俺ガイル生誕祭ss置き場 (あおだるま)
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一色いろは 
誕生日の一色いろはは、先輩に気づいてほしい。(一色いろは生誕祭2019)


いろはす誕生日おめでとう。


 私、一色いろはの朝はルーティーン的に消化される。

 

 目覚ましで目を覚ます。顔を洗って歯を磨き、ハンガーにかけておいた制服を手早く着る。リビングでお母さんの作る朝ご飯を食べる。トースト一枚に目玉焼きをのせ、塩コショウ。トマトサラダを見て、つい笑みが漏れる。

 

 先輩、これ嫌いなんだよね。今度たっぷり食べさせてあげよう。

 

 洗面所に立ち、髪を整えて、最後にわからない程度の化粧と色なしのリップを塗る。確認で鏡の前でスマイル。うん、今日も平常運転。

 

 部屋に戻って昨日準備しておいた鞄の中身を確認し、一息。家を出るにはまだ少し早い。リビングでつまらないニュース番組がじゃんけんコーナーを始めたらいい時間だ。

 

 ニュース番組がつまらないって、いつからニュースはバラエティになったんだよ。なんて、先輩なら言うかも。

 

 玄関で右足から靴を履き、右足から家を出る。春らしく涼しい風が頬を撫で、柔らかい日差しが体を包む。駅までの道には散り始めた桜がまだ残っている。

 

 いろはっていう名前も、この季節の優しい色彩も、私は嫌いじゃない。

 

 いつもの電車にいつも通りの時間に乗って、ホームに降りる。駅のトイレで軽く歯を磨いて、時計をチェック。うん、いい時間かな。

 

 ゆっくりと駅から学校までの道を歩き、時折かけられる挨拶に返事をする。今となっては私もこの学校の生徒会長だ。男女ともに媚びすぎない笑顔を浮かべる。

 

 校門をくぐり、また時計を確認。よし、ぴったりだ。

 

 駐輪場をそれとなく見ると、いつも通り彼はだるさを隠そうともせず、猫背で昇降口に向かっていた。

 

 スマホの鏡アプリを起動して、最終チェック。オッケー、問題なし。

 

 早足で、しかしそれとなく彼の横に並び、私はいつものように彼に挨拶をする。

 

「おはようございまーす」

 

「うっす」

 

「相変わらず朝から腐ってますね、先輩」

 

「人を見るなり雑な罵倒してんじゃねえよ。せめてどこが腐ってるかくらい明言しろ」

 

「いやぁ、目とか根性とか性格とか魂とかですけど」

 

「魂が腐る?それはソウルジェムのことか?ソウルジェムのことなのか?」

 

 魔法少女になった覚えはないんだが……。先輩はいつも通り、気持ち悪いことをブツブツとつぶやいている。しかし、今はそんなことはどうでもいいのだ。先輩との朝の時間は限られてる。学年が違うんだから、教室まで一緒に行くことはできない。

 

 今日は、この日は、一番目にこの人に祝われたい。

 

 だから先輩。あなたはもっと先に、もっと早く、私に言うべきことがあるはずです。

 

「にしても、お前もいつも早いな」

 

「ふふーん。これでも生徒会長様ですからね。色々と先輩には思いもよらないような業務がてんてこまいなのですよ。本当は先輩と話してる暇もないほどに!」

 

 先輩の登校時間が早いせいじゃないですか。

 

 なんて、言えたら楽なんだろうな。

 

 先輩は私の言い訳に、ニヤリと暗い笑みを浮かべる。その笑い方は正直キモイです先輩。

 

「自分に様をつけるやつってアニメでも漫画でも小物っぽいよな」

 

「うるさいです。たてつかないでください。奉仕部の部費減らしますよ」

 

「別に大した活動してないから俺に痛手はないな」

 

「雪ノ下先輩の淹れる紅茶とか飲めなくなるかもですよ?お菓子減っちゃいますよ?」

 

「それもそうだな。ところでお前はそれでいいのか?」

 

「……は!?奉仕部のお菓子減っちゃったら私の分がなくなるじゃないですか!絶対だめです!」

 

「細かいところに気が付く癖に、肝心なところで抜け過ぎなんだよなぁ……」

 

 ため息交じりに先輩はつぶやく。まただ、また先輩のペースに巻き込まれた。先輩と話してると時間がどこかに飛んでっちゃう。

 

 自分をボッチなんて言うこの人と話してる時が、一番落ち着くのはなぜだろう。

 

 でも違うのだ。今日は。今日欲しいのは落ち着く時間じゃなくて、言葉。たった一言がとにかく欲しい。誰よりも早く、言って欲しい。

 

 あの、だから、私に言うべきこと、ありますよね。先輩。

 

 祈りが通じたのか、先輩は思い出したように口を開く。

 

「おー、そういえば――」「――は、はい!」

 

 はっ。つい食い気味に返事をしてしまった。まだ夏には程遠いが、急速に体に熱を帯びるのを感じる。違う違う。こうじゃない。いつもの一色いろははこうじゃない。余裕があってあざとく、計算された可愛さ。それが私のはずだ。頭を振って上った熱をはらう。

 

「なんですか?」

 

「い、いや、その、なんだ……あー、由比ヶ浜が言ってたんだがな」

 

「は、はい……」

 

「あ、あれだ。た――」「――よーーーーーーっす、いろはすとヒキタニくん、おはよー!」

 

 戸部先輩。あなたはいつか、私が必ず殺します。それとも今すぐ死にたいですか?

 

 バカでかい声であいさつしてきたのは戸部先輩だった。後ろには葉山先輩もいて、なぜか苦笑いを浮かべている。

 

「やあ、いろはとヒキタニ君、おはよう。職員室にちょっと用事があってね」

 

「いろはとヒキタニ君も朝早いねー。俺たち朝から部活でへとへとっしょ……」

 

「あ、そうなんですかー。大変ですねー。ところで職員室に用があるんじゃないんですか?」

 

「あ、そうだった。大会のことで顧問と話があんだよね。じゃ、ヒキタニ君また後で!隼人君いこ」

 

「ああ。……いろは」

 

 すれ違いざま、葉山先輩は耳元で確かにこうつぶやいた気がする。

 

 邪魔してごめんね。

 

 

 

 

 

 

 放課後。結局あの後は何事もなく教室に向かい、先輩とも何事もなかった。えーえー、別に何か期待してたわけじゃないですよ。物を貢いでもらいたいわけでも、好意を向けてもらいたいわけでもないですよ。

 

 ただ一言、祝って欲しいと思うのが、そんなに贅沢なことですか。

 

