艦娘と穏やかに死んでいく生き方について (あーふぁ)
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私が必要なのは優しさ

 人類は艦娘と共に深海棲艦と長いあいだ戦争をしていた。

 威勢のいいニュースが続くのに、いつ終わるかもわからない戦争を。

 何もかもが辛い時期に僕の記憶には学生の頃、1度だけ会った銀髪でツインテールの髪型をした戦艦の艦娘が小さくつぶやいた言葉が頭に強く残っている。

 それは僕が今の泊地で仕事をする前、近頃流行になって増えてきた飛び降り自殺を見たあとの気分を直そうと混んでいる喫茶店で同じテーブルになって一緒にまずい代用コーヒーを飲んでいる時に言われた。

 

 そのときは色々と話をしたが、今となってはあまり覚えていない。ひとつの言葉をのぞいては。

 艦娘である彼女は寂しげな顔をして『私はな、"母さん、戦争って何?"と聞いてくる、戦争という言葉を知らない子供を生みたいんだ』と言ったことはこれから先も覚えていると思う。

 テレビや新聞の明るい戦争のニュース、それに反して豊かにならない生活。いつ終わるともわからない、戦争という得体のしれない不気味な空気の中で過ごしていた。

 

 大学を卒業した僕は軍属として日本の泊地で働くことが決まった。喫茶店で艦娘と会って以来、戦争に、戦争をやっている人に興味を持ったため近くで仕事をしたかったから嬉しかった。

 近くにいれば戦争のことがわかるだろうという期待と、もし戦争に負けるなら真っ先に死ねるだろうということを思って。それに、あの悲しそうに話してくれた艦娘みたいな子がいるのなら、近くで支えてあげたいとも。

 泊地での仕事内容は簡単に言うなら雑用だった。掃除や料理、植物や道具の手入れをやるということを。

 

 軍人や艦娘の死。それらを近くで見ながら働き、体を鍛えては24歳になった誕生日の翌日。

 それは6月の梅雨の時期であるのに、とてもよく晴れた日に僕の人生は今までよりも強く艦娘と関わることになった。

 

 ◇

 

 気持ちのいい朝日を浴び、いつものように灰色のツナギを着てから鏡を見て、健康的かと自分の顔を確認する。

 とても平凡な容姿である僕の顔が鏡に映り、女性とすれちがっても振り返られることもない程度の顔立ちだ。

 中肉中背で、首筋までまっすぐ伸ばした黒髪は男にしてはちょっと長い。

 でも、鏡に映る自分がいつも通りの顔だと安心したあとは大きなショルダーバッグを肩にかけてから泊地へと行き、事務室にいる軍人さんから今日は何をすればいいかを聞く。

 頼まれた仕事は艤装のサビ取りだ。今は使わなくなった、色々な艦種の古い装備を手入れして欲しいとのことだ。

 

 僕は泊地の隅っこにある倉庫の中で、整然と積まれた装備に囲まれて鉄の匂いと共に1人静かにパイプ椅子に座って仕事をしていると滅多に会うことのない、50歳を過ぎても野性味あふれる提督が倉庫の入り口へとやってきた。

 シャッターは開けっ放しだったためにノックをされるとか、シャッターを開けられるという過程を得た際にできる心の準備がない僕は、サビ取りをしていた8cm高角砲と道具を置くと慌てて立ち上がり提督のところへと早足で歩いていく。

 

 提督の後ろには1人の少女がいて、その子は話をしたことはないものの時々見かける軽巡の艦娘である五十鈴だった。

 中学生に見える五十鈴の顔はやつれていて、目にはクマができている。白いリボンで結んだ特徴的なツインテールの黒髪には色ツヤが足りず、ぱさぱさとしている。

 大きい胸が目立つノースリーブのセーラー服に美しい白い足が見える赤いミニスカートを履いている。腕にはヒジから手首まである、白いアームカバーを着けている。

 

 一目で体調が悪いのがわかり、だけれど服だけは綺麗なのが変な感じだ。

 ターコイズブルーの色をした瞳は僕を見ていなく、顔をうつむかせて地面を静かに見ていた。

 彼女はさわったら簡単に砕けてしまいそうな気がして、放っておいたら自殺をしてしまいそうと思うほどに暗い雰囲気で、この世に生きる意味なんてないと思っていそうに思えた。

 

 提督は五十鈴に心配そうな表情を向けたあと、僕へと真面目な顔になってから話をしてくる。

 提督の話をまとめると、僕のそばで一緒にいさせてほしいという事だ。本来なら医者に預けるべきだけど、そうしたら治るのに時間がかかる艦娘はさっさと敵に突っ込ませろと軍上層部の直属に転属させられ使い捨てにされるかもしれないらしい。

 

 だから軍人ではない軍属の僕に役目が回ってきた。

 追加された仕事内容は、五十鈴と一緒に普段通りの仕事をやってくれとのことだ。五十鈴は戦闘を続けたために海へ出るのも怖くなるぐらいに疲れているから、気分転換させてやりたいとのこと。

 

 それだけでいいなら大きな負担にはならないし、提督から「今までの仕事ぶりを高く評価すると共に君の普段の姿を見ていれば軍や艦娘を裏切らないだろう」とも言われたからには本来の仕事ではないけど、頼まれたのなら仕方がない。

 あとで少し物資を融通してくれるともいうし。たまには少しだけ豪華なご飯を食べたいから。

 

 なにより彼女、五十鈴を放っておきたくはない。放っておいたら死んでしまいそうな子をなんとかしてあげたい。

 僕が助けてあげる、なんて軽い考えかもしれないない。何ができるわけでもないけど、何かしてあげたかった。そう思ったんだ。

 

「僕は十和田マシュウ。これからよろしく」

 

 提督との話が終わり、せいいっぱいの笑みと共に声をかけるが返事はない。

 一方通行の挨拶が終わると、提督は「気楽にやってくれ。それでは任せたぞ」と言っては心配そうな顔をしながら時折こっちへと振り返りながら帰っていった。

 

 そして僕と五十鈴が残り、唐突なお願いだったためにこれからどうするか悩んでしまうが、下を向きっぱなしの五十鈴に困っている姿を見せるはいかない。

 ひとまずは予定通りの仕事をやりつつ、言われない限りはまわりに置いておくだけでいいかなと思う。

 倉庫の中に置いてあるパイプ椅子を探すと、1mほどの距離を離して僕が座っていた椅子の近くへと置く。

 

「よければ、ここに座ってくれるかな」

 

 そう言うと一瞬だけ僕へ目を向ける、何も言わずに僕の左側へと置いてある椅子へと静かに座る。

 五十鈴が座ったのを見たあと、僕も椅子へと座ると床においてあった8cm高角砲と道具を手に取って作業を再開する。

 錆びている部分にスプレーを吹きかけ、艦娘たちの破れた服を再利用して作ったウエスで拭いていく。そうして全体的にサビを取ったあとはグリスをたっぷりと塗りたくって長期間放置しても問題がないようにやっていく。

 1つ終わると、棚に置いてある別の高角砲と交換して作業を続ける。

 

「喉が渇いた、腹が減ったとか何かあるなら言ってね。休憩にするから」

 

 2つほど作業をしたあとに手を止めて五十鈴へ顔を向けると、五十鈴は小さく頷いた。

 サビ取りの仕事を続けながら時々手を止めては、ぼぅっと倉庫の床を見つめ続けている五十鈴の様子を見る。

 休憩時には持ってきたカバンから甘い缶コーヒーを取り出し、持ってきていた2つのうちの1つを差し出す。

 ゆっくりとした動作でコーヒーを持つ僕の手と僕の顔を交互に見て、動きは止まった。

 

「あげるよ。好きな時に飲んでいいから」

 

 五十鈴は右手でそっと缶の端を持つと、ゆっくりと自分の胸元へと持っていく。

 ずっと見続けられるのは嫌だろうと僕は目を離し、仕事を進めていく。

 倉庫の中は静かで作業する音と自分の呼吸音しか聞こえない。外からはクレーンの荷運びや艦娘たちの砲撃音が小さく聞こえる程度。

 いつもなら静かなのは好きだが、どうにも五十鈴のことが気になってしまう。

 暇すぎて退屈しているだろうか。何か話でもしたほうがいいだろうか。もっと動きのある仕事に付き合わせたほうがいいだろうかと。

 

 そんなことを集中力が途切れながら作業を続けると、ふと缶コーヒーを開ける音が聞こえた。

 あまり顔を動かさず、そっと静かに目だけで見る。五十鈴は両手で缶コーヒーを持ち、ゆっくりと飲んでいた。

 缶コーヒーを口に入れると、一瞬だけ小さな笑みを浮かべた姿がかわいい。

 ずっと静かで僕に興味なんてなく、つまらなそうにしていたけれど、その笑みを見ただけで嬉しくなる。

 

 それからも仕事を続け、昼飯は混雑の時間を過ぎた1時あたりに行くと先に言っておく。すると表情がないのになんだか悲しい雰囲気に感じ、五十鈴を倉庫で待たせては酒保に行き、メロンパンと牛乳を買ってくる。

 受け取った時も表情はないものの、俺が見てないときにメロンパンを食べる時の幸せそうな表情はちらっと見れた時には嬉しくなる。でも、見ているのを見つかったときは睨まれてしまったけれど。

 

 そんなふうに気楽に、でも世話を少しだけしながら仕事をしていると午後1時ちかくになり、昼飯を食べるために食堂へと行く。

 五十鈴は僕の2mほど後ろからついてくる。時々後ろを確認しながら、すれ違う艦娘や軍人に挨拶をしながら来た、1度に100人ちょっとは座れる席がある食堂は人がほとんどいなく、がらんとしていた。

 食堂のカウンターで毎週金曜日には必ず出るカレーを受け取ると、あんみつを食べている艦娘たちと軽い挨拶をしてから窓際にある4人掛けのテーブルへと行く。

 先に窓際の席へと座り、五十鈴が座ってくる。でもそこは予想していた斜め前ではなく、僕の隣。人と距離を取りたいかと思っていたから意外だった。

 つい、じっと五十鈴を見てしまうと、少しだけ僕の顔を見てはカレーに手をつけず待っていた。

 

「じゃあ食べようか」

 

 そう言ってスプーンを手に取り、肉が入っていない具の少ないカレーを食べていく。

 僕が食べ始めると五十鈴も食べ始める。お互い話はなく、昼飯が終わったあとはまた食事へと戻った。

 五十鈴と出会ったこの日は、五十鈴が自身の名前を言う言葉だけを聞いて終わった。

 それから4日間、僕は同じ仕事を続けた。やることも最初の日と変わらず、静かな五十鈴を横にサビ取りを。時々買い物にいっては五十鈴に餌付け。

 この食べ物をあげたときに、こっそり気づかれないようにすれば見ることのできる小さな笑顔が癒しだ。4日間一緒にいて、会話は両手で数えられるぐらいだけれど、あまり気にしないようにすれば悪くはない。世話をしなくちゃ、という僕自身の気分転換にもなる。

 

 そんな日が続き、一緒にいて5日目。今日のサビ取りではなく、掃除の仕事。窓拭きをする。

 ガラスクリーナーのスプレーに綺麗な状態の雑巾を8枚。外側から脚立で届く範囲までのガラスを全部拭くのが作業内容だ。

 昨日までみたいに椅子に座らせられないから、五十鈴には立ちっぱなしになってしまうけれど。疲れたのなら、食堂やどこかで休んでいいとも言った。

 そうして僕が窓拭きの作業を始めて20分ほど。窓拭きをしながら移動する僕の隣でやることを見続けていた五十鈴が声をかけてきた。

 

「それ、私もやってみていい?」

 

 風にまぎれてしまいそうなほどの小さな声が僕の耳へと届く。窓を拭くのをやめ、ゆっくり振り返ると五十鈴が僕のすぐ前に立っている。

 

「窓拭きを?」

 

 わずかに頷く首の動き。

 手伝ってくれることに嬉しさと、気晴らしになってくれればいいと丁寧に教えていく。

 今まで窓拭きの経験はなかったからか、五十鈴は素直に話を聞いてくれる。はじめはうまく綺麗にできなかったけれど、それも段々と続けていくうちに上達していく。綺麗になった窓を見た僕は自然と笑みが出てきて、無意識のうちに五十鈴を褒めていた。

 褒められた五十鈴も無理しない範囲で続けて仕事を手伝ってくれる。

 でも脚立に上るのだけはやめてもらった。なぜなら、スカートの中身が見えて五十鈴にエッチな視線を送ってしまいそうになってしまうから。それで嫌われてしまうことになってはガラスの心の持ち主である僕には辛いものになる。

 

 次の日も窓拭きの仕事をし、五十鈴は1人でできるようになったのでそれぞれ別の窓を拭いていく。

 はじめは隣同士で拭いていたが、建物全部を拭いていく都合上、脚立に上りながらやる僕と上らない五十鈴では作業速度が違ってくる。

 低いところを拭いていき、段々と僕と離れて建物の角をまわって姿が見えなくなる。

 五十鈴は仕事熱心だなと感心しつつ仕事を続けると、ふと視線を感じることがある。その視線を感じた方向へ振り向くと、そこには去っていく瞬間に五十鈴のツインテールが見えた。

 

 それからも同じことは何度かあり、こっちを見て来る理由がどうにもわからない。

 見続けられる理由が悪いとどうにも居心地が悪く、今度はこっちから五十鈴を見てみようかと思う。時々は仕事の進み具合を見ておかないと。

 そう考え、きりのいいところで窓ふきをやめて静かに脚立を下りてはできうる限り静かに歩いて五十鈴のほうへ歩いていく。

 角の手前まで来ると、そぅっと顔を出すとすぐ目の前に五十鈴の顔があった。

 その表情は驚きのあまり、目が見開き、口がぽかんと開けられている。

 

「あー、僕に何か用事があった?」

 

 予想していなかった出会いながら、僕は五十鈴を心配する。でも五十鈴は僕の声を聞いた途端に動き出し、僕の体を元いた方向へと両手で力強く押してくる。

 少し怒ったような、それでいてかわいく見える怒り顔の五十鈴に僕は苦笑しながら押し返されていく。

 

 それはちょっとずつ、五十鈴との距離が近くなっているような気がした。

 出会った頃は静かでうつむいてばかりだったけれど、昨日からは仕事を手伝ってくれるようになったし、今日は本来の五十鈴がわずかばかりでも見ることができて嬉しい。

 仲良くなったと感じてきた2日後の天気は雨だった。段々と夏に近づく6月でも、雨が降れば体が震えるような寒さだ。ストーブで暖かくなった自宅から出ると、体のあちこちにブロックアイスをくっつけられたような寒さを感じる。

 

 しとしとと静かに降ってくる雨の中、紺色の大きな傘を差して普段通りに泊地へと行く。

 今日は窓拭きはできないものの、雨だからこそできることがある。雨漏りの点検に、雨どいにゴミが詰まってないかなどの確認だ。

 正門から入り、事務室へ行くとそこには五十鈴がいた。五十鈴に挨拶をしたあとに今日はさっき考えていた仕事をやると言う。

 事務室を出ると何も言わずに五十鈴が僕のそばへとやってきて、一緒に近くの出入口へと行く。

 

