがもう一度、その魔法をやってみせた。だが、2度めも失敗する。

 

「やっぱり、わたしじゃダメですね。でも、あのときなにがあったかは、わかりましたよね?」

「あ、ああ。よくわかったよ」

「では、わたしの役目は終わりということで。お休み中のところ、失礼しました」

 

 そして帰ろうとしたが、ハリーはすぐに呼び止めた。

 

「待って、いまの魔法のことだけど」

「説明が必要ですか?」

「なにか知ってることがあるんなら、教えてくれないか。キミはどうやってそれを」

「わたしのは、単にマネをしただけです。ホンモノじゃありません」

「え?」

「あれは『守護霊の呪文』というそうです。あとは自分で調べてください。図書館に行くなどすればわかるでしょう」

 

 そして、またもや帰ろうとするが、今度もハリーはソフィアを呼び止めた。

 

「待ってくれ。マネってどういうことだい。ホンモノじゃないって」

「言葉どおりの意味ですよ。あなたに見せるためにそれらしく装っただけで、本当に『守護霊の呪文』を使ったわけじゃありません。そもそも、わたしには使えません。そうするようにと言われたから、そうしただけのことです。もういいですか?」

「待って。それって、アルテシアだろ。アルテシアにそう言われたのか。アルテシアに、ここに来るように言われたんだな。アルテシアはいま、なにしてるんだ。なぜ、ここに来ない?」

 

 それまでは、まがりなりにも微笑んでいたその顔が、急に真顔となった。その目が、ハーマイオニーの機嫌が悪いときそっくりになったとハリーは思った。

 

「なぜ、ここに来ないのかって。そんなこと、よく言えますね。少し考えればおわかりになるはずです。いま、マクゴナガル先生のところです」

「ええと、キミ。ソフィアだったよね。どうしたんだい? なにを怒ってるんだ」

「聞かれたので言いますが、あなたが、いいえ、あなたたちが嫌っているからです。アルテシアさまのこと、嫌ってますよね。そんなことしないほうがいいです。嫌われてしまうまえに、やめるべきだと思います」

「あ、待てよ。それって、どういうことだ」

「お話できることは、すべて話しました。つまり、そういうことです。あなたがやるべきなのは、わたしを呼び止めることじゃありません。すぐにも仲直りすることだと思いますよ」

 

 今度こそ、ソフィアは部屋を出て行った。そしてハリー・ポッターには、新たな課題が残される。仲直りの必要性は、もちろん感じていた。だがハリーには、決してアルテシアを嫌っているつもりなどなかった。だがそう思われているのだとするなら、このままでいいはずがない。

 ちなみに『守護霊の呪文』とは、守護霊を創り出す魔法のことである。守護霊は銀色か白の半透明で、吸魂鬼を追い払うことができる。その魔法を使った人によって形状は変化するが、通常は動物の姿となるようだ。初心者には難しい魔法であり、習得にはかなりの熟練を要する。

 

 

  ※

 

 

「失礼じゃが、この家の人かね?」

「ええ、そうですけど。あなたは? なにかご用ですか」

 

 ホグズミード村のはずれ、青い屋根の家のまえにダンブルドアが立っていた。ちょうど、ドアを開けて出てきた女性に声をかけたところである。

 青い屋根の家は、ここに来るまでにも数軒みかけたが、マダム・パディフットの店の近くであるという条件からすれば、ダンブルドアのめざす家はこの家、ということになる。

 

「人を訪ねてきたのじゃよ。この家に、50歳くらいの女性がいると思うのじゃが」

「おや、そうですか。ですが、あいにく。この家はあたしと主人との2人暮らし。さすがにあたしは、50歳にはみえないでしょ。なにかの間違いだと思いますけどね」

「ふむ。それはおかしいのう。この家じゃと聞いてきたのじゃが。会いたくなったらここへ来い、と」

 

 その女性は、せいぜい30歳くらいだろう。とても50歳にはみえない。ダンブルドアが家の中をのぞき込もうとするのをいぶかしげにみていたが、ふいにポンと両手を打った。

 

「おじいさん、ひょっとしてホグワーツの人ですか」

「いかにも。アルバス・ダンブルドアというものじゃよ。で、ホグワーツの者だとなれば、なんじゃというのかね」

「いえね、まさかおじいさんが来るなんて思ってませんでしたよ。だって、若いお嬢さんだって聞いてましたからね」

「ほう。それはつまり、どういうことかね」

 

 ようやくダンブルドアは家の中をのぞき込むのをやめ、その女性をまっすぐに見る。女性の方は、少し目線をそらしていた。まっすぐに目を見ながら話すのにはなれていないのかもしれない。

 

「預かったものがあるんですよ。取りに来たら渡してくれるようにって。そのときには、10代の若い女の子だって聞いてましたからね。それがなんで、おじいさんになるんですか?」

「さあて、それはわしにはわからんのう」

 

 つまりアルテシアが来ることを想定していた、ということだろう。だがアルテシアには、ホグズミード行きの許可は出ていない。いまのところ、アルテシアにその許可を与えることができるのはダンブルドアだけだ。

 

「とにかく、その預かったものとやらを見せてはくれんかね。話はそれからじゃ」

「いいですけど、とても大事なものだって聞いてますからね。間違った人に渡すわけにはいきませんよ。おじいさんじゃないような気がする」

「いやいや、なにも問題はないと思いますぞ。なにしろわしは、ホグワーツの校長じゃ。ホグワーツから取りに来るということだったのであれば、わしが受け取ってもいいのではないかね」

「理屈じゃそうかもしれませんけど、あたしは、女の子だって聞いてるんですよ。おじいさんじゃなくってね」

 

 ダンブルドアの名を聞き、校長であることを聞いても、その女性に特に変化はない。つまりは、ダンブルドアのことを知らないということだろう。ホグズミードにも、ダンブルドアのことを知らない住民はいるらしい。

 

「しかし、渡す相手をどうやって確かめるつもりかね。結局のところ、疑ってばかりで誰にも渡せない、なんてことになるのではないかね」

「やだね、おじいさん。そんなことあるもんかね。きっと女の子は取りに来ますよ。その子にとって大切なもの、かならず必要になるものなんですから」

「わしが言うのは、たとえその女の子が来たにせよ、それが本人だとはわからんのではないか、ということじゃよ。確認する方法はあるのかね」

 

 さすがに、その女性も考え込んだようだ。何も言わずに、家に入る。ついて来いと言われたわけではないが、ダンブルドアもそれに続く。どうやらその女性は、預かったというものを取りに戻ったようだ。その途中で、ダンブルドアに気づき振り向く。

 

「なんで、ついて来てるんです? おもてで待っててくださいな」

「べつにかまわんじゃろ。その預かったものを見せてくれる気になったのではないかね」

「まあ、いいですけど。じゃあ、そこに座って待っててくださいな。家の中をうろうろしないように」

 

 さすがのダンブルドアも、これには従わざるをえない。おとなしく、指示された場所に行く。いわゆる縁側というやつだ。そこから、狭いが庭が臨める。そこで杖を振り、ふかふかのクッションが座面に付いた椅子を出して座った。しばらくして、あの女性が戻ってくる。

 

「おや、おじいさん。その椅子、どうしたんです?」

「いやなに、気にすることはない。これは、わしのお気に入りの椅子でな。ちゃんと持って帰るゆえ、気になさらぬように」

「それも魔法ってやつですか。便利なことで」

 

 その女性は、そのまま縁側に腰かける。これでは椅子に座ったダンブルドアとは目線が違いすぎる。なのでダンブルドアも、椅子はやめて女性の隣へと腰かけた。

 

「いや、あれでは話がしづらいじゃろうと思っての」

「あたしのほうは、かえってそのほうがよかったんですけどね」

「それで、預かったものというのは?」

「これですよ」

 

 女性が手のひらに載せて見せたもの。ダンブルドアが見たもの。それは、直径にして5センチほどの丸い玉。その表面には、まるでしゃぼん玉のように赤や青などのいろいろな光がゆらめいていた。この玉に、ダンブルドアは見覚えがあった。

 

「これは。まさかこれが、そうなのかね?」

「そうですけど、なぜ、驚くんです? 驚くってことは、見覚えがあるとか、そういうことですか」

「いかにも、そうじゃ。じゃが奥さん、奥さんはこれをどうしたのかね?」

「だから、預かったって言ってるじゃないですか」

 

 その玉に、ダンブルドアが手を伸ばす。もっとよく見ようとしたのだろうが、それは女性のほうが拒んでみせた。

 

「おじいさん、言いましたよね。渡す相手をどうやって確かめるのかって」

「さよう、たしかに言いましたな。そんな方法が見つかったのかね」

「ええ。とっても簡単な方法があるんです。それに気がつきましたよ」

「ほう。それはなんじゃね。もちろん、聞かせてくれるのじゃろ」

 

 返事の代わり、なのかどうか。その女性は、手のひらに載せた玉を、改めてダンブルドアの前へ。今度は、ダンブルドアも手を出そうとはしなかった。

 

「もし、おじいさんがこれを受け取るべき人なのだとしたら。それなら、この玉をどうするのか知ってるはずですよね。さあ、おじいさん。この玉をどうします?」

「ふむ。なるほどの。じゃが奥さんも、この玉をどうするのかは知らんのではないかね。であれば、じゃ」

 

 そこでダンブルドアがすばやい動きを見せ、その玉を手に取った。

 

「こうして、ポケットにでも入れて持ち帰る。それが正しいのじゃと言うたなら、否定することなどできまい」

 

 両方の手をポケット入れて、にっこりと微笑む。もちろん玉は、ダンブルドアの手にある。

 

「ちょっと、おじいさん。なにをするんですか。冗談はやめてくださいよ」

「むろん、冗談じゃよ。じゃがこれで、渡すべき相手を確かめることにはならないと、おわかりになったと思うが」

 

 そう言いつつポケットから手を出し、その手のなかにある玉を、女性の手のひらに乗せる。だがその瞬間、その女性は明らかに不機嫌な表情に変わった。

 

「おじいさん、冗談はやめてくださいよ。そう言いましたよね?」

「ふむ、たしかにの」

「もう一度、言いましょうか。冗談はやめてください」

 

 どういうことなのか。ダンブルドアは、その顔に笑みをたたえたまま、ゆっくりと立ち上がった。だが女性のほうは、座ったままだ。その手のひらには、あの玉が乗せられたまま。

 

「いいでしょう。それならば、それで。きっと女の子は困るのでしょうけど、あたしには、どうしてやることもできませんからね。それはそうとおじいさん」

 

 ダンブルドアの表情に、変化はない。だが女性のほうは、不機嫌なようすは薄らいだようだ。

 

「たしか人を訪ねて来たはずでしたね。それは、もういいんですか?」

「おお、そうじゃの。ともあれ、シリウス・ブラックという名を聞いたことはあるかね」

「ありますよ。アズカバンを脱獄した人でしょ。ホグズミードでも、手配書とやらが配られてますけどね」

「三本の箒という店は、ご存じじゃろうな」

「ええ。あんまり行くことはないですけど」

 

 どこか、ぶっきらぼうな話し方となってしまったのは、どういうわけだろう。ダンブルドアも、そのことに対してか、苦笑いを浮かべている。

 

「ふだんは、ホッグズ・ヘッドのほうに行くのかね?」

「そちらも、あんまり。そんなに出歩くほうじゃないんですよ、わたしは」

「あとひとつ。これで最後にするゆえ、答えておくれ。そもそもの話じゃが、誰から預かったのかね。わしは50歳くらいの女性を訪ねてここへ来たのじゃが、その女性が、奥さんに預けたのではないのかね」

「さあ、どうなんでしょう。そんなのはっきりしませんね。その玉は、あたしが小さいころにはありましたから」

 

 結局、ダンブルドアの目当てであった女性とは、会えなかったということになるのか。最後の質問にすると言ったからか、ダンブルドアはそこで帰ることにした。家を出ていくダンブルドアへ、その女性が声をかける。

 

「わたしも、最後に一言。きっとおじいさん、嫌われますよ」

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツで、一番楽しく有意義な授業はなにか。人それぞれには違いないが、ハリー・ポッターにとってのそれは『闇の魔術に対する防衛術』だった。もちろん担当教師がルーピン先生であること、という前提があっての話だ。その分、ルーピンを信頼しているということにもなる。となれば、相談する相手はルーピンでなければならない。

 いろいろと考えたうえでのことだが、ハリーはルーピンに相談することにした。吸魂鬼のことをなんとかしたいのだ。なんとかしないと、いつまでもドラコ・マルフォイに吸魂鬼に失神させられたことでからかわれることになる。いや、それくらいならまだいい。次のクィディッチの試合で、またしても気絶してしまったら、グリフィンドールチームに迷惑をかけてしまう。そのほうが、ドラコに笑われることより、よっぽどつらい。

 ルーピンの部屋をノックする。中から声がしたので、ドアを開ける。

 

「あ、アルテシア」

「やあ、ハリー。いま彼女と、ちょっとその、相談があってね。キミは、どうしたんだい?」

 

 そこには、アルテシアもいたのだ。もちろんハリーは、そんなこと思いもしなかったのだろう。とまどったような顔をしている。

 

「それじゃ先生、わたしは失礼します。ハリーは、きっと相談があるんだと思いますよ」

「ああ、うん。それは、そうなんだろうけど」

 

 ハリーだけではない。なぜか、ルーピンも困惑しているようだ。おそらくはハリーの来訪が突然であり、まだアルテシアとの話が終わってはいなかったのだろう。アルテシアは、いつもの笑顔で微笑んでみせた。

 

「ご心配なく。先生が言われたことは理解しました。先生の授業は、いつも楽しいです。じゃあ、これで」

「あ、待ってよアルテシア。キミも、いてくれないか」

 

 呼び止めたのは、ルーピンではない。ハリーだ。

 

「先生、いいですよね。これは、アルテシアにも聞いてほしいことなんです」

「ああ、かまわないよ。キミがいいのならね」

「ありがとうございます。アルテシア、キミもいいよね」

「いいけど、あとでハーマイオニーに怒られるんじゃないの。大丈夫?」

「だ、大丈夫さ」

 

 これは、ハーマイオニーとは関係ない。自分自身のことなんだ。自分で乗り越えなきゃいけなんだ。ハリーは、改めて自分にそう言い聞かせる。そのために必要なことなのだ、と。

 

「アルテシア、ソフィアが見せてくれたんだけど、あれはキミの指示なんだよね。ぼくは、あの魔法を覚えようと思うんだ」

「うん」

「それを、ルーピン先生に教えてもらおうと思ってる。そのお願いにきたんだ。キミは、あの魔法がボクに必要だと思ったんだろ。だから、見せてくれたんだ。そうだよね」

「そうだけど、あれは、わたしにはできないわ。あれは、ホンモノじゃなくてマネしただけ」

「だったら、キミも一緒に覚えればいい。ルーピン先生が教えてくれるよ」

「おいおい、キミたち。なんの話をしてるんだい」

 

 黙って2人の話を聞いていたルーピンだったが、話が自分へとむいてくると、黙っていられなくなったようだ。ハリーが、改めてアルテシアを見た後で、ルーピンに顔をむける。

 

「エクスペクト・パトローナム、守護霊の呪文です。ぼくは、それを覚えたい。アルテシアが見せてくれたんです」

「アルテシアが」

 

 ルーピンの視線がアルテシアへと動くが、アルテシアは首を横へと振っていた。

 

「わたしじゃありません。だってわたし、魔法を禁止されていますから」

「え! 禁止ってどういうことだい? 魔法を禁止って、まさか、スネイプが」

「いいえ、ハリー。スネイプ先生じゃないわ」

 

 では、誰か。アルテシアはその名前を言わなかった。言わない理由を、ルーピンはすぐに察した。そのことをごまかすかのように、話を変える。

 

「ハリー、キミは吸魂鬼のために2度も意識を失った。そのことを気にしているんだろうけど、それは、ほかの誰よりも強くその影響を受けたからだよ。君の過去に、誰も経験したことのない恐怖があるからだ」

「先生、そのとき声が聞こえたんです。ヴォルデモートが、ぼくの母さんを殺したときの声が。これも、そのためですか」

 

 ヴォルデモートの名前をだすと、ほとんどの魔法使いが顔を引きつらせる。ルーピンもまた、その顔をゆがめてみせたが、とくに怖がったりはしていないようだ。

 

「そうだよ、ハリー。いいかい、キミのような目にあえば、どんな人間だって箒から落ちても不思議はないんだ。マルフォイ家の息子がどれだけからかおうと、キミが気にするようなことではないんだ」

「だけど、吸魂鬼をなんとかしないと。やつらがまたクィディッチの試合に現われたら、ぼくはまた、チームに迷惑をかけてしまうことになるんだ」

「そんなことを、気にしていたのかい」

「シリウス・ブラックは、吸魂鬼から逃れてアズカバンを脱獄したんですよね。だったらきっと、吸魂鬼をなんとかする方法はあるんだ。だよな、アルテシア」

 

 そのハリーの言葉は、少しの間、誰も何も言わない無言の時間を作り出した。そしてそれを終わらせたのは、アルテシア。

 

「たしかに、吸魂鬼をなんとかする方法はあるわ。きっとルーピン先生が、教えてくださると思う」

「ぼくは、キミも一緒にって思ってるんだけど」

「それはムリだよ、ハリー。わたしにはできない。それに、このごろ思うんだ。わたしには、何か足りないものがあるんじゃないかって」

「え?」「どういうことだい?」

 

 ハリーとルーピン。どちらも、なにか疑問を持ったらしい。アルテシアは、寂しげに笑った。

 

「魔法を禁止されてるって言ったよね。それはわたしが、大きな魔法を使うたびに体調を悪くして寝込んじゃうからなんだ。そうなる理由も、わかってはいるんだけど」

「けど、そんなの今まで知らなかった」

「うん。でもソフィアは、そんなことないんだよね。もちろん影響はあるみたいだけど、寝込んだりするほどじゃない。わたしみたいにひどくはない。それが疑問だった。わたしが大きな魔法を使いすぎたのはたしかだけど、それでもヘンだなって思ってた。きっとなにか、ほかにも理由があるんだよ」

「待ちなさい、アルテシア。つまり魔法の禁止は、キミの体調のためってことなのか。キミは、魔法を使うたび、身体を悪くしたのかい」

「はい。何度か、マダム・ポンフリーのお世話になっています。たぶん、ハリーよりも多いと思います」

 

 そんなことがあるのだろうか。魔法の使いすぎで体調不良になるなど、ルーピンの常識では考えられない。だがもちろん、ダンブルドアやマクゴナガルはこのことを知っているのだ。だから、魔法を禁止した。これで話の筋は通るのだが、納得できるかというと、そうではない。

 

「アルテシア、どんな魔法を使うと、どうなるのか、それを聞いてもいいかい。まさか、禁じられては、いないよね」

 

 ルーピンの質問に、アルテシアは答えなかった。ただにっこりと笑い、深く静かにお辞儀をしただけ。そして。

 

「これで、失礼します。ルーピン先生、どうかハリーに守護霊の呪文を教えてあげてください。わたしも、14歳になったら教わりにきます。そのときを楽しみにしています。じゃあね、ハリー」

 

 そしてアルテシアが、部屋を出て行く。ルーピンとハリーは、そのあとで、互いに顔を見合わせた。

 



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第49話 「三本の箒にて」

 12月も終わりに近づき、校内にはクリスマス・ムードが広がっていた。そのうえホグズミード行きの日程が発表され、浮かれ気分に拍車をかける。だがダンブルドアは、まだアルテシアのホグズミード行きを許可していない。なので、今回も居残りということになる。

 だが、アルテシアは学校に残らねばならないとしても、パチル姉妹はそうではない。ならば、できることはある。いつも放課後に集まる空き教室でのアルテシアたちの話題は、もっぱらそのことに集中した。

 

「とにかく、あたしたちがもう一度、あの人に会ってくるよ。このまえ、家は確かめてあるし、訪ねていけば会えると思うんだ」

「それに、あの女の人も気にしてると思うんだよね。今度こそ、アルテシアが来るんじゃないかって探してくれるかもしれないよ」

「うん。そうだといいんだけど」

「なによ、うかない顔して。なにか、心配事?」

 

 4人のなかで、ホグズミードに行けるのはパチル姉妹だけ。なので、パチル姉妹がもう一度ホグズミードの女性と会うということで話はまとまった。とにかく、アルテシアの状況を説明しようということだ。だが、アルテシアは、どこか浮かない顔をしていた。

 

「それはもちろん、校長先生のことでしょ。あたしもそうだもん。アルテシアのためなんだからって話をさせられたけど、言わないほうがよかったのかもしれない。なんか、いやな予感がするんだよね」

「それは、あたしも同じ。考えてみれば、ダンブルドア校長はいつでもホグズミードに行けるわけでしょ。あたしたちと違って」

「つまり校長先生は、もう青い屋根の家に行ってるってことですよね。そう考えた方がいいんじゃないでしょうか」

 

 順に、パドマ、パーバティ、ソフィアの意見だが、アルテシアが気にしているのは、まさにそのことだった。ソフィアの言ったことの可能性は高いと思っている。だが、パチル姉妹がホグズミードでのことを話してしまったのは、仕方のないことだ。校長先生に言われれば、従わざるを得ない。誰だって、そうするだろう。それに、ホグズミードに行けないのは自分のせいなのだ。

 アルテシアは、そう思っている。競技場で、落下するハリー・ポッターに対して魔法を使ったことに後悔はない。マクゴナガルとの約束を破ったことの反省はあるが、マクゴナガルはそのことを許してくれた。だが同時に、マクゴナガルはダンブルドアに許しを得る必要があると考えたのだ。そうさせたのは自分なのだから、そのことは受け入れなければならない。約束を破るということは、それほどに重いことなのだ。

 

「わたし、思ったんですけど」

「え?」

 

 つかのま考え事をしていたアルテシアだが、そのソフィアの声は聞こえたらしい。

 

「もうすぐ、クリスマス休暇ですよね。学校は休みになります。姉さんたちはどうするんですか?」

「どうするって、実家に戻るつもりだけど。それがなに?」

「その帰り道、ホグズミードに寄るのって、それって、なんの問題もないんじゃないでしょうか。帰り道じゃなくても、家に戻ってからホグズミード村に遊びに行くのって、誰からも禁止されるようなことじゃないと思うんですけど」

 

 パチル姉妹にむけて話してはいるが、それがアルテシアにむけたものだというのは明らかだろう。もしソフィアの言うとおりであるのなら、許可証など必要ない。そこに誰かのサインがあるかないかなど、関係ないということになる。

 

「ホグワーツ特急に乗らなくても、家には帰れますよ。アルテシアさま、わたしも一緒に行きますから、ホグズミードに行きませんか」

「なるほど。なるほど、そうだよね。えらいよ、ソフィア。よくそこに気がついた」

「たしかに、それって可能なはずよね。うん、アルテシア、そうしてみたら」

「うん。たしかにそれ、いい考えだと思う。でも、いちおうマクゴナガル先生には相談してみる。そのほうがいいと思う」

 

 アイデアを出したソフィアはもちろんだが、パチル姉妹も、アルテシアの言うことには納得できないようす。とくにソフィアなどはあきらかな不満顔だ。

 

「どうしてですか。言う必要なんかないですって。アルテシアさまは、気にならないんですか? とにかくホグズミードに行って、誰なのか確かめないと」

「でも、こうなったのはわたしが約束を破ったからだよ。ソフィアの言うことはわかるんだけど、もうこれ以上、勝手なことはできない。大丈夫だよ、マクゴナガル先生は許してくださると思う」

「約束っていうけど、あの場合は仕方がないって。もしアルテシアが約束守ってたら、ハリーは大けがしてたのよ」

「そうだよ、アル。約束守るのは基本だけど、なにごとも臨機応変。場合によっては、守らない、ううん、守っていられないってことはあるよ」

 

 それはそのとおりだ。もちろん、アルテシアもうなずいて見せた。つまり、だれもがそのことには納得しているということになる。だがアルテシアには、マクゴナガルに無断でそうするつもりはない。となれば、ソフィアたちもそれを受け入れるしかない。あとは、マクゴナガルがそれを認めるのかどうか。

 そのマクゴナガルは、このとき校長室を訪れていた。

 

 

  ※

 

 

「もう、明日なのですが、ダンブルドア」

「ん? 突然に来て、なんの話じゃね?」

 

 ダンブルドアは素知らぬ顔をしているが、マクゴナガルの意図は十分に承知しているはずだ。このところマクゴナガルは、何度もこのことで交渉に来ているのだから。

 

「アルテシアのホグズミード行きのことです。なんとか、行かせてやれませんでしょうか。そのお願いにきたのです」

「ああ、そうじゃの。もう、明日のことになるのかね。じゃがまだ、許可はできん」

「そんな、なぜです。そこまで拒絶されねばならないほどのことを、アルテシアはしていないはずです」

「むろん、そうじゃ。じゃが少し、事情が変わっての。いまは許可してやれん」

 

 なぜ、許可できないのか。マクゴナガルが聞きたいのは、その理由だ。ちゃんとした理由が聞きたいのだ。事情が変わった、というだけでは納得するなどできるはずがない。

 

「よければ、ダンブルドア。その変わったという事情を聞かせてもらえませんか。事情が変わらなければ許可していた、そういうふうに聞こえるのですが、そういうことですか?」

「ふむ、そうじゃの。許可してもよかったじゃろう。シリウス・ブラックにしても、ホグズミード村に現れるようなことはせぬじゃろう。そうすれば、騒ぎとなるのは明らかじゃからの」

「では、なぜです。その事情とやらをお聞かせください。少なくとも、それを聞く権利はあるはずです」

 

 いつになく強気に見える。だがそれも、ホグズミード行きの日が明日に迫っているからなのだろう。ダンブルドアは、深くため息をついた。

 

「よかろう。話して聞かせるが、他言無用じゃよ。さすがに、人には話せぬことじゃでな」

「いいでしょう。お約束しましょう」

 

 ようやくダンブルドアが話す気になったところで、マクゴナガルは、紅茶の用意にとりかかる。腰を落ち着けてじっくりと話をしようという、その意思表示というわけだ。それを見たダンブルドアも、テーブルのまえに置かれたいすに腰をおろす。そして。

 

「ともあれ、これをみてもらおうかの」

 

 紅茶の用意ができ、それがテーブルに置かれたところで、ダンブルドアがそんなことを言い出した。そして、いすに座ったマクゴナガルに、差し出したもの。

 

「これは、どうしてこれが。魔法省に渡したはずでは」

「ああ、いや。これは、それとは違う。わしがホグズミードに行き、もらってきたものじゃよ」

「もらってきた? これを? 誰にです?」

「ふむ。まあ、そう聞かれるとは思うたが、答えに困るのう」

 

 それは、直径にして5センチほどの丸い玉だった。どういう仕組みになっているのか、その表面を赤や青などの光がゆれ動く。まるでしゃぼん玉のようにもみえるその玉を、マクゴナガルは以前にも見たことがあった。ホグワーツ特急で吸魂鬼と遭遇したアルテシアが、吸魂鬼を封じ込めたあの玉である。あれは、マクゴナガルの目の前で、ダンブルドアが魔法省のコーネリウス・ファッジ大臣に渡している。いま、ここにあるはずがない。

 

「それでも答えていただきますよ、ダンブルドア」

「わかっておる。わしは、アルテシア嬢を探していたというホグズミードの女性に会いに行ったのじゃよ」

「なんですって。じゃあ、その女性がアルテシアを探していたのは、この玉を渡すため? ああ、でもなぜそれを」

 

 さすがにダンブルドアは、言いよどんでいるようだが、マクゴナガルがそれですますはずがない。その続きを話すようにと迫る。

 

「ダンブルドア、これをどうしたのです? その女性から託されたのですね。であれば、これはアルテシアのものであるはず。アルテシアに渡してもよろしいですね」

「いや、待っておくれ。それは、もう少し待ってもらいたい。まず先に、これが何であるかを調べねばなるまい。それにの、この玉を持っていた女性は、アルテシア嬢を探していた女性とは別人らしいのじゃ」

「え? そうなのですか」

 

 マクゴナガルは、てっきり同じ人物だと思っていたようだ。表情からもそれが明らかにみえるが、それも仕方がないのこと。ダンブルドアにしても、かつてブラック家に嫁入りしていた女性の消息ともあいまって、同じ人であると思い込んでいたのだ。

 

「では、パチル姉妹が会ったという、アルテシアを探していた女性はどうなったのです?」

「それは、わからん。じゃが、双子の言うておった家にいた女性が、その玉を持っていた。それは事実じゃよ」

「待ってください、わからなくなってきました。つまり、アルテシアを探していた女性がいるはずの家にいたのは、別の女性。だけど、この玉を持っていた」

「そうじゃよ。わしも困惑したが、ともあれ家にいた女性と話をした。預かり物があり、しかもそれを、ホグワーツから女の子が取りに来ることになっているというのじゃよ」

 

 その玉を、なぜダンブルドアが持っているのだろう。もらってきたと言っていたが、本当だろうか。

 

「これがアルテシア嬢に渡されるべきものだということで間違いなかろうと思うが、この玉を預けたのは、誰か。まあ、ブラック家に嫁入りしていたクリミアーナの女性だと考えるのが自然じゃがの」

「たしかに。ですが、違うとお考えなのですね」

「いや、そうではない。ただ、疑問が残るだけじゃよ」

「疑問、とは?」

「クリミアーナ家の人であれば、実家に戻ればすむことじゃろ。なのになぜ、こんな手順を踏むのか。それが納得いかんのじゃよ。ともあれ、これが何であるのか、わしらはそれを知らねばならん」

 

 そう思っているのは、おそらくダンブルドアだけなのだろう。マクゴナガルのほうは、その表情を見る限り、別の考えを持っているようだ。

 

「そんなことは、これをアルテシアに渡せばすぐにわかります。そうしますが、よろしいですね」

「まっておくれ。いまはまだ、それはできん。とにかく、調べる時間をくれ。せっかくいま、この手にあるのじゃから、じっくりと調べてみたい。あの女性に返すにしても、簡単ではないしの」

「どういうことです?」

「いやなに、初めは軽い好奇心だったのじゃよ。これがなにか、手にとってよく見てみたかった。ちょっとだけでも調べてみたくての」

「まさか、無断で持ってきたのですか、その女性のところから」

 

 ダンブルドアともあろうものが、ホグワーツの校長ともあろうものが、まさかそんなことを。だがダンブルドアは、マクゴナガルの視線に対し、ゆっくりと首を横に振った。

 

「無断ではない。あの女性はおそらく承知しておるよ。それゆえ、返しに行くのもはばかられての。いずれは、アルテシア嬢に渡すしかないじゃろうと思う」

「つまり、どういうことなのです?」

「複製したのじゃよ。複製を女性に渡しておいて、調べる時間を得ようとしたのじゃが、失敗した。あの女性に気づかれてしまっての」

「なのに、なぜこれがここにあるのです? 本物ですよね、これは」

「本物じゃよ、もちろん。あなたがここへ来なければ、いまごろはこれを調べておるところじゃ」

 

 おおよその事情を、マクゴナガルは理解した。いまや、返そうにも返せない。それはわかるが、この状況は決してよいことではない。

 

「それで、どうするつもりなのです?」

「ああ、もちろん返すとも。持ち主がいるのじゃからな。よく調べてみてからということにはなるが」

「ともあれこのことは、アルテシアに話しておくべきでは」

「いや、それはやめておこう。知られたくはないのじゃ。そのほうがいいと思うでな」

 

 そのとき、ダンブルドアの頭の中にあったもの。それは、あの女性が別れ際に言った言葉だった。あの女性は『嫌われますよ』と言ったのだ。

 

「なので、アルテシア嬢には、もう少しホグズミード行きは待ってもらうことになる。あなたから、うまく話しておいてくれるかの」

「ダンブルドア、あなたは尊敬できる人ですし、その判断もいつも正しかった。ですがいま、間違えようとしています。そのこと、おわかりですか」

「そうかもしれん。じゃがミネルバ、あのお嬢さんのことをよく知っておかねばならんのじゃ。これが何かを知ることは、この先きっと役に立つ」

「いいえ、ダンブルドア。いま必要なのはあの子の信頼を得ること、わたしはそう思いますよ」

 

 マクゴナガルは、それ以上は何も言わなかった。ただ頭を下げ、部屋を出て行こうとする。そんなマクゴナガルを、ダンブルドアは引き止めようとはしなかった。

 

 

  ※

 

 

 学期末最後の週末、ホグズミードにマクゴナガルの姿があった。この日は、ホグワーツの3年生以上の生徒たちがホグズミードに行ける日でもあるが、ダンブルドアの許可が出なかったアルテシアは、学校に残っている。マクゴナガルがホグズミードにいるのは、その代わりということかもしれない。

 その日は、ちらほらと雪が舞い散る天気。そのなかを、マクゴナガルはしずかに歩いて行く。パチル姉妹が一緒なのは、案内をさせるためだろう。

 

「どうしたのです?」

「おかしいんです、先生。あの家、屋根の色は青だったはずなんです。ねぇ、パドマ」

「うん。屋根の色、塗り替えたのかな」

 

 不自然ではあるが、目の前にあるのが現実だ。そう考えるしかないだろう。ともあれ、その家を訪ねてみようということになった。マクゴナガルが、玄関のドアをノックする。だが、応答はなかった。それぞれが、顔を見合わせる。もう一度ノックしてみるが、結果は同じだ。

 

「留守のようですね。あいにくですが、出直すしかありません」

「そうですね。あたしたち、学校に戻る前にもう一度、来てみます。先生は、どうされますか?」

「わたしももう一度来てみますが、場所もわかりましたし、あなたたちは来なくてよろしい。ホグズミードをゆっくりと楽しんでから学校へ戻りなさい」

「え? でも、先生」

 

 もちろんパーバティは不満なのだろう。だがすぐに、パドマがパーバティを押しとどた。

 

「わかりました、先生。じゃあ、ここで失礼します。アルテシアにお土産でも買って帰ります」

「そうしなさい。それと、ひとつだけ言っておきます」

「なんでしょうか」

 

 そこは、パチル姉妹の声がぴったりと揃う。そういえばマクゴナガルは、この2人のどちらがどちらだか、その区別はできているのだろうか。

 

「あなたたちにもしものことがあったなら、アルテシアが悲しむ。そのことは忘れないように。いいですね」

 

 おそらくは、もうこの家には来なくていいという念押しであったのだろう。ここでマクゴナガルは、パチル姉妹とは別行動をとることになった。姉妹を先に行かせ、自身は、改めて家を見る。

 姉妹の話では、屋根の色は青だったらしいが、いまは茶色っぽい感じの色だ。あいにくと最近塗り直したようには見えない。

 

(つまり、もともと茶色だったということでしょう)

 

 ゆっくりと歩き始める。姉妹には、あとでまた来るつもりだと言ったが、来たところでムダだろうとマクゴナガルは思っている。おそらくは、あの家にかけられた魔法は消えている。ダンブルドアがあの玉を持ち出したことにより、効力は消え去ったのに違いない。それが、屋根の色が変化したことの理由なのだろう。

 

(ほんとうに、クリミアーナの魔法は不思議ね。わたしも魔女だけど、どうやればこんなことができるのか)

 

 そんなことを考えながら、歩く。これは、ブラック家に嫁入りしていたという女性のしわざなのだろうか。なにかの理由でクリミアーナ家には戻れなくなり、大切な何かを確実に返却するためにと考え出された手段なのではないのか。だとすれば、ひとまず説明はつくのだ。

 たとえそうではなかったとしても、あの玉にはアルテシアにとって大切なものが入っている。いや、必要なもの、と考えるべきだろう。それで、間違いはないはず。いまはダンブルドアの手にあるが、必ずアルテシアに渡さねばならない。マクゴナガルは、そう思うのだった。

 ふと、掲示された張り紙が目に入る。それは『魔法省からの通達』であるらしい。

 

『日没後、ホグズミードの街路ではディメンターによるパトロールが行われます。もちろん住人の安全のためであり、この措置は、シリウス・ブラックが逮捕されるまで続きます。』

 

 シリウス・ブラックが逮捕されるまで。

 その文字を、マクゴナガルはじっと見つめる。いったい、シリウス・ブラックは何を考えているのか。アルテシアを、あるいはハリー・ポッターを、本当に狙っているのだろうか。仮にシリウス・ブラックと会わせてみたなら、どういうことになるだろうか。

 ダンブルドアは、そんな危険なことをするべきではない、と言う。マクゴナガルも、そのほうがいいと思ってきた。だがいま、マクゴナガルのなかに、別の考え方が浮かんでくる。それは、シリウス・ブラックと会わせるべきではないのか、というものだった。

 張り紙を見つめながら、なおもマクゴナガルは考える。

 あの玉をめぐるできごとが、ブラック家に嫁入りしていた女性が仕掛けたことであるのなら。もし、そうなら……

 

「マクゴナガル先生、どうされたのです? そんなに真剣になって読むようなものでもないでしょう。たかが、魔法省の通達ですぞ」

 

 フィリウス・フリットウィックが、そこに立っていた。少し身長差があるためか、小柄なフリットウィックはマクゴナガルを見上げるようにしている。

 

「ああ、いえ。シリウス・ブラックのことを考えていたのです。なぜ、あんなことになってしまったのか、と」

「それをいま、思っても仕方がないでしょう。起こったことは変えられない。あのときまで時間が戻せれば、あるいは止めることができるのかもしれませんがね」

 

 時間を戻せば、変えられる? ふと、マクゴナガルは思った。あの子なら、時間をさかのぼることができる、かもしれない。だがもちろん、現実的なことではない。

 

「ともかく、先生。外は、あまりにも寒い。どうです、なかでお茶でも」

 

 フリットウィックの示す先で、『三本の箒』の看板が風に揺れていた。もちろん、マクゴナガルは同意する。なにしろ、雪が降っているのだ。

 さすがに店の中は、あたたかい。マクゴナガルとフリットウィックは、賑わっている店のなかで唯一空いていた、出入り口近くのテーブル席にすわった。2人が注文しているところへ、魔法大臣のコーネリウス・ファッジが入ってくる。他に空いたテーブルはないので、相席ということになる。寒いですね、などのありきたりなあいさつが交わされる。

 注文品を運んできたのは、この店の主人であるマダム・ロスメルタ。

 

「どうぞ、大臣。こんな片田舎の店に来ていただきまして、光栄ですわ」

「いやいや、例のシリウス・ブラックのことで来たんだよ。学校が休みとなる間の警備のことなどでダンブルドアと相談があってね」

「まあ、そうですの。いろいろとウワサは聞いていますが、まだブラックがこのあたりにいるとお考えですか?」

「そう、思っているよ。もちろん、そうでない場合も考えておかねばならんのだがね」

 

 言いながら、額の汗をぬぐう。外は雪だというのに、汗をかいているらしい。

 

「でも大臣、わたしはシリウス・ブラックが闇の側に荷担するだなんて、思ってませんでしたよ。ホグワーツの学生だったときのことを覚えてますからね」

「まあ、そうだとも言えるが、人は変わるものだよ。ブラックは最悪のことをしでかした。多くの人を殺しただけじゃないんだよ。とにかく早いとこ、やつを捕まえねばならん」

 

 教師たちがそんな話をしている、そのすぐ横というのか、後ろというべきか。間を観葉植物に隔てられた4人がけのテーブル席には、ハーマイオニーとロンが座っていた。しかももう1人、なぜかそのテーブルの下に潜り込み、隠れている生徒がいる。

 教師と大臣たちの話し声は、ハーマイオニーたちにも聞こえてくる。話は、シリウス・ブラックの学生時代のことに及んでいた。なんと、シリウス・ブラックとハリーの父親であるジェームズ・ポッターとは同級生、しかも親友同士であったらしい。

 

「そうでした。ブラックとポッターは、仲の良い友だち。いたずらするときも、いつも一緒でしたね。しかも2人ともとても賢い子でした」

 

 マクゴナガルの声だ。フリットウィックも、それに同意する。

 

「それは、卒業しても変わらなかったんだよ、ロスメルタ。ポッターは、誰よりもブラックを信用していた。ブラックをハリーの名付親にするくらいにね。ああ、しかし。いま考えても、震えるほどに恐ろしい話だ」

「それは、ブラックの正体が『例のあの人』の一味だったからでしょう?」

 

 マダム・ロスメルタは、それ以上に怖いことなどあるものか、とでも言いたそうだった。だがファッジは、その期待に反して、首を振ってみせた。

 

「それだけじゃないんだ。もっと悪い」

「どういうことです?」

「『例のあの人』が、ポッター夫妻を狙い始めたんだよ。だが『例のあの人』から身を隠すのは容易なことではない。なのでダンブルドアが『忠誠の術』を使おうと提案したんだよ」

「さよう。恐ろしく複雑な術なのですが、効果も大きい。だが裏切り者がいれば、すべてはムダとなってしまうのです」

 

 ファッジの言葉を、フリットウィックがいつもの甲高い声で続ける。意味を察したのか、マダム・ロスメルタは驚きの表情へと変わった。

 

「まさか、ブラックが裏切った?」

「そういうことだよ、ロスメルタ。そしてブラックは、数多くの人の命を奪った。同じく友人だったピーター・ペティグリューをも巻き込んでね。わたしが現場にかけつけたとき、ブラックはその真ん中で仁王立ちとなって笑っていた。恐ろしい光景だった」

 

 少しの間、静けさがただよう。誰もが、その事件のことは少なからず聞いていたからだ。マクゴナガルもまた、なにか考え事でもしているかのように、押し黙っていた。マダム・ロスメルタが、ため息をつく。

 

「そのブラックは、脱獄して何をするつもりなんでしょう」

「いろいろ、言われてはいるがね。だが結局のところ『例のあの人』を復活させようというのだろう。とにかくブラックを捕まえて、ヤツの狙いを阻止せねばならん。吸魂鬼がこの街を捜索するのは、そのためなんだよ、ロスメルタ」

「まあ、それは分かってはいますけど、はやくなんとかしてもらいたいものですね」

「わかってるよ。われわれも、吸魂鬼も、全力で捜索中だ。その吸魂鬼で思い出したが、マクゴナガル先生」

 

 考え事をしているようにしか見えなかったが、話は聞いていたようだ。マクゴナガルは、すぐに返事をしてみせた。

 

「おたくの寮に、ほれ、なんとかいう女の子がいるでしょう。ホグワーツ特急で吸魂鬼を捕まえた、あの女の子ですよ」

「え! 大臣、いまなんと。吸魂鬼を捕まえた、ですって」

「ああ、そうなんだよロスメルタ。まったくもって信じられないことだが、そんなことがあったんだよ」

「それで、その女の子がどうしたっていうんですか」

 

 もちろんそれがアルテシアであることを、マクゴナガルは知っている。知っているが、あえて名前は出さない。

 

「いや、あの吸魂鬼を閉じ込めた妙な玉のことなんだが、あれをどうすれば壊せるのか、知っておるかね? 知ってるのなら教えてほしい。今日は、そのこともダンブルドアに聞こうと思っておるんだ。もしよければ、その女の子とも話がしたい」

「そういうことでしたら、ダンブルドアのところで話しましょう。わたしも一緒に行きますが」

「ああ、そうだな。そうしよう」

 

 ファッジが、手にしていたグラスを、テーブルに置く。マクゴナガルも、同じく席を立つ。

 

「わたしも、帰ります。学校までご一緒してもいいですかな」

「もちろんですよ、フリットウィック先生。そうだ、フリットウィック先生にも見てもらおうかな。あの玉がどういう仕組みとなっているのか、さっぱりわからんので困っておるのです」

 

 支払いをすませ、3人が店をでたところで、ロンとハーマイオニーがテープルの下へと合図を送る。テーブルの下から出てきたのは、ホグズミード行きの許可証がないため学校にいるはずのハリー・ポッターだった。

 



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第50話 「にじいろの玉」

「いまの、聞いたわよね。どっちからでもいいわ。なにか、意見を聞かせて」

 

 三本の箒の店内、その片隅のテーブル席にハリー、ロン、ハーマイオニーの3人が座っていた。3人は、ほんのすこしまえに、すぐには信じられないようなとんでもない話を聞いたばかりだった。マクゴナガルとフリットウィック、それに魔法大臣のファッジが、すぐ横のテーブルで話していた。それを聞いてしまったのだ。

 ちなみにハリーがここにいるのは、もちろん学校を抜け出してきたからである。それほどハリーにとって、ホグズミードが魅力的だったということだろう。ロンの兄であるウィーズリー家の双子によれば、秘密の抜け道は全部で7本あるらしい。そのうち、学校側に見つかっているものなどをのぞいた2本が使用可能。ただ、そのうちの1本は入り口に『あばれ柳』の木が植えられており、それさえなければという条件付きだ。残る1本は、ホグズミードのハニーデュークス菓子店の地下室につながっている。ハリーは、その抜け道を教えてもらい、そこを通ってホグズミードに来ているのだ。

 

「ハリー、あなたにはショックでしょうけど、ここはよく考えるべきよ」

「なにを、なにを考えろって。ぼくの両親が親友の裏切りで死んだという事実を、まさか、なかったことにしろなんて言わないよね」

「もちろんよ。そんなことを言うつもりなんてないわ。あたしが言いたいのは、軽はずみな行為はつつしむべきだってことよ」

 

 明らかにハリーは不満顔だ。それがハーマイオニーにもわかったが、ここははっきりと言っておく必要がある。

 

「つまり、ハリー。ブラックに仕返ししようとか、対決しようとか、そんなことを考えちゃいけないってことなの。それは、魔法省がやってくれるわ。吸魂鬼がブラックを捕まえるはずだもの」

「うん。それはそうだ。ムダに近づく必要なんてないぞ、ハリー。あいつは、キミを探してるんだ。なのにあいつの前に、わざわざキミのほうから現れてやる必要なんてどこにもないんだ。そうだろ? どうせあいつは、すぐにアズカバンに戻されるさ」

 

 ハリーは、2人を見た。そして静かに、つぶやくように言った。

 

「吸魂鬼がぼくに近づいたとき、ぼくが何を見たか、何を聞いたか、知ってるかい?」

 

 もちろんそれは、ハリーだけが知ること。ロンとハーマイオニーは、首を横に振るしかない。

 

「母さんの声だ。泣きながら、ヴォルデモートに命乞いをするんだ。ぼくを助けてくれってね。殺されるときの声だぞ。しかもそうなったのは、信じていた親友の裏切りのためだったんだ。なのに、それを忘れることなんてできるもんか」

「でも、でも、ハリー。とにかく今は、ブラックが捕まるのを待つべきなのよ。ブラックはあなたを狙っている。ロンも言ったように、そのブラックの前にわざわざ出て行くことはないのよ」

「そうだぞ、ハリー。どうせあいつは、すぐに捕まる。そして、ふさわしい罰を受けるんだ」

 

 その、ふさわしい罰とはなにか。魔法使いにとっての罰は、吸魂鬼が支配するアズカバンに収容されること。だがブラックは、そこから逃げ出してみせた。脱獄不可能とされる場所から、逃げ出しているのだ。もう一度捕まえてアズカバンに入れたとしても、それがどれほどの罰になるというのか。

 しかし、だからといって自分に何ができるだろう。ハリーに、その答えはなかった。どうしたいのか、なにをするべきか、自分に問いかけてみても答えが返ってこないのだ。

 

「いいよ、わかったよ。ぼくからはブラックのことには関わらない。それでいいんだよね」

「え? ええ、そうね。そうするべきよ」

 

 だがもし、ブラックが目の前に現れたら。そのときは、どうするだろう。それをハリーは、考えないことにした。実際にブラックと会ったときどうするかなんて、そのときにならなければわからない。

 ハリーのことは、ひとまず落ち着いた。ハリーとハーマイオニーは、まだジョッキに残っていたバタービールに口をつける。そんな2人を見ながら、ロンは迷っていた。気になることがあるのだ。だがいま、そのことを言ってもいいのかどうか。

 

「なによ、ロン。言いたいことがあるのなら、言いなさい。どうせ、アルテシアのことなんでしょうけど」

「ああ、いや。そうかもしれないけど、ファッジの言ってたことが気になるんだ。ボクの聞き違いかなぁ、吸魂鬼を捕まえたとか言ってたよね? どうやって捕まえるんだろう。妙な玉って、なんだと思う?」

 

 魔法大臣のファッジが言っていた、グリフィンドールの女子生徒。3人とも、それがアルテシアだろうと思っている。ほかに、そんな生徒がいるはずがない。

 

「そういえば、2人に言ってなかったことがあるんだ」

 

 バタービールのジョッキをテーブルに置き、ハリーが身を乗り出す。いったい、何を。3人の目が合い、頭を寄せ合う。

 

「アルテシアはいま、魔法を禁止されてる。きっとマクゴナガルがそうしたんだ」

「そんなバカな。魔法を禁止って、なんのために。なにかの罰か。あいつが、罰をうけるようなことするもんか」

「待ちなさい、ロン。ハリーの話はこれからよ。とにかく、聞きなさい」

 

 そう言ってロンをたしなめたものの、ハーマイオニーも驚いていることは確かだ。

 

「もちろん、その理由も、聞いた。ルーピン先生のところで会ったんだ」

「理由って、なんだよ」

「あいつ、魔法を使うと体調を悪くするらしいんだ。それが原因だって言ってた。医務室で寝込んだこともあるらしいんだ。だから、マクゴナガルは禁じた」

「うそ、そんなことってあるの。授業では、ふつうに魔法を使ってるじゃない。何度も見たことあるわ」

「ぼくだってそうだ。きっと、そんな魔法は大丈夫なんだ。でも、あいつは大きな魔法って言ってたけど、たとえば吸魂鬼を捕まえるような、そんな魔法だと、意識をなくしたりするんだよ」

 

 その実例としてハリーは、ホグワーツ特急に吸魂鬼が乗り込んできたときのことをあげた。あのとき気絶したのは、ハリーだけではない。もう1人いたと、ルーピンが言っていたのだ。

 

「そのとき気絶したのが、アルテシアだっていうのね」

「そうだと思う。ハーマイオニー、覚えてるよね。学校に着いて、キミとぼくは、マクゴナガルのところに呼ばれた。そこにマダム・ポンフリーが来て、ぼくはそこで診察を受けたんだ。普通なら、医務室行きだろ」

「たしかに、そうね。そのときは妙だとか思わなかったけど」

「アルテシアが先に医務室にいたとか、なにかそんな理由があったからだと思う。気づかないだけで、こんなことはほかにも何度かあったのかもしれない」

 

 どれがそうだと、例をあげることはできないが、そんなことはあったはずだ。ハリーは、そう思っていた。

 

「じゃあ、マクゴナガルが魔法を禁じたのは、アルテシアが身体を壊してしまわないようにってこと? そういうことよね」

「だと思うよ。でもあいつ、吸魂鬼を捕まえるなんて、なんでそんなことができるんだろう」

「それは、あれだよ。クリミアーナ家の歴史ってやつだと思うな」

 

 ロンとしては、なにげない言葉だったのかもしれないが、さすがにハーマイオニーは、簡単に聞き流すようなことはしなかった。

 

「ロン、それってどういうこと? ちゃんと説明して」

「え? な、なんだって」

「いいから、その意味を説明しなさい。クリミアーナ家の歴史って、どういうこと?」

 

 さすがに、ロンは戸惑った。だが、適当にそう言ったわけではなかった。ちゃんと考えがあってのこと。

 

「クリミアーナは、長い歴史のある家だろ。あいつの先祖の誰かが、そんな魔法を考えだしてたとしても、おかしなことじゃないさ。きっとあいつの魔法書には書いてあるんだよ。だったら、あいつにもその魔法が使えるはずさ」

「ああ、なるほど。魔法書、か」

 

 自分の説明がハーマイオニーを納得させたことは、ロンには、思わぬ喜びであった。こんなことは、初めての経験だった。

 

 

  ※

 

 

「ようこそ、コーネリウス。約束の時間には少し早いが、なに、気にすることはない。紅茶の用意が、ちょうどできたところじゃよ」

「ほう、それは嬉しい。ダンブルドアみずから紅茶を入れてくるなど、めずらしいこともあるものだ」

 

 それが、あいさつの代わりとなったようだ。2人は、テーブルを挟んで席に着く。マクゴナガルも、その横に腰を下ろす。そこではじめて、ダンブルドアが、マクゴナガルに目をむけた。

 

「ああ、マクゴナガル先生には、わしが一緒に来て貰ったんだよ。そう、怖い顔をしなさんな」

「いやいや、わしはなにも、いやがったりしておるわけではないぞ。じゃが今日は、休暇中の吸魂鬼の配備についての打ち合わせなのじゃから、2人でも十分じゃと思うての」

「それはその通り。そのことは、この書類にまとめてあるから、目を通してもらえばいい。異論があれば、もちろんお聞きするがね」

「ふむ。では、みせてもらうが、そのほかにも話があるということじゃな」

 

 書類を受け取り、ぱらぱらとめくっていく。休暇中といえど、ホグワーツの敷地内に吸魂鬼が立ち入ることさえなければ、とりあえず反対する理由はない。

 

「ふむ、よいじゃろう。じゃがそろそろ、吸魂鬼の引き上げを考えてもよいのではないかのう。そういうわけにはいかんのかね」

「それは無理だよ、ダンブルドア。シリウス・ブラックが捕まらぬ限りはね」

「で、マクゴナガル先生を呼んで、なんの話をしようというのかね」

「実は、お聞きしたいことがあるのだよ。いつぞや、あなたにもらったこの玉だがね」

 

 そう言って取り出したのは、アルテシアがホグワーツ特急で吸魂鬼を捕らえたという、直径5センチほどの玉。

 

「おう、これは。これが、どうしたのいうのじゃね」

「これを、壊したいのだよ、ダンブルドア。どうすればいい」

「壊す、じゃと。なんのために。見ていても美しいし、このままでいいのではないかね」

「そうなのだが、実は、吸魂鬼どもにこの存在が知れてしまってな。持ち歩いていたのがまずかった」

「それはまた。じゃが、このなかで吸魂鬼が生きておるとでもいうのかね。もう、ずいぶんと日が経っておるが」

 

 吸魂鬼が捕らえられたのは、9月。そして今は、12月。吸魂鬼というものは、こんな状態でも生きていられるものなのだろうか。

 

「そんなこと、わしにはわからんよ。生きているとは思えんが、やつらはこの玉を渡せと言うのだ。渡せというからには、渡せばすむことだ。実際、魔法省内にも渡してしまえという声があってね」

「じゃが、そうはしなかったということか。なぜじゃね?」

「なぜ、だと。ダンブルドア、それを本気で言っておるのかね。ああいや、すまん。ちょっと、興奮した」

 

 何を、そんなに。ダンブルドアは、そう思ったようだ。ファッジが、一息つこうと紅茶を飲むのを、ただ見ているだけ。マクゴナガルは、からとなったファッジのカップにティーポットで紅茶を注いだ。

 

「では、ダンブルドア。確認だが、これを渡しても問題はないのだな。わしは、いっそのこと壊してしまおうと思ったのだが、渡してもよいのだな」

「かまわんじゃろう。魔法省が不要なのであればの」

 

 それでも、いくらか不安はあったのだろう。ダンブルドアは、マクゴナガルへと目をむけた。だがマクゴナガルは、なにも言わない。紅茶へと手を伸ばしただけだ。

 

「では、そうさせてもらおう。これで問題は解決だ。いや、ほっとした。お嬢さんにも話を聞かねばと思っていたが、その必要もないな。ダンブルドア、これで失礼するよ」

 

 そう言って、紅茶に手を伸ばす。それを飲み干してから帰るつもりなのだろう。だが、ダンブルドアが引き留める。

 

「まあ、お待ちなさい。マクゴナガル先生、アルテシア嬢を呼んできてくださらんか。いちおう、話は聞いておこう」

「やはり気になるかね。よいとも、お嬢さんの意見も聞いてから決めるとしよう」

 

 それを聞き、マクゴナガルは校長室を出た。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルは、校舎を出て湖へと行くつもりだった。今日は雪も降る寒い日だが、アルテシアは、外にいるのに違いない。マクゴナガルはそう思っていた。

 もちろん、談話室は調べた。3年生以上のほとんどがホグズミードに行っており、いつもよりひっそりとしていたが、そこにアルテシアの姿はなかった。これは、マクゴナガルの予想どおり。パチル姉妹はホグズミードなので、談話室にいるよりも、もう1人の友人であるスリザリンの下級生と一緒にいる可能性が高いのだ。

 あるいは、外ではなくどこかの空き教室にでも入り込んでいるのかもしれないが、その場合はあきらめるしかない。1つ1つ教室を確かめていくのは、現実的ではない。

 だが、その心配は無用だった。大広間の前へと来たところで、玄関ホールのほうから歩いてくるアルテシアとソフィアの姿を見つけたのだ。どうやら、外にいたということで間違いなさそうだ。

 

「アルテシア、ちょっと来なさい。校長がお呼びです」

 

 ソフィアも一緒にいたのだが、かまわずに声をかける。3人は、大広間の前で一緒になる。

 

「あの、わたしはこれで寮に戻ります。失礼します、マクゴナガル先生」

「ごめんなさいね。あなたはたしか、スリザリンの2年生でしたね」

「はい、ルミアーナ家のソフィアです。変身術の授業は、とても興味深いです。では」

 

 ソフィアが行ってしまうと、マクゴナガルはアルテシアを連れて、なぜか大広間へと入っていき、長テーブルの前にすわる。そのテーブルがグリフィンドールのものであったのは、当然というべきか。

 

「先生、校長室に行かなくていいんですか」

「かまいません。そんなことより、あなたと話をするほうが大切です。恥ずかしながら、いままで考えもしませんでした」

「あの、なにをでしょうか」

 

 いくらかの不安を感じつつ、アルテシアは、マクゴナガルの向かい側へと座った。

 

「アルテシア、耳ふさぎの魔法をかけておいてください」

「え?」

「その魔法を使うなとは言ってないはずです。この話は、誰にも聞かれたくないのです。さあ」

「は、はい。わかりました」

 

 パチンと、指を鳴らす。大広間には誰もいなかったのだが、念のためということだろう。これで普通に話をしていても、他の人に会話を聞かれる心配はない。ちなみにこの魔法は、アルテシアの体調に影響はしないようだ。

 

「そうそう、さきほどのソフィアという生徒ですが、一度、わたしの部屋に連れてきなさい。時間に余裕のあるときに」

「ええと、そういうことなら、いまがちょうどいいんじゃないでしょうか。明日から学校はお休みになりますから」

「いえ。今はダメですよ。校長先生がお待ちですからね。それに、魔法省大臣のコーネリウス・ファッジも来ています」

「あ、そうか」

 

 それを忘れていた、といったところか。だがそうであれば、ここで話なんかしていてよいのか。だが、マクゴナガルを見る限りにおいては、いまこのときが優先であるらしい。

 

「あなたが吸魂鬼を捕まえたときの『にじいろ』の玉のことですが、もちろん覚えていますね」

「はい。でもあれは、校長先生がお持ちのはずでは」

「いまは、魔法省へと渡され、ファッジ大臣の手にあります。それで『にじいろ』なのですが、あの玉を調べられることで、なにか不都合なことがおこるのではないかと、不安になったのです」

「あれを、調べる、ですか」

 

 マクゴナガルは、そんなことを考えていたらしい。校長室でファッジが、吸魂鬼に玉を渡すことをためらっていた。それを見て、マクゴナガルはこのことを考えたのだ。

 

「どんなことでもいい。ほんのわずかでも、なにか気になることがあるのなら言いなさい。おそらくダンブルドアは、さまざまに調べるはずです」

「でもあれは、ただの入れ物ですよ。あれを調べて、なにかがわかるとか、そういうことはないと思うんですけど」

「入れ物?」

「そうです。大事なものを保管しておくとか、誰かに預けるとか。中身を守らせることもできます。大きさも変えられますから、たとえばマクゴナガル先生を包み込んで敵の攻撃から守るとか。説明ヘタなんで、わかりにくいですよね」

「いえ、そんなことはありませんよ。よくわかりました」

 

 そのときマクゴナガルは、秘密の部屋でのことを思い出していた。ハリー・ポッターは、赤や青の光を見たと言っていた。おそらくは、そのこと。アルテシアは、あの『にじいろ』でハリーを包み込み、バジリスクの脅威から守ったのだ。あれが入れ物だというならば、問題は中に何が入ってるのか、ということになる。それを知ることはできるのだろうか。

 

「もう1つ、聞きます。あの玉の中に入れられたものを、外から知ることはできますか」

「壊さずに、ということですか」

「そうですが、壊すことができるのなら、壊すとどうなるのかも知りたいですね」

 

 そういえば、ファッジは言っていた。あの玉をどうすれば壊せるのか、と。マクゴナガルは、チラとそんなことも考えた。

 

「壊せば、なかのものを取り出せます。壊れないように作れば、簡単には壊せないと思いますけど」

「吸魂鬼を捕らえた玉はどうです、あれは壊せるのですか?」

「あれは、たぶん壊せないです。だってあのとき、すごく怖かったんです。だから絶対に出てこられないようにしたんじゃないかと思います。よく覚えてませんけど」

「なるほど」

 

 では、あの玉は吸魂鬼に渡しても問題はない。マクゴナガルはそう結論づけた。だが、玉はもう1つあるのだ。あの中には、なにが入っているのか。むしろ、問題なのはこちらの玉のほうだ。

 

「あの玉には、魔法を入れておくことは可能なのですか。クリミアーナの魔法を、別の人に渡すためにです」

「ええと、単に魔法が使えればいいのであれば、特定の魔法を入れておくことはできますよ。やってみてもいいですか」

「それが約束に反しないのであれば」

「でも、学校は明日までです。クリスマスの休暇になりますから、ベッドに入ることになったとしても」

「そういうことなら、許可はしません。どういうことなのか、あなたの考えたことを話すだけにしなさい」

 

 言葉で説明するのがむずかしい。実際に見てもらったほうが早い。そういうことは、あるものだ。だから実演しようとしたのだろうが、マクゴナガルは、それを許可しなかった。

 

「でも、先生。わたしは説明がヘタなので、わかりにくいですよ。実際に見てもらったほうがいいと思うんですが」

「あなたは教師ではないのですから、それも仕方がありません。わたしが理解すればいいだけのこと。とにかく、話しなさい」

 

 それでも食い下がってみたものの、マクゴナガルは折れてくれない。こうなれば、あきらめるしかない。苦手だが、言葉での説明ということになる。それをアルテシアは負担に思うのかもしれないが、マクゴナガルのほうは、これまでアルテシアの説明がまったくの意味不明だった、という経験を持ってはいなかった。

 

「ええと、たとえばこの部屋を一瞬で真っ暗にするとします。その魔法に必要な魔法力を『にじいろ』で包み込むんです。魔法として形になる前の状態で保存しておくような感じです。あとは、必要なときに『にじいろ』を割るだけ。そうすれば、この部屋は真っ暗です」

「つまり、あなたの使う魔法を、あの玉の中に入れておくことができるということですね。そしてそれを取り出せば、魔法が実行されることになる」

「そうです。そういうことです。1回限りですけど」

 

 魔法族の例でいえば、杖を構えてエクスペリアームス(Expelliarmus:武器よ去れ)などと呪文を叫んだ瞬間、つまり魔法を使った瞬間の状態を玉の中に保存するのだ。玉の中では魔法が発動された状態が維持されており、玉が割られたとき、実際に効力を発揮するというイメージだ。

 

「そうなると、あの玉の中には、魔法力そのものを入れておける、ということになりますね。いわば魔法書のように」

「そうですけど、魔法は、繰り返し何度も読んで身につけるものです。魔法書の代わりをさせようっていうのは…… あ、そうか」

 

 しゃべっている途中で、何を思いついたのか。だがアルテシアは、なおも考え込んでいるようだ。そんなアルテシアを、マクゴナガルはじっと見守る。そして。

 

「言っておきますが、あなたの考えたことを話すだけですよ。実際にはやってみなくてよろしい」

「わかってます。だけど、こうすればできるんじゃないかと思います。もちろんその人は、クリミアーナの魔法書でずっと勉強をしていなくてはなりません。つまり、必要な知識は身につけた。でも、部分的に魔法力が欠けているとしたら」

「なんですって、欠けている?」

「魔法を使うのに必要な知識はある。でも、魔法力が不足している。その人は、そんなおかしな魔女になる…… あ、それって、もしかして、わたし? まさか、そんな。いったい誰が、そんなこと」

 

 どういうことなのか。マクゴナガルも、さすがに慌てたようだ。アルテシアの腕をつかみ、ゆすってみせる。

 

「アルテシア、なにがどうしたというのです。何に気がついたのです?」

「ああ、すみません先生。きっと、わたしの気のせいに決まってます」

「なにがです? ちゃんと話しなさい」

「わたしが考えたのは、魔法書にあるはずの魔法力を、持ち出したのではないかということです。そんなこと、どうすればできるのかわかりません。でも、その魔法力をなにかで使うため、そのために持ち出されているのだとしたら。まさか、あの人がそれを……」

 

 アルテシアが、何を思いついたのか。どうやらマクゴナガルも、ようやくその内容を察したらしい。じっと考え込むアルテシアを前にして、2度深呼吸をくり返してみせた。

 

「わかりました、アルテシア。おおよそですが、理解しました。いちおう言っておきますが、もうそのことは考えなくてもよろしい。気にはなるでしょうが、これで終わりとしましょう。校長室へ行かねばなりません」

「わかりました。でも先生、このことはもう少し調べてみます。どこかに答えがあるはずです」

 

 マクゴナガルは、なにも言わなかった。彼女のみる限り、アルテシアのようすがいつもと変わらなかったからである。たったいま気づいたことによる、おかしな影響はない。そう判断できるのだから、とくになにも言わなくてもいい。そういうことだろう。

 そして、校長室へとむかう、その途中。

 

「そうそう、思い出しました。あなたが休暇中にホグズミードへ行くという件ですが」

「あ、はい」

「どうせ、パチル姉妹が戻ってきたらあなたに言うのでしょうが、あなたを探していたという女性とは会えませんでした。おそらくはもう、ホグズミードにはいませんよ」

「え?」

「その女性の家も、パチル姉妹の知るそれではなくなっていました。あなたが行っても同じだろうと思いますね」

 

 なぜ、そうなったのか。そのことの原因について、マクゴナガルには1つの考えがある。だがそれを、いまアルテシアに言うわけにはいかなかった。言えば、ダンブルドアとの間に大きな溝ができることになる。きっと、そうなる。マクゴナガルには、その確信があった。だがそれが、よいことであるはずがない。それにもちろん、可能性の話でしかない。

 

「ですから、休暇中のホグズミード行きはやめておいたらどうですか。ダンブルドアに認めさせてから、堂々と行くのです。そうするのがいいと思いますよ」

「わかりました。そういうことなら、それでかまいません」

 

 そのことで、アルテシアに気落ちしたようなようすはみられない。マクゴナガルとしては、ほっと一息といったところだろう。もともとアルテシアは、さほどホグズミードに興味を持ってはいなかったのだ。

 校長室では、ダンブルドアとファッジが、疲れたようすで椅子に座っていた。待ちくたびれたといったところだろう。紅茶は、とうにからとなっているようだ。もちろん、ティーポットもそうなのだろう。

 

「遅れてすみません。なかなか、この子が見つからなかったものですから」

「いやいや、べつにかまわんよ。それで、あの玉のことなのだが」

「ファッジ大臣。ここへ来る途中に聞いてみましたが、その玉は、そう簡単には壊せないそうですよ。だから、吸魂鬼が要求するのなら渡してしまうのがいいのではないでしょうか」

「そうかね。渡しても、なにも問題はないということか。お嬢さん、そういうことでいいんだね」

 

 アルテシアは、笑顔でうなずいてみせた。そして、テーブルへと近づいていく。テーブルの上には、あの玉が置かれている。その玉を、じっと見る。

 

「どうしたね、お嬢さん」

「吸魂鬼は、仲間のことがわかるんでしょうか。この中に、吸魂鬼がいるとわかっているのでしょうか」

「そうだろうと思うがね。だから欲しがるのだろう。すまんね、持ち歩いてさえいなければ気づかれなかったろうにな」

「アルテシア、もういいですよ、寮に戻りなさい。校長、それに大臣、もうよろしいですよね」

「そうだな。かまわんよ。いいだろう、ダンブルドア」

 

 もちろん、ダンブルドアも同意した。だが、最後に一言、付け加えるように言った。

 

「じゃが、これで吸魂鬼たちに恨みを買うことになるかもしれんのう」

 

 その可能性はたしかにあるが、そんな心配はいらぬよと、ファッジは笑い飛ばす。だがアルテシアには、とてもそんなことはできなかった。まるで刺さったトゲのように、その言葉はアルテシアの心の中に残ることになる。

 



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第51話 「それぞれの思い」

 その知らせは、いつからハグリッドのところに来ていたのだろう。ハリーたち3人がハグリッドの小屋を訪れたとき、ハグリッドは、真っ赤に泣き腫らした目をして部屋の中に立っていた。涙が滝のように流れ落ちているのが見えた。

 

「どうしたの、ハグリッド」

「ハグリッド、何事なの?」

 

 ロンもハーマイオニーも、そう聞かずにはいられなかった。もちろん、ハリーもだ。

 

「何があったの、ハグリッド」

「これを見てくれや、3人とも」

 

 ハグリッドが、手紙をハリーへと差し出す。きっと、なにかの公式な手紙なのだろう。それらしい大げさな飾りのつけられたものを、3人が頭を寄せ合うようにしてのぞき込む。

 

『ヒッポグリフによる生徒負傷事件を調査した結果、貴殿に責任はないとするダンブルドア校長の主張を、我々は受け入れることに決定しました。されど、ヒッポグリフに対する懸念が解消したわけではありません。よってこの件は、今後「危険生物処理委員会」による審理がされることになります。来る4月20日、最初の事情聴取が行われます。当日、ヒッポグリフとともに、ロンドンの委員会事務所まで出頭ください。』

 

 ハリーたち3人は、クリスマスの休暇中も学校に残っていた。そしてハグリッドのところへと遊びに来たところ、この場面にでくわしたというわけだ。

 

「これってつまり、どういうことなんだろう」

「これはね、ロン。ハグリッドに責任はないけど、バックピークについては、これから『危険生物処理委員会』がよく調べるってことなのよ。つまり、バックピークが処罰される可能性があるってことね」

「じゃあ、大変じゃないか。なんとかしないと」

「ええ、そうね。だからハグリッドが、ちゃんと弁護しないといけないわ。審理があるんだもの、バックピークが安全だって証明しないといけないわ」

 

 3人がやってきても、まだぐずくずと泣き続けていたハグリッドだが、さすがにもう、泣いてる場合ではないと思ったのだろう。ハーマイオニーの言うことに、返事をしてみせた。

 

「しかし、オレに何ができる?『危険生物処理委員会』の連中は、こういった生きものを目の敵にしちょるんだ」

「できるわ。わたしが調べてあげる。バックピークの弁護に役立ちそうなこと、いっぱい調べるわ。審査のとき、それを提出すればいいのよ。どうせまだアルテシアは戻ってこないし、時間はあるわ」

「なぁ、なんでそこにアルテシアの名前がでてくるんだよ?」

「うるさいわね、ロン。いまは、バックピークのことを話してるの。ねぇ、ハグリッド。それでなんとかなるわよ、きっと」

 

 うなずいてはみせたものの、ハグリッドの表情は晴れない。まだ、安心できないのだろう。

 

「そんでも、たぶん同じことだと思うぞ」

「どうして? あたし、ちゃんとバックピークが危険じゃないって証明してみせるわ」

「ありがとよ。おまえさんがそう言ってくれるのは、すごくうれしいさ。だが今度のとこは、どれもこれもルシウス・マルフォイの手のなかにあるようなもんだ。やつを怖がっとる者も多い。やつの思うとおりとなるのに決まっちょる」

「でも、ハグリッド。これは、裁判なのよ。そこで不正なんか許されるはずないわ。そうでしょ」

「それも、わかっちょる。そうだな、もう、そうするしかねぇ。おれががんばらんと、裁判で負けたら終わりだ」

 

 そうなったら、ハグリッドがバックピークという名を付けたヒッポグリフは、いわゆる処分されるということになる。それは、なんとか避けねばならない。

 

「ダンブルドアに相談してみるのはどうなの、ハグリッド」

「ああ、ハリー。すでにあの方は、いろいろとしてくだすった。もうこれ以上はむずかしかろう」

「じゃあ、アルテシアに頼んでみるってのはどうだい」

「あぁ? アルテシアといやぁ、森によく行く娘っこだな。あいつに、何ができる?」

 

 ハグリッドは、アルテシアとそれほど親しいわけではない。ときどき、森の中を散歩したいとやってくるアルテシアとつかのま話をするくらいのものだ。

 

「ハグリッド、アルテシアは森に行ってるの? 森って、禁じられた森のことよね?」

「森の奥には入らんっちゅうことで約束しとるし、行くまえには、ちゃんとオレに言いに来よる」

「でも、森への立ち入りは禁止されているはずでしょう」

「そうだけんど、あいつはいいんだ。散歩ぐらい、させてやれや」

 

 さすがにあきれたようすのハーマイオニーだが、いま問題なのは、そのことではない。それにハーマイオニー自身、あの森の中に入りたいなどとは思っていないので、うらやましいということもない。どうでもいいというのか本当のところだ。

 

「そうだわ。ねぇ、ロン。アルテシアに何を頼むの?」

「ヒッポグリフのバックピークが訴えられたのって、ドラコ・マルフォイのケガのせいなんだろ。マルフォイが、ケガしたのは自分のせいだって認めればいい。そうすりゃ、バックピークは許してもらえるだろ。アルテシアが頼めば、きっとOKするさ」

「いんや、それもいい考えだが、あいつらは、オレが気にいらんのだ。追い出したいと思っとるのに、OKなんぞするはずがない」

「いや、ハグリッド。可能性があるんなら、なんでもやってみるべきだ。ロン、それ、アルテシアに頼んでみて」

 

 もちろん、ロンはうなずいた。だがハリーは、それだけではないとばかりに、ハーマイオニーを見る。

 

「ハーマイオニー、アルテシアが戻ってこないって、どういうことだい」

「あ、そうだ。それ、ボクも気になったんだ」

 

 だがハーマイオニーは、その指摘を受けても、まったく気にしていないようだ。

 

「クリミアーナの魔法書を調べたいのよ。あそこになにが書かれているのか、あたしたちは知らなきゃいけないわ。あなたたちがどう思ってるのかしらないけど、アルテシアはあの本の影響を強く受けてるはずよ。あたしも本好きだからわかるの。アルテシアが毎日なにを学んでいるのか、知っておいた方がいいのに決まっている」

「なんだよ、それ。いったい、どういうこと?」

 

 ハリーもロンも、ハーマイオニーの言うことがよくわからないらしい。ハグリッドも、ただ、黙って聞いているだけだ。

 

「あたしもそうだけど、本好きはね、書かれていることを自然に受け入れてしまうってことが、よくあるの。アルテシアに聞いたことあるけど、アルテシアは、あの魔法書を3歳のときから毎日読んでるの。毎日よ。何度も何度も繰り返して読みながら育ってきたんだもの、影響を受けないはずないわ。でしょ?」

「ハーマイオニー、キミの言うこともわかるけど、あいつが帰ってこないってどういうこと?」

「ああ、だっていま、実家に帰ってるでしょ。あたしの部屋は、パーバティもラベンダーもそうだから、あたし1人なの。いまのうちなら、探せるでしょ。帰ってくるまでに魔法書に目を通しておきたいの」

 

 その説明には、誰もがあぜんとならざるを得なかった。なにしろハーマイオニーは、アルテシアが留守の間に荷物を調べ、魔法書を読もうとしているというのだ。

 

「でも、宿題やらなにやらで、そんなことしているヒマがぜんぜんないわ。バックピークのことも調べなきゃだし、いつになるか」

 

 休暇中にもかかわらず、ハーマイオニーは、なかなか忙しそうだ。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルは、悩んでいた。なんとかして、ダンブルドアの持つ、あの『にじいろ』の玉を手に入れたいのだが、その方法が思いつかないのである。

 あの『にじいろ』の玉は、アルテシアのものだ。それで間違いない。より正確には、アルテシアに渡されるべきもの、ということになるのだろうが、ダンブルドアが持っていてよいものでは、決してない。なんとかしなければいけない。

 だが、ダンブルドアの留守中に校長室へと入り込み、あの玉を持ち出すようなことは、マクゴナガルにはできなかった。彼女のプライドが、そんなことを許さないのである。仮に、そこに目をつぶることができたとしても、そうして持ち出したあの玉をアルテシアに渡すとき、後ろめたさを感じないはずがない。はたして、それに耐えられるのかどうか。

 

(とても無理でしょうね、わたしには)

 

 そんなことはできない。マクゴナガルは、そう思っている。だが、あの玉をダンブルドアのもとに、いつまでもおいておくこともまた、できはしないのだ。できるだけはやく、アルテシアに渡さねばならない。

 マクゴナガルの考えでは、あの玉の中にはクリミアーナの魔法力が封じられているはずなのだ。アルテシアから聞き出した話とあわせれば、そう考えることができる。本来ならば、それはアルテシアの読む魔法書に記述されており、それを学んだアルテシアが、身につけているはずのもの。そうに違いない。だがなにかの理由で、なにかのために利用されていたのだとしたら。それがなにかは不明だが、それをいまアルテシアのもとに戻そうとしているのだしたら。もしそうならば、どういうことになるのか。

 アルテシアが魔法を使って体調を崩す理由も、そのことで説明できるのかもしれない。14歳となるまでは身体がついていかない、というはっきりとした理由はある。だがもし、それだけではないのだとしたら。

 十分に考えられることだった。本来ならば自分のなかにあるべき魔法力が欠けていることになるのだ。そのことが、影響しないはずがない。そういうことなら、クリミアーナの魔法を使ったために寝込んだりするのも、無理のない話であるように思えてくるのだ。

 もし、考えているとおりであるのなら。

 仮にそういうことであれば、アルテシアはたとえ14歳となってもなお、たびたび医務室の世話になり続けねばならないことになる。それでは、あまりにかわいそうすぎるではないか。あれだけの魔女が、思うように魔法を使えないのだ。マクゴナガルとしても、そんなことはことは望んでいない。なんとかしなければならない。その決意だけは、しっかりと彼女の中にある。

 だが、どうすればいいのか。

 あの『にじいろ』の玉は、クリミアーナ家の魔女により作られたものと考えて間違いない。普通に考えれば、それはブラック家に嫁入りしていた女性が作ったもの、ということになるだろう。その女性は、いま、どこにいるのか。ホグズミードにいた、アルテシアを探していたという女性が、そうなのだろうか。

 

(やはり、会う必要はあるでしょうね)

 

 あの玉は、ダンブルドアのところにある。それが手に入りさえすれば、アルテシアの問題は解決するだろう。だが解決したにせよ、その女性がホグズミードにいるのなら、いやホグズミードでなくてもかまわない。会えるものなら、会って話を聞く必要はある。この先、アルテシアを正しく導いていくために、きっと役に立つのに違いない。

 そういえばシリウス・ブラックは、このことで、なにか知っているのだろうか。ブラック家の嫁であったのだから、彼女と面識があったことも考えられる。ブラックとも話をする必要がある。

 そんなことを考えれば考えるほど、なにか深みにはまっていくような、そんな気持ちを、マクゴナガルはいま味わっていた。

 

 

  ※

 

 

 ダンブルドアは、悩んでいた。目の前にある玉を、いったいどうするべきか。その処置に困っていたのである。それを見せられたとき、持ち前の好奇心というやつが頭を持ち上げてきたのだ。自分でもそれがわかったが、めらめらと燃え上がってくるそれを、押さえることができなかった。いささか感心しない手段ではあったが、それを手に入れてしまったのは、そのためだ。

 誓って言うが、自分のものにしようなどとは思っていない。ただ、それが何であるのかがわかればよかった。わからなければ、調べてみる。それに従っただけのことだが、いまのところ目的は達せられていない。これが何であるのか、わかってはいないのだ。

 これでは、手に入れた意味がない。知りたいことを、知ることができない。それがこんなにも居心地の悪い思いをさせるのだとは、さすがにダンブルドアも、思ってはいなかっただろう。

 もちろん、なにひとつわからないわけではない。あの玉は、クリミアーナ家の魔女によるものだ。それがアルテシアであれば、話は簡単となってくる。だが、そうでないのは明らか。おそらくは、ブラック家に嫁入りしていた女性がなにか関係しているはず。

 ダンブルドアは、そう思っている。だが、その女性に話を聞くことに意味はあるだろうか。あれが何であるのか、教えてくれるだろうか。

 

(その可能性は、薄いじゃろうの)

 

 ダンブルドアは、すでにその女性と会っているのだと、そう考えていた。もしなにかを聞けるとしたら、そのときが絶好の機会であった。そんな機会をあんな形で逸してしまった今、改めてあの家を訪ねても、得られるものはないだろう。

 とにかく、自分で調べねばならない。問題は、中身だ。だが外側の、まるで卵の殻のようなものがくせ者なのだ。このために、中身を知ることができない。いっそのこと、壊してしまおうかとも思う。だがそれも、おそらくは難しいはずだ。これは、あの吸魂鬼を閉じ込めたものと同じだと思われる。となれば、簡単には壊せないはずだ。吸魂鬼を捕らえた玉は壊せないと、アルテシアがそう言っていたではないか。

 どうあっても、壊さずに中身を知る必要がある。ダンブルドアは、改めて自分に言い聞かせる。壊すわけにはいかないのだ。中身がなんであるのかわからない以上、壊したことによる影響すら、予想することはできないのだから。

 

(さて、どうするかの)

 

 まさか、こういう事態になろうとは予想していなかった。まったくの予想外といっていい。だがそれも、これをアルテシアに渡せばそれまでだ。だが、自らのプライドが、そうすることを許さない。仮にこれが危険なものであった場合、それを不用意に渡していいはずがない。それは、校長として無責任な行為といえるだろう。では、この玉を入手した行為はそれでいいのか。そのことはどう説明するのか、という議論はあるだろう。だがそれも、止められぬ好奇心のため。そんなものは、いまさらどうすることもできはしない。

 それはともかく、あの女性は、もともとブラック家の嫁であったのだ。シリウス・ブラックが、何か知っているかもしれない。もしかすると、面識はあったということも考えられる。

 

(あやつに会う意味は、ありそうじゃの)

 

 ダンブルドアは、テーブルの上に置いていた『にじいろ』の玉をその手につかみ、しまい込んだ。とりあえず、そうするしかなかった。

 

 

  ※

 

 

 ハリー・ポッターは、困っていた。というより、心配でたまらないと言ったほうがいいのか。せっかくの炎の雷、世界最高峰の箒であるファイアボルトが、はたして無事に自分の手元へと戻ってくるのかどうか。どうすれば、あれを自分のところへと取り戻すことができるのか。この難題は、そう簡単には解けそうになかった。

 ことの次第は、こういうことである。

 クリスマスの朝、枕元には、ウィーズリーおばさんからの手編みのセーターなどいくつかのプレゼントが置かれていた。そのなかに、ファイアボルトがあったのである。

 だが喜んだのもつかの間、部屋に顔をみせたハーマイオニーによって、なにやら怪しい危険な箒、という烙印を押されてしまい、ついには、先生方の知れるところとなってしまった。

 結果、ファイアボルトは、教師陣の手に渡ることになったのである。その箒に乗っても大丈夫なのかどうか、危険な呪いなどかかけられていないかどうか、そういったことを調べるため、というのが理由だ。

 ファイアボルトに、呪いなどかかっているはずがない。乗っても大丈夫だ。そんなハリーの言い分は、聞き入れられることはなかった。シリウス・ブラックのことがある限り、どんなことでも用心すべき、ということになってしまうのだ。

 

(あの箒を調べるって? どうやって?)

 

 ハリーには、そんなこと、思いもつかなかった。まさか、すべてをバラバラに分解し、枝の一本一本について、呪いの有無を調査するのだろうか。あれやこれやと調べられた結果、どんな状態になってしまうのだろう? 元に戻るのだろうか。

 心配事は、まだある。

 ファイアボルトのことを先生に告げ口したのは、ハーマイオニーだ。おかげでハーマイオニーとのあいだが、おかしなことになってしまったのだ。いまはまだ、互いに気まずい思いをしているだけだが、そのうち、アルテシアと同じように話もしなくなるのではないか。それは、イヤだった。

 それに、ルーピン先生と約束した、守護霊の呪文の練習もある。アルテシアが覚えた方がいいとアドバイスしてくれたものなので、ちゃんと使えるようになりたい。休暇が終われば練習がはじまる。だが、自分にできるのか。覚えることができなければ、次のクィディッチの試合でも吸魂鬼に驚き、箒から落ちることになるのではないか。

 もちろん、そんなことになりたくはなかった。ならなくてすむ方法が、そこにあるのだから。

 

 

  ※

 

 

 ハーマイオニーは、疲れ果てていた。やることが、あまりにも多すぎるのだ。もう手一杯、もう限界だと、いつだってそう思ってるのに、またもやそこへ、やっかいごとが転がり込んでくる。これ以上はムリなのに、さらにムリをしろとでも言わんばかりに、やらねばならないことが増えるのである。ハグリッドのヒッポグリフ、ハリーのファイアボルト、それにアルテシアの魔法書。

 いったい、これ以上、どうしろと言うのか。

 

(ああ、なんだかイライラするわね)

 

 少し気分を変える必要がある。ハーマイオニーは、宿題の手を止めて立ち上がる。自分の机を離れ、アルテシアの机の前へと歩いて行く。考えてみれば、あの笑顔がここにないのも、イライラの原因かもしれない。たとえそれが自分に向けられたものではなくても、見ているだけで気持ちが明るくなれるのだ。

 

(ここ、使わせてもらおうかな)

 

 いまは休暇中であり、アルテシアは学校にいない。なので、この机を使わせてもらっても問題はないだろう。きっと気分が変わるはず。とりあえず、椅子に座ってみる。机の上には、インク壺と羽根ペンが2本置かれているだけ。本だらけの自分の机との違いに、ハーマイオニーは苦笑するしかない。いったいアルテシアは、本などをどこに置いているのだろう。

 引き出しの中…… 開けようとして、手を止める。さすがに勝手に開けるのは気が引ける。ふーっと息を吐いて、背もたれに身体を預ける。

 

(アルテシアは、なんて言うだろう)

 

 このところ、アルテシアとは話をしていなかった。もちろんケンカなどしたつもりはないが、互いのあいだに、話しかけづらい雰囲気があるのは確かだと思う。ロンが言うように、キチンと仲直りという形をとったほうがいいのかもしれない。

 アルテシアは、このことをどう思っているのだろう。アルテシアは、なんと言うだろう。

 ハグリッドのヒッポグリフのこと、ハリーのファイアボルトのこと、そしてアルテシアの魔法書のこと。それぞれについて、意見が聞きたかった。アルテシアなら、ヒッポグリフのバックピークを弁護するためになにをするだろう。送り主不明のファイアボルトに対しては、どういう行動をとるだろうか。そして、魔法書のこと。アルテシアにお願いすれば、見せてくれるのだろうか。

 

(クリミアーナに、行ってみようかな)

 

 なんだか、急にアルテシアに会いたくなってきた。考えてみれば、たった1人で部屋にいるのがよくないのかもしれない。だが、談話室に行くのも気が引ける。なにしろ、ファイアボルトのことではハリーとロンを怒らせてしまっているのだ。ファイアボルトのことを先生に話したことに後悔はない。ハリーのためにしたことだ。きっとアルテシアだって、そうするのに決まっているのだから。

 

 

  ※

 

 

 ロンは、迷っていた。ようやくアルテシアと話をする理由ができたというのに、そうすることがいいのか悪いのか、わからなくなってしまったのである。

 アルテシアと話をするのは、もちろんいいことだ。もしかすると、これがきっかけとなって仲直りができるかもしれない。そうなれば、すぐに以前のようになれるだろう。だが残念なのは、このことがドラコ・マルフォイのやつを喜ばせることにもなることだ。

 なにしろ、ハグリッドのヒッポグリフを助けてくれるようにドラコへお願いしてもらおう、というのだ。どうしたってアルテシアは、ドラコに会いに行くことになる。わざわざあんなヤツのところに、アルテシアを行かせるようなことをしていいのか。いいはずがない。ロンは、そんなことを考えていたのである。

 ハグリッドのヒッポグリフを、なんとか助けたい。これは、そのための手段の1つだ。そのことは、ロンにもわかっている。ハグリッドのためなのだと、なんども割り切ろうとした。だけど、ただそれだけのことがこんなにも難しいだなんて。

 いったいアルテシアは、ドラコのことをどう思っているんだろうか。ドラコのやつが、アルテシアに親しげにしてくるのはなぜなんだろう。

 

(ガラガラさんが、なにか関係してんだよな、きっと)

 

 ガラガラさんは、ブラック家の嫁だった。そしてドラコの母親は、ブラック家の出身。そういうことでドラコは、きっと入学前からアルテシアのことを知っていたんだろう。でも、それがなんだって言うんだ。アルテシアはグリフィンドールだ。スリザリンのくせになれなれしくするな、と言ってやりたい。

 でも、それをやってしまうと、かえって迷惑をかけてしまうことになるんじゃないか。それとも、喜んでくれるだろうか。あ、それに、ハグリッドのヒッポグリフのことがある。

 いったい、どうするのがいいのか。はたしてロンは、休暇のあいだに決めることができるのだろうか。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、考えていた。ソフィアに腕を引っ張られるようにして連れてこられたルミアーナ家の、その客間にある揺り椅子に腰かけて身体を揺らしつつ、思いをめぐらせているのだ。

 せっかくルミアーナ家へと来たのだから、ソフィアの母アディナに相談してみた。魔法書の中身を部分的に抜き出す、あるいは持ち出すことは可能だと思うか、と。可能だとしても、それで何ができるのか。その返事は、アルテシアが考えていたこととほぼ同じものだった。それはつまり、アディナもアルテシアと同じように考えたということ。2人の考える方向が同じだとなれば、それが正解ではないとしても、かぎりなくそれに近いものであるはずだ。

 

「アルテシアさま、夕食の用意ができましたけど」

 

 部屋のドアが開いた気配はしなかった。たぶんソフィアは、直接ここへ飛んできたのだろう。

 

「まだ、あのことを考えてるんですか。だから、ホグズミードに行こうって言ったのに」

「ごめんね、ソフィア。だけど、ホグズミードにはもう、あの女性はいないわ。パーバティたちも言ってたでしょ、いなかったって」

「そうですけど、パチル姉さんなら、見落としがあっても不思議じゃないです。アルテシアさまが行けば、みつかるかもしれないじゃないですか」

「こらこら、パーバティが聞いたら機嫌悪くするよ。パドマと一緒に2人で探してくれたんだから」

 

 揺り椅子から降り、2人並んでドアへとむかう。今夜もここへ泊まることになっていた。クリミアーナへと戻るのは、明日の午後となる予定である。

 

「でも、魔法書の一部を持ち出す、なんてどうやればできるんですか? そんなことよりも、わたしの杖のときみたいに、なにかに魔法力を書き出せばいい。同じことだと思うんですけど」

「ずいぶん違うと思うよ。自分が持ってるものなら、なにかに封じることはできる。でも、それが自分になかったとしたらどうかな」

「別の魔法書から持ってくるしかないってことですか」

「まあ、そういうことだと思うな。それでなにがしたかったのかわからないけど」

 

 いったい誰が、なにをしたくて、こんなことをしたのか。わからないことだらけだが、それを知ることはできるのだろうか。過去形にしてしまったが、まだ進行形であるという可能性はあるのだろうか。

 この数日というもの、アルテシアは、アディナとソフィアの3人でさまざまな可能性を話し合った。そのうえで導き出された、仮定の話。そう、これは、仮定の話だ。

 ホグズミードでのこともあり、実際に行われたことは間違いないと思われる。誰かがクリミアーナの魔法書の、その一部を持ち出した。やがてその本は、アルテシアのものとなる。アルテシアは、その本を学びながら成長し、ホグワーツ入学に入学。トロールの襲撃事件を経てクリミアーナの血を目覚めさせるが、持ち出されていた部分は、当然、アルテシアのなかにはない。魔法書の中になかったのだから、学ぶことはできなかったのだ。

 魔法使用による体調不良は、そのことが原因ではないのか。肝心のものがないため、そうなるのではないのか。

 もしそうであれば、アルテシアが年齢をかさねてもこのことは解消はされないことになる。おそらくその誰かは、そのことを知っている。アルテシアを探していたのは、持ち出したものを返すためだろう。その誰かは行方不明となってしまったが、過去に持ち出された魔法書の一部は、どこかにあるはずなのだ。

 

「思うんだけど、その人って、もういないんじゃないかな」

「どこかに行っちゃったってことですよね?」

「そうじゃない。秘密の部屋でのこと、覚えてるよね。トム・リドルって人のこと」

「ああ、なんだかイヤな感じのする人でしたね」

「あのときの、日記帳。あれが気になるんだよね。もう壊されたらしいんだけど」

 

 どういうことか。そう尋ねるソフィアに、アルテシアは微笑みだけで返事をした。ちょうど、ルミアーナ家の食堂に着いたからだ。続きは、またあとで。そういうことなのだろう。

 



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第52話 「ルーピンの特別授業」

 ここは、クリミアーナ家の書斎。その中央あたりにある閲覧用のテーブルに、めずらしく10冊ほどの本が散乱していた。そんなことは、かつてハーマイオニーがやって以来のことである。あのときは、もっと多くの本が山積みにされていた。

 アルテシアがそんなことをするのは、まさしくめずらしいことだった。なぜなら、自分の魔法書が1冊あれば、勉強にはこと足りるからで、たくさんの本をテーブルに置いておく必要はないのだ。

 そんなありさまを、書斎に入ってきたパルマが見とがめる。

 

「まあまあ、アルテシアさま。しばらく見ないうちに、だらしなくなっちまったですね。どういうことです? あの先生さまにご意見したほうがいいですかね」

「ああ、ごめんなさい、パルマさん。すぐに片付けるわ。ちょっとね、実験してみようと思っただけ。うまくいかなかったけど」

 

 書斎へと入ってきたパルマの指摘に、アルテシアはあわてて立ち上がるとそばにある本を、手に取る。それを書架へと戻していくのだが、パルマは見ているだけで、手伝おうとはしなかった。

 

「実験って、なにをするつもりだったんです?」

「学校でね、見たことがあるんだ。離れてたからよくわからなかったけど、あれと同じことができるんだとしたら。そしたら、今度のこと、説明できるんじゃないかなって」

「今度のことって、なんです? まさか、なにか危ないことでもやろうってんじゃないでしょうね。あの先生さまから、よーく言いつけられてるんですよ、あたしは。アルテシアさまのこと、ちゃんと見てないと大変なことになるっておどかすんですよ、あの先生さまはね。まさか、そんなことしちゃいねぇですよね?」

 

 マクゴナガルには、ルミアーナ家にお邪魔してから戻るという伝言を引き受けてもらっている。きっとそのときに、パルマにそんなことを言ったのだろう。アルテシアは、笑ってみせた。

 

「心配しないで、危ないことはしない。これは危なくなんかないから、大丈夫だよ」

「ホントでしょうね。まあ、アルテシアさまがあたしにウソを言うとは思いませんけども」

 

 その代わりに、言うべきことを言わない。そんなことはよくある話だが、はたしてアルテシアの場合はどうなのだろう。出しっ放しとなっていた本を整理し終えると、アルテシアは、魔法書の置かれた書棚の前に立った。

 

「パルマさん、魔法書のことは知ってるわよね?」

「ええ、もちろん。あたしにそれが読めたら、なんて思ったこともありましたけど、いまはそんなもんに興味はねぇです。そう言われてんですよ、あたしは」

「え? パルマさん、どういうことなの?」

「マーニャさまとお約束したんですよ。生まれてくる娘のことを頼むっておっしゃった。この娘をちゃんと育てたいんだって言ってましたよ。みんなが幸せに暮らすために必要なこと。もちろん、お引き受けしましたよ。これまで大事に、大切にお育てしてきたつもりなんですけどね」

 

 パルマは、いったい何を言ってるのか。いくぶん首をかしげてみせたアルテシアだったが、母とパルマがとても仲が良かったのは覚えている。きっと、いろんな話がされていたのだろう。

 

「あの、パルマさん」

「アルテシアさまは、ご自分の立場も考えなきゃいけません。ご存じですかね、クリミアーナ家は、アルテシアさまがおひとりなんですよ。わたしらにとって、大事で大切な人なんですよ。先生さまに言われたからってことじゃねぇですけど、ほんとに危ないこととかしないでくださいよ」

「う、うん。わかってるよ。気をつける」

「で、実験ってのは? どうなったんです?」

 

 それを説明しようとしていたのだが、ちょっと話が脱線した。そんなところだろう。アルテシアは、軽く苦笑い。

 

「ええとね、魔法書って、クリミアーナの魔女が自分の知識や魔法力なんかを詰め込んでつくるんだけど、その逆はどうなんだろうって思ったの。そんなこと、できるのかなって」

「どういうことですかね、それは」

「学校でそんなのを見たのよ。日記帳だったらしいんだけど、なにか不思議な感じがしたわ。魔法、なのかな。あんなことが、わたしにもできるのかどうか、思いつくことやってみようと思ったの。だって、そこから人が出てきたのよ。その当時に日記帳を作った人が」

 

 その日記帳とは、秘密の部屋でみたトム・リドルのものだろう。結局のところ、アルテシアはあの日記帳を手にすることはなかった。遠目にそれをみていただけ。気にはなったが、そこになにか手出しができるような状況ではなかった。

 そんな経験と、その後に起こったこととを考え合わせて導き出したもの。それがこの実験。それを確かめるための実験なのだ。

 

「あの日記帳みたいなことができるのなら、魔法書をつくった魔女を呼び出せるかもって、そんなこと考えたの。できそうな気がしたんだけどダメだった。こういうことだって思ったんだけどな」

 

 いかにも残念そうなアルテシア。つまりアルテシアは、ホグズミードで自分を探していたという女性が、魔法書より生み出された先祖の誰かなのではないかと、そう考えたのだ。あのときのトム・リドルのように、自分で考え行動できるのだとしたら、その女性は、どこでなにをしているのか、あるいは、なにをしたのか。

 

「アルテシアさま、あたしにゃよくわかりません。でもやっぱり、マーニャさまにお会いしたんですね。それだけはわかりましたよ」

「え? パルマさん。わたしはそんなこと言ってないよ」

「いいえ、そうなんですよ。それであたりまえなんだと思いますね。けどね、アルテシアさま。あたしは目の前で見てましたよ。大丈夫、心配ねぇです。アルテシアさまは、マーニャさまにいっぱい愛されて育ちました。ちゃんとこの目で見てましたから」

「パルマさん」

 

 もしそれが実現できたなら、母親に会うことができる。だがこの実験は、そんなことを考えてのことではない。アルテシアには、そのつもりはなかった。自分のまわりで起きていることの、そのいくつかは説明できるのではないかと思ってのことなのだ。たとえば、自分の杖の芯として使われているモノ。それが何かは不明だが、魔法書の女性がそれを用意し、オリバンダー氏に杖を作らせたのだとしたら。

 あの秘密の部屋でのことは、その可能性を示す実例なのであった。

 

「あたしが、ちゃーんと覚えてます。いつでも話してあげますよ」

「ありがとう、パルマさん」

「おや、そうだった。そろそろ夕食だって言いにきたとこだったですよ」

 

 あと片付けはパルマの担当であったが、その準備はいつも2人ですることになっていた。そろそろ、夕食の準備を始めようということなのだろう。2人は、台所へ向かう。だが準備には、いつもより時間がかかるのではないか。なにしろ2人とも、話すことがいっぱいあると、そう思っていたのだから。

 

 

  ※

 

 

『木曜日の夜8時、場所は魔法史の教室。』

 

 ハリーにとっては、いつもよりずいぶん長く感じられた休暇が終わり、授業が再開されたこの日、こんな知らせがハリーのもとに届けられた。この日の最初の授業は『占い学』。好きな授業ではないうえに気持ちが落ち込むような予言をされるなど、イヤなことがあった後でのこの知らせは、まさに朗報であった。

 ハリーは、このときを待ち望んでいた。これはルーピン先生からの知らせであり、『守護霊の呪文』を学ぶための特別授業の日程に関する通知なのだ。

 そして、アルテシアの姿を探す。アルテシアより先にパーバティを見つけたが、それは単に後か先かの問題。パーバティがいれば、そのそばにはアルテシアがいる。2人は談話室のなかではいつも一緒なのだ。

 

(あいつも、特別授業に来るのかな)

 

 アルテシアも、覚えればいいんだ。ハリーはそう思っていた。アルテシアは、ホグワーツ特急で吸魂鬼のために気を失ったと聞いている。それに、吸魂鬼をとても怖がっているらしい。きっと役に立つのに。

 そろそろ8時になる。だが、アルテシアには動き出す様子がない。どうやらルーピンの特別授業は、ぼくだけのようだ。軽くため息をつくと、ハリーは談話室を出て『魔法史』の教室に向かった。

 

「やあ、ハリー。特別授業は、これから毎週木曜日、ここでやることにしよう。守護霊の呪文は、1度や2度やったくらいで覚えられるようなものじゃないからね」

「は、はい。お願いします。この呪文を使ったなら吸魂鬼をやっつけられるんですよね?」

「そうじゃないよ、ハリー。魔法がうまくいけば守護霊が出てくるけど、それはいわばキミの保護者だ。キミと吸魂鬼との問で盾となり、キミを守ってくれるんだ」

「でも、追い払うって聞きましたけど」

 

 これは、ソフィアからの情報だ。ダンブルドアがこの魔法を使ったために、吸魂鬼は逃げていったのだ。ルーピンがうなずく。

 

「とにかくやってみよう。練習には、まね妖怪を使う。こいつはキミの前では吸魂鬼に変身するはずだからね」

「なるほど」

「いいかい、呪文を唱えるときには、なにか一番幸せだったことを思い出すんだ。強く思うことが大切だよ。うまくいけば、守護霊が出てくる」

 

 とにかくやってみることだと、ルーピンは言う。それは、ハリーも同意見だった。

 

「最初は、まね妖怪なしでやってみよう。呪文は、こうだよ。エクスペクト・パトローナム(Expecto patronum:守護霊よ来たれ)」

 

 ハリーも、ルーピンのようにして杖を構える。

 

「やってごらん」

「はい。エクスペクト・パトローナム」

 

 なにも起こらない。もちろんハリーも、いきなり成功するとは思っていない。

 

「なにか幸せなことを思い浮かべるんだ。それに神経を集中すること。いいね?」

「はい。エクスペクト・パトローナム」

 

 幸せなこと。そんな思い出なんて、ぼくにはない。ハリーはそう思っていた。でも、ホグワーツに入学できたこと。友だちができたこと。これらは、まさにそうだ。そして。

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

 杖の先から、なにか銀色の霧のようなのものが噴き出した。だがそれは、あっという間に拡散し、消えてしまう。

 

「おぉ、さすがだね。よくやった、ハリー」

「うまくいったんでしょうか? ぼく、初めて箒に乗ったときのことを思い浮かべたんです」

「さすがに成功とは言えないけど、すごいことだよ。初めてでここまでできるとは」

「ありがとうございます」

「よーし。それじゃ、まね妖怪を使ってみよう。いいかい?」

 

 もちろん、ハリーはうなずいた。いまの状態なら、相手がまね妖怪、つまり吸魂鬼のニセモノでも成功するはずだ。そうに決まっている。そんな高揚した気持ちのままで、ハリーが杖を構える。ルーピンが、箱の蓋に手をかける。その箱のなかにまね妖怪がいるのだ。

 箱の中から出てきたのは、予想どおり吸魂鬼。フードに覆われた顔がハリーの方を向き、その手が、ハリーへと伸びる。箱を出た吸魂鬼が、すーっと滑るようにハリーに迫ってくる。

 

「エ、エクスペクト・パトローナム!」

 

 だが、凍えるような冷気がハリーを包んでいく。守護霊は現れない。その代わりに、声が聞こえてきた。

 

(ハリーはやめて、ハリーには手を出さないで)

 

 これは、母親の声。ハッフルパフとのクィディッチの試合のときに聞いた、あの声だ。母親の声が、あのときよりも強く、はっきりと、頭の中に響いた。

 

「おい、ハリー。大丈夫か、ハリー!」

「ああ、すみません、先生。大丈夫です」

 

 いつのまにか、床に倒れていたらしい。起き上がるハリーに、ルーピンがチョコレートのかけらを渡す。

 

「どうする? もう1回やってみるかい」

「はい、やらせてください」

 

 チョコレートが、身体を温めてくれる。あの吸魂鬼はニセモノなのだが、さきほどの冷気といい、ハリーに与える影響はホンモノと変わらぬようだ。声すらも、あのときと同じように聞こえた。

 

(どうしてハリーなの。幼い子に手を出さないで)

 

 あの声は、母のものだ。そのあとに、何が起こったのか。ハリーが知っているのは、その結果だけだ。この練習で、あるいはその過程がわかるのかもしれない。そんな期待も、ハリーの中にはあった。だが、実際にまね妖怪の吸魂鬼が現れると、そんな余裕も消え去る。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

 やや灰色がかった、霧のようなもの。杖から出たのは、それだけ。残念ながら、守護霊にはなれていない。

 

(リリー、逃げるんだ。忘れたのか、ハリーなら大丈夫だ。キミが死んじゃいけない。こいつは、ぼくが食い止める)

 

 初めて聞く声だった。男の声が引きつったような声で叫び、甲高い笑い声が響く。

 

「ハリー、ハリー、しっかりするんだ」

「あ、ああ、先生。ぼく、また失敗したんですね」

 

 その通りだった。床に倒れていたのがなによりの証拠だろう。だが、まだ耳に残るあの声。あの声は。

 

「父さんだ。父さんの声が聞こえた。きっと、そうなんだ」

「ジェームズの声を聞いたって?」

「きっと、そうです。母をかばってヴォルデモートに向かっていったみたいだった。でも」

 

 ハリーなら大丈夫だと、そう言っていた気がする。それは、なぜ? なぜ、父さんは?

 

「ハリー、今日はもう、これでやめよう。最初に言ったが、1度でできるようなものじゃない。大人の魔法使いでもむずかしい呪文なんだから」

「は、はい。でも先生、たしかぼくの父のことをジェームズって…… 父を知っているんですか」

 

 一瞬、ルーピンはなにか考え込んだようだ。だが、すぐに笑顔を見せる。

 

「そうだよ、実はよく知っている。ホグワーツでは友だちだったからね」

「じゃあ、シリウス・ブラックのこともご存じなんですよね」

「どうして、そう思うんだい」

「いえ、ただぼく、父とブラックとがホグワーツで友だちだったってことを知ってるだけです」

 

 いくらか緊張した顔つきのルーピンだったが、その表情が和らいだ。

 

「そうだよ、わたしとジェームズ、それにシリウス・ブラックともう1人。4人一緒に遊び回ったりしていたよ」

 

 言いながら、ルーピンが板チョコを1枚、ハリーに渡す。

 

「今日は終わりだ。一晩にしては十分過ぎるほどの成果だったと思うよ。また来週の木曜日、続きをやろう」

「はい、先生」

 

 もう1度くらい挑戦してみたかったが、今日のところはこれで満足すべきだろう。そう自分を納得させ、ルーピンにあいさつをして教室を出る。まだ手に持っていたチョコレートの残りを食べながら、グリフィンドール塔へと歩いて行く。

 

(でも、父さんは、おかしなことを言っていた)

 

 ハリーなら大丈夫だ。

 どういう意味なんだろう。あの高笑いはヴォルデモートに決まっている。ヴォルデモートは、父と母を殺し、ぼくも殺そうとした。でも、失敗した。殺せなかった。稲妻型のキズがついたのはともかく、ぼくは、無事だった。殺されることはなかった。もしかすると、父さんと母さんは、そうなることを知っていたのだろうか。なぜ? どうして?

 チョコレートを食べ終えても、気持ちは、すっきりとはしなかった。

 

 

  ※

 

 

「なぁ、キミ。ソフィアだったよね。お願いがあるんだ」

 

 ロンが呼び止めたのは、まさしくソフィア。ソフィアは、だいたいいつも、1人で大広間へとやってくる。このときがチャンスだと、ロンはそれを狙っていたのだ。

 

「なんですか。ウィーズリーさんですよね。もう朝食はお済みなんですか」

「ああ、いや。それはこれからだよ。キミと話をしてからだ」

「では、お互いにお腹がすいてるわけですから、手短にお願いします」

 

 廊下の脇へ寄り、2人は話し始める。ハリーやハーマイオニーたちは、いなかった。もちろん、ロンがそうなるようにしたからだ。

 

「お願いしたいことがあるんだ。ドラコ・マルフォイに言ってほしいことがある」

「なにを、ですか」

「知ってるだろ、ドラコがヒッポグリフにケガをさせられたこと。あの件は自分が悪かったんだって、そう言うようにマルフォイに」

「それ、ムリだと思いますよ」

 

 ロンの言葉が終わらぬうちに、ソフィアから返事が返ってくる。拒否した、というわけではないが、ロンの意向には添えないという意味では同じだ。

 

「それに、ずいぶん前のことですよ。さすがにもう、ケガしてるフリもやめてますし、いまさら自分が悪かったなんて言うはずないです」

「そうだけど、仮病だったってことを白状させたいんだ。そうしないと、ヒッポグリフが処分されることになる」

「処分? 命を奪われるってことですか。どうしてそんなことに」

「生徒にケガをさせた危険な生き物ってことにされそうなんだよ。だけどマルフォイが自分のせいだったって認めれば、そうならずに済むと思うんだ」

「それは、そうなのかもしれませんけど」

 

 ソフィアにはめずらしく、言いよどむ。その理由なのかどうかはわからないが、そのときロンは、背後からの声を聞いた。

 

「余計なお世話だぞ、ウィーズリー。あのヒッポグリフがどうなろうと、ぼくの知ったことじゃない」

「あ、いや。けど、処分されるだなんて、あんまりだと思わないか」

 

 後ろにいたのは、ドラコ・マルフォイ。どうやら、話もすっかり聞かれていたらしい。だがドラコは、ロンを無視してソフィアへと目を向ける。

 

「こんなヤツと話なんかするんじゃない。さっさと広間へ行くんだ。食事の時間だろう」

「ええ、そうします。でもマルフォイさん」

「なんだ」

「もし、そのヒッポグリフが処分なんかされたら、アルテシアさんはどう思うんでしょうね」

 

 ドラコとロンの、驚きの混じった視線のなか、ソフィアは足早に大広間へと入っていく。さて、残された2人はどうしたか。

 

「いいか、ウィーズリー。言っておくが、あのヒッポグリフがどうなろうとぼくの知ったことじゃない。だけど、そのことでアルテシアが悲しむのだとしたら。それは、ぼくの本意じゃないんだ」

「マルフォイ、おまえ、どういうつもりだ」

「なにがだ」

「アルテシアのことだ。アルテシアはグリフィンドールだぞ。ちょっかいかけてくるのはやめろよ」

 

 唖然とした顔をしたのは、わずかの間。すぐに、いつものちょっと相手を小馬鹿にするような目つきに変わるドラコ。ロンも精一杯、その目をにらみつける。

 

「はんっ、お笑いぐさだぞ、ウィーズリー。同じ寮だから、なんだ。それで、アルテシアの友だちにでもなったつもりか。おまえごときが、クリミアーナのことをえらそうに語るんじゃない」

「なんだと、マルフォイ。おまえこそ、スリザリンじゃないか。いくらスリザリンでも女の子ぐらいはいるだろう。おまえは、パンジー・パーキンソンで満足しておくべきだ」

 

 どうやら口では、ロンはドラコにかなわないらしい。ドラコのほうには、余裕がみてとれる。

 

「なんだ、ウィーズリー。女の子を紹介してほしいのか。なら、そう言えばいいだろう。けど、さっきの子はやめとけ。陰気だし、ちっとも笑わないぞ。アルテシアとは全然違うんだ」

「黙れ」

「さっき、おまえと話をしていたが、あいつが、あんなに話をするのはめずらしい。案外おまえ、気に入られてるのかもしれないぞ。どうだ、嬉しいか」

「うるさい。勝手にしゃべってろ」

 

 2人が話をしたのは、そこまでだった。

 

 

  ※

 

 

「ソフィア、そこに座って。わたしの隣よ」

「はい」

 

 週末の午後、アルテシアとソフィアは、マクゴナガルの執務室を訪れていた。いつもならマクゴナガルとの勉強会の時間なのだが、今日はそこにソフィアが加わっていた。

 マクゴナガルは彼女の執務机に座り、その前にアルテシアとソフィアが座っている。

 

「ミス・ルミアーナ。わたしも、あなたのことをソフィアと呼ばせてもらいますが、かまいませんね?」

「もちろんです、先生。でもわたしがミネルバ先生とお呼びするのは、ダメなんですよね?」

「ああ、なるほど。それもいいかもしれませんね」

「え! いいんですか?」

 

 ソフィアだけではない、アルテシアからも、同じような驚きの声。

 

「わたしは、まったくかまいません。あなたたちの好きなようにお呼びなさい」

「ありがとうございます」

 

 2人ともそう返事をしたが、さて、本当にそう呼ぶのかどうか。表情をみる限りでは、かなり本気のようにみえる。ソフィアが手をあげた。

 

「質問、いいですか? 今日、わたしが呼ばれたのはどういう訳でしょう。なにか、理由があるんですよね?」

「もちろんです。あなたはアルテシアと同じ、クリミアーナの魔法を使いますからね。失礼は承知のうえですが、見比べ、確かめてみたいのです」

「わたしと、比べるっていうんですか」

 

 これにはアルテシアもびっくりしたらしい。ソフィアと顔を見合わせたあとで、マクゴナガルを見る。

 

「そんな、イヤそうな顔をするものではありません。あなたたちも承知しているでしょうが、アルテシアは魔法使用により体調を崩すことがよくあります。このことについて、確かめたいことがあるのです」

「あの、どういうことでしょうか」

 

 さすがにアルテシアも不安げだ。ソフィアを紹介するだけだというそんな軽い気持ちでいただけに、話の展開についていけないのだろう。

 

「ソフィア、あなたは魔法を使用したことで、寝込んだりしたことはあるのですか?」

「あぁ、なるほど。そういうことですか。そういうことなら、わかりました。そのことは、わたしの母とも話をしたことがあります」

「あるのですか、ないのですか。その返事が先です」

「すみません。わたしには、そんな経験はありません。さすがに気持ち悪くなったことは、えーと、3回か4回くらいかな。気分が悪くなったりしましたけど、寝込むほどではありませんでした。しばらく休めば元気になりました」

「そうですか」

 

 このあたりのことは、アルテシアも疑問に思っているところだ。アルテシアとソフィアとが、まったく同じ魔法を使ったわけではないので簡単に判断はできないが、アルテシアのほうが、身体への負担がより大きくなるのは間違いないようだ。

 

「マクゴナガル先生、あ、違った。ミネルバ先生、そのことは、この休暇中にルミアーナ家でさまざま話をしているんです。わたしたちの考えを聞いてもらえますか。わたしたちの結論は」

「お待ちなさい、アルテシア。やはり、ミネルバ先生という呼び方はやめましょう。いままでどおりの呼び方にするように」

「あ、はい。わかりました」

「それで、あなたたちの結論は、アルテシアには何か足りないものがある。そういうことになったのですか?」

 

 まさに、そのとおりであった。ソフィアとその母アディナ、そしてアルテシアもそう考えたのである。

 



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第53話 「本当に怖いもの」

 マクゴナガルの執務室で、勉強会ならぬお茶会を終えたソフィアとアルテシアが、廊下を歩いていた。このあと2人は、いつもの空き教室でパチル姉妹と会うことになっている。マクゴナガルとどんな話をしたのか。4人の話題は、そのことが中心となるのだろう。

 

『アルテシアには、何か足りないものがある。』

 

 それがマクゴナガルの意見だったし、同じことをアルテシアたちも考えていた。問題は何が足りないのか、ということ。そしてそれを、どう補うのか。

 気になるのは、パチル姉妹がホグズミードで会ったという女性のことだが、この女性に関して、アルテシアには仮説があった。だがその実証のための実験は、失敗している。つまり、アルテシアの持つ知識と能力においては、この仮説にはムリがあると判断するしかない。

 

「わたし、ミネルバ先生が、なにか知ってるような気がするんですけど」

「どうかな。そんな気はするけど、もしそうなら話してくれると思うんだよね。わたしたちのこと、ちゃんと考えてくれる人だよ」

「そうですけど、なにか隠してます。間違いないです。あたしのカンですけど」

 

 3人で話しているとき、マクゴナガルはホグズミードの女性に対するアルテシアの仮説について、まったく意見を言わなかった。それが不自然すぎると、ソフィアは言うのだ。

 

「これは、調査が必要だと思います。いいですよね?」

「なにするつもり?」

「わかりません。でも、なにかしないと。きっとなにか、あたしたちの知らないことがあるのに決まってる」

「ねぇ、ソフィア。ムチャはだめよ。マクゴナガル先生は、言いたくても言えないのかもしれない。話せるようになったら話してくれるわ」

「それじゃ、遅い気がするんですよね。とにかく、パドマ姉さんの意見も聞いてみます。でも、ほんと、誰なんでしょうね」

 

 ホグズミードにいた女性は、何者なのか。結局、問題はこの点に戻ってくる。ブラック家に嫁入りしていた女性のこともあるが、なにか関係しているのか。あるいは、同一人物なのか。

 

「やっぱりホグズミードに行ってみたほうがいいんじゃないですか」

「そうだね。わたしも、そう思ってる。あの人はもういないようだけど、なにかわかるかもしれないしね」

「じゃあ、今から行きますか。わたしが“飛ぶ”のは、先生に禁止されてはいませんよ」

「そうだけど、ホグズミードに行くことそのものが禁止されてる。ダメだよ。休暇になってからね」

「じゃあ、イースターのお休みのとき」

「いいえ、夏休みのほうがいいわ」

 

 きっと、そのほうがいいのだ。ずいぶん先となるが、夏休みのほうが、落ち着いてゆっくりと探せるだろう。もちろん、そこに何かがあるのなら、ということだが。

 

「え?」

 

 突然の騒がしい音に目をむけると、廊下の向こうで何冊もの本をはでに廊下にぶちまけた生徒がみえた。

 

「あれ、グレンジャーさんですね」

「きっと、カバンが破れたんだね」

 

 2人はすぐに駆けつけ、散らばった本を拾い集めるのを手伝う。

 

「すごい量の本だね、ハーマイオニー。あんまりムリしないほうがいいと思うけど」

「いいえ。拾ってくれたのは感謝するけど、みんな必要な本なの。減らすことはできないわ」

「でも、時間の重なる教科のどちらかをやめれば、少しは負担が減るんじゃないの? ずいぶん疲れてるみたいだし、そうしたほうがいいよ」

 

 破れたカバンはレパロ(Reparo:直れ)の呪文で修復し、どんどんと本を詰め込んでいたハーマイオニーの手が、ピタリと止まった。

 

「アルテシア、いまのはどういう意味?」

「意味なんてないよ。普通の時間割に戻せばずいぶん楽になるんじゃないかと思っただけ。ハーマイオニーは『占い学』やめてもいいんじゃないかな」

「まさか、アルテシア。気づいてた? いつから?」

 

 ハーマイオニーの目はこんなに大きかったのか、と誰もが驚くであろうほどに、目を見開いたハーマイオニー。そんなハーマイオニーの前で、アルテシアは自分の巾着袋に手を突っ込んだ。そして取り出したのは、キレイなビーズで飾られたバッグ。大きさとしては、アルテシアの巾着袋とほぼ同じくらいの小さなものだ。

 

「もし良かったら、これ、使って。その本、全部入ると思う。持ち運ぶのは便利になるよ」

「あ、ありがとう。でもアルテシア」

 

 だが、アルテシアは軽く2度うなずいてみせただけ。ハーマイオニーが、それ以上は何も言えないでいるうちに、ソフィアとともに、その場をあとにする。

 

「グレンジャーさんだったんですね、時間の操作をしていたのは」

「うん。時間の重なる科目の両方の授業に出るためにそうしてたみたい。勉強熱心だなって感心してたんだけど、このごろは疲れてるようで気になってた」

「でも、どうやってるんでしょう。時間を操るのは大仕事だって、うちの母はよく言いますけど」

「そうだよね。さすがは学年一の秀才ってことかな。わたしには、怖すぎてあんなことできない」

 

 そう言って、苦笑い。だがそれがアルテシアの、あるいはソフィアの正直な意見だ。時間の流れに逆らうのだから、相応のリスクもある。ちょっとした不注意であろうとも、その影響は計り知れないものとなってしまうのだ。

 時間操作のまえと後とでは、いささかの矛盾も許されないのだと、アルテシアは思っている。だからアルテシアは、これまでその操作を行う際には限定した狭いエリアを設定、その中でだけにとどめてきた。例えるなら、マクゴナガルのティーポットの中だけを対象とし、時間を戻すことで冷めた紅茶を温める、あるいはトロールの周辺だけに限定し、時間の流れを10分の1にする、といったように。

 

「でも、不思議ですね。クリミアーナの魔法を使える人が、ほかにもいるなんて」

「ハーマイオニーのこと? そういえば、そうだよね。それに魔法族がそんな魔法を使うなんて、これまで聞いたことない」

「でも、できるんですね。あんまり、バカにしてもいけないみたいですね」

「そりゃそうだよ。わたしたちは、その魔法を学ぶために、このホグワーツに来てるんだからね」

「あたしは違いますよ。いまは、アルテシアさまのそばにいるために来てるんですから」

「ダメだよ、それじゃ。ちゃんと素直に魔法を学びなさい」

 

 ソフィアは、ちゃんと勉強しているのだろうか。ふと、そんなことを思ったアルテシアだが、すぐにその考えを振り払う。ソフィアは明るくて素直ないい子だ。魔法の腕も確かであり、信頼できる。そんなこと、自分が一番よく知っている。

 

 

  ※

 

 

 ハリー・ポッターの特別授業は続いていた。もちろん『守護霊の呪文』を学ぶためのものだが、さすがに簡単ではなかった。それでも、このところは、もやもやした銀色の影を造り出せるようになっていた。さすがに吸魂鬼を追い払えるとは思えないが、ルーピンによれば、13歳の魔法使いにとっては大変な成果、であるらしい。

 その日の練習を終えると、ルーピンはバタービールをカバンの中から取りだした。

 

「ハリー、少し話をしないか。これでも飲みながら。まだ、飲んだことないはずだ。『三本の箒』のバタービールだよ」

 

 ハリーは許可証の用意ができていないので、ホグズミード行きを認められていない。なのでバタービールも初めてだろうと、ルーピンは思っていた。だが実際には、ハリーは秘密の通路を通ってこっそりとホグズミードに行っている。

 

「もう、知ってるかな。魔法省が吸魂鬼に、ブラックを見つけたらキスしてもいいと許可したらしい」

「キス?」

「吸魂鬼は、キスによって相手の魂を口から吸い取るんだ。吸い取られた者は、ただ存在するだけの抜け殻となってしまう」

「ブラックは、そうなるんですね。当然の報いだ」

 

 そんなハリーの言葉に、ルーピンの表情がわずかにゆがむ。ハリーも、そのことには気づいたようだ。

 

「あの、ルーピン先生」

「ああ、ごめん。でもハリー、それを当然の報いだと、そう言ってしまっていいんだろうか。ぼくは、このごろ考えてるんだ」

「なにを、ですか」

「友だち、ということをだよ。ハリー、きみにも友だちがいるだろう。その親友が命を狙われているとしたら。ハリー、きみならそのとき、何をする?」

 

 シリウス・ブラックとジェームズ・ポッターは、親友だった。ホグズミードの『三本の箒』で、マクゴナガルや魔法大臣たちがそんな話をしていたのを、ハリーは聞いている。ルーピンは、そのことについて言おうとしてるのだろうと、ハリーは考えた。

 

「助けたいと思うんじゃないかな。命を狙う相手から守りたい、逃がしたいと、そう思うんじゃないだろうか。そのために何をするのがいいのか。それを考えるんじゃないかな」

「ルーピン先生、でもブラックは」

「ああ、そうだよ。でもハリー、裏切ってしまえばそれまでだ。友だちじゃなくなる。親友には戻れない。それがわかっているのに、なぜだろう。このごろぼくは、そんなことを考えているんだ。何か知らないことがあるんじゃないか、知らなくちゃいけないことがあったんじゃないかってね。その何かがわかれば、疑問は解消するかもしれない」

「でも、ブラックは裏切ったんだ。ぼくの父さんを」

 

 魔法大臣は、あのとき、そう話していた。それが真相だ。だからこそブラックは、アズカバンに入れられていたのだ。ハリーは、そう叫びたかった。だがルーピンのどこか悲しげな顔が、それを思いとどまらせる。

 

「もしかすると、真相は違うのかもしれないよ。このごろぼくは、そんなことを思ってるんだ。そう思うようになったのは、あの女の子に会ったからだけどね」

「それは、誰のことですか」

「覚えてるだろう。初めての授業で、キミたちにまね妖怪と対決させた。キミには対決させてやれなかったけど、もう1人、そうした生徒がいる。ハーマイオニーじゃないよ」

 

 であれば、アルテシアだ。あのときまね妖怪と対決しなかったのは、3人だけ。ハーマイオニーは質問に答えたから。ハリーは、まね妖怪がヴォルデモートに変身することを避けるため。では、アルテシアは?

 

「アルテシアは吸魂鬼を怖がっていると聞いてたからね。だったらまね妖怪は吸魂鬼になるだろうと思った。でも、違ったんだよ」

「違う?」

「そう、違うんだ。たしかにホグワーツ特急で吸魂鬼と会ったときには、とても怖い思いをしたらしい。でも彼女は、こう言ったんだ。『本当に怖いのは、友だちを失うこと』だってね。ぼくは、その言葉に、頭を殴られたような気がしたよ。そう、友だちを失うことは、とても怖いことなんだ」

「どういうことですか」

 

 バタービールは、温かい飲み物だ。身体を温めてくれるのだが、なぜかハリーは、寒気を感じていた。ルーピンが何を言うのか、その続きを待っていた。

 

「キミのお父さんとシリウス・ブラックは友だちだった。それは知ってるんだよね。でもそれは、学校時代だけじゃないよ。卒業してからもずーっとそうだった。そんな親友を、裏切れるものだろうか。裏切ればどうなるだろう。少なくとも、友だちを1人失うことだけは確かだよ。大切な親友をね」

「で、でもブラックは、裏切ったんだ。友だちだなんて思ってなかったんだ。きっとそうだ」

「いや、そうじゃないよ。ぼくたちは友だちだった。あんなことがあって、ぼくたちは大切な親友を失った。アルテシアが言うように、これはとてもつらいことだよ」

「で、でも」

 

 ハリーは、一生懸命に言葉を探した。ルーピンに反論するための言葉を、必死に探した。だが、簡単にはみつからない。

 

「きっとなにか、理由があるんだ。そうに決まってる。あいつが父さんを裏切ったのは間違いないんだ」

「そうだね、ハリー。なにか、理由があったんだ。ぼくは、それを知りたいと思っているよ」

 

 バタービールを飲み終えたところで、この日の特別授業は終わりとなった。

 

 

  ※

 

 

 週末の談話室は、にぎやかだ。そんななかでハリーは、じっとアルテシアを見ていた。もちろん気づかれないようにと少し距離を置いてはいるが、気づかれていないという自信はなかった。だがそれでも、じっとアルテシアを見る。アルテシアの一番怖いものは、友だちを失うことらしい。そんな、ルーピンの言葉を思い出す。アルテシアの友だちとは、誰だろう。

 

(パーバティ、だよな)

 

 ふと、口をついて出た名前。そのことには、誰も異論はないはずだとハリーは思う。そのパーバティが友だちでなくなったとしたら、アルテシアはどうするだろう。友だちではなくなるようなことを、あいつはするだろうか。

 

「どうした、ハリー。じっと見てるのはアルテシアだよな」

「ち、違うよ、ロン。そんなんじゃない」

「隠すなよ、ハリー。ぼくだって、気づいたらあいつを見てたってこと、よくあるんだ」

「いや、でも、ほんとに」

「なあ、ぼくたち、あいつと仲直りしなくていいのかな。このままだと、ほんとに友だちじゃなくなる気がするんだよな。いろいろあったけど、もういいんじゃないかな」

 

 たしかに、いろいろあった。でもそんなことはみんななしにして仲直りしたっていいはずだ。ロンの言うとおりだろうと、ハリーも思う。アルテシアと友だちじゃなくなる。たしかにそれは、怖いことだ。話すこともできなくなるなんて、いいことであるはずがない。

 

「わかった、ロン。仲直りしよう。ぼくたち、ちょっと疑いすぎただけなんだ。あいつが悪いやつじゃないことくらいよくわかってる」

「そうだよ、ハリー。じゃあ、さっそく」

「まてよ、ロン。まずハーマイオニーが先だ。ファイアボルトのことで、ぼくたち、ハーマイオニーを責めすぎた。最初にそのことを謝ろう」

「謝るだって! あれはハーマイオニーが悪いんだ。告げ口するなんて、最低の行為だ。ボクたちに対する裏切りだ。そうだろう?」

 

 ロンの言葉に、ハリーはドキッとした。あれは、裏切り行為。でもハーマイオニーは、ハリーの安全のためにとしてくれたのだ。もし本当に呪いがかけられていたなら、今度こそハリーは大けがだ。間違いなくハリーのためを思ってしてくれたことなのに、裏切ったことになってしまうのか。

 

「な、なあ、ロン」

 

 そう言いかけたとき、談話室の中が、急に騒がしくなった。わっと、歓声のようなものが聞こえたのだ。そちらへ目をむけると、ファイアボルトを手にしたマクゴナガルがいた。

 

「おい、見ろよハリー。うわっ、きっと呪いのチェックが終わったんだ。そうに決まってる」

 

 もちろん、ハリーもそう思った。でもなければ、ファイアボルトを持ってくるはずがない。ハリーは、ロンを引き連れるようにしてマクゴナガルのところへ急いだ。

 

「せ、先生」

「さあ、受け取りなさいポッター。考えつくかぎりのことはやってみましたが、どこもおかしなところはないようです。調べた結果、これは安全だと判断されました。どうやらあなたは、とてもよいお友だちをお持ちのようですね」

 

 マクゴナガルと話しているあいだは、談話室のなかはとても静かだったようだ。しーんとした部屋の中に、マクゴナガルの凛とした声が響く。全員が、その言葉を聞いただろう。

 

「返していただけるんですね、先生」

「次の土曜日がレイブンクローとの試合でしたね。これに乗り、大活躍するあなたをみたいものです」

「もちろんです。絶対にスニッチをとってみせます」

 

 つかの間、静かになっていた談話室に、歓声が巻き起こる。その中心はハリー・ポッターであり、ファイアボルト。もうこれで、レイブンクロー戦の勝ちは決まった。誰もが、そう思っているようなはしゃぎようだった。

 

 

  ※

 

 

 ハリーのファイアボルトで大騒ぎとなった談話室から、マクゴナガルはそっと抜け出していた。その後ろには、アルテシアとパーバティがいる。3人は、顔を見合わせ、笑いあう。

 

「さすがに大騒ぎとなってしまいましたね。本人にこっそり渡すことも考えはしたのですが」

「でも、みんな喜んでるんだから、このほうがよかったと思います」

「そうですよ。それに試合に間に合ってよかったです。もしかして、このタイミングを狙っていたとか」

 

 さすがにそれは、マクゴナガルの耳を素通りしてはくれなかった。

 

「ミス・パチル。わたしは、そんなことはしません。必要なだけ時間をかけた結果として、たまたま今日となっただけです」

「ああ、はい。もちろん、そうです。でもレイブンクローに勝てるでしょうか。レイブンクローのシーカーは、チョウ・チャン先輩だって聞いてます。ケガもなおったそうだし、強敵だと思うんですけど」

「そうなのですか。チョウ・チャンは、たしかにうまい選手です。ですが、技術面ではハリーもひけはとりませんよ。ファイアボルトのことも考え合わせると、わがグリフィンドールチームが優勢だと思いますね」

「やっぱりそうですよね。妹のパドマは、ハリーにファイアボルトが戻ってさえこなければレイブンクローの勝ちだって言ってました。そのとおりになりそうですよね」

 

 パチル姉妹も、クィディッチに興味はあるようだ。マクゴナガルのクィディッチ好きは有名だし、おそらく試合まではこの話題でもりあがるのだろう。アルテシアはそれほど興味はないのだが、もちろん、みんなが楽しんでいることに水をさすようなことをするつもりはない。一緒に応援もするし、話題にも参加するつもりでいた。

 その日からは、ハリーたちだけでなく、グリフィンドールだけでもなく、学校全体がファイアボルトに注目していた。この最高級の競技用箒は、試合の行方を左右する。誰もがそう思っていた。

 そんな大きな話題の裏で、その当人たちにとってはとんでもなく恐ろしい事件が発生していた。ロンとハーマイオニーそれぞれのペットをめぐる事件である。

 

 

  ※

 

 

「アルテシア、なにかいい方法はないかしら」

 

 寮の部屋に戻ってくるなり、ハーマイオニーはそう叫ぶと、自分のベッドに飛び込んだ。うつぶせなので、その表情まではわからないが、ハーマイオニーがアルテシアに話しかけてくるなど、この数か月なかったことだ。

 その珍しさに、同室のパーバティとラベンダーが目を丸くする。それは、アルテシアも同じだ。だが何を尋ねられているのか、それがわからない。

 

「あの、ハーマイオニー。なんのことかしら」

「クルックシャンクスなのよ。ロンのスキャバーズを食べちゃったかもしれないの。そんなはずないって否定はしてるんだけど、血のついたシーツを見せられて。しかもそこに、クルックシャンクスの毛が落ちていたっていうのよ」

「うわあ、それはまた。状況証拠がそろっちゃったわね」

 

 くいっと、ハーマイオニーが頭をあげた。その鋭い目で、ラベンダーをにらみつける。

 

「でも、クルックシャンクスはそんなことをしないわ。なんとかして無実を証明したいの。ロンはカンカンだし、ハリーもロンに味方してる。あたしにも味方が必要なのよ」

「も、もちろんよ、ハーマイオニー。それで、クルックシャンクスはどこにいるの?」

 

 ガバっと、ハーマイオニーが身体を起こした。そして、慌てたようにアルテシアを見る。

 

「ねぇ、アルテシア。わたしたち、ケンカなんてしてないわよね。仲直りしなきゃいけないようなことなんて、なんにもないわよね?」

「え?」

 

 その疑問系の短い言葉を、アルテシアだけが言ったのではない。ラベンダーとパーバティの口からも、ほぼ同時に発せられていた。それほど、唐突な言葉だった。

 

「ロンが言うのよ。アルテシアと仲直りしなきゃいけないって。でも、そんな必要ないわよね?」

「え、ええ」

 

 戸惑いつつも、そう答えるアルテシア。

 

「だったら、あなたに相談してもいいわよね。ねぇ、アルテシア。あたし、いっぱい話したいことがあるの。聞いてほしいことがいっぱいあるの。いいわよね、アルテシア」

「ええ、もちろんいいわ。いいんだけど、でもどうしたのハーマイオニー」

 

 いつもと様子が違う。ハーマイオニーはどうしたのだろうかと、アルテシアだけでなくパーバティとラベンダーも、そう感じていた。あまりのことに、彼女たちは忘れていたのだ。スキャバーズとクルックシャンクスとのことを。

 

 

  ※

 

 

 レイブンクロー対グリフィンドールの試合は、さながらファイアボルトのお披露目のためのもの。レイブンクロー生がどう思っているかはともかく、グリフィンドールでは、誰もがそう思っていた。勝敗よりも、ハリー・ポッターがどんな飛びっぷりをみせてくれるか。まさに、関心はその点だ。そう思っている人たちのなかでは、とっくに勝敗は決まっているのだ。

 試合が始まる。選手でない者たちは、観客席に集まることになる。もちろん、ロンもだ。そのロンのところへ、アルテシアが近づいていく。2人は、客席の片隅に並んで座ることになった。少し遅れてパーバティとソフィアもその近くへと座ったが、はたしてロンは気づいたかどうか。それを疑いたくなるほど、ロンはとなりのアルテシアに気を取られていた。これでは、試合を見るどころではない。

 

「ねぇ、ロン。ロンにお礼が言いたかったの。ありがとう」

「あ、ええと、なんのことだい、アルテシア。ぼく、なにかしたっけ?」

「ヒッポグリフのバックピークのことよ。ドラコに頼んでくれたんだよね。助けてくれるようにって。バックピークは、わたしを背中に乗せて空を飛んでくれたことがあるの。こんなことでお別れしたくないもの」

「ああ、でもあれは」

 

 たしかにロンは、そのことをドラコに話している。だが、ドラコが素直に聞いてくれたとは思えない。少なくともロンは、そう思っていた。それでもアルテシアが喜んでくれているのなら、ドラコへの頼み事など屈辱でしかなかったけれど、その甲斐はあったということだ。

 

「それにね、ロン。スキャバーズのことなんだけど」

「ああ、なんだい」

「聞いたわ。行方不明なのよね」

「それは違うよ、アルテシア。ハーマイオニーの猫に食べられたんだ」

 

 この話をすれば、声も大きくなり騒ぎ出すかもしれないとアルテシアは思っていた。だが、実際はずいぶんと冷静なようだ。目の前でクィディッチの試合が行われているからなのかもしれないが、これなら話ができるとアルテシアは考えた。

 

「そうらしいね。けどロン、それって間違いないの? もし、ほんの少しでもそうじゃない可能性があるんなら、ハーマイオニーを責めない方がいいと思うよ」

「まてよ、アルテシア。キミも、ハーマイオニーの味方をするんだな。残念だよ。キミはそうじゃないと思ってたのに」

 

 言葉はキツくなってきたが、口調はまだ冷静だ。アルテシアは、試合を見ていた目を、ロンへと向けた。ロンと目が合う。

 

「ロン、友だちをなくすのは簡単だよ。はっきりとしないことで疑えばいい。相手の言うことなんか聞かずに責めればいいんだよ」

「アルテシア」

「でもね、ロン。もしその疑いが、間違いだったとしたら。どうなるだろう」

「アルテシア、キミ……」

 

 そのとき、ロンの頭をよぎったもの。それは、自分たちがアルテシアを疑っていたことだった。秘密の部屋にまつわることで、自分たちは、アルテシアを疑った。それはまだ、続いている。仲直りをしたいとロンはずっと思ってきたが、それはまだ、実行されていない。

 

「もし、ほんの少しでもそうじゃないって可能性があるのなら、ハーマイオニーを責めたりしないほうがいいよ。ロンの気持ちはわかるよ。よくわかってる。悲しいのも、わかってる。でも、ほんとに怖いのは、友だちをなくすこと。わたしは、そう思うな」

 

 アルテシアの、ロンへと向けられていた視線が、試合へと戻される。おなじように、ロンも。ちょうどグラウンドでは、ハリーが急降下を始めたところだった。得点は、80対30でグリフィンドールがリード。

 そのハリーが、突如、急上昇に転じた。どうやら、スニッチを見つけたらしい。レイブンクローのシーカー、チョウ・チャンもそれを追う。と、そのとき。

 

「吸魂鬼だ!」

 

 どこからか、そんな叫び声。頭巾をかぶった3つの背の高い黒い影が、ハリーの視界に入る。ハリーは迷わなかった。杖を取り出し、大声で叫ぶ。すぐさま、白銀色の何かが、杖の先から吹き出した。それが何なのかを、ハリーは見ようともしない。なぜなら、目の前にスニッチがあるからだ。

 逃げようとするスニッチを、杖を持ったままの手で包み込む。その直後に、試合終了を告げるフーチ先生のホイッスルが鳴った。

 グリフィンドールチームの全員が、肩をたたき合いながら喜びを表す。もちろん観客席でもそうだったが、その一部では、勝利の喜びではない、別の騒動が起こっていた。

 



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第54話 「ホグズミードの出来事」

 アルテシアは、なぜ自分が医務室にいるのか、わからなかった。いま自分が寝ているベッドが医務室のものであることにも、すぐには気づかなかったくらいだ。

 

「今回は、いったいどういうわけなのですか」

 

 ふいに、声がした。もちろん、アルテシアにも聞き覚えのある声。その声のほうへと目を向けると、そこには声の主だけではなく、数人の姿があった。

 

「あの、わたしはなぜ、ここで寝ているのでしょうか」

「それを聞いたのは、わたしのほうなのですけどね」

 

 マクゴナガルだった。ほかには、マダム・ポンフリーとルーピン、それにスネイプの姿がある。生徒は、誰もいなかった。

 

「まあ、よろしい。あなたにしても、なにがなんだか、わかってはいないのでしょうから」

 

 ここでアルテシアが身体を起こそうとしたが、それをマダム・ポンフリーが制止する。まだ寝ていなさいということだ。マダム・ポンフリーが、アルテシアの顔の上に自分の顔をニュッと突き出す。

 

「とりあえず、朝まではそのまま寝ていてもらいます。そのあとどうするかは、そのとき決めましょう。あなたは、競技場で気を失って医務室へ来たのよ。少しは覚えてるのかしら?」

「競技場で? ええと、そうか、試合のとき…… わたし、ロンと話をしていて……」

「そのへんのことは、すべて聞いています。状況からみて、ニセの吸魂鬼に驚いたとしか思えません」

「ニセの吸魂鬼? あれは、ニセモノだったんですか」

 

 あのときアルテシアは、たしかに吸魂鬼を見た。その覚えはある。だがその後、どうしたのか。なにか白いものを見た気もするが、アルテシアの記憶はそのときから医務室のベッドで目覚めたときへと直結していて、その間のことはなにも覚えていなかった。

 

「ミス・クリミアーナ。ニセの吸魂鬼のことは、詫びねばならん。あれは、数人のスリザリン生による仮装だ。とにかく、おまえが無事でよかった」

 

 スネイプだ。いつもの無表情ではあるものの、心配して来てくれたのだろう。そのことに起き上がろうとしたアルテシアだったが、今度はマクゴナガルによって止められる。

 

「寝ているように言われたでしょう。ここにいる方々は、どなたもあなたのことはよくご存じです。なにも気にしなくてよろしい」

「で、ですけど」

「寝ていろ。身体を起こしたところで体調が悪化するとは思わんが、ここは医務室だ。マダム・ポンフリーの判断に従わねばならん」

 

 実際のところ、起き上がるには手を貸してもらう必要があった。そうでなければ、とっくに自分で身体を起こしていただろう。こうなっては、おとなしく寝ているしかない。身体を起こすのはあきらめたアルテシアだったが、なんとなくおかしな雰囲気を感じていた。

 

「あの、なにかあったのでしょうか、わたしが寝ているうちに」

「そうではない。たしかに騒動はあったが、おまえには関係ないだろう。われわれがここにいるのは、たまたまだ。3日も寝込んだおまえのようすを見にきて、偶然にも一緒になっただけなのだ」

「そうですか。わたし、3日も寝ていたんですね」

 

 それでは、ずいぶんと心配をかけたのに違いない。もちろん、先生たちだけでなく、友人たちにも。そんな思いが顔に出ていたのかどうか。マダム・ポンフリーが、アルテシアのひたいへと手を伸ばしてくる。

 

「熱はないわね。脈も正常だし、気分はどう?」

「ええと、頭がぼんやりしてる感じはしますけど、きっと寝過ぎたせいです。心配ないです」

「そうですか、頭がね。わかりました。では皆さん、夜も遅くなりますし、おっしゃりたいことがあればひと言ずつどうぞ。アルテシアさんは、もう少し寝かせた方がいいと思いますのでね」

 

 だが、誰も何も言わない。じっとアルテシアを見つめているだけ。そのことに不安を覚えたのか、アルテシアはなんとも悲しげな顔をしてみせた。

 

「あの、マクゴナガル先生、スネイプ先生、ルーピン先生……」

「アルテシア。あなたのそんな顔を見たのは初めてですが、不安に思うことはありませんよ。このわたしが、必ずなんとかします」

「先生」

 

 このとき、アルテシアはどんな顔をしていたのか。マクゴナガルにそう言われ、わずかに笑みが戻ったものの、いつもの表情ではないのは誰の目にもあきらか。

 

「アルテシア。キミが、魔法を使うことで影響を受けてしまうことは聞いたよ。でも今回、キミは魔法を使っていない。吸魂鬼の影響だと考えるのが妥当だろうね。元気になったら、キミも守護霊の呪文を覚えるといい。ハリーは、見事に成功させたじゃないか。ニセモノの吸魂鬼を追い払ったよ」

「はい。わたしが自由に魔法を使えるようになったら、ぜひ」

 

 続いて、スネイプが何を言うのか。みんなの目が集まったが、スネイプはほとんど表情を変えない。いつもどおりの顔と、いつもどおりの口調。

 

「ミス・クリミアーナ。この際だ、寮には戻らずゆっくりと養生するがいい」

 

 教師たちが医務室を出て行くと、アルテシアとマダム・ポンフリーだけとなる。たまたまだが、他に入院している生徒はいなかった。

 

「さてと、アルテシアさん。眠いですか?」

「え?」

「申し訳ないんだけど、あとちょっとだけ起きててちょうだいね」

 

 アルテシアを寝させるということでマクゴナガルたちを退室させたはずなのに、どういうことなのか。マダム・ポンフリーは、ベッドの脇にあるいすに腰を下ろす。

 

「実は、あなたに謝らなければならないことがあるの。ごめんなさいね、申し訳なかったと思ってるわ」

「どういうことですか」

「朝が来れば4日めになるんだけど、こんなに長くなったのは、わたしがムリヤリに寝かせたからなのよ」

「えっ、ムリヤリに、ですか」

「実は、そうなの。ほんとうにごめんなさい。あなたに相談してからにするべきだったのだけど、気を失ったと聞いて、無断でやらせてもらいました」

 

 聞き間違いでなければ、アルテシアは3日間、薬で眠らされたらしい。無断でのそんな行為は、とても許せるようなものではない。だがアルテシアは、体調の影響があるのかもしれないが、さほど怒りの色を見せなかった。

 

「どういうことですか? なぜ、そんなことを」

「あなたを、もっとよく調べるためよ。寝かせておけば、面会者を遠ざけることができます。それにいまなら、他の先生がたにも気づかれないと思ったのよ。そうしておいてじっくりと診察させてもらいました。でも、どこにも異常はみつからなかった。身体のどこにも異常はありません。あなたがこうして寝込んだりするのは、別に原因があるようですね」

「それを調べるために、薬を?」

「ええ、そうよ。聞けば、あなたのお母さんは病気で亡くなられたそうね。あなたも同じことになりはしないかと、気になったのですよ」

 

 アルテシアの母マーニャが亡くなったのは、アルテシアが5歳のときだ。病気によるもので、もちろん治療法を探し続けたが、その甲斐なく終わっている。

 

「たしかに母は、なおらない病気で亡くなりました。でもそれと同じことがわたしにも起こると」

「かもしれない、と考えました。だって、こんなに何度も意識を失うなんておかしいでしょ。だから、よく調べたかった。わたしの目の前ではそんなこと、絶対に許さない。そう思ったの。ごめんなさいね」

「いえ、もうそのことはいいです。心配していただいて、ありがとうございます」

 

 まだ言いたいことはありそうだが、マダム・ポンフリーは、じっとアルテシアを見つめる。その手をアルテシアの頭に置き、ゆっくりとなでる。

 

「安心しなさい、あなたは健康よ。14歳になればってミネルバは言うけど、そんなのおかしいわ。気を失う理由が、なにかあるはずよ。わたしが必ずみつけます」

「ありがとうございます」

 

 まだ頭をなでながら、マダム・ポンフリーは、なおもアルテシアを見つめる。さすがにアルテシアも気恥ずかしさを感じたのだろう。すっと目を伏せた。

 

「アルテシアさん、もう数日、ここにいてもらいますよ」

「えっ、でも健康だって」

「そうですけど、頭が痛いのでしょ。それがおさまるまではここにいなさい。学校はいま、シリウス・ブラックのことで落ち着かない状況になってますから、そのほうがいいでしょう」

「なにかあったんですね。そういえばスネイプ先生が」

 

 うっかり聞き流してしまっていたが、スネイプが、なにか騒動があったと言っていた。マダム・ポンフリーによれば、それはまたもやシリウス・ブラックが学校に侵入したこと、であるらしい。またもグリフィンドールの寮に入り込み、ロンのベッドのカーテンを切り裂いたというのだ。つまり、ナイフを持っていたということになる。しかもブラックは、カドガン卿の肖像画に合い言葉を答えるなどして、堂々と入り込んだらしい。

 

「そんなわけで、少し危険でもありますからね。もっとも、まだ校内にいるはずはありませんけど」

 

 

  ※

 

 

 シリウス・ブラックを通した一件もあり、グリフィンドール塔の門番には、太った婦人が復帰することになった。ブラックに切り裂かれた部分は、見事な技術で修復されていた。そのことはいいのだが、シリウス・ブラックの再度の校内侵入が、ハリーにあらたな悩みをもたらすことになる。つまりは、ウィーズリー家の双子にもらった「忍びの地図」のことだ。

 ハリーは、「忍びの地図」によってホグズミードにある菓子店ハニーディークスの地下室へと続く抜け道の存在を知り、こっそりとホグズミードに出かけていったことがあるのだ。はたして、この抜け道の存在を学校側に伝えるべきなのかどうか。

 ロンは、そんな必要はないと主張。ハニーディークスにブラックが侵入しホグワーツへと来ているのなら、ホグズミードでも騒ぎになっているはずだというのがその根拠だ。いまのところハリーもこの意見に賛同し、学校側に抜け道のことは報告しないことにしている。だが、許可なくホグズミードに行ってもいいかとなると、話は別だった。

 

「なあ、ハリー。さすがにもうホグズミードには行かないほうがいいんじゃないかな」

「そうだけど、叫びの屋敷とか、まだ見てないところがあるんだ。見ておきたいんだけどな」

 

 そんなことを話しながら、2人は久しぶりにハグリッドの小屋を訪れた。だが、そこでしばらくハグリッドと過ごし、ブラックのことがあるので玄関ホールまで送ってもらったあとでは、話題はすっかり変わっていた。

 

「ボク、さすがにショックだったよ。ハーマイオニーは、あんなに毎日忙しそうにしてるのに、ちゃんとバックピークのことも調べてたなんて」

「ぼくもだ。『危険生物処理委員会』の裁判のことなんて、すっかり忘れてた」

「アルテシアもそうだけど、ハーマイオニーとも仲直りするべきだよな。そう思うよな」

「へえ、ロン。スキャバーズのこと、許す気になったのかい」

 

 そうではないとばかりに、ロンは首を横に振る。だがもう。この件を持ち出すようなことはしないつもりだという。

 

「それでいいのか」

「ああ。百万分の一の確率でなら、あの怪物猫が食べたんじゃないかもしれないだろ。だったら、責めるのはやめたほうがいいって、アルテシアに言われた。あいつの言うとおりだ」

「アルテシア、か。あいつ、まだ医務室だよな。大丈夫なのかな」

「そういや、長すぎるよな。お見舞いに行って仲直りしてもいいと思うかい?」

 

 もちろん反対する理由はない。だがハリーは、先にロンをハーマイオニーのところへ行かせるべきだと考えた。そのほうがいい。

 

「そして、バックピークの裁判のことを話し合おう。ぼくたちにも、なにか手伝えることがあるかもしれない」

「わかった。友だちなくすのはイヤだからな」

「なんだい、それ」

「アルテシアが行ってた。本当に怖いのは、友だちをなくすことなんだって」

 

 それは、ハリーも聞いたことがあった。それについさっき、ハグリッドも言っていたのだ。オレなら箒やネズミより友だちの方を大切にする、と。

 ハーマイオニーを探して談話室へと戻ってくると、タイミングがいいのか悪いのか、次の週末にホグズミードへ行けることが掲示されていた。その掲示板を前にして、ロンとハリーは顔を見合わせる。

 

「どうする?」

 

 ホグズミードに行くかどうか。その意味だったが、背後からハーマイオニーの声がした。2人は、あわてて振り返る。

 

「ハリー、シリウス・ブラックがあんなことをしたばかりなのよ。なのにもしあなたがホグズミードに行ったりしたら、わたし、今度こそマクゴナガル先生に秘密の通路のことをお話しするわ。もちろん、地図のこともよ。だって、ブラックはあの抜け道からホグワーツに入ってきてるかも知れない。先生方にお知らせするべきだわ」

 

 そこにクルックシャンクスもいたからか、ハーマイオニーはそれだけ言うと、急ぎ足で女子寮へと去っていく。まさか、女子寮にまで追いかけて行くわけにもいかず、ハリーたちはそれを見送るしかない。

 

「言ってくれるよな。けど、その可能性はあるかもしれないな。どうするんだい?」

「ぼく『透明マント』を着ていくことにするよ。そうすれば、見つからない。ハーマイオニーにもね」

 

 ダメだとは思いつつも、ホグズミード行きの魅力には勝てなかった。それにこの状況では、ハーマイオニーと和解するなんてことはムリなのだ。様子を見るしかない。

 問題のホグズミード行きの当日、ハリーはみんなが玄関ホールから出て行くところを見送る。いちおう、学校内へと戻っていくところをハーマイオニーに見せるようにもしておいた。そうしておいて抜け道のある4階の隻眼の魔女の像のところへ行き、忍びの地図を開く。この地図は学校内の見取り図のようなものだが、いま誰がどこにいるのか、その名前をリアルタイムに表示することで教えてくれるのだ。

 ホグズミードは、楽しかった。まさに、透明マントが大活躍。ポケットの中は、買ったものですぐにいっぱいになった。やがて2人は三本の箒の前を通り、坂道を登って呪われた館「叫びの屋敷」を見にいく。村はずれの小高いところにあるそれは、窓に板が打ちつけられ、庭は草ボウボウで湿っぽく、なんとなく気味が悪かった。ここには誰もいなかったので、ハリーが透明マントを脱ごうとしたとき、声が聞こえてきた。

 

「マルフォイの声だ。隠れたほうがいい」

 

 あわてて垣根の脇に身を隠す。だが隠れる必要があるのはロンだけだ。ハリーは透明マントを着ているので、隠れなくても問題はない。マルフォイの声が近づいてくる。ロンは、そっと顔をのぞかせて様子をうかがう。

 

「『危険生物処理委員会』の審査がどれくらいかかるのかは知らないが、父上からのふくろう便は、夕方になるだろうよ」

 

 ハリーとロンがいつも一緒なのと同じで、ドラコの後ろには、クラップとゴイルがいる。その2人に話しかけているようだ。

 

「父上に頼んではみたけど、どうなるか。アルテシアは、まだ医務室にいるんだ。体調が悪いときに悪い知らせがこないといいんだけど」

「おい、アルテシアがなんだっていうんだ」

 

 アルテシアの名前が出たからか、隠れていればいいものを、わざわざロンはドラコのまえに飛び出していた。

 

「おい、なんとか言えよ。アルテシアに悪い知らせってどういうことだ」

「ウィーズリー、どうせ盗み聞きするなら、ちゃんと聞いたらどうだ。ぼくは、そんなこと言ってないぞ。それよりおまえ、あのハグリッドが今ごろどこでなにしてるか、知っているのか」

「な、なんだってんだ」

「はたして、危険生物処理委員会でうすのろハグリッドにどんな証言ができたやら。その結果が、もうすぐわかるんだ。あいつが泣くことに うわっ!」

 

 どこから飛んできたのか、そのとき泥のかたまりがマルフォイの頭に命中。泥だらけとなったマルフォイが、さらに大声をあげた。

 

「そうか、そういうことか。足が見えたぞポッター。どうせおまえだろう。隠れてもムダだ」

 

 おそらく、泥を投げるときにマントがずれたのだろう。マントに隠れたままで泥を投げるのは、さすがにムリがあったようだ。クラップとゴイルが周囲を見まわしているが、素早く透明マントを着直したハリーを見つけるのはムリだろう。泥を落とそうとしながら、ドラコが叫ぶ。

 

「ゴイル、探さなくていい。すぐに学校に帰るんだ。ポッターがなぜかホグズミードにいたと、スネイプ先生に報告すればいい。それでヤツはおしまいだ。さあ、いくぞ」

 

 まだ泥はキレイになってはいなかったが、くるりと背をむけると、丘を駆け下りていく。クラップとゴイルもそのあとに続く。

 

「ハリー、どこだ。キミもすぐに学校へ戻れ。こうなったら、マルフォイより早く戻って、ずっと学校にいたといいはるしかないぞ」

「わかった」

 

 声がしただけ。誰にも見つかるわけにはいかないハリーは、透明マントを脱ぐことができないのだ。ロンも、走り出す。さて、学校へつくのは、誰が一番早いのか。ともあれハリーは、ハニーデュークスの店に行き、地下室への階段を下り、そこから秘密の抜け道へと入っていくしかない。普通にホグズミードへと行ったことがないのでどちらが近いのかわからなかったが、自分の方が回り道をしているのは確かだろう。ハリーにとっては、圧倒的に不利な競争なのであった。

 

 

  ※

 

 

 リーマス・ルーピンは、セブルス・スネイプの呼び出しを受け、指定された空き教室へと急いでいるところだった。ハリー・ポッターに関し、相談したいことがあるので来るようにと言われているのだ。

 その空き教室に着いてみると、ハリーとスネイプとが向かい合わせで座っており、その間にある机の上には、いくつかの紙袋と羊皮紙が並べられている。おそらくはハリーの持ち物なのだろう。

 

「なにがあったんだい、セブルス。ハリーがどうかしたのかな」

「なんとも、奇妙な話なのだよ、リーマス。ポッターはホグズミード行きが許されていない。だがなんと、本日、『叫びの屋敷』の近くでポッターを見たという証言があるのだ。ゆえにその真偽を確かめねばならん。こうしてご本人に話を聞いていたところだ」

「なるほど。それでハリー、キミはホグズミードに行ったのかい?」

 

 ルーピンも、手近にあるいすを引き寄せ、腰を下ろす。その目は、ハリーに向けられている。

 

「あの、ぼく、ずっと学校にいました。グリフィンドール塔にいました」

「だが困ったことに、証人はいないそうなのだよ、リーマス」

「なるほど。それで、これはなんだい?」

 

 ルーピンで手にとってみると、その古い羊皮紙には、ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズという名前とおぼしき言葉が、淡い光を放つ文字で書かれていた。

 

「なんだと思うかね、リーマス。吾輩が調べようとしたところ、人を侮るようなセリフとともに、その文字が現れた。まさに、闇の魔術が詰めこまれた羊皮紙だと思うが」

「いやいや、これはただのいたずらだろう。ぼくはそう思うんだけどね」

「いや、そうではあるまい。なにか、秘密が隠されていることは間違いない。ポッターがどうやってホグズミード村へと行ったのか、そのことの関連性も含め、解明せねばならんと考える」

 

 ホグズミードへ行くときは、学校の出口で管理人のフィルチからチェックを受ける。当然ハリーは、そんなチェックはされていない。なので、ホグズミード村へどうやって行ったのか、その経路が問題となるのは当然だ。

 

「そうだね、セブルス。けど、どうするつもりなんだい。とにかくこの羊皮紙は、いたずらだということでいいと思うよ」

「そうかね、リーマス。まあいい、キミがいま目の前でこれを見てもなおそう言うのであれば、意見を聞く者をもう1人増やそう。最終的な結論はそれからだ」

「誰に、だい」

「アルテシア・クリミアーナ嬢だ。いまは医務室にいるだろう」

 

 え! それにはハリーも驚くしかなかった。口を挟むことなどできはしないが、なぜアルテシア? それがハリーの、偽らざる気持ちだった。

 

「セブルス、アルテシアは療養が必要だということで医務室にいるんだよ。それでも行くのかい? なぜ、アルテシアなんだい?」

「吾輩はあの娘から相談を受けたことがある。闇の魔術とはどういうものか、それを知りたいというのだ」

「それは、また。どうしてそんなことを」

「ご存じないようだが、あの娘は、ご友人たちから闇の魔術に関与しているのではないかと疑われているのだよ。それで、闇の魔術とは何なのかと、質問してきたのだ」

「キミに、かい。まさか、そんなことがね」

 

 もちろんルーピンは、そんなことがあったなんて知らない。だがなぜ、スネイプに相談したのか。ハリーもそうだが、このことが気になるのは確かだ。

 

「闇の魔術がどのようなものかを知らねば、反論も難しい。あれは、そういうことだったと理解している。ダンブルドアかマクゴナガルに聞くようにと言っておいたがね」

「じゃあキミは、なにも説明しなかったのか」

「吾輩に、なにが言えるというのだ、リーマス。だがあの娘であれば、独自に闇の魔術に関して調べ、知識を集めたであろうことは疑いない。あの娘が、これを見て何を思うのか、何を言うのか聞いてみたいのだ」

「確かに、とてもかしこい子だからね。でもセブルス、だからってこれを医務室に持ち込むのはどうなのかな。なんども言うけど、療養中なんだよ」

 

 アルテシアが医務室に入ってから、もう半月ほどになる。理由は、頭痛がとれないため。頭痛がするうちは退院させられない、療養が必要だというマダム・ポンフリーの判断により、長期化しているのだ。ちなみに、面会は禁止されていない。

 

「ともあれ、あの娘に見せよう。話はそれからだ」

「いいだろう、キミがそれで納得するのなら、それでもいいよ。で、ハリーはどうするんだい、連れて行くのか」

「いや、それはやめておこう。大勢で行くような場所ではない」

 

 スネイプが、改めてハリーの顔をみる。その目がギラリと光った。

 

「ポッター、聞いての通りだ。これが何であるかが判明し、おまえがこっそりホグズミードへ行っていたことが明らかとなれば、吾輩がせずともマクゴナガル先生が処罰してくださるだろう。ゆえにもう、この件で吾輩は、おまえと話すことはしない。だが最後にひとつ言っておこう」

「は、はい」

 

 さすがにスネイプの目を見る勇気はなかったが、そう返事をせずにはいられなかった。

 

「おまえがどう思っているのかは知らんが、魔法省大臣をはじめとして、有名なるハリー・ポッターをシリウス・ブラックから守ろうと、多くの人が力を尽くしてきた。だがおまえは、そんなことなどどうでもいいと考えているようだな。なるほど、おまえの父親にもそういう傲慢なところがあった」

「おい、セブルス。何を言ってるんだ」

「言ってやらねば、こいつはわからんのだ。なんなら、リーマス。父親がどういう男だったのか、キミが説明してやるといい。吾輩が言っても、どうせこやつは信用などすまい」

 

 信用するかどうかはさておき、ルーピンは、スネイプを押しとどめ、ハリーに話しかけた。

 

「ハリー、たしかにきみのお父さんには、スネイプ先生が言うように傲慢なところはあったかもしれない。規則を破ったり、いたずらもよくやったからね。でも、友だちには信頼されていた。スネイプ先生はお山の大将とでも言うかもしれないが、頼ってくる者もいたよ。なぜだかわかるかい。信頼には、信頼で応えてくれたからだよ。誰のことも、決して裏切るようなことはしなかった」

「リーマス、そんな話をしろとはひと言も言っていない。あやつがいかに傲慢であったか、いかに威張りくさっていたか、取り巻きを引き連れ、どれだけの規則をやぶり、思い上がっていたか。それを説明してほしかったのだが」

「ああ、すまない。だけどぼくには、そんなことは話せないよ」

「そうかね。まあよい、ともあれ医務室へ行こうか」

 

 ルーピンの言葉が、どれほどハリーの心に響いたのか。もちろん本人にしかわからないことだが、ハリーは顔をあげることができないでいた。ルーピンたちが立ち上がり、教室を出ていく音がした。それを聞いて、ようやくハリーは顔を上げる。スネイプとルーピンは医務室に行ったのだ。そこには、アルテシアがいる。アルテシア……

 ハリーは、必死に考えた。

 



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第55話 「トレローニーの予言」

 医務室の前に、ハリーが立っていた。さすがに中へと入る勇気はなかったが、だからといって、立ち去ることもできない。ただ、うろうろするしかなかった。だが中に人がいる以上、そのときは必ずやってくる。すなわち、医務室のドアが開いたのだ。

 出てきたのは、スネイプ。そのうしろにルーピンがいる。

 

「ほほう、自分の不始末がどう判断されたのか、さすがに気になるようだな、ポッター」

 

 ハリーは、何も言えなかった。だが視線だけは、しっかりとスネイプに向けたままだ。

 

「まあ、よかろう。友だちのありがたさとはどういうものなのか、よくよく感じてみることだ」

 

 それだけ言うと、大股で歩きながらスネイプが去って行く。ハリーは、ルーピンを見た。ルーピンの手には、あの古ぼけた羊皮紙があった。

 

「ハリー、アルテシアが元気になったら、ゆっくりと話をしなきゃいけないよ。あの子とは友だちでいたほうがいい。わかったね」

「先生、ぼくはケンカしてるとか、そんなつもりはないんです」

「そうかい。なら、いいんだ。それから、この地図だけど」

 

 そこで、しまった、というような顔で苦笑いを浮かべるルーピン。ハリーも、そのことに気づいた。ルーピンは羊皮紙を、地図と言ったのである。

 

「そう、これが地図だということは知っているよ。キミがどうやってこれを手に入れたのかはわからないが、返してあげるわけにはいかない」

 

 当然、そうなるだろうとハリーは覚悟していた。でも、どうして地図だとわかったのだろう。たちまち、頭の中が聞きたいことでいっぱいになる。

 

「言っておくけど、スネイプ先生は納得されてはいないよ。見逃してくれたのは、アルテシアが口添えしてくれたからだ。もしかすると彼女は、気づいたかもしれないね」

「アルテシアが」

「そう、アルテシアが、だよ。ハリー、ぼくはアルテシアのことを詳しくは知らない。あまり話をしたことがないからね。でも、キミと似ているところがあるような気がする。性格が、じゃないよ。境遇が、だ。とにかく、ハリー」

 

 ルーピンが、歩き始める。ハリーも、それについて行く。アルテシアのお見舞いは、とりあえず後日としたようだ。

 

「ついさっき、スネイプ先生も言ってたとおり、みんながキミが安全であるようにと願っているんだ。覚えてるかい? 守護霊の呪文を練習しているとき、キミはこう言ったんだ。母親が、かばってくれたと。父親が、キミたちを逃がそうとしてヴォルデモートに向かっていったと。そのときの声を聞いたんだったよね」

「あの、先生」

「人がなにを言おうと、キミが納得しない限りはムダになってしまう。キミが納得することが必要なんだよ、ハリー。ぼくは、吸魂鬼が近づいたときにキミが聞いた声を、ムダにしてほしくはない。キミはそんなことをしないと、そう思いたい。キミのご両親は、キミを守るために自分の命を捧げた。なのにキミが、大切に守られてきた命をこんなふうに危険にさらし、粗末にするとはあんまりじゃないかと思うんだ。キミならわかるはずだよ、よく考えてごらん」

 

 その言葉は、ハリーには重く響いたらしい。その重さの分だけ、足取りが重くなったようで、ルーピンと並んで歩いていたのに、少しずつ遅れていく。

 

「また今度、こういうことがあったなら、そのときはもう見逃してはくれないよ。それは、信頼を裏切りで返すことでしかない。そんなことしちゃいけない。キミならわかってくれると、そう信じているよ」

 

 ルーピンが、足を速めて立ち去っていく。ますます足の重くなったハリーは、いっそうみじめな気持ちになりつつ、ゆっくりと階段を上っていった。上ったところでロンと出会った。

 

「ハリー、やっとみつけた。で、どうなった?」

「なんとか、見逃してもらえたよ。地図は、ルーピンに持ってかれたけど」

「ルーピンだって? でも、見逃してもらえたんならよかったじゃないか」

「そうだけど、ぼく、後悔してるんだ。あんなことしてまで、ホグズミードに行くべきじゃなかった」

 

 2人の歩く先は、談話室。そろそろその入り口である肖像画が見え始めるところまで来ていたが、先に見えたのはハーマイオニーだった。ハリーたちに気づいたようで、こちらに向かって歩いてくる。ハーマイオニーは両手に手紙を握りしめていて、いつもより青い顔をしていた。

 

「あなたたちも知っておくべきだと思って、待ってたの。ハグリッドが敗訴したわ」

「なんだって」

 

 ハーマイオニーが、持っていた手紙を突きだす。ハリーがそれを受け取り、開いてみる。涙でも落ちたのか、手紙にはあちこちインクのにじんだところがあった。

 

「そんなばかな。マルフォイが自分のせいだと認めたはずだ。なのに、なぜこうなるんだ」

「マルフォイのお父さんが手を回したのよ、そうに違いないわ。控訴することはできるけど、望みは薄いと思う。だってバックピークのせいにしないと、自分の息子が責任をとらなきゃいけなくなる。そんなこと、するはずないわ」

「それでも、控訴しよう。なんとかなるはずだ。ボクが手伝うよ」

 

 そのロンの宣言に、ハーマイオニーの目に涙が浮かんだ。このことにずっと1人で取り組んできた、そのことの思いがあふれ出したのだろう。

 

「ああ、ロン。手伝ってくれるのね!」

「あたりまえだ。あのバックピークは悪いやつじゃないんだ。助けなきゃ」

「ロン、あたし、スキャバーズのこと、謝るわ。ほんとにごめんなさい」

 

 とうとうハーマイオニーは、泣き出していた。しゃくり上げつつ、お詫びの言葉を告げる。さすがにロンも、とまどい気味だ。

 

「いや、いいんだよハーマイオニー。もしかすると、食べられたんじゃないかもしれない。それにペットがいなくなったとなれば、今度はぼくにふくろうを買ってくれるかもしれないじゃないか」

 

 

  ※

 

 

 イースター休暇となっても、アルテシアは医務室から戻って来てはいなかった。まさか、こんなにも長くなるなんて誰も思ってはいなかっただろう。いつもアルテシアと一緒にいるパチル姉妹やソフィアにしても、予想外のことであったらしい。だがパチル姉妹たちはちゃんと状況を説明してもらっているらしく、動揺をみせるようなことはなかった。本人への面会も、支障なくすることができた。もしそうでなかったなら、ソフィアあたりは大騒ぎしていてもおかしくはなかっただろう。

 それもこれもマダム・ポンフリーが退院を許可しなかったからだが、実際のところ、その大半はマクゴナガルが納得しなかったためである。もちろんこれは、アルテシアの頭痛をなおすという理由によるものだ。たしかにアルテシアも、頭がぼんやりしていると言っていた。だがしかし、その治療というには、長くかかりすぎではないのか。

 

「それでも、あなたはまったくの健康体だということがわかったのですから、さまざま調べてもらったことはムダではありません。あとは、わたしがどうにかするだけです」

「あの、先生。ときどきそういうことをおっしゃいますけど、それって、どういうことなんですか?」

「この件は、いずれちゃんと話をします。今は、気にしなくてよろしい」

 

 そう言われたからといって、そうですかと納得するのは難しい。だがアルテシアは、それ以上のことをマクゴナガルに尋ねるようなことはしなかった。マダム・ポンフリーが、笑っている。

 

「つまりミネルバ母さんは、かわいい娘のことが心配でたまらないのでしょうねぇ。最初はわたしがやり始めたことですけど、少し度が過ぎたのかもしれませんよ」

「いいえ、せっかくの機会だったのです。これは、必要なことでした。すべての責任がわたしにあることもわかりましたし」

 

 マダム・ポンフリーは、ときおりアルテシアが意識を失うのが不思議だった。マクゴナガルから話を聞いてはいたが、14歳になれば大丈夫、というのもおかしな話だと思っていた。そんなときアルテシアの母マーニャが若くして亡くなっていることを知り、なにか関係があるのかもしれないと考えたのである。

 さまざま診察した結果、マダム・ポンフリーはまったくの健康体という判断を下した。だがマクゴナガルは納得しなかった。どうせならもっと詳しくとばかり、必要なだけ十分な時間をかけさせた結果なのである。それでも異常はみつからず、イースター休暇明けにようやく寮へと戻れることになった。

 

 

  ※

 

 

 イースター休暇の明けた週末は、クィディッチのリーグ戦最終となるグリフィンドール対スリザリンの試合だ。もちろん、優勝杯を獲得できるチャンスも大いにある。試合の行方に誰もが注目しているからか、しばらくぶりに寮に戻ってきたアルテシアは、誰からも注目されるようなことはなかった。

 なにしろ試合は明日なのだし、普段でも寮同士の対抗意識が強いスリザリンが相手だ。優勝杯もかかっているとなれば、緊張が爆発寸前にまで高まっているのもムリのないこと。

 なかでもハリーの決意は固かった。なんとしても、全校生徒の前でマルフォイをやっつけてやりたかったのだ。その理由はいくつもある。レイブンクロー戦でのニセ吸魂鬼の件、バックピークのこと、それにホグズミード村でのできごと。それに、あいつのこと。

 

「さあ、両チーム選手の登場です!」

 

 競技場に、解説役のリー・ジョーダンの声が響く。両チームの選手が競技場にそろう。審判は、フーチ先生だ。箒に乗りながら、ハリーは改めて決意を固める。ドラコには、絶対に負けたくなかった。競技場に来る前にハリーは、アルテシアとドラコが話をしているところを目撃している。何を話しているのか聞こえたりはしなかったが、闘志は一気に燃え上がった。

 ドラコのほうも、もちろんハリーに負けるつもりなどない。ホグズミード村でのことを、ハリーがうまく切り抜けたのが気に入らなかった。処罰を受けないばかりか、減点すらもされていないのだ。納得できるはずがない。なんとしても負かしてやると、こちらも気合い十分。

 この注目の試合を見守る観衆のなかに、アルテシアもいた。だがそこへ、ルーピンが近づいてくる。

 

「身体のほうは、もういいのかい。人混みでは疲れるだろうに」

「ありがとうございます、ルーピン先生。でも、心配ないですよ。身体は健康だってお墨付きもらえましたから」

「でもぼくは、いまだに信じられないんだよ。魔法をたくさん使うことで疲れるってことはあるだろう。でも、気を失うなんてね」

 

 その事情について、ルーピンはどれくらい知っているのだろう。だがアルテシアは、そのことを尋ねようとはしなかった。

 

「スネイプ先生とは、お友だちだそうですね」

「たしかに、ホグワーツ時代は一緒だったよ。でも、友だちとは言えなかったかもしれないね。スネイプは、なにか言ってたかい?」

「ハリーのお父さんやシリウス・ブラックさん、それからピーターさんの4人でよくいたずらをされたと聞きました。4人には、それぞれあだ名があって」

「アルテシア、キミは案外、いじわるなんだね。そうだよ、あれはぼくたちが作った地図だ。地図だと気づいていたんだろう。そのことで話があるんだ」

 

 そこでアルテシアは、にこっと笑ってみせた。そして、うしろを振り返る。そこには、パーバティとパドマ、それにソフィアがいた。

 

「お願い、ソフィア」

「はい」

 

 そのソフィアの返事を、ルーピンは聞いただろうか。次の瞬間にはルーピンは、アルテシアとともにどこかの空き教室にいた。さすがにルーピンは驚いた。

 

「おい、キミ。これはどういうことなんだい」

「そういうお話になるのなら、このほうがいいと思ったんです。わたしはこの魔法は禁止されてるけど、ソフィアはそんなことないですから」

「待ちなさい、アルテシア。いまのが魔法だというのなら、ものすごく高度なものだよ。少なくともわたしには、どうやればいいのかわからない。そうだな、やるとしたらポートキーを使うだろう。でもいまのはそれじゃないね」

 

 実際に魔法を使ったのはソフィアだが、この魔法は、アルテシアにとってさほど難しいものではない。魔法使用を禁止されていなければ、自分でやっていただろう。なにしろ、むこうとこっちをただ入れ替えるだけのこと。ちなみにポートキーとは、適当な物品に移動のための処理をしておき、それに触れることで一気に移動するという手段のことだ。

 

「しかしキミは、こんな魔法を使うのか。ちょっと変わっているとスネイプ先生が言ってたけど、たしかにそうだね」

「やったのはソフィアですよ。わたしは禁止されていますから」

「それだよ。何度聞かされても素直に納得できないんだけど、キミはそれでいいのかい? 魔法を学ぶためにホグワーツに来たんだろう? なのに魔法禁止じゃ、練習すらできない。まさに本末転倒じゃないか」

「ですけど、やりすぎると気を失ったりするんです。だからマクゴナガル先生は、制限が必要だと。さもないと、いくらでも無茶をするに決まっているからと」

 

 実際、そんなことが起こっている。ルーピンも話だけは聞いているが、さすがに納得するのは難しいらしい。

 

「先生にご相談したいことがあります。先生のお話が終わってからでいいので、アドバイスしてもらえませんか」

「いいよ。ぼくのは後回しでかまわない。キミから先に話をするといい」

「そんな。先生の方から話すきっかけを作ってくださったのに、いいんでしょうか」

 

 ルーピンは、それでかまわないらしい。だがそれは、どちらが先に話をするかだけの違いだ。話題はどうせ、同じところに行き着く。ルーピンは、そう考えていた。

 

「先生は、吸魂鬼が怖くないですか。わたし、すごく怖いんです。あの試合のときも、ニセモノだったけど、怖くてとっさに魔法を使おうとしたんだと思うんです。そのときのことはよく覚えてないんですけど、気を失ったのはたぶんそのためなんだと思います」

「覚えていないって?」

「このごろ、そんなことがあるんです。あたまがぼんやりとしてしまって。マダム・ポンフリーが心配してくださって、いろいろ調べてくださったんですけど、身体の異常ではないみたいです」

「なるほど、そんなことを調べていたから時間がかかったのか。でも異常がないんなら、安心していいと思うよ」

 

 長いあいだ医務室にいたのはそういうことかと、ルーピンは納得する。だがその原因は不明なのだから、どうしても不安は残ることになる。

 

「アルテシア、医務室でも言ったけど、守護霊の呪文を学ぶといい。吸魂鬼が怖いのなら、追い払う方法を覚えておきなさい。なにかと安心できると思うよ」

「そうですけど、まず自分の魔法が使えるようになりたいです。なんだか、前と比べても、とても魔法がヘタになっちゃったみたいで。すぐ気を失うし」

「そうなのかい。それは困ったことだね」

 

 このことも、ルーピンがアルテシアに尋ねてみたいことの1つだった。どうしても彼は、魔法を使うと気を失う、という図式に納得がいかないのだ。

 

「そのことで先生にお聞きしたいんですけど、先生は、秘密の部屋の騒動のことはご存じですか?」

「聞いたことはあるけど、詳しいことまではわからないよ。そのとき学校にはいなかったからね」

「でも、あの地図をお作りになったんですよね。あの地図では、その当時のお友だちからのメッセージが出てきますけど、地図に返事をさせるなんてことどうすればできるんですか」

「ああ、いや。違うんだよ、アルテシア。そうじゃないんだ」

 

 ルーピンは、理解した。アルテシアが何を聞きたいのか、わかったような気がした。だが、期待されている内容の返事はできなかった。

 

「あの地図は、調べようとしてくる相手に対して、返事をしているわけじゃない。あらかじめ決めたメッセージを機械的に返しているだけだよ。キミは、秘密の部屋での日記帳から、ええと、そうだね、例のあの人が出てきて行動したってことをイメージしてるんだろうけど、それとは違うものだよ」

「そう、ですか」

 

 明らかにがっかりしたようすをみせるアルテシアに、ルーピンは苦笑するしかない。だがアルテシアは、すぐに顔をあげた。

 

「でも先生、あれは現実に起きたことです。それをやった人がいるんですから、方法はあるはずですよね。ご本人に聞いてもいいと思いますか? 教えてくれると思いますか?」

「いや、ダメだよアルテシア。それは、しちゃいけない」

「え?」

「ぼくは、あとから話を聞かされただけだ。もしかすると正確じゃないのかもしれないけど、キミはその人物、つまり」

 

 そこで、いったん言うのをやめる。アルテシアはちゃんとルーピンの目を見ていたが、ルーピンは、ちょっとだけ考えるそぶりをみせた。

 

「アルテシア、キミはヴォルデモート卿のことを知ってるはずだ。その人が何をした人なのか、ハリーのことやシリウス・ブラックのことも知ってるんだろう」

「はい。話は聞いてます」

「だったら、わかるはずだよ。マクゴナガル先生が許してくれると思うかい。ダンブルドアだって同じだと思うよ」

 

 はっとしたような表情を浮かべる、アルテシア。まっすぐにルーピンを見ていたその目が、左右に揺れる。

 

「もっとも、あの人はいま、どこにいるのかわからない。復活するとも言われているが、このまま消えてしまうかもしれない。とにかく、会おうだなんて、考えちゃいけない。わかったね」

「はい」

 

 いちおう、返事はした。だがいま、もしヴォルデモートが現れたなら。アルテシアには、知らぬ顔などできない事情があった。そのことを、ルーピンに言うべきか。少しだけ迷ったアルテシアだったが、そのことを考えていられる時間はなかった。すぐにルーピンが、こんな提案をしてきたからである。

 

「アルテシア、ぼくと約束をしてくれないか。闇の側へと行ってしまうようなことは、決してしないとね。そして、ぼくの期待を裏切ることのないステキな魔女になってくれると」

 

 このときルーピンは、マクゴナガルに言われたことを思い出していた。こちらが望めば、アルテシアはそうなってしまう。正しく導かねばならないのだと、マクゴナガルはそう言ったのだ。ならば、願ってみようとルーピンは考えたのである。

 

 

  ※

 

 

 反則まがいのプレーが多発したスリザリン対グリフィンドールの試合で、みごとスニッチをつかんだのはハリーだった。ハリーは、この試合でスニッチだけでなく優勝杯もつかみ取ったのである。ハリーにとって、最高に幸せな瞬間だった。

 だが、そんな大興奮のなかにいつまでも浸っていることはできない。現実に戻ってみれば、学年末の試験がもうすぐだ。その予定が発表される。

 

「なあ、ハーマイオニー。キミの試験日程、異常だと思うんだけど、ボクの見間違いかなぁ」

「うるさいわね、ロン。写し間違いでもなんでもないわ。とにかくあたしは、忙しいの。余計なことを言わないでちょうだい」

「けどキミ、同じ時間に2つもテストを受けるなんてできるはずないだろ。ほら、こことここだよ」

 

 その指摘は、もっともだ。それに対してハーマイオニーが何か言おうとしたところへ、羽音を立てて、ふくろうが飛んでくる。3人組の真ん中へと舞い降りてきたのは、ハリーのペットのふくろうであるヘドウィグ。なにかメモをくわえている。

 

「ハグリッドからだ」

 

 そのメモを手に取ったハリーが叫ぶように言った。ロンたちも注目する。

 

「バックピークの裁判だけど、ホグワーツでやることになったらしい」

「なんですって」

 

 ハリーからメモを奪い取るようにしたハーマイオニーが、すばらく目を走らせる。

 

「裁判は試験が終わる日と同じね。魔法省から何人かと、死刑執行人。まあ、なんで控訴の裁判に死刑執行人が来るの! まるで判決が決まってるみたいじゃない!」

 

 実際、そうなのかもしれない。でも、そんなことを考えたなら、すべて終わりなのだ。きっと、なにかできることがあるはずだ。だがシリウス・ブラック騒動があってからは、そう簡単にはハグリッドの小屋へと行くことができない。それに、試験期間となる。

 

「とにかく、わたしたちは試験に集中しましょう。そのあいだハグリッドには、このあいだの裁判のときの資料をもう1度よく復習してもらえばいいわ。すべてはそれからよ」

 

 試験は、人それぞれの結果を残しつつ消化されていく。アルテシアは、教師陣のなかでは魔法がヘタな者たちのなかに分類されている。まったく魔法が使えなかった1年生のときのことを思えば格段の進歩であるのだが、周囲の目からみれば、どうしても評価は低くなる。マクゴナガルとの約束を守っている限りにおいては、それも仕方のないところだろう。

 とはいえ、アルテシアの成績はさほど悪い方ではない。魔法の実技は、かろうじて平均点といったところ。だがその知識を問う魔法の理論の分野となると、たちまちトップ争いに顔を出す。競う相手は、いつもハーマイオニー。少し離れてパドマといったところだ。なかでも魔法薬学と魔法史は、アルテシアがナンバーワン。だが総合すればトップはハーマイオニー、アルテシアはずいぶんと離されてしまうのだ。

 

「やれやれ、これでやっと、試験も終わりだよな」

 

 そして試験は最終日。たったいま「闇の魔術に対する防衛術」の試験が終わったところだ。残るは最終科目の占い学で、トレローニーの教室で行われる。ハーマイオニーはマグル学の試験なので、ここで分かれることになる。

 ハリーたちがトレローニーの教室へ行こうと大理石の階段を上っていると、コーネリウス・ファッジとバッタリ出くわした。もちろん魔法大臣のファッジである。

 

「おやおや、ハリー。それにそっちはアーサーの息子だな。もう、試験も終わりだろう? それなのに…… ああ、それなのに、ってところだな」

「どういうことですか」

「聞いてないのかね?」

 

 何を? 一瞬、そう思ったハリーだが、すぐに今日が何の日であったかを思い出す。ハグリッドの裁判だ。

 

「もう、裁判が終わったということですか?」

「いやいや、そっちのほうは午後からなんだが、シリウス・ブラック捜索の状況について少しダンブルドアと話をしようと思ってね。そうしたら、びっくりしたよ。あの子が、医務室に運ばれたというじゃないか。ついこのあいだも、長いこと医務室にいたというのにどうしたのかと思って、これから医務室にようすを見に行くところだよ」

「それって、アルテシアのことですか」

「キミたちも一緒に、と言いたいところだが、まだ試験があるんだろ? 頑張りなさい。じゃあな」

 

 たしかに、試験は残っている。ハリーとロンにとっては占い学などどうでもいいようなものだが、さすがに試験をすっぽかすことはできなかった。

 

「どういうことだろう。あいつがまた、倒れたなんて。全然気づかなかった」

「防衛術の試験のときだよな。あれ、最後にまね妖怪と戦わなくちゃいけない。きっとそのとき、なにかあったんだ」

「なにがあるんだろ? ハーマイオニーはまね妖怪がマクゴナガル先生になって、全科目落第だって言われて泣いてたけど」

 

 ロンの言うように、闇の魔術に対する防衛術の試験では、まね妖怪と戦うことになる。ルーピンによって障害物競走のようなコースが作られており、そこでは水魔のグリンデローが入った深いプールを渡り、赤帽のレッドキャップがひそむ穴だらけの場所を横切ったあとは、道に迷わせようと誘うおいでおいで妖怪のヒンキーバンクをかわし、最後には大きなトランクに入り込んで、まね妖怪のボガートと戦うのだ。

 

「問題は、まね妖怪が何に変わったかだよな。ボクの場合は大きなクモだけど、あいつはなんだろう」

「吸魂鬼じゃないかな。あいつは吸魂鬼を怖がってたはずだ」

「そうだけど、本当に怖いのは友だちをなくすことだって、ボクにそう言ったんだけどな」

 

 実際にアルテシアがどうしたのか、ハリーたちにはわからない。だが、医務室に行くより先にやることがある。

 

「あ、おい、見ろよ。あれ。なんだってんだ」

 

 振り返ると、階段の下に見慣れぬ魔法使いが2人歩いていた。1人はかなりの年配で、もう1人は口髭を生やした背の高い魔法使いだ。しかも。

 

「なんてやつだ、あんなに大きな斧を持ってくるなんて。いったい何に使うっていうんだ」

「バックピークの処刑のため、だろ。でも大丈夫さ、ハグリッドはハーマイオニーが用意した資料を、暗記するくらいに読んでる。今度こそ、ちゃんと弁護ができるはずだ」

 

 だがおそらく、そうなることはない。午後からの裁判の、その結果はもう出ているようなものなのだ。だから、あんな斧が必要なのだ。ハリーは、そう思った。だがもちろん、口にだせるようなことではない。

 

「とにかくぼくたち、試験に行かなきゃ」

 

 まさにそのとおりで、すでにトレローニー先生の教室のまわりには、生徒たちが大勢そろっていた。どうやら、1人ずつ対面式で試験が行われるらしい。その集まった生徒たちのなかにパーバティがいる。

 

「パーバティは知ってるのかな。アルテシアのこと」

「どうだろう。みたところ、いつもと変わりないよな」

 

 そのパーバティは、順番が来たようで、教室内に入っていく。終わった生徒は、そのまま解散ということになるようだ。

 

「なあ、ハリー。試験が終わったらどうする?」

「そうだな。ハグリッドのところへようすを見に行こう。アルテシアは気になるけど、医務室にいるんだから大丈夫だ」

 

 そんなことを話しているうちに、パーバティの試験は終わり、ロンの順番となり、そしてハリーの番がやってくる。なぜかハリーが一番最後だった。ロンと談話室で会う約束をして、教室に入る。課題は、トレローニーの前で大きな水晶玉をのぞき込み、見えるものを話すこと。

 

「なにが見えます? 話してみてくださいな」

 

 これまでも、そしてこのときも、水晶玉の中に、なにか見えたことなど一度もない。だが少しでも早く試験を終わらせるためには、これしかない。ハリーのとった方法は、つまり、なにか見えるふりをすることだ。

 ハリーは、ハグリッドのヒッポグリフ話をでっちあげることにした。もちろん、斧で首を切られるのではなく、元気に飛び立つ場面を作り上げる。

 トレローニーがため息をついたところで、試験は終わりとなった。だが、すぐさま帰ろうとしたハリーを、男のような太い荒々しい声が呼び止める。ハリーは、驚いて振り返った。口をだらりと開けうつろな目をしたトレローニーが、そこにいた。まるで、引き付けの発作でも起こしているように見えた。

 

「その召使いが自由の身となれば、ご主人さまのもとへと駆けつけるだろう。今夜だ。阻止せねば、闇の帝王が復活することになる。召使いを自由にしてはならない。起こさねばならない」

「せ、先生。いまのは…」

 

 だが、ハリーが聞けたのはそれだけだった。ぶるっと身体が震えたかと思うと、いつものトレローニーへと戻っていた。

 



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第56話 「逆転時計」

 透明マントに隠れ、3人はゆっくりと校庭を歩いていた。3人がともにちゃんと隠れるには、慎重に歩いて行くしかないのだ。少しでもマントからはみ出せば、その部分は見えてしまうことになる。そうなったら終わりだ、言い訳のしようもない。

 ハリーとロン、そしてハーマイオニーの3人が透明マントを脱ぐことができたのは、ようやくハグリッドの小屋に入れてもらってからだった。

 

「おまえさんたち、ここに来ちゃならんのだぞ。バックピークのことなら、もういいんだ。あきらめるしかねぇ」

「けど、ぼくたち。なんでもいいよ、なにかできることはないの?」

 

 バックピークの裁判は、すでに終わっていた。敗訴という結果となり、この夕刻にも処刑されることが決まったのだという。

 

「ありがてぇが、なんにもねぇぞ。とにかく茶でも飲めや。ほんで、飲んだら戻るんだぞ。寮の談話室でのんびりしてろや。ええな」

 

 だが、さすがにハグリッドも動揺しているらしい。ヤカンの方へと伸ばされた腕が、こまかく震えている。そのためか、ヤカンを取り落とし、派手に音が部屋中に響いた。

 

「ああ、すまん。手がすべっちまった」

 

 あわてて拾おうとするも、ふたたびその手をこぼれ落ち、テーブルから床へと転がっていく。

 

「私がやるわ、ハグリッド」

 

 そのヤカンは、ハーマイオニーがすばやく拾い上げた。やはりハグリッドは、かなり動揺しているらしい。ムリもないことだと思いつつ、ハリーが椅子にすわらせる。

 

「とにかくおまえら、もう帰れ。じきに処刑人のマクネアが来てしまうぞ。ダンブルドアやファッジも一緒のはずだ。みつかるわけにはいかんだろうが」

「でも、わたしたち、一緒にいたいんだけど」

「いんや、そもそもおまえさんたちにゃ見せたくねえのさ。処刑されるところなんぞ、見るもんじゃねえ」

 

 それは、そうだろう。ハリーもロンも、そしてハーマイオニーも、何も言えなくなっていた。そのことをまぎらわすためか、ハーマイオニーは、戸棚の片付けまで始める。せわしなく動き回っていたハーマイオニーが、突然叫び声をあげた。そして、ロンの前へと茶葉の入った缶を持ってくる。そのふたをしっかりと手でおさえていた。

 

「ロン、信じられないでしょうけど、スキャバーズよ。スキャバーズがいたわ」

「なんだって。でもあいつは…」

「本当よ、このなかにいるわ。あたし、見つけたのよ。たしかにスキャバーズよ」

 

 とにかく確かめてみようとばかり、ロンがそーっとふたを開けて、中をのぞき込む。たしかに、ネズミが入っていた。

 

「ほんとにスキャバーズだ。こんなところで、いったい何してるんだ? 無事だったんなら、なぜ戻ってこないんだ」

 

 あばれるスキャバーズをロンが鷲づかみにして、ひっぱりだす。だがそのとき、ドアをノックする音がした。ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてハグリッドがそろってドアのほうへ振り向く。

 

「来おったぞ。連中が来たんだ。すぐに戻れ。とにかく、マントを着ろ。ここにいるところを見つかっちゃなんねえだろうが」

 

 ハグリッドは、3人組の姿が見えなくなったことを確認してから戸を開けた。予想通りの相手がそこに立っていた。

 

「お気の毒だとは思うが、こういうことは決められた手順どおりに進めるしかないのでね」

 

 やってきたのは、コーネリウス・ファッジとダンブルドア、それに危険生物処理委員会の魔法使いと死刑執行人。ひとまず全員が部屋の中へと入ってきたが、ハグリッドはドアを閉めなかった。もちろん、ハリーたちが出ていけるようにということだろう。

 

「…… 以上の理由により、当該ヒッポグリフの処刑をもって、この事件は完結とします。立会人の方々、よろしいですかな。よければ、この書類に目を通していただき、署名をお願いします」

 

 かなり高齢であり足腰も弱っているように見えたが、事件の経過と判決内容を告げる口調は明瞭であり、声に張りもあった。ハグリッド以外の全員がうなずき、書類が回覧されていく。ハグリッドの手にあるハンカチは、もうぐっしょりと濡れていた。

 

「さて、それではまいりましょう。ヒッポグリフはどこにおりますかな」

 

 歩き出すと、やはり見た目通りの年齢なのだと思わざるを得ない。ゆっくりとした歩調で部屋を出て、小屋の裏手へと回る。そこから数メートル先にあるかぼちゃ畑、その後ろにある木にヒッポグリフがつながれているのだ。

 太陽は沈みはじめており、西の空は夕焼け色に染まっている。つながれたヒッポグリフは、やってくる人たちのなかに、何かおかしな雰囲気を感じたのかもしりない。頭を左右に振り、足をばたばたとさせている。飛び立とうとでもしているかのようだ。

 

「では大臣、失礼させていただきますよ」

 

 死刑執行人が、前に進み出る。そこからは早かった。あっ、という言葉も、ちょっと待て、という間もないほどの素早さだった。こういうことは、きっと、そうするのがいいのだろう。

 シュッという風を切る音、そしてドサッという音がして、それは終わった。

 

 

  ※

 

 

 とぼとぼと歩き、自分の部屋へと戻ってきたルーピンは、疲れたように机の前にある椅子に腰を下ろした。まさか、こんなことになるとは思っていなかった。まったくの予想外、いや、予想しなければいけなかったのか。

 「闇の魔術に対する防衛術」の試験で、ルーピンは生徒たちとまね妖怪とを対決させた。その対処法はちゃんと授業で教えたし、実際に対戦もさせている。生徒たちにとって経験済みのことであり、簡単に乗り越えられる課題であったはずなのだ。だがアルテシアは、そこで気を失った。その瞬間を誰も見てはいなかったので、なにがあったのかはわからない。本人の意識が戻ったとき、聞いてみるしかない。

 ダンブルドアは、まね妖怪が吸魂鬼となったのに違いないという。だがルーピンは、そう思ってはいなかった。たしかにアルテシアは吸魂鬼を怖がってはいたが、まね妖怪は、相手が一番怖いと思っているものに変身するはずなのだ。アルテシアの一番怖いものとは、なんだろう。

 

(友だち、だよな)

 

 一番怖いのは、友だちを失うこと。アルテシアは、そう答えたことがある。そういうことだとして、まね妖怪は、いったい何に変身したのだろう。考えられるのは、アルテシアの友人の誰かに変身し、アンタとは絶交よ、などと言ってみせることだろう。実際、ハーマイオニーの場合はマクゴナガル先生に変身し、落第だと告げられている。だがたとえそのようなことが起こったにせよ、気を失うのは不自然だ。では、ほかに何が考えられるだろう。

 ルーピンは、引き出しを開けて「忍びの地図」を取り出した。これを使えば、いながらにして医務室のようすを知ることができる。アルテシアのいる病室の人の出入りを見ていれば、彼女が目覚めたかどうかが、わかるだろう。

 いまは面会を制限するというマダム・ポンフリーの方針もあって、医務室から戻ってくるしかなかったのだ。地図を開き、そこに目をむけて、ルーピンは驚いた。

 

(ウソだろう、まさか、こんなことが)

 

 久しぶりに使うので、なにか間違ったのかとも思った。だが、ちゃんと地図は表示されている。これで正常なのだとするなら、この2つの場所で、いったい何が起こってるのか。もちろん、それを確かめる必要がある。問題はどちらに行くかだが、ルーピンが迷っていたのはほんの一瞬。行く先は、あっというまに決まった。

 その片方である医務室には『?』の文字が表示されていた。つまりは、名前のわからない誰かがいるということだろう。だがそこにはマクゴナガルの名前もある。なにかあったとしても、対処してくれるだろう。

 もう一方は、校庭の端に植えられたあばれ柳のすぐそばだ。そこに、ルーピンのホグワーツ時代の友人であるシリウス・ブラックとピーター・ペティグリューの名前がある。だがピーターはシリウス・ブラックに殺され、すでにこの世にいない。そのはずなのだ。だがこうして名前がある以上は、そこにいるということになる。つまりピーターは、生きているのだ。

 

(確かめる必要がある)

 

 ピーター、シリウス、ロンの3つの名前が、あばれ柳に重なり、消えた。これはつまり、そこが入り口となっている叫びの屋敷への地下の通路へと入ったということだ。ルーピンはそう判断した。この通路のことを、ルーピンはよく知っていた。

 とりあえず杖されあればいい。杖を持つと急いで部屋を出る。とにかく今は、ピーターに話を聞く必要がある。ピーターが生きているとなれば、12年前の事件のことがまったく変わってくる。これまでに知られている結末とは全く違う、別の真実があるということになってしまうのではないか。とにかくルーピンは、暴れ柳へと急いだ。

 

 

  ※

 

 

「いまのは、いったい…… いまのは、誰なんですか?」

「私の勝手な想像ですが、ガラティア・フォル・クリミアーナさまではないかと思います」

 

 そう言ったのは、ソフィアの母であるアディナ。もちろんソフィアが連絡し、ホグワーツの医務室へと連れてきたのだ。どうやら母親からの指示を受けていたようで、アルテシアが医務室のベッドに寝かされたと聞くや、その容態を確認したあとで実家へと飛んだのだ。行って戻ってくるまで、せいぜい10分もあれば十分だった。

 いま医務室のこの部屋には、ベッドに寝ているアルテシアを除けば、アディナとマクゴナガルしかいない。2人は、アルテシアがなぜ意識を失ったのかについて、話をしていた。その話のなかでアディナが、ある実験をしてみせたのである。

 

「ガラティアというと、ブラック家に嫁入りしていたという人ですね」

「そうですが、よくご存じですね。では、ルミアーナ家とクリミアーナ家の関係についても、ご存じなのでしょうね」

「と、言いますと?」

「簡単に言えば、ルミアーナは、クリミアーナのそばにいたい。ずっと一緒にいたい。そう願っている、といったところでしょうか」

「はぁ、そうなのですか」

「マクゴナガル先生、ルミアーナは、すくなくとも過去500年ほども前からずっと、クリミアーナを見続けてきました。そんな我が家ですから、ガラティアさまの記録が残っていてもおかしなことではないのですよ」

 

 アディナの言うとおり、ルミアーナ家は500年前の出来事によりクリミアーナ家と別れて以降も、ずっとその関係修復を願ってきた。そのことを願い出て許される日が来ることを信じて、クリミアーナ家に注目し見守り続けてきたのである。

 

「私は、ずっとお母上であるマーニャさまを見てきました。娘のソフィアもまた、そのお嬢さんに近づこうとしてきました。同じようにルミアーナは、ガラティアさまの世代でも関心を持って見つめていたのです」

 

 ソフィアがアルテシアを、アディナがマーニャを見つめていたように、ガラティアもまた、ルミアーナ家からの視線を浴びていた。だがガラティアは妹、その姉アリーシャがクリミアーナ家を継ぐことになるがゆえに、どうしてもその注目度は低くなる。低くはなるが、まったくのゼロになるなどありえない。

 

「さすがに、なぜガラティアさまがブラック家を出されることになったのかはわかりません。ですがガラティアさまは、それ以降も、クリミアーナに戻ることはありませんでした」

「それは、なぜですか?」

「クリミアーナが、マーニャさまの代へとなっていたからだと思います。これも勝手な想像となりますが、身体の弱かったマーニャさまの代わりとなり、クリミアーナの外でのことを引き受けられたのでしょう。おそらくは、将来のためにいろいろ役立つようにと、なにごとかされていたんだと思うのです」

「たとえば、どのようなことでしょうか」

「最初に思いついたのは、お嬢さんの杖のことです。あの杖にはガラティアさまが関係しているのではないか。であれば、さきほどの実験は成功するだろうと考えました」

 

 杖の材料には、一角獣のたてがみや不死鳥の尾羽根など、それぞれに強力な魔法力を宿すものが使われる。だがアルテシアの場合、その杖に使われた材料が何であるのか、杖を作った職人のオリバンダーもわかってはいない。

 アディナは、その材料をガラティアが作ったのではないかと考えたのだ。娘のソフィアの杖をアルテシアが作ってみせたという実例もあるのだし、その可能性は高いと考えたのである。

 アディナがやった実験は、クリスマス休暇のときに、クリミアーナ家の書斎でアルテシアが試みて失敗した実験と同じもの。あの秘密の部屋騒動におけるトム・リドルの日記帳をイメージし、自分の魔法力を本へと書き出しておこなわれたものだ。そしていま、アルテシアの杖を対象とした実験が成功し、さきほど女性の姿が現れたというわけだ。

 

「魔法書には、その本を作った魔女の知識や魔法力などのすべてが詰め込まれています。マクゴナガル先生であれば、おわかりでしょうけど、魔女そのものと言ってもいいくらいなのです」

「たしかに。そのことは実感していますよ」

「お読みになられているそうですね。そろそろ3年になるとか」

「ええ、そうです。まだまだ学ぶことは多いですが、読ませてくれたアルテシアには感謝していますよ」

「それはそれは。とてもありがたいお言葉だと思いますよ。きっとお嬢さんもお喜びになるでしょう」

 

 2人のかたわらにあるベッドには、アルテシアが寝ている。寝ているので、2人の話は聞こえていないだろう。他には、誰もいない。ダンブルドアはヒッポグリフの件で魔法大臣らとハグリッドのところだし、他の先生や生徒たちも、この場にはいない。マダム・ポンフリーが、明日の昼までは面会禁止としているからだ。

 

「ところで、ガラティアという人はいまどこにいるのです。実験により出てきたのが、その人だということでしたが?」

「ええ、あれは間違いなくガラティアさま。ですが本人ではありませんよ。いわば再現したようなもの、ということになります」

「再現?」

「もともと、この実験はお嬢さんのアイデアなのです。実はこの前の休暇のとき、ルミアーナ家でさまざま相談をしたのです。トム・リドルという者が残した日記帳からトム・リドルが現れ、行動し、言葉を話し、魔法を使ったという騒動が、実際にホグワーツであったそうですが、ならば、同じようなことができるのではないかと考えたのです」

「その事件のことは、もちろん覚えていますが」

「そのときの日記帳は、いまホグワーツにあるのですか? もしあるのなら、見せてもらうことはできますか?」

 

 実はこの実験は、まだ成功したというわけではない。これは、あくまでもトム・リドルの日記帳をイメージしたもの。だがどうやれば実現できるのか、まだわかっていないのだ。ゆえにアルテシアの実験は失敗したが、日記帳を詳しく調べることができれば、あるいは成功への道が見えてくるのかもしれない。

 

「残念ながら、すでに処分されたと聞いています」

「そうですか。参考にできると思ったのですが、しかたありませんね」

「ともあれ、さきほどの女性をもう1度呼び出してくださいませんか。話を聞いてみましょう」

「ああ、先生。それはムリですよ」

「ムリ?」

「私たちの、いえ、私の力では、あそこまでが精一杯。お姿を見ることはできても、それがトム・リドルのように話をしたり、動き回ったりはできません。いったい、どうやればあんなことができるのか」

 

 もちろん、さまざま考えた。だが、その方法は見つからない。たしかに魔法書には、その魔女の思い、知識、魔法力など、そのすべてが残される。だがそれは、いわばデータだ。そこには、肝心なものがない。ゆえに、その姿をみるだけで精一杯。動きもしなければ、しゃべることもしない。

 

「肝心なのは命、ですか」

「そうです。この私、娘のソフィア、クリミアーナのお嬢さん。先生もそうですが、生きる命が知識を学び、魔法力を身につけていくのです。知識が命を持つのではありません。ですがトム・リドルの場合は、どういうことになるのか。私には、さっぱりわかりません」

 

 まったくわからない。アディナはそう言って頭を振り、ベッドに眠るアルテシアへと目をむけた。アルテシアは、寝ている。マダム・ポンフリーの見立てでは、少なくとも今夜のうちに目覚めることはないらしい。早くても明日のお昼か午後、ということになるようだ。

 

「それで、ホンモノのガラティアさんはどこにいるのでしょう。会えますか? わたしは、最近までホグズミード村にいたのではないかと思っているのですが」

「ホグズミード村に? いえ、それはないと思いますよ。ガラティアさまは、すでに亡くなられていますから」

「亡くなられた? いつのことですか、それは。なぜ?」

「もう10何年か前のことですが、13人が死亡した大きな爆発事故がありました。その事故に巻き込まれたのです」

「待ってください、その事故とはまさか、12年前の……」

 

 マクゴナガルは、いったい何を思い浮かべたのか。だが今はその話は不要、とでも判断したらしく、その先を言わなかった。ちなみにそれはシリウス・ブラックがアズカバンに収容される原因となった事件のことであり、ブラックの魔法によってマグル12人と魔法使い1人が死んだとされている。だがその魔法使いは、ガラティアではない。ガラティアは杖など持っていないし、魔法族とのつきあいもなかったので、事故処理のとき、魔法省によってマグルだと判断されているのだ。

 

「ですが、ホグズミードにはアルテシアのことを探している女性がいたのですよ。生徒が、実際にその女性に会っています。わたしは、ガラティアという人だろうと思っていました」

「その話は娘から聞いていますが、ガラティアさまではありません。では誰かと聞かれても答えはありませんが、なんらかの方法によって魔法書から読み出された女性ではないかと思いますね。日記帳からトム・リドルが出てきたように」

 

 アディナが言うのは、トム・リドルが日記帳から出てきたように、魔法書から抜け出した女性が、アルテシアを探していたのではないかということだ。もちろん探していただけでなく、他にもなにかしたことはあるのだろう。その方法や、具体的に何をしたのかなどはわからないが、それをやった人は、予想できるとアディナは言う。

 

「誰ですか、それは」

「マーニャさまだと思います。私は、マーニャさまをずっと見てきました。ご存じかと思いますが、マーニャさまは幼いころから身体が弱く、長生きはできないとされていました。幸いにもお嬢さんに恵まれましたが、25歳で亡くなられています」

「そうでしたね。その話は、聞いています」

「マーニャさまは、将来のことを心配されたのだと思いますよ。ご自身では、娘の成長を見守ることができない。先へと導いてやることができない。ならば、お嬢さんのためにできることはやっておこうと、そういうことだったのではないでしょうか」

 

 もちろん自分の勝手な想像だと、アディナは付け加えた。だがマクゴナガルには、思い当たることがいくつかある。その代表的なものが、自分自身がマーニャと会ったことだ。なぜ自分であったのか、ということはあるにせよ、あのときアルテシアのことを託されたと考えるのは、不自然ではない気がする。

 

「ガラティアさまとマーニャさまは、おそらく連絡は取り合っていたはずです。いまはどちらも亡くなられてますから確かめることはできませんが、ホグズミード村でお嬢さんを探していたのは、なにか大切なことのためだと思いますね。たとえば、お嬢さんに足りない何かのため。おそらくお2人は、そこまで考えておられたのではないかと思うんですよ」

 

 その言葉は、マクゴナガルには衝撃的に響いた。もちろん、忘れていたわけではない。効果的な手を思いつかないまま、日にちだけが過ぎていたが、いまはダンブルドアの手に渡ってしまったあのにじ色の玉のことである。あれが、重要なカギとなるのではないか。

 そのことを、アディナに話しておくべきかどうか。マクゴナガルがそんなことを考え始めたとき、医務室のなかが、急に騒がしくなった。すぐとなりの病室が、突然騒がしくなったのだ。

 

 

  ※

 

 

「聞いてください、話を聞いてください」

「静かにしなさい。他のベッドには、寝ている人もいるのですよ。ウィーズリーの手当はひとまず済みましたが、次はあなたの番です」

「でも、大切なことなんです。すぐに校長先生にお伝えしなければ」

 

 その声は、すぐとなりのマクゴナガルたちにもはっきりと聞こえただろう。マダム・ポンフリーが、懸命にハリーたちをなだめている。いったい何があったのか、マクゴナガルは、いっそう耳をすませているのに違いない。いっそのこと、この場に来ればいいようなものだが、何があったのかをまったく知らないこともあり、遠慮しているのかもしれない。

 

「とにかく、ブラックは捕まったんです。もう心配はいりません。吸魂鬼が『キス』することになりそうだと大臣が言ってましたよ」

「えーっ!」

 

 その叫び声のように大きな声がしたことで、おそらくは廊下にいたのであろう、コーネリウス・ファッジとスネイプが部屋に入ってくる。

 

「ハリー、落ち着きなさい。ブラックは捕まえたよ。上の部屋に閉じ込めてあるんだ。安心していい。さあ、横になりなさい。さあ」

「おとなしく寝るのだ、ポッター。朝になれば全てが終わっている。何も考えずに眠れ」

「いいえ。大臣、聞いてください。シリウス・ブラックは無実なんです。ぼく、そのことを確かめました。ピーター・ぺティグリューと会いました。自分が死んだと見せかけ、シリウス・ブラックに罪をかぶせていたんです」

「それは違うぞ、ポッター。そうではない。吾輩は、ピーター・ぺティグリューなど見てはいない。あの場にいたのは、おまえたち3人とブラック、そしてルーピン先生だけだ。他には誰もいなかった」

 

 ハリーの主張がスネイプによって否定されると、今度はハーマイオニーが反論する。

 

「捕まえる人をまちがえています。わたしも見ました。『動物もどき』だったんです。ロンのペットだったネズミが、ピーター・ぺティグリューだったんです」

 

 その主張に対し、スネイプは何も返事をしなかった。マダム・ポンフリーが、怒り出したからである。

 

「そんな議論など、医務室では必要ありません。とにかく、ポッターはわたしの患者です。大臣と先生にお願いです。この子たちは適切な手当てと十分な休息が必要なんです。どうか、出ていってくださいな」

「ああ、そうだな、うん。そうしよう、スネイプ。そろそろ、時間でもあるしの」

 

 ファッジが、大きな金の懐中時計を取り出し、それを見る。ちょうどそこでドアが開き、ダンブルドアが顔をみせた。

 

「すまないが、ミスター・ポッターとミス・グレンジャーに話があるのじゃ。みな、すぐに席を外してくれるかの」

 

 口調は穏やかだが、ダンブルドアの言ってることは、強制のようなものだ。マダム・ポンフリーは不満の声を上げたが、短い時間で終えるということを条件に、渋々承諾。

 

「では、話が終わったらすぐに知らせてくださいよ。せいぜい早くしてください。ウィーズリーはこのまま寝かせておきますが、かまいませんでしょうね?」

「かまわんよ」

「では、わたしらは行こうか」

 

 ファッジは、シリウス・ブラックへのキス執行のために吸魂鬼を迎えに行く用事があったし、スネイプもそれに同行することとなり、部屋にはダンブルドアとハリー、ハーマイオニーが残る。足を負傷しているロンは、かたわらのベッドで眠り込んでいる。

 マダム・ポンフリーが部屋を出ると、ダンブルドアがさっそく話を進める。

 

「シリウス・ブラックと話をしてきたのじゃが」

「先生、ぼくたち、ほんとうにピーター・ぺティグリューを見たんです」

「ピーター・ぺティグリューは、ネズミになれるんです。変身するところを見ました。校庭でネズミになって逃げ出したんです」

 

 ハリーとハーマイオニーは、すぐさまシリウス・ブラックのことを訴える。実はハリーたちは、さきほどまでシリウス・ブラックらと共に、ホグズミードにある叫びの屋敷にいたのである。ロンが大きな黒い犬に連れ去られ、それを助けに行こうと黒い犬の後を追いかけた。暴れ柳の根元から通じる抜け道へと入り、行き着いた先は、ホグズミード村にある叫びの屋敷。そこでハリーたちは、真実を目にしたというわけだ。

 ハリーの両親を裏切り、ヴォルデモート卿に居場所を教えたのは、シリウス・ブラックではなかった。マグル12人を巻き込み魔法使いが1人死んだ事件の犯人も、シリウス・ブラックではなかった。すべてはピーター・ぺティグリューのしたことだった。ピーターは、その事件で自身が死んだように偽装し、すべてをシリウス・ブラックへと押しつけ、ネズミの姿に変身して隠れていたのである。

 それが、すべての真相だったのだ。変身を解かれたピーター自身と会ったということがもそのなによりの証拠であった。

 

「わかっておる。シリウス・ブラックに話を聞いたと言うたであろ」

「だったら、すぐにシリウス・ブラックを助けてください。吸魂鬼にキスさせるだなんて、とんでもないです」

「じゃが、無実を示す証拠がない。ぺティグリューがいなければ、どうすることもできんじゃろう。となれば、いま必要なのは時間じゃということになる」

「時間?」

 

 ダンブルドアは、何を言っているのか。ハリーにはわからなかったが、ハーマイオニーは思い当たることがあったらしい。なにやら驚きと戸惑いとが入り交じった顔で、ハリーを見る。

 

「ハリー、あのね、あたし…」

「いいかね、2人とも。よく聞くのじゃ」

 

 ダンブルドアなら、どんなことでも解決できる。いつでも、解決策を示してくれる。ハリーは、そう思ってきた。きっとなにか、方法があるはずだ。いまからダンブルドアが、その方法を教えてくれるのに違いない。ハリーは、ハーマイオニーよりもダンブルドアに注目した。

 

「ぺティグリューがいなければ、シリウスの無実は証明できん。となれば、いったん証明はあきらめるしかない。よいかな」

 

 いったん言葉を切り、ハリーからハーマイオニーへと、ゆっくり目をむけていく。

 

「シリウスはいま、8階のフリットウィック先生の事務所に閉じ込められておる。西塔の右から13番目の窓じゃ。うまくいけば、今夜キミたちは、罪なきものの命を救うことになるじゃろう。ただし、誰にも見られてはならんぞ。その理由をミス・グレンジャー、キミは知っておるはずじゃな」

「はい。でも」

「あの、校長先生。いまアルテシアはどこにいますか。どこにいるか、ご存じですか?」

「なんじゃと、アルテシアがどこにいるか、じゃと」

 

 不安そうなハーマイオニーの言葉をさえぎり、ハリーはそう尋ねた。腕時計に目をむけていたダンブルドアが、意外そうな顔を向ける。

 

「そんなことが、いま必要なのかね?」

「先生、それってぼくたちに助けにいけってことですよね。ぼく、思い出したんです。今日の占い学の試験のとき、トレローニー先生が、突然、男のような声になって、予言のようなことを言ったんです」

「なんと、予言をしたというのかね」

「はい。たしか、こうでした。今夜、ヴォルデモート卿の召使いが自由の身になる。そうすれば闇の帝王が復活する。召使いを自由にしてはならない。起こさねばならない」

「ふむ。その召使いというのがピーターということになるのかな」

「そうだと思うんです。このままならヴォルデモートが復活することになる。アルテシアにも協力してもらったほうがいいと思うんです。あいつは、賢者の石のとき手伝ってくれた」

 

 だが、ダンブルドアは静かに首を横へと振った。

 

「アルテシア嬢は、試験のときに気を失ったまま、まだ眠っておるよ。明日までは目覚めぬということだったと思うが」

「あ、そうだ。そうだった。ああ、そうだよ。あいつ、まだ眠ってるんですか」

「そういうことじゃ。起こさねばならんというが、そういうわけにもいくまい。ともあれ、いまは夜中の12時5分前じゃ。ミス・グレンジャー、3回引っくり返せばよいじゃろう。幸運を祈る」

「幸運を祈る?」

 

 ダンブルドアがドアを閉めたあとで、ハリーはくり返した。ドアにカギがかかる音がした。

 

「3回引っくり返すって、なんのことだろう。ハーマイオニー、なんのことかわかるかい?」

「ええ、わかるわ。それよりハリー、アルテシアがいたほうがいいと思う? 誘いに行く? あたしも、そのほうが心強いことは間違いないんだけど」

「え? でもあいつは寝てるってダンブルドアが」

「だから、起きているときに誘いにいくのよ。たしか防衛術の試験のときなのよね。あのときは、たしか。ええと、そうね。いいわ、14回でやってみましょう。ダメだったらそれまでのことよ」

 

 ハーマイオニーは、何を言っているのか。ハリーには、さっぱりわからなかった。そのハリーの前で、ハーマイオニーはローブの襟のあたりから、細長い金の鎖を引っ張り出した。そしてその先についていた砂時計を、引っくり返していく。

 



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第57話 「過去と未来」

 クルクルクルと、ハーマイオニーの持つ砂時計が、14回引っくり返された。

 

 「それでどうなるって… うわっ!」

 

 暗い病室が溶けるようになくなった。とてつなく速く、後ろむきに歩いて、いや走っているような、そんな妙な感覚に包まれる。ぼやけた形や色が、次々とハリーたちを追い越していく。そんなときがどれだけ続いたのか。やがて、流れていく景色の速度がゆっくりとなっていき、止まった。

 

「こっちにきて、ハリー」

 

 ハーマイオニーが、ハリーの腕をつかんで引っ張っていく。2人は、玄関ホールにいた。そのホールを大急ぎで横切り、物陰へと隠れる。いったいなにがどうなっているのか、ハリーにはさっぱりわからなかった。

 

「ねぇ、ハーマイオニー。どういうことなんだい。なぜ、外が明るいんだろう。真夜中のはずだよね」

「しーっ、静かに。ちゃんと説明するから、大きな声はださないで。わたし、時間を逆戻りさせたのよ」

「逆戻り?」

「そうよ、いまは今日の10時ごろ。もうすぐ防衛術の試験が始まるんだけど、そのまえにアルテシアを捕まえないと。あたし、アルテシアが外へ散歩に行ったのを見たわ。試験の前に戻ってくるはずでしょ。玄関ホールを通るはずなのよ。もうそろそろだと思うんだけど」

 

 まだ説明不足だ、とハリーは思っていた。だが、そーっと玄関ホールのようすをうかがうハーマイオニーをみて、自分もそうやってみる。ホールには、誰もいない。

 

「まさか、もう行っちゃったのかしら。でもダンブルドアは真夜中の12時5分前だって行ってた。防衛術の試験が10時10分からだから、合ってるはずよ。」

「10時? 午前中だって? 今日の…」

「あ、来たわ。ハリー、あなたはここに隠れてて。あたしが話をしてくる」

「待ってよ、ハーマイオニー」

 

 するすると物陰から出て、アルテシアのところへと走っていくハーマイオニー。それについて行くべきかどうか、ハリーは迷った。迷っているあいだも、その視線の先ではハーマイオニーとアルテシアが話をしている。やがて2人は別れ、ハーマイオニーが戻ってくる。

 

「話はついたわ。あたしたちは、このままここで待ってればいい。アルテシアが来てくれるわ」

「けど、ハーマイオニー。アルテシアは、防衛術の試験で気を失って医務室行きだ。ここに来られるはずないよ」

「そうだけど、アルテシアは来るって行ったわ。アルテシアはウソなんか言わない。あたしたちは信じて待ってればいい。来なかったとしても、時間は過ぎていくでしょ。結局、ダンブルドアの指示どおりになるわ」

「あのさ、ハーマイオニー。ぼく、よくわからないんだけど、その砂時計はなんなの?」

 

 細長い金の鎖がついた砂時計。それをひっくり返すと、時間が戻る。目の前でいま、そんなことが起こったような気がするとハリーが言い、そのとおりだとハーマイオニーが答える。

 

「逆転時計っていうのよ。授業を全部受けるのに必要だからって、マクゴナガル先生が手配してくださったの。勉強以外に使わないこと、誰にも言わないこと、そんな約束をいくつもしなくちゃいけなかったけど、なんとか魔法省の許可がもらえた。これで時間を戻して、いくつもの授業を受けていたの」

「なるほど。時間を戻せる魔法の道具ってことか。わかったよ。でも、ダンブルドアは3回って言ってたよね。いいのかい?」

「3回も5回も10回も、結局は同じことよ。でも、シリウスを助けるためになにをすればいいのかしら。どうすれば助けられるっていうの?」

「それはたぶん、そのあいだに起きたことに関係があるんだと思うわ。なにかわからないけど、そういうことだと思う」

 

 頭の上のほうから聞こえたその声は、アルテシアのものだった。ハーマイオニーたちが、思わず顔を上げる。

 

「夜中の12時に3時間前だと校長先生がおっしゃったのなら、今夜の9時から12時までのあいだに起きたことだと思う。なにをするにしても、9時になるまで待つべきだとは思うけど」

「そ、そうよね。でも待つにしても、ええと何時間待つことになるのかしら」

「大丈夫よ、逆転時計の反対のことをすればいいわけでしょ。それは、わたしがやるわ。でもこれは、とても危険なことなのよ。大きな問題があるわ」

 

 その問題とは何か。当然のようにハーマイオニーが尋ねるが、アルテシアはにっこり笑って左手をあげ、その質問をさえぎる。そうしておいて、自分たちの周囲を人差し指で指さしていく。

 

「何をしてるの?」

「逆転時計の反対のことをするのよ。とにかく、今夜の9時へ行きましょう」

 

 3人の周囲を、半透明の板のようなものが囲っていく。あっというまに、大きな箱の中に3人が入り込んでしまったような、そんな状況となる。

 

「この中から出ないでね。いま、このなかだけ外の20倍の速さで時間が流れてる。9時になるまで30分ちょっとってとこね」

「逆転時計の反対って言ったわね、アルテシア」

「うん。時間を戻すんじゃなくて、早送りしてるのよ。もっと早くもできるけど、30分のあいだに話がしたいの」

「そうね。だいたい、なにをすればいいのかもよくわかってないんだし」

「それなら、わかってるよ。ダンブルドアは、シリウスを助けろって言ってるんだよ」

 

 どうやればシリウス・ブラックを助けることができるのか、問題なのは、その方法なのだ。なおもハリーが、話を続ける。

 

「ダンブルドアが、窓がどこにあるかを教えてくれただろ。そこにシリウスが閉じ込められているって言ったじゃないか。だからぼくたちは、バックピークに乗って、その窓まで飛んでいけばいいんだ。シリウスは、バックピークに乗って逃げられるんだ」

「それはそうだけど、そんなことを誰にも見られずにできると思う? そんなことムリよ。いくら夜中だからって、どこで誰が見ているか、わからないわ。いまホールにいるのだって、同じところにずっといたら、誰かに見られるに決まってる」

「それは大丈夫よ、ハーマイオニー。わたしが魔法で、誰にも見えなくするわ。でも問題なのは、そういうことじゃないの」

 

 では、なにか。その一瞬、3人ともに、無言のままで見つめ合った。そんな時間が、数十秒。

 

「時間の操作で、あなたたちは過去に戻った。わたしは、未来に来た。でもそこには、現在のハリーとハーマイオニーがいるし、過去のわたしがいるはずでしょ。会うわけにはいかないし、ほかの人がやってることをじゃましてもいけないわ。やったことを変更するのもまずいと思うんだよね」

「それは、そうでしょうね。でも、そうなったらあたしたちがやれることはほとんどないわ」

「ね、ハリーも、そう思うでしょ。それはしてはいけないんだってこと、わかってくれるわよね?」

 

 アルテシアとしては、このことははっきりさせておきたかった。アルテシア自身、今回のような時間の操作をしたことがないのであまり強くは言えないのだが、過去のできごとに関わっていいはずがない。

 ハリーは、よくわからないという顔つきだったが、それでも了承してくれた。だが、それで終わりではなかった。アルテシアには、まだ気になることがある。

 

「問題は、しなかったことをしてもいいのかどうかだけど、どう思う?」

「どうって、問題ないさ。ぼくたちは、そのために来たんだろ。ダンブルドアだって、そうしろって言ってるんだよ」

「そうね。あたしもそう思うわ、アルテシア。慎重にやるべきだとは思うけど、誰にも見つからずにやれば問題ないんだと思うわ」

「そうなのかなぁ」

 

 不安は、ある。だが、わからないことで悩んでいてもしかたがない。ハーマイオニーの言うように、慎重にやっていくしかないだろう。臨機応変、その場その場で考えながらやっていくしかないのだ。

 

「ところで、今日の午後9時から、なにが起こったのかわたしは知らないわ。わたしにとっては未来のことだから」

「それはもちろん、教えるわよ。ちゃんと話すわ」

「ね、いまのわたしは何をしてるのかしら。もう、試験は終わってる時間だけど」

「ああ、キミは試験のときに倒れたんだ。医務室で寝ているはずだよ」

「あぁ、なんだ。やっぱりそうなんだ」

 

 あまりにも予想どおりすぎて、アルテシアは苦笑するしかなかった。時間を操るのは大仕事、それもこれほど大がかりなことをやるのだから、身体への負担もかなりのものとなるだろう。いまのところは大丈夫だが、この先も何度か魔法を使うことになるだろうし、意識を失って医務室行きとなるのは十分に考えられることだ。

 

「医務室で寝ているのね。なんだか、ほっとした。マクゴナガル先生には怒られるだろうけど」

「どうして?」

「うん、ちょっとね。それより、そろそろ時間かな。9時過ぎには、あなたたちは何をしてたの?」

「ぼくらは、ハグリッドの小屋に行ってたよ。そこでピーターを見つけたんだ」

「そして危険生物処理委員会の人たちが来たわ。ヒッポグリフのバックピークを処刑するためよ」

「処刑?」

 

 言われて思い出した。そういえば、ヒッポグリフの控訴判決の日が、今日だった。つまり、敗訴したということになるのだろう。でも、その日のうちに処刑されるだなんて。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアたち3人はハグリッドの小屋のそばに立ち、校舎のほうから歩いてくるダンブルドアとファッジ、それに危険生物処理委員会の魔法使いと、大きな斧を抱えた死刑執行人が歩いてくるのを見ていた。別に姿を隠そうともしていないのは、透明マントを着ているからではない。マントは持ってきていないので、アルテシアが魔法によって見えなくしているのだ。

 

「ねぇ、もう1度聞くけど、あなたたち、ヒッポグリフが処刑されるところは見てないのよね?」

「ええ、見なかったわ。処刑されるところなんてイヤだったし、ダンブルドアたちに見られてもまずかったしね」

「それが、どうしたって? とにかく、助けるんだろ。ぼく、もうバックピークに乗っててもいいかな?」

「あ、うん。かまわないけど、打ち合わせどおりでお願いね。ヒッポグリフが逃げたってことにしないと、ハグリッドに迷惑がかかるから」

「ああ、大丈夫だよ」

 

 計画では、あらかじめハリーがヒッポグリフに乗っておき、処刑が始まろうとするときに飛び立って逃げるのだ。そうすればハグリッドが逃がしたのではないことになり、責任を問われるようなことはないはずなのだ。

 危険生物処理委員会の人たちが、ハグリッドの小屋に入っていく。ハリーも、ヒッポグリフとコミュニケーションをとり、背中に乗る。もちろん、ヒッポグリフにはハリーが見えるようにしてある。

 

「もうやるしかないんだけど、ハーマイオニー。校長先生、いたよね」

「ええ。それが、なに?」

「あなたたち、時間を戻す前に校長先生と会ってるんだよね。そのとき、ヒッポグリフのこと、なにか聞いた?」

「え? ええと、そうね。そういえば、ヒッポグリフのことはなにもおっしゃらなかったと思うわ」

「そうなんだ」

 

 アルテシアは、考える。つまり校長先生は、こうなることを想定していた。だから、あえてヒッポグリフのことを話さなかったのだろう。そのときに何がおこったのかを、ここにいる誰もが知らない。ならば、助けても問題ないということになるのかもしれない。アルテシアは自分をそう納得させたが、それはともかくとして、校長先生はあまりに無茶をやらせすぎじゃないんだろうか。

 アルテシアの見ている前で、ハグリッドの小屋から危険生物処理委員会の人たちが出てくる。いよいよだ。アルテシアとハーマイオニーが、ヒッポグリフに乗ったハリーを見る。準備万端、ハリーはいつでも飛び立てる。

 

「あとは、タイミングだね」

「うん。ハーマイオニー、合図お願い」

「わかった」

 

 そして、ヒッポグリフがハリーを乗せて飛び上がる。その瞬間にアルテシアが、魔法でつないであるひもをほどく。結果として成功はしたが、タイミングは危うかった。死刑執行人の動作があまりにも速かったのだ。あと少しでも遅れていれば、そちらの仕事のほうが完了することになっていただろう。その斧が、風を切るヒュッという音と、空を切った斧が地面をたたくドサッという音がアルテシアの耳に届いた。

 

「やったわ。成功したわよ。アルテシア」

「ええ、なんとかね。じゃあ、行きましょうか」

 

 もう、この場所に用はないので、空を飛んだハリーと合流することになっている場所へと、移動を開始。時間は十分にあるので走る必要はない。そこからは『あばれ柳』も見えるはずだし、森沿いにある木立の中へとヒッポグリフを隠しておくこともできるだろう。

 もっともアルテシアは、自分たち3人とヒッポグリフとを、他人から見えるようにするつもりはなかった。安全のためにも、最後の瞬間まで見えない状態を維持しておくつもりでいるのだ。木立の中へと入ったにせよ、誰かの目に触れないという保証はない。

 

「森の中から『あばれ柳』を見てたほうがいいわね。そうしないと、いま何が起こっているのかわからなくなるし」

「ああ、うん。そうだね」

 

 ハーマイオニーにはそう返事をしておき、歩きながら周囲を見回していく。みたところ、いつもとかわりはない。とくに異常を感じないことに、アルテシアはほっとする。経験がないのではっきりとしたことは言えないが、仮に過去を変えてしまっていたなら、なにか異変が起こっても不思議ではないはず。いまのところは大丈夫だ。

 

「ねぇ、アルテシア。あなた、顔色悪いわよ、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫よ。うん、まだ大丈夫」

「まだ?」

「ううん、なんでもないわ、気にしないで。ほら、ハリーが降りてくるわよ」

 

 箒と同じく、ヒッポグリフに乗るのもハリーは得意であるらしい。見事、予定どおりの場所に着地成功。それを見ながら、アルテシアは心の中で苦笑する。いまもっとも過去を変えてしまう危険が高いのは、ハリーでもハーマイオニーでもない、自分自身なのだと気づいたからだ。そういえば、さっきから頭が痛くなってきている。

 なぜ、自分はこうなのだろう。正直、歯がゆいし、悔しくもある。本来なら、みんながそろったこの時点で、シリウス・ブラックを逃がすことのできる時刻へと飛び、シリウスを逃がしてやればいいのだ。そして、ハリーとハーマイオニーを医務室に送り届け、自分は闇の魔術に対する防衛術の試験中へと戻るのだ。まね妖怪と闘った、あの大きなトランクの中へと戻れば、それで任務完了となる。

 それらを一気にやってしまうのが理想なのだが、さすがにムリなようだと、アルテシアは思い始めていた。その原因とも言うべき頭の痛みを我慢しながら、考える。どうすればいいか、と。

 実際、この時点でアルテシアは、かなり魔法を使っている。しかも、これで終わりではないのだ。この先も魔法をつかうことになる。マクゴナガルからは使用が禁止されている魔法を使わねば、現在へと戻ることができない。

 ヒッポグリフの着地地点から森に沿って歩き、木立のなかへと入っていく。そこからは『あばれ柳』の周辺が見えるし、待機場所としては適当だろう。

 その『あばれ柳』の下にある地下の通路へと、次々と人が入っていくのが見える。その最後が、スネイプだ。

 

「いまの、スネイプ先生だよね。スネイプ先生も、いたんだ」

「ああ、そうだよ。あいつが来て、話がややこしくなったんだ」

「でも、スネイプの誤解を解くのはムリだと思うわ。学校時代にいろいろあったんでしょうけど、頭から、ルーピンやシリウスのこと疑ってかかってたでしょ。話を聞こうともしないし」

「叫びの屋敷でのことは、あとで聞くわ。いまは聞かない方がいいと思うんだ」

 

 まだその話を、アルテシアは聞いていない。聞けば聞くだけ、自分に対する制限が増えることになるので聞かない方が都合がいい、というのがアルテシアの考えだ。未来にいる今ではなく、現在に戻ってから聞けばそれで十分なのだから。

 

「とにかく、あとはシリウス・ブラックを逃がせばいいのよね? ね、その時間になるまで、ここで休んでてもいい?」

 

 魔法で飛べば簡単なのだが、アルテシアは、ここで待つということを選択した。このまま木立のなかに隠れていれば、いずれそのときがやってくるのだから、そのための魔法を使わなくてもよくなる。しかも、いくらかでも休めることにもなるのだ。

 ハーマイオニーの了解を得て、アルテシアは幹の太い木を選び、身体を預けるようにしてその根元に座った。ふーっと息を吐くと目を閉じる。3人ともに過去や未来に来ているという不安定な状況にあるのだから、さっさと用事をすませたほうがいいのに決まっているのだが、さすがに一気にやるのはムリだった。

 

 

  ※

 

 

 それから1時間ほどが、何事もなく過ぎた。木の葉をかすかに揺らす程の風が吹き、空では満月が、流れる雲に隠れたり顔を出したりをくり返していた。

 

「この月、なんだよな。今日が満月じゃなかったら、ピーターのやつを逃がすことはなかったのに」

「仕方がないわ。いまはどうすることもできないでしょ。あたしたちは、シリウスを助けることしかしちゃいけないのよ」

「そうだけど、ぼく、思い出したことがある」

「なによ?」

 

 疑わしげな目でハリーを見る、ハーマイオニー。その目に、ハリーは苦笑するしかなかった。

 

「違うんだ、ハーマイオニー。ぼくが思い出したのは、オオカミになったルーピンが、森に駆け込んでくるってことだよ。このあたりだったと思うんだ」

 

 ほんの一瞬あと、ハーマイオニーが息をのんだ。そうだ、たしかにそうだった。だがそのすぐあとで、ハーマイオニーは笑ってみせた。

 

「大丈夫よ、ハリー。あたしたちはいま、誰にも見えないのよ。ルーピンにだって見えないわ。だから、ここを通り過ぎていくわよ」

「そうかな。アルテシアは寝てるんだぜ。それでも大丈夫だと思うかい? 魔法はまだ、効いてると思う?」

 

 見れば、たしかにアルテシアの目は閉じられていた。ハリーの言うように寝ているらしい。次にハーマイオニーは、校庭へと目をむける。すでにあばれ柳の根元から出てきたらしく、あのときの自分自身を含めた数人が校庭を歩いている。雲が動き、隠れていた月が顔を見せる。

 

「満月だ。ルーピンが変身する。隠れた方がいいよ。キミはバックピークを頼む。ぼくはアルテシアを抱えていくから」

「いいえ、ハリー。大丈夫よ」

「え? でもルーピンが」

 

 背後から狼人間の遠吠えが聞こえてくる。声が近づいてくる。

 

「ハーマイオニー!」

 

 ハリーが大きな声を出したが、ハーマイオニーは、首をよこに振った。

 

「動かない方がいいわ。ここでやり過ごすのよ。大丈夫よ、アルテシアを信じましょうよ」

「けど」

「どちらにしろ、もう間に合わないと思うわ」

 

 たしかに、遠吠えはすぐ近くまで来ている。ややあってハリーたちのすぐ横を通り過ぎていったが、見つかってはいないようだ。ちゃんと魔法は効いているらしい。

 

「大丈夫なのかしら、ルーピン先生」

「それより、次は吸魂鬼だ。もうすぐ校庭に入ってきて、シリウスを襲うはずだろ」

「そうだけど、あたしたちは何もできない。ここにいてやり過ごすしかないのよ。だって、吸魂鬼よ。動き回るとかえって危険だわ」

「わかってる。わかってるんだけど」

 

 このあと、校庭へと入ってきた吸魂鬼に、シリウス・ブラックが襲われることになる。湖のそばでのことだ。あのときハリーは、吸魂鬼に襲われているとは知らずに、ハーマイオニーとともに駆けつけた。そして吸魂鬼を追い払おうと、何度か守護霊の呪文を使ったのだが、できそこないばかりでうまくいかなかった。そしてもうダメだと思ったとき、湖の反対側から、まぶしいばかりにかがやいた、見事な守護霊が吸魂鬼を追い払ったのだ。

 あのときハリーは、守護霊の呪文を使ったであろう人物を見た。はっきりと見えたわけではなかったが、自分によく似ていた気がするのだ。ということは、父さんではないのか。ハリーはそんなことを考えていた。死んだと思われていたピーターが、実は生きていたのだし、シリウスだって、絶対に脱獄できないとされていたアズカバンから逃げ出してみせた。ならば、父さんが吸魂鬼を追い払ってくれたとしても、ありえないことではない。そんな奇跡があってもいいはずだ。

 

「ごめん、ハーマイオニー。ちょっと見てくるだけだから」

 

 反対される前に、とばかりにハリーは駆けだした。湖のほとりまで一気に走る。このあたりが、守護霊の呪文を使った人がいた場所のはずだ。周囲を見回す。いた、吸魂鬼だ。吸魂鬼が、暗闇の中から抜け出してくるように次々と集まってくる。だが、幸いにもハリーが立っている場所ではなく、目指しているのは、湖のむこう岸。そこにシリウスがいるからだ。そのあたりで、小さな銀色の光が見えた。ハリー自身が守護霊を出そうとして失敗したときのものだろう。ハリーは、もう1度、あたりを見回した。

 

(早くしないと、間に合わなくなるぞ)

 

 吸魂鬼がキスをしてしまったら、もう取り返しがつかない。父さんは、どこにいるんだろう。父さんでなかったにしても、あのとき吸魂鬼を追い払ってくれた人は、どこにいるんだろう。

 しかし、周囲に人はいない。誰もいない。なぜだ、もう間に合わないぞ。そう思ったとき、ひらめいた。ハリーは気づいた。ほかの誰かがやるんじゃない、ぼくなんだ、ぼくがやるんだ。あれは、ぼくだったんだ。ハリーは、杖を取り出した。

 

 

  ※

 

 

 ハリーは、ハーマイオニーのところへと戻ってきていた。戻るなりハーマイオニーから、何をしていたのか、おかしなことはしなかったかと問い詰められることになり、その説明をしなければならなかった。

 

「シリウスとぼくたちが吸魂鬼に襲われたとき、誰かが守護霊の呪文で追い払ってくれた話はしたよね? あのときぼく、その人を見たんだ。ぼんやりしてたけど、でもぼくは、それが父さんじゃないかと思ってたんだ。だから、確かめにいったんだ」

「でもハリー、あなたのお父さんは」

「ああ、そうだよ。だけど、もしかしたらって思ったんだ。あのとき見た人が、父さんじゃないかって」

「それが、いまのあなただったってことね。でも、ハリー。あなた、誰にも見られちゃいけなかったのよ」

「そんなこと、わかってるさ。でも、あのときのぼくがぼくを見てたんだから、ぼくはあそこに行かなくちゃいけなかったんだよ。きっと、行かないほうが問題だったはずだ」

 

 どうなのだろう。さすがのハーマイオニーも、そこまではわからない。アルテシアに相談したいところだが、あいかわらずアルテシアは眠っているのだ。

 

「それにハーマイオニー、ぼくたち誰にも見えないってことになってるけど、ほんとかな? あのときのぼくに、いまのぼくが見えたんだ。見えないはずだろ。おかしくないかな。アルテシアが寝ちゃったから、魔法の効果がとぎれてるのかもしれないよ」

 

 ここは、起こして聞いてみるべきだろう。ハーマイオニーとハリーは、木に寄りかかって眠るアルテシアに近づいていく。どちらにしろ、シリウスを助けに行く時間が近づいている。起きていてもらわねば、困るのだ。とりあえず、軽く身体をゆすって、声をかけてみる。

 

「ねえ、アルテシア。そろそろ時間だと思うんだけど、起きた方がいいわよ。ねぇ」

「アルテシア、シリウスを助けたいんだ。そろそろ行こう」

 

 だが、アルテシアは眠ったままだ。少し強めにゆすってみたが、やはり起きない。

 

「さっきから全然起きないのよ。どうしたらいいと思う?」

「どうって、とにかく、起こさないとだめなんだ。ほら、あれをみなよ」

 

 なるほど校庭のほうでは、吸魂鬼に襲われてぐったりとしているハリー、ハーマイオニー、シリウスの3人が、スネイプによって担架に乗せられているところだ。このあと、今夜の出来事が学校側に知られることになり、シリウスは西塔にあるフリットウィック先生の事務所に閉じ込められ、ハリーたちは医務室に連れていかれることになるのだ。

 

「どうしよう、きっとアルテシアはどこか悪いのよ。だって、試験のときに倒れたんでしょ。きっと起きないわ」

「それでも、なんとか起こすんだ。思い出したよ、このことだったんだ。トレローニーが言ってた。起こさないといけないって」

「あんな人の言うことなんか、どうでもいいわ。でも、ほんと、どうしよう」

 

 スネイプと4つの担架が、ゆっくりと動いていく。4つ目の担架には、ケガをしたロンが乗せられているのだろう。月明かりのなか、ハリーとハーマイオニーは、そのようすを見ながら相談する。

 

「とにかく、あたしたちだけでシリウスを逃がしてから、アルテシアを起こしにくるっていうのはどうかしら?」

「でも、時間的に間に合うのかい? ぼくたち、医務室に戻ったら、簡単には外に出られないよ」

「ダンブルドアが病室のドアに鍵をかけるまで、あと40分くらい。そのあいだにシリウスを救いだし、病室に戻ってなきゃダメなんだけど」

「とても、アルテシアを起こしにくる時間はないよ。いま、起こさなきゃダメだ」

 

 ハーマイオニーが、もう1度時計を見る。

 