 教室に入ったらどうでもいい男子たちが寄ってきて、ポンポンと祝いの言葉を投げてきた。最近は相手にもしてないしすり寄った覚えもないのだけれど、なんでこう纏わりついてくるのだろう。まあこれも私の以前の振る舞いが原因なのだから、偉そうに彼らを批判はできないけれど。

 

 生徒会長になったことで私を目の敵にしていた女子たちの何人かも、祝いの言葉を並べてくる。男子たちと違ってこっちはどうにも気持ちが悪い。嫌いなら嫌い、気に食わないならそう言えばいい。彼女たちの行動には意思も目的も見えない。ただ漠然と大きなものや権力、有名人にすり寄っているだけのように感じる。

 

 多分、こんなふうに考えてしまうのは、奉仕部の三人を知ってしまったからだと思う。誰よりもはっきりとものをいう人。誰よりも優しくて、皆のことを考える人。そして、誰よりも自分のことを大切にしない人。

 

 本物を、見ちゃったから。でも私は本物には成り得ないから。だからこうやって彼ら彼女らを上から見下し、比べている私自身に、誰よりも偽物である私に、一番腹が立つ。

 

 

 

 奉仕部室前まで来た。今日は生徒会業務はない。というか、昨日死ぬ気で今日の分も終わらせた。期待してるわけじゃなくて、多分、あの人なら、結衣先輩なら私を祝おうとするだろうから。雪ノ下先輩なら一見嫌々、しかし結局はノリノリで結衣先輩の話に同意するだろう。

 

 そして、先輩も。

 

 だからこそ私は、先輩に先に、誰よりも先に祝って欲しかった。今から祝ってくれるのは奉仕部の三人であって、先輩じゃない。奉仕部は三人で一つで、完結しているから。私はそこに厄介になってる不純物でしかない。

 

 奉仕部の三人は好き。なによりも憧れた。でも仕方ないよ。

 

 私は、先輩だって大好きなんだから。

 

「失礼しまーす」

 

「うす」

 

 ドアを開くと、そこにはいつもの席に腰掛け、文庫本を読む先輩がいた。いや、それは正確じゃない。

 

 そこには、先輩しかいなかった。

 

「なん、で……」

 

「いやなんでっていわれても、一応俺ここの部員なんだけど……」

 

「だ、だからそうじゃなくて!なんで先輩しかいないんですか?雪ノ下先輩と結衣先輩は!?」

 

「俺たちはセットかよ。……あー、それはだな、まあなんか二人とも用事あるらしいわ。少し遅れるって話だ」

 

 ま、とりあえず座れば。先輩は文庫本に目を落としたまま、指だけで着席を促す。いつものぞんざいな態度に、今日は少しだけいら立ちが募る。

 

 言ってくれないんですか、それとも忘れてるんですか。

 

 椅子を音を立てて引き、乱暴に腰掛ける。その音に一瞬驚いたように先輩は視線を向けるけど、合わせてはあげない。悪いのは先輩なんだから。

 

 奉仕部室に沈黙が降りる。いつもは他の二人もいて賑やかだから、無言の奉仕部室は珍しい。つい、いつもはあまり見ることがない教室内の備品などに目が行く。紅茶、お菓子、マグカップに……結衣先輩が持ち込んだのかな?クマのぬいぐるみと、その横に控えめに置かれたパンさんのぬいぐるみ。うん、これは雪ノ下先輩のだ。そして……

 

 最後に、黒板前の机の上に立てかけられたそれを見て、息が詰まった。

 

そこには写真立てがあった。それも私が撮ったもの。真ん中に先輩が座って、その両隣に雪ノ下先輩と結衣先輩が立っている。確かにこう見ると七五三みたいだな、とあの時の先輩の言葉を思い出して乾いた笑いが出てくる。いや。

 

 乾いた笑いしか、出てこなかった。

 

「先輩」

 

「なんだ」

 

 まだ先輩は文庫本に目を落としたままだ。しかしそれでいい。

 

 こんな顔、見せたくない。

 

「先輩、これって本物だと思いますか?」

 

 暗号じみたセリフだ。何も知らない人なら何言ってんだこの女は、としか思わないだろう。先輩すらそう思っているかもしれない。

 

 でも、先輩なら、意味は分かるはずだ。

 

「……なんだ、藪から棒に。前俺が言ったことでからかおうってんなら――」「――私は、本物だと思ってます」

 

 ガリガリと頭を掻く先輩を遮り、今度は私が先輩を見ないように立ち上がる。その先にあるのはさっきの、彼ら三人が写った写真。私はそれにそっと手を触れる。

 

「もう一度聞きます。……これは、本物だとは思いませんか?」

 

 先輩の声は続かない。私は何を言っているんだろう。朝から先輩に会って、でも先輩は私を祝ってはくれなくて。奉仕部に来たら珍しく先輩しかいなくて、こんな場所で、奉仕部室で不純物の私と先輩二人きりで。

 

 感傷的になっているのは自分でもわかる。

 

 でも、気になっちゃったから。

 

 先輩は今度こそ文庫本から目を上げ、私へと向き直る。いつもの猫背は少しだけ伸ばされて、淀んだ瞳は深く私を見据えていた。

 

 ひるみそうになる。でも、出した言葉は引っ込められない。

 

 その視線を正面から受け止めると、なぜか先輩は自嘲気味に笑った。

 

「さあな。そもそもそれの定義すら誰が決めるもんでもねえし、各々が勝手に判断すればいいんじゃねえの」

 

 かわされた。いつものように。でもそうじゃない。

 

「私は、先輩の言葉が聞きたいんです。結衣先輩でも雪ノ下先輩でもなく、先輩の言葉が」

 

「それは俺の主観でしかないし、俺の主観を正しく言葉にできる自信は俺にはない」

 

「正しさなんてくそくらえですよ」

 

 言い切る私に、先輩は虚をつかれたように目を丸くする。

 

「私は、その先輩のどうしようもない、どうでもいい、どうにもならない、くだらない主観を聞いてるんです」

 

 そう。正しそうな答えも、客観的な正論も聞きたくなんてないんだ、私は。

 

「私にはこれが、奉仕部の三人が本物に見えます。正直これに憧れるし、妬けます。妬ましさMaxです。羨んでます。だって」

 

 だって。これを言ってどうする。こんなこと唐突に言っても多分、この人を困らせるだけだ。大好きなこの人を、困らせるだけだ。

 

 いや。私は思い直す。祝ってくれないこの人を、いつもはっきりしないこの人を。ボッチとか嘯くこの人を。

 

