あした (雄良 景)
しおりを挟む

愛する友へ捧ぐ




 過ぎ去ったものは取り戻せない。そんなことは、当たり前だ。

 私はただ、守りたかった。誇りを守りたかった。
 それは私自身のものであったり、仲間のものであったり、立場のものであったり、集団のものであったり。

 玉座の上が我が世界。こころの内の一等気高いところに、類ない立派な玉座を建てて、そこに堂々と座っていることが大切だった。
 姿勢は崩さず、ちからを張りすぎず、しかしだらしがないことはなく、そして隙もなく、堂々と、強く、美しく。
 友を慕い、仲間を信じ、可能性を慈しみ、けれど心は玉座の上にと―――――たとえ現実の頂点から引きずり落とされようとも、その秩序だけは手放せなかった。
 有象無象のわめき声に価値はなくとも、声の大きい第三者は気安く泥をかけてくるから。ならば頂点こそ揺らいではならない。道しるべが頼りなければ支えである土台は烏合の衆になってしまう。

 ―――――だから、私は。

 君臨する王者。ならばそれは白鳥のように優雅であれ。どれだけ意地汚く足掻くような努力をしても、決してその姿を衆目には晒さない。
 王者はただ悠々と。他者はその威光にただ慄く。そうあればいい。そうあるべきだ。見えない苦労なんてものは、見えないままでよかった。
 そんな(ねが)いは、例えばヒーローに憧れる幼い子供のように。拙く曖昧で、夢を見た理想だろうか。
 しかしそれを求めたのだ。それを願った。求めたのなら手に入れる。願ったのなら叶えよう。他でもなく、自分の手で。

 ―――――白鳥でありたい。けれど私が、誇りを持ち続けるには、もう白鳥ではあれないから。





 

 

 

 世の中にはどうしようもないこと(・・・・・・・・・・)というものがあって、それを引き当てた人のことを不幸(・・)と呼ぶのだろう。

 

 ―――――例えばそれは、私が病気になったことだったり

 ―――――例えばそれは、すでに過ぎ去ってしまったあの夏の日の敗北だったり

 

 悔しくないわけがないけれど、悲しくないわけがないけれど、過ぎたことならばどうしようもなく、努力ではどうにもならないところから降り注いだそれをただ嘆いていてもしょうがない。

 ただ。―――――ただ、これからならば、まだ。

 

 思い返せば、一般人にしては不幸の多い人生だったのではないだろうか。胸をかきむしりたくなる苛立ちがあった。呼吸を忘れるほどの絶望があった。

けれど今、私が立っていられるのは、その先で得たものがそれ以上に美しかったから。

 

 私の選択がどう転ぶのかは分からなかったけれど。ただ、そう、それでも確実によりよい未来へ進むための布石になると、こころから信じられたから。

 彼らならきっと大丈夫だと疑わなかったから。

 

 大切に思うものを守れる一手だと譲れなかったから。

 

 

 

 

 

 

「ひッ、ヒッ、ぜんっ、ぜんぱっ、ヒグ、ッ卒業おっ、う、おめ、と、っざいま、あ、あ、ぁああああああ…っ!!!」

「うっわ赤也お前、顔すっごいことになってるよ」

 

 

 幼児返りしたようにわんわんと泣く後輩にティッシュを差し出せば、ビービーと鼻をかんでまた泣く。

 式の時から泣いていたのは壇上から丸見えだったので知っていたが、何時間泣いてるんだこいつは、と呆れる。周りの生暖かい目が痛いったらない。

 もちろん嬉しくはあが、脱水症状になりそうなくらい泣いているものだから呆れが勝る。

 ギャンギャンにゃあにゃあと泣き喚く可愛い後輩に、それぞれの友人たちと話していたレギュラー陣が寄ってきて、しょうがない奴だと呆れながら世話を焼いている。

 真田はしかめっ面で「みっともない、たるんどる」とぶつくさ言うが、そのくち元が少し笑っているものだから「にやけ面で何を」とこちらも笑ってしまうのは仕方がないだろう。

 まあにやけ面は全員なんだけどさ。

 

 ―――――みっともなく泣きわめく手のかかる後輩。けれど、彼の口から出るのは祝いの言葉だ。決して私たちを引き留めるようなものではない。

 寂しい寂しいと泣き喚くくせに、おめでとうございますと嗚咽を漏らす。―――――頑張るから、どうか信じてくれと。

 

 それがこの子の成長を表しているようで。あの子もあの子なりに、望む未来のために前を向いていると示しているようで。

 

 

「眩しいなぁ」

 

 

 あんなやんちゃな悪ガキが、こう成長するものか。子供の成長を見守る親のような心境になる。

 

 

「なあ赤也。懐かしいね。2年前の4月に、お前がテニス部に来たんだ。意地っ張りで言うことを聞かない手のかかる後輩だったけど、私はお前に未来を見たよ」

 

 

 尊い子だった。愛しい子だった。光のような子だった。立海(わたしたち)にとっての未来だった。

そっと、ようやく涙の止まった赤也の頬を撫でる。2年前はまろみを帯びていたそこはいつの間にかするりとしていて、この子がひとつひとつ幼さを脱ぎ成長してきたことを実感させる。

 

 

「漫画みたいに果たし状を持ってきたときは笑ったなぁ。字が汚いし誤字ばっかりで、真田と柳と解読するのに四苦八苦したっけ」

 

 

 思わずというように柳がふふ、と笑う。真田も思い出したのか帽子を下げて溜息を吐いた。

 

 視線を赤也から上げれば、少し離れたところで他のテニス部の子たちが固まっているのを見つけた。こちらの様子をうかがっている様子に、気を使ってくれていることを察する。

優しい子たちだった。尊い子たちだった。こんなにも大切で、愛しくて。

 おいで、と笑いかければ、待っていたかのように次々と駆け寄ってきてくれる。そこに彼らから向けられたこころが見えて、心臓がギュっと重たくなった。

 そっと、赤也の頬から手を離す。

 

 

「お前にも、みんなにも、たくさん苦労をかけたね」

 

 

 ―――――思い出す。思い返す。今までのこと……積み上げてきた選択と、あやまちを。

 

 

「私は、その選択で罪を成したよ」

「私たち、です」

 

 

 瞬時に柳生が切り込んでくる。眼鏡の奥から射貫くような視線が刺さり、それがくすぐったくて。

―――――そうだね、お前たちは、いつもそう言ってくれたね。

 

 

「それでも、―――――私はテニスが好きだ」

 

 

 真田と柳がグッと私に近づいて、それに倣うように、みんなが隙間を詰める。

 とうとう、ぐるりとテニス部が私を囲んだ。

 

 誰もが私の声を真剣に聞いてくれる。道を間違った、苦労を強いた私を信じてくれている。

 

 

「私はテニスをしていたい」

 

 

 大げさと言われてもいい。―――――テニスは私の人生だ。

 病院のベッドで発狂しそうな心を必死に掻き毟った日々を思い出す。

 例え地獄に落ちたとしても、これ以上の責め苦などないだろうと思った。ただひたすらに絶望が胃の腑を焼く。自分の足で立てない。ラケットを握れない。ボールを追いかけられない。

ころしてくれよと、よく言わなかった。今でも、当時を振り返ってそう思う。

もう二度と、あんな思いはしたくない。私から人生(テニス)が奪われるのならいっそ―――――そう思ってしまうような自分が、胸の真ん中にいるのだ。

 

 

「―――――みんなが好きだ」

 

 

 好きだよ。ずっと、ずっと。コートから見える景色にお前たちが居ることが、どれほど私の幸福だったか。お前たちが嬉しそうに楽しそうに笑うたび、どうかそれが永遠であれと思った。お前たちが私を想って悲しむたび、悲しくて情けなくて涙が出た。

 分かるかな。私がベッドの上で、常勝を掲げたお前たちが無理をしていないかどれだけ不安になったか。

 自分と違いテニスができるお前たちが、どうしようもなく羨ましかったことが。

 そんな自分が嫌で仕方なかったことが。

 私が、お前たちのいるコート(・・・・・・・・・・)に、どれほど戻りたかったか。

 

 そんな私を、どうか、どうか、知らないままでいてほしいと、思うことを。

 

 

「みんなと、テニスがしたかった」

 

 

 したかったよ。私の宝物たち。

けれど私は私の信条に則って、選んだから。今度こそ、この選択は間違いではないと思いたい。

 

 

「―――――部長でありながら、お前たちに自分たちの尻拭いをさせることになってしまったことを謝りたい。不甲斐ない先輩だった。すまない。」

 

 

 謝罪に合わせて目を伏せれば、私を囲っていた部員たちが動き出す。輪が裂け、後輩たちは目の前に、レギュラー陣は横につき、同じく卒業する同学年の仲間が後ろに並ぶ。

 赤也も、静かに下がって後輩の列に混じった。

 

 並んだみんなを見回す。ああ、そうだ。彼らとともに、精一杯だった3年間だった。

 苦労ばかりを掛けた。背負わせるだけ背負わせて、それでも、どうか身勝手ながら言わせてほしい。

 

 

「勝ってくれ」

 

 

 ―――――また、夏が来る。

 

 

「私たちのテニスは青学のようなテニスではなかった。けれど、それ自体は間違いだったとは思わない。」

「私たちが居なくなった立海テニス部は、また新しい姿になるだろう」

「けれど―――――周りはお前たちに、王者奪還を願う。理想を、重荷を、押し付ける。」

「私たちの至らなさがお前たちに苦労をかける。本当に、申し訳ないと思っている。」

「……それでも、どうかお前たちは」

 

「お前たちは、お前たちのテニスで」

 

「自分たちで作り上げた立海テニス部のプレーで」

 

 

「勝ってくれ」

 

 

 ―――――1年越しの優勝旗(ほこり)を、立海(わたしたち)の玉座に。

 

 

 スッと静まり返った空間に、後輩たちの嗚咽が響く。…後輩だけではない、後ろに並んだ卒業生たちからも抑えきれない声が漏れ聞こえる。

 

この言葉を私が言う権利が、どこにあるだろう。それでも、恥知らずだろうと、同じ傷を負ってほしくないと思うのが先輩心じゃないか。

 立海のテニスは、『勝つ』テニス。きっとその根本は、新体制になっても変わらない。

 ―――――けれどどうか、ラケットを振るあの興奮を、魂を揺さぶる幸福を、どうか忘れないでくれ。

 

 

「幸村先輩」

 

 

 一歩、ひとりの後輩が前に出る。

 

 赤也の隣に並んでいた、柔らかい白髪(はくはつ)と温和な雰囲気を持つ後輩のひとり。それは幸村が次代の立海テニス部を支える主柱として選んだ子だった。

謙虚で誠実で、周りからの信頼も厚く、視野の広さで部員たちをよく支えてくれるだろうと選んだ次代の部長。石橋を叩いて渡る慎重な性格が過ぎてチャンスを逃してしまいそうになる心配点はあるが、副部長となった赤也がその破壊力、行動力で補って、そうやってお互いが支え合って、きっと立海テニス部をより良いものにしてくれるだろうと選んだその子は、まっすぐ私を見ていた。

 

 

「玉川」

 

 

 名を呼べば、玉川はグッと顔を歪める。泣きそうなのをこらえているのは一目瞭然だった。まぶたの痙攣、噛み締めた唇は震えて、―――――震える手で、何かを差し出してきながら、深く深く、頭を下げられる。

 腰が90度になるくらいに下げられた頭と、差し出されたものに面食らってしまう。

 

 それは写真だった。3年生が引退した日に撮った、テニス部全員の集合写真が入った写真立てだった。

 

 人数が多くてひとりひとりの顔が小さくなった、ウチにしては珍しい、整列していないごちゃごちゃとした写真。それが入った写真立ては、木枠に紙粘土と貝殻で装飾された、子供の工作のようなものだった。

 

 手が、震える。

 ガチ、と思わず奥歯が鳴る。

 ゆっくり、時間をかけて、落とさないようにそれを受け取る。

 

 それでも玉川は頭を上げなかった。

 

 

「あなたたちがコートに立つ姿が好きでした。世界で一番カッコよくて、一生分憧れました」

 

「強豪校として、王者として積み上げた努力も、周りから重い期待を向けられることも、大変ではあったけど苦労なんかではありませんでした」

「幸村先輩を待ち続けた日々も、常勝という道も、我々が自分の意志で選んだ道です。そこにあなたたちから謝罪を受ける理由はありません」

 

 

 玉川の声が震える。何かを言い出してしまいそうで、とっさに歯を食いしばる。

 

 

「―――――確かにっ、俺たちは間違ったけど、責められることだったと思うけど……」

「きっと先輩は、先輩たちは、ずっとそれを忘れないかもしれないけど……!」

 

 

 『勝つ』ことが立海のテニスだった。そのために、私たちは、私は、選択を誤った。

 選んだ(ほうほう)は、相手のテニスを―――――仲間のテニスを、失わせる可能性のあるものだった。

 私の選択(テニス)は、仲間すら殺そうとした。

 

 

「だったら、一緒にっ、覚えててください…っ」

 

 

それでもお前は。お前たちは。

 

 

「俺たちは、それでもそんなあなたたちが、大っ好きでした……!」

 

 

 ―――――眩しいなあ。

 頬伝った熱が、地面にシミを作る。

 

 赤也が、一歩進み玉川の横に並ぶ。そこには子どものような泣き顔はなく、ひとりの、部を背負うエース(おとこ)の顔をして、普段からは想像もつかないくらい静かな声で言う。

 

 

「勝ちます」

 

 

 ああ―――――

 

 

「いままで、ありがとうございました!!!」

「「「「「 ぁりがとうございましたァ !!!! 」」」」」

 

「―――――ありがとう……!!!」

 

 

 とうとう、その苦しさに目元を片手で抑えた。

 ああ、息が苦しい。胸が圧迫されている。―――――溢れるくらいに満たされた心が、肥大化して心臓を押しつぶしてしまいそうだった。

 

 全国大会。初めて負けた。

 一生知らなくてもよかったとすら思った敗北は、立海(ほこり)に泥を塗ったと思った。

 呆然とした。自分が終わらせたものはなんなのか。現実を前に、今までの選択を思い返した。

―――――どこから間違えたのだろうか。

 息の仕方も忘れるような、すべてがスローになった世界の中で、それでも涙は出なかった。

 

 それなのに、今。みっともなくこぼれる涙が止まらない。こんなはずじゃあなかったのに。積み上げた罪過から目をそらすように自己満足に浸ってはいけないと、みんなで決めたのに。

それでも、ごめんなさい。どうかこの喜びを赦してくれ。

 

 よかった。

 帰ってこれてよかった。

 生きててよかった。

 お前たちという仲間がいること幸福が、何よりうれしい。

 

 目元を押さえる手のひら越しに視界が暗くなる。何かが情けない顔を覆い隠すように乗っかている。

 ああ―――――真田の帽子だ。

 

 

「 常ッ勝ォッ!! 」

 

 

 まだ寒さの残る3月の空に前振りもなく響いた、ドスの効いた真田の声。

 

 

「「「「「  立海ッッッッ !!!! 」」」」」

 

 

 ―――――それでも、全員がぴったりと声を合わせて叫び返す。

 一糸乱れぬその応えが、積み上げてきたものが確かなものであったのだと証明してくれるようで、聞き慣れた掛け声が世界で一番頼もしく聞こえた。

 

 

「 っぐ、う、う、―――――!! 」

 

 

 ちくしょう、馬鹿真田め。お前の帽子から加齢臭するんだからな。汗臭いし。……今だけは、黙っててやるけどさ。

 嗚咽が漏れる。肩を抱いたのは柳だろうか。何かを言おうにも喉が震えて言葉にならなくて。

ごめんねみんな、あと少しだけ待ってくれ。まだ少し、息が整うまで。

 

 

 

 

 

 

「幸村」

「うん?」

「いつ引っ越すんじゃ」

 

 

 ―――――あの後、玉川たち後輩一同と同級生たちは「あとはレギュラー陣で、積もる話もあるでしょうから」と退散していった。最後まで気を使ってくれる、優しい仲間たちだった。

 

 残ったメンバーと、お互いが赤くなった目元を恥ずかしげにこすりながら帰路につく。

 前を歩く赤也の真っ赤な目元や鼻頭をからかう丸井に、噛みつくように吠える赤也をほのぼのと眺めていれば、すすす、と寄ってきた仁王が無表情に聞いてきた。

 

 それ今聞く? とは思いながらも、そう言えばいっていなかったなあと、明日の朝イチだと答えれば、「ほうか」とちから無い声が返される。

 無表情だ。それでも、うつむいた顔が寂しいと訴えてくる。まるで小さな子に我慢をさせている気分になって、しかたないなあ、と歩きながらその体によしかかれば、くっついたからだから少しだけ震えを感じる。ほんとに、仕方のない子だ。

 

 いつの間にかみんなの視線はこちらを向いていて、その誰もが寂しそうな顔をしている。赤也なんて、ようやく泣き止み始めたっていうのにまた涙を溜めて、さっきの凛々しい顔はどこに行ったんだか。―――――それでも、涙をこぼしはしなかった。

 

 ―――――ああ、ここが私の居場所だ。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

 ―――――私も、お前たちも。

 だからそんな顔するなよ。今生の別れでもないっていうのに。

 

 

「それともお前たち、まさか私にもう二度と会わないつもりだったの?学校が変わったから縁も切るだなんて薄情な奴らだな」

 

 

「はっあ~~~!?!!?んなワケないじゃないっすかあ!!」

「たわけ!そんな生ぬるい繋がりなわけがあるか!!」

「ちゃんと毎日連絡するよぃ、ジャッカルが!」

「俺かよ!!いやしてぇけど!!」

「そんで俺も電話するから、幸村君はちゃんと出てくれるだろぃ?」

「ほんじゃあ俺は遊びに行くぜよ。週一ナリ。」

「女性の部屋に軽々しく出入りするものではありませんよ、仁王くん。せめて月一です!」

「新生活一週間でお前恋しさに暴走する奴が出る確率100%、だな」

 

 

「ふ、ふふ、あはははははっ」

 

 

 「それなら俺も!」「たるんどる!」夕暮れに差し掛かった住宅街にご近所迷惑な声が響く。みんなのちからいっぱいの言い分に思わず大きな声で笑ってしまった。

 ちょっとした軽口に過剰反応した彼らは、毎日連絡してきて、月一で遊びに来てくれるらしい。私のこと大好きだなと揶揄えば、恥ずかしそうにしながらも誇らしそうな顔をするものだから余計笑ってしまう。

 

 

「連絡なんて、そんなになくていいさ。通信代だって馬鹿にできないんだから。あと、遊びに来るのは家主に許可をもらえたら、ね。私は居候の身になるんだし」

「………ちなみにまだ幸村くんがあいつんちに居候するの、嫌だなって言ったら?」

「あっはっは、くどいね!」

 

 

 ―――――ああほんと、かわいいやつらだよ、まったく。そんなお前らだから、守りたいって思うんだ。

 

 

 「愛してるよお前ら」

 

 

 







 私は守りたかった。かつて玉座の上で愛した全てを守りたかった。
 美学であり、わがままであったそれを、許してくれることを知っていたから。
 同じ世界に立てなくても、共に在れることを、ちゃんと理解させてもらえたから。

 だから「行ってきます」と言えたんだ。
 「行ってらっしゃい」と返してくれるから。
 そうしていつか、もう一度。
 「ただいま」と言った私に、「おかえり」と返してくれると、知っているから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五つ目の黒




 幸村聖子はテニスが好きだ。

 コートに響くインパクト音、踏み込んだ靴底のこすれる音。

 それがたまらなく愛おしい。

 幸村聖子には類稀なる才能がある。

 それはテニスが(・・・・)幸村をたいそう愛した証左。

 ―――――けれど、天上から与えられる愛は平等でなければ、次第に不満が出るものなのだ。

 それでも幸村はテニスが好きだ。

 大好き。愛している。魂のかたち、我が人生。

 けれど指さし、誰かが言う。


「お前なんか―――――」


 ―――――それでも幸村は、テニスが好きだから。






 

 

 

かいだんばなし(・・・・・・・)?」

「そうそう!今日の放課後みんなでやろーと思ってるんだけどさ、幸村さんも、どうかな?」

かいだん(・・・・)って、怪談(こわいはなし)のことだよね?ミチルちゃんたちが構わないのなら、是非」

「やった!」

 

 

 春うららかな4月の某日、ゆっくりと流れ始めた新しい日常に、舞う桜を楽しんでいたその日。入学当初から何度か話しかけてくれていた子に怖い話をしようと誘われたので、喜んで応じることにした。

 頷けばその子、ミチルちゃんが嬉しそうににっこりと笑うから、つられてこちらも笑ってしまう。

 

 中学を卒業し、私は東京某所にある私立校に入学した。理由としては、完治したとされている例の悪夢(びょうき)の経過観察。というのも、私が罹患したあの病気はギランバレー症候群によく似た(・・・・)免疫系の病気―――――つまり、正確な病名のない(・・・・・・・・)、研究の進んでいない病だ。現状完治したと診断されようと、その後どうなるかがかなり不透明なため、しっかりとした検査を続ける必要がある。

 

 ―――――そして裏の理由が、準優勝の汚名(・・・・・・)へ向けられるヘイトを後輩たちから逸らすこと、である。

 

 私があの大会の後にどれほど功績を挙げようと、あの大会の決勝戦で敗北し、結果として立海が優勝(さんれんぱ)を逃したという事実は変わらない。

 多くのテニスファンはそうではなくとも、準優勝(・・・)という一点で心無い言葉をかけてくる訳知り顔の他人は腐るほどいるもので。

 ましては、決定打となった敗北をもたらしたのが、女の部長(・・・・)だという事実は、そんな有象無象が石を投げるにはもってこいの的となる。

 病み上がりで、女で、なのに部長で。詳しくもない声の大きいだけの愚か者は、やれああだこうだと騒ぎ立てる。同情?忖度?そんな生ぬるい実力で国際ライセンス(さんかしかく)を取れるわけがないのに―――――なんて、そんな正論は彼らには通用しないのだ。耳が詰まっているのかな。

 だから通院はいいきっかけでもあった。理由はどうあれ私が立海から離れれば、その裏事情を推察したくなるものだ。そうすれば、少なくとも視線は後輩たちから離れ、ほとんどが私、そして私と同年代の部員たちに移るだろう。

 それが、最後に私たちが後輩たちへしてやれることだと、みんなで決めた。

 

 さて、そんな覚悟を決め愛すべき友人たち、そして家族と離れ新天地へ来たはいいものの、その新生活において実は重大な悩みができた。

 それは、クラスメイト達にどこか遠巻きにされているということ。つまり―――――友人が、できない。

 

 この学校が中高一貫校なため高校からの入学者は少なく浮いてしまう……というのは想定していたが、ここまでとはさすがに。

 おかしいな……コミュニケーションが下手な方ではなかったと思っていたのだけど……と思ったが、よく考えてみれば中学時代に関わっていたのは部活仲間か委員会仲間ばかりだった気がする。事務連絡とかも、基本的には同じクラスのテニス部が教えてくれたし……こっちから話しかける話題も特にないから話しかけられないと関わることも少なかった……?

 もしかして私、普通の友達が、少ない?―――――気づいた事実に愕然としてしまったのは仕方がないはずだ。

 かといって改善しようとアクションを起こそうにも、なぜか話しかけただけで畏縮されてしまうのでそれ以上声をかけるのが難しい。恥を忍んで仲間たちに電話で相談をしてみたが「時間が解決してくれるだろうから、お前が何か変わったり無理をする必要はない」と言われるばかりで、困り果ててしまった。みんなのことは信頼しているが変に過保護なところがあるので、鵜吞みにはできないのだ。一緒に悩んでくれたの玉川とジャッカルだけだったし。

 

 そんなことで今までにない悩みに途方に暮れていた私に、比較的積極的に話しかけてくれていたのがこのミチルちゃんである。これがほんとうにありがたかった。当たり障りのない会話しかしてなくとも好感度がぐんぐん上昇した。

 だからこそ、この怪談はチャンスだ。メンバーは恵子ちゃんと仲のいい女の子ふたりを交えた4人。これを機に友達になれるかもしれない。

 

 ―――――友達、作るぞ!

 

 グッと意気込んでみたものの、まあ内容が内容なので少し間抜けである。気持ちはでっかいけど。

 それにしても、怪談。何度かやったことはあるけれど、相手は基本男子中学生だったので、同性の子たちとやるのは未知数だ。……女子高生ってなんか特別なルールとかあるのかな。

 

 

 

 

 

 

 ―――――そうやって悩む幸村は気づかない。

 

 

「うひゃ~やっぱ幸村さん超美人。いいにおいする……」

「あれで勉強も運動もできるんだからヤバいよね……」

「同じ女なことが我ながら信じられなくなってきた」

「むしろ同じ人類というくくりに収まってすみませんみたいな」

 

 

 ―――――そんな声は聞こえていない。

 

 

 

 

 

 

「でね、女の人はおまわりさんを連れて公衆トイレに戻ったんだって……」

 

 

 ―――――小さな声で話す恵子ちゃんの声が暗い視聴覚室に響く。

 照明はすべて落とされ、遮光カーテンで日の光を失った視聴覚室はずいぶんと暗く、ふと気を抜くと雰囲気も相まって自分が今右を向いているのか左を向いているのか分からなくなりそうだった。

 なんとなく、私にイップスで視覚を奪われた相手のことを思い出したけど……比べるものではないなと首を振る。

 

 室内にある唯一の光源はミチルちゃんが用意してくれた小さなペンライトのみ。それも手元を鈍く薄ぼんやり照らすほのかなもので、非常事態にはあまり役に立ちそうもないけれど怪談をするにはぴったりだった。

 

 ひとり、ふたりと語っていく内容を聞きながら、よく聞く都市伝説だな、と感想を抱く。特別何かを期待したわけではないので不満があるわけではない。むしろ上手くやれるか不安だったので、こんなものでいいのかと安心したのだ。

 話の内容は迫力がないけどドキドキと緊張しながら怯えている皆がかわいらしく、つい微笑ましい気持ちになれる。

 うん、男たちの野太い悲鳴よりずっといい。

 これが俗にいう女子会ってやつなのかもしれない。なんだか妹が増えた気分だ。せっかくだからこの子たちと友達になりたいな。……でも正直、友達ってどうやったら「成る」んだろう。改めて考えたことなかったな。「友達になろう」って言うの?

 

 

「ひゃーっ、やっぱ暗いと雰囲気あるよね……じゃあ次、幸村さんね」

「ん? ああ、私の番だね」

 

 

 ひとりで考え込みすぎていたようで、ミチルちゃんに声をかけられてハッとする。いつの間にか、最初に「怪談を話すごとにライトを消す」と言われていた通り、恵子ちゃんがライトを消していた。

 さて、3番目は私の番。話す怪談はもうすでに決めていた。地方紙にも載ったらしく柳が気にしていて、仁王がネットから拾ってきた話。

 仲良くなれるかの瀬戸際だ。ここはひとつ気合を入れて頑張ろう。

 

 

「うん、ちょうどいいのがあるよ。ああ、私の体験談じゃなくて、拾った話……そう、『これは友達から聞いたのだけど』ってこと。―――――それじゃあ、『十九地蔵』」

 

 

 それはとあるふたつの村のお話。語り継がれる奇妙な言い伝え、川へ行ったとある兄弟。

 ―――――そうして真実は明るみに。

 それは染みついた怨恨の業。地蔵がたてられ月日が流れ、隠されていた古い記録しか残らないまでになったとしても、消えぬ遺恨は手を伸ばす。この恨みを晴らさずにいられるか、なぜ許せようかと嘆いて呪う。

 

 

「ほんとう……恨みなんて買うものじゃあないね。」

 

 

 ―――――よし。これは、なかなかうまく語れたんじゃないだろうか。

 思わず心の中で渾身のドヤ顔を決めてみたところで、三人からのリアクションがないことに気が付いた。暗闇にライトがふたつだけ浮かび、シーンと静まり返っている。

 あ、ライト消してない。思い出して自分の分のライトを消せば、息を飲む音が三つ聞こえた。……え?

 

 

「う、うっわあああコッワ……いや内容も怖いけど幸村さんの語り方が怖い!雰囲気すごすぎ!」

「す、すごい、背筋がぞわぞわする……」

「あー待って無理怖いって……人に優しく生きていきます……」

 

 

 大ウケ?だった。

 一瞬安堵のため息を吐きそうになって、ぎりぎり飲み込む。静まり返った雰囲気にもしかしてスベッたのかと冷や汗が出ていたのはプライドにかけて秘密にしよう。怪談話より怖かった。

 

 

「頑張った甲斐があったよ。じゃあミチルちゃん。どうぞ、最後」

「こ、この後に話すのハードル高くない?……んんっ、じゃあえっと、旧校舎の話にするね」

「旧校舎?旧校舎って、グラウンド横にある、あの半分崩れてる木造のやつだよね。存在は知ってたけど……そんないわく(・・・)付きだったんだ」

 

 

 ミチルちゃんが少し青い顔で出した「旧校舎」に、思わず声を出してしまった。アレが旧校舎だということは知っていたけど、こんな状況で名前を聞くとは。先生方から『危ないから近づかないように』と言われていたのもあって、背景みたいなものだと気にしていなかった。

 でも旧校舎って、たしかに怪談話の、特に学校の怪談系では定番かも?古びた建物なんだから本当に居ようが居まいが噂にはなりそうだし。あるあるってわけか。

 

 ―――――なんて甘く見ていたこともありました。

 

 旧校舎のいわく(・・・)は思ったよりヤバかった。家鳴りを足音と勘違いしたり、なんてレベルじゃない。端的に言って死にすぎ(・・・・)だ。過去のものは知らずとも、去年の事故あたりは進学前に調べていたので知っている。真偽不明の中に真実が混ざると信憑性がグッと上がるのか、妙にうすら寒い気分になった。いったいどうなってるんだ?呪われてでもいるのだろうか。どういうことだよ蓮二……。

 まさか今まで気にしていなかったあの旧校舎は、誘拐自殺死亡事故……地域では有名な、いろんな意味での事故物件、というものだったとは。聞いてないぞ蓮二!