「いいわ、連れていきましょうよ。バッグピークに乗せていけばいいでしょ。それくらいできるわよね、ハリー」

「それはなんとかなると思うけど、でもハーマイオニー、アルテシアは医務室に行っちゃいけないんじゃないかな」

「どうして?」

「わかんないけど、医務室には試験中に倒れたアルテシアがいるはずだろ。そのアルテシアは、ずっと寝たままのはずだ」

「あ、そうだわ。あたしたちは、ちょうど出て行くところに戻れるけど、アルテシアはそうじゃない。うわ、どうすればいいの」

 

 アルテシアの戻る場所は、昼間の試験中でなければならない。だがそこに、どうやって戻るというのか。時間だけなら、逆転時計が使える。だがあれは、1時間単位だ。細かい調整はムリだし、そもそもアルテシアがどの時点で試験を抜け出したのか、ハーマイオニーにはわからない。

 

「いいわ、とにかくできることだけでもやりましょう。2人でシリウスを助けにいくのよ」

「でも、アルテシアはどうするんだい」

「それは、あとで考えるわ。とにかくもう、時間がないのよ」

「でも、ハーマイオニー」

「逆転時計を使ったのは、あたしたち2人だけ。逆転時計の規則は守らなきゃ。でも、アルテシアは違うわ。だからきっと、自分でなんとかして戻るんじゃないかしら。ね、ハリー、そう思わない?」

「そうかなぁ」

 

 それが正しいのかどうかは、わからない。だがもう、時間に余裕はないのも確かだ。ハリーは、ヒッポグリフとコミュニケーションをとり、その背中に乗ると、ハーマイオニーを引っ張り上げた。この背中では、2人が乗るのがやっと、アルテシアも乗せるのはムリだ。

 

「よし、行こう。いいかい? ぼくにつかまって」

 

 そしてハリーが、ヒッポグリフの脇腹をかかとで軽くつつく。ヒッポグリフが大きな翼を広げ、空へと飛び上がる。だがハリーたちは、そのことに懸命になるあまり、気づかなかったのだ。ちょうどいま目を開けたアルテシアが、そのようすを見たのだ。

 アルテシアは、気を失っていたのではない。眠っていただけなのだ。眠ることで、少しでも頭痛を解消できるのではないかと考え、時間に合わせて目が覚めるようにしておき、寝ていたのである。

 あわてて立ち上がったものの、ハリーたちは、アルテシアには気づかず飛び立ってしまった。それを見送るように空を見つめながら、アルテシアが、ぽつりとひと言。

 

「わたし、どうすればいいのかな」

 



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第58話 「3年目のおわり」

 月明かりの中を飛んでいくヒッポグリフを、アルテシアは地上から見つめていた。なぜ、自分は置いてきぼりとなったのか。思い当たることがないではなかったが、アルテシアとしては、納得がいかなかった。

 たしかに、自分は寝ていた。だがそれは、ハーマイオニーには了解をとっていたはずなのだ。時間になるまで休ませてもらう、と。

 

(とにかく、追いかけるべきだよね)

 

 あとは自分たちだけで大丈夫だ、ということなのだろうか。だが、うまくいくはずがない。なぜならハリーたちの姿は、アルテシアによって誰にも見えないようにされているからだ。当然、シリウスにも見えないのだから、その状態で助けることは難しい。もちろんアルテシアは、その状態を解消するつもりではいる。だがどうせなら、タイミングを見計らってのほうがいいに決まっている。

 

(たしか、どこかの窓から助け出すようなこと言ってたわよね)

 

 詳しい話を聞かないようにしていたのではっきりとはしないが、ヒッポグリフに乗ってその窓まで飛んでいき、助け出すようなことを言ってたはず。だとすれば、高い場所ということになる。飛んでいった方向を考えると、西塔あたりだろうか。

 アルテシアはそう考え、西塔に向けて走り出した。転移の魔法で飛んだほうが早いのだが、魔法を使うのは避けるべきだと思ったのだ。少し寝たので、頭痛はいくらかましになっているが、最後には自分のいた場所、試験中のトランクの中へと戻らねばならないのだから、慎重になるべきだろう。

 めったに走ったりしないので、すぐに息が苦しくなってくる。だが、一気に走れないような距離ではない。歩くよりはましといったスピードになりつつも、ようやく西塔へとたどり着いてみれば、予想通りにその上の方でヒッポグリフが飛んでいた。背中にハリーとハーマイオニーがいる。手を伸ばしてそばにある窓を叩こうとでもしているようだが、ヒッポグリフにしても、その場に浮かんでいるためには羽ばたく必要があるし、塔からギリギリのところを飛べるわけでもない。そのため羽ばたくたびにハリーたちの位置が上下するし、手をいっぱいに伸ばしても、窓に届きそうで届かないのだ。

 

(あの部屋は、たしかフリットウィック先生のところだ)

 

 あの部屋に、シリウス・ブラックがいるのだ。アルテシアは、その人に会ってみたかった。はたしてシリウスが、ガラティアのことをどれだけ知っているのかはわからない。わからないが、話を聞いてみたかった。アルテシアは、母親以外でクリミアーナ家の人に会ったことはないのだ。たとえ話だけでも、その人のことが知りたかった。

 

(でもわたしが行って、大丈夫かな。話ができるかしら)

 

 シリウス・ブラックは、たくさんの人を殺した凶悪犯。事実は違うのだが、これがこの時点での、アルテシアのシリウスに対する認識だ。それにハリーたちが必死で助けようとしている理由を、アルテシアはまだ聞いていなかった。

 シリウスがいるだけの部屋に入って行くのは、さすがに怖い気がする。だが、怖いなどといってられない。シリウスがハリーたちに気づいたなら、もう会うチャンスはなくなるのだ。

 アルテシアがその部屋へ転移しようとしたとき、ふとダンブルドアの顔が目に入った。廊下の向こうから歩いてくるダンブルドアの姿が、1階の窓を通してみえたのだ。その瞬間、アルテシアは隠れた。窓枠より下へと身体を低くし、壁にぴったりとついたのだ。魔法で姿を見えなくしてあるので隠れる必要などないはずだが、思わずそうしていた。

 

(そういえば、医務室がすぐ近く。きっと、ハーマイオニーたちに過去へ行くように言いにいくんだわ)

 

 だとすれば、もうほとんど時間はないことになる。アルテシアは、フリットウィックの部屋の様子を思い出していた。何度か、尋ねたことがあるのだ。

 とりあえず、何もない空間とフリットウィックの部屋の真ん中あたりを入れ替えてみる。大丈夫だ。運ばれてきたのは空気だけ。ということは、その場所に転移しても問題はない。次の瞬間、アルテシアはフリットウィックの部屋にいた。窓際にある椅子に座っている男が、シリウス・ブラックなのだろう。

 アルテシアは、この部屋のなかだけ時間の進行を30分の1の速さにした。つまりこの部屋での30分は、外にいるハリーたちにとっての1分ということになる。そうしておいて、シリウスへと近づいていく。まだ姿を消したままなので、シリウスは気づいていないはずだ。だが、足音などの気配を感じたらしく、その目がアルテシアのほうへと向けられる。

 そこでアルテシアは、姿を見せた。だがその瞬間にめまいを感じ、足がもつれる。思わず倒れそうになったアルテシアを、シリウスがすばやく支えた。

 

「キミ、大丈夫かい? いつのまにここへ? どうやって来たんだい?」

 

 矢継ぎ早の質問は、どれも当然のものだった。アルテシアは、シリウスのおかげで倒れることはなかったが、そのまま床に座り込んだ。立て続けに魔法を使ったためなのだろう。

 

「すみません、ちょっとめまいがしたものですから。でも、大丈夫です」

「そうか。ならよかったけど、この部屋にはいないほうがいいよ。もうすぐ吸魂鬼が来るはずだ」

「それなら大丈夫です。窓の外を見てください」

 

 言われて目をむけたシリウスは、そこにハリーとハーマイオニーの姿を認めた。もちろんシリウスにも、ハリーたちが見えるようにしてある。時間の経過が30分の1の速さとなっているため、室内からの景色は止まっているようにも見えたが、シリウスは思わず腰を浮かせ、おどろいたように口を開けていた。

 

「ハリー・ポッターやハーマイオニー・グレンジャーのことはご存じなんですよね。2人は、ヒッポグリフに乗ってあなたが逃げられるようにと、ああやって飛んできたんです」

「なんと。こんなオレなんかのために。まったくムチャをするものだ」

「シリウスさん。お願いなんですけど、行ってしまう前に少しだけわたしと話をしてくださいませんか」

「なんだって。話を?」

 

 うなずいてみせる、アルテシア。床に座り込んだままではあまりに失礼なのだが、さすがにもう立てそうにはなかった。頭痛がひどくなっている。

 

「おいおい、大丈夫なのか? 顔色が悪すぎだぞ。まさにオレみたいだ。ちゃんと食べてないんだろう?」

「シリウスさんはクリミアーナをご存じですか。以前に、クリミアーナから嫁入りした……」

「あぁ、そうだ。思い出したぞ。キミには、見覚えがある。だが、キミがそうであるはずがないな。そうか、キミはマーニャさんの娘さんだろう。そうに違いない」

「あの、シリウスさん。母を、母をご存じなんですか」

 

 まさか、ここで母の名が出てくるとは予想外だった。もちろんアルテシアは、ガラティアの名が出てくるとばかり思っていたのである。

 

「ああ、知ってるよ。リリーに紹介してもらったことがある。ポッター家で、何度か会ったこともね。キミは、さすがにリリーは知らないだろうけど、ハリーの母親だよ」

「ハリーのお母さん? でも、母がポッター家に行ってたなんて、初めて聞きました」

「そうなのか。オレも、キミのお母さんがいつのまにポッター家に来て、いつのまに帰るのか、とうとうそれは分からなかったな。リリーと2人で、いつも話をしていたよ」

 

 それはたぶん、転移魔法で直接家に出入りしていたからだろう。マーニャは、身体が弱かった。アルテシアが覚えている限り、自分の部屋と食堂とをなんとか行き来できる程度で、外出などとてもムリだったはずなのだ。だが魔法は使えるのだから、ポッター家でちゃんと対処し受け入れてくれたなら、行くことは可能だったのかもしれない。

 

「しかし、キミはマーニャさんにそっくりだ。ほんとによく似ている。おかげで思い出してきたよ。いつも笑っていたな。いい笑顔だった」

「あの、シリウスさん。もっと話したいんですけど、時間がありません。またいつか、話をきかせてもらえませんか」

「そうだな。オレが無事に逃げ出せたなら、どこか安心できるところにでも落ち着いたなら、連絡しよう。オレのほうにも、話したいことがいろいろとある」

「ありがとうございます。楽しみにしてます」

「ああ。だけどキミ、本当に大丈夫なのかい? 顔色が悪すぎだぞ。ベッドに横になるべきだ」

 

 もう限界だった。頭が痛くて、いくつもあったはずなのに、話したいことが思い浮かばない。まだまだ話をしたいことは間違いなかったが、これ以上はムリだと判断したアルテシアは、窓にかけられた封印を魔法で解除した。この先は、ハリーたちに託すしかない。

 

「シリウスさん。そこの窓は開けられるようにしました。窓からヒッポグリフに乗って逃げてください」

「なんと、窓の封印を解いたって? この窓はスネイプが魔法で封じたのに、それを解いたというのか」

「あの、わたしのことは、今日のことは内緒にしてくれませんか。魔法を使ったことを知られたら、先生に怒られるんです」

「は? なにを言ってる。封印のことはともかく、キミは魔法学校の生徒だろう。なのに魔法を使うと怒られるだと」

 

 それには返事をせず、アルテシアは姿を消した。だがシリウスやハリーたちに見えなくしただけで、まだその部屋にとどまっていた。もう限界だ。ちゃんと戻れるのかどうかギリギリのところだったが、それでもシリウスが救助されるところを確認しないわけにはいかないのだ。

 目の前でシリウスが窓をあけ、ハリーの手を借りてヒッポグリフの背中へとまたがる。もう誰も乗れないようにも思えたが、なんとか3人が乗るとヒッポグリフはその翼を大きく羽ばたかせ、さらに上空へと舞い上がっていく。

 

 

  ※

 

 

 西塔のてっぺん、その頂上へとハリーたちを乗せたヒッポグリフが舞い降りる。さすがに3人が乗るには無理があったようで、8階部分からその頂上まで来るのがやっとだった。すぐにハリーとハーマイオニーが、ヒッポグリフから飛び降りる。

 

「シリウス、このまま行って。いろいろ話したいことはあるけど、時間がないんだ。早く」

「もうすぐ吸魂鬼がくるわ。あなたがいないことがわかったら騒ぎになってしまう」

 

 ハリーとハーマイオニーが立て続けにそう言ったが、シリウスはずいぶんと落ち着いているようだ。塔のてっぺんから、ぐるりと周りをみまわしていく。

 

「シリウス、急いだ方がいいんけど」

「わかってる。キミたちは、すぐに戻りなさい。大丈夫、ちゃんとこいつに乗って逃げるから」

「けど、シリウス」

「あの子、ロンはどうした? ケガをさせてしまったが」

「ロンなら、医務室です。もう手当は済んでいます。それより早く、行ってください」

 

 あわてる2人とは対照的に、シリウスは、おだやかな笑みをみせた。

 

「大丈夫だよ、とにかくキミたちにお礼を言わせてくれ。こうして命を持って帰れるとは、正直思っていなかった」

「お礼なんていいから、もう行って!」

 

 ハリーとハーマイオニーが同時に叫んだ。苦笑いを浮かべたシリウスが、ヒッポグリフの向きを変える。

 

「わかった。また会おう、ハリー。キミは、まさにお父さんの子だよ。ハリー……」

 

 もう飛び立つのかと思いきや、シリウスは、まだ何か言いたそうにハリーを見ていた。ハリーも、シリウスをじっとみる。

 

「もう行くよ、ハリー。そうだな、キミのお母さんにも親友がいたことは知ってるかい。マーニャという女性だよ。おぼえておくといい」

 

 シリウスが、ヒッポグリフのわき腹をかかとで軽くつつく。巨大な両翼が振り上げられ、ふたたび大空に舞い上がる。その姿がだんだん小さくなっていくのを、ハリーたちはじっと見送った。そして。

 

「さあ、いそがないと。誰にも見つからずに病室まで戻るのに、10分しかないわ。ダンブルドアがドアの前にいるうちに戻らないと」

「わかってるよ」

 

 西塔のてっぺんからは、石造りのらせん階段で降りることができる。その階段を大急ぎで降りながら、ハリーは考える。母さんにも親友がいたと、シリウスは言った。父さんの親友がシリウスなら、母さんの親友はマーニャ。その人はいま、どこにいるんだろう。

 ちょうど階段を下りきったところで人の声がした。聞き覚えのある声に、ハリーたちは壁にぴったりと身を寄せて隠れながら、耳をすませた。声の主は、ファッジとスネイプ。病室でハリーたちと話したあと、廊下へと出てきたところなのだろう。

 

「これでようやく、ブラックの事件にも片がついた。とにかく魔法省は、ふりまわされっぱなしでね。ようやく落ち着くことができるというわけだ」

「それはなによりですな。しかし、吸魂鬼を校内に入れるのはまずいかもしれませんな。怖がる生徒もいますからな」

「そうかもしれんが、もう呼びに行ってるよ。われわれは、シリウス・ブラックを引き渡すだけだ。キスをするかしないかは、やつらが決めるだろう。とにかく今夜のうちにすべてが終わる。明日には学校の外にいる吸魂鬼たちも引き上げているだろう」

 

 階段下の廊下を、そんな話をしながら2人が歩いていく。その足音が聞こえなくなるまで待つ必要がある。ハリーとハーマイオニーは、あせる気持ちを抑えながら、待った。そして、ファッジたちとは反対の方向へと走り出す。

 

「あと3分しかないわ、ハリー」

「大丈夫だ、間に合うよ。でももし、遅れたらどうなるんだい」

「そんなこと、考えたくもないわ」

 

 ハーマイオニーの目は、何度も時計に向けられている。と同時に、医務室も近づいてくる。

 

「あと1分よ」

 

 そのとき2人は、ようやく医務室へと続く廊下にたどりついていた。速度を落とし、ゆっくりと近づいていく。病室へのドアが開かれ、ダンブルドアの声が聞こえてくる。

 

「……そういうわけにもいくまい。ともあれ、いまは夜中の12時5分前じゃ。ミス・グレンジャー、3回引っくり返せばよいじゃろう。幸運を祈る」

 

 ダンブルドアが後ろ向きに部屋を出てきて、ドアを閉め、杖を取り出す。そこへ、ハリーとハーマイオニーは飛び出していった。さすがにダンブルドアも驚いたような顔をしたが、それも一瞬。すぐに笑顔となった。

 

「ふむ。どうやらうまくいったようじゃな。では、中にお入り。わしが鍵をかけよう」

 

 そして、ハリーとハーマイオニーは病室に戻る。病室には、手当を受けたロンがベッドで寝ているだけ。過去へと旅立つ前となんら、変わったところはない。

 マダム・ポンフリーが姿を見せ、ハリーたちのところへとやってくる。

 

「校長先生はお戻りになったようですね。これでようやく、診察ができます。とりあえず、これをお食べなさい」

 

 渡されたのは、チョコレートだ。吸魂鬼に襲われているので当然の処置だろう。マダム・ポンフリーは、2人を見下ろすようにして立ち、食べるのを確かめていた。

 

「ですが、見たところ元気そうですね。どこか、痛いところとかありますか?」

「いいえ、どこもなんともありません」

「でしょうね、元気そうに見えます。けど、今夜はこのままここで寝てもらいますよ。明日の朝、もう一度診察しましょう」

「あの、アルテシアはどうしてますか? ここにいるんですよね」

「アルテシア、ですか」

 

 マダム・ポンフリーは、なぜかそこで、大きくため息。

 

「さあて、どういうことなんでしょうかね。わたしには、わかりませんよ。まぁあの子にも、いろいろあるんでしょうけど」

「あの、なにかあったんですか」

「いいえ、別に。でも、あの子が試験中に倒れたことは知ってるでしょう。それからずっと眠ったままですよ。なにかムチャなことでもしたんでしょうけど、いつのまに、といったところです。マクゴナガル先生は、500点減点する、なんておっしゃってましたね」

「500点!?」

 

 まさか、そんな! きっと冗談なのだろうけど、そのことについては、ハリーたちはいくらかうしろめたいような気分を味わっていた。なにしろ、アルテシアを森の中にほったらかしにしてきている。きっと目が覚めて、ちゃんと戻ったに決まっているけれど、まだ寝たままなのだとしたら。

 

「あの、もう寮に戻ってはいけませんか。ぼくたち、なんともないんですけど」

「ダメです。明日の朝、もう一度診察してからです」

 

 きっぱりとマダム・ポンフリーが言い切ったところで、廊下のほうから、なにやら大きな声が聞こえてきた。それはもちろん、ハリーたちには予想済み。いつくるかと待っていたようなものだ。シリウスが逃げ出したことが発覚したのに違いない。

 

「まったく……こんな夜中になんのつもりでしょう? 全員を起こすつもりなんですかね」

 

 ハリーは、何を言っているのか聞き取ろうとした。だがそんなことをする必要はなかった。病室のドアが、勢いよく開けられ、ファッジとスネイプ、それにダンブルドアが病室に入ってくる。

 

「なんですか、いったい。いい大人が、騒ぎすぎですよ。ここをどこだと思っているんです」

「ああ、すまない。だがこれも、大事な仕事なのだ。ちょっと確かめさせてもらうよ」

 

 ファッジは、かなり頭にきているように見えた。だがそれは、ハリーたちに対してではないようだ。

 

「いいかね、ハリー。この塔の上の階に閉じ込めておいたシリウス・ブラックが逃げ出したのだよ。そのことについて、キミが何か知っているのではないか、そう指摘する声があるが、どうかな」

「知っていることがあれば、すべて話すのだ、ポッター」

 

 スネイプも、じっとハリーをにらみつける。ダンブルドアだけが涼しげな顔で、不謹慎ではあるが、この場の雰囲気を楽しんでいるように見えた。

 

「ぼくたち、なにも知りません。ここでチョコレートを食べていました」

 

 たしかに、その手にはマダム・ポンフリーから渡されたチョコレートがあった。

 

「ほほう。だが、ポッター。吾輩には、おまえがなにか隠しているであろうことくらい、わかるのだ。よろしい、2つほど質問させてもらうが、正直に答えろ」

「おいおい、スネイプ。何を言い出すんだ」

「そうじゃとも、セブルス。この2人は、わしがついさきほどこの部屋に来たときからずっと、ここにいるのじゃよ。ドアにもカギがかかっていたじゃろう。このわしが、カギをかけたのじゃからな」

「たしかに、ドアにはカギがかかっていました。ですが、校長。カギのことを言うなら、シリウス・ブラックが逃げ出したあの部屋の窓にも、カギがかけられていましたぞ。あの魔法による封印を、杖を持たぬシリウス・ブラックがどうやって開けたというのか。なにか、納得のいく説明がありますかな」

 

 これには、ハリーも驚いたようだ。思わず、ハーマイオニーと顔を見合わせる。あのとき窓は、シリウスが開けたのだ。いま思えば、シリウスを閉じ込めた部屋の窓が、なんの支障もなく開いたのは、おかしな話だ。

 

「さあて、それはわからんが、医務室にいたハリーたちにはどうすることもできなかったと思うがの」

「そうだぞ、セブルス。とにかく逃げてしまったものは仕方がない。またもや『日刊予言者新聞』が魔法省を批判するだろうが、甘んじて受けるしかなかろう。だが、ダンブルドア」

 

 ファッジは、さすがに魔法大臣らしく、今夜のことに結末をつけようとしているらしい。ダンブルドアが、ファッジに目をむけたところで、スネイプが大きく深呼吸をした。

 

「今夜、さまざまな意見を聞いた。あのマグルを巻き込んだ大事件の真相が、実は違っていたということについて、キミの考えを聞いておこうか」

「そうじゃの。十分にありえる話ではあるまいか。いま思えば、あのときはいくつか思い違いもあったようじゃ。つじつまとしては、あり得ることかもしれんのう」

「わたしは、あの事件の直後に現場を訪れてるんだよ。調査のためだが、いまでも夢に見るくらいだよ。だがたしかに、マグルの遺体は全員ちゃんとあるのに、ピーターだけなかったのは不自然といえば不自然だ。あれが、そういうことだったとするなら」

 

 言いながら、スネイプを見る。当然、スネイプは反論するだろうと思ってのことだが、スネイプは何も言わない。ただ、深呼吸をくり返している。落ち着こうとでもしているのだろう。

 

「どちらにしろ、調べ直してみる意味はありそうだな。さてと、わたしはもう行くよ。今夜のことを省の方に知らせないと……」

「それで、吸魂鬼は学校から引きあげることになるのかね?」

「ああ、そうだな。そうせねばなるまい」

 

 そこでファッジは、自分の頭を指でかきながら、ハリーたちに目をむけた。

 

「なにしろ、罪もない子どもに『キス』をしようとしたのだ。学校のそばにはおけない。さっそくアズカバンへと戻す手続きを取ろう。おそらくブラックも、学校の近くにはいないだろうからな」

 

 そう言い残し、ファッジが出て行く。ダンブルドアが、スネイプへと目を向ける。

 

「セブルス、わしらも失礼しよう。子どもたちには睡眠が必要だからな」

「校長、1つだけポッターに質問することをお許し願いたい。それさえ聞けば、わたしもおとなしく戻りましょうぞ」

「ふむ。じゃが、何が聞きたいというのじゃね」

 

 それを、許可だと判断したスネイプは、さっそくハリーに目をむけた。

 

「ではポッター。それにグレンジャー。おまえたちは、アルテシア・クリミアーナになにか頼み事をしたのではないか。どうだ?」

「セブルス、何を言っておるのかね。アルテシア嬢はいま、医務室で眠っておるのじゃよ」

「そうですよ、スネイプ先生。いったいどんなムチャをしてああいうことになったのかはわかりませんが、ずっとベッドに寝たままなんですよ」

 

 だがスネイプは、じっとハリーを、ハーマイオニーを見ている。ハリーたちは、返事ができなかった。やがてスネイプはくるりと背を向け、ローブをひるがえすようにして、病室から出ていった。ダンブルドアもそのあとに続き、マダム・ポンフリーも事務室へと戻っていった。

 

 

  ※

 

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人が病室を出ることを許されたのは、昼近くのことだった。この日はホグズミード行きが許されていたこともあって、校内はがらんとしていた。

 もちろんハリーたちは、すぐさま森へと行ってみた。だが、そこにアルテシアはいなかった。医務室のベッドに寝ているのも間違いないのだから、やはり夜のうちに目が覚め自分で戻ったのだろうと、そう思うしかなかった。他の可能性など、まったく思いつかない。

 

「なあ、夜のこと、話してくれよ。ボク、途中から気を失っててほとんどなにも知らないんだよ」

「もちろん、話すよ。でもアルテシアには、ホントに悪いことをした。ぼく、そう思ってるんだよ、ハーマイオニー」

「ええ、そうね。でもアルテシアの協力がなかったら、あたしたち、あんなこととてもできなかったと思うわ。聞いたでしょ、スネイプが言ったこと」

 

 3人は、森から出て湖のほうへと歩き、ベンチに腰かけた。ここからあばれ柳が見えるのを、ちょっとした皮肉のように感じる必要はないのかもしれない。

 

「あの窓には、魔法の封印がかけられてた。当然、あたしたちには開けられなかったわ。あれを開けてくれたのはアルテシアよ。そうに決まってる」

「けど、キミだってアロホモラ(Alohomora:開け)が使えるじゃないか。あれで開けられたんじゃないか」

「いいえ、ロン。スネイプは、魔法の封印だって言ってたわ。アロホモラで開いたとは、とても思えない。考えてみたら、逃げられないようにと、いろんな魔法がかけられていてもおかしくないのよね」

「でもあのとき、窓はシリウスが開けたんだ。ぼくはシリウスがなんとかしたんだと思うけどな」

 

 だがハーマイオニーは、あくまでも否定した。スネイプは、シリウスのことをよく知っているはずなのだ。なのに、シリウスがなんとかできるような封印にしておくはずがない。

 

「アルテシアに聞いてみればすむことじゃないか。まあ、あいつは医務室だけどさ」

「そういえば、医務室に誰か知らない人がいたよね。あれ、誰だろう」

「アルテシアの病室に出入りしてたわよね。でも、クリミアーナはアルテシアだけのはずだし」

「あの人、ガラガラさんかもしれないぜ。その可能性、あるって思わないか」

 

 確かめる方法は、ただ1つ。だがハリーもハーマイオニーも、アルテシアのところに行くのは気が引けた。昨夜のことがあるからだ。

 

「よう、3人とも。元気にしちょるか」

 

 見れば、そこにハグリッドがいた。大きなハンカチで顔の汗を拭いながら、そこに立っていた。

 

「おまえさんら、知っちょるか。バックピークのやつ、逃げだしおったんだ。ちゃんとつないでおったんだが、いまにも処刑されるってときに、飛び上がったんだ。つないであったロープを引きちぎってな」

「ああ、それはよかったわ。じゃあ自由になったのね」

「そうだ。だから一晩中お祝いしとったんだ。まだ酔っちょるよ、オレは!」

 

 ハグリッドの喜びようは、かなりのものだった。その気持ちがわかるだけに、3人ともに、話を合わせる。ハグリッドは、吹いてくる風を気持ちよさそうに受けながら、森のほうを見ていた。

 

「おう、そうだ。あの娘っこはどうしちょる? 夜中に森に入るようなことはしとらんはずだが、ひょっとしてルーピン先生と出くわしてたらと、ちょっと心配になってな」

「え? それってどういうこと?」

 

 ハリーがすぐさま聞いた。聞き流してはいけないことのような気がしたからだ。

 

「なんだ、まだ問いとらんのか。朝食のとき、生徒たちに発表されたって聞いたぞ」

「なにを?」

「ルーピン先生のことだ。ルーピンは狼人間で、昨日の晩の満月で変身しちまったらしい。森にひそんでたそうだが、いまごろは荷物をまとめとるだろう」

「荷物をまとめるって、なぜ?」

「学校を辞めるんだ。変身して生徒をかんだりしたら大変だからな」

 

 ハリーは驚いた。そして、駆けだした。いま荷物をまとめているのだとしたら、まだ間に合うはずだ。走りに走って到着したルーピンの部屋は、ドアが開いていた。どうやら、もう荷造りは終わったらしい。キレイに片付いた部屋の中で、ルーピンは机に向かって何かしていた。人の気配がしたからか、ルーピンが顔をあげた。

 

「やあ、ハリー。いま、手紙を書いていたんだ。ちょうど終わったけどね」

「あの、先生がお辞めになったって聞きました。でも、嘘でしょう?」

「いや、本当だよ。これ以上は続けられない。誰も、自分の子どもが狼人間に教えを受けることなんて望んでいない。ぼくは、納得しているよ」

 

 そんなことでいいのだろうか。ハリーは、もっと何か言いたかったが、言葉にはならなかった。

 

「そうだ、ハリー。もうぼくは教師じゃない。だから、いつかキミから取り上げたこれを返しておこう。キミなら上手に使えると信じているよ」

 

 そう言って差し出したのは『忍びの地図』。それを受け取りながら、必死に考える。どうすれば、ルーピンを説得できるだろうかと。

 

「校長先生とは、今朝はやく話をした。昨夜の出来事も聞いたよ。おかげで、キミに守護霊の呪文を教えたのはぼくだと自慢できる。キミの先生になれてよかったよ」

 

 ルーピンが荷物の入ったカバンを持ち上げ、出口へと歩く。そこに、ダンブルドアが立っていた。

 

「リーマス、門のところに馬車が来ておる。使うといい」

「そうですか。ありがとうございます、校長。それから、見送りは結構です。一人で大丈夫ですので」

「そうかね」

「あと、申し訳ありませんがこれをアルテシアに渡してもらえませんか。最後に会いたかったけど、まだ医務室らしいですね。そのときに、吸魂鬼と対決させるようなことをして申し訳なかったと言ってもらえれば」

「わかった。そうしよう、リーマス」

 

 どうやらルーピンは、できるだけ早く学校を立ち去ろうとしているようだ。それがハリーにもわかった。もう、引き止めることなど不可能だ。最後に握手を交わすのが精一杯で、ハリーとダンブルドアが残される。

 

「ハリー、そんなに浮かない顔をしなくてもいいのじゃないかね。昨夜は、大活躍だったのじゃから」

「いいえ、先生。ぼくはなんにもできませんでした。結局、ぺティグリューには逃げられた」

「いやいや、ハリー。昨夜のことには、大きな意味がある。いずれ、それがわかるじゃろう。それにファッジは、あの事件のことを調べ直すつもりじゃよ。その気にさせたのはキミじゃ。もしかすると、ファッジがシリウスの無実を証明してくれるかもしれん」

 

 そうなればいいけど、とハリーは思った。いったいシリウスは、どこへ行ったのだろう。父さんの親友であり、無実の罪で服役していたシリウス。聞けば、ハリーの名付け親でもあるらしい。いまや、たった1人の身内のような人なのだ。

 

「校長先生、シリウス・ブラックはぼくの父さんの親友でしたよね。そのシリウスが、ぼくの母さんにも親友と呼べる人がいたと言ってました。もしかしたら先生はその人のこと、それが誰か知りませんか?」

「なんと、リリー・ポッターの親友とな。そうじゃのう。明るく社交的であったから、友だちは多かったと思うが。一番親しい友だちとなれば、ふむ」

 

 さすがのダンブルドアにも、思い当たる人はいないらしい。シリウスはその人の名前を言っていたが、ハリーはそれをダンブルドアには告げなかった。いずれシリウスとあったとき、じっくりと話を聞こうとハリーは思った。

 

「リリーの親友はさすがに分からぬが、わしは、キミの両親をよく知っておるよ。ホグワーツ時代だけでなく、そのあとのこともな」

「先生、きのうの夜、ぼくたちが吸魂鬼に襲われたとき守護霊を出して助けてくれた人を、ぼくは見ているんです」

「ほう、そうなのかね。それは、まだ逆転時計を使う前、ということでいいのかの」

「そうですけど、そのときぼくは、守護霊を出したのが父さんだと思ったんです。それで時間を戻ったとき、確かめようとその場所に行きました。でも、父さんはいなかった。あれは、ぼくだったんです」

 

 そこでダンブルドアは、ニコッと笑ってみせた。

 

「なるほど、それはそうじゃろう。あちこちで聞いたかもしれんが、キミは驚くほどにジェームズと似ておるでな。見間違えてもムリはない。じゃがその目、キミの目だけは、母親の目じゃよ」

「でもぼく、似てるとしても父さんだと思うなんて、どうかしてたんです。だって、死んだってわかっているのに」

「ハリー、愛する人が死んだとき、その人は永久にいなくなるのだと、そう思うのかね。そうではないよ。キミが覚えている限り、ジェームズはキミの中に生きておる。誰かが覚えている限り、その人は、誰かの心の中で生き続けるのじゃとわしは思う。誰もが忘れたてしまったときのこそ、その人は本当の死を迎えることになるのじゃ。じゃが、そんなことはありえない。キミもわしも、ジェームズのことは忘れぬじゃろうからの」

 

 それは、ハリーにとってはむずかしい内容だった。いったいどう考えればよいのか、あきらかに混乱しているハリーを1人残し、ダンブルドアは部屋を出ていった。

 その夜、なにが起こったのか。その真相を知っている者は、ほとんどいない。起こったことすら知らない生徒のほうが圧倒的に多いのだ。

 ヒッポグリフの処刑が失敗に終わったことは、ハグリッドを喜ばせた。その影で、ドラコ・マルフォイがほっと胸をなで下ろしていたことは、本人以外は誰も知らない。アルテシアを悲しませるようなことにならなくてよかった、などとドラコが口に出して言うはずはないのだ。

 ルーピンが狼人間であったことは、生徒たちには衝撃だった。だが満月の夜に、ルーピンがどうしていたのか、それを知る人はほとんどいない。

 学校の周りから吸魂鬼がいなくなったことは、もちろん生徒たちに歓迎された。だがそうなった理由もまた、生徒たちに知らさせることはなかった。誰もが、シリウス・ブラックが逃亡したからだろうとウワサしたが、しょせんはウワサだった。

 そのシリウス・ブラックの逃亡は『日刊予言者新聞』が報道したため、誰もが知っていたが、どうやって逃亡したのか、その内容を知るものはとても少ない。

 

「これで、3年生も終わりね」

 

 いつしか、学期の最後の日となっていた。試験の結果も発表される。ハリー、ロン、ハーマイオニーともに、全科目合格だった。それに、クィディッチで優勝したこともあって、グリフィンドール寮は三年連続で寮杯を獲得した。つまりアルテシアの500点減点は、マクゴナガルの冗談だったということになる。

 これだけを見るなら、申し分のない結果と言えるだろう。だがハリーとハーマイオニーは、心のどこかに、いくらか引っかかるものを感じていた。アルテシアのことだ。アルテシアは、いまだ医務室だという。森に放り出したこともあり、そうなったのは自分たちのせいではないかと、そんなことを考えていたのである。

 そして、ホグワーツ特急の出発時間がやってくる。その列車の中でハーマイオニーは、あの『逆転時計』を魔法省に返したことをハリーに告げた。

 

「うん、そのほうがいいよ。この1年、キミはとても忙しかった。そうだろ。少しはゆっくりすればいいんだ」

「ええ、そうね。でもハリー、きっと大丈夫だと思うわ。新学期になったら、今度こそ、アルテシアと仲直りしましょうよ。ね」

「そうだね、そうしよう」

 

 場の空気は、明らかに暗い。そのしずんだ空気をなんとかしようとロンが言い出したのは、とっておきのニュースだった。

 

「この夏はクィディッチのワールド・カップがあるぜ。ハリー、ウチに泊りに来いよ。一緒に見にいこう。ウチは、たいてい役所から切符が手に入るんだ。ハーマイオニー、キミも見に行くだろ?」

 

 そのニュースはハリーたちを大いに喜ばせた。だが、それ以上にハリーを喜ばせるニュースが、小さなフクロウによってもたらされる。小さな体で大きな手紙を持ち、列車を追いかけるようにして飛んでくるフクロウを、ハリーが窓を開けて捕まえた。そして、コンパートメントの中へいれてやる。

 手紙は、ハリーあてのもので、差出人はシリウスだった。

 

「これ、シリウスからの手紙だよ」

「えーっ!」

 

 ロンもハーマイオニーも、驚きの声を上げた。逃げていった後、どうしたのか。その後のことはまったくわからなかったのだ。

 

「読んで!」

「わかってる」

 

『ハリー、元気かい? キミの友だちにもお礼を言っておいてくれ。ロンには、ケガをさせてしまったし、お詫びもね。

 さて、わたしはヒッポグリフとともに隠れているよ。いい隠れ場所を見つけたんだ。それがどこかは手紙に書けないが、吸魂鬼に見つかることはないだろう。

 ところで、キミにファイアボルトを送ったのはわたしだよ。名付け親からのキミへのプレゼントだ。遠くから見せてもらったが、キミの飛びっぷりはジェームズにも劣らない、見事なものだ。ファイアボルトがふさわしいと思ったのでね。

 それから、封筒にはもう1枚、羊皮紙が入っている。キミがホグズミードに行くときの役に立つだろう。名付け親として、許可を出しておいた。

 とにかくまた、手紙を書くよ。元気で。』

 

「それだけ? そっちは?」

「これは、ホグズミード行きの許可証だよ。シリウスがサインしてくれたんだ」

「じゃあ、これからは3人で行けるのね」

「そうだよ。それと追伸があるよ。ロン、このフクロウをキミが飼ってくれって。ねずみがいなくなったことのお詫びらしい」

「なんだって」

 

 ロンは目を丸くした。手紙を持ってきた小さなフクロウは、ほとんど興奮状態のまま、コンパートメントのなかを飛び回り、ホーホーと鳴いている。そのフクロウを、ロンがつかまえる。

 

「こいつを飼うって? でもまさか」

 

 ロンは、どこか迷っているようだった。ねずみが、実はピーターだったという例もある。フクロウをしげしげと見ていたが、それをクルックシャンクスの前につきだした。だがクルックシャンクスは、ねずみのスキャバーズのときとは違い、関心を示さない。ということは。

 

「わかった。こいつはボクが飼う。こいつはボクのものだ」

 

 この1年、いろいろなことがあった。あらたにわかった事実もいくつかある。仲違いもしたし、力をあわせたこともある。医務室のベッドのお世話になることの多かったアルテシアだが、さて、このさきどうなるのか。ともあれ、アルテシアにとってのホグワーツでの3年目は、こうして終わりを告げたのである。

 




なんだか、ひさしぶりにこの欄に書き込みますが、それがお詫びというのも、どうなんでしょうか。
ちょっと分量間違えたというか、配分の失敗といいますか、いつもより多くなってしまいました。これを2話にわける手もあるにはあるんですけど、それもしにくかったんです。
そんなわけで、いつもよりも多めですが、ご容赦いただきますように。
それはともかく、これで原作第3巻が終わりました。どうでしょう? おもしろいですか。楽しんでもらえてるのなら、こんなうれしいことはありません。
なお、話は次回へと続きます。申し訳ないです。


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炎のゴブレット 編
第59話 「新学期にむけて」


 決死の覚悟、とはこういうものなのかと、校長室へと続く階段を上りながら、マクゴナガルは思う。その言葉の意味を、まさに実感しているわけだ。もう、これ以上は見過ごせない。マクゴナガルは、このことに決着をつけるのだという強い気持ちを持って校長室へとやってきたのである。新学期には、アルテシアも14歳になる。体調悪化など気にすることなく、自由に魔法が使えるようにしてやりたいのだ。そのために必要なことなのだと、改めて自分に言い聞かせつつ、校長室のドアをノックする。

 生徒たちは、昨日のホグワーツ特急で学校をあとにしている。このことを持ち出すには、いい機会でもあるのだ。いったいなぜ、アルテシアは医務室にいるのか。なぜアルテシアは、こうなってしまうのか。その答えがダンブルドアの持つ『にじいろ』にあると、マクゴナガルは思っている。あの玉をアルテシアに渡しさえすれば、このことは解決すると、マクゴナガルはそう信じているのだ。

 

「あら、失礼。お話中でしたか」

 

 校長室へと入ってみれば、ダンブルドアだけでなくスネイプもいた。これは、予想外。スネイプがいては、あの話を持ち出すことができない。だがそんなことを顔に出すこともなく、マクゴナガルは2人の前へと歩いて行く。

 

「ようこそ、マクゴナガル先生。なにか、ご用かな?」

「校長先生に、少しお話があってきたのですが」

「ふむ。もちろん話は聞くが、少し待ってくれるかの。見てのとおり、スネイプ先生と話し中なのでな」

「もちろん、それでかまいません。ではわたしは、紅茶の用意でもさせてもらいましょう。どうぞ、お話を続けてくださいな」

 

 もちろん、話が終わってスネイプがいなくなるのを待つつもりなのだ。だが、いくら顔には出さずとも、マクゴナガルの思惑はスネイプには読まれていた。

 

「マクゴナガル先生、どうぞこちらへ。わたしは、そろそろ失礼しようと思ってますのでね。よいですかな、校長」

「よいとも、セブルス。キミがいいのであればの」

「では、お言葉に甘えさせてもらいましょう。お2人は、なんの話をされていたのです?」

 

 紅茶をどうしようか、と迷いはしただろう。だが結局マクゴナガルは、ダンブルドアの前に座った。帰るところであったはずのスネイプも、椅子にすわったままだ。

 

「あの夜のことについて、ですよ。シリウス・ブラックの逃亡について、いまさらあれこれ言うつもりはないですが、何があったのかは知っておきたい。ですが、校長は何もご存じないらしい。マクゴナガル先生はいかがですかな?」

「さあ、わたしはべつに。ブラックが捕まったことすら知りませんでしたから」

 

 これは、本当だ。マクゴナガルは、学校内にシリウス・ブラックが入り込んだことも知らなかったのだ。

 

「わたしは、あの夜にアルテシア・クリミアーナがなにをしたのか。それがわかればいいのです。マクゴナガル先生は、どう思われますか。あの夜、あの娘がなにもしなかったはずはない。そう考えるのは、不自然なのですかな」

「いえ、そう考えてもおかしくはないと思います。ただ、アルテシアはずっと医務室で寝ていましたよ。防衛術の試験のときに倒れてから今朝まで、ずっとベッドの上なのです。なにかしたとは思いませんけどね」

 

 これは、ウソだ。具体的なことは不明だが、マクゴナガルは、まず間違いなくアルテシアが関与したと思っている。ハリーとハーマイオニーも同じように疑っている。この点では、スネイプと同意見ということになる。だがそのことを、ダンブルドアに尋ねてもムダだ。なにか知っているとしても、答えをもらえるとは思えない。

 

「いや、あの娘はなにかしたのです。したからこそ医務室の世話になっていると、そう思っているのですがね」

「え! ええと、それは… スネイプ先生はなぜ、そんなことを」

「そうですな、ずっとこの目で見てきたから、ということにでもしておきますか。では、わたしはこのあたりで失礼しますよ校長。マクゴナガル先生から、いまの話を聞けてよかった」

 

 すっと、席を立つスネイプ。いつもどおりの無表情であり、そこから何かを読み取ることは難しい。だがマクゴナガルは、何も言わなかった。言えばまた、なにかしらの情報を与えることになると考えたのだ。自分では気づかないが、スネイプになんらかの情報を与えてしまったらしい。もうこれ以上、この件ではなにも言うべきではない。黙っていればこのまま引き上げてくれるのだから。

 だが、ダンブルドアはそう考えてはくれなかったらしい。

 

「セブルス、わしから1つ聞きたいが、よいかの?」

「いいでしょう。ですが、わたしからの質問にも答えてほしいものですな」

「アルテシア嬢が関与したと、なぜ言えるのかね。試験のときに倒れ、医務室に運ばれた。その医務室で、あのときはルーピン先生もいたが、互いにそのことを確かめた。試験のときにまね妖怪が吸魂鬼に変身したのだろうと、そういうことになったはずじゃ」

「いかにも、そうです。なのになぜ、ああいうことになったか。知りたいのはそこですよ、校長。校長はシリウス・ブラックを、わざわざ塔の上の階に、ただ1人で閉じ込めるようにされましたな。だから、なにかご存じかと思ったのですよ」

 

 なかなか思い切ったことを言うと、マクゴナガルは思った。そして、同じことができるかと自分に問いかける。あの玉を取り戻すには、これくらいはっきりと言うことが必要になるだろう。スネイプが部屋を出ようとするのを、もう一度ダンブルドアが呼び止める。

 

「セブルス、わしの質問に答えていないようじゃが」

「そうでしたか、それは失礼」

「いや、かまわんよ」

「あのときわたしは、シリウス・ブラックが逃げだせないようにと、窓とドアとに魔法でカギをかけました。ブラックが逃げた後、その窓は開いていた。だが、あのカギをブラックが開けられたはずがないのです。誰かが部屋に侵入し、開けたのに違いない」

「その誰かが、アルテシア嬢だというのかね。アルテシア嬢なら、そのカギを開けられたと。しかし、入り口のカギはそのままだったと聞いたが」

「さよう。そのこともあの娘の関与を疑わせる理由のひとつ、となりますな」

 

 スネイプの視線は、マクゴナガルに向けられている。それをマクゴナガルも分かっていたが、うまくそらす方法がなかった。紅茶でもあれば素知らぬ顔でそれを飲むことができたが、こうなっては知らぬ顔をすることは難しい。

 

「おっしゃるように、アルテシアであればそこへ入れたかもしれません。ですが、先ほども言いましたように、ずっと医務室にいたのです。試験のときから今朝までずっと寝ていたのです。それは間違いありません」

 

 言ってから気がついた。やはり、何も言わずに黙っているべきだったと後悔しても、もう遅かった。スネイプが、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「では校長、失礼しますよ」

 

 さすがにダンブルドアも、3度引き止めようとはしなかった。だがマクゴナガルは、呼び止めてほしかったのに違いない。たとえ引き止めたとしても、少しだけ時間がずれるだけのことなのだが。

 

「よいのかね、ミネルバ」

「え?」

「セブルスを行かせて、よかったのかと聞いておるのじゃ。行き先は、おそらく」

「ええ、医務室でしょう。実はここへ来る前に、目覚めたと聞いています。アルテシアは、少しようすをみて問題がなければ午後には自宅へと戻ることになるでしょう」

「ふむ。ではあなたは、アルテシア嬢より先に、ここへと来たのかね?」

 

 そのとおりである。マクゴナガルはダンブルドアからにじ色の玉を受け取り、それをアルテシアのところへ持って行くつもりにしていた。だから、医務室より先に校長室へと来たのである。

 

「では、わしらも行こうではないか。セブルスにはああ言ったが、わしも、気にはなるのじゃ」

「どういうことです」

「シリウス・ブラックは、無実であったのじゃよ。だが、すぐにはそれを証明できん。ならば、逃がすしかない。ゆえに、逃げやすいようにと塔の上の階へ閉じ込めたのじゃ。吸魂鬼にゆだねるわけにはいかなかったでな」

「なるほど。とにかく逃がしておいて、無実を証明する時間をかせごうとしたのですね」

「いかにも。それに、あなたも知っておるはずじゃ。学校時代、彼らはなにかと反発しあっておった。ゆえにスネイプ先生も、すぐには納得できないと思っておる。こちらも時間が必要なのじゃ」

「しかし、どうやって。スネイプ先生が本気で窓を封印したのなら」

 

 ダンブルドアに何かできたはずはない。その瞬間、マクゴナガルは悟った。つまり、ハリー・ポッターたちにやらせたのだ。そういえばあの夜、医務室でダンブルドアとなにやら話をしていた。その詳細を聞き取れはしなかったが、まさか、逆転時計を使ったのではないか。ハーマイオニーが逆転時計を返すと言ってきたのには、このことも影響しているのでは。

 

「どうかしたかね、ミネルバ」

「あ、いいえ。それよりダンブルドア、あれを返してもらえませんか。それをお願いにきたのです」

「あれ、とは?」

「にじ色の玉のことです。あれは、アルテシアのものです。是非とも、返していただきます」

 

 

  ※

 

 

「気分はどうなのだ、ミス・クリミアーナ」

「身体の方は、大丈夫です。もう、起きてもいいとマダム・ポンフリーが言ってくださいました」

「そうか。だが、その顔はどういうことだ。とてもそうはみえんのだが」

 

 はたしてスネイプは、いつものアルテシアの表情というものを、どのように把握しているのだろう。それはともかく、あきらかにアルテシアの表情は、暗く沈んだものとなっていた。スネイプが医務室を訪れ、ベッドの脇へとやってきても、ほとんど表情に変化はなかった。

 

「どうせまた、ムチャなことをしたのに決まっているが、いったい何をしたのだ」

 

 スネイプらしいとでも言うのだろうか、それは、ひどく直接的な言い方だった。アルテシアが顔をあげる。

 

「これで何度目になるのか、正確には知らん。だが学校内で大きな騒動が起きるたび、おまえは意識をなくし、こうして医務室の世話になっているな。それはつまり、おまえが、なにかしら騒動に関わっているからだということになる。吾輩は、今回もそうなのだと考えている」

 

 あまりにも的確すぎる指摘に、アルテシアは何も返事ができない。認めてしまってもかまわないとは思うのだが、そのまえにマクゴナガルに相談すべきだろうと判断。

 

「いまさらそのことで、減点や処罰などしようとは思わん。だがおまえは、少なくとも14歳となるまでは魔法の使用を制限されているはずだ。マクゴナガル先生と話し合い、そう決めたのではなかったのか」

「それは、そのとおりです。でもわたしは」

「魔法は使っていない、とでもいうのか」

 

 アルテシアは、返事ができなかった。話さないという選択肢はあっても、ウソは言えない。ならば、黙っているしかない。これがマクゴナガルであれば、正直に話し、約束を守らなかったお詫びをするところだが、相手はスネイプ。自分だけのことなら話してもいいのだが、今回はハリーがからんでいる。スネイプとハリーは、けっして良い関係にあるとはいえない。それは誰もが知っていることだ。ならば、今回のことにハリーが関係している、とは知られないほうがいいに決まっている。

 

「もう一度言うが、今回のことで減点や処罰などはしない。吾輩は、理由が知りたいだけだ。なるほど、おまえの使う魔法はかなり特殊なものだ。だがこれまで、クリミアーナの者たちが自由に使ってきた魔法であるはずだ。なのになぜおまえは意識を失い、寝込むことになるのだ。なぜだ。説明しろ」

「すみません、先生。お話できません。わたしだって、はっきりしたことはわからないんです」

「しばらく前に、徹底的に調べたはずだろう。マダム・ポンフリーだけでなく、聖マンゴの癒者の診察も受けたと聞いている。それでもわからなかったのか」

「身体のほうは、なんともないんです。健康体であることははっきりしています」

 

 それだけは、胸を張って言える。問題は別にある、ということもわかっている。ただ、その解決への糸口が見つからないだけなのだ。

 

「となれば、魔法が原因ということになるが、これは、おまえが14歳になれば解決するのか」

「それは、わかりません。実際に14歳になってみないと、どうなるのか」

「そうか。では、改めて約束するのだ。14歳となるまで魔法は使うな。マクゴナガル先生との約束を、キチンと守るのだ。あと数か月のことだろう。必ず守れ、よいな」

「はい、そうします」

「ついでに言っておくが、クリミアーナはおまえ1人なのだぞ。もしものことがあったなら、あれほどの魔女の血筋が途絶えることになる。そのことを自覚するのだ」

 

 思わず、スネイプの顔を見る。その目を、改めて見る。まさか、こんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。そんなアルテシアの瞳をスネイプはまっすぐに見ていたが、先に視線をそらしたのはスネイプだった。

 

「1つ聞くが、おまえが気を失ったときは試験中だった。そのあともずっと、医務室で寝ていた。だが、シリウス・ブラックの逃亡に関し、何かしたことは間違いない。何をしたのだ、と聞いたら答えてくれるか」

「すみません、スネイプ先生。そのことは、お答えできません」

「ほう。いいのか、何もしていない、とは言わないのだな。それはつまり、何かしたと認めたようなものだ。それくらい、分かると思うが」

「だとしても、お話できません。すみません、先生」

「よかろう。では吾輩は、このことをハリー・ポッターやハーマイオニー・グレンジャーに改めて聞くことにしよう。それでかまわんな」

 

 その2人も何かをしたはずだとは、あえてスネイプは言わなかった。スネイプは、なおもじっとアルテシア見ている。

 

「お願いです、先生。2人には、何も言わないでください」

「なぜだ」

「わたしがこうなったのは、わたしのせいです。あの2人は関係ありません」

「だが、ともに何かをしたのだろう。おまえ、あの2人をかばおうとでもいうのか」

「それは、だってわたしは、わたしたちは……」

 

 その先を、なぜか言えないアルテシア。スネイプは、少しの間その言葉を待っていたが、わずかに唇をゆがめると、アルテシアの頭に手のひらを置いた。

 

「わかった、もういい。だがおまえ、あの2人を友だちだとでも思っているのか。だとすれば、相当なお人好しということになるぞ」

「え? あの、先生」

「なにがあったかは知らん、おまえが何をしたかも知らん。よろしい、もう問うことはやめとするが、そこに信頼はあるのか。ただ都合よく利用されただけ、ということでなければよいのだがな」

 

 ただ、都合よく、利用された。この言葉が、アルテシアの胸に突き刺さる。なぜ、あのとき自分はおいてきぼりにされたのか。それは、そういうことだったのか。たしかに、眠っていたということはある。だがそれも、ハーマイオニーに了解を得てのことだったはず。なのにあの結果は、やっぱり納得できない。

 

「スネイプ先生、わたし」

「ああ、なにも言うな。返事を期待してなどいない。ただ、これだけは覚えておけ。おまえには、ちゃんと友がいるのだ。あの双子こそが、おまえの友であろう。何を大事にすべきか、なにが大事なのか、考えてみることだ」

 

 双子、それはもちろんパーバティとパドマの姉妹のことだろう。たしかに、あの2人は友だちだ。そんなことを考えるアルテシアの目が、しだいに潤みをおびてくる。だがそれをごまかすようにまばたきを何度も繰り返し、そっと目をぬぐった。

 

 

  ※

 

 

「さて新学期には、ひさかたぶりに三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント:The Triwizard Tournament)が行われる。しかも、その会場はわがホグワーツじゃ。さまざま準備も進めねばならんが、とにかく出場者についてお2人と相談しようと思うてな」

「お言葉ですが、校長。あれは、代表選手をゴブレットが選ぶのではなかったですかな。あらかじめ選手を決めておくのは、どうかと思いますが」

「もちろんじゃよ、セブルス。その参加資格については、わしは制限を設けたほうがいいと考えておっての。魔法による対抗戦であるし、課題も過酷なものとなるじゃろう。なれば、低学年生では無理がある」

 

 言いながら、ダンブルドアはマクゴナガルを見る。マクゴナガルは、何も言わずにテーブルに置かれた紅茶に手を伸ばした。校長室にいるのは、この3人である。

 

「では、上級生のみにということですか。4年生が含まれないのは残念な気もしますな」

「ほう。4年生に出場させたい者がいるのかね」

「やるからには、優勝杯はわがホグワーツに欲しいですからな。わたしは、あの娘であれば楽々優勝するのではないか、そう思っていますよ。どうです、マクゴナガル先生。そう思われませんか?」

 

 なにやら挑発されているような感じを受けながらも、マクゴナガルは、紅茶のカップを置いた。いずれはカップも空になるし、いつまでも黙っていられるわけでもない。

 

「それがアルテシアのことなら、わたしも同感です。ただし、条件付きではありますが」

「条件? なんです、それは」

「アルテシアの体調には細心の注意をはらう、ということです。そうしていただけるのなら、おそらく優勝するでしょう」

 

 抑揚のすくない、淡々とした調子でそう言ったマクゴナガルを、ダンブルドアはどんな思いで見ているのだろう。しばらく前、ダンブルドアはマクゴナガルの願いを、断っている。それゆえ、すねているのではないかと、そんなことを思っているのかもしれない。

 マクゴナガルは、ダンブルドアがホグズミード村で手に入れたにじ色の玉を、アルテシアに返すよう要求した。だがダンブルドアは、その要求を受け入れなかった。あの玉がなんであるのかわからない、というのがその理由である。もし危険なものであった場合、自分の立場上、生徒に渡すことはできないとしたのである。

 そのいいわけには多少の無理があったが、マクゴナガルのほうにも、あの玉がどういうものなのかをちゃんと説明できない事情がある。ただアルテシアのものだと主張するだけでは、ダンブルドアを納得させられないのだ。

 

「優勝候補、ということであれば参加させてもいいが、いずれにしろ代表選手を選ぶのは、公正なる選者『炎のゴブレット』じゃよ。アルテシア嬢が代表選手になれるとは限らん。やはり、上級生に限った方がいいのではないかな。ダームストラング専門学校やボーバトン魔法アカデミーの選手も、おそらくは上級生であろうしの」

「まだ、決まってはいないのですね」

「細かな打ち合わせは、これからじゃよ。この夏休み中に話し合うことになっておる。会場はホグワーツ、代表選手は3校の生徒たちの前で炎のゴブレットが選ぶ、ということは決まっておるがの」

「では校長、候補者は最上級生とし、そこに教職員による推せんを数名加えるというのはいかがですか。どうせゴブレットが選ぶのであれば、不都合などないでしょう」

「そうかもしれんが、アルテシア嬢にはムリであろ。ケガをしたり、倒れたりしては大変じゃ」

 

 それには、マクゴナガルも賛成だった。出場すれば優勝するのは間違いない。だがその過程で、必ずムチャをするという確信もある。対抗戦の課題が行われるときには14歳になっているが、それで自由に魔法が使えるようになるとは思っていない。そのためには、あの玉が必要なのだ。あの玉が戻ってこない限り、参加する意味はない。

 

「なるほど、それはあるでしょうな。では、最上級生からのみ選ぶということで、わたしはかまいません」

「そうかね、セブルス。ミネルバも、それでいいかね?」

 

 マクゴナガルも同意し、この件はダンブルドアに一任されることになった。いずれにしろ、対抗戦に関することは各校の校長と魔法省の担当者による話し合いで詳細が決められるのだ。なので、こうなるのが一番いいのだろう。

 

「それはそうと、ルーピン先生の後任はどうされるのです。もしあてがないようであれば」

「いやいや、セブルス。大丈夫じゃよ。アラスター・ムーディにお願いするつもりでいるのでな」

「え! マッド・アイに、ですか」

「さよう。長いこと闇祓いとして、闇の魔法使いと闘ってきたのじゃ。彼から防衛術を学ぶのは有意義じゃろうと思うての」

 

 アラスター・ムーディは、通称であるマッド・アイ、と呼ばれることが多い。いまは引退しているが、闇祓いとして多くの死喰い人と闘い、捕らえてきた人物である。彼をよく知る人は、その顔よりも口癖である「油断大敵(Constant vigilance)」のほうが真っ先に思い浮かぶのかもしれない。

 

「そうそう、防衛術ということで思い出したが、ルーピン先生から手紙を預かっておる。アルテシア嬢にあてたものじゃが、お渡ししてかまわんかね、ミネルバ」

「ええ、それはもう。それで、この手紙はいつ」

「彼が、学校を去るときにの。そのときアルテシア嬢は医務室。直接渡すことはできんかったのじゃろう」

 

 そういうことなら、仕方がない。どうせアルテシアとは会うつもりなので、そのついでに渡せばいいのだ。あの玉もいっしょに渡せれば言うことはないが、それは実現しそうにない。いったいいつになれば、渡せるのか。

 

「何も危険なものではないよ。リーマスが書き、リーマスが封筒に入れたものを受け取った。それがアルテシア嬢への手紙であることははっきりしておるでの」

「そうですか」

 

 それが皮肉に聞こえるのは、まさにマクゴナガルのいまの気持ちをあらわしていると言えよう。その手紙を受け取ったとき、校長室のドアがノックされた。

 

「おや、誰じゃろうな」

「わたしがでましょう」

 

 ノックに応え、マクゴナガルがドアを開ける。そこには、アルテシアがいた。

 

「アルテシア、あなた」

「マクゴナガル先生、やはりこちらにおられたのですね。ごあいさつにきました。校長先生もおいでですよね」

 

 どうやらアルテシアは、ようやく医務室から出ることを許されたらしい。もちろん家に帰るつもりなのだろうが、校長室を訪れたのは、先生たちへのあいさつのため。そのアルテシアの後ろには、アディナとソフィアの姿があった。その2人はパチル姉妹にアルテシアの状況を報告するためパチル家を訪れており、ついさきほど戻ってきたばかりである。

 

「どうぞどうぞ、こちらへ。ここへおかけください」

 

 ダンブルドアが杖を振って、3人分の椅子を用意する。そこへアルテシアたちが座った。

 

「ええと、そうじゃな。まずはなにより、お嬢さんが元気になったようで、よかった」

「ありがとうございます、校長先生。スネイプ先生にも、お礼をいいます。ありがとうございました」

「おや、セブルス。なにかしたのかね?」

「いえ、わたしはなにも。それよりミス・クリミアーナ、紹介するのが先だぞ」

「あ、はい。もちろんです」

 

 紹介といっても、アディナが、ダンブルドアとスネイプにあいさつをすれば済む。そのあとで、アディナが本題へと入った。

 

「校長先生にお願いなのですが、聞けば3年生以上は、学校そばのホグズミード村への出入りが許されるとか。ただし、保護者による許可証が必要だそうで、こちらのお嬢さんは、ついに1度も行けなかったそうです。それで相談なのですけれど」

「奥さんが、許可証にサインをしようと、そういうことですかな」

「ええ、まさにそうです。では、そういうことでよろしいですね」

「そうじゃな。マクゴナガル先生、いいかね?」

 

 それもまた皮肉と受け取ってしまう自分に、マクゴナガルは苦笑い。できれば自分がサインをしたかったが、アディナであれば、拒否する理由はない。

 

「かまいません。そうですね、娘さんが3年生となりますから、そのとき一緒にということでよろしい?」

「ええ、マクゴナガル先生。それでかまいません。よろしくお願いしますね」

「わかりました」

「では、校長先生。この次のホグズミード行きのとき、わたしの娘とこのお嬢さんとでそこへ行くことになりますので。よろしくお願いしますね」

 

 そう言って、頭を下げる。そのことに、マクゴナガルは少なからず驚いた。アディナには、あの玉のことは話していない。話してはいないが、アデイナは、ホグズミードでアルテシアを探していた女性がいたことは知っているのだ。なんらかの関心を持っていても不思議はない。だがなぜ、わざわざダンブルドアにそのことを告げるのか。何らかの意図があってのことだろうが、そのことをマクゴナガルは聞いてはいなかった。

 

「では、わたしたちはこれで失礼します。また新学期からも娘たちをよろしくお願いします」

 

 娘たち、というからにはソフィアだけでなくアルテシアも含んでいるのだろう。そのことをいぶかしく思ったマクゴナガルだが、このまま見送るわけにはいかない。

 

「待って、待ってください。待ちなさい、アルテシア。わたし、まだ何も話をしていませんよ。少しだけでも、時間を」

 

 校長室を出ようとしたアルテシアが、立ち止まる。そして、振り返る。

 

「もちろんです、先生。それでは、先生の執務室でお待ちしています。用事がお済みになったら、おいでください。もう先生は、わたしのここに、ちゃんとおられますよ。これからもずっと」

 

 そう言って、アルテシアは自分の胸を軽くたたいてみせた。その横ではアディナがほほえみ、ソフィアは軽くため息をついていた。しょうがないなぁと、そう言いたげでもあるかのように。

 



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第60話 「ルーピンの手紙」

『やあ、アルテシア。

 調子はどうだい? 試験でまね妖怪が何に変身したかわからないけど、ずいぶん怖い思いをさせたようだね。申し訳なかった。ただ誤解して欲しくはないんだ。あの試験は、怖いものから逃げるのではなく、立ち向かい、乗り越えることのできる心の強さを求めたものだ。キミなら、わかってくれるだろう。』

 

 アルテシアは、ルーピンからの手紙を思い出しながらキングズ・クロス駅の9と4分の3番線ホームを歩いていた。まだ誰もいないような早い時間だが、紅色のホグワーツ特急はホームで待機してくれている。その列車に乗り込む。

 もちろんアルテシアも、ルーピンが学校を辞めたことは聞いていた。自分宛に残してくれた手紙は、暗記するほど何度も読んだ。そこには、自分にとって大切だと思えるものが書かれていたからだ。ルーピンとは学校ではあまり話をする機会がなかったが、いまさらながらそのことを残念に思うアルテシアであった。

 

『ぼくがなぜ、学校を辞めるのか。このこと、キミはどう思うだろう。言うまでもないが、まね妖怪のことは関係ないよ。ぼくが狼人間だということだ。魔法界では誰も、狼人間に教えられるなんてことは好まないからね。だからもし、キミがあのとき誰かに話していたら、ぼくはもっと早くホグワーツを離れることになっていただろう。

 しかし、よくスネイプ先生が作った魔法薬を見ただけでわかったものだ。そんな魔法薬の知識を、キミがどうやって身につけたのか興味がある。なぜって、そんなことができそうなのは、スネイプ先生を別にすれば、リリー・エバンスという女性しか知らないからね。リリーというのは、ハリーのお母さんのことだよ。』

 

 リリー・エバンス、いやリリー・ポッターのことは、シリウス・ブラックからも聞いていた。母の友だちでもあったらしい。もしそうなら、話を聞いてみたいのだ。もちろんムリなことはわかっているけれど。

 アルテシアは、4人席のコンパートメントに席を取る。もうすぐソフィアが来るだろう。そのあとにパチル姉妹がやってきて、ちょうど4人だ。

 

『シリウス・ブラックのことは、もう知ってるだろう。彼はぼくがホグワーツにいたころからの友人だった。だが12年ほどのあいだ、友人ではなかった時期がある。いまでは、とても後悔している。ぼくは、友を信じてやれなかった。そんな後悔だよ。キミにも、友人はいるだろう。キミとハリーとはそれほど親しくはないようだが、学校時代の友人は多いほどいい。信頼できる友は、何よりの宝だと思うからね。』

 

 それが宝物であるということは、アルテシアも同じ考えだ。アルテシアの考え、というよりクリミアーナの想いであるとしたほうが、より適切なのかもしれない。アルテシアは、見た目には水晶玉らしきものを先祖より受け継いでいる。そのことによりクリミアーナ家を継いだということになるのだが、果たして、この玉のなかにどれだけの宝物を入れることができるのか。

 そのことをアルテシアは、楽しみにしてもいるし不安でもあるのだ。もしルーピンが無色透明のその玉を見たならば、そこに、アルテシアの宝物を見ることができただろう。それは、たとえばとても高い塔から地上を見下ろしたような田園風景であったかもしれないし、まったく同じ顔をした姉妹であったかもしれない。あるいは、勝ち気そうな少女であったろうか。

 

『そういえば、キミが魔法をつかうところを一度も見ていないけど、14歳がどうのということをぼくは信じていないんだ。なにか理由があるんだろうけど、解決策はあるはずだ。待つだけではなく、自分でなんとかできるはずだよ。必要なのは、そうしようと思うかどうか。心の強ささえあれば、なんとかなる。支えてくれる友人がいれば、なんとかなる。そういうことなんだと思うよ。』

 

 肝心なのは、そうしようと思うかどうかだ。まず思わない限り、どんな些細なことでっても、成し遂げることなどできはしない。どんなことでも、なにをするにしても、まず、思うことから始まるのだ。できると思うか、やれると思うか、あるいはムリだと思うか、ダメだと思うか。実は、その瞬間にすべては決まってしまうのではないだろうか。当たり前のようだが、実はこれは、とても大事なこと、大切なことではないのかとアルテシアは思う。

 

『ぼくは、マクゴナガル先生が言われた言葉を、いまだに覚えているよ。先生は、こう言われたんだ。わたしが望めば、そうなる。あなたがそう願えば、アルテシアはそうなってしまう、とね。つまり、キミを正しく導かねばならないということ。キミの進む先を、ちゃんと示そうってことなんだろうね。ぼくは、たとえほんのわずかであったとしても、キミにそうできたと信じているけど、あらためて願うよ。ステキに魔女になってくれ、とね。また、会おう。』

 

 ステキな魔女になれとルーピンは言うが、それだけではあまりに抽象的すぎるのではないか、とアルテシアは思う。仮にそれが自分の理想とする魔女の姿だということであれば、イメージはできる。自分の中にある、母を含めたご先祖の姿を追い求めればいいからだ。自分は、そんなクリミアーナの魔女になりたい。

 もちろんそれは、アルテシアがめざす目標としては、申し分のないものだ。ルーピンの願いと一致するのかどうかはわからないけれど、そうなることを願ってくれているのならもっとがんばってみようかと、アルテシアはそんなことを思うのだった。

 

 

  ※

 

 

 すでにホームには、ホグワーツ特急が停まっていた。発車時刻までまだ30分ほどはあるので、ホームにもそれほど人はいない。それでも列車には乗れるのだから中へ入ればいいものを、ソフィアは、そのすぐ前に立ったまま、ホームを歩く人たちを見ていた。いや、パチル姉妹が来るのを待っているのだ。その姉妹が、ようやく姿を見せる。

 

「おー、ソフィアじゃん。なにしてんの、もうコンパートメントにいるんだと思ってたのに」

「そーだよ。それともまだ、アルテシアは来てないの?」

「パチル姉さん、パドマ姉さん。先にお二人に話しておきたいことがあるんです。だから、待ってたんです」

 

 ソフィアは、すぐに2人を連れて列車の中へと入っていく。だが、アルテシアのいるコンパートメントではなく、他の誰もいないところを選ぶ。発車までは時間があるので、空いているところはいくつもあった。

 

「とにかく、これを見てください。休み中に気になる記事を見つけたんで、持ってきたんです。うちの母も、十分に気をつけるようにと言ってました」

 

 取り出したのは、日刊予言者新聞。1面トップの見出しは、『クィディッチのワールド・カップ開催/試合後の会場で“闇の印”が』というものだった。

 

「ああ、ワールド・カップね。試合はアイルランドが勝ったんだけど、スニッチは、ブルガリアのシーカーが取ったんだよね」

「そうそう。ビクトール・クラムっていい選手なんだと思うけど、なんであそこでスニッチ取ったのかしら。負けるってわかってるのに」

「それがナゾなのよね」

「ちょっと、お姉さんたち、話のポイントがズレてませんか。あたしは、ここ、これが気になるって言ってるんです」

 

 紙面の左下あたりに、写真が掲載されていた。写っているのは、星のような光の点が集まってできあがった頭がい骨。その口の部分からあたかも舌であるかのようにヘビがはい出ようとしているさまを描いたものだ。

 記事によれば、ワールド・カップ会場近くのキャンプ場を、フードをかぶり仮面をつけた者たちの一団が襲った。周辺にいたマグルたちを魔法で宙づりにしたりと、好き勝手なことをしたあげく、写真にあるような“闇の印”と呼ばれるものを夜空に打ち上げたのだという。

 

「闇の印って、たしか例のあの人の、だったよね」

「うん。仲間の人たちしかその作り方を知らないって聞いたことあるけど」

「そうなんです。これはつまり、例のあの人、ヴォルデモート卿が復活したってことになるのかもしれないんです」

 

 もし、そうだとすると。パチル姉妹が互いに顔を見合わせ、そしてソフィアを見る。

 3人ともに、アルテシアがヴォルデモートに関心を持っていることを知っている。アルテシアは、秘密の部屋をめぐる騒動のときにみた、トム・リドルの日記帳のことを気にしているのだ。その日記帳からトム・リドルが出てきたことに注目し、同じことができるのではないかと、試してみたりもしている。

 ヴォルデモートが滅びてしまっていればともかく、復活したのだとするのなら、日記帳の秘密というか仕組みを知ろうとするのではないか。なにやら、騒動の予感がしてくるのだ。

 

「あたしたちなら、近づこうなんて思いもしないんだけど、アルテシアがそうしないように注意しようってことだよね」

「大丈夫、アルだって、そんなことは考えないと思うよ。あたしがそんなこと、させやしないから」

「だといいんですけど、むこうから近づいてくるかもしれません。あの人、アルテシアさまのこと知ってるはずなんです。それをじゃましていいのか悪いのか。とにかく、また倒れるようなことになるんじゃないかって心配なんです」

 

 なにしろヴォルデモートは、魔法界でも最悪とされる闇の魔法使いである。かつて、死喰い人と呼ばれた配下の魔法使いたちとともに、魔法界を混乱と恐怖で支配しようとした人物だ。彼によって奪われた命は、いったいいくつになるのか。

 そのヴォルデモートがまだその名を使う前、闇の魔法使いとして公然と動き出す前のことになるが、ルミアーナ家は、彼を家に滞在させ面倒をみたことがある。パチル姉妹はともかく、ソフィアは、このことに無関心ではいられない。近づかなければそれでいいということにはならないのだ。

 

「じゃましなきゃダメだって。でも、どうなんだろう、ほんとうに復活したのかな」

「新聞には“闇の印”を打ち上げた人物は逃げたって書いてある。ハウスエルフが関与したらしいってさ」

 

 他にも、魔法省が犯人を取り逃がしただの、闇の魔法使いの一団に好き勝手をさせただのと書いてあったが、ヴォルデモートの復活に関することは何も触れられていなかった。

 

「ねぇ、ソフィア。あたしたちは、どうするべきなの? アルテシアは興味持つよね。危険だけど、情報を得るためになにかするべきなのかな」

「そのことですけど、なにもしないほうがいいのかもしれません。もっとはっきりするまでは、慎重になるべきです。アルテシアさまがどうするのかもわからないし、ヘタなことして、迷惑かけることになってもマズイと思うんです」

「じゃあ、普段通りでいいってこと?」

「とりあえず、そのほうがいいんじゃないかなって。でも、表面上は何気ない感じで、注意してよく見ててほしいんです。わたしだけじゃ、見逃すかもしれないので」

「そんなのいいけど、それだけでいいの?」

「ええ。あの人が実際に姿を現したとか、なにかしてきたとか、とにかく具体的になにかがあるまでは様子を見るでいいんじゃないでしょうか」

「そうだね。いまのところ、できることないよね。でも、アルはどうするだろう。ほっとけないんじゃないかな。ホグズミード村の女の人のことがあるでしょ。あれが解決しないと、きっとまた、アルは医務室に行くことになるよ」

 

 アルテシアが、なぜ倒れてしまうのか。その理由を、パチル姉妹も知っている。ホグズミード村でアルテシアを探していた女性は、おそらくそれに関する何かを伝えようとしていたのではないか。それがわかればこの問題は解決するというのが、いまでは共通認識となっているのだ。

 

「その件は、うちの母が調べてるんです。ホグズミード村に行ったりもしてるんですけど、どうもダンブルドア校長がなにか知ってるらしいんですよね」

「え、校長先生が! どういうこと?」

「ホグズミードのあの女性の家を、校長先生が訪ねているのを見たって人がいるそうなんです。魔法界でダンブルドアといえば、知らない人はいませんからね。おそらく、見間違えとか勘違いはあり得ない」

「それで」

「母が言うには、例の女性と校長は会ってる確率100%らしいです。時期とかいろいろ考えると、そういうことになるらしいんです」

 

 アディナが言ったのは、それだけではない。おそらくその女性は、アルテシアのものとなるべき魔法書の一部から作りだされた仮の女性だと思われるが、おそらくはもう、二度と会えることはない。会いに行ってもムダだと。

 

「うわ、そんなことできるんだ。さすがクリミアーナ」

「ということは、アルテシアを探していたのは、アルテシアに渡そうとしてたってことになるね。もしかしてそれがあったら、アルテシアはいくら魔法を使っても、倒れたりすることはない、のかな」

「だったら、その人、絶対に探さないとダメなんじゃないの。あ、でも、もう二度と会えないのか」

「そのことですが、これは可能性として母が言ってるだけなので、実際どうなのかわかりません。でも、その返そうとしてたものを校長先生が持ってるんじゃないかって」

 

 それは、パチル姉妹を驚かせるには十分すぎるものだった。だが、それだったら理解できるのだ。どういう経緯でダンブルドアに渡ったのかはともかく、その女性としては、校長からアルテシアに渡るのだからと、それで自分の役目を終えたのではないか。だからもう、会えない。現れることはないのだ。

 

「でもさ、こないだも医務室行きでしょ。つまりアルテシアは、それをまだ返してもらってないんじゃないの。ダンブルドアが持ったまま、じゃないのかな」

「だと思うんです。なぜ校長先生が返してくれないのかわかりませんけど、これは、取り返す必要あり、ですよね」

「もちろんだよ。アルが医務室のお世話になるたび、あたしらが、どんな気持ちになるか。それを校長にわからせないと」

「パチル姉さん、気になることはもう1つあるんです」

「え?」

 

 話はまだ終わってはいなかったが、それでも長く話しすぎていたらしい。このとき、ソフィアたちのいるコンパートメントのドアが開き、空席を探している生徒が顔を見せたのである。3人はすぐに立ち上がった。

 

「いいよ、ここどうぞ。あたしたちは、ほかのところに行くから」

 

 それだけ言うと、大急ぎでコンパートメントを出る。生徒たちが、続々と列車に乗り込んできている。だがまだ、席に余裕はあるはずだ。

 

「急ごう。アルテシアのことだから、席は取っといてくれてるとは思うけど」

「ソフィア、話の続きは学校に着いてからでいいよね?」

「はい。それからお願いなんですけど、いまの話は、わたしたちだけの秘密ってことにしてください。そのために3人だけで話をしたんですから、誰にも言わないようにお願いします」

「いいけど、なんで?」

「それは、学校に着いてから説明します。とにかく、行きましょう」

 

 

  ※

 

 

 ソフィアたちは、無事にアルテシアの待つコンパートメントを探し当て、4人席のコンパートメントを占領することができた。それから10分もしないうちにホグワーツ特急は発車したのだが、ソフィアの言うもう1つの気になることは、日刊予言者新聞ではないマグルの新聞に書かれていた記事のことだった。

 クリミアーナもそうだが、ルミアーナ家もマグルの社会から完全に離れて生活しているのではない。周辺に住む人たちとは、少なからず交流もあるのだ。そんなこともあって、手に入ったその新聞に書かれていた記事。目にとまったのは、リトル・ハングルトンという村での変死事件のものだった。

 フランク・ブライスという名の老人が、いまでは廃墟と化している大きな屋敷のなかで死んでいたというもの。この屋敷では、過去に住民が皆殺しにされるという事件が起こっている。フランクは、当時この屋敷の使用人だったが、そのとき用事で外出しており、命を救われた形となっている。そのフランクが、ほこりの積もった玄関ホールの真ん中で死んでいた。たまたま近くを通った村人が、玄関の扉が開いたままになっているのを不審に思って中を覗き、発見されたというのである。

 この屋敷は、かつてトム・リドル・シニアのものであったらしい。であれば、かつてルミアーナ家に滞在したトム・リドルとなにか関係があるのかもしれない。これが、ソフィアの母アディナがこの記事に目をとめた理由である。

 

 

  ※

 

 

 話は少しさかのぼることになるが、これは、ソフィアの母アディナが目にした記事にある屋敷での出来事。その屋敷はリトル・ハングルトンの村を見下ろすことのできる、小高い丘にあり、村人たちからは『リドルの館』と呼ばれていた。いまではみすぼらしくも不気味なたたずまいをみせているが、50年も前なら、それは見事な屋敷であったことだろう。だがいまでは住む人もなく、荒れ果てるままに放置されていた。

 その、誰もいないはずの屋敷のなか、何年、何十年も使われることのなかった部屋にある暖炉で、なぜかあかあかと火が燃えていた。床にはほこりが積もり、かび臭さのただようそんな部屋のなかで、人の声がしたのである。

 

「この屋敷に、しばらくのあいだ滞在する。その間にクィディッチのワールド・カップも終わるだろう。それを待つのだ」

「わかっておりますとも、ご主人さま。なれど、前よりずっとお元気になられましたね」

「いいや、まだまだだ。おまえの世話でなんとか力を取り戻せた。だが、知っておるか。ほんのわずかだぞ。これでは、ほんの数日しかもたぬだろう。さて、どうしたものか」

 

 その声の主は、暖炉の前に置かれた背もたれの大きな椅子に座っていた。それにもう1人は、ワームテール。ウィーズリー家でネズミとして暮らし、その正体をハーマイオニーの飼い猫クルックシャンクスに見破られ、あげくシリウス・ブラックの追及から逃れたピーター・ペティグリューのことである。

 

「ワームテールよ、この計画の実行には、おまえよりも頭のある、おまえよりも忠誠心を持つ者が必要だ。なに、心配はいらぬぞ。おまえよりも忠実なるしもべが、再び仲間に加わることになるであろう」

「なれど、なれどご主人さま。バーサ・ジョーキンズめを捕らえたのは私です。あなたさまを見つけ、ここまでお連れしたのも私です」

「おお、たしかにそうだ。魔法省の役人であるバーサ・ジョーキンズから得た情報には、まことに価値があった。おかげで、この計画を立てることができたが、なるほど、それがおまえの手柄だというのだな。よく覚えておこう」

 

 いずれ褒美は与えると、その男は言った。それがどのようなものとなるのかは、その男次第ということにはなる。この計画の最後に必要となる、重要な仕事であるらしいのだが、なぜかワームテールは、その内容を確かめようとはしなかった。

 

「ハリー・ポッターは、もはやわが手のうちにある。ワームテールよ、計画は万全だ。あやつには死んでもらうことになるが、もう一方のほうはどうするか」

「娘のほうでございますね。なにしろ、魔法の力を得ることのできる本ですから、今のご主人さまにはお役に立つのではないかと」

「むろん、役に立つ。だがそれも、本物であればの話だ。娘の名前に間違いはないのだな」

「それはもう、何度となく聞いておりますし、この目で見てもおります。アルテシア・クリミアーナ、間違いございません」

「本もそうだが、その娘を手に入れることができれば、言うことはない。あの家系の魔女は、立派に戦力となる。やがて魔法界をこの手におさめるとき、大いに役立つだろう。ましてや、あの一族の頂点に立つ娘だ。こちら側に来てもらわねばな」

 

 ワームテールの顔を見る限り、あの娘になぜこれほど高い評価を与えるのか理解できないらしい。ご主人さまは、あの娘をみたことすらないはずなのになぜ、というわけだ。ワームテールがロンのペットとしてホグワーツにいたときの印象では、あまり目立っているような感じではなかったからだ。

 

「ご主人さま、あんな小娘程度でしたら、この私めが捕らえてまいりましょう。魔法省のバーサ・ジョーキンズのように」

「おぉ、おまえにそれができるならなによりだが、とてもそうは思えん。へたに手を出して、怒らせてもまずかろう。それよりも、願うのだ。こちら側に来てくれるようにと、お願いするのが一番だ」

「ご主人さま、いくらなんでもそれは」

「ワームテールよ、このヴォルデモート卿の言うことが信用できないか。でまかせでも言っていると、そう思っているのか」

「い、いえ、まさか。とんでもないことです」

 

 ならば願えと、ヴォルデモート卿と名乗った男が、言う。こちら側に来てくれと願うのだと、そう言うのだ。ワームテールは、判断に困った。それが、この場でお祈りでもしろということなのか、それとも出向いていってお願いしろということなのか、あるいは手紙でも書け、ということなのか。

 

「あの、ご主人さま」

「あの音が聞こえるか、ワームテール。ナギニが戻ってきたようだ。さあ、このオレ様のためにエキスをしぼるのだ。ナギニのエキスをな」

 

 ナギニ、とは体長4メートルほどの巨大なヘビであり、いわばヴォルデモート卿のペットといったところか。いまのところヴォルデモートは、そのナギニから抽出した有効成分によって命をつなぎ止めているのにすぎなかった。ナギニが、ヴォルデモートのとなりへとやってくる。

 

「なに。おぉ、そうか。それはおもしろい。ワームテールよ、あのドアの向こうに、我らの話を盗み聞きしている者がおるらしい。この部屋へとご招待申し上げるのだ」

 

 その場に足を踏み入れたのが、彼、フランク・ブライスの大いなる過ちだった。かつて働いていた屋敷に人の気配がしたことに気がつかなければ、あるいはようすを見にこなければ、すぐに逃げ出していれば、このあとの運命は変わっていたかもしれない。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツ特急のコンパートメントのなかで、ハリーは夢の話をしていた。実際に見たのはワールドカップの直前のことだったが、そのあと試合を見たり、死喰い人らの騒動に巻き込まれたりで、話をするきっかけに恵まれなかったのだ。

 

「額のキズが、痛くて目が覚めたんだ。ヴォルデモートが人を殺したのを見たんだ」

 

 一緒にいたロンとハーマイオニーの、驚きの色が浮かぶ。ロンの場合は、ハリーがその名を言ったからかもしれないが、ハーマイオニーは本気で怖がっているようだ

 

「もちろん夢なんだけど、例のあの人とピーターが、どこかの屋敷の暖炉の前で話をしてたんだ。あの人はワームテールって呼んでた。もう全部は思い出せないんだけど、あいつら、なにかを計画しているようだった。アルテシアの魔法書を欲しがってた」

 

 本当は、ハリーに死んでもらうと言い、アルテシアには闇の側に来てもらうと言っていたのだが、ハーマイオニーがおびえたような顔をしているので、そのことまでは言い出せなかった。なおも怖がらせると思ったのだ。

 

「でもそれは、夢だろう。たかが夢だ。ただの悪い夢なんだよ」

 

 そのロンの言い方は、まるでそうであって欲しいという願望のように聞こえた。

 

「そうだけど、そういうことで本当にいいのかなって、ぼく、そう思ったんだ。だから、キミたちに話すことにしたんだけど、そういうことでいいんだろうか」

 

 ホグワーツ特急は、順調に走っていく。この列車のどこかにアルテシアも乗っているはずだ。アルテシアに、この話をするべきだろうか。ハリーは、窓の外を見ながら、そんなことを思った。

 

「ねぇ、ハリー。それ、どういうこと?」

「え? ああ、いや、そう思っただけなんだよ。変だと思っただけさ。あの夜、死喰い人たちが騒いで、闇の印が打ち上げられただろ。あれがもし、ヴォルデモートの計画なんだとしたらって」

「おい、あいつの名前を言うなって。言っちゃダメなんだ」

 

 その名前を、直接呼んではいけない。それは、いわば魔法界の常識のようなものだった。誰もが、例のあの人、あるいは名前を呼んではいけないあの人、などと呼んでいる。だがもちろん、ダンブルドアなどのように名前そのものを直接呼ぶ人がいないわけではない。ハリーの場合はマグルのなかで育ったので、名前を呼ぶことに抵抗感などはなかった。

 

「ああ、わかってるよ。けど、トレローニーが言ったこと、覚えてるだろ?」

「なんだったっけ」

「あのとき逃げたピーターを召使いとして、闇の帝王が復活するっていう予言だよ。夢のとおりだとしたら、実現しそうだって思わないか」

「いいえ、ハリー。あの人の言うことは、みんなインチキよ。お茶の葉を読んだり、手相をみたり。みんな、いいかげんだったじゃないの」

「そうだけど、あのときだけはいつもと違ってたんだ。もし、あれが本当に予言なんだとしたら」

「例のあの人が復活するっていうのか。ボクは、ハーマイオニーのいうことに賛成だな。トレローニーは、いいかげんだった」

 

 ウソやデタラメであるのなら、それが一番いい。でももし、本当なのだとしたら。いまではないにしても、いずれ、ヴォルデモートが復活してくることになる。それに、トレローニーが言ったのはそれだけではない。

 起こさねばならない、とトレローニーは言った。それがもし、あのときのことだったのなら。ハリーは、なおも考える。あれが、アルテシアのことだったのなら。

 シリウスを助けるとき、森のなかにアルテシアを置き去りにしてしまった。寝ていたし、時間もなかったからだ。幸いというか、アルテシアはそのあとで目を覚まし、自分でちゃんと戻ったらしいけど、それじゃダメだったんだとしたら。

 そうすると、どういうことになるのだろう。ハリーには、よくわからなかった。

 

「ねぇ、ハリー。あなた、額のキズが痛んだって言ったわよね?」

「え? ああ、うん。このことをぼく、シリウスに知らせたんだ。もちろんどこにいるかは知らないけど、ヘドウィグが探してくれるだろ」

「へぇ、そりゃいいや。シリウスなら、なにかいいアドバイスをくれるに決まってるよ!」

 

 ロンは、急に明るい顔となった。これで、この話題からおさらばできると思ったのかもしれないし、ハリーたちにしても、話題を変えるいい機会であったのかもしれない。なにしろ、コンパートメントのドアが突然開かれ、そこからドラコ・マルフォイが入ってきたのだ。もちろん、クラッブとゴイルもその後ろにいる。

 

「なんだ、マルフォイ。おまえなんかに用はないぞ」

「ぼくだって、おまえたちに用などない。ただ、聞いておきたいだけだ。エントリーするのどうかをね」

「なんだと」

 

 マルフォイは、その青白い顔にニヤニヤと得意気な笑みを浮かべている。それがハリーには、気に障る。

 

「エントリーして、頑張ってみたらどうだ。ウィーズリー、賞金も出るんだし、また家族で旅行に行けるかもしれないぞ」

「おまえ、何を言っているんだ。あいかわらず、訳の分からないヤツめ」

「ポッター、目立ちたがりやのキミのことだ。エントリーするんだろ?」

「マルフォイ、いつも変なヤツだと思っていたが、今日はとくにヘンだぞ。言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」

「だまれ、ポッター。ならば言ってやる。おまえたちグリフィンドールは、何をやってるんだ。なぜ、アルテシアはああもたびたび、医務室なんだ。迷惑をかけるのもいい加減にしろ」

「な、なんだと」

 

 そんなのは、言いがかりのようなものだ。だがハリーからは、すぐに反論の言葉が出てこない。アルテシアは試験中に倒れているが、あれが自分たちのせいではないとは、はっきり断言できないからだ。

 

「どうした、ポッター。まあ、いいさ。クリミアーナは大切にされるべきなんだ。よく覚えておけ」

「どういう意味だ、マルフォイ。ちゃんと言えよ」

「うるさいぞ、ポッター。ちゃんと言っただろ。それより、これから学校で開催されるんだ。ぼくは、コーネリウス・ファッジから聞いたんだ。ウィーズリーの父親も兄貴も魔法省にいるっていうのに、何も聞いていないなんて、びっくりするじゃないか」

 

 ハハハ、と改めての高笑いを響かせ、マルフォイはクラッブとゴイルを引き連れコンパートメントを出て言った。

 

「くそっ、あいつめ、自分は何でも知ってる、ボクらはなんにも知らない、つまりはそう言いたいんだろ」

 

 くやしそうにそういうが、たしかにロンは、父親からも兄のパーシーからも、マルフォイが言ってることらしき話を聞いたことはなかった。パーシーは学校を卒業後、魔法省に就職している。まだ勤め始めたばかりだから知らないということはあるかもしれないが、父親のほうは知っているはずなのだ。もちろんマルフォイが言うように、学校で何かがあるのだとしたら、ではあるのだが。

 そうこうしているうちに、ホグズミードの駅に着く。そこからは、馬車での移動となる。ものすごい土砂降りの雨が降っていたが、ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてネビルの4人で1台の馬車に乗り、学校をめざした。

 




 このごろ、ちょっと忙しくてなかなか書けないんですけど、せいぜいがんばりますので、見捨てないで読んでやってくださいまし。
 いちおう、言っておきますが、1週間に2話が目標、なんですよね。最初の頃はともかく、このごろ、全然実行できてません。困ったもんです。あしからず・・・



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第61話 「疑惑と不調」

「寮対抗のクィディッチゲームは、今年は取り止めることになった。楽しみにしている生徒も多いじゃろうに、この決定をしたことを申し訳なく思うのは確かなのじゃが」

 

 新入生の歓迎会で、ダンブルドアがこんなことを言い始めた。それは、新入生の組み分けが終わり、ごちそうを食べ終わったあとの校長先生の諸注意のなかでの発言だ。これはハリーにとっても、驚くべき内容である。さては、マルフォイの言っていたことはこれなのか。ロンと顔を見合わせる。

 

「残念だとは思わんで欲しい。もっともっと大きなイベントのためなのじゃ。いまから、それを説明しよう」

 

 誰もが、その説明を聞き漏らすまいとするなか、大広間じゅうに音を響かせ、入り口の扉が開かれる。そこに1人の男が立っていた。長いステッキを持ち、黒い旅行用のマントをまとっている。大広間にいる人のすべてが、その人物を目で追っていた。コツッ、コツッという鈍い音をたて、ゆっくりと歩いてくる。ダンブルドアまでもが、その男に目を奪われているようだ。

 コツッ、コツッという音は、もちろん彼が歩くときの音に違いないが、あたかもそれが、催眠術か何かを仕掛けてでもいるかのようだ。誰もがひと言も話さず、彼が教職員テーブルへと歩いて行くのを見守る。

 コツッ、コツッ。コツッ、コツッ。

 歩くたびに身体が左右に揺れるのは、どちらかの足が悪いのだろう。男は教職員テーブルにたどり着くと、ダンブルドアのほうへと歩いて行く。

 男の顔には、無数のキズがあった。だがキズよりも目立つのは、目だ。その目が、男の形相をより恐ろしく見せている。なにしろ、鮮やかな明るいブルーの左目が、ぐるぐると上下左右に絶え間なく動いているのだ。右目のほうはそんな動きはしておらず、色は黒だ。

 ダンブルドアと男が握手を交わし、彼は、ダンブルドアの右側に席をとる。

 

「そうじゃな。まずは新しい“闇の魔術に対する防衛術”の先生を紹介しておくことにしよう」

 

 その言葉が、大広間に集う人たちの催眠状態を解いた。

 

「アラスター・ムーディ先生じゃ。マッド・アイという呼び名であれば、聞いたことがある人もいるじゃろう」

 

 そこで拍手など起こってもよさそうなものだが、そんなことより生徒たちは、新任の先生を“見る”ことに集中していた。が、それでも徐々にざわざわとした空気が広がっていく。

 

「新しい先生、だって」

「ムーディ、先生……」

「マッド・アイ・ムーディ……」

 

 あちこちで、ささやくような声が聞こえ始める。その声が聞こえたのかどうか、ムーディは、テーブルの上に並ぶカボチャジュースなどはどうでもいいとばかり、マントに手を突っ込み、携帯用酒瓶を引っ張りだすと、グビッグビッと飲んだ。

 

「さて、話を戻そう。クィディッチは取りやめとなるが、その代わりがある。誰もが注目し興奮することになるであろうそのイベントは、実は、ここ100年ほどの間は行われていない。そのイベントをわがホグワーツで開催する。三大魔法学校対抗試合じゃ」

 

 生徒たちのなかから、歓声があがる。だがそれも部分的で、全生徒一斉に、というわけではなかった。まだムーディーによる緊張感を引きずっていただろうし、三大魔法学校対抗試合とは何なのかわからなかったのかもしれない。

 

「ふむ。まあ、この三大魔法学校対抗試合について、知らない諸君もおることじゃろう。少し説明させてもらうが、始まったのはおおよそ700年前になる。各魔法学校より代表選手を1人ずつ選んで、3つの魔法競技を競った。じゃが死者が出るに至り、競技そのものが中止されておったのじゃ」

 

 学校対抗の魔法競技で死者、という驚くべき内容にもかかわらず、実際に驚いた生徒はごく少なかったようだ。だれもが、対抗試合のもっと詳しい内容を聞きたがっているらしい。満足げにダンブルドアが話を続ける。

 

「むろん、この対抗試合を再開しようと動きはこれまでにもあったが、実現してはこなかった。じゃが今回、ダームストラング専門学校とボーバトン魔法アカデミーから代表選手を迎え、ここホグワーツにおいて競われることになったというわけじゃ。10月には両校をホグワーツにお迎えし、ハロウィンの日に各校の代表選手を決める。そして優勝杯、学校の栄誉、選手の誇り、そして賞金1000ガリオンを賭け戦うこととなる」

 

 生徒の誰かから『選手はどうやって決めるんですか』と声が飛んだ。『立候補します』などという声もあった。ダンブルドアは、微笑みながら手を挙げ、生徒たちを静かにさせる。

 

「さきほども言うたが、過去には死人が出たこともあったのじゃ。当然そうならぬよう、十分な配慮が必要となる。参加資格についても、さまざま議論を重ね、年齢制限を設けることに決まった。すなわち17歳以上の生徒に限るということじゃよ」

 

 参加できるのは、17歳以上。とたんに生徒たちがガヤガヤと騒ぎだしたのは、もちろん制限に不満があるからだろう。10月には14歳となっているアルテシアには、まったく関係のない話だということになる。

 

「これは、参加する3校の校長ならびに魔法省の話し合いによる決定事項じゃ。どうあろうと変更はないので、納得してもらうしかない。念のため言うておくが、15や16歳の者がホグワーツの代表選手になろうとして、選考審査にもぐりこもうなどとは考えないように。このわしも、自ら目を光らせておるのでな」

 

 そう言われ、あきらめる生徒たちばかりではないだろう。なんとか代表選考に潜り込む方法はないものか、などとあちこちでおしゃべりが続くなか、新入生の歓迎会はお開きとなった。

 

 

  ※

 

 

 パドマ・パチルは、空き教室へと急いでいた。授業が終わったら、とソフィアから知らせを受けたからだ。おそらくホグワーツ特急で話したことの続き、ということだろう。となると、待ち合わせ場所は、よく4人で会って話をしているのと同じ空き教室ではないほうがいいのではないか。アルテシアに内緒にしておくのなら、別の場所の方がいい。

 そう思ったパドマだが、ともあれ、いつもの空き教室に行くしかない。その空き教室では、すでにソフィアが待っていた。

 

「すみません、パドマ姉さん。わざわざ来てもらって」

「そんなの平気だけど、場所、ここでいいの? 別のところのほうがいいんじゃないかな」

「大丈夫です、そんなに時間かかりませんし」

「そう、ならいいけど」

 

 授業が終わってから夕食までのあいだ。パチル姉妹とアルテシア、それにソフィアの4人は、授業などで使われていない空き教室で、おしゃべりタイムを持つことにしていた。使われていないからと勝手に入り込んでいいはずはないが、そこは都合よく目をつぶることになっている。

 他に用事があったり、時間の都合が合わなかったり、といったことはもちろんあるが、だいたいここで4人は顔をあわせることになる。

 

「あたし、校長室に行ってみようって思ってるんですけど、どう思います?」

「ああ、あのときのなにかを校長が持ってるってやつだね。でも、それがどんなモノがわからないのに、どうやって探すの? それがわかんなきゃ、目の前に置いてあったとしてもみつけられないよ」

「そうなんですけど、見たらわかるんじゃないかって思うんですよ。とにかく校長室に入り込んで、これだって思うものがあるかどうかだけでも、見てこようかと」

「つまり、様子見ってこと?」

 

 ソフィアがうなずく。だがソフィア自身、それがいい考えだとは思っていないのだ。パドマの言うように、どんなモノなのかを知らないのだから、みつけられる可能性は低いだろうし、それがどこかに隠されていたなら、ほぼお手上げ状態。ただでさえ低いものが、さらに低くなるだろう。それでも、なにかせずにはいられない、といったところなのかもしれない。

 

「じゃあ、いいよ。でも、わたしも行くよ」

「え?」

「あんた、校長室には行ったことないでしょ? 一緒に行こう。でも、見るだけにしてよ。どんなものが置いてあるのか見るだけにすること。いいね、絶対だよ」

「でも、行く理由とか、ないですよ」

 

 いや、理由はあるのだ。アルテシアの手に渡るべき何かを、校長先生が持っている。それを返してもらうという、立派な理由が。

 

「ないのなら、つくればいいのよ。今なら、いいのがあるじゃない」

「それ、なんですか」

 

 パドマは、ニコッと微笑んで、ドアの方を指さした。どうせなら、すぐに行こうということらしい。

 

「歩きながら話そう。ここにいてアルテシアが来たら、話せなくなるかも、なんでしょ?」

「え、ええ、まあ」

 

 ともあれ、パドマの言うとおりにして空き教室を出る。パドマが言うには、三大魔法学校対抗試合の選手に立候補したいがなんとかならないかと、ダンブルドアに相談しに行くのだという。

 

「選手になりたいなんて思ってないけど、校長室に行く理由にはなるでしょ。大丈夫よ、あたしたち17歳じゃないから、なに言っても選手になんてなれない。間違っても候補になるようなことにはならないから安心でしょ」

「なるほど。さすがはパドマ姉さんですね。あたし、知ってますよ。それ、悪知恵って言うんですよね」

「おや、言ってくれるわね。そうよ、その悪知恵を期待して、あたしに相談したんでしょ。ま、校長室には行ってみたかったし、べつにいいんだけど」

「場所は、あたしが知ってます」

 

 それくらいパドマも知っていたが、はりきって先頭を歩くソフィアには言い出せず、にが苦いしつつ後に続く。その後ろ姿を見ながら、パドマは考える。もし、校長が不在だったら、ソフィアはどうするだろうか。絶好の機会とばかり、無断で侵入するくらいのことはしてしまうかもしれない。さすがにそんなことはさせられないが、それを止めることは難しそうだ。

 それに、校長室に入るときの合い言葉の問題がある。校長室の前にはガーゴイルの石像があり、合い言葉を言わないと通してくれないのだ。それがお菓子の名前であることは知っているが、はたして、すんなりと通れるものだろうか。通れたとしても、なぜ合い言葉を知っていたのかと、校長から説明を求められるだろう。

 考えれば考えるほど、面倒になってくる。いきなり、後悔のようなものが頭をよぎるが、その先には、アルテシアの笑顔があるのだ。もし本当にダンブルドアがホグズミードから何かを持ち帰っているのなら、いずれはやらねばならぬこと。

 

「おや、お嬢さんたち。まさか、校長室に用事なのかね?」

 

 幸か不幸か、そこにダンブルドアがいた。どこか出かけるところだったのか、それとも戻ってきたところなのか。パドマは、あわててソフィアの前に出る。

 

「すみません、校長先生。相談したいことがあるんです」

「そうかね。まあ、中へ入りなさい。生徒が来てくれるのは、実は大歓迎なのじゃよ。呼ばねば誰も来ないがね」

 

 呼んでもなかなか来ない生徒もいる、とまでは、さすがに言わないダンブルドアである。その生徒はもちろん、アルテシア。ダンブルドアは何度かアルテシアを校長室へと呼んでいるのだが、来たのはそのうち数回だ。パドマとソフィアが、校長室へと行っていく。

 

「そこに座るといい。それで、相談とはなんじゃね?」

「はい、実は今度の三校対抗戦のことなんですけど」

 

 パドマはすぐに椅子に腰掛けるが、ソフィアは、校長室のなかをきょろきょろと見回す。まあ、それが目的だったのだから仕方ないかと思いつつも、怪しまれないかと気が気ではない。パドマからやや遅れる形とはなったが、ようやくソフィアも椅子に座る。

 

「三大魔法学校対抗試合のことかね。まさかとは思うが、参加したいとは言うまいの」

「その、まさかなんです。わたしたち、それなりに魔法には自信があります。実力を試したいんです」

「ふむ。気持ちはわかるが、17歳としたのにはちゃんとした意味があるのじゃよ。キミ、どうかしたかね?」

 

 あまりにソフィアがきょろきょろしているので、気になったのだろう。椅子に座ってこそいるが、ソフィアは、ダンブルドアなどちっとも見ていない。

 

「ああ、この子はちょっと人見知りで。校長先生のまえで照れてるんだと思います。それで校長先生、魔法競技って、どんなことをするんでしょうか」

「ふむ。課題についてはもう決まっておるが、それを言うわけにはいかんよ。まず最初に聞くのはやはり選手であるべきじゃ。そうは思わんかね」

「はあ、たしかにそうですね。では、やっぱりわたしたちが出場するのはムリだってことですね」

 

 このあたりがしおどきだ。パドマはそう判断した。ソフィアが、なにかしている。それが何かはわからないが、なにかしている。自分がわかるくらいなのだから、ダンブルドアも気づいたのではないか。とにかくできるだけ早く校長室を出なければ、とパドマは思う。

 

「ムリだとは言うておるのではないよ。ダメだと言うとるのじゃ。その意味がわかるかね?」

「はい。17歳になったら堂々と、ということですよね。わかりました。どうも、ありがとうございました」

 

 呼び止められる前に、と思っていた。パドマは、すぐにソフィアの腕をつかみ、立たせると頭を下げる。そして、ドアのほうへ。

 

「もしもし、そちらのお嬢さんは、たしかスリザリンの生徒じゃな。よくアルテシア嬢と一緒にいるじゃろう。ということは、キミはミス・パチルの、お姉さんのほうかね?」

 

 さすがに、パドマは驚いた。名前を知られてはいないだろうからと、わざと名乗らなかったのに、校長は知っていた。それにダンブルドアが、自分と姉との区別ができないらしいことにも驚いていた。ダンブルドアに、ではない。ダンブルドアすら見分けられないことを、アルテシアがいとも簡単に見分けていることに、だ。

 

「あの、わたしは妹のほうです。パドマです。失礼します」

 

 ともあれ、何事もなく校長室を出ることはできた。だが果たして、ダンブルドアは気づいたか。

 

「こら、ソフィア。あんた、なんかしたでしょ。見るだけのはずだったよね」

「もちろんです。だから、ちゃんと見ましたよ。何もしてないです。でもあの部屋、なにかあります。あやしいです」

「そうかもしれないけど、たぶん校長先生、気づいてると思うよ」

「でしょうね。それはわたしにもわかりました。でも、印を付けただけですから、なんにもしてないのと同じです」

 

 印、がなんのことなのかパドマにはわからない。もちろん説明させるつもりだが、これは、自分が話をするよりアルテシアにさせたほうがいいのではないかと、そんな考えが頭をよぎる。そのほうが、きっとソフィアもすなおに話を聞くのだ。このままなら、ソフィアはきっとなにかムチャをする。そうしたほうがいいと、パドマは思った。

 

 

  ※

 

 

 ロンは、グリフィンドールのテーブルでラムチョップとポテトを食べていた。テーブルには、そのほかの料理も並んでいるが、ロンの視線の先にあるのは、料理ではなくアルテシアだった。

 

「ロン、そんなに見るな。ほとんど不審者になってるぞ」

「あ? いや、ボクはなにも見てやしないけど」

 

 隣にいたのは、ハリー。ハーマイオニーは、あわただしく食事を終えて図書館に行ってしまっているのでここにはいない。

 

「隠すなよ。正直な話、ぼくもあいつを見ちゃうんだ。これって、なんなんだろな」

「ハーマイオニーならこう言うだろうけど、ボクは宿題を教えて欲しくて見てるんじゃないぞ。まだ授業が始まったばかりで、宿題なんてゼロなんだからな」

「わかってるよ、ロン。けど、見てるだけより話をしにいかないか。ほら、そろそろいい頃なんじゃないかなって」

 

 とたんにロンが、皿に取り分けてあったラムチョップを口の中に詰め込み始める。それが十分返事になっていることに、ハリーは苦笑する。とにかく、食事を済ませてからだ。

 

「ゆっくり食えよ。アルテシアたちも、まだ食事中だ。あわてなくてもいいと思うよ」

「け、けどな。あいつらは女子だぞ。女子寮に戻っちゃたら今日はもうアウトだろ」

「そうか。それもそうだな。よし、早く食えよ」

 

 ここでは、十分にお腹いっぱいになったのかどうかを気にする必要はないだろう。ともあれハリーとロンは、食事もそこそこにアルテシアのところへと近づいていく。アルテシアの両隣には、パーバティとラベンダーがいた。最初にハリーたちに気づいたのはパーバティだ。

 

「何か用なの、ポッター」

「ああ、うん。ちょっと、アルテシアと話がしたいんだけど」

 

 パーバティはともかく、ラベンダーがいては話しにくい。だが、ここで引き返すのもおかしなものだろう。自分の名前が出たことで、アルテシアがハリーへと顔を向ける。

 

「なに?」

「ちょっといいかな、アルテシア。あのときのこと、話したいんだけど」

「あのとき?」

 

 やはり、ここでは話せないとハリーは思った。どうしてもシリウス・ブラックの名前が出ることになるし、逆転時計のこともそうだ。とにかく、あのあとアルテシアがどうしたのか。それを聞き、自分たちのことも説明しておきたいのだ。それには、やはり他の人がいないほうがいい。

 

「ちょっとだけでいいんだ。あのときのこと詳しくは話せないけど、キミがあれからどうしたのかは知っておきたいんだ」

 

 アルテシアの大きな目が、ハリーをじっと見る。椅子から立ち上がろうとしたようにも見えたのだが、そうしなかったのはなぜか。ともあれアルテシアは、その大きな目をハリーに向けただけ。そのすぐ後ろにいるロンも目に入っているだろう。

 

「ねぇ、アル。ポッターはどこか違うところで話したいんじゃないかと思うよ。行ってあげたら」

「わかった。そうする」

 

 アルテシアがうなずき、今後こそ立ち上がった。そのことにハリーは、ほっとする思いだった。いつものように楽しそうな笑顔を浮かべてはくれたが、どこかようすが違うような気がしたのだ。それが気のせいだったらいいのだが、自分たちと話をしたくないのだとしたら。でも、なぜだろう。なにか気になることでもあるのだろうか。

 だがそれを聞くようなことができるはずもなく、ハリーはアルテシアを、テーブルの端っこのほうへと誘う。ロンも一緒だ。たまたまだろうけど、そのあたりは席がいくつか空いていたし、小さな声なら、周りに聞かれることはないと思われた。

 

「それで、なんの話?」

「あのあとキミがどうしたのか、それが知りたいんだ。ぼくとハーマイオニーは、シリウスを助けに行かなきゃ行けなかっただろ。時間がなかったから、ああするしかなかったんだ。キミはあれからどうしたの? ちゃんと元には戻ったんだろうけど」

「ええ、なんとか戻れたわ。でも、このことをロンは知ってるの?」

 

 ロンは、ハリーのすぐ横にいるのだ。その状況で話をするのだから、当然知っているということになるのだろう。だが、なぜだ。あれは、内緒にしておくべきことではないのか。といいつつも、アルテシアだってソフィアやパチル姉妹には説明している。なぜ倒れたのかを納得させないと、どこまでも果てしなく心配させてしまうからだ。きっとハリーもそうだったんだろうと、アルテシアは自分を納得させる。お互いさま、ということにしておけばいいのだ。

 

「もちろんロンには、ちゃんと話をしてある。あのときロンはケガをして医務室だったし、連れては行けなかったからね」

「ロンを連れて行くつもりだったってこと?」

「ケガしてなければね。それで、キミはあのとき」

「わたしはあのとき、シリウス・ブラックがヒッポグリフに乗るところを見たわ。それでもう大丈夫だって思ったから、いまに戻ったの」

「やっぱりそうか。そうだと思ったよ。とにかく大変だったんだ、あのときは。詳しいことは話せないけど、シリウスは安全なところに隠れているらしい。無事だよ」

 

 もしかして、ロンがケガで行けなかったから、代わりに自分が呼ばれただろうか。ふとアルテシアは、そんなことを考えた。もしかすると、そうなのだろうか。だから、自分には詳しいことは話せない。そしてロンには、ちゃんとした話がされる。もしそういうことであるのなら、この違いは、あまりに大きい。なにしろ自分は置いてきぼりとなり、ロンにはあとでちゃんと説明がされるのだ。

 アルテシアの表情がかすかにくもったのは、そんな思いが頭をよぎったからだろう。そのことには、ハリーとロンは気づかなかったようだ。それでもアルテシアは、顔をあげた。

 

「ねぇ、ハリー。わたし、シリウスさんと会ってみたい。聞きたいこととか、いろいろとあるんだけど」

「それは、ぼくもだよ。あのときぼくは、マグルの家を出てどこかで一緒に暮らせると思ってたんだ。あのとき、ピーターを逃がしさえしなければ、きっとそうなってたんだよ」

「ね、シリウスさんを助けたのはなぜなの? あのときは、詳しいことは聞かなかった。ハーマイオニーは無実の人を助けたいからって言ってたけど、そうなの? あの人は犯罪者なんだって聞いてたけど、違うの?」

「シリウスは犯罪者じゃない、無実だったんだ。ぜんぶピーター・ペティグリューがしたことだったんだ。ピーターが逃げてるうちは、その証明はできない。だから隠れてるしかないんだ。シリウスのことより、キミのことだよ。キミはあのとき、いつ目が覚めたの?」

「あのときは、ちゃんと約束した時間に目を覚ましたわ。でも… でも… ごめんなさい、ハリー。わたし、寮に戻るから」

 

 そこで、アルテシアが立ち上がる。なぜ、と思ったのは目の前にいるハリーやロンだけではなかった。それは、少し離れたところからようすを見ていたパーバティも同じだっだ。

 

「ど、どうしたってんだい、アルテシア」

「このところ、急に頭が痛くなったりして、なんだか気分が悪いの。お話、またあとで聞かせてね」

 

 それだけ言うと、大広間を出て行く。その後ろ姿を、あぜんと見送るしかないハリーたちに、パーバティが声をかけてくる。アルテシアは、パーバティにすら、何もいわずに行ってしまったのだ。

 

「ポッター、アルテシアはどうしたの? なにかあったの?」

「あ、いや、なにも。急に気分が悪いから寮に戻るって」

「寮に? 何かおかしなこと言ったんじゃないでしょうね。何を話してたの?」

「いや、その。話したのは、シリウス・ブラックの騒動があった日のことなんだけど」

 

 シリウスのことは、パーバティも知っていた。知っているといっても、シリウスを逃がすのをアルテシアが手伝ったということだけで、なぜ逃がす必要があったのかなどの詳しいことまではわからない。それはアルテシアも同じで、アルテシアはそのことをずいぶんと気にしていたのだ。パーバティがアルテシアにハリーたちと話すようにとうながしたのは、もしかしたらそのことがわかるのかしれないと、そう思ったからなのだ。

 

「もちろんそのときのこと、説明してくれてたんだよね?」

「あ、いや。それよりも、あのときアルテシアがどうしたのか気になって、そのこと聞いてたんだ」

「ふーん、そういうことですか」

「でもさ、アルテシアは大丈夫なのかな。気分が悪いって言ってたんだけど」

「ああ、それは。そうね、このところ不調続きなのよ。もうすぐ14歳になるからだと思う。気にしないであげて」

 

 ハリーたちが聞けたのは、それだけ。パーバティも大広間の出口へと向かう。アルテシアを追いかけるのだろう。残ったハリーとロンは、互いに顔を見合わせる。

 

「なんだ、14歳って? 女子って、14歳になるとき気分が悪くなったりするのか?」

「いや、違うだろ。なにか、ぼくたちが知らない理由があるんだよ、きっと」

 

 それはもちろん、クリミアーナの魔女が魔法使いとして目覚める年齢、のことである。パーバティたちはよく知っていることだが、ハリーたちにとっては、何のことかわからないだろう。もっともその年齢は13歳から14歳と言われているのであり、14歳の誕生日を境として、といった意味ではないはずだ。

 

「結局、アルテシアとはあんまり話せなかったよな。でも、これでボクたち、気兼ねなく話せるようになった、よな?」

「そうだな。そうだといいよな」

 

 ハリーには、とてもそうは思えなかった。だけどロンの前で、それを否定するようなことは言えなかった。

 

「だけど、ハリー。考えてみれば、ボクら、肝心なことを忘れてたんじゃないか。最初に謝るというか、お礼を言っても良かったんじゃないかな」

「え、なんだって?」

 

 これ以上大広間にいても仕方がないので、ハリーとロンも出口へと歩き出したところだ。

 

「アルテシアの体調が悪いのは、このところしょっちゅうじゃないか。なのにボクら、シリウスを助けるのに力を貸してもらった。それでムリをすることになって試験のときに倒れたんだ。そう考えるのって、そんなにムチャなことじゃないと思うぜ」

「うーん、そうだよな。そういうことになるのか」

 

 あのとき、アルテシアのようすはどんなだったろうか。そのときのことを思いだそうとするハリーだが、逆転時計のことやシリウスを助けるということで精一杯だった気がする。とても、アルテシアのようすまで見ていなかったのではないか。

 

「でも、アルテシアのやつ、どうしたんだろう。怒ってなかったよな。気分が悪かっただけだよな」

「そうだと思う。ぼくら、なにも怒らせるようなことは言わなかったじゃないか」

「ボク、話しかけてみてもいいかなぁ。いいよな、それくらい。あいつ、友だちだもんな。な、そう思うよな」

「ああ。かまわないと思うよ」

 

 でもそんなこと、自分にできるだろうか。それは難しそうだと、ハリーは思った。

 

 

  ※

 

 

 とある廊下の曲がり角。そこでパーバティは、ばったりとパドマに会った。さすがに双子だけあって、パーバティは、パドマがなにか話したいことがあるのだと、すぐに理解した。2人は場所を移し、しばらくのあいだ話をしていた。

 

「わかった。アルテシアには話してみるよ。でもアル、いま調子悪そうだからな。それよりソフィアに、アルに心配かけるな、とか言ってやったほうがいいんじゃないかな」

「それもいい方法だと思うけど、あいつ、アルテシアの抱えた問題をなんとかしようって思ってのことだから、逆効果になるかも」

「それもそうか」

 

 どうやら2人が話していたのは、校長室でのソフィアのこと、であるらしい。

 




 相変わらず、忙しい日々が続きそうです。波はあるんでしょうけど、年内そんな感じかも。
 ともあれ、61話ができあがりました。楽しんでもらえたなら、書いたかいもあった、といったところですね。
 このところ、このハリー・ポッターのお話では、新作なんかも増え更新も多く、にぎやかだなって感じてます。わたしもがんばらないと、じきに忘れられそうですよね。ああ、時間が欲しいです。

 さて、ソフィアさんは校長室へ突撃するのか。アルテシアはどうするのか。そのあたり、楽しみに次回をお待ちいただければ幸いです。遅くとも次の週末までにはなんとかしたいと思っています。
 これからも、どうぞよろしく。


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第62話 「許されざる呪文」

 校長室に来るように、という知らせがアルテシアのところに届いたのは、その日の最後の授業中だった。魔法薬学の授業で、課題であった魔法薬を作り終えて後片付けをしているときのこと。スネイプが、アルテシアのすぐ横へとやって来たのである。

 

「おまえは、なにかしたのか」

「え?」

「校長が、お呼びだ。授業が終わり次第に連れてこいと言われている」

「わたしを、ですか」

 

 そう言っただろう、というような目でスネイプがアルテシアを見る。そして、それ以上はなにも言わずに教壇へと歩いて行く。アルテシアと、その言葉を聞いたパーバティとがスネイプを目で追っていく。

 

「さて、諸君。今日の授業はこれで終わりだ。片付けを終えた者から戻ってよいぞ。宿題も出さずにおいてやろう」

 

 とたんに片付けのテンポがアップしたのはどういうわけか。そしてグリフィンドール生が、次々と地下牢教室を出て行く。合同授業のスリザリン生もそのあとに続くが、アルテシアはそうするわけにはいかなかった。スネイプが、教壇の上からじっと見ていたからだ。

 

「アル、あたし、どうしようか。スネイプ先生が何を言っても、ずっと横にいててもいいよ。というか、そうしたいんだけど」

「ううん、大丈夫だよパーバティ。たぶんソフィアのことを言われるんだろうけど、スネイプ先生が助けてくれるような気がする」

「え? いくらなんでも、そんなことは」

「あはは、さすがにそれはないか。でもほんと、平気だよ。むしろ、校長室に入れるのはありがたい。ソフィアじゃないけど、様子をみてくる。あなたたちが言うようにあそこになにかあるのか、さぐってみるつもりだよ」

「ダメだって。そんなことして気づかれたら、それこそいいわけできないよ」

 

 言い訳なんか、する必要はない。アルテシアは、そう思っている。もし本当にダンブルドアがなにかを手に入れ、それを校長室に置いたままにしているのであれば、言い訳するのは、ダンブルドアのほうだ。アルテシアは、そう思っている。

 他に生徒がいなくなり、スネイプが教壇を降りてくる。

 

「ミス・パチル。どういうつもりだ。吾輩は、戻れと言ったはずだが」

 

 ネビルあたりなら、その射るような視線に対しては、話すことはもちろん動くことすらできなくなっていたかもしれない。だがパーバティは、その目をまっすぐに見返していた。

 

「アルテシアを置いて行きたくありません。アルテシアも一緒じゃないとダメなんです」

「ふむ、何がダメなのかを議論してもよいが、それも面倒だ。だが1つだけ言っておこう。それでもイヤだというなら、勝手にするがいい」

「ほ、ほんとにいいんですか、先生」

「おまえは、バカか。吾輩は、寮に戻れと言っているのだ。人の話はちゃんと聞け」

「で、ですけど」

 

 勝手にしろ、と言ったばかりではないか。だが、さすがにそれを口に出すことはできなかった。パーバティは、その言葉を心の中だけにとどめた。スネイプの目が、一段と厳しくなってくる。

 

「口答えなどは許さん。黙って聞け。校長がこの娘と何を話そうとしているのか、おまえならわかるだろう。だがおまえが着いていけばどうなるかまで、考えてみたのか。おそらく、おまえを追い返したりはしないだろう。だがそのとき、校長の話は、まったく別の内容となるはずだ」

 

 それでもいいのか、とスネイプは言うのだ。さすがにパーバティは、そこまで考えてはいなかった。ただアルテシアが心配だっただけのこと。だが、自分がいることでダンブルドアが話の内容を変えるというのなら。アルテシアを、見る。アルテシアが、うなずく。

 

「わかりました、先生。でも、1つだけお聞きしてもいいですか?」

「なんだ。時間がないのだ、早くしろ」

「わたし、アルと一緒に夕食を食べたいんですけど、それには間に合うでしょうか?」

 

 スネイプの目が、一回り大きくなったようだ。だが彼は、ひと言も発しなかった。にらみ合いのような時間は、ほんのわずか。パーバティはアルテシアにむけて手を振ると、教室を出て行った。

 

「では、ミス・クリミアーナ。校長室へ行くぞ」

 

 

  ※

 

 

「今日、キミたちに来てもらったのは、ほかでもない。スリザリンの3年生の女の子のことを聞きたかったからじゃよ」

「それをなぜわたしに聞くのか、最初にそれを聞かせてもらってよいですかな。本人に聞く、ということはお考えにならなかったのですか」

「おう、そうじゃな。それでもよかったろう。じゃがあの女の子は、おそらく何も言わぬと思うての」

 

 ダンブルドアの視線は、アルテシアへと向けられている。無言を通すであろうソフィアよりも、ソフィアをよく知る者に聞いたほうが早い、という判断であるらしい。

 

「お嬢さんは、あれからなにか話をしたかね?」

 

 あれからという言葉を使うからには、ダンブルドアは、そのことをアルテシアも承知しているはずだと思っているのだろう。つまりこれからの話は、ソフィアが校長室を訪れたときのことを3人ともに知っている、という前提で進められるということだ。だが、それをあっさり認めてもいいのだろうか。あるいは、ダンブルドアが言い出すまでそしらぬふりをするべきか。

 一瞬、アルテシアはスネイプを見る。そのスネイプは、いつものような無表情。そこから何かを読み取ることなど、アルテシアにはできない。結局、自分で決めるしかない。

 

「ソフィアとは、毎日、話をしています」

 

 実のところアルテシアは、昨日からソフィアと話をしていない。校長室に呼ばれていなければいまごろいつもの空き教室で顔を合わせていたはずだが、そんなわけで、今日はまだ顔さえ見ていないのだ。だが校長室でのことは、パドマからパーバティへと伝わり、アルテシアの耳にも入っていた。

 

「そのソフィア嬢とは、ずいぶんと仲が良いようじゃな。よく一緒にいるところを見かけるが」

「そうですね、とてもいい友人です。いい子ですよ、ソフィアは」

「じゃろうな。お嬢さんのことを思うあまり、なにやらしでかそうとしておるようではないか。あれは、その準備であろうと思うが、いったい何をしたのであろうかの」

「校長、まずは説明が必要ではないですかな。ソフィアなる娘が、いったい何をしたというのです。それがわからねば、答えようもありますまい」

「いや、お嬢さんは知っておると思うがの」

 

 ダンブルドアの表情もまた、アルテシアにはわかりにくい。軽く微笑んではいるが、その笑顔をどう判断するべきなのか、アルテシアにはわからない。結局のところ、顔色を読みながらの駆け引きめいたことなどできるはずがないのだ。アルテシアは、心を決めた。

 

「わかりました、校長先生。知りたいことにはお答えします。ソフィアが何かしたとしても、すべての責任はわたしにあります」

「いやいや、わしはそういうことを言うておるのではないよ。じゃが、話してくれる気になったのはありがたい。ソフィア嬢は、校長室に忍び込もうとしている。それで間違いないかね?」

 

 質問というよりは、確認といったところか。直接的にすぎるが、知りたいことには答えると言った以上うなずくしかなかった。スネイプの表情に、変化はない。

 

「なるほどの。ではつまり、あれはそのための目印、といったところかの」

「何なのです、校長。あれとは?」

「ソフィア嬢が残した魔法の痕跡、とでも言えばいいかと思うが、どうじゃね、お嬢さん」

 

 それは、ソフィアがつけた印のことだろう。だがそれは、何かを転移させるときのいわば目印でしかないし、ほおっておけばそのうち霧散し消えてしまうものだ。そんなものに気づいたとは、さすがは校長先生だとアルテシアは思う。

 

「あれは、なんのためのものかね。なぜ、あんなものが必要なのかね」

「校長先生がおっしゃられたように、目印です。場所を覚えておくためのものです」

「ふむ。つまりあの場所に『姿現し』するための印、といったところかの」

「校長、このホグワーツでは『姿現し』などできないのでは」

「そうじゃ、そのようにしてあるからの。おそらくは、それを突破するためのものなのであろう。そういうことでいいかね、お嬢さん」

 

 ダンブルドアは、なにもかも知っているのではないか。アルテシアは、そんな気にさせられる。説明を求められているのではなく、確認であるからだ。いまのところ、それにうなずくだけで話が進んでいく。

 

「であればソフィア嬢は、あの目印を使って無断で入ってくるかもしれんということになるのう。じゃが、それでは困るのじゃ。お嬢さん、あの目印を消すにはどうすればいいのかな」

「なにもしなくても、そのうち消えてしまいますけど」

「では、ほおっておいてもいいのじゃな」

「はい」

「しかしじゃ。ソフィア嬢にそんなことをさせるわけにはいかん。させないためには、どうするのがよいかな」

 

 その方法は、1つしかない。ソフィアの目的、すなわちダンブルドアがホグズミードから何かを持ち帰ったのかどうか、それが校長室にあるのかどうか。それを確かめることだ。

 

「校長、無断での侵入を計画するからには、あの娘とてなにか目的があってのことであるはず。そのことで、なにか心当たりはないのですかな。それをなくせば、侵入することもなくなる。あるいは対策が打てる」

「もっともじゃ。じゃがセブルス、ソフィア嬢にそんなことはせぬよう言って聞かせる必要はあろう。キミがやってくれるかね?」

「それはもちろん。ですが校長、その思い当たることを聞かせてもらえますかな。知っておかねば、説得もうまくはいかんでしょう」

「そうじゃな。おそらくは、わしがホグズミード村の女性から預かったものが関係しているのであろうと思う。お嬢さんは、そのことを知っていたかね」

「いいえ」

 

 そんな女性がいたことを、アルテシアは知っている。パチル姉妹が、実際に会っているからだ。おそらくその女性は、アルテシアのものとなるはずの魔法書の一部から生み出された仮の女性であり、アルテシアに欠けているものを渡そうとしていたと考えられるのである。パーバティから聞いたところでは、その女性と校長は間違いなく会っているらしい。だとするなら、それがそのとき校長の手に渡ったと考えるのは不自然ではない。だからこそソフィアは、校長室への侵入を考え始めたのだ。

 アルテシアはそう理解していた。だがすべては、この時点における推論でしかない。だから返事は『いいえ』ということになる。

 

「そうかね。そういうことでもよいが、ソフィア嬢は、おそらくそれを持ちだそうと考えておるのじゃろう。じゃがお嬢さん、まだそれをキミに渡すわけにはいかんのじゃよ」

「なぜですか。この娘にと預かったのなら、当然、渡すべきでは」

「いいや、セブルス。校長として、あれが何かはっきりしない限り、生徒には渡せぬのじゃ」

「ですから、それはなぜです。そもそも、それをなぜ、校長が持っているのですかな」

「じゃから、預かったと言うておろう。もしそれに闇の魔法がかけられていたらどうなる。そこに闇の魔法が詰め込まれているのなら、どうなる。安全でない限り、渡せぬのじゃよ」

 

 それは、マクゴナガルに対しても何度も述べられた、理由である。マクゴナガルに言わせれば、根拠のないこじつけということになってしまうが、ダンブルドアはその主張をくり返すのみだ。だがアルテシアは、その理由に納得できない。ならば、預からねばいいと思うからだ。それが何であるかはっきりしないものを、なぜ、受け取ったりするだろう。

 

「校長先生は、そこには闇の魔法があると、そうお考えなのですね」

「その疑いはある、と考えておる。お嬢さんは、あの玉が何なのか、知っておるのかね」

「玉、ですか。それは以前に吸魂鬼を捕まえたときのような玉、でしょうか」

「そうじゃな。見た限りでは同じに見える。じゃが、なかに入ってるのは吸魂鬼ではなかろうと思う」

 

 ならばそれは、にじ色だ。なるほど、とアルテシアは思う。おそらくその中にあるのは、魔法書の一部。にじ色なら、その保管には最適だ。だが、それを作ったのは誰だろう。母のマーニャなのか、それとも。

 

「校長先生、それを見せてもらえませんか。見れば、それが何かはすぐにわかります」

「いや、キミを疑うわけではないが、ソフィア嬢があの玉を持ちだそうとしているいま、ここに取り出すようなことはせぬがよかろう」

 

 それはつまり、保管場所を知られる恐れがあるということだろう。アルテシアは、そう理解した。そのうえで、改めてダンブルドアに問う。

 

「校長先生は、それが闇の魔法だとお考えなのですね。危険なものだと判断されているのですね。だから、どこかに保管しているとおっしゃるのですね」

「そういうことじゃ。よく調べたうえで問題ないとなれば、もちろんお嬢さんに渡すつもりでおるよ」

「わかりました。よくわかりました。ソフィアには、決してダンブルドア先生に無断で校長室に入るようなことはしないと約束させます。無断で入り込むようなことはさせないと約束します。今回のことは、それで許していただけませんか」

 

 アルテシアが、その真剣な目でダンブルドアに訴える。表情からは、とっくに笑みは消えている。そんなアルテシアの肩を、スネイプがポンと軽く叩いてみせる。

 

「落ち着け。ひとつ、深呼吸でもしてみたらどうだ。ソフィアなる娘は、わがスリザリンだぞ。まず吾輩が話をするのが先であり、おまえはそのあとだ。わかったな」

 

 スネイプを見て、ダンブルドアの顔を見る。それからもう一度、スネイプを見る。深呼吸をしたようには見えなかったが、それでも肩から力が抜けたのはわかった。

 

「校長、今日のところはそれでいいのではありませんか。ソフィアなる娘とは、わたしが話をします」

 

 その思惑はさておき、ダンブルドアは大きくうなずいてみせた。

 

 

  ※

 

 

 それから2日が経った。アルテシアは、スネイプに言われたとおり、校長室でのことをソフィアに話してはいない。だがそうするのは今日までだ。明日にはちゃんと話すとパチル姉妹にも約束しているし、ソフィアにもそれまで待つようにと言ってある。もっともソフィアのほうは、すでにスネイプから何かしら言われているのかもしれない。

 この日の最後の授業は、闇の魔術に対する防衛術。グリフィンドールの4年生にとっての、ムーディー先生最初の授業である。

 

「教科書など、必要ない」

 

 それが、ムーディーの最初の言葉だった。コツッコツッと音をたてて教壇に向かい、そこに置かれた椅子に腰かける。生徒たちが注目するなか、ポケットから酒瓶を取り出すとグビッと飲む。

 

「諸君、もちろん知っておろうが、この授業は、闇の魔術に対する防衛術だ。そうだな」

 

 なにをいまさら、などという生徒はいない。誰もがうなずく。そんななかで、ムーディはしわがれた声で笑い、改めて生徒たちをみまわした。

 

「防衛術だぞ。それも、闇の魔術に対するもの、ということだ。だが諸君は、闇の魔術とはなにかを知っているのか。どうだ。それが何かと問われ、きちんと答えられるものが、どれほどいるであろうか」

 

 ムーディーが、ゆっくりと生徒たちを見回す。ハーマイオニーがさっと手を挙げたが、ムーディーの目は、それを素通りしていく。

 

「闇の者たちと闘うには、まずそれをよく知らねばならん。知らなければ対抗することなどできんというのがわしの考えだ。見たことすらないものを、どうやって防ぐというのだ。どうやれば身を守れるのだ。それを知らねば、避けることなどできようはずがない。いいかおまえたち。魔法省により禁止されているからといって、闇の側の魔法使いが使わぬはずがないのだ。知らねばならんのだ」

 

 コツッコツッという音が、ふたたび教室内に響き始める。ムーディーが歩き出したのだ。

 

「許されざる呪文、というものがある。知っている者はいるか」

 

 何人かの生徒が手を挙げる。ハーマイオニーはいつものことだが、ロンの手もあがっていた。

 

「その赤毛から察するに、アーサー・ウィーズリーの息子だな。答えろ」

「父親が話してくれたんですけど、確か“服従の呪文”だと」

「さよう。服従の呪文だ。少し待て」

 

 またもコツッコツッという音を響かせて教壇に戻ると、教卓のなかから大きめのガラス瓶を取り出した。黒い大きなクモが3匹入っており、そのうちの1匹に杖をむける。

 

「よく見ておけ、これが服従の呪文だ。インペリオ(Imperio:服従せよ)」

 

 そのクモのようすが、明らかに変わった。ゴソゴソとはい回るのをやめ、その8本の足を交互に上げ下げし、まるでダンスでも踊っているかのように調子を取り始めたのだ。他の2匹と比べても、あきらかに違う。

 

「このように、完全に支配してしまうことができる。転がれと念じれば、こいつは転がるだろう」

 

 そのクモが、足を縮めて丸くなり、コロリコロリと転がり始めた。

 

「こうして、思いのままにあやつれるというわけだが、さて諸君。この服従の呪文といかにして闘えばよいか。それをこれから学ぶわけだが、もちろん呪文をかけられぬようにするのが、一番よいのだ。『油断大敵!』」

 

 ムーディの大声が、教室に響く。油断大敵、油断をするな、ということだ。次にムーディーは、ネビルを指名する。

 

「答えろ、ロングボトム。おまえも知っているはずだ」

 

 ネビル・ロングボトムが、ゆっくりと席を立ち、おそるおそるといった感じで答えた。

 

「そのとおり、磔の呪文だ。これは、死んだ方がましだと思わせるような苦痛を相手に与える。このようにな。クルーシオ(Crucio:苦しめ)」

 

 とたんに、1匹のクモが足を突っ張らせ、けいれんし始める。クモなのでひと言の悲鳴も発しないが、すさまじい苦痛に耐えているのだろうと、誰もが思ったに違いない。そんなふうに、身体をよじられているのだ。

 

「もう1つある。最後の1つだ。知っているものはいるか」

 

 ほかにもいたのかもしれないが、手を挙げたのはハーマイオニーだけだった。ハーマイオニーはささやくような声で答えた。

 

「その通りだ、アバダ・ケダブラ(Avada Kedavra:死の呪い)」

 

 ムーディーの杖から、緑色の光が3匹めのクモに向かって飛び出した。光が当たった瞬間、クモはあおむけにひっくり返り、動かなくなった。死んだのだ。

 

「このように、気持ちの良いものではない。しかも反対呪文は存在しないのだから、防ぎようがない。だがなぜか、1人だけこれを受けて生き残った者がいる」

 

 ムーディーの目は、ハリーを見ていた。ムーディーだけではなく、多くの目が、ハリーに向けられている。誰もが、ハリーがヴォルデモートに襲われて生き残ったことを知っていた。ハリーは、こんな状況から生き残ったのかと誰もが思ったし、ハリーもまた、自分の両親の命を奪ったものの正体を、はっきりと見た。吸魂鬼との接近で、そのときの細かな状況はわかっている。両親の最期の声も聞いている。そしていま、その魔法を実際に見たのである。

 

「服従の呪文、磔の呪文、死の呪い。この3つをまとめて「許されざる呪文」と呼ぶ。これらの呪文を人間に対して使用した場合、罰せられるぞ。アズカバンでの終身刑に値する罪だ。しかし、だからといって闇の者どもが使わぬわけではない。おまえたちは、知っておかなければならないのだ。最悪の事態とは、どういうものかをな」

 

 コツッコツッという音をたて、ムーディが教室内を歩く。アルテシアが、手を挙げていた。ムーディーがそれを見たが、話を続ける。

 

「この授業では、そういったものに対しての戦い方を学ぶのだ。この1年で、しっかりと学べ。備えよ。武装しろ。常に、警戒を怠るな。油断大敵!」

 

 ゆっくりと歩きながら、ムーディーがアルテシアの前に立つ。

 

「言いたいことがあるなら、言え。おまえ、名前は?」

「アルテシア・クリミアーナです。わたしに、具体的に闇の魔法を教えてくださったのは、先生が初めてです。あの3つが闇の魔法なのですね」

「ほう、おまえがクリミアーナか。思ったより小柄だな。おまえも、よく覚えておくがいいぞ。きっと役に立つ」

「はい。闇の魔法とはどういうものなのか、ようやくわかってきたような気がします。つまり人に迷惑をかける魔法、という解釈でいいのでしょうか。闇の魔女、魔法使いと呼ばれる人たちは、そんな魔法を使うのですね」

「解釈など、好きなようにするがいい。その命を奪い、意思を奪い、傷つけ、支配する。そんなやつらを闇の魔法使いというのだ。わしはこれまで数多くの者を見てきたが、なるほどおまえは、ふむ、十分に素質があるかもしれんぞ」

 

 授業時間の終わりを告げるベルがなる。ムーディーが教壇へと戻る。

 

「これで終わろう。だが忘れるなよ、油断大敵!」

 

 

  ※

 

 

 授業が終わってもなお、みんなの話題は、その内容についてのものだった。

 ロンは、クモがあっという間に死んでしまったことに興奮しっぱなしだし、ハリーは、自分の両親が死んだ瞬間を見せられたようで気持ちを沈ませていた。ハーマイオニーは、ムーディが磔の呪文をやってみせたときからネビルのようすがおかしくなったことを気にしていた。

 そのネビルのところへ、ムーディがやってくる。

 

「ロングボトム、おまえのことはよく承知している。ポッター、おまえもだ。つらいところだが、知らぬふりをしてもどうにもなるまい。ちゃんと見つめ、乗り越えるのだ」

「はい」

 

 とりあえず、そう返事をするしかなかった。ハリーの両親は、死の呪いで殺されている。そのことを気遣っての言葉なのだろう。では、ネビルの場合は? ネビルもきっと、なにかあるんだとハリーは思った。

 

「さあ、ロングボトム。わしの部屋へ来い。おまえが興味を持ちそうな本が何冊かあるぞ」

 

 そうしてネビルがムーディに連れて行かれると、今度はアルテシアのことが気になってくる。

 

「な、なあ、ハーマイオニー。アルテシアだけど、変なこと言ってたよな」

「ええ、闇の魔法のこと、ずいぶんと気にしていたようだけど」

「素質があるって。でもそれって、魔女としてってことだよね。まさかあいつ。まさか、そんなこと」

「ええ、そんなことないわよ。そんなこと、ありえないわ。だって、アルテシアだもの」

 

 

  ※

 

 

 そのころ、マクゴナガルは校長室にいた。ダンブルドアに呼ばれ、話を聞かされたところである。

 

「いま、アルテシアが納得したと、そうおっしゃいましたか」

「そうじゃよ、ミネルバ。あの玉をわしが持っていることを話したし、調べがつくまでは渡せないとも言うてある。このことは本人も承知しておるのじゃから、あなたはもう、忘れてもよかろうと思う。ぜひとも、そうしなされ。よろしいな」

 

 と言われても、マクゴナガルは納得できない。アルテシアに話したのは本当だろうが、果たして本当にアルテシアは納得したのか。いや、納得などするはずがない。仮に納得したのが本当だとしても、ダンブルドアにいいくるめられての結果に違いない。それになにより、自分自身が納得することなどできようはずがない。あれがアルテシアの手に渡らねば、なんの解決にもならないのだ。

 アルテシアとよく話し合う必要がある。なにがあったのか、じっくりと話をしなければならないと、マクゴナガルはそう思うのだった。

 



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第63話 「やってきた人たち」

「信じられないです。なんで、そんな約束するんですか」

 

 空き教室に、ソフィアの声が響き渡った。パチル姉妹にとっても始めて聞くような、そんなソフィアの大声であった。アルテシアは、じっとソフィアを見つめている。

 

「校長室にあることがはっきりしたんですよ。なのになぜ。あれは、アルテシアさまのものなのに」

「ソフィア。気持ちはわかるけど、ここは我慢してほしいの。校長は、あれが闇の魔法だって言ったわ。その疑いがあるそうよ。わたしには、闇の魔法というものがよくわからない。ちょうどいい機会っていうのも変だけど、どんな判断がされるのか知りたいのよ」

「そんなことに、どんな意味があるんですか。人がどう思おうと、わたしがルミアーナで、アルテシアさまがクリミアーナなんです。闇の魔法? それが、なんだっていうんですか。わたしたちの魔法は、校長がなにか言ったら変わってしまうものなんですか。もう、魔法は使わないつもりですか」

 

 ソフィアの目には、涙さえ浮かんでいた。よほど悔しいのか、それともなにか理由があるのか。そんなソフィアを、アルテシアはただ、じっと見つめる。パチル姉妹も、口を挟むことすら忘れたかのように、成り行きを見守っているといったところ。

 

「わたし、間違ってますか。言ってること、変ですか。おかしなこと、しようとしてるんでしょうか。悪いことだなんて、ちっとも思わないんですけど」

「ソフィア、そういうことじゃないの。これは、わたしのわがまま。ソフィアだからお願いするの。とにかく今は、我慢してくれないかな」

 

 涙に濡れた目で、アルテシアを見つめるソフィア。アルテシアには、その目を、ただ受け止めることしかできない。パーバティが2人の間に入ってくる。

 

「アル、そういうことなら、もう少し説明しなきゃダメだよね。あたしが思ってることを言おうか?」

「パチル姉さんは、黙っててください。あたしは、アルテシアさまから聞きたい。クリミアーナが終わるのかどうか」

「え! あんた、なに言ってんの。クリミアーナが終わる?」

「だって、アルテシアさまが魔法を使わないって言うのなら、そうなるじゃないですか。魔女の家なんですよ、クリミアーナは。どうしたって、あれが必要になるんです」

 

 今度はパドマが何か言おうとしたが、先に口を開いたのはアルテシアだった。

 

「ごめんね、ソフィア。でもわたしも、このことでは譲れないの。わたしたちの魔法は、闇の魔法なのかどうか。そう思われてしまうのかどうか。どんなふうに判断されるのかを知らなきゃいけないの。校長先生が調べるというのなら、その結果が知りたい」

「だから、そんなことに意味なんかないって言ってるんです。どう思われようと、それがクリミアーナじゃないですか。聖なる魔女の家に伝わる魔法が、たかが校長先生の判断で終わりとなってしまうなんて、そんなの、納得できません」

「ソフィア、誤解して欲しくはないんだけど、校長先生の判断で、どうこうしようなんて思ってないよ。闇の魔法だと言われたとしても、それはそれでいい。あなたの言うように、クリミアーナはクリミアーナだもの」

「だったら」

 

 それなら、なにも言い合いをする必要なんてない。ソフィアは、そう叫びたかっただろう。だがアルテシアは、あの玉をダンブルドアから取り戻すことはしないと言ってるのだ。それは、ソフィアの考えとは違う。

 

「闇の魔法は、魔法界ではよく思われてはいない。あなたもそう思うでしょ。たとえばヴォルデモート卿は、みんなに恐れられてる。あの人は、かつてホグワーツの学生だったのよ。いまわたしたちが学んでいるように、ここで魔法を学んだ」

「わたしは、魔法書で魔法を学んだんです。たしかにホグワーツでも魔法を勉強してはいますけど、基本は魔法書です」

「うん、そうだね。わたしもそうだよ。でも、ソフィア。学校では、闇の魔法は教えてない。だったらあの人は、独自に身につけたってことになるよね」

「ま、まさか。まさか」

 

 だがアルテシアは、微笑みつつもゆっくりと首を横に振った。ソフィアが何を思い、アルテシアは、何を否定したのか。

 

「ソフィア、はっきり言っておくけど、万が一にも責任があるんだとしたら、それは、魔法書を作り出したわたしのご先祖だから」

「でも、でもあの人は、魔法書を見たんでしょうか。魔法書を学んだんでしょうか」

「それは、まだわからないわ」

「闇の魔法じゃないのならルミアーナは関係ない、あの人のことは気にする必要ないってことですか」

「そうだね、だとすればそうなるよね。でもあの人が仮に魔法書を見たんだとしても、そこからヒントを得たんだとしても、責任があるのはわたしだよ。ヴォルデモート卿のことは、わたしが解決する。しなきゃいけないの。これは、アディナさんとも約束していることだよ」

 

 ソフィアにとっては、思いがけぬ話となったのかもしれない。たしかに過去、ルミアーナ家は、ヴォルデモート卿と関係がある。まだトム・リドルと名乗っていたころ、その家に滞在させたことがあるのだ。もちろんソフィアが生まれる前のことであり、当時、トム・リドルがどのようなようすだったのかなど、詳しいことはわかっていない。

 

「でも、例のあの人はどこにいるかわからないんでしょ。もう滅びたって話もあるみたいだけど」

 

 パドマだ。魔法界では、パドマが言ったように思っている人がほとんど。だが、いずれヴォルデモートは復活してくると思っている人も、ダンブルドアを初めとして少なからずいる。どちらを信じるのかは、その人次第といったところか。

 

「滅びたにせよ、どこかにひそんでいるにせよ、あの人のしたことは変わらないでしょ。とにかく、確かめたいって思ってる。でもわたしは、闇の魔法のことはよく知らない。だから、知りたいと思ってる。昨日の授業でムーディ先生が教えてくれたけど、あれが闇の魔法だって言うのなら、みんなに怖がられても仕方ないって思うんだ」

「あぁ、たしかにあれはね。ロングボトムなんか、真っ青になってたもんね」

「そうだね。でも、怖がってばかりもいられない。もっとよく知らなきゃいけないのよ。ねぇ、ソフィア」

 

 ソフィアは、何も言わない。だがその顔は、いくらか青ざめているようだ。アルテシアは、微笑んでみせた。

 

「校長先生が、わたしたちの魔法をどう判断するのか。わたしは、それが知りたい。わたしたちの魔法書が、闇の魔法につながるのかどうか。わたしの魔法は、闇の魔法だってことになるのか。それが知りたいのよ。分かってくれるよね、ソフィア」

「でも、でも、そんなの。そんなの、やっぱりおかしいです。取り返すべきです。もう14歳なんですよ。もし間に合わなかったらどうするんですか」

「ソフィア」

「アルテシアさま、あたしは、あたしは……」

 

 ソフィアは、その先を言わなかった。じっとアルテシアの顔を見ていたが、ふいにその姿が消えた。どこかへ、自分自身を転送したのだ。

 

「あいつ、まさか校長室に」

「違うと思う。ソフィアは分かってくれたはずよ。わたしのわがままを許してくれるわ」

 

 ソフィアは、どこへ言ったのか。心当たりなどなかったが、アルテシアは教室の左側へと目をむけた。その延長線上には、禁じられた森がある。自分ならこんなとき森を散歩する、とでも言いたげな目で教室の壁を見つめていた。

 

 

  ※

 

 

 もうじき消灯時間になる。そんな遅い時間にアルテシアは、スネイプの研究室を訪れた。目的は、ソフィアのようすを聞くため。あれから10日ほども過ぎたが、そのあいだソフィアは、いつもの空き教室に顔を見せていないのだ。

 ドラコにようすを聞いてみたり、殴られるのを覚悟でパンジー・パーキンソンに近づいてみたりもしたのだが、あまり情報は得られなかった。ならばスネイプに聞いてみるしかないと、そう思ったのである。こんな時間を選んだのは、できるだけ遅い時間であるほうが会える可能性が高いからだ。もし不在だった場合、消灯時間までに寮に戻れるギリギリの時間でもある。もちろん談話室にいないと怒られることになるのは間違いないのだが。

 ドアをノックするが、返事はない。だが、1度でドアを開けてもらえるとは思っていない。もう1度、ノックする。少し時間をおいて、3度目のノック。そのノックの直後に、ドアが開いた。

 

「おまえか。いま、何時だと思っているのだ。寮に戻らねば、処罰するぞ」

「先生、少しだけでいいんです。少しだけ、話をさせてください」

「まあ、よかろう。入るがいい」

 

 スネイプの顔色を読むのは難しいが、少なくとも不機嫌ではなさそうだとアルテシアは判断。研究室の中へと入れてくれたのが、そのなによりの証拠だ。これまでにも座ったことのある椅子に腰かける。

 

「先に言っておくが、ソフィア・ルミアーナにはちゃんと言い聞かせた。本人が納得したかどうかは知らん。なにしろあの娘は、ほとんどしゃべることがないのだ」

「まさか、ソフィアがですか。あの、明るくて素直な子が、しゃべらないって本当なんですか」

 

 そういう話を、たとえばドラコやパンジーも言うことがある。あいつは、ぜんぜんしゃべらない。暗い、など。それを聞いていながら、自分はいままで何をしていたのか。そのことを、考えてみたことがあっただろうか。

 

「吾輩が思うに、おまえの前でだけそうなのだろう。どちらが本来の姿であるかなど、吾輩の知ったことではない。だがああいう娘にとっては、我がスリザリン寮もあまり居心地がいいとはいえぬかもしれんな」

「わたし、なんと言えばいいのか」

「なにも言う必要はない。言っておくが、今までどおりに接することが一番だぞ。不自然に構いすぎたりすれば、かえって気を遣わせることになる。あれほどおまえを慕っているのだ。おまえのほうが気をつけてやれ」

「はい、それはもう。でも先生、先生も、よく見てくださってるんですね」

 

 それが寮監としての責任だ、と言ってしまえばそれまでだ。だがアルテシアは、そこに見習うべきものを見たような気がした。ほとんどのグリフィンドール生にとって、スネイプは意地悪なろくでなし教師でしかない。だがこんなとき、決してそうとばかりも言えなくなってくるのだ。

 スネイプは、よく見てくれている。それがつまり、見守る、見守られるということなのだと思う。だが自分だって、ソフィアを見守っていかねばならない。そうする責任が自分にはある、とアルテシアは思っている。

 だがスネイプの言うように、ふだん通りが一番いいのは間違いないのだ。急に態度を変えるのは、逆効果でしかない。それを否定などしないが、これからは、もう少しソフィアのことに気をつけてやらねばならない。なにしろ、今度の校長室の件では、ソフィアに我慢を強いている。すべて自分のことを思ってくれてのことなのに、頭から押さえつけるかのように、それを禁じてしまった。ちゃんと説明したつもりではあるのだが、それが十分であったのかどうか。

 もっとよく、話をすればよかったと思う。あのあとも、何度でも話をするべきだったのだ。あれからソフィアが空き教室に来ないことの意味を、もう少し考えてみるべきだったのだ。

 

「おまえ、人の話を聞いているのか」

「え? あ、もちろんです。聞いています」

「まあ、いい。だがおまえも、おかしなやつだ。こんな話はマクゴナガル先生とするべきだろう。なのに、わざわざ減点されるような時間に地下牢まで降りてくる考えが理解できん」

「ソフィアのことが聞きたかったんです。スリザリンのことですから、やっぱりスネイプ先生だと」

「吾輩の言えることは、すべて話した。これでいいか」

 

 スネイプと話をして、気づいたことがある。そのことは、感謝以外のなにものでもない。だが、人に言われて気づくなど、自分の未熟さの証明でしかない。

 

「では吾輩から、ひとつ聞こう。必要なことなのだ、正直に答えろ」

「はい、なんでしょうか」

「むろん、校長室でのことだ。あのとき話をしていた玉のことだが、なぜあのままにしておくのだ。おまえのものであるのは明らかなのだぞ」

「それは、わかっています。もちろん返してもらいますけど、校長先生は、あれには闇の魔法の疑いがあるとおっしゃいました。調べがつくまで預かると。わたしは、その結果が知りたいんです」

 

 アルテシアとて、それで納得しているわけではない。だが果たして、自分たちの魔法は闇の魔法なのかどうか。そのことの判断を、魔法界では有名なダンブルドアがしてくれるというのだから、任せてみようと思ったのだ。だがスネイプは、そのことを一笑に付した。

 

「くだらんな。それが闇の魔法だから、闇の魔法かもしれぬから、受け入れたくないというのか。だから、あの娘が取り戻そうとするのを禁じるというのか」

「そうではありません。ソフィアにも言いましたが、闇の魔法であろうとなかろうと、わたしはわたしです。誰が何を言おうと、クリミアーナの魔法はかわりません。それを否定などしません。ただ知りたいだけです。魔法界での評価というか、どう判断されるのかを知っておきたいだけなんです」

「そういうことなら、校長の判断に意味などあるまい。どう判断されようとも同じことになるわけだ。つまりおまえには、その判断を待つ理由がほかにもあるのだろう。そうだな」

 

 さすがは、スネイプとでも言うべきか。たしかにアルテシアには、ほかに気にしていることがある。クリミアーナには過去、何世代にもわたり魔法界と距離を置き、交流を控えてきたという事実があるのだ。なぜ、そういうことになったのか。

 アルテシアは、それを知りたいと思っている。クリミアーナの失われた歴史を知ることにつながるかもしれないからだ。そしてそこに、闇の魔法というものが関係しているのかどうか。このことは、ソフィアには話していない。

 

「まあ、よかろう。あれはおまえのものだ。好きにするがいい。だが、ソフィアなる娘が校長室に忍び込んでまで手に入れようとするからには、それなりの理由があるはずだ。あれがなければ、おまえが困ることになるのではないか。だからこそ、あの娘は取り戻そうとするのではないのか」

「そうですが、だからといって、そんなことをソフィアにさせていいはずがありません。必要なときには、わたしが自分でやります」

 

 スネイプの顔が、わずかにゆがむ。どうやら笑おうとしたらしいが、それがアルテシアには伝わったのかどうか。

 

「校長先生が返してくれないとなったなら、そうするつもりです。いつまでもこのままにはしておきません」

「そうか。ならば、いずれはおまえのものとなるのだな。そうするつもりだと、あの娘に言ってやればよかろう」

「わかりました、そうします」

「それで、手に入らなかったときは、どうなる。そのことの答えはまだだぞ」

「そのときは、半人前の頼りにならない魔女になるだけです。きっと、ルーピン先生はがっかりなさるでしょうけど」

 

 そこで、アルテシアが笑ってみせる。こちらのほうは、スネイプとは違い、誰が見てもわかる笑顔であったが、なぜルーピンの名が出てくるのか。アルテシアの表情などからさまざまなことを読み取るスネイプだが、そのことまではわからなかった。

 

「なぜ、そこでリーマスの名が出てくるのだ」

「すてきな魔女になれ、と言ってくださったからです。そのために努力したいと思っています」

 

 何か言う代わりに、ふーっと息を吐くスネイプ。そして、席を立つ。

 

「立て、ミス・クリミアーナ。寮まで送ろう」

 

 もう、話は終わりということだ。知りたかったソフィアのようすは聞けたし、このあたりが潮時だろう。アルテシアも、席を立つ。

 

「おまえも承知しているとは思うが、魔法は、魔法だ。それ自体に善悪などはない。要は、それをどう使うかであり、闇と称されるべきは魔法ではなく使う人間のほうなのだ」

「スネイプ先生」

 

 わかったなら、ついて来い。そう言わんばかりのスネイプのあとを、アルテシアは歩いて行く。そして、グリフィンドール塔の入り口が見えはじめたところで立ち止まる。

 

「リーマス・ルーピンが、すてきな魔女になれと言ったそうだが」

「はい。手紙でしたけど」

「それでは、あまりに抽象的にすぎるとは思わんか。だが」

 

 返事を求められているのではないと思ったアルテシアは、黙ってスネイプを見る。もちろんスネイプも、アルテシアを見ている。

 

「それでもよければ、吾輩も願おう。ミス・クリミアーナ、立派な魔女となれ」

 

 それだけ言うと、大股で歩きながら去って行く。質問など受け付けないとばかりの後ろ姿を、アルテシアは、ただ見送るしかなかった。

 

 

  ※

 

 

 ムーディ先生の授業では、生徒に対して服従の呪文がかけられることになった。実際にその魔法を体験し、どう対抗するのかを考えろというものだ。おかげで教室では、歌を歌い出したり、何度も飛び上がったり、体操をしたりと、呪文をかけられた誰もがムーディの意図するままに、なにかしら妙な行動をとらされてしまうことになった。

 結局、この呪文に抵抗してみせたのはハリー・ポッターだけ。ハリーが服従の呪文にさからってみせたことに、ムーディはことのほか興奮したようだった。そしてこの呪文を打ち破るコツを解説しつつ、4回もハリーに呪文をかけたのだ。おかげで服従の呪文を打ち破ることができたハリーだったが、ことのほか疲れることであったらしい。

 この授業でアルテシアは、服従の呪文にはかからなかった。ハリーのように呪文に抵抗したのではなく、かからなかったのだ。これにはムーディも首をかしげたが、ハリーのことがあり、そのことはすっかり影に隠れてしまうことになった。呪文にかからなかった生徒がもう1人いたこともあるが、そんなことよりも、服従の呪文に打ち勝ったという事実にのほうに興味をひかれたからであろう。誰もが、ハリーに注目した。

 なぜ、アルテシアは服従の呪文にかからなかったのか。それは服従の呪文にかからなかったもう1人も、まったく同じ理由だ。すなわち、制服のローブにかけられたアルテシアの保護魔法の効果なのである。ローブの保護魔法が服従の呪文をブロックしてみせたのだが、その保護魔法のことにムーディが気づかなかったのは、アルテシアにとっては意外なことであった。

 そんなふうにして毎日は過ぎていき、とうとう三大魔法学校対抗試合の参加校であるダームストラング専門学校とボーバトン魔法アカデミーが到着する日を迎える。そのときホグワーツの生徒たちは、玄関ホールに整列して、午後6時となるのを待っていた。その時刻が、到着予定時刻なのである。

 代表団の人たちはどうやってホグワーツへ来るのだろうかと、あちこちでささやきあう声が聞こえており、教師たちの集まるなかから、ダンブルドアの大きな声がした。

 

「ほっほー! わしの眼に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近づいて来ましたぞ!」

 

 とたんに生徒たちが、あちこちバラバラな方へと、目を向ける。そのうち、誰かが禁じられた森の上空あたりを指さし、叫んだ。

 

「あれだ。大きな館が、空を飛んでくる」

 

 ようやく生徒たちの視線の先が定まる。暗くなり始めた空に、天馬に引かれて飛んでくる巨大な館があった。天馬の毛色は黄金色であり、たてがみと尾の毛が白く輝くような白といういわゆるパロミノ種の馬だ。その天馬に引かれ、巨大な館はみるみるうちに近づいてくる。

 誰もが、その着地に注目しているなか、アルテシアの背中をちょんちょんとつつく者がいた。ソフィアだった。

 

「あら、どうしたの、ソフィア」

「お話があるんです。ちょっとだけ、いいですか」

「もちろん、いいわよ」

 

 返事をした瞬間、アルテシアは、いつもの空き教室にいた。ソフィアの魔法によるものだが、そこにパーバティもいた。もちろんソフィアが、同時に連れてきたのだ。

 

「すみません、ボーバトンやダームストラングの人たちが来るところを見たかったですよね?」

「いいえ、あの大きな馬車にはびっくりしたけど、どうせあそこに並んで遠くから見ているだけでしょ。それで、どうしたの?」

 

 ソフィアと、こうして話をするのは久しぶりだ。いつもなら放課後にこの空き教室で話をしているのだが、あの校長室の一件以来、ソフィアは空き教室に顔を見せなくなっていたからだ。それでもアルテシアは、食事のときなど大広間でその姿をさがし、ときには声をかけたりもしている。ゆっくり話をするというようなことになってはいないが、そうしたことの積み重ねで、話をするようになっていた。

 

「わたしは、4歳のときに会ったことがあるんです」

「え?」

「どこでだったか、場所は覚えていません。そのとき、何かのきっかけがあったんだと思うんです」

「なんのこと?」

「クローデルです。知っていますよね。クローデル家のティアラさんのことです」

 

 クローデル家のティアラ? 突然聞かされたその名前を、アルテシアは知らなかった。初めて聞く名前だと、そう思った。だが、そのすぐ後で、考え込むようなそぶりをみせる。

 

「やっぱり、そうですよね。それでその名前は、アルテシアさまのなかにあるんでしょうか?」

「ええと、ごめん。ちょっと待って。ええと、ティアラ、だよね。ティアラ…… 聞いたことあるような気がする」

「そうですか。まあ、そうだろうとは思ってましたけど」

「ちょっと、ソフィア。黙って聞いてようと思ったけど、やっぱり説明して。クローデルのティアラがどうしたって?」

 

 パーバティは少し離れたところにいたのだが、そう言いながら近づいてくる。ソフィアが目を向けたが、パーバティに答えたのはアルテシアだった。

 

「クローデル家は、ずっと昔にクリミアーナと関係があった人の家だよ。ソフィアのルミアーナ家と同じ、でいいのかな?」

 

 後半はソフィアに確認を求めたものだが、ソフィアはそれを否定した。

 

「同じじゃないです。ぜんぜん違いますからね。あっちはたぶん、アルテシアさまのこと、大切になんて思ってないはずです」

「アルは、そのティアラって人を知ってるの?」

「ううん、知らないわ。ただ、名前だけは」

「聞いたこと、あるわけだ。わかった。じゃあソフィア、続きを」

 

 そこで、ソフィアが軽くため息。話の腰を折られたと、そう感じてのことだろう。やれやれ、といったところか。だがパーバティは、それほど気にしていないようだ。

 

「まあ、いいです。母から知らせてきたんですけど、うちの家にクローデル家から連絡があったそうなんです。クローデル家の一人娘ティアラがホグワーツに行くことになるって」

「え、ホグワーツに」

「ええ。クローデルからの手紙には、そのときそちらの娘さんと会うだろうから、一応知らせておくとあるだけで、詳しいことなんてなんにも書いてなかったそうです」

「つまり、ボーバトンかダームストラングの生徒だってことかな。まさか、先生ってことは、ある?」

「生徒だと思いますよ。たぶん、わたしより3つか4つ上くらいだったから」

 

 そんな話をしている、ちょうどそのころ。湖にボコボコと派手な音をさせ、難破船かあるいは幽霊船とでも勘違いされそうな、そんな船が水面に浮上してきていた。この大きな船にダームストラングの代表団が乗っているのだ。そのダームストラング一行のなかに、クィディッチの有名選手であるビクトール・クラムがいたことに、ホグワーツの生徒たちは騒然となっていた。

 ボーバトンとダームストラングの代表団が到着し、まもなく、歓迎の夕食会が始まることになる。

 

 

  ※

 

 

 全校生徒が大広間に入り、それぞれの寮のテーブルにつく。ビクトール・クラムをはじめとしたダームストラングの生徒たちは、スリザリンのテーブルに席を取ったようだ。ボーバトンの生徒たちは各テーブルばらばらに座っているようで、グリフィンドールのテーブルにも、何人かのボーバトンの生徒の姿がある。

 教職員のテーブルには、上座側の列にダンブルドアと、ダームストラングのカルカロフ、そしてボーバトンのマダム・マクシームがいる。ダンブルドアが席を立つ。

 

「こんばんわ、みなさん。今夜は特に、客人のみなさんに申し上げたい。ホグワーツへのおいでを、心から歓迎いたしますぞ。本校での滞在は、快適で楽しいものとなりましょう」

 

 満足げにほほえみながら、3校の生徒たちを見回していくダンブルドア。だが彼のあいさつは、それで終わらなかった。

 

「じゃが諸君。もちろん、それぞれ承知しておられるじゃろう。この宴が終わると三校対校試合が、正式に開始される。競い合うこととなるが、それまで大いに楽しみましょうぞ」

 

 アルテシアとパーバティは、いつもの自分の場所に座り、タンブルドアを話を聞いていた。話が終わると、周囲を見回し、とくにボーバトンの生徒を見ていく。さきほどまでソフィアと話していたことが頭にあるのだろう。

 あいさつがおわり、誰もが大量に並べられた料理との闘いを開始する。

 

「どっちかな? あたしはボーバトンの人だと思うな。ダームストラングは、ちょっと雰囲気違う気がするし」

「どうだろう。どっちにしても、わたしたちはティアラって人を知らないんだから、こっちからは探せないけどね」

「名前以外はね」

 

 そう言って、軽く笑いあう。その通りで、幼い頃に一度だけ会ったことがあるというソフィアはともかく、知らなければ、たとえ隣に座っていたとしても気づくことは難しいはずだ。

 たまたまであるのは間違いないだろうが、そのアルテシアたちの隣に、ボーバトンの生徒が座っていたのだ。その生徒が話しかけてくる。

 

「おー、いま、ティアラという名前、言いまーしたね。わたーし、知っていまーすよ」

「え?」

 

 驚いて、その生徒を見る。だが何か言おうとしたところで、ダンブルドアの大きな声が、大広間に響き渡った。いつのまにか教職員テーブルに、見知らぬ顔の2人が増えていた。カルカロフの隣にいるのがルード・バグマン、マダム・マクシームの隣にいるのがバーテミウス・クラウチだ。

 

「生徒諸君、いよいよ、時が来た」

 

 いよいよ、対校試合の詳細が発表されるのだろう。となればアルテシアも、隣のボーバトン生に話しかけるわけにはいかなかった。誰もがダンブルドアに注目していたからだ。静かにしていなければならない。

 

「三大魔法学校対校試合は、まさにいま、始まろうとしておる。その説明の前に、まずは紹介しておこう。国際魔法協力部部長のバーテミウス・クラウチ氏、そして魔法ゲーム・スポーツ部部長、ルード・バグマン氏じゃ」

 

 拍手がまばらであったのは、生徒の誰もが、そんなことより対抗試合の説明が聞きたかったことの証明であろう。ダンブルドアも苦笑いをうかべたが、紹介を途中でやめるわけにはいかない。

 

「バグマン氏とクラウチ氏は、この数カ月というもの、三校対校試合の準備に骨身を惜しまず尽力されてきた。その努力なくして、今回のイベント開催はありえなかった。そのおふたりと三校の校長、計5人により、各校代表選手の健闘が評価されることになる」

 

 つまり、この5人が審査員ということだろう。そこへ、ホグワーツの管理人であるアーガス・フィルチが、なにやら豪華に飾り付けがされた大きめの木箱を持って現れる。

 

「審査員により、今学年のあいだ、代表選手はあらゆる角度から試される。魔力の卓越性、果敢な勇気、論理・推理力、そして、危険に対処する能力などを、課題をどうこなすかにより採点され、3つの課題の総合点が最も高いものが、優勝杯を獲得する」

 

 ダンブルドアが、フィルチから木箱を受け取り、それをテーブルの上に置く。そして、杖を取り出す。

 

「よろしいか。試合を競うのは、各校の代表選手。その代表選手を選ぶのはこの、公正なる選者“炎のゴブレット”じゃ」

 

 木箱のふたを杖で3度軽く叩くことにより、ふたがゆっくりと開いていく。そして取り出されたのは、その縁から溢れんばかりに青白い炎がわきあがる杯だった。それを、ふたを閉めた木箱の上に置く。

 

「まずは、代表選手へのエントリーを受け付けよう。羊皮紙に名前と所属校名をはっきりと書き、この杯の中へと入れるのじゃ。ただし、受け付けるのはこれから24時間以内。すなわち、明日のハロウィンの夜までじゃ。さすればこの杯が、各校を代表するに最もふさわしいと判断した者の名前を、返してよこすことになる」

 

 大広間は、しーんと静まりかえっていた。

 

「この杯は、今夜より玄関ホールに置かれる。言うておくが、参加資格は17歳以上じゃ。よってこの杯の周囲には、17歳に満たない者が近づけぬよう”年齢線”を引いておく。よろしいか、この競技はそれほど過酷で厳しいものなのじゃ。軽々しく立候補してはならぬぞ。”炎のゴブレット”が代表選手として選んだものは、魔法契約により最後まで試合を戦い抜く義務が生じる。ゆえに、途中で気が変わることは許されぬ。参加資格のある者は、今夜一晩よく考え、明日、杯に名前を入れるがよい。さて、寝る時間じゃな。解散。皆、お休み」

 

 参加資格は17歳以上。それに満たない者はダンブルドアの”年齢線”により排除される。だがそれも、考え方次第。”炎のゴブレット”が選んだものは、魔法契約により最後まで試合を戦い抜く義務が生じるのだ。ならばとにかく、名前を書いた羊皮紙を杯のなかに入れてしまえばいい。

 そう考えた者が、17歳未満の者たちのなかにいたのかどうか。それを実行する者がいるのかどうか。それはもちろん、この時点ではわからない。

 




 今回のお話は、かなり苦労しました。とれだけ書き直したことか。
 ダンブルドアの持つアルテシアのにじ色の玉を、なぜ取り戻そうとしないのか。そうしようとするソフィアを、なぜ止めるのか。
 そのことをソフィアに、そしてスネイプに説明するのですが、それがうまくいかなかったんですよね。それぞれで、微妙に違う説明。スネイプのほうにより詳しい説明がされるのですが、そこにはソフィアに対する甘えみたいなものがあるし、スネイプは教師であるがゆえのこと。そんな立場の違いみたいなことが伝わるのかどうか。それにこうしてあわさると、重複する部分があったりしてくどくも感じます。そのあたり作者は不満に思ってたりしますが、いろいろ考えてもこのあたりが精一杯かも。何日かあいだをおけば、なにか思いつくかもしれません。ならここに登録しなければいいようなもの。それはそのとおりなんですが、いずれ修正ということになるかも。お許しを。
 しかし、なにかいい方法はないのか。そんなこと、まだ考えてたりします。あしからず。


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第64話 「代表選手決定」

 玄関ホールは、大賑わい。参加資格は定められているものの、ゴブレットに選ばれてしまえば選手になれるということが、わかってしまったからだ。重要なのは、参加資格ではなくエントリーすること。

 とにかく、ダンブルドアのひいた年齢戦を突破し、名前を書いた羊皮紙をゴブレットに入れてしまえばいいのだ。そうすれば代表選手にエントリーされるし、ゴブレットが選んでくれたなら、選手になれる。それが、魔法契約による強制参加のメリットだ。

 だがもちろん、デメリットもある。強制であるがゆえに、途中リタイアは認められないことだ。その点をどう考えるかは人それぞれということだろうが、とにかく玄関ホール、とくにゴブレットが設置されたあたりは人だかりとなっていた。

 どうやれば、年齢線を突破できるのか。そんなことをしてまで、エントリーする意味はあるのか。そんなことまでして、誰がエントリーするのかなど、話題には事欠かない。

 

「もう、誰か名前を書いていれたのかなぁ」

「ダームストラングの生徒は、全員そろって入れたらしいわ。けど、ホグワーツはどうなのかしら」

「ぼく、アンジェリーナが入れたって聞いたよ。クィディッチチームのチェイサーなんだ」

 

 ロン、ハーマイオニー、ハリーの3人が、そんなことを話しながら玄関ホールを通っていく。どうやら、ハグリッドの小屋を訪れるつもりらしい。

 話に出てきたアンジェリーナは、17歳になったばかりであり正式なエントリーとなる。その他には、ロンの双子の兄であるフレッドとジョージをはじめとして、年齢線の突破を試みて失敗した者が何人かいることが知られていた。

 

「なあ、誰が出場したら優勝できると思う? ホグワーツの代表選手には、誰がふさわしいんだろう」

 

 そのロンの疑問は、誰もが思っていることなのかもしれない。どちらにしろ、各校の代表選手はこの日の夜に決まることになる。ハリーたちは、やはりハグリッドの小屋を目指しているらしい。そこからそんなに離れていないが、湖のほとりにはアルテシアがいた。ソフィアも一緒であり、ほかにもう1人の姿があった。

 

「こうして、会うことができるとは思ってなかった。あなたもそうでしょう?」

 

 着ている服から、ボーバトンの生徒だと思われる。ここで所属をごまかすようなことをしても意味はないので、そうであることに間違いないのだろう。

 3人が、ベンチに腰掛ける。真ん中がアルテシア、その左にソフィア。

 

「わたしは、ティアラ。せっかく近くまで来たんだから、ご本家にごあいさつを、と思ったので」

「そうですね。でもわたし、クローデル家のことは、まったくといっていいくらい、知らないんです。いろいろと教えてくださいね」

「あはは、それはあたしも同じだけど、そんなことする必要ある? どーせ今度の対抗戦が終わったら、もう会うこともないのに」

「そうでしょうか。こうしてお互いに知ってしまったら、元には戻れないはずですよ。会わなかったことにはできない」

 

 互いに、互いの顔を、じっと見る。それぞれ、思うことはあるだろう。だが、そんな時間はわずか。ふっと笑みを浮かべ、ティアラが目を伏せた。

 

「まあ、そんなことはどうでもいいことよね。それより、本題。これを忘れたら、あたし、なにしにこんなところまで来たんだか、わかんなくなっちゃうわ」

「何しにきたって言うんですか。まさか、変なこと考えてませんよね?」

 

 ソフィアの声だが、いつものソフィアらしくないのは、その目がずっと地面を見たままであることだ。いつだったか、パーシー相手に堂々と自分の主張を貫いたときとは、大きな違いだ。ティアラが、柔らかく微笑みながら、ソフィアを見る。だが、下を向いたソフィアと視線が合うことはない。

 

「なんだ、しゃべれるんじゃないの。ずーっと黙ってるから、もしかしてしゃべれなかったりするのかなって思ってた」

「ご心配なく。でも、なにをしに来たのかは、ちゃんと言ってください」

「言われなくても、言わせてもらうわよ。でもね、ルミアーナ。たぶん、あなたも同じことしたんじゃないかって思うよ。違う?」

 

 だが、ソフィアは答えない。あいかわらず、下を向いたままだ。そんなことはおかまいなしに、ティアラは話を続ける。

 

「本家のお嬢さんがホグワーツに入学したって聞いたとき、あなたがどう思ったかは知らないわ。でもあたしは…… まあ、それはいいか。そんなことより、本題よね。お嬢さん、ストレートに言わせてもらうけど、わたしと勝負してもらうわよ」

「えっ」

 

 さすがにソフィアも顔をあげた。だがティアラが見ていることに気づくと、すぐに下をむく。そんなソフィアを、アルテシアはいぶかしげに見ている。

 

「もしもし、お嬢さん。わたしの話、聞いてくれてるのかな?」

「ああ、ごめんなさい。もちろん聞いてるけど、勝負って? まさか、三校対抗試合で競い合うってこと?」

 

 仮にそうだとしても、アルテシアには参加資格などない。まだようやく14歳。参加できるのは17歳なのだ。

 

「ああ、対抗戦のことはまったくの偶然。14歳になるのを待ってたら、ちょうどこんな絶好の機会になっただけよ。あ、14歳っていう意味、わかるよね」

「ええ。わかります」

「気兼ねなく、本当の実力で勝負したい。だから14歳になるまで待ってた。さすがは本家、やはり上だって思うことができるかどうか。それって、クローデル家にとっては大きな意味があることなの。どうぞ、これ用意してあるから使って」

 

 差し出されたのは、1枚の羊皮紙。それをアルテシアが受け取ると、今度は羽根ペンとインクだ。それをベンチに置く。

 

「あらかじめ書いておいてもよかったんだけど、さすがにね。ほら、もしかすると自筆じゃないとダメなんてこともあるかも。いまここで書いて」

「あの、これって」

「そうよ。対抗戦にエントリーしてもらいます。あたしも用意してあるのよ、ほら」

 

 もう1枚の羊皮紙。そこには、すでにティアラの名前が書かれていた。これを一緒に、ゴブレットへと入れに行こうというのだろう。

 

「でもティアラさん、わたしは14歳。ゴブレットの周りには、ダンブルドア校長の年齢線が引かれていて、近寄れないようになってるんですよ」

「そんなの知ってるけど、それがなにか問題なの? とりあえずは、名前を書いた羊皮紙をゴブレットに入れるだけ。あんなの、どうってことないはずよ。このベンチに座ったままでもできる、簡単なことでしょ。それともまさか、まさか、できない?」

「そうね、できないわ。してはいけないことだから」

 

 ティアラが言うのは、名前の書かれた羊皮紙を、ゴブレットのなかへと魔法により転送してしまうこと。そんなこと、アルテシアには簡単なことだ。ソフィアにもできるだろうし、きっとティアラにも可能なはずだ。

 

「まさかそれ、本気で言ってる? もしそうなら、考え方を変えないといけなくなるわ。なるほど、原因はそのあたりにあるのかしら」

「え?」

「ああ、気にしないで。でも、できないってことになると、困っちゃうんだけど。ええと、どうしようかな。さすがに、無理強いはできそうにないし」

「一番いいのは、あきらめて帰ること。そうするべきですよ、ティアラさん」

 

 そう言ったのは、ソフィアである。

 

 

  ※

 

 

 大広間は、満員と言ってよかった。なにしろボーバトンとダームストラングの生徒たち各10人、あわせて20人も増えている。それだけでも、けっこう窮屈に感じるものだ。

 教職員テーブルのほうも、カルカロフとマダム・マクシーム、それにルード・バグマン、バーテミウス・クラウチの各氏が増えている。玄関ホールに置かれていた“炎のゴブレット”は、今は教職員テーブルの校長の席のあたりに置かれている。

 まずはハロウィーンのパーティーとなったが、いつものような盛り上がりとはならない。誰もが代表選手の選考結果に心を奪われ、早くパーティーが終わるようにと思っているのだから、盛り上がるはずがない。そして、お待ちかねのときがやってくる。ダンブルドアが席を立つ。

 

「生徒諸君、どうやら代表選手が決定したようじゃ。名前を呼ばれた者は、大広間の一番前へと来るように。別室にて最初の課題についての説明があるのでな」

 

 ダンブルドアが杖を取り、大きくひと振り。とたんに大広間を照らしていたろうそくの多くが消え、大広間が薄暗さに包まれる。おかげで“炎のゴブレット”のきらめきがいっそう目立ち、青白い炎が目にしみるようだった。誰もが見つめる中、杯の青い炎が突然赤くなり、火花が飛び散った。そして次の瞬間。

 炎のなかから羊皮紙が1枚飛び出した。宙を舞いハラハラと落ちてきたそれを、ダンブルドアがつかみ取る。

 

「まずはじめは、ダームストラングの代表選手じゃ」

 

 ダンブルドアの、力強いはっきりとした声が大広間に響く。

 

「ビクトール・クラム」

 

 おおーっ、という声。そして、大広間中が拍手と歓声で埋め尽くされる。そのビクトール・クラムは、スリザリンのテーブルに座っていたが、すぐに立ち上がると指示されたとおりに前の方へと歩き出す。

 そのビクトールの姿が別室へと消えたところで、ふたたびゴブレットの炎が赤く燃えあがる。その炎に巻き上げられるようにして、2枚目の羊皮紙が飛び出す。その羊皮紙も、ダンブルドアの手元へと舞い落ちてくる。

 

「2人目の代表選手は、ボーバトンのフラー・デラクール!」

 

 ビクトール・クラムのときと同じく、歓声が沸き起こる。フラー・デラクールは、優雅に立ち上がると長い髪を揺らしながらレイブンクローとハッフルパフのテーブルの間を歩いてくる。

 

「あれ? たしか、ティアラとかって名前だよね。代表にはなれなかったみたいだね」

「エントリーしなかったのかもしれないけどね」

 

 フラー・デラクールを見ながら、アルテシアとパーバティがささやきあう。そんな2人の後ろに、話題としていたティアラが姿を見せた。

 

「あたし1人が参加しても、なんの意味もないからね。それより、その人は誰です? なぜその人がわたしの名前を知ってるのかしら」

「ああ、わたしが話したんです。パーバティ・パチルよ。わたしの大切な友人」

 

 急に鋭さを増した目で、ティアラがパーバティを見る。パーバティは、にっこり笑って会釈してみせた。

 

「よろしくね」

「なるほど。なるほど、なるほど」

 

 ティアラの目は、じっとパーバティにそそがれている。パーバティも同じだ。そんななか、三度“炎のゴブレット”が赤く燃え上がる。ホグワーツの代表選手が決定したらしい。宙を舞う羊皮紙が、ヒラヒラとダンブルドアのもとへ。

 

「お嬢さん、別の部屋で少し話がしたいんだけど。もちろん、そのご友人とやらいう人も一緒でかまわないわ」

「いいけど、ソフィアも呼ぼうか?」

「いえ、あの子はいないほうがいいわ。場所はお嬢さんにおまかせします。わたしはよく知らないので」

 

 ホグワーツのなかは詳しくはない。そういうことだろう。アルテシアがパーディをみる。パーバティがうなずいたとき、ちょうどダンブルドアが3人目の代表選手を告げた。

 

「セドリック・ディゴリー!」

 

 セドリックは、ハッフルパフの生徒だ。たちまち、わっと大歓声がわき起こる。そんななかでは、数人の生徒がその姿を消したとしても、気づかれることはない。だれもが、ハッフルパフのテーブルから教職員テーブルのほうへと歩いて行くセドリックに注目していたからだ。

 そのセドリックへの拍手はあまりにも長々と続き、選手選考の締めくくりができないほどだった。だがその大歓声が、突如、途切れる。すでに選考は終えたはずのゴブレットの炎が、またも赤く、勢いよく燃え始めたのだ。そしてそこからはじき出されるかのように、羊皮紙が宙に舞った。

 

 

  ※

 

 

「やっぱり、できるんじゃないですか。ひょっとしたら、なんて思ったりもしたけど、そんなはずないよね。安心したわ」

 

 それはパーバティを含めた3人を、よく放課後に利用している空き教室へと移動させた魔法に対して言ったのだろう。だが同時に、ティアラに試されたのではないか、という思いも抱かせる。ふと、そんなことを思ったアルテシア。だがそこに、とくに悪意のようなものは感じられなかった。言葉どおりに気にしてくれていたのだろう、ということしておく。

 

「ティアラさんは、どうしてエントリーしなかったの? 名前を書いた羊皮紙は用意してあったはずなのに。代表になれる自信はあったんでしょ」

「自信はあっても、お嬢さんが参加しなけりゃ意味ないでしょ。わたしだけ代表として課題に取り組んだって、なにしてるんだかわかったもんじゃないわ。お嬢さんと競い合ってこそでしょ。ほんと、残念」

「それは申し訳ないなって思うけど、わたしたちが競い合うのに、どんな意味があるの? そんなことより、ゆっくりと話をしたほうがいいと思うんだけど」

 

 アルテシアは、そう思っている。だがもちろん、ティアラにもティアラの考えがある。どう折り合いをつけるかは、これからの話し合いで、ということになるのだろう。それはともかく、アルテシアのティアラに対する口調が最初の頃から変わってきているようだ。同じようなことがティアラのほうにも言えるような気がするが、はたしてそのことに、本人たちは気づいているのかどうか。

 

「意味はありますって、もちろん。ルミアーナのあの子だって、たぶん同じようなことをしたはず。勝手な想像ですけどね」

 

 ティアラの視線には、軽く首を傾けただけ。とくに返事はしなかった。たしかにソフィアも、同じようなことを言っていた。そのことをアルテシアは、思いだした。

 

「まあ、いいわ。あの子にとっては満足のいく結果だったんでしょうからね。でもね、お嬢さん。わたしにはわたしの思いがあります。ルミアーナの判断を、そのまま受け入れるつもりなんてないし、それじゃ意味がない。どうあっても、競ってもらわないとね」

「でも、どうするの? もう、代表選手は決まったわよ。ええと、誰だったっけ?」

 

 その発表の場にいたはずのアルテシアだが、覚えていないらしい。そばにいるパーバティを見たが、パーバティもわからないようだ。2人ともに苦笑いしつつ、ティアラに目を戻す。

 

「あきれますね。他校はともかく、自分たちの代表くらいは覚えなさい」

「ごめん、ごめん。で、誰だったっけ?」

「もしかして、あたしをからかおうとか、してませんよね? ま、そうじゃないって思っておくわ。ちなみにボーバトンの代表は、フラー・デラクール。ヴィーラの血を引くだけあって、さすがに美女なんだけど、それだけ。魔法の腕はあたしのほうが上です」

「でも、ティアラさんもそうだと思うけど、わたしたちの魔法は少し違うわよ。比較しづらいだろうし、比べても仕方ないんじゃないかな」

「ちがうわ。クローデルが上でないとダメなのよ。あたしは、あたしの魔法に誇りを持ってる。少なくとも、ボーバトンでは誰にもまけてないし、ルミアーナよりも上なはずですっ」

 

 魔法力が、上か下か。ティアラはそのことに、こだわりを持っているようだ。それは、アルテシアと魔法競技で競いたいということからもうかがえる。だがなぜ、とアルテシアは思う。

 

「方法は、わたしが考えます。なにも、対抗試合の場でみんなの注目のなか競い合う必要なんてない。あたしは、あたしの力をあなたにわかってもらえばいいし、あなたの力が判断できればそれでいいんだから」

「どういうことかしら、それって。どういう意味?」

「そんなこと、別にいいじゃないですか。話したくなったら話すわ。その時は、あたしが決める。それより、いまごろは第一の課題が発表されてるころだって思うんですよね」

 

 それはそうだろう。3人は、各校それぞれの代表選手が発表されたところでこの空き教室へと移動したのだ。ゆえにその後、大広間で起こったことをアルテシアたちは知らない。3人の移動後、大きな問題が起こっていることを、まだ知らないのだ。

 

「とにかく、その課題のもとで、あたしとお嬢さんとで同じように競ってもらいます。課題の内容がわかり次第にね。もしくは代表者のすぐあとで、ということでもいい。もちろん、審査員なんていらない」

 

 ティアラが、パーバティを見る。その厳しい目に、パーバティは思わず目をそらす。

 

「審査員なんて、いらない。他人の評価なんて、どうでもいい。どちらの勝ったかなんて、本人が一番よくわかる。そうですよね?」

「え、ええ。でもわたしたちが競い合う必要なんて、ないと思うんだけど。それよりこうして、いろいろ話をしましょう。そのほうがわかり合えるし、近道だと思うわよ」

「なんの、なんの近道だと言うのですか。クローデル家を受け入れてくれるとでも。500年前のこと、なかったことにしてくれるって言うんですか」

 

 500年前? 500年前といえば、グリフィンドール塔に棲むゴーストが処刑された頃へとさかのぼる。そのとき、クリミアーナでは大きな騒動が起きている。そのとき、当時の人たちはみな、ばらばらになったとされている。

 

「500年前って?」

「ごめんなさい、忘れてください。言うつもりなんてなかった。聞かなかったことにして」

「でも、ティアラさん」

「いいんです。とにかく、勝負してさえもらえれば。課題の内容が分かったら、わたしから連絡します。それまでお元気で」

 

 その言葉を残し、ティアラの姿が消える。空き教室から、自分たちの馬車へと移動したのだろう。あの巨大な馬車には、各自の部屋くらいはあるのに違いない。それは、ともかく。

 

「ねぇ、アル。いまの人、ティアラさんだっけ。結局、どういう人なの?」

「クリミアーナの最初のご先祖と一緒にいた人だったと思う。ソフィアもそうだけど、500年前のクリミアーナでの騒動のときから離れてしまったって聞いてるわ」

「ああ、そういえばそんな話、聞いたね。首なしニックが生きてた頃のことだよね」

「うん。その原因とか背景なんかはわたしにはわからない。サー・ニコラスに教えてもらったことくらいしかね。でもあの言い方だと、ティアラさんのクローデル家には、その頃のことが伝わってるみたいだね」

「あたしもそう思うけど、なんでクリミアーナではわからないの? 魔法書とか残ってるんだから、そこに書いてあってもよさそうなもんだけど」

 

 たしかにそうなのだし、アルテシアも、そのことを知りたいとは思っている。だが、こだわるつもりはなかった。大事なのは、過去よりも今。大切なのは、これからなのだ。

 

「でも、勝手なこと言わせてもらうなら、あたしって、とってもラッキーだよね」

「え?」

「だってさ。三校の対抗戦よりもスゴそうな気がする。それを、あたしは見られる、かもしれないんだよね」

 

 冗談で言ってるのだろうが、そのうちのいくらかは本気なのかもしれない。パーバティも、魔女だ。クリミアーナの魔法に興味がないはずはないし、アルテシアが本気で魔法を使うところは見てみたいはずだ。

 

「でも、どうするつもりなんだろう。対抗戦の課題と同じことができればいいけど、準備をするのが大変じゃないかな」

「それは、あたしたちが心配しなくてもいいんじゃないの。あのティアラさんがなんとかするでしょ」

「手伝いとか、したほうがいいのかしら」

「おや、やる気なんだね、アル。でも大丈夫? あの人、なんだか自信たっぷりって感じだったけど」

 

 パーバティの言うとおりだった。ティアラにしても、自信があるからこそ挑戦してきたのだろう。その挑戦を、アルテシアは受けるつもりだった。

 

「大丈夫、わたしは勝つよ。魔法に勝ち負けを持ち込むなんておかしなことだってわかってる。でもこれは、避けては通っちゃいけないことなんだって思う。絶対に負けちゃいけないって気がするんだ」

「どういうこと?」

「さあ? そんな気がするだけだよ。でもここで負けたりしたら、あの人とはもう会えなくなるんじゃないかな」

 

 そんなアルテシアを見ながら、パーバティは思う。アルテシアにそのつもりがあるのなら、どうしても必要になるものがあるのだ。いったいあれをどうするのか。そのことをずっと気にしていたのだが、まさにいまが、そのことを持ち出すいいチャンスではないのか。

 

「そうなると、校長室のにじ色が必要なんじゃないの」

「うん、そうだね。校長が返してくれるまで待つつもりだったけど、そうも言ってられなくなってきたかな」

「ソフィアに頼んでみようか。きっとあいつ、大喜びでやってくれると思うけど」

「いいえ、ソフィアには頼めない。これは、わたしがやる」

「どうして?」

 

 ソフィアには、頼めない。パーバティの言うように、頼めばすぐにも実行してくれるだろう。だが、ソフィアにやらせることはできない。これは自分でやるべきことなのだと、アルテシアは、自分に言い聞かせる。

 

「だって、校長室に忍び込んで無断で物を持ち出すことになるのよ。そんなこと、ソフィアにさせていいはずがない。そんなのは、わたしがやればいいのよ」

「でもさ。そもそも校長が返さないのがおかしいんじゃないの。アルテシアのだってわかってるのに」

「そうだけど、持ち出したりすればすぐにばれる。そのときソフィアが校長先生にとがめられるのは、わたしには耐えられない」

「だったら、同じ物を作って入れ替えておけばいいんじゃないかな。校長はあれがなにかわかってないんだから、気づくはずないと思うよ。アルなら作れるでしょ。うまくやれば、寮の部屋からでもできるんじゃないの」

 

 そんなことまでするつもりなど、アルテシアにはなかった。あれは、自分のものなのだ。だがパーバティの言ったことに、ちょっとだけ心が揺れるアルテシアであった。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアたちが寮に戻ると、大騒ぎとなっていた。なんと、ホグワーツの代表選手は2人だというのだ。その名前を覚えてはいなかったが、ハッフルパフのセドリック・ディゴリーが選出されたところまでは聞いていた。その後のことは、ティアラと話をしていて聞いていない。2人目が選出されたことなど知らなかったのだ。

 アルテシアとパーバティが、顔を見合わせる。2人の目の前では、まるでパーティーのような大騒ぎが、談話室いっぱいに繰り広げられていた。

 

「ポッターが代表選手だって。ならさ、アルがエントリーするっての、アリだったんじゃないの」

「いえいえ、どういたしまして。でもなんでだろ。あそこには近づけなかったはずでしょ。どんな方法使ったのかな」

「やっぱり、興味、あるんだ」

「そりゃ、あるよ。でも、その方法に、だからね。参加したかったとかじゃないから」

 

 それは、本当だろう。そんなアルテシアと同じ思いを持った人は多かったらしく、聞こえてくる声は『どうやったんだ』といったたぐいのものが多かった。そして、それに対するハリーの答えは、これだ。

 

『ぼく、エントリーなんかしてないんだ。本当だ』

 

 ハリーは、そう叫んでいた。何度も何度も、その声がグリフィンドールの談話室に響いた。

 




 ずいぶんと間が開いてしまいましたが、続きの話をどうぞ。
 なかなか、書く時間がとれなくてこんなふうになってしまいました。今回、代表選手が決定されましたが、これは原作どおりですね。もしかすると、アルテシアが代表になる、なんて思ってた人がいるかもしれませんが、そうはせずに別のパターンでの競い合いという形になります。わたしとしては予定どおりなんですが、さて、どうなりますやら。
 ティアラさんとの競い合いのために、どうしてもアルテシアには必要となるものがあります。いよいよ、その奪還作戦開始? となるのかな。


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第65話 「にじ色奪還作戦」

 前回より、ずいぶんとまがあいてしまいましたが、よければ続きを読んでやってください。この先も、年内いっぱいはこんなものだと思います。お仕事、忙しい時期なのです。しかも、衆議院解散するとかしないとか言ってるし。
 物語は、例のあれの奪還作戦です。さて、どうなりますことやら。


 校長室には、マクゴナガルとスネイプがいた。ダンブルドアに呼ばれ校長室に来ているのだが、肝心のダンブルドアは、魔法省や他校の校長先生との話し合いが長引いているらしく、ここにはいない。

 

「ともあれ、待つしかありませんな」

「ええ。紅茶でもいれましょう」

 

 その準備は手慣れたものであり、紅茶の用意はすぐに終わった。それが早すぎたということでもないだろうが、その用意が終わってもダンブルドアは戻って来てはいない。

 

「どう、お考えですかな」

「4人目の代表について、でしょう。どうやって名前を書いた羊皮紙をゴブレットに入れたのかは気になりますが、ともあれハリー・ポッターの出場については認めざるをえないと思いますね」

「同感ですな。選ばれてしまったからには、そうするしかない。だが、どうせならあの娘を参加させてみたかった。ポッターなどよりは、よほど見応えがあったとは思われませんか」

 

 手にしていた紅茶のカップを、ゆっくりとテーブルへと戻す。

 

「わたしは、これでよかったと思っているんです。たしかに、アルテシアならば活躍するでしょう。でも、その後に医務室ではかわいそうですからね」

「なるほど。それはそうと、校長が抱え込んでしまったものがあったなら、少しは事情が変わったりするのですかな」

「ああ、そうですね。あれを返してもらえるようにと、知恵をしぼる必要はあるでしょう」

「そもそもの話、あれが戻ってきた場合とそうでない場合とで、どういうことになるのです? あの娘にも聞いてみましたが、あやつは」

 

 スネイプがそこで言うのをやめたのは、マクゴナガルが静止したからだ。校長室で話すようなことではない、というのがその理由。いくらダンブルドアがいないとはいえ、ここには歴代校長の肖像画という、いくつもの目と耳がある。肖像画に描かれた過去の校長が見聞きしたことは、ダンブルドアに伝わることになると考えるべきなのだ。

 

「ああ、なるほど。ダンブルドアに聞かせるのはまずいということですかな」

「これは、アルテシアの名誉に関わることです」

「たしかに、そのようなことをあの娘も言っておりましたな。だが、ならばなおさらでしょう。このままでは済ませられない」

「もちろんです」

 

 それ以上、マクゴナガルは何も言わなかったし、スネイプも問うようなことはしなかった。ただ静かに紅茶を飲み、ダンブルドアが戻ってくるのを待った。

 

 

  ※

 

 

「ああ、アルテシア。よく来てくれました。このところ三校対抗試合の準備などで忙しかったのですが、今日はじっくり話したいと思っていますよ。時間はありますね?」

「はい。でもマクゴナガル先生、先生は近くにいてくださるだけで」

「いいえ、そういうわけにはいきません。わたしにも、考えがあるのです。いろいろと思い悩みもしましたが、決めました。そのことをあなたに話しておこうと思い、ここへ呼んだのです」

 

 アルテシアは、マクゴナガルの執務室に来ていた。ここに来るのは、もう何度目になるのか。もはや、その回数すらもわからないほどになっている。

 

「まず白状しておきますが、あなたのにじ色の玉をダンブルドアが持っていることは、ずいぶん前から知っていました。それをあなたに言わなかったこと、それについては申し訳ないと思っています」

「ご存じだった、のですか」

「なぜそれを、あなたに伝えなかったのか。いまとなっては言い訳にすらなりませんが、わたしがこの手で、あなたに渡したかったのです。そのとき、あなたの驚く顔が見たかった。嬉しそうなあなたの顔が見られると思ったのです。喜ぶあなたが見られるのだと」

 

 それがマクゴナガルの、偽らざる気持ちであるのかもしれない。だが、なんとなくいつものマクゴナガルらしくない。そんな思いがアルテシアの頭をよぎる。決めたと言うが、いったいなにを決めたのか。

 

「むろん、ダンブルドアとは何度も交渉しました。ですが、いい返事はもらえない。ならば、無断で持ち出すしかないと考えたこともあるのです。ですが、校長室へと入り込みそれを持ち出すことはできませんでした。あなたのものだとわかっているのに、手がだせなかったのです」

「そんなこと、気にしないでください。返さない方が悪いんだってことくらい、誰でもわかることです」

 

 マクゴナガルが、なぜ手出しできなかったのか。その気持ちを、アルテシアはわかると思った。アルテシアもまた、ソフィアやパチル姉妹にあれこれと言われたが、取り戻そうとはしなかった。それと同じようなことなのだと思う。そして改めて、アルテシアは自分に問いかける。あの玉を、いつまでダンブルドアのもとら置いておくのかと。ダンブルドアがあの玉をどう判断するのか、それを聞いてみたいという理由はあるにせよ、そのままにしておいていいのか、と。

 

「ごめんなさいね、アルテシア。あれがどれほど大切なものか、理解はしているつもりなのにほおっておくようなことをしてしまって」

「大丈夫ですよ、先生。なんの問題もないです。必要なときには取り戻すだけ。そのつもりでいますから」

「それを聞いて、ほっとしたのは確かです。ですが、アルテシア。わたしにも、立場というものがあります。副校長であり教師であるからには、それを止めねばなりません。ですがミネルバ・マクゴナガル個人としては、そんなことできない。したくない」

「先生」

「もちろん、悩みましたよ。自分はどちらにあるべきなのか。どちらを優先するべきなのか。学校側に立つべきか、あなたの側にいるべきか」

 

 マクゴナガルの表情を見る限りでは、すでにその結論は出ているようだ。みずからの気持ちの整理がついたからこそ、アルテシアを呼び、こんな話をしているのに違いない。決めた、というのはそのことなのだろう。

 

「言っておきますが、魔法書を読んでいることとは関係ありませんよ。あの本のことがなくても、わたしは同じことを考えたでしょう。なぜなら、あなたの寝顔を思い出したからです」

 

 アルテシアは、何も言わない。言う言葉がみつからないのかもしれないが、マクゴナガルは、かまわずに話を続ける。

 

「あなたは知らないかもしれませんが、わたしとあなたは、ずっと以前に会っていますよ。そのときあなたは、毛布にくるまってすやすやと眠っていました」

「そ、そうでしたか」

「あなたのお母さまがどういうつもりで引き合わせたのか。もうそれを知ることはできませんが、そんなことはどうでもよろしい。肝心なのは、寝顔しか見せてはくれなかったけど、わたしたちは出会っているということです」

「あの、先生」

「いわば、あなたはわたしの娘のようなものです。誰になにを言われようとも、かまいません。わたしはもう、決めました。この件に関しては、ダンブルドアはあきらかに間違っています。ならばわたしがあなたに協力するくらい、許されてもいいはずです」

 

 マクゴナガルにとってのダンブルドアは、ほとんど全てのことで尊敬することのできる、偉大な魔法使いだ。だが少なくとも、この件に限っては間違いを犯している。マクゴナガルは、そう思っている。そう思っているのになぜ、いままで放置していたのか。さまざま思うことはあるが、そんなことは、今さらどうでもいいことだと切って捨てればいい。マクゴナガルは、そう考えていた。

 あの日、マクゴナガルの前で毛布にくるまり、すやすやと眠っていたアルテシア。どうやらそのときの寝顔が、そう決意させたらしい。

 

「でも、先生。ほんとにいいのでしょうか」

「かまいません。先ほどあなたが言ったように、返さない方が悪いのです。この件では、あなたに味方するつもりでいます」

 

 どうしても必要なことなのに、自分にはできない。ならばせめて、それをやろうとする者の邪魔だけはしない。マクゴナガルは、そう言っているのだろう。そう考えたアルテシアは、ゆっくりとうなずいてみせた。

 

「ありがとうございます、先生。もちろん、取り戻したいと思っています。お許しいただけて、嬉しいです。校長先生には気づかれないようにしますので」

「いいえ、むしろ気づかれるくらいがいいのでないかという気もしますけどね」

「でも、騒ぎになるかもしれません。あえてそんなことしなくてもいいんじゃないでしょうか。もしマクゴナガル先生が、わたしに魔法を使ってもよいと言ってくださったなら、いい方法があるにはあるんです」

「そのことはともかく、あなたは14歳を過ぎましたね。どうです? なにか変化を感じますか」

 

 クリミアーナの魔女は、通常13歳から14歳で魔法の力に目覚める。当てはまらない場合もあるが、そんな例がほとんどである。その年齢になれば、魔法力とのバランスもうまくとれるようになり、身体への過度の負担はなくなるとされていた。

 

「すみません、3年生の終わりからずっと魔法は使っていないので、よくわからないんですが」

 

 そう言ったアルテシアを、マクゴナガルがじっと見つめる。3年生の終わりとは、つまりシリウス・ブラックをめぐる騒動に一応の決着がついたときのことになる。そのとき、アルテシアが何をしたのか。マクゴナガルは、そのことを知らなかった。間違いなく何かしたはずだと思ってはいるが、あえて尋ねることはしていないのだ。

 

「では、試してみる必要がありますね。ちょうどいいじゃないですか。いい方法があるのなら、やってみなさい。必要なら、魔法も使ってよろしい」

「で、でも。いま、ここで、ですか」

「そうです。14歳となったことでなにか変わったのか、変わらなかったのか。それを知るためにも、魔法を使ってみる必要はあるのです。機会としては適当だと思いますよ」

 

 こういう話になろうとは、さすがにアルテシアも思っていなかった。そのためか、なにをするでもなく、ただマクゴナガルを見るだけだ。いったい、マクゴナガルはどうしてしまったのか。

 

「なにも気にすることはありませんよ、アルテシア。わたしは、わたしです。思ったようにするだけ。この件に関しては、あなたの判断に任せるのが最善でしょう。そのほうがいい結果を得ることにつながると、そう信じています。いずれにしろ、あれはあなたのもの。本来の持ち主の手に渡るのが一番ですし、ここで自分にはできなかったことをとやかく言うのは、いいことではありません」

「でも先生、ほんとうにいいんでしょうか。魔法を使って取り戻してもいいんですよね」

 

 おそるおそるといった感じで上目づかいに見てくるアルテシアに、マクゴナガルはゆっくりとうなずいてみせた。

 

「もちろんですよ、アルテシア。さまざまに考え抜いての結論です。もう、迷っていられるときは過ぎたのです。いまは、そうすべきとき。マダム・ポンフリーには叱られるかもしれませんが、わたしがちゃんと見ています。ときには割り切ることも必要でしょう」

「でも、先生。先生の目の前で、約束を破ることになってしまいます。処罰に値するようなことだと思いますけど」

「いいのです。責任はわたしにあるのですから、遠慮せず思い切りやりなさい。本当に必要なことであれば約束など気にしなくてよいと、そう言ってあったはずですよ」

「それは、そうなんですけど」

 

 こんなマクゴナガルは、初めてだった。そんな戸惑いが、アルテシアの行動を鈍らせてはいたが、マクゴナガルがやってよいと言っているのだから、やることは決まっていた。

 

 

  ※

 

 

「すまんの。ながらくお待たせしてしまったな」

「いいえ、校長。いろいろと大変なのはわかっておりますよ」

 

 アルテシアとマクゴナガルとが2人で話をしているころ、ようやくダンブルドアが、校長室に戻ってきた。

 

「おや、マクゴナガル先生はどうしたのかね?」

「しばらく待っておられましたが、約束の時間になったとかで。お話は、また後日にお伺いすると言っておりましたな」

「そうかね。まあ、たしかにずいぶんと遅くなってはしまったが」

「どうされますかな。また後日ということでもよいですし、わたしが呼びに行ってもかまいませんが」

 

 テーブルには、紅茶の用意がされていた。されてはいたが、すっかり冷めきってしまっている。なにしろ、マクゴナガルが用意してからずいぶんと時間がたっているのだから仕方のないことだ。

 

「いや、かまわんよ。それよりセブルス、せっかく待っていてもらったのじゃから、キミに状況だけでも説明しておこう」

「そうですか」

「時間がかかったのは、対抗試合の代表者をどうするか、ということでもめたからじゃよ」

「ポッターの参加は認めないと、そういうことですかな」

「そうではない。ゴブレットが選んだ以上、ハリーを含めた4人は選手として参加することになる。じゃが、ボーバトン側からも2人めの代表を認めるようにと要求がでたのじゃよ。これをどうするかで延々と話し合っておったのじゃ」

「なるほど」

 

 そんな要求が出るのは、十分に考えられることだ。各校2人ずつの代表としたほうがより公平であることは間違いないのだから。

 

「マダム・マクシームが言うには、ボーバトンには、非常に優秀な生徒がおるそうでな。代表はフラー・デラクール嬢となったが、ハリー・ポッターが認められるのなら、ティアラ・クローデルというそのお嬢さんも認められてしかるべきだと言うのじゃ」

「しかし、実際に選ばれたのはフラーなる娘でしょう。いまさら代表選手に加えても、結果はみえているのでは」

「まあ、そうかもしれん。じゃがそのティアラ嬢はまだ16歳なのじゃよ。この点でも、つつかれておる」

 

 ゴブレットに名前を入れなかったのは、17歳になっていなかったから。ハリー・ポッターは、その年齢制限にも引っかかっているのだ。ならばティアラも認めよと、そういう主張なのだ。もっともなことではあるだろう。だがそれを、認めるかどうかはまた別の問題。ゴブレットの炎が消えてしまった今となっては、追加での参加など認められるはずがない。

 

「そういったことは、時間はかかるにせよ話し合えば解決することができる。それはよいが、気になるのはハリーが自分でゴブレットに名前を入れてはおるまいということじゃ」

「どうしてそう思われるのです? ハリー・ポッターは、しょっちゅう規則破りをしておりますぞ。今回もそうだとは思われませんか」

「いや、さすがに年齢線をごまかすようなことができようとは思わんよ。誰かが、ハリーの名前を入れたとみるべきじゃろう」

 

 やりたくてもできないはずだと、ダンブルドアはそう言うのだ。では誰が、なんのために? 問題となるのは、当然、そのこと。

 

「いまさら、それを調べることもできんが、とにかくいろいろ、注意をせねばの」

「誰かがポッターを狙っている、ということになりますか」

「そういうことになるじゃろう。じゃが、何のために? その目的がよくわからん。様子を見るしかないが、あれをごまかしてハリーの名前をいれるには、かなりの魔力が必要となる」

「イゴール・カルカロフ。あやつは、どうです? かつての死喰い人ですが」

「ふむ。じゃが、ハリーの名をいれる理由がないじゃろ。自分の学校に有利になるわけではないのじゃからな」

 

 かつて死喰い人であったのは、スネイプも同じだ。ならば、スネイプにも可能だったのではないか。だがダンブルドアは、そのことに触れようとはしないようだ。

 

「誰がやったかはともかく、裏にヴォルデモート卿がいることは疑いがないのう。その指示を受けてのことじゃろう。そうは思わんかね?」

「さあ、わたしにはとんと。なれど校長。闇の帝王のことはともかく、あの娘であれば同じことができたと思われますかな」

「あのお嬢さんのことかね。そうじゃの、できそうな気がするな。あの子の魔法は、実におもしろい。とても興味深いものじゃ」

「闇の魔法については、どうお考えなのです? あの魔法は闇の魔法であり、あの娘は、闇の側だと思っておいでなのですか」

 

 それには、ダンブルドアはすぐには返事を返してこなかった。冷め切った紅茶をカップに注ぎ、それを飲む。

 

「ご存じですかな、校長。あの娘は、その冷めた紅茶を温めなおすことができますぞ」

「それは、さほど難しいことでもあるまい。ともあれあの娘を、ヴォルデモート卿の側へとやるわけにはいかん。そのためにマクゴナガル先生を付けてあるのじゃ」

 

 スネイプが笑みを浮かべた。ほんのわずか、ニヤッとした程度のものだったが、はたしてダンブルドアは気づいたか。そしてスネイプは、なにを思ったのか。

 

「そういうことであれば、校長。あの娘に嫌われるようなことをしないほうがよいのではないですかな」

「嫌われるじゃと。さて、そんなことをしたかの。ま、あまり話をする機会を持てていないのはたしかじゃが」

「あの玉を、返してやればいいと申し上げているのです。いつまでも取り上げたままだと嫌われますぞ」

 

 そのとき、ダンブルドアは思い出した。あのにじ色の玉を持っていたホグズミードの女性が、まさに同じことを言っていた。『嫌われますよ』と。

 

 

  ※

 

 

「まだアイデアだけで、試してみるのはこれが初めてです。まずはにじ色の玉をつくります」

 

 言いながら、左手をマクゴナガルのまえへと差し出し、軽く握られたその手を開いてみせる。何も持ってはいなかったはずのその手に、その手のひらの上に、見覚えのあるにじ色の玉があった。それがそこにあることに、マクゴナガルも少なからず驚いたようだ。杖はもちろんのこと、呪文を唱えたようすすらなかったのだ。

 

「これを、校長室にあるものと入れ替えるんです。うまくいけば、校長先生は気づかない、かもしれません」

「ああ、なるほど。つまり替え玉というわけですね。ですが、問題がありますよ」

「え?」

「あれが、校長室のどこにあるのかわからない、ということです。もしかすると、すでに校長室にはないかもしれない」

「その可能性も考えましたが、保管しておくところなんて、ほかには思いつきません。校長室が一番確実だと思いますけど」

 

 その安全確実の場所から、アルテシアはにじ色の玉を取り戻そうというのだ。ともあれマクゴナガルの言うことはもっともで、その場所が正確にわからない限り、入れ替えることはできない。

 

「保管場所は、これから調べます。そうですね、このテーブルの上に映し出してみますので、先生も見てくださいますか」

「映し出す? まさか」

 

 そのまさか、であったらしい。見覚えのある校長室が、テーブルの上に展開されていく。それは、不思議な光景だった。机や棚などの調度品はもちろん、壁の肖像画までもが映し出される。これはもちろん、校長室での光を、テーブル上へも中継しているからだ。

 

「これは…… なるほど、こうやって隅々まで調べようというのですね」

「はい。それなりに時間もかかるでしょうけど、見つけることさえできれば」

 

 校長室では、ダンブルドアとスネイプとが話をしているらしい。声は聞こえないが、その2人の姿がある。誰もいない方が望ましいが、いたとしても、なんら問題はない。

 テーブルの上には、ダンブルドアの机が映し出されている。しかも、単に拡大しているだけではない。それは机自体のなか、すなわち引き出しなどの内部にまで及ぶことになる。だが開けられていない引き出しの中は暗く、その中をはっきりと見ることはできない。

 

「明かりが必要ですね。やはり、実際に開けないことには」

「大丈夫ですよ。ここから明かりを送り込んでやればいいんです。やったことはないんですけど、重ねてできると思うんですよね」

 

 いったい、どうやっているのか。アルテシアがそう言った瞬間、引き出しの中が光で満たされ、はっきりと見えた。まるで、すぐそこにあるかのように。

 

「しかし、ここまでやって、つらくはないですか? 身体への負担はどうです?」

「いまのところは、平気です」

「そう、それはよかったこと」

 

 そこに、14歳を過ぎたことの影響があるのかどうか。それはまだ、わからない。この程度の魔法使用なら、以前にも何度か経験がある。問題はこの先だ。この先、どこまで継続し続けることができるのか。

 自分の執務室にあるいつもの椅子にすわったままで、ダンブルドアの机を、その引き出しの内部まですべて確認しおえたマクゴナガル。はたして、マクゴナガルはどう思っているのか。ちなみに、例の玉は見つかっていない。

 

「次は、棚の方をみてみます」

「いえ、そこにはいろいろな物が置いてはありますが、違うでしょう。ひと目に触れやすい場所ですからね」

「なるほど、そうですね。でも一応、確かめてみます」

 

 もちろん、そのほうがいい。マクゴナガルも、それは否定しなかった。見落としがないように、じっくりと見ていく。アルテシアが初めて見るような物も置いてあったが、目的はそれではない。にじ色の玉は、みつからない。

 

「やっぱり、ありませんでしたね」

「おそらくは、奧のほうだと思いますね。脇の階段から行くんです。壁面の本棚も怪しいと言えば怪しいのですけどね」

 

 机の後ろ側の壁は、本棚になっている。ゆるい登りの階段が左右の両側にあり、その階段を上り下りすることで、本棚の本を取り出すのだ。左右両側から続く階段は、机のちょうど真後ろでつながっており、そこには中二階のようなスペースがある。下からは、そこに置かれた肘掛けのついた椅子の背もたれのあたりがちらりと見えるだけだが、もちろんその椅子に座って本が読めるだけの広さはあるので、見えないところには、なにか収納庫のようなものがあるかもしれない。

 さすがのマクゴナガルも、その階段を上ったことはなかったのだ。

 

「このうえですか」

「そう、この上は本棚だけではありません。そこに、収納庫のようなものがあってもおかしくはないでしょう。ちゃんとみたことはないので、はっきりとは言えませんけどね」

「では、階段を上ります」

 

 テーブルの上の映像が、少しずつ階段へと近づいていく。壁面の本棚には、さすがに多くの本が詰まっていたが、その数はクリミアーナ家の書斎ほどではないようだ。

 

「本棚は、どうしましょうか。本の後ろに隠してあるかもしれないですよね」

「それはあとですね。まずは階段の上からにしましょう」

「はい」

 

 その階段の上には、椅子だけではなく、小さな脇机のようなものが置かれていた。もちろん、その上に本などを置くためのものだろうが、扉がついている。なかに物が入れておけるようになっているようだ。アルテシアの見せる映像が、そのなかを映し出していく。だが、さほど物は入っていなかった。なにかはわからないが、書類の束がいくつかあるだけ。にじ色の玉はないようだ。

 

「では、やはり本棚のなかですね。どれかの本の後ろに隠してあるのでしょう。あるいはもう校長室にはないのかも」

 

 マクゴナガルはそう言ったが、映像は、小さなテーブルのなかから動かなかった。いくつかの書類が置かれた場所がクローズアップされ、大きく映し出される。

 

「こ、これは」

「ここに、なにかあります」

 

 アルテシアに指摘されるまでもなく、マクゴナガルは映し出された映像に釘付けとなった。書類の束は大きく2つに分けられている。片方にはハリー・ポッターの名前が記されており、もう片方はアルテシアの名があった。どちらも、一番上の紙には名前だけしか記されていないが、はたしてその下の2枚目以降には何が記されているのか。

 

「おそらくは、あなたたちについて記録したものでしょう。むろん、その内容に興味はありますが」

 

 アルテシアが指摘したのは、その書類でのことではなかった。ハリーの側とアルテシアの側、その量はどちらかといえばハリーのほうが多いようだが、アルテシアのほうだけその中心部がわずかにへこんでいる。そこになにか、重しとなるような物がおいてでもあるかのように。アルテシアは、そのことを言っているのだ。

 

「なるほど、たしかに」

「たぶんこれ、にじ色ですよ。さすがは校長先生ですね。見えなくしてあるんだと思います」

「おらそく、そうでしょう。あの人は、魔法で自分自身を透明にすることができますから、同じことをしているのでしょう」

 

 ようやく、見つけた。そういうことにはなるが、これでは単に入れ替えただけでは気づかれてしまうことになる。そうしないためには、アルテシアの作り出した替え玉のほうにも同じ魔法をかけ、透明にする必要がある。

 

「先生、先生はこの魔法と同じことができますか?」

「すぐにはムリです。どうやって透明化しているのか、調べてみないと」

「ですか。じゃあ、どうしよう」

 

 アルテシアは、左手で頬杖をしつつ、中指でこめかみのあたりを押さえている。どうするべきか、それを考えているようにも見えたが、マクゴナガルは、別のことを思った。

 

「あなた、まさか頭が痛い、のですか」

「たいしたことないです。あ、でも… あぁっ」

 

 思わず、顔をゆがめる。一瞬だが、するどい痛みが走ったのだ。そしてこの痛みによりわかったことは、14歳を過ぎても、これから普通に魔法が使える、ということにはならなかったということだ。つまりはどうしても、いわば目の前にあるあの玉が必要、ということになる。

 

「止めるのです、アルテシア。場所はわかったのですから、また後日ということにすればよろしい」

「そうですけど、でも、そこにあるのに」

「いいから、止めるんです。言うことを聞きなさい。また医務室で過ごすことに」

 

 なぜかそこで、マクゴナガルは言うのをやめた。マクゴナガルの目の前では、アルテシアがその手ににじ色の玉を持ったまま、気を失ったからだ。

 




 今月中にもう1話、書きたい。本人はそう思っていますが、さてどうなりますか。年が明ければ、従来のペースに戻れるだろうと思ってます。それまでお見捨てなきようお願いしたいです。
 では、また。


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第66話 「寮に戻って」

 また、しばらく間があいてしまいましたが、お話は盛り上がっていくところとなっています。時間さえあれば、いくらでも続きを、ってところですが、いまはお仕事、忙しいのです。結局、選挙になっちゃったし。
 ともあれ、続きをどうぞ。


「どういうことなの、倒れたって聞いたけど。なにをやってるの? 自分の体のこととか、ちゃんと気をつけてるんでしょうね?」

「ああ、ティアラさん。お見舞いに来てくれたんだね。ありがとう、心配かけてごめんね」

「それで、どこが悪いんです? まさか、あなたまでおかしな病気にかかってるんじゃないでしょうね」

 

 それは母のマーニャのことを言っているのだろうと、アルテシアは思った。アルテシアはクローデル家のことなど知らずに育ってきたが、クローデル家のほうでは、そんなことはないようだ。おそらくクリミアーナ家のことは、なにもかも知っているのだろうとアルテシアは思う。だがそれは、関心があるからだ。だからこそ、こうしてお見舞いにも来てくれるのだ。

 ティアラが、その場にいたパチル姉妹とソフィアをにらみつけるように見ている。その少し後ろには、マダム・ポンフリーの姿もあった。ここは医務室なのだ。

 

「それで、あなたたちは、なにをしてたの? まさかこの人に、なにか無茶なことをやらせてるんじゃないでしょうね。それで倒れちゃったとか、もしそんなことだったら承知しないわよ」

 

 アルテシアが医務室のベッドに寝かされてから、すでに5日が過ぎている。つい先ほどマダム・ポンフリーの診察を受け、すっかり元気になったようだと言ってもらったところでもある。そんなときになってからティアラが、文字どおり医務室に駆け込んできたのは、それまでこの情報を知らなかったから。アルテシアは代表選手でもなんでもないのだから、たとえ医務室の世話になったとしても、それがボーバトンの馬車にまで連絡されるようなことはないのだ。

 

「心配ないわよ、ボーバトンのお嬢さん。この人は、もう大丈夫。明日には寮に戻っていいと、ついさっき言ったところだから」

「そうですか。それであなたは?」

「ホグワーツの校医として、この人がまったくの健康体であることは保証しますよ」

「わかりました。わたしは、ティアラ。教えてくださってありがとうございます。そのついでと言っては失礼ですけど、あとでお時間もらえます? いろいろお聞きしたいことがあるんですけど」

「え? ええ、それはかまわないけど」

 

 そうは言ったものの、とまどいもあったのだろう。マダム・ポンフリーが、そこにいる全員を見回していく。その視線に応えたのは、アルテシアだった。

 

「わたしが何度も、医務室のお世話になっていることは言わないでくださいね」

 

 それをティアラの前で言ってしまってよいのか。誰もがそう思ったかもしれないが、それを口に出したのはパーバティだった。

 

「アル、それをこの人の前で言っちゃったら、意味ないんじゃないの」

「そうかな。そんなことないよね、ティアラさん」

「おあいにくだけど、そっちの人の言うとおり。それより、何度も医務室ってどういうことなの? 自分の立場がわかってるのか疑いたくなるわ。もしあなたになにかあったら、どうなると思ってるの?」

 

 クリミアーナ家はいま、アルテシアが1人いるだけだ。そのアルテシアにもしものことがあったなら、クリミアーナ家直系の魔女はいなくなる。ティアラが言いたいのは、おそらくはそのことだろう。魔法については、ソフィアのルミアーナ家にも伝わっているし、おそらくはティアラのクローデル家も同じであるはずだ。もちろん程度の差はあるかもしれないが、クリミアーナ家だけのものではないはずなのだ。それともなにか、他に意味でもあるのだろうか。

 

「いちおう聞くけど、クローデル。もしなにかあったら、どうなるの?」

「へぇ、あなたがそんなこと言うなんて意外だわ。知らないふりは似合わないわよ、ルミアーナ」

「待って、あなたたち。さすがに、目の前でそんな話をされるのはイヤだわ。わたしになにかあるって? 心配かけて申し訳ないとは思うけど、なにもないわよ。クリミアーナの歴史は終わらないし、終わらせたりしない」

 

 そんなアルテシアにティアラは微笑んでみせたが、ソフィアのほうは、うつむいてしまう。言わなければよかった、あるいは言い過ぎた、とでも思ったのかもしれない。

 

「まあまあ、皆さん。たしかにそんな話は、お若いあなたたちには不似合いですよ。もっと楽しい話をしなさい。たとえば、そうね、対抗試合の課題を予想する、なんてのが学校内ではやっているようだけど」

「ああ、それは楽しみですね。いったいどんな課題になるのやら、早く知りたいものです」

 

 その同じ課題で、アルテシアとティアラは競い合うことになっている。いち早く知ることができれば、準備もできるし、有利にはなるだろう。ティアラが、じっとアルテシアの顔を見ている。つかのま、誰も何も言わない時間が訪れる。そして。

 

「見たところ、お元気そうね。いいことだわ。最初の課題は勇気を試すものらしいから、元気いっぱいでいてもらわないと」

「それって、対抗戦のこと? そんなことわかってるの? 予想じゃなくて?」

「ええ。『未知なるものに遭遇したときの勇気は、魔法使いにとって非常に重要な資質』なのだそうです。それを試すってことですね。クリミアーナ家を出てホグワーツに入学するくらいの勇気があるんだから、楽勝でしょ?」

「さあ、どうだろう。でも、とにかくあなたには勝たないと。あなたに負けてはいけないって、なぜだかそう思うんだよね」

「おやおや、そうですか。ふーん。ま、そうなるといいですね。でもわたしだって、負けるつもりなんてないから」

 

 その理由が、ティアラは気にならないのだろうか。軽く笑ってその言葉を聞き流すと、ソフィアに眼をむけた。ソフィアも、その眼を見つめ返す。

 

「クローデル、わたしはもちろん、アルテシアさまを応援するわよ。それで、なんの問題もないわよね?」

 

 だがティアラは、すぐには返事をせず、少しだけ首をかしげて考えるようなそぶりをみせた。そのためもあるのか、パーバティがその返事を待たずにたたみかける。

 

「あたしは、パーバティ・パチル。この前は名前を言わなかったと思うけど、アルテシアとは友だちだから、あたしもアルを応援するよ。かまわないわよね」

「アル? へぇ、それってこの人のことだよね。そんな呼び方する人がいるんだ。ねぇルミアーナ、あなたも、そう呼んでるの?」

 

 だがソフィアは、それには答えない。じっとティアラを見ているだけ。その眼は、返事を待っているのは自分だと、そう主張しているかのようだ。

 

「まあ、いいわ。そんな呼び方、あなたにできるはずがないものね。ま、あたしもそうだけどさ」

「返事を、まだ聞いてないよクローデル。問題、ないよね?」

「おあいにく。問題あるに決まってるでしょう。いまは、あなたが知らないってことで納得しておくけど、手出しは無用。こっちの魔法族と一緒に応援するだけ、にしておきなさい。あらあら、納得いかないって顔してるけど、それなら昔のことでもよーく思い出してみるのね」

「待って、ティアラさん。それってまさか、500年前のことを言ってるの? そのときのこと、なにか知ってるの?」

 

 その顔を、どう表現したものか。驚きととまどい、どこか不安げにも見える。そのティアラが、いったんソフィアを見てから、改めてアルテシアを見る。

 

「まさか、覚えてるんですか。クリミアーナでは、当時のご当主があえてそのことを封印なさったって聞いてます。そのときの記憶は失われたはずなのに」

「わたしが知ってるのは、その当時に生きてた人から教えてもらったことだけよ。その人が見聞きしたことを聞いただけなんだけど」

「そのときに生きてた人?」

 

 それは、ホグワーツに棲むゴーストのことだ。つまりが、ほとんど首なしニックのこと。アルテシアは、そのニックからなにかしら、当時のことを聞いているのだ。その当時、クリミアーナでは大きな騒動が起こり、その結果として、クリミアーナは分裂したような形となっている。

 

「ゴーストのことだよ。それよりあなた、ティアラさんだっけ。その頃のことでなにか知ってるのなら、話してくれない?」

「え?」

「なぜ争いごとなんかが起こったのか、そのときなにがあったのか、もっと詳しいことが知りたいのよ」

「詳しく、といってもね。それを魔法族に話しても理解できないだろうし、あなたたちが知っても、意味ないんじゃないかな」

「とにかくさ、どんなことでも教えてほしい」

「悪いけど、断るわ。でもそれじゃ、愛想なさすぎか。そうね、万が一にでもこの人が、あたしに勝つようなことがあったら、そのときは知ってることを話すってことでどう? ま、ムリに決まってるけど、どちらにしろすべてはこれからよ。とにかく、競い合いはわたしが勝つ。負けるはずがない」

 

 こうして強気なことを言い、パーバティの口を封じようとした、あるいは他の言葉を引き出し、話題を変えようとしたのかもしれない。パチル姉妹は、何も言わずにティアラを見ているだけだった。アルテシアがなにか言おうとしたが、マダム・ポンフリーが間に入ってくる。

 

「競い合いといえば、ハリー・ポッターが選手として出場するそうね。ボーバトンのお嬢さんはともかくとして、あなたたちは応援しなきゃね。同じグリフィンドールだし、同じ学年だし、同じ…」

 

 まずはティアラ、そしてパーバティにパドマ、次にソフィアを見ての言葉だ。だがマダム・ポンフリーは、ソフィアについては適当なことが思いつかなかったのだろう。ソフィアは1年下だし、寮はスリザリン。もちろん性別も違うし、友だちであるとも思えない。パドマが、すぐに言葉を続けた。

 

「そうなんですよね。でもハリー・ポッターは、自分ではゴブレットに名前を入れてないって言ってるみたい。どういうことなんだろう」

「そんなの、簡単でしょ。でもま、いいわ。わたしはこれで失礼するけど、最初の課題がわかったらまた来るわ」

 

 ティアラはアルテシアを、アルテシアはティアラを、互いにじっと相手を見ていた。競い合いのときは、もうすぐだ。

 

 

  ※

 

 

 ようやく医務室から解放され、談話室へと戻ってきたアルテシアだが、なにかと賑やかなその談話室にパーバティの姿を見つけることはできなかった。パーバティはどこに行ったのか。てっきり医務室に迎えに来てくれるものと思っていたアルテシアだったが、そのあてが外れたうえに、談話室に戻っても出迎えてはくれなかったのである。

 これは、少なからずアルテシアの動揺を誘った。そんなことぐらいで、と思えるようなことには違いないのだが、アルテシアにとっては大きな問題なのである。会えるはずだった、少なくとも会えると思っていたのに、いるはずの場所にいないのだ。それが、アルテシアに不安を与える。

 もちろん、いなくなったわけではない。学校内のどこかにはいるのであり、そのうち談話室に戻ってくるだろう。顔も見られるし、話もできる。アルテシアも、それくらいわかってはいるのだ。

 アルテシアは、あらためて談話室のなかを見回していく。お目当ての人の姿はないが、暖炉のある場所近くに、ハーマイオニーがいた。ハリーとなにか話をしている。そこに行こうか、と足を動かしかけたが、すぐにその足が止まる。それも仕方がないかな、とアルテシアは思う。ハーマイオニーとは、シリウス・ブラック救助のとき以来話をしていないのだ。ハリーとも似たようなものだし、あのときのことを思えば、足が止まるのも納得できる気がするのだ。

 後ろに、人の気配。談話室の出入り口から誰がが入ってきたのだ。すぐに、振り向く。

 

「あら、アルテシア。ここにいるってことは、元気になったんだね」

「あ、うん。いま戻ってきたところ。なんだかすごく、にぎやかだね」

 

 ラベンダー・ブラウンだった。寮では同室だし、もちろん何度も話したことのある相手だ。どちらかといえば、ラベンダーはパーバティと仲がいい。アルテシアとは、パーバティを通して、といった感じだろうか。それでもアルテシアは、知ってる相手に話しかけられ、ずいぶんと気持ちが落ち着いたようだ。その顔を見ていれば、スネイプでなくともそのことが読みとれるだろう。

 

「あんたは、ずっと医務室だったから知らないかもね。いまのあの人たちの話題は、いかにしてポッターが、ダンブルドアの年齢線を越えて代表にエントリーしたか、よ。ハリーはそんなことしてないって言い張ってるんだけど、どう思う?」

「え? そうなの。でも、ちゃんと正式に代表に選ばれたって聞いたよ」

「そうだよ。だからみんな、うかれて大騒ぎしてるの。このところ毎日、あんな調子だよ」

 

 それはそれで、みんな楽しそうだ。アルテシアはそう思ったのだが、もし本当に自分がなんにもしていなくて、知らないところでエントリーされて選手になったんだとしたら。いったいハリーは、どういう気持ちだろう。

 あの年齢線は、校長先生が参加者制限のために引いたもの。つまり、簡単に突破できるようなものじゃないはずだ。アルテシアは、なおも考える。もちろん自分ならば、簡単だ。でもあの魔法は、誰にでもできるものではないはず。だとすれば、別の方法で突破したことになる。はたしてそれを、ハリー・ポッターができたのかどうか。

 ハリーは、自分じゃないと言っているらしい。ならば、別の誰かがやったことになるが、それは誰? 理由は?

