死にたがりの神殺し (エトルリア)
しおりを挟む
死にたがりの神殺し
斬りかかりは空を切った。
私の身を投げ出した特攻は、標的に膝を屈されたことで、女神ヘルの上を超えて凶刃からその身を避けられた。その結果、無様に勢い良く私は地面とぶつかる、決死の攻撃は虚しく失敗した。
「―――」
生気の無い肌をした北欧の女神がブツブツと何かを呟き。
その言葉を引き金に女神の足元から穴が開き、そこから尋常ならざる極寒の冷気が噴出した。突如の冷気によって急速に気温が下がっている。吐いた吐息が白く塗色されて可視化でき、地面が浸食されているかのように一瞬で氷に覆われている。絶対零度の如き冷たさを誇る冷気は風に乗り、冷風となり被害を広めている。
ウォォッッッ――――――!!
今度は、遠吠えが鳴り響く。
穴の奥底からの地を揺るがす野太い叫び。
終わりのない冷気を排出する穴底から二つの巨大な足が伸び、一匹の獰猛な神獣が現世に顕現した。
グォォッッッ――――――!!
いや、一匹だけではない。
鼓膜から脳髄まで痺らせる程の劈く咆哮、違う種の叫びが轟く。
女神が治めるニヴルヘイムの番犬ガルム、それに続くようにニヴルヘイムと繋がる穴から現れた竜の頭。番犬に負けずとも劣らない巨躯を誇る、フヴェルゲルミルの泉に住み着いている竜ニーズヘッグまでも参戦してきた。
既に全身でニヴルヘイムの冷気を浴び、身震いが止まらず、体温が著しく奪われる。
あまりの冷たさで眼球に悲痛な痛みを訴えている、目蓋を閉じようにも接触した瞬間に凍り付きそうだ。もう既に地面と接触していた靴がそうなのだから。
凍傷も激しい。五指全てから感覚が消え、肌色が炭化した煤みたくなっている。
熱は血から消え、心臓の内側から冷えていく感覚。取り込んだ空気から気道を冷やし、蓄える肺まをも凍らす勢いだ。激しい目眩、朦朧としてくる思考。体と頭、双方の能力が著しく低下されている、女神だけで手こずりなのに、そこへ追い打ちを掛ける二体の神獣。
私は実感する、これは正しく正真正銘の絶体絶命だ。
――――――ああ、私は生きている。
絶体絶命の危機に私は、凛然とした花笑みで応える。
濃厚な死が眼前に迫り、私の心中にあるのは言い表せない歓喜だ。
命を削られ、今すぐにも最期の時が迫る危機的状況。
生と死の境目を彷徨い。風前の灯になって、私の身体が喜びに満ち溢れている。
だが、このまま大人しく死ぬつもりはない。
手中にある剣の握りを強め、女神だけでなく新たな参入者をも睨み付ける。
「ヘル、ガルム、ニーズヘッグ」
それぞれの名を口にして黝ずんだ滲みの呪詛となり、新たな呪詛も「死神の刃」という概念へと形作る。手元の無骨な剣に造られた概念を浸透させ、ただの直剣が黒く染まる。死神の役割を担う天使アズライールから簒奪した権能『
獣の本能から主の危機を感じ取ったんだろう。
大寒波の中で番犬ガルムは四足獣の構造を生かし、その巨躯で弾丸が如く速さで翔け始めた。
私と違い地面に張った氷に足を奪われることなく、その鋭利な牙を覗かせる大口を開けながら噛み砕こうと高速でこっちに迫る。
体の自由はない、真面に動かせることは叶わない。
容易に私を丸々呑み込める大口が、臭い口臭が漂う死が迫る。
――――――ならば、やることは一つ。
「戦神よ」
その一言で暴威が、具現した。
目前にまで迫っていた番犬の口が、巨躯が遥か遠くへ吹き飛ぶ。
地面に張られて氷は戦神の神力で砕かれ、破片が暴威に後押しされて勢いを得て周辺へと衝突しては、更に小さな粉となる。
氷による拘束からは解除された。手足の感覚は未だ回復してなく、バランス感覚にも支障が出ている。しかし、問題はない。流動する膜のように張られたアレスの神力を操作し、外部から手足を動かす。
いつ見ても凄まじいの一言だ、ギリシャ神話の中でも獰猛な軍神アレスの力による力場は。これだけでも、単なる本体の一部から借り受けているだけだというのに。