「今日は何をするの?」

「施設の状態確認をする。雨で痛んでいるところがないかをね」

「雨漏りとかそういうの?」

「そう。そういうの」

 

 僕は五十鈴が雨具を持ってないことを見ると傘を渡し、俺はショルダーバッグからカッパを取り出して着ていく。

 ショルダーバッグは近くのロッカーへとしまい、五十鈴を見てから外へ出る。

 ぱらぱらと雨の音がカッパにあたって一定のリズムで音を立ててくる。時々なら、こうやって雨にあたるのもいいものだ。傘よりは体が冷たくなるものの、カッパならではの音がいい。

 雨にあたりながら五十鈴を待つが、カッパにあたる雨音以外に音は増えない。

 不思議に思って後ろへと振り返ると、五十鈴が僕の渡した傘を持って戸惑いの表情を浮かべた。

 

「雨の日の仕事は嫌だったかい?」

「そういうわけじゃないけど……」

「作業はしないから、傘でも問題ないよ」

 

 そういうと五十鈴は僕の着ているカッパと傘を見比べてから、小さなため息をついて外へと出てくる。

 僕は雨の中を歩きだし、五十鈴は僕の後ろをついてくる。

 雨が降る泊地は普段と違う音が響いて、ちょっと違う世界感があって気分がよくなる。

 溶接をするバチバチという音や金属をハンマーで叩く音は雨にまぎれ、外で訓練する軍人も艦娘もいない、雨音しか聞こえてこない静かな世界だ。

 

 そんな世界を歩きながら、建物の雨どいを伝って地面へと水が流れ落ちていくのを眺めていく。人が作業している倉庫、艦娘がいる工廠を見て回り、雨漏りしてないかを聞いていく。

 話を聞きに行くとき、五十鈴は人と会うのが嫌なのか外で傘を差して待ったままだ。

 話を終えた僕が五十鈴のところへ戻り、歩き出す。

 

「……他の艦娘と仲がいいのね」

「ん? あぁ、仕事で話をするからね。さっきも加古の部屋を来週あたりに掃除してくれって言われたし」

「掃除?」

「寮の部屋が汚くて自分で片付けられないときは僕に頼んでくるんだ。洗濯もするし、なんか食べたいって言われたときは下手ながらも作ることが……あー、下着を洗うこともあるけど許可を取っているから」

 

 五十鈴に静かに見つめられると、つい言い訳めいたことを言ってしまう。

 今まで悪くない関係を作れていると思っているだけに、これがきっかけで冷たい目で見られるのは嫌だ。次の言い訳はなんて言おうかと思っていると、後ろから着いてくる音が遠くなる。

 足を止めて振り返ると、五十鈴が地面をじっと見つめている。

 

「どうかした?」

「私より愛想がよくてかわいい子と仲がいいのに、どうして私に優し―――」

「へっくし!」

 

 五十鈴が何か重大なことを言おうとしたが、僕の体はタイミング悪くくしゃみをしてしまう。

 泊地内を歩き回っていたことで温まっていると思っていたけれど、カッパ越しの雨は知らないうちに体を冷やしてしまっている。

 慌てて駆け寄ってきた五十鈴が僕の上に傘を差してくれ、心配そうな顔をしてくれる。

 

「五十鈴、僕は別に優しくなんてしていない。普通にしているだけだ」

「……それじゃあ仕事? 提督にお願いされたから? 仕事だから一緒にいてくれるわけ?」

「そのとおり」

「そうよね。私なんかといても楽しいわけが―――」

「だけど僕はね、五十鈴と一緒に仕事がしたいんだ」

 

 五十鈴の言葉をさえぎり、僕は力強く言葉をかける。

 

「はじめは五十鈴のことをどう扱おうかと悩んでいたけど、一緒にいるうちに妹みたいに思えてきてね。パンを買ってきたときは餌付けみたいで楽しかったし、僕の後ろをついてくるのはカルガモのヒナみたいでかわいいと思ったよ」

 

 言っているうちに段々と不満げな顔になっていく五十鈴だが、無表情ばかりだった頃よりはとてもいい。

 

「からかわれているようにしか聞こえないんだけど?」

「五十鈴といるのは楽しいって言いたいんだ」

「……本当?」

「本当じゃなかったら、気を遣わずに放置していた。一緒にいるのが好きだから仕事も教えたし、世話もした。ひとつ付け足しておくと、五十鈴を預かったからといって本来の給料以上のお金はもらっていないよ」

 

 口をぽかんと開けた五十鈴は僕から目をそらし何かを考えるかと思いきや、恥ずかしそうな顔になるとすぐに僕へと傘を押し付けてくる。

 押し付けられた傘を手に取ると、五十鈴は僕に背を向けては顔を両手で押さえながらしゃがみこんでしまう。

 

「五十鈴?」

 

 傘を五十鈴の上へと差し、しゃがんで恥ずかしがる五十鈴が元に戻るのを待つあいだ、僕は五十鈴のツインテールが水たまりに入ってしまっているのが気になっている。その雨に濡れた髪はポケットに入っているハンカチでは拭いきれなさそうだ。

 そうして1分か、2分ほど経った頃にようやく落ちついた五十鈴が立ち上がる。

 

「待たせたわね。もう大丈夫よ。ほら、行きましょうか」

 

 深い息をついて立ち上がる五十鈴に僕はハンカチを渡す。五十鈴は何も言わずに受け取ると、雨に濡れた髪を拭いていく。

 

「洗って返すわ」

 

 ハンカチを自身のスカートのポケットへとしまうと、僕の手から傘を取っていく。

 五十鈴は僕の顔を見ながら歩き出し、僕もそれについていく。

 今まで後ろについてくるだけだった五十鈴が、僕の横にいて歩くというのは新鮮な気持ちだ。

 

 僕と五十鈴は仕事を再開し、少し時間が経ったところで初めて出会った場所である倉庫へと行く。

 この倉庫は何かと僕が仕事で使うことが多く、私物がちょこちょこと置いてある。

 その荷物を置いてある場所からタオルを取り出して五十鈴に渡し、ストーブを出して火をつける。

 髪を拭きながら五十鈴は2人分の椅子を隣同士にして並べ、カッパを脱いだ僕と傘を置いた五十鈴はストーブの前へと座って一息つく。

 お互い言葉もなくストーブの火に当たっている。

 

「ねぇ……見て欲しいものがあるんだけど」

「なんだい?」

 

 僕が五十鈴へ目を向けると、腕に着けている白いアームカバーを外していく。

 今まで隠れていた素肌が見えていき、五十鈴は両手首を僕へと見せてくる。

 その両手首には何度か切った傷跡が見えた。それは自殺しようとしてできる、自殺未遂の傷跡。本来、艦娘なら小さい傷は治るものだが、なんらかの手段で治らないようにして切ったんだろう。

 

「これ、どう思う?」

 

 真面目な声で聞いてくる五十鈴は僕の目をまっすぐと見つめ、その表情は不安でいっぱいだ。

 僕は五十鈴の目を見つめ返したあと、片方の手首を手に取ると静かに傷跡をさわっていく。

 五十鈴は僕に何か言われるのが怖いのか、怯えた表情で僕の顔と手を交互に見ている。

 

 リストカットをするのは現実逃避と聞いたことがある。死ぬということですべての問題を解決しようということ。または痛みによって一瞬でも辛い考えやストレスから逃げ出せたこと。後者の場合だと、そのために五十鈴の手首には何度も繰り返し切った痕が残っている。

 

 自殺、自殺未遂はいつの時代も自殺した本人を悪く言う。問題に立ち向かわず死ぬことで逃げた。生きる努力を投げ出した。自殺するなら他の人に相談や行動に移せばいいのにと。

 

 そんなことを周りの友達やテレビ、新聞やニュースなどで言う。もしも今が戦争をせずに平和な時代だったら、自分らが弱いと思う人をけなすことはそれほどなかったと思う。

 僕は自殺をするようにまで追い詰められた人の心が心配だ。

 元々人というのは自分を傷つけるのは抵抗があるようになっている。それを押し通して傷をつけ、自殺をして苦しみから解放される。

 

 そんな人たちを、僕は今まで頑張ったと思っている。そうする人たちは恨み辛みを外に出せず自分の中にしまい続けた。それが耐えられずに自傷行為におよんでしまうのはそんなに悪いことだろうか。

 

 悪いと言うのならば、本人ではなく周囲や環境だ。

 五十鈴だって頑張っているのだと思う。艦娘は常日頃、深海棲艦相手に戦争を、殺し合いを続けているのだから。

 だから僕は五十鈴の怪我を気持ち悪いとも情けないとも思わない。

 

「五十鈴は頑張ったんだね」

 

 そう僕は強く思っている。五十鈴の手首についた、刃物の傷跡を見て。

 両方の手首の傷跡を優しく撫でていると、五十鈴の押し殺すような泣き声が聞こえてくる。両の目からは涙が浮かび、こぼれ落ちていく。

 

「頑張ったのよ。私は頑張っているの。でも街に出て、私と会った人たちが言うの。『以前のような生活に戻るために頑張ってくれ』『艦娘だから頑張って当たり前でしょ。もっと頑張りなさい』って。それで頑張り続けても褒めてくれない」

 

 喉の奥から絞るような、いつもとは違う辛そうな声を出している五十鈴。

 その五十鈴は僕の両手首を掴むと、1歩体を近づけて言葉を続けていく。

 

「どれだけ血を流し、怪我をして痛いのを泣きそうになりながら我慢して敵を殺し続けているのにひどい言葉を投げかけてくるの。『そんなに殺すのが楽しいか? 戦争が終わらないのは戦闘を続けたいお前たちがいるからじゃないか』『なぜひどい状態になっても戦い続けるんだ。英雄になりたいのか?』『戦争中毒者よ、俺たちに決して砲を向けるな!!』……そんなこと言葉を私に向けてくるわ」

 

 五十鈴は俺の手首を強く握り、ツナギの服越しに爪が食い込んでくる。

 その痛みに顔をゆがめ、けれど五十鈴から目を離さずに訴えてくる彼女を受け入れる。

 

「私は、私たち艦娘はみんなのために戦っているのに。平和のため、幸せのために! なのにどうして誰もわかってくれないの? 私がいくら言葉を伝えても冷たい顔で見てくるだけ。私は何のために戦っているの? なんで痛い思いをしなきゃいけないの? ……ねぇ、私はどうすればいいの?」

 

 僕に問う言葉を投げかけたあと、うつむき、僕の手首を握っていた手が力なく離れていく。

 

「もう頑張りたくない。もう嫌なの……」

 

 悲しく、寂しげで優しくされずに日々を戦い続けていた五十鈴の姿を見ると、優しくしたい気持ちが出てくる。頑張り続けてきた五十鈴に優しくしてあげたい。今までの頑張りを評価してあげたいと。

 だから僕は五十鈴に近づき、強引に力強く体を抱きしめる。そうしたあとに力を抜いて優しく抱きしめなおす。それと同時に五十鈴の耳元へ僕が心から思ったことを伝えていく。

 

「五十鈴はたくさん頑張った。僕がここに来てから2年ちょっとが経つ。遠くからだけど、訓練をして頑張る姿は見た。それだけじゃない。戦い以外のことも、そう、僕の仕事を手伝ってくれたのだって立派なことだ。五十鈴は頑張っている。それは僕がわかっている。五十鈴は偉い、たくさん頑張った」

「……本当?」

「あぁ、本当だとも。そんな五十鈴が僕は好きだよ」

 

 僕に抱き着かれている五十鈴は僕の背中へと手を回し、力を入れて抱きしめてくる。そして声をあげて泣きはじめた。

 そんな五十鈴の背中を僕は優しく撫で、泣き止むまで続けた。その日は仕事を途中でやめ、五十鈴を寮まで送り届けた。




病んでいる成分はまだ先。


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私に必要なのはそばにいてくれること

 雨が止み、清々しく晴れた翌日の朝。

 いつものように泊地へ行くと正門前に五十鈴が立っていて、微笑みを浮かべながら僕を待っている。

 こんなふうに正門前へ五十鈴がいたのは初めてで、何かあったのかと首を傾げながら五十鈴の前へと行く。

 すると五十鈴は腰に手を当て、胸を張っては力強く言葉を出した。

 

「私は軽巡洋艦の長良型。その2番艦の五十鈴よ」

 

 それは自己紹介だった。五十鈴の名前は知っているが、あの時は提督から聞いた。今のように五十鈴自身からは初めてだ。

 改めての名乗りに僕を同じく自己紹介をすることにした。

 

「十和田マシュウ。泊地に勤める何でも屋だ」

 

 すでに名前は知っているけれど、今回のは意味が違う。五十鈴からの初めての自己紹介に仲良くなれる道ができた気がした。

 お互いに名乗りあうと、僕たちは笑みを浮かべあった。

 

「えっと、マシュウって呼んでいいかしら。なんだか、あなたの苗字は湖の名前だから変な感じがして」

「マシュウも湖だけどね。親が北海道好きなせいで外国人みたいな名前になってしまって」

「でもマシュウって言いやすくていいわ。……ね、これからマシュウって呼んでいいかしら?」

「いいとも、五十鈴」

 

 五十鈴の差し出してきた右手に手を伸ばし、柔らかく小さな手を握ると五十鈴も握り返してくれる。

 今日はいつもと五十鈴と過ごす日。けれど、五十鈴と新しく過ごす日々が始まっていく。

 その新しい日にある始まりの仕事は、まだ拭いていない建物外側にある少しの窓。それが終わると今度は建物内側の窓掃除と窓ばかりな仕事だ。

 2日前にやったのと同じように倉庫へ行って道具を準備するけれど、今回は率先して五十鈴が手伝ってくれる。

 

 それと僕と目が合うたびに、昨日までのように目をそらすことはしなくなった。代わりに目が合うと、ひまわりのような明るい笑みを浮かべてくれる。

 昨日の仕事の時よりはちょっとだけ雑談をするようになったものの、今のところ変化はそれぐらいだ。

 

 僕の仕事を眺め、文句も言わずに窓を拭くという仕事を続けていく。

 休憩の時には僕と五十鈴は地面へと座り、建物の壁へと背を預けて座る。その時に座った僕のすぐ隣、肩がふれそうな距離へと座ってきた。

 

 なんだろう。

 なんかこんな近くに来るとどうにも緊張してしまう。近くで見ると案外かわいい顔をしている。いや、元から素敵だったかもしれないけれど、最初に見た暗い雰囲気が印象に強く残っていたからだろうか。どうにも緊張してしまう。

 五十鈴のツインテールが僕の首筋をくすぐり、どうにも落ち着かない。落ち着かないが、それは決して不快ではなく緊張してしまっているからだ。

 

 あぁ、こんなかわいい子と肩を並べる距離で話をしているなんて。神様、僕の運はもう尽きて死んでしまうのですか?

