夜戦の美学 (水羊羹)
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己の美学を曲げない艦娘
我が鎮守府には、困った艦娘がいる。
己の美学とでも言うべきものを曲げられない、頑固な艦娘が。
そんな手のかかる彼女が、今日もボロボロの状態で報告にきた。
「提督ー。第二艦隊、全員無事に帰還したよ!」
「はぁ……。あのなぁ、お前。自分の格好を見てみろ」
「ん? いつも通りだけど?」
「ああ、そうだな。いつも通り、大破に近い中破をしているな!」
「沈んでないんだからいいじゃん!」
カラッと笑う彼女は、川内型一番艦の川内だ。他の鎮守府の川内と同じように、夜戦大好きっ子。
三度の飯より夜戦好き。何度言い聞かせても、夜戦をやめてくれないのだ。
「我が鎮守府の決まりを言ってみろ」
「中破撤退!」
「川内が夜戦した時は、破損状態はどうだった?」
「小破に近い中破だったよ」
「撤退しろよ!!」
「えー!? なんでよー! 夜戦だよやーせーん! 深海棲艦をあとちょっとまで追い詰めていたんだから、夜戦するしかないっしょ!」
「おバカ! それで轟沈したら意味ないだろっ!」
「ぶーぶー! 私がそんなヘマをするとか思ってるの?」
「それはまあ、思ってはいないけどさ。それでも心配するのが提督ってものなんだよ」
実際、うちの川内は提督界でも有名だ。大規模な作戦任務の時でも、彼女は自ら進んで前線にその身を晒していた。無謀とも取れるその姿を見て、提督達はこう呼んでいるのだ。皮肉を込めて。
──死にたがりの、夜戦バカと。
本来ならば怖がる夜戦を笑って望み、夜の海を軽やかに駆け、戸惑う深海棲艦を血祭りに上げていく。
耐性のない駆逐艦などは、川内に恐怖を抱いているぐらいだ。
その姿が悪鬼と見間違うばかりに。
「あはは、提督は心配性だなー。大丈夫だって! 私には神通や那珂がいるし、他にも頼りになる仲間がいるからさ」
「でも、お前が夜戦する時、みんなを帰還させようとするって聞いたぞ?」
「それは、ほら。私の美学にみんなを巻き込むわけにはいかないし?」
「あのなぁ。今まではなんとかなっているからいいけど、いつなにが起こるかわからないのが海なんだぞ? それはお前もよく知っているよな? 他のみんなを帰す前に、その美学を捨てて夜戦はやめてくれ」
「──それは無理だよ」
執務室に響き渡る、鋼の言葉。常の快活な笑顔を潜めた川内は、ここは譲れないとこちらを睨んできていた。
けれども、流石にこれ以上は見過ごせない。艦娘の命を預かる提督として、なにより一人の人間として、川内の寿命を縮めかねない行動は止めてみせる。
「俺だって無理だ。このままだと、川内が轟沈しちゃう。今まではお願いという形で止めてたけど、これからは命令してでも止めるぞ!」
「それでも、私は夜戦をやめない。だって、夜戦こそが私の存在意義だから」
「そんなのを存在意義にするな! 俺はお前を心配しているんだよ! 同じ艦隊の艦娘達も、川内が沈まないか心配している。なあ、お願いだよ。頼むから、夜戦するのをやめてくれ」
懇願するが、川内の瞳は揺れない。芯に鋼があるかのように、決して曲がらない、折れない、翻さない。
例え、その身を凌辱されようとも、自分の誇りを汚されようとも、その結果死ぬことになっても、己の意見を変えることはない眼差しだった。
頭を掻きむしる。どうして、どうしてわかってくれないんだ。ただ夜戦をやめて欲しいと言っているだけなのに。
なにも、ずっと封じるつもりはない。どうしても夜戦をしなければならない戦いが出てくるだろうし、その時は川内に許可を出すつもりだ。
川内自身もそれを理解していると確信している。彼女はわかっている上で、こちらのお願いを断っている。