 ちょっとは困ればいいんだ。先輩なんか。

 

「先輩たちは三人で一つだから。この空間は先輩たち三人で完結してて、そこに流れる時間はとても優しくて、居心地がよかった……部外者の私にとっても」

 

 そう。だから私はここに居着いたんだと思う。本物を見たくて、それに少しでも触れたくて。

 

「私には、それが本物に見えました。三人で完結して、三人で依り合って、だからこそあなたたちの絆は深い。ええそうです。私の主観です。急に何勝手なこと言ってんだこの痛い女は、とか思われてもいいです」

 

 だってこの人は、自分のことは話さないから。いつも周りのことを考えて、周りのために自分を犠牲にする。多分、この人はそれが、自分を大切にしないことこそ、自分が持ち得る自分の価値だと思っているのだと思う。

 

 自分を大切にしないことが他人を大切にすることで、自分を無価値だと思っているから自分を大切にしない。そしてそれに価値を見出す。

 

 そんなの、いつまでも黙って見ていられるもんか。

 

 だから私は言うのだ。一色いろはは繰り返す。それに憧れた人間がいる。それを妬んで人間がいる。

 

 比企谷八幡は無価値なんかじゃない。

 

「私はあなたたちが大好きで、羨ましくて、妬ましい」

 

 だから、私にはあなたたちが本物に見える。

 

 嫌われただろうか。うざがられただろうか。大切な日で、嬉しいはずの日だったのに、とんだ災難だ。

 

 いや、誕生日だからこそ浮かれていただけかもしれない。一年に一度のほんの少しの非日常に、浮足立っていたのかもしれない。

 

 ま、どっちでもいっか。言っちゃったんだし。

 

 引かれてるんだろうな……。恐る恐る押し黙ったままの先輩の様子を窺う。

 

 しかし、彼は。

 

「……やっぱすげえな、お前」

 

 目を細め、優しく笑っているような気がした。自然と体から力が抜けた。

 

「あくまで俺の主観だが」

 

 先輩は少しの間目を瞑り、重々しく口を開く。

 

「本物であるかどうか、やはり俺にはわからない。しかし今は、まあ、本物であってほしいとは思っている」

 

「……なんですか、その煮え切らない答え」

 

「だから、お前はすげえって言ったんだ。いつだってはっきり口に出せる。自分の思ってることと目標を見据えることができる。他人に思いをさらけ出せる。助けが必要なら他人に頼ることができる」

 

 今度は先輩はため息を吐き、頭を掻く。

 

「正直、俺もお前が羨ましい。と、思わなくもない」

 

「……ほめ殺しとか、手が古いんですよ先輩」

 

「ば、お前が似合わず自己否定じみたこと言ってるからだな、それは俺のキャラであってキャラ被りはアニメにおいて致命的な……」

 

「わかった。わかりましたから」

 

 この人は、私のことを見てくれる。私のことを助けてくれる。私の成長を願ってくれる。私に本音を投げかけてくれる。それが改めてよくわかった。

 

 だから、あの二人がいない、今だけは。

 

 私は先輩の手を柔らかく握る。先輩は少し体をこわばらせるが、拒絶はしない。華奢に見えて、やはり女子である私の手とは違う。ゴツゴツしてて、でも細く、強い。

 

 その温度を感じながら、今度は心から笑えた。

 

「ありがとうございます。先輩」

 

「おう」

 

 先輩は手を振り払うことなく、詰まった距離が照れくさいのか、こちらを見ようとしない。手を握り返しても来ないし、ほとんど触れているだけだ。全く、この甲斐性無し……。

 

 でもしょうがないんだ。そんなところも好きだから。

 

 そして、一息ついたその時だった。

 

 視界の端に、ピンクの何かが映った。

 

 ん?ピンク?

 

 それを持っていたのは。

 

「……あれ?先輩ポケットからなんかでてますよ?」

 

「あ……う……これはだな」

 

 あからさまに慌てふためき、先輩はちらりと見えたそれをポケットの奥に押し込む。しかしもう遅い。

 

「なんですか、それ。先輩がピンクのもの持ってるって、正直ないんですけど……」

 

「アホ、俺のもんじゃねえ」

 

「えー、じゃあなんですか。普通に気になります」

 

「いや、その、あの、えーっと……」

 

 珍しく歯切れが悪い。いつも悪びれもせずに悪事をこなす先輩が、なぜここまでバツが悪そうにしているのか。

 

 気になる。かくなるうえは。

 

「あ、結衣先輩と雪ノ下先輩おかえりなさい」

 

「えっ」

 

「隙ありっ」

 

 ドアに向かって呼びかけるふりをすると、案の定引っかかった。私は先輩のポケットの中身を強奪する。

 

 ピンクのそれは、包み紙だった。

 

 彼に似合わない可愛らしいラッピングの袋に入ったそれは、察するに、多分。

 

「先輩、これって……」

 

「だから、まあ、なんだ」

 

 先輩は逆に私の手にあるそれをひったくり、咳ばらいを一つ。

 

「誕生日おめでとさん、一色」

 

「……おっせえんですよ、先輩のバカ」

 

 本物かどうかなんて、私には簡単なことだ。

 

 だって、その一言だけで、こんなにも胸がポカポカする。

 

 あれ、でも、ということは。

 

「っていうか、今プレゼントあるってことは、朝会ったときも誕生日だってわかってましたよね?」

 

「……そうだが」

 

「じゃあ!」

 

 つい語気が強くなる。だって、私はそれを、それだけを望んでたんだから。

 

「なんで朝言ってくれなかったんですか?……一番に言って欲しかったのに」

 

「いやだって、どうせお前誕生日ならプレゼントせびりに来るだろうし、その時でいいかなって……一番?」

 

「……い、いや、今のなし!なしで!」

 

「お、おう」

 

 ふー、あぶないあぶない。まだ私の気持ちをばらすには早い。

 

 告白するのは、やっぱり男の子からにして欲しいもんね。女の子としては。

 

 私はそのプレゼントをいじくり、先輩に問う。

 

「これ、開けてもいいですか?」

 

「やった時点でお前のもんだ。好きにしろ」

 

「また憎まれ口を……そんなこと言って箸にも棒にもかからないものだったら承知しません、か、ら……」

 

 言葉を失った。

 

 それはシュシュだった。白とパステルピンクの糸で構成され、ところどころにグリーンの葉っぱの飾り、ホワイトの小花、そして中央には無数の白いパールが散りばめられてある。

 

 そう、それは。

 

「……桜」

 

