出会わなければ良かったのに。
出会わなければ、こんな想いを抱くことは無かったのに。
出会わなければ、多少の味気が無くともきっとそこそこ楽しくやれたのに。
出会わなければ、こんなに後悔することなんて、無かった筈なのに。
出会えたことは奇跡だった。
出会ったからこそ、こんな想いを抱くことができて。
出会ったからこそ、毎日は美しく彩られた。
出会ったからこそ、悔いを残すことは無かった。
「あれ? ──くん?」
そう僕の名前を呼んだのは、凛として張りのある、聞いていて随分と心地の良い声だった。
少しだけ、聞き覚えのある声。
聞いたことが有るかと問われれば、無いとは答えづらく、しかし聞き慣れているかと言えば当然ノーと言える程度の声が背中からかけられて、僕は半ば反射的に振り返った。
「あぁ、やっぱり──くんだ。こんにちは。こんなところで会うなんて、奇遇だね」
振り向いた先には、一人の女性がいた。
身長は僕より少し小さくて、珍しい紅の瞳が輝いている。
肩まで伸びた黒髪は正しく濡羽色というやつで、真っ白な肌と相まって美しいとも言えた。
四之宮空華。
所謂、クラスのマドンナというやつである。
誰かが言ったわけでもなく、本人が自称したわけでもない。
自然とそうなっていたし、知らぬ内にそういう認識になっていた人物だった。
そうなることが当然と言える存在だった。
何せ完璧とも言える見た目をしている上に、中身まで無敵と噂の彼女である。
圧倒的善性、圧倒的知力、圧倒的美貌、というやつだ。
嫉妬を筆頭とした負の感情すら湧かない程の、高みにいる高嶺の花。
そんな彼女と、同クラスであるというだけで学内ではアドバンテージになるくらい彼女は偉大な人だった。
当然、そこまで有名だと同クラスと言えども関わる機会というのはあまり多くはない。
僕に限って言えば、全くの皆無であった。
精々、幾らか挨拶をされたことがあり、それに返したことが有るといった程度の間柄。
まあ、ギリギリ知り合いと呼べるか否かといったところなので、正直彼女が僕の名前を覚えていたことに、僕は少なからず驚愕していた。
───あぁ、こんにちは。
だなんて、自分ではスムーズに言ったつもりだったのだけれども、思いっきり噛み噛みだったのがその良い証拠だろう。
そんな僕をクスクスと、それはもう大層絵になるように彼女は笑った。
「ふふ、そんなに緊張して、どうしたの?」
き、緊張なんてしていない、ちょっと驚いただけさ。
なんて強がってはみたが、僕はあからさまに緊張していた。
言っておくが、僕は別段コミュニケーション能力が低いというわけではない。
かといって高いと胸を張って言える程ではないが、それでも並以上にはあると自負しているくらいだ。
だが相手は四之宮空華である。
前述の通り超高嶺の花だ。
そんな人と休日に偶然出会うだなんて、嫌でも期待は顔を出すし、緊張は無駄に高まってしまうだろう。
平然を装いながら、その実心臓はテンポよく鼓動を刻んでいた。
「ふぅん……まあ良いや。それより──くんはここで何してたの?」
こんなところですることなんて、大体決まっているだろう。
廊下の先に広がる書庫を見ながら僕はほら、とカバンの口を開けて見せた。
中には、財布と筆記用具、それから数冊の分厚い本が入っている。
それを見て、彼女は納得したように頷いた。
「へぇ、何だか意外。──くんはあまり読書をするイメージは無かったんだけどな」
失礼な、というか大して関わりもないのにどんなイメージを持っているんだ君は。
僕は読書家だよ、休みの日にはこうして図書館に通って、借りていくくらいには。
ごめんごめん、と舌をチョロリと出して謝る彼女に、まあ良いけどさ、と言えばふと彼女は僕のカバンから一冊取り出した。
「ファンタジー小説、好きなの?」
彼女が手に取ったのは剣と魔法のファンタジー物。
所謂王道ファンタジーというやつだった。
有名所でありながら、何となく読んでいなかったのを、ちょうど良いと思って借りてきた一冊である。
因みに残った数冊の本も全て、彼女の持つ小説の続き物だ。
シリーズものなのである。
そして僕はそういったガチガチのファンタジー物というのが大好物だった。
彼女の問いに、即答で肯定した僕に彼女は「そうなんだ!」と二割増しのボリュームで言って僕に顔を近づけた。
えぇい、近い近いいい匂い近い!
「私も大好きなの! 意外な共通点だね!」
喜色満面、といった笑みで彼女はそう言った。
もう全身から喜び! といったオーラのようなものを放出しているようで、僕も思わず嬉しくなってしまう。
僕の周りには小説を読む人間が少なかったというのもあり、嬉しさは拍車をかけていた。
ファンタジーは夢を見させてくれるから好きだ、と言う僕に彼女はうんうん、と頷いてから僕の手を握って
「同志よ……!」
と言った。
それが何だかおかしくて、僕は思わず吹き出した。
遠くから見ていただけの人物が、こんなに親しみやすい人であったことに僕は親近感を抱いていた。
──くんとは何だか色々と気が合う気がします……! と言い出した彼女は少しばかり逡巡した後に「ちょっとお茶しませんか?」と僕に問いかけた。
……え?
思わず素でそう返してしまった。
少しばかり舞い上がっていたのは事実で、これをきっかけに少しは仲良くなれたら良いな、とは思っていたがまさかお茶に誘われるだなんて思いもしていなかったのだ。
思わず呆けてしまった僕に、彼女は
「迷惑、だったかな……?」
と上目遣い気味に僕を見た。
狙っているのかどうかは分からないが、少なくともそれは卑怯なのでは?
もし断ろうと思っていても、そんなことをされればほぼ確実に受け入れてしまうであろう。
それくらいの魅力だった。
勿論、僕も例に漏れず、というか断る理由を持たなかったので良いよと、答えた。
「本当ですか!? やったー!」
ここの近くにお気に入りのカフェがあるんです! と彼女は僕の手を握って引っ張った。
きっと他意は無いのだろう。
それでも僕にとってその行動は少しばかり特別で、顔を赤らめてしまう。
そんな僕をお構いもせずに、彼女は僕を見てから笑って
「さ、行きましょう」
とそう言って図書館を出た。
季節は夏だった。
一切の雲のない、清々しいくらい青い空の中、太陽は燦々と輝いていて、それは同時に耐え難い暑さも降り注いでいた。
あまり遠いと着く前に溶けちゃいそうなんだけど……
そうこぼした僕に、彼女は
「大丈夫、すぐそこだよ」
……自転車なら。
と言った。
最後の台詞がなければ完璧だったな、と僕等は互いに力なく笑った。
僕等はどっちも徒歩だったのである。
仕方がないか、と僕等は並んで歩き始めた。
ほら、こっちだよ、と僕を引っ張りながら彼女は指を指しながら僕を引っ張った。
分かったから、引っ張らないでくれ、と言ったその次の瞬間だった。
壮絶なブレーキ音。誰かの悲鳴。
彼女と、その先の道を映していた僕の視界は、高速で突っ込んできた何かによって瞬く間に変貌した。
壁にぶつかり合って、激しい炸裂音を鳴らした先で、血の海が広がっていた。
足元に、千切られた腕がボトリと落ちる。
──────。
理解だけは一瞬で出来てしまって、突然ぐるりと回り始めた視界の中、僕は意識を失った。
気がついたら、僕は図書館の中に居た。
何がどうなったのかと周りを見ればふと、背後から声がかかる。
「あれ? ──くん?」
───────一体、どういうことだ?
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