職業=深海棲艦 (オラクルMk-II )
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1 始まりは突然嵐になる
1 まな板の鯉


鈴谷とネ級がかわいいので初投稿です(嘘)


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 携帯電話のアラームで目が覚める。

 

 寝付きが悪く疲労が抜けていなかった鈴谷(すずや)は眉間にシワを寄せて、およそ若い女性がやってはいけないような表情で、ベッドの下で(わめ)き散らしていたスマートフォンを止めた。

 

 休日が明けてすぐ、次の日の1日の始まりというものは本当に体が重たい。ベッドから降りるどころか、布団を体から剥がすだけで重労働に感じるし、朝の身支度なんてもっとやりたくない。心の中で愚痴を言いながら、のっそりと上体を起こす。

 

「マジ、だるぅ~………」

 

 壁掛け時計に目をやれば、針は午前5時50分を指している。夜明け直後で外は薄暗く、社会人でもまだ寝ている人間が居るような時間帯に起きなければならない職種についている事が本当に腹立たしい。

 

 これぐらいの時間はいつもSNSで友人から仕事の連絡を教えて貰っている。寝起きで(にじ)む視界のなか、普段通り、彼女は日常的にやっているそれの確認作業に入る。

 

 『鈴谷起きてますか? 今日のスケジュールを貼っておきますわ』 携帯の液晶に目を通すと、数分前に送られてきていたメッセージの下に、友人が書いている通りに予定表の画像が添付(てんぷ)されていた。

 

 ぱちん、と音が部屋の中に響くぐらいに少し強めに手のひらで自分の頬を叩いて無理矢理脳を覚まさせる。大きく深呼吸をしてから、鈴谷は着替えてから朝食を摂るのだった。

 

 

 

 朝早い時間帯で車通りの少ない道を、自分のシビックを飛ばして職場に着くと、適当な場所に車を止める。鈴谷はほとんど荷物の入っていない手提げ鞄を助手席から引ったくって、慌ただしく車から降りる。

 

 赤レンガを積み立てて作られた塀に四方を囲まれて、同じくレンガ造りで広い敷地を持つ建物を観る。駐車場の近くに立っている看板には「第7・横須賀鎮守府」と書かれている。もう勤めて2年以上は経つはずなのだが、このこぢんまりとしていながら妙な迫力のある建造物に、どうにも彼女は慣れることがなかった。

 

 眠気覚ましと口臭対策に噛んでいたガムを、吐き出すのが面倒で飲み込む。同時に彼女は小走りで、自動ドアが当たり前のこのご時世にあまり見なくなった、玄関の回転ドアに体を滑り込ませた。

 

 建物の中は、まだ朝の7時にもなっていないのに、仕事中の人間で賑やかだった。夜勤明けで眠いのか、工具箱を持ってふらふらしている作業着姿のおじさまや、何かの書類を持って小走りしている同年代の女性やらに適当な挨拶をして横を通り過ぎる。鈴谷は廊下を走り、突き当たりにある大きな観音開きの扉を開けると、部屋の中に入った。

 

「すいませーん。鈴谷は遅れましたー」

 

 気の抜けた言葉を発しながら、すでに上司と何か話していた同僚5人の横に並ぶ。自発的に宣言した通り、鈴谷は職場に遅れてきていたのだが、悪びれている様子は微塵(みじん)もない。

 

 横並びになった6人に対面するように置かれた机に座っていた自分の上司は、「いつものことか」とでも言いたそうに、なんだか情けない笑顔を浮かべている。そんな彼に代わって。あくびをしていた鈴谷に、右隣に居た、彼女と似た服装の友人が軽い説教を始めた。

 

「全く呆れますわ。社会人としての自覚が足りてないのでは?」

 

「始業が早すぎるのがダメなだけで私は悪くないもんね!」

 

「まぁ。そこまで開き直られると逆に感心しますわ」

 

 学生の時からの親友、熊野(くまの)に言われて反論すると白い目で見られた。黙って二人の様子を見ていた他の者も、机の男以外は、鈴谷の事を何を言っているんだよと目で伝えて来ていたが、慣れているので気にしない。

 

 普通に考えて上司の前でとんでもない発言をしていた鈴谷に。佐伯 渉(さえき わたる)は、優しい顔を崩さず、座ったまま声をかけて二人の仲裁に入った。

 

「熊野さん、良いですよ。ですが鈴谷さん、出来ればもう少し早く来ていただけると私は嬉しいですね」

 

「善処しまーす」

 

「はい。お願いしますよ?」

 

 鈴谷の「仕事」は6人1組で行われる。が、休み明けの日はたまに彼女は遅れてやってきて、その度に誰かに苦言を呈されてほんの少しの口論になる。それについて、ありがたいことに、鈴谷は優しい優しい佐伯から軽く(さと)されるだけで終わる。

 

 いつも通り、彼女には見慣れた光景だ。これが鈴谷にとっての仕事の始まりの風景だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 深海棲艦(しんかいせいかん)、というみょうちきりんな生き物か何かが現れてから久しい。

 

 誕生の経緯だとか、どこから沸いて出てきたのか。10数年近くに渡って研究されているのにも関わらず、あまり詳しいことは解っていないその生き物に、今でも人類は海での行動に制限をかけられていた。

 

 連中が出てきたばかりの最初は、それはもう酷かったらしい。体から生えている鉄砲サイズの銃口から、軍艦やら戦車やらのキャノン砲レベルの異常な破壊力を持つ弾丸を放ち。その攻撃力でタンカーや輸送船、客船を沈めまくり、経済に大打撃を与えたんだとか。

 

 一応は軍艦や戦闘機による攻撃・撃沈は可能だった。が、人間サイズか、大きくても鮫やイルカぐらいで的が小さすぎて打撃を与えるのが面倒で、何よりも燃料や弾薬費とお金が掛かりすぎて。頭を悩ませた人たちはじゃあどうしたかと言うと、意外すぎる手を打つ。

 

 魔術、という物に頼ったのだ。学生時代、それを教科書で読んで鈴谷は噴き出した覚えがある。

 

 昔から人というものは神様とか魔法とかが大好きである。無神論者を名乗っている大半の日本人だって、あまり勉強しないで試験に挑む日とか、大事な取引がある日とか、人生のなかでほぼ必ず1回ぐらいは「あぁ神様!」って言う経験があるぐらいだろうし。

 

 話を戻すと、悩みに悩んだ人達はオカルトに頼ったのだ。怪しい宗教の人間に、由緒正しきお寺のお坊さんや、自称陰陽師の血筋の詐欺紛いの自営業をしていた人とか。冗談半分でそういった人間を集めて適当な儀式をやったところ、事件は起こる。

 

 妖精、と今では呼ばれている何かの召喚に成功してしまったのだ。たぶん、面白半分でやっていた偉い人は死ぬほどビックリしたんだろうなと鈴谷は思う。事実は小説よりも奇なりとは正にこういったエピソードを指すんだろう。

 

 意図せず呼び出した2頭身の可愛らしいマスコット人種はとても凄い技術を持っていた。人にとって目の上のたんこぶだった深海棲艦と同じく、手持ちの銃火器ぐらいの大きさで凄まじい破壊力を産み出す武器、海を歩いたり滑っていったり出来る靴に、目に見えないバリアのような物が展開できる服やエンジンが組み込まれたリュックサックサイズの機械。なぜかどれも女性の、それも適性がある人物しか使えない物だったが、敵と戦うには十分すぎるオーパーツを作った。

 

 嬉しい誤算が発生したことに、政府の人は大喜び。同じことの繰り返しで妖精を呼び出し、そしてその技術も少しずつ盗んでいって。量産された装備、今では船の設備に見立てて艤装と呼称するそれらを身に付けた女性を、今度は艦船の擬人化に見立てて艦娘と名前をつけて。

 

 それらを指揮するトップを、提督とか司令官と付けて艦娘と同じく基地に配置する。そうして、海軍と名前は変わったが元を辿ると自衛隊と呼ばれていた組織が、深海棲艦の駆逐や捕獲をして海の安全を護っている。そんな状況が現在まで続いていた。

 

 

 

 

 あ゙あ゙あぁぁ。どうしてこうも、面倒な世界に自分は産まれたのか。こんな職種に就くぐらいだったら、いっそ男に産まれたかった。

 

 つい数年前まで、学校の教科書で読んでいた艦娘に、まさか自分がなるだなんて夢にも思っていなかった。鈴谷は朝に顔合わせした5人と隊列を組んで海を滑っていきながら、心の中でぶつぶつ呟く。

 

 悪感情というのは、意識してもしていなくても顔に結構出てしまうようだ。鈴谷が内心で、少なくとも良いものではない黒い何かを煮ていると、すぐ近くに居た熊野に声をかけられた。

 

「鈴谷、調子はいかが。少し眺めていましたが、レディがする顔ではありませんわ。昨夜はよく眠れまして?」

 

「ぜ~んぜん? 鈴谷、夜型だしぃ~」

 

「あら、やっぱり褒められたものじゃありませんこと。夜更かしは美容の大敵なのはお分かり?」

 

「知ってるけどさ、やりたいことが多くて」

 

 一日が60時間ぐらい欲しいな~ 鈴谷が言う。熊野は話題を変えた。

 

「そう言えば、それ、また染め直しましたのね」

 

「そ。綺麗でしょ?」

 

 質問に得意気な顔で返した鈴谷へ、熊野は何ともいえない微妙なひきつった笑顔を向けた。親友の事を変な顔で見つめるのにも理由がある。

 

 鈴谷の髪の毛は、一般人を取り込んで緩くなったとはいえ、一応は軍を名乗る組織に所属する人間とは到底思えないような色をしている。少し薄めのターコイズブルーなんて、ファッション関係の職種の人間でもそうは居ない色に染めた髪を手で弄りながら、鈴谷は熊野との雑談を続けた。

 

 一応は、民間の企業にシステムや理念が変えられているのだが。細かい規則なんかは未だに厳しい軍隊に勤めていながら、鈴谷がそんな事をやっているのには意味と訳があった。

 

 というのも、彼女は自分からなりたくて艦娘になった訳ではない。本当に目指していた職業は看護師だったのに、適性があるとかないとかで、無理矢理、この仕事場に所属させられたのだ。妙な色に髪を染めたのは、彼女なりの「会社」に対する反骨精神の現れである。

 

 自分を砲弾飛び交う戦場に引きずり込んだ軍と、そんな状況を作り出すに至った根本の原因である深海棲艦とかいう連中にイライラする。が、この2つが居るから儲かっている人達も居るので、そう簡単に居なくなっても困るのが面倒なところか。

 

 保険会社なんかは商魂(たくま)しく、損害保険に「深海棲艦による攻撃」なんて項目を用意したし、自動車販売店や家電メーカー、建築会社も海沿いに住んでいる人間には保証を厚くしたりしている。

 

「お前ら、雑談もほどほどにな。もう少しで敵が来そうだ」

 

「了解でーす」

 

「承知しました」

 

 人を二人ほど挟んで、少し離れて前にいた那智(なち)に言われて。二人は会話を切り上げた。

 

 那智、鈴谷、熊野。これらの名前も彼女らの本名では無かった。艦娘の名前というのは、鈴谷の記憶が正しければ第二次大戦の軍艦の名前から取っていると偉い人から聞いている。あまり意味はないように個人的に考えていたが、一応ゲン担ぎみたいな物らしい。付け加えて、何かの間違いで提督職の者が死亡し、指揮を取る人間が代わったりしても覚えやすいように、という理由がある。

 

 先頭に居た那智の発言に、鈴谷熊野以外の3人も緩んでいた気を引き締める。

 

 無駄話をやめて1分もしなかった。鈴谷が水平線を睨んでいると、ぽつぽつと黒い何かがこちらに向かって進んできているのが見えた。自分達の敵、深海棲艦の、魚類のような見た目をしている駆逐艦級だ。ちらほらと違うのも混じっているが問題はない。

 

 6人は各々持っていた火気類の安全装置を外し、敵に向けて構えた。先手を打ってきたのは相手からだった。

 

 鈴谷他、6人全員は慣れた様子で攻撃を避けた。外れた砲弾が海面に当たって飛沫が上がり、鈴谷は頭から海水を被って目を細める。初めて海に出たときが懐かしい。最初の頃はおっかなびっくり、それこそヘマをすれば自分は死ぬと思っていたが、今ではすっかりそんな感情も沸かなくなっていた。

 

 戦闘に入ったと同時に鈴谷は艤装の出力を上げる。足元から自前で巻き上げていた水煙が大きくなり、エネルギーを生み出す動力部が唸る音も先程までとは比べ物にならないほど(うるさ)くなる。味方の指示はもう肉声では聞き取れないので、無線のスイッチも押して起動させる。

 

『一捻りで黙らせてやりますわ!』

 

 反撃に移るのが一番早かった熊野の声が、胸に付けていた無線機から聞こえてきた。お嬢様は好戦的な性格なのは長い付き合いなので知っているが、よくもまぁ、こんな朝から元気でいられるなと感心する。

 

『イ級が3匹にホ級が2、一番後ろにリ級だ』

 

『了解!』

 

『イ級1、沈黙を確認しましたわ』

 

「じゃあ、私は真ん中のホ級ね」

 

 右に左に体を揺すり、敵に補足されないようにと動きを止めないことを心掛ける。脇に抱えていた火器を一発、本棚にヒトの上半身が生えているような化け物に見舞う。

 

 当たりどころが良かったらしい。たった一撃で、鈴谷が狙った敵は金切り声を挙げて沈んでいった。

 

 さっさと終わらせて帰ることしか頭に無い彼女はすぐに違う武器を構える。装填の手間と時間すら惜しい。そう素早く判断し、背負っていた対艦ロケットランチャーの引き金を引く。狙った先には残った深海棲艦が3匹ほど固まっている。

 

「あっちいけっての、この!」

 

「*$)'::-:-&*&:&)=@``@^:^?!!!!!」

 

「那智さーん、とどめ!!」

 

『わかってる』

 

 砲と違って、あまり敵に効く武器ではないそれらから、赤いカラースモークを飛行機雲のように巻き上げる弾が敵に殺到する。ボイスチェンジャーを通したような声で怒鳴り散らし、爆煙に包まれた敵から目を逸らさず、鈴谷は味方に追い討ちするように指示した。

 

『敵、全て沈黙しました。先に行きましょうか』

 

「は~い………はぁ」

 

 たかが2年と少しとはいえ、全員戦場に出て久しい。火気類なんて触ったこともなかった時から考えれば、言うまでもなく、ただの素人とは呼ばれない程度には艦娘として熟練者になっていた。

 

 特に苦もなく敵は全て倒して。6人は引き続き海上警備の作業に戻った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「疲れた……もう帰りたい」

 

「鈴谷、まだ昼だぞ」

 

「那智さんは辛くないの?」

 

「さぁな?」

 

「なにそれ………」

 

 鈴谷が自分の肩を叩きながら言うと、同い年の同僚から突っ込まれる。

 

 朝の7時頃から、ずっと6人は海を駆けていたが。敵との初遭遇の後も散発的な戦闘を繰り返すこと、およそ7、8回。時刻は12時近くになっていた。あぁ、やっと昼ごはん休憩か。那智の発言に腕時計を覗いて鈴谷は肩を落とした。

 

 艦娘の仕事というのは結構ハードだ。今日の鈴谷の場合は、朝の6時半までに鎮守府に来て点呼、7時に海に出て昼に1度戻って休憩と補給。それが終わるとまた海に出て、日が落ちきった19時ごろにやっと帰投して解散、帰宅である。

 

 ダルい、メンドい、もう、とにかく嫌! 鈴谷に言わせればそんな仕事なのだから、最低で半日、たまにはそれすら超える時間の拘束なんて(たま)ったものではない。

 

 自分の艤装をぶっ壊して売り飛ばし、そのお金で高跳びでもしてやろうかこんちきしょう! ……何度思って決行しようとしたかわからない発想である。おまけにこの艦娘の装備のブラックボックスは未解明の技術が使われているらしい。テロリストとかにはさぞや高く売れるだろうな、と未だに危なすぎる夢を見ていた。

 

 余談だが、変な技術が使われているなんて、無知な人間からすれば危険に思うかもしれないが。これも見方と多少の知識で考えれば、特に変なことでもない。

 

 わかりやすい例で言えば、例えばテレビゲームのディスクやカセットのコードである。電子コードやIT産業というものが技術発展はしているが、未だに「この文字列を打ち込んでどうしてこう動くのか?」という事もわかっていない物を、とりあえず正常に動くから使おうなんてやっている、というのは、パソコンに疎い彼女でも聞いたことがある。

 

 考え事に(ふけ)っていると、目的の場所まで彼女らは戻ってきていた。テトラポットのズラリと並ぶ職場の港に到着し、6人はそれらをよじ登って陸に上がった。

 

「あ~――――ッ!! やっとお昼かぁ。疲れすぎて食べたそばから吐くかも……」

 

「人一倍食べる貴女が? ありえませんわ」

 

「ジョーダンよジョーダン、それだけ疲れてるって言いたいの。」

 

 肩を落としてゾンビみたいな歩き方をすると、熊野に茶化された。鈴谷はすかさず発言に補足を加えたものの、友人は「あぁそう?」と笑い、まともに対応しようとはしなかった。

 

 やっている業務の都合上、どうしても足元は海水でグチャグチャになる。鈴谷は濡れた靴下の感触に気持ち悪さを感じつつ、シャワーでも浴びたあとにさっさと昼食を済ませてしまおうと建物に入ろうとしたときだ。特に意味もない雑談を仲間と交わしていると、自分の上司が外で誰かと話しているのが見えた。

 

 何やら人相の悪い男にペコペコ頭を下げている佐伯のすぐ近くの駐車場には、見慣れない黒の高級セダンと、男の側には部下と思わしき女性が1人立っている。あぁいうのを見ると、管理職って本当に大変そうだな。まるで他人事だとそう思っていたときだった。ちらり、と男がこちらを見てきたのに気が付いた。

 

「ねぇ、誰あれ?」

 

「私に聞くな。どこかの提督じゃないのか」

 

「どこかで見たことがあるような……」

 

「どこかってどこさ熊野?」

 

「だから今思い出している途中ですの」

 

 何だか気になるものがあると、すぐに足を止めて知人と立ち話になるのは、この世の女性全員の特徴とは言い過ぎか。少なくとも鈴谷のクセではあった。

 

 1度目だけだったら気のせいだと自分に言い聞かせたが。なんどもチラチラやられると、少しカチンと来るものがある。こちらの何かを監視するような態度が少し気に入らなくて、彼女はお返しとばかりに相手にわかるように男の方を向きながら那智、熊野の2人を巻き込んで話をしていると。

 

 どうやら(かん)に触る態度だと思われたらしかった。男は眉間にシワを作って目元に影を落とし、こっちに近付いてきた。怒りの矛先に指名されたのは鈴谷だ。

 

「お前が鈴谷か?」

 

「そうですけど」

 

 やっば。メンドい事になっちゃったかな? 内心ではそう思いつつ、偉い人か何かかと予想して一応敬礼しておいた。

 

 ガン見しながらガールズトークの話の種にしたのは流石に不味かったか。よし、2人に擦り付けて早くお風呂に……。そこまで考えて鈴谷は振り返る。迷惑極まりない計画は崩れ去った。那智も熊野もさっさと鎮守府に入っていったのかもう居なかったのだ。

 

「貴様なんだその髪は? 軍をナメているのか?」

 

「……………」

 

 そう来たか。自分が男だったら、下手をすれば髪の毛を引っ張られてパワハラでもしてきたんじゃないか、なんて容易に想像できる剣幕で言われて。鈴谷は目を細めながら男に応対する。

 

「成果と能力が認められれば、個性を主張して良いと提督から聞いてます」

 

「そんなふざけた色に染めるのが許されると思っているのか」

 

「そのぶん真面目に仕事してますよ」

 

「そういう問題じゃないと言ってるんだ!! 風紀が乱れる、貴様のような奴が居ると、それが許されると勘違いするバカどもが増えるんだ!! わかったらさっさと真っ黒に染め直せ!!」

 

 呆れた。「バカども」さえ無ければ少しは反省しようと思ったのに。

 

 がなりたてる目の前の人物の真ん前で、目くそでも飛ばしてやろうかという気分になる。全く怖じ気付く様子すら見せず、あくまで鈴谷は忽然(こつぜん)とした態度で、男の言うことに折れるどころか煽ってみる。

 

「鎮守府内はここの提督がトップで、従えとの規程ですから、貴方に指図される覚えはありません」

 

「……………今何と言った?」

 

「貴方の言うことが聞きたくないです」

 

「なんだその態度はぁぁ!!?」

 

 うるさっ!

 

 1mも距離がない場所からものすごい大声で怒鳴られて、鈴谷は耳元で風船を爆発させられて鼓膜がキーンとするような感覚に見舞われた。頭に血が昇りやすい人間を指して「瞬間湯沸し器」と表現することがあるが、まさにこういうおじさまの事を指すんだろうな、なんて思った。

 

 

 

 

 鈴谷がこんなにも相手に暴言じみた慇懃無礼(いんぎんぶれい)を働くのももちろん理由があった。周囲も承知の事実だったが、是が非でも艦娘を辞めたいと考えていたからだ。

 

 本人に自覚は無かったが。不幸なことに、鈴谷……本名は根上 紀美(ねがみ きみ)という女は、非常に仕事が出来る人間だった事が、退職を阻む足枷(あしかせ)になっていた。

 

 秘書官と艦娘を掛けた秘書艦という役職がある。日替わりのこれに任命された時は、書類仕事を提督の佐伯よりも手早く済ませ、余った時間を昼寝にあてた。日常業務でも倒した深海棲艦の撃沈スコアは少ないが、それは味方のフォローに回ることが多いだけで、実際は高い。

 

 ついでとばかりに、新米として配属された艦娘への指導役を頼まれた際も、もともと人に物を教えるのが好きだった彼女には、それはむしろ楽しくやれる仕事だった。おまけに彼女の教えを貰った艦娘は能力が高い者が多く、教え子たちのことを「鈴谷ブランド」とか言って誉める人まで出てくるぐらいだ。

 

 簡単に言うと、彼女は「手を抜く」というのを意識しないと出来ない性分だった。お陰でいつも仕事は全力でこなして成果を出すせいで、周りからは非常に頼りにされてしまっているのである。

 

 とてつもないアンポンタンだったり、人が寄り付かない破天荒な性格だった方が彼女には幸せだったか。悲しいことに、必ずしも本人の意志と能力が噛み合うとは限らない。仕事が辞めたくて仕方がないのに、鈴谷は艦娘として必要な能力が軒並み高水準だった。

 

 今現在こそ虫の居所が悪すぎて爆発しただけで、別に普段からここまで素行に問題がある人間でもない。軍が手放すわけが無かった。

 

「…………はぁ。何してんだろ」

 

 良い年して上に噛みついて。それでラクになればみんな苦労してないっての。シャワールームで汗を軽く流して来ると、軽く頭が冷える。冷静になってみなくても凄いことしてたな自分は、と少し前に外で上官をおちょくった事を思い出す。

 

 安物の腕時計を見ると、2時間と少し多目に設けられている休憩時間もあと半分と少ししかないと確認して。着替えを早く済ませると、鈴谷は小走りで食堂に入り、その場で購入した食券を給仕の者に渡して空いている席に座る。

 

 出撃から遅く戻ってきた事に加えて、完全に自滅だったが説教に首を突っ込んだのが悪手だった。あぁ、貴重な休み時間が。座り心地の良い椅子の背もたれに全体重を乗せてぐったりしながら、広い部屋の中、1面ガラス張りの部分から見える水平線を見ていると。頼んだオムライスを運んで給仕が来るのと同時に、隣に誰かやって来た。

 

「隣空いてるか?」

 

「うん、大丈夫だよ~」

 

「ありがとさん」

 

 小脇に黒い外套を抱え、少し丈の短い水兵服に顔の右目に眼帯をしているのが目を引く人物だ。名前を木曾(きそ)という彼女に聞かれて、断る理由もない鈴谷は嫌がることもなく横に来ることを承諾した。

 

 那智や熊野と同じく、自分と同期で朝の出撃にも一緒に出た相手は持っていた服を背もたれに掛けて椅子に座った。一連の様子を見てから、鈴谷は食事に手を付けようとしたときだった。隣から視線を感じる。何かと横を見ると、木曾が自分の顔を見てニヤニヤしている。

 

「何? なんか顔についてる?」

 

「いんや、こってり絞られてたなとおもってよ」

 

「なにさ、覗き見してたの? 趣味わるわる……」

 

「他の奴等はすぐに帰っちまったがな、ちょっと面白そうだから俺だけは陰から見てた。ウケたね、あのゴリラみたいに怒ってるヤツさ!」

 

 自分がここに着いたときにはもう食事を済ませていた熊野達の中に居なかったのはそういうことか。遅れてきた自分と何故か昼食の時間が被った相手に、悪趣味だと毒づく。

 

 やったことを批判されて、鈴谷に向かって、悪いね、と木曾は軽く流して見せると。彼女は私物の肩掛け鞄から1枚の少し大きな新聞のスクラップを広げて、オムライスの皿の横に差し込んだ。何かと思って鈴谷の視線が強制的に記事に向かう。少しびっくりした。いましがた口論してきた男の写真が載っている。

 

「熊野が思い出した!ってよ、これをお前に見せろって」

 

「ふーん……新聞載るぐらいのお偉いさんと」

 

「佐伯も可哀想に。蒼い顔してたじゃんかよ」

 

 吉田 法正(よしだ ほうせい)、か。写真の下に書かれていた男の名前が真っ先に目に入る。ざっと記事に目を通したが、深海棲艦嫌いで有名で、結構な戦果を稼いでいる提督らしい。

 

「変な噂もけっこー聞くヤツさ。気に入らないヤツはこいつの権力で飛ばされたとかね」

 

「へぇ、鈴谷には好都合かも」

 

「辞めたいからか」

 

「そ!」

 

 木曾が苦笑いしている。畳み掛けるように鈴谷は続けた。

 

「でもアタシは、やーね! 顔も悪いしすぐ怒鳴るし。だいたい裏でこそこそと悪巧みなんて時点で男らしさの欠片も無いじゃん?」

 

「ほー? じゃあうちのナヨナヨした提督サマは?」

 

「佐伯提督は、そりゃ病弱で色白だけどさ、芯はしっかりしてるっしょ。やるときはやるってカッコいいよね、あと結構イケメンだしぃ?」

 

 鈴谷の発言に、木曾はひきつった笑顔を弱くした。彼女の言う通り、この場所のトップを務める佐伯は、決まって1ヶ月に2、3回ぐらいはいつも風邪をひいて体調を崩す虚弱体質だ。が、人柄と顔立ちはそれなりに整っているので、人望は厚い。

 

「でも本当、お前のそーゆートコ尊敬するよ。俺なんか再就職のアテ無いし辞めるつもりもないし、飛ばされたらどーしよって戦々恐々だぜ」

 

「嫌なものは嫌! ぜぇ~~~ッッッ対に嫌!! 口に出さないと延々と付きまとわれるのが嫌だから私は口に出すんだもんネ!」

 

「ははは。面白い事言うな」

 

「笑い事じゃないよ……ホント何したらやめられるのここって? 提督にナニする!?」

 

 いくらなんでも流石にそれはやめた方が…… いつの間にかに食べていたのか、もう皿に盛られた料理が半分になっているのを見ながら、木曾は頭を抱えている鈴谷を(なだ)めた。

 

「ん~……? あ、そうだ、大怪我でもすれば良いんじゃないか? 手足の1本吹っ飛ぶぐらいの」

 

「うわっ………それ本気で言ってる?」

 

「冗談だよ。だがまぁ、あそこまでやっても囲い込んで来るぐらいだからなぁ……それぐらいやらないとダメなんじゃないか?」

 

 まぁ本当のところはお前さんが優秀すぎるのが一番の問題だと俺は思うがね。木曾の口からそんな言葉が飛び出そうになったが、彼女は滑りそうになった舌と喉にブレーキを掛ける。テーブルに突っ伏しかけていた鈴谷はいきなりガバッと上体を起こして口を開いた。

 

「ふん、上等じゃん! 辞めさせてくれないんなら鈴谷は悪の限りを尽くすね!」

 

「山賊か何かかよお前は」

 

 ホント、ブレないのね。滅茶苦茶な事を言って、また鈴谷は木曾に少し落ち着けと諭された。

 

 

 

 

 




作者の腕とキーボードがエンジンならば感想はガソリンだゾ
貰えると嬉しくなっちゃって更新が早まるかもしれません()


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2 ブラックアウト

いつもは展開が激遅なので今作はジェットコースター並に早いです


 取りあえず着替えと昼食と一通りのことは終えて、鈴谷は鎮守府の外に出ることにした。

 

 東北の北に寄った方では、今ぐらいは雪が溶けて暖かくなってくる頃かな。なんて思う。とはいえまだ4月になったばかりなので、時折思い出したかのように寒い日が来たりもする。一応桜の花は咲いているが満開というには少し遠い。

 

 第7横須賀鎮守府、なんて名前のクセに神奈川どころか千葉に構えているこの建物の敷地の、海と鎮守府と駐車場が全部見渡せる場所に設置してあるベンチに腰掛ける。鈴谷は両腕を背もたれの後ろに引っ掛けて体の力を抜く。

 

「あぁ~―――はぁ………」

 

 独り言と溜め息でも()いたら少しは気分も良くなるか? そう考えたが、しかし言う言葉がとっさには思い付かなくて、声だけ出してみた。が、溜め込んだストレスのこれっぽっちも出せた気がしなかった。

 

(いく)ら給料が高くたってさぁ、使う暇が無かったら貯まってく一方だよもー!」

 

 特に相手は居なかったが、強いて言えば空にたくさん浮かんでいた白い雲に向けて、彼女は愚痴った。数秒後に本当に誰もいないよね? なんて周囲を見渡すと、一人、知り合いが向こうから、自分が見ていた駐車場の方へと歩いているのを見つけた。

 

 熊野が透明なバケツに何かのポリタンクとタワシ、洗車用のハンディスポンジを突っ込んだ物を持って歩いている。行き先を目で追ってみれば、直線上に白い輝きを放っている車が停めてある。真っ白で、ペッタリと潰れたスリッパみたいに低い車体のスポーツカーは熊野の愛車だ。

 

 自動車には特に興味はない鈴谷でも、ちょっと昔に熊野のアツいトークに聞いてから知識として知っている。ランボルギーニ・ガヤルド。あんまりしつこく言うものだから、前に気になって調べたが、新車ならなんと最低グレードでもお値段2000万円のスーパーカーである。

 

 中学生で友達になってから数年経った今でも熊野は車好きだ。中でもこの車はデビューしたのを見てから一目惚れしたみたいで、乗ってみたいと高校生の時からうるさかった。それが今では自分の所有物なんだから、まぁ嬉しいんだろうな、ぐらいは想像がつく。

 

「……ちょっかいかけてやーろぉっ!」

 

 ベッドから跳ね起きるみたいに足で反動をつけて勢いよくベンチから立ち上がり、鈴谷は親友の元へと走った。

 

 

 

 軍では艦娘・熊野と名乗っている女の本名は西円寺 典子(さいえんじ のりこ)といって、この辺りでは名の知れた有名人だ。というのもこの西円寺という家、何の会社かは鈴谷は忘れたが大会社の社長で、彼女の実家も控え目ではあるが豪邸だ。

 

 でっかい会社の社長令嬢として特に不自由なく育っている彼女だが。ふつうそういった環境で育つと、幾分か世間知らずな箱入り娘が出来上がりそうな物だが、熊野は違った。

 

 彼女はプライドが高いのは鈴谷も知っているが、1つの人生のポリシーみたいなものを持っている。それは、周囲から「甘やかされて育っている」と見られることを何よりも嫌い、それを行動で示すという物だ。身の回りの事は自分でやらないと気が済まないらしく、その行動のわかりやすい証拠として、なんと彼女の私物のランボルギーニは自分の力だけで購入した物である。

 

 そもそも裕福な家庭の生まれという時点で運が良さそうな物だが、それに甘んじなかった熊野に神様は微笑んだのか。学生だった頃からアルバイトで稼いだ元手の数百万円を、彼女は人生一度きりと決めた、競馬だか競艇だったかの博打で倍以上に増やしてマイカー購入の頭金を用意したのだ。大好きな物への、もはや妄執(もうしゅう)とすら言える愛が成せる技か。本人からそのエピソードを聞いたときは、凄まじい執念と行動力に鈴谷も感服した。

 

「く~まのっ。何してんの?」

 

「見てわかるでしょう? 日課の洗車ですわ」

 

 今更何を聞くんだ? ニヤリと笑った友人の目は鈴谷にそう言っていた。

 

 彼女の言う通り、この行動だっていつものことだ。熊野は帰投して挨拶や報告その他の用事をなるべく早く済ませると、すぐに外に出て駐車場に停めてある自分の車を気が済むまで磨いている。

 

 前に、なんでそこまでご執着なのかを聞いたことがあったが、ルーティーンとかいうやつらしい。この行動をすることによって、彼女の心はピリピリした戦場から日常へと戻るんだとか。勝手気ままな性質でその日が良ければそれでいい、なんて毎日考えている生来の楽天家な鈴谷にはそんな行動理念はないのであまり理解は出来なかった。

 

 へぇ、と生返事を相手に返すと、今度は反撃を貰った。カーマニアの熊野から、汚れていた車を見られて鈴谷は軽い説教を食らうことになる。

 

「貴女はしないのね。汚れたまま乗るなんて趣味の悪いこと」

 

「……そんなに酷いかな」

 

「みすぼらしいといったらないですわ」

 

 やれやれ、とわざとらしく言われる。「タイヤが4つあって、走れば全部同じ」なんて考えのもとに運転している鈴谷は、車の汚れとかコンディションとか、そういうところには無頓着なのだ。彼女のシビックは、つい数日前の大雨に濡れてほったらかされていたせいで水垢汚れまみれである。

 

「EK型シビックは日本が世界に誇る名車ですわ。もっと大切に乗ってくださいまし……水垢と泥だらけで可哀想に」

 

「そーなの? こんな古くさい車がぁ?」

 

「道具は貸しますから、少しぐらいは洗った方が良いですわ。お義父(とう)さんから貰ったものなのでしょう?」

 

「メンド~……まぁいっか。まだ時間あるし」

 

 手首を顔に向けて時計の文字盤を見る。もう少しでまた出撃かと思っていたが、まだ30分ほど休憩は残っていた。仕事は佐伯の方針で非常に規則が緩く、多少海に出るのに遅れたところでやることさえしっかりやれば何も言われないので時間は結構残っていると言える。

 

 おーよしよし良いコだね~お前はね~ 思ってもいないことを口にしながら、熊野から貰った洗剤の染みたスポンジで車を擦る。茶色がかったシミの下からメタリックの塗装が顔を出した。

 

 全体的にカーシャンプーをかけたら、後は高圧洗浄機の水をかけてすぐに終わりだ。普通と言えば普通だが少し適当すぎたか、鏡みたいになるまでランボルギーニを磨きあげていた熊野に白い目で見られた。

 

「ホイールまでは磨きませんのね」

 

「別にぃ~? 熊野みたいにメッキの高いタイヤ着けてるわけでもないし」

 

 車は走れば充分ヨ! にっかり笑って鈴谷はそう言う。細目で見た親友は、なんとも表現しづらい哀れみみたいな視線と笑顔をぶつけてきていたが無視する。

 

 2人が友達同士らしい他愛ないやりとりをしていると。1人の、緑色の着物に濃紺色のスカートという格好の艦娘が自分らの所まで走ってきた。艦娘の中では空母と呼ばれる区分の装備で仕事をする蒼龍(そうりゅう)だ。

 

「いたいた。2人とも、もう装備確認して港に居た方がいいと思うよ?」

 

「わざわざご忠告、ありがとうございます」

 

「うあーだるだる……帰りたいなァ……」

 

「あはは。本当に鈴谷は変わんないね。あぁ、あとね、長門(ながと)さんは広報の仕事だから、今からの出撃は私が出ることになったから」

 

 長門、というのは今朝の任務で鈴谷も一緒に居た仲間の1人だ。海に出ないなんて羨ましい!! 口には出さないが鈴谷はそう思う。

 

 今日という日もあと半分か……………頑張るか。

 

 しゃがんでいた体勢から立ち上がって借りていた道具を熊野に返し、凝り気味の肩を叩く。「鈴谷ったらおばあさまみたいですわ」 失礼な事を言ってきた友人に「ウッサイ!」と一言突っ込んだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

『輸送船の護衛部隊が攻撃を受けているみたい。現地に近い私たちは、大至急救援に向かえ、とのことです』

 

「「「了解!」」」

 

 ま~た他の部署の尻拭いかァ。旗艦(きかん)、と呼ぶ部隊長みたいな役職についている蒼龍の無線に返事をしておきつつ、もはや今日という日に何度目かわからない回数の愚痴を、鈴谷は心中に溢す。

 

 2時間あったとは思えない昼休憩も終わってしまい。彼女は弾を積め直した武装を担いで、親友や那智、木曾に蒼龍と、最後に自分の後ろを着いてきている駆逐艦の浜波(はまなみ)の5名と海を航行している。

 

 今のご時世、タンカー等の輸送船は複数名の艦娘を雇って海に出る、という考えは深海棲艦対策の常識としてワールドスタンダードである。が、絶対的に人手不足な軍は修練の度合いも全く足りていない人員を護衛任務に回すことも普通だ。結果、運悪く戦艦や空母級といった強力な個体だらけな敵の部隊と遭遇した者らが近隣の鎮守府にSOS、なんて事も日常茶飯事だった。

 

 とはいっても、だ。幾らなんでも私らだけ多すぎないだろうか。つい1か月前なんか、ある1週間に似たような任務に5回は駆り出されたことを思って鈴谷が考えていると。敵反応は近くにない、と蒼龍から聞いた那智が無線で雑談を始めた。

 

『そういや、熊野。ご執心の車の様子はどうなんだ?』

 

『絶好調ですわ。最近クラッチの交換をしましたの』

 

『ランボルギーニのクラッチか……1個で100万近くしそうだな』

 

『工賃込みで50万円ですわ』

 

『ごじゅっ!? オイオイマジか!』

 

 那智の質問に熊野が答えると。特に車が趣味というわけではないが、金額に驚いたか、木曾が声を震わせながら呟く。

 

 やっぱりというか。高級外車に乗っていたり、社長令嬢をやっていたりする熊野は、話題も豊富なのでこういった雑談の主役になることは多い方だ。が、残念ながら長い付き合いで別に今更聞くようなことなんて何もない鈴谷には会話には混ざりづらい。というわけでこんな雰囲気の時、彼女が声を掛けるのは、決まって、今現在だと後方に控えている浜波だ。

 

 無線が全員の声を拾う状態になっているのを、手元のスイッチの感覚だけで判断して。鈴谷は後ろの人物に話を振った。

 

「ハマちゃん、今ヒマ?」

 

『な、な、何……なん、ですか……』

 

「私さ、髪、今朝染めてきたばかりなんだよね。ヘンにムラになってたりしない?」

 

『べべ、別に、問題ないっ…と、思う…私は……』

 

 「そっか、なら気にする必要もナイ、か。」 生来の吃音(きつおん)持ちで上手く話せないという彼女の声も、慣れているので鈴谷は普通に処理する。

 

 因みにこの浜波という人物、鈴谷に近い色に髪を染めていた。なんでも、持病があって仕方がないとはいえ、上手く話せない事で孤立しがちだった自分を仲間の輪に引きずり込んできた鈴谷に憧れて、だそうで。大胆にも一度真っ白に脱色して薄い緑色に染めたという経緯がある。顔を見られるのを恥ずかしがって、目元が隠れるぐらいに前髪を伸ばすほどの引っ込み思案な性格の割にははっちゃけたことをする。そんな風に鈴谷は思っていた。

 

 髪がちゃんと染められたかの確認で始めて、次に最近どこに出掛けたとか、気に入った外食の店と会話の風呂敷を2人が広げていたときだった。各々最低限の警戒は緩めないでお喋りに花を咲かせていると、救援を求めている人達が近いと蒼龍が通達してきた。

 

『あ、また通信だ……このまま行ったら5分もしないで目的地みたい。みんな、安全装置は切っておいてね?』

 

『当たり前だ』

 

『了解しましたわ』

 

 ……ハァ。また忙しい数分間が始まる―― そう思って鈴谷は渋々会話を切り上げ、持ってきていた武器の弾やセイフティーの確認に入る。

 

『浜波、いつもの頼むぜ。狙撃は十八番(オハコ)だろ?』

 

『ぜ、ぜん……善処……し、します……』

 

『応。頼むぜうちのエース』

 

 「那智、木曾。あんまハマちゃんに変なプレッシャー掛けないでよ?」

 

 職場で一番最初にできた友達へ、知らない人間が見たらダル絡みに見えなくもないことを言う2人に。あまり良い気がしなかった鈴谷は釘を指しておいた。

 

 

 

 

 ウダウダ喋っているうちに護衛対象が見えてくる。

 

 あまり視力が良いという訳でもないが、目を細めているとテレビの液晶の1ドットぐらいに小さく見える輸送船から、目測でおよそ1kmぐらいの距離かと鈴谷は判断する。1000m先の物を見るとなるとなんだか凄そうだが、遮蔽物(しゃへいぶつ)の何もない海上で、巨体のせいで目立つ大型船ぐらいなら確認は容易(たやす)かった。

 

 空母の艦娘である蒼龍が、艦載機を出すために動き始める。彼女は背負っていた矢筒から何本かの矢を掴み、弓につがえて空の雲を射抜くような角度で放った。端から見ると不思議な一連の行動だが、立派な作戦行動だ。

 

 放たれた3、4本ほどの矢が、手持ちの花火みたいな炎を上げながら光る。すると、それらはミニチュアサイズのプロペラ機に変形して、編隊を組みながら船のある方へと向かっていった。毎度のことながら、原理不明のこの戦闘機の発艦は、鎮守府の威圧感と同じく何度見ても鈴谷は慣れない。ちなみにこれらは(くだん)の妖精さんらが乗り込んで操縦しており、撃墜されても素知らぬ顔で戻ってくる。死なれたら寝覚めが悪いので安心と蒼龍は言っていたが、正直鈴谷は薄気味悪いと思っていた。

 

 護衛役だった艦娘たちも目視可能になるぐらいに近づいたとき。蒼龍は無線越しの相手に口を開いた。

 

『こちらファルコナー、援護します』

 

『ナイトフライヤー、感謝します。オーバー』

 

『た、助かった……!』

 

 旗艦の彼女が救難信号を出してきた部隊に挨拶がわりの無線を繋ぐと、よっぽど深海棲艦の襲撃に堪えていたらしい。相手の部隊員は隊長が「オーバー」と言ったのにも関わらずため息混じりに安堵の声を漏らした。まだ敵はいるのにな、とは鈴谷は心の中に仕舞っておく。

 

『敵はかなり多いです。我々は足止めが精一杯で数を減らせていません。申し訳ありませんが、後は頼みます……』

 

『心配すんな任せとけ。怪我の手当ては早めにな?』

 

『お気遣い、ありがとうございます』

 

 相手と木曾の会話を聞きつつ、鈴谷は最後の戦闘準備を済ませる。両足の大腿部(だいたいぶ)の砲に弾を積め、手持ちの火器を構えた。

 

 

 

 

 

 

 SOSなんて打ってきたものだから、どれだけ船はやられてしまっているのか。等と思っていた鈴谷の想像よりも輸送船は無事だった。恐らくは護衛の艦娘が死に物狂いで防御を徹底したお陰かと考える。

 

 船を盾にするように敵から距離を置いている艦娘たちを眺める。相当敵の攻撃が激しかったのか。6人体勢のこちらと違って4名しか居なかった彼女らは、みな体の服のどこかが破れて血を流しており、装備の至る箇所から爆破された建物ののように黒煙を噴き出し、痛々しい姿を晒している。

 

『各自散開、熊野だけ私の直衛お願い!』

 

「ラジャ!」

 

『『『了解!』』』

 

 蒼龍の指揮に従い、熊野以外はそれぞれ独自判断で散らばって敵に当たった。

 

 『せっかく考えるアタマがあるんだから、困ったら自分から行動しろ』 こういった特殊な状況の時に、対応について教えてくれた、配属されたばかりの頃の自分にスパルタ教育を敢行してきた教官役の艦娘を鈴谷はいつも思い出す。

 

『うわ、凄い数……重巡の他にも戦艦がいる。気を付けてね?』

 

『駆逐7、重巡3、戦艦が2……いや、3ですわ』

 

「……めんどくさ」

 

 熊野の敵戦力分析を聞き流しながら、逆手でグリップを握る構造になっている自分用の砲の引き金を引く。1発は目標のすぐ横を掠めた。すぐに別の砲を発射し、怯んだ駆逐ロ級を追い撃ちすると、2発目が良い具合に着弾し敵は沈んでいく。

 

 『鈴谷後ろっ!』――唐突に無線機が味方の誰かの声を拾う。味方の発言にコンマ数秒で思考をまとめて。慌てて鈴谷は転ばない程度に上半身を仰け反らせて回避行動をとる。

 

「あぶなッ……! この、うりゃぁぁぁ!!」

 

 間一髪。頬の皮と肉を少しばかり、こそげとって飛んでいった砲弾から彼女はすぐに敵に顔を向け直しつつ反撃に移る。

 

 敵の追撃を許さないためにも、落ち着いた精神状態を維持することを第一に考えて動く。手持ちの砲、次いでロケット、最後にダメ出しのように大腿部についている砲、という順番で間隔を空けながら射撃する。時間を置いて飛んでくる砲弾に行動を阻害され、重巡リ級と軍に呼称されている人型の怪物は、鈴谷の支援に入った浜波の砲撃をまともに受けて沈んでいった。

 

 数秒で軽く2匹は数を減らせたのは流石の腕前と経験といったところか。しかしまだまだ残った敵は元気に動き回っている。

 

『遅いッ!』

 

「ハマちゃんナイス!」

 

 自分から見て右側に居た浜波の声を機械が鈴谷に持ってきたのと同時に、彼女の前をウロウロしていた駆逐イ級の頭に砲撃が当たり、敵は被弾した部分から黒煙を上げる。すぐに鈴谷も攻撃に参加し、十字放火を受けた相手は爆発して吹き飛んでいった。

 

「ありがとうね、手伝ってくれて」

 

『え、ええぇ、援護は……得意だからっ……』

 

 恥ずかしがり屋さんの彼女は、戦闘となれば安定した射撃の技術で味方を支える。現在進行形で軽く命を助けられている鈴谷は感謝の情を伝えることを惜しまない。少し離れた場所の敵に対応するために移動しながら、ちらりと別方向に視線を向ける。浜波は鈴谷の遠目でも確認できるほどに顔を赤くしていたが、そこについては触れないことにしてあげた。

 

 あまり離れていると命中率もそうだが、攻撃の威力が落ちるので敵との距離を詰めようとしたときだった。艤装の最大出力で海を駆けていた鈴谷の目の前に大きな水柱が上がる。

 

 味方の誤射か? 全員近くに居ないからそれは無いか。じゃあ敵か! 持ち前の頭の回転の早さで素早く行動を起こす。

 

 右か左か、それとも前か後ろか? 一応は装備の防御力というもので直撃弾を食らっても死亡することはないとはいえ、1秒でも判断を誤って病院送りはごめんだ。

 

 そんな考えで鈴谷は目の前の水柱目掛けて1発武器を撃ち込んだあと、急いで後退しながら周囲を見回した。が、どういうことだろうか。撃ってきた敵の姿が見当たらなかった。

 

 「敵が巻き上げた水柱」という鈴谷の考えは当たっていた。しかし、「周りから放たれた攻撃によるもの」という早合点は間違っていたのだ。もう少し余裕があれば気が付いたかもしれないが、残念ながら彼女には、爆煙が昇り砲撃の音が響き渡るこの場所で落ち着いて考えるなんて芸当は無理だった。

 

 (いや)(おう)にも答え合わせの時間がやって来た。水煙から、黒いパンツスーツ姿の、長い黒髪で、両手には本棚から大砲が伸びているような武装を抱えた女が這い出てくるように姿を現す。肩から小さな煙を出し、顔には何が可笑しいのか、満面の笑顔を浮かべているおまけ付きだ。戦艦ル級、という個体である。

 

 「深海棲艦」という名前なんだから、そりゃあ海からいきなり出てくることもある。そんな大前提を忘れていた鈴谷は顔を蒼くした。

 

「あっち行けっての、このっ!」

 

 不気味な笑顔を浮かべて突っ込んできた相手に。鈴谷は敵に向けていた砲の照準を自分の足下ギリギリに変えて引き金を引いた。いくら後退していたとはいってもたった数秒では満足に距離が取れない、ということでとった苦肉の策だ。

 

「イチ……ニィ……ここだっ!」

 

 大きく上がった水柱を潜り抜けてきた敵に、タイミングを見計らって彼女は腰につけていた手榴弾のピンを口で抜いて投げる。ダメージという点では期待できない攻撃だが、爆風と煙を利用して間合いを詰めさせないようにするための行動だ。

 

「<-),:-$';,+,$-[-)=:-)@@!」

 

「ヨソ見したね?」

 

 腕を振り回して煙を振り払ったル級の、体の側面に鈴谷は回り込む。

 

「それじゃあバイバイ!!」

 

 なんとか時間稼ぎに成功し、リロードが完了した武器を総動員させてありったけの火力を注ぎ込んだ……だが撃沈するまでには至らなかった。爆風が晴れて出てきたのは、満身創痍だが殺気を全身から放つル級だ。

 

「ぅぅぅる゙ぅぅぅ…………」

 

「こういうときどうするんだっけぇ!!」 

 

 訳のわからない言語で喋っていたかと思えば、猛獣のように唸りながら副砲を乱射し始めた相手へ。鈴谷は、首からベルトで下げていた飛行甲板装備を盾の替わりに構え、唯一弾頭が装填された状態で残っていたロケットランチャーを撃とうとする。

 

『急いで下がれ! 当たっても知らねぇぞ!』

 

「!!」

 

 また、彼女は胸に着けていた機械と仲間に救われた。ノイズの混じった木曾の声に、ロケットを引き撃ちして退がる。

 

 鈴谷の足下を、大量の白い航跡を残して何かがル級に殺到する。敵の足下で大爆発を起こしたそれらに続いて、野球選手がホームベースめがけて滑り込むような動作で、木曾は体の側面が海面につくぐらいに身を低くし、戦艦ル級の足を狙い両腕でしっかりとサーベルを握って突貫した。

 

 敵のこの行動に予想もしていなかったル級が、目を見開いて下に注意を向け直しているのが、木曾と鈴谷の目にもはっきり確認できたがもう遅い。滑り込みの勢いをつけて振られたサーベルに両足の膝から下を切断され、女性の姿をとっている怪物は鼓膜が破れるような声量の叫び声を上げる。

 

 木曾が鈴谷の援護に放った魚雷の直撃に、鈴谷のロケット、追い撃ちに足を切られたル級は沈んでいった。

 

『ったく、危ないったらねーぜ」

 

「ゴメンね!」

 

「ホントだよ。もってあと3回だ、それ以上は助けてやれねぇからな……まぁ、もう終わりか?」

 

 助けてくれた木曾に礼を言う。流石に今の無茶な行動が祟っているのか。彼女が握っていたサーベルを見ると、ノコギリみたいにガタガタに刃が欠けて歪んでしまっていた。ただ、木曾の発言に一度鈴谷は軽く周囲を見渡すと、確かに、敵はもう指3本で数えられるほどに数を減らしていた。

 

「浜波、そっちは?」

 

『あ、あたし、だだ…だけで大丈夫ッ』

 

「そっか、頑張れよ……ハァ、疲れた……」

 

 残っていた駆逐艦の敵に一番近かった浜波が、特に苦もなく敵の殲滅(せんめつ)に動く。木曾への宣言通り、彼女は味方の攻撃が当たって脆くなっていた相手の急所に砲弾を撃ち込む。狙い通りの場所に寸分狂わず着弾させられて、敵は叫び声を挙げながら次々に沈没していった。

 

 敵の集団が全滅したのを確認する。その次に自分の体に目を落として、鈴谷はひどい状態だと独りごちた。

 

 最近新調したばかりの装備もボロボロである。綺麗な灰色をしていた鉄板が、ル級が撃ってきた弾の火薬の焼け跡で茶色に変色し、撃たれた場所は当たり前だが穴だらけになっている。頭から海水を被ったので全身びちゃびちゃだし、顔に軽く傷までつけられた。

 

「つっかれた……ホント、最近どうなってるワケ? 敵さん元気で……」

 

『あぁ、鈴谷……あんなに良いヤツだったのに……』

 

「な!? 勝手に殺すなバカ那智!」

 

『ははは! なんだ元気じゃないか。生きてるか?』

 

「ゾンビでもあるまいて、死人が口聞くわけないでしょ! もう!」

 

 頬から流れてきた血を服の袖で拭いながら、鈴谷は無線の相手に吠える。ただ、軽傷とはいえ負傷した自分を気遣って那智がふざけている、というのは薄々気がついてはいた。

 

『やっと一段落つきましたわ……こんな激戦久しぶりですの』

 

『ちょっと私は被害大きいかなぁ……旗艦としては、鎮守府への帰還を提案します』

 

『シャレか蒼龍?』

 

『あのさぁ……木曾、私そういう意味で言ったんじゃないんだけど……あ、なんだ……船の人から通信だ?』

 

 仲間同士、今日も生き残れたな! なんて冗談を飛ばしあっていると。蒼龍が無線とは別に持っていた携帯電話に似た形の通信機器を操作するのが、鈴谷の遠目に確認できた。

 

『船の船長さんが、コレの中で休んでかないかって。どうする?』

 

「ノろうぜ。俺は肩が重てぇよ……」

 

「鈴谷もさんせー」

 

『そっか。みんな、縄梯子(なわばしご)登ってこいってさ』

 

 ほぼ全員一致で、護衛していた輸送船の乗員の厚意に乗ることになって。筋肉痛気味の腕や腰に顔をしかめながら、鈴谷は船から下ろされた梯子に手をかけた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 本日2度目の出撃を無心でこなして、予定外だったが守り抜いた船で砲弾や燃料の補給を済ませて。鈴谷達は3度目の、今日最後の出撃で海に出ていた。

 

 午後5時ぐらいから終業の7時まで。それは、多少は鍛えられているとはいっても、元はあまり活動的という訳でもない生活を送っていた彼女には一番辛い時間帯だった。波に乗りながらスケートするように海を駆けていく艦娘だが、乗り物のサスペンションのように揺れたり衝撃を吸収したりすることになる下半身に掛かる負荷が高い。結果、いつも鈴谷は帰宅後は歩くのも億劫(おっくう)なぐらいの膝や腰の鈍痛に襲われるのだ。

 

 朝の寝起きに迫るか、それ以上に険しい顔をしながら彼女は水平線を睨む。ごくまれに、敵がほとんど確認できず、2、3度砲弾を撃って後は夜中に仕事をしている遅番に仕事を渡して帰宅、ということが1年の中で何度かあるのだが。今日がそれだったらいいのに、なんて考え混じりに索敵を行う。もっとも、すでに何度か交戦して敵を打ちのめした後には、そんな希望的観測は崩れたも同然だったが。

 

 どうにかしてこれ以降の時間をサボれないだろうか……。考えながら、鈴谷はそれとなくこっそり仲間の表情を伺ってみる。しめた。鈴谷はそう思った。まだ月曜日だというのに、木曾と浜波、蒼龍の顔に濃い疲労の色が見えたからだ。

 

 少し一計を案じてみるか。彼女はワザと首筋に手を置いて、肩が凝ってるような演技をしながら唐突に口を開いた。

 

「あのさ、みんな」

 

「……なんだよ」

 

 一番に振り返ったのは那智だった。続いて他の4人が足を止め、鈴谷の居るところに顔と体を向けた。思った通り、週の初めであの激戦は体にキたとみえる、ほぼ全員が今にも「疲れてんだよ!」とか言いそうな雰囲気だった。

 

「ちょっと休憩にしようよ……ホラ、あそこに良い感じの小島もあるし。もうノルマなんてとっくに越えてるぐらい倒してるっしょ?」

 

「休憩ねぇ……木曾、蒼龍。どうする?」

 

「俺は構わないぜ。鈴谷程じゃねーが土日で疲れが取れてねぇんだ、ちと肩が重い」

 

「肩こり酷すぎだろ」

 

「うっせ!」

 

「う~ん……? 少しぐらいなら良いと思うけど……」

 

「りょ、了か、了解、です………」

 

「皆様がそういうのなら、賛成ですわ」

 

 ヨッシャ! 計算通り! 鈴谷はガッツポーズしたい心境だった。

 

 実際、今日という日に6人が水底に叩き落とした敵の数は結構な数になっていた。朝の出撃だけで18~20は撃退ないし撃沈したのに加えて、ついさっきの輸送船の護衛だけで軽く10匹(人?)は吹っ飛ばしている。

 

 鈴谷の策略に誘導されて、6人は軽く職務放棄に近い行動をとることになった。

 

 小島の砂浜に直に座るのは、服に砂利や流木の破片がついてエラいことになるので嫌。なので、鈴谷はちょうど良いところに浜に刺さっているような岩をみつけて、それの上に座った。

 

「しんどい……今日は何持ってきてたっけか……」

 

「本当にな。休み明けてすぐにアレはちと体に(さわ)る」

 

「鍛え方が足りませんのね?」

 

「お前のパワーはどこから出てるんだ?」

 

「鈴谷と真逆で熊野は本当に元気だね……」

 

 昼に摂取したカロリーを消費し尽くしたどころか、これ確実にマイナスだ……。なんて思いながら、鈴谷はいつも服の内張りに仕込む携帯食料を探す。近くでは準備体操みたいなことを始めた熊野に、伸びや欠伸(あくび)をしながら、蒼龍と那智が苦笑いしていた。

 

 カロリーメイク様にウィダー様バンザイ。いや、よく考えたらクソむかつく。だってこういう美味しく頂ける携帯食料と栄養剤が発達したものだから、自分等のような残業上等労働がまかり通ってると言えなくもないのだ―― ゼリー飲料と高カロリーブロックをかじると、健康食品メーカーに喧嘩を売る思考回路に頭が染まる。

 

 木曾は装備に取り付けてある魚雷発射管をウェスで磨き、その隣では浜波も装備の自主点検をしている。浜波は言わずもがな、木曾については、話すことから行動までサバサバしていて女らしくないが、妙に真面目なところがあるな、と見ていて鈴谷は思う。

 

 それぞれ勝手な事をして数分間の時間潰しをしていたときだった。旗艦の蒼龍の小型端末が、電子音を周囲に響かせる。

 

「…………あっ」

 

「まさか」

 

「うん、提督から」

 

 まさか、バレた? 普通に考えてありえないが、全員の脳裏に同じ考えがよぎる。鈴谷、お前が提案したんだぞとでも言いたげに目を細くしてこちらを見てきた那智に、鈴谷は口を開いた。

 

「やめよやめよ! 働けって言われても私だけはストするもんネ! 始末書かいてるほうがいいし!」

 

「筋金入りだなお前は……」

 

「あはは……とりあえず出てみるね?」

 

 フンッ! とワザとらしく鈴谷は鼻をならして足を組む。数秒間機械を通して蒼龍は佐伯と話す。そもそも提督の彼の性格から有り得ないのだが、「サボるな!」なんて言葉は飛んでこなかった。

 

『皆様、お疲れ様です。もう時間ですので、帰投してください』

 

「アレ、もうそんな時間?」

 

『輸送船の乗員の方から活躍は聞きました。少し早いですが、皆さんお疲れですよね?』

 

「「「モチ!」」」(ロン!)

 

『おっと、やっぱり予想通りだ』

 

 佐伯の言葉に当然さ!と鈴谷が言った。偶然だが木曾と那智の2人とも声がハモって、彼に笑われる。

 

 鈴谷が腕時計の表示をナイトモードに切り替えて覗く。午後6:30。なるほど、いつもより多少早いが、今日の激務を考えてオマケしてくれるらしい。人一倍仕事嫌いで自由を愛する鈴谷にはとっても嬉しく感じられた。

 

 「今日もやっと終わりか」 「帰ったらなにしようか?」 皆それぞれ思い思いに独り言みたいな事を言いながら、時たま話し掛けてくる佐伯に応対していたときだった。

 

 気のせいだろうか。遠く、距離感が掴めなかったが、赤く光っている何かを見つけた。敵だろうか? そう思って鈴谷は口を開く。

 

「ねぇ、熊野。あれ見える?」

 

「…………?」

 

「ほらあそこ、何か光ってるやつ」

 

「あ、ホントだ。なんだろうねあれ」

 

 鈴谷の言うことに、熊野は眼鏡を無くした人みたいな顔で頭上に?マークを浮かべていると、彼女よりも早く蒼龍が鈴谷のいう「ヘンなの」を見つけた。味方の様子が少しおかしいことに、現場にいなくても気付いたか、佐伯が心配そうに話してきた。

 

『どうかしましたか皆さん?』

 

「いや、それがさ、変なのが見えるんだよね」

 

『変なもの……具体的には?』

 

「何か遠くで赤く光ってるのが……離れててよくわからないや、大型艦の深海棲艦かな。写真取っておきますかー?」

 

「鈴谷、危険ですわ。無いとは思いますが、もしも姫級だったらどうしますの?」

 

「別に? コレ盾にして、ケツまくって逃げるかな」

 

 熊野に、得意気に穴だらけの飛行甲板を見せつける。ここまで破損してしまうと新品に交換・廃棄は(まぬが)れないので、盾の代わりにするという行動は利にかなっているとはいえる。が、日々の行動が祟ったか、鈴谷は親友に「また変なことしようとしてる」とか言いたそうな目で見られた。なお、姫級、というのは鈴谷はまだ遭遇したことがないが、めちゃめちゃに危険とされている女性の姿をした深海棲艦のことだ。

 

 鈴谷は佐伯の発言に、艤装に標準装備されているカメラを手に取る。それのスイッチを押し、レンズの倍率を変えて鎮守府と中継するモードに切り換える。電波の伝わる時間の都合か、数分挟んでから佐伯から返事が返ってきた。

 

『なるほど、確認しました…………そうですね。もう少しだけ近付いて写真をお願いします。ですが、無理はしないでくださいね?』

 

「りょーかい! 任せて」

 

「はぁ……まったくもう。お供しますわ」

 

「え、付き合ってくれるんだ」

 

「当たり前ですわ。単独行動の後で貴女に何かありでもしたら、友人として寝覚めが悪すぎますの」

 

 このツンデレめ♪

 

 提督の命令で島から海に出た鈴谷についてきた親友に。渋々といった様子だがどこか楽しそうな雰囲気を醸していたので、そんなような事を思った。 

 

「さ~てどれぐらい近付こうか……これぐらいかな」

 

「さぁ? お好きにしたら」

 

 流石に被写体が遠すぎるので、こっそりこっそり距離を詰める。改めて対象を見てみると、炎のようにゆらゆらしている赤い光がなんとも不気味な物体(生物?)だ。

 

 偵察ですらないナニカだし、適当でいいか。鈴谷がそう思ったときに「それ」は起こった。

 

 

 

 

 隣でカメラを構えた親友を、欠伸を噛み殺して熊野が眺めていた時だった。

 

 突然周囲が赤みを帯びた光で明るくなり、目が眩みそうになった熊野は両手を顔に持ってきて影を作り、たまらず目を瞑る。

 

 

 何が起こったのか。鈴谷にも、そしてその隣に付いてきた熊野にもすぐには理解することが出来なかった。

 

 

 鮮血のような気味の悪い赤い色をした光線が、目映い閃光を伴いながら調査対象の方向から放たれた。という事象によってもたらされたのか。その場に残ったのは、左腕を肩ごと、そしてついでのように左脇腹を虫食いのような跡を残して吹き飛ばされた鈴谷が気を失って倒れている。そんな目を覆いたくなる状況だけだった。

 

「…………え?」

 

 熊野には意味がわからなかった。

 

「う、嘘よ……ありえませんわ、こんな事………!」

 

 どしゃり。

 

 聞きたくもない、生々しい水の音に体が動く。親友の背中に腕を差し込んで持ち上げる。外はもう夜で、暗いはずなのに。手の上に広がっていく赤い液体の色が、酷く鮮明に認識できた。

 

「悪い冗談はやめてくださいまし、ホラ、さっさと目を覚まして…………鈴谷……聞こえてまして…………?」

 

 昔、こんな事があったなぁ。自分の誕生日などの祝い事に、ドッキリだとかいってこいつはよく死んだふりで私を驚かしてきたものだ――頭が混乱していた熊野の脳内に、この状況の中で考えるには場違いな思い出が広がっていく。

 

 一番早く行動を起こしたのは那智だった。たまたま都合のいいことに心配になって2人を着けていたのに加えて、良くも悪くも、あまり鈴谷と関わりの少なかった事がプラスに働く。彼女は着ていた紫色の制服の上着を脱いで裏返し、倒れた鈴谷の傷口に押し込む。続けて、放心状態の熊野を無視して木曾に指示を飛ばした。

 

「木曾何してる! 早くそのマント寄越せ!!」

 

「え? あぁ、おう!」

 

 木曾が羽織っていた外套で、自分の服ごときつめに鈴谷の体を縛る。お粗末な止血だったがやらないよりはマシだ。那智はそう思っていた。

 

「あぁ、ぁあ……あ………」

 

 あくびでもしたときに出すような呻き声と表現するとぴったりか。見る人間によっては笑ってしまいそうな、そんなどこか間抜けな声を、熊野は無意識に口から漏らした。目の前で起きていることが、現実だと認識することを脳が拒否していた。

 

 数秒も挟まないうちに。熊野はぐったりと力無く海面に倒れた親友を抱き、叫んだ。

 

 

「何か喋りなさいよ鈴谷あああぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 周りで自分を見ている同期達の存在なんて忘れていた。

 

 死んだように動かない大親友を抱えて、声が裏返るほどの声量で吠えることしか今の熊野にできることはなかった。

 

 

 

 

 

 




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3 鈴谷の残骸

不穏すぎる空気がサブタイでもうオチている問題


 鎮守府の現在は、簡単に言って酷い状態だった。

 

 鈴谷が意識不明の重体で運ばれてきた――その一報が原因で、建物の中に限らず、敷地内の至るところまで、とてつもなく重たい空気が充満している。それらは働いている工兵や提督の佐伯、艦娘職の女達の心を確実に(むしば)んでいた。

 

 すぐに那智と浜波の2人に抱えられて運ばれた鈴谷は、鎮守府内に組み込まれている医療施設に入ることになったのだが。奇跡的に生きてこそいたが、上半身の半分近くを吹き飛ばされた彼女の意識は、1週間が経過した今でも戻るまでに至っていない。

 

「「………………………」」

 

 鈴谷が気絶したあの後は軽く地獄に近い状況だったと言える。自分の提出した、鈴谷が、彼女自身が撃たれる直前に撮った写真と、その様子を近くで見ていた自分のカメラの動画を眺め、暗い顔をしている佐伯の表情を(うかが)っていると。那智の頭には、作戦中の時の思い出したくもないことがフラッシュバックする。

 

 艦娘の着ている服は特別製で、艤装と組み合わせて着用することで見えない壁のようなものを張ることができる。これを利用して艦娘は戦うので、深海棲艦の攻撃を受けても即死することはほぼなく、またバリアで緩衝できなかったダメージは代わりに服が負担してくれる構造になっている……筈なのだが。鈴谷は、なぜかその装甲を無視するように貫通してきた攻撃を受けて致命傷を負ったので。初めてのケースに軍は頭を悩ましている、と那智は佐伯から数日前に聞いている。

 

「何度見ても、わかりませんね……こんな距離から、ここまで精密に狙い撃ちをしてくるなんて」

 

「あぁ。本当にな……」

 

 既に、両手の指の数を越える回数は見ている動画に、佐伯は悩みと不安と不思議とが混じった顔で頭を抱える。映像や写真は解像度が低かったので、敵がどんな姿だとか、どんな武装を所持しているなんてことは解らなかったが。1つ、余計すぎる事が解析によって判明していた。

 

 それは、相手は夜で視界が限られるなか、約30km離れた場所から正確に鈴谷のことを狙い撃ちしてきた、という分析結果だった。

 

 光っている物、というのは、性質上かなり遠くからでも見えるという特徴がある。例えば夜空に浮かんでいる星などは、光度が凄いことを差し引いても、何光年も離れた場所からその光を人間の目に届けている。同時に、発光体というものは距離感もとりづらい。周囲が暗い夜なら尚更だ。……そのせいで恐らく読み違えたか。那智は実際のところ、この赤い光を放つ敵との相対距離はせいぜいが数km程度だろうとたかをくくっていたので、この結果に軽い頭痛を覚えていた。

 

 軍艦やジェット戦闘機の攻撃なら射程距離30kmなんて普通の距離だ。今の技術なら、それこそ弾道ミサイルとかなんて北海道から発射して沖縄に着弾、なんてこともできるだろう。が、恐らくは人間大の深海棲艦が人間1人を精密に狙撃してきた、という所が、軍が顔を蒼くした点だ。

 

 那智は唇を噛みながら、敵についての考察がタイプされた紙に目を通す。今回の正体不明の敵は、わざわざ鈴谷を殺すわけではなく、痛め付けるために狙撃してきたのでは? と書かれてある。敵の攻撃を間近に見ていたものとしては――少なくとも那智は、確かにその通りかもな、と思った。

 

 考えればなんとなくわかることだった。あの謎の光線は、周囲が明るく照らされるほどのエネルギーを秘めていたのだから、やろうと思えば鈴谷をそっくりそのまま蒸発させられたはずと那智は仮定している。さらにもう少し踏み込んで考えれば……自分達を皆殺しにするのも簡単だったはずだ、とも。

 

 敵の狙いが外れただけという可能性も勿論あるが。鈴谷の応急処置でアタフタしていたこちらへ、弾(?)の装填に十分な時間があったにも関わらず続けて何度も攻撃してくる様子が無かったことから、その予想は那智の頭から離れていた。

 

「地雷()くような戦いしてくるとはな……この野郎、鈴谷だけ攻撃してこっちを揺さぶるつもりか」

 

「下っぱ働きの私には、詳しいことは。……しかしその考えで(おおむ)ね間違いはないかと」

 

「問題越えて、超がつく大問題だな。この私らの考えが正しいとすれば、敵は人の心とか情って物を理解していることになる」

 

 話す言葉が、怒りとも悲しみともつかない感情で震えていることに、那智は自分で気づいていなかったが。佐伯は真剣な顔で彼女の声に耳を傾けた。

 

 戦争が発生している世界情勢の中で、敵をわざと生かす戦法が有効だとよく言われることは、自分から艦娘に志願していた那智は知っている。地雷や何かで手足を吹き飛ばされたが、まだ命が助かるかもしれない味方を助けにいった結果、部隊の被害が増えた、なんて紛争地域の小噺(こばなし)はよくあるからだ。

 

 もっとも、ただの破壊衝動で動いていると結論がつけられていた深海棲艦がこんなことをしてくるとは夢にも思わなかったが。

 

 それに、問題はもう1つあった。それは、この個体だけならまだしも、敵全体が人の心を攻めてくるような攻勢に切り換えてくるのでは、という懸念だ。

 

「撃退・撃沈のマニュアルが確立されるぐらいに対処が簡単になってきた辺りでこれかよ……厄介な生き物だな。深海棲艦」

 

「えぇ、全くです」

 

 狙った場所に正確に砲撃する射撃能力。防御を貫通する攻撃。人の心を攻める結論を導ける理性か、もしかすればこちらと遜色(そんしょく)ない作戦や行動方針を考えられる頭脳――この3つは、突発的に現れては突撃を繰り返す、プログラムされた機械のロジックのような行動を取ると知れ渡っていた今までの深海棲艦にはない要素だった。

 

 考えすぎだと言われればそれで良いのかもしれない――しかし職業柄、2人はそういった「最悪」を想定せずにはいられなかった。

 

 規格外に異常な能力を持っている敵。そうとしか言えない結果が出てくる出てくる。そんな現状に、佐伯と、鈴谷と親しくしていた艦娘の中では比較的メンタル面の健康がまだ平気な部類で済んだ那智はため息をついた。

 

「……………………」

 

 (いく)ら考えたところで、自分がやれることはたかが知れている。今のところは、悩むだけ無駄かな。那智は書類の束を机に放って椅子から立ち上がる。

 

「どちらへ?」

 

「貴方が今日非番にしたんだ、好きなところに行くさ……細かく言えば、熊野のメンタルセラピー……かな?」

 

 行き先を佐伯に聞かれて。那智は力の抜けた笑顔でそう言った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 大親友が危篤(きとく)という今の状況からしても仕方がないと言えるか。ここ一週間の集中できやしない仕事が終わると、熊野は食事も洗車もせず、鈴谷の寝ている無菌室の隣にある待合室に来ることが当たり前になっていた。

 

 『生きてるのが奇跡を通り越して、薄気味悪いとまでいえるほどです。艦娘の艤装の防御が発動したのは、幸運なのか不幸なのか……』 部屋一面のマジックミラー越しに、ベッドに寝かされている鈴谷の顔を見ながら、医師免許を持っている艦娘が数日前に言った言葉が頭に木霊(こだま)する。

 

 言葉の意味の通りだった。艦娘の装備は身に付けていると多少の生命維持装置の役割も持っているのだ。……もっとも、現在進行形で死の淵をさまよっている親友を見ると、そのまま即死したほうが幸せだったのでは、等というネガティブな考えばかりが熊野の頭に浮かんでは消えてを繰り返していたが。

 

 何秒か。何分か。何時間か。時計が無いここにいると、時間の感覚が狂う。熊野は観葉植物に向いていた目線を、マジックミラーの奥の景色に向けた。

 

 普通の人生を歩めば、一度も目にしないまま終わりそうな医療機器がベッドを囲むように置かれている。どれもがかなり大掛かりな機械で、外見はコンピューターサーバーに似ているか。本体からは大量の配線とチューブが延び、血管みたいなそれらは鈴谷の体の欠損部分に接続されている。さながらSF映画のロボットが整備されているみたいな光景が、これが現実だという認識を薄くした。

 

「………………」

 

 傷口から細菌が入る可能性から無菌室へ入れられたため、もちろん今の鈴谷は面会謝絶だ。話し掛けたところで、とも思うが。親友だと周囲に言っておきながら励ましの言葉すらかけてやれないことに、熊野は自分が不甲斐なく感じられた。

 

 吐息で曇ったガラス面を指でなぞっている時だった。彼女一人しか居なかった部屋の中に、入口の扉をノックする音が響く。熊野の返事を待たず、那智が手に何かを持って入って来た。

 

「よう。お疲れさん」

 

「…………何かご用ですか」

 

「鈴谷が元気かと思ってな」

 

「さぁ……どうでしょう」

 

 今のような精神状態だと、知人友人のちょっとした冗談に腹を立ててしまいそうだから。そんな熊野の考えから、このごろは2人以外にも他人との会話は最低限だった。今にしたって、「これが元気になると思って?」と叫びそうになったのを我慢して、熊野は自分を誉めている始末だ。

 

 ごとり、とわざとらしい音をたてて那智は持っていたものを部屋のテーブルの中央に置いた。何かの溶液が入った瓶に、竹串が何本か挿してあるそれは何だろうかと熊野は聞いてみる。

 

「これは?」

 

「アロマディフューザーっていって、香りを嗅ぐと心が落ち着くらしい。最近みんな元気無いから。鈴谷の見舞いにくる奴が多いから、ここに置きに来た」

 

「……お気遣い、痛み入ります」

 

 他人行儀な返事を返すと、那智が続けた。

 

「今日も機嫌悪いな相変わらず。……言いたくないなら私の独り言として流していいよ、誰かに何か言われたか?」

 

「…………午前中、満潮(みちしお)と言い争いになりまして」

 

「鈴谷ブランド第1号か。なんとなく察するものがあるな」

 

「………………」

 

 熊野の発言に、明るい茶髪が特徴の19歳の顔が那智の脳裏に浮かぶ。満潮、というのは、出撃のローテーションが無い日には教育係をやっている鈴谷が一番最初に取った教え子の事だ。

 

 恩のある人間以外には目上にすら当たりの強い満潮(あいつ)の事だから、親友を名乗っておきながら何をウジウジしているんだ? とか煽って熊野と喧嘩になったんだろう。そう思ったことは、那智は目の前の彼女に気を使って言わないことにした。

 

 「あなたも――」 何秒か黙ってから口を開いた熊野に、那智は顔は向けないで耳だけ意識を向ける。

 

「説教でもしに来ましたか」

 

「いいや、そんなつもりはぜんぜん」

 

「じゃあ」

 

「あ、いや、そういえば1つだけ業務連絡だ。2~3日後、鈴谷の親父さんが来るらしい」

 

「!」

 

 那智の言ったことに、熊野は一瞬表情を強張らせた。娘が怪我をしたから親が見舞いに来るとは至極当然な事に思えるかもしれないが、こと鈴谷という人間に限ってはこれはデリケートな話題だったからだ。

 

 鈴谷は、今の時世では特に珍しいものでも無くなっていた、戦災孤児とか呼ばれるような存在だった。

 

 まだ3歳になるかどうかというときに夫婦揃って自衛隊で働いていた両親が亡くなり。身寄りもなく、養護施設で過ごしていたところを今の義父に引き取られたという経緯は、鈴谷と付き合いの長い熊野は当然として、那智も知っている。

 

 普段からクソオヤジだと鈴谷は自分で言っていたが、出撃するときは、愛用の手帳に必ず家族写真を挟めて服に入れ海に出る事も認知していた那智は、きっと彼女の父はできた人間なのだろうな、と勝手な予測をたてていた。そんな鈴谷の父親は今は北海道の仕事場に勤めているらしいが、彼に「友達として面倒を見てやってくれ」と熊野は言われていたのだ。

 

 義理とはいえ大切な一人娘がこんな状態と知っては、一体自分は何を言われてしまうのか? 那智の連絡に熊野は予想がつかなくて、怖くて無意識に体が震えた。

 

「有休とって、こっちに見舞いに来るらしい。…………怖いかやっぱり」

 

「当たり前、ですわ」

 

「そっか。でも心配はいらないと思う」

 

 そんな気休めはいらない。そう言う前に、熊野は那智に先手を取られる。

 

「そんな気や……」

 

「バカ娘の看病をありがとう。目が覚めたら紀美を叱っておく、だと。お前にオヤジさんから伝言だ。良かったな、本当に」

 

「…………!?」

 

「熱心に毎日見舞いしてるから、西円寺((熊野))さんは仕事に身が入ってないって正直に言った。そうしたらさ……娘が迷惑をかけて悪かった…って。優しいよな、鈴谷の親父さん。義理ったって、家族が危篤なんて気が気じゃないだろうに」

 

「………………ッ」

 

 そうか。わかったぞ、那智が何を言いたいのか。熊野はほんのちょっぴりの怒気を言葉に混ぜ、口を開いた。

 

「鈴谷の心配はいらないから、安心して仕事に打ち込めと?」

 

 今にして思うと、何故こうも相手の神経を逆撫でするような事を言ったんだろう。熊野自身がそう思うような事を呟く。が、またも那智が発したのは、予想外の言葉だった。

 

「逆だよ逆。一番仲良しの自負があるんだろ? なに言われようと、その姿勢は曲げずにいろよ」

 

「え……」

 

「気が済むまでこういうことはやってくれていい。私としては、変な指示を同期に出して気分くじくようなことも嫌だしさ」

 

 那智が、つり目がちな顔を少し情けなさが滲み出ている笑顔にして言う。性格のキツそうな表情を普段からしている彼女のこんな顔は初めて見たので、熊野は内心ギョッとした。

 

「…………うつ病ってな、一度なったら治らないそうだ。心の病気って、体に傷がつくよりもずっと、重いんだ。だからさ……その、なんだ……」

 

 那智の目が、涙で潤んでいるような気がした。

 

「こんなときだけど、お前にはせめて元気でいて欲しいんだよ。お前まで壊れちまったら私はどーしたらいい? 同期が死にかけるなんて今までの人生で初めてでね。言い方は悪いが、しかもそいつに引っ張られてもう一人、心が死にかけてる。だから、お前さんには優しくする」

 

「…………」

 

 他人からの優しさを真正面から受けて。熊野は、先程まで何もかもマイナスに捉え、人を攻撃するような思考をしていた自分が情けなくなる……そんな風に思っていた時だった。

 

 那智が来てから開け放しになっていた部屋の入り口から、佐伯が入って来る。

 

「どうかしたかい」

 

「やはりお二人ともこちらに居ましたか。鈴谷さんの治療について、お話したいことが」

 

 こんな状態の人間に治療?? 提督の言葉に、女2人の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。さらにもうひとつ、那智は妙に思った。先程まで話していたのとは明らかに彼の様子が違うように見えたのだ。

 

「一人、紹介したい方が居るのです。私の知人で、元医師なのですが」

 

「待て待て待て、あんた何言ってる、意味がわからないぞ」

 

「助かる可能性があるかもしれないと言うお話です」

 

「…………!?」

 

 男の口から出てきた発言に、熊野は口を半開きにして驚きを隠せないような顔をした後、何か喋ろうとした。それを制して、先に那智が口を開く。

 

「本気で言っているのかい提督。正直こんな怪我は……」

 

「腕は確かです。今は軍の引き抜きを受け、医学界を離れ深海棲艦の研究をしている学者なのですが……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 佐伯の知人とやらが来ると聞いて、説明を聞いてから2日後の昼頃。熊野は落ち着かない様子で、回転ドアのある玄関の近くをうろうろして客人を待っていた。

 

 恐らくは特殊な治療・手術になるだろうから、義父の許可は必要になるでしょう。しかし、知人の貴女にも彼女の話を聞く価値はあると思うんです…… 半信半疑だったあの時に、提督が自分に言ってきたことが頭に残る。果たして、あのような怪我を直すなんて方法が、本当にこの世に存在するのだろうか? 右に左に、廊下を歩き回りながら熊野は考える。

 

 漫画かドラマの人物みたいに、そんな行動をして数分経った頃合いだった。玄関から離れて、いつのまにかに熊野は廊下の突き当たりに来ていたので、回れ右して来た場所を戻ろうとする。目線の先に、見たことのない人物が立っていた。

 

 喪服みたいな真っ黒いスーツ姿にリュックサックを背負い、首から、来客であることを証明する名札を着けていて。事前に上司から聞いていた通りの、長い白髪が目立つ女性だったので。件の元医者の知人とはこの女か、と、熊野は声をかけた。

 

「もし、何かお困りでしょうか?」

 

「あ……こちらに勤めている方ですか」

 

「はい。艦娘・熊野と申しますわ」

 

 綺麗な人だな。第一印象はそんな感じだ。ただ妙に思ったのは、この女、頭髪はおいておき、美白だとか白人の血が混じっているとかの言い訳がきかないぐらいに異常なほど肌が白かったり、今日みたいな少し暑い日に両手に黒い手袋を着けていた点だ。

 

 それこそ、今も自分が戦場で日々見かける人型タイプの深海棲艦だといえば通じそうな容姿をこの人はしている。奴らと違う点を挙げるとすれば、目の虹彩の色が日本人らしく茶色をしているぐらいだろうか。

 

「談話室、というのはどこでしょう。そこで話を済ますようにと佐伯に聞いています」

 

「案内しますわ。着いてきてくださいまし」

 

「あぁ、ありがとうございます!」

 

「いいえ、お構い無く」

 

 変なことを考えてしまった。今のことは言わずにおこう。

 

 来客が来たときの対応を、マニュアルに従ったような事務的な物でこなすと、相手に柔らかい表情の笑顔でもって返されて。まさか、この人当たりの良さそうな人物が深海棲艦などとはありえまい。熊野はそんな風に思った。

 

 

 

 

「渡くん、久しぶり……でもないね。結構近くにまた会えた」

 

「いえ、でも半年ぶりです」

 

 親しげに話している上司と女をぼんやりと眺める。会話からしてそれなりの仲なのだろうが、正直、部屋に1人の仲間はずれみたいな感じがして、熊野は居心地が悪かった。

 

 挨拶が代わりの応対が終わり。女は上着と鞄をソファに置いて座ると、熊野に名刺を差し出した。

 

「名刺入れは……あったあった。遅れましたが、私、こういう者です。よろしくね」

 

「はぁ、どうも……」

 

 《第六艦娘技術実証研究所・土井 涼子(どい りょうこ)》。渡された、ラミネートされたカードにはそう書かれていた。が、熊野の視線はすぐに別の物へと移る。土井、という彼女が机に置いた、大量の書類ではち切れそうになっているファイルだ。

 

 『深海棲艦化実験の経過に対する見解と報告』『侵食作用の医療行為への応用』――クリアファイルから透けて見えた書類の束の一番上にある書類の文面からして、怪しさと不穏な空気しか熊野は感じ取れなかった。

 

「時間もないし本題に入ろうか。で、渡くんは何が聞きたいのかな」

 

「鈴谷さんの容態です。送った資料を見て、どう思いました?」

 

 佐伯の言葉に、土井はうっすらと笑顔だったのが、すぐに真顔に変わった。熊野にも軽い緊張が走る。

 

「はっきり言って、普通じゃ助からないような状態かな。ハリウッド俳優やら財界の富豪なんかが、よく金に物を言わせてハイテク医療なんかに頼るけど、そんな物でどうにかなるレベルをとうに超えてる」

 

「やはり……」

 

「あそこまで行ったら、流石に何も知らない人でもそりゃ助からないと思うよね。その考えは間違ってない」

 

 「ただ。」土井は続ける。

 

「生命の神秘と言うのは結構ある。史実は小説よりも奇妙だ、だっけ? 例えば脳を半分失ったり、心臓に槍が刺さったり。そういった怪我をしても元気に生きている人とういうのは世界にたくさん存在するから、おかしいとは言い切れない。現に私も、彼女の現在の容態を見たわけだしね」

 

 置いていた紙の束から、幾つかの報告書やら何やらを出して見せられる。どれも普段なら暇潰しぐらいには楽しめそうな文章だったが、今の熊野にそれをのんびり眺める心の余裕は無かった。

 

「まぁ、こんな物は子供だましだ。熊野さん、だったよね? 私は貴女を落胆させに来た訳じゃあナイ。ちゃんと方策は持ってきてあるから安心してね」

 

「!」

 

 さっさと「治療」とやらを説明しろ。端的に言うとそんなような事を考えていたのはばれていたらしい。少し熊野はヒヤリとする。

 

「ただ、少し妙に感じるような手術だから。驚かないで聞いてほしい」

 