「まあ、一応お前の名前と季節にちなんで、だが。消え物のほうがいいだろうとは思ったが、まあ気味悪かったら無理に身に着けなくても……」

 

「いえ」

 

 声は震えてはいなかっただろうか。

 

「絶対、毎日つけます」

 

「……そ、そうか」

 

 だってこれは、証のようなものだと思ってたから。

 

 雪ノ下先輩のピンクのシュシュ。結衣先輩の水色のシュシュ。

 

 奉仕部は三人で一つで、彼女たちは二人で一つ。二人とも自分の趣味じゃない色を、お互いに着けてる。多分、それが意味するのは。

 

 私がもらったのは桜のシュシュ。これにどんな意味があるかはわからないし、意味があるのかさえ分からないけれど。

 

 でも、少しは自信を持ってもいいのかもしれない。

 

 だって私にもくれたんだ、先輩は。

 

 この部室の四人目にはなれなくても、先輩の一人目にはなれるのかもしれない。

 

 なっても、いいのかもしれない。

 

 そして部室にいつもの絶叫が響く。

 

「あっ、ヒッキー、もうあげちゃったの!?」

 

 結衣先輩が咎めるように口をとがらせていた。横では雪ノ下先輩が呆れたような目を先輩に送っている。

 

 そして彼女らの手にはビニール袋とケーキの箱が……

 

 え、ケーキ?

 

 結衣先輩に詰め寄られた先輩は、バツが悪そうに視線を逸らす。

 

「あー、すまん、ちょっとアクシデントがあってな」

 

「むー、みんなでお祝いするつもりだったのに……」

 

「まあ今回は仕方ないのではないかしら。プレゼントを買いに行くのに比企谷君に留守を頼んだのは私たちなのだし」

 

「う、まあそうだけどさー、でもせっかくいろはちゃんにスプライトしたかったのになぁ」

 

「由比ヶ浜、サプライズなサプライズ。いきなり炭酸さわやかにしゅわしゅわしてどうする」

 

「あ、そうか。今日買ってきたのもコーラだし」

 

「由比ヶ浜さん、そういう問題ではなくてね……」

 

 いつものように結衣先輩の斜め上の回答に、雪ノ下先輩はこめかみをおさえる。しかし今の会話には何か違和感がある。なんだろう。

 

 察するに三人は私の誕生日会をしてくれるらしい。それは分かった。ケーキとジュースを持ってるし、そうなのだろう。ありがたいことだ。

 そしてこの二人はプレゼントを買うために、奉仕部の留守を先輩に任せた。……逆に言えば二人はプレゼントを今日まで用意していなかった?

 

 そして、先輩は留守を任され、私にプレゼントをすでに渡している。

 

 つまり。

 

「せーんぱい♡」

 

「……なんだ、その気色の悪いにやけ面は」

 

「先輩『だけ』が私の誕生日を覚えてて、先輩『だけ』が私の誕生日プレゼントを用意してたんですねぇ」

 

 そうなのだ。そうでしかありえない。プレゼントを買ってない二人がプレゼントを買いに行き、先輩は留守を任された。ならそうでしかありえない。

 

 つまり、先輩は結衣先輩や雪ノ下先輩に言われたからじゃなく、自発的に私にプレゼントを用意していた。

 

 ふふふ。つい笑みがこぼれてしまう。

 

「ぐ……だってお前あざとくアピールしてたし……」

 

「いやー、しかもこのシュシュ、ラッピングに何のブランド名も店の名前もないですし、飾りも細かいですし、多分ハンドメイドですよね?わざわざ何日も前からネットで注文してたんですかねぇ」

 

 手に付けたシュシュを眺めながら、まだニヤニヤが止まらない。そんな先輩、想像したことなかった。これは、あれだ。先輩の好きなアニメで言えば。

 

 私は今日初めて、いつものあざとい私を、一色いろはを取り戻せた気がした。

 

「先輩も、お可愛い所あるんですねぇ」

 

「うるせ……ていうかなんでお前がそのセリフを」

 

「ヒッキー?」

 

「比企谷君?」

 

「……とりあえずすいませんでした」

 

 結衣先輩と雪ノ下先輩は、怖い笑顔を浮かべたまま何も言わない。非のないはずの先輩は即座に二人に頭を下げる。こんなあからさまに咎めるなんて、今年に入ってちょっと三人の関係が変わっているのかもしれない。私の知らない三人の関係が築かれているのかもしれない。

 

 でも、負ける気はしない。

 

「結衣先輩、雪ノ下先輩、お揃いですね!」

 

 雪ノ下先輩と結衣先輩は複雑そうに私の手のシュシュを見つめる。しかしお互いに顔を見合わせ、困ったように笑う。まるで小さい子の悪戯にしてやられたような、そんな顔。

 

「それ可愛いね、いろはちゃん!」

 

「似合ってるわよ、とても」

 

 前言撤回。一人目だけじゃない。

 

 奉仕部の四人目にだって、先輩の一人目にだって、なれるかもしれない。

 

 褒めてくれた二人のプレゼントを覗き、ケーキを食べてその教室で笑う。それだけのことがどうしようもなく、何よりも楽しい。だって。

 

 この部室も先輩も、私は大好きだから。

 

 終

 



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戸塚彩加
誕生日の戸塚彩加は、その日女の子になった。(戸塚彩加生誕祭2019)


 

 僕は自分の見た目が嫌いだ。

 

 細い足が嫌いだ。薄い胸板が嫌いだ。折れそうな腕が嫌いだ。白すぎる肌が嫌いだ。

 

 何より、男らしくない顔が嫌いだ。

 

 僕と初めて会う人はほぼ確実に僕を女の子と間違える。別にそれに文句があるわけじゃない。僕だって僕みたいな人がいたら、絶対女の子だと思っちゃうから。それは仕方ないことだ。

 

 でも、ふと寂しくなることがある。

 

 男の子たちと遊ぶことは昔から普通にあった。でも、どこか腫れ物に触るように扱われていたのを感じていた。男の子同士のバカな遊びや無茶な遊びには、それとなく自分は外されていた。修学旅行で風呂に入っても、みんな僕とは目を合わせない。

 

 女の子たちから昔から慕われていた。その理由は――こういう言い方はとても失礼だと思うけど――僕の見た目だと思う。可愛がられた、とでも言えばいいだろうか。動物を愛でるように。マスコットキャラではしゃぐように。でも、僕は男だ。彼女たちには混ざり切れない。身体能力も、興味も、食べたいものも、彼女たちとは隔絶している。

 