 

 

「ど、どうだった?」

「……うん、すごく怖かったよ。ミチルちゃん、話すの上手だね」

 

 

 本当に結構怖かった。

 

 

 

 

 

 

 さて、語り終わったミチルちゃんがライトを消せば、この場は本当に闇に飲まれる。真っ暗闇の中から三人の強い緊張が伝わってきて、今日の怪談のメインの時間だと、旧校舎の話でちょっと崩れたメンタルを整えなおした。

 

 始まる前にミチルちゃんから説明されたのは、今回の怪談のメインは話終わった後(・・・・・・)、ということ。

 まず、ひとりひとつライトを持つ。それを怪談を語ったごとに消していく。そしてすべて消えた暗闇で参加者の点呼をとる。―――――そうすると、その場には誰も知らない『誰か』がひとり、増えているらしい。

 つまりかの有名な百物語の簡易版だ。いや、本物の百物語は確か『百語れば本物の“怪”が現れる』というものだったはずなので、どちらかというとオマージュ、かな?多分どこかで聞きかじったか信憑性のないネットの記事から拾って来たんだろう。

 けれどいいのだ。ここにいる子たちが求めているのは、ほんのちょっとのスリル。ささやかな肝試し。リスクのない非日常。「おもしろかったね」「怖かったね」と笑い合える思い出になればそれでいい。

 

 ―――――話を戻すと、まあつまり、すべてのライトが消えたということは点呼の時間というわけで。

 

 

 

 

 

 

 「いち」祐梨ちゃんが言う。点呼の始まりだった。

 

 「…にぃ」恵子ちゃんが遅れて続く。少し緊張しているらしい。声が強張っている。

 

 「さん」私の番。子供遊びながら雰囲気があるためか、楽しさの中に混じった恐ろしさでドキドキと心拍数が上がった。何かが起こるとは思っていないけれど、独特の空気感がこの時間を楽しませてくれる。

 

 最後のミチルちゃんはかなり緊張した様子で生唾を飲み込んでいた。ひどく怯えている、というより、最後という緊張と興奮がせめぎ合っている感じかな。つまりはそう、楽しんでいる。

 震えた唇が最後のカウントを終える。「し」

 

 

 もちろん何も起こらない―――――

 

 

 

 

 

 

「ご」

 

 

 

 

 

 

「―――――………え?」

 

 

 

 

 

 

「 いやぁぁあああッッ!!! 」

 

 

 ―――――起こらない、はずだろう!?

 

 

 真っ暗闇に3人分の悲鳴が響く。待て―――――待て、待て待て待てありえない、4人しかいない部屋でどうして5人目が?ミチルちゃんたちのイタズラじゃない。女の子の声じゃない(・・・・・・・・・)。嘘だろう本当に何か(・・)が出たっていうのか?何故、誰?誰が、何で!

 

 混乱する頭の中でかろうじて冷静な部分が、怯えて飛びついてきた祐梨ちゃんごと左右にいたふたりを引っ張って背中に隠す。手荒になってしまったせいでガタガタと机にぶつかった音がしたけど許してほしい。だって声は私の正面(いりぐち)から聞こえてきたから。

 

 点呼を取っていた時とは比べものにならないくらい心拍数が上がり息が荒くなる。3人の悲鳴と暗さで相手の動向がつかめなくて、必死に意識を研ぎ澄ませる。

 試合中は声援だって気にならない。なら大丈夫だと自分に言い聞かせて、この間およそ3秒。冷や汗が垂れる中、必死に冷静な思考力をかき集め気配を感じる方を睨み付ければ、その気配が少し揺れ―――――

 

 

「っうわ、」

 

 

 部屋が一気に明るくなった。

 それは消していた部屋の照明だ。暗闇に慣れ切っていた眼には眩しすぎて、とっさに目をつむって…………うん?

 

 待てよ、何か(・・)……おばけが、自分で明かりをつけたってこと?

 

 沸いた疑問に、まだ明るさに慣れない目を無理やり開いて照明スイッチのある出入口へ視線を向ければ、そこには同い年くらいの男の子がスイッチに手をかけながらこっちを向いて立っていた。

 

 

 ………足、あるよなあ。

 

 

 

 

 

 

 男の子は黒髪、真っ白な肌、真っ黒なスーツでシャツまで黒い、という重たくて浮世離れした風貌だったが、どこからどう見ても生きている人間、に思えた。そうにしか見えない。

 

 

「…失礼。今最後に『ご』って言ったのは、あなたですか?」

「そう。…悪かった?」

 

 

 いまだ混乱している3人を庇いながら一応確認してみれば、男の子はそっけない表情と悪気のなさそうな声で肯定する。4人分の悲鳴を背負ったとは思えないそしらぬ顔である。

 ああうん、悪くはないけど、いや、正直悪い、と言ってやりたくなるくらいの事をされたのだけれど……趣味は悪いな、と幸村は思わずため息を吐いた。

 

 

「なーんだぁ!腰が抜けるかと思ったあ」

「あ、みんなごめんねいきなり引っ張って……机にぶつけたよね?痛くない?」

「あっ!ううん、大丈夫!」

「うん、庇ってくれてありがとう……」

「心臓は止まるかと思ったけど……」

 

 

 吐き出すように大きな声を出したミチルちゃんにハッとして手荒な真似をしたことを謝れば、3人とも優しく許してくれた。よかった……。

 ただ、流石に、というか思わずため息を吐いた祐梨ちゃんのセリフに、男の子は反応したらしい。

 

 

「驚かせて申し訳ない。明かりがないんで誰もいないと思ったんだ。そしたら声がしたから、つい……」

「えっ、そんなぁ!いいんです♡転校生ですか?」

 

 

 謝罪を向けられた祐梨ちゃんは改めて男の子の顔を認識して、一気に回復したらしい。確かに彼の顔はとても整っていて、そんな異性から優しげな薄微笑みを向けられたとあれば、彼女たちが浮足立つのも分からなくはない。

 

 ―――――いやでも、みんなすごいな。祐梨ちゃんだけじゃなくて他ふたりもうっとりした顔になっている。特に祐梨ちゃんとミチルちゃんはさっきまで怯えていたのになんか、目が……虎視眈々って感じになって……チャンスを逃さない感じ。

 

 怪談話より謎の美形の方が、よっぽど魅力的な非日常、か。まあ怯えてすり減った精神を回復できたみたいだからまだいいのかもしれない。少なくとも、泣きっ面に蜂になるよりは。

 

 

「え~♡何年生ですかぁ?」

「……今年で17」

「じゃ、あたしたちより1年生先輩ですね!」

 

 

 いつの間にかミチルちゃんが会話に混ざり、はしゃぐふたりの質問に答える男の子は一見温和そうに受け答えをしている。

 

 

「こんなところで、君たちは何を?」

「あたしたち怪談してたんです!怖い話!」

「ふうん……仲間に入れてもらえるかな」

 

 

 祐梨ちゃんは嬉しそうに快諾した。だろうね。

 渋谷、と名乗った男の子に様子見をしていた恵子ちゃんも「渋谷先輩も、怪談好きなんですか?」と話しかけにいく。それに対して彼が「……まあ」と微笑めば、黄色い悲鳴が追加で上がった。

 ―――――うん、うん。なるほど。

 

 

「……渋谷さん、そういえば、わざわざ視聴覚室までいったい何のご用事だったんです?」

「……ああ。少し、……テープのダビングをしたかったんだ」

 

 

 3人はきゃっきゃと手伝いを申し出るが渋谷さんは当たり障りなく断り、それより怪談をしてほしいと言うので、ミチルちゃんが「それなら……」と席に着こうとした。が、それをストップさせてもらった。

 

 

「うーん、楽しそうなところ申し訳ないけど、そろそろ帰らないと先生に怒られるんじゃないかな」

「えっもうそんな時間!?」

「うっそお」

「ほんとだ、あ、あのうセンパイ……」

 

 

 時計を確認してもらえば、すでに怪談を始めて1時間ほど経過したことが分かる。さすがにちゃんとした理由もなく下校時間後に長居しすぎるのは許されないだろう。ここら辺が最終ラインだ。

 ショックを受けた顔をした3人はしかしめげずに、代わりに明日の放課後に約束を取り付けていた。すごいな。

 

 渋谷さんは本来の用事(・・・・・)を済ませるためにこのまま視聴覚室に残るそうなので、私たちは廊下に出る。といっても3人はそのまま玄関に向かい、私は職員室に向かうのでその場でさらに別れるのだが。

 ―――――ああ、そうだ。

 

 

「渋谷さん。まだ校内に残るなら来校者カードを貰って付けていた方がいいですよ」

 

 

 そしたら私もここまで悩まなくて済むので。

 

 

 

 

 

 渋谷は、ひとりだけ違う方向に向かって行った少女を見送った後、また近くでこちらをうかがっていた他の3人に近づいた。

 

 

「……ねえ、彼女は?」

「へ?ああ、幸村さんですか?」

「へぇ、幸村さんって言うんだ。」

 

 

 さきほどより少しぶっきらぼうになった渋谷に、しかし気にした様子もなく答えたのは恵子。そして渋谷の反応にハッとした顔をしたのはミチルと祐梨である。

 

 

「……あのぉ、もしかして、幸村さんのこと気になります?」

「………ああ、そうだね。少し気になるかな」

 

 

 探りを入れるようなミチルの問いかけに、渋谷は気づいていないのか幸村が去って行った方へ視線を向けたまま答える。

 その答えに3人はパッと顔を見合わせた。

 

 

「イケメンと美人とか最高じゃん」

「ひゃーっ美形カップル?」

「えーっ、す、すごい、ドラマみたい!」

 

 

「あのっ私たち応援します!!」

「え?」

「幸村さんって幸村聖子(せいこ)さんって言うんですけど!」

「頭良いし運動できるし、美人だし優しいし!」

「えーっとえーっと、あっ、あとバイト探してるって言ってました!」

「「「 絶対いいと思います!! 」」」

「あ、ああ、そう。ありがとう。」

「はい!!」

「また明日! 明日もちゃんと幸村さん誘いますから!!」

 

 

 考え込むように思考を飛ばしていた渋谷は、いきなり爆発したようにテンションを上げた女子高生3人組に思わず怯む。

 渋谷が幸村を気にしているのは、彼女がずっと渋谷のことを警戒していた(・・・・・・・・・・・・・・・)からなのだが、そんなことを知らない女子高生の思考は少女コミック(れんあい)方面へ飛んでしまった。

 次々に幸村の情報を押し付け、謎の応援をして去っていった3人に、渋谷は思わず呆然とした表情で黙り込む。なんだったんだ、いったい。

 

 

 

 

 

 

 ―――――最初に感じた違和感は、浮かべている微笑みが張り付けたようでうすら寒いな、と感じたこと。

 転校生かと聞かれて「そんなもの」と濁し、学年を聞かれて「今年で17」と歳を答えるという妙な曖昧さ。

 

 学校なのに制服を着ていなくて、スーツを着ているが教師ではない。年齢を考えれば教育実習生ではなく、なのに転校生でもない。

 そんな人がなぜ校内にいるのか、疑問に思うのは当然だろう。

 無理やり考えれば先生や生徒の関係者、という可能性もあるが、それでもダビングのために視聴覚室へひとりで来ているのは変だ。多分あれは嘘。

 

 何より変だったのは、怪談に参加したがったこと。―――――だって彼、祐梨ちゃんたちに話しかけられるのを面倒くさがっていたのに。

 

 張り付けた微笑みは適当に誤魔化して躱すため。一見温和そうに対応していたがよく聞けば返答自体は淡白だ。悪人が猫をかぶっているというより、人付き合いを好んでしないタイプが無理をしているようだと感じたのはあながち外れていないと思う。

 そんな人がわざわざ怪談に参加を?まあ怪談に参加したい理由なんて聞きたい(・・・・)、あるいは話したい(・・・・)以外に思い付かないので、無理してでも参加したいくらいに怪談が大好き、という可能性はなくもないが。

 本当の目的のために私たち、あるいはこの学校の生徒と親交を深める必要があって、怪談参加はその口実……とかだともう分らなくなる。

 

 しかし不審者にお熱な3人をひとりで守らなくちゃいけない状況じゃ思考を止めるわけにはいかず。

 あそこで私が「怪しい」と言っても受け入れてもらえなさそうなところが厄介だったなあ。多分あの状態の女子高生にはパッションで負けるもの。

 

 だから観察して、考えて、考えて、警戒した。

 

 なんとなく推察できる性格的に、多分素は不愛想な人っぽかったから、微笑みは処世術、ぼかした物言いは会話が広がるのを面倒くさがっただけ……といえば違和感はない。

 けれど、登場時のおちゃめ(・・・・)となぜか積極的に怪談に参加したがる謎がノイズで結論を出せない。

 これで渋谷さんが普通の男子高校生ならナンパの口実かな?って思えるのに、そうじゃないから面倒だ。実はすました顔の下ではしゃいでたりしないかな。あるいは何も考えてなさそうな無責任っぽさがあれば好奇心なだけかなと警戒値を下げられるのに、どう見たって真逆だし。

 

 個人の感想として悪い人ではなさそうだ、とは思ったものの、不審者ポイントが高すぎて困る。だから1回渋谷さんから離れて先生に確認するのが最善だろうと判断した。最低限素性さえ分かれば何か分かるかもしれないし、それでもそもそも先生も知らない人だったなら校内に侵入した不審者として先生に対応してもらえばいい。

 

 だから第2ラウンドを始めようとしていた空気に水を差して、解散を促した。時間が時間だったのは事実だから違和感もなかっただろう。だってまだ渋谷さんがどこまで安全か確信が持てない状況で、3人と彼を残して離脱するわけにはいかなかったし。かといって追いかけてきて危害を加えてくっぽくもなかったから、3人とはすぐ解散したけれど。

 あーあ、せっかくミチルちゃんたちともっと仲良くなれると思ったに、とんだイレギュラーだったよ。

 

 

「―――――失礼します、1年F組の幸村聖子です」

 

 

 

 

 

 

 ガタンゴトンと電車に揺られ、ほんのちょっと寄り道をした先にたどり着いた居候先。

 石造りの階段を登れば、大きなお寺の全貌が見えてくる。少し遅くなったなと考えていれば、入り口、門の前に人影がひとつあることに気づいた。

 

 

「―――――遅かったじゃん」

 

 

 おや、と少し驚く。門の前に居たのは居候先の家主の息子―――――越前リョーマ(・・・・・・)だった。

 時計を見てみると、確かに普段より一時間半ほど遅い帰宅になったけど、家主でありリョーマの父である南次郎には連絡を入れているし、そもそもまだ日の落ちる前なので、咎められるほどではない。というか、

 

 

「逆に、君はずいぶんと早いじゃないか、ボウヤ」

 

 

 まだ部活をやっている時間帯だろうに、なぜこの子がもう家に帰っているのか。この子に限ってテニスをサボるということは多分ないだろうけど……というか、リョーマはテニスウェアを着ていて、ラケットもある。完全にテニスをする準備がバッチリ、といった感じだった。

 その格好に加えて、先のセリフ。今日は何か約束をしていたっけと幸村は少し悩んだが。私がテニス関連の約束を忘れるだろうか。

 

 ラケットを、トントンと肩にあてながら、ふくれっ面のリョーマが話す。

 

 

「今日、コート整備で部活なかったから。どうせならさっさと帰ってあんたと昨日の試合の続きしようと思ったのに、あんた全然帰ってこないし。親父に聞いたら遅くなるって連絡来たっていうし。正確な時間は分からないって言うから出かけたら入違いそうでどこにも行けないし。何のために早く帰ってきたのさ。最悪。」

「………ふ、ふふふ、」

「………なに笑ってんの」

 

 

 なんと、まあ。この王子様は勝手に決めて勝手に怒っていただけらしい。

 ここまで自己中なふくれっ面をさらされると…これだから東の生意気ルーキー君は、と思わず笑いがこぼれてしまう。

 ―――――ねえ君、そんなに私とのテニスが楽しみだったの。

 

 

「それは悪かったよ。実は今日は、クラスの子が誘ってくれて怖い話を一緒にしてきたんだ。案外面白かったよ。」

「へえ、アンタも意外とそーゆーのやるんだ」

「いつも思うんだけど、君や周りの彼らは私のことを何だと思ってるのかな」

 

 

 演技でもなく心底意外だ、という顔をされればさすがの幸村もムッとする。

 まったく、女の子ひとり捕まえてやれ魔王だなんだと言っているのを実は知っているんだぞ、と言ってやれば彼らはどんな顔をするだろうか。君たちのところの不二ならともかく、私はあんまりそんな要素ないだろう。

 「私だってただの女の子らしく女子会に興じることだってあるさ」と(まあ怪談が女子会に分類されるかは微妙だけど)幸村が言えば、キョトンとしていたリョーマの顔がイタズラっぽい笑顔に変わった。

 

 

「ふぅん、じゃあ『女の子らしく』怖がったりしたの?」

「怖がるに男も女もないだろう。……まあどうだったかは、君の目で確認してもらおうかな?」

 

 

 私をからかうなんて10年早い、と幸村がカバンから某レンタルショップのロゴが入ったケースを出せば、会話の流れから中身が何かは察したのだろう。リョーマの顔が渋柿を食べたように苦いものになる。

 

 

「―――――もちろん、テニスの後にね」

 

 

 ただしそれは、それよりテニスがしたいという意思表示だということは知っているの。

 

 

 

 

 

 

 テニスでかいた汗を流して夕飯もろもろを済ませ、集合したのは私の部屋。流石に居候の身で夜遅くにリビングのテレビを拝借するのははばかれたので、使うのは幸村の私物のノートパソコンでである。ちなみに『居候云々』については南次郎さんたちから「気にするな」とは言われているものの、まあ気になるものは仕方ない。そんな幸村をリョーマは「アタマ()った」と呆れたように見たため、頬をつねられた。

 

 

「ボウヤ、怖くなったら縋り付いてきてもいいよ。抱きしめてあげようか」

「冗談」

 

 

 そういえばこの子はアメリカ育ちらしいけど、日本のホラーに耐性はあるのかな。ふと幸村は、ホラーのタイプが違いすぎて怖がられる、という話を聞いたことがあったような気がして少し心配になった。でも怯えてるこの子とか面白そうだから見てみたいかもしれない。

 まあとは思っても、リョーマは気負いない様子で幸村の横に座ったので、案外平気なのかな?と気にしないことにした。

 

 

 

 

 

 

 ―――――平気じゃなかったらしい。

 

 ふたりの目の前では日本ホラーらしいにじり寄る恐怖が再生されている。流石大ヒットホラー作品。かなりの恐怖だ。

 幸村が横に視線を向ければ、少し青ざめた顔のリョーマが頬をひきつらせて固まっていた。……やっぱり日本製はちょっと辛いらしかった。肝試しとかは平気そうだったのになあ。

 

 正直怯えてると気づいた当初は「いつまで強がりが続くかな~」みたいなイタズラ心があった幸村だったが、ここまで必死にこらえられると、ちょっとかわいそうというか、心配というか。だってまったく、私が虐めているみたいじゃないか。

 なんでこう、私の周りには手のかかる子が多いかなあ。

 

 

「ボウヤ」

「! ……なに、幸村サン。もしかして怖くなっちゃった?」

「―――――ああ、そうだね、実は少し」

「は?」

 

 

 強がる軽口に便乗してやれば、とんだ間抜け面に。数時間前に門前で見た顔だった。幸村は追及することなく、冷えないようにと羽織っていたブランケットの片側、リョーマの方を広げてみせる。

 

 

「少し怖くて、ちょっと寒いんだ。君が良ければこっちに来てくれないか」

「………まあ、それくらいなら、別に?」

 

 

 もにもにと言いながら、もそもそと入ってきたリョーマの肩を抱くようにブランケットを羽織りなおして、ふたりは再び画面に目を戻す。幸村は、なんだかんだ言ってもナマイキで手のかかるところって可愛くて仕方なかったりしちゃうんだよなあ、とこっそり考えた。

 画面の中で女性が悲鳴を上げる。隣のボウヤとの距離が少し縮まる。

 

 

「うーん。実はこういうのを見るの、久しぶりなんだよね」

「へえ」

 

 

 ぽつりとつぶやいた幸村への返答はそっけない。まあ特に意味のある呟きじゃなかったけどさ。

 ―――――実を言うと、幸村の言った「怖い」というのはまんざら嘘ではない。幸村だって人並みにこういった類のものに恐怖を感じたりするのだ。……いや、他人よりもう少し、怖がりかもしれない。

 ただ、立海では主に赤也が、ここではリョーマが、幸村より怯えているから逆に冷静になれるだけで。あと、あんまり人に弱点になるようなところを見せたくないから素知らぬ顔をしてみたりしているだけで。

 怖がりなのを知られるのは別にいい。ただ、怖がっているところを見られるのは嫌なのだ。さらに言えば、それに対して過剰に気を使われるのも好きじゃない。めんどくさいと言われればその通りなのだが、まあ幸村にもプライドがあるので。

 今日の怪談も、女子高生のオアソビ程度だったから余裕があった。もし本格的なものだったらダメだっただろう。だから渋谷が来たときは、流石の流石に心臓が止まるかと思った。

 

 隣の温かい塊をもう一度見やる。まだ顔は青いけど、さっきよりは平気そう。

 視線は画面のまま、幸村は少し体重をかけて隣に寄りかかる。視線を感じたけど、気づかないふり。

 

 

「……で? 久しぶりのホラーの感想は?」

 

 

 気を紛らわせるためかなんなのか、時間差で話に乗ってきたリョーマ。それにただ、一言だけ返す。

 

 

「君とテニスがしたくなった」

 

 

 ねえ、君もそうだと言ってよ越前リョーマ(おうじさま)

 

 

 

 

 

 

 すっぽり、片腕に収まる小さな熱源。さっきまで、ネットを挟んで戦っていた相手。

 暖かい。……生きてる。

そう、唐突に思った。

 

 

「(―――――小さな体だ。成長期に入ったのか、初めて会った時より背は大きくなっているけれど、それでも私より20センチ前後は小さくて細い。)」

 

 

 この小さい体が、私のテニスを打ち破ったのだと噛み締める。

熱い体だ。ポカポカとしていて、春の芽吹きを与えてくれるような、夏の刺す日差しのような温かさを、この体は持っている。

 

 ―――――君は私の何だろうか。

 

 あの時感じたのは苛立ちだった。そして恐怖だった。けれどうつくしかった。

 

 この子のテニスはうつくしい。うつくしい、人を魅了するプレーだ。

 人を惹きつけてやまない、自由で、どこまでも自分に正直なテニス。

 テニスの王子様。誰もが目を離せない。

 

 うつくしい、いのちだ。この子のいのちは、こんなにも尊くて、うつくしい。

 

 ―――――誰にも言ったことはないけれど。私が神の子と呼ばれるのなら、あの試合で、この子はきっと、私の天使だった。

 負けた屈辱。忘れていない。たくさんの負の感情があった。でも、燃えるような炎があった。

 愛していたはずのものを魅せつけられた。

 目が離せない、輝きを知った。

 

 もう一度体重をかけなおす。じっと見つめてくる視線はまた無視した。ゆっくりと瞼を落として、静かに、息を吐くように話しかける。

 

 

「…せめて今度は、プロの試合映像とかを借りてくるよ。ネットで探してもいい。ねえ、テニスを見よう」

 

 

 ホラーを見るのもなかなか楽しいけど、やっぱり私たちの間にはテニスがある方がずっと『らしい』と思うんだ。

 この子といると、血が騒ぐ。『テニスがしたい』と本能が訴えてくる。

 それなのに、なんだか、とても穏やかな気分になるときがある。

 テニスという、私とボウヤの一本のつながりが生み出すこの空気が、私は存外好きだった。

 

 だから、やっぱりテニスを見よう。テニスをしよう。多分私たちの関係は、そっちの方がずっと生きてるって感じがするんだ。………なんてね。

 

 

 

 

 

 

 そっと体重をかけてくる幸村サンの顔をのぞいてみる。瞳は閉じられていて、長いまつげが影を作っていた。

 顔だけ見ればどっかのおとぎ話に幸薄いオヒメサマとして出てくるような美貌(つくり)のくせに、中身はてんでちぐはぐだ。強くて、したたか、強引で、いじわる。あと、たぶん、でも、きっと―――――うつくしい。

 

 幸村聖子の存在を初めて知った時、こんな人が恐れられているのかと拍子抜けした記憶がある。だってまるで強そうに見えない。細いし、女の子らしい女の子って感じだったから。立海の人たちがいつも守るようにそばに居たから余計かも。

 でも、対峙すれば分かる―――――彼女がなぜ恐れられるのかを。

 

 凪いでいるようで、ゾッとするほど煮えたぎる、蹂躙者の目。

 

 本能がヒエラルキーを理解した。それでも負けるつもりなんてさらさら無かった。

 けど実際試合をすれば、強いなんてもんじゃない。あれは恐怖…いや、畏怖ってやつかな。入ってはいけない領域に足を踏み入れた感覚。絶対的で神々しい『最悪(ナニカ)』の縄張りに踏み入ってしまったような絶望感。

 

 ―――――誰にも言ってないことだけど。

 うつくしい、と思った。

 

 『神の子』なんて御大層な名前で呼ばれる理由がよく分かった。あの人のテニスは、膝をつきたくなるような威圧感があって、許しを請いたくなるような絶対感があって、何より―――――うつくしいから。

 だからあんな恐ろしいのに、みんな、どこか尊いものを見るような色をもってあの人を見る。あんまりにもうつくしいから。

 だから残念だった。この人が笑っていないのが、残念だった。この人が楽しんでいないのが、たまらなく残念だった。

 

 こんなにうつくしいんだから。もっと、楽しめばいいのに。楽しそうに、笑ってテニスをすればいいのに。きっとこの人なら、がむしゃらにボールを追いかけて泥だらけになっても『楽しくてたまらない』って顔で笑っていれば、きっとどんなものよりも、うつくしいと思うのに。

 

 「次はテニスを見よう」と幸村サンは言う。

 この人は、たぶん無自覚だけど、たまにこうして俺とテニス以外のものを共有しようとしてるんだと思う。そのくせ、言い出しっぺがやっぱりテニスが良いと言う。そりゃそーじゃん。アンタ、テニスがないと生きていけない人だもん。

 

 

「いいよ。俺もそっちの方がいいし」

 

 

 うつくしいひとだ。この人は、いじわるだったり怖かったりするけど、こころも、いのちさえもうつくしい人だ。

 

 ヒトの体に体重を乗せてくる幸村サンに、こっちからも体重をかけてみる。この人の体温は俺より少し低い。乾先輩がこの人が入院していたと言っていたのを思い出した。そして、その治療の仕上げのためにあんなに大切にしていた立海から出てきたことも思い出した。

 このぬるさがあの人のいのちの残りのような感じがして、バカみたいだと分かっているのに不安になった。俺の体温が移ればいいのにともう少し体重をかけることで、感じた恐怖を押し付ける。

 

 こんなに儚い。こんなに消えてしまいそう。なのに、テニスをするときはあんなに眩しくて力強い。

 

 例えば俺への敗北。例えば合宿での試合。例えばドイツ戦でのダブルス。大会後の幸村サンは少しずつ変わってきたように見える。それとも、元のありのままの姿に戻って行っているのかな。

 

 どんな理由でもいいけど、ただ、この人はテニスを楽しんでいる姿を見せるようになった。

 

 ネットを挟んでそれを見かける度に、目の前に火花が散ったみたいに視界がちかちかする。あまりの眩しさに目がくらむ。

 この人は俺のテニスを、『人を惹きつけるテニス』だと言う。

 でも、この人の方がよっぽどだと思う。この人が『楽しくてたまらない』って顔でずっとテニスをするようになったら、たぶん俺より100倍くらい厄介だ。

 

 テニスを楽しんでいないと言っていたあの試合の時はもうすでに、それでもうつくしかった。

 ならきっと、この人が『幸せで楽しくてたまらない』って笑ってテニスをする姿は、世界で一番くらいうつくしくて、みんな目が離せなくなると、思う。

 

 ―――――うつくしい人だ。うつくしい、いのちだ。

 こんなうつくしい人に初めて勝ったのは俺なんだから、このうつくしい人が一番うつくしくなった姿を始めて見るのも俺でいいはずじゃん。そのために、見つけたこの人をウチに引っ張りこんだんだから。

 

 立海の人たちや、仲良くしているらしい部長たちとか、わりと懐かれてるっぽい徳川さんとか、いろんな人がいるけどこれは譲れないよね。

 

 ウトウトとしてきた意識のまま幸村サンによしかかれば、寝るの、と声が降ってくる。いつの間にかホラー映画は気にもならなくなっていた。

 部屋に、と言ってくるこの人に、ここで寝ると言ってやれば、苦笑いしたような息遣いが聞こえてくる。

 この人が、俺みたいなわがままに実は案外優しいと最近気づいた。ストイックで厳しい癖に、なんだかんだ言って甘やかしてくれるところがある。

 

 ちろ、と一瞬だけその困ったような顔を盗み見て、そのまま睡魔に任せることにした。きっと、「さて、どうしたものか」って困ったような顔をするだろう。

 それでいい。俺は、このうつくしい人を困らせるのも実はちょっと好きだったりするから。

 

 

 

 







■病気の経過観察
祝・完治だけど立海を離れてもらうために病気を使いましたごめん幸村。

■ヘイト管理
 幸村がいくらめちゃ強だとしても、女の子になると倍目立つので、こう。
 女体化したせいですが、女体化した幸村が見たくなっちゃったんだから仕方ない。
 石を投げる的としてデカくなりすぎ、と判断しての離脱。信頼する仲間たち(どうきゅうせい)は共犯者。すべては未来(こうはい)を守るため。後輩たちはこのことを知らない。
「幸村先輩が治療?を頑張ってるんだから、俺らもがんばるぞー!」「おー!」

■友達ができない
 珍しい編入性がとんでもねえ美人だったもんだからみんなドキドキしてる。あと1週間もしたら態度が緩和されるので時間の問題というのは間違いではない。間違いではないが電話先は8割くらい「有象無象の為に幸村が自分を変える努力を……?そんなもの必要ないが……?」と思ってる。
 だって彼らにとって幸村はありのままが最も美しく魅力的な存在なので……