 すっきりとよく晴れた青空を見上げ、24年間はいい人生だったかなと考えていると五十鈴が僕の太ももを軽く叩いてくる。

 

「ねぇ、ねぇったら」

「ん、あぁ、何か用かい?」

「ううん、なんでもない」

 

 僕が青空から五十鈴へ顔を向けると、満足そうに笑みを浮かべてはそんな不思議なことを言ってくる。でも五十鈴が楽しいなら小さいことは無視していいかとも思った。

 そろそろ仕事をしようかと思って立ち上がろうとすると、五十鈴が慌てて立ち上がってはまだ座っている僕へと手を伸ばしてくる。

 僕はその差し出された手を掴むと、五十鈴の力を借りて立ち上がった。

 

 それから五十鈴は何かと僕の隣にいて、僕の手や体をちょくちょくさわってくるようになってきた。

 そのことが嬉しかった。五十鈴は僕を信頼してくれているのだと感じることができて。

 五十鈴も僕が悩みを受け入れ、理解しようとする姿勢に安心してくれたのだと思う。 

 長いこと1人で仕事をしていた僕は、もう五十鈴といるのが当たり前で、五十鈴がいないと寂しくて仕事がはかどらなくなるなぁなんて思う。

 

 もし五十鈴に愛想を尽かされたら、なんてことを想像することがある。今のところは五十鈴に必要とされているから大丈夫だろうけど。

 必要とされていると感じる例としてあげると、五十鈴が提督に呼ばれていたときに僕が食堂でイケメンな加古とふたりきりで向かい合ってお昼を食べていたことがあった。

 男友達のように気楽に喋れる加古との話は楽しく、他の艦娘たちについてのバカ話や僕が失敗した仕事のことを話していた。

 

 でもなぜか怒っている五十鈴が食堂へやってくると、加古のことを気にもせずに僕の手を引っ張って強引に他のテーブルへと移動させられたことがある。

 加古は苦笑いをして突然のことを許してくれたが、五十鈴は僕の正面へ座ると自分の持ってきた料理を箸やスプーンで食べさせてきた。はじめは恥ずかしいからと遠慮したものの、五十鈴の泣きそうでいて不満な顔を見ると渋々食べさせてもらったけれど。

 他にも艦娘たちと楽しく会話をしてくると急ぎではない仕事をやろうと言っては僕を連れ出したことが何度か。

 僕の姿を見ただけで他の艦娘と話をしているのにすぐに駆け寄って会話に混ざろうともしてきた。

 段々と活発で明るくなってきているのは嬉しいけど、僕のことを気にしすぎだと思う。でもそれは一時的なことなんだろう。優しくされ、受け入れてくれた僕と仲良くしたがるのは。

 そんな五十鈴から積極的な好意を受け、日々を過ごしていく。そうして僕と一緒に仕事をし、元気になってきた五十鈴は提督の指示で僕から離れて訓練をする時間が増えていく。

 

 ある日、五十鈴から訓練を見て欲しいとお願いされた。

 今の僕は泊地を囲むようにして作られている防波堤の先、テトラポッドへ向けて足を投げ出しながら座っている。

 手には提督から渡された望遠鏡を持ち、それを通して他の艦娘たちと海の上で対空、対潜訓練をしているかっこいい五十鈴の姿を眺めている。

 その姿を眺めなら、五十鈴が作ってくれた、形がいびつであまり上手ではない手作りのクッキーを食べていく。

 両手で持つ必要があるほど大きな袋に入れられたクッキーには髪の毛が時々入っている。甘い味のビスケットの他に、ほのかにしょっぱくて変わった味のものがあったりもするが僕はそれを食べていく。

 

 うまく作れなかったとしても、五十鈴が僕のためにと作ってくれたから。

 そのクッキーを食べながらの曇り空の下で、海からの冷たい風にさらされながらも五十鈴のかっこいい姿を見ることはとても新鮮だ。

 今までは艦娘の訓練自体、こうやってじっくりと見ることができなかったけど、仕事扱いで見学させてくれた提督に感謝だ。

 

「五十鈴はかっこいいな」

 

 自然と漏れ出す言葉と共に笑みを浮かべるが、同時にいつも僕の隣にいた五十鈴とは違う姿を見て、どこか遠い存在に感じた。

 1カ月ほど一緒に仕事をしていたから、僕の隣ではなく、他の艦娘と一緒に海で訓練しているのを見ていると寂しく感じる。

 でもそれはいいことだと思うようにする。海へ出るのも怖がっていた五十鈴が、今は艦娘として必要とされているんだから。

 もし艦娘として戦闘能力に期待できないままだと、五十鈴の処分はどうなるか考えると身震いしてしまう。

 五十鈴が元気になるほど、どこか遠くに行ってしまうような感覚になりながら訓練風景を眺めていく。

 

 ―――少しして訓練が終わったらしく、五十鈴は僕へと向かって晴れやかな顔をしては元気に両手をぶんぶんと振っている。

 その姿を見て僕は双眼鏡を脇へと置き、五十鈴へ向けて軽く手を振る。すると五十鈴は近くにいた艦娘へ手に持っていた武器を渡すと、僕の方へ向かって近づいてくる。

 艤装を着けている五十鈴は速く、段々と僕に向かって勢いよく近づいてくる。僕がいる防波堤のところまで近づきつつも速度をまったく落とさず、むしろ上げているような。

 

 危ないと思っているあいだに五十鈴はすぐ目の前にあるテトラポッドまで来ていて、勢いよくテトラポッドを駆け上がると僕へと向かってジャンプしてきた。

 慌てて手を伸ばして受け止めようとしたが、あまりの勢いに受け止めきれずに押し倒されるような形で倒れてしまう。

 僕は勢いよく押し倒されてしまったものの、五十鈴によって頭を抱きかかえられるような姿勢で頭を打たずに助かった。

 その結果、五十鈴の大きい胸に顔が包まれてしまっている状況だ。

 ブラや服越しでもわかる大きな2つの胸。それらは普段押し付けられているのとは違い、顔で感じる柔らかさは言葉に言い表せないもの。

 胸によって口が圧迫され呼吸はできないものの、五十鈴の体温や匂いが僕の頭へと強く感じる。

 

「マシュウ! 見てくれた!? まだちょっとだけ怖いけど、それでも撃てるようになったのよ! 砲も魚雷も機銃も、爆雷だって投げられるんだから!!」

 

 耳元で言われ、あまりの大声に耳は痛くなるものの、五十鈴が喜んでいるのは僕に取っても嬉しい。

 だけれど、抱き着かれたままなのは苦しい。あまりの息苦しさに五十鈴の背中を軽く、次第に強く叩いていくとようやく解放された。

 

「あ、ごめん!」

 

 僕を抱きしめていた五十鈴は。僕の腹の上に乗る体勢へ変えながら見下ろす姿勢になってくれた。 僕は荒くなった呼吸を整え、五十鈴の申し訳なさそうな顔へと笑みを向ける。

 

「訓練、しっかりと見てたよ。いつも隣にいた五十鈴じゃないみたいだった。……少し遠くの存在に感じたな」

「何を言っているのよ。私はあなたのそばにいる、いつもの五十鈴よ。私はいつだってあなたのそばにいるわ。いなきゃいけないの。あなたがいるからこそ、私は今こうやって生きていけているもの!」

 

 焦って早口で言う五十鈴がかわいく見え、遠くに感じていた五十鈴がまた近くにやってきた気がする。

 そんな五十鈴にこれからも仲良くして欲しいと思った僕は手を差し出すと、五十鈴はその手をじっと見つめてから両手で力強く握りしめてくれた。

 

「僕が五十鈴にいい影響を与えられたのなら、嬉しいことだね」

「そのあなたに影響を受けた私が訓練している姿を見てどう思った?」

「……綺麗だった」

 

 興奮して笑みを浮かべる五十鈴へ静かな声で言うと、五十鈴は顔をそむけて静かになる。

 小さな笑みを浮かべている姿は恥ずかしがっているようだ。

 そんなかわいい五十鈴を見ていたが、五十鈴はふと何かを思い出したかのように僕の周囲を見渡すと、近くに置いてあるクッキーが入った袋へと手を伸ばす。

 その中からひとつを取り出し、強引に僕の口へと突っ込んでくる。

 

「ありがとう、マシュウ。私の全部を包み込んでくれるような、そんな優しさを持つあなたが好きよ」

 

 僕は何も言えなかった。口にクッキーが入っていたこともあるが、この告白に呆然としてしまう。

 それが恋愛感情、または友人としてなのか。

 突然のことに動けないでいると、五十鈴は僕の頬を優しく一撫でしてから来たときと同じように勢いよく去っていく。

 訓練をしていた場所まで海の上を移動していく五十鈴の後ろ姿を見送ることしか僕はできなかった。

 ようやく頭が働くようになって、五十鈴を含んだ艦娘たちが泊地へと帰ろうとしているときに。

 それから今日1日はあまり効率的に仕事ができなかった。

 それは、ふとした瞬間に五十鈴の言葉を考えてしまうから。でも仕事が終わるときに見送りに来てくれた五十鈴が普段と変わりないことを見て、あれは友人的な親愛の情という意味だと理解して安心した。

 

 そう、安心だ。

 もし恋愛的意味だったら、それは弱っていた五十鈴が優しくされたことによって勘違いをしたと思うから。

 僕へ依存もしていないようだし、きちんと自立して日々を生活しているのは嬉しいことだ。

 その次の日には昨日言っていた『好き』という言葉はなかったかのように静かな日々が続いた。

 僕の仕事を手伝い、時には訓練を。そして段々と訓練へ比重が増えていく。

 7月を過ぎた頃になると、提督によって戦闘が可能と判断された五十鈴は哨戒任務をすることに決まった。

 僕と一緒に仕事をするようになってから初めての出撃だ。

 日が昇る前から準備を始めた五十鈴は出撃する直前まで僕の手を握り、不安そうな顔をしていた。

 

 そんな五十鈴を見て、僕はつい頭を撫でてしまう。優しく、何度も撫でたことに五十鈴は驚いたものの、そのまま僕を受け入れて撫でられ続けてくれた。

 そうして短い時間だったけれど五十鈴と同僚の艦娘たちが海へ行くのを合図とし、僕たちはお互いに不安を抑え、五十鈴は僕から手を離して行った。

 5人の艦娘たちと一緒に青い海の向こう側へと。

 海の上に出た五十鈴は僕を振り返ることなく行った。でもその背中には不安は感じず、生きて帰ってくるだろうという信頼が僕にはあった。

 まぶしい朝日の光に照らされ、輝くように見える五十鈴の後ろ姿が米粒ぐらいの大きさになるほどまで見送り、深呼吸して少し悲しい気分を変えてから僕は仕事に戻る。

 朝が早かったため、少し仮眠を取ってから僕は仕事を始めた。

 

 今日の仕事は泊地内にある木々の剪定作業だ。

 剪定用のハサミ、ノコギリ、薬、竹ぼうきに剪定した枝を入れる大きな収納袋。

 それらを猫車に積んで歩き回っては1本1本時間をかけて剪定をしていく。色々な種類の木をやり、今は脚立に上ってリンゴの木をやっている。

 リンゴの木は誰かの趣味だったのか3本ほど植えてある。

 以前に木々を管理していた人に教えてもらって薬を使っていたから、病気にかかりやすいリンゴは健康的だ。リンゴの葉っぱによくある赤いトゲトゲが生える赤星病は発生していなく、綺麗な葉っぱのままで安心している。

 そんな午後の時間に提督がやってきた。

 脚立を降りた僕の前に提督がやってきて、その隣には今まで見たことがない子がいて、小学生のような小さい体をした女の子だった。

 その子は腰あたりまである、少し癖っ毛な黒髪で黄色の目をしていた。服装は黒のセーラー服とスカートに白いネクタイ。右の胸元には三日月の形をしたアクセサリー。

 僕より頭ふたつぐらい背が小さい彼女はまっすぐに僕の顔を見上げてくる。

 その遠くを見通すような、彼女の見つめられた目から動けないでいると提督が声をかけてきた。

 

「その子は4日前に来た三日月という名前の子でね。たくさんの人と一緒にいるのが怖いらしく、君が預かってくれると嬉しいんだが。もしそうしてくれると給料を増やすことができる」

「今は五十鈴を預かっていますが……」

「五十鈴はまだ本調子ではないが、少しずつ元に戻れている。もう少し時間が経てば、以前のようになってくれるだろう。君には感謝している」

「いえ、五十鈴と過ごすのは中々に楽しいです」

 

 もうすぐ五十鈴が軍務に戻ると言われると、五十鈴が離れていくのは寂しく思う。今すぐではないと言うから、その間に心の整理をつけておかないといけない。

 

「五十鈴も君のことを嬉しそうに語っていた。さて、この子は駆逐の艦娘である三日月だ。三日月、今日からこのマシュウ君と一緒にいなさい。マシュウ君の仕事は軍属で仕事は雑用全般だから危険はない」

 

 それはどういう意味の危険なんだろうか。男として襲わないという意味か、戦場に出ないからの安心か。

 意味を考えていると、三日月と呼ばれた子は僕の前へやってきて、下から僕の顔を不安そうに見上げてくる。

 その表情を見ていると、守ってあげたいような雰囲気を感じた。

 

「おにいさんは三日月に……優しくしてくれますか?」

 

 ……かわいい。

 今までこんな小さくて女の子らしく、かわいい艦娘と話す機会がなかったから新鮮で大事にしてあげたい気持ちが沸き上がってくる。

 そう、おおざっぱな加古の奴と違ってガラスのような繊細さを感じる。そんな三日月を、僕は五十鈴と同じように優しくしてあげたい。

 

「君が僕に望んでいる優しさをかなえられるよう努力する。もしそうでなかったら、苦情を言ってくれると嬉しい」

 

 初めて五十鈴と出会った時のように、僕は三日月へ笑みを向ける。

 すると三日月は僕にもう1歩近づくと服の袖を握ってきた。それが意味するのはなんだろう。三日月の気持ちはわからないけれど、たぶん初対面でのイメージは悪くないと思う。

 僕と三日月の挨拶を見た提督は、満足そうにうなずいては去っていく。

 

 ……あとで誰かを経由して提督に文句を言っておこう。放っておくと、また艦娘が預けられるかもしれない。

 僕は医療系の資格は持っていない雑用なのに、なんで失敗したら責任が重そうな仕事を預けてくるんだろうか。ほかにもっと適任がいるんじゃないかと思う。

 そんな提督に対する不満は後回しにし、今は三日月のことだ。

 

「僕はこのまま仕事を続けるけど、君はどうしたい?」

「あなたの、マシュウさんの仕事を手伝っていいですか?」

 

 提督からは何をやればいいと言われていないから、どう扱えばいいか困る。五十鈴とは違い、彼女の状況説明がないのはなんでなんだろう。もしかしたら特別気にしなくてもいいということかもしれない。

 他に気になった点といえば、僕の仕事について強調していたぐらい。

 