 男の子にも女の子にも愛され、そして本質的に誰よりも孤独。それが18年生きてきた、『可愛い』戸塚彩加の真実だ。

 

 そんなことを今更考えてしまったことには、理由がある。

 

「なあ、あの子可愛くね?うちの大学にあんなのいたっけ?」

 

「お前声かけて来いよ」

 

「やだよ、あんなの絶対彼氏持ちだろ」

 

「ヘタレが、なら俺が……」

 

 周りから明らかに僕に向けた声が聞こえる。だから嫌だったんだ。サークル棟のドアを見ると、ガラス部分が反射して僕の姿を映している。

 

 そこには、女の子の僕がいた。

 

 違う違う違う。これは全然僕の意思とかそういうことじゃない。ましてや趣味なんかじゃあるはずない。違うから、無理やりやられただけだから。

 

 

 事の発端は、午前中にテニスサークルでの練習が終わり、サークル棟でお昼を食べていた時だった。

 

 

「……ていうかさいちゃん、君ほんとおかしくない?」

 

 同じテニスサークルの女子が、お昼のスタミナ丼を食べていた僕に話しかけてきた。彼女は新歓で酔った男子に僕が女子と間違われて絡まれていたところを、平手打ちで助けてくれたことがある、なかなか男勝りの女の子だ。少しおせっかい焼きが過ぎるのが残念だけど。

 

 いきなり変人呼ばわりはさすがに酷いと思う。僕が軽く抗議すると、女子が激しく首を横に振る。

 

「いやいやいや、あんだけ汗かいたのに他の男子どもと違って全然臭くないし、ていうかなんかオレンジみたいな香りするし」

 

「あ、それ私も思ってた。さいちゃんいつもいい匂いするよね。肌なんかスベスベだし、髪もサラサラ。しかもこの白髪地毛なんでしょ?」

 

 僕の髪に別の女子が触ったことをきっかけに、僕の周りに人だかりができる。主に女子の。男の子なら嬉しい場面なのかもしれないけど、全然嬉しくない。なんか髪勝手に結われてるし、動物のように頭を撫でられている。こんなの断じて男子に対する態度じゃない。こういうことにも流石に慣れてるから、本気で怒りはしないけど。

 

「あ、ていうかさいちゃん、今日誕生日だよね?」

 

 え、何で知ってるんだろう。件の僕を助けてくれた女子の言葉を、少し不思議に思う。

 

「普通にメアドに『509』って入ってたし」

 

 なるほど、灯台下暗しだ。ちなみに彼女には新歓の件で危なっかしいと言われ、メアドを交換させられた。今時メールとは古風な人だ。

 

「え、そうなの??じゃあお祝いしなきゃ!さいちゃん午後予定大丈夫だよね?」

 

 別の女子がパン、と手を叩き、さも当然のように僕に予定を聞く。いや、今日はちょっと。

 

「ふーん、なに?誕生日に予定あるんだ。さいちゃんもそう見えてしっかり男だねぇ」

 

 僕が渋ると、件の女子がニヤニヤと僕を見てくる。違う、そういうのじゃないから。一人の男の子との約束だから。

 

「男の子ぉ?ますます怪しいじゃん。さいちゃん私たち女子とは結構遊ぶけど、新歓のことから男子とはちょっと距離あるでしょ?」

 

 そしてこの人は、結構言われたくないことをズバズバという。

 

「あはは、別に私たちはさいちゃんで遊べるしいいんだけどさ、さいちゃんが男の子と二人でいる所あんま見たことないから、余計ね」

 

「あー、そういえばそうだね。こんなかわいいさいちゃんが、誕生日の予定を空けてまで二人で会う男子……それってもしかして」

 

 ち、違うから!八幡はそういうんじゃないから!

 

「おおっと、八幡、君?聞いたことない名前だけど、もうこの時期に既に呼び捨てですかぁ。なるほどなるほど」

 

 ぐ腐腐……。どこからか高校の時によく聞いた笑い声が聞こえた気がする。キマシタワーという声が聞こえた気がした。なにも来てない。何一つ来てないから。

 

「それじゃ、そんなテニス用ジャージで行くのは失礼だよねぇ」

 

「そうだねぇ。男の娘ならちゃんとおめかししていかないと」

 

「あ、私着替えの予備置いてあるからそれ使っていいよ」

 

 ちょっと?今余計なこと言ったの誰?

 

「じゃ、さいちゃん、いこっか」

 

 件の女子はとてもいい笑顔で僕の肩を掴む。強い。力が強い。しかも気づけば僕は女子一堂に囲まれ、ぐ腐腐……ぐ腐腐……という笑い声に取り囲まれていた。あ、やばい。

 

 食堂には、僕の叫び声とスタミナ丼だけが残っていた。

 

 

 

 

 

 そして、現在。僕はもう一度自分の姿をガラス越しに見つめる。

 

 春らしいベージュで、レディースらしいかなりロング丈のステンカラーコート。インナーにはグレーのパーカー。ボトムスには色落ちした細身のジーパン。靴は女物の黒いパンプス。なぜか持たされた白いハンドバッグ。髪は纏められ、顔には軽く化粧。あの、自分で言うのもなんだけど、

 

 だめだ、これ女の子だ。

 

 着替えようにも、さっき来てたジャージは問答無用で備え付けの洗濯機で回されてしまっている。うぅ……ひどいよぅ……女の子って、やっぱり怖い。

 

 でも。僕はかぶりを振る。流石にこれはない。駄目だ。こんな僕が横に居たら八幡に迷惑かけちゃう。男子に頼めば誰か普通の服くらい持ってるだろうから、貸してもらおう。約束の時間に間に合わなくなっちゃうからそのまま来たけど、八幡にはちょっと待ってもらおう。

 

 そう思い、踵を返した時。後ろから声がした。

 

「君、今ヒマ?」

 

 さっき僕を見て話していた男子の一人だった。僕は少し慌てる。大学に入って声をかけられることは無くはなかったけど、やっぱり慣れるものじゃない。

 

「見たことない顔だけど新入生?よかったらうちのサークル寄ってかない?」

 

 いや、僕待ち合わせしてますから……・

 

「なに、僕っ娘?」

 

「うわ、ほんとにいるんだ。でも可愛いからいーじゃん。可愛いは正義だから」

 

 駄目だ、話が通じない。

 

 いこいこ。彼らはそう言って僕の背中を押してサークル棟の中に入っていこうとする。話を聞いてくれる気はないみたいだ。強引なのはそうだけど、そもそも僕男の子なんだけど……

 