「ごめんね、提督。何度言われても、私の考えは変わらない。私は、夜戦を……ううん、自分の美学を曲げるつもりはないから」
「──勝手にしろっ! もう、勝手にして轟沈でもなんでもしてしまえ!」
「……ごめんね」
困ったように笑った川内が、執務室を退室した。
扉が閉まるのを確認してから、己のやり切れなさに拳を机に叩きつける。
なにが、提督だ。川内の上司だ。艦娘を指揮する人間だ。艦娘の考え一つ変えられず、ましてや会話を放棄してしまう始末。
悔しい。感情を制御できない矮小さが。
悔しい。艦娘に提督として命令できない小心者さが。
悔しい──それを見透かされた上で、川内に謝らせてしまった自分の情けなさが。
「くそっ!」
唇を強く噛む。血が滲んで、口内に鉄の味が広がっていく。
それも、自身を苛立たたせる要因でしかない。己の惨めさが突きつけられた気がして。
天井を仰いで
錬成された穏やかな心を使い、ため息とともにイライラを吐き出す。
鼻腔を血の匂いが突いた。
「川内は入渠中だろうな。……いま会うのはお互い気まずいだろうし、明日謝ろう」
果たして、それは正しい選択なのか。彼女から逃げているだけではないのか。
自問自答するも、答えは出ない。ただ、自分にとって都合の良い時間が欲しいだけ。
それが逃げと言うなら、そうなのだろう。
もう一度ため息を漏らしながら、ままならない思いに憂鬱になるのだった。
──川内が、轟沈直前で帰ってきた。
その報告は、泣きながら帰還した神通よりもたらされる。
慌てて川内の元に向かうと、ちょうど彼女が入渠施設に入ろうとしているところだった。
「あ、提督。その、あはは。しくっちゃった。ごめんね」
「バカやろうッ!!!」
まさか、怒鳴るとは思わなかったのだろう。ヘラヘラした笑いの川内の片目が、大きく開かれる。
もう片方の目は、潰れて肉が剥き出しになっていた。
「本当にお前は……お前はっ!」
「あっはっは。でも、昨日提督は勝手にしろって言ったじゃん。だから、私はその通りにしただけだし」
「あれは、俺が悪かった。つい、心にもないことを言ってしまった。でも、やっぱり轟沈しかけたじゃないかっ!」
「大丈夫だいじょうぶ。今回はちょっとミスっただけだから。次からは失敗しないって! だからさ、提督。また夜戦させてね?」
「──っ!」
提督としての、タカが外れた気がした。
川内の上司としてではなく、一人の
叩かれた頬を押さえた川内は、ぽかんと間抜けに口を半開き。その滑稽な姿がおかしく、それ以上に腹立たしくて仕方がない。
「……なんで?」
返事の代わりに、彼女の全身を強く抱き締めた。
指先から、焼けただれた皮膚の感触。あまりにも痛々しく、涙が出てきそうだ。
直ぐにでも、川内を入渠させなければいけない。そうわかっているけれど、今だけはこの温もりを感じていたかった。
「お願いだ……これ以上、俺を心配させないでくれ。夜戦はしてもいい。いいから、せめて中破したら撤退してくれ。頼む」
「……心配してくれて、ありがと。うん、流石に少し懲りたよ。中破で夜戦するのは、やめるね」
「そうか。ようやく、わかってくれたか」
「でも、ね」
そこで言葉を区切ると、身体を離して微笑む川内。流していた涙を拭いながら、彼女は高らかに告げる。
「夜戦だけは、やめるつもりはないから」
「……わかったよ。中破進軍しないなら、それでいい」
「よろしい。じゃ、私は入渠してくるから!」
施設に入る川内を見て、安堵の息。
とりあえず、少しだけ自分を見直してくれるようだ。
しかし、今後の問題に頭が痛い。このまま、その夜戦バカも少しは治れば良いのだが。
筋金入りの川内の美学とやらに、ため息をつくのだった。