 

「おーい、アルテシア。話、聞いてる?」

「あ、え? ええと」

 

 目の前で、ヒラヒラと振られる手。ラベンダーの手だ。

 

「あはは、ほんとだね。パーバティが言ってた。アルはときどき、いなくなるってさ」

「え?」

「いまさ、どっか行ってたでしょ。べつにいいけど、そんなとこ行くより部屋に戻ってベッドに横になってたほうがいいと思うよ。考え事するんなら、それからにすれば。ほら、あたしも一緒に行ったげるから」

「う、うん。ありがとう」

 

 それは、そうだ。マダム・ポンフリーから寮に戻ることを許されたとはいえ、体調不良の原因が解消されたわけではない。さすがに手を引かれて、ということにはならないが、ラベンダーの後をついていく。こうしてラベンダーと2人だけ、というのはもしかすると初めてかもしれない、とアルテシアは思った。いつもは、パーバティがいるからだ。

 

「気分はどうなの? 頭は痛くないの?」

「ありがとう、大丈夫よ」

「ま、そりゃそうだよね。大丈夫だから、マダム・ポンフリーも寮に戻してくれたんだろうしね」

「心配かけてごめん」

「いいって、気にしないで。同じ部屋のよしみってやつだよ。少し寝たら? 夕食の時間になったら呼びに来るよ」

 

 ラベンダーが部屋を出て行き、1人になったアルテシアは、自分のベッドに腰かける。さすがに眠くはなかったが、ラベンダーに言われたように、横になる。そして、考える。

 ラベンダーが心配してくれたことが、なんだか嬉しかった。そして同時に、申し訳なくも思う。心配ばかりかけているようでは、ダメなのだ。もっとしっかりしないと。

 それはともかく、気になることがある。ハリーが自分でエントリーしてないというのなら、誰かがハリーの名前をゴブレットに入れたということになる。ハリーを強引に参加させる理由は、いったいなんだろう。

 三大魔法学校対抗戦は、これまでに出場者に死者が出たこともあるほどの厳しい競技であるらしい。では、そこにハリーを参加させ、死なぬまでもケガでもさせようということなのか。ハリーは、まだ参加資格もない4年生だ。競技では、かなり苦労するだろう。

 

(でも、それだけじゃない気がする)

 

 大けが、あるいは死亡ということまで想定されているのだとしたら。

 アルテシアが思い出したのは、クィレル先生のこと。あのクィレル先生に取りついていた、ヴォルデモート卿のことだ。ハリーの両親は、そのヴォルデモート卿に殺されている。ムーディ先生が授業で見せてくれた『アバダ・ケダブラ(Avada Kedavra:死の呪い)」によって、ハリー自身も殺されるところだったらしい。

 ハリー殺害に失敗したヴォルデモートは、みずからの肉体も失い、いわば魂だけのような存在となってしまっている。アルテシアは実際にそれを見ているし、魔法力のこともある。ヴォルデモートは、その魔法力を回復させるために魔法書を、生命力を回復させるために賢者の石を、それぞれ手に入れようとしていたのだ。

 アルテシアは、そう理解していた。

 

(その人が、復活しようとしてるのかな。そのために必要なこと? なにか関係あるんだろうか)

 

 アルテシアのひとり言が、寮の部屋にこだまする。誰もいないからか、そのひとり言は妙に室内に響いた。

 かつて、魔法界を恐怖と混乱とに染め上げたヴォルデモートであれば、ダンブルドアの年齢線を越えることは可能なんだろうか。ハリーの名前を入れた人がいるのだから、方法はあるはずなのだ。そもそも、あの年齢線をごまかすのに、どんな方法があるのか。どれくらいの魔法力があれば、それが可能になるのだろうか。

 そんなことを思ううち、ふと、スネイプの顔がアルテシアの頭の中に浮かんだ。

 

(スネイプ先生なら、できるのかな)

 

 聞いてみようと思った。ホグワーツの生徒レベルの魔法力で可能なのかどうか。どんな人なら、それができるのか。それがヴォルデモートだという可能性はあるのか。ヴォルデモートはいま、どこでどうしているのか。

 

(だってわたし、その人の会わなきゃいけないんだ)

 

 もちろん、単に会うだけではすまない。ルミアーナ家との関わりや魔法書についてなど、クリミアーナの魔女として、きちんと決着をつける必要がある。すでに死んでしまっているのなら仕方がないが、もしそうでないのなら。

 それに、ハリーのことがある。ハリーがヴォルデモートの『死の呪い』から生き残ったのは、生き残ることができたのには、なにか理由があるはず。それを、聞いてみたいのだ。ヴォルデモート以外に、それを聞くことのできる相手は、いない。

 

(だってハリーは、赤ちゃんだったんだもの。知ってるはずないよね)

 

 アルテシアには、仮説がある。母マーニャの保護魔法だ。マーニャがハリーの母親と、親友と表現する人がいるほどに親しかったのであるのなら、それは十分に考えられる。あの魔法がポッター家に伝えられ、ハリーのまわりにかけられていたのだとするなら、それが可能だったのではないか。

 

(だとしたら、わたしは)

 

 声として発せられたのは、それまで。続きはあっただろうが、そのあとはアルテシアの思いのなかにとどまることになった。目を閉じていたアルテシアが、眠りにおちてしまったからである。

 

 

  ※

 

 

 いまから、およそ500年前。当時のクリミアーナでは、最初で最後とでも言うべき大きな騒動が起こっている。そのときのクリミアーナ家当主の名は、アティシア。当時としては、すでに結婚し子どもがいてもおかしくはないくらいの年齢ではあったらしい。だがまだ独身であり、それらしい相手もいなかった。そのことが騒動の発端となったのではないか、と言ったのは、現在はホグワーツのグリフィンドール塔に棲むゴースト、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントンである。

 だがその言葉が示すように、彼もそのすべてを正確に記憶しているわけではない。当然、自身が見聞きしたことだけに限られるし、記憶違いもあるかもしれない。だが何も知らないアルテシアにとって、貴重な情報となったのは間違いない。

 ホグワーツでは“首なしニック”の呼び名で知られているニコラスだが、その当時には生きており、クリミアーナ家を何度か訪れたことがある。アティシアとも、それなりに親しくしていたようだ。

 

『わたしが覚えていることは、もちろんお話させていただきますよ。ええ、いろいろ覚えていますとも』

 

 いつだったか、当時のことをアルテシアに尋ねられたニコラスは、笑顔でそう答えた。そのニコラスによれば、なにかとアティシアと対立していた人たちがいたとのこと。もちろんアティシアの側に立つ人たちもいたが、両者の対立は、ニコラスがクリミアーナ家を訪れるたびにひどくなっていくといった印象であったようだ。

 

『なにか、起こりそうだと。ええ、そんな感じはありましたねぇ。あのとき姫さまがご決断されなければ、さて、どうなっていたでしょうか。ええ、その意味からも、姫さまのあの決断を、わたくし、支持できるんですよ』

 

 アルテシアは、その当時のことに関しては、何も知らなかった。当時のこと、それらに関することの全てを、アティシアが封印してしまったからである。その記憶の一切を封じ込め、隔離してしまえば、誰も知ることができなくなる。そうすることで、この騒動をなかったことにしようとしたのである。果たして周囲の人たちは、どう思っていたのか。何を考え、どう行動したのか。アティシア自身は、このことをどう考えていたのか。

 アルテシアは、何も知らない。それらのことを、アルテシアは知らないのだ。仮にアルテシアがホグワーツへ入学しなかったら、ニコラスに会わなかったなら、秘密の部屋をめぐる出来事を経験しなかったとしたら。

 アルテシアは、何も知ることがなかっただろう。そしてアティシアの思惑どおり、この出来事はなかったことになっていたのか。だがたとえニコラスの見聞きしたことだけではあるにせよ、この出来事は、アルテシアのなかで、部分的ではあるにせよ、補完されていくことになったのだ。

 

 

  ※

 

 

「わかった、話してくれてありがと。そうかぁ、クローデル家って、そういう家なのか」

「けどアルは言ってたよ。今度の勝負が終わったら、きっとあの人とも仲良くなれるって。そんなことが起きる前は平和だったんでしょ。そうなれるってことじゃないの。クローデルの人たちだって、そう思ってるんじゃないのかな」

 

 パーバティとパドマの、パチル姉妹の声。ソフィアの姿もある。アルテシアがようやく医務室から解放され、グリフィンドール塔へと戻ってきたとき、3人はこの空き教室へと入り込み、話し込んでいたのである。ちょうどソフィアが、自分の知るクローデル家のことを話し終えたところ。ちなみにそのことは、アルテシアも知っている。アルテシアをルミアーナ家に招待したとき、わかっていることは話してあったのだ。

 

「そうかもしれません。でも、クローデルですからね。正直に言わせてもらうなら、このままボーバトンに帰ってほしいんです。きっと、そのほうがいいんです」

「でもさ、なぜクローデルはそんなことを? クリミアーナ家とはずっと仲良くしてきたんでしょ。それって、あたしたちで言えばさ、今日になって突然、パドマがパンジー・パーキンソンになっちゃうようなもんでしょ」

「ちょっと、そんなたとえは納得できないわ。どうしてわたしがパンジーなの?」

「まあまあ、でもそういうことでしょう。どうしてクローデル家は、そんな反乱みたいなことしたの?」

 

 実際には、その反乱はあっという間に終わったらしい。その実力行使を封じ込めたのは、クリミアーナ家にかけられた保護魔法であり、その当主アティシアであったようだ。つまりが、実際に攻め込んではみたものの思うようにはいかなかった、ということになる。保護魔法によって阻まれたこともあるし、いざアティシアを目の前にしたとき、さすがに手出しができなかったという状況であったらしい。

 

「クローデルが何を考えていたのかなんて、さすがにわかりませんよ。ティアラさんは知ってるかもしれないけど、結局はクリミアーナを自分のものにしようとしたんだって、つまり、そういうことだと思うんですけど」

「まあ、あんたは首なしニックみたいに、その頃に生きてたわけじゃないもんね」

「でも、そのわりにはよく知ってるよね。それって、やっぱり魔法書のおかげなの?」

 

 もちろん、程度の違いや認識のズレはあるだろうが、パチル姉妹やマクゴナガルなどの一部教授陣のあいだでは、魔法書のことは知られている。知られてはいるが、その本質をしっかりと理解しているのは、やはりアルテシアをはじめとした、実際にそれを読んでいる人たちということになる。もちろんソフィアも、その1人だ。

 

「まあ、そうなりますかね。そこらへんは魔法書に残されることになるっていうか、それが魔法書ってことですから」

「ね、思ったんだけど、あんたやティアラって人が500年前のこと知ってるのはわかるよ。あんたら、魔法書読んでるからね。でもアルテシアだってそうなのに、なぜそのこと知らないの? アルテシアは、グリフィンドールのゴーストから聞いたことしか知らないよね?」

「それは、さっきも言いましたけど、そのころのクリミアーナ家の人がその記憶を封印しちゃったからですよ」

「そこよ、あたしが思ったのは、そこ」

「なんなの、パドマ?」

 

 パドマは、何に気がついたのか。いやむしろ、なぜ姉のパーバティやソフィアは気づかないのか、そのほうこそ、パドマは指摘したいところだろう。

 

「いい、2人とも。ダンブルドアが返してくれないものって、なに? そのこと考えたら、なにか気づきそうなもんだと思うけど」

「それって、アルテシアの魔法書の一部でしょ。それがないからアルテシアは思い切り魔法が使えなくて困ってるんだけど……って、え! それってまさか」

「そう。もちろん、そう考えられるってことだけどさ。ね、ソフィア、あんたはどう思う?」

「どうって、もしそうなら、あたし。そうですよね、そうか、あ、でも、そんなことできるの?」

「可能性、ありそう? ね、そういうことだって思う?」

 

 つまりパドマは、ダンブルドアの持つ“にじ色の玉”を作ったのは、500年前のクリミアーナ家の当主ではないか、というのだ。

 

「あたしたち、ずっとガラティアさんだと思ってきたけど、そうじゃなかったってことか」

「たぶん、そうだと思う。気になるのは、あの玉になにが入ってるかってことだよね。その反乱騒ぎのことはもちろんだけど、それだけじゃないかもしれないよね」

「いつも思いますけど、パドマ姉さんって、やっぱりレイブンクローで正解ですね。あたし、そこまで考えてなかった。そうですよ、きっとそうなんです」

 

 そう言いつつ、ソフィアがパーバティを見たのには、きっと深い意味などないのだろう。だからパーバティも、すぐに言葉を続けることができた。

 

「あたし思ったんだけど、ガラティアさんってさ、そのこと知ってて探してたってことかな。ホグズミード村でアルを探してたのは、ガラティアさんなんだよね」

「そうだね。たぶんブラック家を出されてからもクリミアーナに戻らなかったのは、そのためなんだよ。想像だけど、あぶないことが起こるって感じてたんじゃないかな。だからアルテシアの魔法力を元通りにしたかった。戻さなければいけなかった」

「もしそうだとすると、ホグズミード村のあの家のことなんですけど」

 

 起こるかもしれない、あぶないこと。それが何かなど、3人は考えなかった。そんな必要はなかったのだ。アルテシアはこれまで、何度も危険な目に遭っている。満足に魔法を使えないため、なんども意識を失い医務室の世話になっているからだ。すでに十分に危険な目にあっている。これ以上は必要ないし、考えたくなかったのだ。

 

「あの家、調べてみる必要あると思います。結局、アルテシアさまはホグズミードに行ってないですけど、そういうことなら、なにかあるんじゃないかって。実際にアルテシアさまがその家に行けば、にじ色のことはともかく、なにか気づくことあるのかも」

「そうだね。たしかにそうだ。あの家には、500年前からあの玉があった可能性あるよね。ええと、次のホグズミード行きはいつだっけ? アルテシアはもう、行けるんだよね?」

 

 ホグズミード行きのことは、学校内ではまったくうわさされていなかった。もちろん皆の注目が、三校対抗試合の最初の課題に集中していたからだ。3人は、それぞれ顔をみあわせる。そして。

 

「あ! 思い出した。うわ、迎えに行くつもりだったのに」

 

 それは、パーバティの悲鳴のような声。医務室に行き、一緒にグリフィンドール寮に戻るつもりだったということだが、このときアルテシアは、自分のベッドで深い眠りに落ちていた。

 





 次話までは、またお時間頂戴することになりそうです。年が明ければそんなことはなくなる、はずなんですけどね。
 終わりの方でパドマが気づいたこと。それって、とっくに誰かが気づいててもよかったはずなんですけどね。とくにソフィアあたりは。
 でも、こんな感じにしてみました。パドマがレイブンクロー、そのことを強調してみたいがため、です。
 そんなこんなで、この先もおつきあいくださいませ。


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第67話 「ホグズミードの家で」

 いやあ、けっこう間があいてしまいましたね。もう、これまでのお話を忘れてしまった方もいるのでは。
 まことに申し訳ないことです。しかもそれは、もう少し続くのです。12月も、お仕事、忙しいんですよ。
 そんななかで、なんとか1話分、書くことができました。よければ読んでやってください。


「スネイプ先生、おたずねしたいことがあるんですけれど、いいですか」

 

 魔法薬学の授業が終わり、いつものようにあっという間にグリフィンドールの生徒たちが教室から出て行き、続いて合同授業のスリザリン生も立ち去ってしまったあとで、アルテシアはスネイプの前に進み出た。

 

「よくはない。おまえの言いたいことなどわかっているが、後にしろ。吾輩は忙しいのだ、今すぐここを出て行け」

 

 とてもそうは見えないのだが、なにか用事でもあるのだろう。いつになく厳しい口調でそう言われてしまえば、これ以上、どうしようもない。だがアルテシアは、あきらめきれないように、スネイプを見る。

 

「どうしたのだ、スネイプ。生徒の質問にくらい、答えてやればいいじゃないか。それが先生と呼ばれるものの仕事だろう」

 

 背後からの、ふいの声。反射的に顔を向けると、そこには自慢そうに自身のひげを指でもて遊んでいる男が立っていた。いつのまに入ってきたのか、アルテシアはまったく気づかなかった。

 

「ああ、カルカロフ。口出しは無用に願おう。少し待っててくれ」

 

 カルカロフという名前には、アルテシアも聞き覚えがあった。ダームストラングの校長が、そんな名前だった。つまりスネイプは、カルカロフが来ることになっていたので、アルテシアの相手などしていられないということなのだろう。

 

「おまえの話は、あとで聞く。とにかく今は出て行け。言うことを聞くのだ」

「わかりました。すみませんでした、先生」

 

 頭を下げ、教室を出て行くしかなかった。もちろんアルテシアは、カルカロフにも会釈することは忘れない。アルテシアの姿が教室を出てしまうと、カルカロフは、スネイプのすぐそばまで近づいていく。

 

「かわいい子だったじゃないか。何年生かは知らんが、あまり冷たくしないほうがいいんじゃないか」

「黙れ、いらぬことを言うな」

「まあ、落ち着け。セブルスと、昔のようにそう呼ばせてもらうが、おまえはどうだ。なにか感じないか」

「話があるというので、こうして時間を取ったのだ。言いたいことがあれば、さっさと言え」

 

 もちろん、何か言いに来たのだろう。だがカルカロフは、アルテシアの出て行った教室の出入り口をじっと見ていた。

 

「クリスマスに、ダンス・パーティーがあるのは知っているだろう。紹介してくれないか、スネイプ。本人が自分で探すべきだが、ウチの代表となった生徒は、以外にシャイな性格でね。あの子なら、ダンスのパートナーにちょうどよさそうじゃないか」

「おまえ、そんなことを言いに来たのか」

「もちろん、違うさ。だがあの女の子は、なにか気になるな。名前だけでも聞いておこうか」

「おまえになど、教える必要はない。だが、その代表選手には助言申し上げよう。ダンス・パーティーの相手すら探せないようでは、過酷な課題をこなすことは難しいのではないか、とな。むしろそのほうが心配だ」

 

 まさかスネイプは、カルカロフに会わせたくなくて、アルテシアを追い出そうとしていたのか。考えすぎかもしれないが、スネイプがカルカロフの来訪をこころよく思っていないのは確かなようだ。

 

「怒るな、セブルス。おまえにしか話せないことだからこそ、こうして、ここへ来ているのだ」

「だから、なんだ。聞いてやるから、早く話せ」

「このところ、おかしな気配を感じている。おまえはどうなのかと思ってな」

「なんのことだ」

 

 カルカロフは、なにも言わずに左腕をまくってみせた。それはすぐに隠されたが、それだけでスネイプは、カルカロフの意図を理解したらしい。

 

「そういうことか。なるほど、おまえの懸念はわからんでもない。吾輩も、そんな気がするからな。だが心配などするなと、そう言っておこう。するだけムダだぞ」

「いいや、セブルス。たしかにいまは、どこにいるのかもわからん。この先、どうなるかもわからんさ。だが、警戒だけはしておくべきだろう」

「ふん。そんなことはおまえに言われるまでもない」

「ともあれ、セブルス。もしそんなときが来たときのことを、お互い考えておいた方がいいのではないかな」

 

 セブルス・スネイプ、そしてイゴール・カルカロフ。どちらもかつてデス・イーター(死喰い人)として、ヴォルデモートのもとにいたことがある。その当時デス・イーターたちは、ヴォルデモートによって左腕に「闇の印」と呼ばれる、ヴォルデモート一派の印を刻まれている。単にデス・イーターであることを示すだけでなく、この印の変色あるいは発熱などによって通信手段としても使われていたのだ。カルカロフはその「闇の印」の変化を感じており、それがヴォルデモートの復活を意味しているのではないか、と心配しているわけだ。

 放課後の魔法薬学の教室でそんな話がされているころ、マクゴナガルは、医務室にいた。

 

 

  ※

 

 

「そうですか、ボーバトンの生徒がそんなことをね。アルテシアのことを気にしているようですが、どういう意図があるんでしょうかね」

「もちろん、心配してのことだと思いますよ。わざわざお見舞いにも来てくれてますし、印象としても、そんな感じを受けましたね」

 

 その生徒とは、クローデル家のティアラのことである。ティアラが最初に医務室へとアルテシアを見舞いに来たとき、マダム・ポンフリーに話を聞きに来るようなことを言ったのだが、そのことをいま、マクゴナガルに話したところである。

 

「その生徒は、ボーバトンの校長先生がとても優秀な生徒だと自慢していたようです。なるほど、そういうことなのかもしれませんね」

「なにが、そういうことなんです?」

「クリミアーナ家とは、なにかしらの縁があるようです。クローデルという名前も聞いたことがありますし、そのお嬢さんとは一度会っておく必要がありそうですね」

「先生が、お会いになるのですか。もちろんそれは、母として娘の友人に、ということなりますかね」

「なんですって?」

 

 顔は笑っているから、冗談ということなのだろう。それを見たマクゴナガルも、表情を緩ませた。

 

「まあ、たしかにそんな気持ちもあるでしょう。それを否定はしませんが、彼女に会うのは、確かめておきたいからですよ」

「確かめる? なにをです」

「彼女の魔法、です。アルテシアと似ているのか違うのか。アルテシアに聞けば済むことではありますが、自分の目で見て判断したいのです。ボーバトンでは優秀だと評価されているようですが、その理由を知りたいですね」

 

 アルテシアと同じクリミアーナ系の魔法を使うのなら、当然にして杖を必要としないはずだ。マクゴナガルは、そう思っている。だがそれでは、ぜひとも代表選手にとまで言われるような“優秀”な生徒、とはならないはずなのだ。アルテシアの成績は、せいぜい中の上といったところであり、実技面では、ハーマイオニー・グレンジャーあたりと比べると明らかに見劣りがする。

 だがそれも、杖を使用しているからだ。魔法学校での成績、という点から見れば、その評価は妥当なものとなるのだろうが、もしティアラがボーバトンの代表となってもおかしくないというのなら、彼女は杖の使用に関しても非凡なものをみせているということになる。ならばアルテシアもそうなれるはずだし、なにかの参考にはなるだろうと、そんなことをマクゴナガルは考えたのである。

 

「そのうち、あの娘さんが医務室へと来るでしょう。そのときには、いろいろ聞かれると思うんですが」

「でしょうね。何が知りたいのかはわかりませんが、べつに隠すこともないと思いますよ」

「アルテシアさんは、自分が何度も医務室のお世話になっていることは言わないでくれって言ってましたけど」

「おや、そうなんですか」

「でも、そのお嬢さんの前で言ってましたからね。たぶん冗談だったんでしょうけど」

 

 おそらくそうなのだろうが、違うかもしれない。つかのま、マクゴナガルは考える。知られて困ることがあるだろうか、と。

 よくは知らないが、相手はクリミアーナと関係のある家なのだ。だからマクゴナガルは、自分が知っていることくらい、とっくに承知しているはずだと思っている。ならば、いまさら隠し立てする意味などないと思ったのだ。だがもし、そうとばかりも言えないのだとしたら。

 少なくとも、アルテシアが言うなといったことは言わぬほうがいいのではないか。マクゴナガルは、そう考えた。医務室で治療を受けたことは、すでに知られている。ならば、その理由を言わねばよいということになる。

 

「あながち、冗談ではないのかもしれませんね」

「え?」

「それが冗談ではないのだと、そういうつもりでいたほうがいいようですね。そうお願いできませんか」

「どういうことです? 魔法の使いすぎがどうのという話はしないほうがいいということ?」

「ええ、そうです。それで思い出しましたが、また近々、アルテシアがここのお世話になるかもしれません。そのときはまた、面倒をみてやってくれませんか」

 

 思い出した、と言ったマクゴナガルだが、実は、それを言いに医務室へとマダム・ポンフリーを訪ねてきたのである。ティアラの話が出て言えないでいたが、その機会を得たといったところ。もちろんマダム・ポンフリーは驚くことになる。

 

「そりゃ具合が悪くなれば手当もしますよ。けど、なぜなんですか。またなにか、むちゃをしようってこと? アルテシアさんは、もうそんなことはなくなるって言ってましたよ」

「もちろん、そうなるためですよ。そのためには、あと少しだけむちゃをしなければなりません。うまくいけば、その後はなにも気にしなくてよくなります」

「そうですか。よくわかりませんけど、そういうことなら。今度アルテシアさんがきたら、ゆっくりと話をさせてもらいますよ」

 

 そのアルテシアはいま、夕暮れの校庭を歩いていた。

 

 

  ※

 

 

「おぉ、娘っこ。いまは森に入れてやるわけにはいかねぇぞ。これからしばらくは立ち入り禁止だ。いくらおまえさんでもな」

「ええっ、なぜです?」

「生徒に知られちゃなんねぇものが、森にはあるからだ。いまはまだ、その準備中ってとこだが、入れてやるわけにはいかん。おめえさんなら聞き分けてくれると思うから、ここまで言うんだ。とにかく行っちゃならん。一歩も入っちゃなんねぇぞ」

 

 ハグリッドとの約束で、森を散歩するときには申告することになっている。そのうえ、森に入れるのは1人だけという条件だ。禁じられた森というくらいだから、もちろん入ってはいけない場所なのだが、ハグリッドはこれまでアルテシアの散歩を認めてくれていた。なのになぜ、というのがアルテシアの正直な気持ちだろう。

 だが、ダメだと言われてしまえば引き返すしかない。ダメなときはあきらめる、というのもハグリッドとの約束だったのだ。

 

(ちょっと考えごと、したかったんだけどな)

 

 そんなときは、森を散歩するのが一番だとアルテシアは思っている。ほんとうなら、クリミアーナ家の裏手に広がる森を散歩したいところだが、学校にいるあいだはムリだ。ならばと来てみたのだが、断られるとは思ってもいなかった。なぜ、という思いは当然のようにある。だが理由は、教えてはもらえないだろう。

 校舎へと戻りながら、アルテシアは考える。いま最も気になるのは、校長室にあるにじ色のこと。あれを取り戻すにはどうすればいいのか。何も気にせず、そのままダミーのものと入れ替えてもよいとマクゴナガルは言う。ダンブルドアに気づかれようとも、いっこうに構わないから、後のことはすべて任せろとまで言うのだ。ならばそうすればいいようなものだが、さすがに過激すぎるとアルテシアは思っている。取り戻すのをやめるつもりなどないが、校長先生に気づかれない方法はあるはずなのだ。

 そんなことを考えつつ湖のほとりを歩いていると、ロンの姿をみつけた。そこのベンチに、ひとりで座っていたのだ。ロンのほうも、アルテシアに気がついたらしい。

 

「やあ、アルテシア。キミの笑顔が見れてよかったよ」

 

 そのとき、どんな顔をしていたのか。ロンの言うとおりだった自信はないのだが、アルテシアはロンのほうへと近づいていった。

 

「ひとりなんてめずらしいね、ロン。いつも一緒の人たちはどうしたの?」

「それは、あれだよ。そうか、キミは医務室で寝てたから知らないのかもな」

「何を?」

 

 ロンが、ベンチの真ん中から端の方へとずれてくれたので、アルテシアもベンチに座る。

 

「ハリーのやつ、自分だけゴブレットに名前を入れたんだぜ。だから代表に選ばれたのさ。そんなことするなら、ボクも誘ってくれるべきだろ。それが友だちってもんだ。自分だけなんて、ひどいと思わないか」

「そのことは聞いてるわ。でもロン、あれはハリーがやったんじゃないかもしれないよ」

「キミまでそう言うのか。わざわざ、他人の名前を入れる? 誰がそんなことをするっていうんだ。そんなことする意味、あるか」

「そ、そうだよね」

 

 そのことを忘れていた。ハリーが、誰かに狙われている可能性があるのだ。さすがにアルテシアは、自分のことだけ考えていればいいなんて思ってはいない。なにもかも、と言うほどうぬぼれるつもりはないが、少なくとも自分の目の届くかぎりにおいては、とアルテシアは思っている。守りたいと思ったもの、守ると決めたもの、譲らないと決めたもの。決めたことは、必ず守る。それがクリミアーナだと、アルテシアは思っているのだ。

 ハリーの件は、誰がなにを目的としてやったことなのか。それはわからない。ハリーが自分でやった、という可能性はもちろんある。

 

「なあ、アルテシア。キミ、ハリーやハーマイオニーとは話をしてるのかい? その、ボクたちとのことなんだけど」

「そういえば、あんまり話をしてないね。談話室でも、別々だし」

 

 ロンに言われるまでもなく、そのことはアルテシアも自覚している。これではいけない、とは思っているが、どうしても思い出してしまうのだ。3年生の終わりの、シリウス・ブラックを助け出そうとしたときのことを。

 

「エラそうなこと言えやしないけど、仲直り、できるんじゃないかな。キミたちは、優秀じゃないか。ボクなんかと違ってね」

「あら、ロン。それには同意できないわ。わたしだって、まだ半人前よ」

 

 まだまだ一人前ではない。魔法の使用に制限のある自分が、一人前の魔女だと言えるはずはない。ロンの言ったことは、アルテシアのなかではそんな解釈となる。結局、問題はそこだ。まず解決すべきは、そこなのだとアルテシアは思う。

 

「キミが半人前だというんなら、ぼくはマグルかスクイブ級ってことになるよな。けど、アルテシア。対抗試合のときは、もちろんハリーを応援するんだろ。セドリック・ディゴリーなんかじゃなくてさ」

「ロンも、そうでしょ。ハリーは親友なんだものね」

「そうさ。親友だよ。だから、自分だけってのが許せないんだ。ボクも誘ってくれるべきだったんだ。そりゃ、ボクなんかが代表になれたはずないさ。でも、仲間はずれにすることないじゃないか」

 

 仲間はずれ。ロンは、そのことにこだわっているのだ。そしておそらく、自分も。アルテシアは、そう思った。自分はおそらく、ハリーやハーマイオニーとは仲直りできないだろう。でもそうだとしても、ロンだけは、と思うのだった。

 

 

  ※

 

 

「アルと一緒にホグズミードに行けるだなんて、今日は楽しい日になりそうだわ」

「でも、パチルさん。目的があるんだってこと、わすれないでくださいよ」

「わかってるわよ。アンタに言われなくてもね」

 

 3校対抗試合の最初の課題が行われるのを次週に控えた週末。アルテシアは、パチル姉妹やソフィアと一緒にホグズミード村へと向かっていた。アルテシアがホグズミードへ行くのは、今回が初めてとなる。許可証への保護者のサインのことがあって、行くことができなかったのだ。

 

「でもさ、対抗戦が来週でしょ。だからホグズミード行きは中止にします、なんてことになるんじゃないかって心配したけど」

「そんなことにならなくてよかったよね」

「対抗戦といえば、ポッターのインタビュー記事、読んだ? ほんとにグレンジャーと付き合ってる、なんて思う?」

「このところ、ウイーズリーが一緒にいないのはそのためかもしれないって思う? 2人だけにするためだって思う?」

 

 どんな返事を期待しているのか、パチル姉妹は目を輝かせながら、アルテシアに迫ってくる。アルテシアは、苦笑するしかなかった。

 

「よく一緒にいるのは、わたしたちも同じでしょ。それにロンだけど、ハリーが代表選手になったことで気まずくなってるのよ。ゴブレットに名前を入れるとき、自分も一緒に名前を入れたかったみたい」

「ああ、アル。あたしたちは、そんなこと言ってるんじゃないよ」

「そうよ、アルテシア。あたしたちはね、浮かれているだけなの。なんでもいいから、アルテシアと話をしたいだけだよ」

 

 パドマは、ほんとうに楽しそうにみえた。寮が違うため、姉のパーバティと比べアルテシアと一緒にいる機会ははるかに少ない。きっと、そのためもあるのだろう。

 

「だけど、リータ・スキーターの話はしなくてもいいかな。あのインタビュー記事は、リータっていう記者が書いてるの。あることないこと、おもしろおかしく好き勝手に書いただけのはずだから、話半分以下なんだって思うよ」

 

『ぼくの力は、すべて両親から受け継いだものだと思っています。きっと両親は誇りに思ってくれるんじゃないかな。いまでも両親のことを思うと涙が出てくるけど、それをはずかしいとは思いませんし、いつも見守ってくれていると思っています。対抗戦は、かならず優勝してみせます』

 

 その記事で、リータ・スキーターが書いた、ハリーが言ったとされる言葉だ。もちろんハリーはなにか言ったのだろうが、リータにかかれば、ささいな一言でもこんなふうになってしまうのだ。しかも『ハリーはホグワーツでついに愛を見つけた』なんていう記事まであり、それらの記事は、学校内でのうわさとして広がっていく。とくにスリザリン生などは、話半分ではなく話を倍ほどにもして、ハリーをからかう。なかでもハーマイオニーとハリーの仲に関することは、格好の話題となっていたりする。

 だが、そんなことは。

 

「どうでもいいじゃないですか。それよりも、あたしたちの今日の目的は」

「わかってるよ、ソフィア。まずはバタービールでも飲みたいところだけど、いいよ、すぐにあの家に行こう」

 

 見れば、バタービールが名物となっている三本の箒の店がすぐそこだ。そこでゆっくりとおしゃべりしたいところだが、4人はそのまま歩いて行く。アルテシアたちが向かっているのは、およそ1年前にパチル姉妹が出会った、アルテシアを探していた女性の家である。より正確には、会いたくなれば訪ねるように、とされた家だ。ダンブルドアもその家を訪れたことがあり、そのときアルテシアに渡るべき“にじ色の玉”を持ち帰っている。

 

「そういえば、アル。校長の透明化魔法のことは、どうなったの? マクゴナガルが調べてくれてるんでしょ」

「見えなくする方法はあるんだけど、ダンブルドア校長の使った魔法と同じものかとなると、自信がないみたい。確認できないしね。マクゴナガル先生は校長に気づかれてもかまわないって言ってくれてるんだけど、そうもいかないよね」

「どうして? あれは全面的に校長が悪いでしょ。気づいたところで、何も言えやしないって」

「あたしもそう思うな。気づかれないほうがいいのは確かだけど、そんなこと言ってたら、いつまでも取り戻せないでしょ」

 

 パーバティとパドマの言うことはもっともなのだが、アルテシアは、強いて荒だてるようなことはしたくなかった。なにか方法はあるはずだと、ギリギリまで考えるつもりにしている。いい方法が何も見つからなければ、そのときは、そのとき。

 

「あたしが、取り戻してきましょうか。もう場所は判ってるんだから、教えてもらえればいますぐにでも」

「いいえ、ソフィア。あなたに、そんなことはさせられない。だから、その場所は教えない。大丈夫だよ、わたしがやるから」

「でも、いつまでもほおっとけないのはソフィアの言うとおりだよ。あのティアラって人との競い合いもあるんだし」

「ええ、パドマ。もちろん、いつまでもこのままにはしておかないよ。いい方法がみつからなかったとしても、クリスマス休暇になるその日まで。とにかくその日には、取り戻すつもりだから」

 

 仮になにかで手間取ることとなり、魔法を使いすぎるようなことになっても、学校が休みとなるのでその影響を少なくできるだろう。マクゴナガルとも相談し、そうすることに決めているのだ。だがその場合、ティアラとの競い合いの最初の課題には間に合わないということになる。なにしろ三校対抗試合まで、あと数日。週が明けた火曜日がその日なのだ。

 

「ま、それはともかくとして、目的地についたよ」

 

 かつては青い屋根であった、その家。4人は、そのすぐ前まで近づいていく。

 

「いつだったか、マクゴナガル先生と来たときは留守だったよね」

「どうする? ドア、ノックしてみようか」

 

 だがアルテシアは、それには応えず、一歩、二歩と後ろへ下がった。少し離れて家の全体を見ようとでもしたのだろう。右手の人差し指と中指とをそろえて立て、それを、まず自分の顔の前へ、そして目的の家へとむけた。

 

「アル、魔法かけてるの? なにか、わかった?」

 

 なおもじっと、その家を見つめているアルテシアだが、ゆっくりと首を横に振る。とくにはなにも、感じないらしい。

 

「うちの母もここには来たことがあるんですけど、この家からはとくに痕跡みたいなものはみつからないって言ってました。アルテシアさまもそうですか」

「よくわからない。わからないけど、なにもないとは思うんだけど、でも」

 

 そうとは言い切れない、何かがあるのかもしれない。なおもじっと家を見つめていたアルテシアだが、結局、そこにはなにもない、と結論づけるしかなかった。

 

「まあ、仕方がないよね。あのときアルがいればよかったんだけど、そのときに戻れるはずもないしね」

「え?」

「どうしたの、なにかわかった?」

 

 アルテシアが、はっとしたような顔をしたのを、パドマは見逃さなかった。なにかに気がついたのではないかと、そう思ったのだろう。

 

「あ、違う。そうじゃないけど、パーバティが言ったことで思いついたことがある」

「だから、なによ。なにか気がついたんでしょ」

「校長室のにじ色を取り戻す方法だよ。そのときに戻ればいいんだよね」

「どういうこと?」

 

 急に話が変わってしまったが、そのこともアルテシアたちにとっては重要なこと。みなが、アルテシアを中心にして顔を寄せる。

 

「ダンブルドア校長が、にじ色に透明化の魔法をかけたときに戻ればいいんだよ。そこで入れ替えてしまえば、どんな手段で透明化されてるかなんて、関係なくなる。絶対に気づかれない」

「それはそうだけど、そんなことできるの?」

「たとえできても、する必要なんてないです。また医務室で何日も寝込むことになりますよ。そんなことしなくても、あたしが」

 

 取り返してくると、そう言いたかったのだろう。だがソフィアはそこで言うのを止めた。訪ねてきた家の、その入り口が開かれ、なかからせいぜい30歳くらいかと思われる女性が顔をのぞかせていたからだ。

 

「あなたたち、人の家の前で騒がないでくれる? それともウチに、なにか用でもあるの?」

 

 

  ※

 

 

「うーん、そんなこと聞かれてもねぇ。おぼえがあるような、ないような。はっきりしないのよね。どうだったかしら」

 

 せいぜいが、玄関前での立ち話。そんなところだったが、ともあれアルテシアたちは、その女性と話をする機会を得ることができた。だが彼女の話は、どこか変だった。

 

「でも、預り物をしたのは確かなんですよね。ホグワーツの女生徒に渡すようにということで」

「そうそう、大切な物だからってね。でもね、探してみてもそんなのウチにはないのよね。預かったのなら保管してあるはずなんだけど、勘違いなんでしょう、きっと」

「でも、思い出してみてくれませんか。しばらく前に、ホグワーツの校長先生がここへ来てその玉を持って帰ってるんです。アルバス・ダンブルドアはご存じですよね?」

「もちろん知ってるわよ。あたしだって学校には通いましたからね。でもここへ? ウチに来たことなんてあったかしら」

 

 さきほどから、この家の女性に質問をしているのはパドマである。誰もが言いたいことはあるはずだが、みなが好き勝手に聞いても混乱するだけ。パドマにまかせたほうが話はスムーズに進むと考えてのことだった。こういうときはパドマにまかせるのが一番なのだが、肝心の相手の話が、要領を得ない。

 

「校長先生は、このあたりにまでは来ないはずよ。パブの三本の箒なんかにはよくいらっしゃるみたいだけど」

「じゃあ、違うことお聞きしますけど、こちらはずっとホグズミードにお住まいなんですか」

「ええ、そうよ。ウチは純血の家だからね。少なくとも6代前まではさかのぼることができるのよ。それ以前もずっとそうだったって聞いてるけど」

「魔法の杖って、もちろんお持ちですよね」

「え? ええ、もちろんよ。わたしのは26センチの柳の木。芯材は、って、どうしてそんなことを聞くの?」

「ああ、いえ、べつに」

 

 パドマが考えたのは、この家の人たちがクリミアーナとなにか関係があるのではないか、ということだ。聞きたかったことには満足な答えはもらえていないが、それも、あの玉を校長が持ち帰ってしまったからだと考えれば納得がいく。屋根の色まで変わったくらいなのだから、人の記憶に影響があっても不思議ではない。その証拠、というわけではないが、それ以外の質問にはちゃんとした答えがすぐに返ってくる。

 

「それでは、クリミアーナという名前をご存じですか。あるいはアルテシアという名前に、聞き覚えとかは」

「ああ、こっちのお嬢さんのことでしょう。たしか、会ったことあると思うんだけど」

 

 パドマ、パーバティ、そしてソフィアがいっせいにアルテシアを見る。そして、同時に同じ質問をアルテシアに浴びせる。すなわち、会ったことがあるのか、ということを異口同音にだ。だがアルテシアには、そんな覚えはない。会ったことのある相手の顔と名前をほとんど忘れることのないアルテシアだが、この家の女性に見覚えはなかったのだ。

 

「どこで会ったのかわかりますか」

「ええと、あれは。あれ? そうよね、あなたのはずがないわ。だってあれはわたしがまだ小さい頃だし」

「あの、どういうことでしょうか。ずいぶん昔に、ということですか」

 

 昔といえば、この家には500年前のクリミアーナでの騒動の直後よりずっと、あのにじ色の玉が保管されていたという可能性がある。だがなぜなのだろう。どういう経路で、この家へとやってきたのか。それに、この女性はなぜ、アルテシアに見覚えがあったりするのだろう。

 

「違うわよね。ごめんなさいね、そんな気がしたんたけど勘違いだと思うわ。そうよね、あなたたちとは初めて会うんだものね」

「あの、わたしたち、また来てもいいですか。そのとき、なにか思い出したこととかあったら、教えてもらうってことはできますか」

「いいけど、お役に立てそうにはないわね。ウチの母でも生きていれば、もっと何か知ってたかもしれないけど」

 

 そんなところで、4人はその家をあとにした。そして、すぐ近くにあるマダム・パディフットの店へと入っていく。それぞれの話したいことは、その店で腰を落ち着けてから、ということになるようだ。

 



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第68話 「最初の課題」

 例年、12月は仕事で忙しいのですが、さすがにそれもピークが過ぎました。ようやく従来のようなペースに戻れるかな、と。週に1話はかけるようになる、といいなと思っています。
 ということで、これまでのお話をお忘れの方も多いことでしょうが、よろしくお願いします。



 その夜、ふとアルテシアは目を開けた。ベッドに入ってどれくらい時間がたったのかはわからないが、真夜中であることは間違いない。まだ夜明けまではずいぶんと時間があるはずだ。

 静かに体を起こして、周りを見る。時計の針は、深夜の1時を少し過ぎたところ。ぐっすり眠っているはずの時間だが、なにかしらの気配を感じたのは確かだった。パーバティのベッドをみる。そこにパーバティの姿があるのを認め、ラベンダーのベッドへと目を移す。ラベンダーも、よく寝ているようだ。ハーマイオニーのほうはと視線を動かして、アルテシアは思わず息をのんだ。ハーマイオニーが、その目を大きく開いてにらんでいたからだ。

 ハーマイオニーも、ゆっくりと体を起こしていく。

 

「なんで、起きたの。寝てればいいのに」

「あ、ええと、なにかおかしな気配がしたから、だけど。そんな感じ、したよね?」

「いいえ、しないわ。でも、気がつくとしたらアンタだけだと思ってた。だから寝ないで見張ってたの。このまま寝ててよ」

「どういうこと?」

「談話室には行くなってことよ。ちょうど今、ハリーが話をしているはずなの。そのじゃまをして欲しくない」

 

 じゃまをするなって? アルテシアは、思わずそうつぶやいた。大きな声にはならなかったので、ハーマイオニーには聞こえていないかもしれない。だがアルテシアには、その自分のことばを聞き流すことなどできない。ハリーが、談話室で、誰かと話をしている。アルテシアは、そのじゃまになる。

 

「わたしがいたら、じゃまになるの?」

「いまは、ね。とにかく寝てなさいよ。そうしてくれれば、なにも問題ないから」

「ハリーは、誰と話をしてるの? なぜこんな真夜中に?」

「質問は、なし。教えたら意味ないでしょ。だから言わないけど、悪く思わないでね。ハリーはいま、いろいろと悩んでるの。知ってるでしょ。こっそりゴブレットに名前を入れたって言われたり、スリザリンがヘンなバッジを作ってからかったり。ロンとも気まずくなってるし」

 

 もちろんアルテシアも、それは知っている。誰かがひそかに名前を入れたのだろうと思ってはいるが、それが誰なのか、その目的は何か、となるとさっぱりだ。ハリーの気持ちを考えると、そこに悪意は感じる。だがいまのところ対処のしようがないのは、ハーマイオニーも同じだろう。

 

「わかった。あなたの言うとおりにするけど、ロンとは仲直りできるんじゃないの。そうしてあげて。この頃、一緒にいないようだけど、ロンはそれを望んでいるわ」

「あたしだって、あの2人を仲直りさせようって努力してるわ。おかしな意地なんか捨ててくれればって思ってる。あなたに言われなくても、それくらいわかってるのよ」

「あ、うん。そうだよね。わかった。もう、寝るから」

「ええ、そうしてちょうだい」

 

 それきりアルテシアは、ベッドの中へと潜り込み、顔を上げることはなかった。ハーマイオニーも、やがて目を閉じる。寝るのが遅くなったからなのか、ハーマイオニーが目を覚ましたとき、部屋にはパーバティしかいなかった。いやハーマイオニーが起きるのを、パーバティが待っていたのだ。

 

「おはよう、ハーマイオニー」

「おはよう、みんなは?」

「アルは、散歩。森には入れないらしくて湖の畔でもゆっくりと歩いてくるってさ。ラベンダーは、もう朝食に行ったけど」

「うわ、もうそんな時間なのね」

 

 ハーマイオニーがベッドから降りてくる。その前に、パーバティが立つ。

 

「なに?」

「べつになにも。ただ、ひとことだけ言っておきたくてさ。なんでアルテシアが散歩に言ったのかをね」

「え?」

「たぶん自分では気づいていないんだろうって、そうは思うんだけど、あたしも言わずにはいられなくてさ」

 

 いったいパーバティは、何がいいたいのか。それがわからないハーマイオニーは、ただ、怪訝な顔を向けるだけしかない。

 

「夜中に、あんたたちが話してるのを聞いた。ごめんね、聞こえちゃったものはしょうがないよね」

「それで、何が言いたいの」

「アル、あんなふうに見えてさ、けっこう傷ついてるよ。そのこと、知っといてくれればって思っただけだから」

「な、なによ、それ」

「わかってるよ。あなたにも言い分、あるよね。それが正しいんだよね。でもね、あたしもおなじだよ。だってあたし、アルが大好きだからさ」

 

 とまどうハーマイオニーを残し、パーバティは部屋を出て行った。

 

 

  ※

 

 

 湖のほとりを、ゆっくりと歩くアルテシア。ほんとうなら、森の中を歩きたいところであったろう。だがハグリッドに止められている以上は、仕方がないといったところか。だがこの散歩でティアラと出会うとは、さすがに予想してはいなかっただろう。

 果たして、偶然なのか。それとも、ティアラが待ち伏せでもしていたのか。ともあれ2人は、周囲をみまわし、近くのベンチへと座った。

 

「ちゃんと朝ご飯は食べたの? こんな早くに、散歩のつもりですか。ここはクリミアーナじゃないのに」

「わかってるわよ、ティアラ。でもね、家に帰るわけにもいかないし」

「おや、呼び捨てなのね。いちおう、あたしのほうが年上ってことになってるんだけど」

「わたしは14だから、16歳だよね。知ってるわよ。ずっといつも、わたしよりも2つ上」

 

 互いの顔を見つめ合う。そして、どちらともなく笑みを浮かべてみせたが、さて、なにか意味があるのか。

 

「とにかく、知らせしておきます。対抗試合の最初の課題は、ドラゴン」

「え?」

「ドラゴンって、言ったんです。ちゃんと聞いてます?」

「聞いてるけど、ティアラ。あんた、言い方がソフィアみたいになってきてるよ」

 

 思い切り、いやな顔をしたのがわかった。アルテシアの笑顔が少し引きつったのは、そのためだろう。

 

「とにかく、最初の課題はドラゴン。わかった時点であなたに伝える約束だったでしょ。だから」

「ありがとう。でも、ドラゴンと闘えってこと? それってけっこう無茶なことなんじゃ」

「ですよね。だから、課題の内容はもっと別のことになるんだとは思います。たとえば」

 

 コホン、と軽く咳払い。ピンの背筋を伸ばす必要まであったのかどうか。

 

「森の中にいる4匹のドラゴンは、みな、営巣中。つまり、卵を温めてる。わざわざそんなドラゴンを連れてきたのは、偶然なんかじゃない。ちゃんと意味がある」

「そうだね。卵、かな。でも、そうなると」

「勝負になりませんね。このベンチに座ったままでもできることだし。どうします?」

 

 2人がともに思い浮かべた内容であれば、勝負にはならない。その課題がドラゴンから卵を奪うことであれば、アルテシアにとっては簡単なことだし、おそらくティアラも。どうしてもということになれば、タイム・トライアルにでもするしかない。

 

「ともあれ、ようすをみるしかないですね。あたしたちの予想とは違っているかもしれないし」

「ね、それよりどうしてドラゴンだってわかったの」

「昨夜、ハグリッドという人が馬車に来たんです。そして、マダム・マクシームにドラゴンをみせた。なぜそんなことしたのか知らないけど、代表選手はもう、全員そのこと知ってるでしょうね」

「いいのかな、そんなことして。たしか『未知なるものに遭遇したときの勇気』がテーマなんだよね」

「全然、意味ないってことですね」

「待って、全員ということは、ハリーも知ってるのよね。いつのまに? わかったのは夜のことなんでしょ」

 

 ドラゴンを見せられたのは、真夜中のこと。だとすれば、知れ渡るのが早すぎる。アルテシアはそう思ったのだ。ティアラが、軽く微笑んだ。

 

「ハリー・ポッターは、昨夜、おかしなことをしてましたよ。ハグリッドって人からドラゴンを見せられた後、あわてて寮に戻り、暖炉の前にいったんです。そして」

「まって、どうしてそんなことまで知ってるの? あなた、グリフィンドールの談話室に来たの?」

「ええ。だって課題がわかったらすぐに知らせる、と約束したでしょ。寮の場所は、あの男の子が知ってると思ったからついていっただけです。とにかく行けばなんとかなると思ったから」

「それって、真夜中の1時くらい?」

 

 ちょっとだけ考える様子をみせたが、それもわずかのこと。返事ははっきりとしていた。

 

「ええ、その時間です。まさか、気がつきましたか。ああ、怒らないでくださいよ。すぐに知らせる約束だったからそうしただけで」

「あのとき、わたしの部屋にも来たんだね」

「そのつもりでしたけど、起きてる人がいたんで、退散させてもらいました」

「暖炉では何があったの?」

 

 もちろん、それも聞いておかねばならない。なにか危ないことでも起ころうとしているのなら、見過ごせないからだ。

 

「誰か、知り合いと話をしていたみたいです。シリウス、と呼びかけていましたね」

「それ、シリウス・ブラックだわ。たぶんだけど。そうやって、連絡とりあってのか」

「暖炉の火が、顔になってましたね。本人はどこか遠くにいて、暖炉を通して話をする。きっと相手側の暖炉では、ポッターの顔が」

「だと思う。暖炉を通して人が移動するって聞いたことはあるけど、そんなこともできるんだね」

 

 それは、煙突飛行ネットワークのことだろう。煙突飛行粉(Floo Powder:フルーパウダー)を使用し、炎のなかに飛び込んで、どこか別の暖炉より抜けでることができるのだ。

 

「盗み聞きしたつもりはないけど、マーニャって名前がでてた。つまり、あなたのことでしょう、話してたのは」

「そうじゃないよ。ハリーのお母さんの話だと思う。わたしの母が、ハリーのお母さんと友だちだったそうだから」

「友だち? まさか、魔法族と」

「うん。そうだったみたい。自分の病気の治療法を探してたらしくて、そのとき、知り合ったんだと思う。ハリーのお母さんは、魔法薬にとても詳しかったそうだから」

「なるほど。そういうことですか」

 

 事実、アルテシアの母マーニャは、25歳という若さで亡くなっている。アルテシアが5歳のときだ。マーニャは、自分の病の治療法を探し、多方面に情報を求めている。魔法界での魔法薬もそのひとつであり、ハリーの母親とはその過程で知り合ったものと思われる。アルテシアはマーニャから魔法薬について教えられた覚えがあるが、それはおそらくハリーの母から得た知識なのだろう。

 もちろんアルテシアは、そのことに気づいている。従来のクリミアーナには、そんな技術はなかった。だがアルテシアが学び、覚えたことにより、アルテシア以後のクリミアーナでは、魔法書によって間違いなく伝えられていくことになる。

 

「あなたは健康だと、そう言いましたね?」

「うん」

「それにしては、医務室のお世話になるのが多すぎでは。マダム・ポンフリーに、話を聞きましたよ」

「なにか言ってた?」

 

 それには、ティアラは答えない。かわりに、じっとアルテシアを見つめる。

 

「火曜日に、またお会いしましょう。実際の課題のようすをみて、競い合いの内容を決める。それでいいですね」

「いいけど、ドラゴンはどうするの? 用意するのは不可能に近いと思うけど」

「ですね。でもなにか、火曜日には思いつくでしょう。これで失礼しますよ」

「うん。またね」

 

 アルテシアは、そこで散歩を切り上げることにした。

 

 

  ※

 

 

「ハーマイオニー、助けてほしいんだ」

 

 月曜日、午前中の最後の授業は薬草学。10分ほど遅れてきたハリーが、ハーマイオニーのそばへとやってきて、そう言ったのだ。もちろん2人だけの話のつもりだったのだろうが、あわてていたのか、スプラウト先生を無視して“ブルブル震える木”の剪定作業をしていたハーマイオニーのところへ。

 

「“呼び寄せ呪文”を明日の午後までに覚えたいんだ。完ぺきにしないといけない」

 

 その声は、近くにいた人たちには聞こえたかもしれない。だがさすがにハーマイオニーは冷静だ。その場で理由を訪ねるようなことはせず、小声でハリーをたしなめる。

 

「大丈夫よ。練習には付き合う。そんなに難しくはないわ。でもいまは授業に集中して。ほら、スプラウト先生がにらんでいるわよ。あなた、授業に遅れたこと、お詫びするべきよ」

「あ、そうだよね」

 

 たしかにハリーは、スプラウトの前を素通りして、ハーマイオニーのところへ来ているのだ。さすがにそれはまずかったとばかり、ハリーは、あわててスプラウトの前に進み出た。

 そんなわけで、ハリーの“呼び寄せ呪文”習得のための特訓は、その日の昼休みから始まることになる。だがハーマイオニーは、そのまえに理由を確かめることを忘れなかった。

 

「だから、ドラゴンと対決するためなんだ。これが課題なんだよ。ファイアボルトがあれば、ドラゴンから逃げ切れる。だから“呼び寄せ呪文”を覚える必要があるんだ」

「そうね。いい考えだと思うけど、ドラゴンですって。そんなのと対決しないといけないの?」

「ああ、そうなんだ。それが課題さ。まったく、とんでもないよ。競技には、杖だけしか持っていけない。でも、始まってから魔法で呼び寄せる分には問題ないはずだ」

「スゴイ! よく思いついたわね。グッドアイディアだと思うわ」

「ムーディーがヒントをくれた。薬草学に遅れたのはそのためなんだ」

 

 薬草学の始まる少し前、ハリーはムーディーに呼ばれている。廊下を歩いていて捕まった、といえるようなものだったが、そのときヒントをもらったのだ。すなわち、自分の強みを生かす試合をすること。そのために、効果的で簡単な呪文を使い必要なものを手に入れる。それができれば、課題クリアは間違いない。

 ハリーは懸命に考え、アクシオ(Accio:来い)という呼び寄せ呪文でファイアボルトを呼び寄せる、という方法を思いついた。だが問題も、いくつかあった。呼び寄せ呪文そのものは、つい先日の呪文学で習った。だが、うまくできなかったのだ。しかもファイアボルトは、寮の自分の部屋に置いてある。そんな遠くのものまで呼び寄せることができるのかどうか。

 

「とにかく、練習が必要なんだよ、ハーマイオニー。これができなきゃ、ぼく、ドラゴンに踏みつぶされるだろうよ」

「いいえ、そんなことにはならないわ。覚えればいいだけじゃないの。さあ、練習あるのみ。始めましょう」

 

 さっそく、練習が始まる。昼食を抜いて続けられたが、なかなかうまくはいかない。最初は薄っぺらい本でやってみたのだが、ハリーのところへくるまでに、床へと落ちてしまうのだ。これでは、使い物にならない。

 

「集中して、ハリー。集中するのが大事よ」

「わかってるけど、ドラゴンが頭の中に浮かぶんだ。明日、あいつと対決するんだと思うとね」

 

 それも、ムリのないことかもしれない。特訓は、授業が終わってからも続けられることとなった。誰もいない教室から始まり、深夜には無人となった談話室でもひたすらくり返されたことで、ついにハリーは、満足のいく結果を得ることができた。

 

「やったわね、ハリー。よくなったわ、とっても上手になった」

「キミのおかげだよ、ハーマイオニー。これでなんとかなりそうだ」

 

 重たいはずの辞書が、談話室をななめに横切ってハリーのところへやってくる。それを、ハリーがキャッチ。

 

「あとは、寮の部屋に置いてあるファイアボルトを、遠く離れた競技場にまで呼べるかどうかだよ」

「そんなの、平気よ。本当に集中すれば、ファイアボルトは飛んで来る。間違いないわ」

 

 はたして、そうなるのかどうか。ともあれ特訓は終わったのだ。すでに日付は変わり、今日ということになるが、決戦は火曜日。大広間での昼食後にマクゴナガルがやってきて、ハリーに運命の言葉を告げた。

 

「ポッター、代表選手は、すぐ競技場に行かないとなりません。第一の課題の準備をするのです。ついてきなさい」

「わかりました」

 

 ハリーが、立ち上がる。周囲の視線が集中する。そのなかを、ハリーはマクゴナガル先生と一緒に大広間を出た。そこから石段を降り、外へ。

 

「ポッター、落ちついていますか? 冷静さを保ちなさい。あなたはベストを尽くせばいいのです。仮になにか、手に負えない事態になったとしても、それを収めてくれる魔法使いたちが何人も待機していますからね」

「はい、大丈夫です」

 

 これから行く先を、ハリーは知っていた。ハグリッドからドラゴンを見せられた場所へと近づいているのだ。だがあのときの違うのは、そこにテントが張られていること。

 そのひとつの前で、マクゴナガルは止まった。

 

「このテントが、代表選手の控え場所となります。ここであなたの番を待つのです。詳しい説明は、なかにいるバグマン氏がしてくれるでしょう」

「はい。あの、先生」

「なんです?」

「アルテシアは、どこにいますか。応援に来てくれるでしょうか」

 

 ハーマイオニーが来るのは、間違いない。ロンも、きっと来るだろう。でも、アルテシアはどうか。ハリーには、その予想はできなかった。もう何日、話をしていないのだろう。ここ何週間か、話をした覚えはなかった。

 こんなときになってアルテシアを思い出したのは、これまで何度か、一緒に危険なときを経験しているからだろう。ハリーは、そんなことを考えた。なにかあっても、助けてくれるんじゃないか。ふと、そんなことを思ったのだ。

 

「もちろん、来るでしょう。とにかくあなたは、自分のできることを精一杯やればいいのです。大丈夫です。さあ、中へ」

 

 その言葉に後押しされるように、ハリーはテントの中へと入っていく。なかには、フラー・デラクールやビクトール・クラム、それにセドリック・ディゴリーがいた。ハリーが最後だったのだ。

 

「よし。これで全員揃ったな。これから課題の内容を説明するが、まあ、楽にしたまえ」

 

 バグマンの陽気な声が、テントのなかに響く。よろよろと、選手たちがバグマンのもとへと集まってくる。

 

「この袋のなかに、小さな模型が入っている。まずは諸君らに、このなかから1つずつ、その模型をとってもらう」

 

 それは、紫色をした絹製の袋だった。ふくらんでいるので、なかに何かが入っているのは明らかだ。

 

「その模型が、えー、諸君らの相手を示している。つまり、抽選ということだよ。諸君らは、その相手から卵を奪えばいいのだ」

 

 バグマンが、選手たちを見回していく。つられてハリーも、ちらりとみんなを見た。誰もが、少し青ざめて見えた。セドリックが小さくうなずいていたが、フラーとクラムはこわばった表情のままだ。誰もがドラゴンとの対決を思い、不安を感じているのだ。本来ならまだ知らないはずなのに、誰もがそのことを知っていると、ハリーは確信した。

 

「では、袋の中から1つずつ、取り出したまえ」

 

 その袋が、フラー・デラクールの前へ。フラーがそこから取り出したのは、精巧なドラゴンのミニチュア模型。やはり相手はドラゴンなのだ。その模型には、2という数字がついていた。ちなみに、ウェールズ・グリーン種と呼ばれるドラゴンである

 次は、ビクトール・クラム。クラムは、3という数字のついた中国火の玉種。セドリック・ディゴリーは1をつけたスウェーデン・ショート-スナウト種。

 数字は、競技する順番を示しており、残るハリーは、最後にハンガリー・ホーンテール種のドラゴンと対することが決まった。

 

「さて、諸君。ホイッスルが聞こえたら競技開始だ。ええとディゴリーくん、君が一番だな。健闘を祈っているよ」

 

 そう言ってバグマンがテントを出てすぐあとで、ホイッスルの音が聞こえた。続いてセドリックがテントを出る。ややあって、大歓声が聞こえてくる。

 

「始まったな」

「ええ、そのよーでーす」

 

 クラムとフラーの声。小さな声だが、このテントのなかではどこにいても聞こえただろう。

 

『おぉぉ、危なかった、危機一髪だ』

 

 外からの、拡声された実況の声も聞こえてくる。声だけというのも、妙に怖さを感じるものだとハリーは思った。しかも、実況と言いつつも、なにがどうなってるのかさっぱりわからない。セドリックがどうしているのか、ドラゴンがどんなことをしているのか。そんな説明が、一切ないのだ。ただ、危ないだの、気をつけろだの、逃げろだの、そんなことを言っているだけ。そんな時間が15分ほどは続いただろうか。

 

『本当によくやりました。金色の卵を奪うことに成功しました!』

 

 ものすごい大歓声と、バグマンの叫び声。セドリックが、みごと課題を克服してみせたのだ。ややあって、フラーの番を告げるホイッスルがなる。その瞬間、フラーが立ち上がった。

 

「あたーしの番でーす。失敗などできませーん。あの子が、みてまーすから」

 

 何を言ってるんだろう。ハリーは、フラーに目をむける。フラーは、頭の天辺から爪先まで震えていた。誰だって、ドラゴンが怖いのだ。それがよくわかったが、フラーはそれでも顔を上げ、杖をしっかりとつかんでテントから出ていった。

 

 

  ※

 

 

「やはり、こんなことでは勝負になりませんね」

 

 競技場の観客席。一般の生徒は、ここからドラゴンとの対決のようすを見ることになっていた。その観客席の片隅で、アルテシアはティアラとともに、セドリックがドラゴンから金色の卵を奪うのを見ていた。もちろん、ソフィアやパチル姉妹もそばにいる。

 

「次の課題からってことにしようか?」

 

 ティアラを見て、そう言う。だがそのアルテシアの提案に、ソフィアは首を横に振ってみせた。

 

「せっかくだし、やるだけやってみましょう。まず、あの金の卵を手に入れる。そして」

「元に戻すってこと?」

 

 すでに、フラーとドラゴンの闘いは始まっている。フラーがなにかしたのに違いないが、ドラゴンの動きはにぶく、どうみても眠そうにしている。いや、寝てしまったようだ。

 

「うまいやり方ですね。ドラゴンを眠らせ、そのあいだに卵をとる。最初の人よりはうまくやったと思いますけど、あの人は詰めが甘いから。ほら、あんなことになる」

 

 ドラゴンを眠らせることには成功したが、その寝息で鼻の穴から飛んだ小さな炎が、フラーのローブに火をつけたのだ。さすがにフラーもあわてただろうが、すぐにアグアメンティ(Aguamenti:水よ)の呪文で消し止め、なんなく金の卵を手に入れた。

 

「どうです? 次で挑戦してみませんか。金の卵を手に入れる。それをあたしが元に戻すってことで」

「いいけど、一瞬で終わるよ。それでもいいの?」

「ええ。かえってそのほうが、気づかれなくてすむじゃないですか」

「わかった」

 

 次は、クラムの番だった。中国火の玉種のドラゴンが、恐ろしげなうなり声を上げ、クラムが逃げ回る。

 

「どうしたんです? そろそろ卵を」

「あ、ごめんなさい。卵はここよ。見えなくしてあるけど」

 

 ティアラの前に差し出されたアルテシアの手のひらには、なにもなかった。その手のひらを見て、ティアラは微笑んだ。

 

「なるほど。そこまで考えなかった。じゃあ、こちらの番ですね」

 

 ちょうど、クラムが結膜炎の呪い(Conjunctivitis curse)をドラゴンにむけて放ったところ。唯一の弱点とされる目を狙ったところは、さすがと言えるだろう。かなり痛むらしく、ドラゴンが身もだえしている。その動きに邪魔され卵の置かれた巣に近づけないことを除けば、うまい方法であったに違いない。クラムは、もう少し巣からドラゴンを引き離して呪いをかけるべきだったのだ。

 

「あ、クラムが卵を取ったよ」

 

 またも、歓声が沸き起こる。これで代表選手の3人ともが成功したことになる。最後の選手は、ハリー・ポッターだ。

 

「あなたたちの対決はどうなったの?」

「引き分け、かな」

「いいえ、クローデルは卵がここにあることに気づかなかったんですから、アルテシアさまの勝ちです」

 

 引き分けだとすることに反論したのは、ソフィアだった。その視線の先で、ハリーが杖を突き上げ、呼び寄せ呪文を唱える。その魔法に応えてファイアボルトが大空を飛んでくる。ハリーがファイアボルトに飛び乗ると、すぐさまドラゴンとの空中戦が始まった。それを目のあたりにした観衆から大歓声がわき起こる。

 

 

  ※

 

 

「全員、よくやった!」

 

 競技を終えてテントに戻っていた選手たちに、ルード・バグマンが声をかける。第二の課題に関して話があるというので、選手たちはみな、テントに戻ってきていた。

 ドラゴンとの対決が一番最後となったハリーだが、すでにマダム・ポンフリーの診察も受けている。さすがはドラゴンと言うべきなのだろう。ファイアボルトで飛び回ったハリーだが、一度だけ肩を尾で叩かれている。かすったようなものだが、治療は必要だった。

 

「第2の課題は、2月24日の午前9時半に開始される。諸君らにお伝えするのは、それだけだ。だが安心したまえ、ちゃんとヒントはある。諸君らが手にいれた、金の卵がそうだ。よく調べ、第2の課題が何かを知り、十分な準備をして欲しい。そのための期間は十分にあるはずだよ。わかったかな? では、解散!」

 

 解散、という言葉でようやく、ハリーは解放された。テントを出ると、そこにロンが待っていた。

 

「誰だって、あんな怖い思いをするために、わざわざ名前を入れたりしないよな」

「ロン」

「ボク、誤解してたよ。キミの言うこと信じるべきだったんだ」

「今ごろ、わかったのかい。ずいぶん遅いじゃないか」

 

 つかの間、互いに相手を見やる時間が過ぎる。自分で名前を入れたんじゃない、誰かが仕組んだことだと、ハリーはずっと言い続けていた。それを信じるものはハーマイオニーなどのごく少数だったが、ついにロンも、それを信じることにしたようだ。

 ハリーとロンは、並んで禁じられた森の端に沿って歩いた。その間、2人は夢中で話した。クラム、フラー、セドリックの競技のようすは、ロンがすっかり話してしまっていた。

 そんな2人のうしろを、ハーマイオニーが涙で顔をくしゃくしゃにしながらついていく。仲直りできたことが嬉しいのであろう。それとも、ドラゴンから無事に逃げ切ったことを喜んでいるのか。

 

 

  ※

 

 

「引き分けなんて、わたしも望んでませんよ。なにか、勝負できるものがあるはず」

「そうだね。じゃあ、こんなのはどう?」

「え?」

 

 いぶかるティアラの前に、アルテシアは左手を差し出した。その手のひらを、右手の人差し指で軽く叩く。手のひらの周りに、小さな光の玉が、浮かび出る。1つ、2つ、明るく輝く光の玉。その色は、赤、黄、緑。そして青。小さな光の玉は、7つとなり、それらがらせん状に渦を巻いて集まっていく。

 

「何をするつもりです?」

「ここに、メッセージを入れた。それを読むことができればあなたの勝ち。読めなければわたしの勝ち。期限は次の課題が開始されるそのときまで。どう?」

 

 光の渦は、アルテシアの手のうえで、直径5センチほどの玉になった。その表面は、しゃぼん玉のようにいくつもの色がゆらゆらとゆらめている。その玉を、ティアラが手に取った。

 

「いいでしょう、受けて立ちますよ。次の課題がいつになるかは知らないけど、そんなにお待たせしないと思いますよ」

「うん。楽しみにしてる」

 

 ティアラの姿が、消える。ボーバトンの馬車へと戻っていったのだろう。アルテシアは、にっこりと笑ってみせた。

 



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第69話 「スネイプの質問」

 グリフィンドールの談話室は、ちょっとしたパーティーとなっていた。もちろん、ハリー・ポッターが対抗試合の最初の課題を無事にクリアしたお祝い、という名目である。単に騒ぎたいだけなのかもしれないが、とにかく賑やかだった。食べ物などは、フレッドとジョージのウイーズリー兄弟が厨房からもらってきていた。厨房で働くハウスエルフたちに頼めば、いくらでもくれるのだという。

 

「厨房になんて、どうやって行くの?」

 

 ハーマイオニーが、そんなことをフレッドに聞いている。聞かれて素直に答えるフレッドではなかったが、雰囲気に浮かれていたのか、だいたいのところはしゃべってしまう。だがすぐに気づいたように、ハーマイオニーをとがめる。

 

「なんでそんなこと聞くんだ?」

「もちろん、ハウスエルフたちに会うためよ」

「だから、なんのために? 連中はそっとしておいてやれよ。服や給料をもらうべきだなんて、言わないほうがいいぞ」

「ハウスエルフたちの気持ちを確かめたいのよ。どんなことを望んでいるのか、本当にお給料なんて望んでいないのか、聞いてみたいだけだわ」

 

 ハーマイオニーは常々、ハウスエルフの立場の向上を願っているのだという。周囲からは、ハウスエルフのことをわかっていないなどと言われているが、奴隷的な扱いがされているのではないか、と気にしているのだ。もちろん給料はなく、休みをもらえているのかも怪しい。着るものも粗末すぎる、というわけだ。

 そんな話をしているハーマイオニーたちとは少し離れたところに、アルテシアがパーバティと並んで座っていた。さきほどまでラベンダーもいたのだが、今日は疲れたから、と部屋に戻ってしまっている。パーバティが、アルテシアのうでを指でつつく。

 

「アル、ティアラって人に渡したにじ色のことだけど」

「あれは、違うよ。あのとき作ったものだから、校長室にあるのとは違うから」

「そんなのわかってるけど、なかになに入れたの? あれで、あんたが負けるようなことはないの?」

「中身は、からだよ。なんにも入ってない。問題は、ティアラが気づいてくれるかどうかなんだけど」

 

 たしか、メッセージを入れたと言っていたはずだ。なのに、中身がからだとはどういうことなのか。もちろんパーバティは、そのことを疑問に思っただろう。アルテシアが、そのことを説明する。

 

「だってあのとき、なにか紙に書くなんて時間なかったでしょ。でも、わたしの思いは込めてある。それに気づいてくれればいいんだけど」

「あー、魔法書みたいなものか。ソフィアの杖のときも、そんなことしたよね」

「うん。それに気づかずに開けようとしても、たぶんムリだと思う。そのときは、わたしの勝ちだね」

 

 そして、気づかれたならアルテシアの負けになる。そういうことであったはずなのに、どうやらアルテシアは、ティアラに気づいてほしいようだ。

 

 

  ※

 

 

「ミス・クリミアーナ。いますぐ吾輩についてくるか、さもなくば放課後、研究室に来るかだ。好きな方を選べ」

「え?」

 

 朝食の時間であった。まさにその真っ最中というときに、なぜかスネイプが、グリフィンドールのテーブルへとやってきたのだ。ハリーやロンなど、スネイプ嫌いの生徒は多い。だがスネイプが、そんな生徒たちの視線など気にするはずがない。むしろ、アルテシアのほうが気後れしてしまっていた。

 

「吾輩としては、いますぐのほうを選んでほしいが」

「わ、わかりました。行きます」

「では、ついてこい」

 

 まだ食事中ではあったが、アルテシアは席を立った。パーバティが不安そうに見上げているが、一緒に行くわけにもいくまい。アルテシアがうなずいてみせるあいだに、大股で歩くスネイプはずいぶん先へと行っている。小走りにならないと追いつかないほどだ。

 

「な、なんだっていうんだ。アルテシアは、ぼくたちのだぞ」

 

 ロンの声だ。その言い方ではアルテシアが持ち物のようだぞ、などと誰も指摘しないのは、みんな、何が起こったのか理解するのに少しの時間が必要だったからだ。

 それほどあざやかにアルテシアを連れ出したスネイプは、まっすぐに自分の研究室へと向かっていく。そのあとをアルテシアが懸命に追いかける。スネイプは待つようなことはせず、速度をゆるめることもしなかったので、またたくまに研究室へと到着する。

 

「そこに座れ。心配するな、とくに用があるわけではない。授業の前に話を済ませておきたかっただけだ」

「そ、そうですか」

「なにか吾輩に言いにきていたはずだったな。その話を聞こうか」

 

 たしかにそうなのだが、もうずいぶんと前のことになる。あれから、ホグズミード行きや対抗試合の最初の課題も行われている。魔法薬学の授業もあったくらいだ。なのに、なぜいまなのか。

 そうは思ったが、アルテシアが炎のゴブレットに対してダンブルドアが仕掛けた年齢線のことについて、スネイプの意見を聞きたかったのは確かだ。どうすれば、17歳に満たない者が近づけぬようにとされた境界線を越えることができのか、そのためには闇の魔法が必要となるのかどうか。そのことを聞いてみたかった。

 

「スネイプ先生のご意見が聞きたかったんです。ハリーが対抗試合の代表選手になりましたけど、そのためにはゴブレットに名前をいれなければなりませんでした」

「ふむ、そうだな」

「でも校長先生によって、そんなことができないような対処がされていました。なのに、なぜでしょうか。どうやれば、そんなことができたと思われますか?」

「ホグワーツの生徒というレベルで見れば、およそ不可能だろう。おまえのような生徒もいるので断言はできんがな」

 

 それは、どういう意味か。瞬間、アルテシアは考える。たしかにゴブレットに名前を入れようと思えばできた。だが年齢線を踏み越え、直接ゴブレットに名前を入れることができたかとなれば、自信はない。

 

「わたしにはできたと、スネイプ先生はそう思われるのですね」

「いや、そうは思わん。おまえにはムリだろう」

「え? そ、そうですか」

「そうする理由など、なかったからな。さらに言うなら、これは禁止されていることであり、誰も許可などするはずがない」

「あ、あの、それは」

「おまえは、意味のない規則破りなどはしない。約束したことも守るだろう。基本的には、だがな」

 

 できない、というのはそういう意味なのか。驚きの目で、アルテシアはスネイプを見る。つまり、やればできると思われているのだ。

 

「おまえの話は、それだけか」

「あの制限を破る方法ってあるんでしょうか。スネイプ先生ならできますか。それは、闇の魔法ということになるのでしょうか」

 

 そこでなぜか、スネイプはニヤリと笑ってみせた。まるで気の利いた冗談でも思いついたかのようにみえた。だがまさか、スネイプがそんなことをするなどと、ホグワーツでは誰ひとりとして考えたりはしない。

 

「吾輩であれば、簡単なことだ。あの境界線を何度も行き来することすらできる」

「うわあ、そうなんですか。さすがです。やっぱり、できるんですね。でも先生、だとしたらハリーは危険なんじゃないでしょうか」

「なんだと」

「だって、そんなことした誰かがいるってことになります。ハリーにはできないんだから」

「ほう。そんなことを誰がやるというのだ。目的がみえんな」

 

 そういうことになると、アルテシアにはまったく見当がつかない。言われなくとも、そんなことをする意味など思いつかない。

 

「そうですけど、なんとなく気になってしまって」

「話は変わるが、もちろんおまえは、闇の帝王のことは聞いているな」

「あ、はい。一度お会いできればと思っています」

「なに! おまえ、それを本気で言ってるのか」

 

 むろん、冗談などではない。アルテシアは、本気で会いたいと思っているのだ。というのも、ルミアーナ家のことがあるからで、キチンと決着をつけるとアディナとも約束している。すでに死亡しているのなら仕方がないが、そうでない限り、会わなければならないのだ。

 どうすることが決着を意味するのか、会ってどうしようというのか。そんな具体的なことは、まだわからない。だがとにかく、どこかにいるというのなら、そうするだけだ。

 

「まあ、いい。いずれ会うことになるやもしれん」

「先生、それはどういうことですか」

「闇の帝王は、死んでなどおらん。近いうちに姿をあらわすだろう。そうなればおまえも、無縁ではいられない」

「学校に来たりもするのでしょうか」

 

 ホグワーツでは、たとえば『姿現し』を使えなくするなど、さまざま防御措置がされているという。そのあたりの詳しいことは知らないアルテシアだが、たとえばクリミアーナ家のそれと同じようなものだろうと考えている。だとすれば、堂々と訪ねてくるしかなくなる。友好的にか、あるいは強行手段をとるかはともかく、こっそり侵入してくるなどありえない。

 

「帝王の予定などは知らん。だが、そのときどうするのか、決めておくべきなのは確かだ」

 

 ヴォルデモートが復活したとき、どうするのか。スネイプを前にしてアルテシアが思ったのは、それを相談しようとして自分を連れ出したのではないか、ということだ。だが、そんなことがあるのだろうか。アルテシアの持つイメージからすれば、それは考えづらい。なんでも自分で決めてしまうという、そういった意志を持った人だと思っている。

 

「あの、先生。それはどういう」

「尋ねたいことが2つある。隠さず漏らさず、すべてを正直に答えるのだ。わかったな」

「え? でも、先生」

「言うとおりにするのだ。質問は許さん。聞かれたことに答えればよいのだ」

 

 何を聞かれるかにもよるだろうが、そのすべてを話すのは、簡単そうでいて実は難しいのではないか。このときアルテシアは、そう思った。思いはしたが、スネイプからなにしら隠し通すというのもまた、難しいことなのだ。自分では表情に出しているつもりなどないのだが、ときに読み取られてしまうことがある。

 

「なにを、答えればいいのでしょうか」

「そう、こわばった顔をするな。なにも、難しいことではない。おまえは、吾輩の最初の授業のとき、母親から魔法薬の手ほどきを受けたと言ったな」

「はい。勉強は3歳から始めたのですが、ときおり母が魔法薬のことを話してくれました」

「その母親に、魔法薬の作り方を教えた人物がいたとも言ったはずだ。あのとき、それを聞かなかったが、いま、改めて質問しよう。それが誰だか知っているのか。おまえの母は、何か言っていたか」

「いえ、母からはなにも。でも、親友と呼べる人がいたことがわかりました。おそらく、その」

「誰だ、それは」

 

 アルテシアが言い終わるのも待たずに、スネイプが問う。しかも、かなり大きな声だ。さすがにアルテシアも、戸惑いをみせた。

 

「ああ、すまん。それで、その親友のことだが、誰だかわかっているのだろうな」

「ええと、最近わかったんですけど、言わなきゃダメですか?」

「言うのだ、ミス・クリミアーナ。まさにそれが、吾輩にとっての必要な情報となるだろう」

 

 それでも、アルテシアは考える。その親友とは、つまりハリーの母親のことであり、そのことを教えてくれたのはシリウス・ブラックだ。シリウスが逃亡した夜のことまで話すことになりはしないか。そうなったとして、どんな影響があるだろうか。

 

「どうしたのだ、さっさと言え」

「あ! リリーという人です」

 

 スネイプの勢いに押されたのか、考えごとをしつつあったからか、思わず名前を言ってしまっていた。スネイプの身体から、ふっと余分な力が抜けたような気がした。肩の位置が、いつもより低くなったのだ。

 

「やはりな。そんな気はしていた」

「あの、もしかして先生も、リリーという人をご存じなんですか。わたしの母が、何度か家を訪ねていたそうです。そのときに魔法薬を習い、自分の病気をなおそうとしていたんだと思うんです。リリーって、どんな人ですか」

 

 スネイプも、リリーを知っている。考えてみれば、ありうる話だった。なぜってスネイプは、ルーピンやシリウスと同級生であったらしいのだから。

 

「いまは、そんな話をしている時ではない。おまえの母がリリー・エバンズから魔法薬を学び、それをおまえが受け継いだ。その事実が確認できればそれでいいのだ」

「でも先生」

「もう一つ、聞く。おまえはこの先も、ずっとホグワーツに通うのだな」

「はい、そのつもりですけど」

「そうか。授業が始まるな。いずれまた、話をしよう」

 

 つまりスネイプは、何を言いたかったのか。必要なことは聞き終えたとばかり、スネイプはアルテシアを残したまま、自分の研究室を出て行った。

 

 

  ※

 

 

「何を言われたの?」

 

 マクゴナガルの変身術の授業中である。課題も終わり、授業時間の終わりを告げるベルがなるまであとわずか、といったところ。パーバティは、気になっていたことをアルテシアに尋ねる。アルテシアは授業開始のギリギリになって教室にやってきたので、これまで話をする機会がなかったのだ。

 

「わたしの母のこと、かな。母が誰から魔法薬を習ったのか、それが聞きたかったみたい」

「ふうん。でもなんのために。たしか、まえにも同じこと聞かれてたよね」

「初めての授業のときにね。理由はよくわかんない。その人のこと、スネイプ先生も知ってるんじゃないかと思う」

 

 そのとき教室中に、マクゴナガルのいらつきを感じさせる言葉が響いた。課題が終わっていたからか、教室のあちこちで遊んでいる生徒が見られたからだ。アルテシアたちも、勝手なおしゃべりをしていたということになる。

 

「静かに。さあ、全員こちらに注目なさい! 皆さんにお話があります」

 

 誰もが叱られるのではないか、と思ったことだろう。その予想に反して告げられたことは、クリスマスでのイベントのことだった。

 

「三大魔法学校対抗試合の伝統として、クリスマスにはダンスパーティーが行われてきました。今回も実施されることになりましたので、お知らせします。クリスマスのダンスパーティには、4年生以上が参加を許されます。つまり皆さんは、参加できるということです」

 

 たちまち、生徒たちがざわつき始める。それはとくに、女子生徒たちの間で目についた。

 

「大広間でのダンスパーティは、クリスマスの夜8時から始まり、夜中の12時まで。パーティ用のドレスローブ着用が必要です。当日は、いくらか羽目を外すいい機会でもありますよ」

 

 そこで、ベルが鳴った。授業は終わりとなり、それぞれが教室を出て行くなか、ハリーはマクゴナガルに呼び止められた。ロンとハーマイオニーも残ろうとしたが、マクゴナガルの視線を受け、退出する。ほかの生徒たちも全員が、教室を出て行った。

 

「ポッター、代表選手は、パーティーで最初にダンスを踊らねばなりませんよ。その相手はもう決まっていますか?」

「え! なんの相手、ですって?」

「ダンスのパートナーです。一緒に踊るお相手のことです、ポッター」

 

 冗談を言っているのに違いない。ハリーの目は、まさにそう言っていた。だがもちろん、冗談などではない。マクゴナガルは、いつものきまじめそうな顔のままでハリーを見ている。

 

「言っておきますが、これは伝統です。伝統に従い、代表選手とそのパートナーが、ダンスパーティの最初に踊ります。もしまだパートナーがいないのなら、クリスマスまでに決めておきなさい。たとえばハーマイオニー・グレンジャーはどうなのです?」

「あ、でも。でもぼく、踊りません」

「いいえ、そういうわけにはいきません。ホグワーツの代表選手として、するべきことはしなければなならい。これは義務です。いいですね」

 

 つまりハリーは、対ドラゴンに続き、パートナー獲得という新たな課題を与えられたことになる。そういえば最初の課題で手に入れた金の卵の謎は、まだ解けてはいなかった。そのことに取り組んでさえもない。ロンに言わせれば、次の課題はまだずーっと先であり、いまやる必要なんてあるもんか、ということになる。

 さあ、大変だ。変身術の教室を出たハリーは、教室の外で待っていたロンに、このことを話して聞かせた。

 

「たぶん、心配ないと思うな。心配なのはボクのほうさ。だってキミは、代表選手だろ。女の子だってパートナーを探さなきゃならないんだから、きっと誘われたりすると思うな」

「まさか。そんなことあるもんか」

「だれか、これはって相手がいるかい?」

 

 ハリーは答えなかった。頭の中に浮かんだ顔はあったが、その名前を言うことはしなかった。そのことに、ロンが気づいたかどうかはわからない。

 

「キミは苦労しないだろうけど、ボクはだめだろうな。アルテシアがOKしてくれればいいけど」

「アルテシアだって!」

「ああ、あいつを誘えたらいいなって思ってる。キミは、ハーマイオニーなんだろ」

「あ、いや。まだわからないよ」

「もしかして、レイブンクローのシーカーの女か。たしかにカワイかったけど、ヨソの寮だぞ」

 

 寮が別だとか、そういうことは問題ではない。女の子を誘う、ということが難しいのだ。ハリーは、そう思っていた。

 

「けど、気になるよな。あいつは、誰と踊るんだろう」

 

 それが誰のことを言っているのか。ロンに聞かずとも、ハリーにはわかるような気がした。

 

 

  ※

 

 

「で……、ダンスパーティの相手は見つけたかい?」

「まだだよ」

 

 日を追うごとに、そんな話題があちこちでささやかれる。だがパーバティがアルテシアに尋ねてきたのは、そんなことではなかった。

 

「あれから、何か言ってきた?」

「ううん、なにも。期限までだいぶあるからね」

「そうだけど、できるものならすぐにできるんじゃないかな。いまだにできないとなれば、ムリなんだと思うよ。あんたの勝ちだね」

「あはは、そうだね」

 

 アルテシアとパーバティが話しているのは、クリスマスのダンスパーティーのことではなく、ボーバトンのティアラとの勝負の話だ。アルテシアの渡したにじ色の玉を、はたしてティアラが読み解けるのかどうか。それができなければアルテシアの勝ちとなる取り決めなのだが、どうもアルテシアは、それを喜んでいるようにはみえない。

 

「けどさ、クリスマス、どうなるかなぁ」

 

 そんなことを言い出したのは、アルテシアが話に乗ってこないからだろう。ならば、もう一つの気になる話題にするだけだとパーバティは、そう思ったのだ。

 

「大丈夫、ちゃんとやるよ。にじ色は、必ず取り戻す。なにがあってもね」

「それはもちろんだけどさ、ダンスパーティーと重なっちゃうとはね。マクゴナガルは知ってたのかな?」

「さあ、どうなんだろね。でもさ、パーバティはパーティーに行きたいよね」

「ううん、あたしはアルと一緒にいられるほうがいい。あんたがダンスパーティーに行くんなら行くし、にじ色ならそっちだよ」

 

 それが同じ日となったのは、もちろん偶然だ。その日をにじ色奪還の日と決めていたのは学校が休みになるからで、まさかダンスパーティーがあるなんて知らなかったのだ。

 

「パーティー、終わってからにしようか?」

「途中で抜け出すってのもアリ、だと思うけどね」

 

 その日、にじ色奪還を実行することは決まっている。時間までは決めていないが、最適なのはパーティーの真っ最中かもしれない。だれもがパーティーに注目しているのだし、なによりダンブルドアも出席する。

 

「なあ、ちょっといいかい?」

「え?」

 

 その声の主、つまりロンがアルテシアたちの前へとやってきたのだ。

 

「ダンスパーティーに行きたいんだけど」

「どうぞ。行けばいいじゃないの」

「ああ、うん。そうなんだけど、その、相手がいるだろ」

 

 なるほど、そういうことか。パーバティは、そう理解した。アルテシアにもわかっただろう。つまりロンは、誘いに来たわけだ。

 

「まだキミたちが、その、決まってないのなら、ちょうどいいじゃないかと思ってさ。ボクとハリーとキミたちで」

「でも、ハーマイオニーは? 彼女もパーティーには行くんでしょ」

「そうだけど、もう誰かと約束したっていうんだ。誰かは教えてくれないんだけど」

「へぇ、そうなんだ。パートナーはハリーじゃないかって思ってたんだけど」

 

 言いながら、アルテシアを見るパーバティ。パーティーに行くのなら、もちろんパートナーが必要だ。その相手がアルテシアにはいるんだろうか。パーバティの知る限り、そんな約束は誰ともしていないはずなのだ。なにしろ、そのときにじ色を取り戻すことになっているのだから。

 

「ハリーは、チョウ・チャンを誘って断られたんだ。チョウは、セドリックと行く約束になってるらしい」

「あら、それは残念だったわね」

「キミたちは? もう、誰かを誘ったのか。約束した人とかいるのかい」

 

 そのロンの質問に、アルテシアとパーバティが、顔を見合わせる。

 

「わたしたち、その日はほかに用事があるの。ごめんね、パーティーには行けないかもしれない」

 

 

  ※

 

 

 そして、クリスマスの日を迎える。その日の午後、アルテシアはマクゴナガルの執務室にいた。この日この時間、ここで午後の紅茶を楽しむのは、しばらく前から約束されていたことだった。その場に、パチル姉妹やソフィアだけでなくマダム・ポンフリーも招いたのは、もちろんマクゴナガルだ。

 最初にマクゴナガルが、いまからにじ色の玉を取り戻すことにしたいと、提案。マダム・ポンフリーを呼んだのは、体調急変などの事態にすぐさま対処できるように、ということだろう。

 

「体調はどうです、アルテシア。気がかりなことがあるのなら言いなさい。なんなら明日にしても」

「いいえ、大丈夫です先生。すぐに始めますか?」

「あわてる必要はありません。まずはこれをお飲みなさい」

 

 まずは、落ち着こう。そういうことだろう。一番落ち着いていなさそうなのは、マクゴナガル自身かもしれない。マダム・ポンフリーが、そう言って笑った。

 

「けどまじめな話、どうやって取り戻そうっていうんです? だって、校長室にあるんでしょう。ここからできるものなんですか」

「それは、大丈夫です。距離は、あまり問題にはなりません」

「ま、そんな魔法があるってことでしょうけど、ムリはだめですよ。休暇のあいだじゅう、医務室のベッドってことになっちゃいますからね」

 

 誰もが、アルテシアをみる。すべてはアルテシアの体調次第。それは誰もがわかっていることだ。それが終わったとき、アルテシアが元気なのか、それとも魔法使用の負担で気を失ったりするのか。そのとき、にじ色の玉は、その手にあるのか。

 

「大丈夫です。方法は考えてあります。校長先生にも気づかれずにすむはずです」

 

 そのアルテシアの前に、マクゴナガルが、にじ色の玉を置く。以前にアルテシアが作った、入れ替え用のいわばダミーである。それを、アルテシアが手に取る。

 

「これを、校長室のものと入れ替えます。校長室にあるのは魔法がかけられていますので、その魔法処理がされる寸前にまでさかのぼって、これと入れ替えてしまおうということです」

「そうすれば、校長はダミーの玉に魔法をかけることになり、それを大事に保管する、ということですね」

「なるほど。けどマクゴナガル先生、時間をさかのぼるって、つまり逆転時計を使うってことですか」

「いいえ。あれの使用には、面倒な手続きがたくさんありますし、ダンブルドアにも知られてしまうでしょう。大丈夫です。アルテシアは、同じようなことを魔法で実現できますから」

「待ってくださいよ。そりゃ、アルテシアさんがそんな魔法を使えるのは納得しますが、そのときまでさかのぼるって、それがいつだかわかってるんですか」

「いえ、わかりません。ですから、逆転時計は不向きです。少しずつさかのぼっていき、そのときを確かめていかねばなりませんから」

「ああ、なるほど。それは大変ですね。いまからだと、どれくらい時間を戻すことになるのかしら」

 

 おそらくマダム・ポンフリーは、なにかの意味を込めていったのではないはずだ。なんとなくそう思ったのだろう。だがその言葉に、するどく反応した者がいた。パーバティである。パーバティは、アルテシアの肩に手をかけ、自分のほうへと振り向かせて怒鳴った。

 

「この、バカアル! あんた、なに考えてんのよ」

「な、なによ、どうしたの」

 

 当然、周りが止めに入る。だがパーバティの勢いは止まらなかった。

 

「そりゃ、気づかなかったあたしも悪い。悪いけどさ、アル。あんたは知ってたはずだよね」

「だから、なにがよ。どうしたの、お姉ちゃん」

「うるさい、パドマ。あんたも、なんで気づかないのよ」

「だから、なにが?」

「今日まで待ってる必要なんて、なかったってことだよ。そんな必要、ないじゃない。だってこれから、時間を戻っていかなきゃいけないんだよ、アルは。もっと早くにやってれば、それだけ負担は少なくなる。1日たてばたつほど、戻す時間は増えてくってことでしょう」

 

 1日たてばたつほど、戻す時間は増えていく。つまり、負担は増していくということ。パーバティの言うとおりであった。

 




読んでいただき、ありがとうございます。

 思えば、このお話を書き始めて1年になりますね。こんなに長くなるとは思ってなかったというのが正直なところです。単純計算ですが、終わるまでにはもう1年はかかるってことになりますね。それまでおつきあいくださればありがたいです。

 更新は、今年はこれでおわりになるでしょう。続きは来年になります。1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。


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第70話 「奇跡の色」

「おや、目が覚めましたね。お友だちが勢揃いで待ってますけど、会いますか? とりあえず30分くらいならかまわないわよ」

「あ、あの。わたし、結局、倒れちゃったんですね」

 

 マダム・ポンフリーは、にっこりと微笑みながらうなずいてみせた。アルテシアは、医務室のベッドで目を覚ましたのだ。

 

「そういうことですけど、目的は果たせたらしいわよ。わたしに言わせれば、なんでまたこんなムチャを、ってことになりますけど」

「すみません」

「いいのよ。必要なことなんだって聞いてます。じゃあ、お友だちを呼んできましょうかね。あれからのことは、お友だちにお聞きなさいな。ただし、面会時間は30分。それから診察させてもらって、問題なければ明日、ベッドから出るのを許可しましょう」

 

 マダム・ポンフリーが出て行くと、アルテシアは大きく息を吐いた。目的は果たせた、らしい。つまりにじ色の玉は取り戻したということだ。

 時間をさかのぼるといっても、もちろん校長室内の、あの玉の周囲だけにかぎってのこと。それほど負担になるはずがない。アルテシアは、そう思っていた。だが実際は、パーバティの懸念が当たってしまったというわけだ。

 アルテシアはまず、自分も含めその場にいる人たちに見えるようにと、校長室にあるにじ色の玉を映し出した。といっても、それはダンブルドアによって透明化されているので実際には見えない。過去へと戻る過程で、そこににじ色の玉が見えたとき、そのときこそが取り替えるタイミングだということになる。

 そして全員でその場所を見つめながら時間をさかのぼっていくのだが、もちろん、手早く効率的にやらねばならない。いたずらに手間をかければ、また頭痛がしてくるだろうし、その痛みにどこまで耐えることができるかわからない。

 はたして、透明化の魔法がかけられたのはいつなのか。もちろんアルテシアは、事前にそのことを予想している。一番疑わしいのは、ソフィアが校長室を訪ねた頃だ。

 アルテシアは、その地点まで一気に時間を駆け上った。ソフィアが校長室に侵入してにじ色を持ち出しそうな気配をみせたのだから、それ以後も透明化せずにいた、などとは考えられなかった。そしてその予想通り、その時点ですでに透明化されているのを確認。

 そこから先は、さかのぼる速度を加減し、にじ色の玉が見えるようになる地点を探していくことになる。1ヶ月単位くらいで一気に飛んでは状態を確かめ、少しずつ絞り込んでいくという方法もあったが、そちらは選択しなかった。この頃が一番怪しいと、そう思っていたからだ。

 結果的には、その選択は失敗であった。結局、ダンブルドアがにじ色を手に入れたであろう、パチル姉妹がホグズミードを訪れ、アルテシアを探していた女性と会った頃にまでさかのぼらねばならなかった。どうやらダンブルドアは、にじ色を入手して間もない段階から透明化の処理をしていたようだ。

 

「アル、気分はどう?」

「アルテシア、もう平気?」

 

 部屋に入ってきたのは、パチル姉妹。2人とも事情は知ってるはずなのに、それでも心配そうな顔をしていた。

 

「これで最後だよね、アルテシア。もう、ヤダよ。ほんと、心配したんだから」

「ごめん、パドマ。パーバティも、ありがとう。大丈夫だよ。2人の顔みたら、ほっとした」

「あのにじ色は、マクゴナガルが持ってるよ。校長先生みたいに、あんたには渡さないなんて言ったりはしないと思うけどね」

 

 そう言って、笑いあう。本当にそんなことになっては、冗談では済まない。だがそんな心配はないと、誰もが思っているからこそ、笑えるのだ。

 

「そうだ、パーバティ。結局、ダンスパーティーは行けなかったよね。ごめんね、わたしのせいで」

「ああ、それは大丈夫。ちゃんと行ったからさ」

「え、そうなの」

「そうなのよ、アルテシア。聞いてよ、アルテシア。あたしたちはね、アルテシア。マクゴナガルに言われて参加したのよ。ハリー・ポッターのお相手がいないからって頼まれて」

「ハリーの?」

 

 そういえば、ロンが相手を探していた。だがあのとき、断ったはずだ。どうやらロンたちは、あの後も相手を見つけることができなかったらしい。

 

「ポッターは代表選手でしょ。代表は、まず最初に踊らなきゃいけないの。なのに相手がいないんじゃ、どうしようもないからって先生がね」

「ふうん」

「あたしがポッターと踊って、パドマがウイーズリーと。そのはずだったんだけどねぇ」

「どういうこと?」

 

 パドマは結局、一度も踊っていないのだという。ロンとハリーの2人は、ダンスパートナーであるパチル姉妹よりも、キレイに着飾って現れたハーマイオニーに気を取られてしまい、踊るどころではなかった。パーバティーにしても、代表選手が最初に踊ったときの、その1回だけなのだという。

 

「あの2人は、他の女の子に気を取られてばかりで、あたしたちのことには興味がなかったみたいね」

「でもさ、まじめな話、ポッターはグレンジャーと踊りたかったんだって思うよ。彼女ばっかり見てたもん。ウイーズリーは、アルテシアだね」

「えっ! わたし」

 

 パーバティーが、笑顔でうなずいた。きっと冗談だとアルテシアは思った。ハーマイオニーのほうは、ダームストラングのビクトール・クラムと踊る約束をしていたらしい。クラムと踊るハーマイオニーを見て、ハリーとロンは目を丸くしていたのに違いない。その場面が、アルテシアには容易に想像できた。

 

「マルフォイも、あんたを探してたけどね。普段から仲悪いのに、あんたが約束してたなんて知ったら、きっと決闘を申し込むよ、ウイーズリーは」

「わたし、約束なんかしてないよ。ちゃんと用があるから行けないかもって言ってあるし」

「かも、でしょ。かも。もしかしたらって思ったのよ。アルテシア、今度パンジーと会うときは気をつけた方がいいかもよ」

 

 たしかに、パンジー・パーキンソンはドラコを意識しているようだ。では、ドラコはどうなのだろう。そんなことが頭をよぎったが、パチル姉妹の話題は次々に変わっていく。

 

「それでさ、とにかくあたしたちだって踊りたかったんだよ。けどポッターもウイーズリーも、その気はなし。だったら、ほかの男の子をさがすしかないじゃん」

「そうそう。で、マルフォイにも声かけてみたの。そしたら、パンジーがね」

「うん。すごい目でにらんできた。あれは、怖かった」

 

 あの、迫力ある目でにらまれたら、さぞ怖かっただろう。その目を想像しながら、アルテシアは苦笑い。パンジーは、たしかに怖い。アルテシアは、実際に頭を叩かれたことすらあるのだ。もちろん手加減はしてくれたのだろうけど、それでも十分に痛かった。

 

「そのパンジーがね、聞いてきたのよ。びっくりするようなこと」

「そうそう。あんたのことだけどね」

「わたし?」

「パーティーに来てないのは、また医務室なんじゃないかって。びっくりだよ、あんたのこと心配してくれてたんだよ」

「えーっ、彼女が!」

 

 もちろん驚いたのは、パンジーが心配してくれたということに対してだ。もともとアルテシアは、パンジーに対してそれほど悪い印象を持ってはいない。だがそれでも、そんなふうに心配してくれるとは思っていなかった。ケガをしたとか病気だとか、そういうことではなく、ただ、その場にいなかったというだけなのに。

 

「意外? だよね。あたしらもそうだったもん」

「そのパンジー・パーキンソンじゃないけど、あんた、ほんともう大丈夫? ずっと、気持ちよさそうに寝てたけどさ」

「うん。もう、平気。明日になったらベッドから出てもいいって、マダム・ポンフリーも言ってくれたしね」

「ムリしないでよ。そりゃこれで最後にはなるんだろうけど、心配だよ。あんたはさ、ただそこに居てくれるだけでいいんだからさ」

「ありがとう、パーバティ」

 

 もちろん、これが最後になる。そのはずなのだ。実際にあの玉を調べてみなければはっきりとは言えないが、そうなってもらわねば困るのだ。ダンブルドアは、にじ色を調べても何もわからなかったらしいが、アルテシアの場合は違う。そのはずだと、誰もがそう信じて疑わない。

 

「いろいろと話がはずんでいるようですね。女の子が集まればこうなるのは仕方ないと思いますが、病室だということはお忘れなく」

 

 マダム・ポンフリーだった。アルテシアが目覚めたことをマクゴナガルに伝えにいっていたようで、その後ろにマクゴナガルもいた。

 

「アルテシア、これを渡して、いいえ、返しておきましょう」

 

 マクゴナガルの手にあったのは、にじ色の玉。もちろん、校長室に保管されていたそれを回収したものである。その玉が、アルテシアの手に渡った。

 

 

  ※

 

 

「イゴール、騒ぐ必要などないと、吾輩はそう言ったはずだが」

「いいや、セブルス。何も起こっていないふりをすることはできまい!」

 

 ダームストラングの校長であるイゴール・カルカロフ、そしてセブルス・スネイプとが話をしていた。

 

「ふり、などしてはおらん。いずれそうなるであろうことは、吾輩も覚悟している」

「ならば、ならば、セブルス。どうするのだ?」

「すでにさまざま、考えている。あとは結論を出すだけだ」

 

 2人が話しているのは、闇の帝王、すなわちヴォルデモート卿のことだろう。ヴォルデモートが、何らかの動きを見せつつあることを感じているのだ。

 

「セブルス、いざとなったら逃げようではないか。わたしは真剣に心配しているのだ。そうしたほうがいいと思わんか」

「そう思うのなら、そうすればいい。だが吾輩は、そうはしない。逃げ切ることは難しいだろうからな。立ち向かうか、従うか。そのどちらかしかない」

 

 カルカロフの声は、ずいぶんと小さかった。誰かに聞かれでもしたら困る、といったところだろう。不安を押し殺そうとでもするかのように、自身のヒゲを指でもてあそんでいた。

 

 

  ※

 

 

 ここは、マクゴナガルの事務室。そこにあるテーブルの周りに、ズラリと椅子が並んでいた。全部で5つあり、パチル姉妹とソフィア、マクゴナガル、アルテシアが座っている。

 

「さて、アルテシア。あの玉を手にしてから、なにか判ったことはありますか」

「はっきりとはしないですけど、なにか伝えたいことがあるみたいですね。そんな意志みたいなものを感じます」

 

 そう言って、テーブルに置かれているその玉に手を伸ばす。そしてそれを、ソフィアへと差し出す。

 

「ソフィア、どう思う?」

「え、あたし、ですか」

「わかる? わたし、やっぱりホグズミードに行ってみようと思う」

「ホグズミードへ? いまさら、何しに行くの?」

 

 言ったのはパーバティだが、それが全員の考えを代弁しているようなものだった。誰からも賛成意見が出ることはなかったが、アルテシアは、その考えを変えたりはしなかった。

 

「ホグズミード村で、その人はわたしを探していました。単にこの玉を渡したかっただけじゃなくて、何か伝えたいことがあったんだとしたら。なにか大切なことを聞かないままになるんだとしたら。それは、やっぱりまずいんじゃないかなって」

「ですが、アルテシア。あなたの言うこともわかりますが、ホグズミードにはもう、パチル姉妹が会った女性はいませんよ」

「いいえ、そうではないと思います。あの家に、この玉を持って行ったなら。きっとなにか起こると思うんです」

 

 

  ※

 

 

「読んだか、新聞」

 

 ロンの手にあるのは、日刊予言者新聞。その1面のトップ見出しは『ダンブルドアの「巨大な」過ち』だ。休暇が終わり、授業が再開された、まさにその日の新聞だ。

 

「リータの記事でしょ。ハグリッドのことはそうじゃないかって思ってたけど、気になることがあるわ」

「前から思ってたって? どういうことだい。それに気になることって?」

 

 記事の内容は、ダンブルドアの批判したもの、ということになるのだろうか。ホグワーツ校長の教職員の任命に関する問題点、として書かれたものだった。

 たとえばそれは、狼人間であった人物を教師にしたことであり、半巨人に学校内での職を与えたりといったこと。

 

「巨人族の血が混じってなければ、あんなに大きな身体にならないと思うわ。純粋な巨人族は6メートルとかになるそうだから、半巨人だってことだけど、それがなに? 気になるのは、リータがどうやってそれを知ったかのほうよ。あの人は、たとえ取材であろうともホグワーツの敷地内に入るなとダンブルドアに言われてるのよ」

「内容はデタラメだけど、生徒へのインタビュー記事が載ってる。てことは、だよな」

 

 つまりリータは、禁止されているのに校内に入ってきているということになるわけだ。誰にも気づかれずに。

 

「どうやったら、そんなことができるのかしら。これは、知っておかなきゃいけないことだと思うわ」

「それよりハグリッドはどうなるんだい? 魔法生物飼育学は、グラブリー・プランク先生が教えてるだろ」

「ぼくたちを避けているのかもしれないよ。半巨人だってこと、知られたくなかったはずだ」

 

 この記事が出て以降、ハグリッドは食事のときも教職員テーブルに姿を見せず、校庭で森番の仕事をしている様子もなく、「魔法生物飼育学」は、あいかわらず、グラブリー・プランク先生が続けて教えた。

 ハグリッドの小屋へと訪ねていっても、会えない日が続いていた。そうしているうちにホグズミード行きの日を迎える。

 

「いいこと、ハリー。みんながホグズミードに行って、せっかく校内が静かになるんだから、このチャンスを活かさないと」

「チャンスだって?」

「ええ、そうよ。あなた、まだ金の卵の謎を解いてないんでしょう? それに専念すべきよ」

「あ! でも、あれは。あれがどういうことなのか、もう相当いいとこまでわかってるんだ」

 

 嘘だった。ハリーは、ほかのことにかまけて、卵のことをすっかりわすれていたのだ。それに今だって、ハグリッドのことが気になっている。それにホグズミードに行けば、ばったり出会って、ハグリッドと話をする機会だってあるかもしれないのだ。

 その、ホグズミード行きの土曜日がきた。ハリーは、ロンとハーマイオニーと一緒に、学校を出る。もちろんこの日、ホグズミードに向かったのは、ハリーたちだけではない。

 双子のパチル姉妹とアルテシア、ソフィアの4人もまた、ホグズミードへと向かった。

 

 

  ※

 

 

 ホグズミードにある三本の箒。その店内でハリーは、ルード・バグマンと会った。会う約束をしていたということではなく、ハリーたちを見つけたバグマンが、ハリーのもとへと近づいてきたのだ。

 

「やあ、ハリー。金の卵はどうしてるかね?」

「あの……まあまあです」

 

 そんな返事をするしかなかった。だがバグマンは、その返事の中にあるハリーのごまかしを見抜いたようだった。

 

「ふむ。もし苦労しているようなら、ちょっとくらいアドバイスをしてやれるかもしれないんだが。順調だと、そう言うんだね?」

「はい。だって、自分の力で謎を解かなきゃいけないんですよね?」

「そうだとも。むろんそういうことなんだが、キミの場合は、その。年下でもあるからね。ちょっとぐらいのアドバイスは問題ないと思うよ」

「ありがとうございます。でも、卵のことはほとんどわかりました……あと数日あれば解決です」

 

 もちろん、嘘だった。なぜバグマンの申し出を断るのか、よくわからないまま、ハリーはそう言っていた。となりにロンやハーマイオニーがいたからかもしれない。

 

「なんで断るんだ。いい情報が聞けたかもしれないのに」

 

 ハリーに断られたことで気分を害したらしいバグマンが去っていくと、さっそくロンがそんなことを言い出すが、ハーマイオニーは取り合わない。

 

「おあいにくね、ロン。ハリーは、そんな不正みたいなことはしないのよ。だってハリーは、もう卵の謎は解決してるんだから」

「そうなのか、ハリー。なんだったんだい、あの謎って」

「ああ、いや、その。実はぼく、まだ卵のことは」

「待って、何も言っちゃいけないわ。見て、あそこ」

 

 ハーマイオニーの指さしたところにいたのは、リータ・スキーターだ。どうやら、いまの話を聞かれていたらしい。

 

「おーや、なんで止めるざんすか。いいお話をきけるところでしたのに」

「最低の女ね、あなたって。そうやって盗み聞きばかりしてると、そのうち思い知ることになるわよ」

「お黙り。バカな小娘のくせして。わかりもしないのに、わかったような口をきくんじゃない」

 

 ハーマイオニーをにらみつけ、リータ・スキーターは冷たく言った。

 

「あなたのこと、記事にしてあげるざんすよ。でもいまは、さっきの話の続きをお願いしたいわね」

 

 リータ・スキーターが、これみよがしに自動で文字を書くことのできる速記用の羽根ペンを取りだした。そのペンが、羊皮紙の上でダンスを始める。

 

「話してなんか、あげるもんですか。さあ、ハリー、ロン。行くわよ」

 

 ハーマイオニーが駆けだしたので、ハリーとロンもそうするしかなかった。そんな3人が立ち止まったのは、その先にアルテシアを見つけたからだ。

 

「見たわよね、あなたたち」

「家の中に入ってったようにみえたけど」

「あそこって、誰の家なんだい?」

 

 

  ※

 

 

 たしか、この家に入ったはずだ。だが近づくほどに、その自信がなくなっていく。その家の屋根が青色だったのだ。3人ともに、屋根の色は茶色だと思っていたのだ。そろって見間違えるというのは考えにくい。ということは、この家ではないということになる。だが近くに、茶色の屋根の家はない。

 

「どういうことだろう」

「わからないわ。だったら、確かめてみるしかないでしょ」

 

 ハーマイオニーが、堂々と、その家の敷地へと入っていく。そして、ドアをノック。だが、反応はなかった。ひっそりとしたままなのは、誰もいないからなのだろうか。

 

「留守、だよな」

「ええ、そうみたい。でも、おかしいわね。ここだと思ったんだけど」

 

 この家のはずだった。だが留守のようだし、屋根の色も違う。ならば見間違えたのか、あるいは勘違いなのか。そう納得するしかない状況ではあったが、ハーマイオニーは、簡単には納得できなかった。

 

 

  ※

 

 

「これが、戻ってくるとは思わなかった。わたしの役目も終わったはずだったのに、まさかもう一度手にすることになるとはね」

 

 その部屋には、アルテシアとパチル姉妹、ソフィア、そしてもう1人。しばらく前にもこのメンバーで会ったことがあるのだが、そのときは玄関先での立ち話。今回は、家の中に通されていた。おそらく、アルテシアがにじ色の玉を取り出して見せたからだろう。

 そのときから、あきらかに雰囲気が変わったのだ。にじ色の玉を手渡したそのときから、その人のようすが、明らかに変わったのである。

 やはり、この家ににじ色の玉を持ってきて正解だった。誰もがそう思いつつ見つめる中で、その女性が杖を取り出し、にじ色の玉に軽く触れる。そのときほんの一瞬だが、部屋の中がまぶしい光に満たされた。

 

「だけど、良かったなんて思わないことね。あとで後悔するかもしれない。良かったのか悪かったのか、それを決めるのはあなたじゃないし、いま決められることでもない」

 

 その女性は、まっすぐにアルテシアを見ていた。もちろんアルテシアも、目をそらさずまっすぐに相手を見る。いったい、何が起こったのか。起こっているのか。

 彼女の印象は、明らかに変わっている。以前に会ったときと同じ人物だなんて、とても思えないほどだ。そんな疑いを持ちたくなるほど違っている。パチル姉妹やソフィアはそう思っているのだが、アルテシアは、別のことを考えていた。どことなく、覚えがあるような気がしたのだ。どこかで会ったことがあるのかもしれない。

 

「まずは、あなたの名前から聞かせてもらおうかな」

「あ、はい。わたしはアルテシア。アルテシア・ミル・クリミアーナです。それからこっちが…」

「ごめんなさい、ほかの人はいいわ。覚えていられないからね、申し訳ないけど」

 

 その言葉で、紹介は終わってしまうことになる。彼女が、軽く笑って見せた。

 

「ふふっ。聖なる魔女の血を引く、正統なるクリミアーナ家のお嬢さま。そう言われて育ってきたのよね」

「それは」

「だから、しっかりと勉強をしてきた。あなたを見てれば、それがよくわかる。がんばったわね」

 

 なにか言おうとしたアルテシアだが、それが言葉になることはなかった。その開いた口が閉じたところで、女性が話を続ける。

 

「でも、それが台無しになってしまうかもしれない。これからあなたが選ぶのは、そういうこと」

「選ぶ?」

「そうよ。よく勉強してきたあなたなら、知ってるはず。クリミアーナには、失われた歴史というものがあるわよね」

「え? ええ、そう聞いています。でもそれが」

「知りたいと思ったことはない? なぜ、失われたのか。なにが失われたのか。もちろん考えたこと、あるわよね?」

 

 考えただけでなく、その歴史を知ろうと調べようとしたことすらある。だがアルテシアはもう、そんなことはしていない。昔よりも今、これからのことのほうが大切だと、そう思うようになったからだ。

 

「改めて言うようなことじゃないけど、クリミアーナの魔法書は、クリミアーナの魔女が作ったもの。そこには、その魔女が得た知識や魔法力などのすべてが残されるから、ちゃんと学べばちゃんと伝わる」

「あの、まさかとは思いますけど」

「気がついたようね。そのとおりよ。でも、本当になくなったわけじゃない。ここに、ある」

 

 にじ色を玉が、ふわっと宙に浮いた。空中を滑るように、それがアルテシアのすぐ前へとやってくる。

 

「これは、あなたのものよ。あなたが学び、身につけているはずのもの。そう。あなたが学んだ魔法書は、全てがそろってはいない。欠けているこれを加えることで、ようやく元通りの魔法書になる」

「つまりわたしの魔法書は」

「ええ、そう。あなたの魔法書は、クリミアーナで最初に作られたもの。いえ、クリミアーナを作った本、というべきかしら」

 

 つまりアルテシアの魔法書は、クリミアーナ家にある家系図の、その一番上に名前が記された魔女によるものだということ。そしてその魔法書が作られたことにより、クリミアーナ家は始まったのである。

 

「わたしの知る限り、その魔法書で勉強したのは、2人だけ。あなたを含めてね。そして、同じ悩みを抱えた」

 

 目の前にいるこの人は、いったい誰だろう。その女性に見つめられ、自分もその相手を見ながら、アルテシアは考える。もちろんこの家に住んでいる女性で間違いはないが、いま彼女を支配しているのは、本人ではない別の誰かだ。

 

「思いどおりに魔法が使えない。満足に魔法が使えない。これでは、いざというときに困る。だから、いまのうちに解決しなきゃいけない。そうよね?」

「はい。そのとおりです」

「そのために、これが役に立つでしょう。さあ、あなたの手に取りなさい」

 

 もちろんアルテシアは、にじ色の玉に手を伸ばす。だが、手につかむ寸前で、その玉がすっと10センチほど上に動いた。

 

「でもその前に、考えて欲しい。それを得るということはどういうことか。それを得たとき、どうなってしまうのか。選んだなら、もう元には戻れないからね」

「あの、よくわからないんですけど」

「だったら、考えなさい。わからなければ、考えればいい。けんめいに考え、答えを求めなさい。探さなければ、答えは見つからないわよ。本当はもう知っているはずだけど、そのことに気づくまで考えるのです」

 

 スッと、にじ色の玉が動き、アルテシアの手の中に。その玉を握りしめ、アルテシアは改めてその女性を見た。言われていることの、意味は分かる。結局のところ『答えは自分で見つける』ということ。疑問は常に持っていてよいし、いくら悩んでもよい。だが、あきらめてはいけない。あきらめたなら、それまで。それが、クリミアーナの教えだ。だとするなら、昔のことを知ろうとするのをやめたのは、間違いだったのか。

 

「あなたは、いったい誰なんですか?」

「おや、それを聞かれるとは思ってなかった。でもその答えも、あなたの中にある。考えなさい。それはともかく、さっきから家のドアをノックする音が聞こえるのよ。女の子が1人と男の子が2人ね。あきらめそうにないから、相手をしてやらないと」

「あ、でも。もう少しだけ」

 

 聞きたいことなど、いくらでもある。そう思ったアルテシアだが、彼女は首を振ってみせた。

 

「これで終わりよ、わたしの役目はここまで。選ぶのはあなた。でも1つだけ教えてあげる。この世の中には、海の色でもなく空の色とも違う、空よりも澄んで海よりも深い、そんな不思議な色がある」

「え?」

「クリミアーナの最初の魔女は、そんな色の目をしていた。その頃の人たちは“奇跡の色”と呼んでいたの。アルテシア、だったわね」

「はい」

「このまま、学校かどこか、適当な所に移動しなさい。この家にいたのを知られないほうがいいでしょう」

 

 そういえば、この家に誰かが訪ねて来ていると言っていた。このままなら、アルテシアたちはその人たちと顔を合わせることになる。そうならないほうがいい、ということだ。

 その女性が、大きくうなずいてみせた。アルテシアも、小さくうなずき返す。そして彼女は玄関へ。アルテシアたちの姿は消えた。

 



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第71話 「えら昆布」

 湖の畔に置かれたベンチに、アルテシアが座っていた。そのアルテシアを取り囲むように、パチル姉妹とソフィアがいる。この3人が立っているのは、ベンチが3人がけであり、4人そろって座れないからだ。アルテシアだけ座ってるのは、3人からその体調を気遣われてのことである。

 

「平気よ。いくらなんでも、あれくらいの魔法で倒れたりしないわ。頭も痛くないし」

「ならいいんだけどさ。でも、ホグズミードに行った価値は十分にあったよね」

「そうだね。でも、考えろって、どういうことだろ。アルテシア、わかる?」

 

 首を振ることも、うなずくこともしない。ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐きだす。深呼吸することで気持ちを落ち着けようとでもしたのだろう。

 ホグズミードの家で、アルテシアは自分を含めた4人の姿を見えなくした。そうしておいて、その家の玄関の外へと転移。もちろん、誰がこの家に来たのかを確かめるためだ。ドアをノックしていたのは予想したとおりの3人だったが、そのときアルテシアたち4人は、見てしまった。屋根の色が青から茶色へと変わる瞬間を見たのである。偶然には違いなかったが、そうなったのは、にじ色の玉を外に持ち出したため。そういうことになる。

 そしてその家の入り口のドアが開き、3人組が玄関に入ったのを見届けてから、アルテシアの魔法で学校の湖のところへと移動したのである。

 

「自分で考えて、自分で決めろってことだと思う。だけどこれって、すごくむずかしい。ソフィアはどう思う?」

 

 ソフィアもまた、魔法書を学んでいる。だからこそ、聞いてみたかった。自分で考え自分で決めるにせよ、このことを相談できるのはソフィアしかいない。そう思ったからこそ、アルテシアはソフィアに、そう言ったのである。だがソフィアは、うつむいたままだった。

 

「どうしたの、ソフィア」

「そういえば、さっきから全然しゃべってないよね。ずいぶんとソフィアの声、聞いてない気がするけど、気分でも悪いの?」

「あ、いえ。そういうことじゃないんです。ただ、にじ色の玉のことを考えてたんです」

 

 ソフィアが、ようやく顔を上げる。視線はもちろん、アルテシアへと向けられた。

 

「あの家の人が言っていた奇跡の色って、アルテシアさまの目の色のことですよ。もちろん、気づいてますよね?」

「あ、それはあたしも思った。アルの目は、そんな色だって」

 

 パドマもうなずく。それは、透きとおるように澄んでいながらも、これ以上はないであろうほどの深い、青。言葉にすれば、どこか矛盾しているような表現となってしまうが、実際にそれを見れば、誰もが納得するだろう。まさにそんな色なのだ。

 

「それにあの人の目も、あのときはそんな色でした。アルテシアさま、これって」

「そうかもしれないし、違うかもしれない。わたしは、もう1人は500年前にクリミアーナで騒動が起こった、そのときの魔女だと思ってる」

「え! 500年前って。まさか」

 

 驚いたのはパチル姉妹だけ。たがソフィアは、きっとそんな予想をしていのだろう。ただ静かに、アルテシアを見ている。

 

「その人も、魔法を使うのに苦労していた。でも、騒動もあったのににじ色の玉はそのままにしていた。たぶん、手元にあったはずなのにね」

「それは、なぜなの?」

「わからない。それを考えろってことだと思う。とにかく、じっくりと考えてみる」

 

 アルテシアが、ベンチから立ち上がる。

 

「それより学校に戻ろう。ここは寒いよ。マクゴナガル先生にも報告しないといけないし」

「でもさ、これからどうするの?」

「しばらくは、このまま持ってるわ。そして、あの人に言われたように、いろいろ考えてみる。ここから魔法書の不足分を取り出すのは簡単だけど、そうしてしまう前にね」

「でも、アル」

 

 心配そうなパーバティに、アルテシアは笑顔を見せた。

 

「大丈夫、心配ないよ。だってほら、ここにあるんだからさ」

 

 そして、にじ色の玉を見せる。それは、どこでもない、自分の手の中にある。だから、なにも心配することはない。アルテシアの言うのはそういうことだが、それでパーバティの不安がなくなったわけではないようだ。パーバティが、ソフィアへと目をむける。そこで、パドマの明るい調子の声がした。

 

「マクゴナガルのところで、ワイワイ騒ごうよ。とにかくさ、みんな忘れて楽しもうよ」

 

 

  ※

 

 

 その昔、アルキメデスは「分かったぞ!」と叫びつつ、服を着るのも忘れて裸で浴室の外へと飛び出したらしい。浮力の原理のヒントを得たときのエピソードとされているが、まさにハリーは、そんな心境であったのに違いない。もっとも、裸のままで浴室を飛び出したりはしなかった。キチンと服を着て、そーっと浴室を出る。もちろん、透明マントで姿を消すことも忘れない。というのも、今は真夜中だからだ。誰にも見つからずに、寮に戻らなければならない。

 深夜に監督生の浴室へと入り込み、ついに探し当てた金の卵の謎。それによれば、第2の課題は『湖に入って水中人を見つけ、奪われたものを取り戻す』こと。しかも、1時間のあいだにやり終えなくてはならないのだ。遅れれば、奪われたものは戻ってこないらしい。何が奪われるのかは知らないが、ひどく厄介な課題だ。自分の手に余るとハリーは思っていた。

 

「問題は、どうやって息をするのか、なんだよな」

 

 ふっと、ひとり言。おそらくあれは、水中人の言葉なのだろう。金の卵を浴槽に沈め、自分も潜ることで、ちゃんと聞き取ることができた。でもそのすべてを聞き取るためには、3回にわけて潜る必要があった。息が続かなかったからだ。

 課題は、湖に入ることを要求している。制限時間は1時間。つまり、1時間程度は湖に潜れなければいけないのだ。でも、どうすればそんなことができるのか。そんな方法など、なにひとつ思い浮かばない。つまりハリーには、ハーマイオニーの持つ知識が必要なのだ。

 

「あっ!」

 

 思わず、叫んでいた。それほど大きな声ではなかったはずだ、と自分に言い聞かせながら、ハリーは廊下の隅に隠れた。透明マントを着ているのだから大丈夫であるはずだが、フィルチの飼い猫であるミセス・ノリスが、こちらをじーっと見ているのだ。もちろん姿を見ているわけではなく、匂いを嗅ぎつけられたのに違いない。

 ならば、この場所にはいつまでもいられない。フィルチが、近くにいるのかもしれないからだ。マントから足などがはみ出したりしないようにと注意しながら、ハリーはゆっくりと廊下を進んでいく。ミセス・ノリスもまた、その後をついてくるように歩き出す。やはり、姿が見えているのか。そんな気にもさせられたハリーだが、走り出すわけにはいかない。走れば、足音がしてしまうからだ。音を立てないように、ゆっくりと進んでいくしかない。

 そうしているうちに、前方から声が聞こえてくる。聞き覚えのある声が、言い争っていた。

 

「スネイプ、それは確かか。間違いないのか」

「間違いない。誰かが吾輩の研究室に入り込んだのだ。以前にも、薬材棚から魔法薬の材料がいくつか紛失したことがある。それ以来、誰かが忍び込んだ場合、探知できるようにしてあるのだ」

「それに引っかかったというのだな。だが、いったいなんのためにだ。そんなことをしそうな者に心当たりはあるのか」

「生徒のだれかだとは思うが、調べる必要はあるだろう。はたして、何を持っていったのやら」

 

 言い争っているのは、スネイプとマッドアイ・ムーディーだ。スネイプが何を盗まれようと、そんなことはハリーにとってどうでもいいことだった。そんなことよりも、すぐにこの場を離れなければ。

 ハリーは、まっすぐに寮へと戻るのをあきらめ、回り道をすることにした。いくら透明マントを着ているとはいえ、ムーディのそばは通れない。ムーディの魔法の目は、ごまかせない。透明マントを着ていても、見つかってしまうのだ。

 こっそりとその場所を回避し、ようやく寮へと戻ってきたところでハリーは大きくため息をついた。談話室では、ロンが待っていた。

 

「なんだって。1時間も息を止める? もちろん死なずにってことだろ。どうすりゃ、そんなことができるって言うんだ」

 

 

  ※

 

 

「なんでよ。あなたはもう、卵の謎はもう解いたって、そう言ったじゃないの。なのに、こんなギリギリになって、そんなことを言うなんて。あと1週間しかないじゃない」

 

 ハーマイオニーの、怒ったような声が響いた。だがそんな声は、図書館にはふさわしくはない。

 

「大きな声を出さないで! ここは図書館なんだから」

 

 さっそく周囲から冷たい視線を向けられるが、図書館にいたのは、ハリーにとっては幸運だったろう。ハーマイオニーも、ひそひそ声にならざるを得なかったのだから。

 

「とにかく、なにか方法を探さなきゃ。一番可能性のあるのは、なにかの呪文だわ。でも、そんな呪文があるかしら」

 

 さっそくハーマイオニーは、本を集めて調べ始める。もちろんハリーとロンも、同じことを始めるが、ハーマイオニーのペースにはとてもついていけない。

 自分のことだというのに、ハリーは、真剣に探してはいなかった。ハーマイオニーが、なにか見つけてくれる。きっといい方法を見つけてくれると、そう思っていたからだ。

 ひょいと、ハーマイオニーが頭を上げる。

 

「ねぇ、ハリー。あなた、どうしてお風呂になんか、あの卵を持っていったの?」

「セドリックがヒントをくれたんだ。あの謎は、監督生の浴槽で考えるべきものだって」

「ヒントねぇ。ホグズミードでアルテシアたちがいなくなっちゃった謎を解くヒントも、くれればいいのに」

「それは、ムリじゃないかな。やっぱりぼくたち、見間違えたんだよ」

 

 勘違いだということで納得したはずだった。なにしろ、ホグズミードのあの家にアルテシアたちはいなかったのだ。部屋の中まで見せてもらったのだからそれで間違いないはずなのに、ハーマイオニーは、まだ気にしているのか。

 ハリーは、そう思わずにはいられなかった。でもきっと、そうやって考え続けるということが大事なのかもしれない。そんなことが頭をよぎる。

 ロンにも協力してもらっているが、ほとんどハーマイオニーに任せっきりという状態は変わらなかった。そのためか、いい方法が見つからないまま、時間だけが過ぎていく。1週間という日々は長いようで短いのだと、そう思い知らされるかのよに、あっという間に過ぎていく。なんの手がかりもないままに、あと2日となっていた。

 いまは、魔法生物飼育学の授業中。リータ・スキーターに巨人族だった母のことを記事にされ、ずいぶんと気にしていたハグリッドだったが、このところ、こうして授業にも取り組んでくれるようになっていた。今日の授業のメインテーマは一角獣。ハグリッドは、どこからか一角獣の赤ちゃんを2頭連れてきていた。

 一角獣の赤ちゃんは、とくに女子生徒には好評だったが、それどころではないハリーは、少し離れたところでぼんやりとしていた。ハグリッドが近づいてくる。

 

「どうした、ハリー。一角獣には興味ねぇか。ちいっとばかし、撫でてやったらどうなんだ。ん?」

「いいよ、ぼく。ちょっとね」

「心配ごとか。なあに、おまえさんなら、きっとまた、うまくやるだろうさ。オレにはわかるんだ」

 

 だったらいいんだけど。ハリーは、返事の代わりに、ハグリッドにとりつくろったような笑顔を見せ、さも一角獣に興味があるようなふりをして、みんなが集まっている場所へと近づいていった。

 そしてついに、第2の課題の前日の放課後となる。相変わらず良さそうな手立ても思いつかないまま、ハリーは図書館へと続く廊下を歩いていた。足取りが重くなるのも仕方がない。なにしろこれから、夕食も抜きで、たとえ徹夜になろうとも水中で呼吸する方法を調べなければならないのだ。ハーマイオニーですら見つけられないことなのに、どうしろって言うんだ。ハリーの後ろ姿が、そんなことを言っているようだった。

 階段を降りようとしたハリーは、その下のほうにアルテシアを見つけた。誰かと話をしている。それに気づくと、ハリーはすぐさま、その場にしゃがみ込んだ。もちろん、アルテシアに見つかりたくなかったからだ。

 

「そういうことは、勝負が終わってから。それから、あの玉は返しませんけど、かまわないですよね」

 

 ハリーにはその背後しか見えないのだが、アルテシアと話しているのはティアラ。ハリーは、ティアラと会ったこともなければ話をしたこともないので、声を聞いただけでは、誰なのかはわからないはずだ。

 

「返さない?」

「ええ。いい記念になるから。それより、湖の中で1時間過ごさなきゃならないとしたら。どうする?」

 

 そのティアラの言ったことに、ハリーは驚いたに違いない。なにしろそれは、今まさにハリーが悩んでいること、そのものだった。

 

「湖の中って、潜ったままでってこと?」

「そう。あの湖には水中人が住んでるらしくて、その水中人から、奪われたモノを取り返す。それが第2の課題で、制限時間は1時間」

 

 ホグワーツ4年目だというのに、湖に水中人が住んでいるということを、アルテシアは知らなかった。森や湖のほとりには何度も来ているが、そんなそぶりすらも感じたことはなかった。

 

「奪われたのがなんであれ、今回もまた、簡単な課題であることは確かですね。取り戻せばいいだけ」

「そうだけど、杖を使わなきゃいけないのなら、ようすは違ってくるわよ」

「杖、ですか。へぇ、杖なんか使ってるんだ。ちゃんと使えてるの?」

「なんとかね。でも学校じゃ劣等生のほうに近いかな。あなたのほうはどうなの?」

 

 普通の魔法族の杖では、うまく魔法が使えないはずだとアルテシアは思っている。そのことは、ソフィアの杖のことで経験済みなのだ。ティアラは、軽く笑ってみせた。

 

「少なくとも、フラー・デラクールよりは上手に使えるわ。じゃあ、杖を使うとして、どんな方法を?」

「あー、そうね。泡頭呪文(Bubble-Head Charm)かな。頭の周りを空気の泡でおおうんだけど、それで水中でも息ができるわ」

「それ、デラクールが練習してたわ。でも1時間も持つのかな。すぐに酸素が足りなくなりそうだけど」

「大きな泡にしなきゃね。でも一番簡単なのは、えら昆布(Gillyweed)よ。これを食べると、ちょうど1時間、水中でも呼吸ができるようになる」

「そんなもの、どこにあるっていうんです?」

「たしか、スネイプ先生が、あ、ホグワーツの魔法薬学の先生なんだけど、研究室に置いてあったと思う」

 

 ちょっとだけ考えるそぶりをみせたが、すぐにアルテシアはそう答えていた。スネイプの研究室には何度か入ったことがあり、そのときに見た覚えがあったのだ。

 

「じゃあ、あなたはそれを使えばいい。でも結局、モノを奪うんだから、最初の課題と同じことでしょ」

「そうだね。どうするの?」

「なにか、考えます。今度はわたしが課題を出すけど、いいですよね?」

「ええ」

「では、そういうことで。明日、お時間とってくださいね」

 

 話が終わり、アルテシアとティアラがいなくなっても、ハリーは、うずくまったままだった。いま聞いた2人の話を、なんども頭の中で思い返していたのだ。

 明日の課題をクリアするためのヒント。それが、2人の話のなかにあった。泡頭呪文であり、えら昆布。何日ものあいだ調べ続けたのに、その2つを見つけられなかった。フラー・デラクールだってそうしているらしいのだから、見つけられてもよかったはずだ。

 うずくまったまま、ハリーは、そんなことを考えていた。そして、急に立ち上がった。

 

「図書館だ。図書館に行かなきゃ」

 

 誰のセリフだ、と心の中で思いつつ、ハリーは、図書館への道を急いだ。

 

 

  ※

 

 

「あいにくだな、ハリー。ロンとハーマイオニーは、オレたちがもらっていくぞ」

「え!」

 

 もうすぐ図書館というところで、ハリーは、その図書館から出てきたばかりのフレッドとジョージのウイーズリー家の双子と出会ったのだ。その少し後ろにロンとハーマイオニーがいる。

 

「冗談だよ。マクゴナガルに連れてくるようにって言われてるんだ。おい、ロン。ハーマイオニーも、行くぞ。大至急ってことだからな」

「ちょっと待ってよ。ぼく、大事な用があるんだ」

「それは、後回しにしてもらわないとな。すぐにこの2人を連れていかないと、オレたちが怒られることになる」

 

 その場に残されてしまうことになったハリーだが、戻ってきたら手伝うと言ってくれた、ハーマイオニーの言葉にすがるしかなかった。とはいえ、なにもせずに待っているわけにはいかないので図書館に駆け込む。幸いなことに、手がかりはある。アルテシアが言っていた泡頭呪文と、そしてえら昆布だ。

 本棚から本をかき集め、必死にページをめくる。だが、お目当てのものは見つからない。しばらくしてハリーの手は止まり、山積みとなった本を前に、考え込むようになっていた。仮に泡頭呪文について書かれた本を見つけたとしても、すぐにそれを使えるようになるのか、と考え始めたのだ。

 ハリーの頭の中で、最初の課題のときにファイアボルトを呼び寄せるための呪文を練習したときのことが思い出される。泡頭呪文のやり方がわかったところで、十分に練習しないと使い物にならないのではないか。

 

「アルテシアだ!」

 

 そう叫びつつ、ハリーが立ち上がる。もちろん、周囲の視線などを気にしている場合ではない。ハリーは、大急ぎでせっかく選び出してきた本を、本棚へと戻していった。さすがに片付けないと、図書館を出ることはできない。

 元々あった場所かどうかは、この際問題ではなかった。とにかく棚へと本を戻したハリーは、寮の談話室へ向けて走った。

 

 

  ※

 

 

「ほう。こんな時間に来て何を言うのかと思えば。頭は大丈夫か?」

「大丈夫です。頭痛は、していません」

 

 スネイプが妙な顔をしたのは、アルテシアの返事が気に入らなかったのだろう。自分の皮肉が通じなかった、といったところだ。もっともアルテシアとしては、このところ、友人らにしょっちゅう、同じようなことを聞かれているという事情がある。体調はどうか、頭は痛くないか、といったことをだ。

 ここは、スネイプの研究室の前。時間も、真夜中に近い。見つかれば減点、あるいは処罰されるという時間帯である。だがアルテシアがここを訪れたのは、もちろん目的があってのこと。それが、えら昆布だった。

 

「頭痛の話など、していない。なぜおまえが、ポッターなどを連れてこんな時間にここへ来たのかということだ。えら昆布など、ここにはないぞ」

「え? ないんですか。たしか、前にお邪魔したとき、見たような覚えが」

「たしかにな。だが、盗まれてしまったのだ。はたして、何者が持って行ったのやら」

 

 ここでスネイプが、アルテシアの小さな身体に隠れるようにしているハリーへと目を向けたのは、もちろん偶然だろう、ハリーは、盗んだりはしていない。では、誰なのか。ふとハリーは、ムーディーの顔を思い浮かべた。ハリーは、スネイプとムーディーが言い争っている声を聞いている。

 

「それが何者であるにせよ、えら昆布はここにはないのだ。今のうちに寮へと戻るなら、減点はしないでおいてやる。さっさと戻れ」

 

 そうするべきだ。おそらくハリーは、そう考えたのだろう。アルテシアの肩に手をかけた。

 

「行こう、アルテシア。これから泡頭呪文を練習するよ。それでなんとかなるはずだ」

「いいえ、ハリー。盗んだ人がいるのなら、取り返せばいい。そうですよね、先生」

「そのとおりだが、犯人が誰か、おまえは知らぬだろう。どうやって取り戻そうというのだ」

「先生。もし取り返せたら、1回使う分だけもらってもいいですか。ぜひ、お願いします」

「だが夜明けまでに取り戻せねば意味がないだろう。あきらめろ」

 

 当然スネイプは、えら昆布を使って何をしようとしているのかを知っている。だからこその言葉だ。だがアルテシアは、にっこりと微笑んでみせた。

 

「もちろん大丈夫です。えら昆布がおいてあった場所さえ教えてもらえれば、すぐにでも」

「いま、この場でできる、ということか」

「はい。あいにくと犯人はわからないかもしれません。でも、取り戻すことはできます」

 

 いったい、アルテシアは何を言っているのか。どうしようというのか。ハリーは、まったくわからないといった顔でアルテシアを、そしてスネイプをみる。だがスネイプは、ハリーなどまったく目に入らなくなったらしい。

 

「魔法で、ということか。だがよいのか。おまえは、禁止されていたはずだ。これまでマクゴナガル先生が隠してきたものを、吾輩が見ることになってしまうぞ」

「いいんです。必要なことだと思うことにしますから」

「そうか。だがせめて、杖は持っておくのだ。中へ入れ」

 

 身体を横へずらし研究室の入り口を広く開けると、スネイプは、アルテシアを中へと押し込んだ。そして、ハリーを見る。

 

「おまえは、ここにいろ。一歩たりとも動かずにいるのだ。さもなくば、処罰する。あとで会おう」

 

 スネイプにそう言われてしまうと、もうその場にいるしかなかった。いつのまにか、足縛りの呪い(Leg-Locker Curse)をかけられたに違いない。ハリーはそう思いつつ、スネイプの研究室のドアを見る。もちろん閉じられており、中を見ることはできない。気になることは確かだが、のぞき見ることもできなかった。

 そのスネイプの研究室で、アルテシアはスネイプとテーブルをはさみ、向かい合わせで座る。すぐにもえら昆布のほうに取りかかりたいアルテシアだったが、スネイプがそこに座るようにと指示したのだ。

 

「ちょうどいい機会だ。吾輩から話しておきたいことがある」

「はい。でも先生、ハリーを待たせてますよ。中に入れても」

「ダメだ。それではあやつに話を聞かれてしまう。ほかの誰にも聞かせるわけにはいかんのだ」

「そ、そうですか。わかりました」

 

 いったい何の話なのか。ハリーのことも気になるアルテシアだが、お願いをしに来た立場でもあり、ここは話を聞かないわけにはいかない。

 

「おまえも、どこかで聞いたことがあるはずだ。吾輩が、かつてはデスイーターだったとな」

「ああ、はい。いつだったか忘れましたけど、そんなこと聞いたことがあります。でもそれがどうしたんですか?」

「どうした、だと。おまえ、これを聞いて、なんとも思わんのか」

「ええと、どういうことですか。わたし、なにを言わないといけないんですか?」

 

 きょとんとしたその顔は、もちろん意識してのものではないのだろう。さすがのスネイプも、苦笑いするしかないようだ。

 

「いや、何も言わなくていい。だが、いちおう確認するぞ。デスイーターが、何者であるのかは知っているのだな」

「はい。ずっとまえに、パーバティが教えてくれました」

「そうか。あの娘がどう言ったは知らんが、闇の帝王、すなわちヴォルデモート卿と無関係ではない。それを知っているというのだな」

「知っています」

 

 いったいスネイプは何を言おうとしているのか。2人は、まるでえら昆布のことなど忘れてしまったかのように話し込む。だが忘れてなどいられないのは、もちろんハリーだ。

 あいかわらずハリーは、研究室の前で、立っていた。一歩も動くなと言われてるが、いまは研究室のドアの前を右へ左へ、いったりきたり。それをずっと繰り返していたのなら、その歩数はかなりのものになっているだろう。

 

「くそぉ、いつまで待ってればいいんだ」

 

 もちろん、ドアを開けようともしてみた。だが、開かなかった。スネイプがなにかしたのか、開けられなかったのだ。かといって、この場を去ることもできない。スネイプに言われたこともあるが、なによりこのドアの向こうにはアルテシアがいる。自分のために、えら昆布を手に入れようとしてくれているアルテシアが。

 だからハリーは、ドアの前をうろうろとすることしかできなかったのだ。それにしても、ハーマイオニーとロンは、どうしているのか。そんなことも、ハリーは考えている。自分の姿がないとなれば、探しに来てくれてもよさそうなものじゃないか、と。

 

「まさか、夜が明ける、なんてことはないよな」

 

 ずいぶんと時間が経っているという気はしている。いったい今は、何時ごろなのか。それすらもわからず、ハリーはただ、その場所を往復しているだけだった。こんなことをしていていいのか。ただ待っているだけでいいのか。このあいだに、泡頭呪文でも練習していたほうがいいのではないか。

 だがハリーは、知っていた。いや、気づいていた。今が何時かは知らないが、これから泡頭呪文を練習しても間に合わないし、そもそも泡頭呪文のやり方を知らない。もはや、えら昆布に頼るしかないのだと。

 

 

  ※

 

 

「なんだ、まだいたのか。とっくに逃げ去っているものと思っていたが」

「そ、そんなこと、そんなことより、アルテシアはどうしたんだ? なぜ、そんなことに」

 

 研究室のドアが開き、姿を見せたスネイプ。だがその両手は、ふさがっていた。アルテシアを抱きかかえているからだ。どうやらアルテシアは、眠っているらしい。あるいは、気を失ったのか。

 

「何が起こったのかは、この娘が知っているだろう。吾輩は、その結果しか知らん。とにかくおまえは、これを持ってとっとと行け」

 

 アルテシアを抱きかかえたまま、スネイプが放ってよこしたのは、えら昆布。それを受け取りはしたが、ハリーには、すぐにはそれがえら昆布だとはわからなかったようだ。

 

「ポッター、それがえら昆布だ。直前に食べればよい。なに、どうせ盗まれていたものだ。持って行け」

「こ、これが。でも、アルテシアはどうしたんだ」

「吾輩の言ったことを理解したか。さすれば、なにも言わずに立ち去るべきだとわかるだろう。じきに課題が始まる。学校の期待のほとんどはセドリック・ディゴリーだろうがな」

 

 学校の期待なんか、どうでもよかった。だが、課題を放り出すわけにはいかないのも確かだ。課題は、水中人に奪われたものを取り戻すこと。しかも制限時間ありなのだ。なにを奪われたのかは知らないが、遅れたらもう取り戻すことはできないのだから。

 



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第72話 「アルテシアの決断」

「あなたも、懲りない人ですね。そりゃ、いろいろと事情はあるんでしょうけど」

 

 目を開けたアルテシアを見おろすようにして、マダム・ポンフリーが笑っていた。アルテシアは、医務室で目を覚ましたのだ。

 

「頭はどう? 目が覚めたのなら大丈夫なんだろうけど、お母さんが心配してるわよ」

「え?」

 

 これは、夢なのか。アルテシアは、そう思ったに違いない。たとえ夢であったにせよ、母に会えるのなら会いたかった。だがこれは、夢ではなく現実。

 

「もちろん、母親がわりということですよ。母親きどり、のほうがいいかしら」

 

 つまりが、マダム・ポンフリーの冗談だったのだ。それに気づいたアルテシアが、ゆっくりと体を起こしていく。もちろん、悪気があってのことではない。それは分かっているが、この冗談は、つらすぎた。

 

「スネイプ先生が運んでくだすったのよ。少しは覚えてる?」

「ああ、いえ。そうだったんですか」

「なにがあったの? あなたをここに寝かせたあとでマクゴナガル先生がスネイプ先生と話をされてたけど、わたしはなにも聞いてないのよね」

 

 なにがあったのか。それを知りたいと思っているのは、アルテシアも同じだった。強烈な頭痛に耐えきれずに意識を手放したあと、どうなったのか。えら昆布は取り戻したはずだが、それがハリーの手に渡ったのか。対抗試合の第2課題はどうなったのか。

 

「でもその話は、マクゴナガル先生が来てからでいいわよ。どうせその話になるでしょうから、あなたにとっては二度手間になる」

「ええと、いまは」

「もうすぐお昼になるところ。面会禁止にしてあるけど、マクゴナガル先生は来ると思うし、来たら会わせないわけにはいかないわね。なにしろお母さんのつもりなんですから」

 

 そう言って軽く笑ってみせる。アルテシアも笑みを返したが、正直、1人になりたかった。1人になって、じっくりと考えたかったのだ。母親きどりのマクゴナガル。もちろん心配してくれることはありがたい。感謝こそすれ、不平不満などあろうはずもなかった。でもそこに、魔法書による影響があるのだとしたら。

 

「それより、対抗試合の結果が知りたいんじゃない? あなたを診たあとここに寝かせて、わたしは対抗試合の会場に行ったの。湖のそばで待機してなきゃいけなかったからね」

「ああ、そうですよね。それで、ハリーはどうなりましたか?」

「一番うまくやったんじゃないかしら。他の選手の人質まで助けちゃったみたいだけど」

「人質? 奪われたものって、人だったんですか?」

「そうなのよ。水中人から人質を取り戻す、なんて課題はどうかと思うけど、ケガ人はなし、おぼれた人もいない。わたしは、なにもすることがなかったわ。選手は大変だったでしょうけど」

 

 ではえら昆布は、ちゃんとハリーの手に渡ったのだ。そのことに、アルテシアはほっとする。ハリーに協力を頼まれたときは、驚きもしたし迷いもした。断ることすら考えた。でもこうして、無事に課題を乗り切ったという話を聞くと、良かったのだと思う。

 

「セドリック・ディゴリーが『泡頭呪文』で湖に入って、最初に人質を連れて戻ってきましたよ。トップということで47点」

「泡頭呪文、ですか。ふうん、それで息は大丈夫だったんだ。酸素切れにはならなかったんですね」

「みたいね。ハリーはほかの人質も連れて帰ってきたから、少し遅れて45点」

「人質って、誰だったんですか?」

 

 セドリックの場合は、レイブンクローのチョウ・チャンだ。ハリーはロンであり、ダームストラングのビクトール・クラムが、ハーマイオニー。そしてボーバトンのフラー・デラクールが、妹のガブリエル。

 フラーも泡頭呪文を使ったが、水魔に襲われて人質を取り返すことができず、得点は25点に終わっている。そのフラーの人質であるガブリエルをも奪い返してきたハリーは、他の人質を見捨てなかったという点が評価されての45点だ。クラムは、変身呪文によりサメとなってハーマイオニーを救ったが、得点は40点だった。

 ちなみに最終の第3課題は、6月24日の夕暮れ時に行われることになっており、課題の内容はその1カ月前に代表選手に伝えられる予定だ。

 

「でもほんと、無事に終わってよかったわ。アルテシアさん、あなたも含めてね」

「え?」

「どうせあなたも、なにかしたんでしょ。じゃないと、1日半も寝込むことにはならないわよね」

「あ、ええと。そんなことは」

 

 ごまかそうとしたアルテシアだが、そんなことをしてもムダだった。魔法の使いすぎでこうなってしまうことは、すでにマダム・ポンフリーには知られている。なので、いまさら何を言ってもごまかすことなどできはしない。

 

 

  ※

 

 

「アルテシア、例のにじ色の玉のことなのですが」

「もう少し待って下さい、先生。もうちょっとだけ考えさせて下さい」

「これ以上、何を考えるというのです? こうしてまた倒れてしまった以上、すぐにもやるべきです」

「はい。それは、そうなんですけど」

 

 昼休みとなってすぐ、医務室にマクゴナガルが顔を見せた。いちおう面会禁止ではあるのだが、アルテシアの目が覚めた以上、こうなることは必然というものだ。マクゴナガルが、ベッドのすぐ横に椅子を置いて座る。

 

「体調は、どうなのです。頭は? もう、こんなことにはケリをつけておくべきだと思いますがね」

「わかっています」

「スネイプ先生から、おおよその話は聞いています。その件で、改めて3人で話をする必要性を感じていますが、かまいませんね」

「ええと」

「まさか、覚えていないと」

 

 そういうわけではなかったが、マクゴナガルになんの相談もせずにスネイプのまえで魔法を使ってしまったことが、申し訳なかったのだ。マクゴナガルと約束している魔法の使用制限に関する取り決めでは、必要だと思ったときは使ってよいということになっている。いつしかそういう内容へと変わってたはいたが、相談したほうがよかったのは確かだろう。

 そのことを正直に告げ、アルテシアは頭を下げる。

 

「そのことは、もう気にしなくてよろしい。スネイプ先生に聞いたところでは、何かしているのはわかっても、具体的に何が行われているのかまではわからなかったそうです。わたしも、わからないと言っておきました。それでいいのではありませんか」

「でも先生。いま思えば、なんでわたし、あんなムチャなことしたんだろうなって。スネイプ先生は、きっと誰にも言わないでいてくれたはずなのに。そしたら、倒れることもなかった」

 

 スネイプの研究室でアルテシアがしたこと。それは、にじ色の玉を取り戻したときとほぼ同じである。だが決定的に違っていたのは、そのすべてを、光の操作を併用することでスネイプには見えないようにしたことだ。だからといって、気づかれていないとはアルテシアは思っていない。

 アルテシアには、スネイプからなにかを隠し通せるという自信などはない。だがたとえ、何かしていることはわかったとしても、何をどうしているのかまではわからないはずだし、気づかないふりをしてくれると考えたのだ。

 だが当然の結果として、余計な手間がかかる。時間を操ることだけでも大変なのに、そこにスネイプの目をごまかすという手段が加わるのだ。しかもそれらを、スネイプと話をしながら進めねばならなかった。加えてアルテシアは、えら昆布を盗んでいった人物までをも特定しようとしたのである。

 

「そのことですが、あなたがそうしたことは、わたしは正解だったと思っていますよ」

「え?」

「スネイプ先生は、デス・イーターでした。もちろん過去のことですし、これまでそのことを気にしてもこなかった。ですがいま、なぜかそのことが気になるのです。ならば、隠せることは隠しておいた方がいいのです」

「それは、どういうことですか」

 

 マクゴナガルは、何も言わない。何も言わず、ただ、アルテシアを見つめている。どこか心配そうにも見えるその目で、ただ、アルテシアを見ている。アルテシアもまた、その目をじっと見ていたが、ふっと目を伏せ、軽く深呼吸。

 

「マクゴナガル先生。えら昆布を盗んだのは、ムーディー先生でした」

「え? なにを。ムーディー先生がえら昆布を? 見間違えたということはありませんか」

「それは、ないです。よく確かめましたから。頭痛はひどかったですけど、見間違えたりはしてません」

「スネイプ先生に、そのことを話しましたか?」

「いいえ、まだです」

 

 アルテシアが覚えているのは、そのムーディーからえら昆布を取り戻したところまでだ。正確には、自分の手元にえら昆布がやってきたことを確認してはいないのだが、その時点で意識を失い、気づいたときは医務室にいたのである。そのときから、スネイプに会っていないので、当然、話せてもいない。

 

「そのことも含めて、話をしましょう。どうやら、単なる盗難事件ということではなさそうです」

「どういうことなの、ミネルバ?」

 

 この疑問は、アルテシアではない。言ったのは、マダム・ポンフリー。そういえばここは医務室であり、アルテシアはいちおう面会禁止とされている患者だ。マダム・ポンフリーがいても不思議ではない。ずっと静かに話を聞いていたマダム・ポンフリーだったが、思わず声が出てしまったのだろう。

 マクゴナガルは軽くうなずいてみせただけで、話を続ける。視線は、アルテシアに向けられている。

 

「デス・イーターの人たちのあいだでは、特殊な通信手段があることが知られています。近い将来、例のあの人が復活する。まさにいま、そうなりつつあるのだと聞いています」

「まさか、そんな。ああ、でもやっぱり、戻ってくるんですね。そうなると、どうなってしまうのかしら」

 

 マダム・ポンフリーの言葉には応えず、マクゴナガルはじっとアルテシアを見ている。アルテシアもマクゴナガルを見ている。

 

「スネイプ先生は、危険性を指摘されています。それが、あなたにも及ぶかもしれないと」

「えら昆布のことは、関係があるんですか」

「そういうことです」

「あ、でもミネルバ。ムーディー先生は、デス・イーターたちと戦ってこられた方ですよ」

 

 そこでマダム・ポンフリーの指摘が入るが、それでもマクゴナガルの視線は動かない。だがもちろん声は聞こえているので、会話は続いていく。

 

「いまはまだ、何もわかりません。それがあの人の復活とどうつながるのかなど、何もわかってはいないのです。ハリー・ポッターを対抗試合に引きずり込んだのも、そこに関係しているはずです。そう考えるべきなのです。アルテシア、覚えていますよね? あの人は、あなたの魔法書を欲しがっていた」

 

 アルテシアは、何も言わない。

 

「あなたもいずれ、無関係ではいられなくなる。スネイプ先生のご意見ですが、わたしもそう思っていますよ」

 

 なおもマクゴナガルは、じっとアルテシアを見つめる。そうすることで、あのにじ色の玉の処置について、決断を迫っているのだ。そこには、直接的な表現よりも効果的だとの判断がある。もちろんアルテシアとて、にじ色の玉の件はちゃんと考えている。いつまでも悩んではいられないということも、もちろんわかっている。

 実はマクゴナガルは、アルテシアが何を悩み、なぜためらっているのかを知っている。パチル姉妹もそうだし、ソフィアもだ。ソフィアなどは、より深いところまで承知しているかもしれない。それが、魔法書に関することであるからだ。

 クリミアーナの娘は、魔法書を学ぶことで魔女になる。これは、動かせない事実である。そしてその魔法書は、クリミアーナの魔女が、自身の生涯において得た知識や魔法力のすべてを詰め込んで作ったもの。これもまた、疑いようのない事実なのである。

 魔法書から知識を学びとり、魔法力を習得していくのであるから、その過程で魔法書を作った魔女の影響を強く受けることになるであろうことは、容易に想像できる。だがもちろん、その魔法書を作った魔女そのものになってしまうということではない。

 そこから学んだことが、自身の考え方や行動に反映されているといういうこと。程度の差はあれその影響を受け、少しずつ変化もしていくだろう。それがつまり、経験や成長というものなのだ。

 アルテシアは、3歳のときから魔法書による勉強を続けてきた。すでに魔法の力にも目覚めている。だが、その魔法書には欠落した部分があったのだ。そして、それがいま、手元にある。

 すぐにもそれを修得するべきか。あるいは500年前の先祖のように、にじ色の玉のままで保管しておくべきなのか。

 アルテシアは、そのことを考え続けている。容易に決断ができないのは、魔法書から欠落した部分が『失われた歴史』と呼ばれてきたものであるとわかったからだ。それが欠けているがため、魔法使用に関してあれほどの影響を与えるのだから、単なる『歴史』などではないはずだ。

 アルテシアは、そう考えている。ホグズミードで、そのことに気づかされたのである。

 いったいそこには、どれほどの知識が詰め込まれているのか。もしかすると、アルテシアの知らない魔法だってあるかもしれない。そしてそれらを学んだとき、新たに押し寄せてくることになる、おそらくは膨大な量となるであろう知識は、アルテシアの考え方や行動に、どんな影響を与え、どんな変化をもたらせることになるのか。

 なにもかわらない、かもしれない。だがおそらく、500年前の先祖はそのことを心配したのであろう。それでもアルテシアはアルテシアであり、アルテシアのままである。その点に変わりはないが、はたしてそのとき、友人たちは今と変わらずに接してくれるのか。変わらずに接していられるのか。

 そのことは、アルテシアにとっては切実な問題なのである。それに、気になることはもう1つある。なぜ『失われた歴史』は、魔法書から欠落したのかということだ。これまで想像してきた理由とは違う何かが、そこにあるのだとしたら。

 

「アルテシア、話を聞いてるのですか?」

「え? ああ、すみません。ちょっと考えごとを」

「そのようですね。授業中でもたまに、そんなあなたを見ることがあります。そんなことでは、授業に出ても意味はありませんね」

「え?」

「考えたいことがあるのなら、じっくりと考えなさい。何日かかろうが、かまいません」

 

 ちらと、マクゴナガルがマダム・ポンフリーをみる。苦笑いを浮かべたマダム・ポンフリーがゆっくりとうなずいた。

 

「いいですよ。それで頭痛が治るのなら、何日でも」

「とにかく、ちゃんと考えていきましょう。あなたのために一番良いことを」

 

 そんな2人を見ながら、アルテシアは思った。答えは自分の中にある。自分のやることなど、決まっているのだ。アルテシアは、心を決めた。

 

 

  ※

 

 

 医務室でのアルテシアたちの話がだんだんと終わりに近づこうとしているころ、ソフィアは、廊下を歩いていた。その横には、なぜかティアラの姿がある。2人とも医務室へと行く途中であり、ぐうぜん廊下で出会ってしまったのだ。ソフィアのあとからティアラが追いついてきて、横に並んだところである。

 

「行き先は同じ、なんでしょ。なら一緒、でいいよね」

「お好きにどうぞ」

「ねえ、ルミアーナ。あなたはどうして、ホグワーツになんか入学したの?」

「そんなの、どうでもいいでしょ。それより、第2の課題は、どうなったんです?」

「ああ、あれはあの人が医務室なんてところに逃げ込んで会場に来なかったんだから、わたしのせいじゃないよ。せっかく用意してたのに、わたしの不戦勝ってことになるね」

「そんな」

 

 思わず、抗議の声を上げようとしたのだろう。だが、そんな興奮気味の声も、そこまでだった。目的地である医務室の、その入り口の前に、見知った3人組がいたからだ。3人組も、ソフィアたちに気づいた。

 

「ああ、あなた、よくアルテシアと一緒にいる子でしょ。ねえ、名前なんだっけ」

「たしか、ソフィアだったと思うよ。ねえ、キミ。そうだよね」

 

 ハーマイオニーと、そしてロンだ。もう1人は、ハリー。3人がいつからここにいたのかはわからないが、ただ、医務室の入り口の前をうろうろとしていた。

 

「そうですけど、皆さんは、何をしてるんですか」

「ちょっとね。いま、マクゴナガル先生がなかにいるんだよ。入りづらくて」

「ああ、そういうことですか。だったら、談話室に戻ればいいのに」

「なんだって」

「やめなさい、ロン。そんなことでは、話もできないわよ」

 

 なにもロンは、怒ったりしたわけではない。口調はいつものものであり、言いがかりのようなものだったが、ハーマイオニーにそのことを気にしたようすはない。話のきっかけにした、といったところだろう。

 

「ねえ、こないだのホグズミード行きの日だけど、どこに行った?」

「はぁ? なんです、それ。わたしがどこに行こうと、そんなのいいじゃないですか」

「そうだけど、あの日、あなたたちを見たの。あの家にいたよね? ねぇ、あの家には何をしに行ったの? あの家は、なに? そのことを聞きたいんだけど」

「あの家、がなんのことだかわかりませんけど、あとにしてもらえませんか。いまはアルテシアさまをお見舞いしたいので」

 

 そのとき、あきらかに空気が変わったことに、ソフィアは気づいた。まさか、自分がなにか不用意なことを言ってしまったのか。そんな気がしたものの、すぐに頭の上から、ほとんど抑揚のない冷たい響きを持つ声がした。

 

「おまえたち。こんなところにいてはいかんな。すぐに去れ」

 

 スネイプだった。いったい、何をしに来たのか。誰もが返事をすることなく、ただ、スネイプを見ているだけ。誰も、その場から動けないようだ。スネイプが、ゆっくりと生徒たちの顔を見ていく。

 

「ほう、ボーバトンの生徒だな。なぜ、ここにいる?」

「知り合いに付き添ってきたんです。1人では怖くて行けない、と言うので」

 

 と言いつつ、ティアラがソフィアを見る。もちろん言い返そうとしたソフィアだが、今度は自分に向けられたスネイプの視線に、開きかけた口を閉じた。

 

「おまえも、医務室くらいは1人で行けるようにならねばな」

「あ、あの。スネイプ先生」

「おうおう、そこにいるのはハリー・ポッターか」

 

 それでも何か言おうとしたソフィアだが、すでにスネイプの関心は、ハリーへと移っていた。

 

「自分は、学校中の期待に見事に応えた。そう思っておいでなのだろう。違うか?」

 

 ハリーは、何も答えない。ハーマイオニーがローブを引っ張って、ハリーに目配せする。何も言わないように、ということだ。

 

「だがそれも、吾輩の研究室から無断で持ち出されたえら昆布があったからこそ、だ。そうだな、ポッター」

「なんだよ、それ。ハリーが盗んだっていうのか」

 

 思わず言ってしまったに違いないロンの言葉には、ただ鋭い目を向けただけ。スネイプは、何も言わなかった。ハリーが、顔を上げる。ハリーはまだ、えら昆布を手に入れた顛末をロンやハーマイオニーに話してはいなかった。

 

「わかってる。だから来たんだ」

「たしかおまえは、自分ではゴブレットに名前を入れていないと言ってたな」

「それがどうした」

「もう少し、言葉遣いというものを勉強してほしいものですな。それとも、ヒーローにはそんなもの、必要ないというわけか」

 

 またもハーマイオニーが、ハリーのローブを引っ張る。おかげで何も言わずにすんだが、スネイプをにらむことは忘れなかった。

 

「えら昆布がなければ、おまえは課題を棄権するしかなかったはずだ。あれなしでは、とても勝利など望めなかった」

 

 じろりと、さらに鋭い目をハリーにむけるスネイプ。その威圧感に、ハリーがふっと目をそらす。

 

「よく聞け、ポッター。何者が名前を入れたにせよ、えら昆布を盗んだものが何者であるにせよ、だ。その者は、おまえに優勝してほしいと望んでいるのだ」

「どういうことだ」

「わからんか。さしもの英雄も、おわかりにならんのか。さてさて、困ったことだ」

 

 大げさに両手を広げ、頭を左右に振る。いまにもハリーが、いやロンが怒り出すのではないかと、そんな心配がハーマイオニーを包み込もうとしたとき、医務室のドアが開いた。中から出てきたのは、マクゴナガルだ。

 

「なんの騒ぎなのです。お昼休みはもうじき終わりですよ。さあ、教室へと戻りなさい」

 

 それで素直に引き上げていくような者たちではなかった。スネイプよりは話しやすいと思ったのか、ハーマイオニーなどは、さっそくマクゴナガルの前へ。

 

「先生。アルテシアなんですけど」

「心配はいりません。原因はいつもの頭痛です。今はそれも治まったようですが、今夜は医務室です。マダム・ポンフリーが、そうおっしゃられました」

「じゃあ、会えますよね」

 

 もちろん、アルテシアにということだ。だがそれに答えたのは、マクゴナガルに続いて顔をのぞかせたマダム・ポンフリーだった。

 

「ごめんなさいね。いまは、ダメなのよ。お見舞いは許可できません」

「なぜですか。なおったんじゃないんですか」

「アルテシアさんの頭痛をなんとかするためには、ゆっくりと考える時間が必要なんですよ。とにかく今日はダメです」

「でも、アルテシアに確かめておきたいことがあるんです。なんとかなりませんか」

 

 なおも食い下がってはみたものの、マダム・ポンフリーはあくまでも許可を出さなかった。

 

 

  ※

 

 

「おかしいと思わない? どうして会わせてくれないのかしら。なにかあるのよ、きっと」

「けど、仕方ないだろ。調子が悪くてダメだって言われりゃ、あきらめるしかない」

「違うわ。マダム・ポンフリーは、考える時間が必要だって言ったのよ。考える時間がね」

「どういうことだい?」

 

 いまは、薬草学の授業中だ。ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は、スプラウト先生からの指示でブボチューバーと呼ばれる腫れ草から『膿を集める』作業をしているクラスメートたちを尻目に、ひそひそ話。

 結局3人は、医務室から引き返すしかなかった。それは、ソフィアやティアラも同じだった。

 

「その前にハリー、えら昆布だけど、どうやって手に入れたの?」

「ああ、それは。もちろん、ちゃんと話すよ」

 

 あのときロンとハーマイオニーは、第2課題での人質となっていたので、その場にいなかった。それに課題をクリアしたあとは、グリフィンドール生たちからの歓迎を受けるなどあって、話す機会がなかったのだ。いちおう授業中なので、そのあらましを説明する。

 

「じゃあ、アルテシアなのね。えら昆布を取り戻したのは」

「そうだと思うよ。ぼくは外にいたから実際には見てないけど、スネイプと交渉して、取り戻したらえら昆布がもらえることになったんだ」

「でもおかしいよな。えら昆布はその前に盗まれてたんだろ。研究室にはないはずだ。なのにどうやって取り戻したんだ?」

 

 3人ともに、そんな方法など思いもつかない。ただ、顔を見合わせるだけ。だがこれでは、話が進まない。

 

「とにかく、アルテシアはえら昆布を取り戻してるわ。なにかの魔法なんだろうけど、倒れたのはそのためってことになる」

「ああ、そうだ。そういえば、そんな話を聞いたことがある。魔法を使うと体調を悪くするので、魔法を禁止されてるって」

 

 そのことをすっかり忘れていたハリーだが、たしかにそんな覚えがあった。あれは本当だったのかと、今さらながらに思う。ハーマイオニーの目がキラッと光った、ような気がした。

 

「じゃあ、あのときもそうだったんだわ」

「あのとき?」

「シリウスを助けたときよ。あのとき、アルテシアは医務室で寝てたでしょ。あれって、シリウスを助けるために魔法を使ったからなのよ」

「でも、ハーマイオニー。アルテシアが医務室で寝ていたのは、シリウスが捕まる前からだったじゃないか」

「ええ、そうよ。でもあのとき寝ていたのは、シリウスを助けたあとのアルテシアだって考えればどう? 全然おかしくないわ。あの子は逆転時計の魔法が使えて、それを使うと寝込んじゃうってことで説明できる。えら昆布のことだって、時間を戻せばいいのよ」

「ああ、そうか。じゃあやっぱり、シリウスの言う女の子はアルテシアだよね」

 

 ハリーたち3人が医務室へと行ったのは、シリウスが手紙に書いてよこした女の子がアルテシアなのかどうかを確かめるためだった。

 ハリーは、シリウスとふくろう便などで連絡を取り合っている。3校対抗試合に関する話が主体ではあるのだが、もちろん話題はそれだけではない。ハーマイオニーにはかねてから疑問に思っていたことがあったし、ハリーもまた、自分の母親に親友がいたという話を、もっと詳しく聞かせて欲しかった。だがなぜか、シリウスはあまりこの話をしたがらなかった。それでも、何度も繰り返し尋ねた結果、ようやくにして、シリウスがある女子生徒のことを手紙に書いてきたのだ。しかも、できれば友だちになってやって欲しいというのである。

 その生徒について、ハリーはいろいろと質問を返した。その結果わかったことは、名前が不明であること、どうやら身体が弱そうであること、ハリーの母親の親友の娘であること、娘だけあって外見はそっくりであったこと、などだ。あの人の娘であれば、なにかあったとき助けてくれるだろうし、なにかあればハリーがあの子を助けてやればいい。シリウスは、そんなことを言ってきたのだ。

 あれこれと3人で話した結果、その女子生徒はアルテシアではないのか、ということになった。決め手となったのは、シリウスがその女子生徒と会った場所。シリウスは、ホグワーツの西塔の部屋に監禁されたとき、その部屋で、その生徒と会っている。

 

「もう、そうとしか考えられない。改めて確かめる必要なんてないわ」

「たしかに、そうだけど」

「あの子、本当はいろいろと難しい魔法が使えるんだわ。授業のときはぱっとしないのに」

「魔法薬学なら、一番だけどな。キミより上だぜ」

「だからなによ、黙んなさい。でも、不思議だと思わない? わざとそうしてるとは思わないんだけど」

「得意なことや苦手なことは、誰だってあるもんさ。そういうことじゃないのかな」

「いや、たぶん倒れたりしないようにってことだよ。ぼくはそう思うけど」

 

 2人の意見はもっともだが、ハーマイオニーは考え込むようなそぶりをみせた。そのハーマイオニーに、ロンが一言。

 

「キミってたしか、アルテシアとは同じ部屋だったよな。聞いてみればいいじゃないか」

 

 それが余計な一言であったのは、ハーマイオニーの顔を見ればわかるだろう。なんとも険しい表情をしてみせたが、それも一瞬のこと。うかない顔となって視線を向けた先には、少し離れたところで作業しているパーバティーの姿があった。

 

「わかってるんだけど、いろいろとあるのよ。もうずいぶんアルテシアとは話せてないの。なんだか気まずくて」

「ほんとかい、それ。まあ、ボクらも似たようなもんだけど、キミは違うと思ってた」

「もちろん、アルテシアとは友だちよ。あたしは、そのことを忘れてないし、疑ってもいない」

 

 もちろんアルテシアだって、同じ気持ちだろう。ハーマイオニーはそう思っている。だが、なにか重苦しい空気のようなものがあるのも確かなのだ。闇の魔法、という言葉が頭に浮かぶ。いつからだろう、そのことが気になり始めたのは。

 

「でもアルテシアには、わたしたちの知らない秘密がある。なにか、秘密があるのよ。魔法書のことだと思うけど、このことを知っておかなきゃいけないわ」

 

 それがなぜかは、言うまでもない。ハーマイオニーはそう思っている。もちろん、これからも友だちでいるために、である。だがそれを口には出さず、ハリーを見る。

 

「マクゴナガルは、全部知ってるんだと思う。たぶん、スネイプも」

「え! スネイプがなんだって?」

 

 なぜ、ここでスネイプの名前が出てくるのか。ハリーとロンは、訳が分からないとばかりに、互いの顔を見る。ハーマイオニーが、あきれたようにため息をついた。

 

「もういいわ。でもね、ハリー。えら昆布を盗んだ犯人は、あなたの名前をゴブレットに入れた人と同じよ。その人は、あなたを優勝させるためにそんなことをしたの。スネイプもそう言ったでしょ」

 

 スネイプが何を言ったかなんて、ハリーもロンも、まったく覚えてはいなかった。そんなことなんて、どうでもよかったのだ。

 

「思うんだけど、あなたが優勝したとき、何かあるんじゃないかしら。スネイプは、気をつけるようにと言いたかったんじゃないかって、あたし、そう思うのよ」

 

 そのハーマイオニーの考えは、もちろん、ハリーとロンには相手にされない。スネイプが心配してくれてるって? そんなことあるもんか、といった調子である。ハーマイオニーのみたところ、ハリーとロンの顔には、はっきりとそう書いてあった。

 



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第73話 「最終課題発表」

 パチル姉妹にとって、放課後の空き教室に入り込み、ソフィアやアルテシアとおしゃべりをしながら夕食までの時間を過ごすのは、とっくに恒例となっている。もちろん、それぞれの都合などあって全員がそろわないこともあるが、できるだけ集まることにしていた。それぞれ、寮が違ったり、学年が違ったりしているからだ。

 だがいま空き教室にいるのは、パチル姉妹とソフィアだけ。アルテシアがいないのは、まだ医務室にいるからだ。

 アルテシアが、にじ色の玉から魔法書の欠けた部分を取り出すことを決めたこと。そしてそれを、すでに実行したこと。なにかあったときの用心のため、しばらく医務室で過ごすことになったこと。

 3人とも、それらのことをマクゴナガルから聞かされている。医務室にも行かないようにと言われているので、いまは待っているしかないといったところだ。

 

「アルテシア、どうなったかな」

「ソフィア、何度も聞いて悪いとは思うんだけど、アルテシアはアルテシアのままだよね。ねえ、そうだよね」

「何度だっていいですよ。でも、答えは同じです。ぜんぜん、まったく、なんにも、問題ありませんよ。あたしは」

 

 この問答は、何度も繰り返してきたことだ。そしてパチル姉妹がため息をつくのも、いつもと同じ。

 

「最後の、あたしは、が気になるんだけど。それがわからんかねぇ、あんたはさ」

「じゃあパチルさんたちは、たびたび倒れてもいいっていうんですね。だから、お見舞いに行こうともしなかった。そういうことですか」

「もちろん、違うよ。1人にしてあげたほうが、アルテシアはゆっくりと考えられると思ったから」

 

 なるほど、と思わずそう言いそうになったが、代わりにソフィアは、ぐっと息をのんだ。そんなことは言いたくなかったのだ。なぜかはわからないけれど。

 

「けど、ソフィア。あたしたち、どうすればいいと思う? そりゃ、今までどおりが一番なのはそうなんだろうけど」

「やっぱり、気にしちゃうと思うんだよね」

「そんなの、あたしにもわからないです。でも大事なのは、なにがあってもそばにいることですよ。離れたりするのは、絶対にダメです。むこうに行けとか、近づくなとか、そんなこと言われたとしても、無視してそばにいることです」

「ちょっと。それって、そんなこと言うようになるってこと? アルがあたしに?」

「仮の話です、仮。心構えとして、言ってみただけです。でも忘れない方が」

 

 その話の途中で、ガラッと音を立て、教室のドアが開かれた。3人が、一斉に音がした方へ目をむける。そこには、マクゴナガルが立っていた。

 

「お静かに。席に着け、とまではいいませんよ。いまは、授業中ではありませんからね」

「あの、すみません、先生」

「かまいませんよ。この教室の使用許可は、ずいぶん前に出してありますからね」

 

 ドアを閉めたマクゴナガルが、ゆっくりと歩きながら、3人のところへ近づいてくる。

 

「先生、使用許可って?」

「アルテシアが、放課後の1時間くらい使ってもかまわないかと聞いてきたことがあったのです。わたしは、かまわないと答えておきましたよ」

「あ、そうなんですか。だから、ずっと使えてたんですね」

「そんなことより、あなたたちに話しておきたいことがあります。この時間ならここにいるだろうと来てみたのです」

 

 教壇ではなく、生徒側の席にマクゴナガルが座る。ソフィアたち3人も、それぞれ適当な場所に座る。

 

「あれから10日ほど経ちますが、頭痛も含め体調面での問題はないようです。なのでマダム・ポンフリーとも相談して、今夜、アルテシアを寮へと戻すことにしました。ミス・パチル。ああ、お姉さんのほうですが、夜、医務室に迎えにきてくれますか」

「はい。もちろんです。夕食が済んだら、すぐに行ってもいいですか」

「いいでしょう。ほかの2人は、申し訳ないですが遠慮してください。明日からは、今までどおりでかまいません」

 

 だが、アルテシアのようすは気になる。誰もがそれを聞きたかったし、当然、話がされると思っていた。だがマクゴナガルは、静かに席を立った。

 

「あ、あの、先生。待ってください」

「なんです?」

「アルテシアは、どんなようすですか。どこか、へんなところとか」

「そのことなら、なにも心配いりませんよ。なにも変わってなどいませんが、強いて言うなら」

 

 あえてじらしている、とするのは考えすぎか。あるいは、なにか意味があるのか。マクゴナガルの顔が、軽く笑っているように見えた。

 

「そうですね。強いて言うなら、あの子の魔法書が、ぶ厚くなったということでしょうか。ずいぶんとページが増えたようです」

「えーっ!」

 

 なんと言えばいいのだろう。3人ともに、ただ驚くしかなかった。だが考えてみれば、魔法書の欠落部分を補うものであるからには、こうなるのが当然なのかもしれない。

 

「あの子が言うには、読むのには、それほど時間はかからないそうです。すでに勉強を開始していますから、この先、頭痛に苦しむことはなくなるでしょう」

「時間はかからないといっても、どれくらいですか。ソフィア、あんた、わかる?」

「わかりませんよ、そんなの。でも、早いと思いますね。すでにアルテシアさまは、クリミアーナの魔女ですから」

「なんだ。じゃあ、あんまり心配しなくてもよかった? あたしたち」

 

 それぞれが言い合うなか、マクゴナガルが手を上げて、それをやめさせる。

 

「あの子には、できるだけ魔法書を読ませてやりたいのです。授業中以外なら、どこで読んでもかまわないと言ってあります。あなたたちも、そのつもりでいてください」

「はい、わかりました」

「魔法書に興味を示す者もいるでしょう。べつに見られるのはかまいませんが、魔法書に関して説明などは一切不要です。アルテシアのじゃまもさせたくありません」

「まかせてください、先生。あたしがちゃんと」

 

 ちゃんと見ています。そう返事したのはパーバティだけではなかった。

 

 

  ※

 

 

「こんなところでお勉強かね?」

 

 こんなところ、とは、玄関ホールに続く大階段の中ほどのこと。そこに座り、本を開いているのがアルテシア。その横に寄り添うようにしているがパーバティ。そして、その2人を見下ろすようにしているのがダンブルドアだ。

 

「念のために言うておくが、お見舞いには行くつもりでおったのじゃよ。じゃが面会禁止でな。会わせてもらえなんだ」

 

 アルテシアは、開いた本を閉じたりはせず、その目も本に向けられたまま。パーバティは、無言でダンブルドアを見上げている。ダンブルドアは、軽くため息。

 

「まあ、医務室のことはよい。こうして、元気でいるのじゃからな。それが、魔法書かね? こうして見るのは初めてじゃよ」

「校長先生。あたしたちは授業をサボっているわけではありません。この時間は」

「ああ、知っておる。ムーディ先生のご都合らしいの。ま、生徒にとっては授業がお休みとなるのは歓迎なのじゃろ?」

 

 そう言って笑顔を見せたが、あいかわらずアルテシアは魔法書を読み続けている。その魔法書を、ダンブルドアがのぞきこむ。

 

「ふむ。さすがに難しそうじゃな。いったい、何が書いてあるのかね?」

 

 そこで、アルテシアが顔を上げる。

 

「興味がおありですか?」

「ふむ。そうじゃと言うたなら、見えてもらえるのかな」

「いいですよ」

 

 さすがにパーバティは、あわてた。本を閉じたアルテシアが、ゆっくりと立ち上がり、その本をダンブルドアへと差し出したからだ。ダンブルドアもとまどったようだが、本を受け取った。

 

「ちょっと、アル」

「いいのよ、パーバティ。見たいという人には見せてあげるのも、大事なことだと思ってるから」

「で、でも」

 

 パーバティが心配しているのは、もちろんにじ色の玉と同じようなことになったら、ということだろう。もしくは、このままダンブルドアが持っていってしまうようなことになったら。

 そんなパーバティの心配をよそに、ダンブルドアは魔法書のページをめくっていく。アルテシアも、軽くほほえんだまま、そのようすをみている。

 

「ふむ。何が書いてあるのか、さっぱりわからんのう。これは、これでいいのかね?」

「そうですね。初めての人には、そういうものかもしれません」

 

 さすがのダンブルドアも、いきなり理解するのは難しいらしい。それでもページをめくっていたが、あきらめたのか、潮時とみたのか、本をアルテシアに返してきた。

 

「クリミアーナでは、この本を読んで魔法使いになる。そう聞いておるのじゃが、本当かね?」

「この本は、クリミアーナの娘が魔女となるためのものです。この本が読めなければ魔女にはなれないし、魔法が使えるようにならないとこの本は読めません。だから、一生懸命に学びます」

「ふむ。なにやら妙な言い回しではあるが、ならばわしには、その本が読めてもよさそうにも思うが」

「そうですね。校長先生なら読めるんじゃないかと、そう思っていたことは確かです」

「ほう。ならばわしは、もう少し読んでみる必要があるかもしれんのう」

 

 ダンブルドアがそう言ったとき、パーバティが慌てたようにアルテシアの手から本をもぎ取った。そしてしっかりと抱え込む。それを見たダンブルドアが苦笑いを浮かべる。

 

「ははは、まあよい。ところで今夜、夕食が済んでからでよいが、校長室に来なさい。おいしいお菓子を用意しておこう」

「あの、わたしも、ですか?」

 

 そう言ったのは、パーバティ。ダンブルドアが、にっこりとした顔をむける。

 

「もちろんじゃよ。合い言葉は蛙チョコレートにしておくからな」

 

 

  ※

 

 

「少し、よろしいですかな。マクゴナガル先生」

「ああ、スネイプ先生。かまいませんが、ここで、ですか」

「よければ、吾輩の研究室にご招待しますぞ。それとも、あなたの執務室にお邪魔しても?」

 

 マクゴナガルが考えたのは、わずかの間。選んだのは、スネイプの研究室である。そこに行ったことはなかったし、自分の部屋よりもいまいる場所から近いというのが、その理由。

 だがすぐに、マクゴナガルは後悔することになる。たしかに研究室には、いろいろと見るべきものはあった。だが肝心なものがなかったのだ。招待すると言ったはずなのに、紅茶の用意がされていない。

 

「ああ、なるほど。先生をお招きするときには必要なものでしたな」

「いいえ、べつに。それで、なんのお話です?」

「あの娘、寮へと戻ったようですな」

「ええ、体調も戻りましたので、そうしました。いちおう、友人たちには気をつけておくようにと言ってありますが」

「では、そろそろ3人で話すというころあいではないですかな。聞きたいこともありましてな」

 

 ああ、それがあった。忘れていたわけではないが、後回しにしていたのは確かだ。こんなとき紅茶に手を伸ばしたくなるが、あいにくとここではできなかった。もしかするとスネイプは、それを狙っていたのか。そんなことが、マクゴナガルの頭をよぎる。

 だがもちろん、それを表情に出すことはしない。

 

「そうですね。もう少し落ち着くまで待ちたいところではありますが、アルテシアとも相談してみましょう」

「それはそれとして、さっそくに校長があの娘を呼び出した、という話をご存じですかな」

「え! ダンブルドアがアルテシアを」

「その場を見ていた生徒がおりましてな。まあ、ムーディ先生であればともかく、ダンブルドアですからな」

 

 それを止めることはせず、見過ごしたということだろう。果たして、本当に生徒が見ていたのかどうか。それはともかく、アルテシアを止めるべきか。それとも行かせるべきか。つかのま、マクゴナガルは考える。

 

「むろん、ダンブルドアの興味は魔法書にあるのでしょうが、それは吾輩も同じでしてな。どうでしょうか、先生。そのこと、あの娘と話をしてもよいですかな」

「ああ、それは。そうですね、無理強いはしないと約束していただけるのなら。どこまで話すかは、もちろんあの子次第ということにはなりますけど」

「それで結構。こちらで把握していることの、その確認ができればそれで十分ですからな」

「そうですか」

 

 スネイプが、ときどきアルテシアと話をしていることくらい、マクゴナガルは知っている。だが魔法書に関する話題はされていない。マクゴナガルが、アルテシアにむやみに話すことはしないようにと言ってあるからだ。

 

「ところで、先生。この先、われわれはどうすべきなのですかな」

「は? なにがでしょう」

「ポッターとアルテシア、この両名に対しては常に注意が必要だと。たしかにそうなのですがね」

 

 それは、ハリー・ポッターとアルテシア・クリミアーナ。この両人がホグワーツに入学するとき、ダンブルドアから出された指示。スネイプはハリーを、マクゴナガルはアルテシアを、それぞれ要注意対象としてほしいというもの。

 

「正直、吾輩はポッターよりもあの娘を見てきたような気がしますな。どうせなら、女の子の方がいい」

「おや、スネイプ先生からそのようなお言葉を聞くことになろうとは。お似合いではありませんよ」

「そうですかな。まあ、冗談はともかく、この先、見ているだけでは済みますまい」

「同じ意見です」

 

 ぴくりと、マクゴナガルの右手が動いたのは、思わず手を伸ばそうとしてのことだろう。だがそれは、ムダなこと。ここには紅茶の用意はされていない。

 

「ですが、生徒の無事は保障されねばなりません。さしあたって気になるのはムーディ先生のことです。もちろん例のあの人のこともありますけどね」

「そう遠くないころ、ふたたび闇の帝王の名が魔法界にとどろくでしょうな。さて、そのとき我々はどうしているでしょうかな」

「わたしは、いまと変わらずにいたいですねぇ。アルテシアとともに魔法を学ぶのが、とても楽しいのです。このときを、あともう少しだけ。そんなことをよく考えていますよ」

「ほう」

「あの子も、もう4年生。あと半分ほどしかないのです。貴重な時間をジャマしてほしくはないんですけどね」

 

 ヴォルデモート卿の復活は、そのジャマになる。マクゴナガルはそう思っている。では、そのジャマ者をどうすればよいのか。

 

「魔法を学ぶのが楽しい、のですか。なるほど。ところで、1つうかがってもよろしいですかな」

「なんでしょう」

「あの娘、いつもと違いますな。どこが、といわれても困るが、なにか違う。そうは思われませんか」

「あの子が、ですか。いいえ、あの子は、あの子です。どこもなにも、違ってなどはいませんよ」

「そうですかな。先日の医務室。その前と後とでは、変わった気がするのですが。よければ、本当のところを話してもらえませんか」

 

 何度も言うが、紅茶の用意はされていない。だがもし、ここにそれがあったなら、それを一口飲んだあとであったなら、マクゴナガルの返事は、あるいは変わっていたのか。

 だが、無いものはない。だから、マクゴナガルの返事も、変わることはない。いま彼女が彼に言いたいのは、この言葉だけ。

 

「それを話すのは、わたしではありませんよ、スネイプ先生。必要なら、そのうちあの子が話してくれるでしょう」

 

 

  ※

 

 

 合い言葉は『蛙チョコレート』。それが校長室に入るときには必要だと承知していたが、パーバティは、その仕組みまでは理解していなかった。道を空けてくれたガーゴイル像の横をとおり、らせん階段を上る。

 校長室へとやって来たのは、パーバティ1人。出迎えたダンブルドアは、さすがにおかしな顔をしたが、それでもパーバティを用意してある席へと案内する。

 

「どうしたのじゃね。なぜ1人で?」

「アルテシアは、まだ体調に不安があります。夜に寮の外に出るのは控えた方がいいと思ったんです」

「ふむ。それは、マクゴナガル先生の指示かね?」

「え? あ、そういうことじゃないです。あたしの判断です。アルテシアのことは、同じ部屋のラベンダーに頼んできました」

 

 紅茶の香りと、いくつかのお菓子。ダンブルドアが言ったように、その準備はしてあった。だが肝心の相手は、来なかった。

 

「ふむ。まあ、よいじゃろう。実は、前にも来てもらえなかったことがあっての。どうもあのお嬢さんには、避けられておるようじゃな」

「そういうことじゃないんです、先生。ほんとに今夜は、ずいぶん疲れているようなんです」

「よいよい。では、キミと少し話をさせてもらおうかの」

 

 いったい、なんの話があるのか。パーバティは緊張気味に、紅茶へと手を伸ばした。こんな状況でなければ、もっとおいしく感じられたのかもしれない。

 

「そう、緊張せずともよい。話というのは、そうじゃの、魔法書のことでいくつか聞きたいが。そのまえに、キミから見てどうかな。あのお嬢さんは、なにかあったのではないかね?」

「え!」

「いや、なにもないのなら、それでいいのじゃ。見たところ、以前とは違う気がしただけでの」

 

 パーバティは、何も答えなかった。ダンブルドアは、そのまま話を進めていく。

 

「しかしまさか、わしに魔法書を見せてくれるとは思わなんだ。ミス・パチル。キミは、魔法書が読めるかね」

「いいえ。彼女が読んでるときにみたことはありますが、読もうとしたことはないです」

「そうかね。ではあれがどういう仕組みになっているかは知らぬということかな」

 

 それにはうなずいてみせただけ。だがパーバティは、魔法書のことは知っている。知っているが、知らぬことにしたほうがいいと判断したのだろう。

 

「あの魔法書は、クリミアーナ家の魔女が残したものだと言われておる。それくらいなら、知っておるじゃろう」

「ああ、はい。それくらいなら。アルテシアの家に何冊かありましたけど、クリミアーナには優秀な魔女が何人もいたみたいです」

「ほう、何冊もあるのかね。キミは、あのお嬢さんの家に行ったことがあるのじゃな」

「はい。一度だけですけど」

「あの家は、あのお嬢さんだけじゃと聞くが、本当なのかね? 親類の人たちはおらんのじゃろうか」

「あ、それは」

 

 頭をよぎったのは、自分の叔母のこと。だが、違う。たしかにクリミアーナと関係はあったのだろうけど、親類だったとは思わない。では、ソフィアは?

 

「どうかしたかね?」

「いえ。わたしの知ってる範囲では、そういう人はいないようですけど」

「そうかね。となれば、あのお嬢さんにもしものことがあれば、1000年から続くと言われる魔女の血筋は絶えてしまうことになるわけじゃ。ミス・パチル、そんなことを考えたことがあるかね。そんな心配をするのは、どこかおかしいのじゃろうかな」

「い、いえ、そんなことは。ただ、先生がご存じかどうかは知りませんけど、アルテシアのお母さんはそのために命をかけました。わたしはそう聞いています」

 

 ダンブルドアの言うように、アルテシアになにかあれば、クリミアーナの血筋は絶えることになる。そしてアルテシアに、クリミアーナの未来を託したのが、その母マーニャ。

 

「ふむ。お母上のことを考えれば、なおのことじゃな。罪深いことをしているのかもしれん」

「え?」

「いや、未来を守らねばならんという話じゃよ。ところでミス・パチル、もちろんヴォルデモート卿のことは知っておろうな。例のあの人、などと呼ばれておる闇の魔法使いのことじゃが」

「あ、はい。それはもちろん」

「怖がらせるつもりなどないが、ヴォルデモート卿はやがて戻ってくる。あやつをなんとかせねば、安心の未来などはありえん」

 

 ドキッとした。なにもパーバティは、ダンブルドアが呼んではいけないとされる名前を言ったから驚いたわけではない。アルテシアも同じようなことを言うことがあるからだ。

 

「いずれ、ヴォルデモート卿とは戦わねばならんじゃろう。そのためにいま、なにをするべきか。あやつを倒すために何が必要か。わしはの、ミス・パチル。そんなことを考えておるのじゃよ」

「あの、先生」

「ミス・パチル。今夜のことは、キミに感謝せねばの。キミがアルテシア嬢を連れてこなかったおかげで、こんな話ができる」

「え? でもアルは、本当に気分が」

「よいのじゃよ。キミたちにとっては、あのお嬢さんのものを取り上げたまま返さぬイジワルなじいさんじゃからの」

 

 それは、にじ色の玉のことだ。パーバティはすぐに気づいたが、何も言わずにダンブルドアを見ている。このことでは、何も言わないと決めていたからだ。あの玉はすでに入れ替えが済んでいるのだから、いまさら何か言うのは得策ではない。

 

「ともあれホグワーツの校長として、わしは、なにができるじゃろうか。むろん、ヴォルデモート卿を止めるつもりじゃよ。なにがあろうと、そうせねばならん。じゃがそれには、たくさんの人の力が必要となるであろう」

「あの、それは」

「ハリー・ポッターのことは知っておるじゃろ。ヴォルデモート卿に両親を殺され、ハリー自身も殺されるところであった。じゃがなぜか、あやつのほうが力を失い、いわば消滅してしまった。そのときなにが起こったのであろうか」

 

 ダンブルドアが、にこっとパーバティに微笑みかける。だがなぜこんな話をされているのか、パーバティにはまったくわからない。

 

「むろん、想像するしかないことじゃよ。そのヴォルデモート卿が、いかなる手段か知らんが復活してきたなら、自身が失脚する原因となったハリーを狙ってくることは十分に考えられる。それを考えたとき、いまもっとも気になるのが、魔法書なのじゃよ」

「先生、そんな話をわたしなんかにしてもいいんですか」

「いいとも。ぜひ、聞いて欲しい。わしがまだ若いころ、クリミアーナに魔法書というものがあるという話は聞いておった。それを、思い出したのじゃよ。そして考えた。あれをヴォルデモート卿が手にしたならどうなるか、とな」

 

 ダンブルドアが見つめてくるが、パーバティは、何もいうことができなかった。実際にヴォルデモートは、魔法書を手に入れようとしてきたことがあるのだ。そのことを、パーバティは知っている。

 

「クリミアーナのことは、いろいろと調べておる。もちろん、ヴォルデモート卿を倒すためにじゃよ。それが魔法界の平和を守ることになるし、ハリーを助けることにもなる。ハリーを守りつつ、対抗する策を立てていこうということじゃな」

 

 パーバティは、なにも言わない。ダンブルドアの話が続く。

 

「ヴォルデモート卿をめぐる騒動に巻き込んでしまうのは心苦しいが、魔法界のためには必要なことなのじゃ。むこう側に魔法書が渡ったなら、状況は明らかに不利となる」

 

 魔法書とは言うが、つまりアルテシアのことなのだろう。パーバティは、そう思った。その理屈は分かるが、魔法界のために必要だったとしても、クリミアーナにとってはどうなのだろう。でもなぜ、それを自分に?

 

「そこで、お願いしたい。情報を提供してほしいのじゃ。ミス・パチル、キミが知っていること、気づいたこと、見たことを教えて欲しい。魔法書のこと、あのお嬢さんのこと。それがどんなことであろうと、ヴォルデモート卿に対抗するための役に立つじゃろう。魔法界の未来のために必要なことじゃ」

「でも、でも、わたし、よくわかりませんから」

「こう考えることもできる。もし、なにかあったなら1000年から続くと言われる魔女の血筋は絶えてしまうことになる、とな。ほれ、ムーディ先生もよく言っておるじゃろう。油断大敵、じゃとな」

 

 アルテシアと一緒に来るべきだったのか。いっそのこと、来ない方がよかったのか。それとも、1人で来て正解だったのか。そんなことを思いつつ、パーバティは席を立った。

 

「今夜は、これで失礼します」

「ふむ、そうじゃの。気をつけてお帰り」

 

 

  ※

 

 

 3校対抗試合の代表選手はクィディッチ競技場へと集合するように、というアナウンスがされた。いよいよ、最終課題の内容が発表されるのだ。

 時間は、午後9時。なぜこんな時間に発表するんだろう、などと思いつつ、ハリーはロンやハーマイオニーと別れ、グリフィンドール塔をあとする。途中、玄関ホールのところでハッフルパフの談話室から出てきたセドリックに会う。

 

「やあ、ハリー。今度の課題はなんだと思う?」

「さあね。命がけのやつじゃなければいいんだけど」

 

 そんなことを話しつつ、クィディッチ競技場へと歩いていき、スタンドの隙間を通ってグラウンドに出る。

 

「うわ! なんだいこれ?」

「いったい何をしたんだ!」

 

 平らで滑らかだったグラウンドが、まったく別のものになっていた。暗くてはっきりとは見えないが、いたるところに曲がりくねった低い壁のようなものがあり、複雑に入り組んでいるのだ。

 

「これ、生け垣だよ。木を並べてつくってあるんだ」

「そうだとも。お気に召したかね」

 

 暗いので気がつかなかったが、少し離れたところに、ルード・バグマンが立っていた。クラムとフラーの姿もある。ハリーとセドリックは、顔を見合わせると、とにかくバグマンたちのほうへと歩いていく。

 

「さあ、これでみんなそろったね。まずは感想を聞こう。どう思うかね?」

「なんだか迷路みたいに見えますけど、ここで何をしようっていうんですか」

 

 その質問を待っていた、とばかりにバグマンがうれしそうに言った。

 

「では、発表しようかな。諸君らがいま目にしている生け垣は、あと1カ月もすれば6メートルほどの高さになるだろう。そのとおり、これは迷路だよ。最後の課題は、単純明快。迷路の中心に置かれた優勝杯を、誰が早く取るかの競争だ。最初にその優勝杯を手にした者が優勝となる」

「迷路を、通り抜ける?」

「そうとも。ただし、障害物がある」

 

 これが肝心なところだと、バグマンは大きく手を広げながら叫ぶように言った。

 

「ハグリッドが、各所にいろんな生き物を配置する。もちろん、呪いを破らないと進めないところもある。まあ、いろいろと仕掛けがしてあるということだね。諸君らは、それらを突破しながら優勝杯をめざすことになる」

 

 ただし、と人差し指を立てながら、ハリーとセドリックのほうに目をむける。

 

「迷路に入るのは、成績順だ。上位のものから先に入り、時間をおいて、次のものが迷路に挑む。そうすれば公平だ。しかも、全員に優勝のチャンスがある。さて、障害物をどう乗り越えていくか。キミたちの実力が試される。どうだね、おもしろいだろう」

 

 おもしろいかどうかはともかく、課題の発表はこれだけだった。ハリーにとっては、図書館で迷路を抜けるのに役立ちそうな呪文を調べ、練習せよと言われたようなもの。第3の課題まで、あと1カ月。これからは、そんな日々が続くことになる。

 



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第74話 「パーバティの苦悩」

「明日、もしも魔法界が滅びるのだとしたら、今日やりたいことはなにか。ときに、こんな話をする者がいるが、おまえならどうする?」

 

 聞かれているのは、アルテシア。尋ねているのがスネイプであり、近くでそれを見ているのがマクゴナガル。場所は、マクゴナガルの執務室である。3人で話をしようということでこういうことになったのだが、その場がスネイプの研究室とならなかったのは、そのことに反対する者がいたから。それが誰であり、その理由が何かについては、言うまでもないだろう。

 スネイプとアルテシアはテーブルを挟んで向かい合わせで座っており、マクゴナガルは、自分の机の前にいる。

 

「わたしなら、ですか。そうですね、明日滅びないようにしたいですね。その努力をしたい。理由ですか? 明日以降も、ずっと一緒にいたい人たちがいるからです」

「はっきりとは言えんが、おそらくおまえだけだろうな。そんな答え方をしたのは」

 

 スネイプの視線が、マクゴナガルへ。マクゴナガルは、なにも言わずに紅茶を飲んでいる。少しだけ、唇のはしっこがわずかに上がって見えるのは気のせいか。

 

「では、考えてもらおうか。明日とは言わぬが近いうちに、滅びぬまでも魔法界が大変なことになりそうだ。原因は、なんとかいう人が戻ってくるためであることがはっきりしている」

「わかりました。それが今日の宿題、というわけですね」

「なに?」

 

 もちろんそれが、宿題などであるはずがない。スネイプは、すぐにも答えを言わせたかったはずだ。だがにっこりと笑うアルテシアに、ただ苦笑いを浮かべるだけ。

 

「よかろう。では羊皮紙5枚にまとめて提出せよ。期限は、明日滅びるというその日の前日だ。わかったな」

「はい」

「ところで、先日の騒動をご存じかな。夜の9時過ぎ、対抗試合の選手たちが最終課題の発表を受け、解散したあとのことだ。禁じられた森のあたりで、代表選手の1人が審査員に襲われている」

「選手が審査員に? なんですか、それ」

「もちろん秘密にされておるから、知るものはほとんどおるまい。吾輩はダームストラングの校長から話を聞いたが、襲われたのはクラムという生徒だ。課題発表後に森のそばを歩いていたとき、審査員が倒れているのを発見したようだ。その生徒は、介抱のさいによそ見をしたとき、審査員に襲われたと言っている。生徒が気を失っているあいだに、審査員は姿をくらましてしまったがな」

「審査員とは、誰のことです?」

 

 質問したのは、マクゴナガルだ。マクゴナガルも、この騒動のことは知らなかったらしい。いや、知らされていない、と言うべきなのか。おそらくは騒動を広めないように、ということなのだろうけれど。

 

「バーテミウス・クラウチだったと、その生徒は言ったようです」

「クラウチ?」

「さよう。クラウチ本人はずっと体調不良で休んでおり、第2の課題では部下が代理で審査員をやっていますな。なのになぜか、夜中にふらふらと禁じられた森を歩いていた。妙な話だと思いませんかな」

「なにか、謎があるんですね」

 

 そう言ったアルテシアが、見つめてくる目。目の色は、とりあえず青というしかない、色だ。それは変わらないが、その表情は違っているとスネイプは思っている。いままではこんな目をしていなかったはずなのだ。そこには、豊かな表情がある。いわば喜怒哀楽のすべてがそこにあり、くるくると絶え間なく移ろっていくような、それを一度に見ることができるような、あえて言うならばそんな目をしているのだ。

 

「えら昆布を盗んだのはアラスター・ムーディだと、おまえはそう言ったな」

「はい」

「その目的はなんだ。このことを、おまえはどう考えているのだ」

「先生は、この2つを結びつけて考えるべきだとおっしゃるのですよね。もしそうだとするなら、クラムという生徒を襲ったのはムーディ先生です。バーテミウス・クラウチさんには、なにか秘密がある。それを隠そうとしてのことだと思うんですけど」

「そのクラウチは、ダンブルドアになにか話したいことがあると言っていたらしい。それが、隠したいものだというわけか」

「でも、そうなると」

 

 椅子に座り直すようなそぶりをみせ、アルテシアが背筋を伸ばして、あらためてスネイプを見る。

 

「なんだ」

「クラウチさんは、魔法省のお役人なのですよね。ご本人のもとを訪ね、詳しく話を聞いてみるべきでは」

「むろん、ダンブルドアはそうしているだろう。その結果なにかがわかったにせよ、おまえに話してくれることはないぞ」

「それは、なぜ?」

「生徒を危険なことに巻き込まないためですよ、アルテシア。あなたがいますることは、クラウチ氏を訪ねることではありません。わかっているはずですよ」

 

 スネイプの見るところ、その笑顔は、いつもと同じだ。そんな笑みを浮かべながら、アルテシアはゆっくりとうなずいた。

 

「わかりました、先生。まだようすを見る段階なのですよね。わからないことが多すぎるし、わたしにできることはない」

「おおむね、そういうことです。ですが、できることはあるはずです」

「この娘には、なにができるのです?」

「学ぶこと、です。具体的には、魔法書を読むこと。いまはそれに集中して欲しいのです。もちろん、さまざまな呼ばれ方をするあの人が現れたときのために」

 

 そのときスネイプはマクゴナガルのほうを見ていたが、アルテシアは、テーブルの上へと両手を伸ばし、その手のひらを重ねた。マクゴナガルからは、もちろん見えている。

 

「フラクリール・リロード・クリルエブン。光の精たちよ。わたしの本をこの手に」

 

 その言葉とともに、いくつものキラキラとした小さな輝きが、アルテシアの手のひらの下に渦を巻くようにして集まってくる。そして、次の瞬間には黒塗りの本がそこに現れた。あわてたように顔を向けたスネイプは、なんとかその瞬間を見逃さずにすんだようだ。

 

「おまえ、これは」

「はい。これが魔法書です。先生にはお見せしたことはありませんでしたが、この本を、わたしはもう少し読んでいたいのです」

「いいのか、おまえ。マクゴナガル先生も、よろしいのですかな。この娘が、こんなことをしましたが」

 

 たしかにスネイプは、魔法書のことは知っている。だが間近に実物を見るのは、これが始めてのはずだ。

 

 

  ※

 

 

「アルテシアは?」

「マクゴナガルんとこだよ。今日は、ここには来られないと思う」

「ふうん。でもなんで? なにかあったの」

 

 いつもの、空き教室。今日は、ソフィアの姿もない。遅れているのか、それとも来られないのか。

 

「ねえ、パドマ。聞いて欲しいことがあるんだけど」

「なによ」

「あたし、ダンブルドアに言われたんだよね。アルテシアのこと、いろいろと教えてくれないかって」

「え?」

「名前を言ってはいけないあの人。例のあの人は、必ず復活するだろうって。そのとき、魔法界が大混乱になる。危険になる。だからあたしに、情報提供しろっていうのよ。魔法書のこととか、いろいろ」

 

 パドマの表情が変わっていく。いつもの柔らかい温和な感じではなく、少しずつ、きゅっと引き締まっていく感じだ。

 

「対策を立てる必要があるんだってさ。ほら、クリミアーナってアルだけでしょ。もしものことがあったらさ、そうならないようにしたいって言われた」

「それで? それでお姉ちゃん、どうしたの?」

「どうもしないよ。そのまま戻ってきた。だって、わかんなかったんだもん」

 

 とくに言葉はなかった。ただ、2人は互いの顔を見ているだけ。だがもちろん、いつまでもそのままではない。パドマが、すっと目をそらした。

 

「それで、迷ってるってわけだ。ふーん。これで、あたしの姉だとはね。バカだね、お姉ちゃん」

「な、なによ。なんであたしが、そんなこと言われなくちゃならないわけ?」

「自分で言ったじゃん。わかんなかったって。つまり迷ってるってことでしょ。なんで迷うの? そんな必要ないでしょ。答えなんて、明らかだって思うけど」

「明らか? なんで、どうして。だってあたし、だってアルは」

「いいから、聞きなさい。それでも納得できないって言うんなら、好きなだけ悩めばいい。アルテシアには心配かけるだろうけど」

 

 パドマは、何を言おうとしているのか。ともあれこれで答えがみつかるかもしれないと、パーバティは、妹の口元をじっと見つめた。

 

 

  ※

 

 

「おまえも、おかしなやつだ。大切なものだろうに、それをこんなところへ持ってくるな」

「おや、こんなところ、とはどういう意味です? これでもわたしの部屋なのですが」

「これは失礼。もちろんこのわたしのまえに、という意味ですがね」

 

 パタン、という音はしなかった。スネイプは静かに本を閉じると、それをテーブルの脇へと置いた。

 

「正直に言おう。吾輩には、何が書いてあるのか、さっぱりわからん」

「はい。初めての人は、そういうものです。ダンブルドア先生もそうおっしゃいました」

「ほほう。どうせわからぬのだから見せてもかまわぬ。つまりは、そういうことか」

 

 皮肉にも聞こえるその言葉を、アルテシアは笑顔で受け止めた。軽く、首を左右に振る。

 

「もちろん、違います」

「では、なぜだ。当然、隠しておきたいはずだろう」

「いいえ。見たいという人には見せるのも、大切なことだと考えています。クリミアーナでは、これまでもそうしてきました」

「ふむ。その考え方を否定はしない。そうあるべきだとも思っている。だが、誰でも良いということではないぞ」

 

 例えば闇の帝王、とスネイプは例をあげた。ヴォルデモート卿のことだ。その男が、まさに復活してこようとしている。もちろん、魔法書にも興味を示すはずだと言うのである。そのとき、おまえは見せるのかと。

 

「そうですね。ちゃんと学んでくださるのなら、お見せするでしょう」

「本気か」

「前提条件が守られるのであれば、です。単なる興味だけでは、見ても意味などありません」

「なるほど、たしかにそういうやからはすぐに放り出してしまうだろう。なにしろ、読めないのだからな」

 

 もちろんそこで放り出してしまえば、それまでだ。なにひとつ身につくことはないし、クリミアーナの魔法は学べない。

 

「ヴォルデモート卿は過去、クリミアーナの魔法書を見ているかもしれません」

「なんだと」

「その可能性があるんです。ホグワーツを卒業したあとから、闇の魔法使いとして広く知られるようになるまでの間の、ある期間、クリミアーナにゆかりの家に滞在していたことがわかっています」

「そのときに見ている、というのか。まさか、魔法書を学んだと。帝王の魔法は、クリミアーナに由来するとでも言うつもりか」

「さあ、それはわかりません。でも、確かめたいと思っているんです」

 

 そこに、紅茶が用意されていること。されていなければならないことの意味を、スネイプは悟ったのかもしれない。コクコクと、半分ほどを喉へと流し込んだ。

 

「それが、闇の帝王に会いたいという理由なのだな」

「そういうことです。スネイプ先生、ヴォルデモート卿はいま、どうしているのでしょうか」

「そんなことは、知らん。だがいずれ、会うことになる。それだけは確かだ」

 

 そこで、マクゴナガルが席を立つ。ほんの数歩の距離ではあるのだが、アルテシアのすぐ横へとやって来る。

 

「安心なさい。スネイプ先生が力を貸してくださいますよ。わたしが願い、あなたが目指すことのために」

 

 マクゴナガルが願い、アルテシアが目指すもの。それがなんであるのか、誰も触れようとはしなかった。つまり、すでに承知している、ということになる。アルテシアが、軽く頭をさげた。

 

「ありがとうございます、スネイプ先生」

「礼などいらん。吾輩は、吾輩の思ったようにやるだけだ。吾輩自身のためにな」

「わたしはまだ、いくらかの不安はあるんですけどね。ですがもちろん、後ろをむくわけにはいきませんし、そのつもりもありません」

 

 スネイプは、自身のために何をしようとしているのか。そのことをアルテシアが尋ねなかったのは、それを知っているからだ。えら昆布をめぐる騒動のときアルテシアとスネイプは研究室で話をしているし、そのあとの医務室で、スネイプとマクゴナガルが意見を交わしている。

 

「その不安というのは、なんなのですか? もし、よければ」

「それぞれ、抱えたままの秘密があるだろうということですよ。お互い、なにもかも話せはしないし、話してはいない。しかたのないことでもありますし、それでいいのだとも思っています。でもそれが、どこかで足をひっぱることになりはしないか。そんなことを思うのですよ」

「なるほど。まぁそれは、個々で折り合いをつけてもらうしかないですな。どうしてもとなれば」

「どうします?」

「どうもしませんが、この娘にそっぽを向かれてしまうようなことにでもなれば、いささか困ったことにはなるでしょうな」

 

 そのアルテシアは、ただ、微笑んでいるだけ。スネイプは、軽くため息をつきながら、マクゴナガルをみた。

 

「やはりこの娘、以前とは違いますな。どこがどうとは、言いづらいのですが」

「いいえ、スネイプ先生。この子はどこも、なにも、変わってなどいません。アルテシアは、アルテシアです。でも、もし」

「もし? もし、なんです」

「もしもそう見えるのだとしたら、それは、この子の成長です。いままさに成長しているのです。正しく導いてあげてほしいですね」

 

 

  ※

 

 

「アルテシアは、あたしたちのことを『大切な友だち』だって言ってくれた。もちろん、覚えてるよね?」

「ええ」

「じゃあ聞くけど、アルテシアって、お姉ちゃんにとってはなんなの?」

 

 空き教室での、パチル姉妹の話は、まだ続いていた。パドマに悩みを相談した形となったパーバティだが、そのパドマの問いかけに、すぐには答えが出てこない。

 

「そりゃいろいろと、答えはあるでしょうよ。あたしにとっては大好きな友だちだけど、お姉ちゃんは? 違うの?」

「いや、違わないけど」

「ならいいんだけどさ。知ってる? いちばん信頼されてるのはお姉ちゃんだと思うよ」

 

 いま、相手が何を考えているのか。こうして向かい合っていれば、その全てではないにしてもある程度は察することはできるもの。ましてや、双子であればなおさらか。

 

「エクスペリアームス(Expelliarmus:武器よ去れ)」

 

 突然、パドマが叫んだ。だがその手に杖がないので、魔法が発動されたりはしない。だがそれでも、パーバティに驚いた顔をさせることには成功した。

 

「武装解除の呪文だよね。これで、アルテシアを吹っ飛ばしたことがあったはずだけど」

「ロックハート先生が決闘クラブをやったときにね。でもそれが?」

「そのときのこと、もう忘れちゃった? そのあと、アルと一緒にいたいって言ったんでしょ。お互いに力を合わせていこう、協力していこうって、そういう話になったんだよね」

 

 それは、2年生のときのこと。そのころパチル姉妹は、叔母や母親からクリミアーナとは付き合うなといったようなことを言われていた。そのことに悩みもしたし、解決のためにアルテシアが叔母と話をしたこともあった。そのことをマクゴナガルに相談し、アドバイスをもらったこともあった。

 

「アルテシアをやっつけたのは、なぜ? もしものときには頼っていい、共に力を合わせていこうって、そのことをわかってもらうためだったんだよね」

 

 パーバティは、言えないのかもしれないが、何も言わない。パドマの言葉が続く。

 

「校長先生に頼んで守ってもらうの? あの人に? アルテシアがそんなことすると思う? 自分の力でお姉ちゃんを守ろうとするんじゃないかな。アルテシア、そう言ってくれてたと思うけど」

「もういい、パドマ。もう、言わなくていい。わかった。わかってる。ちゃんと覚えてるから」

「そう。だったら、なんも言わんけど。それでいいよね?」

 

 パドマが、笑顔をみせる。パーバティも笑ってみせたが、正直言って、心の中のもやもやは、まだ解消されてはいなかった。だがパドマの言うことは理解しているし、あのとき、自分が何を考え、どうしたのかなど、すべて頭の中にある。

 決闘クラブで対決し、アルテシアを医務室送りにした。気を失っただけで、翌朝には元気になっていた。そして医務室から戻ってくるアルテシアと話をした。そのとき、ぽろぽろと涙をこぼすアルテシアを見て、ほんとうの友だちになれたと思った。ただ一緒にいるだけの友人じゃなく、何でも言い合い、助け合い、共に進んでいける、そんな友だちに。

 だけど。

 

「ねぇ、パドマ」

 

 パーバティがそう言ったとき、空き教室のドアが、開かれた。そこには。

 

「あれ、パチルさんたちだけですか。アルテシアさまは?」

 

 教室に入ってきたのは、ソフィア。その後ろに、ティアラがいた。

 

 

  ※

 

 

「ねえ、アル。少し話したいんだけど」

 

 先生たちに呼び出されていたアルテシアが、いつもの放課後の空き教室に顔を出したときには、すでに夕食時間となっていた。誰もいないと思いつつ、念のためにと来てみたのだが、そこにいたのはパーバティだけ。聞けば、話したいことがあり待っていたのだという。もちろん、アルテシアに否やはなかった。

 

「わたしもね、話したいことがあるの。パーバティのあとでいいから、聞いてくれる?」

「あ、べつにアルが先でいいよ」

「ううん。わたしはあとでいいから」

「そお? じゃあさ、とにかく座って話そ」

 

 空き教室であるからには、もちろん机や椅子も置いてある。2人は、いつもそれぞれが座っている席へと腰をおろす。

 

「そういえば、マクゴナガルはなんだって? 話って、それのこと?」

「そうだけど、それだけじゃないよ」

「ふうん、そうなんだ」

 

 話したいことがあると言ったはずなのに、すぐにその話とならないのはどうしてだろう。そんな思いが、アルテシアの頭をよぎる。困ったような、どこか思い詰めたような、そんな顔をしているのはなぜか。つまりは話しにくいのだろうけれど、そんな顔をしているパーバティを見るのは、アルテシアにとっては気になって仕方がない。思わず、声が出た。無意識に雰囲気を変えようとでもしたのだろう。

 

「ね、ねえ、パーバティ。わたし、変わったと思う?」

「え?」

「スネイプ先生がさ。わたしをみて、変わったって言うんだけど、パーバティはどう思う?」

「ええと、あたしは、全然そうは思わないんだけど。あ、待って。目の色が変わってる気がする」

 

 アルテシアの目の色は、青。少し不思議な感じのする色なのだが、パーバティは、それが変わっているのではないかと言う。

 

「前と同じなんだけどさ、なんかこう、ちょっとだけキレイになってる気がする」

「そ、そうかな」

「それでスネイプ先生は、どこが違うって言ってるの?」

「それがよくわからないって。どこがどうとはいえないけど、違っている気がするって言うんだけど」

「なによ、それ。訳わかんないよ。ほかには? 何を話したの?」

 

 いちおう、会話は続いている。だがアルテシアは、これでいいのだろうかと、少しずつそんなことを思い始めていた。たぶんこれは、パーバティが話そうとしていた話ではないはずだ。

 

「あ、例のあの人のことに決まってるか。それとも、魔法書のことかな」

「そうだね。ヴォルデモート卿は、いずれ戻ってくるだろうって。そのとき、どうするかって話」

 

 パーバティの表情に、ほんのわずか変化がみられた。一瞬のことだったが、いつもパーバティを見ているアルテシアが見逃すはずはなかった。気づかないふりをしたが、なぜだろうという思いは、当然のようにある。

 

「それで? どうするって」

「わたしは、その人に会えるものなら会いたいと思ってる。確かめたいこととかあるしね。危ないからやめろ、とかそう言われるんだと思ってたけど」

「違ったんだ」

「うん。力を貸してくれるだろうって、マクゴナガル先生が。スネイプ先生は何も言わなかったけど、そうなんだと思う」

 

 話をしながらアルテシアは、だんだんと不安な気持ちになってくるのを感じていた。パーバティが、いつもと違う。それがなぜなのか、わからない。そのことが、不安にさせるのだ。

 

「ね、ねえ、パーバティ。どうにかした?」

「え? ううん、べつになにも。でもさアルテシア、例のあの人が戻ってきたら、スネイプ先生はどうすると思う? 昔、部下だった人たちは、どうするかしらね」

「戻る人もいるだろうし、そうしない人もいるでしょうね。たぶんいま、その人たちは悩んでいるはずだって」

「それ、スネイプ先生が言ったの?」

「ううん、マクゴナガル先生だよ。マクゴナガル先生は、そのこと、ずいぶん気にしてるみたいなの。どうするのかなって」

「ああ、それはそうかも」

 

 そこで、話が途切れる。つかの間、無言の時が流れたが、それを打ち消したのは、アルテシア。

 

「友だちってさ。親友と呼べる相手って、どんな人だと思う?」

「え? な、なに」

「本当に悲しいとき、つらいとき、何時間だろうと、黙って一緒にいてくれる人なんだろうって、わたしは思うんだ」

「アル、テシア、そ、それって」

「ホグワーツに入学してから、ずっとだよ。ずーっといつも、わたしのそばにいてくれた人がいる。わたしには、そんな人がいる」

 

 パーバティの表情が、明らかに変わった。べつにアルテシアでなくても、それは誰でもわかっただろう。

 

「ねえ、パーバティ。わたしに話があるんだったよね?」

「あ、うん。ええと、もちろんだよ。ええとね、そうそう、最後の課題のことなんだけど」

「最後の課題?」

 

 違う、と直感的にそう思った。パーバティが話したかったのは、このことではない。だが、すでに課題が発表されていたのも事実。すっかり忘れていたが、ティアラはどうしたろうか。そういえば、第2の課題のときからティアラと会っていなかった。あのとき、アルテシアが医務室のお世話になっていたからだ。

 

「さっきまでここに、あのティアラって人がいたんだ。ほんとはアルテシアがいると、そう思ってたみたいだけど」

「ティアラ、か。そういえば、しばらく会ってないな」

「むこうは別に、そんなの気にしてなかったみたいだけどね。でさ、今度の課題は迷路らしいよ」

「迷路? それを通り抜けるってこと?」

「そうみたい」

 

 そういえば、課題が発表されることになっていた日は過ぎている。課題のことよりも、魔法書を読むことのほうに意識が向いていたのは確かだ。

 

「巨大迷路の真ん中に、優勝杯が置いてあるらしいよ。成績順に時間差でスタートして、迷路を抜けて最初に優勝杯を取った人が優勝。もちろん、障害物とか呪いだとか、邪魔するものがたくさんあるらしいけど」

「なるほど。その迷路にわたしも入るってことなのね」

「そうだね。でも実際に優勝杯を取るわけにもいかないから、先着したほうが勝ちってことでどうかってさ」

「ふうん。でも、それって」

 

 あまりに簡単すぎる、と言いそうにはなったが、なんとか言わずにすんだ。アルテシアにとっては、迷路に入らなくても優勝杯の位置を探すことができるし、場所がわかったなら、迷路を通らずに移動ができるのだ。そんなことは、ティアラも承知しているはず。ならば、なにか別の意味があるのか。

 ともあれ、ティアラと会う必要があるとアルテシアは思った。

 

「ところでさ、アル。魔法のほうはどうなの? 迷路に入るんだとしたら、魔法使いまくりになるんじゃないの。そしたらさ」

「ああ、それは」

 

 実際にやってみないとわからないのは確かだが、もう大丈夫のはずだとアルテシアは思っている。実際に最終課題が行われるときならなおさらだ。もちろん、自分でそう思っているだけだが。

 

「ありがとう、パーバティ。たぶんもう、そのことで心配かけることはないと思うよ。マダム・ポンフリーが喜んでくれるかどうかはわかんないけど」

「なにそれ。でも、それならよかった。安心したら、急にお腹がすいてきちゃったな」

「そういえば、夕食、まだだよね」

「行こう。まだ料理は残ってるはずだし」

 

 空き教室を出て、大広間へと向かう。まだ夕食時間は残っているので、食べはぐれることはないはずだ。だがアルテシアの心の中に芽生えた不安のタネは、消えてはいなかった。

 



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第75話 「最終課題を前にして」

 レイブンクローの談話室は、西塔の上層にある。そこからはホグワーツの敷地が一望できるらしい。だがそこに入るためには、扉のところで出される問題に答えなければならない。さて彼女は、どんな問題に答えたのか。

 談話室は広い円形の部屋で、壁のところどころにある弓の形をした窓が開かれていた。青いカーテンが、窓からの風で揺れている。天井はドーム形をしており、そこには星空が描かれている。そんな談話室でレイブンクローの生徒たちがくつろぐなか、彼女は、お目当ての人影を見つけると、まっすぐに歩いて行った。

 

「ねえ、パドマ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いまいいかな?」

「え? あ! アルテシア。どうしたの? ここ、レイブンクローの談話室だよ」

「そんなこと知ってるけど、どうしてもパドマと話がしたくて。明日の放課後まで待てなかったのよ」

「それはいいんだけど」

 

 困ったように、周囲を見回すパドマ。当然のように、みんなの視線を集めている。なにしろアルテシアは、レイブンクローでは有名だ。なにより知性を重視するレイブンクロー生にとって、アルテシアのもつ豊富な知識は興味の対象たりうるもの。それは、知識そのものにとどまらない。いったいどうやって学んでいるのか、といったことにも及ぶ。

 これが、たとえばハーマイオニーであれば納得しやすいのだ。魔法の実力もあるし、図書館などで勉強している姿も、レイブンクロー生たちははよく目にしている。だがアルテシアの場合は、そうではない。魔法を使えない時期すらあったし、いまだってたいしたレベルではないと思われている。そのうえ図書館で勉強しているところなどめったに見かけないのに、あれほどの知識を持っているのはなぜだ、ということになっているのだ。

 そんなわけで、周りの目を集めてしまうのは仕方のないことであった。当然、パドマとゆっくり話などしていられる状況とはならない。

 

「や、やあ、アルテシア。こんなとこに来て大丈夫なのかい?」

 

 話しかけてきたのは、同じ学年のアンソニー・ゴールドスタイン。アルテシアにとって、これまでにも何度か話をしたことのある、顔見知りの相手だ。ほかにも何人か近づいてきていたが、話しかけてくるまではいっていない。様子見といったところか。

 

「ごめんなさい、パドマと話がしたくて」

「そうかい。実はさ、キミと話をしたいってやつは、レイブンクロ一にはけっこういるんだぜ」

 

 そうかもしれないが、いまはそんなときではない。アルテシアをみて、パドマはそう思ったのだろう。すっとアルテシアの前に立った。

 

「ごめん、アンソニー。ほかのみんなも、ごめん。ちょっとだけ2人にしてくれないかな」

 

 そう言われてしまうと、談話室の隅の方へと歩いて行く2人の後について行くことは難しい。せめて視線だけでもと、その後ろ姿を目で追っていくのがせいぜいだ。そのまま談話室の外へと出て行くのかと思いきや、アルテシアが、白い大理石の像の前で止まった。

 軽く微笑んだ感じの女性の像だ。凝った造りがされているであろう、髪飾りをつけている。

 

「これ、この人って」

「興味ある? これはロウェナ・レイブンクロー。ホグワーツの創設者の1人だよ。この石像は、寮のシンボルってとこかな」

「ロウェナ、っていうんだ。ロウェナ…… なんだか、知ってる気がする」

「そりゃそうでしょ。アルテシアのところは、ゴドリック・グリフィンドールだね。創設者は4人いて、それぞれの名前がついた寮ができたってことになってるよね」

 

 それが、歴史である。ホグワーツは、ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリンという4人の偉大な魔女と魔法使いによって創設されたのだ。彼らは自分たちの名をつけた寮を設け、生徒を迎え入れ、教育を始めた。それがおおよそ1000年前のことになる。その当時のことを詳しく知るものなど、当然いるはずはないが、さまざま言い伝えられていることはある。

 有名なのは、サラザール・スリザリンが生粋の魔法族の家系の者だけを入学させ、教育していくべきだと提唱したこと。それが特にゴドリック・グリフィンドールと意見対立することになり、ホグワーツを去ったというエピソードだ。今で言うところの純血主義の元になったとされており、グリフィンドールとスリザリンの寮生たちの対立傾向にも関係していると言われている。

 

「4人の創設者それぞれに、なにかしらゆかりのものが残されているっていう話もあるよ。ほら、2年生のときの秘密の部屋とかさ。この石像も、なにか意味があるのかもしれないね」

「パドマ、ヘレナはどこ?」

「え、誰?」

「ヘレナよ。ここにいたでしょ。わたし、会ったことあるわ。ここにいるでしょ。彼女の部屋はどこ?」

 

 と言われても、パドマは戸惑うばかり。だが助け船は、すぐにやってきた。アンソニーが、すぐそこに立っていた。

 

「パドマ、灰色のレディのことじゃないのかな。レイブンクローの娘だったって話があるだろ」

「あ、そうか。ゴーストだよ、アルテシア。レイブンクローのゴースト。でも、どこにいるかって言われても」

「食事のときにでも、大広間に来るんじゃないかな。ときどき顔をみせるだろ」

 

 ホグワーツには何人ものゴーストがいる。灰色のレディもその1人だ。レイブンクロー寮のゴーストではあるが、もちろんいつも談話室でくつろいでいる、などということはない。

 

「話に割り込んで申し訳ないんだけどさ。アルテシア、ぼくと付き合わないか。一緒に図書館で勉強したり、話をしたりするのは楽しいと思うんだ。ときどき、湖のあたりを散歩したりするのもいいと思わないかい?」

「アンソニー、あんた、何を言ってるの?」

 

 驚いた、なんていうものではなかった。まさかこんなところで、告白? 自分の目の前ということもあるし、なにより寮生たちの目もあるのに、思い切ったことをするものだ。アルテシアが、微笑んだ。

 

「ごめんね、いまはまだムリだけど、あなたのことは覚えておくわ」

「アル! あんた、まさか」

 

 思わず、姉と同じ呼び方をしてしまっていた。そのとき、頭をよぎったこと。それをいま、声に出すことはしなかった。もちろんアンソニーに聞こえてしまうからだ。アンソニーとアルテシアが、もうひと言ふた言、話をするのをただ聞いているだけ。そのアンソニーが行ってしまうと、アルテシアをより隅っこへと引っ張っていく。そして。

 

「アルテシア、あんたまさか、なにかあるとか思ってるの? そのときのこととか、考えてる? だからあんな返事したの?」

 

 そうだとしか、パドマは思えなかった。なにかあるのだと、そう思っているとしか考えられなかった。

 

 

  ※

 

 

 翌日の放課後、アルテシアはいつもの空き教室に顔を出さなかった。代わりに向かったのは、ボーバトンの馬車。ティアラのもとを訪ねたのである。もちろんパーバティには、そのことを話してある。最終課題のことで、もう少し詳しく話を聞いてくるというのがその理由だ。

 パーバティのほうは、アルテシアと別れて空き教室へと向かっている。そこでパドマやソフィアと会うことになるのだろうが、ともあれ、アルテシアである。いまアルテシアとティアラは、湖のほとりにあるベンチに並んで腰掛けていた。

 

「しばらく会ってなかったせいか、なんだか違って見えるわね」

「そうかな。どこが違う?」

「さあ。でもあたしには、いまのほうがいいかな。なんだか懐かしい感じがしますね」

「ふうん。でもそんなこと言った人、初めてだよ」

 

 スネイプやダンブルドアといったところが、どこか違っていると評している。ティアラも同じようなことを思ったのだろうが、その表現は独特のものであった。

 

「仕方ないでしょ、そう思ったんだから。それより、最終課題のことでしょ。わざわざ来てくれたのは」

「そうだけど、ただゴール地点にたどり着けばいいっていうのなら、簡単すぎない? ほかになにか条件とかあるんでしょ?」

「簡単、ねぇ。選手たちに聞かれたら、間違いなく怒られるでしょうね」

「でも、ティアラだってそう思ってるんじゃないの。使える魔法とか制限するつもりだってこと?」

 

 言い返したりせずに微笑んでみせたということは、つまり、なんらかの条件をつけるつもりであったということになる。すくなくともティアラの表情を見る限り、そういうことで間違いないのだろう。

 

「やっぱりね。なにかあると思ったから聞きに来たんだけど。それで、どうするつもりなの?」

「もちろん、最初に優勝杯を手にしたほうが勝ち。それは変わらないわよ。でも、あたしたちが優勝杯を手にするわけにはいかないから、実際に優勝杯を手にするのは選手の誰かってことですよ。それがいいんじゃないかって」

「どういうこと? 選手の誰かにって、それを助けるってこと?」

「こっそりサポートってことになるわね。気づかれたら、それまで。それが魔法の制限にもなるでしょ。いい考えだと思うんですけど」

「それは、そうかもしれないけど」

「第2案も考えましたよ。ただし、光の系統はなしにしてくれるならってことで。得意なのはわかってるけど、あれがあったら話にならないから、魔法族の使う魔法だけで勝負することになりますけどね」

 

 少しの間、アルテシアは考えた。ティアラの言うとおり、あの魔法を使ってよいのなら、勝敗はすぐに決するだろう。単なる早い者勝ちの時間競争ということになる。それでは、競い合っても意味のないことになる。だから、選ぶなら魔法を使わないとする第2案のほうになるだろう。選手のサポートというのも面白そうではあるが、こっそりと助けられることになる選手の側からすれば、話が違うということになってしまうだろう。アルテシアは、そんなことを考える。

 

「ねえ、ティアラ。もちろん魔法なしでいいんだけど、選手たちはそっとしておくべきじゃないかしら。あの人たちだって、自分の力でゴールしたいと思うよ」

「じゃあ、2案のほうですね。優勝杯のところへ先着したほうが勝ちってことでいいですよ」

「わかった」

「でもいちおう、ホグワーツの2人のうち、どちらか選んでくれます? あたしはフラー・デラクール。イマイチ頼りないんだけど、しかたないし」

 

 そんな必要は、ないのでは。そうは思ったが、ティアラにもティアラなりの思いがあるのだろう。そう思ったアルテシアは、選ぶことにした。といっても、選択肢は限られている。なにしろセドリックのことなど、まったくといっていいほど知らない。つまりクラスメートを選ぶしかないというわけだ。

 

「じゃあ、わたしはハリー・ポッター。でも、わかってるよね」

「ええ、もちろん」

 

 いちおう、念を押しておかねばならない。競技はルールに基づいて行われるものだ。自分と相手とでそのルールに違いがあってはならない。

 

「話は変わりますけど、先日、ソフィア・ルミアーナと話をする機会があったんですよ。しかも、めずらしいことに意見の一致をみた。そのこと、聞いてる?」

「まだだけど、聞いてなくてもぜんぜん問題ないわ」

「おや、そうですか。そりゃまた、なぜ?」

「どうせ、いまからティアラが話してくれるんでしょ。だったらそれで問題ないじゃないの」

 

 あっけに取られたような顔。だがそれは、すぐに笑いに変わった。

 

「たしかに、そうですね。なるほど、問題はないわけだ」

「それで、なんの話?」

「最近、なにかとぶっそうだって話を少し。おかしな人がいたり、誰かが誰かを狙ってたり、なにかと危険だってことをね」

「怖い?」

 

 なにをばかなことを。あるいはそう言いたかったのかもしれないが、ティアラは何も言わずに、ベンチから立ちあがった。

 

「今日のところはこれで。また、会ってくれますよね」

 

 

  ※

 

 

「アルテシア、怒ってたなぁ。言葉は穏やかだったんだけど、あれは絶対に怒ったと思うんだよね」

 

 いつもの空き教室に顔を出したパーバティを迎えたのは、ほんの少しだけ先に来ていたパドマの、こんな言葉だった。だがいったい、何を怒っていたというのか。ついさきほどまでアルテシアと一緒にいたが、そんなようすはみえなかった。

 

「パドマ、それって、なんの話?」

「昨日アルテシアが、ウチの寮に来たときの話。あたしが言うのは間違いかもしれないけど、アルテシアは秘密だなんて言ってなかった。だから言わせてもらうことにしたの」

「だから、なんの話なの? アルテシアが怒ってたって?」

「あたしね、気がついたっていうか、アルテシアはやっぱり変わってるような気がするんだ」

 

 どこが、と言われてもはっきりとは言えない。だがアルテシアは、これまではっきりとした怒りをみせるようなことなどなかったはずだとパドマは言うのである。

 

「校長先生のこと、なんだけどね。レイブンクローの談話室にいたからかもしれないけど、静かに怒ってたかな。アルテシアはね、あたしのところに、お姉ちゃんがおかしいって聞きに来たんだよ。何か心当たりがないかってね」

「あたしのことを?」

「そう。だから、校長先生とのこと話したよ。校長先生から魔法書のこととか、いろいろ聞かれてるみたいだって。例のあの人対策のため、魔法界のために必要なことだと言われているってね」

 

 怒るかな、とパドマは思っていた。そう思いながら、姉のパーバティを見ていが、パーバティは長めのため息をついただけだった。そして、近くの椅子に腰かける。

 

「そっか。しゃべっちゃったのか」

「怒らないの?」

「あ、怒るべきだよね、あたし。妹のくせにナマイキなことするな、とかさ」

「怒っても、謝らないよ。だって、アルテシアの気持ち分かるし。あたしも、校長先生に言いたいことあるし」

 

 パーバティは、パドマの顔を見ているだけで、とくになにも言わなかった。それは自分の言葉を待っているからだろうと、パドマは思った。だから、言葉を続ける。

 

「お姉ちゃんがどう思ってるかは知らないけど、校長先生は、アルテシアのために何かしてくれるんじゃないと思うよ。そりゃ、結果としては同じことになるんだろうけど」

「そんなこと、わかってるけどね」

「え?」

「あたしだってさ、いろいろ考えたんだよ。どうしても、校長先生のことすなおに信じることができなかったから」

 

 それは、パドマにとって思いがけない言葉だった。その様子から、てっきり迷っているものと思っていたのだ。迷って悩んで考えすぎて、どうしていいのかわからなくなっているのだと、勝手にそう思っていた。それでアルテシアにも心配かけているのだから、ちょっと言ってやろうと、そう考えてのことだったのだ。

 だがパーバティは、パーバティなりの答えを見つけていたようだ。ならば、これ以上は必要ないのだ。パドマはそう思ったが、パーバティの話は終わらなかった。

 

「たしかに校長先生は、例のあの人をなんとかしたいと思ってるんでしょうよ。必要なことだと思うし、賛成だし、ぜひともそうしてほしいよね。でもさ」

「でも、なに?」

「気がついたのよ。まずあたしが考えることは、アルテシアのためであるべきだって。魔法界のこととか未来のためとか、それが大切なのはわかるけど、そんなことはアルと相談しながら考えていけばいいと思うんだ」

「なるほど」

 

 思わずそう言ってしまったパドマだが、問題はそんな身近なところだけに収まるものではない。それがやっかいなところなのだ。普通なら友人関係だけ考えていればいいのだろうけど、アルテシアがいる以上、もっと大きなうずに巻き込まれることは確実なのだ。

 

「でも、お姉ちゃん。アルテシアは狙われるよ。魔法書があるからね。そのことは考えておかないと」

「それは、そうなんだけどね」

「そう考えると、アルテシアの魔法書が完全版になったのは、タイミングが良かったってことになるのかな」

「まあね。あの人も近いうちに戻ってくるっていうし、イザってときには安心なのかも」

「そんなイザってときなんて、こないほうがいいんだけどね」

 

 魔法書が完全版になってからというもの、アルテシアは、時間が空けばいつでも魔法書を読むようになっている。おかげで魔法書を見たことがある生徒や教師の数が飛躍的に増えてしまったが、なんとか追加された部分をひととおり読むことができていた。あとは、その知識がちゃんと身につくまで、繰り返し学ぶだけということになる。

 だがそれまでには、どれくらいの時間が必要となるのだろう。通常クリミアーナでは、3歳で学び始め、13歳から14歳で魔女になるとされている。つまり、10年あまりの期間が想定されていることになる。だが今回の場合、その予測は難しい。アルテシアはすでに魔法の力に目覚めているうえに、本来の魔法書に欠けていた部分を改めて学ぶなど、過去に例のないことだからだ。

 

「でもさ、極端な言い方すればアルテシアを巻き込んだことになるんだよね。校長先生は、例のあの人が生きてると思ってた。いずれ戻ってくると思ってた。そのときどうするか、どうすればいいかを考えた。そして、アルテシアを入学させた」

 

 もともとクリミアーナは、魔法界とは距離を置いていた。歴代の誰も、ホグワーツに入学などしていない。なのに突然入学させたのは、ムリヤリ巻き込んだということではないのか。ダンブルドアがそうしなければ、アルテシアは、クリミアーナで静かに暮らしていたはずだ。例のあの人を退けるという大義名分は、平和に暮らしていた少女を巻き込んでもよいという理由になるのか。

 パドマの言おうとしているのは、まさに、この点にあった。そのことを、パーバティに説明する。

 

「パドマ、あんたの言うことはわかるよ。一番いいのは、校長先生が危険と戦ってくれることだもんね。そうすれば、あぶない目に遭わなくて済む」

「そうだけど、これまで校長先生は、そんなことしなかったよ。そう思わない? なぜかは知らないけど」

「でも、なんとかしようとは考えたんだから、立派なことだと思うよ。気づかないふりとか、見ないふりとか、逃げだそうとか、そんなことじゃなく、対処しようと考えた。さすがは魔法界で最も偉大な魔法使い、ってことになるんじゃないかな」

 

 だけど。

 2人とも、その先は言わなかった。これは、ダンブルドアがヴォルデモート卿を倒すために何が必要かを考えた結果なのだ。その対策のなかには、クリミアーナがあった。アルテシアがいた。魔法書があった。ダンブルドアが考えてるのは例のあの人のことであって、アルテシアではない。魔法界の未来のためであって、アルテシアのためではない。

 パドマが言ったように、結果としては同じことになるのかもしれない。結果が同じであれば、それでいいのかもしれない。

 だけど。

 

「そうだ、お姉ちゃん。校長先生のほうはどうするの?」

「ああ、知らん顔はできないよね。ちゃんと話をしにいくつもりだよ。その前に、アルと相談しなきゃだけど」

「相談?」

「何を話していいのか悪いのか、聞いとかないと。あたしにはわからないこともあるだろうし」

 

 もちろんダンブルドアは、魔法書のことを知っている。実物も、アルテシアが見せている。それでも、なんでも話していいとは思わない。アルテシアが言おうとしないものを、自分が言うわけにはいかないのだとパーバティは言う。

 

「だよね。でも校長先生のこと、やっぱり好きになれないな」

「同じ気持ちだけど、校長先生に感謝していることが1つあるよ」

「え、そうなの」

「だって、アルテシアに出会えたのは、アルテシアがホグワーツに来たからでしょ。そのことだけは、感謝してもいいかなって」

 

 2人は顔を見合わせ、静かに笑った。

 

 

  ※

 

 

 その夜、ラベンダーにムリを言って寮の部屋を空けてもらうと、パーバティはアルテシアを引っ張って、部屋への階段を登る。いつもは談話室で過ごす時間だが、さすがにみんなの目が、いや耳が気になるのだ。

 ハーマイオニーも同室なのだが、彼女は図書館に入り浸り、消灯時間ギリギリまで戻ってはこない。なので、2人で話すのにはちょうどよかった。パドマ経由でのレイブンクロー生からの情報では、どうやらハーマイオニーは、クリミアーナに関することを調べているらしい。ただ最近は、3校対抗試合の最終課題のことがあって、迷路を抜けたり対人戦闘に役立ちそうな呪文、のほうに対象が移っているようだ。

 

「それで、なんの話? 別に談話室でもいいのに」

「だけどね、ちょっと話しにくいかなって思ってさ」

 

 腰を落ち着ける場所は、アルテシアのベッド。そこに2人並んで腰掛ける。

 

「言っとくけど、あたしはあんたに隠し事とかしてないし、するつもりもないからね」

「ああ、パドマに何か言われたんだね。わたしだって」

「いいよ、アルは何も言わなくていい。とにかく、あたしが話をするから」

 

 そしてパーバティが、校長室での話をしていく。もちろんパドマがアルテシアに話して聞かせた内容と一致する。当然、アルテシアの反応も、同じようなものとなる。だが、言うことまでは同じとはならない。

 

「わかってるよ、パーバティ。あのとき、わたしも行くべきだったんだよね。頭が痛くて寝ちゃったけど、それが失敗だった」

「すぐに話せば良かったんだけど、自分なりによく考えてからって思ったから」

「それで正解だと思うよ。でもわたし、やっぱり校長先生のこと、好きになれないかもしれないな」

「ああ、それパドマもおんなじこと言ってた」

 

 そう言って、笑いあう。これでアルテシアとパーバティとは、意思の疎通は図れたといったところ。だが、本題はこれからなのである。

 

「それでね、アル。あたし、校長先生には話せることは話しておいた方がいいと思ったんだ。そうしようと思うんだ。だってさ」

「いいよ。パーバティがそう思うんなら、それでいい」

 

 その理由を話そうとしたのだが、そのまえに、アルテシアからの許可が出ていた。もともとクリミアーナでは、魔法書を見たいという人には見せていたし、質問などにも答えていたのだから、気にすることはないというのである。

 

「でもさ、そうかもしれないけど、言わないほうがいいことってあるんじゃないの。あのにじ色の玉のことは話せないし」

「ああ、うん。あれは、そうしてもらったほうがいいかな」

「そういうことを、聞いておきたいのよ。そのことは、絶対に誰にも話さないようにするから」

 

 もちろんパーバティは、そうするだろう。だがアルテシアは、微笑みながら首を横に振った。

 

「ありがとう、パーバティ。でも、気にしないで。そんなこと気にしながらじゃ、疲れちゃうしさ。こっちからわざわざ話したりはしないけど、聞かれたことには答えるつもりだよ。校長先生が知りたいって言うんなら、話しても大丈夫。わたしが話すから心配しないで。もちろんパーバティには、余計な手出しはさせないよ。絶対に守るから」

「そりゃ、アルが話す分にはいいんだろうけどさ」

 

 自分が言ってもいいのかどうか、気になるのはそこなのだが、アルテシアからは、もうこれ以上のことは聞けないような気がする。どういう言い方をしても、同じような返事になるのだろう。だったらソフィアに聞いておこうかな、とパーバティは考える。

 じゃあもう、ラベンダーを呼びに行こうかな。もう部屋に入ってもいいよって、言いにいかないと。アルテシアの顔を見ながら、パーバティはそんなことを考えた。それにしても、守る、なんて言葉、久しぶりに聞いたな。

 

 

  ※

 

 

「いよいよ、明日の夕刻、最終の課題がスタートします。代表選手ではないあなたたちにこんな話をするのは、もちろん理由があってのことです。わかってもらえているとは思いますが」

 

 この声は、もちろんマクゴナガル。その場に集められているのは、パチル姉妹とソフィア、そしてアルテシアである。

 

「何事も起こらなければ、それが一番。ですがこれまでのことを考えたとき、十分な注意が必要なのはあきらかです。その可能性がある以上、当然のこと。とにかく明日は、十分に気をつけるように。とくにムーディ先生には近づかないようにしなさい。仮に何か用事を言いつけられたり、呼び出されたりしても、すべて無視してよろしい。わたしの名前を出してもかまいません。いいですね」

「わかりました」

 

 そう返事をした者、ただうなずいた者、そのどちらもいたが、拒否した者はいなかった。

 

「それから、明日は代表選手の家族にも最終課題の観戦が許されます。招待客としてご家族が来校されますが、あなたたちにとっては見知らぬ人。念のために近づかないようにしなさい。ただし」

 

 ここでマクゴナガルが、アルテシアを見る。

 

「ポッターの家族はマグルということもあり、来校されません。かわりにウィーズリー一家が招待されました。アルテシア」

「はい」

「アーサー・ウィーズリー氏から、あなたに会わせてほしいと言われています。会いますか?」

「え? ロンのご家族ですよね。会うのはかまいませんけど、なぜわたしと?」

「2年生の終わりのときの、秘密の部屋にまつわる一件のことだとは思いますがね。もっと早くに会いたかったが機会がなかった、と言っているようです」

 

 もしかして、そのときのことを聞きに来るというのだろうか。そういうことなら、あまり気は進まなかった。あれは、ハリー・ポッターが大活躍し、騒動を解決している。そういうことになっているし、実際にあのとき日記帳にとどめを刺したのは、ハリーなのだ。

 

「ダンブルドアを通しての申し出です。断わるのは難しいでしょう」

「わかりました。でもずいぶんまえのことですよね。ロンやジニーとは、そのときの話は済んでいるんですけど」

「たしかに、今さらという感じはしますが、なにかあるのでしょう。明日はダンブルドアも一緒です。わたしも同席しますから、そのつもりで」

 

 アルテシアとしては、あまり気が進まないのかもしれない。なにしろ、おおよそ2年も前のことなのだ。だがそう言ってみたところで、それが通用するわけでもない。会うくらいは会っておいたほうがいいのだろう。

 

「そのあいだは、あたしたちはどうすればいいですか? 一緒はムリなんですよね」

「それぞれ寮が違いますから、一緒に談話室というわけにもいきませんね。よろしい、わたしの部屋を空けておきますから3人一緒にそこにいなさい」

「はい」

「仮になにかあるとするなら、対抗試合のときでしょう。とはいえ、注意はしておくべきです。決して、1人にはならないこと」

 

 何か起きるのか、それとも起きないのか。そんなことは、さすがにわからない。だが、みんなの意見は一致していた。これまでの状況を考えれば、何もないなどとは決して言えないのだと。

 

「これは提案ですが、対抗試合のときも観戦はせず消灯時間までわたしの部屋で過ごす、というのはどうですか? どうせ競技は、迷路の中で行われます。周りからはそのようすなどほとんどわからないはずです」

 

 だが、その提案は生徒たちには受け入れられなかった。もちろん、アルテシアとティアラの勝負のことがあるからだ。これには、マクゴナガルも苦笑するしかなかった。いずれにしろ、校内の全生徒が観戦するのである。生徒たちと一緒にいたほうが、なにかと都合がいいのかもしれない。マクゴナガルは、そう思ったようだ。

 



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第76話 「優勝の行方」

 そして、翌日。アルテシアがマクゴナガルとともに校長室を訪れたのは、午後になってから。この日は、最終課題の日であるのはもちろんだが、学年末試験の日でもある。午後となったのは、もちろん試験を優先したということだ。

 校長室には、ダンブルドアはもちろんのことウィーズリー夫妻が、アルテシアを待っていた。ダンブルドアが笑顔をみせてくる。

 

「試験は、終わったかね? キミは成績はよいほうだと聞いておるが」

「終わりました、校長先生。ぶじ5年生に進級できるといいんですけど」

「いや、それは問題ないじゃろう。のう、マクゴナガル先生」

 

 微笑みながら、うなづいただけ。マクゴナガルは、アルテシアと並んで椅子に腰掛ける。ウィーズリー夫妻とは、向かい合わせとなる。

 

「初めまして、だね。わたしはアーサー・ウィーズリー。となりは妻のモリーだよ。キミには、もっと早くに会いたかったんだが、遅くなってしまった。あのときのお礼も言えないままで、申し訳ない」

「いいえ、お気になさらないでください。あのときは」

「あのときキミがいろいろとやってくれたことは、ロンから聞いているんだ。ジニーとも親しくしてもらってるようだね。改めてお礼をいいたい。どうもありがとう」

 

 アルテシアも、頭を下げる。親しいのかどうかはともかくとして、ジニーとは顔を合わせればあいさつはするし、なにかあれば話もする。そんな感じだろうか。

 

「ロンとジニーがよく話してくれるよ。ハリーがウチに泊まったときなんかにも、よく話題になるよ」

「そうなんですか」

「どうかね? 夏休みにはぜひ、わが家に遊びに来るといい。十分なおもてなしはできないかもしれないが、楽しい毎日は保証するよ」

「ありがとうございます。でも家を留守にしていますので戻らなきゃいけないんです。次の休暇のときでよければ」

「ああ、いいとも。クリミアーナ家はキミ1人なんだと聞いているが、寂しくはないかね。いつでも遊びに来てくれていいんだよ」

 

 おそらく、ロンあたりに聞いたのだろう。それが事実ではあるが、まったく1人というわけではない。誘ってくれるのはありがたいが、パルマがいつも帰りを待ってくれているのだ。

 

「ところでキミは、ガラティアという女性のことを知っているかな。クリミアーナ家の人だと思うんだが」

「わたしの祖母の妹が、ガラティアという名前です。他家に嫁入りし、クリミアーナを出ましたけど」

「その人の消息については、なにか知っているかね」

 

 なぜ、そんなことまで聞くのだろう。そんな思いが、アルテシアの頭をよぎる。だが、返事を渋るようなことはしなかった。知りたいというのなら、答える。クリミアーナでは、そうしてきたからのだ。魔法書にしても、見たいというなら見せてきた。だがもちろん、知らないことには知らないと答えるしかないのは言うまでもない。

 

「すでに亡くなったと聞いています。わたしが1歳くらいのころに大きな爆発事故があって、その事故に巻き込まれたそうです」

「それは、13人が死亡したという爆発事件のことを言っているのかね?」

「そうだと聞いています。わたしの知り合いの家にそんな記録が残されていました」

「ふうむ。ではやはり、間違いないようだね」

 

 でも、なぜだろう。ここでウィーズリー氏の目が、ふっと横にそれたのだ。それまで互いに相手の目を見ながら話していたので、そのことに気づかないはずがない。そのそれた目は、ダンブルドアへと向けられたようだ。いわゆるアイコンタクトのようなものかな、とアルテシアは思った。そうやって、なにかしら確かめあったのだろう。

 気分のいいものではないが、あえて指摘するようなことでもない。マクゴナガルも当然気づいているはずだが、何も言わずに座っている。

 

「ごめんなさいね。あたしたちが学校に来てお嬢さんに会えることになったこと、ファッジ大臣に知られてしまったのよ。夫は魔法省で働いていますからね。そうしたら、用事を言いつけられてしまって」

 

 ウィーズリー氏の奥さんであるモリーだ。なにかしら雰囲気の変化を感じたのだろう。話を途切れさせないようにするため、といったところか。

 

「おいおい、モリー母さんや。それは、このお嬢さんには関係のないことだよ」

「関係ありますよ。いま、お聞きになったでしょう。あのガラティアさんは、この子のお身内なんですよ」

「まあ、そうなんだがね」

「いくら魔法省だろうと、遺品はこの子に返すべきでしょう。それを」

「待ってください。どういうことなのでしょう。まずはちゃんとした説明をお願いしたいですね」

 

 そう言ったマクゴナガルを、ウィーズリー氏がため息をつきながら見た。アルテシアは、無言のままだ。

 

「シリウス・ブラックの件はご存じでしょう、先生。実はファッジが、例の事件の見直しをやってましてね。その過程で亡くなったマグルのなかにガラティアさんがいることがわかった。わたしやモリーは、ガラティアさんがクリミアーナ家の人だと知ってましたからね」

「それで、魔女だとわかったと」

「簡単に言えば、ファッジが遺品に興味を持ったんですな。なにしろ我らの魔法大臣は、こちらのお嬢さんのことを知ってますからね」

「まさか、遺品の中に魔法書があるのですか」

 

 ガラティアとて、クリミアーナの魔女だ。魔法書を学んでいるのだから、自身の本を持っていても不思議はない。不思議はないが、持ち歩いていたとも思われない。いったいどこにあったというのか。

 

「わたしらには、わかりません。まだマグルの側にあって、交渉している最中なのです。いずれ戻されればはっきりしますがね」

「もちろん、アルテシアに返されるのでしょうね?」

「それがのう、ミネルバ。ファッジはもらい受けたいと言うとるらしい。ま、どうするかは魔法省がこれから決めることになるじゃろう。アーサーは、その交渉役となるじゃろうな」

「いやいや、まずは確認ということでね。どうかね、お嬢さん。話はわかってもらえたと思うが」

 

 それまで椅子に座っていたアルテシアが、立ち上がろうとした。だが横に座っていたマクゴナガルが、すばやく彼女のローブをつかんで座らせる。驚いたようにマクゴナガルを見る、アルテシア。だがそれも、一瞬のこと。すぐにいつものように微笑んでみせた。

 

「わかりました。でも1つだけ聞かせてください」

 

 そしてアルテシアが顔を向けたのは、ウィーズリー氏だ。

 

「なんだね」

「今回のことは、魔法界がクリミアーナを認めたと、そういうことになりますか?」

「あ? ええと、それはどういうことかな」

「魔法省から交渉にいらしたのだと、さきほど校長先生がおっしゃいましたので。それは魔法界がわたしを魔女だと、クリミアーナを魔女の家だと認め、交渉に来られたということではないのか、ということですけど」

「ええと、何を聞きたいのかよくわからないんだが。キミはホグワーツの生徒じゃないか。もちろんお嬢さんが魔女だと思っているよ。クリミアーナ家のことは、正直、よくは知らないんだがね」

 

 それは、アルテシアにとってどんな意味がある質問だったのか。そしてその返事が、どのような意味を持つのか。アルテシアは笑みの消えた顔でマクゴナガルを見たあと、ゆっくりと席を立つ。今度はマクゴナガルも、ローブをつかんで座らせるようなことはしなかった。

 

「わたしは、これで失礼します」

「まぁ、待ちなさい。そう、急がんでもいいじゃろう。まだ最終課題が始まるには早すぎる。座りなさい」

「遺品のことなら、ご自由にどうぞ。でもおそらく、魔法書はないと思います。あれは、クリミアーナ家の書庫に保管されますから」

「そうかね」

「それから、校長先生。お願いですから、パーバティにはなにもしないでください」

「ん? なんのことかね」

「パーバティ・パチルは、わたしの大切な友人だということです。もちろん、ご存じですよね」

 

 頭を下げ、出口へとむかう。マクゴナガルも席を立ち、そのあとに続く。ダンブルドアは、軽くため息をつきながらそれを見送った。

 

「やれやれ」

 

 

  ※

 

 

「あまり、過激な発言はどうかと思いますがね」

「すみません。でも、先生まで出てきてしまってよかったんですか?」

 

 校長室を出てきた2人が、ゆっくりと廊下を歩いていた。行き先は、マクゴナガルが自分の執務室、アルテシアは談話室となるのだろうか。

 

「そんなことは気にしなくてよろしい。それより、パチル姉妹がどうにかしたのですか?」

「パーパティが、なにか悩んでました。その原因が校長先生だった。それがわたしには許せなかった」

 

 アルテシアが、そのことをマクゴナガルに話していく。パーバティとのあいだでは、すでに解決済みであることも。おおざっぱではあったが、内容はちゃんと伝わっただろう。

 