■怪談経験
 仲間たちとは何回かやった。毎回赤也がめっちゃでかい声でビビるのでほぼ赤也ビビらせ大会。柳生が意外と上手い。

■旧校舎と蓮二
 柳は旧校舎のいわくについて軽く知っていたが、まあ向こうで友達から初聞きするのも青春だなって教えなかった。幸村は一緒に進学先調べてくれた柳から何も聞いてなかったから蓮二!!?ってなった。

■「多分どこかで聞きかじったか信憑性のないネットの記事から拾って来たんだろう」
 ナチュラルに失礼。

■「ご」
 しぬかとおもった しんぞうとまるかとおもった
 守らなきゃいけない子たちがいたからギリなんとかなった

■渋谷さん
 イケメンだなあとは思ったし悪い人じゃなさそうだけどそれ以上に不審すぎるん。マジで3人に近づかないでほしいのに3人はメロメロだし渋谷さん(ふしんしゃ)は距離詰めて来るし結構困ってた。も~~~~~おともだちチャレンジしてたのにも~~~~~!!
 渋谷さんも目的(・・)のために表情筋ムキムキさせてにこってしてたのに、なぜかすればするほど警戒してくる美人が居て困ってた。

■君とテニスがしたくなった
 仲間とも違う、ある種絶対切れない繋がり。君はちゃんとネットの向こう側(そこ)に居て。

■生意気なおうじさま
 へ~強豪校の部長女の子なんだ→あれが?強そうに見えない……→とんでもねえバケモノじゃん
 病気のことも軽く聞いてるのでたまにちょっと心配にはなる。幸村が100%全力でテニスを楽しんでる状態で試合がしたい。ぜったい楽しいし、きっとめちゃくちゃきれいだと思う。
 恋ではないけど、テニスの女神さまは幸村と瓜二つだったりして、と思ったりはする。

■頂上組
 健全に良好




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

晴れのち下駄箱(VS 神の子)




 ピロリンッ


「おっ、マジか」
「ん? どうしたんじゃブンちゃん」
「幸村くんの屋上庭園、美化委員とテニス部で管理続けてんだって」
「マジか」
「それはいいですね。あそこはとても美しかったので…」
「あ、でも幸村くん並の手入れできるやついなくて結構大変みたいだぜぃ」
「うむ、幸村は植物の世話ひとつとっても手を抜く人間ではなかったからな」
「聖子の場合、手入れは趣味だったが故の精密さだろう。ふむ…赤也が代表して泣きついてくる確率は82%、か…」






 

 

 

 さて、晴ればれとした朝が来た。

 結局ボウヤは私にもたれかかったまま熟睡。しかしさすがの私も年頃の少年と添い寝をするわけにはいかないので、もちろん部屋にお帰りいただいた。

 

 お休みボウヤは丁寧に部屋に送り届けたとも―――――お 姫 様 抱 っ こ で 。

 

 悪意? 無いとも。なにせボウヤは現役スポーツ選手といえるのだから、そんな彼の健康を気遣うのは当然のこと。最大の注意を払った結果がお姫様抱っこだっただけだよ。朝食の沢庵に誓って本当だとも。(別に沢庵が特別好きなわけではないけれど)

 だから、その姿でボウヤのお父さんである南次郎さんに遭遇したのは全くもって偶然で、爆笑しながらカメラを構える南次郎さんの前を通る時だけ移動スピードがスローだったのはほら、ぶつかったりしないように気を使っただけだし。

 

 ―――――以上が、ボウヤの熱い視線を受ける朝食会場での私の説明である。

 

 

「…なんで笑ってんの」

「いや? 別に? 何も?」

「………朝、親父にめっちゃ笑われたんだけど。」

「早朝の親子コミュニケーションか。仲がよろしいようで大変結構じゃないか」

「………俺許してないから」

「おや、ご立腹かいボウヤ。そんなに私と添い寝がしたかったかな?」

「ちがっ…違うってわかってて言ってるデショ、それ!」

 

 

 ぽこぽことご立腹の王子様を置き去りに、ごちそうさまを言う。そうすればボウヤも「っヤベ、」と慌てて朝食をかき込みはじめた。うんうん、のんびりしてたら朝練に遅刻する時間だからね。

 

 

「それじゃあボウヤ、私は先に行くよ」

「……幸村サン、毎朝4時に起きてトレーニングしてんでしょ? 何で俺より元気なの」

「トレーニングしてるから元気なんだよ」

 

 

 腑に落ちない納得いかない、という熱い視線を背に、朝食の食器を片付けてさっさと居候先から出る。

 正直、こんな朝早くに出ても学校に着く時間が早すぎて暇なんだけど、ボウヤに合わせているから仕方が無い。なにせ、居候を知った手塚と不二から直々に、赤也みたいに朝練に元気に遅刻するボウヤをきっちり起こして登校させるという役職を与えられてしまったのだから。

 

 ふたりがかりで頭を下げられれば、もともと越前家に居候の恩がある私が断りきれる筈が無い。自分たちだって他校生である白石に赤也のお守りを…いや、別にお守りってわけでも……お守りだなあ。

 まあつまり、自分たちは任せといて、いざ自分たちが任されたとき拒否するのは道理にあらず、ということで。

 

 それに、このミッションを私が肩代わりすることで大学生の奈々子さんや凛子さんがのんびりとした朝の時間を過ごせるわけだ。朝4時に起きてトレーニングをしてボウヤを起こして、ふたりで雑巾がけをして汗を流して朝食準備。なかなか詰め込んだスケジュールになるけど無理をしているわけでもないし、働かざるもの食うべからずだ。

 奈々子さんと凛子さんには少し申し訳なさそうな顔をされてしまったけど、まあ、花嫁修業ということで、と言えば、ようやく笑ってくれた。

 

 

 

 

 

 それに、これは私にとって莫大なメリットがある。朝、運が良ければ―――――あの(・・)サムライ南次郎とゲームをすることができるのだ。

 あの人の気が向いたときだけ、誰にも邪魔されることなく、あの、到底現役を退いたと思えないような鋭いショットと戦うことができる。

 あらゆる苦労におつりがくる幸運だ。

 

 

 

 

 

 

 ―――――そういえば、そろそろ委員会決めがあるころかな。美化委員にするつもりだけど、確か中庭にあった空っぽの花壇は使わせてもらえないだろうか。

 

 ゆっくり歩いた通学路。気分よく今後のことを考え校庭に差し掛かったとき、ふと、桃色がよぎる。思わず顔を上げれば、満開の桜並木が視界を覆いつくした。

 

 

( うん、絶景。……ふふ、独り占めだ )

 

 

 やっぱり早起きってお得だな、とこの贅沢な時間を堪能する。ここの桜はまだ若いらしく木の幹も細めだが、咲く桜の美しさは十分なものだ。

 惜しいな、この風景をキャンバスに乗せたかった。学校じゃなかったら画材を取りに帰ったのに。

 

 せめて目に焼き付けようとじっくり眺めていれば―――――ふと、咲き誇る桜の陰に不穏を感じた。

 ぱちり、瞬きひとつ。

 

 春爛漫と言わんばかりの桜並木。風に踊る薄桃色が風流を感じさせる中に、『それ』はある。

 

 

 

 『それ』は屋根だった。古びた大きな木造建築―――――旧校舎だ。

 

 

 

 グルン、と昨日の記憶がめぐり始める。潜められた声。暗い室内。ゆっくりと紡がれる噂話。『自殺』『誘拐』『事故』『死亡』『死亡』『死亡』―――――

 

 

 

 ―――――気づけば、目の前に旧校舎があった。

 

 

 

 

 

 

「…いや、うん。仕方ないよね。」

 

 

 うん、楽しそうだなって少しでも思ったら、うっかり近づいて覗くのは仕方ないよね。

 『不謹慎』『警戒心がない』なんて言われかねないかもだけど、あいにく幽霊どころか心霊現象の類にすら出会ったことのない人生を送ってたんだ。『不謹慎』は何も言い返せないけど、正直『脅かし役のいないお化け屋敷』みたいな印象しかもてないこの状況。警戒すべき事なんて『ささくれが刺さんないように』、くらいしか思いつかないし。あああと、『建物が倒壊しませんように』?

 

 いちおう、近づかないように学校側から言われているから中には入らないけど、内部進学組じゃない私が旧校舎に近づいても『すみません、前の学校は旧校舎がなかったから気になって…』とでも言えば特に責められることもないはず。

 

 

 誰に言うわけでもないような言い訳をして、その全貌を眺める。

 ずいぶんと古い校舎はどことなく趣を感じさせ、同じようにいつ壊れるかと冷や冷やさせる危うさがある。桜並木の間から覗くだけでどことなく異世界感を出すのだから、夜になれば不気味以外の何物でもないのだろう。何もなくても『いわく』が付きそうだ。

 

 ―――――じっと見ていると、ふと何か違和感を感じた。……なんだろう。それが何なのか気付けない。首をひねって考え込んでしまう。違和感があるのだ。でもわからない。ちょっとイラっとしてしまう。

 

 

 どこだ、なんだ。くるくると視線を移動させていると、―――――玄関に何かを捉えた。

 

 

「うん……?」

 

 

 遠目ではよく見えないけど、暗い玄関のど真ん中に何かがあるように見える。

 

 腕時計を確認してみる。―――――チャイムが鳴るまで、まだ時間は十分にある。

 

 

 

 

 

 

 更に玄関へ距離を詰め、すすけて曇ったガラス越しに覗いてみる。

 なるほど、モノは黒くて、角ばっていて、

 

 

「これって……カメ、ラ?」

 

 

 しかもテレビ局とかにあるようなご立派な奴がこっちにお尻を向けて設置されている。

 

 ―――――というかこのカメラも気になるけど、すぐそこに止められている真っ黒なバンも気になる。不用心にもドアが開けっぱなしになってて、中に積んであるたくさんの機械類が見えている。……たぶんこの、玄関のカメラと関係するものだろう。

 

 

 でも、なんでカメラなんてものが? なんで、旧校舎で撮影を?

 

 

( ……渋谷さん? )

 

 

 ―――――それは勘だ。

 けれど、偶然とは思えない。

 

 旧校舎の噂と、自称転校生と、カメラ。…テレビ局? いや、でもカメラにも車にも局のステッカーや目印っぽいものは見えない。たまたま? 私用? 私用で、あんなカメラを? 機材だっておもちゃには見えない。

 

 

( 入るつもりは、なかったんだけどな )

 

「ん? え、うっわ……」

 

 

 ギッ、と押せば簡単に開いた扉に、嫌な予感がよぎり思わず鍵穴を覗き込む。

 ……古びて錆びてはいるが、無理やり開けられた形跡はない。ピッキングには詳しくないけど、針金の跡みたいなのもないから、その線もない、かな? こじ開けられたわけではないということは分かって一安心したけど、つまりは鍵を使ったのか、そもそも鍵がかかっていなかったのか。

 とりあえず、カメラに局名なんかが書いてないかだけ見てみよう。あったらあったで、なくても、一応先生に話しておくべきだろう。盗撮、なんて可能性がある。

 

 できるだけ音を立てずに、カメラに近づく。それでも建物は古いから歩くだけでギシギシと音が鳴る。うーん、早めに撤退したいな。カメラがお尻を向けているから映像に映っていないのが救い…いやでも音は入っちゃってるか。家鳴り家鳴り。勘違いしてくれますように。

 

 クルリとひと通りカメラを見てみても、局名なんかは書いていない。しかし気づいたことがひとつ。

 

 

「これ……ドイツ語? このレンズは『SWISS MADE』…スイス製」

 

 

 かなり値が張るんじゃないか、これ。………まさか、金持ちの道楽か。

 

 

 

 

 

「 誰だ !! 」

 

 

 

 

 

 ビクリ、と一瞬身がこわばる。―――――しまった、気づかれた。気づかれたし、気づかなかった。

 注意力が散漫になっていたのかもしれない。考えてみれば、鍵が開いていたのだから中に人がいてもおかしくない。迂闊だった。油断だった。非日常に、浮足立っていた。

 

 

 できるだけ焦りを悟られないように緩やかに声がした方に視線を向ければ、身長の高い美丈夫が奥のドアから玄関に出てきたところだった。

 

 

 ……意外。実はもうちょっと危なそうに崩れた人(失礼は承知だけど)が出てくるかと思ってたから、意外な顔面偏差値にびっくりした。しかもスーツ。え? 結婚詐欺師? …いや、まだ危ない人と決まったわけじゃない。そうだよ、もしかしたら渋谷さんも関係者かもしれないんだし、そう考えれば全体的な偏差値が高くても違和感は……いや、そんなことを考えている暇はない。

 

 歩いてくる美丈夫さん。

 その表情は、怒り、というより不快感を露にしていて、身長と合わさってそれなりの迫力がある。……でも、雰囲気なら真田の方が老けてて怖いかな、と一瞬くだらないことを思った。張り合うところじゃなかった。

 

 

 それにしても―――――『むかつく』『気分が悪い』『邪魔』『不愉快』…そんな感情が伝わってきそうな表情だ。

 

 

( …これ、ちょっとヤバい状況、かな? )

 

 

 現状を前に思考が回る。―――――さて。この距離と、この体格差。いくら私の身体能力をもってしても、逃げても逃げ切るのは至難の業かもしれない。相手も相当こちらを警戒しているのだからなおさらだ。無駄なことをしてさらに警戒されたくない。

 けれど不審者(仮)と同じ空間にずっといるつもりはないから、とりあえず―――――逃げよう。

 

 

 

 

 

 

 ―――――あともう少し、お互いの顔がはっきり見えるか見えないかまで近づいて来られたら、先手必勝。のんきに挨拶をして、そうすれば、上手くいけば相手は拍子抜けするはず。まああの様子だと逆上される可能性の方が高いかもしれないけど…そうなったらそうなったで、冷静じゃない相手の動きは単調で分かりやすくなるからメリットがある。

 

 

 手を考えながら、つかつかと歩いてくるその人に合わせて屈んでいた状態から下駄箱に手をかけて体を起こした瞬間―――――不意に、その重みに耐えきれないかのようにぐらりと下駄箱が揺れた。

 

 

「な、」「え」

 

 

 そのまま、ゆっくりと倒れだす私の真横の下駄箱。嘘だろう、この程度で? 無駄に大きいくせに変に細いからバランスが悪いのか。倒れてくる下駄箱を前に、『これじゃまるで私の体重が重かったみたいじゃないか』と場にそぐわない不満を抱いてしまう。

 そして、視界の端、少し先の美丈夫さんががハッとした顔で私に手を伸ばそうとするのが見えた。

 

 

( ああ、この人多分いい人だな )

 

 

 直感したと同時―――――伸ばされた手が届くより早く―――――反射的な動作で両手をうんと伸ばして、倒れてきた下駄箱を受け止めた。

 

 

 

 

   ズンッ!!

 

 

 

 

 ―――――腕を通してのしかかってくる重み。見た目に対して思ったより重い…木製だからかな。ずっしりとしていて…けれど、タイミングを合わせて膝をバネのように弾ませたおかげで、衝撃を受け流すことと、圧し掛かる重みに耐えられる姿勢づくりをこなせた。よし、体にダメージは特にないな、と自己満足。

 ……その代わり、埃が舞って気分が悪いけど。

 

 

( 最悪だ、髪の毛に埃が絡んだじゃないか )

 

 

 癖っ毛だから取り除くのは大変なのに。

 美丈夫さんはポカンとした顔で現状を眺め、それから近づいて来ようとした。

 

 

「あ、待って、来ないでください。まだ他のが倒れてくるかもしれないので」

「………そのまま、下駄箱を支え続けるつもりですか」

 

 

 

「―――――リン、どうした」

 

 

 

 さすがにさっきの今だと危ないと、思わず静止の声をかければ返ってきたのは皮肉気な声。でも内容的に手伝ってくれようとしたのだろう。さっきといい、今といい、やっぱりこの人いい人じゃないかな、と思ったところで、聞き覚えのある声が増えた。

 

 

 ―――――間違いない、渋谷さんだ。

 

 

 

 

 

 

「……なんだこの状況は」

「ナル、すみません。……いえ、私にも、…」

 

 

 渋谷さんの少し動揺したような声が聞こえる。けど、その姿は私の方からは美丈夫さん……リンさん? に隠れて見えない。

 にしても…ナル? 渋谷じゃなくて? 何となく、リンさんのセリフに首をかしげる。下の名前のニックネーム、とか? ふたりは気易い仲なのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら下駄箱を支えている腕と腹筋と足にグッとちからを込めて踏ん張り、傾いている下駄箱をもとに戻せば、『ズン』というか『ドン』というか、とりあえず重たいものが地面に落ちる音が鳴る。それにこっちを見ていた二人ともが大きく瞬きをしたのが見えた。

 まあ、このサイズの下駄箱なら大体80kg前後だ。それを女の子が動かしてたら異様に映るかもしれない。…といっても、持ち上げたわけじゃないからそこまで重みがかかったわけじゃないので、実際はそこまで驚かれるほどじゃないんだけどな。

 

 

「君は…」

「昨日ぶりですね、渋谷さん。こんにちは」

「…ああ、こんにちわ」

 

 

 どうやら渋谷さん側からもあまりこちらが見えていなかったのか、横にずれてこちらを視界に収めた渋谷さんに、何事もなかったように挨拶をすれば、数回瞬きしたのち同じように返事を返された。あちゃ、冷静になるの早いなあ。『じゃあこれで』って逃げられなかった。

 うーん、どうしようか。さっき出入りした感覚的に旧校舎の玄関はドアが歪んでいるのか立て付けが悪いのか、ちょっと不安定だったから多分勢いよく開けて出て行こうとしても、下手したらドアが開かないとかありそうだし。

 

 

「ところで渋谷さん」

 

 

 ここは自分の勘に賭けてみようかな。

 

 

「もしかして、業者の方か何かですか?」

 

 

 ―――――あなたが『危険ではない』という第六感に。

 

 

 

 

 

 

「何故?」

 

 

 間髪入れずに返ってきた問い。ええ、質問を質問で返すのか。食いつきいいなあ。思わず吹き出しそうになったのを、何とか苦笑い程度にとどめる。

 

 

「何故だと思います?」

「質問したのは僕だが」

 

 

 そもそも先に質問したのは私なんだけど。とりあえず今の会話的に…結構自己中というか、女王様気質というか。割と自分優先主義、といったところだろうか。

 

 

「君は昨日、僕に『来客カードを付けておけ』と言った。その時点で、僕が転校生ではないと思っていただろう」

「うーん、確証はないんですけど。『転校生か』と聞かれて『そんなもの』だと答えたり、学年じゃなくて歳を答えたり、はっきりした物言いを避けていたように感じたので、まあ。少なくとも訳ありだろうなって」

「他には?」

「欲しがりますね……そうだな、まず、制服を着ていないから生徒ではない。じゃあ時期のずれた転校生、もしくは転校予定か? 微妙ですね。制服も届いていない転校生がひとりで校舎内を見回るでしょうか。基本は教師が案内するものでしょう。引率が必要ないのなら、制服が手違いで届いていないだけでとっくにこの学校の生徒かもしれない? ……失礼ですが、そのお顔で今日まで噂にもならず騒ぎ立てられもしていなかったのは不自然すぎますよね」

 

 

 ―――――まあ、ここでお会いしたってことは本当に転校生じゃないんでしょう?

 

 

 一応、考えすぎかなとも思っていたんですけど。と締めくくれば、渋谷さんは……うーん、なんとなく満足そうな顔をしている…かな? 表情変わらないなあ、この人。手塚みたいだ。

 

 

「では業者と思ったのは?」

「あなたが転校生じゃないとして、じゃあなぜ昨日、私たちの怪談に混ざりたがったのかなって話になりますよね。少なくとも、怖い話が好きだから混ぜてほしかった、なんてお人柄には見えなかったので」

「そうかな。昨日、君たちとはそれなりに友好的に会話ができていたと思ったけど」

 

 

 にこり、と昨日と同じ顔で渋谷さんが笑う。―――――うん、この人理系っぽいな。仮定から実験、証明を経て結果を出すのが好きなタイプっぽい。

 同じようににこり、と笑いながら―――――ゆっくり、気づかれないように重心を移動させる。

 それは、いつでも走り出せるように。

 

 

「ええ、見惚れるような笑顔でした。残念だったのは、目の奥まで笑っていなかったことですかね。元気な女子高生の相手はめんどくさかったですか?」

 

 

 ―――――立ち位置、会話からして渋谷さんとリンさんが顔見知り以上なのは見てとれる。2対1は分が悪い。

 本当に、勘と言うか、なんとなく受け取るイメージとしてはやっぱり『悪い人』ではない、と言うのは一貫しているけど…それが『不審者』ではないってことではないわけで。

 

 

「カメラ、ドイツ製ですよね。こんな本格的なの生では初めて見ました。レンズはスイス製で…あんまりそっちには明るくないんですけど、お高そうですよね。よっぽどのお金持ちじゃない限り、個人の趣味では到底手が出そうにない」

 

 

 ―――――例えばおふたりが趣味でこのカメラを持てる財力があったとして、じゃあ何故旧校舎に? 可能性としては廃墟マニアか、心霊マニアか。

 

 

 ゆっくりと、渋谷さんが腕を組む。片足に重心を乗せ、聞く体勢へ。―――――あのポーシングからでは瞬時に動くことは不可能、かな。

 対して、リンさんはあまり体勢を変えていない。うーん、こっちの方が難敵か。

 

 

「逆に趣味ではないのなら、渋谷さんは心霊番組のディレクターとかですかね。まったくそうは見えないですけど」

 

 

 危険ではないと思う。不審者かといわれればあまりそんな気もしない。けれどやっぱり身元不明の男性ふたり相手に女子高生ひとりというのは心もとないし―――――なんというか。話しているうちに渋谷さんの雰囲気が怖くなってきたというか。目元に愉悦を感じ始めたというか。厄介なのに見つかったような感覚。身の危険を感じる。しかも貞操の危機というより生命の危機的な……。

 

 手塚とかじゃない。多分、柳とか不二あたりを混ぜた感じだこの人。

 

 

 さっきまで『悪い人じゃないと思うよ』と訴えていた第六感が『でもあんまり関わらない方がいいと思うよ』と言い始めた。…三十六計逃げるに如かず、かな。立て付けの悪いドアは、それでも蹴破るくらいすれば脱出可能だ。

 さっきからわざわざ求められるままにペラペラ喋っているたのがいいカムフラージュになった。渋谷さんは私の体重移動に気づいてないようだ。

 

 

( よし―――――イケる )

 

 

 渋谷さんがくちを開く。彼が話し始めた瞬間に、走り出す。校舎まで一直線に全力疾走すれば、おそらく逃げ切れるだろう。

 

 グ、と足にちからを入れたところで―――――しかし、渋谷さんを遮るようにリンさんが割り入ってきた。

 

 

 

 

 

 

「我々はこの旧校舎の調査を校長から直々に依頼された業者です。信じられなければ、どうぞご確認ください」

「……へえ、そうでしたか。疑り深くすみません」

「ご理解いただけたようでしたら、そう構えずにいただきたいのですが」

「構える? 何のことでしょうか」

 

( やっぱりリンさんの方が厄介だったか。失敗…これじゃ逃げられない )

 

 

 少しわざとらしかったかもしれないけれど、わざわざ警戒していたことを言う必要はない。リンさんは追及せず目を細めた。うーん、なんかリンさんに嫌われてるような気がするんだけど、何かしたかな。

 リンさんの話が本当なら、ちゃんとした仕事に茶々入れられた気分になって、とか?

 

 

「………旧校舎には近づかないように、と生徒に通告されていたと聞きましたが」

「え、そうなんですか? すみません、この春から転校してきたので知りませんでした」

 

 

 ―――――『白々しい』…そう言いたそうな顔で睨まれてしまった。けど、すぐにリンさんは小さくため息を吐いて視線を逸らす。

 

 

「………ところで、お時間は大丈夫ですか」

「え? ああ、ちょっとマズいですね。失礼させていただきます。お仕事のお邪魔をしてすみませんでした」

 

 

 あまりにあからさまな誘導。それでも、『こちらはもう関わりたくない』というリンさんからのアピールに乗ることにした。まあこっちも関わりたいというわけじゃないからね。

 

 一礼して、少し速足で旧校舎を後にする。

 ―――――実を言うと一瞬、『全然大丈夫です』とか言って困らせてみようかな、なんて思いもしたが、さすがにそこは自重した。せっかく向こうから逃がしてくれるというのならわざわざ歯向かう理由もない。

 

 

 というか渋谷さん最後はひと言も喋らなくなっていたけれど、あれ大丈夫なのかな。感じ的には渋谷さんの方が立場は上っぽかったのに、リンさん遮っちゃってたけど。

 

 

 

 

 

 

 頭に降りかかった埃を払いつつ校舎までの道すがら携帯を確認すると、LINK(むりょう つうしん アプリ)に通知があった。母と、妹と、柳。

 一瞬思案してから、柳の画面を開いて通話をつなげる。この時間ならもう教室に入っているだろう彼は、その通りだったのかすぐに応じてくれた。

 

 

「おはよう、柳。ちょっと確認したいんだけどさ………ああ、やっぱり分かった? そう、旧校舎の話。一応さ? お前が何も言わなかったってことは、危険はないだろうと思ってはいるんだけどね」

 

 

 旧校舎の噂に対していくつかの確認をして(やっぱりタネも仕掛けもあるみたいだ)、そのあとにふと、あのふたり組を思い返した。

 そういえば、真っ黒で到底一般人とは思えなかった彼らは、一体旧校舎の「何の」調査をしに来たのだろうか。

 

 

「そうそう、不思議な人たちに会ったよ。…さあ? 誰だろうね。ああいや、大丈夫。危ない人ではないさ、多分ね。え? 私の言葉は信じられないかな。……いや、違うなら良いさ」

 

 

 別に深い意味があったわけじゃない。けれど、あのふたり組のことを思い返すと、なんとなくまた会いそうな気がした。

 これは、最後の年を共に戦った彼らと、初めて新生レギュラーとして対面した時のような。もしくは、あの生意気なボウヤの目が、あの試合中に再び炎を灯した時のような。

 

 そしてほんの少しだけ、あの日初めてテニスラケットを握った時のような。

 

 

「ちょっと、楽しみだな」

 

 

 そんな、確信と呼ぶには弱く、気のせいにするには心惹かれる何かがあった。

 

 

 ―――――そこまで話して、校舎にたどり着いたから通話を切る。これ以上は柳に質問攻めされそうだったからだ。

 

 

「―――――そういえば、渋谷さんは今日の怪談にも来るんだっけ?」

 

 

 旧校舎で対面している間は『どう逃げるか』と考えていたけど、こうやって安全圏に出るともう少し話をしてもよかったかもしれないと思えてくる。だって『危なくなさそう』と思ったのも『楽しそう』と思ったのも本当だから。

 あの面白いものを見つけたみたいな顔を向けられるのは少し嫌だけど、放課後に会った時は、もうちょっと会話に興じてもいいかもしれない。そんな風に思いながら、クラスメイトに挨拶をした。

 

 

 







「リン、何があった」


 上司の問いに、リンは小さくため息を吐いた。

 ―――――リンこと林興徐は、先ほどまでナルとともに依頼先の旧校舎の見回りをしていた。

 本来であれば、安全の確認できない幽霊屋敷に入るのは愚の骨頂であるが、自分がいる場合は話が別だ。昨日一日の調査で、おおよそ敵意の感じなかったこの建物内で、ナルを守ることはリンにとって難しいことではない。軽く一周見回るくらい、なんてことはないのだ。
 あたりを見て回りながらベースの確保について確認していたとき、校舎内を警戒していた式のうち、一体が告げてきた。


( 玄関に、人間の侵入者…? )


 それは、立ち入り禁止を敷かれているこの校舎内に、自分達以外の人間がいるというもの。敵意は感じないというが、警戒するに越したことはない。
 幸い、ここは玄関に近い。


「ナル、私は確認したいことがあるので先に車に戻ります。あなたもすぐに来てください」
「ああ、わかった」


 置ける機材の計算のために未だ教室を見回すナルに、ここらに危害を加えそうな存在はいないことを確かめてから告げる。
 本来ならばそばを離れるべきではない。中を見回るのは私の同伴あってのことなのだから当たり前だ。
 しかしその人間とナルはあまり鉢合わせたくない。
 どうやらこの学校の女子生徒らしい。ナルの容姿的に、めんどくさいことになるだろうと踏んだからだ。

 玄関口に向かえば、そこには情報通り制服を着た女子生徒がカメラを見つめている姿があった。
 校長の話では生徒は立ち入り禁止だったはずだが、なぜこうも堂々としているのだろうか。決まりを破って侵入してきたというのに。もともと日本人に抱いている生理的嫌悪感が後押しして、その決まり破りの女子生徒に苛立ちが募る。


「誰だ!」


 思いそのまま、厳しめの声を向けたのは大人げなかったかもしれない。しかし驚いたようにこちらを仰ぎ見たその生徒に、表情には出ないがリンも驚いた。

 しゃがんでいるが、おそらくナルと同じくらいの身長がある。体は細いが、しなやかな筋肉がついていることが制服の上からでも見て取れた。―――――加えて、その容姿。緩いウェーブを描く藍色の髪は柔らかく、その顔はナルと並ぶほどに整っていた。
 というか、ナルの顔を見慣れながら「美しい容姿」とリンに言わしめるくらいに整っているのだから驚きもする。

 暗い玄関で舞った埃が太陽光に反射して煌めく。それがその女子生徒にかかった輝きのエフェクトのようだと思わせる、上位の容姿。
 しかし美しい容姿をしていようと、だからと言ってどうということではない。

 さっさと出て行かせようと少し早足で近づけば、怯えるわけでもなく、観察するような視線が刺さり、気分が悪くなる。見世物ではない。…いや、一見優等生な、決まり破りのこの美麗な生徒は、警戒心が強いが冷静で知的なのだろう。
 そこまで考えて、昨日のナルの言葉を思い出す。



 ―――――成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群、人望が厚く、人当たりもいい、といったところか。警戒心も強いな。あれは口が回るタイプだろう。とっさの判断もいい。何よりバイトを探しているそうだ。