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あなたに捧げる私の美学
──昔から、夜戦好きな
違う鎮守府にいる私の話を聞くと、どの川内も夜戦バカという認識があるのだ。
変なの。最初に思うのは、そんな言葉。
だって、夜戦なんかしても楽しくない。
そりゃあ提督の命令には従うけど、わざわざ無理して夜戦までする義理はない。
夜戦をしているより、神通や那珂と話している方が楽しいし。
そんなことを演習で呟いたら、向こうの鎮守府にいた川内がおかしそうに笑った。
かつての己を見るような眼差しで、こう告げてきたんだ。
──心から支えたいと思う提督と会えば、わかるよ。
そんなあやふやな言葉で。
当然理解できなかったから、私は首をかしげたわけだけど。
今なら……ううん、あの人と出逢ってからはわかるかな。
あの人に会った瞬間から、私の存在意義は定まったんだから。
提督との相性が悪いと、定期的に別の鎮守府に異動されることがある。
私もそのクチで、新たな鎮守府にやってきた。
そして、あの人に出逢ったんだ。
「川内だな。うちの鎮守府では初めての艦娘だから、色々と教わると思う。これから、よろしくな」
とくん。着任挨拶にきたあの人……提督を見て、私はたった一つの感情に支配された。
──この人を支えたい。
今までにないほどの、強い衝動。提督の笑顔が、声が、匂いが、私を狂わせる。
一目惚れと言ったら、そうなのかも。でも、私はそんな清い感情だとは思えない。
これは、一言で表すならそう──崇拝。
提督のために、笑いたい。
提督のために、頑張りたい。
提督のために、勝利を捧げたい。
提督のために……夜戦をしたい。
ああ、ああ。
今なら、わかる。わかってしまう。あの時言っていた
川内型は、川内は、真に仕える提督に出逢ったら、夜戦を捧げたくなるって。
だけれど、これを素直にぶつけることはしない。まだ初対面だしね。
心に苛烈な熱をしまい込みながら、私は快活な笑顔を向ける。
提督に余計な心配をかけさせないために。
「川内、参上。夜戦なら任せておいて!」
こうして、私の
──足りない。
提督の元に配属されてから、常に胸を掻き立てる渇望。
練度は上がった。周りとの連携も取れている。可愛い妹達もいるし、順風満帆だ。
でも、でも、違う。違うの。こんなの、私じゃない。こんなお行儀が良いのは、
なにが足りない……決まっている。夜戦、夜戦をこの身体が欲している。
今も夜戦はしている。だけれど、決まって小破以下で挑んでいる。提督の方針で。
私達の身を案じているのは、とても嬉しい。
あの人は優しすぎるから、私達艦娘に命令ができないんだ。お願いという形で、協力を仰いでいる。
それが愛おしくて、支えたくて、夜戦を捧げたくて。
だからこそ、不満。私達が、中破進軍したら轟沈すると思われているようで。
この鎮守府は強い。それは戦闘力という意味ではなく、優しい提督を支えようとする、艦娘達の献身が満ちているから。
水平線に、夕日が沈み込む。
その直前、仲間に向けて放たれた砲撃を庇い、私の左腕が破損。
謝る仲間に微笑みながら、空から零れ落ちた闇の先を見つめる。
──数は二。どっちも軽巡洋艦で、小破と中破。対するこちら側は、私が中破で、他は小破のみ。
唇を舐める。
身体が火照っていく。収まらない熱が、心から飛び立っていく。
やるしかない……そう、確信した。
「みんなは先に帰還しといて!」
呼び止める仲間を無視して、私は自身の
全ての雑念を忘れ、溢れ出る思いを抱きながら、闇の海を疾駆。
闇で蛍火が瞬き。直感で身を捻れば、すぐ側で熱が通り過ぎる。