「それじゃあお願いしようかな。僕がリンゴの枝を切っていくから、その枝を袋に……あぁ、ごめん。手袋がなかったね」

「いえ、大丈夫です」 

 

 地面に置いてある袋を指差して言うも、準備が足りていないことに気づく。

 でも大丈夫だと言った三日月は僕がすでに切って地面に落ちている枝を素手で拾っていく。そんな姿を見ると手を怪我しないだろうかと気になって仕方がない。

 

 だけど子供用の手袋なんて用意していない。だからといって、このまま枝拾いをさせたくはない。

 そうなると他の仕事をやってもらうことにしよう。

 新しい仕事は枝と切った面に薬を塗ってもらうことだ。身長が低いからやりづらいだろうけど、怪我するかもしれない三日月を見ているよりはずっといい。

 僕は急いで猫車に駆け寄ると、そこから作った薬が入っているボトルとハケを手に取る。

 

「三日月……、あー、三日月って呼んでいいかい?」

 

 僕の呼びかけに枝を拾う手を止めた三日月は、拾った枝を袋へ入れると僕の前へと小走りでやってくる。

 

「はい、マシュウさんの好きなように呼んでください」

「じゃあ三日月。この薬を塗ってくれないかな。手が届くところだけでいいから」

 

 手渡そうとするも、三日月は不安な表情で僕の袖を弱々しく掴んでくる。

 

「……三日月は何か失敗しましたか? 間違っているところがあったら言ってください。すぐに直します。だから私を捨てないでください」

 

 その懸命で不安と絶望を見ているかのような目が僕は悲しかった。

 それは以前いた場所で捨てられるか、1人で生きてきたんだと思えて。

 

「そういうのじゃないんだ。枝拾いよりも先に薬のほうがいいって気づいてね。リンゴの木は病気に弱いから、枝を切ったら切れ目をすっかり覆うように薬を塗っていく必要があるんだよ」

 

 ボトルを開けて中に入っている、僕が薬と墨汁、木工ボンドを混ぜて作った黒い粘り気のある薬を見せる。すると三日月は僕からボトルとハケを受け取ってくれた。

 受け取ってくれたことに安心し、僕は三日月でも薬を塗るのに届く枝のところへと行くと手招きして三日月を呼ぶ。近くに来てくれた三日月へと僕はすでに切られてある枝を掴み、その切断面を見せる。

 

「手に持っているハケをボトルに突っ込んでから、ここに隙間なく塗っていく。はじめのうちは垂れてもいい。やっているうちに適量を覚えていってくれ。でもその前にこの黒い薬は服に着くと落とすのが大変だから着替え―――」

「大丈夫です。知っているかもしれませんが、艦娘の服は染み込んだ血が時間経って乾いた状態からでも元通りシミのない状態にできます。この着ている服は何度も血に濡れましたが、綺麗な黒色のままです」

 

 僕を心配させないためか、小さな笑みを浮かべる三日月。その怪我をして当たり前という意識が僕は悲しく思えてしまう。

 五十鈴は怪我をするのが嫌がっていたが、この子は自分自身の価値を低く見ているか、怪我をするのが当たり前だと思っている。だからといって、争が好きな、戦争中毒ではないと思う。もしそうなら、その言葉を言うときに悲しそうな笑みを浮かべないから。

 

 ついさっきは見捨てられるのを嫌がっていた。そんな言葉も素振りもしていないのに。でも三日月は仕事を変えただけで怖がっていた。

 この子も五十鈴みたいに辛い目に遭ったんだろうかと想像してしまう。

 ただ、それがどんなのかまではわからない。

 

「三日月が大丈夫なら、そのままでいいか」

「はい」

 

 僕は今の言葉を特に気にしたふうでもなく、受け流していく。

 今まで艦娘が戦争を最前線でしている、というのはこの場所で仕事をしてから多くを見てきた。

 血を流しているのも、誰かが死んだのも。だけれど自分で見たとの違い、艦娘本人からの言葉は僕の精神を圧迫するかのようだ。

 仲のいい艦娘である加古。彼女とはよく話をし、一緒に外出して遊んだこともあった。

 でもそんな辛いことは滅多に聞くことがない。加古は男よりかっこいいイケメンで、寝るのが何よりも大好きな女の子という印象が強い。

 

 加古を含め、艦娘たちは五十鈴や三日月のように辛い気持ちを持っているんだろうか?

 僕はそう考え、考え続けてしまいそうになるのを自分の頭を手で叩いて思考を変える。けれど、暗くなってしまった気分のままでしばらく仕事を続けることになってしまった。

 仕事の時間中、海を何度も見ては早く帰ってこないかと心配していた。怪我をしていないだろうか、という不安を紛らわしたくなったことも関係していると思う。

 

 それまで一緒にいた五十鈴がいないのは、こんなにも寂しいものかと悲しくなった。

 でも三日月と一緒にいるようになった僕は、前向きで勉強熱心な三日月に好意を持ち始めた。

 五十鈴の代わりとして扱ってしまっているが、小さい体でちょこちょこと動きながら仕事をするのはかわいらしく、食堂で三日月が小さな口で時間をかけて食べていく姿は小動物みたいでとてもかわいいものだ。

 

 三日月のことを何度もかわいいと思えるのは、妹みたいに感じているからだろうか。女性的魅力というよりも、大事にしてあげたいなぁという気持ち。もしかしたら父性なのかもしれない。

 僕と三日月の間には会話が少ないものの、僕と一緒にいる三日月は元気な少女そのものだった。

 でもそんな日の4日目、正門にいた三日月は僕の姿を見つけると走ってきては勢いよく抱き着いてきた。腰に回してくる腕の力は強くて痛いが、今までとは違って暗い雰囲気なのがとても心配になる。

 

「どうしたんだい?」

「……怖い夢を見たんです」

 

 僕は三日月に優しく言葉をかけたあと、続きの言葉を待っていたが何も言わずに抱き着いたままだ。剪定の仕事は急ぎではないわけだから、今日は倉庫で静かにサビ取りをやることにしよう。

 僕は腰に抱き着いてきたままの三日月を連れ、事務の人にサビ取りの仕事をやると言い、前に五十鈴と一緒に仕事をしていた倉庫へ行く。

 その倉庫に来ると落ち着きを取り戻して僕を離してくれた三日月と一緒に仕事をし、今日1日が終わっていく。

 明日は明るい三日月と仕事がしたいなと思う。

 

 でも今日はそれで終わりじゃなかった。

 僕が帰ろうとする間際に行った発言が大きな驚きを持った。

 

「マシュウさん、今日は私と一緒に寝てくれませんか?」

 

 寂しげな瞳と共に、僕に抱き着きながら上目遣いで見てきては、そんなことを言った。

 一瞬だけ夜の誘いかと思ってしまったが、そんなわけがない。そんな好かれるほど自分に自信を持っていないし、見た目がいいわけでもない。

 僕は頭を2度ほど強く振って、性的欲求を頭から追い出す。

 

「1人で寝るのは不安かい?」

「はい。どうか今日だけは一緒にいさせてください。あなたと一緒にいる許可は今から取ってきます。提督をなんとかしてでもです!」

 

 焦ったように早口で言った三日月は僕から離れると、走って倉庫から勢いよく出ていった。

 そもそも提督から許可をもらうまえに、僕は一緒に寝るとは言っていない。でもあんな寂しい様子を見てしまっては断ることなんてできない。

 一緒に寝ると言っても同じベッド、または布団で寝るわけじゃないだろう。三日月は背丈が小さくても1人の女性だ。男を自分の部屋に入れることの危険性はわかるはずだ。……いや、そもそも艦娘は大人の男相手でも簡単に倒せるから危険でもない?

 過去現在に、艦娘が人相手に危険な目に遭うことがあったかと考えたが、テレビや新聞でも艦娘に対する犯罪は見ることがない。

 でも一般人の常識として寝る場所は別々にしよう。

 三日月がここへと戻ってきたら、家のどこかにある寝袋を探してこないといけない。

 

 ……まぁ、一緒に一晩を過ごす許可なんて与えられない気もするけど。

 そう思っていたのに、短い時間で帰ってきた三日月は許可を得られたと嬉しそうに言ってきた。それは三日月が言っていたとおり、僕が三日月の部屋で1晩を過ごすということだ。

 家でする準備は何かと考え、用意するのは歯ブラシと着替えだ。寝る準備はしなくてもいいと言われたから、寝袋を持っていくことはしない。

 本当は家で先にシャワーを浴びようとしていたが三日月がダメと言ってきた。

 理由は、まだ夏本番ではないものの、7月ともなれば体を動かさなくても汗を出す。自分のために我慢を強いるのは辛いとそんなことを言われたからだ。

 だから、艦娘の寮にある三日月の部屋でシャワーを浴びることになってしまった。三日月が1人で暮らしている部屋でだ。

 理性が保てるか不安な僕に対し、広さは1Kだけれどもトイレとシャワーがある普通の部屋だから安心してと言ってくれた。

 

 違うんだよ、三日月さん。問題はそれじゃないんだ。

 羞恥心が少ないのか、男として見られていないのか。僕はどちらか聞くこともできず、予定は決まっていく。

 一緒に食堂でご飯を食べて部屋で話をし、一緒に寝るということが。1晩ぐらいなら変なことはしないかと前向きに考えた。

 いったん家に帰った僕が汗をかいたツナギからジーンズとTシャツに着替え、荷物を持ってまた泊地へと行く。



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私はあなたに必要とされたい

 正門で出迎えてくれた三日月と合流し、食事の時間までは一緒に泊地内を散歩する。そうして歩いてお腹を空かしたあとは食堂へと行く。

 夕方という、普段いたことのない時間での食堂風景は新鮮に見える。

 食堂にある、それぞれのテーブル席いっぱいに制服を着た艦娘たちと少数の軍人たちがそれぞれ食事をしていた。

 

 カウンターで三日月と一緒に料理を注文して受け取ると、どこかに空いた席はないかと見渡す。

 するとちょうど2人が座れる場所があった。その4人掛けのテーブルには僕と仲のいい加古と、それなりに会話をしたことがある古鷹がそれぞれ向かい合って食事をしていた。

 僕が加古を見ていると、その視線に気づいて振り向いた加古は僕たちへと手招きをする。

 僕はその好意に感謝しつつ、三日月と一緒に行く。

 

 だけど後ろについてくる気配がなく、足を止めて振り返ると三日月は無表情になっていて加古のことを見ていた。なにか2人の間に問題があったかと思って加古を見るが、加古は首を傾げて不思議そうに僕を見返してくる。

 

「どうかした?」

「いえ、何も問題ありません」

 

 心配した僕はそう問いかけるも、強張った顔は問題ないようには見えない。

 不安に思った僕は、他の席が空くまではじっこにいて待とうとも考えたが、三日月はそんな僕を見たあとに歩いて加古たちのところへ行く。

 僕の気にしすぎかなと三日月を心配しすぎたことに反省をし、あとをついていく。

 

 三日月はテーブルの前へやってくると立ち止まっては加古をじっと見つめている。見つめられた加古はゆるんだ笑みを浮かべていたが、次第に真面目な顔つきになっていく。

 2人の間に何が起きているかがわからない。他のテーブルでは楽しく食事をしているのに、ここだけ緊張感がただよってしまっている。

 

 古鷹はどうしていいかわからなくて困り、僕は空気を気にしないことにして加古の隣へと座る。その途端、三日月はすぐに僕の正面へと座ってきた。

 三日月は仏頂面をしているけれど、それは今まで相席で食べることがなかったから対応に困っているかもしれない。

 怒っていないようなので、三日月を気にしつつも僕と加古、古鷹の3人で話をしていく。

 話の内容は雑談で、時々三日月にも話しかけるが話に混ざってくれない。加古と古鷹なら、摩耶や霞のように怒ったりしないから大丈夫と思ったけれど見知らぬ人と急に話すのが苦手かもしれない。

 

 僕と初めて会ったときは多少話ができていたために、大丈夫と思っていたけどあまり三日月のことを考えていなかったことに反省する。

 三日月は静かにご飯を食べながら、僕と加古をよく見てきている。特に加古が僕に対して肩を叩いてくることや、よく体をさわってきたことに対しては目つきが鋭くなる。

 食事が終わって席を立ったあとは、僕の袖を掴んでくる三日月と一緒に三日月の住む艦娘寮の部屋へと行く。

 

 途中、すれ違う艦娘が不思議そうに、または警戒した目で見てくるがそのたびに三日月が許可は得ていると力強く言ってくれたのは助かった。

 部屋の前に来ると三日月はポケットから鍵を出して扉を開け、中に入って明かりをつける。

 

「ようこそ、私の部屋へ」

 

 三日月が僕へと振り返り、笑顔を向けてくれる。

 

「歓迎の言葉をありがとう」

 

 そう言って僕は笑みを返して三日月に続き、部屋へ入っていく。

 部屋の中はほのかに女性の香りがして、でもここは寝て起きるだけの場所だった。

 フローリングの床の上には服をかけるハンガーやしまうケースとベッドしか見当たらない。ここに来て今日で8日目だからかもしれないが、それにしても生活感がない。

 俺は部屋にあった壁掛け時計を見て、まだ午後7時あたりなのを確認する。

 

 ……これから寝るまでのあいだ、何をやればいいんだろう。

 三日月が部屋の窓を開けて網戸にし、夜風を入れている時に僕は部屋の隅へと持ってきたバッグを置く。

 

「さて、何をしようか?」

「まずは歯磨きをしましょう」

 

 そう声をかけると、どことなくウキウキとした雰囲気で返事をする三日月。

 僕はバッグから用意していた歯ブラシとコップを取り出すと、歩いていく三日月の後ろについていく。

 そして廊下沿いにある台所の隣、風呂場へと続く小部屋でふたり並んで仲良く洗面台の前歯磨きを。歯磨き粉は忘れてしまったので、三日月が使っているのを分けてもらった。

 隣り合って歯磨きをしていると、妹がいたらこんな感じなんだろうなと思ってしまう。娘みたいな感覚かもしれないけど、独身で24年しか生きていない僕には娘というものがどうにもわからない。

 

 三日月は僕にとってどういう存在なんだろと考えながらした歯磨きのあとはシャワーだと言われた。

 そう、シャワーである。

 女性の部屋でシャワーを浴びるのは中々に心臓がドキドキする。別にやましいことをするつもりではないけど。

 僕は着替えをバッグから出すと風呂場前の小部屋で着替え、浴室に入った。

 そこに置いてある三日月が使っているシャンプーやボディソープを使うけれど、三日月が普段から使っているものを使うというのは変な気持ちになる。同棲や家族関係なら、こういうのもあるだろうけれど。今の僕にすれば、三日月と同じ匂いになるのはなんといえばいいか、言葉にできないぐらいのむずがゆさがある。

 