「そうですか。でもアルテシア、校長としては必要な情報収集なのかもしれませんよ。生徒を危険な目にあわせないですむのなら、わたしだって、そうするかもしれません」

 

 とくに反論などはせず、ただ苦笑にも似た笑みをみせるアルテシア。それはつまり、マクゴナガルの言うことを認めたようなもの。だがもちろん、アルテシアにはアルテシアなりの言い分はあるだろう。

 

「それでも、心の負担を押しつけるようなことをしていいとは思いません。わたしは、わたしの友人を守りたい」

 

 身長は、マクゴナガルのほうがアルテシアよりも高い。なので、その右手をアルテシアの頭の上に置くのは簡単なこと。その手が、くしゃくしゃとアルテシアの髪をかきまわす。

 

「そうでしたね。あなたは、それでいいのだと思いますよ。それこそが、クリミアーナの娘」

 

 そして、ゆっくりと歩いて行く。3校対抗試合の最終課題は、もうすぐ始まる。

 

  ※

 

 

 クィディッチ競技場はいま、6メートルほどの高さの生垣に、周囲をぐるりと囲まれている。巨大な迷路は、見事に完成しているのだ。ハリーたち選手が集まっている場所からは、その一角にぽっかりと空いた空間が見えている。それが巨大迷路への入口なのだが、その先は薄暗く、どうなっているのかはわからなかった。

 しばらくして、観戦用のスタンドに生徒が集まり始め、ざわざわとしたざわめきが広がる。空の色は次第に濃さを増していき、一番星が瞬きはじめたころ、ハグリッド、ムーディ、マクゴナガル、フリットウィックの4人と、バグマンとが選手のところへやってくる。いよいよ、競技開始だ。

 

「ひとこと、注意をしておきます」

 

 マクゴナガルだ。選手たちの前にするすると、進み出てくる。

 

「何か危険に巻き込まれるなど、どうしようもない事態となったときは、空中に赤い火花を打ち上げなさい。それが助けを求める合図となり、私たちのうちの誰かが救出します。このことを忘れないように。おわかりですか?」

「なにか、質問はあるかな?」

 

 続いて前に出てきたのは、バグマン。選手たちからは、何の反応もない。

 

「では、始めるとしよう。選手紹介のあと、ホイッスルが鳴ったらスタートだ。ソノーラス(Sonorus:響け)」

 

 バグマンが、自身の喉に杖をあて、呪文を唱える。そこからの声は魔法で拡声され、スタンドに集まる生徒たちに響き渡ることになる。

 

「お集まりのみなさん。三大魔法学校対抗試合の最終課題がまもなく始まります」

 

 続いて、各選手の得点状況が告げられ、その成績順によるスタート、迷路の中心にある優勝杯を最初に取ったものが優勝となることが手早く告げられたあと、ホイッスルの音が響いた。すぐさま、ハリーとセドリックが迷路のなかに消えていく。

 そのようすを、少し離れた場所から、アルテシアとティアラが見ていた。ソフィアやパチル姉妹も一緒である。

 

「わたしたちのスタートは、一番最後ということにしましょうか」

「ティアラ、もう一度確認するけど、先に優勝杯のある場所に行った方が勝ち、でいいんだよね?」

「ええ、もちろん。つまり早いもの勝ちってこと。もちろん、選手たちは別にして」

「いいわ、じゃあソフィア。スタートの合図をお願いね」

 

 対抗試合のほうでは、2度目のホイッスルの音により、クラムがスタート。その姿が、あっという間に迷路の中に消えていく。

 

「じゃあ、3・2・1・ゼロ、でスタートとします。3度目のホイッスルが鳴ったら合図します。いいですか?」

 

 アルテシアとティアラがうなずいた。少しして、3度目のホイッスルの音が競技場に響いた。それを確認して、ソフィアが手を上げる。

 

「迷路に入るところまでは、あたしが魔法で姿を隠します。それくらいなら、なんとかやれると思うので」

「いいわ。お願いね」

「では、いきます。3・2・1・ゼロ!」

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、迷路の中を歩いていた。走ることはしない。ただ、歩く。迷路の中に入るまでは、ソフィアが魔法で姿を隠してくれることになっていた。だが、迷路のなかは違う。なので一足先に迷路に入ったティアラの姿を見つけることができたのは、当たり前だということにはなる。だが。

 

「ずいぶんとゆっくりなのね。待っててくれてたのかしら」

「まあ、そうですね。ちょっとした提案っていうか、ここからはお互い正直にいきませんか。もう隠し事はなしってことで」

「そんなこと言っていいの? それってつまり、あなたがこれまで隠し事をしてきたってことになるけど」

「了解していただけるのなら、あたしが先に話してもいいですけど」

 

 アルテシアは、にっこりと微笑んだだけだった。ゆっくりと歩き、左右に分かれた道の左側へと歩を進める。ティアラがそのあとに続く。

 

「そっちが、中心の方向ってことですか」

「たぶんね。でもティアラ、あなた、完全に敬語になってない? いいの、それで」

「いいんです。ただソフィアのマネをしてるだけですから」

「ソフィアなんて呼び方するんだ。たしか、ルミアーナって言ってたよね」

「これは、アルテシアさまのマネです」

 

 ではいまのは、誰のマネなのか。それをアルテシアは、尋ねなかった。いったいティアラはどうしたのか。これまでとはようすが違っているようだ。そこからの道は、まっすぐの一本道。アルテシアには、そう見えた。もちろん途中に分かれ道はあるのだろうが、その場所からは見えなかった。とくに障害物も用意されていないようだ。

 

「ねぇ、ティアラ。一緒の道でいいの? わたしの後ろにいたら負けになるんじゃないの」

「ご心配なく。ちゃんと考えがあってのことですから」

「ふうん。でも、少しは急いだ方がいいかな。まだそんなに暗くはないけど、真っ暗はイヤだしさ」

 

 それでもアルテシアは、走ったりはしない。ただ、歩いて行く。ティアラも、同じペースで後をついてくる。ふと、アルテシアが立ち止まった。

 

「ねぇ、ティアラ。いまの、おかしいと思わない? いま、変な感じがしたよね」

 

 振り向くと、そこにいるはずのティアラがいない。どこか別の道に行ったのか。だが、ずっと一本道だったのだ。そんなことになるはずがない。だとするなら。

 

「もしかして、トラップ? ひっかかっちゃったかな」

 

 ついさっき感じた、妙な感覚。あのときに、どこかに飛ばされたのに違いない。でもなければ、一本道でティアラとはぐれた説明がつかない。問題は、だれがどうやったのかであり、今、自分はどこにいるのか。

 

「ポートキー、ってのがあるらしいけど、それかな。でも、なにも触ってないんだけど」

 

 アルテシアは、実際にポートキーを体験したことはないし、その魔法も使えない。ただ、本で読んだことがあるだけだ。なので、本当にそうだったのかはわからない。

 

「もしかして、石なのかな」

 

 きっと、小さな石くらいは落ちているだろう。それに魔法がかけてあれば、知らずに踏んだりして移動させられる。アルテシアはそれを踏み、ティアラは踏まなかった。そういうことかもしれない。

 迷路のどこにいるのかわからなくなってしまったが、これは対抗試合の最終課題なのだ。これくらいの仕掛けは、あってもいい。だがとにかく、位置を知らねばならない。こんなときのためにと調べておいた呪文がある。それが、四方位呪文だ。これで方角を知ることができる。アルテシアが、杖を取り出す。

 

「ポイント・ミー(Point me:方角示せ)」

 

 くるくると、手のひらの上で杖が回る。これで北の方向を知ることができるのだ。続いて、手のひらの上に白い玉をつくる。それを、空中へ放り投げる。その玉が5メートルほど上空にとどまり、周囲を照らす。明るい満月がそこにあるようなものだ。その灯りに照らされたアルテシアが、杖をその満月に向ける。

 いったい何をしたのか、その満月の灯りがひときわ明るさを増し、まぶしいばかりとなったあと、ふっと消えてしまう。そのとき、アルテシアの姿は、そこにはなかった。

 アルテシアの作った玉が、ふわりふわりと、まるで風に漂うかのように、壁を乗り越えていく。ふわりふわりと、宙を舞う。しばらくさまよい、空中でピタリと止まったその瞬間。

 

「ステューピファイ(Stupefy:麻痺せよ)」

 

 叫ぶような、呪文。これは、ハリーの声だ。ハリーの杖から赤い閃光がほとばしる。その閃光は、ハリーに背を向けて立っていたクラムを直撃。同時にクラムが、その動きを止めた。そして、芝生の上へとうつ伏せに倒れる。その倒れた向こうに、セドリックがいた。セドリックは両手で顔を覆い、ハァハァと息を弾ませながら横たわっていた。

 

「大丈夫か?」

 

 ハリーはセドリックの腕をつかみ、肩に手をやり、助け起こす。いったい、なにが起こったというのか。

 

「大丈夫だ。でもまさか、信じられない。クラムが後ろから忍び寄ってきて、ボクに杖を向けたんだ。あんな魔法を使うなんて」

 

 セドリックが立ち上がる。そして、ハリーとともに倒れているクラムを見下ろした。

 

「どうする? このままここにほおっておいてもいいと思うか?」

「さっきぼく、尻尾爆発スクリュートに襲われたばかりだ。まだ近くにいると思うよ」

「ふん、このままだとスクリュートのえじきか。当然の報いのような気もするが、しかたないな」

 

 気が進まないのだろうが、それでもセドリックは、自分の杖を振り上げ、空中に赤い火花を打ち上げた。これは、リタイアの合図である。クラムは、すぐに救出されるだろう。

 

「そういえば、フラー・デラクールの悲鳴も聞いたよ」

「クラムがフラーもやったと思うかい?」

「わからない」

 

 ハリーとセドリックは、暗い中で互いを見つつ、しばらく佇んでいた。そんな2人を見おろすように、上空にあの玉が浮かんでいる。セドリックが口を開いた。

 

「そろそろ行かないと」

「えっ? ああ、そうだね」

 

 互いに競争相手だ。このまま一緒に行くわけにはいかない。ともあれ2人は歩き始める。そして分かれ道に来ると、ハリーは左、セドリックは右にと別れていく。ふわりふわりと宙をただよう玉は、ほんのすこしだけその場に止まっていたが、結局、左の道を選んだようだ。

 ハリーは、やがて長いまっすぐな道へと出た。とくに邪魔されることもなく進んできたのだが、ハリーの杖からの灯りに照らされ、何かが見えてくる。ライオンのような胴体と、鋭い爪を持つ四肢、長い房状の尾を持つ生き物。スフィンクスだ。ゆったりと歩いてくる。

 当然、ハリーは警戒しつつ杖を構えた。

 

「逃げたいなら、逃げればいい。もっとも、優勝もあきらめてもらうことになるだろうがな」

「ど、どういうことだ?」

「この道はゴールに近い、ということだ。わたしを通り越し、道なりにまっすぐ行きさえすればな」

 

 つまりこの道の先に、優勝杯が置いてあるということだ。ハリーは、ごくりとのどを鳴らした。

 

「そ、それじゃ、どうか、道をゆずってくれませんか?」

「だめだね。通りたければ、わたしのナゾナゾに答えなければならない。正解すれば通してやるが、間違えばおまえを襲う。実に簡単なことだろう。どうする? 選ばせてあげるよ」

 

 ナゾナゾだって! そんなのは、ハリーの守備範囲に入ってはいない。それは、ハーマイオニーの得意分野だ。だが、そう言ってばかりもいられない。

 

「わかった。じゃあ、ナゾナゾを出してくれ」

「了解」

 

 ゆらゆらと動いていたスフィンクスが、道の真ん中で止まった。後脚が折れ、ガクンと腰が落ちる。そうして、地面に引きつけられるかのようにその場に座った。スフィンクスの目が閉じられる。

 

「その人は、いつも泣いていた。その人は、ひとりぼっちがイヤだった。あまりに悲しく、涙をこぼしていた」

「な、なんだって」

「悔しくて泣くのなら、代わりに悔しさを晴らそう。寂しくて泣くのなら、いつもそばにいよう。始まりは、涙」

「そ、そんなのがナゾナゾなのか?」

「泣かせたくはなかった。泣かせてはいけないのだ。それを、そんなのだとけなすなら、もうよい。おまえからは、答えなど望めはしないだろう」

「え! な、なんだって」

「おまえとは話をしない。わたしのまえから消えろ、と言っているのだ。二度は言わない」

「し、しかし」

 

 ナゾナゾに答えないと、優勝杯のところへは行けないはず。他にも道はあるだろうけれど、回り道などしていては、セドリックに先を越される。この道が、一番の近道なのだ。だが、消えろとはどういうことなのか。ハリーは、考える。まさか、通ってもいいということなのか。

 

「あの」

 

 だが、スフィンクスは沈黙したまま。目は閉じられたままであり、ぴくりとも動かない。だったら。

 そろりそろりと、ハリーは歩き出す。ゆっくりとスフィンクスに近づいていく。ゆっくりと、一歩ずつ。その目は、スフィンクスに釘付けだ。少しでも動きを見せたなら、すぐに逃げ出せすつもりで少しずつ。もう少しだ。

 ようやく、スフィンクスの横に。これで、イザというときに逃げ出す方向が変わった。でも、もう少しだ。あとも少し。あいかわらず、スフィンクスは動かない。

 

「よし! いまだ、いけ」

 

 全速力でハリーは走った。道はまっすぐだった。暗くても関係ない。とにかく、まっすぐに走ればいい。

 そのハリーが走り去ったあとでも、スフィンクスは止まったままだった。ハリーのあとをふわりふわりと宙に舞っていた玉は、その場にとどまっている。ほかに、人の姿はない。誰もいないが、声がした。

 

「いいの?」

 

 声はしたが、スフィンクスは動かない。宙を舞う玉も、そこにとどまったまま。

 

「悔しいなら、力を示してやればいい。代わりでよければいくらでも」

「いま、そんなことしても仕方ないよ。いまはもう、誰もいやしない」

「確かに。でもその思いまで消えたりしない。いつまでも、いまも、ここに残ってる。悔しくして、たまらない」

 

 そこには、スフィンクスがいたはずだった。宙を舞う玉が、浮かんでいたはずだった。だがいま、そこにいるのはティアラであり、アルテシア。迷路の道は、まっすぐに続く一本道。

 アルテシアの右手が、ゆっくりと動いた。その手が、ティアラの手のひらにからまっていく。

 

「ありがとう、ティアラ。わたしは、大丈夫だよ。パーバティがいてくれる。パドマがいてくれる。ソフィアもいるよ。ティアラだって、来てくれた。大丈夫だから」

「問題、途中だったんですけど、それが答えってことですかね」

「ほかに聞きたいことがあるんなら、何でも答えるけど」

「それがクリミアーナ、なんでしたっけ」

 

 互いに笑みを見せつつ、ハリーが走って行ったほうへと並んで歩き始める。道なりにいけば、ゴール地点。そろそろハリーが、優勝杯をつかむ頃、なのかもしれない。

 

「でも結局、勝負は、アルテシアさまの勝ちってことになるようですね」

「さあ、それはどうかな。わたし、いろいろと魔法、使ったよ。あれは、許してもらえるの?」

「それはわたしも、同じですから。お互いさまってことで」

「そういえば、フラー・デラクールはどうなったの?」

「けっこう早い段階でリタイアしてますね。わたしが迷路に入って、あの人を見つけたときには赤い火花を打ち上げていましたね」

 

 そんなことを話しながら、2人は並んで迷路を歩いていく。その先から、なにやら争っているような騒がしい音が聞こえてくる。

 

「あれは、大きなクモですよ。ゴール直前、最後の難関ってことになりますかね」

「手助けしたら、ダメなんだよね」

「大丈夫、勝てるはずですよ。ほら、セドリック・ディゴリーもいます。別の道から来たんでしょうね」

 

 セドリックとハリーが、全身毛むくじゃらの、黒い大きなクモと戦っていた。さかんに“麻痺の呪文”を飛ばしている。その向こう、数十メートル先に、3校対抗試合の優勝杯とそれが置かれた台座が見える。アルテシアが、杖を出した。

 

「なにをするつもりです?」

「クモの動きを止める。見て、ハリーは足をケガしてるわ」

「やめたほうがいいと思いますね。ここは、2人に任せた方が」

 

 そのとき、セドリックとハリーが同時に、同じ呪文を叫んだ。赤い閃光が2本、同時にクモを襲う。偶然なのかもしれないが、2つの呪文が重なったことが、クモを失神に追い込んだ。クモは横倒しとなり、その場に倒れ込む。

 

「さすがは、代表選手。あとは優勝杯をどっちが取るかですね」

 

 優勝杯に近い場所にいるのは、セドリックだ。ハリーは足を痛めているので、すばやく駆けよることは難しいだろう。だが2人は優勝杯から目をそむけ、なにごとか話をしている。

 

「どうしたのかな。なにかもめてるみたいに見えるけど」

 

 手にした杖で、アルテシアが魔法をかける。

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ(Wingardium Leviosa:浮遊せよ)」

 

 アルテシアとティアラの身体が、ふわっと宙に浮いた。そのまますーっと滑るようにして、ハリーたちのそばへ。地上から3メートルほど上空ではあるが、もちろん姿も見えなくしてあるのだろう。ハリーたちは、気づかない。2人の話が、アルテシアたちにも聞こえてくる。

 

「わかった。じゃあ2人一緒に取ればいい。どっちにしろ、優勝はホグワーツだろ」

 

 そう提案したのは、ハリーだ。セドリックは、驚いたようにハリーを見ている。

 

「ハリー、ホントにそれでいいのか?」

「ああ。ぼくたち助け合ったじゃないか。あのクモは2人じゃなきゃ倒せなかった。2人一緒に取るべきだ」

 

 どうやら話はまとまったらしい。セドリックが足を痛めたハリーに肩を貸し、優勝杯が置かれた台座のすぐ横へと移動する。そして、それぞれが片手を伸ばした。

 

「いち、に、さん、で取るんだ。いいね?」

「わかった」

 

 セドリックとハリーとが、同時に優勝杯に触れた。その瞬間、2人の姿は消えた。アルテシアとティアラの見ている、その前で、優勝杯とともに、2人の姿は消えた。

 



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第77話 「復活のとき」

 なにが、どうなったのだろう。

 三大魔法学校対抗試合は、ハリーとセドリックが優勝杯を手にし、喜びを爆発させた姿を見せることで終わりとなるはずだった。そこに、その2人がいるはずだったのだ。なのにいま、誰もいない。優勝杯も消えている。いったい、どういうことなのか。

 アルテシアとティアラは、さっきまで優勝杯が置かれていた台座を見ていた。

 

「どういうことでしょうか」

「わからないわ。優勝杯がポート・キーになってて、それで移動したってことで間違いないと思うけど。でも、なぜ?」

「サプライズってやつじゃないですか。あのままパーティー会場あたりに移動させられて、いきなりみんなから優勝のお祝いを受けるんですよ」

「だったらいいんだけど、そんなことするって話、わたしは聞いてないんだ。イヤな予感がする」

 

 もちろん、このままにはしておけない。目の前で見てしまったからには、知らぬ顔などできない。それは、ティアラも同じであったようだ。

 

「探すよ。どこにいるのか、どうしているのか、確認しないと」

「でもどうやって。どこにいったかなんて、まったくわからないんですよ」

「そうだけど、出発点はわかってる。ここ、だから」

 

 台座の上をポンと叩いてみせる。たしかにそうだが、問題は到着点のほうだとティアラは思う。

 

「ねぇ、ティアラ。ポート・キーって、簡単に作れるのかな。解除とかもできるんだろうか?」

「そこまでは、知らないですね。これまでにそんなの、一度も使ったことないですから」

「だよね。たしかポータス(Portus)って呪文があって、それで移動のためのキーを作って、それに触れるだけ。行き先はあらかじめ決まってて、そこに瞬間移動ができる、ってことだよね」

「そうですけど、時間も要素のひとつになりますよ。決められた時間に発動するんです。その時間をすぎてしまえばそれまで。たしか、そのまま効果がなくなるかキーだけ移動してしまうか、そのどっちかだったような」

「そうだよね。わたしも、そんなふうに覚えてる。時間、だよね。選手の誰かがいつ優勝杯を手にするか、そんなのわかるはずないのに」

 

 ポート・キーの詳細な仕組みとなると、アルテシアにはわからないことだらけだ。せいぜい図書館で読んだ本に書かれていた程度の知識しかないし、思い違いもあるかもしれない。だがそれでも、考える。目の前で起こったことに、どんな説明ができるのか。

 

「ティアラ、一緒に来る?」

「え?」

「ハリーたちが移動した場所に、わたしも行ってみる。いろいろ、確かめたいことがある」

「行くもなにも、その場所がわからないって、そういう話をしてたはずですけど」

 

 それには答えず、アルテシアは右手の中指と人差し指の2本をそろえ、ティアラを指さした。正確には、その周囲なのかもしれない。何をしているのか、ティアラにはわかっただろうか。ややあって、台座の上に優勝杯が置かれていることにティアラは気づいた。

 

「これって、まさか。これ、どこかに移動する前の優勝杯ですか。なぜ、ここに」

 

 思わず、優勝杯に手を伸ばす。だがすぐに、アルテシアに止められる。

 

「触っちゃだめだよ、ティアラ。それがポート・キーなら、どこかに飛ばされちゃうかもしれない。そうなったら、話がややこしくなるから」

「まさかとは思いますけど、時間を戻した?」

「そうだよ。それは、20分ほど前の優勝杯。つまりわたしたちが、20分ほど過去に戻ってきたってこと」

 

 さすがに驚いたような顔を見せたティアラだが、もちろんクリミアーナに時間を操作する魔法があることは知っている。その魔法がいま、実行されたのだ。

 

「うわ、本当にできるんだ。でも、一応、聞かせてもらいますよ。なんのためにそんなことを?」

「もちろん、どこかに移動した優勝杯を追いかけるためだよ。いまのうちに優勝杯に印をつけておけば、どこに行ってもその場所がわかると思うんだ」

「なるほど、そのための時間旅行、ですか。また、面倒なことを。じゃあ、もう少ししたら選手の2人がここに来るんですよね?」

「そうだね。でも来るのは、2人だけじゃないかもしれない」

「どういうことですか。ほかに誰が来るっていうんですか?」

 

 その質問には笑顔で答え、アルテシアは杖を取り出した。それをティアラにむける。

 

「なんです?」

「杖でやってみようかと思って。ふふっ、これはティアラのマネだね」

「はぁ? なんのことですか」

「とにかくこっちへ来て。姿は見えなくしたけど、離れておいた方がいいと思う」

 

 そしてティアラを、壁際へと引っ張っていく。ポート・キーには、時間的な面での制約があるはずだ。もしそうなら、誰かがどこかでタイミングを見計らっていたはずであり、その誰かがここに来るのではないか。アルテシアは、そう言うのだ。

 

「なるほど。その誰かを取り押さえてしまえば解決。そういうわけですね」

「そう簡単でもないわ。優勝杯にはポート・キーになってもらって、ハリーたちをどこかに連れて行ってもらわないといけないから」

「なぜです」

「わたしたちが、その瞬間を見ているからよ」

 

 本当はどうするべきなのか、それをアルテシアは知らない。ただ、時間の操作をするときの約束事を、自分なりに決めているだけである。すなわち、過去と未来において矛盾を残すべきではないのだ。つじつまは、あわせておく必要がある。

 だからいま、この時点で未来に起こるとわかっているのに、その芽を摘むことはできない。してはいけないのだ。

 

「だったら、こうして見張る必要なんてないんじゃないですか」

「そうだけど、それが誰かは知っておきたいんだ。たぶん、ムーディ先生のはずなんだけど」

「確かめるってことですか。まあ、いいです。何時間も待つわけじゃないし。それで、優勝杯には印をつけたんでしょうね?」

「うん」

 

 となれば、過去に戻っているこの時点でできることはほかにない。あとは、実際にポート・キーが発動したあと、それを追いかけるだけだ。

 

「ティアラはどうする? 危険かもしれないから、ボーバトンの馬車に戻っててもいいよ。もともと、この最終課題は怪しかったんだ。ハリー・ポッターが狙われてるんじゃないかってウワサもあったしね」

「そのことは、ソフィアに聞いてます。そのうえで言わせてもらいますけど、このあとどうするか、選択肢は2つですよ。3つめなんて、絶対に認めない。それでいいのならもう少し付き合いますけど」

「ありがと。それで、1つめの選択肢って何?」

「このまま先生たちに報告に行くことですね。あとのことは学校側に任せる。なんの苦労もないってことで、これが上策ですかね」

「2つめは?」

 

 アルテシアの顔には、笑みがある。ティアラの提案には興味があるようだ。

 

「その場所に行っても、ようすを見るだけ。ただ見るだけで、なんにもせずに戻ってくることです。実際に向こうに行くので安全とは言い切れないってことで、中策になりますけどね」

「じゃあ、もう1つは下策ね。いちおう、聞かせて」

「あの2人と代わってあげることですよ。どんな災難が待っているのか知りませんが、他人の苦労をわざわざ背負い込むってことで下策です。これは、おすすめできません」

「わかった。それで、どうすればいいと思う? わたしは、どれを選ぶべき?」

 

 ティアラは、あきれたような顔をみせた。それを、自分に尋ねるのは間違いだ。口には出さないものの、ティアラはそんなことを考える。選ぶのはアルテシアなのだ。仮に自分が選んでもよいのなら、選ぶのは決まっている。

 

「わたしが決めてもいいんですね。だったら」

「待って。その話は、とにかく場所を探してからにしましょう。もうすぐ来るよ」

 

 そういえば、近くで騒々しい物音がしている。闘いの音だ。

 

「あぁ、クモとの闘いが始まったんですね。第2試合か」

「周りには誰もいないよね、ティアラ」

「ええ。こうして見ている限りは、誰も。とっくに優勝杯はポート・キーになってるのかもしれませんね」

 

 それを確かめるには、優勝杯に触ってみるしかない。だが、そんなことはできるはずがないのだ。

 

 

  ※

 

 

 優勝杯が置かれていた台座の前に、大きなスクリーンのようなものが浮かんでいた。そのスクリーンに、アルテシアが杖をむける。すると、映し出されていた景色が変わっていく。

 

「これは、いいですね。いきなり行くより、こうしてようすを見るのは賛成です」

「でもさ、ここ、墓地かな。ところどころに立ってるあれって」

「ああ、たしかにあれは墓標かも。誰かいますね」

 

 映像が、その場所に近づいていく。ハリー・ポッターが、墓石に縛り付けられていた。そうしたのは、すっぽりとマントをかぶった小柄な人物に違いない。

 その人物は、縛りつけた縄の状態を確かめているようだ。身動きできないほどに、しっかりと縛りつけたといったところだろう。

 

「いやな感じがしますね。アルテシアさまはここにいてください。向こうに行くのはわたしだけってことで」

「そんなわけにはいかないよ。いちおうハリーは、友だちだったし、同じ寮だし、同じホグワーツの生徒だし」

「なるほど。でも1人では行かせませんよ。さっきの話ですけど、上・中・下の中策にしてくれるんなら、付き合います。それ以上は譲れない。イヤだっていうんなら、力尽くでも止める」

 

 その大きな目を見開いて、ティアラを見るアルテシア。だがにこっと微笑むと、杖を振る。大きなスクリーンが、消えた。アルテシアが、杖を構える。

 

「一緒ですよ。一緒ですからね。わたしも一緒に」

 

 それは、ティアラの声。そしてその姿が、消えた。

 

 

  ※

 

 

 墓石に縛りつけられたハリーの前には、大人1人が十分に入れそうなほどの大きな石の鍋が置かれていた。なにやら液体が満たされており、鍋の下では、火が燃えている。ちょうど、魔法薬の調合でしているかのようだ。

 マントの人物が、杖を振る。それにあわせ、ハリーの足下から飛び出した何かが、鍋の中に降り注ぐ。いったい何が起こっているのか。鍋の液体の色は、青。その上にマントの人物が自身の右手を突き出し、左手に握った銀色に光る短剣で、それを、切り落とした。

 すさまじい絶叫が、おそらくは墓地であろうその場所に、響き渡った。自分で自分の腕を切り落とし、鍋の中に入れたのだ。その痛みによる叫びだろう。とても正気でできることではない。

 鍋の液体の色が、赤に変わった。

 

「次はおまえの血が必要だ」

 

 マントの人物が、ハリーの右腕に短剣を突き立てる。きつく縛りつけられているハリーには、どうすることもできない。流れ出した血が、ガラス瓶へと集められていく。

 十分な量が得られたのであろう。今度はそのガラス瓶から、鍋の中へとハリーの血を注ぎ込む。とたんに鍋の液体が、目も眩むような白に変わった。明らかに、光を発している。ぐつぐつと煮え立っているのか、もうもうたる湯気も立ち昇っている。

 

「うわ! なにあれ。あれは、なにをしているんでしょうか」

「わからないけど、気持ちのいいものじゃなさそうね」

 

 アルテシアとティアラがやってきたのは、そんなときだった。墓地らしき場所は、異様な雰囲気に包まれている。墓石に縛りつけられたハリーの右腕から流れる血が、ローブを赤く染めている。白く輝きながら、もうもうたる湯気を立ち昇らせる大鍋。その横で息絶えたかのように横たわる、マントの人物。

 そんな場所から少しだけ離れた場所で、アルテシアが杖を振り上げた。

 

「ちょっと。何をするんですか」

「ハリーは出血している。血を止めないと」

 

 たしかに、ハリーの右腕は赤く染まっている。そのあたりがまぶしく光ったが、大鍋の方の輝きのほうが強く、その光は誰の目にも入らなかったかもしれない。

 

「あ!」

 

 思わずあげたその声は、誰のものだったのか。湯気に煙る大鍋の中に、人影が現れたのだ。ゆっくりと立ち上がっていくそれは、ガリガリにやせ細ってはいるが、背の高い男のもの。

 

「ローブをよこせ」

 

 甲高い、冷たい声がした。その瞬間、鍋の脇に死んだようにうずくまっていた人物が、はじかれたように起き上がる。そして、そばに置いてあった黒いローブを拾いあげ、鍋から出てきた男に差し出した。さきほど自分が使っていた杖も手渡す。

 

「どうぞ、ご主人さま」

 

 白く細長い顔に、不気味な赤い目、蛇のように平らで、まるで切れ込みを入れただけのような鼻の穴。いままさに、ヴォルデモート卿が復活したのだ。

 

 

  ※

 

 

「死んでいますね」

「たぶん、ここに移動してきてすぐに殺されたんだね。かわいそうに」

「ここに来るのはハリー・ポッターだけでよかったってことでしょうね。必要なかったから、殺した」

 

 アルテシアとティアラは、セドリックの遺体のすぐ横にいた。その遺体を見おろしながら、アルテシアは考える。もちろん、これからどうするか、ということだ。ティアラと、顔をみあわせる。

 

「中策ですよ、中策。そう約束しましたよね。それに、ソフィアに聞いてるんですからね」

「え?」

「複雑な魔法を使いすぎると、倒れてしまうんでしょ。医務室の先生にも確かめてあるんですからね」

「ああ、そのことか」

「そのことか、じゃないでしょう。こんな状況で倒れたりしたら、どうなるか。これ以上は、下策です。いまなら、何事もなく戻れます。あのハリー・ポッターも連れて帰れるでしょうに」

 

 ケガはしているが、ハリーは生きている。セドリックは殺されたが、その2人を連れていますぐホグワーツに戻るべきだ。このままここにいることに、何の意味もない。ティアラは、そう主張する。

 

「うん。そうだよね。わかってる」

「じゃあ、戻りますよ」

「待って。もう少しだけ」

「なぜです? ご自分の体調のこととか、わかってるんですか」

「わかってるよ。でも今は、もう少しだけこの人のそばにいさせて。そうしたら、学校に戻るから」

 

 セドリックのそばには、優勝杯も転がっている。これがポート・キーでなかったなら、この人は死なずに済んだだろう。これがポート・キーであることにもっと早くに気づいていたら、この人は死なずに済んだのかもしれない。

 アルテシアがセドリックの横に膝をつき、手を合わせる。閉じた目から、涙が、こぼれ落ちる。

 

「なぜ泣くんです? あなたのせいじゃないのに」

「この人を死なせないようにすることって、できなかったのかな。きっとなにか、わたしにもできることがあったはずなのに」

「そんなに悲しいのなら、時間を戻して助けてやればどうです?」

 

 それはできないのだと、涙声でティアラに説明するアルテシア。そんな2人のところへ、ボンッ、ボンッ、という音が聞こえてくる。よみがえったばかりの、ヴォルデモートの声も。

 

「見るがいい、ポッター。オレさまの真の家族が戻ってきたのだ」

 

 魔法使いが『姿現わし』をするときの、特有の音。その音とともに、暗がりの中から1人また1人と、姿をみせる者たちは、誰もが申し合わせたかのようにフードを被り、仮面をつけていた。そのデス・イーターたちは、ヴォルデモートにあいさつを済ませると、ぐるりと周囲を取り囲むようにして輪となっていく。

 どうやら、並ぶ場所は決まっているらしい。魔法使いたちの輪には、ところどころに切れ目があった。ここに来ていない者たちの場所だろう。

 

「よく来た。わが『デス・イーター』たちよ。13年ぶりだ。おまえたちは、13年ぶりに呼びかけに応えた。我々は『闇の印』の下に結ばれている」

 

 だが、取り囲む人たちからは、何の声もない。返事などせず、ただ黙って立っているだけだ。アルテシアが、涙に濡れた目をヴォルデモートに向ける。

 

「だが、なぜだ。13年ものあいだ、誰1人、オレさまを探しに来なかったのはなぜだ。このオレが敗れたと信じたか。それは間違いだ。いなくなったと思ったか。いいや、違うぞ。すでにオレは、死から身を守る手段を講じていた。そのことは、おまえたちも知っていたはずだろう」

 

 アルテシアの目から、なおも涙がこぼれていく。その涙を、ティアラがじっと見つめている。

 

「ヴォルデモート卿にも勝る偉大な力が存在すると信じたのか。そんな者がいると思ったか。このヴォルデモート卿を上回る者がいると思うのか。クルーシオ(Crucio:苦しめ)」

 

 狙ってのことか、それとも誰でもよかったのか。許されざる呪文を受けたデス・イーターが1人、地面をのたうち悲鳴をあげる。誰も、その魔法使いを助けようなどとはしない。術をかけたヴォルデモートでさえ、その魔法使いを見向きもしない。その悲鳴が、アルテシアの耳を打つ。

 

「ダンブルドアか。ダンブルドアに期待をしたのか。なるほど、あの男は、オレさまのまえに立ちはだかるであろう。だが、勝つのはこのオレだ。どうだ、おまえたち。そう思うだろう」

 

 ヴォルデモートの演説が続く。だがアルテシアは、それを聞いてはいなかった。涙で目を濡らしたまま、杖をかまえる。なにかしら、魔法をかけようというのだろう。

 

「もう一度言うぞ。ダンブルドアなど、問題ではない。だが、気になることはある。クリミアーナの娘だ」

 

 その瞬間、まさに杖を振ろうとしていた手が、ピタリと止まった。ヴォルデモートの言葉に反応してのことだろう。それはティアラも、同じであった。

 

「あの家の娘が、ホグワーツにいる。なぜだ。数百年も続く魔女の家でありながら、これまで一切、魔法界とは関わってこなかった家の娘が、なぜホグワーツにいるのだ」

「わが君、話をしてもよろしいでしょうか」

「おぉ、ルシウスか。おまえも、このオレを探そうとはしなかったな。すべてを知っているが、まあいい。これから忠実に仕えてくれるというのなら」

「も、もちろんですとも」

 

 その男は、ルシウス・マルフォイ。ドラコの父親である。アルテシアは、杖を構えたままぴくりとも動かず、聞こえてくるその話を聞いている。もちろん姿を消してあるので、まず見つかることはないだろう。

 

「それで、なんの話だ。いまさら、このオレを探さなかった言い訳でもあるまい」

「クリミアーナの娘は、アルテシアという名前でございます、わが君」

「ああ、そうだった。たしか、そんな名前であった。聞いたことがある」

「ご存じでしょうか。同じクリミアーナ家にガラティアという女がおりまして、その者は、こやつの起こした爆発事件で死んでおります」

 

 ルシウスの言うこやつとは、ハリーを縛りつけ、大鍋の準備をし、復活したヴォルデモートにローブを渡した、マントの男のことである。

 

「ほう。ワームテールよ、そうなのか」

「さ、さぁ、わたくしめは存じません」

「まあいい。死んだ者などどうでもよい。どちらにしろ、クリミアーナの娘は、ただ1人だ。なんとでもなるだろう」

「で、では、わが君。いったいあの日、なにがあったのか、聞いてもよろしゅうございましょうか」

 

 おそらくルシウスは、話を途切れさせないようにしたのだろう。主人であるヴォルデモートが不在であった13年間、自分が何をしていたかを聞かれぬために。

 

「そのことか。よかろう、ルシウス。話してやろう」

 

 ヴォルデモートの機嫌はよさそうだ。この話題は、彼の意に沿うものであったらしい。

 

「知ってのとおり、このオレさま自ら、ポッター家を襲った。父も母も殺した。だが、ハリーという赤ん坊を殺すのに失敗した。なぜか。なぜ、小さな子どもを殺せなかったのか」

 

 ヴォルデモートの手には、杖が握られている。さきほどローブとともに、ワームテールが手渡したものだ。その杖をハリーにむける。

 

「正直に言おう。母親は子どもを守ろうとするものだという認識が欠けていた。こやつの母親は、予想もしなかったやり方でこやつを守った。そのことに気づくべきだったのだ。見逃したのは不覚だった。おかげで13年だ」

 

 それが、具体的にどんな方法であるのか、居並ぶデス・イーターたちは知っているのだろうか。誰からも、そのことを尋ねる声はでてこない。

 

「古くからある魔法のせいで、こやつに触れることができなかった。なぜか死の呪いははね返り、我が身を襲ったのだ。だがオレさまは、戻ってきた。死を克服したのだ。証明したのだ。オレさまの工夫は正しかった。みごとに効果を示し、オレさまは死ななかった」

 

 死ねばよかったのだ、と思ったデス・イーターは、きっとこのなかに何人もいるのに違いない。ヴォルデモートの演説が続く。

 

「魂だけとなり、さまよった。動物に取り憑くなどして、さまよったのだ。そして4年前、ある魔法使いに取り憑くことができた。幸いにもそやつは、ホグワーツの教師であった。だが、賢者の石を奪うという計画は失敗した。その邪魔をしたのがハリー・ポッターであり、そのときクリミアーナの娘がホグワーツにいることを知ったのだ」

 

 得意げに話すヴォルデモートを見つめるアルテシア。ようやく涙は止まったようだが、そのアルテシアに、ティアラがなにやらけんめいに話しかけているが、アルテシアは返事などしていないらしい。ティアラがあわてているようだ。

 

「その失敗により、元の隠れ家に戻るしかなかったが、やがてワームテールがやってきた。そうだな、ワームテールよ」

「は、はい。そのとおりです」

「次なる幸運は、魔法省の魔女だ。この女からは、さまざまな情報を得た。連絡さえすれば私を助けるであろう忠実なるデス・イーターの存在も知った。今回の計画を立てることができたのは、そのおかげだと言えるだろう」

「わ、わたしくでございます。その魔女を、ご主人さまのところへ連れて行ったのは、わたしくしです。あなた様の世話をしてきたのは、わたくしです」

「おう、そうだな。だから、なんだ。ほうびをよこせとでも言いたいか」

 

 じろりとヴォルデモートににらまれ、ワームテールがあわてて顔を伏せる。ヴォルデモートがワームテールを見たのは、ほんの一瞬だった。

 

「そして今夜だ。まずは自身の身体を得ておこうと、そう考えたのだ。みよ、あれが今夜のために用意した古い闇の魔術による魔法薬だ。必要な材料は3つ。まずは、ワームテールという下僕の与える肉」

 

 ワームテールの右腕は、すでにない。さきほど、切り落としているからだ。自ら進んでやったのかどうかは疑問だが、あれは材料の提供ということであったらしい。

 

「次に、わが父の骨だ。そうだ、だからこそ、父親の骨が埋まっているこの墓地を復活の場所に選んだのだ。最後が、敵の血。ヴォルデモート卿のことを憎む魔法使いであれば誰でもよかったが、ハリー・ポッターの血こそが、まさにふさわしいと考えた。13年前、わが力を奪い去った者の血だ。その血を得るため、忠実なるデス・イーターをホグワーツに送り込み、ハリー・ポッターを優勝させた。させてやったのだぞ、ポッター。優勝杯をポート・キーにしておけば、ここまで連れてきてくれるからな」

 

 2歩、3歩と、ヴォルデモートがハリーのもとへと近寄る。

 

「さて、ポッター。おまえのことを、ヴォルデモート卿を倒した英雄だと思っている者がいるようだが、誤解は解かねばならん。このオレさまと、対等なる実力の勝負をしようではないか。ダンブルドアの助けや保護などないぞ。身を投げ出しおまえをかばう母親さえいない。その状況で闘い、本当はどちらが強いのか確かめようではないか」

 

 ヴォルデモートが、ワームテールに目をむける。

 

「こやつの縄を解き、杖を返してやるのだ」

 

 

  ※

 

 

「大丈夫ですか。気分が悪いんでしょ。頭が痛いんじゃないんですか」

 

 はらはらと流れ落ちる涙を見ていたからだろう。だから気づいたのだと、ティアラは思っている。アルテシアは、ヴォルデモートなど見てはいなかった。どこも見てはいなかったのだ。ただ遠くを見るようにして、ぼんやりと立っていただけ。自分の声すらも聞こえていない。

 なにか、あったのだ。だからティアラは、むりやりに引っ張ってきたのだ。素直についてきたのは意外だったが、もう限界だとティアラは思った。転移魔法を使うつもりなのだが、そのときふと、その手が止まった。

 どこへ? 頭をよぎったのは、そのこと。ホグワーツに戻るのが本当だろう。だが、クローデル家に連れ帰ろうかと、そんなことを考えたのだ。自分の家で、手当てをしたほうがいいのではないかと。

 

「大丈夫だよ、大丈夫だから」

 

 そこで、アルテシアの声がした。見れば、ただぼんやりとしていた顔に、表情が戻りつつある。うつろだった目にも、輝きが戻ってきたような気がする。なにより、目の色だ。すっきりと澄んだキレイな青色。

 

「すぐに戻らないと。いいですね、戻りますよ。医務室に行かないと」

「ごめん、ティアラ。もう少しだけ付き合って。ムチャはしないと約束するから」

 

 たしかにいまは、元気そうに見える。ティアラの目から見ても、異常はないようだ。では、あれは何だったのか。考えても分からないことは、聞いてみるしかない。ティアラはそう考えた。

 

「頭は? 頭は痛くないんですか?」

「大丈夫だよ。もう、痛くないから」

「痛かったんですか。なら、早く言ってくださいよ」

「ごめん。でもほんと、もう大丈夫なんだ。もう心配ないから」

 

 たしかにティアラから見ても、その目の色や表情など、どれもが元通りだ。だがあのとき、何かがあったのだ。何かが起こったのだ。それは間違いない。

 

「いくつか質問したいことがあるんですけど、いいですか?」

「いいよ」

「聞かれたことには、ちゃんと答えてくれるんでしたよね」

「あはは、そうだね。わたしにわかることなら」

 

 そう言いつつ、アルテシアが杖を振る。使った魔法は、浮遊呪文だ。ふわっと、アルテシアとティアラの身体が宙に浮かぶ。

 ヴォルデモートたちのほうでは、ハリー・ポッターとの魔法使いの決闘が始まろうとしていた。ヴォルデモートが、得意げにその開始を宣言する。

 

「まずは、お辞儀をするのだ」

 




 今回、悩んだのはポート・キーの使い方について、です。
 原作も読んだし、いろいろ調べてもみましたが、ちゃんとした定義みたいなのってないんですね。わたしが知らないだけだと思いますけど、何かご存じの方がおられたら、アドバイスいただけると助かります。
 勝手申しますが、よろしくお願いします。


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第78話 「4年目のおわり」

 浮遊呪文により、アルテシアとティアラの2人は、地上5メートルほどのところに浮かんでいた。ちょうどそこから、デス・イーターたちとヴォルデモート、それにハリーの姿が見下ろせる。そんな、いわば特等席にいるわけだ。もちろん姿を見えなくしてあるので見つかる心配はないし、巻き込まれる可能性もきわめて低い。

 そのときハリー・ポッターは、ヴォルデモートによって強制的に決闘に参加させられていた。ヴォルデモートの持つ杖は、ポッター家を襲撃したあの夜からずっと、ポッター家のなかに放置されたままであったらしい。その杖を、ワームテールに回収させることができたのは幸運だったと、ヴォルデモートが話しているところだ。

 

「魔法使いの決闘のやり方は、わたしも知ってるんだよ。ロックハート先生が教えてくれた」

「そんなことは聞いてません。ごまかすつもりですか」

「まさか。そんなことはしない」

「じゃあ、教えてください。あなたの名前は、アルテシア・ミル・クリミアーナ、ですよね?」

 

 なぜ、そんな質問が出てくるのか。おそらくアルテシアは、逆にそう質問したかったのではないだろうか。いったい、どういう意味なのかと。

 

「おかしなこと言ってるって自覚はありますよ。でも、確認しないと不安なんです。答えてください。アルテシアさまですよね?」

 

 それでも、何度かまばたきするくらいの間をおいてから、アルテシアはうなずいてみせた。もちろんそうだ、ということだ。

 

「わたしが、別人に見えるってこと?」

「いいえ、なんとなくそんな気がしただけです。あの涙の前と後で、違ってる気がしただけ。ソフィアがなんていうかは知らないけど、わたしは」

「待って」

 

 アルテシアが、杖を持つ手を伸ばす。そのときキラッとその杖が光ったのを、たしかにティアラは見た。下では、墓石の裏側に隠れたハリーに、ヴォルデモートがゆっくりと近づいているところだ。決闘すると言いつつも、ハリーをあざけりつつ遊んでいるようだったヴォルデモートが、ゆっくりと歩を進めている。

 

「いま、なにかしましたね。何をしたのか、言ってください」

「ハリーのローブに魔法をかけた。わたしが知る限りの保護魔法を」

「保護魔法?」

「そうだよ。これでたぶん、ハリーは死ぬことはないと思う。あの人たちから逃げられたらだけど」

 

 ふーっという、息を吐く音は、ティアラのもの。よっぽどあきれたのかもしれない。

 

「どうせ魔法を使うのなら、そんなことよりポッターを学校に移動させればいいでしょうに。あの人たちに気づかれるからですか。それを避けるためなら、ポッターを危険にさらしても仕方がないと」

「違うよ。気づかれたくないのは、ハリー。わたしがなにかした、なんて思われたくないんだ」

「それはまた、なぜです?」

 

 ふーっというため息の音。今度は、アルテシアだ。

 

「また、裏切られるのはイヤだからね。感謝してほしいとか、そんなことじゃないよ。わたしも仲間に入れて欲しかっただけ。でももう、それはムリだろうけど」

「その話、くわしく聞きたいところですけど」

 

 それどころではなくなっていた。ハリーとヴォルデモートの決闘が、大きな動きを見せたのだ。ヴォルデモートの杖からの緑の閃光と、ハリーの杖から飛び出した赤い閃光が空中でぶつかっているのだ。それぞれの強さを競い合うかのように、衝突点が左右に揺れる。

 

「なにが起こってるんでしょうか」

「わからないけど、あれ、見て」

 

 一筋の細い光が飛び出した。赤や緑ではなく、金色に輝く糸のような光が、ハリーとヴォルデモートの杖をつなぐ。どうやら2人の杖は、細かく振動しているらしい。それぞれの手が震えているのだ。

 

「保護魔法が、なにか影響してるってことは?」

「それはないよ。そんな魔法はかけてない」

 

 そこで、ハリーとヴォルデモートをつなぐ金色の糸がはじけるように裂けた。何百本にも分かれた糸が、ハリーとヴォルデモートを覆っていく。そのため、アルテシアたちの位置からは、ハリーの姿は見えなくなった。なにが起こっているのか、それが知りたければ、あとでハリーに聞くしかないということだ。

 

「手を出すな! 命令するまで何もするな!」

 

 ヴォルデモートの声が、聞こえてくる。同時に、ティアラがアルテシアの杖をつかんだ。魔法を使わせないつもりなのかもしれないが、杖の有無などアルテシアには関係ない。

 そうこうするうちに、金色の糸がふっと消え、ハリーが走り出してくる。デス・イーターたちの脇をすり抜け、なおも走る。だが魔法使いたちも、いつまでもぼんやりとはしていない。たちまち、彼らの杖からいくつもの呪いが発せられる。だが数十にもなろうとする呪いが、なぜかハリーには1本も当たらないのだ。

 

「なにかしてますね」

 

 ティアラの指摘に、アルテシアはにっこり微笑んだ。

 

「ねぇ、ティアラ。あの優勝杯だけど、ポート・キーとして機能すると思う?」

「え?」

「たぶんハリーは、セドリックを抱えて、優勝杯で学校に戻ろうとしてるんだと思う」

 

 なるほど、ハリーが走る先にはセドリックの遺体がある。そしてそのすぐ横には、優勝杯が転がっているのだ。

 

「機能するなんて思えませんけどね」

「だよね。ハリーをここに連れてくるためにポート・キーにしたんだから、わざわざ帰れるようにもしておくなんて考えられない」

 

 相変わらずデス・イーターたちの呪いは、ハリーを捉えることができていない。セドリックのところまで、あと少しだ。

 

「でも、ポート・キーだから。だからわたし、ハリーが優勝杯に触れたら、学校に転送しようと思うんだ。ねぇ、ティアラ。ばれないよね。わたしがなにかしたって、そう思われたりしないよね? なにかしたって、ハリーや校長先生には気づかれたくないんだ」

 

 はたしてティアラは、なんと答えたのか。セドリックの遺体にむけて飛び込んだハリーが、右手を優勝杯へと伸ばす。その指が優勝杯に届くまで、あとほんの少し。

 はたしてポート・キーは、作動するのだろうか。それとも。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルの部屋は、アルテシアにとっては何度も訪れたことのある馴染みの場所でもある。その部屋を訪れたのは、互いにようやく落ち着いたから、ということになるだろうか。なにしろマクゴナガルは忙しすぎたし、アルテシアも、どこか落ち着かない気持ちを抱えている。だが夕方からは学年末のパーティが行われるし、明日はホグワーツ特急が出発するのだ。新学期となるまで学校は休みとなるので、時間をとって話ができるのは、もうこのときくらいしかない

 軽くノックし、返事を待たずにドアを開ける。そうしたのは、マクゴナガルの指示によるものだ。もうずいぶん前から、そうするようになっている。マクゴナガルが、出迎える。

 

「ああ、よく来てくれましたね。あまり時間はありませんが、これから夕方まであなたと過ごしたいと思っていますよ」

 

 夕方からのパーティは、きっと遅くまで続くはずだ。そしてホグワーツ特急に乗り、家に帰る。そのまま、家に帰るのだ。そのほうがいいと、マクゴナガルは思っている。せめてあと数日くらいは手元に置いておきたいとも思うが、かつては日課だったという、大好きな森を散歩させたほうがいい。そのほうがいいのだと、マクゴナガルは何度も自分に言い聞かせる。

 

「さて、なにから話しましょうか。あの夜のことは、パチル姉妹やソフィアがあれこれ話をしているとは思いますし、わたしもハリー・ポッターの話を聞いてはいるのですが」

 

 あの夜、最終課題から戻ってきたハリー・ポッターがもたらした情報。墓地らしき場所で、ヴォルデモートが復活を遂げたというハリーの話のなかに、アルテシアのことなど一切でてはこない。ハリーには気づかれたくないと、そう言っていたアルテシアの思い通りになったわけだ。だがもちろん、何もなかったなどとは、マクゴナガルは思っていない。いっそ何もないのなら、あの夜、なにもなかったのなら、そのほうがいいのだが。

 

「話せ、などとは言いませんよ。話したいときに、話したいことだけでかまいません。ただ、そこにはいなさい。そこにいてくれれば、それでいいから」

 

 あの夜、アルテシアがいないことを、さほど気にもとめなかった。そのことを後悔しても仕方がないが、パチル姉妹やソフィアだけでムーディ先生の行動を監視するのには十分だったのも事実だ。おかげで、戻ってきたポッターのところへアラスター・ムーディいち早く駆けつけたことを、すぐに知ることができた。彼がポッターに何をしようとしたのか、正確にはわからない。だがそれを事前に止めることはできたし、その正体をあばくことができたのは、まちがいなくあの3人娘の功績だ。

 

「先生」

「なんです?」

「ムーディ先生のこと、聞いてもいいですか」

「ああ、それは。そうですね、あなたの知るムーディ先生は、ポリジュース薬でなりすましていたニセモノ。そのことは、ソフィアたちから聞いたのでしょう?」

「ええ。でもそのあとのことは」

 

 そのあとのことは、ダンブルドアの手にゆだねるしかなかった。なのでマクゴナガルも、そのすべてを知らされていないかもしれない。ましてやソフィアたちに、きちんとした説明がされるはずはない。

 

「ニセモノの名前は、バーテミウス・クラウチ・ジュニア。かつてデス・イーターでしたが、アズカバンで死んだことになっていました。実際には、自身の母親と入れ替わることにより脱獄しており、その後はクラウチ家で匿われていたようです」

「そして今回、例のあの人の呼びかけであの人に協力したんですね」

「そういうことになりますね。この一年というもの、ずっとホグワーツにいてその準備をしていたのでしょう。今回の対抗試合を利用し、あの人にポッターの身を差しだしたのです」

 

 結果、あの墓地でヴォルデモートは復活を遂げた。事実が発覚しニセモノは捕らえられたというが、あの人にとっては十分な成果であっただろう。アルテシアの両手が、ギュッと強く握りしめられているのをマクゴナガルは見た。

 

「クラウチ・ジュニアは、ダンブルドアが事情を聞いたあと、魔法省のファッジ大臣へと渡されました。ですが」

 

 一瞬、迷ったかのかもしれない。言葉が途切れたこともあり、うつむいていたアルテシアが、ふっと顔を上げた。

 

「正直に言いましょう、アルテシア。ファッジ大臣は、クラウチ・ジュニアを吸魂鬼に委ねました。もともと、アズカバンに収容されていた囚人でもあり、仕方のない面もあったかもしれません」

「それは、つまりどういう」

「すでにクラウチ・ジュニアの魂は、吸魂鬼に奪われました。もはや感情や意志などはなく、やがては吸魂鬼となってしまう運命です」

「そう、ですか」

「気になるのは、ファッジ大臣がクラウチ・ジュニアに対しなんの事情聴取もせず、そうしてしまったということですが」

 

 どういうことなのか。それをマクゴナガルが、アルテシアのようすを見つつ、言葉を選びながらゆっくりと説明していく。要するにファッジは、ヴォルデモート卿が復活したということを認めたくないのではないか。だから、事情を知っているはずのクラウチ・ジュニアの話を聞くこともせず、吸魂鬼に委ねてしまったのだろう。詳しく聞いてしまえば、認めざるを得なくなるからだ。そんなことを、マクゴナガルが説明する。

 

「でも、校長先生が。ハリーだって、実際に見ていますよね」

「そうですが、あのようすでは、魔法省として認めることはないかもしれません。『戻ってくるはずがない、そんなことはありえない』と繰り返すだけなのです」

「では。では、先生」

 

 言われて、マクゴナガルはギョッとした。アルテシアの目が、真っ赤になっているのだ。いまにもあふれそうなほどの涙が、そこにあった。

 

「セドリック・ディゴリーは、死んだのに。なぜ、セドリックは死んだのですか。なにもなかったのなら、なぜセドリックは」

「アルテシア」

 

 アルテシアのほおを涙が伝う。アルテシアが、泣いている。なぜなのか。なぜ、アルテシアは泣いているのか。本人が言わない限り、本当のところはわからない。だがあの夜のことに原因があるのだと、マクゴナガルは考えた。あの夜、アルテシアは無事に戻ってきた。戻ってはきたが、大きな何か、たとえば後悔のようなのものを抱えてしまうことになったのではないか。

 思わず抱きしめてやりたいと、そんな衝動に駆られたマクゴナガルだが、2人の間にはテーブルがある。軽く深呼吸し、マクゴナガルが、ゆっくりと席を立つ。

 あの夜もアルテシアは、涙を流したらしい。ちょうどマクゴナガルたち教師陣が、ハリーのもたらした報告についての対応に走り回っている頃。アルテシアは、寮には戻らず空き教室で朝まで泣いていたらしいのだ。姿の見えないアルテシアを心配したパーバティたちが探し回り、ようやくそこでみつけたとき、パーバティたちの顔を見るや、すがりつき、声をあげて泣いたという。

 マクゴナガルは、今度はアルテシアのすぐ隣に座った。そして。

 

「先生。スネイプ先生は、あの墓地へと行ったのでしょうか」

「なんです?」

「あの墓地には、デス・イーターだという人たちが、たくさん集まってきました。例のあの人が呼びかけ、それに応えて集まってきたらしいんですけど」

 

 なぜか、その声が震えている。あの場にいたことを認めるようなもの、だからだろうか。マクゴナガルが、アルテシアの肩を抱くように、ゆっくりと腕をまわしていく。

 

「スネイプ先生は、ずっと学校におられましたよ」

 

 

  ※

 

 

 学年末のパーティに出席するのは、アルテシアにとっては初めてのことになる。1年目も2年目も、そして3年目も、アルテシアは出席することができなかった。その原因が魔法書の部分的欠落にあるとするならば、こうして出席できるのは、魔法書が完全版となっていることの証明、なのかもしれない。そして同時に、クリミアーナの魔女にとっての魔法書の重要性、その一端を示すものだと言うことができるだろう。

 初参加となるアルテシアだが、会場はいつもの大広間。おそらくはパーバティがつきっきりで世話をするだろうから、勝手がわからずおろおろするようなことにはならないはずだ。

 

「さて、諸君。またも1年が駆け足で過ぎ去ってしまったが、今夜は皆に、いろいろと話したいことがある」

 

 パーティーの始まりの前に、ダンブルドアが立ち上がり、そう言った。そのときその目は、ハッフルパフのテーブルのほうへと向けられていた。まずはセドリックの話から、となるのだろう。

 

「本来ならば、もう1人いたはずじゃった。諸君らと一緒にこの宴を楽しむはずであった。さあ、みんな起立せよ。セドリック・ディゴリーの冥福を祈りたい」

 

 もちろん、全員がその言葉に従った。アルテシアもだ。涙を流しているものもあちこちにいたが、アルテシアの目に、涙はなかった。献杯のあとで全員が着席する。ダンブルドアが話を続けた。

 

「セドリックをよく知る者、そうでない者。それぞれ、思いは複雑であろう。誰もが悲しみ、誰もに影響を与えたはずじゃ。そして同時に、こう思ったであろう。セドリック・ディゴリーは、なぜ死んだのかと」

 

 そのとき、アルテシアの身体が反応した。うつむいていた顔が、すっと上を向き、その目がダンブルドアを見た。

 

「セドリック・ディゴリーはヴォルデモート卿に殺されたのじゃ」

 

 その言葉が発せられるや、大広間には、ざわめきが広がった。誰もが、まさかという気持ちを抱え、ダンブルドアを見ている。ヴォルデモートが戻ってきた、例のあの人が戻ってきた、あの人がセドリックを殺した。ダンブルドアはそう言ったのだ。

 

「じゃが魔法省は、このことを認めておらん。戻ってくるはずがない、そんなことはありえないと言う。じゃがの、諸君。実際にそれを見た者がおる。実際に、殺された者がおる。ゆえにこれは、事実なのじゃ」

 

 いまや、大広間にいる人のすべてが、ダンブルドアを見ていた。生徒だけではなく、教師までもが。

 

「実際にそれを見た者、それは、ハリー・ポッターのことじゃ」

 

 大広間が、ふたたび大きなざわめきに包まれる。もちろん誰もが、昔のできごとを知っているからだ。またもやハリーは、ヴォルデモート卿の手を逃れたのだ。そのことに、誰もが驚いていた。

 

「ヴォルデモート卿の手を逃れ、セドリックの亡骸をホグワーツへと連れ帰る。むろん、簡単なことではない。それほどの勇気を見せてくれたハリーを、わしは讃えたい思う」

 

 ダンブルドアが、ハリーへと目をむける。大広間のほとんどすべての視線がハリーに集まる。だがアルテシアは、ただじっとダンブルドアのみを見ている。

 

「今回の3大魔法学枚対抗試合の趣旨は、魔法界の相互理解を深めていくことにあった。このことは今後、これまでにも増して大きな意味を持つじゃろう。この場には、ホグワーツだけでなく、ボーバトンの者たち、ダームストラングの者たちがいる。諸君なが、そのつながり、絆というものを大切にしてくれることを願う。人というものは、結束すれば強くなり、バラバラでは弱い。強い友情と信頼の絆、まさにそのことが問われているのじゃ」

 

 ダンブルドアのあいさつは、ここまで。そしてパーティの始まりを告げようとしたのだが、グリフィンドールのテーブルで1人の女子生徒が立ち上がった。その声が、大広間に響く。

 

「校長先生、セドリック・ディゴリーは、なぜ死んだのでしょうか。なぜ、死ななければならなかったのでしょうか」

 

 そのとき教職員用のテーブル席で、マクゴナガルが席を立った。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツ特急の、4人席のコンパートメント。メンバーは、アルテシアとソフィア、そしてパチル姉妹の4人である。これで満員なので、他の人を気にすることはない。

 

「結局、どういうことになるのかなぁ」

 

 パーバティが言うのは、ヴォルデモート卿のことだ。パーティーの席でダンブルドアが発表するまで、例のあの人の話は、それ以外ではまったくといっていいほど出てこなかったのだ。魔法省から注意喚起の通達くらい出されてもよさそうなものなのに、いまもって、そんな話は聞かない。ヴォルデモート卿が何かした、ということも、日刊予言者新聞を見る限りはなかった。

 

「そのへんは、校長先生の言うとおりなのかもね」

「どういうこと?」

「誰もが、認めたくないのよ。ウソであってほしい。なんにも起こらなかった。そういうことであってほしいんじゃないかな。だって、認めてしまえばそれまででしょ。認めないかぎりは、今までどおりの平和な日々が続くってことなんだよ」

 

 きっと、パドマの言うとおりなのだろう。納得できる話ではあるが、いずれは認めざるを得なくなる。それはあきらかだ。

 

「でも、実際にあの人は復活してますからね。アルテシアさまだって、目撃しているわけですから」

「そういえばさ、アル。あんた、マクゴナガルに怒られたんじゃないの。あれからなんにもしゃべらないね」

 

 あれから、というのは昨夜の年度末パーティーのことだ。あのときアルテシアは、全生徒の前でダンブルドアに質問している。その質問にダンブルドアが、どんな答えをしたのかはわからない。そのまえにマクゴナガルが止めに入り、アルテシアを大広間から連れ出してしまったからだ。

 そしてパーティーは始まったが、アルテシアは、しばらく戻っては来なかった。そのときマクゴナガルとどんな話をしてきたのか、パーバティたちは知らない。

 

「でもさ、あれは、あたしも聞いてみたかったんだよね」

「え?」

「だってさ、アルテシアが聞いたのは、その理由、のほうだよね」

 

 パドマの言うとおり、ということか。アルテシアはゆっくりとうなずいた。そして。

 

「なぜ、死んだのか。例のあの人に殺されたから。それはそうなんだけど、わたしは、理由のほうが知りたかった。校長先生は答えてくれなかったけど」

「そのこと、ずっと考えてるんですか?」

「まあ、そうだね。ちゃんとした、納得できる理由があるのなら聞いてみたいとは思うけど」

「そんなの、あるわけないじゃん。命を奪ってもいい理由なんて、あるはずない」

 

 それは、4人ともに同じ意見であろう。なにもアルテシアは、人を殺してもいい理由を考えているのではないのだ。

 

「そうだよね、パーバティ。そんな理由、あるはずない。だったらわたしは、これを見過ごしてはいけないんじゃないか。そんなことを思ったの」

 

 アルテシアは、窓際のほうの席だ。そこから窓の外を見たりもしていただろうが、ホグワーツ特急が動き始めてからというもの、ずっとパチル姉妹やソフィアを見ていた。3人を見つめながら、そんなことを考えていたらしい。

 

「なにかするつもりなの?」

「あの人を、追いかける。今度のことがなかったとしても、わたしはヴォルデモート卿とは、会わなきゃいけない理由がある」

 

 それは、ソフィアとソフィアの母、つまりルミアーナ家との約束だ。若き日のヴォルデモートが、ルミアーナ家に滞在している。そのとき、なにをしたのか。魔法書は読んだのか。それにより闇の魔術を生み出したのかどうか。そのことを、知らねばならない。

 

「とにかく、あの人に会って聞いてみる。どういうことなのか。わたしが納得できるような、そんな理由があるのかどうか」

「だから、そんなのないって言ったじゃん」

「そうだけど、これは、わたしのけじめでもあるの。確かめたいんだ。クリミアーナはなぜ、魔法界から離れているのか。離れてきたのか。その理由が知りたい」

「それが、何か関係あるってこと?」

 

 それを確かめたいのだと、アルテシアは言った。関係あるのかどうか、確かめたいのだと。

 

「それ、マクゴナガル先生にも言ったんだよね。なんか言われた?」

「いまはなにも、考えてはいけない。お休みの間は何も考えず、心と身体を休めておきなさいって」

「あたしも賛成です。そうしたほうがいいです。例のあの人だって、そんなすぐには動き出したりしないはずです」

「うん、あなたたちの言うとおりなのはわかってるよ。いまあの人たちがどこにいて、なにをしてるのか。そんなの知りようがないのは確かだし」

「そ、そうですよ。ねぇ、パドマねえさん」

 

 ソフィアが話を向けたのはパドマだが、返事をしたのはパーバティだった。

 

「賛成だね。いずれあの人は、表に出てくるんだろうし」

「たぶん、そうなると思うよアルテシア。でも今は、休んでもいいと思う。あなたの意思は、あなたの中でちゃんと育つよ」

「そうしなよ、アル。せっかくのお休みだしさ。あ、そういえば魔法書のことだけどさ、アルはもう、倒れたりしないんだよね。今度のことだって、無事に戻ってこられたわけし」

「ああ、それは。そうだね、ちゃんと身についたのかもしれない。ソフィアならわかると思うけど、魔法の力に目覚めた瞬間って、自覚できる。あれがもし、そういうことなら」

 

 魔女となったときは、自分ではっきりとわかる。クリミアーナでは、そう言われていた。だがアルテシアは、そんな経験をしていない。アルテシアがクリミアーナの魔女として目覚めたのは、1年生のときのハロウィンの夜。その日はトロールの侵入事件があり、トロールの持つ棍棒で殴られたアルテシアは、翌朝になって医務室のベッドで目覚めている。

 トロールに殴られ、身の危険が迫ったとき、クリミアーナの血は目覚めた。いわばそのとき、大きく膨れあがった魔法力という名の風船を、トロールの棍棒という針がつついたわけだ。だが眠っていたアルテシアは、そのことに気づかなかった。だが今回、あの墓地の片隅で、たしかに変化を感じた。魔女になったのだと、そう実感している。

 

「あれって?」

「あの夜の墓地で、そう感じたの。すごく頭が痛くて、ふーっと意識が遠くなった気がして。とても悲しかったのは覚えてる。泣いてたと思うんだ。気がついたら、そこにティアラがいた」

「始まりは涙、ってことですよね。もちろんわたしは、いつもそばにいますから」

「ソフィア、それってどういうこと」

 

 だがパーバティがすべてを言い終わらないうちに、コンパートメントのドアが、勢いよく開かれた。

 

「ぼくはドラコだ。ドラコ・マルフォイ」

 

 

  ※

 

 

「女の子ばかりの部屋のドアを突然開けるなんて、失礼だと思わない? 着替えとかしてたら、どうするつもりなの」

「そのときは…… 逃げる」

「逃げる?」

 

 べつに誰も、着替えたりなどはしていない。いつものローブ姿で話をしていただけ。なのでドラコも、逃げ出す必要などないわけだ。ドラコは、コンパートメントの中へと入り込み、ドアを閉めた。

 

「ここは4人用だよ。ちょっとムリじゃないかな」

「いいんだ、アルテシア。ちょっと話したいことがあるだけさ」

「なに?」

 

 ドラコは、アルテシアしか見ていない。パチル姉妹などは無視された格好だが、いつものドラコとは少し様子が違うこともあり、ここは黙ってみている。

 

「闇の帝王は、本当に復活したんだよ。魔法省は認めてないようだけど、復活したのは本当だ。キミは」

 

 ここで、アルテシア以外の3人にも目をむける。ぐるっと視線を一周させたわけだ。

 

「キミたちは、ちゃんと分かってるとは思うけど、注意はするべきだぞ。アルテシアの魔法書が狙われたことがあっただろ。またそんなことがあるかもしれない」

「ありがとう。心配してくれてるんだね」

「カルカロフを知ってるか。ダームストラングの校長だったけど、パーティーにはいなかっただろ。闇の帝王を恐れて逃げたんだ」

「あ、あのさ、ドラコ」

「とにかく、気をつけておくんだ。なにかあったら、ぼくに言うんだぞ。なんとかしてやる。話はそれだけだ」

 

 そしてドラコは、コンパートメントを出て行った。残った4人は、顔を見合わせる。

 

「あいつも、不安なのかもしれないね」

「みんな、そうなんだと思うよ。そんなの、全部なくしてしまえたらいいんだけど」

 

 そう言ったのは、アルテシアだ。ややあって、パーバティが、みんなに言った。

 

「こうなってくるとさ、あたしたちも魔法で戦うってこと、覚えておいた方がいいんじゃないかな」

「なに言ってるの? パーバティはわたしより強いじゃないの」

「え? あたしがアルより強い? そ、そうかな?」

「そういえば、ロックハート先生が決闘クラブをやったとき、アルテシアを吹っ飛ばしたんだったよね」

「な、なに言ってるの、パドマ。あれは、たまたまだから」

 

 だがあの一件は、とても重要なことだったのだとパーバティは思っている。あのとき、2人の仲は変化したのだ。ただの仲の良い友だちから、互いに必ずそこにいなければならない存在、そんなかけがえのない友人となったのだ。

 ならば、言うべきだ。いま、聞いておかねばならない。

 

「ねぇ、アル。1個だけ聞いてもいい?」

「いいけど、何?」

「もし、もしもだよ。例のあの人に、アルが納得できるような、ちゃんとした理由があったとき、あんた、どうするの?」

「え?」

「誰もが納得できる理由があったらさ、あんた、あの人のところに行っちゃうの? 闇の魔女になるつもりなの?」

 

 さすがにパドマは、驚きの表情をしてみせた。ソフィアは、ただじっとアルテシアを見ている。どう返事をするのか、誰もが注目するなか、アルテシアはニコッと笑って見せた。

 

「どこにも行かないよ。わたしは、あなたたちのそばにいる。あなたたちのことは、わたしが守るから」

 

 ホグワーツ特急は、順調に走っている。アルテシアにとってのホグワーツでの4年目は、こうして終わりを告げた。

 





 読んでいただいてる方、ありがとうございます。これでようやく、4年目が終わり、例のあの人も復活。主人公はようやく主人公となり、さて、これからどうなるのか。言ってみれば、第1部が終わり、これから第2部へといった感じでしょうか。
 作者の能力的な問題で、伏線だけでそのままになってるのがいくつもありますが、丹念に回収していくつもりです。もしよければ、この先もおつきあいください。
 これまでにおおよそ80話ありますが、ほとんど書き直しとかしてきませんでした。全部通して読むのは大変ですが、きっと丹念に読めばおかしな部分はあろうかと思います。これからは、第1話から少しずつ見直しもしていき、よりより物語にしていきたいと、そんなことも思っています。
 それから、2次ではないお話ですが、あの「星城高校」を舞台にしたストーリーも平行して書いてみようかなとも考えています。
 そんなこんなでいろいろと思いはあるでしょうけれど、もしよければ、この先もおつきあいください。ではでは。


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不死鳥の騎士団 編
第79話 「考えるな」


 しばらく間があいてしまいましたが、原作の第5シリーズといいますか、新しい章を始めさせていただきます。
 もう少しつきあってやろうと、そんなことを思っていただけましたなら幸いです。よければ、読んでやってください。少しでも楽しんでもらえれば。どうぞ、よろしく。



 アルテシア・クリミアーナが歩いているのは、とある片田舎の片隅。いわゆる田園風景の広がる風景を見ながら、散歩でもしているかのように、のんびりと歩いていく。すでに日は落ち暗さも増してきているのだが、それでも急ぐことはしない。ただ、ゆっくりと歩いて行く。幼い頃から歩きなれた道なので、たとえ真っ暗になろうとも間違えることなどありえない。

 クリミアーナ家は、この小さな集落の西の外れにあるのだ。この道をもう少し行けば分かれ道となり、右を行けばクリミアーナ家、左を選べば街中へと行くことができるし、アルテシアのお気に入りである森にも通じている。

 ちなみにこの集落に住む人たちは、みなマグルである。アルテシアが承知している限りにおいては、こっそりと魔法使いが住んでいたりするようなこともないはずなのである。

 そのマグルの人たちとクリミアーナ家とは、ごく普通に交流がある。夜を迎えるということもあり誰ともすれ違ったりはしていないが、会えばあいさつはするし、声をかけられて立ち話をしたりすることもある。その人たちが、アルテシアが魔女であるということをどれほど理解してくれているのかは、わからない。誰も信じていないかもしれないが、クリミアーナ家では、そのことを隠しては来なかった。

 

『あの家では、ときどき不思議なことが起こるようだが、気にしないように』

 

 そんな言葉も、よく聞いたものだ。それが魔法のことを言っているのは間違いないと思うし、そう思わせてきたのは母を含めた歴代の魔女たちということになる。クリミアーナは魔女の家系、そんな認識はされているはずなのだ。

 アルテシアが覚えている限りでは、身体の弱かった母が外出したことなどない。だが母のことは、誰もが知っていた。まだ母が存命だったころのことだが、幼いアルテシアが道を歩いていると、よく声をかけられた。お母さんの具合はどうか、と。いろいろと世話をしてくれているパルマに連れられ、パルマの友人であるシャイおばさんの家を訪れたときなども、お母さんにはいろいろとお世話になったのよ、などと言われたものだ。

 あの母が元気だったなら。そんなことを思いながら、歩いて行く。母は、今度のことをどんなふうに語るだろうか。どんな思いを持つだろうか。できることなら、聞いてみたい。もちろんムリだとわかってはいるけれど。

 分かれ道にさしかかる。ここを右に行けばクリミアーナ家が見えてくることになる。

 

(クリミアーナの家、か)

 

 これは、ひとり言だろう。この家について、思うことはいろいろとある。なにより自分は、ここから離れられない。いまはホグワーツに通っているけれど、ここに戻り、ここで暮らしていくのは変わらない。

 ホグワーツ特急を降りてから、みんなと別れ家路についた。本当なら、ソフィアを連れて帰ろうと思っていた。そんな話もしていたのに、あの夜の出来事ですべてがひっくり返ってしまった。マクゴナガルの鶴の一声のため、である。

 

『いまはなにも、考えてはいけません。お休みの間は何も考えず、心と身体を休めておきなさい』

 

 そのことに、ソフィアも賛成したからだ。もっともソフィアは、クリミアーナ家に足を踏み入れることにためらいのようなものがあったようだ。行きたいのはやまやまだが、ちょっと気後れしてしまうといったところか。だからマクゴナガルの言ったことに賛成したのだろうとアルテシアは思っている。もちろんソフィアにとっては初めて訪れる場所だし、ルミアーナ家として見た場合でも、およそ500年ぶりの訪問となる。いろいろと思うことがあってもおかしくはない。

 ようやく、クリミアーナ家が見えてくる。門扉などのない広く開放された門と、どこか無骨な感じのする建物。それをアルテシアは、懐かしいと思いながら見つめる。たしかに、クリスマス休暇以来だ。そう思うのも、ムリはないのだろう。

 

「ただいま」

 

 玄関を入り、なかへと声をかける。すぐにパタパタと足音が聞こえてくる。アルテシアの帰宅をいつも出迎えてくれるのは、パルマだ。

 

「お帰りなさいませ、アルテシアさま。さあさあ、着替えてきてくださいな。お腹もすいたでしょう、夕飯の支度はできてますからね」

「うん、ありがとう」

「ちゃんと、手も洗ってきてくださいよ。お疲れとは思いますけど、忘れちゃだめですよ」

「わかってるよ」

 

 そして、自分の部屋へ。ひとまず椅子に座って一息つき、ゆっくりと自分の部屋を見回してみる。この部屋は、これまでクリミアーナ家に生まれた娘たちが過ごしてきた部屋。ここに、クリミアーナ家の歴史があるといってもいい。

 だがいまは、自分の部屋だ。見慣れた場所であり、あったはずのものは、ちゃんとそこにある。それが嬉しかったし、気持ちを落ち着かせてもくれる。やっぱり自分の居場所は、ここなのだ。そういうことなのだと、アルテシアは思う。

 母による手作りの白いローブに着替える。これからパルマと食堂で、夕飯を食べながら学校での出来事など話をすることになる。もちろんそれは、楽しいひとときとなるだろう。そして、眠りにつくのだ。

 

「でも、どうしよう」

 

 ふと、ひとり言。頭をよぎるのは、マクゴナガルの何も考えてはいけないという言葉。この休みの間、なにも考えてはいけないというのだ。だがそんなこと、どうすればできるのだろう。友人たちはその言葉を支持し、そうしたほうがいいよと言うのだけれど。

 でも。

 まあいい、そのことは明日考えよう。考えるなと言われているけれど、久しぶりに、森の中を散歩しながら考えればいい。そうすることにして、部屋を出た。

 

 

  ※

 

 

 木々のあいまから日の光がさし、柔らかな風が吹いてくる。その風に運ばれてくるのか、小鳥のさえずりに混じって、川のせせらぎの音も聞こえてくる。そんなのどかな場所に、アルテシアは立っていた。

 ここは、クリミアーナ家からほど近い場所にある森のなか。いつもの散歩コースからは外れているが、同じ森の中にあるクリミアーナ家の墓地である。墓標の数は、20個ほどだろうか。

 その一つの前に立つ。

 

「予定どおり、なんですか? それとも、まったくの偶然?」

 

 アルテシアが話しかけたのは、クリミアーナ家の最初の魔女が眠る墓だ。もちろん、墓標の向こうに誰かがいたりするわけではない。その墓標を見つめながらのひとり言、といったところだ。

 なにも考えてはいけないと、そう言われている。だが、そんなことはムリだ。ならばせめて、これまでのことを思い返すことくらいは許してもらおうと、そんなつもりにしている。これから先のことではないのだから、許してくれるだろう。

 というのも、アルテシアには気になっていることがあるのだ。欠落を保管し、完全版となったはずの魔法書のこと。なるほど、おかげで魔女となったことを自覚することができた。おそらくはもう、このさき頭痛に悩むことはなくなるだろうし、何日も寝込んだりしてマダム・ポンフリーの手をわずらわせたりもせずに済むはずだ。

 だがしかし、である。落ち着いて考えてみると、わからないことがいくつかある。

 例のにじ色の玉を作ったのは、ここに眠るご先祖で間違いない。わざわざ2冊に分けた、とするのが妥当なところだが、なぜそんなことをする必要があったのだろう。それが自分のところへとやってくるまで誰も封を解かなかったというのも、妙といえば妙だし、そもそも、どうしてそれが、自分のところへとやってきたのか。

 

『わからなければ、けんめいに考え、答えを求めなさい。探さなければ、答えは見つからない。本当はもう知っているはずだけど、そのことに気づくまで考えるのです』

 

 ホグズミードのあの家で、あの女性が言った言葉だ。言われるまでもなく、答えを探すことになるだろう。考えるな、だけでなく、考えろ、とも言われているのだ。どうせこの休暇中は、他にすることはない。

 気になるのは、もう知っているはずだという部分だ。つまり、その答えに気づいていないだけだということ。いったい自分は、何に気づいていないのだろう。墓標に刻まれた文字を見つめながら、アルテシアは考える。

 2つに分けられた、魔法書。その片方をにじ色の玉に封じたのは、クリミアーナ家の最初の魔女。彼女は、自分の魔法書を作るとき、わざと2つに分け、あえてその片方を封じたのだ。理由は不明だが、そういうことになる。

 では、ちゃんと本の形となっているほうは書斎の本棚に並べたとして、にじ色の玉のほうはどうしたろう。たとえばクリミアーナ家を引き継ぐときに受け取ることになる水晶のような無色透明の玉は、自分が引き継ぐまで母マーニャの墓標の中に収められていた。それと同じように、この墓標へと収めたのだろうか。そしてそれを、誰かが持ち出したのか。

 

『そのときは突然やってくる。だが歴史は終わらない。意志を継ぐ者がいる限り』

 

 クリミアーナ家の最初の魔女が眠る墓標には、こんな言葉が刻まれている。ここに来るたびに必ず読む言葉だし、その意味も、幼いころよりさまざま考えてきた。そのときは、突然やってくる。でも、意志を継ぐ者がいる限り、歴史は終わらない。墓標を見つめつつ、その言葉をつぶやいてみる。そして、考える。

 そういえばパドマがここへ来たとき、この言葉の自分なりの解釈を説明したことがある。だがどうやら、それは正しいものではなかったらしい。こうなってくると、もっと違う別の意味があるように思えてくる。継ぐという意志は何なのか。これまでは、あの無色透明の玉だと思っていた。だが、そうではないのだとしたら。

 

「あ!」

 

 もしかしたら、そうかもしれない。仮に、あのにじ色の玉がそうなのだとしたら。にじ色の玉に封じられた残りの魔法書にこそ、先祖の意志が込められているのだとしたら。

 もしそういうことなら、あの言葉はこんなふうに解釈できる。突然の何かは、クリミアーナを滅ぼすかもしれない。そうさせないためには、分割されていた残りの魔法書が必要となる。そうでなければ、対処ができないのだ。いくつか魔法を使っただけで倒れてしまうようでは、とうていクリミアーナを守ることなどできるはずがない。

 そういうことになる、のではないか。

 もし、そんなことができるのなら。必要なとき、必要な者に、必要な物が渡るようにできるのだとしたら。まさにいまが、そんなときなのだとしたら。

 

「わたし、なんかで、よかったんでしょうか」

 

 これまでクリミアーナ家が存続してきたのだから、これまでの先祖がにじ色の玉をそのままにしていたのは正解だったことになる。だがアルテシアの場合は、どうなのか。まさに今、なのか。それが自分なのか。自分でいいのか。そんな疑問を持ってしまうのは仕方のないことかもしれない。だがホグズミードで、あの女性がアルテシアに渡そうとしていたのは確かなのだ。

 だとすると。

 クリミアーナを脅かすときが近づいている、ということになる。そのとき適切な対処ができなければ、クリミアーナは滅びてしまう。そんなときが近づいているということになるし、思い当たることがないわけでもない。

 

「まさか、ほんとうにわたしが」

 

 自分が対処しなければならないのだ。どんな小さなことであっても、どんな大きなことであろうとも、自分がなんとかしなければならない。なぜなら、1人だからだ。クリミアーナを名乗るものは自分しかいないのだから。

 

 

  ※

 

 

「どうやらダンブルドアは、かつての騎士団をふたたび結成するようですが、参加するようにと言われたのですかな」

「あなたこそ」

 

 そんなことを言い合っているのは、マクゴナガルとスネイプ。2人は、ダンブルドアの指示もあって、ここグリモールド・プレイス12番地にある家を訪れたところだった。といっても、一緒に来たわけではない。たまたま、この家の玄関先で一緒になったのである。

 

「ここがどこか、もちろんご存じでしょうな?」

「ブラック家、だと聞いています。シリウス・ブラックが、ここを騎士団の本部にと提供したのだとか」

「そのシリウス・ブラックは、はたしてこの家にいるのかどうか。どう思われますかな?」

「ああ、そういうこと。なるほど、ダンブルドアはあなたがたの仲もなんとかしたいと、そんなことを考えているかもしれませんね」

「まったく。余計はお世話といいたいところなんですがね」

 

 玄関先での立ち話。中に入ってから話せばいいようなものだが、そうは考えないらしい。

 

「あの娘、どうしていますかな?」

「少なくともこの休暇中は、何も考えないこと。そう言いつけてあります。とにかく今は、心と身体を休めておくようにと」

「考えるな? そんなことができますかな。ま、ようすをみようと、そういうことでしょうが」

「まあ、そうですね」

 

 そこで、ドアが開いた。家の中からダンブルドアが顔を出した。

 

「おや、2人ともなにをしておるのじゃ。まさか、ドアの開け方を忘れてしまったのではあるまいの」

「いえいえ。いま、来たところですよ。ちょうど、なかへ入ろうとしていたところです」

「そうかね。さあ、中へお入り。わしは、少し出てくるがの」

「どちらへ?」

 

 さすがに家の中から『姿くらまし』はできないらしい。なので、玄関へと出てきたのだろう。

 

「少々、困ったことが起きての。その対処のためじゃよ。どうやらハリー・ポッターが吸魂鬼に襲われたらしいのじゃ」

「え!」

「なに、大丈夫じゃよ。あの子はちゃんと対処ができる。じゃが今度は、未成年の魔法使用が問題となっての」

「ああ、なるほど。吸魂鬼を追い払うには、魔法が必要ですからね」

「そうとも。じゃが今回は、ファッジがかたくなでの。退学処分だの、杖を折るだのと言うておるのじゃよ」

 

 それは、大変だ。ダンブルドアは、ファッジと交渉のため魔法省に行かねばならないのだ。こんなところで話をしている場合ではない。

 

「どうぞ、一刻も早く行ってください」

「うむ。戻ってくるつもりじゃからな。待ってておくれ、話しておかねばならぬことがある」

 

 バシッという音を残し、ダンブルドアの姿が消えた。

 

 

  ※

 

 

 ブラック家のなかは、どことなく埃っぽく、そして湿っぽかった。長らく使われていなかったことが感じられる。それでも、ダンブルドアが戻ってくるまではここにいる必要がある。玄関から奧へと進もうとした2人を、こんな声が出迎えた。

 

「ああ、奥さまがなんとおっしゃるだろう。またもや見知らぬ奴らが、わが屋敷を汚しにやってきた。歴史あるブラック家は、いったいどうなってしまうのか。ああ、なぜこんなことに」

 

 それは、かなりの年寄りに見えた。着ている物といえば、腰布のように巻いた汚れたぼろ切れのみ。コウモリのような大きな耳と、豚のような鼻。灰色の目。ハウス・エルフだ。魔法界の旧家であるブラック家であれば、もちろんハウス・エルフがいても不思議ではない。

 

「クリーチャー、出迎えはぼくがやるから。キミはもう、戻ってもいいよ」

「ふん。人狼ごときが、したり顔でクリーチャーめに指示をするとは。ああ、このことが奥さまに知れれば、さぞかしお怒りになるだろう」

 

 そんなことをぶつぶつと言いながら、クリーチャーと呼ばれたハウス・エルフが去ってしまうと、代わりにマクゴナガルたちを出迎えたのは、リーマス・ルーピンだった。ホグワーツで教師をしていた、あのルーピンである。

 

「食堂へ案内するよ。そこで話そう」

 

 その食堂は、無人ではなかった。シリウス・ブラックがそこにいて、大きなジョッキに満たしたものを飲んでいた。3人が入っていっても、顔の向きは変えずにただ視線を向けただけ。ルーピンが、苦笑しつつマクゴナガルとスネイプに席を勧める。

 

「さあ、立っていないで座ろう。ひさしぶりに会ったんだ。バタービールでも飲みながら、ゆっくりと話をしようじゃないか。三本の箒のやつだよ」

「そうですね。では、そうさせてもらいましょう」

 

 スネイプとマクゴナガル、そしてシリウスとルーピンとが、テーブルを挟んで向かい合わせの席に着く。それぞれ飲み物を手にしたが、どうしても雰囲気の悪さを感じずにはいられなかった。その原因のほとんどは、スネイプとシリウスとにあるようなもの。どちらも無言を通しつつ、険しい顔でにらみ合っているからだ。

 

「そ、そうだ。アルテシアのことを聞いてもいいかな。ぼくが学校を辞めるときには、まだ彼女は医務室にいたからね」

「おい、リーマス。聞くならハリーのことだろう」

 

 そう言ったのは、シリウスだ。だが視線は、相変わらずスネイプにむけられたまま。

 

「そうなんだが、アルテシアのことも気になるんだよ。ハリーのことは、ダンブルドアが戻らないとな。それにどうせ、ここへ呼ぶことになるんだろ?」

「そういえば、吸魂鬼に襲われたとか。どういうことなんです?」

「詳しいことはまだ。ハリーの親戚であるマグルの家の近くで襲われたらしいけど」

「なぜそんなところに吸魂鬼が?」

「それもわからない。とにかく、もう少し待たないと。ダンブルドアが戻るか、アーサー・ウィーズリーが戻るか。とにかく知らせがくるはずだ」

 

 吸魂鬼襲撃事件の、その第一報は、アーサーによってもたらされたもの。おかげでダンブルドアも、素早い対応ができたということになる。彼は魔法省に務めているので、その後の経過についてもいろいろと情報が入っているだろう。

 

「ポッターの魔法使用については、『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』に該当するかどうかだ。それがカギとなろう」

「まさにそうだよ、吸魂鬼に襲われたら魔法を使うしかない。そうひどいことにはならないさ」

 

 たとえ未成年であろうとも、自分の身を守ることのほうが優先される。そんな場合は、魔法の使用が認められるということだ。

 

「その吸魂鬼ですが、やはり誰かの意志が働いてのことなのでしょうね」

「でしょうな。それを指示した者がいるはずだ」

「確かにね。ダンブルドアも、そう言っていたよ。今のところ、吸魂鬼に指示ができるのは魔法省くらいだろうけど」

「ファッジ大臣か、あるいは、その側にいる誰かだろう」

「おそらく本人ではないと思うけど。だがどっちにしろ、やりにくくなるな。魔法省の協力は望めないってことだからね」

 

 本来ならば、魔法省が警告を発するべきなのだ。最悪の闇の魔法使いであるヴォルデモート卿が復活した、戻ってきたのだと、魔法界に知らせるべきなのだ。だが魔法大臣は、いまのところ、それを認めてはいない。ダンブルドア以外に、ヴォルデモート卿の復活を主張する者はいないのだ。

 

「だが吸魂鬼が出てくるのは、ちとまずいですな」

「ん? なぜだい。たしかにやっかいな相手だけど、少なくとも撃退する方法はあるじゃないか」

「お忘れかな、リーマス。吸魂鬼を怖がっている者がいるということを」

 

 それがアルテシアのことだと気づくのに、さほど時間は要しなかった。ルーピンが、軽くため息。

 

「この1年、誰もあの子に、守護霊の呪文を教えてないのかい? もしそうなら、ぼくが教えてもいいけど」

「いいえ、いまはダメです。必要だとなれば、あの子が自分で学ぶでしょう」

「いまはダメとは、どういうことですか」

「あの子にいま必要なのは、守護霊の呪文ではなく、時間なのです。あの子が何を思い、どう考え、いかなる結果を導くのか。なにをするにしても、すべてはそれからです」

 

 その表情を見る限りでは、ルーピンは、その意味を理解できてはいないらしい。そのことを察したのか、マクゴナガルが言葉を付け足す。

 

「アルテシアにとっては、必要なことなのです。いまあの子のところには、膨大な量の知識や情報が押し寄せています。いったんそれを断ちきり、頭の中を整理する。そんな時間が必要だと判断したのです」

「なるほど、そのほうがいいですな。学年末にいろいろなことがありすぎた。学校も休みだし、落ち着かせるのにちょうどいい」

 

 それでもルーピンは、まだふに落ちないといったところであるようだ。それはシリウスも同じであったのか、その顔をマクゴナガルへと向けたが、声を出したのはマクゴナガルのほうが早かった。

 

「いくつか、聞きたいことがあるんですが。確認させてもらってもよろしい?」

「あ、ああ。いいですよ。答えたくないことには答えませんがね」

「それはなにより。では聞きますが、アルテシアに会ったことがありますか?」

 

 シリウス・ブラックの顔に、うっすらと笑みが浮かんだ。そして、背もたれに沈めた身体を、起こしていく。

 

「たしかに少女と出会ってはいますが、名前は知らない。仮にその女の子が同一人物であるのなら、そういうことにはなりますがね」

「すくなくとも、その人物に会った、それは認めるのだな」

 

 またも、スネイプとシリウスとが、視線をぶつからせる。だが今度は、先ほどとは少しおもむきが異なる。少なくともそこには、会話があるからだ。

 

「答えろ。あの娘と、どこで会ったのだ。学校に侵入し、グリフィンドール塔にも忍び込んだはずだが、そのときか?」

「さあな。そんなことは、忘れたよ。だがなぜおまえが、そんなことを気にする?」

「ただ、知っておきたいだけだ。あの晩、おまえがいかにして西塔の部屋から逃げだせたのかをな」

「はは。さぞかし残念だったろうな。なにしろオレを、吸魂鬼に引き渡すつもりだった。それができなかったんだからな」

「たしかに、残念ではあった。だが、それはもういい。その娘のことだが、巻き毛の黒髪に青い目をしていたのではないか。もしそうなら、それがアルテシアだ」

 

 もともとはマクゴナガルの質問だったのに、いつのまにか、スネイプとシリウスのあいだで言葉が交わされていた。苦笑しつつも、マクゴナガルはそれを止めようとはしなかった。

 シリウスは、すぐには返事をしなかった。そのまえに、手にしたジョッキからゴクゴクと、残りを全部飲み干して見せたのだ。そして。

 

「たしかに、不思議な女の子だった。どうやったのか知らんが、気がついたら、部屋の中にいた。オレと話がしたかったようだが、体調が悪かったらしい。床にうずくまったままで、顔色がひどかった」

「頭が痛い、と言っていましたか?」

「いや、そういうことは何も。時間がないとかで、ロクな話もしなかった。窓を開けられるようにするから、そこから逃げろと。そうだよ、窓はあの女の子が開けてくれたんだ。それだけだ」

「そうか。よくわかった」

 

 そこから先は、ヒッポグリフに乗って逃げ出すことに成功している。シリウスはそこまでは話さなかったが、スネイプはそれで満足したようだ。

 

「だがそうなると、ナゾが一つ残ってしまうのだ。なにしろあの娘は、あのとき医務室で寝ていた。いや、まて。そうではないのだとしたら」

 

 そこでスネイプが目を向けたのは、もちろんマクゴナガル。だがスネイプが何を言おうとしたのか。突然、パタパタと賑やかな足音がして、話は中断された。

 

「みなさん、知らせが届きましたよ。ふくろう便が、たったいま。あら先生、いらしてたんですか」

 

 食堂に駆け込んできたのは、モリー・ウィーズリー。純血の名家プルウェット家の出身であり、アーサー・ウィーズリーと結婚し、ロンなど7人の子の母となっている。ウィーズリー家の人たちも、このブラック家に来ているらしい。

 

「それで、なんと。手紙は誰からですか?」

「ああ、夫のアーサーからですよ。ハリーの退学処分と杖の破壊は、ひとまず保留。8月12日の懲戒尋問によって、結論を出すことになったんだとか。じきに、ダンブルドアと一緒に戻ってくると」

 

 その言葉どおりダンブルドアとアーサーが戻ってくるのは、それからほどなくしてのことになる。

 

 

  ※

 

 

 この日の朝も、アルテシアは、森の中を散歩していた。朝は早めに起き、のんびりと森を歩いた後、家に戻り朝食。午前中は、家の用事や掃除などをして過ごし、午後からは書斎で魔法書を読むのだ。それが、毎日のだいたいのパターンとなっていた。

 何も考えるなと、そう言われている。だが、そんなことはムリだ。たとえ眠っていたとしても、なにかしらの夢を見たりはするものだ。何も考えるなとは、何もするな、ということ。今ではアルテシアは、そう思っている。だが何もしない、というのも難しいことだった。

 

『そのときは突然やってくる。だが歴史は終わらない。意志を継ぐ者がいる限り』

 

 このところのアルテシアは、ずっとこの言葉のことを考えている。どうやらその意味は、幼いころより思っていたこととは違っていた。それがはっきりしたからだ。意志とは何か。それを継ぐ者とは、誰のことなのか。そのことには、いちおうの答えを得たつもりでいる。だがそれすらも、正解ではない可能性がある。どんなことでも、可能性はゼロではない。

 では、歴史とは? そのときとは?

 頭の中を、いくつかの言葉がよぎっていく。その中に、正解はあるのだろうか。ゆっくりと、森の中を歩く。ときおり吹いてくるやわらかな風が、心地よかった。

 仮の話だが、このまま自分が死ねば、クリミアーナ家の血筋は途絶える。そこでクリミアーナ家の歴史は終わる。終わらせぬためには、死んではならないのだ。この命を、次の世代に伝えるまで死んではならない。命がけで自分を生んでくれた、母のように。

 

「それが歴史だとすると」

 

 それが歴史だとすると、突然にやってくるのは『死』ということになる。自分に死をもたらすなにか、いったいなにが、自分に死をもたらすのだろう。

 アルテシアは、考える。何も考えるなと、そう言われている。だがそれでも、アルテシアは考える。考えずにはいられなかったのだ。適切な対処ができなければ、クリミアーナは滅びてしまうのだから。

 

 

  ※

 

 

 不死鳥の騎士団。それは、ダンブルドアを中心とした、闇の魔法使いに対抗するための組織である。過去、ヴォルデモートがもっとも力を持っていた時代に、唯一、対抗してみせた組織でもある。ヴォルデモート卿が戻ってきたことがはっきりとした今、ダンブルドアは、かつての対抗組織を再結成したのである。その本部は、ブラック家。シリウス・ブラックが提供したのだ。

 

「それで、どんな人がメンバーなんだい」

「正確には知らないんだ。ボクたちがここに来て見た感じからすると、20人以上はいるだろうな」

「そうね。ハリーをここへ連れてきた人たちは、もちろん全員メンバーよ。知らない人もいるし、知っている人もいるわ」

 

 ハリー・ポッターは、その不死鳥の騎士団の本部に来ていた。ダンブルドアの指示なのだろうが、ダーズリー家を出てブラック家に滞在することになったのである。ハリーをヴォルデモートから守る、というのがその理由だろう。移動には、騎士団のメンバーが付き添っている。本部には、すでにロンなどウィーズリー家の人たちとハーマイオニーが来ており、ハリーと話をしているところである。

 

「ちょうど今、会議をしているはずだ。この下の階だけど、団員の人しか入れないんだ。フレッドとジョージが『伸び耳』ってやつを作ってこっそり聞こうとしたんだけど、見つかっちゃって。今じゃその防御までされちゃってるよ」

「じゃあ、ぼくたちは、なんにも分からないってことか」

「そうなるな。とにかく、少しずつ聞き出すしかないんだよ。いろいろやってるんだけど、分かったことは、ずいぶんと少ない」

「それを、教えて。分かったことだけでも教えてくれよ」

 

 ロンたちは、ハリーよりも半月ほど早くここに来ているのだが、もちろん会議に入れてもらえることはなく、ふだんはブラック家の掃除などをしているらしい。

 

「ほんとはね、ハリー。アルテシアも、ここへ来るはずだったのよ。まだ『伸び耳』が使えたころに聞いたの」

「でも、マクゴナガルが断ったんだよ。クリミアーナ家から外に出すつもりはないって言ったんだ」

「ハリー、あなたもだけど、アルテシアもあの人に狙われる危険はあるのよ。だってあの人は、アルテシアの魔法書を」

「たしかに、そうだ。あのとき墓地で、ヴォルデモートがアルテシアのこと言ってたよ。たしかに聞いた」

「でしょう。だからここに来ればいいのよ。そうしたら安全だし、いくらでも話ができるのに。なんでマクゴナガルは、断ったりするのかしら。せめて本人に聞くとかするべきなのに」

「それは、あれだよ。アルテシアって、散歩が好きだからだよ」

「なんだって」

 

 ロンの言ったことが、とても意外だったらしい。ハリーだけでなく、ハーマイオニーも怪訝な表情を見せている。だがそのロンの言葉を、近くで話を聞いていたジニーが支持した。

 

「わたしも、そう思うわ。だってあの人、学年末のときは考え込んでばかりだった。ホグワーツの森は立ち入り禁止だけど、クリミアーナ家の近くには大きな森があるそうだから、ちょうどいいのよ。それにここじゃ、外出なんてできないし」

「ジニー、あなた、アルテシアとは話をするの?」

「するよ、もちろん」

 

 それがどうした、といったところか。ジニーの表情からは、そんなことがうかがえた。ハーマイオニーが何か言う前に、部屋のドアが開けられ、モリーが顔を見せる。

 

「あなたたち、食堂へどうぞ。会議は終わったわ。これから夕食よ。ハリー、みんながあなたに会いたがってるわよ」

 

 ということで、部屋を出る。静かにしろと言われていたが、腹ぺこだったせいか、ハリーは下の階へと降りる途中で足がもつれ、ドンと強めに床を踏みならしてしまった。そのとたん、すさまじい声が聞こえてきた。

 

「けがらわしい、クズどもめ! でき損ないども。ここから立ち去れ! わが祖先の館を、汚すでない!」

 

 廊下に飾られた肖像画が大声でわめいていた。シリウスの母親であるヴァルブルガ・ブラックの肖像画が叫んでいる。この肖像画には、ブラック家を訪れる騎士団のメンバーたちも困っていた。

 普段は、カーテンに覆われており静かである。なのでなるべく近寄らず、騒いだりもしなければ、おおむね問題はない。だがハリーのようにそれを知らなかったり、知っていてもうっかりと大きな音を立てたりなどすると、こうしてカーテンが開き、わめきだすのだ。

 こんなときは、数人がかりでカーテンを閉めるしかない。すったもんだのあげくにようやく肖像画が静かになったところで、ハリーは、そこにシリウスがいることに気がついた。

 

「やあ、ハリー。困ったことに、この肖像画はわたしの母親なんだよ」

 

 そう言って、ハリーの名付け親であるシリウス・ブラックは、笑って見せた。

 



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第80話 「学校へ」

 クリミアーナ家の食堂に、マクゴナガルの姿があった。休暇中であるのだが、アルテシアの様子を見に来たのであろう。だがあいにくと、アルテシアは留守だった。まだ、散歩から戻っていなかったのである。応対したパルマが食堂へと通し、マクゴナガルの前に紅茶の入ったカップを置いたところだ。

 

「もうじき、戻ってくると思いますけどね。もちろん、お待ちになられるんでしょう?」

「ええ、待たせてもらいます。学校も始まりますし、この休暇中に起きたことを話しておくべきだと思いましたのでね」

「なにか、問題でもありましたですか。アルテシアさまも、近ごろずっと、なにやら考えておいでなんですよね」

「考えている? こちらに戻ってきてからずっと、ですか」

 

 何も考えるなと、そう言ってあった。そんなことができると本気で思っていたわけではないが、そうしてくれることを願っていた。時間がとれたときに、2人で一緒に考えていきたかったからだ。この休暇中は忙しくなることが、マクゴナガルにはわかっていた。だから、そんなことを言ったのだ。

 アルテシアを正しく導いていく、という責任が自分にはある。マクゴナガルは、そう思っている。だが正直なところ、そうすることができているのかどうか疑問だとも思っている。学年末のあのとき、アルテシアの心はかなり動揺していたのだ。そんな大事なときに自分は、アルテシアのそばを離れるしかなかった。

 そんな後悔にも似た思いが、マクゴナガルのなかに広がっていく。この休暇中、アルテシアは何を考え、どんな結論を出したのか。それを聞きだすことも、今回の訪問の大事な目的のひとつなのだ。場合によっては、その軌道を修正してやる必要もあるだろう。もちろんそれは、正しい方向でなければならない。

 

 

  ※

 

 

「それが、不死鳥の騎士団なんですね」

「そうです。わたしも、メンバーのなかに名前を連ねています」

 

 クリミアーナ家の書斎に場所を変え、マクゴナガルとアルテシアが話している。ちょうどいま、不死鳥の騎士団に関しての説明が終わったところである。

 

「いまのところ、例のあの人にはこれといった動きはありません。騎士団結成など、ダンブルドアの対処が素早かったという面はあるでしょうが、あの人のほうでも、なにやら準備中なのかもしれません」

「対決する、ということですよね。闇の側の人たちと」

「そうですが、未成年は参加できませんよ。あなただけでなく、ソフィアやパチル姉妹、あのハリー・ポッターたちも含め、生徒たちの参加は認めません」

「先生も、ですか?」

 

 問われている意味がわからなかったのだろう、改めてアルテシアを見たマクゴナガルだが、アルテシアは、いつものように微笑んでいた。

 

「先生の言うとおりにします。参加しろというなら、参加します」

「そんなことは言いませんよ。認めないと言ったでしょう」

「はい。でもわたし、あの人とは会う必要があります。話がしたいんです。それは禁止しないでくださいね」

「アルテシア、あなたがそんなことを考える気持ちはわかりますが、その危険性を理解していますか。あなただって狙われる可能性があるのですよ」

「わかっています。十分に注意します」

 

 休暇中に何を考えたのか。それを聞かなければと、マクゴナガルは思っている。そのタイミングとして、今がちょうどいいこともわかっている。聞けば答えるだろうということも、もちろんわかっている。

 だがマクゴナガルは、別のことを口に出していた。重要なことは後回しとしたのか、それともアルテシアが言うのを待つことにしたのか。取り出したのは、数枚の羊皮紙と本。

 

「新学期の案内と、必要な教材のリストです。あらたに必要となるのは、ミランダ・ゴズホーク著『基本呪文集・5学年用』とウィルバート・スリンクハード著『防衛術の理論』の2冊だけ。わたしが用意しておきました」

 

 そして、その2冊をアルテシアの前へ。わざわざ用意してきたのは、ダイアゴン横丁へと買い物にいかなくても済むようにするためである。つまりは、クリミアーナ家を出ないようにということ。他のどんなところよりもクリミアーナ家にいたほうが安全だと、マクゴナガルはそう思っているのだ。

 

「防衛術の先生は、また代わるのですね。この本は、その人が指定なさったものですよね」

「そうです。いい先生であることを願うばかりですが、魔法省から派遣されてくるのだと聞いています。期待はしないほうがいいでしょうね」

「魔法省から、ですか」

「ダンブルドアでは適切な教師をみつけられない、と魔法省が判断した結果です。誰にとって適切であるべきかは別として、魔法省は例のあの人が戻ってきたなどとは認めていませんから、防衛術の教育に熱心になるとは思えません」

 

 それからマクゴナガルは、もう1枚、羊皮紙をアルテシアの前にすべらせた。

 

「あなたの成績ですが、わたしは十分に満足していますよ。そこにあるように、いわば実技的な面では低めの評価となってはいますが、それは気にしなくてもよろしい」

「すみません、先生。でもこれからはずいぶん違ってくると思いますよ。杖の使い方を覚えたんです」

「覚えた? どういうことです」

 

 自分の杖を取り出し、マクゴナガルの前で軽く振ってみせる。

 

「これまでは、わたしが杖の使い方を分かっていなかっただけみたいです。それに気がついたんです」

「使い方が、杖に、ですか。相性というものがあるとは聞いていますが」

「あれ? クローデル家のティアラのマネをしてみたんですよ。そしたら、すごくうまくいったんですけど」

「そう、ですか。まあ、なんにしてもよかったですね。ですが、クローデル家ですって。あなたの家とは敵対していたと聞きましたが」

「敵対だなんて、そんな。昔はいろいろあったのかもしれないけど、ティアラは」

 

 ティアラが、どうしたのか。アルテシアは、そこで言うのをやめた。

 

「どうしました? そのティアラが、なんですか」

「あ、いえ。先生は、敵対していたとか、どこで聞いたんですか?」

「500年ほど前のクリミアーナの騒動では、その火種となった家だと聞いていますよ」

「わたしもです。でも考えてみれば、そのときなにがあったのか、本当のところはわからない」

「わからない?」

「ティアラやソフィアは、なにか知ってるかもしれません。でもわたしは」

 

 それは、なぜか。残念ながら、アルテシアのなかに、その真相に関することはなにもない。当時の当主であるアティシアが、そうしてしまったからだ。子孫の誰にも、そのことが伝わらないようにしたのである。

 

「わたしは、魔法書が完全になれば、そのことも全部わかるんだと思ってました。魔法書に残されているんだと」

「でも違った、そういうことですか」

「そうなります。考えてみれば、わたしの魔法書は、クリミアーナ初代のご先祖が作ったものです。魔法書が残された後に起きたことがそこになくても、おかしなことじゃないですよね」

「ですが、当時の記録はあるはずですよ。あなたが知らないだけで」

 

 それは、あるかもしれないし、ないかもしれない。アルテシアには、どちらとも言い切れない。だが2人とも、同時に思い浮かべたものがあった。魔法省の好きにしていいと、アルテシアがそう言ってしまった、ガラティアの遺品である。

 

「もしかすると、そこになにか、残されていたのかもしれませんね」

「かもしれません。でもあれは、ファッジ大臣の好きにしていいと言ってしまいました」

「そうですが、返してくれるようにお願いしてみましょう」

「いいえ、先生。そのときになにがあったのか知らなくても、これからのことには問題ないです。わたしだって、サー・ニコラスに少しは話を聞いてるし、たぶんソフィアとティアラは知ってるんです。でも、わたしのそばにいてくれてる。だったら、それでいいです」

「まあ、あなたがそういうのなら。大事なのはこれから、ということには賛成ですよ」

 

 しぶしぶ、なのだろうか。マクゴナガルも、同意する。どちらにしろ、当時の事情については、いずれはわかるのかもしれない。アルテシアが、ぺこりと頭をさげる。

 

「先生。わたし、これまでいろいろと思い違いをしていたようです。ありがとうございます、先生」

「おや、ここでお礼の言葉が出てくるなんて、どういうことです?」

「先生は、何も考えるなと、わたしに言ってくださいました。そんなことできるはずないと、そう思いました。だからわたし、これまでのことを、落ち着いて振り返ってみようと思ったんです」

「なるほど。それでも考える、ということに変わりはありませんけど」

「そうですけど、いろいろと勘違いをしていたことに気づくことができました。そんな時間をくれたのは、やっぱり先生だと思うんです。ありがとうございます」

 

 まさか、そんなことでお礼を言われるなどとは思ってもいなかったマクゴナガルである。そこに、照れくささもあったのだろう。すぐに話題を変えてくる。

 

「そういえば、杖をうまく使えるようになったといいましたね」

「はい。これからはもう少し成績をあげられると思います」

「それは、楽しみだこと。ではアルテシア。どうせなら、守護霊の呪文を覚えてみませんか」

「それって、たしか吸魂鬼を追い払うことができる魔法ですよね」

「ええ。この休暇中にハリー・ポッターが吸魂鬼に襲われるという事件も起きています。あなたも同じ目にあうかもしれない。その対処ができるようにしておくべきです。まあ、あなたの場合は別の方法がありますけど」

 

 1度だけだが、アルテシアは吸魂鬼をにじ色の玉の中へと閉じ込めてしまったことがある。それができるのなら、必ずしも守護霊の呪文は必要ないことになるが、覚えておいて損はない。ついでというわけではないが、マクゴナガルは、ハリーが吸魂鬼に襲われた一件を話して聞かせた。

 

 

  ※

 

 

 ブラック家の客間では、この部屋のカーテンにはびこっていた噛みつき妖精ドクシーの駆除がおわったところだ。作業の指示をしたのは、ウィーズリー家のモリー。参加者はハリーとロン、ハーマイオニーにフレッドとジョージ、そしてシリウス・ブラックである。

 

「さあ、これですっきりしたわ。ご苦労さま、いまお昼のサンドイッチを持ってきますから、ここで待っていなさい」

 

 ドクシーの駆除には、午前中いっぱいかかったことになる。ほっと一息ついたところで、ハリーは、部屋の反対側の壁にかけられたタペストリーに目を向けた。そろそろと近づいていくと、シリウスもその後をついてくる。

 タペストリーは色あせ、ところどころに虫食いのような跡があった。どうやら家系図であるらしい。一番上に、大きな文字で『高貴なる由緒正しきプラック家“純血よ、永遠なれ”』と書かれている。

 

「ここに、わたしの名前があったんだけどね。ありがたいことに母上が、わたしが家出したあとに抹消してくださったがね」

 

 なるほど、そこには小さな丸い焼け焦げのような跡がある。

 

「家出したの?」

「16のころだ。まずはキミの父さんのところで世話になり、17歳になってからひとり暮らしを始めた。叔父のアルファードが、かなりの金貨を残してくれていてね。それでなんとかやってこれたよ。ポッター家にもよく行ったものだ」

「だけど、どうして家出なんかしたの?」

「そうだな。簡単に言えば、純血主義に染まることができなかったから、だろうな。両親は狂信的な純血主義者で、ヴォルデモートの考えを正しいとさえ思っていたんだ。弟は、ほら、ここに名前があるだろう」

 

 そこでシリウスは、家系図の一番下の名前を指差した。レギュラス・ブラックという名と生年月日、死亡年月日が書かれている。

 

「弟は、両親の言うことを信じていた。だから『デス・イーター』に加わってしまった」

「そんな。嘘でしょう!」

「いいや、ハリー。ウソではないよ。この家を見るだけでも、わたしの家族がどんな魔法使いだったかわかりそうなものだろう」

 

 そこでモリーの『さあ、お昼ですよ』という声が聞こえ、ロンやハーマイオニーたちがサンドイッチの周りに集まっていく。だか、シリウスの目はじっとタペストリーを見ていた。ハリーも、だ。

 

「弟は、ヴォルデモートに殺された。自分がやっていることに恐れをなし、身を引こうとしたらしいが、命を持ってしか『デス・イーター』から抜けることはできなかったんだ」

 

 モリーの持ってきた大きなお盆には、山のようにサンドイッチとケーキが載せられている。昼食が始まったが、ハリーたちはタペストリーの前から動こうとしない。

 

「もう何年も、これを見ていなかったな。いろんな名前がある。消された名前もあるな。もちろん、その跡がということだが」

 

 ハリーも、タペストリーに書かれた名前を見ていく。ベラトリックスとナルシッサという2つの名前の間に、焼け焦げがある。

 

「そこには、アンドロメダという名前があったんだ。キミをここへ連れてきた闇祓いのトンクスの母親だよ」

「トンクスと親戚なんだね」

「純血の魔法使いは、みんなそうだ。みんな親戚だと思って間違いない。このナルシッサは、ルシウス・マルフォイと結婚し、ベラトリックスは、ロドルファス・レストレンジと結婚した。どちらも純血の魔法使いだから、母上を喜ばせたよ。知ってるだろうが、ルシウスとベラトリックス、ロドルファスは、デス・イーターだ」

 

 家系図には、ほかにもさまざまな名前が書かれている。それらを見ながらハリーは、ふと思い出したことがあった。クリミアーナ家から嫁入りしたというガラティアの名前はあるのかということだ。

 

「あのさ、シリウス。ガラティアという人は、ここに載ってるの?」

「ガラティア? さあ、どうだったかな。わたしもすべて覚えているわけではないからね」

 

 タペストリーのあちこちを見ていくが、ガラティアという名前は見つからない。ブラック家を出されたということだから、名前は消されているのかもしれない。

 

「ちょっとわからないが、知っている人なのか」

「クリミアーナ家の人なんだ。アルテシアの伯母さんかなにかだと思うんだけど、ブラック家に嫁いでるはずだよ」

「ほう、クリミアーナ家からね。そういえばキミのお母さんには親友がいたことを話したと思うが、その親友の娘さんがアルテシアだよ。気づいていたかい?」

「やっぱりそうなんだ。そんな気はしてたんだけど」

 

 そんな気はしていたが、ハリーは、そのことをアルテシアと話したりはしていない。それはアルテシアにも言えることだが、このところ、話をする機会がめっきりと減っていた。

 

「あの子とは、学校で話したりはしないのか。実は、彼女にはこちらから連絡すると言ってあるんだ。そろそろ連絡しないといけないんだが」

「会う約束とかしてるの」

「彼女のお母さんとは、何度か会っているからね。そんな話ができるんじゃないかと思ってるよ。あの子にも話したいことがあったようだし」

 

 逆転時計を使って時間を戻し、処刑寸前のヒッポグリフが救出され、西塔に閉じ込められたシリウスが逃げ出した、あの夜。そのときシリウスは、アルテシアに会っている。そのことを、シリウスはハリーには話していない。そのときは、それがアルテシアだとはわからなかったし、内緒にして欲しいとも頼まれていたからだ。

 だがもう、そんな必要はない。そのことは、スネイプやマクゴナガルなども承知しているからだ。シリウスがあの部屋でのことを話そうとしたとき、それをモリーがさえぎった。

 

「そこの2人、早く来なさい。さもないと食べ物がなくなりますよ」

 

 そういえば、昼食の時間だったのだ。食いっぱぐれるわけにはいかない。ハリーとシリウスは、苦笑しつつもサンドイッチのほうへと歩いて行った。

 

 

  ※

 

 

 キングズ・クロス駅のホームを、アルテシアが歩いていた。ホームには多くの人がいるが、そのほとんどはマグルだろう。というのは、アルテシアがまだ9と4分の3番線のホームに入ってはいないからだ。

 いつものように早い時間に駅へと来ているので、ホグワーツ特急発車までには十分すぎるほどの時間がある。アルテシアは、ホームを行き来するマグルたちを見ながら、ここで魔法を使ったらどうなるだろうかと、そんなことを考えていた。というのも、ハリーポッターがこの休みの間にマグルの前で魔法を使い、魔法省から事情を聞かれたという話を聞いたからだ。

 マクゴナガルからの情報なのだが、吸魂鬼に襲われ、吸魂鬼を追い払うために守護霊の魔法を使ったらしい。結果として処罰はされなかったらしいが、魔法を使うと罰を受けるということにアルテシアは納得していない。納得はしないが、そういう規則がある以上は反発しても仕方がない、とも思っている。というのも、一応、緊急事態などの例外規定がしてあるからだ。ハリーが処罰されなかったのは、この例外規定によってやむなく魔法を使ったのだと認められたからなのだ。

 それはともかく。

 この件に関して、アルテシアには疑問があった。クリミアーナの森を散歩しているとき、ふと思ったのだ。未成年者が学校以外で魔法を使うと、魔法省にわかってしまうらしい。だがこれまで、クリミアーナ家の魔女はごく普通に魔法を使ってきた。多くの場合、14歳くらいで魔女の力に目覚める。そして、魔法を使う。だがそのことで、魔法省にとがめられたという話は聞いたことがない。

 8歳のときより魔法が使えたという母。8歳という年齢は、もちろん未成年だ。現在進行形で未成年であるアルテシアにしても、学校以外の場所で魔法を使ったことがある。

 仮にクリミアーナ家の魔法は感知できない、とすればどうか。もしそうなら、とりあえず説明はできることになる。だがその場合は、感知できない理由が気になってくる。クリミアーナ家の魔法が魔法族のものとは違う、ということを示しているようなものだからだ。

 とはいえアルテシアは、これまでずっとそう思ってきた。違うということで、納得していた。だからこそ、マクゴナガルが初めてクリミアーナ家を訪れたとき、魔法が違うのだからと、ホグワーツ入学をいったんは断っているのだ。

 だが改めて考えてみたとき、そこには疑問を感じる。これまでそんなことは思いもしなかったが、自分たちの魔法は、なぜ魔法族のものとは違うのだろう。いったい、なにが違うのか。魔法界から長らく離れていたためにそうなってしまったのか。それともなにか、別の理由があるのか。

 それを、アルテシアは知りたかった。それを知るための第一歩として、杖を使いホグワーツで覚えた魔法を使ってみようと考えたのだ。魔法族の魔法を、魔法族のように杖を用いて使用してみた場合、感知されるのかどうかを試すために。

 いつもの巾着袋に手を突っ込み、自分の杖を取り出す。

 ハデな魔法は、使えない。使うべきではない。ここはクリミアーナ家周辺ではないのだから、不思議なことがあっても気にしないこと、などとは誰も思ってはくれないはずだ。

 使うのは、浮遊呪文。自分の身体をほんのわずかだけ、浮かせてみるのだ。それくらいなら誰にも気づかれないだろうし、魔法を使ったという事実はしっかりと残る。

 

「なにをしようっていうんですか」

 

 まさにいま、呪文を唱えようとしたところ。そこで声をかけられ、あわてて振り向く。

 

「まさか、ハリー・ポッターのマネをしようっていうんじゃないでしょうね。そんなの、ダメですからね」

「ソフィア」

「とにかく、来てください。ホグワーツ特急に乗りましょう。話したいことがいっぱいあるんですから」

「あ、待ってソフィア。ちょっと待ってよ」

 

 だが結局アルテシアは、ソフィアによって9と4分の3番線のホームへと引っ張って行かれるのである。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアが早い時間に駅へと来るのは、なにも4人席のコンパートメントに、確実に席を確保したいからではない。時間に余裕を持っていたいという、ただそれだけのことだ。それでも早すぎるのは間違いないが、ソフィアの場合は、そんなアルテシアに合わせているのだろう。

 そんなわけで、まだ発車までには時間があるのだが、ホグワーツ特急は、いつものように早めの時間からホームに停車していた。その列車にアルテシアを引っ張り込み4人席のコンパートメントの窓際の席に押し込めると、ソフィア自身は廊下側に座った。アルテシアを、じっとみつめる。先に口を開いたのはアルテシアだが、すぐにソフィアが先手をとった。

 

「ソフィア」

「聞いてもいいですか。あんなところで魔法を使おうとした、その理由を」

「うん。ちゃんと話すよ。わたしはね」

「ハリー・ポッターの裁判の話は、聞いてるんですよね?」

「え? ええ、聞いてるけど。ソフィアも知ってるの?」

 

 知っているからこそ、そんなことを言い出せたのだろう。問題はどこから聞いたのかということだ。なんとなくだが、ソフィアが怒っているような。そんなことを思いつつ、ソフィアを見るアルテシア。ソフィアは、軽くため息。

 

「いいですか。魔法省は、例のあの人が復活したなんて認めてないんです。『日刊予言者新聞』だって、そんな報道はしてない」

「うん、そうだよね」

「でもダンブルドア校長は、復活したと声だかに叫び、魔法族に注意を呼びかけています。つまり、魔法省の方針とは対立している。その結果、どんなことになっているか知ってますか。それにハリー・ポッター。あんな人でもいちおうヒーローだから、彼にも余計なことを言われたくない」

「だから、処罰しようとしたっていうの?」

 

 その可能性があると、ソフィアは言うのだ。ハリーは、マグルの街に住んでいる。そんなところで吸魂鬼がふらふらしてるなんておかしい。そうするように、誰かが吸魂鬼に指示したのだと。

 

「それが魔法省の誰かだと考えるのって、不自然じゃないと思いますよ。魔法省の方針に反対されるのは困る。ならば、遠ざけてしまえばいい。なにより、ダンブルドア校長には痛手となるはずですから」

「でも、例のあの人かもしれないんじゃ」

「そうですけど、可能性の問題です。あの人は、いまは自分のことで精一杯のはず。あたしたちなら、魔法書を読まなきゃいられない状態だと思うんですよね」

「そう、だよね」

 

 ほんとうは誰のせいなのか、それはわからない。なので予想するしかないが、それがより正確であればあるほど、適切な対応をしていけるということになる。

 

「魔法を使おうとしてましたよね。あんなところで杖なんか出して」

「そうよ。ちょっと確かめたいことがあって」

「まさか、魔法省にみつかるかどうか、とかじゃないですよね?」

「ああ、ええと」

 

 まさに、そうだった。アルテシアの表情からそのことを読み取ったソフィアは、もう一度ため息。

 

「リスクが高すぎです。仕方なく魔法を使った、なんて誰も認めてくれませんよ」

「そうかもね。でもクリミアーナでは、普通に魔法を使ってきてるのよ。なのにこれまで、魔法省から怒られたって話は聞いたことがない」

「ウチの家でもそうですけどね。気持ちはわかりますけど、いまはもっと慎重であるべきです。なにかあってからでは遅いんですよ」

 

 さすがにアルテシアも、ソフィアの言おうとしていることは理解できた。なにも危険なのは、ヴォルデモートだけではない。デス・イーターたちに限った話でもない。魔法省にも注意が必要、ということだ。それはともかく、ソフィアはなぜこんなに詳しいのだろう。

 

「ねえ、ソフィア。あなた、お休みの間は何してたの?」

「なにも。アルテシアさまのことを考えていただけですよ」

「でも、どうして。ハリーのことは、わたしもマクゴナガル先生から聞いただけよ。それこそ、予言者新聞で報道なんかされてない」

「なのになぜ知ってるのか、ですか。調べたのは、ティアラさんです。例のあの人のことにも気をつけてくれてるんですけど、いまのところ、動きはないみたいだって」

「ティアラが?」

「アルテシアさまのためです。アルテシアさまがなにもされてないのは、あの夜のこと、誰にも知られていないからですよ」

 

 あの夜とは、ヴォルデモートが復活を遂げた夜のこと。その夜、ホグワーツの生徒であるセドリック・ディゴリーが殺されている。その場にはアルテシアもいて、自身の身体を手に入れたヴォルデモートを目撃しているのだ。考えてみれば、そのときにも魔法は使っている。だが魔法省には感知されていないのではないか。それは、なぜか。

 

「ティアラさんが、いろいろ調べてくれることになってるんです。もちろん、ちゃんとお知らせします。だからムチャなことはしないでください。こんなときですから、弱みを握られたらまずいと思うんですよね」

「ティアラが、なんですって?」

「ティアラさんが情報集めとか対外的なことをやって、あたしがアルテシアさまのそばで補佐をする。そうすることにしたんです。ポッターが魔法省のウィゼンガモット法廷で裁判にかけられた。そこでどんな話がされたのかまではわかりませんけど、無罪になったのは確かです」

「ティアラが、そんなことを調べたの」

 

 どうやって、と問う必要はないのだ。自分ならどうするかを考えれば、だいたいの答えは出てくる。光の操作は、クリミアーナの魔法の大きな要素のひとつ。ティアラのクローデル家も、きっと光学系の魔法を使うのだろう。それにしても、いつのまにそんな役割分担を決めたのだろうか。もしかすると、500年前にばらばらになってしまう前も、それぞれの家にそんな分担があったのかもしれない。そのあたりのことをアルテシアは知らないが、ソフィアたちもそうだとは限らない。

 

「とにかく、いまはおとなしくしてたほうがいいと思います。魔法を使うと見つかるのかどうかは、実際にやって確かめるんじゃなくて、なにか資料とかから見つけ出すべきです。マクゴナガル先生には聞いてみましたか?」

「ううん、聞いてないわ。そうね、学校に着いたら聞いてみる」

「そのほうがいいです。とにかく周りじゅう敵だらけなんですから。ホグワーツにいるから安全だと思うなってティアラさんも言ってました」

「味方は少ないってことだね」

 

 もちろん、ソフィアはうなずいてみせた。そして、考える。アルテシアにとっての味方は、どれほどいるのだろう。コンパートメントのドアが開けられ、まったく同じ顔をした2人が、笑顔をみせる。

 

「おひさしぶり!」

「元気だった?」

 

 この双子は、間違いなく味方だと、ソフィアはそう思った。他には、誰がいるだろうか。パチル姉妹とアルテシアとが再会を喜んでいるようすを見ながら、学校に着くまでゆっくり考えてみようと、ソフィアはそう思うのだった。

 



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第81話 「アンブリッジ」

 ホグワーツ特急を降り、学校へ着くと、すぐに新入生歓迎を兼ねた始業式が始まる。といっても、今年の新入生の組み分けがメインなので、校長のあいさつと終わると、あとは宴会だ。お腹いっぱい食べ、よく寝て、翌日からの授業を迎えることになる。

 まずは、新入生の組み分けだ。そのようすを見ながらアルテシアは、ホグワーツ特急のなかでソフィアが言った、味方のことを考えていた。新入生の人たちのなかに、そんな人はいるのだろうか。

 

「ねぇ、アル。あの人、誰だと思う? もしかして、新任の防衛術の先生かな」

 

 パーバティが指さしたのは、教職員テーブルの真ん中あたり。そこに、濃い紫のローブに同じ色の帽子をかぶった魔女が座っていた。少し太めの体型に、茶色い髪。ピンクのヘアバンドを着けている。

 

「たぶん、そうじゃないかな」

「ねぇ、ソフィアが言ってたでしょ、味方は意外に少ないってさ。ね、ね、あの人、味方になってくれるかな」

「どうだろう。そうだったらいいんだけどね」

 

 だがまだ、どんな人なのかわからない。話をしてからでないと、ソフィアの言う味方かどうかの判断などできない。ともあれ尋ねてみようと、アルテシアは思った。自分の疑問をぶつけてみるのだ。そのことにどういう返事を返してくれるのか。もしこの人が新任の防衛術の先生であるのなら、ちゃんとした返事をしてくれるはず。

 そんなことをアルテシアが考えているうちに、新入生の組み分けも終わり、ダンブルドアが立ち上がった。

 

「新入生諸君! そして古顔の諸君よ。あいさつはあと。まずはお腹をいっぱいにしようではないか。さあ、宴会じゃ」

 

 とたんに、テーブルに並べられたお皿に、どこからともなく食べ物が現われる。肉料理や野菜料理、パイやパン、もちろんかぼちゃジュースもある。アルテシアも、自分の皿に料理を取り分けていく。

 そのアルテシアの目の前に、突然、首無しニックの顔が現れる。ちょうど、テーブルから顔だけ出した状態だ。

 

「あえてこんな言葉をつかわせてもらいますが、お帰りなさい、お姫さま。ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントンでございます」

「名前、長いってば。ニックでいいでしょ」

「いやいや、パチルさん。どうせ呼んでいただくなら、ちゃんと名前を」

「ねえ、ニック。ニックは、味方だよね?」

「は? なんのことですかな、お嬢さん」

 

 それには答えず、ただうなずいてみせただけ。ちょうどいまパーバティの口のなかは食べ物でいっぱいとなったところで、しゃべれないのだ。

 

「まあ、それはともかく。お姫さま、灰色のレディとはあまり話せませんでしたよ。ご本人があまり姿をみせませんし、血みどろ男爵の目もございまして」

「ありがとう。ええと、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントンって呼ぶのよね」

「いえいえいえ、お姫さまには、いつものようにニコラスと、そうお呼びいただければそれで」

「あたしとは、ずいぶん違うのね、ニック」

「はて。そんなことはないはずですがね。ともあれ、お食事のじゃまはいたしませんよ。ではまたあとで」

 

 アルテシアの前から姿を消したニックは、次はハリーたちのところへと現われ、話を始めた。パーバティの目は、そっちの方に向けられている。いったい何を話しているのか、それなりに話が弾んでいるようだ。

 

「アル、ニックに何か頼んだの?」

「灰色のレディと話がしたいのよ。灰色のレディはヘレナって名前で、レイブンクローの娘さんなの。ほんとはロウェナと話せればいいんだけど、もうヘレナしかいないでしょ」

「ふうん。でも、なんのために?」

「彼女が生きてるころ、クリミアーナ家の魔女と会ってる。それが誰なのか確かめたいし、いろいろ聞いておきたいこともあるんだ。ニコラスの絶命パーティのとき、ヘレナと話したことあるんだけど、そのときはそんな話はしなかったから」

 

 そんなことを話しているうちにあらかた料理もなくなり、生徒たちのあいだではガヤガヤと騒がしくなってきていた。そこでダンブルドアが立ち上がめ。

 

「いくつかお知らせがあるのじゃ。少し時間をいただこうかの」

 

 その声にみんなの顔が校長のほうを向き、話し声はすぐにやんだ。ダンブルドアが、『禁じられた森』は立ち入り禁止であることなど、生徒たちが守るべきことを話していく。そして。

 

「今年は『魔法生物飼育学』の担当としてグラブリー・ブランク先生がお戻りになった。心から歓迎申し上げる。さらに『闇の魔術に対する防衛術』の新任教授として、アンブリッジ先生をお迎えした」

 

 そこで、拍手が起こる。だがすぐにやんだ。ダンブルドアが話を続けようとしたからだ。だが“エヘン、エへン”という咳払いが聞こえ、アンブリッジが立ち上がった。そのことに、誰もが驚いたようなそぶりをみせたが、ダンブルドアは静かに腰を下ろした。

 

「みなさん、みなさんとお知り合いになれて、とても喜んでおりますのよ。きっとよいお友だちになれるでしょう。ですが」

 

 そこでまた、“エヘン、エへン”と軽く咳払い。少し甲高い、鼻に掛かったどこか甘えるような声。それが少し早口となった。

 

「若い魔法使いや魔女に対する教育はとても大切なことなのだと、魔法省は、そう考えてきました。みなさんが持って生まれた才能は、大切に、慎重に、教え、導き、磨いていかねばなりません。必要なのは教育です。後の世代へと伝えていく努力をしていかなければ、魔法界の古来からの技は失われてしまうでしょう。キチンと教育していかないとダメなのです」

 

 アンブリッジが、ここで教員席に並ぶ教師陣に目を向ける。だがだれも、アンブリッジと目を合わそうとはしない。みな、一様に生徒たちのほうを見ている。マクゴナガルなどは、目を閉じている。ひととおり、そんな教師陣をみたあとで、またまた、“エヘン、エへン”と軽い咳払い。アンブリッジの話が続く。

 

「どういう意味だと思う?」

「え、なにが?」

 

 生徒たちのあいだでは、あちこちでささやくような声が聞こえている。ダンブルドアの話をさえぎって話を始めたアンブリッジに関してのものだろう。アルテシアも、パーバティにささやきかけた。

 

「教え、磨き、伝えていくって言ったよね。それって」

「違うと思うよ。クリミアーナの魔法書は、学び、高め、残していく、でしょ。だから、違うんだと思う」

「あぁ、うん。そうだよね」

 

 アンブリッジの話は続いているが、もはや生徒たちは誰もちゃんと聞いてはいない。いや、それは言い過ぎだ。すべてではない。ごく少数ではあるが、まじめに聞いている生徒はいた。アルテシアも、その1人だった。

 

 

  ※

 

 

「あれ、アルテシアは?」

 

 アルテシアたちが放課後によく利用している、いつもの空き教室。授業が終わるとそこにいつものメンバーが集まるのだが、パドマが来たとき、そこにアルテシアの姿はなかった。いたのは、パーバティとソフィアの2人。

 

「アルは、マクゴナガルのところだよ。原因は、昨日のアンブリッジの演説」

「アンブリッジって、防衛術の新しい先生だよね。あの人が原因って? まさかアルテシア、怒られてるの?」

「そうじゃないよ。あたしが行かせたんだ」

「どういうこと?」

「ちょっと、ね。アルともめちゃってさ。そんなに気になるんならマクゴナガルのとこに行けって、そう言ったんだ」

 

 パドマの目が、ほんの少しだけ大きく開かれる。彼女が知っている限り、姉とアルテシアとかケンカしたなんて、これが初めてだ。パドマは、いそいで姉のすぐ前に座った。

 

「お姉ちゃんが、アルテシアとケンカしたって? なんでまた」

「違うよ。あたしはケンカなんかしてない。するはずないじゃん」

「でもさ、いまそう言ったよね」

 

 ねぇ、と声は出さないが、目線でソフィアに同意を求める。ソフィアは、軽く笑って見せた。

 

「たしかに、ケンカした、とは言ってませんね。もめちゃった、とだけ」

「それって、同じことでしょ。ね、ほんとは何があったの?」

「だから、原因は昨日のあの先生のあいさつなの。アルは、そのことずいぶん気にしてたんだ。だからあたしは、気にすることないよって言ったんだけどね」

「たしかにあれは、あたしも気にはなったけど。でも、だからって、アルテシアとケンカすることないでしょうに」

「だから、違うって。何度も言うけど、あたしは、アルと、ケンカなんかしてない」

「あの人は、魔法書のことを知ってるんですかね」

 

 放っておけばパチル姉妹がケンカになっていた、ということはないはずだが、ソフィアの言ったことが2人の言い合いを止める形となった。

 

「もしそうなら、見過ごせない。あたしも、そう思いますね。だってクリミアーナは、放棄されるべき時代遅れなものじゃありません」

「いや、ソフィア。そこは、ダンブルドアのことを言ってるんだと思うよ。あたしが気になったのは、禁ずべきやり方とわかったものは何であれ切り捨てるってとこ。あれが、魔法書のことだとしたらって思ったんだ。実際アルテシアは、魔法書だけで魔法を勉強できる。あれを認めたら、学校いらないってことになる。もしそんなことを考えたんだとしたら」

 

 前日の、新任教授アンブリッジによる演説。そのなかでアンブリッジが言った言葉に対するパドマの考え方。はたしてその見方は、的を射ているのかどうか。ソフィアにしろパーバティにしろ、いや、あの演説を聞いた者それぞれが、さまざまなことを思ったに違いない。

 

「魔法書から魔法を学ぶのは間違っているのか。魔法書は、禁ずべきやり方なのかどうか。それ、アルも気にしてた。あたしは違うって、そう言ったんだけど」

「でも、アルテシアは納得しなかったんだね。だから、マクゴナガル?」

「だってさ、マクゴナガルは本を読んでる。それは認めてくれてるからでしょ」

 

 パーバティが気にしているのは、それを認める者と認めない者がいる、ということだけではない。もっとも気になるのは、それを認めてもらえない者が、何を思うのかということだ。そのことでアルテシアが、なにかするとは思わない。だが、なにもしないとも思えなかった。だから、マクゴナガルのところへ行けと、そう言ったのである。

 

「わたしたちも魔法書、読んだほうがいいのかな。どう思う、ソフィア」

「それはご自由に、としか言いようがないです。ヘンな意味じゃないですよ。やっぱりあれは、クリミアーナのものだと思うから」

「考えてみれば、アルテシアが読めって言ったことないもんね」

「でも、切り捨てられるようなものじゃないはずです。そんなことしていいはずない。他人に否定される理由なんか、絶対にない」

 

 魔法書は、クリミアーナのものだ。その初代の魔女が魔法書を遺して以来、ずっと読み継がれてきたものなのだ。それを否定し切り捨てることができるものが、仮にいるとするのなら。それは、たとえばアルテシアのようなその直系の子孫だけであるはず。魔法省にそんな権利はないし、ましてや、あのアンプリッジに許されるはずなどない。ソフィアは、そう主張する。だがパドマが、それをなだめる。

 

「あんたの言うことはわかるし、あたしもそう思う。だけどあの人は、まだそこまでは言ってないからね」

「でも、同じことじゃないですか。思うんですけど、これまでクリミアーナがずっと魔法界と疎遠にしていたのは、こんな理由なのかもしれません」

 

 すぐには、ソフィアの言うことの意味がわからなかったのかもしれない。少しの間、パチル姉妹は互いに顔を見合わせていた。たしかにクリミアーナは、これまで魔法界に溶け込んでいたとは言いがたい面がある。魔法界では、その存在を知らぬ人たちのほうが多数派だろう。そこに圧倒的と付け加えても、なんらおかしくはないほどなのだ。

 

「まさか、魔法界がクリミアーナを切り捨てたってこと。そんなことって、あるのかな」

「可能性なら、いくらでもあるよね。実際、ホグワーツには、これまで誰もクリミアーナの魔女は入学してないんだし」

「どっちにしろ、敵なのか味方なのか、判断しなきゃいけなくなると思います。例のあの人のこととか、あるんですから」

「まあ、それはともかくとしてさ」

 

 そこで、パーバティの目がしっかりとソフィアを捕らえる。

 

「いちおう、言っとくけどさ。ダメだよ、ソフィア。何をするにしても、勝手にやっちゃダメだからね。ちゃんとみんなで相談してからだよ」

「え?」

「なんにもするな、なんて言ってないよ。なにかするんなら、みんなでってこと。協力できるはずだよ。仲間なんだからさ」

 

 そのときのソフィアを、どう表現すればいいだろう。なにかに驚き、はっとして息をのんだような、そんな顔。それを見たパーバティの表情が、ほころんだ。そして。

 

「そういえばさ、あんたの家だって魔法書で勉強してきたんだよね。ソフィアは、魔法使えるの?」

 

 その言葉に、ソフィアの表情がまたたくまにあきれ顔へと変わっていく。ついでに、軽くため息。

 

「それ、本気で言ってるんですか? あたしは魔女にみえませんか?」

「あ、違う違う。そういう意味じゃないから」

 

 もちろん、ソフィアが魔女であることを疑ってなどいないのだ。パーバティが言うのは、魔法書で学んだもの以外ということ。つまりクリミアーナの魔法ではない、ホグワーツで学んだ魔法のこと。

 

「ああ、そういうことですか。うーん、どうなんだろ。自分では意識したことはないんですけど」

「授業のときに困ったりしたことはないの? アルテシアはけっこう大変だったんだけど」

「あたしは、困ったことないですよ。ちゃんとした杖を作ってもらってからは特に不便はないですね」

「アルも、おんなじこと言ってた。杖には使い方があるんだって。そうなの? ソフィア」

 

 ソフィアは、すぐには答えなかった。代わりに杖を取り出し、その杖を見ながら動かしてみる。自分が魔法を使うときのことをイメージしているのだろう。

 

「やっぱり、よくわからないです。ということで、話を戻してもいいですか」

「いいけど、魔法省がどうとかあの先生がなに考えてるかとかは、ほっといてもすぐにわかるんだと思うよ」

「それよりも、信用できる人を探した方が現実的だと思う。レイブンクローじゃ、アルテシアは人気あるんだよね。アルテシアのためならがんばってくれそうな人もいるし」

「それ、アンソニー・ゴールドスタインでしょ。なんどかアルに話しかけてきてたけど」

「もしかすると、アルテシアが声をかけたら、すぐに何人も集まるのかもしれないね」

 

 自分たち以外で協力してくれる人、力を貸してくれる人、味方になってくれる人。パドマの言うように、そんな人はいるのかもしれない。そんなことを考えていたソフィアのなかで、ふっと思い浮かんだ顔。いやいや、そんなことはありえない。ソフィアは、あわてて否定する。あの人は、違うだろう。違うはずだと、ソフィアは自分に言い聞かせる。なにしろあの人は、アルテシアを殴ったことがあるのだから。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツ校内のあちこちで、あれこれとささやかれていること。それは、ダンブルドアのことだった。いったいダンブルドアの言うことは正しいのか、それともデタラメなのか。はたして『例のあの人』は、本当に戻ってきたのか。いったい、なにが真実なのか。ハリー・ポッターの言っていることは、どうなのか。

 その判断をむずかしくしているのは、魔法省の態度であった。魔法省も同じ意見であれば、誰もがダンブルドアの声に耳を傾け、その呼びかけに応えていたはずなのである。だが魔法省は、このことを否定。しかも『日刊予言者新聞』では、ダンブルドアが、国際魔法使い連盟議長やウィゼンガモット最高裁主席魔法戦士などの肩書きを失ったことが報じられるなどしている。あの人が復活した、という記事ではないのだ。

 となれば、いかにダンブルドアといえど、魔法界での支持が低下していくことは避けようがない。魔法省と対立しているように見えることも、マイナス要因となっている。だが、ヴォルデモートが復活したのは事実だ。いずれ広く知れ渡ることになる。そのとき魔法省は、どうするのだろう。

 その魔法省からホグワーツに、魔法大臣上級次官であるドローレス・アンブリッジという役人が派遣されてきた。担当は『闇の魔術に対する防衛術』だ。パチル姉妹の言葉を借りるまでもなく、このアンブリッジを通して、魔法省の考え方というのはすぐにわかるだろう。そして、そのアンブリッジの人となりを知るまたとない機会が、その授業ということになるわけだ。

 アルテシアが最初にその授業を受けるのは、配られたばかりの時間割によれば、今日の午後だった。午前中に『魔法史』、2時間続きで『魔法薬学』、そして『占い学』のあと、午後から2時限続きで『闇の魔術に対する防衛術』となっていた。

 

「防衛術の前に魔法薬学があるけど、あの先生のこととか聞いてみる?」

「どうしようか。授業のときは話しかけにくいよね」

「まあ、相手はスリザリンの寮監だからね。みんなの目もあるし」

「午後には、防衛術の授業があるんだし、直接判断するってことでいいんじゃないかな」

「そうだね。少しは期待できそうな人だったらいいんだけど」

 

 実際は、どうなのか。この時点ではアルテシアたちにはまったく情報がない。だがマクゴナガルたち教師陣は、実際に本人と話をしたりもしているだろうから、生徒たちよりは詳しいはずだ。そのアンブリッジの授業は午後だが、その前にスネイプの授業がある。

 地下牢教室の扉は、いつもギーッという音を立てながら重々しく開く。教壇にスネイプが立つ。

 

「諸君、静かに吾輩の話を聞くのだ。本日の授業を始める前に、話しておきたいことがある」

 

 教壇に立つスネイプが、全員をじろりと見回していく。あえて静かにしろと言われなくても、この教室で騒ぐものなどいない。

 

「1年後、諸君らは6年生となる。だがそのとき、吾輩の授業が受けられるという保証などないことを覚えておけ。その権利は、諸君らが自分の力で勝ち取らねばならんのだ。なぜか」

 

 スネイプの目は、誰を見ているのか。いったん話を止めたが、すぐに再開する。その間も生徒たちは、誰も、何も言わない。

 

「学年末に、重要なる試験がある。普通レベルの魔法試験、O・W・Lだ。ふくろう試験と言った方がわかりやすいかもしれんが、その試験で諸君らの実力が試される。むろん優秀なる成績を期待するが、合格すれすれの「可」までだ。それより劣るものは、6年次より魔法薬学の授業は受けられない。仮に受けたにせよ、ついてはこられない。吾輩はムダなことはしない主義だ」

 

 コツコツ。スネイプが教室内を歩くときの音が、静かな教室内に響く。そのスネイプが、アルテシアの後ろ側で立ち止まった。

 

「言うまでもないが、このなかの何人かとは別れることとなり、何人かとは引き続き学ぶこととなるだろう。ゆえに」

 

 ここで視線は、ハリー・ポッターへと向けられる。

 

「吾輩から学びたくないという者は、O・W・Lにて不可の成績をとればよい。そんな不届き者がいるかどうかは知らぬが、この先、さまざまいろんなことがあるだろう。言っておくぞ。余計なことはするな。くだらぬことに気をそらすな。自らを高めることにのみ集中せよ。この1年においても、これまで同様に努力せよ」

 

 またもスネイプの足音が、教室内に響く。スネイプが、改めて教壇に立ち、教室内にぐるりと視線を走らせる。

 

「来年も、ともに学びたいものだ。さて本日の課題は、『安らぎの水ぐすり』。O・W・Lにてもしばしば出題される魔法薬だが、はたしてこれは、どういう魔法薬であるのか」

 

 すぐさま、手があがる。もちろん、ハーマイオニーだ。だがスネイプがハーマイオニーを見たのは、ほんの一瞬だった。

 

「必要なことは、黒板にある」

 

 その瞬間、黒板に成分や調合法などの説明が現れる。不安を鎮め、動揺をやわらげる魔法薬。ただ成分が強すぎると、飲んだ者は深い眠りに落ち、ときにはそのままとなる。そのため、細心の注意をもって調合しなければならない。そんなことも書かれている。

 

「材料は、薬棚にある。時間は1時間と少ししかない。始めたまえ」

 

 試験課題に取り上げられることもあるだけに、その調合はかなり難しいものだった。もちろん、材料は正確な量でなければならないし、大鍋に入れる順番も間違えてはならない。混合液も、正確にかき混ぜねばならないし、煮込むときの温度管理も重要なポイントとなる。

 それらの作業を進めつつ、アルテシアとパーバティは小声でないしょ話。

 

「あれって、アドバイスなんだろうね」

「だと思うよ。この1年の過ごし方についてのね」

「つまり、あの先生のことは気にしないこと。そのほうがいいってことになるのかな」

「そうだね。マクゴナガル先生も、似たようなこと言ってた。学年末の試験に向けて頑張りなさいって」

「じゃあ、そうするんだよね。うん、そのほうがいいと思う」

 

 もちろん2人だけの話だが、教室内を見回っていたスネイプが、ちょうど2人のうしろへと来ていたことには気づかなかったようだ。小声ではあったが、スネイプには聞こえてしまったらしい。

 

「おまえたち。おしゃべりは楽しいだろうが、あいにくいまは魔法薬学の時間だ。そのことを理解しておるのか」

「あ! す、すみません。スネイプ先生」

「いまは、目の前のことに集中すべきだ。それくらい、わかると思うが」

「はい」

「ふむ。いちおう、湯気は銀色だな。そうでなければ減点するところだ」

 

 アルテシアとパーバティの大鍋からは、軽い銀色の湯気が立ちのぼっていた。これが、正しく調合されているかどうかの目安であるらしい。その周囲では、ハーマイオニーの大鍋からも同じ色の湯気が立ちのぼっている。だがそのとなりのハリーは、どうみても黒っぽかった。ハーマイオニーが、ハリーにそっと耳打ち。

 

「ねぇ、ハリー。あの2人が注意されるなんてめずらしいと思わない?」

「そうだけど、銀色だって。なぜぼくのは、そうならないんだろう」

「ポッター、その疑問の答えであれば、黒板に書かれているぞ。もしその気があるのならだが、もう一度よく読むことをおすすめする。とくに調合法の3行目をな」

 

 ハリーたちのひそひそ話も、スネイプに聞こえたらしい。

 

「特別な能力などいらん。普通に文字を読み、普通に文章が理解できればいい。さすれば、なにをやり忘れたのかわかるだろう。あるいはミス・グレンジャーあたりが教えるかもしれんが、吾輩は、みずからが気づいてくれることを期待する。そろそろ時間だな」

 

 それだけ言うと、いつものように大股に歩き、教壇へ。

 

「諸君。自分の作った薬のサンプルを細口瓶に入れ、名前を書いたラベルを貼って提出したまえ。提出したものから帰ってよろしい」

 

 スネイプの机のうえに、次々とコルク栓をした瓶が提出されていく。その多くは失敗作に違いないが、いくつかは効果のあるものもあるようだ。提出を終えると、生徒たちは次々と教室を出て行く。ハリーは、黒板を改めて見ることはせず足早に教室を出る。そのあとを、ため息をつきながらハーマイオニーが追いかけた。

 

 

  ※

 

 

 『闇の魔術に対する防衛術』の教室に入っていくと、すでにアンブリッジがいた。いつからいたのかは不明だが、生徒の誰よりも早かった。

 はたしてアンブリッジは、どのような人物なのか。スネイプのようにいじわるなのか、マクゴナガルのような厳しさを持っているのか。はたして授業は、どのように進められるのだろうか。

 誰もがそんなことを思いながら、席に着く。期待と不安が半々、といったところか。だがアンブリッジが授業開始のときに『杖をしまえ』と言ったことで、一気に失望感が広がっていった。これまでの例から言っても、杖をしまったあとの授業がおもしろかったことはない。むしろ『杖だけあればいいよ』と、そう言ったルーピン先生の授業がどれだけ面白かったか。

 だがそう指示された以上は、仕方がない。生徒たちは、杖をしまい、羽根ペンとインク、羊皮紙を取り出した。

 

「さて、黒板を見てください」

 

 アンブリッジが自分の杖で、黒板を叩く。すると、たちまち文字が現れた。『基本に返れ』と書かれている。

 

「魔法省による指導要領というものがあります。残念ながら、これまでの先生は、これに忠実ではなかった。その結果、魔法省が期待するレベルには到達していない。そんな生徒が大半なのです。わたくしは、この状況を是正したいと考えています。これを見てください」

 

 再び、杖で黒板を叩く。すると、こんな文字が現われた。

 

『   授業の目的

 

 1.防衛術の基礎となる原理を理解すること

 2.防衛術が合法的に行使される状況認識を学習すること

 3.防衛術の行使を、実践的な枠組みに当てはめること  』

 

「ウィルバート・スリンクハードの『防衛術の理論』、その5ページを開いてください」

 

 その本は、教科書として指定されていた本だ。当然、生徒の全員が持っている。

 

「第1章、初心者の基礎、そこから各自、集中して読みなさい。おしゃべりはしないこと」

 

 そこでアンブリッジは、教壇の先生用の机の椅子に腰を下ろした。そしてそこから、クラスのようすを見ている。というより、生徒たちを観察しているようにも見える。

 生徒たちは、たちまち飽きてきたようだ。ただ読むだけというのは、予想以上につまらないらしい。それから数分。しーんとした時間が過ぎていったが、なんと、ハーマイオニーが高々と手を上げていた。ハーマイオニーの教科書は、開かれてもいない。

 アンブリッジは、そんなハーマイオニーに気づかないふりをしているようだ。手を上げた生徒を無視する教師、といったところだが、いつまでもそうしているわけにはいかない。生徒たちのなかに、そのことに気づく者が出てきたからだ。

 

「あなた、何か質問があるのでしょうけど、今は読むことに集中してね。ほら、その生徒のように」

 

 アンブリッジの言う生徒は、アルテシアだった。アルテシアは、その本を熱心に読んでいる。周囲がざわついてきたが、そのことに気づいてさえいないかもしれない。

 ハーマイオニーがちらっとアルテシアを見たが、すぐにアンブリッジに目を戻す。もちろん、立ち上がっている。

 

「授業の目的についての質問です」

 

 さすがのアンブリッジも、落ち着いてばかりもいられないらしい。表情が、いくぶん固くなる。

 

「まず、名前をいいなさい」

「ハーマイオニー・グレンジャーです」

「では、ミス・グレンジャー。黒板をよくご覧なさい。あなたの質問の答えは、黒板に書かれていますよ。ごく普通の読解力さえあれば、十分に理解できるはずです」

 

 なるほど、黒板には授業の目的とされる、3つの項目が書かれていた。だがハーマイオニーは、黒板を見ようともしない。ただ、アンブリッジを見つめている。

 

「黒板には、もっとも大切なことが書かれていません。それはなぜですか」

「いちおう、聞きましょう。それは、何のことかしら」

「防衛呪文を使う、ということです。それに関しては何も書いてありません」

 

 アンブリッジは、あきらかにあきれたような表情にかわった。軽くため息でもついたように見える。だがあえて、ことさら優しい声で言い含めるように言った。

 

「いいですか、ミス・グレンジャー。これは魔法省が慎重に検討を重ね、新たに制定した指導要領によるものです。あなた方が防衛術を学ぶにあたり、安全で危険のない方法で……」

「でも『闇の魔術に対する防衛術』の授業では、間違いなく、防衛呪文の練習が必要です。変身術でも、実際に変身させてみます。まさか、呪文の言葉を覚えるだけで魔法が使えるなんて言いませんよね」

「実際に魔法を使ってこそ、身につくんだ。本を読むだけでは、襲われたとき役に立たない」

 

 ハーマイオニーに続いて、ハリーが大きな声を上げた。それだけではない。ほかにも、何人かの生徒の手が上がっている。

 

「静かに。静かになさい。なるほど、たしかに実技は必要でしょう。ですが今は、理論を学ぶときだと言っているのです」

「襲われたとき、自分を助けてくれるのは理論じゃない。理論だけじゃ、身を守れない」

「襲われる? このホグワーツで? いったい誰が、なんのために」

「危険はないって言うのか」

 

 これまで学校でどんなことがあったか知らないのか。ハリーは、そう言いたかったのかもしれない。ホグワーツは、必ずしも安全ではなかった。過去には、巨大なトロールが侵入したこともあるし、バジリスクという恐ろしい怪物もいた。実際は犯罪者ではなかったが、そう思われていた男が侵入したこともあったのだ。

 

「魔法省は、理論的な知識で十分だと考えています。ごらんなさい、あの生徒を」

 

 誰もがアンブリッジやハリーたちに注目しているなか、アンブリッジが示したのは、教室の後ろの方の席で本を読んでいる女子生徒だった。

 

「本から学べる知識をばかにしてはいけませんよ。学校というものは、すなわち試験に合格するためにあるのです。それで、あなたのお名前は?」

 

 だが、その女子生徒は答えない。あいかわらず本を読んでいる。その隣にいた女子生徒が、代わりに手を上げた。

 

「わたしは、パーバティ・パチル。こっちはアルテシア・クリミアーナです。質問ですけど『闇の魔術に対する防衛術』O・W・Lには、実技はないんですか? 実際に反対呪文とかをやってみせることはないんでしょうか?」

「理論を十分に勉強しておけば、試験という状況のなかで、魔法がかけられないということはありえません」

「それまで、一度もやったことがなくてもですか。初めてその魔法を使うのが試験の場であっても大丈夫だとおっしゃるんですね」

 

 パーバティが、あきれた様子でそう問いかける。だがアンブリッジの興味は、まだ本を読み続けているアルテシアのほうへと移ったようだ。

 

「そこの生徒、アルテシアといったかしら。顔を上げなさい」

 

 だが、アルテシアは本から目を離さない。苦笑しつつ、パーバティが代わりに応じる。

 

「真剣に本を読んでいるときは、何を言っても聞こえてませんから。どうしてもというのなら、本を取り上げるしかありません。お望みならそうしますが」

 

 さすがのアンブリッジも、これには驚いたようだ。だが、グリフィンドール生にとっては、程度の差こそあれ、これまでそんなアルテシアを何度か見ている。とくに驚くようなことでもないのだ。

 ハリーが、自分のほうへと話を戻そうと大声を放つ。

 

「その理論というものが、学校の外でもぼくたちを守ってくれるんですか。危険を回避してくれるとでも?」

 

 つられて、アンブリッジもハリーへと視線を向ける。

 

「まるで、外の世界は危険でいっぱいだと、そう言っているように聞こえましたが」

「そのとおりです、先生。ぼく、そう言いました」

「なるほど。では、いくつかはっきりさせておきましょう」

 

 言いながら、教壇の真ん中へと歩を進める。そして、生徒たちのほうに身体を向けた。

 

「おかしなうわさがあることは承知しています。死んだはずの闇の魔法使いが戻ってきた、死から蘇ったのだといううわさです」

「それが事実だ。ぼくはこの目で見たんだ。もともとあいつは、死んでなかったんだ」

「ミスター・ポッター。グリフィンドールから10点減点します」

 

 それでもハリーは、言うのをやめなかった。

 

「ぼくは見たんだ。あいつと戦ったんだ。セドリックは、殺されたんだぞ」

「罰則です、ミスター・ポッター! 明日の夕方5時、わたくしの部屋に来なさい。このことは、マクゴナガル先生にもお知らせしておきます」

 

 アンブリッジ先生が勝ち誇ったように宣言した。どこか、嬉しそうに見えなくもない。

 

「魔法省は、みなさんに闇の魔法使いの危険はないと保証します。それでも不安だというのなら、授業時間以外に、遠慮なくわたくしのところへおいでなさい。闇の魔法使い復活などと脅かす者がいたら、わたくしに知らせるのです。キチンと対処させてもらいますからね。では、授業を続けます。5ページからの『初心者の基礎』を読みなさい」

 

 アンブリッジがゆっくりと歩き、教壇の端にある先生用の机の椅子に腰かける。いまや、教室内はしーんと静まりかえっていた。アルテシアはと見れば、この騒動のあいだも、ずっと本を読み続けていた。

 



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第82話 「ロウェナの悩み」

 朝食もまだだというのに、ハリーは、大広間ではなくマクゴナガルの執務室を訪れていた。何度か来たことのある場所ではあったが、ここはハリーにとって、あまり居心地のいい場所とはいえない。たいていの場合、叱られることになるからだ。スネイプの研究室などよりはよっぽどましには違いないが、呼び出しを受けたのでもなければ、来ることはなかっただろう。

 ハリーが、マクゴナガルに呼び出しを受けた理由。それはもちろん、アンブリッジに罰則を受けることになった件である。アンブリッジが言ったとおり、その顛末はマクゴナガルに報告されたのだ。

 

「とにかく、お座りなさい。紅茶をいれましょう」

「あの、先生」

「なぜ呼ばれたのか、それがわかっていますか?」

「あの、もちろんわかっています。でもぼくは」

 

 自分は、間違ったことは言っていない。そのことを説明しようとしたハリーだが、いったいどう説明すればわかってもらえるのか。それがわからなかった。

 

「わかっていればよろしい。ビスケットでも食べますか?」

「え?」

「あの先生から話は聞いていますが、もう少し慎重であるべきでしたね。これからは、気をつけないといけません」

 

 それは、ハリーの知っているマクゴナガルとは違っていた。いつものきびきびとした声ではなく、ハリーを心配しているような、そんな気持ちが伝わってくる声だった。だったら。

 

「先生、ぼくは処罰を受けなければいけませんか。先生が口添えしてくだされば、処罰をなしにできるのでは」

 

 だったら、こんなお願いも聞いてもらえそうな気がしたのだ。だが、ハリーの願いは聞き届けられない。マクゴナガルは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「あの人には、あなたに罰則を科す権利があるのです。それを手放すことはないし、考えを変えるとも思えません」

「でも」

「よく考えなさい、ポッター。魔法省は、例のあの人に関することの一切を否定しているのです。アンブリッジ先生は、その魔法省から派遣されてきたのですよ」

 

 ならば、アンブリッジがどういうつもりでいるのか。何を考えているのかわかるはずだと、マクゴナガルはそう言うのである。

 

「夜には、あの先生の部屋に行かねばなりません。ただし、言動には十分に気をつけること。わかりましたね」

「でも、でもぼくは、ほんとのことを言ったんだ。ヴォルデモートは復活した。そのことは校長先生も知ってるんだ」

「ポッター。ウソかホントかを問題にしているのではありませんよ。わたしが言っているのは、状況をよく考えろということです」

「でも、先生」

「いずれにしろ、例のあの人の問題はわたしたちのほうで引き受けます。あなたは、まず自分のことを考えなさい。ミス・グレンジャーやミスター・ウイーズリーのこと、寮の友人たちや学校のみんなのこと。考えることは多いはずですよ」

 

 なにか、言い返せるようなことはないか。ハリーは、そんなことを考えていた。ヴォルデモートが復活したのは事実だ。ハリー自身が見たあの夜のことは、誰がなんと言おうと、事実なのだ。だがマクゴナガルは、そのことを否定したわけではないのだ。それが、ハリーからすぐに反論が出てこない理由だった。

 だが待てよ、とハリーは思った。そして、マクゴナガルの顔を見ながら考える。マクゴナガルは、ヴォルデモートのことは引き受けると言ったのだ。それは、どういうことだ。わたしたちと言ったが、それは誰と誰のことなのか。

 

「先生、聞いてもいいですか」

「なんです」

「ヴォルデモートのことは引き受けると言いましたよね。それって」

「むろん、言葉どおりの意味です。ほかには何もありません」

「でも」

「それだけです、ポッター。とにかく一度、ミス・グレンジャーと話をしなさい。あの先生のところへ行く前に、ですよ。処罰が長引くことのないことを祈ります。もう、戻ってよろしい」

 

 結局ハリーは、その意味を聞けないままでマクゴナガルの執務室を出ることになった。もちろん、納得しているわけではない。なにか、特別な意味があるはずだ。マクゴナガルに言われたからではないが、ハーマイオニーと相談してみる必要がある。そんなことを思いながら、ハリーは大広間へと向かった。とりあえず、朝食の時間だ。

 

 

  ※

 

 

 この日の最後の授業は『変身術』。その前の『呪文学』でも同じであったが、授業はO・W・L試験についての心構えなどから始まった。

 

「余計なことに、心を奪われてはいけません。ひたすら学び、練習に励むのです。そうすれば、結果はついてくる。O・W・Lでも合格点を取れるはずです」

 

 この日のテーマは『消失呪文』であった。マクゴナガルによれば、O・W・Lで出題される可能性が高いものの一つであるらしい。こういった新しい課題に真っ先に成功するのは、だいたいにおいてハーマイオニーである。だがこの日は、いつもと違っていた。

 

「みろよ、あれを」

 

 ロンに言われてハリーが目を向けると、ちょうど、アルテシアの前に置かれていた青い色をしたマグカップが消えたところだった。しかもそのマグカップは、アルテシアの向かい側にいるパーバティの前に現われたのだ。今度はパーバティが、杖で軽くマグカップに触れる。するとマグカップは、アルテシアの前に。

 消えた、というよりも、移動したといったほうがよりふさわしいのかもしれない。ハリーだけでなくハーマイオニーまでもが、驚いたように見つめているが、アルテシアたちはそのことに気づかないようだ。もう一度アルテシアが杖でカップを軽く叩くと、またもやマグカップは消え、一呼吸の間を置いてパーバティの前に。

 

「消失呪文だけじゃないわね。出現呪文も使ってる。習ってないはずなのに」

「移動しただけ、じゃないのかな」

「いいえ、ちゃんと消えてるし、ちゃんと出現してる。やっぱりアルテシアは、難しい魔法が使えるんだわ」

 

 しみじみとしたその言い方に、いまのハーマイオニーの気持ちが現われているようだ。そのハーマイオニーに、ロンがささやく。

 

「あいつ、練習したんだよ。使えないふりしてたわけじゃないと思うな」

「そんなことはね、ロン。言われなくてもわかってます」

「なら、いいんだ。それよりキミ、知ってるかい?」

「なによ」

 

 ハーマイオニーにも、言いたいことはあっただろう。だが、ロンの言ったことのほうが気になったようだ。それは、ハリーも同じであったらしい。

 

「昨日の授業では、アルテシアだけが教科書を読んでただろ。まわりがけっこう騒いでいたのにさ」

「それがなに?」

「あれが、勉強なんだよ。あいつにとっての魔法の勉強は、つまり本を読むことだ。だからあんなに熱心に読めるんだ。そう思わないか?」

「それは。だからそれは、魔法書のことでしょ。たしかにあれは勉強になるんだろうけど、アンブリッジが読めといったのは違うわ。あの本には、アルテシアならとっくに知ってるはずのことしか書かれてないんだから」

「そうかもしれないけど、キミ、あれでマズいことになったとは思わないのかい」

「どういうこと?」

 

 ロンの説明によれば、これでアンブリッジがアルテシアに興味を持ったかもしれないというのだ。それに気になることは、もう1つある。それが、アルテシアの気持ちだという。

 

「あの授業でぼくらの誰もが思ったことと、あいつが思ったこと。それが同じだとは限らないってことさ。魔法の勉強なんだから本を読め。アンブリッジはそう言ったんだぜ」

「でも、でも、それは偶然だわ」

「ああ、そうさ。偶然に決まってる。でも、アルテシアのクリミアーナ家と同じような考え方だろ。な、そう思わないか」

「なるほど。そういう考え方はあるのかもしれませんね」

 

 それは、背後から突然かけられた声。ロンとハーマイオニー、そしてハリーがあわてて振り向くと、そこにいたのはマクゴナガル。マクゴナガルは『消失呪文』の練習をしている生徒たちのあいだを見回っていたのだ。

 

「アルテシアがどう思ったか。なにを思っているのか。それは、わたしが聞いてみます。あなたがたは気にしなくてよろしい」

「あの、先生」

「あなたたちには、やるべきことがあるはずですよ。いま、本当に必要なことはなんなのか。ミス・グレンジャー。あなたなら適切な判断、対応ができると思っていますよ。くれぐれも不必要な関わりなど持たないようにしなさい」

 

 それだけ言うと、アルテシアのほうへと歩いて行く。それを、ハーマイオニーたちは見送るしかない。

 

「どういうことだい、ハーマイオニー」

「それはね、ロン。あの先生のことをどう考えるかってことよ。徹底的に無視するか、積極的に関わるのか」

「それ、どっちがいいんだろう?」

 

 そう言ったのは、ハリー。ハリーは今夜、処罰のためにアンブリッジのところに行かなければならない。そのこともあってか、気になったのだろう。そんな避けることのできない関わりにはどう対処すべきなのか。

 

「積極的に関わってうまくいくかもしれないし、人それぞれでしょうね。あたしたちはどうするべきなのか、よく考えなさいってことだと思う」

「考えるのはハーマイオニーの担当だ。キミにまかせるけど、アンブリッジと仲良くしろなんて言われても、ボクにはできそうもない。そのことは知っといてくれよ」

「わかってるわ、ロン。あたしだって同じだから。それにマクゴナガルも、そうしろって言ったでしょ」

「あいつらは、どうするんだろう。一緒に相談するべきじゃないかな」

「いいえ、ハリー。もちろんそうするべきだけど、あたしたちはあたしたちでちゃんと考えてからにしたほうがいいわ」

 

 ハーマイオニーの視線の先では、マクゴナガルがアルテシアとなにやら話をしていた。何を話しているんだろう、あれを聞けたらいいのにと、ハーマイオニーはそんなことを考えていた。

 

 

  ※

 

 

 グリフィンドール寮へと戻るハリーの、その足取りは重かった。5時からのアンブリッジの罰則が、いったい何時間続いたのか。それすらわからなくなるほどの体験だった。いっそのこと、どなりまくって部屋を飛び出してやろうかと何度思ったことか。だがそんなことをすれば、せっかくハーマイオニーたちと相談したことがムダになってしまう。そう思って、必死に我慢したのだ。

 廊下を歩き、角を曲がり、ようやく談話室への出入り口となっている肖像画が見えてくる。

 

「あれ?」

 

 その肖像画のドアが、内側から開いたのだ。さすがにもう消灯時間は過ぎているんじゃないかと、ハリーはそう思っていた。なのでそこからアルテシアが出てくるなど、予想もしていなかった。それはアルテシアも同じだったようで、廊下にいたハリーに驚き、その足が止まる。

 

「ハリー、どうしてここに?」

「ぼくもほうも聞きたいな。こんな時間にどこへ行くんだい?」

 

 こんな時間というが、ハリーには正確な時間はわかっていない。アンブリッジの部屋からここまで誰にも会わなかったことから、出歩いてもいい時間ではないと予想しただけだ。

 

「わたしは、待ち合わせ。ハリーは? あ、そういえば」

「そうだよ。アンブリッジの処罰がいままでかかったんだ。けど、待ち合わせだって。どこで? 誰と?」

 

 こっそりと談話室を出ようとしているのだから、正直には言わないだろう。もちろんハリーはそう思っていたが、アルテシアは隠そうとはしなかった。多くの場合アルテシアは、聞かれたことにはすなおに答える。知りたいという人には、教えるのだ。

 

「灰色のレディ、レイブンクローのゴーストよ。この時間になら会って話を聞いてくれるっていうから」

「レイブンクローのゴースト? ゴーストなら、よく大広間に来るだろうに。わざわざこんな時間にかい」

「うん。ごめんね、待ち合わせの時間があるからもう行くわ。おやすみ、ハリー」

 

 そう言って歩いて行くアルテシアを、ハリーは見送った。そのうしろ姿を見ながら、一緒に行ったほうがいいのかなと、ハリーはそんなことを考える。

 もしへとへとに疲れていなかったら、アンブリッジの罰則の直後じゃなかっとしたら。あとについていき、ようすを見るくらいのことはしたかもしれない。でも、本当に疲れていたのだ。ハリーには、そんな余裕はなかった。処罰の内容は一言で言うなら書き取りで、やることは単純だったが、精神的にはかなりきつかったのだ。

 

『僕は嘘をついてはいけない』

 

 アンブリッジに渡された細長い黒い羽根ペンは、羊皮紙にその言葉を書くたび、右手の甲にも同じ文字をきざむ。そんな書き取りを、何回繰り返しただろうか。その文字は、痛みをともないつつ手の甲にきざまれ、消えていった。いまはそのキズも目には見えないが、うっすらと赤く腫れている。アルテシアは、そのキズに気づいただろうか。

 ハリーは、開いたままの肖像画のドアをゆっくりとくぐった。アンブリッジの処罰は、明日も続くのだ。早く寝たほうがいいと、そう思ったのだ。

 

 

  ※

 

 

「結局、こういうことになるのね。そのまま卒業してくれそうだなって、喜んでたんだけど」

「予感はあったって、そういうことになるのかしら」

 

 アルテシアの前にいるのは、レイブンクロー寮に属するゴースト。いまでは銀色っぽく光る半透明の身体となってしまった、灰色のレディである。

 

「そうね。あなたがホグワーツに入学したときから、こんな日が来るんじゃないかと思ってた。でもあなたは、わたしのところには来なかったでしょ。あれはいつ頃だったかしらね、グリフィンドール寮のゴーストの絶命日パーティーがあったのは」

「そのころから、わたしのことは知っていたってことね」

「ええ、もちろん。ずっと気になってたわ。なぜ、なんにも言ってこないのか。あのときあなたに声を掛けたのは、それを知るいい機会だと思ったからよ」

 

 レイブンクロー寮に属するゴーストとは、もちろん首なしニックのことだ。そのニックの500回目の絶命日パーティーで、アルテシアと灰色のレディはつかのま話をしている。

 

「それで、知ることができたの?」

「いまならわかるわ。でもあのときは、ね。だったら、わたしのほうからするような話じゃないもの。だから、待つことにしたの。だってそうでしょう?」

 

 そこでアルテシアは、軽く笑ってみせる。灰色のレディの言うとおりだと、そう認めるような笑み。そして。

 

「でも今日は、そんな話をしたいと思ってる。とりあえずいくつか聞いておきたいんだけど、いい?」

「イヤだと言っても、ムダなんでしょ。でもね、わたしは母じゃない。知らないことは話せないし、話したくないことも話さない。都合の悪いことはよく忘れたりするしね」

 

 それはつまり、どうでもいいようなことなら話すが、肝心なことは話さないということだろう。はっきりとそう言われたアルテシアは、今度は苦笑いを浮かべた。

 

「しかたないわね。けど、思いだす努力は必要だと思うよ」

「言ってくれるわね。じゃあ、せいぜい努力してみるわ。あなたは、許してはくれないんでしょうけどね」

「許す?」

「あらあら、なんのことかわかりませんって顔をするのね。そのほうが、わたしにはありがたいけど」

 

 つまり、どういうことなのか。それは、アルテシアにはわからなかった。わからなければ、言った本人に尋ねればいい。そのとおりなのだが、そのことはあとまわしにするべきだとアルテシアは考える。いきなりそれを尋ねてみたところで、灰色のレディがすなおに答えてくれるという保証はない。いやむしろ、逆効果となってしまう可能性が高い。

 だったら、自分が必要とすることから話を進めていけばいい。灰色のレディにしても、わざわざそれを言葉にしたのだから、話をする気はあるはずだ。話をしていく過程で、そこに到達するようにと、しむければいいのだ。

 

「あなたが初めてクリミアーナの人と会ったのはいつ? それが誰だか聞かせて」

「それ、言う必要あるの?」

 

 そう言って灰色のレディは、笑顔を見せた。ややあって、アルテシアも同じ表情となる。

 

「わたしが会ったことがあるのは、あなただけ。もちろん、ウソじゃないわよ」

「ほかには、誰にも会ったことないっていうのね?」

「ええ。母はどうだか知らないけど。でも、どうしてそんなこと聞くの? いま、クリミアーナはあなただけだって聞いてる。それはつまり、あなただってことでしょう?」

「そのたった1人が、このホグワーツに来たときのこと。そのことが知りたいの。できるだけ詳しく」

 

 その昔、クリミアーナ家からホグワーツを視察に訪れた者がいたこと。そのことは、すでにわかっている。アルテシアが知りたいのは、そのとき何があったのかということだ。これまでクリミアーナ家の魔女がただのひとりも入学していないのは、そのときになにかあったからではないのか。仮になにごともなく視察が終わっていたならば、どういうことになったのか。

 灰色のレディは、軽くうなずいてみせた。

 

「母が誘ったのよ。ホグワーツが創設されて間もないころにね。そのころはわたしもゴーストじゃなかったし、灰色のレディではない、別の名前で呼ばれていたけど」

「ヘレナ、だよね」

「きっと母は、いろいろと相談したかったんだと思うよ。わたしじゃ、頼りにならなかっただろうし」

「同じ創設者の人たちとのあいだで、教育方針なんかですれ違いができたって聞いてるけど」

「でしょうね、スリザリンとグリフィンドールのことは有名だから。でもそれだけじゃない。母には、ほかにもいろいろと悩みがあったのよ」

 

 たとえばサラザール・スリザリンの純血の魔法族の家の者のみに限って教えるべきだという主張は、ゴドリック・グリフィンドールらとの対立につながっていった。そのことがロウェナを悩ませたのは間違いないが、灰色のレディによれば、ロウェナの悩みはそれだけではなかった。せっかく持ち得た魔法の知識をどう伝えていくのか。生徒たちへの教育は、どうあるべきなのか。そんな悩みも抱えていたらしい。

 

「ねぇ、ヘレナ。これは、念のために聞くんだけど」

「なに」

「あなたは、魔法書のことを知ってるの?」

「それ、どういう意味で言ってるの? 読んだことあるかって? あいにくとそんな機会はなかったし、実際に見たこともないわ」

 

 だとすると。

 ここで、アルテシアの頭の中にひとつの仮説ができあがる。ホグワーツ創設のころに視察に訪れたのは、もちろん、クリミアーナ家の先祖だ。初代の当主で間違いないだろう。だがホグワーツ視察の時点では、まだ魔法書を創造してはいなかったのではないか。すでに魔法書があったのなら、ヘレナ・レイブンクローが見ていてもおかしくはない。

 アルテシアは、そんなことを考えたのである。クリミアーナの魔法書が作られたのが、その視察のあとだとするならば。

 

「ヘレナ、ロウェナはいろいろと相談がしたかったんだって、そう言ったよね」

「ええ。実際に、何日も話し込んでいたのを覚えてるわ。でもそんなことは、わざわざ言わなくても知ってるはずでしょ。それともなに、忘れたとでもいいわけするつもり?」

「いいわけなんて、しないよ。そんなつもりはない。ただ、確かめたかっただけ」

「確かめるって、なにを? あのあと母は、ずいぶんと気落ちしてるようにみえた。どれほど落ち込んだのか、それを話せってこと?」

 

 もちろん、そういうことではない。アルテシアの仮説は、そんなことではない。だが、灰色のレディが言ったとおりのことを尋ねていた。ロウェナ・レイブンクローが落ち込んでいたとはどういうことなのか、それが気になったからである。

 

「ケンカした、とまでは言わないわ。けど、けっこう言い合いしたんじゃないの。なんだかしょんぼりしてたのを覚えてる」

「お互いに言い過ぎた、そういうことはあるのかも。でもね、思ったことをそのまま言えるような相手なんて、そうはいないわ」

「でしょうね。でも、気落ちして見えたのはたしかよ。さてと、そろそろいいかしら。これ以上話を続けてたら、せっかく忘れてることを思い出しそうだから」

 

 灰色のレディの身体が、すーっと宙に浮かんでいく。すぐさま消えてしまわないだけましだとも言えるが、天井付近で止まって、アルテシアを見おろす。

 

「思い出したら、話をしに来るわ。それでいいでしょ。あなたが卒業するまでには、きっとそんな機会もあると思うから」

「ねえ、ヘレナ。あなたやっぱり、魔法書のこと知ってるよね。見たことも読んだこともないって言ったけど、それがどういうものなのか、聞いたことあるんだよね?」

 

 そこで灰色のレディは、少しだけ首をかしげてみせた。なにやら考えているようにもみえたが、なにもいわず、そのままアルテシアを見ていた。アルテシアが言葉を続ける。

 

「わたしね、こんなふうに考えたの。せっかく持ち得た魔法の知識を、どうやって伝えていくか。どう教えていくのか。そんな相談をしたんだよね。そのときクリミアーナ家のご先祖は、ロウェナと話をしながら、魔法書のことを思いついたんじゃないかって。でもロウェナとは、意見が合わなかったのかもしれない。ロウェナにも、正しいと信じるやり方があったでしょうから」

 

 宙に浮かんでいた灰色のレディが、軽くため息をつきながら、ゆっくりと降りてくる。

 

「母は、髪飾りに自分の持ち得た知識をおさめたのよ。それを頭につけることで、必要な知識が流れ込んでくるようにした。そうすることで、伝えていこうとしたのね。本にするよりも、そのほうが手軽だと考えたみたい」

「なにがベストかなんて、あとにならないとわからないよ。そのときは、よりベターだと思う方を選ぶしかない。そういうことなんじゃないかな」

 

 そのとき、どんな話がされたのか。さすがにそれは、わからない。どちらにも自身の信じる考えがあり、それに従ったということになるのだろう。だがアルテシアの言うように、そのどちらが優れているかなどの判断は難しい。数年か数十年、あるいは100年以上も経過してのち、ようやく評価ができるといったことになるのではないか。

 

「どちらが正しいかなんて、簡単には言えないと思う。けど結果だけをみるなら、ロウェナのほうってことになるんだろうね」

「それは、なぜ?」

「だって、レイブンクローの寮には魔女がたくさんいるでしょ。答えはそこにあるんだって、そんな気がする」

「なるほど。クリミアーナは、あなたひとりだけですものね。でもそれは、魔法界から離れてしまったからでしょう。あなたのやり方をこのホグワーツでやっていたとしたら、話は変わってきてるはず」

「それって、魔法書を生徒たちに読ませるってこと?」

 

 仮にクリミアーナ寮がホグワーツに創られていて、そこで魔法を教えていたとしたら。当然教科書には、魔法書を指定することになるだろう。そして授業では。

 

「なにを笑ってるの?」

 

 そんなつもりはなかったが、思わず、表情に出ていたらしい。このときアルテシアが思い浮かべたのは、クラスのなかで生徒たちがそろって魔法書を読んでいる場面。そして、自宅の書斎でたった1人で魔法書を学んでいた自分自身のこと。

 

「あのね、ヘレナ。わたしには、いくつか知りたいことがあるわ。クリミアーナに魔法書が生まれるまえのことや、魔法界から離れてしまった理由とかね。でもね、わたしの魔法書にはそんな記録が残ってないみたいなの。あなた、なにか知らない?」

「そんなのは それは」

「どうしたの?」

「なんでもない。どうもしないけど、話は終わりよ。さっきも言ったけど、あなたが卒業するのはまだ先なんだから」

 

 せっかく下へと降りてきたというのに、またもすーっと、天井の方へと浮き上がっていく。なにか声をかければ、あるいは引き留めることもできただろう。だがアルテシアは、何も言わなかった。ただじっと、灰色のレディを見ているだけ。

 灰色のレディもまた、アルテシアを見つめながら天井を通り抜け、姿を消した。その直前、ほんのわずかのあいだだけ止まったのは、あるいはアルテシアの言葉を待つためだったのかもしれない。

 

 

  ※

 

 

「ハリー、今夜だけど透明マントを貸してくれない? ちょっと気になることがあるのよ」

 

 朝食のテーブルでハリーにそう言ったのは、ハーマイオニーだ。かぼちゃジュースを一気飲みしようとしていたハリーは、おもわず吹き出しそうになった。だがなんとか、最悪の事態は回避。

 

「透明マントだって。なにをするつもりなんだい」

「このところ、毎晩寮を抜け出してるのよ。なにをしているのか、調べたほうがいいと思って」

「それ、誰のことだい? まさか、アルテシアなのか」

 

 ハリーのとなりで食事中のロンにも、もちろん聞こえていたのだ。ハーマイオニーが、しっかりとうなずいてみせた。

 

「アルテシアって、なにか隠していると思わない? 不思議なのは、パーバティがなんにも言わないことなの。普通、止めたりするはずでしょ。みつかれば処罰だってありえるんだから」

「それは、あれだよ。うん、きっと気づいていないんだ」

「いいえ、パーバティは絶対に知ってる。アルテシアって、なんでもパーバティには話すんだから知らないはずないのよ」

 

 トーストにたっぷりとマーマレードを塗っていくハーマイオニー。いつもより塗りすぎのような気もするが、本人は気にしていないようだ。

 

「なあ、ハーマイオニー。ボクの思ったことを言ってもいいかなぁ」

「いいわよ。どうせ、塗りすぎだとか、そんなことでしょうけど」

 

 ロンの言うことなどお見通しとばかり、ハーマイオニーはトーストをかじってみせる。だがロンが口にしたのは、別のことだった。

 

「ハリーのマントを使ったとしても、アルテシアにはしっかりバレるぜ。そのことに、かしこいキミがなぜ気づかないのか不思議だな」

「なんですって」

「だってそうだろう。キミだってベッドを抜け出すことになるんだ。当然パーバティが、カラになったベッドに気づくだろうよ」

「そ、そんなことはわかってるわ。でもあたしは、アルテシアが何をしてるのか、それが知りたいのよ」

 

 そう言いながら、ハーマイオニーがハリーを見る。つまりハーマイオニーは、発覚してもかまわないと言ってるのだ。たとえそうなろうとも、アルテシアが夜中に何をしているのかを知ることさえできればいいのだと。だがロンは賛成しない。

 

「やめたほうがいいな。結局はバレて怒らせることになるのがオチだぜ。そうなったら、もう絶対に仲直りなんかできない」

「いいえ、ロン。あなたの言うとおりかもしれないけど、あたしはアルテシアとは友だちだと思ってるわ。パーバティのせいでこのごろ話ができてないけど、友だちなのよ」

「パーバティ? あいつと何かあったのか」

 

 ロンのもっともな疑問がハーマイオニーの鋭い視線によって消滅させられると、今度はハリーだ。

 

「透明マントならいつでもOKさ。けどハーマイオニー、ぼくもロンも言うとおりだと思うよ。ここは作戦が必要じゃないかな」

「作戦?」

「たいしたことじゃないけど、ハーマイオニーは寮で待っていればいい。ぼくとロンとが行けば、ばれやしないだろ」

「そうだけど、あたしはこの目で確かめたい。ダメかしら?」

 

 ダメではないが、バレないほうがいいに決まっているのだ。そのためのいい方法が、きっとあるはずだ。朝食の時間は限られているのでその相談はあとにしようということになる。だがそれでも、ゆっくりと食事をするということにはならなかった。ハーマイオニーが、ハリーの手の甲に残るキズに気がついたからである。

 当然のように、これはなんだということになり、ハリーはその説明に追われることになった。このことは、あとでゆっくり話そうということにはならなかったのである。

 

 

  ※

 

 

「そんなはずないわ。間違いなくアルテシアは」

「でも、ボクはずっと談話室にいたんだ。ハリーがアンブリッジのところから戻ってくるまでね」

「ぼくも、談話室に戻ってくるまで誰も見てないよ。それからも、しばらくのあいだロンと談話室で話をしたんだけど、アルテシアは寮から降りては来なかった」

 

 だとしたら、どういうことになるのか。ハーマイオニー、ロン、ハリーの3人は、互いの顔を見ながら考える。ハーマイオニーによれば、アルテシアは間違いなくベッドを抜け出しているのに、ロンたちは部屋から出てきたアルテシアを見ていないのだ。この食い違いには、どんな理由が考えられるのか。

 

「そういえば、何日か前にアルテシアがこっそりと出てくるところは見たよ」

「それ、いつのこと?」

「アンブリッジの処罰が始まった日さ。まったくの偶然だったけど、時間はわからない。たぶん消灯時間はすぎてたと思う」

「じゃあ、やっぱりそうなんだわ。そのときハリーに見つかったから、アルテシアはなにか見つからない方法を考えたんだと思う」

「どういうことだい?」

「たとえば、あの子も透明マントを持ってるとしたらどう? マントじゃないにしても、とにかく、なにか」

 

 なにかはわからないが、なんらかの方法で見つからないようにして、アルテシアは寮を抜け出している。それで間違いない。ハーマイオニーは、ぐっと両の手を握りしめた。そして、ロンを見る。

 

「ねえ、ロン。この場合、あたしたちは監督生としての勤めを果たさないといけない。そう思うでしょ」

「な、なんだって?」

 

 5年生になると、各寮それぞれ男女1名ずつが監督生に選ばれる。寮生の模範となり、下級生や他の寮生を指導するのがその役目だ。ハーマイオニーはその役目を果たすべきだと言っているのだが、ロンのほうは、どうやらよくわかっていないらしい。

 

「よく聞きなさい、ロン。同級生が、夜中にふらふらと出歩いているのよ。監督生なら、やるべきことがあるでしょ」

「あ、いやボクは…」

「この場合、現場を押さえ、規則違反を指摘し、事情を聞く必要があります。キチンと注意し、改めさせる。場合によっては、処罰も必要になるわ」

「それ、ボクが、アルテシアに… まさか、そんなことできるもんか」

「いいえ、できるのよロン。あたしたちは監督生なんだから」

 

 いや、そういうことじゃないと思う。ロンのあわてぶりを見ながらそんなことを思ったハリーだが、この場では何も言えなかった。ハーマイオニーが、今夜の予定についての説明を始めたからだ。

 



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第83話 「青い月」

 ハリーとロンの前に置かれているのは、忍びの地図。作ったのは、ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズと呼ばれた4人組である。いたずら用とされてはいるが、さまざまな使い方が考えられる。なにしろその地図を使えば、ホグワーツのどこに誰がいるのか、それがわかってしまうのだ。

 

「そろそろいいんじゃないかな。それ、使えよ」

「ああ、そうだな」

 

 ハリーとロンがいるのは、グリフィンドールの談話室。他の生徒たちはそれぞれ寮の部屋へと戻っており、2人のほかには誰もいない。それもそのはずで、2人は同室のネビル、ディーン、トーマスの3人が寝入るのを待って、談話室に降りてきたところなのである。消灯時間はとっくに過ぎている。

 ハリーが杖を出し、いまは単なる羊皮紙にしか見えない地図をコツコツと軽く叩く。そして。

 

「われ、ここに誓う。われ、よからぬことをたくらむ者なり」

 

 すると、杖が触れた場所から細い線がクモの巣のように広がっていき、またたくまにホグワーツの敷地全体の地図となった。昼間であれば、その地図上のいたるところに黒い小さな点が現われただろう。そこに名前も表示されることになるのだが、今は誰もが寮で眠りについている時間だ。ふらふらと動いている黒い小さな点は、ほんのわずかしかない。

 

「まさか、アルテシアはいないだろうな」

 

 ミセス・ノリスと名前のついた点が動いている。少し離れたところにある点には、フィルチの名が。おそらく見回りをしているのだろう。それ以外に、歩き回っている点はないようだ。アルテシアの名は、どこにもない。

 

「まだ、部屋にいるんじゃないかな。ハーマイオニーだって降りてきてないし」

「あいつは、降りてこない方がいいんじゃないかな。だって、絶対にバレるんだ」

「その可能性は高いよな。でも、どうしてだろう。パーバティとは仲が悪いのかな」

「それはまあ、ボクたちだって同じだよ。なあ、ハリー。なんとかしたほうがいいと思うんだけどな」

「わかってるさ」

 

 いつの頃からか、ハリーやロンは、アルテシアたちとは疎遠になっていた。まったく話もしないというわけではないが、その機会はずいぶんと減っている。その原因がどこにあるのか。ハリーとロンには、思い当たることはあった。

 

「なあ、ハリー。アルテシアがどこか怪しいって、まだそう思ってるのか?」

「いや、そんなことは全然思ってないさ。たぶんハーマイオニーもそうだと思う」

 

 ならば、仲直りするのには何の問題もない。そのはずなのだが、ハリーは心のどこかでためらいを感じていた。アルテシアがなんとなく怪しいと、そう思ったのは確かだ。そう思わせるようなことも、たしかにあった。だがいま、ハリーがもっとも気にしているのは、あの夜のこと。もう1年以上も前になるが、シリウス・ブラックを逃がした夜のことだ。

 

「あのとき、起こすべきだったんだ。そうしなきゃいけないって、ぼく、それを知ってたのに、そうしなかったんだ」

「いいや、ハリー。あの夜のことを言うんなら、その後の対応の問題だぜ。いくらでも取り返すチャンスはあったんだ。もちろん、今だって遅くない」

「ああ、そうだよな。わかってる。そんなのわかってるんだけど」

 

 でも、今さらそんなことができるだろうか。ハリーだって、ロンに言われたことなど、とっくに承知している。承知はしているが、簡単にはできそうにない。あのあとすぐであればと、そんな後悔に似た思いがハリーの中にはある。そして同時に、あのときは時間がなく、仕方がなかったんだとも思う。

 シリウスを助けるためには、時間的な制約があった。だからこそ、木にもたれて眠るアルテシアを起こさなかったのだ。肝心なときに寝ていたアルテシアが悪いのだ、そんな余裕などなかった、というのがハリーの考えだ。だけど、すっきりとはしない。

 

「力を貸してくれたんだからさ、ありがとうって言えばよかったんだ。それにさ、ハリー。ボクたちはシリウスのことを、アルテシアにはなんにも言ってないだろ」

「わかってる。でもシリウスのことは秘密なんだ。捕まってアズカバンってことになるかもしれない。そうだろ」

 

 そのことを知っている人は、何人いるのだろう。その数を、もう1人増やすことにどれほどの問題があるのか。しかもアルテシアは、ある程度なら事情を知っているのだ。

 ロンが、女子寮の入り口に目を向けつつ、忍びの地図を手に取った。

 

「アルテシアって、聞いたらなんでも教えてくれるんだよな」

「わかったよ、ロン。でもそのまえに、ダンブルドアに相談してみる。シリウスとかにも」

「そんな必要、あるか。騎士団の連中はもう知ってる。それはつまり、スネイプも知ってるってことだぞ」

「わ、わかってるよ。そうさ、なにかきっかけがほしいだけなんだ」

 

 ロンの言うことが正しい。しっかりとロンに説得された格好となったハリーだが、それでもなにか、話をしやすくするきっかけがほしいんだと、そんなことを考える。たぶんハーマイオニーだって、そんなことは十分に承知しているはずだ。アルテシアがなにをしているのか調べようとしているのも、きっと、そんなきっかけがほしいからなんだ。そのはずだと、ハリーは思っている。

 

「あ! みろよ、ここ。アルテシアがいる」

「え、どこに」

 

 ロンが持っていた忍びの地図をひったくるようにしてのぞき込む。なるほど、ロンの示す指の先に、アルテシアと書かれた点がある。場所は、校庭だ。反射的に、談話室の中を見回す。ハリーとロン以外、誰もいない。

 

「けどハーマイオニーが、降りてきてないぞ。どういうことだ」

「あいつ、寝ちゃってるんだよ。とにかく行こう。これを見逃したら、ハーマイオニーに怒鳴られる」

 

 そうなることは100%確実だ。ハリーはうなづくと立ち上がった。もちろん、透明マントは用意してあるのだ。

 

 

  ※

 

 

「なんでだ、誰もいないぞ」

 

 ハリーとロンは、校庭へとやってきていた。だが忍びの地図には間違いなく表示されていたのに、誰もいないのだ。もちろん場所も、間違えてはいない。

 

「地図にも、表示のエラーってあるのかな」

「いや、そうじゃないだろ。なにかべつの理由があるんだ」

 

 もっとよく見ようとばかり、マントから顔を出し、手をのばして忍びの地図を月明かりの下に広げる。校庭には誰もいないが、アルテシアの点は、たしかにあった。

 

「やっぱり、間違ってないぞ。どういうことだ」

 

 いまは、ハリーとロンの名前がついた点も、校庭に表示されている。それはつまり、忍びの地図が正しく機能していることの証明だ。ロンがマントのなかから出て、ハリーの前にくる。2人して向かい合い、地図をのぞき込むといった格好。

 

「地図のエラーじゃないってことだな」

「ああ。ということは」

 

 つまり、アルテシアは近くにいるということになるわけだ。ハリーが、顔を上げた。なんとなく視線を感じて、顔を右に向ける。

 

「それ、何?」

「あ! アルテシア」

 

 そこにいたのは、アルテシア。なるほど、地図上ではハリー、ロン、アルテシアの3つの点が重なるように表示されている。

 

「あ、いや。これは。そうだアルテシア、きみ、どこにいたんだ。今、来たのか?」

「今じゃないけど、来たばかりよ。少し前にね」

「こんな時間にか。見つかったら怒られるんだぞ」

「そうだけど、それはハリーたちも一緒でしょ。なのに、どうしてここへ?」

 

 いないと思っていたアルテシアがいきなり姿を見せたことで、ハリーはすっかりあわててしまったらしい。忍びの地図のことくらいなら話してもよかったのだろうが、そうせずに、地図をくるくると丸めていく。ロンのほうは、ハリーの後ろにまわり、肩にかけたままになっているマントを、素早く脱がせた。マントのために、ハリーの身体の半分ほどが消えていたのだ。

 

「ねぇ、ハリー。その羊皮紙だけど」

「これは、これは、なんでもないんだ。古い切れっぱしだよ」

「そう、なんだ」

 

 その説明で、はたしてアルテシアが納得したのかどうか。だが、少しだけ表情を固くしたことだけは、ハリーにも伝わったらしい。ハリーは、その丸めた羊皮紙を後ろにいるロンに押しつけた。

 

「そ、それできみは、どうしてここに?」

「わたしは、魔法の練習。やってみたい魔法があって」

「へえ、そうなんだ。あ、じゃあぼくらはこれで帰る。きみも、遅くならない方がいいと思うよ」

「わかってるわ、ありがとう」

 

 そそくさと、という表現そのままに、ハリーは校舎のほうへと歩き出す。ロンも、ちょっとだけアルテシアを見たが、結局はハリーのあとを追いかける。歩く速さも、ふだんの2人よりはずいぶんと早い。校舎へと着いたところで、ようやく立ち止まる。

 

「な、なあロン。ごまかせた、よな?」

 

 ハリーが心配しているのは、忍びの地図を見られたことだ。とっさにごまかしたが、隠しきれたとは思えない。それにアルテシアは何も言わなかったが、あのときハリーの身体の半分は、透明マントによって消えていたのだ。

 

「わからないけど、微妙だな。隠さなくてもよかったんじゃないかって思うぜ。そういうボクだって、マントを脱がせてるけど」

「いきなりだったから、あわてたんだ。どうしていいかわからなかった。でもあいつ、なぜだろう」

 

 本人は、魔法の練習だと言った。それを信じないわけではないが、不自然だとハリーは思っている。夜中に、こっそりと、しかも校庭で。そうしなきゃいけない理由なんてないだろうというのが、不自然さを感じる理由ということになる。

 

「結局、忍びの地図は正しかったってことになるよな。となると、魔法だな、うん」

「魔法で姿を消してたっていうのか」

「そうさ。ぼくらだって、透明マントで姿を消せるじゃないか。おなじようなマントを持ってるかもしれないし、あいつなら、姿を消す魔法を知っててもおかしくない」

「どうすればそんなことができるのか知らないけど、そういえばあいつ、そんな魔法を使えるかもしれない」

 

 そのことをハリーは、思い出していた。シリウスを助けた夜、アルテシアは魔法で姿を見えなくすると言っていたのだ。そのとき、本当にそんなことが起こったのかどうかは知らない。だが考えてみれば、あの夜の行動は、誰にも見つかっていないのだ。深夜のことで人目につかなかっただけかもしれないが、ダンブルドアだって魔法で姿をみえなくすることができると言ったことがある。

 

「なあ、ハリー。ハーマイオニーはどうしたのかな」

「寝てるに決まってるけど、予定どおりだったらこんなことにはならなかったよな」

 

 最初の計画では、アルテシアが談話室へと降りてきたところでハリーたちが声をかけて引き止め、ハーマイオニーがその理由を問いただす、ということになっていた。だがアルテシアはいつのまにか校庭にいたし、ハーマイオニーは寮から出てこなかったのだ。

 

「そうだけど、もう少し慎重であるべきだったな、うん。透明マントから出たのは失敗だった」

「なかなか、予定どおりにはいかないよな」

「ああ。でもアルテシア、魔法の練習とか言ってたよな。なにやってるんだろう?」

 

 ロンが、そんなことを言いながら、後ろを振り返る。アルテシアは、まだ校庭にいるはずだ。だがロンの目は、校庭ではなく別のもの、その上空に浮かぶものに向けられた。

 

「み、みろよハリー、あれを」

「なんだよ」

「うわー、ぼく、初めて見たよ。青い月だぜ。あれ、月だよな?」

 

 もちろん、月だった。といっても満月ではなく、ほぼ半分ほどが欠けて見えなくなっていた。これから満月になろうとする、いわゆる上弦の月である。その月の色が、ロンが言ったように、たしかに青い色をしているのだ。

 

 

  ※

 

 

 ハーマイオニーは、ひとこともしゃべらずに、ひたすら考えこんでいた。その横ではハリーが、困ったようにロンの方を見ており、ロンはと言えば、朝食のテーブルに並んだベーコンエッグを、自分の皿へと取り分けようとしているところ。ロンは、食べることに集中するつもりらしい。ハリーは軽くため息。

 

「なあ、ハーマイオニー。食事は楽しくしたほうがいいんじゃないかな。消化に悪いと思うけど」

「いいえ、ハリー。青い月のことはわからないけど、アルテシアが魔法の練習をしていたのは本当だと思うのよ」

「そ、それはもちろんさ。あいつがウソを言うわけないし」

 

 だいたいにおいて、アルテシアは聞かれたことには素直に答えている。魔法書すらも、見たいという人には見せたりもしているのだ。そのことをハリーも、なんとなく感じているのだろう。

 

「あたし、気がついたというか、思い出したんだけど」

「なにを、だい」

 

 そう聞いてはみたが、ハーマイオニーは何を思いだしたのかは言わなかった。またもや自分の考えに没頭していったのである。周りでは、誰もが楽しそうに話をしながらの朝食風景が展開されており、やがてたくさんのふくろうが大広間を飛び交い、朝の郵便が到着しても、それは中断されることはなかった。配達されてきた「日刊予言者新聞」を、ハリーがひろげる。

 

『魔法省が、信頼できる筋からの情報を入手。逃亡中の大量殺人鬼シリウス・ブラックは、現在ロンドンに隠れているらしい。魔法省では、警戒を呼びかけている』

 

 新聞をのぞき込んでいたロンも、その記事が気になったようだ。

 

「みんな、まだシリウスのことを誤解してるんだよな。なあ、ハリー。アルテシアには言うべきだと思うぜ」

「わかってる。シリウスに手紙を書くよ。あいつに話してもいいかって」

「だめよ」

「えっ」

 

 なにやら考え込んでいたはずのハーマイオニーだが、話は聞いていたらしい。ハリーの持つ新聞を手にすると、紙面に目を走らせていく。

 

「おい、ハーマイオニー。なにがだめなんだよ」

 

 と、ロンが聞くがハーマイオニーは相手にしなかった。そして。

 

「あなたたち、この記事見た?」

「ええと、どの記事だい」

「これよ」

 

 それは、魔法省侵入事件を報じた小さな記事だった。スタージス・ポドモアという魔法使いが、深夜に魔法省内のある部屋に入ろうとしたところを見つかり、逮捕されて有罪となったという内容。アズカバンに6カ月収監されることになったらしい。

 

「うわあ、アズカバンに半年か。たしか、騎士団のメンバーだったよな。ブラック家で見たことある」

「ぼくも、覚えてる。けどそんな人が、真夜中に何をしてたんだろう。騎士団の仕事かな?」

「わからないけど、考えられることは2つあるわね」

 

 2つもか! その1つすら思いつかないらしいロンには、驚きであったらしい。だが、考えるのはハーマイオニーの担当なのだ。それでいいとばかりに、ハーマイオニーを見ている。ハリーも、同じようなものだ。

 

「1つは、騎士団の仕事をしていた。もう1つは、騎士団の仕事をしていなかった」

「それくらいなら、ボクにだって。問題はどっちかってことだろ」

「ええ。でもどちらだったとしても、共通していることがあるのよ」

「魔法省だ。あそこに、なにかあるんだ。そうだろ、ハーマイオニー。でもたぶん、向こう側の連中が、ワナにかけたんだと思う。それでおびき出されて捕まったんだ」

「ええ、そうね。もしそうなら、例のあの人たちがそろそろ動き出そうしてるんじゃないかって、そういうことになるわね」

 

 仮に騎士団の仕事だったなら、騎士団として調べておくべきことがあるということになる。もちろんそれは、例のあの人に関係しているはずだし、ワナにかかったのだとしても、おびき出されてしまう何かがそこにあるということになる。つまり、魔法省には注意が必要なのだと、ハーマイオニーはそう言うのである。たまたま見かけた小さな記事から、それだけのことを読み取れるのだ。

 そのことに素直に感心しながらも、同時にハリーは、疑問を持たずにはいられなかった。いったいハーマイオニーは、何を考えているのか。こんなにかしこいのに、どうして答えが出てこないのか。それが、不思議だった。

 

 

  ※

 

 

 大見出しとして『魔法省、教育改革に乗り出す/ドローレス・アンブリッジ、初代高等尋問官に任命』と書かれ、アンブリッジの写真が大きく掲載された、その紙面。それが、生徒たちのあいだにまたたくまに広まっていった。

 本来そのようなニュースは、学校からの通達として知らされるべきものだが、今回は最初に「日刊予言者新聞」の紙面で知ることになったのである。だが生徒たちのほとんどは、そのことよりも『高等尋問官』とは何だろう、ということに疑問を持った。あのアンブリッジが、魔法大臣からそんな役職に任命されたということはわかったが、具体的なこととなると、さっぱりだった。記事を読んでも、いまひとつよくわからなかったのだ。

 たとえばロンなどもそうだったが、幸いにしてというのか、ロンには解説してくれる友人がいた。

 

「つまり、魔法省の教育令第23号でホグワーツ高等尋問官という役職がつくられたってことね。魔法大臣に、ホグワーツの実態を報告する役目よ。これから各先生方の授業を視察して、問題があれば改革していく。そんな権限を得たってことになるわ」

「授業に問題があったら、改善してくれるって?  だったらまず『闇の魔術に対する防衛術』の授業だよな。あと『魔法薬学』もなんとかしてほしい。スネイプのねちねちのいやみは耐えられない」

「ええ、そうね。でもロン、改革の基準を決めるのはわたしたちじゃないわよ。魔法省であり、あのアンブリッジなの。あんまりいいことにはならないと思うわ」

 

 果たして、ハーマイオニーの心配は現実となるのか。初代の高等尋問官アンブリッジによる授業の視察は、さっそくその日から始まった。最初は「呪文学」のフリットウィックが対象となったようだが、7年生の授業であり、ハリーやアルテシアたちが直接その場を見ることはなかった。

 そして午後となり、「闇の魔術に対する防衛術」の授業を迎える。視察を通り越して、アンブリッジと直接対決といったところか。その授業は、アンブリッジのこんな言葉により始まった。

 

「杖は不要です。『第2章、防衛一般理論と派生理論』を読みなさい。さあ、始め」

 

 とたんに、教室のあちこちでため息がもれる。教室内のどこにいても聞こえるくらいの大きなものだ。そんななかであっても、アルテシアは教科書を開き、読み始める。アンブリッジは第2章をと指定したのだが、開いたページは第1章。どうやら、最初から読むつもりらしい。そんなアルテシアをじっと見ていたのはハーマイオニー。軽く深呼吸したあとで、ゆっくりと右手をあげた。

 

「質問があります、アンブリッジ先生」

 

 もちろん全生徒の注目を集めるが、そんなことはどうでもよかった。いや、訂正せねばなるまい。全生徒ではなく、アルテシア以外の生徒の注目、の間違いだ。アルテシアは、ただひたすらに教科書を読んでいるのだから。

 

「ミス・グレンジャー、あなたの質問はあとで聞きます。授業が終わってから、いいですね」

「わたしは、この本はもう全部読んでしまったんです。それでも第2章を読めと、そうおっしゃるのでしょうか」

「あらあら、それは感心だこと。そうね、ミス・グレンジャー。本というものは、何度でも読むことができるのです。ごらんなさいな、あの生徒を。見習ってはどう?」

 

 もちろん、アルテシアのことだ。苦笑いを浮かべているパーバティのとなりで、アルテシアは何も聞こえていないかのように、静かに本を読んでいる。

 

「ひょっとするとあれ、いい方法なのかもしれないな」

 

 ハーマイオニーとアンブリッジが、互いに視線をぶつけあっているかたわらで、ハリーがロンにこっそりと耳打ち。

 

「だってさ、本さえ読んでれば、アンブリッジとは関わらないで済むじゃないか」

 

 それにこんな処罰も受けなくて済む、とまではハリーは言わなかった。代わりに、右手の甲をさすってみせる。

 

「ミス・グレンジャー、グリフィンドール寮から5点滅点させていただくわ」

「そんな! 理由はなんですか」

「原因は、あなたの言動ですわよ。わたくしの授業を中断し、混乱させた。減点するのに十分な理由だと思いますよ」

「でも、でも、そんなのおかしいわ」

 

 当然、ハーマイオニーは納得などしない。だがアンブリッジは、そこにハーマイオニーの弱みでも見たかのごとく、得意げに話を進めていく。

 

「よい機会だから、みなさんにも言っておきましょう。魔法省は、みなさんが学ぶにおいての指導要領を設定しております。わたくしは、それを徹底させ、適切な教育を受けさせるために来ているのです。もう、ご存じですわね。まずは、指導なさる先生方の授業を拝見させていただいております。問題があれば改善していくことになるでしょう。もちろんそれは、みなさんのためです。よりよい教育のためなのです」

「でも、でも、そんなことで魔法を学べるとは思わないわ」

「お黙りなさい。ちゃんと学んでいる生徒もいるのですよ」

 

 アンブリッジが指さしたのは、アルテシア。あいかわらず本に目を向けたままだ。ハーマイオニーも、改めてアルテシアを見る。そして。

 

「ねえ、パーバティ。アルテシアは、本当に教科書を読んでいるの?」

「え! ハーマイオニー、あんた、何を言ってるの」

「だって、そうでしょう。おかしいわ。いくらアルテシアだからって、どうしてこんな本を読んで魔法が学べるの? 本では実技は学べない」

「ちょっと、ハーマイオニー。それ、本気で言ってるの? 本で魔法は学べないって? それって、アルに対する侮辱だわ。取り消しなさいよ」

「いいえ、本を読むだけではダメなのよ。呪文学でも変身術でも、実際にやってみるでしょう。そうする必要があるの。防衛術も同じよ。あたしはそう思ってるわ」

 

 突如として始まった、同級生による言い争い。もちろんすぐにハリーとロンが止めに入ったし、パーバティのほうは、ラベンダーがなだめた。それで一応はおさまりがついたのだが、どちらもその目には、不満の色が残っていた。この騒ぎにはさすがにアルテシアも顔を上げたのだが、みたところ、何が起こったのかは分かっていないようだった。アンブリッジが、さもおもしろいことをみつけたかのように、アルテシアのほうへと歩いてくる。

 

「もう結構よ。さあ、みなさん。教科書を開いて『第2章、防衛一般理論と派生理論』を読みなさい」

 

 素直に従った生徒などほとんどいなかったが、アンブリッジは満足げにアルテシアを見おろしており、そのことにとまどったのか、アルテシアは困ったようにパーバティを見ていた。

 

 

  ※

 

 

「わかってるわ。失敗だったって言うんでしょ。ええ、そうよ。アンブリッジへの対応を間違えたのは認めるけど、黙っていられなかったのよ」

 

 そう言いながら、ハーマイオニーが差し出したのは、黄色い液体の入った小さなボウルだ。いまは真夜中過ぎ。アンブリッジの処罰から戻ってきたハリーを、ロンとハーマイオニーとが出迎えたのだ。時間的にいっても、談話室にはほかに誰もいない。

 

「手をこの中に浸して。マートラップの触手を裏ごしして酢に漬けた溶液なの。少しは楽になると思うわ」

 

 ハリーが、血がにじみずきずきと痛む右手を、そのなかへと浸す。なるほど、すーっと痛みが引いていくような、そんな心地よさ。アンブリッジの処罰で痛めつけられたハリーの気持ちさえ、落ち着かせる効果もあるようだ。

 

「ありがとう、ハーマイオニー。これ、すごくいいよ」

「ねえ、ハリー。あたし、考えてることがあるんだけど」

「マクゴナガルにこのことは言わない。何を言ってもいまさらだろ。それに処罰は今日までだ。これ以上、アンブリッジに口答えしないかぎりはね」

 

 ロンとハーマイオニーが、顔を見合わせて軽くため息。ハリーがそう言うだろうと、予想はしていたらしい。

 

「ねえ、ハリー。あなたが戻ってくるまでに、ロンと話してたんだけど」

「な、なんだい」

「防衛術の授業であたしが言ったこと、あたし、間違ってるとは思わないの。あの授業では、あたしたちは何も学べない。防衛術なんて学べやしない。ね、そう思うでしょう?」

「それは、まあ、たしかにね」

 

 そこでハリーは、ロンを見た。ロンが、苦笑いを浮かべている。

 

「ボクたち、何かしなきゃいけないらしいんだ。ボクは、まずアルテシアと仲直りするべきだと思うんだけど」

「あのね、ロン。あたしはずーっと考えてたって言ったはずよ。なにより必要なことなの。それにね、あたしとアルテシアは、友だちなんですからね」

 

 それはそうだろうが、互いの距離は少しずつ離れていってるんじゃないか。ハリーもロンも、口には出さないがそう思っていた。

 

「それで、何を考えたんだい」

「行動するべきときだってことよ。あの先生が、これからもあんな授業を続けるのならね。あたしたちは、立ち止まってちゃいけないの。前に進むべきだわ」

「だからさ、ハーマイオニー。いったい何をやろうって」

「自分たちで勉強するのよ。つまり『闇の魔術に対する防衛術』を自習するの」

 

 ハリーの右手は、マートラップ触手液のなかで気持ちよさそうにしていたのだが、その右手が、触手液を飛び散らせながら勢いよく飛び出していた。それほど驚いたということだ。

 

「自習するって! それって、どういうこと?」

「あのね、ハリー。覚えてる? マクゴナガルの授業のとき。消失呪文の練習をしたときよ。あのとき、アルテシアだけじゃなくてパーバティも成功させてた。あれって、なぜだと思う?」

「なぜって、練習したからだろ。あのときボク、そう言ったと思うけどな」

 

 そう言ったロンを、ハーマイオニーの視線が捕らえる。まさにそうなのだと、ハーマイオニーの声が大きくなる。

 

「そうよ、ロン。そのとおり。練習したからよ。魔法書を読んだからじゃないのよ。だってパーバティは、魔法書を読んではいないわ。でもパーバティは、消失呪文だけじゃなく出現呪文も使ってた。ええそうよ、わかってるわハリー。練習したからよ。でしょう?」

 

 なにか言おうとしたハリーだったが、何も言えなかった。このときのハーマイオニーをまえにしては、反論するのは難しいだろう。

 

「例のあの人のこともあるんだもの、防衛術はおろかにはできないわ。確実に自己防衛ができるようにしておく必要があるでしょ」

「けどさ、ハーマイオニー。どうやるつもりなんだい。ボクたちだけじゃ、たいしたことはできそうにないぜ」

「そうだよ、ハーマイオニー。そりゃ、図書館で調べてそれを試してみたりして、練習はできるんだろうけど」

「ええ。でも、そうやって本から学ぶのには限界があると思うわ。呪文の使い方を教えてくれて、間違ったら直してくれる。そんな先生が必要なのよ」

 

 どこにそんな先生がいるんだ、いるはずがないとハリーとロンが口をそろえて言ってはみたが、ハーマイオニーは平気な顔をしていた。当然、その答えは持っているということだろう。

 

「わかったぞ、アルテシアだ。パーバティには、たぶんアルテシアが教えたんだ。だったらさ」

「いいえ、ロン。それも考えたけど、あたしたちにはもっといい先生がいるわ」

「誰のことだい。アルテシアじゃないとしたら、あとは誰が…」

「あなたよ、ハリー。あたしは、あなたが『闇の魔術に対する防衛術』を教えればいいって、そう思ってるの」

 

 ハリーは、あっけにとられたような顔でハーマイオニーをみていた。ロンも同じような顔つきをしていたが、すぐに考え込むようなそぶりをみせ、にやっと笑ってみせた。

 

「いいな、それ。いい考えだ」

「な、なにがだよ」

「キミが最適だってことだよ、ハリー。理由が聞きたいか? いいぜ、ボク、いくらでも説明してやれるよ」

 

 なぜかロンは、とても楽しそうにみえた。こんなふうに3人が話しているころ、夜空では、上弦の月が青く輝いていた。

 



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第84話 「ハーマイオニーの提案」

 その日の朝、大広間での朝食を終えたアルテシアがテーブルの席を立つ。その少し後ろでハーマイオニーが待っていたのだが、となりのパーバティと話をしていたからか、そのことには気づいていない。アルテシアが後ろを振り返ったところで、ようやく両者は顔を合わせることになった。最初に声をかけたのは、アルテシア。

 

「あら、ハーマイオニー。もうごはんは食べたの?」

「アルテシア、あなたと話がしたいんだけど、いい?」

「いいけど、ここで? そうね、じゃあここ座ろうか」

 

 そして、いま離れてきたばかりの席を指さす。だがハーマイオニーは、首を横に振った。

 

「ごめん、ちょっと時間がかかると思うのよ。ゆっくりと話がしたいから、あとで時間をとってほしい」

「? いいけど、なんの話なの?」

 

 だがハーマイオニーは、それには答えず、かたわらのパーバティをみる。

 

「いいわよね?」

 

 パーバティにも同意を求めた、ということだろう。予想外であったのか、パーバティはちょっとだけ首をかしげてみせた。

 

「いいの、ハーマイオニー。それって、あたしも一緒に来いって言ってるように聞こえるんだけど?」

「ええそうよ、あなたも来て。じゃあ放課後、魔法薬学の授業が終わってから一緒にどこかに行くってことで」

「わかった。でもそれ、ポッターたちも一緒なんだよね?」

 

 当然、そうだろうとパーバティは思った。だがハーマイオニーは、首を振ってみせた。

 

「あの2人は、呼ばないつもり。いたら、話がややこしくなりそうだから」

「ふうん、彼らに内緒の話なんてめずらしいね。わかったわ、アルもそれでいいんだよね」

 

 パーバティが、アルテシアを見る。うなずいているので、了承ということだろう。話はまとまったので、ハーマイオニーが大広間の外へと歩いていく。パーバティとアルテシアも、その後に続く。どちらも行き先は同じなのだろうが、一緒に行く、ということにはならなかった。

 

 

  ※

 

 

 この日の午後の授業は、地下牢教室での2時限続きの魔法薬学。いつも時間には余裕を持って、ということにしているアルテシアは、少し早めに地下牢教室に顔を見せた。スリザリンとの合同授業なので、スリザリンの生徒が何人かいた。グリフィンドールの生徒は、だいたいにおいて時間ぎりぎりに来る傾向にあり、このときは誰もいなかった。

 いつもの場所にアルテシアが座ると、さっそくスリザリン生が近づいてくる。ドラコ・マルフォイとパンジー・パーキンソンだ。

 

「やあ、アルテシア。調子はどうだい?」

「ありがとう。とくに変わったところはないわよ」

「そうかい。知ってるとは思うけど、ぼくとこいつは監督生になったんだ。当然キミもそうなると思ってたんだけどね」

「あのマグル出のナマイキ女、なんでしょ。それとウィーズリーだっけ。どっちも、ぱっとしないわね」

 

 ハーマイオニーとロンのことだ。スリザリン生のなかでも、とくにパンジーはハーマイオニーを毛嫌いしている。アルテシアもいじめられたほうではあるのだが、このところは普通に話ができている。

 

「まだ、そんな憎まれ口を言ってるんだね、パンジー。あなたには似合わないのに」

「あんたこそ、ナマイキなこと言うようになったじゃないの。ドラコの前だけど、一発たたいてやろうか」

「ううん、いい。遠慮しとくわ。でも監督生はお似合いかも。ソフィアのことも、よく見てあげてね」

「ああ、あいつは。まあ、あいつもスリザリン生だからな」

 

 だから、どうだというのだろう。アルテシアのとなりの席にはパーバティがいるのだが、そのパーバティがさも問いたげに視線を向ける。だが口に出すことはしなかった。パーバティはパンジーには話かけないし、パンジーもまた、パーバティとは話をしないのだ。

 

「ところで、アルテシア。キミがアンブリッジのお気に入りだって話を聞いたんだけどな」

「えっ、なによそれ。わたし、あの先生とはまだ話もしたことないのに」

「そうなのかい。ま、向こうが興味を持ったってことだろうけどな」

「そんなこと誰が言ってるの、マルフォイ」

 

 これは、パーバティだ。パーバティとドラコは、パンジーのように話をしないなどということはない。

 

「ん? 本人からだが、それがどうかしたのか」

「本人って、アンブリッジ先生ってこと?」

「お気に入りを集めてなにかのグループを作りたい、なんて話も聞いたな」

「ああ、そういうこと。わかったわ、マルフォイ。それにアルテシアを誘おうってことなんでしょ」

 

 果たして、パーバティの言うとおりなのか。ドラコは、少しだけ唇のはしをあげてみせた。

 

「おまえがどう思おうと勝手だが、あのアンブリッジはあんまり質のいい魔女じゃない。ぼくの父上からの情報だ。父上は、魔法省とはつながりがあるからな」

「そうだよね。みた感じじゃ、魔法力もたいしたことないし、いじわるそうだしね」

「ちょっと、アル。あんた、何を言ってんの」

 

 他人の悪口ともとれそうなことをアルテシアが言ったことが、パーバティには意外であったのだろう。だがすぐに、ドラコの言うことに合わせたのだと気づいたらしく、それ以上は何も言わなかった。ドラコがいぶかしげに目をむけたが、すぐにアルテシアへと戻す。

 

「ポッターは、さっそく処罰を受けたらしいじゃないか。めでたいことだが、キミがそうなったなんて話は聞きたくないな」

 

 それには、アルテシアはうなずいただけ。だがパンジーは、それで終わり、とするつもりはないようだ。

 

「ドラコ、それじゃこいつにはたりないよ。あたしも一言、言ってもいいかい」

「ああ、そうだな。言ってやれよ」

 

 だが、パンジーが何か言う前に、アルテシアが首を振った。

 

「イヤだよ、パンジー。ぜったい、イヤだからね」

「そうかい。あたしはどっちでもいいんだよ。そのこと、覚えておきな」

「うん、わかってる」

 

 教室内にも、ずいぶんと生徒の姿が増えてきている。グリフィンドールの生徒も多い。それに気づいたドラコが、このあたりが切り上げ時だとばかりに自分の席に戻ったところで、スネイプが姿をみせた。そのあとから、アンブリッジも入ってくる。ということは、この魔法薬学の授業で視察が行われるということだ。

 

「諸君らは、静かにせよ。まずは、前回提出してもらったレポートを返す」

 

 教壇に立ったスネイプが、杖を振る。すると、スネイプの前に山となった羊皮紙が現われる。もちろん、魔法で出現させたのだ。多くの場合スネイプは、無言呪文である。スネイプが歩くのにあわせ、羊皮紙の山も移動する。

 

「今回は、O・W・L試験と同じ基準において評価をしてある。現時点での実力を知り、今後に活かしてくれることを期待する」

 

 それぞれに返されたレポートには、なるほど、「E」や「A」などといったものが赤のインクで記されている。O・W・Lでは、6段階評価が行われるのだが、その6つとは以下のようなものである。

 

 「優・O」(大いに宜しい)

 「良・E」(期待以上)

 「可・A」(まあまあ)

 「不可・P」(良くない)

 「落第・D」(どん底)

 「ありえない・T」(トロール並み)

 

 ちなみに「O」から「A」までが合格、それ以外は不合格となる。スネイプによれば、このレポートは総じて成績はよくなかったらしい。

 

「もし、諸君らが望むのならばだが、再提出を受け付けよう。特別にもう一度評価してやる。やる気があるなら持ってくるがいい」

 

 はたして、そんな生徒がいるのかどうか。ちなみにアルテシアの評価は「E」、ハーマイオニー「A」、ハリー「D」、ロンは「P」となっていた。

 

「この時間は『強化薬』の調合を行う。必要な材料は用意してある。説明は、黒板にある。なにか質問は? なければすぐに取りかかれ」

 

 その合図で調合が始まったが、一部の生徒は、そんなことよりもアンブリッジが何を言うのか、それにスネイプがどう対応するのか、そちらのほうに注目していた。強化薬の調合よりはそちらのほうにより注意が向いているのだから、たとえばハリーなどは「D」の評価でも仕方がないと誰もが納得するような状況になっていた。それでも、アンブリッジとスネイプのほうに注意を向けている。

 授業開始から、おおよそ30分。ようやくアンブリッジがメモを取る手を止め、スネイプのほうへと歩いて行く。そのときスネイプは、パーバティの大鍋をのぞき込み、状態をチェックしていた。

 

「よろしいかしら、スネイプ先生」

 

 スネイプは、返事をしなかった。だが、その身体をアンブリッジへとむける。

 

「あなたは、このホグワーツで14年ものあいだ、魔法薬学を指導なされていた。そうですね?」

「さよう」

「でも本当は、闇の魔術に対する防衛術を担当したいのだと、そんな話を聞いていますが」

「ふむ。たしかにそうだが」

 

 スネイプは、いつものような無表情。そこから感情など、読み取れはしないだろう。

 

「なぜだと思います? なぜあなたは、ずっと魔法薬学の担当なのか」

「そんなことは、採用した校長に聞きたまえ」

「おや、そうですか。では、そうさせてもらいましょう」

 

 そこで、メモ用紙にペンを走らせる。スネイプの無表情は変わらないが、きっといらついているに違いないと、横目でそれを見ている生徒がいたならば、そう思ったことだろう。

 

「ところで、このクラスで最も成績のよい生徒と、よくない生徒をあげるとすれば、誰になります?」

「ほう。高等尋問官なるものに任命されると、そのような質問が出てくるのですな。それとも、吾輩の聞き間違え、ですかな」

「ともあれ、お答えを」

「それこそ、ダンブルドアに聞くがいい。生徒たちの前では答えられぬ」

「ああ、なるほど。気になるのはそこですか。いいでしょう、では質問を変えましょう」

 

 アンブリッジが、近くに座っていた生徒にちらっと視線を向けた。それで誰のことかを示したつもりなのだ。

 

「あの生徒の評価をお聞かせください。どれほど優秀なのか、聞かせてくださいな」

「優秀? あの生徒が? 吾輩にそんなことを聞かれても困る。その質問もダンブルドアにしたまえ」

「そう、ですか。まあ、いいでしょう。実はわたくし、さきほど見てしまいましたのよ。返却された宿題に書かれた評価を」

「では評価はご存じのはずだ。なのになぜ、そんなことを聞くのですかな」

「あなたはおっしゃいましたのよ。授業の最初に、O・W・Lの基準で評価をしたと」

 

 ピクリと、スネイプの右の眉が動く。スネイプがそう言ったのは確かなのだが、その何が問題なのか。魔法薬の調合をほったらかしたまま、スネイプたちの話に耳を傾ける生徒の数は、確実に増えているだろう。

 

「それが本当なら、素晴らしいじゃないですか。まさにふさわしいと、そう思いましたのよ。ではスネイプ先生、お聞きしたいことは以上になりますので」

「では、これで失礼」

 

 言いたいことはあっただろう。だがスネイプは、くるっと向きを変え、大股に教壇へと歩いて行った。

 

 

  ※

 

 

「なんだって! ぼくたちは一緒に行っちゃいけないって言うのか。どうしてだ」

「ごめんなさい、ハリー。アルテシアと、ちゃんと話しておきたいことがあるのよ」

「でも」

「やめとけ、ハリー。ぼくたちは、先に戻ろう」

 

 なおもハーマイオニーにくいさがろうとするハリーを、ロンが止める。アルテシアとパーバティを待たせていることもあり、こうなっては、ハリーとしても引き下がるしかない状況。しぶしぶではあってもそれに同意し、2人は先に歩きだした。アンブリッジの視察というオマケの付いた魔法薬学の授業が終わったところで、ハーマイオニーからアルテシアと話があるので先に戻れと告げられ、ひとしきり抗議はしたものの、結局はこの始末。廊下を曲がりハーマイオニーたちからは見えなくなったとわかると、さっそくハリーが、ロンを相手に不満を口にする。

 

「キミの気持ちはわかるぜ。でもここは、引き下がるべきだってボク、そう思ったんだ」

「どうしてだよ。あの2人、なにか大切な話をするに決まってるじゃないか」

「だから、だよ。ひとまずハーマイオニーにまかせておけば、それでいいんじゃないかな」

「いや、だけど、ロン」

「まあ、聞けよ。仲直りについての話をするんじゃないかって、そう思ったんだ。だったら、ジャマなんかできないさ。そう思わないか」

 

 もしそうなら、ロンの言うとおりだ。ハリーだって、せっかくの機会をジャマしようとは思わない。でも、どこかで疑問を感じているのも確かだった。

 

「ハーマイオニーがその気になってくれたんなら、ボクらだって、もっとアルテシアと話をしてもいいことになる」

「ああ、そうだよな」

 

 実際には、どうなるのか。ハーマイオニーが、アルテシアとなにを話すのかはわからないが、ハリーも、それに期待しようと思った。いい方向に行くのなら、それが一番いいのだ。そうに決まっている。

 

 

  ※

 

 

「で、なんの話なの」

 

 そう言ったのはパーバティだが、ハーマイオニーは、すぐには答えずにアルテシアを見ている。場所は、玄関ホールの大階段そばのちょっとした物陰。逆転時計を使ってシリウス・ブラックを助けに行ったとき、時間調整のために隠れていた場所でもある。ハーマイオニーが、ここなら誰にも見られずに話ができるだろうと考えたのだ。くわえてアルテシアが、こっそりと耳ふさぎの魔法をかけたのはいうまでもない。

 

「やっぱりあたし、どこかに行ってたほうがいい?」

「いいえ。いてくれたほうがいいわ。アルテシアは、そのほうが話がしやすいでしょうから」

「じゃあ、話を始めてよ。あたしは黙ってる。とりあえずは、ね」

 

 もちろんハーマイオニーも、そのつもりで来ているのだ。まずは、軽く深呼吸などして息を整える。

 

「アルテシア、友だちとしてあなたにお願いがあるの。力を貸して欲しい」

「えっ、それってどういうこと? なにか困ってることがあるの?」

 

 そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。アルテシアだけでなく、パーバティも意外そうにハーマイオニーを見る。ハーマイオニーは、そんなアルテシアをじっと見ていた。

 

「あなたがどう思ってるかは知らないわ。でもね、例のあの人は、ヴォ、ヴォルデモート卿は、復活したの。戻ってきたのよ。ハリーの言ってることは本当だから」

 

 あえてその名前を言おうとしたのに、途中で言い直すことになってしまったのは、それなりに恐怖を感じているということになるのか。そのヴォルデモートが復活したことは、もちろんアルテシアも承知している。実際にそれを見てもいるのだが、その現場にはいなかったことになっている。なので、軽くうなづいてみせただけだ。

 

「ご存じのとおり、魔法省は認めてないわよね。それどころか、ハリーやダンブルドアがウソを言ってるんだって宣伝してる」

「そのことは、知ってるわ」

「でもね、アルテシア。いくら魔法省が否定しても、それが通用するのは期限付きよ。だって、事実は変えられないもの。あの人が動き出したとき、誰もが思い知ることになるんだわ。あなたも含めてね」

「でもハーマイオニー。あの人に関しては、生徒たちは手出しをしてはいけないんじゃないの。先生はそうおっしゃったわ」

 

 マクゴナガルのことだ。マクゴナガルがクリミアーナ家を訪ねてきたとき、アルテシアはそんなことを言われている。だがハーマイオニーはそのことを知らない。その先生が誰なのかは気になったに違いないが、ハーマイオニーはそのことには触れなかった。

 

「こういうものはね、避けようとしても避けられるものじゃない。結局は、巻き込まれてしまうことになるの。そのときになってあわてるよりも、いまよ。いまのうちに、どうするのか考えておかないといけない。それが大切だと思うわけ」

「そう、だよね」

「だからあたし、考えたの。今、必要なこと。あたしたちは何をしなきゃいけないのか」

「わたしにも、なにかさせようってことなのね」

 

 こりくと、ハーマイオニーがうなづいた。アルテシアも、同じようにうなづいてみせる。そして。

 

「ありがとう、アルテシア。困っているのは、防衛術の授業なのよ。あんなことでは、この先やっていけなくなるのは明らかだって思うから」

「あの授業が? どうして?」

「どうしてって、あんなの授業とは言えないわ。ちゃんと実技もやるべきなのよ。それであたし、考えたんだけど」

 

 そこでハーマイオニーは、自分たちだけで防衛術の自習をしようという計画を話して聞かせた。内容的には、ハリーとロンに話したことと同じである。

 

「あんな授業じゃダメだって、そう思っている人は多いはずよ。そんな人を集めて自分たちで学ぶの。先生役もお願いしたいって思ってるの。引き受けてくれるわよね?」

 

 アルテシアは、何も言わなかった。ちょっとだけパーバティのほうを見たが、口出ししないと言っていたパーバティは無言のまま。ハーマイオニーが、軽くため息。

 

「何人集まるかはわからないけど、全員が、せめて自分を守れるくらいはできるようにしたいって思ってるの。それまでは続けたいのよ。ハリーにも先生をやってもらうつもりなんだけど、アルテシアにもお願いしたい。いいわよね、アルテシア」

「ごめんね、ハーマイオニー。そういうことなら、わたしは協力できないわ」

「え! どうして?」

 

 まさか、ハリーの名前を出したのが失敗だったのか。そんなことも思ったハーマイオニーだが、この計画にはハリーは欠かせないのだ。いまさら撤回することなどできない。

 

「理由を、理由を聞かせてもらってもいい?」

 

 ともあれ、理由を聞かねばならない。そうでなければ、納得などできない。それを聞かないうちは、この話は終わりにはできない。ハーマイオニーはそう思っていたし、その思いは、アルテシアにも伝わったはずだ。

 アルテシアが、軽く目を閉じる。少し間を取ったのだろう。そうしながら、ことばを選んでいるといったところか。

 

「ハーマイオニー、正直に言うね。わたしの魔法は、少し変わってるのよ。魔法族の人たちが使う魔法とは、どこか違ってる。だから、教えるのは難しいと思うんだ」

「あの、何を言ってるのかよくわかんないんだけど」

 

 そのとき、ハーマイオニーがパーバティを見たのは、無意識でのことか。あるいは、なにか意見を求めたのか。パーバティは、小さくうなづいてみせた。

 

「ごめんね、ハーマイオニー。黙ってるって言ったけど、少しだけ」

 

 ハーマイオニーを見る限り、拒否してはいないようだ。いやむしろ、それを望んでいるのかもしれない。視線は、パーバティに向けられたままだ。

 

「覚えてるよね? アルテシアが魔法使えなかったこと」

「あ! そ、そうよね。そういえば」

「3歳のときから勉強して、いろいろあったのはたしかだけど、満足に使えるようになったのはつい最近のことなんだよね」

「時間が、かかるってこと?」

「ああ、それもあるかな。けどあたしが言いたいのは、アルテシアから魔法を習おうって人がどれくらいいるかってことだよ。みんな、あの頃のイメージでみるんじゃないかな」

「それは… そんなことはないと思うけど」

 

 パーバティが言うのは、イメージの問題だ。さすがに今は魔法が使えるようになったが、それでもたいしたことはないと思われているアルテシアと、生き残った男の子であり学校代表として3校対抗試合で優勝したハリーとでは、比べるまでもない。つまり、そういうことなのだ。

 

「大丈夫だよ、ポッターならうまく教えられると思うよ。だから、それでいいんじゃないかな」

「でも、でも、パーバティ。あなたはアルテシアに教えてもらってるんでしょ。アルテシアは、難しい魔法だって使えるんだよね。ね、そうなんでしょ。違う?」

 

 それには、さすがにパーバティも苦笑い。だがその笑みは、すぐに消えた。

 

「あたしたちは、アルテシアが最高の魔女だって知ってるからね。けど、勘違いしないでよ。あんたの計画は、ポッターが先生になった方がうまくいくよって、あたしたちはそう言ってるだけ」

「でも」

 

 なおも食い下がろうとするハーマイオニーに、今度はアルテシアがほほえみかける。

 

「ごめんねハーマイオニー、自分の魔法ならともかく、防衛術のことはわたし、まだ何も知らないようなものなの。アンブリッジ先生に本を読めって言われたでしょ。それで読んでみたらびっくり、知らないことが多すぎるのよね」

「えっ、でも」

「1つだけスネイプ先生に教えてもらった魔法があるんだけど、それだけ。きっとハリーのほうがいろいろと知ってるはず。ハリーのほうがいいと思うよ」

「じゃあ、アルテシア、それが、そうなの」

 

 それが断る理由なのか、と言いたかったはず。だがその部分は、声にはならなかった。

 

「あの人、ヴォルデモート卿はね、いまは魔法省に興味があるみたいだよ。なにか探してるらしいけど、それが何かはわからない」

「えっ! ま、待って、アルテシア。それって。なぜそんなこと知ってるの?」

 

 驚かずにはいられない。そんなところか。パーバティが、またも苦笑いを浮かべている。

 

「ティアラが調べてくれたの。どこにいるのかわからないけど、仲間集めもしてるみたいだって」

「ティアラって、誰なの?」

「わたしの昔の友人、かな。ボーバトンの生徒でね、3校対抗試合のときに会ったんだ」

「その人が、例のあの人のことを調べてるの?」

「うん」

 

 いまのところ、ヴォルデモート卿に関する情報はなにもない。そのことがヴォルデモート卿復活を否定する魔法省の後押しをしている状況なのだが、それもヴォルデモートが動き出すまでのことだ。いざ行動開始となれば、誰がどれだけ否定しようとも、現実のまえでは意味がない。

 そのヴォルデモートが、いまどこにいて、何をしようとしているのか。そのことは、ヴォルデモート復活を知る人だけでなく、それを信じない人にとっても貴重な情報となるだろう。

 それを調べている者がいることに驚き、アルテシアが関係していることに、さらに驚くハーマイオニー。この3人の話し合いは、ここでお開きとなった。

 

 

  ※

 

 

 10月になって最初の週末は、多くの生徒にとってのお待ちかね、ホグズミード村行きの日である。3年生以上のほとんどが出かけることもあって、このとき学校は、からっぽとまでは言わないが、普段よりもずいぶんと人が少ない状況となる。アルテシアはその状況を利用しようと考えていた。

 他の生徒たちが続々とホグズミードへとむかうなか、アルテシアがパチル姉妹とともに校庭を歩いているのは、そのため。これから湖のそばまで行き、そこにあるベンチに座って楽しくおしゃべり、ではなく、ある魔法を試してみることにしている。ホグズミードへは、それが終わってからということになるだろう。

 

「ホグズミードには、べつに行かなくてもいいよ。だからおちついて、ゆっくりやればいいからね」

「そうそう。あせってもタメだよ。体調悪くするなんてことになったら大変だから」

「ありがとう。でも大丈夫だよ。もう頭が痛くなったりはしないから」

 

 パチル姉妹の心配そうな声にはそう答え、アルテシアがベンチの前で振り返る。これまでは、魔法を使うと頭が痛くなったり、寝込んでしまったりすることがあったが、もうそんなことはない。大丈夫だとアルテシアは、言い切った。欠けていた魔法書の補完ができたことにより、自由に魔法が使えるようになったということだ。

 

「でも、シニストラ先生には驚かされたよね」

「ほんとほんと。まさか夜中まで天体観測してるとは思わなかった」

 

 シニストラとは、ホグワーツで天文学を教えているオーロラ・シニストラのこと。さすがに天文学の先生だけあって、深夜に天体観測をすることがよくあるらしい。そのシニストラが青い月を見たと言い出し、この現象にはどんな意味があるのか、などとちょっとした騒ぎになったのだ。その後、青い月を見ようと深夜に寮を抜け出す生徒も出るなどして、管理人のフィルチによる見回りが厳しくなったりしたため、深夜の練習は取りやめ、ということになっている。

 

「めったにないことだけど、空気中のチリやホコリなんかの影響で月が青く見えるってことはあるらしいよ。特異な自然現象ってとこだよね」

「それで、みんな納得したみたいだけどね。でもさアル。あれ、あんたがやったんじゃないんだよね?」

「よくわかんない。たぶん、パドマが言うように自然現象だとは思うんだけど」

 

 そう言いつつもアルテシアは、なにか関係あるかもしれないという思いも捨てきれなかった。というのも、校庭で試してみた魔法が光の系統に属するものだからだ。たとえば物が見えるのは、その物体が光を反射するから。反射せずに透過させれば見えなくなる。ゆがめてやれば、位置がずれたり、形が変わって見えたりもする。

 もしかすると、光波に影響をあたえ、月の色を青に変えてしまったのかもしれない。あり得なくはないと思う。ただアルテシア自身は、青い月など見た覚えはなかった。

 

「学校には、どれくらいの人が残ったかな」

「さあ、ざっと見積もって3分の1弱ってとこかな。1・2年生は全員いるからね」

「それでもたくさんいるけど、アル、大丈夫?」

「わかんないけど、それを確かめることが目的だから」

 

 今回、アルテシアがやろうとしているのは、いわば学校内の把握だ。どこに誰がいるのか、それを魔法で知ろうというのである。つまり、学校内でのさまざまな光から得る情報によって、物や人物の特定がどこまで可能かを確かめようというもの。もっと言うなら、離れたところから、たとえ物陰に隠れていたとしてもその場所を見ることができるかどうかだ。

 

「そろそろ、始める? ソフィアが待ちくたびれてるかもしれないし」

「それは気にしなくていいって、あいつは言ってたけどね」

「とにかく、やってみるね」

 

 この場にソフィアがいないのは、あらかじめの打ち合わせによるもの。すなわち、校内のどこかにいるソフィアをアルテシアが見つけ出せるか、というテーマもあるのだ。

 アルテシアが、軽く目を閉じる。そして、ゆっくりと開いていく。その目の色は、青。より深く、より澄み切った、青へ。例えるならば、海の色よりも深い青、そして晴れ渡る空の色よりも澄んだ、色。その目でアルテシアは、何を見ているのか。

 

「見つけた!」

「えっ、もう」

「はやっ!」

 

 ソフィアの居場所を見つけた、ということだ。ソフィアは、4階の西側の廊下にいるという。その右手の人差し指を伸ばし、左の手のひらを軽く叩く。するとそこに、ソフィアの姿が映し出される。もちろん、実物大ではない。手のひらに乗るような大きさとなった、立体画像だ。

 

「あはは、なんかきょろきょろしてるね」

「ねえ、アルテシア。これって、向こうからも見えてるの?」

「それはないよ。こっちからは何も送ってないから。ええと、ソフィアをこっちへ呼ばないと」

 

 そう言った瞬間、手のひらからソフィアが消えた。代わりに、本人が3人の前に。

 

「うわ、びっくりした。これって、うまくいったってことですよね。まあ、こうなるのはわかってましたけど」

 

 4階西側の廊下から、いきなり転送されてきたソフィアが歓声を上げる。だが、やることがこれで終わったわけではない。

 

「ソフィア、グリフィンドールの談話室には11人、確かめてきて」

「はい」

 

 ソフィアが消える。そしてまた、姿を見せる。

 

「たしかに、11人でした」

「ありがとう。次はスリザリン寮、こっちも11人」

 

 そんなふうにして、適当な場所に何人いるのか、アルテシアが感じたままであるのかをソフィアが確かめる。その場所へはアルテシアがソフィアを転送し、戻ってくるときはソフィアが自分で戻ってくる。そんな感じで要所要所を確認。そのすべてのチェックが完了し、この練習は完了となった。

 



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第85話 「ティアラ、ふたたび」

 湖のほとりで、アルテシアたちが話し込んでいた。この日はお待ちかねのホグズミード行きの日でもあるのだが、なかなか話が終わらないらしい。もちろん行く予定にはしているのだが、このままではどうなることか。

 話しているのはもちろん、アルテシアが試してみた魔法についてのことだ。結果としては全てが順調で、体調を崩すこともなく予定したとおりに終わっているのだが、最後にアルテシアがこんなことを言い出したのだ。

 

「なんとなくだけど、おかしな感じがしたんだよね。目に見えてるものと感じるものが、ちょっと微妙に違うっていうか」

「どこですか、そこ。あたしが行って、見てきますけど」

 

 そんな提案もあって、アルテシアはその場所をソフィアに教え、ソフィアがそこへ自分を飛ばして確かめてみた。だが普通の石壁が続いており、特に不審なところはみつけられなかった。

 それは、なぜなのか。ただの勘違いか、あるいは考えすぎなのか。そんな話が続いていたのである。

 

「でもそこの廊下って、通ったことあるよね。いつだったか忘れたけど、ただの廊下だったと思うな」

 

 パーバティが言うように、8階のその廊下をアルテシアも歩いたことがある。ホグワーツ5年目ともなれば、訪れたことのない場所をあげるほうが難しい。

 

「でも、魔法で校内を調べてるんですから、その過程でなにかを感じたのなら、なんにもないってことはないと思うんですけど」

「そうだけど、今のところはなんにもわからない。あとでゆっくり調べてみる」

 

 ひとしきりそのことについて話し合ってはみたが、現実にはなにもみつけられないのだから、話も発展のしようがない。そのうち内容は、いつものたわいのないおしゃべりへと変わっていくことになった。

 ちなみに魔法を試す日としてわざわざホグズミード行きの日を選んだのは、たまたまその日が間近に迫っていたということもあるが、単純に学校内にいる人数が少なくなるからである。初めての試みなのだから、いきなり全校生徒を対象とするよりは少ない人数から始めたほうがよいと、そう考えてのことだ。

 やったことは、学校内にあふれる膨大な量の光を集め、そこから情報を読み取り、床や壁、天井、物や人の姿などを再構築すること。それらの処理は、すべてアルテシアの瞳の中で行われることになる。しかも全員の状況を確認しようというのだから、魔法による負担もそれなりのものがある。これがうまくいったならば、これからは魔法の使いすぎで倒れたりすることはないという確認ができたことにもなるのだ。

 魔法によってホグワーツ内の状況を瞬時に把握することができるのか。実際にはどこまでつかみきれるのか、その限界が知りたかったのだ。これらを知っておくことは、この先、かならず役に立つ。アルテシアは、そう思っている。

 

「おおっと、もうお昼になるよ。ホグズミードで食べる予定だったけど、どうする? 大広間に行く?」

 

 大広間に行けばお昼ご飯は食べられるのだし、昼食を済ませてからホグズミードに行っても、楽しむ時間は十分にある。

 

「そうしようか。そのついでにみんなそろって、8階に行ってみるのもいいかもね」

「じゃあホグズミードは? 今回はやめとく?」

 

 それも選択肢のひとつだ。みんなが顔を見合わせる。

 

「あ、やっぱりだめです。ホグズミードには行かないと」

 

 そう言い出したのは、ソフィア。よくよく聞いてみると、ホグズミードで人に会う約束があるのだという。約束? 誰と?