 女の言葉を、全神経を向けて聞こうとする。

 

 前置きがあっても、動揺してしまうような答えを土井は提示した。

 

 

「深海棲艦の血液と細胞……まぁ、肉だね。それを患部に充てて、彼女の欠損した部位を培養・再生させて補完する」

 

 

 へぇ、と、熊野の口から生返事が漏れそうになった。言われたことの内容を脳内で反復して。彼女は凄まじい剣幕で怒鳴り始める。

 

「貴女、ふざけていますの!?」

 

「話は最後まで聞いてほしいね。君は私をマッドか何かだと思ったみたいだけど、別にそうじゃないよ」

 

「……何を言うかと思えば……そんな御託に耳を貸す義理はありませんわ」

 

 希望をちらつかせてきたかと思えば、一気に機嫌を悪くされて。暴言を吐いて熊野が椅子に座り直す。そんな彼女をちらりと横目で見てから、今度は佐伯が、興味を感じたといった様子の顔で土井に尋ねる。

 

「…………。魚の鱗や皮を火傷の痕にあてて治療すると、皮膚が再生した、という手術をメディアの聞きかじりで知っています。そのような?」

 

「渡くんの言うのは、ブラジルで実験が行われた物かな? アイスランドではその技術に由来したパッチなども販売されて……いや、話が脱線したな。そうだね、少し違うが広義には似たようなものか」

 

「提督!?」

 

「熊野さん、頭ごなしに否定するのはいけないと思います。まずは先方の意見を聞くべきだ」

 

「しかし……」

 

「渡くんいいんだ、熊野さんの言うことも尤もだと思うしね。では、熊野さん、思ったことをそのまま言って構わないよ」

 

「…………。脳死の方から臓器移植をした患者さんが、ドナーになった人の人格を得た、という話を鈴谷から聞いた事がありますわ」

 

「……なるほど。何が言いたいかは大体わかった」

 

「あんなに危険極まりない、どういう生態かもわからない生き物の体から移植手術ですって? 信用しろと言う方が無理な話ですわ」

 

 言いたいように言えと言ったのはそっちだぜ。熊野は、じっと土井の目の瞳孔に視線を合わせる。彼女は対面する相手に見つめられているのをプレッシャーとは感じていないのか、淡々と説明を始めた。

 

「まぁ、確かにそうだ。そりゃ、専門知識が無いと危険だと思うのは当然だ。というわけで、言い訳の代わりに説明させて頂くよ。」

 

 土井は、熊野が最初に見て気になっていたファイルの先頭の書類を引っ張り出し、続ける。

 

「少しずつ、小指の爪ほどの大きさの薄皮を、根上さん((鈴谷))の怪我の酷い部分に移植していく。代謝を促進させる効果があるから、深海棲艦の細胞は、ゆっくりと体に適応して同化する。これを毎日繰り返して、理論上では2ヶ月もあれば前と変わらないほどまで回復するかな」

 

「危ない、といった私の疑問の答えは」

 

「医療の分野ではすでに有用性が証明された技術だよ。動物実験も山のようにやった、もう5、6年もこれをして失敗は無かった」

 

「マウスやラットで平気なことが人間にやって」

 

「大丈夫なんだなこれが」

 

 熊野の思考がコンマ数秒停止した。

 

「一体何を根拠に……」

 

「既にこの方法で怪我を治して社会復帰した人の例が有るんだ。訳あってその資料は持ってきてないが」

 

「………………ッ!?」

 

「もっと言おうか。過去とはいえ医療に携わったものとして、私は根上さんを助けてあげたいんだ……やっぱり信用ならないかい?」

 

 医療関係の事は、経歴的に本職に近かった鈴谷と違って無知だったとはいえ。友人の受け売りでそれなりの情報は知っていたつもりだった熊野は、そこまで進んでいた話だったのかと驚いた。

 

「私は本気だよ。熊野さん。やってくれとさえ言ってくれれば、今すぐにでも治療に移る気持ち」

 

「……その、怪我を治した人の話を聞かせてくださいまし。それで貴女を信用するかどうかを判断しますわ」

 

 一体自分はあいつの親でも無いのに何を言っているのだろうか。後になってそう思うが、土井は、そんな熊野の言葉に素直な返事を出してくれた。

 

被験者(モルモット)は私だよ。他人にやらせるなんて無責任はできないからね」

 

「「なっ!?」」

 

「証拠ならある。なんなら今すぐにでも見せられるけど……どうかな?」

 

 予想外な事ばかり言う彼女だったが、口論の様子を今まで静観を決め込んでいた佐伯も、流石に今の発言には驚いて熊野と同時に変な声が漏れた。

 

 2人から返事は無かったが。驚いているその様子を見て、土井ははにかみながら上着を脱ぎ、上半身はワイシャツ姿になる。

 

 佐伯も熊野もずっと気になっていたが、今日は比較的気温が高い日なのに、土井は厚手のかなり長い手袋を着けていたのだが。彼女は指先から肩までを被うそのアームカバーを、ゆっくりと左腕から取った。

 

 ()めていたものの下にあった彼女の手を見て。佐伯と熊野は言葉を失った。

 

 腕の肩関節から下の部分が、ただでさえ白い肌の色が輪を掛けて白くなっている。それが、指先に向かうにつれてだんだんと黒くなっており、血管のような赤い模様が皮膚の表面に浮かび上がっていた。

 

「昔から、私は結構どんくさいもんでね。プライベートで少しばかり事故にあってさ。いい機会だからと臨床実験に参加した、というわけ。私の左肩から先は深海棲艦だ」

 

 絶句している相手に構わず、土井は鞄からカッターナイフとハンカチを取り出し、軽くその腕を切った。腕の傷口から、少し黒みがかった静脈血が重力に従って滴り落ちる。

 

「深海棲艦の中には、たまに青い血液を持つ個体も居るそうだね。でもこの通り、ちゃんと私の血は赤いよ。見た目の悪さはどうにもできなかったけどね」

 

 さて。証拠は出したよ。答えはまとめてくれたかな?――熊野は、ゆっくりと立ち上がり、口を開いた。

 

 

 ニヤリ。そんな擬音が似合う、不敵な笑みを土井は浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 




土井さんの見た目はスーツ姿のタ級と思って頂ければだいたいあってます

疑問点・感想、お待ちしています。


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4 穏やかな時間

投稿時間はこれからまちまちになると思います。今まで通り完結はちゃんとさせますので、エタだけはご安心を


 仕事が仕事だけに、働き詰めだった1週間が終わる。

 

 鈴谷は、休日に一緒に出掛けないかと振られて、熊野の提示してきた待ち合わせ場所に来ていた。

 

 町の中の、特に人口が集中していそうな場所の一角に建てられた喫茶店のテラス席に座っていること、はや30分。時間にうるさい割には、プライベートの時にはルーズな奴だ、と親友を待ちながら思う。

 

「おっそいな……典子((熊野))のやつ…………」

 

 相手がすぐに来るものと思って特に何もしていなかったが、こう、ただ待つだけだと流石に暇だな……。そう考えると、鈴谷は注文でもしようかと店員を呼ぶ。

 

「あの、アイスコーヒーください――」

 

 運ばれてきた飲み物にガムシロップを入れながら、暇潰しに入ろうと、(かばん)から1冊の文庫本サイズの本を取りだし、(しおり)の挟まった場所から読書を再開した。

 

 「医療の光に隠れる闇」。なんとも不穏なタイトルの本だが、内容は医者の卵やベテランの医療従事者による暴露本だ。妙な本を読んでいる、と噂好きそうな周りの女子高生なんかがチラチラ様子を伺っているのに鈴谷は気付いていたが、昔から変わり者だとか言われて慣れているので特に気にはしない。

 

 軽く、1時間程の時間が経過した。

 

 おかしい。こんなに遅い筈がない。暇潰しで始めた行為が終わってしまったことに驚き、時計を確認して鈴谷は異常事態だと気づく。自分にもしつこく言ってくるぐらい、熊野はルールだとか時間だとかに厳しい人間なのだ。どうしたのか、と、SNSアプリ等に何か書かれていないか確認する。

 

「よいしょっ」

 

「………ん?」

 

 読んでいた本を閉じて、スリープモードのスマートフォンを見ようとしていたとき。近いところから人の声と物音がして、やろうとしていたことを中断した。なんと、見ず知らずの他人がいきなり相席してきたのだ。

 

「あ、すいませーん。ハニートースト1つくださーい」

 

 誰だアンタ。断りもなく取っていた席を占拠し、注文まで済ませた相手にそう言おうとした鈴谷の口は、相手の姿を見て固まった。

 

「ちょ、ちょっ……と…………!?」

 

「ん? あぁ、相席いいかな? ネ ガ ミ さん?」

 

 どうして自分の名前を知っている。そういう疑問も遠くに飛ぶような生き物が座っていた。

 

 異常に白くて、デッサン用の石膏像を思わせる色の肌と髪。ぼろぼろのレオタードみたいな黒っぽいノースリーブの上に、服から出ている体の所々には、光沢を放つ暗色の鉄板のような物が貼り付き。極めつけは腹部から1対の、灰色の内臓みたいな、先端には鮫のような牙が並ぶ口に似た器官を持つ触手が生えている。そんな見た目をしていた。

 

 話しかけてきていたのは、鈴谷の知識が正しければ、どこから見ても深海棲艦の「重巡ネ級」という個体で。しかも理由は全くわからないが、気さくに話し掛けてまで来る敵に、酷く頭が混乱した。

 

「なんで……ッ!?」

 

「なんで? なんでなんて酷いなぁ、袖振り合うも多生の縁って言葉知らない? 折角会えたんだからさ、友達になろうと思って声かけたのに」

 

「どうして深海棲艦がここに……」

 

「ありゃ、気が動転して聞こえてないのか。おーい、もしもーし?」

 

 その気になれば、ビルの1つや2つを簡単に吹き飛ばせる破壊力の武器を持っている生物だ。腰が抜けそうになるほど驚くのは、普通の感性を持った人間なら当たり前だった。

 

 意味があるかはさておき、思考がまとまらなくなっていた鈴谷は咄嗟(とっさ)に警察に電話しようと思い付く。すると、慌てすぎて指から端末を落としてしまった。

 

 一連の様子は端から見れば笑えなくも無かったが、少なくとも鈴谷には自分の命に関わると思っての必死の行動だ。対面する位地に座っていたネ級は、あたふたしている彼女をみて口角を吊り上げた。

 

「何を慌ててるか知らないけど、ここは夢の中だよ。ホラ、漫画とかドラマであるでしょ? 気絶した人が、もう一人の自分と会うとか」

 

「気絶!? そんなメにあった覚えは無いもんネ!」

 

 地面に落とした携帯電話を、鈴谷は「左手」で拾おうとした。しかし、なぜかそれはできなかった。

 

 一瞬意味がわからなかった。どう解釈したものか。指先で地面を触っている筈の感覚がなかった。

 

「覚えがない!? 覚えが無いんだ! へぇ、そうなんだ!」

 

 新品のおもちゃでも貰った子供みたいな、やたらと元気の良い声でネ級が(まく)し立てる。鈴谷は、なぜか全身が火照り、冷や汗が背筋を伝う感覚に包まれる。

 

「そのおててと横っ腹さんを見ても、そう言えるのかな?」

 

 この女の意図する行為を、自分はしてはいけない気がする―― 暗に「自分の体の左側を見てみろ」と言ってきた相手にそう思いつつ、鈴谷が自分の体に目を向けてみた。

 

「あ……あぁ…………!?」

 

 自分の体は。左肩から先と、脇腹の一部が無くなっていた。

 

「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!???」

 

 全てを思い出した。鈴谷は、「あの時」蒸発して無くなった腕と脇腹を見て叫んだ。

 

 

 

 

 

「いきなり大声を出すものじゃあナイ。怪我に(さわ)るでしょう……?」

 

 欠損した先から滴る血液で、じっとりと湿っていく服の感触と。2つ目に、目の前で呑気に頼んだものを食べている深海棲艦を不快に感じる。

 

 認めたくもなければ、こんな奴の言うことを信じるのも(しゃく)だったが。どうやらここが夢か何かの中だ、というのは本当のようだと鈴谷は考える。こんな大怪我を負った状態で、血は出ているのに痛みが全く無いという不思議で不気味な感覚からその結論に至る。

 

 もう一度周囲に目を向ければ、場所は洒落っ気のあるコーヒー屋から、真っ白で何も無く殺風景な、いかにも異常な空間らしい物へと姿を変えていた。こういった事象を見て、なおのこと夢の中だろうという考えが強くなる。

 

「私は……」

 

「ん?」

 

「私は死んだわけ? ここ、何? 三途の川だとか血の池だとか無いけど、もしかして天国?」

 

 自分の体を見て発狂しかけたが、時間の経過が鈴谷の理性を呼び戻した。何分・何時間かは知らないが、とにかく人と受け答えができる程度には立ち直り。血まみれの部分に手をあてながら、彼女は周りを見回しながらネ級に聞いてみた。

 

「ん~? 夢と天国両方、かな?」

 

「…………………………」

 

「ひっ!? 怖いなもう……いいよ教えるよ。えぇとね、両方っていうのは嘘じゃナイの。実際貴女は死にかけたみたいだし」

 

 はぐらかすな、という意味を込めて(にら)み付けてやると、相手は人間味のある動作で怯えたのち、口から出したことを言い直した。鈴谷は、この女のうっすら赤く光っている瞳を、目で殺すように見つめる。真顔とも笑顔とも言えない微妙な表情でトーストにガッついている相手は、少なくとも嘘は言っていないように思えた。

 

 鈴谷の問いに端的に答えたあとも、ネ級は已然変わらず、くりぬかれたパンに埋め込んであるアイスに舌鼓を打っている。

 

「ん~このアイスおいしぃ」

 

「どっちかって……どっちさ。私は生きてて、あんたも、この体も夢ってわけ?」

 

貴女(あなた)はねぇ、たぶん、深海棲艦になるのさ。どーせ死んではいないから、それは安心だねぇ……」

 

 へぇ、といって聞き流しそうになった。いきなり飛び出してきた言葉に、鈴谷は血相を変える。

 

「ちょっと、それどういうこと」

 

「あぁ、そういえば言ってなかったね。ごめんごめん」

 

 「ごちそうさまでした。ヒトのご飯はおいしーね」 そう言いながら口を拭くネ級を眺める。さっきから感じていたが、この深海棲艦、嫌に人間らしい行動を取るのが。敵としていつも戦ってきた鈴谷には、非現実的でとても不気味に思えて仕方がなかった。

 

「人間って面白いこと考えるね。佐伯って貴方より偉いひと、その友達のお医者様が、貴女のおなかに深海棲艦の細胞を詰めて治すんだって」

 

「!!」

 

「傑作だね。人間(ひと)深海棲艦(にく)詰めというわけさ。まるでキグルミか何かみたい」

 

 深海棲艦の体を使って治すだって? そんな話は聞いたことがない。学生だった頃には、自分の進路に向けて勉強していたのに初耳だ。相手を攻め立てるように話していた鈴谷の口の動きは、ここで止まった。

 

「そんな()きっ腹に詰め物をしたら、精神に悪影響が出るかもね。知らないけど」

 

「…………」

 

 伸びをしてそう言う女に。昔、熊野に自分がした海外の医療現場での小噺を、鈴谷は思い出していた。内容は、ドナーの内蔵だか何かを移植された人が、臓器の提供元であるその人の家庭で1日を過ごす夢を頻繁(ひんぱん)に見るようになった、とかそのような物だ。

 

 既存の技術の範疇(はんちゅう)で行われる臓器移植ですら、こんな話が大量に出るぐらいには人の体は未解明な事が多いのに。まして、どういった生物なのか、ほとんど詳しい事のわかっていない生物の体から細胞を移植するなんて、一体何が起こるだろうか―― 鈴谷の背筋に冷たい物が流れる。

 

 初めは目の前の人物を全く信用していなかったのが、今は真逆で、その言葉を信じて飲み込み、鈴谷が不安に駆られていた時だった。急に、視界がグラつき、目の前の景色が暗くなってきた。

 

「…………っ?」

 

「あ、そろそろお目覚めみたい。じゃあね。また会えるときまで……会えるかどうかは知らないけれど」

 

 一気に体の力が抜けていく。訳もわからず鈴谷は残っていた片腕を地面についたが、ネ級が言うことを理解するに、「夢が覚める」予兆らしい。

 

 トーストを食べ終えてから、眠そうな顔をしていたネ級が、また口を開いた。

 

「さぁ、貴女はどんな化け物に生まれ変わるんだろうね? まぁ結果なんて私は別にいいや。寝る!」

 

 ネ級が話し終わったのと同じぐらいのタイミングで、目がほとんど見えなくなった。鈴谷の瞳に最後に映ったのは、言うが早いか、どこからか取り出した布団に入って横になるネ級の姿だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「んん……う?」

 

 柔らかい布団と枕の感触を確かめる。目を(つむ)ったまま考えるに、ベッドか何かに寝かされているのか。

 

 閉じていた(まぶた)を開ける。「ここ、どこ?」とか言いそうになった鈴谷の口は、視界に入った点滴のスタンドや、ナースコールのボタンがある機械を見て、言葉を発する前に動きを止めていた。置いてあるものからして、病院か何かの一室だろうと察したからだ。

 

 本当にただの夢だったんだろうか。いつもなら寝ていたときの事などさっぱり覚えていないのに、やけに鮮明に思い出せるネ級とのやりとりを、頭の中で動画みたいに再生する。今考えても、妙に気さくな奴だったな。あの、変に人間味のあった深海棲艦の事をそう思う。

 

「あ…………」

 

 患者用の寝巻きか何かを着せられていた自分の体の、左腕を興味本意で眺めてみた。体のおよそ左半分が飛んだ記憶は確かにある。ということから、ガンダムチックな義手がついているぐらいは覚悟していたのだが。そこにあったのはなんの変鉄もない、いたって普通の人間の腕だった。

 

 まさか、腕が無くなったのも夢? いや、でもそれじゃあ病院にいる理由がつかない……ということは、これが「深海棲艦を使った治療」、なのか? 寝起きでまとまらない思考回路でそこまで考えたが、軽い頭痛を覚えて。鈴谷は考え事はそこでやめておいた。

 

 さて、とりあえず病院かどこかだろうけど、だとしたらどこの病院だろう。軍の病院なのか、普通の大学病院とかなのか。ナースコール押して、ここの人に聞いてみようか。自分が把握できる範囲の事を確認し終えると、鈴谷はひとまず上体を起こして部屋の間取りなんかを見てみようとしたときだった。

 

 向いていた方向の反対側から、ガタン! と物音がした。少しびっくりした後に顔と体の向きを変える。椅子に座っている浜波が居た。

 

「……………!?」

 

「……? お、おはよう」

 

 この状況は一体なんだ。自分をみて、口を開けて唖然としていた浜波に、とりあえず朝の挨拶をしておいた。

 

「先生ぇ! 土井さん! 早く! 鈴谷さんがぁ!!」

 

 よっぽど興奮しているのか。普段の彼女らしからぬ明瞭な声量と発音でわめき散らしながら、弾かれたように浜波は部屋から出て「土井さん」なる人物を呼びに行ってしまった。物音でも驚いたが、エネルギーを感じさせる動きをした相手に、鈴谷は2度驚いた。

 

 ネ級が夢で言っていたことが、まさか本当だったなんて。鈴谷は飛ぶような速さで部屋から出ていった浜波の背中と、自分の左手を交互に見て、そう思った。

 

 

 

 

 数分後に戻ってきた浜波が落ち着き、彼女が呼んだ「土井」なる人物(元医師で今は研究員らしい)の到着で、ようやく鈴谷は現在の自分が置かれている状況を把握することとなった。

 

 まずは、外科手術を受けてから、もっと言えば負傷してから1か月近く眠っていたことを。次には土井の自己紹介を挟み、最後に自分が寝ているうちに施された処置についての説明を受ける。

 

「気分はどうかな、根上……あぁ、鈴谷さん」

 

「良いか悪いかは、なんとも。食欲とか無いけど、別に体がだるいわけでもなく」

 

「なるほどね。経過は良好、と」

 

 カルテの代わりだろうか、手帳に何か書き込みながら土井は続ける。

 

「驚かないで聞いてほしい。君のお父様と、ご友人の熊野さんの署名を頂いて、貴女にはちょっと特別な処置をさせて頂きました」

 

「特別な処置」

 

「うん。深海棲艦って勿論わかるよね? その細胞で体の無くなった部分を再生する、っていう物なんだけど。早い話が臨床試験だね」

 

「はぁ」

 

「…………意外と驚かないんだね」

 

 土井の言葉にドキリとした。別に、鈴谷は驚いていないわけではなかった。彼女はこの医者の言うことが、そっくりそのままネ級の言っていたことと合致(がっち)しすぎていた事に、半ば思考と表情筋が停止していたのだ。また同時に、「夢で深海棲艦から聞いたよ!」なんて絶対言えないな、との理性も働いていたが。

 

 鈴谷はアドリブをきかせて、適当にはぐらかすことにした。

 

「いや、なんか現実味がないな。って」

 

「あぁ、そういうね。にしてもびっくりしたな。いつも静かに鈴谷さんの見舞いに来てた浜波さんが、ドアを壊しそうな勢いで来たんだもの。雨どころか槍でも降ってきたかと思ったね、あの時は。」

 

「だ、だって、鈴谷さん、いきっ、いきか、生き返ったからッ!」

 

「生き返ったって、ハマちゃん、私、キリストじゃないんだから……」

 

 落ち着いた、とはいっても普段の彼女を知っている鈴谷からすればまだまだ浜波は興奮していた。乞音に加えて、更にろれつの回らない様子で早口に話す相手に、鈴谷は、はにかみながら(さと)す。土井は黙っていたが、2人を見る表情は笑っていた。

 

「だっ、だって、ずっと寝てておきなっ、起きなかったッ、から……」

 

「ごめんね、心配かけて。鎮守府はどうだった?」

 

「みん、みんな、落ち込んでる。鈴谷さん、いつ、起きるのかなっ、て」

 

「あぁ、やっぱり」

 

「よかっ……良かったっ! すず、鈴谷さん、生きてた……からっ!」

 

 泣きそうになりながら、浜波は両手で鈴谷の手のひらを握る。

 

 そりゃ、昨日まで元気していたようなのが、突然不注意で死にかけたわけだし……影響も出るよね。たまたま生きていたから良かったものの、死亡していたらどうなったんだろう。 自分から振った話に、気持ち、暗い顔を見せた浜波に。早く熊野や那智、佐伯提督に顔を見せねば、と思う。

 

「じゃ、ちょっと体を見せて貰っても良いかな? その病院着、手の部分が外れるようになってるんだけど」

 

「あ、はい、お構い無く」

 

 土井に言われて気がついたが、鈴谷の着ていた服は、袖の根本がボタンで止められている構造をしていた。

 

 言われた通りの指示に従い服の袖を取り払う。改めてじっくり手を見てみる。すると、肩から先が、日焼けをした跡みたいな境界線ができていた。ただし、これも日焼けだと言い張れば、周囲の人間には何も詮索されなさそうなぐらいには違和感の無いものだ。

 

「ふ~~ん? いや、いつみてもすごいな。こんなに綺麗に治ったのは君が初めてなんだよ」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。だって私のを見なよ。みんな普通はこうなるんだけれど」

 

 鈴谷の疑問に、彼女の知らないことだったが、土井は熊野や佐伯にやったように手袋を外して見せた。

 

 目の前の白衣の女の、黒くなっている腕を見て、鈴谷は思わず体を少し後ろに引いた。隣にいた浜波が動じなかったところを見ると、彼女はこの医者の体の異常をもう見たんだろうなと思う。

 

「それは?」

 

「長くなるから別の日に追って説明するよ。とにかく、この手術、無くなった体の一部分ぐらいなら綺麗に治るのは良いんだが、見映えがよろしくないのが欠点だったんだ。……まだ研究が必要かな」

 

 へぇ、と生返事を返した。昔は看護師を目指したといっても、なる前に終わっているし元は知識だけ持った学生だ。目の前の本職に経験でも知識でも敵わないからわからないが、なにやら自分はレアケースらしい。

 

「これぐらいでいいかな。目が覚めたばかりだし、暫くは大人しくしていてね。じゃあ、浜波さん、何かあったらまた呼んで。2人でお喋りでもしているといいだろうし」

 

「わかり、ました」

 

「どうも」

 

 「邪魔者は居なくなるとしましょ」 そう言った土井は2人を残して部屋を出ていった。

 

 

 

 

 数十分、1時間には及ばないぐらいの時間を浜波と世間話をして過ごしたが、彼女は今日この後は用事があると言い、帰宅のために部屋を出たので病室の中は鈴谷1人になった。

 

 枕の近くにあった時計を見ると、デジタルの画面に16:14と出ている。その上にかかっていたカレンダーには大量のバツ印がついていたことから、今日は5月の土曜日だと言うことも把握した。休みの日の、しかもこんな時間まで自分ごときの見舞いに来ていたと知って、浜波の熱心さに鈴谷は申し訳なく思った。

 

 彼女から聞いた近況を復唱する。防ぎようがなかったと周囲は庇ってくれるだろうが、自分のせいで職場の環境が悪化したと知らされれば、流石に罪悪感を感じる。また、自分をこんな目に遭わせやがって、と姿も知らない敵への怒りが心にのんびりと立ち上がり始める。

 

 ただ、1か月も寝ていたとなるとすぐに現場復帰とはならないのだろう。ならばせめて、ゆっくり出来るうちに限界までのんびりしてやろう。元来、自由人な鈴谷は一転してそんな気持ちに頭を支配された。

 

 暇を楽しもうと、鈴谷は横のベッドに手を伸ばした。

 

 この病室には、ベッドが自分の寝ている物の他にも2つ設置してあった。そのうちの片方、自分から近かったものには鈴谷の私物が置いてある。浜波によれば、熊野や父が鈴谷が回復したとき暇潰しに使えるように置いていった物らしい。

 

 持つべきものは友人と家族なんだな。そんなような事を思いながら、鈴谷は身を乗り出してショルダーバッグから携帯電話と文庫本を引っ張り出したときだった。

 

 プー! と外から車のクラクションの音が聞こえてきた。結構近い場所からだったので、何事かと鈴谷は窓から見えるこの建物の駐車場に目を向ける。

 

「何なの……って、ハマちゃんか!」

 

 白い旧式のロードスターがゆっくりと動いていたのを見て、誰かはすぐにわかった。さっきまで一緒にいた浜波だ。朝にあの車で出勤していることを知っていたし、こちらを見ているのも確認できた。

 

 車の運転席の窓を開けて、彼女が自分に向けて手を振っているのが見える。もちろん、鈴谷はわざわざ休暇を潰してまで見舞いに来てくれた友人へ、手を振り返して応える。腕に刺してある点滴が少し(わずら)わしかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 適当に過ごして就寝したのち、翌日を迎える。のんびりと昼に目を覚ました鈴谷は、用意されていた食事に手をつけているところだった。

 

 病院食は味気ないとは誰が言ったのか。減塩のニシンやサラダ、白米といった、見るからに体に優しそうな物が乗っていたトレイに顔がひきつる。それなりに空腹ではあったので、また自分の体を思ってここの職員が作ってくれたであろうと仮定して、我慢して鈴谷は出されたものは完食した。

 

 一息つこう、そんな考えで読書を初めて1時間ほど経ったとき。病室の引き戸を開けて、誰か入ってきた。熊野だ。

 

「あ」

 

「鈴谷、お久し振りね。調子がいいと聞いているのだけれど?」

 

「どう見える?」

 

「そんな風に変な答えが口から出るぐらいには、回復したと理解しましたわ」

 

 熊野の質問に質問で返事をした。鈴谷が答えを言って、お互いにニヤリと笑う。周りからみると妙な応対だが、昔からやっている儀式みたいなものだ。

 

「浜波から聞きました。元気になったと聞いたからお見舞いに来ましたの」

 

「ありがと!」

 

「体に違和感はありません? その、左側が勝手に動くとか」

 

 鈴谷は苦笑いする。

 

「別に、そんなエクソシストみたいなねぇ……それよりもさ、なんかニュースが聞きたいな。最近鎮守府で何かなかった?」

 

「ニュース、ですの? ……そうだ、吉田 法正、と言ったら覚えてまして?」

 

「あぁ、あのオジサンね」

 

「数日前にこちらに来ていましたわ。何か、佐伯提督がまたお小言を食らっておりましたが」

 

「はぁ~?」

 

 あんにゃろめ、提督が何をしたっていうんだか。体感的には数日前だがもう1か月も前に自分にも怒鳴ってきた男を、ハンマーでコテンパンにする妄想をする。

 

「やっぱり気になるのかしら」

 

「そりゃもう、悪い方向にね」

 

「ふふふ……実のところ、私もあの殿方は苦手ですわ」

 

「えっ意外」

 

「口を開けば他人への説教ばかりですもの。しかも、よくよく聞いていれば気にしないでいられる程度のもの。人の揚げ足をとって重箱の隅をつつくような方は、あまり好きにはなれませんわ」

 

 なるほどな、と鈴谷は思った。自分にも他人にも厳しいが、どちらかといえば熊野は他人を誉めることの方が多い人間である事を知っているので、こんな意見が出るのも当たり前かと考える。

 

「貴女はどう思うのかしら。あのお方」

 

「な~んか、もう、ね? (こじ)らせたオタクみたいな所がやぁね」

 

「あら。全国のそういった方々を敵に回すような発言ですわ」

 

「いや、別にオタクな人は好きだよ? 物事に熱中するのは良いことだと思うし。その、大義名分みたいなのを盾にして、人を攻撃するような人間が嫌いって言いたいの」

 

「……貴女もたまには大人みたいな事を」

 

「もう成人してるっちゅーの!」

 

 「ほら、これ見なよ」 鈴谷はベッドの近くにつけていた机の上から新聞を手に取り、熊野に見るように促す。

 

「第2警備隊基地の艦娘を解体? ((解雇と同義))初耳ですわ。……? しかもここは彼の管轄(かんかつ)では……」

 

「そう、そこなんだよ。木曾からも聞いたんだけど、なんか変な権力持ってるんだって。昨日暇でさ、いろいろ調べたの。そうしたら、陰謀論みたいのたくさん出てきてビックリしちゃった。噂だけど、艦娘の()をトラウマができるようなやり方で激戦区に飛ばしたとか」

 

「インターネットの情報なんて玉石混交ですもの、あまり信用はしていませんが、確かに聞きますわ。重ねますが私は信じませんけど」

 

「でもさ、火の無いところに煙は立たないって言うでしょ」

 

「貴女らしい考えですわ」

 

 世間に流れている情報が本当かはさておき、思い思いに嫌いな男への悪口を吐いてスッキリして。2人は笑いあった。

 

 「ただまぁ、もしも全部本当だったとしたらだけどね」 鈴谷の顔から笑顔が消える。

 

「許せない、かな。こういうの、ホント嫌い」

 

「ッ!」

 

 鈴谷がそう言った時だった。下げていた頭を上げて熊野の顔を見る。

 

 見られたくないものを見られた、とかそういった感情を抱いている人間特有の、あのなんとも言えない目を見開いた表情をしていた。

 

「…………? どうしたの? なんか顔についてる?」

 

「!! いいえ、鈴谷も格好をつけたことを言うんだな、と」

 

「なっ!」

 

 「失敬なぁ!」 笑っていた相手に鈴谷がそう言うと、熊野は更に笑顔を濃くした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 実は今日、午後から仕事だから、帰らせてもらう。そんな嘘を親友について、今、熊野は駐車場に居た。

 

「…………………」

 

 「あれ」は一体なんだったのだろうか。いつもなら楽しくお喋りする相手に、決定的な異常を見つけてしまって、彼女は数分前の会話の内容なんて吹っ飛んでいた。

 

 それは自分も鈴谷も嫌いといった吉田の話をしていたときに見つけた。鈴谷が声のトーンを下げ、あの男が嫌いだと言ったとき。ほんの少し。それこそ恋人同士がキスするぐらいに顔を近くにしてやっと気づく程度の、小さなものだったが。

 

 鈴谷の瞳が一瞬だけ赤く光ったような気がしたのだ。

 

「…………」

 

 気のせい、ですわ。あんなに元気になったのに、そんなことがあるはずが…… 

 

 まさか手術の影響で体が深海棲艦になっている? 土井の体を己の目で見て、それは無いことだと思っていた。が、そんな嫌な考えが喉元まで上がってきて、無意識に独り言として発してしまいそうなぐらい、熊野は疑心暗鬼に(さいな)まれる。

 

 言いようの無い不安を胸の奥底に抱いたまま、熊野はランボルギーニのエンジンを掛ける。研究所の敷地を出て、自宅に戻ってもなお、この異物感は抜けなかった。

 

 

 




あからさまな伏線を撒くのは拙作作者の嗜み


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5 街角の血の香り

時間かかりました。くっそつまんねぇ説明会は多分今回までです


 

 

視診(ししん)の時間なんだ。入ってもいいかな?』

 

「どーぞー」

 

『失礼するね」

 

 用事がある、と言って熊野が帰ってすぐ、入れ換わるように土井が部屋に来る。

 

「さて。もう一回聞くけど、別に体に変なところは無いんだよね?」

 

「自覚できるような事はなにも」

 

「そっか。じゃ、ちゃちゃっと終わらせよう。5分もかからない」

 

 すぐに終わる。土井の言葉に嘘は無かった。最初に手の脈を確認され、次に体温を、その後に血圧計を使うように言われる。最後に聴診器で心音やら何やらの確認が終わると、機器を使った健康診断みたいなものは終わった。

 

 全て異常なし。強いていえば1ヶ月間の点滴生活のせいか血圧が低かったらしいが、それも成人女性と比較して危険な域に突入するほどの物でもなく。何も問題はないよ、と言われてひとまず鈴谷はほっとした。

 

「お疲れさま、というほどでもないかな。貴女の言う通り変なところは無かったよ」

 

「良かったァ……」

 

「こちらこそ。私で一応成功してるとはいえ、この施術で何か異常でも発生したら切腹する覚悟だったからね」

 

 胸を撫で下ろしていた女に、土井ははにかみながらそう言う。続けて彼女は、前日に鈴谷に言うように約束していた、施した治療についての説明をしようとする。

 

 「じゃあ、鈴谷さんにやった手術の事なんだけど……」 そう、土井が話し続けようとしたときだった。ドン! と部屋の扉に何かぶつかるような音がして、2人の視線が入り口に向く。

 

 『()ってぇ!』 ドア越しのくぐもった声が聞こえる。鈴谷の耳が特別おかしくなければ、それは木曾の声だった。

 

「……来客かな?」

 

「あ、木曾の声だ」

 

『あ、あ、あ。根上((鈴谷))さん居ますか!』

 

「入っていいよ~」

 

『失礼しまァす!』

 

 あいつが入室の許可? 何かあったのかな。

 

 礼儀にうるさい熊野ですらやらなかった、中に誰がいるのか知っているのに関わらず、相手はわざわざドアのノックをして入室してきた。明らかに彼女の様子がおかしいと鈴谷は考える。

 

 艦娘としての制服は海賊みたいな服装で、プライベートの時はジーンズにシャツか上下ツナギ姿みたいなラフな格好でいることが多いのに。今日訪問してきた木曾は、眼帯を外してビシッとパンツスーツ姿に、右手に花束、左手に……一万円で()かなさそうなかなり大きなフルーツバスケットを持っていた。普段の相手を知っている鈴谷は、いったい何事かと思う。

 

「お、おはよう木曾。お見舞いあんがとね?」

 

「ふうぅぅ……フゥゥー……!」

 

「……!?」

 

 なんか私狙われてる? 自分の姿を認識するや否や、猛獣みたいにフーフー唸り始めた木曾に。鈴谷は何か彼女の機嫌を損ねることでもしたかと自問自答を開始する。

 

 そんな彼女の想定は外れた。木曾は、例えば彼女がもしマネキンか何かだとしたら首が吹っ飛ぶようなスピードでお辞儀した。ロボットみたいな気持ち悪い動作をしたこの人物に、土井と鈴谷は目が点になる。

 

「この(たび)は、誠に申し訳ありませんでした!! 私の失言により、根上さんの御体に消えない傷が……」

 

「!? !? ちょっとタンマタンマキモいキモいキモい! どうしたの木曾!? え、木曾のお姉さんか何かですか!?」

 

桜田 直美です!!(さくらだ なおみ(木曾の本名))

 

「あぁ本人!?」

 

 変に気合いの入っていた木曾に合わせてテンションのおかしくなった鈴谷の応対を見て、土井は吹き出した。

 

 花束の中身を大きな花瓶に移して、バスケットはとりあえず空いていたベッドに置くように言った。アクセル全開みたいだった相手が落ち着いたのを見てから、鈴谷は続ける。

 

「どうしたのさ、あんたらしくもない。頭のネジでも取れた?」

 

「だって俺のせいで……」

 

「……???」

 

「覚えてないのか、あの日あのとき俺が何て言ったか?」

 

 覚えてないのか、とか言われたって何もされた記憶が無いんだけれど……。そんな気持ちを顔で表現した。困惑した表情を見せた鈴谷に、恐る恐る、といった具合で木曾が重い口を開く。

 

「お前が怪我した日さ、昼飯の時に言ってたよな。早く軍隊辞めたいなって」

 

「あぁ、言った? かな」

 

「俺は、腕がもげるような怪我をすれば除隊になるんじゃないかって……ずっと謝りたくてぇ……!」

 

「えぇ……」

 

 「いやぁ考えすぎでしょう?」 鈴谷は困った顔で、静観していた土井は相変わらずはにかみ笑顔だ。

 

「でもよ、言霊(ことだま)ってあるじゃんか……ずっと気がかりでぇ……」

 

「大丈夫だって木曾、そんなこと言ったらさ、那智なんていっつも私に「鈴谷が死んで悲しい」とかジョーダンかましてるんだから」

 

「…………言われてみたらそうだわ」

 

 立ち直るの早いな! 鈴谷は内心ズッコケた。

 

 潤んでいた瞳の涙をがしがし服の袖で拭って、木曾は深呼吸をしてから続ける。

 

「悪いな俺っ……あたしだけで。蒼龍と那智に、長門も来るはずだったんだけど、急な用事が入っちまって」

 

「いいよいいよ別に、私なんかのために時間割かなくて」

 

「いぃや良くないね! 退院できるまで全力で見舞う!!」

 

「あは、あはは……アリガトウ……」

 

 どう返事しろってのよ。鈴谷は営業スマイルを木曾に見せておく。

 

 「そろそろ、お話良いかな?」 土井が会話に首を突っ込んでくる。しまった、邪魔したか、と思ったのか木曾は慌てて白衣の女の方に体の向きを変えた。なんだか今日の木曾はいつもと違ってすっごい女の子してるな。アタフタしている彼女を鈴谷はかわいいと感じた。

 

「すいません……」

 

「いやいいよ、何せあんなに酷い容態だったしね。快復したら驚くのも知人としてはやむなしだろうし……さて、鈴谷さん、詳しい説明をするね」

 

 「せっかく桜田さんが持ってきてくれたんだ、これでも食べながら。」 土井は果物ナイフを取ってくると言い残し、1度部屋から出ていった。多分、話が長くなる、と見越してこちらに配慮したのか。鈴谷はそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 自分の座っていたベッドにずらりと並べられた書類・レポートに、壮観だな、なんて鈴谷は思う。木曾が切り分けた(なし)を受け取って。土井はやっと説明を始めた。

 

「今回やった治療だけど、繰り返すけど深海棲艦絡みだ。周りは浸食だの汚染だの物騒な名前をつけたがってるけど、ここの方針としては「浸透再生治療」って名前で呼んでる。具体的な手法は、怪我人の患部に深海棲艦の皮なんかを張り付けていくのが、一応は確立されたやり方として提案しているよ」

 

 ファイルやタブレットで情報を提示していきながら、彼女は喋っていく。鎮守府に鈴谷の容態とこの手術について話を聞いてくるように、とも言われたらしい木曾は知らないが、鈴谷は、ずっと病院だとばかり思っていたここが研究所の一室だったことに驚いていた。

 

「で、更に詳しい話に進むために深海棲艦の細胞について話をするね。深海棲艦それ自体はまだまだ謎だけど、その体組成なんかは意外と解明されてはいる。結論から言うと、彼ら彼女らは普通の炭素生命だし、水から酸素を取り出す海草みたいな器官を持っていたりと変な部分があれ、そこまで異常な生き物でもないって事がわかってる……(もっと)も、一番大事なあの砲弾を跳ね返す頑強さは何でなのか解ってないケド」

 

「はぁ……」

 

「その研究過程で発見したのが、深海棲艦の血液、及び体を構成する細胞に優れた再生能力があるってこと。色々やった後に、これを医療分野に生かせないかと発展して、鈴谷さんに施した治療に繋がるわけ」

 

「へぇ~」

 

 鈴谷も木曾もうんうん頷きながら話に聞き入っていた。テレビゲームで遊ぶ人間が必ずしもプログラムに詳しいなんて有り得ないように、深海棲艦と直接対面する職種とはいえ。ただ淡々と戦うだけの2人とも詳しいことはさっぱりだから、土井の言うことに()かれる。

 

「鈴谷さんなら知ってるかな。再生能力なんて御大層な言い方をすると凄そうだけど、それ自体は人間にもある。怪我をしたときに瘡蓋(かさぶた)が傷口を塞いだりするのがよく知られてるやつかな」

 

 水で喉を(うるお)してから土井は続ける。

 

「でもそんなレベルじゃなくて、綺麗さっぱり治ってしまう、それこそSF映画で言うような再生能力がこの細胞にあったのさ。人の役に立つ方面に転用しようと意見が出るのは時間の問題だった」

 

「…………」

 

「で、ここからまた長~い動物実験を重ねて、ってお話は余計だから言わないよ。今話したいのはなんといっても「コレ」だからね」

 

 そう言って、彼女はアームカバーを両手とも取り払う。鈴谷は、この女の体の異常は左腕のみに有るのかとてっきり決めつけていたのだが、土井の体は右腕もうっすらと灰色がかっていた。それを差し引いても、やっぱり目を引くのは血管の浮かび上がった真っ黒な左手だったが。

 

「前置きすると、すこしばかりエレベーター事故に巻き込まれてね。片腕を持ってかれた時があったんだ」

 

「えっ……それ、大丈夫だったんですか」

 

「痛すぎて話せもしなければ立ってられないぐらいやばかったね。たまたま近くの人が救急車呼んでくれて、なんとか生きてたってわけ」

 

「そーだったんだ……」

 

 飄々(ひょうひょう)としている女の意外な過去といったところか。彼女の口から出た発言に木曾が言う。

 

「いつだったかな。詳しい日時は忘れたけど、ちょうど、さっきの事で研究していた最中だったものだから。いい機会だと臨床試験に名乗り出たのさ。都合のいい患者さんもいなければ、「気味が悪い」とこの手術に参加する人も居なかったし、医者仲間も暇していたしね」

 

「よくやる気になりましたね。何が起こるかわからないのに」

 

「あわよくば体が治るとか前向きに考えていたからね。あまり不安は無かったよ。身内が揃って優秀で腕利きだったのもあるけど」

 

「医者の友達かぁ……」

 

「無くなった腕の再生はうまくいった。ついでに子供の頃の火傷した(あと)があった右手の皮膚も張り替えてもらったがね。で、いい結果が出たからこの手術の事を国と海軍に認めてもらった、というわけ」

 

 「で。長くなったけどここから鈴谷さん関連ね?」 梨をひと切れ口に持っていく相手を見て、2人は自分らが全く果物に手を付けていない事に気付く。木曾と鈴谷は全く同じタイミングで梨を食べた。あんまりにも息がぴったりだったので、仲が良いんだな、等と土井に思われていたが2人の知るところではない。

 

「この通り私は両手とも(すす)まみれの黒焦げみたいになったけど、鈴谷さんは多少白くなっただけで綺麗に治ったでしょう。これ、何でかなと思って昨日本棚引っくり返して昔のレポート読んでたら、思い当たる物が見つかって」

 

「というと」

 

「私はね、対象者の「ストレス」が関係してるんじゃないかと思ったんだ。ちょっと根拠にした実験結果もある」

 

 へぇ、と艦娘2人で生返事をした。繰り返すが、詳しいことを知らないのでこれ以外に返答のしようがない。取り合えず相槌するだけ、といった木曾・鈴谷の対応に別に嫌な顔もせず、土井はレポートを並べて続ける。

 

 写真つきの書類に目を通す。文面を見て、実験用マウスに深海棲艦の細胞を移植して経過を見る実験ということを2人は理解した。

 

「まだ動物実験しかやってなかった頃なんだけど、ただ怪我の治療だけをしたマウスと、経過途中にエサを減らしたり、また同じように傷を付けたりしたほうには変化が見られたんだ」

 

「ええと、深海棲艦の血や細胞をマウスに?」

 

「そう。特に不自由なくさせたマウスは綺麗に回復した。逆にストレスを与えたマウスは、こんな感じ。わかるかな?」

 

 彼女は使い古されたファイルから1枚の紙を出す。

 

 普通に市販されている虫かごの中に、1匹の生き物が入っている様子が写された写真だった。話の流れから大方察したが、(くだん)のネズミが居る。ただ、確かに土井が(ほの)めかしたように、明らかに普通のネズミとは異なる外見をしていた。

 

「なんですかこれ……ハリネズミかアルマジロ?」

 

「いいや? 元を正せばただのハツカネズミさ」

 

「え!」

 

「凄いでしょ。怪我をした部分を中心に守るように、この子の体は深海棲艦にも見られるようなあの外骨格が形成されてるのさ」

 

「「へ~」」

 

「昨日色々見てて、そういえばこんな実験やってたなと思って。この資料、多分貴女に関係がありそうだと思ったから持ってきた」

 

 土井の言葉を聞いて鈴谷は再度写真をまじまじと眺める。画質は悪くあまり綺麗ではないこれだが、どう見てもハツカネズミには見えなかった。ここまで生物の体を変形させる深海棲艦の細胞に多少不気味な物も感じたが、少しとはいえ医療・生物分野に居た彼女はむしろ興味を持つ。

 

「私の他にごく少数手術を受けた人が居てね? でも、私含めてみんな治った患部はこんなになった((黒く変色した))ものだから、こうなるものだと決めつけてたけど。鈴谷さんの置かれた状況を考えると1個の仮説が、ね。」

 

「? 私だけそんなに特別なんですか」

 

「特殊だね、それもう~んと」

 

 鈴谷の疑問に、土井は口許(くちもと)に人差し指を持ってきて、「静かに」とかの合図みたいな動作をしながら続ける。

 

「最初は鈴谷さん以外の条件が悪かったのかな?とか思ってたけれど、私の時と比べたら思うことがね。普通の動物と比べると、人間って遥かに扱う情報が多いでしょう? 感情なんてものもあるしね。だから、多分普通に過ごしてるだけでストレスを感じてしまってる事があると思うんだ。小さなこどもならわからないけど、成人してたら尚の事ね」

 

「…………あっ」

 

「気付いたかな。私らに比べると、鈴谷さんはこの1ヶ月間をずっと眠って過ごしていた。つまり、外界の情報はシャットアウトしていた訳だ。だから普段思うような負荷が思考に絡まないで、限りなくストレスを0に出来てたんじゃないか。私はそう思ったんだけど」

 

 女の話が終わる。鈴谷は服の袖を取って自分の腕を眺めた。土井と違って人間の皮膚の色の範疇に収まる綺麗な白色をしている。

 

 「これが本当だとしたら、全部納得がいくな、と思って」 治った腕や腹部をつねったりなんだりしていた鈴谷と木曾に、土井は散らかっていた紙を纏めて話し始めた。

 

「寝ていた鈴谷さんに比べると、あのとき私は結構イライラしていたと思ってね」

 

「治ったのにですか?」

 

「これ、結構時間がかかったからね。今みたいにまだやり方も出来てなかったから、ミルフィーユみたいに薄っぺらの皮膚を1日置きに積層して何ヵ月もかかった。勿論治療中はここに居たから仕事もやらなきゃいけない。大変だったよ、利き腕じゃないとはいえ体のバランス取れなくて走れなかったり、すぐ転んだり。多分そういうのの積み重ねで変色したんだと思う」

 

 女の言葉を聞いて、なんて素人染みた事を聞いたんだろうと鈴谷は思った。人間の腕の重さはだいたい1本4~3kgほどだが、それが無くなったと仮定して。いつもは釣り合っている天秤(てんびん)が傾いたら、そりゃ日常生活が不便で仕方がないのは想像に難くない。

 

「長くなったけど、鈴谷さんは何とも無いんでしょう? 渡くんから貴女の主治医を任された身としては、このまま何事もなく終わるとみんな嬉しいから、そこは安心かな」

 

「……先生、ちょっといいですか」

 

「? なにか?」

 

 ひとつだけ。たった1個だが気がかりな事が鈴谷にはあった。

 

 昨日目が覚める前にみたあの夢である。このまま心の奥底に仕舞うのも良いかもしれないが、変な爆弾を抱えておくよりは吐いた方が楽になるのでは…… そんな考えのもと、彼女は土井に言ってみることにした。

 

「昨日、浜波さんと顔を合わせる前に夢を見たんです。ちょっと変なのを」

 

「夢? 一体どんな」

 

「町の中の喫茶店で、私は熊野のことを待っているんです。そうしたら、ネ級……1匹の深海棲艦が現れて、「死ななくてよかったね」って言ってきて」

 

「興味深いね。詳しく聞かせてくれないかな」

 

 突拍子もない鈴谷の言葉を、土井と木曾は真剣に聞いてくれる。そんな2人に鈴谷は心から感謝した。

 

 

 

 下手な口を動かして、見たもの全て、考えたことをそのまま喉から出力して相手に伝える。数秒の間を置いてから、最初に口を開いたのは土井だった。

 

「どんな化け物になるんだろうね、ね。穏やかじゃないなその人」

 

「人ですらないですけどね」

 

「でも、何て言うかな。私は、鈴谷さんから聞くに、少なくともそいつを悪いやつだとは思えないな」

 

「え」

 

「先生、おれっ……あたしもそう思うっす」

 

「え、木曾も?」

 

 研究員の前は現役の医者だった土井はさておき、正直木曾には「何を言っているんだコイツ」ぐらい言われてもしようがないと思っていた鈴谷は少し面食らう。

 

「その子、ただ世間話をしながらパン食べてただけなんでしょう? おまけに励ますようなことまで言ってるときた。こう、危害を加えるような者だとは……私が会って話をした訳じゃないから、あまり、これだ、と決め付けはしないけどそう思うな」

 

「最後に言ったことが気がかりだがな。あたし詳しくねーけどさ、こう、脳の防衛本能的な……違うか」

 

「……なるほど」

 

 言われてみればそういう考え方もできなくないか。客観的に考えてくれる第三者って大事ね。2人の顔を見ながら鈴谷はそう思う。

 

「で、だよ。鈴谷さん他は無いのかな?」

 

「あ、今のだけです。ありがとうございます」

 

「そっか。あぁ、最後に1つ、さっき言ったことがもし正しかったとしたらなんだけど。」

 

 思い出したように切り出し、一呼吸置いて土井が話す。

 

「この短期間にあり得ないとは思うけど、血圧が変動するぐらいに物凄く怒ったり悲しんだり、そういうのは厳禁ね? だから、そういう感情を思い起こさせるような動画だとか小説は観ないこと。約束して。これらも広義にはストレスに当たるから……せっかく私と違って綺麗に治ったのに、勿体無いでしょう?」

 

「……聞きたいんですけど、そうするとどうなるんですか?」

 

 土井と鈴谷が真剣に話していたとき。会話の内容を噛み砕いて何かひらめいたらしい木曾が、ニヤリと笑いながら鈴谷を茶化してこんな事を言う。

 

「鈴谷の体がまるごとネ級になったりしてな!」

 

「はぁ!? ……木曾、またあんたの言う通りになったら枕元に化けて出てやる!」

 

「!? それはごめん(こうむ)る」

 

 とんでもないことを言いやがってからに、この野郎! 木曾にそう言う鈴谷を、何とも言えない微妙な笑顔で土井は眺めていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 数日の間を空けてのこと。もうすっかり元気になったものの、目が覚めてから計測してあと2週間はここで過ごすように、と、リハビリの期間を設けられた鈴谷は。今日は昼から土井に施設を案内してもらう事を約束していたので、私服に着替えて、部屋を出てすぐの廊下にあるソファに座っていた。

 

 趣味の読書で暇潰しをしていたとき。行為を始めて数分もしないで、土井が現れた。

 

「こんにちは。待ったかな?」

 

「こんにちは、今昼ごはん食べ終わったばかりでした」

 

「そっか、ちょっと急いでたけどそれなら良かった」

 

 目が覚める前までを無しとして、今日でここの生活も4日目だ。許可が降りるまで動くのはやめた方がいいだろうという考えから、鈴谷は部屋とすぐ近くのトイレ、外から見える駐車場ぐらいしかここを把握していなかったので、少しワクワクする。

 

 話で聞いたところだと、この建物は研究室のある棟と病院もどきで真っ二つに別れているらしい。聞きかじりの知識だけでいえば、教育施設の代わりに研究所のくっついた大学病院みたいなものか、と鈴谷は考える。

 

 土井の案内を受けて散策したが、今まで鈴谷が居た病棟は特に妙な設備・場所は無かった。2~3台の自動販売機がある喫煙所つきの休憩スペース、病室が自分の寝ていた場所の他に3つほど、バリアフリーのエレベーター。どれも普通の病院で見られるものだ。

 

 しかしこの程度は大方予想通りだったので、興奮するでも落胆するわけでもなく、鈴谷は女の先導を受ける。

 

「自販機はここに居る人は無料で使えるから、何か飲み食いしたくなったら自由に使っていいよ。あ、でもタバコは駄目ね。まだ体が本調子じゃないだろうし、副流煙にも気をつけて」

 

「吸ったこと無いですし、これからも無いだろうから大丈夫です」

 

「……あぁ、そういえば熊野さんが言ってたっけ。まぁいいや、ここの職員にとんでもないヘビースモーカーが居てね、白衣がタバコ臭い奴からは距離をとって」

 

「は~い」

 

 何気ない世間話と設備の使い方について教えてもらう。そうしているうちに病棟内部は大方探索が終わり、鈴谷は次に研究所に案内して貰うこととなった。

 

 廊下の突き当たりにあるドアの前で2人は歩みを止める。関係者以外立ち入り禁止。病院に関わらず、色んな建物のスタッフルームだとかの前にあるお決まりの貼り紙だ。鍵の掛かってないドアの取っ手を捻り、土井は奥の空間に入っていく。

 

 女の後に続いてガラス張りの連絡通路を歩きながら、それとなく鈴谷は彼女に質問してみた。

 

「先生、良いですか。私って、ただの一般人じゃないですか。どうしてこんな大事なところに招いてくれたんでしょう」

 

「私なりの誠意の見せ方だよ。この先でやってる実験が貴女にやった手術に関わってるし、別に見せられないような物扱ってるわけでもないしね。下手に隠す意味もないし」

 

「そうなんですか」

 

「そ。突然だけど漫画やアニメは好きかな?」

 

「へ? いや、有名どころしかわかんないです」

 

 いきなり話題が変わって、鈴谷はどもった。

 

「AKIRAって映画知ってるかい? 漫画でもいいんだけど」

 

「あ~……ちょっとわかんないです」

 

「その漫画の暴走族が居るんだけど、そいつの言葉が心に残ってて。「心ン中にやましいものがあるから、そうやってビクビクしてんだろ!」って言うの。結構好きでさ」

 

「へぇ……暴走族なのに良いこと言うんですね」

 

「そう思うでしょ? 最初は笑えるけど、良い言葉だなぁって」

 

 無駄話をしていると、土井がまた歩みを止めた。入り口に着いたのだ。

 

 「ようこそ。我らが研究所へ」 こちらを茶化すような事を言って、彼女は扉を開けた。鈴谷は彼女の思惑に乗って、最初にドアを潜る。

 

「……………。すご……」

 

 研究所、と言う言葉だけだと。鈴谷の頭に浮かぶのはペットショップの裏側みたいな、ペットの代わりに実験動物の入った檻が(ひし)めく白いただっ広い部屋みたいな物だ。が、ここはそんな雰囲気とは全然違った。

 

 まず、明るいかと思っていたここは薄暗く。入ってすぐの場所にあった、水族館並の、壁1面の巨大な水槽の中に小さな駆逐艦の深海棲艦が泳いでいる光景に目が釘付けになる。どれもが普通の魚と何も変わらない様子で泳いでいたが、1匹、小魚か何かをくわえているロ級が鈴谷の印象に残った。

 

「大丈夫なんですかこれ、いきなり撃ってきたりとかは……」

 

「それがね、大丈夫なのさ。実はこの子らは深海棲艦じゃないしね。せいぜい興奮したときにテッポウウオみたいに口から水鉄砲してくるぐらい」

 

「え……あ! 魚に深海棲艦の」

 

「ビンゴ」

 

「へぇ~……」

 

 巨大水槽に見とれながら、鈴谷は土井についていく。繰り返すが、個人的に研究所なんてものは殺風景なイメージがあった鈴谷には、妙にコジャレたここは知的好奇心を煽るのに充分だった。

 

 水槽のすぐ隣に100円ロッカーのような設備がある。鈴谷は職員向けの物かと思ったが、違ったらしい。土井はここの前でも立ち止まって説明を始めたからだ。

 

「じゃあ、次これね。なんだと思う?」

 

「ただのロッカーじゃあ」

 

「半分正解。正解はね……」

 

 土井はそれらの中の1つを解錠して開けた。彼女が鍵を開けるまでの間に鈴谷は他のロッカーに目を向けたところ、ナンバーみたいな物が振り分けられていることに気づいた。

 

 →イ.5、↑ル2、→ヲ7……矢印と数字の意味は解りかねたが、自分もよく知っているカタカナの羅列に、まさか、と思う。

 

「さてもう一度。これ、なんだと思う?」

 

「深海棲艦の細胞ですか?」

 

「正解。へぇ、鈴谷さん勘が鋭いね」

 

 目を離していた隙に、土井は何か入ったタッパーを持って見せつけてきた。中には乳白色の寒天みたいな物が入っているが、鈴谷が答える物で合っていたようだ。

 

 土井の説明によると、このロッカーの中は常に一定の温度になっており、細胞が腐ったりしないように冷やされているとのこと。なんだか冷凍食品みたいね、なんて鈴谷がまるで他人事だと思っていたときだった。

 

 「先生~! 土井先生! いらっしゃいますか!」 同じ部屋のどこかから、男の声が響いてきた。「なんだろう?」 呼ばれた本人は持っていた物をロッカーに戻して鍵を掛け直す。

 

 話し掛けてきた男の姿が見えてきた。その格好に、鈴谷は目を剥きそうになった。

 

 収納付きの防弾ベストに無線機を挿し、頭にヘッドギアを被っている。おまけに肩からライフルを携行しており、どう見ても機動隊か特殊部隊の隊員か何かなのだ。

 

「先生、お客さんが来てます」

 

「客? 誰だいこんな時間に」

 

「またあの人ですよ。全く、仕事なくて暇なんですかね? あの男……」

 

「あぁ……面倒だな。藤原くん、ありがとう。君は研究室にでも隠れてるといい。お客さんはロビーで待つように……」

 

「いや、それがここまで来るらしくて」

 

「……なぬ? まぁいいや、取り合えず隠れててよ」

 

「了解です。お気をつけて」

 

 「またあの人か。頭が痛いな……」 そう言っている土井に、鈴谷は聞いてみる。

 

「あの、なんですか今の人。すっごいゴツい格好だったけど」

 

「ん? あぁ藤原くん? 一応ここ国家機密? とかでね、何人か雇ってる人さ。元特殊部隊って話」

 

「特殊部隊……」

 

「私はいらないと思うんだけどね。だってさ、ここグレネードランチャーとかまで置いてるからね。正直頭がおかしいと思う……いや、ごめんね。案内の途中に急用ができて」

 

「いえ構いませんよ……そうですね、あともう1つ。客って、心当たりあるんですか?」

 

 鈴谷の問いに、土井が答えた。

 

「吉田 法正って提督。深海棲艦嫌いだかなんだか知らないけど嫌なんだよね、変な因縁つけてくるし」

 

「!!」

 

 うっそでしょまた出てきた。あんのクソジジイ。こめかみに手を置いて頭の痛そうな手振りを見せる土井に、鈴谷はそう思った。

 

 

 

 

 




超展開まで秒読み


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6 ただ立ち尽くす私の弱さ

いままでのくっそ遅い展開を巻き返す超展開入ります&鈴谷が酷い目に遭います。
こんな真っ昼間に重い話を持ってくるスタイル


 

 来客というのが、この薄暗い研究所までやって来ると聞いて。土井の指示を受けて、鈴谷は照明の光度を上げる手伝いをしていた。

 

 中にある設備もさることながら、雰囲気まで水族館だった場所が明るくなり、今度はにわかにホームセンターのようになる。

 

 準備が整った、と思ったとき。丁度、件の男がやって来た。白の軍服姿なので何者かはすぐにわかったそいつは、土井と鈴谷から見て、誰が見ても不機嫌だとわかるような顔をしていて。鈴谷の方は、相も変わらず愛想の無さそうなシケた人相だ、などと勝手に考えていた。

 

「こんにちは。ご用件は?」

 

「チッ……フン、知ってて言っているくせに」

 

「えぇもちろん。また言い掛かりでしょう?」

 

 用件というのを、部外者に等しい鈴谷は、当たり前だが知るわけがない。ただ1つ彼女に言えたのは、二人の間は穏やかな空気じゃないということだ。

 

 電源関係のボタンがある場所から土井の近くに戻ってきた鈴谷を見て、吉田が細い目をほんの少し大きくした。気は進まなかったが。何も言わないのはどうか、なんて考えた鈴谷は無難に挨拶で場を濁そうとする。

 

「……どうも」

 

「おまえ……なんでここにいる?」

 

「代わりに私が。1か月前ほどに療養が必要な負傷をしまして、こちらで処置をさせて頂きました」

 

「ほぉう? 良い気味だ。せいぜい安全地帯で腐ってろ」

 

 こいつ……――! たぶん、顔は覚えられているぐらいは予想していたが、土井の説明にそう返事をして来た男に。流石に我慢したが、鈴谷は胸ぐらをつかんでひっぱたいてやろうか、なんて考える。

 

 「まぁお前なんぞどうでもいい。言いたいことを言わせてもらう」 今日一日は楽しく過ごせるかな、なんて考えていたが機嫌を損ね、それが顔に出ていた鈴谷を無視し、吉田は続けた。

 

「この水槽も(おり)の獣どもも今すぐ殺せ。目障(めざわ)りで不潔だ、こんな汚いものをこの国の陸地に置くな。建物ごと失せろ……ついでに、あの気持ち悪い手術の凍結だな」

 

「!?」

 

 めちゃくちゃすぎる。一体何を言っているんだこの人は。土井は真顔だったが、端から見ていた鈴谷が思う。

 

「できもしなければ、乗れもしない相談ですね。スパムメールで(ひる)まないと思って直接言いに来たんですか?」

 

「そうだ」

 

「わぁ、そこまで言い切ると尊敬しますよ」

 

 唖然としていた鈴谷や眉間にシワを寄せていた吉田とは対照的に、土井は相手の言い分を聞いて笑顔になった。ただ、鈴谷から見た彼女のその顔の中で目だけは笑っていなくて怖かったが。

 

「何度でも言いますけど、設備の使用も、臨床試験の手術も許可は頂いています。治験審査委員会と海軍統轄部署のサイン入り色紙と私の医師免許です。これらはコピーだけど、持ってこいと言われれば今すぐ元本(がんぽん)も持ってきますが」

 

 熊野もそうだが、彼女もまた吉田が好きじゃないと言っていたのを、ついさっき聞いたばかりで勿論鈴谷は覚えていた。だからだろうか。重要書類を「サイン色紙」なんて言うあたり明らかに土井はふざけていたし、そんな相手に乗せられて男の方は苛々(いらいら)しているのがはっきりとわかる。

 

「ここは国の認可を受けた「指定研究施設」です。門の表札を見ましたか? 青い看板がその印です」

 

「こちらこそ何度も言うがそんな事は俺だって知ってる。これは警告だ。これ以上妙な研究を続けてみろ、命は無いかもしれんぞ」

 

「それはただの脅しでは? しつこく言い掛かりをつけるようなら威力業務妨害と信用毀損(しんようきそん)で訴えますよ」

 

 話が見えてこない。そもそも、この男は何が気に入らなくて、そんな小学生みたいなクレームをつけているのやら。2人の確執(かくしつ)に詳しいわけでもないが、様子を見ていて鈴谷は思う。

 

「だいたい、この建物は半分ぐらいは国の管理ですから、私の一存でぶっ壊したりなんてできないんですよ。ここを本当に閉鎖にしたいんだったら、明確な理由とそれが記された書類でも持ってきてください。貴方、仮にも権力者なのでしょう。それぐらいの金と手間ぐらいはかけてください」

 

「………………」

 

 鈴谷には、面接で嫌なことを聞かれた学生か何かが浮かぶ。吉田は土井の言葉でついに黙ってしまった。

 

 サァ次は何を言うんだ? 土井の、そう言っている目から顔を逸らし、吉田は服の胸ポケットから筆記具を1本取り出した。???、一体何を……? 女2人がそう思ったときだった。

 

 手にしたペンを、吉田は思いきり壁に叩き付けてへし折った。持っていた物が自分の(てのひら)にめり込んで少し血が出ている。逆上するぐらいならまだしも、この男の異常としか言い様のない行動に、鈴谷は背筋が寒くなる。

 

「…………忠告はしたんだからな……どうなっても知らんぞ」

 

「……さようなら。あっちは職員用の裏口ですから、ちゃんと正面玄関から出てってくださいね」

 

 捨て台詞を吐いた後。男はどすどす歩くかと思いきや、そこは流石に大人らしく、普通に回れ右をして来た道を引き返していく。そんな相手に、多少嫌味のこもった言い回しで土井は案内を投げる。

 

 連絡通路の扉を開けて、吉田が先に進んでいったのを確認してから、鈴谷は口を開く。

 

「……災害みたいなオジサンでしたね」

 

「本当にね。まったく、クレーマーを気取るなら理屈ぐらいはコネてこいっての」

 

 いつもは笑顔の土井は、このときばかりはムスッとしていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 あくびをしながら鈴谷はベッドから体を起こす。二度寝から覚めて、今日はなんだか朝から薄暗いな、と思ってカーテンを開けると、外は大雨で鉛色の雲が空に蓋をしている状態だった。

 

「ひっどい天気……や~なカンジ……」

 

 これは、夜の散歩は流石に出来ないか。彼女は小さく愚痴った。

 

 土井から施設の案内を受けてからここ数日、鈴谷は適当に庭を散歩したり、テレビを流し見する日常を過ごしている。初めのうちは何にも縛られないとはなんと素晴らしいことか! なんて仕事を明確な理由でサボれる事に喜んでいた思考も、すぐに雲散してしまっていた。やることが無さすぎて暇なのである。

 

 「んー!」とうなってるみたいな声を出して、腰や腕を(ねじ)る。ゴキゴキと体の中で間接の空気が抜ける音がした。

 

「暇だ!」

 

 誰もいない空間にそう言ってから、彼女はとりあえず部屋から出ることにする。

 

 

 

 2~3日前に土井から教えてもらった休憩所に着き、鈴谷は自動販売機のアイスカフェオレのボタンを押した。

 

 紙コップを片手に、ソファに座ってスマートフォンで動画でも見ようかと考える。

 

 どしゃ降りの大雨に加えて、もう5月なのに今日は妙に気温が低い日で。肌寒いこの感覚に鈴谷は上着を着てから部屋を出ていたのだが、自分が大怪我したあの日の事が脳裏にフラッシュバックして、思わず身震いしてしまった。

 

 ふと、前に研究所までやって来た吉田の事を思い出した。嫌みな男の顔が浮かんできて多少不愉快な気分になると同時に、鈴谷は、あの後に土井と交わした会話の事も考え始める。

 

『まぁ何となく想像はつくと思うんだけど、深海棲艦関係には私が勝手に名前をつけた「利用派」と「過激派」って派閥が居てね?』

 

『利用派はその通り、深海棲艦を倒すにあたって積極的に研究を進めて、解明した事を色んな技術に転用しようってグループ。私もこっちさ。敵を調べてマイナスになることなんて無いと思うしね』

 

『過激派ってのはその逆ね。家族でも殺されたのか……いや、実際そういう人も居るだろうけど、徹底的に敵は倒してゴミとして処理してしまえみたいなグループ。何でもかんでも頭ごなしに否定するものだから、私は嫌いだね』

 

「……………」

 

 考え事をすると、動画の内容も飲み物の味も頭に入ってこない。

 

 『吉田サンは多分後者でしょう。今の家庭で何かあったとかも聞かないし、理由はわからないケド……』 そう言って去っていく彼女の背中まで思い出して、ますます鈴谷は気分を害していた。特に理由もなく相手を攻撃するなんてクレーマー気質な人間は、昔から大嫌いなのだ。まだ出会って数文字程度の会話しかしていない吉田だが、すでに鈴谷の中での株は下落する一方だ。

 

 半ば無心で暇潰しをしていると、カフェオレを飲み干している事に気がつく。口が寂しいと思い、鈴谷は椅子から立ち上がる。

 

 さて、次は他のジュースでも飲もうかな…… そう思って、今度は違う自販機のボタンを押そうとする。「売り切れ」のランプが点灯していた。舌打ちしそうになったそのとき、作業着姿の女性2人が自分の側まで来ていることに気づき、慌てて鈴谷はその場から離れる。

 

 適当に会釈してから2人の様子を眺める。すると、その女たちは機械を鍵で開けて、中の物の交換をし始めた。ちょうど良いな、と鈴谷は思う。てっきりここの職員が休憩に来たのかと思ったが、どうやら販売機の補充に来た業者らしい。

 

 鈴谷は一旦は距離をとった相手の1人に話しかけてみた。

 

「あの、自販機の補充ですか?」

 

「は~いそうですヨ!」

 

「このジュースくれませんか? ちょうど切れちゃってて」

 

「あぁ、大丈夫ですよ。どうぞ」

 

 業者の女は愛想の良さそうな顔で、ワゴンからボトルを1つ取って鈴谷に渡してくる。

 

 誰とは言わないが、どこぞの軍服男とはえらい違いだな。先ほどまでの考え事が思考に侵食してきて、そんなような事を考えていた時。

 

 

 

 この時、鈴谷は一人で事足りるような仕事に、業者が2人も居たことを妙に思うべきだった。

 

 唐突に物を渡してきた人物の隣に居たもう一人に背後に回られ、物凄い力で鈴谷は羽交い絞めにされる。

 

「お前さんに恨みはねぇが」

 

 意味がわからなかった。鈴谷が状況を認識する前に、ボトルを渡してきた業者は上着を脱ぎ捨てて、身動きの取れなくなった彼女に刃物で切りかかる。

 

「仕事だ。死んでくれ」

 

 拘束を振りほどいて反撃に移るような隙も時間も無かった。業者の変装をしていた女は何の躊躇(ちゅうちょ)もなくアーミーナイフを引き、鈴谷の首を切り裂く。

 

「かっ…はっ……」

 

 激痛だとかそんな生易しい言葉で表現できない感覚に襲われた。首を中心に体を焼かれるような痛みに、叫ぶことは勿論、鈴谷は泣くことはおろか立っていることすらままならなくなり、膝から崩れ落ちるようにその場に倒れる。

 

「目標1個終わりだな。次いくぞ」

 

「了解」

 

 一体こいつらは…… 首を上げて女らの事を見るどころか、酷い痛みで体が動かない。おまけに頭も働かない。ならばと大声でも出そうとしたが、それも喉を切られた鈴谷にはできなかった。

 

 だめだ。こいつらを行かせては。土井先生に何をするつもりなんだ―― 人一倍他人を気遣う性格が、瀕死の彼女の体を動かす。

 

「待……て………こ…のぉ………」

 

 繰り返すが声が出ない。切られたのは頸動脈(けいどうみゃく)だろうか―― 人間というのは不思議なもので、死の危険にさらされておきながら、首を切られた事を認識して数秒もたてば鈴谷の思考回路は異常なほどクリアになっていた。

 

 絞り出した声は小さすぎて、謎の女たちに届くことはなかった。また、止めを刺すまでもないと判断されたらしい。2人の姿を視界に捉えるのは叶わなかったが、遠退いていく足音からそれは理解できた。

 

「どう……し…………て……――――」

 

 気を引くことすらできないのか その考えが頭に浮かんだ瞬間、鈴谷は思い出したように首が熱くなり、少しだけ地面から浮かしていた頬を地面に打ち付ける。

 

 倒れた自分の顔……目から数センチと離れていない床が、己の血液で赤く染まっていく。タイル1面に収まらない量の(おびただ)しい血液に、鈴谷は絶望感に思考を奪われた。滴る、などと甘いものではない。傾けた飲料ボトルから内容物が流れ落ちるような勢いで出血する感覚が、とてつもなく恐ろしい。

 

 色がついていた景色が、テレビの砂嵐みたいな物に飲み込まれてモノクロになっていく。次いで、だんだんと目がかすみ、前が見えなくなってきた。

 

(意識が……消える………)

 

 急速に血の気が無くなっていき鈴谷の肌が白くなる。同時に、その目から光が消えた。

 

 電源が落ちるような妙な感覚と共に。彼女は意識を手放した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 はっ、として目が覚める。

 

 起きた場所を鈴谷は上半身と首を忙しなく動かし見渡した。己の目がおかしく無ければ、見慣れた自分の病室だ。

 

 良かった。あれは夢だったのか……そんな独り言が口から漏れる。

 

「……夢?」

 

 ただし残念なことにそんな甘い想定はすぐに覆った。

 

「いいや、現実だねアレは。ほんと、貴女って運が無いのね」

 

 背後から聞こえてきた声に振り向く。首を動かす間に、とてつもなく嫌な予感がしていたが、それは当たってしまっていた。鈴谷の目の前にあのネ級が居たのだ。

 

 鈴谷が呆然としていると。ネ級は続ける。

 

「ん~そう。考えてるとおり明晰夢(めいせきむ)ってやつだね。夢を夢だと本人が認識するやーつ」

 

「…………!!」

 

「あ、わかっちゃった? だからね、さっきのは夢じゃなくてリアル。おわかり?」

 

 あんな訳のわからない出来事が本当でたまるか。鈴谷はそう思って、ネ級が話している間に自分の首を触った。嫌に、水っぽい感触がある。人体の急所の1つである頸動脈のある部分がぱっくりと裂けて血が出ていた。

 

 絵の具をぶちまけたように真っ赤に染まる手のひらに、ただただ彼女は非現実的だとの感想しか頭に浮かばない。その鈴谷の様子を見て、尚もネ級は喋り続ける。

 

「そんな……」

 

「でもそんなのどうでもよくない? 早く起きないと、あのお医者さん危ないんじゃないの? ほらさっさと二度寝しないと。助けてもらったんだから、今度は貴女が守る番でしょう?」

 

「守るったって……」

 

「不安なら深海棲艦になればいい。そんな風にね。結構便利だよ」

 

「!?」

 

「私の体、あげる。頭に来るような景色が広がってるでしょうから、思う存分暴れてくると良いでしょ」

 

 ネ級がそう言いながら自分の体に触れてくる。気が付いたときには、という表現がしっくり来るか。いつの間にかに鈴谷の首は甲殻類の外骨格のようなものに覆われ、腹部から2本1対の触手が生えていた。

 

「な……!」

 

「それじゃ、また会うときまで。おやすみなさい」

 

 待って! と言おうとしたが、またあの強烈な眠気に抗えず、鈴谷はベッドの上に倒れる。

 

「貴女に天のご加護がありますように……なんてね」

 

 おどけているネ級に、そんな言葉で見送られた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 今度こそ鈴谷が目覚めたのは現実世界だった。

 

 何をするにもまずは動くか、と立ち上がって周りを見る。まず何よりも早く視界に入ってきたのは、床一面に広がる血溜まりだ。間違いなく自分が作ったものであろうこれに、鈴谷はさっきの出来事が本当に起こったことだと認識せざるを得なかった。

 

 また、これを思うことはおかしいかもしれないが。本当だとすれば確かに自分は首を切られて死んだはずなのだ。どうして生きているのか? そんな疑問で頭がいっぱいになる。

 

 不思議に思って傷があるはずの首を撫でようとしたとき、首の皮膚に触れなかった。そして妙に堅い手触りに、鈴谷は「これ」は何かと携帯電話を取り出した。

 

 カメラを内側に設定して自分の顔を見る。

 

「!」

 

 チョーカーとも首輪とも違うか。名前なんてどうでもいいが、黒っぽい色をしたそういったものに近い何かが、自分の首と口元を守るように覆っていたのだ。おまけで、着ていたウインドブレーカーの首回りは血で酷いことになっていたが。

 

 怪我をした部分を防御するために皮膚の一部が発達した、ということだろうか……?? 深海棲艦化に伴う体質の変化、と土井が数日前に自分に説明していた事が脳裏に浮かぶ。

 

 考え事をしていると。鈴谷は、今まで体感したことがないほどに喉が乾いている事に気づいた。

 

 開きっぱなしになっていた自動販売機から、散乱していた飲み物を1つ取って口にする。

 

「先生は……大丈夫なのかな」

 

 口からそんな言葉が漏れたが、そんな事は考えていなかった。自分を落ち着かせるための方便である。

 

 水分補給が終わって、急いで鈴谷は研究所と繋がる連絡通路まで走る。いつもなら施錠されているそこがこじ開けられているのを見て、嫌な予測ばかり脳裏に過るが、そんなものは吹っ飛ばしてひたすらガラス張りの道を走って先を急いだ。

 

 研究所の中に入る。つんと鼻をつく鉄っぽい臭いに、鈴谷の頭の中で警報が鳴り響く。周囲の様子を見て、口が勝手に開いた。

 

「何……これ……………」

 

 悲惨、としか言いようが無かった。施設全体が、銃撃戦でもあったように酷く荒れている。

 

「うっ……!?」

 

 倒れていた人に声をかけようとして近づき、その「状態」をみて硬直する。防弾チョッキを貫通するほどの銃か何かを撃たれたのか、着ていた服が穴だらけになっていた警備員の男性は、既に事切れていたのだ。

 

 なんだ。なんなんだ。一体自分の知らないところで何が起きているんだ。見ればは1つ2つできかない人数の職員が、死体となって転がっている。映画か小説でしか普通の人間は見ることがないようなこの状況に、鈴谷の頭は混乱するばかりだ。

 

 不安と恐怖で目が潤むなか、必死に土井の事を探す。

 

 神様、お願いです。どうか先生だけは…… 恩人の無事を願ってひたすら建物の中を走り回る。

 

 1つ、まだ電気のついていた部屋を見つけた。祈るような気持ちで、鈴谷は半開きだったドアを蹴飛ばして中に駆け込む。

 

「あ、あぁ……!」

 

 もう、遅かった。

 

 中に居たのは、白衣を真っ赤に染め、力なく壁にもたれ掛かる土井だ。

 

「先生ぇぇぇ!! しっかりして、何があったの!? 早く手当てを!!」

 

「…………ん……あぁ…根…上……さん………かな?」

 

 喉が破裂するような金切り声を挙げて、鈴谷は土井の体を起こす。相手は、まだ息はあるようだった。しかし、彼女は今正に虫の息といった様子で。誰が見ても瀕死といえた。

 

「それは……勿体無い…………根上…さん。綺麗に治った……のが台無しだ…主治医……失格……わたし…………」

 

「そ、そんな弱気な事言わないで、ね!? 先生!」

 

「いや……誉められた物じゃない…吉田……こんなに危険な人間だったか………見誤りだ……」

 

 血だらけの自分など他人事といった様子で、土井は鈴谷の首もとを見て言う。

 

 完全に鈴谷の気は動転していた。さっきまでは自分の方こそ死にかけていたことすら忘れ、必死にその場にあった包帯などの粗末な道具で土井の手当てに努める。だが、当然のごとく、適切な設備・処置もままならない場で、こんな大量出血を伴う怪我の治療など出来るわけがなかった。

 

「ねぇ、根上さん……さっきまで、痛みで声も出なかった…………でもね、今は結構喋れるんだ……こんな風に……」

 

「だ、喋ったら駄目です、少しでも体力をッ……」

 

「ふふ、優しいんだな貴女は……どうせもう助からない………多分、肝臓を撃たれた…………血も沢山出た……痛みを感じなく……なる……ぐらい…………」

 

「そんなっ」

 

「それ…より……なんでそうなったか……教えて…よ……最後に……貴女の…視診を…………」

 

 理解不能だが傷の治った自分と違って、今も激痛に朦朧とする意識の筈なのに―― 優しい笑顔を崩さずに話す土井に。鈴谷は(すす)り泣きながら事の経緯を話した。

 

「いきなり首を切られました……でも、どうしてか生きてて、目が覚めて……」

 

「そうか………相手は、多分……吉田か……それに…準ずる派閥の……差し金だ………」

 

「差し金って、こんな意味不明で無茶な事っ!」

 

「ふふ……人間っ…て…怖い……金さえ積まれれば……何で…もする……やつも…いる………」

 

「……………!!」

 

 言うことを聞かなかったから。そんなくだらない理由でこんなに沢山の人を殺すように仕向けたのか……? 吉田か、それと同調する者なのかは知らないが、そういった「連中」なるものに対する怒りの情が燃え始める。

 

 そんな鈴谷に、静かに。しかししっかりとした声で、土井は落ち着くように諭した。

 

「良い…か…い……根上さん……君につけた…のは……重巡ネ級の…細胞だ……あまり、無茶をする……桜田さん…言った……深海棲艦………その物になっ……まう……かも……れない……………」

 

「でも…」

 

「で…もじゃない……患者が…―理性を失っ……化け…物になる……なん…て……私は…耐えら…れない……」

 

「…………、わかり……ました」

 

 頬を伝う涙が止まらない。たった数日とはいえ、自分に尽くしてくれた人に何の恩も返せないのか―― 血染めの土井の服の袖をぐっと握る。こんな状況下であっても自分の事を考えてくれる相手に、鈴谷は申し訳無さと無力さに泣くことしかできない。

 

 鈴谷の腕の中で、土井はぐったりと脱力しながら、小さな声で呟いた。

 

「ねぇ…根上さん……なんだか……すごく…眠くなっ……て…きたんだ……寝か…せて……くれない……かな…………」

 

「はい……」

 

「ふ……ふふ…また………あし…た……おや………す……み……―――――」

 

 虫の羽音より小さなか細い声だった。恩人の発言は耳を澄ましてもあまりにも小さすぎて、全てをきちんと聞き取ることは鈴谷にはできなかった。

 

「先生ぇ……聞こえないよ……もっと……大声で喋ってよ……」

 

 もう、返事は返ってこない。

 

「ああああぁぁぁぁぁ……!!」

 

 体中の水分が涙になって外に出てしまうぐらいに。鈴谷は気が済むまで泣き叫んだ。

 

 

 

 

 何秒。何分。もしかしたら何時間と同じことをしていたか。とうとう泣きつかれた鈴谷は、土井の遺体を部屋にあったソファの上に寝かせた。

 

 薄目を開けていた彼女のまぶたをそっと閉じる。そしてその手のひらに、持っていた小銭を2枚握らせ、部屋を後にした。

 

「………………」

 

 鈴谷は精気の抜けきったような闇色の目をしながら、幽鬼のようにふらふらと歩く。逃げる所も、行く先も宛はない。ただ1つ、恩人から「死ぬな」と言われたので、それだけは守ろうと考えていた。

 

 目線の先に職員の死体があったので。ふと、身を守るものが必要か、と思い、倒れていた警備員の遺体から、まだ使えそうだった短機関銃の1種と思われる銃器を拝借する。

 

 いくら一般人の流入が増えた組織とはいえ、鈴谷が働いていたのは一応は軍隊だ。ということで、必要最低限の銃火器類の扱いぐらいなら彼女は取得していた。都合の良いことに、サブマシンガンは両手で構えれば反動も比較的少ないし、取り回しも良好と、こういった非常事態で初心者の鈴谷にはありがたい装備だ。

 

 特に考えもなくぶらぶらしていたが、時間の経過が彼女の正気を呼び戻す。まだあの謎の襲撃者が居ないとも限らない。となれば、ここに居るのは危険かもしれない。そう結論付けて、鈴谷は外に出ることにした。

 

 「事実は小説よりも奇妙なものだ」 暇なときにしていた土井との世間話で、彼女がよく口にしていた言葉だったが。鈴谷は、目の前に広がる光景に、そのワンフレーズを感じずにはいられなかった。

 

「嘘でしょ…………」

 

 辺りによく響く、轟音といって差し支えない、建物が燃えて崩れていく音に。今日何度目かわからないが、彼女は放心状態になる。

 

 まるで焼夷弾でも大量に落とされた爆心地みたいに、建物の外には焼け野原が広がっていた。

 

 研究所の中が荒れていたなんてまだ可愛いレベルだ。普通の住宅や何やらと立ち並ぶ建物は崩れ、炎上し、周囲は酷く焦げ臭い。

 

「ッ……誰か人は……!」

 

 普段の彼女なら立ち止まっていたか。しかし、持っていた銃が多少は鈴谷の気を大きくするのに一躍買っていた。生存者を探そうと、燃え盛る住宅街に走る。

 

 銃を小脇に構えつつ、身に付けていた腕時計を確認した。外が暗いので夜だとは思っていたが、時刻は午後8時を少し過ぎた頃を指している。自分が刺されたのは夕方だったから、目が覚めて外に出るまで2~3時間は経ったことになる。

 

 泣いている間に時間を食ったのか、それとも起きたのが遅かったのか。少し思うところはあったが、まずは何が起きているのかを把握するのが一番大事なことでしょう。そう思ってひたすら走り続けていた時だった。

 

 激しく炎上していたが、まだ原型を留めている家を見つける。が、そんな物よりも鈴谷の目に飛び込んできたのは、その燃え盛る一軒家に突っ込んでいく中学生ぐらいの女の子の姿だった。

 

「危ない!!」

 

 自然と体が動いていた。

 

 鈴谷は走ってきた勢いをそのままに、その女の子を横から突き飛ばす。

 

「ご、ごめんね、いきなり吹っ飛ばしちゃって」

 

 綺麗に真横に倒れた彼女へ、脊髄反射ですぐに謝った。

 

 突き飛ばしなんてやったんだから、すぐに起き上がって怒るに違いない。そう、思っていた。しかし彼女は一向に立ち上がる気配が無く、まさか、と思って相手の顔を伺ってみたときだ。

 

 女の子が発した言葉に、鈴谷は目を見開いた。

 

「おかーさんが……おかーさんが死んじゃう……!」

 

「!!」

 

 この家にまだ人が居るのか? 鈴谷は相手に聞く。

 

「この中に、貴女のお母さんが居るの?」

 

「…………。」

 

「そっか……どうしたら」

 

 無言で頷いた相手に、鈴谷の目線は自然と、燃え盛り倒壊しかけている家に向く。

 

 何かできることは…… そう、回らない頭で必死に考えていた鈴谷に、あるものが視界に入った。玄関と庭の境と思われる場所にあった、雨水なんかを貯めておく、大きなポリバケツである。

 

 これ、使うか! ベルトで首から下げていた銃を一先ず置いて、鈴谷はバケツを傾ける。半分ほど水を捨てて軽くなったそれを持ち上げると、彼女は頭から水を被った。

 

「重っ……うりゃあぁ!!」

 

 今までの人生で聞いたことがないような音をたてて燃えているこの建物の前だと、この水浴びは体温調整に心地よく感じられた。

 

 ここまで行動すると、自然と覚悟が決まる。濡れた服と体が乾く前に…… 凄まじい熱気を前にすると、正直とても怖かったが。考えつつ、最後に鈴谷は自分を見て口を開けていた女の子に、逃げる退路を塞ぐ意味で口を開く。

 

 

「待ってて、必ず戻ってくるからね!」

 

 

 今日は、色んなことが起こりすぎだ。そんな思いを胸の奥底にしまって、精一杯に格好をつけて女の子に言う。全身ずぶ濡れになった鈴谷は、そのまま意を決して燃え盛る家の中に突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 




深海棲艦化タグがアップを始めました
鈴谷が土井に握らせたお金は三途の川の渡し賃です。


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7 腹の中で(うごめ)くもの

無言投下成功(無言投下失敗)

なんで赤の他人に鈴谷はここまで積極的なんですか? という質問がありましたが、
土井が死亡→恩人に何もできなかった→困っている人発見(女の子)→罪滅ぼし(?)代わりに助けよう!
という鈴谷なりに優しさを発揮した心理だったり。


 さて、あまり深く考えずに突入してしまったが、これからどう動こうか。立ち上る火炎の中に入っても、努めて冷静な頭を保とうと鈴谷は考えていた。

 

 外から見て想像はついていたが、家の中はかなりの惨状が広がっていた。立派な2階建ても階段が既に崩落し、玄関のシャンデリアは落下し、靴箱は倒れ……と、羅列すればきりがない。また当然のごとく、これらは火に包まれ行く手を塞いでいる、というオマケつきだ。

 

 体感したことのない熱気に、水を被っておいて良かったなと思う。これが自分に害をなす物でなければただ綺麗だとか言えたんだけどな。そんなように思いながら、火の粉と煙を避けながら歩いていく。

 

 今まで火災に巻き込まれたことなんて無かったが、避難訓練なんかで最低限の知識はあった。確か、火事での一番の死因は煙を吸い込むことによる有毒ガスの中毒死だ。となれば、基本に忠実に、身を屈めて進むのが今は正解だろうか。そこまで考え、濡れた服の襟を自分の口と鼻に充てる。

 

「誰か居ませんか! 助けに来ました! 居たら返事をください!」

 

 消防士の真似を意識して、彼女は再度叫ぶ。

 

「誰か! 外で女の子が……」

 

「……―――………!!」

 

「!」

 

 今、物の燃える音に混じって、それらとは明らかに違う音が微かに聞こえた。方向はこちらか。進みたい方向に蓋をしていた、落下してきた建材と思われる柱を迂回し鈴谷は先を急いだ。

 

 運が良い……とは、今日1日の出来事を考えても言えるわけが無かったが。都合の良いことに、外の女の子の言う母親と思われる人はすぐに見つかった。こちらに気づいたらしい相手に声をかけながら、鈴谷はその側まで駆け寄る。

 

「大丈夫ですか! 怪我は?」

 

「あな……たは………?」

 

「! え……し、消防士です! 外のお嬢さんから、貴女の事を聞きました。早く外へ」

 

 通りすがりの赤の他人、と素直に言っても良かったが、それはなんだか信用を得られなさそうだと思い、咄嗟に嘘をついた。とにかく対象は見つかったんだから、この人を連れて逃げねば……。相手の手を引こうとしたときだ。

 

 倒れていた女性は、諦めたような顔と声色でこんなことを言ってくる。

 

「もう、放っておいて……助からないわ……」

 

「え………なんでです?」

 

「足が……抜けないのよ………」

 

 女性の言葉に、鈴谷は彼女の体に目をやり、思わず絶句してしまった。

 

 火の手の上がる危険地帯に居るとあり、周囲に目と気を張り巡らせていたので気が付かなかったが、彼女の下半身には大きな棚が倒れて被さっていた。更に厄介なことに、多分食器棚か何かだと思われるそれの周りは、割れた皿やガラスが飛散しており、棚自体に火が燃え移ってきていた。

 

 考える時間は無い―― 鈴谷は動く。

 

「ちょっとまって、動かないでいてね」

 

 着ていた服のファスナーを下ろす。袖を掌の部分まで伸ばして掴み、木製だった棚を一気に持ち上げた。素早く鈴谷は軽く浮いたそれと彼女の体の隙間に爪先を差し込み、今度は思い切り体重をかけて投げ飛ばすような要領で、多少無理をしつつも上手くどかすことに成功する。

 

 たまたまだがこの棚、鉄板などではなく木で出来ていたのは好都合だった。燃えているので流石に熱いが、あまり熱を持たない素材だし、何よりも軽い。服を着直し、袖が少し焦げているのを見て、鈴谷は前向きに事を思っていた。

 

「………ッ!」

 

 ただ、そんな場違いな呑気も女性の容態を見てすぐに飛ぶ。

 

 女性の着ていたワンピースのスカート部分は焼け焦げ、長く火に炙られていただろう足は焼けていた。飛散したガラス片も刺さり、目を背けたくなるような重傷である。

 

 もう助からないような怪我だ―― なまじ、医療分野に通じている鈴谷はそれが解ってしまう。が、そんな思いをねじ伏せ、ぐったりしている女性を起こし、その体を背負う。

 

「何を……どうせ生きられないのに………」

 

「貴女の帰りを待っている人が居るんです! 見捨ててなんて……ッ!!」

 

 数秒程度のやり取りをしているだけでも、時間の経過と共に火の手は勢いを増していく。気がついたときにはもう二人は炎に囲まれていた。

 

 考えろ、頭を使え、とにかく前向きに、何をすれば良いか考えるんだ―― 女性をおぶさってしゃがみこみ、熱さと緊張で焦る中、鈴谷は自分の周囲360度に何があるのかを観察した。

 

 1ヶ所、自分が入ってきたところとは別の部分の家の壁に目が行く。そこにはガラス戸と網戸があるのが見える。そして、鈴谷はすぐ近く、手を伸ばして届く距離のキッチンにフライパンが置いてあるのを確認した。

 

「脱出です、息を止めて!」

 

 2人で逃げるにはこれしかない。鈴谷は迷わずフライパンを手にとってガラス戸まで近付くと、思い切り振りかぶって持っていたものを窓に叩き付けた。

 

 当たり所が良かったのか、強化ガラス製だと思われるそれは容易く粉々に砕け散り。退路が確保できた鈴谷は、残った邪魔なガラスを蹴り壊し、足早に建物から出ていく。

 

 どうやら間一髪だったらしかった。女性を逃がすことに成功してすぐ、本格的に家が崩壊を始めたのを見て、もう少し遅れていたら……等と考えてしまった鈴谷は背筋に寒いものを感じつつも、ほっとしていた。

 

 

 

 

 裏庭から敷地をぐるりと回り込むような道を通って、最初に入ってきた正門まで戻ってくる。果たしてそこにはさっきの女の子が立っていた。母親をおんぶしている鈴谷の事を見て、少し驚いたような顔の後に、泣きながら彼女は走り寄って来る。

 

「お待ちどう、この人で大丈夫?」

 

「お母さん!!」

 

 その場にしゃがんで後は娘である彼女に任せると、女の子の母親は弱々しい笑顔を浮かべながら、娘の体にもたれかかった。家の中で見た通り、もう殆んど足が動かないんだな、ぐらいの想像は鈴谷には容易についているが、それを言う勇気は無い。

 

 女の子は喜んだような顔だったのが、母親の体を見て、また歪む。慟哭(どうこく)と言って差し支えないような声で彼女は喋り始めた。

 

「お母さん、大丈夫なの! 早く救急車ッ」

 

「そんなもの、いらないわ……」

 

「えっ、なんで…」

 

「もう助からないもの……自分の体の事ぐらい、嫌でもわかるわ……」

 

 女の子に寄り掛かっている母親の体を鈴谷が支える。自分の腕を伝わってくる相手の体温に、2人の会話を聞きつつ、鈴谷は血が滲むような力で唇を噛み締めていた。

 

 女性の体は服越しでもわかるぐらい全体的に熱を持っていた。間違いなく火傷した部分が広すぎて体温調節が出来なくなっている症状だ。加えて、そんな大怪我なのに今は比較的はっきりと受け答えができている。自分が来たときには瀕死だった土井と全く同じだ。容態が酷すぎて痛みを感じなくなっているだけだろうし、恐らく多機能不全も併発している――――

 

 冷静に考えよう、なんて思っていたのが完全に裏目に出ていた。鈴谷は、考えれば考えるほど助かりようもない重病人を前にして、またも何も出来ない事の不甲斐なさしか考えられなくなった。

 

「何でそんな事言うの……まだお母さんは生きてる!」

 

「直海……わがままは駄目よ……」

 

「うぅ……なんで……どうしてぇ……」

 

 力なく言う母の姿に、女の子は泣き崩れる。このとき、鈴谷は女性の視線が自分に向いていることに気がつく。

 

 女性は、ゆっくりと、だが心の強さみたいな物を感じる声で(ささや)いた。

 

「ふふふ……変な格好の消防士だこと…………」

 

「ッ……申し訳ありません。私は余計な事を……」

 

「どうして、謝るの……? 直海の顔が、最後に見れた……ありがとう………」

 

「……………………ぅ!」

 

 何も言えなかった。なんて事を言ってんです、と普段の鈴谷なら溢したか。

 

「何で笑ってるんですか……怖くないんですか……」

 

 これから死ぬのに。そんなように続けようとしたが、女性がゆっくりと手のひらを口に充ててきたので、鈴谷の口が止まる。

 

「死ぬときは……笑顔で。それが私の夢だったの……」

 

「……………」

 

 さっきまでは赤の他人同然だった人間の言葉に、涙が止まらない。目の前で人が死ぬことに平気なほど、鈴谷という人間は頑丈ではないらしい。

 

「直海……この人と一緒に…………遠くに逃げるのよ……」

 

「嫌だ! お母さんも連れていくの!!」

 

「甘えたことを言うんじゃないの……親は、子供が生きているだけで幸せなの……」

 

 女性が娘に残す遺言のような言葉の一字一句が鈴谷にも染みる。自分でも気がつかないうちに、彼女は女の子と同じく、顔に痕が残るほど泣き出してしまっていた。

 

「私よりも、長く生きて。直海……――――」

 

「………ッ!!」

 

 腕にかかる重みがより一層増した気がして、鈴谷は目を見開く。震える手で、彼女は女の子の母親の首に指を充てた。

 

 女性の脈は無くなっていた。死因は恐らく心不全か火傷のショックだろうか。

 

「…………………」

 

 自分って、なんて邪魔くさい奴なんだろうか。余計なことばかり。この子にしたって、これは本当に助けたと言えるの……? 母親もろとも死なせてあげたほうが良かったんじゃ……?