 この女子生徒が成績優秀でバイトを探しているかどうかは知らないが、もしかして。

 あの、至上の容姿を持つ男に「容姿端麗」と言わしめる容姿……そんなのが果たしてゴロゴロ居るものか?
 まさか、この女子生徒か。

 そんなことを考えていれば、立ち上がろうとした女子生徒が手をついた下駄箱が揺れだした。
 ―――――これは、倒れる。

 とっさに、その女子生徒を突き飛ばそうと腕を伸ばしかけた。どれほど運動神経が高いかは知らないが、この状況下で逃げ出すことは難しいだろう。そうなれば、50キロは優に超えるアレに押しつぶされて、怪我どころの話ではない。
 日本人に嫌悪感があろうとも、これを見て見ぬ振りするほど堕ちてはいない。

 最悪、自分が押しつぶされても、と思った行動であったが、結果として意味をなさなかった。
 ―――――いくらナルと同じほどの身長があると言えども、細身の女子。しかしその女子生徒が、大きなその下駄箱を、両手で支えきってしまったのだ。

 呆然としまうのは仕方がないと思われる。目の前に光景に信じきれない何かを感じてしまう。
 腕、細い。手のひら、支えている。顔、不愉快そう…だが、苦痛の色はない。

 さも軽々と―――――しかしそのままで、とはいかないだろう。下駄箱を元に戻すくらいは手伝うべきだろうと近づけば、かけられたのは制止の声だ。


「あ、待って、来ないでください。まだ他のが倒れてくるかもしれないので」
「………そのまま、下駄箱を支え続けるつもりですか」


 何を言っているのかと、少し嫌味を込めていってみれば、その女子生徒は少し驚いたような顔をして、瞬間柔らかな微笑みを浮かべてきた。そんな顔をされても困惑しか浮かばない。
 何かを言おうとしたところで―――――ナルが来た。


 校舎外に移動しながらある程度のあらましを語れば、ナルは満足そうに頷いた。


「……昨日の候補とは、彼女のことですか」
「ああ」


 分かり切った質問だった。ナルとの会話でも愚昧でないことは見て取れる。
 彼女の推察は、あくまで推察という緩さはあったが、それにしても理性的だった。いくつかの可能性を挙げ、その可能性を否定するものを揃え、選択肢を削り、故に出てきた可能性を挙げる。しかし全ての可能性を完全に否定するつもりはないのだろう。広く視野を持った考えをしていることが伝わってきた。
 なるほど、もし彼女がナルの言う『掘り出し物』ならば、確かに優秀な人材と言えるだろう。

 ―――――自分の考察を語る彼女を観察していると、語りながら、ゆっくりと、体重移動していることに気がついた。警戒の色が濃くなっている。
 おかしなことではない。リンとナルが不審者であるのなら彼女は2対1で逃げ切らなくてはいけないのだから警戒するのはもっともだ。しかし、ふとナルの表情を見たときに、それ以上の納得をした。


 ギラギラしている。その目に愉快の感情を乗せて、じっと女子生徒を見るナルは、確かに警戒したくなるくらいには威圧感があるのだ。


 本能で感じ取っているのだろう。さすがに同情を禁じ得ない。
 一応弁明するのならナルに邪まな考えはない。しかし、ここは学校で、自分たちが一見不審者であることに対して、彼女は(たとえあの細腕で下駄箱を支えきろうと見た目は)お淑やかな少女だ。もし彼女が学校側に何か(被害者然としたことを)言えば、面倒ごとになるのは避けられないだろう。
 故に、ナルが何かをいう前にそれを遮るように口を開いたのだ。

 ひょうひょうと白々しいことを言う女子生徒に苛立ちがなかったと言えないが、これ以上無駄に絡む必要はないと適当なことを言えば、あっさり立ち去った姿を見届けた。


「優秀そうではありますが、勧誘は難しいのでは?」


 彼女はナルの好奇心にを本能的に警戒していた。あの様子では勧誘しても反応は望ましくないかと思われる。
 ナルも自覚はあるのか、少し眉を乗せたが、全ては結果が語ると、勧誘する気は萎えていない。

 こうなれば止まらないだろう、と特に何も言うことはなく、しかし出てくる嘆息は止めはしない。昨日から、回数が増えているれに少し気分が重くなった。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

余計なこと(気づいたしされるし)




 憎い、嫌い、恨めしい


 きれいなあの子が   妬ましい





 

 

 

「あっ、幸村さんおはよう!」

「おはよう恵子ちゃん」

「ねね、もし良かったら今日のも参加してくれないかな?」

「今日のもって、怪談? うん、大丈夫だよ」

「やった!」

 

 

 教室に入ってすぐ、ミチルちゃんや祐梨ちゃんと話をしていた恵子ちゃんが挨拶とともにうれしいお誘いをしてくれた。まさか2日連続で誘ってもらえるとは……こっちからお願いをしに行こうと思っていたけれど、これは本当に嬉しい。

 連続で誘ってくれているということは、受け入れてくれているということだ。後ろのふたりも嫌がってないように見えるし……これは順調なんじゃないだろうか。

 

 仲良くなれたら、今度蓮二に「なんとかなったよ」って教えてやろうか。

 

 

「そういえば、今日は渋谷さんも来るんだよね」

「え? うん、昨日約束したから来てくれると思うけど…」

「楽しみだね」

「……ねえ、幸村さんって、渋谷さんに興味あるの?」

「うん?」

 

 

 そわそわとした様子で意味の読めない質問を投げかけてくる恵子ちゃんに、思わず首をかしげる。

 興味があるかと言われれば、もちろんあるとも。―――――いや、待てよ。

 

 

「あるよ。けど、こんな時期の転校生なんて珍しいからってだけで……」

「そっかー! うんうんそうだよね!」

 

 

 しっかり当たり障りのない言い訳を添えようとしたけれど、大仰な態度で納得を示す恵子ちゃんに遮られてしまった。

 待ってくれ。今私が『楽しみだね』と言ったのは『私が楽しみにしている』という意味ではなく、3人が渋谷さんをナンパ(仮)をしていたから『来てくれることになってよかったね』という意味で言ったのだ。だから断じて、断じて私がそういった意味で渋谷さんに興味があるというわけではない。

 やばい。ここで誤解されれば、せっかくの女の子の友人(かのうせい)が潰えてしまうかもしれない。

 

 でもこれ間違いなく誤解されてるよね? どうしよう。弁明をしようにも、チャイムが鳴ったのでそこでお開きとなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 キンコン、と軽快にチャイムが鳴って、最期の授業が終了した。結局あの後は弁明するチャンスがなくてとうとう放課後になってしまった。このまま帰りのホームルームが済めば、私も、確か3人とも何かの当番が割り当てられていないので、渋谷さんが合流次第、第2次怪談大会の開幕となる。できればその前に誤解を解いておきたいんだけど…。

 

 

 既に3人集まってなにやら相談をしている元へ向かいながら考え、ふと気づく。

 ―――――そういえば渋谷さんが転校生でないということを、3人には伝えるべきだろうか。

 

 

 3人は彼を転校生だと思っているから獲物(ターゲット)としてロックオンしている……はずだ。多分。

 しかしそれが事実無根であり、実は既に社会人として働く存在だと知ったら。しかもあんな高そうな機械を使えて、自分より年上の部下(リンさん)を連れていると知ったら。

 

 『ミステリアスでイケメンな転校生』は『遠い世界の高嶺の花』のようなものになり、その淡い………淡い? うん、淡い恋心…恋心なのかなあれ……よくわかんないけれど、その淡い恋心は薄いガラスのように砕け散ってしまい、ひどく落胆することだろう。

 いや、玉の輿だとはしゃぐだろうか。でも、さすがに女子高生の自分たちが見初められるとは、本気で信じちゃいないだろう。

 

 付き合いが浅いといえども彼女たちはいい子で優しい子だということはよく分かる。そんな貴重な友人候補をわざわざ悲しませるのは気が進まない。けど、このまま誤解させたままでは真実を知った時余計にショックを受けるのではないだろうか。

 

 しかし、渋谷さんが昨日の時点で自分の立場を明言しなかったということはあまりホイホイとくちにしていいものではないのかもしれない。だって学校から依頼された業者だと言えば大抵の生徒は快く調査に協力してくれるだろうに。特に彼はあの容姿なら、下手に転校生とはぐらかすよりやり易かろう。それでも彼はくちを(つぐ)んだのだ。

 

 ―――――いや、内部生なら誰もが知っているらしい不気味な旧校舎の『何か』を調査しに来ている業者、だなんて十分すぎるほどに注目を浴びてしまって動きにくいから、ということだろうか。

 …うん? いや、……待てよ。そうなると、そう、でも、

 

 

 

 でも、それなら、彼らは旧校舎が『いわくつき』なことを知っていることになる。

 

 

 

 ―――――きゅ、と自分の喉が鳴ったのが聞こえた。

 

 

 本来こういう怪談話は生徒と教師、身内が知っている程度の知名度のはず。そしてこの旧校舎があまり有名でないのは、外部進学の私が内部生の子に聞くまで知らないかったことで明白な事実だろう。

 柳に確認した時も、「一部で語り継がれた、いわゆる七不思議のようなものだ」と言っていた。つまり、信ぴょう性は限りなく低い。

 

 まあ信ぴょう性については置いておくとしても、外部の業者がそんな噂を知るなんてことがあるか?

 いや、校長(クライアント)や案内係(いたかもしれない)の先生とかが話のネタにした可能性はある。知り合いから噂を聞いたというパターンだって不自然じゃない。近隣住民に聞き込み…は、旧校舎の何をわざわざ聞きまわるのかって話だし、それこそあの顔が各ご家庭に訪問してきたら噂くらいにはなるだろう。

 ……しっくりこないな。誰かとの世間話や何かのついでで知ったとして……怪談話に参加したがるほどに興味を持つか?

 

 ホラーマニアと言われればそれまでかもしれないが、今朝の様子からすると、渋谷さんもリンさんもわざわざ校舎に乗り込んでまで聞き出すほど興味を持っているようには見えなかった。と言っても相手の底が見えるほど会話をしたわけではないし、下駄箱騒動でそれどころじゃなかった可能性もあるけど。

 今朝の会話の中で渋谷さんが興味を示していたのは私の考察だ。…あのまま会話を続けていたら話題に上がった可能性も高いけれども。……それでも優先順位は低い、か?

 ならなぜ昨日渋谷さんは怪談に混ざろうとした? 次の日の予定までしっかり了承するほどに興味を示した?

 

 

 そうだ、あのカメラ。あれもおかしかった。

 

 

 例えば彼らが旧校舎を解体するための調査をしているとしたら、何で玄関なんかにカメラを置いた? リンさんも言っていた通り旧校舎は『立ち入り禁止』だとお触れが出てる。最早誰も通らないはずの旧校舎の玄関に、何を確認するためにあんなものを置いたのか。

 

 イメージとしては、ああいった手合いのカメラが置いてあったということは長時間あの風景を撮る必要があった、と受け取れる。経過を知りたい? 一体何の? 旧校舎の様子?

 

 ―――――それとも、いつ起こるか分からない『何か』を撮れるように?

 求めているのは―――――『何か』。

 

 

 

 『何か』を調べに来た業者で、旧校舎の『いわく』に興味があって、『何か』を映そうとしている。

 最も高い可能性が、

 

 

「―――――オカルト関係者、か?」

 

 

 しかも装備からしてなかなか大手の業者だろうか。ペロリ、と乾いた唇を無意識に舐めた。

 

 

 

 

 

 

 あくまで推察。『例えば』で『もしも』の話―――――そう切り捨てるには、つじつまが合いすぎる気がする。そして、もうとっくに彼らが心霊番組のスタッフとは思えない。

 

 

 ………さて、どうしようか。

 確かに可能性として心霊マニアを候補に出したけど、それは撮り鉄系(いっぱんじん)タイプの話であって……まさか学校が本職オカルト業者を招くとは思わないじゃないか。

 

 学校という環境は、あまり突飛な存在を好まない。だいたいの教育機関は、極端にいうのなら量産ロボットのような統一された従順さを求めるし、生徒を『管理』したがる傾向があると思っている。

 現代は人権だのなんだの少しずつ寛容的になってきたけれど、もともと多数決国家の日本だし。

 

 そして、大抵の人間は『オカルト』とくれば『詐欺』と思うくらい民度が低いというイメージを持っているだろう。良くても『エンターテイナー』かな。進路調査表にオカルト系の名前を出せば生徒指導室に呼び出されて「ふざけるのはやめなさい」「現実を見なさい」と言われるイメージ。

 

 教育者がそんな非科学的でイカサマや紛い物の百戸する業種の人間を学校に招き入れただなんて、世間に知られたらバッシングは免れないだろう。神社の神主さんとかなら文化的に話が別だっただろうけど……サブカルチャーの発展した現代。『そういうもの』に興味を持つような年頃の子たちの巣窟に、学校として正式にオカルト関係者を入れるって……そんなに切羽詰まっているのか。

 

 

 ―――――それにしても、困ったな。オカルト関連のことを一方的に否定するつもりはないけれど、そういった人たちのことを『あんまり信用ならない』『胡散臭い』と思っちゃうのは仕方ないだろう。それに変人奇人の巣窟のような業種というイメージが強い。……テニス関係も相当だったけど。

 

 

 確かに面白そうとは思ったし、それは今でも変わらない。オカルトなんて未知だ。興味を持たないわけがない。

 けど、―――――ああ、本当、余計なことに気が付いた。まさか『渋谷さんが転校生でないことを伝えるか否か』と考えただけで、こんなことに気付くなんて思うわけがない。

 

 何がめんどくさいって…いや、めんどくさいと言うより、ヘタしたら立海テニス部(なかま)や家族や越前家の皆様に余計な心配と面倒をかけかねないってことが問題なんだ。旧校舎の噂と学校に依頼された美麗で年若いオカルト業者? 退屈な日常に飛び込んだ最高にセンセーショナルなニュースだ。どこからか話が漏れれば、一気に学校中を駆け巡って注目の的になるだろう。そうして、欠片でも関わったことが知られればどうなるか。……御免被る。

 ああ、そう考えると、気づけたのは余計ではなかったのかな。悩みが増えたけど。

 

 どうせ旧校舎の噂はガセだ。柳が言うには、「調べた限り問題はない」……つまり、噂話は害のあるものじゃない。なら何もなかったと彼らはすぐに帰っていくだろう。それか「悪霊がいる」と言って適当なお祓いしたりするとか。どっちにしろ、わざわざ関わるべきではない。

 客観的に見て、私の顔の知名度はそこそこある。そして私と立海テニス部をイコールで結ぶ人間は多い。そんな中で後先考えない無茶ができるわけがない。

 好奇心で首を突っ込める範疇を超えている。この身ひとつでとれる責任の範囲じゃない。

 

 

 やっぱり、今日の怪談は遠慮させてもらおう。これ以上接点を作りたくないし。3人には……とりあえず転校生ではないことと、旧校舎に入ってる業者だってことを伝えておいて、あまり関わらないように警告しておいた方がいいかもしれない。

 

 

「恵子ちゃん」

「あっ幸村さん。丁度よかった、今日の怪談なんだけど、どこでやろっか?」

「そのことなんだけど……」

 

 

 

「―――――ちょっと」

 

 

 

 

 

 

 可愛く笑いかけてくれる恵子ちゃんには申し訳ないけど、予定のキャンセルを伝えようとした。わざわざ誘ってもらいながらドタキャンってすごい嫌な奴じゃないか。好感度下がりそうだなあ、せっかく少し上手くいっていたのに。そんなことを考えながら口を開けば、―――――唐突に、鋭く、強い口調で横槍が入った。

 

 あまりにとげとげしい声に振り返れば、そこにいたのは眼鏡に三つ編み、いかにも優等生です、といった委員長タイプの女の子。クラスメイトの、黒田さん。

 その目はグッと細められ、眉間にしわも寄っている。腕組をして仁王立つ様子は見るからに『嫌悪感を持っています』『面倒ごとに迷惑してます』といった感じだ。

 

 直接的に向けられる負の感情に、思わず大きく瞬きをしてしまう。―――――彼女は、随分と鋭く私を睨んでいた。

 

 

「あ、黒田さん。さようなら」

「あなたたち、今何の話をしていたの?」

 

 

 ―――――思わずムッとした感情が顔を出そうとしたのを、とりあえず押しとどめる。

 ミチルちゃんからの声かけに視線を彼女たち3人に移した黒田さんは、噛みつくように高圧的な声で問いただしてきた。

 少なくとも向こうから話しかけてきた時点では全然友好的じゃなかったのに対して、比較的穏やかにあいさつしたミチルちゃんは悪くないはずだ。端から見ても、十分黒田さんが常識知らずな反応だと言える。

 『ちょっと』と話しかけてきた黒田さんに『さようなら』と返した彼女もだいぶ天然というか…見方によってはかなりの皮肉に聞こえるかもしれないが、先に友好的とは言えない態度でマウントをとるように話しかけてきたのは向こうなのだから50/50(フィフティ・フィフティ)だろう。

 

 睨みつける黒田さんに、3人はグッと押し黙ってしまった。

 私は黒田さんのことをよく知らないけど、この様子からして内部進学組には揮える権力があるのだろうか。彼女たちにも彼女たちの人間関係があるから不用意に首を突っ込む気はないけれど……だとしても、巻き込まれたひとりとしてこの重苦しい空気は好ましくない。自然とクラス内の視線も集まってきている。

 

 

( 仕方がないな )

 

 

 一歩、黒田さんに近づく。そうすればまた意識は私に向くから、少なくとも彼女たちは解放されるだろう。

 ギロリ、また睨みつけられる。心なしか3人相手の時より目つきが鋭い気がする。私は彼女の親の仇か?

 

 

「大したことじゃないんだ。ただ、私がまだクラスに馴染めていないのを気にして怪談話に誘ってくれただけだよ。そういう遊びの方が、ぎこちなく会話するより打ち解けられるから……ああ、怪談話を選んだのは私だよ。前の学校で友人とよくやっていたからさ。馴染みあるものの方が、気安いだろう?」

 

 

 一応、何かしらの誤解を受けているのなら丁寧に説明すれば退いてくれるだろうかと試みてみたけれど、―――――どうやら凶手だったらしい。

 

 

 『クラスに馴染めていない』と言えば憎々し気に顔を歪められ、あまつさえ『怪談話』……その単語を聞いた黒田さんは、とうとう他の何も目に入らないとばかりに眉間にしわを寄せて前のめりに私を睨みつけくち元を震わせた。

 

 

 大失敗だったわけだ。咄嗟に言い訳じみたことを言って取り繕ったけれど、聞こえているかも分からない。

 

 

「そうやって……!!」

 

 

 ―――――本当に、地雷を踏んだようだ。

 声はゾッとするほど低い。後ろの3人が震えたのが分かる。

 

 きっと何かが許せなかったんだろう。何かが彼女の逆鱗に触れ、不愉快にさせてしまったんだろう。

 

 

 

 ああ、けど。

 

 不愉快なのは、君だけじゃない。

 

 

 

「―――――何か、気に障ってしまったかな」

 

 

 

 規律について? けど、放課後に残って、視聴覚室を使用したのが悪いと言われるならまだしも、彼女は私たちが『怪談話をした』ということしか知らない。

 

 

 

「君に、迷惑をかけたつもりはなかったんだけど」

 

 

 

 つまり―――――黒田さんに咎められる謂れはない。

 

 

 

「私、黒田さんに何かしたっけ?」

 

 

 

 あくまで微笑んで問えば、ぐう、と唸るように黙られた。言う理由がない? ただ気に障った?そんなワケないだろう、そんなに熱い視線を送っておいて。なら、この場で言えないことだった?

 

 それとも、くちに出して認めたくないこと?

 

 

「心当たりはないんだけどな…初めて喋ったよね?」

 

 

 敵意を向けられて悲しむほど繊細じゃないけれど、はいそうですかと受け流してあげるほど寛容でもない。だから、今更後退っても憐れまない。だって君もまだ私を睨みつけているし。

 

 黒田さんはすっかり黙ってしまったけれど、教室の空気は毒々しいままだ。まあ私も思い切り喧嘩を買ってしまったからなあ。

 緊迫した現状。苛立ちは晴れなくとも押し黙って後退りされた時点で多少溜飲が下がったからこれ以上突っつくつもりはないけど…さて、どうすべきかな。変な緊張感が教室内に残っていて、居心地は悪い。

 

 あ、改善策とはいかなくても、打開策としてこのまま押し切って今日は解散しちゃうのはどうだろうか。一石二鳥かもしれない。

 

 

「ねえ、今日は、」

「幸村さん、いるかな」

 

 

 何で来た。

 

 

 

 

 

 

 ノック音2回とともに扉を開けて教室に入ってきたのは―――――渋谷さん。なんてタイミングなんだ。もしかして、今日って厄日だったのかな。

 いや、来るって話だったけど。でもよりにもよって名指し。そういうのやめてください。

 

 厄介だ。せっかく黙ってもらったのに、空気を読まずにペロリと怪談話のことを話した渋谷さんに水を得たとばかりに黒田さんが食って掛かってしまった。

 まあそれでも、いきなり現れた華やかな(おもて)に教室の雰囲気が変わったのは喜ばしい。だがそれだけだ。

 

 ギャンギャンと噛みつく黒田さん。『部外者』が何の用かとけたたましいが、私の忠告を受けてか渋谷さんは来客カードを付けている。…ということは一応その人、学校の正式なお客さんになるんだけどな。まあ、あの様子だとどっちも気にしてないようだけど。

 

 

 名指しで呼んできた、オカルト関係者の可能性が高い渋谷さん。

 怪談話の関係者だと聞いて、食って掛かる黒田さん。

 遠巻きに見てくるクラスメイト。

 混乱のままに、こっちを伺い見てくる恵子ちゃん、ミチルちゃん、祐梨ちゃん。

 

 

 恵子ちゃんは渋谷さんにがなりたてる黒田さんに、恋する乙女のパワー? で言い返そうとしていたが、旧校舎の幽霊について語りだした黒田さんにとうとうくちを閉ざしてしまった。

 

 

 なるほどこれが混沌(カオス)。まさかと思うけど、この騒動の収拾って私の仕事とか言わないよね。

 

 

 ―――――しかし、聞いていて思うのは黒田さんの主張は随分と流暢だということ。どもることも悩むこともなくベラベラとしゃべる。

 どことなく演技じみて感じるのは私がひねくれているからだろうか。慣れたようにベラベラと話しているが、言葉を選んでいると感じる。それが、相手を不快にさせないためだという訳ではない、というのは明白だけど、では何故か? ……そんなの、愚問かな。

 

 

 どうしてあそこまで冷たい言い方をするのか。本人の言っている通り、『見える』故の孤独から?

 特殊は孤立する―――――そんなもの、古今東西とっくに分かりきったことだろう。

 

 黒田さんはどうだろうか。普通なら、『自分が見ているものは普通ではない』と認識すれば、周囲の目を恐れてくちを(つぐ)むと思ったけど。でも彼女はベラベラとしゃべる。まともじゃない人間を見るような視線の中で、当然のように喋り続ける。何かに憑りつかれたように。

 

 正直言って、否定されてもなお自身の主張は揺るがせない、なんて精神力の高さは感じられない。

 

 

 ―――――渋谷さんは冷静だ。冷静で、残酷だ。

 あまりに冷静に、いっそ冷酷に、黒田さんの主張を正論で叩き潰す。

 

 必死に主張し続ける黒田さん。彼女が言葉を紡ぐたび、まるで彼女が自分から暗い所に入っているように見えてくる。

 

 思わず大きなため息が出た。

 

 まあ正直、冷たいことを言うのなら彼女が結果破滅しようとも関係ない話だ。しかし、

 

 

「黒田さん、今日用事があるって言っていなかったっけ。もう随分と時間が経ってしまっているけど、大丈夫?」

「は、」

 

 

 ―――――これ以上自分を名指しして呼んできた相手と一緒に目立たれるのは困る。

 

 

 

 

 

 

 唐突。その一言に尽きるセリフとタイミングだった。自覚は十分にある。けれどこの時点で自分の中に『自重』の2文字は間違いなくなかった。何故か。だって機嫌が悪いのだ。

 

 理由が思い当たらないのに噛みついて敵視してくる黒田さん。周りからの視線。予定をぶち壊した渋谷さん。なにより、元は私を含んだ4人が発端だったくせにすっかり私を蚊帳の外にしている現状。これだけ巻き込んでおいて放置? まったくもって、そう―――――不愉快。

 

 

「幽霊云々については見たこともないからよく分からないけど、それだけ君が言うのなら今日も、これからももう軽率に怖い話なんてしないよ。これでいいだろう? 話はこれで終わり。黒田さんはどうぞ、自分の用を済ませに行っていいよ」

 

 

 口調は穏やかに、それでも多分、向けられた黒田さんは友好的には感じないだろう。

 少し煽るような言葉選びになってしまったのはそれだけ気分が悪いから。大目に見てほしいね。

 とってつけたような「君が言うのなら」という尊重の言葉に反した、遠回しな「早くどっかに行け」というメッセージはどうやら無事に伝わったらしい。

 

 

「え、ええ、そうね。そう…わかってくれたならいいの。それじゃあ、私、用事があるから失礼するわ。さようなら」

 

 

 目を彷徨わせて、さっきまでよりちょっと小さな声でそう言った黒田さんは足早に教室を去っていった。その姿にさすがに言い過ぎたかな、と思ったのも一瞬。そもそも敵意を向けられなければこっちだってこんな対応を取らない。しかもこんなに話をめんどくさくして…誰が収集を付けると思ってるんだ。

 

 

「渋谷さん。そういう訳で、今日も、これからも、怪談話は中止になってしまいました。3人ともごめんね、勝手に話を進めて。今度は別の遊びに誘ってくれると嬉しいな」

「え、う、うん!」

「大丈夫だよ、全然!!」

「う、うん、今度、また誘うね!」

 

「……そう、なら仕方ないね。じゃあそれとは別に、幸村さん、君に話があるから少し一緒に来てもらいたいんだが」

 

 

( いい加減にしろ )

 

 

 少し無理矢理になってしまったが、一応3人からはOKを貰えた。さりげなく約束を取り付けてみたが、どうだろう。社交辞令と思われたかな。返答も引きつっていたし、さっきのでドン引かれちゃったかもしれない。恨むよかみさま。

 しかも追い打ちのような渋谷さんのセリフ。思わず心の中で罵倒が出てしまう。この男、余計なことをしてくれた。天を仰がなかったのは最後の理性でありプライドだった。

 

 

 ザワ、と人の残った教室内に動揺が広がる。微かに聞こえるのは、年頃ならではの『邪推』。……多分、いや間違いなく渋谷さんにその気はないだろうし、私にだってない。けれどそんなことは彼らには何一つ関係ないのだ。

 

 ああ、これだから勘弁してほしかったのに。

 後ろを振り向く元気はない。ここには渋谷さんに『ロックオン』した3人がいるのに、よくもまあ誤解されるようなことを言ってくれたな。女の子はこういう、恋敵云々に対しては酷く陰湿で凄惨なところがある。そんなもの何度も見てきた。

 せっかく仲良くしてくれていた女の子を……。

 

 

「ああ、今朝の件ですか。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。では場所を移動しましょう。3人とも、また明日」

 

 

 ―――――これで私の新生活の目標である『女の子の友達を作る』が失敗したらどうしてくれるんだ。

 

 表面はポーカーフェイスを保ちつつも、なんとか『そういうアレソレではない』っぽいことを言ってみたが、果たして彼女たちは納得してくれるだろうか。

 わずかな不安を持って3人に振り返れば、

 

 

「う、うん! いってらっしゃい!!」

「頑張ってね!!」

「応援してるね!!」

 

 

 ―――――どういうことだろうか。

 何か、何か朝の時とは比べものにならない覆せないような誤解を受けている気がする。

 

 しかし渋谷さんを待たせている現状で問い詰める余裕はなく、これではまた弁明の機会を得られないままだ。

 教室中から向けられる視線にうんざりしながら、黒田さんのように足早に荷物を持って教室から出ることにした。今ちょっとだけ彼女に同情できたよ。

 明日…明日こそは、誤解を解きたい。

 

 

「着いてきてください」

 

 

 目指すは一階の、特別教室前の廊下。人通りがほぼなく、玄関の近くだから外に出ることもできるお忍びスポットだ。

 なにより、職員室に直通である。

 

 

 本当に、今日は厄日だ。

 

 

 







 最初の案

 幸村「馴染めてないから気を使ってくれたんだよ」
 黒田「(ええ~~中二病炸裂させたい~~でもでも、馴染めてないって思ってる幸村さんに食って掛かるのは…)」
 幸村「(なんか思い悩んでるみたいだけど気を使ってくれてるんだな~黒田さんめっちゃいい子じゃ~ん!)」


 →結果

 黒田「このアマァァアアアアア………!!」
 幸村「笑止。動きが悪すぎるよ(暗黒微笑)」


 ……???





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女の視界(異世界かそれとも)




 タイトルにする(いう)ほど視界の話をしていないかもしれない。


(言い忘れていましたが、創作用のツイッター垢あります→@dosanko_frog )





 

 

 

 教室を出てすぐ階段を駆け下りた。渋谷さんは案外文句を言わず着いてくる。まあもし何か言われても聞く気はなかったけど。

 幸い目的地までの道のりは人が少なく、大して騒がれることなく移動することができた。

 

 

 歩きながら考える。多分渋谷さんはもやしっ子ではない。インドアに見えるけどある程度動けるタイプ。服の上からだとあまり分からないが、細いが薄くない体からは筋肉かついてることがうかがえる。

 まあつまり、渋谷さんがヤバい人だった時彼に対抗できるかどうかという話なんだけど。

 

 

 本当は信用していない相手にふたりきりでこうして背中を見せて歩くのもあまりよろしくない。けど、今回ばかりは移動速度優先だ。

 一応間合いはとっているけど、さて。なにせ向かう先は人気のない場所。自分から危険なところに向かうようなもの。でも、だって人の目のあるところで渋谷さんと話すとか目立つから仕方ない。

 渋谷さんがヤバい人か大丈夫な人か…まるで運試しだ。大丈夫だとは思うけど。

 

 

 目的の廊下に辿り着き、体を反転して向かい合う。渋谷さんはすぐにくちを開いた。

 

 

「彼女はいつもああやって騒いでいるのか?」

 

 

 わあ。せっかちだな。いや、時間を無駄にするのが好きではないタイプか。移動を受け入れたのは自分にもメリットがあるから? ともかく、彼はさっさと話しを進めたいらしい。

 

 さて―――――彼女。彼女とは…考えるまでもなく黒田さんのことだろうけど、もう少し分かりやすく言ってほしいな。いいけど。

 しかし何故彼女を気にするのだろうか。

 絡まれたから? 不気味に思ったから? ならこんな淡々とした言い方をするものか。それに、少なくとも教室を出るときに、渋谷さんは黒田さんを最後に一瞥し興味を失ったように見えた。というかあれだけ言葉で潰しておいて不気味も何もないだろう。

 じゃあ一目惚れ? それこそ笑い話にもならない。なら何故か。

 

 ―――――オカルト関係者だから? 