 でも約束があるのは事実だ。僕が改めて彼らの誘いを断り勘違いを正そうとすると――

 

「あの」

 

 僕の声は後ろから遮られて声にならなかった。呼び止められて彼らは振り向く。

 

「そいつ俺の連れなんで、離してもらってもいいっすかね。……あの、後で飯奢るなり代返するなりするんで。即物的なのがいいなら土下座も靴舐めも余裕なんですけど」

 

 濁った瞳の彼がいた。

 

「八幡!」

 

「おう、戸塚」

 

 僕はとっさに八幡の後ろに隠れる。僕を誘った男二人は八幡の発言に若干引いているのか、八幡に苦笑いを向けている。

 

「いや、ごめんね。別に取って食おうってわけじゃないんだ。ただあんまり可愛くて、しかも見たことない子だったからさ」

 

「そうそう。しかも僕っ娘だし僕っ娘だし僕っ娘だし」

 

 いや、だからさっきから二人目の人怖いよ!?男だから。男だから『僕』は正しいから。二人組はまだ引く気がないのか、その場から動かない。

 

「いや、確かにこいつが天使も顔負けなほど可愛いうえに性格まで天使で、俺が常にその笑顔に癒されててそれこそ高校の時から求婚していて、しかも僕っ娘なのはただの事実です」

 

 いや意気投合しちゃったよ!しかも二人ともそこまで言ってないし!ほら、また引いちゃってるよ二人とも。八幡の早口に。

 

 八幡は二人を手招き、耳打ちしようとする。二人は怪訝そうな顔をしながらも八幡に耳を寄せる。八幡のつぶやきは後ろにいる僕にも聞こえてしまう。

 

「だが、男だ」

 

「う、嘘だろ……」「余計いいじゃん」

 

 ちょっと待って、だから二人目おかしい。

 

 

 

 

 

「いきなりごめんね、八幡」

 

「別に。あいつらも本気でお前をどうこうしようとしてたわけじゃねえだろ。人の目が多いこんなとこでナンパするくらいだ。それに……女の方がやっぱり怖かった」

 

「……ほんとごめんね」

 

 あのあと、騒ぎを聞いたテニスサークルの女子たちが駆け付け、男二人をサークル棟の奥に連れて行ってしまった。なんのお話をするのだろうか。ぐ腐腐と笑う女の子たちに何をされるのだろうか。やっぱり女の子って怖い。

 件の女子は僕の横の八幡を見て何かを期待する目を送ったかと思うとウインクをしてきた。だ、だからそういうのじゃないから!

 

「ま、とりあえず飯でも食うか」

 

「あ、うん。いいよ。どこにする?」

 

 一応スタミナ丼を頼んではいたが、結局女子たちに連れていかれて半分以上食べられなかった。テニスをしたし今までの騒ぎでちょっとお腹もすいた。

 

「サイゼか、もしくはなりたけだな」

 

「八幡、高校生の時から何も進歩してないよ……」

 

「な、なにを、この二つから卒業するのが進歩だというなら俺は進歩なんぞしなくていい。一生ラーメンとミラノ風ドリアだけでいい」

 

「……まあ、別に僕も嫌いなわけじゃないけど」

 

「よし、今日は戸塚の誕生日だから好きなもの食っていいぞ。サイゼかなりたけか、さあどっちだ?」

 

「誕生日の僕の選択権、あまりに狭すぎないかな」

 

 二択が千葉過ぎる。

 

 

 

 

 

「ふー、美味しかったねぇ」

 

「ミラノ風ドリアの味は365日変わることは無い」

 

 流石に半分ほどはスタミナ丼を食べた後だ。僕はサイゼを選んだ。

 

「なんで八幡が誇らし気なのかよくわからないけど。次、どこ行く?」

 

「おー、そうだな……あ、ゲーセン寄っていいか?」

 

「別にいいけど、本当に高校生の時と変わんないね八幡」

 

「ばっかお前高校三年生なんてほぼ高校生じゃねえだろ。学校と予備校と家の三角形を移動するだけの毎日だぞ。俺は一年間高校生をやってねえんだ。よって高校生から進歩していないわけじゃない。Q.E.D.」

 

「屁理屈すぎるよ八幡」

 

 彼は同じ大学に進んでも、高校生の時から本当に変わらない。

 

「でも僕音ゲーとかほとんどやったこともないよ?」

 

「ん、じゃあどうする?メダルゲーかなんかやっとくか?」

 

「……ううん、いいや。八幡の後ろで見てる。やりたいゲームあるわけじゃないし」

 

「そうか?悪いな、後でなんか埋め合わせするわ」

 

「別にいいよ」

 

 

 

 

 

「す、すごいね八幡」

 

「そうか?俺よりうまい連中なんていくらでもいる。材木座とか比べ物にならんぞ」

 

 ゲーセンに着き、八幡のやる音ゲーを少し見学する。ちょっと僕にはあれより上というのが想像できない。円形のタッチパネル?ボタン?を高速で押していく八幡の姿すら、何がどうなっているのかわからなかった。

 

「で、どうする?なんかやりたいもんあるか?」

 

「別に、特にはないけど……僕ってほら、どちらかと言えば体動かす方が好きだし。ゲームってあんまりやったことないんだよね。ゲーセンも来ないし」

 

「そうか。でも戸塚の誕生日だし、俺だけ楽しんでなんもやらんってのはな。ほんと、何でもやりたいのあれば付き合うぞ」

 

 あ、一応まだ僕の誕生日だったことは覚えてたんだ。まあ誕生日だからって変に凄い気合い入れられるよりはいいけど。八幡なら僕のためとかいって何をしてもおかしくない。

 

 その時、僕の目に一つの機械が止まった。

 

「あ、八幡。あれは?」

 

「……ダンス、か」

 

 そう。僕が指したのはダンスのゲーム機。なんかさっき女の人が彼氏さんらしき人とやってるのを見て、楽しそうだなと思った。女の人も慣れてるわけじゃなさそうだったけど楽しそうだったし、僕でもやれそう。……正直八幡がやってた音ゲーみたいなのはハードルが高い。かといってクレーンゲームなんかは流石にやったことあるし、僕はあまり好きじゃないから。そこまでしてあれで欲しいものもないし。

 

「いいだろう、やろう」

 

「じゃ、お金入れるね」

 

「いや、ここは俺が出す」

 

 別にいいのに。誕生日だからと譲らない八幡に、仕方なく僕が折れる。

 

 

 

 

 

 そして、30分後。

 