 

 今日一日、鈴谷は目の前で2度も人間の死を看取った事になる。こんなに非日常的で、経験したくもない事を記憶に刻まれて。彼女の心はゆっくりと限界に近付き、普段は考えないような退廃的な思考まで沸いてくる始末だ。

 

 家に突っ込む前に置いていった銃を拾う。その持ち手を握りながら、死んだ母親の手を握って泣く女の子をぼうっと見つめる。感じたことのない無力感に、全身の力が抜けきるような感覚に苛まれている時だった。

 

 泣きつかれたのだろうか。女の子が顔を上げる。すると、彼女は鈴谷の顔を見ながら叫ぶ。

 

「お姉さん危ない!!」

 

「えっ」

 

 急にすぎて、対応が追い付かない。武器も構えず体を後ろに向ける。

 

 パン、と軽い音が聞こえた。間髪入れずに今度は自分の脇腹に鋭い痛みが奔るのを感じ、思わず鈴谷は地面に倒れた。

 

「う……あぁ……?」

 

「ったく、ガキにかまけて致命傷かぁ? 見上げた自己犠牲だぁねぇ~……」

 

 煙突のような物が伸びるバックパック……艤装を背負った、駆逐艦と思われる艦娘が1人、そこに立っていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 夕方に首を切られたときに比べれば痛くはない。が、銃弾で脇腹を撃ち抜かれるなんて経験をしたことは鈴谷には皆無だし、そもそも比較すること自体がおかしいと言えるか。

 

 目を瞑り、うずくまって呻き声を上げる鈴谷の近くに、女の子が悲鳴を挙げながら駆け寄る。気持ちの悪い笑顔を浮かべて近付いてきた女は、砲ではなく銃を鈴谷に向けながら話を続けた。

 

「クライアントの依頼は付近一帯の住民の皆殺しだ。カワイソーだけど死ねよガキ。ついでにお前もな」

 

 クライアント……皆殺し……一体何の話なんだ。それに、なんで艦娘がこんなところに? 撃たれた患部を手を当てて圧迫し、必死に痛みに耐えながら鈴谷は疑問に頭が混乱していた。そんな彼女に寄り添いながら、女の子は震えながら口を開く。

 

「あなたが……お前がお母さんを殺したの……?」

 

「あ? 何か言ったか?」

 

「お前がお母さんを殺したんだ! この人殺し!」

 

「あぁ、なに? そっちの死体おふくろさんか。それは御愁傷様(ごしゅうしょうさま)。災難だったな」

 

 女の子の言葉に、言われてみれば、といった様子で艦娘が言う。まるで他人事といった相手の態度に、鈴谷の中で猛烈な違和感と、謎と、怒りが混ざって訳のわからない感情が渦巻き始める。

 

「ここの担当は俺じゃねー、だからお前のおふくろをやったのは違うやつだな」

 

「……………?」

 

「子供のお前にゃわからんか、あっちにな、研究所ってのがあんだよ。何の調べものしてるかは俺もしらねーがな、そこを壊しに来たんだよ」

 

「!!」

 

 目の前の人物の発言に、女の子は何を言っているのかとでも言いたげな顔をする。対照的に鈴谷は、怪我の痛みを一瞬忘れるほどの電流が流れるような感覚を覚えていた。土井の推理は合っていたのだ。この艦娘、誰に頼まれたかは知らないが「刺客」とやらに該当する人物らしい。

 

「ついでに、テロリストに見せかけて、この地区をまるごと地図から消すこと。それが俺の知ってる仕事だ。これでいいか?」

 

「町……ごと…??」

 

「あ? なんだテメェ、まだ元気だったのか……まぁいいやどーせ始末するしな……」

 

 炎上する建物が両手で数えきれない程あるここで、場違いにも程があるような笑顔で、艦娘は慣れた手付きで銃のマガジンを交換する。銃口を鈴谷たちに向けながら、尚も女は続けた。

 

 

「いや、しっかし幼稚ながら良くできてるねぇ……子供の考えるようなバカげた話だけど、確かに町ごと消しちまえば証拠も何もねーわな」

 

 

 その発言が鈴谷の心の導火線に火を着ける事になる。

 

 全身の血液が沸騰して煮えたぎるような、とはこういう感情を指すのだろうか。体温が高くなって顔が熱くなっていくのを、確かに鈴谷は感じた。

 

 意味がわからない。何をしている。許せない――黒い感情が心の底から沸いてくる。同時に、顔が煤で黒くなっている女の子の声を聞いていると、私が守らねばと使命感のような感情も溢れ出てきた。

 

 細心の注意を払って、鈴谷は近くにいた女の子を自分から離す目的で突き飛ばす。

 

「!?」

 

「なっ……!」

 

 続けて、足に無理な力をかけ、背中から倒れる動作を巻き戻したような異常な動きで立ち上がると、全身の筋肉を総動員して鈴谷は相手の顔を殴った。

 

 顔からは外れたが急所は撃った、こんな元気に動けるはずがない。艦娘の女はそうは思って驚いていたが、すぐに気持ちを切り換える。不意打ちになれているのか、艦娘は尻餅をつくふりをして後転すると同時に、銃につけていたグレネードランチャーを鈴谷の顔に発射する。

 

「!」

 

「脅かしやがって」

 

 避ける暇などなかった。鈴谷の頭が炸薬の爆発に包まれる。

 

「お姉さん!!」

 

 目の前で鈴谷が母親を助ける一部始終を、勿論女の子は見ていた。奮闘虚しく母は亡くなってしまったが、自分の無茶を聞いてくれた名も知らぬ恩人が死んだと思って、彼女の表情は絶望一色に染まる。

 

 額の冷や汗をぬぐいながら、恩人を殺した張本人が近寄ってくる。女の子には、同じ人間のはずのこの大人が堪らなく恐ろしい生物に思えてならなかった。

 

「ったくビビらせやがってよ、銃持ってる奴に殴りかかるか普通」

 

「お姉さん……嘘……」

 

「現実逃避すんなよガキ。おら、今すぐ母親のトコに……」

 

 艦娘が、せめて1発で終わるようにと銃口を女の子の眉間に合わせたときだった。

 

 一瞬、恐怖で表情を強張らせていた彼女の顔色が変わったように見えた。勘の鋭い女は何かを察する。そして、爆発して黒煙の挙がっていた場所に顔を向け、怪訝な面持ちになる。

 

「……なんだ…………なっ!!?」

 

 顔を撃った筈の(鈴谷)が立っていた。

 

 自分の殺した女の様子がおかしい。そんな言葉で片付く物ではないのは明らかな異様な雰囲気を纏っている。撃ったのは対人用の武器とはいえ、当たり所がよければ車だって吹き飛ぶ爆薬たっぷりの弾頭だ。生きていること自体がおかしい。

 

「………!? こ、こんな……!」

 

 なんで生身の人間が、グレネードの直撃を受けて死なない!? 困惑しつつも、やはり優秀な人物だったのか。この艦娘は、持っていた銃と、更に腰につけていた砲の2つで何故か生きていた女を再度撃つ。

 

 砲弾が鈴谷の右目の辺りに当たった。

 

 やったか、と思った艦娘だった。が、顔を仰け反らせただけで、痛がる素振りすら見せず、逆にこちらを殺すような憎悪に満ちた目で睨んできた相手に、混乱が最高潮に達する。

 

 撃たれても平気だったことについての疑問なんて、既にこのときの鈴谷の中には無かった。

 

 もう、我慢できない。土井先生。私にはこんな仕打ちをされても自制できるほどの気長さは無いんです―― 亡くなった恩人に、心中で鈴谷は謝った。

 

 目の前の艦娘に対する殺意と怒り。そして、怯える女の子への庇護欲に近い感情が爆発する。

 

 ばきばきと音を立てながら、顔から吹き出ていた血が止まった。そして、流れ出ていた血液は、鈍い金属光沢を放つ紺色の甲殻に変化し、それらは傷口に被さるように固まる。

 

 異常な速度で出来た瘡蓋(?)に、それを見ていた艦娘は驚いていたが、鈴谷の「変化」は続く。

 

 彼女の体の胴体部分から、何かが皮膚を突き破って外に出てくる。それは、重巡ネ級の物に似た人の胴部とそう変わらない大きさの2本の触手だった。鈴谷の体の半分近くの量も投与されていた深海棲艦の細胞が、休眠状態から急激に活性化を始めたのである。言うまでもなく、彼女の強い感情の動きに影響を受けたからだった。

 

 (せき)を切ったような感情の流れに鈴谷は尚も身を任せた。そうすると、彼女の全身から赤い光がぼんやりと放出され始める。連動して以前までは茶色だった瞳も、血のように赤く変色し、瞳孔が猫科の動物のように縦に裂ける。

 

「お前なんか……指一本……この子に触れさせるものか……」

 

 しゃがんでいた女に指を指しながら。重巡ネ級(鈴谷)は静かにそう言った。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「意味わかんねぇ……深海棲艦になった……!?」

 

 トリガーにかけた女の指が震えているのが鈴谷から見えた。

 

 可視化された殺意とでも表現すれば良いのか、全身から血を流しているような赤い光を放っている鈴谷に、艦娘は恐怖を感じていたのだ。女は、残弾を気にすることなど度外視して持っていた武器を撃ちまくる。目障りな女は爆風に包まれ、今度こそ死んだかと自分を強引に納得させるが……

 

 結果的に、この乱射は艦娘にとっては最悪な判断となる。

 

 爆風からぬるりと出てきた真っ白な腕に、着ていた服の襟を掴まれる。

 

「しまっ……!?」

 

 逃げようとする前に身に付けていたものを掴まれて、艦娘は鈴谷に無理矢理顔を引き合わされた。至近距離から砲のトリガーを引こうとしたがもう遅い。

 

 動きが早すぎて、夜の闇に深海棲艦の赤い瞳が残像を描く。鈴谷は人間には不可能な動きで相手の顔面に拳を叩き込む。

 

「ガッ…あぉあっ……!?」

 

 電車に()かれたような衝撃を、このときの艦娘は体感していた。が、彼女はそんな相手の事情など知らず、殴った相手の体が宙に浮いて右方向に吹っ飛ぼうとしたのを見計らい、今度は反対側の胴部を殴って飛ばす。

 

 1回、2回、3回、4回、5回……6回目の往復で空目掛けて殴り飛ばした女の襟首を掴み、地面に叩きつける。負荷に耐えきれずに軽い爆発を起こした艤装の破片が飛び、それらは鈴谷の顔に小さな傷をつけた。

 

 いったいどのような力を込めればできるのか。あまりの衝撃にコンクリートの地面は地割れのように砕ける。床に激突した艤装に背中を押されて、艦娘は血の混ざった泡を吐いて気絶したが、小規模なクレーターのような物が出来たことの方に鈴谷は驚いていた。

 

「…………ッ」

 

 最初から殺そうなどとは思っていなかったので、激情に駆られつつも加減はしていた。が、血を吐いて気を失った相手に慌てて脈を測る。幸い、艤装の防御が働いたのか、この艦娘は呼吸も脈拍もしっかりしていた。

 

「自業自得だ、うん。こっちは正当防衛だからね……たぶん」

 

 今日、これも何度目かわからないが、泣いたり怒ったりというのを行動で発散すると、急激に脳内が落ち着く。自分に言い聞かせるようにそう言うと、鈴谷はすぐに女の子の方に向き直り口を開いた。

 

「逃げよう、ここは危ないから」

 

「え?」

 

「ほら。走るよ!」

 

 右手で女の子の手を握り、余った反対の手に銃を持ち直す。

 

 艦娘が薙ぎ倒されるのを見ていて、正直、このときの女の子は鈴谷に恐怖心を少なからず抱いていた。しかし、最初から徹底して自分のために動いているのも見ていたのだ。そんな人間が危害を加えるはずがないと納得して、怯えながらも鈴谷についていく。

 

 急いでこの場から離れようと行動したとき、また新たな敵が住宅街の路地から複数現れた。鈴谷から見ると、装備から全員艦娘だろうというのはすぐに察しがついた。

 

「どうした、トラブルか……っおい!! 止まれェ!!」

 

「こんな時に……!!」

 

 一体何の役に立つんだ、なんて言いつつも昔やらされた銃の訓練を思い出す。まさか使うことになるだなんて。鈴谷は手際よく弾を装填すると、武器の引き金を引いた。

 

 さっきの艦娘にも言えるが、妙に破壊活動に手慣れている女らは、鈴谷の姿を見た瞬間に物陰に隠れて腕だけを出して武器を乱射してくる。頬や髪の毛を掠める銃弾に、女の子は悲鳴を挙げた。

 

「きゃあっ!?」

 

「危ない!」

 

 彼女の体を手で抱き寄せよう、と思ったとき。自分の体から生えた触手が勝手に動いて女の子の体を包み込む。

 

 どうやらこの触手、手足と同じ具合で思った通りに動いてくれるようだと認識する。隣にいた女の子の体をそれで守りながら、鈴谷は、弾の許す限りといった考えでマシンガンを滅茶苦茶に乱射して相手を近付かせない事に専念した。

 

「ごめん」

 

「わわわ!?」

 

 動かし方はなんとなくわかった。おまけにこれ、結構な力が出せるのか? 触手に絡まれた女の子の体が宙に浮いたのを見て、そんなように思う。鈴谷は弾が無くなった銃をその辺に投げ捨てると、先程殴り飛ばした艦娘から武器を2つ拝借する。

 

「まだ使える!」

 

 片方、ずっとマシンガンか何かだと思っていたのはフルオートのショットガンだった。時間稼ぎには丁度良いと彼女は指を引きっぱなしにして撃ちまくる。

 

 これの弾が無くなった頃を見計らおう。そして急いで逃げるんだ。じゃないと奴らは殺到してくるはず…… 考えながら行動していると、丁度良い頃合いで武器の残弾が0になった。

 

「……………!!」

 

 さっさと逃げる! 何より今はこんな強敵と戦っている場合じゃない。

 

 弾が無くなった散弾銃を相手目掛けて投げ、鈴谷は女の子を抱いていた触手の力を強めると、拾ったグレネードランチャーを持ち。準備が出来たと思うと、すぐに相手に(きびす)を返してその場から逃走した。

 

「逃がすかァ!!」

 

「おい待て、こいつ……」

 

「な、なんで深海棲艦が陸地に!?」

 

 後方で何やら女たちの会話が聞こえる。当然の話か、今の自分の容姿は相手を混乱させるのに効果抜群だったようだ。

 

「当たってよ……!」

 

 数秒だけ立ち止まり、勘だけで相手の場所を予測して振り向き様に擲弾(てきだん)を見舞う。筒状の容器を開けたときに似た軽い音を伴って、緩い放物線を描きながら弾は飛んでいった。

 

 ほんの何秒で結構な距離を自分は走ったらしい。それなりの距離は離れていたが、鈴谷が何かを撃つのは見えたのだろう。追い掛けてきていた人物らはそれぞれ散らばって弾を避ける。しかし回避したところで擲弾が地面に当たって爆発することには変わらなかった。

 

 黒煙でお互いに視界が効かなくなる。それを見た瞬間、とにかく前だけを見て、全速力で走り続けた。

 

 どれだけの時間こうしていただろうか。鈴谷の体力が底を尽きる頃には、町の炎の光は遠くになっていた。

 

 

 

 

「はぁ……はっ……っぐ……」

 

 少し派手に動きすぎたようだ。猛烈な疲労感と目眩に襲われ、鈴谷は片膝を着いて地面に座り込んだ。

 

 1、2kmで利かないような場所まで逃げてきたのか、と周囲を見て鈴谷は考える。研究所から出て辺りを散歩するような事は今までになく、どこに立地しているのかは知らなかったが、あの場所は自分も知っている海岸線沿いだったんだな、と、昔からあるビジネスホテルの廃墟を見ながら思う。

 

 無我夢中で暴れた後に逃げたものの、これからどうしよう。着ていた服に財布や車の鍵といった貴重品は持ってきていたのを確認し、これらがあれば数日ぐらいはなんとかなるか……そんなように思っていた鈴谷に、女の子が話し掛けてきた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「え……あ、その、どういたしまして」

 

 何と答えれば良いのかがわからなくて、そう言ってからゆっくりと彼女を地面におろす。女の子は続けてこう言ってきた。

 

「お姉さんは……何者なんですか……?」

 

「え、わ、私?」

 

 問い掛けに対して、少し考える。さっきは落ち着いている余裕も無かったというものあり、改めて自分の体に目を向けた。

 

 首のコレはみょうちきりんなアクセサリーとか何とか誤魔化せなくもない。ただ、人間味のない異常に白い肌や、特に痛みなどは感じなかったが、皮膚を突き破って腹部から生えてきた触手は言い訳のしようがない。

 

 間違いなく「人間」とは言えない。そう結論を下す。

 

「えぇと、深海棲艦! ……たぶん」

 

「……嘘だ。私信じないもん」

 

「え…………」

 

「艦娘さんは、みんなを守ってくれるって! 深海棲艦は怖い人らだってお母さんが言ってた!」

 

 自分のカミングアウトを叩き伏せられて、鈴谷は困惑した。しかし次に女の子の発した言葉に、思わず瞳が潤む。

 

 

「怖い人たちが深海棲艦! お姉さんが艦娘なんだ!! 嘘つかないでよ!」

 

 

 強い力で、女の子はそう言ったあとにぎゅっと鈴谷の手を両手の掌で握った。

 

 女性は、男性に比べて記憶を曲げてしまうような事がある、という。眉唾な学説で自分は心理学に専攻していた訳でもないが、そんな話を鈴谷は知っている。

 

 これは、母親が死んだ、という辛い現実に対する精一杯の女の子の抵抗なんだ。鈴谷は彼女の滅茶苦茶な理屈をそう解釈した。

 

「一人は……やだよぉ……艦娘の……お姉さん」

 

「……………………っ」

 

 (すす)り泣きながら抱き着いてくる女の子の頭を撫でることぐらいしか。今の鈴谷にできることは無かった。

 

 親が死に、兄弟なども居なかったのだろう。先程の艦娘たちの無差別攻撃で燃え盛る家の中に、一人で入ろうとしていたこの子の行動を思い出す。

 

「もう大丈夫だからね……怖い人達は……居なくなったからね……」

 

 怖かっただろう……辛かっただろう……痛かっただろう。今もう一度見た容姿からして、中学生になるかならないかか。育ち盛りの子が、目の前で家族を殺されただなんて……

 

 もしも自分の立場だったら。一体どれほどの絶望感に襲われるか、想像もつかない。鈴谷は自分にも言い聞かせるように静かな声で話しながら、女の子を優しく抱き締めてあげた。親の代わりになんて、流石になることはできない。だけど、少しでも不安を取り除くことはできるはずだ。そう思っての無意識の行動だった。

 

 鈴谷は、逃げ込んだ廃墟で女の子が泣きつかれて眠ってしまうまで、ずっと優しく頭を撫でてあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 悪は滅びた(滅んでない)

 何も考えられないぐらいに怒り狂って暴走……というのも、一応考えましたが、そういった需要は他の方々がやっていそうなのでこうなりました。

 どこぞの読書好きの青年みたいな暴れっぷりが見たかった方には申し訳ありません。多分今後も鈴谷は特に闇堕ちもなく至って冷静だゾ


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8 描いていた未来の私とはかけ離れた今と

日刊に入ってたのに驚きですが、評価バーが赤くてビックリしました。
読者の方々の期待に答えられるような文章になるよう、これからも頑張りたいと思います。


 病室暮らしの時はのんびりと午前10時頃まで寝過ごすような習慣だったが、それ以前は早起きだったせいなのか。それとも固い床が寝心地が悪すぎて、なのかは鈴谷には見当がつかなかったが、今日の彼女は早くに目が覚めた。

 

 昨日、異変があってから全く使っていなかったからか、バッテリーに余裕のあった携帯電話の画面を見る。時刻は午前5:23と出ていた。

 

 「ふぁぁ……」なんて声が漏れるぐらいの大あくびが自然と口から出てきて。昨日みたいな事がいつ起こるとも解らないのに、ボケてるな、なんて自虐的に思う。同時に鈴谷は体に重いものがのし掛かっているような感覚に、視線をずらす。

 

「……ぅ……んん」

 

「…………。そういうことか」

 

 よく考えたな、彼女は思った。女の子が自分の触手を枕にして寝ていたのだ。

 

 熟睡中の相手を起こさないように、ゆっくりと上半身を持ち上げる。これで3回目だが、暇潰しに鈴谷はもう2、3度、自分の体がどうなっているのか見ることにした。

 

「………………」

 

 スマートフォンのカメラを内側にして、無言になる。

 

 深海棲艦の治癒力は自分の想像を超えていたようだ。火傷で済まない傷があったはずの顔の半分と、無理をして切り傷だらけになっていた腕の血が出ていた場所が、それぞれ光沢を持つ紺色の鉄板みたいな物に覆われているのを眺める。

 

 次いで、女の子が頭に敷いている物を見て、思わず顔がひきつった。ケロイド染みた赤白い色に、固い部分は置いておき、ブヨブヨした手触りの軟らかい部分には赤や青色をした血管が浮かんでいる。これだけでもなかなかだが、極めつけに2つとも先端部には肉食の魚みたいな牙の並んだ口があった。どんな動物にも形容しがたいグロテスクな造形をしている。

 

「……これ、剥がれるんだろうか」

 

 顔や首を覆う物に素朴な疑問が湧いた。ただの瘡蓋だとすれば、下の皮膚が治っているなら剥がれる筈だ。そう思って、恐る恐る顔の鉄板(?)に手をかける。

 

 ビリビリと紙を破くような音と共にそれは剥がす事ができた。特に痛みもなく、それどころかこれがへばりついていた場所は、完璧に傷が塞がっていた。自分の体ながら、あまりの外傷の治りの早さに少し背筋に冷たいものが流れるような悪寒を感じる。

 

「……ちょっち、マズいかな」

 

 ただ、1つ。携帯で自分の顔を見て、気付いた事があった。

 

 右目が今まで通りで左目が赤くなっている、なんてどうでも良かった。体の怪我が治ったのは良かったとして、一応は形だけ治っていた右目の視力がほとんど無いのだ。

 

 利き腕が右の自分は利き目も右だ。左は少し乱視が入っていると医者から診断を受けたこともある……控え目にいってもこれは大問題だ、と思う。人間という生き物は、2つ目があって初めて物の立体感を掴む生き物なのだ。物と物の距離の把握が難しくなったら日常生活はもちろん、緊急事態になったら対処が難しくなるのは容易に想像できた。

 

「……………………まぁ、いっか。」

 

 こんなとき、神経質な人なら多少パニックになるのが普通かもしれない。だが、鈴谷はそうはならず、それどころか、この現状に悲観せず気楽に考えていた。

 

 剥がした物を元の場所に着け直す。

 

 昔からの楽天的な性分に加えて、すぐ近くで静かな寝息をたてている女の子のかわいい寝顔を覗いていると、心が落ち着くのだ。自分1人じゃなくて良かったな、と思う。

 

 きっと、何とかなるさ。どうにもならなかったらその時は考えればいい。

 

 今考えてもしようがない。強引に自分を納得させると、鈴谷は女の子が起きるまで、2度寝をすることに決めた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「お姉さん、起きてますか?」

 

「んん……んぅ。今何時だ……?」

 

「お昼です。午前10:42って」

 

 鈴谷は気休めで体の下に敷いていた上着を手に取り、大きな伸びをしながら女の子の報告を聞く。

 

 2度寝で軽く5時間か……間違いなく、朝起きた時には疲れが取れていなかったんだな。考え事と平行して、血と煤で汚れているウインドブレーカーを着直しながら、女の子へ口を開いた。

 

「その、大丈夫? 怪我とか……」

 

「そんなことは」

 

「そっか……これからどうしようか」

 

 努めて笑顔を作りながら言ったつもりだったのだが、何かまずかったのか。鈴谷の言うことに、女の子の表情が暗くなる。

 

「寝違えちゃった。首が痛いや……」

 

「あぁ……」

 

「……後は、お母さんにさよならが言いたいです」

 

「…………………」

 

 ぱん! と音が周囲に響くぐらいの力で、鈴谷は自分の顔を掌で叩いた。何かと驚いて顔を動かした女の子に、彼女は話す。

 

「そっか。じゃ、あそこまで戻ろう。その辺散歩でもしながら」

 

「!! はい!」

 

 彼女の表情がにわかにぱっと明るくなった。ただ、理由が理由だけに笑えないな。鈴谷は立ち上がりながら、そう思う。

 

 

 

 

 昨日逃げてきたときとは対照的に、2人は手を繋いでのんびりと住宅街まで歩いていた。

 

 力任せに殴り倒したあの艦娘が「町ごと消す」だとか何とか言っていた物だから、てっきり鈴谷は市全体に攻撃が加えられた物だと勘違いしていたが。現在歩いている海岸沿いの道はいつも通りの状態であることと、1~2km離れた遠くの方からかすかに漂ってくる焦げ臭い匂いに、「アレ」は局地的な物だったのか、と思う。

 

 住宅街に近づくほど、女の子の表情が曇っていく。同じことを考えていたかは鈴谷にはわからなかったが、彼女も考え事が煮詰まるにつれて顔から笑顔が薄くなっていく。

 

 テロリストに見せかけた破壊活動、と簡潔に言っていたが、一体背後には何が居るんだろうか。裏から政治や国を動かすRPGゲームの魔王みたいな人間の事を「フィクサー」とか言うらしい。あんなに大っぴらに人を殺して、しかも地図を描き換えることにまでなりそうな破壊活動を黙殺できるとすると、正にそういった人間の何かの陰謀か何かだろうか……

 

 最後まで自分の事を案じながら亡くなった土井の事を思い出し、潤んできた瞳を服の袖でごしごし拭って誤魔化す。そんなときだった。ぼうっとして無言で歩いていた鈴谷に、女の子が話しかけてきた。

 

「お姉さん」

 

「ん、なぁに?」

 

「あの、お姉さんの名前が聞きたいんです」

 

 名前、か。

 

 急な質問に悩んだ末に、鈴谷は自分が嘘が苦手な人間だった事を思い出し。正直に本名を名乗ることにした。

 

「根上 紀美。根っこの上に、紀元が美しいっていう漢字ね?」

 

「根上お姉さん!」

 

 言うが早いか。名前を教えると、彼女は両手で触手を抱き寄せながら抱き着いてきた。昨日の今日の辛い出来事で隠れてしまっているが、根は(たくま)しくて活発な子なんだな、と思う。ただ、こんなグロい物体を躊躇なくクッション代わりにするのは、独特な感性をしているな、とも思ったが。

 

 彼女の母親の言葉を思い出しながら、今度は鈴谷から話題を振った。

 

「えぇと……ナオミちゃん? だっけ」

 

「吉田 直海です。おみくじの吉と田んぼに、素直な海です」

 

 うわっ、すっごいわかりやすい。自分の言ったことを参考にしたのか、似たような自己紹介をして、しかもどのような字で書くかまでを綺麗に言う女の子(直海)に。将来大物になったりして、なんて変なことを考える。

 

 そうこうしているうちに、あの住宅街に到着した。

 

「「……………………」」

 

 火の手が挙がっていたあの時も大概だったが、焼け跡というのもまた、生の目で見るとなると見るに堪えない物だと思う。

 

 そして、何かの謀略かと思っていた鈴谷の予測が確信に変わった。近くで平然と車が走る道路があったり、何食わぬ顔で営業中のコンビニがあったり。そんな「普通」と壁一枚挟んだ場所がこんな酷い有り様なのに、警察も軍隊も、一般人の立ち入りを禁止したり監視したりする人間が誰一人居ないのだ。明らかに異様な雰囲気が辺りに立ち込めている。

 

 鉄パイプを適当に組み着けただけの粗末なオブジェに、今時、工事現場だってもう少ししっかりしてるものを置くぞ…… なんて思いつつ。鈴谷は進入禁止のバリケードを(また)いで口を開く。

 

「行こっか。誰もいないうちに、ね?」

 

「うん……」

 

 素直にくっついてきたものの、直海はあまり気が乗らないといった様子だ。やることからしても、無理もないと思う。自分から提案しておいて! なんて罵倒(ばとう)するほど鈴谷も無神経ではない。

 

 目的地には思いの(ほか)すぐに来れた。

 

 たまたまだがあのバリケードがあった道から、直海の家は近かったようだった。一応見回りなんかが居ないとも限らないから、と鈴谷は周りを警戒していたが、5分とたたずに彼女の家の焼け跡まで着いてしまう。

 

「「……………」」

 

 瞳に映る景色に、2人とも数秒間は無言になった。

 

 完全に焼けて崩れた建物以外は、昨日のままだった。鈴谷が水を被ってから置いたバケツに、外に出るために窓を割って投げたフライパンに、銃撃戦で放たれた銃弾の薬莢(やっきょう)に……。

 

 そして、直海の母の遺体が、眠っているように倒れていて。

 

「お母さん……来ちゃった」

 

 ゆっくりとした足取りで直海は母の遺体に近づく。当然ながら、返事はない。

 

 このとき鈴谷は、細菌等の危険性から、彼女が素手で遺体に触れようとしたら止める算段だった。が、少々予想と違う行動をとった直海に驚く。

 

 彼女は、わざわざハンカチを握って母の手を握ったのだ。なんて冷静で聡明な子だろうか、と思う。

 

 ただの死体だと言ってしまえばそれで終わりだが、理性のある……特に感受性の豊かな人間なら普通は親族の遺体なんて危険だなんて考えない。油断してぺたぺた触ってしまって当然だろう。そうしたい気持ちを殺して振る舞っているのであろう直海に、鈴谷の瞳が潤む。

 

 きっと、彼女が母親の側に居られる最後の時間だから―― そう思っていたから。鈴谷は何時間だろうと直海の事を待っているつもりだったが、意外にも、彼女は数分で立ち上がって体の向きを変えた。

 

 花柄のハンカチを遺体の胸に置き、鼻をぐずらせてこっちにくる彼女に。慌てて鈴谷は問い掛ける。

 

「いいの? もう少しゆっくりしていっても……」

 

「もう、いいの……お母さんは、生き返らないんだから…………」

 

 簡単にそれだけ言い残して。とぼとぼと直海はバリケードがあった場所を目指して歩いていく。

 

「……………………」

 

 胸が痛いの例えで済まないぐらいの心の痛みのような物を、鈴谷は知覚した。少し考えて、なんでこんなに早く済ませたのかを理解してしまったからだ。

 

 きっと直海は、詳しいことはわからなくても、この場所に長く居るのは危ないという事を解ってしまったんだ。さっきの行動から、死後に時間の経過した遺体の危険性を知っていてあんな手間をやった事を見ても、元来頭の良い子なんだろう。だから、自分のやりたいことを封殺しているんじゃなかろうか。

 

「…………ぐっ……」

 

 艦娘を殴り倒した時の事を思い出す。それに匹敵、までは行かなかったが。あんな子供にそんな決断をさせる要因を作った吉田か、それともまだ顔も知らない何者かは知らないが。そういった人物らへの怒りが湧いた。

 

 深呼吸をしてから、鈴谷は彼女の母親の前に立つ。

 

 服のポケットに入れていた、造花を模したシュシュを持ち。それを、直海の母の手に着けた。

 

「………あの子は、とっても強い子だと思います。直海さんのお母様。」

 

 死後硬直で血の気が引いて、今の自分のように肌の白くなっていた遺体の顔は。どこか笑っているようにも見えた気がした。

 

 自分なりの供養を済ませ。鈴谷は小走りで直海の事を追い掛けた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 住宅街を出て、次は何をしようかと鈴谷が直海に問う。

 

 すると、彼女はどこまでが攻撃を受けたのかを見たい、と言うリクエストを受けて。そんな返答は予想外だったが、気を取り直して鈴谷はまた彼女と手を繋いで周辺を散策しているところだった。

 

「すごいな。服屋にリサイクルショップに。どこもボロボロだ」

 

「店の人は逃げれたのかな……」

 

「どうだろ。でも、こういう場所は警報とかあるだろうし」

 

 駄弁りながら海岸線沿いを歩いていく。わかったことは、この周辺は地図に線を引っ張ったように、綺麗に区分けをして破壊工作をされている、ということだ。

 

 こうして自由に外を出歩いていて初めて気づくが、研究所はそれなりに発展した場所に建っていた物らしかった。その証拠に、この建物を中心として、2、3連なった商業施設と住宅街……目測だがおおよそ半径1km2方向の長方形でくくったような部分が攻撃を受けた跡がある。

 

「なんだか壮観だね……嫌な意味で。」

 

 心の中のモヤモヤは広がる。先程、フィクサーとか何とか、そんなのがこの破壊活動に関わっているんじゃないかとか思っていたが、それも本当なんじゃあないか、と考え出すと止まらない。住宅街以外、しかもそれなりの大企業の抱える店舗まで破壊の痕跡が残っているとなると、口に出すのも(はばか)られるおぞましい存在が居るのでは? と妄想が進む。

 

「……………プゥーッ」

 

 なんだか頭が痛くなってきた気がして。わざとらしいため息を吐いて、鈴谷は1度思考をリセットした。

 

 のんびり歩いているうちに見つけた、外壁を壊された洋服屋を指差して、直海に話しかける。

 

「ナオちゃん、着替えとかしたいと思わない?」

 

「…………? うん、したいかも」

 

「よし、決まり! ちょっとやりたいことがあるんだよね。あそこまで行こうか」

 

「?」

 

 言動の意味を理解しかねたのか、まばたきの回数を増やした彼女の手を引っ張り。鈴谷は意気揚々と廃墟に歩いていく。

 

 

 

 

 飛散したガラスが散らばり、入り口の鉄筋の骨組みはぐちゃぐちゃになった、玄関だけ見れば廃墟同然に破壊されていた服屋の中に2人は入った。

 

 中を物色していくと、店の奥は比較的綺麗に残っており、また商品の服も普通に着れそうな物が残っている。

 

 端から見れば、獲物を物色中の空き巣そのものだった鈴谷へ。子供心に流石に何かおかしいと思った直海は突っ込みをいれた。

 

「え、あの、姉さん何を」

 

「何って、着替えをくすねようと」

 

「くすねる?」

 

「盗むってこと」

 

「ええっ!?」

 

 昨日の事があって二人とも着ていたものは血や(すす)でボロボロだった。特に鈴谷の着ている薄手のジャンパーの首もとなんか、大量出血の血の染みで酷いことになっているし、ついでだから女の子の分と自分用の物とを適当に頂いていく事にしよう。そんな理由から鈴谷はここに来ようと言ったのだ。堂々と「盗む」と言った相手に、直海は声を大きくする。

 

「使えるものもまだまだ有りそうだし。じゃ、有り難く貰っておかないとね」

 

「犯罪じゃないですか!」

 

「だいじょぶだいじょぶ誰も見てない。たぶん!」

 

「そういう問題じゃ……」

 

「だってお金払う店員さんも居ないもん。どうするのさ?」

 

「そ、それは………」

 

 ニヤリ、と笑って大人げなく年下を論破しつつ、鈴谷は誰も居ないレジからハサミを見付け、気に入った服のタグやら何やらを切って外す。命の恩人がなかなかのアウトローだと知り、直海は難しい顔になる。

 

 ちょっとふざけ過ぎたかしら。内心そう思っていた鈴谷に、直海が数秒の間を置いてから懲りずに注意を続けようとした時だった。時刻はもう正午を過ぎていたので仕方がないか、彼女のお腹が鳴った。

 

「……!」

 

「あららら。そっか、もうお昼だもんね。お腹も空くか……」

 

 自然とそんな擁護が口から出てくる。鈴谷は一瞬考えて、これを利用して彼女を説得することにした。

 

「ほら、ナオちゃんも着替えて。綺麗にしないとさ、私らボロボロで不審者みたいなカッコだし」

 

「むぅ……」

 

「身なり整えたらさ、買い物行こうよ。お腹も空いたしね」

 

「……お店の人が来たら、お金、払ってくださいね」

 

「わかってるわかってる。ほら、好きなの選びたい放題よ!」

 

 言葉巧みに……少し強引に彼女を納得させる。

 

 まぁ、もし何かの間違いで店員と鉢合わせたら万引きで捕まるがね!! 鈴谷は心の中でそんなことを言っていたが。

 

 

 数分間建物の中をウロウロした後に、着るものを見繕い終わって鈴谷は落ち着く。

 

 もう5月だからか今日は結構暑い日だったので、Tシャツにボーリングシャツ、下はジーンズとラフな格好になる。これでひとまず、戦場から帰ってきた兵隊のような服装ではなくなった……だが問題は腹部から生えている大きな触手だ。

 

 都合の良いことに、ここや隣のリサイクルストアからおおよそ地形を掴み、近所にはコスプレ喫茶なる店が有ることは鈴谷は知っていた。働いている人間がマニアックな趣味の連中に合わせて、空母ヲ級やら一部の姫級といった人型深海棲艦の仮装をして仕事をしていることも、怖いもの見たさで時折店の中を覗いたりしていたので知っている。

 

 が、状況が状況だ。その店の立地は、爆心地に近過ぎるのだ。攻撃があったか運良く逃れたのかは解らないが、普通に考えて営業はしていないだろうな、という所まで鈴谷は考える。流石にオフの日まで深海棲艦の格好をしている従業員は居ないだろう。となれば、これを剥き出しにしてウロウロ歩くのは少々まずい。

 

 そこで鈴谷は少しだけ頭を使った。

 

 店の中を探すと、大きめのスポーツバッグがあったので肩から掛ける。そして中に触手を詰め込んでチャックを閉じ、それとなく鞄を体の前に持ってくる。多少無理があったが剥き出しよりは何倍もいいぐらいには隠せた。……ただ、ギチギチに詰め込んだせいなのか、凄まじい閉塞感を感じて居心地が悪かったが。

 

 取り急ぎこれで大っぴらに外を歩けるぐらいにはなったか、なんて先程までなかなかに凄い格好で出歩いておきながら思う、そんなときだった。上下ジャージ姿になっていた直海が、いきなり膝をつく。

 

「………ッ」

 

「? どうしたの?」

 

「足、(しび)れちゃった……」

 

「あっ」

 

 失敗したな、と思った。無理もない、時計に目をやればざっと3時間は歩いたりなんだりで立ちっぱなしだ。見たところは細身で、あまり筋肉も無さそうだから、直海は別に運動が好きな子という訳でもないんだろう。なら、子供にこんな運動は少し酷か、と考える。

 

 建物から出て外出するにあたり、首と顔面の甲殻を外して店内にあった机に置き。鈴谷は座り込んだ相手と目線を合わせるためにしゃがみ、こんな提案をした。

 

「おんぶしたげる。乗りなよ」

 

「良いんですか?」

 

「モチ! 子供はね、大人に頼る生き物なんだから」

 

 子供扱いするな!とか言いたかったのか。直海は鈴谷の言葉に渋い顔をしたが、ぐずぐずもたもたしながらその背中に乗った。

 

 

 女の子一人をおぶさって、中腰で歩く。平日午後の車通りの少ない道を、先程通り越したコンビニ目指して進んでいたのだが、視界の猛烈な違和感で鈴谷は不愉快になっていた。

 

 目が片方見えなくなったのは朝早くに気が付いたが、さっきまでは何ともなかった。というのも、顔に貼っていた物が眼帯の代わりになって、自然と目を閉じていたからだと今更に気づく。これは結構大事だぞ、なんて思う。

 

 簡潔に言うと、「まぶたが開いていて、目の表面に風を感じたりはするのに、視界だけが欠落している」感覚を覚えたのだ。新鮮だが気持ちの悪いこれに、そう数分ごときじゃあなかなか慣れない。

 

「重くないですか」

 

「ん? いや、ぜんぜん」

 

 唐突に語りかけてきた背中の彼女に返事をする。いかん、変な心配はさせないように振る舞わねば。鈴谷は速やかに視線を前に戻す。

 

 あまり離れた場所でもなかったので、コンビニにはすぐに着いた。さて、妙な客だと怪しまれないか、なんてネガティブが鈴谷の心の中で育ち始める。

 

 結論から言えば、そこまで気を張り詰める必要など無かった。入ったコンビニの店員は、随分と来店する客に無頓着(むとんちゃく)なバイト君で。買い物をした品物をいくつかレジに出し、普通にお金さえ払えば、こちらの顔すら見ずに会計を済まされた。

 

 直海を背負っていたので、小銭を財布に入れる事が面倒に思った鈴谷は、募金箱に貰ったお釣りを突っ込んでさっさと店を出る。

 

「どこで食べよっか」

 

「……さっきの服屋さんで」

 

「?」

 

「とぼけないでください。店員さんが来るまで待つのです」

 

「あぁ、そういうこと」

 

 なんというか。昔の典子((熊野))みたいなくそ真面目なのね。自分の背中にのし掛かったまま言う相手に、学生時代の親友の姿が重なる。

 

 「あ……」と、声が出た。1つ、気がかりな物を思い出して、鈴谷は片手で直海を支えながら携帯電話のSNSを起動する。

 

 やっぱり、と心の中で言う。熊野からメッセージが来ていた。どうやらあの破壊工作、立ち入り禁止にこそなっているが流石に周囲に情報が伝わってはいるようだ。

 

 液晶に表示された文字を読んで、顔がひきつる。

 

『鈴谷、生きていましたら返事をくださいまし』

 

『鈴谷』

 

『紀美、なんでも良いから返答を』

 

「…………ふふっ」

 

 意図せず口から乾いた笑いが出てしまった。文面から滲み出ているが、間違いなく自分は親友に多大なるストレスと心配を与えてしまったらしい。

 

 慣れた手付きで鈴谷はすぐに返信を打ち込む。

 

『ケータイ、見てる?』

 

『もし見てたら、研究所横の服屋まで来て。待ってる』

 

「……………………」

 

 事の経緯を、熊野にどう伝えたものか。考え事で表情が険しくなっていることに、鈴谷は自分で気が付いていなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 戻ってきた場所で朝食を摂る。落ち着ける時間になったので、今一度じっくりと見るが、この建物はなかなか設備が充実していた。まだ健在だった頃のここに服を買いに来たことが無く、入店するのは今日が初めてだった鈴谷には新鮮に感じる。

 

 洋服屋だから試着室があったり靴のサイズ合わせに使うベンチやらがあったり、ぐらいはわかる。が、興味本意でスタッフルームの方を見れば、災害時用のシャワールームまであった。今は起動していないがエアコンも沢山あるし、ここの従業員はさぞかし快適だったろうな、と思う。

 

 少し汗をかいたし、後で有り難く使わせて頂こうかしら、などという所まで思考を進めて鈴谷がサラダを食べていたとき。向かい合うような場所で無言でおにぎりを食べていた直海が、声も出さずに泣いていることに気付いた。

 

「…………」

 

「どうしたの?」

 

「んん…なんでもない」

 

 始まった。そう来たか、と思う。鈴谷は相手の顔を両手で挟んで自分の所まで引き寄せる。

 

「!?」

 

「おねーさんに言ってみんさい。ベソかいてるのにヘーキになんて見えないよ」

 

「…………」

 

 語調を優しくして、諭すように言う。直海は対面する相手の赤い瞳を見ながら、ゆっくりとこう言った。

 

「……昨日ね、私の11さいの誕生日だったの」

 

「!」

 

「いつも遅くまで帰ってこないお父さんも、昨日は早く帰ってくるって……言ってたのに」

 

「待っててもお父様は帰ってこなかったの?」

 

「帰って……帰ってくる前に、あんなことに……うぅ」

 

 つい数秒前には突っぱねる態度だったのを逆転させ、直海は今度は鈴谷に抱き着きながら泣き崩れる。

 

 着々と、鈴谷の中で昨日の蛮行を指揮した何者かへの炎が勢いを増す。

 

「うぅぅぅ…………!」

 

「よしよし。好きなだけ泣いていーよ。私が許す!」

 

 いま、こうして直海の面倒を見ているが。見つけていないだけで、他にも何人もの子供が亡くなったり逃げたりとあったに違いない。そう思うと、嫌な気分になるなと己を律するのには無理があった。

 

 今日と昨日とで何度も感じることがあったが、直海は強い子で。泣きながらも買ってきたものを食べ終わる。

 

 この逞しさを活かして、健やかに生きていて欲しいものだ、なんて年を食った老人みたいな事を思ったときだった。ズボンに突っ込んでいたスマートフォンのバイブレーションに気づく。

 

「!」

 

 熊野から『今すぐに行く』と簡潔なメッセージがSNSに入っていた。そして、建物の入り口の辺りから靴底が地面を叩くような物音が聞こえたのを確かに知覚する。

 

 メッセージを打ちながらもう来たのかと思うが、鈴谷は持っていた携帯電話のレスポンスが悪かった事を思い出した。同時に、歩く音の主がまだ誰かも見ていないのに、こんな訳のわからない時間に親友が来てくれた!と喜ぶ。

 

「だ、だれ」

 

「大丈夫。ほら、様子見に行こう」

 

 怯える直海に、無理もないな。と思った。

 

 ゆっくり、ゆっくりと音をたてずに歩いて攻撃を受けた外壁部分に近付く。

 

 そして、何かを警戒しているのか、ハンドガンを構えてそこに立っていた親友の姿を見付けて。鈴谷は涙が出そうな心境になった。こそこそしているのを止めて、直海を連れて熊野の前に自分の姿を晒す。

 

「ッ! 誰……」

 

 女の子を連れているのは置いておき。自分の姿を見た熊野は表情を強張らせた。まぁ、こうなるか、と思う。

 

 相手の警戒心を解く意味を込めて。鈴谷は銃を構えている親友に笑ってピースサインをする。

 

「まさか……鈴谷なの?」

 

「……………」

 

 なんと言えば良いかが咄嗟に出てこなくて、無言で頷いた。流石に返事がこれだけだったのは悪手だったか、確証が持てないと思ったらしい熊野はこんなことを言ってくる。

 

「幾つか質問をさせて貰いますわ。しっかりと答えてくださいまし」

 

「……うん。」

 

「美術作品『ゲシュタルト・ゼルド』を製作したオーストリアの芸術家の名前は?」

 

「ヴィクトル・ヴェザルリ。」

 

「発酵食品のチーズの中でも、特に奇食として有名な生きたウジ虫を使用した食品の名前」

 

「カース・マルツウ。」

 

「……………最後ですわ。作家の母親に勘当された恨みから「髪長ければ 知恵短し」と女性を皮肉った哲学者の名前は?」

 

「アルトゥル・ショーペンハウエル……かな?」

 

 3つのそれぞれに、鈴谷は淀みなく答えた。熊野は、ため息をつきながら構えを解く。

 

「はぁ……その服、私物じゃ無いでしょう? 一体どこから」

 

「そっちから()った!」

 

「な……貴女ねぇ………それにそちらのお嬢さんは」

 

「えぇと、色々。ね」

 

「色々と。なら詮索(せんさく)はしないでおきましょう」

 

 真顔で淡々と言っていたのが、段々と声が上ずっていたような気がしたのは鈴谷の気のせいでは無かったらしい。感極まった熊野が、ベソをかきながらこう言う。

 

「本当に鈴谷なのね……こんな変なことに答えられるのは、貴女だけですわ……良かった!」

 

 親友の泣き顔を見るのはいつぶりだろうか。熊野に抱き着かれながら、鈴谷はそんなことを考えていた。

 

 

 

 

 




仮面と首輪を外したネ級というのは表紙絵を想像してもらえるとだいたいあってます。

作品世界では深海棲艦は実はそんなに恐怖の対象では無かったりします。身近な例に例えると山菜取りなどで注意換気される熊みたいな物でしょうか。


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9 「暗い」と茶化して笑われた

遅れました。次回で一章は終わりです。


 

 

 

 昼に入る前、直海に名前を教えたときにも考えていたが、鈴谷は自分の事を嘘が苦手な性分だと把握している。

 

 と、いうわけで。先程言い淀んでおきながら、彼女はありのまま、昨日から今日の今この瞬間までの事を洗いざらい熊野にぶちまけていた。

 

「「「……………」」」

 

 会話が終わり。鈴谷と直海は無言で飲み物を飲む。2人の行動を真似するように、熊野も、愛飲している缶コーヒーで喉を潤す。

 

 研究所が襲われ、土井は死亡したこと。そのときに直海を連れて逃げたこと。何故か致命傷を2、3度受けても平気だったこと……何か、自分等には想像もつかないような何かが、研究所と住宅街にテロリスト紛いの者らを差し向けたこと。全部を言い終わって、鈴谷は心中の雲が少しは晴れた。

 

 3人共々一言も発しない時間が数分経過する。最初に口が開いたのは、熊野だ。

 

「…………これからどうしますの」

 

「うん……とりあえず、さ。鎮守府のみんなに顔は会わせたいよね。色々あったんだから」

 

 それに、と鈴谷は続ける。

 

「熊野、心配してくれてたけど。私の事を思ってくれた、ということは、こっちがこうなってる事、少しぐらいは知ってたんでしょう?」

 

「流石ね。その通りですわ。昨日、テレビでもラジオでも夜中に速報が入って、みんなで貴女の事を」

 

「……ん!? え、ちょっと待って、テレビでもラジオでも?」

 

「えぇ」

 

 おかしい。情報統制というか箝口令(かんこうれい)だとか言うものが成されていそうなこれが大々的に報道された??? どういうことだろうか。鈴谷は思ったことをそのままに質問する。

 

「おかしくない? だとしたら、こここんなに警備だ封鎖だがユルユルなはずが」

 

「…………私にもよくわからない事だらけで。今でも混乱していますわ」

 

「と、いうと」

 

「この規模の活動、どう考えても事件性があるのは明らか。となれば、連日、短くても1週間はメディアの話のタネになって当然ですわ」

 

「そりゃ、まぁ確かに」

 

「今朝の情報番組で観たことですが……アナウンサーが、研究所を目標としたテロリストによる犯行だと。たったそれだけの情報を公開して、速報を取り下げてしまったのを観ました。テレビの業界に詳しい訳では有りませんが、素人から見ても明らかに異様でしたわ」

 

「………………。」

 

「まぁ、しかし、です。テレビなんて言うメディアは昔から国の操り人形みたいなもの。貴女の話を聞いて、こういった動きをする事に多少は合点がいった気がしますの……もっとも、動きがあからさますぎて、その杜撰(ずさん)さに笑いますわ」

 

 一般人が首を突っ込めば、最悪死ぬことになるような黒い物っていうのは、世の中に沢山あるだろう。たぶん、これはその(たぐ)いか。鈴谷の冷めきった思考回路に、そんな考えが浮かぶ。

 

「既にインターネット等でも情報統制が始まっているようですわ。掲示板、ブログ、SNSに動画サイト……昨日の事に関わるものが軒並み削除されているのを見ましたから」

 

「嘘……まだここらが焼かれてから24時間も経ってないよ?」

 

「だから……鈴谷。悪いことは言いません、すぐに鎮守府か自宅か、私の家か。ここから離れたどこかに身を隠すべきですわ」

 

「身を隠すったって……」

 

 今、親友が置かれている状況を把握したからか。どこか焦りの見える微妙な早口で捲し立てる熊野に、鈴谷が返事をしようとしたときだ。何か閃いたのか、熊野は相手に食い気味に提案する。

 

「鈴谷、車の鍵は今?」

 

「? 持ってるけど」

 

「お借りしても」

 

「別に良いけど……」

 

 何かな? と思う間も無く、相手は疑問の答えを口にした。

 

「車を変えてきますわ。2シーターじゃこちらのお嬢さんが乗れませんもの。少しお待ちを」

 

 そう言って熊野は物を受け取ると、駆け足で店の外にすっ飛んでいき。鈴谷と直海が見れたのは、ホイルスピンを起こしながらロケットみたいに発車するスポーツカーのリアだった。

 

 あんなに飛ばして大丈夫? とか現状的にはどこかズレた心配をしていると。直海が口を開く。内容は熊野と自分の関係についてだ。

 

「根上さん」

 

「ん?」

 

「あの人は、お友達なんですか?」

 

「ん~……そうだね。友達(けん)、戦友兼……私の愚痴の矛先かな?」

 

 一言じゃ現せない付き合いの事を無理に(まと)めて言ってしまい。 ??? という表情を見せた彼女に、鈴谷は苦笑いをしながらその頭を撫でる。

 

 

 

 会話が途切れて10分と経過していないのに。少し離れた場所から風に乗って聞こえてきた車のスキール音に、鈴谷は驚いた。シビックに乗り換えた熊野が自分らの所まで戻って来たのだ。近付いてくるエンジンの空吹かしの音で、帰ってきたことはすぐにわかる。

 

 お粗末なバリケードの間をぬって自分の車が寄って来る。真顔とも笑顔とも言えない、表現しづらい表情をしながら、運転手が車から降りた。

 

「お待ちどう、ですわ」

 

「早すぎだよ。飛ばしすぎじゃないの……一体何キロ出したらこんな早くに」

 

「親友の緊急事態、モタモタする道理など有りませんわ?」

 

 自分の土地勘が正しければ、ここから鎮守府・もしくは自分の家は5kmも離れていないが、道は入り組んでいて信号も多く、10分近くはかかる。余程スピードを出してきたと見える熊野に鈴谷はそう言ったが、当の本人にはそんなように涼しい顔でいなされた。

 

 まぁ、確かに急ぐのも大事か。今さら言い争ってもしようがない。鈴谷は外していた首輪と眼帯代わりの仮面を着け直して車に乗り込む。

 

 車両の持ち主にドライバー役を譲り、持ってきた熊野は助手席へ、と動いたときだった。ナビシートのドアを開けようとすると、熊野は誰かに服の袖を引っ張られる。

 

 なんだ?と振り返って、あぁ、とここにはもう一人、親友の「ツレ」が居たことを思い出す。直海だった。

 

「あぁ……えーと」

 

「わ、私は、根上さんの隣に居たい!」

 

「ふふふ。わかりました。なら私は後ろにお邪魔します」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「で。私はこの車でどこに向かえば良いわけ?」

 

「知り合いの方々に顔を見せたいのでしょう?」

 

「あぁそういう……鎮守府かぁ」

 

 後ろに座っていた熊野との会話の最中、信号が青になり、鈴谷は切っていたクラッチを繋げる。

 

 熊野に鎮守府へ向かえと言われたが、なんとなく気持ちがくじける。冷静に考えて、「昨日深海棲艦になった」などという与太話を周りは信じるのか?という疑問が沸いたのだ。――ただ、現になってしまったのだから、どうにか納得してもらわねば困るのだが。

 

 考え事混じりに運転していると。また数分もしないで信号に捕まったとき、体に何か絡まっているような感覚を覚えて顔を横に向けると、直海が自分の触手を両手でしっかりと抱えているのが目に入る。

 

「……………」

 

 遠回しに、なるべくトゲの抜いた言葉で、何の真似だと相手に尋ねた。

 

「……ナオちゃん」

 

「はい」

 

「そんなもの抱えててさ、気持ち悪くないの……?」

 

「もちもちやわらかです!」

 

 答えになってない! と思ったその時。今度はもう一方を、後部座席にいた熊野が引っ張って抱え始める。

 

「あっ、ちょっと! ……あのさ……くすぐったいんだけど」

 

「まるで上質な抱き枕のようですわ」

 

「あのさ!」

 

「鈴谷、信号が青ですわ」

 

「え、あっ!」

 

 慌てて運転に戻る深海棲艦の姿を、直海と熊野はニマニマと形容しがたい笑顔で見守るが、操作に集中している鈴谷にはもちろんそれらは見えない。が、なんとなく2人が妙な表情を浮かべているのを察して、彼女の口からはため息が漏れた。

 

 こいつら……目的地に着いたら転がして差し上げようか!? 穏やかではない事を考えつつ。鈴谷はアクセルに掛ける力を強くする。

 

 

 

 ここ数日、色々な事があったせいか、それとも久し振りに車のハンドルを握ったからなのか。なんだか長く感じた時間が終わり、シビックは鎮守府の門を通り抜ける。

 

 律儀に自分の割り当て場所に車を停める。エンジンを停止させて乗り物から降りるまで、最後まで彼女の曇り模様の心が晴れることは無かった。

 

 誰が見ても、顔色も含めて少なくとも調子が良さそうには見えない顔をしていた彼女に。熊野は会話を切り出す。

 

「鈴谷。これから、どうしますの」

 

「? どうって、みんなに会いに」

 

「その「後」が聞きたく再度質問しましたわ。……その、隠居するだとか、私が匿うとか……」

 

 悪いことは何もしていないはずなのに。なぜか熊野はばつが悪そうに、俯きながらそう言ってきた。鈴谷は、自分を案じてくれる親友の言葉に少し感動する。

 

 「あぁ、そんなこと?」 と一言返事をする。この質問なら答えられる―― 鈴谷は、はにかみながら口を開いた。

 

「……私さ、とりあえず海に出てみようと思う」

 

 一瞬、親友はポカンとした表情を見せる。真顔というには穏やかな顔をしていたのが、熊野は、鈴谷の言葉の意味を理解した途端に眉間にシワを寄せながら質問した。

 

「貴女、正気で? 補給や住むところのあてもないのに」

 

「うん……もしかしたら深海棲艦の仲間に入れてもらえるかも」

 

「あまりにも博打が過ぎますわ。彼女らがどんな生き物かすら録にわかっていないのに」

 

「何かあったらそのときはそのとき。なるようになる! ……って思ってればさ。きっと道は開く!」

 

 楽観的思考の極まった発言の後に、自信満々で鈴谷はサムズアップして見せる。直海がまた触手ごと鈴谷の体に抱きついてくる。話の内容はよくわからなかったらしく、不思議そうな顔だ。女の子のことはひとまず置いておき、なんとまぁ呆れるほどのポジティブだろうか…… とでも言いたげな顔で、熊野が話し始めた。

 

「はぁ……なんだか安心しましたわ。ま~~ったく変わってない、楽天家の紀美のままで。……貴女がそう言うなら、私は止めませんわ。好きにしてくださいまし」

 

「楽天家で悪かったね」

 

「別に悪いだなんて言ってませんわ。むしろそこまで底抜けに明るいと(うらや)ましいこと」

 

「……私がこんな所に居たら、またあの吉田とか言うのが来るかもしれないじゃん。そしたらこの子が危ないもの」

 

「……………………」

 

 ……あ。今のは言う必要無かったか。

 

 会話の流れで自然と出てきた言葉に、熊野が詰まる。元はと言えば空気を軽くするつもりでの受け答えだったのに、重くなったら失敗だ。鈴谷はそう思っていた時だった。駐車場でたむろしているのに夢中で気が付かなかったが、誰かがこちらに歩いてきているのに意識が向く。

 

 どういうことなのか。海上でもないのに、見るからに破壊力の有りそうな重武装を幾つか背負った、背の高い女……。見間違える筈がない。自分らの勤める鎮守府の、「長門(ながと)」という戦艦の艦娘だ。

 

 初対面の人間が相対すれば、一目散に逃げ出しそうな威圧感を放ちながらゆっくりと歩みを進めていた彼女に。熊野が疑問のこもった声を掛ける。

 

「??? 長門、どちらへ? その装備は……」

 

「連絡したのは熊野だろうが。提督の指示だ。駐車場で重巡ネ級を迎え撃てとな」

 

「提督が!?」

 

 なんだと!? と鈴谷が言いそうになる暇もなく。あろうことか、長門は言うが早いか、艤装の砲口を向けてくる。こんな場所で撃たれでもしたら一体どうなるのか……と想像してしまい、白かった顔が更に蒼くなる。

 

 が、それは流石に杞憂(きゆう)だった。次に長門の口から出てきた発言に、重巡2人は体の力が抜けた。

 

「さァて重巡ネ級!! お前が本当に鈴谷なのなら1つ、質問に答えてもらおうか!」

 

「?」

 

「女性不信から『髪長ければ 知恵短し』という格言を残した哲学者がいるそうだ! その名前を………」

 

 思わず鈴谷と熊野は吹き出す。

 

「ふふふっ……w」

 

「ぷっ、あはははは!」

 

「!? な、何がおかしい!」

 

「くくっ、うふっ、だ、駄目ですわ!! わわっ、笑いが……」

 

 引き笑いをして呼吸が苦しくなったのを、無理矢理深呼吸で息を整えてから熊野が答える。

 

「おかしいも何も、察しませんか? 普通の深海棲艦が車の運転が出来るとでも?」

 

「…………………」

 

「というか、繰り返しますが普通は立ってる位置やら、私の様子やら、こっちの女の子でわかりませんこと?」

 

 熊野の言うことに長門は無言になった。確かにこの深海棲艦、運転席側に立っているわ、熊野とフレンドリーに会話をしているわ、子供が何の警戒もなくくっついているわ、と妙な状況を作っている……と理解するまでもなく。普通わかるだろと鈴谷が思っていると。相手は機嫌が悪そうに口を開いた。

 

「はぁ。失敗か、くそ。解ってるに決まってるだろそんなこと。」

 

 え? と熊野と鈴谷が同時に呟く。

 

「「迎えに行ってやれ」の意味で言われたのは理解してたから、ちょいとばかし脅かしてやろうかと思ってただけなのに……興を失ったわ、全く!」

 

「あぁ……その」

 

「謝罪なんていらないよ。私は別に怒ってないからな!」

 

 うぅ~わっ! 明日は大粒のヒョウでも降るんじゃないかしら! ヘソを曲げた相手に、仲良し2人は全く同じことを考えていた。というのもこの長門というのは、真面目が服を着て歩いているような性格だ。おふざけだと見破る難易度が高すぎて本気でやっているものだとばかり思ってしまったのだ。

 

 良かった。少なくともこの人は敵ではないか、とまで鈴谷が思ったときだった。直海が抱き付く力を強くしたことに感付く。何かと彼女に視線を向ける。

 

「ん……どうかした?」

 

「いや……嫌だ……怖い………」

 

「ナオちゃん、大丈夫だよこの人は……」

 

 人見知りだろうか。などと軽く考えた鈴谷と熊野の甘い考えが、次の彼女の発言で吹き飛んだ。

 

「深海…棲艦…………」

 

「「!!」」

 

 『怖い人たちが深海棲艦! お姉さんが艦娘なんだ!! 嘘つかないでよ!』――「あの時」直海が言った言葉が鈴谷の脳内でリピートされた。友人から口頭で事情を聴いた熊野も、彼女が長門に怯える理由を理解したらしい。少し動揺しているのが顔に出ていたので、鈴谷にはすぐにわかった。

 

 長門が視界から外れるように、と、鈴谷は自分の体を壁にして直海の前に立ち、口を開いた。

 

「長門さん。お願いがあって。大至急、着替えてもらえませんか?」

 

「なに?」

 

 鈴谷の言葉の意味をとらえかねて、長門はまた少し間の抜けたような顔になる。熊野は早歩きで彼女の耳元に立つと、何か耳打ちした。

 

 事情が事情だけに、この内緒話は長引く。要点をかいつまんだ親友の要求がどんなものだったかは勿論聞こえなかったが。話を聞いた長門は「お願い」を聞き入れる。

 

「! そうか、失礼した」

 

「出来れば施設内の全員に私服で居て貰うようにお願いして回って頂きたく思いますわ。間違っても、艤装を付けっぱなしでは歩くな、と」

 

「応、承知した。悪かったな」

 

 眉をへの字にして力の抜けた笑顔を見せると。長門は駆け足で建物の方へと戻っていった。

 

「説明、ありがとね」

 

「礼なんて欲しいと思ってませんわ。事の経緯は、私から皆様へお話しします。お2人はゆっくりと疲れを癒すと良いと思いますの。たしか、寮の部屋には空きが有った筈ですし」

 

「うん……本当にありがとう」

 

「よしてくださいまし、貴女らしくもない」

 

 「さ。シャワーでも浴びて昼寝でもしよっか?」と鈴谷は直海に呼び掛ける。あんなことがあった手前仕方がないのかもしれないが、相当フル装備の長門が怖かったらしい。涙目になっていた彼女はゆっくりと頷く。

 

 典子。本当、感謝してもしきれないぐらいだ。この大きな貸しと恩にどう報いるべきか…… 1か月ぶりに入る建物に近付きながら、鈴谷は直海に道案内をする彼女にそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鎮守府の友人・同僚達は、鈴谷の想像から5割増ほどに理解力と慈愛に溢れていた。意外を通り越して、もはや不気味と言えるほどにすんなりと深海棲艦化した彼女を受け入れたのである。これも人付き合いを大事にしていた賜物(たまもの)か、等と思う。

 

 ただ、体は休まっても、やはりそう簡単に心の疲れや悩みというものは抜けず。

 

 既に時刻は夜中に差し掛かっていたのだが。鈴谷は、別段今日は暑い日だとかに関係なく、悩み事が祟ってか寝付けなかったために鎮守府の防波堤の上に居た。

 

 「……とんでもないことになったなァ」、と口から自然と出てくる。自分のためにみんなが頑張っていると言えば聞こえは良いが、裏返せばこの鎮守府の人間は艦娘から工兵の一部まで、全てが深海棲艦を1匹(かくま)っていることになる。とてつもない迷惑をかけているのと同じ、と考えてしまうと、申し訳なさで気が重くなった。

 

 加えてここ48時間以内に起こった出来事は、生々しくも現実味がなくて。鈴谷には、夢の世界に来ているのでは?等という半ば現実逃避に近い考えも浮かんでいる。

 

 熊野も言っていたが、これから自分はどうなるのだろうか。いきなり提督や那智が豹変して、自分が実験動物的な物として怪しい場所に飛ばされる……ということも、物事に絶対が無いなんていう通り、有り得ないとは言いきれない。

 

「…………」

 

 その辺に落ちていた石を拾って、軽く水切り遊びをする。投げた物は、水面で3回跳ねてから沈んでいった。

 

 目の前に広がる夜の海では、この時間帯に海上警備に出ている艦娘や船のサーチライトが散らばっているのが遠くに見える。ちょうど自分の座っている場所は喫煙所が近くにあるので、まぁ見つかったところで誰かがタバコを吸いに来ているぐらいにしか思われないだろう、なんてどうでもいいことを考える。

 

 点滅したり、揺れたりと繰り返しているそれらを観てぼうっとしていると、頭の中が空になったように思えて。その感覚は、一瞬とはいえ悩みが消えたと同義のためか、今の鈴谷には心地よく思えた。

 

 こうして無心で風に当たっていると、少しは眠くなってきた。さて、帰るか。そう思った時だった。

 

 のっそりと立ち上がって体の向きを変えると。すぐ近くに人が居た。

 

 その人物と目と目が合う。「「うわぁっ!?」」と2人の声が重なった。お互いこんな時間に、こんな場所で知り合いに会うとは思っていなかったのだ。

 

「び、ビックリしたぁ……なんだ満潮(みちしお)か」

 

「こっちこそ! (おど)かさないでよね、鈴谷ったら」

 

 居たのは、自分の教え子の一人の満潮だった。

 

 

 

 腕時計で見て時間はもう午前1時半であったが、何でこんなところに来たのか、と鈴谷は自分を棚に上げて相手に聞いた。すると、彼女はゴミ拾いに来たと言う。あぁ、そういえばそんな仕事があったな、と鈴谷は一人で納得していた。本当は後日にやる教務だが、面倒だと思ってこんな時間にやりに来たという。

 

 「ちょうどいいや。今暇だった? なら手伝ってよ」 満潮が言ってくる。鈴谷は長期療養扱いでどうせ暇なので、と引き受ける。

 

「本当にクソどもよね。ここにゴミぶちまける奴らは」

 

「タバコの吸い殻は仕方ないんじゃないの? そこの喫煙所なんて吹きっさらしだし」

 

「あぁ違う違う、ヤニ吸ってる奴なんて気にしてないの。あ! ほら、こういう中身入ったお菓子とか。意味わかんない!」

 

 満潮はキャンプなんかで使う大きなトングで、見るも無惨な残飯を掴んで見せてくる。夜中なのにテンション高いな、等と適当に思っていたが、そんなもの落ちてるのかと鈴谷は顔がひきつった。

 

「誰がそんなの捨ててるのさもったいない……ここの人ってそんなにマナーなってないの?」

 

「ウチの奴らじゃないでしょ、十中八九はね。もしそうなら私がど突き回すわ」

 

「え、じゃあ誰が」

 

「客よ客。何が良いのか知らないけど、偉いのがしょっちゅう来るでしょここは。どうせあの仕事できなさそうな肩書きだけ人間どもに違いないっての。わざわざお菓子なんて食いに来てブン投げてくとか、幼稚な人間性が垣間見(かいまみ)えるってモノね!!」

 

 ぶつくさと言いながらも黙々とビニール袋にゴミを詰めていく彼女に、今日も絶好調だな、と鈴谷は思わず噴き出した。人によってはこの暴言の嵐はかなりハッキリと好き嫌いが別れそうだが、割りとそちら側の彼女は共感できる事が多くて、この口が悪い女のことが好きだった。

 

 満潮は散々に言いたい放題喋ったが、実のところそこまでこの堤防は荒れ放題というわけでもなく。2人がかりということもあり、掃除はすぐに終わる。

 

「手伝ってくれてありがと。袋はまとめて喫煙所に寄せとけって司令官が」

 

「投げに持ってかなくていいんだ?」

 

「うん、週末に清掃係が持ってくからって」

 

 はぁバッチぃバッチぃ、と言いながら持ってきていたペットボトルの水で手を洗い。満潮がこんなことを言ってきた。

 

「……あのさ、気になることがあって」

 

「ん?」

 

 なんだろうか? と思った次の瞬間には、鈴谷は渋い顔になった。

 

「そのウジャウジャ触っていい?」

 

 ゆらゆらと動く触手を指差して彼女はそう言う。お前もか! と思う。「コレ」を見た人間は全員思うことらしい。わざとらしい大きなため息をついてから、鈴谷は口を開く。

 

「はぁ~……………満潮でもう28人目なんだけど」

 

「えっ、すごい大人気」

 

「もういいよ……好きに触ったら」

 

「じゃあ、失礼して」

 

 鈴谷に表現させると、虫取りに来たガキンチョ並の興味津々さ、という様子で満潮は躊躇(ちゅうちょ)なく鈴谷の体の一部を鷲掴(わしづか)みした。

 

 今日、散々に触られて初めて解ったことだが。この触手、太い神経などは通っていないのか、感覚が四肢に比べると大分鈍いことに気付いていた。ただ、それでも体の一部を撫で回されていることに変わりは無いので多少くすぐったいが。

 

「うわっ本当にやわらかい。でぶっちょの贅肉(ぜいにく)みたいね。ほんのり温かいし」

 

「直海ちゃんがね、ずっと抱き着いてくるんだよね。なんなら昨日なんて枕にされてたし」

 

「直海……直海……あぁ、あの女の子か」

 

 ありがとね、と端的に礼を告げて満潮は触手から手を離す。

 

「もう一個、聞きたいことがあってさ。鈴谷、いい?」

 

「なぁに?」

 

「あの、今も言ってた直海って女の子から聞いたの。その、昨日色々あったこと……」

 

「ん~……なるほど」

 

 一度深呼吸をしてから、何か決意を決めたように仕切り直して満潮が切り出す。

 

「私、口が下手だから素直に言うけど。何でその、あの辺りを火の海にした奴らを殺さなかったワケ?」

 

 本当にハッキリ言ってきたな、と鈴谷は思った。満潮は続ける。

 

「貴女から直接話を聞いたって熊野からも聞いた。素手で艦娘の艤装を粉砕してアスファルトの地面にヒビ入れたって? まぁ確かに、見た目だけじゃなくて中身まで深海棲艦になったなら有り得なくはないのかな? って無理矢理納得したけど、今日ずっと気になってた。私なら力任せにぶっ殺してる所ね」

 

「……何だろう。……説教にせよパンチするにせよ、人間相手はな~んかブレーキかかっちゃうんだよね。カッとして、手、出すとかしょっちゅうあるクセに」

 

「茶化さないで。本当にそれだけ?」

 

 物怖じしない姿勢の満潮の質問に、鈴谷は数秒ほど無言になった。胸に手を当てて考えて、ひとつだけ。心当たり、と言えなくもないものがあったので、話してみることにする。

 

「夢のせい、かな」

 

「…………何? 哲学的な話?」

 

「いいや。私的には大真面目」

 

 海側を向いてその場に座る。相手の様子を見て同じ行動を取り、隣に満潮が座るのを見ながら鈴谷は続けた。

 

「私には夢があったから。まだ学生だった頃から見ていた夢が」

 

「看護師になりたかった、ってやつ?」

 

「そ」

 

「ふ~ん……そういえば何で看護師志望だったのか知らないんだけど。教えてよ」

 

「理由が2コあって」

 

 体育座りで、膝の上で頬杖をついて目先のサーチライトの光を追いながら、鈴谷は思い出を語る。

 

「昔、子供の頃に観ていた好きなドラマがあって。タイトルは忘れちゃったけど、看護師役の役者さんの演技が、今でも忘れられなくてさ。」

 

「うわっありきたり」

 

「やっぱりそう思う? そのテレビに印象的なシーンがあって。主人公の父親が、飛行機事故に巻き込まれて怪我を負うの。現場に駆け付けた主人公は、それはもう慌てて避難と手当てを受けるように親に言うの」

 

 茶々を入れつつも、満潮は相手の話に耳を傾ける。

 

「でも、父親は聞き入れないの。そして、自分の娘に『お父さん、医者だから。困っている人を置いて、休むわけにはいかない』って。子供のときに、あまりストーリーもわかってないクセに泣いちゃって。よく覚えてる。」

 

「お約束、ってやつか。お涙頂戴の展開だ」

 

「うん。私結構単純だからさ。そういうの大好きなんだ」

 

 にやにやしながら冷やかす相手に、反撃として何とも思っていないと返事をする。満潮に「二つ目は?」と聞かれ、鈴谷は再度口を開いた。

 

「高校生だったときに、現役の解剖医の人が学校に来て講演をするっていうのがあって。それで知り合ったその先生の勧めで、実際の仕事の見学をさせてもらったのがふたつ目」

 

「解剖医……? 医療関係っても看護師とは関係なくない?」

 

「まぁそれは追々。血とか内蔵とか沢山見せられたけど……不思議と気持ち悪さとかは感じなくて。見たことない物を見るのは、すごい勉強になるなぁって。結構普通の人とはズレてたと思う」

 

「うぇ……人体模型の100倍グロいようなやつ見ても何ともなかったって? 凄いね鈴谷って」

 

「ふふ、まぁね。暇さえあれば見学行って、学校じゃ解剖学の本読んで。みんなからは不気味だって言われたなぁ。あいつ、ニコニコしてて愛想は良いけど、人をバラバラにする本を読んでるから気持ちが悪いって」

 

「私が同級生なら多分そう言うと思う」

 

「あぁ! 満潮ひどっ!」

 

 ブラックな会話の中で2人は軽く笑う。

 

「ただ、やっぱり半年とかも陰口叩かれると結構キてさ。悩みを先生に打ち明けたら、なんて言われたと思う?」

 

「ん……………ん、わかんない」

 

「「君のような女の子は、正直、かなりの変わり者だと思う。だけど、同時に貴重な子だ。こういった物に耐性があることについては、誇れることだと思う」って。ちょっと嬉しかった。ちょっとだけね」

 

「………………」

 