 

「クローデル家のティアラさんです。何度か手紙をやりとりしてるんですけど、今日は外出できるから」

「待ち合わせることにしたのね。時間は?」

「午後2時です。お昼食べてから出かけても間に合いますけど」

「なんだ、じゃあ話は終わりだね。お昼に行こう」

 

 食後にホグズミードに行く。それで話はまとまったということだが、全員でティアラに会いに行くということにならないか。約束しているのはソフィアなのにいいのだろうかと、アルテシアはそんなことを思った。だがソフィアは何も言わないし、ティアラに会いたいのも確かだ。パチル姉妹もいるのだが、3校対抗試合の期間中に顔合わせはしたことがあるのだ。きっとティアラも喜んでくれるだろうと、自分をそう納得させる。

 4人でおしゃべりをしながら歩き、大広間までもうすぐというところで、前を歩くアンブリッジを発見。しゃべり声が聞こえていたらしく、アンブリッジがこちらを見ている。

 

「あなたがたは、外出なさらなかったのね。なにをしていたのかしら」

「ええと、これから昼食をと思っているんですけれど」

「おや、そうですか。どうぞ、ちょうどそんな時間ですものね。でも、よかった。わたくしもまだなの。ご一緒させてもらおうかしら」

「いや、あの、先生。先生方は教職員用のテーブルがありますから、どうぞそちらで」

 

 パドマは、あわてていた。さすがにアンブリッジと一緒に食事をするのはイヤだったのだ。そう思いつつ姉を見ると、その姉もパドマを見ていた。こっそりとうなづきあう。

 

「で、では、これで失礼します」

 

 言うが早いか、パドマはソフィアを、パーバティはアルテシアを抱えるようにして、とにかく大広間へと一直線。ヘンに思われたかもしれないが、とにかく中へと入ってしまえばなんとかなる。そう考えてのことだったが、案の定、アンブリッジがそのあとをついてくる。

 

「そんなにあわてなくてもよろしいわよ。ゆっくりとお話がしたいだけですからね。とくに真ん中にいるあなた、まだわたくしとは話をしたことありませんわよね」

「あの、先生。あたしたちは」

 

 なにか、この場をうまく逃れる方法はないのか。アルテシアたちが顔を見合わせる。誰もがあれこれと考えをめぐらせているはずだが、効果的な策は思いつかないようだ。だが思わぬところから、救いの手がさしのべられることになる。

 たまたまだろうが、マクゴナガルが教職員テーブルで食事をしていたのである。そのマクゴナガルが、すっくと席を立ち、アンブリッジの前へとやってくる。

 

「どういうことです?」

「なにがですの、マクゴナガル先生。わたくしはただ、お昼を食べようと」

「では、あちらへどうぞ。いつものあなたの席が空いておりますよ」

 

 ここで、両者がにらみ合う。マクゴナガルの右手は教職員テーブルへと向けられており、そこへ行けとの意思を示している。アンブリッジは、その目を少し大きく開き、軽く首を横に振る。

 

「わたくしはですね、そこの生徒と話をしながら」

「いいえ。生徒には手出し無用に願います。実はこの子たちには特別な課題を出してありましてね。だからこそ、今日のような日にもここにいるのです。相談しながらの昼食となるでしょうから、どうぞお邪魔はなされませんように」

 

 にらみ合いは、なおも続く。気がつけば、大広間中の視線を集めており、空気もピンと張り詰めている。気温が下がっているようにも感じるが、それは気のせいだろう。どちらが先に動くのか、そんなことを誰もが思い始めたころ、マクゴナガルがすっと頭を動かし、アルテシアたち4人に目を向けた。

 

「あなたがたは、食事をなさい。そろってグリフィンドールのテーブルでかまいませんよ」

「は、はい。すみません、先生」

 

 そそくさと4人がテーブルのほうへ行ってしまうと、マクゴナガルは改めてアンブリッジに目を向けた。このときにはもう、アンブリッジはニヤニヤとした笑みをみせていた。

 

「マクゴナガル先生、わたくし、物覚えはいいほうですのでね。覚えておきますわよ。さてさて、あの子たちはどんな課題にどんな成果をみせてくれるのかしら」

 

 それだけ言うと、くるっと背を向ける。そして歩き出したのだが、その先は教職員用のテーブルではなかった。そのまま大広間から出ていったのである。そもそも、ここで食事をするつもりはなかったのかもしれない。アンブリッジを見送ったあとでマクゴナガルがアルテシアたちのもとへと歩いて行く。

 

「あなたたち、ほんとうはなにがあったのですか」

「なにもないです。入り口のところで偶然にアンブリッジ先生と会ったんです」

「では、あの先生の言ったとおりで間違いないと」

 

 そのとおりなので、4人はうなづくしかない。それをみて、ようやくマクゴナガルが表情を緩めた。

 

「わかりました。ですが今回のことで目を付けられた可能性がありますから、十分に注意することです」

「なんだか、アルテシアのことを気にしてるみたいでした」

「大丈夫です、わたしが手出しをさせません。とにかく、できるだけあの先生とは関わらないこと。授業以外は無視してよろしい」

「でも先生、そんなこと、いいんでしょうか」

「まあ、たしかに問題はあるかもしれません。ですが、わたしが叱られればすむことです。気にしなくてよろしい」

 

 この場は、なにごともなく済んだ。だがこれを機会とし、もともと良くはなかったであろうアンブリッジとマクゴナガルの関係は、徐々に悪化していくことになるのだ。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアたちがホグズミード村を訪れたのは、学校での昼食を終えてから。アンブリッジとの一件は、まさにイレギュラーといってもよいもの。この先のことは気になるにせよ、ひとまずマクゴナガルの言うことに従うしかなった。

 それはさておき、4人がいまいるのは、叫びの屋敷の前だ。村はずれの小高い丘のようなところにあり、あまり人が来ることのない場所だが、ここがティアラとの待ち合わせ場所になっていた。

 

「けど、ゆっくりと話ができるような場所じゃないね」

「人目を気にする必要なんてないと思うな。彼女が来たら、三本の箒にでも行こうよ」

 

 そう言ったのはパチル姉妹。たしかにティアラと会うのに、人目を避ける必要などないだろう。姉妹が、そろってソフィアをみる。

 

「そうですけど、話の内容がどうなるかわかりません。どうしてもあの人のことはでてくると思うんですよね」

「でも、立ち話じゃ落ち着かないし。やっぱりどこかに行こう、ね、ソフィア」

「わかりました、アルテシアさまがそう言うんなら」

 

 どこに行くかは、ティアラが来てから相談、ということで話はまとまった。だが、そのティアラがなかなか来なかった。姿を見せたのは、約束の時間を30分も過ぎてから。ティアラは、村の方から叫びの屋敷へと続く坂道を登ってきた。

 

「すみません、遅れてしまいましたよね」

「なにかあったの?」

「ええ、まあ。時間のことは知ってたんですけど、待っててくれると信じてましたから」

 

 なにがあったのか。ティアラが言うには、彼女は朝からホグズミード村に来ており、のんびりと通りを歩いていたら、ある店にホグワーツ生が次々と何人も入っていくのを見かけ、気になったので自分も店に入ってみたのだという。数えてはいないが、最終的には20人くらいの生徒が集まったらしい。

 アルテシアたちの話は、まずはそこから始まったのだ。ホグワーツでの3校対抗試合のとき以来しばらくぶりに会ったのに、再会を喜ぶといった話ではなかった。

 

「話を主導していたのは、女子生徒でした。ハーマイオニーと呼ばれてましたけど、知ってる人ですか?」

「うん、知ってるわ。それで、なにをしてたの」

「これから話しますけど、その話を聞いて、これはクリミアーナの名を持つ人がやるべきことだって思いました。なのになぜこの人がやってるんだろうって」

「どういうことですか、ティアラさん」

 

 誰にも、話の内容はみえていない。なので、ティアラの話すことを聞いているしかなかった。座る場所などないので、当然、立ち話だ。

 ティアラはそのホグワーツ生が集まったホッグズ・ヘッドという名のパブの店内に入り込み、その会合が終わるまでそこにいたらしい。ホッグズ・ヘッドにはほかにも数人の客がいたので、とくに怪しまれるようなことはなかったとのこと。

 

「つまるところ、闇の帝王であるヴォルデモート卿に備えるために防衛術をみんなで勉強しようってことですね」

 

 そのとき、ティアラはアルテシアを見ていた。もちろん、アルテシアに何か言って欲しいからだろう。そのアルテシアは、ちょっとだけ笑ってみせた。

 

「その話は聞いてるわ。誘われたけど、断ったのよ」

「聞いてもいいですか?」

「わかってるよ、ティアラ。なぜそこに参加しないのか、だよね」

「ええ、そうです。あの人たちは、危険から身を守るために協力しよう、みんなでがんばろう、そんな趣旨で集まってました。クリミアーナとして、当然そこにいるべきなのに」

「ちょっと待ってよ、一方的な話はごめんだよ。こっちにも事情があるんだから」

 

 そう言ったのはパーバティ。ほんの一瞬ティアラとにらみ合った形となるが、ティアラはすぐにアルテシアへと目を向ける。

 

「まさか、闇の帝王が怖いなんて言いませんよね。それとも、自分たちが大丈夫なら、ほかはどうでもいい?」

「待ちなさいよ。いきなりあんた、何言ってるの? アルテシアはそんなこと思ってないよ」

「いいのよ、パーバティ。ティアラの言いたいことはわかってるから。だよね、ティアラ」

「はい。でもこれでいいのかなって疑問は残りますね。こんなの、すっきりしない」

 

 もちろんパーバティも、それで納得などしたりはしない。アルテシアを押しのけるように、1歩前に出る。

 

「ちゃんと考えてるよ。そのための練習も準備もしてる。知らん顔してるわけじゃないし、怖がってもいないよ」

「ああ、気を悪くしたのならごめんなさい。もちろん、責めてるんじゃないですから。これは、わたしの希望」

「そっちこそ、何を言ってるのかわかんない。もう一度言うよ。アルはね、もしものときのために、ちゃんと準備はしてる」

 

 今日だってそのための練習をしてきたと、パーバティは、早口となりながらもそのことを説明する。そんなことまで言わなくてもいいとアルテシアやパドマが言っても、止まることはなかった。ティアラはその説明を聞きながら、ときおりソフィアに視線をむけていた。にこにこと、その顔に笑みを浮かべながら。

 

「なるほど。必要なことはやってます、だから大丈夫ってことですね。でも、ほんとにそうかしら」

「なによ、ダメだっていうわけ?」

 

 パーバティも少し興奮気味といったところ。それを見たティアラは、苦笑い。

 

「ダメじゃないです。あなたがいま言ったようなことは、やれって言われても、わたしにはできない。だよね、ソフィア」

 

 ソフィアは、うなずいただけ。ティアラが、あらためてパーバティに目を向ける。

 

「あなたにはできるの? ムリだよね。あれは、クリミアーナの直系だからこそ。光の操作は、そんな簡単なことじゃないんだよ。それをそんなにも大規模にできるなんて、感心するよりも、驚きでしかないわ。でもね」

「ティアラ、もういいよ。そこまででいい」

「いいえ。この際だから言わせてください」

 

 止めようとしたアルテシアだが、ティアラにはその気はないようだ。

 

「あなたたちは、肝心のことがわかってないのよ。いまやるべきことは、そんなことなのかな。それすらわかってないあなたたちが、すぐそばにいる意味ってあるの?」

「ちょっと、そこまで言うの」

「じゃあ聞くけど、もしこの人がいなかったらどうするの? 手が回らないときはどうするの? なにもかも押しつけて自分たちは何もしないの? ただ見てるだけ?」

「ちょっとティアラさん。言い過ぎだよ」

「違うよ、ソフィア。そこは、足りないって言ってくれなきゃね」

 

 そう言って笑みをみせたティアラだが、それも一瞬のこと。笑みの消えた顔が、アルテシアにむけられる。

 

「なぜですか? そりゃ、方法はいくつもあると思いますよ。でも今回は、すくなくともあのハーマイオニーという女の子のほうが正しいと思う。魔法の力はさすがですけど、その苦労の割には効果に乏しい。そんなことをわざわざ選ぶのはなぜ?」

「ティアラ、あなたの言うことはわかるけど」

「いくらクリミアーナのお嬢さまでも、同時にはせいぜい2カ所ですよね。それが3カ所なら、4カ所なら、5カ所なら」

「もういいから、ティアラ」

「さすがにムリですよね。でも、それぞれがそれなりの力を持っていたら。少しは対抗できるのなら。それで間に合ったりもするんじゃないですかね。だったら、そうしたほうがいいのに決まってる。なのに、なぜそうしないの?」

 

 パチン、と音がした。ほおを赤くし顔を横に向けているティアラの横で、ソフィアが、自分の右手を見つめている。身長はティアラの方が高いのだが、もちろん手が届かないほどではない。

 

「言い過ぎだって、そう言ったよ。そんなこと、言われなくてもわかってるんだから」

 

 その一瞬、さすがに誰もが無言となるが、アルテシアは微笑みながらティアラの手を取り、そこへソフィアの手を重ねていく。

 

「ごめん、わたしのせいだよね。でも大丈夫、心配かけるけど、これからもわたしを見ててね」

「わかりました、じゃあこの話は、これまでということで。でも最後に、もう一言だけ」

 

 ティアラがその一言を言う相手は、ソフィアだった。

 

「強く願えば、きっと願いはかなう。物語がつくられるのはこれからだよ」

 

 なんのことか、誰にもわからなかっただろう。ソフィアもそのはずなのだが、驚いたような表情のままアルテシアやパチル姉妹をみたあとで、もう一度、ティアラをみる。ティアラが、ポンと軽くソフィアの肩を叩いてみせた。

 

 

  ※

 

 

 マダム・ロスメルタが店主を務める、明るく賑やかなパブ。その三本の箒は、中途半端な時間であるためか、それほど混んではいなかった。もう少し早ければ、あるいは遅ければ、食事をする客やお酒を求める客などで賑わっていただろう。ホグワーツの生徒や教職員の出入りも多いその店に、アルテシアたちが来ていた。今回は、ティアラを加えた5人である。

 

「でもティアラ、元気そうでよかった。さっきはそんなあいさつもしてなかったけど、しばらくぶりで会えてうれしいよ」

「わたしもです。そらちの双子さんも、ソフィアも」

 

 そこにパチル姉妹も混ざり、それぞれにあいさつを交わす。叫びの屋敷横であれこれと話をしているのだが、この店に来るまでは、誰もあいさつなどしていなかった。つまり順番はムチャクチャ、なのである。

 

「ここは、いい雰囲気の店ですね。あっちの店とは大違い。ま、おかげで怪しまれることはなかったんだけど」

「あっちの店って、どこなの?」

「あなたは、どっち?」

「どっちって何が? 質問したのはこっち、だけどね」

「ああ、ごめんなさい。じゃあ、当ててみるわ。ええとね」

 

 そこでパチル姉妹は、気づいた。つまりが姉か妹か、そのどっちかということ。姉妹にとっては、物心ついて以来、幾度となく繰り返されてきた質問であったし、当ててみると言われたことも何度かある。ちなみに正解率はほぼ50%であるらしい。ティアラが、となりにいるソフィアに目を向ける。

 

「あなたはわかるの?」

「あたしですか。いまの人がパーバティ・パチルだってことはわかってますけど」

「ふうん、さすがだね。あたしにはムリみたい」

 

 パチル姉妹にとっては、決して楽しい話題ではないのだが、わざわざ指摘することでもないため、黙って聞いている。

 

「じゃあ、パーバティさん。それから、パドマさんだよね。これから名前を言ってはいけないとされている人の話をしたいんだけど、その名前、言わない方がいい?」

「ティアラ、あの人ってことにしといて。周りの目もあるし」

「ああ、そうですか。じゃあ、そうしましょ」

 

 返事をしたのは、パーバティではなくアルテシア。それほど混んではいないといっても、となりのテーブルにはお客が3人いるし、店内にはホグワーツの生徒も何人かいるのだ。

 そこでアルテシアが、パチンと指を鳴らした。

 

「あれ? そういうことするんなら… ああ、わかってます。例のあの人は、まだどこにいるのかわかってないんですけど」

 

 周囲に話し声が聞こえないようにと、アルテシアが耳ふさぎの魔法をかけたことに、ティアラはすぐに気づいたようだ。だがそのことには触れずに、ティアラが話を続ける。

 

「いまのところは、仲間を増やそうとしてるみたいです。自分の足下を固めようってところでしょうが、かならずしもうまくはいってないようですね」

「そうなんだ」

「なにしろ以前の仲間、デス・イーターと呼ばれた人たちですが、より忠実な部下はアズカバンに収容されてますからね」

「まさか、そんな人を連れてこようとしてるんじゃ。そんなのってアリなの?」

 

 そう言ったのはパドマだが、ソフィアによれば、その可能性はほぼ100%。忠実なる部下をアズカバンから取り戻すことができたとき、いよいよ表だっての行動開始となるのではないかと、そんな予想をしているようだ。

 

「どうしてそんなこと知ってるのかって、聞いてもいい?」

「ええと、あなたはパドマ、のほうだよね」

「そうよ。言っておくけど、調べたかったから、なんていう返事はいらないから」

「もちろん、お嬢さんにお伝えするためよ。それにあなたたちだって、知りたいと思ってたんじゃないの」

 

 お嬢さん、とはアルテシアのことだろう。クリミアーナ家の近くに住む住民たちのなかに、アルテシアのことをそんなふうに呼ぶ人たちがいるのだが、ティアラのクローデル家でもそう呼んでいるのかもしれない。

 

「あの人のことをなんとかしたいと思っていて、それができるのが、ここにいるこの人だけ。そうなんだとしたら」

 

 ティアラが、さらに言葉を続けていく。

 

「だとしたら、べつにおかしなことじゃないでしょう? ごめんなさいね、少なくともわたしは、そう思ってるの。そのために必要な情報なんだと思ってる。だから、調べてるの」

「ありがとう、ティアラ。とても役に立つよ。知ることって、大切だと思う。大丈夫、例のあの人のことは、わたしが責任を持って引き受けるから」

 

 それが、ティアラの考え。ティアラは例のあの人を、ヴォルデモート卿をなんとかしてくれと言っているのであり、アルテシアが、それを引き受けたということになる。

 もっともアルテシアは、これまでにもソフィアのルミアーナ家とヴォルデモート卿に関しての約束をしているし、パチル姉妹にしても、そのことは知っている。それと同じようなことが約束されたのだと、パチル姉妹はそう理解した。このままティアラが何も言わなければ、この話はここまでということになり、次の話題へと話は続いていただろう。だがティアラは、そのことを口にしてしまう。

 

「せっかくそんな話になったんだから言わせてもらいますけど、クリミアーナの魔女としては、闇の帝王とも呼ばれるあの人を、いったいどうするつもりなんですか。責任を持って、どうしてくれるんでしょう?」

 

 実際にヴォルデモート卿と相対したとき、アルテシアはどうするのか。そのあとは、どうなるのか。さすがに誰も、そんな具体的なところまではイメージしてはいなかったようだ。パチル姉妹は互いに顔を見合わせ、ソフィアは心配そうにアルテシアを見る。

 

「とりあえずは、二択ってことになりますね。敵となるか、それとも味方するのか」

「あんたねぇ、アルがあの人の味方なんかすると思うの」

「さあ、どうでしょうか。だってわたし、まだ答えをもらえてませんからね」

 

 こうなれば、すべての視線がアルテシアに集まるのは仕方がない。そのことに、アルテシアは苦笑するしかなかった。

 

「こんな言葉があるのよ、ティアラ。右か左、光か闇、そのどちらを選ぶとしても、それが最善であるのかを自分に問いなさい」

「どういうことです?」

「あの人と会ったときどうするか、だったよね。正直、よくわからない。でもウワサだけを信じるなら、ココにはいないと思うけど」

 

 言いながらアルテシアは、ポンポンと、自分の左胸のあたりを軽く叩いてみせる。そしてなおも、言葉を続ける。

 

「確かめたいことがあるのよ。すべてはそれからってことになるかな」

「すみません、アルテシアさま。ウチの家のせいで」

「ううん、ソフィアが謝ることはないんだ。これはもう、わたしの問題なんだからね」

「どういうことです?」

 

 これは、ティアラの質問。その目は、ソフィアとアルテシアの間をいったりきたり。

 

「そんなの決まってるじゃない。アルは光の魔女だからだよ。その明るさで闇の人たちだって、照らすに決まってるじゃない」

「なんなのよ、それ。質問の答えになってない」

「まぁ、いいじゃない。あたしたちは、これからも力を合わせてやっていけるってことだよ。だって、アルテシアがいるんだもん。アルテシアが笑ってる限り心配はいらないって、そんな気になるでしょ?」

 

 あっけにとられたような顔のティアラと、それを見ながら笑っているパドマ。つられてアルテシアが微笑み、パーバティも笑みを浮かべている。そんな4人をソフィアは、ただ見守るかのようにじっと見ていた。

 

 

  ※

 

 

 もちろん、ホグズミード村にいつまでもいられるわけではない。決められた時間までに学校に戻らねばならないのだ。まだあわてるような時間ではないが、いくらかの余裕を持って三本の箒を出る。アルテシアたち4人にとっては、今回のホグズミード行きは、少々ものたりないものとなっただろう。なにしろ、叫びの屋敷と三本の箒の2カ所だけ。いろいろと見て回ることはできなかった。

 

「ティアラさんは、これから帰るんだよね?」

 

 そんなパーバティの問いかけに、ティアラがうなずく。ティアラはボーバトンの7年生で、今日は特別に外出許可を取ってきているらしい。さすがにホグワーツの寮には泊まれないから、と笑ってみせる。

 

「でも、学校の近くまで一緒に行きますよ。もうちょっとだけ、しゃべれるじゃないですか」

「そうだね。じゃあ、アル。ほら、あんたもここへ来なよ」

 

 パーバティが中心となり、両脇にティアラとアルテシア。なにやら楽しそうに話をしながら、学校のほうへと歩いていく。ホグズミード村には、まだホグワーツの生徒たちの姿がある。もっとも、誰もが帰り支度の最中。歩いていく方向は同じだ。

 そんななか、ソフィアがパドマに目で合図をおくる。おやっという顔をしたパドマだが、ソフィアのゆっくりめの歩調に合わせ、横に並ぶ。

 

「どうしたの?」

「ちょっと、パドマ姉さんと話しておきたいことがあって」

「もしかして、内緒の話ってこと?」

 

 ソフィアがうなづく。そして、パチンと指を鳴らした。アルテシアたち3人とは、3メートルほどは間が空いてしまっただろうか。そこからは、同じくらいの距離を保ちながら歩いていく。

 

「というか、ちょっとした相談です。パドマ姉さんなら、気づいたかもって思うんですけど」

「なにを?」

「叫びの屋敷のところで、ティアラさんが言ったんです。強く願えば、きっと願いはかなう。物語がつくられるのはこれからだって」

「あ、そのこと」

 

 もちろんパドマも、それを聞いている。だがそれがどうしたのか、パドマは特に気にしてはいなかったらしい。

 

「これからみんなで頑張っていこうって、そういう話なんじゃないの。あのときは、そう思ったんだけど」

「ああ、そうですよね。うん、そうか、そうですよね」

「なによ、違うの?」

 

 それでも、ソフィアのようすはぱっとしない。まだ、なにごとか考えているようだ。

 

「言いなさいよ、ソフィア。なにが気になってるの、大事なことなんでしょ」

「パドマ姉さんは、ティアラさんのことをどう思います?」

「どうって、なにか問題ある人なの? あんたたちとは、ずーっと昔からのつながりがある家の人なんでしょ」

「ああ、そうですね。一度は衝突してるんですよね」

「それって、500年前のことでしょ。あんたらには、関係ないことなんじゃないの」

 

 そのときの騒動については、パドマもアルテシアから話を聞いているが、あまり詳しいものではない。アルテシアにしても、細かい部分となると、想像するしかないようだ。

 

「アルテシアさまの魔法書、新しくなったじゃないですか。もう、ひととおりは読んだそうなんですけど」

「なにかあるの?」

「なにもないって思ってました。でも、ティアラさんのあの言い方。あれは、そういうことなんじゃないかと」

「どういうことなの? わかんないよ、ソフィア」

 

 ここで言いよどむ必要なんて、あるのか。パドマはそう思っただろう。だがソフィアとしては、言いにくいことであるらしい。だが言うべき事は言わなければと、そう思ったようだ。

 

「あのとき、あたしたち心配したじゃないですか。アルテシアさまが、どこか変わってしまうんじゃないかって」

「ああ、それは。でもあんたは、なんにも問題ないって、そう言ってたはずだよ」

「たしかに、そう言いました。だって、そうなんですから」

「でも、違ったとか? まさか、そんなことじゃないよね」

「もちろんです。誤解してほしくないんですけど、魔法書が人を変えるってことはありません。読んだからって、性格とか人柄が変わったりはしないんです。ただ、知識が増えるだけ」

「だよね」

 

 だったら、何を気にしているのか。パドマには、まだソフィアの言いたいことが見えてきてはいない。ソフィアも、それはわかっているはずだ。だから、

 

「でも、それで安心するなって、ティアラさんが言いたいのはそんなことなんだって、もしそうだとしたら」

「ソフィア」

「パドマ姉さん。お姉さんはどう思いますか。やっぱりそうなんだって、そう思いますか?」

「あ、いや。あたしにはまだ、よくわからないんだけど」

「あたしにも、わからないんです。でも、新しい知識や魔法が一気に押し寄せてきて、そんなときに、ふっとなにか、入り込んだりすることがあるんだとしたら。もし、そんなことがあるんなら。ティアラさんがそう言いたいんだとしたら」

「ちょ、ちょっと、ソフィア。待ちなさい、とにかく落ち着いて」

 

 まだパドマは、ソフィアの言うことの、そのすべてを把握したわけではない。むしろ要領を得ない部分の方が多いのだが、これを聞き流したり、おざなりの返事ですませられるようなことではないということは、理解した。もうじき学校についてしまうが、このことは、たとえ時間がかかろうともちゃんと話し合っておかなければない。ちゃんと理解しておく必要がある。

 パドマは、そう思ったのだ。いったん話を止めさせたのは、そう考えたから。姉のパーバティはもちろんだが、マクゴナガルも含めて話をしたほうがいいかもしれない。アルテシアのためなのだから、手間を惜しんでなどいられない。

 でも。

 少し前を歩く姉とアルテシアの背中を見ながら考える。ティアラの姿がないことなど、どうでもよい。問題は、そのときアルテシアもいるべきなのかどうか。そこにアルテシアがいたほうがいいのかどうかだ。

 

「ソフィア、その話は、大事なことだと思う。だからさ、時間がかかってもちゃんと話をしよう。場所も変えるよ、いいね」

「は、はい。でも」

「ねえ、ソフィア。そこには、アルテシアもいたほうがいい? それとも、いないほうがいいのかな?」

 

 ソフィアは、少しだけ考えるそぶりをみせたあとで、パドマにその返事をした。

 



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第86話 「図書館騒動」

 アンソニー・ゴールドスタインは、迷っていた。声をかけるべきなのか、それとも、このままやり過ごした方がいいのか。それが決められなかったのだ。

 その理由については、彼にも心当たりがある。前夜に寮の談話室で、パドマ・パチルから話を聞いたからだ。詳しいことは話せないけど、との前提付きであったし、それゆえの納得しづらい部分もあった。その話がいま、彼をためらわせているのである。

 

(でも、なぜひとりなんだろう)

 

 そんな疑問も、アンソニーのなかにはある。昨夜のパドマの話からすれば、アルテシアをひとりにしておくはずがない。なのにどうみても、彼の視線の先にいるアルテシアはひとりだ。となりには、誰もいないのだ。歩いていく方向から、行き先は図書館だろうと推測されるのだが、それもまた、いつもの彼女には似合わない気がする。

 アンソニーのなかで、いわば常識化されていることのひとつに、アルテシアは図書館では勉強しないというものがある。図書館を利用しているところを、あまり見た覚えがない。それにアルテシアのとなりには、いつも誰かいるはずなのだ。いつもならパドマ・パチルの姉だし、下級生のスリザリン生だったりもする。ひとりであることなど、めったにない。もしかすると、ひとりで廊下を歩く姿を見るのは、アンソニーにとって初めてなのかもしれない。

 だが見方を変えれば、目の前の状況はアンソニーにとっては絶好の機会。2人だけで話をするチャンスなのだ。当然話しかけたいところだが、前夜にパドマから聞いた内容が、彼をためらわせる。

 

(あ!)

 

 ようやく、と言うべきかどうか。この段階でアンソニーは、いま図書館に行くのはマズイのではないか、と考えた。アンソニー自身は少し前まで図書館にいて、そこでちょっとした調べ物をした帰りにアルテシアを見かけたということになるのだが、その図書館には、あのアンブリッジがいたのだ。このままアルテシアが図書館へ行ったなら、当然、顔を合わせることになる。

 

『とくにアンブリッジとは、絶対に話をさせたくないの』

 

 前夜の話のなかで、パドマが言ったことだ。授業中は仕方がないが、それ以外では徹底的に避けるべき。しかも、マクゴナガルの許可を得ているというのだ。理由の説明はされていないが、あの厳格なマクゴナガルがそこまで言うのだから、ちゃんとした意味があると、そう思うべきなのだ。

 アンソニーは、決めた。アルテシアを、図書館へ行かせるべきではない。すぐにアルテシアのあとを追いかける。

 

「や、やあ、アルテシア。どこに行くんだい」

 

 アルテシアが振り返る。そのことで歩く速度が落ちたアルテシアを、アンソニーが追い越し、その前に回り込む。図書館を背にしたアンソニーが、アルテシアと向かい合う格好となったわけだ。

 

「どこって、図書館だけど」

「へ、へえ、図書館に行くなんてめずらしいね」

「そうかも。パドマに調べ物頼まれちゃって。自分はほかに用事があるからって」

「ああ、そうなんだ。でもさ、今は、やめといたほうがいいんじゃないかな」

「え?」

「だってほら、ええと、キミはひとりじゃないか。パドマの姉さんはどうしたんだい? 一緒のほうがいいんじゃないかな」

 

 うまい言い訳とはいえないが、ともかく会話を続けること。そうしながらアンソニーは、少しずつでも図書館から離れようと考えていた。図書館とは逆方向へと歩きながら話をすることができれば、それがベストなのだ。だがアルテシアは、その場に立ち止まったまま。

 

「わたしだって、ひとりのときもあるよ。それにもちろん、図書館の場所も知ってるよ」

 

 そう言って、笑う。だがもちろん、その笑顔に見とれている場合ではないことぐらい、アンソニーもわかっている。

 

「図書館、だよね。ええと、そうだ、明日にしないか。えっと、みんなで行ったほうが楽しいだろ」

「そりゃ楽しいだろうけど、図書館で騒いだりしたら怒られるよ」

「あ、そうか。そうだよね。ええと」

 

 なぜだか、不安な気持ちがわき起こる。イヤな予感がするのは、なぜだ。しかもアンソニーは、あいかわらずアルテシアを誘導できないでいた。図書館から離れるどころか、近づいてさえいるのだ。

 

「ま、待てよ、アルテシア。その、お願いだ。ちょっと、来てくれないか」

「いいけど、どうしたの?」

「どうもしないさ。なんでもないんだけど、とにかくお願いだ。図書館は明日にしてくれ。とにかく行こう」

 

 こうなったら、引っ張ってでも。あるいはそう思ったのかもしれないが、アンソニーがアルテシアの手をつかむ。そして。

 

「お待ちなさい、そこ。なにをしてるのかしら」

 

 この甘ったるい感じのする高い声は、アンブリッジのもの。聞き違えるはずがない。思わずアンソニーは、目を閉じた。

 

「まさか、女の子をムリヤリ? あんまり感心な行為だとは思えませんけどね」

 

 その声、が近づいてくる。さて、どうすればいいのか。アンソニーの頭がフル回転を始める。まずは、逃げるという選択肢。少しだけ距離がある。しかも背を向けているので、アンブリッジはまだ誰なのか特定できてはいないはず。いま、逃げ出せば。

 だがアンソニーは、その考えを捨てた。自分だけなら逃げ切ることは可能だろう。だがアルテシアがいるのだ。もちろん置いていくわけにはいかないし、逃げるにしても、その理由を説明をしている時間がない。アンソニーは、ゆっくりと声のする方へと身体を向けた。

 

「アンブリッジ先生、なにか見間違えをされたんだと思いますよ。ぼくは、そんなことはしてません」

「おや、そうですか。おや! おやおや、まあ、こんなところで会うなんて。あなた、課題はどうなったのかしら」

 

 これでもう、自分たちが誰なのか把握されてしまったことになる。もはや、逃げることは得策ではない。

 

「課題、ですか?」

「そうですよ。マクゴナガル先生がおっしゃったでしょう。まあ、ホントかどうかは疑わしかったのですけれど」

「せ、先生。そんなことよりぼくたち、もう行ってもいいですか。ちょっと立ち話してただけなんですけど」

 

 まさか、アンブリッジとこんなことになるなんて。これは、さすがに予想外だ。いまは、できるだけ早くこの場から逃げ出すこと。それが最優先。アンソニーは、必死に考える。

 

「少し、お待ちなさいな。事情を聞きませんとね」

「ですから、ぼくたちは」

「お黙りなさい。こういう場合、事情を聞くのは女の子のほうからでしょう。そこのあなた、何があったのか話してくださいね」

 

 アルテシアが、一瞬だけ、アンソニーを見る。だがアンソニーは、アルテシアを後ろへと押しやり、自分がより前に出た。

 

「ぼくが説明します。どこでも説明しに行きますから」

「なんですって」

「だから、彼女は行かせてやってください。図書館で、なにか調べ物があるんです」

「おーや、そうなの。図書館でね。いいでしょう、では、図書館へ行きましょうか。2人ともついてきなさい」

「えっ! あの、アンブリッジ先生」

 

 こうなることも、アンソニーには予想外、であっただろう。

 

 

  ※

 

 

「あなたがたの言いたいことは、よくわかりました。なぜアルテシアを連れてこなかったのかも理解しましたが、いいことではありませんね」

「どういうことですか、先生。この話はアルテシアには聞かせない方がいいって思ったんですけど」

「そうなのかもしれません。ですが、あまり難しく考える必要はないのではと、わたしは考えているのです」

 

 図書館近くの廊下で、アルテシアとアンソニーがアンプリッジと相対していたころ、マクゴナガルの執務室では、こんな会話がされていた。そこにいるメンバーは、マクゴナガルとパチル姉妹、そしてソフィアである。話の内容は、ホグズミードから学校へと戻る道で、ソフィアがパドマに相談したことの続き、ということになる。

 アルテシアが、ひとりで図書館へ行こうとしていたのにはこんな理由があったということだが、考えすぎだとするマクゴナガルに対し、すぐにソフィアがかみついた。

 

「先生、先生は気づいてたってことですか。なぜ、言ってくださらなかったんですか」

「落ち着きなさい、ソフィア。わたしも、100%の確信があるわけではないのです」

「で、でも、先生。ほんとに大丈夫だと思われますか。なにか、おかしな影響を受けたりすることはないんでしょうか」

「ソフィア、あなたは自分で言ったことすら忘れているようですね」

 

 もともとこの話は、ホグズミード村でのティアラの言動に対し、ソフィアが疑問を持ったことに始まっている。魔法書が部分的に分けられていたため、アルテシアは、その不足分を改めて学ぶことになった。ソフィアは、その過程でなにか不都合があったのではないかと気にしているのだ。

 だがマクゴナガルによれば、ソフィアは、肝心なことを忘れているらしい。

 

「もちろん、あなたの言うこともわかります。ですがやはり、あの子はあの子、アルテシアはアルテシアです。どこか変わってしまったり、違っていたりはしない。そうは見えないのです」

「でも、先生。ソフィアが心配することもわかる気がするんですけど」

 

 これは、パドマだ。パーバティは、ただじっと、話を聞いている。ソフィアも、その視線はマクゴナガルに釘付けだ。

 

「たしかに。ですが、これは以前にソフィアが言った言葉でもあるのですが、魔法書を読んだからといって性格とか人柄が変わったりはしないのです。ただ、知識が増えるだけ」

「そうですけど、今度の場合は違ったりしないんでしょうか。だってアルテシアさまは、もう1度魔法書を」

「もう少し、わたしの話を聞きなさい。なるほどアルテシアは、改めて魔法書を学びました。このようなケースは、おそらくはクリミアーナの歴史において初めてのことでしょう」

 

 そのことは、ソフィアも承知している。だからこそ、なにかしらの不測の事態が紛れ込む可能性を気にしているのだ。

 

「ですが、だからといって状況が変わるわけではない。大きく違うことはないはずです。気になるのは、ミス・クローデルの言動ということになりますが、おそらく彼女は、確かめたのではないかと思いますね」

「なにを、でしょうか」

 

 マクゴナガルは、特に問題はないはずだという。そして話は、ミス・クローデル、つまりティアラがなにを確かめたのか、ということに移っていくのだが、はたしてソフィアは、それで納得したのかどうか。

 

「ホグズミード村での話を聞く限り、どうやら彼女は、あなたたちの反応をみたのだと思いますね。特に、アルテシアを」

「アルテシアの反応、ですか」

「ともあれ今回、アルテシアのもとには、多くの新しい知識と魔法とが押し寄せた。それは間違いありません。ああ、ソフィア、もう少しだけ話を聞きなさい」

 

 ソフィアが、なにか言おうとしたのだろう。軽く右手を挙げて押しとどめると、なおも話を続ける。

 

「その増えた知識がアルテシアの考え方や行動、発言といったものに影響を与える可能性は、たしかにあるでしょう。でもそれは、授業で学び、知識を得、成長していくことと同じようなものだと思いますね」

「でも、先生」

「ええ、ソフィア。だからこそ、そのティアラなる女性は、確かめたかったのでしょう。いまのアルテシアの考えが聞きたかった。そう思いますね」

 

 少しの間、誰からも声はなかった。マクゴナガルが、ゆっくりと3人に視線を向けていく。なぜか、パドマが手をあげる。

 

「なんですか、ミス・パチル。ああ、妹さんのほうですね」

 

 マクゴナガルには、双子の姉妹を見分けることができるのだろうか。そんな疑問もあったが、パドマには、そんなことよりも優先したい質問があった。

 

「ソフィアも同じだと思うんですけど、アルテシアって、とても素直ですよね。もちろん自分の考えは持ってるし、頑固なところもあるにはあるんですけど」

「ああ、たしかにそうですね。さすがによく見ていると思いますよ」

「ソフィアが心配しているのは、新しい知識や魔法が一気に押し寄せてきているとき、その横でささやかれたことが、ふっとアルテシアのなかに入り込むんじゃないかってことです。だってアルテシアは、人の話は聞くし、ちゃんと考えるし、頼まれごとも、よほどじゃないと断ったりしない。あれこれ世話を焼いたりもするんです」

 

 そう言いはしたものの、さすがにパドマ自身は、そこまでのことは考えていない。いくらなんでも、誰かに何かを言われたくらいで考え方や性格などが変わったりするとは思っていないのだ。だが、魔法書のことがある。魔法書のことを考えたとき、そんなこともあるのかなと、ほんの少しだがその可能性を感じずにはいられない。せいぜいが、そんなところなのだ。

 

「ミス・パチル。そのことが気にならないといえば、ウソになります。気になることはたしかです」

「先生」

「どんなに優等生であっても、間違った教育環境によって堕落してしまう、というのはあり得ることです。ましてやアルテシアには、魔法書のことがあります。できるのなら、よけいな雑音は遠ざけておきたい。そんな時期であるのは間違いない」

 

 ではマクゴナガルも、そう思っているのか。誰もがそんなことを思うなか、マクゴナガルの熱弁が続く。

 

「そもそも教育というものが、どれほど重要なことであるのか。教師というものが、いかに重い責任を負っているのか。それがわかっていないのです。正しい方向へと生徒を導くことの必要性を、あの人は理解していないのです」

「あの、先生、それは」

「教師には、生徒を正しく導く責任があるのです。その責任を放棄するようなことを、わたしは認めない。間違った方向へ導こうとするなど、わたしは決して許さない。ここで間違ったなら」

「あの、先生。大丈夫です、わたしにまかせてください」

 

 マクゴナガルの熱弁をさえぎり、そう言ったのはパーバティ。必要以上とも思える明るい声と調子は、わざと、なのだろう。

 

「任せろとは、どういうことです?」

「あたしが、アルのそばにいます。ずーっと、一緒にいます。向こうの側には行かせない。ひとりにはしませんから」

「ミス・パチル。それはつまり、あなたがアルテシアの耳をふさぎ、目を閉じ、足を縛ってみせると、そういうことなのですか」

 

 あの、明るい調子はどこへやら。パーバティは、笑顔の消えた顔で、マクゴナガルの視線を受け止めていた。

 

 

  ※

 

 

「なるほど。おおよその事情はわかりました。では、あなたは帰ってもよろしくってよ」

「えっ、あのアンブリッジ先生。ぼくだけ、ですか。もちろんアルテシアも一緒ですよね」

「あなただけ、ですよ。わたくし、そう言いましたでしょ」

 

 そこで、アンブリッジが笑ってみせる。笑顔には違いないのだが、笑顔にもいろいろあるんだなと、まったく違う別の笑顔を思い浮かべながらアンソニーは思った。もちろん、そんなことを考えてる場合ではないのだが。

 ここは、図書館。司書であるマダム・ピンスにムリヤリに近いかたちで閲覧用のテーブルを確保させ、誰も近づけないようにと指示をして、そこに陣取っているのである。場所としては、一番奥。入り口からも遠く、最も目立たないところになる。

 

「さあ、早くなさい。わたくし、彼女と話があるのですよ。ここはとても静かですから、ゆっくりと話ができるでしょう。あなたさえいなくなればね」

「いや、あのですね、アンブリッジ先生」

「いいのよ、アンソニー。先に戻って。わたしもすぐに」

「いいや、ダメだ。ダメなんだよ、アルテシア」

「レイブンクロー寮から、5点減点」

「えっ!」

 

 思わぬ減点の宣告。驚くアンソニーとアルテシアを、アンブリッジがニタニタと笑いながら見ている。

 

「教師の指示に従わないのですから、当然だと思いますよ。それで、何がダメなんです? さあ、おっしゃって」

「いいえ、べつに。ただ、アルテシアを連れて戻らなきゃいけないって、そう思ってるだけです」

「おーや、あくまでも頑張るというのね。では、アルテシアさん、あなたはどう思います? 何がダメなんだと」

「いけないよ、アルテシア。何もしゃべっちゃいけない。何も言っちゃいけない」

「どうしたの、アンソニー。なにかあったの?」

 

 その返事すら、アンソニーにはできない。アンブリッジに聞かれてしまうからだ。それにしても、なぜこんなことになったのか。なぜ自分は、アンブリッジに逆らっているのか。どうすれば、このピンチを乗り切れるのか。アンソニーは、自分で自分に問いかける。

 

「これで最後にしましょうか。わたくしも、それほどヒマではないのよ。さあ、おとなしく帰りなさいな」

「いいえ、ぼくは、ぼくは」

「おーや、あくまでもわたくしの言うことに逆らうというのですね。そうなれば、処罰ということになりますよ」

「処罰って、まさか」

「それがイヤなら、何がダメなのかを言うのです。このお嬢さんに何もしゃべるなというのはなぜ? その理由を話すのです。ほら、早く言いなさい」

 

 そんなのオレが聞きたいと、アンソニーは、そう叫びたかっただろう。なにしろ彼も、詳しいことは知らないのだ。ただ前夜に、パドマに言われただけ。アルテシアとはしばらく話をしないようにと、そう言われただけなのだ。ただそれだけのことなのに、なぜこんなことをしているのか。

 もちろん、理由を尋ねた。だがパドマもよく分かってはいないらしく、十分な説明はされなかった。詳細はあとになるけど、とにかくアルテシアはそっとしておく必要があるのだと。

 

「まったく、言うなというのに言うのをやめない生徒もいれば、こうして必要なことを言わない生徒もいるなんて。やはりホグワーツの教育には、思い切った改革が必要ですわね。ねえ、お嬢さん。あなたもそう思うでしょう?」

「アルテシアに話しかけるな。アルテシアも、返事をしちゃいけないよ。黙ってるんだ。いいね」

「待って、アンソニー。よくわからないんだけど、わたしのことが原因なら、気にしなくていいよ。アンブリッジ先生、わたし、ちゃんとお答えしますから、アンソニーの処罰はなしにしてくださいませんか」

 

 図書館には、もちろん他の生徒もいる。誰もがアンブリッジから離れたところにある閲覧テーブルにいるのだが、話が聞こえている生徒もいるかもしれない。

 アンブリッジが、またもやニターっと笑ってみせた。いいものを見つけたとでも言いたそうな、そんな顔で。

 

「いいでしょう、アルテシアさん。あなたがわたくしの言うことを聞いてくださるのなら、処罰はなしでもよろしいわよ」

「ほんとですか」

「いや、アルテシア。ダメだって」

「このうるさい生徒はほおっておきましょう。よろしいわね?」

「帰るんだ、アルテシア。寮に戻るのに先生の許可なんかいらない。だいたいキミは、なんだってひとりで図書館なんかに」

 

 なぜかアンブリッジは、何もいわずに2人を見ている。アルテシアがアンソニーにうなづいてみせたあとで、アンブリッジに視線をむけた。

 

「先生、寮に戻ってもいいですか。あとで必ず、先生のお部屋におうかがいします。ここは図書館なので、みんなの迷惑になると思いますから」

「ああ、そうだ。そうだよね、うん。それがいいよ、たしかにみんなの迷惑になるからね」

 

 アンソニーが賛成してみせたのは、とにかくアンブリッジから逃れることが先決だと考えたからだ。フリットウィックかマクゴナガル、あるいはパドマでもいい。とにかく誰かの手を借りなければ。

 

「アルテシアさん、お約束、できますわね」

 

 じっと、アルテシアを見るアンブリッジ。アルテシアが返事をしようとする、その寸前でアンソニーが割り込む。

 

「ダメだよ、アルテシア。なんであれ約束はしちゃいけない。その前に誰か、このさいスネイプでもいいんだ。とにかく誰かに相談してくるんだ。さあ、早く行って」

「お黙りなさい。ここは図書館ですので、静かにね。で、アルテシアさん。どうするの? わたくしの言うとおりにするのか、それともこの生徒に罰則を受けさせるのか」

 

 笑顔にもいろいろあるのだと、アンブリッジを見ながら、改めてアンソニーは思う。こんな意地悪そうに笑うことができるなんて、信じられない。こんな笑い顔が世の中に存在していいのか。思わず目を閉じたアンソニーの頭の中に、何度も思い浮かべたことのある笑顔があらわれる。そうだ、これだよ。笑顔だって言うんなら、こうでなくては。

 つかのま、まぼろしの笑顔にみとれたあとで、ゆっくりと目を開ける。なぜだろう、アンブリッジが立ち上がっている。

 

「では、わたくしはこれで。なかなか、楽しいひとときでした。では、またね。ごきげんよう」

 

 ああ、ようやくこれで…… これでようやく、肩の荷が下りたのだ。アンソニーは、ほっと胸をなでおろす思いだった。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツの生徒のなかで、もっとも図書館を利用しているのは誰か。試しに誰かに聞いてみればいい。まず間違いなくハーマイオニーだという答えが返ってくるだろう。このことを疑う者など、おそらくは誰もいない。

 だがこのとき、ハーマイオニーは図書館にはいなかった。アルテシアが図書館でアンブリッジと相対しているとき、図書館ではなく、談話室の片隅でハリーと話をしていたのである。ロンのほうは、もう夕食の時間だということで、一足先に大広間に行っている。

 

「だから、なんとかしてアルテシアも仲間に引き込まなきゃいけないわ。アルテシアがいるかいないかで、参加メンバーだってずいぶん変わってくるんだから」

「わかってるよ。でも、どうするっていうんだい。あいつには、きっぱりと断られたんだろう」

「そうだけど、ハリー。まだ望みはあると思うわ。アルテシアだって、このままでいいなんて、思ってるはずないんだから」

 

 2人の前には、ホグズミード行きのときに作った参加者リストがある。防衛術の自習をしようとハーマイオニーが呼びかけ、集まった人たちのリストだ。参加意志の確認と、誰にも情報をもらさないという約束の意味とが込められた、いわば誓約書でもある。そこに記された名前を改めて確認し、ハーマイオニーが自分のカバンのなかへとしまい込む。

 

「でもぼくは、もっと少ない人数を予想してた。キミが集めすぎたって思ったくらいなんだ」

「いいえ、本当ならもっと集められてたのよ。アルテシアは来るのかって聞かれて、あたし、返事ができなかった。今思えば、交渉中だとか言えばよかったんだろうけど、そんな人もいたのよ」

「誰だい、それは。アルテシアが参加したら、そいつも参加するっていうのかい」

 

 それが誰かをハーマイオニーは言わなかったが、聞かなくても予想はできるとハリーは思っている。来そうでいて来てないヤツ、たとえばそいつがそうなのだ。

 

「スリザリンがいないのは当然としても、レイブンクローが少ないよね。あんまり声をかけてないの?」

「スリザリンは、あの子だけよ。もしかしたらって思ったんだけど、アルテシアと一緒じゃなきゃイヤだって。パドマもそうだし、アルテシアにはアルテシアのグループみたいなのがあるんだわ」

「それは、あるだろうね。ぼくたちだって、いつも一緒じゃないか」

 

 仲良しグループは、どこにでもあるもの。ハーマイオニーにしても、それが悪いというつもりはない。グループ内で、あるいは各グループ同士で、毎日を楽しく過ごしつつも互いに意識しあい、刺激しあって、向上していけばいい。それが理想だが、たとえばスリザリンのグループのように反目しあうこともある。それだって、競いあうという意味はあるだろう。

 もっと大きく考えれば、4つの寮だって、そんなグループなのだ。それぞれが、それぞれに学び、それぞれに進歩していけばいい。

 

「だけどアルテシアと離れちゃいけない気がするわ。離しちゃいけない。そんな気がするのよ」

 

 ハーマイオニーが立ち上がる。そして、ハリーに声をかける。

 

「夕食に行くわよ、ハリー。そこでアルテシアと話ができればいいんだけど」

 

 

  ※

 

 

 なぜだ、なぜ、そこで呼び止めたりするんだ! まさにそれは、アンソニー・ゴールドスタインの、心の叫び。声には出さなかったが、彼がそう思ったであろうことは、間違いない。

 アンブリッジがようやく席を立ち、図書館から立ち去ろうとしたというのに、あろうことかそれを、アルテシアが呼び止めてしまったのだ。すでに閲覧テーブルから3歩ほどは離れていたが、その場でこちらを振り返る。アルテシアもゆっくりと席を立ち、アンブリッジへと近づいていく。アンソニーのほうは、おろおろとしつつ、ただ2人を見ているだけだ。

 

「なんですか、お嬢さん。まだなにか、ご用?」

「呼び止めたりしてすみません、アンブリッジ先生。確認しておきたいのですけれど」

「なにかしら。でも、あとでもよろしいのじゃなくって。わたくしの部屋で、ゆっくりとお話しするときにでも」

「いいえ、先生。今じゃないとダメなんです。わたしの大切な友人が言ってくれたことを思い出したんです。失敗しないように気をつけなさいって」

「おや、そうですか。それで、なんです? テーブルに戻りましょうか」

 

 だがアルテシアは、すぐに済むからと、それを否定した。立ち話で十分だということだ。

 

「わたしが約束したのは、あとで先生のお部屋へ行くという、それだけですよね。そこで先生の質問に答えれば、アンソニーを処罰しないと、そういうお話でしたよね」

 

 アンブリッジの表情が、またもやゆがむ。本人は笑っているのだろうが、とてもそんなふうには見えない。

 

「いいえ、アルテシアさん。わたしの言うことには従うという、そういうお約束だったと思いますよ」

「そうでしょうか。そんな約束ではなかったと思うのですが」

「あらあら、わたくしがウソを言っているとでもおっしゃりしたいの?」

「というより、実際の内容とはあまりにかけ離れているのではありませんか」

 

 どちらの言うことが正しいのか。アルテシアはにらむようにアンブリッジを見つめており、アンブリッジはニタニタと笑いでそれに応える。

 

「納得できない? 困ったわねぇ。でも、証人がいますから大丈夫。ほら、司書の方がそこに。ねえ、ピンス先生」

「え、え、ええぇぇっ! わたしが、ですか。わたしが、証人?」

 

 突然に話を振られて、さすがにマダム・ピンスも驚いたことだろう。たしかにアルテシアたちの話が聞こえる場所にはいた。だがアンブリッジの持つホグワーツ初代高等尋問官という肩書きにすっかり気をのまれてしまっており、緊張のあまり、話は聞こえていたにせよその内容を正しく理解できてはいないようだ。

 ふだんに似合わず、ただおろおろとするただけのピンスをみて、アルテシアは軽く目を閉じる。いくぶん笑っているようにも思えるその顔を、アンソニーが見ている。おそらく彼のなかには、もう1つ新たな笑い顔というものが追加されたことだろう。なるほど、たしかに笑顔には、いろいろなものがあるようだ。

 

「アンブリッジ先生、先生は魔法省より派遣されてきたんでしたよね?」

「ええ、そうよ」

「たしか先生は、魔法省の教育令23号により初代の高等尋問官となられ、魔法大臣とともによりよい教育のために努力されているのだとか。つまり先生は、魔法省と同じ考え方なのであり、魔法省の方針に従っておられるのですよね?」

「そのとおりですよ。それが何か?」

「確かですか。間違いないですか。魔法省とアンブリッジ先生とは同じ、ということで、間違いないんですね」

 

 しつこいまでに念を押してくるアルテシアを、いぶかしげに見るアンブリッジ。だが、改めて聞くまでもないのだ。アンブリッジの答えなど、わかりきっている。

 

「間違いありませんよ、お嬢さん」

 

 アンブリッジがそう答えるのと、まだわずかに残っていたアルテシアの微笑みが消えるのとは、ほぼ同時といってよかった。ほんのわずかの沈黙のあと、アルテシアは、手をそろえて目を伏せ、ふんわりと柔らかく優雅にお辞儀をしてみせたのだ。

 そして、アンソニーを促し、ともに図書館を出た。

 



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第87話 「新たな教育令」

「ロン、アルテシアは? アルテシアはどこにいるの?」

 

 一足先に大広間に来ていたロンは、口いっぱいの食べ物のせいか、ただ首を横に振っただけ。そのロンの両脇にハーマイオニーとハリーが座る。ハリーは、さっそく取り皿を手に取り、料理でいっぱいにしていく。ハーマイオニーのほうは、各寮のテーブルに視線を走らせる。

 

「あいつ、まだ来てないんだ。ボク、気をつけてたから間違いないよ。食べながらだけど」

 

 食べながら、だとアテにはならない。そう思ったハーマイオニーだが、アルテシアが大広間にいないのは確かだ。それに、パチルの双子の姿もみえない。まだ来ていないのは間違いないのだと判断。とりあえずは、仕方がない。

 

「とにかく、夕食ね。お腹がすいたという事実は変えられないわ」

「ずいぶんと遅かったけど、キミたち、何してたんだい。料理がなくなる、なんて考えなかったのか」

「そんなこと、考えもしなかった。だってこれまで、そんなこと一度もなかっただろ」

「甘いな、油断するとみんな持ってかれちゃうってことはありえるんだ。みろよ、あの食いっぷりを」

 

 ロンが言うのは、スリザリンのテーブルでのクラップとゴイルのことだ。それをみれば、誰もが納得といったところか。

 

「心配ないわよ、ロン。グリフィンドールのテーブルには、あんなのはいないから」

 

 いないといえば、スリザリンのテーブルにソフィアの姿がないようだ。パチル姉妹もいないし、アルテシアもいない。なぜ? どうして?

 

「もしかしたら、そうなのかな」

「え? なんだって」

「もしかしたら、アルテシアたちになにかあったのかもしれないって、そう言ったのよ」

「まさか、そんな。夕食にいないだけだぜ。遅れてるだけさ、キミたちのようにね」

 

 もちろん、そうなのだろう。そのはずだとハーマイオニーは、自分に言い聞かせる。だがなぜか、その思いは消えなかった。

 

「2人とも、聞いて。もしかしたら、これから先なにかおかしなことがあるかもしれない。きっとそこには、たぶんだけどアルテシアが関係してるはずよ。そんな気がするの」

 

 結局、ハーマイオニーたちが大広間にいるあいだ、アルテシアたちの誰1人も、夕食にはやってこなかった。

 

 

  ※

 

 

 各寮の談話室には、掲示板がある。たとえばホグズミード行きの日程発表など学校からの連絡物がここに掲示されるし、生徒たちの間でも、クィディッチ・チームの練習予定表や蛙チョコレートのカード交換会のお知らせなど、さまざま利用されている。

 その日の朝、その掲示板にあらたに2枚の掲示がされていた。その1つが、掲示板の大半のスペースを占有している、ホグワーツ高等尋問官令である。魔法省の教育令第24号に基づいてアンブリッジが新たに定めたもので、最後に“高等尋問官 ドローレス・ジェーン・アンブリッジ”の署名と公式文書であることを示す印鑑が押されている。内容は、ホグワーツ内のチーム、グループ、クラブなど3人以上の生徒による定例の集まりを、強制力を持って解散するというもの。継続したいのであれば、高等尋問官に願い出て再結成の許可を得なければならず、違反すれば退学処分になると警告されていた。

 迫力ある大きな文字で注目を集め、同時に、その衝撃の内容で生徒たちの関心を奪う。そのためか、掲示板の隅にある小さな1枚のほうは、ほとんど注目されることはなかった。

 

「これ、どういうことなのかな」

「チームやグループ、クラブってことだけど、3人以上ってことになると、なんでも含まれるってことになるよ」

 

 そんな声が、あちこちで聞かれた。すでに掲示板の前には何人もの生徒が集まっており、遅れてやってきた者は、前にいる生徒の頭越しに内容を読むしかなかった。だがそれでも十分に読めるほどに、その高等尋問官令の文字は大きかった。

 

「どう思う、ハリー。これって」

「ああ、偶然なんかじゃないかもしれない」

 

 ハリーとロンも、ようやく掲示板の前に来たところ。その内容の意味するところが気になる。とにかく、ハーマイオニーの意見が必要だと思った2人は、そろって女子寮のドアへと顔を向けた。

 2人が心配しているのは、防衛術を自習するグループを作るという計画がアンブリッジにばれたのではないか、ということだ。これから朝食でもあり、ほどなくしてハーマイオニーが女子寮から降りてくると、ハリーたちがすぐさま駆けつける。

 

「どうしたの、2人とも?」

「掲示板だよ、ハーマイオニー。アンブリッジの教育令なんだ。チームやグループ、クラブは解散だって書いてあるんだ」

「解散?」

「3人以上の集まりは、解散になる。改めて許可をもらわないと、退学処分になるらしい」

「キミならわかるよな。これって、あれだろ。秘密がもれたってことかも」

 

 すぐさま、ハーマイオニーは掲示板の前へ。まだ人だかりがしていたが、それでも十分に読める。ハリーとロンも、すぐその横へ。

 

「あいつ、知ってるってことかな」

「それはないと思うけど」

「けど、あのパブには何人か知らないヤツがいたし、集まった生徒の誰かが告げ口したかもしれない」

「とにかく朝食に行きましょ。ほかのみんながどう思ってるか、ようすをみたほうがいいわ」

 

 言いながら、チラと視線を向けたその先には、女子寮のドアから出てきたばかりのアルテシアとパーバティがいた。2人は、人だかりのしている掲示板ではなく、そのまま出口である肖像画の穴のほうへと歩いていく。ほかにも、朝食のため大広間に行く生徒たちの姿がある。

 

「なあ、キミ。そういえば、アルテシアとは話をしたのか」

「アルテシアは早くに寝ちゃうし、あたしは宿題なんかで忙しいの。パーバティは、アンブリッジの授業でのこといまだに怒ってるし」

「じゃあ、何にも話してないのか。キミ、アルテシアと離れちゃいけないとか、そんなこと言ってたじゃないか」

「あたしはね、ロン。話してない、なんて言ってないわ。でも、アルテシアが」

 

 昨日の夕食のとき、アルテシアはどこにいて、なにをしていたのか。ハーマイオニーは、いちおう、本人には聞いてみたらしい。だがアルテシアは、こう言ったのだという。

 

『知りたいというなら話すけど、1日だけ待って。その前にパーバティと話しておきたいの』

 

 そのことは、まずはパーバティと話をしてからにしてほしい。つまりは、そういうことになる。先にハーマイオニーに言うわけにはいかない、ということだ。

 

「なるほど。それはそうだろうな」

 

 それでロンは納得するが、ハリーは、肖像画の穴から出て行く2人をずっとみていた。ハリーが見ている限り、2人は、何も話をするようすはなかった。

 

「なあ、あの2人、いつもとようすが違う気がしないか」

 

 ハリーがそう言うのと、彼の名前が呼ばれるのとは、ほとんど同時だった。ハリーの名前を呼んだのは、アンジェリーナ。ひどくあわてているようだ。

 

「ロンもいるのなら、ちょうどいい」

「アンジェリーナ、大丈夫だよ。アンブリッジにバレたんじゃないし、たとえバレたとしても」

「それもあるけど、あれには、クィディッチも含まれてるんだってことに気づいてる?」

 

 アンジェリーナが、ハリーの言葉をさえぎる。アンブリッジの高等尋問官令によれば、3人以上のチーム、グループ、クラブなどは解散となっている。ゆえにクィディッチチームも例外ではない、というのだ。

 

「つまりグリフィンドールのクィディッチチームは、いま現在、存在してないってことになるんだ。再結成の許可を貰わない限り、クィディッチができない」

「えーっ」

「そりゃないぜ」

「とにかく、このことで話がしたい。これから朝食だよね? そこでクィディッチチーム集合だ。チームで話し合って、昼休みには許可を申請しに行きたいと思ってる。いいよね?」

 

 ハリーとロンに、それを拒絶する理由などなかった。少しは落ち着いたらしいアンジェリーナの後から、ハリーたちも肖像画の穴へとむかう。

 このとき、ようやく掲示板の前の人だかりはなくなっていた。しかも掲示されていたはずのもう1枚が、なぜかなくなっていたのに誰も気づかなかった。

 

 

  ※

 

 

「言われたとおり回収してきましたけど、でも」

「わかってる。見た人は何人もいるだろうし、事実まで変えられる訳じゃない。けど、あっちのほうがインパクトあるからね。うまくすれば、誰も話題にはしないでしょ。とにかく時間はかせげる」

 

 話しているのは、ソフィアとパドマ。場所は、放課後によく利用している空き教室だ。

 

「でも、グリフィンドール寮に入ったとき、たぶんアルテシアさまに気づかれました。見逃してはもらえましたけど」

「それは、問題ないよ。あとであんたが怒られれば済む話でしょ」

「うわ、パチル姉さんみたいなこと言うんですね」

「ウソだよ、アルテシアに怒られるとしたらあたしのほうだから」

 

 いったい、何があったのか。ソフィアが、回収してきたというモノを机の上に置く。各寮の掲示板からはがしてきた掲示物。2種類あったうちの小さい方、である。

 まずソフィアがスリザリン寮で見つけ、各寮にあるに違いないと、レイブンクロー寮の談話室に忍び込み、偶然に顔を合わせたパドマと相談。その後に、グリフィンドールとハッフルパフから回収してきたというわけだ。そのとき転移魔法が使われたのは、言うまでもない。

 

「なにがあったんでしょうか。どうして、こんなことに」

「それは、たぶんあたしのせいだと思うんだよね」

「え? どういうことですか」

「前の晩にさ、あ! そういえば、ウチの姉、これ、見てないよね。見てたら、手遅れになるかも」

「それは大丈夫です。アルテシアさまが掲示板を素通りしてくれたんで、パチル姉さんもそのまま談話室出ていきましたから。あれ? だったら、雰囲気悪くなったりしないはずなのに」

 

 2人が並んで歩いていたのは、いつもどおり。だが、その表情は、いつもどおりではなかったのだ。

 

「とにかく、ソフィア。詳しいことはあと。あんた、午前中の授業さぼれる? できるだけ早くなんとかしときたいんだけど、ムリならお昼休みかな。放課後までは、伸ばしたくないんだ」

「ええと、魔法薬学ですけど、大丈夫です。そんなことは言ってられません」

「いや、さすがにスネイプ先生はまずいでしょ。あたしは変身術だからなんとかなるとは思うけど」

 

 だがソフィアは、大丈夫だと言い切った。そんなこと気にしてる場合ではないということで、パドマも同意。とにかくこの掲示に対して、4人で話し合っておきたかったのだ。ちなみにグリフィンドールの授業は魔法史。誰もがさぼっても問題はない、と口を揃えることだろう。だが実は、アルテシアが楽しみにしている授業でもあるのだ。

 2人はそのまま大広間へとむかうが、その朝食の場は、さすがにいつもとは雰囲気が違っていた。各テーブルを行き来している者も多く、あちらこちらでなにかしらの話がされていた。ずいぶんと騒がしいといった印象だ。

 

「ソフィア、あんたはアルテシア。あたしは姉に話をするから」

「はい」

「場所は、さっきの空き教室ということで。いいね?」

「はい」

 

 

  ※

 

 

「ええと、まずはあたしから話をさせてもらうけど」

 

 すでに授業は始まっているかもしれない。そんな時間ではあったが、これはとても重要な問題だと判断したパドマにより、アルテシアたち4人がいつもの空き教室に集まっていた。授業を欠席することになるし、そのことを後から指摘されるに決まっているが、それでも必要だとの判断だ。

 

「ねえ、パドマ。もしよかったら、わたしに話をさせてくれない?」

「ううん、アルテシア。最初に言っておきなきゃいけないことがあるの。今度のことのきっかけを作ったのはあたしだと思うから」

「どういうこと?」

「それを今から話すつもりだよ。いいよね?」

 

 そう言って、改めてアルテシアを見る。そのアルテシアがパドマからパーバティへと目を向け、パーバティがパドマへ。

 

「パドマ、それ、必要なことなんだよね」

「うん。絶対にそのほうがいいと思う」

「だったらさ、アル。アルの話は、後から聞く。そうして」

「わかった」

 

 アルテシアが、小さくうなずく。ということでパドマが話を始めるのだが、パドマはまず、パーバティに微笑みかけた。

 

「怒っちゃだめだよ、お姉ちゃん。原因はあたしなんだし、全部の話が終わってから。ね」

「うるさい、パドマ。言いたいことがあるんなら、さっさと言いなさい」

「ごめんなさい、わたしが昨日、パーバティに何にも言わずに寝ちゃったからなの。すぐパーバティに言わなきゃいけなかったのに、言わずに」

「アル、あたし、言ったよね。アルの話は、後から聞くって言ったよね。そう言ったよね」

「あ! うん。ごめんなさい」

 

 この4人のいるこの教室が、こんな思い空気になったことがあっただろうか。このとき4人は、そんな空気を確かに感じていた。

 

「と、とにかくさ。ええと、昨日の夜に何があったかだけど」

 

 その日、そのとき。パチル姉妹とソフィアは、マクゴナガルの執務室にいた。成績のことで呼ばれているからとパーバティが言い訳をし、パドマがアルテシアに図書館での調べ物を頼み、アルテシアは図書館へ。

 ソフィアは、クラスで研究レポートの打ち合わせがあるということになっていたので、アルテシアは1人で図書館に行くことになった。その途中でアンソニーと出会うことになり、アンブリッジとも顔を合わせ、図書館での騒動となるのだが、その図書館でのことはすでにアンソニーからパドマへと伝えられている。そのことをパドマが説明していく。

 

「それでアンソニー・ゴールドスタインは処罰を受けたの?」

 

 その質問に対する答えは、なぜか、2つだった。パドマが『そうなのよ』といい、アルテシアは『いいえ』と言ったのだ。

 

「どういうこと、なんで答えが2つあるの?」

「あたしは、アンソニーから聞いたんだけど。今夜からアンブリッジのところに行かなきゃいけないって言ったもの」

「それ、間違いないのパドマ。わたしは、処罰はなくなったって思ってた。だって、そのはずなのに」

「まさか、アル。あんた、アンブリッジとなにか約束とかしてないだろうね。おかしな取引とかしたんじゃないでしょうね」

 

 パーバティの目が、一気に鋭さを増す。そして不安そうな目で、アルテシアを見るパドマ。そんななかで、ソフィアが声を上げた。

 

「あ! だからこんな掲示がされたんですね」

 

 そこでソフィアが出してきたのは、各寮の談話室からはがしてきた掲示物。4寮分で4枚あるので、各自がそれぞれ1枚ずつを手に取る。パドマとソフィアはすでに内容を知っていたが、アルテシアとパーバティはそうではない。パーバティは驚き、アルテシアはとまどってみせた。

 

「まさか、そんな。じゃあわたし、なんのためにアンブリッジ先生の部屋に行ったの。なぜ、言うとおりにしなきゃいけなかったの。質問にも、ちゃんと答えたのに」

「待って、待って待って。ええと、確認だけど、アンブリッジ先生とは約束したんだよね。言うとおりにすれば、アンソニーの処罰は取り消すってことで約束したんだよね」

「いいえ。わたしは、そんな約束はしてないわ」

「じゃあ、なんで。あんた、アンブリッジのところに行ったんでしょ。昨日、あんたが寮に戻ってきたのは何時だと思ってるの」

「それは」

 

 アルテシアが寮に戻ったのは、夜間外出禁止時間となるギリギリのところ。談話室は賑わっていたし、寝てる者など誰もいなかった。だがほとほと疲れていたアルテシアは、パーバティに話さなきゃと思いつつも、そのまま寝てしまっていたのである。

 

「あたしたちがあんたを心配して、学校のあちこち探しているとき、あんたはずっとアンブリッジのところにいたんだね」

「パーバティ、聞いて。わたしは、そんな約束してないよ」

「あたしたちは、アルじゃないからさ。探査の呪文なんか使えないんだよ。だから、走り回って探すしかなかった。あんたは、アンブリッジのところにいたんだね」

 

 いったいパーバティは、怒っているのか、悲しんでいるのか、悔やんでいるのか、それとも別の思いがあるのか。見ている限りでは、それはわからなかった。ちなみに探査の呪文とは、ホグズミードに行く前にアルテシアが試してみた、学校内の把握を目的とした魔法のことである。

 

「ほんとにわたし、そんな約束してないわ。あの先生が、勝手にそう言ってるだけよ。だから無視しようと思った。でもわたし、我慢したのよ。だって、わたしのせいでアンソニーが処罰を受けることになるの。そんなの、許せると思う? そんなの、認められない。だから、アンブリッジ先生のところに行ったのよ」

 

 どういうことなのか、もっと詳しく。ということで、そのときの状況をアルテシアが説明していく。約束の内容が違うと抗議したこと、アンブリッジがそれを認めずマダム・ピンスを偽りの証人に仕立てようとしたこと、マダム・ピンスはどうみても頼りなくアンブリッジのいいなりとなりそうだったこと、などだ。

 

「でも、だからってアルテシア。それじゃアンソニーはどうなるの。かえってつらいと思うよ。だって自分のせいでアルテシアはこんなことになっちゃったわけでしょ」

 

 と、掲示板からはがしてきたものを見せる。アルテシアも、自分の手元にあったソレを見る。じっと、それを見る。ただ、それを。

 

「そうだね、たしかにそうだ。間違えたんだ、わたし。失敗したんだよね」

 

 空き教室に、アルテシアのささやくような声だけが聞こえる。もとより、今は授業中だ。廊下側から聞こえてくる声などあるはずもなく、ただ、アルテシアの声だけが聞こえる。

 

「でも、こんな約束は、してない。こんなの、知らない。それは、間違いない。でも、じゃあなぜ? なぜ、こんなこと? 昨日、わたしは、なにを……」

 

 ひとり言、なのかどうか。ぽつりぽつりと、アルテシアが言葉をつなげていく。パドマとソフィアが、それを見つめる。

 

「わたしは、なにを…… アンブリッジ、魔法省、わたしは……」

 

 そこでソフィアが、反動で床に倒れ込んでしまうほどの勢いでアルテシアに飛びついた。そして、顔をあげたアルテシアのほっぺたを、思い切り平手打ち。乾いた音がし、すぐにパドマが止めに入った。そのためか、パーバティが空き教室を出て行ったことには気づかなかった。

 

 

  ※

 

 

「これは、いったいどういうことでしょうか」

「なんのお話ですの、いきなり」

 

 ドンと音を立てつつ、テーブルの上にソレをたたきつけるようにして置いたのは、マクゴナガル。テーブルを挟んだ反対側にいるのがアンブリッジだ。

 場所は、アンブリッジの執務室。肘掛け付きの椅子に座りのんびりと午後の紅茶を楽しんでいたところに、突然マクゴナガルが現われたのだ。だがアンブリッジはあわてたようすもなく、ニタニタと笑みを浮かべつつマクゴナガルを見上げている。コクリと、紅茶を飲んだりもしてみせるのだ。マクゴナガルが来るという予告はなかったが、予測はしていたのだろう。

 

「これは、わたくしが各寮に掲示したものですね」

「そのとおりですが、こんなことをした理由はなんですか」

「理由? そんなものが必要ですか」

 

 マクゴナガルは、アンブリッジよりは背が高い。おまけに相手は椅子に座っているのだから、その目線の違いはかなりある。生徒であれば誰もが震え上がるような、そんな厳しい目でアンブリッジを見おろしている。

 

「わたしくも、いろいろと忙しいのですよ。有能な生徒がいれば、ちょっとお手伝いをお願いしたくなるじゃありませんか」

「これが、これがそうだと」

「そうですわよ。わたくしの在任中はずっとお願いするつもりですし、そうですね、メンバーも、増やしてもよろしいかと思いますわねぇ」

「アンブリッジ先生。あの生徒には手出し無用だと、そうお願いしたはずです。いま余計なことをされては困るのです」

「おーや、特別な課題のことでしたら、偽りであることくらい、お見通しですわよ」

 

 マクゴナガルに椅子を勧めることもせず、コクリ、と紅茶を飲む。それがマクゴナガルの気にさわったらしい。

 

「知りもしないくせに、いい加減なことを。あの子には、何人もの人が期待を寄せているのです。そのためにあの子が、どれほどの努力しているか」

「まあ、それはそれとして。わたくしは、コレを撤回するつもりはありませんわ。どうあってもあのお嬢さんには、わたしくのそばで補佐を務めてもらいます。なあに、心配いりませんわよ。機嫌よく務めてくれるでしょう」

「本人の了解すら得てないのではありませんか。無断でこのようなことを決めていいはずはないし、そもそも生徒は、魔法を学ぶためにホグワーツにいるのです。あなたのつまらない用事をするためではありません」

「おーや、ではマクゴナガル先生がお手伝いくださるのですね」

 

 ピクリ、とマクゴナガルの眉が動く。当然、アンブリッジも気づいたのだろう。

 

「もちろん、冗談ですわよ。いずれにしても」

 

 持っていた紅茶のカップを、ゆっくりとテーブルに戻していく。

 

「そう、心配ならさなくとも大丈夫ですのよ。わたくし、わかってしまいましたの」

「なにを、です?」

「どうすれば、あの子に言うことを聞かせることできるのか。どうやれば、あの子が指示に従うのか、ですわよ。まあ、もちろん」

 

 マクゴナガルの顔から、表情というものが消えた。あたかもスネイプの無表情のような、その顔。だがもちろん、何も考えていないのではないはずだ。

 

「先生だって、ご承知なのでしょう? どうぞ、やってみられてはいかかですか」

 

 マクゴナガルは、何も言わない。ただ、さらに鋭い目をアンブリッジに向けただけ。

 

「おもしろいじゃありませんか。こちらが“やりなさい”と指示をし、そちらが“やってはいけない”と。どうなるんでしょうねぇ、あのお嬢さん。2つに分かれてしまったりするのかしら」

 

 そう言って、楽しげな笑みを浮かべる。その手がカップへと伸びていき、コクリと、のどが鳴る音がした。

 

「お話は、以上でよろしいですわね。どうぞ、お引き取りになって。ああ言っておきますが、ダンブルドア校長に告げ口なさってもムダですわよ。これは、魔法省の教育令によるもの。つまり、校長も了解済みということですのでね」

 

 だが、マクゴナガルは動かなかった。これ以上話をしても、なんら進展はないし、状況に変化が起こりそうにもない。いやむしろ、話すほどに悪化していくだろう。それが分かっていても、マクゴナガルは動かなかった。このまま引き上げることなど、できはしなかった。

 

「おや、そうでしたわ。トレローニー先生にお会いしなければ。教育令23号による授業視察の結果についてお話があるんですの」

「いいでしょう、これで帰ります。ですがもう、あの子に関わるのはおやめになることです。あの子を心をもてあそぶようなことはなさらないように。さもないと」

「おーや、そうしないとどうなるのでしょうね。わたくし、そちらのほうが楽しみですわ。では、失礼」

 

 マクゴナガルの言うことなど、もとより聞くつもりはない。そういうことなのだろう。アンブリッジが部屋を出て行き、そのあとで、マクゴナガルが大きくため息をついた。

 



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第88話 「医務室にて」

 アルテシアが目を開けたとき、そこには誰もいなかった。そのことに、アルテシアは違和感を覚える。ベッドなどなかったはずだし、そこに自分が寝ている理由にも、心当たりがない。そもそも自分は、どこにいてなにをしていたのだろう。なんだか、頭が痛い。

 ぎゅっと、強めに目を閉じる。そして、ゆっくりと目を開け、まわりをみまわしていく。

 

「ここって、もしかして、医務室?」

 

 そうだ、医務室だ。見覚えがある。でも、なぜ医務室に? もう一度目を閉じて、思いをめぐらせていく。自分は、どこにいたのか。あれ? そういえば、なにをしてたっけ? 誰かと一緒にいた気がするけれど、なにをしてたんだっけ?

 なんだか、記憶があいまいになっていた。ついさっきのことであるはずなのに、もう、わからない。ここが医務室であることや、そこのベッドに寝ていることなどに気づくたび、さっきのことに上書きされ、そして消えていくような、そんなおかしな感覚。

 そうか、夢だ。これは、夢なんだ。なんだ、夢か。

 そう思ったら、気持ちが楽にでもなったのだろう。アルテシアの顔に笑みが戻り、寝息へと変わっていく。

 

 

  ※

 

 

 テーブルの上にかざされた両手のひらの下に、いくつものキラキラとした小さな輝きが、くるくると渦を巻くようにして集まってくる。その数を次第に増やしつつ、手のひらの下へと集まってくるのだ。そして。

 

「これ? これが、そうなの?」

「そうだよ」

「見てもいい?」

 

 手のひらの下に集まったたくさんの光の粒が、形を変えて本になった。そう思うしかなかった。手に取ってみる。

 表紙の色は黒であり、何も文字は書かれていない。なので、外見だけでは何の本であるのかはわからない。背表紙に小さな、文字とも絵ともつかぬものが1つ、小さく刻まれている。ページ数は、かなりある。

 

「わたしが得た魔法の力や知識を、こうやって本として子孫に残そうって、そんなことを考えたんだけど」

「この本に、あなたの魔法や知識のことが書かれてるってことなのね。でもこれで大丈夫なの? わたしには読めないんだけど」

「でしょうね。でもそれは、学べばいいだけ。読めるようになればいいのよ。魔法が使えないのなら読めないだろうけど、魔女なら読めるはずだもの」

 

 そのとき、カタンとなにか、音がした。誰か来たのかと入り口の方を見たが、とくに変わったところはなかった。気のせいだろうということになる。

 

「でもこれじゃ、教育という面から見ると、ふさわしくはないと思うわ。遠慮なく言わせてもらえば、だけどね」

「そうかな。わたしは、わたしに娘ができたなら、これで学ばせるつもりなんだけど」

「気を悪くしたのなら謝るわ。けど、本を読ませるだけっていうのはどうかしらね。誰だって、あなたから直接学びたいって思うはずよ。あなたには、ここで指導者になってほしいの。だからこそ、ここに呼んだのよ」

「ここで? まさか、わたしには似合わないわ」

 

 そう言って、笑う。笑いながら、本を手に取る。

 

「わたしには、この方法が似合ってると思う。これで、わたしのすべてを伝えることができれば、それでいいと思ってる」

「あなたは、教えるのも上手なのに。わたしの娘がいい例だと思うけどな」

「さあ、それはどうなのかしら」

「でもね。真面目な話、ただ知識だけ伝えればそれでいいってことにはならないと思うよ」

 

 どういうことか。言葉には出さず、説明をうながすように相手の顔を見る。

 

「それもここに書いてあるのかもしれないけど、これは、大事なことだと思うよ」

「なによ、それはなんなの?」

「あなたの娘さんだったら、大丈夫でしょう。自分の目であなたを見て育つんだからね。でも、そのあとの世代、お孫さんや何代もあとの人はどうなるのかしら」

「だから、なんなの?」

「あなたを素晴らしい魔女だと思うのは、なにも魔法の力だとか豊富な知識だとか、それだけじゃない。魔法に対する考え方、魔女としての心構えとか、そんなものをひっくるめてのことなんだけどね」

 

 魔法だけ、関連する知識だけ、そういうことでは不十分。魔女として、もっと大切なものがある。実はそれを教えることは難しく、それを学ぶこともまた、難しいものなのだ。

 

「なるほど。そういうことも必要だね。もっと工夫しなきゃダメってことか」

「ちゃんと教えないと、その子はなんにも知らずに育つのよ。ましてやあなたには、あの魔法もあるんだし」

 

 指摘された意見が十分すぎるほど心に響き、頭の中へと染み渡っていく。そんな感覚に包まれていたとき、入り口の方で、またもやカタンと音がした。思わず、顔を向ける。

 誰? そこにいるのは誰なの?

 

 

  ※

 

 

「あら、起こしちゃったかな。でも、そろそろ目覚めてもいい頃なのよ。それでようすを見に来たんだけど」

「ごめんなさい、カタンって音がしたから…… って、あれ?」

「どうしたんです?」

 

 そこにいるのは、マダム・ポンフリーだった。場所は、医務室で間違いない。アルテシアは、自分がベッドに寝ていることに驚き、とにかく上半身を起こす。

 マダム・ポンフリーが、そのベッドのすぐ横までやってくる。

 

「なにか、夢でもみたんじゃないかしら。だってあなたには、そんな時間がたっぷりとあったんですからね」

「夢、ですか。あれは夢? あれ?」

「どうしました?」

「なんだったか思い出せなくて。でも、なんだかとっても大切なことだったような」

「目覚めたとたんに忘れてしまう、なんてよくあることですよ。ところで、なぜ医務室で寝ているのか、それは覚えているのかしら?」

 

 すぐには、アルテシアからの返事はなかった。そのことに、マダム・ポンフリーは苦笑い。

 

「まあ、いいわ。お友だちがあわてて抱えてきたんだけど、どこもおかしくはなかったのよ。でもあなたは、丸二日も寝ていた」

「そんなに、ですか」

「もう、こんなことにはならない。そういうことだったと思うんだけど、違ったの?」

「ええと」

 

 そこで、首をひねる。アルテシアにもよく分かってはいないらしいが、結局のところ、午前中の授業を受けずに空き教室でパチル姉妹たちと話をしていたときに、それは起こったらしい。ちょっとしたもめ事のあと、アルテシアは疲れたからと教室の隅で椅子に座ってうたた寝。お昼となっても起きなかったことから、マダム・ポンフリーのところに駆け込むことになったのだ。

 

「以前と同じよ、悪いところはみあたらなかった。でもね、医務室で寝ているあなたをみて、なんだか懐かしかったわ。校医として、こんなこと言っちゃダメなのは分かってるけど、こうしてあなたと話をするのは楽しいのよ」

「ええと、その、わたしは」

「これは、提案です。マクゴナガル先生と相談したんですけど、しばらくは医務室にいるというのはどう? もしくは」

「待ってください」

 

 しばらくは医務室に、ということは、どこか悪いところがあるからではないのか。アルテシアはそう思ったのだ。だがマダム・ポンフリーは、それを笑顔で否定した。マダム・ポンフリーの見たところでは、どこにも異常は見つからないらしい。

 では、なぜ医務室にいろというのか。その当然の疑問には、こんな返事がされた。

 

「ここにいれば、アンブリッジ先生と会わずに済むからですよ。症状を偽ることになるのは本意ではありませんけど、あなたのためには、そのほうがいいと判断したの」

「なるほど、そういうことですか」

「一応ね、あなたが寝ている間に学校としての話し合いがされたわ。でもアンブリッジ先生は、どうあってもあなたを、ええと、なんて言ってたかしら」

「とりあえずは助手として、いろいろとわたしに仕事を手伝わせたいみたいです」

「そうそう。たしか、後継者に指名するとかだったと思うけど。でもそれはねぇ。ほかの先生方も反対なされて、ちょっとした騒動になったみたい」

 

 アルテシアは、魔法の勉強のためにホグワーツに来ているのだ。しかもO・W・L試験を学年末に控えているというのに、そんな役目を負わせるのはいいことではない、というのが主な反対意見である。

 対してアンブリッジは、魔法省の教育令に基づくものだとして、あくまでもその主張を取り下げようとはしなかったらしい。

 

「でね、結局はあなたの意見を聞こうということになったのよ」

「わたし、ですか」

「ええ。アンブリッジ先生がおっしゃったそうよ。あなたが引き受けるというのであれば、問題はないはずだってね」

「わたしはどうすれば」

「アンブリッジ先生ご本人が、あなたの意見を聞きに来られるでしょう。もちろん、医務室にいるあいだはそんなことはさせませんけど」

 

 しばらく医務室にいろとは、そういう意味だったのか。アルテシアは、そう理解した。だがもちろん、いつまでも続けられるようなことではない。

 

「イヤならイヤだと、そう言うべきよ。あなたのことだから、よく分かってるとは思うけど」

「はい、ありがとうございます」

「さて、もうじきお昼休みですからね。最初に面会に来るのは誰かしら」

 

 それが楽しみだと、マダム・ポンフリーは笑ってみせた。つられてアルテシアも、笑顔になった。

 

 

  ※

 

 

「アルテシア、目が覚めたと聞きましたが、具合はどうです?」

 

 飛び込んできたのは、マクゴナガル。その後ろで、マダム・ポンフリーが笑っていた。おそらくは、彼女の予想どおりであったのだろう。

 

「すみません、先生。いつも心配ばかりかけて」

「そんなことは、気にしなくてよろしい。頭が痛いですか? それともなにか、ほかのところが」

「いいえ、先生。どこも具合は悪くありません。自分でもなぜこうなったのか、よくわからないんです」

「わからない? いいえ、おそらくはいろいろと考えすぎたせいだと思いますね」

 

 ただでさえ、魔法書の更新に関わっていろいろとあったのだ。そこにアンブリッジのことが加わり、心理的な負担が増した。マクゴナガルが言うのは、そういうことだ。

 

「ともあれ、これからのことを相談せねばなりません。とにかく今夜までは、医務室にいなさい。いいですね」

「わかりました。でも先生」

「“でも”は、なしですアルテシア。どうもあなたは、このごろ、その言葉を使うことが増えたような気がしますね」

「そうでしょうか」

「とにかく今夜のうちに、いろいろと決めてしまいましょう。場合によっては、クリミアーナに戻ることも考えねば」

 

 後半の言葉は、どこまで本気なのか。昼休みも忙しいらしく、それだけ言うとマクゴナガルが医務室を出て行く。ただ様子を見に寄っただけ、であったようだ。

 

「クリミアーナに戻るとなると、ホグワーツを辞めるってことになるのかしら」

「まさか、そんな」

「いったん戻って、あの先生のことが落ち着いてからこっちに来ればいいんじゃないかしら。おや? 今度は誰かしら」

 

 医務室にまた、誰か来たらしい。せかせかと出迎えに行き、今度はダンブルドアを伴って戻ってきた。

 

「校長先生がいらっしゃいましたよ。ええと、椅子を」

「大丈夫じゃよ。わしにはお気に入りがあるのでな」

 

 杖を振り、お気に入りだというふかふかのクッションの付いた肘掛け付きの椅子を、ベッドの脇に出現させる。アルテシアのほうは、ベッドの上に上半身を起こしただけ。

 

「さてと。すまんが、お嬢さんと2人にしてくれるかの」

 

 椅子に腰かけながら、マダム・ポンフリーに声をかける。マダム・ポンフリーも、心得たようすで部屋を出る。自分の席へと戻ったのであろう。

 

「すまんの。わしも、そう時間があるわけではないのじゃが、お嬢さんと話ができる機会は、そうそうないのでな」

「そうですか」

「いま起こっておること、その状況は、もちろん承知しておるじゃろうと思う。その前提で話をしてもいいかね?」

「それで結構です。でも、なにもかも知ってるわけじゃないですよ。むしろ、聞きたいことだらけっていうか」

「ふむ。まぁ、おいおいとわかってくるじゃろう。お互いにの」

 

 そう言って、ダンブルドアが笑う。

 

「じゃが、なにをおいてもこれを聞いておかねばの。話を始めるのはやはりここから、ということになるじゃろうて」

「なんでしょうか?」

「マダム・ポンフリーが、わしの面会を止めようとはせなんだ。それはつまり、お嬢さんは元気じゃということ。となれば、近いうちに結論を出すことになる。お嬢さんは、どう返事をするつもりかな?」

「ああ、そのこと、ですか」

 

 体調に問題がないのだから、医務室にはいられない。そうなれば、アンブリッジに対する結論を求められることになる。アンブリッジの要求を受けるのか、それとも拒否するのか。

 そのことを、ダンブルドアは尋ねているのだ。その返事を、どうするか。つかの間アルテシアは考える。答えが出せないということではない。さきほどマクゴナガルが、今夜にでも相談しようと言ったからだ。できれば、その相談の後にして欲しかった。

 

「校長先生、そのことは明日のお返事ということでいいですか?」

「おお、それはつまり、まだ決めかねておるということかね」

「そういうわけではないです。ただ今夜、そのことで相談することになっているので」

「なるほどの。そのとき、お嬢さんの意見は変わってしまうということじゃな」

 

 誰と相談するのかを、ここで言う必要はない。ダンブルドアだってわかっているだろうし、それくらいのことはアルテシアも承知している。アルテシアが、ニコッと笑ってみせた。

 

「違います。過去と未来と今とにおいて、この答えが変わることはないでしょう」

 

 そのアルテシアの言い方が気になったのかどうか、ダンブルドアは、いくぶん首をひねりつつも、自分のひげをなでながらアルテシアを見つめている。だがそれも、長くは続かなかった。

 

「つまり、お嬢さんの気が変わることはないと、そういうことでいいかね」

「はい」

「そういうことなら、いま話してくれてもいいのではないかね。どうせわしは、アンブリッジ女史がお嬢さんに答えを聞きに来るとき、付き添うことになる。答えが変わらぬのであれば、いま聞いても同じではないかね。むろんわしは、それまで誰にも言わぬがの」

「それは」

 

 そうかもしれない、とアルテシアは思った。思いはしたが、だからといって、そうするわけにはいかないのだ。そのことは、ほんの数日前にいやというほど思い知らされている。正しい順番というものは、厳然としてあるのだ。それを間違えたために、大切な友人とのあいだに、気まずい雰囲気を作ってしまった。その解決もおぼつかないうちから、またもや同じような失敗を繰り返すわけにはいかない。

 アルテシアは、そんなことを考えた。

 

「すみせん、校長先生。やっぱり明日まで待ってください」

「そうかね。まあ、ムリを言うつもりはないのじゃが、それでは話がしにくいゆえ、こうしてはどうかと思うのじゃが」

「え?」

「とりあえず、その答えを仮定しておくのじゃよ。いいかね、お嬢さん。そうじゃの、アンブリッジ女史の提案を拒否する。その前提のもとでのたとえ話、ということでどうかね? むろん、承諾するという前提でもかまわんよ」

 

 なるほど、と思わずにはいられなかった。そんなことで心にかかる負担を取り除くことができるだなんて、思いもしなかった。いわゆる大人の知恵というものに、感心せざるを得ない。そんな自分の心の動きに、アルテシアは少なからず苦笑い。

 

「わかりました、校長先生。それでいいです」

「では、そうさせてもらおうかの。しかし、なぜじゃろうな。こんなことになったのは」

「わたしにもよくわかりません。でもどこかで、なにかを間違えたんだと思います」

「ほう」

「それがなんなのか、わたし、そのことを考えてたはずなんです。でもあのとき」

 

 たしかあのとき、誰かが飛びついてきたのを覚えている。驚いてそれが誰かを確かめようとしたとき、ほおに痛みが走った。それから急に眠くなり、近くの椅子に腰かけて目を閉じたのではなかったか。そして、夢を見た、のかもしれない。

 

「ん? どうにかしたかね」

「すみません、ちょっと考えごとを」

「ともあれお嬢さんが断ったとなれば、必ずその理由を尋ねられるじゃろう。そのときはどうするつもりかな。なにか、考えてあるのかね」

「それは」

 

 あの先生を拒絶する理由。そんなものは、1つしかあり得ないとアルテシアは思っている。なぜそうなってしまったのかはともかくとして、この先もその理由が変わることはない。アルテシアが、その理由を告げる。

 

「なんと! まさに簡潔明瞭、実にわかりやすい答えじゃが、しかしのう。それもまた、理由を聞かれるじゃろう。なぜか、あるいはどこが、とな」

 

 わずかに首をひねってみせたものの、アルテシアは答えに迷うようなことはなかった。

 

「理由などありません。ただ、キライなだけです」

 

 

  ※

 

 

 アルテシアとダンブルドアの話が、まだ続いていた。その長話が気になったらしく、マダム・ポンフリーもようすを見に来たくらいである。アルテシアの体調を考えるなら、そろそろ終わりにしてほしい。そう思ってのことなのだが、見た限りでは問題なさそうなのである。

 もしなにか、異常を感じたならば。そのときは、たとえ校長先生が相手だとしても即座に止めに入らねばとマダム・ポンフリーは思っている。なぜなら、それが自分の仕事だからだ。いまのところその必要はなさそうだが、なおも話が長引くのなら、その可能性は高まっていく。となれば、目を離すわけにはいかない。

 席を外しておくことになってはいるが、マダム・ポンフリーは少し離れたところから見守ることを選択した。そのことにダンブルドアは気づいたかもしれないが、2人の話はそのまま続いていく。

 

「じゃがあの先生の授業は、不評ではないのかね。わしには、あんなやり方をしておる理由に察しがついてはおるが」

「わたしには、不満はないです。魔法について書かれた本が読めるのは楽しいです」

「なるほどの。ところでお嬢さんは、ハリー・ポッターくんやハーマイオニー・グレンジャー嬢などとは、それほど親しくはしておらんようじゃの」

「やっぱりそう見えますよね。たしかにわたしは、受け入れてはもらえないみたいです。ハーマイオニーとは友だちでいたいって、そう思ってはいるんですけど」

「ハリーのほうはどうなのかね?」

「ハリーは、わたしには何も話してくれません。わたしには、いくつか聞きたいことはあるんですけど」

 

 そういう言い方をすれば、何を聞きたいのかと尋ねられることになる。その可能性は高いというのに、どうやらアルテシアはそんなことまでは想像していなかったらしい。案の定ダンブルドアにそのことを質問され、とまどいを覚えつつも返事をすることになる。だいたいにおいてアルテシアは、聞かれたことには答えるのだ。

 

「できれば、わたしの母のこととか聞きたいと思っています」

「お母上のこと? はて、ハリーがそんなことを知っておるかのう」

「わたしの母とハリーのお母さんは友だちだったんです。そのことを話せたらって、そう思ってます」

 

 詳しくなくてもいい、直接的なものでなくてもいいのだ。それにつながることであれば、どんな些細なことであろうともかまわない。アルテシアはそう思っている。どんなことだろうと、貴重な情報なのだ。

 

「ハリーの母親は、リリーというのじゃよ。わしもよく知っておるが、彼女の友人とはのう」

「わたしも、母に友人がいたことは知らなかったんです。でもそのリリーさんに会いに、ポッター家を訪れていたようです」

「それは、いつ頃のことなのかね」

「いつ頃?」

 

 そう言えば、その時期まではわからない。もちろんヴォルデモート卿に襲われる前、ということにはなるのだろうけど。

 

「リリーがお母上の友人であったことは、どうやって知ったのかね?」

「ポッター家で何度か母と会ったことがある、という人に会いました。その人からです」

 

 その名前を、アルテシアは言いたくなかった。だからそう表現したのだが、もちろんダンブルドアは、そんなことを察してはくれない。それどころか、その人物を特定してみせたのである。

 

「ポッター家に出入りしていた人ならば、わしも知っておるよ。お嬢さんのお母上のことは知らなんだが、お母上と会った人がいるとするならば」

「あの、校長先生」

「むろん、全員を知っておるわけではないが、ひょっとするとシリウス・ブラックではないかね。おお、そうじゃ。1年と数か月まえ、まさにそのときじゃろう」

 

 ガタッと、椅子の動く音がした。原因は、アルテシアでもダンブルドアでもなく、マダム・ポンフリーである。シリウス・ブラックの話が出たことに、驚いたらしい。ダンブルドアの視線が、マダム・ポンフリーのほうへ。

 

「すみません」

「なになに、かまわんよ。こっちへ来てはどうかね?」

「いえ、そんな」

「どうぞ、遠慮なさらず。アルテシア嬢との面会をストップする、ということでなければ、いっこうにかまわんのじゃよ」

 

 それでも寄ってきたのは、ほんの数メートル。すぐそば、ではない。ただ、質問だけは忘れなかった。

 

「そのブラックですが、まさか、アルテシアさんを狙っているなんてことは。以前にそんな話がありましたが」

「ああ、いや。それはありえんよ。そもそもシリウス・ブラックは、犯罪者ではないのじゃ」

「え?」

 

 その驚きの声は、もちろんマダム・ポンフリーのもの。アルテシアもまた、声こそあげなかったものの同じような表情だ。そのことに、ダンブルドアが苦笑い。

 

「シリウス・ブラックは、犯罪者ではない。みな、誤解しておったのじゃよ。無実なのじゃ」

「では、アズカバンに収監されたのは間違いだったって言うんですか」

「そういうことじゃな。問題は、それをどうやって証明するかということになるが」

「あの、校長先生。シリウスさんは学校に侵入して捕まり、そして逃亡したと聞いていますけど、それは」

「そうそう、そういうこともあった。あのときは、無実の者を吸魂鬼の手に委ねるわけにはいかなかった。ああするしかなかったと、そうは思わんかね?」

 

 そのことを、否定するつもりはない。アルテシアが気にしているのは、それをハリーとハーマイオニーが実行し、自分が手伝ったという事実について、である。あのときは時間旅行という制限があり、詳しい状況など聞かずにいた。そのほうが都合がよかったからだし、あとからちゃんと説明してくれると思っていた。だが実際は、そうなっていない。アルテシアは森の中で置いてきぼりとされ、いまとなってもその説明はしてもらえていない。

 スネイプの言葉が、アルテシアの頭の中をよぎる。自分はただ、都合よく利用されただけではないのか。その言葉が、頭の中をめぐる。

 

「校長先生。ウィーズリー家のご夫妻が学校に来られたとき、魔法省が事件の見直しを進めているとうかがいました。その過程で、犠牲者のなかにガラティア・クリミアーナがいることがわかり、遺品があったと。その話は」

「おお、そのことならまだ調査中じゃと思う。シリウスの無実も、まだ証明されてはおらんが、もはや疑いはないのう」

「あの夜、ハリーたちがシリウスさんを逃がしたのは、無実だと知っていたからなんですね」

「ほう。やはりお嬢さんは、あの夜のことを知っておるのじゃな」

「いいえ、あの夜に起きたことは、わたしはなにも知りません。あのときわたしは医務室で、このベッドで寝ていたんですから」

 

 ニコッと笑ってみせたが、これがダンブルドアにはバレバレのウソであることくらい、アルテシアもわかっている。わかってはいるが、この場合の返事は、これしかなかったのだ。そして、もうひとつ。

 

「わたし、シリウス・ブラックに会えますか。どうすれば会えますか。シリウスさんと話したいことがあるんですけど」

 

 

  ※

 

 

 アルテシアが医務室から解放されたのは、ダンブルドアと思いがけず長話をした、その翌々日である。夕食後、迎えに来てくれたパーバティとともにアルテシアは医務室を出た。

 パーバティとアルテシアには、アンブリッジとのトラブルをめぐり、どこか気まずい雰囲気があった。その解消のためにと授業をさぼって空き教室で話し合いの場を持ったのだが、アルテシアが医務室行きとなり、それも中途半端に終わっている。まだわだかまりも残っているだろうに、それでも来てくれたパーバティの気持ちが、アルテシアには嬉しかった。

 医務室を出た2人は、まっすぐに寮へと向かう。そうするように言われているからだ。なにをするにもすべては明日から、今夜は早く寝るようにと、そういう話になっている。ちなみにそんな指示をしたのは、マダム・ポンフリーでもなく、マクゴナガルでもない。いまアルテシアの隣を歩いているパーバティ、なのである。

 

「とにかくさ、あんたは寮にいな。どこにも行かせないよ。あんたを1人にはしない」

「パーバティ」

「いろいろあったけどさ。いろいろ考えたんだけどさ、アル。考えて考えて、そう決めたんだ。やっぱりあたしは、あんたが一番、だからさ」

「うん。ありがとうパーバティ」

「なんでも言ってよ。あたしもそうするからさ」

「うん」

 

 グリフィンドールの談話室につながる、太った夫人の肖像画。そこで、もう一言二言。もちろんアルテシアは、パーバティに言われたとおり、すぐに部屋に戻り、ベッドに入るつもりだった。だが談話室に入ったとたん、アルテシアの進路はふさがれた。何人もの生徒が、アルテシアを取り囲んだのである。

 先頭にいるのは、グリフィンドールクィディッチ・チームのチェイサー3人娘。つまり、アンジェリーナ・ジョンソン、アリシア・スピネット、ケイティ・ベルの3人だ。そのすぐ後ろにウィーズリー家の兄弟たち。ハリーやハーマイオニーの顔もあったし、他にも数人。

 アンジェリーナが、さらに一歩分、アルテシアに近づいてくる。そして。

 

「アルテシア、さっそくで悪いけど、お願いがあるんだ」

 

 そのお願いの内容を察したのかもしれない。アルテシアの顔から、笑みが消えていった。

 




 アンジェリーナたちのお願いがなんであるのか。
 そんなこと、考えるまでもないくらい、わかりやすいですね。もうちょっとひねってみたかったですが、なにも思いつきませんでした。
 さて、いよいよ闘いとなるのか、それとも回避するのか。あるいは、逃げるとか。さあて、どうしてくれようか、アンブリッジ先生・・・


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第89話 「交渉のゆくえ」

 グリフィンドールの談話室。その入り口を通ってから、まだほんの数歩しか歩いていない。しかも、今日寮に戻ってくることは誰にも話していないのに、アルテシアは、その場で何人ものグリフィンドール生に囲まれることになった。包囲陣の先頭にいるのは、アンジェリーナだと言ってよかった。最初の一言も、アンジェリーナからだった。

 

「アルテシア、さっそくで悪いけど、お願いがあるんだ」

「あの、なんでしょうか」

 

 ごくり、と何人もの生徒が生唾を飲んだような、そんな空気がながれる。

 

「グリフィンドール・チーム再結成の許可が必要なんだ。もちろんアンブリッジに申請はしたんだけど、うまくいかなかった」

「そ、そうですか」

「何度も、お願いしたんだよ。そしたらあいつ、キミが申請に来れば考えてもいいって言うんだ。キミ1人でね」

 

 それを聞いて、アルテシアは理解した。なるほど、そういうことなのか。アルテシアは、ふーっと息を吐きながら、ゆっくりと目を閉じた。アンブリッジとはそういう手段に出るような女なのだと、アルテシアは改めて自分に言い聞かせる。そして、目を開ける。

 

「だから、お願いだ。キミがこれから行って、アンブリッジに頼んでくれないか。チーム再結成の許可をもらってきてほしいんだよ」

「あの、それは皆さんの」

 

 そこで、集まったみんなを改めて見ていく。すぐに目に入ったのは、赤毛の人たち。ハリーやハーマイオニーもいる。

 

「皆さん、そう思ってるんですね。わたしにそうして欲しいと」

「面倒を言ってるとは思うよ。でも、お願いだ。他の寮にはもう許可が出てるし、試合も始まる。グリフィンドールだけ不参加だなんて、キミだってイヤだろ?」

「それ、あとにしてくれませんか。体調のこともあるし、今日のところは寝かせてあげてください」

 

 そう言ったのは、パーバティだ。アルテシアの前に立ち、2学年上の先輩であるアンジェリーナに、きっぱりとそう言った。そして、アルテシアの手をとる。

 

「行くよ、アル。とにかく今日は、あんたは寝なよ。なんにも考えなくていい。すべては明日からだよ」

「う、うん」

 

 そんな約束をしていた。だからアルテシアは、すなおにパーバティのあとを歩いて行く。もちろんアンジェリーナたちのことは気になるのだが、今日のところはここまでといったところか。

 アンジェリーナもムリを言っているつもりはあるらしく、そのままアルテシアたちを見送った。そしてアルテシアの姿が見えなくなると、その気持ちを口にする。

 

「やっぱり、ムリだよな。あいつだって、アンブリッジはキライだろうし。それに、なにかムチャを言われて気分が悪くなったって聞いてる。そうだよな、ハリー?」

 

 そんなうわさが、生徒たちのなかでささやかれていた。ソフィアがこっそりと広めたそのうわさは、もちろんアンブリッジの無謀さを強調するためのもの。教師陣のあいだでアンブリッジとアルテシアのことが話し合われる際に、少しでも有利になればと思ってしたことだが、もちろんそこにはウソなどをからめていない。そんなことをしなくても、アンブリッジが十分に非常識であることくらい、誰もが承知している。

 

「うん、そう聞いてるよアンジェリーナ」

「じゃあやっぱり、今夜くらいは待つべきだよな。うん、それくらいなら、待つよ、ウン」

 

 アンジェリーナとしては、そうやって自分をムリヤリ納得させるしかなかった。アルテシアのこともわかるが、これはクィディッチ・チームのキャプテンとして譲れないこと、なのだ。

 

「明日の朝なら、あいつも落ち着いているだろう。そんなヒドイことにはならないさ」

 

 アンジェリーナも部屋へと向かい、自然、集まった生徒たちも散っていくことになった。

 

 

  ※

 

 

 アンブリッジの部屋は、アルテシアが3年生のときの防衛術の担当教師であったルーピンが使っていた部屋だ。そのときに1度訪れたことがあったので、その場所はわかる。だがそこに行くのに、以前よりも時間がかかっているのはやむを得ないこと。なにしろ足どりが、とにかく重い。つまりが、行きたくないのである。

 だからといって、行かずに済ますことはできない。苦しいところ、であった。ふーっと、思わずため息。あの廊下の角を曲がれば、じきに部屋のドアが見えてくる。だが曲がらずにまっすぐ行けば……

 

「あ、スネイプ先生」

 

 その曲がり角の手前に、スネイプがいた。おそらくはいま、その角を曲がってきたところなのだろう。そのスネイプがアルテシアの前へと、いつものように大股で歩き近づいてくる。

 

「どこに行くのだ?」

「アンブリッジ先生のお部屋です」

「ほう。つまりは例のことの返事をしに行くということか。だがあれは、ダンブルドアが立ち会うことになっているはずだ。なるほど、返事のするのはおまえだが、おまえの勝手にしていいことではない」

「わたしが行くのは、クィディッチ・チームの再結成の許可をいただくためです。わたしがいけば許してくださるとかで、チームの人に頼まれたんです」

 

 スネイプの眉が、ピクリと動く。そして、ふふんと鼻で笑った。

 

「おまえのことだ、行けばどうなるかくらいわかっているだろうから、あらためてどうこう言うつもりはない。だがな」

「もちろん、わかっています。これがわたしの弱みであることや、それをあの先生に見透かされていること。そんなことは」

「わかっていて、なぜそうするのだ。せめてダンブルドアを同行しろ。1人では行くな。あの双子の娘はどうしたのだ。なぜ、ここにいないのだ」

「パーバティは…」

 

 パーバティはいま、アルテシアたちがよく集まる空き教室にいる。そこで、パドマやソフィアも一緒に、アルテシアが戻ってくるのを待っている。そうなるまでには、さまざまなことの積み重ねがあったのだが、それをあえて述べることはしない。とにかく1人では行かせないという人たちをなんとか説得し、アルテシアはここまで来ているのだ。

 

「パーバティは、わたしの帰りを待ってくれています」

「ほう、帰りをな。なるほど、そこにおまえの覚悟があるというのなら、吾輩も納得してやろう」

「ありがとうございます」

 

 だがそれで、スネイプの話は終わらなかった。どうあっても、1人ではいくなと言うのである。余計なお世話なのであるが、そんなことを言えるはずもない。同じことを言って譲らなかった友人たちをやっとの思いで説得したのに、これでは元の木阿弥。

 

「とにかく、ダンブルドアのところへ行け。立ち会ってもらうのだ。そうすれば、落ち着いた話ができるだろうし、何が話し合われたかを明らかにすることにもなる」

「でも、先生」

「一度くらいは、吾輩の言うことを聞いたらどうだ。悪いようにはならぬと思うぞ」

「はい。一度くらい、スネイプ先生のおっしゃることに逆らってみようと思います。わたし、1人で行きます」

「そうか。ならば好きにするがよい。だが吾輩に逆らったのだということは覚えておくがいい。グリフィンドールから2点減点」

 

 スネイプとはそこで分かれ、アルテシアは、廊下の角を曲がった。じきにアンブリッジの部屋のドアが見えてくるだろう。そこでアルテシアは、考える。なぜ、減点されたのか。もし、スネイプ先生が一緒に行くと言ってくれたならどうしたか。

 だがいま、そんなことを考えても仕方がないのだ。アンブリッジの部屋の前に立ち、軽く深呼吸。そしてアルテシアは、ドアをノックした。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、椅子に座っていた。テーブルを挟んで向かい側にアンブリッジが座っている。テーブルには紅茶の用意もしてあるのだが、なぜか、手を付ける気にならない。

 アンブリッジが紅茶に手を伸ばすのを見ながら、アルテシアは巾着袋に手を突っ込み、封筒を取り出した。このなかに、グリフィンドールのクィディッチチーム再結成の許可を求める申請書が入っている。

 

「なんですの?」

 

 わかっているはずなのにと、そう思いつつも封筒から中身を取り出してアンブリッジに示す。声には出さなかったが、表情には出ていたかもしれないとアルテシアは思う。

 

「再結成の申請書です。わたしが持ってくれば許可していただけるということでしたので」

「おーや、誰がそんなことを」

「アンブリッジ先生がそうおっしゃったと」

「いーえ、わたしはそんなことは言ってませんよ」

「えっ」

 

 どういうことだろう。

 つかのま、アルテシアは考える。だが、アンジェリーナたちがでまかせを言ったとは思えない。アンブリッジのほうはと見れば、あきらかにアルテシアの困惑を楽しんでいるような、そんな目をしている。つまりは、そういうことか。そういう相手なのだと、自分を納得させるしかないアルテシアである。

 それはともかくとして、再結成についての返事をもらわねばならない。

 

「アンブリッジ先生、許可をいただけたということでよろしいですね」

「それは、あなた次第ね」

「あの、どういうことでしょうか」

「だから、再結成の許可はあなた次第なの。もっと説明が必要かしら?」

 

 アンブリッジは、やはり楽しんでいる。それがわかってしまうと、どっと疲れを感じた。話をするのもいやになってきたが、もちろん途中で投げ出すのはもったいなさすぎる。

 

「なんたってあなたは、わたしの助手、相棒となるのですから、これくらいのことは決めさせてあげようって考えたんですよ。どう? とってもいい考えだと、そう思うでしょ」

「では、許可ということでいいんですね」

「かまいませんけど、その代わりあなたは、わたしの側へと来ることを了承したと、そういうことになりますよ」

 

 どういうことか。すぐには理解できないでいるアルテシアを、アンブリッジが見つめている。どうやらまた、アンブリッジを楽しませているらしい。

 

「あなたのお返事は、そのまま、この申請書に対する返事となります。あなたがわたしのもとに来るというなら許可となるし、断るというなら、拒否。そういうことですね」

「まさか、そんなこと」

「おーや、不満なの? おかしいわね、グリフィンドールチームが再結成されることになるのだから、喜んでもらえるはずなのに」

 

 なるほど、再結成許可を待ちわびている人たちは、大喜びしてくれるだろう。だが、アルテシアがなにごともなく戻ってくること、そのことだけを心待ちにしている数人は、果たして喜ぶだろうか。わざわざ減点までしてくださった先生は、その点数をどうするだろう。

 そんなことは考えるまでもない、とアルテシアは思っている。だが真面目に反論するのも、面倒だ。こんなときは、さっさと話を進めたほうがいいと、そんなことを考える。

 

「では、アンブリッジ先生。先生に協力するという件についてですけど」

「待って待って、もうその話なの。もう少し、楽しませてくれてもいいんじゃなくて」

「楽しませる?」

「そうよ。どうせあなたは、わたしの側に来るしかない。どんなにイヤだったとしても、そうするしかないの。でしょ?」

 

 アンブリッジの指が、再結成の申請書をつまみあげる。再結成の許可がいわば人質に取られているのだと、そう言わんばかりである。

 

「5人? それとも10人くらいはいるかしら。再結成許可の返事を待っている人がたくさんいるんでしょ。寮に戻ってから、あなたはその人たちになんて返事をするつもりかしら。だめだった、なんて言えるの? がっかりさせたくはないわよねぇ」

 

 その点を指摘されると、弱かった。スネイプにもほのめかされたとおり、まさにアルテシアにとっての弱点であろう。だがそれでも、それがわかっていても、アルテシアはこの場へ来たのだ。

 

「先生に協力するという件ですが、きっぱりとお断りいたします」

「おーや、いいのしから、そんなことを言って」

「いいんです、先生。これが、わたしの意志ですから」

「そうなの。わたくしの言うとおりにはできないと、あくまでもそうおっしゃるのね」

「はい、アンブリッジ先生」

 

 ほんのわずかも、迷ったようには見えなかった。しっかりとアンブリッジを見据えつつ、アルテシアははっきりとそう告げた。明確に意思表示をしたのだから、もうこの話はここまで。すぐにもアンブリッジの部屋を去ればいいようなものだが、アルテシアには、まだそうできない理由がある。

 

「もう一度、聞きますわよ。わたしのもとに来るつもりはないんですね」

「はい、そのとおりです。アンブリッジ先生」

「わたくしも、いずれは魔法省に戻ります。あなたが卒業しても、面倒は見てあげられるのだけど、それでもイヤ?」

 

 それがなにを意味するのか。そのことを、アルテシアは考えなかった。アンブリッジという人物そのものを受け入れることができないのだから、考えても意味はない。そんな無意味なことよりも、さっさと返事をもらって帰りたかった。グリフィンドールのクィディッチ・チームより託されたチーム再結成の許可についての、アンブリッジの最終的な返事が必要なのだ。

 

「アンブリッジ先生、チーム再結成のことですけど」

「あぁ、そうね。それがあったわ。そうそう、グリフィンドールのチームはどうするつもり? あなたに見捨てるなんてことができるとは思いませんけどね」

 

 まさか、忘れていたのか。いや、そんなことはないはずだと、アルテシアは思う。そんな風を装いながら、再結成の件を利用できないかと考えているのだ。おそらくそんなところだろう。

 

「もちろん許可していただけますよね、アンブリッジ先生」

「いいえ、お嬢さん。さきほど言ったように、あなたが拒否するならば不許可、ということになります。あなたはすでに拒否をしたけれど、もう1度くらいなら、チャンスをあげてもいいわよ」

「どういうことでしょうか」

 

 まさに意味不明だが、そのチャンスというものが、アルテシアにとっていいことであるはずがない。そこにはなにか、別の意味が隠れているのに違いない。

 

「そんな顔をしなくても、よろしくてよ。安心なさいな。さっきあなたは、こちら側には来ないと言ったけど、1度だけ忘れてあげるって、そういうお話をしてるのよ」

 

 つまりは、やりなおそうということだ。もう1度、アルテシアがアンブリッジの助手となることを受け入れるかどうか、改めてその選択の場からやりなおそうと、そう言うのである。

 だが、アルテシアにとっては迷惑な話でしかない。

 

「わたくしの提案を、あくまでも拒否するのか、それとも了承か。さあ、お選びなさいな。あなたの選択と同じ答えを、わたくしもあなたにお返しするわ」

 

 アルテシアがアンブリッジの助手となることを拒否すれば、グリフィンドールチームの再結成は不許可となる。だがアンブリッジに従えば、それは、許可される。

 アンブリッジがニタニタと笑みを浮かべているのは、あきらかにこの状況を楽しんでいるから。こうしてアルテシアを困らせ、どう答えるかを心待ちにしているのだ。そんな楽しみを2度も味わわせてしまった。

 そのことが悔しいと、アルテシアは思う。それにもちろん、なにごともなく帰れるつもりでアンブリッジの部屋を訪れたのではない。スネイプに減点されてもなお、1人でここへ来たのだ。それなりに覚悟もあるし、考えもあった。

 

「アンブリッジ先生。わたしの答えは、もうお伝えしました。過去と未来と今とにおいて、その答えが変わることはありません」

「おーや、いいのかしら、そんなことを言って。あなたのお友だちが、さぞがっかりするでしょうね」

「そうですね。そうならないように再結成の許可をくだされば、それが一番いいんですけど」

「ではあなたは承諾すると、そうことでいいわね」

「いいえ、わたしの答えは変わりません」

「困ったわねぇ、それでは話にならないわ」

 

 実際には、アンブリッジは楽しそうだ。いっこうに困っているようには見えない。そのことに軽くため息をつきながらも、アルテシアは笑顔を見せた。

 

「ではアンブリッジ先生、こういうことにしませんか」

「おや、なにかいい考えがあるとでも。いいわ、聞きましょうか」

 

 もし、アンジェリーナたちに頼み事をされていなかったなら。

 仮定のことを考えても無意味ではあるのだが、そのときにはまた、違った方法があっただろう。だがいま、アルテシアはこんな選択をした。するしかなかった。ダンブルドアがアルテシアにみせた、いわゆる大人の知恵というものの応用である。もしその経験がなかったなら、いまだに対応策を考え続けていただろう。考えて考えて、また医務室に運ばれていたかもしれない。

 

「わたしは、アンブリッジ先生の提案には従いません。明確に拒絶します。ですがそれでは、クィディッチチームへの許可はいただけないんですよね」

「ええ、もちろんよ。それどころか、あなたの友人たちには、これからいろいろと不都合なことが起こるようになるかも知れませんね」

「もし、もしもそんなことをしたら、わたしもおとなしくはしていませんよ」

「おやおや、このわたくしを脅かすおつもり? 怖いわねぇ」

 

 実際には、そんなことを思ってもいないだろう。もちろんお互いに、ということだが。

 

「わたしは、アンブリッジ先生の相棒とはなりません。先生のそばに行くつもりはないんです」

「まだそんなことを言ってるの、後悔するわよ」

「もちろん、後悔したくはありません。だから、こんなことをするんですよ、アンブリッジ先生」

 

 さすがにアンブリッジも、機嫌が悪くなってきたようだ。表情にそれが現われているし、アルテシアのほうも真剣そのもの。どちらも、互いの目をまっすぐに見ている。目をそらせば負け、とでも思っているかのようだ。どちらの顔も、笑ってなどいない。

 

「取り引きをしましょう、アンブリッジ先生」

「取り引き、ですって」

「はい。グリフィンドールチーム再結成を許可していただければ、先生の言うことを1つ。わたしの友人たちに手を出さないと約束していただけるのなら、もう1つ。先生の言うとおりにします」

「おーやおや、あなたからそんな言葉が出てくるとは。どうせ誰かに入れ知恵でもされたんでしょうけれど」

 

 アルテシアは、何も答えない。ここでは、何も言う必要はないのだ。答えを出すのは、アンブリッジ。

 

「まあ、いいでしょう。あなたが必要なことをやってくれるというなら、わたしには不足はないわ。そうね、それで手を打つことにしましょうか」

「ありがとうございます、アンブリッジ先生」

「では、グリフィンドールチームの再結成を許可しましょう。あなたの友人たちには何もしないし、あなたがわたしのもとに来ないということも受け入れましょう。あらあら、3つになったわね。3つよ、あなたはなにをしてくれるのかしら」

「わたしが決めてもいいんですか?」

 

 もしそうならこんな簡単な話はないのだが、当然、アンブリッジはそれを認めなどしない。だがこれで、話はまとまったということにはなる。アルテシアが不利のようにも思えるが、アルテシアにとっては狙いどおりの結果なのである。なんとしても、アンブリッジを拒否したうえで、なおも再結成の許可をもらうための、いわば最大限の譲歩ということになる。

 

「きっと、マクゴナガルの差し金なんでしょう。でもねお嬢さん、約束したからには、きっちりと仕事はしてもらいますよ」

「もちろん、約束は守ります。それは、先生のほうもですよ」

「おや、言ってくれるわね。では、さっそく調べ物をしてもらおうかしら」

「はい。でもその前に」

 

 とにかく、グリフィンドールチーム再結成の許可はもらえたからだろう。アルテシアの表情は、ずいぶんと柔らかくなっている。

 

「わたしの友人たちですが、互いの認識が違ったら困りますので」

「確認しておこうというのね。いいわ、双子の同級生とスリザリンの4年生なんでしょ。この3人には手出しをしない。それでいいわね?」

 

 ほかにも、友だちがいないわけではない。だが人数を増やせば、アンブリッジからの要求も増えていくだけだ。生徒全員を対象とできればそれが一番だが、そこまで言えば、通る話も通らなくなる。ならばせめて、この3人だけは守りたい。これが最低限だった。

 

「では、調べてちょうだい。闇の魔術に対する防衛術を、ひそかに生徒同士で練習している人たちがいるのよ」

「えっ、ええと」

「あら? なぜ驚くのかしら。わたしの調査では、あなたは参加していないはずなんだけど」

「も、もちろんです」

 

 だが、誘われた覚えはある。参加はしなかったが、あのときのハーマイオニーの計画が、実際に始まっているということだ。でもそれを、どうしてアンブリッジが知っているのか。それがアルテシアには不思議だった。

 

「このグループには、もちろん結成の許可など出してはいませんよ。申請されても許可などしませんけど、無断でやってるんですからほおっておくわけにはいきませんね」

「はぁ、そうですか」

「この違法なる『闇の魔術防衛』グループが、どこでその集会やっているのか。それを調べてほしいの。わかるわね?」

「場所を、ですか」

「誰が参加してるかは、おおまかには分かっているの。リーダーも把握してるわ。でも摘発には、現場を押さえないとね。よろしい? 1つめはそういうことよ」

 

 では、2つめは? そう聞くべきかもしれないが、アルテシアはなにも言わなかった。考えているのだ。1つめの、その場所を特定するのは可能だろう。でもそれをアンブリッジに教えれば、参加者たちはどうなるのか。

 

「2つめ。例のあの人が復活した、なんてでたらめを聞いたことあるわよね? 困ったことに、校長という立場にある人までがそんなことを言ってるんだけど」

「ええと、実際にはどうなのですか?」

 

 アルテシアは、その復活の場を実際に見ている。間違いなくヴォルデモート卿は戻ってきているのだが、それを言うと話がややこしくなる。なのでアルテシアは、そんな言い方をしてみた。

 

「でたらめだと、そう言いましたでしょ。これは、魔法省の判断でもあるのです。虚言によってみんなを惑わせ、混乱させるなど慎むべき。そんな外部の世迷い言を、学校内には持ち込ませない。それがわたしくしのお仕事でもあるのよ」

「それで、わたしになにをしろと?」

「不死鳥の騎士団という名前を聞いたことある? あるわよね。なにしろ、校長が結成した組織ですもの」

 

 その話であれば、マクゴナガルから聞いたことがあった。そのときのアルテシアの理解では、あの人の脅威から魔法界を守ろうとして結成されたものということになる。だがアンブリッジによれば、それは魔法省のっとりを計画したものであるらしい。今は根拠のないうわさで混乱させ、自分たちの仲間を増やしている段階だというのだ。

 

「違法な『闇の魔術防衛』グループも、いずれ取り込んでしまおうとするでしょう。そのまえにつぶさねばなりませんし、外部とのつながりも断つ必要があるのです」

「外部と?」

「通信手段にもいろいろとあるのよ、フクロウだけじゃなくてね。そのときどんな話がされているのか、あなたにはそれを」

「じゃましろって言うんですか」

「いいえ、それは、こちらでやります。あなたには、内容のほうの調査をお願いするわ」

 

 つまりは、こっそりと盗み聞きをしろというのだ。そして、その内容を報告しろということ。いわばスパイ活動を命じられたようなものであり、この場合、アルテシアに拒否権は認められていない。

 

「煙突飛行ネットワークのほうはこちらで監視ができますが、あなたにも手を貸してもらいます。よろしいわね」

 

 ここで拒否すれば、話は元に戻ってしまう。アンブリッジが細部についての指示をしてくるが、アルテシアはただ聞いているしかなかった。

 

「とりあえず、このあたりにしておきましょうか。帰ってよろしいわよ」

「3つめはいいんですか?」

「覚えておくといいわよ、お嬢さん。楽しみは、あとに取っておくものなの。逃がさないための工夫、とでも言えばいいのかしら」

 

 それを、どういうつもりで言っているのか。だがアルテシアは、その意味を考えることはしなかった。帰っていいというのなら、自分を待ってくれている友人たちのところへと戻るだけだ。

 

「では、失礼します」

「報告は欠かさないようにしてくださいね。3つめの指示は、いずれさせてもらうから」

 

 少なくともこれで、アルテシアはこれからもアンブリッジの部屋を訪れなければならなくなった、それだけは確かだ。

 



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第90話 「ドラコのお誘い」

 前話から、おおよそ1か月ほど。ずいぶん間が空いてしまいましたが、ようやくこの日がやってきました。その間、なにをしていたか。まあ、たまに違う話を書きたくなるといったところです。
 このところ、ハリポタの二次がずいぶんと賑わっています。アルテシアさんのお話、忘れられていなければいいんですが。



 アルテシアのなかにいくつかの反省すべき点を残し、アンブリッジとの交渉終わった。おそらくは誰の目にも片一方が有利だと思えるような、そんな交渉だったと言えるのだろうが、とにかく終わったのだ。

 アンブリッジにしっかりと主導権を握られてしまった格好となってはいるが、アルテシアも、譲れないところは譲れないと主張し認めさせている。とりあえず2件についてはアンブリッジの指示に従わねばならなくなっているが、自分の主張を認めさせたことは、アルテシアにとっては大きな意味を持つ。決して一方的な状況ではないことになるし、なにより気持ちの問題が大きい。とにかく、なんとか乗り切っていくしかないのだ。アルテシアは、そう思っている。

 

「でもさ、無視するって考え、あるよね」

 

 そう言ったのはパーバティだが、それはどちら側にも言えること。互いに信頼関係などないに等しいのだから、まじめに約束を守るのもばかばかしいということにはなる。それが立派に選択肢となるのであれば、どうやって相手に約束を守らせるか、ということも課題となってくる。

 

「あの先生なら、なにがあっても不思議じゃないですからね。とにかく、いろいろと気をつけていかないと」

 

 これはソフィアだ。アンブリッジの好き勝手にされてはたまらない、と言うのである。それには、パドマも同意見だった。

 

「ソフィアの言うとおりだと思う。とにかく、よく相談しながらやってくしかないよ。マクゴナガル先生も含めてね」

 

 交渉を終えてアンブリッジの部屋を出たあと、アルテシアはまっすぐに友人たちの集まる空き教室に来ていた。もちろんそこにはパチル姉妹とソフィアが待っていて、ちょうどいま、話し合いの内容を報告し終えたところである。

 アルテシアは、軽く微笑んでみせた。

 

「大丈夫だよ。あの先生には、ちゃんと約束は守ってもらうつもりだから。みんなにも、手出しはさせないよ」

「でも、アル。簡単にアンブリッジを信用するってのはどうかと思うよ。ちょっと危険じゃないかな」

 

 その意見には、誰もが賛成した。それは、アルテシアも同じであるらしい。

 

「わたしだって、あの先生が信用できる人だなんて思ってないよ。でももし、もしまたなにかあったなら、そのときはそのとき。それまでってことになるかな」

「でもアルテシア、そうなるとわたしたちのほうも、指示どおりにしないといけなくなるんだけど」

「わかってる」

 

 相手にそれを要求するには、こちらも約束を守らねばならない。守っているからこそ、要求もできるのだ。一方通行などありえない話だが、この理屈は、はたしてアンブリッジには通用するのだろうか。

 

「アンブリッジの指示は、違法な『闇の魔術防衛』グループ、だっけ? それを見つけ出せってことだよね」

「それ、ポッターとグレンジャーが始めたやつでしょう。参加者の何人かには、こころあたりがあるんだけど」

 

 アンブリッジから指示されたことの1つは、そのグループの活動状況を探ること。その集会場所がどこなのか突き止めねばならないのだ。アルテシアとパーバティは、ハーマイオニーから誘われたことがある。だがパドマとソフィアも含め、誰も参加はしていない。

 

「聞けば教えてくれるかも知れないけど、それはしないほうがいいかな。アンブリッジ先生とのこと知られちゃうし、あのグループも巻き込むことにもなるから」

「あたしたちが、そこに参加しちゃうって方法がありますよ。誰がアンブリッジに密告したのか、バレバレになるでしょうけど」

「いいえ、ソフィア。そんなことはしないよ。わたしが、こっそりと調べてみる。学校内でのことだし、なんとかなると思うんだ」

「それは、そうかもしれませんけど」

 

 みんなで調べたほうが、効率の面でも有利。そんな主張にも、アルテシアは同意しなかった。パドマが言ったように、アンブリッジとのことに巻き込まないため、というのがその理由だ。パドマたちは特に反論しなかったが、もちろんアルテシアに任せっきりでいるつもりなどないはずだ。

 続いてアルテシアは、もう1つ理由をあげた。

 

「アンブリッジ先生って、魔法省の人でしょ。今度のことだって魔法省令が発端になってるそうだし、魔法省がクリミアーナ家のことをどう考えているか、なにかわかるかもしれないって思ってるんだ」

「魔法省がクリミアーナ家を? なんなの、それって」

 

 それは、アルテシアがホグワーツに通うようになってからの疑問、なのかもしれない。アルテシアが承知している限りでは、クリミアーナ家は、魔法界とはほとんど交流がない。いつ頃からそうなのか、どういう理由から距離を置くようになったのか、それをアルテシアは知りたいと思っていた。

 

「アンブリッジが何か知ってるってこと? それはないと思うけどな」

「わたしも、そう思うよ。でもほんの少しでも可能性はあるかもしれないし、魔法省の考え方とか、なにか聞けるかもしれないでしょ」

 

 それに、いつまでもアンブリッジの指示に従っているつもりはないよと、アルテシアは笑ってみせた。アンブリッジは信用できないのだとはっきりとしたならば、きっぱりと縁を切る。その覚悟はあると言うのだ。

 その一方で、魔法界から離れてしまった理由を知ることができなくても、それはそれでかまわないとも思っている。いまこのとき、アルテシアは魔法界の名門校であるホグワーツに在籍し、多くの魔法族と関わりながら日々を過ごしているからだ。歴代のクリミアーナの魔女たちがこのことをどう評価するかということはあるにせよ、それでいいのだとアルテシアは思っている。過去よりも今、そして未来のほうがより重要であるからだ。

 同じことがクリミアーナの『失われた歴史』についても言えるのだが、こちらのほうには、手がかりと呼べそうなものが2つある。そのうちのひとつが、ガラティアの遺品だ。それがどんなものなのか具体的なことをまったく知らないアルテシアだが、気にならないと言えばウソになってしまうだろう。そしてその遺品が今、魔法省にあるということも、アンブリッジを切り捨ててしまえない一因とすることができるのだ。

 

 

  ※

 

 

 それから10日ほどが過ぎた、土曜日の午後。アルテシアは、1人で廊下を歩いていた。目的地は、湖のそば。そこのベンチに腰かけ、アンブリッジが言うところの違法なる『闇の魔術防衛』グループの活動場所を調べてみるつもりでいるのだ。

 実はアルテシアは、あの日からこの日まで、なにもしていない。動きを見せたのはこの日が初めてということになるが、友人たちの協力があって、その“違法組織”が『DA(ダンブルドア軍団)』という名称であることや、参加人数は20名ほどであることなどがわかっている。

 会合は週に1回のペースらしいので、アンブリッジとあの約束をして以降、少なくとも1回は行われていたことになる。それを見逃したことにはなるのだが、そんなことをアルテシアは気にしていない。

 

「やあ、アルテシア。どこに行くんだい?」

 

 ドラコだった。偶然かどうかは不明だが、もうすぐ玄関ホールというところで、ばったりと出会ったのだ。ドラコだけではなく、パンジーも一緒で、なぜかクラップとゴイルはいなかった。

 

「湖のところまで行くんだけど」

「散歩かい? それはいいけど、キミはぼくの言ったことを忘れてしまっているようだね」

「ドラコの言ったこと?」

「それに、あたしも言ったよね。ちゃんと覚えておけってさ」

 

 なにを言われているのか、アルテシアはすぐにはわからなかった。ドラコが軽くため息をつき、パンジーは右手をにぎりこぶしにしてみせた。

 

「アンブリッジとは関わるなって、そう言ったつもりだったが、キミには違うように聞こえていたらしいな」

「そのことなら、ちゃんと覚えてる」

「じゃあ、なぜこんなことになったのさ。つまりあんたは、あたしなんかちっとも怖くない、そういうことだよね」

「違う、違うよ、パンジー」

 

 ドラコの前だからか、パンジーは、叩くマネをしてみせただけだったが、パンジーの言いたいことはアルテシアにしっかりと伝わった。そして同時に、アンブリッジとの約束を知っているのだとアルテシアは思った。口外しないことになっていたはずなのに、なぜこの2人は知っているのか。

 

「いろいろと話は聞いてるよ。でもいまさら過ぎたことを、とやかく言うのは面倒だ。これからの話だけさせてもらうけど、それでいいかい?」

 

 ドラコは、いったいなにを言うつもりなのか。もちろん、そのことの予想はできる。できればその話はしたくないのだが、アルテシアはただうなずいてみせた。

 

「いいかい、アルテシア。もうじきアンブリッジが『高等尋問官親衛隊』の設立を宣言するはずだ。メンバーは、スリザリン生の中から選ぶらしい」

「まさか、ドラコたちが」

「ああ、そうさ。ご指名によって、その役目につくことになったよ。つまりが尋問官の手先だな。目や耳となって学校内を見回れってことだが、その仕事内容のなかになぜかキミの名前があってね。行動をチェックし、いろいろと報告しなきゃいけないことになってるんだが、さてアルテシア。これはどういうことなんだろうか」

「そ、それは」

 

 もちろんそれは、違法なる『闇の魔術防衛』グループであるところのDA(ダンブルドア軍団)の拠点探しと無縁ではないはずだ。いったいアンブリッジは、なにを考えているのか。早く見つけろという催促なのか、それとも、ドラコたちにも手伝わせようということなのか。あるいは、もっと別のことを考えてのことなのか。

 

「なにか、面倒なことを言いつけられてるんじゃないのか。アンブリッジが言うには、キミの周囲を見張っていれば違反者たちがぞろぞろとみつかるらしい。いったいキミはなにをやってるんだ?」

「どうせ、なにか弱みでも握られてるんだろうけど、そういうことはあたしらがやるよ。さあ、言いなよ。なにをやらされてるのさ」

「ごめんなさい、それを言うわけにはいかないわ」

「はあ? バカだろ、あんた。あたしらが、アンブリッジに何も聞かされてないとでも思ってるのかい。だいたいのところは聞いてるんだよ。あとは、あんたが言いつけられた内容を聞くだけ。さあ、言いなよ。なにをやればいいのさ」

 

 その言葉を聞く限りでは、アルテシアがDAの拠点を見つけろと指示されていることは知らないらしい。だがそれも、いつまでも続くわけではないはず。アルテシアがもたもたしていれば、アンブリッジはドラコたちの『高等尋問官親衛隊』に命じることになるのかもしれない。

 その結果、高等尋問官親衛隊がDAを摘発してしまったとしたら。もしそうなれば、アルテシアは約束を果たせなかったとされるだろう。相手はアンブリッジなのだ。そうすることで、なおもアルテシアを縛りつけておけると考えるかもしれない。

 

「キミがアンブリッジになにを言われているかは知らない。だがそんなのは、さっさと片付けてしまえよ。ぼくらが力を貸す。すぐにでも終わらせて、あいつとは縁を切るんだ」

 

 誰にやらせるのかは別として、アンブリッジがDAを見つけ出すつもりでいることは間違いない。アルテシアは、考える。ドラコに事情を話し、協力してもらったほうがいいのか。それとも、あくまで拒否するべきか。

 

「あんたから聞かなくても、アンブリッジに聞けばすぐにわかるんだよ。ここで頑張っても意味ないのに」

「でもパンジー。もしかしたら、あなたに迷惑かけることになってしまうわ。大丈夫よ、わたしがちゃんと」

「へえー、あたしはちゃんとできますって言うのかい。1人で大丈夫だって? そりゃ、それが一番なんだろうけどさ」

 

 そこでパンジーが、ドラコを見る。苦笑いを浮かべたドラコが、口を開く。

 

「べつにいいさ。なにもムリに言わせようとは思ってない。だけどな、アルテシア。そういうことなら、我が家に来てもらうぞ」

「え?」

「もうじきクリスマス休暇だから、時期としてもちょうどいい」

「で、でもドラコ」

「実は、母上から言われているんだ。キミが本当に困っているときには、家に連れてこいってね。アンブリッジともめてるんだろ。なにかの役には立つはずだ」

 

 どういうことなのか。それが、アルテシアにはわからない。だがドラコも、それ以上のことになると説明できないようだ。

 

「だから、我が家へくればいいんだ。母上がちゃんと話してくださるし、父上だって、魔法省とのつながりがある。力になってくれるかもしれないぞ」

「ありがとう、ドラコ。でもわたし、ウイーズリーさんからも誘われてるの。そのときは断ったんだけど、次の休暇にはぜひって言われてて」

 

 だがドラコの母親と会えるということは、アルテシアの心を揺さぶるには十分だった。おそらくドラコの母は、クリミアーナに関しての何かを知っている。そうとしか思えないようなことを、ドラコはこれまでにも何度か言ったことがあるのだ。

 そのことを、アルテシアは思い出していた。ぜひとも、話をしてみたかった。だが、ロンの父親であるアーサー・ウイーズリー氏からも休暇中に家に来ないかと誘われ、アルテシアも次の休暇であればと答えているのだ。はっきりと約束したわけではないし、具体的なことは何も決まっていないとはいえ、そちらが先約であるのは確か。

 

「ウイーズリーの家に行くのは、やめたほうがいいな。夜、キミが寝る場所があるかどうかさえ疑問だぞ」

「ドラコ、それはちょっと言い過ぎじゃないかな」

「言い過ぎなもんか。だがまだ、日にちはある。キミはどっちに行くべきなのか。クリミアーナ家にふさわしいのはどっちなのか、よく考えてみればいい」

 

 言いたいことは、それで言い終えたのだろう。アルテシアの返事を待たずに、ドラコは歩き始める。パンジーもついて行くのかと思いきや、彼女は、アルテシアの頭を軽く小突いてきた。

 

「あんたさ、ドラコの家に誘われたからって、いい気になるんじゃないよ。あたしだって、行ったことあるんだからね」

「あ、そうなんだ」

「いいところだよ。広いし、きれいだし、静かだし。さすがは純血の名門だよ。まあ、あんたのところもそうなんだろうけど」

「クリミアーナが? たしかに魔女の家系の家だけど… そうだパンジー、あなたこそクリミアーナに来てみたらどう?」

 

 一瞬、考えたようにはみえた。だがパンジーは、今度はさっきより強めにアルテシアの頭を軽く小突いてみせた。

 

「あたしよりも、あんただよ。それより、覚えておきな。アンブリッジが親衛隊のことを発表したら、あたしは、あんたの行動を報告しなきゃいけなくなる」

「わかった。それまでに、やることはやっとけってことだよね」

 

 だがパンジーは、盛大にため息をついた。

 

「やっぱ、バカだわあんた。それじゃ、あたしはアンブリッジに命令されてますって認めたようなもんじゃないか」

「あっ」

「あたしが言いたいのは、あんたが毎日なにをやったのかをあたしに教えろってことだよ。あたしはそれを、そのままアンブリッジに言うから。意味、わかるよね?」

 

 つまりはパンジーも、アンブリッジの指示にまじめに従うつもりはないのだろう。アルテシアのいうままに報告することで自分が楽をしたいからなのか、それともアルテシアの行動を束縛するつもりはないということなのか。あるいは、その両方か。

 アルテシアが、じっとパンジーの目をみている。その真意を読み取ろうとでもするかのように。

 

「なに見てんのよ。生意気だよ、あんた」

「うん、そうだよね。ごめんね、パンジー。わかったよ、そのときはちゃんと知らせるから」

「ええ、ぜひそうしてちょうだい。じゃあね」

 

 そこでアルテシアは、パンジーとわかれた。

 

 

  ※

 

 

 湖のほとりのベンチ。そこに腰掛け、ホグワーツの城へと視線を走らせる。アルテシアも、まさかこんなことになるとは思っていなかったはずだ。こんなときのためにと練習したわけではなかったが、あの魔法は、間違いなく役に立つ。

 アルテシアの目の色が、さらに濃くなり、いっそう澄み切った青となっていく。夕暮れちかくではあるが、まだ月は見えていない。もし見えていたなら、どんな色をしていただろう。またもや、青い月となっていたのか。

 それはともかくとして、アルテシアの青い目がホグワーツの内部を見ていることは確かだ。高速度カメラで早回ししているかのように、次々と、あらゆる場所が見えていることだろう。それは玄関ロビーから始まり、大広間を見回し、階段を登り、廊下をめぐって、途中にある教室の中を確認。1階から2階へ、そして3階へ。徐々に階を上げていき、ホグワーツ内のすべてを見てまわる。

 だが、DAの活動拠点はみつからなかった。ハリーとハーマイオニーの姿もだ。ロンもいなければ、パドマからの情報ではDAに参加しているというレイブンクローのチョウ・チャンなどもいない。それが、DAの活動中であるからなのかどうかはわからない。わからないが、学校内を調べ終えてもどこにもいないというのはおかしい。それほどの人数の誰も見つけられないのは、明らかに不自然だ。

 アルテシアが、目を閉じた。

 

(なぜだろう。学校にいない? でも外出なんて)

 

 できるはずがないし、仮にそんなことをしているのなら、とっくに気づかれているはずだ。まさかアンブリッジは、そんなことにすら気づかないのだろうか。いやアンブリッジでなくともフィルチが黙ってはいないはずだし、他の先生たちもいるのだ。

 

(やっぱり、学校内ってことだよね)

 

 そうとしか思えないが、調べてみた限りでは学校内にはいないのだ。ならば考えられることはひとつ。

 

(どこかでなにか、見落としてるんだ)

 

 すべての廊下をまわり、すべての部屋を確かめた。1階からずっと、全部の階を調べている。見落としているはずはないのに、この結果はどういうことなのか。いったいどこを、なにを見落としたというのか。

 アルテシアが、ゆっくりと目を開ける。その瞳が、またも澄み切った色となり、より濃い青をみせる。もう一度、調べてみることにしたのだ。だが今度は、学校全体ではない。以前にこの魔法を試してみたときに感じたかすかな違和感、おかしな感じを覚えた場所がある。見落としがあるとするならこの場所だと見当をつけ、8階にあるその場所をもう1度調べることにしたのだ。

 だがそこには普通の石壁が続いており、特に不審なところはみつけられなかった。もちろん空き部屋などはない。ドアすらないのだから、部屋などあろうはずがない。だが考えてみれば、ずっと廊下が続いているだけというのも、不自然だではある。

 2度、3度、アルテシアの魔法の目が、その廊下を行き来する。どこか妙な感じはするものの、不審な点はみつけられない。

 

(だめか)

 

 目を閉じ、まぶたの上から指で軽く押さえてみる。別に目が疲れたわけではないのだが、そこからゆっくりと離していく指を、そのまま目で追っていく。そして、両手を握る。その握ったこぶしを、じっと見つめる。

 ホグワーツのなかに、自分にはわからないなにかが存在しているのだ。もちろんアルテシアだって、すべてを知っているつもりでいたわけではない。だがこのことには、少なからずショックを受けた。自分にはわからないのに、ハーマイオニーはこの謎を知っている。そんなことはいくらでもあるはずなのに、なぜかそれが気になる。

 たぶんハーマイオニーに聞けば教えてくれるだろう。ハリーだって話してくれるだろうし、ロンだってそうしてくれるはず。

 だがアルテシアは、そうはしないつもりになっていた。この謎を解いてみたくなったのだ。アンブリッジのことは抜きにしても、自分の力で解明したい。アルテシアは、そう考えたのだ。

 幸いにも、手がかりとなりそうなものはある。以前にもおかしな感じを受けた、あの廊下だ。たったいまも調べてみたが、不審なところは見つけられなかった。でもあそこには、きっとなにかある。少なくとも、次につながるヒントくらいはあるはずだ。

 アルテシアが立ち上がり、ゆっくりと歩き始める。とにかくその場へと行ってみることにしたのだ。

 

 

  ※

 

 

 その場所へ行く方法は、なにも歩くだけではない。だがアルテシアは、廊下を歩き、階段を登るという方法で8階に向かっていた。結果的には、その選択は間違っていたということになるのだろう。もう少し早ければ、はたしてどんな場面を見られたのか。ともあれアルテシアは、7階から8階へと続く階段の途中で8階から降りてこようとする人たちと出くわした。その先頭にいたのは、グリフィンドール生のアンジェリーナだ。

 アンジェリーナは、アルテシアの姿を認めると、すぐに右手を差しだしてきた。

 

「やあ、アルテシア。もう何回も言ったけど、もう1回言わせてよ。ほんとにありがとう」

「あ、あの」

 

 アルテシアの右手をつかみ、ぶんぶんと上下に揺する。そんなアルテシアとアンジェリーナの横をすり抜けるようにして、他の生徒たちが次々と階段を降りていく。

 

「おかげでクィディッチができる。スリザリンとの試合にも間に合ったし、かならず勝ってみせるから」

「ええ、もちろん応援してるわ。頑張ってね」

「まかせてよ。特等席で安心して見ててくれていいよ。今度の土曜だから。じゃあね」

 

 クィディッチ・チームのキャプテンであるアンジェリーナがこうして喜んでくれるのは、アルテシアとしても嬉しいことだ。そのことに間違いはないのだが、アンブリッジからチーム再結成の許可をもらったのは10日ほども前のこと。もちろん当日に報告しており、チームのメンバーだけでなく寮生からもたっぷりとお礼を言われている。それがいまだに続いているというのであれば、このことにも納得はできる。だが、実際はそうではないのだ。寮生たちからお礼を言われたのは、せいぜいがその2日後まで。すくなくともこの1週間は、誰ともそんな話はしていない。

 スリザリンとの試合が近いから、なのかもしれないが、アンジェリーナも言ったように試合は次の土曜日だ。それを理由として納得するには、いまひとつ。

 

「そういうことなのかな」

 

 そんなことをつぶやきながら、アルテシアは階段の残りを登った。そして廊下を歩き角を曲がったところで、その向こうに見慣れた3人を見つけた。ハリーとロン、そしてハーマイオニーである。さほど離れてもいないので、そのあいだの距離はすぐになくなる。

 

「アルテシアじゃないか。1人なのかい? めずらしいね」

「ロン、ちょっと待って。まず、確かめないと」

「なんだって、確かめるって。なにをだい」

「アルテシアが、何をしにここへ来たのかよ。たまたま偶然に、なんてことは絶対にないのよ」

 

 言葉はロンにむけてのものだが、ハーマイオニーの視線はアルテシアをみていた。

 

「あたしたちは、とても大切なことのためにここにいるの。あなたもいてくれたらって、いつもそう思いながらね。ねえ、アルテシア。あなた、そのつもりはあるの? そのためにここに来たのだったら、大歓迎なんだけど」

「もし、そうじゃなかったとしたら?」

 

 実際のところアルテシアの目的は、ハーマイオニーが言ったことではない。この8階の廊下がどうなっているのか、それを実際に見るために来てみたのである。まさかハーマイオニーたちと出会うとは思わなかったし、さきほどのアンジェリーナたちが参加者だとするなら、やはりこの廊下にはなにかあるということになる。

 

「そうじゃなかったなら、あたしたちはこのまま寮に戻るだけ。でも、そんなことありえない。あなたは、なにか目的があってここへ来たはずよ。それも否定するの?」

 

 否定はしない。でもその理由は、話せない。なのでアルテシアは、ただ黙ってハーマイオニーを見ていた。そのハーマイオニーの少し後ろでは、ロンとハリーが心配そうだ。

 

「あなたは、自分には先生役は向かないって言ってた。あなたから魔法を習おうと思う人なんていないって、そうも言ったよね。でもね、アルテシア」

「ハーマイオニー、わたしは」

「あなたに魔法を教えて欲しい、あなたから習いたいって人はちゃんといるわよ。それでもイヤ? それでもダメ?」

 

 なおも無言のままのアルテシアに、ハーマイオニーは軽くため息。だがあきらめたわけではないようだ。今度は、別の面から攻めてみようということ。

 

「あなたは、例のあの人が復活したこと知ってたわよね。お友だちのなんとかさんが、あの人のことを調べてるって言ったよね」

 

 驚きの声がハリーたちから聞こえてくるが、ハーマイオニーは完全無視。

 

「なのにあなたは、あなた自身はなにもしないでいるつもりなの?」

 

 相変わらず、アルテシアは無言のまま。ハリーとロンは、口を挟めずにいる。

 

「パーバティは、いろいろとできるみたいね。きっとパドマもそうなんでしょう。でもね、アルテシア。あなたの親友たちが大丈夫なら他はどうなってもいいなんて考え、よくないと思うわ。あなたには似合わない」

「ハーマイオニー、いくらなんでもそんなこと」

「言い過ぎだっていうの? でも実際、あなたは何もしてないじゃないの。何かしてるというのなら、それを言ってみなさいよ」

 

 さすがにアルテシアも、頭に血が上ってくるのを感じていた。だが声を荒らげたりはせずに冷静でいられたのは、ハーマイオニーの言動に疑問を感じたからである。うわべだけで言うならば、アルテシアはただこの場所を通りがかっただけであり、偶然にもハーマイオニーたちと出会ったにすぎない。この場合、ロンの対応のほうが自然であり、ハーマイオニーのようにいきなり問い詰めるようなことをするのはおかしい。ここで何かをやっていた、と自分から認めるようなものだ。

 かしこいハーマイオニーが、そんなことに気づかないはずはないとアルテシアは思っている。つまりなにか、理由があってのことだろうと、そんなことを考えたのだ。

 

「言えないの? だったら、あたしたちのDAに参加しなさいよ。少しでも例のあの人に対抗できるように、努力するべきだと思う。いまは、みんなで防衛術を学ぶべきなのよ」

 

 そのハーマイオニーの言葉に、アルテシアは反論することができない。その通りだと思っているからだ。だが、いまさらDAには参加できない。アンブリッジとの約束により、アルテシアはいま、DAを摘発する側に立っているからだ。そんな約束など無視すればいいようなものだが、アルテシアの場合はそういうことにはならない。

 自分で守ると決めたのだから、必ず守らなければならない。決めたことは必ず実行する、というのがアルテシアの考え方だ。なぜなら、魔法書にそのようなことが書かれているからである。幼いころよりそれを読んできたアルテシアにとって、それはごくあたりまえのこと。それに反するようなことは、程度の差はあるにせよ心の負担として返ってくるだけだ。

 だがホグワーツでの日々を過ごすうちに、いわゆる大人の対応というものも経験してきている。なにかちゃんとした理由があれば、それが気持ちへの負担を軽くしてくれる、あるいは感じなくさせることができるということも経験している。つい最近でいえば、医務室で長話をしたときのダンブルドアがその良い例となるだろう。

 だからアルテシアは、こんなことを言ってみた。

 

「ハーマイオニー、わたしも、みんなで防衛術を学ぶということには賛成だよ」

「それはよかったわ。じゃあ参加するということでいいのね」

「いいえ。それでもわたしは、あなたのDAには参加できない。だから、代わりにこれを」

 

 すっと、差し出した右手。その上に向けられた手のひらが、ほんの一瞬だけ光った。そこから飛び出した光がくるくると渦を巻き、赤や青などの色を帯びて、改めてアルテシアの手のひらの上に集まってくる。時間にすれば、せいぜい10秒から20秒ほどか。鮮やかな色の光は、直径5センチほどの玉となった。

 アルテシアにうながされ、ハーマイオニーがそれを手に取る。

 

「これが、なに?」

「魔法の入れ物、ってところかな」

「じゃなくて、これはなにをするものかって、それを聞いてるの」

「これで、わたしを呼び出すことができるわ。もしなにかあったら、使って。どこにいても、何をしてても、たとえ手が離せなかったとしても、あなたのところへすぐさま駆けつけるって約束する」

 

 いわばお守りとしての『にじ色』を手渡し、緊急時の手助けを約束することで、DAに参加しないことを了解してもらおうというのだ。実は、これを渡すのは2度目ということになる。前回は1年生のときで、賢者の石をめぐる騒動のときに渡している。のときとは大きさや形は同じだが色が違っているため、ハーマイオニーは気づいていないかもしれない。

 ハーマイオニーの手の中にあるそれを、ロンとハリーがのぞき込む。

 もし気づいたなら、とアルテシアは思う。もし気づいてくれたなら、ハーマイオニーはこれで納得してくれるかもしれない。

 それをたしかめるべきなのだろうが、アルテシアは返事をまたずに、せっかく登ってきた階段を降りていく。いずれにせよ、アルテシアとしてはこのあたりが精一杯なのだ。

 いずれアルテシアは、DAの拠点摘発に関与することになる。すると、どうなるか。そのとき、あの3人は何を思うのだろうか。その予想は、それほど難しくはない。どう思われようと、受け入れるしかないことだ。

 でも、あの玉をハーマイオニーが持っていてくれたなら。もしものとき、アルテシアはハーマイオニーに呼ばれることになるだろう。おそらくは大変な状況、危険な状況であるはず。だがそれでも、アルテシアはすぐに駆けつけるつもりでいる。そんなときは来ないかもしれないし、来たとしても、そのとき呼ばれるとは限らない。でもハーマイオニーの手元にあの玉があるかぎり、つながりはあるのだ。

 そのことが、アルテシアの心の負担を軽くする。ほんの少し、のことなのかもしれない。だがアルテシアにとっては、大きな意味のあることなのだ。

 




 さて、次回。アルテシアはどこに行くことになるんでしょうか。
 クリスマス休暇での行き先としては、いくつか候補はありますね。マルフォイ家か、ウイーズリー家か、もしくはクリミアーナに帰るのか。それぞれの場合でどういう展開となるのか、そんなことを考えてみるのも楽しそうです。


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第91話 「マーニャの娘」

 太った夫人の肖像画に合い言葉を告げて、談話室へ。これは、グリフィンドール生であれば誰もがごく自然にやっていること。もちろんアルテシアも、ごく自然にやっている。だがいつもと同じであったのは、このあたりまで。談話室には、普段とは違う、どこかしら重苦しい空気がただよっていたのだ。

 今日は、宿敵スリザリンとのクィディッチの試合の日。さては負けたのかなと、そんなことを思いつつ、暗い雰囲気に包まれた談話室を見回していく。先に戻っているはずのパーバティを探しているのだが、そのパーバティがみつからない。そのまえに、ハーマイオニーの姿が目に入った。

 ハーマイオニーは、暖炉の近くでハリーやロンたちとともにひとかたまりの集団となっていた。クィディッチ・チームのメンバーが揃っているところをみると、原因はやはりクィディッチの試合にありそうだ。

 話を聞いてみようとはしたのだろう。だが近づけたのは、ほんの数歩だけ。さすがにアルテシアも、そのなかに割って入ることには抵抗を感じたらしい。そこには、たしかに見えない壁のようなものがあり、なにかしらの合い言葉のようなものがなければ、通り抜けることはできないのではないか。

 そんなことを思いつつ、アルテシアが、ハーマイオニーたちを見る。その視線を感じたのか、ハーマイオニーが顔を動かした。確かに目が合ったのだが、話しかける寸前、腕をつかまれたアルテシアが談話室の隅へと引っ張られていく。

 

「待って、パーバティ。なにかあったんじゃないの。雰囲気、変だと思うんだけど」

 

 アルテシアの腕をつかんだのはパーバティだった。そのまま寮への入り口のほうへと引っ張られていく。

 

「アルテシア、なにかわかった?」

「あ、うん。これから話すけど、みんなはどうしたんだろう、なにか知ってる?」

 

 予想としては、クィディッチの試合に原因あり。だが試合を見ていないアルテシアには、本当のところはわからない。そのときは、8階の例の場所にいたのだ。試合中であれば、選手であるハリーとロンが8階を訪れることはないし、ハーマイオニーも含めたほとんどの生徒たちは試合会場にいるからだ。

 おちついてゆっくりと、その場所を調べてみようと思っていた。だが、その場所を訪れるのは生徒だけではなかった。パーバティと2人で8階へとやってきたアルテシアの前に、ゴーストである灰色のレディが現れたのである。

 アルテシアと、少し話したいということだった。パーバティは灰色のレディから同席を拒絶されてしまい、仕方なく別行動となってクィディッチの試合を見に行ったのである。

 

「試合はね、グリフィンドールが勝ったのよ。ポッターがスニッチを取ったわ」

「勝ったのに、どうしてみんな、ああなの?」

 

 だがパーバティは、ちらりとアルテシアをみただけだった。そのまま手をひっぱり、寮への階段を登る。部屋に行って話をしようということだろう。その後ろ姿を暖炉のそばから見ていたハーマイオニーが、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

  ※

 

 

「じゃあ、ハリーは出場停止になったんだね」

「そうだけど、もう二度とクィディッチはできないようにするって言ってるらしいよ」

「もう二度と?」

「終身禁止、ってことらしい。ウィーズリー家の双子も同じ処分でさ。談話室のあれは、そんなことが理由。ほんと、ひどいことしてくれるよ」

 

 なお詳しい説明は必要だろう。だがおおよその事情はわかった。これでは、あの雰囲気も仕方がないとアルテシアは思う。そのことを話してくれたパーバティを見つめるうち、アルテシアのなかに別の感情がこみ上げてきた。

 

「わたし、アンブリッジ先生に抗議すべきだと思うな」

「抗議って言ってもさ、アル。さすがにそれはムリじゃないかな。あいつが聞き入れるはずないと思うよ」

「でしょうね。でも、言うことは言っておかないと、またなにかされるわ。友だちには手を出さないはずだったのに」

 

 だが、その友人の範囲は限定されている。アルテシアも承知していることなのだが、だからといって、見過ごすつもりはないというのである。だが、その前に。

 

「マクゴナガル先生のところには行かなかったの? 相談したらなんとかなるんじゃないのかな」

「どうなんだろう。あたしもよくは知らないけど、禁止を言い渡されたのは先生の執務室らしいよ」

 

 では、マクゴナガルも承知の上ということになるのか。また例の教育令だか魔法省令だかいうものを持ち出し、ムリを通そうというのだろう。アルテシアの頭の中を、さまざまなことがよぎっていく。いったい、どういうつもりなのか。魔法省とは、そんなところなのか。

 

「とにかく、アル。アンブリッジのまえにマクゴナガル先生のところに行ったほうがいいよ。詳しい話もきけると思うし」

「うん、そうだよね。もちろんそうするよ」

 

 それは、パーバティの言うとおり。なにしろ相手は、アンブリッジだ。よく知らずに抗議などしても、おかしな理屈で返されるに決まっている。相手を論破できるだけの準備はしたほうがいい。

 

「それはそうと、灰色のレディとはどんな話をしたの?」

「あ、それはね」

 

 その話もあったのだ。

 とにかく気持ちを切り替え、アルテシアはその話をすることにした。なにしろ灰色のレディがもたらしたものは、アルテシアにとっては、かなり衝撃的な内容。パーバティにも聞いてもらいたかったのだ。

 

「あれからパーバティは、クィディッチの試合を見に行ったんでしょ? ヘレナがちょっと気にしてた」

「べつにいいわよ。おかげで試合が見られたし。で、なんだって?」

「ヘレナとまえに話をしたとき、思い出したら話をしに来るって言ってたんだけど」

「それで、なにか思い出したって、そういうこと?」

 

 そのとおりだった。だが、アルテシアが思っていたこととは違っていた。このことでは、アルテシアと灰色のレディとの間で認識に違いがあったのだ。アルテシアは、灰色のレディが当時のことでなにか思い出したなら、と理解していた。だが灰色のレディのほうでは、たとえばなにかしらのヒントを得るなどして、アルテシアがそのことに気づくか、そうなりそうなときと考えていたらしい。今回でいえば、8階のあの廊下の壁に興味を持ったこと、それが該当したようだ。

 

「つまりあの廊下には、あんたの先祖とレイブンクローとのことでなにかあるってことだよね?」

 

 この場合のレイブンクローとは、寮の名称ではない。ホグワーツの創設者のひとりである、ロウェナ・レイブンクローのことだ。アルテシアがうなずいてみせた。

 

「ヘレナが言うには、あそこには、特別な部屋があるそうなの。誰かが場所を求めているとき、それに応じた部屋が用意される。そんな仕組みになってるらしいわ」

「それを、あんたの先祖が作ったってこと?」

「そうみたい。もちろん、ロウェナと一緒にってことらしいんだけど」

 

 灰色のレディとのあいだでは、その特別な部屋についてのより詳しい話もしたのだが、パーバティはそのことには触れなかった。ちなみにこの部屋のアイデアを出したのは、ロウェナ・レイブンクローであるらしい。

 

「じゃあ、ポッターたちはその部屋で防衛術を練習してるってことか。でもあたしたち、その部屋みつけられなかったよね。それは?」

 

 それは部屋の仕組み、いわば仕様の問題ではないかと思われた。つまり必要とされたのはどのような部屋か、という点が関係してくることになる。たとえば『参加者以外には見つからずに防衛術を学べる部屋』とでも条件をつけられていたなら、参加者ではないアルテシアたちには、容易なことでは発見できないというわけだ。

 

「となると、参加者の誰かがその部屋に入ろうとしてる、まさにそのときじゃないと見つけられないのかもね」

「そうだけど、まったく同じことを願ってみたら、その部屋を開けられるんじゃないかって思うの」

「ああ、なるほど。理屈からいけば、そういうことになるのか。でも、同じことっていってもさ」

「いろいろ試してみる、しかないのかもね」

 

 その部屋の使用目的はわかっているのだから、なんとかなるかもしれない。消極的な方法のようだが、意外に近道とは、こんなところにあるのかもしれない。

 

「効率的なやり方とかはパドマが考えてくれるだろうし、ソフィアもやりたがるだろうな。でもアル、このこと、報告するの?」

 

 もちろん、アンブリッジにということだ。あの約束がある限り、アルテシアがその約束を守るつもりでいる限り、このことは報告されることになる。

 

「しなきゃ、ね。でも、まだだよ。その部屋だって、見つけたわけじゃないから」

「でもさ、アル。そのままアンブリッジに教えるのは、なんかさ」

「わかってるよ、パーバティ。そのまえにやることあるし、部屋もみつけなきゃいけないし、いろいろ考えてみる」

 

 そのまえにやること、その具体的なことをアルテシアは言っていないし、パーバティも聞き返すようなことはしない。それがなにかは、分かっているからだ。2人並んで腰かけたベッドから、アルテシアが立ち上がる。

 

「あたしも行こうか?」

「いいけど、アンブリッジ先生のところには行かないよ。とりあえずマクゴナガル先生と話してくる。それでも来てくれる?」

 

 パーバティが、微笑みながら立ち上がる。アンブリッジのところに行かないのなら、パーバティとしては付き添う意味はあまりない。だが、来なくていいと言われなかったので、一緒に行くことにしたようだ。

 2人はそのまま寮の部屋を出て行くのだが、その寸前に、ドアの前から離れて階段を降りていった人影には気づかなかった。

 

 

  ※

 

 

 女子寮からあわただしく降りてきたハーマイオニーが、一直線に暖炉の前へと走っていき、そこで座り込んでいるハリーに耳打ち。そしてロンも含め、3人で談話室の隅っこへと移動。肖像画のある出入り口とは反対側なので、人の出入りを気にする必要はないし、さりげなく出入りを見張ることもできる。

 

「ほらみて、アルテシアとパーバティが出て行くでしょ」

「それがどうしたんだい? まだ外出はできる時間だぜ」

「あの2人、マクゴナガルのところに行くつもりなのよ」

 

 ハリーもロンも、ハーマイオニーがなにを言いたいのか、まだわかっていない。アルテシアなどは、しょっちゅうマクゴナガルのところに行っているからだ。なにも、めずらしいことではない。

 

「あたしね、フレッドに“のび耳”を借りてあの2人の話を聞いたの。借りるのに手間取って、途中からしか話は聞けなかったんだけど」

「キミ、それって、盗み聞きしたってことだろ。おっどろきー、そうか、マーリンの髭って、こんなときに使うんだよな」

「あたしはね、ロン。大切なことだと思うから聞いたのよ。これは、必要なことだったの」

「まあまあ、落ち着いて。それでハーマイオニー、あの2人はなにを」

 

 肝心なのは、そのことだ。ハーマイオニーも、ロンをにらむことはやめて、本題を話し始める。

 

「いい、よく聞いて。あの2人、必要の部屋のことに気づいたわ。そこがDAの活動場所だってこともね」

「待ちなよ、ハーマイオニー。このあいだ、8階の廊下でアルテシアと会ったときも、その話をしたじゃないか。ほら、キミがアルテシアから魔法の玉をもらったときだよ。まさか、忘れた?」

「そんなわけないでしょ。あの玉は、大切に保管してる。1年生のときにもらったものと一緒にね」

 

 実はハーマイオニーにとって、その玉を手にするのは2度目ということになる。もちろんその中身は違っていて、最初のときは賢者の石を守るために三頭犬が守る入り口の突破を目的としたものだった。そのときは使っていないのだが、ハーマイオニーは、それをずっと持っていたようだ。

 

「あのとき、キミは言ったはずだ。アルテシアはDAの活動場所を探してるんじゃないかって。でも、必要の部屋には気づけないということになったじゃないか」

「ええ、ロン。たしかにあなたの言うとおり。でも、さすがはアルテシアだと思わない? 彼女、自分で調べてたどり着いたのよ」

 

 正しくは、灰色のレディに教えてもらったということになる。だがハーマイオニーは、その部分は聞き漏らしてしまったようだ。

 

「問題は、なぜそんなことをしてるのかなんだけど」

「DAに参加したい、そういうことじゃないんだよね」

「このまえあの廊下であったとき、あたしもそう思ったわ。でも、違ってた。理由はわからないけど、彼女、このことを報告しに行ったのよ」

「え! まさか、アンブリッジのところじゃないだろうね」

「しっ! ハリー、声が大きいわ」

「ごめん。でもさ、アンブリッジに告げ口しに行くなんて信じられないんだけど」

 

 ロンも同じ気持ちらしく、口には出さないが、何度か小さくうなずいている。ハーマイオニーは、軽くため息。

 

「あたしだってそうよ。でも覚えてるでしょ。アンブリッジがアルテシアを助手だかなんだかにしようとしたっていう話」

「いや、あれは単なるウワサだよ。ダンブルドアに確かめたけど、そうだって言ったよ。その話も3人でしたじゃないか」

「そうだけど、何か関係があるんじゃないかしら。だから、必要の部屋を見つけ出す方法を相談してたんだと思うのよ」

「それがキミの聞き違いじゃないとすると」

「失礼ね、ロン。こんなことで間違えたりはしないわ。とにかく聞いて、あの2人はこんなふうに話していたの」

 

 ハーマイオニーが聞いたのは、話の後半部分。その部屋をどうやったら開けられるか、といったことを話しているところかららしい。もちろん終盤の、アンブリッジに報告するかどうかといった部分は耳にしているおり、そのことをハーマイオニーが説明していく。

 

「それって、すごくマズいんじゃないかな。アルテシアなら、いずれ見つけるはずだ。もう、アンブリッジにバレたようなもんじゃないか。なにか対策考えたほうがいい」

「そうだけど、ハリー、あなたまさか、アルテシアを疑ってないわよね?」

「え? だってハーマイオニー。キミがいま、言ったんだよ。アンブリッジに告げ口しそうだって」

「違うわ。告げ口なんて言ってない。報告をどうするのか相談してたって言っただけよ」

「それ、言葉は違うかもしれないけど、意味は一緒じゃないのかなぁ」

 

 さすがにロンも、ハリーの言うことを支持するしかなかった。だがハーマイオニーは、そうではないと言い張った。

 

「一緒じゃないわ。アルテシアは、そんなことはしたくなさそうだったし、いま出かけたのは、マクゴナガルのところだもの」

「だとしても、秘密が漏れることに変わりはないんだよ、ハーマイオニー」

「いいえ、ハリー。アルテシアは、マクゴナガルに相談しにいったのよ。秘密を広めたりはしないと思うわ」

「そうか、わかったぞ。さっきの話だ。ダンブルドアはウワサなんか気にするなって言ったけど、実はアルテシアはアンブリッジの助手なんだ。あいつに指示されて、必要の部屋のことを調べてるってことになるんだ」

「だとしたら、ボクらはどうしたらいいんだろう?」

 

 ロンの目は、まずハリーを、そしてハーマイオニーに向けられた。どちらからも、返事は返ってこなかった。

 

「けどさ、ボクはアルテシアを疑うべきじゃないと思うな、うん。ほら、前にもあったじゃないか。ドビーの言葉に勘違いして疑ったり、シリウスのときだって、アズカバンの脱走に力を貸したんじゃないかとかさ」

「そうよ、ロン。そうなのよ、ロン。でも結局は、あたしたちの考えすぎだったわけでしょ。あの子も、言ってくれればよかったんだけど、あのころからだんだん話もしなくなってきた。話をしないのがよくないのよね」

「ボクは、仲直りしようって、ずっとそう言ってきたんだけど」

 

 ハーマイオニーの目が、キラリと光る。もちろん魔法などではないが、この場合は、ロンに対してそれに等しい力を持っている。すなわち、その口を封じてしまえるのだ。

 

「誤解のないように言っときますけど、あたしとアルテシアは、ケンカなんかしてません」

「まあ、待ちなよハーマイオニー。ケンカはともかく、気をつけないといけないのは確かなんだよ」

「でも、ハリー」

「いいかい、アルテシアはマクゴナガルのところに行ったんだよね。このことを、相談するために」

 

 ハーマイオニーは、ただ、うなずくしかない。そのとおりだからだ。クィディッチを禁止され、つい先ほどまで落ち込んでいたはずのハリーだが、そのことはすっかり忘れ、いつものペースに戻ったようだ。

 

「確実なのは、マクゴナガルがDAの存在を知るってことだよ。マクゴナガルはどうするかな。きっとダンブルドアには話すだろうね。どっちもアンブリッジに言うとは思わないけど、この状況でDAを続けても安全だと思うかい?」

「それは」

 

 すぐには返事ができないハーマイオニーの代わりに、ロンが口を開いた。ハーマイオニーの口封じの眼光からは回復したらしい。

 

「ボクは大丈夫だと思うな。DAは続けるべきだよ」

「よく考えろよ、ロン。アンブリッジにバレたら、処罰なんかじゃすまないぞ」

「そんなのわかってるさ。でもこういうことだと思う。要するにアルテシアを信用するのかどうかさ。なるほど、アンブリッジにバレたら最悪退学だろうよ。でもそれは、アルテシアにだってわかってる。なのにあいつが、そんなことすると思うか」

 

 思わない、とすぐに返事が返ってくるとロンは思っていた。なのにハリーは、いやハリーだけでなくハーマイオニーも、すぐには返事をせず、そのことに考え込んでしまっていた。

 談話室の片隅でこんな話がされているころ、アルテシアとパーバティは、マクゴナガルの執務室を訪れていた。

 

 

  ※

 

 

「吾輩が思うに、おまえはもう、これ以上なにもするべきではない。クリスマス休暇まで1週間ほどあるが、今夜のうちに実家に戻れ。それ以後のことは、ゆっくりと相談すればいい」

 

 そう言ったのは、スネイプ。だが場所は、スネイプの研究室でもなければ地下牢教室でもなかった。アルテシアとパーバティとがマクゴナガルの執務室を訪ねたとき、そこにスネイプもいたのである。結果、スネイプも含めて話をすることになったのだ。

 スネイプとマクゴナガルは、クィディッチの試合後に起きた乱闘に関して話し合いをしていたところだった。アンブリッジが処罰したのは、ハリーとウィーズリー家の双子の3人。スリザリン側は、実質おとがめなしのようなものだった。この結果に代表されるように、アンブリッジは、己の立場と教育令を乱用している。それをどうにかできないか、そんなことを話していたらしい。

 だがホグワーツの職員である以上、教育令には逆らえない。魔法使いと魔女であるからには、魔法省の方針には従わざるを得ない。それが現実なのだ。

 

「そうしますか、アルテシア。とりあえずクリミアーナに戻り、時期を見て戻ってくることは可能ですよ。あなたがそうしたいと言うのであれば手続きをしますが」

「いいえ、マクゴナガル先生。そんなことはしません。そんなことをしてしまえば」

 

 そこで、チラとパーバティをみる。パーバティが軽くうなずいてみせ、アルテシアも、ニコッと笑みをうかべた。

 

「そんなことをすれば、わたしがわたしでなくなってしまいます。きっと、友人たちにも笑われてしまうでしょう」

「ほう、おまえはおまえでなくなるのか」

「はい、そうです。スネイプ先生」

 

 スネイプが、くちびるの右端をわずかにあげてみせた。

 

「では問うが、いまのおまえはどうなのだ。それが、おまえか。それでいいと思っているのか」

 

 スネイプは、アルテシアとアンブリッジのあいだのことを知っている。そのうえでの言葉ということになるが、アルテシアは苦笑いで応えた。だが、それも一瞬。

 

「ご心配なく。守るべきものを捨てようだなんて思ってもいませんから」

「なんだと。どういう意味だ」

 

 今度は、苦笑いではなくすっきりとした笑顔。あらためてアルテシアは、にっこりと笑ってみせた。

 

「わたしは、マーニャの娘ですよ。マーニャの娘アルテシアは、クリミアーナの魔女なのだと、そういうことです」

 

 またも、意味不明であったのではないか。だがスネイプは、重ねて問うようなことはしなかった。マクゴナガルが歩を進めてきて、アルテシアの肩に手を置いた。

 

「わかりました、アルテシア。わたしも覚悟を決めましょう。大丈夫です。きっとスネイプ先生も力を貸してくださるでしょう。他の先生方もあなたの味方になってくれるはず。なにも、心配することはありません」

 

 このあと、マクゴナガルの覚悟とは何なのかが話題にのぼるようことはなかった。アルテシアとパーバティが寮へと戻っていき、スネイプも部屋を出ようとする。だが、最後にひとこと言いたかったようだ。ドアノブに手をかけたところで、振り返る。

 

「たとえて言うならば、あの娘の背中にある翼の羽根が、1つ2つ3つと、次々に抜け落ちていくようなものですな。これではあの娘、いざというとき飛び立てなくなる。はらはらと落ちていくその羽根をみながら、何もできないでいるなどできることではない。よいご判断だと思いますな」

 

 マクゴナガルは、何も言わなかった。スネイプがドアを開け、そして閉じる音がした。

 

 

  ※

 

 

 その日の午後の授業は、魔法生物飼育学。なぜか新学期になってからずっと不在が続いていたハグリッドの、復帰後最初の授業でもある。不在の理由は学校内に発表されていないためアルテシアは知らなかったが、戻ってきたことを喜んでいた。いつもいた人がいないとなれば、寂しさを感じるものだ。

 それはさておき、この授業はスリザリンとグリフィンドールの合同授業だ。もちろん授業はまじめに受けるつもりだが、アルテシアはドラコの姿を見て、この機会を利用できるのではないかと考えていた。なにしろ、クリスマス休暇は3日後に迫っている。そのときマルフォイ家に行くのかウィーズリー家か、それとも自分の家に帰るのか、その相談をしようと思ったのだ。いくらなんでも、もう決めなければならない。

 

「さーて、今日勉強するやつは、珍しいぞ。こいつらを飼い馴らすのには、ずいぶんと苦労したんだ」

 

 その声とともに、ハグリッドが生徒たちを先導し森のほうへと歩いていく。奥のほうへと入るのではなさそうだが、少しずつ木々が密集し始め、夕暮れどきのような薄暗さになっていく。そんななか、少しだけ木々が途切れて広場のようになった場所に、持ってきた大きな牛肉の塊を置いた。

 生徒たちは、ハグリッドから少し離れた場所で、木々の陰から周りを見回している。

 

「みんな、このあたりに集まってくれや。オレが呼んだら、やってくるからな。とにかくみんな、しずかに待ってろや」

 

 そう言ってから、甲高い奇妙な叫び声をあげた。怪鳥を思わせるようなハグリッドの呼び声が、木々の間をすり抜けて広がっていく。

 

「どうなるのかな。何が来るんだと思う?」

「わからないけど、ハグリッドのことだし、見た目はともかくそんな危なくはないと思うな」

 

 パーバティに聞かれてそう答えたアルテシアだったが、そうするうちに突然、パーバティの腕にすがりついた。

 

「な、何よ、アルテシア。どうしたの?」

「あれよ、ほら。あの少し曲がった2本の木の間。目が光ってる」

「え? どれ、どこ?」

 

 それは、ドラゴンのような顔と首、そして、大きな翼を持っていた。翼さえなければ、黒く長い尾のある大きな馬といったところだ。その姿がはっきりし始めたところで、アルテシアはパーバティの腕から手を離した。

 

「あー、びっくりした。あれなら見たことある。馬車の馬だよね」

 

 アルテシアは、その生き物と目が合ったような気がした。だがその馬のような生き物は、肉の塊に頭を寄せて、大きく口を開け食いちぎりはじめた。とたんに、生徒たちのあちこちから悲鳴があがる。それはパーバティも同じだった。

 

「ちょ、ちょっと、アル。あれはなに? 何がいるの?」

 

 実はパーバティには、馬のような生き物の姿は見えていない。ひとりでに大きな塊から肉片がはがれ、空中に消えていっているように見えているのだ。気味の悪い眺めに違いない。

 

「心配いらねぇぞ。セストラルという生き物だ。そいつが、肉を食っとるんだ」

 

 ハグリッドが誇らしげに言った。そして、セストラルのことを知っている者はいるか、と問いかける。たちまち手を挙げたのは、ハーマイオニーだ。

 

「セストラルは、死を見たことがある者だけが見ることのできる生き物です」

「おう、そうだ。よう知っちょるな。グリフィンドールに10点」

 

 それからハグリッドが、セストラルの説明をしていく。ハグリッドによれば、賢い生き物でありとても役に立つのだという。そのセストラルは、ホグワーツで駅から学校への馬車を引いていく役目を担っているのだが、そのことを知らない生徒が多かった。つまりが見えていないからであり、それらの人は馬車は魔法で動いていると思っていたようだ。

 数頭のセストラルがハグリッドの持ってきた肉を食いつくしたころ、ちょうど、ハグリッドの説明も終わりとなった。ハグリッドがセストラルを森のなかへと帰してやり、続いて生徒たちを引き連れてもとの道を戻っていく。その帰り道、アルテシアはドラコの横に立った。

 

「ねえ、ドラコ。クリスマス休暇のことなんだけど」

「そのことなら、もう母上に言ってある。キミが来るのを楽しみにしてるぞ」

「そうなんだ。でもウィーズリーさんのこともあるし、ロンに確かめてから、明日、あらためて返事をするわ。それでいい?」

 

 ドラコにはそう伝え、納得してもらう。あとはロンだが、家を訪ねるといった話はロンの両親としただけ。しかもこのところ話をしていないので、ロンとは話しづらくもある。だが、そうとばかりも言っていられない。

 

「なんなら、このぼくが話をつけてやろうか。ウィーズリーのやつはどこだ」

 

 そのロンは、アルテシアたちのずいぶんと前を歩いている。ハリーとハーマイオニーが一緒だ。追いつけない距離ではないのだが、走り出したりはしなかった。

 

「大丈夫よ、わたしが話をして、そして決めるから」

「わかった。でもキミは、マルフォイ家に来ることになるだろう。そのほうがいい。絶対にそうするべきだ」

 

 それを、どういう意味で言っているのか。いまひとつはっきりとはしなかったが、アルテシアは、軽く微笑んでみせた。それよりも、ロンと談話室で話ができるかどうかが心配だった。ロンは、いつもハーマイオニーやハリーと一緒にいる。いつ頃からだろう、話しかけづらくなったのは。

 そんなことを思いつつ、アルテシアは歩いた。結局アルテシアは、その話をロンとすることができなかった。明日の朝こそは、きっとロンと話をしよう。そう決めてアルテシアが眠りについた、あとのこと。

 事件は、そんな深夜に起こった。

 




 前話投稿分で、マルフォイ家かウィーズリー家か、なんて話を書きましたが、今回はそこまでいきませんでしたね。見通しあまくて、すみません。次こそは。
 さあ、どうなりますでしょうか。


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第92話 「休暇前の出来事」

「あなたは、昨日の夜中になにが起こったのかご存じのはずね。それを報告しに来てくれたと、そういうことになるのかしら」

 

 自分の部屋へとやってきたアルテシアに対し、アンブリッジは、ニヤニヤと薄笑みを浮かべながらそう言った。その深夜の出来事を、アルテシアは実時間では知らない。だがアンブリッジのところへ来る前にマクゴナガルと会ってるので、おおまかではあるが内容は聞かされている。もっとも公式には、朝早くにグリフィンドールの談話室でマクゴナガルが寮生に話した内容ということになるので、それ以上のことは言えないということになる。

 

「一番の疑問は、どうやってそれを知り、どうやって学校を出たのかということなの。あなた、なにかご存じ?」

 

 アルテシアは、答えない。無言のままに歩き、アンブリッジの座る机の前へと移動。なにか話をするには、ちょうどいいくらいの距離まで近づく。

 

「なぜ、黙ってるの」

「わたしは、朝までぐっすりと寝ていたんです。真夜中に起こったことには気づきませんでした」

「あら、そう」

「朝になってから聞いた話でよければ」

 

 もちろんそれは、談話室でマクゴナガルが発表した内容に限られることになる。それくらいならアンブリッジも承知しているはずなのだが、アンブリッジは話をうながした。

 

「深夜に、ウィーズリーさんが大けがをして聖マンゴ魔法疾患傷害病院に入院したと知らせがきたそうです。それでウィーズリー家のご兄弟たちが病院に行きました。もうじきクリスマス休暇なので、そのまま滞在することになるそうですけど」

「その知らせはどこから? どうやって聖マンゴに行ったのかが気になるのよ」

「それをわたしに聞かれても、困ってしまうのですが」

 

 実際、アルテシアはそんな具体的なところまでは知らない。移動方法など聞いていないのだ。

 

「知らないとおっしゃるのね。まあ、それはいいでしょう。でもね、お嬢さん。あなたと約束した件については、ちゃんと報告してもらわないと。あなたには、その義務がおありなのよ」

「わかっています、アンブリッジ先生。いま、お時間はよろしいですか? 順序よく、お話させていただきたいんですけど」

「あら、そう。いいわ、じっくりとね。場所を変えましょうか」

 

 といっても、自分の部屋を出るつもりではないようだ。片隅に置かれた、ちょっとした来客用のテーブルと椅子。自分の分は、ふかふかのクッション付き。そこへの移動、ということである。

 そこへ腰を落ち着けたアルテシアが、まず言ったこと。それは、DAに関してのことだった。

 

「まず先生がおっしゃった、違法な組織でしたっけ? その活動場所はわかりました」

「そうなの。8階にあるということ以上の報告が聞けるといいんだけど」

「ご存じだったんですか!」

 

 これには、さすがに驚いたらしい。アルテシアが命じられた仕事なのだが、アンブリッジは任せきりにしていなかったということになるようだ。

 

「あなたの報告が正しいのか判断する必要がありますし、参加メンバーはおおよそ調べがついていると言いましたでしょ。首謀者の動きをみていれば、おのずとわかってくるのです」

「だったら、わたしなんかが調べることはなかったのでは」

 

 そうしてくれれば、どういうことになったのか。そんなことを思ったアルテシアだが、結局は同じ結果になったのかもしれない。目の前の相手を見ていると、そんな気もしてくるのだ。

 

「それで?」

 

 アンブリッジが何を知っていようとも、アルテシアとしては予定していたとおりのことを告げるのみ。ちなみにアルテシアは、まだ実際に必要の部屋へは入ったことがない。

 

「先生のおっしゃるとおり、8階です。参加者は20人ほどで、おおよそ1週間に1回ほどのペースで勉強会を開いているようです。ですが、それ以上のことは」

「あらあら。それでは約束が違うんじゃないかしら」

「すみません。でも、わたしが先生にできることは、せいぜいがこれくらい。これで納得してもらうしかないですね」

「妙に強気な物言いをするのね。どういうつもり? まさかとは思うけど」

 

 アンブリッジが何を思おうが、アルテシアとしては、言うべきことを言うだけ。報告を続ける。

 

「先生は、暖炉を通して、別々の場所にいる人たちが会話をすることができるのを」

「知っていますよ。常々、そのネットワークを監視していますからね。で?」

「シリウス・ブラック、という人がこの方法を使って会話を試みています。ですが邪魔をされ、その後はそんなことは起こっていません。起こらなければ、話を聞くこともできないし、ふくろう郵便についても手出しする方法がありません。なのでわたしには、これ以上の調査はできないということになります」

 

 その邪魔をしたのがアンブリッジ、なのである。アンブリッジは煙突飛行ネットワークを監視しており、シリウスがそのネットワークを使用した際に摘発しようとした。だが、取り逃がすという結果に終わっている。以来、シリウスはその方法を利用していないのだ。

 つまりアルテシアは、暗にアンブリッジの失敗が原因だとほのめかしているのである。

 

「なので先生とのお約束については、これで終わりとなります。では、失礼します」

 

 そう言って、席を立つ。だがアンブリッジが、すなおに帰らせてくれるはずもない。もちろん、アルテシアを呼び止めてくる。

 

「座りなさいな、お嬢さん。そんなにあわてなくてもよろしいのじゃなくって?」

 

 アルテシアとて、これで話が終わるとは思っていなかったのだろう。何も言わず、改めてゆっくりと腰を下ろした。

 

 

  ※

 

 

 アンブリッジの部屋を訪れる前、アルテシアはマクゴナガルのもとを訪れている。クリスマス休暇となる前のあいさつであり、アンブリッジと会う前のちょっとした報告、のようなもの。だが話題の中心は、同然のように深夜に起こった出来事となり、グリフィンドールの生徒には、ウィーズリー家の父親が大けがをして病院に運ばれロンなど兄弟とハリーとが向かった、という説明がされている。

 いったい深夜になにが起こり、今の状況はどうなのか。アルテシアはこのとき、もう少しだけ詳しい話を聞いている。始まりは、深夜にハリーが“見た”ことだったという。何を、と問うたアルテシアに帰ってきた答えは、一風変わったものだった。

 

「ヘビのなかに自分がいた、とポッターは言うのです。そのヘビの目を通して、アーサー・ウィーズリー氏が噛まれるところを見たのだと」

「それで、どうなったんですか?」

「実際、ウィーズリー氏は大けがをしています。命の危険からは脱したようですが、発見が遅かったら、つまりポッターがヘビの目で見なかったならどうなっていたか」

 

 話だけでは、想像しずらい場面だと思われる。深夜のことでもあり、ハリーはそのときベッドにいた。故に、夢を見たのだと片付けられても仕方がない状況。だがマクゴナガルは、夢だとは判断しなかった。遠く離れた場所を見る、ということ。それをアルテシアは、簡単にやってのける。クリミアーナの基本的な魔法である光の操作によって、それは実現可能となる。ハリーが同じ手段を用いたとはマクゴナガルも思っていないのだが、すぐさまダンブルドアに報告し、ダンブルドアも、その処理に手を尽くした。

 それが、深夜の出来事。仮にこの過程のどこかで少しでもちゅうちょがあったなら、結果は違っていたかもしれない。

 

「今ごろは、聖マンゴ病院にて親子が対面しているはずです」

「そうですか。でもなぜハリーも?」

「ダンブルドアの判断です。それを見たのがポッターでもありますし、事情がはっきりするまではアンブリッジ先生から遠ざけておきたいのでしょう」

 

 ハリーが見た事件の舞台は、魔法省。遠隔地にいたハリーがどのようにしてその事実を知ったのかなど不明な点も多く、それがはっきりするまでは、ということらしい。

 

「ウィーズリーさんは、そんな深夜に魔法省でなにをしていたんですか」

「その点も、あの先生には知られたくないのでしょう。不死鳥の騎士団の用事であったようですが」

「不死鳥の騎士団、ですか」

「わたしも、用件の内容は知らないのです。魔法省にあるなにかを探していたか調べていたのだと推測していますが、あの先生に知られると支障が出るのかもしれない」

「先生もご存じないことなんですか」

 

 たしかマクゴナガルは、騎士団のメンバーであったはず。アルテシアはそう理解していたのだが、なにもかも知っているということでもないらしい。すべてを知っているのはダンブルドアだけ、なのかもしれない。

 

「マクゴナガル先生、魔法省とは、どういうところなんですか」

「一言でいうならお役所ですが、そういう答えは望んでいないのでしょうね」

「はい」

 

 互いの顔に、笑みが浮かぶ。実際のところ魔法省は、いわば司法や外交などを担う行政機関であり、魔法界の秩序と安全を守る役目を担っている。そのはずだ、とマクゴナガルは笑う。そうですよね、とアルテシアも微笑んだ。

 

「いずれにしろ、重要なのは人だということです。どんなに立派な組織でも、そこにいる人次第で壊れてしまうこともある。よくもなれば悪くもなるのです。覚えておきなさい」

 

 アルテシアが、席を立つ。これからアンブリッジのところへ行くのだが、そのときどんな話をするつもりでいるのかは、マクゴナガルに伝えてある。だが、その結果など、わかりはしない。実際に話をしてみるしかないのだ。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアがアンブリッジの部屋へと向かっている頃、ウィーズリー家の兄弟とハリーは、騎士団のメンバーであるトンクスとマッド・アイとに付き添われ、聖マンゴ魔法疾患障害病院を訪れていた。もちろん、大けがをしたアーサー・ウィーズリー氏を見舞うためである。

 病院は、ロンドン中心部にある赤レンガのみすぼらしい廃虚のようなデパートのなかにあった。『パージ・アンド・ダウズ商会』との文字が掲げられ、玄関ドアには「改装のため閉店中」との看板がかかっている。すぐ横のショーウィンドーには流行遅れの服を着た奇妙なマネキンが飾られているだけ。

 もちろんそれらは、マグルが間違って入り込まないための偽装。魔法使いや魔女は、マネキンに向かって用件を告げてマネキンの指示を受け、ショーウィンドーのガラスを突き抜けて中へと入るのだ。

 アーサー・ウィーズリー氏の病室は、2階のダイ・ルウェリン病棟。特に重篤な噛み傷などの「生物性傷害」の患者が入院している病棟だ。ハリーたちが病室に入ったとき、アーサーは「日刊予言者新聞」を読んでいた。

 

「やあ、みんな。心配かけて悪かったね。あとは包帯が取れさえすれば、家に帰れるんだが」

 

 トンクスとマッド・アイは、最初は家族だけのほうがいいからと、病室にはいない。いるのは妻のモリーとフレッド、ジョージ、ロン、ジニー、そしてハリーである。

 

「ヘビの牙には毒があったらしくてね。包帯を取ろうとすると、そのたびに出血しはじめるんだよ」

 

 病院では今、その毒に対する解毒法を探しているらしい。ともあれ1時間おきに血液補充薬を飲む必要はあるものの、容態は安定しているらしく心配はいらないとのこと。

 そうなると気になるのは、そのときに何があったのか、ということになる。最初にそのことを聞いたのはフレッドだ。

 

「まあハリーが見たとおりなんだが、気になるのは、あのヘビだよ。まさか、あそこでわたしを噛もうと待ち構えていたわけではないはずだからね」

「おじさんは、そこでなにをしていたんですか」

 

 そのハリーからの質問に、アーサーが苦笑いを浮かべる。

 

「隠すなよ、パパ。おれたちみんな、心配してるんだ。話してくれよ」

「そういうことじゃないんだ、ジョージ。つまりだ。仕事をしていて、ふと思い出したんだよ」

「なにを?」

 

 夜遅くまで仕事をしていて、ふと一息ついたとき。そのとき思い出したのだとアーサーは言った。

 

「もうクリスマス休暇じゃないか。なのにあのお嬢さんを、我が家にお誘いするのを忘れていた。気晴らしに自分の部屋を出て、そんなことを考えながらぶらぶら歩いていたんだよ」

「そしたら、ヘビに襲われたっていうのかよ」

「そうなんだが、ロン、どうだろう。今からでも、あのお嬢さんを我が家に誘えるだろうか」

「ムリですよ、アーサー。あなたはこんな状態だし、それに滞在先はグリモールド・プレイスですよ」

「ああ、そうだったな」

 

 たしかに、モリーの言うように現実には無理がありそうだ。ロンたちは休暇が終わるまでは学校に戻らないことになっているし、アーサーは入院中なのだ。

 

「それより、トンクスとマッド・アイが来てますよ。だからあなたたち、少し外で待っていなさい」

 

 そう言ってハリーたちを病室から追い出しにかかる。当然のように反発するかと思いきや、なんとフレッドが率先してみんなを促し、廊下へと出る。入れ替わりにマッド・アイとトンクスが病室へと入り、ドアが閉められた。

 フレッドが、ごそごそとポケットのなかを探っている。

 

「みんな、文句なんか言うなよ。このほうが、都合が良いんだ。さあ、これだ」

 

 取り出したのは、伸び耳。これで、ドア越しに中の会話を聞こうというのだ。伸び耳が、それぞれの手に渡される。

 

「親父が襲われてるんだ。オレたちだって、知ってもいいはずだ。だろ?」

 

 それぞれの持つ伸び耳が、するすると伸びていく。やがて病室内の会話が、すぐ横にいるかのように聞こえてきた。

 

「ヘビなんていなかったよ。あちこち探してみたけど、とっくに逃げちゃったみたい」

 

 これは、トンクスの声。続けてマッド・アイの声が聞こえた。

 

「アーサーがいたんで、ヘビのやつは偵察を中断したのだろう。しかし、ポッターめは全部見たというのだな?」

「ええ。おかげでアーサーの命が救われたのは事実ですわ」

「たしかに。だがモリー、ポッターは気づいておらぬだろうが、あやつは『例のあの人』から、それを見せられたのかもしれん」

「そんな、まさか」

「少なくとも今回、あの人は気づいたはずだ。なんらかのつながりによって、こんなことができるとな。ダンブルドアとも相談せねばならんが、あの坊主には注意が必要だな」

 

 まさか、そんなことが。驚いたのは、マッド・アイの話を直接聞いている者だけではない。伸び耳使用中の者たちも、同じだ。自然、目線がハリーに集まるが、すぐに病室内で続く会話のほうへと注意が向かう。

 

「クリミアーナのお嬢さんのほうは、どうなんだろう。なにもしなくていいのかな?」

「トンクス、それはどういう意味だね?」

「ダンブルドアから聞いてない? 一応、報告はしてあるんだけど」

「いや、なにも聞いてないが、どういうことだ?」

 

 トンクスが言うには、騎士団の任務での調査のおりに、その女性を見たのだという。

 

「女性だと。何者だ。なにをしていた?」

「あたしと同じことだよ」

「あのお嬢さんが、例のあの人のことを調べているというのかね? まさか、そんなことはないはずだ」

「どうしてさ。なぜ、そんなことが言えるの? あたしは実際に会ったんだけど」

「やめろ、その話はあとだ。ダンブルドアを交えて話した方がいいし、誰かが盗み聞きしているかもしれんぞ」

 

 マッド・アイの魔法の目が、伸び耳を見つけたのか。ともあれその瞬間、伸び耳は撤退を開始した。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、まだアンブリッジの部屋にいた。2人で向かい合わせに座っているが、お世辞にもいい雰囲気であるとは思えない。

 

「こんなことで約束を果たしたことにしようだなんて、笑わせないでほしいわね」

「ですけど、もうこれ以上わたしには」

「おーやおや、あくまでもそんなことを。いいでしょう、こちらにも考えがありますからね」

「考え?」

 

 そんな考えなど、聞く必要かあったのかどうか。だがアルテシアの性格上、それを無視してしまうのは難しい。

 

「逃がさないわよ。まさかわたくしが、あなたのことを何も知らない、なんて思ってるんじゃないでしょうね」

「どういうことですか」

「それを教えろと? 魔法省の情報ですよ。簡単に教えるわけにはいかないわね」

 

 つまりは、教える気がないということ。だが今のアルテシアにとって、それはどちらでもよかった。なぜならもう、アルテシアは心を決めている。もともとアルテシアは、魔法の勉強のために本を読めと、そう言ってくれたアンブリッジを、好意と親近感とで見ていた。だがそれも、いつのころからか消え失せていくことになった。

 きっかけは、あの図書館での出来事だと言えそうだ。そのときアンブリッジは、レイブンクローのアンソニー・ゴールドスタインを処罰し、その一方でアンソニーを処罰しないからとアルテシアを呼びつけたりもしているのだ。

 今思えば、とそんなことをアルテシアは考える。この、だまし討ちのような約束反故を見逃すべきではなかったのだ。このことに気づいた時点で、行動に移すべきだったのだ。

 だが、クィディッチ・チームの再結成問題がそこに待ったをかける形となり、アンブリッジは、寮生に対し理不尽な罰則を課した。なるほど、手を出さないとした対象範囲は限られている。双子とスリザリンの4年生のみだと、アンブリッジは言うだろう。

 だがアルテシアは、そんなことを認めない。今回の処罰は、グリフィンドール寮全体に影響をあたえたのだ。あの重い空気に包まれた談話室がなによりの証拠であり、パーバティは、その重苦しい空気のなかにいたではないか。そのことを、決して許しはしない。納得など、しない。アルテシアは、そう思っている。

 

「もちろん、教えてくれなくて結構です。ではこれで」

「まあ、待ちなさい。お嬢さんが約束したのは、2つだけじゃないわ。あなたは、3つの指示に従うと約束したの。仮によ、仮に2つの約束を果たしたのだとしても、あと1つ残ってる。おわかりよね?」

「あっ」

「あきれた、本当に忘れていたようね。でもま、いいでしょう。思い出してくれたのならね」

 

 たしかにアルテシアは、そのことを忘れていたようだ。アンブリッジとのことに決着をつけてしまうつもりだっただけに、これは想定の範囲外ということになる。とはいえアルテシアは、いまさら後戻りするつもりはなかった。

 

「アンブリッジ先生。いずれにしろもう、わたしのことは忘れてくださいませんか。今後いっさい、先生とは関わりたくないんです」

「あらそうなの、つまりあなたは約束を守らないというのね。わたくしとの約束を」

「先生こそ、わたしを裏切ってくれましたよね。つまりは、おあいこです。もう、それでいいですから」

「なにを勝手なことを。それは、わたくしのセリフですわよ」

「いいえ。とにかく、これで終わりです」

「いいでしょう、あくまであなたがそう言うのなら。ただし、学校を辞めてもらうかもしれませんよ。その覚悟がおあり?」

 

 つまりは退学処分、ということだ。アンブリッジにそんな権限があるのかどうかは、アルテシアにはわからない。わからないが、あきらかにアルテシアの表情が変わった。その顔から、笑みなどの一切がなくなっている。

 

「あなた、たしか魔法省から派遣されたドローレス・ジェーン・アンブリッジ、でしたよね。いいですよ、そうしたければそうすればいい。魔法省がわたしなど不要だというなら、そうすればいい」

「まぁ、生意気な口を。冗談だと思っているのね。あるいは、誰かが助けてくれるとでも」

「誰の助けも必要ない。わたしは、わたし。思ったようにやるだけです。では、これで」

 

 今度こそアルテシアは、アンブリッジの前から立ち去った。アンブリッジの呼び止める声はしたが、聞こえなかったように部屋を出た。そのアルテシアの前に、白い影が現れる。それは、ゴーストの灰色のレディであった。

 

 

  ※

 

 

 灰色のレディに誘われるまま、アルテシアは西塔の一番上へと来ていた。レイブンクローの談話室にもほど近い場所である。灰色のレディは、ここに自分の部屋を持っている。

 

「いいの、あんなことで。本当に学校を辞めることになるわよ」

「聞いてたの? 全然気づかなかった」

「そりゃそうでしょう。その辺は、ゴーストの能力ってことで納得しなさいよ」

 

 アルテシアがホグワーツにいると気づいて以来、常に見ているのだと、灰色のレディは言う。だから今日も見ていた、そして黙っていられなくなったということらしい。

 

「わたしが学校を辞めると、ゴーストのあなたはホグワーツを出られないだろうから、これが最後ってことになるわね」

「そう思ったからこそ、こうして出てきたんだけど」

「でも、大丈夫。さすがにあの先生も、そこまではできないと思うから」

「でも退学だって言われたら… どうするつもり? 辞めるんでしょ」

 

 退学にするかしないかは、アンブリッジが判断することだ。だがあの人は、どうやって言うことを聞かせるか、そんなことを考えているはずだと、アルテシアは思っている。

 

「きっとあなたは、そうするはず。だって昔、そんなことをした人がいたんだから」

「昔のこと、なにか思い出したのね」

「さあね。でもこれじゃ、母はがっかりするでしょう」

「え?」

 

 母とは、灰色のレディの母親、つまりロウェナ・レイブンクローのことである。そのロウェナが、なんだというのか。

 

「だって、そうでしょう。せっかくホグワーツに戻ってきたのに、このまま何もせずに逃げ帰るなんて。それで、クリミアーナの魔女だなんて言えるの。母だけじゃないわ。わたしだって同じよ」

「言ってくれるわね。でもそういうことは、わたしの話を聞いてからにしてよ。ここには大切な人がいるのに、逃げ帰ったりすると思う?」

「いいわよ、その話とやらを聞くわ」

「わたしには、やりたいことがある。なのにいま、帰れると思う? ええ、チャンスならまたあるかもしれない。でも今を生かせないなら、次も同じ。いずれは、あきらめてしまうのかも。でもね、ロウェナ。わたしはずーっと考えてるの、自分にできることは何か、いま何をすればいいのか、わたしはずーっと考えてるのよ」

 

 苦笑、と表現すべきだろう。灰色のレディが、笑っている。おそらくは、ロウェナという名で呼びかけられたからか、それとも他に意味があるのか。

 

「だけど、考えてるだけじゃ意味なんてないわよ。その答えは? いつごろ、答えは出るの?」

「大丈夫、答えはもう出てる。もう決めた。でもムチャはしないよ。とりあえず今できること、そこからだね」

「ふうん。でもそれ、教えてはもらえないのね?」

「そんな必要ある? ロウェナなら知ってるはずでしょ」

 

 またもや、灰色のレディが苦笑を浮かべた。

 

「なるほどね。でも残念、わたしはロウェナじゃないの。ロウェナは母の名前だから」

 

 今度は、アルテシアが苦笑いを浮かべる番となった。最初は戸惑ったような顔もしてみせたのだが、それもわずかの間だけ。

 

「ヘレナ、クリミアーナの魔女はね、守ると決めたものは、絶対に守るのよ。守ってみせるわ、どんなことをしても」

「まあね。昔の、わたしの知ってるあなたなら… ふふっ、いいわよ。それを見せてもらいましょう」

 

 すーっと、灰色のレディの姿が薄くなっていく。もともと半透明の体だが、それが透明へと近づき、消えた。

 

 

  ※

 

 

 クリスマス休暇を、アルテシアはマルフォイ家で過ごすことに決めた。なにしろ、ウィーズリー家は大変な状況にある。他人がのこのこ顔を出せる状況ではないだろう。

 そのことをドラコに告げ、3日後にダイアゴン横丁で待ち合わせることを約束する。学校から直接マルフォイ家に行くことは避け、いったん家に帰ることにしたのだ。もちろん、ゆっくりと森を散歩したいからである。

 



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第93話 「マルフォイ家にて」

 不死鳥の騎士団の本部は、グリモールド・プレイスの12番地にある。ブラック家の邸宅なのだが、相続人であるシリウス・ブラックが、ダンブルドアに本部としての使用を許可したのだ。以来、何人もの騎士団のメンバーがここを訪れ、報告や打ち合わせなどを繰り返している。

 ちなみにここは関係者のみ、すなわちその秘密を明かされた者だけが利用できるような手続きがされている。具体的には、『忠誠の術』を用いて、その秘密を守っているのだ。この術はある特定の人物のなかに秘密を封じ込めるもので、この人物を『秘密の守人』と呼ぶ。

 この守人から秘密を教えられない限り、たとえ騎士団本部の目の前にいようとも、そのことに気づくことはできない。

 

「説明してくれ、ダンブルドア。ホグワーツの教師陣以外のメンバーは、あの娘のことを知らんのだ。クリミアーナ家の魔女だということ以外はな」

「そうは言うてものう。何から話せばいいやらわからんが、あのお嬢さんが、優秀な魔女であることは間違いないのう」

「優秀か。そんなヤツの話は山ほど聞いたことがあるが、本当にそうだった者は数えるほどしかない。片手でも足りるほどしかな」

 

 ダンブルドアと話しているのは、アラスター・ムーディ。通称、マッド・アイである。騎士団本部では、こういった話し合いはいつも厨房で行われる。そこにあるテーブルの席に座り、ときには食事などしながら話を進めていくのである。

 いまは、ダンブルドアとマッド・アイ、それにトンクスとシリウスとが席に着いている。他には、誰もいない。

 

「じゃが、なぜじゃね。当然、ハリー・ポッターの話になると思うておったが」

「あの坊主のことはもちろんだが、少々気になることがあったゆえな。このトンクスに、少し調べてもらった」

「ほう」

 

 実際、マッド・アイはアルテシアと面識はないはずだ。1年間ホグワーツで防衛術を教えたことになっているが、それはマッド・アイになりすましたニセモノだった。

 

「隠すな、ダンブルドア。トンクスから報告を受けているはずだろう。あの娘がどういう娘なのか、それを話せ」

「何度も言うてすまんが、なにを気にしておるのじゃね。あのお嬢さんのことはミネルバにすべて一任してあるゆえ、心配はいらぬと思うがの」

「だが、こう聞けばどうかな。少しは気になるのじゃないかね」

 

 マッド・アイの視線が、トンクスに向けられる。トンクスが、軽くうなずいた。

 

「アルテシアが、闇の側と関係あるんじゃないか。マッド・アイが気にしているのはそんなことなんだけど」

「まさか。そんなことはないと思うがの」

「本当か、ダンブルドア。間違いなくそうだと、そう言い切れるのだな」

「そのはずじゃ。さっきも言うたが、あのお嬢さんのことはミネルバに任せてあっての。いまやあの2人には、互いに強い信頼関係がある。そうなるようにと、このわしが仕向けてきたのじゃから」

 

 それは、入学前にアルテシアを迎えに行かせたことを意味してのことか。ダンブルドアは、入学後もずっとマクゴナガルに任せ、とくに口出しはしてこなかった。

 

「だから、その心配はないというのか。なるほど、ミネルバ・マクゴナガルが闇の側に落ちるなどあり得ぬ話だ。言いたいことはわかるが、ならばトンクスが見たことはどう説明する?」

 

 あらためて、ダンブルドアがトンクスを見る。トンクスの髪の色が、青に変わった。トンクスには、自在に外見を変えられる『七変化』と呼ばれる先天的な能力がある。

 

「たしか前に、ティアラというボーバトンの生徒に会ったと言うておったが、そのことかね」

「違うよ。場所はダイアゴン横丁、人物はクリミアーナ家のお嬢さんとマルフォイ家のぼっちゃん。待ち合わせてたんだろうね。あそこの奥さんが2人の手を取って、付き添いの姿くらましするとこをみたよ」

「このことをどう考えたものか。知ってるはずだな、ダンブルドア。マルフォイ家のルシウスはデス・イーターだぞ」

 

 トンクスがティアラと会ったのは、騎士団の任務中でのこと。ティアラのほうも何かしらの情報を探っていたものと思われるが、詳しいことはわからない。もちろんダンブルドアは、そのことの報告は受けている。

 

「ミスター・ドラコは、友人じゃと理解しておる。その友人の家に招かれて遊びに行く、ということはあり得る話じゃと思うがの」

「そういう理解では、まさかのとき、後悔することになるぞ」

「心配はいらんじゃろう。ミネルバも承知のことであろうし、なによりあのお嬢さんはしっかり者じゃからの」

「でも、例のあの人のことを調べてるよ。その関連でマルフォイ家に行った、なんてことはないのかな」

「ふむ。まあ、学校でのようすを見てみるとしよう。なにかあれば、わしよりもミネルバが真っ先に気づくじゃろうて」

 

 このことを、ダンブルドアはあまり気にしてないらしい。そのことにマッド・アイが、軽くため息をついた。

 

「ミネルバ・マクゴナガルは確かに信頼できる。だから、任せたと言うのだな。任せきりで大丈夫だと、そう言うのだな」

「無論じゃよ。それより気になるのは、ハリーのほうじゃよ。アーサーの命は救われたが、あの一件は見逃せん。ヴォルデモート卿に心の中を見られておるやもしれん」

「それだけではないぞ、ダンブルドア。ポッターを利用し、なにかしら仕掛けられる恐れがある。重要な情報を盗まれる可能性もな」

「たしかに。ハリーには、できるだけ何も教えぬほうがよいじゃろうな。知らねば盗まれる心配もない」

「だが、なにかしらの対策が必要だぞ。それも、早急にな。誰にやらせる?」

 

 何をについては、マッド・アイは言わなかった。当然、ダンブルドアもわかっているという前提だ。

 

「セブルス・スネイプしかおらんじゃろう。セブルスには、入学時よりずっとハリーに気を配ってもらっておるからの」

「あの娘をミネルバ・マクゴナガルに任せたようにか。だがな、ダンブルドア。あの男も、元を糾せばデス・イーターだ」

「そうじゃな。じゃが2つの点において、きちんと認識しておいて欲しい」

「なんだ、2つとは」

「かつてはそうでも、今は違う。セブルスはこちら側にいるのじゃ。それに閉心術においては、セブルスに勝るものなどおるまいて」

 

 渋々だろうが、マッド・アイもそれで納得したようだ。トンクスが、軽く手を挙げた。

 

「なんじゃね?」

「あの子、アルテシアって子のこと、少し調べてみてもいい? クリミアーナの魔法ってやつにも興味があるんだよね」

 

 マッド・アイが賛成し、ダンブルドアはとくに反対はしなかった。

 

 

  ※

 

 

「どういうつもりか、聞いておかねばな。あれは、ダンブルドアが気にかけている娘だぞ。その娘を、わが家に連れてきたというのか。ダンブルドアの指示を受けていたならどうする。わが家を探られ、なにもかも知られることになるぞ」

「まさか。ドラコの友人ですよ。遊びに来てくれたのに」

「それにな、あの娘のことは、わが君もご存じなのだ。つまりは、帝王に差しだせということか」

「いいえ。そんなことをしても、いいことなんて何一つありません」

 

 場所は、マルフォイ家の夫婦の寝室。この部屋の主人たちの話題となっているアルテシアは、いまは客間で眠っている。一昨日の夕方にこの家を訪れたアルテシアは、その日は夕食を取っただけ。翌日は、午前中からずっとドラコと話をしていた。ドラコの母ナルシッサは、そんな2人を見守りつつ、ルシウスの帰宅を待っていた。夫であるルシウスは、どうしても抜けられない用事で家を空けていたのだ。すなわちヴォルデモート卿よりの命令である。

 

「ナルシッサ。そんなものは、いくらでも思いつくのだが」

「だったら、そうしてみますか。そのときにはもう、未来は決まってしまうでしょう。いずれ、ドラコの腕あたりに印が刻まれることになるんだわ」

「なんだと」

「今なら、選ぶことができると言ってるんですよ」

 

 命令により、なにをしてきたのか。ルシウスは、疲れたような顔で妻のナルシッサを見ていた。ナルシッサの話を聞くよりも、早々にベッドに入りたいといったところか。

 

「いったい、何が選べるというのだ」

「ドラコの未来です」

「なんだと、未来?」

「あなたのお考えもあるでしょうけど、わたしはドラコの腕に印なんか刻みたくはない。そんな未来はいやなんです」

 

 ナルシッサは、ドラコをデス・イーターなどにはしたくないのである。だがいまならば、選択肢がある。選ぶことができると言っているのだ。

 

「ふむ、そういうことか。つまりおまえは、あのお方と縁を切りたいというのだな」

「ドラコの将来なんですよ、あなた。あの子の未来はあの子に選ばせたい。自分で選べるようにしてやりたいんです」

「おまえの言うことは… いや、待て。そんなことが、そんな方法があるというのか。まさかあの娘が、なにか関係があると」

 

 ナルシッサが、大きくうなずいてみせる。だがルシウスには、半信半疑といったところだろう。なにしろ彼は、妻の言うことが理解できていない。

 

「いずれ、わが君が魔法省を手に入れることになる。その準備が進んでいる。あの方が魔法界を支配下に置けばだな」

「ですけど、なにか不都合があったら。何もかもうまくいくとは思えません」

「心配はいらん。わが息子のことは考えている。心配するな、おまえは安心しておればいいのだ」

 

 だがナルシッサは、不満顔。この件に限っては、夫の言うことをそのまま受け入れるわけにはいかないらしい。

 

「でも、でも、あなた。不安になりませんか」

「それは… しかしだな、わが君にはわが君のお考えがある。むしろ、それに逆らうほうが。そうすればどんなことになるか」

「だからですよ。だから、クリミアーナのお嬢さんに」

「あの娘であれば、わが君に勝てるというのか。とてもそうは思えんのだが」

「わたしだって同じですよ。でも、望みをかけるとしたら、あのお嬢さんしかいないんです。わかってください」

「しかしだな、ナルシッサよ。わが妻よ。愛する妻よ。残念だが、帝王は昔の力を取り戻しつつある。もはや、勝てる者などおらんのだ。ダンブルドアであろうとも、おそらくは無理だ。あきらめろ」

 

 ルシウスは、デス・イーターである。それも、ヴォルデモート卿の側近とでも言えるほど近くにいるデス・イーターだ。皮肉にもそのことでヴォルデモートの強さを認識させられ、素直に妻の言うことを受け入れることができないでいるのだ。

 

「でもあなた。ドラコがせっかく、せっかくあのお嬢さんと知り合い、仲良くなり、わが家に迎えることができたんですよ」

「まるで嫁にでも来てくれたような口ぶりだが、たとえそうだったにせよ、闇の帝王をどうすることもできんのは同じだ」

「いいえ。あのお嬢さんが守ると、ドラコを守ると言ってくれたなら。そうしたなら、たとえ、たとえ」

「たとえヴォルデモート卿が相手でも、なんとかしてくれる。そう言いたいのだろうが、無理なものは無理なのだ」

 

 妻が口に出せなかった名前を、あえて夫は口にする。あきらめろと、そう言うのである。だが妻は、そんな夫の言葉を受け入れたりはしなかった。

 

「無理じゃないんです。あの家の人が守ると決めたなら、それは無理じゃなくなるんです」

「闇の帝王が相手であろうとも、守ってくれるというのか。ドラコと同い年の、たかがホグワーツの小娘が、帝王を倒せると」

「そんなことはわかりません。でも守ってくれます。それだけは、間違いないんです」

 

 ルシウスは、それ以上返事をしなかった。無言のままに歩き、寝室に置かれたソファーに座る。そして、小さなテーブルに用意されていた寝酒用のブランデーを手に取り、グラスに一口分ほどを注いだ。

 

「おまえがそこまで言うのなら、あの娘の機嫌を取るくらいはしてやってもいい。ドラコも喜ぶのであればな」

「なにも、そんな。機嫌を取れだなんて。ただ少しだけ、手を貸してやってくれればいいんです」

「どういうことだ」

「あの女の子はいま、困っているんですよ。ドラコには、あのお嬢さんが困っているとき、家に連れてくるようにと言ってありましたからね。その子をいま、連れてきたということは」

「助けてやれと、そういうことか」

「ええ、そうです。困っているときに助けてもらったことを、あの家の人は、決して忘れたりはしないんです」

 

 ルシスウの手にあるグラスのなかで、カランと氷が触れ合う音がした。そのグラスを、ルシウスがまじまじと見つめる。

 

「分かってください、あなた。ここで助けてあげれば、もっと親しくなれるんです。ドラコのためなんです」

 

 そして妻のナルシッサを見たが、ルシウスの顔に、徐々に自嘲気味の笑みが浮かんでくる。

 

「ふっ、このルシウス・マルフォイが、子どもに頼らねばならぬとはな」

「あなた」

「なるほど、ダンブルドアが気にかけており、闇の帝王もその名をご存じだ。だがそれだけだ。おまえの言いたいことはわかるが、無理なものは無理なのだ。今さら、どうなもならん」

 

 ルシウスが、ブランデーを一息に飲んだ。続けてもう1杯グラスにブランデー注ぎ、それも一気に飲む。

 

「あの娘のことをよく知っているようだが、あれか。ブラック家にいたという、たしかガラティアとかいう名だったな」

「ええ、そうです。幼いころ、ずいぶんとよくしてもらいました。ブラックの家も、あの人を大切にしていれば、今も変わらず賑やかな家だったでしょうに」

「それはどうだか知らんが、なぜだね。ブラック家はその嫁を追い出している。それは、頼りにならぬと判断したからか」

「違います。由緒正しきブラック家にふさわしくないことが、伯母にわかってしまったからですよ」

「どういうことかね、ふさわしくないとは。歴史のある、優秀な魔女の家系なんだろ」

「ええ、とても優秀な魔女の家系ですよ。ガラティアさんも立派な方でしたし、いろんなことを教えてもらいました」

 

 ナルシッサの叔母は、ヴァルブルガ・ブラックという。すでに亡くなっており、今ではブラック家の屋敷廊下に肖像画が飾られているのみ。ちなみにシリウス・ブラックの母である。

 

「なればこそ、追われる必要などあるまいと思うが」

「ええ。でもご存じでしょ、ブラックの家は純血主義。そしてクリミアーナは、魔女の家系。なるほど家を継ぐのは優秀なる魔女ですけど、魔法使いはいない。夫はマグルなんですよ」

「なんだと」

「いわゆる混血、半純血ってことです。それを聞いてわたしも驚いたんですけど、そういうことなら、ブラックの家ではそうなるしかないわ。マグル生まれの魔法使いと結婚した姉のアンドロメダでさえ、家系図から抹消されているんです」

「半純血か。まあ、それはともかく。結局のところ、何をするつもりなのだ?」

 

 2人の話は最初へと戻り、ようやくナルシッサの望む本題へと移ることになった。

 

 

  ※

 

 

 朝。

 アルテシアが早起きなのは、ここマルフォイ家においても変わらなかった。だが自宅とは違い、早起きしたからといって、屋敷内を歩き回ったり、外に散歩に出たりするわけにもいかない。なのでアルテシアは、ベッドに寝たままで考えごとをしていた。

 ここへ来て、3日目の朝である。ドラコの希望は休暇が終わるまでだったが、そこまで長居をするつもりはなかった。ドラコの父親ルシウスが帰宅すれば、あいさつを済ませてクリミアーナに戻ることになっている。アルテシアには、ルシウスは外せない用事で留守にしているとの説明がされていた。

 ルシウスがデス・イーターであることを、アルテシアは知っている。ヴォルデモートが復活したあの日、その場に集まってきたデス・イーターたちのなかにルシウスがいたことを、アルテシアは覚えている。そのルシウスの外せない用事には、おそらくはヴォルデモート卿が関係しているのだろうと、そんな予想も頭の中にあった。

 

(でも、その話はしてもらえないんだろうな)

 

 アルテシアとしては、ヴォルデモート卿のこと、あるいはデス・イーターのことを自分から話題にすることは避けるつもりにしている。だがもし、相手側からそんな話がされたなら。

 そのときは、ヴォルデモート卿のことをできるだけ詳しく聞いてみるつもりだった。可能なら会わせて欲しいと頼んでみようとも思っているが、あくまでもそんな話題になった場合のことである。

 それはさておき、アルテシアがマルフォイ家を訪れたのは、ドラコの母親のことがあるからだ。ドラコの母ナルシッサがクリミアーナ家のことに詳しいようだが、それはなぜかということ。その疑問は、ナルシッサとの初対面のあいさつの場で明らかとなった。

 

『ああ、やっぱり面影があるわ。たしか、あなたの大叔母さまになるのよね』

 

 そのナルシッサの言葉で、アルテシアは理解した。アルテシアが大叔母と呼べるのは、ただ一人。聞いてみれば簡単なことだった。ナルシッサはブラック家の出身であり、ガラティアが嫁入りしている間は親しくしていたようだ。だからいろいろ承知をしているのだし、それなりの影響も受けたからか、ナルシッサはデス・イーターにはなっていない。魔法書のことも知っていたし、実際に見たこともあるのだという。

 

『もちろん、何が書いてあるかなんて全然わからなかったけど』

 

 そう言って、ナルシッサは笑った。だがその程度なら、ありえない話ではない。例えばアルテシアもパーバティの目の前で何度も読んでいるが、魔法書というものは、たまに目にするくらいでどうにかなるような代物ではない。何年もの時間をかけて真剣に学んでこそ、意味があるものなのだ。

 だけど、とアルテシアは思う。ナルシッサとガラティアの関係がそういうことであるのなら、ブラック家とクリミアーナ家は、どうだったのか。ナルシッサに聞いたところでは、ガラティアはブラック家の主義にあわないからと関係を解消され、追い出された形となっている。それ以後のことはナルシッサも知らないようだが、そのときブラック家は、クリミアーナ家をも切り捨てたということになる。

 では、その前は? ナルシッサから話を聞いた後、アルテシアはそのことが気になり始めていた。ドラコから聞いた話では、ブラック家はいわゆる純血主義の家。つまりガラティアは、その主義とはあわないとされたのだ。

 純血主義とは、純血の魔法族を重視してマグルやマグル生まれの魔法族を軽視するという考え方。アルテシアの理解では、そういうことになる。魔法界ではそんな主義を持つ人は多いようだが、もちろんそうでない人たちもいる。では、自分はどうなのか。

 アルテシア自身は、友人たちが純血かどうかなど知らないし、気にしたこともない。そういう意味では、純血主義ではないことになる。だがクリミアーナ家の魔女でありたいと願い、その魔女の血筋を大切に思ってきたのは確かだ。魔法書は、いわばその象徴。歴代の先祖がそうしてきたように、次の世代へと引き継いでいきたいと考えている。このことは、純血主義とも共通しているのではないか。

 そこでアルテシアは、身体を起こし、ベッドを降りた。

 頭の中が混乱してきたようだ。散歩でもしながら考えをまとめたいところだが、マルフォイ家にいる限り、それは難しい。ならばせめて、部屋の中をゆっくりと歩いてみようというのだ。

 

(たしか、マクゴナガル先生は…)

 

 行き過ぎた純血主義は偏見や差別を生み、ついには騒動へと発展することもある。そんなことを、マクゴナガルから習ったことがある。ヴォルデモート卿がそうなのだとすると…

 

コンコン! コンコン!