 僕と八幡は、今だにダンスゲームのパネルを踏み続けていた。女物の靴が邪魔すぎる僕は、もうそれを脱いでいた。汚れた靴下で借り物の靴を履くのは流石に申し訳ないので、靴下も脱いだ。その瞬間ギャラリーから「おおっ!?」という歓声が上がった気がする。でも大丈夫。大丈夫ったら大丈夫。僕は男の子だから。

 

「や、やるね、八幡。全然運動なんかしてなさそうなのに、無理しないほうがいいんじゃない?」

 

「ぜえ、ぜえ、今日は、お前が満足するまで、付き合うと決めてる。お前が、ぜえ、終わるまで、ぜえ、やめる気はない」

 

 君がっ、謝るまでっ、殴るのをっ、止めない!八幡はついでのように、意味不明なことを息を切らしながら、それでも笑って言う。

 

 八幡は、変なところで意地っ張りだ。誕生日の僕にサイゼとなりたけの二択を迫ってきたくせに、急に誕生日だからと、こんな無茶なことを言ってきたりする。

 

 チラリと横を見る。八幡の顔はこれ以上ないほど歪んで、汗だくで、脚なんかもうガクガクだ。運動不足が受験と大学生活で不健康が極まった八幡は、周りには綺麗には見えないだろう。正直僕が見ても、ぐちゃぐちゃの顔はお世辞にも格好いいとは言えない。

 

 でもそんな彼を見て、僕はやっぱり思うのだ。

 

 八幡は、やっぱり格好いい。

 

 

 

 

 

「さ、流石に疲れたな」

 

「いや、明らかに運動不足だよ、八幡。もうちょっと体動かさないと体に毒だよ」

 

 僕は河原に横たわる八幡に、彼の好きなマックスコーヒーを差し出す。ダンスの後もレース、シューティング、メダルゲームを楽しみ、結局クレーンゲームもやった。どれもとても楽しかった。僕の横にいる八幡は、なぜか男の子たちから睨まれてたけど。

 

「ゲームより楽しいなら喜んで運動するんだけどな」

 

「そういうのはちょっとは運動してから言おうよ……ゴールデンウィークもゲーム漬けだったんでしょ?」

 

「う、いや、まあそうだけど」

 

 八幡は急に言葉を濁す。この様子だとゴールデンウィークは本当に、ゲームしかしていなかったんだろう。呆れるとともに、八幡らしいと少し安心する。

 

 お昼に待ち合わせたときも、ご飯の時も、さっきのゲームセンターでもそうだ。八幡は高校生の時から、少しも変わらない。

 

 彼は僕とは違う。曲がらないし、いつも格好いい。

 

 そんな男の子っぽい彼が、男の子らしく格好つけて生きる彼が、少し妬ましい。

 

『可愛く』ある戸塚彩加は、彼が妬ましい。

 

「八幡は、格好いいよね」

 

 気づけば、いつか言ったようなセリフが口をついて出た。昔はもう少し純粋な気持ちで言えていたと思う。しかし今、僕の言葉から出た言葉は、そうではない。

 

 八幡は呆けたように僕の言葉を咀嚼し、苦笑交じりに言う。

 

「いや、俺ほど格好が悪い人間そうはいねえだろ。格好つけようとしてもつかないって相当やばいぞ。本当のイケメンは格好つけようとしなくても格好いいからな。こないだも――」「そういうことじゃなくて」

 

 大きな声が出た。朝から僕は少しおかしい。女装のせいでセンチメンタルになっているのは、本当だろう。

 

 大切な日。僕の誕生日。それを祝ってくれる格好いい男の子に、僕は僕自身に対する疑問をぶつけずにはいられなかった。

 

「僕、自分のこういう見た目、あんまり好きじゃないから。格好いい八幡がちょっと羨ましいよ」

 

 あはは。つい乾いた笑いが漏れる。

 

 八幡は格好いい。本人は格好つけてるだけだ、なんていうけど、僕から見ればそれだってもう格好いい。格好つけてるって自分を自分で見つめることは、僕にはできないから。僕の僕に対する評価は、いつだって他者の評価だから。

 

 『可愛い戸塚彩加』は、そうやってつくられたから。

 

「そうか」

 

 八幡は僕の唐突な言葉に、驚くわけでもなく応える。

 

「ちなみに、俺は戸塚が大好きだぞ」

 

「は?」

 

 彼は僕の話を本当に聞いていたのだろうか。思わず訝し気な視線を送る僕に、彼はさらに大真面目に続ける。

 

「戸塚は可愛い。それは事実だ。その辺の女子よりはるかに可愛い。言うまでもないことだ。会った時も言ったが、可愛いし優しいし天使だし結婚したい。すべて俺が思っていることだ。嘘はない」

 

「ちょ、ちょっと八幡……」

 

 流石にそこまで言われると恥ずかしい。というか、八幡は本当に僕の性別を理解しているのだろうか。彼の言葉は、その真剣そのものの表情は、とても嘘に見えないのだ。本気で僕を可愛いと思い、本気で僕と、その……け、け、けっこ、ん……したいと思っているように聞こえる。別に僕はいいけど……って、そういうことじゃなくて!そ、そんなことありえないけどね!!

 

 思わず黙り込む僕に、八幡はため息交じりに続ける。

 

「戸塚自身がそんな『可愛い』自分をどう思うか、俺にはわからん。自分で自分の外見が嫌いだというなら、そうなんだろう。俺にはわかりようもないが、そんだけ男離れしてれば、その苦労は俺程度には計り知れないものだろう」

 

 彼は分かっている。僕の苦悩も、その悩みも。それを僕は分かる気がした。彼なら『わかった気になってるだけだ』とでもいうのだろう。

 

 でも、それでも。彼は僕をわかっているのだ。

 

「確かに俺が最初戸塚の外見に驚いたのは事実だし、今でも可愛いと思う。それは本当のことだ。マジ戸塚可愛い。男じゃなかったら今すぐ告ってフラれてる。むしろ男でも今すぐ告ってフラれたい」

 

 あれ?なんか今不穏な言葉が聞こえてきた気がするんだけど。

 

 至って真面目な顔でそんなことを言う八幡は、しかし笑ってこんなことを言う。

 

「でも、それだけじゃねえだろ」

 

 そんなことない。

 

 出てきたのは、否定だった。可愛いだけ。それが僕に与えられた、僕の存在価値だった。誰もがそう言って、僕をその枠に押し込もうとした。僕は可愛いだけの存在であるべきなのだ。

 

 彼はそれを違うと言う。

 