 かといって使う使わないで考え過ぎて風邪を引いてしまうかもしれないので、さっとシャワーを浴びて終わりにする。

 シャワーを終えたあとは長袖長ズボンの灰色のパジャマへ着替え、三日月に渡されたドライヤーを使って髪を乾かしてから三日月が待っている部屋へと行く。

 その時の三日月の顔は興味深いものだった。普段は無表情が多いけれど、この時ばかりは目をきらきらと輝かせながら僕の周りをぐるぐると回る。そして僕に体を近づかせては匂いを嗅いでいくという謎の行動まで。

 

「くさかったか?」

「いえ、違うんです。普段私が使っている物の匂いがマシュウさんからするのは、私が1人ぼっちじゃないというか、ええと、慣れている匂いなのは嬉しいなぁって」

 

 天使のように柔らかな笑みを浮かべる三日月を見た俺は、一瞬だけ呼吸が止まり、あまりのかわいさに抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。

 だが、それを理性で頑張って抑える。

 同意もなしに抱きしめてしまうのはとてもよろしくない。でもこのまま天使の三日月を見ていると、理性が消耗していくので早くシャワーを浴びてもらわないと。

 

「三日月もシャワーを浴びてきたらどうだ?」

「そうですね、浴びてきます。部屋の中には遊ぶ物は何もありませんが、私の服や下着を見て自由にしてくださいね」

 

 フローリングの床へと座った俺はいたずらっぽく言われると、三日月が衣装ケースから着替えを出しているのをじっと見てしまう。

 途中、ふと正気に戻った僕は顔を横へ向けて下着を見ないようにし、三日月が風呂場へ行くまで目をそらし続けた。

 三日月がシャワーを浴び始める音を聞くとようやく自由になれる。

 安心のため息をつくけれど、三日月のシャワーを浴びていく音を聞いていると胸が高鳴ってきてしまう。

 なんというか、音だけなのにエロさを感じてしまうというか……。いや、音だからこそ妄想をしてしまうからだろう。

 

 そんな妄想する気分を紛らわそうにも部屋には三日月の下着ぐらいしか見るものがない。だからといって見ることはしないけど。

 さっき歯磨きをしたあとだけれど時間を潰すために食べ物でも買ってこよう。このあと話をするにしても、何もないのは少し寂しい。

 出かける前に書置きを残そうと思うも、この部屋には紙がない。シャワーを浴びている三日月に声をかけるのもやめておく。

 声をかけて変態と思われたら、僕は五十鈴に優しくしてもらうまでは立ち直れなくなりそうだ。

 部屋を出て、売店で買ったのはポテチを2袋。酒や干物なんかを買おうと思ったけれど、男友達と会う感覚で買っていくのは失望されそうだからやめておいた。

 

 レジ袋に入れず、直接ポテチを持ったまま三日月の部屋へと戻ってくると、ノックをする。

 2度目のノックで小さくドアが開き、三日月と目が会った途端にドアが開かれ、僕は胸元を掴まれて勢いよく部屋へと連れ込まれる。

 ドアの閉まる音を聞き、いったい何が起きた!? と混乱しているあいだに床へと押さえつけられた僕の腹の上に三日月が乗っかってくる。

 三日月は長袖長ズボンの明るい緑色をしたパジャマを着ていた。シャワー上がりだから髪はしっとりと濡れていて、体からはいい匂いがした。

 

「……私を1人にして、どこに行っていたんですか」

 

 僕を押し倒した三日月は、僕の知っている三日月ではなかった。

 氷のように冷たい目と冷たい声。それは僕を見ていながら僕を見ていない。

 普段からよく見ている無表情な顔だけれど、今はそれが怖い。自然と冷や汗が出てくるほどに。

 

「ええと、買い物に」

「何をですか」

「これから三日月と話をするだろう? それならお菓子が必要かと思って」

 

 僕は玄関に散らばっているポテチの袋を指差し、三日月はそっちへとゆっくり顔を向ける。そのポテチを見たあと、今にも人を殺しそうな表情は柔らかくなり、いつもの三日月に戻ってくれた。

 

「買い物に行くなら言ってください」

「シャワーを浴びている時に言うのも失礼だと思って。書置きを残そうにも紙が見当たらなかったんだ」

「それなら上がってくるまで待っててくれればよかったんです……」

 

 三日月のシャワーを浴びる音でドキドキして落ち着かなかったから出かけたんだ! と正直に言えたら楽になれるけれど、そう言ったらさっきのような冷たい目で見られそうだ。

 三日月は寂しげな目をしながら僕の上からゆっくり離れると、僕は安心のため息をついて立ち上がる。

 

「そのパジャマ、似合っているね」

 

 ポテチの袋を回収している三日月に言うと、はにかみながら照れた。

 その姿はかわいく、心が冷えていたのが急速に癒されていく。

 落ち着いた僕たちはベッドがある部屋へと移動し、2人同時にベッドへ背を預ける。僕と三日月は少し距離を開けては横に隣り合い、ポテチを食べつつ話をしていく。

 

 でも話すのは僕ばかり。ここで働くことになった理由や仲のいい艦娘はどれくらいいるか。最近、仲がいい五十鈴と以前から仲のいい加古の話。

 その五十鈴と加古の話題になると、三日月が色々なことをたくさん聞いてくる。どういう関係か、仲良くなった理由は、どれくらいの時間会っているかを。

 仲良くなった理由については僕自身の恥ずかしいところや個人の大事な話にもつながるので言わなかったけれど。人間関係以外の話は最近の戦況や物資の配給具合。僕が誰かを救えるようになりたいという目標を。

 

 それらをたくさん喋り、時には会話をしない静かな時間。途中、三日月が淹れてくれた紅茶を飲みつつ楽しく話をしていった。

 喋り疲れ、ぼぅっとしていると三日月が声をかけてくる。

 

「あの、少し早いですけど寝ましょうか?」

「あー、たまには早く寝てもいいかな。いつもは日をまたいでから寝ているからね。それじゃあ毛布と枕を貸して欲しいんだけど」

 

 と、そう言って立ち上がるが座ったままの三日月は不思議そうな顔をする。

 ……嫌な予感がする。このままだと、僕の精神に大きなダメージを与えそうな展開が来てしまいそうだ。

 深呼吸し、精神を落ち着けてから部屋を見渡すがすっきりとした部屋を何度見回しても寝具は三日月のベッド以外に何も見当たらない。クローゼットに何かあるかもしれないが、勝手に開けるのはまずいだろう。

 

「三日月さん、僕の寝るところはどこでしょうか?」

「今までベッドにもたれかかっていたじゃないですか。そこで一緒に寝るんですよ?」

 

 緊張と不安のために、つい敬語で喋りかけてしまうが三日月は気にした様子も見せずにベッドをぽんぽんと軽く叩く。

 そこにあるベッドはシングルサイズで、僕と三日月が一緒に寝るにはくっついて寝ないといかない。

 

 いや、ただ寝るだけなんだから問題はない。そう、妹と一緒に寝るようなものだ。……そもそも実際の兄と妹は一緒に寝ることがあるのだろうかという疑問はそこらに捨てておく。

 妹、もしくは娘という認識を強く持てば、僕の理性は大丈夫だ。そもそも中学生に見える三日月に何かするわけがない!

 そして、そんな意識を持ちながら床に寝るという最善の回避方法がある。

 

「僕は床に寝―――」

「一緒に寝ましょう。1人は寂しいですよ?」

 

 純粋に僕の心配をしてくれるのは嬉しい。でも寝るのは色々と、そう言葉にできない色々が問題だ。ここはどうやって回避すればいいんだ。どうしたら、どうすれば。

 僕が困惑と悩みで頭がいっぱいになっていると、三日月は食べ終わったポテチの袋を片付けていく。

 悩んで立ち止まっている僕を三日月は袖を引っぱり、連れていかれた僕は一緒に歯を磨きなおす。

 

 歯磨きが終わる頃には三日月だから大丈夫だろうという、どこから来たか分からない安心感を元に寝る覚悟を決める。

 もし、これが胸が大きくて女性らしい五十鈴や体をよくさわってくる加古だったら理性を保つためになんとしても別れて寝るか、部屋からいなくなっただろう。

 先にベッドに入れられてタオルケットをかけられた僕は思う。三日月は寂しいだけなんだ。異性としての意味じゃない、と勘違いしないように心の中で自分に対して言い続ける。

 

 三日月は部屋の灯りを小さなオレンジ色へと変えたあと、僕の隣へ嬉しそうにやってくると腕と腕がくっつく距離で、満足そうに息をつく。

 

「あぁ、1人じゃない夜はいいものですね」

「今まで友達と寝たりは?」

「……そういうこともあったんですけど、みんな死んじゃって。私と同じ部隊や仲良くなった子は私を残して、天国へと先にいっちゃうんです、何度も。私のそばにいた仲間が10人以上も……10人から先は数えるのをやめました。たくさんの人が死んでいく姿を見てしまったのは悲しいです」

 

 三日月が僕の腕を掴んで頬ずりしてくるために僕からは表情が見えないまま、静かにそんなことを言った。

 重い話を、けれども当たり前のように言ったことに対して僕は寂しく思う。親しい人と何度死に別れたのだろうか。自分だけ生き残るという、運がいいとも悪いとも思うことを。

 

「生きたかったわけじゃないんです。助けて欲しかったわけでもないんです。ただ、みんなが私を生きさせようとするんです。『三日月はかわいいから』とそう言って私を残して死んでいくんです」

 

 それはきっと、戦場を体験したことのない僕なんかには想像もできないほどに辛いものだと思う。それにみんなが死んでいく姿を自分だけしか見ていないのなら、その人が生きた証拠を自分が記憶しなきゃと思ってしまいそうだ。

 

「三日月は生きていることを後悔している?」

「……はい。なんで私なんかを守りたかったのかわかりません。だからといって命を無駄にするわけにも……」

「守りたかったから守った。それだけじゃないかな。それに理由のひとつとして、かわいいからってのもあると思う」

「でも、それだけで……?」

 

 三日月は僕の腕から顔をあげ、横を向いた僕と至近距離で見つめあっている。

 暗くなった部屋でも見える瞳は揺れていて、なにかあれば声を上げて泣いてしまいそうだ。

 

「他に色々あるかもしれないけれど、みんなは三日月に生きて欲しかったというだけじゃダメかな?」

「……ダメです。私だけ生き残るのは、ダメです。残された私はいったいどうすればいいんですか? 死んでいった人たちの死ぬ寸前の顔。砲撃によって吹き飛ばされた腕や足。私をかばったことで、目の前で吹き飛ばされる……。それらを見て、どうして私が生きる必要があるんでしょうか? 死んでいくみんなのことを覚えていけばいいんですか?」

 

 辛そうに言いながら、涙を流していく三日月に僕は抱き着かれていない腕を動かして頭をそっと撫でていく。

 頭をなでられた三日月は体を震わせたものの、撫でていくにつれて僕の手を受け入れてくれる。

 

「夢で見るんです。死んでいった人たちの、私を、三日月を恨む声や目を向けられるのが。現実でも私と一緒にいると死ぬという噂が流れて誰も仲良くしてくれなくなったんです。

 私はずっと何をするにも1人で、寂しくて寂しくてたまらなかったんです。前の提督は私のことを誰も知らない、この場所へと移してくれましたが……」

 

「ここに来てくれたから僕は三日月に出会えてよかった。人へと思いやりがあり、優しい。そんな三日月が好きだ。僕は嫌っていないし、軍人でない僕が死ぬのなんてそうはない。三日月がよければ、仲良くしていって欲しい」

 

 三日月は僕の頬へと手を伸ばし、じっと見つめていたが次第に涙が浮かんでくる。

 

「……マシュウさんと出会えて本当によかったです。まだ出会って4日目ですけど、どうか私とずっと仲良くして欲しいと思っています」

 

 涙目だけれど、微笑みを浮かべるかわいい姿に僕はどうしようもない感情の嵐がやってくる。信頼されて嬉しい心をどう表現すればいいのか。それがわからず、三日月の頭を両手でわしゃわしゃと撫でまくった。

 髪が乱れた三日月は不満そうな顔で僕の体をバシバシと叩いてくるが、そのあとに僕の胸へと抱き着いてきて、顔を腕へとうずめてくる。

 

「マシュウさんがずっと私の隣にいてくれればいいのになぁ……。首輪をつけて、鎖で縛って、誰にも見せたくない。部屋で飼って、ずっと私だけを見てもらいたいな」

 

 小さな声でつぶやかれた言葉を、一瞬にして背筋が恐怖で震えるも聞かなかったことにする。もし返事をしてしまったら、現実にされてしまうかもしれないから。

 いや、そのぶん大切に思われているのはわかるけど。でもそういう希望があることに僕の心は冷えるが、三日月のフローラルな髪の匂いや抱き着かれている部分が柔らかくて温かいのを感じると気分が落ち着くという矛盾をやってしまっている。

 そんなときに五十鈴の顔がふと思い浮かぶ。早く五十鈴に会いたい。五十鈴の優しい笑顔を見たいと考えてしまう。

 

 女の子に抱き着かれながらベッドで寝る。

 それは中々寝付けないと思っていたけど、やっぱり寝付けない。でもぼぅっと天井を眺めていると三日月の匂いを感じながら自然と目を閉じてしまっていた。



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私たちの大事な時間

 ベッドの中から、この泊地が少しずつ動き始める音が聞こえて僕は目を覚ます。

 見覚えのない天井が見え、ここが三日月の部屋だと遅れて気がつく。

 隣を向くと三日月がいて、その寝息を聞きながら外の音に耳を澄ました。

 

 それらは隣や上にいる艦娘たちの生活音。網戸にしている窓からは朝方に帰ってきた艦娘たちの声や軍人たちが何かの作業をしている音。

 段々とぼぅっとしていた意識がはっきりしてくると、三日月のかわいい寝顔を眺める。

 僕の腕を抱き枕のように抱きしめている三日月の体温は温かく、横を向くと愛おしい寝顔が見える。

 その三日月の髪をそっとさわっていると、気づいた三日月の目がゆっくりと開いていく。

 

「おはよう、三日月」

「……おはようございます」

 

 三日月はぼぅっとした様子のまま、ぼんやりとした目で僕を見つめている。それが10秒ほど続くと、三日月は僕の腕へと顔を押し付けてくる。

 

「三日月?」

「マシュウさんと一緒に過ごした時間は夢じゃなかったんですね。……よかった。ちゃんと私のそばにいてくれて」

 

 僕を必要としてくれる言葉と、小さな胸の感触がくすぐったい。少しして三日月が僕の腕から離れると、僕はベッドから起き上がる。

 カーテンを開け、体を伸ばしていると、ベッドから遠慮するような三日月の小さい声が聞こえてくる。

 

「あの、起こしてくれませんか?」

 

 三日月は僕のほうへ両手を伸ばし、抱き上げてくれるのを期待しているようだった。

 近づいて求められるままに三日月を正面から抱き上げようとしたけれど、きらきらとした目で抱き上げようとするのを見つめられるのは恥ずかしい。

 

 その恥ずかしさを誤魔化すために、正面からではなく、三日月の膝の下と背中に手をあげると勢いよく抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこという形で。

 抱き上げた三日月の体は見た目どおりに軽く、けれどこんな小さな体で戦っているんだなと改めて実感する。

 