 

 

「さあ、今日初めて話したので。何故?」

「…ずいぶんと、自分の霊感に自信があるようだったから。本当に霊能者かな」

 

 

 その問いは、どこか楽しげだった。しかしきっと、彼女のことを嘲笑っているわけではないのだろう。

 彼の笑顔の理由はおそらく―――――私だ。

 

 

 

 試している。私という人間を、見極めようとしている。

 

 

 

 渋谷さんの目がすう、と細まる。笑顔ではない。鋭い視線に、こちらは半目になってしまった。無意識かわざとかは知らないけど、その顔でその表情は脅しに等しい。…わざとだったら渋谷さんの自己認識の高さは素晴らしいな。自分の武器の使い方をよくよく理解している。

 

 

( ……それにしても、やっぱり )

 

 

 渋谷さんがオカルト業者という推察が現実味を帯びてきた。というか、もう脳が全てそっちに繋げようとしてくる。彼は今、『自分の霊感に自信があるようだったから』と言った。それは間違っても『霊的なもの』を否定する言葉ではない。

 そういったものがあると認識して受け入れている、と受け取れる言葉選び。

 それに、教室で黒田さんへ切り替えした言葉の数々はあまりにも旧校舎について入念な下調べがされていたように感じられた。ちなみに旧校舎解体のための地質調査とかの業者という線も考えていたけど、地質調査に旧校舎の歴史が関係あるとは思えないし。困った。一般的な職業の可能性がことごとく潰れてしまった。

 

 

 ……現実を見ようか。

 彼は今、私を見極めて、見透かそうとしている。―――――それが意味するのは。恐らく、多分、いや、おおよそ間違いなく、私を引きずり込もうとしているということなのではないだろうか。

 避けようと思っていた厄介ごとが向こうからやってきた。溜め息を飲み込んだだけ頑張った方だろう。

 

 

 渋谷さんはじっと私を見る。彼の目は案外お喋りだ。少なくとも、彼は誰も貶めるつもりでないことはありありと伝わってきた。おそらく私に興味があるのか、知りたいことを知るために黒田さんの話題を利用した、といったところだろうか。

 

 

 短い経験則、あまり性格がよろしくないだろうこの人は―――――いや、こういったタイプの性格は、ナマイキで傲慢で尊大な態度をとっても、真に相手を蔑むことはない。

 誰に似てるかな。ボウヤ? 確かにナマイキだ。あ、跡部? 尊大尊大。傲慢については案外ふたりともに当てはまるかな。そしてどちらも、間違うことはあっても人間性は悪くない。誰かを悪意で貶めるようなことはしない。……ああ、いや、今は―――――飛び始めた思考を、間一髪引き留める。

 今はまず、渋谷さんの質問に答えるべきだろう。

 

 

「―――――それこそ、私には分からないですね。そっち方面は素人なので。本人がそう言っているのならそうなんじゃないですか?」

「淡泊だな。君は霊能力の類に対して否定派か?」

「肯定も否定も、私は見えないし感じませんから。じゃあ『見える』と言っている人がそう言っているならそうなんじゃないか、ってことですよ。黒田さんについては…彼女の視界が他人とどう違っているかなんて、他人(わたし)に分かるものじゃないでしょう」

 

 

 

 ―――――かつて、私が誰にも理解されなかったように。

 

 

 

 他人(ひと)は案外、すぐに理解を放棄するものだ。

 いっそ残酷なまでの自己保身によって切り捨てられた『特別』は、誰からも切り取られた世界でようやく『特別(じぶん)』を知る。

 私がそう考えるのは、当人がどれだけ訴えたところで他人がそれを理解できるとは限らないということを知っているし、私の見えるもの、感じるものを他人と完全に共有できることなんてできないと分かっているから。

 

 すり減っていたかつての私は、そうして『他人』という生き物を知ったのだ。

 

 

 自分の考えを割り増しで淡泊にそっけなく(きょうみをもたれないように)伝えながら、逃げようか、と一瞬考えた。

 しかし、逃げ切れるだろうか。『ならいい』と引いてくれる確率は…それこそ一か八か(フィフティ・フィフティ)か。依頼人(クライアント)は校長らしいし、本当に私を巻き込むつもりならここで断っても校長を通して話を持って来る可能性もある。下手すればまた教室に乗り込まれるかもしれない。今日みたいに、何に憚ることはないと、名指しで。

 

 簡単に逃がしてくれるような雰囲気ではないし、私は彼の行動を抑制できるだけの切り札(カード)がまだない。拒否権はある。というかきっと私が本気で嫌がりでもすれば、強制できる話ではないだろう。渋谷さんは気にしなさそうだけど、ただでさえ胡散臭い『オカルト』タイプの勧誘なんだから先生方くらいは守ってくれるはずだ。

 けど、転入早々部外者とトラブルを起こして目立つのは望ましくないわけで。

 

 なにより、別に渋谷さん自体に嫌悪感を持っているわけではないというのが大きい。

 

 

「僕らは旧校舎の調査に来ている」

「今朝聞きましたね」

「それを聞いて、幸村さん。あなたは、僕らがどういう人間だと思ったか。聞いても?」

 

 

 言葉尻を上げてクエスチョンマークを付けるくせに、当然言うよね? と言わんばかりの態度。とんだ傲慢。ここまできたら扱いやすい分ボウヤのナマイキくんがかわいく見える。

 

 

 瞳は凪いでいた。けどわずかに、楽しむような色を見つけた気がしたら駄目だった。

 

 

「まあ、オカルト関係者かなって思いますよね」

 

 

 ―――――まあ、面倒ごとって巻き込まれるより突っ込んでくほうが被害が少ないっていうし。どうせ不可避なら、まあ、仕方ないか。

 

 そう、これは妥協であって断じて好奇心に屈したわけでも絆されたわけでもない。断じて。断じてない。……断じて。…………いやまあ、多少はあるけれど。

 

 

 私の返答に渋谷さんの顔が緩んだ。ほんの一瞬、挑戦的で満足げな笑みがその端麗な(かんばせ)を彩るものだから、思わずこっちの顔には苦笑いが浮かんでしまう。

 理由は求められなかった。ということは、何かは分からないがいつの間にかこの人を納得させる何かを私は与えてしまったらしい。やっぱりこれ、逃げてたら追いかけられてた可能性高かったな…。

 

 

 まあ、あいつらも、家族も、たぶん越前家の人たちも、なんとかなるだろう。少なくとも頭の中で説得する算段を立て始めてしまうくらいには鮮やかな色彩だった。

 

 

 

 

 

 

「単刀直入に言うと、君にアルバイトをしてほしい」

「アルバイト、ですか」

 

 

 言われた言葉は半分予想通りで、半分予想外。協力ではなくアルバイト、ということは給料が出ると判断していいのかな?

 疑問のまま反復すれば、渋谷さんはひとつ肯首して、続きを話す。

 

 

「業務内容は旧校舎の調査に対しての協力。期限は解決するまで。勤務時間は放課後だいたい4、5時間。休日出勤についてはその時々によるが、朝から晩までになることもあるだろう。もちろん労働基準法に反しない勤務体制はとる。基本は休憩45分と7時間45分勤務。それを越えれば残業手当も入れる。主に機材の運搬やデータ収集のアシスト、基礎データ収集など素人でも問題のない雑務を任せたい。機材の運搬はあの下駄箱を支えられた程度の筋力があるならという判断だが、肉体労働に不満は?」

「体を動かすのは好きですよ」

「結構。肉体労働は現場業務に入るから危険手当が出る場合もある。だいたいのギャランディの目安は、」

 

 

 つらつらと淀みなく並べられる内容に、やっぱりこの人最初から巻き込む気満々だったんだなと再認識した。ただ有能だからその場で説明できてるだけじゃないだろうこれ。業務内容説明する準備してきてたなこれ。

 

 

 

 そして提示されたのは他のアルバイトとは比べ物にならない高額報酬。

 …これ高卒会社員くらいはあるんじゃないか。

 

 

 

 顎に手をかけ、指でトントンと弾きながら、考える。

 正直もう話を受ける気はある。けど、素直に頷くのは癪だし、扱いやすいと思われても困る。

 手元に増えた切り札(カード)は『任意である』『向こうから求められている』というふたつだろうか。こっちからもう少しくらい条件を付けられるかもしれないが……同時に、副作用がどうなるか分からない劇薬でもある。なにせ相手はこの超短期間の接触だけで『厄介だ』と頭を悩ませてきた渋谷さんなのだから。

 

 このおいしい話のネックなところとは、時間が不規則、不適格なところ。そしてどんなハプニングがあるか皆目見当もつかないが、危険はあるだろうということ、かな。不規則な生活はトレーニング量が確保できないし、体調にも影響が出る。危険については言うまでもない。あとあれだ、社会の目。

 

 ……いや、高望みをしすぎているのだろう。バイトもしたいけどしっかりトレーニングもしたい、なんて。バイトということは給料が発生して、金銭を受け取るということは責任があるということだ。そちらも都合よく、というのは到底無理な話。バランスを見極めて折り合いをつけるしかない。

 社会の目については…思いつくことがないわけではないし。

 

 

「―――――ああ、一番肝心な話を忘れていました。改めまして、渋谷さん。あなたがどこの、誰なのか」

「渋谷サイキック・リサーチの所長、渋谷一也。職種としてはゴーストハントだが……正確には『退治』というより『調査』が(おも)。日本では馴染みのない職業だろう」

 

 

 うわあ。思ったよりしっかりオカルト業者だった。いや、まああれだけの機材があるなら大手だろうとか思ってたし言ったけど、改めて言われると…。

 しかし、ゴーストハント、ねえ。

 

 

「そうですね、聞き覚えがないですがそこは私の無知ですから。……では、生まれてこのかた幽霊を見たことも心霊現象を体験したこともない素人ですので、十分ご指導ご鞭撻(べんたつ)いただけることが前提になりますが」

 

 

 少なくとも渋谷さんの性格は嫌いじゃなくて、仕事内容にも不満は無くて、待遇もいい。周りの目については私が上手く立ち回ればいいだろう。噂も好奇の目も今更だし。

 まったく、関わらないと思っていたのに1時間も経たずに手の平を返すことになるとはなぁ。まあそこは、渋谷さんのお人柄の賜物だと丸く収めようか。

 

 

「よろしくお願いします。」

「―――――ああ、こちらこそ」

 

 

 

 

 

 

 さて、ではさっそく業務に取り掛かる―――――というわけにはいかない。

 

 まず先ほどの騒ぎで渋谷さんという存在が目立ってしまったのがある。すごい美人が来たということくらいは話題になっているだろう。なにせこの顔。インパクトが大きすぎる。

 まだ玄関には多くの生徒が残っており、そこに渋谷さんと一緒に出ていけば視線で蜂の巣になる。腹をくくったからといって好き好んで噂になりたいわけじゃない。

 

 

 それにもっと根本的な問題がある。当然だが、まだバイトの許可申請をしていないことだ。

 学生である私がアルバイトをするにはまず学校に許可申請をしなくてはならない。勤務場所が校内でバイト先が学校公認(?)とはいえ、バイトの許可は当然必要。

 

 

 しかし職員室は窓が大きく玄関から中がよく見えてしまうので―――――校長室に駆け込むことにした。

 校長室は出入口が玄関から死角になっているし、来客対応もするから中が覗かれにくい構造になっている。なにより校長は依頼人(クライアント)だし学校の責任者(トップ)だ。校長さえ口説き落とせれば、オカルト業者なんて胡散臭いアルバイトに表立って反対する先生はいないだろう。

 

 となればの現在もっとも間近な問題は―――――

 

 

「渋谷さん、失礼します」

「―――――これは?」

「校長室はこの廊下の突き当りなので、今からここを渡るんですけど……」

 

 

 私が着ていた指定のカーディガンを脱ぎ問答無用で渋谷さんの頭に被せれば、当然のように渋谷さんから訝しげな顔をされた。まあでしょうね。あれ、でも抵抗されなかったな。はじき落される可能性も考えてたのに。

 

 

 さて、目的地が廊下の突き当りということは、この廊下を通り過ぎなくてはいけないということ。そしてここはいくら人気がなくとも、隣接する特別教室では文化部が細々と部活動をしているので無人ではない。

 つまりもっとも間近な問題は、この廊下を無事に渡り切ることだ。

 

 

「渋谷さん目立つでしょう」

 

 

 その目立つご尊顔を隠せば多少は対策になるはずだ。

 この学校の指定カーディガンのデザインは男女共同。ぱっと見ならカーディガンを頭からかぶった男子生徒だと勘違いさせられるだろう。

 教室から見える廊下は出入口の扉の窓を介してのみだし、窓の位置的にスーツのズボンは見えない。そして渋谷さんの身長は私と同じくらい。長身だけど同じくらいの私が隣にいれば、通り過ぎるだけならそこまで目立たないはず。

 

 

「ずいぶんと目立つのを嫌うんだな。君も、―――――」

 

 

 カーディガンの隙間から目が合ったのでもうちょっと深く被せておこうとカーディガンを引っ張れば、うっかり渋谷さんのセリフを遮ってしまった。うわあ、顔が見えないのに物凄く不満そうなのが伝わってくる。無視したわけじゃないですから、すみませんって。

 

 

「なんて言いました?」

「……君も大概目立つ、と」

「なるほど。ありがとうございます」

 

 

 そんなことは知ってるさ、慣れているから。

 

 

「……まあそれは置いておいて。実は、原因は不明なんですがどうにもクラスメイトに遠巻きにされていまして。だからあまり悪目立ちしたくないんです・今は女の子の友人を得るのを目標に努力中ですから。同性の友人が欲しいじゃないですか。ね?」

 

 

 だから火種となりそうなあなたと噂を立てられたくないんです…とは言わなかった。さすがにそこまで言えば失礼だし、最終的にバイトを受けると言ったのは私なのだから我儘にも程があるだろう。でも『悪目立ち』と言ったのは噂されるのは本当に勘弁願いたいからだ。

 言わないだけで思っているなら同じかもしれないが、そこは置いておいて。親密だと誤解さされなきゃいい。それにちょっとだけ協力していただきたいのだ。

 

 

 嫉妬がらみの敵意は、立海で散々受けた記憶がある。

 単純に彼らに恋をした子たちや、自己顕示欲の果てに彼らを求めた子たち。

 

 

 

 

 ―――――彼がほしい(すき)こっちを見てほしい(だいすき)好きになってほしい(あなたがほしい)

 どうして私を選んでくれないの。どうして(ああ)―――――その女ばかり優遇されるの(ゆるせない)

 

 

 

 

 特に後者がめんどくさかったんだよなあ。彼女たちにはあいつらがブランド物のアクセサリーか何かに見えているらしい。執着力がすごかった。

 別にチームメイトから恋愛的な感情を向けられたことはなかったし、私だって向けたことはなかった。が、そんなことは彼女たちには関係なかったらしい。

 彼女たちにとって私は好きな(ほしい)人の一番近くにいる羨ましい―――――大っ嫌いな、目障りな子。

 

 それに伴い嫌がらせとかもあったわけで。まあ泣き寝入りするほどかわいい性格もしてないからやられっぱなしじゃなかったけど。

 

 

 ―――――閑話休題(このはなしはここまで)

 

 

 つまり、友好な友人を作るには余計な火種対策が大切だということで。

 

 

「……君の交友関係に興味はないが、そう言うのなら雇用条件のひとつとして受け入れよう」

「ひと言多いって言われません? でもありがとうございます」

 

 

 どう考えても余計なひと言を含ませるセリフはともかく、思いのほか物分かり良く許可を出してくれる上司に思わずこちらもにっこりしながらその手を握る。あ、思ったより大きい。

 

 

「ご案内しますね」

「………」

「………渋谷さん?」

「………これは」

「視界が悪いでしょう。これくらいはサポートしますよ」

 

 

 まあこっちの都合で不便を強いているので。そう思った配慮だったのだが、渋谷さんはすっかり黙ってしまった。おや、と首をかしげる。もしかしてこういったスキンシップは嫌いなタイプだっただろうか。

 

 ―――――ベタベタされるのは嫌いそうだけど、この程度なら一周回って気にしなさそう、と思ったんだけど。思ったより潔癖だったかな? うーん、でもカーディガンの被りが浅くてうっかりご開帳されたら困るし。

 

 

「不快かもしれませんがちょっと我慢してください」

「……いや」

「校長室までですから」

 

 

 手をつないでいた状態から、位置をスライドして手首を掴んだ状態に変える。こっちならまだ不快指数も低いだろう。ただこの握り方はどうしても握ってる方が主導権を持ってるように見えるから、手と手にしたのは配慮のつもりだったんだけど。エスコートするみたいにつなげばよかったのかな。

 

 まあ振り払われないならこれ以上気にしなくていいか、と気を取り直して校長室を目指した。

 

 

 

 







 人って不思議よね。
 だって自分は特別な存在になりたいって思うくせに、
 特別であることが重荷だって思う。
 同等の友が欲しいって思うくせに、
 周りの人間は自分より劣っていてくれって思う。


 ねえ、あの子が泣いてるわ。―――――きっと、あなたたちにはどうでもいいことなのでしょうけど。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仕事開始(まずは知ってもらおうか)

(幸村聖子の華麗なる王子様いじり)



 お昼休み。お弁当を食べる前に端末を覗けば、SNSに通知がたくさん。
 きっとみんな見たのだろう。そして、彼も。

 青い鳥のアイコンをタッチしてアプリを開けば、想像通り。


 ゆきむら:王子様ご就寝。


 鍵をかけたアカウントに悪戯心で載せた例のプリンセスホールド写真は、いたくフォロワーのお気に召したらしい。
 まあこのアカウント、ほとんどテニスメンバーしかいないからね。

「かわいーww」「性別逆転してんじゃん」「これは恥ずかしいww」「仲ええなあ!」「え、いいなー俺もやってみたい」

 面識のある面々が次々にコメントを送ってきている。うーん、面白い。実際面と向かって会ったらここまで気安く会話しないのに、SNSだとみんな、ポンポンコメントくれるんだよね。
 直接会った時もこれくらい話しかけてくれればいいんだけど、と思いながら読み進めていれば、数分前のコメントを発見。


 カルピン@猫垢:ちょっと意味わかんないんだけど! 早く消して


 思わず笑いそうになったのをグッとこらえる。端末見ながらニヤニヤしてたら気味悪がられるからね。
 それにしても、気づくのにだいぶ時間かかったなあボウヤ。おおかた、先輩に揶揄われてようやく気が付いた、ってところだろうか。
 そっと端末に指を滑らせる。同居人を怒らせたら生活がし辛いからね。ここは素直に詫びを入れよう。


 ゆきむら:お怒りかな? 君の体調を気遣って部屋に運んだだけだったのだけど。
      ちなみに昨日はホラー映画を見てみました。王子さまは退屈だったようで。


 ペタリ、1枚のブランケットを分け合いながら私に寄りかかって眠るボウヤの写真を付けて呟いておく。
 うんうん、あの格好の理由も載せたし、ホラーを怖がってたってことも言ってない。十分なフォローだね!


 たまたまみんな見ていたのか、次々にコメントが送られてきて―――――とうとう画面に着信通知が。
 うっかり小さく噴き出して、クラスメイトの邪魔にならないように人気のない階段まで移動する。


「―――――やあボウヤ。どうかしたかな?」


 楽しんでる? まさか、当たり前だろう!
 おかげで恵子ちゃんたちに弁明する時間が無くなった。これは後でボウヤに責任を取ってもらわなくては。





 

 

 

 所変わって、旧校舎直通裏道。

 校長室でバイト許可申請(じかんつぶし)が終わり、私たちは校長先生からのアドバイスでこの秘密の裏道を通ることになった。

 この道は校舎の陰になっているうえ、なかなか獣道なので内部生でも知っている子は極僅か&知っていても通らないという穴場道だ。というかそもそも旧校舎に近寄る人がいないので、つまりはほぼ誰も通らない。おかげで部活生の目がある校庭側を通らずに旧校舎へ行くことができた。

 

 人が通らない獣道はなかなか障害物が多いが、幸いにも渋谷さんは思ったより運動神経がいいのかスルスルと進んでくれる。私? はは、今更獣道程度で困るように見えるかな。

 

 

「とりあえず、今回の旧校舎の依頼について説明する」

「よろしくお願いします」

 

 

 歩きながら説明をしてくれた渋谷さんの話を簡単にまとめれば、古い建物は危ないから旧校舎壊したい。というか不吉な噂多すぎてわが校の威信に関わる。なのにことごとく危ないことが起こるからちーっとも工事が進まない。だからなんとかどうにかしてくれ、という話らしい。

 

 

「依頼があったのが一週間前で、調査を開始したのが昨日、ですか」

「ああ、その間は事前調査を。当然だろう?」

「そうですね。それだけ慎重に事を進めてもらえるのは、いち生徒としても雇われた身としても安心します」

 

 

 と、そこまで話し終わったところでお目当ての旧校舎の裏側に到着した。人通りはないけど迂回コースだからちょっと時間かかっちゃうんだよな。

 それにしても、校舎裏も雰囲気があるなあ。うーん、不気味でもあるけどこう、桜と合わさってどこか趣がある感じ…実は嫌いじゃない。

 

 

「仕事の前に、聞きたいことがある」

「? 構いませんが」

 

 

 すたすたと車(今朝見たやつだ。校舎裏に異動したのか)に近寄りドアを開け放った渋谷さんが取り出したのは小さな機械。長方形の、長さは10cm前後といったところだろうか。

 

 

「それは?」

「ボイスレコーダー。昨日の怪談で、旧校舎の噂は出たか?」

「出ましたよ」

「覚えている限りでいいから録音させてくれ」

「ええ……構いませんが……」

 

 

 思わず曖昧な感じになってしまった返答に、渋谷さんの眉が動いたのが見える。

 

 

「何か」

「いえ、何も」

「……何か思ったことや気づいたことがあったら言え。たいしたことでなくとも、『素人に知識を教える』のは契約内だ」

 

 

 ふん、とため息をつくように鼻を鳴らした渋谷さんに、おや、と思う。言い方はそっけないが、これはもしかして気遣いだろうか。勘違いかもしれないが、それならお構いなくとくちを開くことにした。

 

 

「……まあ女子高生の怪談ですから、曖昧だし、拡張されたりねつ造されてたり、役に立ちそうもないよなあと思って。昨日といい、渋谷さんがどうしてそんなに知りたがるのが疑問でした。私の友人はこの学校を調べた時、噂は全部噂で裏が撮れたものばかり、何ら不自然な点はないと言っていたので……十分下調べしているらしい渋谷さんが今更何が気になるのかな、と」

 

 

 もうこの短い交流で噂話を真に受けるタイプだとはまったく、まっっったく思っていないので余計に違和感のようなものを感じてしまった。聞くだけ無駄ではないだろうか。

 割と歯に衣着せずにペロリと言い切った私に、渋谷さんはそんなことか、と鼻を鳴らした。……うそう。ついでにこの短期間で、このタイミングで鼻で笑うのが渋谷さんだなぁって思わせてくるっていう。影響力が強い人だなあ。

 

 

「もとから情報源としてはあまり期待していない。重要な情報がある場合もあるが……今回はただ、生徒たちにはどう受け止められていて、何と認識されているかがデータとして欲しいだけだ」

「ああ、納得しました。じゃあ渾身の演技力を持って語らせていただきますね」

「いや待てどうしてそうなる」

 

 

 普通でいいだろう、と少し困惑気味の渋谷さんに、サービスのつもりだったんですが、と返しながら少し笑ってしまう。この人、多分特定の物事以外に興味関心が低いだけで無感動ってわけじゃないんだろう。こういったちょっと年相応な反応を見れるとつい、笑ってしまう。

 冗談ですよ、といえば溜息を吐かれた。

 

 

「じゃあ、覚えてる限りですけど……」

 

 

 

 

 

 

「―――――なるほど。どうやら教師側が把握している内容と大差ないようだ」

 

 

 カチ、とレコーダーの録音を終了した渋谷さんは、確認するように呟いた。どうやら先生方にも聞いていたらしい。それから、こちらを見て「確認したいことがある」と言う。

 

 

「君の友人は旧校舎を調べたと言っていたな」

「ええ、私が転入するにあたってある程度調べてみてくれたみたいで」

「……その情報と、こちらが持っている情報をすり合わせたい」

「構いませんよ」

 

 

 了承すれば、渋谷さんが取り出したのは手帳型の…メモ帳? 促されてのぞき込めば、すべて英語でメモがしてあった。

 ……もしかして、渋谷さんは母国語が英語なのだろうか。流ちょうな筆記体で書かれたメモは、一面いっぱいに情報が書き込んであった。

 それを指でなぞりながら質問してきた渋谷さんに、蓮二から聞いた情報を反芻しながら答える。

 

 

「旧校舎が使用されていた間は頻繁に死人が出ていたということは?」

「聞きました。18年前までは1年にひとり、ふたりは亡くなっていたとか」

 

 

 これは異常な数値だろう。話を聞いたときはびっくりした。時代があったかもしれないが、学校がある種の聖域扱いされる中で度重なる死者、というのはかなり批判を受けたのではないだろうか。死因に学校の責任がなくとも、学校に死があったことが問題視されたはず。これだけ死者が出れば『いわく』がつくのも納得だ。……推測だが、新校舎が建てられたのは校舎の老朽化だけが原因ではないのだろう。

 

 

「旧校舎西側の取り壊し工事については」

「事故はあったが死人は無し。えーっと、原因は使用していた重機の整備不良で、そもそも工事はもとから3分の1だけ取り壊す予定だった」

「子供の死体が発見された件」

「営利目的の誘拐。犯人は逮捕済みで、まだ生きている」

「自殺したという教師」

「遺書があり、原因はノイローゼ。そしてノイローゼの原因は、確かその先生が担当していたクラスが学級崩壊があって…いじめられていた子が精神を病んで入院したことをPTA・学校・教育委員会に責め立てられたことだとか」

 

 

 ―――――ちらり、と渋谷さんがメモから目を離して私を見た。

 

 

「トラックの暴走」

「ああ去年の……運転手が飲酒をしていたことが原因でしたっけ」

「そう。この時はさすがに工事が中止された。校内で死人が出たため学校や業者への責任追及が激しかったのと、『旧校舎の呪い』だの『旧校舎の霊のせい』だのという噂が飛び交ったからだろう」

 

 

 そこまで言って、渋谷さんはメモ帳を閉じた。どうやら蓮二が持ってきた情報は渋谷さんのお気に召したらしい。

 

 

「ずいぶん情報通な友人だな」

「自慢の参謀ですから」

「君も分かっていると思うが、不吉と言うわりにどれも原因のはっきりした事件ばかりだ。統計から考えるのなら、僕はそんなに大した事件ではないとふんでいる」

「うーん、確かにタネが分かれば言うほど不吉ではないかもしれませんが、それにしては旧校舎というピンポイントな場所で良くないことが連続しますね」

「必然のような偶然はどこにでもある話だ」

 

 

 だからこそ『いわく』がついたのだろう、と確信に迫ったことを言ってみたが、そんな私のセリフをばっさりと切り捨てた渋谷さんは、「仕事に入る」と話を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

「まず設置していたマイクを回収してもらう」

「マイク…?」

 

 

 唐突にマイク、と言われてすぐに出てくるものと言えば、学校の集会などで使われるものやカラオケにあるものだ。もちろんまさか旧校舎でカラオケ大会をしたとは思っていないが……

 

 

「何に使っていたんですか?」

「……マイクは普通、音を拾うために使うものだろう」

「なるほど。ふふ、スピーカーと混同して『声を大きくするための機械』としての認識の方が強かったものですから」

 

 

 移動しながら指示されたことに首を傾げれば、少し呆れたような視線をいただいてしまった。そりゃそうですが。いや、正確には音を電気信号に変換する機械だけれども。確かに役目は『収音』だけれども。

 まあしかし、普段の使用用途が違えば認識も違ってくるものだろうからそこまで腹は立たない。

 

 旧校舎の横には開かれた校舎の窓の前にいくつかのマイクスタンドが設置されていた。マイクも想像していたようなハンドマイクと違い、太く、大きなもの。高そうだなあ…。これだけの機材、揃えるための資金はどこから来てるんだろう。渋谷さんに貢ぎたいパトロンとかかな。…冗談だけど。

 

 

「よく調査されていない幽霊屋敷(ホーンテッド・ハウス)に入るのは危険だ。だから最初は建物の外からできる限りの調査をする」

「ああ、それでカメラとマイク…あれ、でも今朝渋谷さんとリンさん? は校舎内に居ませんでした?」

 

 

 思わず思い出して呟けば、じっと無言で見つめられた。―――――ああ、なるほど。どうやらちょっと簡単ではない話題だったみたいだ。渋谷さんの目がまた私を見極めようとしている目になった。

 にっこり、できるだけ無害そうに笑っておく。他意はありません。害もありません。という涙ぐましいアピールだ。

 

 

「……条件がそろっていたからな」

 

 

 はぐらかすようなことを言って目をそらした渋谷さんに少し落胆する。どうやら詳しく話してくれるつもりは無いらしい。飲み込まれた言葉は彼にとって私が信用に足る人物だと確信されていないことの証明だ。

 

 

「ああ、大した事件じゃないかもって言ってましたもんね。じゃあ旧校舎は思ったより安全なのかな? 少し安心しました」

 

 

 まあ今回は追及せずにのっておくことにした。まだ出会って間もないのだから向こうが手札(カード)を見せたがらないのはおかしい話じゃない。しかも相手は今回限りの短期バイト。必要以上の交流は必要ないと思われている可能性が高いだろう。

 個人的には渋谷さんって面白いなあ、と思ってしまっているので、この調査中に少しは仲良くなれれば楽しいかな、と思っているのだが。

 努めて明るく笑いかけてみると、渋谷さんはまた私に視線を向けてからくちを開いた。

 

 

「あくまで僕の所感だ。いくら念入りに調査をしたとしても、幽霊屋敷(ホーンテッド・ハウス)ではいつ何が起こるかわからない。もちろんパターンもあるが…気は抜くな」

「それはもちろん。『用心に怪我なし』ですね。居安思危(きょあんしき)を心がけていきます」

 

 

 納得、といった顔で頷けば、…少し変な顔をされた。というより、一瞬動きが止まった?