「お前は、戸塚彩加は、一人でいる俺にいつでも話しかけてくれた。俺が悩んでいたらそれとなくその悩みを聞こうとしてくれた。頼み事をすれば嫌な顔一つせず引き受けてくれた」

 

 思わず視線が下を向く。それは、なんとなく八幡を放っておけなかったからだ。別に僕は皆を特別扱いできるわけじゃない。皆が思ってるほど、僕は天使でもなければ、いい人でもない。

 

「別に、それでいいだろ」

 

 でも、彼は言う。

 

「誰にでも優しい人間なんて存在しねえよ。俺がここまで言うのは、お前だからだ。戸塚彩加って人間を少しばかり知った気になって、知りたいと思った。その俺だからこんなことを言える。お前以外の人間なんて、俺は小町以外大体どうでもいい」

 

 なんでもないように、八幡は笑う。

 

 でも、いいのだろうか。皆が求めていたのは優しい僕だ。天使と称される僕だ。性差など感じさせない僕だ。

 

「戸塚は天使だ。それはまがうことない。戸塚は優しくて、綺麗で、優しい。俺は知っている。それに救われたことだって一度や二度じゃない」

 

 つい、顔が下をむく。僕は僕がそこまで言われていいほど立派な人間じゃないと、知っているから。

 

 僕はそんなに立派な人間じゃない。立派で、皆のためにあろうとしただけの、ただの凡人だ。

 

「でも、そんなわけねえんだ。それだけなわけがねえ」

 

 でも、それは彼に、比企谷八幡に否定される

 

「お前は意外と負けず嫌いだ。さっきのゲーセンだって、単純に負けたくないから俺より長く踊ってみせようとしただけだ。自分をいじってくる女子が苦手だ。自覚してないかもしれないが、女子への態度は結構ぞんざいだぞ、お前。自分の見た目にコンプレックスがある。まあ、その見た目ならそれは仕方ねえか。それに……今みたいに結構面倒くせえことを、うだうだと考えてる」

 

 な。八幡は同意を求めるように発し、頬を赤らめ、そっぽを向く

 

「可愛いだけじゃねえ。充分めんどくせえ男だよ、お前は」

 

 僕の友達は、そうやって普通に、友達にするように、僕に笑った。

 

 そして僕は思い出す。

 

 

 八幡は、僕の憧れだった。

 

 

 誰に何を言われても自分を変えなくて、孤独な自分を恥ずかしがってない。人のために動くことを厭わない。そしてそれを何でもないことだと思ってる。八幡は平気な顔で無茶なことをして、それを周りに悟らせないようにしている。

 

 そんな彼を、僕は格好いいと思った。

 

 それに比べて僕はどうだろう。彼に会うまで、僕はこの外見にいつも振り回されて、自分の意思なんて持ってなかった。女の子の前でも男の子の前でも、『戸塚彩加』として可愛く生きてきた。この見た目の僕に求められてるのは、可愛く、控えめで、優しく、真面目。そんなふわふわした幻想だけを周りから求められていたから。

 

 ううん。違う。求められてると、自分で決めつけたから。

 

 でも彼は違う。八幡は可愛いとか結婚してくれとか、口では言う。でも僕は八幡のその言葉が、嫌だったりはしなかった。八幡は一度でも『可愛くない』僕を笑わなかったし、ただの友人として僕を頼ってくれた。

 

 彼はいつでも、僕を一人の男の子としてみてくれた。絶対僕に『可愛くあること』を押し付けなかった。

 

 

 今日だってこんな格好をしてる僕に、彼は何も言わなかった。

 

 

「八幡、今日の僕の格好、どう思う?」

 

 だからこそ、思わず聞いてしまう。なにも思ってないのか、何も感じないのか。

 

「めっちゃ可愛い。今すぐ抱き着きたい付き合いたい結婚してほしい」

 

 試しに聞いてみた問いには、ひどい答えが返ってきた。

 

「でも、戸塚。お前はそれ以前に、俺のめっちゃ少ない友人だ」

 

 あきれるまでもない。彼はこと友人関係に関しては、嘘をつかない。数少ない彼の友人である僕には、それがわかる。

 

「めっちゃって、そんなわざわざ強調しなくても……それにいくら八幡だって、僕の知らないこと、あるよ?」

 

「え、まじか。なんだそれは。まじでなんだ」

 

 ふふ。ばーか。八幡の困惑振りを見て、僕は一生、その想いを教えてやらないことに決める。

 

 初めて、八幡に勝ったような気がしたのだ。

 

 ふっふっふ。

 

「知ってた?八幡。僕意外とお酒も強いんだよ?」

 

「な、何!?ちょろくお持ち帰りされるところまで戸塚たんだったのに……で、でも俺も弱い方じゃない!今度飲み比べでもするか」

 

「ふふ。まだ未成年だよ、僕達は。お酒は新歓の時に飲まされただけ」

 

 しかし、これが藪蛇となる。八幡の目が一瞬にして淀み、光が失われる。

 

「は?誰だお前に酒飲ませた挙句ホテルにお持ち帰りしてあんなことやこんなことをしようとしたバカ野郎は。さっきの奴らか?それなら俺が今すぐに戻って生まれてきたことを後悔させて――」

 

「ちょ、ストップストップ!僕に飲ませた人たちは僕より先に潰れちゃったし、それに僕男の子だから!」

 

 新歓の話だ。断り切れずお酒を飲んだ僕より先に、皆がドロップアウトした。女子たちはそんな男子たちを見て文句を言いながら後片付けをしていたが。やっぱり女子は強いのだ。

 

「……あのな、戸塚。この世には男でも構わん奴、男じゃなきゃダメな奴、戸塚なら男でも関係ない奴の三種類の男が居るんだ。ちなみに俺は当然三番目だ」

 

「いや、この世の男の人みんなそんなんじゃないよ!?僕普通に女の子が好きだし!」

 

 何その地獄の三択。僕は思わず自らの体を抱く。でも。

 

 つい笑みが漏れる。彼となら、そんなのも悪くないかもしれない。

 

「今度八幡の家でどっちが先に潰れるか勝負するのもいいかもね」

 

「いや、だから未成年なんだけど俺ら」

 

 八幡は意外とヘタレで、常識人だ。僕はそんな彼を今は知っている。

 

 だから、今なら言えるのだ。

 

「男同士の秘密だよ?」

 

 人差し指を立て、僕は笑う。八幡はその瞬間、なぜか顔を真っ赤にした。そんな彼を見て、僕は思う。

 

 

 彼も意外と、格好良くはないのかもしれない。

 

 

 




戸塚あああああああああああああああああああああああああああ


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