「看護師を目指すからには、勉強も大切だけど、その先も大事。見るに耐えないような重症患者を見て寝れなくなるような人もいるこの時世に、そういったものに臆しない君なら活躍できるよ……だったかな? みたいなことをね」

 

 一応、これで全部かな―― そう言って鈴谷は会話を締めくくった。

 

「医療従事者は、患者の側に優しく寄り添う存在だから……それを目指す私は、人を大切にする生き方を……精一杯、今までしてきたつもり」

 

「なるほどね。だから普段悪口はベラベラ出てくるのに、手が出ないわけか。てっきり喧嘩弱いとかそういう理由かと」

 

「そりゃ、気に食わない変なのには文句言いたくなるよ。でも手を出すのは本当に最終手段って決めてる……まぁ、うん。満潮の言う通り私らの居る組織って変なのしか居なくてフラストレーション溜まるけどね!」

 

 満潮の顔を見ながら鈴谷ははにかむ。

 

 言いたい放題の人間に釣られて自分もまたやりたい放題、好きなことを全部言ったが。結構スッキリする物なんだな、なんて思っていると。満潮は立ち上がって、大きなあくびをしたあとに話し始めた。

 

「ふあぁ……いいか。久し振りにお喋りできて楽しかった。明日休みだけど、眠いからそろそろ寝るわ。ありがとう、色々してくれて」

 

「おやすみ、別にいいよ、なんならまた違う日にでも私の武勇伝を」

 

「楽しみにしておくわ。おやすみ」

 

 大きく伸びをしながら鎮守府へと歩いていった彼女の背中に手を振る。さあ。流石に自分も眠くなってきた。直海の所まで戻ろうか。鈴谷は就寝のために立ち上がり、軽いストレッチをやった。

 

 

 

 

 




現時点での戦闘能力=


長門>>熊野≧ネ級≧木曾=浜波>那智=(鈴谷)>>蒼龍>>>満潮



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10 あの雲の向こうまで

これにて一章は終わりです。
エタったように見せ掛けても更新しちゃうんだなぁこれが!(byゾルタン)


 

 

 

 夜が明けてすぐ、まだ日の出きっていない薄暗い早朝。鈴谷は鎮守府から徒歩で歩ける範囲にある港に、とある用事から来ていた。

 

 佐伯、那智、熊野と鎮守府の中ではそれなりの立場の3人が、夜通しで会議をしていたらしいのだが。その結論として、鈴谷の「やりたいこと」は通ったから、と朝に自分を叩き起こしに来た熊野を思い出す。彼女によれば、鈴谷を送り出すにちょっとした準備があるため、と、この場所を指定されたのだ。

 

 満潮と話をしていたときから4時間も経っていない時間なだけに、完全に睡眠不足で、この深海棲艦の顔にはくっきりと隈ができてしまっている。熊野の言ったこととは別の理由で鈴谷はわざわざ車で来ていたが、眠い目を擦って約束の時間を待つ。

 

「…………………はぁ」

 

 昔は立派なヨットハーバーだったらしいこの場所も。深海棲艦の登場なんてイベントが起きては、船遊びをする者はすっかり減ってしまったため、ぽつりぽつりと小型船舶が停めてあるだけの寂しい風景が広がる。

 

 残された少ない船はほとんどが白色だったが。その中に、1つだけ黒い船を見つける。何だか仲間外れみたいに少し離れた場所でゆらゆらしているそれに自分の姿を重ねてしまい。自然と溜め息が出た。

 

 開けていた運転席の窓から冷たい風が入ってくる。髪の毛が緩くなびく程度のこれは、眠気を強くするぐらいには心地よい物に感じられた。

 

「…………義父(とう)さん。」

 

 あなたに、最後に挨拶ぐらいはしたかったなぁ―― ズボンのポケットから家族写真を出して眺めていると。そんなつもりは無かったのだが、鈴谷は思わず泣き出してしまう。

 

 かなり強い眠気に(さいな)まれていた筈なのに。シートに深く腰かけていても、不思議と寝落ちする気はしなかった。

 

 歩いて行ける場所に、回りくどく車で来たのは。それは、昔は父の所有物だったシビックの中で、ほんの少しでも父親を感じていたい……そんなように思ったからだった。

 

 (すす)り泣いて濡れた頬を拭う。時計を確認すると、集合の時間まで残り5分を切っていた。

 

「……さよなら。義父さん、いつか必ず帰ってくるから」

 

 

 行ってきます。

 

 

 車のダッシュボードに写真を仕舞う。

 

 未練がましく、たっぷりと1分かけて乗り物から降りる。

 

 鈴谷は開いた窓から車内にキーを放って投げ入れると、待ち合わせ場所へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 車から降りてすぐの場所に、丁度良い場所を見付けて腰掛ける。

 

 本来は釣り人なんかが待機する時に使うベンチに座り、重い目蓋を薄く開けて相手を待つ。繰り返すが満足に取れた睡眠時間は4時間と少しで、いつもの鈴谷ならどうということは無かったが。妙なことばかり起きた最近のせいで、体も心も疲れが抜けていない。

 

 目を半開きにして、数秒間落ちる。そんな、自分が寝ている事にすら気付かないで居るときだった。耳元で女の(ささや)きが聞こえ、体をびくりとさせて鈴谷は意識を戻す。那智だった。

 

「ふふふ……眠いのかい? 寝顔がかわいい事になってるぜ」

 

「えぇ………うん」

 

 多少ビックリしながら相手の顔に向き直る。那智はにんまりと笑いながら、鈴谷の隣に座った。

 

「おはようさん。どうした、やけに早いじゃないか?」

 

「何も持たないで出てきたもの。熊野に叩き起こされて何が何やら……」

 

「そうか。でもここに居たって事は伝言は聞いたってことだな。熊野にはあと20分ぐらい後の時間に、お前さんが来るよう仕向けろと言ったんだがね」

 

「熊野らしいや……時間に厳しいんですよアイツ。私って結構ギリギリに来るタイプだから。多分わざと()かしたんだ」

 

「ははは、そりゃカワイソー」

 

「笑い事じゃないですよ……昨日ぜんぜん寝付けなくって」

 

 会話の最中、鈴谷の目の下にかなり深い隈が出来ているのと、誰が見ても解る程度には顔に浮かぶ疲労の色が濃いのを見て。那智は薄笑いを顔に貼り付けたまま続ける。

 

「……重たい話していい?」

 

「………………どうぞ」

 

「ありがと。お前、親父さんに会えなくて寂しいな、とか今考えてたか?」

 

「!!??」

 

 一瞬だったが、鈴谷の眠気が完全に吹っ飛ぶ。

 

「なんでそれを」

 

「お、考えてたのか。すごいな私。エスパー名乗ろうかな?」

 

「ごまかさないでください。父に何かあったんですか」

 

「電話したんだよ。鈴谷、入院中に親父さんと多少はメールとかでやり取りはしてたんだよな?」

 

「えぇ、まぁ。心配してたと思うし……」

 

「実は、こっそりこっちでも色々連絡は取ってたんだ。お前だけじゃなく、職場からも「大丈夫だ」って言ったら安心してくれるかなって思って」

 

「あぁ、それは確かに」

 

「ただ、もう陸に居るつもりは無い訳だろ。流石に娘が深海棲艦になったなんて言う度胸は無くてさ……遠回しに伝えておいた」

 

 膝の上で指を組み、那智は難しい顔をする。鈴谷は何を言ったのか、と聞いてみた。

 

「どう伝えたんですか……ちょっと想像つかないです」

 

「……貴方の娘さんは、海外に転勤する。って言っといた」

 

「……………賢明ですね。無茶苦茶だけど」

 

「そう思う?」

 

「うん」

 

 「はぁ~」とわざとらしいため息を吐いてから、那智は言う。

 

「そもそもの話、お前が大怪我した時点でこっちの失態だし。そこでは何も言われなかったけど、今度こそこっちは怒鳴られるだろうなって覚悟で言ったんだよ」

 

「……………」

 

 ニヤリ、と笑って鈴谷は突っ込む。

 

「怒られなかったでしょ? むしろ海外転勤するぐらい快復したって捉えられたんじゃないの?」

 

「なぜわかった!?」

 

「あのオヤジ変わった感性してますから。あと、電話をかけると必ず格言みたいな事言ってきたり!」

 

「すごいな……流石娘。合ってるよ、ほとんどそんな感じだった。私は拍子抜けしたがね」

 

「へぇ……なら、何言ってきたか当ててみましょうか? そうだな……俺より先に墓に入ったら許さん! とか?」

 

 鈴谷が言いたいことを終えると、那智は少し身を引いてひきつった笑みを浮かべた。あれ、何か変なこと言っただろうか。そう思って焦るが、相手はすぐに答えを教えてくれた。

 

「うわ……そこまでピタリと当てられると薄ら寒いよ。「絶対に俺より先に死ぬな。もし先立つような事があるなら俺が殺す」だってさ。面白い事言うなって思ったよ」

 

「え、当たっちゃった……冗談だったのに」

 

 会話が一段落する。一旦2人の口の動きが止まり、お互い顔を見合わせて思わず噴き出してしまう。

 

 那智に、「仮眠でも取れば?」と提案されて。鈴谷は彼女の膝に頭を乗せて横になった。

 

 

 

 

 その状態のまま、うつらうつらとしていること数分。パンパンに荷物の詰まった大きなリュックを背負い、両手にキャンプ用品を持った熊野が駆けてきた。それに合流するように、佐伯、蒼龍、木曾と同僚達が集まる。

 

 人の気配で目が覚めた鈴谷は、あくび混じりに親友に尋ねた。

 

「熊野、どこ行ってたの? あ、提督おはようごさいます。」

 

「訳は後で話しますわ、どれでも構いませんから、急いでこれら一式に着替えてくださいまし」

 

「えっ」

 

「ほら早く!」

 

 鞄を体に叩きつけられて鈴谷は体勢を崩した。

 

 何が何だかさっぱりわからないが、切羽詰まる理由は有るのだろう、と、人目を気にして車の中で言われた通りに下着を除いて着替える。

 

 リュックサックに入っていたのは大量の肌着・上着の類いだった。それも、防水・撥水(はっすい)系、または速乾性の物ばかりで、中には水着も幾つか入っている。

 

 私物の運動靴を脱ぎ、マリンシューズのベルトを足首に巻いていく途中に。鈴谷は何事かと周りの人物に聞いてみる……前に那智に先手を取られた。

 

「あのさ…」

 

「海に出るなら、こういう服が必須だろってな。熊野が昨日で金に物言わせて揃えたそうだ」

 

「……マジで?」

 

「現代の海なんて危険しか無い不毛の地ですもの。最善を尽くすにも、水を吸って重くなる装備など悪手も良いところでしょう?」

 

「……ありがとね、無茶聞いて貰っちゃって」

 

「礼には及びませんわ。どうせ使うアテも無い貯金でしたし」

 

 自覚していなかったが、どこか寂しさの漂う笑顔で感謝した鈴谷に。熊野は凛々しい表情で返答してくる。

 

 着替えが終わったと同時に、今度は艤装を着けろと言われて、鈴谷は那智と蒼龍から物を受け取って体に固定していく。軍の備品を勝手に持ち出して大丈夫かと聞けば、元々鈴谷が使っていたもの以外は、廃棄する予定だった使い捨てみたいなモノだから平気だ、と返される。

 

 装備の砲やら何やらを背負うのがやけに久し振りに感じられた。暇をしていたのは1ヶ月と少しらしいが、体感的には2週間と経ってないのにな、と思う。

 

 着けづらい場所の物を手伝って貰っている時。ふと、那智が思い付きを喋る。

 

「……このウネウネ、もっと武器積めるんじゃないのか?」

 

「あら、那智、良い意見ですわ。自分もちょうど思っていました」

 

「あ、なら副砲足そうよ。予備弾倉の代わりに」

 

「ナイスアイディア!」

 

 装備の懸架(けんか)に使う頑丈なマジックテープで、ガチャガチャと鈴谷の体を弄くり回しながら3人が色々喋る。端から見れば楽しそうだが、鈴谷から見て、誰一人として目だけは笑っていなかった。

 

 自分の事を思って色々考えて行動してくれているのは解る。また、自分と同じく今日・昨日の現実離れした状況に思うところもあるんだろう。が、流石にその気が立っているのがあからさまな表情は少し怖くないか。そんなような事を考えていた時だった。

 

「根上さんッッ!!」

 

「………あらあら」

 

 背後から聞こえてきた声に。着替えを覗かないようにと反対を向いていた佐伯を除いた全員が振り返る。鈴谷が顔を向けると、浜波と手を繋いでいる直海が居た。

 

「……あちゃ~。見付かっちった」

 

「直美、ちゃんが、つつ、ついてくッ……て。きか、聞かなくて……」

 

「はぁ……やってくれたな浜波。そら、見たらわかるよ。」

 

 那智がタメ息混じりに言い、片手で頭を抱えた。わざとらしさの溢れる身ぶりの後に、彼女は浜波に小声で問い詰める。

 

「女の子にはどこまで話したんだ?」

 

「ずやっ、すず、鈴谷さんっが、遠出するって」

 

「遠出……ねぇ。「転勤」とかのが合ってないか?」

 

「! すすす、す、すいませっん!」

 

 なるほどね。鈴谷が聞き耳をたてて一人納得していると。2人を放って、直海が自分の手を握り、尋ねてきた。

 

「転勤って、どこになんですか……そんなに遠いんですか。いつ、戻ってきますか……」

 

「遠いかなぁ……場所はちょっと、詳しくはお姉さんもわからないの。戻ってくるのは、ナオちゃんが子供から大人になった頃かな。元気してるんだよ?」

 

 答えになってないよナ。これ。自覚しながらそうやって誤魔化そうとすると、直海は鈴谷が予想していなかった部分に食い付いてくる。

 

「こっ、子供じゃないもん!」

 

 あぁ、そう来る? 笑いながらあしらう。

 

「なーに言ってんのさ。小学生なんてまだまだちんちくりんよちんちくりん。悪い大人は知らないけど、ここのおねーさん・おにーさんは()い人だから。言うこと聞いてあげて、ね?」

 

「……はい゛っ!」

 

 あらあら声が上ずってる。少しはぐずるかと思えば、意外とそんなように聞き分けがよかった相手にそう思ったときだった。

 

 「これ、持っててください! そして絶対返しに来て!」 女の子が掌に何かを乗せて自分に向けて突き出してくる。

 

 直海が差し出してきたのは、てんとう虫の形をした鈴の髪留めだった。子供ながらにいい趣味をしているな、等という感想が頭に浮かぶ。

 

 慣れた手つきで前髪をそれで留める。努めて笑顔を崩さないようにして、鈴谷は感想を聞いた。

 

「どう? 似合ってる?」

 

「はい! と、とっっても素敵です!」

 

「ありがとう……いつか必ず。また会いに来るから!」

 

「うん!」

 

「よしよし。いいこいいこ……ほらほら、泣かないの」

 

 真顔のまま涙を流し始めた彼女の顔を、持っていたハンカチで拭う。そのまま彼女のことを浜波に任せると、次に佐伯がこちらに寄ってきた。

 

「準備は整いましたか。お着替えは?」

 

「できました。人付き合いって大切だなァって実感してます。みんな私のためにこんなにしてくれたんだし」

 

「ふふっ、鈴谷さんらしいです。こんな状況で悲壮感の欠片もない」

 

「そうですか? けっこー、メンタルやられてますヨ」

 

 言葉とは逆に、あくび混じりに適当な様子で鈴谷が言うと、佐伯の表情がほんのりと崩れた。すぐに真面目な顔に作り替えて、佐伯が会話を繋ぐ。

 

「お聞きしたいことがあったんです。海に出るんですよね。どうしてその道を選んだんですか?」

 

「……まず第1に、この身体です。誰がどの角度から見ても深海棲艦その物だし、多少でも知識のある誰かに見られでもしたら問題になりかねない」

 

 「後は……」と鈴谷は続けた。

 

「熊野は隠居と言いましたが、そんなに長い間、痕跡を消していられるほど陸は安全じゃないと思ったんです。木を隠すなら森って言います。深海棲艦だらけな海なら見付かりづらいだろうし、ほとぼりが覚めた頃には……なんて甘い考えで言っただけです……」

 

 一気に周囲の空気が重くなった気がした。話の内容をここに居た中では唯一直海はわからなかっただろうが、その彼女すら場の雰囲気に呑まれて表情が怪しくなる。

 

「…………そう、ですよね。貴女が考えもなくそんなこと、言う筈がないですよね」

 

「あの、すいませんでした」

 

「貴女はなにもしていませんから、謝ることなんて無いんです。……解りました。精一杯、お力添えします」

 

 気を取り直して、といった表現が正に正しい様子で佐伯は表情を切り替えると。持っていたファイルから、ラミネート加工した地図を渡してきた。

 

「逃走に使えそうな経路を模索したところ、最適な物が見つかったのでお伝えします。これに沿っていれば、少なくとも艦娘からの攻撃は抑えられるかと」

 

「ありがとうございます」

 

「カバーストーリーとしては、深海棲艦の襲撃をでっち上げます。杜撰(ずさん)な計画ですが、1日で私の足りない頭で考えるのはこの程度が限界でした」

 

「襲撃……。私が、何発か港に撃つんですか?」

 

「いいえ。貴女から見て、我々の姿が見えるか見えないか、という程度の距離で爆弾を起爆させる手筈になっています。遠慮せず、全速力で逃げてください」

 

「なっ!? ……そんなことしなくたって」

 

「貴女を安全に送り出すには必要経費です。大丈夫です、後は全てこちらで収拾をつけますから、とにかく前だけを見て逃げるんです」

 

 あまりにも無茶だ。やりたいことの方向性は違うとはいえ、自分から自爆テロを起こすような事をして足がついたらどうするんだ。考えるな、とは言われても心配しないでいられなかった鈴谷の口が自動的に動く。

 

「本当に良いんですか。私を逃がすためだけにそんな大掛かりなこと……下手をすれば提督にも危害が……」

 

「そんなことどうだっていいんですよ」

 

 え? と生返事が鈴谷の口から飛び出た。

 

「提督という役職の者がやるべき事は、部下の艦娘をよく管理し、その身柄を(あつ)く支援し、預かることです。貴女だって例外ではない」

 

 いつもの、簡単に言って弱そうという印象が、全く感じられないぐらいの気迫を纏いながら。佐伯は細い腕でがっしりと鈴谷の肩を掴み、自分にも言い聞かせるような声質で言う。

 

「親しい間柄の人に、死んでほしいなんて思う人間は……居ない。いや、あってはならないんだ。だから私は、私にできるやり方で精一杯、貴女に死んでほしくないから、尽くすんです!」

 

 今の自分ほどではないが、色白な男の指に掌を掴まれる。非力ながら、力強さと、意志の強さのようなものを。確かに鈴谷は感じ取れた。

 

 眼前の男に対するイメージが変わる。佐伯、という病弱な彼は、ここまでヒートする人間だったのか。自分の思い込みは大きく違っていたらしい。考えつつ。鈴谷は、言葉からして熊野と同じかそれ以上に自分を案じてくれる提督に、思わず涙が出そうになる。

 

「この事件は、どれだけの時間がかかったとしても。必ず真相を突き止めて見せます。だから、死なないでください。絶対、何年かかろうと構いません。また生きてここに戻ってきてください。……じゃないと、真実を貴女に伝えられませんから」

 

 返答すべき言葉は1個だけかな。鈴谷は返事をする。

 

 

「……了解しました。必ず、ここに帰ってきます。」

 

 

 しん、と周囲が静かになった。

 

 ほんのコンマ数秒に満たない時間だが。鈴谷には、全世界の人間と音が死滅したみたいな静けさに感じられる。

 

「いつまでも、貴女のことをお待ちしています」

 

「……………………。2年間、お世話になりました。佐伯提督」

 

「こちらこそ、貴女に支えられる事が多々ありました……お気をつけて」

 

「はい。お元気で………いつか必ず、帰ってきます」

 

 敬礼をして別れの挨拶は済ませる。鈴谷は海面に降りた。

 

 武器をしっかりと持ち、ゆっくりと港から離れて沖へ向かって進む。手を振っている仲間達の姿もぼやけてくるぐらいに離れたとき。筋書き通り、深海棲艦の襲撃に見せ掛けるための爆薬が炸裂し、何ヵ所かの水面で飛沫が上がり鎮守府・港からは煙が上がる。

 

「………………」

 

 まるで非現実的だ。ここまで無茶な能書きの芝居をうってくれるなんて―― 頬を伝ってきた涙を拭い、彼女は呟く。

 

「さようなら……みんな」

 

 それらを合図にして、鈴谷は持ち物を再度しっかりと抱え直して艤装の出力を最大にする。2度と背中の景色に振り返ることなく、彼女は逃げるように警備の海域から脱出した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 海に出てからどれぐらい経ったのかな。そう思って腕時計を覗くと、自分が港を出発しておよそ4時間ほど経過していた。薄暗かった周囲も、日が昇ってきた事で明るくなっている。

 

 雲1つ無い快晴の空の下を、眉間にシワを寄せながら鈴谷は地図に沿って先を進んでいく。島がある場所が、10個の点で示されていたがそのうち通過したのはまだ3つだ。終点は遠いな、と思う。

 

「……………」

 

 しかし、腹がたつぐらいにギラギラの晴れだ。青空を睨みながら考える。休日のドライブなら気持ちが良いだろうが、深海棲艦のひしめく海では、晴れという天気は曲者だ。

 

 海図や星を目印に動くのが苦手な鈴谷のためにと、最短ルートではない、島と島とを繋げる(みち)を佐伯が提案してくれたからまだマシなほうだが。遮蔽物が無い海上では、特に見付かると面倒な今の鈴谷的には、大雨や霧が出ているぐらいが望ましいのだ。

 

 幸い今のところは艦娘にも深海棲艦にも捕捉される事はなかったから良かったものの。いざ見付かったら何をしようか、と考えて気を張り詰めていたせいか、意外と疲れていることに気付き。頃合いよく、4つ目の島を見付けた鈴谷は休憩として少し留まることにした。

 

「ふううぅぅぅ………はああぁぁぁぁ」

 

 リュックに差していたブルーシートを乱雑に広げてその上に大の字に倒れた。そして、意図的に腹式呼吸を行って、心持ちちょっぴり乱れた息を整える。

 

 顔に降り注ぐ直射日光に、目を細める。何か遮るものが欲しくなり、地図で顔面に影を落とした。

 

「侵入禁止海域……か。」

 

 地図の数ヵ所、ボールペンで走り書きされた「アウトエリア」という横文字が目に入ってきて。鈴谷は独り言を呟く。

 

 アウトエリア。それは、深海棲艦の登場により、その発生・遭遇が特に多い場所に設定される、軍・漁業・運送と様々な海に関する関係者達の間で決められた「封鎖区域」の別称だ。こんな名で言われる由来は、海外の艦娘達の間で飛び交っていた専門用語をそのまま使っているかららしい。

 

 現在鈴谷は、その場所の中でも比較的安全・かつ近隣に位置する、26番地帯という場所に向かっていた。……もっとも、安全、といっても噂では日に50匹の深海棲艦と遭遇する等と言われる文字通りの危険地帯らしいが。

 

「…………………。」

 

 ふっ飛ばしたバックパックの中身を適当に漁る。着替え・飲料水・缶詰に、その他キャンプ用品等諸々が張り裂けそうなぐらいにパンパンに詰まっている。こんなものに加えて艤装を長時間抱えて動いていたのに、以前とは明らかに疲労感が違う。そんな体力がついた辺り、やはり自分はもう人間じゃないんだろう……変な考えが浮かび、また一段と気が沈んだ。

 

 自問自答を繰り返す。同僚らは準備までやってくれて、気持ちよく見送ってくれた。だが、そんな自分は、どれだけの人間に迷惑を強要させてしまったのだろうか。そんな考えばかりが浮かぶ、その時だった。

 

 唐突に、体のどこかがむず(がゆ)く感じた。何かと思って上体を起こす。

 

「鈴谷しゃん……お昼ぅ、なのです……」「「「ですぅ……」」」

 

「…………………え?」

 

 お腹の上にへばりつき、ぐったりしていた2頭身の小人たちに。鈴谷の口から変な応答が漏れた。

 

「妖精さん? なんでここに」

 

「お手伝いに来たのです! でも、まずはお昼が欲しいのですぅ……」「「「「ですー……」」」」

 

「えぇ……しょうがないな……」

 

 どこから湧いて出たのだこやつらは。鈴谷は困惑したまま、缶詰の蓋を1つ開け、彼女ら(?)に渡した。

 

 

 

 

 絵本の世界で靴でも作っていそうな容姿の彼女らに混じり、鈴谷も空腹ではあったので食事を摂ることにする。

 

 いつ、どのタイミングで自分にくっついてきたのか。それを聞いてみた。

 

「どこから来たのさ? 港に居たの?」

 

「鈴谷さんが艤装を付けてたときですぅ。そーりゅーさんが、貴女をたすけてーってー」「「「ですー!」」」

 

「あぁあの時か……え、でもどこに居たの? リュックの中とかじゃ狭くなかった?」

 

「もにもにの中です~」「「「です~」」」

 

「……?」

 

 「もにもに」って何だ? 何かの武器のことか? 妖精は艦娘の武器に取り付いて操作することができることを知っていた鈴谷は考えた。が、このマスコットたちが隠れていた場所の答えは、彼女の予想の斜め上を突き抜ける。

 

「お呼びですかー」「「ですか~」」

 

「……うそん」

 

 まさかまさかの場所に居た。缶詰を食べている一団とは別にもう1グループ、昼寝か何かをしていたのが、あろうことか鈴谷の腹部から生えている触手の口の中から出てきたのである。

 

「ちょっと待って待って、そこに居たの!? え、大丈夫??」

 

「那智さんの指示なのれす! 温度20度・湿度40%、快適なのです~」「「「です~」」」

 

「そういう問題なの?」

 

瑞雲も10個(ずいうん(艦載機))持ってきたです。できたてホヤホヤなのです」「「「です~♪」」」

 

 『……このウネウネ、もっと武器積めるんじゃないのか?』――確かそんなような事言ってたけど、こういうことだったのか。鈴谷はとんでもないことを指示したらしい那智に呆れる。口内からミニチュアの飛行機を担いで小人たちがこちらを見ているが、パニック映画の鮫の中から脱出してきたみたいで非常にシュールだ。

 

 何かの弾みで噛んでしまったりするかもしれない。そう思って心配した鈴谷は口を開く。

 

「危ないよそんなところに居たら……牙みたいなの生えてるし。噛まれたら痛いんじゃないの?」

 

「もうもぐもぐされたのです」「「です~」」

 

「え゛」

 

「でもへっちゃらだったのれす! へ~ん、なのれすー」「「「「です~!」」」」

 

「………………」

 

 もう意味がわからん。頭が痛くなってきた。大丈夫というなら大丈夫なのか……? 鈴谷は考え事を後回しにすることにした。

 

 

 そんなような事を考えているときだった。何かが近くに飛来し、島の木々を薙ぎ倒して爆発を起こす。

 

 

「!!」

 

 危ないと本能的に悟った鈴谷の行動は早かった。大事な荷物をかっさらうように掴んでジッパーを閉じて背負い、残りの食べ物を喉に押し込むと、すぐに海面に立つ。

 

「敵襲だぁ! なのです!」

 

「嘘でしょ……!」

 

 同じ深海棲艦なら狙われないハズ―― 鈴谷が仲間たちに語った甘い幻想は、たった一日。港から発って半日もしないうちに崩れ去った。こちらの事を捕捉した数匹の深海棲艦の発砲による攻撃だったのだ。

 

 動きやすい沖に向かって航行しつつ、素早く敵の数を把握することに努める。ざっと見ても片手で数えられる物量に、ひとまずほっとした。

 

「ト級2匹と…? リ級か。なんとかなるかな?」

 

 なるべく弾は温存しておきたかったため、彼女は使い捨てられるような物だけでの対処を考えていると。風でなびく服にしがみついていた妖精から、こんな提案があった。

 

「発艦許可を願うのです。やつらを撹乱(かくらん)するのです!」「「です~!」」

 

「お願い。指揮はできないけど、大丈夫?」

 

「お構い無く、なのです!」「「「です~!」」」

 

 やり取りの最中にも、何の恨みがあるのか、相手は矢鱈滅多らとこちらを狙い撃ちにしてくる。気が抜けない状況に体を緊張させながら、副砲で牽制から始める。許可を貰った妖精たちは、10機の内の3機で編隊を組み、鈴谷の体から発っていった。

 

「声を張るのだ貴様らぁ、なのです。戦場では、雄々しき咆哮(ほうこう)しか認めぇん、なのです!」「「「あいさー!」」」

 

 これは吉と出るのかそれとも凶か―― 蒼龍と違って慣れていない、なんて話で収まらないどころか。妖精さんという人材と、艦載機という装備を使うのは、今日が初めてな鈴谷には不安がのし掛かる。

 

「うっ…ぐッ…!」

 

 至近弾で視界が遮られる。その場所から敵が突っ込んでくると先を読み、爆炎と水煙にむせながら、手榴弾のピンを抜いて投げた。読み通りの動きを見せた軽巡ト級が怯んだのを見逃さず、主砲の直撃で撃破する。

 

「まずは1、次は……!」

 

 敵の姿を見失い当てずっぽうで適当に砲弾をばら蒔いてひたすら沖に出る。程なくして、最初に不意打ちしてきたときよりも遠くの場所にト級を見つける。しかし今度はさっきまで視界に入っていたリ級の姿が見えない。

 

 激しく抵抗してくるト級にも警戒し、必死に首を忙しなく動かして周りを見ると。リ級は、自分の右側に陣取り、スナイパーのように狙いを定めていた。

 

「!?」

 

 怪我で右目が完全に死角になっているのを忘れていた鈴谷のミスだった。気がついたときには相手は照準をつけ終わった直後らしく、射撃を始めてきた。弾の1発は対応が遅れた鈴谷の髪を掠め、もう1発が触手に当たる。

 

 痛みに悶えながら位置取りを崩そうとその場から動く。が、先手を打ってリ級はそのまま鈴谷の右側面を取り続けながら攻撃を敢行してくる。更にそこへト級の攻撃も加わってきた。

 

「……っ!! 十字砲火!」

 

 避けきれない――!! 本能的に、利き腕に触手を巻き付けて顔を守る。

 

 が、砲弾は飛んでこなかった。不思議に思い、ト級側に撃ち続けながらリ級が居た方向に目を動かすと、3機のフロート機が虫のように周囲を囲んで敵の注意を引き続けていた。機銃と爆弾で彼女らが奮戦しているのがはっきりと見える。

 

「妖精さんナイス!」

 

 視界の隅でト級方向から煙が挙がったのを確認する。少なくともそちらには大きな被害を与えることはできたと認識し、触手の1本を小脇に抱える。それに那智が固定してくれた砲の安全装置を切り、すぐに引き金を引いて、今のうちにとリ級に主砲と副砲を総動員させた集中砲火を行った。

 

 飛行機に気をとられていた敵は、鈴谷が放った弾頭が頭部や胸といった急所に当たり。金切り声を挙げながら、炎と共に沈んでいく。

 

「はぁ……はぁぁ……終わった……たったの3匹でこれか……」

 

 大きく深呼吸をして、息を整える。一人で深海棲艦の群れを相手するのは初めてだったが、なかなかどうして、想像以上にキツいと感じる。時間にして交戦から5分も経っていないというのを時計で見るが、それが信じられない位には疲れてしまっていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 完全に敵が居なくなったのを確認してから、先程ブルーシートを置いてきた場所まで戻り。鈴谷は現実の厳しさというものを思い知らされたな、等と考えていた。

 

 妖精の助けがなければ間違いなくさっきは直撃を貰っただろう。それだけならまだいいが、最悪は荷物に当たって物資がオジャン、という展開だ。本当に感謝としか言いようがないな……。

 

 出したものを元通りに整頓していると、3人の妖精が戻ってきた。鈴谷の周囲をゆっくりとマニューバしながら、彼女らから話し掛けてくる。

 

「お怪我はありませんかぁ~」

 

「お陰さまで。ありがとうね、妖精さん」

 

「どういたしまして、なのです!」「「です~」」

 

 素直に礼を言うと。間接的には命の恩人とも言えなくもない者たちは照れながらそう返答した。

 

 長居しているとまた何か来るかもしれない。さっさと先を急いだ方が良いのかな。端的に結論を下し、鈴谷は地図を広げた時だった。

 

 また、近くではないがどこかで爆発音が響き、それが風にのって耳に入ってくる。

 

「今度は何?」

 

「熱源反応なのです! どこかに艦娘が居るのです」「「「ですぅ」」」

 

「!」

 

 艦娘? まさか追い掛けてきたのか?

 

 先程とは比べ物にならない緊張が体に奔る。妖精の報告を聞きながら、鈴谷は反応とやらの場所に向かうことにした。

 

「妖精さん、どこかわかる?」

 

「この島に沿って海を行くのです。そうすると会えると思うのです」「「「です~」」」

 

「……………わかった」

 

 何にせよ、少し様子を見ようか。身に付けた装備すべてのセイフティーを外し、戦闘に備える。

 

 反応、とやらがあったらしい場所は、鈴谷が休憩していた砂浜から少し離れた、海面から伸びる岩が目立つ岩礁地帯だった。

 

 浅瀬の上にしゃがみこみ、海面から突き出ていた岩に身を隠して様子を伺う。どうやら作戦行動中で、今正に交戦している艦娘達のようだった。

 

「………………」

 

 様子からして、追っ手ではないと判断する。理由としては、その艦娘たちはこちらに全く気付いていないどころか、かなり敵に苦戦していたからだった。あの日に出会った連中は、破壊工作にこなれた動きから、かなりの手練れと少なくとも鈴谷は考えている。今目の前に居る彼女らは、それとは程遠い、悪く言えばお粗末な動きをしていた。

 

「…………ヤバい、かな?」

 

 独り言が漏れる。というのも、その艦娘達は明らかに動きがぎこちなく、いいように敵に狙われているのがすぐにわかったのだ。

 

 これが普段通りなら、鈴谷は勿論手伝いに入るところだが。今の自分の格好で茶々を入れると少々不味い事は流石にわかり。間に入るには、気持ちがくじけてしまっていた。

 

「妖精さん、海面に降りて隠れられる?」

 

「了解なのれす」「「「です~」」」

 

 鈴谷の指揮に従って、フロート機たちは海面に軟着陸する。彼女はそれを確認してから、再度戦闘に注意を向け直した。

 

 ざっと見たところ、数は勝っている。艦娘側は駆逐艦が2、軽巡洋艦が1、自分と同じ重巡洋艦が2、最後に軽空母が1人か。対するは駆逐艦2・戦艦が2・空母が1。あまり自信は無いが、那智・熊野らが居てくれれば多少苦戦するぐらいで勝てる敵だろうか。

 

「……………ッ」

 

 助けるべきなのか? それともさっさと逃げた方が良いのか―― 合理を追求するなら勿論後者だ。しかしその選択肢を選ぶには、鈴谷という人間には非情さが足りなかった。

 

「助けたいのですか? でも、そうすると見付かっちゃうのです」「「「ですぅ」」」

 

「……。わかってる」

 

 悩んでいる内にも刻々と戦況は変わっていく。さっきはわからなかったが、改めてみれば軽空母の艦娘は体から血を流して脱力し、それを駆逐艦の1人が抱えているような状態だった。

 

 見ていられない、文字通り「悲惨」だった。軽空母の他にも重巡の1人は片腕で応戦している辺り、腕を1本負傷しているのか。このまま放っておけば全滅も見えるような流れだ。

 

 鈴谷の中で何かが吹っ切れる。彼女は艦載機に乗っていなかった残った妖精たちに指示を出した。

 

「妖精さん。残った飛行機、全部出せる?」

 

「私達を使うのです~?」「「「ですー」」」

 

「うん……ごめんね。無理言って」

 

「心配するな! です~。貴女のもにもにの上に瑞雲を乗せるのです~」「「「です~」」」

 

 指示に従って触手の上に飛行機を置く。

 

 腕を伸ばすような感覚で動かすと、触手は2本とも体に対して垂直に張れた。その上に乗せた両手で数えられる程度の艦載機達が、それを滑走路代わりに各々独自のタイミングで発進していく。一瞬だが、搭乗している妖精達が自分にガッツポーズしてアピールしているのが見えた。

 

「残ったみんな、荷物お願いできる?」

 

「任せろ、なのです! 責任もってお預かりです」「「「です!」」」

 

「ふふふ……ありがと」

 

 数が多いと邪魔なものは極力外して動きたい。そう思った鈴谷はリュックサックを預けて、軽く体を捻りストレッチをした。

 

「…………ッ!!」

 

 もう後には引けない。サァ。どうにでもなれ。前に向かって進み続ければ、道ってのは開けるもんでしょうが―― 見捨てる選択肢は頭の隅に追いやって。弾を残していた装備まで全ての安全装置を切り、鈴谷は艦娘と深海棲艦の前に躍り出る。

 

 チリン。

 

 炸薬の弾ける轟音が鳴る戦場には似合わない。身に付けていた髪留めの鈴の音が、涼しく海上に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 




来週更新できればいいな


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2 素敵な明日を願って
11 自分の不器用さが嫌い


新章に入ります。
因みに今後は新章に入る度に区切りの挿絵をここに置いておこうと思います。
また今話から「鈴谷」表記が「ネ級」に切り替わります。なお、混同を防ぐために敵に重巡ネ級が登場しなくなります()


【挿絵表示】



 

 

 目の前、とはいってもまだそれなりに距離がある戦闘区域から砲撃の音が響いてくる。

 

 風に乗って聞こえてくる艦娘達の悲痛な叫びに、ネ級(鈴谷)の表情は段々と無になっていった。

 

誰か――居ないんですか――ッ!

 

救援をお願いします――怪我をしている人が居るんです――

 

誰か――誰か――!

 

 声の主と思われる艦娘は負傷した味方を背負い、必死に無線機に叫びながら奮戦している。しかしそんな彼女は、空母や戦艦といった強力な深海棲艦らに完全に遊ばれてしまっていた。敵から目を離さず、ネ級はベルトで固定して持っていたサブマシンガンを腰に持ってくる。

 

 速度を一切落とさず、敵に向かって突っ込む。対艦ロケット砲――廃棄予定だからと仲間たちから受け取ったWG42を両肩に担ぎ、狙いを定めて深海棲艦の群れ目掛けて発射した。

 

「動きが……止まったっ、ここだ!」

 

 (おびただ)しい量の黒煙と共に、無誘導の弾頭たちが深海棲艦や海面に当たって爆発する。ここまで派手なことをやって、初めてこちらの存在に気付いたらしい艦娘達がネ級のほうに振り返った。

 

「助けが……深海棲艦…………!?」

 

 やっと味方が来てくれた――そう思ったに違いない艦娘達の顔が絶望に染まった。と、思えば、姿を現した深海棲艦が艦娘の装備と艦載機を引っ提げて来たのを見て、今度は困惑の色に変わる。それに構うことなく、彼女は引き続き攻撃を続けた。

 

「妖精さん。ヲ級の注意を引ける?」

 

『あいさーなのです!』

 

「ありがとう。……さてさて。突撃いたしましょう!」

 

 並走するように飛んでいた艦載機の妖精に簡単な指示を伝えると。ネ級は艤装の出力を更に引き上げて最大船速にし、前傾姿勢を取る。

 

 初めから弾を温存する気など更々なかったロケット砲を気前よく全て撃ちきり、空になった武器を2つ放り投げて身軽になった。

 

 運が良かったと言うべきか。今の奇襲で敵の駆逐ハ級と戦艦ル級の1体ずつにはそれなりのダメージを与えられたらしく、それぞれの体からは黒煙が吹き出ていた。しかし今の状況だと、1体でも数を減らしたいと考えていたネ級からすると、それはあまり良いニュースとは思えなかったが。

 

 満身創痍の艦娘達に向いていた攻撃の矛先が、一気にネ級に切り替わる。敵の砲や目線が一斉に動いたのが見えたので、これはすぐにわかった。

 

 なるほど、すぐに倒せる敵よりも自分の方が脅威だと感じたのか―― ネ級はすれ違い様に手負いの駆逐艦に主砲を叩き込む。

 

「このぉ!」

 

「―――――――――!!??」

 

 至近距離からの直撃弾で、悲鳴すら上げさせることなくハ級は撃沈できた。ただ、喜ぶ暇もなくあちこちから砲弾や機銃・爆弾といったものが雨あられと降り注いでくる。

 

 空母ヲ級の爆撃だけは当たるとまずいと判断して最優先で回避する。ネ級は空いていた手に軽機関銃を持つと、爆弾に当たるように祈りながら適当に弾をばら()いた。

 

 生き物のエイのような形状をした深海棲艦の艦載機が投下してきた爆弾は、ネ級が撃ったマシンガンと副砲の弾に撃ち抜かれるか弾かれるかで着弾する前に炸裂する。空中で起動したそれらの爆風と金属片に、ネ級は顔をしかめる。

 

(いっつ)う…………。っ!?」

 

 敵の弾幕が一層濃くなっていたキルゾーンを抜けて、気を緩めていたネ級を隙を1体の戦艦ル級が突いてくる。

 

 不意打ちで飛んできた砲弾を、咄嗟にネ級は袖を捲った右腕で弾き飛ばした。

 

「………………!」

 

 上手い具合に軌道を反らせた、ということか。多少手が痺れ、当たった場所は薄皮が剥けて血が出ているが、殴った弾頭は自分や艦娘達とは関係がない遠くの方で爆発した。

 

 薄々気づいていたものの、それをあえてネ級は見ないふりをしていたが、こんな芸当ができてしまってはもう認めるしかない。彼女は自分が深海棲艦になってから、筋肉や骨や皮膚といった物の硬度が以前よりも遥かに上がっている事を認識する。

 

 考え事の最中にも手は止めず、撃ちまくる。瀕死のル級を仕留めることは出来なかったが、代わりに流れ弾が当たった2匹目の駆逐艦タイプが爆散していくのが見えた。

 

 攻撃ではなく撹乱を中心に行うように指示を出した妖精たちはよく働いてくれている。どのみちあんな数の艦載機じゃ、固い表皮を持つ戦艦や空母は倒せないから、自力でどうにかしないといけない。弾が無くなったマシンガンのマガジン交換が手間で、ベルトの部分を(くわ)えて触手から新しい武装を手に取ろうとしたときだった。

 

『鈴谷さん、囲まれているのれす!』『『回避優先です~』』

 

「!!」

 

 疲労が溜まっていることの弊害(へいがい)がまた顔を覗かせる。死角を取られたネ級は、先程のリ級にやられたように、2体のル級に2方向に陣取られてしまった。

 

 前と右側、そこに空母の援護が加わってくる。一切躊躇(ちゅうちょ)なくこちらを殺す気で放たれる十字放火を全力で切り抜ける。避けきれないと判断したものは、撃ち尽くした軽機関銃を投げつけて壁にし、どうにか耐えた。

 

 爆発した機械の破片が、また辺り一面に降り注いで自分にも牙を剥いてくる。激しい敵の攻撃から意識を逸らすなんて出来るわけもなく。鈴谷は両手と触手で顔を覆って必死に身を守る。

 

 いつもならこれぐらいの敵は数分あれば片がつく。が先程よりも質の高い戦艦と空母の相手となると、話どころか次元が変わってくる。こちらには支援してくれる味方は恐らく無く、余裕を持てるだけの弾薬も無い。

 

「…………………。」

 

 腹をくくる。という言葉はこう言うときに使うんだろうな。場違いに冷静に、そんなような事を考えて両手に主砲を構えたときだった。

 

 動き続けていたとはいえ、少し敵の攻撃が落ち着いてきた事に気付く。

 

「?」

 

 疑問は背後に視線を向けたことで解決した。様子がおかしい深海棲艦だが、敵ではないのだろう。そう判断してくれたのか、最低限の自衛のみで棒立ちしていた艦娘達が動き始めたのだ。

 

 元気な的が増えたことで深海棲艦達の狙いが分散し始める。隙を突いて地道に相手を削るネ級だったが、ほんの少しだけ意識を味方の居た背中に向けると、艦娘達の会話が聞こえてきた。

 

「……ネ級を援護しましょう」

 

「本気か?」

 

「彼女の助けがなければ私たちは全滅していました。精一杯のお手伝いです!」

 

 多少は余裕ができた事で、ネ級は防御から攻勢に転じる。既に息も絶え絶えだったル級の1体に狙撃すると、難無く相手を倒すことができた。

 

 敵の数は残り2体となる。が、その両個体は掠り傷すら与えられていないので、まだまだ元気に動いている。安全策を考えて距離を取りながら、ネ級は艦娘達の方に目線を動かした。

 

 負傷しているのは合計で3人。片腕を怪我した重巡の1人は後方で援護に専念していて、残り2人は脱力して仲間に抱えられている。(かせ)がないことで不自由なく動けているのは駆逐艦が1人だけだ。

 

「この……ちょこまかと」

 

「牽制! 弾幕です!」

 

 明らかに戦闘に不馴れな様子ながら、果敢に敵に挑んではいる。しかし気迫と反比例するように、彼女らの支援は涼しい顔をしている敵に簡単に回避されてしまっていた。勘違いだったかもしれないが、ネ級から見て、敵対する空母ヲ級と戦艦ル級の両者はお粗末な行動をする艦娘達を笑っているように見えた。

 

 ネ級が目を離さないようにしていたル級の瞳が、一瞬、青白く光ったような気がした。

 

 猛烈な気持ち悪さのような物を感じる。本能的に何かが不味いと思って妨害に入ったが、対応が少し遅れてしまう。

 

 ル級はにやけ面を作りながら、軽空母の艦娘を抱えた艦娘に向かって武器を撃つ。直撃ではなく至近弾だった。明らかに弱いものいじめで弄ぶような動きに、ネ級は舌打ちする。

 

瑞鳳(ずいほう)さんッッ!!」

 

 砲撃に煽られた艦娘の肩から、軽空母の艦娘が投げ出された。撃墜しようとしていた敵空母の戦闘機を妖精に任せ、ネ級はすぐにその近くに寄る。

 

 放り出された瑞鳳というらしい彼女の体を2本の触手を絡ませて抱き抱える。その様子を見ていた旗艦と思われる艦娘は、なんとも表現のしづらい複雑な表情をネ級に見せた。

 

「あっ……」

 

「……………」

 

 自分らを助ける変な深海棲艦。そんなネ級と目と目があった艦娘は、こう言ってくる。

 

「あっ、ありがとうございます!」

 

 少し迷ってから、ネ級は返事をした。

 

「どういたしまして。」

 

 抱えていた瑞鳳の身柄を艦娘に引き渡す。礼を言ってきた彼女は、流暢な日本語を喋ったネ級に信じられないとでも言いたげな驚いた表情を晒す。

 

「貴女は――」

 

秋月(あきづき)! そっちに行ったぞ!!」

 

「!!」

 

 何かを言おうとした彼女を置き、彼女の部隊の他の艦娘の言葉を聞いてネ級はすぐに戦闘に戻った。

 

 緊迫した声質から、ル級がこちらに向かっているのか。そんな予想が当たる。敵戦艦は今度は何をするつもりか、どんどんこちらに近付いて距離を詰めてきていた。

 

 振り向く暇が無い。そう判断したネ級は敵に対して体を横に向けると、当てずっぽうで適当に発砲する。

 

 しかし彼女の読みは外れる。ル級は全く(ひる)む素振りすら見せず、此方に突っ込んでくる。

 

「!?」

 

 やられる――!! 敵の弾の直撃で致命傷を覚悟したときだった。飛ばしていた艦載機のうちの一機が砲撃の射線上に割り込み、ネ級への攻撃を僅かだが逸らして見せた。

 

 爆発の煙と鉄片から身を守りながら、彼女はル級に副砲と主砲を撃ち込み、一旦距離を離す。

 

「うっ、ぐッ……! 妖精さん!」

 

「ばたん、きゅぅ……なのです………」

 

 爆散した機体から投げ出された妖精が、すかさず反撃に移っていたネ級の肩にしがみつき、そう言ってきた。彼女は小さな命の恩人を、触手の口の中に仕舞って休ませる。

 

「ありがとう。休んでいて」

 

「後は頼むのですぅ……」

 

 火薬の炸裂で発生した煙が晴れ、ル級の姿が(あらわ)になる。

 

 相手は満面の笑顔を浮かべていた。

 

 ネ級の頭の中に警告アラームが鳴り響く。絶対に何かある。何をするつもりだ―― 敵の「罠」の正体を、彼女は自分の頭上を見上げることで理解した。

 

 数十機の敵の艦載機が、大量の爆弾を投下してきていた。

 

 体中の血の気が引いていく感覚を覚える。考える暇などなく、ひたすら無心で弾を撃ちまくって払う。しかし全て無効化するほどの技量など元から彼女には無く。弾幕を切り抜けた数発が顔に向かって落ちてきた。

 

 

 こんな終わりか。意外と早かったかな……――

 

 

 最悪の想定をネ級はしたが。彼女の予想は、良い方向に裏切られることになる。

 

 敵の落としてきた爆弾を顔面で受け止めることになる。ガラスが砕け散るような音と共に、顔を覆っていた装甲板が割れて落ちた。

 

「…………!」

 

 生きてる、のか。まだ諦めるには早い。神様はそう言っているのかな。

 

 自分の想像以上に、深海棲艦というのは頑丈にできているらしい。考えつつ、爆風を抜けていく。日差しの下でも解る程の強い光を放つ赤い瞳で、敵を睨み付けた。

 

「……………」

 

 主砲の弾倉を交換する。狙いを定める先はル級ではなく、空母ヲ級だ。

 

 何を今更、しかも1日目に弱気になっているんだ。重巡ネ級。何年、何十年経ったって必ず陸に戻ってくる――そういうみんなとの約束じゃなかったのか? ネ級は掌で、熱を帯びていた顔を覆いながら自問自答する。

 

「まだ、死ぬには早い。そう言うこと? 熊野。」

 

 引き金を引いた武装から、弾が発射されず、乾いた作動音のみが聞こえてくる。

 

「副砲は……弾切れか」

 

 ちょうどいいか。ネ級は心の中で一言呟き、使い捨ての武装の1つを放り投げた。

 

 こけおどしの艦載機の機銃を妖精たちは放っている。それに合わせて主砲を撃つ。次のリロードまでのタイムラグなど度外視し、ありったけを敵に見舞う。手負いの艦娘が近くにいて、中でも何人かは重傷を負っている。それを逃がすためには敵を全滅させる必要がある。そう考えての行動だ。

 

「…………そうだ。」

 

 私はまだ、死んじゃいけないんだ。そうなんでしょ? みんな……――

 

「当たってよ……!」

 

 主砲の直撃で上体を()()らせたヲ級に魚雷を放つ。数本の航跡を海中に描きながら、吸い込まれるように弾頭が敵の足元に集結し、炸裂した。

 

「――――――ァァァァァ!!??」

 

 機械のハウリングのような甲高い叫び声をあげながら。散々にネ級と艦娘達を苦しめた空母ヲ級は海中に没していく。

 

 最後に残ったル級と相対する。どうしてまだ生きているのか。そう言いたいのか、敵は明らかに動揺しているような表情をしていた。

 

 ル級は本棚のような形状をしている両手に持った武装から、猛烈な弾幕を形成し始める。自分という深海棲艦は思っている数倍は打たれ強いことを嫌というほどこの戦闘で実感したネ級は、意を決してその中に飛び込んでいった。

 

 この後の事などお構いなしに生き残ることだけを考え、所持していた中では一番頑丈な装備である主砲の1つを盾にする。思惑通り、それは直撃を免れないと思えた弾を受け止めてくれた。ただし、代償に、もう再使用は出来ない程度に破損してしまったが。

 

「まだまだ……!!」

 

 どうせ4つ持ってきていたのだ。たかが1つ壊れた程度で――

 

 先程敵にやられたことをそのまま仕返しとして敢行し、遂に目と鼻の先まで接近することに成功する。盾にしていた物で相手の右手を()ぎ払い、砲撃の射線を力尽くで曲げる。すると、ル級は間髪入れずに残る左腕で照準をつけ、構え直してきた。

 

「――――!」

 

 何かを言おうと口を開いたル級の腕を、ネ級は蹴り上げた。

 

 金属同士が激しく打ち鳴らされて耳障りな音が響く。激しい火花に目を細めながら、ネ級は吠えた。

 

「うぅりゃぁぁぁ!」

 

 尚も両肩の副砲で抵抗を続けようとするル級の脇腹に触手を噛み付かせる。相手が身動きできないようにがっしりと体を固定し、全ての準備が整った彼女は行動を開始した。

 

 明後日の方向へ砲弾を放ち完全な無防備を晒した敵へ、その胴部に主兵装の連装砲を密着させて何度も引き金を引く。

 

 無いに等しい距離から強烈な衝撃と致命傷になる攻撃を受けて。体に空いた穴から青い血を流しながら……ル級は沈んでいった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 死んだ敵が水底に還った場所に、幾つかの泡が上って来る。

 

 ル級の肺から漏れてきた空気だろうか、等と考えつつ。泡と同時に、彼女の血液と思われる青い液体も海面にじんわり広がっていくのが見えた。

 

「……悪く、思わないでよ」

 

 行って、戻って、帰ってくる。私がまだ鎮守府に居たときと同じ。みんなと交わしたのはそういう約束だったから――まだ死ねない。

 

 自分に言い聞かせるように、心中で静かに呟く。一人、ネ級がそんなセンチメンタルに浸って考え事をしているときだった。

 

 援護に専念していた数機の瑞雲が、ワイヤーで自分のリュックサックを牽引してこちらに飛んでくる。すっかり荷物の事を忘れていたネ級は、物を預けていた妖精らに礼を言った。

 

「お荷物のお届けなのです~」「「「でーす」」」

 

「ありがとう。早く逃げようか」

 

 視力の無い右目を瞑ったまま、横目でちらりと艦娘達を見る。流石に進軍は控えて、負傷者に気を使って撤退する準備をしている……のと並行で、やはりこちらを見ているのが気になった。

 

 当然といえば当然か、と思う。深海棲艦側に奇襲を仕掛けて艦娘の味方をしたのもあるが、旗艦の彼女に至ってはネ級が喋ったところを見ている。一部言葉を話す深海棲艦が居るのは確認されているが、コミュニケーションがとれる個体なんてまだ見付かっていないのだ。大事件と認識されていても何もおかしくはない。

 

 ネ級が持ち物の確認を済ませたと同時に。案の定、旗艦の艦娘が声をかけてきた。

 

「……何者でしょう。貴女は」

 

 話をしつつ、この人物が機銃と主砲装備に弾を込めているのが目につく。明らかにこちらを警戒している動きだ。

 

 言い訳を言うべきなのか、黙ってさっさと逃げるべきなのか。少し思うところがあってネ級は足を止めてしまう。

 

「………………」

 

「話さないんですか? それとも……」

 

 だんまりを決め込むと、今度は武装の銃口を向けられた。しかし、何か言えと言われたところで、まだ自分の体のことすら完璧には把握できていない。だから答えられることはありません。

 

―――――とか言った所でまた話がややこしくなるだけだよなァ……。等と思っていたときだった。

 

 旗艦……秋月の問いかけは、また彼女の同僚の声で待ったをかけられることとなる。

 

「秋月、そいつはいい! 早く帰らないと!」

 

「瑞鳳さんの血が止まらないんです!」

 

 腕を負傷していた艦娘の呼び掛けに、慌ただしく彼女は体の向きを変えて瑞鳳の傍による。流し見しただけでもわかる程度に重傷だった彼女の容態が悪化しているらしい。

 

「止血は済ませたんでしょう!? 早く鎮守府に!」

 

「いや、でもこのままじゃ間に合わないって……! 血が足りなくなる……」

 

「じゃあどうするって言うんですか!?」

 

 さっきまで問答をしていた相手を放って、軽いヒステリーを起こして秋月は叫んだ。

 

 ネ級から客観的に見て。多分だが、秋月サンにも中々のストレスが掛かっていたのだろう、と思う。強敵に揉まれたと思えば妙な存在に助けられ、そこから更に同僚が危険な状態に陥る……という一連の流れをシームレスに体験しているのだ。相当に頑丈な心でも持っていないと、やむなし、というものである。

 

 先程艦載機で身を呈して自分の身代わりを務めてくれた妖精が肩に登ってくる。顔を少し動かすと、彼女と目があった。

 

「………………どうするのですか?」

 

「手当てはするよ。乗り掛かった船だから」

 

「鈴谷さんらしいのです」

 

「ほめてる?」

 

「皮肉なのです」

 

「なんですと」

 

 ストレートに悪口(?)を言った相手の頬をつついて黙らせる。

 

 容態を見たいと思ったネ級は、群がっていた艦娘達を無理矢理手で退()ける。

 

「え、ちょっと、何を!?」

 

「……………………」

 

 腕を回して彼女を抱えていた者から、その体を強奪するように抱え直す。患者の体を水に付けないように、その下に自分の触手を敷いた。

 

 現役で職務に勤める者には及ばないかも知れないが、救護活動が全くの未経験というわけではないネ級は多少は必要な手当ての検討ぐらいならできる。緊急手術が必要な物なら流石に無理があるが、この時の彼女は、この患者は恐らく問題は無いだろうと至って落ち着いていた。

 

 なぜかと言えば、自分という格好のデータベースが居たからである。半身を吹き飛ばされた人間ですら息が保てるぐらい、艤装の防御というものは信用に値することを既に知っている。

 

 対象者の患部……特に外傷の激しい右腕と腹部に目を通す。わかりやすく血で汚れている部分に軽く手を当て、状態確認から始めた。

 

「…………。」

 

 初めはそっと触れようかと思っていたが、脈拍や心音が正常かを確認すると、彼女は既に気絶して寝息をたてていることを知ると。方針を切り替え、遠慮なく触診することにする。

 

 骨も折れているのか。砲撃で折れたとしたら、筋挫傷(きんざしょう)なんかも起きてるかな((折れた骨や外力で筋肉が損傷すること))。触った彼女の腕が、明らかに関節とは関係がない部分でぷらぷらと動いたことに、ネ級は心中で呟いた。

 

 適当にグルグル巻かれた包帯の中で血溜まりができてしまっている。一度体外に出た体液は細菌の温床となるので、衛生的に非常によろしくない――ということで、すぐにネ級は処置に取り掛かった。

 

 はっきり言って、下手な手当てだから起こったことだ。しかし鎮守府にいる艦娘達が教わる救護活動と言えば必要最低限なもの。専門的な事を知っている自分から見れば素人同然なのは当たり前だし、そこを強く言うつもりはなかった。

 

 すっかり、自分が陸地ではどういう扱いをされる危険生物か、等ということがネ級の頭からすっぽ抜ける。自然と体が動いていた。

 

「……………圧迫が弱い」

 

 ゆるゆるな包帯に独り言が漏れる。

 

 たぶん、変に気を使って臆病になり弱い力で止血をやったんだろうな、と思う。出血が止まらなかった原因は、先程の戦闘で体が揺すぶられた事と、圧迫止血方にしては力が足りなかった点だとおおよその予想をつける。

 

 さっきまでは「下手」と思ったが。結構あんな状況でこの人たちは頑張っていたんだな、と思う。多分だが、自分が敵の相手をしていた隙間の時間でやった手当てなのだろう。やり方こそ粗末だったが、すぐに患部に何かを巻いて止血をするという判断は最適解だと少なくともネ級は思ったからだ。

 

「妖精さん。衛生手袋と包帯。あと、何か硬いものある?」

 

「キャンプ用テントのピンの予備があるのです」

 

「それいーね! 頂戴(ちょうだい)?」

 

「あいさー! なのです」

 

 感染症の予防等を理由に両手に薄手の手袋を()めて作業に入る。先程の艦娘たちは慌てふためいていたが、どうってことはない。知識がない人物からすると凄まじい出血量に見えるが、目の前の瑞鳳の物は、命に別状がない程度の怪我だ。ということで落ち着いて行動した。

 

 血液でびちゃびちゃになっている包帯を全て剥がす。もしかすると開放骨折(かいほうこっせつ)かもしれないと思((折れた骨が皮膚を突き破ること))っていたが、患部を直接見てみて、それは杞憂(きゆう)に終わった。内出血を起こしている部分の近くから血が出ているせいでドバッと出たわけね、などと一人で納得する。

 

 解剖の様子を見ていた事がまさかこんなときに役に立つなんて。そんな風に思う。血濡れの人体の一部なんて、目を背けたくなるような物が瞳に写ろうが別段動じることもなく、ネ級は淡々と素早く、適度な力で圧を加えながら包帯で患部を縛っていく。

 

 これからすぐに鎮守府に帰投して適切な措置を受けるであろう彼女らの事を考えて、ほどきやすい結び方で巻いたものを締める。最後に、腕の部分のみ、骨折部位がずれないよう、固定器具代わりに妖精からテントのピンを2本受け取り、それを包帯の上から並行に腕に沿うように紐で固定する。

 

 ものの4~5分ほどで全ての処置が終わる。この、妙な深海棲艦の手際のよさに、様子を見ていた艦娘らは唖然としていた。

 

「てめぇ……一体…………」

 

 自分の仕事は終わった。そう思ったネ級は瑞鳳の体に触手を巻き付けて持ち上げる。その身柄を一番近くに居た艦娘に強引に押し付けた。

 

「……………」

 

「えっ!? あっ、ちょっと!」

 

 口では動揺しつつも、艦娘がしっかりと彼女の事を抱え直したのを見て。今度こそネ級は先を急ぐために体の向きを変える。

 

 もっとも、案の定秋月から停止を呼び掛けられたが。

 

「待ってください! ……貴女は何なんですか!」

 

「秋月……」

 

「答えてください!」

 

「………………。」

 

 目一杯凄んでいるつもりらしいが、彼女の声と手は震えている。そのせいで、ネ級は銃口を向けられていても全く怖く感じなかった。

 

 答えられることが思い浮かばない。そもそも自分がこうなったことすら曖昧(あいまい)な理由しかないのだ―― 逃げるために。ネ級は動く。

 

 彼女の顔に主砲を向けた。

 

「…………………」

 

「えっ……?」

 

 ふりをして、全ての武器を彼女らの足元に向ける。発射した弾は大きな水の柱を発生させ、ネ級は相手に、にわかに視界不良の状況を作ることに成功する。艦娘達に背中を向けると、最大出力で逃走を始めた。

 

「ま、待って!」

 

 「行かないで――!」 負傷していた内の一人が叫ぶ。だが、そんな声を振り切って。彼女は振り返ることなく、その場を後にする。

 

 水煙が晴れた頃には、すっかり艦娘達から距離が離れていた。無言で彼女らを、本人は自覚していなかったろうが、端から見ると寂しそうに見ていたネ級に。妖精の一人が声をかけた。

 

「…………………」

 

「良かったのです?」「「「「です」」」」

 

「うん………急がないと」

 

 自分の声が震えていることに、ネ級は気がつかない。

 

 もう砲撃の射程外に出ただろうか、とネ級と妖精らが思うそんな時だった。

 

「本当に、ありがとうございました!!」

 

 背後から秋月の叫び声が聞こえてきて……彼女は変な別れかたを切り出したことによる罪悪感に苛まれる。

 

「………律儀だな………ごめんね」

 

 ネ級の小さな謝罪は。彼女達の耳に届くことなく、風の音の中に消えていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 あれから少なくとも5~6時間は経過する。周囲は完全に日が落ちて夜になっていたが、星の光や闇に目が慣れていたため、それほど迷うことなくネ級は最後の島の近くまで来れていた。

 

 夜の闇と同化して全貌(ぜんぼう)はよく見えなかった島が、近付くにつれてぼんやりとだが姿がつかめる程度には見えるようになってくる。ざっと眺めた感想は、ただの島ではなく、周囲を大きな岩礁(がんしょう)に囲まれた天然の要塞と言ったところか。

 

「何さここぉ……鬼ヶ島かなにか?」

 

 海面から大量に槍が突き出しているような異様な光景に、思わず独り言が出る。

 

 浅瀬で無理に高速移動をすると、靴に嵌め込んでいる装備が岩で削れてしまって駄目になる可能性があるので。ネ級はぎりぎりまで近づいてから艤装を停止させ、岩にしがみつき、それ伝いに歩いて島に入ることにした。

 

 再度、暗闇の中で目を凝らして地図を見る。『貴女が到着する頃は恐らく夜だと思われます。月が出ている方角から島に入ろうとすると、大きな洞窟が見えると思います。浅瀬をくぐってそこから島に入ることをお(すす)めします』 佐伯からの助言でそんなことが書いてあり、指示通りに見渡すと、洞窟、というより吹き抜けのトンネルみたいな穴の空いた崖を見つけて。そこを目指すことにする。

 

「全くもってなんでこんな場所を……」

 

 ペンライトを口に咥えて、愚痴を呟きながら足を動かす。今日一日中ずっと立ちっぱなしも同然で、既に下半身の感覚はない。どう言ったものか。ネ級は、自分の足がほとんど自動で動いているような感覚に襲われた。

 

 岩場を抜け、トンネルを潜り抜ける。すると溜め池のようになっている海面と砂場がある場所に出た。

 

 メモ書きやコピーがクリップ留めされた地図をライトで照らして眺める。

 

 崖と岩に囲まれ、海側からは見えなくなっている砂浜・森というには大袈裟な林。周囲の地形と注意書き付きの写真を見比べる。始めて来る場所なので確証は無いが、多分ここだろうか、と思った鈴谷はテントの骨を砂浜に突き刺した。

 

 乱暴にブルーシートを放ってその上に大の字に寝そべる。

 

「すごいなここ……紅のブタみたいね」

 

 一見ただの洞窟のようでいて、大きな岩礁が壁になっている海側は言うに及ばず。その近く、下から覗いたワイングラス並みに反り返った逆三角形の崖と、そこから生えている樹木は屋根のようになっており、恐らく飛行機などでも上からはこの場所は見えづらい。正に身を隠すにはこれ以上ないぐらいの天然の要害と言える現在地に、ネ級は舌を巻いた。

 

 寝支度をするために、疲れた体に(むち)を打ってゆっくりと立ち上がる。頑張れ私。もうちょっとで今日が終わりだぞ。そう心の中で言う。

 

 説明書の指示に従いながらテントを組み立て、自分一人の野営地の設営を行う。今日一日、早朝から動きっぱなしだったため。全身に疲労が溜まったネ級は、流石にもう元気に動けるような状態ではなかった。

 

 寝袋に入る行為すら面倒になり、張ったテントの中にぶちこんだそれの上に横たわる。約15~7時間ほどあてもなく動き続けたあとの休憩とあり。5分と待たずに眠気に襲われる。

 

「……………………」

 

 意識すると、閉じていた触手の口が開く。遅い時間だったため、中に入っていた妖精らは全員寝ている。一日、何度も自分を助けてくれた彼女らを、ネ級は艦載機ごと外に出すと、そっと毛布の上に寝かせた。

 

 寂しさを紛らせようにも、話し相手は全員疲れて眠りに就いている……ので、自分ももう寝てしまおう。そう思った彼女は、点けていたランタンを消した。

 

「……………………」

 

 自分は今、この星のどの辺りに居るのだろうか。日本から、どれぐらい離れただろうか……。目を瞑ると、親友らの顔が浮かんでくる。

 

 そんな迷いともホームシックとも後悔とも取れない思いを吹っ切る気持ちで。悩みを捩じ伏せるように、ネ級は無理矢理就寝に入った。

 

 

 




11話にしてやっと看護師らしいことをする鈴谷。遅すぎるゥ!
因みに彼女は艦娘のときから常に衛生手袋を携帯しています。


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12 揺れて流れて

本編での独自設定ですが、作品世界の駆逐艦級の深海棲艦からは燃料が採れます。


 

 

 

 日の光を浴びて、鈴谷は目を覚ます。

 

 周囲に広がる日本庭園的な雰囲気の景色に少しぎょっとする。が、すぐに彼女は怪しかった表情を真顔に戻し「あぁ、またあそこか」と思った。

 

 また、「夢」か。どういうわけか、起きたときから座っていた椅子の背もたれに体重をのせて力を抜く。案の定、目の前にはテーブルを挟んでネ級が居た。

 

「………………………」

 

「察しがいーのね。ここ、夢なのヨン」

 

「さも当然のように人の頭の中を覗くのはやめてくれない。それに、3回目になればそりゃ、わかるよ」

 

 初めて会ったときと同じく、ネ級は何か食べている。よく見れば、机に置かれていたものと同じ和菓子だった。

 

 自分の体を眺めてみる。夢の中だからなのか、肌の色も髪の色もまだ人間だったときに戻っている。が、なぜか前直美から貰ったヘアピンだけは、そのまま前髪に付いていた。

 

 普通の人間は、明晰夢(めいせきむ)というのはあまり見ることができない現象だという。そう言う点では貴重な体験が何度もできて幸運と言えなくもないが、鈴谷からすると、こう、自分で夢を夢だと認識できるこれはなんだか気持ちが悪くて。お世辞にも心地が良いとは思えない。

 

「今日は何さ。何が言いたくて呼び出したわけ」

 

「呼び出したなんてとんでもない、逆に貴女が私に会いたかったんじゃないの?」

 

「とんでもない!」

 

「ひどっ。それに、用がないと会っちゃダメかな?」

 

「…………………ハァ」

 

 早く例の眠気が襲ってこないだろうか。この夢から抜け出すには二度寝する必要があることを知っている鈴谷は、テーブルにあった皿から最中(もなか)を1つ取りながら、そんなことを思った。

 

 鈴谷的には好きでも嫌いでもない空気感を出す相手は、爪楊枝(つまようじ)に刺した羊羹(ようかん)を口に持っていきながら続ける。

 

「びっくりしちゃった。てっきり暴れまわって町一つ地図から消すかなぁとか思ってたのに。つまんないの」

 

「するわけないでしょそんなこと」

 

「へえぇ? かなり頭には来てたみたいから、やるものだと思ってたけどねぇ?」

 

「…………何が言いたいのさ?」

 

「さぁねぇ……理知的と言えば聞こえは良いけどさぁ……理性も吹き飛ぶレベルで暴れた上で果てるぐらいのが見たかったし、そのほうが楽だったりして?」

 

「……………………」

 

 最初に会ったときから時折考えていたが、痛い部分をストレートに言ってくる女だ、と鈴谷はこのネ級に思っていた。

 

 確かにこいつの言う通り、漫画の怪物みたいに暴れたりしていれば、いずれ情報が拡散されて軍も鎮圧に来てたろう。そこで死んでいれば、あまりにも極端な考えだが、今こうして悩んでいる事も無いのだ…………もっとも最初から死ぬ気など無いので論外な考えだが。鈴谷は真顔で思考をまとめる。

 

「あんたの言うことも、まぁ、1ミリぐらいは有るのかもね。」

 

「お?」

 

「でも」

 

 相手が口を開くのに被せて鈴谷は続ける。

 

「私は死ねないの。義父さんにここまで自分の子供でもないのに育てて貰った。みんなには迷惑を掛けたけど、嫌な顔ひとつ貰わずに気持ちよく送って貰えた。そう言う事をしてくれた…………いや、してくれる人達が居るから。私はまだ死なないもんね」

 

 考えていたことを毅然(きぜん)とした態度で言い放つ。「ほぉ~」と対面するネ級は気の抜けた返事を返してきた。

 

「い~じゃんい~じゃん。自分の考えが言える人は好きだよ」

 

「何様よあんたは」

 

「女王サマ」

 

「姫級の深海棲艦でもないあんたが?」

 

「ひどい」

 

 例えあまり仲がよろしくなかろうと、話し相手が居るというのは楽しい。そう思った鈴谷はニヤニヤしながらネ級に口撃を始める。居心地が悪そうにし始めた相手はというと、堪らず話題を逸らそうとしてきた。

 

「じゃあこうしよう。今度は貴女の悩み、ワタクシが聞いてあげる」

 

「……例えこの世から全ての人間が消え去っても、アンタにだけは相談相手になって欲しくないもんね」

 

「ひっど!? そこまで言うのん?」

 

「嘘よ嘘。いつもあんたが私を揺さぶってくるから仕返ししただけヨ」

 

 ニイィと口角を上げて笑う。ネ級がうっすらと眉間にシワを寄せて不機嫌そうな表情になるのを、確かに見逃さなかった。

 

 相手を弄るのにも気が済んだので。鈴谷は「悩み」というのを真面目に考えてみる。

 

「悩み、かぁ」

 

 今のところ自分の抱えているのは3つある、と簡潔に考えた。

 

 1つは直海他、自分と関わっていた人たちの今後だ。直海は父親の所に帰るんだろうが、心に大きな傷ができただろう。佐伯や熊野にしたって、自分を送り出すために資金的な援助をし、あまつさえ火薬で一般施設を爆破までしている。変な連中に嗅ぎ回られて事が全てバレる可能性がないとは言い切れない。

 

 自分が考えることじゃないと言えばそうだが。考えれば考えるほどマイナス方面に掘れる頭痛の種の1つだった。

 

 その次は今後の生活についてだ。理想は1、2年ほどの海上生活を続けた後の帰投だが、それを見越すと、やらねばならないことは多い。どうにか軍に自分は危険ではないということを伝えた上で、更にいい意味で(こび)を売る必要がある。土井の言っていた「過激派」のことを考えれば、それでもまだ足りないという予測が付くのが最大にネックな部分か。

 

「………………」

 

 最後に思っていたのは、一番の発展と言えるモノだった。それは、「なぜ何の疑問もなく佐伯たちは自分を送り出してくれたのか」 というものだ。

 

 今更になって改めて考えて気になったことである。普通に考えて、付き合いの長い友人なんかが、例えば唐突に「起業して成功したい」等と言えばどうなるか。応援する人間も居るだろうが、「やめておけ」だとか「無茶するな」とか。1つ2つのこちらの身を案じた反対が出るはずだ。「それ」が鎮守府の友人たちから無かったことが鈴谷は引っ掛かっていた。

 

「なんでみんな、疑問も持たずに見送ってくれたのか、かな」

 

 悩んだ末に。一番最後を、鈴谷はネ級に打ち明けることにする。

 

「熊野は最初こそ問い詰めてきたけど……そのあとはホイホイやることはまとめてやってくれたし。他の人にしたって、妙に聞き分けが良かったし……私の見てないトコで会議とかしてただけかもしれないケド」

 

「……………本当にわかんない? 貴女結構考えすぎるタチなのね」

 

「……ちょっとどういうこと」

 

「ものすごぉく答えは簡単だと思うんだけど」

 

 舐めた口を聞きやがって。ネ級の言葉を聞いて最初に沸いた考えはそんな感じだった。しかし詳しい内容を聞き、鈴谷ははっとする。

 

「結局みんな貴女と一緒だったってだけでしょう。おんなじ、何をしたら良いのか解らない。だから、せめて相手の願うことを手伝いたい。そう思ったことの結末に過ぎないだけ」

 

「……………!」

 

 こいつ……なかなか鋭いことを言っているのでは。確かに、そう考えてみれば、あの2日間、妙に聞き分けがよかったみんなのことに説明がつくような気がする。

 

「…………」

 

「どーお? 納得いく答えだった?」

 

 直海を除いた自分を見送った面子を思い浮かべる。ぎこちなく無理矢理笑顔を作っているような者ばかりだったのを、鈴谷は鮮明に覚えていた。

 

「…………そっか」

 

 当たり前、だよな。人がいきなり化け物になるだなんて、まず一生のうちに体験しないような事だものね―― ネ級に言われたことが、少なくとも鈴谷には疑問の答えに思えて。ほんの少し、心の中が掃除された気分になった。

 

 考え事をしていると。彼女はゆっくりと這い寄って来るような眠気を感じた。夢から覚める兆候である。

 

「……! ……………」

 

「あら、もうおねむ?」

 

 重い(まぶた)を無理矢理開く。何が楽しいのやら。鈴谷の顔を眺めながら、ネ級はにっこりとはにかんでいた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

『―――でも、深海棲艦の活動が活発になっているとのことです。沿岸部の皆様は、警報が出たとき、すぐに避難誘導には従ってくださいね』

 

「ん……ぅん?」

 

 ノイズが少し入っている、ラジオ放送の音が耳に飛び込んでくる。

 

 あくびと伸びをしながらネ級は体を起こす。自分の体はテントの中にあり、外からは波の音が聞こえてくる。潮の薫りなども感じたことから、今度はしっかりと現実の方で目が覚めたようだと認識した。

 

「鈴谷しゃんがお目覚めなのれす」「「ですぅ」」

 

「おはよう。妖精さん」

 

 自分よりも早起きしていた小人たちに挨拶を返す。

 

 少し肌寒いな、と思って目線を自分の体に向けると、水着姿の自分の胸が目に入る。昨日は気温の高さに寝苦しく感じて、上半身下着だけで寝たことを思い出した。

 

「眼福なのれす」「ないすばでー」「えちえちのえちなのです」

 

「なにさ。このおませさんたちめ」

 

 無防備な格好を見て好き放題に言ってくる者らの頬をつつく。中には彼女の谷間に座り込んでいた奴まで居て、ネ級は少し顔を紅くしながら、その不届きな妖精をデコピンでふっ飛ばした。

 

「どこ座っとんじゃいこのすっとこどっこい」

 

「うわぁん」

 

「もう。このスケベ」

 

 尻餅をついた妖精を見てニヤニヤと笑う。

 

 懲りない他の小人らの「流し目がせくしぃ」等という発言をよそに、寝冷えして外気が寒く感じた彼女は、外に竿を建てて干していた薄手のジャンパーを取る。着替えの最中、初めてここに上陸した日と同じく快晴な空を見て、ネ級は足元に居た妖精らに話し掛けた。

 

『―――エスト曲でした。さて、次はお待ちかね……』

 

「今日も無駄に天気いいね~……あと、さっきから気になってたけど。このラジオ貴女達がつけたの?」

 

「「「「です」」」

 

「ふ~ん……にしても」

 

 こんな誰も居ないに等しい場所ですら電波が拾えるなんて、スゴいラジオだなこれ。上着のチャックを閉じて、ネ級は物を手にとって眺めてみる。

 

 熊野から娯楽のためだと受け取ったこのラジオ、新技術がてんこ盛りの最新式だという。艦娘の艤装に使われている技術が入っているらしいのだが、どれぐらいスゴいものなのかと言えば。海面を伝ってくる僅かな電波やら何かを拾って増幅し、周波数さえ合わせればほぼ地球上のどこでも放送が聞けるとのこと。

 

 技術の進歩というものに感心していると。垂れ流しになっていた放送が1つ終わり、次の放送が始まる。

 

『みんなおはよー! 時刻は午前9:30になったわ。突撃・シエラ隊のウツギよ! 今日遠征に出ている、クローバーナイト隊・サインズ隊・ルベライト隊の皆さん、体調は如何ですか? 風邪とかひいてない?』

 

「うぅ~わ。久々に聞いたなぁ、ウツギさんの声……」

 

「お知り合いの方なのです?」

 

「いやいや違うよ。個人的に気に入ってるパーソナリティさん」

 

 適当に周波数が合わせてあった機械から聞こえてきたのは、自分の大好きだった番組だ。そう日にちは空けていないのに妙な懐かしさを感じ、思わずスピーカーの声に聞き入った。

 

 内容はというと、自分の居た場所よりも先に出来た鎮守府の艦娘がやっている、艦娘への緒連絡・一般人への広報を兼ねたラジオ放送である。因みに現在進行形で喋っているこの人物の本名は知らないが、軍では駆逐艦・(あかつき)という名前だとネ級は記憶している。

 

『――とか、大変ですよね。じゃ、早速お便り読みましょうか! えぇ、PN(ペンネーム)・演習無敗さんからのお便りです。ウツギさん、いつもお疲れ様です。作戦とラジオとどちらもこなす姿勢に憧れます。ふふふ、どうも♪ 誉められると照れちゃうな~』

 

「今日もこの人は元気だなぁ」

 

「鈴谷さんはよく聞いているのです?」

 

「リスナーだったからね」

 

「「「「へぇ~……」」」」

 

「なんでもね、この人、物凄く強い艦娘さんなんだって。いつか会ってサイン貰うのが夢だったんだけどなぁ……」

 

「どれぐらいの練度なのです?」

 

「うろ覚えだけど、確か70とかじゃなかったかな。もしかしたら80後半超えてたかも」

 

「はにゃ~鈴谷さんなんてデコピンでやられちゃうレベルなのれす」

 

「なっ!? それ余計じゃない!?」

 

 なかなか直球で痛いことを言ってきた妖精を指でつついて突き倒す、そんなとき。ネ級は機械越しに聞こえてきた話題に、顔の向きを変える。

 

『おととい、軍港の近くで大きなテロ事件がありましたね。あぁアレね。えぇ、私はああいう一般の人を巻き込むような人達を許せないと思っています。ウツギさんの考えをお願いします。ね。う~ん』

 

「!!」

 

 少し驚く。多分間違いない。「あの日」のことだろうか。唐突に出てきた自分に関係する事柄に、全神経が放送に向いた。

 

『ちょっとキナ臭いというかなんというか。不気味な事件ですよね。あの、私が言って良いのかな――あ、大丈夫? おっけーおっけー。えぇ、スタッフさんから許可頂けましたので、お話しますね(笑)』

 

『私もね、結構嫌な出来事だなぁって思ってます。一応自分も艦娘ですから、人を傷つけるような行動は論外って持論を持ってて。亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。』

 

『個人的に気になってるのは、やっぱりなんか、テレビとかでストッパーというか報道規制みたいなのがかかってる事ですよね。そういう辺りは、私は本当に黒いものを感じてたりします』

 

「……………………」

 

「鈴谷しゃん……」「「「ですぅ……」」」

 

 どんなことを言うのかと思ったが、流石に公共の電波に乗っている人間な辺り、自分の身を(わきま)えているのだろう。ネ級が最初に思ったのは、多少切り込んでこそいれ、本当に当たり障りもない無難なコメントだな、とかそういう感想だ。が、彼女は別にそんな点には注目していなかった。

 

 みんな、思うところは一緒なんだな。彼女はそう思っていた。

 

 100人ぐらい取っ捕まえてアンケートを取ったら99人ぐらいは「おかしなもの」と言うだろうな、とは思っていたあの日の出来事とそれに付随する報道関連のことだが。こうして実際に他人の見識を聞き、それが自分や周囲の人間とそう変わらないものだと知ると。なんとなく親近感を覚えて、安心感のような物を感じる。

 

『さぁ、暗い話になってしまいましたね。あぁ、演習無敗さんを責めるわけではないので、安心してね? では、次のニュースね。最近鎮守府では――』

 

「……立派な方なのです」「「「ですぅ」」」

 

「そーぉ? 私はフツーな意見だなって思ったけど」

 

「鈴谷さんはいつも飄々(ひょうひょう)としてるのに、真面目を気取るとすぐに顔に出るから解るのです……本当はそう思ってないのです?」

 

「……え、ばれた? そんなに私顔に出るの?」

 

 テントの外に置いていた水を張ったバケツにタオルを浸ける。絞って水気を切ったそれで体を拭きながら、ネ級はのんびりと妖精らとの会話を楽しむ。そんな時だった。

 

 ずり、ずり……と。何かが砂の上を這ってくるような音を耳にして、妖精とネ級は互いに顔を上げる。視線の先に、1匹の駆逐ニ級が居た。

 

 誰も慌てる様子はなく、全員が相手の方を見る。妖精の1人が口を開いた。

 

「またあのニ級なのです?」

 

「みたいだね」

 

 はぁ、と短い溜め息を吐く。体の側面から生えた小さな手で、のそのそと腹部を引き摺ってこちらに近付いてくる深海棲艦の方へとネ級は歩みを進めた。

 

 

 

 

 今日で島に上陸して3日目だったネ級だが、初めてこの場所に来たときの疲労を抜くために昨日は半日を寝て過ごしていた。

 

 ではこのニ級は何かというと、いずれは魚などを捕って生活する必要がある、と海に出たところ、何故か後を付いて来るようになった個体だった。攻撃してくるわけでもなく、かといってじゃれてくることも無く。一定の距離を保って付いて来るだけで何もしてこないので放っていたのだ。……更にもう1つ。ネ級には、とてもではないが攻撃できない理由があったが。

 

「!!」

 

「よしよし。いーこいーこ、また採ってきてくれたのね……はぁ」

 

 深海棲艦が口に咥えていたズタ袋を手に取る。中には海藻や魚が入っている。またどこから持ってくるのか、砲に詰める弾薬まで入っていた。

 

 本当に謎が極まっていたが。このニ級は、ネ級が「弾が欲しい」という愚痴を聞いて、それらを持ってくるのである。彼女にとっては非常に貴重な補給のアテだった。

 

 いったい何故なのか、理由はま~~ったく解らなかったが。自分になついてしまったニ級の頭を、犬でもあやすように撫でる。

 

『今日の海の様子ですが、昨日と同じく快晴になるそうです。波や海流が荒れる心配は、特にしなくても大丈夫だそうです!』

 

「鈴谷さん、今日は何をするのです?」

 

「食べるものは、この子が居てくれたら多分なんとかなるだろうしさ。ちょっと島の中みてみたくない?」

 

「賛成なのです。地理の把握は大切です」「「「ですぅ」」」

 

 ラジオの音が気になるのか、そちらをみているニ級を撫でながら妖精と今日の方針を話す。綺麗にやすりをかけられたように、つるつるして日光を反射しているニ級の体は触り心地が良い。

 

『南下した海域では、近頃また新たな姫・水鬼級が観測されたとのことです。会わないに越したことはありませんが、もし、遭遇した場合は。慌てず、必ず複数人で対処するのをオススメします。無理はしないよう、いざというときは退却する考えも頭に入れましょうね。みんなファイトです!』

 

「瑞雲は使わないのです? 空からみれば一発なのです」

 

「燃料ケチりたいからそれはナシ。それに自分の目で見て地形は把握したいしね……それとも何、この子解体して燃料取る気?」

 

「ノーコメントなのです」

 

 こちらの会話の内容は多分解っていないだろうが、体を傾かせてキョトンとしているような態度を見せたニ級に。「お前さんは気にしなくて大丈夫よ」、と、少し思うところがあったネ級は言った。

 

 簡単な身支度を整えて立ち上がる。妖精らに言った通りに、適当に島を探検しようと歩みを進めたとき。また砂を掻き分ける音が後ろから聞こえてきて、彼女が体の向きを変えると。ニ級が後を付いて来ていた。

 

 驚いた。水上ならまだしも陸地でも追いかけてくるのか。そう思った彼女は、しゃがみこんで相手に問い掛ける。

 

「……君も来るの?」

 

「グルルルル……」

 

「なるほどなるほど……妖精さん、OK?」

 