 瞬きの間の違和感。本来なら気にも留めないようなことかもしれないが、こと渋谷さんにおいてはその反応を見てひとつ思い浮かぶことがある。

 

 

「渋谷さんは―――――」

 

 

 ―――――渋谷さんは、多分、あまり日本に馴染みがないのかもしれない。

 さっきのメモからして、育ちは英語圏なのではないだろうか。日本語はずいぶん流暢だが、今のリアクションは多分『用心に怪我なし』か『居安思危』が彼のライブラリに引っかからなかったということではないだろうか。

 必要な範囲が広いから多くを知っているけれど、その分必要じゃないところには手を伸ばしていないタイプだろうか。だから話の流れからニュアンスを感じとれても、言葉の組み合わせや―――――これはまだわかんないけど、たぶん音で聞いた漢字の組み合わせという面からはニュアンスを感じ取れていない、かな?

 

 もちろん、日本人でもこのふたつの(ことわざ)や四字熟語を知らない人は多いだろう。けれど……

 

 ……正直、わざわざ(ことわざ)と四字熟語を引っ張り出したのは渋谷さんの反応を見るためでもあった。絶対言わないけど。

 

 『渋谷さん帰国子女説』もしくは『渋谷さん来日外国人説』はかなり有力になったかな。

 だとしたら、出身はどこだろう。ラテン系? ゲルマン系? いや、顔の系統は割とアジアに近い…というか普通に整っているから分かりにくいな。でもヨーロッパとアジアのハーフとかが一番的を得てそう。

 

 

「………うーん、やっぱりなんでもありません」

「…なんだ。さっきも言ったが、」

「ああいえ、仕事中にする話じゃなかったので」

 

 

 けれど、ひょっこり顔を出した好奇心はきっちり握りつぶす。危ない危ない、探検気分で追及するところだった。

 人のプライバシーをアレコレ詮索するのは褒められたことじゃない。少なくとも彼は私に害をなそうとしていないのに好奇心で探るのは許されたことじゃないことくらい分かるとも。

 まあ、これから親しくなって本人が話してくれた時に許されるだけ聞けばいい。今、それが私たちの距離感において最も正しい選択だろう。

 

 

「マイク、分担して運びますか?」

「……ああ、君はマイクを運んでくれ。僕はスタンドを運ぶ」

「了解です。あ、そう言えばリンさんは?」

「リンは別件で出ている」

「なるほど」

 

 

 それでバイトが必要だったのかな、と思いながらヒョイヒョイとスタンドからマイク本体を回収していく。渋谷さんは話をそらしたことに突っ込まなかった。まあもともと仕事しに来てるからね。

 私の身長は175cmくらいで、女子はもちろん男子から見ても高めの部類に入る。体格はどう頑張っても腹筋は割れないし筋肉で太くなったりもしないしで細いまま(誠に遺憾)だが、それでも身長に見合うだけの腕の長さがある。おかげで複数台設置されていたマイクはすべて一度で回収できた。

 それなりに、しかし私にとっては負担にもならない重量のマイクを運びながら、両手にマイクスタンドを持った渋谷さんと車に向かう。

 開け放たれているドアを見ながら、もしかしてこの機材全部運ぶのかな~と考えていれば、振り返った澁谷さんがなんとも言えない顔をしていることに気が付いた。

 

 

「君は………いや、今朝から思っていたが、ちからがあるんだな」

「なんで言い淀んだんですか今」

「いや…」

 

 

 まあ聞かなくても言いたいことは分かる。さすがの渋谷さんも面と向かって『ゴリラか』とは言ってこなかったが視線が雄弁だった。

 自覚はあるとも。よく言われるし。ちなみにくちに出した仁王と赤也はしっかり〆たよ。

 

 

「渋谷さんを抱えて全力疾走くらい簡単にできますよ」

「…はぁ…頼もしいな。何か格闘技やスポーツでも?」

 

 

 笑って返せば、少し呆れたようなため息をつかれた。しかしそのまま話を掘り下げられたことに思わず目を丸くしてしまった。ちょっと予想外だ。「そうですか」とかで済まされると思ってたよ。

 

 というか、会話術的にそうやって掘り下げれば逆に相手から自分のことを聞き返される可能性が高くなるのは常識。だから必要以上に情報を落とさない渋谷さんが話を広げてきたことに驚いてしまったわけで。

 これは、私に心を開いてくれたのか、ただ単に私が思っているよりフランクでフレンドリーな人(当社比)なのか…。

 

 思わず目を丸くしたまま渋谷さんを凝視していれば、次第に渋谷さんの視線が揺れ、逸らされたのち、完全に体ごと背を向けられてしまった。

 

 

「………作業に戻るぞ」

 

 

 声は固い。怒っているかのようだ。けれど―――――

 

 

「フ、フフフ…」

「マイクを置いてください。旧校舎内に機材を運び込みます」

「渋谷さん」

「仕事をしてください」

 

 

 思わず笑いながら呼びかければ、そっけない塩対応。これは―――――まさか、拗ねてる?

 

 思うに、渋谷さんが滅多に自分から…いや、調査に必要な分はガツガツいく気もするけどそれとは別に、自分からコミュニケーションをとらないタイプだろう。よっぽど親しくないと雑談や世間話にものらないと見た。

 そんな人が、ちょっとした好奇心? で珍しく質問してみれば『えっ? 正気?』みたいなリアクションを返されたわけだ。あ~これは申し訳ない。それは私でも逃げる。

 しかも相手はその数秒前に『仕事に関係ない話はしません』みたいなことを言っていたという。そして自分が聞いたのは全然仕事に関係ない話。

 

 うーん、これどっちかなあ。うっかりポロっとこぼしちゃったのか、遠回しにこれくらいの雑談ならしますって意思表示をしてくれたのか。

 うんでも、どっちにしろ私の反応が間違っていたね。いや本当に申し訳ない。…笑ってないよ。本当さ。

 

 

「渋谷さん、渋谷さん」

「………何ですか」

「格闘技は護身術を嗜む程度ですが、スポーツは中学3年間テニスをやっていましたよ。パワーがあるのはそのトレーニングの結果かな」

「……そうですか」

「当時のチームメイトたちも相当とんでもないのばかりで、まったく手のかかるやつらでした。…少しだけお話ししませんか。もちろん、仕事の支障のない程度で。ね?」

 

 

 下手に出ながら誘ってみれば、振り向く顔。少し眉間にしわが寄っていて、怒っているようだけど、さて。

 多分、渋谷さんの中で私の好感度は低くなかったのだろう。だから多少の歩み寄り? を見せてくれた。そこに含まれた目的は分からないけど……そもそも私は、渋谷さんがオカルト業者だと気づく前までは『楽しそうだから話してみたいかも』と思っていたんだ。

 

 

「…そんなことをして何のメリットが?」

「私が嬉しい」

 

 

 切り返した言葉に、渋谷さんが少し呆気にとられたような顔をした。まあこんな事言い返されると思わなかっただろうね。

 ―――――実はここが賭けどころ。始まりは渋谷さんだとしても、ここまで推せばそろそろこのお喋りは『私のわがまま』となるだろう。

 気になるのは、『私のため』でしかなくなったそれに渋谷さんがどう動くか。

 

 

「荷物を運ぶ間くらいなら大丈夫でしょう」

「………」

「いろいろありますよ。チームメイトの話、学校の話、スポーツの話…あ、私ガーデニングが好きなんですが、その話もいいですね」

「………」

 

 

 いくつか候補を出してさらに切り込んでみる。渋谷さんが大きく息を吐いて背を向けた。おや、失敗かな。

 

 

「―――――話は荷物を運びながら。旧校舎内にベースを作る」

Yes,sir.(おおせのままに)

 

 

 あ、成功だった。ちょっとふざけた返答に、渋谷さんは何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

「ベースの設置場所はここだ。まず―――――」

「? はい」

「―――――いや。まず棚を設置する。それから、車から必要な機材を運び込む」

 

 

 澁谷さんに案内されて分解された棚を運び込んだのは比較的玄関に近い一室だった。特別教室だったと思われるそこは当時の机やら備品が残ったままだ。

 ……こういうのって備品整理しないのかな。今朝の下駄箱だって、さっさと処分してくれてたら危ない目に合わなかったっていうのに。『いわく』つきの学校の備品なんて障りたくないってこと? 怠慢か。

 まあ、今回は作業がしやすいからよかったけど。ひとりで少しモヤモヤしていれば、さっそく机の上に棚の骨組みを下した渋谷さんが今後の作業予定を説明する。一瞬の沈黙は謎だが、まあ気にしないことにした。

 

 

「そっちを持ってくれ」

「はい……っと、ここ固定しますね」

「ドライバーはそこに置いてある」

 

 

 骨組みを組み立てるというのは案外重労働だ。これはプラスチックじゃないので重量があるし、ズレると上手くハマらなくてやり直しになるし。

 さすがに組み立て初めは会話をする余裕もなく、ふたりもくもくと作業を続けた。

 

 

「―――――実はこういった組み立て作業、初めてなんですよね」

「…どうりで手元が危なっかしいと」

「あはは、でも(さま)になってきたでしょう? 物覚えはいいので」

 

 

 ひとつ、完成したパーツをあらかたチェックし、問題ないと判断したので次に取り掛かる。ちなみに渋谷さんはさすがに手際が良く、私の倍くらいのスピードで組み立てていた。

 ふむ、組み立てにも慣れてきた。…ここはそろそろ、雑談を挟んでもいいだろうか。

 

 

「こういったのは……どっちかっていうと指示を出すことの方が多くて」

「……経験則、実体験があった方が指示は出しやすいと思うが?」

 

 

 おお、のってくれた。少しの驚きと感嘆をばれないように控えめに浮かべた笑顔で誤魔化して、何でもないように会話を続ける。

 

 

「私もそう思うんですけど……友人たちがさせてくれないんですよね。危ないからって」

「過保護か?」

「やっぱりそう思います? 私は全然組み立てたりするの嫌じゃないんですけど……まあ、器用な奴が多いので効率が悪いわけじゃないし、じゃあいいかと丸投げしちゃってたんですけど」

 

 

 あ、会話途切れた。うっかり。次は何の話題にしようかと考えていれば、組み立て終わったパーツを置いた渋谷さんがこちらを見てくちを開いた。

 

 

「…友人、というのは、君に旧校舎の情報をくれたという?」

「ええ。正確には、部活動のチームメイトたちなんですけど」

「そう」

「―――――情報をくれたのは柳っていうやつなんですが」

 

 

 一瞬、また会話が途切れた。しかしわざわざ渋谷さんが話を広げてくれたのだからこのまま終わらせるのも申し訳ない。とりあえず、チームメイトの話をしてみることにする。

 

 

「いろんなもののデータを集めるのが好きなやつで…」

 

 

 まあ、話題に事欠かない友人たちだ。会話のネタには充分なるだろう。

 手を動かしながら、私の自慢の友人たちを渋谷さんに紹介することにした。

 

 

 







■ユーザー名:ゆきむら
 他も候補はいろいろあったけど、基本身内とテニス関係者くらいしかフォローしない身内垢なので識別しやすければいいかなってこの名前になった。
 身内垢とか言ってるが手持ちの垢はこれひとつ。フォロワーのメンツ的にあんまり趣味のガーデニングの話とか載せていいのか迷っているから趣味垢を増やすかもしれない。
 なお、ユーザー名については友人・妹から「もっとひねりはなかったのか」とそう突っ込みが来た。だってやだよ『神の子』とか自分でつけるの。分かりやすくていいだろ。
 投稿内容は割とマイペース。コメント返しもめったにしないし、人の投稿にコメントすることも少ない。ほとんど受け身。

■ユーザー名:カルピン@猫垢
 猫垢と言っているが基本フォロワーはテニス関係者ばっか。自分も他の猫垢をフォローしたりはしない。見はする。
 ただひたすら自分の愛猫の写真を上げるだけ。
 他人の投稿とかまったく気にしないから今回の騒動も気づくのが遅れた。
 慌てて幸村の投稿履歴を遡ったら、カルピンと遊んでる自分の写真とかが何枚か出てきておこ。
 電話でははぐらかされたから、返り次第問い詰める気でいたが、幸村はバイトで遅くなるうえに帰って来て早々テニスではぐらかされる。
 おそらく王子様が諦める方が速い。しかしこれを借りとして何らかの形で返してもらう気満々。
 ところで、王子様には幸村の投稿の中にたいそう気に入らないものがあったようだが……

■「ベースの設置場所はここだ。まず―――――」
 原作通り二手に分かれようとしたが、幸村は普通に使えるので一緒に作業した方が早いかなって思いなおした。
 別に、お話しする時間をちゃんと作ろうとしたわけじゃない。ないったらない。
 ……まあ、機材の撤収中や設置前なら、余計な音がデータに影響するわけじゃないから? 仕事に支障の無い程度なら多少の雑談は問題ないけど?

■たくさん情報をくれた柳
 実は進学先の決定に一枚かんでいる。幸村のために噂はぜーんぶ裏を取ったぞ!
 友人を作ろうと右往左往しているであろう幸村のことを考えてちょっと愉悦になってる。
 でもお前はお前のままでいいから他のやつに合わせて変えなくていいからな。蓮二との約束だぞ。(開眼)(本気)(拗らせ1号)




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

さっそく波乱万丈(落ち着く時間が欲しい)



 神さまは不平等だ。何が天は二物を与えずだ。
 どうしてあの子は。あの子ばっかり。
 私が欲しかったものばかり持ったあの子が嫌い。






 

 

「よーいーしょっと……よし、終了」

「運び込むのはな」

 

 

 両手に抱えた機材をベースの机におろして一息つけば、すぐさま鋭く切り込みが来た。鋭利だなあ。

 機材運搬の間ちょこちょこ話し続けた結果、渋谷さんから遠慮が解けて消えた気がする。これ親しくなったって言う? いや、うーん、まあいいけど。

 

 

「分かってますって。にしても、こうもたくさんの機材が並ぶと壮観ですね…これは?」

「サーモグラフィ。温度変化をチェックするためにある。霊が現れると温度が低下するんだ」

「ああ、あの。へえ、実物を見たのは初めてだな…。―――――あ、テープレコーダーだ。久しぶりに見た」

「基本的に霊障というのは機材と相性が悪い。影響を受けやすく、記録できないことが多い。その中でも、これは確率だが、CDやデータベースに直接入れるよりテープレコーダーのようなフィルムの方が記録に成功しやすいんだ。まあ必ず使うというわけではないが」

「逆に相性がいいんですかね」

 

 

 ポロリとこぼせば、渋谷さんはキョトンとした顔をした。おや幼い。は赤外線カメラと、高感度カメラ。暗部を撮影するのに使う。と締めくくった澁谷さんは設置した機材をチェックするために背を向けた。

 しかし、確かに素人だから教えてくれとは言ったけど、存外丁寧に説明してくれたなあ。いくつかは「別に知らなくていい」とか言って切って捨てられると思ってたのに。律儀か。

 

 

「よし、続きをしましょうか。次は何をすれば?」

「校舎内の各教室の室内気温を計測してきてくれ。デジタル温度計が向こうのテーブルにあるだろう」

「計測地点は入り口ですか? それとも中心?」

「……そうだな。なら…四隅と中心を。黒板に対して右をA、左をB、反時計回りに残りをC、D…中心をEに区分して調べよう」

「専用の様式はありますか?」

「温度家のそばに旧校舎の間取りを確認したセクションペーパーがあるはずだ。そこに書き込んでくれ」

 

 

 …セクションペーパー? あ、方眼紙か。あんまり聞かない言い方だな…。

 かといって無駄に質問量を増やすとさすがに不機嫌になっちゃうかな。うーん、あえて不機嫌にさせるのも別に…いや、これで関係が気まずくなったらその後が面倒だな。でもほとんど説明を受けてないド素人だからできることもあるわけで…それをふいにするのはもったいないかも?

 

 ―――――いや、だめだ。強制労働ならまだしも、これは給料が出る(しごと)なのだから。

 

 

「じゃ、いってきます」

「………」

「? 渋谷さん?」

「……いや、何でもない」

 

 

 この人よく言葉の飲み込むよなあ。そのうち追求してみようか……なんてね。

 さて、仕事仕事。ひとりで回るのは少し思うところがあるけど、慎重そうな渋谷さんがひとりで行かせるってことは大丈夫―――――と思っておこう、うん。

 何かあったら労災出してくださいね、渋谷さん。

 

 

 

 

 

 

 結果として、特に異常を示した数値はなかった。

 

 

「強いて言えば1階の奥の部屋の温度が低いが……」

「うーん、そこらへんはちょうど日の当たらない場所なので別におかしいていうほど低いわけじゃないですもんね……」

 

 

 霊はいないってことかな? と呟けば、渋谷さんはすぐに「まだわからない」と切って返してきた。いわく、霊はシャイだと。………シャイ。霊が。

 

 なんだろう、ホラー映画とか見てると逆に自己主張が激しいタイプだと勝手に思ってたから、すごい違和感。これがギャップ?

 あとなんか渋谷さんがシャイって言うのもちょっと違和感…? どことなくユーモアを感じる、ような…?

 

 

 内心で首をひねっていれば、渋谷さんは続けざまに「心霊現象は部外者が来ると一時的に治まるのが普通なんだ」と説明してくれた。

 

 

「部外者、っていうことは、霊にはテリトリー意識があるんですか?」

「おおよそは。死後、現世にとどまっている理由がそれに近いだろう。例えば家、人物、関係性……それが『執着(テリトリー)』となり魂を縛るという説がある。逆に、その説では一般的に言う『浮遊霊』の類は記憶が薄いのか何か道を見失ったのか、自意識や反応が薄いとされているな。執着するものがないから留まらない。しかし道を失っているからどこにも行けず、なのに自意識(きおく)がないから霊媒のようなコンダクターの声も届きにくい」

 

 

 僕はこの説は非常に有力なものだと思っている。と言った渋谷さんに素直に感心した。この人本当に、業者というより研究者で、マニアっぽい。

 それにしても、面白い説だ。…いや、浮遊霊からしてみれば不幸なのかもしれないけど、聞いてる分には講義を受けてる気分で興味深く、面白みを感じてしまうのは無理もない。

 

 

「浮遊霊になるのは何か条件があるんですか?」

「例えば?」

 

 

 切り返し早くないですか。というかここで質問で返すの? 渋谷さんそれ癖になってるならやめた方がいいよ。って言っていいのかなこれ。

 

 

「そうだな、例えば『自分が死んだという自覚がない』もしくはそれを忘れてしまっている? それから~…『死因がショッキングすぎて一周回って無気力になった』とか、あ、『心を守るために記憶が消えた』なら生きてる人間でもあり得ることですよね。あとは、生前から『ものすごく強固に自分の殻の中に閉じこもって周りに干渉せず干渉させず』なタイプだったとか?」

「―――――ふうん」

 

 

 そこで会話が終わった。

 

 

 ―――――終わったのだ。

 

 

 この人、聞くだけ聞いて特に意見も感想も答え合わせもせずに考え事を始めたんだけど。え? 正気? さすがの私ものちょっと思うところがあるかな?????

 じっと渋谷さんの顔を見ても何の反応もない。ちょっと距離を詰めてもピクリともしない。……鼻がくっつくくらい近づいても気づかない。

 

 心ここにあらずとばかりの集中度で考え事をしているようだ。

 

 これは仕方ない。考え込むタイプはこうなったら手に負えない。だからそ~っ両手を上げて―――――

 

 

 

 バチンッ!!

 

 

「っ!!?」

「はい渋谷さん、指示をくださいね。次の私のお仕事は何ですか?」

 

 

 

 ―――――渾身の『猫だまし』をしてみた。

 

 渋谷さんはまさに猫のような動きで飛び上がった。え、何そのリアクション。面白すぎでは?

 思わずウズウズッと好奇心がうずいたが、何食わぬ顔で仕事を求めれば、まあ恐ろしい顔で睨まれた。

 

 

「―――――1階と2階の廊下に4台、玄関に1台。暗視カメラを設置しろ」

 

 

 声ひっく。ああだめだ笑うな幸村聖子。ここで笑うと渋谷さんの機嫌がマントルを超えるぞ……うん、でも分かってきた。露骨なリアクションを見られたのが恥ずかしかったんですね。で、恥ずかしさが苛立ちになったと。

 

 

「早くいけ!」

 

 

 はいはい仰せのままに。……ふふ、やっぱり渋谷さんは楽しいな。

 え? マイクの件でバカにされた仕返し? まさか、そんなことないさ。……あはっ!

 

 

 

 

 

 

「終わりましたよ渋谷さん。具合はどうですか?」

「問題ないだろう。設置が終わったのならもう今日は帰っていい」

「了解です。……それにしても、ゴーストハンターって言うよりテレビ局って装備ですよね。想像してた霊能者とはちょっと違うんだなあ」

「霊能者じゃない、ゴーストハンターだ。一緒にするな」

 

 

 カメラを設置し終えたころには渋谷さんの御機嫌も元通りだった。ので、ちょっとした雑談を挟んだら飛び込んできた否定。え、違うの?

 まあ確かに例のTさんみたいに「破ァァアアーーーッ!!」ってタイプには見えないなあ。霊能者って言われたらそんなイメージだし。

 

 

「あ、もしかしてタイプ的には『研究者』ですか?」

「………『検証者』という表現も当てはまるかもな。まあそういったものだ」

 

 

 まあまあ納得したように頷いた渋谷さんは、私がとったデータを見ながら「明日の放課後もできるだけ早く来い」と言って背を向けた。わあ淡白。そういうのは顔見て言おうよ渋谷さん。まあ、いっか。

 

 じゃあ、と渋谷さんに声をかけようとしたら、急に本人が振り向いた。はて、何か伝え忘れだろうか。

 

 

「さようなら」

 

 

 ………えっ。

 

 

 え、いま渋谷さんが「さよなら」って言ったの?

 まってこの人ほんとに面白いな。

 

 

「ええ、また明日」

 

 

 やばいなこのバイト本格的に楽しくなってきた。とりあえず声も顔もにやけないようにだけ気を付けて、逃げるように旧校舎を出る羽目になったことを報告します。

 危ない危ない、大笑いするところだった。

 

 

 

 

 

 

 帰宅してバイトの話をしたらボウヤの機嫌が死ぬほど悪くなったんだけど。

 ほんとこの居候先も面白いね。ボウヤそのドスの利いた声どこから出してるの?

 

 

「ちょっと聞いてんの」

「待って笑いすぎてお腹痛いんだ」

「そのまま筋肉痛になれば!!」

 

 

 

 

 

 

 次の日登校すれば、まあ当然のように恵子ちゃんたち3人に質問攻めされた。勢いが……すごい……囲まれて、逃げられない。完璧なコンビネーションだ……。

 まあでも、ミチルちゃんと祐梨ちゃんとの壁がどことなく薄くなった気がするからプラマイプラス? 渋谷さんにはちょっと感謝してもいいかもしれない。

 

 

「あ、そうだ。あのね、渋谷さん転校生じゃないそうだよ」

「「「 えっ!? 」」」

「校長の依頼で旧校舎の調査に来た業者さん」

 

 

 詳細は話さない方がいいかもしれないけど、この誤解は解いておいた方がいいだろう。流すようにぼかして伝えれば、3人は目を見開いて驚いた。

 

 

「そうなんだ……残念だね、幸村さん」

 

 

 ―――――うん?

 

 

「そう、だね?」

 

 

 ―――――あ、

 

 まって。そうだ。そうだ―――――私、まだ誤解されたままなのか!

 あーっ適当に返事をするんじゃなかった…3人の顔が、なんか、キラキラしてるような……私全然残念じゃないんだけど?

 

 だめだ。今度こそ誤解を―――――

 

 

 

「ちょっと、幸村さん」

 

 

 

 ―――――解かなくちゃ、いけないのに。

 

 

「あの人、霊能者なの? 旧校舎を調べに来たって聞こえたけど」

 

 

 へえ、昨日の今日でよく話しかけてこれたね、黒田さん。若干腰が引けてるように見えるけど、案外度胸があるなあ。そこだけは評価してもいいよ。褒めてないけど。

 

 

「彼の仕事は『検証』・『調査』だよ。少なくとも、君が想像しているような『お祓い』・『退治』ではないと思うけど。あくまで旧校舎を解体するのに旧校舎を調べに来ただけ」

 

 

 それにしても、相変わらず睨まれてるなあ。―――――うっとおしい。

 黒田さんはずっとギラギラして目で私を睨んでる。心なしか昨日より鋭そうだ。

 

 申し訳ないけど、私は君のことが好きじゃない。そして、私は結構自分本位だ。自覚がある。だから―――――気に入ってる人に気に入らない人間が近づくのはシンプルに嫌。それが、迷惑をかけられそうならなおさら。

 

 

「彼は校長の依頼で来た業者だよ。そしてその事務所の所長だ」

 

 

 『紹介してほしい』? 『霊能力があるから役に立てる』? ああ、どうでもいいよそんなこと。

 

 

「君は昨日散々、渋谷さんに霊能力をアピールしてたじゃないか。必要だと思ったら直接君に声をかけるだろうさ。それでも声がかからないのなら、彼の仕事に君は必要ないということだ」

「っそんなのわからないじゃない! 私が居れば、」

「そうだね、分からない。けれど、必要かどうかを決めるのは責任者である渋谷さんだ。渋谷さんは現時点で君に声をかけてない。それが今のすべてじゃないかな」

「あなたじゃ話にならないわ! 私が、私が―――――」

 

 

 

「―――――『私が』、何?」

 

 

 

 君はずっと、自分の事ばかりだね。その思考自体は別に嫌いじゃないよ。ただ、君が嫌いだ。

 

 

「一応言っておくけど、彼は正式な仕事で来ているのだから、営業妨害はしないでね―――――それから」

 

 

 これは、言わなくていいことかもしれないけど。たぶん、彼女を深く傷つけるかもしれないけど。

 それでも私は君が嫌いだし、そもそも突っかかってくるのは君だ。そっちが何もしなければ、私だって自分から嫌いな人間に話しかけたりしないのにさ。

 

 

「目立ちたいのか知らないけど、私を巻き込むのはやめてくれ。君の自己中は不愉快だ」

 

 

 自分が居ればどうにかなるというのなら、さっさと除霊なりでもすればいいじゃないか。昨日できるとか言ってたしさ。

 

 

 そこまで言えば黒田さんは数歩後ずさり―――――それでも私を睨みつけてから自分の席へ帰っていった。

 

 ふん、と小さく鼻を鳴らす。客観的に見れば言い過ぎかもしれないけど、彼女に優しくする理由が私にはない。

 ああ、気分が悪い。

 

 

「幸村さん、大丈夫?」

「あ」

 

 

 ―――――やってしまった。

 ドバっと背中に冷や汗が流れた。やばいやばい。

 

 

「あ、ああ、大丈夫だよ。ありがとう」

 

 

 声は引きつっていなかっただろうか。ああ、思い切り3人の前で黒田さんに口撃してしまった。うわあ、引かれてないかな…

 

 

「あいつ中等部のころからアブナイって言われてたんだよ」

「うん、あたしも黒田さんも内進組なんだけどさ、ずっと『私には霊能力があるの』って言ってて…」

「すぐ怒るから怖くてさぁ…言ってることもわけわかんないし。あっ、でも今の幸村さんのはスカッとしちゃったなぁ!」

 

 

 パッと明るい笑顔で恵子ちゃんが笑ってくれる。よかった、引かれてないらしい。

 にしても、この様子だと彼女の自己主張に周りはフラストレーションが溜まってるってことかな。まあ昨日の様子を見る限り上から目線で説教臭くマウントとってくるタイプみたいだから、周りからしたらウザったく思うか。

 3人が代わるがわる教えてくれた情報によると、少なくとも1年以上あんな感じってことだよね。

 

 

 ―――――彼女の霊感が本物なのかは分からない。正直興味もない。けど、昨日の様子からして『ごっこ』だろうなあ。あれだけ渋谷さんに論破されてたし。

 ま、赤也も昔「俺幽霊見たんスよぉ~」とか「ぶっちゃけお化けとか出てもワンパンキルよゆーでしょ! マジ俺の方が強ぇーわw」とか調子に乗ったこと言ってたし(そして散々仁王と丸井にからかわれて泣いてた)。それに近い感じなんだろう。つまりただの妄言。

 

 ただ気に入らないのは、彼女が私に敵意を向けてくること。それが気に入らない。そしてその気に入らない人間に巻き込まれること。ほんとうに、嫌。

 

 

「―――――さ、もうすぐチャイムが鳴るかわ座ろうか」

 

 

 どれくらい嫌って言うと、話題に出るのも嫌。

 

 

 

 

 

 

 放課後、制服からジャージに着替えて旧校舎に向かえば、渋谷さんは車の中で機材とノートパソコンをいじりながら作業をしていた。

 

 

「こんにちは」

「ああ、―――――」

「……なにか?」

「いや、何でもない」

 

 

 また飲み込んだ。うーん、どうしようかな、突っ込もうかな。……正直、昨日のリアクションからしてなんとなーく何を飲み込んだのかは検討が付いてるんだよなあ。

 多分突っつくのは楽しいだろうけど……

 

 

「何か進展はありましたか?」

「いや、昨日集めたデータのチェックをしたが、特に異常は見られない。霊がいないのか今は息を潜めているのか…どちらにしろ、やはり危険性は低いだろう」

 

 

 まだもうちょっと大人しい優等生でいようか。

 渋谷さんのパソコンに表示されているデータ値を見せてもらいながら説明を聞いていれば、ふと足音が聞こえてきた。

 

 

「―――――渋谷さん、お客様みたいです」

 

 

 

 

 

 

「へえ! いっぱしの装備じゃない」

 

 

 

 やって来たのは若い男女がひとりずつ。……知らない人だな。見た目からして、教師には全く見えないけど。関係者だろうか。

 …この機材を見ての感想がソレなら、ふたりはこの調査が何かを知っている? なら調査の進展を確認しに来たのだろうか。それにしても、第一声の感じが悪い。声には見下したような色が見て、こう言ったら失礼だろうけど、嫌みな女の典型例みたいだ。

 

 

「子供のオモチャにしては高級すぎるカンジねぇ」

「…あなたがたは?」

 

 

 鼻で笑ったような声。『子供のオモチャ』? 分かりやすいくらいの嫌みだ。

 ―――――もともと今朝の黒田さんのせいで、あまり機嫌がよろしくなかった。追い打ちをかけるような嫌みに思わず眉が上がる。

 

 しかしさすがの渋谷さん。さらりとした声とポーカーフェイスでの対応に、相手の女性は少し笑みを浮かべて自己紹介をしてきた。

 なるほど、この程度の嫌みはどうってことないと。お見事。

 

 

「アタシは松崎綾子。よろしくね。ボウヤの名前は?」

「あなたのお名前には興味ないのですが」

 

 

 前言撤回。嫌みには嫌みを返すタイプだった。

 ひくり、と松崎さんとやらのくちの端がひきつる。自己紹介してそんなこと言われるとは思わないだろうしね。ははは、面白くなってきた。

 

 

「おキレイな顔だからって随分生意気じゃないボウヤ」

「おや。僕の顔がキレイだと?」

「なによ」

「いいえ、趣味は悪くないんだな、と」

 

 

「「 ぶはっ 」」

 

 

 ―――――名も知らない男の人とハモりながら吹き出してしまった。

 いや、でも、これ仕方なくない???? 思わず男の人と目が合った。そっちの坊主は良い性格してるな、と目で言われた気がしたので、そうでしょう、と頷いておく。男の人はニンマリと笑う。あ、この人多分楽しい人だ。

 

 

「なっ、なっ、っこの……!! とんだナルシストね! いいわよ、あたしだってアンタの名前になんか興味ないわ! あんたなんて『ナル』よ『ナル』! ナルシストの『ナル』!!!!」

 

 

 わあ、松崎さん大噴火。―――――それにしても、『ナル』。それって渋谷さんのあだ名じゃなかったっけ。すごい偶然だな。……さすがに元の『ナル』の語源はナルシストじゃないだろうし。……違うよね?