背後から襲いくる水飛沫を浴びながら、私は口元に大きな弧を描く。
「さあ。私と夜戦しよ!」
我が身を焦がす、夜戦の焔。共に踊りましょう。提督に美しき夜戦を捧げるために。
この日、私は初めて中破状態で夜戦をしたのだった。
「うぁー……」
入渠施設という名の湯船で、私は全身を投げ出していた。
やらかした。今の心境は、その一言に尽きる。
中破状態で夜戦を始めてから、私はその魅力に病みつきになっていた。
提督の言葉を無視して、何度も何度も夜戦の日々。
時に危ない場面があったけれども、こうして無事に帰還している。
でも、今回は流石に不味かった。
咄嗟に神通へ放たれた砲撃を庇ったはいいものの、まさかの大破。
おかげで三途の川が見えたよ。まだ渡るつもりはないけど。
肝が冷えたかな。大破で夜戦はいくら私でも笑顔が固まる。
ただまあ、一つだけ言い訳はあるのだ。
敵は私達を逃がすつもりがなかったから、夜戦をせざるを得なかった。
これ幸いに倒しに飛び出た私もあれだけどさ。
「提督、泣いてたなあ」
叩かれた頬を撫でながら、私はため息をつく。
心配してくれたのだろう。普段は自信なさげな顔ばかりなのに、あの時はめちゃくちゃ怖かった。うん。
ごめんなさい。そんな思い以上に、とても嬉しくもあった。
「私、愛されてるね」
口元がニヤける。だって、仕方ないじゃないか。あの提督から、怒鳴られてぶたれたんだから。
被虐趣味があるわけではない。ないけれど、私の性質上、痛みで生を実感してしまうのだ。
神通のように可愛くないし、那珂のように笑顔が素敵でもない。
私にあるのは、艦娘としての力だけ。だったら、それを活かすことこそが、提督にできる唯一の奉公。
──より美しく。
──より華麗に。
──そして、より苛烈に。
それこそが、私が夜戦に求める
夜戦しか取り柄のない私には、それで十分。他の部分は、みんなが埋めてくれる。
「でも、次からは自重しなきゃね」
提督に泣かれちゃうし。
舌を出した私は、流れる涙をお湯で拭うのだった。
敵の戦艦が、崩れ落ちる。
海の藻屑となった残骸を見送り、肩を回しながら勝利の美酒に酔う。
夜目に慣れた目で辺りを見回せば、暗い中で喜ぶ仲間の姿が見える。
「ま、当然の結果ね」
自身は小破。仲間も夜戦で中破になった娘がいるみたいだけれど、戦艦相手にこれは大健闘だろう。
完全勝利とまではいかないでも、勝利と言っても問題ない。
「これなら提督も怒らないでしょ」
私は夜戦ができて嬉しい。提督は無事に帰ってくれて嬉しい。
どちらもハッピーな、幸せな結末だ。
まあ、私としては若干の物足りなさはあるけれど。
そんなことを思ったのが、フラグとかいうことだったのかも。
嫌な予感を感じた。気を引き締めて、跳躍。直後、私の背後が爆発した。
仲間達も違和感に気がつき、戦闘態勢を取る。
「戦闘音に誘われて来たのかな?」
夜戦している時に乱入するのは、よくあることだ。
艦娘の匂いでも感じているのか。それとも、ただ単に深海棲艦同士で情報を共有しているのか。やつらはふらふらとやってくるのだ。誘蛾灯に誘われる虫のように。
燃料確認、問題ない。弾薬も余裕がある、被弾状況も良好。
気配を探る。敵は駆逐艦が三隻。魚雷に気をつければ、まず負けない。
心が震え上がる。恐怖で……否、提督に捧げる新たな
いつものように、心の熱のままに身体を動かす。
「いくよ!」
歌おう、提督への愛を。奏でよう、己の美学に従うままに。笑おう、あの人に捧げられる夜戦に歓喜しながら。
高らかに叫ぶ、心の渇望に身を委ねて。暁の水平線に、勝利を刻むのだ。
──これがあなたに捧げる、私の
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