「わぁ! なんですか、なんですか!?」

「三日月は軽いな。ちゃんとご飯をしっかり食べているか?」

「食べてます! 食べてますよ!?」

 

 腕の中で手足をじたばたとさせていたけど、次第に落ち着いてきた三日月は僕の首に手を回してくる。

 その時になって、大きな息をついて僕へと不満な目をぶつけてくる。

 さっきの慌てた姿はとてもかわいく、いつもの落ち着いた姿と違って新鮮だ。ああいう姿をもっと見たいものだ。

 

 そう思うと悪戯心が湧き上がってくる。今みたいな、三日月の新しい表情が見たくて。そう、これは好奇心だ。決して悪気があってやるわけではない。むしろ、仲良くなるためには一緒に遊ぶことも必要だと思う。うん、必要だ。

 

「三日月、落ちるなよ?」

「え、いったい何を―――きゃあああああああ!!」

「はははははは!!」

 

 三日月を抱えなおした僕は、その場でぐるぐると回り始める。

 最初から勢いよく回転し、5秒ほど回ったところで回るのをやめて三日月を降ろした。

 三日月は降りた当初はふらついていたものの、すぐに僕の体を叩いてくる。

 ちょっとだけ涙目になってポカポカと叩いてくる姿は、外見と同じ子供のような雰囲気で安心した。昨日のような暗い気分ではないんだなって。

 そのあと正座をさせられた僕は説教をされ、罰として部屋を出てから食堂に入るまで手をつなぐことと言われた。

 

 なんたる羞恥プレイ! 小さい子と手をつないで歩くのを見られると、今までの軍人や艦娘たちからのイメージが大きく変わってしまいそうだ。特に加古からはロリコンとか幼女趣味とからかわれるかもしれない。

 なんとかして手をつなぐことを回避しようとして話をしたかったものの、すぐに僕の目の前でパジャマを脱いで着替えを始めたために話のチャンスはない。

 正座状態のままで目をつむって見ないようにしたけれど、服を着るときの衣擦れの音がとても辛い。

 脱ぎ、着る。ただそれだけの音を聞いているだけなのに、かなりいけないことをしている気がする。僕の精神を試すような時間を耐えたあとは普段から見ている制服姿の三日月がいた。

 

 そのあとに僕も着替えようと立ち上がってパジャマを脱いだものの、きらきらとした目で見つめられると居心地が悪い。

 だから僕は三日月の体を持ちあげてベッドへ投げ飛ばすと、追加でベッドの上に置いてあったタオルケットも投げつける。

 そのわずかな間に脱ぎはじめ、また見ようとしてくる三日月に脱いだパジャマを投げると動きが止まった。さっきのようにすぐに起き上がらないことを不思議に思いつつも、そのあいだに素早く服を着ていく。

 

 着替えたあとは、僕のパジャマの匂いを嗅いでいた三日月からパジャマを取り上げると一緒に食堂へと向かう。

 お姫様抱っこで回転した罰として一緒に手をつないだままで。

 周囲に見られつつ、食堂で一緒に朝食を取ったあとは仲良く剪定作業の続きをやりにいく。

 外は薄暗い雲が空いっぱい広がり、今にも雨が降ってしまいそうな重い天気。でも7月の今はそれが涼しくある。

 僕は三日月と一緒に朝から昨日剪定した枝拾いの仕事をしていると、ふいに誰かからの強い視線を感じた。

 

 その方向へ振り向くと、遠くには僕が心の底からずっと待っていた五十鈴がいた。

 怪我もなく、ちょっと疲れているようだけれど、無事な五十鈴を見て自然と笑みが浮かぶ。でも、なんだか五十鈴の様子がおかしい。

 まるでこの世の終わりとでも表現したくなるような、目と口を見開いて呆然としている。

 

「五十鈴!」

 

 と、僕が大声で声をかけると首を軽く振って深呼吸してから僕のところへゆっくりやってくる。その足取りは元気がなく、顔には何の表情も浮かんでいない。

 

「五十鈴、おか―――」

「その子は誰?」

 

 僕の言葉をさえぎった五十鈴は、いつのまにか僕の袖を握っていた三日月へと顔を向けている。

 三日月のほうを見ると、五十鈴を強くにらみ、五十鈴もそれに負けまいと同じようににらみ始める。

 そこで2人が初対面だったことに気づく。にらみ合いは、きっとお互いに知らない相手だから警戒したんだろうと思えた。

 

「五十鈴が出撃したあとに、この子、三日月を預けられたんだ。三日月はつい最近来たばかりだから仲良くして欲しい。三日月、目の前にいるのが、昨日仲がいいと言っていた五十鈴だ」

 

 僕がふたりについて説明すると、五十鈴は明るい笑みを浮かべて三日月の前へ立ち、少し身をかがめて握手しようと手を差し出した。

 

「はじめまして。マシュウととっても仲のいい五十鈴よ。よろしくね」

「はい、はじめまして。マシュウさんに1日中優しくしてもらっている三日月です。よろしくお願いします」

 

 三日月は小さな微笑みを浮かべて、僕の袖を握ったまま五十鈴の手を握る。挨拶をされた五十鈴は身をかがめた状態から立ち上がり、姿勢を変えた。

 でもなぜだろう。

 五十鈴と三日月は笑顔で握手をしているのに、強い威圧感を感じているのはなぜだろう。

 これは目の錯覚かな? うん、そう思っていたい。

 

「私より年下で後輩だから三日月と呼び捨てさせてもらうけど……マシュウに迷惑がかかっているから、袖から手を離したほうがいいと思うんだけど?」

「大丈夫です、五十鈴さん。私はマシュウさんとは心が通じあっていますから、何が迷惑とかはわかっているつもりです。だから安心してください」

 

 なごやかな会話をしているのに、ふたりの握手している手を見ていると段々と力が入っていくのがわかる。艦娘式の挨拶かとはじめは思ったものの、この緊迫した空気は普通じゃない。

 僕にどうすることもできなさそうだけれど、五十鈴に声をかけられたのに無視して仕事をするのもよくない。

 

 ではどうしよう、と悩んでいると五十鈴は三日月の手を振り払って僕の方へと体を向ける。

 そうして僕に抱き着いてきて胸へと顔をうずめてきたけど、すぐに顔を離して僕を見上げてきた。

 

「……いつもと匂いが違うわね」

「それは私と―――」

「あぁ! シャンプーを変えたからね。前のほうがいいかい?」

 

 三日月が僕にとって危険なことを言うより先に言葉を出す。

 緊張と冷や汗が一気に沸き上がる中、冷静でいようと自分を落ち着かせていく。

 

「うん。前のほうがいい」

 

 五十鈴はそう言って、また抱き着いてくると自分の匂いをつけるかのように僕の胸に頭をぐりぐりと押し付けてくる。

 されるがままになっていると、三日月のじとっとした僕への不満が見える視線を感じて落ち着かない。

 

「ね、マシュウ。ちょっと早いけど、一緒にご飯食べに行きましょう? 今まで会えなかった分の話をしたいの」

「待ってください。あなたと違い、マシュウさんはお仕事中です。マシュウさんの優しさにつけ込まないでください」

「休憩を取るだけよ。それにマシュウの仕事を助けるのがあなたの役割じゃないかしら。私たちが休憩している間に仕事を続けたらどう?」

「私は1人で仕事ができるほどの経験がまだありません。マシュウさんがいないと何もできないんです。ですから、仕事がなくて時間がある五十鈴さんは1人で優雅な食事に行ったらどうですか?」

 

 穏やかな笑みを浮かべる2人だが、別に声を荒げているわけでもないのに目に見えないプレッシャーが怖く感じる。

 

「仲良くしているとこ悪いけど―――」

「これのどこが仲いいの!?」

「仲良くしていません!」

 

 声をかけると同時に僕へと振り向き、同タイミングで声を出し、同じ内容のことを言う。

 息ぴったりな五十鈴と三日月はもう仲良しだと思うんだけど。

 そんなことを口に出してしまえば怒られそうなので、僕はそのことについては静かにしている。

 

「いや、ごめん。……五十鈴はもう仕事はないのかい?」

「艤装を整備して体の疲れを取るぐらいよ。他には提督との面談があるわね。体や精神はどうかっていうのが」

「先にそっちをやったほうがいいんじゃないかな。僕と会えるのが最後というわけでもないし。まだ本調子じゃないだろうから、前線に完全復帰じゃないよね?」

「上司である提督を待たせるのはよくないですよ、五十鈴さん」

「……正論なんだけど、あんたに言われるのはとてつもなく腹立つんだけど」

 

 三日月が笑顔で手を振ったのに対し、五十鈴は全力で三日月をにらんでいる。ふたりには仲良くやってもらいたいけど、道のりは長そうだ。

 このあとをどうしようかと僕は少し考え、三日月を連れて五十鈴を提督がいる執務室まで送ることにした。

 そうしないとあとで優しくしてくれなかった、と言って怒るだろうし。なによりも、5日ぶりに会った五十鈴に優しくしてあげたかった。

 

 ちなみに執務室にいた提督は、ついでとばかりに僕と三日月を招いて3人で提督と話をすることに。

 僕に関することの話では、三日月をそのまま預かり、五十鈴もあと少しは僕に預けるという話だ。

 それを聞いた五十鈴はにやりと三日月へと笑みを浮かべ、三日月はじっと感情のこもっていない冷たい目で提督をにらんでいた。

 五十鈴と三日月の仲が悪いのは、今まで自分がいた場所に見知らぬ子が僕の隣にいたからだと思う。

 でも、だとしてもずっと一緒にいなくても差別やひいきをするつもりはない。それにこれは仕事でもある。仲良くしないで、と言われることがあっても断るだろう。

 

 原因の解決は難しいけれど、関係改善はしたい。ならば、どうするか。

 答えは甘いものだ。古来から女性を機嫌よくさせるのは甘い食べ物だと決まっている。

 執務室から出たあとは2人を連れて食堂へ行く。代金は僕のおごりだ。

 食堂に来て座席の場所でもめるかと気づいたが、意外にも静かだった。4人掛けのテーブルで僕の隣に五十鈴。正面には三日月と前もって決めていたと疑ってしまうぐらいにすんなりと決まる。

 五十鈴は僕に遠慮せず食べたいものを次々と注文していき、三日月は僕の許可を取りながら少しずつ注文していった。

 

 楽しそうに注文していく2人を見ながら、甘いものをあまり食べれない僕はコーヒーを頼む。

 注文したあとは僕の仕事をどうやってうまくやっていくか、戦闘でない人の役に立つ仕事をやれるのは楽しいといった話をしていく。

 少し時間が経ったあと、和菓子や洋菓子が運ばれてきて、僕の財布に多大なダメージを与えた結果は五十鈴と三日月の仲は少し良くなれたと思う。

 五十鈴があんみつの白玉。三日月がショートケーキのイチゴについて語り合う姿はまさしく年頃の乙女っぽさを感じる。

 五十鈴と三日月。2人が楽しそうに笑い、デザートについて熱心に話をしているのを見ていると心が優しくなってくる。

 

「マシュウは白玉の良さを―――ねぇ、なんでそんな温かい目で見ているの。こういうのを父親みたいな目って言えばいいのかしら」

「それはマシュウさんが、五十鈴さんのことを手間がかかる子だなぁと思っているんじゃないでしょうか?」

 

 そんなことを三日月が言った途端、三日月の前にあった皿の上にあるショートケーキのイチゴが、一瞬にしてあんみつを食べていた五十鈴のスプーンによって奪い去られる。

 取られたことで呆然としていた三日月だったが、仕返しをしようとフォークで五十鈴の白玉を奪おうとしたものの、手でフォークを掴まれて阻止された。

 にらみあった2人の間には、火花が散っている光景を幻視してしまう。

 この食堂の件の他にも2人は仲がいいのか悪いのか。よくぶつかってはお互いに文句を言いつつ、でも殴り合いはせずに僕と一緒に3人で過ごしている。

 2人はだいたいの時間をケンカしていたけど。

 

 それは雨の日にカッパを着て外にいるとき。

 夏の暑い日差しが廊下に入り、汗を流しながらも廊下で水モップで拭き掃除をしているとき。

 加古にお願いされて、部屋掃除をしているとき。

 いつどんな時でも2人は争い、でもその争いは僕の目にはじゃれあいに見えた。今まで人とふれあえなかったぶん、その寂しさを晴らしているかのような。

 僕というストッパーがいるから、危なくなっても止めてくれるという安心感があるかもしれない。事実、2人の会話がヒートアップしてきたら僕が止めているし。

 

 でも僕の手を握る、腕組みをしてくるなどして、どれだけ僕とくっつけたかとお互いに自慢しあうのはなんだろう。平等に扱っている僕としてはなんだか困る。

 それと、本人たちに言えないけれど胸を押し付けるのはやめてください。

 五十鈴の大きく弾力性のある胸や、三日月のささやかな大きさだけれど気持ちのいい柔らかさの胸は僕の理性値が削れてなくなってしまうと本能がむき出しになってしまうんで。

 声にできない、男ならではの苦悩の叫びを心の中でこっそり出しながら、3人で日々を面白おかしく過ごしていく。




病んでいない平和な話。


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私たちの大事な人

 3人になっても僕と一緒にやる仕事の内容は、それぞれ僕と2人でいたときと変わらない。色々な仕事をやる僕の手伝いだ。

 でも3人もいると作業速度は速く、剪定や道具のサビ取り、雑草取りを素早くやっていく。その中で特に掃除なんかは短時間で終わるのが良い。

 

 僕にとってはよくある仕事の繰り返し、でも五十鈴と三日月にとっては新鮮で、仕事によっては飽きることもあるけど協力して仕事をする。休憩時間や食事時には2人が多少言い合いをするも手を出すようなケンカには発展していないため、微笑ましく見ていたりもした。はじめは仲が悪かったものの、一緒にいるようになってからは2人の仲はよくなっているから。

 

 そんな平穏な日が5日ほど続いた頃、廊下の掃除中に五十鈴が提督から呼び出された。五十鈴は何か用事があったかなと不思議そうに首を傾げては提督のところへと行き、僕と三日月は2人でドア掃除をしていた。

 10分もしないうちに戻って来た五十鈴はひどく落ち込んでいた。その顔は暗く、最近明るい笑顔を見せてくれるようになっていた五十鈴を見ていたから、久しぶりの表情は驚いた。

 

「なにか悪いことがあった?」

「……そりゃあもう。いえ、他の人たちから見れば悪いことではないんだけど、今の私には悪いことよ」

「それは僕が手助けできる?」

「できないわ。……もう戦闘に完全復帰できるって判断されたのよ。明日からはマシュウと一緒にいれないの」

 

 そう言ってひどく悲しげで大きなため息をつく五十鈴は廊下の壁に寄り掛かり、床へと座り込んだ。

 僕は三日月を見て、仕事は中止だと視線で訴える。そうしてから掃除道具を離れたところへ置くと僕も五十鈴と同じように壁に寄り掛かって座り込む。

 三日月は気を遣って少し離れたところで僕たちを見ている。

 