 渋谷さんもさすがに驚いたのか、ギョッとした顔をして松崎さんを見てた。その顔はどっちだろう。そんな失礼な理由であだ名をつけたことか、偶然にも自分のあだ名と合致していることか。

 

 なんにせよ、氷の面のだった渋谷さんの表情が崩れたことに松崎さんはいたく満足したらしい。高笑いしながら「かわいいじゃない、ねえ、ナル!」と煽り始めた。うーん、自分が有利になると調子に乗るタイプか…可哀そうに。相手が渋谷さんじゃなければ、まだ傷は浅かったと思うけど。

 

 一歩、渋谷さんから離れる。

 

 

「―――――松崎さんは『同業者』ですか?」

「ま、そんなところかしら? アタシは巫女よ」

「へえ」

「………なによ」

 

 

 え、巫女? 思わず松崎さんの顔をまじまじと見てしまった。巫女って言ったら神社仏閣に居るような巫女さんを想像するんだけど―――――あんまり見えないな。

 その場の視線が無言で自分に集まった上に、渋谷さんも含みを持たせたような相槌を打ったものだから松崎さんの不快ボルテージが上がったのが見て取れた。声が3オクターブくらい低くなってる。

 この先を想像すると少し松崎さんが哀れにも思うけど、まあ最初に仕掛けたのは松崎さんで。好感度はかなり低いのでフォローする気はありません。

 

 

 渋谷さんは恵子ちゃんたちに見せていたものの10倍くらい輝く微笑みで、松崎さんに吐き捨てた。

 

 

「巫女とは清純な乙女がなるものだと思ってました」

 

 

 ―――――分かったことがある。渋谷さんはどうやら嫌みに使う笑顔を作るのは苦でないらしい。まあ輝かしいことで。…本当に物理的に輝いて見えてきたな。

 しかし笑顔に対して雰囲気は冷気を感じくらい冷たい。離れてよかったよ、ジャージだけだと厳しかった。

 ちなみに私は今回は吹き出さなかったが、男の人はずいぶんとツボが浅いらしい。腹を抱えた大爆笑。

 

 

「ああらそう見えない!?」

「少なくとも乙女と言うにはお年を召されすぎと思いますが」

 

 

 ありゃ、年齢の話を出しちゃうか。相手への有効打の見分けが鋭いなあ。

 

 

「あっはっはっはっは!! それに清純というには化粧が濃い!!」

 

 

 図星か怒りかですっかり言葉が出なくなってしまった松崎さんに、男の人は追い打ちのような援護射撃を浴びせてきた。わあ、デリカシーが死んでる。同情はしないけど、さすがに女性の年齢や容姿について言及しすぎるのは……この手の話題は過ぎるとこっちが悪役だ。まあ特に庇うつもりはないけど。

 

 図ったのか図らずか渋谷さんの援護をした形になった男の人に、それでも渋谷さんは容赦しないらしい。

 

 

「あなたは? 松崎さんの助手ではなさそうですが」

「はは、冗談だろ?」

 

 

 今この場で完全に松崎さんがヒエラルキーの最下層に堕とされたことを理解した。うーん、自業自得かな? まあケンカを売る相手は見極めた方がいいですよ。特に渋谷さんみたいなのは相手取るにはリスクが高すぎるんですから。

 

 

「俺は高野山の坊主で滝川法生ってんだ。おっと、名前には興味がなかったか?」

「高野山では長髪が解禁になったんですか?」

「はん、破戒僧じゃない」

「だーっ! 今は山を降りてんだって!」

「経歴詐称じゃないですか」

「えっ、あーっ、言葉の綾みたいなもんだよっ」

 

 

 キレッキレの渋谷さんに、今度は松崎さんが援護射撃を繰り出した。まあ間違いなくさっきの仕返しだろう。おそらく男の人、滝川さん? も理解したのか、『今度はそっちがタッグ組むのか』! という顔になった。しかし残念。おふたりが勝手に援護しただけで渋谷さんはどっちとも組んだつもりはないと思いますよ。

 ついでに、私だけちょっと蚊帳の外になっていたので参戦してみた。経歴詐称は犯罪ですよ、お兄さん。うん、そんな『裏切ったな』みたいな顔されても、ねえ? だってあなた、松崎さんがご機嫌に話してるとき私たちも含めて割と見下した顔してたでしょ。見えてましたからね。

 

 

「とにかく! 子供の遊びはここまでよ。こっからはお姉さん(・・・・)に任せない」

 

 

 分かりやすいくらいさっきの渋谷さんのセリフを意識してるな。

 松崎さんは、渋谷さんには負けたが自分を笑った滝川さんに一撃を与えたことで調子が戻っちゃったらしい。また見下したような声で、「校長はあんたじゃ頼りないんですってよ。いくら何でも17じゃあねえ」と笑った。

 そして滝川さんも「そーそー! 渋谷なんてぇ一等地に事務所を構えてるってんで信頼してたのに、所長があんな子供じゃサギだって言ってたぜ」と笑った。

 

 

 ―――――ああ、嫌な話だ。ほんとうに、気分悪いな。

 

 すう、と表情が抜け落ちるのが分かる。「あの校長も大ゲサよねえ」と続ける松崎さんから、体ごと視線をそらした。

 振り向きざまに一瞬見えた滝川さんの、目を見開いた顔は少し気になったけど。

 

 

「渋谷さん、今日は何をしますか?」

 

 

 渋谷さんはちらりとこちらに視線を向けた後、反応がなさ過ぎて手の打ちようがないな、と呟いた。

 松崎さんの大きなひとり言を無視する形になったけれど、松崎さんが何かを言う前に滝川さんが渋谷さんに話しかけた。

 

 

「そーいやボウズ、名前はなんてんだ? オニーサン(・・・・・)は興味あんだよなぁ、な・ま・え」

「渋谷一也といいますが」

「ふん、聞いたこともないわ。三流じゃない」

「おっと、俺は松崎ナントカなんて名前も聞いたことないぜ」

「あーら勉強不足じゃないかしら!」

 

 

 喧々と続くふたりの喧嘩。けど―――――

 気のせいだろうか。……今、滝川さんに、フォローされてた……?

 

 確証はないが感じる違和感に、思わず考え込んでしまう。彼の中で何があったのか、と視線を向けてところで―――――その背後に、見たくもないものが入った。

 

 

「ああ―――――いや、そうかこれは」

「どうした」

「すみません渋谷さん。……面倒ごとを、呼んでしまいました」

「何……」

 

 

「ああ!」

 

 

 ―――――歓喜に震える声が響く。見れば、見たくもなかった……黒田さんが、松崎さんと滝川さんに話しかけていた。ああ、本当に、今日こそ厄日か?

 

 

 

 

 

 

「よかったわ、旧校舎は悪い霊の巣で私困ってたんです!」

 

 

 こちらからふたりの表情は見えないが、どことなくに気が固くなった気がする。対して黒田さんはなんとも幸せそうな顔だ。――――その目が、一瞬私をとらえて、悦に歪む。

 

 

 ―――――ほら、どう?

 

 

 そんな、顔だ。ああ、気分が悪い。

 

 

「……あんたが、どうしたって?」

「私霊感が強くって、それですごく悩まされ―――――」

 

 

 

「自己顕示欲」

 

 

 

 はは、お見事松崎さん。……渋谷さんも言わなかったよ、そこまでは。

 

 松崎さんにかぶせるように霊感アピールを始めた黒田さんは、松崎さんの冷たい声にかぶせ返され止められた。

 そして松崎さんは、さっきまでとは考えられないくらい冷たい声で黒田さんを切り捨てた。

 刃のように鋭い切りくちで黒田さんを傷つける松崎さんは、いっそ感情を感じさせないほど固い声だった。―――――このリアクションを、私は理解できる気がする。

 ああでも、そうだと言うのなら。松崎さんは本物なのだろうか。……いや、判断材料が足りないな。

 

 滝川さんは松崎さんの物言いに呆れたような溜息を吐いていたけれど、松崎さんを止めはしなかった。…あれだけ仲が悪かったのに? 話に割り込みそうな滝川さんが。

 

 

 あまりにも冷たい物言いに、どんどん黒田さんがうつむく。―――――同意してくれると思った? 彼女はこの人たちを本物だと思って来たのだろうか。本物に認められれば満足できると思ったのだろうか。馬鹿だなあ、本物なら、なおさらバレるだろうに。それとも、偽物だと思ったからノってくれると思った? ……自分と同じように。

 

 

「面倒ごととは彼女か」

「はい。今朝、渋谷さんは霊能者かと聞かれたので誤魔化したんです。けど『霊感がある自分は役に立つはずだ』と紹介を迫られて」

「断ったんだな。が、それでは引かなかった」

「そう。そして、まあ、私もちょっとカッとなりまして。言い合いのようになり…」

「『できるのなら除霊すればいい』、とでも言ったか?」

「その通りです」

 

 

 うかつだった。あの場でもっと穏便にお引き取り願えばよかった。昨日の今日で気が立っていたからって、自制せずに好き勝手した結果がこれだ。やりくちを間違えた。選択肢を誤った。ああ、くそ。まさかこんな形で人に迷惑をかけるとは。調子に乗っていたのは、私だ。

 

 

 

「―――――だったら!! その子はどうなのよ!!」

 

 

 噛みつくように、黒田さんが私を指さした。視線が私に集まる。―――――そうだな、自己嫌悪は後だ。

 

 ゆっくりと、腕を組む。重心を、片足へ。それだけで傍目から見れば尊大な態度に見えるだろう。

 

 

「どうもなにも、私はアルバイトさ。校長先生から許可ももらっているから、私がここにいることは何らおかしいことじゃない。―――――君と違ってね」

 

 

 ゆっくりとした動作は余裕がある、と認識されやすい。一種のポーカーフェイスだ。

 今ここで必要なのは、黒田さんを反論の余地なく撃退すること。……今後の対策は後で考えるとして、今は早くこの部外者を追い出さなくてはいけない。

 

 

「なによ―――――なによ! なんでアンタばっかり(・・・・・・・)…っいつも、アンタばっかり(・・・ ・・・・・・・)!!!」

「黒田さん、言ったよね。君が必要なら声がかかるはずだって。勝手なことをして仕事で来ている人の営業妨害をするなって。同じことを2回も言わされるのは好きじゃないんだけど―――――」

 

 

 黒田さんは息荒く睨みつけてくる。獣みたいな目だ。けれどそんなもの、痛くもかゆくもない。

 

 

「君の自己中は不愉快だ」

 

 

 しいん、と場が静まる。あーあ、これはさすがの渋谷さんにも引かれちゃったかな。

 でも黒田さんがここに来た一端は私にあるようなものだから、後片付けはしっかりしとかないと。

 

 黒田さんは少しうつむいて、むっつりと黙り込んで、そうしてポツリとこぼした。

 

 

「アンタ、本当に嫌い」

「奇遇だね、そこだけは気が合ったみたいだ」

 

 

 嫌みを返してみたんだが―――――黒田さんはまるで聞こえていないかのように無反応で、代わりに松崎さんを睨みつけて「私を馬鹿にしたこと、今に後悔するわニセ巫女。霊を呼んでアンタに憑けてやる」と吐き捨て去っていった。

 

 

 

 

 

 

「―――――あ、あ~~、そういや嬢ちゃん、会話からしてこの学校の生徒か? 着てるジャージは違う学校みたいだけど」

 

 

 黒田さんが去っても場はどこか気まずげな雰囲気が残っていた。ま、頭おかしそうなのと態度でかいのの喧嘩なんて面白いものじゃないしね。しかも私も黒田さんもお互いに強い口調で言い合ったから、引かれたかもしれないな。

 しかし、空気を換えることを狙ってかすぐに滝川さんが当たり障りのなさそうなことを聞いてきた。おや、やっぱりフォローしてくれてるのかな? うーん、根は面倒見がいいと見た。

 で、私の格好についてか。まあ違う学校の名前入ってるジャージだからね。深緑のそれを少し引っ張ってみる。

 

 

「中学の時の指定ジャージなんです」

「ほお? ああ、旧校舎なんて汚れるもんな。使わなくなったやつの方がいいか」

「まあそれもあるんですけど―――――実はうちの学校、いまだに指定体操服がブルマなんですよ」

「「 はあ!? 」」

 

 

 ペロリとこぼせば、松崎さんまでも食いついてきた。うんうん時代考えろって話だよね。でもこんな田舎じゃ、止むに止まれぬ事情がありまして。

 

 

「元PTA役員の団体と、毎年大ぐちの寄付金をくれる老人会の方々から『伝統が』『風習が』ってクレームが入るみたいで。老いた害悪とはよく言ったものですね」

 

 

 田舎じゃ一般世論より強い人がいるのだ。こればっかりは学校単体ではどうしようもないうえに、教育委員会もうかつに手を出せない。なにせ地域の有力者ばかりだ。

 それでも、世間一般から廃止されて10年以上たっているってのに。

 

 

「さ、渋谷さん。仕事をしましょう。結局今日はどうします?」

「……そうだな、怪談に出てきた人影があったという教室に機材を設置してみるか」

「ああ、2階の1番西側ですね、了解です」

 

 

 ふたりとの話は簡潔に切り上げ、渋谷さんと仕事の打ち合わせをする。意識を切り替えてさあ仕事だ、と機材を持ち上げたところで、またもや来客が到着した。…一気に来てくれればいいのに。ちょこちょこ作業を止められるのはストレスだ。あ、どうやら今度は校長もご一緒の様子。

 

 

「やあ、おそろいですなあ。実はもうひと方お着きになりましてね、ジョン・ブラウンさんです。まあ仲良くやってくださいよ」

 

 

 今ひと悶着あったばかりですが。本人たちの性格的に壊滅的そうですが。……とはさすがに言わないけれども、校長先生はずいぶんと人を集めたな。巫女に、坊主に、ゴーストハンターに、今度は感じの良さそうな美少年か。うーん、偏見だけど、聖職者かな? 外国人だし。……それにしても、なんか、顔がいい人が多くないか? まさか校長の趣味じゃないよな。

 ブラウンさんはにっこりとわらって深く頭を下げてくれた。おお、礼儀正しい―――――

 

 

「もうかりまっか」

 

 

 わあ。

 

 

「ブラウンいいます。あんじょうかわいがっとくれやす」

「その、ブラウンさんは関西の方で日本語を学んだようで…」

 

 

 大人ふたり組は早々に決壊した。校長は逃げるように帰っていったが、ブラウンさんは『おおきにさんどす』とまた頭を下げていた。うーん、方言にはびっくりしたけど、態度を見れば好感度高くなるな。この人もしかしたらこの場で1番まともなんじゃないか?

 

 

「…ブラウンさん? どちらからいらしたんですか?」

「へえ、ボクはオーストラリアからおこしやしたんどす」

「おいボウズッ! たのむからその変な京都弁やめてくれっ!」

 

 

 さすがに渋谷さんも善人オーラが溢れるブラウンさんをこき下ろす気はないらしく、いくらか柔らかい口調で話しかける。おお、レアだ。

 それにしても大人たちは笑いすぎでは? 「せやけど丁寧な言葉いうたら京都の言葉とちがうのんどすか?」と純真な顔をしているブラウンさんに、これ以上大人が失礼なことを言わないように先回りすることにした。なにせまともそうで、すごい善人オーラを感じる人だ。多分ジャッカルに近い。それに、彼には笑われる謂れはないだろう。

 

 

「ブラウンさんは京都の言葉が丁寧語だと思ってたくさん勉強されたんですね」

「へえ、郷に入らば郷に従えて聞ききましてん。失礼のあらへんように一番丁寧な言葉を習うたつもりやったんどすけど」

「とても素敵ですね」

「そ、そうですやろか」

 

 

 ほわ、と嬉しそうに笑ったブラウンさんに、ようやく大人たちも笑いが収まってきたらしく、息を整え始めた。遅い。

 

 

「説明すると、京都の言葉は方言なんです。イギリス英語やアメリカ英語みたいな違いというか…現代日本では『訛り』になるんです」

「そうやったんどすか……あのボクはあんさんらに不快な思いをさせてもうたのでっしゃろか」

「いいえ、まったく」

 

 

 おっと、そこだけは否定しておかなくては。少し不安そうなブラウンさんの言葉に素早く否定を入れておく。まったく、いい大人が腹を抱えて笑うからこんな誤解がされるんだ。

 

 

「そもそもブラウンさんは丁寧な言葉だと思って勉強されたんでしょう? それに、京都の言葉だって立派な日本語ですよ。特に京都では誇る人も多いでしょう。―――――日本人なんてほとんど片言の英語もしゃべれない人が多いのに、ブラウンさんはすごく流ちょうな日本語ですよね。尊敬します」

 

 

 あなたたちのことですよ、おふたりとも。ぴったりと息を潜めたあたりでふたりとも母国語の人に笑われないような英語喋れるわけじゃないでしょう。それがひとの日本語は笑うのだから、どっちが笑い者なのか。

 

 ブラウンさんはほんの少し頬を染めて、控えめに頼みごとをしてきた。

 

 

「そやったら、その、ボクの言葉変やったら教えてもらえまへんか。ちょいとでもええさかい」

「喜んで」

 

 

 あ、即答しちゃった。……そっと渋谷さんを窺ってみたけどどうやらお咎め無しのようだ。これはブラウンさんが渋谷さんのお眼鏡にかなったのかな?

 

 

「えっと、あんさんらとは仲良うさせていただきたいんどすけど、あんさんらは全員霊能者どすか?」

 

 

 言い終わって、ブラウンさんはちらりと私を見た。あ、その場で添削していいのこれ。肝が据わってるというか、器が広いというか。

 

 

「『あんさんら』は『みなさん』に直す、くらいでいいんじゃないですか? せっかくの京都弁ですし、程よく残しましょう。親しみもわきますから」

 

 

 というかシンプルに京都弁のブラウンさんが癒される。いいなあ、今日疲れることばっかだったから、ちょっとすっきりしてきた。

 

 渋谷さんはブラウンさんの質問に、ちょっと苦笑いして「そんなものかな。…君は?」と聞き返した。

 わ、やっぱりブラウンさん渋谷さんに気に入られただろこれ。私には「一緒にするな」って言ったのにこれだもん。すごいなブラウンさん。

 

 

「へえ、ボクはエクソシストいうやつでんがなです」

 

 

 ―――――ふと、空気が少し張り詰めた。エクソシスト…悪魔祓い? へえ、初めて本物を見たなあ。あれ、本物なのかな? …まあいいか、癒されるし。

 それにしても、私以外の3人の、ブラウンさんに向ける空気がちょっと鋭いなあ。

 

 

「相槌や返事は『へえ』より『はい』の方がいいかと。それから、『でんがな』はない方が自然かな」

「えっと、はい。なるほど…」

 

 

 空気なんて気にしないのでサクッと添削すれば、ブラウンさんは素直に受け入れてくれる。人間ができてるなあ、すごい勢いで株が上がっていく。

 

 

「エクソシストということは、ブラウンさんはカトリックの司祭以上、ということかな。ずいぶん若い司祭だね」

「はい、ようご存じで。せやけどボクはもう19です。若ぅ見られてかなんのです」

 

 

 わあ年上だった。ええ…向こうの人って老け顔なんじゃないの? こんな……童顔……真田の立場がないな。

 ちなみにブラウンさんには指でオッケーマークを付けておく。添削しすぎるとブラウンさんのせっかくの癒し効果が半減しちゃうからね。すごい、自分好みに美少年をカスタマイズしてるぞ私。

 

 

 

 

 

 

 さて。じゃあ仕事に、と渋谷さんと私、そして心を開いてくれたブラウンさんがベースに向かえば、なぜか松崎さんと滝川さんがついてきた。なんで? 寂しがり屋か。

 

 

Come to think of it, I didn't hear your name. (そういえばお名前を聞いていませんでした。)Can I ask you (お聞きしても)?」

It's Seiko Yukimura.(幸村聖子です。) I'm younger, so (私の方が年下なんですから、)you can take it easy.(もっと気軽に話してください)

 

 

 私とブランさんは大人ふたりに構わず会話をすることにした。……本当は日本語でたくさん会話した方が彼の練習になるのだろうけど、遠いオーストラリアから来たのなら故郷の言葉の方が会話がしやすいのではないかというお節介だ。

 ただ、「Won't you speak for a minute(少しだけお話しませんか)?」と話しかければブラウンさんは少しリラックスした表情になったので、やっぱり安心するのだろう。うん、ちゃんと勉強しててよかった。私もイギリスやシンガポールに行ったときは日本語で話してくれた現地人に安心したなあ。味方感があるのかな。

 

 

If I said that, (それを言うのなら、)you are supporting (あなたは私の日本語の勉強を)me study Japanese, so(サポートしてくれているのですから) it's equivalent to a teacher.(私の先生のような人です。) Please be easy on me.(あなたこそ気軽にしてください)

 

 

 おっと意外、頑なだなあ。

 

 

Since I am(私だって)able to practice(こうして英語の) my English in this way.(実技訓練ができていますから、)You are equivalent to my teacher.(あなたも私の先生ですよ。) so(つまり)……we'er equal.(私たちは対等だ)

 

 

 歩きながら手を差し出せば、ブラウンさんはすぐに意図に気づいてくれたらしい。柔らかい嬉しそうな微笑みで、その手を取ってくれた。

 

 

I want you to introduce yourself again. (もう一度自己紹介をさせてほしいな。)I'm John Brown. (ボクはジョン・ブラウン。)Please call me John.(ぜひジョンって呼んで。) I want to be friends with you.(君と友人になりたいんだ)

That's a strange chance, too.(奇遇だね、私もそう思ってたんだ。) I'm Seiko Yukimura. Call me "Sei". (私は幸村聖子。セイって呼んでよ。)That's what my Singaporean friend calls.(シンガポールの友人がそう呼ぶんだ)

 

 

 歩きながらの握手はすこし難しいが温かく、私は癒し系の友人をゲットした。

 

 

 

 

 

 

 ベースの道中はジョンとの話が弾んだが、渋谷さんは咎めなかった。やっぱりこの人ジョンの事気に入ってるな。

 ちなみに大人ふたりは随分とまじまじ私とジョンを見てきたけど、特に何も言われなかったし、視線にも剣呑なものはなかったので気にしなかった。

 会話は楽しかった。ただ、さすがにベースに着けば私もジョンもおしゃべりを止め、仕事モードに入った。うん、ここで察してくれるなんていい友人だ。

 

 ちなみにベースに所狭しと並んだ機材を見た松崎さんと滝川さんはギョッとしていた。まあそうだろうなあ、壮観だし。

 けどジョンはそこまでリアクションがなかった。うーん、海外じゃあまり珍しくないのかな。

 

 

「じゃあ2階に機材運びますね」

「ああ。…それから、例の教室の真下、1階の1番西にも設置してくれ」

「了解です、ボス」

 

 

 増えた仕事に、人使いが荒いなと苦笑いしてしまう。パソコンに向き合った姿を見れば手伝う気は全くないことが察せられるわけで。まあそれが私の仕事だからいいんだけど。

 

 

I’ll help you.(手伝うよ)

It's okay. it's easy.(大丈夫さ、すぐ終わるから)

 

 

 ひょいひょいと機材を持てば、ジョンが手伝いを申し出てくれた。ありがたいけど、そこまで大変じゃないから断る。ジョンはちゃんと仕事で来ているんだから、本業に集中してもらわないとね。

 

 

「持っていけ」

「インターカム?」

「そう」

 

 

 ぽい、と渡されたのはコンパクトなインターカムだった。通称インカム。つまり通信機。渋谷さんの耳にも同型があるから、連絡無線か。使い方を軽く説明した渋谷さんは、くるりとまた背を向けてしまった。ま、人もいるし仕事中だからね。特に私も雑談するつもりはなかったけど、……なんか渋谷さん、ちょっと雰囲気固いな? まあ面倒ごとがたくさん起こったから仕方ないかな。一端は私も担っちゃってるし、ここは素直に反省します。

 

 

「行ってきます」

「―――――ああ」

 

 

 渋谷さんに声をかければ、そっけないが返事を返してきた。―――――そっけないが返事が返ってきた。わあ。雰囲気固いと思ったのは気のせいだった? いやそれにしても、やっぱり楽しいなこの人。

 

 

「あ、ちょっと! ひとりで出歩くんじゃないわよ!」

 

 

 「Be careful.(気をつけてね)」と手を振ってくれたジョンに手を振り返しベースから出れば、なぜかギャンギャンと怒った松崎さんが着いてきた。いわく、まだ安全じゃない、こんなボロボロな建物で女の子がひとり歩きするなと。……ええ~? 松崎さんも根はお人好しタイプ? 態度の悪い人が実は味方側なんて展開は滝川さんの二番煎じですよ。

 

 

 

 






 ■妙に親切な渋谷さん
   知らんかもしれんが、短期バイトだと思ってるのは幸村だけなんやで

 ■よく黙る渋谷さん
   答え合わせはしないけどそのうちくちに出す

 ■幽霊のテリトリー意識
   ありそうだよねって。

 ■あはっ!
   公式。絶対使いたかった。

 ■不機嫌な王子様
   今日も帰ってくるの遅いと思ったらバイト? 俺とのテニスより楽しいわけ?

 ■誤解
   解けない

 ■おこ村
   そのうち鎮まる

 ■目を見開いたりフォロー?するぼーさん
   この人人間関係系の察しの良さ1級くらいあると思ってる。目ん玉かっぴらいた理由はおいおい。

 ■原作麻衣ちゃんの代わりにすごい頑張ることになってる松崎さん
   ごめんね

 ■反省村
   後々反省会をするよ

 ■唐突なブルマ
   体型良くないと着れない体操服。趣味です。
   初見は「この学校正気か」ってドン引きした幸村さんですがすぐに順応して「化石だと思ってたよ」って着用した写真をツイッターに載せたところ、「いくら鍵つきとはいえ軽率にそんな写真を載せるな」と各方面からお怒りを受けた。ついでに撮影者の王子様も怒られた。解せぬ。アメリカ育ちからしてみれば大した露出じゃない。
   それもあってのろうがい発言。ブルマのせいで怒られた。

 ■圧倒的聖人美少年
   立海の良心は柳生とジャッカルだが柳生はちょっと似非紳士なところがあるので実質ジャッカルオンリー。
   まおー属性は生粋の良心には優しい。ジョンのおかげでメンタルリセット!

 ■笑う大人
   ほんと、外国で外国語喋ろうとするその度胸だけでもすごいと思うので、ちょっと変だなって日本語を笑うような人にはならないように心がけています。良い子は笑っちゃだめだよ。

 ■えいごいっぱい
   ちゅうにびょうだからすごいたのしかった。

 ■シンガポールの友人
   勝手に友人を作るよ。絶対外国旅行したことあるでしょ幸村家。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇々怪々のファンファーレ(揃った盤上)




 人より優れていたかったの。誰にも劣らない価値が欲しかったの。
 でも、でも、でも、こんなの知らない。聞いてない。
 ねえ、特別で在り続けるにはどうしたらいいの。





 

 

 ベースを出ていくらか歩いた先、重たい機材を2階へ運び込んで(担ぎながら階段を登っていたら松崎さんに理解できないものを見る目で見られた)設置し、さあ次は1階へ、と移動したあたりでそれまで沈黙を保っていた松崎さんに話しかけられた。

 その間後ろをついてきながら特に手伝うでもなく、きょろきょろしたり建物の埃っぽさに文句を言ったりじっと見つめてきたり、正直「この人何しに来たの」って感じだったから気にせず放置していたんだけど…さて、結局何の用だろうか。まさか本当に心配だからついてきただけってわけでもないだろうし。

 

 

「ねえ、アンタここの生徒なんでしょ」

「そうですよ」

「なんでこんなバイトしてんのよ」

 

 

 ―――――おや?