「―――」
女神ヘルがまた何か呪文か何かを囁く。
先程と同様に冥府ニヴルヘイムへ繋がる穴が開く、けど今度はその数は三つ。
最初の一つに加えて、合計四つの排出口が形成された。
先程までの寒波が優しく感じられる極寒の地獄が繰り広げられている。
身に纏わせたアレスの神力越しからでも、流石に寒さを感じる。
だけど、それでいい。
苦痛なき達成など、私は求めていない。
私はそれでは、満足などできない。
今度はニーズヘッグがその大口を開け、再び咆哮する。
それに呼応するかのように、開けられた四つの穴から何かが這い出る。
怨嗟の声を上げ、定まらない足つきで這いつくばる。肉体無き魂だけの状態でも活動している者達。死者の魂がニーズヘッグによって現世へと運び出された。
「……哀れだな、死んでもこうして動くなんて」
彼らが何者かは知らない。
名を鍵に魂と肉体を切り離す、アズライールの権能は彼ら相手では意味をなさない。彼らにとってはただの、生理的に受け付けられない気味の悪い剣だ。
けれど、脅威にはならない。
ゾンビゲームで見飽きる死んでいる者達の大群に突撃するよう、アレスの神力へと念じ、右、左、右、そのまま真っ直ぐへと縦横無尽に動かせる推進力を生み出す。あとはただの圧倒的な暴力による蹂躙劇。頭は消し飛び、半身が突如と消え、触れた手は腕ごと消し炭と化す。私に触れたその瞬間に、魂その物が断末魔もなく蒸発している。
グォォッッッ――――――!!
そんな一方的な狩りを許す筈もなく。
番犬と同じくニーズヘッグは世界樹をも齧る、自らにとって最大の武器であるその大口を開ける。
「バカだろ、お前」
戦神アレスと同類、軍神テュールを殺めたガルムでさえ歯が立たなかったアレスの力場。それが、戦う逸話のないただの蛇に敗れる筈がない。
彼女が抱いた至極全うな傲りの通り。
ニーズヘッグによる咬みつきはアレスの力場に阻まれ。逆に竜の牙へ罅を入れ、そのまま折る勢いだ。
「―――」
しかしながら、先程までの縦横無尽に翔ける足は止まっている。
その隙に女神ヘラが又しても、呪文を口にする。
新たな穴、五つ目の出入り口が開く。
しかも、私の真下に今度のは四つのと比べ一回り大きいのを開けた。
■■■ォォッッッ――――――!!
そこから鳴る新たな雄叫び。
今度の雄叫びは他のとは違う。
獣が如く野性味が強い叫びなだけで、それはまるで人によって発せられたような声。
巨腕が生え出た。一つは傷つきながら私を力場ごと掴み、もう一つで穴から這い出る為に地面に手をついている。
次に出て来たのは無精ひげでまみれた、小難しい表情をしている顔。
それは、巨人だ。北欧神話における神々の敵対者、アレスの膜越しからでも十分に寒い冷気が漏れ出ている穴から、霜の巨人ヨトゥンまでをも女神ヘルは加勢として呼び出した。
――――――嗚呼、たまらない。
更なる敵対者の参加に、私は笑顔で応えた。
自らが乗り越える壁をわざと高くして、自らが苦しむことを前提にする。
苦痛を糧に、悲痛を糧に。それさえも楽しみにして、活力へと変換させる。
自虐の極み。死を直面することで生を謳歌する異常者。
平穏の中に潜む苦痛を、望まない日常から活力を見出そうとした者の成れの果て。
現存する神殺し、現代のカンピオーネの一人。
それが異常者たる彼女の名前だ。
意味のない苦痛、実らない労力。
自己研鑽に繋がらない苦痛から価値を見出そうとした愚か者。
自らが追い込まれているという事実を自覚し、死んでもおかしくない状況に心が削られることでその身を奮い立たせる異常者。
マゾヒストとは似て非なる感性。
彼女の場合は苦痛に快楽でなく、活力を感じ取る。
社畜とも違う。
彼女の場合は目的の為に頑張るというよりも、その工程に頑張りを見出す。
人間社会の日常では殆ど役立たず。
けれど、災害時には生き生きと危険区域に突っ込んでいく。
続かない。
目次 感想へのリンク しおりを挟む