「今までのようには一緒にいれないし、会いづらくなるのよ……」

「もう会えないわけじゃない。今までのように会うのは難しいけど、五十鈴は以前のように仕事ができると判断されたんだ。僕と一緒にいたことが五十鈴のためになったのなら嬉しいよ」

「それでも、それでも私はあなたのそばにいたかった。隣で一緒に仕事を続けたかった。あなたの声を聞いていたい。あなたの笑顔を見ていたいの」

 

 僕の目の前まで来て肩を掴んでくると、顔を見上げてくる五十鈴は目に涙を浮かべながらもぎこちない笑みを浮かべる。

 

「……わがままなのはわかっているわ。あなたとずっと一緒にいるなんてことはできないから。できる方法があればよかったんだけど、私は艦娘。マシュウみたいに戦えない人を守る役割があるわ」

 

 五十鈴は艦娘だ。艦娘には人を守るという義務がある。もし、その義務を破るなんてことがあれば五十鈴はもう僕と一緒にいられなくなる。

 これからはちょっと会いづらくなるだけじゃないか、なんてことを提督や他の人は思ってそうだが、五十鈴の弱さを受け入れた僕から見れば辛いことだ。

 

 もちろん僕も五十鈴と会えなくなるのは寂しい。でも最初から仕事としての意識があったから、いつかは別れがあると受け入れられていた。

 

「五十鈴が守ってくれるなら心強いよ」

 

 僕は意識して笑みを浮かべる。それは悲しいものではなく、五十鈴が元気になってよかったと嬉しい笑みを。

 五十鈴は目に浮かんだ涙を服の袖で拭くと勢いよく立ち上がり、僕から1歩離れて小さな笑みを浮かべる。

 

「ええ、安心しなさい! 私がいないからって三日月には手を出しちゃダメよ?」

「出さないとも。三日月は小さな子供で娘みたいに思っているからね」

「娘? ……娘なら大事にするだろうし、なによりあなたとずっと一緒にいれそうね」

「なんでそんな考えになるんだ。そりゃ大事にはするけど、三日月だっていつかは僕から離れて戦いへ戻っていくんだ。五十鈴より少し遅いというだけだよ」 

「まぁ、そうよね。それで私はどういう扱いになっているの? 親戚の子? 姉? 幼馴染? それとも恋人?」

 

 僕をからかうかのような笑みを浮かべ、楽しそうな声で聞いてくる五十鈴。

 その答えは聞かれる前から決まっているが、僕は難しそうに悩んだあと、両手で五十鈴の頭をわしわしとかきまわす。

 五十鈴のすべすべとした髪の毛が手に絡みつく感触は気持ちよく、しばらくは撫でまわしてしまう。

 しばらく撫でられていた五十鈴だったが僕の手を掴んで撫でるのを止めると、じっとにらんでくる。

 

「妹だ。五十鈴は妹みたいについ構いたくなる」

「妹、妹ね。それは……喜べばいいのかしら?」

「僕にとってはそれぐらい仲がいいって言いたいね。さて、それじゃあ仕事をしようか」

 

 でも僕の手を握ってくる五十鈴から切なそうに見つめられると動けなくなり、三日月が強引に僕と五十鈴の間に割り込んできてくれたために仕事をする意識が出てきた。

 そのあとは僕と五十鈴、三日月の3人で掃除をし、終わったあとは一緒に食事をした。

 食事の後は昨日までしていたようにいつもの別れを告げ、その日は終わった。

 

 今日から五十鈴がいないという悲しい気持ちになりながら起きた、新しい日の朝。

 僕の気分とは違って空はとても晴れやかで、太陽がまぶしい今日は暑くなりそうだと思う。

 いつもと変わりない時間にいつものツナギを着てから泊地に向かうと、普段は僕を待ってくれている三日月の姿が見当たらない。

 

 不思議に思いながらも後から来るだろうと考えていると、いつも仕事内容の話をする軍人さんから白い便せんに入った手紙を渡される。その手紙は五十鈴から僕に渡してくれ、と言われたものらしい。

 軍人さんに感謝の言葉を言い、今日の仕事は昨日の続きである掃除だと確認をする。そのあと、僕は1人になってから手紙を読む。

 手紙の内容は『あなたと初めて会った場所でふたりだけで話がしたい』と整った文字で書いてあった。

 不安な気持ちになっているんだろうなと思い、さっきの軍人さんに三日月が来たら待つように、と伝言をしてから僕は五十鈴と出会った場所である倉庫へと向かう。

 

 その倉庫は五十鈴と出会った時と同じく、周囲には人の気配がない。シャッターが開けられていて、明かりがついている倉庫の中へと入っていくが五十鈴の姿は見えない。

 もしかしたら奥にいるかもしれないと思い、棚がたくさんある場所をぶつからないようにしながら歩いていく。

 

 ……ふと足音が後ろから聞こえて僕は振り向く。

 振り向いた先に五十鈴の顔が見えたと思ったら、次の瞬間には肩と腕を抑えられて床へと勢いよく押さえつけられた。

 床に抑えられた僕は体を起こそうとするも、それより早く後ろに回された僕の両手首を掴んでは何かで両手を縛られる。そのあとは足首を。

 五十鈴は僕が動けない状態になると僕から離れていく。

 転がされたままの僕は体の向きを変えると、五十鈴が倉庫のシャッターを閉める後ろ姿が見えた。

 

 そうしたあとに僕へと、とてもゆっくりした歩みで向かってくる五十鈴は満足そうな笑みを浮かべているように見えた。

 笑顔を浮かべているから嬉しいのだと思うけど、それが嬉しい感情かどうかが僕には理解できない。今まで見てきた表情とは違い、口元だけは笑顔の形をしていた。

 

 その五十鈴の目に見られた僕は怖いという感情を感じた。このままだと何かよくないことが起きる。でも今の僕はろくに移動することができない。

 五十鈴は僕のところまでやってくると、僕の体を担いで入り口付近まで連れていき、荷物が片付いて広くなっている場所へとゆっくり降ろした。

 降ろすと同時に、五十鈴は膝立ちで僕の体をまたぐと、顔の横へと手をついてから五十鈴は素早く右側の首筋を噛んでくる。

 

「がぁっ……!」

 

 その痛みは叫び声が出るほどに強く、噛んできたという驚きの声を混じっていた。

 五十鈴は歯を僕の首へと突き立てたまま、わずかずつ力を入れてくる。

 五十鈴の甘い髪の匂いをほのかに感じ、つややかな黒髪のツインテールが僕の顔へとかかってくるがそれに意識を向ける余裕はない。

 10秒あるかないかぐらいの時間を噛まれたあと、五十鈴は口を離して僕へと色っぽい視線を向けてくる。そんな五十鈴の呼吸は少し荒く、興奮のためか顔全体が赤くなっていた。

 

「ふふ。マシュウの体に私の物っていう印をついにつけちゃったわ」

 

 何が起きているか。今の状況を把握するためにあたりを見回し、最後に五十鈴を見る。

 倉庫にいるのは僕と五十鈴。拘束された僕。そしてここにいるのは誰も知らず、人も滅多にやってこない。つまり長時間2人になってしまうということに。

 噛んだ痕が残る僕の首筋を人差し指でなぞり、その痕があるのを見てとても嬉しそうだ。

 

 五十鈴を押しのけようとするも、手足は縛られているために動かすことができない。感触からして、軍が使っているナイロン製の手錠だろうか。

 拘束されたというのに僕の頭は意外と冷静に動いている。いや、あまりにも意外すぎて頭が動いてないからかもしれない。

 

「あー……五十鈴?」

「なにかしら、マシュウ」

「なんで僕は縛られているのか、教えて欲しいんだけど」

 

 そう聞くと、五十鈴はすごく不思議そうな顔をして首を傾げた。

 そんなに僕の聞いたことはおかしかっただろうか。何の理由もなしに襲われ、縛られた僕としては理由を聞くのは当然だと思うんだけれど。

 

「だって、縛っていないとマシュウは三日月のところに行っちゃうでしょう?」

「仕事だからね。それがそんなに悪いこと?」

「悪いわ。あの子に構うほど仲がよくなって、私と会えない時間がたくさん増えていくじゃない」

 

 そう言って五十鈴は僕の髪や顔を好きなようにさわっていく。それは乱暴で、だけれど優しく繊細な手つきで。

 五十鈴は片手で僕の右肩を抑え、もう一方の手で僕の左頬を愛おしそうに撫でたあと、唇を人差し指で愛おしそうになぞっていく。それは何度も繰り返して。

 

 その時の五十鈴の呼吸は浅く早くなっていき、太ももをもじもじと動かしては頻繁に僕の上で座る位置をなおしてくる。

 僕の唇から指を離し、手を頬へあてると今度は首へと顔をうずめ、生暖かく水気がある舌で軽く、時には強く首筋を舐めてくる。

 

「あぁ♡ マシュウ♡ マシュウ♡♡」

 

 色っぽく僕の名前を呼ぶ声と舐めてくる舌の感触はぞくぞくと僕の背筋へやって来て、気持ちよさと初めての感覚でどうしていいかわからない。

 舌で舐められ、キスをされ、息遣いの音がすぐ耳元で聞こえてくる。それらを聞いていると今の状態が嫌なのに僕も気分が盛り上がってきてしまう。

 

 この状況はとてもよくない。かといってどうにもできないが、このままだと興奮した五十鈴に食べられるのを待つばかりだ。

 僕は興奮した様子を悟られないよう、必死で声を抑えるが首筋から耳辺りまで舌を這わせてきた五十鈴は耳を甘噛みしてくる。

 

「うっ!?」

 

 優しく噛まれた時に甘い快感が頭を突き抜け全身へと広がるも、理性を全力で出しては考える。なんでそんな情熱的な行動をするのかを。

 

「本当なら唇同士のキスもしたいけれど、そういうのはお互い好きになってからよね」

「……僕は理由なく拘束してくる五十鈴を好きになれないけれど」

 

 好きという気持ち。五十鈴が言うのは恋愛的な意味だと思う。だとしたら、こういう一方的すぎる行為は嫌だ。

 そう不満な顔になっていると、五十鈴は両手で僕の首を強く絞めてくる。

 

「理由? そんなのあるに決まっているわ。私はね、昨日あなたと別れてから考えていたの。マシュウとずっと一緒に入れないなら、マシュウが私のことしか考えないようにすればいいって。そうすれば心配することはないと気づいたわ」

 

 呼吸ができず、抵抗もできないまま五十鈴の話を聞くしかできることはない。

 五十鈴の言葉を黙ったまま聞き、その言葉が終わっても僕の首から手が離れることはない。

 段々と呼吸できない苦しさから、意識がどこか遠くに行きそうになった瞬間に開放され、荒い息で僕は酸素を求めて呼吸する。

 

「それとマシュウを好きな理由も言うわ。それは私の手首にある傷を見ても気味悪がらないということ。他には今だって首を絞めたのに怒らないもの。そんなあなたに私はたくさん甘えたい。他の人にあなたの良さをわからせないぐらいに。……私を、五十鈴だけを見ていて欲しいのよ?」

 

 僕をまっすぐに見つめてくる五十鈴は目の光がないように見え、僕を見ていながら僕を見ていない。それは自分自身のことしか見えていないような。

 

「僕はね、怒るよりも悲しいよ。相談されるよりも先に、行動をしたことが。それは僕が信頼されていなかっ―――」

「違うわ! それは違うの! ……あなたがいなくなったことを1度考えてしまうともう嫌なことしか頭に浮かばなくて。私がいなくなってもマシュウには三日月がいる。もう私を見てくれないんじゃないかって思うの。だって、私への好意は三日月と変わらないんでしょう?」

 

 五十鈴の言うとおり、僕は五十鈴と同じぐらいに三日月を好きだ。でもそれは恋愛的意味合いではなく、友達のような。

 僕は五十鈴という個人を見るよりも先に、艦娘として彼女たちを見ている。

 艦娘。人のために戦い続ける義務を負ってしまった者。

 僕は昔に戦艦の艦娘と出会ったことにより、艦娘とはどういうものかを考えた。その結果としては救ってあげたいという、戦争中なのに国家より個人のことを大事に考えてしまっていた。

 

 いつ終わるともわからず、意思疎通ができない深海棲艦相手にどちらかが死に絶えるまで戦い続けるというのはひどく辛いものだ。

 希望の光は見えず、戦うほどに暗くなって精神に異常をきたす。

 この泊地は提督が艦娘を大事に扱っているために自傷は少ないほうだ。だけれど、少ないというだけで暗く鬱々とした考えになってしまっているのもいる。

 

 あの明るい加古でさえも死にたいと思う時期があった。偶然、僕と話をしてからは軍人でない僕と話をするというのが生きる楽しみになってくれたのは嬉しいことだ。

 だから、日々に希望を抱けない艦娘を救ってあげたいと僕は思ってしまっている。

 誰かがこのことを聞いたら、あきれるか笑われてしまうと思う。医者でもなんでもない人間がどうして艦娘を救えるのだろうかと。

 

「その顔を見たら返事がなくてもわかるわ。私を今よりも好きに、愛してくれないって。……だから、子作りしましょう?」

 

 僕から目をそらし、恥ずかしそうに言う五十鈴に僕の意識は一瞬飛んでしまう。

 どうしてそうなったのだろう。五十鈴を受け入れた僕に、自分を見続けて欲しいという話が。

 

「子供ができれば、妻は大事にされるって本で読んだわ。私が妊娠すれば、あなたは私を見続けてくれる。きっと私を愛してくれる。今より私をもっと大事にしてくれる。……そうでしょう?」

 

 ちらちらと僕へと視線を向けながら言ってくる五十鈴に、僕はただただ恐ろしいということしか思い浮かばない。

 五十鈴が思う大事にされると言った意味は、本で知ったのとは明らかに違う意味だ。妊娠したから大切に、問題なく子供を産めるよう旦那が心配して配慮すること。

 でも五十鈴は違う。自分のお腹に子供がいれば、僕が五十鈴を見捨てないと思っている。子供はそういうものじゃないと僕は思う。

 

 昔、喫茶店であった艦娘の人を思い出す。あの艦娘は戦争を知らない子供を産みたいと言っていた。子供には幸せになって欲しいと思うのが親として考えるのが当然じゃないかと思う。

 親が子供に、自分ができなかったことをさせるとか、親のために何かしろというのは間違っている。

 

「愛した人の子供なら大事にする。でも今の五十鈴は自分のために子供を使いたいだけだ。それに僕と子供を作らなくても五十鈴を大事にする。それだとダメかな」

「ダメよ。私が出産して戦場に帰ったあとは、マシュウに子供を育ててもらわないとマシュウは私を忘れるわ。子供は親の言うことが普通でしょう?」

 

 ……今の五十鈴は子供を自分のために、僕を縛り付ける道具のひとつとしてしか考えていない。

 子供とは愛し合った2人の間にでき、幸せの象徴といえる存在だと僕は思う。それゆえに僕と五十鈴の間に子供を作るのはよくないと考える。

 僕は今までと同じ、変わらない関係を続けたいけど、ダメなんだろうか。

 