「のーぷろぶれむ、なのです」「「「怖いよぉ」」」

 

 いや、どっちだよ。心の中で彼ら彼女らに突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 森の中に入って一時間ぐらいは経っただろうか。

 

 これから先、特に用事なんて物に縛られているわけでもないネ級は、のそのそ付いてくるニ級に合わせてゆっくりと先に進んでいた。

 

 初めて来たときから思っていたが、それなりに大きな島だと改めて実感する。森や崖があるのは初日に見ていて、昨日には、飲める程度には水が綺麗な川を見付けていたが。更に山があったり、小さな小屋や廃墟が有ったりと、昔は人が住んでいたような形跡も視界に飛び込んでくる。

 

「昔は人が居たのかねぇ?」

 

「さぁ、神のみぞ知る、なのです」

 

「ぎゃあ! でっかいムカデがいたのです!」「いもむし!」「だんごむし!」「かぶとむし!」

 

「うぅ~わ止めてよ気持ち悪い! ……って妖精さんカブトムシ駄目なんだ」

 

 道のように開けた足場に転がっていた虫の死骸を、苦い顔をしながら木の棒で避けたりしながら進む。そんな時だった。

 

 背中の方から、木の幹をなぎ倒して何か大きなものが地面に転がり落ちるような音が聞こえてきて。びっくりして慌ててネ級は振り返った。

 

「あちゃ~……」

 

 岩か木の根か何かに引っ掛かったらしく、後ろでニ級が引っくり返っていた。

 

 体の構造上、こうなってしまうと自力では起き上がれないらしく。この深海棲艦は、仰向けになってしまった亀のように手足をパタパタして唸り声をあげ始める。

 

「ギュッ! グギュゥ!」

 

「あらららら。大丈夫?」

 

 流石にここまで来て見過ごすわけもなく。ネ級は重たいものを持ち上げる要領で、腰に力を入れて彼(彼女?)を起こしてあげた。

 

 どう言ったものか。一緒に行動するうちに段々と認識が改まっていく。このニ級が戦闘をしているところを見ていないのもあるが、ネ級にはなんだか可愛く見え始めてきていた。

 

「ドジなニ級なのです。ここが戦場なら、私にかかれば瞬きしてる間にアボンなのです」

 

「そういうこと言わずにさ。そもそも海に居るのにこんなところまで来てくれてるんだから」

 

「勝手に付いてきただけなのです」

 

「まあまあそうカリカリしないで」

 

 元を辿ればそもそも最初は人間だった自分と違い、相手は純粋な深海棲艦だからか。まだ警戒を解いていない妖精らをなだめつつ、ネ級は森のより深くへと歩く。

 

 

 

 

「すご…………」

 

「ほえぇ……おっきいのです」「「「「ですぅ……」」」」

 

 自分の腰ぐらいまで延び放題に生えた雑草を掻き分けて、先を進んだ先にあったものを見て。ネ級は立ち止まっていた。

 

 人が居なくなってそれなりの年数が経っているのだろう。手入れが行き届かなくなった雑草や木に隠されるように、廃墟になった大きな神社があったのだ。妙な存在感を放つ建造物に一行は気圧される。

 

「スピリチュアル!」「この島を出た奴らはばちあたりなのれす」「御詣(おまい)りませませ?」

 

「すごい立派だね……ちょっと入ってみようか」

 

「グルルルル…………」

 

 かなり年月を経たものなのか、ひびの入っている白い大きな鳥居を潜る。一応、ネ級はしっかりと礼をしてから、中央を避けて参道を歩くことにした。

 

 昔はさぞかし名のある場所だったんだろうな。お参りやお賽銭をする場所である拝殿(はいでん)(つた)や苔に覆われているが、大きさも相まって圧倒的な存在感を示している。それに彫刻などは朽ちて崩れているものの、境内(けいだい)の玉砂利も綺麗だし、全盛期の姿を拝んでみたいものだ。そんなように、場所に対する感想を抱いた時だ。

 

 唐突に妖精の一人が叫び声をあげたので、思わずネ級はびくりと体を震わせる。

 

「ぎゃぁっ!」

 

「ひゃあっ!? 今度は何?」

 

「へ、蛇なのです! めちゃデカなのです!」

 

 たかが蛇ごときで……。そう思いながら、渋々ネ級は妖精の指差す方向に体を向けた。

 

 視線の先に、真っ白な蛇が鎌首をもたげてこちらを視ているのを見付ける。

 

 すぐにとある有名な神社の事を思い出して。周囲を見渡してあるものを見つけると、「やっぱり」という呟きが口から自然と漏れる。ネ級ははにかみながら、妖精らに話し掛けた。

 

「…………妖精さん、駄目だよ怖がっちゃ。あれ、多分神様だから」

 

「いったい何を言うのです!? 冗談きついのです! すぐにデストロイなのです!」

 

「いやいやマジよマジ。結構真面目なお話」

 

 指を指すのは失礼か、と思って手のひらで方向を指しながら、ネ級はある場所に妖精らの視線を誘導する。

 

「あそこ、見えない? お清めの手水舎のところ」

 

「……………あっ!」

 

 目をぱちぱちさせる妖精らを見て、ネ級は笑顔を濃くする。

 

 彼女が妖精たちに見せたかった物。それは、手水舎の隣に配置された、とぐろを巻く蛇の彫刻だった。他の物が軒並み風化してしまって壊れていたが、これ1つだけは残っていたのだ。

 

「「岩国(いわくに)の白蛇」って知らない? 昔から日本で白いアオダイショウは神様の使いって言われてるんだよ? 金運・幸運ですっごいご利益あるって言うし」

 

「受け付けないものは受け付けないのです」「「「ですぅ………」」」

 

「あ~らら。バチ当たりな妖精さん。ニ級もそう思わない?」

 

「グルルルル……?」

 

 朝に変な目で自分を見てきた仕返しで、笑いながらネ級は妖精たちをおちょくる。彼ら彼女らは結構気に入らなかったようで、みんなそっぽを向いてへそを曲げた。

 

 そんな相手の様子など知らない様子で、うきうきしながらネ級は拝殿に目を向ける。神社仏閣を訪れるのは昔から嫌いなことではなかった事に加えて、人生で初めて訪れた白蛇神社に興味が沸いたのだ。

 

「……なんか運命感じちゃったかも! ちょっとお詣りさせて貰おうかな。妖精さんは?」

 

「勝手にするがいいのです! ふん!」

 

「ふふふ……じゃ、そーするね♪」

 

 肩や触手に乗っていた妖精達を降ろして。ネ級は鳥居での礼は済ませていたので、手水舎で体を清めてお詣りする事にした。

 

 作法に乗っ取って、柄杓(ひしゃく)で手早く左手、右手、口の順で水で清める。最後に持っていた道具の柄を水で流して準備完了だ。

 

 どうせもう使うことは帰るまで無いだろうし。意味もなく持ってきていた小銭入れからコインを1枚取り出しながら、ネ級はどきどきしながら階段を登っていく。

 

「……………」

 

 いざ賽銭箱と鈴を目の前にすると、改めてこの建物の存在感みたいな物に気圧された。他に本殿は見当たらないから、恐らく1つの神様を(まつ)っているんだろうか、等と考える。

 

 100円玉をそっとお賽銭箱に入れて、鈴を鳴らす。そして、ネ級は2回深いお辞儀をした。

 

「…………………」

 

 ちゃりちゃりと髪留めの鈴が鳴る。次に、ぱん、ぱん、と音が境内に響き渡るほどの強さで手を叩き、目を瞑って願い事をお祈りするのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 これから先は恐らくまだまだ自由な時間も有るだろうし、と思い。別に急ぐ意味もなく感じたネ級の考えから、一行は砂浜に戻る。

 

「神秘的な場所だったね~。何かご利益あるかな?」

 

「興味ないね。なのです。蛇を祀るなんて趣味が悪いのです」「「「ですぅ」」」

 

「えぇ~? なんでよ、白蛇って神秘的で綺麗じゃん」

 

 のんびりと雑談しながら、キャンプまで歩く。陸地の行動に慣れたのか、帰り道では後を追ってくるニ級の速度がほんのり上がっており、行きよりもそう時間はかからなかった。

 

 戻ったら日が落ちるまでは何をしようか。缶詰・魚合わせて食べるものはまだまだあるし、多分は考えてここを指定したであろう佐伯のお陰で水の心配も特に無い。入院していたとき並は無いだろうが、それでもなんだか暇を持て余しそうだ。

 

 考え事の最中、多少息苦しく感じて、付けっぱなしにしていた首輪の位置をずらしたときだった。

 

 動物的な野生の勘とでも表現するとぴったりか。何か、妙な空気感を察知して。ネ級は唐突にその場に立ち止まる。

 

「…………………。……!?」

 

「どうかしたのです? 鈴谷さん」

 

「妖精さんちょっと隠れるよ!」

 

 いきなり急停止したかと思えば、どこかを見て目を見開いた彼女に妖精が疑問を持つ。何を見たか教えられる前に、全員はネ級に取っ捕まれて草むらに放られた。

 

「ぴゃあ! いきなり何をするのです!」「「「です!」」」

 

「いや、アレ…………」

 

「ほんとにもー、何が……」

 

 冷や汗で顔を濡らし始めた彼女に呆れながら、妖精らは視線をネ級が指差す先に向けた。

 

 肌は真っ白なので深海棲艦か。中高生の女の子ぐらいの体格で、それでいて、背中の下辺りから体と同じくらいの、先端に怪獣の頭みたいな物がくっついた尻尾が生えている。ネ級と妖精の知識が間違っていなければ。戦艦レ級、という個体が居た。

 

 何をしているのか勿論その場の誰も知らないが、相手は設置していたテントをじっと見つめていた。

 

「ぴゃぁぁぁぁぁ!?」

 

「うるさいっての! このスカポンタン! ばれるっつーの!」

 

「ふぇぇ……」「もう駄目だぁ……おしまいだぁ!」「ざんねん! あなたのたびはおわってしまった!」

 

「勝手に殺すなっちゅーの!」

 

 とんでもない驚異が現れたとはいえ、流石にビビりすぎだと思ったネ級は一人ずつチョップして黙らせる。

 

 戦艦レ級。軍では1体につき、必ず3人以上で対応することが推奨されているかなり強力なタイプの深海棲艦で、落ち着こうと努力はしつつも、元々悪いネ級の顔色は更に蒼くなる。万が一、いい寝床を見つけたとばかりにあの場所を占拠されたらどうしようか、と思うと気が気じゃなくなりそうだ。

 

「…………? 変だな………」

 

 ただ、少し妙な個体だった。自分の知っているレ級は水着の上からレインコートみたいな物を羽織った姿をしている。が、この個体はカーディガンにスカート、その上からなぜかエプロンを付けている。普通の人間みたいな格好をしていた。

 

 また、種族(?)的には非常に好戦的で好奇心が強い性格をしているとも聞いている。なんでも、目についた気になったものは片っ端から壊していく、とも。が、今視線の先にいる相手は、少なくとも今現在は非常に大人しく見える。

 

 色々考えてとにかく目を離さずに様子を伺う。そのまま数十分が経過した。

 

 幸い、色々考えたことは杞憂だったらしかった。興味を失ったのか、テントの内外を物色したあと、レ級は去っていく。手には何も持っていないのを確認して、本当にただ見てただけか、とネ級は思う。

 

「………………どっか行ったね」

 

「命拾い!」「ぎょうこう!」

 

 良かったぁ………お詣りのお陰だろうか。流石に早すぎるが、そんなように考えてネ級は自分の心を落ち着かせる。

 

「でも危ないな……今後も来るかもしれないし。テントの場所ずらすかな。」

 

「賢明なのですさっさとずらかるのです!」

 

「はいはい。はぁ……」

 

 まぁ、全くの暇になるよかマシなのかな。驚異が完全に去ったのを見てから、彼女は足を動かす。

 

 チリン、と頭の鈴が鳴る。同時に軽いものが落ちて地面を跳ねる音が足元から聞こえて。ネ級が頭を下げると、髪止めが落ちていた。

 

 今日という日はそれなりに体を動かしていたから、段々下がってきてたのかな。特に深く考えず、物を拾うためにその場に屈んだ。

 

 その時だった。

 

 お辞儀みたいな体勢をとった彼女の頭上を、赤い光を放つ光線みたいな物が凄まじい勢いで通り過ぎる。考える暇もなく、森の出口の方でそれは炸裂したらしく、大量の石や砂が爆風と共に飛んでくる。

 

 意味が解らなくて唖然とするも、頭の中で目一杯に鳴り響く警告音に従って慌てて後ろを振り向く。背後で立っていた者の姿を見て。ネ級の顔はさっきまで蒼かったのが、それを通り越して白くなった。

 

 

「こそこそ嗅ぎ回ってたようだけど……そんなに向こう岸に送られたいのかしら? あなた。」

 

 

 腰ほどまである長い白髪をツーサイドアップの髪型に纏めて、上下水着姿の、上半身には丈の短い革製のジャンパーのような物を羽織っている。目を引くのは、この人物は両腕が猛獣の鍵爪のような形状をしていることだろうか。

 

 そんな格好をした女に。ネ級は、相手の身体的特徴を掴むに連れてどんどん顔色を悪くしていく。全身の嫌な汗が止まらず、遂には軽い吐き気まで覚えた。

 

 戦艦や空母の上、最強に危険だと言われる艦種。軍からは「鬼」とつけられているタイプの深海棲艦、「南方棲鬼」という個体が背後に居た。

 

 

 

 

 

 




新キャラ登場。なおこの南方さんはツインテではなく棲戦姫ヘア。


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13 イ・チ・ダ・イ・ジ!

挿し絵と並行すると更新が遅くなる問題


【挿絵表示】



 

 

 

 季節は夏の始めに差し掛かっているので、今日はそれなりに気温も高い日だったが。そんなものも関係なくなるような寒気に、今のネ級は頭がいっぱいになっていた。

 

 抵抗なんてしても無駄だ。逆立ちしたところで絶対に勝てない――そう思わせるだけの威圧感を放ち、砲の先を向けてくる南方棲鬼に。彼女はすっかり腰を抜かしてしまう。

 

「2日間も何もせず浜にいるから何をしているかと思えば……ねぇ。なるほど、小癪(こしゃく)な真似をしてくれるじゃない」

 

「…………………!!」

 

「人間と同じ格好をさせたネ級か。少しは知恵を回したようだけど、ロクに擬装もさせずに送ってくるのは流石、馬鹿なアイツらしいと言っておこうかしら」

 

 深海棲艦が流暢に話しているところは見たことがなかったので、こんな状況でも無ければ多少は感心していたかもしれない。

 

 しかし、今のネ級にそんなことを考える余裕は勿論なかった。話の内容はわからなかったが、明らかにこちらに敵意があり、更に機嫌が悪いことぐらいは理解でき。全身から血の気が引いていく気がした。

 

「まぁいいわ。死になさ――」

 

 南方棲鬼が砲の引き金を引こうとしたときだった。

 

 成り行きからネ級が連れていたニ級が、吠えながら彼女に体当たりをかます。

 

「ガアアァァァ!」

 

「「!!」」

 

 唐突に活動を始めた1匹の深海棲艦に、2人は驚く。予想していなかったニ級の行動に、思わず変な方向に砲を暴発させた南方棲鬼を見て、慌ててネ級は距離を取った。

 

 島の中を探るに当たって、ネ級は自衛として最低限の武器だけは持っていたので、すぐにそれらのスイッチを切り換える。そして、まずは相手の様子を見ることにした。

 

 敵を突き飛ばしたあと、機関砲のような物を連射して南方棲鬼を威嚇(いかく)していたニ級は、今度は彼女の足に張り付き。どこに収納していたのか、手に(もり)のような物を持って彼女を突っつき始める。

 

「グル! ゥゥ゛ル゛ル゛ルル!!」

 

「あっだ!? 何すんのよ! このぉ、離れなさいっての!!」

 

 体にまとわりつくニ級を、南方棲鬼が足や手を振り回して振りほどこうとするのがよく見える。

 

「…………っ」

 

 さっきの事がないのなら、なごむ光景だけれど……。ネ級は少し場違いな事を考えつつ、1個だけ持っていた砲を両手持ちで構えながら、ゆっくりと摺り足で下がっていこうとした。

 

 が、ネ級のその行動はすぐに終わりになった。背後に居た何者かに、どん、と体をぶつけたのである。

 

「―――えっ?」

 

 嘘でしょ? まさか―― 当たって欲しくないと思う考えというのは、何故かよく当たるらしい。後ろに居る何者かは誰か。最悪を考えていたネ級の予想は当たった。

 

 ゆっくりと。()び付いた機械のような動きで、体の向きを変える。

 

 目の前でニ級に翻弄(ほんろう)されている南方棲鬼の仲間だったのだろうか。先程どこかに行ったかと勝手に結論をつけたレ級が、自分の背後まで来ていたのだ。

 

「あ……ぁ………!」

 

「…………………」

 

 完全に目と鼻の先、相手との相対距離は30cmと離れていない。逆方向は南方棲鬼がおり、更には右・左方向に逃げようにも木々が邪魔でとても全力疾走なんてできる場所ではないのは、今日の散策で知っている。

 

 本当におしまいだ。逃げ道がどこにもない――

 

 自分よりも頭ひとつぶん背の低い人型の深海棲艦に、震えが止まらなくなる。戦艦級の個体というのは、艤装を付けた艦娘並の馬力があり、素手で鋼鉄をねじ切れる位の能力はあるのを知っているだけに。こんな至近距離から体を掴まれたら何をされるのか、等と変な考えばかりが浮かび、(すく)み上がってしまう。

 

 本能的な恐怖にネ級が体を強張(こわば)らせているときだった。いやにゆっくりに見える動きで、相手が自分の顔に手を添える様子が彼女の網膜(もうまく)に映る。

 

「……………!」

 

 無駄かもしれないが、歯を食い縛ってこれからやって来る事柄に耐えよう……等とネ級は目を細めながら考えていたのだが。本日2~3度目の嫌な想定は、幸運にも外れることとなった。

 

 何をしてくるのかと思えば。レ級はネ級の頬の肉を軽く詰まんで引っ張り始める。

 

「ひゃ!? ……!? ……??」

 

「………………」

 

 てっきり力任せに顔の皮を剥ぎ取られるんじゃないか。そんなように思っていたネ級は、普通の人間と大差ないような力加減で自分の顔、とくに絆創膏(ばんそうこう)を貼っていた頬を撫で始めた相手に拍子抜けする。当然、彼女の頭の中に大量のクエスチョンマークが浮かんだ。

 

 小さな子供がじゃれついてくる時のような手つきで、レ級に顔を弄られていると。ネ級の背後から、その体越しに仲間の姿を見付けたらしい南方棲鬼の声が聞こえてくる。

 

「レ級、いいところに来てくれたわね、コイツをどうにかしなさい!」

 

「……!」

 

 南方棲鬼の声に反応したレ級はネ級の顔から手を離し、ニ級の居た方へとのんびり歩いて向かった。

 

 暴れていた深海棲艦をさっと(すく)い上げるような動きでレ級は南方棲鬼の体から取り。彼女は抱えていたニ級をやさしく地面に降ろす。

 

 さっきからそうだが、妙に落ち着いた行動をするこのレ級にネ級は混乱する。姿格好もあるが、なにより自分の知っている知識とは今一噛み合わない行動をすることが、彼女の頭をかき回す要因になっていた。

 

 足に噛み付いてくるニ級を放っておきながら、レ級は服のポケットから手帳みたいな物を取り出すのがネ級から見える。それに何かを書き込んで紙を1枚破り、彼女は南方棲鬼に手渡す。

 

「何よこんなときに……って貴女ね!?」

 

「…………♪」

 

「笑ってる場合!? 早くこいつを始末するのよ!」

 

「……………」

 

 何が書いてあったのかは知らないが。渡されたメモ書きを読んだ南方棲鬼が叫んでいる。応対しているレ級は、対称的になんとも楽しそうな笑顔だった。

 

 ネ級に殺意をぶつける相手の言葉を聞いて、レ級は両手を交差させて大きな×印をつくって見せる。理由は不明だが、なぜかネ級を(かば)っているらしかった。

 

 「駄目!? どうして?」 そう言って軽く癇癪(かんしゃく)を起こしそうになる相手に。レ級はまた手帳に何かを記して1ページを破き、南方棲鬼に見るように(うなが)す。

 

「…………はぁぁぁぁ! 解った! 連れてけばいいんでしょう……全く」

 

「……♪」

 

「ちっ……なんて面倒な」

 

 ゴツゴツした手で頭をぐしゃぐしゃ掻きながら南方棲鬼が近付いてくる。何となく、身の危険は去ったらしいと思い、ネ級は武器を下ろして気を付けをした。

 

「アナタ、言葉は話せるのかしら? 話せるわよね? さっき森の中で何かと喋ってるのは見たけれど?」

 

「は、はい!」

 

「よォしなるほど、会話の通じない馬鹿ではないみたいね? じゃあ話も早い、私に着いてきなさい? 返事は?」

 

「はい!」

 

 強制的に会話がトントン拍子に進む。取りあえずは何かの誤解は解けたらしいので、それは素直に良かったと思うべきだろう。ただし、このときのネ級は、眼前の人物の、心の中に化け物を飼っているような粘ついた満面の笑顔に恐怖しか抱いていなかったが。

 

 そんなとき。唐突に遠くの方から爆発音のようなものをその場に居た全員は聞き付ける。間髪入れずにどこからともなく飛んできた砲弾で木々が数本薙ぎ倒され、砂ぼこりが巻き起こった。

 

 「今度は何!?」 訳のわからない事に巻き込まれてナーバスになっていたネ級は思わず叫ぶ。その様子を見て、南方棲鬼は驚いたような表情になった。

 

「……!? アナタ、本当に連中の仲間じゃないの?」

 

「れ、連中って何ですかぁ! 知らないよもぅ!!」

 

 いつもの飄々とした態度はすっかり彼方に飛んでいく。これっぽっちも心に余裕の無いネ級は、涙目になりながら必死に相手の言う「連中」とは無関係な事を訴えた。

 

「……なるほどね……状況が変わったわ。あなたも手伝いなさい」

 

「えっ」

 

「返事はハイかYESよ。じゃなきゃ殺す」

 

「りょ、了解!! うぅ………!」

 

「…………リョーカイ? 変なアイサツね」

 

 南方棲鬼に袖を引っ張られて。嫌々ながら、ネ級は砂浜のある方へと引き摺られていくことになった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 3人と1匹の深海棲艦が森を抜けて浜に出る。攻撃してきたのは何なのか。それは複数固まって行動している深海棲艦だ、という事が、すぐにわかることとなった。

 

 テントを張っていた場所から少し離れた場所、崖の近くに黒っぽい人型が固まっているのがネ級には見えた。相手の事を見て、南方棲鬼は舌打ちする。

 

「ふん…………随分とナメた真似をしてくれるじゃない。こっちから攻めないと知って」

 

「え……?」

 

 自分はともかくとして、なんで部下を引き連れて動くような姫級の深海棲艦が同じ深海棲艦に狙われるんだ?―― 色々と聞きたいことが山程あったが、この時には一番に疑問に思ったそれを、ネ級は問い掛けてみた。

 

「あの……」

 

「何よ」

 

「なんで深海棲艦に狙われてるんですか? 同じ生き物なのに」

 

「はああぁぁ? 貴女本当に何も知らないのね……っと」

 

 会話の最中にも対空機銃の弾が飛んでくる。南方棲鬼は敵とは関係のない方向を見ながら()わして見せ、ネ級は慌ててキャンプから引っ張り出した盾で耐えていなす。

 

 涼しい顔で、回避しきれなかった弾は拳で弾き飛ばしながら。南方棲鬼は全員に指示を出した。

 

「話は後。さっさと目障りな雑魚を片すのよ。貴女とそこのニ級は手伝いなさい……レ級は家で留守番よ、あそこの守りを固めてちょうだい。いい?」

 

「…………!」

 

 ビシ! と音が聞こえそうなキビキビとした動作でレ級は敬礼し、どこかに逃げていった。退散した彼女から南方棲鬼の目線がネ級に移る。鳥肌を立たせながらネ級は「ハイ!」と従う返事をする。

 

「イーコイーコ。素直な犬は好きよ……さて」

 

 南方棲鬼の瞳が、強膜の部分まで真っ赤に光った。

 

「そんなんじゃ楽しめないだろうがァ!!」

 

 足場の砂を蹴って大量に巻き上げ、凄まじい加速をかけながら彼女は敵の群れに突っ込んでいく。埃にむせながら、ネ級はその場にしゃがみこむと、誤射に気を付けて援護射撃の体制を取る事にした。

 

 両手で武器を構えてアイアンサイトを覗き込んだときだった。さっきまではだんまりを決め込んでいた妖精らが話し掛けてくる。

 

「深海棲艦の言うことを聞くのです?」「「「でーす」」」

 

「しょーがないでしょ。鈴谷があんなのに勝てると思う?」

 

「「「絶対に無理なのです」」」

 

「断言しなくたっていーじゃん……」

 

 妖精らの呟きに耳を傾けつつ。あまり当てようとは考えずに、敵の邪魔を念頭に置いて狙撃を行う。南方棲鬼はというと、ネ級の援護で怯んで動きの止まった者から、爪で切り裂くなりして重巡・軽巡の深海棲艦を血祭りにあげているのが、遠くからでも確認できた。

 

「…………。おっそろしい」

 

 およそ人間には不可能な動きで右に左にと彼女は跳ね回るように動いている。弾の節約がしたいのか、南方棲鬼はネ級に撃ってきたような主砲は使わず、機銃と格闘で次々に敵を張り倒していく。それに遅れる形で、のそのそとニ級が敵に近付いて砲を撃っているのも見える。

 

 体から漏れ出ているような赤い光が残像を描くような速度で動く彼女に。敵ではなくて本当に良かったと思う。同時にネ級は、間違っても喧嘩など売って勝てる相手ではない、とも再度悟ることになった。

 

「………………。」

 

 呆けている場合じゃないか。援護の続きをしなければ―― ネ級がそう思ったとき。全く注意を向けていなかった方向から飛んできた砲弾に、後頭部を強打する。

 

「あ゛っだ!」

 

「不注意が過ぎるのです!」「「「です!」」」

 

「うっさいっての!」

 

 ゴチン!という鈍い音が響く。粗悪品の弾は炸裂することなく、ネ級の頭に跳ね返って浜の砂に埋まっていった。たんこぶの出来た頭を抑えながら身を(ひるがえ)すと、重巡リ級と軽巡ツ級が1体ずつ立っている。

 

「こんのぉ! うりゃー!!」

 

 両手に抱えた主砲をツ級に撃つ。上手く急所に当たったらしく、敵の火薬に引火し、ツ級は艤装の暴発に巻き込まれて炎上大破した。

 

 爆煙にむせそうになりながら、慌ててネ級は距離を取る。

 

「テントの近くは……ちょっと危ないか」

 

 キャンプには食糧・衣類・地図……必要な物が大量に置いてある。間違って吹き飛ばしたりしたらそれこそ一大事だ。素早く頭を回転させて結論を出し、ネ級は一旦離れた場所で戦うことにした。

 

 敵に(きびす)を返して全速力で走る。案の定こちらを追い掛けてめちゃめちゃに砲弾をばら蒔き始めたリ級に、彼女は補足されないようにジグザグに逃げる。

 

「………………」

 

 眼前に森が迫ってくる。ちょうどいいや―― 木々を使った反撃を思い付き、ネ級は構わず走り続ける。

 

 林の中、倒れた木の近くにあった切り株を足場に、脚の筋肉を総動員させて飛ぶ。そのまま木の枝に一瞬だけ飛び乗ると、そこから片足を軸にして方向転換しながらネ級は敵の頭上を狙ってジャンプした。

 

「このォ――ッ!」

 

 リ級の頭上めがけたトップアタックを敢行する。真上から大量に降り注ぐ爆薬と弾頭の嵐に敵は成す術もなく膝を折った。肩と頭を撃ち抜かれた相手は、土下座するような体勢で地面に倒れて動かなくなる。

 

「やった! うわぁっ! ……と。うぅ…砂だらけ……」

 

 着地に失敗して砂浜に尻餅を着く。が、すぐに前転して立て直し、周囲に目線を飛ばす。遠くの方ではまだ南方棲鬼が残った敵に応対していた。

 

 すぐにまた後衛に戻らないと―― 狙撃による援護に最適な場所を探すべく、ネ級は駆け出した。

 

 

 

 

「…………ちっ」

 

 ネ級が増援の深海棲艦に絡まれ、それらの対応に追われていた頃。南方棲鬼は予想していたよりも数が多かった相手に、思いがけず苦戦を強いられていた。

 

 ネ級の知るところでは無かったが、彼女は島に住んで1年と少しを過ごしている。ということで、地の利は自分にあると信じていた。が、流石に10数体もわらわらと殺到してくると、対処に苦労するのは必然だった。一応はニ級も応戦に参加していたが、驚異ではないと判断されたのか、敵は駆逐艦を無視してこちらばかりを狙ってきている。

 

 どこからともなく、いつの間にかに増えていた戦艦ル級に、不意を突かれて撃ち抜かれた肩を押さえる。痛みに(もだ)えながらも、砂浜を駆け回って敵に照準を付けられないように動き続ける。自分の流す赤い血を見て、改めて、攻め混んできた深海棲艦らへの怒りが沸いてきた。

 

「―――――――!!」

 

「この程度の攻撃……ナメるな雑魚が!!」

 

 聞き取れない叫び声を挙げるリ級に。一瞬で距離を詰めると、一思いに鍵爪でその体をズタズタに引き裂く。断末魔すら言えずにその個体は絶命した。

 

 仲間意識というものが薄いのか。リ級の死体に弾が当たることを(いと)わず、自分に向けて一斉砲撃をしてくる一群に、南方棲鬼は険しい表情のまま、腕に突き刺さった遺体を敵の群れ目掛けて放り投げた。

 

「人形遊びでもしていろ」

 

「――!?」

 

「――――!」

 

 この行動は予想していなかったのか、ほんの数秒間攻撃が止む。隙を見計らい、南方棲鬼は人混みを一気に突っ切る。そのまま2体ほど轢き殺すように敵の数を減らすと、彼女は崖へ向かって走った。

 

「これでふたつ……」

 

 足蹴にした岩が砕けるほどの脚力で上に飛び、爪を岩肌に引っ掻ける。速度が死なないよう、崖に体が掛かったと思った瞬間、南方棲鬼は岩に足跡を穿(うが)ちながら壁を走ってひたすら上を目指す。

 

 コンマ数秒下を見る。追い掛けてきていた深海棲艦達は流石に登ってきて追ってくる様子は無かったが、自分の真下に集まってこちらに攻撃してきていた。

 

「……ふ、フフフ……」

 

 ばーか♪

 

 心の中でそう呟く。

 

「いらっしゃぁい……歓迎するわね♪」

 

 準備が整った―― そう思った南方棲鬼は腕を岩に突き刺して減速する。そして、そこを軸として体の向きを敵側へと変え、崖に両足を突き刺して体を固定する。

 

 温存していた弾を遠慮なく撃ちまくる。下に集まってきていた深海棲艦らを狙い撃ちにした。

 

 ほどなくして全滅できるはずだ――南方棲鬼はそう思っていたが。しかし多少甘く設定した想定は少しだけ外れる。

 

「…………?」

 

 爆風と砂ぼこりの巻き起こっていた場所から、先程の一斉射よりも遥かに規模が小さいが、自分に向かって幾つかの攻撃が飛んでくる。何かと思ってよく目を凝らして観察すると、戦艦ル級の1体が、死亡した仲間を盾にしてこちらを狙っていた。

 

「…………。気に入らないな……そういうの」

 

 その場にしゃがんでから一気に足を伸ばして壁から身を投げる。自由落下の勢いのまま、南方棲鬼は最後に残ったル級の体を潰した。

 

「おちなさい……フン」

 

 呆気なく、仲間を肉壁にしていた個体は即死する。

 

 これで終わりか。雑魚の分際で、私の体に傷なんて付けて…… 南方棲鬼が呼吸を整えながら、手に付いた血を、足元の砂を(すく)って取っていたときだった。

 

 重なっていた死体の山を吹き飛ばして戦艦タ級が1体立ち上がる。とどめを刺せていなかったらしい。

 

「!?」

 

 反射的に両手で顔を守る。すると、遠方からの援護射撃でそのタ級は体勢を崩した。弾の飛んできた場所にちらりと目をやると、ニ級とネ級が立っている。

 

「ふ~ん……」

 

 どうやら使えない雑魚どもとは少し違ったらしい。

 

 それなりの距離があったが、ネ級は綺麗に頭部や脇腹等の急所を的確に撃ち抜き。最低限の弾数でタ級を射止める。おどおどとしていた先程の様子とは裏腹な手際の良さに、ほんの少しだけ南方棲鬼は彼女への認識を改めた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 戦闘が終わり。南方棲鬼が、倒した深海棲艦を岩に囲まれたため池のような場所に放って処理を始めたので、それを手伝い。ネ級とニ級は、着いてこいと言う彼女に付き従って、「家」なる場所へと歩いていた。

 

 小一時間ほどの応対を通して、取り合えず今は驚異ではないと判断したのか、南方棲鬼の前では隠れていた妖精らは、ネ級の触手から出てくると、彼女の肩に乗って腰を落ち着ける。

 

 2~30分経った具合だろうか。歩いている途中に、南方棲鬼はネ級に質問した。

 

「……そのヘンなの、なに? 見たことないわそんな生き物」

 

 ネ級の肩を指差して言う。艦娘と日夜戦闘しているだろう深海棲艦だから知っているんだろうと勝手に思っていたが、妖精を見るのは初めてらしい。「変な生き物」と言われて彼女らは声を荒げる。

 

「サマをつけろなのです! この深海棲艦!」「「「です!」」」

 

「ん~? ぷちりと潰されたいのかしら?」

 

「「「ぴぃっ!? ぼ、暴力はいけない!」」」

 

 暴言を吐かれて腹が立ったのか、南方棲鬼は鋭利な指先で妖精の一人をつまむ。発言が冗談に聞こえなかったネ級は、苦笑いしながら妖精らに代わって口を開いた。

 

「あんまり(おど)かさないであげてください。大事な友達なんです」

 

「ふ~ん? 騒がしくて敵わないわ。アナタ気が長いのね」

 

「まぁ、人並みには。」

 

 努めて穏やかな態度と言葉選びで穏便に済ませようとすると、相手にはつまらなさそうな顔をされて。南方棲鬼に内心ではどう思われたかが読めなかったネ級は、少し不安になる。

 

 話し相手がそんなことを考えているのは勿論知らず。南方棲鬼は、今度はネ級が自分に対して施した傷の手当てについて質問する。それなりに深い傷で血の流れも激しかったので、見かねたネ級は南方棲鬼の腕と額にガーゼと包帯を巻いていた。

 

「あと……どこで教わったの? こんなこと」

 

「独学です」

 

「ど……? なんだって?」

 

 「独学」という言葉を知らなかったらしい。慌ててネ級は訂正する。

 

「人間から教わりました」

 

「人間から……? へぇ、酔狂なのも居たものね」

 

「…………? 驚かないんですか?」

 

「別に。陸地大好きな奴を知ってるし。人間も同じくね。たまにここに寄っては、聞きたいと言ってもないのに土産話を持ってくるわ」

 

「へぇ……」

 

「で、聞きたいんだけど、何があって人間と関わり合いになったの?」

 

「!!」

 

 ネ級の全身に鳥肌が立つ。何も考えずに喋ったものだから墓穴を掘ってしまった。急いで言い訳を考えないと―― 南方棲鬼の見えないところでびっしょりと冷や汗をかく、そんな心境のとき。妖精の一人が助け船を出した。

 

「ネ級しゃんは、昔サーカス団に拾われて働いていたのれす」「「「です~」」」

 

「さーかすだん???」

 

「!! ひ、人の前で見せ物をするんです! 高いところから飛び降りたり、芸をやったり」

 

「へぇ…………」

 

「海から浜に流れ着いていたのを、そこの団長さんが拾ったのです。僕らもそこの一員だったのです」「「「です!」」」

 

「ふ~ん。だから一緒にいるんだ」

 

 妖精さん……本当にありがとう!! ネ級は心の中で感謝の言葉を叫ぶ。咄嗟に言い訳がつかなかったら何をされていたか……と考えると、再度背筋には冷たいものが流れる気分だった。

 

 次に来る発言を予想して、ネ級は服のポケットに手を入れる。案の定、南方棲鬼から予想通りのリクエストがきた。

 

「ねぇ」

 

「はい」

 

「そのサーカスっていうの。なんで抜けたかは聞かないわ。でも、芸っていうの? 何か見せてよ。じゃなきゃ撃つわよ」

 

 本当、乱暴な人だな! 最後の一言が余計すぎる、と思いネ級の顔はひきつる。

 

「ええと、じゃあ」

 

 ネ級は真顔でその場に立つと、自分の持っていた筆記用具を4本取り出す。

 

「…………? それで何をするつもり?」

 

「まぁ見ていてください」

 

 目を瞑って軽く精神統一を済ませると。持っていた物を2つ、自分の真上目掛けて軽く投げた。

 

 物が落ちてくる前に、左手をポケットに突っ込み、空いた利き腕だけを使ってペンでジャグリングを始める。

 

「よっ……んしょ」

 

「へ~ぇ……また妙な事を」

 

 タイミングを見計らって残りの2本を左手で投げ、両手での曲芸に切り換える。まさか、昔暇なときにやっていた事が変なときに役に立つんだな。そんなことを思いながら。ネ級は回していたペンを1つ取ると、その上に3本を器用に立たせて見せた。

 

「よっ……と。以上です」

 

「ふ~ん…………まぁいいでしょう。殴るのはいつかまた今度にしてあげる。」

 

「…………殴!? え!?」

 

「フフフ……冗談よ。早く行きましょう」

 

「……………………」

 

 にやりと笑った相手のうっすらと光る赤い瞳が細く歪む。どうにも、心の読めない人だ。ネ級はそう思う。

 

 

 

 

 程なくして目的地に着く。建っていた建造物を見て、ネ級+妖精一行は本の少しだけ驚いた。

 

 深海棲艦の家などと聞いて、てっきりボロ小屋を改造した秘密基地みたいな物かと勝手な想像をしていたのだが、そんなものとは話にならない。普通に人が暮らすような平屋があって、おまけに周囲にはよく手入れされた庭が有り。この島の状況からすれば異常と言える普通さの家を、多少不気味に感じる。

 

「ニ級はそこの池にでも放っておきなさい。中には入れれないから」

 

「はい。…………ニ級ちゃん、待っててね?」

 

「グァ!」

 

 慣れたらかわいいもんだな、と思う。自分の言い付けを理解してのそのそと水の中にニ級は入っていった。ネ級は続けて案内をする南方棲鬼に着いていきながら、池にぷかぷかと浮かび始めたニ級に手を振って別れた。

 

 大きな手で南方棲鬼は器用に引き戸を開ける。中は土足らしく、入り口に特に玄関と明確に区切る場所などはない。

 

 戸をあけたすぐの場所にレ級が居た。掃除でもやっていたのか、手にはちり取りが握られている。

 

「戻ったわ。悪いけど、何か作ってくれる? 疲れて眠いのよ」

 

「………………」

 

「えぇ、ありがとう。……何突っ立ってんの? 中入りなさい」

 

「お、お邪魔します」

 

 周囲に目を配りながら中に入る。

 

 外見と同じく、内装もそれなりに立派な家だ。木目の内装に合わせてか、置いてある家具も、木製かそれに類する模様の付けられたものばかりで統一してある。乱暴な性格だが趣味は良いのか、それともこれらはレ級が用意したものなのか……等と絶えずネ級は考える。

 

 廊下を歩いていて、「己を律せぬ者に 勝利はない」と書かれた掛け軸だけが妙に浮いており、少し笑いそうになったとき。リビングのような少し開けた部屋で、南方棲鬼に話し掛けられた。

 

「そうだ。アナタ人間のところで暮らしてたのよね?」

 

「えぇ、まぁ」

 

「じゃあ、レ級と何か食べるもの作っておいてちょうだい。拒否権は無いわよ」

 

「え」

 

「調味料はヲリビーの奴が持ってくるの。それを勝手に使いなさい。私は疲れたから寝るから、じゃあね」

 

「え? いや、オリビーってなんですか? ちょっと」

 

「……………………zzz」

 

「ね、寝付きが良すぎる……!」

 

 質問する暇すら与えてはくれず、相手はソファに寝転ぶとすぐに眠ってしまった。横に立っていたレ級に視線を移すと、彼女は微笑みながら南方棲鬼の体に薄手のタオルをかけている。

 

 簡潔に言って、正に「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」という言葉がぴったりな人物だ。と、ネ級は南方棲鬼に対して思う。そんなときだった。レ級が手帳を手渡してきた。

 

「?」

 

「………………」

 

 (めく)って中を見るような仕草をしてきたので、指示通りにページを開く。先程から思うが、全く声を出さない彼女は喋ることが出来ないのだろうか、等とネ級は思う。

 

 紙に書かれた事を読もうとしてギョッとする。今まで見たことがないような達筆な字で文字がつらつらと記されている。思わずレ級の顔と手帳とを2度見する。妙な動作をしたせいで相手が目をぱちくりさせるのが見えたので、ネ級は慌てて手記の内容に目を通した。

 

『殺すとか殴るとか言われませんでしたか? 心配しないでください。(ミナミ)さまは優しい性格をしていますから、実行に移すことはないでしょう』

 

『キッチンでお昼の準備をします。お手伝いして頂けませんか?』

 

 内容を見て、またレ級の顔とを見比べる。どういったものか。穏やかな性分が(にじ)み出ているような丁寧な文章に、ネ級の相手への警戒心は(ほぐ)れていった。

 

「ええと、私などで良ければ」

 

「……!」

 

 返事をすると、レ級の表情はぱあっと明るい笑顔になる。不覚にも可愛いと思った。

 

「…………♪」

 

「………………はぁ」

 

 無言だがどこか楽しそうな彼女の後に着いていく。

 

 ここから先の島での生活。少なくとも暇は無さそうだな。ネ級は小さなため息をついてそう思った。

 

 

 

 




深海棲艦も使えるようになんねぇかなぁ


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14 慣れない足取りも愛嬌

2章の後半の方ばかり筆が進んで中抜きが進みません()
たぶん18~20話とかは更新が早いかも()


 

 レ級が料理をすると聞き。「深海棲艦が料理???」なんて考えてネ級は怪しい顔になっていたが、そんな懸念(けねん)は余計だったらしかった。

 

 陸にいた頃は、普段は自分一人で適当な自炊しかしていなかった身としては、ネ級の目にはレ級の手捌きはとてつもなく手際がよく見えた。包丁やフライパンなどの調理器具を使う手に迷いがなく、その熟練度合いに少し驚く。

 

 どういうわけか、普通に人間も食べる食材がつまっていた冷蔵庫から拝借した食材で、ネ級が適当な惣菜を1・2品目作る頃には。彼女はもうメインディッシュの用意を済ませていて、プロの料理人レベルの力量を自然と見せ付けてくる姿勢に舌を巻いた。

 

 南方棲鬼のオーダーから一時間も経たずに用意は終わったので、レ級は寝ていた彼女を起こしに行った。何をしようか少し迷ったネ級は、料理の皿を運ぶことにする。

 

「すごい手際の良さだったね。あの人」

 

「めちゃ早なのです。鈴谷さんよりテクニシャンなのです」

 

 妖精の一言多い発言に、多少機嫌を損ねつつ。ネ級は彼女が作って置いていった揚げ出し豆腐と煮魚に目をやる。出汁や調味料の香りが食欲をそそる点もあるが、見た目にも気を使って綺麗に盛り付けてあるのに、性格が出ているな、等と勝手に思う。

 

「ばーか、私はね、一芸は極めない代わりに多芸なの!」

 

「それはただの言い訳なのです」

 

「いちいち一言多いね!?」

 

 服の中や触手に隠れていた妖精らと口論しながらも、ネ級は両手と触手を駆使して物を運んだ。

 

 リビングに戻り、椅子が用意されていた場所に皿を並べる。2回の往復で全員分の料理を並べ終わる頃合いで、丁度、レ級に肩を軽く叩かれていた南方棲鬼が目を覚ました。

 

「ふぁ……ぁあ。レ級、出来たの?」

 

「…………♪」

 

「あぁ、そう。今日も美味しそうね。流石だわ」

 

 さて。自分も座って食事するべきなのだろうか。勝手に座るのはどうかと思って彼女の指示を待っていると。何をしているんだ?とでも言いたげな表情をした南方棲鬼に指示を受けた。

 

「……何しているの? 座ればいいのに」

 

「は、失礼します」

 

 意味があるかはわからなかったが。ネ級は礼儀作法に乗っ取って、努めて丁寧に椅子に腰を落ち着けた。

 

 ぴしっと背筋を伸ばして座った彼女に目もくれず、南方棲鬼は腕に嵌めていた装備をその辺に放り投げ、スプーンを引っ付かんで昼食に手をつけ始める。どうやらネ級の心配は杞憂に終わったらしい。

 

「ふ~。落ち着く。貴女が世話係で助かってるわ」

 

「………///」

 

「……いただきます。」

 

 腕の鍵爪は外せるのか、等と考えながら、料理人を褒める女と、それに照れる女とを見る。一応、食事の挨拶をしてからネ級は料理を口に運んだ。

 

 じんわりと、薄味の醤油の香りと風味が口に広がる。出汁に浸されてまだ時間もさほど経っていないからか、揚げた豆腐の食感も損なわれてはいない……はっきりいってここ数日の疲労が吹き飛ぶ美味しさだった。

 

「はあぁぁ……――!」

 

 すごく久し振りにまともな手料理を食べた気がする―― 白米が欲しくなったがそれは贅沢か、と思って箸を進める。最近は缶詰か店売りの惣菜ぐらいしか食べていなかったネ級は、人の温もりを感じる昼食に感謝しながら、用意された食べ物を味わった。

 

 3人と妖精らが食事を楽しんでいるとき。唐突に「そう言えば」、と南方棲鬼が口を開く。

 

「えぇと。貴女はネ級でいいのよね」

 

「? はい」

 

「そ。じゃあこれからもネ級って呼べばいいのね」

 

 彼女は続ける。

 

「何か聞きたいんでしょう? 貴女さっきは何も知らないって言ってたけど。答えられる範囲で言うけど」

 

「質問、ですか」

 

 さっきまでは文字通り殺気をぶつけてきていたのを、急に態度を柔らかくした相手に。ネ級は、手元で自分の用意したサラダを食べている妖精を見ながら呟いた。

 

「改めて聞きます。どうして深海棲艦から襲われていたんですか? 貴女のような強い方が」

 

「あぁ、そんなこと。……レ級、いい?」

 

 ネ級の質問に、南方棲鬼がレ級に何かの許可を求めた。彼女が無言で頷いたのを見てから、相手は答える。

 

「アナタ、陸で暮らしていたのよね。そしてそこから海に出て今に至ると」

 

「まぁ、そんなところでしょうか」

 

「じゃあ知らないか。そもそも深海棲艦って三種類居るの知ってる?」

 

 種類? 「危険度」の事だろうか。軍に居たときの知識でネ級は聞く。

 

「ノーマル、エリート、フラグシップですか?」

 

「……???」

 

「あ、いえ何でもないです。すいません」

 

 軍では深海棲艦のタイプを三種類に分けている。具体的には青・紫色の発光体を持つ個体をノーマル、それよりも強い赤い物をエリート。最後に黄色い光を放つ強力な個体がフラグシップで、ごく希に現れる、青と黄色の2つの光を放つものをカスタム(フラグシップ改)等と呼んでいるが、それの事ではなかったらしく。慌ててネ級は前言を撤回する。

 

「……? まぁいいわ。1つは話の通じるやつ。2つ目は通じないやつ。3つ目は黙って着いてくる奴よ」

 

「はぁ」

 

「そもそも深海棲艦って、強い奴には弱いやつが自然とくっついてくるそうよ。あのニ級、たぶん3つ目でしょうね」

 

「貴女やそちらの方、それと私は1つ目だと」

 

「理解が早い子は好きよ。そう。で、さっきみたいな雑魚は2つ目。そもそも思考能力なんてない、ただただ同じタイプ以外の目に写ったあらゆる生物を殺そうとする。迷惑きわまりないからやめてほしいわ」

 

「へぇ……」

 

 少し、驚く。正直言って全て2番目だろうと思っていたネ級には、話を読み解くと、きちんと人間的な思考回路を持つ個体が一定は居るらしいという事に興味を引かれる。

 

 「私はね。人間と戦うのが嫌でここに居るの」―― ふーん、と聞き逃しそうになるが、相手の口から飛び出した重大発言にネ級は食いつく。

 

「何かあったんですか。貴女ほどのお強い方が」

 

「何か買い被ってるようだけど、強くもなんともないわ……嫌なのよ。痛いのは」

 

「……………」

 

「意味がわからないのよ。艦娘は年々強くなっていくし、なのに抵抗はやめないし。やつらは味方まで攻撃するし。面倒臭いのよ……」

 

「…………。そうですか」

 

 頬杖をついて彼女はぼうっと虚空を見詰める。「痛いのは嫌だ」と言ったこの人物に、ネ級は、昔に読んだ南方棲鬼についてのレポートを思い出す。

 

 数こそ普通の深海棲艦より少ないが、鬼・姫級の個体も複数は存在するらしいことは今の艦娘達の知識としてスタンダードである。中でも南方棲鬼には火力の高さや武装の豊富さ、と言うものに混じって、ある最大の特徴があった。

 

 それは、ある一定の部分の体質が、人間とそう変わらない程度の硬度しか無い、というものだ。当たりどころが良ければ一撃で死亡したという記録もあって、ネ級は当時はそれをみて驚いたことをよく覚えている。

 

 上着を脱いでほぼ下着姿のような彼女の、はだけている地肌を目を凝らしてみれば、大きな怪我を治療した古傷が幾つかあるのを確認する。自分の知識が正しくて、彼女もそれに該当するのなら―― 姫級より遥かに格下の深海棲艦の攻撃で先程怪我をしていた事も、今の彼女の腕に巻かれた包帯を見て考える。

 

 軽く鉄筋コンクリートすら吹き飛ばす攻撃飛び交う中で、防御能力は歩兵みたいなものが戦うような物か……そりゃあ、確かに嫌にもなりそうだ。

 

「嫌で嫌でたまらないからちゃっちゃと逃げたのよ。味方の居た場所からね……酷い目にあったけれど」

 

「酷い目。」

 

「味方だったはずの連中から、後ろから撃たれたのよ。おかげでレ級は後遺症で喋れなくなったし、口封じなのかこうやってたまに襲い掛かって来る奴等もいるし……本当に嫌になる」

 

「…………」

 

「ここに来てどれぐらい経ったかな……え~と、インキャ……じゃない。そんきょ? でもないや」

 

隠居(いんきょ)、ですか?」

 

「そうそうそれそれ。貴女、教養があるのね。珍しい」

 

「え、いや、あはは……アリガトウ……」

 

 今日という日に至るまで、苦労が絶えなかったらしい。話の途中で鼻を啜りながら、南方棲鬼は涙目になっていた。そんな彼女のあまりにも人間的な態度に、ネ級の思考は半ば停止しつつあったが。

 

「レ級さんとはどのようなご関係で」

 

「あぁ、言っていなかったわね……この子は私に良くしてくれるわ……信じられるのはもうこの子だけ」

 

「はぁ」

 

「まだここに居なかったときにね。世話係が欲しいと思って、誰か居ないかって言ったら来てくれたのよ。本当、助かってるわ」

 

 南方棲鬼が会話をしているとき。ふと、ネ級は膝に何か当たっている感触に、机の下に視線が行った。

 

 すると、斜め向かいに居たレ級から、南方棲鬼には見えないように、下から手紙を突き付けられていた。意図はわからなかったが、空気を読んでネ級は話しながらもそれを受け取る。

 

「重宝してるわ。身の回りの世話はしてくれるし、ご飯は美味しいし。けどこの子、レ級なのに弱いのよね」

 

「…………。」

 

「あぁ、別に責めてる訳じゃなくてね? えぇと……」

 

 後でメモ書きは読もうか、等と思ったとき。ストレートな意見を口から出力した主に、先ほどまで笑っていたレ級は悲しそうな顔に切り替わる。どうやら南方棲鬼とは対照的で、ナイーブで優しい性格をしているのだろう事を、何となくだがネ級は察した。

 

「何となくわかりました。優しいお方なんですね」

 

「私からすれば優しすぎるわ。殴られても無抵抗なのよ? だからこんなことに」

 

「………///」

 

「……なんで照れてるのアナタ? 褒めてないわよ別に今のは」

 

 前言撤回。かなり天然も入っているのか? 南方棲鬼の苦言に、なぜか顔を赤くして髪を弄り始めたレ級にそう思う。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 3人+αが食事を終える。戦闘の疲れが抜けないと言ってまた昼寝を始めた南方棲鬼をリビングに置いて、ネ級はレ級の案内に従って彼女の私室に来ていた。

 

「おじゃましま~す」

 

「なのれす」「「「「ですぅ~」」」」

 

 部屋に入ってすぐ、中に漂っていた柑橘(かんきつ)の香りに、心が安らぐ。

 

 小さな机や椅子が並べてあるのが目につく。中は綺麗に整頓されていて、このレ級は几帳面な性格なのだろうか、等と思案を巡らせたときだった。相手から座るように促される。

 

「…………」

 

「えっと、どうも」

 

 用意した椅子にネ級が座るのを見てから。キャンプ用に使うような組立式の机を手早くセッティングし、自分用の椅子を置いて、同じくレ級もそれに座る。

 

「………………」

 

 食事の時にネ級が貰ったメモには、「後で私の部屋に来てください」とだけあった。落ち着ける状態になって、何をするのだろうか、とネ級が思うと。レ級が手帳の1ページを寄越してきた。

 

『話のあとも じいっと南さまを見てましたよね 何かあったんですか?』

 

「あぁ。えっと」

 

 雑談でも始めるつもりなのかな? ネ級は適当に答える。

 

「私よりも胸が大きいなって」

 

 どんな真面目な理由があるのか、と勝手に考えていたらしい妖精らとレ級は予想外の答えにズッこけた。

 

「な、何を言ってるのです??」

 

「私もスタイルに自信あったのに……負けたって思って……」

 

「…………////」

 

「あの状況で考えることじゃないのです……」「「「鈴谷さんのえっち!」」」

 

「うっさいな、朝におっぱいに座ってたのはどこのどいつだ!」

 

「「「ぎくり!」」」

 

 胸を両の掌で持って妖精と喋るネ級を見て、レ級は顔を真っ赤にする。ぷるぷる震える手でネックウォーマーを口許まで引き上げながら、彼女はまた手帳のページを相手に渡す。

 

『おっぱいのお話はまた今度でお願いします。今は別にお話ししたいことがありますから』

 

「あぁ、ごめんなさい」

 

 ネ級は謝る。レ級は、急に変な話を振られて、顔を赤くしたまま手帳に筆を走らせている。触れ合う時間が増える度に比例して増えていくこのレ級の可愛いげのある態度に、ネ級は思わずにやける。

 

 「別にお話ししたいこと。なんです?」 特に考えずに言うと。ほどなくして言いたいことを書き終えたレ級が紙を渡してきた。

 

「どれどれ」

 

 ネ級は頭の片隅にすら想定として置いていなかったような返答が返ってくる。

 

 

『私は元は人間です』

 

 

 数秒、思考が停止した。今日初めて南方棲鬼に会ったときの驚きなど遥かに飛び越える。

 

「……………え?」

 

「「「「………は???」」」」

 

 考えることは妖精たちも同じだったようで。彼ら彼女らもネ級と同じく少々間抜けな顔を相手にさらす。

 

 先程の仕返しのように。ニコニコ笑いながらレ級は続けた。

 

『だった、と言うことだけですが。前世の記憶なんてこれっぽっちも覚えてません。ただ、私を作った方が、人の死体から私を作ったと言っていました』

 

『それに、どうして一緒に居るのかはわからないけど、「妖精さん」ですよね?』

 

『艦娘さんの事は詳しくないけどそれぐらいはわかります。もし良ければ、ネ級さんのお話も聞かせて頂けませんか?』

 

 目をぱちぱちさせながら、ネ級と妖精たちは顔を合わせる。

 

「どうする妖精さん」

 

「あわあわあわあわあわ、慌てるにはまだまだまだまだ早いはやっ、はやややや!」

 

「慌てすぎでしょ」

 

 相当驚いたのか、ぶるぶる震えながら痙攣(けいれん)し始めた妖精を指先で撫でて落ち着かせようとする。一足先に落ち着きを取り戻したネ級は、レ級に言う。

 

「ごめんなさい。今はまだ、ちょっと……」

 

「……………」

 

「色々あった、とだけ。すいません」

 

 怒るだろうか―― そう思ったが。レ級はネ級が思ったのとは逆の言動を取った。

 

『構いません。落ち着けるとき、また聞かせてください』

 

「!!」

 

『何か聞きたいことは無いですか。答えられる範囲で、この海のことならわかりますよ!』

 

 優しげに微笑みながら、レ級はそう伝えてきた。

 

 どこから見ても。少なくともネ級には、この深海棲艦の表情は人間と何ら変わりないものに見えた。

 

 

 

 

 数分黙って心を落ち着かせる。ネ級は相手の好意に甘えて、提案にのって幾つか質問をすることにした。

 

「作られた、って言いましたよね。その、深海棲艦って何なんでしょう……」

 

「?」

 

「あぁ、えぇと。機械みたいな、それでいて生き物みたいなのも居るし……陸だと、誰かが大昔に作った生物兵器が暴走したんじゃないか、とか言われてるんですよ」

 

 漠然とした掴み所がない愚痴みたいな発言だったが。レ級は意図を汲み取ってくれたらしく、彼女なりの答えを発してくれた。

 

『南さまも仰っていましたが、簡単に三種類居ます。それは割愛しますが、更に絞ると二種類まで圧縮できます』

 

「二種類?」

 

『私もよくわからないので、深海棲艦の成り立ちとか、発生とか、そういうのはわからないんです。でも、機械を元に作られる物と、動物の肉などを元に作られる物とが存在するのは知っています』

 

 ネ級が読んでいた途中の物に、『私は人の遺体という肉からできていますから、後者ですね』と付け足してレ級は続ける。

 

『深海棲艦は普通の生き物とは違います。人が住んでいた島なんかを改造して「工場」みたいな物を作っています。その中で、そこを仕切っている姫級の深海棲艦が低級の深海棲艦を作り、海に放流しています』

 

「へぇ………魚の養殖みたい」

 

『いい表現です。実際その通りだと思いますよ。無責任に外来種を放流しているようなものです』

 

 少し浮かない笑顔を浮かべながら。レ級は手帳に文字を(つづ)っていく。

 

『私も見たことがない上位種(えらいひと)の意向で、南さまの言う「2番目」のタイプが特によく作られていますが、これはほとんど機械の方です。南さま以外も無差別に攻撃されているのを、昔よく見ました』

 

「……世知辛いんだね。深海棲艦の世界も」

 

『その人によると、深海棲艦は弱肉強食だそうです。雑魚に飲まれて死ぬ方が悪いと。そんな態度を見かねて南さまは上位種を見離して出奔(しゅっぽん)しました』

 

 『逃げ遅れて私は喉を怪我してしまいましたが……』 メモに追記しながら、彼女は首につけていた物を取る。レ級の首には、酷い火傷みたいな傷跡があった。これでは声を失って当然かとネ級は文字を読みながら思う。

 

「このおうちの食べ物は? どこか畑で取ってるわけでもないと思うけど……」

 

 豆腐とかあったし……。重くなった雰囲気を変えたくて、ネ級は質問を変えた。特に嫌な顔もせず、レ級は付き合ってくれた。

 

『どうやったのかはわからないけど、人と繋がりのある深海棲艦が何人かいらっしゃいます。ヲリビー、と名前を貰ったらしい空母ヲ級がそれに該当します』

 

「人と繋がりがある……それってつまり、普通に陸地に出入りしてるんですか?」

 

『いえ、その方に限れば、海軍の方を経由して買い物をしていると聞きました。この家にある食料品は、鉱物資源と引き換えにその方から定期的に貰っているものです』

 

「買い物……深海棲艦が軍と繋がって……」

 

 買っている物こそ危険性は無いかもしれないけど。それって「裏取引」とか呼ばれるものなんじゃないのか? ネ級は陸にいた頃にも聞いたことがない話に、眉を潜める。

 

『彼女の話が本当であれば、ですが。私たちのような個体を伏せて、「2番目」が多く現れる海域の情報を流して組織のポストを得たと言っていました』

 

「へぇ……策士だね。裏切るわけでもなく、嘘言うわけでもなく。そいつ」

 

『上手いことをしていると思いますよ。この島にいれば、そう遠くないうちにまた会えると思います』

 

 マグカップに水を入れて置いていたのを一口飲みながら、レ級は手を動かし続けた。『まだお聞きしたいこと ありますか?』再度渡された紙切れにはそう書かれている。

 

「いいえ。いい時間をありがとうございます。無知な自分にはいい勉強になりました」

 

『大したことじゃないです。体を動かすのは苦手ですから、私にはこれぐらいしかできませんし』

 

「あの、お昼。とっても美味しかったです……失礼しますね」

 

 用は終わったし、あまり長居するのも迷惑かな。そう思って席を立ったときだった。ネ級は腕の皮膚の固い部分を相手に掴まれる。

 

 何かと思って振り返る。レ級はせっせと早書きしたメモを突き出してきた。

 

『行くあてはあるんですか?』

 

「いえ、別に……キャンプに戻るぐらい」

 

『この辺りは危険ですよ。南さまが仰っていますが、2番目が多すぎます』

 

「…………?」

 

『しばらく泊まっていってください。南さまには私が言ってあります。荷物の運搬ぐらいも手伝いますよ』

 

 え! と思わずネ級は生返事が漏れる。会ったばかりの人に、それは流石に世話になりすぎだと思って口を開こうとするが、続けざまの彼女の文字に。それは封殺された。

 

『貴女はとても疲れた顔をしています。お構い無く。しばらく休んでください』

 

 純粋にこちらを心配してくれているようなレ級の曇った表情に。ネ級と妖精たちは何も言えなくなってしまった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 家、というよりは「屋敷」と表現した方が適切な建物の案内をレ級にしてもらったあと。ネ級は、建てていたテントに置いてきた荷物を建物の方まで運ぶために屋敷とキャンプとを往復していた。

 

 水と食糧、医療品、地図、サバイバルブックに、その他キャンプ用品様々。最後に地面に打っていた杭やテントを小脇に抱えて最後の荷物を運び出すとき、ネ級は自分と並走してムカデ競争みたいな体制で運搬を手伝っていた妖精らに話しかける。

 

「妖精さん。今、いいかな?」

 

「なんでしょう?」「「「ですぅ」」」

 

「あの場所さ、元はやっぱり自衛隊の基地とかかな。チラホラそれっぽい乗り物置いてあったけど」

 

「十中八九そうだと思うのです。たぶん、深海棲艦の登場で無血開城したのです」

 

「だよねぇ……やっぱり」

 

 話している最中にも、林を抜けて屋敷の裏口が見えてくる。

 

 案内の最中に注意深く周囲や設備を眺めて気が付いたが、ネ級は今しがた妖精らに言った通り、元は艦娘もいた基地か何かの跡がある島なんだな。と考えた。理由としては、建物の最初に自分が入ったのとは逆側の入り口に大規模なガレージがあったり、軍で使うような装甲車やジープが錆びて放置されていたからだ。

 

「小さいけど結構立派だね、これ。まだ動きそう」

 

「燃料さえあれば動くと思うのです。問題は放置されてるから、性能は落ちていると思われることですが」

 

「だね」

 

 ガレージの中、荷物置きとして使っていたスペースに物を積んでいく。ヘッドライトの割れた装甲車の隣にあった、粗大ごみみたいな薄汚れたソファに腰かけて落ち着いた。

 

 レ級には心配そうな顔を再度されてしまったが。家に居座るのは、なんだかあの南方棲鬼が渋い顔をしそうだな、と思ったネ級は、許可を貰って、誰も使っていないと言うガレージに居候することになって。座っていた物の上で横になりながら、天井に視線をやる。

 

「鈴谷しゃんは良かったのです? こんな埃っぽいところで」「「「ギモンなのです」」」

 

「べ~つに。テント暮らしより全然良いところじゃん。雨風しのげるし、嫌になったら寝るとき以外は中入れば良いんだし。贅沢言えないよ」

 

「よくわからんのです。なんで深海棲艦にそんなに遠慮して……」

 

「場所を貸してくれてるんだもの、礼儀だよ。せめて心は人間らしくね」

 

 自分の触手を枕にして寝返りをうつ。建物に沿うように設置されているソーラーパネルが目に入った。

 

 深海棲艦とはいえ、親切な人に、早い期間で会えたのは喜んで良いことなのかな。………熊野とかは、今何をしてるのかな。

 

「………………」

 

 ぼうっとしていると段々と眠くなってくる。何の気なしに、ふと目線を外から中へとずらした。

 

 恐らくは元は軍の基地かベースだったというだけあって、機械関係の設備は充実している。使い方はわからないが何かのリフトに、クレーン、溶接機、立派で大きな工具箱……と、それらを眺めていて、唐突に何かを思い付いたネ級は体を起こして、鞄の上に座っていた妖精らに声をかけた。

 

「妖精さん、艤装の整備ってできるよね?」

 

「モチのロンなのです。そのための私たちなのです」「「です!」」

 

 フンス! とか漫画ならば効果音が付きそうな得意そうな顔で皆が言う。改めて安心したネ級は、微笑みながら頼み事をしてみた。

 

「私にさ、教えてよ。これから多分何ヵ月、もしかしたら何年も帰れるかは解らないから。それぐらいはなんとか自分でやりたいんだ」

 

「ガッテンなのれす。このワテクシに任せろなのれす!」「「「ですぅ!」」」

 

「ふふふ……頼もしい。ありがとう。妖精さん」

 

 一番近くにあったキャスター付きの工具箱に触手の口を噛ませて引き寄せる。

 

 「鈴谷さん、横着なのです……」 今の行動に対する妖精の一人の発言に、ネ級は苦笑いした。

 

 

 

 

 放置されて使われていなかったのだろうか、埃を被っていた小さなコンテナ何かが山ほど転がっていたので、ありがたく使わせてもらう事にする。

 

 ラジオペンチやドライバー、レンチやハンマーで悪戦苦闘しながらどうにか部品を外す。艦娘の時には艤装の日常点検ぐらいしかせず、生活の中で工具を使うときなどは、自転車に空気を入れるときか車のタイヤ交換ぐらいか程度で。正真正銘、整備なんてド素人同然な彼女には、外装部品を外すだけでも一苦労だ。

 

「ハァァァァ……! やっと外れた!」

 

「初日にしては上出来なのです。でもまだまだこれからなのです?」

 

「見てなよ、すぐにマスターするモンネ!」

 

「楽しみなのです」

 

 初めて艦娘になってから2年目の付き合いとなる鈴谷の艤装に、愛銃の20.3cm連装砲が3つ。仲間から餞別(せんべつ)にと受け取ったうちの副砲15.2cm単装砲を幾つか、これらをバラバラに分解し、ブルーシートを敷いた床に並べる。

 

 ネ級が妖精らから初めに教わるのは、艤装を一度部品単位まで分解・洗浄した後に、また潤滑剤やオイルを()し直して組み立て直す、というものだった。専門用語ではこの一連の行程は「オーバーホール」というらしい。

 

 その道では自分よりも遥かに知識と技術のある妖精らに従い、説明手順通りに細々(こまごま)とした部品をぼろ布で拭いて磨いていく。作業を続けながら、同時に彼女はこの行動の目的についても聞いてみた。

 

「妖精さん?」

 

「なんでしょう」

 

「この、掃除? って何の意味があるの? ただバラバラにして戻してるようにしか思えないけど……」

 

「大アリなのです。欠かすと航行中に艤装が大爆発するのです」

 

()!?」

 

「嘘なのです」

 

 流れるように(うそぶ)きやがった小人にネ級はチョップを食らわせる。泣きべそをかきながら、今度こそ彼は真面目な解説を始めた。

 

「うぅ……ようは、機械の健康診断なのです。えーん」

 

「健康診断」

 

「長く使っていると、油やごみがたまるのです。キチンと掃除してオイルの通りを良くする訳なのです。不摂生な人の血管に血栓が詰まるの(けっせん(血の塊のこと))を防ぐのと同じなのです。ふぇぇん」

 

「なるほどね」

 

 事前検査とかみたいなものか。自分の知識に照らし合わせながら、何となく理解してネ級は頷く。

 

 粗方全ての部品が拭き終わったぐらいで、彼女は立ち上がり、倉庫からあるものを引っ張り出してきた。もう使っていない場所だから好きにしていい、とはレ級に言われていたので、備品は遠慮なく使っていく。

 

 戦車や航空機なんかに塗るような紺色のペンキを持ってきたネ級に。妖精は問い掛ける。

 

「何をするのれす?」

 

「ちょっと細工をね」

 

 そう言うと、彼女は外しておいていた主砲他、各種武装の外装部品をハケで紺色に塗り始めた。

 

「再塗装? 何のためにです?」

 

「偽装よ偽装。カモフラージュ。そのまま使ってたらさ、変な誤解も招きそうだしね。例えば、死んだ艦娘から武器を取ってるとか……見た目だけでも、深海棲艦っぽくね」

 

「あぁ…………」

 

 いきなり出てきたものだから、初日に遭遇して助けた秋月らはしようがないとしても。今後の事も考えると、艦娘の装備そのままで動くのは不味いだろうと考えたのだ。

 

 意図を組んだ妖精たちは、ブリキ缶に刺さっていた筆を取り、精密部品が多いからとネ級は放っていた艦載機に色を塗り始めた。

 

「あ、手伝ってくれるの?」

 

「鈴谷さんのためなのです。貴女をお守りするために私たちは着いてきているのですから」「「「ですぅ!」」」

 

「ふふ………ありがと。みんな」

 

 せっせと手を動かす彼らの頭を、指先でつついたり撫でたりしていたときだった。ガレージ内部と屋敷とを繋ぐ扉が開く。誰かと全員が音の先に目をやると、レ級が立っていた。

 

『お夕食の準備を南さまがご所望です』

 

「え、もうそんな時間?」

 

 薄暗いガレージの電気を付けっぱなしにしていて気が付かなかったが、いつの間にかに外は日が落ちて暗くなっていた。腕時計を引っ張り出して確認すると、時刻は午後の6時頃を指している。

 

「そっか……みんな一息つこうか。いつでも時間はあるし」

 

「ガッテンれす」「「「お夕飯!」」」

 

 塗料で手や顔を汚している妖精たちを抱えて、ネ級はレ級に案内され屋敷の中へと入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、批評お待ちしています。他にも不可解な点があれば遠慮なく送っていただけると励みになります。


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15 指名手配犯の生存戦略

挿し絵から先に書いたせいで壊れたはずの仮面を被っているネ級さん

【挿絵表示】



 

 

 どうしてこんなことになったんだろうな。駆逐艦の艦娘、「(かすみ)」は脱力して海面に体を投げながらそう思っていた。

 

 周囲に味方などなく、武装の弾薬は全てゼロ。航行するための燃料も尽きかけているし、何より怪我で指ひとつ動かすことも億劫(おっくう)に感じる。間違いなく、自分はここで死ぬんだろうな―― そんな考えばかりが脳裏にちらつく。

 

「………………」

 

 額から垂れてきた雨水と血が口の中に入ってきて、鉄の味が広がる。頭上の鉛色の空と、自分の体液を舐める不快感の両方に顔をしかめた。

 

 なぜこんな海の真ん中で一人だったのかと言えば。規模の大きい深海棲艦の群れが現れたということで、今日は手練れの味方とそれらの討伐に向かった彼女だったのだが、予想を遥かに越えた敵の抵抗に遭い、味方とはぐれてしまったのだ。

 

 霞自身もそれなりの練度があったので、最初こそ適当に応戦しながら艦隊に合流する予定だったのが。運が悪いのか、凄まじい豪雨と濃霧に阻まれて、すっかり自分の居場所も味方の方角も把握できなくなってしまっていた。

 

「うぅ……痛っ………」

 

 忌々しいことに、艤装の効果で溺れ死ぬことは無い。寝返りをうつように、仰向けから体を転がして立ち上がろうとする。が、ヒビでも入ったか嫌な音を立てる骨の感触と、恐らくはそれらの発する鈍痛に。体を起こすこともままならず、諦めて再度彼女は海面に身体を寝かせた。

 

「ハァ………つまらないわ。惨めね、今の私…………」

 

 締め忘れた蛇口から水が垂れるように、ポタポタと傷口から血が出ているのがわかる。流れ出た体液が濁った海の水を赤くしていくのを眺めることしかできなくて。彼女は自虐を込めて自分にそう呟いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 島に居着くようになってからあまり気にしていなかったが、一週間ほど時間は経っただろうか、とネ級は思う。現在の時刻は昼で、彼女は連れのニ級とのんびり砂浜を散歩していた。

 

 鎮守府から出奔してからというもの、数日はカンカン照りの晴れが続いていたのだが、今日は雲が厚く涼しい日だ。今にも雨が降り出しそうな空模様を眺めながら、ネ級は妖精たちへ口を開く。

 

「鉛色の空だね~。ジメジメ暑いのはヤだからいいんだけどさぁ~」

 

「気温は18度なのです。湿度も降水確率も高いらしいのです」「「「湿気(しけ)ってる~」」」

 

「ふ~ん……雨か……」

 

 会話の最中。ネ級は鼻の頭に何か冷たいものが当たった感触に、少し驚いて目を細める。

 

 話したそばから降ってきたかな? 彼女は手のひらを胸元に持ってきて空を見上げる。予想は当たり、小雨だが降ってきているらしい。

 

「言ったそばから来たね。こりゃ、早く戻ってジッとしてたほうがいーかね?」

 

「こんな医者も居ない辺鄙(へんぴ)な場所で風邪でも(こじ)らせたら大事なのです。とっとと戻るのです!」

 

「だね。さ、ニッちゃん戻ろうか?」

 

「ガウ!」

 

 犬の吠えるような声でニ級が返事をする。最初こそおっかなびっくり接していたが、意外と聞き分けのいいこの動物にもネ級はすっかりなれていた。

 

 歩いて帰ろうとしていたが、一行が屋敷に戻る前に雨足はどんどん強くなっていき。あと数百メートルほど、というぐらいで本降りになり始めたので、濡れるのを嫌ったネ級は崖の下に身を寄せて雨宿りをすることにした。

 

「うわぁ、けっこう長く降りそうだよこれ?」

 

「ドンマイなのれす。大人しく晴れるまでまちませう」「「にんたい!」」

 

 雨水が額から頬を伝っていく感触に身震いする。ネ級は首輪を取り、首を横に横断する傷跡を指でなぞる。

 

「……………………」

 

 あの日もこんなどしゃ降りだったっけ―― ミミズ腫れのように残ってしまったナイフ傷を触って、背筋に寒気を感じたときだった。

 

 ふと、何か大きな機械の駆動音を耳にする。それを知覚して間も無く、3機編隊のジェット戦闘機が、見事に連携のとれたマニューバをしながら比較的低い高度で通りすぎていった。

 

 綺麗だな。自分がいま陸の人々からはなんという生物と呼ばれているかを忘れ、ネ級は雨を切り裂いて飛んでいった物体に見とれていたが。そんな呆けた顔は状況を理解すると、すぐに蒼くなった。

 

「まさか見つかった!?」

 

「いいから早く身を隠すのです!!」

 

「う、うん」

 

 表情なんて読めるわけではないが。キョトンとしているように見えたニ級のことを、両手両触手でその体を絡め抱えてネ級は走る。

 

 慌てて近くにあった岩の(くぼ)みに背中をぴったりとくっ付け、体の上からその辺に落ちていた葉っぱを被る。祈るような気持ちで数分間じっとしていたが、戦闘機は引き返してくることもない。どうやらただそのまま通りすぎただけらしかった。

 

「ビックリしたぁ……えぇと、見つかってたら空母の飛行機来るなり引き返してきたりするよね?」

 

「です。たぶん大丈夫なのです」「「「こううん!」」」

 

「だよねぇ……ハァ。助かったぁ」

 

 万全を期して、この葉っぱを傘代わりに身を隠しながら帰ろうか……なんて言いながら。ネ級は妖精たちに疑問を話す。

 

「でもなんだってこんなところにあんな飛行機……あれ、確かうちの海軍の機体だよね?」

 

「私に聞かれましても~」「「「のーでーたなのです」」」

 

「あ、ごめんね……でもなんで…………」

 

 変なところに偵察が来たもんだな。ネ級は考える。

 

 深海棲艦には普通に戦闘機や軍艦の火気類も有効だが、ここ最近は滅多に使われていない。というのも目標が小さすぎるし、何より高級車を買うぐらいの費用で装備を揃えられる艦娘のほうがコストパフォーマンスに優れるからだ。ただし、例外が一つだけある。

 

 それは、普通の任務と違って規模の大きい作戦が展開されるときだ。戦闘機を運ぶ空母に艦娘を乗せたり、兵員輸送船を同伴させ、海戦の時にはそれらを展開して大隊を結成。ローラー作戦みたいに深海棲艦を殲滅する、ということが定期的に軍で行われていることを、ネ級は知っている。

 

(こんな変なところに大隊……? どこかに艦娘の大部隊が居るってことになるし……?)