 

 えっ? なんの音だろう。音のした方を見れば、ドアがある。もう一度コンコンと聞こえ、それがノックの音だとわかった。近くまで来たから聞こえたのだろう。もしかすると、しばらく前から音がしていたのかもしれない。

 あわてて、アルテシアがドアを開ける。そこには、ドラコが立っていた。

 

「やあ、アルテシア。目は覚めたかい?」

「あ、あの。おはよう、ドラコ。あの、ひょっとして」

「そうだな。もう10回以上はノックしたぞ。開けてくれないのかと思ったよ」

 

 どうしようか。瞬間、アルテシアは考える。ドアを開けてから気づいたのだが、ベッドを出たばかりでパジャマ姿のままなのだ。ドラコを部屋へと通すべきなのだが、その格好を考えると、同級生の男の子と2人きりでというのには抵抗があった。

 

「父上が戻られたそうだ。昨夜遅くだったので朝食の席には出てこられないが、昼食には顔を見せられるだろう」

「うん、わかった」

 

 ノックの音は、考え事をしていたために聞こえなかったのだろう。そう思うことにしたアルテシアは、ともかくドラコが通れるようにと、一歩後ろに下がった。ドア越しに、というのはやはり不自然だ。

 

「ごめんね、今まで寝てたから」

「いや、いいんだ。それだけくつろいでくれてるってことになるからな」

 

 ドラコが、中へと歩き出す。自身の格好を気にしても仕方がないが、ドアを閉めることはしなかった。

 

「父上に紹介するが、ほんとにあいさつだけでいいのか。頼めば、アンブリッジを辞めさせるくらいはしてくださると思うぞ」

「うん、ありがと。でも、いいわ。わたしはわたしで、できることをやっていくから」

「意外に頑固なんだな。だが何をするのか、それは教えてもらうぞ」

 

 今は休暇中なので、ゆっくりとした毎日を過ごしていられる。だがそんな日々は、学校が始まるまでのこと。なにしろアルテシアは、アンブリッジに対しはっきりと拒絶の意思を示してしまっているのだ。あのアンブリッジが、このままおとなしくしているはずがない。学校が始まれば、なにかしらのことが起こっても不思議はない。

 アルテシアは、そう考えている。ならば、先手を打つに限る。何もしないでいるなど考えられない。

 

「ねえ、ドラコ。『高等尋問官親衛隊』のことなんだけど」

「それなら、学校が始まれば正式に発表されるはずだ。いよいよ始まるが、参加したいのか?」

「そうじゃないわ。でもパンジーが言ってたの。わたしの行動を報告することになるって」

「ああ。そんなふうに指示をされてるな」

 

 それでは、困るのだ。学校に戻ってからやろうとしていることを、アンブリッジには知られたくない。できれば、誰にも知られたくない。アルテシアは、そう思っている。その思いを読み取ったのか、ドラコがニヤリと笑ってみせた。

 

「それはパーキンソンが担当するが、たしか、こんなことを言ってたぞ」

「え?」

「キミの行動を見張るのは面倒だとな。だからキミに報告させて、それをアンブリッジに伝えるつもりだってな」

「あっ」

 

 そうだった。たしかにパンジーからは、アルテシアが申告した内容をそのまま報告するのだと、そう言われていた。パンジーの顔を思い浮かべ、アルテシアは何度か小さくうなずいてみせた。

 

 

  ※

 

 

 その日の午後、少し遅めの昼食の席で、アルテシアは初めてルシウスと顔を合わせた。マルフォイ家の食堂に置かれた大きなテーブルに、向かい合わせで席に着く。右側に夫妻が座り、ドラコとアルテシアが左側だ。

 その席でアルテシアがあいさつをしたのだが、ルシウスは、ニコリともしなかった。だが妻や息子の手前もあるからか、無言のままではなかった。

 

「いろいろと面倒を抱えているようだな。話すがいい。手を貸してやるぞ。どうして欲しい?」

 

 それは、妻ナルシッサが望み、ドラコの希望ではあったろう。だが、もっと別の言い方を期待していたのではないか。どちらも本意ではないはずだが、発せられた言葉は取り消せない。アルテシアは、軽く微笑んでみせた。

 

「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。できるだけのことはやってみますから」

「ほう、断るというのか。そのためにわが家に来たのではないのか。遠慮などするな。助けて欲しいと言えばよかろう」

「ええと、そのときにはそう言います。でも今は、わたしに任せてもらえませんか」

「なるほどな。さすがは、誇り高きクリミアーナのお嬢さまだ。誰の助けも必要とはしない。自分で何でもできるということか」

「あなた、言い過ぎですよ」

 

 口を挟んだのは、ナルシッサ。さすがに何か言わねば、と思ったのだろう。

 

「さあな。だが、どうするのだ。この娘は、助けなどいらぬと言っているぞ」

 

 ナルシッサにしても、この成り行きは予定外のことだったはず。困ったような目をアルテシアに向けたが、アルテシアは、笑顔だった。

 

「ご心配なく。学校では、きっとドラコが協力してくれると思っていますから」

 

 そう言って、ドラコを見る。驚いたような顔をしたドラコだが、それも短い間のことだった。

 

「あ、ああ、もちろんさ。だけどいいのか、アンブリッジはおとなしくはしていないぞ」

 

 それはそうだろう。もちろん、アルテシアもそう思っているが、話を続けたのはルシウスだった。

 

「アンブリッジと言ったか。なるほど、お嬢さんの頭痛の種は、あの女か」

「父上、アンブリッジを学校から追い出すことはできませんか」

「おいおい、何を言ってるんだ。たった今、このお嬢さんが必要ないと、そう言ったところだぞ」

 

 そして、アルテシアを見る。今ならまだ力を貸してやるぞと、その目は、そう言っているようだ。

 

「追い出す必要があるのなら、わたしが自分でやります」

「それは、頼もしい。だがお嬢さんに、そんなことができるとは思えんな。ちなみに、成績はどんなものなのかね?」

「は? 成績、ですか」

「さよう。さぞや優秀な成績なのだろうな。ええと、寮はグリフィンドールだったか」

 

 なぜ、そんな話が出てくるのか。もちろんそう思っただろうが、アルテシアは、だいたいにおいて質問には答えるのだ。

 

「それは… 自分ではよくわかりませんが、マクゴナガル先生からは及第点はもらえています。実技的な面では低めの評価だと言われていますが、気にしなくてもよいと」

「ほう、そうなのかね」

「それが、なにか」

「いやいや。キミの成績が悪すぎてアンブリッジが怒っているのなら助けてやれないと思ってね」

 

 違う、そうじゃないとアルテシアは思った。直感でしかないが、別の意味があるはずだと思った。もちろん、口に出したりはしない。

 

「それより、ご存じかな。魔法省には、クリミアーナ家のものが保管されているそうだが」

「それはたぶん、遺品だと思いますけど」

「それを見たことはあるかね?」

「いえ。魔法省が回収し、保管しているってことは聞いていますけど」

「取り戻そうとは思わんのかな。どこかの誰かが手に入れようとしているかもしれんぞ」

 

 思わせぶりな言い方に、アルテシアも戸惑いをみせたが、そこでナルシッサが話に入ってくる。

 

「あなた、いったい、何の話です?」

「なに、確かめたいだけだよ。だが場合によっては、あの話はなしということになる。これくらい自分で解決できぬようようでは、話にならんのだからな」

 

 そこで、ルシウスが席を立つ。まだ食事は終わっていないはずだが、そのまま部屋を出て行った。つまりはこれで話は終わった、ということでなる。

 



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第94話 「黒表紙の手帳」

 明日にはホグワーツで新学期が始まるという日の午後、アルテシアは、ロンドン中心部にある赤レンガのさびれたデパートの前にいた。玄関ドアには「改装のため閉店中」との看板がかかっており、道行く人は、誰も見向きもしない。そんな建物の前でうろうろしている姿は、まるで不審者だ。

 そんなことはアルテシアにもわかっているが、どうやって中へと入ればいいのか、それがわからないのだ。ここが魔法族の病院であることは、知っている。ちゃんと場所も調べてきたのだが、その中に入れないとは思ってもみなかったといったところ。強行突破という手段はあるが、ここはロンドンだ。誰かにみられた場合、クリミアーナの住民たちのように『不思議は付きもの』だと納得してくれるとは思えない。未成年者の魔法使用として指摘される可能性も考えると、不用意なことはできない。

 

「どうしよう。どうしたらいいのかな」

 

 思わず、ひとり言。あきらめる、という選択肢があるのはもちろんだが、それも悔しい気がする。

 なおも玄関ドアをじっと見つめていると、ふいに肩を叩かれた。あわてて振り向くと、そこには女性が一人。アルテシアよりは、明らかに年上だ。

 

「何してるの?」

「あ、あの。ええと、なんて言えばいいのか」

 

 突然のことに、おろおろとするしかないアルテシア。そんなアルテシアを見て、その女性は楽しそうに笑ってみせた。そして。

 

「ごめんごめん、笑うつもりはなかったんだけど」

「別にいいですけど」

「あたしは、トンクス。正直に言うけど、ずーっとあなたのこと、見てた」

「見てたって… あ、わたしは」

「アルテシア、だよね。アルテシア・クリミアーナ。もちろん知ってるよ」

 

 名前を知っていたことに、アルテシアは驚いた。同時に、トンクスと名乗った女性とはここで偶然に会ったのではないのだと理解する。ならば警戒すべきだろうが、その判断をアルテシアは保留した。

 

「ここが何か、もちろん知ってるんだよね?」

「ええ。友人のお父様が入院されてて、そのお見舞いができたらと」

「もしかして、アーサー・ウィーズリーのことかな」

「え? ええ、ケガをしたと聞いてます」

「ふーん。でもアーサー氏は退院したよ。それでもいいんなら、入り方教えるけど」

 

 実に意外なことを言われたアルテシアは、ただ、笑うしかなかった。トンクスと顔を見合わせ、苦笑い。やがて2人とも、吹き出した。互いに大笑いしたあとで、道の反対側にある喫茶店を訪れる。さすがにさびれたデパートのまえで立ち話もできないし、なにより、この場所が目立ってしまうのはマズいのだ。

 その喫茶店はマグルの店であり、店内はもちろんマグルだらけ。だがトンクスは、よく利用しているのだという。アルテシアも抵抗感などはなく、ココアを注文した。

 

「ねぇ、あたしがなぜあなたの名前を知っていたかは、言わなくてもいいよね?」

 

 いや、それは言うべきだろう。アルテシアはそう思ったが、ちょうど注文したココアが運ばれてきて機会を逸したこともあり、聞くのはやめにした。第一印象でしかないが、目の前の相手からは悪い感じが伝わってこないからだ。ならばそのあたりのことは、どうでもいい。必要ならトンクスが話すだろうと、そう思っている。

 

「もちろん、魔法族の魔女の方ですよね?」

「そうだけど、面白い言い方するね。魔法族じゃない魔女っているの? あたしはクリミアーナだって魔法族だと思ってるよ」

「ああ、そうか。そうですよね」

 

 アルテシアが納得したのは、クリミアーナが魔法族かどうかではなく、魔法族じゃない魔女がいるのか、という部分。なにしろクリミアーナの血を引く魔女は、アルテシアだけなのだ。

 

「でも、区別したいって思うことはあるかな。あたしに言わせれば、ろくでもない奴らはたしかにいる。ねぇ、どうにかならない?」

「それ、わたしに言うんですか。トンクスさんが自分でやらずに?」

「あはは、やってるつもりなんだけどねぇ。うまくいかない。あたし、闇祓いなんだけどさ」

「闇祓い?」

「そだよ。知らない?」

 

 知らないわけではないが、実際にその言葉に触れるのは初めてだった。

 

「まあ、今は学校の勉強が第一だよね。しっかり勉強しとかないと闇祓いにはなれやしない」

「あの、聞いてもいいですか」

「なに?」

「闇の魔術に対する防衛術のことなんですけど」

「あー、それならあたしの専門分野だね。いいよ、なんでも聞いて」

 

 なるほど、闇祓いであるトンクスには得意な分野だろう。対してアルテシアには、苦手な範囲ということになる。なにしろ、学校ではほとんど学べていないのだ。いい機会だとばかり、アルテシアはトンクスとじっくりと話すことにした。トンクスも望むところであったらしく2人の話は長時間となり、ついにはお店の店員から追い出されそうになるまで続いた。

 

 

  ※

 

 

「なーるほど。いい考えだとは思うけどさ。でも大丈夫なの、こんなことして」

 

 もちろん大丈夫だと、そう言って、アルテシアは笑ってみせた。休暇明けのホグワーツ、寮へと戻ってきたアルテシアは、さっそくパーバティに自分の考えを話して聞かせたのである。ただ寮の部屋であったこともあり、その場にハーマイオニーはいなかったものの、ラベンダーがいた。意図してのもの、であったのかどうかはわからない。わからないがアルテシアは自身の巾着袋に手を入れ、そこから取り出したものをラベンダーに差しだした。

 

「試してくれないかな、ラベンダー」

「えっ! あたしが?」

 

 話は聞いていたので、それが何であり、何を言われているのかわかっているはず。なのに、そんな返事になっていた。それほど意外だった、ということか。

 

「うん。実験ってわけじゃないけど、うまくいきそうなら人数増やしていこうと思ってる」

「で、でもさ、あたしでいいの? いや、やっぱりダメだよ。だってパーバティとかさ、他にもいるでしょう?」

 

 なぜ、うろたえるのか。それは、ラベンダー本人にもわからなかったかもしれない。だがアルテシアが差し出すそれを、恐る恐るといった感じではあったが、受け取った。

 

「あたしにも読めるの、これ?」

 

 柔らかな笑みを浮かべたまま、アルテシアはこくりとうなずいた。

 

 

  ※

 

 

「すまんな、ダンブルドア。忙しいのに来てもらって」

「いや、かまわんよ。学校は始まっておるが、とりたてて問題も起こっておらんしの」

「つまり、あの女はおとなしくしておるということか」

「ん? アンブリッジ先生のことかね。そうじゃな、いまのところはなんとかな。ただ、なんというたかの、そうそう『高等尋問官親衛隊』なるものを作ったくらいじゃな」

 

 場所は、不死鳥の騎士団本部。ダンブルドアを呼び出したマッド・アイの他には、ブラック家の食堂ということでシリウスの姿もあった。

 

「なんだ、それは。親衛隊だと。なるほど、平和もそう長くは続きそうにないということだな」

「どういうことかね」

「まあ、その話はいい。来てもらったのは、別の話だ。無関係ではなさそうだがな」

「ふむ。ともあれ、話を聞こうか」

 

 魔法族の旧家には、ハウス・エルフが住み着いていることがよくある。ここブラック家も例外ではないのだが、どうやらそのハウス・エルフには、たとえばお茶の用意をするなどの面倒をみるためにやって来るつもりはないらしい。

 

「トンクスのことだが」

「おぉ、あの若い闇祓いのことじゃな。彼女が、どうにかしたのかね」

「そのトンクスが、あのお嬢さんと友だちになったと言うのだ」

「なんじゃね、友だち?」

 

 マッド・アイの言うお嬢さんとは、アルテシアのこと。つまりトンクスとアルテシアとが、長時間に渡って話をした、そのときのことである。

 

「聖マンゴの前でまごついているのをみかけて声をかけたらしい。アーサー・ウィーズリーの見舞いに訪れたものの、入り方を知らなかったのだ。ダンブルドア、このことはホグワーツでは教えておらんのか」

「たしかに教えてはおらんじゃろうが、おまえさんが言いたいのは、そのことじゃあるまい。しかし、友だちじゃと。友だちにのう」

「なんだ? 友だちというのが、そんなに気になるのか。話の本題は、そこではないぞ」

「わかっておるが、あのお嬢さんと友だちにのう。わしにはできなかったことじゃよ。いまだに、心を開いてくれてはおらんからの」

 

 マッド・アイもそう言ったし、ダンブルドアもわかっていることだが、話の本題はそこではない。

 

「興味のある話だが、本題に戻してもいいか」

「もちろんじゃとも」

「ようやく聞き出したが、あの娘、トンクスから防衛術に関する情報をさんざん聞き出していったというぞ」

「ほう。それはまた」

「なんだ、驚かんのか。わしには、あの娘の考えがわかる気がするのだが」

 

 マッド・アイが気にしているのは、アルテシアのこれからの行動について、である。現役の闇祓いから得た防衛術の知識をどう活用するかについては、マッド・アイなりの考えもある。ダンブルドアは、自身のひげをなでていた。

 

「もちろん、わかっておるとも。問題はその方法、ということになるのう」

「例の、ダンブルドア軍団に生かすためではないのか。ポッターたちと手を組み、あの人に対抗する術を学ぶためだろう」

「そうじゃとは思うが、ハリーたちと一緒に、ということにはならんじゃろう。アルテシア嬢は参加しておらんからの」

 

 ハリーとマーマイオニーとが始めたダンブルドア軍団のことは、すでにダンブルドアの知るところとなっていた。マッド・アイなど騎士団のメンバーたちも含め、ということになる。

 

「あの娘は、参加しておらんのか。なのになぜ、防衛術を」

「本人に聞かねばわからんが、いくつか予想はできるのう」

「たとえば、なんだ」

「アンブリッジ先生の授業では、ろくに防衛術が学べんと考えた。その辺はハリーたちと同じじゃろう」

 

 ならば、一緒にやればいい。なのにそうしないのはなぜか。その疑問は、同じテーブルの席にいたシリウスから出された。ここまで黙って話を聞いているだけだったが、ここで話のなかにはいってくる。

 

「さてのう。わしもよくわからんが、学校にはいくつかのグループができるものじゃよ。アルテシア嬢は、ハリーたちとは別になってしもうたが」

「でも、互いに防衛術を学ぼうとしているのなら、考え方は同じだ。協力できるようにしむけてやることはできないんですか」

「そうじゃな。そういう方法もあるにはあるが、今となっては難しかろう」

「そうですか」

 

 シリウスとしては、ハリーとアルテシアとが協力しあってくれればいいと思っている。だが現実は、そううまくはいかないらしい。

 

「ダンブルドア軍団にしろ、あの娘にしろ、やがては騒動となるのが目に見えるようだな」

「そうじゃな、気をつけておくとしよう。ところでトンクスは、ほかには何か言っておらなんだかな。あのお嬢さんのことを」

「魔法省のことを気にしていたし、闇の魔法についても話を聞きたがったそうだ。気になるか?」

 

 ダンブルドアは、苦笑いを浮かべるだけで、何も言わなかった。なのでマッド・アイが言葉を続けた。

 

「まえに、あの娘は闇の側ではないと言ったな。だが、かなりの興味をお持ちのようだ。マルフォイの家に行ったのもそのためだろう」

「どういう意味かね」

「情報だよ。例のあの人の情報を集めておるのだ。トンクスの話を聞くに、どうも、あの人に近づこうとしているようだ。会おうとしているのではないかな」

「えっ! アルテシアが、そんなことを。本当ですか。でも、なんのためにそんなことを」

 

 シリウスには、意外なことだったようだ。だがダンブルドアからは、シリウスのような驚きはうかがえない。ある程度は承知しているのか、それとも単に無表情でいるだけなのか。

 

「今のところ、目的はわからん。だが魔法省には悪印象をもっておるようだし、あの人の側に奪われてしまう可能性は捨てきれんぞ」

 

 シリウスへの返事としてマッド・アイはそう言ったのだが、ダンブルドアが、すぐに否定した。

 

「前にも言うたが、その心配はいらんよ。そのためにミネルバをつけておるのじゃ」

「だが、可能性は十分にあるぞ」

「いやいや、わしが心配しておるのは、魔法界を去るかもしれんということじゃよ。そうさせてはならんと思うておる。あのお嬢さんは必要なのじゃから」

「必要だと?」

「いかにも。あのお嬢さんは必要なのじゃよ」

 

 なぜ、なのか。その問いがマッド・アイから出されたが、ダンブルドアははっきりとは答えずに席を立った。

 

「さて、学校に戻るとしようかの。そうそう、ハリーには閉心術を学ばせておるよ。うまく身につけてくれるといいのじゃが、さて、どうなることか」

 

 そう言い残してダンブルドアは帰って行った。

 

 

  ※

 

 

「あんた、バカだろ。なんでそれを、あたしに言うのさ」

「え? え? でも、だって」

「だって、じゃない。子どもか、アンタは。ちょっとはモノを考えなよ」

 

 ちょうど、地下へと続く階段を降りてきたところ。そこでアルテシアは、パンジー・パーキンソンと会った。約束していたわけではなく、スリザリンの談話室を訪ねて来たアルテシアと、そこから出てきたパンジーとが、たまたま出会っただけ。

 アルテシアとしては、ドラコかダフネかパンジーか、その3人の誰でもよかったし、その3人以外はダメだった。なので、パンジーと顔を合わせることが出来たのは幸運だったのだが。

 

「いいかい、1度しか言わない。よーく聞いてなよ」

「う、うん」

 

 パンジーのことを乱暴だと表現し、嫌うグリフィンドール生は多い。アルテシアも何度か叩かれたことはあるのだが、だからといって恐いと思ったことはない。嫌うということもない。感情的ではあるが、正直なのだと思っている。なにより、アルテシアを怒ってくれる人など、そうはいないのだ。

 聞けと言いつつも、パンジーは階段を上る。アルテシアも、その後に続いていく。そして、階段を上りきり廊下に出たところで止まった。

 

「下じゃ、声が響くかもしんないからね」

「うん。でもパンジー」

「いいから、聞きな。あたしはね、アンブリッジに報告しなきゃいけない立場なんだ。あんた、それ、忘れてるだろ」

「あっ!」

 

 そうだった。たしかに、アルテシアは忘れていた。パンジーは、アルテシアがその日なにをしたのか、そのあらましを報告しなければならないのだ。同時にアルテシアも、自分のことをパンジーに伝えることになっている。だがアルテシアは、そのことをすっかり忘れていた。当然、これまでそんなことをしたことがない。

 

「そのあたしに、なんだって。アンブリッジに報告しろってこと? それをアンブリッジに渡せって? ならそうするけど」

「ち、違うよ、パンジー。そうじゃなくて、あなたに」

「わかってるよ、あんたがバカだってことはさ。でさ、もっかい聞くけど、あたしになにをしろって?」

 

 ここでパンジーは、アルテシアが持っていた手のひらサイズの手帳のようなものをひったくった。アルテシアがパンジーに渡そうとしていたものだ。

 

「これでね、魔法の勉強をしようって、そのお誘いなんだけど」

「だから、それはさっき聞いたよ。でもこんなので魔法の勉強なんてできんの?」

 

 その手帳のようなものを、パンジーがパラパラとめくっていく。表紙など外観の色は黒で、ページ数はせいぜい20から30といったところか。

 

「できるよ。そのために作ったんだから。最初は防衛術からにしようと思ってるの。ほら、アンブリッジ先生の授業では防衛術は学べないって、みんなそう言ってるでしょ」

「いまさら、ポッターやグレンジャーと同じことやってもね。しかもこれが証拠になる。見つかったらあんた、退学だよ」

「わかってるけど、アンブリッジ先生には見つからないようにしてある」

「はぁ? 意味わかんないけど、あんた、アンブリッジのやつ怒らせてるんだよ。そのことわかってる?」

 

 もちろん、わかっている。だがアンブリッジは、なぜだか動きを見せていない。せいぜいが、高等尋問官親衛隊を立ち上げたくらいだ。パンジーに言わせれば、ただ様子見しているだけということにはなる。だがなにか、他に理由があるのかもしれない。

 

「って、読めないし。こんなんで、どうやって勉強しろってのよ」

「ええっとパンジー、よーく見てよ。そんなことないと思うんだけどな」

 

 言いながらアルテシアは、右手の人差し指と中指とで、パンジーの持つ黒い手帳のようなものに触れた。瞬間、その部分が光った。もちろんパンジーも気づいたはずで、目をぱちくりとさせる。だがそのことより、もっと驚くことがあったようだ。その目は、手帳に向けられたまま。

 

「あれ? ええっと… うわ、なにこれ? あ、そうか。これって」

 

 そこへ誰かの手が伸びてきて、その手帳らしきものを取り上げた。パンジーがすぐに取り返そうとしたが、それは果たせずに終わった。その手の主がスネイプだったからだ。

 

「口答えは許さんぞ。2人とも、吾輩についてくるのだ」

 

 

  ※

 

 

 場所は、スネイプの研究室。アルテシアは何度か来たことのある場所だが、パンジーは初めてだったようだ。だがきょろきょろと、室内を見回してばかりもいられない。スネイプは、パンジーから取り上げた黒い手帳らしきものを、じっくりとみている。

 そして。

 

「これがなんであるのか、説明するのだ」

 

その目は、しっかりとアルテシアを見ている。にらんでいる、としたほうが正解かもしれない。だがアルテシアが答えるより早く、パンジーの声がした。

 

「あたしのです、先生。ちょっとしたメモっていうか、魔法のやり方を」

「黙れ、パーキンソン。おまえに聞いているのではない。おまえとの話は後だ。静かに待っていろ」

 

 スネイプにそう言われては、パンジーも黙っているしかない。自然、視線はアルテシアに向けられる。

 

「学ぶことが必要だと考えました。これが役に立つと、そう思ったんです」

「これで、魔法が学べると。つまりは、おまえの魔法書のようなもの、ということか」

「いえ、魔法書とは違うものです。似ているとは思いますけど、仕組みは違うものです」

「おまえが作ったのだな」

「そうですけど、ちゃんと機能することは確かめています。もちろん、賛成してくれる人だけにとどめるつもりでいます」

 

 ここでスネイプはアルテシアから目を離し、改めて、ぱらぱらとページをめくっていく。アルテシアは迷った。なおも何か言うべきなのか、それともスネイプの言葉を待つべきか。パンジーを見れば、小さく首を横に振っている。黙っていた方がいい、ということだろう。つかの間の、沈黙の時間。それを破ったのは、もちろんスネイプ。

 

「ミス・パーキンソン」

「あ、はい」

 

 飛び上がったりはしないが、しっかりと驚いたようだ。

 

「おまえ、これが読めたか。何が書かれているのか、わかったか」

「は、はい。まだちゃんと読んではいませんけど、武装解除の呪文のことだと思いました」

 

 ピクリ、とスネイプの眉が動いた。だが、それだけだった。ゆっくりとページをめくっていくスネイプ。だがもとより、たいしてページ数はない。スネイプの視線がアルテシアへ。

 

「どういうことだ?」

「なにがですか?」

「答えろ、どういうことかと聞いているのだ」

「な、なんなのよ、アルテシア。ちゃんと話したほうがいいと思うよ。だってさ」

 

 パンジーの目は、スネイプの持つ手帳らしきものへと動いた。あるいは、取り上げられることを心配しているのか。

 

「答えろ、と言っているのだ。つまりこれは、ミス・パーキンソン専用ということになるのか」

「あっ、はい。そういうことなら、そうです。誰でもってことにはしたくなかったし、知られたくない人もいますから」

「では、吾輩にも読めるようにできるのだな」

「できますけど、武装解除の呪文は、スネイプ先生に教えていただいたものですから」

「吾輩が読んでも仕方がないと言いたいのか。だがおまえに、そんなものを教えた覚えはないぞ」

 

 いや、スネイプは忘れているだけだ。アルテシアが2年生のとき、当時の防衛術の先生であったロックハートが開催した決闘クラブの場で、そのやり方を説明している。もっともそのとき、その教えを誰よりもマスターしたのはパーバティだったりするのだが。

 そのことをスネイプに説明しようとするが、ロックハートの名前を出しただけで、スネイプが手を振った。

 

「ああ、わかったわかった。おおよそ理解はしたが、1つ、質問がある」

「なんでしょうか」

「これを、おまえが作った。ならばこれが魔法書ということでいいか。それで間違いないな」

「はい」

 

 もちろん、否定などしない。スネイプに対して、他にうまい言い訳など思いつくはずもない。だがアルテシアの返事はそれで終わらなかった。

 

「でも、まったく同じじゃないんです。いろいろ、工夫をしてみました」

「工夫だと」

「ええと、説明がヘタなのはよくわかってます。言い方もよくないんですけど、いまの状況とかいろいろ考えて、こうしたほうがいいかなって」

「ほほう。では聞くが、なんのためだ。そんなことをして、なにか役に立つのか」

 

 スネイプが無表情なのは、いつものことだ。だがアルテシアからの返事がない。ただ、じっとスネイプを見ているだけなのはなぜか。スネイプも、そう思ったらしい。

 

「どうした。なぜ、返事をしないのだ。ただポッターやグレンジャーのマネをしているだけなのが恥ずかしいか」

「いいえ。スネイプ先生の表情から、なにか読み取れるんじゃないかと、そんなことを考えていました」

「なんだと」

「言い方がいつもと違うなって思ったんです、先生。それに、わたしにもできるかなって」

「なんの話かしらんが、それでは、吾輩の質問に答えにはなっていないぞ」

 

 おそらくパンジーは、アルテシアとスネイプとが話をする場にいるのは初めてなのだろう。そこでアルテシアがにっこりと笑ったことに、驚いているようだ。いわばスネイプに叱られているのに微笑むことがてきるなど、彼女には考えられない。だがアルテシアは、平気なのだ。

 

「質問を変える。目的は何だ。アンブリッジ先生への反発か。それとも、闇の魔法と戦うためか」

「守るため、です。それができてこそ、わたしの居場所もあるんだと思っています」

「ほほう」

「でも、1人でできることなんて高が知れてます。だったら、2人で。3人で。そうするべきだと、ある友人が気づかせてくれました」

 

 それが誰であるのか、スネイプが聞けば答えただろうが、スネイプはそうしなかった。

 

「その数を増やそうというのか。ならば、これ1つだけということはありえん話だな」

「はい。とりあえず10冊作ってみました」

「では、吾輩に1つ寄越すのだ。もちろん、読めるようにしてな」

 

 まさか、スネイプがこんなことを言い出すと思わなかったはずだ。なおもあれやこれやとやりとりを繰り返した結果、スネイプはそれをパンジーへと返し、代わりに自分の分を手にした。

 

「言っておくが、闇の帝王が簡単に武装解除に応じてくれるなどとは思わぬことだ」

 

 そこでスネイプが動いた。話はこれで終わりということで、自身の研究室のドアを開け、まずはアルテシアたちを外へ出そうとする。そのドアからアルテシアが外へ出たとき。

 

「わかっているだろうが、くれぐれも注意をするのだ。もしこれが見つかれば、おまえが退学するだけでは済まんぞ」

「どういうことですか、先生」

「そのときは、クリミアーナにでも戻るのだろうが、なに、心配はいらんぞ。おそらくは、おまえ一人ではないからな」

 

 それには、どんな意味があるのか。それを聞こうとしたアルテシアだったが、研究室のドアが閉じられ、スネイプは開けようとはしなかった。

 



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第95話 「発覚」

 定例の勉強会のためではなく、質問に答えてもらうため。アルテシアがマクゴナガルの執務室を訪れたのは、どうにも気になってきたからだ。つまりは『アンブリッジが何もしてこない原因』に心当たりがあるのではないかというものだが、マクゴナガルは、返事の代わりに新聞を差し出した。日刊予言者新聞の最新の号だ。

 

「いよいよ動きを見せてきました。あなたが注意せねばならないのはこちらのほうですよ」

 

 紙面には『アズカバンから集団脱獄』の文字が踊っていた。収監されていた10人のデス・イーターがそろって脱獄したというのである。そで見出しとして、かつての死喰い人・ブラックのもとに集結か、との魔法省の見解も書かれていた。

 

「ただし、書いてあることが全て正しいとは思わないように。魔法大臣としては、こんなふうに発表するしかなかったのですから」

 

 なにしろ魔法省は、ヴォルデモート卿復活を公言するダンブルドアをウソツキだと批判するなど、ずっと否定し続けてきた。それが間違っていたとなれば、大きな問題となる。今回の集団脱走とヴォルデモート卿の復活とを結びつけて考えられないようにするためには、黒幕はシリウス・ブラックであるとするしかなかったのだ。

 

「シリウス・ブラックは、実際にアズカバンを脱走していますからね。この記事によって、同じ方法で何人も脱走させたと考える人は多いでしょう」

「先生、わたしは」

「あなたは、まずはやり遂げることを考えなさい。あなたを信じてくれた人が何人もいるのでしょ」

「それは…… でも先生」

「でも、という言葉はあまり感心しませんね。とにかく誰にも邪魔はさせません。わたしは常にあなたの味方です。それを覚えておきなさい。さあもう、大広間へ行きなさい」

 

 それが、アルテシアの問いに対するマクゴナガルの答え。そういうことなのだろう。すでに夕食の時間を迎えていることもあり、話はそこまで、ということになった。

 マクゴナガルの部屋を出て、廊下を歩きながらアルテシアは考える。

 アルテシアは、アンブリッジが何もしてこない原因がマクゴナガルにあるのではないか、と思っている。もしそうなら、スネイプの思わせぶりな言葉にも説明が付くからだ。すなわち、アルテシアの計画が発覚し退学処分など受けたなら、マクゴナガルも同じ目に遭うと、そういうことだろう。

 そのときは、2人してクリミアーナへ。だがその場合、2人だけで済むのだろうか。

 

(もっと多そうな気がする)

 

 つまりそれだけ多くの人に迷惑と心配とをかけてしまう、かもしれないということだ。自分を信じてくれたという、ただそれだけのことのために。

 

(でも、そんなことは)

 

 許せることではない。認められるようなことではないのだ。ならば、どうするか。どうすればよいのか。

 

(答えは、簡単なんだけどな)

 

 そう、答えは簡単だ。それがイヤなら、見つからなければいいだけのこと。気づかれることなく、やり遂げれば済む話。そのための工夫もしてあるのだから、発覚するなどありえない。

 だが。

 

(絶対なんてのは、ないからなぁ)

 

 そう、何事にも絶対などと言い切れるものはない。事前にどれだけ準備していようとも、なにかしら想定外のことが起こり破綻することは十分にあり得る。

 アルテシアは、とりあえず、あの黒表紙の手帳のようなものを10冊作った。今、手元に残ってるのは2冊で、同意し受け取ってくれたのは、ラベンダー、パンジー、ドラコ、ダフネ、アンソニー、ハーマイオニー。それにスネイプとマダム・ポンフリーだ。

 ダンブルドア軍団のことがあるので、どうしてもグリフィンドールの生徒を避けることになったし、同じ理由でスリザリン生が多くなっている。ハッフルパフが誰もいないのは、ハンナ・アボットがダンブルドア軍団に参加していたからだ。他に話をしたことのある人はいなかった。

 スネイプには渡す予定はなかったのだが、なぜかそうなってしまった。マダム・ポンフリーにはずいぶんと世話になっているので、受け取ってくれて本当によかったと思った。

 

(だけどなぁ)

 

 順調だったのは、そこまで。さんざん迷い、断られるのを覚悟してハーマイオニーに話をしてみたが、望んだ結果とはならなかった。一応受け取ってはくれたが、当然のように、交換条件を要求されている。アルテシアがダンブルドア軍団に参加しない限り、これを開くことはないと言うのだ。ダンブルドア軍団は参加するつもりはないので、実質的には、ハーマイオニーからは拒否されたことになる。

 ともあれ、残りは2冊。無くなれば追加で作るだけなので、もっと人数を増やしていきたいとは思っているのだが。

 

「あ、アンブリッジ先生」

 

 このところ授業以外では顔を見なくなっていたのに、こんなところで会おうとは。だがこんな偶然は、もちろんあり得ることだ。アンブリッジが話しかけてくる。

 

「お元気そうね」

「はい。先生も」

 

 できれば会いたくない相手だった。この人と、このところ関わらずに済んでいるのは、おそらくはマクゴナガル先生のおかげ。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「あなたと話をしただけで怒られるかもしれないわね」

「は?」

「それよりあなた、あんな宣言をしておいて、ずいぶんとおとなしいじゃないの」

「どういうことですか」

 

 とりあえず聞いてはみたものの、アンブリッジは、ただニタニタと笑っているだけ。返事をしないままに歩き始めたのだが、なにか思い出したかのように止まった。そして振り向く。

 

「そうそう、静かな毎日もあと何日かで終わるみたいよ。じゃあね」

 

 それだけ言うと、ふたたび歩き出す。できるだけ関わりたくないので、呼び止めることはせずにそのまま見送った。だが、その意味は気になる。そこでアルテシアは、大きくため息をついた。考えるべきことが、また増えてしまったからだ。

 ともあれ、食事だ。お腹をいっぱいにしてから考えよう。夕食の時間は、とっくに始まっているのだ。アルテシアは、そのまま大広間へと向かった。

 

 

  ※

 

 

 そんなことがあってから、数日後。学校内では、アズカバンを脱走した10人のデス・イーターたちの話題で持ちきりとなっていた。たとえば、ホグズミードで脱獄囚の何人かを目撃したといううわさや、シリウス・ブラックのときのようにホグワーツに侵入してくるのではないか、などといったようなこと。

 名前を呼ぶことでさえ恐れられているヴォルデモート卿のように、デス・イーターもまた、魔法族にとっては恐怖の対象だ。それが10人もとなれば、誰もが無関心ではいられなくなる。

 もしかするとこのことだったのかな、とアルテシアは考える。アンブリッジが言い残した、静かな日々は終わるという言葉のことだが、アルテシアとしては、素直に納得はできそうにない。

 いつもの空き教室に顔を出すと、パドマとソフィアが話をしていた。なんでも魔法省には神秘部という部署があるらしく、ガラティアの遺品が保管されているのなら、ここではないかというのだ。

 

「ティアラさんからの情報ですけど、取り戻すのなら手伝いますって」

「ああ、でもあれは、わたしは所有権放棄ってことになってるから。いまは魔法省のものだよ」

「だけど、貴重品とかあるかもよ。調べておいた方がいいんじゃないかな。校長先生のところから、あの玉を取り戻したときと同じ方法が使えるよ。もう、あんな魔法を使っても途中で倒れたりはしないんでしょう?」

「それは、そうなんだけど」

 

 パドマの言う方法は、たしかに有効だ。だがその場合、1つ問題がある。

 

「わたし、魔法省の場所とか知らないの。そこを見たことがないと、イメージできないから」

「無理だってこと?」

「そうなるかな」

 

 だが、方法はある。たとえばキングズクロス駅などの既知の場所から周囲の景色を少しずつ集めていき、目の前に映し出して確かめていくのだ。あたかも魔法省を探して見知らぬ場所をさまよい歩くようなものだが、時間さえかければいずれは見つかるだろう。

 

「そういえば、トンクスって人と知り合ったんですよね。その人に聞いたら、中の様子とかわかるんじゃないですか」

「でも、今度いつトンクスと会えるか。連絡先とかわからないし」

「ねえ、アルテシア。そのトンクスって人、闇祓いだって言ってたよね」

「うん、そうだけど」

「闇祓いなら悪い人じゃないだろうし、ふくろう便で手紙を送ればいいんだよ。宛名に闇祓いのトンクスって書いておくだけで届けてくれるよ」

「え、そうなの」

 

 パドマの言うとおりで、この場合、正確な住所は必要ない。ふくろうが、その相手を探して届けてくれるのだ。それを聞いたアルテシアが、さっそくトンクスにお礼の手紙を書くのは言うまでもないが、それはともかく。

 

「わたし、思うんですけど」

「なに?」

「あれ、魔法ノートって名前にしませんか。そのほうがいいですよ。手帳って感じじゃないんですから」

「そうかな、大きさなんかはまさに手帳だよね。もしくはメモ帳かな」

「メモ帳は、なんかヤです。ノートがいいです」

 

 2人の視線が、アルテシアに向けられる。決めてくれということだが、アルテシアは苦笑するしかなかった。

 

「いいよ、ソフィア。名前が問題なんじゃなくて、要は中身だから」

「ほんとですか」

「でも、ソフィアには必要ないでしょ。あなたには魔法書があるんだし」

 

 ソフィアだけでなく、パチル姉妹にも渡していない。もちろん、その必要がないからという理由である。

 

「あれって、マスターしていったら内容も変わっていくんだよね。武装解除の次はなんなの?」

「失神呪文よ。それから妨害呪文、金縛り術。いろいろ考えて、トンクスにも相談してから決めたの。ほかにも色々あるけどね」

 

 話がそんなところに移ってきたところで、空き教室のドアが開いた。開けたのは、まだここに来ていなかったパーバティだった。

 

 

  ※

 

 

 その呼び出しは深夜、というよりは明け方と呼ぶにふさわしい時間。もちろん寮の部屋で寝ていたアルテシアだったが、迎えに来たマクゴナガルに促され、無言のままで部屋を出る。互いに一言も発しないのは、寝ている人に配慮してのことだろう。

 向かう先は、マクゴナガルの執務室。そこへ着くまでの間も、2人は黙ったまま。沈黙が破られたのは、部屋に入り、互いがいつもの席に腰を落ち着けてからだった。

 

「アルテシア、落ち着いて聞きなさい。あなたは退学処分ということになるかもしれません」

「え! た、退学、ですか?」

「もちろん、そんなことはさせないつもりです。ですが、そうとばかりも言ってられなくなりました」

「どういうことですか、先生」

「あまりいい状況とは言えません。ですが、思い悩んでいても仕方がない」

「先生」

 

 マクゴナガルは普段、笑った顔を見せることはあまりない。だがこのときは軽く微笑んでおり、口調も、静かで落ち着いたものだった。だが内容は、軽くはない。

 

「校長先生が、学校を去ったのです。戻ってこられるまでは、学校を離れられなくなりました」

「校長先生が? あの、何があったんですか」

「ポッターたちがやっている、DAでしたか。そのダンブルドア軍団が摘発されたのです」

「えっ!」

 

 深夜にかけての出来事であり、まだ学校内には知られていないこの事件。マクゴナガルは、アルテシアのまえでそのことを話し始めた。

 

 

  ※

 

 

 そのとき校長室にいたのは、ダンブルドアだけではなかった。まずは、魔法大臣のコーネリウス・ファッジ。その両側にいるドーリッシュとキングズリーは、いわば護衛としてだろう。そばのデスクで羽根ペンを持ち羊皮紙の巻紙を前にしているパーシー・ウィーズリーは、さしずめ記録係といったところか。

 他にはマクゴナガルとアンブリッジ、それにハリー・ポッター。

 

「現行犯だぞ、ダンブルドア。つまり、疑う余地はないということだ」

「しかし、その部屋にいただけじゃろ。夜中に寮の外にいたので校則違反は明白じゃが、わざわざ魔法大臣が来ることではないぞえ」

「ほっほー、そうかね。だがダンブルドア、この件には通報者がいるのだよ」

 

 そこでファッジがアンブリッジを見る。心得ているとばかり、アンブリッジがさも楽しそうな顔で前に出てくる。

 

「わたくし、通報者から教えられたとおりに、8階の『必要の部屋』とポッターたちが呼んでいる部屋に行きましたの。残念ながら多くの生徒に逃げられてしまいましたけど、首謀者はちゃんとつかまえましたわ」

 

 その首謀者とは、ハリーのこと。恨みがましい目をアンブリッジに向けているハリーだが、アンブリッジは、そんな視線など気にしていない。

 

「通報者がいるとおっしゃいましたな。それが誰で、なんと言っているのか聞いてもいいかね」

「もちろんですわ、ダンブルドア校長。名前は、アルテシア・クリミアーナ。彼女の通報がなければ気づかなかったでしょう。おかげで今夜、ようやく違反行為の現場を押さえることができましたの。ほんとによかった」

「ほほう、あのお嬢さんがのう」

 

 そう言いつつダンブルドアが見たのは、マクゴナガル。マクゴナガルはスネイプのような無表情をしていたが、黙っているつもりはないようだ。

 

「一言、いいでしょうか?」

「かまわんとも、マクゴナガル先生。ご自慢の生徒でしたな。そのお手柄を、あとでたくさん誉めてやったらいい」

「通報、ということですが、事実なのですか。本当にその女子生徒が密告し、今夜の摘発となったのですか」

「あ? いやいや、先生。今夜、こうして違法なる学生組織を摘発できたという事実。それが全てだと思うがね」

「いいえ、それはなんの証明にもなっていません。証拠とはいえないと思うのですが」

「待ちなさい、ミネルバ。あなたは、少し黙っていておくれ。そもそも問題となっておるのは、教育令第24号に対する違反行為についてなのじゃから」

 

 教育令第24号とは、ホグワーツ内で3人以上の生徒による定例の集まりを持つ場合には、高等尋問官の許可が必要だというもの。違反すれば退学処分だと定められていた。ハリーたちのダンブルドア軍団は、もちろんアンブリッジの許可など得ていない。なので違法な組織ということになる。

 

「その違反行為は、たしかに行われていたのかね?」

「今さら何を。今夜我々は、その現場を押さえたのだ。疑う余地など微塵もない」

「じゃが、そこで違反行為が行われていたと証明できるのかね。それを認めると、ハリーがそう言ったのかね?」

「言ったさ。そのように記録されているぞ」

「はい。たしかに、そのようになっています」

 

 返事をしたのは、パーシーだ。パーシーは、会話のすべてを書き取っている。

 

「そうかね。わしの認識では、ハリーはそんなことを一言も言っておらんはずじゃが」

「ダンブルドア、わたしは認めたと思っておるし、証拠もある。それで十分だ」

「証拠?」

「そうですわ、校長先生。今夜の会合で、皆が逃げ去った後に部屋に残されていたものがありますのよ。これは、立派な証拠です」

「ほう。拝見してもよいかの?」

 

 ダンブルドアが手を伸ばし、その証拠とされた羊皮紙を受け取る。ハーマイオニーが作ったダンブルドア軍団の参加者リストなのだが、メンバーが逃げ去る際に置き忘れていたらしい。ダンブルドアは、それをしげしげと見ていたのだが。

 

「ふむ。反論のしようはないようじゃ。万事休すということになるのう」

「お認めか、ダンブルドア。では首謀者を退学処分、ということでよろしいな」

「もちろんじゃよ、コーネリウス。じゃがこの場合、退学という言葉はふさわしくないのう」

「なんだと」

「責任はすべて、このわしにあるということじゃよ。なにしろこれは、ダンブルドア軍団じゃからな、コーネリウス」

「それはつまり、どういうことかな、ダンブルドア?」

 

 よくわかっていないらしいファッジに、ダンブルドアは微笑んだまま、手にした羊皮紙をファッジの目の前でひらひらさせた。

 

「ここに書いてあるじゃろう、ダンブルドア軍団だとな。そういえば、アンブリッジ女史も先ほどから何度か、この言葉を使っておられた。パーシー・ウィーズリーくん」

「あ、はい」

 

 突然の指名に、さすがに驚いたようだが、返事はすぐだった。

 

「キミの記録した会話のなかにも、そう書かれておるはずじゃな」

「たしかに、そう記録されてはいますが」

「待て、ダンブルドア。それはつまり、つまりそれは、あなたがこの会合を組織したということか」

「そう言うておるつもりじゃが」

「あなたが生徒たちを集めて、あなたの軍団を組織したということなのか」

「そのとおりじゃ」

 

 それがウソか、本当か。信じた者だけでなく、信じなかった者もいるだろう。さて、ファッジはどうだったのか。

 

「ならば、ダンブルドア。我々は、あなたを逮捕せねばならなくなるが、それでいいのだな」

「ふむ。やはり、そういうことになるか」

 

 いったい目の前で何の話がされているのか。どうやらハリーは、そのことに突然気づいたようだ。気づいた瞬間、叫んでいた。

 

「ダメです! そんなことダメです、先生」

「静かにするのじゃ、ハリー。言いたいことはあろうが、今はムダじゃと思う。もう、寮に戻っておるがいい。それが一番じゃ」

「でも、先生」

 

 だが、ハリーの言うことには誰も関心を示さない。それどころではなくなったからだ。

 

「なんとなんと、ポッターを退学にできるとやって来たが、まさか、こんなことになろうとは」

「それが魔法省にとって有益なことであればよいが、さて、どうなのかのう」

 

 とりあえず口を閉じたハリーに目を向けつつ、ダンブルドアが微笑みながら言った。笑みを浮かべているのは、ファッジやアンブリッジも同じである。

 

「まさか、ダンブルドアが魔法省に対抗する軍団を作り上げようとしていたとはな。驚きでしかないが、発覚したからには魔法省に連行し、裁判ということになる」

「そうかね。じゃがわしにも、さまざま用事があっての。魔法省を訪ねている余裕はないゆえ、こうするしかない」

 

 そう言って、ゆっくりと杖を取り出した。

 

 

  ※

 

 

「では、校長先生は」

「逃走中、ということになりますね。魔法大臣以下、都合4人をあっという間に打ち倒して校長室を、いえ、ホグワーツを出て行きました」

「まさか、そんなことになっていたなんて」

「4人とは言いますが、そのうち1人は騎士団のメンバーですし、ドローレス・アンブリッジが役に立つはずありません。魔法大臣も似たようなものですから、実質の相手は1人。その1人も、ダンブルドアに対抗できるほどの力はありません」

「それで、これからどうなるんですか」

 

 気になるのは、そこだ。魔法省はダンブルドアを捕らえるべく動いていくだろう。簡単に捕まるとは考えにくいが、どういうことになるのだろう。それに、校長のいなくなった学校は?

 

「校長の代理を務めたいと魔法省に伝えましたが、どうなることか。アンブリッジ先生がそうならなければいいのですが」

 

 先日も、アンブリッジの授業視察による結果として占い学の先生であるトレローニーが解雇となり、ダンブルドアがケンタウロスのフィレンツェに代わりを頼んだということがあったばかり。魔法省の権限を利用した好き勝手な行為は、校長代理という立場を得れば、ますますエスカレートしていくだろう。

 

「ですからアルテシア、今は我慢してください。校長先生は、いずれ戻ってきます。それまで待っていて欲しいのです」

「いま、校長先生はどちらに?」

「さあ、それはわかりません。ですが例のあの人の脅威が現実化したとき、魔法省は、結局ダンブルドアに頼るしかなくなる。そうなれば、今夜の出来事も不問となります」

「わたしが退学、という話はどういうことなのでしょうか」

 

 もちろんその話を、マクゴナガルは秘密にしようなどとは考えていない。軽く息を吐くと、その話を始めた。

 

 

  ※

 

 

 不死鳥のフォークスが輪を描いて飛び、ダンブルドアとともに姿を消した直後、ようやく床から身を起こしたファッジが室内を見回して叫んだ。

 

「あいつを追え! 捕まえるんだ」

 

 同じくダンブルドアによって倒されていたドーリッシュとキングズリーとが床から飛び起き、出入り口のドアを開けて出て行く。残ったのは、ファッジとアンブリッジ、それにマクゴナガルだ。ハリーはこの騒動のさなか、ダンブルドアの指示ですでに校長室を出ている。

 

「姿くらましの可能性はありませんわ。学校の中からできるはずがありませんから」

 

 アンブリッジの指摘には、ファッジも同意。だが、なぜ消えたのかの説明はできない。ファッジが、ローブの埃を払いつつマクゴナガルのもとへ。

 

「お気の毒だな、ミネルバ。魔法省としては、この結果を軽く扱うことはできんよ」

「では、どういうことになります?」

「そうだな。さしあたって代わりの校長が必要となるんだが」

 

 そこで改めてマクゴナガルを見た。マクゴナガルは、小さくだが、うなずいてみせた。

 

「まあ、考えておこう。とにかく魔法省に戻らせてもらうよ。やれやれ、こんなことになろうとは」

 

 ファッジが校長室を出れば、残るは2人。その2人が、互いに目を向ける。最初に声を発したのはマクゴナガル。

 

「思いどおりになったと、そんなところですか?」

「いいえ、まだまだ。さしあたっては、あのお嬢さんには退学の危機がありましてよ」

「なんですって。どうしてアルテシアが」

「このわたくしに逆らったのですから、当然でしょう。おとなしく言うことを聞いておれば楽しい学校生活が続いたのに、もったいないこと」

 

 そうして校長室を出て行こうとしたのだが、マクゴナガルが呼び止める。

 

「退学になど、させませんよ。アルテシアには手出しをしないと約束したはずです」

 

 そこで、アンブリッジが振り向く。

 

「誤解ですわよ、マクゴナガル先生。わたくし、何もしていません。あのお嬢さんが、勝手に墓穴を掘っているのですから」

「どういうことです?」

「わたくしが、何も知らないとお思い? 今夜、ダンブルドア軍団は摘発されましたが、同じようなことを始めているじゃありませんか」

 

 例の、黒い手帳。今はソフィアの主張によって、魔法ノートと命名されたもののことだろう。

 

「つまり、当然の結果です。非難される覚えはなくってよ」

「し、しかし。あれは、なんら教育令には反していないのでは」

「さあ、どうでしょうか。調べればわかるでしょう。でもね、先生。たしか、あのお嬢さんのことはすべて責任を持つと、そうおっしゃいましたわよね?」

「たしかに。ですがあなたは、その代わりとしてあの子には手を出さないと」

 

 そこでアンブリッジが、楽しそうに声を出して笑った。

 

「ええ、そうでしたね。でも先生、今、お嬢さんがなにかしているとお認めになったことにお気づきですか。それがどういうことになるのか、もちろんおわかりですよね?」

 

 マクゴナガルは、何も言わない。確かにアンブリッジが言うように、失言してしまったことは認めざるを得ない。

 

「お嬢さんの責任をあなたが取る、ということでよろしい?」

「そのときは、あなたも無事ではないと思いますよ」

 

 そのときアンブリッジの顔が引きつったのは、つい先ほどダンブルドアにやられたことを思い出したからだろう。だが、それも一瞬のこと。

 

「それもいいでしょう。あなたが学校からいなくなるのならね」

 

 アンブリッジが、ゆっくりとドアのほうへと歩いていく。そしてドアノブに手をかけたところで振り向いた。

 

「あなたのいなくなった学校が楽しみですわね。なにしろあのお嬢さんは、素直でよく言うことを聞きますから」

 

 笑い声を残してアンブリッジが出て行くと、マクゴナガルも、ため息とともに歩き出す。もちろん、アルテシアと話をするためである。

 



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第96話 「個人面接」

「じゃあ、原因はアルテシアだって言うのね」

「そうなんだ。ぼく、この耳で聞いた。アンブリッジがはっきりとそう言ったんだ」

 

 場所は、談話室の片隅。掲示板の前にできた人だかりを見ながら、ハリーとハーマイオニーが話をしていた。もちろん、ロンもいる。

 

「ボクは、そうは思わないけどな。アンブリッジだぞ。もっとよく確かめたほうがいい」

 

 掲示板に書かれているのは、単に昨夜の出来事の結果のみ。いずれは生徒たちに知れ渡ることになるのかもしれないが、なぜそういうことになったのか、その経過については触れられていないのだ。だがハリーは、そのときその場にいて一部始終を見聞きしていた。

 

「ダンブルドアは反論しなかったんだ。みんな認めて、自分のせいだってことにしたんだ」

「それで、学校を出て行ったのね。わかる? 責任をとったってことは、つまり反論しようがなかったってことよ」

「じゃあキミは、アルテシアが裏切ったって言うのか。アンブリッジに告げ口したって言うのか」

 

 ハリーはいろいろ疑問な点があると言い、そんなことはあり得ないとロンは言う。だったら確かめましょうと、ハーマイオニー。3人は、アルテシアを探すことにして談話室を出た。

 

 

  ※

 

 

『魔法省令

 

 ドローレス・ジェーン・アンブリッジ(高等尋問官)は

 アルバス・ダンブルドアに代わり

 ホグワーツ魔法魔術学校の校長に就任した。

 以上は教育令第二十八号に順うものである。

 

     魔法大臣 コーネリウス・オズワルド・ファッジ』

 

 

 学校内には、こんな知らせが掲示されていた。いったいダンブルドアは、どうなったのか。なぜこんなことになったのか。そのことについてのうわさ話の中を、ハリーたちは歩いて行く。うわさというものは、広まるにつれて少しずつ変化していき、正確性にも欠けていくもの。だが『ダンブルドアはすぐに戻ってくる』という結論に行き着くという点では、どのうわさも一致していた。

 

「これだけうわさになっているんだもの、アルテシアも当然、知ってるはずよね」

「だろうね。もし裏切ったりしてないというんなら、言い訳するためにぼくらを探していてもいいはずだ」

「いや、ハリー。ボクが思うに、あいつは自分が密告したってことにされてるなんて知らないんじゃないか。だから普通に、そこいらでパーバティあたりとしゃべってるんだ。湖のそば、とかでね」

 

 ハーマイオニーは、寮で同室だ。だがDA摘発騒動のあとでハーマイオニーが寮に戻ったときアルテシアは寝ていたし、朝起きたときには、アルテシアの姿はなかった。

 

『――アンブリッジが校長室に入ろうとしたら、ガーゴイルのところを通れなかったってさ。校長室は、独りでに封鎖して、アンブリッジを締め出したんだ』

 

 そんな声が、どこからともなく聞こえてくる。みんなのうわさ話は、校内のいたるところ、止めどがない。

 

「けど、どうなるんだこれから。ダンブルドアがいないとなれば、好き勝手なことしてくるよな」

「今までも、十分に好き勝手してるじゃないの。あとはマクゴナガル先生がどれだけ抵抗できるかだけど、正直、難しいと思うわ」

「心配はそれだけじゃないんだ、2人とも。ダンブルドアがいないとなれば、例のあの人が何をしてくるかわかったもんじゃない」

 

 アンブリッジの横暴にも難儀をしているが、本当の脅威はヴォルデモート卿なんだとハリーは言うのだ。もちろんハーマイオニーやロンだって、そのことはわかっている。

 

「だけどね、ハリー。だからといって、相手の思惑に乗っちゃダメなのよ。あなたは、誘われているの。ワナに引き込もうとされているのよ」

「ああ、わかってる。でも、何もないわけじゃないと思う。なにかあるんだ、きっとね」

「そんなふうに考えちゃダメよハリー。それこそが、あの人の狙いなの。あなたをホグワーツからおびき出そうとしているの。なんども言ったでしょう? 閉心術を学ぶべきだわ」

「いいや、ハーマイオニー。たしかにワナかもしれないけど、あそこには何かあるんだ。それだけは間違いない」

 

 うわさ話が聞こえてくる中、そんなことを話しながら歩いて行く。このところのハリーは、たびたび夢の中でおかしなものを見ていた。魔法省の中なのだが、夢を見るたび、視線がその場所を移動していくのだ。地下へと降りていき、ドアを開け、だんだんと奥へ。そして目が覚めるのだが、今ではそこが、魔法省の地下9階にある神秘部と呼ばれる場所であることがわかってる。

 

『あの人が、あなたを神秘部におびき出そうとしているのよ』

 

 これが、ハーマイオニーの考えだ。そのためにそれを見せられているというものであり、ダンブルドアなどもそれを支持している。スネイプによるハリーへの閉心術の課外授業も、このことへの対策なのである。だがハリーは、このことにあまり熱心ではなかった。

 

「とにかく、ダンブルドア先生がいないんだから、よっぽど注意しないといけないわ。まったくもう、こんなことになるなんて。このこと、アルテシアがどう思ってるのか聞かなくっちゃ」

「なあ、ハーマイオニー。キミはさ、アンブリッジに密告したのは、本当は誰だと思ってるんだ?」

「それは……」

 

 そのロンの質問にハーマイオニーが答えようとしたとき、ドラコ・マルフォイが、クラップとゴイルを従え、扉の陰から姿を見せた。どうやら、話の一部が聞こえたらしい。

 

「それは、ぼくも聞きたいな。誰なんだ、グレンジャー」

「なによ。あなたなんかに言う必要はないわ。でも安心なさいよ、マルフォイ。そちらのお仲間だなんて言ったりしないから」

 

 ドラコが、にやりと笑った。

 

「そうかい。それはなによりだ。ぼくはまた、アルテシアがそうだなんて言い出すんじゃないかと思ってたよ。グレンジャーのくせに、ちゃんと考えることができるとはな」

「なんですって」

「知ってるか? アンブリッジ大先生は、密告者はアルテシアだとおっしゃっているんだ。なあ、ポッター」

「黙れ、マルフォイ。おまえなんかと話すことはない」

「めずらしく意見が合うな、ポッター。ぼくも、おまえと話すことなんかないんだ。この調子であの大先生のことも同じ意見だといいんだがな」

 

 そう言って、ドラコがクラップとゴイルを率いて去っていく。いや行こうとしたのだが、くるりと振り返った。

 

「そうだ、思い出した。諸君、新しい校長による、新しい時代だからな。せいぜい、いい子にしているんだぞ」

 

 今度こそドラコが行ってしまうと、ハリーたちはお互いに顔を見合わせた。

 

「結局、なんだったんだ、あいつ。何が言いたいんだろう」

「呼び止めたりしないでよ、ロン。そんなことより、ほら、あそこ。アルテシアがいたわ」

 

 見れば、玄関ホールをアルテシアが歩いている。予想通りにパーバティも一緒だ。ロンが言ったように、外を散歩でもしていたのだろう。3人は、すぐさま駆けだした。

 

 

  ※

 

 

「正直に答えてちょうだい、アルテシア。あなたの意見が聞きたいの」

 

 玄関ホールの真ん中というよりは、大階段寄りの場所。そこでアルテシアたちとハーマイオニーたちとが、顔を合わせた。

 

「なによ、いったいなんの話?」

「知ってるわよね、夜のこと。それでアンブリッジが校長になったわ。なぜこんなことになったの? どうしてダンブルドアは」

「待ちなさいよ、ハーマイオニー。どうしてアルテシアに聞くの? あたしはまず、その理由が知りたいわ」

 

 いきなり、ヒートアップしそうになる。だが場所は、玄関ホールなのだ。大きな声で言い争う場所ではない。

 

「待って、校長先生のことだったら。わたしは、マクゴナガル先生が代理になるんだと思ってた。どうしてそうなったのかは、わたし知らないよ」

「でも、夜になにがあったかは知ってるはずだわ。それともなに? あたしが寮に戻ったときあなたが寝ていたのは、何も知らなかったからだって、そういうこと?」

「もちろん、そうだよ。あんなことになるなんて、思ってもいなかった。今日になって知ったんだよ」

 

 だが話は、それでは終わらない。すなわち、ハーマイオニーたちは納得していないということ。

 

「じゃあ聞くけど、あなたは必要の部屋のことを知っていたわよね。必要の部屋のことを調べてたし、それを報告するんだってパーバティと話していた。まさか、本当にアンブリッジの助手だったの?」

「それは違う、ちゃんと断ったわ。あたしは助手じゃない」

「でも、それで部屋のことがわかったら報告しろって言われていた。だから、そうしたということなんじゃないの?」

 

 それには返事をせず、アルテシアは、じっとハーマイオニーを見ていた。報告しろと言われていたのは事実だからだ。だがそれを認めてしまうと、助手だったのだと理解されてしまい、昨夜の騒動の主犯格だと誤解される可能性が高い。

 アルテシアはそう考えたのだ。だが無言でいても、状況の改善には結びつかない。そこに、パーバティが割って入る。

 

「待ってよ、ハーマイオニー。つまりあなたたちは、アルテシアのせいなんだって、そう言いたいんだよね?」

「黙っててよ、パーバティ。話がややこしくなるだけだから」

「そうもいかないわ。あなたたちが疑ってかかるのなら、アルが何を言ってもムダになる。結局、アルテシアが告げ口したのかどうか、それが知りたいんでしょ。アルテシアは、そんなことしてない。あたしが証人よ。それでいいわよね?」

 

 それで話を終わらせようとしたのだろうが、パーバティは、なおも話を続けた。その視線は、ハーマイオニーからハリーに移る。

 

「もとはと言えば、あなたのせいなのよ、ポッター」

「なんだって。どうしてぼくが?」

「ああ、ごめんなさい。あなたのせいというのは、言い過ぎた。あなたたちって言いなおすけど、グリフィンドール・チーム再結成の手続きをアルテシアにやらせたでしょ。あれがなかったら、そもそもアンブリッジなんかとは関わることはなかったんだから」

「待って、パーバティ」

 

 アルテシアが止めに入る。そして、改めてハーマイオニーたちを見る。

 

「わたし、告げ口なんかしてないわ。アンブリッジ先生は、ご存じだったの。あそこで、あなたたちが、DAの活動をしていること」

「まさか。そんなことあるはずない。アンブリッジが知ってたって? そんなはずはない。誰かが教えない限り、あの部屋がみつかるはずがないんだ」

「でも、ハリー。先生はご存じだった。DAの名称とか参加者とかも調べればわかることだし、ホグズミードのお店でDA結成の話し合いをしたことも、先生方はみんな、ご存じだったのよ」

 

 そこで言うのを止め、少しの間、ハリーたちを見る。誰からも、言葉はない。

 

「もう一度言うけど、アンブリッジ先生は、その場所やおおよその参加者のことはご存じだった。そのことをあなたたちに伝えて注意しろって言うべきだったけど、ハリーが言うように、あの部屋を開くことなんてできないと思ってた。だから大丈夫だと思ってた。ごめんなさい」

「謝るってことは、認めるってことだよね?」

「うん、そうだね。でも、わたしが告げ口したんじゃないってことは信じて欲しい」

「そうか、わかった。もういいよ。どっちにしても、ヴォルデモートが動き出せば、ぼくたちが正しかったことがわかるんだ。ダンブルドアも、きっと戻ってくる」

 

 そう言ったのはハリー。それでハリーたちは戻っていこうとしたのだが、その後ろ姿に、アルテシアが声をかけた。

 

「ハーマイオニー、教えて。あなた、わたしを疑ってるの?」

 

 だが、ハーマイオニーからの返事はなかった。

 

 

  ※

 

 

 その場所に立ったまま、アルテシアはなにやら考えているらしい。そばにはパーバティがいるのだが、彼女もまた、その場に立ちアルテシアを見つめている。こんなとき、アルテシアに話しかけてもムダなことを知っているからだ。

 こんなことが、ときどきある。そんなときパーバティは、ただ見守ることにしている。それが自分の役目だとも思っている。だが今回は、アルテシアが考えているであろうことが、ある程度は予想ができるのだ。自分だけの思考の世界から戻ってきたとき、アルテシアは何を言い出すのか。そのことを思い、微笑みつつも、パーバティは軽くため息をついた。そして、アルテシアの手を握る。

 ここは、玄関ホールなのだ。この場に立ったままというのは不自然。せめて大階段に座らせようとしたのである。手を引けば誘導することはできたので、その段差に座らせ、パーバティもその横に座る。

 

「ご苦労さま。あなたも、いろいろと大変なのでしょうね」

「え?」

 

 ふいに声がした。後ろでも前でもない、頭の上から。

 

「あ、ええと。ヘレナ、さんでしたよね」

「そうだけど、灰色のレディと呼びなさい。あなたはね」

「…… わかりました」

 

 声の主は、レイブンクローのゴーストだった。いつもアルテシアがヘレナと呼んでいるのでパーバティもそうしたのだが、それは、拒否された。

 

「事態は、誠によろしくない。そう言うしかなさそうだけど、なんとかなる?」

「え?」

「なんとかしなさいよ。じゃないと、このまま別れることになる。それはいやだって、この人に言っておいてくれる?」

「アルテシアにってことですよね」

「ええ、そう。あなたは知らないでしょうけど、この人、また同じことをやってるのよ。今度は、わたしのせいじゃありませんからね」

 

 どういうことだろう。それを聞こうとしたが、灰色のレディが体を折り、その顔をパーバティの耳元へと寄せてくる。

 

「アンブリッジが、証拠を手に入れたのです。それを決定的なものにしてはダメ。そうなったら、本当にサヨナラってことになります」

 

 そう耳打ちされたパーバティが、驚いて飛び上がった。普通ならぶつかるところだが、相手はゴースト。冷たい思いはしただろうが、その体を突き抜けただけ。

 

「証拠、ですか」

「気にした方がいいんじゃないかと思うのよ。この人にそう言っておいて」

「ええと」

 

 話が聞こえているのかいないのか、アルテシアはうつむいたままだ。すぐにでも伝えたいところだが、今は無理。そこで灰色のレディが、軽くため息。

 

「だめだめ、今は何を言ってもムダ。聞こえてやしない。だからこそ、あなたに話してるのです」

「もしかして、アルがこうなること、たまにこうなっちゃうこと、ご存じなんですか」

「ええ、なぜかは知らないけどね。でも母なんかは、魔法書を書いてるんじゃないかって言ってたわ」

「魔法書を? どういうことですか」

「それは、知らないわ。母が言ってたことを思い出しただけ。それより、ちゃんと伝えるのですよ。必ず」

 

 灰色のレディの姿が、どんどんと透明度を増していく。そして消えてしまったが、その時でもアルテシアは、なにごとか考えているようだった。おそらく灰色のレディが来たことも、なにやら話していったことも、気づいてすらいないのだろう。

 そのことをすぐにでもアルテシアに伝えたいところだろうが、パーバティは、ただじっと、アルテシアの隣に座っていた。だがアルテシアが、その日のうちに戻ってくることはなかった。

 

 

  ※

 

 

『進路指導

 

 5年生は全員、寮監と短時間の個人面接を行います。

 将来の進路についての相談となります。

 各自の面接時間は、別途、リストにあるとおりです。』

 

 そんな掲示がされていた。5年生といえば、もうじきOWL(ふくろう)試験が始まる。その重要な試験を前にして、進路によって必要となる教科のことや、各自の成績などについて、改めて確認しておこうというものである。面接順リストのとおりに進んでいき、アルテシアの番となる。

 場所は、マクゴナガルの執務室。アルテシアにとっては慣れた場所なのだが、そこにアンブリッジの姿があるだけで、まったく違う雰囲気となっていた。それになぜか、魔法大臣のファッジまでいるのだ。

 

「そこにお座りなさい、アルテシア」

 

 指示されたのは、いつもアルテシアが座っている椅子。だが今日は、マクゴナガルの机のすぐ前に置かれていた。アンブリッジとファッジは、少し離れた場所に並んで座っている。アルテシアから見て左側、少し後方だ。

 

「この面接は、あなたの進路に関して、ホグワーツでの6年目と7年目において、どの学科を継続し重点を置いていくかを話し合うことになります」

「はい、先生」

「ホグワーツ卒業後について、あなたの考えを聞かせてください」

 

 なんだか、マクゴナガルの表情が固い。アルテシアは、そんな印象を持っていた。言い方も、どこかそっけなく事務的な感じだ。

 

「はい、それは」

 

 正直に答えるべきか、アルテシアは迷った。なにしろ後ろには、アンブリッジがいるのだ。それに、マクゴナガルのあのしゃべり方が気になる。

 

「どうしましたか? さっさと片付けてしまいましょう。なにか希望する職種はないのですか」

「わかりました、先生。『闇祓い』という仕事があると聞いています。それは、どうでしょうか」

 

 マクゴナガルの顔が、わずかに微笑んだように見えた。そして、机の上の書類の山から、小さな黒い小冊子を抜き出して開いた。

 

「闇祓いとなるためには、最優秀の成績が必要となります。NEWT(いもり)試験では少なくとも5科目で『E』評価を取らねばなりませんし、厳しい性格・適性テストがありますよ」

「わたしには難しい、ということでしょうか」

「いいえ、あなたの成績には十分に満足しています。ですが、油断は禁物です。例えば『魔法薬学』では、スネイプ先生はOWLで『O・優』を取った者以外は教えませんし、わたしの『変身術』では『E・良』以上となります」

 

 OWLでの成績は、「O・優」(大いに宜しい)、「E・良」(期待以上)、「A・可」(まあまあ)、「P・不可」(良くない)、「D・落第」(どん底)「T・ありえない」(トロール並み)といった評価がされる。試験では「O」から「A」までが合格であり、それ以外は不合格になる。

 

「フリットウィック先生による『呪文学』であなたは『P』評価になっていますが、もはやこれは、心配する必要はないですね?」

「はい」

「肝心なのは『闇の魔術に対する防衛術』となりますが、こちらの成績は」

 

 そこで、エヘンエヘンと、咳払いが聞こえた。アンブリッジだ。マクゴナガルは、大きくため息。

 

「なんですか、アンブリッジ先生」

「いえね、ちょっと疑問だったものですから」

「だから、なにがですか。なにも、間違った説明はしていないと思うのですが」

「ええ、そうね。でも、聞き間違いかしら。わたくしの手元にもその生徒の成績表がありますが、ここには『呪文学』が『P』評価、『変身術』は『A』評価なのですけど」

 

 この点は、アンブリッジの言うとおり。マクゴナガルは軽くうなずいただけで、話を続けようとした。だがファッジが、黙ってはいなかった。

 

「だとすれば、ミネルバ。そのお嬢さんには、闇祓いは無理だということにならないかね。『A』ならまだしも『P』ではね。かわいそうだが、変身術も『A』評価であれば6年時には教えてもらえないのだから」

「ですわよね。あたくしの勘違い、ということではなさそうなのだけど」

「失礼ながら言わせてもらいますが、お二人とも、この進路相談の趣旨をご理解しておられないのではないですか」

 

 どういうことか。顔を見合わせるファッジとアンブリッジなどお構いなしに、マクゴナガルが話を続ける。

 

「6年生と7年生で、どう勉強を進めていくかというものです。これから先のこと、なのですよ」

「おーや。つまりこれからめきめきと成績が良くなるとでも」

「そのとおりです。おそらくNEWT試験の頃には、少なくとも『変身術』ではわたし並みか、それ以上となっているはず」

「ほう。それが本当ならば、まことに頼もしい話だ。だがお嬢さんは退学することになりそうだと聞いている。わざわざ来たのはそのためなのだが」

「なんですって、退学?」

「どういうことですか」

 

 ようやく自分の番が来た。そう言わんばかりに、アンブリッジは持っていたクリップボードに挟んでいた封筒を取り出して見せた。

 

「どうせあなた方は、素直に認めずあれこれ言うでしょうから、まずは証拠からご覧に入れますわ」

「証拠? なんの話ですか」

「この生徒がよからぬことを計画しているという、その証拠ですわよ、マクゴナガル先生。ポッターのときはダンブルドアが責任を取った。今度は当然、あなたがお取りになるんですよね」

 

 くっくっくっと、内にこもった笑い声。

 

「こともあろうに、魔法省に潜入を企てているのですわ。魔法省の内部、その詳細を問い合わせようとした手紙です。ダンブルドアの件といい、魔法省に害を為そうとしたことは明白です」

「ああ、わたしもそう聞いたのでね。確かめるために学校まで来たのだよ。どれ、その証拠とやらを確認しようかな」

 

 アンブリッジが封筒を開き、中身を取り出した。それを、ファッジに渡す。

 

「ええと、なになに。いや、しかしこれは」

 

 ファッジがそれを見ている間に、ということだろう。アンブリッジが、ニタニタ笑いをアルテシアにむけた。

 

「たしか、通信は監視していると教えたことがあるわよねぇ。なのに、ふくろう便でこんな手紙を送るなんて」

「アンブリッジ先生。たしかに手紙は送りました。でも、魔法省に害を為すって、どういうことでしょうか。わたしが『変身術』のことで助言を求めたことは、そんなにいけないことですか」

「あ? 何を言ってるの。この手紙には……」

「いいや、アンブリッジ先生。お嬢さんの言うとおりだよ。なるほど、トンクスは自分の外見を自在に変えられる。いわゆる七変化だが、あれは、生まれ持った能力のはずだ」

「何を、大臣、何をおっしゃってるんです。手紙にはちゃんと、魔法省の内部のようすを詳しく教えてくれと」

「いいや、そうはなっておらんよ」

 

 もちろんファッジは返そうとしたのだが、アンブリッジがそれをひったくるようにして受け取る。そして、文面に目を向ける。

 

「ほら、大臣。ちゃんと書いてあるじゃありませんか。ちゃんと見てくださいよ」

「そうかね。見たつもりだが」

 

 改めてそれを手にしたファッジだが、言うことは変わらなかった。

 

「やはり、魔法省のことなど書いてはおらんよ。この手紙では、お嬢さんを罰するなど無理な話だな」

「いえいえ、大臣。ほら、ここですわよ、ここ。魔法省の内部のようすがわかれば行くことができるからと。そしてここには、神秘部とはどのような場所なのかと尋ねています。ちゃんと書いてありますでしょう?」

「いいや。すまんが、そんなことは書いてないんだ。どこのことだね?」

 

 そんなことを言い合う2人。マクゴナガルがアルテシアを見た。そのアルテシアが、軽く微笑みながら小さくうなずいた。マクゴナガルも、笑顔を見せる。だが、それは一瞬のこと。すぐに、その表情を引き締めた。

 

「お静かに。アルテシアになんの問題もないとわかったのですから、面接を続けたいのですが」

「あ、ああ、そうだな。そうしてくれたまえ」

「いいえ、ダメですわよ。証拠はちゃんとあるんですから」

「いやいや、わたしには、その手紙に問題があるとは思えんよ。悪いが、今日はこれで失礼する。いろいろと忙しいのでね」

 

 予定通りにいかなかったから、ということだろう。ファッジが立ち上がる。そんなファッジを、マクゴナガルが引き止めた。

 

「ファッジ大臣。もしかするとアンブリッジ先生は、ときどき、自分に都合のよいようにしか見えなくなるのかもしれませんね。そのうちこのわたしも、何かしらの罪を被せられることになるのかも」

「ん? いや、そんなことはないはずだが。とにかく、役所に戻らせてもらうよ」

「あ、待って、大臣。違うんです、何かの間違いです」

 

 ファッジに続いてアンブリッジも出ていってしまい、マクゴナガルとアルテシアは、顔を見合わせて笑った。

 

「あなたのしわざですね」

「はい。アンブリッジ先生がなにか証拠を手に入れたと聞いたもので、なんだろうって考えて。ファッジ大臣がおられるとは思わなかったんですけど、だったら大臣にだけ別に作っておいた手紙を見てもらったほうがいいだろうと考えました」

 

 どうやらファッジとアンブリッジは、同じ手紙を前にしていたものの、アルテシアの魔法による光の操作で、それぞれ別の姿をみていたということになるようだ。アンブリッジは本物を、ファッジはアルテシアが用意した別の手紙を見ていた。だから、双方の言い分が食い違うのである。

 

「手紙は、たしかに書いたのですね」

「書きました。魔法省ってどんなところか、やっぱり知りたくて」

「いずれ、機会があるでしょう。わたしが連れて行きますから、それまで待っていなさい」

「はい」

「それはともかく、トンクスに変身術のことを? それを聞くならわたしに、でしょう」

「そうなんですけど、宛名がトンクスだったので、それらしい話にしようと」

「まあ、いいでしょう。それで闇祓いになりたいというのは本当なのですか?」

 

 だがアルテシアは、軽く首をかしげた後で、横に振ってみせた。

 

「なるほど。では、今度こそ個人面接を始めましょうか」

「はい、お願いします」

「卒業後もホグワーツに残り、教師を勤める。それがいいのではないかと思うのですが」

 

 アンブリッジがいなくなり、ようやくアルテシアの進路についての話が始まった。

 



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第97話 「OWL試験」

 アンブリッジは、心の底から怒っていた。いったい、魔法大臣上級次官であり、ホグワーツの校長でもある自分に対し、なぜ素直に従おうとしないのか。なにゆえ、誰も彼もがさまざまに反抗してくるのか。

 それに加えて、疲れ果ててもいた。たった今も、赤毛の双子の兄弟が廊下を沼地に変えるなど、さんざんに騒いだあげくに自由への逃亡だとかで箒を呼び寄せ、それに乗って飛んでいってしまったのだ。当然、退学ということになる。

 

「それにしても、腹が立つ。どうしてくれようかしら」

 

 自分の部屋での、ひとり言。思わず大きな声となってしまったのは、やり場のない怒りのゆえだろう。赤毛の双子、つまりフレッドとジョージの2人が作った沼地は、東棟の六階廊下に大きく広がっている。さしあたってアンブリッジは、あの沼地をなんとかしなければならなかった。

 

「まったくもう。このわたくしをバカにして」

 

 ホグワーツの教師たちは、まったくあてにならない。言わなければ、やろうとしない。指示しても、なかなか動かない。当然、沼地の処理などしてくれるはずがないのだ。

 とりあえずアンブリッジは、沼地の四隅にポールを立ててロープを張り、立ち入り禁止とした。これで生徒たちが沼地にはまり込みおぼれたりすることがないかというと、その効果は疑問。だがアンブリッジにとっては、そんなことは問題ではないのかもしれない。ただ、沼地を見るたびにウィーズリー家の赤毛の双子を思い出し腹を立てるだけ。

 腹を立てるといえば。

 

「あの娘が、何かしたのに違いないわ。このわたくしをあざむくだなんて、とんでもない娘ね」

 

 アンブリッジの手には、あの手紙が握られている。アンブリッジにとってその文面は、アルテシアがマクゴナガルのどちらか、あるいは2人とも追い出すに足りる内容であった。なんど見直しても、そうなのだ。なのにファッジは、まったく違う手紙を見ているような反応をみせた。それは、なぜか。

 

「このままにはしておきませんよ。必ず、思い知らせてやりますからね」

 

 アンブリッジには、アルテシアが何かをしたであろうことはわかっても、何をしたのかまではわからない。ただ、あの結果から言えることは、せっかくふくろう便から奪ったあの手紙が役に立たなくなったということ。もう一度ファッジにみせたとて、効果は望めない。

 あの双子は学校を去った。ポッターの件では、ダンブルドアを追い出すことに成功した。だがアルテシアは、いまだに学校にいる。そのことが、アンブリッジには許せなかった。

 

 

  ※

 

 

「これで、いよいよアルテシアとは仲直りできなくなっちゃったよなぁ」

 

 休み時間に外へ出て、陽射しのなかをぶらぶらと歩きながらロンがつぶやいた。となりには、ハリーがいる。

 

「仕方ないだろう。あいつは、それだけのことをしたんだ」

「そうかなぁ。あのときはボクもそう思ったんだけど、アルテシアは違うって言ってたよな」

「けど、アンブリッジがそう言ったんだ。アルテシアが密告したってね。だから秘密の部屋も見つかったし、DAも摘発されたんじゃないか」

「うん、そうだよな。たしかにそうだ。そのとおりなんだけど」

 

 煮え切らないようすのロンに、その少し後ろを歩いていたハーマイオニーが、いらいらした調子で話しかける。

 

「なによ、ロン。はっきり言ったらどうなの」

「はっきりしたことなんて、何もわかりゃしないじゃないか。これといった証拠なんかないんだぜ」

「だから、それがなんだっていうの?」

「気づいてるか? ぼくたち、なんとビックリ。あのアンブリッジを信用しちゃってるんだぜ」

「いや、それは」

「どっちも言葉で言ってるだけで、証拠はない。つまりこれって、どっちの言葉を信用するかって話だろ。だったらボクたちは、アンブリッジじゃなくてアルテシアの言葉を信用するべきだ。なぁハリー、ハーマイオニー、そう思わないか」

 

 ハリーとハーマイオニーからは、すぐに返事が返ってこなかった。そのまま3人は、ゆっくりと陽射しのなかを歩いていく。しばらくして、ロンがハーマイオニーを見た。

 

「わかってるさ。アルテシアとはケンカなんかしてないよな。でもさ、だったらボクたちは」

「もうすぐ、OWLテストなの。この件は、それが終わってから改めて考えることにしましょう。それよりハリー、閉心術のほうはどうなの? おかしな夢は続いてるんでしょ」

「ああ、うん。そうなんだけどさ」

「そういえばボク、キミの寝言を聞いたぜ。『もう少し先まで』とか言ってた」

 

 そこでハリーは、ため息。そして、昨夜またしても夢のなかで神秘部のなかを歩き回ったことを認めた。

 

「ドアを開けたら、たくさんの棚があるんだ。棚にはガラスのボールみたいなのがいっぱい並んでいて、なぜだか97列目の棚にあるって、そう思ったんだ」

「97列目? なんだい、それ」

「知るもんか。でも97列目を目指して進んでいくんだ。もう少し先までってね」

「そのときに寝言を言ったのね」

「たぶんね。でも、ホコリっぽいガラス球ばかりだったのに、その列の棚には、色のついた玉もあったんだよな。ぼくが探してたやつじゃなかったけど」

 

 そこで目を覚まそうともがいている自分を感じ、ベッドに横たわっている自分に気づいたのだという。

 

「目を覚まそうとしたのは、いくらかでも閉心術を学んだからだと思うわ。これからも続けるべきよ、ハリー」

「ああ、そうだね」

「でも、夢には違いないけど見たことは本当だと思う。何があるのか、気になるのは確かね」

 

 ハーマイオニーに言われるまでもなく、ハリーもそう思っていた。もちろん閉心術のほうではなく、あの部屋のたくさんの球に何かが隠されている、ということのほうなのだが。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアとパチル姉妹が、マクゴナガルの執務室に呼ばれていた。マクゴナガルが、目前に迫ったOWL試験についての質問などに答えてくれるというのである。

 

「でも、いいんでしょうか。あたし、レイブンクローなんですけど」

「かまいません。フリットウィック先生も同じようなことをされるでしょうし、わたしも、他のグリフィンドール生の相談にも乗るつもりですからね」

 

 それでパドマが納得すると、マクゴナガルの話が始まった。いまやどの授業でも、試験に出題されそうな予想問題の練習に時間を費やすことが普通になっていた。

 

「アルテシアの機転のおかげで、アンブリッジ先生にわずらわされることがぐっと減りましたからね。一時は学校を休ませることも考えましたが、もう心配はないでしょう」

「でも先生、これでおとなしくなるんでしょうか、あの先生」

「しばらくは大丈夫だとみています。魔法大臣の信用をずいぶんと落としたはずですし、少なくとも試験が終わるまでは静かにしているでしょう」

「アルテシアのお手柄ってことだね、ね、アルテシア」

 

 みんなの視線が集まる中、アルテシアは照れくさそうな笑みを見せていた。

 

「ほんとはね、あれを利用してアンブリッジ先生を追い出せるんじゃないかって思ってた。生徒を陥れて罰しようとしてるってことでね」

「うわ。でもそれって、アルらしくないっていうか、アルらしいっていうか」

「なによ、それ。相変わらず、お姉ちゃんの言うことは意味わからんし」

 

 パチッと音がした。パーバティの手のひらが、パドマのひたいと触れあった音。

 

「余計なこと、言わないの」

「痛いなあ、もう。でも先生、アルテシアに教師になれって言ったのは本当なんですか」

「ええ、言いましたよ。アルテシアには向いていると思うんです。あなたたちに、さまざま教えていることくらい気づいていますよ」

「なるほど。たしかにアルは、先生になるのがいいのかも。きっと、立派な先生になりますよ」

「そ、それで先生、OWL試験のことなんですけど」

 

 そこでアルテシアが話題を変えようとしたが、それが照れ隠しであることは明らか。みんなの笑いを誘っただけに終わる。

 

「試験については、とにかく全力を出し切ること。そのためには、体調管理も重要ですよ。夜中まで詰め込み勉強をするくらいなら、いっそのこと、早く寝てしまうくらいでいいのです」

「でも、どうしても不安になります。1日の半分以上は勉強しているとか、有名な誰かの知り合いで教えてもらっているとか、脳を活性化させる薬があるとか、そんな話ばっかりで」

「そんなものは、一切合切、無視してよろしい。ホグワーツの先生方はなにより優秀ですし、その教えを、あなたがたは十分に身につけています。あとは、実力を出し切ること。それだけなのです。ほかに何か、質問はありますか?」

 

 そして、次の『変身術』の授業のときのこと。授業を中断し、他の3人の寮監のようにマクゴナガルも、OWL試験の時間割とやり方についての詳細を発表した。

 

「黒板に書いたように、OWLの試験は2週間にわたって行われます。午前中は理論に関する筆記試験、午後は実技。『天文学』の実技試験だけは夜、星の出ている時間となります」

 

 誰もが試験の日程を書き写していくなかで、マクゴナガルの説明が続く。

 

「くれぐれも、カンニングなどはしないように。そんなことをしても、アンブリッジ校長を喜ばせるだけですよ。もっとも、カンニング防止呪文がかけられていますし、『自動解答羽根ペン』や『自動修正インク』などは持ち込み禁止になっています」

 

「先生、質問があります」

 

 ハーマイオニーが手を挙げた。

 

「試験の結果はいつわかるのでしょうか?」

「結果については、7月中にふくろう便にて送られることになっています」

 

 ざわめきが、生徒たちのなかにひろがっていく。なにより、ハーマイオニーに驚いたのだろう。試験の前から、その結果のことなど考えられないといったところだ。

 

 

  ※

 

 

 その日の夕食のとき。ホグワーツに、数人の魔法使いたちがやってきた。試験官たちである。そのことに気づいた生徒たちの一部が、玄関ホールへと続く大広間の扉から、そのようすを見ていた。

 出迎えたのは、アンブリッジ。いよいよ明日から、試験が始まることになる。特に5年生と7年生たちのあいだに、緊張感が広まっていく。

 そして、翌日。9時30分より、試験会場に模様替えされた大広間で、ついに試験が始まった。

 全員が着席し、静かになったところで『始めてよろしい』の声がかかる。同時に、巨大な砂時計が引っくり返された。この砂時計が、試験時間の残りを示すのだ。それから2時間。大広間では、ずっと、カリカリという羽根ペンの音がし続けていた。

 午後からは、実技試験となる。名簿順に名前が呼ばれ、試験官と個別に実技試験を進めていくことになる。初日の実技は『呪文学』だった。それが終わると、アルテシアたちは、いつもの空き教室に顔を見せた。

 

「実技で浮遊呪文をやらされたでしょう? あたし、あれだけは誰にも負けない自信があるんだ」

「練習したもんね」

 

 パーバティにとっては、思い入れの深い呪文なのだろう。1年生のときのハロウィーンのときのこと。トロールに打ち倒されたアルテシアを助けるための浮遊呪文。そのときはロンに手柄を取られてしまったが、それが悔しくて懸命に練習した覚えがあるのだ。

 

「でも本当はあのとき、トロールはアルがやっつけてたんだよね」

「うーん。わたしじゃなくて母がってことになるかな。あのときあのローブを着てなかったら、死んでたかもしれない」

「なんか、想像したくないな、そんな場面。でも保護魔法って、すごいんだね」

「ウチの母のは、特にそうだと思う。でも1つだけ、わたしにもわからない魔法がかけてあるんだよね」

「え! そうなの?」

 

 自分だけでなく、大切な友人たちも守るため。アルテシアは、そんな人たちのローブにも、クリミアーナ家のローブのように保護魔法をかけてある。実験的な意味合いもあったが、そのうち1つだけ、自分ではどうにも再現できないものがあるのだ。

 

「でも、役立ってるのは間違いないよね。なんかこう、すごく安心感あるもん」

「ほんとほんと。感謝してるよ、クリミアーナ家の魔法にはね」

「あはは。OWL試験には関係ないんだろうけどね」

 

 それが残念だと、3人で笑い合っているところで、空き教室のドアが開き、ソフィアが顔を見せた。

 

「皆さん、OWL試験、どんな感じですか」

 

 3人が一斉に、ソフィアをみる。そして。

 

「絶好調に決まってるじゃん」

 

 それはまるで、3つ子の姉妹かと思わせるような息の合った返事だった。

 

 

  ※

 

 

 ハリーが試験官の求めで守護霊を創り出すというハプニングなどもあったが、それぞれの成績はともかく試験は日程通り、順調に消化されていった。

 そして、『天文学』の実技試験をむかえる。時間は夜の11時。天体観測にはふさわしく、雲のない静かな夜だった。課題は実際に夜空を観察し星座図を完成させるというもので、誰もが一心にその作業に取り組んでいるとき、突如として吠えるような大声が聞こえてきた。夜中であったがためか、それとも、よほどに大きな声だったからか。それは、天文塔のてっぺんにまで聞こえてきた。

 

「みなさん、気持ちをそらさないように。試験中じゃよ」

 

 すかさず、試験官が注意を促す。だが、あの声がおさまる様子はない。

 

「どうやら、あのあたりから聞こえてくるようだが。なにがあったのか、至急に調べさせよう。いいかね、みなさん。試験時間はあと15分。さあ、集中して」

 

 それは、ハグリッドの小屋があるあたり。ハリーをはじめとした数人がそちらに目を向けたとき、バーンとひときわ大きな音がした。誰かが魔法を使ったらしい。ハグリッドの小屋の戸が開け放たれ、中から光があふれ出る。人の姿もある。機転の利くものは、そこに望遠鏡をむけた。

 

「ハグリッドだ。あとアンブリッジと、誰かが」

「ハグリッドのやつ、5人に囲まれてる。なにがあったんだろう」

 

 その囲んでいる5人が、一斉に細い赤い光線を発射した。どうやら、ハグリッドを失神させようとしているらしい。

 

「うむ。試験中だというのに、あの校長は、何を考えているのか。とにかく、諸君。いまは試験中ですぞ」

 

 だが、塔のてっぺんは大騒ぎとなっていた。もはや、試験どころではない。塔の下から、次々と言い争う声が聞こえてくるのだ。

 

『おとなしくするんだ、ハグリッド!』

『いいや、オレはこんなことで捕まらんぞ!』

 

 相変わらず、失神光線も飛び交っている。そこへ、近づいてくる人影。

 

「アル、あれ見て! マクゴナガル先生だよ」

 

 手摺りから身を乗り出すようにしていたパーバティが、塔の真下を指差し声をあげた。果たしてアルテシアは、その場所を見たのかどうか。そのときアルテシアは、書き上げた星座図を手に試験官の前に立っていた。

 

「課題ができましたので、受け取ってください」

「いや、しかし。時間はまだまだ残っていますぞ。提出するより、答案をもう一度見直すべきではないかね」

「いいえ、わたしの試験時間は終わったのです。受け取ってください」

「そういうわけにはいかんよ。ほれ、みなさい。時間はあと… ん?」

 

 これまで何度も見ていた時計を、試験官は改めて見た。もちろんアルテシアも、そちらに目を向けた。

 

「おお、すまん。たしかに終わっておりますな」

「では、これを」

「うむ。たしかに受け取った。これでキミのOWLは…… おお!」

 

 そのとき、すでにそこにアルテシアの姿はなかった。ほぼ同時に、ハーマイオニーやラベンダーといった女子生徒たちから悲鳴が上がる。こちらのほうは、アルテシアの姿が消えたからではない。彼女たちのそれは、ハグリッドを囲んでいた人影のなかから、失神呪文による光線が都合4本、マクゴナガルに向けて発せられたからだ。

 アルテシアが騒動の現場に姿を見せたのは、その瞬間ということになる。赤い光線が、ちょうどマクゴナガルを突き刺した、その瞬間だ。その場に姿を見せたアルテシアは、目前でそれを見たことになる。

 マクゴナガルの体が不気味に赤く輝き、体がはね上がると、そのまま仰向けにドサッと地面に落ちた。

 

「不意打ちじゃないか! おまえら、なんてことをするんだ」

 

 ハグリッドの大声。もちろん天文塔のてっぺんにも、すぐそこで叫んでいるかのように大きく響く。もはやこの騒動は、学校中に知れ渡ることになっていた。校舎から、教授陣が次々と姿をみせる。まだ学校に残っていた試験官を務めた魔法使いたちもだ。

 ハグリッドが近くにいた2つの人影を殴り飛ばしたのが見えた。その2人は倒れ、気絶したらしい。いったい、どういうことになるのか。誰もがそのことを心配しただろうが、そこから騒動が収まるまでは、あっという間であった。だが後始末となると、それは簡単ではない。

 

 

  ※

 

 

「やれやれ。こう何度もホグワーツを訪れることになろうとはね。この問題は、小さくはないよ。このわたしが、すべて判断せねばなるまいて。よろしいな」

 

 ファッジである。深夜の騒動の報告を受けたファッジは、朝早く、ホグワーツを訪れた。校長室が閉鎖状態にあるため、場所はアンブリッジの部屋である。

 いったいファッジは、今回のことにどう決着をつけようというのか。そこには騒動の関係者が集められていたが、全員ではない。ハグリッドはあの場から逃走しており、マクゴナガルは医務室で治療中なのだ。

 

「まずは、くわしい事情を聞こう。アンブリッジ先生、あなたはハグリッドをアズカバン送りにしようとした。そのため捕らえようとしたということで間違いないな」

「ええ、そうですわ。わたくしには、その権限がありますでしょう」

「確かにそうだが、それは、理由に納得ができるものであった場合の話だよ」

「心外なお言葉ですこと、大臣。わたくしの判断に誤りがあると、そうおっしゃるのですか」

「でもないが。まあ、前例もある。じっくりと判断させてもらいたい。だがハグリッドは、どこかへ逃げ去り、行方知れずなのだな」

 

 ファッジの言う前例とは、アルテシアの個人面接のことだ。あのときのことが、ファッジの頭の中に残っていた。あのときマクゴナガルの言った言葉が、頭のどこかに残っていた。

 

「本人がいないのでは、仕方がない。ハグリッドの件はひとまず保留とし、お嬢さんの件に移ろう」

 

 その場には、アルテシアもいた。生徒では唯一、その場に呼ばれていた。いや、あのときからずっと身柄を拘束されていたようなもの。なにしろアルテシアは、あのときハグリッドを捕らえようとしていた人影をあっという間に武装解除させ、どこからか出現させた縄でぐるぐる巻きにして動けないようにしたのだ。ハグリッドはそのすきに逃げ出しており、騒動後、アンブリッジはアルテシアが逃がしたと主張することになる。

 なおもアルテシアは、アンブリッジに対しても同様にして杖を取り上げ、さらに何か魔法を発しようとした。だがそれは、かろうじて駆けつけたスネイプによって止められた。

 もしスネイプが間に合っていなかったら、どういう事態になっていたのか。アルテシアはなにをしようとしたのか。あるいはスネイプであれば、それをアルテシアの表情などから読み取ったのかもしれないが、今となっては、誰にもわからないことだ。

 

「もちろん、厳罰に処すべきですわ。魔法大臣上級次官であり、校長でもあるわたくしに、このわたくしに」

「まあ、待ちなさい。お嬢さんの話も聞こうじゃないか」

 

 一応、アルテシアは誰も傷つけてはいない。武装解除をし、縄で縛っただけである。もちろんアンブリッジに対しても。

 

「この人は、マクゴナガル先生を攻撃しました。わたしの目の前で、マクゴナガル先生を。こんな人に杖など持たせておくのは危険だと思ったんです」

「ふむ。ミネルバは医務室だと聞いておるが、容体はどうなのだ。彼女は、話ができる状態なのかね?」

 

 これは、アルテシアに聞いたのではない。アルテシアは、昨夜から身柄拘束の状況にある。医務室に行くことはできていない。

 

「マダム・ポンフリーによれば、半月ほどは絶対安静。誰であろうと面会は許可しないと。当然、事情を聞くなど不可能ということですな」

 

 答えたのはスネイプだった。スネイプだけでなく、フリットウィックとスプラウトの姿もある。学校側からは寮監が呼ばれているのだ。

 

「そうかね。だがこの場合、片方からの意見だけで処罰してよいものかどうか」

 

 ファッジは、またもやマクゴナガルのあの言葉を思い出していた。

 

『アンブリッジ先生は、自分に都合のよいようにしか見えなくなるのかもしれませんね』

 

 罪をでっち上げ、気に入らない者たちを追放しようとしているだけではないのか。どうしてもそんな考えが、頭をよぎるのだ。ファッジは、軽く頭を振った。今回のことは、見方を変えれば、騒動を収めたお手柄と言えなくもないのだ。

 

「もちろん罰してくださるのでしょうね、大臣。こともあろうに、校長に手を出したのですよ。魔法省の人間に対してもそうです。あのときスネイプ先生が来てくださらなかったら、どんなことになっていたのか」

「おお、そうだな。セブルス、キミの意見も聞いておかねば」

「わたしは、途中からしか知りませんからな。本来、意見を言える立場ではありませんが、誰しも、あのような状況に遭遇すれば我を忘れるということはあり得る。この娘もそうだったのだと思いますな」

 

 今度はファッジは、フリットウィックとスプラウトのほうに目を向ける。なにか、この場を収拾するうまい意見を求めるかのように。

 

「先生方は、いかがですかな」

「わたしは、その場にいませんでしたから。ですがこの生徒は、意味も無く乱暴を働くようなことはしませんぞ。それだけは、断言できます」

「わたしも、同じ意見ですね。なにしろ、素直な性格です。マクゴナガル先生を慕ってもいますし、無理のないことだったのでは」

「ああ、大臣。仮にそうだとしても、わたくしに乱暴なことをした事実は変わりませんよ。厳罰をもって対処しなければ、秩序というものが保てませんわ」

 

 苦い顔のまま、ファッジは腕を組んだ。そして目を閉じ、しばし黙考。さすがにアンブリッジも、黙ってそれを見守る。そして。

 

「そういえば、OWLの試験はどうなっておるのかな」

「あとは『魔法史』の筆記試験が残っておるだけですな」

「ふむ。ではお嬢さん、その試験を受ける気はあるかね?」

 

 もちろん、アルテシアにはその気がある。なにしろ魔法史は、アルテシアの好きな科目だ。だがこうなった以上は無理だとあきらめてもいたのである。だが、アンブリッジは明確に反対した。

 

「とんでもありませんわ。こんなことをした生徒に、試験をうけさせるだなんて」

「まあまあ。ともあれこの件は、すぐには結論を出せない。じっくりと時間をかけて判断させてもらうことにした」

「しかし、そんなことでは納得できません」

「とにかく、お嬢さんの処分は保留。ひとまず停学とし、このまま家に帰すこととする。いいかね、お嬢さん」

 

 つまりこういうことだと、ファッジはアルテシアに内容を話して聞かせる。その間もアンブリッジはあくまで退学処分を主張していくが、誰もがそれを聞き流したのは言うまでもない。

 ファッジの裁定により、アルテシアはひとまず停学処分となり、このまま家に帰らねばならなくなった。そして正式な処分の決定を待つのである。退学ということになれば6年次の案内など送られてはこないが、もし知らせが来たならば退学は免れた。そういうことになったのである。

 

「その、最後の試験問題をここに用意しなさい。いまから我々の前で試験を受けるならば、それを認めようじゃないか」

「いいえ、大臣。そんなことわたしは」

「アンブリッジ先生。もう、よろしい。あなたは部屋をでていなさい」

 

 そのことに誰からも反対意見が出ないなかで、アルテシアは魔法史の試験を受けた。そして、そのままクリミアーナへ帰されることになる。

 

 

  ※

 

 

「おまえの家を知っていれば、姿現しでもやって送っていくところだが」

「家に帰るだけですから、大丈夫ですよ。自分の家、自分の部屋ですから、イメージはできています」

 

 アルテシアはスネイプに付き添われ、ホグズミードの駅へと向かっていた。特例によって『魔法史』の試験を受け、そのまま学校を出されたのである。

 

「おまえの友人たちに、何か言っておくことはあるか」

「あー、そうですね。あとで手紙でも書くからって、そう言っておいてください」

「わかった。そのように伝えておこう」

「スネイプ先生も、お元気で」

 

 まだ、駅には着いていない。その途中にある川にかかった橋の上だ。そこで立ち止まり、アルテシアがスネイプの顔を見上げる。

 

「ここから帰るつもりか。吾輩には、おまえを送り届けるという役目があるのだが」

「わかっています、先生。でもほら。あれがわたしの家、クリミアーナ家ですから」

 

 そこでスネイプは、自身が見知らぬ街にいることに気づいた。アルテシアの示す方向をみれば、なるほど家がある。敷地を囲む白い壁と、広い門。そこから、手入れのされた庭とがっしりとした武骨な感じを受ける造りの家屋とが見えた。

 

「おまえ、いつのまに。いや、べつにかまわんが。そうか、これがクリミアーナの家か」

「はい。どうぞ、こちらへ。紅茶でもいかがですか」

 

 その誘いに、しかしスネイプは首を横に振った。

 

「魅力的な話だが、今回は遠慮しておこう」

「そう、ですか」

「それも、次があると思うからだ。おまえだって、あのときの話をしたいはずだろう。ならば、必ず来い。9月1日には、必ずホグワーツ特急に乗れ。わかったな」

 

 だが、それを決めるのはアルテシアではない。魔法省、つまりはファッジがどう判断するか、ということになる。スネイプがゆっくりとうなずき、アルテシアが頭を下げる。そしてくるりと背を向け、クリミアーナ家へと歩いていく。

 その後ろ姿を見送るスネイプ。そのスネイプには、アルテシアがクリミアーナ家へと近づくほどに、少しずつその姿がぼやけていくように見えただろう。

 そしてアルテシアが門をくぐったとき。スネイプは、川にかけられた橋の上に立っていた。クリミアーナの白い家は、どこにも見えなかった。

 




 うわあ、とうとう、こんなことになってしまいました。アルテシアが爆発しかけたといったところで、スネイプによって止められたってことになります。
 そのスネイプは、必ずホグワーツ特急に乗れと言いますが、さて、どういうことになるのでしょうか。次回をお楽しみに。
 とは言うものの、これから先12月末ごろまでは仕事先が一番の繁忙期になりますもので、更新まで間が開きそうです。最近は更新が遅れてましたので、そんなに変わらないのかもしれませんけど。
 ともあれ、この先もよろしくです。


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第98話 「神秘部へ」

「まぁー、なんてこと。それでホグワーツとやらをクビになっちまったですか」

「クビじゃなくて、自宅謹慎ってことだけどね。でももう、戻れないんだろうな」

 

 テーブルの上に置かれたカップに満たされているのは、紅茶ではない。長くクリミアーナ家に伝わってきたもので、もちろんアルテシアも作れるが、パルマのほうがよりおいしく作ることができる。

 その飲み物を、コクコクと飲み干した。ホグワーツでのいきさつを話し終えるまでに、のどが渇いてしまったのだろう。

 

「お代わり、お持ちしますからね」

「ありがとう、パルマさん」

 

 パルマがカップを手にして、台所へ。そして、すぐに戻ってくる。

 

「あの先生さまは、どうしてなさるんです? こんなときは、家まで送ってくれてもよさそうなもんなのに」

「ああ、でも別の先生が家の前まで来てくれたわ。紅茶をお誘いしたけど、そのまま戻って行かれたの」

「おやま、そうですか。このパルマが見つけていたら、紅茶を飲まぬうちは、決して帰したりはしませんでしたのに」

「あはは、そうだね。パルマさんにお願いすればよかった」

 

 お代わりの分は、まだ十分に熱かったので、少しずつゆっくりと飲んでいく。飲みながら、スネイプが帰り際に言った言葉を思い出す。スネイプの言った、あのときの話、のことを。

 

「お友だちは、なんて言ってるんですか。あのお姉さんだか妹さんだかわからない人は、またこの家に来てくれるんでしょうかねぇ」

「そうだね」

 

 友人たちとは、話をする機会すらなかった。あの騒動のあとから、誰にも会わせてもらえていない。もちろん、会おうと思えば会えた。でもその行為は、話をややこしくするだけだ。

 マクゴナガルの容態のほうも気になる。その場に飛び出してはみたが、アンブリッジなどよりも、まずマクゴナガルのほうが先ではなかったか。アンブリッジなどを縛り上げ、あのとき、何をしようとしたのか。

 パルマにはあいまいな返事を返しただけで、アルテシアは、だんだんと自分だけの世界に入り込んでいった。こうなるとただ見守っているしかないことを知っているのは、パーバティだけではない。パルマもまた、そのことを承知していた。

 

 

  ※

 

 

 放課後のホグワーツでは、パチル姉妹とソフィアとが、例の空き教室で話をしていた。このときまでに、それぞれが知り得た情報の交換や、これからのことの相談などのためである。深夜に起こった出来事を知ってはいても、アルテシアがどうなったのか、その後のことまではわからない。マクゴナガルも医務室で治療中とあって、いまは情報をくれる人がいない状況なのだ。

 

「いやなウワサが流れてるけど、きっとウソだと思う。そんなこと、あっていいはずない」

「退学になったってやつでしょ。あたしも聞いた」

 

 そのウワサとは、魔法省が即座に退学を決定し、そのまま実家に送り返されたというもの。実はこれは、退学の既成事実化を狙ったアンブリッジが密かに流したもの。事実はそうではないのだが、現実としてアルテシアが学校にいないのだから、信じた生徒は多いだろう。

 

「退学はいきすぎだと思いますけど、もうそうならそれなりのことを考えていかないと」

「とにかく、事実を確かめるのが先でしょ。ソフィア、10分あったら大丈夫だよね?」

「は? なにがですか」

「これから行って聞いてきてよ。あたしらも行きたいとこだけど、ガマンするからさ」

 

 つまりパーバティは、ソフィアにクリミアーナ家まで行ってこいと、そう言っているのである。なるほど、ただ往復すれだけならば10分もあれば十分だろう。だがソフィアは、首を横に振った。

 

「ムリですよ。あたしなんか、クリミアーナには行けないんですから」

「なんでよ。あ、まさか、場所を知らないとか」

「そういえば、前にアルテシアに誘われたときも断ってたよね。なんで?」

「それは…」

 

 だがソフィアからの答えは、中断された。ソフィアたち3人が向かい合って座るそのほぼ中心あたり、3人それぞれ、目の前とも言ってよい場所に、なにやら羊皮紙らしきものが浮かび出てきたからだ。

 

「うわ! なに、これ?」

 

 ちょうど目線の高さに浮かんだそれを、3人がのぞき込む。そこに誰か姿の見えない人物がいて羽根ペンを走らせてでもいるかのように、1文字1文字、文字が印されていく。

 

「これ、アルテシアさまですね。アルテシアさまの手紙だと思います」

「ふくろう便だとアンブリッジ先生に横取りされちゃうから、こんなふうにしたってことだろうね」

「ということは、アルは、あの探査の魔法でこの部屋を見てるってことだよね。うわ、どうしよう、あたし」

 

 急にそわそわと、髪の毛を触ったりし始めたのは、どういうわけか。すぐにソフィアが、それをたしなめる。

 

「なにやってんですか。そんなことより、手紙をちゃんと読んでください。これ、見えてるだけですからね。すぐに消えちゃいますよ」

「えっ! まさか」

 

 あわてて、手を伸ばすパーバティ。なるほど、そこにあるはずなのに触れない。すり抜けてしまうのだ。それにいまは、そこに連なる文字もずいぶんと増えている。

 

「大丈夫、あたしがちゃんと読んでるから」

 

 パドマだ。だがパドマ任せにはしておけないとばかり、パーバティもその手紙を読んでいく。そして。

 

「じゃあアルは、退学じゃないんだ。一緒に6年生になれるんだよね」

「退学のウワサは嘘だってことか。たぶん、アンブリッジ先生のしわざだね」

「でも、退学のほうが事実だってみんな思ってますよ。これをひっくり返すのは大変かも」

「そんなの、アルが学校に来ればそれまででしょ。事実は事実、嘘は嘘なんだから」

 

 だがソフィアは、難しい顔をしてうつむいた。

 

「なによ、なんだっていうの」

「気になるのは、アルテシアさまの気持ちです。それにマクゴナガル先生のこともありますから、アンブリッジ先生をこのままにしておくのかどうか」

「なんか、危ないことしそうだってこと?」

「だってあの先生、まだこんなことしてるじゃないですか。あたしだったら、とっくに怒りを爆発させてますね」

「その怒り、爆発してたんだと思うよ、あのとき。スネイプ先生が止めなかったら、どうなってたかな」

 

 天文塔の上からだったが、その場面をパドマは見ている。あのときアルテシアは、アンブリッジをどうしようとしていのか。それをスネイプに止められ、今、何を思っているのか。

 

「あたしの言いたいのも、そのことです。もう一度爆発するのか、それとも」

「それとも、なに?」

「このまま、去ってしまうのかも知れません」

「そんなことになったら困るんだけど」

 

 困るという声は、教室の上の方から聞こえた。なにもない天井近くの空間に、少しずつ人影が見え始めた。

 

 

  ※

 

 

「マクゴナガル先生が、いない、ですって」

「ええ、そうです。聖マンゴ病院へと移されました。魔法省の指示です」

 

 パチル姉妹とソフィアが空き教室で話をしていた頃、ハリーは、医務室を訪れていた。マクゴナガルに会うためであったが、それは不可能、ということになる。

 

「ファッジ大臣が手配されたようですね。詳しい検査と治療ということになるでしょう」

「で、でも、いますぐに。緊急なんです!」

 

 なおも食い下がってみるが、マダム・ポンフリーにも、どうしようもないことであった。

 

「あなたも見たはずですよ。あのお歳で4本もの『失神光線』を胸に受けたのです。不意打ちです。無事で済むはずがない」

「で、でも」

「死んでいてもおかしくなかったのですよ、ポッター。もしもローブに保護魔法がかかっていなかったなら、ミネルバ・マクゴナガルという魔女は、もうこの世にはいないのです」

「えっ! ええと、そうですね」

 

 マダム・ポンフリーの言葉を、どれだけ理解したのか。ただハリーは、あいまいに返事をしただけだった。

 

「ですが、命は助かった。あの保護魔法のおかげで命を救われたのは、わたしの知っている限り、これで2人目です」

「あ、あの。では、失礼します」

 

 ハリーは、そのまま医務室を出た。ただ、マクゴナガルがいないという事実だけを頭に残して。

 

 

  ※

 

 

 天井から姿を見せたのは、ゴースト。その半透明な姿は、灰色のレディであった。

 

「どうやら連絡手段はあるみたいだし、ホグワーツを辞めるにしても、一度、わたしのところへ来るようにと、そう伝えておきなさい。頼みましたよ」

「あ、待ってください」

 

 薄くなり始めた灰色のレディの姿が、元通りの半透明に戻る。呼び止めたのは、パーバティだ。

 

「なんです?」

「お礼を。あのときあなたに教えてもらえなかったら、アルテシアは間違いなく退学にさせられていたから」

「そう。お役に立てたのなら嬉しいわ。少しはわたしも、気持ちが楽になるし」

「どういうことでしょう?」

「さあね。わたしがまだゴーストじゃなかった頃のことだから、あなたたちには関係ないわ。今の話は忘れなさい」

 

 今度こそ、灰色のレディは姿を消した。残された3人が、顔を見合わせる。

 

「あのゴーストは、クリミアーナのご先祖とアルテシアさまとをごっちゃに見てるんだと思いますね。昔、なにかあったんでしょうけど」

「今となっちゃ、あたしらにはわかんないし、たしかに関係ないかもね」

「でも、いいこと聞いたよ。アルと連絡しあえる。手紙を書いてここで広げてたら、アルが読んでくれるんだよ」

 

 たしかに、そうだ。まず手紙を交換する時間の約束などを取り決めておけば、相互の連絡も円滑になる。3人は、さっそくその文面を考え始めた。

 

 

  ※

 

 

 学校内を走り回り、ハリーはロンとハーマイオニーを見つけ出した。その2人も、ハリーを探していたらしい。

 

「どこに行ってたんだよ?」

 

 ロンの問い詰めるような声。

 

「とにかく、来てくれ。話したいことがあるんだ」

 

 そう言うとハリーは、2人を連れて廊下を歩き、一番近くにある教室に飛び込んだ。すぐにドアを閉める。

 

「ぼく、見たんだよ。シリウスがヴォルデモートに捕まった」

「えーっ?」

「どういうことなの?」

「見たんだよ。ついさっき。試験中に居眠りしたときに」

 

 OWL試験の最後の科目。魔法史の筆記試験の際に、これまで何度も見たことのある、魔法省の中を歩き回る夢をみたのだという。今回は、神秘部にシリウスが連れ込まれ、ヴォルデモートによって拷間を受けているのだという。

 

「でも、でもなぜ? 疑問がいっぱいあるわ。それが本当だとするにはね」

「なんだって。ウソだって言うのか」

 

 ハリーに詰め寄られ、ハーマイオニーは必死になって顔を横に振る。

 

「わからない。わからないけど、でも、おかしいでしょう?」

「だから、なにが」

 

 ハリーのイライラが、ますますつのっていく。

 

「ヴォルデモートとシリウスは、どうやって、誰にも気づかれずに神秘部に入れたのかしら?」

「知るもんか、そんなこと」

「ほかの階では、職員の人たちが仕事をしてるのよ。そこにヴォルデモートが現われたら大騒ぎになると思わない? それになぜシリウスなの。理由がないわ」

「理由だって?」

「ええ。グリモールド・プレイスにいるはずのシリウスが、ヴォルデモートに捕まったっていうのも変でしょ。あなたは幻を見せられているのよ」

 

 だがハリーは、ハーマイオニーに一歩詰め寄り、真正面から大声で怒鳴った。

 

「幻だろうとなんだろうと、シリウスを助けるんだ。助けにいかなきゃ、シリウスは死んでしまうんだ」

「でも、でもハリー。あなたの夢が、単なる夢だっていう可能性は高いのよ」

「ああ、そうかい。だけど、単なる夢じゃないっていう可能性だってあるはずだ。見過ごすなんてことができると思うか」

 

 あまりに大きな声は、その教室内だけに留まることができず、外にも漏れていた。それを聞きつけた者がいたらしく、教室のドアが開いた。開けたのは、ロンの妹のジニー。一緒にいたらしい、ルーナ・ラブグッドも教室に入ってくる。

 

「いったい、なんの騒ぎなの」

「あいにくだな、キミたちには関係ない」

「あら、ごあいさつね。何か手伝えるならって思ったんだけど」

「待って」

 

 止めたのは、ハーマイオニーだ。みんなの視線が集まる。

 

「わかったわ、ハリー。確かめましょう。この2人に手伝ってもらえるわ」

「なんだって」

「いま、シリウスが家に居るのかどうか。それをはっきりさせましょう。家に居るなら、夢はニセモノ。いないなら、あなたを引き止めない。私も助けに行く。それでどう?」

 

 だがハリーは、容易には納得しない。

 

「どうやって確かめるっていうんだ。シリウスが拷間されてるのは、いまなんだぞ」

「アンブリッジの部屋の暖炉を使えばいいわ。それで、あの家にシリウスがいるのかどうかを確かめられる。ジニーとルーナには、見つからないように見張りを引き受けてもらうのよ」

「ええ、いいわよ」

 

 状況をすべて理解しているはずはないのだが、ジニーから即座に返事が返ってきた。続いて、ルーナがジニーの前へと出てくる。

 

「要するに、あんたたち。そのシリウスって人がどこにいるのかがわかればいいんでしょ。あたしが頼んであげようか」

「えっ! どういうこと?」

「スリザリンのソフィア・ルミアーナにお願いすればいいんだよ。あの子は、どこにだって飛んでいけるんだから」

「ああ、そういうこと。あのね、ルーナ。ホグワーツでは『姿くらまし』はできないの。だからムリよ」

「そんなんじゃないんだもん。よく知りもしないくせに、人の言うことを頭から否定するもんじゃないわよ」

 

 ルーナはあっけらかんとそう言ったが、ハーマイオニーのほうは、おだやかではいられない。だが賢明にも、反論するよりは事態を進めることを選択する。

 

「と、とにかく誰か一人がアンブリッジを探して、部屋から遠ざけるのよ。ビープズが何かとんでもないことをしてるとかなんとか」

「よし、それはボクがやる。『変身術』の部屋を壊そうとしているって言うよ」

 

 ロンが引き受けたが、またもルーナが口を挟む。

 

「それ、ムリだと思うよ。だってさ、アンブリッジはいま、学校にいないんだもん」

「なんだって」

「あたし、アンブリッジにお願いしに行ったんだもん。アルテシアを退学にしないでって。そしたら、うるさいって怒られた。これから魔法省に行くから邪魔だって追い出された。だから今ごろ、魔法省に行ってるはずなんだよね」

「ほんとか、それ」

 

 だったらあとは、部屋に忍び込むだけでいいということになる。だがもちろん、誰かに見つかるというリスクは残っている。

 

「だったら、余計なことをしなくて済むわ。ハリー、あなたのマントで姿を隠して、部屋に忍び込むだけでいい」

「ああ。すぐにやれるよ」

「でも、見張りは必要だよな。スリザリン生の誰かが、あとでアンブリッジに告げ口するに決まってる」

「さよう、見張りは必要だ。こそこそと、よからぬ相談でもしているときには、特にな」

 

 その突然の声は、スネイプ。みれば、教室のドアが開けられ、そこにスネイプが立っていた。話を聞かれていたとなれば、この計画はつぶされたようなもの。

 

「せ、先生。あたしたちは何も」

「吾輩は、双子の娘たちを探しているところだ。どこにいるか、知っているか」

「知りません、ぼくたち」

「そうか。では、別を探してみるとしよう。ところでおまえたち」

 

 そのまま去って行くのかと思いきや、スネイプは、改めて教室内をみまわした。そこに誰がいるのかを確かめるように。

 

「思い出したから言っておくが、アンブリッジ校長の部屋には侵入者対策のために『隠密探知呪文』がかけられているぞ。なにもするなよ」

「待って、スネイプ先生。アルテシアはどうなったの?」

 

 今度こそ教室を出ようとしたスネイプを呼び止めたのは、ルーナだ。足を止めたスネイプが、ルーナを見る。

 

「おまえは、レイブンクローの生徒だな。あの娘と顔見知りだったとは知らなかった」

「うん。アルテシアとは話したことないけどね。でも、友だちだもん。ソフィアがそれでいいって言ったんだもん」

「ほほう。吾輩にはその理屈はよくわからんのだが、友だちだと言うなら教えてやろう。あの娘は、自宅に帰した。謹慎処分ということだ」

「退学になったというウワサがありますけど、それはウソなんですか」

 

 ハーマイオニーにそう言われ、外へと向かっていたスネイプが、体ごと教室内へと向き直る。

 

「グレンジャー、なぜ、そんなことを聞くのだ」

「な、なぜって」

「まあ、いい。ウワサのことなど知らんが、まだ退学と決まったわけではない」

「どういうことですか」

 

 今度は、スタスタと3歩ほど近づいてくる。

 

「処分保留という言葉を知っているかね」

「知っています」

「つまり、そういうことだ。あの娘が6年生へと進級できるかどうか、その判断は先送りとなっているのだ。9月までに魔法大臣が判断することになる」

「じゃあ、戻ってくるんですね」

「話を聞いていたか、グレンジャー。その判断をするのは、吾輩ではない。わかったなら、解散しろ。寮へと戻れ」

 

 今度こそ、スネイプは教室を出て行った。残った者たちの視線は、どうしてもハリーに集まる。

 

「どうするの?」

「どうするって、行くに決まってるだろ。なにか、移動の手段が必要だ。いますぐ魔法省まで行くために」

「それなら、全員で飛んでいくのが一番だね」

 

 ルーナの何気ない調子の一言が、みなの視線を集める。だがハリーが、すぐに否定した。

 

「飛ぶってのは、いいアイデアだ。でも、全員分の箒はないし、キミが来る必要はないんだ」

「おまえもだぞ、ジニー。ただし、おまえの箒は貸せよ。ハリーがそれに乗る」

「待ってよ、ロン。どうやらシリウスを助けるってことみたいだけど、どういうことなの? どこまで行くって?」

「魔法省の神秘部だよ。シリウスがヴォルデモートに捕まって、いま、そこにいるんだ。シリウスを助けたいんだ」

「捕まってる? 例のあの人に?」

「そうだよ。神秘部まで、大急ぎで行かなきゃいけないんだ」

 

 これでようやく、ジニーたちも状況を理解したことになる。

 

「場所はぼくが知ってる。前に一度、行ったことがあるんだ」

「でも、どうやっていくの? 箒に乗って?」

「箒よりもいい方法があるよ。セストラルだよ。ハグリッドが言ってたもん。空を飛べるし、乗り手の探している場所を見つけるのがとってもうまいって」

 

 なぜだろう。シリウスがグリモールド・プレイスにいるのかどうかを確かめるはずだったのに、いつのまにか話の内容は、魔法省へどうやって行くかということになっていたし、誰もそのことを不思議には思わなかった。

 

 

  ※

 

 

 セストラルが、あんなに早く空を飛ぶとは思わなかった。それがハリーの、正直な感想だろう。それでも、魔法省に着くまでには、それなりの時間がかかっている。シリウスが神秘部の床に倒れているのを目撃してから、いったいどれぐらいの時が経ったのか。

 だがシリウスは、まだ死んではいないとハリーは信じていた。ヴォルデモートに捕らえられたという状況で、そもそもどれだけ抵抗できるのかという疑問はある。それにヴォルデモートには、部下がいるのだ。当然、そいつらも神秘部にいるはずなのだ。

 ふとそんなことが、ハリーの頭をよぎった。だが、そんなことは今さらだ。ハリーは、一緒に来た仲間たちを振り返り、大きくうなずいてみせた。

 

「みんな、いいかい。行くよ」

 

 壊れそうな電話ボックスが、以前に来たときと同じ場所にある。そこから魔法省へと入り、人の姿がないのをいいことに、守衛室でのセキュリティ・チェックをすっ飛ばしてエレベーターで一気に9階へと降りる。そこからの道筋も、ハリーにはすべて分かっていた。何度も、夢の中でみているからだ。まずは廊下を歩き、扉を開け、その部屋へと入る。

 そこは、大きな円形の部屋だった。壁一面、部屋をぐるりと囲むようにして、まったく同じ黒い扉が等間隔で並んでいるのだ。その数は12個あった。

 だがハリーには、そのどれを開けるべきなのかわかっていた。夢の中と同じなのだ。夢では、まっすぐに部屋を横切り、入ってきた扉と正反対の位置にある扉を開け、その中に入っていた。何も間違ってはいない、とハリーは自分に言い聞かせる。

 

「あのドアだ。あのドアの先なんだ」

 

 皆を引き連れ、そのドアを目指す。だが部屋の中ほどまで進んだとき、急にゴロゴロと大きな音がして、円形の部屋が回りだしたのだ。動いているのは床ではなく、壁。そのためにこの部屋は、円形をしていたのだ。

 それから10秒ほどの間、速度を上げながら壁は回り続けた。そして、ふいに音がしなくなり、その動きを止めた。

 

「な、なんだったんだろう、今の」

「どの扉から入ってきたのかわからなくするためだと思うわ」

 

 ロンの声は、どこか震えているようであり、それに答えたジニーの声は、なにかを警戒しているような、そんな響きがあった。

 

「とにかく、どこか扉をあけてみるしかないわ。1回で正解にあたるとは限らないから、こうしておきましょう。フラグレート(Flagrate:焼印)」

 

 杖を取り出したハーマイオニーが、魔法で目の前の扉の上に数字の1を刻む。これを目印にしようというのである。そのうえで、ハリーが右手に杖を持ち、左手で扉に触れる。

 

「いいかい、開けるよ」

 

 誰もが杖を構えるなか、扉を押す。それは、いとも簡単に開いた。

 

 

  ※

 

 

「そうか。やはり、おらんのか」

 

 グリフィンドールの1年生に命じ、談話室の中を探させていたスネイプは、その報告を聞いてため息をついた。何人かのスリザリン生にも指示をして、学校内も見て回らせたが、その姿を見つけることはできなかった。徹底的に探したわけではないが、考えられることはただ1つ。

 

「結局、こうなるか。手間のかかるやつだ。いま問題を起こせばどうなるか、説明したつもりだったが」

 

 いつもの大股で、スネイプは歩き始めた。大階段を降り、玄関ホールを抜け、外へ。姿くらましするためである。

 

「だが、アルテシアがいなくてよかったとも言えるな。さすがに今度は関わりようがないだろう」

 

 学校にいないのだから、知りようがない。何が起こってるのか、わかるはずがない。学校の敷地を出たところで、姿くらましによりスネイプの姿は消えた。

 



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第99話 「5年目の終わり」

 S.P.TからA.P.W.P.Dへ

 闇の帝王 そして ハリー・ポッター

 

「なんだろう、これ。どうして、ぼくの名前があるんだ?」

 

 ガラスの玉が置かれた台座には、文字が刻まれていた。その意味など、分かりはしない。だがそれが、ハリーが夢のなかで求めていたものだ。それで、間違いはない。ハリーが、ゆっくりとそれに手を伸ばしていく。

 

 

  ※

 

 

 神秘部と言うだけあって、奇妙な部屋ばかりだった。ハーマイオニーが扉に1番と付けた部屋は、中央に置かれた巨大な水槽のなかに、半透明の白いものがいくつも漂っていた。ハーマイオニーの見立てでは、それは脳みそであるらしい。

 次に開けた部屋は、中央が低く凹んだ部屋だった。外周から中央へ向け、ぐるりと囲むようにした階段になっており、その高低差は6~7メートルといったところ。中央には石の台座の上にアーチが立っていて、そのアーチにはカーテンかベールのような黒い物が掛けられていた。そのベールの向こうが気になったハリーだが、ここに来た目的はシリウス・ブラックの救出。この部屋にシリウスはいない。

 その次は、がっちりと鍵がかかっていて入れず。そしてその次に入った部屋こそが、ハリーが夢で見た部屋だった。そこから、夢のとおりに進んでいく。そして、目指す場所に着いた。

 そこにはいくつもの棚が並んでおり、夢の通り、棚には小さなガラスの球がならべて置いてあった。その、97番の棚。その、奥の方。

 

「なんだろう、これ。どうして、ぼくの名前があるんだ?」

 

 シリウスを探しているはずだった。ここでシリウスが、ヴォルデモートと争っているはずだった。だが、そんなようすはどこにもない。おかしいと思い始めたころ、ガラス球の置かれた台座にハリーの名前があるのを見つけたのだ。

 

「触らないほうがいいと思うわ」

 

 ハリーが手を伸ばすのを、ハーマイオニーが止める。そこへ、もう少し奥の方を指さしながら、ジニーが声を掛けた。

 

「ねえ、あっちにすごくキレイな色をしたのがあるんだけど。あれ、持って帰ってもいいと思う?」

「ダメよ、ここにあるものは触っちゃダメ。なにが起こるか、わかったもんじゃないわ」

「その意見にはあたしも賛成だけど、ムリだね。もう遅いよ、ほら、ハリーがさわっちゃってるもん」

 

 すでにハリーはそのガラスの玉を手に取り、ホコリを払っているところだった。それに、ジニーも。ハーマイオニーとしては思わずため息をつきたいところだろうが、そんなことをしている場合ではなくなった。

 突然、背後から声がしたのだ。

 

「よくやったぞ、ポッター。さあ、こっちを向きたまえ。それをこちらに渡すのだ」

 

 

  ※

 

 

「ダンブルドアには、連絡が取れるのか」

「やってみよう。しかしハリーも、ムチャをするものだ。神秘部に出かけていくとはな。向こうのワナだとわかりそうなものなのに」

「それが勇気だとでも思っているのだろう。勇者さまは、いさんで神秘部での戦いにお出かけというわけだ」

「戦いになると、本気でそう思ってるのか」

 

 ここは、不死鳥の騎士団の本部であるグリモールド・プレイス12番地。報告と依頼に訪れたスネイプは、本部にいたルーピンにそう問われ、つかのま考えるそぶりをみせた。

 

「あるいは、な。とにかく、連絡を頼んだぞ。ダンブルドアでなければ、解決は難しいだろうからな」

「大丈夫だよ、どこにいるのか見当はついているから」

「そうか。おそらく、そう時間はないはずだ」

 

 部屋を出て行こうとする、スネイプ。だがそこにいたもう1人が、スネイプを呼び止めた。

 

「そもそも、おまえが引き留めていれば、何も問題はなかった。そうじゃないのか、スネイプ」

「黙れ。いまは、魔法省ともめ事を起こすわけにはいかんのだ。状況も知らずに適当なことを言うな」

「シリウス、ここでもめてる場合じゃない。ダンブルドアの指示が必要なんだ」

「そんなことは、わかっている。だがこの男は、ろくに閉心術を教えなかったのだ。そうに決まってる。だから、むざむざと向こうの罠にひっかかったりするんだ」

 

 あるいは、そうかもしれない。スネイプの返事が遅れたのは、そんな思いが頭をよぎったから。だがその意味は、シリウスの思っていることとは違っていた。

 

「そうかもしれん。だが学ぼうとしない者に、教えることなどできると思うか。あやつが、課外授業を何度サボったと思うのだ」

「それでも教え込むのが教師の仕事だろう。こうなったのは、おまえがその役目を放棄したからじゃないのか」

「話にならんな。吾輩は、学校に戻るぞ」

「落ち着くんだ、2人とも。いまはヒートアップしてる場合じゃない。力を合わせるんだ。協力が必要なときだぞ」

 

 そのルーピンの言葉に、2人は何を思っただろう。今度こそスネイプは部屋を出て行き、シリウスも、無言でそれを見送った。

 

 

  ※

 

 

「さあさあ、力を合わせて戦うんだろ。あきらめずにもっと頑張ったらどうなんだい。協力すれば勝てるんじゃなかったのかい?」

 

 もはや、逃げ出せるチャンスはない。ここまで追い詰められ、何本もの杖を向けられては、そう思わずにはいられなかった。それに、抵抗しようとする気力も尽きかけている。なにしろ相手は、容赦なきデス・イーターたちだ。一体、何人いるのだろう。ハリーたちが名前を知っている者もいたし、知らない顔もあった。

 ハリーが棚からガラスの玉を取ると、それを待っていたかのように現れた者たち。もちろん逃げるだけでなく、抵抗もした。神秘部のなかを駆け回り、物陰に隠れ、デス・イーターを倒そうと努力した。実際に、何人かを失神させることもできた。だがとうとう、こうして追い詰められてしまったのだ。

 

「渡すのだ、ポッター。もう、そうするしかあるまい。仲間を助けたいのであれば、渡すのだ」

「黙れ、おまえたちの言うとおりになんか、してたまるか」

 

 要求されているのは、ハリーが棚から手に取ったガラスの玉だ。デス・イーターたちは、それを予言と呼んでいた。何のことかハリーにはわからなかったが、このピンチを乗り越えることができるとするなら、これを利用するしかない。

 

「予言だと言ったな? これを渡せば、ぼくたちをこのまま帰してくれるって?」

「そうだ、ポッター。予言を渡すだけでいいのだ。実に簡単なことだろう。それだけでお仲間は無事にホグワーツに帰れるのだ」

「シリウスはどうなるんだ。もちろんシリウスも無事なんだろうな」

 

 もちろん杖は構えたままだが、デス・イーターたちは唖然とした顔を見合わせた。1人の魔女が、笑い出した。ベラトリックス・レストレンジという魔女だ。

 

「まさか、おまえ。本当に信じているのかい。ここにシリウス・ブラックがいると」

「いい加減、気づきそうなものだぞポッター。ワナだったということにな」

 

 今度は、ルシウス・マルフォイだ。そこでデス・イーターたちが、一斉に笑う。ここに至ってハリーは、納得せざるを得なかった。シリウスは、ここにはいない。意図的に夢を見させられ、誘い出されたのだ。

 

「だとしても、おまえたちの思いどおりにはならないぞ。予言とやらいうやつは、あのガラス玉のことだろ。あいにくだったな」

「どういう意味だ」

「ガラスというのは、割れるんだ。ついさっき、おまえたちも盛大に割ったじゃないか」

「あのなかにあったというのか。ウソをつくな。予言の玉は、おまえが持っていたはずだ」

 

 デス・イーターたちから逃げ回った際、あの97番の棚を含めた多くの棚が倒れ、並べてあったほとんどのガラスの玉が割れてしまっている。ハリーの名前があった玉も、今はハリーの手元にはない。

 

「さっきおまえに攻撃されたとき、落としたんだ。どうなったかわかるだろ」

「信じると思うか。おまえとて、闇の帝王が何故おまえを殺そうとしたのか、理由を知りたかったはずだ。壊すはずがない」

「どういうことだ」

「ほう、知らなかったのか。それならそれでよい。ならば我らは、おまえを闇の帝王のもとに連れて行くだけだ。ステューピファイ(Stupefy:麻痺せよ)」

 

 だが、それは脅かしであったらしい。ハリーたちの誰にも当たらなかったし、デス・イーターたちは、続けざまに攻撃してはこなかった。というのも、あの予言の玉を気にしているからだ。ハリーを攻撃してそれを壊してしまった場合、ヴォルデモートの不興を買うことになるのは明白。誰しも、自分の攻撃で壊した、という事態は避けたいのだ。

 だが、ハリーたちの絶体絶命の状況は変わらない。どうやって逃げ出すか。何を思ったのか、ハーマイオニーがハリーに耳打ち。

 

(ねえ、ハリー。もしアルテシアがいたら、なんとかなると思う?)

(なんだって、アルテシア?)

(ええ、そうよ。いまここに来てくれたなら、なんとかなると思う?)

(わからないよ。わからないけど、いまさら間に合うはずないだろ)

(そうだけど。でも他に、いい方法がないわ)

 

 ハーマイオニーがポケットに手を突っ込んだところで、ベラトリックスが杖を突き出して叫んだ。

 

「こそこそと、何をやってるんだい。どうやらおまえたちには、拷問でもしてわからせてやる必要がありそうだ。まずは、その娘からいってみようじゃないか。そうすりゃきっと、ポッターも予言の玉を渡すだろうさ」

「磔の呪文は、禁止されているわ。そんなことしちゃ、いけないわ」

 

 一瞬の沈黙がひろがったあと、デス・イーターたちが、またも一斉に笑い出した。すぐそばにいたハリーには、ハーマイオニーが震えているのがわかった。恐くないはずがない。もちろん、ハリーも恐いのだ。

 カシャン、と音がした。何の音かと、振り返っている余裕はなかった。笑うのをやめたベラトリックスが、改めて杖をハーマイオニーに向けたからだ。

 

「あたしがアズカバンに何年いたのか知ってるかい? その禁止されてることをやったからさ。そのあたしが、いまさらそんなことを気にするとでも思うのかい?」

「や、やめなさい。そんなこと、しちゃ、いけないわ」

「あっははは、震えているよ、この娘。知ってるかい? この呪文を使うときは、相手を苦しめようと本気で思うことが大切なのさ」

 

 ハーマイオニーの反応を楽しむかのように、ピクピクと、杖先を上げ下げしながら、ベラトリックスはそんなことをいいはじめた。

 

「楽しむんだよ。相手に苦痛を与えることを楽しまなきゃいけない。さあて、あんたはあたしを、どれだけ楽しませてくれるかね。クルーシオ(Crucio:苦しめ)」

 

 瞬間、ハーマイオニーは目を閉じた。力いっぱいまぶたを閉じ、両のこぶしを握りしめて、そのときを待った。だが、予想したときは訪れない。ゆっくりと目を開けた。そこには、困惑しているようすのベラトリックスがいた。

 

「なんだ、なにかするんじゃなかったのか」

「黙れ、ポッター。これは、なにかの間違いだ」

 

 言いながら、自身の杖を見つめるベラトリックス。いったい、魔法は発動したのかしなかったのか。

 

「許されざる呪文は、許されない。使わない方がいいですよ」

 

 その声は、ハリーたちを追いつめたデス・イーターたちの、その背後から。誰もがそちらを見た瞬間、その声の主が右手の人差し指を軽く左右に振ってみせた。するとそこから、赤や黄色や青といった、色鮮やかな光が飛び出す。デス・イーターたちがあわてて避けようとするが、その光はとくに危害を加えたりすることなくデス・イーターたちをすり抜け、ハリーたち5人をそれぞれに包み込んだ。

 

「何者だ」

 

 そんな誰何の声をあげたのは、一人だけではない。何人ものデス・イーターから問われ、そこにいた少女が、軽く頭を下げた。

 

「初めまして。わたしは、アルテシア・ミル・クリミアーナ。アルテシアでもクリミアーナでも、お好きに呼んでいただいて結構ですけど、アル、とだけは呼ばれませんように」

「なんだい、あんた。まさか、あたしの杖になにかしたのかい?」

「ルシウスさん、あなたがここにいらっしゃるとは思いませんでした。ドラコは、このこと知ってるんですか」

 

 デス・イーターたちのなかにルシウス・マルフォイを見つけ、アルテシアは驚いたような声をあげた。ルシウスは無言のままだ。

 

「わたし、ここでなにがあったのか、どういうことになってるのか、わかってないんです。ちょっとだけ、お時間くださいね」

 

 スタスタと歩き、ルシウスの横を通ってハリーたちのそばへ。誰もが、そのようすを見ているだけだった。そして。

 

「ハーマイオニー、説明してくれる?」

「あ! ええと」

「わたしを呼んだよね? あの玉、使ってくれたんでしょ。お守りの『にじ色』の玉」

「そ、そうだけど、ほんとに来てくれるとは」

「約束したでしょ。なにかあったら、どこにいても駆けつけるって。で、なにがあったの? わたしは、何をすればいい?」

 

 つまり、こういうことである。アルテシアは、ダンブルドア軍団への参加を断る代わりにと、ハーマイオニーにお守りとしての『にじ色』の玉を渡している。その玉を割れば魔法が発動し、アルテシアをその場所に呼ぶのである。

 

「あのね、アルテシア」

「そんな話をしてるヒマはない。それより、これはなんだよ。ぼくたちを包んでいるこれは」

「ええと、そうね。プロテゴ(Protego:護れ)みたいなもの、かな。さっき、あの人がイヤな魔法使おうとしてたから」

「それから守るためのものなのね。あたしたちに危険はないのね、アルテシア」

「うん。そのままでも、自由に動けるよ」

 

 結局、今の状況についての説明はなかった。そんな時間はなかった、ということにはなるだろう。デス・イーターたちが、いつまでも黙って見ているはずはないからだ。誰かが放った赤い閃光がアルテシアを襲う。それが当たったと思われた瞬間、アルテシアの姿が、ゆらりと揺らめいてみえた。

 でも、それだけだった。アルテシアは、かわらずそこに立っていて、魔法を放った魔法使いに目をむけた。

 

「な、なんだ。当たっただろ。どういうことだ」

「さあ? でもそういうことがお望みなら」

 

 本来、その必要はないはず。だがアルテシアは、腰に下げた巾着袋に手を入れると、杖を取り出した。その杖を、いや腕をゆっくりとその魔法使いへと向けていく。なぜだろう、ピンと張り詰めた空気がその場を支配し、誰も何も言わなければ、動きもしない。

 右手だけがゆっくりと動いていき、杖が魔法使いに向けられる。そこでピタリと動きを止め、にっこりと微笑む。それは、いつものアルテシアの笑顔。そしてまた、動きだす。ついには真上に向けられた、その瞬間。そこに太陽でもあるかのような、まばゆいばかりの光が杖からあふれ出した。周囲を昼間のように照らしたその光は、その姿をにじ色へと変えアルテシアのもとに戻っていく。キラキラと輝く7種の色の玉となったそれが、アルテシアの周りをくるくると回り始めたそのとき。

 バーン、と大きな音がとどろいた。誰かの叫ぶような声が聞こえた。どかどかと何人かが駆け込んでくる足音が響いた。

 飛び込んできたのは、シリウス、ルーピン、ムーディ、トンクス、キングズリーの5人。全員、不死鳥の騎士団のメンバーである。そのことが、デス・イーターたちの動きもよみがえらせることになった。デス・イーター側と騎士団側の双方から魔法が発せられ、たちまちのうちに撃ち合いとなる。それが同時に、囲まれていたハリーたちに逃げ出す機会を与えることにもなった。飛び交う閃光をかわしながらハリーが駆けだし、そのあとをロンが続いた。

 そのときには、アルテシアを包み込もうとしていた光の玉は、収束することなく霧のように散り、消え去っていた。それは、騎士団メンバーの声のため。トンクスが、アルテシアの名前を叫んだからである。

 ハーマイオニーが、アルテシアの手を取った。

 

「ありがとう、アルテシア。あの人たちは騎士団のメンバーなのよ。どうやら、あたしたちを助けに来てくれたみたい」

「ええと、じゃあハーマイオニーは、あの人たちみんな知ってるのね?」

「ええ。もちろん味方だから。さあ行こう、とにかく、逃げ出さなきゃ」

 

 ハーマイオニーにそう言われ、ジニーには腕を引っ張られて、アルテシアもその後に続くことになった。そのアルテシアのところへ、トンクスがやってくる。

 

「アルテシア、あんた、なんでここにいるの? いま、なにするつもりだった?」

 

 

  ※

 

 

 アルテシアは、トンクスと一緒にいた。デス・イーターたちとの戦いの最中であるが、離れず着いてくるようにとトンクスに言われ、そうしているのだ。戦いのほうは、いまや騎士団側のほうが優勢となっている。アルテシアが、幾度となくデス・イーターたちの攻撃を妨害し、トンクスの手助けをしているからだ。

 もちろん目の届く範囲でということにはなるが、そうしていることを、トンクスには気づかれないようにしようとアルテシアは考えていた。トンクスが必死で自分を守ろうとしてくれていることが、嬉しかったからだ。そのことは、アルテシアの表情を見れば誰にでも容易に推測できるだろう。とはいえ、今が戦いの場であることを忘れているわけではないし、ただ守られているのも本意ではないので、こっそりとデス・イーター側からの攻撃を防いだりしているというわけである。

 

「アルテシア、平気? 大丈夫だよね」

「うん、トンクス。問題ないよ」

 

 ときおり、そんな会話が交わされる。アルテシアも防御に専念しているわけではなく、ときおり失神呪文や武装解除といった魔法で応戦している。それらを百発百中で相手に命中させることは可能なのだが、それが許される状況ではなかったこともあり、命中率は高くはない。

 

「でも、驚いたよ。まさかここにいるなんて思わなかったから」

「ハーマイオニーが呼んでくれたの。じゃなかったら、気づかなかったと思う」

「退学になるかもしれないって聞いたよ。目立たない方がいいだろうに」

「うん。そうかもしれないけど」

 

 実際、どういうことになるのか。それはアルテシアにはわからないし、ここで考えることではないと思っている。なにより今は、この戦いが無事に終わること。それが肝心なのだ。

 いまや戦いの場は広範囲に拡大しており、誰がどこに居るのか、どういう状況にあるのか、そのすべてを把握することはできていない。その気になれば調べることは可能だが、トンクスと一緒という状況ではさすがに難しい。それでもデス・イーターたちを倒し拘束するごとに相手側の攻撃が減り、余裕が生まれてくることになる。すでにトンクスは、2人のデス・イーターを失神させ、魔法で拘束することに成功しているのだ。

 

「行くよ、アルテシア。みんなと合流しないと」

「わかってる」

 

 続いて3人目のデス・イーターを拘束。これで、トンクスと相対しているデス・イーターはいなくなった。一息つきたいところだが、まだ戦っている仲間が居る。そちらに向かおうというのだ。

 ここでアルテシアは、自身がマジック・フィールドと名付けた魔法を発動。トンクスが駆けだした今なら気づかれないと思ったのだ。トンクスと距離を取りつつ、マジック・フィールドの範囲を広げていく。これはホグワーツで試した探査魔法の応用であり、より進化させたものということができる。この範囲内はアルテシアの魔法による支配を受けることになるため、探査魔法のように範囲内のすべてを見ることができるし、何かが動けば即座に探知が可能。たとえ物陰に隠れていようとも意味はないし、攻撃してきたとしても、その瞬間、ほぼ自動的に反対呪文などが発動され防ぐこともできる。

 

「何してんの、早く来なよ」

「あ、うん。わかった」

 

 マジック・フィールドで把握した感じでは、どうやら騎士団員たちは、ハリーたちを連れて脱出しようというよりは、デス・イーターたちを捕らえてしまおうと動いているようだった。デス・イーターが全部で何人いたのかをアルテシアは知らないが、その多くは魔法により拘束されており、いまも戦っているのはせいぜいが2~3人。その数人のデス・イーターがいる場所へ、トンクスも含めた騎士団員が集まろうとしていた。

 トンクスに呼ばれてマジック・フィールドを解除したアルテシアだが、その効果が途切れる寸前、戦いの場にダンブルドアが来たことを知った。20世紀で最も偉大な魔法使いと称されるダンブルドアが、ようやく姿をみせたのだ

 

 

  ※

 

 

 そこに、背の高い痩せた男が立っていた。黒いフードを被っているため、その顔がはっきりと見えるわけではない。だが誰もが、恐ろしい蛇のような青白い顔と真っ赤な両眼とを目にした。この人物が、決して名前を言ってはいけないあの人なのだと、理解した。

 すなわち、ヴォルデモート卿である。ヴォルデモート卿が、エントランスホールの真ん中に姿をみせたのだ。ダンブルドアが、前に進み出る。

 

「ようこそ、トム。じゃが、今夜ここに現れたのは愚かだというしかないのう。せっかく魔法省がおぬしの復活を否定しておるのに、わざわざ姿を見せるとは」

「ダンブルドア、か。そうだな、この状況では失敗したと認めるしかない。何カ月ものあいだ準備をしてきたが、うまくはいかなかったようだ。だが収穫はあったぞ」

「ほう。なにやら得るものがあったというか。それが、わしの望む方向を向いているのであれば結構なことじゃが」

 

 すでに戦いは、収束しつつあった。エントランスホールの傍らには、魔法で拘束されたデス・イーターの姿がある。このときまで戦っていたのは、姿を見せたヴォルデモートのもとに駆けつけたベラトリックスのみである。逃げ去ってしまった者もいるかもしれない。

 

「私を殺すのか、ダンブルドア? それとも、野蛮な行為はしてはならぬのだと説得でもしてみるかね」

「いいや、トム。もはやおまえに言い聞かせることができるとは思わんよ。きちんと決着をつけることになるじゃろう」

 

 ダンブルドアの杖がすばやく動き、その杖先から、細長い炎が飛び出した。そのロープ状の炎がヴォルデモートを絡め取った、ように見えた。だが一瞬のちには、そのロープがヘビに姿を変え、今度は、鎌首をもたげてダンブルドアへと立ち向かう。ヘビは、身をかがめるようにしたあとで、一気に体を伸ばしてダンブルドアの頭をめがけてジャンプ。そこでまた炎のかたまりへと姿を変えた。

 続いて、ヴォルデモートの杖から緑の閃光。炎を避けようとしていたダンブルドアめがけて飛んでいく。

 

「あぶない」

 

 そんな叫び声。だがダンブルドアの前に急降下してきた鳥が、嘴を大きく開け、その緑の閃光を飲み込んだ。不死鳥のフォークスだ。ダンブルドアを魔法省の神秘部へと運んできたのは、フォークスだったらしい。そのフォークスが床に落ち、炎となって燃え上がる。

 そこで、ダンブルドアが杖を一振り。エントランスホールにある魔法族の和の泉と呼ばれる噴水から、大量の水が湧き上がり、ヴォルデモートを襲う。その水を払いのけようとしたものの飲み込まれてしまったヴォルデモートが、姿を消した。逃げようとしたのか。あるいは。

 

「どこだ。ヴォルデモートは、どこに? それに、なぜこんなに人が? いったい、どうなったんだ」

 

 ハリーの声が、エントランスホールに響いた。エントランスホールには、騒ぎを聞きつけた職員らが集まってきていた。

 

 

  ※

 

 

「コーネリウス。もしもまだ、このわしを捕まえる気でおるのなら、おまえの部下たちと戦ってもよろしいぞ。じゃがもう、その必要はないじゃろうと思うが」

「わかっている、ダンブルドア。私も『あの人』を見た。それにあの女は、ベラトリックス・レストレンジだ。女を引っつかんで、『姿くらまし』しおった」

「ふむ。では、わしがずっと言ってきたことが正しかったと、そう認めてもらえるのじゃな。ならば、拘束したデス・イーターたちの処分を任せてもよいかの」

 

 魔法省の職員であろう人たちと、騎士団のメンバー、それにホグワーツの生徒たち。ダンブルドアとファッジは、それらの人たちに囲まれていた。

 

「よいとも。ドーリッシュ、それにウィリアムソン。デス・イーターどもを連行しろ」

「他にも、いろいろと要求がある。聞いてもらえるじゃろうの?」

「要求だと。そのまえに、今夜なにがあったのかを説明しろ。何がどうなったのか、どうしてこうなったのかを話してもらわねば、私には、どうしてよいやら」

 

 ファッジの声からは、だんだんと元気がなくなっていく。荒れ果てた荒野のようになってしまったエントランスホールで、あれほど否定し続けた『あの人』を見てしまったからには、無理もないことか。だが、ダンブルドアは説明よりも先に要求を突きつける。

 

「部下の闇祓いたちに命じ、わしの『魔法生物飼育学』の教師を探させておるそうじゃが、それをやめさせ、復職させるのじゃ」

「いや、しかし、ダンブルドア。まずは説明を、してもらわねば」

 

 だがダンブルドアの視線の力に押されたのか、ファッジの声は、またも尻すぼみとなっていく。

 

「さらに、ドローレス・アンブリッジをなんとかするがよかろう。どうするかは、いくらでも相談に乗ろうぞ」

「ああ、わかっている。ここに呼んでいままで事情を聞いていたのだ。そういえば、どこへ行った? 一緒にここまで来たのだが」

 

 改めて周囲を見回すファッジだが、アンブリッジの姿は見つけられない。いったい、どこへ行ってしまったのか。

 

「とにかく、ダンブルドア。説明をしてくれ」

「いいとも。30分でよければな。なに、それだけあればここで何が起こったのか、重要な点を話すのには十分じゃろう。じゃが、わしの生徒たちを学校に連れて戻るほうが先じゃよ」

 

 そう言ってダンブルドアは、砕け散った黄金像の頭部を拾い上げた。杖を出し、魔法を掛ける。

 

「待て、ダンブルドア。まさか移動キーを作ったのか」

「そうじゃよ。これで生徒たちを連れ帰る。さあ、みんな。この移動キーに触れるのじゃ」

 

 ハリーたちがその上に手を載せると、たちまちのうちに消え去った。その様子を、アルテシアは離れた場所で見ていた。横にいるのは、トンクスともう1人。人だかりの場所から離れてはいるが、その場所にいて誰にも気づかれないのは、もちろんアルテシアの魔法のため。ダンブルドアには見つかりたくなかったのだ。

 

「ありがとう、トンクス。わたし、このままクリミアーナに帰るわ」

「え? いいのかい、アンブリッジのことは」

「ええ。なんだか魔法省から処分されるみたいだし、もういいわ。言いたいことはたくさんあったんだけど」

 

 なぜか、トンクスの横にはアンブリッジがいた。ヴォルデモートの姿を見て逃げ出そうとしたところを、トンクスが確保したのである。そのアンブリッジを、アルテシアが見る。

 

「な、なんです、あなた。このわたくしに、て、手出しをすると、ただじゃ済みませんよ」

「今度こそ退学、ですか。いいですよ。でもそのときは」

「なまいきに、このわたくしを脅そうとでもいうの」

「はい、その通りです。二度と再びあなたに会いたくはないし、わたしの大切な友人たちにあなたがなにかした、という話も聞きたくはありません」

 

 言いながら、アルテシアは左手をアンブリッジの前へと差し出した。手のひらが上だ。その手のひらを右手の人差し指と中指で軽くトンと叩く。果たして、アンブリッジには何か見えたのか。その目が大きく開かれ、みるみるうちに、表情がこわばっていく。

 

「もし、そんなことになったら。おわかりですよね」

 

 すっと、手が引かれる。腰を抜かしたように床に座り込んでしまったアンブリッジだが、それでもじたばたと手足を動かし、アルテシアの前から離れていく。

 

「何をしたの?」

「ちょっと脅かしただけ。これでもう、あの先生のことは忘れられると思うわ」

「ああ、それがいいと思うよ。あんたにそれができるんならね」

「ありがとう、トンクス。じゃあ、わたし。これでクリミアーナに帰る」

「元気でね。また、会えるといいんだけど」

「うん」

 

 軽く手を振りながら、アルテシアの姿が消えた。魔法省は大混乱し、犠牲となった者も出た。まだ学校は終わってはおらず、帰りのホグワーツ特急も発車してはいない。だがクラスメートの誰よりも早く、アルテシアにとってのホグワーツ5年目は、こうして終わりを告げたのである。

 




 感想の欄で、アンブリッジとケンタウロスとのことでのご指摘があったのです。それを読んで、作者はドキッとしたのです。このエピソードは省かない方がよかったかなと。
 でもあれは、ハーマイオニーのお手柄なんですよね。本編でアルテシアは、アンブリッジとなにかとあったので、アルテシアに、なにかそれらしいことをさせたかったんです。で、あのエピソードはなしにして、魔法省での場面とさせてもらいました。アンブリッジに何を見せたのか。それは、この先のお話でわかってきます。よければ、続きも読んでやってください。
 では、また。
 


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謎のプリンス 編
第100話 「隠れ穴へ」


『名前を呼んではいけないあの人が復活した』

 

 日刊予言者新聞の1面、そのトップ見出しとして、ひときわ目立つ大きな文字でそう書かれていた。この新聞をクリミアーナ家へと持ってきたのはマクゴナガルである。

 

「しばらく前の新聞ですが、今では魔法省も、あの人への対応策を考えていますよ。各家庭にも『防衛に関する初歩的心得』というものが配られ始めましたが、見たいですか?」

 

 そこでアルテシアがうんと言えば、杖を振ってその心得を出現させたのだろうが、アルテシアは首を横に振った。

 

「でしょうね。この家にいる限りは不要でしょうし、たいしたことも書かれていませんから」

「それよりマクゴナガル先生、お見舞いにも行かずにすみませんでした。気になってはいたんですけど」

「そのことなら、気にしなくてよろしい。処分保留で自宅に帰されたのですから、のこのこと聖マンゴに顔を出すわけにはいきませんし、わたしは大丈夫。あなたがローブにかけた保護魔法が守ってくれましたからね」

「お役に立ったのなら、なによりです」

「そもそも、学校の医務室でも事足りる話だったのです。マダム・ポンフリーがそう言ってましたよ」

 

 そこへパルマが、お茶とお菓子とを持ってやってくる。アルテシアにはいつもの飲み物だが、マクゴナガルには紅茶だ。

 

「先生さまは、入院なすってたそうですね。気をつけてくださいよ。もう、相当なお歳なんでしょう?」

「あら、わたしはまだ、若いつもりでいるのですけどね」

「それでも、あたしよりは上でしょう。とにかく長生きしませんと。アルテシアさまのこと、この先もずっと見ていたいでしょう」

「なるほど。その意見には賛成です」

 

 紅茶に手を伸ばしつつ、アルテシアを見るマクゴナガル。そのアルテシアは、どこか元気がなさそうだ。マクゴナガルは、一口だけ紅茶を飲んだ。

 

「その顔には見覚えがありますね、アルテシア。わたしが初めてこの家を訪れたとき、あのときにも、あなたはそんな顔をみせたことがあります」

「そうでしたっけ。自分では覚えていないんですけど」

「処分がどうなるのか。まだ決定はされていないようですが、あなたが気にしているのは、そんなことではないようですね」

「え?」

「もちろん、今すぐ決めなくてもよいのです。ゆっくりと考えればいいし、いくらでも相談に乗りますよ」

 

 アルテシアは、何も言わない。ただ、黙ってマクゴナガルを見ているだけ。マクゴナガルは、ゆっくりとうなずいた。

 

「お友だちは、誰か、遊びに来ましたか?」

「はい、パーバティとパドマが。学校が終わってすぐに」

「その2人なら、1週間くらいで帰っちゃいましたよ、先生さま。そのときはアルテシアさまもお元気だったんですけどねぇ」

 

 パチル姉妹も、いつまでもクリミアーナ家にいられるわけでもない。帰らなければならない自宅というものがあるのだ。ちなみにソフィアは、まだクリミアーナ家を訪れていない。

 

「では、その後の学校内のようすなどは知っているということでいいですね」

「はい。パーバティが一晩かけて話してくれました」

「魔法省での大騒動のことはどうですか。本当は別の話をしにきたのですが、その後のことを話しましょうか?」

 

 別の話とはなにか。ともあれマクゴナガルは、あの神秘部での出来事についての話を始めた。アルテシアもその場にいたのだが、知らないことは多い。

 

「伝え聞いたということにはなりますが、魔法省での大騒動の結果、捕らわれたデス・イーターは8名。その際にファッジ大臣が例のあの人を目撃していて、この発表となったのです」

 

 マクゴナガルが日刊予言者新聞の見出しを指さし、アルテシアがうなずいた。

 

「魔法省側もさまざま対処をするでしょうし、あの人の側もこの騒動で痛手を負っていますから、しばらくは何も起こらないはずです」

「例のあの人は、また隠れてしまったんですね」

「そういうことです。それから、ダンブルドアが校長に復帰しましたよ。アンブリッジ元校長は魔法省に戻されました。その地位もかなり降格されたと聞いていますし、ハグリッドも元通りの職に復帰することが決まっています」

 

 さまざま大きな出来事はあったが、結局、元に戻ったということになる。

 

「ポッターがなぜ魔法省の神秘部などに行ったのか、そのことは聞いていますか?」

「詳しいことはなにも。予言がどうとか言ってましたけど」

「その予言のために、ポッターは、あの人に誘い出されたのです。神秘部の予言の間と呼ばれる部屋には、そういったものが保管されています。予言に関係する人しか手を出せないようになっているため、あの人はポッターを誘い出し、ポッターが手にしたところで奪おうとしたのです」

 

 だがその予言の玉は、壊れたかどこかに紛れたかで、行方不明となっている。ヴォルデモート側には渡っていない。

 

「例のあの人が赤ん坊のハリー・ポッターをつけ狙うきっかけとなったものだと聞いています。つまり予言の内容を聞けば、あの人がポッター家を襲った理由がわかるのだと思いますよ」

「それをハリーが欲しがるのはわかりますけど、あの人が手に入れる必要があったんでしょうか?」

「おそらくは、予言のすべてを聞きたかったのでしょうね。おそらく、ほかにも何か重要なことが予言されているのでしょう。知られていない秘密のようなものがあるのかもしれません」

 

 そのことになると、マクゴナガルもわからないらしい。なにしろ、あの予言の玉は失われてしまったのだから、これ以上となると、予言した本人かその内容を知っている誰かに教えてもらうしかないということになる。

 

「それから、デス・イーターとの戦いでシリウス・ブラックが帰らぬ人となっています」

「えっ!」

「神秘部にあるアーチ、あのベールの彼方へと落ちたのです。あなたにはなんのことかわからないかもしれませんが、あのアーチをくぐれば、戻ってはこれません」

 

 そのアーチを、アルテシアは見ていない。シリウスの姿も、みた覚えがなかった。

 

「1度だけ会ったことがあると言ってましたね。あなたのお母さんのことも知っていたとか」

 

 シリウスのことを、アルテシアはほとんど知らない。せいぜいが、犯罪者として逃亡を続けているものの本当は無実らしい、ということくらいなのだが、それでも、ゆっくりと悲しみが押し寄せてくる。

 アルテシアの母は、アルテシアが5歳のときに死んでいる。その母を直接知っている数少ない人物の1人がシリウスだった。もっと母の話を聞きたいと、アルテシアはそう思っていた。母の顔や声、話し方や振る舞いなど、5歳までともに暮らしたのだからちゃんと覚えている。覚えているが、それでも話を聞かせて欲しかった。だがもう、シリウスは去ってしまったのだ。

 

「ポッターやグレンジャーたちは、誰もケガなどはしていませんよ。ミス・パチルから聞いているでしょうけど」

 

 そこで、コトリと音がした。見れば、テーブルの真ん中あたりの杖が置かれている。マクゴナガルが、自分の杖をそこに置いたのだ。そのときの音が、アルテシアの耳を打った。

 

 

  ※

 

 

 廃墟となった工場と汚れた川の近くにあるさびれた路地。セブルス・スネイプの家は、そのスピナーズ・エンドと呼ばれる袋小路にあった。

 普段は、昼間でも人通りなどほとんどない場所。そんな路地を、2人の女が歩いていた。時には小走りになり、言い争うようなそぶりもみせたが、結局はそのいちばん奥にある家のドアをノックした。ドアが開くまでしばらく待たねばならなかったが、2人の女は、中へと通された。

 薄暗く、陰気な部屋。せめて本棚に並べてある本の背表紙くらい明るい色であってほしかったが、それらのほとんどは黒。すり切れたソファーと古ぼけた肘掛椅子などからは、普段は人が住んでいないような、そんな雰囲気が感じられる。

 

「おめずらしい。姉と妹とが2人で何のご用ですかな」

「いまここには、ここには私たちだけですね?」

「さよう。吾輩はひとり暮らしですからな。学校が始まれば、ここはまた無人の家となってしまう」

 

 2人の女がソファーに座り、テーブルにはワインが用意された。それぞれがそれを飲み干し、2杯目が注がれたところで、女の1人が話を始めた。

 

「ここに来るべきではない。それはわかっています。でも、相談があるのです、セブルス」

「どういうことですかな」

 

 スネイプを訪ねて来たのは、ナルシッサ・マルフォイとベラトリックス・レストレンジ。ともにスネイプとは知り合いである。

 

「その前にはっきりとさせておきたいことがあるぞ、スネイプ。おまえはどちら側にいるのだ?」

「どちら側? それはつまり、こちらとそちらの、そのどちらか、ということかな」

「はっきりしろ、スネイプ。おまえは、ダンブルドアの側にいるのだろう。闇の帝王がよみがえったとき、招集に応じず姿を見せなかったと聞いているぞ。魔法省で予言を手に入れるという計画にも参加しなかったし、ハリー・ポッターの命を奪ってもいない」

「おやおや、その話を持ち出すのかね。それらがみな、闇の帝王とのあいだで解決済みであることはご存じのはずだが」

「ああ、確かにな。あの方がおまえを信じておられるのは知っているさ。うまく言い逃れたものだと感心してもいる。だがどうしても、おまえだけは信用できない」

 

 スネイプが、その手にあったグラスをテーブルに置いた。

 

「かまわんさ、吾輩のことはいくらでも疑うがよい。だがベラトリックス、考えてもみよ。闇の帝王が納得なさったことを、キミは否定しておるのだぞ。闇の帝王のご判断を疑うのかね?」

「いや、それは違う」

「それすなわち、闇の帝王の否定へとつながるのではないかね。帝王に知られたら、お怒りを買うことになるぞ」

「黙れ。そんな話はいいから、質問に答えろ。おまえはどちら側にいるのだ。ダンブルドアか、闇の帝王か。どっちだ」

 

 スネイプとベラトリックスとの視線がぶつかり合う。その横ではナルシッサが、両手で顔をおおったまま、身動きもせずに座っていた。

 

「ベラトリックス、その答えは闇の帝王がご存じだ。判断は、帝王がなさる。吾輩は、そのことに異論を挟むつもりはない。ただ従うのみ」

「なんと、さすがにうまく言い逃れるものだ。だが、覚えておけよ。闇の帝王は、裏切った者をお許しにならない。そのときは、この私がおまえを仕留めてやろう」

 

 納得などしてないし、不満でいっぱいなのだろうが、ひとまずベラトリックスの追及は終わった。あるいは、別の追及の手段を考えているのかもしれないが、その場に沈黙のときが訪れる。その沈黙に乗じるように、スネイプがナルシッサに声をかけた。

 

「ところで、吾輩になにか相談があるのでしたな、ナルシッサ?」

「そ、そうなのです、セブルス。あなたしかいないと思います。もうほかには、誰も頼る人がいないのです」

「どういうことですかな?」

「ああ、セブルス。闇の帝王が、新たな計画を立てられたのです。禁じられているので内容はお話しできませんが、それでも力を貸して欲しいのです」

 

 ナルシッサの目から、大きな涙が流れ落ちる。すがるような目を、じっとスネイプに向けている。

 

「あー、あの方が禁じたのなら、話さぬほうがよいですな。あなたの姉上が告げ口せぬとも限らない」

「なんだと、スネイプ。この私を侮辱するのか。私が密告など」

 

 そこで、はっとしたように言葉を切るベラトリックス。スネイプが、ニヤリとした顔を見せる。

 

「するでしょうな、闇の帝王の忠実なる部下であるというのであれば」

「い、いや、しかし」

 

 スネイプの言うように、忠実なる部下としては報告すべきだろう。だがその場合、ナルシッサは罰を受けることになる。そんなことは、ベラトリックスも望んではいないだろう。そのまま、黙ってしまう。

 

「ともあれ、吾輩はなにをすればいいのかな。あなたの姉上がどうするにせよ、帝王が計画された内容は話さぬほうがよいと思いますぞ」

「あの魔法省での騒動で、ルシウスが捕らわれたのはご存じでしょうね」

「あの戦いでは、8名ほどが捕まったとか。魔法省の防衛力がそれほど強固だったとは驚きですな」

「あのあと、闇の帝王はわが家を拠点とし、新たな計画を立てたのです。そして、ドラコに命令を出した」

「ドラコのことは、誇りに思うべきだ」

 

 黙り込んでいたベラトリックスが、ふたたび声を上げた。

 

「ドラコにとって大きなチャンスだ。この任務を成功させれば、父親の汚名も返上できるだろうし、闇の帝王の信頼も得ることになる」

「でも私は、そんなことは望んでいないのです。あの子を助けてください、セブルス。これは、報復です。失敗したルシウスの責任をあの子に取らせようと」

「闇の帝王は失敗した者を容易にお許しにはならないし、たやすく考えを変えるようなお人でもない。吾輩の説得を期待しても無駄というもの」

「ああ、セブルス。それでは、あのお嬢さんを説得してください。あなたの生徒なのですから、話をしてもらえませんか」

 

 お嬢さんとは、誰のことなのか。スネイプのなかで思い浮かんだ人物はいたが、そんなはずはないと心の中で首を横に振る。

 

「こんな日が来るんじゃないかと、恐れていたんです。だから、わが家に招待もしたのに。ああ、でも。でも守ると言ってもらえる前に、魔法省でルシウスを見られてしまった。戦ったとも聞いています。それでもセブルス、あなたが話してくれたなら、力を貸してくれるかもしれない」

「待ってくれ、ナルシッサ。お嬢さんとは誰のことだ。魔法省でルシウスと戦っただと」

「いいや、スネイプ。戦っちゃいないさ。あの小娘は、ずっと騎士団のニンファドーラ・トンクスに守られていた。だけど、私の杖になにかしたのは確かだ。あのとき私は、呪文が打てなかった」

「それは誰のことだ、名前を言え」

 

 その名前が、ナルシッサから告げられた。もちろん、アルテシアのことである。スネイプは、あの魔法省での騒動にアルテシアが加わっていたことを知らなかったらしい。

 

 

  ※

 

 

 クリミアーナ家では、マクゴナガルとアルテシアとが、向かい合わせに座っていた。テーブルの上には、杖が置いてある。その杖は、マクゴナガルのものだ。

 

「本当は、この話をしにきたのですよ、アルテシア」

 

 杖を置いたマクゴナガルが、右手を前に出した。手のひらを上に向けている。そこに、ぽっ、と赤い色をした小さな玉が現れる。そして、だんだんと大きくなっていく。

 

「せ、先生。これは」

「こんなことがね、できるようになったんですよ」

 

 それはサッカーボール程度にまで大きくなり、今度はテニスボールくらいにまで小さくなる。大きさは自由に変えられるらしい。そんな、ゆらゆらと揺らめく真っ赤な炎が、マクゴナガルの手のひらの上に浮かんでいた。

 

「もう5年ほど魔法書を読んでいますからね。あなたの場合はハロウィーンの夜のトロールでしたが、私の場合はあの夜、4本の失神呪文ということです」

 

 クリミアーナの魔法書。それを読んで魔女となるまでには、通常10年ほどの期間を要する。クリミアーナ家では3歳の誕生日に自分の本をもらい、それを毎日読んでいく。そして13歳から14歳となる頃、魔法の力に目覚めるのだ。

 だが、例外もある。意図せず危険な状況に陥るなどしたとき、自身を守る必要性から、一気に魔女への階段を駆け上がってしまうことがあるのだ。マクゴナガルの場合も、そういうことになる。

 

「わたしは、この年ですからね。あなたのような苦労はしなくても済むでしょう」

 

 そんなマクゴナガルの声は、聞こえなかったのか。アルテシアが、揺らめく炎に手を伸ばしていく。ついにはその玉に触れたばかりか、その中にまで入り込んでいく。

 

「この魔法、母のです。母の魔法です。ああ、そうだ。だからわたし、あんなことを」

「やはりそうですか。わたしの読んでいる魔法書はあなたのお母上のものではないか、実はずいぶんと前からそんな気はしていたのです」

「先生、この先は?」

「なんです、先?」

「あ、いえ。工夫というか、母の魔法はこれでは終わらなかったので」

 

 アルテシアが、まだ自分の魔法書を持たない頃。魔法についての知識には乏しかったが、それでも母親がなにかの魔法を創りだそうとしているのはわかった。そんなことを思い出したという。

 

「でもわたし、いつも母にまとわりついて邪魔ばかりしてたんですよね。なんとなく覚えています」

「仕方がありませんよ。あなたはその頃、幼かったのですから」

「わたしが手を出すものだから母は… ほら、熱くはないんです」

 

 なるほど、アルテシアが揺らめく炎を触ることができたのは、そういうことであったらしい。それはともかく、先、とはどういうことなのか。

 

「先生。これ、相手を攻撃するための魔法なんだってこと、わかりますか?」

「でしょうね。そう思ったからこそ、まず最初にあなたに見てもらったのですよ、クリミアーナらしくない気がしますね」

「でも、必要としてたんだと思います。わたしが邪魔してばかりだったけど、母は、この魔法を創りだそうと頑張っていました」

「普通に考えれば、敵と戦う必要があったということでしょう。こんな魔法が必要になるときがくると」

 

 普通に考えればそういうことになりそうだが、さて、どんな場面を想定しての準備であったのか。そこまでは、アルテシアはわからない。

 

「いずれにしろ、あなたのためであることは明らかですよ。なにしろあなたのお母さまは、それ以前からさまざま、なにかしらの行動を起こしていますからね」

 

 アルテシアの持つ記憶のなかでは、母マーニャは、いつもベッドに寝ていた。せいぜいが家の中を歩くだけ。外に出かけることなど1度もなかった。だが、ハリーの母親でもあるリリー・ポッターと会っていたことがわかっているし、マダム・マルキンの洋装店のことなどもある。大叔母にあたるガラティアも、何かしらの目的を持って行動していたらしいのだ。

 

「それらはすべて、あなたのためなのですよ。そのことを忘れるべきではありません」

「わかっています。母は、ほんとうにすごい魔女でした」

「同感ですね。ところで、魔法省からなにか連絡は?」

「いまのところ、何もありません」

「そう、ですか。まあ、魔法大臣の交代などで混乱したようですが、アンブリッジは降格処分、ダンブルドアの校長復帰も認められていますからね。心配はいらないと思いますよ」

 

 いまのアルテシアは、いわば謹慎中であり、正式な処分決定を待っている状況にある。9月までに進級に関する知らせがない限り、退学となってしまうのだ。

 

 

  ※

 

 

 ハリー・ポッターの前に現れたのは『隠れ穴』。つまりがウィーズリー家だ。ダンブルドアに連れられ、付き添いの姿くらましをから抜け出したとき、ホグワーツと並んで大好きな場所である『隠れ穴』の前にいたのである。

 

「これから学校が始まるまで、きみにはこの家で過ごしてもらうことになるが、よもや不満はあるまいの?」

 

 ダンブルドアにそう言われ、ハリーはあわててうなずいた。ダーズリー家で過ごした数週間よりも長い間、この家で過ごすことができる。それは、ハリーにとってこのうえなく嬉しいことであった。

 

「ぼく、不満なんかありません。すぐになかに入ってもいいですか?」

「よいとも。じゃが少しだけ、わしの話を聞いてからにしておくれ。そうじゃな、この小屋がよいじゃろう」

 

 そこは、ウィーズリー家の箒などがしまってある、崩れかかった石壁の小屋だ。もちろん落ち着けるような椅子やソファーといったものはないので、立ち話ということになる。

 ここに来るまでにハリーは、ダンブルドアとともにホラス・スラグホーンという人物を訪ねている。まずはダンブルドアがダーズリー家にハリーを迎えに来て、そのままスラグホーンの住む村へと付き添いの姿くらましによって移動。スラグホーンにホグワーツの教授就任を要請したのである。

 

「まずは、お礼を言わせてもらわねばな。今夜、ホラス・スラグホーンを承諾させることができたのは、間違いなくキミのおかげじゃよ」

「そんな、ぼくなんて。役に立つようなことは何もしてません」

「いいや、したのじゃよ。ホグワーツにはきみがいると、まさに自分の身をもってホラスに示した。ホラスはきみを見て興味を示したのじゃよ。きみの才能にの」

 

 スラグホーンは、かつてホグワーツの教師であり、ダンブルドアの同僚だった男である。有能な人物を的確に見抜くという特技を持っており、たとえば才能や血統、著名人とつながりがあるなど自身が見込んだ生徒を集めては会合を開き、同じ時間を過ごすことを喜びとしていた。つまりは、お気に入りの生徒を選んでグループを作りたがるのである。

 スラグホーンのなかで、ハリーはその候補に選ばれた。ハリーを加えたグループで過ごす自分の姿を、スラグホーンは想像してしまったのだろう。

 

「あの人が、新しい先生としてホグワーツに来るんですね」

「そういうことになる。これからは、スラグホーン先生とお呼びしなければならんのう」

「何を教えてくださるのですか」

「それは、9月になってからのお楽しみということでよいじゃろう。ところで、きみとヴォルデモート卿に関してなされた予言のことじゃが」

 

 魔法省神秘部でのデス・イーターたちとの争奪戦の結果、その予言は、失われてしまっている。おそらく壊れてしまったと思われるが、ダンブルドアはその内容を知っていた。予言がされたとき、その場で直接聞いていたのである。

 

「あのあと、そのすべてを話して聞かせたが、きみはそれを、誰にも話してはおらんのじゃろうな?」

「はい」

 

 ダンブルドアに聞かされた内容の全部を、ハリーは覚えていない。だが特別に意味があると思った部分については、はっきりと記憶している。そのなかで『一方が生きるかぎり、他方は生きられぬ……』と、予言は告げていた。すなわち、ハリーかヴォルデモートか、そのどちらかが死ぬことになるのだと。

 

「あれを1人で背負うのは大変じゃと思う。せめて、きみの友人には話して力になってもらってはどうかね」

「ええと、ロンやハーマイオニーには話してもいいってことですか」

「そうじゃよ。そのほうがきみも心強いじゃろう」

 

 ロンやハーマイオニーには話してもいいということ。ハリーは、そう理解した。もちろん、そこから別の人へと話が広がっていくことは避けねばならない。

 

「その予言に関してということになるが、今学年のあいだ、きみにはわしの個人教授を受けてもらいたい」

「個人教授、ですか?」

「さよう。スネイプ先生との個人教授はうまくいったとは言いがたいし、続ける意味もなくなったゆえ、このわしと、な」

「何をするんですか?」

「そのことは、1回目の個人教授のときまで待っておくれ。そのとき詳しい話をさせてもらうし、いつ始めるかは、その数日前に知らせる。よろしいかな」

 

 ハリーがうなずく。それを確認して、ダンブルドアも満足げにうなずいた。

 

「では、モリーが待ちくたびれておるかもしれん。これ以上の先延ばしはやめにしておこうかの」

 

 小屋を出て、2人は『隠れ穴』の裏口へと向かった。

 

 

  ※

 

 

 サーッとカーテンを開ける音が聞こえ、たちまち太陽の光が部屋中に満ちたことで、ハリーは目を覚ました。そこにいたのは、ロンだった。

 

「や、やあ」

「キミがここにいるなんて、ボクたち知らなかったぜ」

 

 ハリーがウィーズリー家に着いたのは、昨夜遅く。ウィーズリー夫妻にあいさつをしただけで、すぐに眠った。そしていま、ロンに起こされたというわけである。ウィーズリー家には、ハーマイオニーも滞在していたようだ。ロンのあとから、ハーマイオニーが部屋に入ってくる。

 

「いま、ロンのママが食事を用意してくれているわ。お盆に載せてたから、ここで待ってればいいと思うけど」

「ありがとう、それでみんな、元気かい? あれからどうしてた?」

「どうしてたかを聞くのは、こっちのほうだ。ダンブルドアと一緒に出かけたんだろ」

「そうだけど、昔の先生にまた教授を引き受けてもらうのを手伝っただけだ。ホラス・スラグホーンって人だけど」

 

 どんな答えを期待していたのか、ロンは、どこかがっかりしたような顔をしてみせた。

 

「なんだよ、ロン」

「何か、情報はないのか。ダンブルドアからは何も聞いてないのか」

「情報って……」

 

 ロンが何を言ってるのか、ハリーにはいまひとつ不明。それをハーマイオニーが説明する。

 

「ロンは、アルテシアのことをなにか聞いていないかって言いたいのよ。彼女の退学処分の話はどうなったのか」

「そのことは、何も言ってなかったよ。そうか、ぼく忘れてた」

「あたしも気になってはいるんだけど。魔法省で、いつのまにかいなくなったでしょ。そりゃそうよね。彼女、謹慎中だったのよ」

「え? でもあれは、悪いのはアンブリッジだろ。それにぼくたち、なんの罰もなかった。アルテシアだって大丈夫のはずだ」

「保留中だったのよ。決定はされてないわ。スネイプがそう言ってたのに」

 

 スネイプが何を言ったかなど、ハリーは覚えていなかった。そんなこと、気にしたこともなかった。でもそれが、どうしたというのか。

 

「アルテシアの処分を決めるのは魔法省なのよ、ハリー。なのにその魔法省で騒ぎを起こせば、どうなるか。スネイプはそう言ったのよ」

「どうなるって? まさか、本当に退学になるっていうのか」

「わからないわ。わからないけど、ひどいことにはならないはずよ。だってアンブリッジのやりすぎだったのよ。それを、魔法省は認めてるんだもの」

「まだ、決まってないのかな。ボク、なんだかイヤな予感がするんだ」

 

 実際にどうなるのか、それをここで議論しても意味があることとは思われない。決めるのは魔法省であるからだ。ロンだって、そんなことはわかってるので、話題を変えてくる。

 

「ほかには? なんにも話さなかったってことはないよな?」

「そうだな。新学期から、ダンブルドアが個人教授してくれるって言ってた」

「なんだって!」

 

 そんなことを、今まで黙ってたのか。そう言わんばかりのロンに、ハリーは苦笑い。

 

「いま、思い出したんだよ。ここに来たとき、ダンブルドアがぼくにそう言ったんだ」

「でも、どうしてかしら。ダンブルドアが個人教授ですって?」

「よくはわからないけど、予言に関してのことだって言ってた。魔法省でデス・イーターが奪おうとしたあの予言だよ」

「でもそれって、なくなったんでしょ。予言の中身は誰も知らないわ」

 

 ハーマイオニーの言うように、神秘部での騒動で、一度はハリーが手にした予言のガラス玉は行方不明となった。おそらくは割れてしまったのだろうが、その予言がされたとき直接聞いていたダンブルドアによって、ハリーはその内容を知ることができた。そのことを、2人に話して聞かせる。重要なのは、どちらかが生きているかぎりもう一人は生き残れない、という点だ。

 

「どうやらぼくは、ヴォルデモートを倒さなきゃいけないみたいだ。いずれ、決着をつける日が来るんだよ」

 

 その言葉は、それなりの衝撃を持って受け取られることになった。3人は、しばらくのあいだ、互いに黙って見つめ合う。やがて、ハーマイオニーがこんなことを言い出した。

 

「なにかあるって、そう思ってたの。ロンと、そんなことを話してたの。だってルシウス・マルフォイが、あなたとヴォルデモートに関わることだって言ったわ。あの人がハリーを殺そうとした理由がわかる、みたいなことも」

「だからって、ボクらは逃げたりしないぜ、親友。あの人と決着をつけるって言うんなら、手伝うさ。恐いけどな」

 

 新学期に、ダンブルドアはハリーに何を教えるのか。それがなんであれ、ヴォルデモート卿との対決のときに必要なこと。それを疑うものは、3人のなかに誰もいなかった。

 




6年次の物語へと入ったばかりですが、次の話までは少し時間をいただくと思います。
というのも、お仕事が忙しい時期であり書く時間とれないっていう状況なんですね。それでも年内にはもう1話とは思っています。そうできなかったらごめんなさい。


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第101話 「新学期、始まる」

ごぶさたしてます。
えー、なんやかやで忙しくしている間に、前話から1か月以上あいてしまいました。
これはもう、読んでいただいてる皆さんには、きっとこれまでの内容は忘れられてるんじゃないかと心配しております。作者本人もそうなりそうでした。
幸いといいますか、6章始まったばかりでもありますので、読んでいただければと思います。どうぞ、よろしく。


 ハリーが『隠れ穴』に滞在していた数週間、アルテシアのほうはといえば、散歩の時間を除いて、毎日のほとんどをクリミアーナ家の書斎で過ごしていた。今日は、閲覧用のテーブルで羊皮紙に向かってカリカリと羽根ペンを走らせている。ちなみに、手紙を書いているのではない。スネイプから命じられた羊皮紙5枚のレポートを書いているのである。

 レポートのテーマは、『明日、もしも魔法界が滅びるのだとしたら、今日やりたいことはなにか』。4年生のときアルテシアは、なにかの話のついでに、そんな課題をスネイプに命じられている。おそらくスネイプは本気ではないし、アルテシアにしても、冗談めかして引き受けたことは承知している。加えて、提出期限もあいまいなもの。それでも、そのレポートを書き進めていた。

 書斎のドアが開き、飲み物を載せたお盆を手に、パルマが入ってくる。

 

「あれま、それも勉強なんですか? いつもとぜんぜん違いますね」

「そうだね。魔法書のほうがずっと楽なような気がする」

「でもね、アルテシアさま。こんなこと言ってはなんですけど、ムダになるんじゃねぇですかね」

 

 羽根ペンの動きが止まった。それをペン立てへと戻し、パルマの顔を見てから飲み物へと手を伸ばす。

 

「だって、連絡ってやつが来ねぇじゃねえですか。もうあと1週間もねぇんですよ。いつもなら、なんとかなんとかってとこで新しい教科書とか買ってるころでしょうに」

「わかってるよ、パルマさん。ほんとはね、わたしもちゃんとわかってるんだ。よく5年も続いたなって、そう思ってる」

「なんですね、そんなこと言って。お気持ちはわかりますけど、だったらあの先生さまにお願いしてみるとか、なんとかやってみたらどうなんです?」

 

 アルテシアからの返事はない。両手で包み込むようにしてカップを持ち、その温かさを感じつつ、ゆっくりと中身を飲んでいく。パルマが、軽くため息。

 

「まあね、べつに昔に戻るだけですから。でもねぇ、せっかく遊びに来てくれるお友だちもできなすったのに。学校には、もっとほかにもいなさるんでしょ?」

「そうだね。でもしょうがないよ。もともとクリミアーナの魔法は、魔法族とは違うと思ってた。魔法省がわたしを受け入れないというのなら」

「あきらめなさるんですか」

「そうじゃないよ。ホグワーツはわたしを受け入れてくれた。いつかは魔法省だってそうなるかもしれない」

「その時を待つって? 気の長い話じゃねぇですか」

 

 たしかにそうだ。そうだけど、と心の中でアルテシアは思う。たしかにクリミアーナ家は、ずっと魔法界とは距離を置いてきた。だがこの5年間というもの、関わることができたのだ。離れてしまうことになっても、また近づく時は来る。希望の種を蒔くことはできたのだし、そこから芽が出ることがあるかもしれない。そう考えるのは、おかしなことではないはずだ。

 

「でも、なぜだろう」

「なにがです?」

 

 最初からそうだったわけではないのだ。最初から距離を置いていたわけではない。そのことは、ホグワーツでの5年間によって類推することができる。遠い昔、クリミアーナの先祖は創設間もない頃のホグワーツを訪れているのだし、創設者の一人であるロウェナ・レイブンクローとも交流があった。だが組み分け帽子が明言しているように、その後はアルテシアが入学するまで、ホグワーツとの関わりはない。仮に、そのときから魔法界と離れたのだとすると。

 

「アルテシアさま、どうかしましたか?」

 

 その問いかけに、アルテシアは答えない。聞こえていないはずはないが、考え事に集中するあまり、その声は認識されていないのだ。アルテシアは、ヘレナ・レイブンクローのことを考えていた。ゴーストの灰色のレディのことである。やはり、ヘレナは知っていることになる。少なくともクリミアーナの先祖がホグワーツから離れてしまった理由を、ヘレナは知っている。

 アルテシアは、そう結論づけた。同じようなことをヘレナに尋ねたことはあるのだが、そのときヘレナは『思い出したら話をしに来る』と言っただけ。でも今なら、その返事は違うものになるはずなのだ。

 だが、ゴーストはホグワーツから離れられない。クリミアーナ家を訪ねて来られるはずもないので、アルテシアのほうから行くしかないことになる。しかし今の状況を考えると、それは難しいだろう。もちろん方法はあるのだが、そんなことをしていいのかどうか。

 ともあれ、その頃に何かあったのだ。そのことを、アルテシアは考える。考えれば分かるようなものではないだろうが、それでもアルテシアは、考える。

 そんなアルテシアを、パルマが、じっと見つめていた。

 

 

  ※

 

 

 キングズ・クロス駅に、魔法省の特別車が1台到着した。乗っていたのはウィーズリー家の面面とハーマイオニー、そしてハリー・ポッターである。駅で待機していたらしい2人の闇祓いがすぐさまその場に駆けつけ、一行を守るようにして駅の中へと入っていく。

 ハリーを保護しているのだ。ヴォルデモート卿の復活が明らかとなった今、ハリーが狙われる可能性がある。魔法省がそう考え、特別車を手配し、闇祓いを配置したのである。

 もっとも、当のハリー自身には不評であるようだ。

 

「大丈夫だよ、自分で歩けるさ、せっかくだけど」

 

 そう言って闇祓いの手を振り払い、9と4分の3番線へと飛び込んだ。すぐあとから、ハーマイオニーとウィーズリー一家もホームへとやってくる。すでに紅色のホグワーツ特急が、白い煙を吐きながら停車していた。

 

「待ちなさい、ハリー。どこに危険があるのか分からないのよ。みんなで行動しなきゃ」

「あー、ごめんなさい。わかってます」

 

 悪びれた様子もなくそう言うと、ロンとハーマイオニーに向かって合図する。列車に乗って空席を探そうというのだが、ロンとハーマイオニーは監督生だ。その役割がある。

 

「ああ、そうか。忘れてた」

「でも、すぐに行くわ。それよりお願いがあるの、ハリー。アルテシアを探しておいて。列車に乗ってると思うから」

「わかってるよ。退学なんてとんでもない、きっと乗ってるさ」

「待ちなさい、なんの話だね、それは。退学?」

 

 そう言ったのは、アーサー・ウィーズリー。ハリーたちの話が聞こえたらしい。

 

「おじさん、ご存じないですか。アルテシアのことなんですけど」

「アルテシアって、あのお嬢さんが退学になったのかい? ええっ! まさか、そんな」

「そうだった。パパに聞くっていう方法があったよな。うわ、なんで思いつかなかったんだろう」

 

 アーサーは魔法省に勤めている。その意味では、アルテシアの処分について知っていてもおかしくはないことになる。ハーマイオニーがその説明をしていくが、どうやらアーサーは知らなかったようだ。

 

「そんな話は聞いてないな。処分のことも知らなかったよ。知っていれば、情報くらいは集められたと思うが、すまないね」

「いいえ、いいんですよおじさん。学校へ行けばわかるから。それと、もう1ついいですか?」

「いいとも、なんだね」

「このまえ、ダイアゴン横丁に行ったときのことです。ドラコ・マルフォイが、ボージン・アンド・バークスという店で店主となにか話をしてるのを見たんです」

 

 数日前、新学期に備えて新しい教科書などを買うため、ハリーたちはダイアゴン横丁を訪れている。そのダイアゴン横丁ではホグワーツからの自主的卒業を果たしたウィーズリー家の双子兄弟がお店を構えており、その店内を見てまわっていたときに偶然、通りを歩くドラコの姿を見かけた。そのようすが気になり、後を追ってみたのだという。

 

「その店なら知ってるよ。なにかとよろしくない店ではあるが、それだけでは何とも言えないな」

「でも、何か企んでるのは間違いないんです。なにか闇の品物を手に入れようとしてるとか」

「ハリー、それならわたしの仕事だよ。心配しなくていい、ちゃんと気をつけておくから」

「そうですよ。とにかくあなたたちは、すぐに汽車に乗ったほうがいいわ。あと2分しかないの」

 

 モリー・ウィーズリーが、腕時計を見ながら言った。たしかにそうだ。そこでウィーズリー夫妻とあいさつを交わし、列車に乗り込む。ロンとハーマイオニーは監督生用の車両へ。ジニーは友人と約束があるらしく、残されたハリーは、1人で空いているコンパートメントを探すしかなくなった。

 そのハリーが歩いていった方向とは逆の側の車両に、4人席に3人だけ、というコンパートメントがあった。なかにいるのは、パチル姉妹とソフィア。ここに空席が1つあるのだが、ハリーがこちら側へと来ていたなら、ここに座っただろうか。

 ソフィアたちは、もちろんアルテシアのことを話していた。

 

「よかったよ、ソフィア。もしかしたら、あんたも乗ってないんじゃないかって思ってた」

「それも考えました。でも、もうしばらくホグワーツにいることにしました」

「あたしらは嬉しいけど、いいの? アルのところには行った?」

「行ってませんけど、昨日の夜、手紙が届きました」

 

 手紙といってもふくろう郵便ではない。魔法により届けられたのである。そこには、ホグワーツのようすを時々は知らせて欲しいと書かれていた。

 

「あー、その役目ならあたしがするけど。アルに手紙なら毎日でも書くし、放課後にあの教室で広げておくって決めたでしょ」

「そうなんですけど、うちの母にも言われてるんです。あたしが辞めたら、魔法界とクリミアーナとは絶縁状態。そんなことになってはいけないって」

 

 ソフィアのルミアーナ家もまた、クリミアーナと同じ流れを汲む魔女の家だ。魔法書も独自のものを持っており、アルテシアがホグワーツ入学するまでは、同じように魔法界と距離をおいてきた。だがもう、そんな頃に戻るべきではない。ルミアーナ家では、そう考えているということだ。

 

「でも、真面目な話、アルテシアはどうなるんだろう。退学って、正式決定なのかな」

「アルテシアさまは、そうだって思ってますよ。だって、6年次の案内が来なければ退学だって言われてたんですから」

「連絡、来てないんだよね。でも、何かの手違いってことはないのかな。遅れてるだけとか」

「確認は必要だと思う。学校に着いたらさ、ええと、こんな場合は校長先生になるのかな」

 

 そこでコンパートメントのドアが、ノックもなしに開けられた。そこに立っていたのは、ドラコ・マルフォイ。ドラコは、コンパートメントの中をゆっくりと見回すと、そこに空席がひとつあることを確かめ、そこに座った。ソフィアの隣であり、向かい側にはパチル姉妹。

 

「ちょっと、マルフォイ。どういうつもり?」

「誰もいないからって、そこが空席だなんて思わないでよ」

「そうですよ、マルフォイさん。そこはアルテシアさまのとこなんですから」

 

 名前が出たからなのか、ぼんやりと座っているだけに見えたドラコが、ゆっくりとその顔をソフィアへと向けた。

 

「アルテシアはどこに行ってるんだ?」

「どこって。あ、ええと、乗ってはいないんですけど」

「乗ってない? ホグワーツ特急に乗ってないっていうのか」

「ええと、ご存じないんですよね。いろいろとありまして、その、ですね」

 

 どうやらドラコは、アルテシアが処分を受けたことを知らなかったらしい。ここで概略を、ソフィアが説明していく。ドラコは、じっと黙って聞いていた。そして。

 

「そうか」

 

 と、一言、ぽつりと言っただけ。そのままうつむいてしまい、それきり返事もしない。パーバティたちは、互いに困惑した顔を見せ合った。だが、このままドラコに居座られるのは遠慮したい。パチル姉妹の目が、ソフィアへと向けられる。どうやら打ち合わせなしで同じ結論を得たらしい。さすがは双子の姉妹といったところだが、その役目を強いられることになるソフィアは、あわてて首を横に振る。

 ひとしきり、そんな視線だけでのやりとりが続いたが、結局は、ソフィアがその役目を引き受けることになった。

 

「あの、マルフォイさん。その、あたしたちだけの話とかあるので、できればここから」

「おまえたち。少し静かにしてくれないかな」

「な、なに言ってるのよ。女の子が3人揃ってんのに、静かになんかしてられると思う? イヤからあんたが出てきなさいよ」

 

 ドラコとの交渉役はソフィアのはずだったが、さすがに黙っていられなかったらしい。だがドラコは、ちらっとパーバティを見ただけだった。それでも、ゆっくりと席を立つ。

 

「アルテシアと話したかったんだが、いないんじゃしょうがない。悪かったな」

 

 それだけ言うと、コンパートメントを出て行く。そんなドラコを、パーバティたちは、ただ見送っただけ。しばらくは、3人とも無言だった。

 

「な、なんなのよ、あいつ。いったい、何がしたいの?」

「なんだか、変でしたよね。いつもとようすが違うみたいです。お供の2人も連れてないですし」

「え? ああ、あの2人…」

 

 クラップとゴイルの2人だ。たしかに、ドラコは1人でここへ来ている。そういえばそうだと、パチル姉妹も思ったようだ。だがドラコを追いかけてまで、そのことを確かめるつもりは、さすがにないようだ。

 

 

  ※

 

 

「マルフォイのようすがおかしいって?」

「そうなんだ。ここに来る途中でも見たんだけど、パーバティたちのコンパートメントにいた」

「え? それっておかしなことなの?」

 

 ハリーに対し、そんな疑問の言葉で応えたのはネビル・ロングボトム。2人はいま、ホグワーツ特急のなかでも特別に広いコンパートメントにいる。新任教授となるスラグホーンからの誘いを受け、この場でのランチに参加して、いや、させられているのである。その片隅での、ひそひそ話だ。

 

「もし寮が違うってことが言いたいのなら、みんなバラバラだよ」

「そうじゃないよ、ネビル。そういうことじゃないんだ」

 

 ハリーが気にしてるのは、スラグホーンの誘いでこのコンパートメントへと来る途中で見かけたドラコのこと。その、行動についてである。ダイアゴン横丁でドラコを見かけて以来、ハリーは、どうしてもドラコのことが気になってしまうのだ。

 

「なにか計画してるんじゃないかと思うんだ。怪しげな店で、そこの店主と相談してた。闇の商品なんかがいっぱい置いてある店だった」

「パーバティたちがそれに力を貸そうとしてるって言うのかい? まさか、そんなこと」

「だから変だって言うんだよ。あの3人はアルテシアの友だちだろ。おかしいじゃないか」

「だから何が? アルテシアのことを心配してたのかもしれないよ」

 

 だが、こっそりと話ができたのはここまでだった。スラグホーンの昼食会にはハリーとネビル以外にも参加者がいて、その参加者についての紹介がされていたのだが、とうとうハリーたちの順番がきたのである。

 

「さあさあ、2人とも。内緒の話はそれくらいにしてはどうだね。まずは、ネビル・ロングボトムくんのほうだが」

 

 ネビルの両親は、有名な闇祓い。スラグホーンは、その才能をネビルがどこまで受け継いでいるのかに興味があったようだし、ハリーに対しては、例のあの人とのことに関して。

 

「いろんなウワサがあったがね。リリーとジェイムズ、あの恐ろしい夜、君は生き残った。そしてウワサが流れたのだよ。君がいかにしてあの窮地を脱したのか。本当は、何があったのか」

「ぼく、あまり覚えていないんですが」

「かもしれないね。なにしろ君は赤ん坊だった。なにが君を守り、なにがあの人を退けたのか。本当のところは誰にもわからないのかもしれない。だがね、ハリー。君のお母さんであるリリー・ポッター。彼女がなにかしなかったはずはないと思うのだよ。だからこそ君は生き残った」

 

 そこでスラグホーンは、コンパートメントに集めた人たちを見回し、改めてハリーを見た。

 

「彼女は魔法薬の名人だったよ。リリーは、すばらしかった。その緑色の瞳のように、君が母親の才能をも受け継いでいるのならば…… ああ、いや。この先は学校に着いてからのお楽しみということでいいだろう。言わんとしていたのはそのことではないからね」

 

 ちらと、ハリーを見ただけ。スラグホーンは楽しそうにしゃべっているが、ハリーのほうはうんざりとし始めていた。あの夜のことは、ハリーにとっては楽しい話ではないのだ。

 

「あれは、リリー・エバンズが嫁いで以後のことになる。あるとき、わたしのもとに手紙が届いた」

「えっ!」

「魔法薬についての相談を受けたのだよ。彼女の知人に、わたしの知識を必要としている人がいるのだと。その知人のために力になって欲しい、ということだった」

「どういうことですか」

 

 とたんにハリーは、スラグホーンの話に食いついた。そのことに、スラグホーンは満足げな様子。

 

「その頃はまだ、君は生まれていなかったんじゃないかな。あるいは、お腹の中にはいたのかもしれないが」

「そ、それで、その知人というのは?」

「リリーの親友だと聞いてるよ。その人は、やっかいな病気を抱えているようでね。その病を治すための治療法を探していたのだよ。その過程で、わたしの意見を求めてきたというわけだ]

「その人のこと、ほかになにかわかりますか? その人、どうなったんですか?」

 

 母親に親友と呼べる人がいたことを、ハリーは、シリウス・ブラックから聞かされている。あまり詳しい話は聞いていないのだが、改めてそのことが裏付けられた格好だ。

 

「その後のことはよくは知らないな。ただ娘を生みたいのだと、そのために力を貸して欲しい、ということだった」

「病気は治らなかったんですか」

「さあて、今はどうしているのだろうかね。それはわからないが、あのあと子どもを生んだとすればハリー、君と同じか少し上くらいの年齢だと思うね」

「アルテシアだ。その人は、アルテシアのお母さんなんです」

 

 つまり、そういうことになる。ハリーの声は、思わず知らず、大きくなっていた。

 

 

  ※

 

 

「今日のお散歩は、ずいぶんと長かったですねぇ。とっくにお昼は過ぎちまってますよ」

「ごめんなさい、パルマさん。いろいろと考えることがあって」

 

 ホグワーツ特急が学校への道をひた走っている頃、アルテシアはクリミアーナ家の近くにある森を、ゆっくりと時間をかけて歩いていた。この日まで、アルテシアに対して学校側からは何の知らせも届いていない。散歩が長時間に及んだのは、そのことが関係しているのだろう。

 

「あの森なら安全ですし、いいんですけどね。でも、お腹がすいたんじゃねぇですか。どうされます?」

「あー、そうだね。でもいいわ、夕食といっしょで。わたし、書斎にいるから」

「へぇ、わかりました。じゃあ、飲み物でもお持ちしましょうかね」

「ありがとう、パルマさん」

 

 そのままアルテシアは、書斎へ。その後ろ姿を見送り、パルマはため息をついた。

 

「家にいてくださるのはいいことなんだけどねぇ。いったい学校ってやつは、なにしてるのやら。ひとつ、問い合わせでもしてみますかねぇ」

 

 そんなことをつぶやきながら、パルマは台所へと入った。アルテシアの飲み物を用意するためである。

 

 

  ※

 

 

「どうやってぼくを見つけたの?」

 

 それが、最大の疑問だった。見つけられるはずがないと思っていたハリーは、トンクスにそう尋ねずにはいられなかったのだ。ハリーにとっては悔しい話だが、ドラコにしてやられた結果である。

 そもそもの始まりは、スラグホーンの食事会にスリザリンのブレーズ・ザビニが参加していたこと。ホグズミード駅が近づき参加者それぞれが各自のコンパートメントに戻ることになったとき、ハリーは、ブレーズの後について行けば、ドラコのいるコンパートメントに入り込めるのではないかと考えたのだ。

 ダイアゴン横丁でドラコを見かけてからというもの、ハリーは、その動向が気になって仕方がなかった。そしてこっそりとドラコの話を聞くことができれば、ドラコの秘密を知ることができるのではないかと考えたのだ。だから透明マントを着て、無謀とも思える計画を実行したのである。

 だが結果は、無残なものだった。あっさりとドラコに見破られてしまい、『全身金縛り術』によって動くことも声を出すこともできずに床に転がされることになった。しかも透明マントによってその姿を隠され、駅へと着いたホグワーツ特急に置き去りにされてしまったのだ。

 

「動けないし、声も出せなかった。誰にも、ぼくの姿は見えないし、このままロンドンまで戻ることになるかと思ったんだ」

「あはは、たしかにね。でも、そうはならないよ。わたしがいたからね」

「だから、なぜ? そもそも、どうしてここにいるの?」

「歩きながら話そう。あまり遅れたくはないだろ」

 

 新入生も含めたホグワーツの生徒たちは、すでに学校に向けて出発している。しかもハリーは、歩いて行くしかないのだ。すでに馬車はなく、2人は誰もいない道を歩き始めた。

 

「わたしはいま、ホグズミードに配置されているんだ。学校の警備を補強するためにね」

「それって、騎士団の仕事なの?」

「闇祓いとしての仕事だよ。君が列車から降りていないことにはすぐに気づいた。透明マントのことも知っていた。何か理由があって隠れているのかもしれないと考えたけど、誰もいなくなった列車に隠れている意味はない。見つけなきゃいけないと思ったんだ」

 

 その理屈はわかるし、おかげで助かったということになる。だがハリーは、まだすべてを納得できてはいなかった。トンクスは、どうやって自分を見つけたのか。ホグワーツ特急のどこに乗っていたのかをトンクスは知らないはずだし、透明マントをめくらない限り、発見することは不可能。つまり最初のハリーの疑問は、まだ残っているのだ。

 

「でもさ、トンクス。見えないものが見えたってことになるよね」

「そうかな。まあ、最近覚えた魔法のお世話にはなったけどね。それにあのコンパートメントには、窓にブラインドが下りてたじゃないか。まるで目印みたいだったよ、ここになにかありますよってね」

「ええと、そうだったっけ?」

 

 これで、一応の説明はつくのかも。そんなことを思いつつ、ハリーはトンクスをみた。トンクスの長いマントが、2人の背後で地面を軽くこすっていた。

 

「ねえ、その魔法のことだけど」

「ん? なんだって?」

「最近覚えたって言ったじゃないか。どんな魔法なの?」

「どんなって、新しくできた友だちからだよ。わたしも、防衛術を教えた」

 

 いつもは馬車で移動していた道のりを、ハリーは、トンクスとそんな話をしながら歩いて行く。

 

「防衛術を教えたって?」

「そうさ。だってわたしは、闇祓いだろ。防衛術なら彼女に教えてやれるからね」

「その、彼女って誰?」

「着いたよ、ハリー。ホグワーツ城だ」

 

 だが、当然のように門は閉じられていた。きっちりとかけられた鎖が、押し開けようとしてもムダだということを示している。

 

「ぼく、壁をよじ登れるかもしれない」

 

 閉じられた門を見上げながらの、ハリーの提案。だがトンクスはそれを否定する。

 

「無理だよ、侵入者を避けるための呪文がいたるところにかけられている。警備のための措置が強化されてるからね」

「それじゃ、どうするの」

 

 このまま、ここで朝を待つしかないのか。そんなことを思ったハリーだが、またもトンクスがそれを否定した。

 

「大丈夫、連絡してあるからね。誰かが迎えに来るはずだ。問題は誰が来るかってことだけど」

 

 その言葉の通り、それほど待つこともなく迎えがやってきた。やっては来たが、ハリーにとっては、まだフィルチのほうがましだと思えるような相手だった。すなわち、スネイプである。そのスネイプから、ねちねちといやみを言われることにはなったが、ともあれハリーは、ホグワーツ城に入ることができたのである。

 

 

  ※

 

 

 ハリーが大広間へとやってきたとき、すでに宴会は後半戦。ちょうど教職員テーブルのダンブルドアが立ち上がったところだった。いつものように、大広間に響いていた話し声や笑い声があっという間に消える。

 

「諸君、なんともすばらしい夜じゃと思わんかね」

 

 ダンブルドアがニッコリと笑い、大広間の全員を抱きしめるかのように両手を広げた。なぜだろう、その右手は黒くほっそりとして見えた。そのことに気づいた者は、少なくない。遅れてきたハリーもそうだし、ハリーのとなりにいたハーマイオニーにしても、同じこと。

 

「手をどうにかなさったのかしら?」

 

 当然のようなその疑問については、ダンブルドア自らがあいさつのなかで触れた。そのときには袖を下ろし、腕は隠されていた。

 

「さてさて、何も問題はないのじゃからして、心配などせぬようにな」

 

 いかにも気軽にそう言ったダンブルドアだが、さて、聞いている人たちはどう思ったか。ダンブルドアのあいさつは続く。

 

「新入生よ、ようこそ。そして上級生よ、お帰りなさい。この先、ともに魔法を学ぶという日々が待ち受けておるぞ。それぞれ、元気で頑張ってもらいたいものじゃの」

 

 それから、いくつかの注意事項が告げられる。たとえば、ウィーズリー家の双子が開店したウィーズリー・ウィザード・ウィーズという店での悪戯用具使用禁止などだ。続いて、新任の教授の紹介。ダンブルドアがハリーを連れて就任要請をしたホラス・スラグホーンである。

 

「スラグホーン先生は、かつてわしの同輩だった方じゃ。昔のように魔法薬学の教師として復帰なさることにご同意いただいた」

 

 とたんに、大広間がざわつき始めた。ダンブルドアが話している最中にこうなるのは、そうあることではない。つまりは、それほど意外なことが発表されたのだ。スラグホーンが魔法薬学を教えると、ダンブルドアはそう言ったのである。もちろんそれだけなら、おかしなことでもなんでもない。だが大広間にいる誰もが、そのことから別のことを連想したのだ。スラグホーンが魔法薬学を教えるのなら、これまで魔法薬学を教えていたスネイプは?

 大広間はそんな雰囲気に包まれていたが、ハリーはハーマイオニーとの話のほうに注意が向き、そのことを聞いていなかった。アルテシアがいない、と言うのだ。

 

「それ、ほんとなの?」

「パーバティに確かめたから間違いないわ。彼女、ホグワーツに来ていない」

「退学決定ってこと?」

「わからないけど、謹慎処分解除の知らせが来なかったみたいね。昨日までに知らせがなければ退学ってことになってたらしいの」

 

 いったいアルテシアは、退学にならねばならないようなことをしたのだろうか。ハリーには、そのことが疑問だった。これが自分に起こった出来事であれば、到底納得などできないだろう。

 

「ねえ、ハーマイオニー」

「わかってるわ、ハリー。とにかく確かめましょう。マクゴナガル先生に聞きにいこうと思うの。あなたも来るでしょう?」

「ボクも行くよ。ぜったい行くからね」

 

 そう言ったのは、ロン。ロンもまた、この処分について納得などはしていないのだ。

 



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第102話 「無言呪文」

 大広間での歓迎パーティーを終えたマクゴナガルが自身の執務室へと戻ってきたとき、ドアの前にはスネイプが立っていた。戻ってくるのを待っていたのであろうことは、明らか。ほんのわずか表情に変化をみせたが、マクゴナガルはそのままスネイプの横を通りドアノブに手をかけた。そして、改めてスネイプを見る。

 

「どうぞ、スネイプ先生。立ち話、というわけにはいきませんでしょうから」

 

 ドアを開けてスネイプを招き入れると、マクゴナガルはそのまま紅茶の用意を始める。この話は長くなると、そう思ってのことだろう。スネイプのほうもそのつもりでいたらしく、テーブル脇の椅子に腰掛けたまま、その用意が終わるのを待っている。そして。

 

「あの娘、学校に来ていませんな。そのことでなにかご存じかと思い、こうして来てみたのですが」

 

 その問いかけに、マクゴナガルはすぐには答えなかった。まずは、スネイプの前に紅茶のカップを置くと、自分の分のティーカップを持ったまま、自分の机の椅子へと腰を落ち着ける。

 

「アルテシアとは昨日、会って話をしてきました」

「ほう」

「ご質問にはお答えしますが、少し待ってもらえますか」

「待てとは、どういうことです?」

 

 もっともな疑問だろうが、マクゴナガルは、ゆっくりとティーカップを口元に運ぶ。そして、一口だけ飲んだ。

 

「もうじき、やって来るだろうと思うのです。何人で来るのかわかりませんが、目的は先生と同じでしょう。申し訳ないのですが、まとめて話をさせてください」

「なるほど。そういうことなら待ちましょう。ですが、来るのは誰です? あの娘たちならば、寮に戻っていなければならない時間ですぞ」

「ええ、その通り。ですが来るはずです。そう思っています」

 

 スネイプの立場からすれば、この時間に寮を出ている生徒を見つけた場合、寮に戻るようにと指導しなければならない。それはマクゴナガルも同じであるはずなのだが、今はこうして紅茶を飲みながら、寮を抜け出した生徒たちがやってくるのを待っている。考えてみれば、おかしな話である。

 

「ところで、あの娘は、処分については納得しておるのですかな?」

「まさか、納得などしているはずがありませんよ。ですが、従うつもりでいるようです」

「ほう。それはまた、なぜです?」

「その話は、また後ほど」

「ああ、そうでしたな」

 

 スネイプもまた、紅茶のカップを手に取った。本題の話が始まるまでは、もう少し時間が掛かるようだ。

 

 

  ※

 

 

「おまえたちの言い分はわかった。だがいまは、寮にいなければならない時間なのだ。おとなしく寮に戻れ」

「もちろん、戻ります。でもそのまえに教えてください。アルテシアはどうなるんですか?」

 

 スネイプの視線にも負けず、そう言い返したのはハーマイオニーだ。ハリーとロンの姿もある。この3人が、マクゴナガルの執務室を訪ねてきていた。まさかここにスネイプがいるなどとは、ハリーたちの誰も思ってはいなかっただろう。

 そのスネイプが、ハーマイオニーの前に立つ。

 

「ミス・グレンジャー。その前に、こうなったことの責任について議論が必要だと思うのだが」

「え?」

「魔法省にて問題を起こせばどうなるか、言っておいたはずだな。いったい、あの行動にはどのような意味があったのだ。結果として何を得たかは知らんが、その影響について考えてみたことはあるのかね?」

 

 それは5年次の終わりのとき、ハリーたちが魔法省に突撃をかけた一件に関してのことだ。もちろんハーマイオニーも気にしていたことであり、だからこそ、こうしてマクゴナガルのところへとやってきたのである。

 

「そ、それは… ですけどあれは、アルテシアにはなんの責任もないんです。それが原因で退学だなんて間違ってます。とんでもないことです」

「では、グレンジャー。責任はどこに、いったい誰にあるというのかね」

「で、ですから、それは」

「あのときにも言ったと思うが、退学うんぬんに関し吾輩は口出しができる立場にない。この場で抗議されようとも、どうしてやることもできん。それは、マクゴナガル先生も同じだぞ」

「で、でも。では、アルテシアはどうなるんですか。本当に退学になってしまうんですか?」

 

 その問いに応えたのは、スネイプではなくマクゴナガルだった。マクゴナガルが椅子から立ち上がり、ハリーたち3人の前に出てくる。

 

「この先どうなるのか。スネイプ先生が言われたように、わたしにもわかりません。わかるのは、いま現在のことだけですよ」

「それでいいです、先生。わかっていることを教えてください」

 

 スネイプには、数名の生徒が来てから話をすると言っていた。その生徒とは、おそらくはハリーたちではなかったと思われるのだが、マクゴナガルは話を始めた。

 

「あの夜、アルテシアは自宅謹慎を命じられました。正式な処分の決定は新学期までになされるという条件付きです」

「それで、魔法省からは… 処分はどうなったんですか?」

「少なくとも昨日まで、アルテシアのもとに魔法省からの知らせは届いていません。約束の期限は過ぎたのですから、魔法省は退学処分が妥当だと判断したことになります」

 

 すなわち退学決定、ということになる。少なくとも、そういう約束になっていた。その締め切りの日とも言える昨日、マクゴナガルは終日、クリミアーナ家にいたのだという。もちろん魔法省から知らせが届くことを期待してのことだが、その可能性は低いとマクゴナガルは思っていたらしい。

 

「こういうものは、最終期限ぎりぎりになってから届くというような性質のものではありませんからね」

「アルテシアはなんて言ってるんですか? 魔法省に問い合わせとかはしてないんですか」

「アルテシアは何もしていませんし、何もしなくていいとも言っています。ですが、この処分は妥当だったのか、はっきりさせねばならないでしょう」

「じゃあ、退学にはなりませんよね」

 

 もしも無用な処分であったなら、退学処分取り消しの可能性はある。だがそれは、魔法省がそうだと認めた場合の話である。ともあれ、魔法省との話し合いが必要となるわけだ。

 

「わかりません。ですが、魔法省に対し抗議は必要ですね。確かめねばならない点もありますし」

「なんですかな、それは」

 

 そう言ったのはスネイプだ。スネイプにとっては、ここまでの話のなかで、特に新しい情報というものはない。すでに承知していることがほとんどなのである。そのスネイプを、マクゴナガルがちらとみた。

 

「OWLの試験結果です。あれは、7月の終わりまでには通知がされるべきもの。それがなぜか、アルテシアのもとには届いていないのです」

「ほう、それはまた」

「ミス・グレンジャー、ミスター・ポッター、ミスター・ウィーズリー。あなたたちは、既に結果を受け取っていますね?」

 

 もちろん、3人とも7月のうちに受け取っている。

 

「この通知は、処分とは無関係。なのに、なぜかアルテシアのもとには届けられていません」

「それは、もしかして何かの手違いで連絡漏れになってるってことじゃないんですか? 処分についての連絡も、そうなんじゃないでしょうか」

 

 そこでマクゴナガルは、にっこりと微笑んでみせた。

 

「ええ、確かめなければならないと思っていますよ」

「先生、なにかわかったら、教えてください。アルテシアを退学になんてさせないでください」

 

 ひとまずそれで納得したらしく、ハリーたちはここで、寮へと戻っていった。だがスネイプは、残ったままだ。

 

「何かの手違い、ではないかもしれませんな」

「かもしれません。ですが何かの手違いであって欲しいと、そう思っているのです」

「なぜです? そんなことをしそうな人物に心当たりがあるのですがね」

「仮にそうだとするなら、アルテシアが黙ってはいないと思うからですよ。あの人の場合は、まさに自業自得。それはいいのですが、アルテシアのことが心配です。ほかへの影響も大きくなるでしょう」

 

 どういうことか。そのことを、スネイプは尋ねなかった。その代わりに、こんなことを言い出した。

 

「ところで、あの娘を訪ねてもかまわんでしょうな。話したいことがあるのですが、学校に来るものだと思っていたので、そのままにしてあるのです」

「訪ねるとは、家に行くということですか?」

「場所は知っていますよ。謹慎処分のとき、家まで連れて行きましたからな」

「そうでしたか。では、大丈夫でしょう」

 

 大丈夫という言葉に、いくらかの疑問を覚えたのかも知れない。わずかに首をひねるそぶりもみせたが、スネイプはそのままマクゴナガルの部屋を出た。

 

 

  ※

 

 

「お嬢さんたち、いまは寮に戻っていなければならない時間なのですぞ。まあ、承知のうえのことであろうとは思うがの」

「すみません、校長先生。でも、どうしてもお願いしたいことがあるのです」

 

 パドマである。その横にはパーバティ、そしてソフィアの姿もあった。場所は、校長室。それぞれが椅子に腰掛け、ダンブルドアと向かい合っていた。ちょうどハリーたちがマクゴナガルの部屋を訪れていたときのことで、目的は、どうやら同じようなものであるようだ。

 

「キミたちの大切な友人のことじゃろう。まさか、こういうことになっていたとはのう。このおいぼれも、肝を冷やしてしもうた」

「ご存じなかった、ということでしょうか」

「そうじゃの。あのときは、やむを得ず学校を離れておったゆえ、助けてやれなんだ。この話を聞いたのは、ずっと後になってから。つい最近のことなのじゃよ」

 

 そのときダンブルドアは、ハリーたちが組織したDA(ダンブルドア軍団)が摘発されたことの責任を取った形となり、魔法省と対立して校長職を追われている。アルテシアの問題が起きたのは、学校にダンブルドアが不在のときであった。

 

「アルテシアのこと、なんとかなるでしょうか」

「むろん、そうせねばならんと思っておる。ともあれ、事実確認が必要じゃな。そんなわけで、数日待ってくれるかの」

「確認してもらえるということですよね。アルテシアが本当に退学なのかどうか」

「そうじゃの。分かり次第に連絡すると約束しよう。じゃから今夜はもう、寮へお帰り。ゆっくりと眠ることじゃよ」

「わかりました。それでは、よろしくお願いします」

 

 このあたりが潮時だろう。パドマが席を立ち、パーバティとソフィアもそれに続いた。結局、話をしたのはパドマだけ。それでも、必要なことは全て話をすることができたのだ。3人はここで解散し、それぞれの寮へと戻っていった。

 

 

  ※

 

 

 翌朝の大広間。朝食の場における話題は、ほとんどがスネイプに関することだった。新任のスラグホーンが魔法薬学を教えることになったため、それまで魔法薬学を教えていたスネイプはどうなるのか。誰もが、このことをささやきあっているのである。なにしろダンブルドアは、ただスラグホーンを紹介したのみで、他の教職員の関することは何も言わなかった。

 

「普通に考えれば、スネイプは防衛術を教えるんだと思うけど。ずっとそれを望んでいたってことは有名な話でしょ」

 

 トーストにたっぷりとマーマレードを塗りながら、ハーマイオニーがそう話す。前夜はアルテシアのことばかり気にしていたので、この件については、まったく話をしていなかったのだ。それは、ハリーとロンも同じである。

 

「だけど、スネイプなんかにやらせていいのかな。防衛術よりも、闇の魔法を教えたりしそうだけど」

「だとしても、1年の辛抱だぞハリー。防衛術の教授は、これまで1年しか続いたことがないんだ。スネイプだってそうなるさ」

「いいえ、ロン。残念だけど、今学年が終わったら元どおり魔法薬学に戻るだけかもしれなくてよ」

 

 ロンの言うとおり、防衛術の教授は毎年変わっている。その例でいけば、1年後にはまた違う教授になるということだ。

 

「それより、時間割だよな。OWLの結果で、教科も変わってくる」

「そういえば魔法薬学はどうなるのかしら。スネイプとスラグホーンの基準が同じだとは限らないし、もしかするとハリー、あなた、魔法薬学を続けられるかもしれないわ」

 

 食事が終わっても、ハリーたちがテーブルを離れることはなかった。というのも、マクゴナガルから時間割を受け取ることになっているから。ハーマイオニーのように希望するすべての授業の継続が許される者もいれば、ネビルのように変身術は不許可とされたものの、代わりに『良・E』の成績を取った呪文学を薦められたりする者もいた。ハリーとロンは、スネイプの基準ではどちらも魔法薬学を続けることはできなかった。だがハーマイオニーが予想した通り、スラグホーンの基準では、継続することができるのである。

 そのことをマクゴナガルから告げられ、ハリーは魔法薬学を継続することにした。だがまさかこんなことになるとは思ってもいなかったので、教科書などの準備はしていなかった。

 

「そのことなら、心配いりません。スラグホーン先生が何か貸してくださると思いますよ」

 

 ロンも同じことをマクゴナガルから告げられ、新しい時間割を受け取った。なんと2人とも、1時間目に授業が入っていなかった。ロンが言うところの自由時間を談話室で過ごし、1時間後に闇の魔術に対する防衛術の教室へと向かう。ちなみにスリザリンとの合同授業になっている。教室の前には、古代ルーン文字学の授業を終えたばかりのハーマイオニーがいた。ハリーたちの姿を見つけ、近寄ってくる。

 

「ルーン文字で宿題をいっぱい出されたわ」

「そりゃ、大変だ。けどキミなら平気さ。宿題を片付けるのは得意だろ、ボクらと違ってね」

「まあ、なんてことを。見てらっしゃい、きっとスネイプも山ほど宿題をだすでしょうよ」

 

 ハーマイオニーが恨めしげにそう言ったとき、教室のドアが開きスネイプが顔を見せた。

 

「諸君、中へ」

 

 教室前に集まっていた生徒たちが、ぞろぞろと中に入っていく。おそらくはスネイプがそうしたのだろうが、教室内の壁にいくつか絵がかけられていた。それらは大けがをしたりねじ曲がった体の部分をさらして痛み苦しむ人の姿だった。

 

「まずは、吾輩の話を聞くのだ」

 

 壁の奇妙な絵に向けられていた視線が、スネイプの元へと集まる。

 

「これまで諸君らは、この学科で5人の教授により教えを受けている。それぞれに教え方など違っていたはずだが、そんな状況にもかかわらず、これほど多くの生徒がOWLにて合格点を取ったことに正直驚いている。諸君らは、今学年よりさらに高度な段階へと進んでいくことになるわけだが」

 

 スネイプが、ゆっくりと歩き始める。そして、パーバティの前で止まった。

 

「さきほど5人の教授と言ったが、実はそれだけではない。教授以外にも、なにやら教えていた者がいたようだ」

 

 スネイプは、まずパーバティを見て、それからハリーへと目を向けた。

 

「今学年では、吾輩の教えに従い、防衛術を学び取れ。闇の魔術は多種多様、常に変化し流動的である。ならばそれに抗する術も、同じく柔軟にして創意的でなければならぬ。より多くのことを知り、己を守ることに役立てよ」

 

 次にスネイプは壁際へと歩いていき、そこに掛けられた絵を指さした。

 

「これらの絵が、何を示しているのか。単に気味の悪い絵だと目を背けるなかれ。これらは、術にかかった者たちがどうなるかを表現したものだ。たとえば『磔の呪文』の苦しみ、『吸魂鬼のキス』の感覚、『亡者』の攻撃を受けた者」

 

 誰もが無言で、それらの絵を見ていく。かつて、実際に術を掛けてみせた教授がいたが、そのときに似た感覚が生徒たちを包んでいく。

 

「さて、諸君らへの課題であるが」

 

 スタスタと大股に歩き、スネイプが再び、教壇にある机の前に立った。

 

「無言呪文だ。魔法というものは、必ずしも声に出して呪文を唱える必要はない。無言呪文の利点は何か、分かる者はいるか?」

 

 ハーマイオニーの手がさっと挙がった。こういうとき、真っ先に手を挙げるのは彼女しかいない。スネイプは、ゆっくりとほかの生徒を見渡したあとで、ハーマイオニーを指名した。

 

「こちらがどんな魔法をかけようとしているかについて、敵対者に知られることがありません」

「さよう。それが、一瞬の先手を取るということにつながる。さらに杖を持たずにできるなら、敵を油断させることもできるだろう」

「でも、杖もなしに魔法なんて、できるはずがありません」

「グレンジャー、吾輩が言いたいのは、そういうことではない。固定的に考えず、柔軟に発想しろと言ってるのだ」

 

 ハーマイオニーの顔が赤くなった。あきらかに不満を感じているらしい。だがそれ以上の反論はせずに椅子に座ったのは賢明だと言えるだろう。実際には、杖を持たずに魔法を使うことは不可能ではない。その例がクリミアーナ家であり、例えばハウスエルフたちもそういうことになる。

 

「できないと思ってしまえば、そこで不可能となる。だが、なにか方法があるはずだと考え続ける限りにおいて、それは不可能ではない」

「でも、現実に杖は必要です」

「黙れ、ポッター。そんなことができる者はいるのだ。そういう例はある。誰しも覚えがあるはずだ。杖も持たぬ幼きころ、身の回りで不思議なことが起こったりしたはずだ」

 

 ハリーから、反論はない。そんな覚えが、ハリーにもあったからである。

 

「それでも疑うというなら、ダンブルドアにでも聞いてみるがいい」

 

 ハリーが黙ってしまうと、スネイプは教室の後ろのほうへと歩き始めた。

 

「吾輩が防衛術を教えることには納得がいかぬ。そういう声があることは承知している。闇の魔法を教えるのではないかと陰口を言う者すらいる。だが、そんな理由でこの授業をおろそかになどするなと言っておこう。学ぶことを放棄すべきではない」

 

 教室内がしんと静まりかえったところで、その足を止める。

 

「では諸君。2人1組となりたまえ。片方が無言で相手に呪いをかけ、片方が無言で対処するのだ」

 

 最初からうまくいくと思うな、これは練習だ。うまくいかなければ、工夫せよ。そんなスネイプの声のなか、無言呪文の練習が始まった。2人1組となれば、パーバティはいつもアルテシアとペアを組むのだが、その相手はいない。ため息をついたパーバティの前に顔を見せたのは、パンジー・パーキンソン。

 

「相手、してやるよ」

「あんたが? 大丈夫かなぁ」

「はっ、あいつがいなくてさびしいくせに。目に涙がにじんでいるぞ」

 

 互いに杖を構えて、にらみ合う。そんな2人を、心配げにみている女子生徒が2人。パンジーとパーバティともに、ペアを組む相手がいないわけではない。例えば、そばで2人を見ているラベンダーとダフネなどはその候補であろう。実際、ペアを組もうとして近寄ってきたに違いないのだが、その前に“対決”が始まってしまったのだ。

 とはいっても、表面上は何も起こってはいないように見えた。ただ、杖だけが動いている。ラベンダーとダフネが、互いに顔を見合わせる。

 

「ラベンダー・ブラウンだよね。わたしと組む?」

「それしかないね。じゃあ、あたしから呪いを掛けるから」

「わかった。でも、無言呪文できるの?」

「ご心配なく。あんたもそうみたいだけど、アルテシアからノートを借りたのは、あたしが一番最初なんだよ」

 

 アルテシアのノートとは、アルテシアが何人かに配った黒い表紙のノートのことだ。最初は手帳、などと読んでいたのだが、ソフィアの意見もありノートということになっている。

 ラベンダーとダフネも、互いに杖を構えて向かい合う。そのようすをスネイプがじっと見ていたのだが、ラベンダーたちは気づかなかったようだ。

 

 

  ※

 

 

 ハーマイオニーの評価では、防衛術の授業は思ったよりも良かったということになるらしい。そんなことを話しながら、ハリーたち3人はぶらぶらと廊下を歩いていた。

 

「あいつの授業が良かったって? それ、とんでもない勘違いだよ、ハーマイオニー」

「そうかしら。無意識にアンブリッジのときと比べてたのかもしれないけど、良かったわ。無言呪文は役に立つと思うし」

「あれだよ、キミがスネイプに指名されて答えを発表した、なんてことがあったからだよ。たぶん、初めてのことだよな?」

「まあ、失礼ね。ちゃんと冷静に判断した結果なんですけど」

「だけど、あんなの、どうやったらできるんだい? ぼくにはさっぱりだよ」

 

 ハリーとロンは、ただの一度も無言呪文には成功していなかった。小声でぼそぼそと呪文をつぶやいてごまかすのが関の山であり、3人のなかで成功したのはハーマイオニーだけだった。

 その3人のまえに、羊皮紙の巻紙が差し出された。それを持ってきたのは、グリフィンドールの下級生。顔は知っているが、その名前に覚えはなかった。ハリーに渡すようにと、ダンブルドアに頼まれたのだという。ハリーは、すぐにその巻紙を開いた。

 

『親愛なるハリー

 土曜日に個人教授を初めたいと思う。午後8時に

 わしの部屋に来てくれるとありがたい。

           アルバス・ダンブルドア

 追伸 わしは「ペロペロ酸飴」が好きじゃ   』

 

「ペロペロ酸飴が好きだって?」

「これ、校長室の外にいるガーゴイルへの合い言葉なんだよ」

 

 いったいダンブルドアは、ハリーに何を教えるのか。今度は、3人それぞれにそのことを予想し合った。ものすごい呪いだとか、高度な防衛術などが挙げられたが、さて、実際はどうなるのか。

 

「あっ、見ろよあれ。あの黒マントはスネイプだろ」

「ほんとだ。学校の外に出ていくということは」

「どこかに行くんでしょうね。姿くらましは学校内じゃできないから外に行くんだわ」

 

 それをロンが見つけたのは、もちろん偶然だ。たまたま、窓の外を見ていて目に入ったのだ。

 

「あんなの見ると、実感しちゃうよな」

「なにを?」

「気づいてないなら言うけど、午後は2時間続きの魔法薬学だぜ。授業があるのに外出なんかできっこない。スネイプは、本当に魔法薬学をクビになったんだってね」

「そういうことは、防衛術の時間に実感できてるはずでしょ。でも、どこに行くのかしら」

 

 だが、ダンブルドアの個人教授の内容と同じで話し合っても答えが出るものではない。すぐさま話題は変わり、休憩の後でハーマイオニーは「数占い」に出かけ、ハリーとロンは談話室に戻ってスネイプから出された宿題に取りかかった。

 

 

  ※

 

 

 ボンッ、という音とともに、スネイプが姿を現わした。場所は、田園風景の広がる片田舎。アルテシアを自宅へと送り届ける役目を負ったとき、アルテシアと別れた場所である。そこからは、そのときと同じくクリミアーナ家が見えた。敷地を囲む白い壁と広い門。スネイプは、そこへ向かって歩き始める。

 すぐに着く、とスネイプは思っていた。だが、ずいぶんと歩いたはずなのに、まだ門にまで到達してはいなかった。しかも、見る限りにおいて、歩いたほどにはクリミアーナ家に近づいてはいないのである。

 

(ふむ。なにか仕掛けがあるようだな)

 

 だとすれば、やみくもに歩いても意味はない。スネイプは、その場に立ち止まった。そして、周囲を見回していく。誰もいなければ、特におかしなところもない。スネイプには、そう見えた。では、どうするか。

 スネイプが、ゆっくりと杖を取り出した。魔法によって、今の状況を調べようとしたのだろうが、それはうまくいかなかった。背後から声をかけられたのである。

 

「なにか、お困りですか」

 

 すぐさま振り返ったスネイプの目に飛び込んで来たのは、女性の姿。軽やかに微笑んだその笑顔を見て、スネイプはかなり驚いたようだ。驚いた理由は、その笑顔に見覚えがあったから。

 

「どうされました? お役に立てるかもしれませんよ」

「あぁ、いや。実は、あそこに見える家を訪ねてきたのだが」

「そうですか、あの家を。あなたさまは、あの家が誰の家なのかご存じなのですか」

「クリミアーナ家のはずだ。吾輩の教え子の家である」

「教え子?」

「さよう。新学期が始まっても学校に来ておらぬ故、様子を見に来たのだ」

 

 いったい、この女性は何者なのか。スネイプは、そんなことを考えていた。数え切れないほど何度も見た顔であり、よく知っている相手である。だが、別人であると判断せざるを得ない。

 

「わかりました、道を教えて差し上げましょう。その教え子の名前を聞かせてくれたなら」

 

 そう言って、またにっこりと微笑んだ。笑った顔は、まさに同じ笑顔。スネイプは、軽く頭を振ってみせたあと、その見覚えのある別人に、教え子の名前を告げた。

 



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第103話 「レポート提出」

「どうぞ。お口に合うといいんですけどね」

 

 ここは、クリミアーナ家の応接間。突然に訪ねてきたスネイプをいぶかしみつつ、パルマが飲み物を出したところだ。アルテシアの姿はない。日課となっている森への散歩に出かけたまま、まだ戻って来ていないのだ。

 

「おかまいなく。しかしあの娘は、ああ、失礼。こちらのお嬢さんは、いつも出歩いているのですかな」

「ただの散歩なんですけどねぇ。まあ、ちょっとお時間かかっておいでなのは確かですけど」

「まさか夜まで戻ってこない、などということはないでしょうな」

 

 そうなると、アルテシアと会わずに戻らねばならないことにもなりかねない。スネイプとしては、せっかく学校を抜け出してきたのだから、出直すようなことは避けたいところだろう。あるいは、パルマに探しに行って欲しいと思っているかもしれない。

 

「心配することはねぇですよ。お客さまが来なすったことはご存じのはずなんで、すぐに戻ってくると思いますがね」

「ほう、連絡済みだというのですか。ならば1つ、お尋ねしたいことがあるのですが」

「なんですかね?」

 

 スネイプには、疑問があったのだ。スネイプが承知していた事実のひとつに、クリミアーナ家はアルテシアがただ1人であるということがある。だがそれでは、納得がいかないのである。すなわち、来る途中で会った女性は何者かということである。

 

「あの娘、ああ、失礼」

「どうぞ、お好きな呼び方でかまわねぇですよ。このあたりの住民は、だいたいお嬢さんと呼んでますけどね」

「クリミアーナ家は、あの娘が1人だけだと聞いていたが、どうやら違うようですな」

 

 パルマが、わけが分からないといった表情と浮かべた。だがそれも一瞬のこと、すぐに笑ってみせた。

 

「ああ、わかりました。クリミアーナへ来られるとき、道に迷いなすったんですね」

「いや、そういうことではないが、ではあの女性をご存じなのですな。あれは、何者なのです?」

「あたしは会ったことはねぇんですけど、この家を守ってくれてるんだって聞いてますね。アルテシアさまに言わせれば、保護魔法だそうで。魔法のこととなれば、ホグワーツの先生さまであるあなたのほうがお詳しいかとは思いますがね」

「なんと、あれが魔法。あれが保護魔法なのだと」

 

 スネイプは、歩いたほどにはクリミアーナ家に近づくことができなかったことを思い出していた。明らかに不自然だった。納得はしづらいが、あれがクリミアーナ家への侵入を防ぐ、もしくは侵入者を選別する手段だということになる。

 

「これは驚いた。あのような魔法があろうとは。まさか、あの娘がやったことですかな」

「そうじゃねえです、ご先祖の誰かでしょう。あたしがこの家に来る前からですからね。でも、ありがたかったですよ。マーニャさまはお体が弱くていらした。無用なトラブルなんかはごめんですからね」

「そのマーニャというのは」

「わたしの母です、スネイプ先生」

 

 ここでようやく、アルテシアが散歩から戻ってきた。

 

 

  ※

 

 

 場所は、クリミアーナ家の書斎に移っていた。お昼どきということで食堂で昼食を取りながらという選択肢もあったが、それはスネイプが断った。ちなみにホグワーツでも、そろそろ昼食時間を迎えようとしている頃である。

 

「スネイプ先生が来てくれるなんて思ってもいませんでした。わざわざ、ありがとうございます」

「そんなことはいい。それより、魔法省からは何も言ってきてはいないのだな」

 

 その問いには、アルテシアは寂しげな笑みをみせただけ。それが十分に返事となったのだろう。スネイプは、すぐさま話題を変えた。

 

「どうするつもりだ。マクゴナガル先生に話を聞いたが、何もしなくていいと言ったそうだな」

「はい。魔法省の考えに異を唱えるつもりはありません」

「なぜだ。学校に戻りたくはないのか。言っておいたはずだぞ、9月1日には必ずホグワーツ特急に乗れと」

「それは…… それは、申し訳ないと思っています」

 

 乗ろうと思えば乗れたのか。そのままホグワーツに行き、問題なく学校に入れたのか。誰からもとがめられることなく、授業を受けることができたというのか。

 

「謝る必要はない。だがなぜだ。何もしなくていいとはどういうことだ」

「魔法省に判断して欲しかったからです、先生。周りの影響を受けない、独自の判断をして欲しかった」

「結果、どうやらおまえの退学は決定したようだ。もう一度聞くが、これからどうするのだ」

「考えています。どうするのがいいのか」

 

 すでに何か決めているのか。何も決めていないのか。いずれにしろ、散歩の時間が延びているのはこのためであろう。

 

「吾輩は、魔法省はすぐにも処分撤回するはずだと思い込んでいた。ゆえに何もしてはいない。だがダンブルドアは違うかもしれんぞ。なにかしら動いているであろうことは、十分に考えられる」

「わたしはそれを、望んではいません」

「だとしても、このままにはしておかぬだろう。ともあれ、話しておきたいことがある。今日来たのはそのためだ」

「わたしも、先生にはお会いしたいと思っていました」

 

 お互いに用件がある、ということか。では、どちらが先に話しをするのか。

 

「おまえから先でかまわんぞ」

「いえ。ご足労いただいたのですから、先生のほうが先でいいです」

「そうか。ならばそうさせてもらおう」

 

 スネイプは、学校を抜け出して来ているのである。なるべく早く戻るためには、譲り合っている場合ではないとの判断が働いたようだ。

 

「吾輩も1冊受け取ったが、おまえの作った黒い手帳のことだ」

「あれは、ノートだということになったんです。魔法のノートです」

 

 呼び名については、ソフィアの希望でそうしただけ。だがスネイプには、そんなことはどうでもいいらしい。

 

「あれを、おまえが誰と誰に配ったかは知らん。だが、生徒たちの成績が面白いことになっておるのだ」

「良くなってるんですか、それとも悪くなったりしてますか」

「午前の授業で無言呪文をやらせた。誰もできまいと思っていたが、パンジー・パーキンソンとパーバティ・パチルとが、いきなり無言呪文でやりあっていた。あの2人に教えたのはおまえだな」

「じゃあ、良くなってるんですよね。よかった。ほっとしました」

 

 いきなり新しい課題をこなせたというのなら、成績は向上しているということになる。嬉しそうな顔を見せたアルテシアだが、ふと、違和感を覚えた。

 

「あれ? スネイプ先生の授業で無言呪文の練習、ですか」

「そうだ。新学期より、吾輩は防衛術を担当している。防衛術における無言呪文の有効性は、おまえなら理解しているだろう。問題はあの2人が、いつのまにそれをマスターしたのかということだ」

 

 授業中、無言呪文の有効性を問われたなら。そのときは、きっとハーマイオニーが手を挙げるに違いない。そして、100点満点の答えを発表するだろう。アルテシアは、そんなことを思った。

 

「きっとパンジーは、頑張って勉強したんだと思います。彼女の努力です」

「それを否定はしない。だがあの、ノートだったか、あれの影響があったのは間違いあるまい」

「うまくパンジーにマッチしたんだと思います。杖にだって相性があるんですよね。そういうことだと」

「吾輩は、魔法書を読んだことはない。だがこれでは、有効なものだと認めざるを得まい。だがなにより、おまえ自身が貴重なのだと知れ」

 

 いったいスネイプは、何が言いたいのか。なぜ急にそんなことを言いだしたのか。それがアルテシアにはわからない。だがもちろん、スネイプはそんなことの説明などしない。

 

「これらの結果から、いま吾輩が言えることはただ一つ。おまえは、教え導く側に立つべきだ」

「わたしが、ですか」

「さよう。おまえは、人を集めてしまった。ノートなるものを受け取り、おまえを信頼し、学んだ者たちがいるのだぞ」

 

 アルテシアは、何も言わない。ただじっと、スネイプを見ているだけ。間に挟んだテーブルの上に置かれた飲み物は、どちらも手をつけることなく、すっかり冷めてしまっている。カップに手を伸ばしそのことに気づいたアルテシアは、人差し指でスネイプのカップを指さした。たちまちカップから、湯気が立ちのぼる。

 

「その者たちを見捨てるな。この家に閉じこもり、消えてしまうようなことはするべきではない」

「先生」

「そんなことをしてもムダだ。おまえを知り、おまえを信じ、その価値に気づいた者たち、おまえを大切に思う者たちは、決しておまえを忘れはしないだろう」

 

 アルテシアは、何も言わない。少しだけうつむいてみせたのは、なにやら考えているからか。スネイプが、話を続ける。

 

「かつて闇の帝王は、自身のもとに集まった者たちを部下として使い、魔法界を混乱の渦に巻き込んだ。だがおまえならば、違うことができるはずだ。もっと輝けるはずだ。その者たちを正しく導いていけるはずだと信じる」

 

 そこでスネイプは、ようやく飲み物へと手を伸ばした。あまりの話の展開に戸惑うばかりのアルテシアも、一口だけ飲んだ。

 

「学校へ来い。退学処分だとしても、教師という道がある。たとえば魔法薬学では、立派に勤めることができるはずだ」

「まさか、そんなこと」

「できるさ。仮に吾輩が校長であったなら、すぐさまおまえを指名するだろう」

 

 つまりは冗談なのだ。アルテシアはそう解釈した。学校を卒業すらできない自分が、まさか教師などできるはずがない。スネイプがゆっくりと立ち上がる。

 

「これで学校に戻るが、また来るぞ。このままおまえを、この家に閉じこもらせてはおかん」

 

 そして、書斎の外へ出ようとしたのだが、そのドアを開けたところで立ち止まった。

 

「そう言えば、おまえは以前、マルフォイ家に行っているな。そのとき、ナルシッサ・マルフォイとなにか約束をしたか」

「え? ええと、とくには。また遊びに来いと言われて、ハイと返事をしたくらいですけど」

「ならばよい。だが今後、なにか言ってきたとしても決して約束などしてはならんぞ。わかったな」

「どういうことですか?」

 

 今日のスネイプは、いつもと違うのではないか。今度のことで心配かけているのは間違いないけれど、アルテシアとしては、どういうことなのか説明して欲しかった。

 

「おまえのためなのだ。おとなしく、言うことを聞け」

「でも、先生。急にそんなことを言われても。ドラコになにかあったということですか?」

「あいにくだが、それをおまえに話すつもりはない。ふと思いだしたので確かめただけだ。気にしなくていい」

「でも、なにかあったんですよね?」

「なにもない。おまえが気にするようなことは、何もないのだ」

 

 ある、とそう言っているようなものだ。だがこれ以上追及してみても、決してスネイプはしゃべらないだろう。それくらいは、アルテシアにもわかった。

 

「とはいえ、おまえが学校に来てドラコ・マルフォイと話をすることにまで、吾輩は口出しができんのだがな」

 

 だからといって、処分を無視することはできない。もっともアルテシアは、ゴーストの灰色のレディに会うために、1度だけこっそりとホグワーツに行くつもりでいた。そのときドラコに話を聞く、ということもできそうだ。なのでアルテシアは、それ以上は何も言わなかった。

 そのままスネイプと一緒に、玄関まで。

 

「門を出たら、姿くらましをしてもかまわんな?」

「はい、大丈夫です。でも先生」

「なんだ」

「これ、受け取ってください。レポートです」

「レポートだと?」

 

 それは、アルテシアが4年生のときにスネイプに命じられた羊皮紙5枚のレポート。そのテーマは『明日、魔法界が滅びるのだとしたら、今日やりたいことはなにか』であり、提出期限は明日滅びるというその日の前日までとされていた。そのことを、スネイプは忘れていたようだ。

 

 

  ※

 

 

 ハリーたちの午後の授業は、2時間続きの魔法薬学。スネイプのいない地下牢教室を、3人は新鮮な思いで見回していく。なにしろ、スネイプが現れる心配がないのである。ただし、OWLで合格点を取り、NEWTレベルに進んだ生徒は少なく、4寮合同の授業となっていた。

 ハリーとロンは、姿を見せたスラグホーンに、教科書を持っていないことを告げる。

 

「そうそう、マクゴナガル先生がそのようなことをおっしゃっていた。いいとも、教科書ならあの棚に何冊かあったのを見た。ただし、以前の生徒が残していったものだから古いよ」

 

 部屋の隅にある戸棚へと歩いていき、中からリバナウス・ボラージ著「上級魔法薬」を2冊引っぱり出し、それをハリーとロンに渡した。

 

「さーてと、これで授業をはじめられるかな。お気づきだと思うが、ここにいくつか魔法薬が煎じてある。NEWTレベルを卒業するころにはキミたちにも煎じることができるはずのものだよ。それを実感してもらおうというわけだ。さあ、右端からいこうか。何だかわかるかね?」

 

 魔法薬は4つあった。まずスラグホーンは、右から順に『真実薬』『ポリジュース薬』『魅惑万能薬』の3つめまでを生徒に当てさせた。答えたのはハーマイオニーただ1人だけだったが、すぐさま答えが返ってきたことにスラグホーンは大いに満足したようだ。

 そして、4つめ。その『フェリックス・フェリシス』という名前を持つ魔法薬は、スラグホーンみずからが、その正体を明かした。

 

「これは、フェリックス・フェリシス。飲んだ者に幸運をもたらすという、文字通りの魔法の液体だ。正しく煎じられものを飲めば、何をやってもうまくいく。すべてが成功へと結びつくのだよ。もちろん、薬効が切れるまでの話だがね」

 

 しかもこのフェリックス・フェリシスを、この日の授業の褒美にするというのだ。生徒たちが、かぜんやる気になったのは言うまでもない。

 

「先生は、飲んだことあるんですか?」

「あるとも。若いときに1度、そして57歳のとき。朝食と一緒に大さじ2杯で1日分だよ。そうそう、もう1人飲んだであろう人を思い出したが、きっとその人も完全無欠な1日を過ごしたはずだ。だが残念ながら、愛すべきフェリックスも病気までは治せないのだよ、残念なことにね」

 

 それが誰のことを言っているのか。だが生徒たちの関心は、どうすればご褒美にありつけるかということに移っていた。

 

「では教科書の10ページ。そこにある『生ける屍の水薬』を煎じていただこう。もちろん、完璧な仕上がりは期待していない。さすがにそれは無理だろうから、いちばんよくできた者に進呈する。さあ始め!」

 

 こうすれば、誰もが難しい魔法薬に真剣に取り組むことになる。おそらくスラグホーンは、生徒たちの実力を見ようとしたのだろう。ゆっくりと生徒たちの間を回り、そのようすを見ていく。そして。

 

「さあ、時間だ。全員手を止めて」

 

 さて、魔法薬のできばえはどうか。いったいあの魔法薬は、誰が貰えるのか。気になるのはこの点のみだ。スラグホーンは、大いに満足した様子で、審査に入った。調合の過程は見ているので、あとは仕上がりの確認だけ。それぞれの煎じた魔法薬を見回っていき、大鍋を覗き込んだり、匂いを嗅いだりしたあとで結果発表となる。

 

「いや、実に素晴らしい。正直、これほどとは思っていなかった。勝利者を決めるのに迷うかと思ったが、文句なし。ハリー、フェリックスは君のものだ」

 

 ハリーの前に立ち、スラグホーンは金色の液体が入った小さな瓶を手渡した。約束のフェリックス・フェリシスの瓶だ。

 

「リリー・エバンズは、魔法薬の名人だった。その才能は、間違いなく息子のハリーに受け継がれているようだ。母親に続いてキミにもこの薬を渡すことになるとは」

「え? それってどういうことですか」

「リリーにもフェリックス・フェリシスを渡したことがあるのだよ。彼女がそれをどうしたかは想像がつくだろうが、君も上手に使いなさい」

 

 もちろんハリーは、過去にそんなことがあったことなど知らなかった。おそらくは、生まれる前のことなのだから。

 

 

  ※

 

 

「どうやったんだ?」

 

 授業が終わり、地下牢教室を出たところでロンが小声で聞いた。ロンとしては、ハリーが『生ける屍の水薬』を完璧に煎じたということに納得がいかない。きっとなにか、秘密があるのに違いないと思っている。それは、ハーマイオニーも一緒だった。ハリーは、夕食の時にその秘密を2人に話して聞かせることにした。

 

「スラグホーンに借りた教科書に、細かく書き込みがしてあったんだ。催眠豆はつぶしたほうが刻むよりも多くの汁が出るとか、かき混ぜるときは7回ごとに1回逆に回すとかね」

「じゃあ、なに? 教科書どおりじゃダメだったってこと?」

「違うさ、やり方はいろいろあるってことだよ。ハリーの教科書には、ボクたちとは違うやり方が書かれていた。そのやり方のほうが、あの魔法薬をうまく作ることができたんだ」

 

 ロンとしては、自分がその書き込みがされた教科書を手にする可能性もあっただけに、残念そうに見えた。

 

「次の授業では、ボクにも見せてくれよハリー」

「まって、ロン。思ったんだけど、その本って安全なのかしら」

「なんだって?」

「その本におかしなところがないかどうか調べてみる必要があると思うわ。いろいろ指示があるということは、もしかしたらってこともあるわけだし」

 

 効果的で役に立ちそうに思わせておいて、そのうち、なにか危険なことが起こるのではないか。ハーマイオニーはそう言うのだ。ハリーにカバンから問題の教科書をださせて、杖でコツコツと叩いてみる。なにか魔法をかけたのだろうが、無言呪文であったため、ハリーとロンには何もしていないようにしか見えない。実際、何の変化もない。

 

「大丈夫、みたい。本当に、ただの教科書なのかもしれない」

 

 それでも納得がいかないのか、パラパラとページをめくったりしていたが、裏表紙の下の方に何か書いてあるのをみつけた。そこには、読みにくい小さな手書きの文字で『半純血のプリンス蔵書』と書かれていた。

 

 

  ※

 

 

 その日の夜、ダンブルドアからの呼び出しを受けたスネイプは、校長室へと向かっていた。その途中、同じく校長室へ行こうとしているマクゴナガルと出会う。

 

「きっと、アルテシアのことだと思いますよ」

「でしょうな。あの娘への処分に関して、なにか進展があったのかもしれませんぞ」

 

 そうかもしれないし、そうではないかもしれない。実際に話をしてみるまで、それはわからない。

 門番役のガーゴイルに『ペロペロ酸飴』と告げたのはマクゴナガル。ガーゴイルが飛びのき、背後の壁が割れ、らせん階段が現れる。そして校長室の扉の前へ。ドアをノックしたのはスネイプだ。部屋に入り、それぞれが椅子に腰かけ、話しが始まる。

 

「すまんの。今夜来てもらったのは、ちと相談しておきたいことがあるからなのじゃよ」

「そうでしたか」

「アルテシア嬢のことじゃが、学校に来ておらんという話を聞いての。どういうことかと、少々調べてみた」

 

 ダンブルドアは、まずはマクゴナガルを見た。マクゴナガルは、出された紅茶をゆっくりと飲んでいた。スネイプのほうは、いつもの無表情のまま。

 

「なにしろ魔法大臣が交代してしもうたゆえ、魔法省でも混乱があったのじゃろう。あのお嬢さんの処分うんぬんについては、詳しく承知している者がおらなんだ」

「ほう、ではどういうことになるのですかな」

「もちろん、学校に戻ってきてもらわねばと考えておる。そもそも、処分などする必要はなかったのじゃから」

「ですが、校長。魔法省によって正式に退学処分となったのだと、アルテシアはそう思っていますよ。約束の期日までに何の連絡もなかったのですから」

 

 マクゴナガルの言うとおり、アルテシアのもとに6年次の案内などは届いていない。

 

「まさにそうなのじゃが、それでも、なんとかせねばと思うておる。このままあのお嬢さんが退学してしまっては困るのでな」

「困るとは、どういうことです? それに今さら、どうにかできるとも思えないのですが」

 

 なにか策があるというのか。ダンブルドアは、自身のひげをなでながらマクゴナガルを見ている。マクゴナガルは、またも紅茶に手を伸ばした。

 

「2人ともに承知しておいて欲しいのじゃが、わしは、あのお嬢さんのもとを訪ねようと思うておる」

「ほう、クリミアーナ家を。そういえば校長は、これまでに行ったことはあるのですかな。これまではマクゴナガル先生にお任せであったようですが」

「行ったことはないが、場所は知っておる。直接会って事情を説明するつもりなのじゃ」

 

 そこでスネイプの表情が緩んだ。もしかすると、内心では笑ったのかも知れない。

 

「そのとき、道に迷うようなことがなければいいのですがね、校長」

「心配してくれるのはありがたいが、さすがに、そういうことにはならんと思うがの」

「でも、校長先生。事前の連絡だけは忘れない方がいいと思いますよ」

「ん? そうかね。まあそれはともかくとしてじゃ。今回のことは、少々面倒なことになるかもしれんのじゃ」

 

 どういうことなのか。マクゴナガルとスネイプとが顔を見合わせる。

 

「時期的にみてOWLの試験結果じゃろうとは思うが、魔法省がふくろう便を飛ばしておる。調べてもらったのじゃが、それ以外には、ふくろう便を送ったという記録はないそうじゃ」

「では、処分に関しての通知はされていないということになりますな」

「そうじゃな。じゃがファッジは、この件を間違いなく引き継いだと言うておる。ところが、後任の魔法大臣ルーファス・スクリムジョールは、そのことを知らぬというのじゃ」

 

 大臣交代の際、引き継ぎ書が作成された。ここにはファッジがやり残した仕事の内容などが記載されており、これらを後任のスクリムジョールが実行していくのである。こうすることで交替による業務への影響を防ぐのだが、今回は食い違いが生じてしまったことになる。それは、なぜか。

 

「どちらもウソを言っていないとすれば、誰かが引き継ぎ書を改変した、ということになりますな」

「そうじゃよ。その引き継ぎ書を見せてはもらえなんだが、おそらくはそういうことなのじゃろう」

 

 ダンブルドアの視線が、マクゴナガルに向けられる。

 

「OWLの試験結果じゃが、お嬢さんのところには届いたのじゃろうか」

「いえ、届いてはいませんね。アルテシアは、処分についての知らせとともに届くと思っていたようです」

「ふむ。じゃとするなら、試験結果の通知はどこかで失われたということになるのう」

「そういえば、以前にホグワーツで通信手段を監視していたお人がいましたな。その方は、いまは」

「魔法省においでじゃよ。ともあれ、証拠というものがないのでな。どうにもできん」

 

 では、どうするのか。仮にこの結果が作為的なものであったにせよ、アルテシアの処分が撤回されていないという事実は残る。

 

「こう考えてはどうですかな。スクリムジョールが処分に関して何も承知していないのですから、そんな処分などなかったとしてしまえる」

「まさにそうじゃよ。それゆえ、わしはアルテシア嬢を迎えに行くことにした」

「ですが、校長。それではアルテシアは納得しないと思いますよ」

「そうかの。では、どうすればよいじゃろうか?」

 

 だがマクゴナガルは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「わかりません。ですが、魔法大臣の考えは聞いておくべきだと思いますね。スクリムジョールがどう判断するのかを」

「それはまた、なぜじゃね。校長が決めただけではダメじゃと」

「わかりませんが、わたしは、魔法界とクリミアーナとが絶縁状態となるのは避けたいと思っていますので」

 

 マクゴナガルは、それ以上は何もいわなかった。スネイプもだ。

 

「ふーむ。ともあれ直接会って話をしてみよう。なに、あのお嬢さんも学校に戻りたがっておるじゃろうからの」

「これから出かけるおつもりですか?」

「いいや、週末にするつもりじゃよ。わざわざ、こんな時間に来てもらってすまなんだの」

 

 3人の話はそこで終わり、スネイプとマクゴナガルは校長室をあとにした。

 



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第104話 「個人教授始まる」

 スネイプとマクゴナガルが、並んで歩いていた。校長室でダンブルドアと話をした帰り道である。

 

「校長が迎えに行くということですが、どうなると思われますかな。いやその前に、クリミアーナ家を訪ねることができるのでしょうかな」

「どういうことです?」

 

 遅い時間であり、生徒たちは寮にいなければならない。なので廊下に2人以外の姿はない。歩きながら話しても、問題ないというわけだ。

 

「あの家には、おもしろい仕掛けがされています。もちろん、ご存じでしょう?」

「ああ、そのこと。なるほど、道に迷うとは、そういうことでしたか」

 

 ダンブルドアと話をした際に、スネイプはそんなことを言っている。マクゴナガル自身は経験していないのだが、あの家の保護魔法により、スネイプはクリミアーナ家訪問の際に足止めをされた形となっているのだ。

 

「わたしは経験していませんが、クリミアーナ家歴代の魔女によって色々な魔法がかけられているようです。アルテシアにも、その全てはわからないのだとか」

「ほう」

「忠誠の術とはまた違った意味で、あの家の安全は確保されています。たとえ例のあの人であろうとも手出しなどできないでしょう」

「では、校長の誘いはうまくいかないほうがいいのでしょうな。吾輩は、学校に来て欲しいのですがね」

「わたしもですよ。できるだけ、あの子の近くにいたい。ですがあの子は、あの子なりの考えで行動するでしょう」

「ふむ、その邪魔はしたくないといったところですかな」

 

 マクゴナガルは、ただ笑ってみせただけ。もうじきマクゴナガルの部屋へと着くのだが、話が続いているからか、スネイプはそのままマクゴナガルの隣を歩いている。

 

「これはクリミアーナ家の意志、みたいなものだと思いますね。誰にも、どうすることもできはしない。きっと、なるようにしかならないのです」

「なるほど。しかし、クリミアーナ家歴代の魔女たちには会ってみたかったですな。実に素晴らしい。あの保護魔法には興味がある」

「同感ですね。会えるものなら、わたしはマーニャさんに会いたい。確かめたいのです。あの子を、アルテシアを正しく導くことができているのかどうか。あの魔法は、何のためのものなのか。何が正しいのか」

 

 マクゴナガルの部屋へと到着したところで、話は終わり。もう少し時間があれば、あるいはアルテシアから受け取ったレポートの話を持ち出したのかもしれないが、そこでスネイプは自室へと戻っていった。彼自身もまだ、そのレポートには目を通していなかった。

 

 

  ※

 

 

 『半純血のプリンス』とは、誰なのだろう。ときおりハリーは、そんなことを考えた。ハリーが手にした教科書の、元の持ち主。そういうことだが、なぜそれが、今ここにあるのか。そんなことを思うこともある。

 プリンスの本には、いたるところに書き込みがされている。余白や行間などを埋め尽くすほどに書かれており、白いところはほとんどない。おかげでかなり読みにくいのだが、書かれていることは正しく、効果もある。読めば読むほど役に立つので、手放すことなどできなくなっていた。

 

「アルテシアの魔法書って、こういうことなのかな」

 

 ハリーに借りてプリンスの本を読んでいたロンが、そんなことを言い出した。その横で宿題に取り組んでいたハーマイオニーが顔を上げる。

 

「だってさ、これを読むことでハリーの魔法薬の腕は上がったじゃないか。アルテシアもそういうことなんだろな」

 

 それを聞いて、どう思ったか。ハーマイオニーは何も言わずに宿題を再開し、ハリーは腕時計を見てから立ち上がった。もうじき、夜の8時になる。

 

「そろそろ行かなきゃ、ダンブルドアとの約束に遅れる」

 

 またもやハーマイオニーが顔を上げた。

 

「頑張ってハリー。戻ってきたら、ダンブルドアが何を教えてくれたのか聞かせてね」

「大丈夫さ、きっといい授業になるぜ」

 

 友人2人から見送られ、ハリーは校長室へと向かった。肖像画の穴を抜け、誰もいない廊下を歩き、ガーゴイルに合い言葉を伝え、校長室のドアをノックする。

 

「お入り」

 

 ダンブルドアの声がして、ハリーはドアを開けた。校長室の中は、ハリーのみたところ、いつもと変わりはなかった。個人教授のためにと、特に何か準備がされているといった様子はないのだ。ハリーは、ダンブルドアの前に置かれた椅子に座った。

 

「さて、ハリー。わしは、いよいよそのときが来たと判断した。きみは、予言の内容を知った。ヴォルデモート卿が、何故きみを殺そうとしたのかをな」

「予言と関係があることなんですね」

「きみが生き残るために役立ててほしいと思うておる。このことにはキチンと決着をつけねばならんじゃろう」

 

 それは、ハリーも望んでいることだろう。だが、具体的には何をすればいいのか。それが、ハリーには分からない。その方法を教えてくれるのだろうと、ハリーは期待を込めた目でダンブルドアを見ている。

 

「ところでハリー、きみとアルテシア嬢とは、それほど親しいとまではいえぬようじゃな」

「えっ」

「正直に言うが、わしはあのお嬢さんときみとが協力し、共にこの問題に立ち向かうという状況を期待しておった。それはどうやら、難しくなってしもうたようじゃな」

「それは、アルテシアが退学となったからですか。やっぱり退学なんですか」

 

 ハリーは、ここしばらくアルテシアとまともに話もしていなかった。ダンブルドアが言うのはそのことだとハリーは思った。だが口から出てきたのは、退学に関することだった。ダンブルドアは、軽くうなずいた。

 

「このまま退学にはさせぬ。まだ間に合うはずじゃ。わしは、彼女の家まで迎えに行こうと思っておる」

「これから行く、ということですか?」

「いやいや、この時間ではさすがにのう。行くのは明日じゃよ」

「ぼくも行っていいですか? アルテシアと仲直りがしたいんです」

 

 仲直り、という言葉に対してだろう。ダンブルドアが、ちょっと首を傾げてみせた。

 

「ぼく、アルテシアのこと疑うようなことをしてしまったんです。いろいろ助けてもらったこともあったのに」

「そういえば、ハリーと母親のことを話したいというようなことを言っておったのう。ふむ。そんな話でもしてみるかね?」

「はい、先生が連れて行ってくれるのなら」

「仲直りと言うておったが、ケンカでもしたかの。母親同士は仲が良かったのじゃろうし、心配はいらんよ。すぐに仲直りはできるじゃろう」

 

 そうなれば、ダンブルドアがはじめに言ったような、ハリーとアルテシアとが協力してヴォルデモートに立ち向かうという形ができあがることになる。もちろん、うまくいけばの話だが。

 

「ともあれ、この個人教授をどのように進めていくかじゃが」

「はい」

 

 そこでダンブルドアは立ち上がり、入り口の扉の脇にある棚を開けた。そしてそこから、平たい石の水盆を取り出した。その縁には奇妙な形の彫り物がされており、中は光を放つ銀色のなにかで満たされている。これは『ペンシープ』と呼ばれるもので、ここに人から取り出した『記憶』を入れると、あたかもその場面にいたかのようにその人の記憶を追体験できるという不思議な道具だ。

 記憶は人物のこめかみに杖を当てることで、糸状にして取り出すことができる。それを通常はクリスタルの瓶に入れて保存しておき、このペンシープで見るのである。

 

「今夜は過去を見てもらうことになる。より深く正確に理解してもらうために必要なことなのじゃ」

「先生、誰の記憶なのですか」

「ボブ・オグデン、先ごろ亡くなったが魔法法執行部に勤めていた者じゃよ。では出発するとしよう」

 

 ダンブルドアがクリスタルの瓶を出し、ふたを開け、その中味をペンシープに入れた。ハリーは大きく息を吸いこみ、そこへ顔を突っ込んだ。

 次の瞬間には、二人は田舎の小道に立っていた。

 

 

  ※

 

 

 ハリーが談話室へと戻ってきたとき、ロンとハーマイオニーとが残っていた。誰もいなくなっているはずの時間なのだが、ダンブルドアとの個人教授が終わるのを待っていたのだろう。さっそく2人が、ハリーのところへやってくる。

 

「どうだった?」

「これから話すよ。ダンブルドアは、2人には話してもいいって言ったんだ。他には絶対に秘密だけどね」

 

 秘密であるためか、談話室には誰も居ないのに、ハリーたちはわざわざ隅っこへと場所を移して話を始めた。

 ハリーが体験したのは、ボブ・オグデンという人物がリトル・ハングルトンという村を訪れたときの記憶。オグデンは、この日の早朝に起きた魔法法の重大な違反事案に関してゴーント家に派遣されたのであり、いわばハリーは、そのオグデンとともにゴーント家を訪ねたようなもの。ゴーント家は、父親のマールヴォロと息子のモーフィン、そして娘のメローピーの3人家族であった。

 そこで目にしたものを、ひそひそ声で話して聞かせるハリー。ロンとハーマイオニーは、ときおり驚いた声やちょっとした質問などを挟みながら聞いていた。

 重大な違反事案とは、息子のモーフィンによるマグルへの魔法使用だ。マグルの男に呪いを掛け、痛みを伴う蕁麻疹だらけにしたのである。

 

「なぜモーフィンは、そんなことをしたの?」

「メローピーがその男に恋したからだよ。モーフィンたちにすれば、血を裏切る汚らわしい行為ってことになるらしい」

 

 ハリーは、父親が怒りにまかせて娘の首を絞めようとした場面を思い出していた。何十年も前の出来事なのに、ペンシープの効果によってあたかも実体験であるかのように話すことができた。

 結果として、父と息子はウィゼンガモットの法廷で有罪の判決を受けることになる。モーフィンはマグル襲撃の前科があるためアズカバン収監3年、父親はこのとき魔法省の役人を傷つけたことで6か月の収監となった。

 

「それで、メローピーはどうなったの?」

「うん。ぼくもダンブルドアにそう聞いたんだよ。メローピーは、モーフィンが魔法を掛けたマグルの男と駆け落ちしたらしい」

 

 その男は、リトル・ハングルトンに大きな屋敷を構える地主の息子だった。正確なところはわからないが、どうやらメローピーが『愛の妙薬』を使ったらしい。だがその効果による駆け落ち結婚は長続きしなかった。数か月後、男は妊娠していたメローピーを捨てて屋敷へと戻ってきたのである。

 

「でもハリー、メローピーが愛の妙薬を使えるんだとしたら、そんな結果にはならないはずよ」

「途中で使うのをやめたんじゃないかって、ダンブルドアはそう言ってた。赤ちゃんができたことで、自分の愛に応えてくれると考えたんじゃないかって」

「ああ、そうかもしれないわね。本当の愛が欲しかったんだと思うわ」

「でもさ、それは失敗だったんだろ。だったらもう一度飲ませれば済むことだと思うけど」

 

 だがメローピーは、そうはしなかった。あるいはそんな機会がなかったのかもしれないが、このときより2人は、再び会うことはなかったらしい。

 

「それで、赤ちゃんはどうなったの? もちろんちゃんと生まれて元気に育ったのよね」

「そのことだけど、たぶんメローピーは早くに亡くなったんだと思う。子どもは、孤児院で育つことになるんだ」

 

 その子どもの名は、トム・マールヴォロ・リドル。やがてダンブルドアの誘いによってホグワーツに入学し、その後ヴォルデモート卿として魔法界を恐怖の色に染め上げることになる。

 

「こうやってヴォルデモートの過去を知ることはとても大切なんだってダンブルドアは言ってた」

「てことは、例の予言に関係してるってことだよな」

「そういうことだと思う。わかったのは、ゴーントの家がサラザール・スリザリンの血を引いてるってこと。だからヴォルデモートもそうだってことだよ。父親はマグルだけどね」

「それが、あの人と闘うときどんな役に立つのかしら」

「わからないけど、きっと何か意味があるんだよ。あとは、スリザリンが残したものがあったくらいかな」

 

 それは、メローピーが首に提げていた金鎖のついたロケットと、父親の指にあった黒い石のついた指輪である。先祖代々、大切にされてきたらしい。

 

「指輪は今、ダンブルドアが持ってるんだ。どこかの家の紋章が刻まれた指輪だとか言ってたけど、腕があんなふうになったのと関係があるんじゃないかな」

「まさか、それを指にはめたのが原因ってこと?」

「わからない。わからないけど、無関係じゃないと思うんだ。どうやって手に入れたのかは教えてくれなかった」

 

 また別の機会に、とダンブルドアがそう言ったのだ。となれば、その機会を待つしかなかった。

 

「でも、スリザリンから続く家だなんて、すごいわよね。ざっと1000年ってことでしょ」

「それ、アルテシアのとこも同じなんだよな。1000年かどうかは知らないけど、ずっと昔からの魔女の家なんだって聞いたことがある」

「そのアルテシアだけど、ぼく、明日行くんだよ。ダンブルドアと一緒にクリミアーナ家に」

「えっ!」

 

 そのことに一番驚いたのは、ハーマイオニーだった。

 

 

  ※

 

 

「ねぇパルマさん、ちょっと出かけてこようかと思ってるんだけど」

「いつもの散歩じゃなくってことですかね。どこに行くってんです?」

 

 この日の朝アルテシアは、めずらしく森への散歩に出かけていない。散歩に出かけることなく朝食の席につき、ちょうど食事を終えたところである。このところ散歩の時間が長くなっていたのだが、その理由は考えたいことがあったから。その散歩に行かなかったということは、つまり、あれこれと考えている時間は終わったということなのだろう。

 

「お友だちを連れてこようかと思ってるの。2人、いいでしょ?」

「お友だち、ですか。さすがに今は無理だと思いますよ」

「え?」

「だって、学校がありますでしょう。さすがに休暇ってやつにならないと。そうですね、クリスマスのときがいいでしょうね」

「あぁ、うん。そうだよね」

 

 どこに行き、誰を呼んでこようとしたのか。ともあれパルマに言われ、ちょっと考え直したらしい。

 

「で、来るのは誰なんです? まさか今日来たりとかはしませんですよね?」

「ええと、誘えば来てくれると思うんだけど…… そうだよね、学校があるのを忘れてた」

「忘れてたって、まさか。ご自分が行かなくなったからって、そういうのはどうなんでしょうかね」

「ほんとにそうだ。変だよね、わたし。そんなことに気づかないなんて」

 

 学校という名が出てくる以上、ホグワーツの生徒であろうことは容易に想像できる。たとえばソフィアあたり。

 

「もちろん、来なさるのは大歓迎ですよ。でも、向こうさんのご都合も考えないとダメなんですよ。あたしはそう思いますけどね」

「わかったわ、パルマさん。でも、あれだね。ずいぶんと厳しいこと、言うんだね」

「はい、それはもう。間違ってると思ったなら遠慮なく叱ってくれと、マーニャさまに言われてますからね」

 

 そのことをアルテシアは知らなかったが、覚えている限り、これまでパルマから叱られたことはない。せいぜいが、今日のように注意をされるといった程度である。だがそれが、アルテシアには嬉しかった。

 

「パルマさんの言うとおりにするわ。ええと、とりあえず手紙を書いて都合を聞いてみればいいのよね。お休みになったら来られるかどうか」

「ええ、それがいいでしょうね。でも急にどうしたんです?」

「わたし、決めたことがあるの。その話をしたかったんだけど、すぐには無理ってことになると」

 

 一体、何を決めたのか。アルテシアはそのことは言わず、ちょっとだけ考えるそぶりを見せた。

 

「いいわ、わたしに出来ることからやるだけ。気になることもあるし、やっぱり行ってくる」

「行くって、どこへです? たったいま、手紙にするってそうおっしゃったと思いますけど」

「うん、手紙は書くよ。それとは別。ホグワーツにはゴーストがいるんだけど、そのゴーストと話がしたいの。ゴーストはホグワーツを離れることはできないから、わたしが行くしかないの」

 

 それは、灰色のレディのことだろう。たしかにまだ、話が残っていた。

 

「ダメでしょう、それは。もうホグワーツとやらの生徒じゃねぇんですから」

「見つからないように、こっそりとね。大丈夫だと思うよ」

「そういうことじゃねぇんですけど、まあ、いいです。クリミアーナを出るんなら、十分に気をつけてくださいよ」

「わかってる。話をしたらすぐに戻ってくるから」

 

 なんとかパルマの了解を得たアルテシアは、ひとまず自分の部屋へと戻った。ホグワーツの制服に着替えるためだ。ホグワーツでは姿を消しておくつもりなのでいつものローブで問題はないのだが、一応のけじめということ。目を閉じ、頭の中にホグワーツの内部をイメージする。どこがいいかを考えたすえに、いつもの空き教室に決めた。パチル姉妹やソフィアと出会う可能性もあったが、どうせ灰色のレディを探して学校内をうろつくことになるのだ。

 アルテシアは、自分自身を、空き教室に転送した。

 

 

  ※

 

 

「先生、おかしいと思いませんか。もうずいぶん歩いてるのに」

 

 そう言ったハリーの隣を、ダンブルドアが歩いていた。2人はクリミアーナ家をめざしているのだが、どうやらスネイプがこの地を訪れたときと同様の事態に陥っているらしい。家とその敷地を囲む白い壁や後方にある森などは見えているのだが、なかなかそこに行き着かないのだ。

 

「どうやら、なんらかの魔法が掛けられているようじゃな。ただ歩いているだけでは、あの家には着かぬのじゃろう」

「そんな。じゃあ、どうするんですか」

 

 2人は、そこで足を止めた。なんらかの魔法のためだとわかった以上、やみくもに歩いても無駄。別の方法を考えねばならない。

 

「なるほどのう。事前に連絡しておけとミネルバが言うておったが、こういうことであったか」

「先生は、これまで来られたことはないんですか」

「そういうことじゃが、さて、どうするかの」

 

 ダンブルドアがそう言ったところで、その声に応えるかのような声が聞こえた。スネイプのときと同じことが起こったのだ。その場に現れた女性が、声をかけてきたのである。

 

「なにか、お困りですか」

「あ、いや」

 

 さすがのダンブルドアも驚きを隠せぬようだし、ハリーのほうはと言えば、その女性のほうへと数歩、近寄っていった。

 

「アルテシア、だよね。しばらくぶりだけど、ちょっと雰囲気変わった?」

「待ちなさい、ハリー。この人は、アルテシア嬢ではなくて別の人じゃと思う」

「え?」

 

 ダンブルドアにそう言われ、ハリーは改めてその女性に目を向けた。たしかにアルテシアだとするには、年齢的に無理がある。だがその点以外は、まさにアルテシアであった。その女性が、にっこりと微笑んだ。

 

「どうされました? お役に立てるかもしれませんよ」

「あの、あなたは違うんですか」

「何がでしょう?」

 

 ハリーは、ダンブルドアを見た。ダンブルドアは、自身のひげをなでながら、じっとその女性を見ている。

 

「わしらは、あそこに見える家を訪ねてきたのじゃが、なぜだか近づくことができませんでな」

「そうですか、あの家を。では、あの家が誰の家なのかご存じなのですね」

「むろんじゃよ。それにしても、よく似ておられる。あなたは、どなたじゃな?」

 

 人に名を聞く前に自分が名乗れとは、よく言われていること。些細なことではあるが、そんな礼儀も忘れるくらいにはダンブルドアも動揺しているのかもしれない。

 

「わたしのことはお気にならさずに。よろしければ道を教えて差し上げますが、あの家には何をしに行かれるのですか?」

「あの家のお嬢さんに会うためじゃよ。すぐそこに見えているのに、なぜ行けないのじゃろうか。何か、ご存じかの」

「さあ、それは。わたしからは何も申し上げられませんけど、道に迷われたということではないのでしょうか」

 

 だが、目的地は見えているのである。なのにそこに行けないのは不自然だ。ハリーはそう思っていたが、黙っていた。ここはダンブルドアに任せた方がいいと考えたようだ。

 

「ふむ、では道を教えていただけますかな。あの家のお嬢さんに、学校へ来るようにと誘いに来たのですじゃ」

「学校というと、ホグワーツでしたかしら。そうでしたか。わかりました、ご案内しましょう」

「おお、それはありがたい。よろしくお願いしますよ」

 

 ダンブルドアも、いつもの調子に戻ってきたらしい。女性を先頭に歩き始めるが、すぐに質問を投げかけた。

 

「あなたは、アルテシア嬢とはどういうご関係ですかな。外見から察するに、クリミアーナ家と関係ある方じゃと思うが」

「この近くに住んでいる者ですよ」

「あの家の娘を、もちろんご存じじゃろうの。会ったことがあるかね?」

 

 その質問には、答えが返ってこなかった。いつの間にやら女性の姿はなく、ダンブルドアとハリーはクリミアーナ家の門の前にいたのである。

 

「先生、どういうことでしょうか」

「わからんが、着いたようじゃ。さて、行ってみようかの」

 

 2人は門をくぐった。今度は、道に迷うようなことはなかった。

 

 

  ※

 

 

 ダンブルドアがハリーを連れてクリミアーナへと付き添いの姿くらましをしたころ、ちょうど入れ替わるようにして、アルテシアがホグワーツに侵入した。この時点でアルテシアは、ホグワーツ城のなかに入れる立場にない。その資格は失われている状況なので、侵入したということになる。

 日曜日だし、お昼にはまだまだ時間がある。おそらく生徒たちは、大半が談話室にいるだろう。なにをおいてもパーバティに会いたかったが、さすがに迷惑をかけてしまうことになる。ソフィアにしても、それは同じだとアルテシアは思っていた。

 まず、自分の姿を消すことから始める。万が一にも、誰かに見つかるわけにはいかないからだ。これから広いホグワーツ城のどこにいるかわからないゴーストを探すことになる。灰色のレディと話をするのだ目的だが、さて、学校内のどこに居るのか。

 マジックフィールドによる探査をかければ、すぐに見つけられるだろう。だがその場合、わずかだが、ソフィアには気づかれる可能性がある。そうなってはいけないとアルテシアは思っていた。ソフィアには学校があるのだ。パルマに言われたように、休暇となるまで待つべきだ。

 廊下を歩きながら、1つ1つ部屋を確かめていく。ゴーストたちはいつも、どの部屋にいるのか。考えてみれば、そんなことは何も知らなかった。サー・ニコラスはよく大広間で見かけたが、灰色のレディはあまり見かけた覚えがない。

 

(やっぱり、西塔かな)

 

 レイブンクロー寮の近くかもしれない。だとすれば、西塔か。いまアルテシアは8階にいた。上から下へと順にという予定であったが、とりあえず8階を探し終えたら西塔へとそう思ったとき。アルテシアはドラコの姿を見つけた。ドラコは、壁に掛けられた大きなタペストリーの前にいたのだ。思わず隠れようとしたアルテシアだが、姿を消してあるし足音などの対処もしてある。そのため、見つかる可能性はない。

 そういえば、ドラコとも話をしておく必要があったのだ。スネイプがクリミアーナ家に来たときのことを思い出しながら、アルテシアはドラコのほうへと近寄っていった。タペストリーには『バカのバーナバス』がトロールにバレエを教えようとしている絵が描いてある。その向かい側はただの石壁だ。その前を、ドラコは行ったり来たり。何をしているのかとアルテシアが見ていると、なんと、そこに扉が現れたのだ。石壁であったはずなのに、そこに扉が。

 

(そうだ! ここって、あのおかしな廊下なんだ)

 

 それは、探査魔法の練習をしたときのこと。8階のこの辺りに、おかしなイメージを感じたことがあるのだ。ドラコが、扉を開ける。ドラコに続いて部屋に入るのはさすがに無理。なので入り口から室内が見えたのを頼りに、自分自身を部屋の中へと転送する。ほぼ同時に、ドラコが扉を閉めた。

 

「うおーっ、どうすりゃいいんだ!」

 

 いきなり、ドラコが叫んだ。さすがにアルテシアは、びっくりした。大声を出されるのは苦手なのである。

 

「くそっ。ダンブルドアを殺せって。いったいどうやって? ホグワーツへの侵入手段を確保しろだと、ふん、そんなことできるもんか」

 

 声はずいぶんと小さくなっていたが、今度は別の意味でアルテシアを驚かせた。校長先生を、殺す?