「五十鈴が戦場に行っても今までと変わらない、昨日のように楽しく過ごせる仲のいい友達関係を続けたいと僕は思っているんだけどね」

「本当かしら。そう思っているのなら、昨日はいなくなる私に対してもっと悲しんでくれてもいいのに。……私に飽きたの? 私なんかより三日月みたいに素直で小さくてかわいらしい子がいいの?」

「元々五十鈴が僕のところにやってきたのは疲れていたからだろう? 五十鈴が元気になったのなら、僕は嬉しい。喜んで悪いことはないと思うけど」

「…………本当? 私が元気になったから嬉しかったの? 私がいなくなって三日月とふたりきりになれるからじゃなく?」

「本当だよ。元気になっていく姿を見られるは嬉しい」

「マシュウがそこまで言うなら信じてあげてもいいけど。もし違ったら……」

 

 そう暗くなった目で僕の首へと軽く手を当ててくる。

 また同じことをされるのかと思うが、五十鈴は手をあてたまま、何もしてこない。

 

「仕事があるから五十鈴だけを見ていられないこともあると理解して欲しい。もし五十鈴だけを見て、と言われたら僕は仕事を失っていなくなるだろうから」

 

 本業は雑用。でもここ最近は提督から艦娘を預けられるようになった。五十鈴だけを見ていても、本来の仕事に支障がなければ無職にはならないと思う。

 真実とちょっとの嘘を混ぜたことに罪悪感が出るも、五十鈴が僕にしか興味がなくなってしまうのは五十鈴の成長にとって悪いことだ。

 僕は五十鈴が元気で、皆と仲良くしていく姿を見るのが好きだから。

 

「……ねぇ、私はマシュウを好きでいていいの? 愛していいの?」

「いいよ。ただ、僕は五十鈴を愛していない。愛して欲しければ、振り向かせてくれ」

「ありがとう、マシュウ。あなたに対してひどいことをしているのに、私のことを考えていてくれるのは嬉しいわ!」

 

 そう言うと五十鈴は僕の体に覆いかぶさってきて、僕の胸に頬ずりをしてくる。

 依然、拘束されたままの僕は何もすることができず、五十鈴に好きなようにされっぱなしだ。抵抗できない分、色々と五十鈴の感触が充分にわかってしまう。

 五十鈴の大きく柔らかな胸、紅潮した頬の温かい温度。服越しでもわかる、どこも柔らかくすべすべした肌。

 それらをずっと感じていると、次第に僕までもが興奮してきてしまいそうだ。

 時間があれば、五十鈴に墜とされてしまいそうと思っていたときに倉庫の閉まっているシャッターを殴る音が聞こえた。

 

 動きを止めた五十鈴と一緒にシャッターへ顔を向けると、誰かが開けようとしている音が。

 2度ほどやって開けられないのが分かると、今度は蹴破ろうとしているらしくシャッターには大きな音が響き渡る。

 その大きな音で五十鈴は素早く立ち上がって辺りを見回すと、僕が整備した8cm高角砲の砲身側を持ってシャッターの前へと歩いていく。

 4度目の音と共に人が入れるほどにシャッターがゆがみ、その隙間から1mちょっとある鉄パイプを片手に持った三日月が倉庫へと入ってきた。

 

 僕を助けに来てくれたのか、三日月はいつものように落ち着いている表情で五十鈴の正面に立ち、五十鈴越しに僕と目が合う。

 縛られている僕をじっと見たあと、高角砲を持っている五十鈴に対して残念そうにため息をついた。

 

「五十鈴さん、あなたには本当に失望しました」

「なによ、好きな人と一緒にいたいってだけでしょ。それに今はこうして縛っちゃっているけど、ついさっきマシュウとはこれからも仲良くやっていくって言ってくれたのよ!?」

「マシュウさんが呼んでいると私に嘘をつき、ホコリとサビの匂いで満ちている倉庫で縛っておいて何を言っているのですか。それは本当にマシュウさんの意思があるのでしょうか」

「あなただってマシュウと一緒にいたいくせに。こうやっていい子っぽく見せてマシュウからの評価を高めようだなんて」

 

 いらだちながら五十鈴は三日月へと近づくが、唐突に鉄パイプを捨てた三日月を見て足が止まる。

 三日月は五十鈴へと手を差し出しながら、1歩、また1歩とゆっくり前進してくる。

 

「な、なによ。何のつもり!?」

「五十鈴さん、私とあなたは仲良くできると思います」

「……どういう意味よ」

「私と五十鈴さんはマシュウさんを自分の物にしたいと思っています。そのためにはお互い、相手を倒さなければいけません」

「三日月もマシュウが欲しいのは当たり前よね。こんな素敵な人は他にいないもの。……それで何をいいたいわけ?」

「最大の敵は加古さんだと思いませんか? もしどちらかがマシュウさんのそばに入れても、ずっと入れるわけではありません。私たちがいないわずかな時間で加古さんに持っていかれるかもしれません」

 

 三日月は五十鈴の前までやってくると、真面目な表情で五十鈴を見上げる。

 

「協力しませんか? 私たち2人で争うよりも、2人でマシュウさんとずっと一緒にいるんです」

「協力……?」

「はい。2人でマシュウさんを狙っている人たちを阻止するんです。マシュウさんは他の艦娘たちから好意的に思われているため、将来的には加古さん以外に古鷹さんなど他の子たちが敵になるかもしれません」

 

 穏やかな三日月の言葉を聞いた五十鈴は僕へと振り返り、三日月も僕を見てくる。

 その2人の視線は獲物を狙うような、僕の背筋が冷たくなるものだった。これからどうされてしまうんだろうという不安が僕を襲ってくる。

 五十鈴は持っていた高角砲を棚へ戻したあと、三日月の差し出している手を握り、2人は笑顔を浮かべあう。

 

「協力するわ。あなたも一緒にマシュウのそばにいるというところには不満があるけれど、マシュウが他の女に取られたら元も子もないものね」

「ありがとうございます。こうして協力関係になったばかりで言いづらくはあるんですけど……五十鈴さんには文句があります」

「なにかしら」

「マシュウさんを拘束する機会があったのに、こんなもったいないやり方だなんて」

「もったいない?」

 

 五十鈴が首を傾げて不思議そうにし、僕も三日月の言いたいことがわからない。

 三日月は僕の前に来ると、手足を結んでいるナイロンの手錠を握ると、力任せに引きちぎった。

 

「ありがとう、三日月」

「いえ。……やっぱりナイロンはダメですね。金属製の手錠で拘束したほうが萌えると思います。逃げられないのに、無駄に手足を動かしてはガチャガチャと手錠の音が鳴るのを聞く。そのロマンが五十鈴さんには足りないと思います。マシュウさんもそう思いますよね!?」

 

 今までの落ち着いていた様子から、一気に興奮しては声を大きくして僕、そして五十鈴に顔を向けて言い始める三日月。

 僕を縛った五十鈴も三日月の言葉に困惑しているみたいだ。

 

「それに首輪もありませんし。あぁ、使うならもちろん人間用のですよ? 犬用は人の肌にいい素材ではないので、つけたら皮膚が痛んでしまいますから」

 

 僕は自由になった手足を伸ばして立ち上がり、どうすればいいかわからないまま三日月を見ながら、ぼぅっと困惑しながら立ちつくしている。

 三日月は僕の視線を受けると、慌てて僕の前へとやってきた。

 

「違います、私は拘束が好きなわけじゃありません。拘束は手段であり、目的ではありませんから。それに、もしマシュウさんを部屋で飼うなら、という想像と勉強をしていただけです。準備して置かないと、いざ機会が来たときに実行できなかったら一生後悔してしまいますから!」

 

 三日月が僕への好意は気づいていた。それがどういう愛情の種類かはわからなかったけど。……僕を監禁したいと言ってくれるほどに愛されているのなら、笑顔で喜べばいいのだろうか。

 どうすれば正解かわからない僕には戸惑うことしかできない。僕と一緒に三日月の言葉を聞いていた五十鈴は物凄く嫌そうな顔をしていた。

 

「……三日月はずいぶんと危ない考え方をするのね」

「五十鈴さんにそんなことを言われたくありません。マシュウさんの首に噛み痕を付けるだなんて。そんな危ない変態行為よりも私のほうが傷をつけなくて安全です!」

「へ、変態って。私はマシュウが誰の物かっていう印をつけたかっただけよ! 愛だから仕方ないのよ!!」

 

 五十鈴は三日月とにらみ合って言いあう2人。どちらにしても僕が被害に合うのは確定なわけか。

 女の子に愛されるというのは初めてだけど、これが普通なんだろうか。思えば恋愛話なんて同性とも異性とも滅多に話をしたことがない。

 

「愛ですか。それなら、私はマシュウさんと一緒に寝ましたよ。私の部屋で、夜から朝までを」

 

 にんまりと自慢げに笑みを浮かべる三日月に、五十鈴は勢いよく僕を見てきては驚きで目が見開いていた。

 その目は本当かどうか、僕に問う視線だったので五十鈴に嫌われたくない僕は正直に言う。

 

「三日月が寂しいって言うから添い寝をしただけだよ」

「なんだ、驚かせないでちょうだい。そもそも私は深く愛を受け入れてもらったことがあるのよ?」

「マシュウさん、それは本当ですか?」

 

 僕自身、心当たりがないのに三日月に責められる目で見られるのが辛い。

 仕事は特にそういうことはなかったし、訓練に行くとき見送ったことかな。見送りされるというのは、愛されているからと言えるかもしれない。

 

「しっかりと私の愛をひとつずつ入れていった手作りクッキーを食べてもらったのよ。それも全部」

「クッキーを食べてもらっただけで愛というのは―――ひとつずつ愛を入れていった?」

「そうよ。私の成分をマシュウに取り込んでもらったの。髪の毛をちょっぴり入れたけど、あれは見た目が悪かったから今になって後悔しているわ。でも私の液体化した愛を―――」

「待て、待ってくれ五十鈴。それ以上は聞きたくない」

 

 五十鈴が訓練をしていて、それを僕が見ていたときに五十鈴手作りのクッキーを食べた覚えがある。あれか、あの時か。それにあのあとは好きだとも言われていた。愛を受け入れたとも取れるのかもしれない。

 

 だけれど、液体化した愛を口にしてしまった僕の顔が自然とまずいものを食べてしまったような表情になるのは仕方がないと思う。

 五十鈴の多くを受け入れてきた僕だけど、ここまでは受け入れたくない。受け入れてしまうと、もっと過激になってしまいそうだ。

 

「親愛としてならいいけど、五十鈴、僕は物理的愛より精神的愛が多いほうを好きなんだ。そういう物よりも言葉や一緒にいる時間のほうがいい」

「マシュウがそういうなら、これからは時々やるだけにするわ」

 

 問題はあまり解決していないことについて乾いた笑い声を出していると今度は三日月が五十鈴に僕と一緒に何をしたかの自慢を始めていく。

 2人の自慢しあう話を聞きながら僕は2人のそばを通り、三日月がゆがめたシャッターの前へ行く。

 

 ゆがんだシャッターは手で押したぐらいでは直らなさそうで、壊してしまったことは僕の不手際になってしまいそうだ。

 ……怒られるのがわかっているから、報告するのは気が重いがこれも仕事だ。一時的に三日月の上司である僕が責任を取る必要があるから。

 

 シャッターが壊れたのは悲しいけど、それよりも五十鈴と三日月の2人が仲良く話し合っているのは素敵なことだ。

 お互いに変な遠慮をせずに好きなことを言い合える関係というのは中々得ることができるものではない。

 話の内容が僕のことばかりというのは、恥ずかしく思えるけど。僕の情報が次々に2人の間で交換されている。

 

「五十鈴、三日月。話はそこまでにして提督のところへ行こうか。五十鈴は本来の仕事をさぼったこと、僕と三日月はシャッターについて」

 

 僕の言葉により、楽しく話をしていた2人の会話はピタリと止まり、慌てて僕のそばへやってくる。

 その申し訳なさそうな顔を見ていると、僕は同時に2人の頭をわしゃわしゃと撫でていく。すると五十鈴はひまわりのような明るい笑顔を浮かべ、三日月は穏やかな風を思い浮べるような小さな微笑みを浮かべている。

 少しばかり他の人よりも愛が深く、捨てられないかと臆病になっている2人。

 

 そんな2人を僕は守ってあげたい、そばにいてあげて不安な時は励ましてあげたい。そして一緒に安心できる日々を過ごしていきたい。

 時には監禁や拘束、よくわからない物を食べさせられるだろう。僕の前で自殺や自殺未遂、または僕へと怪我をさせられることも。

 よく考えれば、五十鈴と三日月は実に面倒な存在だ。だけれど、それが僕にとってはそれほど悪くない。

 

 それは僕が必要とされていると思えるからだ。過去、悲しい目にあった彼女たちの心の拠り所となり、救えることができるのならば僕は嬉しい。

 そんな彼女たちと僕は穏やかに同じ時間を過ごしていきたい。

 周囲から見れば、精神が不安定な彼女たちと距離を取ったほうがいいと言われるかもしれない。

 もしそう言われたのなら、僕はそれを否定できない。実際に僕も今まで2人と一緒にいてそう思うことがある。

 

 今日だって僕がいないとダメと言っていた五十鈴が、僕の意思を考えずに拘束をしてきた。三日月も五十鈴と似たような部分がある。

 そんな2人から、いつの日か無理心中をされる可能性は高いと思う。僕が恋人に、五十鈴か三日月かどちらを選ぶなんてことはできないから。

 なら2人と同時に付き合えばいいじゃないかという考えもした。でもそれはたとえ2人一緒に付き合ったとしても、時間やふれあう密度は平等にはできない。

 

 今のような友達以上恋人未満の関係ではなくなると、彼女たちは僕に依存しすぎてしまう。すでに今の状態でも依存をしているだろうけど、さらに進んでしまうのはよくない。

 もっと深く僕を頼るようになると、他の人たちとの協調性や僕に何かあったときに大きな問題となるだろう。

 だから、2人からの好きという感情をはぐらかしつつやっていきたい。……無責任な考えだと思う。それは僕が2人にとっていいと思うことを押し付けようとしているから。

 

 僕は五十鈴と三日月を見捨てることができず、かといって抱えている問題を解決することはできない。

 そんな情けない僕ができるのは現状維持。このままではずっと穏やかには生きていけず、どちらかと仲を深められないためにいつかは関係が破綻するとわかっていても。

 僕は選ぶ。選択肢がない状況でも、2人と一緒に同じ時間を過ごしていきたいと。

 それはまるで生きているけど、生きていない。暗い関係性が続くとわかりながらも、穏やかに死んでいくということを。




終わり。

アンケートで好きなヤンデレが依存系という、圧倒的投票数でした。頼られるっていいですよね。
そして誤字報告をしてくれた方たちに感謝を。


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