 

 少し考えてみて。思い当たるものが頭に浮かび、「あ」と声が漏れた。

 

 南方棲鬼を付け狙っているという、味方すら攻撃する「2番目の深海棲艦たち」の事だ。レ級には「人に情報を売る深海棲艦」の事も聞いた。2つの符号が彼女の頭の中で結び付く。

 

「ヤバイんじゃないか、これもしかして!」

 

「どうかしたのです?」

 

「妖精さん瑞雲出せるように準備してて! すぐに装備とって海出るよ!」

 

 ネ級の言葉に不思議な顔をしたが、妖精たちは不満もなく支度を始めた。それを見て、彼女はニ級を抱えたまま走り出す。

 

 島にまた敵の深海棲艦が、それも結構な数で迫っている。多分それは何かで予想できるものであり、恐らくレ級の言う「ヲリビー」という人物のリークに従って艦娘達が近くまで来ている筈だ――

 

 ガレージに着くなり、持てるだけの武装を引っ張り出して、ネ級はUターンして海側に駆ける。彼女が立てた予想はおおよそそんなものだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 定期点検の効果は抜群だったようで、この日の艤装の調子は絶好調といって差し支えが無かった。

 

 鉛色の雲の下、雨の降る中をネ級はフル装備で駆け抜けていく。連装砲・副砲・艦載機、加えてここ数日に妖精に作ってもらった対艦用の弾丸を込めた武器、それら武装の予備弾倉も持って来ている。更には海難救助の可能性も一応は見越して浮き輪と救命胴衣も持ってきた。

 

 いつでも発砲できるように両手にそれぞれ火器類を構えていたとき。キョロキョロと辺りを見回すネ級に、妖精の一人が質問した。

 

「例え見つかったって、何か問題なのです? また逃げるだけじゃ」

 

「あの人たちには世話になってるもの。先にこっちから見つかるように動いて艦娘を引き付けて陽動しないと」

 

「あまりにも危険すぎるのです。鈴谷さん一人じゃ無理なのです」

 

「もしもよもしも。というか目的は艦娘サン相手じゃないし」

 

「? どういうことなのです?」

 

「見たのはジェット戦闘機だけだった。なら索敵で遠くまで来てただけかも知れないじゃん? もしそうだとしたら艦娘は遠いでしょ。問題は多分近くに深海棲艦の群れが居るってことだよ」

 

 会話の最中、視界に入ってきた物にネ級は急ブレーキをかける。この辺りは小島や浅瀬が多いことを利用し、それらに身を隠しながら遠くを見渡した。

 

「いたよやっぱり。妖精さん」

 

「発艦の用意はできているのです」

 

「話が早くて助かるよ。偵察お願い」

 

 ネ級が視界に捉えたのは、十数匹の深海棲艦の群れだった。想像していたよりは数が全然少ないが、偵察するに越したことはないと彼女は艦載機を幾つか海面に浮かべる。指示を出された妖精らはそれぞれ自分のタイミングで飛んでいった。

 

 まだ現時点ではただの深海棲艦ということしか解らないが、ネ級はレ級から教わった「2番目の見分け方」というものを思い出す。話によれば、理性のある深海棲艦は争い事を避ける傾向が強く、深海棲艦だろうが艦娘の物だろうが飛行体には手を出さないらしい。

 

 そんなバカなと思いつつ、持っていた双眼鏡を構えて一団を眺めた。妖精たちの無線も拾えるように、イヤホンも耳に指しておく。

 

 今しがた飛ばした瑞雲を相手が攻撃するのが見えた。

 

 紐で首に吊っていた双眼鏡を手離し、ネ級は砲の照準を合わせながら突撃する。

 

 妖精の陽動に引っ掛かった敵方はネ級が来るのとは真逆を向いているのを視認したので、そのまま速度を上げて近付く。弾の届く距離まで接近したとき、軽巡の1匹がこちらに気がついたがもう遅い。

 

「,-)-*,-=*:,-)&*,-::)-'%&*:&!!!!」

 

「うりゃああぁぁ!!」

 

 抱えていた20.3cm砲が火を吹く。奇襲で側面の弱点を狙われた2匹の軽巡はあえなく沈没していった。幸先の良いスタートにネ級は内心でガッツポーズをする。

 

「予想は当たってたみたい。これ、多分2番目でしょ?」

 

『間違いないのです。言葉を喋る様子が無いのです』

 

 レ級からもうひとつ教わった、簡単に見分ける方法があった。それは「2番目は解読不能な言語を用いる」というものだ。早い話がいつも鈴谷が仕事で相手をしていたのは全て「2番目」だったわけである。耳障りな断末魔の叫び声に確信を持ったネ級は、残りの個体も遠慮なく攻撃することにする。

 

『敵の分析完了なのれすぅ~。空母ヌ級が2、雷巡チ級が4、重巡リ級が2なのれす』

 

「ありがと、何か手伝うことある?」

 

『射撃の援護がほしいのです! 9機じゃ捌けないのです!』

 

「よしきた!」

 

 待ってました、とネ級は持ち込んだ武装の中での「とっておき」を構える。島のガレージで妖精らと夜なべして作った、特殊砲弾入りの対空バズーカ砲だ。

 

 音声ガイドのスイッチを入れてスコープを覗く。液晶画面に敵が映ると、機械音声が喋り始めた。

 

『ネツゲン、カンチ。テキカンサイキ、ロック』

 

「ここだっ!」

 

 指示に従って引き金を引く。初日に投げ捨てたロケット砲の弾頭と同じく、妖精特製という特殊砲弾は夥しい黒煙を連れ添って、敵の飛行体へと飛んでいった。

 

 発射されてから数秒後。一瞬、閃光弾が弾けたような光が周囲に放たれたと思った次の瞬間に、大爆発を起こして弾頭が弾ける。

 

「!!」

 

 目も眩む青白い光に、思わず瞼を閉じて腕で影を作る。光が収まり、すぐに周囲を確認すると、爆風に飲まれた空母ヌ級の生体飛行機はそのまま消えていた。

 

「おぉう!? ……すっごい♪」

 

 流石に妖精なんて呼ばれているのは伊達じゃないな。敵航空機に絶大な効果があったロケットに、ネ級は鼻歌混じりに口笛を吹くような余裕を持つ。

 

 一発で弾が切れる武器は一先ず手離し、砲による攻勢に切り換える。狙いをつける前に様々な方角から飛んできた弾を回避するか弾き飛ばすかでいなした。

 

(いぃ)ッッつ!」

 

 腕の固い部分に当たって、敵の撃った攻撃はどこかに弾け飛んで行く。が、無理な行動で衝撃が体中を駆け巡り、ネ級は腕全体に(はし)った痛みに顔をしかめた。

 

「対艦用の弾丸だよッ! 当たると痛いよぉ!!」

 

 利き腕に持った連装砲で弾幕を形成しながら、空いた手に持っていたショットガンの、トリガーガードに指を引っ掻けて物を一回転させる。弾の装填された銃を、突っ込んできた深海棲艦の顔に遠慮なく撃ち込んだ。

 

 二年間の艦娘としての活動もあったが、サバイバルな日常で海戦に対する熟練度が急激に上がっていたのもあるか。敵を撃つネ級の腕前は以前よりも上達しており、一人で多数を相手にしても特に苦戦することは無くなっていた。

 

 顔を超合金製の散弾で撃ち抜かれた敵が次々に爆発して沈んでいく。縦横無尽に海面を駆け巡りながら、ネ級は妖精たちに無線を飛ばした。

 

「チ級1、リ級1撃破!」

 

『こっちはヌ級の沈黙を確認したのです~ あとはチ級が3、リ級が1なのです~』

 

「ありがと、こっちでなんとか――」

 

 喋りながらネ級は後ろに振り返った。砲撃戦で分が悪いと思ったのか、チ級が1匹目と鼻の先まで迫ってきていた。

 

「!!」

 

 仮面を被った女のような姿の敵に肝を冷やす。咄嗟にネ級は素手で手刀を作り、それをチ級の胴体めがけて突き刺した。

 

「ntedtjsッ――! ――……………」

 

 相も変わらず、敵の軽巡チ級は解読不能な言語で喋っている。だがそんなことよりもネ級に衝撃を与える事象が起きた。

 

 破れかぶれで放った貫手(ぬきて)は、相手の腹部に刺さるどころか、体を貫通して反対側まで突き抜けていた。結果に意味がわからず混乱しかけるが、ネ級はすぐに相手を蹴飛ばして腕を引き抜き、他の敵に意識を向け直す。

 

「嘘でしょ……」

 

 あまりにも無茶苦茶な動きをしてしまったので、爪が剥がれる程度はもちろん、指の何本かは折れて明後日の方向に向くに決まっている。そう思っていただけに、予想を越えるどころではない威力が出た貫手に恐怖すら感じた。

 

()っつ!!」

 

 呆けていたが、頭に弾が当たって。痛みと衝撃で現実に引き戻された彼女は、気を取り直して残った敵と相対した。

 

 ネ級からの奇襲で始まった砲撃戦だったが、5分もかからずに終わりを迎える。最後に残ったチ級に接近した。

 

 トリガーガードに指を引っ掻けてショットガンの銃本体を回し、弾の装填を手早く済ませる。すぐに照準を自分から少し離れた水面に合わせ、ネ級は引き金を引いた。

 

 激しくうち上がった水飛沫に動揺したところを砲門を集中させた一撃で止めを指す。耳につく嫌な叫び声をあげながら、最後の1匹は沈んでいく。

 

「終わった……かな?」

 

『周辺に敵反応は無いのです。敵部隊の全滅を確認したのです!』

 

「索敵ありがとう。じゃ、帰ろうか」

 

 ネ級の言葉に、彼女の周辺に瑞雲が集まる。

 

 予想は思い違いだったのかな。嫌に少なかったけど、島に上がられる前に倒せたなら良いか……。そんなことを思っている彼女の前に、まだ沈んでいなかったらしいチ級の死体が流れてくる。

 

 胴体に穴が空いているそれは。間違いなくさっき自分が手刀で貫いた個体だ。

 

「……とんでもないな」

 

 自分が人間ではなくなったということを。島への帰路につきながら、ネ級は今一度認識していた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 帰り道に、ふと、どこからか流れてきたらしい深海棲艦の死骸を見つけて。ネ級は島への向きからまた沖へと進路を変えていた。

 

 今日最初に交戦したとき「数が少ない」と思ったのは正解だったらしい。気になって残骸を辿っていくと、一行は明らかに戦闘があったらしい場所に到着する。辺り一面、ゴミの山のように撃破された深海棲艦の死体が浮いていて異様な雰囲気が漂っている。

 

 「嫌な空気ね、妖精さん」 火薬と生き物の血の臭い、更には油やらの香りが混ざっている臭気に顔をしかめながらネ級が何の気なしに連れの小人たちに同意を求める。

 

 唐突に彼女は目を見開いて表情を変えた。

 

「!」

 

 人型をしているものが海面を漂っている。肌の色から深海棲艦ではない。最初は水死体か何かと思ったが、死後のガス膨張が始まっていない点からその考えを捨て、更に近付いてみた。

 

 一定距離まで近付いて、それが艦娘だと気が付いた。明らかに怪我をしていて手負いの状態だ。

 

 手当ては間に合うだろうか? ネ級が目と鼻の先まで距離を詰めたとき、相手も気がついたらしく。目だけを動かしてこちらの様子を伺うのが見えた。

 

「……ふふふ……ぉ迎えが来たみたいね」

 

 青い顔をしながら彼女は言った。怪我や滴る血液を見て、この人物は少し衰弱しているとすぐにネ級は判断する。

 

 迅速に処置に取り掛かることにした。前に瑞鳳にやったように、触手を相手の体に敷いて体勢を安定させる。

 

「なによ……取って食べたいなら好きにすれば良いじゃない」

 

「じっとして。手元が狂うから」

 

「え……?」

 

 手袋を嵌めた手に消毒液を染み込ませた布を持ち、汚れている相手の体を拭いていく。傷口の衛生を一先ず確保でき次第ガーゼか包帯かで患部を塞いで応急手当てとした。

 

 処置の片手間に相手の体をあちこち眺めるなか、ネ級はこの艦娘が首から下げていたドッグタグが目に入る。金属板には「駆逐艦 霞」と彫られている。どこの所属かまではどうでもいいので見ないが、とりあえず駆逐艦の艦娘らしい。

 

 おまけで、破損してこそいたが、かなり上等な装備で身を固めているのが目立ち。相当の手練れらしいことをそれとなく彼女は察した。

 

「手と足以外に痛いところはありますか。霞さん」

 

「!? なんで名前……」

 

「タグ読んだらわかります」

 

「人の言葉を理解して……!!」

 

 本当、この体は色々と不便だな! 驚いてばかりで質問に答えない相手に少し苛立ちながらネ級は続ける。

 

「痛いところが無いかと聞いてるんです。大丈夫なんですか?」

 

「……別に」

 

「本当に?」

 

「い゛っ゛っ……!」

 

 意地悪で肩の辺りを叩く。霞は呻き声をあげた。打撲か裂傷か、それとも撃たれた物か服の上からは判断がつかないがやっぱり傷を負っているようだ。

 

 さてどうしたものか。おんぶするよりは、お姫様抱っこみたいな体勢の方が揺れも少なさそうだし、相手への配慮になるだろうか。だけど、そんな行動したことないしな……。

 

 まぁ何とかなるだろうか? 楽観的な考えのもとに出た結論に従って、ネ級は目の前でうずくまっている霞をお姫様抱っこの体勢で運ぶことにした。

 

「!? ちょ、ちょっと何すんのよ!」

 

「あ、結構な傷の割に元気ですね。暴れないでね?」

 

 触手を1本だけ器用に動かし、それを、彼女が背負っていた装備ごと霞の胴部に巻き付ける。軽く持ち上がった相手の膝の裏と、背中の艤装を上手く避けて腕を差し込んで体を支えて抱える。このままの体勢だとフリーになっている頭が重いか――そう思ったネ級は残ったもう一方の触手を枕のように彼女の頭に敷いた。

 

 装備も込みの重さは自分に持ち上げられるだろうか。そんな思いは入らない心配に終わった。流石は深海棲艦。ネ級の体はフィジカル的にもなかなかパワフルらしい。

 

 「あの、どこからここまで流れてきたの?」 近くに本隊が居るなら送るつもりだったネ級が相手に聞く。

 

「敵に喋るわけ無いでしょ。馬鹿なの?」

 

「馬鹿だから助けてるじゃないですか」

 

「……アンタ……さっきから嫌に人間みたいね……はぁ。わかったわ……」

 

 少なくとも、自分一人では生き残るのは不可能に近いこの状況、この深海棲艦に害がないという事を信じるしかない。身柄を抱えられながら覚悟を決めた霞は、そんな考えを喋らないように、行きたい場所を指示した。

 

「あっちに島が見える。私から見て、島の右側の沖にずっと進んで」

 

「そちらに味方が?」

 

「さぁね。で? 教えたけど」

 

「どうも。送迎致しますね」

 

 にまにまと笑いながらネ級が言う。

 

 本当に信用して大丈夫なのか。自分の抱えている女の、薄ぼんやりと赤く光る瞳を見ながら。霞はこの日の妙な巡り合わせに心配した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 霞を抱えて、彼女の簡単な指示に従ってひたすらネ級はまっすぐ海を行く。30分ほどずっとこのままだったが、抱えていた霞はその腕と触手の中で眠りに就いていた。

 

 自分で言うのはおかしいかもしれないが。この触手、銃弾・砲弾・爆弾を跳ね返して無傷な丈夫さでありながら、もちもち柔らかで感触は良いのだ。一度、野宿で枕にしたらグッスリ眠れたこともあった。そういった物に包まれていて、なおかつ疲労も溜まっていただろうし、こうなって当然かとネ級は思う。

 

 ただ、それよりも彼女が心配になり始めたことがある。指示に従ったものの、本当にこの方角で本隊が居るのか、ということだった。

 

 軍用戦闘機が飛んできた方角は覚えていないし、燃費が良い乗り物とは言えないとはいえ、飛行機とは結構な距離を飛ぶからまだまだ遠くに隊が居ることも考えられるが。先ほどのような交戦した跡などの痕跡が一切無い場所をひたすら進んでいると、多少心細くなってきていたのだ。

 

 断続的に続く豪雨と、それで起こる霧から視界が利かない。そんな自分の視野を確保するため、数分の間を置いて妖精らに索敵させ、瑞雲を戻して休ませて……のサイクルを2、3度繰り返す。

 

 何か、誰か、見つからないものか。そう思って渋い顔をしながら霧の中を進んでいたときだった。妖精の一人から無線が入る。

 

『かなり大きな熱源を感知したのです! 大規模な艦隊なのです!』

 

「お、意外と早く済んだね。方角は?」

 

『そのまままっすぐで大丈夫なのです』

 

「おっけー。撃ち落とされたりしないように気を付けてね?」

 

『委細承知なのれす』

 

 妖精との会話が終わった頃に、霧のいっそう濃かった場所を抜ける。正に白い闇と言えそうな所に比べて少しは視界が開けてきた。

 

 一機の艦娘用の小さな艦載機がネ級の横を通りすぎた。自分の瑞雲かと思ったが、フロートの無い機体だったので違うと判断してはっとする。

 

 目の前に広がる光景に思わず息を呑んだ。

 

 2隻の灰色の巨大な船と、ぽつぽつと人影みたいな物が白い海上にうっすらと確認できる。間違いなく空母か何かの軍艦に、その周りを固めている艦娘達だろうと考える。

 

 急接近すると変なことになりそうだ。そう思って速度を落とし、歩いて軍団への距離を詰めようとしたとき。再度、妖精からの声が届いた。

 

「無線を傍受(ぼうじゅ)したのれす。聞きたいのれす?」

 

「お願い。続けてくれる?」

 

 ネ級の返事を聞き。操縦していた者の指示で、彼女の体に取り付いて待機していた妖精が、彼女が耳につけていた機械の調整をした。ほどなくして、目線の先で展開されている部隊の隊員と思われる者らの声が流れ始めた。

 

『ごく小さな物ですが熱源反応を感知! どうしますか?』

 

『識別は重巡ネ級だと? どういうことだ? なんでここまで近くに来ていて撃ってこない?』

 

『気にする場合か? 早く倒して霞の捜索を続けないと』

 

『待ってください、あの個体、誰か抱えてます! あれは……!? 霞です! 第3艦隊の霞だと思われます、映像送ります!』

 

 頭上を先程すれ違った空母艦娘の艦載機が、通り過ぎたり戻ったりを繰り返しているのがぼんやりと見える。なんとなく考えてはいたが、もうあちらは自分の姿を捕捉していたようだ。しかし人を一人抱えていたので攻撃は控えてくれていたらしい。

 

『重巡ネ級、なおも微速で近付く。敵の速度、ちょい下がりました。どうします?』

 

『どうするも何も、攻撃なんてできないだろう。私らの所じゃなかったとしても人を抱えてるんだ、見殺しになんて』

 

『しかし……』

 

『提案だ。敵は単独だろう? 狙撃の得意な者は甲板に集まってくれ。何か妙な動きをしたときに射殺する必要がある。ネ級だけを狙えるか?』

 

『難しいですね。人質は触手で絡め取られるように抱えられています。目標は波で上下していますし、残念ながら私の腕前では…』

 

『そうか。……まぁいい、単艦程度ならこちらの戦力で余裕で潰せる。最悪、抱えられている人物ごと撃破する必要が出るかもしれない。みんないいか?』

 

『…………了解』

 

 妖精のお陰で筒抜けな軍人たちの会話に注意しながら、刺激しないようにゆっくりと歩き続けていると。部隊長か何かと思われる艦娘から、スピーカーによる勧告があった。

 

『そこの深海棲艦、その場に止まれ。指示に従わない場合は遠慮なく攻撃するぞ』

 

『ばっ!? 聞くわけが……』

 

『どうしようもないだろう。取り合えず話してみるぞ』

 

 言われた通りに大人しくネ級は歩みを止めた。イヤホンからは「本当に止まった……」などと聞こえてくる。

 

『止まったな……まぁいい。敵対する意志は有るのか、無いのか。こちらの言うことが解るのなら、武装を解除しろ』

 

「………妖精さん、瑞雲で後から武器拾ってこれる?」

 

「それぐらいならわけないのです」

 

「そりゃ助かるよ。流石にこれから丸腰なのは不味いしね」

 

 戻ってきた艦載機の妖精に話しながら、ネ級は身に付けていた物を次々と外して海に投げる。妖精たちは後で持って返るために、せっせと武装と瑞雲とをロープで繋いだ。

 

『こいつ……人の言葉を理解している?』

 

『そうだとしか思えません。これはもしや』

 

『返せと言えば返してくれる可能性があるな。やってみるか』

 

 警告に従った行動を取った深海棲艦に、またスピーカーによる勧告が行われる。

 

『その艦娘の身柄を引き渡して貰いたい。お願いできるかな?』

 

「…………………」

 

 一応、何かの役に立つだろうか。そんな考えで南方棲鬼から貰って持ってきていた浮き輪が必要になるときが、意外と早く来たな。彼女は触手に引っ掛けていた浮き輪をひとつ取り、海面に浮かべた。

 

 ネ級は眠っている霞を、それに寝かせて軽く押し出す。ゆっくりと波に乗っていきながら、怪我人を乗せた赤い浮き輪は艦娘たちの方へと流れていった。

 

『すごい……』

 

『確定、だな。間違いない。こっちの言ってることが解ってる』

 

『どうするんだ? 拿捕(だほ)するのか?』

 

 何を言われるだろうか。そう思っていたネ級の耳に、意外な会話が流れ込んできた。

 

『このまま逃がそうと思う。行方不明者をわざわざ見つけてくれたんだ、深海棲艦とはいえ、恩に報いるべきだ。』

 

 

 

 

 

 




1章が重々の重々ストーリーなので今後は基本的に優しい世界が続くゾ


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16 カプチーノ色の心

モンハン新作出ましたね。でもやる時間がないっす()


 

 

「ま~た無茶苦茶やったらしいわねアナタ。まさかそんな度胸があるとは思わなかった」

 

「あはは……どうも」

 

「アハハで済むの??? ……よくわからない性格ね。お前。」

 

 霞を艦隊に送り届けた後。追ってくる者などを警戒して、念を入れた回り道などの行動で夜中に帰ってきたネ級は、疲れていたのでそのままガレージで就寝に就いていたのだが。起きて早々、目の前に居た南方棲鬼から説教を食らうこととなった。

 

 話題はネ級の単独行動についてだった。話を聞くと、彼女も偵察機を飛ばして警戒していたらしく。一人で飛び出し、それどころか敵を助けて奔走する所まで見られていたらしい。

 

「なんであんなの助けたの? 放っておけば良いのに」

 

「…………。 寝覚め……悪いじゃないですか。目の前で死なれたら」

 

「要するに自己満足ってこと」

 

「ははは……そーなりますね」

 

 痛いところを突かれたな。そう思って苦笑いしながら返答したとき。髪を掻き乱しながら、ため息混じりに南方棲鬼が言う。

 

「昔ね、レ級がアナタと全く同じことをやって、言ったわ」

 

「え」

 

 考えていなかった相手の言葉に、ネ級は少し狼狽(うろた)えた。

 

「それなりに前のことだけどよく覚えてる……はぁ。性格が似てるのかしら。あのお人好しと……」

 

「えぇ……」

 

「えじゃないわよ、あの子もしょっちゅう座礁船なんかの人間を陸に送り返してたの。その度に艦娘に撃たれてボロボロになって……見るに耐えないからやめろって言ったけどね」

 

「へぇ……そんなことが」

 

 「元は人間だった」。そう言っていたのが現実味を帯びてきたな。この島の、なんだか気の抜けた優しすぎる表情をした彼女の顔が、話を聞いていたネ級の頭に浮かぶ。

 

 会話中だというのに、考え事で頭がぼんやりしているとき。勿論そんなネ級の状態など知らず、南方棲鬼は続けた。

 

「言っておくけど、別に止めないわよ。貴女の事なんてどうでもいいと私は思ってるから」

 

 フリか? 寝起きで回らない思考のせいか。変なことを考えたネ級が言う。

 

「ツンデレですか?」

 

「ツン……え? 何? 突然???」

 

「あ、なんでもないです。ごめんなさい」

 

 知らない言葉だ……。そう小声で漏らした彼女に、ネ級の体に引っ付いていた妖精たちが笑い始めた。だんまりを決め込む予定が、ネ級のとぼけに不意を突かれたらしい。

 

「ぶっふっ!」「くくく……!」「フフッ……」

 

「……ヨォし、貴様ら一匹ずつ潰して」

 

「ぴいっ!」

 

「ネ級、どういう意味か説明してくれる? 一体どういう言葉なの「ツンデレ」って」

 

「「相手の心配をする」って意味です」

 

「…………ふ~ん」

 

 嘘……じゃあないよね。本当でもないけど。

 

 はにかみながら流れるように言い訳を繋げる。納得していないようだが、南方棲鬼は取り合えずは引っ込んだ。

 

 体の向きを変え、屋敷に戻るために歩こう……とする前に。思い出したように、彼女は着ていたジャンパーから何かを取り出し、ネ級に手渡す。

 

「なんですか? これ」

 

「………そこ、行ってみなさい。アナタの助けになる奴が居るかもしれないから」

 

「???」

 

 渡された紙は地図になっていた。簡単な海図と方位、目印にする島や岩礁といったものが絵付きで描いてある。

 

「勘違いしないでよ。アナタが居なくなると、また二人で連中の相手をしなくちゃならなくなる。そうなると面倒だから」

 

「ありがとうございます」

 

「……ふん!」

 

 肩や腕のストレッチをしながら、南方棲鬼はガレージから出ていった。

 

「…………………」

 

 な~んだ。やっぱりツンデレじゃないか。嫌な顔をしているくせに、自分を心配してくれていた相手に。ネ級はそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 大事をとって、1日を休息に費やしてからネ級は出発した。

 

 霞を送った日と同じ装備で海面を蹴って行く。昨日に南方棲鬼に貰った紙と、曇り空とを交互に見ながら進む。背後には、付かず離れずの距離を保ちながらニ級が着いてきていた。

 

「どんな場所だろうね。話的に、多分深海棲艦が居るんだろうけど」

 

「行くだけ行ってみるしかないのです。多分、罠ではないのです」

 

 「おっ?」 ネ級は、珍しく南方棲鬼の肩を持った妖精に聞いた。

 

「なぁにぃ妖精さん。やっとあの人の事、信用するようになったの?」

 

「理詰めで考えればわかるのです。鈴谷さんをやっつけたいなら、そもそも島に住んでいる時点で寝首を()こうとするはずなのです」

 

「な~んだ、つまんないの」

 

「鈴谷さんは逆に信用しすぎなのです……そのうち痛い目にあってもおかしくないのです」「「「心配なのれす」」」

 

「私のコミュニティは無条件に人を信じることから始まるからね!!」

 

「無防備が過ぎるのです」「「「のーがーど!」」」

 

 定期的に索敵し、何も居ないことを確認しては雑談で暇を潰して、と繰り返す。そろそろ近くまで来ているはずだけど……。周囲を見渡し、ネ級は波の少ない海上にぽつんと佇む人工島を見付ける。

 

 あれか! 大きなクレーンが見える外観がメモと一致している点に、目的地だと確信を持ったネ級は、艤装の出力を上げて更に近づいた。

 

 屋敷暮らしで、深海棲艦というのは意外にも普通の場所に居を構えている事を知ったから、あまり驚きはしなかったが。外観を見たところ、よくある海底資源なんかを掘る基地か何かに見える。

 

 船を出し入れするのに使うと思われる水門の前まで辿り着く。すると、その出入り口を囲むように設置してあったスピーカーから女の声が流れてきた。

 

『そこのお前。入れて欲しければ合言葉を言え』

 

「え~と、なになに……「うみがめ」」

 

『…………許可が降りた。通れ』

 

「どうも」

 

 いよいよ、って感じ?

 

 紙に書いてあった合言葉を、聞こえやすいように声を張って言う。応対の後、ゆっくりと錆びたシャッターが上がっていく。今の自分の体だと、南方棲鬼の紹介だと言えば多分大丈夫だろうが。この先にある光景を想像して緊張しながら、ネ級は門を潜った。

 

 

 

 

 屋敷と同じく、軍の設備はほったらかし……そんなように想像していたネ級は、意外にもきちんと整備の行き届いた軍港に驚いていた。コンテナ置き場のコンテナ、港にありがちなガントリークレーン、その他、大型の作業機械が多数並んでいるが、どれも錆ひとつ無いぐらいに手入れがなされている。

 

 あまり人の気配が感じられないが、どこから上陸しようか、と周囲を忙しなく見渡して微速で水面をうろついていると。波打ち際で何かの作業をしていた深海棲艦に声をかけられた。

 

「あ! お~い、お客さんってアナタ~?」

 

「先程門を通った者なら私です」

 

「へぇ! 何してんの? ここから上がってきなよ」

 

「どーも。では、失礼」

 

 今じゃすっかり驚かなくなっちゃったな。ごく自然と話しかけてきた深海棲艦の言葉に従って、ネ級は港のアスファルトに足を乗せた。すぐ後にニ級も上陸する。

 

 真っ白な頭髪に、赤い瞳を持つ。服は薄手のワンピースみたいなものに、首に(いか)つい形状の首輪を着けていて、長靴を履いている。ただ、何よりもこの人物の一番の特徴は極端に背が低く、見ようによっては小・中学生ほどに見えるところか。

 

 身体的特徴から見て、確か北方棲姫とかい(ほっぽう(ほくほう?)せいき)う深海棲艦だったはずだよな。目の前の小柄な人物を見て考えていると。彼女は続けた。

 

「ごよーけんは何でしょう。お客様は久し振りだなぁ」

 

「えっと、これを見せるようにと言われているのですが」

 

「?」

 

 ネ級が南方棲鬼から渡されていた紙は2つあった。そのうち、「この場所の深海棲艦に渡せ」と言われていた封筒を、北方棲姫に差し出す。封を切って中身を読んだ彼女は、うんうんと2回相槌(あいづち)を打ってから口を開いた。

 

「南方棲鬼からのしょーかいなんだね。わかりました。ついてきて」

 

「は~い」

 

 なんだ、昔資料で読んだより精神年齢が高そうだぞ。幼い見た目に似合わず、馴れた様子で案内をする北方棲姫に、ネ級は違和感を抱いた。

 

 どこに連れていかれるんだろうか。悪いことは無いだろうけど、等と考えて歩いていると。今度はまた別の姫級深海棲艦と遭遇した。

 

 体の面積よりもありそうな量の白髪を足元まで伸ばし。下着姿で、それでいて手と足に黒いカバーを身に付け、かなり底の厚いサンダルに似た靴を履いている。こちらは確か泊地棲姫(はくちせいき)?だったか。

 

「おはよーございます。泊地さん」

 

「うん? 北方か……その後ろのはなんだ?」

 

「お客様です。装備を見繕(みつくろ)いに来たそーです」

 

「ふ~ん……ん?」

 

 髪の毛で影のかかっている目を細くして、泊地棲姫はネ級をじっと見つめた。

 

「ネ級……え、ネ級??? おかしいな……なんでネ級が???」

 

「? この人はどう見てもネ級ですが?」

 

「製造にバグがあったからネ級の生産は中止された筈だぞ。レ級並みに制御が難しいのに、のくせして耐久以外はパッとしない能力だってな」

 

 なんだなんだ。雲行きが怪しくなってきたぞ。表情が曇った泊地棲姫に、ネ級の背筋に冷や汗が流れ始める。

 

 自分を見つめる深海棲艦の、次に口から出てきた言葉に。ニ級を除いた、ネ級と妖精一行の頭に電流が流れた。

 

 

「……………! ふふふ、北方、違うぞ。こいつはネ級じゃない」

 

 

「「「!!??」」」

 

 そんなまさか、バレた!? 驚きすぎて体が動かない。全身を汗で濡らすほどにネ級が狼狽する。いち早く危機を察知して、妖精らはこっそりと武装の安全装置を外す、そんなときだった。泊地棲姫は、長手袋を()めた両手でネ級の頬をつまんだり引っ張ったりしながら続ける。

 

「1対の触手、首を覆う外皮、確かにネ級そっくりだ。が、見たところ全身生身の体で機械が入ってない。おまけに右目があるし、顔が甲殻で覆われていない。こいつは……」

 

 全身を撫で回されたり、閉じていた右(まぶた)を指でこじ開けられたりした。弁解の余地なんて無い。この深海棲艦は何か頭も良さそうな風だ。艦娘……人間だったことがばれたら……。白い顔をどんどん蒼くしているネ級に、相手はこう言った。

 

「誰かが手違いで建造したネ級のエラー品だな」

 

「…………え?」

 

「おおかた、処分するのも忍びなくて海にほっぽったんだろ。そうしたら運良く今の今まで生き残れたってところか」

 

「あ、なるほど。だから服も触手もちょっと見た目が違うんだ。なんか変だなぁって思ったら」

 

 勝手に話が進んでいく。どうやら自分はレ級が教えてくれた「工場」なる場所で作られたネ級の不良品と思われたらしい。敵と認定されるよりは遥かにマシだと、内心でほっとする。

 

 北方棲姫の持っていた手紙に目を通し。改めて、といった様子で、泊地棲姫は口を開いた。

 

「なるほど、こいつの非力な武装を作り直せと。南方棲鬼はそう言いたいのか。力任せが好きなアイツらしいな」

 

「ですね。それに珍しいよ、大人しいネ級なんて。始めて見たかも」

 

「だな。興味も沸いてきた……よ~し、久し振りに手間と時間のかかるものでも作るかな」

 

 会話に混ざらないと置いていかれそうだな。話を広げていく泊地と北方にそう思ったネ級は、多少強引に首を突っ込むと、泊地が応対する。

 

「……あのぅ、手紙にはなんと?」

 

「あぁ、悪いな。えぇと? 南方棲鬼になんでここに来いとの理由は言われてないのか?」

 

「何も。ただ、私に助力してくれる方が居ると、ここに向かえと言われたので来ました」

 

「後ろのニ級はなんだ? 部下か?」

 

「そんな大層なものじゃないんです。気が付いたら着いてくるようになっちゃって。でも、いつも助けてくれるんです」

 

「へぇ……北方、面白いなコイツ」

 

 ニヤリ、と泊地棲姫は笑った。

 

「ようこそ我らが工房へ。歓迎するよ。今日はここに泊まっていくんだな」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 大雑把に言うと、手紙にはネ級用の艤装の製作依頼について書いてあった。

 

 文に目をやっている時、横に居た泊地棲姫から説明を受けたが。この港は放棄された軍基地を再利用した、深海棲艦のための艤装の整備工場だという。

 

 右を見ても左を見ても空母・戦艦といった2番目がウロウロしているアウトエリアの性質上、武装の火力不足を見抜いた南方棲鬼がネ級を気にして行くように指示したんだろう。泊地の話を聞いて、ますますネ級は彼女に頭が上がらない気持ちになった。

 

「はるばる長旅ご苦労。安心しろ、無法者((2番目))ごとき容易(たやす)く粉砕できるのを作ってやるよ」

 

「ははは……ありがとうございます。泊地棲姫様」

 

「様なんてつけるなよくすぐったい。呼び捨てでいい」

 

「いえ、これからお世話になるわけですから。礼儀は、と」

 

「そうか? ……お前やっぱり変わってるな。変な服着てるし。装備は艦娘のやつだし」

 

 コンテナかと思えば、実際は中は改造とDIYで製作所になっていた場所で。ネ級の持ってきた艤装を万力に挟めて、目盛り付きの道具で何か計測している泊地棲姫に言われる。

 

「お前ほど穏やかなのは冗談抜きで初めてだな。話してて暇しないよ」

 

「そうなんですか?」

 

「南方棲鬼の所に世話係のレ級が居るらしいな。私は話だけ知ってるんだ、ただ実際会ったことが無くてね。お前さんみたいなのが居て結構驚いてるよ」

 

「私から見て、泊地様も充分優しいお方に見えるのですが」

 

「あはは! 誉めても何も出さんぞ。……さては南方め、あんた、アイツから殺すぞだのなんだの言われなかったか?」

 

「どうしてわかるんですか……」

 

「ふふ……昔から気性が荒いからな。アイツは」

 

 旧友、といった間柄なのだろうか。会話しつつ考えていると、扉を開けて誰か入ってきた。目の前の人物と同じ、完全な人型を取る姿からして、また鬼か姫級の深海棲艦か。

 

姉様(あねさま)、準備が整いました」

 

「来たか。水鬼、挨拶してやれ」

 

「あぁ、こちらが客人ですか」

 

 泊地の事を姉と呼ぶ、彼女と同じくらいに長い、よく手入れされた黒髪と、頭から生えた大きな牛のような角が目を引く人物は。泊地の言いつけに従って、ネ級のほうを向いた。

 

「初めまして、陸では泊地水鬼(はくちすいき)と呼ばれているそうで。以後お見知りおきを」

 

「重巡ネ級です。今日はよろしくお願い致します」

 

「さて。姉様、この人物の身体検査は?」

 

「いやまだだ」

 

「まだ? 不用心が過ぎるのでは? 艦娘の武装を持っていると聞きましたが」

 

「何か理由があるんだろ。南方が警戒しないヤツだぞ? 問題ないと思うがね」

 

「はぁ……じゃあ私がやります」

 

 話を聞くに、南方棲鬼と泊地棲姫は気のおけない間柄なんだろうな、と思う。考えていたネ級に水鬼が体に触れながら話し掛けてきた。

 

「身に付けてるものは脱いでください。そして下着姿になって。変なもの持ってないか見させて貰いますからね」

 

「お構い無く」

 

 同性(?)なので特に抵抗もなく。ネ級は履いていた靴を除いて水着だけになる。

 

「体は何もなし。服も……人間の服? また珍しい。浮き輪、包帯、手袋……ポーチ? 中身は何が?」

 

「小銭です」

 

「コゼニ?」

 

「陸地で使われるお金です」

 

 島で南方棲鬼とレ級から聞いたが、普通に人間社会に溶け込もうとしている深海棲艦も居るらしいし。喋っても問題ないだろう―― そんな考えで話したところ。ネ級は、対面していた相手にがっしりと両手で肩を掴まれた。

 

「!」

 

「陸の……?」

 

 3秒ほどのインターバルを挟んでから、水鬼は叫んだ。

 

「お金えええええぇぇぇぇぇ!?」

 

 唐突に近くで金切り声みたいなものを出されたので、耳がキーンとする。何やら興奮し始めた水鬼と話す。少し視線をずらすと、姉の方は口角を吊り上げてニヤニヤしていた。

 

「何で!? 何故!? ホワイ!? そんな珍しい物ォ!」

 

「む、昔は陸に居ましたから」

 

「ひゃあぁ!?」

 

 要領を得ない様子の相手に、ネ級は証拠として、彼女が握っていた財布を持って中身を机に撒いた。水鬼の顔は紅くなっていたのが一周して蒼くなり、最後に白くなる。お堅い人物かと思ったが、表情豊かな人なんだな、と思った。

 

「嘘でしょう……? なんでこんなにたくさん……欲しがっても手に入んなかったのに……」

 

「あの……」

 

「は、はは……もうダメだわ……しばらく立ち直れない……」

 

「欲しいならあげますよ。別に。もう当分使わないし」

 

「…………………え?」

 

 一旦は肩から離された手が光みたいな速度でニュッと飛び出す。速すぎて見えなかった水鬼の行動にネ級は変な声が出た。

 

「本当に本当に本当に本当に!? こんな大事な物ォ!?」

 

「え、えぇ。別に珍しいものでも……」

 

「いやったぁぁ!!」

 

 ネ級がそう言うと。机にばらまいてあったうち、その中では一番綺麗だった五百円硬貨をしっかりと握り締めて水鬼は意味のわからない動きをしながら狂喜乱舞し始める。

 

 相手が喜んでいる理由がわからなくて混乱しているとき、姉の泊地が薄笑いを浮かべながら隣に並んでくる。妹の彼女が暴れている理由を教えてくれた。

 

「陸で暮らしていた、ねぇ。コイツに好かれる要素満点だね」

 

「何かあったんですか?」

 

「ヲリビー……軍に取り入ったヲ級の話は聞いてるか? アイツに憧れてるんだってさ。いつか陸に家を建てるのが夢だ、って。」

 

「なるほど。だから陸の物に目がないわけだ」

 

「そう言うこと」

 

 大事な物……例えるなら高価な割れ物を扱うような動作で彼女は硬貨をドレスに仕舞うと。少し狂気を孕んだような笑顔でネ級に向き直る。ネ級はまた変な声が出た。

 

「全力でおもてなし致します。こんなしょっぱい装備、1日でバラバラにして……」

 

「ははは……一応、大事な物なので大切にお願いしますね」

 

「はぁ。こんな装備が? ……その辺で拾ったような貧弱な……」

 

 こちらの利になる事をしてくれるのは嬉しいが、流石に親友から譲ってもらった物をこきおろされるのは、多少腹が立つな。先程からの様子を見るに、少し性格に難があると見た水鬼に、ネ級が心の中でそっと苛立ちを覚えていると。

 

 持ち物にけちを付けられて腹が立っていたのは自分だけではなかったのか。見つからないように、ネ級の中に隠れていた妖精らが、ミニサイズの金槌や工具などを持って躍り出てきた。

 

「ちっきしょー! 人が大人しくしてればー!」「であえー! であえー!」「やろう、ぶっころしてやる!」

 

「あ、ちょっと!」

 

「「!!」」

 

 事前の打ち合わせではずっと隠れているはずだったのが、なかなかの勢いで怒鳴りながら飛び出してきた妖精らを、ネ級は慌てて制止させる。暴れる小人らに、この生き物は何かと泊地と水鬼両者は妙な表情になったのが見える。

 

「鈴谷さんの苦労も知らずにー!」「「「ずにー!!」」」

 

「ひゃあがまんできねぇ爆撃だ!」「「全機発艦!!」」

 

「タンマぁ、それは駄目だってェ!!」

 

 水鬼に殴りかかるどころか、瑞雲で攻撃しようとし始めたので、大慌てで無理矢理機体を掴んで止めさせる。

 

 どう思われただろうか。暴れる妖精らを無理矢理触手の中に押し込みながら周りに視線をやると。水鬼は硬直した後、また興味と狂気の入り交じった表情に戻り、その後ろではやはり泊地が薄く笑っていた。

 

 目で捉えられない早さで水鬼は妖精を二人捕まえ、きらきらした目で舐めるように眺め、誉め、何やら色々喋り始める。

 

「妖精!? フェアリィ!? 始めて見た!!」

 

「「「ぴぃっ!?」」」

 

「この工具、装備、艦載機、凄まじい精度! どんな技術を!? 私に是非! 是非! 是非ぃ!」

 

「ふぇぇぇぇん!」「助けてぇ!」

 

 喜怒哀楽が激しいじゃ済まないな。こりゃ、もはや変人の域に入ってる。失礼な感想を抱きつつ、ネ級は泣き出した妖精を見ていられなくなって止めようとしたが。口を開くと、泊地に止められた。

 

「あ、あの……」

 

「無駄だよ。妹は好奇心旺盛でね、妙なものを見たら理解できるまで離さんタチだ」

 

「えぇ? ……大切な友達なんです。あまり乱暴はされてほしくないのですが」

 

「あぁ、そういうのは大丈夫、物を壊したりするようなヤツじゃない。じっくりねっとり撫で回されはするだろうがね」

 

「それも困るんだけど……」

 

 号泣しながら助けを請い、首をぶんぶん振って抵抗する小人二人を見る。身柄を離す様子のない水鬼に、ネ級は大きなため息をついた。

 

 

 

 

 やっと興奮が収まった水鬼から施設の案内を受けて、ネ級は別のコンテナに移る。移動の際、他の深海棲艦ともすれ違うが、そのほとんどが重巡以上の人型の高位個体ばかりだった。

 

 慣れとはすごいな、と思う。一週間ほど姫級と過ごしたせいなのか、周りを強力な深海棲艦に囲まれても、前ほどの恐怖心は沸かなかったからだ。……それでも、本能的な恐怖は、やはり多少は感じたが。

 

「さ、着きました。どうぞ」

 

「失礼します」

 

 水鬼の誘導でコンテナ部屋の中に入る。

 

 なんだこれ。中に鎮座していた物体にそんな感想を持った。

 

 「キモい」とはネ級は面倒事を避けて口には出さなかったが。室内の半分ほどを占める、異様な物体に視線を持っていかれる。何かの心臓のように有機的な、それでいて所々に機械が刺さっている外観のそれは、見た目らしく、臓器のように脈打って動いている。粘液で濡れてなどはいなかったが、人によっては生理的に嫌悪感を抱きそうなナニカである。

 

「なんですかこれ? 何かの心臓?」

 

「身体検査の機械ですよォ。すごい精度なんです」

 

「へ、へぇ?」

 

 ま~た何か嫌な予感がするけど……。ネ級の予想は当たってしまう。水鬼は特に抵抗もなく扉のような部分を開けると、中に入るように促してくる。

 

「さ、どうぞ! 中に入ってください」

 

「ん!? こ、この中ですか?」

 

「さぁさどうぞ、遠慮せずに!」

 

 そういう問題じゃないんだけど!? 反対意見を言う暇さえ貰えずにネ級は機械の中に押し込められた。

 

「うわぁ!? ちょっとぉ!!」

 

「あでぃおーす!」

 

 水鬼にドアを閉められ、電灯などは無かった中は真っ暗になる。心細いなどと言う表現に収まらない感情に、思わずネ級は妖精らに話しかけた。

 

「ひぃっ!? ぬっ、ヌメヌメするぅ……妖精さん大丈夫?」

 

「うぇぇぇん!」「怖かったぁぁぁ!」「ひーん!」

 

 あぁ。ダメそうだこれは。

 

 無臭だが、湿気の凄い中の様子に更に不安になる。触手の中に居た妖精たちは、さっきの水鬼によっぽど堪えたようで、ネ級の話に応じてはくれなかった。

 

 それから数秒もしないうちに、この妙な機械が動き始める。暗闇で見えないが、段々と壁が迫ってきているのを知覚し、ネ級は顔を蒼くして叫ぶ。

 

「おぉおぉ!? これ本当に大丈夫なの!?」

 

 柔らかいが、何かの液で濡れている壁に体を包まれる。段々と圧迫が強くなるが、少し苦しいぐらいに感じたとき。唐突に動きが止まり、迫ってきた壁が元の場所に戻った。

 

「お、おわった……?」

 

 なんだろう。体感したことがない恐怖だった……。ガチャガチャと外から物音がして、扉が開く。出口でニマニマしていた水鬼に引きながら、ネ級は身震いしつつ機械から出た。

 

 本当に大丈夫か。体に機械でも埋め込まれるんじゃないだろうな。

 

 パソコンに似た機械のキーボードを凄い早さで叩き、何かの作業に入る水鬼の様子を伺いながら。ネ級はここを指定した南方棲鬼に悪口が言いたくなった。

 

 

 

 

 




劇中世界の北方棲姫は登場時の公式絵よりも微妙に頭身が高いのです。正月・オーケストラの時の容姿に近いですね。


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17 苦笑いなんてやめて誓ってやる

筆が乗りに乗りましたが話がアレの可能性がががが


【挿絵表示】



 

 

 グロテスクで妙な機械は本当にただの採寸のマシンだったらしく。体にぴったり合うオーダーメイドの艤装を作るのに集中するから、と、ネ級は服を返却されて水鬼から解放されていた。

 

 港の各コンテナは、一部は来客が寝泊まりをするために中身を改造されているという。そのうちの空き部屋、ビジネスホテルの一室のようになっている物のベッドの上で、適当に昼寝してネ級は時間を潰していた。

 

 「酷い目にあったのです……」 十数人いる妖精のうち、半分は水鬼に無理矢理装備の削り出し等を手伝わされることになり、ここには居ない。なんとか身を隠して逃げることに成功した一人が、そんな言葉から会話を切り出す。

 

「ははは。なんかすごい張り切ってたよね」

 

「気持ちが悪いなんて物で表現できないのです! お、思い出しただけで寒気が……」

 

「でも悪い人じゃ無いんじゃない。お手伝いに行ってる子達は、なんかお菓子とか貰ってたし」

 

「物で釣って、いじめるに違いないのです!!」

 

「そこまでするかなぁ? 同じ技術者として尊敬してるって言ってたよ?」

 

「ふんっ! 得体の知れない物に近付かないのは常道なのれす!!」

 

 ムスッとして自分の腹の上であぐらをかいている妖精にネ級は笑う。

 

 触手にしがみついて寝ている者の頬を指で撫でる。視線を動かすと、時計の文字盤は午後6時を指している。港に到着したのは午前10時を少し回ったぐらいだったので、それなりの時間は経っている。

 

 時折様子を見に来る作業着姿のリ級からは飲み物と茶菓子を受け取り。部屋の中には拾い物だろうか、状態は悪いが読めなくはない雑誌が幾つか並べてあり、熊野から貰った高性能ラジオも持ち込んでいる。色々と不自由は無かったので、この自由時間を嫌に感じることも無かった。

 

 それと同時に、思うことがあった。「理性のある深海棲艦は、ごく一部を除いて人との敵対を避ける」と、レ級の言ったは本当だったんだ、という感想だ。

 

 気になって後で捕まえた北方棲姫に聞くと、彼女は滅多に艦娘に攻撃はしないという。別の作業場に居た泊地は威嚇(いかく)射撃が艦娘と遭遇したときの主な対処法だと言い、それでも距離を詰められる時は大人しく後退して逃げると言った。

 

「……………………」

 

 みんな(熊野たち)に知らせたらなんて言うんだろうな。飯の種だからと構わず撃つのか、歩み寄ろうとするのか。はたまた、何か企んで金稼ぎに使うのもいるかもしれない。

 

 考えるとキリがないな、と思っても勝手に頭が回る。

 

 出てきた当初は、甚大な被害をもたらしたらしい深海棲艦も。今ではすっかりそれを核にした産業ができてしまう辺り、人間とは本当にタフだな、とネ級は思う。

 

 軍の関係者は言うに及ばず。艤装を作る会社、深海棲艦被害を見越している保険会社、果ては運送会社と軍を繋いで艦娘を派遣するための仲介業者なんて物も存在する。簡単に深海棲艦が全滅してしまえば、それらの仕事をしていた人間はしばらく路頭に迷うはずである。

 

「何のための戦いなのかなぁ……」

 

「?」

 

「あぁ、ごめん。なんでもないよ」

 

 独り言のように呟くと、妖精に変な顔をされた。無難な返事でネ級は落ち着かせる。

 

 考え事に(ふけ)ると。昔、鈴谷は研修のために1ヶ月ほど違う鎮守府に居たことがあったが、その場所の、あまり好きでは無かった先輩艦娘の言葉を思い出した。

 

 「適度に手を抜け。じゃなきゃ金にならないから」 初めて聞いたときは、耳を疑った。嫌な仕事だからと適当にやる気が満々だった自分を棚に上げて、その発言に呆れたのをよく覚えている。

 

 その頃はまだ、鈴谷のような無理矢理連れてこられた兵隊は少なかった。つまりは自分から望んで艦娘になった者が大多数である。さぞかし立派な思考回路の人なんだろう、とか思っていたのにこれでは拍子抜けだ。と、鈴谷はその人物をかってに軽蔑(けいべつ)した。

 

「…………」

 

 寝返りをうって、天井と電球に目をやる。

 

 暴れまわっているのを外せば、何も人間と変わらない。ただ肌が白くて体が頑丈なだけの女の人ばかりだ―― 島の二人に、港の深海棲艦達。様々な者と交流を持ってしまうと、そんな考えが浮かんで当然と言えた。少なくとも、ネ級には彼女らは表現豊かな人間と何も変わらなく見えたからだ。

 

「ここのみんな、表情豊かだよね。下手な大人より、よっぽど愛想も良いし」

 

「いきなりどうしたのです?」

 

「いーや。別に。人が恋しくなるかと思ったけど、友達には不自由しなさそうだなって」

 

「………ノーコメントでお願いするのです」

 

「ふふふ。言うと思った!」

 

 妖精と、あまり意味もない雑談に花を咲かせているときだった。コンテナのドアが開き、泊地が顔を覗かせる。

 

「おーい起きてるか」

 

「大丈夫です」

 

「そうか、武器以外の調整が終わった。試しに着けてみてくれないか? 何か不都合があるなら再調整するが」

 

「もうできたんですか?」

 

「武器の調整が一番の大仕事だ。こんなことで手間取ってられないよ」

 

 朝に私が居たコンテナで待ってる。そう言い残して、泊地は部屋から出ていった。

 

 大きな伸びをして、軽いストレッチで体の筋肉をほぐす。応じない理由もないネ級は、渋い顔をしていた妖精らを説き伏せて外に出た。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 最近機械の整備技術を学び始めたばかりなので、ネ級はそういった方面は素人同然である。本職の妖精らはどう言うかは知らないが。彼女からすると、泊地棲姫と水鬼は、仕事の早さから一流の技師ではないだろうかと思う。

 

 来るように言われたコンテナ部屋の机には、朝には影も無かった自分向けの装備が幾つか置いてあった。重巡ネ級の特徴の1つである装甲に被われた足を模したようなブーツ、厚みを増した首輪、おまけで初日にヲ級に割られたはずの仮面まで用意してある。

 

 さて、自分が顔に何か貼り付けていたのをこの人物は知らないはずだけど。気になって声をかける前に、泊地に話し掛けられた。

 

「首輪は貰ったままから、皮膚に当たる部分は弄ってない。まずブーツに足を通してくれ、引っ掛かって履けないなんてなったら論外だ」

 

「わかりました。あの、質問良いでしょうか」

 

「ん? 何かあったか」

 

「これ、なんでしょうか? 装飾品の類いに見えますが」

 

「お前さん向けの眼帯さ、死角から撃たれることだって有ろうに。顔をやられたとき用の保険だな」

 

「え」

 

「? 右目、見えていないんだろう? だから作ったんだが」

 

「妖精さんから聞いたんですか? 言った覚えは無いのですが」

 

「いや、水鬼からだ。身体検査をやったら見つかったって聞いたが」

 

 あぁ、あの心臓みたいな機械か。やけにこちらの体の事情に詳しい理由を知り。ネ級は一人納得した。

 

 会話の最中に物を履き終わる。特にきついだなんだということは無く、サイズはちょうどいい具合だった。更に、ごつごつして紺色に金属光沢を放つ外観からは想像できないほど、中は履き心地が良かった。

 

「これ、なんかすごいですね。ブーツなのに全然蒸れない? それに凄い動きやすいし」

 

「それぐらいは簡単さ。問題は武装だ。軽くて強いのが欲しいからな」

 

「はぁ。あ、そういえば水鬼様はどちらへ。ここには居ないようですが」

 

「妹ならお前が検査した所で缶詰だ。「創作意欲が涌き出てくる!」とか言っていたな」

 

「あはは……なるほど」

 

「妖精、とか言ったな。今もアンタが連れ添ってるその小さいやつ。さっき見たら、けっこー仲良く仕事してたぞ」

 

「嘘ぉ!?」「「「マジです!?」」」

 

 昼頃は恐怖していた者も、やはり同じ畑の人種と居ると馬が合うという事なのだろうか。少し驚いたが、自分など遥かに越える様子で驚愕した妖精らに叫ばれて、ネ級は冷静になる。

 

 履き物の動きやすさに感心して、その場に足踏みしたり、しゃがんだりして艤装がどのような動きをするのかネ級が確認していると。ふと、泊地に目をやれば、何かニタニタしながらぶつくさ言っているのが聞こえる。

 

「どうかしましたか?」

 

「フフフフフ……この流線を描きながらも鋭角的なライン。そしてそれらを繋ぐ、装着者に追従し、驚くほどに緩やかな可動を可能とした蛇腹状構造……美しい。」

 

「………………。ん?」

 

 あ。もしかして。ネ級と妖精らの予感が当たる。

 

「無駄のない、それでいてデザインも妥協していない。正に私は天才なのだと自覚するなぁ……惚れ惚れする」

 

「しかし、これらは所詮は道具……ましてや戦いに使うもの。疲労もするし、部品も消耗し、いつかは滅ぶのだろう……」

 

「しかし壊れるその時まで使用者を守り続ける道具……感動的じゃないか……デザインの語源は「愛」と言うが……」

 

「んんむぅ、残酷だなぁ………」

 

 駄目だこりゃ。すっかり自分の世界に入ってる。気になって泊地の瞳の前で掌をひらひらさせてみるものの、全く反応がない。そんな上の空な彼女にネ級と妖精らは呆れつつ少し引いた。

 

 研究者とか芸術家だとかで特殊な感性の人というのは変わり者が多いと言うが。それは深海棲艦にまで適用される法則なのか? 等と思う。同時に、血が繋がっているのかは知らないが、この姉にしてあの妹(泊地水鬼)有りだな、とも。

 

 自惚れている女を無視する。恐らくは機械でスキャンした自分の顔面に合わせて作ったのだろうが、置いてあった仮面を付けると、体験したことがないような一体感のような物に驚く。

 

 まるで何も顔に無いように軽く、違和感がない。どんな技術を持ってすれば成せることなんだこれは―― 泊地の腕前を素直にネ級が内心で賞賛した時だった。

 

 吹っ飛ばすような勢いで扉を開けて、世話係をやってくれていたリ級が中に入ってくる。一気に現実に引き戻された泊地の顔は不機嫌そうな物へと変わった。が、何か急いでいるような相手の様子で彼女は真顔になる。

 

「何かあったのか? ノックしないとは結構な事と見たが」

 

「ご無礼を。中枢棲姫(ちゅうすうせいき)様がおいでになられています」

 

 リ級の口から出た言葉に、ネ級の体が固まった。

 

 中枢棲姫というのは。ネ級の持ち得る知識の中では、南方棲鬼など霞むほどの危険度がある深海棲艦の名前だったからだ。

 

「中枢様が? なんだってこんな場所に」

 

「それが、近くで戦闘になったと。酷い怪我で……」

 

「あの方が負傷してるだって? そんな事が……まぁいい。私も行くから、他の世話係にでも応対させておけ。すぐに行く」

 

「わかりました」

 

 会話に夢中な二人を利用してネ級は妖精たちと話す。

 

(中枢棲姫だってさ……どうしよ)

 

(少なくとも、今の鈴谷さんならばれることはないと思うのれす。血を抜こうが細胞検査にかけられようが、体は深海棲艦なのれす)

 

(本当かなぁ……)

 

(下手な事をしなければいいのです。しゃんとしてれば別に詮索(せんさく)もするはずないのです)

 

 どうしようか。そう話していると。リ級が出ていくのを見送ってから、泊地の呟きが聞こえた。

 

「中枢様が怪我だと……参ったな。医療用設備なんて無いぞ」

 

「!!」

 

 これだぁ!!

 

 困った顔でそう言った女に、迷わずネ級は食いつく。

 

「怪我をしているんですよね? その人は」

 

「? まぁ、さっきの奴はそう言ってたな」

 

「お手伝いさせてください。傷の手当ては慣れてます」

 

「えっ」

 

 意外そうな顔で応対される。

 

「お前さんは客だ、別に私たちの問題だし、第一面識ある相手なのか?」

 

「いいえ、中枢棲姫様なんてとても。名前だけです」

 

「じゃあなんで」

 

 なんだ。昔は、怖い生き物だと思ったけれど、可愛い顔だってできるんだな。ネ級の言うことに困惑している泊地にそう思う。

 

「困ったときは他人に頼ってください。それに、こんなものまで作って貰ってるんです。ご奉公(ほうこう)しますヨ。」

 

 嘘偽(うそいつわ)りない本心からの言葉で。ネ級は屈託のない笑顔を浮かべて言った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ネ級が朝に入ってきたとき、ほとんど誰も居なかった水門の近くは。なかなかの大物が怪我をして運ばれたせいか、結構な人数が集まって騒がしくなっていた。

 

 どうしようどうしようと慌てる者もいれば、必死に怪我人に呼び掛けている深海棲艦も居る。そんな人混みを掻き分けて、二人は中枢棲姫と対面した。

 

「こちらになります。申し訳ありませんが、私には何も……」

 

「気にするな。案内ありがとう………これは……」

 

 泊地が言葉に詰まる。続いて、ネ級も中枢棲姫の様子をまじまじと眺めた。

 

 SF映画や漫画に出てくるアンドロイド。そんな印象を、まずはじめに受ける。

 

 顔は、頭に小さな角がある以外は普通の人間と同じ。が、首から下はヒビとかモールドという表現が適切か、赤い光の奔る溝みたいなものが体中に模様のようにある。さながら、曲面に合わせて作ったパネルを貼り合わせて形を作ったような構造をした彼女の体に、ネ級はどうとも言えない感想を持った。

 

 負傷しているためか、そのパネルみたいなものが幾つか剥がれ、赤く光る筋繊維に似た物が露出している。更に、腹部からチューブ状の器官が何本か延びているが、全て途中で千切れてしまっており、彼女の背後には大きな艤装が煙を上げて転がっている。

 

 明らかに満身創痍に見えるこの人物に、ネ級はすぐに容態の把握に努めた。気絶してしまっているのか、薄目を開けている中枢棲姫から応答はない。

 

「脈は正常。呼吸も……小さいけどちゃんとあるか。怪我は……そっか、火傷の痕かこれは」

 

「大丈夫そうか?」

 

「聞きたいことがあります。火傷や熱傷に、深海棲艦の方はどれ程耐えられるのでしょう」

 

「難しい質問だな。ただ、私は前に「セントーキ」とやらの攻撃で死にかけたが」

 

「おおぅ。なるほど。じゃあ大丈夫です、適切な処置をすれば」

 

「そうか!? よかった……」

 

 さすが、姫級ともなると凄まじい生命力だ。泊地の話が本当なら、軍用機の爆撃を浴びてもどうにかなるという。そんなものをまともに食らえば、深海棲艦といえど消し炭になるのを知っているネ級は、目の前の人物の「この程度」は大丈夫だと判断した。

 

 しかし気を失うほどとなると、かなり激しい戦闘があったのだろう。周りの深海棲艦に指示を出しながら、ネ級は最善を尽くすべく手を動かす。

 

「喜ぶのはまだ早いですよ……水を入れても破れないぐらいの袋って有りますか? それか、代用できそうな物に海水を詰めて持ってきてください」

 

「わかりました」

 

「ざっと見ましたが、特に足と腹部の怪我が深刻ですね。小さいけど出血もある。患部を上げておきたいので、台になりそうなものも、誰か知りませんか?」

 

「すぐに取ってきます」

 

「ありがとうございます……ふぅ。さて」

 

 思いきり肉が裂けているとばかり思ったが、よく見ればどの箇所も皮膚が剥けているだけだ。外観よりも患部の状態は良かったことから、落ち着いてネ級は消毒液に浸したスポンジで傷口を洗う。

 

 火薬の汚れと、海水に濡れているであろう場所を遠慮なく擦る。

 

 苦痛からか、中枢棲姫は呻き声をあげているが、手を抜く訳にはいかない。皮膚というのは細菌を遮断して感染症を防ぐ役割がある。それがない場合、危険は何倍にも膨れ上がるのだ。深海棲艦が病気にかかるかなど知らないが、泊地への恩返しを兼ねている行動なので、適当な仕事をするつもりはない。

 

 おおよそ衛生が保たれたかと判断して包帯を巻く。負傷した箇所はほとんどが火傷なので、傷口の消毒さえ済ませれば後は楽な手当てと言えた。ネ級は同時進行で念をいれて、出血こそ無かったが、女の体から伸びていたケーブルのような器官の先を、止血の要領で縛っておいた。

 

「持ってきました。」

 

「どうも……これでいいかな?」

 

 指示を出していた深海棲艦が戻ってくる。ネ級はそれぞれが抱えていた物を受け取った。

 

 海水の入った袋数個を真水で洗った後、消毒してから中枢棲姫の足と腹部に乗せたり縛ったりと固定する。次に、クーラーボックスを彼女の足に敷き、場所を胴部よりも高くする。

 

「これで良いのか?」

 

「えぇ。出血はあまり無いから、消毒した後は包帯で皮膚の代わりを作ってあげます。怪我は恐らく火傷でしょうから、熱を帯びた場所を水で冷やすんです。足を上げたのは、血の流れを少しでも抑えるためです」

 

「そうか……」

 

 中枢棲姫は大丈夫なのだろうか。とでも言いたげに泊地はネ級の隣にしゃがみ、目を閉じている彼女の表情をじっと見詰める。

 

 深海棲艦たちが、黙って中枢棲姫のことを見守っているときだった。ゆっくりと目を開き、彼女は上体を起こそうとした。

 

「ぐ……ん……ぅ」

 

「! あまり動かないでください。お体に(さわ)ります」

 

「痛いな………ここは……あぁ、港か。生きてたのね、私は」

 

 泊地と水鬼に、北方棲姫。他にも周囲に居た深海棲艦らの顔が笑顔に変わった。

 

「ぢゅう゛ずう゛ぜい゛ぎざま゛ぁ゛! 死゛ん゛じゃっ゛だがど思゛っ゛だぁ゛!」

 

「あら、泊地水鬼? 泣かないで。私は生きてるわ」

 

「ご無事で! 運び込まれたと聞いたときは、何事かと……」

 

「棲、心配かけてごめんなさいね」

 

「本当です! みんなみんな、さっきまでずっとお葬式みたいな空気で……」

 

「北方ね。ありがとう、気にかけてくれて……」

 

 声を掛ける者ら全員に返事を返す中枢棲姫をネ級は見る。

 

 最強の深海棲艦の1つに数えられる個体というので、どれほど凄まじい威圧感があるのかと思っていたのが、島で南方棲鬼に初めて会ったとき程の圧迫感も感じられない。正直、こんな穏やかな人物であったことが信じられなかった。

 

 そんな彼女の事を他所に、泊地は内容を質問に切り替える。

 

「中枢棲姫様、一体何があったのです? 貴女が負傷なさるなんて」

 

「いえ、ね。ちょっと戦艦棲姫と喧嘩しただけよ」

 

「戦艦棲姫……例の量産型ですか」

 

「ええ。気を付けてね。最近この辺りでも出てくるようになったみたいだから」

 

 姫級の二番目か。あんまり想像したくないな……。ネ級が思っていると、「それよりも」 と、中枢棲姫は話を変えた。

 

「これは何事かしら。見事な手当てね」

 

「このネ級が施したものです。そういう物に(うと)い私にはとても」

 

「ネ級? この基地にネ級なんて居たの?」

 

「客人です。出迎えには出なくて良いと言いましたが、応急処置の心得があるとか」

 

 適度な圧迫で結ばれた包帯と、患部を冷やすための水袋を弄りながら。中枢棲姫の視線は、泊地の発言で自然とネ級の方に向いた。

 

「ネ級……あぁ、貴女ね。ありがとう、そしてごめんなさい。こんな苦労をさせて」

 

「い、いえ! そんな。慣れてますし、こんなの苦労の内に入りません」

 

「ふふふ……珍しい。落ち着いた子も居るなんて……っ、痛い……」

 

「あぁ、立っちゃダメです。せめて今日一日でも安静にしてください。傷が悪化します」

 

 腕を支えにして立ち上がろうとしたところ、体勢を崩して、寝返りを打つような動きで倒れる。そんな中枢棲姫を体で支えたネ級を見て、泊地は周りの部下に指示を出す。

 

「姫様を静かな場所まで運ぶぞ。客室はどこが空いてる?」

 

「86番のコンテナが空いていたはずです」

 

「そうか、ベッドメイキング頼む。ネ級、必要な物があったら私に言え」

 

「必要な物か……中枢棲姫様、気分はいかがでしょうか。痛いところとか、違和感のある場所は」

 

「体中が痛いわ……でも、さっきよりも酷くはない。貴女のおかげね」

 

 顔に疲れの浮かんでいる中枢棲姫が笑いながらそんなことを言ってくる。同性にも関わらず、妙な色気のあった女の表情に思わずネ級は顔を赤くした。

 

「ど、どうも……泊地棲姫様、欲しいものは自分で調達します。部屋の案内だけ、お願いしますね?」

 

「わかった。ほらほら貴様らみてないで準備しろ。担架運んでこい、なるべく早くな」

 

「「了解」」

 

 ゆっくりと抱いていた彼女を横たわらせながら、再度容態を確認する。

 

 即効性がある治療はやっていないが、そこは人間より遥かに丈夫にできている深海棲艦ならではか。水鬼や北方と話すところから意識ははっきりしているようだし、手当ての前と比べて目に見えて回復している。まぁ、酷く心配する必要もないか。血が染みた包帯を交換している妖精をみながらそう思う。

 

 簡易的な視診を終え、安堵から大きなため息をついたとき。ネ級は、部下の動きを見届けた泊地からこんなことを命令された。

 

「ネ級、お前にも言いたいことがある」

 

「なんでしょうか」

 

「姫様の面倒見を、側についてやって欲しいんだ。多分この港で看護できるのはお前だけと見込んだ……駄目か?」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「替えのお水を持ってきました。交換しますね」

 

「包帯の交換が終わったのれす」「「「かんりょー」」」

 

「ありがとう。今はそれしか言えないわ」

 

「いいえ。健常者が負傷者の看護をするのは義務ですから」

 

 今日一日しか面識のない人物とはいえ、さすがに涙の浮かんだ目で訴えられると断りきれず。ネ級は泊地の言うことを聞き、中枢棲姫の世話をすることに決まる。

 

 彼女が運び込まれた86番コンテナというのは、施設の岸に近い場所にある部屋で。その中で、中枢棲姫はベッドに寝かされて療養することになり、煙を吹いて破損していた艤装は、その場しのぎですぐ近くの岸に止められることになった。

 

 換気で開いていた窓から、大破した自分の装備を見ている彼女の姿に、ネ級は不安を覚える。すると、相手の方から話を振ってきた。

 

「最近多いのよ……もう、疲れたわ……」

 

「……あまり深くは聞きませんが。何かあったみたいですね」

 

「貴女は、どこまで知っているのかしら。深海棲艦のこと」

 

「南方棲鬼から知りました。無差別に襲い掛かる物と、人目を避けて居る人達がいるとか」

 

「あぁ……あの子の。そうね、大人しいわけだわ……あの子は警戒心が強いから」

 

 自分の思っている以上に。南方棲鬼と繋がりがあるというのは、海で人脈を広げるのに大事な事だったんだな―― ネ級が考えていると。女はアンニュイな表情のまま続けた。

 

「戦艦棲姫。あと、空母棲姫、という名前をご存知かしら」

 

「名前だけ……あぁいえ、戦艦棲姫でしたら、攻撃を受けて逃げたことがあります」

 

「そう……貴女と仲の良いあの子(南方棲鬼)の言う「2番目」に当たるわ。その2つは。だから、気を付けて。有り余る体力と暴力で、己の身が滅ぶまで排他的に他者に危害を加え続けるわ」

 

「姫級の……二番目、ですか」

 

「あら。あなた、やっぱり不思議ね。落ち着いてる……初めて教えたときは、みんな驚いていたのに」

 

「先程の泊地様との会話で察しました。彼女の場合は「量産型」と言っていましたね」

 

 中枢棲姫への鈴谷の言葉に嘘はなかった。前に一度だけ、彼女は戦艦棲姫と戦った事があるからだ。

 

 しかし、会話の最中にネ級の頭の中では1つの疑問が芽を出して育ち始めていた。戦艦棲姫といえば、多対一で囲めば問題は無いなどと軍では評されている。比べて目の前の女性は、「出会った時点で死を覚悟しろ」などと、もはや触ってはいけない悪霊のような扱いをされている深海棲艦だ。苦戦する要素などあるのか? と思う。

 

「私は純粋に疑問です。中枢棲姫と言えば最強だと聞きました。貴女様ほどの物となれば……」

 

 この人は、少なくとも怒鳴り散らして暴れるような人じゃないはずだ。そう思った気の緩みで、ネ級の口からそんな言葉が漏れた。すると、中枢棲姫は枕に(うず)めた顔を向け、拍子抜けしたような声で話し始める。

 

「最強?? 私が?」

 

「? 自分はそう聞いていますが」

 

「ふっ、ふふふ……あはは! ぜーんぜん。弱いわ。私なんて……ありがとう。久し振りに笑わせて貰ったわ」

 

「……???」

 

「強くなんて、ない。必死にやったけれど、流石に三匹も相手となると…」

 

 さらりととんでもないことを言う相手に、ネ級は水で濡らしたタオルを手から落としそうになる。

 

「姫級が3体……!? 先程の戦闘ですか?」

 

「いなすだけで精一杯だったわ。気を付けて。最近の海は何かがおかしいわ。艦娘は知らないけど、猛獣の強さは年々増してる」

 

 どうりで怪我をする訳だ。同時に、戦艦棲姫と3対1を演じて逃げ切れている時点で凄い。弱いと言ったのは謙遜(けんそん)か? ネ級は、今まで強力な敵に出会っていなかっただけで、やはりこの近海は危険地帯に変わり無かったのかと今一度自分の置かれている状況に冷や汗をかいた。

 

 「そういえば」、と中枢棲姫が口を開く。

 

「武器を探しに来たと聞いたわ。それで、泊地水鬼が夜なべしてるって」

 

「正確には南方の提案だったんです。お前程度じゃ敵に踏み潰されるぞと。ここに来るまで知らなくて……ただ向かえと言われて」

 

「なるほどね……そういうあなた。そこに武装は積んでいないのね?」

 

 中枢棲姫が自分の触手に指を指す。

 

「積んでいないというか、元々何もなくて。紐で荷物を固定してるぐらいでしょうか」

 

「今の海でそれは危険だわ。何か、1つぐらいは強力な兵装が無いと……」

 

 そう言うと、彼女は近くに立て掛けていた松葉杖を掴み、よろよろと頼り無い仕草で立ち上がる。危なっかしく見えたネ級は、中枢棲姫の背中を支えた。

 

「おっと……あら」

 

「ま、まだ万全じゃ無いんですから……大丈夫ですか?」

 

「ふふふ………優しいのね……貴女は……。平気よ、これぐらい」

 

 力なく笑って見せたこの人物の顔からは、生気が余り感じられなかった。

 

 

 

 

 呆けていたネ級の腕を弱い力で肩から取り、中枢棲姫は歩く。聞くと、外に出たいと彼女は言った。

 

 心配になったネ級は相手に肩を貸しながら、二人三脚で行こうと提案する。彼女が立ち寄りたかった場所というのはすぐ近くの、壊れた艤装が停泊している岸だった。

 

 ドアでもノックするように、彼女は自分の艤装の口状の器官の歯茎(はぐき)(?)を叩く。すると、それは生き物のようにゆっくりと口を開いた。そのまま巨大な艤装の中に入り込み、中枢棲姫は何かを探す。

 

「あれはどこに仕舞ったかしら……あぁ、これだわ……」

 

「?」

 

「これ、貴女にあげるわ。どうせ私はもう使えないもの」

 

 相手に渡されたのは、中口径の主砲と思われる武装だった。形こそただの砲だが、真っ黒なパネルの継ぎ目から赤い光が漏れている、少し不気味な外見をしている。

 

「中口径砲? 妖精さん、何これ」

 

「主・副の両用砲?」「いや対空砲なのです」「全部兼ねた万能ぱーつ!」「「「んなわけあるか!」」」

 

 妖精たちの意見が一致しない。専門家でも知らない未知の部品といった具合か。

 

 角度や持つ場所を変えてまじまじと眺めてみる。ひとつ、この砲の大きな特徴を見つけた。どういうわけか、引き金に当たる部品が見当たらない点だ。それどころか安全装置のようなボタン等もなく、完全に装甲板で密閉されてしまっている。

 

「引き金が無い? どうやって使うの……」

 

「これは音声入力よ。何かあったとき。パニックになっていちいち手動で起動するのは効率が悪いでしょう?」

 

「音声認識!」

 

 なるほどな、と思うと同時に少し驚く。艦娘の装備で音声認識なんて、一部の戦艦に配備されているぐらいの高級品だ。整備に難があるという話があり、信頼性が低いせいで精度を出すとなるとかなりの手間がかかるとか。

 

「声が電源か……作った人はさぞかし凄い腕前なんでしょうね」

 

「さぁ……ただ、手伝ってくれた子はこれを「ブラッドストーム」って呼んでたけれど」

 

 ……………。「血の嵐」とはなんだ、えらく御大層な名前の砲だな。ネ級は思う。

 

「主燃料・発射する弾頭は、使用者の体液、それと海水よ。高圧力を掛けて熱された血液を撃ち出すの。威力は折り紙つき。」

 

「使用者の体液……? それ、脱水になるんじゃ」

 

「だから私は使えないの。常に貧血気味だもの……でもね、ネ級って血の気が太いらしいわ。大丈夫、本当に使いたいときだけに絞れば、悪影響なんてあってないような武器よ」

 

 中枢棲姫なんて人物が持っていた武器だ。間違いなく、今まで自分の使っていたものなど霞むような威力だろうなァ―― 貰うべきなのか、それとも遠慮するか思案しているときだった。

 

 「あぁ。ひとつ、妙な噂を最近耳にしていて。気になっていたのだけれど」 中枢棲姫は続けてこう言う。

 

「聞いても、大丈夫かしら。貴女にしかできない質問なの。」

 

「? どうぞ。答えられるものでしたら……」

 

「そう。じゃあ」

 

 

「艦娘を助ける重巡ネ級が居る、っていうお話なの」

 

 

 ネ級は、ドライアイスで心臓を鷲掴(わしづか)みにされるような悪寒を知覚し。びくり、とわざとらしいぐらいに体を震わせる。

 

 夜の闇に、中枢棲姫の光る赤い瞳はよく映える。さっきまで、どこか平和ボケしたようだった彼女の(まと)う雰囲気は一転していた。

 

 情報が伝わるのが早すぎる。つい昨日の事まで把握されている? ……いや、そうだ。当たり前だ。ここ数日でもいったいどれだけ自分は派手に動いたと思ってる? 鈴谷、お前の気の緩みすぎだ――

 

 自問自答を繰り返し、無言になる。咄嗟の言い訳は思い付かなかった。

 

「……………」

 

「……。 図星、なのね」

 

 魅入られてはいけないと本能が警告するような色気と、何にも代わる表現ができない圧迫感にネ級は呼吸を忘れそうになる。

 

 しかし、別に相手は噂の出所を突き止めて、それで怒っているわけではないようだった。ルールを破った子供に優しく(さと)すような口調で、中枢棲姫は口を開く。

 

「純粋に、疑問なの。変わったことをする人も居るものだと。ねぇ。教えてくれる……?」

 

「…………殺さないんですか。私を」

 

「え?」

 

「え?」

 

 ??? 考えていたことは違うが。二人の脳内は同じマークで満たされた。ネ級が過剰に反応しただけで、そもそも彼女は揺さぶりを掛けるつもりでも何でも無かったのだ。

 

「ころす?? どうして? 命の恩人に、そんなことをするはずがないわ」

 

「しかし……」

 

「???」

 

「あぁ、いえ。思い違いでした。…………理由、ですか」

 

 本当にこちらを探る気が無さそうな相手に拍子抜けするが、気を取り直して、数秒間考えてからネ級は答えを口にした。

 

「南方棲鬼には……自己満足でやっているんだろうと言われました。私も、その通りだと思っています」

 

「…………………」

 

「痛いのは(きら)いだから。人に、自分の(いや)なことはしたくないんです。だから、適当に火の粉を払って、助けを求める人が居るなら助けました。ただ、それだけです」

 

 (うつむ)いたまま、ネ級は言いたいことを全て吐き出す。

 

 中枢棲姫はなんと言うだろうか。深海棲艦の敵を助けているのだ、そもそも南方棲鬼があんなにドライな対応をしてきたのが例外なだけで、敵勢存在をのさばらせる味方なんて、危険人物扱いされたっておかしくない。さぁ、どんな反応を……? 内心で、ネ級は半ば自棄になっているときだった。

 

「自己満足なんかじゃ、ない」

 

 自分にも言い聞かせるような言い方で、静かに彼女は呟く。ネ級の予想していなかった反応だった。

 

「さっき……他の子たちに、指示を出して、私を手当てしてくれた貴女を見た。」

 

「!! 起きていたんですか」

 

「困っている人を見捨てられない……見捨てたくない。貴女は、自分の意志で行動を起こしていた。ただの自己満足なんかじゃ……ない。そんなわけがない。ありえない」

 

 ネ級は中枢棲姫の声に、何も言えなくなった。

 

 初対面の人間に、すごく積極的だ。だが話を振り返れば、近頃他の深海棲艦に酷く絡まれていたのだろうと想像してしまう。もしその考えが合っているなら、心労が溜まってこんな弱さを見せる事もあるか。何か、深い哀しみと疲れを感じさせる女の声で、それとなく察する。

 

「…………戦艦水鬼、っていう深海棲艦を知ってる?」

 

 戦艦「水鬼」? 聞いたことがない個体だ。嘘を言って後悔したくないネ級は素直に答える。

 

「いえ……知らない名前です」

 

「そう、ありがとう……そっくりなの。貴女に」

 

「私に、ですか」

 

「えぇ。人に優しいところ……気を使うのが上手なところ……まだ会ったばかりの時も…………私の長話に、嫌な顔ひとつしないで付き合ってくれるところ……」

 

 杖で体を支えて、中枢棲姫はネ級の手を、自分の両手で包み込む。弱々しい彼女の腕から伝わる体温は、ひんやりと冷たかった。

 

「すぐに仲良くなれたのに、今はどこかに居なくなってしまった……でも、撃沈の報告は受けていない。生きているはずなのに、姿が無くなってしまった」

 

 中枢棲姫の声が震える。

 

「私は、彼女を探しているの。もう4年になるわ。いきなり姿を消してしまって、連絡もとれなくなってしまって……」

 

「…………………」

 

 艤装に寄り掛かる彼女の頬を、涙が伝っているのを見逃さなかった。そして、ネ級は相手の泣く姿に、想うことがあった。

 

 

 陸に置いてきてしまった友人は、勿論軍の関係者以外にも居る。義父にしても、真相は知らないだろう。行方をくらました期間が違うだけで、彼女が話題に出した人物と似たような行動を取っている―― 自分という深海棲艦(にんげん)を、そう思ったのだ。

 

 

 相手の指を、ネ級は上から握り返す。そして、努めて優しい声で応じる。

 

「きっと会えます。諦めない限り、努力は応えてくれます」

 

「でも、一人では限りがあるから……」

 

「そんなこと無いです。泊地棲姫様、泊地水鬼様、北方棲姫様。貴女を(した)っている方はたくさん居ました。きっと、お力添えしてくれるに違いありません」

 

「ふふふ……やっぱり、似ているわ……あの人にそっくり……」

 

 ネ級の顔に友人を重ねているのか。彼女は弱い力で手を(ほど)くと、今度はネ級の頬に添えた。

 

「ねぇ……お願いがあるの」

 

「何なりと、お申し付けください」

 

「いつかどこかで。ほんの道すがらの寄り道でも構わないの。あの人を……戦艦水鬼を探して。それがあれ((受け取った砲))ば、必ずあの人は気づいてくれるわ……中枢棲姫が探しているって」

 

 すうぅぅ、と。音が聞こえるぐらいの大袈裟な深呼吸をしてネ級は言った。

 

「引き受けます。お友達が居なくなって平気な人なんて、この世には居ないですから。」

 

 真顔にも、笑顔にも見える表情で静かにネ級は彼女に応えた。するとどうだろうか、中枢棲姫は泣き出してしまった。

 

「ありがとう……あり……がとう…………!」

 

「泣かないでください。貴女は、強い方なんですから」

 

「強くなんて……」

 

「4年も、ご友人の方を諦めず探し続けているんです。弱いわけが無いです」

 

 啜り泣く中枢棲姫を両手と触手で包み込むように支える。

 

 いつの間にかに、近くに戻ってきていたニ級も連れ添って。ネ級はニ級にも支えて貰いながら、中枢棲姫を部屋に戻した。

 

 

 

 

 




ネ級パワーアップイベントでした。人間関係もパワーアップした模様。
中枢棲姫がなぜこんなにメンタルをやってしまっているかというと、ネ級の予想通り他の深海棲艦からかなりの可愛がりを受けているからですね。具体的に言うと単艦でイベント艦隊(艦娘も深海棲艦も含む)と対決しているような状況です。


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18 利き目を閉じて

お ま た せ

今日から三国志大戦が新バージョンらしいので初投稿です


 

 

 

 泊地姉妹に頼んだ艤装の完成を待って、ネ級は基地に2日間滞在する。本来は一日で終わるものだったが、中枢棲姫から譲り受けた装備の調整で日程が次の日まで食い込んだのだ。

 

 別に緊急を要する用事など無いネ級は、予期せぬ一日を中枢棲姫の面倒を見ながら過ごす。

 

 泊地・水鬼の両名からは何度も申し訳ないなどと謝られたが、ネ級は気にしていないと返した。むしろ彼女は、姉妹の両目の下にくっきりと隈が出来ていたことの方を心配して、相手の身を案じた発言をするものの、「そんなことを気にする場合ではない」と気圧され、大人しく中枢棲姫の介護に戻っていた。

 

 中枢棲姫の経過は、良好と言えた。彼女が探している友人(戦艦水鬼)とやらに自分が似ているらしいが、それが精神安定剤になったのだろうか。と、汚れたガーゼを貼り直したりする傍ら、ネ級は考えていた。

 

 たっぷりと一日の延長時間を使って、泊地棲姫と水鬼の仕事が終わる。明け方、時計が朝の7時を指す頃合いに、ネ級は北方棲姫から呼び出しを受ける。

 

 窓から射す日の光に渋い顔になる。ネ級は眠い目を擦って、ベッドから身を乗り出した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 大あくびをしながら、ふらふらとネ級は北方棲姫の後に着いていく。足取りのおぼつかない彼女を支えるように、ニ級もお供になっていた。

 

 昨日は、精神的にどこか病んでいると察した中枢棲姫に付きっきりで、そんなに寝ていなかったため、寝不足が祟って視界もぼやける始末だった。なんとか意識を歩く方向に向けて、ネ級はブーツの爪先で足元を確かめるような動きをとる。

 

「すいません。こんなにじかんかかっちゃって」

 

「ふぁぁぁ……別にいーです。暇だし」

 

「そうなの? 艦娘を助けるおしごとは?」

 

「……………ん?」

 

 何か聞き捨てならないことを目の前の子は言わなかったか。ネ級は聞かなかったフリで乗りきろうとするが、北方棲姫は続けた。

 

「かいぐんのレスキューたいいん? なんでしょ?」

 

「れ、レスキュー? 誰が言ってたんです」

 

「泊地棲姫さまが言ったんです。あのネ級は人間大好きなんだって。だから、うたれるのも覚悟で陸に向かって突き進むだろうから、とびきり頑丈なのをこさえてやろうって、意気込んでいました!」

 

 あの人がそんな事言ったのかい! 

 

 否定しきれないな、とも思ったネ級は、肩に座っていた妖精と目を見合わせる。言葉選びに気を付けつつ、彼女はひきつった作り笑いを浮かべ、北方棲姫に説明する。

 

「軍には流石に入ってないです……あ、でも昔、たまにお話しするぐらいの仲の人なら居ました。今も元気かは、わかりませんが」

 

「ヲリビーさんは軍に居ると聞いたよ?」

 

「その方のお話も聞きました。でも、まだ直接の面識は持ってないんです。私、ちょっと陸でトラブル起こして追い出されちゃって」

 

「ん~……?」

 

 怪しまれてる怪しまれてる。どう言い訳続けよう? ネ級は悩む。眼前の深海棲艦は小柄な少女の容姿をしているが、これでも姫級の個体だ。何かあってから抑え込めるような者じゃないし、なるべく事は荒立てたくない……というより、そもそも勝てる算段が無いので下手に出るしかない。

 

 考えすぎなぐらいに予防線を張るべきだよね―― 返事を予想して身構えていると。北方棲姫は、話題に飽きたような返答をしてきた。

 

「いいや。あ、つきました。どうぞ」

 

「案内、ありがとうございます」

 

「うん……なんか怪しいけどいいや。泊地棲姫さまはほっとけって言っていたし」

 

「やっぱり怪しまれてるんですか。私」

 

「うん。でもたかがネ級1匹みんなで抑え込めるって」

 

「………………………。なるほど」

 

 一瞬、ネ級と妖精たちの背筋に冷や汗が流れる。

 

 予想はしていたがこうまで言い切られると、ネ級は悪寒に身震いする。遠回しに「お前なんて簡単に始末できる」と言われて怖がらないなんて、よっぽど自信家か大馬鹿かだ。どちらにも該当しない彼女はこっそり恐怖した。

 

 コンテナの扉に手をかけたとき。別れ際に、北方棲姫からこんなことを言われた。

 

「あとはね、中枢さまの近くにいてくれたこと。だからみんなが、あいつは悪いやつじゃないよって!」

 

 じゃあね、と付け足し。彼女は長靴を鳴らしながらどこかへ去っていった。

 

 

 

 

 結局のところ、ここの深海棲艦には、あまり悪いようには思われていないらしいとネ級は認識する。今後の身の振り方はこのようにするか、等と考え事を胸に秘めつつ、彼女はコンテナ部屋に入った。

 

 普通の物と違って縦に重なったこれは、中は2階建ての部屋に改造されていた。ここ数日で思っていたが、基地の深海棲艦の趣味なのか、カーペットと木目の壁紙で飾られている。もっとも、目線の先で机に突っ伏していた水鬼の周囲は、コンクリートの地面が露出し、周囲は金属のキリコで散らかっていたが。

 

「あの、起きてますか?」

 

「うぐぐぐぐ…………う゛う゛う゛…………」

 

 目を半開きにして寝ていた水鬼に呼び掛けてみるが応答がない。顔を覗き込んでみると、ただでさえ顔色の悪い彼女の目の下が紫色になっているのにギョッとする。

 

 寝冷えすると悪いだろうと思って、ネ級は壁にかかっていた毛布を一枚とって彼女の背中にかける。さて、姉の方はどこだと思ったとき、ちょうど2階から泊地棲姫が降りてきた。妹に負けず劣らず、彼女も顔色が悪い。

 

「あぁ。来てた、のか」

 

「出来たと聞きましたから。あの、大丈夫ですか? 顔色悪いですが……」

 

「問題ない問題ない、前に気絶したときは三徹はしたからな」

 

 電池が切れたときは吐いたがね、と泊地はふらつきながら続ける。

 

(それは大丈夫の範疇(はんちゅう)に入るの?)