 

 

「うーん、ご縁があって渋谷さんと知り合って、今回の仕事を手伝わないかと声をかけられたので?」

 

 

 うん、嘘は言ってない。

 ちょっとぼかしたように伝えれば、松崎さんの眉間には…わあ、立派な富士山。

 

 

「アンタね、―――――はぁ、いいわ。言ったって仕方ないわね」

「というと?」

「だから、……あーもう! いい? よく聞きなさいよ!」

 

 

 ふん、と顔を反らした松崎さんにわざとらしく続きを促せば、思いのほかすぐに釣られてキレ気味にくちを開いてくれた。

 キィン、と高めの声が教室内に響く。さっきから思ってたけどこの人かなりちょろいよなあ。

 

 

「アンタみたいな素人には考えつかないかもしれないでしょうけど、こういった幽霊退治の仕事は子供のお遊びのノリと違って危険な仕事(ヤマ)なのよ」

「なるほど?」

「幽霊にも種類があって、まあ今回は詳しい説明は省くけど…ヤバいやつはこっちを攻撃することにためらいがないわ。聞いたことあるでしょ? ポルターガイスト。普通の人間じゃ敵いっこないような理不尽なちからでこっちに害をなしてくるのよ。下手すりゃ死ぬわ」

「ふむ」

「それに霊能力者には詐欺師が多いもんなのよ。そういう馬鹿ができもしない除霊だのに手を出すと、だいたいは全く効果はないけど、たまに小石程度に霊を刺激しちゃう場合もあんの。そうしたら『反発』―――――霊が反応してカウンターで殴り返されたりするのよ。無害だったやつでも一気に活発化して攻撃的になって、余計に被害が悪化する!」

「へえ…」

「運良く霊からの攻撃がなくても、……言った通り、詐欺師の多い界隈よ。除霊と銘打ってバカみたいなことをしようとするやつもいるわ。ただ無力な年寄りや、こういう仕事に好奇心で突っ込んできちゃうような、世間知らずの若い子なんて特に被害にあいやすい。しかもアンタみたいな見た目のいい若い娘なんて格好の獲物よ」

「ああ、そういう」

「悪いことは言わないわ。―――――手を引きなさい。取り返しのつかない傷を負う前に」

 

 

 ―――――ずいぶんと、まっすぐ目を向けられた。

 さっきまでの小馬鹿にしたような態度とは違う、あまりに真摯な瞳だった。

 

 なんだ、やっぱり二番煎じゃないですか。

 

 

「………なにニヤニヤしてんのよ」

「うーん」

 

 

 きっとよほどひねくれていない限り、今の松崎さんの言葉の意味は誰だって理解できるだろう。松崎さんは私のことを心配して、渋谷さんを警戒している。

 出会い頭でイヤミを言って、ベースまでついてきてまたイヤミを言って、小馬鹿にして鼻で笑って、その実まだまだ世間知らずの小娘を心配して、あれだけの設備を用意できる渋谷さんを警戒している。

 

 そこにあるのは秩序かもしれない。そしてきっと、やさしさだった。

 

 まあだからといって初動からあの態度というのは最早コミュ障だと思うれど。…もしかして遠ざけるためにわざとああいった態度を取ってるのかな。

 

 

「ご心配ありがとうございます。でもまあ…渋谷さんは大丈夫ですよ。多分ね」

「多分ってアンタね!」

「私は今回限りのアルバイトですし、程よく雑用をこなしてお給料をいただくだけですから。松崎さんからご忠告もいただいたので、まあ警戒しておきますし」

「…あーっ! もう、これだから最近の若い子は嫌なのよ!」

「ええ、ひどいなあ」

 

 

 苛立った様子で頭を掻きむしる松崎さんに笑いかければ、フン! と勢いよく顔をそらされてしまった。あはは、この態度やっぱり素の性格だな。

 

 松崎さんの言っていることはもっともだし、心配はありがたいけど、まあ渋谷さん相手なら本当に大丈夫だろうしなあ。ついつい雑なあしらいのようになってしまうのは仕方ない。

 

 

「本当にちゃんと警戒しておきますって―――――……? 松崎さん?」

 

 

 仕方がないので重ねるように笑いかけようとして、ふと、いつの間にか松崎さんがすっかり黙り込んでしまっていることに気が付いた。

 

 

「―――――ねえ、…さっきまで、ドア、開いてたわよ、ね?」

 

 

 ―――――まさか。

 まるで氷水をかけられたかのように一気に雰囲気の変わった松崎さんの、震えた声。固い顔で何かを見つめる彼女の、その唐突な問い。その内容に思い当たるものがひとつあり、パッとそれを―――――松崎さんの見ている方向へ顔を向ければ、

 

 

「……退路は常に確保、を心がけていたはずなんですけどね」

 

 

 ピッタリと閉じた、教室のドア。

 

 

 

 

 

 

「な、―――――なんでよ!」

 

 

 それは振り払うような声だった。カツカツとヒールを鳴らしてドアに向かっていく松崎さん。その足音はあからさまに大きく、体に走った恐怖を振り払おうとしているようにも見受けられる。…まずいな。少し錯乱しているか? 念のため小走りで後を追う。

 

 ……ドアが開いていたはず、というのは松崎さんの勘違いではない。私は必ず退路を確保することに気を付けながら行動していたからドアは必ず開けたままにしていたし、松崎さんが閉めたような姿も見ていないし音も聞いてない。

 

 ―――――私たち以外の誰かが閉めた? でも、なぜ、誰が。旧校舎に居るのは滝川さんや渋谷さんやジョンだけのはずだ。その人たちにしたって、わざわざ声もかけずにドアだけ閉めていくなんてことするか?

 

 

 ガタッ、

 

 

「…ちょっと、」

 

 

 ガタ、ガタガタ、

 

 

「何よ!」

「松崎さん、」

 

 

 ガタガタガタガタ!!

 

 

「なんっ、なんで開かないの!?」

「松崎さん落ち着いてください!」

 

 

 顔色を失った松崎さんが必死にドアをゆする。けれどドアは開かない。

 

 嫌な流れだ。いつの間にかドアが閉まっていて、開けようとしても開かない? 明らかに不自然な現象。舞台はいわくつきの旧校舎。ああ、らしい(・・・)展開になってきたじゃないか。

 

 

「開けて!! 開けてよ!!」

「松崎さん、落ち着いて」

 

 

 こっちだって身震いするものはあるが、けれど現状、パニックになりかけてる松崎さんを落ち着かせるのが優先事項だ。

 ドアノブを握りしめているその手にできるだけ優しく手を添え、ちょっとちからを込めて引きはがす。

 

 

「松崎さん、大丈夫ですよ。古い校舎だから立て付けが悪くなってるのか…引っかかっているだけかもしれないですから。大丈夫、ちゃんと開きますよ」

「―――――あ、……え、ええ…そうね、そう……」

 

 

 松崎さんの両手を握り締め、しっかり目を見て静かに語りかければ、ハッとしたように謝られた。どうやら落ち着いてくれたらしい。…よかった、あんまり暴れられたら実力行使に出るしかなかったかもしれないから。

 

 

「ドア、確認してみるので少し離れてもらっていいですか?」

「え、ええ……」

 

 

 ゆっくり松崎さんの手を放し、ドアと向き合ってみる。…うん、閉まってるなぁ。絶対閉めてなかったのに。

 とりあえずささくれに気をつけながらドアに手をかけて、スライドさせようとちからを込めれば、

 

 

 ガタッ……ガタガタッ

 

 

 なるほど開かない。

 問題はこれがなぜ開かないかなんだけど……

 

 

 ガタガタッガタッガタッ

 

 

 手始めに繰り返し何度も揺らしてみれば、―――――何か、違和感、が?

 

 

「ね、ねえやっぱ―――――、」

「オイどうした!?」

 

 

 揺らしても開かないドアに顔を曇らせていく松崎さんが何かを言おうとしたのと同時に、ドアの向こうの廊下を走る足音と滝川さんの声が聞こえた。どうやらさっきの松崎さんの声が聞こえて総出で対処しに来てくれたらしい。

 

 

「何が―――――まさか開かねえのか!?」

Are you OK(大丈夫) !? 怪我はしてはりませんか!?」

「…滝川さん、ジョン、少し静かにしてもらえますか」

「はあ? 静かにって、」

「幸村、状況の説明を」

 

 

 閉じた扉に、さっきの松崎さんの叫び声を合わせて、『ドアが開かないのではないか』という結論になったらしい滝川さんが焦った声でドアを揺らす。ジョンの慌てた声も聞こえる。ガッタガッタと揺れるドアの動きを見ていれば―――――ああうん、やっぱり。

 さっき抱いた違和感がはっきりと知覚でき、努めて冷静な渋谷さん(このシチュエーションでそのテンションは流石としか言いようがない。というかいつの間にか名字を呼び捨てになってることの方が気になる)の声に確信をもって答えることができた。

 

 

「ドアが開かなくなってしまったんですけど、下の方を確認してもらっていいですか? 何か引っかかってみたいなので」

「下? ちょっと待ってろ!」

 

 

 パッとドアの前の気配がしゃがみ込む。これは滝川さんだな。うん、間違っても渋谷さんではない。

 

 

「ああ? 何だこれ…」

 

 

 ガタガタ、ゴトゴトとドアを揺らしながら何かを見つけたらしい滝川さんの怪訝な声が聞こえる。…なんか、ヤな予感がしてきたな。

 

 少ししてガララ、と開かれた扉の先には、心配そうな顔をしたジョンと、ため息を吐く滝川さんと、何かを触っている渋谷さんと、…あれ、知らない女の子がいる。

 

 

「な、なにが挟まってたのよ?」

「釘だよくーぎ! ったく、これくらいで騒ぎやがって」

「はあ!? 仕方ないじゃない開いてたドアがいつの間にか閉まってて、しかも開かなかったんだから!!」

 

 

 ギャン! と松崎さんが滝川さんに噛みつく。一周回って仲良いなあのふたり。滝川さんのリアクションは心配してた分拍子抜けしただけだと思うけど、松崎さんからすればバカにされたと同義なのだろう。何にでも噛みつくその反射神経は素晴らしいと思う。

 

 

「渋谷さん、その釘見せてもらってもいいですか?」

「……ああ」

 

 

 受け取った釘はほどほどに錆びていて、おそらく旧校舎に置き去りにされてた資材のひとつだろう。……けど、資材が置かれていたのは2階で、こんなところに釘が落ちているのは少しおかしい気もする。

 いや、たとえ偶然落ちていたとしても、何故それが急にドアの隙間に挟まったりしたのか。そもそも、どうしてドアが閉まっていたのか。

 ……あの教室のドア、確か、擦り切れてるのかスライド音があんまりしなかったよな。

 

 

「この釘、どうなってました?」

「…ドアと金具の隙間にめり込んでいた」

 

 

 渋谷さんは私を見ない。…随分と淡泊だ。興味もなさそうで、まるで『取るに足らないこと』だと思っているかのような態度だ。

 

 

 ―――――ああやっぱりこの人、何かに気づいて黙ってるんだな。

 

 

 それは妙な確信だった。

 

 

「絶対ここ、なんかいるのよ!」

 

 

 ひとり可能性を思い浮かべていれば、いくらか回復したらしい松崎さんが唸るように声を荒げる。「ドアが開かねえのは釘だっただろうが」と滝川さんが言えば、「じゃあドアが勝手に閉まってその隙間に偶然ドアが開かなくなるくらい釘がめり込んだっていうの!?」と松崎さんが返す。正論だ。偶然にしてはできすぎてる。

 まあそう思うのも仕方がない出来事だった。確かに説明がつかないそれに、滝川さんがう、と押し黙る。

 

 

 

「―――――偶然でしょう」

「―――――なんですって?」

 

 

 

 けれど、鈴を転がすような声がたたっ切った。ギロリ、と松崎さんがその声の主である少女を睨みつける。

 いうの間にかいた、知らない子だ。校長はまた業者(あるいは霊能力者)を増やしたのだろうか。なんというか、見境がないなあ。

 

 

「ここに霊は居ませんわ」

 

「……渋谷さん、彼女は?」

「霊媒師の原真砂子だ。口寄せが上手く…日本では一流の霊媒師だろう」

 

 

 ―――――思わず目を見開いてしまった。

 

 

「? ……口寄せとは霊を呼び出すことだが」

「ああいえ、はい」

 

 

 いや、それを疑問に思ったわけではなく。―――――驚いたな。あの(と言えるほど為人を深く知っている訳では無いけれど)渋谷さんが、皮肉でもなんでもなく本物の霊能力者だと断言し一流とまで評価するなんて。…知り合い、か?

 

 

「アタシは顔で売ってるエセ霊能力者とは違うのよ!!」

「容姿をお褒め戴いて光栄ですわ」

 

 

 お見事。思わず笑いそうになったのを咳払いで誤魔化せば、こちらまで松崎さんに睨まれてしまった。ついでに渋谷さんから『この場に居るのがめんどくさい』というかのような視線を送られているので、そろそろ状況を動かすべきか。

 「うーん」と呟けば、いつの間にか全員の視線が私に集まっていた。

 

 

「うん、まず、駆けつけていただきありがとうございました」

「えっ、ああ、おう」

「ご無事ならよかったどす」

「で、とりあえず、移動しませんか? 霊がいるいないにかかわらず、詳しい話は―――――」

 

 

 ちらり、と渋谷さんを見ればため息をひとつ。うん、許可は下りたな。

 

 

「―――――私たちのベースで」

 

 

 

 

 

 

「ぜーったいここにいる地霊(ちれい)よ!」

「地霊?」

 

 

 移動したベースにて、カシュ、と缶ビールの蓋を切った松崎さんが断言する。地霊、とは。地縛霊のことだろうか。いやそれより、

 

 

「松崎さん、缶ビールはちょっと…」

「何よ! アタシの勝手でしょ!?」

「はいはい、落ち着いて…まだ何が起こったかもわかっていないのに、アルコールで頭が回らなくなっちゃったら困るじゃないですか。からだの動きにも支障が出るし…あと、ここは旧校舎ですけど一応学校の敷地内なので」

「……んもう、分かったわよ。止めればいいんでしょ止めればっ」

 

 

 ふんっ! とそっぽを向くけど缶ビールは置いてくれた松崎さんに簡単にお礼を言って、「それで、地霊って言うのは地縛霊のことですか?」と聞いてみた。

 

 

「ちょっと違うわ。地縛霊は何らかの未練があってその場に縛られてるタイプの霊で、地霊っていうのはそこに住んでんのよ。土地そのものの…精霊のこと」

「つまり何かがあってそこに居る霊と、場所ないし概念に生命が宿って生まれた霊ってことですか?」

「…そうね、大体そんな感じかしら」

 

 

 なるほど。幽霊社会も奥が深いな。

 

 

「俺はむしろ地縛霊だと思うけどな。ここ昔なんかあったんじゃねえの?」

「……まあ、あったと言えば、ありますね」

「だろ? だから地縛霊が棲み家、つまり自分の執着の行き先がなくなるのを恐れて工事を妨害している……どうだ?」

「あー……」

 

 

 ふと思ったんだけど、このふたりって旧校舎の噂とかを知らないのだろうか。校長からは何も連絡を受けてない? 原さんは「霊は居ない」と断言してるから興味なさそうだけど、松崎さんたちはこれからの調査を考えたら(別に協力しなくても現場がブッキングしてるんだし)情報共有しておいた方がいいんだろうか。

 ちらりと渋谷さんを見て見れば、さっきの釘を手に何かを考えこんでいるようだった。けれど私の視線に気づいたのかこちらを見て話の流れを察してくれたようで、好きにしろ、とばかりに視線をそらされた。

 

 ……はいはい。

 上司さまからのオッケーがでたのでその場にいる全員に、簡単にだがこの旧校舎の来歴を伝えてみれば、ジョンと松崎さんと滝川さんは少し悩んでいるようだった。

 『あまりに問題が起きすぎている』から土地に問題があるのか、単純に『死人が居座っている』から問題が起きるのかの判断をしている、ということだろうか。

 

 土地に問題があるのなら、この土地を『領域(テリトリー)』としている『何か』が立ち入るものや変容をもたらそうとするものをはじいている可能性がある。こっちはシンプルだ。

 

 対して死人が原因だというのなら、例えば誘拐された子なら『引き離された家族』や『自分を攫った犯人』ではなく『閉じ込められ殺された旧校舎』が一番印象に残った、もしくは『縁』ができてしまって縛られているか、と言う話になる。

 けれどなら、なぜ出入りする人間を襲う? 気づいて助けてくれないから? 出入りする人間と誘拐犯を混合して考えてしまっているから? それとも、手当たり次第に攻撃をしているだけか、なぜ自分が旧校舎に執着しているのかも分からなくなっているのか……まあとにかく、考察が複雑化してしまう。

 

 これだけだと『原因は死人』の方がめんどくさそうに思うが、『何か』が原因の場合も楽な話じゃない。素人の浅知恵だが、『人知を超えるもの』の思考回路なんて理解できるものじゃないだろうし、ひどく気まぐれで傲慢で頑固かもしれない。どっちにしろ厄介な話だ。

 

 ……ところで、松崎さんと滝川さんの中では『居る』ことが決定なんだろうか。話してる内容が『居る』こと前提だし。

 

 

「―――――ジョン、君はどう思う?」

 

 

 あれはこれはと話す松崎さんや滝川さんの会話を切るように、不意に黙っていた渋谷さんが様子をうかがって黙っていたジョンに聞く。

 ここで沈黙を選んでいたジョンに話を振るのはより多くの見解を集めたいのか、ジョンをある程度信用できていると判断しているのか、信用できるかどうか判断するためのサンプル集めか……

 いきなり話を振られたジョンはぱちくりと瞬きをして、困ったように眉を下げた。

 

 

「わかりまへんです。ふつう、幽霊屋敷(ホーンテッド・ハウス)の原因は精霊(スピリット)幽霊(ゴースト)ですやろ? ここが地霊ゆかりの土地やったり、ここで悪魔を呼びだしたりしてはるんなら原因は『人ならざるモノ(スピリット)』やと思うんですけど……地縛霊(ゴースト)の可能性が無いわけやないですし」

 

 

 ううん、とジョンが唸る。へえ、悪魔召喚。それは考えなかったなあ。

 ……不思議だ。悪魔と言われただけで眉唾物に聞こえる。『これは妖怪の仕業かもしれない』と言われたらまだ(それでも現実味はないけど)すんなり入るけど、『悪魔』って言われると一気に引っかかる。日本じゃあんまり馴染みないからかな。これが文化の違い?

 あ、というかジョンは『悪魔祓い(エクソシスト)』か。なら原因に『悪魔』を入れるのは当たり前のことなのかもしれない。

 

 ……あれ、『悪魔=精霊(スピリット)』? 地霊と精霊は違う、のか?

 『人じゃないもの』なら『精霊(スピリット)』なんだろうか。それだと動物霊も『精霊(スピリット)』?

 あるいはその定義は『人知を超えたもの』、という限定だろうか。神様とか悪魔とか、そういうタイプの……もしくは『精神(スピリット)』で『実体を持たない精神』ということだろうか。

 でもそれだと、土地とかは実体があることになる気が…? 悪魔とかは実体がない扱いになる、のか……?

 

 奥が深いなあ…一朝一夕の素人知識じゃ全然理解が追い付かない。

 

 

「とにかく! アタシは明日除霊するわ。こんな埃っぽくて気味の悪い場所に長居なんてしたくないものっ」

 

「……無駄なことを。霊は居ないのですから除霊なんて無意味だというのに」

 

 

 悶々と考え込んでいれば、いつの間にか話がまとまったのか、松崎さんがふん! と息荒く(苛立ちか、あるいは気合を入れて)ベースを出て行く。

 そんな彼女の背に、原さんが冷ややかに溜息を吐く。この子も癖が強いなあ…

 

 

「―――――そう言えば、まだ自己紹介がまだでしたね。この学校の生徒で、そこに居る渋谷一也率いる『渋谷サイキックリサーチ』でアルバイトをしている幸村聖子です」

「……あら。ご丁寧にどうも、原真砂子と申します。ご存知かと思いますけれど、霊媒師ですわ」

 

 

 ちょっと唐突だった自己紹介は案外すんなりと受け入れてもらえた。でも壁は感じる距離感だ。いや別にいいんだけど。あまり興味のなさそうな視線がこちらを見る。

 

 

「霊媒、というのは霊とのコミュニケーションが取れる方だという認識でいいですか? 口寄せがお上手だと聞きましたが…」

「そのような認識で結構です。あたくしは霊を見、感じとり、彼らを知ることでその思いを外界へ伝える者ですわ」

「なるほど。原さんが見える『霊』はどこまでが該当するんですか? 例えば地縛霊とか、浮遊霊とか……そういう違いは影響しますか?」

「……あいにく、浮遊霊の類とは相性がよくありませんわね」

「じゃあ話題に出た『悪魔』や『精霊』といった類は」

「そういったものが見える才能というのは、あたくしの『霊視』とは扱いが違いますの。―――――さきほどから、一体何かしら」

 

 

 すう、と原さんが目を細める。―――――ああ、失敗。あれこれと聞きすぎてしまったのか、原さんの声が冷たくなってきた。

 

 

「失礼でしたね、すみません。侮辱する意味はありませんが…」

「あたくしの霊視があてにならないと?」

「可能性の話ですよ。例えば何も知らずにあなたの『霊は居ない』という意見を聞くのと、あなたの霊視のパターンを把握して『霊は居ない』という意見を聞くのでは思考の幅が変わりますから」

「……そうですか」

 

 

 ちょっと言い訳じみて聞こえてしまったかもしれないな。まあ何でもかんでも鵜呑みにするつもりがないから、つい多く質問をしてしまったけど、渋谷さんが把握してそうだからちょっと余計なことだったかな。

 

 

 ―――――いや、余計な事だったな。私はただの今回限りの雑用だし、調査の要は渋谷さんだ。私は最低限の応用ができればいい。それ以外は言われたことができればいい。そういう立場でここに居る。それに原さんは協力者でも何でもない、現場がブッキングしただけの同業他社だ。それを暴き立てようなんて、我ながら恥知らずが過ぎる。

 

 大義名分のない質問はただの好奇心だ。……だめだ、黒田さんを受け流せなくて迷惑をかけてしまったばかりだったのにな。自重を意識するべきだ。今の私は部長(せきにんしゃ)じゃないんだから。

 

 判断誤って原さんを不愉快にさせてしまったのは申し訳ない。ただでさえ『霊視』という能力はインチキ扱いをされやすいものだろう。そんな周囲の目を知っている子ならこういった暴くような質問は不躾だった。

 

 

「―――――ところで、渋谷さん、でしたかしら」

「……何か?」

「先ほどから気になっていたのですけれど、あたくし以前あなたにお会いしたことがあったかしら?」

「……いいえ、お初にお目にかかると思いますよ」

「そう……?」

 

 

 ……意味深な間だ。ふい、と私から視線を逸らした原さんの一昔前のナンパみたいな文句にちょっと驚いて、それ以上に渋谷さんの返事の間が気になった。

 

 あんなこと言ってるけど、初対面にしては渋谷さんから原さんへ何かしらの信用のようなものが見える。少なくともその能力を把握しきれていない相手をやすやすと信用してくれるような人ではないし、それに渋谷さんは私に彼女を『一流』と紹介したのだ。どう考えても『渋谷さんは原さんのことを知っている』と思うのが妥当だと思うけど……

 

 このリアクションからして、渋谷さんがすっとぼけてるのか、あるいは『実際に会ったわけではない』のか。……いや、まあいいか。自重自重。

 

 

「渋谷さん、そろそろ日が暮れますが、今日はどうしますか?」

「ああ―――――今日はもういい。僕らも引き上げる」

「お、ボウヤは泊まり込みしねーの?」

「今日はまだ……幸村、明日は泊まり込む予定で準備してこい」

「え」

 

 

 さらりと告げられた業務命令に思わず固まってしまった。待って、泊まりだって?

 

 

「質問」

「どうぞ」

「メンバーは…」

「僕とお前だが、何か問題が?」

 

 

 こちらをまっすぐと見る渋谷さんの視線には疚しさはない。いや、そんな下心をもって接してくる人だとは思ってないけど。そんな気持ちで泊まりを宣言されたとも思ってないけど。……うーん、これ本気で分かって得ない感じか…?

 

 

「……いやお前さん、さすがに調査とはいえ若い男女が一緒に泊まり込みってのはまずいだろ」

「僕にそんな意図はない」

「無くたって外聞ってもんがあんの! 嬢ちゃんのご両親も気が気じゃねーだろうが! というか許可もらえねーんじゃねえか?」

 

 

 おそらく私と同じことを考えたであろう滝川さんが私の代わりとばかりにくちを出す。やっぱりこの人面倒見がいいな……ワッと大声を出した滝川さんのセリフに、ふたりの視線がこちらを刺す。わあ目力強いなあ。

 

 滝川さんの言う通り、許可をもらうのはちょっと厳しいだろう。未成年の少年少女で宿泊施設ではない不安定な廃墟にアルバイトで泊まり込む、というのはあんまりにもあんまりだ。

 特に今は居候の身で、越前家の皆さんからしてみれば私は『お預かりしているお嬢さん』ということになるから、下手に実家にいるより突破するのは厳しいかもしれない。

 

 ―――――けど、この渋谷さんの視線が『無理です』と言っても聞いてくれなさそうだというのをヒシヒシと伝えてくるわけで。かといって、ご厄介になっている越前家からのお気持ちを無下にする気だってもちろんないわけで。

 

 

「滝川さん」

「おう」

「すみませんが、お手すきでしたら明日は一緒に泊まり込みをお願いしてもいいですか? 『お坊さん』がいると言えば多少はハードルが低くなるので」

「あー……はいはい、仕方ねえな。オニーサンがひと肌脱いでやるよ」

「服は着てください」

「おじょーちゃん???」

「で、渋谷さん」

「………」

「努力はしてみますが、許可をもらうのはちょっと難関ですよ。泊まれるかどうかの連絡は明日でも構いませんか?」

「……分かった」

 

 

 うわあ不満げ。そんなに思い通りにならないのが気に入らないか。……さて、どうやって越前家の皆さんから許可を貰おうか。下手なことをしたら親に連絡が行って大事になっちゃうだろうし……最近悩み事が多いな。

 

 「I’ll stay with you too.(僕も一緒に泊まり込むよ)」と言ってくれるジョンの気持ちはありがたいけど、いくらジョンが聖職者でも男の子なんだから余計に状況不利になるだけなんだよなあ。言わないけど。

 明日松崎さん捕まえられるかチャレンジしてみようか。

 

 

 





■面倒見のいい松崎さん
 この人も多分たくさん苦労したんだろうな。

■突如しまったドア
 幸村は普通にビビっている。いや怖いわ。でも松崎さんがパニックになっていたから冷静。たぶん滝川さんとだったらあんまり心許してないから努めて冷静を装うし、ナルだったら冷静に思考分析を始めるナルにつられて冷静になる。ジョンと一緒の時だけ普通に怖がるしジョンは慰めてくれる。
 今後一番最初に幸村が実はオバケ怖いタイプだと知るのはジョン。知ってからはいっぱい気を使ってくれるけど、周りは仲のいいふたりだと思ってるしジョンは優しくて気づかい屋で紳士だから毎回声かけてるんだなって思ってるからジョンの態度を見ても最初は気づかない。次に気付くのはたぶんリンさんだけど、仕事に支障なさそうだから最初はスルーしてくる男。

■不思議な釘
 いやおかしくない? とかなり警戒している。けどなんとなくポルターガイストというより人為的なにおいを感じ取ってる。第六感が閃いているのか。ああ、『イヤ』な予感がするなあ。消去法思考って知ってる?
 渋谷さんは何かしらの理由で何かを知ってでも黙ってるな、と表情や態度で察したが決して愚かではない雇い主(オーナー)が沈黙を選んだのならそれが金だと知らないふりをすることにした。

■一流霊媒師
 渋谷さんが初対面の子をそんなに褒めるなんてありえない。(失礼)絶対知り合いだろ、という根拠ある名推理。
 まだツンツンしてる。恥じらいのない方たちですこと。ツーン。

■地霊や地縛霊やスピリットについての考察
 教えて専門家。

■反省村
 正直未知の知識に心躍ってるところはあった。けれど今回黒田さんと原さんの失敗でしっかり反省・学習したのでこれからは慎重になる。かなり重たい責任を背負って戦っていた中学時代のせいで自分の立場の認識改善がうまくいってなかった。ダメだよ幸村聖子。今責任者は私じゃないんだ。
 原さんの霊視レベルについては先出ししておきたかった。例えば『霊は見えない』原さんが言って、なら『霊視から逃げられる知性を持つ霊がいる可能性』『相性の悪い浮遊霊が起こした偶然的霊障の可能性』『人為的いやがらせ他の可能性』など、いろんな思考の幅が広がるから。
 盲目的に信じるわけでなく、けれど疑ってるわけでもない。ここらへんの思考回路はたぶん渋谷さんと相性がいい。

■お泊り
 部活の合宿と違うんやぞ。どうする幸村。越前家に勝てるのか!?
 多分越前家の女性陣はそこまで難易度高くないけど、バイトでテニスする時間が目に見えて減って機嫌の悪い王子様と幸村の容姿も相まって結構心配している南次郎パパの壁はデカい。最終的に南次郎パパからは「いざとなったら股間を蹴り上げて逃げろ」とめちゃくちゃ言い聞かせるし、泊まりの夜はいつヘルプの電話が来てもいいように起きてくれているはず。夢見すぎ?

■明日誘われるらしい松崎さん
 懐かれたわけでも心を開かれたわけでもないが、もうあまり警戒はされていない。これは滝川さんも同じ。




目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。