 これは、ただ事ではない。アルテシアは、姿を見せることにした。ドラコと話をする必要がある。灰色のレディのことは、ひとまず保留とするしかなかった。

 

「ドラコ」

 

 アルテシアが声を掛け、ドラコが振り返った。

 

「へぇ、さすがは必要の部屋だな。アルテシアまで用意してくれるなんて」

 

 突然アルテシアが現れたことに、ドラコが驚いたようすはない。必要の部屋は、必要としているものを用意してくれる。どうやら、そういうことだと思ったらしい。

 



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第105話 「必要の部屋で」

 ダンブルドアとハリーは、クリミアーナ家の応接間へと通されていた。テーブルの上に、温かそうな湯気をたてる飲み物が用意された。ダンブルドアがさっそく手を伸ばしたが、ハリーは、きょろきょろと部屋の中を見回している。

 

「ええと、おじいさんはホグワーツとやらの先生さまなんですよねぇ。で、こちらが生徒さんってことですね」

「いかにも、そうじゃよ。それにの、アルテシア嬢も大事な生徒なのですじゃ」

 

 ダンブルドアに出されたのは、クリミアーナ家に代々伝わるという秘伝の飲み物である。いつもアルテシアが好んで飲んでいるものだ。これがマクゴナガルであれば紅茶となる。

 

「それはどうも。けど今は学校がありなさるでしょう。こういうことは休暇になってからのほうがいいんじゃねぇですかね。お手紙差し上げたと思うんですけど」

「さあて、なんの話かわからんが。なれど休暇になるまで待っていては、学校の勉強も遅れてしまいますのでな」

「それはそうでしょうが、退学としたのはそちらでしょう。そう聞いてますけどね」

 

 ここでパルマも、椅子に座った。いつもアルテシアが座る場所の、その横である。自分の席ではない。そのほうが話がしやすいと思ったのだろう。

 

「まさにわしらは、そのことで来たのじゃよ。処分のことは忘れ、学校に戻って欲しいと思うておるのじゃが」

「あらま、そうでしたか。じゃあ、あのこととは別なんですね。おかしいと思ったですよ。おじいさんがいるなんて」

「なんのことかね?」

「いいえ、べつに。ですけど、学校に戻らずとも、アルテシアさまは毎日、勉強を欠かしてはいませんですよ」

 

 どうやらパルマは、勘違いをしていたらしい。アルテシアが友人2人を連れてくるといっていたので、その2人が来たとでも思っていたようだ。

 

「勉強とは言うが、魔法書のことじゃろう。ホグワーツで友人たちと学ぶのは、また違った意味があると思いますぞ」

「おや、そうですか。ですけどクリミアーナでは、こうしてきたんですよ。前の奥さまもそうでした」

「それは、アルテシア嬢のお母上のことかな。たしかお母上は、亡くなっておられるとか」

「ええ、そうですよ。アルテシアさまが5歳になられたばかりの頃でしたけど」

 

 そのときマーニャは、まだ25歳。あまりにも早すぎる死であった。

 

「クリミアーナ家には、縁続きの家というのはあるのですかな。ご親戚の家が近くにあったりはしませんかな」

「えっ、それはまた、どうしてそんなことを」

「ここへ来る途中に、そっくりのお方を見かけましてな。聞けばこの近くに住んでおられるとか」

「ああ、そのことですか。それは親戚ってことじゃねぇですよ。まあ、この家の守り神ってところですかね」

「どういうことですかな」

 

 それはクリミアーナ家に掛けられた保護魔法なのだと、パルマが説明する。ハリーはそのことに驚いているようだが、ダンブルドアは楽しそうに聞いていた。

 

「なんとのう、あれが魔法だとは。驚くばかりじゃが、では次に来るときは道には迷わぬじゃろう」

「先生、どういうことですか」

 

 これは、ハリーだ。ハリーがしゃべったのは、ここに来て初めてということになる。

 

「あの女性が、わしのことを記憶してくれたと思うからじゃよ。もちろん、キミのこともな」

「でも、どんな魔法なんでしょうか。あの人とは、ちゃんと話ができたのに」

「ハリー、忘れておるようじゃが、キミは2年生のときヴォルデモート卿の日記帳と対決しておる。記憶や知識などから人の姿を生み出す方法はあるのじゃろうて」

「あれと同じだって言うんですか。あれは、闇の魔法だったのでは」

「これ、ハリー。保護魔法じゃと言うておるのに。なにしろこれは、かなり高度な魔法じゃよ。この家に害を為そうとする者を近づけぬための工夫なのじゃと思う」

 

 この魔法だけではない、この家には、他にも魔法が掛けられているようだとダンブルドアは話を続けた。だがそれを、パルマが中断させる。

 

「すみませんね、おじいさん。難しい話はあたしにはよく分からないんですよ。そりゃ、魔法学校の先生さまはお詳しいでしょうけど」

「おお、これはすまなんだ。ところでアルテシア嬢は、いつごろ戻ってくるじゃろうか」

「なんとかってのと話をしたら戻ってくるとは言ってましたけどね。まあ、夕食には間に合うように帰ってきてくれると思いますけど」

「ふうむ、であれば出直すしかないかのう。また来てもいいかね?」

 

 もちろんパルマは、拒否などしなかった。そのままダンブルドアとハリーを門のところまで送り、最後に一言。

 

「今度からは、連絡してくださいな。あたしもそれなりの準備とかできますからね」

「おお、そうじゃな。では明日の夜、時間は8時でどうかね?」

「そのときに来なさるということですか」

「そうじゃよ。アルテシア嬢にそう言うておいてくれるかの」

「あの、先生。ぼくも、ぼくもいいですよね?」

 

 どうしようか。ダンブルドアは迷ったに違いないが、結局、うなずくことになった。

 

 

  ※

 

 

 必要の部屋では、アルテシアとドラコとが話をしていた。ドラコのほうは、必要の部屋が用意したアルテシアのダミーだと思っているらしく、特に隠したりするでもなく、自分の置かれた状況を話していく。その発端は、ヴォルデモート側による魔法省襲撃の失敗であったようだ。

 数か月もの準備期間をかけた作戦であったが、ハリー・ポッターを罠に掛けて魔法省におびき出すことには成功したものの、肝心の予言を手に入れることはできなかった。しかも8人ものデス・イーターが捕らわれるという失態も演じているのだ。作戦遂行の責任者であったルシウスも魔法省に捕らわれている。

 そしてヴォルデモートは新たな作戦を計画。ドラコは父親の責任を取らされる形で難しい任務を命じられたというのだ。

 

「どうしよう、どうすればいいんだ。アルテシア、教えてくれよ」

「落ち着いて、ドラコ。それであなたは何をしなければいけないの。何を命じられたの?」

 

 アルテシアとドラコは、テープルを挟んで向かい合わせで椅子に座っていた。話をするのに椅子やテーブルが欲しいと思ったとき、必要の部屋が用意してくれたのである。

 

「デス・イーターたちがホグワーツに侵入できる手段を確保しなくちゃいけないんだ。ホグワーツを襲撃するためにね」

「それで、校長先生を殺すっていうのは?」

「ダンブルドアがいなくなれば、闇の帝王に歯向かう者はいなくなる。不死鳥の奴らは問題じゃない」

「殺せって命令されたの?」

「ああ。ぼくなら、怪しまれることなくダンブルドアに近づけるからね。油断しているところで死の呪いを掛けることができる」

 

 これは大変なことだとアルテシアは思った。冗談だよ、びっくりしたか、とでも言ってもらえたならどんなにいいか。

 

「ふーっ、ちょっとは気が楽になったよ」

「ドラコ」

「必要の部屋が作り出したニセモノだってわかってても、アルテシアと話ができたんだ。元気が出てきたよ」

 

 人に言うことで、少しは気が楽になったのだろう。かすかに笑ってみせたドラコだが、アルテシアのほうはそうはいかない。

 

「ドラコ、わたしはニセモノじゃないわよ。本物だから」

「は? 本物だって。まさか。必要の部屋が作り出したものだろ」

「違うわ。ちょっと用事があって、こっそりと学校に来たの。たまたまドラコを見かけて、あなたがこの部屋のドアを開けたとき、一緒に入り込んだのよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。本物だって。ほんとにアルテシアなのか」

 

 ドラコを信用させるのにはなおも時間を要したが、本物だと納得すると、今度はうっかり秘密をしゃべってしまったことを後悔し始めた。

 

「アルテシア、これはぼくの問題なんだ。キミに何かして欲しいわけじゃない。ニセモノだと思ったから話したんだ。誤解しないでくれ」

「でもドラコ、そうしなきゃ、例のあの人に叱られるんでしょ」

「そんなこと、キミは心配しなくていいんだ。これは、ぼく自身が解決しなきゃいけないんだ」

 

 これがドラコの問題であるというのは、そのとおりだろう。だがアルテシアは、知ってしまったのだ。聞いてしまった以上、知らぬ顔などできるはずがない。

 

「わたしにもできることがあるはずよ、ドラコ。わたしに手伝わせて」

「バカいえ、危険なんだぞアルテシア。失敗すればどんなことになるか、おまえはわかってない。例のあの人は、闇の帝王は……」

「大丈夫、大丈夫だから、ドラコ。ほら、わたしを利用するって思えばいいじゃないの。きっと何かの役には立つはずよ」

 

 ドラコからは、すぐに言葉が出てこない。考えているのだろう。どうするのか一番良いのか。アルテシアも、無言のままドラコを見ている。ドラコに課せられた使命はダンブルドアを殺すこと。だが果たして、ドラコはそれをアルテシアに命じるのか。そのときアルテシアは、ダンブルドアを殺すのだろうか。

 

「ドラコ、あなたはスリザリンだけど、わたしには親切にしてくれた。助けてくれたこともあったよね。今度はわたしが」

「まてよ、アルテシア。ぼくがキミを助けたって?」

「クィレル先生に追いつめられたとき、あなたがスネイプ先生を呼んでくれて助かったことがあった。ソフィアのことも気にかけてくれてるし、わたし、感謝してるのよ」

「そんなことを、いまでも覚えてるっていうのか。なるほど、成績優秀なわけだ。まてよ、そうか」

 

 なにか、思いついたらしい。そのことによる興奮のためか、いくぶん顔が赤くなっているようだ。

 

「わかったよ、アルテシア。キミに手伝ってもらえることを思いついた。フェリックス・フェリシスだ」

「え? フェリックスって、幸運の液体とか言われてる魔法薬のこと?」

「知ってるのか、さすがだな」

「実際に見たことはないわ、知識として知ってるだけ」

「それでも、ぼくよりははるかにましさ。作れるか?」

 

 フェリックス・フェリシスは、スラグホーンが授業の褒美とした魔法薬だが、そのときはハリーが手にしている。

 

「わからない。難しい魔法薬みたいだし、時間もかかると思うけど」

「だろうな。でも効果は絶大なんだ。これを飲めば、その日1日、何をやってもうまくいくらしい」

 

 フェリックスさえあれば、とドラコは言うのだ。たった大さじ2杯分でその日は何をやってもうまくいくのだから、その状況下でなら完璧な計画を作りあげることがことができると考えた。八方ふさがりの状態から脱することができるはずなのだと。

 

「頼むよ、アルテシア。ぼくには無理だけど、キミの魔法薬学の実力ならできるはずだ。フェリックスさえあれば、きっといい方法が見つけられるはずなんだ」

「だけど、簡単じゃないんだよ、失敗するかもしれないし」

「そんなこと気にするもんか。アルテシアがやってもできないのなら、あきらめもつく。そのときはそのときだ」

「わかった、やってみる。だからドラコ、ムチャはダメよ。助けてくれる人は、ほかにもいっぱいいると思うよ」

 

 そこでドラコは、なぜか寂しそうな顔をして見せた。

 

「アルテシア、そんなのは、誰もいやしない。ぼくはひとりさ」

「え?」

「魔法省の攻略に失敗し、父上は闇の帝王の信頼を失った。すると、どうだ。クラップもゴイルも、ころっと態度を変えた」

「まさか、そんなこと」

 

 だがそれは、本当らしかった。いずれはアルテシアにもわかることだが、このところドラコは、一人での行動が増えている。

 

「そんなことはいいんだ、アルテシア。キミがこれまで通りでいてくれればね」

「パンジーは? 彼女はどうしてるの」

「あいつは、さみしそうにしてるぞ。誰かがいないからだと思うけど」

 

 その誰かとは、おそらくはアルテシアであるのだろう。そう言われてアルテシアが浮かべた笑みは、きっと苦笑い。

 

「だけどアルテシア、本当に退学なのか。もう、どうしようもないのか」

「うん、そうみたい。魔法省は、やっぱりクリミアーナを認めてくれなかった。わたし、悪いことをしたとは思ってないんだけど」

「でも今日は、どうしたんだ。どうやってここに? まさか、学校に入り込む方法があるのか」

 

 もし、それがあるのだとしたら。ドラコは、ヴォルデモート卿による命令の一つをクリアできることになる。だがそれは、いわば『姿くらまし』であり『姿あらわし』のようなもの。アルテシアの魔法による結果なのだ。同じことをデス・イーターにやれといってもできるはずがないし、アルテシアとしても、侵入方法をヴォルデモートの側に提供するつもりはない。仮に提供したにせよ、それは数年かけての魔法書の勉強となる。それではデス・イーターは納得しないだろう。

 

 

  ※

 

 

 昼食時間のホグワーツ。その大広間を、ソフィアはグリフィンドールのテーブルをめざして急ぎ足。そこにパーバティの姿を見つけると、その横に座った。

 

「パチルさん、アルテシアさまを見ましたか?」

「は? なに言ってんの。ソフィア」

「アルテシアさまです、学校に来てるかも知れないんです」

 

 そこでパーバティは、しぐさでソフィアを黙らせ、すばらく周囲を見回した。どうやら、いまの話を誰かに聞かれたようすはないようだ。3人分ほどの間を開けた場所にはハリー、ロン、ハーマイオニーの3人組がいたが、どうやら日刊予言者新聞を前にして、その記事に注目しているらしい。『スタン・シャンパイクが捕まったって?』という声が聞こえた。そんな、彼らにとって目を引くような記事が載っていたのであろう。

 

「そういうことは、大きな声で言っちゃダメだって」

「あ、そうですよね」

「でも、どういうことなのアルが来てるって?」

 

 声を小さくしたパーバティが、空の皿に昼食料理をとりわけ、ソフィアの前に置いた。どうせなら、ここで昼食を食べろということだ。

 

「手紙が届いたんです。学校が休みになったらクリミアーナに来れないかって書いてありました」

「いいじゃない、一緒に行こうよ。あたしもクリスマス休暇になったら行くつもりだから」

「ええ、さすがにもう行かなきゃって思ってますから行きますよ。それはいいんですけど」

 

 その手紙は、いつの間にか彼女の荷物のなかに紛れ込んでいたらしい。当然、フクロウで届けられたものではない。問題は、どうやって届けられたのかということ。

 

「どこかで見てたんだと思うんですよ。ホグワーツに来たんじゃないかと思うんです」

「なるほどね。だとすれば、わたしらのやることは決まってるよ」

「え?」

「この状況じゃ、さすがのアルも顔見せられないでしょ。だったらあたしらが場所を変えるだけ。さあ、早く食べちゃいな」

 

 退学となったアルテシアが、堂々と大広間に姿を見せるはずがない。そんなことになれば、それなりの騒動となるのは間違いないのだから、そんなことをするはずがない。

 

「大丈夫、黙って帰ったりはしないから。アルテシアだからね」

「あ、パチルさん。それ」

「え? あっ!」

 

 まさに、いつのまに、であろう。パーバティの前に封筒が置かれていたのである。そのとき2人は、背後から肩を叩かれた。すぐさま後ろを見たものの、そこに人の姿はない。だが間違いなく、その感触はあったのだ。

 パーバティが立ち上がり、自分の後ろの空間をギュッと抱きしめてみせた。

 

 

  ※

 

 

「おかえりなさいまし。留守中にお客さまが見えられましたですよ」

「だだいま、パルマさん。お客さまって誰?」

「ええと、おじいさんと男の子でしたけどね。はて? 名前はなんでしたっけ」

 

 もちろん、ダンブルドアとハリーのことである。だがパルマは、その名前を忘れてしまっているらしい。あるいは、聞いてはいなかったのか。

 

「でもね、明日の夜8時にもう1回来るっていってましたよ」

「おじいさんは、きっと校長先生だと思うわ。男の子は……」

 

 たぶん、ハリーだろう。そう思ったが、アルテシアはその名前を口にはしなかった。なぜ、クリミアーナへ来るのか。それが、わからなかったのだ。軽く、ため息。もう、関係ないはずなのに。

 

「お友だち2人っておっしゃってたのとは、別の人たちなんですよね?」

「違うわ、ソフィアとティアラの2人よ。ソフィアに手紙を渡して、ティアラにも伝えてもらうように頼んできた。あの2人は連絡取り合ってるみたいだから、そのうち返事がくるんじゃないかな」

「ティアラって、もしかしてクローデル家の娘さんのことですか。アルテシアさまは、その人を知ってなさるんですか?」

 

 パルマもびっくりしたようだが、アルテシアも驚いていた。ここでクローデル家の名前が出てくるなど、思ってもみないこと。

 

「学校で会ったの。ずっと昔にクリミアーナと関係があった家なんだけど」

「ええ、ええ、その通りです。もう言ってしまいますけど、このパルマはクローデル家とのご縁でマーニャさまのお世話をすることになったんですよ」

 

 そのことを、アルテシアは知らない。だがマーニャは承知していたこと。でもなければ、クリミアーナ家に入り込めるはずはないのだ。パルマが、そのことの説明を始めた。

 

「ティアラさんがお生まれになるとき、その場にいましてね。その縁で、マーニャさまの妊娠がわかったとき、あちらの奥さんからマーニャさまのところに行ってくれないかとお話をいただいたんです」

「じゃあパルマさんは、もともとはクローデル家の人だったんだね」

「そうじゃねえですよ。そりゃ色々と付き合いはありましたけどね。アルテシアさまはクローデル家のことをどれくらいご存じなんですか」

「ほんの少し、かな。ずっと昔に騒動があって、それでクリミアーナを離れたってことくらい」

「その騒動のことですけど、原因とかはご存じなんですかね?」

 

 このことにパルマは触れたくなかったはずである。だがティアラが来れば、いやティアラと知り合いだというのなら、時間の問題としてアルテシアは、そのことを知るだろうとパルマは考えたのだ。ならば、自分の口からそれを告げてしまおうということ。

 

「わたしが知ってるのは、結果だけ。調べればわかるのかもしれないけど、そんなことはいいんだ」

「なぜです?」

「だって、ティアラはティアラだから。ずっと昔に何かがあったとしても、それでティアラが別人になったりしないよ。ティアラがティアラなのは変わらない。それにね」

 

 そこでなぜか、アルテシアは言うのをやめた。一歩、二歩と歩き、パルマの後ろへ。それに合わせてパルマも体の向きを変えるが、アルテシアの背中を見ることになる。

 

「もしかして、クリミアーナの側に問題があったのかもしれない。何があったのかはわからない。それを知るのが怖いだけなのかもしれないけど」

「あたしが聞いた話では、騒動の火種はクローデル家ですよ。向こうの人たちもそう言ってましたですよ」

「そうだね、わたしもそう聞いたことがある。でも、なぜそうなったのか、その理由が抜けてるんだよね。パルマさん、知ってる?」

 

 そのことをパルマは、知っているのかいないのか。ここではパルマは、何も言わずに黙っていた。パルマにしては、めずらしいことである。アルテシアが振り向いた。

 

「パルマさん、なにか気にしてるのかもしれないけど、わたしはパルマさん大好きだよ」

 

 その笑顔にパルマも表情を緩め、軽く息をはいた。

 

「あたしもですよ、アルテシアさま。昔のことなんか気にしちゃいません。でもそのティアラさんとやらが来るのなら話しておかなきゃと、そう思っただけです。必要なかったですかね」

 

 それに対するアルテシアの返事は、にこにこの笑顔だった。

 

 

  ※

 

 

 その翌日、アルテシアは早朝からずっと書斎にこもりっきりとなっていた。材料として何が必要なのか、どのように煎じればいいのかを知らなかったため、散歩にも行かずに調べ物をしているのである。もちろん、ドラコに頼まれたフェリックス・フェリシスのことだ。

 とはいえ、書斎にある蔵書の中にフェリックス・フェリシスに関する資料があるかどうかは不明である。自分の家にある本ではあるが、さすがにアルテシアもその全ての内容を把握できてはいない。だがそれが幸運の液体と呼ばれていることや、煎じるのが難しい魔法薬であることは知っていた。何かで読んだか誰かに聞いたのかはわからないが、自分の身近にフェリックス・フェリシスに関する物があるのに違いないとアルテシアは思っていた。

 あるいは、ホグワーツの図書館で見たのかも知れない。それを否定はしないが、自身の図書館の利用具合を思ったとき、可能性は低いと考えざるを得ない。なにかあるのなら、クリミアーナ家の書斎のはずだ。

 

(でもなぁ)

 

 アルテシアはため息をついた。改めて、書斎にある本の量に驚いているのだ。一通り目を通しているはずなのだが、その背表紙を見ただけでは内容を思い出せない本が意外と多い。結局のところ手にとってページを開いてみなければならず、それなりの時間もかかることになる。

 ドラコによれば、期限は特に定められていないという。だがそれは、表面的なことでしかない。その間にヴォルデモートは他にやっておきたいことがあるだけであり、それらに目処がついた時点でその期限は到来するのだ。余裕はないと考えるべき。

 ふーっと、もう一度ため息。そして、本棚を見る。

 仮に探している物が見つかったとしても、そこにあるのはいわば基本レシピでしかない。それが魔法界において認められた方法であることを否定はしないが、それだけでは不足なはずだ。完成度をより高めるための工夫という研究を重ねてこそ、初めて真に効果のある魔法薬を作ることができるのだ。だが果たして、そんなことをしている時間はあるのか。

 本を調べながらも、そんなことを考える。スネイプの顔が、頭の中に浮かんだ。スネイプであれば、フェリックス・フェリシスのことは知っているはずだ。効果的な方法も知っているはず。なにかアドバイスを……

 だがアルテシアは、首を横に振った。

 どうせまた、ホグワーツには行くことになるのだ。ドラコのこともあるし、なによりゴーストの灰色のレディにまだ会ってはいないのだ。必ず行かねばならない。そのときに、スネイプと会うことはできるだろう。だが。

 

(先生にはご迷惑だよね)

 

 スネイプからは、マルフォイ家から何か言ってきても相手にしてはいけないと言われている。だが一方で、学校に来ればドラコと話をしてもかまわないようなことも言われた。それは、どういうことなんだろう。アルテシアは、考える。

 考えているときは過ぎたのではなかったのか。すでに決めたのではなかったのか。そんな思いは、当然のようにある。だが、なかなか思い通りには行かない。

 

(とにかく、ここの本を調べてみてからだよね)

 

 なにか見つかれば。あるいは、何も見つからなかったならば。

 臨機応変。そのときに考えればいいのだし、それで自分の決めたことが変わるわけではない。変えたりはしない。

 次第にアルテシアは、蔵書の山を調べることに集中し始めた。果たして、フェリックス・フェリシスに関する資料は見つかるのか。それからまたたく間に時間が過ぎていく。もしかするとアルテシアは、今夜の8時にダンブルドアが訪ねてくることは忘れてしまっているのかもしれない。だが幸いであったのは、パルマがいたことだ。たとえアルテシアが忘れていようとも、ダンブルドアの出迎えはパルマがするだろう。応接間に通してお茶などを出しておき、書斎までアルテシアを呼びに来るであろうパルマがいたのである。

 



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第106話 「ティアラが来た」

 その日の授業がすべて終わった、というわけではない。この時間にどちらも、たまたま受け持ちの授業がなかったというだけのことである。しかも他の教授たちにはそれぞれ担当の授業があり、職員室には他に誰もいないという状況となっていた。これを絶好の機会とでも考えたのだろう、スネイプが自分の席から立ち上がりマクゴナガルの元へ。その手には、羊皮紙5枚分のレポートがあった。

 

「少し、よろしいですかな」

 

 言われて、机に向かい生徒からの提出物をチェックしていたらしいマクゴナガルが顔を上げる。

 

「それは変身術のレポートですかな。相変わらずお忙しそうで」

「5年生のものですよ。OWLの試験がありますからね、少し厳しくしていかないと」

「なるほど。吾輩もそうしなければ」

「それで、何かご用でしょうか」

 

 そこでスネイプは、持っていた羊皮紙5枚分のレポートをマクゴナガルの前に置いた。

 

「あの娘から提出されたものですよ。こんな宿題を出したことすら忘れていましたがね」

「そうですか。これをアルテシアが」

「ぜひとも目を通していただきたい。そのうえで少々お話しできればと思っているのですがね」

 

 改めてスネイプを見てから、マクゴナガルはそのレポートを手に取った。まずは読んでからでなければ、話は前に進められない。スネイプは一旦マクゴナガルの前を離れると、職員室の一画にある給湯コーナーで紅茶を用意した。もちろん、2人分である。それを持って、ふたたびマクゴナガルの席へ。

 

「どうぞ」

「ああ、スネイプ先生。どうもありがとう」

 

 そのレポートのテーマは『明日、魔法界が滅びるのだとしたら、今日やりたいことはなにか』である。アルテシアが4年生のときにスネイプが命じたもので、提出期限は明日滅びるというその日の前日まで。それをスネイプは、クリミアーナ家を訪れた際に受け取っていた。

 

「覚えていますよ、この宿題を出したときのことを。期限はまだまだ先だとしても、学校を辞めることになり提出しておかねばと考えたのでしょう」

「あのときあの娘は、滅びないための努力をしたいと言いましたが、これがその努力ということになるのでしょうな」

「アルテシアはクリミアーナの魔女ですからね。このような考えを持ったとしても不思議なことではない。おそらくは今も、ずっと考え続けてはいるでしょうけれど」

「ではこの5枚のレポートには続きが、つまり6枚目が存在してもおかしくないことになりますかな」

「そういうことですが、それは宿題の範囲外。このレポートは、これで完結しているのでしょう」

 

 そこでマクゴナガルは、読み終わったアルテシアのレポートをスネイプに返した。もちろんスネイプは受け取ったが、これで話を終わりとする気はないようだ。

 

「では、このレポートを実際に行動に移すという可能性はどうです。どれくらいあると思われますかな?」

「その答えはさておき、わたしもあれこれと考えていましてね。とにかくあの子とは話をする必要があると思っていますよ」

「それはこのレポートの添削ということですかな。つまりは、あの娘と内容を検討するつもりだと」

 

 そういうことなら、その役目は自分であるはずだ。あたかもスネイプは、そう言いたいかのようだ。なぜならレポートは、スネイプに対して提出されたもの。その権利は自分にあると思ったとしても無理はない。それを察したマクゴナガルは苦笑い。可能性としての話だが、スネイプが見聞きしたものは、誰か別の相手に伝わってしまうかもしれない。もともとのベースとなるレポートはスネイプに提出されているので、今さらということにはなってしまうのだが。

 

「ご心配なく。このレポートが書かれた後で何を考えたのか、宿題の範囲を超えて何かを決めたのか、それを聞いておきたいだけですから」

「あの娘の好きにやらせてみるおつもりですか」

「そうするしかないでしょう。明らかに無謀・無理だと判断したならやめさせますが、そうでない限りは」

 

 ここでマクゴナガルが席を立ったのは、スネイプの用意した紅茶をちょうど飲み干したからだろう。給湯コーナーでおかわりを用意する。

 

「それにアルテシアは、わたしに何もしないで欲しいと言いましたからね。あの退学処分のとき」

「ああ、その話はあの娘からも聞きましたが、なぜそうするのです? 魔法省へ抗議してもいいし、ダンブルドアを動かすこともできたのでは」

「できたでしょうね。でもそれでは、アルテシアの気持ちがね。結果あの子がどうするにせよ、口出しはしないほうがいいと思ったのです」

「しかし、あの娘はまだ子どもですぞ。ここで手放すようなことをしてしまっては」

「責任放棄、ですか。たしかにあの子任せにしようというのですからね。ですがスネイプ先生、考えてもみてください」

 

 なにを? と口に出したりはしない。スネイプはただ、マクゴナガルの言葉を待っている。

 

「右に行け左に行け、ああしろこうしろと指示してあげることはできます。ですがそれがベストだとは限りません」

「しかし、その先を示してやることこそ教師の務めなのでは」

「そうですね。ホグワーツ副校長であり変身術教授としては、あの子を学校へと戻し、教え、卒業させねばなりません。ですがあの子は、翼を持っています。羽ばたこうというそのときに口を出すのは、あの子の未来を狭めることでしかない」

「考えすぎではありませんかな。そうなると、誰も何もできなくなってしまいますぞ」

 

 苦笑い。そんな笑みを浮かべつつ、マクゴナガルはうなずいて見せた。

 

「ええ、そのとおり。ですがあの子が何もせずに見ていてくれと言うのですからね。ここは見守るしかない。どうなるにせよあの子が自身で選ぶからこそ、その選択はベストとなり得る。そういうものだと思ったのです」

「なるほど。そう言われるとそんな気もしてきますが」

「もちろんクリミアーナ家としてのベストなのですが、果たしてそれは魔法界にとってどうなのか。どう思われますか?」

 

 もともとクリミアーナ家は、魔法界とは距離を置いた存在であった。その魔法界は今、一人の強大な闇の魔法使いの脅威にさらされようとしている。そんな状況のなかで、アルテシアはどんな選択をしていくのか。それが楽しみであり不安でもあるとマクゴナガルは言った。

 

「レポートのテーマは、明日滅びるとしたらなにをするのか、でしたね」

「そうです。ここでは闇の帝王とその周辺が要因だとなっているようですが」

「周辺とは、単にデス・イーターのことではないのかも。アルテシアは、クリミアーナの魔法が闇の魔法の元になったのではないかと気にしています」

「ああ、確かにそんな話を何度か聞きましたな」

 

 なによりアルテシアは、ヴォルデモートとルミアーナ家の関わりについて気にしている。まだヴォルデモートという名前が魔法界で知られるようになる前のことだが、ヴォルデモートはルミアーナ家に半年ほど滞在しているのだ。その際、ルミアーナ家の魔法書を見たのかどうか。できればヴォルデモートに確かめたいとすら思っているのだ。

 

「仮にそうだとしても、それがなんだというのです。魔法そのものに善悪などはない。性格付けをするのは使用する魔法使いの側だ。あの娘もそれは理解しておるはず」

「その通りですが、どうしてもアルテシアには気になるのですよ。この問題にも決着をつけてやらねばと思っています」

 

 そのためには、どうするのがよいのか。その方法が頭の中に浮かんだはずだが、スネイプはそのことには触れなかった。さすがにヴォルデモート卿と会わせるなど、出来ることではなかったのだ。

 どうやら授業時間は終わったらしい。職員室に他の教授が戻り始めていた。このあたりが潮時だろうと、スネイプはマクゴナガルに最後の質問をした。

 

「ダンブルドアには報告すべきですかな」

「生徒の宿題ですよ。わざわざ校長に見せなくてもいいのではありませんか」

 

 マクゴナガルは、軽く笑ってからそう答えた。

 

 

  ※

 

 

 夜。この場合も約束通りと言うのだろうか、ダンブルドアがハリーを連れてクリミアーナ家を訪れていた。そのときアルテシアは、書斎にて調べ物の真っ最中。当然、それを中断せねばならなかった。

 あいさつの後でダンブルドアから学校に戻ってくるようにと言われたアルテシアは、即座にその申し出を断った。

 

「なぜじゃね。学校ではみんな待っていると思うがの。お友だちに会いたくはないのかね」

「会いたいですよ。顔を見たいし話もしたい。ここにいたらいいのにって、そう思う人はもう家族なんだって思ってますから」

「だったらなおのことじゃよ。学校に戻るべきではないかね。戻れるのに戻らないとする理由がわからんのじゃが」

「魔法省がそう決めたからです、先生。受け入れなければならないと、わたしはそう思っています」

 

 どうやら、アルテシアの決心は固いらしい。そのアルテシアをどう説得するのか。ダンブルドアは、困ったように隣に座るハリーに目を向けた。ハリーにしても、アルテシアの返事は意外であったらしい。その困惑のためかハリーが何も言わないので、ダンブルドアは、改めてアルテシアに視線を向けた。

 

「なぜじゃろうか。なぜそんなことになるのか、お嬢さんがそう思う理由を聞かせてもらえるかね」

 

 ハリーのほうはどう思っているのか。話を向けられてはいないからか、まだハリーは一言もしゃべってはいない。

 

「わたしがクリミアーナの魔女だからです。あえて言うならそれが理由になります」

「それは承知しておるが、もう少し詳しく言うてくれるとありがたいのう」

「ご存じだとは思いますけど、クリミアーナの魔法は魔法族のものとはどこか違っています。わたしはそう思っています。そのクリミアーナが魔法界に受け入れられなかった結果なのだと理解しています」

「いいや、お嬢さん。そんなふうに考えては、本質を見間違えてしまうよ。今度のこととは、まったくの無関係なのじゃから」

 

 どういうことなのか。もう少し聞きたいとばかりに、アルテシアはじっとダンブルドアを見つめた。ダンブルドアが話を続ける。

 

「お嬢さんは、処分の理由を忘れているのではないかね。そもそもあれは、魔法省の役人がハグリッドを拘束しようとして起きたこと。そのとき魔法省の役人に乱暴を働いたからということじゃよ」

「確かにそうですが、その乱暴の罪を問われた結果の処罰である以上、わたしは学校には戻れないはずですよ」

「じゃがあれは、失神光線で攻撃されたマクゴナガル先生を助ようとしてのことだったはず。当然の行為じゃと思うし、処分そのものが不用じゃと考えておる。仮に必要だったにせよ、退学とするのは行き過ぎなのじゃ。ハグリッドは許されて学校に戻っておるし、お嬢さんも戻っていいはずじゃよ」

 

 なおもダンブルドアが説得を続けるが、アルテシアは容易に受け入れたりはしなかった。魔法省からはなんの連絡も来ていないのに、校長が勝手に処分撤回などしては問題となるのではないかと心配までしてみせた。

 

「どうやらすぐに結論はでないようじゃな。また出直すとしよう。お嬢さん、そうさせてもらってもよいかね?」

「でも校長先生、わたしは」

「この次は魔法大臣の意見を聞いてくるとしよう。そうすれば、お嬢さんが魔法界で必要とされているのだとわかってもらえるはずじゃ。きっと納得してもらえると思うがの」

 

 そう言ってダンブルドアが腰を浮かせたが、思い直したように座り直すとハリーの方へと目を向けた。

 

「ハリー、何か言っておくことがあったのではないかね」

「あ、ええと」

 

 そういえばハリーには、同行した理由があったはず。このまま一言もしゃべらずに学校に戻るのは本意ではないだろう。今がその機会。アルテシアも、ハリーに目を向けている。

 

「アルテシア、戻っておいでよ。あの談話室にキミの笑顔がないのはさびしいんだ。それに、話したいことがある」

「ハリー、それって」

 

 何の話か。実はアルテシアにも、ハリーと話したいと思いつつも、とうとう話せずにいたことがある。いろいろなことが重なり、あいさつ以外にはろくに言葉も交わさない日々が続いていたこともその原因の一つだ。

 

「ぼくの母とキミとお母さんのことだよ」

「いいの? あなたにはつらい話なんだと思ってた。だって」

 

 ハリーの母親はすでに亡くなっている。アルテシアもそうなのだが、アルテシアの場合は5歳のときだ。母親の顔はもちろん、その声やいろんな仕種までを覚えている。対してハリーは、ほとんど記憶していないのではないか。

 

「いいんだ。ぼくだって、何か話が聞けるのならって思ってたんだ」

「でもわたし、リリーさんのことは何も知らない。母からは何も聞いてないの」

「ちょっといいかね、お嬢さん」

 

 ここでダンブルドアが割り込んでくる。アルテシアとしては、まずハリーに自分がリリーに関しては何も知らないことを告げた上で自分の母親の話をするつもりだった。それを止められた格好である。

 

「お母上のことじゃが、名をマーニャといったそうじゃな」

「はい、そうですけど」

「わしは、ハリーの両親をよく知っておったが、ついにマーニャという名前は聞いたことがなかったがのう」

 

 それはつまり、友人であるということを疑っているのか。一瞬そう思ったアルテシアだが、すぐにその考えを改めた。そうではない、どういう知り合いであるのかを話せということだと考えたのだ。だがそうだとしても、アルテシアも詳しいことを承知しているわけではない。

 

「何がきっかけだったのかは、わたしも知りません。体の弱かった母はその治療法を探していたのですが、魔法薬についての情報を求めていたとき知り合ったんじゃないかと思っています」

「ふむ。たしかにリリーは魔法薬学を得意としておったからの。そのリリーから、お母上は魔法薬の提供を受けたということになるのかな」

「はっきりとは言えませんけど、作り方を教わっていたんじゃないかと思うんです。母は、わたしにも魔法薬のことを教えてくれました」

「ほう。つまりお母上は、リリーから学んだものを娘へと伝えたと」

「そうなりますね。クリミアーナにはないものだけどきっと役に立つ。だから覚えておきなさいと」

「あっ、そうだ」

 

 そこでハリーが、声を上げた。なにか思い出したらしい。

 

「スラグホーン先生が言ってました。ぼくの母から魔法薬についての相談を受けたことがあるって」

「ほう、それは初耳じゃな。ハリー、詳しく話してくれるかね。ああ、スラグホーンというのは魔法薬学の先生じゃよ」

 

 アルテシアは、そのスラグホーンのことを知らない。まずは説明から。そのうえでハリーの話となった。

 

「ぼくの母から手紙をもらったって言ってました。友人の病気を治すための治療法について相談されたそうです」

「その友人がアルテシア嬢のお母上、ということじゃろうな」

「そうだと思います。たぶんアルテシアが生まれる少し前のことです。でもその後のことはよくわからないらしいんです」

「ふむ。そのあたりの詳しい話を聞きたいが、ホラスのやつはどこまで話してくれるかのう」

 

 目の前で続けられている話を、アルテシアはただ聞いているしかなかった。ハリーの話している相手が、自分ではなくダンブルドアだからだ。なぜいつも、こうなるのか。今回はこうして内容を聞くことができてはいるが、ハリーが肝心な何かを話すのは、例えばロンやハーマイオニーなのでありアルテシアではない。だいたいにおいてそうなのだとアルテシアは思っている。なのになぜハリーは、クリミアーナ家に来たのだろうか。

 アルテシアがそんなことを考えている間も、ダンブルドアとハリーの話は進んでいった。今ではスラグホーンの最初の授業の話となり、スラグホーンがフェリックス・フェリシスという魔法薬をリリーに渡したという話になっていた。

 それを聞きながらアルテシアは、その魔法薬のことがリリー・ポッターを経由しマーニャにも伝わったのではないかと考えた。だからフェリックスのことを自分は知っていたのだ。書斎にある本ではなく、母のマーニャが話したことを覚えていたのかもしれない。

 

「病気には効かないと言ってました。でも、アルテシアのお母さんのために使ったんじゃないかって思うんです」

「そうじゃの、たしかにあれは病気の治療とは無縁じゃろう。とはいえ、何かうまい使い方があるかもしれん。ところでお嬢さん」

 

 そこでようやくダンブルドアとハリーとがアルテシアへと目を向けた。アルテシアとしては自分の考えに没頭したかったのだろうが、さすがに自制し、ダンブルドアの言葉を待った。

 

「お嬢さんは、何か知っておるかね」

「母の病気のことなら、わたしが覚えている限りではベッドに寝ていることがほとんどでした。いい治療法が見つかったという話も聞いてはいません」

「それは残念じゃったの。ともあれわしらは帰るが、学校に戻ることをぜひとも考えて欲しい。スラグホーン先生とも話をした方がいいのではないかね」

「それは、そうかもしれません」

「ぜひ、そうすることじゃよ。また来るからの」

 

 今度こそ、ダンブルドアは立ち上がった。ハリーもその後に続き、アルテシアも2人を見送るために席を立った。

 

 

  ※

 

 

 クリミアーナ家の門の外で、4人の男女が、それぞれ向かい合う形で円を描くようにして立っていた。こうなったのは、アルテシアがダンブルドアとハリーとともに外へと出てきたところで、ちょうどクリミアーナ家を訪ねてきた女性と顔を合わせたから。

 こんな時間に、彼女は何をしに来たのか。だが会ってしまったからには、知らぬ顔もできない。互いにあいさつを交わすこととなり、アルテシアがその女性をダンブルドアとハリーに紹介した。クローデル家のティアラなのだが、この場にいる者のなかでティアラを直接知っているのはアルテシアだけだった。

 

「おお、あなたがそうなのかね。名前は聞いておるよ、マダム・マクシームが絶賛しておった。あの三大魔法学校対抗試合の年齢制限が16歳であったなら優勝杯はボーバトンが獲得しておったとな」

「校長先生、それをミスター・ポッターの前でおっしゃるのは彼に失礼なのでは」

「ん? そうかの」

 

 その試合で優勝杯を手にしたのはハリーだが、もう1人のセドリックはすでにこの世にいないのだ。暗にそのことを言いたかったのではないか。

 

「それでは、これで失礼します。気をつけてお帰りください」

 

 あいさつしたのはアルテシア。そしてティアラとともに門の中へと入ろうとしたのだが、なぜかダンブルドアが呼び止めた。

 

「ひとつ、お聞きしてもよいかの?」

「なんでしょう」

 

 ダンブルドアが声を掛けたのはティアラだ。アルテシアも立ち止まるしかない。

 

「あなたは、この家に来るとき道に迷ったりしたかね」

「いいえ、タンブルドア校長。実際に来るのは初めてですが、クリミアーナ家の場所はよく承知していましたから」

「ほう、そうかね。いや、失礼。ではこれで学校に戻るとしよう。おやすみ、お嬢さん」

 

 今度こそダンブルドアは、ハリーを連れてクリミアーナ家をあとにした。すぐにも姿くらましによって学校へと戻るかと思われたが、そうせずに夜道を歩いて行く。

 

「先生、歩いて帰るのですか」

「いいや、さすがにそれは無理じゃろう。それより、確かめたいことがあっての」

「確かめるって、何を」

 

 なおもスタスタと歩いていたが、ふと立ち止まる。

 

「ちょうどこのあたりだったと思わんかね?」

「なにがですか」

「わしらが道に迷った場所じゃよ。あのときはアルテシア嬢そっくりの女性が現れて驚かされたが、さて、もう一度会うことはできるかのう」

 

 そう言いつつ、杖を取り出した。そして杖を構えたまま今来た道を引き返す。つまりが、再びクリミアーナ家へと近づいていくのだが、いったい何をしようというのか。ハリーには分からなかったが、ダンブルドアに着いていくしかない。

 

「何をするんですか」

「いやなに、ちょっと試してみようかと思うての」

 

 クリミアーナ家の門はすぐそこだ。道に迷うことなく来られたことになるが、ダンブルドアはここで立ち止まり、真っ白な塀へと杖を向けた。

 

「レダクト(Reducto:粉砕せよ)」

 

 あっと思う間もなく、ダンブルドアがなんと塀を攻撃。当然のように塀が破壊、されたようには見えた。だが塀はこれまでと変わらず、塀の色にくすみすらもない。

 

「ふむ、修復されたの。保護魔法はちゃんと機能しておるようじゃ」

「でも先生、どういう仕組みなんでしょうか」

 

 そんなことは、ハリーにはわからない。なのでそう尋ねるしかなかったのだが、ダンブルドアはわずかに首をひねって見せた。

 

「さあての。かなり難しい手続きがされておるようじゃが、となると、あの女性の場合はどうなるのかのう」

「どういうことですか、先生」

「クローデル家のティアラ嬢、彼女は道には迷っていないと言うた。つまり、この家の保護魔法はあの女性を素通りさせたことになる。それが気になっての」

「知り合いだったからじゃないんですか」

 

 だがダンブルドアはゆっくりと首を振って見せた。知り合いであるからという理由なら、ハリーとダンブルドアも間違いなく知り合いなのだから。

 

 

  ※

 

 

 ハリーとダンブルドアとがクリミアーナ家の門の外をうろうろしている頃。ティアラはクリミアーナ家の食堂へと案内され、そこでアルテシアと向かい合わせで座っていた。そこにはパルマの姿もある。パルマによれば、ティアラが生まれるときその場にいたのだという。

 

「さすがに覚えてませんね、そんな頃のこと。そういう話も聞いたことはないんですけど」

「でしょうね。クリミアーナ家のお世話になると決めたときからクローデル家との縁は切れたことになってますし、それ以後は連絡も取ってませんから。それで、奥様はお元気なんですかね」

「元気は元気ですよ。今日のことも、自分の代ではないにせよクリミアーナ家との関係を取り戻せそうだと喜んでましたけど」

 

 そんな近況報告を兼ねたようなあいさつがひとしきり続き、話はアルテシアにとってのメインテーマへと進んでいく。

 

「で、呼ばれた理由はなんですか? まあ、大抵のことなら役に立てると思いますけど」

「そのことだけどティアラ、あなた学校はいいの? お休みになってからでいいんだけど」

 

 アルテシアとしては本気でそう言っているのだが、ティアラは笑って見せた。彼女にとっては何を今更、といったところ。というのも。

 

「わたし、学校は卒業したんで時間ならあるんです。手伝うことがあるのなら手伝います。というか、させてもらいますから」

 

 何をやればいいのかと、ティアラはそう言うのである。ソフィア経由でアルテシアからの伝言を聞いたのは、この日の夕方。クリミアーナ家に来れないかという内容に、すぐさま決断したらしい。

 クローデル家は、クリミアーナへの出入りができない状況にある。その原因は、何があったのかすらもよくわかってはいない、まだ生まれてもいない遠い昔の出来事のため。だがそれが解除されるというのなら、拒否する理由などどこにもないといったところ。

 

「ありがとう、ティアラ。決めたことがあるんだけど、そのために力を貸して欲しい」

「もちろんですよ。で、わたしは何をすればいいんですか」

 

 ここで一息、といったところか。アルテシアは用意されていた飲み物へと手を伸ばす。コクコクと咽を動かした後で改めてティアラを見た。パルマがその空になったカップを回収し、おかわりを用意するために立ち上がった。

 

「まずは、いろいろと準備かな。それを手伝って欲しい。クリミアーナを、魔法界に復活させたい」

「復活? もう何年も前にそうしたはずでは。ホグワーツに入学したって聞いたときどんなに驚いたか知ってます?」

「ああ、うん。ホグワーツではいろいろ学べた。入学してよかったと思ってるよ。でも、それで復活したとは思ってないんだ」

 

 どういうことなのか。まだ具体的な話になっていないのだが、ティアラは、その顔に柔らかな笑みを浮かべつつ何度かうなずいてみせた。

 

「もちろん手伝いますよ。あなたの呼びかけに応えるって決めたときからそうするつもりでしたから」

「ありがとう、ティアラ」

「退学処分のことも聞いてますけど、まずはそれをひっくり返してみますか? そもそも、どうして退学なんてことに?」

「さあ、なんでだろ。何も悪いことはしてないと思ってるんだけど。魔法省には嫌われてるのかな」

「調べてみましょうか? 面白いことがわかるかもしれませんよ」

 

 あるいは、ティアラは何かを知っているのか。だがアルテシアのほうは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「それより、例のあの人のことを聞かせて。いろいろ調べてたはずだよね」

「例のあの人、ヴォルデモート卿ですか。魔法省の襲撃に失敗した後もデス・イーターを動かしてますけど、目的ははっきりしませんね。おかげで魔法界は物騒になってますから、今は離れてようすを見ているのも一つの手ですよ。この家なら安全だし」

「どこにいるかわかる? 会ってみたいんだけど」

「会うって、本気ですか。なんのために?」

 

 そのティアラに、なおも言葉を続けるアルテシア。そのアルテシアの前にお代わりの飲み物が置かれたが、それには手を付けずに話し続ける。そして。

 

「わかりました。協力しますけど、でもそんなことできる、いいえ、やっていいんですかね」

「もちろんだよ。必ず実現させる。絶対あきらめない。あきらめたらそこまで、それで終わりだから」

 

 アルテシアの決心は固いのだとティアラは思った。もっともティアラとて、ここで尻込みするつもりなどない。学校が終わればソフィアも来るだろうし、アルテシアがやるというのならやるだけ。

 

「ところで、こんな話を知ってます? 例のあの人、ヴォルデモート卿はなぜ死ななかったのか。男の子が生き残ったあの夜、何があったのか」

「ティアラ、それって」

「2人で見ましたよね、例のあの人が復活するところ。あのときヴォルデモート卿は、その答えを仲間たちに得意げにしゃべった。覚えてますよね?」

 

 だがアルテシアからの返事はない。無言のままティアラを見ているだけ。ティアラが小さくうなずき苦笑い。

 

「死なない工夫によって死の呪いを克服した、ヴォルデモート卿はそう言ったんです。やっぱり聞こえてなかったんですね、あのとき。ちょっとようすが変だったから」

「ティアラ」

「わかってます、死なない工夫とは何なのかですよね。わたしも気になって調べてるんです。ほとんど1年掛けましたけど、分かってることはまだ少ないんです」

 

 アルテシアの指示どおりにどんなことでも手伝うが、この調査も続けたいとティアラは言うのである。アルテシアも、そのことを了承した。

 

「わかった、ティアラ。必要なことだと思うし、わたしも調べてみるよ。それで」

「ええ、いま分かってることはお伝えしておきますよ」

 

 そう言ってティアラは、にっこりとわらってみせた。

 



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第107話 「申し出と許可」

 なんだか、本文の訂正機能というものがあるようで。
 それで、誤字・脱字の指摘をいただき、修正することができました。ご指摘いただいたお方さまには、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。
 これでも作者としては、誤字・脱字など十分にチェックしているつもりなのですが、なかなか100%とはいかないようです。今回こそ、誤字などないければいいなと思いつつ。読みにくいこともあるかと思いますが、よろしくです。では、また。


 アルテシアは書斎にいた。書棚に並べられた本をぐるりと見回して、大きくため息。その理由は、調べなければならないものが増えたから。フェリックス・フェリシスに関する資料に加えてもう1つ、ティアラの言っていた『ヴォルデモートが死ななかった理由』についても考えねばならなくなったのだ。

 ティアラによれば、ヴォルデモートは『分霊箱』という技法を用いたことで命をつないだということになる。分霊箱とは、すなわち魂を隠しておく入れ物のこと。自らの魂を分割しそれを保管した分霊箱は、自らの魂をこの世につなぎ止め『完全なる死』を防ぐ効果を持つ。

 

(だから、あの人は死ぬことがない。分霊箱というものがある限り死なないんだ)

 

 ホグワーツ1年生のとき、アルテシアはヴォルデモート卿に会っている。そのとき自らの肉体を持たないおぼろげな状態であったのは、分霊箱によってもたらされた結果だということになる。

 

(魂、か)

 

 思い出したのは、2年生のときのトム・リドルの日記帳のこと。あの日記帳からは、その当時のトム・リドルが実体化している。巨大なバジリスクを操り、ハリーを追いつめ、魔法までも使ってみせたのだ。

 2年生のときの騒動のすべては、あの日記帳が生み出したものだった。その日記帳を詳しく調べてみたいと思ったアルテシアだったが、それは果たせずに終わっている。日記帳がハリーによって破壊されたからだ。もっともそうしなければ、秘密の部屋を閉ざすことはできなかった。

 日記帳を調べたいと思った理由は、日記帳のリドルが自分のことを記憶だと言ったからだ。日記の中に残されていた50年前の記憶だと、リドルはそう言ったのだ。

 それが、どこかクリミアーナ家に伝わる魔法書を連想させた。魔法書は、その当時の魔女が自分の持つ知識の全てを詰め込んで作ったもの。それを記憶と言い換えることができるのなら、あの日記帳は魔法書とは近しいものだとすることもできる。であれば日記帳のように、その魔法書を作った魔女を呼び出せるのではないかと考えたこともある。その実験までもしてみたが、成功はしていない。

 

(魂、か)

 

 もう一度、アルテシアは同じことをつぶやいた。あの実験が成功しなかった理由。その答えがこれだったのだ。肝心なものが欠けているのだから、成功などするはずがないのだ。だけど。

 

(もし、そこに魂が、命があったとしたら)

 

 そのときはどうなるのだろう。アルテシアは、またもや大きなため息をついた。なにしろ、気になることが多すぎる。

 

 

  ※

 

 

 10月も中旬過ぎとなり、ホグワーツでは恒例のホグズミード行きの日を迎えていた。今学期の第1回目、ということになる。ヴォルデモート卿の復活が広く認知された今、校外を出歩くことになる行事が予定通りに実施されるのかどうか。微妙な情勢ではあったが、学校周辺などでは警戒措置が敷かれていることもあり取りやめにはならなかった。たとえ数時間とはいえ、生徒たちにとってはホグワーツから外出ができる貴重な機会だ。天気は良くなかったが、行く資格のある生徒の多くが学校を出た。

 もちろんソフィアも、この機会を利用しようとしていた。いくらかでも気晴らしになると思ったからだが、そうなると1人で行くのかどうか、という問題が出てくる。さて、パチル姉妹はどうするのか。

 とりあえずソフィアは、グリフィンドール塔へと足を向けた。談話室にパーバティがいるかどうかの確認のためだが、正直、気が重かった。このところのパーバティは不機嫌であることが多い。その気持ちは分かるが、正直、勘弁して欲しいと思っている。

 居心地が悪いのはスリザリン寮も同じで、パンジー・パーキンソンには怒鳴られてばかり。イライラするのも分かるのだが、自分の気持ちも察して欲しい、とソフィアは思っている。

 グリフィンドールの談話室が近づくにつれ、ソフィアの足取りは少しずつ重くなっていく。それでもようやく談話室への入り口となる肖像画が見えてきた。それが開き、そこから誰が出てくる。グリフィンドール生ならちょうどいい。ソフィアが近づいていく。

 

「あぁ、ソフィア。あんたも来たんだ」

「ええと」

「パドマだよ。ま、仕方ないか。ちゃんと見分けられるのはアルテシアぐらいだもんね」

 

 肖像画のところから出てきたのはパドマだった。パドマがそう言って笑い、ソフィアも釣られて微笑む。

 

「ホグズミードでしょ。2人で行こうか」

「ええと、パチル姉さんはいいんですか?」

 

 すでに2人は談話室とは逆の方向へと歩き始めていた。パドマによれば、パーバティは行かないと言ったらしい。

 

「天気も良くないからね。せめてアルテシアから手紙でも来れば機嫌も良くなったんだろうけど」

「定期便はちゃんと来てるんですけどね」

「ほんとはさ、ホグズミードに来てくれるんじゃないかって期待してたんだと思うよ。アルが来ないし行かないって言ってたから」

 

 そのアルテシアとは学校が休みになったら、直近ではクリスマス休暇となるが、そのときに会うことになっている。そういうことで誰もが納得したはずなのだが、どうやらパーバティはそれが待ちきれないらしい。

 ソフィアとパドマは、そのまま学校を出てホグズミードへ。そのホグズミードでは、いくつかの店が閉店しているのが目についた。いろいろと危ないからということなのだろうが、その分、開いている店は混み合っているようだ。ハニーデュークスの店を覗くと、スラグホーンとハリーとが話をしていた。

 

「ハリー、わたしのディナーに来てくれないのはどういう訳だね」

「すみません先生、クィディッチの練習があったものですから」

 

 そんな会話が聞こえてきた。スラグホーンがお気に入りの生徒を呼んでお茶会や食事会を開いているのはソフィアたちも知っていた。もっとも、そこに呼ばれたことはないのだが。

 

「出ようか」

 

 パドマがそう言い、2人は店の外へ。かなり寒い。パーバティのように暖かい談話室にいたほうが良かったのではないか。2人がそんなことを思ったとき、ソフィアは思いがけない人を見つけた。ティアラだ。パドマにそれを告げ、すぐさま駆けよる。

 

「ティアラさん、何してるんですか。まさか、アルテシアさまも一緒ですか」

 

 もしそうなら、すぐにも学校に戻ってパーバティを連れてこなければ。そんなことも考えたソフィアだったが、アルテシアは来てはいなかった。

 

「ようすを見に来たのよ。ルミアーナ家じゃ何してるのかと思ってね。ずいぶん長いことアルテシアさまをほったらかしにしてるけどいいの?」

「そんな、ほったらかすだなんて」

「クローデル家としては、考えられないことだけどね。で、後ろにいるのは双子の妹さんでしょ」

「ええと、そうです。でもティアラさん、それ、当てずっぽうですよね」

「あはは、そうだけどね。でも確率50%なら当たってもおかしくはないよね」

 

 そこでパドマともあいさつ。なにしろ寒いということで、三本の箒に行こうという話になった。混み合った店内で幸いにも3人分の空席を見つけ、そこに座る。話は当然、アルテシアのその後のことになる。

 

「アルテシアさまは本気なんですよね」

「そうだけど、もしかして気が進まない? だからほったらかし? そう見えなくもないんだけど」

 

 実際はどうなのか。表情を見ている限りでは、そのあたりははっきりとはしない。

 

「もっと色々と話がしたいです。でも、休暇になるまで待てって言われているから」

「なるほど、言いつけどおりにしていますよって、そういうことかな。まあ、学校があるからね」

 

 アルテシアがティアラに言ったこと。そのことは、ソフィアにも伝わっている。そのほとんどはティアラを経由してのことであり、より詳しくとなれば休暇となるのを待たねばならない。

 

「ホグワーツを辞めるってことは考えないの? すぐにクリミアーナに行けばいい。わたしに言わせれば、今も学校に残ってるのが理解できないってことになるけど」

「ティアラさんなら辞めてるってことですか。でもそれじゃ、クリミアーナはまた忘れられてしまいます」

「いいや、そうはならない。わたしがいるからね」

 

 ソフィアが心配しているのは、魔法界がアルテシアがホグワーツに入学する以前の状況に戻ってしまうことだ。そうなれば、アルテシアがホグワーツで過ごした5年間はなくなってしまうことになる。ソフィアはそう思っている。だがティアラは、そんなことは全く気にしていないらしい。もっとはっきりとした足跡を残せばいいだけだと考えているのだ。

 いずれにせよ、大事なのはこれから。その点ではどちらもの考えも同じなのだが、いくらかのズレはあるようだ。ティアラの視線がパドマへと向けられる。

 

「お友だちはどう思ってるのかな? 双子さんのご意見、聞きたいですね」

「意見、ですか」

「強く願えばきっと願いはかなう。わたしは無理だなんて思ってない。実現できると思ってるんだけど」

 

 パチル姉妹もアルテシアとは連絡を取っているので、ティアラとソフィアとが何を話しているのかは分かっている。だが話は聞いているというだけで、何か手伝っているというわけではない。もちろん不満はあるのだろうが、ソフィアも含め休暇となるまで待つということで話はついていた。現段階で協力しているのはティアラだけということになる。

 

「どうなんだろう。アルテシアのことだからしっかりと考えたうえでのことだとは思うけど」

「あまり乗り気じゃないのかな」

「そんなことはないよ。例のあの人とのことは、もともとはウチの叔母との間で出てきた話だし、ソフィアも同じだよね」

 

 実はこの問題は、それぞれの間ではすでに解決した形となっている。もはやパチル家の側からクリミアーナ家とは付きあうなと言われることはないし、仮にルミアーナ家がヴォルデモート卿に魔法書を提供していたとしても、ルミアーナ家との関係が変化することはないのだ。

 

「だけど、例のあの人に会うのは危ないとは思ってるよ。いくらアルテシアでも」

「それは大丈夫だと思うんです。安全な方法がありますから。えっと、パドマ姉さんは知らないんでしたっけ?」

「何を?」

 

 簡単に言えば、アルテシアは魔女であるということだ。クリミアーナの魔女である以上、なにかしらの工夫をするのは当然のこと。なにしろ、万が一のことがあった時点でクリミアーナの歴史は終わってしまうのである。

 ティアラが、ポンとソフィアの肩を叩いて言った。

 

「ホグワーツ、辞めるよね?」

「ティアラさん、そのことはあとで。アルテシアさまと相談してから」

「あら、そうですか。じゃあさ、わたしの仕事、手伝ってよ」

「え?」

 

 ティアラの言ったことに驚いたのは、なにもソフィアだけではなかった。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアのもとに、1通の手紙が届いていた。といってもふくろうによる通信ではなく自らが仕掛けた魔法によるもの。差出人はパドマである。

 こうした手紙のやりとりについては、既にルールが決められている。具体的にはマクゴナガルの執務室に設置されたポストに手紙を入れるのだ。そこに入れられた手紙は、すぐさまアルテシアの部屋へと自動転送される。アルテシアからの手紙は、その逆の手順を踏むことになる。まずはマクゴナガルの部屋に届けられ、それをマクゴナガルが、本人たちに配るのである。

 そのパドマからの手紙を手に、アルテシアはしばし考え込んでいた。手紙にはホグワーツでの最近の出来事だけでなく、ソフィアの様子が書かれていた。

 

(これは、なんとかしたほうがいいんだろうけど)

 

 手紙によれば、ソフィアはホグワーツを辞めるかどうかで悩んでいるという。本人は何も言わないのだが、パドマの目にはそう映るらしいのだ。それに、気になることはもう1つある。

 

(でも、どうしたらいいのかな)

 

 悩みたくもなるというものだろう。魔法省による処分が背景にあったとはいえ、アルテシアは自らの信念のもとでホグワーツからの退学を決めているのだ。なのにそれが裏目に出たかもしれないとなれば、心穏やかではいられない。書斎にある大量の本を見回しながらアルテシアは考える。学校にいたならば防げたこともあっただろう。なのに、こうしてこの部屋に閉じこもっていていいのかと。

 もちろん、調べ物をしているという理由はある。フェリックス・フェリシスという魔法薬の製法と、ヴォルデモート卿が用いたという死なない方法の解明だ。だが進捗状況は、どちらもたいしたことはない。強いて言えば死なない方法のほうが進んでいるということにはなるが、それもティアラからの情報があったからだ。書斎にある本からは、ティアラの言う分霊箱についての資料は見つかっていない。フェリックス・フェリシスのほうも、情報はないに等しい。

 すでに書斎の本のほとんどは調べ終わっている。すなわち、書斎にこもっていてもこれ以上の進展は望めないということになる。

 ヴォルデモート卿に関することは、きっとダンブルドアが詳しいはず。魔法薬に関してはスネイプがいる。スラグホーンという、実際にフェリックス・フェリシスを煎じた先生までもがいるのだから、ホグワーツに戻った方が話は早いのではないか。ダンブルドアが戻るようにと言ってくれているのだから……

 

(違う。そんなことない)

 

 いつのまにかそんなことを考えていたことに、アルテシアは苦笑する。なにごともなく無事にホグワーツを卒業できたなら、それが一番良かっただろう。だが実際には、そうはならなかった。例のあの人をめぐる騒動が連続しているし、魔法族の中心組織である魔法省は退学を決定している。なによりホグワーツは、魔法族の学校なのだ。ゆえに拒絶されればそれまで。それを否定することなどできはしないと、アルテシアはそう思っている。

 椅子から立ち上がると、そのまま書斎を出る。そしてパルマに声を掛けてから森への散歩に出かける。このところ散歩には出かけていなかったのだが、この先のことを考えるにはあの場所がふさわしい。

 すでに夕方ということもあるのか、足早に歩き、クリミアーナ家の墓地を訪れる。そして、クリミアーナ家の最初の魔女が眠る墓標の前に立つ。

 

「思ったようにやるつもりですが、それでいいんですよね?」

 

 もちろん、その問いかけに返事は返ってこない。墓地にはアルテシア1人だけなのだ。目の前にある墓標は、アルテシアが学んできた魔法書を作ったと思われる先祖のもの。その魔法書は2つに分割された形で後の世代へと受け継がれ、アルテシアの手によって1つにまとめられた。そうなるまでにはいろいろあったし、そうするかどうかについて選択する機会もあった。

 

『わからなければ、けんめいに考え、答えを求めなさい。探さなければ、答えは見つからない。本当はもう知っているはずだけど、そのことに気づくまで考えるのです』

 

 そんな言葉を、アルテシアは思い出していた。これは、ホグズミード村に住む女性がアルテシアに言った言葉である。その答えはどこにあり、何を知っていて、何に気づいていないのか。

 アルテシアは考え、探し、答えを求めた。特に謹慎処分となってからは時間があったこともあり、徹底的に考え、思いを巡らせた。そしてたどり着いたのは、自分がクリミアーナの娘であるという事実。クリミアーナの娘として目指すものがあったという事実だ。そのために魔女になりたかったのだし、そのために3歳のときより勉強してきた。そして、そのために……

 

「そのために必要なこと。あのにじ色は、そのために。わたしはそれを、選んだ」

 

 なぜかホグズミード村の民家に置かれていた、にじ色の玉。それをそのままにしておくこともできたのだが、そうしなかった。アルテシアは、そこから分割されていた魔法書の残りを取り出し1冊にまとめている。すでに読み進めている以上、元には戻れない。

 

「そうですよね。そんなの、わたしらしくない。悩んでるときは過ぎた。見ててくださいね、やれるだけやってみます」

 

 先祖の墓標に、そう告げる。まだ続きの言葉があったのだろうが、それは口にはしなかった。まずは、大切な友人たちのために動くことになるだろう。そしてそれは、おそらくは予定のうちに入っていないのだとアルテシアは思っている。それでも、必要なことはやらねばならない。

 

 

  ※

 

 

「あんたも呼ばれたんだ。じゃあきっと、パドマもいるだろうね」

「なんだと思いますか?」

 

 パーバティとソフィアだ。どちらも、昼休みになったら執務室に来るようにというマクゴナガルからの伝言をもらっている。

 

「あたしら3人呼ぶってことは、アルテシアに関することだと思うけど」

「ですよね。魔法省のことで何か動きがあったのかも知れません」

「魔法省? 今さら何があるっていうの?」

 

 互いにあれっという顔をしてみせたが、ちょうどマクゴナガルの部屋に着いたこともあり話はそこまで、とくに不自然な感じは残らなかった。部屋に入ると、予想通りにパドマがいた。

 

「これで全員揃いましたね。午後の授業まで時間もありませんから手早く済ませたいと思いますが、アルテシアからの手紙が届きました」

 

 それは3人にとっては、特に珍しいことではない。互いの手紙のやりとりはずっと続けられているからだ。

 

「全員宛の手紙ということですか」

「宛名はわたしですが、内容としてはあなたたちにも知っておいてもらうべきだと判断しました」

 

 だから呼んだのだと、そんな言葉が続きそうだったが、マクゴナガルはそこまでは言わなかった。代わりに告げたのは、アルテシアがホグワーツに来るという内容だった。

 

「復学するという意味ではありませんよ。なにやら用件を片づける必要があるのでホグワーツを出入りすることを許して欲しいという内容です」

「それって、どういうことですか」

「用事って、なんですか」

 

 すぐにパチル姉妹から質問が出たが、マクゴナガルはそんな質問は後回しと言わんばかりに話を進めていく。

 

「まったく、前段未聞というほかありません。ホグワーツの副校長なのですよ。そのわたしにこのような。学校に戻りたいというならまだしも、出入りするのを黙認しろだなんて」

 

 部外者となった者が好き勝手に出入りしていいはずがないというのは、まさにその通りである。その点ではマクゴナガルの言うとおりなのだが、パチル姉妹、とくにパーバティは別な思いがあるらしい。

 

「先生の言われることはわかります。わかりますけど、なんとか認めてもらえませんか」

「なんですって」

「だって、アルテシアですよ。なにか悪いことでもしてやろうって、そういうことじゃないんだと思います」

「そうですよ。アルテシアがそんなこと言うからには、ちゃんとした理由があるんだと思います」

 

 すぐにパドマも、その支持に回る。いきなり双子姉妹からの反論を受けて、マクゴナガルは苦笑い。一拍おいたあとで、その視線をソフィアへと向けた。

 

「あなたも同じ考えですか」

「えっ、ええとわたしは」

「ソフィア、あなただってアルテシアが来てくれたほうがいいと思ってるでしょ」

 

 すぐさま3人分の責められるような視線が集中し、ソフィアは苦笑いを浮かべた。何か意味があって黙っていたわけではない。アルテシアが何をしにホグワーツに来るのかを考えていたのだ。

 

「思ってますよ。思ってますけど、いっそのこと学校に戻ったほうがいいんじゃないでしょうか。校長先生は復学の許可をされたと聞いてます」

 

 今度は、3人分の視線がマクゴナガルに向けられた。

 

「そのあたりは本人に聞いてみなければ分かりませんが、とにかく今アルテシアが何を考え何をやろうとしているにせよ、復学でない限り問題はあるでしょう」

 

 もし、そのことが発覚したなら。そのときは、たとえパドマが言ったように“ちゃんとした理由”があったとしても批判を免れない。もちろん、ペナルティの対象とされるだろう。

 

「となれば、相応の準備と覚悟が必要となります。誰にも気づかれてはならないのですから簡単なことではありません。あの子は自分の姿を隠すことができますが、それで万全とは言い切れない」

「あの、先生」

「なんです?」

「先生は反対していた……いえ、いいです」

 

 途中で言うのを止めるのはパドマらしくはないことだが、マクゴナガルは軽く笑みをみせただけで話を続けた。

 

「それに、ホグワーツとて安全だとは言い切れない状況にあります。先日のネックレス事件がまさにそうです」

 

 ネックレス事件とは、ホグズミード村からの帰り道、どこで手に入れたのか呪われたネックレスに触れてしまったがためにケイティ・ベルという女子生徒が病院行きとなってしまった事件だ。ネックレスの入手経路やその目的など不明な点ばかりが目に付き、いまだ解決はしていない。

 

「そういった危ない出来事に首を突っ込んでいくことになる。あの子なら、きっとそうするでしょうね」

「まさか、あの事件のためにホグワーツに出入りしたいとか言い出したんでしょうか」

「その可能性は十分にあると考えています。あの子にとっては必要なことなのでしょう。ということで皆さん。少し長い話となってしまいましたが、こういったことを踏まえた上でアルテシアの申し出を受け入れることにしました」

 

 そこで一拍おいたのは、パチル姉妹たちの意見を待ったから。だがすぐには出てこない。マクゴナガルが、軽く苦笑い。

 

「このことが発覚したなら、責任を取ってホグワーツを辞める。それくらいの覚悟はしています。ですがもちろん」

 

 もう一度間を取って、マクゴナガルは全員を見回した。そして。

 

「もちろん、あなた方に無茶を要求するつもりはありませんし、それはアルテシアも本意ではないでしょう。ただし、無理のない範囲での協力はお願いしたいのです。なによりこのことが発覚しないために」

 

 これが昼休みでなかったら、もっと話は続いていたかもしれない。だが午後の授業が始まることもあり、このあたりでお開きとなった。ソフィアたち3人は、マクゴナガルの執務室を出てそれぞれ授業に向かうことになる。

 

 

  ※

 

 

 本来ならば許されることではない。さまざま規則を無視した形となるが、アルテシアがホグワーツに姿を見せていた。いや、その表現は正確ではないかもしれない。人によっては、その姿を見ることができないからだ。より正確には、その姿を見ることができる相手は限られているとするべきだろうが、もちろん魔法の効果によるものである。

 マクゴナガルの許可を得てのものとはいえ、それで何もかもが許されるわけではない。だが、アルテシアにはそれで十分だった。その許可すらなく無断でホグワーツに出入りをしたことはあるが、それはどこか後ろめたさを伴う行為。何度もできるようなことではなかった。だがマクゴナガルの了解があれば事情は大きく変わる。気持ちの問題でしかないが、アルテシアにはそれがなにより重要なのだ。

 そんなアルテシアがマクゴナガルの部屋を訪れていた夜、ハリー・ポッターは校長室を訪れていた。この夜は、ダンブルドアとの個人教授の日だったのだ。これが2回目なのだが、その2回目がちゃんと行われるのかをハリーは心配していた。というのも、前回の個人教授の日以降、学校でダンブルドアの姿をほとんど見ていないからだ。学校外のことで忙しくしているらしいダンブルドアが、ちゃんと個人教授に来てくれるのかどうか。そこが気になるところだし、是非ともダンブルドアに聞いておきたいこともあった。

 校長室には問題なく入ることができた。ダンブルドアは、ちゃんと校長室でハリーを待っていた。

 

「こんばんわ、ハリー。約束は覚えていたようじゃな」

「もちろんです、先生。でも、大丈夫ですか」

「ん? なにがじゃね」

「ひどくお疲れのように見えます」

 

 たしかにそう見えた。いすに座っており、ハリーが来てもただ顔を向けただけ。相変わらず右手の状態は思わしくないようで、黒く焼け焦げているように見えた。

 

「キミこそ、いろいろとあったのではないかね。ネックレスの事件を目撃したと聞いておるよ」

「そうです、先生。それでケイティの様子は?」

「時間はかかるじゃろうが、必ず学校に戻ってこられるはずじゃ。ネックレスにごくわずか触れただけだったのが幸いしたようじゃ」

 

 その事件を、ハリーは目の前で見ている。そのときケイティは空中に飛び上がったような感じとなり、地面に落ちて激しくけいれんしたあと、死んだように動かなくなった。そうなった原因は間違いなくネックレスにあったが、そのネックレスがどのようにしてケイティの手に渡ったのか。誰の仕業であるのかなど、詳しいことは何も分かってはいなかった。ひとしきり、そんな話が続いた。

 

「いずれにせよ、ハリー。今宵の目的である課題に取りかからねばの」

「はい、先生。でもその前に1つだけ、聞いてもいいですか」

「よいとも、なんじゃね」

「アルテシアのことです。アルテシアの学校復帰はいつになりますか?」

 

 ネックレス事件だけでなく、このこともハリーには気になっていた。

 

「あぁ、実はあれからクリミアーナ家を訪問してはおらんのじゃよ。ゆえに話は進展しておらん」

「そんな。じゃあ、どうなりますか」

「あのお嬢さんとは改めて話をせねばと思うてはおるが、さて、どうするか。今はなんとも言えんのう」

「魔法省とは話をされたのですか」

 

 魔法省の決定による退学である、ということにアルテシアがこだわっていたことをハリーも知っている。それにダンブルドアもそのとき、魔法省と話をしてくると言ったのである。

 

「スクリムジョールとは話したが、忙しいと怒られてしもうた。それは校長の仕事だ、勝手にやれとな」

「だったら、アルテシアは学校に戻ってもいいってことですよね」

「じゃな。なれど今は様子を見るべきじゃと思うておる。何をしようとしおるのか、それを確かめてからでもよかろうと思うての」

「どういうことなんですか」

 

 どうやらダンブルドアには、何か気がかりなことがあるらしい。そのためにクリミアーナ家訪問を先送りしていたというのだが、さて、どういうことになるのか。ハリーもそのことが気になってしまい、今夜の個人教授はなかなか始まりそうにはなかった。

 ちなみに今夜の内容は、例のあの人・ヴォルデモート卿であるトム・リドルの生い立ちに関してである。その母親であるメローピーに関することや、施設で育ったトム・リドルをホグワーツに入学させるためにダンブルドア自らが出かけていったときの様子、ということが予定されていた。

 



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第108話 「ソフィアの想い」

「頑張ればなんとかなるだろう、などと簡単に考えたりはしていませんか」

 

 凛とした響きを伴ったその声は、ホグワーツの副校長であり、グリフィンドールの寮監でもあるマクゴナガルのもの。そのマクゴナガルの向かい側には、アルテシアがいた。

 

「簡単だとは思っていません。でもそれを手に入れることができるのは、そうしたいと望んだ者だけ。それだけは間違いないって思ってます」

 

 しっかりとした口調で、アルテシアもそう答えた。マクゴナガルの執務室には、他には誰の姿もない。いったい何の話なのか、その主題となる部分が話されていないのだが、それはどちらも承知しているらしい。あえて言葉にするまでもない、といったところか。

 マクゴナガルが、軽くうなずいて見せた。

 

「それはさておき、あなたの申し出の件はパチル姉妹とソフィアにも伝えました。彼女たちは了承してくれていますし、何かと力を貸してくれるでしょう。ですがくれぐれも注意をするように、いいですね」

「わかっています。ありがとうございます」

「それで、具体的には何をしようというのですか。一応、知っておかねばなりません」

 

 その言葉の裏には、協力できることがあれば力になりますよという言葉が隠れているのに違いない。マクゴナガルの表情からそのことを読み取ったアルテシアは、思わず微笑んだ。

 

「どうしました、何をするのかと聞いているのですが」

「あ、いえ。もちろん気づかれないように注意しながらやっていきますので」

「聞こえなかったのですか。わたしは、何をするのかと聞いたのですよ」

 

 今度は、苦笑。なにもアルテシアは、マクゴナガルに隠しておこうとしたのではない。いや、隠せるとは思っていない。

 

「いくつか調べ物をしたいと思っています。クリミアーナの書斎にある本ではわからなかったこともありますので」

「例のあの人のことはより慎重であるべきです。いくらあなたでも、危険はある。大丈夫だなどと誰も保証してはくれないのですよ」

 

 当然、何を調べるのかと聞かれると思っていた。だが話は、違う方向へ。アルテシアが返事をするまもなく、マクゴナガルは、おそらくは自身が最も気になっているであろうことへと話を進めていった。

 

「あなたがスネイプ先生に提出したレポートを見ましたが、これからあのとおりに実行していくことになるのですか」

「えっ! あれ、お読みになったんですか」

 

 それをスネイプがマクゴナガルに見せるということを、アルテシアは予想してはいなかったらしい。あれは、あくまでも宿題の提出なのだから。

 

「読みましたが、あなたが気にすべきなのはそこではありません」

「どういうことですか」

「もちろんスネイプ先生は、あなたのことを心配なさっておいでです。ですが、例のあの人とのつながりを持つ人でもあります。今後は、あなたのレポートを例のあの人が読んだという前提に立つべきだと思いますね」

「そうでしょうか」

 

 否定や反論、ということではない。意味合いとしては、不安や相談といったものになるだろう。例えば、そうしたほうがいいのでしょうか、といったように。

 

「スネイプ先生といえども、あの人に命じられたなら逆らえないのです。このことを頭の中に入れて行動しないと、取り返しのつかないことにもなりかねない。それはあなたも望まないはずです」

「わかっています」

「不用意に近づいてはなりませんよ。例えばベラトリックス・レストレンジという魔女がいます。スネイプ先生によれば、その魔女はあなたを敵視しているとのこと。話をする前に攻撃されるでしょう」

「その魔女はデス・イーターなのですか」

「そうです。それにあの人が黙っているはずもない。場合によってはあなたの周りの人たちが巻き込まれる可能性も出てきます」

 

 そうなれば、どうなるか。全力で守るのはもちろんだが、それ以前の話として、ヴォルデモート卿ら闇の陣営に近づかないという選択肢がある。マクゴナガルはそう言いたいのかもしれない。もしそうだとしても、アルテシアにとってはできない相談だ。

 

「マクゴナガル先生、わたしはあの人に会うつもりです。魔法界にいないのならともかく、復活してきたんですから」

「その必要性はわたしも認めています。ですが、くれぐれも慎重であるべきです。裏目に出たときの影響はとても大きい。あなたといえども解決できないことはあるのですよ」

 

 方向性としては、アルテシアがやろうとしていることにマクゴナガルは反対していないようだ。アルテシアには無理だ、などとは考えていない。ただ、心配なのである。アルテシアが4年生のときのこと、三大魔法学校対抗試合の最終課題でセドリック・ディゴリーが命を落としている。そのときのアルテシアを、マクゴナガルは忘れてはいない。ほとんど面識がなかったはずのセドリックの死が、あれほどアルテシアを動揺させたのだ。パチル姉妹やソフィアなど、より身近な友人に何かあったとしたらどうなるだろう。

 スネイプに提出したレポートの中でアルテシアは、魔法界を滅ぼす可能性について述べている。その原因はさまざま。いくつもの要因が絡み合っての結果となるはずである。ではあるが、それでは論旨がぼやけるし、なにより5枚の羊皮紙にまとめることは難しい。なのでアルテシアは、現状の魔法界で脅威となりつつある闇の魔法とその使い手を主たる要因として話を展開した。

 その場合、鍵となるのは闇の魔法である。仮の話だが、魔法界において闇の魔法とされるものの存在をなくすことができたなら。そうなれば、話は簡単。その魔法のみを取り除き分離してしまえるのなら、魔法界を脅かす危険のある魔法は使えなくなる。だが果たして、そのようなことができるだろうか。

 アルテシアはそれを不可能だと断じ、それらの使用に関しての対策が必要だとしている。だがアルテシアが述べるまでもなく、魔法省ではまさにそうしている。だが、それに従わず積極的に使用している者たちがいるのも事実。それら闇の陣営に属する人たちをどうするのか。現状、その闇の陣営のトップにいるのは例のあの人だ。あの人を動かさない限り、その先はない。これがアルテシアの、羊皮紙5枚のレポートでの結論である。

 

「先生、そのレポートを書いてからもいろいろと考えたんです。それで思ったんですけど」

「でしょうね。あなたがあのレポートを書いてから数カ月が過ぎていますが、そのときのまま、ということはないだろうとは思っていましたよ」

「はい、それで思ったんですけど、闇の魔法とそうではない魔法との分離は確かに無理、その分類すらも難しいと思うんです」

「それは魔法を使う側の問題であるからです。どのような魔法であれ、悪用することはできるでしょうからね」

「でも、例えば禁じられた魔法など、容易に分類できるものはあるんです」

「ええ、そのとおりです。だからこそ、禁じられた魔法として規定されているのです」

 

 それは、誰の目にも明らかなる闇の魔法だ。だがそれを分離してしまえるか、となるとそれは別の話となる。現状、そのような方法はないと言ってもいいだろう。

 

「でも、クリミアーナではできた。それをやったんじゃないかって、そんなことを考えたんです」

「あなたの魔法書のことを言っているのですか」

「はい。わたしの魔法書は、2つに分けられていました。それって、たとえば闇の魔法とそうではない魔法のような、そんななにかの基準があって分けられていたってことはあるのかもしれません」

 

 そこに意味はあったはずだとアルテシアは言うのである。それにはマクゴナガルも納得するしかなかった。

 

「言われてみれば、これまでそのような考え方をしなかったほうがおかしいとすら思えますね。あのときは、これであなたが不自由なく魔法が使えるようになることをただ喜んでいただけでしたが」

 

 だが、その意味となると。その答えは、いったいどこにあるのか。アルテシアは、苦笑にもにた笑みを見せてこう言った。

 

「もしかすると、魔法界を滅ぼす者って例のあの人ではなくわたしなのかもしれません」

「なんですって」

「思うんです。クリミアーナはなぜ、魔法界から距離を置いていたのか。なぜ、わたしの魔法書は分かれていたのか。なぜわたしは、魔法省から拒絶されるのか。ハリーやハーマイオニーは、なぜわたしには肝心なことを話してくれないのか……」

 

 さもそれが理由であるかのように、アルテシアは、言葉を続けた。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルとアルテシアとが話し込んでいる頃、校長室では、同じようにダンブルドアとハリーとが話を続けていた。個人教授の課題を終えたあとで、またも話題はアルテシアのこととなっていた。なぜクリミアーナ家への訪問を先延ばしとしているのか、についてである。

 

「ガラティアという名を聞いたことがあるじゃろうの。アルテシア嬢の大叔母で、かつてブラック家に嫁入りしていたが、ピーター・ペティグリューの引き起こした爆発事件で命を落としている。この事件では、シリウス・ブラックが犯人とされておるがの」

「その事件が、なにか関係があるんですか」

 

 ゆっくりと、ダンブルドアがうなずく。ダンブルドアによれば、魔法省の判断ということにこだわるアルテシアへの説得材料とするため、現在の魔法大臣であるルーファス・スクリムジョールと会った。スクリムジョールは、校長の職権に含まれることだとしてすべてをダンブルドアに委ねるとしたあとで、そう言えば知っているかとばかり、ガラティアの話を始めたのだという。

 

「杖を持ってはおらなんだゆえ、当初はマグルだと思われていたのじゃよ。じゃがファッジがあの事件を調べ直した際に、魔女であると判明したのじゃ。おかげでシリウスのことは沙汰止みとなってしもうたらしいが」

「でも、魔女なら杖を持ってるはずなのに。ああ、そうか。だからその事件に巻き込まれてしまったんですね」

「いいや、ハリー。キミが何を思ったかは想像ができるが、あの家の魔女には杖は不要じゃよ。アルテシア嬢とて、杖は必要とはしておらん」

 

 そのことをハリーは知らなかったらしい。なにしろアルテシアは杖を持っているし、授業では、その杖を使用しているのだから。

 

「話を戻すが、マグルじゃと思われていたゆえに、ガラティアの遺品は長らくマグルの側にあった。まあ、廃棄物扱いであったらしいがの。じゃが魔女となれば話は別じゃ。その遺品はアルテシア嬢の了解を得て魔法省のものとなった」

「それで、どうなったんですか」

「うむ。わしも今回スクリムジョールに見せられるまで知らなかったのじゃが、その遺品の中にロケットがあったのじゃ。これが驚きでなくてなんであろうかの」

「ロケット、ですか」

 

 だがハリーは、どういうことなのかわからないらしい。ダンブルドアが、軽くほほえんだ。

 

「お忘れかな、ハリー。我々は、つい先ほど見たはずじゃ。夫に捨てられたメローピーは、ロンドンでただ一人、子どもを生むしかなかった。その苦労はいかばかりであったろうか」

「あっ、まさかロケットって」

「さよう。生活費に困ったメローピーが手放してしもうた物じゃよ。手持ちの財産では唯一の価値ある物であり、マールヴォロ家の家宝でもあったスリザリンのロケット。なれどたったの10ガリオンでは暮らしてはいけぬ。メローピーは失意の果てに命を落とし、ヴォルデモート卿は施設で育つしかなかった」

 

 後にヴォルデモート卿と名乗ることとなるトム・リドルを、ダンブルドア自らが施設に足を運びホグワーツへの入学を勧めている。その一部始終を、『憂いの篩』によってハリーは見たばかり。

 

「でも、なぜクリミアーナ家の人がスリザリンのロケットを持っていたんでしょうか」

「さあての。クリミアーナ家では、このことを知っていたのかもしれんのう」

「どういうことですか」

「わしらと同じことをしつつあったのかもしれんということじゃよ、ハリー。なんのことかわかるまいが、今はまだ、ちゃんと話してはやれぬがの」

 

 今はあえて口にすることはしない、とダンブルドアは言うのである。言わずとも、いずれわかる。そう言われてしまえば、それ以上の追及は難しい。

 

「それで、そのロケットは?」

「ああ、あれは魔法省のものじゃからの。スリザリンの遺品ともなれば、貴重なことこの上もない。わしはただ見せられただけで、触らせてももらえなんだ。そのような物じゃからこそ、アルテシア嬢にはそれが何であるかを告げることもなく所有権の移転を承諾させたのじゃと思うしかないのう」

 

 それは、いまだ魔法省に保管されているのだという。そのロケットが持つ意味、それはダンブルドアの個人教授が進んでいけば明らかとなるのかもしれない。だがそれは、まだ先の話となるのであろう。

 

「アルテシアは、そのロケットのことを知っているんでしょうか?」

「ふむ。まさにそのことじゃよ。ともあれ、さまざまはっきりとせぬ限りクリミアーナ家には足が向かぬ。あるいはあのお嬢さんと会えばはっきりとするのかもしれんが」

 

 だがそのためには、今はまだ口に出さぬとしたことを言わねばならないかもしれない。どうやらダンブルドアは、それを避けているようだ。時期尚早といったところか。

 この夜の個人教授はここまでで終わりとなった。

 

 

  ※

 

 

 次の日のハリーの最初の授業は薬草学だった。ハリーはその授業のとき、温室で作業をしながらロンとハーマイオニーにダンブルドアの授業のことを話して聞かせた。この2人には話してもよいとの許可をダンブルドアから得ているからだ。

 3人は、みんなとは少し離れた場所で一応手は動かしているものの、その話に夢中になっていた。当然、作業はちっとも進んでいない。

 

「けど、ダンブルドアはどうしてそんなものを見せるんだろう。ハリーが生き残るためって言うけど、そんなのが何の役に立つんだ」

「役に立つわよ、もちろん。あの人の弱点を見つけようとしてるんだと思う。知れば知るほど、気づくことができるのよ。ね、そうでしょう?」

 

 と言われても、ハリーにはまだそこまでのことは分からない。だが無駄なことをしているというつもりもない。これは必要なことなのだ。

 

「あの人に弱点なんてあるのかなあ」

「あるのよ、きっと。倒す方法はあるはずだわ」

 

 その方法は、すなわち、ハリーが生き残る方法と同じ意味を持つ。それを探している状況ということだ。

 

「なあ、ハリー。アルテシアのことはなにか情報はないのか。あいつがいたほうがいいだろ」

「そりゃそうなんだけど」

「なにかあったはずよ。ほら、パーバティを見てみなさい。このところずっと不機嫌でイライラしてたってのに、あの調子よ」

 

 そのパーバティは、ラベンダーとペアを組んで作業をしていた。たしかにニコニコとしている様子だが、その機嫌まではハリーには分からなかった。

 

「アルテシアのことだけど、魔法省に遺品が残されてるらしいんだ」

「なんですって、遺品?」

「アルテシアのなんだったかな、伯母さんか何かが爆発事件で死んだんだよ。そのときの遺品なんだ」

「待って、その事件って、ピーターがシリウスをアズカバン送りにした事件のこと? あのときマグルがたくさん死んだけど、魔女はいなかったはずよ」

「そうだけど、その人はずっとマグルだと思われてただけで、本当は魔女だったんだ」

「アルテシアの親戚でクリミアーナ家の魔女がその事件で死んだの? でもなぜマグルだなんて」

 

 それは、杖を持っていなかったから。ハリーは、ダンブルドアからの説明をそのまま話して聞かせた。

 

「杖もなしに魔法だって。そんなことができるのか」

「アルテシアもそうだって言うの? アルテシアは杖を持ってるわ」

「うん。ぼくもそのへんは疑問に思ってるんだけど、とにかく遺品は魔法省にあるんだ。その中にスリザリンのロケットがあって、そのためにダンブルドアは、アルテシアを学校に戻すためにクリミアーナ家に行くのを先延ばしにしてるって言うんだ」

 

 どういうことなのか。ロンとハーマイオニーは、ただハリーを見ていた。そして。

 

「意味がわからないわ。スリザリンのロケットって何? なんの関係があるの」

「ぼくもそう思ったよ。でもダンブルドアは、その理由を話せないって言うんだ。今はまだダメだって」

「今はダメ? じゃあ」

「そうだよ、いつかは話してくれるんだ。それに、いずれはわかることだって言った」

 

 どういうことなのか。ハーマイオニーは、じっと考え込んだようだ。授業中でなければ、あるいは『図書館に行かなくちゃ』と言い出していたのかもしれない。

 

 

  ※

 

 

 放課後。その日の授業が終わると、パーバティはすぐさまいつもの空き教室に向かった。足取りも軽く空き教室に飛び込むと、室内を見回す。いたのは、パドマとソフィアの2人だけ。

 

「アルテシアは?」

「ドラコ・マルフォイと会ってると思います。あたしが連絡しておきましたから」

「マルフォイ? なんであいつなんかと。あたし、まだなのに」

 

 いると思っていたアルテシアがいないことに、パーバティはいくらか不機嫌気味。だが前日までとは、そのようすは明らかに違っていた。そのことに、ソフィアはほっと一息。

 

「場所は、必要の部屋です。誰にも知られずに話ができるのはあそこかこの教室くらいですから」

「あたしたちは行かなくていいの? 男の子と二人だけにしとくのって問題あったりしない?」

「考えすぎだと思います。マルフォイさんでは、相手にはならないと思いますけど」

「ちょっとソフィア、なんの相手よ、それ。例のネックレス事件のことだと思うよ。たぶんマルフォイが関係してるんじゃないかな」

「え! じゃあ、あれの犯人はマルフォイだってこと?」

 

 そんな事件があったことは知られているが、なぜそんなことになり、その犯人が誰であるかなどの詳細についてはほとんどわからないままだ。ちなみのその事件のことは、パドマが手紙でアルテシアに知らせている。

 

「てことは、なに。マルフォイは人を殺そうとしたってこと。うそ、そんなのありえないし」

「だからアルテシアは、学校に来たんでしょうね。規則違反だなんて言ってられなかったんだと思うな」

「でも、そんなこと。きっと例のあの人が関係してるんだろうし、危ないんじゃないの」

 

 マルフォイはきっと、父親と同じでデス・イーターの仲間入りをしたのに違いない。やっぱり2人だけにはしておけないと、パーバティはそう言うのである。

 

「大丈夫ですよ、心配ないです。大丈夫ですから」

 

 だがソフィアは、そう言って否定した。否定はしたが、その様子にパーバティはおかしなものを感じたらしい。じっと、ソフィアの顔をのぞき込む。

 

「な、なんですか」

「あんた、おかしいよ」

「え?」

「おかしいんだって。ねぇ、パドマ。変だよね」

 

 突然に話を向けられた格好のパドマは、ソフィアが自分の方を見ていることを確認して、うなずいてみせた。

 

「確かに、変だと思うよ。だからあたし、アルテシアに手紙書いたんだ」

「手紙って、まさか」

「そう、怒ってくれてもいいよ。あたし、あんたのことアルテシアに告げ口したんだからさ」

 

 さすがにソフィアも、すぐには言葉が出てこないらしい。じっとパドマを見ているが、代わりに声を上げたのはパーバティ。

 

「告げ口ってのは良くないな。相談したってことならわかるけど」

「もちろん相談の意味でだけど、でもソフィア。あのときからだよね、ホグズミードでティアラって人に会ってから」

「ち、違いますよ。わたしはなにも」

 

 なにもおかしなところはない、いつも通りだと主張してみるが、パチル姉妹は納得などしない。

 

「心配なんでしょ。なんでそこでウソをつく? 必要の部屋だっけ? 行けばいいじゃない。あたしは行くよ。アルが心配だから」

 

 ソフィアは、なにも言わない。ただじっと姉妹の視線に耐えているが、次第にその目が赤くなっていくのはなぜか。少しずつその目に涙が溜まっていく。

 

「ソフィア、あんた、ホントにおかしいよ。何かあったのなら言いなって」

「もしてかしてだけどさ、あたしが思ってること、考えてたこと言ってもいい? たぶんだけど」

「いいえ、言わなくていいです」

 

 軽く首を振って、パドマの言葉を遮る。そして。

 

「不安なのは確かです。心配してますよ。でも、アルテシアさまから休暇になるまで待てって言われてるんですから、それまで待つかしないんです」

「なによそれ。本気で言ってんの」

 

 ともあれこのことは、ソフィアにとっては重要なのである。ソフィアのルミアーナ家は、先祖の時代からずっとクリミアーナのそば近くにいた家だ。長らく離れていた時代はあったが、アルテシアのホグワーツ入学を機会に終止符を打つことができた。もう二度と、そんな頃には戻りたくない。

 ソフィアはもちろんのこと、ルミアーナ家ではそう考えているのである。そんなことをぽつりぽつりと、ソフィアが話していく。アルテシアのそばを離れるようなことにはなりたくないと言うのだ。もう、二度と。

 

「へぇー、つまりアルテシアの言いつけに逆らったら叱られる、それはイヤだから我慢してるってことになるんだ」

「まあ、そういうことですけど、でもわたしにとっては」

「バカなんじゃないの。いや、あんたがバカなのは勝手か。だけどアルテシアのことバカにするのは許さないよ」

「なにがですか。あたしはそんなことしてませんけど」

 

 こういうとき、感情的な口調になってくるのは仕方のないところ。軽くため息をついたパドマが、間へと入った。

 

「ちょっと待ってよ。やっぱり言わせて。あたし、思ってることがあるんだけど」

「なによ」

「なんですか」

 

 まだ刺々しさは残っている。苦笑いを浮かべつつパドマが話し始めた。ずっと考えてきたことを言うのは今しかない。

 

「クリミアーナ家の墓地で、大きさはこれくらいかな。透明の水晶玉みたいなのを見せてもらったことがあるんだけど、知ってる?」

 

 両手の親指と人差し指で丸を作り、その大きさを示しながらソフィアを見る。だがソフィアはなにも言わない。

 

「そのときアルテシアは、これで正式にクリミアーナ家を引き継いだって言った。クリミアーナを守るって」

「知ってます。意志ってやつです。クリミアーナの心なんです、それ」

「え!? ソフィア、それって」

「実物は見たことないですよ。まだクリミアーナ家には行ってませんから。でもたぶん、色のない透明な玉だったと思います。違いますか?」

 

 そんな返事がソフィアから返ってくるとは思っていなかったのだろう。パドマが驚いている隙を狙ったかのように、ソフィアが話を続けた。

 

「お二人だったらきっと、こんなことを言われたことありますよね。あなたのことはわたしが守る、とかなんとか」

「ある、あたしもあるけど、それってどういう意味?」

 

 そう言ったのはパーバティだ。パドマもうなずいているので、両者ともに経験あり、ということだろう。

 

「パチルさんたちが、アルテシアさまのココにいるってことです。ココにいる限り、アルテシアさまとはつながってるんです」

 

 そう言って、左胸の辺りをポンポンと叩いてみせる。

 

「もしパチルさんが今、誰かに襲われてるとしますね。でもそれは、すぐにアルテシアさまにわかってしまう。監視とかじゃないですよ。守るためなんです。きっとものの数分で来てくれるでしょう」

「ソフィア、それって」

「だから、大丈夫なんです。どこにいたって、ひどいことになったりしない。たとえ学校の外と内とに分かれていても」

 

 互いの場所など関係ない。守ると決めたものは、なにがあっても守る。ソフィアの知る限り、クリミアーナ家ではそうしてきたというのである。

 

「勝手に思ってるだけですけど、学校の出入りを許してもらったのはそのため、なのかもしれません」

「どういうこと」

「ネックレスの事件です。あんな事件がこれからも起こるのだとしたら。守ると決めた人が犠牲になるかも知れないと考えたなら」

「あっ! あたし、アルテシアに事件のこと」

「許可なんてなくても、いざってときには学校に来るはずです。でも、許可があったほうがいいのは間違いないですよね」

「でも、でもねソフィア。それじゃ、アルテシアが危ないときは? そのときはあたしたちにもわかるの?」

 

 その疑問には、ソフィアはゆっくりと首を横に振ってみせた。すなわち一方通行であり、そこに双方向性はないということだ。

 

「そんなのはイヤですか。イヤですよね。でもそれがクリミアーナです。自分の幸せよりも、周りにいる人たちの幸せ。それが何より優先なのであり、そのためにできるだけのことをする。自分の周りに集まってきた人たち、守りたいと思った人たちを守る。それがクリミアーナです。それが、クリミアーナを継いだ者の役目なんです」

「待ってよ、ソフィア」

「バカですか? ええ、バカですよね。マルフォイさんなんてほっとけばいい。あの人を助けても、きっといいことなんてない。でもね、パチルさん。それがクリミアーナなんです。アルテシアさまなんです」

 

 こういう話をするつもりなど、ソフィアにはなかったのではあるまいか。もちろんパチル姉妹もそうだろう。だがこんな話となってしまった以上、ここで終わることは難しい。

 

「マルフォイさんを守ると、もしアルテシアさまがそう思ったのだとしたら。そしたらもう、例のあの人とは対決する道しか残されてない。きっとあの人は、マルフォイ家に害をなすでしょう。最近のマルフォイさんを見てたら、そうなるとしか思えない」

「でも、でもソフィア、じゃあアルテシアはどうなるの」

「大丈夫ですよ、パチルさん。パチル姉妹は、アルテシアさまが守ってくれますから。あ、怒ってもダメですよ。おっしゃりたいことはわかりますけど、運命みたいなものだと、そういうものなんだと思ってください」

 

 パドマは思い出していた。クリミアーナ家の墓地で見せられた、水晶のような玉のことだ。虹色の玉とは違い何の色も持たないその玉に、その玉の中に見えたもの。それらを守るのだと、あのときアルテシアは言った。その役目を引き継いだと言ったのだ。

 

「ソフィア」

 

 呼びかけはしたが、パドマの頭の中は、あのときのことで一杯だった。あのあとアルテシアは『パドマはわたしが守る』と言ったのだが、そう言ったあとあの玉の中にはパチル姉妹が映し出されたのだ。アルテシアは嬉しそうだったが、もしあの中にあるもの、その全てを守らなければならないのだとしたら。だとしたらアルテシアは、いったいどれほどのモノを背負ったことになるのだろう。

 

「ソフィア、あの玉。あれがクリミアーナの心だって、そう言ったよね」

「はい、言いましたけど」

「あの中には、あんたもいるんだよね?」

 

 ソフィアは、すぐには答えなかった。だが無言を通したわけでもない。ゆっくりとした口調で話を始めた。

 

「分からないです。あたし自身は、アルテシアさまからそんなこと言われたことはないですから」

「そ、そうなの」

「きっとその玉を見たことがあるのは、パドマさんだけですよ。クリミアーナの魔女を除けばですけど」

 

 自然、視線はパーバティへと向けられる。確認ということだ。ちなみにパーバティは、その玉を見たことはない。ソフィアが軽く笑って見せた。

 

「その人たちを守りたい。幸せに暮らしたいと願う人たちを守りたい。集まってくる人たちを守れるのだとしたら、守るために使うのだとしたら、わたしの魔法には意味がある」

「えっ、なに?」

「なんでしょうね。でもこれ、あたしの記憶の中にはあるんです。きっとそう言われたことがあるんでしょうね」

 

 パチル姉妹のどちらからも声はない。ソフィアは、もう一度、かすかに笑って見せた。

 

「こんなこと、誰にも話したことはないです。話しちゃいけなかったのかもしれない。でもね、パチルさん」

 

 静かな口調で、ゆっくりとソフィアは話を続けた。

 

「そんなクリミアーナを、わたしたちは守りたいと…… 違う、そうじゃない。守らなきゃいけないと思ってます。先祖の話で申し訳ないですけど、ルミアーナの名前はクリミアーナからいただいたと聞いてます。ええ、そうですね。そう言い伝えられているだけで、本当かどうかなんてわからない。ただの昔話、そう思うのが当たり前なんですけど」

 

 そのとき、何があったのか。そのことをソフィアは知っているのだろうか。

 

「ルミアーナの家にも魔法書があります。そこにはみんな書いてある。だって魔法書には、その時代を生きた魔女の知識や魔力などのすべてが残されるんです。ウソなんてない。書かないということはあったとしても、ウソを書くことはないんです」

 

 たとえて言うならば、見ないふり気づかぬふりはできたにせよ自分の心にウソはつけないのだと、そういうことになる。

 やがて、いつもの空き教室は静かとなっていた。いつものような明るい話し声はなく、ただ呼吸をするときのかすかな音が聞こえるだけ。ソフィアは空き教室を出て行ったが、パチル姉妹は残っていた。おそらくはソフィアが言った言葉を思い出しているのだろう。互いの顔を見るでもなく、ただ前を見ているだけだった。

 

『大丈夫ですよ。クリミアーナの魔女が例のあの人に劣るだなんて、そんなことはありません。気になったのは、アルテシアさまがちゃんとクリミアーナの魔法を受け継いでいるのかどうかだけでした。でもそれは、わたしが1年生のときに確かめてあります。大丈夫です』

 

『そばにいたい。それだけなんです。ずっとおそばに。理由ですか? たぶんアルテシアさまの目の色、あれが好きだからかもしれません。不思議な色だって思いませんか。海の色とも空の色とも違う、空よりも澄んで海よりも深い、奇跡の青。そんな青い瞳が大好きなんです』

 



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第109話 「必要の部屋にて」

 必要の部屋は、ただいま使用中。空き教室でパチル姉妹とソフィアとが話をしている頃のことだが、この部屋を利用してドラコとアルテシアが話をしていた。

 そのときどき、必要としている人がいる限り、その部屋は用意される。おそらくは1000年ほども前のこと、茶目っ気と創造性豊かな魔女が考え、希な才能を持った魔女が実現したとされる部屋である。

 この部屋は、誰かが使用中である限りは他の人が使用することはできない。空くのを待つか、あるいはまったく同じ使用目的によって部屋を開くしかないのだが、現在開設中の部屋には、2人だけで話ができる場所という条件が付けられている。なので、ドラコ・マルフォイとアルテシア・クリミアーナの2人以外は誰も入室できないことになる。

 誰にも聞かれる心配のないこの場所で、ドラコはアルテシアに対し、ネックレスの事件を引き起こしたのは自分であると認めた。

 

「あれがそのまま校長先生のところに届くって、ほんとにそう思ってたの。ホグズミードから帰ってきたときには持ち物検査がある。当然、不審物扱いでしょうに」

「ああ、そうだよな。だけど、あのときはそんな余裕はなかったんだ」

 

 だが今は、そのことに気づくくらいには自分を取り戻しているということになるのだろうか。

 

「たぶん、アルテシアの顔を見たからだよ。これまでは、とてもそんな気持ちにはなれなかった」

「とにかくドラコ。注意しないといけないよ。たぶん校長先生は気づいてると思う」

「かもしれないな。でも自分が狙われたとまでは思ってないはずだ。はっきりとした証拠もないし、警戒されてるとは思ってない」

 

 このまま放っておいたなら、どうなるのか。さすがにアルテシアも、そこまではわからない。未来予知の能力など、持ってはいないのだ。

 

「ドラコ、フェリックス・フェリシスのことだけど」

「できたのか。あれさえあれば大丈夫だ。きっと、なにもかもうまくいく」

「ごめんなさい、色々調べたけどダメだった。必要な薬材だけでも分かればなんとかなるとは思うんだけど。でもね、ドラコ」

「ああ、いいんだ。キミがムリならぼくだってムリだ。気にすることはない」

 

 それを本気で言っているのかどうかはともかく、ドラコは、アルテシアを責めるようなことは言わなかった。だがアルテシアの話は終わったわけではない。

 

「フェリックスのことをあきらめてもらう代わりってことじゃないけど、ドラコ、例のあの人とはわたしが話をつけるから」

「なんだって。バカなこと言うなよ」

「大丈夫よ。ドラコのことがなかったとしても、あの人とは会うつもりにしていたの。どこにいるのか分かり次第にね」

「いいや、ダメだ。キミは知らないんだろうが、闇の帝王には部下だってたくさんいるんだぞ」

 

 それがデス・イーターのことであれば、具体的に誰がそうなのかを別にすればアルテシアも知っていることだ。ドラコは、そのデス・イーターの中からベラトリックス・レストレンジの名を挙げた。

 

「闇の帝王の忠実な部下だ。しかもなぜか、キミのことを知ってる。キミは狙われてるんだぞ」

「わたしが?」

 

 ベラトリックス・レストレンジという名前は、マクゴナガルからも聞かされたことがある。だが名前だけのことであり、アルテシアにはどんな人物なのかは分からない。実際には魔法省での騒動のときに顔を見ているのだが、アルテシアはそのとき名前を聞いてはいなかった。

 

「これは言わないつもりだったけど、闇の帝王はキミのことを知ってるぞ。クリミアーナ家を襲撃しようっていう話まであるんだ」

「クリミアーナを襲うって、まさか」

「本当さ。いずれは魔法省を手に入れることになっている。この魔法界を支配下に置くこと、それが帝王の目的なんだ」

 

 その実現のためには、まずは障害となりそうなものを取り除いていく必要がある。まさにデス・イーターたちは、そのために行動している。騎士団を結成するなど明確に反抗の姿勢を見せているダンブルドアは、その邪魔者の筆頭とも言えるだろう。

 では、クリミアーナはどうなのか。ドラコの話した内容からすれば、同じような指示がベラトリックスあたりに出されていてもおかしくはないことになる。

 

「だからアルテシア、キミは帝王に近づいちゃいけないんだ。殺されないとしても、きっとキミは利用されることになる」

「利用って、わたしをデス・イーターにしようってこと?」

「仲間になるか、殺されるか。そのどっちかだろうな。けどそれは、キミだけに限ったことじゃない」

 

 殺されるのがイヤなら従うしかないんだと、ドラコは自嘲気味にそう言った。ヴォルデモートが魔法界を支配したなら、誰であろうとそうなるしかないのだと。

 だがアルテシアは、そのことをきっぱりと否定した。

 

「ならないよ、ドラコ。そんなコトにはならない。絶対にならない。そんなことはさせない」

「そうだな。そんなことができたらいいって思うよ。だけどな、アルテシア。ムリだぞ、いくらキミでも」

「いいえ、きっとそうしてみせるわ。とにかくドラコ、いろいろと話を聞かせて欲しい」

 

 たとえば、ネックレス事件のこと。デス・イーターのこと。例のあの人のこと。だがもちろんドラコには、話したくないことは話さないという自由がある。どういう意図であるのか、ドラコはこれ以上のことになると話そうとはしなかった。

 

 

  ※

 

 

 8階の廊下、壁に掛けられた大きなタペストリーの前にソフィアの姿があった。なにをするでもなく、ただその場に立ち、その向かい側の石壁を見つめている。

 そこには、それを知っている人だけが利用することのできる『必要の部屋』がある。おそらくソフィアは、その部屋を使用している人が出てくるのを待っているのだろう。すでに夕食の時間となっているのだが、大広間へと行くつもりはないようだ。

 その部屋では今、ドラコとアルテシアとが話をしている。そのことをソフィアは知っているのだが、部屋の使用条件により2人だけしか入ることができない。もっとも、そんな条件がなかったとしても、ソフィアは入ろうとはしなかっただろう。そんなことをしては、アルテシアの邪魔をしてしまうかもしれないからだ。ゆえに、待つしかないのである。

 こうしてソフィアが待ち始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。ただの壁だった場所にドアが現れ、それが開いたのだ。そして、アルテシアが姿を見せる。

 ソフィアは、すぐさま駆け寄った。

 

「うわ、びっくりした。ソフィアじゃないの」

「すみません、アルテシアさま。驚かせてしまって」

 

 ソフィアとアルテシアとが顔を合わせるのは、しばらくぶりのことになる。なぜだかソフィアが涙ぐんでいるように見えたが、それは単にアルテシアの気のせいなのだろう。

 続いて、ドラコが必要の部屋から出てくる。

 

「なんだ、おまえ。どうしてここにいる?」

「どうしてって」

 

 出てくるなりソフィアを見つけたドラコが、いきなり叱りつけた。それほど大きな声ではなかったが、今のドラコの心のうちが言わせたのだろう。その声に身をすくませたソフィアを見てアルテシアは思った。こんなソフィアを、このままにはしておけない。

 ドラコが出てきたときに開けたドアが閉まろうとする寸前、アルテシアはその取っ手をつかんだ。そしてもう一方の手でソフィアを腕をつかむ。

 

「おいで、ソフィア」

 

 ソフィアの腕を引っ張り、入り口から必要の部屋の中へとソフィアを押し込む。そして、自分も。

 

「ドラコ、内緒でお願いね。また話をしよう」

 

 ドラコからの返事はなかった。ドアが閉まり、ただの壁となる。いま、必要の部屋の定員は2人である。

 

 

  ※

 

 

 なぜだがおいしさを感じない夕食に、パーバティはため息をついた。もう、これ以上は食べたくない。ここで終わりにしても、たぶんお腹が空いて眠れないということにはならないはずだ。なんとか、それくらいは食べたはず。

 パーバティは、自分にそう言い聞かせると夕食のテーブルから立ち上がろうとした。だが隣に座っていたラベンダーが話しかけてきた。

 

「待ってよ、パーバティ。あたし、まだ食べてるから」

「あ、ごめん。そうだったね」

 

 アルテシアが学校に来なくなってから、パーバティはラベンダーと一緒になることが増えていた。授業でのペアでの作業もそうだし、夕食後に寮へと戻るときも一緒なのだ。

 

「やっぱり、アルテシアがいないと調子が狂う?」

「ううん、そんなことない。もう慣れてきたけど」

「そうかな。アルテシアが今のパーバティを見たら、きっと学校に戻ってきてくれるんじゃないかって思うけど」

 

 そこでラベンダーは、デザートに手を伸ばした。今日は糖蜜パイである。パーバティがラベンダーのほうへと顔を寄せる。

 

「どういう意味?」

 

 声が小さくなっている。おそらくはアルテシアという名前を出したからだろう。3人分ほど離れた場所に座っているハーマイオニーがこちらをみていたからだ。

 

「どうって、自分で気づいてないの? まあ、気づくはずないか。あたしもそうなのかもしれないし」

「だから、どういうことなの。教えなさいよ」

「いいけど、ちょっと待って。これ食べたら寮に戻るから」

 

 その話は寮へと戻りながら、ということになった。パーバティは、大広間を出るとハーマイオニーあたりが後ろにいないかどうかを確認した。なにも聞かれて困るような話をしようというというのではないが、ラベンダーから何を言われるのか、おおよその予想ができていたのだろう。

 ラベンダーの指摘は、このところのパーバティの不機嫌さであった。それがなぜか今朝から機嫌が良くなったと思ったら、夜を迎えて沈み込んでいる。その原因はアルテシア、つまるところ、アルテシアがいないのが寂しいのだとラベンダーは言った。

 

「もちろん、あたしも含めてだけどね」

「うん。そうかもしれない」

「もしかして今日、こっそりアルテシアが学校に来るとか、そんな予定だったんじゃないの?」

 

 でもなければ、今朝からの機嫌の良さが説明できないのだ。そう言ったラベンダーに、パーバティは苦笑いをしてみせた。

 

「内緒にしてくれるんなら教えるけど」

「ああ、いい。言わなくていい。もう答えは分かった」

「内緒だからね」

「わかってる。でも、あたしも会いたいなあ。久しぶりにあの笑顔が見たいんだけど、なんとかなる?」

 

 さあ、どうなのだろう? それはわからないが、ラベンダーと話をしていくらか気持ちが楽になったらしい。パーバティは、柔らかな笑みを見せていた。

 

 

  ※

 

 

 必要の部屋の中では、ソフィアが泣いていた。アルテシアの一言に、思わず感情が高ぶってしまったらしい。そんなソフィアの肩を抱き寄せ、アルテシアが耳元でささやく。

 

「ごめんね。休暇になるまで待てって言ったのに、待たせてるのに、わたしは勝手に始めてるなんて」

 

 ソフィアが泣き出した理由は、アルテシアにごめんと言われたから。なぜ謝るのか、そんな必要などないのにと、そういうことである。

 

「だけどソフィア。学校があるんだもの、ムリを言ってはいけないと思ったのよ」

「わかってます。そんなのわかってるんです。だから、謝ったりしないでください」

 

 だんだんとソフィアが落ち着いてきて、少しずつ話が前へと進むようになる。アルテシアは、まだソフィアを抱きしめたままだった。

 

「自分が辞めておいてまた勝手を言うんだけど、学校には残ってて欲しい。もちろん、ソフィアのことはわたしが守るから」

 

 まだまぶたに涙が残ってはいたが、ようやく泣き止んだソフィアが、アルテシアからゆっくりと体を離していく。

 

「アルテシアさま、いまのはあたし、あの、聞かなかったことにさせてください」

「え?」

 

 アルテシアにとっては意外な返事だったのかもしれない。ソフィアは、じっとアルテシアの目を見ている。そして。

 

「わがまま言ってすみません。これまでも守るって言ってもらったことありますけど、ないことにしようって、そう思ってるんです」

「どういうことなの?」

「あたしがアルテシアさまを守りたいからです。ずっとおそばにいたいからです。アルテシアさま、教えてください。あんなこと、どうやったらできるんですか?」

 

 ソフィアの言っていることが、アルテシアにはわからなかった。だから、ソフィアを見ているしかなかった。そのソフィアも、アルテシアから目を離すことはない。そこで、軽く深呼吸。

 

「アルテシアさまが危険なとき、それがあたしにもわかるようにしたいんです。そうしたら、あなたを守ることができます。どうすればできますか?」

「待って、ソフィア」

「ホグワーツに入学したばかりのころにトロールに襲われたんですよね。でもそんなこと、全然知りませんでした。どうすればわかるようにできますか?」

 

 たとえば、こんな仕組みがある。アルテシアが森を散歩中だったとしても、クリミアーナ家にふいの来客があればその来訪に気づくことができる。仮にソフィアがデス・イーターに襲われるなどして窮地に陥ったとき、アルテシアはそのことに気づくことができる。ソレを守らなければならないから。

 それらはクリミアーナの歴史のなかで生み出された仕組みなのであり、アルテシアが魔法の力に目覚めた後、彼女に引き継がれている。その証しとなるのが、パドマがクリミアーナ家の墓地で見せられたことのある無色の玉である。その玉の中に入っているモノだけがこの仕組みの対象となるのであり、その中へはアルテシアが守ると決めたモノだけが入れられることになる。

 

「あたしなんかじゃ、たいして役にも立てないとは思います。でも、それでもわたしは」

「わかったよ、ソフィア。あなたの気持ちはよくわかる」

 

 だが、それでソフィアの気持ちに応えてやれるかとなると、それはまた別の問題だ。そのためにはあの無色の玉を引き継がせる必要があるが、アルテシアはそれをソフィアに背負わせてもよいとは思っていない。叶えてやれること、やれないこと。その現実は当然のようにある。

 

「でもね、そうしてはやれないの。あれは、クリミアーナ家の娘にしか引き継ぐことができないものだから」

「知ってますよ。わかってるんです、無理なこと言ってるのは。できないって知ってるんです。だから」

 

 ソフィアは、なおもアルテシアに問いかけた。それがムリなら、せめてそばにいさせてくれないか、というのである。いつもそばにいたならば、同じことになる。危険なときはすぐわかるし、助けることができる。

 

「ごめんね、ソフィア。心配ばかりかけて」

「だから、謝らないでくださいって言ったじゃないですか。わがまま言ってる自覚はあります。返事はしなくていいです。そこにいてください」

 

 どういうことか。アルシアもとまどったに違いない。おそらくソフィアは、甘えたいのではあるまいか。しばらくぶりに会ったということもあるのだろうが、少しは愚痴でも聞いて欲しい。そんなところかもしれない。

 アルテシアはそう理解した。そして、改めてソフィアを抱きしめた。

 

「わかった、ソフィア。ここにいるよ。そばにいていいよ」

 

 今現在の必要の部屋には、定員2人という使用条件が付けられている。なので、誰か別の人が入ってくる心配はない。このあとパチル姉妹にも会うつもりにしていたアルテシアだが、予定変更はよくあること。ソフィアの気が済むまで一緒にいようと決めた。

 

 

  ※

 

 

 大広間には、ハグリッドが運び込んだクリスマス・ツリー用のモミの木が並びはじめていた。あとは飾り付けを待つだけ、いよいよクリスマスなのだ。

 このときを最も待っていたのは、あるいはパチル姉妹ではあるまいか。ソフィアとは違い、アルテシアが学校に来なくなってからというもの、ろくに顔を合わせてはいないからだ。もっともソフィアのほうも、それまで待たされていることに変わりはない。だが今回は、それぞれにアルテシアから頼まれたことがある。しかも学校内でできる範囲なので無理なく進めることができたし、休暇になればその結果報告を兼ねてクリミアーナ家に行くことになっている。今は、そのときを楽しみにしているといったところか。

 ちなみにパーバティはゴーストである灰色のレディとの交渉役だ。大広間などでゴーストはよく見かけるのだが、灰色のレディはめったに姿を見せない。なので、いつどこでなら会えるかの約束をあらかじめ取り付けておく、ということになっている。

 パドマのほうは、図書館作業だ。クリミアーナ家の書物には、その資料はなかった。では、ホグワーツはどうなのか。アルテシアはほとんど図書館を利用していなかったので、分霊箱に関する資料があるのかどうかは分からなかった。だがいくらマクゴナガルの許可を得ているとはいえ、堂々と図書館を利用するわけにはいかない。なのでパドマが調べることになったのである。

 図書館を最も利用しているのは、おそらくはハーマイオニーだろう。だがレイブンクロー生も、それなりに利用頻度は高い。パドマが図書館に通い詰めても不自然ではないのだ。

 そしてソフィアは、ドラコの様子を見ていること。監視ということではなく、ただ様子を見ていて欲しいと言われているのだ。

 パーバティもパドマもそれなりに苦労はしただろうが、大変さでいえばソフィアだろう。ドラコに気づかれてはならないし、ドラコがごく普通に過ごしていたならば、なにも報告することがないということになる。

 もちろん何もないのが一番だ。それは分かっているのだが、何もないというのもサボっていたようで落ち着かない。そんなソフィアに、機会が訪れたのはスラグホーンが開いたクリスマスパーティーでのこと。

 スラグ・クラブとしていつもはスラグホーンのお気に入りだけを集めて行われるのだが、クリスマスということで、メンバー以外にもその友人たちを招待できることになっている。ドラコはクラブメンバーではないが、あるいは参加するかも知れない。授業が終わりとなり休暇に入るのだが、ソフィアはこのパーティーの様子を見ておくことにした。クリミアーナ家に行くのはそのあとでいいと、そう決めたのである。

 

 

  ※

 

 

 スラグホーンのクリスマスパーティーは、夜の8時から。参加者は生徒だけではなかった。かつてのスラグホーンの教え子たちや知り合いも姿を見せていた。ほぼ強制参加となるハリーが会場に入ると、さっそくスラグホーンが出迎えた。

 

「やあやあ、ハリー。よく来てくれたね、君に引き合わせたい人物が大勢いるよ」

 

 そしていろいろな相手に紹介されたが、教職員までいたのはハリーにとっては意外だったろう。

 

「セブルス、何を隠れているんだ。キミの教え子だろう。キミが魔法薬学の基礎を教えてくれた。ゆえにいまのハリーがある。そうじゃないかね?」

 

 スラグホーンには両肩を掴まれており、スネイプからはじっと見下ろされたハリーには逃げ場がない。

 

「ハリー・ポッターがどれほどのモノを学び取ってくれたのかは分かりかねますが、優秀だったとは意外でしたな」

「そうかね。わたしの印象では、魔法薬の調合に関してずば抜けていると思うのだがね」

「あー、ならばそうなのでしょうな。なれど、これまで教えた生徒のなかでもっとも優秀なのはアルテシア・クリミアーナだと思ってはおりますが」

「おお、クリミアーナかね。その名前は聞いたことがあるが、そのアルテシアというのは?」

 

 そこでスネイプの鋭い視線がハリーをとらえた。おまえが説明しろ、とでも言いたいかのようだ。だがハリーは、スネイプの言うとおりにはしないと決めていた。スネイプがニヤリとした。

 

「訳あって退校処分となりましてな。今は学校にいないが、このハリー・ポッターと同級生ですよ」

「なんと。セブルスがそこまで言うのだからぜひとも会ってみたいが、しかし、ハリー以上ではあるまいよ。なにしろハリーは、母親の才能をみごとに受け継いでいる。そのうえ君が5年も教えたのだから、まさに完璧だよ。最初の授業であれほどの『生ける屍の水薬』を仕上げてみせるとは思ってもいなかった」

「ほほう、あの薬を。それは興味深い話ですな」

 

 またもやスネイプの視線がハリーをとらえる。スラグホーンの高評価をいかにして得たのか、それを調べられるのではないか。ハリーの心に不安がよぎったが、幸いなことにとでも言おうか、そのとき入り口付近が騒がしくなった。みれば、アーガス・フィルチに耳をつかまれたドラコ・マルフォイが引っぱってこられるところだ。

 

「スラグホーン先生」

 

 フィルチはすぐにスラグホーンを見つけ、ドラコを連れてきた。

 

「こやつが上の階の廊下をうろついていましてね。とがめたところ、先生のパーティに行くところだと。それを確かめに来たのですが」

「なんと。それは困ったことだね。だが心配はいらないよ、フィルチ。クリスマスだ、参加したいのならすればいい。ドラコ、ここにいてよろしい」

 

 フィルチは、まず呆然としたあとで明らかないらだちの色をみせた。だがどうすることもできないと分かっているのか、ぐっと反論の言葉を飲み込み、ドラコをおいて会場を去った。続いてスネイプが、ドラコを引き連れ出て行く。寮監として注意しておく必要があるというのだが、どう見てもそれを口実にパーティーを抜け出そうとしたのだろう。少なくともハリーにはそう思えた。そして、ぜひとも後を付けなければと考えたのである。

 トイレを口実にその場を離れたハリーは、人気のない廊下にでると持ってきていた透明マントを取り出してすばらく身につけた。これでスネイプたちの後を付けることができる。2人が歩いて行ったであろう方向に見当をつけ、駆けだした。いくらも走らないうちに2人の姿を見つけられたのはラッキーだったと言うしかない。2人は廊下のいちばん端の教室に入った。ハリーも続いて入ろうとしたが、すぐにドアが閉められ、廊下に取り残された。だが幸運にもドアがわずかに開いており、話し声もなんとか聞こえる。その場に屈んで聞き耳を立てた。

 

「少しは吾輩に相談するべきだと思うがね。いったい、何のために廊下をうろうろなどしていたのかね」

「うるさい。誰もおまえなんかに会おうと出歩いてたわけじゃない。連絡しようがないんだから仕方がないだろう」

「ほう。あの廊下をうろうろしていれば、その誰かに会えるというのかね。いったい誰のことかな」

「だから、それは…… ネックレスの事件を疑っているのなら、あいつもぼくも関係ないぞ。そうすることになってるんだ」

「ふむ。語るに落ちる、というやつかな」

 

 そこでスネイプが一瞬黙った。じっとドラコを見つめるが、わずかの後、苦笑いを浮かべた。

 

「なんと、閉心術とはな。それを教えたのは伯母上さまあたりかな。すなわち、それを使わねばならぬほどキミは追い詰められているということになるが」

「なんだと」

「そうまでして何を隠したいのかと思ってね。どうかね、ドラコ。吾輩に何もかも話してみては。悪い結果にはならぬと思うが」

「イヤだ。誰にも言うわけにはいかないんだ」

 

 いったいどういうことになっているのか。スネイプに対してこんな言葉遣いをするドラコが、ハリーには信じられなかった。それに話している内容が問題だ。だが考えるのはあと。とにかく今は、しっかりと聞いておかねばならない。

 

「約束、か。そういえば、約束したことは必ず守るなどと言われていた娘がいたが。ドラコ、その娘をご存じかね?」

「ふざけているのか。ボクをからかうな」

「まさかとは思うが、閉心術を教えたのはその娘かね?」

「あいにくだな、ボクは自分で学んだ。あの本があれば、そのときに必要な魔法が学べるんだ。この1か月というもの、ボクは必死で学んだ」

「なるほど、それは興味深い。吾輩はノートなのだと聞いたが、さて、吾輩でもなにか魔法が学べるのかな」

 

 会話が止まった。変わらずにらみ合っているようだが、さてどうするか。ハリーは考えた。引き上げるのなら今が頃合いなのだろうが、話はまだ続くのかも知れない。なおもその場にとどまることを選んだハリーだが、結果としてそれは正解だったようだ。ややあって、会話は再開されたのだ。

 

「とにかく、細心の注意が必要だぞドラコ。おそらくダンブルドアは」

「何も言うな。夜間外出で罰則にでもなんでもすればいいだろう。だけど、このボクに干渉なんかするな」

「なるほど。では、別の者に尋ねてみるしかありませんな。なに、心配はいらぬ。その娘は聞かれたことには答えるし、開心術など用いずともたやすく表情を読めるのでな」

 

 スネイプが振り返った。そして、ハリーの方へと歩き出す。まさか、見つかったのか。思わず体を硬くしたハリーだったが、考えてみれば、出入り口へと近づいてくるのは当然なのだ。慌てずに、ちょっとだけ離れてじっとしてればいい。そうすれば通り過ぎていくのだから。

 



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第110話 「スネイプの来訪」

 クリミアーナ家の門には、扉はない。なので敷地内へと入っていくのに妨げはないはずなのだが、なぜかその人は、門の外側に立ち中を見つめたままでたたずんでいる。実はソフィアなのだが、いったい何を遠慮しているのか、ただ時間だけが無駄に過ぎていくのみ。

 すでにパチル姉妹はクリミアーナ家に到着しており、今ごろは朝食を食べている頃だろう。ソフィアだけはクリミアーナ家へと来るのが遅れていたのだ。しかもソフィアは昨晩は自宅に戻っている。その折には母親のアディナとも話をしているので、いざクリミアーナ家を前にして訪問をためらう理由はないはずだが、いざ門まで来て気後れしているのかもしれない。

 

「おまえ、そこで何をしている」

 

 それは、スネイプの声。偶然ということで間違いないが、なかなか敷地の中に入れないでいたソフィアとクリミアーナ家を訪ねてきたスネイプとが門の前で出くわしたということになる。

 

「さっさと中へと入ればよかろう。玄関はあそこだぞ」

「はい。わかっています」

 

 だがソフィアの足は動かない。そのことで、スネイプは状況を理解した。もちろん、彼なりにではあるが。

 

「なるほど。2つ3つ理由は思いつくが、そのどれであったにせよ、ここにぼんやりと立っているのはお勧めできんな」

「わかってます」

「ならばついてこい。さあ、来るのだ」

 

 余計なお節介。まさにそのとおりなのだが、その裏でソフィアは感謝もしていたかもしれない。腕をつかまれムリヤリに、といった感じであったが、ともあれソフィアはクリミアーナ家の門を通り、玄関へと来ることができたのだ。

 すぐさま、パルマが応対に出てくる。

 

「あれま、いつぞやの先生さまでしたね。ええと、お名前はたしかスネイプ先生」

「さよう。1人客を連れていると、この家の主人にお伝え願おうか」

「へぇ、もちろん。それでそちらのお嬢さんは……」

 

 パルマとソフィアとは、初対面。面識はないのだが、アルテシアを介して、その存在は互いに知っている。

 

「初めまして、ルミアーナ家当主アディナの娘、ソフィアです」

「ああ、やっぱり。見た瞬間にそう思ったですけどね。あたしはパルマ。ここでアルテシアさまのお世話をさせてもらってるんですよ」

 

 そして2人を応接へと通す。食堂にはパチル姉妹とアルテシアとがいたからだ。ちょうど食事中なので配慮した、ということになる。スネイプとソフィアとが椅子に腰を落ち着けたところで、パルマが尋ねた。

 

「さてと、お二人さんは朝食どうされます? 焼きたてパンにサラダくらいなら用意できますよ。ちょっとお待ちいただくことにはなりますけどね」

「いや、吾輩は結構だ。済ませてきている」

「わたしもです、パルマさん。それでアルテシアさまは?」

「お嬢さまはいま、お友だちと朝食の最中でしてね。もう終わる頃だし、お2人が来られたのも知ってるはずなんで、もうじき」

 

 だがパルマが言い終わるのを待つこともなく、アルテシアが顔を見せた。続いて、パチル姉妹も。この人数となるとこの部屋よりも食堂がいいだろうということになり、そのまま食堂へと移動することにした。

 

 

  ※

 

 

「学校のクラスでもあるまいに、まさか生徒が4人も揃うとはな」

「しかも先生つきですからね。スネイプ先生、わたし、先生の防衛術の授業を受けたことがないんですけど」

「だからなんだ。吾輩にここで授業をしろとでもいうつもりか」

 

 もちろんそれは、あいさつ的な意味を込めた話だ。おそらく本気ではないのだし、さらっと流れてしまえばそれまでなのだが、アルテシアたちの前に飲み物を並べていたパルマは、そこに興味を持ったらしい。するするとアルテシアへ近づいていき、小声で話しかけた。

 

「その授業ってやつに、あたしも参加していいですかねぇ。どんなものなのか聞いてみたいんですけど」

「あ、そうだね。もちろんだけど、スネイプ先生がやってくださるかどうか」

 

 小声であろうと、パルマの言ったことはこの部屋にいる全員に聞こえている。結果、視線がスネイプへと集まることになったが、それくらいでスネイプが普段の無表情を崩すことはない。

 

「言っておくが、吾輩はここに遊びに来ているのではない。用件が済み次第、別のところへ行かねばならん。そのために早い時間を選んだのだ」

「先生、その別のところってどこですか?」

「なぜそんなことを聞く。吾輩が教えると思うか」

 

 行くところがあるというのが本当なのかどうかは別にして、アルテシアやパチル姉妹、それにソフィアもすぐにその行き先に見当をつけた。具体的な場所などわからないが、誰もが例のあの人、すなわちヴォルデモート卿のところだと考えたのである。

 

「思っています。これまでも先生は、わたしに色々なことを教えてくださいましたから」

「たしかに、生徒に教えるのは吾輩の仕事だ。だが学校を辞めたあとまでは面倒みきれんぞ」

「いいえ、教えてくださると思います。だって先生は、わたしが相談すればちゃんと答えてくださいましたから」

「いや、それは逆だろう。聞かれたことに答えるのはおまえのほうだと思ったが」

 

 スネイプが言うように、ほとんどの場合アルテシアは聞かれたことには素直に答えている。原則的に隠すことはしないのだが、スネイプのほうも、これまでアルテシアの相談を無視したりはしていない。そんな状況は、アルテシアが学校を辞めてからも同じであるのかどうか。

 互いににらみ合うような格好となっており、スネイプの目の動きをアルテシアが追いかける。そしてスネイプが、ふっと目をそらし、表情を緩めてみせた。

 

「いったいどこのどなたさまが、おまえにレジリメンス(Legilimens:開心)などを教えたのやら。だがその程度では吾輩の心を読むことはできんぞ」

「すみません、先生。でも、失敗するとは思いませんでした。スネイプ先生をお手本として真似してみたんです。うまくいくはずだったんですけど」

 

 隠し事というほどではないが、アルテシアはこれまで、知られたらイヤだなと思ったことのほとんどをスネイプに見透かされてきている。感情が表に出やすいのかもしれないが、それでも多すぎると思っていた。きっと何かほかに理由があるのだろうと考えたとき、スネイプをまねてみることを思いついたのだ。実際にやってみるのはこれが2回目で、前回のときもうまくいってはいない。

 

「ほほう、真似をして覚えたというのか。とても合格点などやれるものではないが、つまり、そうまでして吾輩から聞き出したいことがあるということだな」

「はい。それを先生から教えていただくことは可能でしょうか」

「よかろう。ただし吾輩が知りたいことをおまえも話す、というのが条件だ。それでいいか」

 

 アルテシアが小さくうなずいたことで、この話はまとまったということになる。それぞれ、何を知りたいのか何を聞き出そうというのかはともかく、取引は成立した。それまではアルテシアだけを見ていたスネイプだが、ここでパチル姉妹へと目を向ける。ソフィアもそちら側にいた。

 

「聞け。吾輩は、この娘から今後のために必要な情報を得るつもりにしていた。だがこしゃくにも、この娘は心を読ませぬ術を学んだようだ。ダンブルドアであれば、予想外のことがおきたからと話を変えたりもするのだろう。だが吾輩はそんなことはしない」

「どういうことですか、先生」

 

 言ったのはパドマだが、おそらく全員がそう思っただろう。そこでスネイプは、用意されていた飲み物に手を伸ばし一口だけ飲んだ。

 

「吾輩がいくら言い聞かせようとも、素直にこの部屋を出て行くはずがないと思うからだ。どうだ、この判断は間違っているか?」

「あ、いえ、その」

 

 パドマたちが顔を見合わせるなか、なおもスネイプは話を続けていく。これからの話にはヴォルデモート卿が関係してくる。聞いてしまえば、どうしても今後のことに巻き込まれることになる。それがイヤなら席を外せとまで言ったのだ。

 

「どうするのだ? それでも話を続けてよいか」

 

 そのときスネイプは、パチル姉妹たちを見てはいなかった。ただじっと、アルテシアを見ている。改めてアルテシアの意思を確認したいのだろう。ここでアルテシアが席を立つのかどうか。スネイプが注目しているのはそこである。そのどちらを望んでいるのかは本人のみが知るところだが、その結果はおそらく、今後のスネイプの行動を大きく左右することになるのだ。

 アルテシアがゆっくりと目を伏せ、そして軽く深呼吸。呼吸を整えたあとで、にっこりと微笑んだ。

 

「どうぞ、スネイプ先生。お話、続けてください」

「よいのだな」

「はい。それからこの人たちのことは大丈夫ですよ。私が責任を持ちます。何があっても、どんな危険が待っていたとしても、このわたしが必ず守ってみせます」

 

 それができてこそクリミアーナの娘なのだと、アルテシアはそう言って胸を張る。3人からは特に異論は出なかったし、席を立つ者もいない。これで話が前に進むと思われたが、別のところからストップがかかった。

 

「ちょっといいですかね、先生さま」

「パルマさん、どうしたの?」

「いや、かまわんぞ。どうぞ、ご意見あるならうかがいましょう」

「では、ちょっとだけ」

 

 食堂ではなく書斎であったならともかく、この場にはパルマもいたのである。

 

「先生さまは、あえて危険なことに生徒さんを巻き込もうとなさってやしませんかね。もしそうなんだとしたら」

「ああ、まさに当然のご意見だとは思いますが、すでに魔法界全体が巻き込まれているようなものでしてな。だが、進んで前に出ていく必要はない。それは確かでしょうな」

「だったら先生さまが、大人が対処すべきじゃねえですか。いくらクリミアーナとはいえ、アルテシアさまはまだ子どもなんですけどね」

「もちろんですとも。だが、この娘の性格はよくご存じのはず。ほおっておいても関わりを持ってくるのは明らかだ。それに申し訳ないが、こちらにも事情というやつがありましてな」

 

 いずれにしてもアルテシアの協力が必要になる、とスネイプは言うのである。そうでなければこれから先の困難を乗り切っていくことはできないし、事態を収束させていくことが難しくなるのだと。

 

「ホグワーツの校長もいろいろと動いていますからな。そちらでなんとかなるのかもしれんが、さて。どうなるのやら」

 

 それで納得したのかどうか。それ以上は何も言わないパルマを見ながら、アルテシアは考えた。もちろん納得してくれるのが一番だが、たとえパルマに納得してもらえなくとも、このことから逃げる訳にはいかないのだと。

 スネイプの言うように、魔法界はすでにその渦中にいる。なるほど、ほおっておいても魔法省なりダンブルドアなりが動き、なんとかするのだろう。少なくとも魔法省にはそうする責任があるはずだし、学校内でのことは校長や教授陣が対処すべき。では生徒は、あるいは住民は何もしなくていいのか。

 スネイプとの話がどうなるにせよ、例のあの人、ヴォルデモート卿に関することであるのは間違いない。いまのところアルテシアは、その結果としてドラコの窮地を救うことができればいいと考えているだけだったし、魔法界を覆いつつあるというあの人の脅威を、それほど感じているわけではない。だがもし、自分が何かすることでその脅威の中から抜け出せるのだとしたら。

 学校を辞めたとはいえ、魔法界とは疎遠になりつつあるとはいえ、知らぬ顔などできないのではないか。アルテシアの思いはそこへ行き着く。

 

「パルマさん。このままなら、魔法界が壊れてしまうかもしれないの。だったらわたしは、わたしにできること、するべきことをしなきゃいけないんだと思ってる」

 

 

  ※

 

 

 話の続きをするにあたって、アルテシアたちは場所を食堂から書斎へと移すことにした。ちょっとした休憩にもなるし、気持ちも変わる。もし巻き込まれることを避けたいと思うのなら、その選択をする機会にもなるからだ。

 生々しい話となるのか、それともあっさりと終わるのか。話がどう展開するかなど誰にも分からないまま、それぞれに書斎へと向かう。ここでパルマは、ここからは遠慮すると言い出した。気になることは確かだが、魔法界やホグワーツで何かすることはできないというのがその理由。自分はどうせクリミアーナ家で一生を終えるのだから、クリミアーナ家のことだけを考えていたい。ただアルテシアのことだけを考えていられればそれでいい、アルテシアが承知してくれていればそれでいい、と言うのだ。

 ソフィアのほうは、アルテシアにさりげなく近づき、そっと耳打ち。

 

「アルテシアさま、スネイプ先生の話を聞くのは明日とかにしませんか。ちょっと間を置いた方が」

「どうして?」

「先に相談してからのほうがいいんじゃないですか。ティアラさんだって、なにか情報持ってると思います。マクゴナガル先生とも」

 

 アルテシアは、特に返事はしなかった。もう書斎の中に入っていたこともあるし、スネイプが近づいてきたからでもあるのだろう。ソフィアには、ただ笑顔を見せてうなずいただけ。

 

「スネイプ先生は、そちらへお座りください」

「わかった。だがものすごい数の本だな。これが、おまえの持つ知識の源泉というわけか。納得できる話ではあるが」

「ここの本は、だいたい読んでます。でも、わからないことはあるんです」

「ほう。たとえば何だ。言ってみろ」

 

 書斎に来ない、という者は誰もいなかった。パルマを除いてということだが、パチル姉妹などはすでに書斎の閲覧用テーブルのいすに座っていたし、アルテシアたちもそれぞれに席を取る。スネイプとアルテシアとはちょうど向かい合う位置だ。

 

「とりあえず2つあるんです。きっともっとあるんでしょうけれど」

「その2つとはなんだ」

「先生は、フェリックス・フェリシスという魔法薬をご存じですか」

 

 すぐには答えない。だがその右の眉だけがピクリと動いた、ような気がした。

 

「その煎じ方、ということか」

「はい。レシピを探したんですけど、ここの本にはありませんでした」

 

 それをスネイプは知っているのかどうか。仮にそれに知っていたとしても、教えてくれるとは限らない。また教えてもらえたとしても、作れるとは限らない。

 

「あんなものは、ただの運任せのシロモノだ。そんなものにすがろうとするなど、おまえらしくもない。すなわち、欲しがっているのはおまえではないということだな」

「それを飲めば、いろいろなことがうまくいくようになるんだとか。追い詰められたとき、欲しくなるのはわかる気がします」

「かもしれん。だが結局は、おのれの実力以外に頼れるモノなどはない。自らの努力もなく運に頼るなど愚かしいことだと知れ」

 

 まさか、このような答えが返ってこようとは。反論することも難しく、さすがにアルテシアも苦笑いを返すしかなかった。

 

「どうしても必要だというなら、あとで煎じ方をメモしておこう。ただし、煎じるのに半年はかかるはずだ。覚悟しておけ」

「いえ、先生がご存じだとわかればそれでいいです。それとあと1つ、いいですか」

 

 そこでアルテシアは、チラとパドマのほうを見た。バドマが小さくうなずいたのを、もちろんスネイプも気づいただろう。そして。

 

「スネイプ先生に特別授業をお願いしたいんです。テーマはズバリ、分霊箱」

「なんだと。今、分霊箱と言ったか」

「はい。分霊箱についての特別授業をお願いしたいと言いました。実はパドマが学校の図書館とかを調べてくれたんですけど」

「それはまたご苦労だったな。だがダンブルドアが全て片付けてしまったと聞いている。当然、図書館の禁書の棚にもない」

 

 スネイプによれば、分霊箱に関する書物は全て隠されてしまっているらしい。ゆえにパドマがいくら探そうとも、見つけることはできないらしい。

 

「よかろう、講義はしてやる。だがその前に、吾輩の知りたいことに答えてもらおうか」

「わかっています」

 

 そういう約束だった。ただ、どちらを先にするかという問題だけ。アルテシアは、緊張気味にスネイプの質問を待った。そんなアルテシアを見て、スネイプは少しだけ笑ってみせた。

 

「緊張でもしているのか。おまえのそのような顔は、今まで見たことがないぞ」

「ええと、そうかもしれません。それで先生、わたしは何を話せばいいのですか」

 

 スネイプが何を言い出すのか、アルテシアだけでなくパチル姉妹なども注目しているようだ。スネイプは、一通り視線を巡らせた。

 

「おまえは先ほど吾輩の開心術を真似してみせたが、閉心術もそうか。ドラコに閉心術を授けたようだが、あれもそういうことか」

「えっ、わたしがドラコに閉心術を? そんなはずはないんですけど」

「いや、間違いなく閉心術を身につけている。おまえが配った魔法のノートが導いた結果だ」

「ああ、そういうことですか。だったらそれは、きっとドラコの役に立つからだと思います」

「それを否定はしないが、おかげで吾輩が苦労をさせられるのは間違いない。少しはその責任をとってもらわねばな」

 

 どういうことか。その場にいるスネイプ以外の全員がその思いを持った。そしてその説明を求めてスネイプを見たのは、ごく自然なこととなる。スネイプもその空気を感じたはずなのだが、それでうろたえたりするような人物ではない。むしろ、その状況を楽しんでいるようにも思える。

 

「まず聞いておくが、おまえは闇の帝王と会ってみたいと言っていたはずだな。その気持ちに変わりはないのか」

「はい、お会いせねばと思っています」

 

 もちろんアルテシアは、そのつもりである。だがスネイプは、そうすることに反対だったはず。

 

「吾輩に提出したレポートのことだが」

「はい」

「おまえはそのなかで、魔法界が滅びぬためには闇の魔法の使い手をなんとかせねばならぬと書いていた。そのトップにいる帝王をうごかす必要があるのだと」

「はい。闇の側に立つ人たちへの例のあの人の影響力は見逃せないと思うんです。仮にあの人が考え方を変えたなら」

「変えなければどうする? おまえの説得など聞くものか。誰の説得に対しても聞く耳など持たぬお方だぞ」

 

 おそらくは、スネイプの言うとおり。アルテシアにしても容易に説得できるとは思ってはいないし、ろくに話もせぬままに闘いとなることも覚悟している。だがそれでもアルテシアは、ヴォルデモートに会うつもりでいた。その目的を果たしたとき、きっと何かが変わると思うからだ。

 

「とにかく、やれるだけはやってみます。見過ごすなんてできませんから」

 

 そう言ったアルテシアを、スネイプはその表情から何かを読み取ろうとでもするかのようにじっと見つめる。アルテシアも、目をそらすようなことはしない。

 

「わかった。この話は、いずれ機会を見て続けるとしよう。ところでドラコのことだが」

「ドラコ、ですか」

「あのお方より出された指令が問題なのだ。もはやドラコにはそれを実行するしか道はないが、あやつにそれができようとは思えぬ。なにか知っていることがあれば話せ。手伝ったりしているのではないのか」

「例えば、どんなことでしょうか。ドラコとの約束で話せないことはあるんですけど」

「さもあろう。ドラコもそのようなことを言っていたが、それではいざというときに困る。あらかじめの情報が必要なのだ」

「そのこと、先生はまったくご存じないのですか」

 

 スネイプは、ドラコをどうしようとしているのか。もし助けようとしているのなら、話しておくべきなのか。そんなことも思ったが、アルテシアとて全てを知っているわけではない。なにしろ、具体的な計画はこれから立てるということだったのだ。そう、フェリックス・フェリシスを手に入れてから。

 

「そうではない。承知はしているが、それをドラコがどのように実現しようとしているのかだ。それを知らねば、対処のしようがない」

「たとえばドラコを助けるために、でしょうか。それとも計画実現に手を貸すということ」

「どちらでもかまわんが、これは吾輩がやるべきことだ。なぜなら、ドラコはスリザリンの生徒。さらに言うなら、吾輩は寮監であり教授だ」

 

 スネイプの言葉に、アルテシアはにっこりと笑って見せた。そして。

 

「校長先生を狙うことと、ホグワーツへの侵入経路の確保だと聞いています。でも、詳しい計画はこれから立てることになると」

「ほう。ではフェリックス・フェリシスを欲しがっているのはドラコだったというわけか。なるほどな」

「ネックレスの事件ですが、あれはドラコが仕掛けたことのようです」

「それが校長を狙ってのことだというのは、吾輩も承知している。ダンブルドアは見逃すつもりのようだが、失敗したからにはあらたな行動を起こすやもしれん」

「いいえ、それはないと思います。このような軽はずみなことはしないと約束させましたから」

 

 少し余計なことまで言ってしまったのかもしれないことに気づく。スネイプが薄笑いを浮かべたからだ。

 

「約束させたというのか。それはいつのことだ。まさかとは思うが、退学後も学校に出入りしているのではあるまいな。それを侵入経路としよう、などと考えていたりするのか」

 

 もちろんドラコには話していないし、そうするつもりなどアルテシアにはないはず。ここでソフィアが声を上げた。

 

「あの、アルテシアさま。気になることがあるんですけど」

「どうしたの」

「黒いノートですけど、あれでマルフォイさんが転送魔法を学んでしまうということはありませんか。もしそんなことになったら」

 

 ホグワーツの敷地内では姿現しなどはできない。それはよく知られていることだし、だからこそドラコはそれをすり抜ける方法を探しているのである。そんなドラコが、この魔法を学んだとしたら。ソフィアの懸念はその点にある。実際にその魔法を使える者にとっては、ホグワーツの侵入よけ対策などないようなものになる。

 

「なんだそれは。転送魔法だと言ったか」

「あ、ええと。ソフィア、大丈夫だから。さすがにあれは、ちゃんと魔法書を勉強しないとムリだよ。クリミアーナの魔法はそんな簡単じゃないはずでしょ」

「あ、そうだ。そうですよね」

「スネイプ先生。クリミアーナにはクリミアーナ独自の魔法があります。たぶんですけど、いくつかの魔法はわたしたちにしか使えません」

 

 例えば、どれがそれに当たるのか。それをアルテシアは、あえて例示したりはしなかった。強いて言うなら、杖なしでの魔法、ということになるのかもしれない。

 

「おまえの魔法は、魔法族のそれとはどこか違う。なんどかそう聞かされたが、つまりそういうことか」

「ちゃんと学べばできるようになるとは思います。でもそのためには、あの黒いノートでは不足というか」

「ページ数が足りぬ、か。だがあのノートでドラコが閉心術を学んだのは間違いない。吾輩にも入り込めぬほどの閉心術をだ」

 

 それは、あの黒いノートが間違いなく機能していることの証明となる。ドラコにとって、閉心術は間違いなく役に立つだろう。たとえばヴォルデモート卿や部下のデス・イーターと顔を合わせるときになど。

 

「たしかおまえは、あのノートは魔法書とは違うものだと言ったはずだ。自分なりに工夫を加えて作ってみたのだと」

「ええと、それはそうなんですけど」

「どういう工夫がされているのだ?」

「魔法書は、習得するのに何年もの積み重ねが必要です。それはそれで意味のあることなんですけど、すでに魔法が使える人たちには、そんな必要はないかもしれないと思ったんです」

 

 そのため、1つの魔法だけに特化し手軽に学べるようにしてみたというのだ。いわば魔法族向けの魔法書であり、今回はそれがうまくいったらしいとの説明にスネイプは大きくうなずいた。

 

「おまえから受け取ったノートを調べたが、非常に高度なものだ。吾輩にも分からぬことが多いし、決して真似などできぬだろう。おそらくはダンブルドアにもな」

 

 そのノートを手にした者たちが、どれほどの魔法を学び身につけているのか。メンバーが誰なのか、その全員を把握しているわけではないが、スネイプはそのことに興味を持っただろう。と同時に、いつもアルテシアの近くにいたパチル姉妹、特にパーバティに目を向けた。

 

「ミス・パチル。ああ、姉のほうだが、妹にも同じことを言っておく」

「なんでしょうか」

「次の防衛術の授業の際には、模擬戦をやってみようと思う。1対1の決闘だ。その相手を頼むぞ」

「えっ!」

 

 もちろん、パドマもパーバティも驚いたことだろう。スネイプはそんなことはどうでもいいとばかりに、アルテシアを見る。

 

「おまえとも戦ってみたいものだが、どうだ。どちらが勝つと思う?」

 

 もちろんスネイプだろう。その経験と実力はスネイプが数段上であるのは間違いない。アルテシアの返事は、ただ笑みを返しただけだった。

 

「よかろう。話はこれまでだ。では特別授業といこうか。分霊箱についてであったな」

 



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第111話 「分霊箱とは」

「この家でこの3人、いいえ、この3家が揃うなんて何年ぶりになるんでしょうかね」

 

 場所は、クリミアーナ家の応接室。アルテシア、ソフィア、ティアラの3人が、それぞれ向かい合うようにして座っていた。

 パチル姉妹の姿がないのは、休暇終了を前にして実家に戻ったから。ちなみに学校再開は明日からなので、ソフィアも今日中にはホグワーツに戻らねばならない。

 

「何年ぶりだっていいけど、これが最後にならないことを祈りたい気分だね」

「ならないよ。最後になんてならない。最後にはしないから」

 

 ソフィアから始まってティアラが答え、アルテシアがまとめる。表現こそ違っているが、実際に3人が思っていることは同じなのだろう。ちなみにクリミアーナ家に残る家系図をみる限りでは、その初代当主の頃より始まりおおよそ500年前の騒動で別々となってしまうまでは続いていたのではないかと思われる。

 

「ええと、確認なんですけどヴォルデモート卿は倒すってことでいいんですよね?」

 

 この中ではティアラが一番の年上だ。だが3人の中での力関係というか、立場的に上となるのは、やはりアルテシア。その判断をするには確認が必要、ということらしい。

 

「でも、簡単じゃないですよ。校長先生も動いてるんですから。それを飛び越えて関わるのがいいことなのかどうか」

 

 では、ティアラとソフィアとではどうなのだろう。この場合は、力関係というよりはどちらがよりアルテシアに近いのかということになりそうだ。

 

「それ、ダンブルドア校長がやってることを邪魔しちゃうかもってことかな」

「校長先生が解決してくれるんなら、それが一番だと思いませんか。アルテシアさまだって危険なことをしなくてすみます」

「いや、そういうことじゃないと思うけど」

「それだけじゃないですよ。校長先生だって例のあの人のことで動いてるんですから、あたしたちのこと気づかれるかもしれない。そうなったらいろいろと面倒になりますよ」

「大丈夫、そんなミスはしないよ。それがクローデル家でしょ。あんたこそ自分の役割、ちゃんとわかってるよね?」

 

 ソフィアは、何も言わずにうなずいただけ。どうやら2人の間では役割分担ができているらしい。おおざっぱに言えばティアラは外向けの仕事であり、ソフィアは内向き。2人の間で取り決めがされたということではないが、ごく自然にそういうことになっているようだ。

 それにパチル姉妹も、協力は惜しまないはずだ。パーバティにしても、ホグワーツ内を駆け巡り、アルテシアに頼まれていた灰色のレディと会う約束を取り付けているのだ。ちなみにその日は、学校内に生徒がいなくなる学年末から新学期にかけての休みの期間。レディからは、その日が来たら部屋に来い、場所はアルテシアは知っていると言われている。パドマのほうは分霊箱に関する資料集めだが、そちらのほうはうまくいかずスネイプの手を借りることになった。

 

「ティアラ、分霊箱のことだけどいろいろと分かったわ」

「そうですか。わたしも少しは調べてみてるんですけど」

「ホグワーツの先生から分霊箱の仕組みなんかを教えてもらったのよ。正直、あんなことわたしにはできないだろうな」

「作り方ってことですか。そういうことになると、わたしもよくは知らないですね」

「あなたの言うとおりだった。分霊箱に自分の魂を入れて保管しておけば、死んでしまうことはない。あの人が命をつなぐことができたのはそのおかげってことになる」

 

 そのあたりのことは、スネイプからクリミアーナ家での特別授業という形で説明されている。完全ではないのだろうが、分霊箱についてはおおよそ理解したということになる。

 

「誰かを殺す必要があるの。いわば生け贄を捧げることで、自分の魂を引き裂いて分霊箱を作る。分割ではなく引き裂くって表現するべきだそうよ。元の魂は損傷することになるけど、その犠牲に見合うだけの効果はある。あの人はそう考えたんでしょうね」

「なるほど。じゃああれは、そういうことなのかな」

「なにかあるの? 気づいたことがあるのなら言ってよ」

「もちろんですけど、でもその引き裂いた魂をどうするんでしょうか。箱っていうくらいだから、何かに入れておくんですよね」

「そうよ。何でもいいらしいけど、自分の魂を保管するんだからそれなりのモノを選んだんじゃないかと思う」

 

 アルテシアは、秘密の部屋の騒動を引き起こした日記帳が分霊箱だったのではないかと思っている。離れた場所からそれを見ただけであり実際に手にしてはいないので、はっきりそうだとは言い切れない。だが日記帳が分霊箱だったと考えると、いくつかの出来事に納得がいく。ただし同時に、疑問もでてくる。

 

「あの人の分霊箱って、他にもあるんだと思う。あの日記帳が分霊箱だったとすればだけど、あの日記帳には気になることがたくさんあるんだよね」

「日記帳って、秘密の部屋のときのですか。でもあれ、ポッターが壊しちゃいましたよね」

「そうよね。あれを詳しく見てみたかったけど、もうないのよね」

 

 その騒動のときにはいなかったティアラは、この話には入ってこれない。ソフィアとの間で話が進んでいく。

 

「でもあれって、分霊箱本来の姿じゃないって思わない? わざわざ表に出てきて騒動まで起こして注目集めるのは違うんじゃないかな」

「どういうことですか」

「例えばだけど、もう1個はどこか安全なところに隠してあって、別の1つがわざと目立ってみせたりしてるのかも」

「カモフラージュってことですか」

「そう考えるしかないかなって。ちょっと納得はしづらいんだけど」

 

 分霊箱の役割としては納得いかないにせよ、あの日記帳が分霊箱だったのは間違いないとアルテシアは考えている。あえてそこに理由を当てはめるなら、表だって問題を起こしてそれを解決させ、世間から忘れられることにあるのではないか。解決済みのものをいつまでも追いかけるほど世間は暇ではない、ということを狙ったのかもしれないということ。

 

「わたし、分霊箱かもしれないってモノに心当たりありますよ。いままでの話を聞いてて、ピンときたんです」

「えっ!」

 

 それは、ソフィアとアルテシアを、とくにアルテシアを驚かせた。

 

 

  ※

 

 

 かつてティアラとアルテシアとが、ヴォルデモート卿が復活する現場を目撃した墓地の村。それがリトル・ハングルトンである。ティアラは、改めてその村を訪れたのだという。復活したあとヴォルデモートが得意げに話した“死なない工夫”というものに興味を持ち、分霊箱というものの存在を知り得た。アルテシアが分霊箱のことを調べ始めたのも、その“死なない工夫”について知るため。

 あのときハリーが縛られていた墓標がヴォルデモート卿の父親であったのを思いだし、調べてみれば何か分かるのではないかと思ったのが切っ掛けだという。

 

「墓標には名前が刻んでありましたから、父親の家はすぐわかったんですよ。それから母親のほうも」

 

 父親の家は、村を見下ろすような場所に建てられた大きなお屋敷。母親の方は、粗末な壊れかけの家。今では住む人もなく廃虚同然であったのはどちらも同じだが、その格差は歴然。リトル・ハングルトンの村で当時のことを知る人などから聞き集めた話を、ティアラが話して聞かせる。

 

「母親の方の家にあった先祖伝来のロケットがそうじゃないかと思うんですよ。サラザール・スリザリンのものらしくて、とても貴重で値段なんかつけられないそうですよ。もちろん魔法族にとっては、ですけど」

「スリザリンって、ホグワーツ創設者のスリザリン? そりゃ、ホンモノなら高価でしょうけど」

 

 そんな貴重品が自分の母親の家に伝わっていたのだから、あの人は興味を持ったはず。それがティアラの考え。

 

「そうだね。分霊箱の候補としてはちょうどいいのかもしれない」

「でも、そんなのどこにあるんですか。どうやって探します? その家にはなかったんでしょ」

「大丈夫、見つけるよ。手がかりがないわけじゃないから」

 

 どういうことか。

 ティアラが調べたところでは、そのロケットは母親のメローピー・ゴーントによって生活費を目的として売却されたことがわかっている。その販売経路をたどることで発見できるはずだというのだ。

 

「わたしがやっていいですよね。必ず見つけて処分します」

「わかった。ティアラにお願いするけど、処分する前に見せてよ。それにほかにもあるかもしれないよ。せめてその数が分かってればいいんだけど」

「いいじゃないですか、そんなの。あろうとなかろうと、ほっとけばいいんです。今わかってるロケットだけだけど、これをなんとかしておけば十分でしょ」

「でもティアラさん。もし他にもあったら、あの人はまた復活するんじゃないですか」

 

 もちろんそうだ。だがティアラは、もう一度の復活は難しいはずだと主張する。もちろん、その理由もだ。

 

「アルテシアさまは覚えてますかね。あのときヴォルデモート卿は、復活に使用した古い闇の魔術には必要な材料が3つあると言ったんです」

「あっ、そうか。誰かの肉と父親の骨とハリーの血」

「そうです。肉はまた部下の誰かに提供させるとしても、父親の骨はもうありませんよね。魂が残ろうとも復活は、ない」

 

 必要な材料の3つめは、敵の血。そのことをティアラは言わなかった。仮に復活の魔術が繰り返されたとき、今度はその血がアルテシアのものとされてもおかしくはないからだ。だがそれは実現不可能。それをアルテシアから奪うなど、できるはずがない。

 

「わかった。あの人のことと分霊箱のことは分けて考えても大丈夫ってことだよね」

「わたしはそう思います。両方同時が理想なんでしょうけど、完璧求めるよりまずは結果をってことですかね」

 

 ヴォルデモート卿を倒すにしても、事前に分霊箱を探して処分しておく必要がある。それは確かだ。そうしなければ近未来において再び復活してくることになるから。少なくともその可能性を残すことになるのは間違いない。だがティアラは、それでも良しとすればいいと言うのである。

 

「分霊箱は見つかり次第に処分していけばいいじゃないですか。それよりもヴォルデモート卿をどうするのか。重要なのはそっちだと思います」

「そうだよね。やることはもう決ってるし、考えるべきことは、するかしないかじゃなくて、どうやって実現するか。常に自分に問え、おまえは最善を尽くしているのか」

 

 どういう意味か。自分の言ったことへの返事のようでいて、そうではないような。そう思ったティアラが首をかしげつつ、アルテシアを見る。そのアルテシアは、なおも独り言のようになにか呟いている。それがソフィアには聞こえたのだろう。

 

「なんですか、それ」

「さあ、なんだろうね。でもね、ソフィア。わたしは、自分が優柔不断なつまらない女の子だってことは知ってるよ。そんなわたしが何かをしようと思ったら、今できることを一生懸命にやるしかないんだよね」

 

 いつものアルテシアらしくないのでは。ソフィアがそう思ったのは、そこまでだった。にっこりと笑ったアルテシアの、その笑顔はいつもと変わらない、暖かく明るく優しい笑顔だったから。

 

 

  ※

 

 

『最善を尽くせているのかどうか。

 迷い不安に思うなら、自分の姿を鏡に映してみればいい。

 そのとき、まっすぐに自分を見つめていられるのか。

 あるいは、恥ずかしくて目をそらすのか。

 それはすべて、あなた次第。』

 

「なによ、いまの?」

「さあ、なんでしょうね。でもアルテシアさまがつぶやいてたんですよね。それを聞いたんですけど」

「言葉どおりの意味ってことでいいんじゃないの。アルテシアも、いろいろと気にしてるんだと思うけど」

 

 言葉だけの意味でいいのなら、さほど難しいものではない。気になるのは、そこに何を感じているのかということだ。

 

「アルは何か言ってなかったの」

「聞いてないんです。そのあと、すぐに別の話になったから。でも今になって気になってきて」

「わかるけど、いまのあんたはOWL試験でいい成績とること。それが一番だと思うよ。アルテシアも喜ぶ」

「そうそう。あたしたちは、いまホグワーツのなかでできる最善を尽くせってことなのよ。そういうことだと思うよ」

 

 何が最善なのか。考えてみれば、難しいテーマである。たとえばソフィアは、パーバティに言われたようにOWL試験を頑張ればいいのか、それともアルテシアに言いつけられたことだけやっていればいいのか、あるいは学校を辞めてアルテシアのそばにいるべきか。

 なかなか、答えは出てこない。そんなソフィアの前で、パチル姉妹の話は進んでいく。

 

「そういえばアルテシアって、OWLの試験結果も届いてないんだよね。いいのかな、魔法省はこんなことで」

「でもたぶん、すごい成績だったと思うんだよね。もったいない気がする」

「どういうことですか?」

「あたしらの結果を合わせてみると、アルテシアの成績が予想できるんだよね」

「あ、なるほど」

 

 思わずソフィアは納得する。パチル姉妹が言うのは、たとえば変身術に関して「優・O」を取ったパーバティより下であるはずがないし、呪文学で「優・O」を取ったパドマより下であるはずがない。そのようにして、他の教科でも「優・O」を取った誰かとアルテシアとではどうなのかを客観的に突き詰めていくのである。すると、最低でもアルテシアの成績は10教科で「優・O」となる。落としたのは魔法生物飼育学と占い学の2つ。

 もちろん推定でしかなく、実際にどうだったのかはわからない。

 

「それはそうと、アルテシアは、今度いつ学校に来るって?」

「こっちに合わせてくれるそうです。みんなが集まれる日が決まったら」

「全員集合にするんだよね?」

「いえ、希望者だけですね。イヤだって人もいるかも」

 

 その希望者とは、すなわちアルテシアから黒のノートを受け取った人たちのなかで、これからもノートから学ぼうという意思を持つ者ということだ。

 

「わかった。じゃあ、確認はあたしがやるから」

 

 そう言ったのはパーバティ。参加者の意思確認ということだが、ソフィアのほうは一気に不安げな表情となる。

 

「あの、何を確認するのか分かってますよね?」

「もちろんだって。心配ない心配ない」

 

 繰り返すが、確認するのは参加の意思だ。アルテシアのところに来るつもりがあるのかどうかであって、ノートから何を学んだかではない。おそらくパーバティは後者を思い描いているのではないかと、ソフィアはそんなことを考えたようだ。

 

「ソフィア、大丈夫だよ。あとであたしが、ちゃんと話しておくから」

「わかりました。でも、なんででしょうね。パドマ姉さんがそう言ってくれたら、なんだか安心できる」

「ちょっと! じゃあ、あたしはなんなのソフィア。あたしはねぇ」

「パチルさんは、きっとアルテシアさまを安心させてくれる存在だと思います。ほんとは、クリミアーナ家にいてもらったほうがいいって思ったりもするんですよね」

「なによそれ。まあ、そうしたいつもりはあるけど学校あるからね」

 

 互いに、苦笑い。今度アルテシアと会うのは、いつだっけ? パーバティはそう口にしたが、そのことはついさっき確認したばかり。

 

 

  ※

 

 

 学校が始まり、いつもの空き教室でおしゃべりをして。そして大広間で食事をして寮へと戻る。そのとき、いつもアルテシアと一緒だった。いつも、アルテシアがそばにいた。いや、違う。いつもアルテシアのそばにいた。

 同じことのようでいて、実は大きく意味が違う。パーバティはそう思っている。ときおり会って話もするし、手紙のやりとりもできる。そんな状況にも慣れてはきたのだが、1つだけできないことがある。空き教室でソフィアに言われたからではない。改めて言われなくとも、パーバティはそのことを気にしていた。

 

「アル、ごめんね。そばにいてあげられなくて」

 

 学校が始まれば、こうなるのは承知していた。アルテシアは学校を辞めたのだから、その外と内とに分かれてしまうのは仕方のないことなのだと。だけど。

 

「ごめんね、アル。そばにいてあげられなくて」

 

 アルテシアはいま、どうしているのだろう。じっと何かを考え込んでたりしはしないのだろうか。例のあの人や部下のデス・イーターたちが動き回っているとされ、魔法界はなにかと騒々しい。ホグワーツは安心だとされているが、アルテシアは心配しているのではないか。ダンブルドアがいるから大丈夫だと言われているが、本当にそうなのか。

 アルテシアは最高の魔女だと、パーバティは信じている。いや、違う。最高の魔女であることを知っているのだ。たとえあの人であろうとも、アルテシアにはかなわない。デス・イーターたちが何人集まろうとも、アルテシアは負けない。きっと、あっという間にやっつけてしまうだろう。そんな、無敵の天才魔女。

 だけど。

 

「そばにいてあげられなくてごめんね、アル」

 

 その分、苦労をしているはずだと思っている。なにしろアルテシアは、よく考え込んでいた。何かに悩み、何かに迷い、何かに不安を感じていたはずだ。パーバティがそう思っているだけで、実際は違うのかも知れない。だけどそんなとき、パーバティはいつもアルテシアを見守ってきた。アルテシアはクリミアーナ家の直系だし、自分など遙かに及ばない最高の実力を持っている。だけど何かを考え込んでいるときのアルテシアは、あまりにも無防備だ。相手がマグルであろうとも、あっけなくやられてしまうだろう。

 何を悩み、何を迷い、何を思っているのは分からない。でもそんなこときは、そばにいてあげたい。それが自分の役目なのだとパーバティは思っている。ホグワーツの1年目からずっと、そうしてきた。なのにいま、それができないのが残念でならない。アルテシアを守ってやれるのは、そんなときだけなのに。

 パーバティは、軽くため息をついて苦笑い。これではもう、恋しているようなものだ。だけど、アルテシアのそばにいたい。あの笑顔のそばで自分も笑っていたい。ただそれだけの願いなら、叶ってもいいんじゃないのかな。

 ゆっくりと口を動かしただけ。パーバティは、それを声には出さなかった。

 

 

  ※

 

 

 レイブンクローの談話室には、大理石で作られたロウェナ・レイブンクローの像がある。その前に立ち、パドマはアルテシアがここに来たときを思い出していた。あのときアルテシアは、何をしに来たんだっけ? ああ、そうだった。あのときはアルテシアが姉のことを心配してくれているのが嬉しかった。同時に、心配をかける姉を少しだけ腹立たしく思ったものだ。ほんの、ちょっぴりだけど。

 わたしがグリフィンドールだったら、とパドマは考える。あるいはアルテシアがレイブンクローだったなら。そうすれば、いつも同じ寮の同じ部屋。そこで一緒に勉強していただろう。そう、姉のように。

 

(それがうらやましいだなんて思わないけど)

 

 そう、うらやましいわけではないのだ。アルテシアは、いつもそばにいてくれている。退学になってからもそれは変わらないのだから、そんなことを思う必要はないのだ。ソフィアが少し説明してくれたけど、守ると言ってくれたその言葉の意味が、今はよくわかる。

 だけど。

 

(そういうことじゃないんだけど)

 

 もちろん、ひがんでいるつもりもない。パドマはふと、そんなことを思っただけなのだ。これまでアルテシアの心配は何度もしてきたけれど、例えば姉のようにアルテシアに心配してもらったりした記憶はない。仮にそんな機会があったとき、アルテシアは心配してくれるんだろうかと、そんなことが気になったのだ。確かめてみる? もちろん、そうすることはできるけど……

 視線が動き、ロウェナ・レイブンクローの像と目が合う。こんなことを思ったのは、レイブンクローの像を見たからか。この像を見ていると、いつもいろんなことを考えてしまう。あのときアルテシアも、この像をじっと見ていた。ロウェナは、優秀な頭脳と素晴らしい創造性を持っていたとされるホグワーツの創設者だ。生徒自身が深く考える機会を与えるための何か、この像には、そんな工夫がされているのかも知れない。そしておそらく、アルテシアの祖先とこの人は……

 

(分霊箱、か)

 

 アルテシアから頼まれた分霊箱についての調べ物は、ついに果たせずに終わった。ダンブルドアが残らず隠したらしいので、そもそも見つけることなどできないもの、ということもできる。

 だけど。

 それを自分で見つけ、アルテシアに報告したかったという思いは当然のようにある。きっとそれは、アルテシアを喜ばせることになったはず。でも、それで終わりじゃない。その意味を知り、それに近づき関わっていくその先には、あの人がいるのだ。

 不安はある。いくらアルテシアでも、という不安。そして心配。パドマはもちろん、アルテシアが例のあの人と関わろうとしていることを知っている。そうすることの理由も承知しているのだけれど、止めなくていいのかな。姉は、このことをどう考えているのだろう。

 

「どうしたんだい、パドマ。ぼんやりなんかして」

「えっ!」

 

 ふいの声は、アンソニーだった。そういえば、アンソニーは。

 

「ねぇ、アンソニー。アルテシアのことだけど」

「アルテシアがどうしたって? そういやキミは、アルテシアの家を知ってるんだよね。訪ねていこうかと思ってるんだけど、教えてくれないか」

「クリミアーナ家にってこと?」

「ああ。アルテシアが学校辞めてからずっと会ってない。会いたいんだ。これで終わりなんてイヤだからね」

 

 そうだった。黒いノートのことだけじゃないのだ。パドマは、つい失念していた。アンソニーがアルテシアに好意を寄せていることを。

 

 

  ※

 

 

 ソフィアは、マクゴナガルの執務室にいた。呼びだされたのだが、用件が何であるのかは告げられていない。ソフィアにいすを勧めた後、マクゴナガルは紅茶の用意をしている。

 いずれにしろアルテシアに関することだろうとソフィアは思っている。あるいはOWL試験のことかもしれないだが、それはまだもう少し先のこと。

 

「ともあれ、あなたが学校を辞めると言い出さなくてほっとしていますよ」

 

 ソフィアの前のテーブルに紅茶などが並べられ、マクゴナガルがゆっくりと座った。

 

「休暇中にアルテシアと会い、そう決めるのではないかと思っていましたが」

「先生は、そうするべきだと思われますか。ほんとは、迷っているんです」

「でしょうね。あなたの立場で考えれば、その気持ちはよくわかります」

 

 では、どうするべきか。話とはそういうことだったのかとソフィアは思ったが、そういう話にはならなかった。

 

「パチル姉妹がいますからね。あの子がホグワーツを忘れることなどないとは思うのですが、念のためです。苦労をかけますが、ホグワーツにいられる限りはいて欲しい。わたしもそうするつもりです」

「あの、先生」

「なんです?」

 

 どういう意味か。それを聞いていいのか、それを答えていいのか。どちらも、そんなことを考えたのではないか。少しの沈黙が挟まったことにより、話は変わっていく。

 

「実は、魔法省の大臣ルーファス・スクリムジョールからアルテシアに会わせろという申し入れが来ているのです」

「えっ!」

「大臣は、この休暇中にポッターと会って話をしています。おそらく目的は同じだと思いますが、なぜアルテシアなのか」

「目的ってなんですか。それ、どうするんですか」

 

 その申し出を受けようと思う、とマクゴナガルは言った。アルテシアには、魔法省のことを気にしている面がある。そのトップと直接話をし、その考えを知り、自分の思いを告げることには意味があるというのがその理由。だがもちろん、逆効果となる可能性もある。

 

「スクリムジョールとポッターとが何を話したのかは分かりません。おそらくダンブルドアは承知しているはずですが、このところ、わたしのところまでは知らされずに秘密となることが増えています」

「それを知るためにってことですか」

「違います。そんなことはどうでもよろしいのです。第一番の目的はアルテシアの笑顔を絶やさぬこと。その意味が分かるのはあなただけだと思いましたが」

 

 たっぷりと時間をかけ、ソフィアはただマクゴナガルの顔を見ている。驚きと戸惑い、といったところか。マクゴナガルも何もいわずにソフィアを見ていたのだが、ふいにソフィアが笑みを見せた。

 

「そうでした。先生は魔法書を、マーニャさまの本を読んでおられるんでしたね」

「ええ。なぜか魔法書を読むことになり、それを懸命に学んでいますよ。どこまでがマーニャさんのお考えのうちなのかはわかりませんけれど」

 

 クスッとソフィアが笑う。先ほどよりは、はっきりとした笑み。マクゴナガルが、軽く首をかしげて見せた。

 

「魔法書は魔法書です、先生。それ以上でも以下でもないんです。どうするかは本人次第だと、うちの母なんかはそう言いますけど」

「まあ、わたしにしてもマーニャさんの手のひらの上で踊っているつもりなど、これっぽっちもないのですけどね」

「でも先生。魔法省は何を言ってくるんでしょうか。まさかアンブリッジ先生は関わってませんよね。もしそうなら」

 

 たとえそうだとしても、おそらく、大きな流れは止まらない。ソフィアはそう思っているが、わずかな懸念材料としてのアンブリッジの存在が今も頭の片隅にある。直接見たわけではないのだが、アルテシア退学処分の引き金となった騒動でのことが気になるのだ。あの人は、アルテシアを怒らせる。きっとあの人は、アルテシアから笑顔を奪う。

 伝え聞いた話での判断となるが、あのときアルテシアは、あの魔法を使おうとしたのではないか。スネイプがその寸前で割って入ったらしいが、もしそれがなかったなら。

 それがどのような魔法であり、その結果としてどうなるのか。そこまでの知識はソフィアにはないのだが、そうならないようにすることがルミアーナ家の役目なのだと承知をしている。その意味からすれば、あのときその場にいることができずにスネイプにその役目を奪われた格好となったこと、それはまさに痛恨の極みでしかない。

 

「いまさらアンブリッジ女史になにかできるとは思いませんね。あの子にしても、彼女のことは忘れていると思いますよ」

「でも、思い出すことになるかもしれません。もしそうなったら…… あたしも一緒でいいですか」

 

 いまさら何もできない、というのは本当だろう。ソフィアもそう思っているが、それでも用心はすべき。この要求が認められなかったとしても、ソフィアの気持ちは固まっている。そんな目で見てくるソフィアに、マクゴナガルは静かに答えた。

 

「もちろんですよ、ソフィア。それをお願いしようと思ってここへ呼んだのです。たぶんわたしは、同席させてもらえませんからね」

 

 はたして、どういうことになるのか。魔法大臣と会う日程については、改めて相談ということになるようだ。

 



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第112話 「スクリムジョールの提案」

 その日の朝に掲示板に貼り出された告知は、6年生にとってはちょっと驚きの嬉しいニュースだ。すなわち、魔法省の特別講師による『姿現わし』修得のための練習コースが開催されるというもの。申し込みが必要で、費用は12ガリオン。

 

「あなたはどうするの?」

 

 その告知を見ていたパーバティの後ろから声をかけたのはハーマイオニーだ。

 

「どうって、受講するかって意味? そういうことなら」

「わたしは申し込むけど、あなたにはそんな必要はないんだろうなって、そう思っただけよ」

 

 どういう意味か。それがパーバティには分からなかったが、それを考える間もなく話が進んでいく。

 

「たぶんだけど、あなたたちには何か別の魔法的な手段があるのよね。きっと『姿現わし』よりもお手軽なもの。そうよね? アルテシア、だよね」

「なにが言いたいのよ、ハーマイオニー」

「あたし、魔法省じゃなくてアルテシアに教えて欲しいと思ってるの。連絡、できるんでしょう?」

 

 連絡はできるにしても、何をどう言えばいいのか。ハーマイオニーが言うのはアルテシアが使う転送魔法のことであり、クリミアーナ家の魔法を教えろということになるのだ。パーバティ自身はアルテシアからさまざまなことを学んでいるのだが、アルテシアが得意としている光系の魔法は習得していない。

 ソフィアですらも知らない魔法があると言っているのに、そんなことができるのか。それを、アルテシアに言わなれければいけないのか。パーバティは困惑した顔でハーマイオニーを見る。

 

「あたしは1度、クリミアーナ家に行ってる。そのとき、パーバティも一緒だったよね」

 

 それは、2年生のときのこと。そのときハーマイオニーは、クリスマス休暇のほとんどをクリミアーナ家の書斎に閉じこもり、本を読みながら過ごしている。

 掲示板の前が混んできたこともあり、どちらともなく掲示板の前からはずれ、部屋の隅へと移動していく。

 

「いま思えば、なんだけど」

「なによ」

「あなたたちと初めて会ったのは、ホグワーツ特急よね。アルテシアも乗ってたけど、おかしいわよね」

「なにが? 普通でしょ」

 

 そのことだけを見れば、おかしなことではない。だがハーマイオニーの指摘は、クリミアーナ家を訪れたときは徒歩での帰宅だったという点にある。あのときはアルテシアに連れられ、歩きながらクリミアーナ家へと向かっている。所要時間が数十分ほどだったのは、途中でアルテシアが転送の魔法を使ったから。

 そういうことで間違いないのだが、さてハーマイオニーは何を言おうとしているのか。そのことにパーバティは、次第に緊張してきたようだ。なるほどアルテシアは、学年の初めと終わりのときこそホグワーツ特急を利用しているが、クリスマスやイースター休暇のときは利用していない。早く家に帰って森を散歩したいというのがその理由だ。

 

「歩いて帰れるほどクリミアーナ家が近いのなら、ホグワーツ特急に乗る必要なんてないでしょ。あのときは気づかなかったけど、なにか別の移動手段を使ったんじゃないか。そう思ったのよ」

「でも、だからってそれが何なの?」

「休暇中に学校の勉強を一度もしなかったことなんて初めてよ。とにかく時間をかけてアルテシアのことをじっくりと考えてみたから気づけた。そういうことなんだけど」

 

 その結果として導き出したモノは、そのことだけではない。アルテシアは他にも難しい魔法が使えることは間違いないし、学校で起こったいろんな騒動にも関わっていたはずだというのだ。このことは疑いようがないとまで言い切った。

 

「実は、これまでにもそう思ったことは何度かあるんだけど、深くは考えてこなかったのね。だけど、これからはそういうことじゃいけない。だからこの休暇中に、アルテシアと会ってからのことを整理してみたってわけ」

「それで」

「結論から言うと、アルテシアがいなければ解決できなかった事件はあったことになるの。少なくともシリウス・ブラックは助けることができなかっただろうし、秘密の部屋のときジニーを助けたのはアルテシアだってことになる。そうなんでしょ?」

 

 その通りだが、そんなことをなぜ今ごろになって言い出すのか。パーバティには、それがわからない。ただ、ハーマイオニーを見ているだけ。

 

「5年生のときの授業で、あなたがいとも簡単に『消失呪文』を使うのを見たわ。アルテシアとペアで『出現呪文』も使ってたわよね」

「そんなことがあったかも知れないけど、それが何だっていうの?」

「気づかなかった? あのとき、他には誰も成功してないの。あの授業で初めて習う魔法だったから」

 

 さすがにパーバティも、そんなことまでは覚えていない。だが結局、消失呪文は誰もが使えるようになったはずだ。なにしろその呪文はOWLの試験では必須のもの。

 

「たぶんだけど、あなたはそれをアルテシアに教えてもらったんじゃないかしら。違う?」

「ねえ、ハーマイオニー。あなた、何が言いたいの。そうよ、あたしはアルに魔法を教えてもらってる。だってアルは最高の魔女だもの、先生として何の不足もないわ」

「ええ、そうね。つまりあたしも、そういう結論に達したってわけ。だから、アルテシアから学びたいって思ってるの。そのためにガリオンが必要だって言うのなら、掲示板の『姿現わし』練習コースみたいに費用を払ってもいいわ」

「ちょっと待ってよハーマイオニー、それって」

「お願いだから、アルテシアに連絡とってよ。彼女の魔法を学びたいの。学ばないとダメなのよ。この先、絶対に必要になるんだと思うから」

 

 この先、必要? どういう意味かといぶかしむパーバティに、ハーマイオニーはなおも言葉を続ける。

 

「きっとアルテシアはわかってくれるわ。だって、生き残るためには必要なんだもの。例のあの人がいる限り、ハリーは生き残れないのよ」

「どういうこと?」

 

 それは、トレローニーによる予言のなかで触れられていることだ。ハリーが生まれる前のことだが、内容はダンブルドアを経由してハリーに伝えられている。その内容をハーマイオニーは聞いているが、パーバティは知らない。

 

「詳しいことは話せないけど、重要なことよ。お願いだから、アルテシアに頼んで」

「話せないのはなぜ? それ、アルテシアは嫌がるよ。ちゃんと話した方がいいと思うけど」

 

 これまでも何度か、そういうことはあった。例えば時間旅行の旅先でシリウス・ブラックを助けた一件がそうだ。いまではアルテシアもシリウスが無実であったことを知っているが、そのことを話してくれたのはハーマイオニーではないし、ハリーやロンでもない。

 

「ちゃんと事情は説明して欲しいんだよね。アルテシアにはちゃんと話してくれるよね?」

「ダメなの。誰にも言わないって約束させられてるから。でもね、ハリーが生き残るためにはあの人を倒さないといけない。いまハリーは、ダンブルドアと色々準備しているわ」

「だったら校長先生に任せておいたらいいんじゃないの。20世紀で最も偉大な魔法使い、例のあの人が唯一恐れている人物のはずでしょ」

 

 それが魔法界での一般的かつ定着した評価なのだが、パーバティやハーマイオニーはどう思っているのか。

 

「きっとアルテシアの力も必要になるって思ってるわ。だからお願いしてるの。アルテシアがいないと不安なのよ」

「つまりアルにポッターを助けて欲しいって、そういうことなのね」

 

 それがパーバティの理解。だがハーマイオニーは、首を横に振る。違う、ということだ。

 

「そうしてくれるなら、それが一番だと思う。だけどアルテシアは学校にいないんだし、これ以上の迷惑はかけられないわ。あたしたち、それができるほどにはアルテシアと仲良くしてこなかったから」

「へえ、そういう自覚はあるんだ」

「皮肉を言わないで、パーバティ。あたしだって、仲直りしたいのよ。だってアルテシアは、あたしが魔法界でできた初めての友だちだもの。今でも友だちだってあたしは思ってるけど」

 

 ハーマイオニーの言うことには、いくらかの矛盾がある。これ以上の迷惑をかけたくないのであれば、魔法を教えろとも言わなければいいのだ。パーバティはそう思ったが、それを指摘することはやめた。なにより、アルテシアがハーマイオニーを友だちだと思っているのは確かなのだから。

 

「わかった、ハーマイオニー。アルテシアには連絡するけど、内緒だからね。今度アルテシアが学校に来るとき、あたしと一緒に行こう。アルテシアと会えるようにしておくから」

 

 グリフィンドール寮の談話室でそんな話がされていることを、アルテシアは知らない。このときアルテシアは、クリミアーナ家でマクゴナガルを出迎えていた。

 

 

  ※

 

 

「アルテシア、魔法大臣から連絡がありました。まだ朝の早い時間ですが、これから魔法省の大臣室であなたに会いたいとのことです。わたしが案内しますが、いいですね?」

「え? これからですか」

「そうです。あちらの一方的な都合に合わせることへの条件として、わたしの同席を認めさせました。ソフィアには申し訳ないですが、あなたとわたしの2人で会うことになります」

 

 そのときには、ソフィアを同席させることになっていた。スクリムジョールがマクゴナガルの同席を認めないという予測によるもので、マクゴナガルはソフィアとそう約束していた。そのときのための保険として、ソフィアを同席させるつもりだったのだ。

 だが自分の同席が認められた今、ソフィアには我慢してもらうしかないとマクゴナガルは思っている。

 

「わかりました、マクゴナガル先生。でもソフィアが何か?」

「大丈夫、わたしがあとでソフィアと話をします。あなたは気にしなくてよろしい。いずれにしろ例のあの人に関する話となるはずです。スクリムジョールは、休暇中にハリー・ポッターと会っています。そういった話をしたようですから間違いないでしょう。面倒にならないよう、あなたは発言を控えるようになさい」

 

 魔法大臣に会うことで、何がどう変わるのか。それを知るためには、会ってみるしかない。マクゴナガルにしても学校の授業があるため、すぐに魔法省へと向かうことになる。スクリムジョールからは煙突飛行粉(フルーパウダー:Floo Powder)による暖炉移動で大臣室に直接来るようにと指定がされているのだが、あいにくクリミアーナ家には煙突飛行ネットワークで結ばれた暖炉はない。

 なので2人は、ひとまずマクゴナガルの執務室に移動しそこの暖炉から大臣室へ向かった。大臣室では、スクリムジョールが到着を待ちかねていた。

 

「魔法大臣、わたしに何かしろと、そういうことでしょうか」

 

 あいさつを済ませ、ソファーに座ったところでさっそくアルテシアが問いかける。発言は控えろと言われているはずだが、スクリムジョールよりは先に口を開いていた。それをマクゴナガルが視線で制する。

 

「いやいや、お嬢さんとお会いしたかっただけだよ。なんでも、学校には通っていないそうだね。そうじゃなければ、もっと早くに機会が持てただろう」

「大臣、あまり時間がなかったはずでは。わたくしも授業がありますし、さっそく本題に入ってはいかがでしょうか」

「そうだな。わかっているとも」

 

 このあと、スクリムジョールには大臣としての仕事が、マクゴナガルには授業がある。時間が自由になるのはアルテシアのみ。

 

「本題というか、私にも思い描く理想というものがあってね、魔法大臣となったからにはその実現を願い頑張ってみようと、そう思っている。だが懸念というか障害というか、そういうものがある。そこでだ」

「協力しろ、力を貸せ、そういうことになりますか。ポッターにも同じような話をされたと漏れ聞いておりますが」

「ポッターは、ダンブルドアに忠実なのだそうだ。私には協力できかねるということだった」

 

 スクリムジョールとハリーは休暇中に会っている。その折にどういう話をしたのか、その具体的な内容にまでは大臣は触れるつもりがない。

 

「彼には人気がある。生き残った男の子であり選ばれし者、つまりは英雄だよ。それを利用させてもらおうと思った。そうすることで人々に希望を与え、元気づけることができると考えたのだよ」

「ですが、断られてしまった。なので今度は、その役目をアルテシアにとおっしゃるのですか」

 

 それがアルテシアにふさわしい役目なのかどうか、マクゴナガルには大いに疑問だ。魔法界の隅々にまで知れ渡っているハリー・ポッターという名前であれば、それは可能だろう。だがクリミアーナの名を知っている人がどれだけいるだろうか。おそらくはごく少数、圧倒的に知らない人のほうが多いはず。

 

「私がお嬢さんに望むのは、そういうことではない。お嬢さんにはお嬢さんにふさわしい仕事があるのだと考えている」

「なんです、それは?」

 

 一度マクゴナガルに注意されているからか、アルテシアはスクリムジョールの視線に対して答えを発しない。受け答えをしているのはマクゴナガルだ。

 

「気づいたのだよ、たった一人なのだということにね。歴史を大きく転換させるのは一人だ。たった一人の存在が世界を変えるのだよ。魔法界の状況を変えてしまうのに必要なのは一人でよい」

「その一人が、アルテシアだと?」

 

 スクリムジョールが、わずかに笑みをみせた。相変わらず無言のままのアルテシアへと、その顔を向ける。

 

「あの人が戻ってからというもの、魔法界のようすはすっかり変わった。そう思うだろう? デス・イーターどもは、あの人が不在の間も存在していたというのに」

「あの人の存在こそが魔法界を混乱させる原因、ということですか」

「そうだとも、お嬢さん。まさにあの人だ。あの人の存在が魔法界を混乱させているのだよ。では、どうするか。どうすればいいと思うかね?」

 

 チラとマクゴナガルに視線を向けるアルテシア。スクリムジョールの言わんとすることが、なんとなく見えてきた。問いかけに答えたのはマクゴナガル。

 

「大臣、あの人への対処は魔法省が為すべきことではありませんか」

「もちろんだとも、先生。魔法大臣として対策を考えた。その結果として、こうしてお嬢さんをお招きしているのだよ」

 

 どういうことか。もちろん頭に思い浮かべたことはあるのだが、マクゴナガルは何も言わずにスクリムジョールの次の言葉を待った。アルテシアも同じである。

 

「ご存じだろうが、私は魔法法執行部闇祓い局の局長を務めていた。当時の部下にニンファドーラ・トンクスという魔女がいてね。そのトンクスから、こんな話を耳にしたことがあるのだ。ただの友人自慢だと思っていたが、実はそうでもないらしいとわかってきた」

「トンクスなら知っていますが、トンクスがどんな話を?」

 

 トンクスであれば、アルテシアも知り合いである。防衛術を教えてもらうなどの交流があり、魔法省神秘部での騒動の場に一緒にいたこともある。

 

「トンクスだけではない。お嬢さんのことを知っている者は、魔法省にも何人かいてね。それぞれ話を聞いてみたのだ」

「それは、誰のことです?」

「たとえば魔法法執行部部長のアメリア・ボーンズ。ああ、アーサー・ウイーズリーなどからも話を聞かせてもらった」

「それで、どういうことになるのでしょう?」

 

 アルテシアに関する情報を集めたのはわかったが、そこからどういう結論を導いたのか。その肝心な部分を、スクリムジョールはまだ話してはいない。

 

「ところでお嬢さん、お嬢さんは学校に戻るつもりはあるのかね?」

「は? 学校って、ホグワーツにですか」

「さよう。お嬢さんの退学処分については、撤回をする用意がある。お嬢さんが希望すれば、だがね」

「わたしが、ホグワーツにですか。魔法省がそれを許可すると……」

「処分についての経緯は承知している。当然アレは、撤回されてもいいはず。どうかね、お嬢さん。それを希望するかね?」

 

 アルテシアの頭の中を、ホグワーツでの日々が駆け抜ける。パドマやパーバティなどの友人たちの顔が浮かぶ。だがそれを条件に、何かを要求されるのであれば、簡単にハイと言えるものではない。

 

「大臣、まさかそれを、なにかの交換条件にしようということですか」

「いやいや、マクゴナガル先生。そうではないよ。さすがにそういうことはできない」

「では、なんだと言うのです? はっきりとおっしゃってください」

「学校に戻るというなら、それでいいのだよ。この場で許可をし、この話は終わりだ。だが戻らないというのであれば」

 

 であれば、魔法省に力を貸してほしい。大臣としてそれをお願いしたいとスクリムジョールは言うのだ。彼が言うところの魔法大臣としての理想、その実現の阻害要因はまさにヴォルデモート卿の存在に集約される。そのヴォルデモート復活の事実は、すでに魔法界に広く知れ渡っている。

 

「この先、配下のデス・イーターどもが活発に動くだろう。それらを封じ込めていかねばならんのだ」

「それは、アルテシアに闇祓いになれということですか」

 

 だが闇祓いには、容易なことではなれない。厳しい採用基準があるし、それを突破しても3年間の訓練課程が待っている。

 

「その気があるかね、お嬢さん? であれば大歓迎だよ。仕事に慣れるまではトンクスが面倒を見てくれるだろう」

「いえ、わたしは闇祓いにはなりません。トンクスもそのことは」

「ああ、そうとも。トンクスから聞いているよ。だが協力はしてくれると信じている。お願いしたいのは、お嬢さんがトンクスにしてくれたようなこと、それだけだ」

 

 アルテシアは、何も言わない。スクリムジョールの視線からゆっくりと目をそらし、マクゴナガルを見る。マクゴナガルが、小さくうなずいた。それを確認し、アルテシアが改めてスクリムジョールを見る。

 

「そのお返事をする前に、わたしからお尋ねしたいことがあるのですが」

「かまわんよ。言ってみなさい」

 

 学校に戻らないのであれば魔法省に来なさいと、協力という言葉を用いてスクリムジョールはそう言うのである。それに対しアルテシアは、もちろん何らかの答えを返さねばならない。だがその前に。

 

「あなたは魔法大臣、つまり魔法省を代表する方、なのですよね?」

「ああ、そういうことになる。それがどうかしたかね、お嬢さん」

「お尋ねします。それは魔法省が、わたしを魔女だと、クリミアーナを魔女の家だと認めてくれたということになるのでしょうか」

 

 アルテシアとしては、どうしてもこのことから離れることができない。クリミアーナ家の魔女であるからには、魔法省がクリミアーナをどう評価しどう対応してくるのかが、まさに大きな問題となってくるからだ。場合によっては魔法界から距離を置き、ホグワーツ入学以前に戻ることも考えねばならなくなる。

 クリミアーナ家が魔法界と疎遠にしていたことのちゃんとした理由をアルテシアは知らないが、おそらくはそういうことだったのではないかと思っている。何らかの理由により受け入れてもらえず、離れるしかなかったのではないかということ。

 ゆえにアルテシアにとって、この問いに対する答えは重要。しっかりとした返事を期待しているのだが、スクリムジョールは怪訝な表情を浮かべただけ。その意を、スクリムジョールはくみ取ってはくれないようだ。ならばと、もう少し言葉を追加する。

 

「以前ウィーズリー家の方がホグワーツを訪ねてこられたときにも、そんなお話をさせていただきました。はっきりとしたお返事はいただけなかったのですけれど」

「おお、その話は知っている。よく、あんな貴重なものを譲ってくれたものだ。ダンブルドアは、なぜアレを持っていたのか検証が必要だというが、ともあれ魔法省で大切に保管させていただいておる」

「大臣、どういうことです? 遺品のことだと思いますが、貴重なものとはなんです?」

 

 そう言ったのは、マクゴナガル。そういえばマクゴナガルは、魔法省の所有となった遺品については何も知らないのだ。シリウス・ブラックがアズカバン送りとなったマグルを巻き込んだ爆発事件で亡くなったガラティアが所持していた品物のことである。

 アルテシアのほうも、そのことは知らない。内容については知らされず、ただ所有権の委譲のみを求められたからである。そのときの話の経緯もあり、アルテシアはそのことを了承している。

 

「何って、知らなかったのかね? お嬢さんはこころよく承知してくれたと聞いているが」

 

 そんなことよりも。

 アルテシアは、自分の質問に答えて欲しかった。だがその思いもむなしく、話題は変わってしまった。スクリムジョールとマクゴナガルが進めるその話を、アルテシアは聞くとはなしに聞いているだけ。程なくして、もう一度その話を持ち出すことはなく、鼎談は終わりの時間を迎えた。

 

 

  ※

 

 

「バカだねぇ、あんた。せっかくだから学校に戻ればよかったのに」

「そうだけど、ここで戻るのはなんだか後ろ向きだって気がする」

「後ろ向きって、なんのことやら。けどさ、訓練課程の講師役なんてたいして仕事はないと思うよ。みんな、勝手に訓練するんだ。あたしも3年間、自分で自分を鍛えた」

 

 アルテシアとトンクスである。二人は、ゆっくりとホグズミード村の中を歩いていた。スクリムジョールとの話の後で、アルテシアの境遇は随分と変わることになった。アルテシアはスクリムジョールの求めに応じ、魔法省にて講師の職を得た。もちろん反対意見もあったが、いくつかの賛成意見にも支えられた魔法大臣によるごり押しの結果である。

 

「あたしとしては、あんたに教えてもらうのは嬉しいんだけど、訓練生のみんながそう思ってくれるとは限らないよ。反発もあると思うんだ」

「わかってる。でもきっと、受け入れてくれる人だっているはずよ。魔法省にわたしを、クリミアーナを認めて欲しいの。そのための役には立つと思うから」

「さあねぇ、そのあたりは分からないけど、でもしばらくはパートナーとして一緒に仕事しろって指示を受けてる。あたしは素直に嬉しいよ」

 

 次第に2人は、ホグズミード村の中心部分から外れていく。そして、叫びの屋敷へと続く道へ。実はここで、リーマス・ルーピンと会うことになっているのだ。トンクスはルーピンとは時々会っていて、アルテシアのことを伝え聞いたルーピンが希望したのである。

 

「いないね。まぁ、屋敷の外で待ってるはずもないか。中にいるんだろうね」

 

 ルーピンだけでなく、叫びの屋敷の周囲には誰の姿もない。アルテシアが右手を挙げた。

 

「わたしがやるわ」

 

 叫びの屋敷の外にいたのは、その言葉が終わるまで。次の瞬間には、2人は屋敷の中にいた。アルテシアが初めて訪れたその場所に、かつて防衛術の教授であったルーピンがいた。

 

 

  ※

 

 

「じゃあ、キミは教師の道を選んだというわけだ。うん、それはすごい。キミを教えたことがある者としては実に誇らしい気分だよ」

 

 概略をトンクスから聞いているはずなのだが、それでもルーピンは嬉しそうに笑ってみせた。アルテシアも笑顔になる。教師でなく講師だが、魔法を教えるという点では同じだ。

 

「先生、わたし、ステキに魔女になれてるでしょうか。先生の目から見て、そう思われますか?」

 

 それは、ルーピンがホグワーツを辞めるときアルテシアに残していった手紙の中で触れられていたことだ。その手紙の中でルーピンが願ったことを、アルテシアは覚えていた。

 

「もちろんだよ、アルテシア。だけどね、気になってることがあるんだよ」

「気になること、ですか」

「ああ。なにしろ、キミが魔法を使うところを1度も見たことがない。あの頃のキミは魔法の使用を禁止されていたからね」

 

 それは、魔法使用がアルテシアの体調に影響していた頃のことだ。マクゴナガルにより魔法の使用を禁止されていたのだが、次第に条件は緩和されていき、今ではそんな制限はない。

 

「キミはもう14歳を過ぎたし、お互い、ホグワーツに籍はない。あの頃のことを話してくれてもいいんじゃないかと思うんだよ」

「なになに、どういうことなの?」

 

 トンクスも興味を示してきたが、アルテシアとしては、何を話せばいいのかわからない。わからないものは、聞くしかない。

 

「わかりました、先生。でもわたし、何を話せばいいんですか?」

「そうだね、聞きたいことは幾つかあるけど、一番の疑問はキミが魔法を使うと倒れてしまうということかな。マクゴナガル先生から説明はされたけど、いくら考えても納得できないんだ。よかったらキミからちゃんとした話を聞きたい」

「でもマクゴナガル先生はすべてご存じですよ。説明があったのなら」

「いや、キミから話が聞きたいんだよ。キミが3年生の終わりの頃に起きたこと、シリウス・ブラックを助け出そうとしたときのことをね」

 

 言われて、アルテシアは迷った。何について問われているのか、それがぼやけているからだ。過度の魔法使用による体調への影響についてか、それともシリウス・ブラックの件で自分が何をしたかを話せばいいのか。

 

「シリウス・ブラックは、ぼくの学生時代の友人でね。あのあと、彼の家で話をする機会があった。シリウスは、閉じ込められていた西塔の部屋に、なぜか女子生徒が来たと言っていた。アレはキミだね?」

「ええと……」

 

 それを認めてよいものか。そんなことも思ったが、ルーピンが言うように、今さら気にするようなことではないのだろう。アルテシアは、それを認めた。

 

「やっぱりね。だけどアルテシア、あのときキミは、試験中に気を失って医務室にいたはずだ。なのになぜそんなことができたのかな?」

「そんなの、アルテシアが魔法を使ったのに決まってるよ。だってアルテシアは魔女なんだよ」

 

 なぜだろう。そのルーピンの質問に答えたのはアルテシアではなく、トンクスだった。だがそれを答えとするには、いささかムリがある。トンクスに続いてアルテシアが、あの夜のことを話し始めた。

 



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第113話 「ホグワーツ着任」

「クリミアーナの魔法は自然界の協力なくしてはありえない、わたしはそう思っています」

 

 ホグズミード村の観光名所にもなっている、叫びの屋敷。その屋敷の中でのアルテシア、トンクス、ルーピンの話は、まだ続いていた。話は、クリミアーナ家の魔法の特徴についての内容となっていた。

 

「なかでも基本となるのは、光です。クリミアーナの魔法の多くは、光の操作が基になっています。応用次第でいろんなことができますよ。たとえばこんなのを考えてみました」

 

 そう言って取り出したのは、なぜか眼鏡。トンクスの仲介でルーピンと会うことが決まった後、アルテシアが作ったものだ。といっても、眼鏡自体は近くにあるお店で売られていたもので、アルテシアがやったのは、そこに魔法での工夫を追加しただけ。

 

「メガネ、だよね。これでキミの魔法の何がわかるっていうんだい?」

「ルーピン先生。失礼なことだとは承知してますけど、答えてください。先生が学校をお辞めになったのは、先生が人狼だったから、ですよね?」

 

 さすがにルーピンは、苦笑い。トンクスも、そんなことを言い出すとは思ってなかったらしく、十分に驚いているようだ。だがアルテシアの質問の目的は、その先にある。

 

「人狼については本で読んだくらいの知識しかありませんけど、満月によって狼になってしまう、ということですよね」

「そうだね。たしかにそうだよ。だからぼくはホグワーツを去った。もう少しキミを教えていたかったんだけど」

「先生は月が満月になったから変身するのですか。それとも、満月となった月を見たから変身するのでしょうか」

 

 両者は、その意味が大きく違う。アルテシアはそう言うのだ。仮に満月を見てしまった場合にだけ変身するのであれば、対処は可能となる。この眼鏡は、そのためのもの。

 

「眼鏡をかければ大丈夫だっていうのかい? 残念ながら、満月となった月の光を浴びれば変身してしまうよ。目を閉じていればいいということではないんだ」

「大丈夫です。そういうことなら大丈夫なんです。この眼鏡、先生にプレゼントします」

「嬉しいけど、眼鏡くらいでなんとかなるとは思わないな。申し訳ないけどね」

 

 とは言いつつも、ルーピンはその眼鏡を手に取り、かけてみる。

 

「べつに度が入ってはいないんだね。普通によく見えるよ」

「先生、これ、これが読めますか」

 

 アルテシアは、いつも持っている巾着袋に手を突っ込み、中から本を一冊取り出した。ホグワーツで教科書として使われているミランダ・ゴズホーク著「基本呪文集(五学年用)」である。それをルーピンに渡す。

 

「これを読めって? 魔法史か。学校時代は、あまり勉強した覚えがないな」

「それ、確かに魔法史の教科書ですか?」

「もちろんだよ、中身もまさに魔法史だ。ゴブリンの反乱についてのことが書いてある」

 

 だがトンクスには、それが違うものに見えていた。

 

「ちょっとリーマス、大丈夫? それ、基本呪文集でしょ」

「えっ!」

 

 パラパラとページをめくっていたルーピンが、改めて表紙を見る。ルーピンには、どうしても魔法史の教科書にしか見えない。なおもしげしげと裏表紙なども見ていたが、ふと思いついたように眼鏡を外した。

 

「ミランダ・ゴズホークの基本呪文集、か。これが魔法史の教科書に見えたのは眼鏡のせい、いや、キミが何かしたということになるんだろうね」

「はい。こんなふうにして、先生にだけ違ったものを見てもらうことができます。誰もが満月を見ていても、先生は別の光を見ることになります。ちゃんと満月の形には見えるんですけど、そのとき先生に届くのは青色の月の光になります」

「青い月か。いや、よくわかったよ。これはキミの魔法による効果。なるほど、そうすれば変身は防げるのかもしれないな」

「あとは、ホグワーツの理事の方や魔法省の人たちと一緒に満月を見る機会を作ってもらえれば。そうすれば人狼ではないと納得してもらえるし、ホグワーツの教授にも戻れると思うんです」

「そうしなよ、リーマス。きっと、ちゃんとした就職もできるようになるよ」

 

 そうなれば。まだ何か言いたいことがありそうなトンクスだが、口にしたのはそこまで。続いてルーピンが話し始める。

 

「ありがとうアルテシア。次の満月の夜にでも確かめてみる。うまくいくようなら、使わせてもらうよ」

「はい。お役に立てれば嬉しいです」

「だけど、学校に戻れるのはキミのほうだ。聞いてるよ、魔法大臣付きの特別講師となったアルテシア・クリミアーナは、闇祓い局の見習いたちだけじゃなくホグワーツの授業も受け持つそうじゃないか」

「えっ! なんの話ですか?」

 

 その驚きようからして、アルテシアには初めて聞く話だったことがわかる。トンクスも同じで、そのことにルーピンも意外そうな顔を見せている。

 

「ダンブルドアが魔法省に要請して実現したそうだよ。知らなかったのかい」

「知りませんでした。初めて聞きました」

「おやおや、ご本人に内緒の話だったとは。でもいいじゃないか。ホグワーツに出入りできるようになるんだ。それに授業を受け持つといっても助手としてだろう。教授の補佐をするだけだ」

 

 そうだとしても、アルテシアとしては素直にうなずける話ではなかった。イヤな思いつきが頭をよぎっていく。まさか、最初からそのつもりだったのか。都合良く利用されようとしているのか。トンクスは、このことを知っていたのか。

 アルテシアの視線がトンクスを捉える。その視線の意味を察したトンクスは、すぐさま首を横に振った。

 

「知らない、わかんないよ、アルテシア。ホントだよ。あたしも初めて聞いたんだから」

 

 その返事に、アルテシアはふっと気持ちが楽になるのを感じた。少なくともトンクスは、この件とは無関係。ルーピンもそうだと思われる。ではダンブルドアは? スクリムジョールは? マクゴナガルは?

 なぜこうなったのか、どこかでなにかを間違えたのか。とにかくよく考えてみよう、考えることが必要だとアルテシアは思った。

 

 

  ※

 

 

 課外授業の進み具合はどうなのか。カリキュラムの全てを把握しているのはダンブルドアなので、ハリーにはそれはわからない。しかも、たった今出された宿題を片付けない限り先に進めないとダンブルドアに言い渡されていた。

 

「先生、そんなに重要なことなのですか」

「いかにも重要じゃよ。いま見てもらったように、彼の記憶は間違いなく改竄されておる。その部分を明らかにせぬ限り、先に進むことの意味は見いだせぬ」

「でも、どうすれば手に入りますか。ぼくにはさっぱり」

 

 ダンブルドアが要求しているのは、ヴォルデモート卿がトム・リドルの名でホグワーツに在学していた、その当時のスラグホーン教授の記憶である。現在手元にあるスラグホーンの記憶は、分霊箱についての情報を求めるトム・リドルに対し明確に拒絶している場面のみ。だがそこには、稚拙なやり方で加工がされている部分があったのだ。すなわちそのとき、トム・リドルとスラグホーンが分霊箱について話をしたと考えるのは不自然ではない。

 そのとき、いったい何を話したのか。それを知らぬうちは先には進めないと、ダンブルドアは言うのである。分霊箱についての具体的な話をしたはずであり、その記憶を入手できるのはハリーしかいない。ゆえにこれを宿題とするのだと。

 

「幸い、スラグホーン先生はキミを気に入っておるようじゃ。うまく話を持ってゆけば秘密を明かしてくれるじゃろうと思う。わかっておくれ、ハリー。これは、わしにはできぬ」

「でも、でも、先生」

「提案じゃが、アルテシア嬢と力を合わせてみてはどうじゃな。あのお嬢さんも、間違いなくスラグホーン先生のお気に入りとなるはずじゃ。それにここで手を取り合っておけば、この先なにかと有利になると思うがの」

 

 その提案に、ハリーは耳を疑った。スラグホーンの記憶を手に入れろと言われたこと以上に、その驚きは大きかった。なにしろ、アルテシアは学校にいない。いやそんなことよりも、アルテシアをうまく利用するようにと、そう言われた気がしたのだ。

 

「先生、まさか」

「心配はいらんよ。アルテシア嬢は学校に戻ってくる。生徒ではなく講師としてじゃが、今となっては幸いであったのかもしれん」

「ど、どういうことですか」

「スクリムジョールが、あのお嬢さんを大臣付きの特別講師にしたのじゃよ。わしが復帰を持ちかけたときは断られたが、スクリムジョールの要請には応じたのでな。となれば、ホグワーツに派遣してもらうのは当然の成り行き。助手としてスラグホーンとともに魔法薬学を担当してもらおうと思うておる。ハリーよ、キミにはこの状況をうまく生かして欲しい。宿題の助けとなるじゃろう」

 

 この日の、ダンブルドアとの個人教授の内容は、トム・リドルの在学中の様子について。

 リドルはスリザリンに組み分けされ、本来の倣慢さや攻撃性はかけらも見せずに、礼儀正しく物静かで向学心に燃える生徒として毎日を過ごした。結果、誰もがリドルには好印象を持ち、教職員の評判も高かった。

 やがてリドルは、スリザリン生を中心にグループを形成し始める。いわゆるデス・イーターを生み出す前身となっていくグループである。当時のホグワーツではさまざまな事件が起こっているのだが、リドルたちのグループとの関わりがはっきりと立証されたことはなかった。リドルによって、巧妙に管理されていたからである。なかでも『秘密の部屋』が開かれた事件では女子学生を1人死なせている。だがそれさえも別の誰かに罪を着せることで幕引きとさせ、自身が疑われることはなかった。リドルは、卒業するまで優等生のままだった。

 また16歳の夏、自身が育った孤児院に残る両親の情報を元にゴーント家の親戚を探しに出かけている。その頃はまだ母親メローピーの兄モーフィンが存命で、彼よりマグルであった父親のことなどを聞き出している。

 その後のリドルの行動は、モーフィンの記憶が抜け落ちていることもあって不明瞭。ただ、直後にリトル・ハングルトンの屋敷でリドルの父親と祖父母とが殺され、モーフィンが所持していたマールヴォロの指輪がなくなったという事実が残るのみ。

 この殺害事件は、魔法省によりモーフィンが犯人であると判断されて終息する。モーフィンはアズカバンで人生を終えることとなるのだが、ハリーはリドルの犯行だと直感した。直接的な証拠はなくとも、状況がそれを示している。しかもその後のリドルが学校内でその指輪を指にはめていたのだから、無関係であるはずがないのだ。

 そして、宿題のきっかけとなるスラグホーンの記憶。モーフィンの事件後のものであり、リドルはスラグホーンに分霊箱についての質問をしている。ハリーが宿題として要求されているのは、このときの詳細な記憶なのだ。

 

「前にも言うたことがあると思うが、アルテシア嬢の叔母の遺品にあったスリザリンのロケット。そして、このときのマールヴォロの指輪。さらには分霊箱。これらのことが示していることがわかるかね?」

「まさか、指輪とロケットが分霊箱? そういうことですか」

「そのとおりじゃよ、ハリー。すなわち分霊箱は1つではない、ということになる。キミが2年生のときに壊してしもうた日記帳を含め、少なくとも3つの分霊箱が作られた」

 

 そういえば指輪は、ダンブルドアが持っていたのでは? ハリーはそのことに気づいた。

 

「先生、あの指輪は。あれが分霊箱だとしたら、先生の腕は……」

「ハリー、その話は後にさせておくれ。キミが宿題をやり遂げぬ限り、この話は先には進まぬ。進められぬのじゃ。さあ、今夜はもう遅い。寮へと戻りなさい」

 

 

  ※

 

 

 次の日、ハリーは早めに起き出して談話室でハーマイオニーが女子寮から出てくるのを待っていた。もちろんダンブルドアの宿題のことを話すためだが、具体的にどうすれば実現できるかについての相談がメインだ。

 実は、昨夜のうちにハーマイオニーと話しておくつもりだった。だがなぜか、ハーマイオニーは夕食後すぐに寮の部屋へと戻ってしまい、ロンによれば、ハリーの個人教授がある日だと知っていたはずなのに談話室へと顔を見せることはなかったらしい。

 なので個人教授の内容については、まだロンにしか話せていない。だが相手がロンでは、相談という部分で大きな違いがある。

 

『そんなの、なんにも問題ないだろ。キミが頼めばどんなことだってOKさ。今度の魔法薬学の授業のあと、ちょっと残って聞いてみろよ』

 

 案の定、ロンからのアドバイスはそんな程度だった。ダンブルドアですら聞き出せなかった秘密を、ちょっと聞いてみたくらいでスラグホーンが明かすだろうか。ハリーには、とてもそうは思えなかった。

 疲れていたこともあり、ハリーは、アルテシアの件まではロンに話していない。まずはハーマイオニーと相談してからにしようと考えたのだ。

 それほど待つこともなく、ハーマイオニーが談話室へと姿をみせた。ハリーの姿を見つけたハーマイオニーが、一直線にやってくる。

 

「ハリー、ちょっといい? 大事な話があるの」

「ぼくもだよ、ハーマイオニー。場所を変えて話そうか」

 

 どうやら、話したいことがあるのはハリーだけではないようだ。それを察したハリーは、多くの人の目がある談話室からの移動を提案。ハーマイオニーとともに、談話室を出る。かといってふさわしい場所があるわけでもなく、2人は、マートルのいる女子トイレに向かった。マートルの存在さえ無視できれば、誰も居ない場所だ。

 まずはマートルと話をし、その機嫌を取る。なぜかハリーはマートルに気に入られているようで、お願いしておけばマートルもいたずらなどをしかけてはこない。

 

「そういえば、昨夜はダンブルドアの個人教授だったわよね。どうだったの?」

「今回はあの人のホグワーツ時代の話だったんだけど、宿題を出されたよ」

「宿題?」

 

 宿題とは、最優先で仕上げ提出すべきもの。ハーマイオニーによる定義では、そういうことになる。だが、その内容が問題だった。一度ロンに話しているので、ハリーの説明はスムーズだった。

 

「きっと、とんでもなく高度な闇の魔術に違いないと思うわ。だけどハリー、そう簡単には聞き出せないと思う。なにか方法を考えて慎重に持ちかけないとダメよ」

「だろうね。ロンは、授業のあとにでもちょっと聞いてみればOKだって言うけど」

「いいえ、そんな簡単な話じゃないわ。だってダンブルドアが聞き出せなかったのよ。あくまでも真相を隠すつもりに違いないわ」

 

 それには、ハリーも同感。だがさすがのハーマイオニーも、その入手に関していい考えは浮かばないらしい。ハリーはため息をついた。

 

「困ったな。そんなに時間はかけられないと思うんだ」

「ええ、そうね。でも都合の良い近道なんてないと思うわ。いろいろと考えてはみるけど」

「頼むよ。それはそうと、キミも何か話があるんだよね」

「ええ。あたし、昨日の夜、アルテシアに会ったのよ」

「えっ!」

 

 それは、ハリーを十分に驚かせた。たしかにハーマイオニーは、昨日の夕食後からずっと、寮に戻ってしまい談話室に姿を見せなかった。アルテシアに会ったというなら、そのときだ。だけど、とハリーは考えた。どうやって?