 

「さ、武装は完成だ。どうだこれ、中枢棲姫さま印のスゴいのだ、ヤマトの直撃を貰ったってそう簡単には壊れんぞ」

 

「へ、へえ? そりゃすごいや」

 

「聞いて驚け、こいつは生体電流で動くように改造しておいた! お前さんの触手にくくりつけるわけだな、こうやって」

 

 泊地はネ級に向き合うと、言葉通りの行動を実行するために彼女の触手2本を手に取った。そのままネ級はされるがまま、先端部分の型をとって最適な形状になっている艤装をねじ込まれる。

 

 付け心地は上等と言えた。違和感の無い仕上がりで、ブーツの時から思ったが、やはりこの姉妹の技術は一流なんだなと思う。

 

「生体電流?」

 

「生物の筋肉は脳からの微弱な電気を拾って動いてる。そういったものに感付ける素材を肌に貼り付ければ、上手くやれば頭で考えただけで撃てる艤装の完成さ」

 

「へぇ……音声認識は変えたんですか?」

 

「そのままだよ。起動したければ「Nユニット」と言え。血で動くモードに切り替わる。「通常弾」と言ってやれば普通の砲にもなるぞ」

 

「そうですか。何から何までありがとうございます。こんな、頼りっきりになっちゃって」

 

「ふふ、ふふふ……気に入って貰えて嬉しい……よ……………」

 

 いい仕事をして貰えたな。そう思ってネ級が笑顔で応対すると。満足そうな顔をしながら、とうとう電池切れを起こした泊地棲姫はネ級に倒れかかって眠ってしまった。

 

 慌てて体重をかけて相手を支える。どうにか近くにあったベッドに彼女を寝かせると、その女の髪から妖精たちが飛び出してくる。

 

「ただ働き終わりなのれす」「あぁちかれたちかれた」「プレーリーオイスターをよこせ!」

 

「ご苦労様。大丈夫だったの?」

 

「ほとんどのことはこの深海棲艦がやっていたのれふ。ワシらはホントにただのお手伝いなのれふ」

 

「あ、そうなの?」

 

 明らかに過労そうな二人に比べて、妖精たちは元気な様子なことから、この発言は嘘ではないと察する。

 

 いつか、恩を返さないとな。寝息をたてて夢の国に行った泊地棲姫に布団をかけながら、ネ級はそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 事前に貰っていた基地の地図を見ながら、ネ級は北方棲姫を見つける。用事は済んだので、帰る前に挨拶をして回ることにしたのだ。

 

 「警戒」はされていなくても、やはり「不審」だとは思われているらしく。北方棲姫含め、多数の深海棲艦からは妙な目で見られる。話を聞くと、「ここを偵察しに来たんじゃないのか?」などとまで言われる始末だ。

 

 そもそも最初からこれっぽっちも変な行動など起こす気が無いネ級は、そんなような事を言われようがへこへこと頭を下げて回る。最後には変人扱いされたが聞かなかったことにしておいた。

 

 全員に別れを言ったことを確認し、出口に向かう。帰り道の途中、見送ると言って着いてきた戦艦ル級からこんなことを言われる。

 

「挨拶回りねぇ……変な奴」

 

「そうですか?」

 

「初めて見たよ、少なくとも私は。来るやつみ~んな用事が済んだらすぐにどこかに消えるからな」

 

「はぁ。ドライというか、なんと言うか」

 

「そういうんじゃない、単純にここのみんなを怖がってるだけさ」

 

「怖がってる?」

 

「当たり前だろ、戦艦・空母・姫・水鬼……まともに全員に喧嘩を売って平気でいられるようなのが居るとは思えない。正直、意味がわからない。アンタなんで平然としてるんだ?」

 

 歩きながら、ル級は着ていたツナギから携帯食料を取り出してかじり始める。相手の声のニュアンスが怪しいものを探る様子から「興味」に移ったのを察し、ネ級は顔がひきつった。

 

「いえいえ、皆さん優しいじゃないですか。よそ者に気を使って」

 

「気を使ってた訳じゃない。変な知識もあるし、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)なアンタを怖がってただけだ」

 

「へ?」

 

「応急手当なんて真面目にやるやつ初めて見た。ほっとけば傷なんて塞がるのに変なのって思ったよ。あ、ちなみにな、私はお前さんを見て変な顔してる奴らを見てる方が楽しかったがな」

 

「は、はぁ?」

 

「1日経ったらなんとなくわかったしな。ずいぶんのんびりしてるやつだって。あと場違いに優しいとか」

 

「そうでしょうか」

 

「それにそのニ級の事だな。珍しいなって思って。駆逐艦なんてなつくやつ滅多に居ないのに」

 

 会話の最中で目的地に着く。ル級はしゃがみこんで、ネ級にくっついてきていたニ級の頭を撫でる。

 

「アンタに似てこいつもまぁ大人しいよなァ。見掛けたらだいたいの奴は暴れて手がつけられないのに」

 

「あ、やっぱりそうなんですか。ちょっと変わった子だなぁとは思いましたが」

 

「変わってるなんてもんじゃない。どいつもこいつも酷い猛獣ばっかで。私だってこないだハ級に手を噛まれた」

 

 女二人がしゃがんでニ級と戯れる。ネ級には、どうにも今のニ級は頭を撫でられて惚けているような気がした。

 

 適当な所で切り上げて帰ろうか。そんなようにネ級が思ったとき。普段着のワンピースから、作業着に格好を変えた北方棲姫が近付いてくるのが見える。

 

「おはよー、ル級」

 

「おはようございます。準備は出来たみたいですね」

 

「うん。やること多いだろうし」

 

 蛍光色の目立つ服に、よく見れば彼女は大きなリュックサックを背負っている。どこかに出掛けるのか? と思っていると。北方棲姫の口からはネ級の予想していなかった言葉が出てきた。

 

「姫様、お気を付けて」

 

「はい。ネ級、よろしくお願いね?」

 

「え?」

 

 いつもと違う格好をしていたことに引っ掛かっていたが。手荷物を乗り込み式の艤装に詰め込み、持ち物の確認を済ませた彼女の今のル級とのやりとりに。疑問が最高潮に達した。

 

「ついていきます。1カ月ぐらいになるかな。最終調整もしないで戦うつもりだったの? そんなの自殺行為ですヨ」

 

「えぇ!? そんな、恐れ多くて……」

 

「ヤダってもついてく。監視も兼ねてるからね……あと、南方に久しぶりに会いたいなぁって」

 

「……了解です。」

 

 監視、か。下手なことできないな―― 考え事をしながら喋っていると、更にもう一人近付いてくる者がいる。怪我の後遺症で松葉杖をついている中枢棲姫だった。

 

「おはよう……ネ級」

 

「!! 中枢棲姫様、いけません、ゆっくり寝ていないと」

 

「嫌よ。帰るのでしょう……見送りの挨拶だけでも、させてよ……」

 

 杖を放って、彼女はネ級の体に倒れかかるようにして抱き着く。人肌が恋しいのだろうか―― ネ級は意図を汲んで彼女の背中を撫でる。

 

「外は危ないわ……危ないことは、あまりしないでね……それにね、ネ級。聞いてほしいことがあるの」

 

「何なりと、お申し付けください」

 

 次に相手の口から出てきた発言を、ネ級は意外に思った。

 

「南方棲鬼を、支えてあげてね?」

 

「南様を……私が支える?」

 

「あの子は感情の起伏が激しいから……でもね、誰よりも優しい子よ。人に傷を付けたことが1度もないくらい」

 

「! それ、本当なんですか?」

 

「えぇ。誰に馬鹿にされようと、罵られようと。彼女はそれを変えなかった。きっとあのレ級が居なければ心も、もたなかった。二人で、あの子を支えてあげてね……」

 

 「そして、もうひとつ。」 すうぅ、と。深呼吸を挟んで中枢棲姫は言った。

 

「……痛みを、忘れないでね」

 

「痛み。ですか」

 

「他人の心を……痛いって事をちゃんと貴女は解っているから。解ろうとするから。その考えがあるかぎり、貴女は優しくあれると思うから……」

 

「……。当たり前です。自分がされてヤなことは、しない主義ですから」

 

「優しい貴女で居てね……また、お話、しましょうね……?」

 

「トーゼンです!」

 

 にこり、と笑う。屈託の無い笑顔を作ったネ級とは対照的に、中枢棲姫の浮かべた笑顔は疲れが(にじ)んでいた。

 

 彼女は、自分が離れても大丈夫なのだろうか。

 

 やはり、思い返しても今までに出会ったことがないタイプの雰囲気の女に、表現の難しい感情を抱きながら。少しの憂いを抱きつつ、ネ級はニ級と北方棲姫を連れ、港を後にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「生きて帰ってこれたのね。オメデトウ」

 

「誉め言葉ですか?」

 

「嫌がらせの皮肉よ」

 

「にしてはあまり悪意は感じられなかったです」

 

 夕方、海も朱色に染まる頃に島に帰着する。屋敷の玄関を潜ったとたんに南方棲鬼にからかわれたが、ネ級は涼しい顔でいなした。

 

 ネ級に続いて中に入ってきた北方棲姫が口を開く。なお、ニ級は外の池で遊んでいる。

 

「お久し振りです」

 

「うわ、チビだ」

 

「背丈が小さいのは便利だよ? 落とし物が取りやすいから」

 

「フン……可愛いげがない反応ね。部屋なんて無いわよ」

 

「お構い無く。野営の準備はしてきました」

 

「チッ……あっそ。じゃあね」

 

 応対を言葉だけでとらえれば、南方棲鬼はかなりひどい態度に思えるが。このときの彼女の顔に、確かに、ほんのりと笑顔が浮かんでいたのをネ級は見逃さなかった。

 

 少し部屋の奥を覗くと、レ級が夕食の支度をしているのが見える。暇をもて余すことに抵抗を感じたため、ネ級は手伝うことにした。

 

 

 

 

 夕焼けに染まっていた海も真っ暗になる時間帯になる。四人は食事を終えたところで、北方棲姫のみ、艤装の調整があるからと外に出ていた。

 

 自分の分の食器を洗ったあと、他もやろうとしたところ。レ級から、自分に任せてくれと伝えられて、ネ級はぼうっと机に座っていた。

 

 テーブルの上で遊んでいる妖精たちを眺めていると、対面の南方棲鬼に話し掛けられる。

 

「色々見てきたそうね。まさか中枢棲姫と仲良くなるなんて」

 

「南様は面識が有るんじゃないんですか?」

 

「さぁね……辛気臭い奴は嫌いよ」

 

 相手の言葉に、そっと笑っておく。彼女らしいな、と思った。

 

「本当腹立たしいわね。あの基地は私が出てから住み心地が良くなったそうじゃない。面倒な連中は居なくなって、普通の奴等が沢山いて」

 

「皆さん、良い方々ばかりでした。得体の知れない私に世話まで焼いてくれて」

 

「ふ~ん……まぁ、お前、無味無臭な性格だしね」

 

 他人に合わせるのが上手、と言いたいのだろうか? 考えていると、南方棲鬼は続ける。

 

「私は無理よ。絶対無理。頭に来たら手も出るし足も出るし……あの時仕返しできなかったのが悔しい」

 

「背中から撃たれた、ってやつですか」

 

「それ以外に何があるのかしら」

 

「あはは。すいません」

 

「まともな奴は泊地((棲姫))と今日来たガキの姉ぐらいね。他は会話もできないバカばっかり」

 

 北方棲姫に姉なんて居るのか。基地では見なかったと思い、ネ級はそれとなく聞いてみることにした。

 

「親族の方なんて居るんですね。北方様に」

 

「? 会わなかったの? あと勘違いしてるようだけど、別に血が繋がってるとかじゃないわ」

 

「というと」

 

「あいつの姉貴は港湾棲姫って呼ばれてる深海棲艦。寂しさを紛らせるためにあのチビを建造したとか聞いたけど。しかも二人も」

 

「二人。じゃあ妹さんか、もう一人姉に当たる方が」

 

「あのチビよりももっとガキがいるはずだけど……今は住んでるところが違うのか……? 言っておくけど、チビに輪をかけたチビよ。性格もてんでガキね、しかもいつも眉間にしわ寄せて、可愛いげのない顔してるクソガキ」

 

 後半はただの悪口だぞ! こっそりと心中で突っ込む。そんなときだった。

 

 いきなり南方棲鬼は両手を伸ばし、ネ級の頬を掴む。そして1つの質問をぶつけてきた。

 

「……そうだ、話を戻す。貴女は気に入らない奴とかってどう思うタイプなの? 怒らないから、ショ~~ジキに言ってくれないかしら?」

 

「え」

 

「ほらほら早く。嘘なんて言わせないわよ、思ったことそのまま口から垂れ流しなさい」

 

 人とそう変わらない構造の手のひらで頬をつままれる。意外と痛くないんだな、とか最初は思ったが、握力の強い相手の手を払いネ級は口を開いた。

 

「気に入らない人を、ただ気に食わないと殴るのは。マァ、スッキリするとは思います」

 

「それで?」

 

「別に物理的にし返すのを否定しないけど………でも、それはスマートじゃないと思います。」

 

 ネ級の言葉に。キッチンで作業中だったレ級の手が止まる。それに気付かず、二人は会話を進める。

 

「すまぁと??」

 

「あぁ、えっと……なんて言うかな。何でもかんでも物理的に解決しようとするのは、少し考えが浅いかなって」

 

「私がアンポンタンだって言いたいのかしら」

 

「いえ、そうじゃないんです。せっかく、言葉と言葉で繋がれる者同士なんです。仕返しするにも、ちょっとした工夫で相手を悔しがらせたいな、なんて」

 

「なんか要領を得ないわね。具体的に何か言いなさいよ。どれをこうするって」

 

「相手が1発パンチしてきたとします。腹いせで殴り返します。勿論相手も2発目を繰り出すでしょう。そんなのに相手してたら、日が暮れるどころか、大事な顔が梅干しみたいになっちゃいますよ」

 

 「せっかく南様はすごく美人なのに……」 ネ級は続けた。

 

「あえて殴り返さないんです。それで、自分の度量を見せ付けるんですよ」

 

「…………(おび)えて反撃してこないだけだと思われたら終わりよ?」

 

「ん……なら、これはどうでしょう」

 

 ネ級が口を開き、何を喋るのかに南方とレ級が全神経を集中させたときだった。

 

「殴ってきたヤロウをめっちゃくちゃに誉めちぎるとか! 多分、気味悪がって近付いてこなくなりますよ!」

 

 期待して耳を傾けていたのに、相手の口から飛び出した予想外の変化球に。南方棲鬼とレ級は思わずズッコケた。会話を妨げないように見守っていた妖精らはお腹を抱えて笑い始める。

 

「ふふふふひっ!」「ひーっ!」

 

「あ、あなたねぇ!? 本気で言ってるわけ?」

 

「???」

 

「あぁ……もういいわ。なんか疲れちゃった……もう寝ようかな」

 

 がしがしと髪を掻きながら、呆れて物も言えないと言った様子で南方棲鬼は立ち上がり、自室へととぼとぼ歩いていってしまった。

 

 話し相手が居なくなり、視線を遮っていた物が無くなる。ネ級は、変な顔をしていたレ級と目があった。

 

「なんか変なこと言いましたか……?」

 

「…………ッ」

 

 それはひょっとしてギャグで言っているのか? レ級は頭を抱えた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 洗い物が終わったレ級は、この日も自分の部屋にネ級を誘った。例によって、南方棲鬼に知られないように内緒話をするためである。と、いっても、今回は少し意味が違った。

 

 レ級は、先程のネ級の言葉は本心ではないと思ったのである。そんなわけで、彼女は『言いたいことは別にあって、さっきのはただの出任せでしょう?』等と紙に書いて相手に見せた。

 

 多少、カマをかけた言葉を伝えてみると。予想は当たっていたようで、ココアの入ったマグカップを持ったまま、ネ級は固まった。

 

「わかっちゃいます? やっぱり」

 

『当たり前です。貴女ほど思慮深い人が、あんな無責任なことを言うわけがないと思いましたから』

 

「思慮深いなんて。買い被りすぎです」

 

謙遜(けんそん)も、過ぎると嫌味に裏返りますよ』

 

 ここ数日のネ級の話は聞いている。怪我をした艦娘を数度助け、中枢棲姫の面倒を見、南方から提案された港ではわざわざ全員に挨拶をしてから帰ったという。そんな几帳面で礼節をわきまえたような人間が、あんな事を言うわけがない。レ級は、半ば確信していたのだ。

 

『言いたくないなら、大丈夫ですが。何かありましたか。考えていることとか』

 

 レ級は、泊地棲姫等には及ばないと自覚しても、一応は世話係として南方棲鬼と親しい事を自負している。なので、さっきのネ級の応対に多少だが腹が立っていた。

 

 元々の性分で、特に癇癪を起こすことなど無くとも、ちょっぴりの怒りを文に込める。

 

 先程妙な事を言った彼女の返答はというと。レ級の考えていないような物だった。

 

「嫌なんです。真面目な話は昔から……気分も空気も重くなるから」

 

「………………」

 

「人生の限られた時間を嫌いなことで(つい)やしたくないんです。明るくお喋りして無駄な時間にしてしまったほうが、私は楽しいと思ってるから……」

 

 外していた首輪とティーカップにもたれて眠っている妖精の頬を、指先で撫でながら。微妙な表情でネ級は言う。

 

「港で、中枢棲姫様にお願いされちゃったんです。行方不明になった友達を探してくれって。」

 

「…………」

 

「すごくしんみりした会話になりました。そりゃ、そーでしょう。仲の良かった人が音信不通になって不安になるのは当然だし、私も茶化す気は有りませんでした。……だって、そういう「場面」じゃないと思ったから」

 

 なんであんな事を言ったのやら。そういう風に問い詰める予定だったレ級だが、ネ級の顔を見て考えが変わる。自分の予想以上に、彼女は色々と思案を巡らせていたらしい。

 

 「南様の笑った顔を見たことないと思って」 ネ級が言う。

 

「いつも仏頂面で、整った顔を歪めてらっしゃいます。眉間に深い(しわ)ができて、口は悪くて、体は古傷だらけで。何か昔に一悶着あったのは簡単に想像できます。……笑わせてあげたいんです。私のエゴかもしれませんが」

 

「…………………」

 

 ネ級は仮面を取り、そっとテーブルに置く。そして、ゆっくりと右目のまぶたを開く。瞳の色が左右で違っているネ級の素顔を初めて見た彼女は、なぜか息を呑んでしまった。

 

「ほんの少し前、事故で右目が見えなくなりました。ぽっかりと視界が欠けて、風の当たる感覚だけが残りました」

 

『あえて聞かせていただきます。どのような事故だったのですか』

 

「よく覚えていないんです。怪我をしたのと同じ頃合いで、目の前で二人、人が死ぬところを見ました。一人は命を救ってくれた恩師((土井))です。もう一人は、私が無我夢中で助けた子供の母親でした」

 

「……………」

 

「訳がわかりませんでした……二人とも、大怪我でとても平気じゃなかったはずなのに、笑っていました……幸せそうな顔をしていました……私にはわからないんです。死ぬって、怖いことなのに……なんで笑えるのか」

 

 だんだんと声のトーンが落ち、顔が(うつむ)き気味になる。このとき、レ級はこの人物を問い詰めてしまったことを軽く後悔していた。

 

「人は、知らないことを怖がります。死んだらどうなるのかが解らないから、きっと死を怖がるんです。……死んだら、楽しいことも出来なくなります……好きなことをして笑うのは幸せなことです……死の間際で力なく笑うなんて、あまりにも矛盾が過ぎます……死ぬのは楽しいことじゃないはずです…………」

 

「………………」

 

「できるだけ、笑える毎日を私は過ごしたいんです。その楽しさを南様にも知ってほしいんです。…………結局、自分本意の行動でした。すみませんでした…………」

 

 慌ててレ級はペンを走らせる。全力で謝罪の文を作り、伝えた。

 

『言いたくないようなことを喋らせる形になりました。本当に申し訳ございません』

 

「あ、いえ、大丈夫です。気にしてないし」

 

『だってそんな辛いこと』

 

 相手に見えるように、レ級が上下反対で字を書いていたとき。そっと、その手を止められる。紙から目線を上げてネ級の顔を見ると、彼女はどこか影のある笑顔を浮かべて話した。

 

「辛いことばかりでも……無かったんです。色々と、助けてくれる人達に恵まれました。ニ級はそばに居てくれます。レ級さんと南方棲鬼様は住む場所をくださりました。中枢棲姫様は勇気づけてくれました。まだ、時間が必要だけど、嫌な思い出と向き合える気がしました。」

 

「………………!」

 

 どこまでも、優しい人なんだな。目に写る景色ではない、何か別のものを見てしまっているようなネ級の表情を見て思う。それと同時に、聞きたい事がもう1つ、レ級の頭に浮かぶ。

 

『艦娘と深海棲艦。どちらも助けるのは、何か理由があるんですか』

 

「罪滅ぼし、なんです。これもただの自己満足かもしれないけど……」

 

「……………?」

 

「昔から看護師に憧れていたんです。だからそれ(もど)きを演じているだけだし、目の前で二人も人が死ぬところに立ち会って何もできなかった事が悔しかったんです……ただの偽善ですね。どっち付かずでイタチみたいな……」

 

 ネ級は頬杖をついて目を細める。眠そうな顔のその赤と茶の瞳に光が無いように見えた。

 

『私も似たような事をしていました。でも、貴女ほど積極的ではありませんでした。私は疑問です。ともすれば、貴女はそのまま死んでしまうのではないか、と思える危うさを感じるのです』

 

「あぁ……そういう風に写るんですね。やっぱり」

 

 力の抜けたような顔をニヤリとさせて彼女は言った。

 

「死ににいこうなんて思っちゃいません。恩師に「死ぬな」と言われてしまいました。だから、私は生き続けようと思っています。格好よく死ぬより、みっともなく生きていたいと、心から思いましたから。」

 

『それだけ聞けて、安心しました』

 

「それは良かった」

 

 ネ級は薄ら笑いを濃くして見せる。

 

 気のせいだろうか。一瞬、レ級は変なものが見えた気がした。

 

 ほんのコンマ数秒。鮮やかな緑の髪の女性の姿を、話し相手の上から幻視する。一瞬意味が解らなかった彼女は目を擦るが、やはり目の前にいるのは深海棲艦の重巡ネ級だ。

 

「? 何かありましたか?」

 

『いいえ。お構い無く』

 

 気のせい、だよね。疲れているのだろうか。しかし、それにしてははっきりと見えたけれど……?

 

 気分を落ち着かせるために、飲み物を喉に流し込む。すっかり冷えていたココアは、嫌に甘く感じた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「…………………。」

 

 こんな時間に何をしているのかと思えば。なんだ、ずいぶん重い話をしているじゃないか。

 

 南方棲鬼は二人に気付かれないように、物音を殺しながらレ級の部屋から遠ざかる。自分が寝ているときに二人が何かやっているのは感付いていた彼女は、こっそり深夜の茶会の様子を何度か盗み聞きするのが習慣になっていたのだ。

 

(ここ最近でレ級と仲良くしてるようだけど。害は無いみたいね、本当に)

 

 寝室に向けて歩きながら考える。自分をよく世話してくれる彼女は臆病な性格なのをよく知っている。そんな者に、部外者の癖によく取り入れたな、と南方棲鬼は思う。

 

(何かするようなら始末するつもりだったけど……なんかシラケるわね。やっぱり弱そうだし)

 

 それにあんな話までするとはな。一体何者なんだろうか。馴れた目で暗い廊下を歩く中で、先程のネ級の言葉が脳裏に浮かぶ。

 

(笑わせてあげたいんです……ねぇ。本当、変なやつ。嘘みたいな発言だったけど、そんな風には聞こえなかったし……)

 

 ぼんやりしていると、自分の部屋に着く。

 

 いつか、自分も死にかけるような目にあったとき。アイツは血相を変えて駆け付けてきそうだナ。顔に薄笑いを浮かべて、そんなことを考えたときだった。

 

 カチャリ、と足元で何かを踏んだ音を聴く。フローリングが軋む音とは明らかに違う。

 

「ん……?」

 

 何を踏んだ? 視線を下げると、何か落ちているのが確認できた。暗くて何かは解らない。南方棲鬼は物を拾うと、部屋の入り口の豆電球を点灯した。

 

 自分の手の中に収まっていたのは、長方形の名刺入れだった。中を開けると、小判型の金属片と、1枚の紙切れが入っている。金属片のほうは前にレ級に教えてもらったが、確か、ドッグタグ、とか言ったよな、と記憶を辿る。

 

(こんなものうちにはないよな。そもそも廊下に落ちてるものだったらレ級が掃除してるはずだ)

 

 消去法でネ級の物かと特定する。興味が湧いた彼女は、タグの文字を読んでみる。

 

 第7横須賀鎮守府 重巡洋艦 鈴谷-Kimi Negami―― ステンレス製の板には、読み間違えが無ければそう刻まれていた。 そしてもう1つ。折り畳まれていた紙の方にも目を通す。

 

 それは、熊野が鈴谷を送り出す際に撮った、港に集まった面子での集合写真だった。

 

「……………――――」

 

 南方棲鬼の思考が停止した。名前は知らないが、写真には鈴谷、熊野、那智……ネ級が海に出た日に集まっていた者らが写っているが、そんなことは問題ではない。

 

 熊野・那智・蒼龍の服装に見覚えがあった。

 

 昔に艦娘と数度交戦した事があるが、その時の記憶が正しければこれは艦娘の制服だったはずだ―― どうしてアイツ、艦娘と仲が良さそうにしているんだ? 疑問の芽が次々と増えていく。

 

 混乱するなか、写真を裏返してみる。そこにも、何か書かれていた。レ級には及ばないが、綺麗な字だな、等と思う。

 

 

 紀美が辛いとき。これを見て励ましになれば、と思います 典子より

 

 

「……キミ……っ!」

 

 どういうことだと思ったが、すぐにドッグタグのほうに目を移す。Kimi Negami(きみ ねがみ)。確かにそう彫刻されている。

 

「…………まさか。そんなことありえない……ありえない、けど……」

 

 狼狽えながら、南方棲鬼は寝室に入った。

 

 

 重巡ネ級は、元は艦娘(人間)だった。そんな飛躍した考えが、どうしてか頭から離れなかった。

 

 

 

 

 




何かに気づいてしまった南方さん。ネ級の明日はどっちだ。

因みにレ級は現時点で唯一ネ級が本心を言える友人です。


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19 指先まで血に濡れて

お待ちどう、です。劉備+瘋習のパワーで十四州丞相まで上がった作者です。やっぱりクソデッキ強い()

お主の展開は読めぬ!と言われて舞い上がっておりました。みんなもっと言って(顕示欲を出す屑)


 

 

 

 今日はいい天気だな。

 

 鉛色の空の日が続いていた最近のあとの快晴とあって、雲一つない青空にそう思う。ネ級は、砂浜の上で昼寝していたニ級の上に腰かけた。

 

 島に来て、もう1ヶ月が経過しようとしている。何度かの2番目の撃退に合わせて、その都度、遭難しているような人や艦娘を両手で数えられる数ほど救助してきたが。さて、軍ではどのように自分は言われているのかな―― ネ級はぼんやりと頬杖をついて考えた。

 

 とっていた行動に「優しさ」は無いのかと言われると、それは違うと彼女は答えるが。どちらかといえば、この救助活動は元を辿れば打算で始めた物だ。深海棲艦には「人助けをする変なネ級が居る」と噂が立っていたが、陸にも伝わっているといいな、等と思う。

 

「考え事、なのれす。鈴谷しゃん?」

 

「あぁ……うん。……ちょっと、ね」

 

「悩みごとなら、吐いて欲しいのです。簡単な相談ぐらいは出来るのです」「「任せろー!」」

 

「うん……ありがと。みんな」

 

 膝の上に降りてきた妖精たちに目をやる。目を細めて、ネ級は話し始めた。

 

「陸には帰れるかなって。みんな待ってはくれてるけど」

 

「諦めることが一番駄目な事なのれす。大丈夫。鈴谷しゃんはきっと戻れるのれす」

 

「ふふふ……ありがとう」

 

「最近の鈴谷さんは、何か急ぎすぎてるように思うのです。海難救助だって、自分のやれる範囲でいいと思うのです」

 

「……うん。わかってるけど。でも、傷だらけで水に浮いてる人とか、見ちゃうとね……ほっとけないよねぇ………」

 

 気の抜けた顔で虚空に視線を移す。どこにも注意を向けていない虚ろなネ級の目を、妖精たちが心配したときだった。

 

 ざくざくと砂を踏みしめ、近付いてくる音を二つ背後から聞き。ニ級以外が振り向く。ネ級の後ろには、南方棲鬼とレ級が居た。

 

 数週間生活を共にして知ったが、南方棲鬼は滅多な事では外に出ない。レ級は食事の支度があるときに呼びに来るが、南方の方は、敵か不審者が島に来たのを察知したときぐらいにしか屋敷から出てこない。敵の気配でも感づいたのか? とネ級は思った。

 

「またのんびりと日向(ひなた)ぼっこ? 呑気な物ね」

 

「日の光を浴びるのは良いですよ。南様もどうぞ」

 

「嫌よ。葉っぱ花じゃ無いのにアホらし」

 

 バッサリと切り捨てられたが。慣れているので嫌な顔もせず、ネ級は続けた。

 

「北方様はどちらへ。姿は見えませんが」

 

「チビは機械整備よ。ほったらかしてた倉庫の物見て目を輝かしてたわ。あんなガラクタの何が良いんだか」

 

「へぇ。あ、あと南様が外に出るのも珍しいですね。何かありましたか」

 

「別に。理由もなく出てきて悪い? 引きこもってたら体が(なま)るもの」

 

「なるほど」

 

 話の最中に、ネ級は無理矢理南方棲鬼に体を押し退けられる。隣に彼女が足を組んで座ると、下にいたニ級が「ギュッ!」と呻き声をあげたので、慌ててネ級はニ級から降りて地べたに座り直す。

 

 なんとなく、座っていた南方棲鬼に視線が向く。特に何もないが、やっぱり美人な人だよな。そんな風に思っているときだった。相手から話しかけられる。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

「なんなりと」

 

「……私としては、珍しく、すごぉく悩んだんだけど、お前に直接聞くことにしたわ。気になることがあったから」

 

「……? なんでしょう」

 

 なんだか勿体ぶるな。何かあったのだろうか?

 

「こないだ家で変なものを拾ったの。寝付けなくて、廊下を歩いていたときにね」

 

「はぁ。落とし物か何かですか」

 

「…………本当に心当たりないみたいね。こういうも………」

 

 南方が続けようとしたときだった。

 

 突然、ネ級が近くに置いていたラジオから激しいノイズが鳴った。キイィィン――と耳に響く高音に、思わずその場にいた全員が耳を塞ぐ。

 

「いぃっ!? 何よ、ぶっ壊すわよソレ!」

 

「なんだろ、故障かな?」

 

 どこの電波を拾ったのか、ハウリングのような酷い音を発信し始めた機械をぺちぺちと軽く叩く。

 

 様子がおかしいな――。ネ級がそう思ったとき。雑音に紛れて、「人の声」が聞こえた気がした。

 

『メイ……デ……………繰り返……深………撃……………』

 

「!!」

 

 なんだこれは。惚けていた気分からネ級は意識を切り替える。この時点で妖精たちは戦闘の準備を始めていた。

 

『救……します……深海棲……………攻撃を受け…………航……不能!……機関部より…………が……』

 

「まさか……救助の無線拾ったってこと? そんなことある? テキトーな周波数だったのに」

 

「現に事は起きてるのです」

 

 妖精の言うことに「それもそうか」と返す。

 

 さて。今日も出動か。そう思って立ち上がった時。南方棲鬼が少し声を荒げて言う。

 

「ちょっと、私の話が終わってないんだけれど」

 

「申し訳ありません。戻ってくるまで、御預けでお願いします」

 

「……チッ。早く戻れるのかしら」

 

「それは……自分は弱いですから。わかりかねますね」

 

「ふ~ん……レ級、付いてってやりなさい。ネ級とニ級ごときじゃ戦力不足でしょうし」

 

 予想していなかった相手の言葉にネ級は驚いた。レ級のほうも、「自分が?」とでも言いたそうな顔になっている。

 

「人助け中毒の介護をしてやりなさい。ついでに監視をね。妙なことをするなら首チョンパで良いから」

 

「…………」

 

 レ級は、ネ級のことをちらちらと伺いながら南方棲鬼に綺麗な敬礼をして見せる。

 

 他人の手を煩わせる必要は無いのに。そう言おうとしたネ級の言葉は南方に遮られた。

 

「あの……」

 

「何も言わなくて良いわよ。帰ってきたら嫌になるまで拘束して無駄話に付き合ってもらうから」

 

「!」

 

「嫌だっていってもやるからね。うんざりするぐらい」

 

 …………。なんだ。やろうとしている嫌がらせが可愛らしいな! ネ級はそう思った。

 

「南様」

 

「なによ」

 

「やっぱりツンデレですね」

 

「はぁ!?」

 

 「うるさいわね、さっさと行きなさいよ!!」 怒鳴り声を背中で受け止めながら、ニヨニヨと笑顔を浮かべてネ級は海へと駆けた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 周囲への警戒を強めながら海面を滑る。ネ級はニ級とレ級を連れて1列になり、電波の発信源を目指していた。

 

 9機の瑞雲を操縦するそれぞれの妖精たちは、ネ級の半径数キロを飛び回りながら、周辺の様子を随時報告する。既に島を発って10分ほど経過しているが、目標の船は見えない。

 

「どの辺りに居るんだろう。結構遠いのかな」

 

『電波というのは遠くまで届くものなのれす。かなりの距離に……万が一、撃沈されていることも視野にいれるのれす』

 

「嫌なこと言うねぇ……」

 

 事実だからしょうがないけどさ。ネ級は言いながら、後ろにいたレ級を見た。いつもと同じ、落ち着いた色調のエプロンを着けて家政婦みたいな格好をしている。

 

 昔、島に来る前に深海棲艦たちから酷いリンチを受けたとは聞いたが、その後遺症で彼女は戦闘能力を著しく欠いているという。具体的には声が出せないことと、今日はじめて知ったが、艦載機が使えないという事だった。

 

 砲撃、魚雷を放っての雷撃。そこに加えて、大量の艦載機に任せた絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)と撹乱戦法が一般的なレ級の戦い方だ。手数が多いことが強みなのに、そのファクターが1つ無いとなると、戦力としては疑問が残る。

 

 加えて、あの優しい繊細(せんさい)な性格だ。荒事にはどのような対応をするのか予想できないな。

 

 本来は、滑走路を模した板のような物が貼り付いているレ級の尾に。それを無理矢理引き剥がされでもしたのか、火傷のような傷跡を見つけてネ級が考えていると。レ級から紙を渡される。

 

《私の心配はご無用です。鉄火場は慣れていますから》

 

「わかりました。得意なこと、とかは有りますか?」

 

《特にございません。しかし、どのような障害があれ、貴女の命令は成し遂げるつもりです。》

 

 にこり、とレ級は笑う。すぐに表情を変えて、島に置いていた艦娘用の戦艦の武装に、彼女は砲弾を詰めていく。落ち着き払った相手の様子に、ネ級の思っていた先程の心配は全て吹き飛んだ。

 

 何を考えているんだ自分は。後ろにいるのは姫級に近いとまで言われるレ級だ。味方にして心強くないはずがないよな――。少し強気に、自分を納得させたとき。妖精から無線が入った。

 

『見つけたのです。このまま直進、程なく観測できるはずなのです』

 

「ありがとぅ! いつも助かるよ~!」

 

『酷い有り様なのです。急ぐのを提案するのです』『けむりもくもく~』『爆発だぁ!』

 

 妖精たちの声をイヤホン越しに聞いて。一抹の不安を抱きながら、ネ級は速度を上げた。

 

 応対を終えて間もなく、件の船が見えてくる。

 

 「ウソでしょ……」 目標物を前にして、ネ級の口からは思わずそんな声が出た。

 

「客船……って!? どうしてこんなところに……!」

 

 意味がわからない、と思った。ここ周辺は悪名高い危険地帯で、海に関係する職業の者なら知らないなんて有り得ないと断言できる場所だ。密漁船か、艦娘を雇う金と航路代をけちった馬鹿な輸送船業者か何かだとネ級は勝手に決め付けていたが、航行していたのは立派な客船だ。

 

 妖精の報告通り、船体はかなりの被害を受けている。所々の外装パネルが剥がれ、何かの機械油が(したた)り、黒煙まで立ち上っている。

 

「なんて有り様……」

 

《まだ艦娘達は来ていない。二手に別れましょう。私は反対側に回って敵を引き付けます》

 

「うん。私は二級と手前側ね?」

 

《お願いします。なるべく敵の注意は逸らしますが、限界もあると思われます。その時は》

 

「わかってる。無理なものはしょうがないから……無事でね、気を付けて。終わったら合流ね」

 

「…………!!」

 

 即席の作戦会議を済ませると、レ級は最大速で船をぐるりと回り込むような航跡を描いて進んでいった。会話を理解したのか、それとも習性なのか。ニ級は彼女を追わず、まだネ級にくっついている。

 

「……ッ、やるさ。やってやる……!」

 

 ちらりと嫌な物が見える。深海棲艦の艦載機と、戦艦級と思われる人型の個体だ。持ってきていた武器を構えて、ネ級は自分を無理矢理勇気づける意味で呟いた。

 

 あれが沈むところなんて見たいわけが無かった。憶測に過ぎないが何十、何百という子どもを含めた人間が死ぬのと同義なのだから―― 頭に沸いた思考をまとめて考え直すなんてプロセスはぶっ飛ばして、彼女の体は自動的に動いていた。

 

 とにもかくにも、と、まずは先制・奇襲攻撃から始める。うまくいけば一気に勢いで敵を倒せる行動だけに、ネ級は全神経を集中して突撃した。

 

「あぁたれぇぇぇ!!」

 

「÷』▼ 《「゛」●―|!?」

 

 一匹倒せりゃそれでいいんだ、そんな気持ちで砲の引き金を引く。思惑通り、うまい具合に直撃をとった戦艦ル級が一体、首から上を無くして爆散するのが見える。

 

 しかし、喜べる戦果は得られなかった。最悪一体、とは考えていたが、本当にたった一体しか仕留められなかったからだ。

 

『とんでもない重い編成なのです! 右も左も戦艦・空母・戦艦!』『分析かんりょー! ル級もタ級もヲ級も5ひき~!!』

 

「うわうわうわ……ヤになっちゃう。キモいのがワラワラと……!!」

 

 味方の報告に、思わずゾッとする。こちらはたったの3人で、レ級だけが敵と対等な身体能力がある。今しがた倒した者と、レ級の分だけ引いても格上の数が単純に13匹も居ると状況を理解し直すと、改めて戦慄した。

 

「瑞雲は全部船の上を固めて。客船の守りを強くしなきゃ」

 

『え、でも鈴谷さんは』

 

「大丈夫大丈夫、お腹に穴開いても生きてたんだから」

 

『危険すぎるのです!』

 

「いいから早く。沈んだりするところが見たいっての?」

 

『ううう……危なくなったら言うのですよ?』

 

「わかってるって……!? おっと。ほら、さっさと行った」

 

 鼻先ぎりぎりを掠めて飛んでいった砲弾にひやりとしつつ、妖精らに指示を出す。弾幕を絶やさず形成しながら、ネ級はどうにか敵の砲撃の濃い部分を避けて位置取る。

 

 秘策は取っておこうと思っても、こう敵が多いとな。ネ級は温存する予定だった武装の封印を解く。

 

「エヌ・ユニット」

 

 泊地棲姫から教わった言葉を呟いた。すると、何かの機械の作動音と共に、腹部にちくりと針でも刺さったような痛みを感じる。

 

 妙な感覚を覚えたと同時に、触手に固定していた艤装の装甲の継ぎ目から赤い光が放出され始めた。準備完了、と言うことだろうか。考えつつ、ネ級は敵に狙いを定めてみた。

 

「射線に……入った、ここっ!!」

 

 機械を通って加熱・高圧力をかけられた血が、火花を(まと)った光線のような状態で撃ち出される。

 

 ズウゥゥン……。地響きのような、耳の奥に残る重い音が発される。

 

 

 弾頭に当たる自分の血が体に当たった敵は綺麗に蒸発してしまった。

 

 

「…………!!?」

 

 初めて使う武器だったので、どのような効果が期待できるのか。そんな事を考えていたネ級の心配は弾けてなくなった。威力不足どころか間違いなく必殺の一撃と呼べる物が撃てるこれに薄ら寒いものを感じる。

 

 す、すごい威力だ……これならどうにかなるだろうか? すかさず第二射を御見舞いしてやろうと構え直した。が、その行動はできないで終わる。

 

 突然、猛烈な立ち(くら)みに襲われた。その隙を狙われて敵に撃たれそうになったが、寸でのところでニ級に体を引っ張られて事なきを得る。

 

「グァ!」

 

「ありがと。ゴメンね?」

 

 服の裾を引っ張って助けてくれたニ級に礼を言いつつ、額を抑えて回避行動を続ける。

 

 今の感覚は何だったのだろうか。そう思ったとき、ネ級の目は自然と砲の口に向いた。たった今発射したばかりの艤装からは、ぽたぽたと赤い液体が滴り落ちている。

 

「そういうことか……通常砲弾に」

 

 ネ級の声を拾った装備が再度ガシャガシャと音をたてる。すると赤熱したように内部機構が赤みを帯びていた機械の光が納まり、垂れていた血も止まった。

 

 体調不良の原因はなんとなくだが彼女は突き止めていた。単純に貧血なのでは、という予想だ。

 

「困ったな……たった一発でこれか」

 

 乱射は厳禁だな。最悪、窒息して死ぬ可能性まであるか―― ネ級は副砲を乱射しながら考える。自分が本当に追い詰められるまでは、普通の武器で応戦するべきか。そんなように思考の取捨選択をした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 敵の数が多いと言えど、そこまで時間はかからないか。そう思っていたネ級だったが、甘めに作った予想は外れ、戦いは次第に持久戦へと移行する。

 

 戦いが始まった時間を正確に把握していたわけではないが、確実に一時間ほどは経っているな。ゆっくりと考える時間さえあれば、ネ級はそう思っただろうか。時刻は午後4時を回った辺りだった。

 

 晴れていた空は知らずに曇り始め、そこから加速度的に雲の量が増えて。現時点で、彼女らはゲリラ豪雨に打たれている。

 

 濡れた服が体に纏わり付いて不快感を煽る。幾ら防水とは言え、長く雨にうたれれば多少は水が染み込む。重く、冷たくなった服はゆっくりと、だが確実にネ級から体温を奪っていた。

 

「ル級……倒したッ!!」

 

『もうダメなのれすぅ!』『やられちゃう!』

 

『3番機と7番機がやられたぁ!』

 

『せんきょうほーこく! 空母は3、戦艦が7!』

 

「頑張ってくれてありがと。ほら、やすんでなって」

 

「かたじけねぇ~」「ばたん、きゅ~」

 

 蒼龍が寄越してくれた妖精たちは、みな精鋭のエースパイロットだ。お世辞にも性能が良いとは言えない器用貧乏な機体で、長く戦ってくれているところにそれは出ている。が、流石に押され始め、少しずつ撃墜される機体が出始めた。なるべく穏やかな顔を作って、ネ級は落下傘で降りてきた妖精を捕まえて触手の口に放る。

 

 血の主砲は温存した。だけど、それは酷い判断ミスだったな―― ネ級は考える。

 

 相手も恐らくは生物だろうから、流石に疲労したりはするだろう。しかし数に任せて暴れればそれでいいあちらに対し、自分は回避・反撃・船に向く注意を引いたり……と余計な行動が多い分、当たり前だが疲れる。戦闘が長引くほど、それは顕著に自身の体に表れることに、焦りを覚える。

 

 何よりも最大の誤算は、ネ級が予定の時間を見誤った事だった。始めこそ、「隙を見てトッテオキを撃てば終わりだ」等と考えていたが、想像以上に消耗が大きすぎるのだ。敵の攻撃をいなすだけで目眩を覚えそうなこんなときに、大量の血を失う行動など取れば、何が起こるか、なんて答えは明白だ。

 

「くっそ……ォ……!」

 

 頭がクラクラして視界がボヤけてくる。船を守るどころか自分の身の安全すら確保するのが難しくなってきた。

 

 肩や腿に敵の攻撃が掠る。擦り傷程度なら考えなくてもいいと思っていたが、積もるように増えていく擦過傷の痛みと出血が蝕むようにネ級の能力を削ぎ落とす。

 

 力を込めて何度か攻撃を弾いた両腕も、大量のアザと傷で、ただ黙っているだけで痛みを覚える始末だ。全身くまなく傷を負って、時間稼ぎも満足にできるだろうかと彼女の心に影が射した。

 

「………………!!」

 

 一度、攻撃の手を緩める。このままじゃ、遅かれ早かれやられるだけ。少し頭を冷やせよ自分―― そんな気持ちで、回避に専念しながら大きく深呼吸をした。

 

 少しは焦る気持ちも引っ込んだか、等と思う。間を置いてから、再び激しい撃ち合いの最中。ふと、ネ級は那智の事を思い出した。

 

 今でも体に鞭を打って駆使する技術は、同期の中では一番最初に招集され、早い段階から海戦に慣れていた彼女から教わった物が大半だ。今はそばに居ない友人に心から感謝する気持ちだった。

 

 あの人から教わった事が出来ていなければ――今の自分は間違いなく死んでいただろうな。那智の十八番だった間合いを保ったままのインターバル射撃で、ネ級は必死に敵に対応する。

 

 追い掛けてくる相手に体の前面を向けて、ひたすら後退する。この単純な引き撃ちが、今のネ級を支える戦い方になっていた。

 

 敵の攻撃は回避しやすく、自分の攻撃は当たりやすい、と、時々後ろに注意を向けなければならない以外。これといって欠点のないこの戦法を、那智はよくやっていたのを思い出す。そんなときだった。

 

『艦……援護……! もう少……………だ…!!』

 

「?」

 

 船からの無線を拾ったのか? 妖精が勝手に色々と調整を施してくれるイヤホンだが、聞きなれない人物の声に、ネ級はバックする速度を思いきり引き上げて敵との距離を取ってから船に目をやる。

 

 今までの戦いからすれば超持久戦と言えるこれの間も船は進んでいたらしく、いつの間にか、周囲は島の点在する海域に差し掛かっていた。そしてよく目を凝らすと、船上から砲弾・銃弾が敵やその艦載機に向けて放たれているのが見える。

 

 なんだ、艦娘が乗っているのか? 注意が完全にネ級やレ級に向いていた深海棲艦たちは、不意打ちを受けて大小様々なダメージを負う。大きな隙を生かさない手はない。慌ててネ級は武器の火力を集中させ、足を止めたタ級を一体仕留める。

 

「どうなってるのかな?」

 

『甲板に包帯ぐるぐるの艦娘が居るのです。固定砲台状態なのです』

 

「なるほど……こっちには撃ってこないみたいだね。じゃ、いっか。」

 

 スコープ付きの砲を両手で構えて、狙いを澄ましてヲ級の頭を狙う。今の今まで混戦状態で、サイトを覗くことすらままならなかったが、チャンスを物にして上手く狙撃する事に成功する。

 

 妖精らと会話しながら、頭から煙を噴出して倒れたヲ級を見ていた時だった。さっきとは更に別の、自分の知る人物の声が無線で届く。

 

 『生きてますかー!』 この状況からすると、どこかすっとぼけた明るい声だった。今も自分の使う砲の調整をいつもやってくれていた、北方棲姫の声だ。

 

 返事をする前に、数十機の球状の飛行体が飛来してくる。北方の扱う、猫艦戦と呼称される高性能な生体飛行機だ。

 

「姫様、どうしてこちらへ?」

 

『心配になったから来てみたの。私の艤装(乗り物)は遅いから時間かかっちゃった。南方も全然違う場所言うんだもの、困っちゃうよ』

 

「遅いなんてとんでもない! グッドタイミングです!」

 

『そーお? まぁいいや。早くやっつけちゃお、アナタ怪我も酷いみたいだし』

 

「了解です」

 

 最大の敵だったヲ級の艦載機が北方の機体に拐われていく。上からの攻撃を気にしなくて良くなったネ級は、残った元気で敵の一掃に努めた。意図を組んだ瑞雲の編隊も加わり、猛烈な弾幕を仕返しとばかり深海棲艦に見舞う。

 

 数分前までの孤軍奮闘が嘘のように、敵の数が1つまた1つと消えていく。唐突に増えた援軍の効果は抜群と言えた。

 

「すごいな……流石。敵いそうもないや」

 

 あっという間に一掃された深海棲艦の群れに。ネ級はそんな感想が口から漏れる。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 これでやっと一息つけるな。そう思い、武器を持った手を遊ばせた時。離れた場所で行動していたレ級と、ひたすら敵の撹乱をやっていたニ級が戻ってくる。自分を含めて、動き回っていた者はみな一様にボロボロになっていた。

 

 よく頑張ったね~お前ね~……などと言いながらニ級の頭を撫でていると、『これからどうしましょうか』とレ級が伝えてくる。ネ級は口を開いた。

 

「……どうしようか。本当に」

 

『後先考えずにこんなことを!?』

 

「いや、これだけ泥仕合にもつれ込めば、きっと助けも来るかって想定だったんだけどさ……妖精さんは?」

 

「もう接敵して一時間は優に越えているのです。幾ら危険地帯とは言え、こんなに救助隊が遅れるのは……」

 

「だよねぇ、やっぱりおかしいよね。取り合えず、私は姫様と合流して相談するつもり」

 

「……………」

 

 納得していないような顔をしていたが、ネ級の言葉にレ級は頷く。後方から支援で爆撃と空中戦をやってくれた北方棲姫の姿も、船からそう遠くない場所まで近付いている。

 

 だがしかし、どうしたものかな……。武器を肩にかけ直して臨戦態勢を解いたときだった。無線機が知らない女の声を拾った。

 

『そこの深海棲艦、直ちに投降しろ』

 

『抵抗するならば、容赦なく撃ち抜く!!』

 

 艦娘の声だろうか、と思った次には、声の人物は今度は拡声器で怒鳴り始める。ネ級は思わずレ級と顔を見合わせた。

 

「「…………」」

 

 言葉こそ交わさなかったが。お互いに言いたいことをなんとなく察する。二人は両手を上げてバンザイをした。

 

 船の上を見る。メガホンを持った戦艦の艦娘と思われる両脇を、空母の艦娘がこちらに向けて弓を引き絞っていた。しかし、そのうち一人は、血の滲んだギプスで吊った手で無理に弓を引いている。

 

「なにさ……向こうもボロボロじゃん」

 

「…………」

 

 降伏勧告を叫ぶ艦娘の仲間と思われる彼女らの様子に、ネ級は呟く。全員こちらと同じく、もしくはそれ以上に酷い怪我をしている。とてもこんな大きな船を守るに足りる戦力には見えなかった。

 

 手をあげっぱなしのまま数分経過する。相手の様子を伺っていると、北方棲姫が追い付いた。

 

「ごきげんよ……何してるの?」

 

「船に艦娘が居るようです。刺激しないように手を上げていました」

 

「どうすればいーの?」

 

「姫様が良ければ。同じようにしていただければ」

 

「う~ん。ネ級が言うなら、いいよ」

 

 ゆっくり、例えると道路清掃車のような速度で進んでいた艤装を停止させて。北方棲姫は滑走路のような形状の部分に立つ。袖を捲って着崩していた作業着をしっかりと直してから、彼女は両手を頭の後ろで組んだ。

 

 さてさて。一体どうなることでしょーか。

 

 船から一人の艦娘が降りてくるのを見ながら。ネ級は他人事のように自分等の今後を予想した。

 

 

 

 




そう遠くないうちにすぐに更新の予定です。


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20 殺人鬼が笑いながら近付いてくる

早く投稿するって言ってたダルルォ!?

今回はキツめのグロ表現があるから気を付けてね


 狐につままれたような、という表現がある。少し違うかもしれないが、とも思うが、ネ級はそんな気持ちになっていた。

 

 船についていた艦娘と、後から合流した北方の援護で敵を殲滅(せんめつ)した後。どういうわけか、ネ級・ニ級・レ級らは艦娘の指示で船の甲板に上がっていた。残った北方棲姫は艤装を船体にボルトで固定して下で待機しており、妖精たちは武装と一緒に艦娘らに回収されている。

 

 連行された場所に広がっていた景色に、深海棲艦の女二人は少し眉を潜めていた。

 

 敵には空母が居たから、そこそこの攻撃は受けていそうだ、等とは思っていたが想像を超えていた。煙突には穴が開き、船上のあちこちから白い蒸気のような物が漏れ出ていたのだ。

 

 中でも目を引いたのは、本来は何に使うのかは知らないが、縁日の屋台のテントみたいな物が幾つも連なって並んでいる様だった。まだ雨も止んでいない現在、二人はその場所でじっとしている。

 

 なんでわざわざ猛獣みたいに見られている存在が、こんな場所まで連れてこられているんだろうか。疑問に思いつつも、ネ級は群がってくる数人の子供たちの面倒を見ていた。

 

「ほらほら動かないの。血が出ちゃうぞ~」

 

「おれ痛くないもん! おねーちゃんこそ、ないぞー飛び出てる!」

 

「内臓じゃないぞ~じっとしてろっつの。っと。ほら今度は後ろ向いて~」

 

 言われてみれば、内蔵に見えなくもないなこれ。どこかにぶつけたのか。皮を擦りむいている少年に絆創膏を貼っているなか、彼に触手を弄られる。

 

 冷静に考えるまでもなく、今のネ級は妙な空気の中に居た。言葉が喋れると発覚したとたん、船医や看護師にこうした子供の面倒を見るように言われたのである。深海棲艦の知識がないのかもしれないが、鈴谷に言わせれば、人喰い鮫に子守りをやらせるようなものだと思った。

 

 深海棲艦が船に乗り込んでいるのに。みんな呑気なもんだな。隣にいたレ級が小さな子をおんぶして遊んでいるのを見て思う。

 

 無言で体を動かす彼女に、女の子は「おねーちゃんしゃべれないの?」と言う。レ級がなにも言わず頷いているのを見て、「変なのー!」と返す。歯に衣着せぬ物言いな子供にレ級がたじろぐ。

 

 子供に気を使って笑顔を崩さないようにしているのか、ヘラヘラしながら体を揺らす彼女だが。ふと何か思い付いたのか、尻尾にしがみついていた男の子を引き剥がした。

 

「しっぽーもちもちー!」

 

「……………!」

 

 ちょっとごめんね? そんなような事をレ級は言いたい風にネ級には見えた。

 

 いったいいつの間に入れていたのか。レ級が自分の尻尾から取り出したのは、飴やガム、チョコレート等のお菓子だった。彼女がそれを手に持った瞬間、ストレスを溜めていたろう子供たちは目を輝かせる。

 

 自分の胸元にいた男の子も何か言いたげに見えて。ネ級は、「言っておいで」と耳元で(ささや)いた。

 

「……ふぅ」

 

 レ級が子供たちを甘いもので釣り始めた時。何かの準備を終えたのか、ちょうど看護師やらが戻ってきた。子守りも終わりか、と思う。

 

 何もない時間がやって来たので、考え事をしてみる。

 

 こっそり聞き耳をたてたが、どうやらこの船は処女航海の途中だったという。ついでにスタッフも新人が多いのではないのか。それか、よほど疲弊しているのかのどちらでは、とネ級は考えを巡らせていた。

 

 原因は色々あったが。そんな思考に至ったのは、当然のように自分らの存在が受け入れられたからだった。

 

 普通なら追い払われて終わりそうだが、今は少し状況が違うのか。子供の手当てを手伝わされたばかりか、積極的に面倒を見るように言われる始末である。自分達がくる前に何があったかは知らないが、よほどの事があったのは容易に想像できた。

 

「…………」

 

 この状況でお菓子なんて出したものだから、子供にもみくちゃにされているレ級を眺める。困っていそうだが、同時にどこか楽しそうにも見えた。

 

 下にどれだけの人が居るのかわからないけど、このぐらいの客船だと、映画館とかが入っていそうだ。大きな浴場や、音楽ホールなんかも、それら全部ではないが有るかもしれない。となれば宿泊客も多そうだし、被害はかなりのものだろうか。あまり詳しくは無いとはいえ、素人のネ級でもそれぐらいは予想がつく。さぞ、旅行会社などは、賠償金やブランドイメージダウンで頭を抱えそうだな、と思う。

 

 持て余した時間を妄想に使っていると、「ちょっと」、と背後から女の声がした。

 

 振り向くと、駆逐艦と思われる艦娘が立っている。独特な形状の槍のような物を杖の代わりにしている者と、隣にはその腕を引っ張っている艦娘も居る。声をかけてきた方は、両目を覆うように包帯が巻かれていた。目が不自由なのか、と思う。

 

 「何かありましたか」 ネ級は言った。音を頼って手探りの彼女に体を触られる。

 

「あんた、深海棲艦なんでしょ。私には見えないけど」

 

「陸の人はそう呼びます」

 

「ふ~ん。ひとまず、ありがとう。意味がわからないけど、助けてくれたんでしょ」

 

 語気は強いが素直な人だな―― どういたしまして、と返した。

 

「私は叢雲(むらくも)。こっちは雪風(ゆきかぜ)。あんた……何級なの」

 

「みんなネ級と呼びます」

 

「そう。どうでもいいけど……なんで助けてくれたの」

 

「……………ただの気まぐれです」

 

「何よ。今の間は」

 

「気のせいじゃないですか?」

 

 深海棲艦が普通に話すのは、やはり艦娘からすると異様に写るらしい。隣にいる雪風は動揺していたが、叢雲は普通に話す。もしかしたら、目が見えないから、人が冗談を喋っていると解釈しているのかも、などとネ級は想像を膨らませる。

 

「1個、聞いていいですか。目、不自由なのでしょうか」

 

「……。」

 

「言いたくないなら大丈夫で」

「あんたたちが来るのが遅いからこうなったわ」

 

「………………遅れてすみませんでした」

 

「別に。どうせ遅かれ早かれこうなったのよ……私は」

 

 自分達が来る前の戦闘の怪我、か。すぐにネ級が謝ると、雪風が口を開く。

 

「……ひどい一方的な戦闘でした。貴女が来るまで防戦一方です。どこからか途切れずに次々襲い来る敵を、船に近付けないようにさせるだけで精一杯でした」

 

「……雪風。良いのよ」

 

「叢雲さんは特に前面に突出して敵を引き付けていたんです。そこで空母の攻撃を受けて」

 

「みっともないから止めてよ……私が弱かっただけなんだから」

 

 ネ級が座っていたキャンプ用のベンチに手探りで座りながら、(うつむ)き加減で叢雲は言う。

 

「気を抜いたらこの様よ……全く、嫌になる………」

 

「……船医の方から診断は頂けないのですか。もしかしたら治るのかも」

 

「もう無理よ……前が全く何も見えないもの……私の艦娘の人生は終わったわ」

 

 そんなこと、とネ級が続けようとしたときだった。雪風が耳打ちしてくる。

 

(その……お医者様もストレスを溜めていらっしゃるようで)

 

(?)

 

(あんたたち軍人は頑丈だろうから後回しだって。先にお客様の方を診ると言って聞かなくて)

 

 雪風の言うことが本当なら…………。ネ級は思わずカチンと来た。その医者がさっきすれ違った者と同一かは知らないが、例え本当のこととはいえ、もう少し言い方という物が有るんじゃないかと思ったからだ。

 

 「悲観するのは、まだ早いですよ。ちょっと包帯解いても良いでしょうか」 ネ級がそう言うと、叢雲が顔を上げる。目元は隠れているが、不思議そうな顔をしているように見えた。

 

「何よ……深海棲艦が外科医気取り?」

 

「いーからいいから。大丈夫です。きっと治りますよ」

 

 ぐちゃぐちゃに巻かれた物を(ほど)くネ級の手慣れた様子に、目が見えないながらも叢雲は意外そうな顔になる。気にせず彼女は視診をやってみる。

 

 かなり頑丈に巻かれた包帯の下を見るのは度胸がいたが。意外と、この艦娘の怪我は深刻ではなかった。

 

「顔に当たったというから、そのときに破片でも入ったんでしょう。所々、裂けて血は出ています。でも眼球の損傷しているのは強膜((白目))の部分です」

 

「強膜……? 何が言いたいのよ」

 

 傷の周りの消毒を済ませてから、包帯を巻き直す時に口を開く。

 

「眼球破裂だとか、目玉がバラバラに千切れたとか以外なら、今の医療なら基本的に治ります。治る時間と経過とリハビリの大変さが違うだけです。特に虹彩に近い部分は綺麗に残っているから、信頼できる医者にかかれば問題ないはずです」

 

 あまり複雑な怪我でなくて良かった。特に何も考えずそう呟いた。

 

 ふと、下げた頭を持ち上げると。叢雲と雪風の二人がなんだか妙な表情でこちらを見ているのが気になる。

 

「アンタ、何者?」

 

「?」

 

「なにトボけた顔してるの。怪我の触診なんてお医者さんごっこみたいなのだと思ったら全然違うじゃない。どういうわけ?」

 

「あ………えっと」

 

「えっと? 何?」

 

「……私、島に住んでるんですが。結構、流れに乗って漂流者みたいな人が流れ着くんです。昔、医者をやっていたと言う人が……」

 

 口から出任せをそこまで話したときだった。叢雲は見えない目を細めて相手を(にら)みつける。思わずネ級は身を引いた。

 

 「嘘臭いわね……すごく嘘臭いわね」 なんとなく、予想はついたがそんなように言われて。少し機嫌を損ねる。

 

「嘘だと思うなら勝手にそう思えばいーじゃないですか」

 

「なに? イラッとしたわけ?」

 

「別に!」

 

 なんだカワイイ奴だな。話し相手にそう思われているとも知らず、ネ級はそっぽを向いて足を組んだ。

 

 何分か経過したか。まだ隣に座っていた二人にネ級は再度話しかけた。

 

「……さっき、私の人生は終わりだって言いましたよね。そんなに入れ込んでいた仕事なんですか」

 

「は? 何よ急に」

 

「……すいません」

 

 ちょっと苦手だこの人。ネ級がそう思ったとき。叢雲は「まぁいいか」と言った後に、暇だから、と付け足して答えてくれた。

 

「昔、従兄弟がアンタ達みたいのに襲われたのよ。だからなっただけ。後はまぁ、給料も悪くないわね」

 

「はぁ」

 

「嘘ですよ。ずっとなりたかったそうで、子供の頃からの夢だったって」

 

「………………雪風ぇ、余計な事は止めろと言ってるでしょ」

 

 ため息混じりに叢雲は言う。口をへの字に曲げながら、彼女は続けた。

 

「ムカつくのよ。深海棲艦っていうのは。こっちがなにもしなくても変なことしてくるし、話は通じないし。野蛮人でもあそこまでないわ」

 

「私もその仲間ですが」

 

「アンタは私の視界に入ってないじゃない。今は、ね」

 

「そういう問題でしょうか」

 

「そういう問題なの。私の精神衛生上はね。それに、一応助けてはくれたみたいだし」

 

 ふん、と鼻をならしながら彼女は言った。

 

 叢雲はどこか得意気な様子のはずだったが。どうしてか、ネ級の目には元気が無いように思えてしまう。少し考えてから、ネ級が言う。

 

「……聞き流してしまって構わないんです。独り言、今から喋りますね」

 

「?」

 

「夢ってそう簡単に捨てられる物なんでしょうか。誰でも1つ2つ、大小持ってると思いますけど……」

 

「………………」

 

「頑張った先で、せっかくなれた職を……簡単に捨てるなんて言ったら駄目だと思うんです。それに叢雲さんの目はまだ死んでない。元通りになる可能性だってあるんだから。」

 

 余計なお世話だ、とか、言われるのを覚悟しての発言だった。しかし、叢雲はネ級の予想を外れた反応を見せる。

 

「雪風。ちょっと、私にこいつの見た目を実況してくれない?」

 

「え? 何かあるんですか?」

 

「いいから早く」

 

「……目の色は、右が茶色で左が赤です。髪も肌もマネキンみたいに真っ白で、黒と緑のジャンパーを着てます。へその横ぐらいから、人の足ぐらいの太さで、先っちょに鮫の口みたいなのが付いている触手が生えています」

 

「……そ。ありがと……アンタ、本当に深海棲艦なのね」

 

「普通の人だと思ってましたか」

 

「……だって、現実味がないじゃない。深海棲艦が艦娘を助けてくれるなんて。前に噂でそういうのが居るとは聞いたけど、信じてなかったし」

 

 自分のさっき思ってた事はあってたんだな。会話しながらネ級は思う。

 

「変わり者もいるのね。深海棲艦って」

 

「変わって……ますか。私」

 

「だって学校の先生みたいなこと言うんだもの。人に優しく(さと)すような、気を使いすぎてるというか……すごく変な気分」

 

「褒められているのでしょうか」

 

「そういう事にしておいて。……でも話の通じる奴がいるとはね。認識を改める必要があるかしら」

 

「数は少ないですよ。普通に話す者が知人に居ますが、それでもそんな深海棲艦はあまり……」

 

「友達がいるの? どんなヤツよ」

 

「最近は泊地棲姫様と親しくなりました。今、この船のあっちにレ級も居ます」

 

 叢雲には見えるはずが無いのだが、自然と指をさして一方向を示してしまった。ネ級はしまったと思ったが、それとは関係の無い部分を突っ込まれる。

 

「姫級と……友達? アンタ本当に言ってるの」

 

「好い人でしたよ。少なくとも私には」

 

「へぇ……興味が沸くわね」

 

 「深海棲艦って何食べて生きてるのかしら?」 「さぁ、ボーキサイトでもかじってるんじゃ……」 そんなようなヒソヒソ話を二人がし始める。聞こえてますよ、とネ級が言いたくなったときだった。

 

 もう二人、艦娘が奥から歩いてくるのが見える。

 

 今、喋っていた者らとは違い、表情はどこか深刻そうで。少なくとも無駄話をしに来たわけじゃ無さそうだ。

 

 ネ級が考えていると。包帯を巻いた腕を首から吊っている、白い着物に赤いスカート姿の女性と、日焼けした肌と眼鏡が印象に残る女性のうち、後者が口を開いた。

 

「なぁ。ちょっといいか。あんた」

 

「何か悪いことをしてしまいましたか。そうなら、謝ります」

 

「あぁ、違う。そんなんじゃないんだ…………………もし、だよ。もしもお前が人並みの優しさだとか感情ってものを持ち合わせてるなら、助けてほしいんだ」

 

 「え」 とネ級は生返事を漏らす。

 

「向こうに小さく島があるのが見えるか。あそこで停まって、この船を守ることになった。待っていれば、味方が来る手筈になってる……みんな、怪我をしてる。派手に動けるような頼れるのはあんたらしか居ないんだ」

 

「やってくれと言われれば、やりますが……」

 

 とても、意外に思った。

 

 ギプスの方は格好から空母の艦娘だろう。今話した者は、記憶が正しければ戦艦の武蔵(むさし)という人に特徴が似ているから、もしそうならかなり腕の立つ戦艦の艦娘の筈だ。そんな人が、得体の知れない他人にそんなことを任せるのかと、思わず勘繰ってしまう。

 

「そうか……! そうか、良かった! これで船を守れる」

 

「あの。ちょっと良いですか」

 

「なんだい、気になったことなら答えられる範囲で言えるが」

 

「艦娘の方々の増援は望めないのですか? 自分みたいな深海棲艦に任せるとは……」

 

「あぁ。確かにそれは気になるよな……」

 

 寂しさを漂わせる力無い笑顔を見せながら、彼女は言う。

 

 

「下手をすればあと半日。早くても夜中まで救援は来ないと味方から返信があったんだ……こんな場所だから、文句は言えないがな……」

 

 

 一瞬ネ級は自分の耳を疑った。が、「この場所」を考えると当然かと考える。土地勘が狂ってなければ、確か陸からかなり離れた場所の筈だ。……もっとも、やはり気になるのはこんなおかしな場所へ船を航行させた船員だが。

 

 「引き受けます。まだ、体は動きますから」 立ち上がってそう言うと、隣の叢雲も立つ。

 

 「持っていって。」 そう言って彼女が差し出してきたのは、杖の代わりにしていた槍だった。

 

「これを、ですか」 

 

「さっき雪風から聞いた。あんた武器にほとんど弾が残ってないんだって? どうやって戦う気だったの?」

 

「それは……」

 

「補充するにしたって私たちも弾に余裕なんて無い。もしもの時に使いなさいよ。今の私には使えないからあげる。気休めにはなるでしょう? 丸腰になることは無くなるんだから」

 

 確かに、前まではいざ知らず、深海棲艦のフィジカルで無理をして接近戦に持ち込めないこともないのは最近の戦闘で経験している。ただの槍でも、素手よりかは使えるか。ネ級はありがたくそれを受け取った。

 

 触手に副砲をマウントするためのマジックテープに長柄を固定していると、日焼けの艦娘から更に渡されるものがある。一旦没収されていた瑞雲と武装、その操縦士の妖精らだ。

 

「返さなきゃいけない物がある。ほら。……あんた妖精とも仲が良いとはな」

 

「あぁ……ありがとうございます! みんなお疲れさま。大丈夫?」

 

「おかし貰えたのです!」「うまい棒!」「すにっかーず!」「びっくりまん!」

 

「な~に甘いもので釣られてんのさ。このこの!」

 

 良かった。妙に思われて変なことをされたわけではなさそうだ。触手の上に座って、貰った物を食べている彼ら彼女らの頬をつついて弄る。

 

「繰り返すが、何かがあったときは頼む。動けるのは私とそこの雪風ぐらいだ。たった二人じゃ船に気を割くほどの戦闘ができない」

 

「信用して頂けているんです。私でよければ、お力になれれば。」

 

 返却された武装以外の荷物は下で待つ北方棲姫に預けている。そのため手早く準備を済ませて海面に降りようとすると、いつの間にか、レ級と同じく子供たちに付き合っていたニ級も近くに来ていた。

 

 そのニ級が甲板から飛び降りたので、激しい水柱が起こってネ級は海水を被る。少し顔をしかめながら、縄ばしごを降りきったとき。船の上から子供の声がした。自分が絆創膏を貼った、あの男の子だった。

 

「おねーちゃーん! どこいくのー!」

 

「こわーいオバケを退治するのよ~。艦娘のお姉ちゃんの言うこと聞くんだよ~?」

 

「ちゃんと帰ってきてねー!!」

 

 この状況だというのに。気を使っているのか、それとも幼いゆえの天然なのか、元気な子だな。

 

 大声で叫ぶ彼に、その周囲で慌てる大人たちに笑いながら、ネ級は言った。

 

「じゃ、応援してヨ! お姉ちゃんはね、褒められて伸びるタイプだからさっ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 自分の出来る最大限の笑顔を浮かべて。ネ級は、船からこちらを見下ろしている子供たちにピースして見せた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 負傷して身動きが取れない艦娘らにかわり、偵察と護衛を任されて。およそ、5時間ほど経過した。

 

 ネ級の予想に反して、意外と敵の攻撃は穏やかな物だった。自分が首を突っ込んだ最初の猛攻はなんだったのか、と思えるほどで、数時間に片手で数える程度の駆逐艦がやって来る程度なのだ。警戒しつつも、少しずつ凝り固まった体の緊張を(ほぐ)す。

 

 自分と北方棲姫、おまけのニ級が任されたのは主に海面を駆け回っての遊撃と敵の撹乱だ。すぐ背後の船では療養中の艦娘らが援護のために、固定砲台として甲板に陣取っている。なお、怪我の度合いが予想よりも酷かったレ級もこの中に含まれる。

 

 武器は全て故障もなし。残弾は合計で120、+自分の体調に合わせると血を撃てるのは2~3回。残った瑞雲は5機。贅沢は言えないが、万全からは程遠いよな。妖精から教わった簡易整備を済ませながら、ネ級は武器から外していた装甲板を戻す。そんな折、妖精が呟いた。

 

「不気味な海なのです。敵は少なく、小粒な部隊ばかり。なにかありそうで……」

 

「な~に、どうにかなるよ。神社で御詣りも済ませたし」

 

「あの薄気味悪いヘビ神社なのです……?」

 

「薄気味悪いなんてバチ当たりな、白蛇って近くで見たら意外とめんこいんだぞ~?」

 

 おちゃらけた様子で返事をしたが。妖精たちの言うことも尤もだと考えていた彼女の内心は、正直、穏やかではなかった。

 

 嵐の前の静けさ、という具合だろうか。なにか、とてつもなく恐ろしいものがこちらに向かってゆっくりと近づいている。そう嫌な想像が脳裏に浮かぶのだ。一度考えてしまうと、それがこびりついて離れない。本気で笑おうとしても、乾いた声しか出せなかった。そんなネ級の様子に気付いたのか、北方棲姫も口を開く。

 

「なぁに、ネ級。自分の身が心配?」

 

「…………それもあります。でも一番はこの船の安全でしょうか……ここに南様が居ればまた違ったんでしょうけど」

 

「南方かぁ。あの人、喧嘩は強いけど打たれ弱いからなぁ」

 

 流石は自分よりも強い人だ。落ち着いてる。見習わないとな―― 等と考えつつ。1つ、ネ級は相手に質問した。

 

「北方棲姫様は良かったんですか。私なんかに付き合って。今のこれにしたって、別に付き合う義理なんて無いわけだし……」

 

「いーの。たまには変わったこともやってみたかったから」

 

「変わったこと」

 

「こーやって、一緒に小舟に乗ってお話ししているとね、姉さんを思い出すんだ。ネ級は優しいから、なおさら」

 

「お姉様ですか。そういえばあの港には居ないようでしたが」

 

「うん。ほんとうに最近だったんだけど、妹と一緒にお引っ越ししたの。どこか遠くだって」

 

「引き留めなかったんですか。仲は良好だと聞きましたが」

 

「ううん、駄々はこねなかった。前から、貴女はおねーちゃんでしょって言われてたから。それに、困ってる部下の人が居るから。って。いつか返ってくるって言ってたから、私待ってるの」

 

 ゴーグルをつけた目を細くして、彼女は屈託の無い笑顔を見せた。ほんの少しだけ、嫌な気分も晴れた気がした。

 

「そうですか……いつかきっと、皆さん会えるといいですね。」

 

「うん。それにね、ネ級の考えも面白いなって。陸の人に恩を押し売れば、仲良くなって撃たれなくなるかも、なんて変なの!」

 

 持っていたラチェットをカチカチ鳴らして遊びながら彼女は言う。

 

 変なこと、ね。みんなそう言ってくるよな。そう思っていると。付けっぱなしだった船の縄梯子からレ級が何かを抱えて降りてきた。

 

「どうしたのこんな時間に?」

 

『お夜食だそうです。バイキングで余ったパンで作ったサンドイッチだとか』

 

 言われてみればお腹も空いていたな。ネ級は彼女が持っていた物を1つ取った。しかしなかなかどうして、ここまでやってくれるだなんて、船の人々はこちら(深海棲艦)の理解がある人達だな、と思う。

 

「怪我は大丈夫なのレ級」

 

『右手が痛みますが、利き手は無事なので特に。引き金を引くぐらいなら』

 

「そっか……無理しないでね。みんな無事で帰ろう」

 

「…………」

 

 ネ級が差し出した小指に、レ級も乗って来て、二人は指切りをする。心なしか彼女の力が弱いのを感じて、右腕の怪我というのをそれとなくネ級は把握する。ついででその体に目をやれば、至るところが青あざだらけだ。相当無理をしていたのだろうと予想する。

 

 全員で北方棲姫の艤装に座り。つかの間の安らぎを堪能しているときだった。ネ級が貰ったものを食べ終わった辺りで、唐突にレ級は何かを書いて渡してきた。

 

「……………」

 

「ん? なに?」

 

 いいから覗いてみて、と言っているように見える。ネ級は紙に顔を向けた。

 

 

己を律せぬ者に 勝利はありません

 

 

「ぐっ……! ふふふっ……」

 

 わざわざ筆ペンを取り出して彼女が書いた便箋(びんせん)の、あまりにも達筆な字に、ネ級は意図せず噴き出してしまった。

 

 みんな、私に気を使ってくれてるのかな―― ネ級は考える。妖精たちは毎日自分を支えてくれる。叢雲は身を案じて武器を貸してくれたし、北方棲姫も世間話で気をそらすようにしてきた。レ級も、笑わせて緊張を解こうとしたんだろう。こう複数の他人に支えられているのを実感すると、無理にでも頑張ろうと思っちゃうよな……。彼女は心の中で呟き、自身を奮い立たせる。

 

『後ろで見てます。頑張ってくださいね』

 

「わかってる。船の人たちは頼むね」

 

「…………!」

 

 ネ級の言葉に、少しふざけながらレ級は敬礼の動作をして見せたそのとき。船、北方棲姫の装備、そして自分が持たされていた機器の警報が鳴った。

 

 北方が定期的に飛ばしていた猫艦船の1匹(一機?)が戻ってくる。口のような部分を開閉して何かの意思疏通(そつう)(はか)っているそれの様子を見て彼女は言う。

 

「猛獣が来たみたい。数はわからないけど、方向はあっち!」

 

「わかりました。レ級は戻って」

 

『了解』

 

 また軽い編成が相手だと良いんだけど。ネ級はバズーカ砲の口から弾を詰め、電子機器を起動させる。砲撃戦の用意ができた頃合いに、日焼けの艦娘から通信が入った。

 

『こちら武蔵、北東から近づく熱源がある。迎撃体制を整えてくれ』

 

 相手の言う通り。声の主から貰っていた携帯電話の画面には、方位磁針が表示されているが、NEと書いてある方角に赤い点が幾つか浮かんでいるのが確認できた。

 

 飛んでいる艦載機と情報を共有する端末に、こちらに近づく物のデータが送られてきた。が、それの情報に、ネ級と北方棲姫は怪訝な面持ちになる。

 

 どういうこと? 二人の声が重なる。接近しているのは全て深海棲艦の飛ばす一般的なエイ型の飛行体だった。ならば、近くに空母が来ているはずだが、そんな反応はどこにも無いのだ。艦娘をやっていたときにも見たことがないケースにネ級はたじろぐ。

 

「艦載機だけが飛んでる……攻撃するべきでしょうか」

 

『何?』

 

「敵を確認しました。空母の艦載機のみがこちらに向かっています。何か異様な雰囲気が漂っています」

 

『……そうだな。早めに全て撃墜しろ。こちらからも援護はする。オーバー』

 

「承知しました。オーバー。」

 

 場馴れしているのか、素早く端的に指示を出してきた武蔵に従い、ネ級は武器を構えた。

 

 出し惜しみをする気など最初から無い彼女は、なけなしの特殊砲弾を単発式のロケット砲に込めて撃つ。最初こそ、敵が船の上を飛んでいたため使えなかったが、味方への被害を考慮しなくて良いのなら戸惑う必要は無かった。

 

 持ってきていた最後の一発の燃料気化爆弾は、綺麗な弾道を描いて薄暗い夜の闇へと吸い込まれていく。数秒後、それは眩い閃光を放ち、炸裂した。

 

「敵反応は……無くなった。本当にアレだけか」

 

「一応飛行機は飛ばしておくね。心配だから」

 

「お願いします」

 

 念を入れた行動を提案した北方にネ級が返事をしたときだった。

 

 ブー! と端末からブザーが鳴る。驚いて彼女は体を震わせ、視線を機器に向ける。

 

 

 なんだ。この大きな反応は。表示されていた物を見て、全身の毛が逆立った気がした。

 

 

『熱源反応、最後のひと……つ……!?』

 

「………………!!!!」

 

『一体どこからコイツは……あり得ない、なんでこんな近くまで探知できなかったんだ!!』

 

 明らかに異常な大型の反応を検知したのは後ろも同じらしい。武蔵が動揺(どうよう)しているのは声でわかった。

 

 一体何がこちらに向かってきているんだ。焦る心を隠せず狼狽える一同のもとに、「それ」は姿を現した。

 

 何かの演出のつもりなのだろうか。激しい水飛沫を上げながら、一体の大型の深海棲艦が水中から()い出てくる

 

 

「たった数人の艦娘に()き乱されるか。雑魚は使えないな、本当に」

 

 

 どうして艦載機のみが独立して飛んでいたのか。その理由をネ級はすぐに理解することとなる。

 

「使えない、使えないなぁ。でも食べると美味しいのは誉めることかな」

 

 血の匂いが微かに鼻を掠めた気がした。夜目のなれている彼女には、眼前の深海棲艦の口許(くちもと)が香りの発生源であることはすぐにわかった。

 

「いや、しかも仲間割れする数匹ごときにやられるのも情けない話だな、お陰で私に皺寄(しわよ)せが来た」

 

 頭から小さな角が2本生えている。格好は黒の薄手のドレスのような物に、首から胸にかけて先端の(とが)った骨のようなものが突き出ている容姿をしている。ただ、一番に目を引くのは、彼女の後ろに控える、体を大砲で着飾った大きな怪物だろうか。

 

『高熱源反応を感知。識別開始。データ、有り。戦艦棲姫です』

 

 見ればわかる。ネ級は心中でそう溢す。そんなことよりも目を引く行動を、対象は取っていた。

 

 唐突に現れたその戦艦棲姫は、空母ヲ級の手と足に見えるナニカを。味わい深い料理でも堪能(たんのう)しているように、よく咀嚼(そしゃく)しながら喋っている。犠牲者が深海棲艦だというのは、その特徴的な頭部から予測した。

 

 激しい痛みに抵抗でもしたのだろうか。相手が手に持っていたヲ級の首は、絶望に歪んだ表情で事切れている。

 

 冗談じゃない。同族を殺して喰ったというのか?? 駄目だ、こんなのを船まで接近させては。一体乗客の人たちをどうする気なのか、予測がつかない―― 槍を握っていた手のひらが、汗で湿(しめ)る。

 

「どぉ? そこのアナタ。これ食べる? 美味しいよ?」

 

「……そんなもの私は食べませんよ」

 

 気さくに話し掛けてきた相手を、毅然(きぜん)とした態度を作って突っぱねた。

 

 覚悟、決めなきゃな。絶対に船に近寄らせるものか。

 

 腰を落とし、貰った槍を正眼に構える。触手の先端を敵に向けつつ、ネ級は大きく深呼吸をした。

 

 

 

 




※3/6 歌詞を使用した場合、音読が使えなくなるためタブタイトルを変更しました。


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21 夢中で格好付けてみたんです

現在のネ級の通り名……無法地帯の救急車


【挿絵表示】



 

 ネ級と北方棲姫はちょうど、船の前に立ち塞がって壁になるような位置取りをしていたが。実際は数秒も経過していなかったが、この戦艦棲姫と対峙(たいじ)して、どれほどの時間が経ったか……とネ級は思う。

 

 全身くまなく、ベタついた粘液に包まれたと錯覚するような。そんな不快な威圧感を、相対する敵は放っている。同時に、相手にしたことがない不気味さを出すこの女の行動に目が離せないと思うと、ネ級は槍を構えたまま下手に動けなくなってしまっていた。

 

 「つれないなぁ。」 先に沈黙を破ったのは、気の抜けた声を出した戦艦棲姫だ。

 

「嫌だな、せっかく美味しいもの食べるかって聞いただけでそんな。突っぱることは」

 

「……生憎(あいにく)、夜食は済ませたので」

 

「そういうことじゃぁナイ、人の好意は素直に受け取るものだ」

 

「ッ! 嫌な物をイヤと言って何が悪いってのさ」

 

 ゆっくりと摺り足で体を右に右にと動かす。意図としては、少しでも自分を船から離すための行動だった。

 

 絶対に、いつかこの空気が崩れて戦闘になる。いつだ。いつ「それ」が来る?

 

 敵が一人である補償なんてどこにも無いんだ―― そんな思いで、あらゆる方向へネ級が注意を向けていると。北方棲姫が予期せぬ行動を起こす。

 

「ヤだヤだ、フフフ、腹立たしい……力付くでも言うことを」

 

 そう、戦艦棲姫が言ったとき。

 

 音もなく飛行していた猫艦戦の1匹が相手に体当たりをしたように、ネ級からは見えた。そう思った時には、戦艦棲姫の左腕が丸ごと無くなっていた。ネ級は驚きながらすぐそばの北方に目を向ける。

 

 察するまでもなく。何か因縁でもあるのか、北方棲姫はネ級には見たことのない表情で怒りを露にしていた。

 

「ん? あぁ、腕が無くなったな」

 

「ずいぶん、余裕だね。ニセモノの量産品のクセに」

 

「あぁ、誰かと思ったら! 貴女、北方棲姫? 小さすぎて見えなかった。悪いね?」

 

 少しズレた返事を返しながら戦艦棲姫はおどけてみせる。腕が1本吹き飛ばされたというのに、痛みを感じていないのか? いつも話している南方棲姫やレ級なら絶対に見せないだろう様子に、ネ級は言い様のない不快感と寒気を感じたときだった。

 

 一度、彼女はまばたきをした。瞳に写った戦艦棲姫の腕が戻っている。

 

「!?」

 

 見間違いか? そんな馬鹿な…… ネ級が狼狽えていると。北方が吠える。

 

「ネ級構えて!!」

 

 咄嗟の判断が功を奏す。自分のできる限界の速度で、槍を眼前に構えて顔を守った。なんの前触れもなく突然やってきた激しい衝撃に、体が強張った。ネ級には感知できていなかったが、戦艦棲姫がこちらを撃ってきたのを北方は教えてくれたのだ。

 

 なし崩し的に戦闘が始まる。ただちにネ級は艤装を駆動させて己の身を船から遠ざける方向へと動かした。触手に固定していた副砲と機銃を撃ちつつ、彼女は槍を片手持ちに、空いた手にショットガンを握る。

 

「はははは! 嫌だな、痛い!」

 

「そういう風には、見えないよ!」

 

「人を見た目で判断するのか?」

 

「知らないよっ!」

 

 およそ状況にそぐわない態度が腹立たしいな。そんなように考えながら、爆発の煙で見えない場所からの声とネ級が会話している時だった。背中側から1匹、猫艦戦が飛んできて自分の肩の辺りで静止する。

 

 何だろうかと思ったとき。再度見ればスピーカーが搭載されていたそれから、北方棲姫の声が出力された。

 

『ネ級、無理して話合わせることなんて無いよ。どうせ通じないんだから』

 

「と、申されますと」

 

『南方は2番目って言ってたよね。こいつ、それだから。あらかじめ組まれたロジックで動いてるだけ。思考回路なんて無いに等しい。違ったとしても、作った奴の言いなりなだけなんだ。応対を返すだけで、会話なんて無駄だからね』

 

「姫級の2番目……中枢棲姫さまを攻撃した例の」

 

『その通り。遠慮なんていらない、人の姿をしただけの人形だよ、ありったけの攻撃を撃ち込んで!!』

 

「わかりました!」

 

 短い会話が終わる頃合いで爆風が晴れて、戦艦棲姫の姿がまた(あらわ)になる。煙が晴れた場所には、傷1つない女がにこにこと気持ちの悪い笑顔を浮かべて立っていた。

 

 あれだけ撃ち込んで無傷に近い。長くなることも考えないと…… ネ級が持久戦を想定していると、女が口を開く。

 

「性格が悪いな! いきなり撃ってきてひどいものだ、痛くて死にそうだ!」

 

 とてもそうには見えないけどね。 内心でネ級は、こんな状況でもなければ、気さくな人物に見えなくもない表情の相手に毒を吐いた。

 

 口と服を同族の血で濡らし、片腕が千切れても身動(みじろ)ぎひとつしない。そんな人物が「痛い」なんて言ったところで説得力などない。十中八九――人の心なんてまるで無い、アレは自分が艦娘の時に相手をしていたようなのと、本質は変わらないんだろうな。対象へと考えを煮詰めるほど、ネ級の表情は険しくなる。

 

 こちらとしても好都合だ。見も心もバケモノと解れば、罪悪感なんて無いもんネ。

 

 行動方針は固まった―― そう思い、ネ級は徹底的に攻めることを決めた。手始めに、彼女は槍の柄で銃身を支えながら、狙いを澄ましてショットガンの引き金を引く。

 

「……!」

 

「あっ」

 

 相手は避けようとしなかった。

 

 この角度と距離なら直撃が狙える そう思ったが、ネ級の憶測は外れる。

 

 何か、見えない壁のようなモノに放った散弾が全て弾かれた。パラパラと雨垂れみたいな音を連れ添って、超合金製の弾丸は海面へと没する。

 

「!」

 

「なんだ? もういいのか? ならば反撃だァ!!」

 

 来る――! 攻撃が来ることを丁寧にわざわざ教えた相手に対して、ネ級も行動を起こす。彼女は両手を交差させて体の前に持ってくると、そこから上半身全体を触手で包み込むようにして身を守る姿勢を作った。

 

 先程いなした時とは比較にならない。間違いなく、人生で一番と言える激しい衝撃に体を揺すぶられる。歯を食い縛って無理矢理意識を留めたが、同時に後悔した。回避を捨てて耐えるのは間違いなくミスだったな――激しく半身を揺すぶられた気持ち悪さから、胸元より上がってくる胃液を飲み込み、そう思う。

 

「へぇ!? 頭良いな! 脳みそのいっぱい詰まった戦い方ァ!!」

 

「っ!」

 

 触手で身を包んだまま、ネ級は中枢の砲で反撃する。体制のせいで前は見えないが、前方から響く女の笑い声がたまらなく不快だった。

 

 称賛しているのか、それとも煽りなのか。大きな声でのたまう敵は、矢鱈滅多らと乱射を始める。照準も録に定めず放たれる砲弾はネ級の体を掠める事もあれば、全く違う方に落ちる事もある。太い水柱や火薬の爆発を切り払いつつ、慌ててネ級は船との位置を見て距離を取る。

 

 非常にやりづらい。この強敵にそう思っていた。

 

 砲戦の基本が全く当てはまらない。敵の狙いが当てずっぽうすぎて予測が出来ない。回避した方が当たるような物が来たかと思えば、間髪入れずにこちらに狙い済ましたかのようなスナイプを見せてくる―― 滅茶苦茶な戦艦棲姫の動きに、ネ級は完全にペースを崩されてしまっていた。

 

 これではいけない。そう思っていたのは、ネ級だけではなかった。北方棲姫は艦載機を放つ。更に、ネ級の触手に取りついていた妖精らが、独断で瑞雲による出撃を敢行した。

 

「!」

 

「ひゃっほぅ、なのです!」「ものどもすすめー!」「てきかん、かくらん!!」

 

 北方が展開する艦載機を増やし、そこへたったの5機とはいえ加勢が入ったためか、ネ級に向けられていた弾幕が、にわかに薄くなった。

 

 短いながらもターンは回ってきた。そう思い、急いでネ級は火力を集中させて撃ってみることにする。

 

 しかし、やはり攻撃は届かなかった。主砲と両用砲を合わせてみたが、見えない壁に阻まれる。

 

「また弾かれた……? 攻撃が通らない?」

 

『ネ級、側面を狙って! そこが弱点のはず!』

 

「! 了解!」

 

 どこを狙うべきだ。思案に更ける前に、北方から無線が飛ぶ。指示を頼りに、彼女は敵の体の横を目指す。すぐに行動に移り、ネ級は艦載機を構いはじめて隙をさらした戦艦棲姫を撃った。

 

「横から……ここか! うぅりゃぁぁ!!」

 

 自分よりも深海棲艦に詳しいだろう北方の言うことは正しいに違いない。――指示について、彼女はそう思っていたのだが、北方の助言は間違っていたのか。尚も、完全に側面を捉えて放ったはずの攻撃が弾かれた。

 

「!?」

 

『うそ……』

 

「ふふっ、なんだ? 歓迎会の花火か?」

 

 ちょっかいをかけたことで、また敵の標的が自分に来る事を認識する。急いでネ級は武器に弾を込め直し、ジグザグに左右に体を振りながら後退する。何が楽しいのか、戦艦棲姫は背後の怪物と一緒にそれを追い掛け、見た目からは想像もつかないような機敏な動きを見せる。

 

 一体なんだろうかアレは? 艦娘のような艤装の防御? それとも別種の技術? 何にせよ正体がわからねば、掠り傷すら負わせれないらしい。面倒くさいったらありゃしないな。

 

 考え事混じりにリロードにショットガンを回し、引き金を引いた。弾が無くなったそれから散弾が発射されず舌打ちする、そんなとき。無線が入る。

 

『すぐに射線を空けろ! 狙い撃ちにする!』

 

「!」

 

 味方の艦娘からの声だった。弾切れの散弾銃を戦艦棲姫に投げつけ、ネ級は滑り込むような動きで、船上の味方の砲撃が通る場所を予想し横に()れる、そのときだった。

 

 敵に向けて注がれる猛烈な攻めの中で。複数発の砲弾が、戦艦棲姫の防御を突破するのが見えた。

 

 錯覚ではない、確かに、2、3発と少なくとも、弾があの透明な壁をすり抜けている。どういうことだろうか? 全神経を集中し、観察する。

 

「ッ、痛いな、変なところからバシバシと」

 

「………………」

 

 どういうことだ? 「どこ」を狙ったら攻撃は届く? 少し顔を動かして離れた場所にいた北方を見ると、彼女も似たような事を考えていたのか、怪訝な面持ちになっていた。

 

 必死に考えつつも手を止めない。縦横無尽に海を駆け回り、ネ級は敵の船への注意を逸らして自分の身へ向けつつ撃ちまくる。

 

 ネ級が必死に敵を船から遠い場所へと誘導した効果は、少しずつだが出始めていた。爆風による自爆を警戒しないで済むようになったため、艦娘達の援護射撃の頻度と間隔が上がる。

 

「…………。」

 

 先程までのこちらを煽るような表情が、戦艦棲姫の顔から消えた気がした。根拠として、いつのまにか、相手は喋らなくなっている。

 

「焦っちゃダメよ……ゆっくり、ゆっくり……」

 

 どんなバケモノだろうと、相手だって所詮は生き物だ。いつか必ずバテる。戦いようはある。今、自分が何をできるか、ネ級は方策を考えながら、多対一のこの状況で武器の引き金を引き続ける。

 

 時折、後方の船から放たれる支援をヒントとして見極める。多くは謎の障壁に阻まれても、横からや、曲射弾道で真上から降り注ぐ攻撃に対しては、戦艦棲姫は防御できずに体で受け止めている。

 

 攻勢を緩めて敵の分析に努めていたときだった。突然、足元から大きな水飛沫が上がり、ネ級の視界が遮られた。

 

「な……!?」

 

「はははぁ! よそ見ぃ!?」

 

 正体は1匹の駆逐イ級だった。飛び掛かってきたそれを、すぐに撃ち落とした……が、後ろに控えていた戦艦棲姫は、援護に来たに違いない味方ごとネ級を撃った。

 

 反射的な行動で無理な体勢を取っていたネ級は、まともに攻撃を受けてしまい大きく体勢を崩した。基地外染みた笑みを顔面に貼り付け、女は背後の怪物を指揮して追撃に砲を放つ。

 

「ぐぅっ、つぅ!?」

 

 正面から相対していれば何とか防げたかもしれない。しかし位置取りが最悪だった。

 

 強引に身を起こす。すると、ちょうどネ級の右側、死角から撃たれ、彼女は新調したばかりの顔の仮面を割られる。

 

 そしてもう1つ。直海から受け取った髪留めが吹き飛ばされて飛んでいく。

 

「!」

 

 こいつよくもッ! 少しでも暇があればそう叫んだか。が、ネ級が口を開く時間すらなく、追撃が来る。 

 

「どうした? 右が見えていないのか」

 

 考える暇がないッ――!