 

「詳しいことは省くけど、あたし、アルテシアに魔法を習うことにしたの。それから驚くことがあるわよ。アルテシアが学校に戻ってくる」

 

 アルテシアが学校に戻ってくることは、ハリーも知っていた。

 

 

  ※

 

 

 まさに昼休みの緊急会議、とでも言えばいいのか。この日の昼休み、様々な人たちにより学校のあちこちで話し合いの場が持たれることになる。なかでも校長室では、重要な発表がされた。そこには各寮の寮監とスラグホーンの姿があった。ダンブルドアが呼び集めたのである。

 

「魔法省より臨時に講師が派遣されてくることになったのじゃ。こんなふうに慌ただしく発表することになろうとは思っておらなんだのじゃが、ともあれ早急にお伝えせねばと思うての」

「校長、まさか去年のアンブリッジ女史のようなことにはなりませんでしょうな?」

「大丈夫じゃとも、フリットウィック先生。なにしろあなたもよくご存じの、非常に優秀な人物じゃからの」

 

 そこでダンブルドアはマクゴナガルに目を向けたのだが、マクゴナガルは無言無表情。あたかもスネイプのようだ。

 

「校長、講師とおっしゃいましたな。その人物は、ホグワーツで何をするのです?」

「もっともな質問じゃな。じゃがその前に、講師となる者の名前をお伝えしておこうかの。アルテシア・クリミアーナ嬢じゃよ」

「なんですと」

 

 その瞬間、校長室は驚きの声に包まれた。告げられたのが、あまりにも意外な名前であったからだ。だがマクゴナガルだけは、無言無表情のまま。すでにこの件はアルテシアより知らされていたからである。

 

「アルテシア嬢には教授の手伝いを、すなわち助手を務めていただこうと思うておる。彼女の成績から察するに魔法薬学が」

「校長、よろしいですかな」

「なんじゃね、セブルス。まだ話の途中なのじゃが」

「それは失礼。ですが校長、助手ということなら、わたしにお任せいただきたいものですな。なにしろ授業では、ちょうど魔法による対決をテーマにしておりましてな。たとえばその相手にふさわしい。あの娘であれば、模擬戦の相手も務まるでしょう」

「そうかね。わしはスラグホーン先生にお願いしようと思うておったのじゃよ。スクリムジョールもそれでいいと言うたしの」

 

 ダンブルドアとしては、決定事項を伝えるだけで終わるつもりだったのだろう。だがスネイプにより、そのもくろみは外された。

 

「魔法省との話はできている、そういうことですか。だが、あの娘が学校に戻ってくるというのなら、黙ってみているつもりなどありませんぞ」

 

 ここで、マクゴナガルへと目を向ける。

 

「そうでしょう、マクゴナガル先生。あなたもそうしたいはずだ。せめて自分の授業を手伝わせたいと」

「いいや、セブルス。それでは彼女が忙しくなりすぎるじゃろうて。ちと、ムリではあるまいかの」

「では校長。ホグワーツでの助手の話はなかったことにされてはどうです。ホグワーツ校長として拒否なされば済む話だと思いますけれど」

「ふむ。マクゴナガル先生はお気に召さぬようじゃな」

 

 ダンブルドアはそう判断したが、実際のところマクゴナガルは、アルテシアが学校に戻ってくることに反対してはいない。ただそこに、都合良く利用しようという考えがみてとれることが気がかりなだけ。

 そもそもスクリムジョールとの話では、闇祓い局で訓練中の見習いたちへの魔法指導ということだったのだ。未来の闇祓いたちにも、トンクスにしたように教えてやって欲しいのだと。

 それだけの話であり、すでに2度実施もしている今になって、なぜ、ホグワーツ派遣ということになってしまうのか。

 

「今回のことは、校長が魔法省に要請なさったのですか。それとも」

「スクリムジョールと相談した上でのことじゃよ。あのお嬢さんを学校に戻したい。それだけのことなのじゃ」

「しかし、校長」

「いいかね、ミネルバ。これはもう決まったことなのじゃ。是非とも、納得して欲しい」

「そうですか。わかりました」

 

 まだまだ言いたいことはありそうだったが、マクゴナガルはここで折れた格好となる。ダンブルドアの言うとおりであり、ここで頑張ってもムダなのは分かっているからだ。

 

「ふむふむ、どうやら話はまとまったようだね。では、そのお嬢さんはわたしのもの、ということでいいのだね。ああ、もちろんお嬢さんがスネイプ先生も手伝いたいというのであれば、それはそれでかまわんよ」

 

 その場の空気をも一変させるような、そんな明るい声。スラグホーンの機嫌は良いようだ。

 

「ダンブルドア、次の授業からということになるのかな」

「そうじゃな。アルテシア嬢は明日から学校に来ることになっておる。打ち合わせや準備もあろうし、順調にいけば午後の授業からとなるじゃろう」

「なんと、なんとなんと。明日の午後には6年生の授業がある。面白いことになりそうだ」

 

 どうやらスラグホーンは、アルテシアのことは承知しているらしい。

 

 

  ※

 

 

 この数か月というもの、この空き教室を利用するのは放課後に3人という場合がほとんどだった。だが今日は、昼休みに4人の姿があった。アルテシアとパチル姉妹、そしてソフィアの4人である。

 ソフィアが大広間から持ってきた昼食用のサンドイッチなどを食べながら、さまざまなことを話していた。なにしろ4人が揃うのはしばらくぶりのこと。手紙のやりとりなどはしていても、話したいことはいくらでもあるのだ。

 

「けど、ハーマイオニーにはびっくりだね。アルテシアに魔法を教えてくれって頼むなんて。彼女、なにかと競争意識を持ってたはずなのに、その相手に教えを請うなんて思わなかった」

「それだけ真剣なんだと思います。あたしだって、アルテシアさまのためだったらなんだってできますよ」

「ソフィアのことはともかく、実際にはどういうことになるの? アルテシアはこれから授業を受け持つかもしれないんでしょ」

 

 ハーマイオニーの件は、前日の夕食後に寮の部屋で話し合いが済んでいる。寮の部屋をその場所に選んだのは、最も都合が良いからに他ならない。アルテシアはこの部屋のことをよく知っており、自分をそこに転送するのに支障はないし、同室のラベンダーを交えることにはなってしまうが、それ以外の人の目と耳を気にする必要がないのだ。

 アルテシアが魔法省の特別講師とされた一件については、まだ学校内に発表されてはいない。だがこのとき、この場にいる全員がそのことを知っていた。

 

「わたしは助手で、お手伝いするだけよ。授業を受け持ったりはしないと思うけど」

「どの教科になるとかは、決まってるの? まさか変身術じゃないよね?」

「魔法大臣からは何も説明されてないの。ダンブルドア校長の指示に従うようにってことだけ」

「でもそれ、おかしくない? なんかさ、大臣と校長が示し合わせてる気がする」

「マクゴナガル先生も、そうおっしゃってた。でも最後までそのことに気づけなかったのだから、こちらの負け。受け入れるしかないって」

 

 その真相を追い求めていけばどうなるか。この件で、なおも騒ぎ立てていけばどうなるのか。真相という名の藪をつついたとき、どういう結果が待っているのか。

 そのことをアルテシアは、考えないことにしていた。魔法省とは良好な関係を築いていくためにも、その藪のなかから何も出てこないことを願うのみ。

 

「明日からどうなるのかな。楽しみなような、不安なような。ソフィア、あんたどう思う?」

「あたしですか。これからは、あたしの出番だってことですかね。しっかりしないとって思ってます」

「なによ、それ」

 

 その場に軽く笑いが広がっていくが、ソフィアにとっては笑い話などではないようだ。ただじっとアルテシアを見つめていた。

 

 

  ※

 

 

 次の日、アルテシアは校長室を訪れていた。ダンブルドアとこれからのことについて打ち合わせをするためである。一緒にトンクスがいるのは、ホグワーツへの着任手続きに立ち会うため。いま、その確認書類にダンブルドアがサインをしているところだ。

 

「ではトンクス、これで手続き完了じゃな」

「そうなりますね。でも校長先生、できるだけはやく返してくださいね。あたしと一緒に仕事するはずだったんですから」

「なんと、そうだったのかね。それはすまんことをした」

「だったら、諦めてくれますか? これを破ればいいだけなんですけど」

 

 だがダンブルドアは、軽く笑ってみせただけ。トンクスも、その書類を破ることなく鞄に入れた。

 

「じゃあね、アルテシア。えっと、連絡はポストでいいんだよね?」

「ええ、どうもありがとうトンクス。忙しいのに来てくれて」

「いいんだ。あんたのことは、あたしが面倒見るって決めてる。遠慮なんかしなくていい」

 

 そんなところでトンクスが帰っていく。校長室はダンブルドアとアルテシアの2人となった。マクゴナガルがいてもよさそうなものだが、この時間は授業がある。

 

「トンクスとはずいぶんと仲がいいようじゃな」

「そうですね。わたしのことを妹みたいにかわいがってくれてます。おかげで防衛術もずいぶんと上達したと思ってます」

「そうかね。そのトンクスに魔法を教えたと聞いておるのじゃが。トンクスは優秀な闇祓い。さすれば、ホグワーツの生徒たちにも適切な指導をしてもらえると、そう判断したわけじゃよ」

「この話を決めたのは校長先生だと、そういうことになりますか?」

 

 アルテシアは、この件に関しての話はしないと決めていたが、これくらいはいいだろうと思ったのだ。どうせダンブルドアが答えるはずはないし、仮に答えたとしてもそれは真相ではない。アルテシアはそう思っている。

 

「スクリムジョールと相談した結果、ということになるのう。ところでお嬢さん、ポストとは何のことじゃね?」

「手紙をやりとりするためのものです。ポストに手紙を入れればクリミアーナ家に届きます」

 

 その届いた手紙は、アルテシアが自宅にいなくとも、いつも持っている巾着袋に手を突っ込めば、そこから取り出すことができるのだ。

 

「それはふくろうは使わずに、ということかね」

「はい。ふくろう便には、どうしてもなじめなくて。それに、こちらのほうが時間的にも早いんです」

「なるほどのう。そのポストとやらを、わしも利用してみたいがどうすればいいのかね?」

「ええと、そういうことなら校長室にポストをお作りしてもいいですけど、でもわたし、これからホグワーツに通うんですけど」

「その通りじゃが、ポストというものは作っておくれ。この先、必要になることはあるじゃろうからな」

 

 アルテシアはこれまで、ダンブルドアから手紙を受け取ったことはない。せいぜいが、校長室への呼び出しを告げるメモ書き程度。必要ないのではとも思ったが、それを口には出さず、巾着袋に手を突っ込んだ。取り出したのは、大きめのお弁当箱といった感じの平たい箱。クリミアーナ家のアルテシアの部屋にあるうちの1つで、アルテシアが手紙などの整理や保管に使っているものだ。なので、現時点では単なる入れ物でしかない。

 その入れ物を、ふたを開けて手紙を入れ、元通りにふたをするだけで相手に届くといった説明をしながらダンブルドアに渡す。ダンブルドアが気づいたかどうかは不明だが、アルテシアは、その間にポストとして機能するような処置をしておいた。

 

「では、お嬢さん。今後のことじゃが」

「先生方のお手伝いだと、そう聞いています」

「そうじゃの。当面は助手ということになる。じゃがの、お嬢さん。覚えておきなさい、お嬢さんは魔法省により正式にその資格を認められたことになるのじゃよ」

「資格を、ですか」

「そうとも。たしか、言うておったそうじゃな。教師になりたいのだと」

 

 5年生のときに行われた進路指導のとき、アルテシアは、たしかにそういう話をしたことがある。図らずもそれが実現したことになるのだから、そのことを持って了解して欲しいとダンブルドアは言うのだ。

 

「その能力は十分にある、わしはそう思っておるよ。いいかね、お嬢さん。自信を持って、堂々と授業に向かうがよろしかろう」

「校長先生」

「じきにスラグホーン先生がここに来る。初対面であろうが、スラグホーン先生の助手として午後よりの授業をお願いしようと思うておる。よろしいかな」

 

 その最初の授業が6年生のものであることを、まだアルテシアは知らない。

 



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第114話 「初めての授業」

 午後からは、2時間続きでの魔法薬学の授業。アルテシアが臨む最初の授業となるのだが、それが6年生のクラスと聞いて、どっと緊張感が押し寄せた。しかも学校側は、事前にアルテシアのことで何ら発表していない。つまりは、アルテシアが講師となったことを誰も知らないことになる。

 そういった状態でかつてのクラスメートたちの前に出るのだから、緊張しないはずもない。そんなアルテシアを、スラグホーンはにこやかに見つめながら、教室の外で待っているようにと告げた。

 

「呼んだら、教室に入ってきなさい。みんなを驚かせようじゃないか。わかったね」

 

 楽しそうに教室に入っていくスラグホーン。きっとわざとだろう、入り口のドアは閉めなかった。

 

「さて、諸君。これから授業を始めるわけだが、その前にお伝えしたいニュースがある。本来ならばダンブルドアのやつが発表しておくべきなのだが、諸君らへのサプライズのために残しておいてくれたのだろうね」

 

 そんなことを言われると、ますますアルテシアは出て行きづらくなるのだが、スラグホーンはお構いなしだ。そのまま、ハリーのほうへと近づいていく。

 

「ハリー、ハリー。キミはまさにお母さんの才能を受け継いでいることを、このクラスでしっかりと示してきた。その実力は疑いようもないわけだが、もう一人、その技術を受け継いでいるかも知れぬ人がいることをご存じかな」

 

 それが、誰のことを言っているのか。それを察した人が、はたしてこのクラスにいたのかどうか。

 

「知っているのは、私だけかもしれないな。だが間違いなく、彼女もそうなのだよ。間違いなく、その技術を受け継いでいるはずだ。紹介しよう。入っておいで」

 

 開け放れたままのドアに向け、スラグホーンが叫んだ。その表情は、とても楽しそうだ。アルテシアが姿を見せ、教室内にどよめきが広がった。

 

「今日より特別講師として授業を担当していただくことになった、アルテシア・クリミアーナ嬢だ。もっとも諸君らには、改めて紹介する必要はなかったのかもしれないがね」

 

 教室にいるのは、アルテシアとは旧知の者たちばかり。それ故、より驚きを持って迎えられることになった。

 

「静かに、みんな静かにして。紹介はここまでだ。さあさあ、授業のほうに取りかかるよ。今日は、混合毒薬の解毒剤という難しい課題に取り組んでもらう予定だ。まずはゴルパロットの第三の法則について、誰か説明できる者はいるかね?」

 

 スラグホーンがそう問いかけたが、約1名以外の全てが、アルテシアを見ている。たとえばドラコも、スラグホーンの言うことなど聞かずに叫んだ。

 

「どういうことだ、アルテシア。まさか、フェリックスのためなのか」

 

 それには、無言で軽く首を横に振っただけ。もちろん、この状況で答えられるような話ではない。そこへ他の生徒たちからの、アルテシアへの質問が積み重なっていく。

 

「待ちたまえ、諸君。細かな話は授業が終わってからにしてもらおう。さて、第三の法則について説明できる者…… ああ、いつものようにミス・グレンジャーだね。では、お願いしようかな」

 

 確かに、授業中であることは間違いない。話ができるのは授業が終わってからだと、誰もが納得し始めたようだ。次第に教室は静かになっていく。

 

「混合毒薬の解毒剤の成分は毒薬の各成分に対する解毒剤の成分の総和より大きい、というものです」

「そのとおり。さすがだね、ミス・グレンジャー。グリフィンドールに10点あげよう」

「10点よりも、講師の先生に質問させてほしいのですが、よろしいですか」

「ほう、それはまた。もちろんこの授業に関係したことだろうね?」

 

 でもなければ許可しないところだがと、スラグホーン。もちろんそうですと、ハーマイオニー。よって、その質問は許可される。

 

「ある種の混合毒薬に対する解毒剤を調合する場合において、なにかアドバイスいただけませんか」

「ああ、ミス・グレンジャー。それは、これからこの授業でやることなんだがね」

「わかっています。ですからアドバイスが欲しいんです。講師の先生、お願いできますか」

 

 ハーマイオニーは、前夜にアルテシアと会っている。そのとき講師派遣についても話をしているのだが、実際に目の前にした今、アルテシア在学中にあった競争意識がよみがえってきたのだろう。

 

「まずは魔法毒薬の成分を正確に見極めること。始まりはそこからです」

「そして、それぞれの成分に対する解毒剤をってことですか。でもそれだけでいいんでしょうか」

「さすがね、ハーマイオニー。もちろんゴルパロットの第三の法則、それが正しいのだとするならば、それだけでは不十分。つまり」

「待ちたまえ、そこまでだ。ミス・グレンジャー、座りなさい」

 

 アルテシアたちの敬語混じりの言葉遣いは、互いの立場を考えてのことなのだろう。とにかく、授業中なのだ。

 

「もはや、私からの説明はいらないね。なにしろ、今の2人の話の中に必要な説明が含まれていた。では、私の机からそれぞれ薬瓶を一本ずつ取っていきなさい。授業が終わるまでに、その瓶に入っている毒薬に対する解毒剤を調合すること」

 

 その合図で、生徒たちが行動開始。席を立って、スラグホーンの机から薬瓶を受け取っていく。

 

「誰か大切な人がそれを飲んだと仮定してみることだよ。その人を助けるためには解毒剤が必要だ。頑張りなさい。保護手袋を忘れないようにね」

 

 それぞれの作業用テーブルで、まずは複合毒薬の分離作業が始まる。この段階となれば、アルテシアの役目は各テーブルを見回って助言していくこと。だがまずは、スラグホーンのもとへ。

 

「先生、どの程度までのアドバイスはしてもいいのでしょうか」

「明らかな間違いには助言すべきだが、見守ることも必要だよ。手を出すのは簡単だが、まずはやらせてみなければね。そして、生徒それぞれの実力を判断する」

「先ほど、ハリーがお母さんの才能を受け継いでいるとおっしゃっておられましたけど。そのリリーさんですが、そんなにすごかったんですか」

「そうだとも。そしてその技能を、キミも受け継いでいるはずだ。キミはお母さんに習ったと言ったそうだが、そのお母上とリリー・エバンズとの関わりを思えば答えは明らかだ」

 

 そのリリーから手紙を受け取ったことがあるのだと、スラグホーンは話して聞かせた。アルテシアの母親のことを相談する内容であったという。

 

「その手紙、先生はお持ちですか?」

「もちろんだとも。私の大切なモノだからね」

「それを見せていただくことは、できますか?」

「ん? ああ、見たいかね。見たいだろうな。だがまあ、プライベートな部分もあるからね。さて、どうしたものか。ところで先ほど、ミスター・マルフォイがフェリックスがどうとか叫んでいたが、あれはどういうことかね?」

 

 その気があるのかないのか。うまくはぐらかされたようなものだが、母のマーニャがリリーより魔法薬学の知識を得たことは、アルテシアのなかですでに事実として承知されている。その手紙を確認できないからといって、それを疑う理由にはならない。

 

「あれは」

 

 話してよいものか。そう言えばスラグホーンは、フェリックス・フェリシスを煎じることができるはずなのだ。ドラコの話では、そういうことになる。そのことがアルテシアの脳裏をよぎっていく。すでにあの計画は放棄し煎じることも断念しているのだが、学べるものなら学びたい。

 

「フェリックス・フェリシスという魔法薬を煎じようとしたことがあったんです。いろいろと調べてもみましたが、基本レシピも使用する薬剤もわかりませんでした」

「おやおや、そうだったのかね。同じことをリリーの手紙で尋ねられたことがあったが」

「先ほどの手紙で、ということですか」

「そうだとも。何度か手紙をやりとりするうちにということだが、あれはかなりの期間を要するのでね。察するにリリーとキミのお母さんには、あまり時間がなかった。そう感じられたので、手持ちのフェリックスを送ったが、さて、どうなったやら」

 

 教室内では混合毒薬の解毒剤を作る作業が続けられているが、教師たち2人は、今のところ目を向けているだけ。そうしながら、小声で話をしている。

 

「母は、わたしが5歳のときに亡くなりました。そのフェリックスがどう役に立ったのかは分かりませんけど」

「5歳かね。ふむ、だとすれば」

 

 頭の中で、どんなことを考えたのか。少しずつだが、その顔に笑みが浮かんでいく。

 

「なるほど。これは想像でしかないが、あのときのフェリックスは、まさに大きな仕事をしたようだ。我が愛しのフェリックスは立派に役に立ったのだよ。実に誇らしい気分だ」

「あの、どういうことでしょう」

 

 リリーとマーニャ、そのどちらもが亡くなっている今、当時のことを知るのはスラグホーンのみだ。アルテシアは、さらに詳しい話を求めた。

 

「あのフェリックスがどのように使われ、どのような役に立ったのかは知らない。あるいは、まったく無用であったのかもしれないが、マーニャさんが望んでいた2つのことが叶ったという事実は残る。それで十分だと私は思っているよ」

「母の2つの望み、ですか」

「キミという娘を産み、そして育てること。その願いが叶ったことは間違いない。なにしろキミがここにいるのだからね」

 

 そしてスラグホーンは、自分の机の上に1本だけ残っていた薬瓶を手に取った。

 

「お嬢さん、腕試しといこうじゃないか。キミもやってみてはどうだね?」

 

 その薬瓶を、アルテシアへと手渡す。その表情を見るに、最初からそのつもりだったようだ。

 

「まだまだ時間はある。キミの実力を生徒たちに示すのだよ。必要なことだと思うがね」

 

 まさか、こうして課題をやらされることになろうとは。さすがにそれは予想外。だがアルテシアは、すぐに笑顔を見せた。

 

「わかりました、やってみます」

「そうしなさい。その机に置いてある物は、どれでも使ってもらって構わない」

 

 そこでスラグホーンは、生徒たちのテーブルの見回りへと向かった。だがアルテシアの様子も、しっかりと見ているはず。

 そのアルテシアは、薬瓶のコルク栓を抜くと、ピンク色をした毒薬を大鍋へと移す。そこまでは他の生徒たちと同じだが、誰もがしたように鍋の下で火を焚いたりはしなかった。ただ薬液を指さし、左から右へとすっと動かしただけ。

 その結果、なのだろう。液面がピクリと動き始め、大鍋の左縁の側から幅5センチほどの板状のものが顔を出した。厚さは数ミリ程度のもので、それがするするとアーチ状に延びていき大鍋の右側へと着地。混合毒薬の液面に、あたかも橋が架かったようなものだ。

 そこで、アルテシアが小さくうなずいた。すると、その薬液でできた橋が光り始める。橋の左側が次第に黒ずんでいき、そこから出た一筋の赤い色が橋を登っていき、黄色や青などの色も次々と橋を登っていく。それらは渦巻きながら橋の中を行ったり来たりしているが、橋の右側から再び薬液の中へと戻っていくこともある。

 おそらくは、それぞれの色が混合毒薬のそれぞれの成分であるのだろう。橋の上の色の塊が大きくなるとともに、大鍋の薬液が減っていく。

 いつのまにかアルテシアの後ろに来ていたスラグホーンが、その色とりどりとなった大鍋を見つめていた。

 

 

  ※

 

 

「さあて、時間だ。成果を見せてもらおうか」

 

 それがすなわち、作業終了の合図である。スラグホーンが、ゆっくりと生徒たちのテーブルを回り始める。とりあえずアルテシアは、その後に続く。

 あいにく、課題を完成させた生徒は誰もいなかった。ハーマイオニーですら、時間切れで未完成。ロンのほうは、完全な失敗。スラグホーンは、顔をしかめてハリーのほうへ。

 

「キミの番だよ、ハリー。さて、見せてもらおうかな」

 

 そのハリーは、無言のまま右手を差し出した。そして、ゆっくりと開く。その手のひらに載っていたのは、ベゾアール石。

 スラグホーンもだが、アルテシアも驚きの表情で、そのしなびた茶色の石を見つめた。

 

「いや、これは驚いた。まったくいい度胸だ」

 

 すっと手を伸ばしたスラグホーンが、その石を手にとり、クラス中に見えるように掲げた。

 

「諸君、いまハリーが私に示したこの石、これがなんだかわかる生徒はいるかね?」

 

 問いかけは全員に対してだが、スラグホーンが目を向けたのはハーマイオニー。いつものクセなのだろう。そのハーマイオニーは、アルテシアを見ていた。

 

「ベゾアール石だ。なるほどこの石は、課題とした混合毒薬の解毒剤となり得るものだが、さてさて」

 

 珍しくハーマイオニーが答えなかったので、スラグホーンは自分で答えを言いつつアルテシアへと視線を移動させる。

 

「どうしたもんだろう、お嬢さん。キミならどうするかね?」

「わたしですか、わたしなら」

 

 チラリと見たのは、ハーマイオニーの大鍋。もう少しといったところだが、まだ完成してはいない。これでは、仕方がない。

 

「その石で、あの毒薬を飲んだ人を助けることができます。緊急の際には有効ですが、でも今日の授業の目的からすれば」

「ああ、たしかにね。授業の最初に、キミは言った。魔法毒薬を正確に見極めることから始まるのだと」

「魔法薬学の授業です。その点からすれば、すべての毒薬を分離したのち解毒剤の調合を始めたハーマイオニーが」

「ああ、そのとおり。ここでは解毒剤の調合をするべきだし、私もそれを期待した。だがしかし、これも魔法薬作りに必要な個性的創造力というもの。どうしてこれを、落第にするなどできようか。そういうことだよ、ハリー」

 

 まったく見事だと、スラグホーンは上機嫌である。だがアルテシアには、疑問が残った。ハリーの作業テーブルを見る限り、特に何かをやったようには見えないのだ。大鍋に薬液を入れてはあるが、毒薬の見極めをしていたとは思えない。スラグホーンが言うようにハリーが魔法薬作りにおいてとても優秀であるのなら、解毒剤の調合をしているはずなのに。

 だがハリーは、そうしなかった。解毒剤の調合ではなくベゾアール石を選択したのはなぜなのか。

 アルテシアの知る限り、ハリーはずっとスネイプから高圧的な接し方をされていた。そのスネイプが担当から外れたことで畏縮することなく実力が発揮できるようになり、それがハリーに対するスラグホーンの高評価へとつながったのだろうと思っていた。だがそれは、違うのかもしれない。

 

「これで授業は終わりだが、最後に諸君らにお願いがある」

 

 スラグホーンの声がして、アルテシアはこれ以上考えるのはやめることにした。ベゾアール石のことはともかく、ハリーがスラグホーンの授業で高評価を得てきたのは事実なのだから。

 

「誰しもが、このお嬢さんと話したいことがあるだろう。だがね、今は遠慮してもらいたいのだよ。今日の授業について、これから私たちは打ち合わせがある。それを先にさせてもらいたいのでね」

 

 そう言って、生徒たちに教室を出るようにうながす。ロンやハーマイオニーたちも、鞄を手に教室を出て行く。だがハリーは、何を手間取っているのか、最後の一人となっても教室を出ようとはしなかった。

 

「どうしたのだね、ハリー。私たちに少しばかりの時間をくれるようにとお願いしたと思うのだが」

「先生、実は、先生にお伺いしたいことがあるんです」

 

 質問、ということであれば断るのは難しい。スラグホーンは、軽くため息をついた。

 

「いいとも。それじゃ遠慮なく聞きなさい、ハリー、遠慮なく」

「先生、あの、ご存知でしょうか。知りたいのは分霊箱のことなんです」

「なんだって、今、何が知りたいといったのかね?」

「分霊箱です、先生。ぼく、そう言いました」

 

 そのことにスラグホーンは驚いたようだが、それはアルテシアも同じだ。分霊箱についていくらかの知識があるアルテシアだが、ここで言ってもいいのかどうか。だがスラグホーンが、いつもとは声の調子を変えて、すぐさま答えた。

 

「分霊箱については、数十年前、やはり生徒から尋ねられたことがある。その時と同じ答えでいいかね、ハリー」

「も、もちろんです。ヴォル、あ、いえ、それはトム・リドルという生徒ですよね」

「ああ、なるほど。これはダンブルドアの差し金というわけか。つまりキミは、あれを見たわけだ。であればハリー、わざわざ答えるまでもない。すでにキミは、ちゃんと知っているということになる」

「ですが先生。あの記憶には、少し足りないところがあるように思うのですが」

 

 話の持っていき方を間違えた、とハリーは思っていた。つまりは、失敗したのだと。これではスラグホーンは、本当のことはしゃべらないだろう。ダンブルドアはアルテシアと協力しろと言ったが、だからといって、アルテシアのいるこの場で言い出すべきじゃなかったのだ。

 

「いやいや、ハリー。あれがすべてなのだよ。さあ、もうお帰り。私たちには、大事な打ち合わせがあるのだからね」

 

 これ以上はムリだと思ったハリーは、おとなしく地下牢教室を出ていくことにした。だがハリーには、これであきらめるという選択肢はない。なにか別の作戦を考えることになるだろう。

 

 

  ※

 

 

 地下牢教室で、アルテシアはスラグホーンと一緒にいた。なにやら打ち合わせがあるとのことなので、それが終わらぬうちは、職員室には戻れない。友人たちに会いに行くことはもちろん帰宅することも。

 

「あの、スラグホーン先生」

「ん? ああ、すまないね。お見苦しいところをお見せしてしまったかな」

 

 さきほどまでの上機嫌はどこへやら。ずいぶんと顔色が悪くなったようだ。それでもスラグホーンは、笑顔を浮かべ自分の机へと歩いていく。アルテシアも、その後に続く。机の上には、アルテシアが調合した解毒剤がそのままになっていた。

 

「結局のところ、解毒剤を完成させたのはお嬢さんだけだった。そのやり方について議論したかったのだが、申し訳ない。明日のこととさせてもらってもよいかね?」

「ええと、大丈夫ですか。医務室までお送りしましょうか」

「いやいや、そんな必要はない。ただ少し、休憩が必要なだけだよ」

 

 おそらくは、ハリーの言った分霊箱のことが気になっているのだろう。アルテシアがそう思ったとき、別の声が教室に響いた。

 

「ではスラグホーン先生、その娘をお借りしてもよろしいですかな」

 

 いつからそこにいたのか。相変わらずの黒いマントと、無表情。スネイプがそこに立っていた。

 

 

  ※

 

 

 スネイプの研究室へと、アルテシアは連れてこられていた。担当教科の変わったスネイプだが、この部屋は相変わらずスネイプのものであるようだ。

 何度か訪れたことのある部屋でもあり、アルテシアはそのときと同じ場所に置かれていた椅子へと座るように指示される。スネイプは立ったままだ。

 

「おまえを連れてきたのは、ただ、確認しておきたかったからだ。そう、いやそうな顔をするな」

「そんな顔、してませんけど。でも確認って、何をですか」

「それは、おまえが気にする必要のないものだ。吾輩が勝手に決め、勝手に進めるだけのこと。おまえはただ、吾輩の質問に答えるだけでよい。わかったな」

「わかりました、スネイプ先生。でも、わたしからの話も聞いてくださいね」

「なんだと」

 

 その笑顔を、スネイプはどう見たのか。何を言おうというのか、予想はしただろうか。アルテシアは、普段通りの表情を浮かべスネイプの質問を待った。

 

 

  ※

 

 

「パチルさんたちは、アルテシアさまに会いましたか? あたし、スネイプ先生と一緒のところ見ましたけど」

 

 ソフィアだが、放課後のいつもの空き教室には、パチル姉妹の姿もあった。

 

「スネイプ先生? へぇ、じゃあアルの担当は防衛術なのかな」

「かもね。元々が闇祓い局の講師なんだし、きっとそうだよ」

 

 実際は魔法薬学なのだが、2人ともまだ、その事実を知らない。ソフィアにしても、ただ見かけただけで話まではしていないのだ。

 

「そうだといいなぁ。それならあたしたち、アルの授業を受けることができる」

「けど、アルテシアはどうなるのかな」

「どうって何が?」

「授業が終わったら、クリミアーナ家に帰るのかな。それともホグワーツ? 寮に住むの?」

「ああ、それはたぶん」

 

 クリミアーナ家から通うのか、それとも寮で寝泊まりするのか。パドマと同じく、パーバティもそのことは知らなかった。だが、予想はできる。

 

「多分だけど、マクゴナガル先生のとこかなって思う。あれで一応先生だから、生徒と同じ部屋にはしないでしょ」

 

 とはいえ、クリミアーナ家から通うという可能性は十分にあるとパーバティは思っている。表向きにはマクゴナガルの部屋だとしておけば、それは十分に可能となる。

 

「じゃあ、夕食は大広間ってことになるよね。こっちのほうは、生徒用のテーブルでもいいんじゃないかなぁ」

「毎日、各寮のテーブルをまわるとか、そういうことにしてほしいな。レイブンクローのテーブルに来たら大歓迎されると思うよ」

 

 さて、実際にはどうなるのか。放課後には、空き教室に顔を出せるようになるのかどうか。それはまだ分からないが、当の本人であるアルテシアは、スネイプの前にいた。

 

 

  ※

 

 

「スネイプ先生がデス・イーターだったことは聞いています。騎士団のことも、マクゴナガル先生が話してくださいました」

「それを否定はしないが、おまえの話とはそのことか」

「はい。不死鳥の騎士団は、例のあの人への抵抗組織なのだそうですね。それと、今日までにわたしが見聞きしたことを考え合わせてみた結果について、です」

 

 スネイプの研究室での話は、ようやくはじまったばかり。アルテシアにも話したいことがあるとわかったスネイプは、自分のことは後回しとして、アルテシアに先に話すようにと指示をした。だがアルテシアも容易には受け入れず、どちらが先とするかでいくらかの押し問答が続いたからだ。

 

「とりあえずレポートにまとめてみました。先日、クリミアーナ家で提出した5枚のレポートの続き、のようなものです」

「ほう、あれの続きを書いたというのか」

「いいえ、先生。のようなもの、です」

 

 そして、巾着袋に手を入れ、数枚の羊皮紙を取り出す。

 

「もしかするとスネイプ先生は、両方ともに所属なさっているのではないかと考えました。おそらくは例のあの人とは定期的に会う機会があり、ダンブルドア校長ともさまざま打ち合わせておいでなのですよね?」

「なるほど。だが聞かねばなるまい。そう判断した理由はなんだ」

 

 アルテシアは、取り出した羊皮紙をスネイプの前に置いた。だがスネイプはそれを手に取ることはせず、じっとアルテシアを見ている。

 

「わたしの友人に、ティアラという魔女がいます。例のあの人のことなど、いろいろと外回りで調べてくれているのですが」

「それが、なんだと言うのだ」

「これまでに数回、あの人がいるのではと目を付けた場所でスネイプ先生を見かけたことがあるそうです。それからドラコのことです。先生は、ドラコがあの人になにやら命じられたことをご存じなのですよね」

「そして騎士団でのことはマクゴナガル先生から聞いている、そういうことだな」

 

 アルテシアが、ゆっくりとうなずいた。スネイプのほうは、ほとんど表情が変わってない。いつもの無表情だとも言えるが、どこか力の抜けた柔らかさといったものもうかがえる。

 

「わたしの想像ですけど、先生は校長先生の指示であの人と会っているのではありませんか。もしかするとそれは、とても危険だと思うのですけど」

「仮にそうだとして、それが何だというのだ。おまえには関係あるまい。ああ、そうか。知り合いなら会わせろとでも言うつもりか。ばかものめ、そんなことができると思うのか」

 

 いわゆるスパイ行為の危険性、アルテシアはそのことを指摘したのである。だがスネイプは、それを否定した格好だ。知り合いなら会わせろという部分は、単に付け足しただけだとアルテシアは判断。

 

「もし事情を話していただけるのなら、お力になります。いずれにしろわたしは、あの人とは会いますよ。そうすべき事情が、クリミアーナ家にはあるからです」

「その話は聞いている。すなわち、どう説得しようともおまえが諦めることはない、ということでいいのか」

「はい。すみません、先生」

「わかった。では、正直に言おう。吾輩はいつしか、おまえならばと思い始めていた。おまえは今、力になると言ったな。その同じ言葉を吾輩からもおまえに贈ろう」

「先生、それって」

 

 それは、スパイ行為をやめるということなのか。それとも、ヴォルデモート卿に会わせてくれるということになるのか。スネイプは、そこでアルテシアが書いたという数枚の羊皮紙を手に取った。そして、文字を目で追っていく。

 

「ミス・クリミアーナ。いや、アルテシアと呼ばせてもらうが、おまえは、本当に闇の帝王をなんとかできると思っているのか。ダンブルドアですら難しいことなのだぞ。近ごろ、そのためにポッターとなにやら画策しているが、おまえにそれができるのか」

 

 マクゴナガルから『頑張ればなんとかなると簡単に考えてはいないか』と言われたことがある。もちろん、簡単なことではない。でもアルテシアは、できると思っている。大切な友人たちがすぐそばにいると感じていられる限り、できないことなどないのだと。

 

「もちろんです、先生。できます」

 

 いつもそうだが、このときもアルテシアは笑顔であった。その笑顔を前にしてスネイプは、長期にわたって自分の心を悩ませていた問題に結論を出し、心を決めることとなる。

 



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第115話 「スネイプの行き先」

 土曜日の朝食後である。大広間は片付けられ、各寮の寮監である4人と魔法省から派遣された『姿現わし』の指導官である小柄な魔法使いとが、そこに集まった生徒たちの前に立っていた。

 申し込みを済ませた6年生たちへの、第1回の『姿現わし』練習が行われるのである。

 

「みなさん、おはよう。私はウィルキー・トワイクロスです。これから12週のあいだ、皆さんに『姿現わし』を指導し、全員が『姿現わし』の試験に合格できるようにしていくつもりです」

 

 指導官のあいさつの間も、生徒たちの中では、ヒソヒソ話が絶えない。マクゴナガルが一喝し、ようやく静かとなる。トワイクロスの話が続く。

 

「知ってのとおり、ホグワーツ内では通常『姿現わし』も『姿くらまし』もできませんが、それではこの講習が成り立たない。よって特別措置を講じておりますのでご安心を」

 

 まずは全員が、それぞれ間隔を開けて並ぶことからはじまった。そしてトワイクロスが杖を振ると、全員の前に木の輪っかが現れた。

 

「よろしいかな、皆さん。『姿現わし』で覚えておかなければならない大切なことは3つの『D』。まずはどこへ行きたいか、しっかり思い定めること。今回は、この輪っかの中ですぞ。その他はダメです。よろしいか、『どこへ』に集中してください」

 

 そして第2のステップとして『どうしても』。トワイクロスによれば、どうしてもそこに行きたいという決意を目的の空間に集中させる必要があるようだ。第3のステップは、回転。その中に入り込む感覚で『どういう意図』でその場へ行くのかを考えながら動くとよいらしい。

 

「では、皆さん。やってみましょう。輪っかの中へ、ですぞ。さあ集中して。いち、に、さんの号令に合わせて。では、いち、にぃ、さん!」

 

 いきなりの『姿現わし』要求に、誰もがとまどったのか成功した者はいなかった。もう一度やっても同じだった。

 

「よいよい、最初からできるとは思ってないからね。なにしろ12週の予定だ。そんなに慌てないで、といったところだろう」

 

 そして、3回目の挑戦。誰もがそう思ったが、トワイクロスは見本を見てもらおうと言い出した。

 

「皆さんにとっては、とてもいい経験となるでしょう。この『姿現わし』は必見ですぞ」

 

 そして、なにかしら合図を送る。それをどこかで見ていたのだろう。トワイクロスの前にある輪っかの中に現れたのは、なんとアルテシア。一応、ボンッという特有の音はしたのだが、この場合、本当に姿現わしだったのかどうかは疑わしい。だがトワイクロスは、いまのを見本として忘れずにいるようと生徒たちに告げた。

 

「彼女も私と同じく魔法省派遣ですが、私と違ってホグワーツの常勤です。だから、いつでも『姿現わし』の極意を聞くことができるという訳です。なにしろこのお嬢さんは、ものの1時間で『姿現わし』を習得していますからね。その秘訣を聞くといいと思って、今日は特別に来てもらい、実演してもらったという訳です」

 

 どうやらアルテシアは、事前に魔法省より『姿現わし』の講習を受けていたらしい。となるとあれは、転送ではなくちゃんとした『姿現わし』だったのか。

 

「今日のところはここまで。我々はまた次の土曜日にということになりますが、先ほども言ったようにこのお嬢さんは残るのです。可能な範囲で話を聞いておけばきっと役立ちますよ」

 

 杖を一振りして輪っかを消し、トワイクロスが教師陣に付き添われて大広間を出ていった。するとたちまち、アルテシアのまわりに人だかりができていく。もしかすると『姿現わし』のことだけではなく、退学処分のことや講師としての復帰のことなども聞いてみたくて集まっているのかもしれない。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアがホグワーツの講師となって、1カ月が過ぎた。すでに周囲の状況も落ち着きをみせており、いつしか、そこにアルテシアがいることが普通のことになってきていた。

 そのアルテシア本人だが、いろいろとやることが増えてしまったためもあり、忙しくなっていた。クリミアーナ家にいるときであればゆっくりと散歩ができたし、じっくりと考える時間もあった。だがホグワーツでは、魔法薬学の授業がある。助手であるがゆえに授業前の準備などにも手を取られるし、スラグホーンではなくアルテシアに質問してくる生徒も少なからずいるため、なにかと大変なのだ。

 だけど。

 ホグワーツにいるからこそ、できることもある。アルテシアは、授業と並行しつつそちらのほうも進めていた。

 まずは灰色のレディ、ヘレナ・レイブンクローのことだ。ヘレナは何か知っていて、それをアルテシアに話す機会をうかがっていたはず。それで間違いないため、どうしてもヘレナと会わねばならなかった。

 だがヘレナは、再会してもその話をしなかった。パーバティと約束したからというのがその理由で、学校にいられることになったのだから、あわてなくてもいいじゃないかと言うのだ。これには、アルテシアも苦笑するしかなかったが、いずれその日はやってくる。ちなみにパーバティとは、学校内に生徒がいなくなる学年末から新学期にかけての休みの期間に、という話になっていた。

 次に、アルテシアが独自にやろうとしている勉強会。まだ準備中といったところだが、日曜日の10時から防衛術の教室を借りて行うことが計画されている。いまのところ、参加希望者は10人にも満たない数だ。もっといても良さそうなものだが、アルテシアの魔法のノートを持つ人を中心に意向を聞いただけなので、そんな程度なのは仕方がない。そもそも魔法のノートは、まだ8冊しか配っていないし、そのうち2冊はスネイプとマダム・ポンフリーなのだ。

 そして、ドラコのこと。

 ドラコがいわゆるネックレス事件の犯人であり、ダンブルドアの殺害とともにホグワーツへの侵入経路の確保を命令されていることは承知している。ドラコによれば学年末まで猶予があるらしいのだが、早急になんとかする必要がある。手っ取り早いのは、ヴォルデモートとの直接交渉だ。今のところアルテシアは、その方法を考えている。居場所については、そのうちティアラから報告が来ることになっていた。

 

 

  ※

 

 

「間違いなく、昼間に起きた事件のことでしょうな。吾輩もそうでしたから」

 

 その事件後から数時間。夕方になってから、ダンブルドアより校長室へ来るようにとの指示が、スネイプを介してマクゴナガルに届けられた。これから向かうことになるが、スネイプはマクゴナガルに伝えに来ただけであり、すでにダンブルドアとは話を済ませているという。

 

「関係した生徒がすべてグリフィンドールですからね。当然のことだと思いますよ」

「あの娘がいないときに事件が起こった、それはどうです? これも偶然なのですかな」

「ええ、偶然だと思いますね」

 

 その事件とは、つまりこういうことになる。ロミルダ・ペインという女子生徒が、ハリー・ポッターに思いを寄せるあまり惚れ薬入りのチョコレートをプレゼントしたのだが、惚れ薬のことに気づいていたハリーは食べずに置きっぱなしにしていた。それを、ロンが食べてしまったのである。

 惚れ薬の影響が出始めたロンの扱いに困ったハリーは、ロンを引き連れスラグホーンのもとに駆け込んだ。さすがにスラグホーンである。すぐに惚れ薬の解毒剤を用意し、ロンに飲ませて一件落着。ちょうどロンの誕生日の朝であったこともあり、その祝いとして乾杯しようという話になった。

 そして飲んだのが、スラグホーンの手持ちの飲み物のなかにあった蜂蜜酒という訳だ。真っ先に飲んだロンの容態が急変し、とっさにハリーがベゾアール石をロンの口に突っ込み、最悪の事態は回避された。スラグホーンの部屋であり、スラグホーンの持ち物の中にベゾアール石があったこと、それをハリーが素早く見つけられたことなど、いくつもの幸運が重なっての結果である。

 

「だがいずれ、あの娘もこの話を耳にすることになる。そのとき、事態は動くことになりますかな」

「さあ、どうなりますか。わたしはむしろ、あの子が魔法省に出入りせねばならないことのほうが心配なのですけどね」

「ほう。それはつまり、あのお方の存在があるからですかな。しかし当然、あの娘も承知しているはず。いまさらではないですかな」

 

 校長室へ行かねばならない。なのでマクゴナガルは席を立っているのだが、スネイプの話は終わらず、マクゴナガルも返事をすることになる。スネイプのいうあのお方とは誰のことなのか。魔法省にいる人物であるようだが、その名前が出てこないのは、それが誰のことを指しているのか互いに了解しているからだろう。

 

「この事件に、例のあの人が無関係であるはずはありません。つまりあのお方は、事件とは無関係。ですけれど」

「あの娘が誤解をしてしまう、というのですかな。それほどあほうだとは思いませんが」

「そのようなことを心配しているのではありません。気になるのは、あの子が魔法省に不審を抱くこと。その可能性です」

「ほう」

「魔法省の依頼だからこそ、アルテシアは引き受けたのです。あの子にとって魔法省は、いわば魔法界。その魔法界の最高責任者である人物からの依頼は、たとえばマグル生まれの魔女にホグワーツへの入学案内が届いたようなものですからね」

 

 そこで断ればどうなるのか。それは魔法界への招待状を破棄する行為に等しく、その入り口を閉ざす結果につながりかねない。そういう想いが、アルテシアのなかにはあるのだという。正確に何世代となるのかなど、わからない。だがかなりの長期にわたり、クリミアーナが魔法界から離れていたのは確かなのだ。

 

「確かに教師という仕事に興味を持ってはいるのです。ですが、今回のような形での講師などを望んではいません」

「そういえば、闇祓い局の見習いたちへの指導ということだったそうですな」

「ええ。ですがなぜか、派遣先はホグワーツ。仮にですよ、このことがその裏でなにやら計画されてのことだとしたら。それをアルテシアが知ったなら」

「しかし、ダンブルドアが申し入れたからこその結果なのでしょう。あの娘も、そのことは知っているのでは」

 

 もちろん、そうだ。だから、マクゴナガルもうなずいてみせた。だがマクゴナガルには、どうしても払拭できない疑念があるのだという。

 

「どこかにウソが紛れてはいないのか。都合良く利用しようとしているのではないか。もしそうなら、あの子が気づくより早く、それを知り対処する必要があります。もちろん杞憂であってくれれば、それがなによりなのですが」

 

 スネイプとの話も、これで一区切り。今度こそマクゴナガルは、自身の執務室を出た。

 

 

  ※

 

 

「何があったのか、スラグホーン先生からも話は聞いています。結果としてひどいことにならなくてよかった」

「そうじゃな。わしも、そう思うておる」

 

 校長室である。他には誰もいない。校長室には歴代校長の肖像画という目と耳があるが、今はそれを気にする必要はない。

 

「どうやら原因は、オーク樽長期熟成の蜂蜜酒にあったようでの。スラグホーンは、それをこのわしへのプレゼントとするために手に入れたと言うておったが」

「それは三本の箒のもの、ですか。マダム・ロスメルタの」

 

 ダンブルドアが、ゆっくりとうなずく。スラグホーンの証言により、それは明らかなのだ。

 

「そこへ何者かが毒物を仕込んだ、ということになる。犯人の目的は、おそらくはネックレス事件と同じじゃろうと思う」

「では、またも失敗したということですね。それは、お目当ての人物へは届かなかった」

「仮に届いておれば。わしの好物じゃからして、今ここで、こうして話などしていなかったかもしれんのう」

 

 そう言い笑ってみせたが、もちろん笑えない冗談だ。仮にそうなっていたら、ホグワーツのみならず、魔法界に緊張が走っていただろう。

 

「犯人捜しをされるのですか」

「いいや。それなりの目星はついておるゆえ、必要はなかろうと思う」

「ドラコ・マルフォイではない、とわたしは考えていますが」

「ふむ。たしかに実行犯は変わったのかもしれんのう。じゃが、元は同じであろ」

 

 ネックレス事件を仕掛けたのはドラコだ。このことはダンブルドアも承知しているが、あえてそれは放置したままとしている。そして、今回の事件が起こったのだ。

 

「アルテシア嬢は、何か言っておらなんだかの。きっと何か、知っておるはずじゃと思うが」

「この事件のことは、まだ知らないはずです。今日は、朝からトンクスと出かけていますから」

「そう言えば、週末はホグワーツ不在であったか。なんとも忙しいことじゃの」

 

 毎週土曜日、闇祓い局においてアルテシアは、闇祓いになろうとする者への指導を担当している。なぜか自由参加とされているため出席率は低いのだが、参加している者に対してはおおむね好評なのである。また、キングズリー・シャックルボルトなどの正式な闇祓いも顔を見せるなどしている。

 

「犯人の目星はついたにせよ、今回も見逃されるのですか。それではいつまでも解決しないのでは」

「心配はいらんよ。解決のめどもつけてある。スネイプ先生の手を煩わせることにはなるが、なんとかなるじゃろう」

 

 つまり、そのための打ち合わせはすでに終わっているのだ。そういうことになると、マクゴナガルは思った。だが、その内容を伝えるために呼ばれたのではないのだろうとも、思っている。もしそうなら、スネイプと一緒に校長室に呼ばれていたはず。つまり、別の用事があるということだ。

 

「わたしには、何をしろとおっしゃるのですか」

「もちろん、アルテシア嬢のことじゃよ。あのお嬢さんは、いまだにヴォルデモート卿に会いたいと考えておるようじゃの」

「ええ。ですがこれは、仕方のないことです。あの子の場合、そうするだけの理由が」

「ミネルバ。どんな理由があるにせよ、とても危険なことだと思わんかね。あのお嬢さんをヴォルデモート卿に差し出すようなものじゃろう」

 

 そのとき、アルテシアの身に危険が及ぶ可能性、そしてヴォルデモートの側に寝返ってしまう危険性とがあると、ダンブルドアが指摘する。この2つのリスクを避けるためにも、ヴォルデモートに会わせるべきではないのだと。

 

「あなたが説得するべきだと思うがの。あのお嬢さんを手放すようなことをしたくはないじゃろう」

「ええ、それはもちろん。ですが、ダンブルドア。わたしは会わせるべきだと、そう考えているのですが」

「まさか、本気で言うておるのではあるまいの。いったい、どういうことじゃね」

「あの子にとって必要なことだと、そう思っているからです。避けては通ることなどできないのです」

 

 その意味がわかったのかどうか。ダンブルドアは、軽く頭を振ってみせた。

 

「ともあれ、よく考えてみてはどうかの。この先、闇の陣営との対立は激しくなろう。まさに、ヴォルデモート卿を避けては通れぬ状況になる。わしは、ハリーとお嬢さんとの協力が必要じゃと思うておる。万が一にも、あのお嬢さんを奪われるわけにはいかぬ」

「それはつまり、アルテシアがデス・イーターになってしまうと? そんなことはありえませんよ」

「じゃが、可能性としてはあるじゃろう。闇の魔法にも興味を持っていたはず。ヴォルデモート卿に説得されてしまうやもしれん」

「可能性としてはそうかもしれません。ですが、例のあの人に加担する、すなわちデス・イーターになるなど考えられません。あり得ないと言ってよいと思いますけど」

 

 だが、ダンブルドアはそれで納得はしなかった。さらに懸念すべき点を挙げていく。

 

「うまく言いくるめられ、従わされるかもしれん。アンブリッジ女史によって、まさにそういう状況に陥ったことがあるからの」

「前例がある、というわけですか。たしかにあのお方は面倒な存在ですが、その名前を出すのであれば、他にもっと心配すべきことがあります」

「ほう。なんじゃね、それは」

「アルテシアが、魔法省を見限ることです。そうなってしまったなら、どうしようもありません。また500年ほども待つことになるのかもしれませんよ」

「待ちなされ、それはどういうことかの?」

 

 今回の、アルテシア講師就任に関して。マクゴナガルは、自らが気になっている点を告げた。アルテシアをだまし、都合良く利用しようとする部分があるのかないのか。仮にそれをアルテシアが納得しなかった場合、どういうことになるか。

 

「どうなるというのかね?」

「ただ、クリミアーナに戻ってしまうだけでは済まないという可能性があります」

 

 可能性という言葉を使ったのは、わざとだろう。おそらくは、さきほどのダンブルドアを真似て皮肉ってみせただけのこと。可能性ということを言い出せば、なんであれ、どんなことであれ、あり得るのだから。

 

「この頃、ようやく分かってきたような気がするのです。あの子から笑顔を奪うようなことはしてはならないのです。誰だって、あの子に忘れられたくはないでしょうから」

「ほう、それはまた」

「今はまだ、ホグワーツに友人たちがいますからね。そう、ひどいことにはならないとは思うのですけれど」

 

 そこでマクゴナガルは、席を立った。ダンブルドアも、あえて引き止めることはしなかった。

 

 

  ※

 

 

 セブルス・スネイプが姿現わしをした場所は、リトル・ハングルトンの小高い丘。どうやら目的地は、そこから少し離れた場所に建つ古ぼけた屋敷であるらしい。この村の人たちから『リドルの館』と呼ばれていたその屋敷へと、スネイプがゆっくりと歩いていく。

 なぜ、スネイプがこんな場所へと来たのか。その屋敷に、どんな用があるのか。

 その屋敷の中では、ヴォルデモート卿と数人のデス・イーターたちが広間に集まり、話をしていた。そこへスネイプは、堂々と入っていった。

 

「来たか、セブルス。ここへ座れ。隣へ来い」

「はい」

 

 指示したのは、ヴォルデモートだ。その右隣の席に、スネイプが座った。

 

「閣下、蜂蜜酒による毒殺は失敗したと、そうご報告せねばならぬのを残念に思っております」

「気にするな。成功するなどとは思っておらん。所詮は、子どもの考えたことだ。そんな程度だろう」

「はっ」

 

 どうやらスネイプは、騒動の結果を報告しに来たらしい。部屋にはデス・イーターたちの姿もあるが、誰も口を挟もうとはしない。

 

「おまえの提言を受けてルシウスのせがれを任務から外したが、後任の者も、たいしたことはできぬようだな」

 

 そう言ってヴォルデモートは、デス・イーターたちへと目を向けた。そのなかの一人が、慌てたように声を上げた。

 

「わ、わが君、しかし、もう1つの任務のほうは目処がたったと聞いております」

「ほう、ホグワーツへの侵入経路が見つかったと言うのか」

「はい。一人ずつとなりますが、確実に姿現わしができると」

「朗報だな。だが、もっとよく確かめるのだ。その後、改めて詳細を報告せよ」

「はっ」

 

 ニヤリと笑みをみせたあとで、ヴォルデモートはまたもスネイプへと顔を向けた。

 

「セブルス、どうやらおまえの提言が功を奏したようだな」

「はっ、なによりでございます」

「だがセブルス。このオレがおまえの提言を受け入れたのは、別のことを期待しておるからだぞ」

「わかっております。この件の効用もあり、すでに例の娘を言いくるめることには成功しております。いつでも閣下の前に」

 

 そのスネイプの言葉に、またもやヴォルデモートは、表情を緩めた。

 

「なんと。ルシウスのせがれに意外な使い道があったものだ。では間違いなく、あの娘をオレさまの前に連れてこられるのだな」

「そのとおりです、閣下」

「ダンブルドアに気づかれる可能性はどうなのだ」

「その心配はありません」

 

 スネイプがそう断言したところで、デス・イーターたちのなかの一人が立ち上がった。きつい目をした魔女だ。

 

「その女には、あたしも会わせてくれ。一度、勝負がしてみたいんだ」

「勝負だと」

「ああ、そうさ。決闘するんだ。徹底的にたたきのめしてやらないとね。なにしろその女は、あたしの杖に何かした。あのとき、おかしなことをしたはずなんだ。何をしたのかも白状させてやる」

「ああ、まことに残念なことだが」

 

 そのデス・イーターへの受け答えをしているのはスネイプだ。スネイプも立ち上がっている。

 

「吾輩から、そのようなことはしないほうがよいと、そう申し上げておこう」

「なんだと。どういう意味だ?」

「まず第一に、あの娘と対決しても勝てないということだ。ゆえに、たたきのめすことも、白状させることもできぬだろう」

「このあたしが、あんな小娘に負けるっていうのかい!」

 

 その、感情的な叫び声にも似た声に、スネイプはふふんと鼻で笑ってみせた。

 

「負けるでしょうな。本気になったあの娘には誰も勝てはしないのだ。吾輩はそう思っている」

「その考えが間違ってることを、あたしが証明しようじゃないか。いつだ。あの女はいつ来るんだ?」

 

 それを決めるのはヴォルデモートだ。誰もがそう思っているらしく、視線が集中する。その視線の先で、またもや笑みが浮かぶ。

 

「おまえでも負けるというのか、セブルス」

「実はホグワーツの授業で、生徒たちの前での模擬戦に、あの娘を引っ張り出したことがあるのです」

「模擬戦だと」

「敵と戦う、ということを実体験させるための授業で、生徒たちへの手本とするべく、わたしの相手をさせました」

「結果はどうだったのだ?」

「正直、苦労をさせられました。なにしろ魔法省より、闇祓いになろうというものへの指導を任させているほどですから」

 

 スネイプの授業では、パチル姉妹も、それぞれ模擬戦の相手をさせられている。ちなみにどちらも勝者はスネイプだ。

 

「その話なら聞いているが、あれはダンブルドアの策略であろう。ホグワーツに引き入れ、自身の手元に置くためだ。魔法省にしても、本気で闇祓いどもの育成を任せようなどとは考えておるまい」

「なるほど。ではあの娘、良いように利用されていると」

「そうだとも。このオレも、そうしてやるのだ。その価値を知らぬ者どもに使いこなせるはずがない。だがこのオレは違うのだ」

 

 いったいヴォルデモートは、何を知っているのか。その場にいる者たちにもそう思ったはずだ。デス・イーターたちの中から、そんな疑問の声が出た。

 

「わが君、どれほどの価値がその娘にあるのでしょうか。なにゆえ、その娘をわざわざ連れてこなければならぬのでしょうか?」

 

 そう言った男を、ヴォルデモートがジロリとにらんだ。

 

「よかろう、話してやるとしよう」

「ありがとうございます」

「若い頃のことだが、その分家に滞在したことがある。あの家の魔女は特殊な魔法を使うのだ。そのことに興味を持ち、それを身につけようと考えた。しばらく滞在し秘密を探った結果、知り得たこと。それが魔法書だ。あの家には、魔法書があるのだ」

 

 ヴォルデモートの言う分家とは、おそらくはルミアーナ家のことだろう。クリミアーナ家とのつながりを考え、分家と表現したものと思われる。すなわち本家は、クリミアーナ。

 そのルミアーナ家で、ヴォルデモートはクリミアーナの魔法を学ぼうとしたらしい。だが素直に教えを受け、地道に修行するといった手段は選ばなかった。その秘密を繰り、手っ取り早く盗み取る。そんなつもりで滞在を続けていたところ、魔法書の存在に気づいたというのだ。

 クリミアーナの魔法は、魔法書によってしか学べない。その全ては魔法書のなかにあり、それを読み取っていくしかないのだ。

 

「1年にも満たぬ滞在の間ではさほどの理解もできなかったが、全ての秘密は魔法書にあることは間違いない。それさえ分かれば、もうその家にいる必要はなかった」

「まさか、その魔法書を」

 

 そう言ったのは、スネイプ。ヴォルデモートは、静かにうなずいた。

 

「そのとおり。魔法書さえあれば、なんとでもなる。そう考え、頃合いを見計らって魔法書を持ち出したのだ。だが、見事に失敗した。魔法書はオレさまの元を去り、その家にはもう二度と行けなかった。そのような仕掛けがされていたことに、不覚にも気づかなかった」

 

 つまりヴォルデモートは、ルミアーナ家から魔法書を持ち出し、逃走したということになる。だが魔法書には、それが読まれる状況にない場合、元の書棚へと戻るという処置がされている。そのことを知らなかったため、夜に眠り、朝に目を覚ましたとき、魔法書は手元から消えていた。ならばと魔法書を取りに戻ろうとしたものの、今度はルミアーナ家を見失ったということになる。

 

「それ以来、ずっと忘れていたのだが、ホグワーツでその名を聞いたのだ。クリミアーナの名を。本家の娘の名を。おう、たしかその娘と決闘がしたいと言っていたな。やりたければやってみるがいい。だがあの魔法はやっかいだぞ」

 

 そして、スネイプを見る。スネイプは、静かにうなずいた。そして。

 

「その魔法を使ってはならぬと禁じておけばよろしいかと。あの娘は、そういったことは守ります。そういう性格をしておるのです」

「ほう。仮に自分の身が危うくなろうとも、約束を優先するというのか。よもや、そんなことはあるまい」

「かも知れません。ですが、閣下。実際にあの娘は、ホグワーツの教師とその約束をし、忠実に守っていたことがあるのです」

「いずれにせよ、実際に会ってからだ。魔法書のなんたるかも知らねばならん。本家の娘にどれほどの利用価値があるのかも知らねばならん。全てはそれからだ」

 

 話は終わり、ということか。スネイプやデス・イーターたちからも、何も言葉はなかった。

 



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第116話 「一時帰宅」

ご無沙汰しております、Syuka です。
気がつけば、これまでのストーリーをすっかり忘れてしまえるほどの時間が過ぎてしまってましたが、改めまして、完結目指し、ゆっくりとになるとは思いますが話を進めていきたいと思っています。
もしよければ、おつきあいくださいませ。


 ミネルバ・マクゴナガルは、急いでいた。行き先は、ホグズミード村の『三本の箒』。その店で待ち合わせをしている相手がいるのだが、約束の時間に間に合うかどうか微妙、といったところなのである。だがマクゴナガルとしては、遅刻という事態は絶対に避けたいところ。

 もちろんそれを回避する手段があることは、マクゴナガルにも分かっている。そんないくつかの手段のなかからマクゴナガルが選んだのは、歩く速度を上げるという方法。走るなどは論外。ただ歩調を、いつもに比べて速くしただけである。普段のマクゴナガルには似つかわしくないのだが、約束を守る、すなわち待ち合わせ時間に間に合うことを優先させたのだ。

 そしてなんとか、約束の時間ギリギリに『三本の箒』に足を踏み入れたマクゴナガルを、こんな言葉が出迎えた。

 

「ホグワーツとは無関係なのに、それでも会っていただけたことに感謝します」

 

 いつから、この店にいたのか。マクゴナガルの前へと立ち、そう言ったのはティアラだった。ティアラとマクゴナガルは、三大魔法学校対抗試合のときにボーバトン校長のマダム・マクシームから互いを紹介されたことはあるが、ほとんど初対面といってよい。なのにこの会談が実現したのは、アルテシアとの関係を、お互いに承知しているからだ。

 観葉植物の陰となり、入り口からは見えにくくなっている場所のテーブル席に、マクゴナガルとティアラは向き合って座った。

 

「かまいませんよ。あなたのことはアルテシアからも聞いていますし、必要な要件なのでしょうから」

「もちろんです。大切なことであるのは間違いないです。いったい先生が、このことをどう判断されるのか。気になるのはそこなんですけれど」

「ともあれ、話を聞きましょうか」

 

 ここでティアラとマクゴナガルとが会っていることを、アルテシアは知らない。ティアラはアルテシアには話していないし、マクゴナガルも同じである。

 

「お話ししたいのは、2つあります。ヴォルデモート卿のことと、あとは魔法省ですね」

「例のあの人はともかく、魔法省ですか。ちょっと予想外ですね」

「あら、そうですか。どちらかと言うと、気をつけるべきなのはこっちじゃないのかなって。そう思ってるんですけど」

「なるほど」

 

 その店でマクゴナガルが注文したのは、紅茶である。それがテーブルに用意されたところで、ゆっくりとそれに手をつける。

 

「マクゴナガル先生は、クリミアーナでのわたしの立場というか、役割をご存じですか」

「今は情報集めをしていると聞いていますよ」

 

 ニコッと笑みを見せるティアラ。それが返事、ということのようだ。

 

「いわゆる例のあの人ですけど、その居場所はわかってるんです」

「それをアルテシアに伝えてもよいか、そういう相談ですか」

「いえ、そうではなくて。気になるのはセブルス・スネイプという人物の存在なんです。もちろん、ご存じなのですよね」

「ええ、知っていますよ」

 

 スネイプの、何を知っているというのか。その点が具体的にはされないままで話は進んでいく。しかもどちらも、それで不都合はないらしい。

 

「いいんでしょうか。あの人の居場所を探していて、何度か姿を見てるんですけど」

 

 ヴォルデモート卿のもとを訪れるスネイプを何度か見た、とティアラは言うのである。そのことをどう思うかと尋ねられ、マクゴナガルは、苦笑い。

 

「見ないふりをしておきなさい。彼は、何かしらダンブルドアの指示によって動いていることは間違いありませんからね。詳しいことは両者とも何も言いませんからわからないのですけれど」

「つまり、なにかしら諜報活動してるってことですよね。でもそれって、どちらの側なんでしょう」

 

 いわゆる二重スパイ、そんな話はよくあるものだとティアラ。マクゴナガルが、もう一度苦笑いを浮かべることになった。

 

「その懸念は、たとえば不死鳥の騎士団に関わる者の多くが持っていますよ。ですがダンブルドアは、一貫してその心配はないと主張し続けているのです。もちろん、根拠のあることだろうと思いますよ」

「先生ご自身は、どう思っておられるのですか」

「おそらくはあなたと同じ、とでも言っておきましょうか」

 

 そこで、互いに笑みを見せ合う。気持ちの探り合いといったところか。だがティアラは、そんな面倒なことは必要ないと考えていた。というのも、相手がマクゴナガルだからだ。マクゴナガルは魔法書を学んでいるし、アルテシアも信頼を寄せている相手。

 

「確かめなくていいんでしょうか。そうしたほうがいいと思っているんですけど」

「必要ないでしょう。セブルス・スネイプは、アルテシアにとってホグワーツの中で親しい部類に入る教師。何度も話をしていますし、デス・イーターであったという過去も承知していますからね」

「けど、先生。どこかに不安はないですか。仮にあの人の側にいるのだとしたら」

「あなたの言うことはわかりますよ。わかりますが、こう考えてはどうですか。そういうことも含めたなにもかも。それがあの子の最後の判断に必要な材料になるのだと」

 

 そんなことは、今さら言うまでもないはず。マクゴナガルは、そんな目でティアラを見る。今度は、ティアラが苦笑いを浮かべる番だった。

 

「そうでした。ついつい、忘れちゃうんですよね。わかりました。セブルス・スネイプのことは気づかなかったことにしておきます」

「それがいいと思いますよ」

 

 これで、1つめの話は一段落したことになる。互いにテーブルのカップへと手を伸ばしていく。そして。

 

「ところで先生、ルミアーナですけど、学校ではどんな様子ですか。あの子は、やるべきことをちゃんとやってるんでしょうか」

「ソフィア、ですか。さあ、どうなんでしょうか」

 

 そこでマクゴナガルは、ちょっとだけ首を傾げてみせた。

 

「あなたの言う、やるべきこと。それが何かは、はっきりとはわかりませんが」

「あれ? もちろん、ご存じかと思いましたけど」

「学校ですからね。クラスも違うし、寮も別。教師側と生徒という立場の違いもあります。それでもソフィアは、そばにいようとしていますよ」

「そうですか。なんだか、毒入りワインの事件とかネックレスがどうのとか、ホグワーツもなにかと物騒な感じがして」

「心配はいらないと思いますよ。それらの事件は、いわば解決済みのようなもの。アルテシアに危険が及ぶようなことはありません」

 

 ティアラの顔が、わずかにほころんだ。そして、軽くうなずいてみせる。

 

「では先生、それはそれとして」

「なんです?」

「魔法省ですけど、いちおう正式な職員なんだと思うんですよ」

 

 アルテシアのことだろう。それが異例であり特例であったにせよ、魔法省に籍を置く魔女となり、ホグワーツで生徒に対し教えることのできる資格すらも得ているのだ。

 

「異例ですよね。でもなぜ、そうなったんでしょうか。なにか企みがあると思われませんか。誰がなにをどこまで計算してのことなのか、何かご存じですか?」

「さあ。アルテシアを学校に戻すためにと聞いたことはありますが、さまざま思惑はあるのでしょうね」

「調べてもいいですか。必要な判断材料ですよね。知っておくべき、ですよね」

 

 だがマクゴナガルは、否定的だった。人から教えられるのではなく、自分自身で知ること。それが重要だと言うのである。加えて言うならば、今さら状況は変わらない。

 

「いずれにしろあの子は、その真相にたどりつくだろうと思いますよ」

「わかりました。ですけど、これを利用しない手はないですよね」

「……どういうことです?」

「魔法省に入り込む。魔法省を動かす。その切っ掛けにできるんじゃないかって、そんなことを考えています。というか、お気づきだとは思いますけど、ある程度なら実現できている。見習いとはいえ、闇祓いになる人たちのなかに魔法の教え子がいたりもするんですよ」

「それなりに実績はあるのだと。まあたしかに、そういうことにはなるのでしょうけれど」

 

 もちろんアルテシアが望んでしたことではない。だが今の魔法省内には、確かにティアラの言うような場所がある。わずかとはいえ、アルテシアの地盤が築かれつつあるのだ。

 

「ですが、そういったことはあの子の好みではありませんね。おそらくイヤがるんじゃないかと思いますよ」

「わかっています。ですからお口添えをお願いしたいのです」

 

 ようやく本題に到達した、といったところだろう。ティアラがマクゴナガルと会ったのは、この話をするためといってもよい。

 

「例のあの人、ヴォルデモート卿とかいう人が何を考えているのか。先生はもちろん、察しておられますよね?」

「まあ、それなりには」

「それを、わたしたちが先にやったらどうなるか。そんなことを考えています。あの人が魔法省を狙ってくるのは間違いありませんけれど、実は先手はこちらの側にあるんだって思われませんか。あの人に譲って後手を引くことはないって思うんですよ」

 

 手早く魔法界を手に入れる手段は、こちら側にもあるとティアラは言うのだ。ヴォルデモート卿もそのための準備を進めているのだろうが、実は先にそうしてしまえるのはアルテシア。アドバンテージはこちらの側にあるのだと。

 

「どうせ取られるものならその前に、と言うのですか」

「どんなことにも、絶好の機会というのはあると思うんです。この巡り合わせを逃すと、いつまたそんなチャンスがあるのかわかりませんから」

「ミス・クローデル。つまりあなたは」

「そうです、先生。それだけの能力と人望とがあり、そうすべき理由もある。だったらそうしてもいいって、そう思われませんか?」

 

 その目をキラキラと輝かせながら、ティアラはマクゴナガルの返事を待った。そのマクゴナガルが、ゆっくりと席を立つ。

 

「いいでしょう、ミス・クローデル。その件についてアルテシアと話をしましょう」

 

 

  ※

 

 

 この日のガーゴイル像への合い言葉は、タフィーエクレア。ダンブルドアとの個人教授のため、ハリーは螺旋階段を駆け上がる。ドアを叩いたのは、ちょうど午後8時。

 

「お入り」

 

 ダンブルドアの声がした。そこでドアを開け、中へと入る。そしてダンブルドアの前へと行こうとしたのだが、いつもより難しい顔をしたダンブルドアを見てその足が止まった。

 

「どうにかしたかね、ハリー。ここへ座りなさい」

 

 そこには『憂いの篩』が置かれており、誰かの記憶が詰まっているらしきクリスタルの小瓶も2つある。その前の椅子に、ハリーが座った。

 

「まずは、ハリー。前回の授業の終わりに出した課題についてじゃが」

「あっ」

 

 その短い言葉に、全てが表れているようだった。ダンブルドアは、いつもの半月メガネにそっと人差し指を持っていき、クイッとその位置を直した。

 

「察するに、宿題を終えてはいないのじゃな」

「いえ、あの。ぼく、魔法薬の授業のあとでちゃんとそのことを聞きました。でも、教えてくれなかったんです」

 

 しばしの沈黙。そして、ダンブルドアのため息。

 

「それで宿題はあきらめてしもうたと、そういうことかの。これが相応なる努力の結果による判断じゃと、キミがそう言うのであれば受け入れるしかない。授業を続けていくことの意味は薄れてしまうが、仕方がないじゃろうの」

「いいえ、先生、ぼくは……」

 

 何か言わねばと、そう思っただけだった。だから、そう言っただけ。でも何を言えばいいのか、ハリーにはわからない。だから言葉が続かない。

 

「この宿題がどれほど重要なものか、はっきりと伝えておいたはずじゃな。なるほど、キミの周りでは絶えず何かが起こっておった。親友を襲った事件もそうじゃ。キミが忙しかったであろうことは承知しておる。じゃがの、ハリー」

 

 ロンが無事であり、その命に別状はないとわかった時点で宿題に取りかかることはできたのではないか。ダンブルドアは、そう言うのだ。ハリーには、反論のしようがなかった。

 

「先生、申しわけありませんでした。もっと努力すべきだったと反省しています。もちろん、これが本当に大切なことなんだって理解してます」

「ではハリー、今後はこの課題を最優先にしてくれると信じよう。ひとまずこの件の話は終わりとするが、ちなみにアルテシア嬢と相談はしたのかね?」

「いいえ、先生。アルテシアにこの話はしていません」

「そうかね。たしか、仲直りをしたいとか言うておったはずじゃろ。さすれば、この宿題の手助けもしてもらえると思うがの」

 

 そう言われたことは、ハリーも覚えている。だがハリーは、学校に戻ってきたアルテシアとは、ほとんど話をしていない。ハリーに言わせれば、そんな機会に恵まれていないということになるのだが。

 

「ともあれ、アルテシア嬢とは良好な関係を築いておくべきじゃよ。おそらく彼女は、ヴォルデモート卿との戦いにおいての有利不利に影響する」

「先生、それはどういう」

「もちろん、その話もしておかねばなるまい。じゃがもう少し待っておくれ。まずは今夜の授業を始めたい」

 

 どういうことなのか、ハリーにはわからない。だがダンブルドアは理解しているのだ。ならばそれでいい、とハリーは思った。

 

「さて、前回よりの続きとなるが」

 

 それが、授業を開始するとの合図。前回は、ヴォルデモートが父親らを殺害し伯父のモーフィンがその罪を負ったこと、そしてホグワーツでスラグホーンへ分霊箱に関する質問をしたところまで。このときのスラグホーンの記憶が不明瞭であったため、それをはっきりさせることがハリーへの宿題とされたのだ。

 

「ホグワーツを卒業したあとのトム・リドルが何をしていたのか。実は、ほとんどわかっておらん。ヴォルデモート卿としておおっぴらに活動を始めるまでに何をしていたかを詳しく知る者は、おそらくは本人のみじゃろう」

 

 それでも苦労して集めた、2つの記憶。ハリーに見せられる記憶は、この2つで最後であるらしい。ヴォルデモートは卒業後のある時期に、ボージン・アンド・バークスという店で店員として働いていたことが知られている。ダイアゴン横丁から少し外れた場所にあり、その一角は夜の闇横丁あるいはノクターン横丁と呼ばれている。強力な魔法がかけられた品物や怪しげな商品を主に扱っている店である。

 

「当時の教授たちは、誰もがそのことに驚いておったが、もちろんトム・リドルは、目的を持って働いておったのじゃ。そのことを示すのが、この一つめの記憶」

 

 それはヘプジバ・スミスという年老いた大金持ちの魔女の屋敷に棲むホキーという名のハウスエルスの記憶で、その屋敷をリドルが訪れたときのもの。

 そのときヘプシバは、自らが『わが家の最高の秘宝』と称した2つの物をリドルに見せている。ホキーに運ばせた革製の箱に収められていた、金のカップと金のロケットである。それぞれに刻まれた印が、ヘルガ・ハッフルパフのカップとスリザリンのロケットであることを示していた。

 

「この2日後、ヘプジバ・スミスは命を落としておる。ホキーが誤って女主人の夜食のココアに毒を入れたことが原因だとの判断がなされた」

「違う。絶対に違う!」

 

 ハリーが叫ぶように言い、ダンブルドアも笑顔でうなずいた。

 

「同意見じゃよ、ハリー。なれどこのとき、この事件ではホキーが責めを負うことになってしもうた」

「宝物はどうなったんですか?」

「ホキーの有罪が決まったあと、ようやくへプジバの親族たちが2つの秘蔵の品がなくなっていることに気づくのじゃが、時すでに遅しじゃよ。トム・リドルはボージン・アンド・バークスを辞めており、行方をくらましておった」

「じゃあ、やっぱりそうなんだ」

 

 この事件の真犯人は、トム・リドルで間違いない。つまりはヴォルデモート卿なのだ。それが、ハリーたちの結論である。

 

「今回ヴォルデモート卿は、ハッフルパフのカップとスリザリンのロケットを奪って逃げた。たとえ人の命を奪おうとも、欲しい物は欲しい。どんなことをしても手に入れる、ということになる」

「どっちも、ホグワーツの創設者にゆかりのものですよね」

「まさにそうじゃよ。ヴォルデモートはこの学校に強く惹かれており、ホグワーツの歴史とも言える品物を欲しがった。この重要なる点を、しっかりと理解しておいてほしい。それにの、ハリー。あやつが欲したのは、他にもあるのじゃ」

「何ですか、それは」

 

 そのときハリーが思い浮かべたのは、レイブンクローやグリフィンドールの名前だ。ヘプシバの所有していたカップとロケットは、共にホグワーツ創設者の遺物である。ならば残る2人の残した何かも欲しがったのではないかと、そう考えたのだ。

 だがダンブルドアが示したのは、そのどちらでもなかった。

 

「このことは秘密とし、これまで誰にも話しておらん。キミに初めて話すのじゃ。あやつが行方をくらましていた10年ほどの間に何をしていたかは想像するしかないが、1つだけはっきりとしていることがある」

 

 その1つが、今夜のために用意された2つめの記憶で明らかとなる。それはホグワーツ校長となったダンブルドアをヴォルデモート卿が訪ねて来たときのもので、ダンブルドア自らの記憶だ。トム・リドルという名ではなくヴォルデモートという名前を使い始めて間もない頃であり、ヴォルデモートに関するウワサがチラホラとダンブルドアの耳に届くようになってきた頃でもあった。

 ヴォルデモートの用件は、ホグワーツの教授になりたいというもの。だが即座にダンブルドアに拒絶されても、さして残念そうには見えなかった。むしろ、笑みさえ浮かべてみせたのだ。

 

『魔法よりも愛の方が大切だとお考えのあなたには受け入れてもらえないようですね。ですが、タンブルドア。魔法というものは実に奥が深い。わたくしが見てきた世の中には、想像もつかないような魔法とその学習法がありましたよ。このことをホグワーツの後輩たちの指導に活かせるのではないかと、そう考えたのですが残念です』

 

 ダンブルドアの記憶の中で、ヴォルデモートが言った言葉。それが魔法書を指しているのは明らかだが、当時のダンブルドアは魔法書のことなど知らなかった。なのでヴォルデモートにそのことを重ねて問いかけた。ダンブルドアの知らぬことを知っている、ということがヴォルデモートの機嫌を良くしたのだろう。ひとしきりその件について話した後で、ヴォルデモートはホグワーツを去った。教職を得るという件については、最初に持ち出して以来、口にはしなかった。

 

「よいかな、ハリー。あやつは、本気で教職を望んでいたわけではない。これは間違いない」

 

 過去の記憶を見終わって、ハリーも同じ考えを持った。教職を得るというのは単なる口実であり、何か別の目的があったのに違いないと思ったのだ。

 

「その目的が何であったかは、いまだ分からぬ。じゃがのハリー。ヴォルデモート卿がクリミアーナ家にも興味を持っていたことは明らかであろう」

「魔法書だ。魔法書を分霊箱にしようとしたかもしれない」

「いや、あれを分霊箱にはできぬと思うが、魔法を学ぼうとはしたであろう。ともあれ、あやつから魔法書に関しての情報を得ることができたのは幸いじゃった。ヴォルデモートから聞いた話を頼りに、わしはそのことを調べ始めた。むろん、簡単なことではなかったがの」

 

 魔法書の実物を確認することはできなかったものの、このときダンブルドアは、ヴォルデモートがその名を挙げたルミアーナ家が実在することを確かめ、その情報を得た。

 

「クリミアーナの家が魔法界から距離を置いたままであれば、あるいは気づかなかったのかもしれん。知ることができたのは、クリミアーナ家のほうから魔法界に接触してきたからじゃよ」

 

 それはおそらく、アルテシアの母マーニャが自身の病の治療法を求めて魔法界に足を踏み入れたから。クリミアーナ家の存在を知ったダンブルドアだが、だからといって、すぐに詳細を把握できたわけではない。それなりの年月と努力とが必要だった。

 

「なぜかクリミアーナ家は、アルテシア嬢が生まれたばかりの頃にマクゴナガル先生と会わせておる。その意図は分からぬが、あのお嬢さんをホグワーツに誘うのにはマクゴナガル先生が適任じゃと思うた。キミの場合はハグリッドに任せたがの」

「それでアルテシアは、ホグワーツに入学したんですね」

「そうじゃな。ほおっておいてもちゃんと魔法を学び立派な魔女となったであろうが、こちらとしては、あえてホグワーツに来てもらわねばならなかった」

「なぜですか。なぜホグワーツに入れたんですか?」

 

 その理由が、ハリーにはわからない。なにしろクリミアーナ家の魔女は、これまで誰も魔法学校に入学していないのだ。アルテシアにしても、どうしてホグワーツ入学を決めたのか。

 ハリーの問いかけに、ダンブルドアはにっこりと笑ってみせた。そして。

 

「キミのためじゃよ、ハリー。それにもちろん、魔法界のためでもある。ヴォルデモート卿を倒すために必要なことじゃと、そう思うたからじゃ」

 

 『一方が生きる限り他方は生きられぬ』。そんな予言の一節をハリーが思い出したところで、この夜の個人教授は終わりとなった。

 

 

  ※

 

 

「なんと。あの娘、家に帰ってしまったというのですか」

 

 そんなスネイプの声に、マクゴナガルがうなずいてみせた。

 

「ええ、そうです。あの子がどうしても一人で考えたいというので、週末を利用しクリミアーナに戻ることを許可しました。頭の中がまとまれば学校に来るでしょう」

「なるほど。となりますと、少々延期せざるをえませんかな」

 

 何のことか。それがわからないマクゴナガルが、ちょっとだけ首を傾げる。めずらしくスネイプも、にやりとしてみせた。

 

「あの娘を闇の帝王のもとへ連れて行こうと思っているのです。よもや、反対なさいませんでしょうな」

 

 反対などするはずがないとばかりに堂々と告げたスネイプだったが、マクゴナガルは少し困ったような表情を見せた。

 

「なんと、賛成してはいただけぬということですかな」

「そうではありません。あの子があの人に会うことは、私も必要だと認めています。ただ今ではないほうがよいと思っただけです」

「ここまで来てそう思う理由はなんです? あの娘がいやがっているのですかな」

 

 ゆっくりと首を振るマクゴナガル。ちなみにアルテシアは、そのことをいやがってはいない。むしろ会いたいと思っていることくらい、どちらも理解しているのだ。

 

「あの子はいま、答えを出そうとしているのです。そんな時にあの人と会わせ、その選択に揺らぎを与えるようなことになってはいけない。そんなことを思ってしまったのです」

「なるほど。お気持ちはわかります。なれどそれは、気にしても仕方がないことだと思いますな。誰であろうと、あの娘の目を閉じ、耳をふさぐなどできはしませんぞ」

 

 マクゴナガルは、返事をしなかった。改めて、スネイプの顔を見ただけ。スネイプが、またもやにやりとしてみせる。

 

「学校に戻ったら、あの娘にこの話をしますが、よろしいですな」

 

 この問いかけに対しても、マクゴナガルは返事をしなかった。

 

 

  ※

 

 

 アルテシアが、ゆっくりと森のなかを歩いていた。ホグワーツにある禁じられた森ではなく、クリミアーナ家の裏手に広がる森のなかである。学校が休みになるのを待っていられずに、むしろ学年末試験を控えた忙しい時期であるにもかかわらず、こうして週末に自宅へと戻り森を散歩しているのには、もちろん理由があってのこと。すなわち、じっくりと考え事をしたいからである。

 

(結局はあの人…… ヴォルデモート卿なんだよね)

 

 禁じられた森への出入りは、それが散歩目的である限りにおいてハグリッドから許しをもらっている。つまり、あえて家に戻らずとも散歩はできた。それで間違いないのだが、ここ数日のあいだに持ち込まれたいくつかの話によって、とうとう我慢できなくなったのだ。幸いにしてとでも言おうか、いまのアルテシアは生徒という立場にはない。さすがに生徒であれば、学期中に家に戻るようなことなどできはしない。禁じられた森での我慢を強いられたあげく、はっきりとした結論を得るまでには至らず、決断ができないままにただ日常生活に戻るという結果を迎えていたのかもしれない。だがそれでは、5年生までの頃となんら変わりはしない。ただ、同じような毎日が続くだけ。

 

(そんなことじゃダメなんだよね)

 

 アルテシアには、果たさねばならない約束がある。例えばホグワーツの2年目が始まる日、ホグワーツ特急に乗る直前に交わしたナディアとの約束。そしてソフィアのルミアーナ家との約束。その最終的な始末をつけるべき時期に来ているのかもしれないとアルテシアは思う。居場所はティアラが突き止めたというし、仮にどこかへと移動してしまったにせよ、行き先はスネイプが承知しているだろう。どうしたってあの人が絡んでくるのだから避けて通ることなどできはしないし、そうするべきではない。ホグワーツに入学して以降なにかにつけアルテシアにつきまとってきたその名前の持ち主とは、キチンと向き合って話をし、決着をつけなければならない。ならば、今。さまざま解決し何らかの結果を得るためにも、いまこそ動き出すべきではないのか。

 なおも、アルテシアは考える。迷っていると言ってもいいのだろう。その第1歩を踏み出すべきときだと理解しているし、そうするつもりでいるのだが、その先にある2歩目をどうすればよいのか。すると、どうなるのか。

 だが一方で、そんなことを今考える必要があるのかとの思いもある。ヴォルデモート卿に会うことは必ず実行せねばならないのだから、まずはそうしてみればいいのだ。その後のことはそれからでいい。あの人と会えば必ず事態は動くし、そのとき自分も、何かしらの対応はするだろう。その後のことは臨機応変でいいのではないか。

 

(それは、そう、なんだけど)

 

 それでもわざわざクリミアーナへと戻って来たのは、その2歩目が重要になると思ったからだ。大げさでなくそれは、クリミアーナ家のこれからを、そのあり方を大きく変えるような判断になる。それは、2歩目の先にある3歩目、そして4歩目をも決めてしまうことになる。

 これから自分がどのように行動していくべきか、そのことを真剣に考えるべき時が来ているのは間違いない。そんな重い選択をする場所は、やはりこの森でなければならない。

 

『この提案は、まじめに考えてみる必要がありますよ。たとえ時間をかけてでも』

 

 真剣な顔をして、マクゴナガルはそう言ったのだ。つまりマクゴナガルは、ティアラから相談されたという内容を評価しているということになる。しかしティアラは、なんということを考えるのだろう。

 

(どうするのが一番いいんだろう……)

 

 例のあの人は、魔法界を自分の支配下に置こうと画策しているらしい。魔法省を手に入れることを手始めとし、その実現をめざすのであれば、ティアラの提案はその野望を打ち砕く有効な手段となり得る。

 だけど。

 

(わたしが? そんなこと、わたしがやっていいの?)

 

 たとえばダンブルドアも、ヴォルデモート卿の野望を止めるべくさまざま画策していると聞く。だがそれも、ハリーへの個人教授や不死鳥の騎士団の配備などにとどめている。何か理由があってのことだろうとは思うが、現ホグワーツ校長は、その先に進んではいない。そこにはどんな理由があるのだろう。

 なるほど、ティアラの言うことはわかる。だが、自分がする必要があるのか。アルテシアは、何度も自分に問いかける。その結果どういうことになるのかを考える。魔法界のこと、そしてクリミアーナ家のことを。

 いつしかアルテシアは、森のなかにあるクリミアーナ家の墓地に来ていた。母マーニャのものも含めた先祖たちの墓標が、およそ20ほどもある。そのうちの1つの前に立ち、アルテシアはその墓標に刻まれた文字を見つめる。そしてただ、時間だけが過ぎていく。

 いつしか日は落ち、森から光がなくなってもなお、アルテシアはその場所に立っていた。きっと答えを得るまで、自分の気持ちが決まるまでは、その場から離れるつもりなどはないのだろう。

 そのアルテシアの姿がようやく墓地から見えなくなったのはその森に、その墓地が、あふれるほどの光に包まれたときだった。

 




スネイプは、すぐにあの人のところへ連れて行きたかったようです。ですがアルテシアには、自分の考えを整理する時間が必要でした。
その裏では、ティアラがいろいろと動いていました。あれこれ調査もしてるようで、そこで得た情報は、彼女の取捨選択を経てアルテシアに届けられることになります。
スリザリンのロケットのその後に関し、ダンブルドアが改めて触れなかった情報があるのですが、ハリーは忘れているのかも。
次回こそ、あの人のところへ行くことに。でもその前に、アルテシアはハリーと会います。


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第117話 「あの人のもとへ」

 クリミアーナ家の歴史が、いつから始まったのか。それを正確に知る者など、おそらくは今、この世に生きている者たちのなかには誰もいない。仮に知る者がいるとするならば、さしずめそれはアルテシア、ということになるのだろう。

 ホグワーツへと戻ってきたアルテシアは、ハリーの姿を探した。ハリーから頼まれたことのため、である。なんでも、ダンブルドアからの宿題の手助けをして欲しいとのことだった。スラグホーンから何らかの情報を聞き出すこと、その課題をなんとかしたいという相談を持ちかけられたのだが、まだ詳しい内容までは聞かされていない。

 

「ああ、ソフィア。ハリーを見なかった?」

 

 アルテシアが学校へと戻ってきたのは、この朝のこと。ちょうど朝食の時間帯だったので大広間にいるだろうと考え、来てみたのだが先に会ったのはソフィアだった。

 

「ポッターさんなら、あそこですよ」

 

 その示した先は、大広間に置かれたグリフィンドールのテーブル。ハリーがいつもの席で食事をしている姿が見えた。そばには、これもいつものようにロンとハーマイオニーとがいる。

 

「聞いてもいいですか」

「いいよ、なに?」

「決められたんですよね、これから先のこと」

 

 アルテシアがクリミアーナ家へと戻っていたことは、ソフィアも知っている。その目的も、もちろん承知しているのだ。

 

「ティアラさんが嬉しそうに言ってました。これから忙しくなるかもしれないって。きっとそうなるって」

「そう、だね。忙しくなるのかもしれない。やることは、いろいろとあるからね」

 

 そう、さまざまやることはある。だがソフィアは、それをやりたいのか。そしてアルテシアは、それを手伝わせようと考えているのだろうか。

 

「あたしは、ティアラさんとは違うんです。魔法省をどうこうって、そんなことはしないほうがいいと思っています」

「ソフィア」

「余計な面倒を背負い込むだけだって思うんですよ。そんなことしなくたって、アルテシアさまなら」

 

 その後に、どんな言葉が続くはずだったのか。ソフィアは、そこで言うのをやめた。ただじっとアルテシアの顔を見つめてくるソフィア。そんなソフィアに、アルテシアは軽く微笑んでみせた。

 

「大丈夫だよ、ソフィア。なんにも心配はいらないからね」

「アルテシアさまが何を決められたとしても、あたしはついて行きます。ずっとおそばを離れませんから」

 

 このとき2人が話したのは、ここまで。食事を終えたらしいハリーたちが、席を立ったからだ。先に用件を片付けようと、アルテシアがハリーたちへと近づいていく。ソフィアもそのあとに続いた。

 

「や、やあアルテシア。何日か姿を見なかったけど、どうしてたんだい?」

 

 そう言ったのは、ハリー。そのとき、どこか慌てたように見えたのは気のせいだろうか。アルテシアは、ハーマイオニーとロンにも目を向けながらハリーにささやいた。

 

「あなたに相談されてたことだけど」

「あ! ええと、そのことならもういいんだアルテシア」

 

 その返事が、あまりに意外だったのだろう。アルテシアの表情が、まさにそのことを示していた。

 

「どういうこと、もういいって……」

「実はさ、もう解決したんだよ。ほら、キミと話をしたあとで、ぼく、幸運になるだけでいいんじゃないかって気がついたんだ」

「幸運に、なる?」

「そうなんだ。詳しいことは話せないけど、スラグホーンからは話を聞けたよ。だから、もういいんだ。もう解決したんだ」

 

 どうしてそういう返事になるのか、それがアルテシアにはわからない。もちろん詳しい説明を求めたいところだが、アルテシアはそうはしなかった。詳しいことは話せないとハリーは言ったのだから、重ねて尋ねたところで無駄に違いない。残念なことにアルテシアは、過去に同じような経験をしたことがある。

 

「わかった、ハリー。つまりわたしにできることはもうないよって、そういうことなんだね」

「そ、そういうことになるかな。なにしろもう解決しちゃったからね」

「だったらハリー、これからわたし、自分のことをやることにするけど、それでいい?」

「もちろんだよ。キミに迷惑はかけられない」

 

 話をしたのはここまで。ハーマイオニーが何度も振り返っていたが、ハリーのあとからロンとともに大広間の外へと歩いていく。その3人を、アルテシアは何も言わずに見送るしかなかった。解決したというのだから、これで良しとするべきなのだろう。

 だけど、とアルテシアは思う。

 ハリーの相談事はいつも『詳しいことは話せないんだけど』という言葉で始まる。つまりハリーには、アルテシアに対してなにもかも話す、という選択肢はないのだ。そのくせハーマイオニーやロンにはちゃんと話をしているらしい。以前にも、そんなことがあった。

 それがなにより残念だとアルテシアは思っているのだが、だからといって、どうにかできることではない。

 姿が見えなくなってもなお、ハリーたちの去った方向を見つめているアルテシアの手を、ソフィアがそっとつかむ。

 

「アルテシアさま」

「ああ、うん。さてと、わたしたちも、やるべきことをやっていかないとね」

「わたし、たち…… たち、なんですね。そう言いましたよね」

 

 そのことに、ソフィアは何を思ったのか。アルテシアは、にっこりと微笑んでみせた。そして。

 

「もちろんだよ、ソフィア。あなたには、ずっとわたしのそばにいてほしい。ずっとずっとそばにいてね。後悔させるようなことは絶対にないから」

「はい、はい。もちろんです。わかってます。絶対に離れません」

 

 ポンとソフィアの肩を、アルテシアが軽くたたく。それぞれに成長はしているのだろうが、2人の身長は相変わらず同じくらいなまま。だから、目線の位置もほぼ同じ高さである。

 

「今夜、アディナさんに会いたいの。学校が終わったら訪ねていくって、そう伝えておいてくれる?」

「わかりました。でも夜と言わずに今からでも」

 

 アディナとは、ソフィアの母。そのアディナに用事があるということで、すぐさま伝言を伝えに行こうとしたソフィアだったが、アルテシアが軽く首を横に振ってみせた。

 

「授業があるからね。それが終わってからでいいよ」

「そんなもの……」

 

 どうでもいい、という言葉を続けようとしたのかどうかはわからない。なにしろ、ソフィアの口から出たのはそこまで。どちらからともなく微笑みあって、そのまま2人は朝食のテーブルへと座った。

 

 

  ※

 

 

 大広間を出たところで、なぜか急ぎ足となっていたハリーをハーマイオニーが呼び止める。

 

「待って、待ってよハリー。あなた、アルテシアと話をしなくていいの? 何か約束してたんだったら……」

「いいんだ、ハーマイオニー。スラグホーンのことだ。もう済んだじゃないか。話は聞けた。ダンブルドアの宿題は終わらせたんだから」

「ええ、そうね。でもハリー、もしもあの課題のことでアルテシアに協力を頼んでたんだとしたら…… だったら、ちゃんと結果も知らせなきゃいけないわ」

 

 一瞬、ハリーの顔に困惑の色が浮かぶ。少なくともそう見えたのだが、ハリーの口から出た言葉はハーマイオニーが期待したものではなかった。

 

「ぼくはちゃんと言ったよ。結果も伝えた。解決したってね。ただラッキーになるだけでよかったんだって」

「違うわ、ハリー。あたしが言ってるのは」

「わかってるさ。わかってる」

 

 いったん止まっていた足が、また動き出す。この場に残っているわけにもいかないので、ロンとハーマイオニーもその後に続くしかない。

 幸運になる、とはどういうことなのか。もちろんそのことは、この3人の間では了解済み。すなわちハリーには、いつでもその状態になれる手段があったということだ。それを飲めばなにかと幸運に恵まれるという、フェリックス・フェリシスという名の魔法薬のことである。

 ダンブルドアからの薦めもあって、ハリーはアルテシアに宿題履行への協力を求めた。だがちょうど、アルテシアがクリミアーナ家に戻ろうとしていたところであったため、学校に戻ってきたときに改めて話をすることになっていた。だがハリーは、アルテシアとその約束したあとで、幸運の魔法薬のことを思いだし、スラグホーンから情報を得るために利用できそうだと考えたのである。結果、フェリックス・フェリシスに導かれ、スラグホーンの記憶を引き出すことに成功。すなわち、宿題が完了してしまったのである。

 

「それにいま、ぼくにはそんなことをしている余裕がないんだ」

「どういうこと?」

「それは、こういうことさ」

 

 その疑問に答えたのは、ハリーではなくロンのほうだった。

 

「ハリーのやつ、ダンブルドアと出かけることになってるんだ」

「出かける? これから?」

「いや、今すぐってことじゃない。でも、もうすぐ連絡がくるはずだ」

 

 そのとき、すぐに出発したい。だから今は、ほかに何かしているヒマがない。ハリーはそう言うのである。

 

「手に入れたスラグホーンの記憶によれば、分霊箱はあと4つあるはずなんだ。全部見つけ出して壊さないと、ヴォルデモートを倒せないんだ」

「それはわかってるけど。でもね、ハリー」

「聞いてよ、ハーマイオニー。ダンブルドアが分霊箱を探してる。だけど、任せっぱなしじゃダメなんだ。ぼくも探すべきだと思うんだ。いや、ぼくも、じゃない。ぼく自身がすべきことだと思うんだ。今度出かけるときには、ぼくも連れて行ってくれることになってる。今夜あたり、出発できそうだってダンブルドアが言ったてたんだ」

 

 それにもし、とハリーはなおも言葉を続ける。分霊箱の捜索が大変であることは疑いようがないのだし、危険が伴うことは十分に考えられる。その危険にアルテシアを巻き込んでしまうことになるかもしれない。そういうことにはしたくないのだと。

 

「そうかしら。むしろ、ひっぱり込んだほうがいいって思うわ。あたしたち、きっとアルテシアのそばを離れちゃいけないんだと思う」

「いや、これはぼくの問題だ。助けてもらうんじゃなくて、自分で解決しなきゃいけないんだよ。だからアルテシアには何も言わないほうがいいんだ」

「そ、それはそうかもしれないけど。でもハリー……」

 

 ハリーの言うことはわかる。だけどアルテシアなら…… その先の言葉をハーマイオニーは声に出さずに飲み込んだ。なるほどこれは、ハリーに大きく関わる問題なのだ。そのハリーが決めたのなら、反対するのは難しい。でも、それでいいのだろうか。

 ハーマイオニーが無口になったので、ハリーも前を向いて歩き始める。こんなときこそロンが何か言えばいいのだろうが、そのロンも、なにやら思うことがあるのだろう。

 3人ともに黙ったまま歩く。その最後尾を歩きながら、ハーマイオニーはあることを考えていた。なにもかもがうまくいくとは限らない。なにかしら、不都合がおきることは十分に考えられるのだ。そんな万が一の時のために、なにかできることはないのか。なにか、対策はないのか。必要なものはないのか。

 思いついたのは、おおよそ1年前のこと。魔法省の神秘部にアルテシアを呼んだ、魔法の玉のことだった。あの玉があれば。あの玉はきっと、いや必ず役にたつだろう。ハーマイオニーはそう思った。推測でしかないが、アルテシアはあの人よりも強い。おそらくはダンブルドアよりも。そしてもちろん、自分たちなどよりも。

 

「けど、もう一度もらえるのかな」

 

 そのつぶやきはハリーとロンの耳には届かなかったようだが、そんな不安がハーマイオニーを包む。だけど、なんとかしなければいけない。2人の後をゆっくりと歩きながら、ハーマイオニーはそのことを考え始めた。

 

 

  ※

 

 

 午前中の最後の授業は、3年生の闇の魔術に対する防衛術。これが終われば昼食時間なのだが、スネイプの助手としてこの授業を終えたアルテシアは、すぐには大広間へと行くことはできなかった。

 スネイプに呼び止められたからである。

 

「今夜だ。吾輩が案内するが、どうなるかわからんぞ。すなわち、おまえ次第ということになる。それでいいか」

 

 スネイプに話しかけられ、アルテシアは、首をかしげる。そして。

 

「それって、例のあの人のことですか。会わせていただけるってことですよね」

「午後の授業を終え、夕食を済ませたら出るぞ。何か用事があるのならそれまでにかたづけておけ」

「わかりました。でも先生、出発は学校の外で待ち合わせしてから、ということでいいですか」

「なぜだ」

 

 スネイプには当然の疑問だろうが、アルテシアにはルミアーナ家を訪ねる予定がある。ソフィアがすでに実家に伝えたかどうかはともかく、アルテシアには予定をキャンセルするつもりはないらしい。そのことを、スネイプに説明する。

 

「そうか。ではそうしよう」

「すみません、先生」

「それはさておき、会うための前提条件として約束をしてもらわねばならんことがある」

「なにか約束しないと会わないと、あの人がおっしゃったのですか」

 

 スネイプからの声による返事はない。ただじっとアルテシアの顔を見つつ、わずかにうなずいてみせただけ。

 

「わかりました。どんな約束をすればいいのですか」

 

 その返事に、スネイプがふっと軽く口元を緩めたように見えた。あるいは笑ったのかも知れないが、人差し指を一本たててみせた。

 

「いいのか。おまえにとって不利になりこそすれ、得はしないぞ」

「構いません。それで、何を約束すれば」

「約束するのは、ただ一つ。おまえが魔法を使わぬこと。それだけだ」

「あの、それは今回限り、ということでいいですか」

 

 今後一切、などということになれば、それは無理難題でしかない。当然のことながら、約束などできない。

 

「今夜だけだ。おまえを屋敷に連れて行き、そこから連れ帰るまで。それでかまわんな」

 

 すぐには、アルテシアからの返事はなかった。だが、それもわずかのあいだだけ。すぐに、緊張感が浮き出た顔が縦に揺れた。

 

 

  ※

 

 

「えっ! じゃあアルテシアは」

「学校にはいないわよ。ルミアーナ家って分かる? ソフィアの実家だけど、そこに行ってる」

 

 ホグワーツの女子寮である。ハーマイオニーは、アルテシアと話がしたかった。するべきだと思っていたのだが、肝心のアルテシアが夕食時に大広間に姿を見せなかったのだ。なのでハーマイオニーは、食事を終えてからマクゴナガルの執務室を訪れた。公式にはホグワーツでのアルテシアの部屋はマクゴナガルと同じ部屋とされているからで、実際にマクゴナガルの部屋で起居することもあるからだ。だがこのとき、そこに彼女はいなかった。なので女子寮に戻り、パーバティに居所を尋ねたという流れである。

 

「何をしにって、聞かないの?」

「あ、えっと。もちろんだけど、それより戻ってくるのよね?」

 

 そんな問いを発したハーマイオニーに、パーバティが軽く笑って見せた。

 

「さすがね。ちゃんと、そこに気づくんだ」

「どういうこと? まさか戻ってこないとか」

「どうなるか、なんてあたしには分からない。でも、たぶんだけど、心配はいらないと思う」

「どういうことなの、パーバティ。ちゃんとわかるように説明して」

 

 意識してのことではないのだろう。だがハーマイオニーの声は、明らかに大きくなっていた。このとき浮かんだパーバティの笑みは、きっと苦笑に違いない。

 

「落ち着いてよ、ハーマイオニー。あなたが誰にも言わないって約束してくれるのなら、話してもいいけど」

「なによ、それ」

 

 この部屋には、もう1人いる。ラベンダー・ブラウンである。チラとハーマイオニーの視線が向けられたのを機に、ラベンダーが話に入ってくる。

 

「話してあげたら、パーバティ。結局のところ公然の秘密ってやつでしょ。何日かしたらハリーやロンにだって知られちゃうんだと思うけど」

「つまり、あなたも知ってるってことね。だったら、あなたが教えてよラベンダー。アルテシアはどこに行ったの?」

 

 ルミアーナ家に行ったと最初に言ってあるのだが、ハーマイオニーはそんな言い方をした。もちろんその目的を尋ねたものだろうが、パーバティは軽くため息。

 

「わかった、ハーマイオニー。だけど質問なんかはナシ。余計なことは言わないこと。いいわね?」

「そんな約束、しないわよ。とにかく、教えなさい。アルテシアはどこに行ったの?」

「ルミアーナ家よ。それから例のあの人に会いに行くことになってる。今ごろはあの人のところにいるのかもしれないけどね」

「あの人? あの人って、あの人? 名前を言ってはいけないあの人のこと?」

 

 そうだ、という返事はない。軽くうなずいてみせただけのパーバティと、それを見つめるハーマイオニー。ラベンダーは、ハーマイオニーのほうを見ていた。そのハーマイオニーが口を開く。

 

「それ、危ないと思う。いくらアルテシアでも危険じゃないかしら」

「だけど、あの人にはどうしても会う必要があるの。あたしは、アルがそうする理由を知ってる。それに、絶対に安全な方法を取ることになってる」

 

 絶対に安全な方法? そんなものあるはずがないと、ハーマイオニーは思う。だが、もしも。アルテシアならば、そんなこともあり得るのだとしたら。仮にそうなら、役に立つだろう。

 

「パーバティ、その安全な方法のことだけど、あたしたちにもできるの?」

 

 ハーマイオニーがこんなことを言い出したのは、今夜あたり、ハリーが分霊箱を探すために出かけることになっているからだ。ダンブルドアと一緒ではあるのだが、まったく危険がないとは言い切れない。なので、少しでも安全になればと考えてのこと。だがパーバティからは期待した答えは返ってこなかった。すなわち、否の返事である。

 

「あんなこと、あたしにはムリ。アルテシアだからこそできるのよ」

「でも、パーバティ。アルテシアに色々と教えてもらってるじゃないの」

「それを言うなら、あんただってアルのノートを持ってるでしょ。勉強会にだって参加するようになったんだし、立場は変わんないと思うけど」

「けど、だけど」

 

 本当にそうだろうか、とハーマイオニーは思う。たしかに黒いノートからは様々なことが学べるし、アルテシアたちとの勉強会もとても有意義なものだ。だけどハーマイオニーは、それらを最近始めたばかりでしかない。ようやく学び始めたところだが、それだけでも、魔法書のすごさはよく分かる。そんな魔法書を、アルテシアは幼いころよりずっと学んできている。そしてパーバティは、そのアルテシアとホグワーツ入学以来いつも一緒にいた。

 そんなパーバティと自分とが、同じだと言えるだろうか。なおも、ハーマイオニーは考える。なるほど、学校の評価でいけば上になる。1年生のときからずっと、成績優秀のレッテルはハーマイオニーの側に貼られていた。常に実技ランクの上位にいたのも、ハーマイオニーだ。だけど。

 パーバティは、1年生の頃よりずっとアルテシアのそばで、アルテシアを見ていた。話を聞いていた。おそらくは1年生の頃より、さまざまなことを学んでいたのだろう。そしてそれは、いまではかなりの差となっているのではないか。そんな思いがハーマイオニーの中をよぎっていく。

 

「ねえ、パーバティ。あたしに力を貸してくれない?」

「あらあら。そう来ましたか」

「えっ? どういうこと」

 

 この疑問の声はハーマイオニーだが、質問された方のパーバティから、すぐさま疑問が返される。

 

「どうせ、ポッター絡みなんでしょ。でも今、それをあたしに言うのは間違ってる。なぜアルテシアに言わなかったの? 協力して欲しいのなら、ポッターがちゃんと事情を説明して頼めばよかったんじゃないの。アルと話をして相談するべきだったのよ。そうしてればアルは」

「待って、待ってよ。ハリーはなにも秘密にしてるわけじゃないわ。誰にでも話せるようなことじゃないし、ハリーは、アルテシアを危険に巻き込みたくないって思ってるのよ。だから」

「待つのはそっちだよ、ハーマイオニー。あたしに力を貸せってことは、あんたの言う危険に巻き込まれてくれってことでしょ。そう聞こえるんだけど」

 

 なるほどハーマイオニーの言い分は、そのように受け取ることができる。だがパーバティは、なにもそんな皮肉めいたことが言いたいわけではなかった。

 

「アルテシアのことだから頼まれれば協力してたと思うけど、でも今からは無理だよハーマイオニー。これからアルテシアは、自分のことだけで精一杯になると思う。それが終わるまでは、他のことはなんにもできないんじゃないかな」

「だから何をしてるの? たしか、あの人のところに行くって言ってたけど本当なの?」

「とりあえずあの人と話をするため、なんだけどね。そのあとどうなるにせよ、これはクリミアーナの重要な問題だから決着するまで待つしかないよ」

「話をするって、そんなことができる相手じゃないのよ、パーバティ。あなた、忘れてない? あの人は、アルテシアの魔法書を狙っていたことがあるのよ」

 

 それは1年生の時のことだろう。パーバティはそう思ったが、何も言わなかった。なるほど、ヴォルデモートに支配されていたクィレル教授がアルテシアに魔法書を渡すようにと迫ってきたことがあった。でもそれだけだ、とパーバティは思っている。誰であろうと魔法書を奪うなどできるはずがないし、仮にできたとしても、そのことにそれほど意味があるとは思わない。

 

「ただ危険に飛び込んでいくだけだわ。絶対に安全な方法なんて、あるはずもないし」

「確認と交渉のためだよ。言わないと納得してくれないだろうから言うけど、確認っていうのは、あの人の闇の魔法にクリミアーナが関係しているのかいないのか。交渉は、周りに迷惑をかけるようなことはするなってこと。説得のほうが近いのかな」

「まさか。そんなことできるはずがないわ」

 

 ヴォルデモートが交渉に応じるはずがないし、説得を受け入れるなんてあり得ない。それがハーマイオニーの正直な気持ちだろう。だがもし、そんなことができるのだとしたら……

 

 

  ※

 

 

 魔法界には、古くから続く旧家がいくつか存在する。クリミアーナ家の歴史もかなりのものだが、そのほとんどは魔法界とは別に歩んできたものであり、その長い歴史のなかで、それら旧家との交流などはほとんどなかった、と言ってもよい。

 そんな旧家の一つを今、アルテシアが訪れていた。スネイプとともに、この家の玄関前へと姿現わししたところである。もちろん魔法使いの屋敷であり、相応の歴史を持つ旧家である。

 

「おまえは、この家には来たことがあるのだったな」

「そうですけど、あの人はこの家にいるのですか」

 

 アルテシアは以前、この家の息子に誘われて訪れたことがある。そのときのことを思い出すかのように屋敷を見上げるアルテシア。

 

「もっとも今、この家の本来の住人はいない。ゆえに初めてとさほど変わりはないか」

「中には、デス・イーターの人たちもいるのですか?」

「いないだろう。今夜は皆、別の用件で出ているはずだ。いや、一人はいるのか。あやつも一応、デス・イーターのつもりでいるだろうからな」

 

 誰のことか。それをアルテシアが尋ねなかったからか、スネイプのほうもそのことには触れず、話を進めていく。

 

「それよりも、ベラトリックス・レストレンジという名に覚えがあるか。なにやら、おまえとの因縁があるようなことを言っていたが」

「ベラトリックス? さあ、どうでしょう。わたしには覚えがありませんけど」

「そうか。まあ、それでよかろう。あの女が、おまえをどうこうできるとは思えんからな」

 

 別に呼び鈴を押すでもなく、そのままドアを開けて屋敷の中へと入っていく。誰の出迎えもないかと思いきや、そこには人の姿があった。

 

「どうぞ、こちらへ。しばらくお待ちいただくことになります」

 

 あいにくと、ヴォルデモートは食事の時間であるという。終わるまで待つようにと客間へ通されたのだが、スネイプだけは、すぐにヴォルデモートのいる食堂へと行かねばならないらしい。一瞬顔色を変えたスネイプだったが、ヴォルデモートの指示だということで、すぐに部屋を出て行った。

 

「さすがに不安になるだろう。こんな場所で一人にされて」

「いいえ、そんなことはありませんよ」

「ふん。強がるのもいいが、それがセブルス・スネイプが戻ってくると思ってのことだったら無駄だぞ」

「戻らないってことですか。どういうことでしょう?」

 

 目の前でにやにやと笑っている男のことを、アルテシアは知っていた。ヴォルデモート復活の儀式のとき、その手伝いをしていた男であり、ネズミに変身することができる動物もどき。

 

「他に大事な用事がある。わが君の、闇の帝王のご命令なのだ」

「あなたはいいんですか? そんな大事な用事があるのに、こんなところにいて」

 

 精一杯の皮肉、とでも受け取ったのだろう。その男の表情が明らかに変わったが、それだけだった。

 

「くそっ、生意気な女だ。これがご命令でなければ、おまえなど相手にするものか」

「そうですか、それは失礼。でも、そんなこと気にする必要はないですよ。わたしは、逃げたりはしません。あの人が夕食を終えるまで待っていますから」

 

 つまりその男は、監視役。ヴォルデモートから、そのような命令を受けているのだろう。事実はさておき、アルテシアはそう判断した。

 

「それで、スネイプ先生が戻らないとは、どういうことなのでしょう?」

「だから言っただろう。他に用事があるのだと」

「その用事って、なんです?」

「ばかめ、それを教えると思うのか。とにかくあの男はもう、この屋敷にはいない。おまえは置いていかれたのだ。わが君のご命令でな」

 

 なおも、アルテシアは考える。スネイプがこの屋敷にいない、というのは本当なのだろう。ヴォルデモートの命令でどこかへ行ったようだが、それはつまり、何らかの用事で出払っているデス・イーターたちと合流したと考えるのが自然だ。それが何かは不明だが、自分もそちらへ行くべきなのか、それとも予定通りにヴォルデモートと会ったほうがいいのか。

 

「どうした。さすがに心細くなってきたんだろう」

「いえ、このあとどうしようかと。それを考えています」

「言っておくが、逃げだそうとは思うなよ。見ろ、俺は杖を持っているんだぜ」

「杖? それが何です?」

 

 たしかに、その男は杖を持っていた。だが、それだけのことだ。アルテシアは不思議そうな顔で、その男を見る。

 

「たしかおまえは、魔法の使用を禁止されてるはずだよな。この俺にだって、勝ち目はあるってことだ」

「そんなことまで知ってるんですね。でもなぜ?」

「なぜ、俺が知っているか。それを知りたいんだろうが、お嬢ちゃんよ。知らない方がいいってこともある」

 

 答えなど聞かされずとも、その意味はわかる。それが、スネイプからの情報だということぐらい。

 

「それにおまえは、逃げたりしないと言ったはずだ。食事を終えるまで待つとな」

 

 たしかにそうだった。もちろん気にする必要などないことなのだが、ヴォルデモートと話をすることは、アルテシアにとって意味のあること。その意味では絶好の機会なのである。アルテシアは、このままヴォルデモートが来るのを待つことに決めた。

 




 クリミアーナの森で色々と考えてきたアルテシアですが、まだ、すべてが決したわけではありません。基本方針が決まったといったところ。学校へと戻ってきて、まずはハリーと会いますが、相談相手とはなりませんでした。それではと、アルテシアは自分のことに取りかかっていきます。まずは、あの人のところへ。
 デス・イーターの方々がどこへ行っているのかは、たぶん、想像なさったとおりです。
 次回は、あの人とご対面です。


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第118話 「魔法使いの屋敷にて」

遅くなりましたが、続きです。

ダイジェスト版のようなものがあればいいというのが、感想の欄にありました。ああ、たしかにそうだって作者も思いました。すぐに、というわけにはいきませんけど、そのうち実現したいと思っています。


 ある魔法使いの屋敷にアルテシア・ミル・クリミアーナの姿があった。ヴォルデモートとの会談のために訪れたのだが、その応接の部屋にとどめられたまま、どれくらいの時間が過ぎたのか。

 そのことを、アルテシアは考えないようにしていた。いずれにしろ、ここにいるしかないのだ。ならば監視役のつもりで一緒にいる男から、なにか情報が引き出せないかと、そちらのほうに注意を向ける。だがワームテール、あるいはピーター・ぺティグリューという名の男は、ろくな情報を持っていないようだ。意識して隠しているのなら大したものだが、実際には何も知らない、いや知らされていないのではないか。

 話をするだけ無駄だと判断したアルテシアが、ついには話をするのが苦痛となってきたころとなって、ようやくにしてヴォルデモートが顔を見せた。ワームテールにはお茶の用意を命じ、アルテシアの対面に座った。

 

「お待たせしてしまったかな。申し訳ない」

 

 と、そんなことはちっとも思っていないであろう言葉を口にする。アルテシアも、軽くほほえんで見せただけ。スネイプは、姿を見せない。どうやら、本当にこの屋敷にはいないらしい。その気になればそれを確かめるくらいのことは簡単なアルテシアだが、そのためには魔法を使うことになってしまうため、自重している。

 いま、この屋敷の中にいるのはほんの数人。テーブルを挟んでソファーに座っている2人と、言いつけどおりに飲み物を用意し、並べていく男くらいなのだろう。

 

「心細いのではないか」

 

 アルテシアは、何も言わない。ただ静かに、ヴォルデモートを見つめていた。ヴォルデモートのほうは、その視線には応えずワームテールに部屋を出て行くようにと指示をする。そして、改めてアルテシアをみた。

 

「正直に言ったらどうだ。セブルス・スネイプはどうしたのだろう。なぜいないのだろう。自分は置いていかれたのか。いないと不安だと」

「そうですね」

「言っておくが、セブルスだけではないぞ。この屋敷には誰もいない。おまえとオレの2人だけだ。そのほうが、じっくり話ができると思わんか」

 

 実際にはワームテールがいるのだが、ヴォルデモートのなかでは数に入っていないらしい。それにはアルテシアは、ただ軽く微笑んでみせただけ

 

「小娘。おまえがあの男からなにを聞かされていたかは知らん。知らんが、何も期待はするな。セブルス・スネイプは、ダンブルドアの手駒ではない。オレさまの忠実なる部下であり、デス・イーターだ」

「仮にそうだとしても、わたしの先生です。スネイプ先生には、たくさんのことを教えていただいたきました。それで十分です」

「ほう。これは傑作だ。たとえば何だ? あの男が、いったいおまえに何を教えたというのだ」

 

 だがその問いに、アルテシアが答えることはなかった。いくらかの間があったのは確かだが、アルテシアが答えるより速くヴォルデモートが言葉を続けたからだ。彼にとっては、スネイプの教師振りなどどうでもいいことなのだろう。

 

「そういえば部下の1人が言っておったな。おまえと相対したとき、杖になにかされて魔法を打てなかったと。だがその方法をセブルスが教えたのだとは思わん。おそらくはクリミアーナ家の秘術なのだ。そうであろう?」

 

 だがアルテシアは、軽く首を傾げて見せただけ。ヴォルデモートの言うことに思い当たることがなかったからだ。

 

「ベラトリックス・レストレンジという魔女がいる。もちろん忠実な部下であり、極めて優秀な魔女だが、さて。おまえとどちらが上か、勝負してみないか。向こうはやる気満々だったぞ」

 

 と言われても、どう返事をすればいいものか。それが思いつかないアルテシアは無言を守る。

 

「どうした。この勝敗には、非常に興味があるのだが」

「とりあえず、ご遠慮させていただきます」

「まあ、よかろう。ともあれ、おまえたちの魔法は実に興味深いものだ。独特な学習法も面白い。ダンブルドアにしても、それらを間近に見るため、そばに置くためにおまえをホグワーツに入れたのであろうことは疑いがない」

「魔法書のこと、ご存じなのですよね」

「ああ、知っているぞ。ダンブルドアよりも詳しいはずだ。なにしろ、おまえの一族の家に滞在していたことがある」

 

 それがミルアーナ家であること。そのことはアルテシアも承知しているのだが、ここでは口に出さない。少しずつだが、アルテシアにとっての本題へと話は近づいてきつつあるのだ。この機会を逃すつもりはない。

 

「その家で魔法書をご覧になったのですね。でもそれ、すぐには読めなかったのではないですか」

「そうだな。あれは数年かけて学ばねばならぬものだと聞いた。さしずめ、ホグワーツで7年学ぶようなものだろう」

「どれほど、勉強されましたか。読めるようにはなったのですか」

 

 この問いかけに、ヴォルデモートがどういう返事をしてくるのか。アルテシアにとっては、大きな関心のあるところ。だがもちろん、ヴォルデモートが同じとは限らない。

 

「そんなことが気になるのか。それよりも、オレさまがどうして魔法書の存在を知っていたのか。それを探そうと思ったのか。そちらをこそ気にするべきではないか」

「え?」

 

 言われてみれば、その通りなのかもしれない。そんな思いが、アルテシアの頭の中をよぎる。そもそもアルテシアは、クリミアーナ家など、魔法界では忘れられた存在だと思っていた。ましてや、魔法書のことを知っている人などいるはずがない、と思っていたのである。少なくとも、マクゴナガルがクリミアーナ家を訪ねてくるそのときまでは。

 

「気にならぬと言うならそれでよいが、このオレが、魔法書を学びたい、学ぼうとは思ったのは確かだ。おまえたちの魔法を得ようと考えた。だが結局、そうはしなかった。なぜだかわかるか、小娘」

「あっ、あの、ええと、どういう判断があったのかはわかりませんけど、少なくとも、魔法界を手に入れる役には立たないと思われた。そんなところでしょうか」

 

 もちろん、この話をしたくてここまで来たのだ。まさにその話になろうとしているのに、前の話に戻りたいと思ってしまうことに戸惑いを覚えるアルテシア。

 

「あれはまだ、若い頃の話だ。おまえなど、生まれてもいなかったころのことになる」

 

 この話を進めたいという思いと、前の話に戻りたいという思い。その2つがアルテシアのなかでせめぎ合う。そんなアルテシアに気付いているのかいないのか、ヴォルデモートの話は進んでいく。

 

「たしかルミアーナとかいったはずだが、おまえの家と関わりがあるのは間違いなかろう」

「ええと、確かにそうですけれど、でも、どうしてご存じなのですか?」

 

 その問いには2つの意味が込められているのだが、ヴォルデモートからの返事は1つだけ。すなわち、ルミアーナに関することになる。

 

「特徴のある魔法だからな。ひとめ見ただけで、すぐにわかったのだ。あの家の者はクリミアーナの魔法を使えると」

「なるほど。それで、魔法を学ぶことにはしたのですよね」

「そういうことだが、結局のところあれはオレさまには不要なモノだった。そういうことになる」

「何故です? 魔法書を望まなかったのは何故ですか」

 

 アルテシアにとって重大な関心のある部分であるためか、次第にアルテシアはヴォルデモートの話に引き込まれていく。

 

「欲しい、とは思った。だが時間がかかりすぎるのだ。オレさまにとっては、魔法界を従えるなど難しいことではない。そこまで時間をかける必要を感じなかった」

「しかし、それに対抗しようとする人は多いのでは。たとえばダンブルドア校長が立ちふさがるのではないですか」

「ダンブルドアか。なるほど、あの男であれば邪魔をしてくるであろうな」

「勝てますか?」

 

 どうやらその一言は、ヴォルデモートの気に触ったらしい。いくらかの不機嫌さが混じった顔をアルテシアに向けた。

 

「ダンブルドアなど、問題ではない。肝心なのはおまえだ、小娘」

「わたし、ですか」

「仮におまえがダンブルドアに手を貸し、オレさまの邪魔をしたとしよう。さすれば、状況は大きく変わることになる。だが」

 

 そこまで言って、ヴォルデモートはニヤリと笑って見せた。

 

「あいにくと、そんなことにはならぬのだ。なぜだかわかるか」

 

 問いかけの形となっていたが、ヴォルデモートはアルテシアの返事を待つことなく話を続ける。答えなど求めてはいないらしい。

 

「おまえ、ダンブルドアを嫌っているだろう。セブルス・スネイプの報告などからそう判断したが、どうだ。違うか」

 

 実際はどうなのだろう。束の間、アルテシアは考える。その考えている間にも、ヴォルデモートは話を続けていく。

 

「そのような相手に手を貸そうとはしない。オレさまの理解によればそうなるのだ。ゆえにおまえが、ダンブルドアと手を組むことはない。そこがポッターとは大きく違う」

 

 なるほどヴォルデモートの言うように、ホグワーツでアルテシアは、ハリーのようにはダンブルドアと近しい関係ではない。むしろマクゴナガルと親しいのだが、そこまでヴォルデモートは知っているのかどうか。

 

「なぜおまえをここへ呼んだのか。なぜおまえは、ここへ来たのか。よほどの阿呆でない限り、答えは明らかだ」

「なるほど。ですけどわたしは、あなたの部下になるつもりなどありませんよ」

「さもありなん。だが今、おまえを仲間とするのは、さほど難しいことではない。例えば、こうすればよいのだ」

 

 ヴォルデモートの手の中には、いつのまにか杖が。すばやく振られた杖から発せられた光が、アルテシアの身体を貫く。おそらくは、無言呪文であるのだろう。掛け声もなくいきなり飛び出した光が、あっという間もなくアルテシアの胸のあたりを貫通していく。

 

「ふうむ、何の抵抗もなしとはな。イザとなればこんなものかもしれんが、さて。まだまだ子ども、とでも思えばよいのか」

 

 軽く顔を左右に振る、ヴォルデモート。その視線は、前のめりにテーブルに突っ伏した格好のアルテシアをじっと見つめている。そして、ゆっくりと席を立つ。その視線は、相変わらずテーブルに顔を伏せたままのアルテシアから動かない。

 

「だが、文句など言うべきではあるまい。なにもかもが手に入ったのだ。クリミアーナは我が手に落ちた。オレさまが魔法界を掌握するための障壁が今、取り払われたのだ。すなわち魔法界は、オレのものになったというわけだ」

 

 いまにも得意げに笑い出しそうな、そんなふうにも思えたが、笑い声が発せられることはなかった。そのときちょうど、部屋に入ってきた者がいたからだ。

 

「セブルス、ではないか。なぜ戻ってきた。どうしたというのだ?」

 

 入ってきたのは、セブルス・スネイプ。アルテシアのほうにはチラッと目を向けただけで、すぐさまヴォルデモートの前へと歩み寄る。

 

「ご報告することがございます」

「あ? 報告だと。ああ、ホグワーツ襲撃のことか。失敗したなどとは聞きたくもないが」

「もちろん、朗報でございます。ダンブルドアのことですが」

「おお、どうなった? 仕留めたか」

 

 ゆっくりとうなずくスネイプ。対して、ヴォルデモートは。

 

「本当か。間違いないか。確かなのだな」

「間違いありません。いまホグワーツは、大混乱となっております」

「そうか。当然そうなるだろう。よし、このオレも顔をだしてやるか。ポッターめを見つけることができるかもしれん」

「お気をつけください。不死鳥の者どもが集まっております。ホグワーツの教師陣や、魔法省の闇祓いなども」

 

 そんな注意など必要ないとばかり、ヴォルデモートが声を荒げた。なにしろ、ダンブルドアが消えたのだ。もはや、少しは対抗できそうな者すらいなくなったと言うのである。そして、その手にある杖でアルテシアを指し示す。

 

「見よ。なにより厄介だと思っていたこの娘にしてもが、このありさまなのだ。もはや、このオレを止められる者などいやしない」

 

 そんな言葉を得意げに続けていくヴォルデモートの前で、スネイプは静かに膝をつき、頭を下げた。

 

 

  ※

 

 

 その部屋で、相変わらずアルテシアはテーブルに突っ伏していた。そこにヴォルデモートの姿はなく、スネイプがいるだけ。そう、ヴォルデモートが屋敷を出てしまってからも、スネイプはここに留まっていた。ときおり部屋を出ることはあったが、ずっとこの部屋にいてアルテシアをみていたのである。

 そのスネイプが、ふーっと大きく息を吐いた。それまで部屋の隅のほうに立っていたのだが、ゆっくりと歩を進めていくと、アルテシアの前に座った。

 

「もういいでのはないか。そろそろ話をしたいのだが」

 

 あたかもそれが合図となっていたかのようだった。閉じられたままだったアルテシアの目が、ぱっと開かれた。そして、ゆっくりと身体を起こしていく。

 

「闇の帝王はお出かけになった。吾輩は、おまえを見張るようにと指示を受けている」

「そう、ですか」

 

 右を見て、そして左。それからまっすぐに前を向く。軽く、深呼吸。

 

「おまえが今夜、どんな話をして何を思い、そして、どんな決定をしたのか。それを尋ねることはしない。なぜなら、吾輩は吾輩の思ったようにするからだ。なにもかも予定通りに進めていくが、それでかまわんな?」

 

 すぐには、アルテシアから返事はない。もう一度、周囲を見回していく。そして。

 

「ワームテールという方がおられたはずですけど」

「そうだな。屋敷のなかにはいるが、この部屋に近づくことは禁じておいた。もっとも、盗み聞きくらいはしようとするだろうがな」

「それでいいのですか」

 

 ワームテールという男のことを、アルテシアは詳しくは知らない。だがスネイプの口ぶりからは、いささかも気にしていないことがうかがえた。なのでアルテシアも、スネイプと同じように頭の中からその存在を追いやることにした。

 

「これからのことだが」

「はい」

「おまえは、クリミアーナに戻っておれ。そのほうが、なにかと都合がいい」

「それは、誰にとっての、どんな都合なのですか」

 

 その質問にスネイプは、ふんっ、と鼻先で笑って見せた。そんなのは言うまでもない、といったところだろう。

 

「これから、なにかと慌ただしくなる。吾輩の立場も確保しておかねばならん。そういうことだ」

「スネイプ先生にとって、そのほうがよいのですね」

「いまは、そうだ。おまえの面倒などみている余裕がない」

 

 それは、具体的にはどういうことなのだろう。アルテシアは考える。だが難解なその問題には、容易に答えは出てこない。そのための情報が足りないからだ。

 

「学校、ではなくクリミアーナなのですね」

「そうだ。おそらく授業も中止となるだろうから、ちょうど良いではないか」

「それは、校長先生が亡くなられたからですか?」

 

 スネイプの片方の眉が、ぴくりと動いた。だが、それだけのこと。いつもの無表情が崩れることはない。

 

「その通りだが、なぜだ。おまえがそれを知っているはずはないのだが」

「ホグワーツ襲撃のことを、さきほど」

「ああ、あれか。聞こえていたとは思わなかったが、たしかにその話をしたな。帝王はお喜びだった」

「それなのに、学校に戻らなくていいのでしょうか」

 

 戻れば、何かしらすることはあるはず。そんなアルテシアの主張は、即座にスネイプから却下される。

 

「わざわざ、混乱の中に飛び込むことはない。おまえが行けば、さらに拍車をかけることになる。落ち着くまでは離れているほうがよいのだ」

「ですけど」

「やめておけ。今さらおまえが行ってどうなるというのだ。じきに騒動はおさまるだろう」

「だとしても、行った方が」

「いいから、黙って聞け」

 

 アルテシアの言葉をさえぎると、スネイプは、学校には不死鳥の騎士団メンバーや闇祓いたちが駆けつけており、騒動は収束に向っていることを告げる。意気揚々と出かけていったヴォルデモートにしても、すぐに撤退することになるはずだと言うのである。それというのも、襲撃への対処が早かったからであるらしい。

 

「なぜか闇祓いの、それも見習いの者が駆けつけてくるのが早くてな。デス・イーターどもも戸惑ったことだろうが、見習いにしてはなかなかの腕前だった」

「そうですか」

「たしか、その見習いの指導をおまえがしていたはずだな」

 

 それが魔法省より依頼されたアルテシアの仕事なのだから、そうするのが当然。参加自由の勉強会のようなものになってはいるが、今も3名ほどの出席者がいる。学校に駆けつけたのはその3人で、おそらくそれを率いたのはトンクスではないか。アルテシアは、そんなことを考える。

 

「それはさておき」

 

 アルテシアが少し考え込むようなそぶりをみせたからか、スネイプは、話の方向を変えてきた。

 

「その者らの活躍もあって、もうじき、デス・イーターたちが逃げ帰ってくることになるだろう」

「ここへ、ですか」

「そうだ。何人かは拘束されたにせよ、逃げおおせた者も多かろう。このままでは、ここでおまえと顔を合わせることになる」

 

 そういうことなら当然そうなるが、だからといって、アルテシアにはどうしようもないことだ。戻ってくるなと言える立場ではない。いや、言う必要もない。

 

「ベラトリックス・レストレンジも、戻ってくるだろう。あの女が、やすやすと捕まるはずがないからな」

「その名前、例のあの人も言ってました。どういう人なんですか?」

「気になるか。もしかすると、おまえの宿敵となるかもしれぬ女だ。実力が伴えば、という話にはなるが」

 

 アルテシアが、少しだけ首を傾けてみせた。今ひとつ、スネイプの言うことが頭に響いてこないのだ。

 

「とにかく、だ。デス・イーターどもが戻ってくれば、なにかと面倒になる。今すぐクリミアーナに戻れ。そのうち連絡する」

「そうですか。でも、先生。例のあの人、ヴォルデモート卿も戻ってきますよね」

「ああ、そうだな。あのお人こそ、おいそれと捕まったりはしない」

「だったら」

 

 そういうことなら、すぐクリミアーナに戻るのは避けるべきではないか。ヴォルデモートなりデス・イーターなりの何人かが戻り、アルテシア自身が屋敷にいることを確認させてからのほうがいい。さもないと、困ったことになる。

 

「そんなことは、おまえが気にすることではない」

「いいえ、先生が困ることがわかっているのにそんなこと。それより先生、約束のことですけど」

「なんの約束だ?」

「この屋敷で、わたしは魔法を使ってはいけないと」

 

 そう言ったアルテシアを、スネイプはあきれたように見つめる。

 

「魔法を使わせろ、つまりは戻ってくるデス・イーターらと戦わせろということか。ばかものめ」

「違います、先生。念のために、ということです」

「どういうことだ?」

「だから、念のためにです。予想外のことが起きなければ、それでいいんですけど」

 

 まだ何か言いたそうにはしていたスネイプだったが、ここで時間切れ。屋敷の中が、にわかに騒がしくなってきたからだ。デス・イーターの誰かが戻ってきたようだ。

 

「戻ったか。さて、何人が戻ってきたやら」

「あの、先生」

「話は終わりだ。とにかくおまえは、クリミアーナに戻れ。戻るための魔法だけ使ってよい。連絡するまで、向こうでおとなくししておるのだ。わかったな」

 

 つかつかと歩き、部屋を出て行く。デス・イーターの出迎えなのだろうが、同時にその間にクリミアーナへということでもあるのだろう。だがその思惑とは裏腹に、ややあってこの部屋へと戻ってきたときにも、そこにアルテシアはいたのである。

 

「おーやおや、本当にいたねぇ。あたしゃ、とっくに逃げ出してるって思ってたけどねぇ」

 

 真っ先に部屋に入ってきた魔女が、そんな言葉とともに嘲笑気味な笑みを見せる。続いて、デス・イーターたちが次々と。もちろん、その中にスネイプもいる。そのスネイプは無言のままでアルテシアを見ていたが、アルテシアはその魔女に声をかけた。

 

「ホグワーツ、どんな様子ですか?」

「なんだって?」

「襲撃されたと聞きました。わたし、ちょっと様子を見に行けないんで、教えてもらえたらって」

「さすがに生意気なことを言うねぇ。いいさ、教えてやるよ。あたいとの勝負に勝ったらね」

「勝負?」

 

 きょとんとした顔のアルテシアに、その魔女はなおもあざけるように笑ってみせた。

 

「おまえがここにいることは、聞いてたさ。正直、見張りとしてセブルス・スネイプが番をしてるって聞いて心配はしてたんだけど」

「それは、どういう意味かな。聞いてもよいか」

 

 思わず、なのだろう。ずっと黙っていたスネイプが、そんなことを口走った。その魔女が、待ってましたとばかり、スネイプを見る。

 

「大事な大事な教え子、なんだろう。あたしはね、わが君におまえがこの娘を差し出すはずがない。ずっとそう思ってたんだよ」

「だから、とっくに逃がしている。ここにいるはずがない。そう思っていたと言うのだな」

「ああ、そうさ。どこか、間違ってるところでもあるってのかい?」

 

 その場の空気が一気に凍り付く。その緊張をほぐしたのは、最後にこの部屋に入ってきた男だった。

 

「やめておけ、ベラ。クリミアーナの娘は、ちゃんといるではないか」

「わっ、わが君!」

 

 ベラと呼ばれた魔女が、すぐさま男の前に出て跪く。他のデス・イーターたちも同じだ。

 

「このオレの指示通り、セブルスはクリミアーナの娘を連れて来た。指示通り、ここで見張っていた。オレさまに忠実であるからこそ、小娘はここにいるのだ。そうではないか」

 

 しゃべりながらも、部屋の中ほどへと歩を進める。デス・イーターたちからは、なんの反論も聞こえてこない。その男、ヴォルデモートが改めてスネイプを見る。

 

「ご苦労だったな、セブルス。おまえは、これからホグワーツに戻るのだ。小娘の見張りは別の者にまかせることにする」

「わが君、わが君。そのお役目、ぜひともこのわたくしに」

 

 ベラと呼ばれた魔女、すなわちベラトリックス・レストレンジからの願いは、すぐさまヴォルデモートによって許可される。

 

「言わずもがなだとは思うが、十分な注意が必要だぞ。その娘の存在は重要な意味を持つ。手放すことなどできんのだ」

「ご安心ください、わが君。この杖にかけましても」

「それから、セブルス」

 

 ベラトリックスへの話はそれまでとばかり、ヴォルデモートがスネイプへと向き直った。

 

「ダンブルドアが消えた今、ホグワーツを手に入れるという選択肢が生まれた。すなわち、校長職を手に入れるのだ」

「そんなことができますか」

「では、マクゴナガルに譲るのか。なにもせねば、そうなってしまうぞ。他には候補などおるまい」

 

 だからといって、どうしろというのか。あるいはそんなことを思ったとしても、それを表情に出すようなスネイプではなかった。

 

「心配はいらぬぞ。魔法省関係の根回しは、進めておる。おまえは、ホグワーツの教師どもからの支持を得ていくがよい。きっと役立つだろう」

「そうですか」

「わかったなら、早く行け。この件も重要なのだ。必ず実現せねばならん」

 

 ヴォルデモートにそう言われてしまえば、拒否することは難しい。つまりスネイプには、黙ってうなずき静かに部屋を出て行く以外の選択肢はない。

 

「では、わたしは一旦、自宅に戻らせていただきます」

 

 そう言い残してスネイプがいなくなると、邪魔者はいなくなったとばかり、早速にベラトリックスがアルテシアへと向き直る。

 

「では、お嬢ちゃん。勝負といこうか」

 

 すでにベラトリックスの手には、当然のように杖がある。やる気満々といったところだが、アルテシアのほうは杖を出して構えることもなく、立っているだけ。

 

「どうした? 杖くらい出したらどうなんだい」

 

 だが、アルテシアは軽く微笑んでみせただけだった。当然、ベラトリックスはいらだちをみせたが、ヴォルデモートが口を挟んでくる。

 

「あー、言い忘れていたが、ベラ。小娘には、服従の呪文がかけてあるのだ」

「服従の呪文、ですか」

「あのう、わが君。たしかその娘には、インペリオ(Imperio:服従せよ)は効かなかったはずです」

「なんだと」

 

 戻ってきていたデス・イーターたちのなかから、そんな声がかかる。なんでもその男は、かつてアラスター・ムーディーになりすましてホグワーツに潜入していたバーテミウス・クラウチ・ジュニアから聞いたことがあるのだという。

 

「つまり授業で実際にかけてみたが、失敗したというのだな」

「そうです。そのように言っておりました」

「だが、それはあらかじめわかっていたからではないのか。ふいに呪文をかけたなら……」

 

 そんなヴォルデモートの言葉が終わらないうちに、デス・イーターたちのなかから、声が上がる。

 

「あの娘がいないぞ」

「なんだ、消えた? 姿くらまし、したのか」

「いや、違うだろ。音がしなかったぞ」

「何故だ。何をしたんだ?」

 

 デス・イーターたちがヴォルデモートに注目していたほんのわずかの間に、アルテシアがいなくなってしまったのである。

 




 アルテシアと、例のあの人との会談の回でした。この2人に、どのような話をさせるのか。実は、何度も何度も書き直しました。それが時間がかかった原因の一つでもあります。それこそいろんなパターンの話をさせましたけど、書いては消し、書いては消し、というのが続き、こんなところに落ち着きました。
 といいますのも第7章があるからで、この物語はもう少しだけ続くからです。なので、あっさりめで終わらせることにしました。決着つけるのはもう少し先ってことです。
 次回は、校長先生の葬儀などの話です。


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第119話 「襲撃の、その後で」

「ダンブルドア校長が亡くなりました。それから、けが人が数名出ているのですが……」

 

 医務室から出てきたマクゴナガルが告げたのは、部屋の外で待っていたパチル姉妹だ。この夜、ホグワーツを襲った騒動がようやくにして落ち着きを見せたあと、負傷して医務室に運ばれた数人を見舞ってきたところである。

 

「幸いにも、マダム・ポンフリーの手に負えないような状態の人はいません」

「アルがいれば、そんなことにもならなかったんでしょうけど。でも、トンクスさんたちが来てくれてよかったです」

「それに、あなたたちもいましたからね。その力も大きかった。わたしはそう思っていますよ」

 

 マクゴナガルとパチル姉妹とが、連れ立って歩いていく。向かう先は、とりあえず校長室。ダンブルドアが亡くなった今、副校長であるマクゴナガルには、校長室を守る義務がある。

 そう、ダンブルドアは死んだのだ。この夜、ホグワーツに大挙して押しかけてきたデス・イーターたちとの騒動のさなか、命を落とした。それで間違いないのだが、マクゴナガルにはいくつか気になる点が残った。

 ダンブルドアは今夜、ハリーを連れ学校の外へと出かけている。そして、デス・イーターたちによるホグワーツ襲撃。そこにトンクスなど闇祓いの者たちが駆けつけ、不死鳥の騎士団のメンバーなどが続いて大騒動となった。デス・イーターは撃退したものの、あのヴォルデモートまでもが姿をみせるという混乱のさなかにダンブルドアが命を落とした、というわけである。

 それが、この夜にホグワーツで起こったことのあらましとなるが、ダンブルドアの外出目的はなにか。デス・イーターは、その留守を狙っていたのだろうか。

 ダンブルドアの行動に関しては、同行したハリーが説明を拒否している。そのため真相は不明だが、アルテシア、ソフィア、ティアラから聞いた話や、その他で見聞きしたことなどを合わせて考えれば、マクゴナガルにはある程度の予測はついた。分霊箱に関することで間違いない。間違いなくダンブルドアは、分霊箱を探しているのだ。

 分霊箱がある限り、ヴォルデモートが死ぬことはない。実際に彼は復活してみせたのであり、そんなヴォルデモートを滅ぼすには、すべての分霊箱を処分する必要がある。ダンブルドアはそんなことを考えたのだろうと、マクゴナガルは推察。それをハリーに引き継がせる腹積もりなのだ。今夜彼を同行させたのは、その一環とみて間違いない。

 と、いうことは……

 

「先生。アルテシアなんですけど」

「え?」

 

 結論に行き着こうとしていた考えが、不意に引き戻される。ちょうど、目的地である校長室へと続くガーゴイルの像が見えてきたところだ。

 

「アルテシアからは、まだ連絡がありません。あたしたち寮に戻ってますけど、ソフィアが何か言ってきたら、すぐに知らせに来ますね」

「ああ、そうですね」

 

 ここでパチル姉妹が、戻っていく。さすがに今は、校長室へと連れて行く訳にはいかない。言われなくとも、姉妹のほうでもそれは分かっているようだ。2人を見送ったマクゴナガルが、ゆっくりと校長室への螺旋階段を上る。

 それにしても。

 今夜は、アルテシアもホグワーツにはいなかったのだ。デス・イーターたちの襲撃は、その留守を狙ってのことだとするのは考えすぎだろうか。デス・イーターたちは、今夜アルテシアがヴォルデモートの元を訪れることを承知していたはずなのだ。ホグワーツ敷地内への侵入経路もわかっていないし、不明な点はいくつもある。

 校長室のなかは、いつもと変わりがなかった。ただ、不死鳥の止まり木は空っぽになっていてフォークスの姿はなく、壁面の歴代校長の肖像画が1枚増えていた。その新しい肖像画のなかで、ダンブルドアが穏やかで和やかな表情を浮かべてまどろんでいた。寝ているようだ。肖像画のダンブルドアも、そのうち他の肖像画のようにしゃべり出すのだろう。

 

「ミネルバ、もうじき魔法大臣がやってくるぞ。魔法省から『姿くらまし』するのを確認した」

 

 マクゴナガルがぼんやりと肖像画を眺めていると、その列の中から声がした。歴代校長の1人、エバラードの声だ。彼はホグワーツだけではなく魔法省にも自身の肖像画があるため、自在に行き来することができる。そこで見てきたらしい。

 

「ありがとう、エバラード」

 

 そう言って、軽くため息。どうやら気が重いらしいが、こうなってしまったからには、魔法省の役人との話し合いは避けられない。後任の校長をどうするかや、学校の存続に関する話題も出るだろう。ともあれ、寮監たちを集合させておかねば。

 マクゴナガルの思いがそこに至ったとき、ドアをノックする音がして、スプラウト、フリットウィック、スラグホーンが姿をみせた。

 

「ああ、皆さん。間もなく、魔法省から人がやってきます。それまでに、少しお話しできますか? 今後のホグワーツについてどうするのがよいか」

 

 3人ともにそのつもりであったらしい。話し合いの必要性を感じたのはマクゴナガルだけではなかったということだ。スリザリンの寮監はスネイプなのだが、その代理としてスラグホーンということになる。

 3人が、それぞれに椅子に座った。

 

「皆さん、間もなく魔法省から人がやってきます。今夜、なにがあったのか。後任の校長をどうするか、来年度からの学校をどうするか。魔法省とはそんな話になると思います。ご自分の意見をまとめておかれたほうがよいと思いますね」

 

 少し早口になってしまうのは、仕方のないところか。他の寮監たちもうなずいてみせた。

 

「ダンブルドアならば、間違いなく学校の存続を主張なさるところでしょう」

 

 そう言ったのは、スプラウト。その意見に反対するものは誰もいなかった。だからといって、ではそうしましょうと決めてしまえるようなことではない。魔法省の方針や学校の理事との話し合いが前提、ということになる。

 

「しかし、ミネルバ。今はあなたが校長なのです。まずは、あなたの意見から伺いましょう」

「そのとおりです。もちろん、ダンブルドアの考えを受け継がねばならないということはない。あなた自身の考えでよいのです」

 

 スプラウトに続いてフリットウィックも、まずはマクゴナガルの意見が軸になると主張。マクゴナガルは、黙ったままのスラグホーンを見た。スラグホーンは軽くうなずいてみせる。

 

「そうしてください。わたしの意見は、そのあとで述べましょう」

「そうですか」

 

 魔法省が来るまで、さほど時間があるわけではない。あるいは決定事項だけを伝えに来るのかもしれないが、学校側の意見をまとめておく必要はあるだろう。

 

「わたしは、学校は存続させたいと思っています。今学期、残る数日はしかたがないにせよ、新学期からはいつもどおりに再開させたい。そうしなければいけないと思っているのです」

「その理由、お聞きしても?」

 

 フリットウィックの言葉に、ゆっくりとうなずくマクゴナガル。

 

「仮にホグワーツが閉鎖されたとします。すると、どうなるでしょうか。そうなればもう、こちらへ戻ってはこれなくなる。おそらく、そうなるのです。それが魔法界にとって、どれほどの痛手となるか。極めて大きな損失であることは間違いありません」

「それは、ミネルバ。それって、もしかしなくてもあの子のことなんだろう?」

 

 スプラウトの問いに答えようとしたとき、ドアをノックする音がした。すぐにドアが開き、グスグスと涙ぐみ、目を真っ赤にしたハグリッドが入ってくる。

 

「済ませましただ、マクゴナガル先生。ちゃんとしました。整えましたです、ハイ。いつでも葬儀ができます」

「ああ、ありがとうハグリッド」

「それから、魔法大臣をお連れしましたです。大臣も、ダンブルドアの冥福を祈ってくれたです」

 

 ハグリッドの大きな身体に隠れていたが、その後ろに、確かに魔法大臣のルーファス・スクリムジョールがいた。

 

 

  ※

 

 

 スピナーズ・エンドと呼ばれる、さびれた路地。近くには廃墟となった工場があるくらいで、あと、せいぜいがうす汚れた水が流れる川くらい。

 そんな場所を、セブルス・スネイプが歩いていた。この袋小路の一番奥にある家が、スネイプの実家なのである。その家のドアを開けると、薄暗く、陰気な感じのする部屋がある。黒ばかりの、他に色のないモノトーンの部屋。そこでスネイプが、すり切れたソファーと古ぼけた肘掛椅子などを見回していると、ドアをノックする音が聞こえた。いつものスネイプであれば、あるいは無視したかもしれない。来客などあるはずがないからだ。だがこのときは、なにかしら予感があったのだろう。スタスタと歩き、ドアを開けた。

 

「やはりおまえか。ともあれ、なぜ、と聞いておかねばならんな」

「そのなぜには、いくつも意味がありそうですね」

 

 ふっ、とスネイプが唇を歪ませた。そして、部屋の中へと招き入れる。訪問客は、アルテシアだった。

 

「そうだな。3つほどの意味を込めたつもりだが、そんなことはいい。たしか吾輩は、クリミアーナへ戻れと言っておいたはずだ」

「それなのに、なぜ、ここに来たのか。それが1つめ、なんですね」

 

 そう言って微笑むアルテシア。いつもどおりのその笑顔に、スネイプがため息をついた。

 

「のんきで結構なことだが、自分の置かれた状況を分かっているのか。まさか、帝王の許しを得て屋敷を抜け出したわけではあるまい。これでおまえは、敵であると認識されたことになる。付け狙われるぞ」

「ええと、そこまで考えてませんでした」

「なんとなんと。全くの考えなしであったとは。あきれるばかりだ」

 

 それでも、アルテシアの笑顔は途切れなかった。

 

「でも、先生。きっと、大丈夫ですよ。先生が逃がした、というお話にはなっていませんから」

「ばかもの。吾輩のことより、おまえだ。おまえを無事にクリミアーナへ帰すと約束したからこそ、マクゴナガルはおまえを連れ出す許可を出したのだ。忘れたか」

「いいえ。でも、先生。お聞きしたいことがあるんです」

「なんだ。吾輩は忙しい。そのうちクリミアーナへ行くことになる。そのときにしろ」

 

 あからさまに拒否するスネイプだが、アルテシアのほうも引き下がるつもりはないらしい。スネイプにかまわず、質問する。

 

「ダンブルドア校長が死んだと、さきほど。命を奪ったのは、先生ですか」

「だったら、なんだ。吾輩を軽蔑するのか。ずいぶんと今更、だな」

 

 そんな機会は、いくらでもあったはずだとスネイプは言う。グリフィンドールの生徒であれば、それが当然なのだと。

 

「ホグワーツで、なにかあったんですよね。教えてください、先生。ホグワーツはどうなりましたか。これからどうなりますか?」

「面倒だ。他の者に聞け」

「もちろんパチル姉妹や、マクゴナガル先生にも聞きます。でも、スネイプ先生からも聞いておきたいんです」

 

 スネイプとアルテシアの視線がぶつかる。なんのために? 無言でそう問いかけるスネイプに、アルテシアが軽くうなずいて見せた。

 

「もちろん、必要だからです」

 

 だから、なんのために? なおも、スネイプの視線はアルテシアに向けられたままだ。そんな時間がどれだけ続いたのだろう。ほんの数秒か、あるいは数分か。

 スネイプが、軽く左右に首を振った。

 

「よかろう、話してやる」

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツにとってのもっとも長い夜。そう称されてもおかしくはない夜が明けた。その朝に、マクゴナガルは大広間に集まった生徒たちの前に立った。昨夜のこと、そしてこれからのことを説明するためである。

 

「皆さん、お静かに」

 

 その一言で、ざわついていた大広間が一気に静かになる。誰もが私語を止め、マクゴナガルの言葉を待った。

 

「昨夜に何があったのか、それを知らない生徒はいないでしょう。その説明は省略し、これからのことについて話をします」

 

 マクゴナガルが、ゆっくりと大広間のなかを見回していく。昨夜の経過については、ある程度の承知がされているのだろう。誰からも異論はでてこない。ならばと、マクゴナガルは話を進めていくことにした。昨夜の騒動は、デス・イーターたちのホグワーツへの侵入を許してしまったことに始まり、ダンブルドアが命を落として終わった。その結果を受けての魔法省の判断を、生徒たちに伝えなければならないのだ。

 

「昨夜、魔法大臣と話し合いの場を持ちました。ホグワーツ理事会の意向についてはこれからのこととなりますが、少なくとも」

 

 もう一度、マクゴナガルは大広間のなかを見回していく。私語などは一切ない。誰もが、マクゴナガルに注目していた。

 

「今学期、残りの授業はすべて中止となります。試験は延期。ホグワーツ特急もすぐに手配され、皆さんには自宅へと戻っていただくことになります」

「先生、ダンブルドアの葬儀はどうなりますか?」

 

 そう言ったのは、ハリーだった。皆の注目が集まる中で、ハリーにさらに続ける。

 

「葬儀が終わるまで、生徒を家に帰すべきではないと思います。みんなもきっと、同じ気持ちのはずです」

「そうですね」

 

 発言は、再びマクゴナガルへと戻る。

 

「問題は、場所をどうするかでした。ダンブルドアがホグワーツに眠ることを望んでおられたのは周知の事実ですが、歴代校長に照らしてみても、そのような例はありません」

「けんど、ダンブルドア校長ほどこの学校に尽くしなすった先生は、ほかに誰もいねえです」

「そうですとも。ホグワーツこそ、ダンブルドアの最後の安息の地になるべきなのです」

 

 ハグリッドの声。そして、フリットウィック。マクゴナガルが、ゆっくりとうなずいた。

 

「そう、そのとおり。魔法省との話し合いの場でもそのような話となり、そのことを了承してもらいました。ですが」

 

 葬儀には参加せず、すぐに家に帰ること。それが基本だとマクゴナガルは言った。まずは生徒を家に帰すことが魔法省の基本方針となっており、それを支持すると言ったのである。

 

「ダンブルドアの葬儀は、明日10時より校庭にて行います。参加者は葬儀終了1時間後に発車するホグワーツ特急に乗っていただきます。参加しない生徒は、今日のうちに家族に迎えに来てもらうなどして帰宅してもらいます。ホグワーツ特急の手配が間に合わないからです」

 

 連日の手配が難しいのは、間違いのないところ。ならば、先にホグワーツ特急を走らせて葬儀参加者を後に残すよりは、葬儀終了に合わせた方がよいという判断である。

 実際、葬儀参加者は多いと予想されたし、すぐの帰宅を希望する人の生徒の何人かは、このときまでに両親に付き添われるなどして帰宅している。ちなみに双子のパチル姉妹は、すでにホグワーツにはいない。

 

 

  ※

 

 

「それで、分霊箱は見つかったのか?」

「いや」

 

 ハリーの否定に、ロンはあからさまにがっかりしてみせた。

 

「なんてこった。ダンブルドアが犠牲になったようなものなのに、見つけられなかったっていうのか?」

「違う。ちゃんとあったんだ。スリザリンのロケットだよ。でも、わからないんだ。分霊箱じゃないかもしれないんだ」

「ちゃんとあったのに分霊箱じゃないって?」

 

 そう言われても、ロンとハーマイオニーはきょとんとした顔を見せることしかできなかった。

 

「スリザリンのロケットが分霊箱なのは間違いないんだ。けど、昨日見つけたのがそうなのかは、わからない。ダンブルドアはこのことを知らないし、もう聞くこともできない」

 

 大広間での朝食を終えた後、ハリーはロン、ハーマイオニーと連れだって、湖の畔を歩いていた。昨夜のこと、あれは本当に起こったことなのだろうか。ただの悪い夢だったんじゃないのか。そんな思いを抱きながら。

 

「どういうことなの」

「見つけたのはこれだよ」

 

 ハリーが見せたのは、表にヘビを模した「S」の文字が緑の石ではめ込まれたロケット。それを、ハーマイオニーが手に取った。

 

「開けてみろよ」

 

 それを開くと、内側には文字が刻み込まれていた。

 

 

『このロケットに、ご自分の大切なモノを保管された方へ。

 R.A.B から聞いていましたが、このような手段は感心しません。

 今後のことを思うと、むしろ困ってしまうようなことなのです。

 よって、これを見逃すようなことなどすべきではないと判断。

 虹色の容器のなかへと処分させていただきました。

 R.A.B にも了解を得ていますので、悪しからず。

                         ガラティア』

 

 

「こ、これって」

「どう思う、ハーマイオニー」

「わからない、わからないけど、ハリー。でも、これって」

「アルテシアに見せるべきだ。ぼく、そう思うな」

 

 ハリーとしても、そうすることは考えた。だがハリーの頭の中では、それが難しいだろうという判断がされている。なぜならハリーは、アルテシアの協力を拒んでいる。状況が変わったとはいえ、それはハリー自身の都合でしかないのだから、今さら力を貸してくれとは言えないし、手伝ってもらえるはずもないと考えているのだ。

 

「確かにダンブルドアは、アルテシアと協力しろって言った。でも、もう無理だろ。だってぼくは……」

「ええ、そうね。あなたは、アルテシアを危険なことに巻き込みたくはない。でもね、ちゃんと事情を説明するべきよ。そうしないと、分霊箱のことは解決しない。きっと力を貸してくれると思うわ。すべて事情を説明すればね」

「それはダメなんだ、ハーマイオニー。ダンブルドアは、誰にも話すなって言ったんだ」

「それでも、アルテシアには見せるべきだぜ、兄弟。だってダンブルドアは、ロケットがこういうことになってるとは知らなかったはずだ」

 

 たしかに、ロケットがどうなっているのかは知らなかっただろう。実際に手にして、初めて分かることに違いないからだ。ダンブルドアと一緒に出かけた、分霊箱探しの冒険。あれを、意味のない冒険にはしたくないとハリーは考える。

 

「もしかすると、R.A.B ってブラック家の人かもしれないな。こっちの人は、たぶんガラガラさんだよな」

「でしょうね。でもこれ、すごく気になるわね」

 

 誰なんだよ、それ? ただハリーは、そう思っただけだった。なぜブラック家が出てくるのか、まったくわからない。ロンやハーマイオニーが何を気にしているのか知らないが、ハリーは、R.A.B には何の興味も感じていなかった。それよりも、ダンブルドアが学校を去ったこと。そのことだけが、ただひたすらに残念だった。

 

「ハリー、たぶん忘れてるんだと思うけど、スリザリンのロケットは2つあることになるのよ」

「えっ!?」

「そうだよな。どっちかがニセモノってことなんだろうけど」

 

 2人が何を言っているのか。ハリーは、まったく理解できないといった目で、2人の顔を交互に見た。

 

 

  ※

 

 

「聞いてくださいな、双子さんたち」

 

 そう言ったのは、パルマ。双子とは、もちろんパチル姉妹のことである。外見がそっくりであるためか、いまだに2人の見分けがつかないパルマは、いつもそのように呼んでいるのだ。

 場所は、クリミアーナ家の食堂。じきに昼食の時間となろうとする頃、パチル姉妹がクリミアーナ家を訪ねてきたのである。それを出迎えたパルマが、双子を応接間ではなく食堂へと通し、お茶の用意をしているところである。

 

「あの、パルマさん。アルテシア、戻ってきてるんですよね?」

 

 パルマには見分けがつかないようだが、質問したのはパドマである。パーバティのほうは、出されたお茶を一口飲んだところ。

 

「ええ、戻ってきましたですよ。夜が明けてからですけどね」

「そうですか。大丈夫だってわかってはいたんですけど。でも、やっぱり心配で。よかったです」

「ですけど、双子さんたち。驚くじゃありませんか。お嬢さまは外泊なすったんですよ」

 

 パーバティとバドマが、顔を見合わせる。そして、軽く笑い合った。アルテシアが外泊したのは間違いない。でもそれは……

 

「なんですね、お嬢さんたち。笑ったりして」

「ごめんなさい、パルマさん。でもアルテシアが泊まったのはルミアーナ家ですから」

「ルミアーナ? そこってのはスピナーズ・エンドってところにあるんですかね。違うでしょうよ」

「えっ、スピナーズ・エンド?」

 

 パチル姉妹にとっては、初めて聞く名称であったようだ。その疑問の表情に答えを返すのは、散歩を切り上げて戻ってきたアルテシアだった。

 

「スピナーズ・エンドって、スネイプ先生のご自宅がある路地のことよ。ルミアーナ家とは関係ないわ」

「アル!」

 

 この日の朝にクリミアーナ家に帰ってきたアルテシアは、パルマにざっと状況を説明したあとで森への散歩に出かけていた。ただクリミアーナ家に来客があったりした場合、アルテシアにはそれが分かるようになっている。そのおかげで、すぐに戻ってこれたというわけである。ちなみにパルマは、結果としてアルテシアが男性宅に外泊したことになるのが気に入らないらしい。

 

「でも、よかった。どこもケガとかなさそうね」

「そりゃそうよ。万が一にもそんなことがないようにってことだったでしょう」

「そうだけどさ」

 

 それでも、心配だったということだろう。なにしろ、名前を言ってはいけないあの人のところへと行ったのだ。部下であるデス・イーターがどれほどいるのかも予想できなかった。何事にも準備が必要、何が起こるかもしれない場所に行くのであるからこそ、あらゆる危険を回避できる方法を取ることとし、まずはルミアーナ家へと向かったのである。そこで自分の居所を確保し、自分の姿だけを投影するような形をとってヴォルデモートのところへ行ったのである。たとえば2年生のとき、秘密の部屋へと向かったときと同様の光の魔術である。実体がそこにはないため、万が一のことが起こるはずもないということになるのだ。

 

「でも、なんでスネイプ先生の家に行くことになったの? すぐにクリミアーナに戻る予定だったはずでしょ」

 

 パドマがそう言った瞬間、パルマの瞳がキラッと輝いた。誰も気づかなかったようだが、その答えがパルマには気になるということだろう。アルテシアが椅子に座り、その前にパルマがお気に入りの飲み物を置く。

 

「ホグワーツで何があったのか、それを聞いておこうと思ったの。いろんなこと、ちゃんと知っておかないと、後で困ることになるかもしれないでしょ」

「あの、あのね、アルテシア。校長先生をスネイプ先生がね、その、本当かどうか確認できなかったんだけど、そんな噂があるの。何か聞いた?」

 

 その言い方では、なにがどうしたのか、まったく分からない。パドマにしては珍しい言い方に、アルテシアは苦笑する。ただ、言いたいことは分かる。

 

「校長先生に頼まれてしたこと、だそうよ。呪いで死ぬことになるまえに、スネイプ先生の手でそうするようにと約束ができていたらしいわ」

「呪い?」

「そう、呪い。校長先生の右腕が黒っぽくしなびた感じになっていたの、覚えてない? あれは呪いのため。例のあの人が仕掛けた分霊箱を保護する呪いを受けてしまって、なんとか対処はしたけれど数ヶ月、せいぜいが1年の命だったそうよ」

 

 分霊箱に関することは、パチル姉妹も知っている。それが、ヴォルデモート復活の要因であることも。だが、呪いを受けるというのがよく分からないらしい。アルテシアが、そのことを説明していく。

 自身の魂を引き裂き、その断片を魔法に関わる何かに保管したもの、それが分霊箱である。その分割された魂が無事であるかぎり、その人物は生き延びることができる。ヴォルデモート卿が復活したときのように何らかの蘇生魔法を使う必要があるにせよ、不死の存在となれるのだ。だがもちろん、保管された魂が無事であることが大前提。強力な呪いは、その前提を担保するためのもの。

 

「なるほど。分霊箱そのものを守らなきゃいけないから、当然、それなりの対策もされてるってことになるのか」

 

 アルテシアが、ゆっくりとうなずく。そして。

 

「ゴーントの指輪。スネイプ先生はそうおっしゃってたけど、校長先生は、その指輪を無防備なままで指にはめてしまった。だから、簡単に呪いにかかったのよ。なんとか腕だけにとどめることはできても、それ以上はどうしようもなかった」

「まさか校長先生、呪いがかけられてること……」

「知っていたでしょうね。だけど、指輪に使われていた『蘇りの石』の魅力には勝てなかった。その石は、死んだ人の魂を呼ぶことができるそうよ。誰と話がしたかったのかまでは分からないけど、そのとき校長先生の頭の中では、呪いのことはすっかり消えていたんだと思う」

 

 その結果、呪いにかかってしまったという訳である。ダンブルドアはその後、呪いによって自身の命がつきようとする寸前に命を奪うようにとスネイプに指示を出している。その指示をスネイプが実行したということになるのだが、そのことがアルテシアはどうにもすっきりしないという。

 

「命を落とすことは避けられない。でも、呪いで、というわけにはいかなかったんでしょうね。誰か人の手によって死ぬ必要があった。だからスネイプ先生に命令した」

「でも、命を奪えって命令だよ。そんなこと、本当に実行するなんて……」

「変だよね。でも何か、理由があるのよ。そうするだけの理由がね」

「そのこと、先生は何か言ってた?」

 

 アルテシアは、ゆっくりと首を横に振る。ただ指示通りにしろと言われただけで、そうすることの意味についてダンブルドアから説明はなかったらしい。ダンブルドアは秘密主義なところがある。必要なこと以外は簡単には話さない。だがたとえ意味不明であろうとも、スネイプにはダンブルドアの指示に従うだけの理由があるようだ。その理由については、話すつもりはないとスネイプは言ったらしい。

 

「そのこと、ポッターたちは知ってるのかしらね」

「知らないとしたら、きっとスネイプ先生を恨んでるでしょうね。ポッターはダンブルドアを慕ってたから」

「そんな生徒は多いよね。ね、これからどうなるのかな」

 

 表面的な事実だけを見るならば、当然そうなるだろう。おそらくは、ほとんどの人がそう思っているのだ。だけど。

 

「けどさ、アル。結局、理由は分からないんでしょ。それでもスネイプ先生がおっしゃってたこと、信用するの?」

 

 ダンブルドアの言い分は、何も聞いていない。両方ではなく片方だけで判断していいのか。パーバティが言うのはそういうこと。それに対してアルテシアは、軽く微笑んで見せた。

 

「ええ。わたしが魔法界に足を踏み入れてから6年くらいかな。その間にわたしが見たこと、聞いたこと。それしか判断する材料がないけど、信じていいんじゃないかしら」

「そうだね。あたしもそう思うかな。でも、これからどうするの? あの人と会って、どうだったの?」

 

 パドマの質問に、アルテシアは軽く微笑みながら、用意されていた飲み物に手を伸ばした。そして、一口だけ飲む。

 アルテシアには、ヴォルデモート卿に会う必要があった。話をする必要があった。はっきりとさせなければならなかったのだ。ルミアーナ家との関わり、クリミアーナの魔法との関わり、そして、自分との関わりを。

 情報が必要だったのだ。何もかもがはっきりとしなければ、今後のことが決められない。これからのことを決めるためには、当然そうしなければならなかった。必要なことだったのだ。

 

「わたしは、アルテシア。クリミアーナのアルテシア。わたしの大事なものに手出しはさせない。大切なものは、必ず守ってみせる」

 

 その決意にも似た言葉を聞いて、パチル姉妹は顔を見合わせた。

 

「じゃあ、アル」

「とりあえず、ホグワーツをどうするかだけど。もうじき、ソフィアがティアラを連れてくるでしょう」

 

 みんなで相談しましょうと、アルテシアはそう言って、カップに残ったお茶を一気に飲み干した。

 




スリザリンのロケットは2つある、とはハーマイオニーの言葉ですが、このときのハリー同様、お忘れの読者の方は多いと思います。
それもすべて、物語の進め方の遅さなど、作者のせいであることは明らかでしょうね。
スリザリンのロケットは、魔法省が引き継いだ、ガラティアの遺品の中にありました。ダンブルドアはそのことを知っており、それを個人教授のときハリーに話しているのです。ハリーはもちろん、そのことをハーマイオニーとロンにも告げています。
さて、次回はいよいよ、6年目の終わり。ダンブルドアの葬儀などを。
ではまた。


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第120話 「6年目の終わり」

 大広間に、生徒たちが集められていた。ダンブルドアの葬儀の時間がくるまで待機しているのである。さすがにダンブルドアの葬儀ということもあり、多くの人がホグワーツを訪れていた。学校近くのホグズミード村で宿を取った者たちもいれば、魔法省の役人のようにホグワーツに泊まった者などさまざまであるが、ホグズミードの宿は不足気味であったらしい。

 大広間で待機しているのは、そのときまでに家族が迎えに来るなどして帰宅した生徒たちも一定数いるため、生徒たち全員という訳ではない。

 

「あれから少し、調べてみたんだけど」

 

 グリフィンドールの生徒たちが集まったテーブルの片隅で、ハーマイオニーが両隣にいるハリーとロンに話しかける。大広間ではあちこちでおしゃべりが行われており、ちょっとした内緒話などはそんな喧噪に紛れてしまうと考えたのだろう。

 

「図書館でかい? 何を調べたんだよ」

「いいえ、図書館じゃないわ。そうね、いろいろと考えてみたっていうのが正しいのかしら」

「そんなことはいいよ。それで?」

 

 いくつか気になることがある、とハーマイオニーは言った。あの夜ダンブルドアは学校を留守にしており、そこへデス・イーターたちが襲撃してきたのだが、それは偶然なのかどうか。

 

「いないのを知ってたって言うのか。それって、誰かスパイでもいるってことになるよな」

「それにね、ロン。あのときはアルテシアも学校にいなかったのよ」

 

 デス・イーターたちの襲撃は、ダンブルドアの留守を狙ってのことなのか。あるいは、アルテシア。それとも、まったくの偶然なのか。

 

「そんなの、わからないさ。わからないけど、今さらどうでもいいこと、かもしれないな」

「ええ、そうなのかも。でもねハリー」

「いいんだ、ハーマイオニー。どっちにしろぼくには、そんな余裕はないからね。やらなきゃいけないことがある」

 

 何をするのか。それをハリーは言わないし、ハーマイオニーも尋ねない。そんなことしなくても、どちらも承知しているのだろう。少しだけの沈黙の時間。

 

「だけどハリー。探すにしても、なにか目処はあるの? なんのあてもなく探しても時間を無駄にするだけだと思うわ」

「でも、探すしかないんだ。見つけなきゃ、ヴォルデモートを倒せない。そうだろ?」

「そうだけど……」

「残っている分霊箱は、ヘルガ・ハッフルパフのカップとスリザリンのロケット、それにグリフィンドールかレイブンクローの何かと蛇だ。ダンブルドアがそう言ってた」

 

 それらが分霊箱であること。それは間違いないのだから、とにかくそれらを探しだし破壊する。まずはそれを目標にするのだとハリーは言った。ロンが何かを言いかけたが、ハーマイオニーのほうが早かった。

 

「落ち着いて、ハリー。闇雲に突き進んではダメ。何事にも準備は必要なのよ。落ち着いて、ゆっくりと始めたほうがいいと思うわ」

「そんな余裕はないんだ。ヴォルデモートは派手に動き出し始めた。ホグワーツだって襲われたじゃないか」

「ええ、そうよね。でもハリー、まずはスリザリンのロケットがどうなってるのか、そこから始めましょう。R.A.B のことだって調べたほうがいいと思うわ」

「そうだぜ、ハリー。思い出したんだけど、3年生になったときにみんなでダイアゴン横丁の宿に泊まったことがあったじゃないか。ガラガラさんの話が出たのはそのときだ」

「ええ、ハリー。そのことであたしたち、ウィーズリーさんに話を聞くべきだと思う。きっと、いろいろなことがわかるはずよ」

 

 ウィーズリー夫妻に聞けば、ガラティアのことはわかる。そう言ったのは、ハーマイオニーだけではなかった。ロンも同じである。だがハリーは、そんな必要はないと言い張るばかり。ハーマイオニーは、大きなため息をつくしかなかった。

 

「ハリー、思い出して欲しいんだけど」

「何をだよ」

「あなたはダンブルドアから、スリザリンのロケットが魔法省にあることを聞いてるのよ。あたしたちにそう話してくれたじゃないの」

「えっ!?」

 

 ハリー自身は、すっかり忘れていたようだ。それは、シリウスがアズカバンへ収監されることになったマグルを巻き込んだ爆発事件で亡くなった魔法使いがアルテシアの親族であり、その遺品が見つかったというものだ。遺品は魔法省のものとなったようだが、そのなかにスリザリンのロケットがあったらしい。

 そんな話を、たしかにハリーはダンブルドアから聞いていた。

 

「思い出したか。今日は、2人ともここに来てるぜ。話をする機会はいくらでもある」

「わかった、わかったよ。スリザリンのロケットに関する真実を知るために必要だってことはわかった。そうするよ。だけどぼくは、分霊箱を探しに行くのを止めるつもりはない。ダンブルドアの葬儀が終わったら出発する」

 

 ハリーの決意は固いらしい。そのとき、式服に身を包んだ教師陣たちのいるテーブルから、マクゴナガルが立ち上がった。ダンブルドアの席が空席なのは当然だが、スネイプの席に、ルーファス・スクリムジョールが座っているのが見えた。

 マクゴナガルが立ち上がったことで、大広間のざわめきが、たちまちやんだ。

 

「まもなく時間です」

 

 そんなマクゴナガルの言葉が大広間に響いた。いよいよダンブルドアの葬儀が始まるのだ。

 

「それぞれの寮監に従って、校庭に出てください。グリフィンドール生は、私の後からおいでなさい」

 

 大広間に集まっていた生徒たちが、ほとんど無言のままで立ち上がり、列を作って歩き出す。スリザリンの列の先頭に立つのはスラグホーンである。スネイプの姿はなかった。レイブンクローはフリットウィック、ハッフルパフの生徒たちはスプラウトのあとから。

 玄関ホールに出ると、マダム・ピンスとフィルチがいて列に加わった。正面扉から石段を降り、全員が湖畔へと向かっていく。

 暖かい太陽の光が降り注ぐ湖畔には、何百もの椅子が何列にもわたって並べられていた。その中央には通路が開けられていて、その先に大理石の台が設置されている。

 続々と参列者が詰め掛け、席がまたたくまに埋まっていく。ロンが言ったようにウィーズリー夫妻の姿もある。ハリーたちは、列の奥のほうで湖の際の席に並んで座った。

 

「アルテシア、来てると思うか?」

「さあな。これだけ人がいるんだ。来てるとしても、見つけるのは大変だろう」

「来てないと思うわ。パーバティもいなし、レイブンクローのバドマもいないの。あのソフィアって子もいないそうよ」

 

 魔法省の役人も含めた教師陣も席に着いた。どこからともなく音楽が聞こえ、椅子の間に設けられた一筋の通路を、ハグリッドがゆっくりと歩いてくる。その両腕には、金色の星をちりばめた紫のビロードに包まれたものが抱かれている。ダンブルドアの遺骸がそっと大理石の台に載せられ、葬儀が始まった。

 

 

  ※

 

 

「すみません、遅くなりました。でも、あたしのせいじゃないですよ。ティアラさんですから」

 

 部屋に入ってくるなり、そう言ったのはソフィア。その後ろから、苦笑いを浮かべつつティアラが顔を見せる。あちこち飛び回っているティアラを連れてくることになっていたソフィアだが、ティアラの提案で寄り道をしたのだという。

 

「一応ね、確かめておきたかったんです。彼が死んだって話を聞いて、それが間違いのないのかどうか」

「ホグワーツに行きました。そしたらちょうど、校長先生の葬儀の最中で、たくさんの人が集まっていました」

「うわ。あたしたち、どうする? 行くべきだと思うけど」

 

 その意見に、否やはないとばかり、アルテシアが立ち上がる。

 

「ティアラ、話は後で聞くわ。待ってて」

「いいえ、そういうことなら一緒に行きますよ。何の危険もないとは思いますけど、一応ね」

「わかった」

 

 クリミアーナ家の部屋で話されたのは、それだけだった。

 

 

  ※

 

 

「ハリー!」

 

 ダンブルドアの葬儀が終わり、参列者たちが帰路へとつき始めた頃。ハリーはジニーと2人で、ダンブルドアの墓に背を向け、湖のほとりをゆっくりと歩いていた。そんなハリーを呼び止めたのは、ルーファス・スクリムジョール。

 

「少しいいかね。話したいことがあるのだが」

「ぼくにはありません、魔法大臣。失礼します」

「まあ、いいじゃないか。少しでいいんだよ。ほんの少し、一緒に歩いてもいいかね?」

 

 そう言いつつ、ジニーを見る。遠慮して欲しいと、その目が言っているかのようだった。ジニーは、にっこりと笑って見せた。

 

「魔法大臣。ハリーは、魔法界を救うことで大忙しなんです。早めに解放してあげてくださいね」

 

 そう言うと、校舎の方へと駆けていく。仕方なくハリーは、スクリムジョールと歩き始める。

 

「あれは、アーサーの娘だろう。ふむ、恋人なのだろうね?」

「別れ話をしてました。これからのことを考えたら、そうするのが一番いいと思ったので」

「おやおや、そんな大事な話を邪魔して悪かったね」

 

 ちっとも、そんなことは思っていないような顔のスクリムジョールに、ハリーはため息をついた。

 

「あなたには関係ないことです」

「しかし、ハリー。彼女を危険に巻き込みたくないとか、仮にそういうことが別れる理由なんだとしたら」

「だったら、なんだっていうんですか」

「そんな心配はいらないよ。キミが危険を感じているのなら、なにか協力できると思うんだが」

「それはどうも。だけど、魔法省になにかできるとは思えません」

「いやいや、そうでもないよ。これでも、いろいろと準備はしてきているのだ。ダンブルドアとも話し合いはしている」

「何を、ですか?」

 

 さすがにハリーは、立ち止まる。そのことに、スクリムジョールもほっとしたように足を止めた。

 

「今回のことは、とても残念なことだった。ダンブルドアと非常に親しかったことは知っているよ。我々もそうだが、キミもさぞかしショックを受けたことだろうね」

「どんな話をしたんですか?」

「ダンブルドアが死んだ夜のことだが、キミは一緒に学校を抜け出していたそうだね」

 

 そんなことは聞いていない。一気に不機嫌そうな表情となったハリーに、スクリムジョールは苦笑い。

 

「ダンブルドアには秘密主義なところがあってね。肝心なところは話さないのだ。そこで、キミに」

「そのことなら、話すことなどありません。ダンブルドアは誰にも知られたくなかった。誰にも話すなとぼくに」

「いやいや、ハリー。キミは十分に分かっているはずだよ。魔法界のためにはどうするのがよいのか」

「ぼくにはわかりません。何もお話しすることはありません」

 

 驚いたように、半ばあきれたかのように、スクリムジョールが首を振る。

 

「では、ハリー。キミは魔法省には協力しない、したくないとそう言うのだね?」

「とにかく、そういうことです。失礼します」

 

 そう言って離れていこうとするハリーを、もう一度スクリムジョールが呼びとめる。

 

「待ちなさい、ハリー。魔法省はキミの保護をすることになっているのだ。キミのために優秀な闇祓いを配備することができる」

「必要ありません。ぼくが魔法省にお願いしたいのはたった1つだけです」

「聞こう。なんだね?」

 

 ハリーは、ゆっくりと深呼吸でもしているようだった。息を整えてから言うつもりのようだ。それを、スクリムジョールが待つ。

 

「ぼくが魔法省にお願いしたいのは」

「なんだね」

「ぼくには関わらないで欲しい。それだけです」

 

 そう言い残して走り出したハリーを、スクリムジョールは見送るしかなかった。当然、追いつけるはずもない。その残されたスクリムジョールの後ろから、声がした。

 

「ハリーに付ける闇祓いって、誰ですか。話し合いができていたようなことをおっしゃいましたよね?」

「誰だ! ああ、お嬢さん。キミかね」

「話し合いのお相手はダンブルドア校長でしょうか。いつ頃のお話ですか」

「なんと。聞かれていたとは思わなかったが、立ち聞きするなど、お嬢さんには似合わないのではないかね」

 

 そうかもしれないが、意識的にしたことではなかった。たまたま聞こえてしまったのであり、その内容を聞き流すことが無理だっただけのこと。

 

「教えていただけますか、魔法大臣」

「ふむ、どうするかな。ダンブルドアから話すなと言われているので、お嬢さんに教えるわけにはいかないのだが」

「そうですか。では、無理にとはいいません。ごきげんよう」

「あ、待ちなさい」

 

 スクリムジョールには答えるつもりがないのだと、そう判断したアルテシア。だが、スクリムジョールがあわてて呼び止めた。

 

「なにを慌てているのだね。たしかに話すなと、ダンブルドアからは言われた。だが彼は亡くなった。わたしはハリー・ポッターとは違うのだよ」

「どういうことですか」

「約束だからね、それを話してあげることはできない。だが、独り言くらいなら問題はないと思うのだよ」

「あの、それって」

「まさか、それを立ち聞きする者などおるまい。わたしは、ゆっくりと散歩でもしながら帰るとしよう。では失礼」

 

 ニヤリと笑って見せたスクリムジョールが、ゆっくりと湖のほとりを歩き始める。残されたアルテシアは、首をかしげる。そこへ、どこにいたのか、ソフィアが姿を見せた。

 

「素直じゃないですね。普通に話してくれればいいのに」

「一応、自分の立場とか考慮してのことでしょう。もし断ってこっちの機嫌を損ねたら、なんて考えたんだと思いますね」

 

 今度は、ティアラである。姿はなかったはずなのに、話は聞いていたようだ。

 

「どうします?」

「マクゴナガル先生のところへ行きます。なにかご存じかもしれません」

「いいんですか、あの人、なにかしゃべってくれるかもしれませんよ」

「話したくないというものを、無理に聞くことはしません」

「けど、一応様子を見てきますね。なにか役に立つ情報が得られるかもしれません」

 

 そう言った瞬間、ティアラの姿が消えた。苦笑いを浮かべたアルテシアが、校舎の方へと身体を向ける。

 

「行きましょう、ソフィア」

 

 

  ※

 

 

 ハリーは、玄関ホールに向かっていた。もうじきホグワーツ特急が出発するので駅に向かわねばならないのだが、それはロンやハーマイオニーと合流してからのことになる。その2人とジニー、そしてウィーズリー夫妻が玄関ホール前でハリーを待っていた。ハリーの姿を認め、近づいてくる。

 

「スクリムジョールが来たって聞いたけど、何の話だったの?」

「ダンブルドアと何をしていたのか教えろって言われた。それに魔法省からは、専属で闇祓いをつけてくれるらしい」

「闇祓いを!」

 

 こっそりと小声で開いてきたハーマイオニーだったが、思わずもらした驚きの声は全員に聞こえるほど。思わず笑ったウィーズリー氏が、ポンとハリーの肩を叩いた。

 

「そういう話は、たしかにある。それほど危機感を感じていると言うことだよ、ハリー。十分に気をつけないといけないよ」

「わかっています、ウィーズリーさん」

「ふむ。それでキミは、なんと答えたのかね」

「必要ないって断りました。どうにも信用できないんです。それより、おじさん」

 

 ロンたちに言われたからというわけではないのだと、ハリーは自分に言い聞かせる。スリザリンのロケットのことを知るには、必要なことなのだ。

 

「お話ししたいことがあるんですけど」

「いいとも、ハリー。歩きながらでいいかね」

 

 もちろん、ホグワーツ特急の発車時刻に遅れるわけにはいかないからだ。ハリーとアーサーが並んで歩き出し、そのあとをロンたちが続いていく。話の内容には誰もが関心あるようで、聞き逃さないようにと固まっての移動である。

 

「で、何が気になっているのかね」

「ウィーズリーおじさん、ズバリお聞きします。魔法省にある遺品のことです」

「遺品、と言ったかね。ハリー」

「はい。魔法省には、ガラティアさんの遺品があるって聞きました。ガラティアさんのことも知りたいんです」

「ふむ」

 

 それきり黙り込んだようにみえるアーサー。それを見かねたのか、後ろを歩いていたモリーが声を掛ける。

 

「クリミアーナ家の遺品のことだと思いますよ。あのお嬢さんと交渉したじゃありませんか」

「ああ、わかってる。ちょっと思い出していたんだよ。さて、ハリーに話してもいいのかどうか」

「なんですか、おじさん。是非、教えてください」

 

 今は、どんな情報でも欲しいときなのだ。当然ハリーは、これを逃すつもりなどない。その気持ちが表情に出ていたのだろう、アーサーが苦笑する。

 

「そうだな。どんな情報であれ、何かしらの役には立つ。わたしだけが知っているより、その機会は多くなるだろう」

 

 そう言って、ロンやハーマイオニーへも目を向ける。みんなに聞いて欲しい、ということになる。

 

「それで、おじさん。どういうことですか」

「実はね、ハリー。ダンブルドアも、キミの言う遺品に興味を持ってね。実物を確認したいと、魔法省まで来たことがあるのだよ」

「ぼく、スリザリンのロケットがあったって聞いたことがあるんです」

「まさに、それだよハリー。そのロケットに、ダンブルドアはことのほか興味を示していた」

「それはあなた、スリザリンのモノとなれば、魔法界にとって貴重品だからでしょう。ダンブルドアだってそう思ったに違いありませんよ」

 

 ロンの母親の言うとおりだが、ダンブルドアがロケットに興味を持ったのには、別の理由がある。ハリーたち3人はそう思ったが、口に出すことはしなかった。分霊箱に関することは、言わない方が良いとの判断だ。

 

「だけどね、モリー。そのロケットは、実のところニセモノだったようだよ」

「えっ、ニセモノだったんですか」

「わたしも、ダンブルドアがこっそりと調べるのに付き合わされただけで、よくはわからないのだけれど、これは違う、と呟いたのは確かに聞いたのだよ」

「そうですか」

「だから、ハリー。遺品の中にあるロケットは、スリザリンのものではない。非常によくできたニセモノなんだと思うよ」

 

 いいや、違う。ハリーは、そう思っていた。ダンブルドアが呟いたのは、分霊箱ではないという意味だ。ダンブルドアは、スリザリンのものかどうかを調べていたのではないはずだ。

 だが、そうなると……

 

「どうしたね、ハリー。知りたいことは終わりかね?」

「あっ、ええと。そうですね……」

 

 遺品の中に、分霊箱はない。すでにダンブルドアが調べているのだから、それで間違いない。ハリーは、そう考えた。何か疑わしい点があるのなら、教えてくれていたはずだ。つまりはもう、遺品に関してこれ以上やることはないのだ。

 

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

「いいんだよ、ハリー。これが何かの役に立つのなら嬉しいよ」

 

 これで話は終わり、ということになる。ハリーは、後の話はホグワーツ特急のなかで、とばかりの目をロンたちへと向ける。その意味が通じたのかロンは小さく頷いた。少し不満げに見えたハーマイオニーも、軽くため息をついたたけで何も言わなかった。

 

 

  ※

 

 

 ソフィアとともにマクゴナガルの執務室を訪れたアルテシアだったが、そこにマクゴナガルの姿はなかった。校舎の中も生徒たちの姿はなく、どこもひっそりとしている感じとなっている。多くいた葬儀参列の人たちも、すでに帰路に就いたのだろう。

 

「どうします?」

「ええと、ちょっと待って」

 

 何を思いついたのか。アルテシアが、マクゴナガルの指定席であった執務机の椅子に座る。そして、机の上に置かれた書類ケースのフタを開けた。ソフィアも、その中をのぞき込む。

 

「あー、なるほど。お手紙ですね」

 

 だが、ケースの中は空である。その空のケースに、アルテシアが手を伸ばす。

 

「何か連絡してくれてるのかも」

 

 スッと、その手がケースのなかに吸い込まれるかのようにして入っていく。ほんの数センチの厚みしかないケースに、なんと肘近くまでが入り込み、そして引き出される。

 

「あったよ。ほら」

 

 実はこのケースは、アルテシアが設置したポストである。ホグワーツ退学処分が濃厚となったとき、ふくろう便ではない別の連絡手段として設置されたもの。マクゴナガルの部屋とクリミアーナのアルテシアの部屋との間を結び、手紙のやりとりをするのである。

 手紙はすでにアルテシアの部屋へと届けられているのだが、それを自分の部屋に帰ることなく、少々強引な方法を用いて受け取った、ということになる。

 

「校長室にいるそうよ。この手紙に気付いたら、すぐに来て欲しいって書いてある」

「あの、あたしもいいんでしょうか。その、校長室なんて」

「いいんじゃないの。行くよ」

 

 アルテシアの人差し指が自分を、そしてソフィアを指差し、クルッと輪を描いた瞬間。2人の姿は消えた。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツ特急のコンパートメントの中で、ハリーたちが頭を寄せ合って話をしていた。ちょうど3人だけで、他には誰もいない。

 

「それで結局、どういうことになるんだ?」

「あのロケットは分霊箱じゃなかった。でも、どこかにあるはずなんだ。それを探すよ」

「そのことだけど、ハリー。ウィーズリーさんに、もっと話を聞くべきだったんじゃないかしら」

 

 どういうことか。そんな視線を向けてくる2人にハーマイオニーは、ハリーが見つけてきたロケットに書かれていたガラティアのメッセージのことを説明した。

 

「ガラティアさんは、ロケットの中味を虹色の容器のなかへ処分したのよね。この意味を考えてみたんだけど」

「それは当たり前のことだぜ、うん。考えるのはキミの仕事だ」

「黙りなさい。それでね、ハリー。この場合、2つのことが考えられると思うのよ」

 

 ハリーは、何も言わない。ただ、ハーマイオニーの言葉を待っている。

 

「スリザリンのロケットが分霊箱だったのは間違いないわ。それを処分したのだから、つまり分霊箱は壊されたってことになる」

「そうだ。そうだぜ、ハリー。これでボクたち、分霊箱を3つも減らしたことになるんだ」

「いいえ、ロン。もう1つ、可能性があるの」

「? どういうことだい」

 

 その可能性に、ロンはすぐには気づかなかったようだ。だがハリーは、違ったらしい。

 

「そうか。虹色の容器が分霊箱になったんだ」

「かもしれない、ということよハリー。あくまでも可能性でしかないの。処分という言葉からすると、分霊箱が壊されたと考えるほうが自然だと思う」

「そうだとしても、虹色の容器は探すべきだ。調べないといけない」

「ええ、そうよ。だからハリー、ガラティアさんの遺品の中にそんな物があったのかどうか、ウィーズリーさんに確かめておいた方が良かったんじゃないかと」

 

 言われてみればそのとおりだが、遺品はダンブルドアが調べている。それらしい何かがあったのなら、教えてくれていたはずなのだ。そんな思いが、ハリーの頭をよぎる。

 

「心配ないぜ、ハリー。どうせすぐに会うことになる。いつでも聞けるし、ふくろうを飛ばしてもいいじゃないか」

「そうだな。けど、すぐに会うってどういうこと? ぼくはもう、学校には戻らない。分霊箱を探すんだ」

「もちろん、それにはボクたちも付き合う。だけどその前に、何をするより前に、キミは、ボクのパパとママのところに戻ってこないといけないんだ」

 

 その意味が、ハリーには分からなかった。だが、分霊箱を探すという困難で危険なものに協力すると言われたことだけは理解した。ロンやハーマイオニーをあてのない無謀な計画に巻き込みたくないという気持ちはあるが、素直に嬉しかった

 

「一緒に来るって言うのか、ロン。ぼく、ひとりで行くつもりだったんだけど」

「いいえ、ハリー。3人で力を合わせるべきよ。それに、アルテシアも誘うつもりでいるの。きっと力を貸してくれるわ」

「いや、しかし、それは……」

「諦めろよ、ハリー。一緒に行くことは決定してるんだ。ビルとフラーの結婚式にキミが出席するのも決定事項だぜ」

「結婚式だって!」

 

 ハリーは驚いてロンの顔を見た。これから先、何が起こるのか。どうなるかなんて、まったく予想できない。辛くて苦しい、困難ばかりとなりそうなこの先に、結婚式というイベントが待っている。そのことが、少しだけハリーの気持ちを軽くさせた。

 ホグワーツの6年目が終わった。

 




ダンブルドアの葬儀と、その後のいろいろ。6年目が、これで終わりました。
いよいよ、次回からは最終章になりますね。
ということで、アルテシアのホグワーツ7年目がどういうふうに始まっていくのか。次回は、それについてのお話となる予定。最終章は、ハリーがどうするのかというよりは、アルテシアがどうするのか。そっち側の話が主体になっていく予定です。よければ、おつきあいください。


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死の秘宝 編
第121話 「就任要請」


 アルテシアは、校長室にいた。マクゴナガルに会うために執務室を訪れたものの、あいにくと不在。どうしようかと迷ううちに校長室に来るようにとのメッセージを見つけ、ソフィアとともに転移の魔法で移動してきたのである。

 だが、そこにスネイプもいたことは予想の範囲を超えていた。

 

「なにを、驚いているのだ。ともあれ、そこに座れ」

「そうしなさい、アルテシア。これからのことについて、少し話をしておきたいのです」

 

 もとより、そのつもりで校長室まで来たアルテシアである。このまま帰るという選択肢はない。ソフィアと顔を見合わせてから、並んで椅子に座った。すぐに、紅茶が用意される。

 まず、スネイプが口を開いた。

 

「吾輩は、これから帝王のもとへと戻る。不死鳥の騎士団の動きを、わが君にお伝えするという役目が残っているのだ」

「その後は、校長を引き受けてもらうことになっています。アルテシア、あなたにはスネイプ先生のあとの防衛術の授業をお願いしたいのです」

「あの、ええと…… すみません、状況が良く分からないのですけど」

 

 さすがにアルテシアも、戸惑いをみせる。だがマクゴナガルからの説明は、ごく簡単なものでしかなかった。

 

「デス・イーターによってホグワーツが襲撃され、ダンブルドアが亡くなったのは知っているでしょう。となれば、代わりの校長を決めねばなりません」

「それで、スネイプ先生に決まったのですか」

 

 そのスネイプは、普段通りの無表情。校長就任をどう思っているのか、表情からうかがい知ることはできない。

 

「正式には理事会での決定後となりますが、魔法大臣の意向でもありますからね。そうなることは間違いありません」

「えっと、では魔法省はすでに……」

「待て。おまえが何を考えたか想像はできるが、違うぞ。この件は闇の帝王とは無関係だ。しばらく前に話し合いが済んでいる」

「どういうことですか」

 

 アルテシアが考えたのは、あの魔法使いの屋敷でのこと。あのときスネイプは、ヴォルデモート卿からホグワーツを支配下に置くため校長になれと指示されていたのだ。

 

「わたしが魔法大臣から聞いたところでは、ダンブルドアとスクリムジョールの間で話し合いがされていたようです。ダンブルドアの身に何かあれば、後任をセブルス・スネイプとするように、と。覚え書きのような書類もあるそうですよ」

「あの、もちろん疑っているわけではないんです」

 

 アルテシアの視線が、チラとスネイプへと動く。それに気づいたスネイプが、フンと軽く鼻を鳴らす。

 

「では、なんだ。吾輩のことが気になるのか。そんな無駄なことに気を遣うな」

「あの、先生」

「黙って聞け。覚えているかどうかは知らんが、ダンブルドアは呪いを受けたことにより死期が迫っていたと説明したはずだな。そのことは、スクリムジョールも本人から聞かされて知っているのだぞ」

 

 だからこそスネイプは、ダンブルドアを殺したという罪で闇祓いたちに追われることもなく、魔法省の指名によって校長になることができるということになる。

 

「まだ納得がいかぬなら、ご本人に聞いてみるがいい」

 

 くいっとあごを動かし、スネイプが指し示した先。そこにはホグワーツ歴代校長の肖像画が並んでおり、ダンブルドアのものも、当然のようにそこにあった。

 

「本人は眠っているようだが、いずれ目を覚ますだろう。さすれば、普通に話ができるようになるはずだ」

 

 今は無理だが、近いうちに目を覚ませば、他の肖像画のように話ができるようになる。その気があるなら、本人と話をすれば良いとスネイプは言うのである。

 ダンブルドアが、魔法省側となにやら打ち合わせをしていたのは間違いないのだろう。葬儀の後に湖の畔で、スクリムジョールがハリーとそのような話をしていたし、アルテシアがマクゴナガルのところへ来たのも、そのことに関して何か情報がないかと考えてのことだった。だが、いずれダンブルドアと話す機会があるというのなら、今は保留ということでいいとアルテシアは考えた。それに、ティアラからなにがしかの追加情報があるかもしれない。

 

「では、アルテシア。話を進めますが、いいですね?」

 

 アルテシアが軽くうなずき、マクゴナガルも同じようにうなずいて見せた。

 

「あなたを教授とするのには、大きく3つの理由があります。このところ防衛術の教授は毎年のように入れ替わってきましたが、あなたであれば、5年、10年と長く続けられるであろうということが1つ。2つめとして、早急に空いたポストは埋めておく必要があるということ」

「これを空席のままにしておけば、いつのまにか、どこからともなく誰かが就任してくるということになりかねん。それを避けるという意味があるのだ」

「でも、それを魔法省は承認するのですか」

「心配ない。新しい教授の任命は校長の仕事でもある。仮に吾輩が校長になれなくとも、そのときはマクゴナガル先生だ。おまえの担当教科が変身術となるだけで、特に問題は発生しない」

 

 つまりアルテシアは、どちらか校長となったほうの科目を受け持つことになる、ということ。そのどちらを選ぶかとなれば、ホグワーツ入学以降に学び始めた変身術よりは、防衛術のほうがよりよい結果となるだろう。

 

「吾輩から話すことはそれだけだ、後はマクゴナガル先生とよく打ち合わせておくがいい。新学期のホグワーツで会おう」

「先生は、これからどうされるのですか」

「このあと、闇の帝王のもとへ向かう。指示どおりに校長となれる目処が立ったことも報告することとなろう」

「危険はないのですか」

「ふっ、おまえがあの屋敷を抜け出したことか。それなら、まったく問題ない。むしろ困っているのはベラトリックス・レストレンジだろう」

 

 なるほど、たしかにそうだ。アルテシアがあの屋敷を抜け出したときには、既に見張り役は交代していた。ベラトリックス自らが申し出てその役目を引き受け、その後にスネイプが屋敷を離れている。ヴォルデモートの指示に従ってのことであり、逃がした責任が問われるのは、当然にしてベラトリックスだ。

 

「言っておくが、おまえは絶対に顔を出すな。既にヴォルデモート卿と会い、なにかしら話をしたはずだ。これ以上は必要ない」

「でも、先生。先生はなぜあの人のところへ行くのですか。なぜ、あの人に協力しているのですか。わたしのために色々としてくださるのは、なぜですか」

 

 当然の疑問、かもしれない。だがその疑問に対するスネイプの答えは、直接的なものではなかった。

 

「吾輩は、吾輩であるからだ。誰の指示でもなく、自らの意思に従うのみ。自らの判断で行動すると決めたのだ。さすればどういう結果になろうとも、後悔することはない」

「ですけど」

「止めておきなさい、アルテシア。それでなくても、いまの魔法界には不穏な空気が満ちているのです。その中で、どのように立ち回るのか。どのように自分の立場を築くのか。それぞれが考えることだと思いますよ。あなただって、クリミアーナの森に帰り、そうしてきたはずです」

 

 それは、そのとおり。アルテシアも、自身のこれからについてじっくりと考えてきたばかりなのである。スネイプもそれと同様なのだとするマクゴナガルの言葉が、するりとアルテシアの頭の中に入っていく。

 だがもちろん、決めたとおりに、考えたとおりに物事が進むわけではない。ヴォルデモート卿の復活とダンブルドアの死という事実を踏まえ、今後デス・イーターたちの暗躍は一層ひどくなっていくだろう。そんな魔法界を前にして、己はどうあるべきなのか。

 クリミアーナに戻り、魔法界のことには目をつぶって生きていく。それももちろん、立派な選択肢。だがそれでは、惰性のままに流されて生きるだけのことでしかない。それよりも、自分に何ができるのかを考え、自分が守ると決めたモノを守っていくべき。それが最も自分らしいのだと、既にアルテシアの心の中では結論がでている。

 それが、クリミアーナの森のなかでのアルテシアの結論であり、思いは、そこへと落ち着いた。ならば、そこに向かって進むこと。今はその一歩を踏み出すだけに過ぎないが、この先どこまで行けるのか。今の時点ではわからない。だがせめて行けるところまで、行き着けるところまで行ってみるのだ。

 いずれにしろ、相当な覚悟が必要になることだけは間違いない。スネイプも、そしてマクゴナガルも、同様な覚悟をしているのだろう。彼らも、自分にできることを必死にやろうとしているだけなのだ。

 そういうことならば。

 

「とにかくだ。あちこちうろつくようなことはしてくれるな。今、おまえに出てこられては困るのだ」

「わかりました。邪魔になるようなことはしません。でも、校長になるのですから、新学期になれば学校に戻ってこられるのですよね」

「当然だ。もはやおまえには必要ないのかもしれんが、本来、おまえは7年生となるのだ。おまえのNEWT(Nastily Exhausting Wizarding Test)を実施するつもりでいる。この休暇中にせいぜい勉強しておくことだ」

 

 試験や勉強という言葉が、その場の空気を少しだけ柔らかに変える。そんなところで、スネイプは校長室を出て行った。

 

 

  ※

 

 

 マクゴナガルと、そしてアルテシアとソフィア。3人だけとなった校長室で、ソフィアが席を立ち、それぞれの紅茶を入れ替えていく。スネイプは去ったが、まだ話は終わらない。

 

「先生、聞いてもいいですか?」

「かまいませんよ」

「さきほど、わたしが教授になるのに3つの理由があると」

「ああ、その3つ目を話していませんでしたね。ですが、今さら不要でしょう。あなたは引き受けると言ったはずです」

 

 そうだったかな、とアルテシアは考える。雰囲気からいっても今さら断れそうにもないことだが、はっきりと返事はしていなかったはずなのに。

 

「どうしました? ポカンとした顔をしていますが」

「えっ、ええと」

「あなたとは、OWL試験を前にした個人面接で、卒業後もホグワーツに残り教職に就くというような話をしたと思うのですが、違いましたか」

 

 そんな話をした覚えが、たしかにアルテシアにはある。だがあのとき、本当にそうなれると考えていたのかどうか。そのことを、本当に望んでいたのかどうか。そのあたり、アルテシアには多少なりとも疑問が残る。

 

「わたしは、あなたに向いている仕事だと思っていますよ。臨時の講師ではない、正式な教授職に手が届くのですから、ぜひともそうしてやりたい。そう思ってのことですが、気が進みませんか」

「いえ。でもわたし、本当に教授になりたかったのかどうか。それを望んでいたような気もしますけど、わからないんです」

 

 頭の片隅に、そんな思いがあるにはある。だけどそれは、クリミアーナの魔法を広めたい、もっとクリミアーナを知って欲しい。そういうことのような気もするのだ。なにしろクリミアーナは、かなりの長期に渡って魔法界からは忘れられた存在だったのだから。

 

「ソフィア、まだあなたの声を聞いていませんね。あなたはどう思いますか?」

「わたしですか。わたしは賛成ですけど、反対します」

「どういう意味です?」

「ルミアーナの家は、もともとクリミアーナから魔法を教えていただいた家でした。だから、アルテシアさまが魔法を教えるのはいいことだと思います」

 

 だがホグワーツの教授となれば、ソフィアが卒業した後では、常に側に居るということが難しくなる。それが反対の理由なのだという。

 

「なるほど、そこまで考えてはいませんでした。しかしあなたは、アルテシアにとって必要な存在。そうですよね、アルテシア?」

「え? ええ、もちろんです」

「では、アルテシア。そのことも含め、考えてみてくれませんか? 無理を言うつもりはありませんが、新学期が始まるまで時間はありますよ」

「わかりました、そうします」

 

 マクゴナガルの表情には、笑みが浮かんでいる。考えてみろとはいうが、おそらく想定されている答えは1つだけ。そのことにアルテシアも、苦笑いを浮かべるしかなかった。いずれにしろ、前向きに考えることになるだろう。

 

「それはさておき、安心しました。よく無事に戻ってきてくれましたね」

「すみません、わがままさせてもらいました」

「あなたのことですからね。心配いらないと頭で分かってはいても、どうにも気になってしかたがありませんでした」

 

 もちろん、アルテシアがヴォルデモート卿と会ってきたことについての話であろう。絶対に安全だと理解はしていても、どこか不安がつきまとう。そんな気持ちだったらしい。

 

「それで、例のあの人とはどんな話をしたのです?」

「あまり話はできなかったのですけど、どうやらあの人は魔法書を学んではいないようです。興味はあったけど、途中で投げ出すことになったのだとか」

「そうですか。そのとき真剣に学んでいてくれれば、もしかすると魔法界を怯えさせるようなことはなかったのかも知れませんね」

 

 実際には、学ぶことを放棄したヴォルデモートが多くの仲間と共に魔法界を暗闇の中へと陥れることになる。だが仮に、このとき真面目に魔法書を学んでいたとしたらどうなっていたのか。もちろん、マクゴナガルの思った通りになったという保証はない。

 

「ですがアルテシア、これでクリミアーナの魔法との関係は否定されました。すなわち、あなたの懸念は解消されたことになります」

「そうですけど、ある程度の期間はミルアーナ家に滞在されているので、なにかしら見聞きしているはず。少しは参考にしているかもしれません」

「ああ、それは気にしすぎというものでしょう。で、なんとか説得はできそうなのですか」

「難しいかもしれません。思い通りにはいかなそうだと感じました」

 

 それが、アルテシアの正直な印象である。具体的にその話をした訳ではないのだが、アルテシアに不意打ちをしかけ、ダンブルドアを亡き者にしてまでも目指しているものが、ヴォルデモートにはあるのだろう。それが何であり、その先に何があるのか。今のアルテシアにはわからないが、それを容易に手放すはずがないであろうことは感じていた。

 

「明日、ということではないでしょう。ですが、遠い未来ということでもありません。そろそろ動き出すべき時だと思いますよ」

「わかっています」

 

 あれは、いつの頃だったか。スネイプへと提出した『明日、魔法界が滅ぶとしたら何をするか』をテーマとしたレポート。そのなかでアルテシアは、滅びないための努力について書いている。まさに今、そのときが近づいているといったところなのかもしれない。

 

「ところでアルテシア、保護魔法についての話をしたいのですが」

「保護魔法、ですか」

「ええ、そうです。たとえば、クリミアーナ家を守っている数々の呪文。あれを、他の家にもかけてほしいと言ったらどうします?」

「他の家って、どこですか」

 

 それ以前の問題として、実現可能なのかということがある。クリミアーナ家歴代の魔女たちによって施されたさまざまな呪文の全てを、果たして再現できるのかどうか。

 

「実は、この休暇の間にポッターが17歳の誕生日を迎えるのです。そのときポッターの自宅、マグルである伯母の家ですが、そこを出て新たな隠れ家へと移ることになっています。その新たな隠れ家へ、クリミアーナ家の魔法を施すことができないか。そんなことを考えています」

「ええと、なぜハリーは家を出るのですか。何か理由があるのですよね」

「デス・イーターたちからの襲撃を避けるため、と聞いています。その当時、ダンブルドアが何か手を加えたと記憶してますが、ポッターが成人したとき母であるリリー・ポッターの愛の呪文が解けてしまい、その保護を受けられなくなる。あの家が安全な場所ではなくなるのです」

「リリーさんの魔法の代わりになるように、ということですか」

「まあ、そんなところです。まったく同じである必要はありません。同程度、ということで十分でしょう」

 

 要は、何らかの保護があればいいらしい。つまりは、ハリーを守る魔法が必要だということ。

 

「実を言えばこれは、スネイプ先生のためでもあるのです」

「どういうことですか」

「先ほどスネイプ先生は何もおっしゃいませんでしたが、ポッターが自宅を出て新たな隠れ家に移る、という情報があの人の側に漏れることは十分に考えられます」

 

 秘密というモノは、知る人が多ければ多いほどに漏れる可能性は増していくことになる。リリー・ポッターが残した呪文の効力はハリーが成人するときまで、という事実を知っている人はそれなりにいるらしい。

 アルテシアは、何も言わずにマクゴナガルの言葉を待っている。ソフィアも同じだ。

 

「であるのなら、それをヴォルデモート卿に伝えるのが自分であっても問題はない。スネイプ先生はそうおっしゃいました」

「あの、先生。どういうことでしょう? まさか、そのことも伝えに行かれたのですか」

「自宅を出る日時を伝えることにより、移動の際にデス・イーターたちから襲われることにはなります。ですが、あの人からのさらなる信用と信頼を得て、より立場は安定し動きやすくなるのです」

「でもハリーは……」

「もちろんポッターは、新たな隠れ家へと無事に移動してもらうことになりますよ。不死鳥の騎士団のメンバーが、彼を守るための作戦を練っていますからね」

 

 スネイプは、その襲撃にデス・イーターの側として参加するらしい。襲うように装いながらも、さりげなくポッターを逃がすはずだとマクゴナガルは言うのだ。その修羅場を乗り切るため、新たな隠れ家へと逃げ込めるように動くだろうと。

 もちろん騎士団側も、さまざまに安全のための方策を採るのだろう。だがそれが失敗したとき、どういうことになるのか。ハリーや騎士団の人たち、スネイプ。魔法界やクリミアーナの未来にも影響してしまいそうな気がして、ちょっと考えるのが怖くなる。

 ならば、成功させればよい。それが一番良い選択肢ではないのか。そんな思いが頭をよぎる。だが、しかし。

 

「あの、マクゴナガル先生。スネイプ先生とどんな話をされているのか、詳しくお聞きしてもいいですか?」

 

 アルテシアとしては、今回のことに限ったつもりはない。自分が知らないだけで、これまでも似たようなことはあっただろうと思うのだ。そんなとき、スネイプが何をしたのか。マクゴナガルが何をしたのか。あるいはダンブルドアや、魔法省の人たちはどう動いていたのか。

 おそらくは、知らないことが多すぎるのだ。この1年でのドラコ・マルフォイが陥った苦境も、いつの間にか沙汰止みとなってしまったけれど、きっとスネイプが何かしたのに違いない。だからこその結果なのだろう。自分はただ、相談に乗っていただけに過ぎないのだ。もちろん状況によってはあの人の前に立つつもりではいたけれど、きっと先生たちのような覚悟はなかった。

 だが、しかし。

 アルテシアの気持ちが伝わったのか、マクゴナガルがわずかに微笑みつつ、小さくうなずいて見せた。

 

「少し、昔話をしましょうか。実はあなたのホグワーツ入学が決まったとき、ダンブルドアから、あなたを注意深く見守るようにと指示があったのです」

「わたしを、ですか」

 

 アルテシアは知らないことだが、マクゴナガルがアルテシアを見守るようにと指示を受けたのは事実。そして同様に、スネイプにはハリーを注視していくようにとの指示が出されている。ただハリーの場合は、ハリーを狙ってくるであろうヴォルデモート卿が魔法力を回復させるか、あるいはその目途をつけるまでは心配はないとされていた。

 

「あなたは、最初の授業でいきなり薬を調合してみせた。それでなくてもダンブルドアが高く評価していたのですから、あなたに興味を持ったのは無理のないことだと思いますよ」

 

 本来ならば、ハリーに目を向けるべきところ。だがスネイプは、ハリーに対し好意的ではなかった。むしろ嫌っているように見えたとはマクゴナガルの言い分だが、当時のアルテシアも同じ印象を持っていた。

 

「あなたには、謎も多かったですからね。あえて秘密にしたところもありましたが、なぜ魔法が使えないのか、制限を付けるのは何故なのか。知りたいことだらけだったろうと思いますよ」

 

 そんな疑問をスネイプがどれほど解明できたかなど、アルテシアにはわからない。わからないが、それらの数々がスネイプに影響を与えたであろうことは間違いない。いま確実に言えるのは、それだけ。

 

「もちろん、あなたの思い、あなたの考えに反しない限りでいいのです。それがあなたにできることである限り、力を貸してあげるのは間違いではない。わたしはそう思いますよ」

 

 誰に、あるいは何に。

 具体的なことを、マクゴナガルが告げることはなかった。その必要などないということか、アルテシアも尋ねることはせず、軽く微笑んだ。そして、ソフィアに視線を向けると席を立つ。

 

「ありがとうございました、先生。えっと、ハリーですけど、無事に移動できるように頑張ってみます」

「そうですね、それがいいと思いますよ。では、新学期に会いましょう」

 

 そんなところで、ソフィアが後に続き、校長室を後にした。

 

 

  ※

 

 

「これから、どうなりますか?」

 

 廊下を歩きながらのソフィアの声には、どこか不安げな響き。そんなソフィアの頭を、ポンポンと軽く叩いてみせるアルテシア。

 

「さあね。なるようになるんじゃないかな」

 

 たしかにそうだが、それでは答えになっていないようなもの。ソフィアが期待したのは、アルテシアがどうしたいのか、ということだっただろう。望む答えは得られていないのだが、質問を変えてくる。

 

「ポッターさんが隠れ家へ移動するのなんて、簡単ですよね。なんの心配もいりませんよね」

「さあ、それはどうかな。この場合、転送の呪文は使えないからね」

「えっ? でも、場所さえ分かれば。ティアラさんなら調べてくれると思いますけど」

 

 なるほど、その場所がわかるのなら、ソフィアの言うようなことは実現可能となる。だが、可能だからと実行してしまってもいいのかどうか。それがアルテシアにはわからない。そうしたことによる影響の予測ができないからだ。加えて、これを実行した場合には気づかれてしまう、ということがある。ハリーやスネイプ、魔法省やヴォルデモート卿の周囲の面々が、それを知ることになるのだ。

 笑みの消えた、少し厳しい表情となったアルテシア。なにやら考え込みながらも歩みを止めないその後を、ソフィアが歩いて行く。

 ハリーからは、協力など不要と言われたばかりだ。できれば関与したことを知られたくはない。だが実際に移動させられるのだから、その本人が気づかないはずがない。転送呪文のことは知らないはずなので、例えばポートキーなどをうまく絡めればごまかせるかもしれないが、スネイプのことがある。さすがに、スネイプまでごまかせるとは思わない。

 例のあの人を含めた闇の陣営と、騎士団や魔法省側との対立。その狭間でスネイプが難しい立場にあり、相当の覚悟を持って動いていること。そんな話を聞かされたばかりでもある。自分の不用意な行動が、その全てを台無しとしてしまう可能性はないのか。

 その結果が見通せない限りは、手を出さないほうがいい。仮に関与するにせよ、マクゴナガルが言った範囲に留めておくべきではないのか。そんなことをアルテシアは考える。

 

「あらあら、深刻そうな顔をしてどうしたのかしら」

 

 不意に、頭上から声が振ってきた。銀色っぽく輝く半透明の身体を持つゴースト、灰色のレディがアルテシアを見おろしていた。

 

 

  ※

 

 

 おそらくは、西塔の最上部あたりにある部屋。その部屋に、灰色のレディ、ヘレナ・レイブンクローはだいたいいつもいるのだという。どこか見覚えのあるこの部屋で、アルテシアはヘレナと向かい合って座っていた。

 ソフィアの姿はない。他の誰にも聞かせたるつもりはないと、ヘレナが拒んだからである。ならばとソフィアは、スクリムジョールの後を追っていったティアラを伴いクリミアーナに戻ることになっている。

 

「結局、こういうことになるのね。素直には卒業してくれなさそうな気はしてたけど、まさか教授になるとは思わなかった」

「早耳ね。もう知ってるんだ」

「母が望んだときには断った、と記憶してるんだけど。でも、私の思い違いよね。なにしろ、随分と昔のことだし」

 

 昔のこと。それはつまり、ヘレナの母であるロウェナ・レイブンクローとクリミアーナ家の先祖との間でのことだろう。先祖が創設されて間もないホグワーツの視察に来たことは、組み分け帽子がアルテシアに証言している。だがヘレナはともかく、その当時のことにアルテシアは無関係なのである。なのにヘレナは、そのことを気にする様子もなく話を進めていく。

 

「あの頃、自分たちが得た魔法や知識をどう伝えていくのか。それを考えてたのよね。あなたの魔法書は、クリミアーナとしてのその実現ってことだった」

「そうね。魔法書のおかげで魔法を学べたし、いろんなことを知ることができたんだけど」

 

 では、ロウェナの場合は? まさかロウェナも、何かを残しているのだろうか? このときアルテシアの頭をよぎったのは、レイブンクロー寮の談話室にある白い大理石の像だった。一度だけ、見たことがある。たしかアレを見て、ロウェナのことを……

 

「母とあなたは…… 面倒だからそう呼ばせてもらうけど、あなたと母は、よくその話をしていた。そして、学校に残って生徒たちの指導をって話が出たのよ。その時、私がどれほど喜んだか。きっとあなたにはわからないでしょうね」

「あの、それって」

「でもあなたは、その話を断った。なぜなの? あなたがずっと教えてくれていたら…… 私は、母よりも賢くなりたかった。あなた以上の魔女になりたかった。だから私は……」

 

 そこで、ヘレナの言葉が途切れた。ただじっとアルテシアを見つめているのは、アルテシアに何か言ってほしいのだろう。そのアルテシアが、にっこりと微笑んだ。

 

「ロウェナ、言いたいことがあるのならちゃんと言いなさい。あなたらしくないよ、途中で止めるなんて」

「えっ、何を言ってるの」

「魔法を学びたいのなら、そう言えばいい。ゴーストだろうと関係ない。学ぶ心さえあれば、学べるはずです。力を貸しますよ」

「でもそれは、魔法書を読めってことでしょう。残念ね、そんなこと、もう私には無理なのよ」

 

 どういうことか。それが、アルテシアにはわからない。意味を尋ねるアルテシアに、少しだけ驚いた表情を見せた後で、ヘレナは軽くため息をついた。

 

「わかってる。そのつもりだったし、話をするわ。もともと、そういう約束だったでしょ」

「約束?」

「ええ、そうよ。誰だったかしら? あなたにそう伝えてくれるように頼んでおいたんだけど」

 

 たしかにアルテシアは、パーバティから、学校が休暇に入ったらヘレナと話ができると言われた覚えがあった。ヘレナとは、これまでにも何度か話をする機会はあったが、肝心の部分になるとはぐらかされてきた。そのヘレナがようやく話をする気になったのなら、この機会にじっくりと聞いておきたいところ。これまでの話の内容からいけば、ヘレナは魔法書が最初に創られた頃のことを知っている可能性が高いのだから。

 

「魔法書が欲しかったのよ。そこに、あなたの魔法の全てが書いてあるって聞いて、どうしても欲しくなった」

「それで、どうしたの?」

 

 話すつもりではいるのだろうが、すぐには言葉がでてこないらしい。アルテシアのほうは、そんなヘレナを急かすようなことはせず、軽くうなずいてみせた。

 ゆっくりでいいのだ。少しずつでもいい。とにかく、ヘレナが話してくれるのを待つ。そういうことにしたようだ。

 




少し長くなりましたので、ここで一旦切ります。ヘレナが知っていることを全部話してくれればいいんですが、さて、どうなりますか。
アルテシアに、防衛術の授業を担当するようにという話が出ています。そうなると、闇の陣営からの教授就任は難しい。さて、どうなりますやら。
次回は、ヘレナの告白内容についてです。


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第122話 「ヘレナの告白」

 そのとき、入り口の方でカタリと音がした。何の音だろう。何か、誰かいるのだろうか。2人して、音のした方へと目を向ける。だが、特に変わった様子はない。2人が、顔を見合わせる。

 

「気のせい、かな」

「そうでしょうね。でも、本当にこれで魔法を残すつもりなの。あなたのことだし、いろいろと工夫もしたんでしょうけれど、これであなたの知識や魔法をちゃんと伝えていけるの?」

 

 2人とは、ホグワーツ創設者に名を連ねるロウェナと、そしてクリミアーナ家の魔女。場所は、ホグワーツ内にあるロウェナの部屋である。自身が得た魔法の力や知識を、どうやって伝えていくのか。そんな共通した悩みを持つ両者の間では、こんな話題となるのはさほど珍しいことではなかった。

 

「魔法書というアイデアは、とてもいいものだと思う。でもね、気になることがあるのよ」

「気になる?」

「こうして本という形で残るんだとなれば、誰でもがあなたの知識を得ることができることになる。もちろんそのためのモノだし、それを目指していることはわかってるのよ。でもそれでは……」

 

 それでは、クリミアーナの魔法が簡単に流出してしまうことになる。ロウェナの指摘は、つまりそういうこと。本さえ読めば、その魔法を覚えることができる。すなわち、不特定多数の意図しない相手にまで伝わってしまうことになるのだ。結果、悪用されてしまう可能性はゼロではない。

 

「そうね、あなたの言うとおりだとは思う。だけど、魔法を知りたい、学びたいという思いには応えたいの。あなたたちがホグワーツを創設したのだって、そのためでしょう?」

「もちろんよ、それを否定はしない。だけど、この本は…… これを読めば、たぶん誰にでもあなたの魔法が使えるようになるのよね。たとえマグルであっても。そうよね?」

「うーん、そうなるのかな。だけどあなたはサラザールの教育理念には反対だったんじゃないの。それと同じことを言ってない?」

 

 サラザールとは、ホグワーツ創設者の1人であるサラザール・スリザリンのこと。純血の生徒だけを受け入れるべきだという彼の考えは、他の創設者との対立を生んでいる。いわゆる、純血主義のことである。

 

「純血でもマグル生まれでも、彼ら彼女らは、まだ魔法のなんたるかを知らないのは同じ。だから、誰かが教えなくちゃいけない。その考えは変わらないわ」

「だったら……」

「わたしが言いたいのはクリミアーナの、あなたの魔法が、良くないことに使われるんじゃないかってこと。誰にでも教えていいものじゃないのよ」

 

 もちろん、そのすべてではない。クリミアーナ家に特有な魔法の、そのいくつか。その特異な魔法だけはクリミアーナ家から、いや、その当主の元から離すべきではないというのがロウェナの主張である。それが、どの魔法のことを指しているのか。ロウェナは、その具体例を挙げたりはしなかった。

 

「だけど、こうして本にしておかないと。これが、未来に魔法を残すための方法なのよ。他に良い方法なんてないでしょう?」

「話を戻すようで申し訳ないんだけど」

 

 そう断ったうえで、ロウェナが言ったこと。それはまさに、2人が話し合ってきたことの、その最初に戻るようなものだった。

 

「やっぱり、その相手と直接、というのが理想だと思う。実際に教えていくのが一番じゃないかしら。このままホグワーツに残って、教師として教えていくのもありだと思うけど」

「ああ、ごめんなさい。それは無理ね。引き受けられないわ」

「理由は? ウチの娘だって、それを望んでいるのよ」

「実はね、いろいろとあって、クリミアーナで2人の子の面倒を見ることなったの。魔法も教えることになると思う」

 

 何故か、クリミアーナ家の家系図にはクリミアーナではない他家の人物が記載されている。それがこのときの2人、クローデル家のユーリカとルミアーナ家のミルバーナである。

 

「まさか、その2人はマグル? 魔法書を学ばせてみようってこと?」

「そうしてみてもよかったけど、もう少し考えてみる。あの2人は、わたしが教えることになるのかな」

「考えるって、何を?」

 

 それはもちろん、魔法書のこと。ロウェナが指摘したことを頭に置いて、もう一度考え直してみようということである。

 

 

  ※

 

 

「それで、魔法書はどういうことになったの?」

 

 問いかけたのは、アルテシアだ。よどみなく続いていたヘレナの昔話が、ようやくにして一段落したのか、ちょうど途切れたタイミングである。だが考えてみれば、魔法書のことを一番よく知っているのがアルテシアであるはず。話の流れによるものとはいえ、そのアルテシアがヘレナに魔法書のことを尋ねることになるなど、本人にとっては意外であったろう。

 だがヘレナのほうは、質問とは関係ないようなことから話を続けていく。

 

「最高の魔女って、誰だと思う? わたしはね、そんな問いかけに真っ先に名前が出てくる魔女になりたかった。みんなからそう言われる魔女になりたいと思ってた」

 

 アルテシアは、何も応えない。返事に困るというのが本当のところかもしれない。何が最高なのかは、人それぞれ。多分に観念的な意味合いが強いと思っていた。

 

「母に聞いてみたら、あなたの名前が出てきた。そのあなたから、短い間だったけど魔法を教えてもらえて、本当に嬉しかったのよ。だけどあなたは、クリミアーナで2人の女の子を教えることを選んだ。だからホグワーツには残らないんだと聞いたとき、どれほど残念に思ったか。そのこと、少しは考えてくれたのかしら?」

 

 もちろん、アルテシアのことではない。当時のクリミアーナ家先祖の話である。アルテシアの顔に、苦笑が浮かぶ。

 

「あなたの魔法を覚えたかった。そこに母の知識が加われば、きっと最高の魔女になれる。わたしは最高の魔女になれる。そう思うのは当たり前だって思わない? そう思うでしょ」

「あの、ヘレナ。魔法書のことなんだけど」

「母にいろいろと指摘されたからだと思うけど、あなたは魔法書を分けることにしたのよ。クリミアーナの魔法をね」

「分ける?」

 

 どういうことか。たしかに、クリミアーナには数種類の魔法書があるし、アルテシア自身の魔法書にしても、分割されていた。そのことと、何かな関係があるのか。ヘレナは、ニコッと笑って見せた。

 

「そうよ。十分に考えた。考えて考えて、思いつく限りのことはしてみた。たぶんこれで、ほとんどのことはうまくいくと思う」

「え?」

「あのとき、あなたが言った言葉よ。母に聞いたんだけど、クリミアーナの魔法は大きく4つの系統に分けられるそうね。たぶんホグワーツに4つの寮があるのに当てはめてのことだと思うけど、とにかくそれで、誰もが自分に合った魔法を学べることになる」

「ええ、そうね。確かにクリミアーナには代表的な4つの魔法書があって、まずそれを選ぶことから始まるんだけど」

 

 クリミアーナの娘が魔法を学ぶとき、まずはじめに行われる魔法書選択の儀式。そのときに並べられる4冊の魔法書が、このときの4冊なのだろう。だが実際には、もう1冊ある。5冊目の魔法書も、同時に選択のテーブル上に置かれるのだ。

 そのことをアルテシアが告げると、ヘレナの表情が歪んだ。そして、軽くため息。どうやら、少し話しにくいことに触れたらしい。

 

「その4冊は、いわば教育用なのでしょうね。ソレとは別の魔法書があったわ。それにあともう1冊、母が指摘した誰にでも教えていいものじゃないモノが抜粋された本があった」

 

 アルテシアの魔法書は、分割されていたことがわかっている。その分割がされたのが、このときなのか。だがアルテシアは、心の中でその考えに首を横に振る。根拠のないただの直感でしかないが、そうではないと判断。じっと、ヘレナを見つめる。ヘレナが、目を伏せた。

 

「それを、私が盗んだの」

「盗んだ?」

「あなたの魔法を覚えたかったのよ。あなたはクリミアーナに戻ってしまい、魔法を教えてくれなくなる。もう、会えなくなる。最後のチャンスだと思ったのよ」

 

 望んだのは、クリミアーナの魔法とロウェナの知識を得ること。そうすれば、最高の魔女はヘレナだと、誰もがそう言うようになる。だから、それを得たのだと。

 

「クリミアーナがクリミアーナであるための、そんな魔法なんだと思った。とても貴重で大切な魔法なんだと思ったし、実際、そうだった」

「それで、どうなったの?」

 

 気になるのは、その後のことだ。本に対する名前の登録は、そのとき実施されていたのかどうか。それによって話は大きく変わってくることになるのだが、こっそり持ち去れたという事実から考えるなら、名前登録の手段はその後の工夫、という可能性が高くなる。

 

「わたしの母が、髪飾りに知識を納めたのは知ってる? わたしは、その髪飾りとあなたの本とを持って、ホグワーツを出たわ。もちろん、いなくなるつもりなんてなかった。母の目が届かない場所で、それを身につけてから戻るつもりだったのよ。だけど、思い通りになんていかないものなのね」

 

 ヘレナの起こした、持ち去り事件。実の娘の思いもよらない行動が、ロウェナに与えた衝撃。ロウェナはこの事件を他のホグワーツ創設者には隠し通すのだが、実際に魔法書を持ち逃げされたクリミアーナに対しては、正直に話すより他に方法はなかった。

 そのことを気に病んだのか、ほどなくしてロウェナは病魔を得ることになる。またヘレナのほうは、アルバニアの森にいるところを捜索に来た男爵に見つかり、諍いの果てに暴力を受けナイフで刺されてしまうのである。男爵は、その同じナイフで自殺。どちらもホグワーツへの思いが強かったのか、やがてヘレナはレイブンクロー寮の、男爵はスリザリン寮の寮憑きゴーストとなっている。

 

「これで、全部よ。ええ、わたしが話せるのはこれで全部。どうしようか随分迷ったけど、そういう訳にもいかないしね。でも、ひとつだけ言わせてもらえるなら、なぜ今なのかということよ。あのときだったらなって、そう思うことはある、かな」

 

 それはつまり、ホグワーツの教壇に立つのであれば、今ではなく、あのときであって欲しかったということ。仮にそうなっていたなら、いろんなことが変わっていたのかもしれないという、いわばヘレナの愚痴のようなもの。だがもちろん、それはアルテシアのあずかり知らぬこと。今さらどうすることもできない。

 

「それで、どうするの? あなたなら、ゴーストを消滅させるくらいのことはできたりするんでしょうね。いいわよ、それでお詫びになるのなら」

 

 

  ※

 

 

 ダンブルドアの葬儀が終わり、学年末の休暇に入ったホグワーツ。デス・イーターによる襲撃事件の影響もあるのか、学校内に残っている生徒はいない。なので各寮の談話室は無人であり、男子寮・女子寮共に人の姿はない。

 だが今、グリフィンドール寮の談話室に、ふいに人影が現れた。太った夫人に合い言葉を告げるでもなく、いきなり談話室の中央あたりに姿を見せたのだ。そこには誰もいない、とわかっていたからだろう。転移の魔法により談話室へとやってきたアルテシアは、普段は他の生徒に占領されている暖炉の前へと歩を進める。暖炉に火は入っていないが、その前に座り、じっと暖炉を見つめる。そして、考える。そんなとき、ただ見つめているのに暖炉はちょうど良かった。

 考え事をするのには、クリミアーナの森が最適。それは十分にわかっているのだが、クリミアーナでは、友人たちやソフィアなどがアルテシアの帰りを待っているはず。その人たちと話をするより前に、頭の中を整理したかったのだ。

 ゆっくりと、ヘレナの告白を思い返していく。

 

(ウソは言ってない。ウソじゃないのはわかる。それで間違いないと思うんだけど……)

 

 あれは、すべて本当のこと。ウソは言っていない。だけど、まだ言葉にしていない部分はあるだろうとアルテシアは考える。だが、そうすると。

 

(どういうことになるんだろう?)

 

 ヘレナが持ち去ったという魔法書は、その後どうなったのか。ヘレナは、その魔法書をどうしたのか。

 当然それを、聞いておくべきだった。だがあのときは、ヘレナの告白を優先させたようなもので、質問を挟むというようなことはしていない。今になってそのことを後悔しているようなものだが、ヘレナに話をさせたのは間違いではなかったはずだ。頭の中を整理する時間をおいたのち、疑問に思うことは、改めて尋ねてみればいいのだと考える。

 それはさておき、クリミアーナ家の魔法書が大きく4つの系統に分けられるのは事実だ。先祖が4冊の魔法書を創っていたというヘレナの話と一致する。加えてヘレナは、ソレとは別の魔法書と、ロウェナの指摘により分離された本とがあったと言っている。ヘレナが持ち去ったのは、その分けられた本のほうだ。

 

(その本が、あのにじ色の玉にあった本なのかな)

 

 アルテシアがクリミアーナ家で学んでいる魔法書は、過去いずれかの段階で分割されていたことがわかっている。おかげで、魔法の使いすぎなどで体調を崩すこともしばしばだった。だが今では、そういうことはなくなった。それはつまり、アルテシアのもとにすべての魔法書が集約されたから。そう思っていた。だがそれではまだ不十分だった、のかもしれない。

 

(もう一度、ヘレナと話をしなきゃってことだよね)

 

 それが、一応の結論となるのか。しかしアルテシアは、暖炉の前から動こうとはしなかった。まだまだ考えることはあるのだろうが、まぶたが重くなってきたらしい。ゆっくりと目が閉じていく。

 

 

  ※

 

 

「本当にもう、わが娘ながら、いったい何を考えているのやら。申し訳なくて言葉もないわ」

 

 クリミアーナへ戻るからと、そのあいさつに訪れた相手を迎える言葉としては、あまりふさわしいものではないのだろう。だがヘレナによる魔法書の持ち去りがはっきりとしたことで、ロウェナとしては、とにかくお詫びするしかなかったのだ。

 

「もちろん、ヘレナは探させてるわ。ヘレナに好意を持ってくれてる男爵がいてね。彼に頼んだのよ」

「そうなんだ。でももう、いいわ。もう、いいのよ、ロウェナ」

「なにがいいのよ、大切なモノなのよ。あなたの魔法なのよ。それが失われるようなことにでもなったら、それこそ魔法界にとっての大きな損失でしょう? ほんとにわたし、どうすればいいのか」

 

 なおも、お詫びの言葉を並べていくロウェナに苦笑した顔を見せると、彼女は部屋の奥へと歩を進める。そこの本棚には、5冊の魔法書が並べてある。ロウェナが魔法書をよく見たいというので、少しの間貸し出していたのだ。本当は6冊あったのだが、そのうちの1冊はヘレナが持ち出してしまったため、ここにはない。

 

「これは、持って帰るわ。これからはクリミアーナで身近な人たちにだけ読ませていくことになるんだと思う。もちろん、我が子孫も含めてね」

「本当にごめんなさい。詫びて済むようなことじゃないのはわかってるけど、それしか言えなくて」

「いいのよ、もう気にしないで。今思えばだけど、あなたは、こうなることを心配してくれてた。わたしが、ちゃんとそのアドバイスを聞いていれば。むしろ迷惑かけたのは、わたしのほうだと思う」

 

 自分の得た知識や魔法を、どうやって残し、伝えていくのか。その1つの形としての魔法書。誰にでも、本さえ読めば魔法が手に入るということに、ロウェナは懸念を示していた。不特定多数への流出の可能性を心配したのである。クリミアーナには、希少かつ特異な魔法がある。その魔法を誰とも知れぬ者が使えるようになり、その魔法がどことも知れぬ場所で使われるようになる。それはきっと良いことではない、と思うのだと。

 そんな感想というかアドバイスを受け、まだ試作品のようなものであった魔法書は、新たな形式へと生まれ変わることになる。それが、教育用としての4系統の魔法書である。クリミアーナ本来のあらゆる魔法は、いわば総合版のような形で1冊の魔法書へとまとめられた。これで計5冊であるが、この5冊とは別に、流出を懸念したロウェナの意見を反映した1冊ができあがった。ヘレナが持ち去ったのは、この6冊めである。

 

「わたしね、考えたんだけど、この本は登録制にしようと思うのよ」

「登録制?」

「そう。誰がこの魔法書を学ぶのかを登録するっていうか、本に覚えさせるというか。とにかく、本人であればどこでも取り寄せて読むことができるし、読まないときは自動的に本棚に戻る。そんな仕掛けを考えたのよ。たくさんの人に学ばせるのは難しくなるけど、許可なく持ち出されることはなくなるはず」

「でも、本棚の場所を知ってれば、同じことじゃないかしら。その前に立てば、読めるんじゃないの」

 

 所詮は、本である。誰でもその手に取り、ページを開き、読み進めることができる。それは変わらないだろうし、そうでなければ、本とは呼べない。

 

「そうだけど、そこへ何日も、何ヶ月も通えるものかしら。それほど熱意のある人になら、本の貸し出し認めてもいいと思うよ。魔法書だって、納得するんだろうし」

「たしか、魔法を覚えるのには時間がかかるんだったわよね。なるほど、それならうまくいくのかも」

「そんな形でやってみようかと思ってる。何代か後の世代では、魔法書はきっと、もっとすごいことになってる。それを見てみたい気もするけど」

 

 どういうことか。いぶかるロウェナへ新たな工夫を説明していく。それは、つまりこういうこと。クリミアーナの魔法書は、世代を経るごとに更新されていく。具体的には、その本を学んだ魔女がその魔法書を超える魔女へと成長したとき。そのとき、魔法書は差し替わるのである。

 

「すごいわ、とてもいいアイデアだと思う。だけど、あれはどうするの? うちの娘が持ち去った魔法は、まさか、クリミアーナから失われたりはしないわよね」

「さあ、それはどうなるのかな。わたしにもわからない。この魔法書を学ぶことになった子孫の考え次第ってことになるでしょうね。そのとき、その娘がどうするのかを選ぶことになる」

「ええと、どういうことなの?」

 

 教育用に残す4冊はさておき、残る1冊の魔法書は、おそらくは誰もが学べる類いのものではないのだという。なぜなら、クリミアーナ家の当主となるべき総領娘へと残すことを想定し、あらゆるものを詰め込んだ本であるからだ。したがって、それらすべてを引き継げるだけの素質、能力といったものが必要になる。逆に言えば、クリミアーナ家にそんな娘が生まれてくるまでは、本当の意味での引き継ぎはできないということである。

 教育用の4冊によりクリミアーナの魔法は受け継がれていくだろう。そして世代を重ね、魔法書の改編が繰り返され、より高度に進化していく。その結果として、クリミアーナのすべてを引き継いでいけるだけの娘が生まれるときがくる。この魔法書を学べるだけの娘が、きっと現れるはずだと。

 

「そのとき、その娘が…… こんな言い方して申し訳ないけど、ヘレナに持ち去られたモノがあるって気づいたとき、取り戻そうとするのか、あきらめるのか。その選択に任せようって思うのよ。そのとき、どうするのか。クリミアーナ家の、最後の選択。そういうことになるのかな」

「けど、でも…… でも、その娘さんが気づかなかったら? そのときはどうするの? あなたの魔法が失われてしまうことになるけど、それでいいの?」

 

 ゆっくりと首を横に振る。否、ということである。

 

「よくないよ。だからね、ちょっとだけ工夫しようと思ってる」

 

 仮に気づかなかったとした場合。あるいは、気づいたとしても、その選択によっては、貴重な知識が失われることになる。ロウェナの懸念はそういうことだが、なにかしら工夫があるのだという。

 

「難しいことじゃないわ、いくつかヒントを残しておくだけよ。その娘が、イヤでも気づくようにね」

「ヒント?」

「ええ、ヒントよ。その娘の魔法力が高ければ高いほど、わたしの魔法書をどれだけ学んだか、どれだけ学べたかってことだけど、いくつものヒントで、最後の選択に近づけるようにするつもり」

「どうやって?」

 

 そう、問題はそこだ。自分の命など、とうに失われた何代もあとの子孫の時代。そんな、いつ頃とも知れぬ時代に誕生した後継者たる娘に、どうやってそのヒントを届けるというのか。

 

「簡単よ。魔法書に書いておけばいい」

「あ! なるほど」

「だからね、もう大丈夫なの。ヘレナのこと気に病んでるようだけど、何も気にしなくていいよ。ヘレナが持ち出したモノは、ちゃんとクリミアーナに返ってくることになる。いつかはわからないけど、そのときは必ずくる。だから、クリミアーナの魔法の歴史はこれで終わりじゃない。終わらないよ。きっと誰かが、思いを継いでくれると思ってる」

 

 そういえば。クリミアーナ家の裏手に広がる森の中にある墓地の、その墓標の一つには、こんな言葉が刻まれている。

 

 『そのときは突然やってくる。だが歴史は終わらない。意志を継ぐ者がいる限り』

 

「ほんと、気にしないでね、ロウェナ。大丈夫、心配なんかしなくていい」

「でも」

「いつかきっと、クリミアーナ家にわたし以上の魔女が生まれるでしょう。そしてその魔女が生涯を終えるとき」

 

 その子孫が学んだ魔法書は、新たな魔法書へと更新されることになる。そのとき、ヘレナが持ち去った魔法書の意味はなくなる。もうそれでいいと、ロウェナに告げる。

 

「でね。そのための準備っていうか、まずはこの魔法書からいくつか。本で言えばページになるけど、それを抜き出して分けておくのよ」

 

 そう言って杖を取り出すと、コンコンと、軽く本の表紙を叩く。それだけで作業は終わったらしい。少しだけ厚さの変わった魔法書と、新たに出現したにじ色の玉が1個。

 

「これは?」

「この玉にね、抜き出した分を入れてあるの。これをね、その娘が必要になるだろうときに、本人に届くようにしておくのよ。玉を壊せば魔法書に戻っていくから、その娘なら、欠けた部分はすぐに学べるはず。でしょう?」

「そうね。そうだとは思うけど、部分的に欠けた魔法書で、あなたの知識と魔法を学べるものなの? それで問題ないのならいいんだけど」

 

 その指摘に、苦笑が浮かぶ。何らの問題なし、ということではないらしい。

 

「もちろん、クリミアーナの魔女として立派に名を残す魔女になれるでしょうね。普通の魔女としてなら、問題ないはずよ」

「その言い方だと、何か問題はあるってことよね」

「魔法力が続かないってことはあるのかも。身体の中での魔法力の流れや組み立てが、あちこちで途切れたりおかしくなったりするはずだからね。疲れやすくて身体の弱い娘になったりするのかも。でも、それだけよ。ちゃんと魔女になれるわよ」

 

 そうとばかりも言えないだろう、とロウェナは思う。その娘はつまり、思ったようには魔法が使えない、ということになる。それは魔女としての大きなハンディだ。自分の娘がしでかしたことのために、そんな負の遺産を背負うことになるだろう未来の娘に、ロウェナは心の中で頭を下げる。

 

「あと、杖のことだけど」

「杖? 杖がどうしたの?」

「杖を使うのは、今日限り。あなたにあげるわ」

 

 それを、傍らの机の上におく。その音が、ロウェナの耳を打つ。

 

「これからクリミアーナの魔女は、杖を持たない魔女になる。再び杖を使うことになるかどうかは、やっぱりそのときの娘の選択に任せることになるでしょうね」

「で、でも。なぜ、そんなこと?」

「これからは、杖なしのほうがなにかと都合がいいと思んだよね。杖がなければ、マグルみたいに見えるでしょ。わたし、魔法界を離れるつもりなのよ」

 

 その理由としてあげたのが、ロウェナにとっては心痛の種となっているヘレナの所行のため。万が一にも、その失われた魔法書を悪用させないため、であるというのだ。

 クリミアーナには、ロウェナが言うところの希少かつ特異な魔法がある。結果的にその魔法は、知識と能力とに分けられ別々の魔法書へと収録された。知識とはその魔法の発動プロセスであり使い方、能力とは実現させるための魔法力。それらが一緒にならない限り、その魔法は、魔法として成立しない。魔法界を離れるのは、これら2つのモノをできるだけ縁遠いものとしておくため。

 

「本当にもう、わが娘のしたことで、こんなことになるなんて。申し訳なくて言葉もないわ」

 

 その説明を聞き、ロウェナは今にも泣きだしそうな顔で、頭を下げる。自分の娘の不始末によって、大事な友人が魔法界を去っていったのだ。だけどそれは、永遠ではない。いつの日にか、クリミアーナ家の娘がホグワーツに戻ってくるだろう。いつか必ず、魔法界に戻ってきてもらわねばならないのだ。そのために、何かできることはあるだろうか。

 ロウェナは、考える。自分も同じように、未来のその娘の助けになるような何かを残せるだろうか。何か、役に立つようなことができるだろうか。でも何か、何かせずにはいられない。

 なおもロウェナは、考える。果たしてロウェナには、何ができるのか。何ができたのか。このあとロウェナは、さまざまな心労が重なってのことだと思われるが、体調を崩してしまい、ほどなくしてその生涯を閉じることになるのだ。

 

 

  ※

 

 

 寝てしまうつもりなどなかったが、いつのまにか、うたた寝でもしてしまったらしい。目を覚ましたアルテシアは、周囲がずいぶんと暗くなってしまっていることに驚き、あたりを見回す。

 うたた寝と言うよりは、昼寝であろう。それなりに睡眠を取ってしまったようだ。しっかりと、夢も見ていた。誰もいない談話室、だからこそ眠れたのだろう。そして夢を見た、ということになる。

 

(あれは、夢? 夢だよね。夢、なんだろうけど……)

 

 まるでその場にいるかのような、妙にはっきりとした夢。だけど、夢は夢だ。その証拠というわけでもないが、どんな内容だったのか、はっきりしなくなっている。かろうじて頭に浮かんでくるのが、大理石の像。たしか、どこかで見たことがある。

 

(どこだったかな。あれは、ロウェナだから…… そうだ、談話室! えっ!?)

 

 グリフィンドールではなく、レイブンクローの談話室。アルテシアがそう思った瞬間には、視線の先にあるものが、見慣れた暖炉ではなくレイブンクローの像へと変わっていた。その像のすぐ前に、アルテシアは立っていたのである。

 

「ええと、わたし、魔法使ったっけ?」

 

 思わず、声が出ていた。状況から察するに、無意識に転送の魔法を使ってしまったのだろう。だからこそ、レイブンクローの談話室にいるのだ。そう考えたほうが自然だし、そうに違いないとは思う。思うのだが、いくらかの違和感が残るのも確かだ。

 そんな思いを抱えつつ、すぐ前のレイブンクローの像を見つめる。この像の前に立つのは、初めてではない。

 

(でも、なんだろう。なんだか……)

 

 その像が、何か言いたそうに見えるのは気のせいだろうか。何か語りかけてくるような、そんな表情に見える。ただの大理石の像が話をするとは思えないのだが、それでもアルテシアは、レイブンクローの像が目が離せなかった。

 誰もいないはずの談話室には、照明などは灯されない。次第に暗くなっていくのだが、それでもアルテシアは、その像を見つめていた。

 




 ヘレナの告白、それを彼女の話し言葉ではなく当時の場面を書くという形にしてみました。ヘレナが話すパターンでは、しっくりこなかったのです。それはさておき、ヘレナが魔法書を持ち去ったことで、魔法書にいくつか工夫が加えられています。そして、持ち去った魔法書はどうなったのか。アルテシアも言ってましたが、ヘレナには、まだ問いただす部分はありそうです。
 感想欄にご意見、ありがとうございます。1つ1つ返事を書くべきなのは分かってるんですが、そのうちに。申し訳ないです。ちゃんと読んでますので、またよろしくお願いします。


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