 

 顔を撃たれた反動で上体が仰け反る。その姿勢と反動を利用して後転すると、ネ級は牽制に副砲をばら蒔く。が、なおも攻撃は弾き返され、おまけに今の一撃で自分の弱点を把握されたか、戦艦棲姫は他にも沸いているらしいイ級をけしかけつつ、執拗に右方向に陣取って砲撃を続ける。

 

「ぅぅッ! このっ……」

 

「あはははっ! いつまで持つかな?」

 

 こいつ、調子にのって!! ネ級は、4匹目のイ級が突撃してきた時を見計らった。砲撃でいなすのをやめ、その身を槍で貫いて勢いを殺す。そしてそのイ級を盾にしながら、連装砲で反撃をした。

 

「そんなに右が好きなら、見舞ってやる!!」

 

 その時、ネ級にとっては不思議に思えることが起きた。

 

 破れかぶれに放った攻撃が、戦艦棲姫に直撃したのだ。

 

「…………?」

 

 初めて攻撃が貫通した。いったいなぜ? 側面から狙った訳じゃないのに……?

 

「ちっ……味な真似を」

 

『ネ級、気を抜かないで!』

 

「!!」

 

 北方の声で考え事を重視しかけた思考のリソースを戦闘へと割き直し、考える。

 

 そして1つ。彼女の中で「仮説」が生まれた。

 

 この敵、相手の体から見て右側が無防備なのか……? そんなに考えごとを混じりに再度敵を見ると。今しがた攻撃を当てた場所、右の腹部の辺りの傷がまだ塞がっていないのが確認できる。

 

 体の右側と左で治るスピードが違うのか?―――― そう思ったときだった。

 

「!?」

 

 対空砲の弾丸・連装砲の砲弾が、武器から出てこなかった。代わりに、ガチャガチャと機械が中で作動する音だけが耳につく。

 

 最悪だ。ネ級はそう思った。全ての弾が尽きたのだ。

 

 体に蓄積した疲労から、ネ級は周囲への注意を怠ってしまう。彼女は足元から突き出ていた小さな岩に気づかず、蹴躓いて転倒する。

 

「しまっ――」

 

『何やってるです鈴谷しゃん!!』

 

 頭の中が真っ白になる。妖精からの叫びが耳に入らない。

 

 防御が間に合わない。死ぬ――

 

 生理的な反応か。ネ級は一呼吸も暇がないこの最中、目をつぶってしまった。しかし、体を消し飛ばすような一撃に悶えることはなかった。

 

 ゆっくりと瞳の焦点を先程まで戦艦棲姫の居た方向に合わせる。

 

「ここは、通さない」

 

「ッ!」

 

 船で援護に徹していた筈の艦娘。恐らくは助けた部隊の旗艦、武蔵が自分の体を盾にして立ち塞がっていた。

 

「武蔵さんっ!!」

 

「ふふふ……しっかりしろよ……疲れてるのはみんな同じだ…………」

 

「何してるんですか!? 私なんてほっといて援護を……」

 

「何。ちょっとした伝言があってね」

 

 ネ級にとどめをさせなかったことが不服なのか。二人の会話に、戦艦棲姫は不機嫌そうな顔と声で割って入る。

 

「おまえ、頑丈な体だな。そこは誉める。にしても随分と調子良さそうだ……傷口から星空が見えるが」

 

「誰が……死にそうだって……?」

 

 まともに受けた砲撃で割れた眼鏡の位置を、指でかけ直す素振りをしながら。武蔵は、手元で何かの機械を操作する。彼女が背負っていた、傷だらけの大型の戦艦の艤装が動作を始めた。

 

 ネ級の知り得る中では最大の威力を持つ主砲が火を噴く。空気が震え、耳が聞こえなくなるほどの音を連れ添って、大径の砲弾が戦艦棲姫目掛けて飛んでいった。

 

 わざわざこちらに防御に入った意図はわからない。だけど、この至近距離でこの口径の武装を真正面から受けたんだ。まさか弾かれるわけが、等とネ級は思った。が、そのまさかが的中する。煙が晴れた場所に立つのは、暗いせいではっきりとは表情が読めないが、無傷に近い状態で額に青筋を浮かべて怒りを露にしている戦艦棲姫だ。

 

「ふざけているのか? 効かないんだよ何度やってもな」

 

「ふふふ……そのわりには冷や汗かいてやがる」

 

「なんで余裕だ? その傷だ、化膿(かのう)でもすればすぐに死ぬ」

 

「最近、寒かったからな……暖を取りたかったんだ……ありがとう…………」

 

「!! ぬるいだと、そう言いたいのか? そうか、望み通りに暖めてやる」

 

 何が目的か、満身創痍でなおも立って相手を煽る武蔵の背後で。血だらけの腕を強く縛って無理矢理血の流れをせき止めると、ネ級はその包帯で、握る力の無くなった右手と槍をしっかりと結んで離れないように固定する。

 

「すぐに楽になる。動くな」

 

 早くこの人を連れて回避を。ネ級がそう思ったとき、武蔵は呻き声を漏らしながら片膝をついて動かなくなってしまう。

 

「!? 武蔵さん早く回避を!!」

 

「いや、そんなことはどうでもいい……後を…………頼む……」

 

 立て膝の体勢から力無く倒れかかってくる武蔵をネ級は支える。視線を前に戻せば、戦艦棲姫の砲の口は真っ赤に輝き、すぐにでも発射が始まるような雰囲気を出している。

 

「良いから早く逃げないと! このままじゃ……!!」

 

「まぁ焦るなよ……もっと引き付けるんだ、こいつの注意を……」

 

 ……??? 一体なんだ、この人は何を言っている?? それに無理だ、この疲れた体で人を一人支えて避ける時間が…… そこまでネ級が考えたとき。

 

 突然、戦艦棲姫の足元の水中から一発の砲弾が水飛沫を上げて「湧いて」きた。予想外の事態に、女の砲撃の射線が大きくブレる。

 

「何だとォ!?」

 

 ネ級、北方、妖精、そして敵の戦艦棲姫も何が起こったのか理解できなかった。そこへ、脱力したまま武蔵は吠える。

 

「今だ、行けぇぇェ!!」

 

 何者かが戦艦棲姫の胸元へと躍り出た。

 

 武蔵の叫びに呼応するように勢いよく海から飛び出したのは、ネ級には、援護に徹すると言っていた筈のレ級だった。

 

 敵にそんなに近付いて何をする気だ ネ級と北方が同じことを思ったとき。彼女は意外な隠し弾を披露する。

 

 レ級は自分の尻尾に両手を突っ込み、何かを取り出す――それは、1本の刀だった。

 

 刀身を引き抜き、鞘を相手に投げ付ける。そのまま反撃する暇を与えず、彼女は飛び上がっていた体勢から逆袈裟斬りを戦艦棲姫に叩き付けた。

 

「ッ―――――!!」

 

「があぁっあっ!? おまえぇぇ!!」

 

 非常に鮮やかに。レ級は女の右腕から左肩にかけて、戦艦棲姫の体に深々と傷を負わせた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 会心の一撃が入り、戦艦棲姫の右腕が飛ぶ一部始終を見ていたネ級は、思わず呆けてしまった。普段から穏やかな様子を見せるレ級が、ここまでの賭けの攻勢に出るとは思わなかったからだ。

 

 この緊迫した状況でそんな風でいると。彼女は側にいた武蔵から軽く肩を叩かれる。そして先程言っていた「伝言」と作戦を預かる。

 

「?」

 

「栄養剤だ。無いよりマシだろ、それ飲んで元気出せ。ほら、レ級がガンバってるうちに早く」

 

「あ、ありがとう……」

 

「飲みながらでも良いから聞け。いいかネ級……あのレ級と2体1の図式を作るんだ。絶対にタイマンなんて考えるな、質でこちらが劣るぶん、数を揃えるんだ……片方が動けないぐらいケガしても諦めるな」

 

 受け取った物の薬効が身に染みる。気のせいだったかもしれないが、ドリンクと助言の効果は確かにネ級の活力になった。

 

 武蔵は続ける。

 

「あれだけの図体のヤツが、あの激しい動きだ、必ずもうじきガタが来る。見つけた弱点を突き続けろ、絶対に勝てる……そっちの邪魔にならないように、他の敵の露払いは私と仲間がやる」

 

「そのお怪我で、ですか」

 

「私は戦艦だ。駆逐艦のちょっとやそっと、今の自分でも何とかなるさ」

 

 『私もいるからね! ちょっかいなんてかけさせるもんか』 会話の最中に、北方の声が割って入ってきた。

 

「と、そういえばこっちにもお姫さまが居たな。残念なことに、私の装備は完全に砲戦特化で近距離戦なんて参加できそうもないし、弾ももうほとんどないんだ。こんな手伝いしかできなくて悪いな……さっきも言ったが、元気なのはお前さんだけだ」

 

 話しかけてきた時とは違い、少し強めの力でネ級の背中を叩き。武蔵は言う。

 

「さ、行けよ。そして生き残るんだ。そうすれば、まぁ、アンタにいい弁護士を付けるよ……支援は任せろ。魚一匹そっちには行かせない」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 話をしている間にも二人は移動を続けているらしいな、とネ級は思う。ほんの少しで、レ級は戦艦棲姫を船から更に離れた沖へと追いやっていた。

 

 早く合流しないと。いくら不意打ちが決まったって、あの人(レ級)は怪我をしている。長くは持たない…… 全速力で海を駆ける。ほどなくして、激しく金属音を響かせて超接近戦を展開する二者が視界に入る。

 

 が、安心はできなかった。ネ級は、少し来るのが遅かった。

 

 「のろい動きでよくも……」槍を構えて近付くネ級の耳に、戦艦棲姫の声が届く。

 

 レ級と合流に成功した瞬間だった。力任せな敵の圧に押されていた彼女は、戦艦棲姫に得物を素手で砕かれた。

 

「!?」

 

「不意を突くだけの能無しが……!」

 

 粉々に刀身を粉砕された得物を、気前よくすぐに捨てる。レ級は戸手格闘に持ち込もうとした。しかし身体能力に部がある敵に先手をとられ、彼女はそのまま船とは反対方向へと蹴り飛ばされて海面を転がっていった。

 

「墜ちろォォ!!」

 

「ッぁ………………!?」

 

「はははは! ボロ雑巾みたいに転がってった!」

 

 一連の流れを見てネ級の頭は怒りの感情1色に染まった。が、吹き飛んだ友人を、気遣って助けにいくようなことを。あえてネ級はしなかった。

 

 彼女が死に物狂いで作った、「負けることで相手を調子づかせる」という行為を無駄にしないためだ。

 

 ほんのコンマ数秒、ネ級の姿を確認した時から、唐突にレ級の動きが鈍ったのを彼女は見逃さなかった。全速力でネ級は女の背後に回り込む。

 

「ははは、ザコの分際で調子に」

 

「うぅりゃああぁぁぁぁぁ!!」

 

 笑えるほどの無防備を晒した敵に飛びかかる。ネ級は敵の従える大きな怪物の背中から槍を突き刺して貫通させると、尚も物を押し込んで女の背中を斬った。

 

[―――――――――――――!!]

 

「お゛ぉ゛ぁぁぁァ!?」

 

「もう、一丁!!」

 

 ほんのちょっぴりだが全力を出せるまで回復した体力で、怪物の背中を足蹴にして槍を引き抜く。そこからネ級は、血を吹き出して倒れる怪物の肩まで登ると、そこから飛び降りて海面に降りるまでの合間に、触手から取り出した魚雷・爆雷をありったけ撒いたあと、妖精に指示を出した。

 

「今!! 着火ぁ!!」

 

『『『あいさぁー!』』』

 

 このタイミングを見計らっていたとばかりに生き残りのパイロットが戦艦棲姫の元へと殺到する。自由落下する標的に機銃を撃ち込み、誘爆させるという神業を、妖精たちは涼しい顔で成し遂げた。

 

 猛烈な炎の中に消えた敵に。ネ級は口笛を吹いて妖精たちに感謝をのべる。

 

「一丁、上がりぃ! ほーう、よく燃えてるじゃん♪ みんなありがと!」

 

『背中に回り込んだときから鈴谷さんのやることは読めたのです。動きが単調なのです』

 

「ふふーんわかってないな。それも策のう…ち……」

 

 海面に広がっていた火が少し弱まった時だった。何かを感じたネ級は、その場から()退()さり、火の手が上がる場所から距離を取る。

 

 彼女の勘は当たった。まだ健在だった戦艦棲姫は、連れの怪物ともどもボロボロになりながら攻撃を仕掛けてきた。手前に着弾した弾が上げた飛沫に目を細めながら、ネ級は槍を構える。

 

 「なんて頑丈なの……」 口からそんなようなことが漏れる。が、しかし、よくみれば元気なのは戦艦棲姫本体のみだった。後ろの怪物は、口の中で火薬を炸裂させられたダメージからか、頭部を焼失して倒れている。

 

「こ ろ し て や る」

 

 目に見えない動きで相手は飛び掛かってきた。

 

「!?」

 

 経験と勘、そして深海棲艦特有の身体能力が鈴谷を助けた。反射で振った槍で女の腕を弾き、難を逃れる。

 

 しかし息つく間もなく、どうにか視認出来るか、というような異常な速度で敵は殴りかかってくる。

 

「私の顔に、顔に……よくもォ……ゴミクズの分際で……」

 

「………………!」

 

「よくも傷なんぞ負わせてェ!」

 

 着々と筋肉が悲鳴を上げ始める頃合いだったが。このときのネ級の心は、自分でも以外に思うほど、雑念が抜けてリラックスしているような状態になっていた。

 

 『己を律せぬ者に 勝利はない』 いい言葉だよ。レ級……。戦闘が始まる数分前に彼女から受け取った書き置きを思い出す。言葉を心中で輪唱すれば、熱を帯びていた思考回路が冷めてクリアになる。

 

 冷静に相手の動きを見極めろ。北方とレ級が死に物狂いで探し当て、自分も行動から得た情報を無駄にはできない。奴は自分と同じ。体の右側に爆弾があるらしい。執拗にそちらを攻めれば、絶対に隙を見せて打開策も出来るはずだ―― 武蔵の言ったそんな一縷(いちる)の望みに全てを賭けて、ネ級は槍を握る手の力を強める。

 

 突破口は……右だ!!

 

「うぅりゃぁぁぁぁぁ!!」

 

「!?」

 

 最初の一撃こそ、見切れなかった相手の動きも。回数を重ねて「慣れ」たネ級は、相手の防御の隙を突いて攻勢に出る。両手でしっかりと握りしめた槍の穂先を、寸分の狂いもない精度で敵の右の眼球に深々と突き刺した。

 

「がああァァァッ!? 貴様っ、お前ぇッ、格下の分際でぇぇぇェェェ!!」

 

 顔の、それも脆い部分に直撃した攻撃に、女は傷口を押さえて滅茶苦茶に暴れ始める。ネ級は握っていた槍を相手に掴まれ、その馬鹿力でもって、体ごと投げ飛ばされた。

 

「踊り食いの予定はやめだ、血祭りにする」

 

 面倒な目の前の敵は後回しに、まずは身動きのとれない大きな的から減らすという算段か。戦艦棲姫はネ級から注意を外し、後ろで伸びていた怪物の武装を剥ぎ取り、照準を遠くの船へと向けた。

 

「皆殺しだァァァ!!」

 

「止まれェ!!」

 

 勿論、それをさせるネ級ではなかった。ブーツの爪先を戦艦棲姫の首に突き刺して思いきり蹴り上げる。

 

 「お゛ぼぁ!」 血が喉に詰まり妙な声を出した女の撃った弾は夜空の星に向かって飛んでいく。しかし、尚も女は諦めず、上を向いたまま再度船へと砲を向ける。

 

「死ねぇ!!」

 

「まだまだァ!」

 

 照準を向けようとした相手の腕を掴み、ネ級は強引に射線を自分の肩に移す。撃ち抜かれた体から、叩き割られた水風船のように血が噴き出した。

 

「がっぁ……!」

 

「ひゃああぁぁぁ!!」

 

 最早戦いは無茶苦茶な方向へと進んでいた。弾がなくなり、両者はお互いに腕を振り回して殴り合うような状態にもつれ込む。

 

 ネ級は真っ赤に染まった腕を、体ごと振ることで得物を敵に降り下ろして叩きつける。が、それは戦艦棲姫の左腕に弾かれ、大きく体勢を崩した。

 

「ははっハァ!」

 

 汗と血でぐちゃぐちゃの顔を狂気に染め上げて、女はネ級の顔目掛けて殴りかかってきた。

 

「その顔に風穴空けてやらァ!!」

 

 考えるな。体を動かせ―― ネ級は寸での所で回避に成功する。避けられることなどこれっぽっちも予測していなかった相手はというと、思わず狼狽してしまい、大きな隙を見せることとなる。

 

「かわ……しただと……!?」

 

「!!」

 

 反撃の時間が回ってきたことを見逃す鈴谷ではなかった。

 

 弾かれて、武器を大きく振り上げたような構えになったことを咄嗟に利用する。ネ級は緩んでいた包帯を解き、槍を握っていた掌の力を抜いた。重力に引かれて落下するそれを、背中に回した左手で後ろ手に掴む。そこから横凪ぎに戦艦棲姫の胴を切りつけて、傷口にかかとを向けて蹴飛ばした。

 

「あああぁぁォォぁ!?」

 

 左手に槍を持ち直す。極度の疲労と出血が原因なのか、ちかちかと視界が点滅を繰り返すのを気にせず、ネ級はふらつきながら敵に向けて走る。すると、一人の妖精が肩に取り付き、叫び声をあげた。

 

「無茶なのです! 貴女が先に死んじゃうのです!!」

 

「まだ……だ……!」

 

「鈴谷さん!!」

 

 大きく振りかぶった槍の穂先を、戦艦棲姫の頭に叩き付けた。

 

 これで終わりだ―― そう思った彼女は、物を握っていた力を抜く。

 

「やっ……!」

 

 しかし。鈴谷の最後の力を振り絞った攻撃の効果は、敵を打ち倒す程ではないようだった。

 

 戦艦棲姫は、まだ健在だった。予期せぬ反撃にネ級の動きが止まる。

 

「何を「やった」んだ? えぇ?」

 

 これだけやっても……まだ無理なのか……? 朦朧とする意識の中で、彼女はそう思った。

 

 体の半分を吹き飛ばされて、まだ再生中の戦艦棲姫は。自分の左手の指を5本、物を掴むような形にしてネ級に服の上から突き刺し、彼女の体を持ち上げる。

 

「がっ…ごはッ…」

 

 不意打ちと疲労が重なって急激に全身の力が抜ける。結果、全体重が患部に集中し、突き刺さる女の指は内蔵まで達した。

 

 怒りで目を血走らせたまま、戦艦棲姫は刺した指を時計回りに回して肉を抉った。体感したことがない激痛と不快感、それに、溜まりに溜まったダメージと疲労が遂に限界を迎えて爆発する。ネ級は血の混じった胃液を吐き、とうとう手のひらの力を抜いてしまった。

 

「ゲホッ…ごッ………」

 

「どうした? 喋ることも出来ないか、えぇ? おい?」

 

 勝ち誇った顔で戦艦棲姫はネ級の首を掴み体を持ち上げる。そこへ、沸いていた駆逐艦を殲滅し終えた武蔵、北方、傷の応急処置を自力で終えたレ級が到着する。

 

「ネ級!」

 

「ははッ! ばーか、味方を盾にされて手も出ないか!? カスもカスばかり、ザコの集まり――――」

 

 砲を向ける武蔵へ、戦艦棲姫はネ級の体を向ける。

 

「ッ!」

 

「お前……」

 

 反論できる者は居なかった。みな、相手の言う通り、ネ級を盾にされて敵に打つ手が無くなる。

 

「なめてかかったのは悪かったな、それは私のミスだ、今度から気を付けるとしよう」

 

「ぅ……ぅ…………」

 

「よく頑張るなネ級、誉めてやる。感謝の印にお前を真っ先に殺すことにした」

 

 戦艦棲姫は、治った右手に大口径砲を構え、ネ級の顔に当てる。

 

 

 せっかく、みんなが頑張って傷を負わせたのに。自分はダメなやつだ。こんなところで真っ先に死んで―― 段々と平衡感覚も失い、痛みすら感じなくなりつつあるネ級は、こちらを見ている武蔵やレ級たちにそう思った。

 

 

 

 

 

 天はまだネ級を見捨てることは無かった。

 

 どこか、離れた場所から赤い光を放つ砲弾が飛んでくる。それは戦艦棲姫の透明なバリアを潜り抜け、両腕をもぎ取るように肩部を側面から貫通した。

 

「え……?」

 

 また、何が起きたかが戦艦棲姫にはわからなかった。彼女は猛烈な吐き気と痛みに襲われ、更に運動エネルギーに体を持っていかれて、ネ級を放って海面に転がる。

 

 ネ級の知っている声が、海上に響いた。少し低い、落ち着いた女の声だ。それを聞いて、北方とレ級が表情を変える。

 

「少し遅れた。許さないなんて言わせないわよ」

 

 ネ級は、絶対にここには来ない。そう思っていた南方棲鬼だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……ぁ…み…………き……………ね………………」

 

「あんまり喋るな。そんな怪我じゃ内蔵がはみ出るぞ」

 

「……ぁ………と……………」

 

「口を開くなといったでしょ。わかってる、それぐらい」

 

 傷口の血の流れを止めるため、ネ級を、なれない手付きで南方棲鬼が包帯を巻いていくとき。彼女に向けて、同じく全身が傷だらけで血に濡れていた武蔵が口を開いた。

 

「………あ」「喋る必要がない」

 

 が、すぐに南方からそれを止めるように指示される。

 

「大事なのは、私がこの状況を把握すること……お前はこいつとレ級の味方、アイツは敵。だから私はあの戦艦棲姫を殺しに来た。以上」

 

 血濡れのネ級を、鍵爪状の手でそっと寝かせて、南方棲鬼は戦艦棲姫の方を向く。いきなり現れ、そしてネ級達と同じく、艦娘側に加勢してくれる南方に疑問を持ちつつも、武蔵は言われた通りに口を閉じた。

 

 傷の再生は始まっていたが、呼吸の乱れている戦艦棲姫に、眉間に(しわ)を寄せながら南方は呟いた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

「お前か、私の世話係に傷を付けたのは。借りは高くつくけど」

 

「ふふ、はは! 誰が来たかと思えば南方棲鬼じゃないか! 知ってるぞ、人一人殺せない臆病者じゃないか!」

 

 早くも再生の終わった左腕で指を指しながら戦艦棲姫は続ける。

 

「おまけに背中を撃たれて傷を負ったんだよなぁ……聞いて呆れる、鬼なんて呼ばれてるのに弱い奴だってな!」

 

「ふふふふ…………」

 

「……? 何を笑って」

 

 煽りを続ける戦艦棲姫の所へ、南方棲姫は走り始めた。

 

「! 無駄なんだよ、撃ち抜いて殺してやる!」

 

 戦艦棲姫は両手で武器を構え、狙いを定めて引き金を引いた。しかし、南方棲姫は涼しい顔で回避すると、段々と走る速度を上げていく。

 

「避けたか、でもそんなまぐれで……」

 

「…………」

 

 続けて女は攻撃をする。だが1発も南方を捉えることは無かった。

 

「こんなっ」

 

 距離を取ろう―― 戦艦棲姫がそう思って行動するには遅すぎた。

 

「捕 ま え た」

 

 両手をしっかりと握られて、戦艦棲姫は逃げ道を塞がれる。そして南方棲姫は、掴んだ相手の腕を力任せに握り潰した。

 

「あぁぉあ!?」

 

「なんだ、この程度なのか。姫級が聞いて呆れる」

 

 青色の肉片をその辺りに撒き、南方棲鬼は武装の照準を至近距離の敵に向ける。

 

「お前みたいな偽物じゃ無理だ。私の砲撃は本物よ?」

 

「や、やめっ」

 

アデュー♪(さようなら)

 

 周囲が眩い赤い光に包まれる。

 

 合計20程の砲口から放たれた弾が全身に殺到するエネルギーにより。消し炭すら残らず、戦艦棲姫は蒸発したのだった。

 

 

 

 

 

 




次話から新章です


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3 純白のビジランテ
22 傷つき倒れた先で


応援してくださった読者様の作品、新タナ私ハ防空棲姫とのコラボぞ(唐突) モリモリ宣伝も入れていくゾ

話を進めるためにかなり巻いてます。ちょっとダイジェスト感がががが()

【挿絵表示】



 

 

 酷く、景色に霧がかかったようで、思考も(まと)まらないな。そんなふうに、ネ級は考える。

 

 今現在、彼女は戦艦棲姫と戦ったことすら忘れ。どこか、観たことのない場所に(たたず)んでいた。

 

 繰り返すが、周囲は霧がかかって遠くまでは見えない。足元は陽光に照らされて金色の砂利が敷き詰められ、すぐ近くには水の流れる音がする。川が有るのだろうか。等とネ級は思う。

 

 最初こそ、いつもの「夢」だと思ってあの気さくなネ級を待っていたが、いつもと違う点に気付き、女はその場にぼうっとしていた。

 

 いつもは「鈴谷」であるはずの自分の体がネ級のままなのである。もしかしてこれは現実なのだろうか? と思いつつあった。

 

 川……川か。まさか三途の川だったりしてね。そこまでネ級が考えた時だった。

 

 ばしゃり、と何かが水面に叩きつけられたような音が響く。

 

「?」

 

 驚きはしなかった。ただ、何の音だろうか? と好奇心に押されて、足元の石を踏みしめて騒音の発信源に近付いた時。

 

 何か、嫌な感覚に全身が包まれる。例えるなら死神か何かだろうか。絶対に対抗できない何者か、みたいな存在と目があったような――おぞましい気配を感じた。

 

 嫌だな、何か有りそうだ。近付かないようにしておこうかな。そう思って、水面が視界に入った頃合いで引き返そうとした。

 

 が、その判断は遅かったらしかった。

 

 音の正体はすぐにわかることになる。ネ級が見つけた水辺から、視界を埋め尽くしそうな程の量の、「黒い手」が生えて(うごめ)いていたのだ。

 

「   」

 

 ネ級は身がすくんで動けなくなってしまった。立ったまま腰を抜かしたような感覚を覚える。間違いなく。人生で一番の恐怖を感じて戦慄した。

 

 数えることが無駄に思えるほどの物量の黒い手に、全身を掴まれた。そのまま川に引きずり込まれそうになる。その感触が嫌でたまらないのに、なぜか体は動かなかった。

 

 やめて、助けて―― 舌が乾くとはこの事か、と思う。あの日首を切られた時みたいに、声を出すことすら満足にできない。

 

 そのまま自分は水中に没することになるのだろうか。生きることを諦めて、そんなように思ったときだった。

 

「おっと。貴方たちにこの人は預けられないな」

 

 聞き覚えのある女性の声を、無抵抗の体にくっついた耳が捉える。

 

 少し落ち着いた、それでいて明瞭な声だ。熊野ではない。南方棲鬼や那智でもなく、浜波はここまではっきり喋る人間じゃなかったよね―― 危機的状況にありながら、嫌にハッキリと頭が回る。

 

 「手」に顔を被われて居るので、その人物の顔は見えない。誰だろうか、と思って程なく、沢山絡まっていた手は、その人物によって自分の体から引き剥がされた。

 

「久し振りだね。根上さん……といっても、2、3ヵ月ぶりぐらいかな」

 

 顔を見て、やっと思い出す――あぁ。なんで私はこの人を忘れていたんだろうか?――失明した右目も、色の変わった左目もどちらも涙で潤んだ状態で、ネ級はその人物に声をかけた。

 

 白い髪を後ろで縛り、手の肌が黒い。服は、医者が着るような白衣を着崩さずに真面目そうに(まと)っている。顔に浮かべる表情は、下がった眉尻が、瞳の光と合間って優しい印象を受ける。そんな容姿の女性だ。

 

 

「土井……先生? どうして……?」

 

 

 覚えていない筈がない。うずくまった自分の前にしゃがんでいたのは、「あの日」自分が間に合わなかったばかりに死亡した筈の土井だった。

 

 意味がわからない、と思った。ネ級はともかく、この人は間違いなく死んだはずなのだ。脈も測ったし、その死体のそばで数時間ほどぼうっとしていたがぴくりとも彼女は動かなかった。間違いなく死んでいた。じゃあ、目の前のこの人は??? 普段は合理的に判断を下す鈴谷の脳も、この時はエラーを出す。

 

「なんで、土井先生が……ここは、天国なんですか……私は、死んだってことでしょうか」

 

「ふふふ。相変わらずだなぁ……考えすぎだよ、根上さん。貴女はまだ生きてるよ」

 

「じゃあっ!」

 

「ここはどこ、でしょう。私にも詳しいことはわからないんだ……でも、なんだろうね。現実とあの世の境界線、みたいな気はするんだ。何となく、だけどね」

 

 またアレが来るといけないから、少し向こうまで歩こうか。土井が言う。ネ級はそれに従い、立ち上がった。

 

 

 

 目的地のわからないまま、白衣の女にくっついて歩く。足を動かしつつ、二人は会話に花を咲かせた。

 

「間に合って良かった。アレはあまり良いものじゃない。ちょっとやり方が強引で」

 

「アレ、ってなんですか。あの沢山の腕のこと?」

 

「そう。暇でずぅ~っと見てるんだけどね。岸辺に近付いた人を、さっきの貴女みたいに捕まえて、水の中に引きずり込んじゃうのさ。ハエトリソウみたいにね」

 

「川の栄養にする……って事ですか」

 

「ふふふ、面白い事言うね。根上さんにはアレが生き物に見えたわけか」

 

「……茶化さないでください。ホンとに怖かったんだから」

 

「ごめんよ。アレはね、私の予想だけど。多分、「死」の概念そのものだと思う」

 

「死…………なんでそれを、土井先生は止められたんですか?」

 

「簡単な話さ。私はもう死んでるけど、根上さんは生きてる。アレはね、生者だけを引き込むんだ。そして死者を避けるらしい性質がある。だからさっきは助けられたってわけ」

 

「へぇ~……」

 

 どこか現実味のないこの状況を曖昧に捉えていたお陰か。意外とネ級は、すんなりと彼女の話を飲み込めていた。

 

 尚も歩き続ける中で。土井は少し表情を暗くして続ける。

 

「貴女の命はまだ繋がっている。人はいずれ死んで、ここに来る。でも、まだその時じゃない」

 

「………………」

 

「根上さん、覚えていて欲しい。死はこの世の全てに等しく訪れるモノだけども……覚悟があったりする人にはそれは優しいけど……下手に受け入れたり、怖がったりすると、光よりも早く襲い掛かってくる」

 

「軽々しく死ぬなんて思うんじゃない……」

 

「そう。私が言いたかったのはそう言うことだね」

 

「肝に銘じておきます」

 

 二人が直も会話を続けていると。ネ級の視界、あるものが入ってきた。

 

 「さ、着いたよ。私が見送れるのはここまでだ」 土井が言う。

 

 土井が連れてきたいとネ級に言って誘導した場所には。これまた、彼女には思い出深い品物が佇んでいた。義父から受け継いだ、陸に置いてきた自分のシビック()だ。

 

「改めて眺めると、綺麗で立派な車だ。きっと熊野さんが手入れしているんだろうね……いつか帰ってくる貴女を信じている証拠だ」

 

「熊野が? わかるんですか?」

 

「ほっときっぱなしでこうはならないさ、何となくだけどね。几帳面な性格の人でしょう? あの人は」

 

「あぁ……まぁ」

 

 光を反射し紫色に輝く車体を指でなぞる。思い出に浸っているようなネ級へ、土井は口を開く。

 

「さぁ。これに乗って帰るんだ。貴女の助けを、帰りを待つひとがいるはずだよ。行ってあげないと」

 

 恩師の声に耳を傾けながら、ネ級はドアノブに手をかける。カチャリ、と機構が作動する音と共に、すんなりとシビックのドアは開いた。

 

 車内は海に出ていった日から変わらない様子だった。赤いバケットシート、握り心地の悪いハンドル、義父が好きで使っていた香水の香り――気がついたときには、彼女はドライバーシートに体を滑り込ませていた。

 

 ドアを閉めてキーを捻る。鎮守府で働いていた頃に何度も聞いた、スタータが回り、エンジンに火が入る音が体に飛び込んでくる。

 

 少し重みのあるクラッチペダル、アイドリングで揺れるシート、胸にくい込むシートベルト。ここ数日の目まぐるしい日々を思い出すと、あらゆる感触が懐かしく感じる。

 

 ウインドウのスイッチを押して運転席の窓を下ろす。開いた場所から入る風が、彼女に出発した日の事を想起させた。

 

 車のすぐ横にいた土井が、ネ級の目線まで屈み、呟く。

 

「またね、と言いたいところだけど。できれば貴女には、そう何度もここに来てほしくはないんだ……さようなら、根上さん。お元気で。私なりに、武運を祈るよ」

 

 影のある笑顔で、相手はそう言った。ネ級は何故か、悲しい気持ちになる。少し(うつむ)き加減で、彼女は返事をした。

 

「本当に、ありがとうございました……さようなら、先生……」

 

「うん、どういたしまして。さようなら。」

 

 ハンドブレーキを下ろしてシフトノブを操作する。ゆっくりと加速を始めた車を、ネ級は土井が指差す方向へ、ひたすらまっすぐに走らせた。

 

 バックミラーに映る土井を見る。手を降って自分を送る彼女の顔は、寂しげな笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 目を覚まして一番最初に、ネ級は身動きが取れなかったことに疑問を持った。

 

 夢(?)の中では曖昧(あいまい)だった思考が、意識の覚醒と共にはっきりとしてくる。

 

 そうか。自分はなり行きから戦艦棲姫と交戦したはずだ。確か、最後は南方棲鬼が助けに来てくれたんだっけ……。一応、艦娘の人達は味方についてくれていたが、だとしたらここは軍の医療施設か何かだろうか。見慣れない天井と嗅ぎ慣れない空気に、そう思う。

 

 体を起こす事ができないので、首と目だけ動かしてみる。自分の体は布団をかけられた上から、複数のベルトでがっしりとベッドに固定されていた。ついでに触手の方はというと、口の部分に大きなマズルガードみたいな物が被せてある。

 

 なるほど、と思った。世間的には猛獣と同義な深海棲艦をここの職員が縛り付けたのかな? 近くに立ててある点滴のスタンドを眺めながら、そこまで考えた時だった。

 

『おい、目を覚ましたみたいだぞ。なんて言おうか?』

 

『なんで私に聞くんですか。知らないですよ、適当にオハヨーとか言えばいいんじゃないですか?』

 

 自分が寝かされていたのは、四方を真っ白な壁に囲まれた殺風景な場所だったが。その四隅に配されたスピーカーから、男性と女性の話し声が聞こえる。

 

 当然意識のあったネ級は会話を聞いていたが、女性の提案に乗って『おはよー』と抑揚(よくよう)のない声でばか正直に言った男性に、思わず笑いそうになってしまう。ネ級はそんな相手へ、返事をした。

 

「おはよう……ございます」

 

『お! 本当に喋ったぞ。聞いたか大淀、綺麗な日本語だ』

 

『報告書通りですね。引き続き観察を続けましょうか』

 

『おぅ。ん、気分はどうだ? どこかが痛むとか何とか』

 

「良くはないと思います。体の節々が痛みます。出来れば、筋肉を(ほぐ)したいところですが」

 

『……らしいが。大淀、どうするべきだ?』

 

『艤装を取ってきますから待っていてください。護衛付きで中に入りましょうか』

 

『だな。私は無駄話を続けるとするよ』

 

 こちらに聞こえないと思っているのか、それとも言葉を理解する脳ミソが無いと思われているのか。筒抜けな会話を交わした顔の見えない二人が、スピーカーの奥で物音をたて始めたので、何か始まるんだな、ぐらいの想像はついた。

 

 まさか、自分は取っ捕まって実験動物か何かになった訳じゃないだろうな。時間稼ぎが見え見えな男の話に対応していると、程無くして「大淀」なる女性が戻ってきたのか。武装した艦娘を連れ、ドアを開けて入ってきた男に、ネ級は先行きに不安を感じた。

 

 しかしそれは杞憂(きゆう)に終わる。

 

「改めまして、どうも。ネ級さん」

 

「……初めまして」

 

 どういうわけか、護衛を押し退けて一番最初に入室した白衣の男に言う。彼は続けた。

 

「話を始める前に、貴女にぜひ、会わせたい人が居る。いいか?」

 

「?」

 

 初対面の人間に会わせたい人? 誰だろうか。そう思いつつ、別に断る理由も権利もないので了承すると。男の次に一人の艦娘が入ってくる。

 

「よう。元気か? 鈴谷。」

 

 見間違えることは絶対に無い人物が姿を現す。前の鎮守府で一緒に肩を並べた戦友。木曾だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 客観的には、5秒ほども無い間だったが。ネ級は放心して口を半開きにしていた。その場にいた全員が無言の時間が少しあったが、最初に口を開いたのはネ級だ。

 

「うっそ……どういう事……?? なんで、どうして木曾が!?」

 

「待ってたぜ~この寝坊助ぇ! ビックリしたのはこっちだよ。あんな八千代(やちよ)の別れみたいな事言っといてよ、まさか3か月そこらで会うとはな」

 

 幼馴染みの熊野ほどではないにせよ、親しい間柄の友人との再会に。嬉しくない訳もなく、肩を叩いて捲し立てる相手に驚きつつも、ネ級の先程まで考えていた不安は吹き飛んでいた。

 

 嬉しさ半分、疑問を残りに抱き。彼女は気になったことを友人に聞くことにする。

 

「どうしてここに? ここ前の鎮守府じゃないでしょ? 配属変わったの?」

 

「相変わらず察しがいいのな。そうだよ、ここは佐世保だ。軍の部隊が重巡ネ級を捕まえたって連絡聞いてな、無理言ってここに来れるようにしてもらった」

 

「へぇ……あと、3ヶ月って? 私確か1ヶ月とそこら……」

 

「な~に言ってんだ。お前ボロボロになって保護されたとか聞いたぞ? ギリギリ2ヶ月いかないぐらいか、ずっと目も覚まさないで」

 

「うっそ……」

 

 また、か。ネ級は前の負傷で1ヶ月間寝たきりだったことを思い出して、心中でそう呟いた。

 

 会話の最中、木曾に上半身の固定に2ヶ所付けられていたベルトを緩められる。自由になった体を起こすと、相手は続けた。

 

「心配したよ。脈も息もあるとは聞いたし見たが、起きる気配が無いんだから。このまま起きないのかと、変なこと考えたこともあったな」

 

「その、ゴメン。」

 

「……いや、言い過ぎた、俺が悪かった。気にすんな、お前はちゃんと生きてるし、戻ってこれたんだしよ」

 

 また心配かけちゃったな。そんなように思っていると。男が話の間に入ってくる。

 

「で、少しいいかな。桜田((木曾))さん、この人が根上((鈴谷))さんで間違いないのかい?」

 

「はい、絶対そーです。2年間もヨコで顔見てたんだ、間違えようもないっすよ」

 

「なるほどねぇ。じゃあ安心か。拘束を全て外そう」

 

 木曾以外の艦娘達も全員が武装を解除し始める。各々が装備を適当な場所に置いて、彼女らに固定具を外され、ネ級は完全に自由になる。

 

 友人が居て、なおかつ平然と話せたとなると、この人物も土居や提督の関係者なのだろうか、と考えていると、男は口を開いた。

 

「悪いことをしたよ。確証が持てないとなるとこっちも最悪を想定しないといけないからな、体の動きを封じさせて貰っていた」

 

「いいえ、別に、当然の反応だと思うし……」

 

 改めて、男の姿を眺めてみる。小太りだが清潔感があり、体格ががっしりとしている。研究員のような格好だが、どちらかと言えば力仕事が得意そうな人間に見えた。

 

 服の内側に入れていたネームプレートを外に出しながら、男は続ける。

 

「土居って知っているだろ? 君の主治医だった彼女だ。あいつの繋がりから佐伯提督とも少しだけど面識がある。田代 聡(たしろ そう)って言う。よろしく」

 

「どうも……」

 

 何かの書類の挟まったボードを片手に、真面目そうな顔で田代は言う。

 

「話は木曾と佐伯提督から聞いた。けっこー大変だったな。うちでよければ、傷と体を癒していくといい。上層部から貴女を鎮守府に配属するような指令が下ってるんだが、面会謝絶と言っておいてある。嫌ならずっとココに居ていい」

 

「!? いえ、そんな! 迷惑ですから」

 

「そうかい? 遠慮するならまぁいいがね。こっちも手間は無くなるからナ」

 

 会話をしつつ、包帯の巻かれた体の各所をつねったり動かしたりして感覚を確かめる。2ヶ月も寝たきりだっただけに、体の中で骨がギシギシ軋むような感触に眉を潜めていると。木曾に触手の一本を掴まれる。

 

「久々に触ったなお前のコレ。相変わらずもちもちぬくぬくで触り心地がいいな」

 

「やめてよ気持ち悪い……女同士でベタベタして」

 

「いいだろ減るものじゃねーんだから」

 

 一人が恐れる様子もなくグロテスクな物体で遊び始めたからか、それを見ていた大淀もネ級のそれを持ち上げた。「やわらかい!?」と声を出して驚いて首に巻き始める始末だ。そんな艦娘2人を眠そうな顔で眺めながら、田代は言う。

 

「そういえば連絡があった。今のうちに言っとく。ネ級、君には特別な許可証が発行された。凄いぞ、艦娘でもあまり居ないような栄誉あるモノだそうだ」

 

「?」

 

「無くさないように。再発行は面倒だそうだ」

 

 相手から一枚のIDカードのような物を受け取る。

 

 『艤装の独自運用を認める免許=監督者の指揮下に限る』 そう、渡されたカードには書かれていた。始めてみた免許で、鈴谷はこれは何かと医者に尋ねる。すると、疑問には木曾が答えた。

 

「何ですか?」

 

「見てわかるだろ、ライセンスってヤツだよ。那智とかが持ってるやつ。ほら、鎮守府所属の時は、艤装付けっぱで行動してもいいってやつ」

 

「!? なんでそんなものくれるの??」

 

「? お前知らないのか? 今じゃすげー有名人だぞ。「海難救助のプロみたいなネ級が居る」……っていう話。鹵獲された重巡ネ級に危険性は無い、って判断されたそーだ」

 

「あ……」

 

 ニヨニヨと目を細めながら木曾は話す。

 

「「ホワイトナイト」とか「鬼子母神(きしもじん)」だって。良かったな鈴谷、カッコいい通り名が沢山あったぞ」

 

 日頃の行いが自分を救う。そういう事だろうか。ネ級は心中で呟いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 目まぐるしい島での1ヶ月を考えると、非常に穏やかだと言える時間を施設で過ごす。

 

 鈍りきった体を、職員用の休憩室を借りてトレーニング等で戻しつつ、ネ級は木曾から自分が寝ていた間の事と、あの場では聞き忘れた事を聞いた。

 

 もたらされた情報は、納得はできても意外な物ばかりだった。

 

 怪我・疲労で気絶した状態から自分は一番遅く目を覚ましたそうだが。そもそも最初から意識のあったまま港に来た北方棲姫と南方棲鬼は、怪我を直したのちに、監視付きで半ば強引に軍属に。

 

 自分と同じく負傷から寝ていたらしいニ級、レ級の両者は、海難救助に関係する部隊に配属になったという。捕まった者が全て働きに出ているのも意外だったが、こと、後者2人に至っては救助隊員になっていることにネ級は驚いた。

 

「救護部隊……深海棲艦が」

 

「甲斐甲斐しく怪我人に対応していたのを評価されたらしい。レ級なんて、今じゃすっかり職場に溶け込んでるそうだってよ」

 

「へ~……誰か後ろについてるの? 深海棲艦がそんなにすんなり組織に入れると思えないけど」

 

「やっぱ鋭いな。鈴谷、聞いて驚け。なんでもな、この職場には深海棲艦のお偉いさんが居るんだ」

 

「……!! そいつ、空母ヲ級だったりしない?」

 

「なんで解った!?」

 

「あぁ。多分私の知ってる人だそれ。直接あったことはないけど、確か名前は――」

 

 ヲリビー。っていう人だよね? そこまで聞くと、木曾は少し大袈裟に驚いた素振りを見せた。

 

 聞けば、ネ級が親しくなった彼女たちがこうもすんなりと軍に籍を置いて安定するに、例の空母ヲ級が関係していると言う。かなりの情報や技術の提供をしているらしく、ネ級の予想よりも遥かにこの人物は重宝されているらしい。

 

 単体でも強大な力を持つ姫級ともなれば、戦闘に関与する影響力も大きい。戦力として得られると言えば確かに心強いかも知れないが、普通なら、敵の彼女らは警戒されて信用などまずされないはずだ。それを捩じ伏せて便宜を図ったとなると……。ヲリビーという人物を考えると、ネ級は少し恐くなる。

 

 仕事の合間をぬっては面会に来てくれる木曾、何かと気を使ってくれる田代、その他の職員らと交流を深めつつ、早くも一月ほど経過した。

 

 体が回復したことを時間をかけて実感し。ネ級は田代に、鎮守府で仕事をする件を了承する旨を伝えた。すると、彼から「あと1週間は待て」と言われる。

 

 突っぱねる理由もないので、ネ級はその期間を妖精と艤装の勉強でもしながら過ごした。

 

 何かの用意が必要なのかな……。戦艦棲姫に吹き飛ばされたのを、北方が拾ってくれていたというヘアピンを眺めて暇潰ししていると。期日の日に待ち合わせ場所にされた基地の波止場へ、彼が何かを持ってやって来た。

 

「待たせた。時間をかけたな、これを渡しておく」

 

「…………?」

 

 渡された物品に、ネ級は首をかしげた。1つは昔の縁日にあるような狐の面と、もう1つはロボットの部品のような、細長くて先端の尖った謎のパーツだ。

 

「お面? 何に使うんですか」

 

「木曾からだが、体が変わったって顔はそんなに変わってないと聞いた。なら表情は隠すべきだろ。お前さんを疎ましく思ってるような奴が居たとして、万が一バレたらめんどくせ~だろうしな」

 

「……なるほど」

 

 言われてみれば。そう思った彼女は、前髪につけていたピンを外して、髪を後頭部で縛る。そして貰った物で顔を被った。

 

 次に、何かの機械部品のようなものについて質問する。返ってきた答えは少し意外だった。

 

「これ……は何でしょう。恐竜の尻尾みたいですが」

 

「テールスタビライザー? だと。お前の体の欠陥を補う装備だ。尻尾のアクセサリーみたいに腰に巻くんだそうだ」

 

「装備……艤装なんですか。これ」

 

 気になる相手の発言にネ級は続ける。

 

「……体の欠陥? 体調に問題はありませんが」

 

「そういうのじゃナイ、重量バランス的な意味での話だ」

 

「……???」

 

「ヒトの体ってのは基本的に股の辺りに重心が来るようになってる。だからその近辺のバランスが崩れると、転倒しやすくなったりする。それはわかるな?」

 

「……えぇ、何となく」

 

「例えば、異常に重たい荷物なんか背負ったやつは、身軽なやつよりスッ転びやすい。考えりゃすぐわかるハナシだろ?」

 

 つまり……どういうことだ? そう言いたげだった仮面の下のネ級の目を見て、田代は言った。

 

「お前は腹部から2本の触手が生えてるよな? 生まれたときからあったならまだしも、ここ最近の体の変化な訳だ。いくらフィジカルと経験で()じ伏せたって、限界はある。その崩れた体のバランスで戦うのは、ちとキツいだろ?」

 

 彼の言った言葉に、ネ級は島での数々の戦闘を考えた。

 

 言われてみれば、確かに転倒する回数が多かった気がしないでもない。疲労があったとはいえ、戦艦棲姫と合間見えた時は、記憶が正しければ4~5回は体制を崩していたと思い出す。

 

 口許に手を置いて考え事をしていたネ級に、田代は更に続けた。

 

「ただ、気に入らないと思ったらすぐに外してイーよ。そう思ったということは、それはむしろもっとバランスが崩れてるって事になるからな、頑張って体に慣れるしかない」

 

「…………。すみません。何から何までお世話になって……」

 

「いやいいんだ。ココの奴らみんな暇してるからナ。ただの趣味の延長さ。ほら、迎えの船が来たぜ」

 

 田代が海側を指差す。小さな船がこちらに向かって来ている。よく見ると、木曾も乗っていてこっちを見ているのが確認できた。

 

「……わかりました。では」

 

「おう。気を付けてな。ささやかだがあんたの服のマネーカードに多少の金も入れといたよ。軍資金の足しにしてくれ」

 

「えっ」

 

「じゃーな、元気で。死ぬなよ~!」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 モーターボートで送迎される中で、ネ級は自分のこれからを木曾から聞いた。

 

 特に何をされるでもなかったため気にしていなかったが、今まで自分が療養していたのは艤装に関係する開発施設だったこと。これから向かう自分の職場は佐世保の鎮守府であること。最後に、噂のヲリビーにこれから挨拶をしに行くらしい。因みに、木曾はネ級の監視と言う名目で佐世保に入ると説明を受ける。

 

 目的地はかなり近場だったようで、すぐに船は停まる。その場から見渡せる場所にあった建物に、あれが鎮守府だろうか、等と考えていると。船から降りて早々に、木曾は用事があると言ってどこかに行ってしまった。

 

 さて、暇なので貰った物の確認でもしていようかな。そう思ったとき。視界の端にネ級は妙な人物を捉える。

 

 言うまでもなく、こんなに鎮守府に近いこの岸は軍基地の一角だ。そんな所で釣りをしている女を見付ける。普通なら異常事態だし、明らかな不振人物だ。

 

 が、少し様子を見て落ち着いた。なぜならばその人物は自分と同じく、珊瑚(さんご)の死骸か何かみたいに肌が白かった。恐らく間違いなく、「ヲリビー」だとネ級は思う。

 

 階級こそないが、軍内の人間関係に影響力のある深海棲艦だ。スーツ姿のOLみたいな格好でもしているのか。そんなように考えていたネ級は思わず拍子抜けした。

 

 そのヲ級は非常にラフな格好をしていた。裾を捲ったジーンズ、派手なスニーカー、アロハシャツの上から薄手のジャンパーを袖を通さず羽織り……。妙に色白な部分さえ吹っ飛ばせばただの人間の若者と変わらないような服装に、ネ級の仮面の下の表情は困惑に染まった。

 

 クーラーボックスに腰掛けて釣りをしていたその女に近づく。気配を察知したのか、話しかける前に相手はこちらに気づいた。

 

「ん……? なんだ、キツネの友達は俺に居ない筈だが」

 

「軍の人から聞いてきました。ココに貴女が居るから落ち合えと」

 

「あぁ。あー……アンタかい。元人間とかいうやつは」

 

 道具をまとめて竿を畳んでから、相手は軽いストレッチをしながら口を開く。

 

「よう。初めまして、だな。話は聞いてるだろ? ヲリビーだ。重巡ネ級「改」、かな?」

 

「書類上ではそうなってるそうですね」

 

「あぁ……と、なんだい、元は人間だから、人外扱いされるのが不服か」

 

「いーえ。しょうがないと思ってますから」

 

 一応、相手の機嫌を損ねないようにネ級は気を付けて話す。

 

「ずいぶんオシャレしてますね。靴、ブランド物でしょう?」

 

「へー、知ってるんだ。そう。せっかく陸に居るんだ、金を使って楽しまないとな」

 

「買い物、楽しんでいらっしゃるんですね」

 

「そうだねぇ……金は好きだからねぇ。好きなものが買えるから。こんな娯楽は海には存在しない」

 

「満喫してるんですね。ここの暮らし」

 

「まぁ、な。」

 

 砕けた口調と、少しだらしない様子が初めは目についたが。何だろうか、あまり嫌には感じない印象の人だな。ネ級はそう思う。そして同時に、このヲ級が今まで生き残ってきた理由を何となくだが察する。

 

 意識しているのか、生来の物かはわからない。ただ、特に理由はなくても人から好かれるタイプの人種だな。身に(まと)う雰囲から、1種のカリスマ性のような物をネ級は感じた。

 

 座り直して再度釣りに興じる彼女の隣で、ネ級がしゃがみこんで世間話を続けていた時だった。木曾が歩いていった方向から、誰かが来るのが見える。

 

 「少し遅いな。」 何を考えているのかわからない真顔で、座ったまま顔を相手に向けてヲ級は呟く。

 

 「ごめんね、少し遅刻したかな」 前にネ級が助けた秋月と似たような制服を着た白髪の艦娘が2人に言う。ヲ級が口を開いた。

 

「いいよ、特に大事な話をするでもなし。紹介するのはコイツだ。どうだ? 見所は有りそうかい?」

 

「ん~……まぁまぁ、かな。戦ってるところを見たわけでもないし」

 

「そうか、俺はどうでもいいや。仲良くしてくれよ、問題なんて吹っ掛けられても俺は「知らねぇ」って言うからな」

 

 話の内容がわからない。が、このヲ級はこの艦娘に自分を紹介していたらしいことだけは理解した時。女が続ける。

 

「貴女がネ級?」

 

「はい。……アダ名が色々ついてるみたいだけど……」

 

 てっきり艦娘とばかり思っていたこの女性の口から出た言葉に、ネ級は体を強張らせた。

 

「初めまして。(ココ)じゃ、秋月って名乗ってる。ホントは防空棲姫だよ。よろしくね」

 

 

 

 

 




満を持してヲリビーお披露目。防空棲姫との仲はどうーなんでしょうか。


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23 みんなが言うほど私は出来た人間じゃない

お待たせしました。せっかくの他作品との絡みなので明るくやります。

レ級の性格などについての質問があったので、少し掘り下げてみました。それではどーぞ


 

 

 

 とある鎮守府の一室。あてがわれた自分の部屋のベッドの上で、レ級は大きくあくびと伸びをしてから身支度を始める。

 

 季節は9月の終わり頃で、暑い日の中に、時おり、厚着したくなるような気温が混じるような具合だ。顔を洗って髪を整えると、支給品のライフジャケットとジャンパーに袖を通し、レ級は外に出た。

 

 通りすがりに「おはよう」と投げてくる職員や艦娘たちへ、笑顔でお辞儀をして横を通る。初めの頃は「挨拶も満足にできないのか」と突っ掛かってくるような者も居たが、数ヵ月も働くと彼女の「持病」を知らない人間は居なくなり。レ級が無言のことなど、すっかり誰も気にしなくなっていた。

 

 難しい顔で何かの書類を睨み付けながら歩いていた工廠(こうしょう)の整備長に一礼する。「あぁ、おう」とぶっきらぼうに行って彼は去っていった。表情通りの気難しい性質の彼こそ、先程考えたように挨拶にうるさかったのを思い出すと、ずいぶん、自分と言う存在はここに馴染んだものだな、と思う。

 

 考え事混じりに歩いていると、この建物のドンが居る部屋に着く。執務室の扉を軽く3回ノックして、レ級はマニュアル通りの礼儀作法で扉をくぐった。

 

 失礼します。その挨拶の代わりにいつも彼女は、余計に1回、深く礼をしている。足を止めていたレ級へ、部屋に居た男が声をかけた。

 

「おはよう。君か。いつもより早いな。何か仕事の用事かな?」

 

「…………」

 

 身だしなみに気を使っているのか、いつも服から柔軟剤の香りを漂わせている彼はここの提督だ。隣には秘書を勤めている艦娘が、ちらりとこっちを見て端的な挨拶を済ませ、書類とキーボードを叩く作業に戻った。

 

 レ級は歩いて彼の前に立つと、2つの封を閉じていない封筒を渡す。片方は自分宛に届いていた物で、もう一方は前日に彼女が直筆したこの提督に向けた手紙だ。

 

 渡されたものを男が読む。しばらく部屋に居た全員が無言の時間が流れた。

 

「「「……………」」」

 

 物を読み終えて、彼が口を開く。

 

「なるほど。用件はわかったよ。すぐにでも、ここから配属先を変更したいんだね?」

 

「…………」

 

「そうか……わかった。君のようによく働いてくれる人がいなくなるのは寂しいが、手続きを済ませよう。荷造りは済ませたのかい?」

 

「……………」

 

「あぁ、なら、今日は君を非番にしよう。準備もやりつつ、日頃の疲れを取ると良い。」

 

 彼の言葉に、頷いたり首を振ったりして意思表示をする。レ級は、なんだ、意外と急な要求でも承諾してくれるモノなんだな、と会話の最中に思った。

 

 彼女が渡した手紙は、「ネ級が目を覚まし、鎮守府に配属になった」という旨の書かれたものと、ついてはそれに合わせて、自分の配属先を変えてほしいという願いだった。

 

 内心、レ級はとても嬉しく思ったが、なるべく顔に出さずに敬礼する。男は手短に秘書の艦娘に必要書類について指示を出す。

 

 提督が、突っ立っていた彼女へ退出しても良いと言いかけた時。彼は語尾を濁らせ、1つの質問をレ級に投げた。

 

「レ級。1個だけ、聞きたいことがあったんだ。それと、謝罪しなければいけないことが」

 

「…………?」

 

「この鎮守府に来たばかりの事を覚えているかい。みな、君の事を警戒して心ない言葉をかけてきたろう。私だって同じだ。人間心理がわかるかも知らない深海棲艦をここに置くなんて、上の頭が可笑しくなったのかとか思った」

 

「……………」

 

(のど)の怪我で話すことができない君を、無視しているんだと決め付けて殴ってきた者が居たと聞いた。またあるときは、君の戦果を横取りして、水増しして報告する艦娘が居たとも聞く。本当に申し訳ない。私の監督責任だ」

 

「……! ……ッ」

 

 あぁ、そんな事もあったっけ。等と考えていると、突然立ち上がって頭を下げた彼に、慌ててレ級は声の出ない口を「そんなことはよしてください」と動かした。

 

 「しかし……」と。尚も謝罪の言葉を続けようとした相手に、レ級は紙と万年筆を取り出して伝える。

 

『やめてください。貴方は1つの鎮守府を預かる身なのですから、階級も持たない1人の兵に構うことなんてないはずです』

 

「……だが、初めは君を(うと)ましく思っていたのは事実だ」

 

『ですが、私は直接に貴方から被害を(こうむ)った覚えはありません。(くだん)の人物にせよ、(しか)るべき報いは受けたとお聞きしました。その時点で私の心は晴れています』

 

「む……………」

 

 責任感と正義感があるのは良いことだと思う。だけど、こういうときは少し面倒かな? レ級は(らち)があかないと判断して話題を切り換える。

 

『お話を変えましょう。聞きたいことがあるとは、なんでしょう』

 

「……ん……君の書く字の事なんだ」

 

「?」

 

 彼は続ける。

 

「君は人に何かを伝えるときにメモを書くだろう。書類仕事も何もかも、君は丁寧な字を書くのが気になっていたんだ。私は今まで君ほど綺麗に文字を書く人を見たことがない」

 

「……………」

 

「率直に言うが、君が丁寧に字を書く理由が知りたかったんだ。くだらないことで申し訳無い。深い理由が無ければ、そう言ってくれて構わない」

 

 字を綺麗に書く理由、か。少し思うところがあって、数秒考えたあと、レ級は手帳にペンを走らせた。

 

『私は言葉を話すことができません。それは、皆様の承知の事実だと思います』

 

「あぁ。そうだ」

 

『言葉とは、特に声を使った会話とは便利なものです。他者と他者を繋ぎ、人の心を動かす。人の英知とも言える発明です。しかし、私はそれを使えない』

 

 話を切り換えた効果が出たな。レ級は自分の話を聞くに真剣な目付きになった彼を見て、よろしい、と心中でひとりごちた。

 

『だけど、この指と瞳、不出来な頭を回して(こと)の葉を(つづ)ることはできます。しかし、音のないこれらは、人に働きかけるには(いささ)か力が足りません』

 

『ただ、物事には例外があります。文豪、とか、詩家とかの人達ですね』

 

『昔、有名な詩人の歌が載った書籍に目を通し、感心した事があります。そして、声ほど直接的でなくとも、紙に書かれた言葉とは、年代を飛び越えて人に伝わり、心を動かすのか、と思ったのです。』

 

『私が字を綺麗に書くのは、私が話せないことを他人に押し付けてしまう事の(つぐな)い、そしてせめてもの相手への礼儀、小難しい内容が思い付かないその場しのぎ。最後に、何かの間違いでこの落書きが後世に伝わって、人の目に触れてしまっても、笑われないように。そんな思いでやっています』

 

 こんなところだろうか……。逆さ文字を考えつつ、書き終わる。再度、数秒、人が誰も声を出さない静かな時間が流れた。

 

 書かれたものを読んで少し考える素振りを見せてから。彼はゆっくりと口を開く。

 

()つのはすぐ近日でいいのかい。君は、この頃の出撃で怪我を負っているだろう。少し療養する時間も――」

 

 薄い笑顔を浮かべて、顔を横に振る。レ級は手を動かした。

 

『お手紙まで頂いたからには、大切な友人ですから、いかないわけにはいきません』

 

「…………」

 

『私は、私を頼り、時に助け、気にかけてくれるあのネ級が好きです。今もきっと、知らない土地で困っているかもしれません。速やかに()せ参じるべきだ、と結論を下しました。急な要求だったことは、申し訳なく思います』

 

 レ級は使っていた手帳を仕舞う。そして、紙の質が一段上の、高級品の手帳を出して、思いを綴った。

 

『短い間でしたが御世話になりました。また会えるときを待っています。武運長久を祈っています』

 

 きっと彼は、少し突っ走る性格なんだろう。自分が正しいと思ったら、他人が止めてくれないとアクセルが緩められない。だから、私は少し冷たい態度で言いたいことを押し通さなければならない――。そんなように思っての行動だった。

 

 が、少々安直に突き放しすぎただろうか……。紙を見詰める彼の事をレ級は待った。

 

「そうか。なら、止めては失礼に当たるね……」

 

 彼は寂しそうな顔で体を動かし、敬礼の体制を取る。レ級もつられるように同じ行動をした。

 

「さようなら。体には気を付けて。困ったら教えてくれ。私にできることなら助ける」

 

「……………」

 

 どうか、お元気で。そう言って見送る彼を背に、レ級は執務室から出ていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 同日の同じような頃合いの佐世保鎮守府の執務室で、ネ級は木曾に手錠をかけられた状態で、提督業を勤める男と向き合っていた。

 

 「名目上は猛獣扱いな訳だから、少しガマンしろよ?」との友人の言うことを飲み、彼女は大人しくしていたが。特例で深海棲艦を艦娘として雇うと書かれた書類数点に、穴が開きそうな位に目を通す男の姿を見つつ、ネ級は先程会った防空棲姫について、暇潰しを兼ねて考えていた。

 

 最初は混乱したが、ヲリビーのような降伏した深海棲艦なのだろうかと思えば、彼女は事情が違うらしい。具体的には、とある鎮守府・研究所のいずれかに捕らえられた姫級の深海棲艦を脱走させるために動いているという。

 

 それを聞いてネ級はますます動揺した訳だが、そんなことよりも、すかさず口封じとしてとある「密約」を強引に彼女が吹っ掛けてきた事が、強く印象に残っていた。

 

『いい? ネ級。貴女の事はこのオリビィから聞いたけど、佐世保に居るに当たって守ってほしい事があるの』

 

 初めに切り出してきたのは、防空棲姫の方だった。いつも通りにネ級は茶化してごまかそうとすると、一瞬だがヲ級が表情を強張らせて、必死そうに「下手なことは言うものではない」とアイコンタクトしてきたのを、はっきりと覚えている。

 

 拒否権は、有るわけないか。内心ため息を吐きつつ、黙って首を縦に振る。すると、防空は気持ちが悪いぐらいの笑顔で続けた。次いでネ級も対応し、話が長引く。

 

『1つだけ。私を「艦娘・秋月」として扱うこと。絶対に正体をばらさないでね。もし何かあったときは――それ相応の対応を考えているから。いい?』

 

『質問を、幾つかいいでしょうか』

 

『なぁに?』

 

『この鎮守府でどれ程過ごしましたか』

 

『2、3カ月かな。仕事に期限は無かったから、気長にやろうと思っていたし』

 

『じゃあ、もしもを言います。誰かに貴女の内偵が気付かれていたらどうでしょう。はっきりと言います。私は嘘がこの世で一番と断言できるぐらい苦手なの』

 

『つまり……何が言いたいのさ。詳しく』

 

『その、誰にせよ、核心に近いことをビタリと言われると、動揺しない自信は無いんだ。それについて、どうするのさ』

 

 防空棲姫はネ級の意見について、少し考えてから言った。

 

『それについては……まぁいいや。何とかするよ。ただし、繰り返すけどワザとばらすような真似はタブーね。おっけー?』

 

『………………。」

 

 あぁ見えて、結構天然か、それとも悪人を演じていただけなのだろうか。

 

 最初は凄んできて怖いと思ったが、話の後半のその場しのぎな受け答えに、何よりもファーストコンタクトにしてワーストな出会いだった南方棲鬼の方が恐かったな、などと思い出して。いまいちどういう人物かを会話で測りかねた防空について考えていると、紙束の確認が終わったか、男が口を開いた。

 

「確認は出来た。ようこそ、私の鎮守府へ……まぁ、なんだ。気は進まないが……木曾、手綱(たづな)は君が握っていてくれよ?」

 

「……はい」

 

 手綱、という単語に木曾が露骨に反応したのを、ネ級は見逃さなかった。大方、知人が動物扱いされたのが気に入らないとでも思ったことは、容易に想像できた。何せ彼女は療養中だった自分に、数万円のフルーツバスケットを差し入れしてくるような人間である。

 

 あ……、と。友人のぶっきらぼうな対応を見て、変な声が出る。ネ級は相手がまた机に目を向けたのを見計らい、慌てて小声で話しかけた。

 

(あのさ……)

 

(何だよ)

 

(もうちょっと愛想よくしたら? ……その、私の事を思ってくれるのは嬉しいけど)

 

(ちっ……わぁーったよ。……クソが」

 

「!?」

 

「? 何か言ったか?」

 

「いーえ、ちょっと予定確認してたッス」

 

 公然と暴言を吐いたかと思えば、あからさまもいいところの不自然な業務用の笑顔を作った親友に冷や汗が止まらなくなる。

 

 胃と頭と胸が痛くなってきた。前途多難で済むのだろうか。深海棲艦の秋月(防空棲姫)に少し機嫌の悪い親友。おかしいな、頼れる人間でオアシスと呼べるのがあのヲ級だけな気がしてきたぞ……。

 

 思惑と愛憎入り交じる情勢の佐世保鎮守府での生活に、ネ級は一人不安を感じていたときだった。唐突に、提督の座っていた机の、彼の私物の携帯電話が鳴った。

 

 「失礼。もしもし、どうした?」 部下からの着信なのか、特にかしこまる様子もなく、彼は応対する。

 

 そして数秒後。具合が良さそう、でもなかったが特に不調そうでもない様子から急激に顔色を悪くして、彼は電話を終えた。一体何の話だったのか気になった木曾が尋ねる。

 

「どうかしたんすか?」

 

「救援要請だ、味方の部隊が敵に囲まれてると連絡が入った。悪いな、話は後だ。送る増援を考えないと……」

 

 あぁ、なるほどな。大変だな、こんな昼下がりに……。そんな思いを胸に、何気なくネ級が木曾に仮面越しの目を向けたときだった。

 

 ものすご~~~く、悪巧みしていそうな顔を、友人はしていた。猛烈に嫌な予感がしたが、それも的中する。

 

「あ、あ。提督さん。ちょっと良いかい?」

 

「? なんだ?」

 

「このネ級を使ってみないか? ちょうどいい機会だ。実戦テストと行こうぜ」

 

 随分と大きく出た木曾の発言に。ネ級と男の両名は目を剥いた。

 

「抵抗の意志があったなら俺が後ろから倒すし、言うことを聞くならそのまま使える。捕まえられたときからコイツとは交流があったからな、実力は保証する。どうだろうか?」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ため息混じりにネ級は木曾と歩く。少々強引な隣の友人の案によって作戦に出ることになったが、もし失敗でもしたら冗談抜きで自分の首が物理的に飛ぶかも、などと考えていた。

 

 出撃準備のため、自分の艤装が置いてあるという場所へと行く道すがら、「あんまり気にすんな」と言ってきた木曾に口を開く。

 

「あのさ……言い出しっぺはそっちじゃん。こんな急にさ」

 

「悪かったよ。でもよ、これチャンスだぜ。バシッとお前が活躍すれば、ここの奴らの見る目も変わるだろ」

 

「そんなにうまく行くと思う? 私けっこー運が悪い方だと思うけど。絶対ダメだよ……」

 

「あまり悪い方に考えるな、災い転じて福となすって有難い言葉があるだろ。今の鈴谷にピッタリじゃん」

 

「…………」

 

「まだ不安なのか? 大丈夫だ、俺を信じろ」

 

 何か秘策でもあるのか、自信に満ちている友人を薄目で睨んでいると、目当ての場所に到着した。整備の人間で賑わっていたその場所に2人が入る。作業に集中している者以外の人間の目線がネ級に集まった。

 

 なんだか気まずい。そんなように思っていると、意外な人物とまた出会う。こちらを待っていたような様子で、壁にヲ級が寄り掛かっていたのだ。

 

 にやにやしながら、彼女は木曾に話を振る。

 

「よう、また会ったな。話は秘書さんから聞いた。あんたなかなかやるねぇ」

 

「そうか?」

 

「よくもまぁ信用して貰えたねぇネ級サン……きっと日頃の行いが良いんだろうな」

 

「……………」

 

「お前の持ってた艤装は、残念ながらここの提督が預かってるそうだ。悪いが俺の用意したモノで出撃してもらう。いいか?」

 

「別に……」

 

「くく……そーかい。なら早い。アレに乗ってもらう。結構な上等品だぜ?」

 

 ヲ級の指差す方を2人が向く。詰まれた資材や他の艦娘の艤装で見えなかったので、立つ場所を変える。

 

 そして、水辺に浮かべてあった乗り物が視界に入り、2人は目を剥いた。

 

 巨大な深海魚の頭部のような形をしていて、両脇から大きな腕が生えている。頭のような場所の上部にポン付けされたような座席が有り、各所に大型のキャノン砲やミサイルコンテナが取り付けてある。

 

 ネ級は顔がひきつり、木曾はため息を吐いて感嘆の声を漏らす。それは、鬼級の深海棲艦、装甲空母鬼の艤装だった。

 

「でっけぇー装備。マジもんの戦艦みたいだ」

 

「バッカじゃないの……こんなキモいの……」

 

 大量の重火器で着ぶくれした頭でっかちなこの怪物と対峙(たいじ)する。識別のためなのか、綺麗にマスキングされて施された鎮守府のマークの部分を撫でながら、木曾は口を開いた。

 

「おーおースゲーなこりゃ。戦艦の姉貴らなんかもメじゃねーデカさ。強そうだし何よりもかっけーじゃん?」

 

「他人事みたいに言ってくれちゃって……私ヤだよこんなの。こんなので出撃したらどうなるかわかるもん。どう見ても敵じゃん!! 後ろから撃たれるわ!」

 

 何がおかしいのか、不満の声を出したネ級を笑いながら、ヲ級はからかうように言う。

 

「どうだい? お前さんが寝てた場所、あっただろ。あそこの隠しダマだぜ、気に入ったかい?」

 

「おぉ、モビルアーマーみてぇだな!」

 

「ふざけんなっつーの! 私はぜぇ~ったいに使わないったら!」

 

 少し興奮しつつも、ネ級の言うことももっともか。確かに誤射の危険性がありそうな乗り物だな、などと木曾が思っていると。ヲ級は表情を変えずに続ける。

 

「まぁまぁ落ち着けって。こいつにはちょっとした細工が施してある。位置情報を特定するためのGPSシステムと、艦娘のレーダーから味方と識別される特殊な塗料でペイントされてら。まず誤認されるこたないヨ」

 

「レーダーぁ? そんなものに写ったところでさ、見た目が悪すぎるっつーの! 関係ナシに撃たれたらどーすんの!」

 

「だからここにでっかく鎮守府マークがあるだろ?」

 

「あのさ、戦闘中にそんなところ見る暇があると思うの?」

 

「あるわけねーわな」

 

「何ヘラヘラしやがってこの!」

 

 とぼけたような態度を崩さない相手にとうとうネ級はヲ級の首を掴む。「ぐえっ!」と素で苦しそうな反応をした彼女に、慌てて木曾が止めに入る。流石に悪いと思ったか、ヲ級は真顔になりながら話した。

 

「あぁその、なんだっけな……深い事情があってさ」

 

「どんな事情?」

 

「これ以外に持ち出せた装備が……その……」

 

 ばつが悪そうに、彼女が力なくある場所を指差す。何かと見てみると、軽巡洋艦の艦娘向けの軽装備がブルーシートに並べて置いてある。

 

「軽巡の装備じゃねーか。なんかあったのか」

 

「これが嫌だってーとアレしかない」

 

「「……なぬ?(なんだと?)」」

 

 再度、置いてあったモノに目を向けた。

 

 愛銃よりも口径が小さく旧式の、しかも「単装」砲。隣の背中に背負う装備は、エンジン部分が一見大きいように見えて、確か効率が悪くておまけに出力も低い粗悪品。……その他、熊野や蒼龍から譲ってもらった物とは比べ物にならない。悪く言わなくとも、「ゴミ」と他人から言われてしまうような物ばかりだった。

 

「………………」

 

 逃げ道などない。そう言うことか。頭を抱えながら、ネ級は立ててあったはしごに手をかけ、誰が見ても嫌そうに見える顔をしながら、運転席のような所に入る。

 

「やる気になったかーい」

 

「これが終わったら元の装備は帰ってくるんでしょうね?」

 

「さーね。根上さんの頑張り次第だろうさ」

 

 なぜ名前を知ってる。そんなように突っ込む気力も無くなったので、ネ級は無視して操作の方法を聞いた。

 

「どうやって動かすんですか。予定の時間に間に合わせたいんです。早く」

 

「手元にカラフルなスイッチがあるだろ? 赤いのを押して」

 

 言われた通りにボタンを押す。

 

《システム・キドウ》

 

「うわっ、何……? 電源はこれで入ったのか。次は?」

 

「スクリーンみたいなとこに手を置け。あんたの生体認証で動き始める筈だ」

 

 タッチパネル状のパーツに、手のひらを付けた。すると、機体の各部が赤く発光し、大きな機械の駆動音が施設内に響き始める。

 

《システム・コンバットモード――認証――操作・キドウ》

 

「操作はどうするんです? こんなもの触ったことないし、そう簡単に動かせる気がしないし」

 

「あんた車の免許持ってるって聞いたぞ~。安心しなよ、左右のレバーで旋回して、足のペダルで加速とブレーキだ。自動車の運転ができるなら直感操作できる」

 

 ヲ級と話しているうちに身支度を済ませた木曾が隣に来る。任せておけとでも言うのか、彼女は小さくガッツポーズして見せてきた。

 

 海に繋がるガレージのシャッターが上がっていく。固い表情をした、誘導灯を持った艦娘に従い、ネ級は慎重に艤装を動かして前進する。

 

 仮面の下からでも聞こえるような大きなため息を吐きながら、ネ級は出撃した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「―――あぁ。じゃあ、そう言うことだからよ。なるべく早く応援を寄越(よこ)してくれると助かる。じゃあな」

 

 小雨混じりで薄暗い海と空を睨みながら。軽巡洋艦、天龍(てんりゅう)は渋い顔で電話を切る。佐世保で提督を勤める彼に連絡を入れたのは彼女だった。

 

 この鎮守府では、主に漁船や民間船の護衛、その他には近海の警備などを勤めるエスコート隊という部隊がある。天龍はその中で指揮を執る旗艦として、日夜海を駆けている。

 

 そんな彼女らだが、今日は久しぶりに自発的に沖に出撃して、深海棲艦の群れの殲滅(せんめつ)(いそ)しんでいたのだが。運悪く戦艦や空母級を主軸とした編成に出くわし、手痛い打撃を受け、手当てのために浅瀬で休憩中だった。

 

 こっそりと後で食べようか。そんな気持ちで持ってきていたサラミをナイフで切り分け、怪我をしていた者に渡す。

 

「ほら、これ食べて元気出せ」

 

「あ……でも」

 

「気にすんな、肉ってのは血を作るんだ。こう言うときのために持ってきてんだから」

 

「……あざーす!」

 

 頭と腕に包帯を巻いていた駆逐艦の(さざなみ)は、貰ったものをゆっくりと味わい始める。もう何時もなら港に戻ってる時間だし、無理もないか。天龍は他にも岩に寄り掛かって仮眠を取ろうとしている者や、ナーバスになっているのを励ましている者を見て軽く舌打ちする。

 

 基本的にあまり自発的に攻めに行くような部隊では無いので、天龍率いるエスコート隊は「軽い」編成だ。部隊長がまず軽巡洋艦で、その下に2人居る重巡洋艦の摩耶(まや)鳥海(ちょうかい)が攻撃役。以下、軽空母の瑞鳳が策敵、足の速い駆逐艦の漣、菊月(きくづき)が囮役、といった具合だ。

 

 別に練度が低いこともなく、全員それなりの腕前も持ち合わせている。なので不足の事態でも対処はできる……だが、流石に疲労のたまった状況での戦いとなると格上と互角に戦うのは厳しく、大きな被害を受けた、という経緯があった。

 

 このまま日没までに味方が来てくれて、そのまま帰られると楽なんだがね。そう思った瞬間だった。妖精らに操縦を任せて寝ていた瑞鳳が、連れの小人に叩き起こされて青ざめているのが見えた。十中八九何かあったろうと天龍は立ち上がる。

 

「どうした? 何かあったかよ」

 

「さっきの空母、もしかしたら味方を呼んでたのかも。すごい数の敵がこっちに来てるって!」

 

「チッ……なるほどな」

 

 敵が来たぐらいは予想がついたがその上を行ったか。疲れの溜まった体に鞭を打ち、天龍は主砲を抱えて部下に指示を出した。

 

 

 

「クソが……ちっとばかし休憩してたらこれかよッ!」

 

『隊長! 敵の数が多すぎます!』

 

「解ってる! お前ら、適当に攻撃した後、包囲網に穴が空いた時を見計らえ! とっとと逃げるぞ!」

 

 四方八方から飛んでくる敵の弾に、落ち着くことなど不可能に近かったが。必死に頭を回しながら、天龍は脱出の方策を練る。

 

 持っていた刀で串刺しにした駆逐艦の死体を小脇に抱える。それを盾にしてなんとか敵の攻撃をいなしつつ、散り散りになっていた味方をまとめた。

 

『さ、漣は食べても美味しくないよーだ!』

 

『くっそ、キリがない……隊長、逃げに撤するべきだ。これじゃ弾切れするだけだぞ!』

 

「あの大軍に突っ込むってか? 俺はヤだね!」

 

『ちぃっ、やるだけやるしかってのか!? クソが!』

 

『みんな頑張って! ここが踏ん張りどころなんだから、弾は大事に、よく狙って撃って!』

 

「ぐっ……長くは持たねーな……」

 

 とは言ってみたものの。摩耶の言う通り、隙を見つけて逃げないと不味いことにはなりそうだな。残っていた最後の魚雷を全て発射して敵から距離を取る。

 

 そんな天龍の思いとは裏腹に、刻一刻と状況は悪化の一途を辿るばかりだった。そもそも6人で10数体の敵を相手取る所から始まった戦闘だったが、そこから更に敵の増援を瑞鳳が感知する。

 

『ま、また増えた!? 正気の沙汰じゃない!』

 

『ははっ、悪くない、一番槍もスコアも私が頂く!』

 

「フザけんなエスコート3下がれ! その怪我じゃ無理だ!!」

 

 いよいよもって隊員全員がオダブツか? 冗談じゃない……。そんなように思ったときだった。

 

 怪我のために自分の後ろに控えさせていた漣から通信が入る。

 

『後方より未確認の高熱源体接近! 追加の深海棲艦キター!』

 

「何だと!?」

 

『あれ……何だこれ? 友軍? こいつ、友軍の信号を発信していまーす』

 

 報告を聞いた天龍の頭の中は大量の?マークで埋まった。友軍信号の深海棲艦? 何を言っているんだ? そんな彼女の疑問に答えるものは無く。次いで、また更に通信が入った。

 

『こちらファルコナー。いー子にしてたアンタらを助けに来た』

 

 聞いたことがない声の持ち主からの無線だった。有無を言わさないような調子でその何者かは喋り始める。

 

『スマホから目を話すなヨ。指定した座標に集まれ。ウチのエースがお通りだ』

 

「てめぇどこの部隊だ? 所属を言え」

 

『大型砲で道を開ける。射線を開けろ、指示に従わないなら安全は保証できねーぜ』

 

「!?」

 

『10、9、8、7……』

 

 意味がわからない。だが明らかにヤバい空気がする。天龍は落としていた携帯電話の電源を入れ、相手の提示してきた場所を確認する。そして急いでその場から離れ、散っていた隊員にも同じ行動を取るように警告した。

 

「エスコート1から各艦へ、ただちに散開! 早く! 急げ!」

 

 一体何がくるんだ? そんなようにエスコート隊の全員が思って間も無くの事だった。

 

 緑色の光を纏った光線のような一撃が、対峙していた深海棲艦の群れへと放たれた。地響きのような音に、その場にいた艦娘たちは顔をしかめる。

 

「なん……だぁ……?」

 

 異常といって差し支えない威力を、その光線は持っていた。軽く見積もって3分の1程の数の敵を蒸発させてしまったのである。

 

「おいおいマジかよ……一体何が来るんだ?」

 

 再度、スマートフォンの液晶に目を向けた。そして超特大の反応に、天龍は眉間にシワを寄せて背中側の景色に顔を向けた。

 

 自分も知る深海棲艦、装甲空母鬼かと、そのシルエットを一瞬考えた。が、その怪物は、形状が少し異なっていた。

 

 実艦に装備されているような超大型の大砲が2つ。ホバークラフトのようなプロペラ装置が2基後部に配された「それ」は、通常の艦船などとは比べ物にならない、常軌を逸した速度でこちらに向かってきていた。

 

 その乗り物(?)に乗っていた深海棲艦と目があった気がした。ほんの少しの間だったが。そいつの被っていた狐の面が、深く脳裏に刻まれる。

 

「なんだアレ……姫級? いや、違う……重巡ネ級?? それも友軍信号を出している……」

 

 付近の地形をオートマッピングするアプリケーション上に、その深海棲艦の反応があったのを見つける。識別コードには「white knight」と振ってあった。

 

ホワイト・ナイト(白馬の王子さま)? どういうこった……」

 

 謎の深海棲艦は、天龍らに構うことなく、大型の艤装のやかましい駆動音を響かせ、高速で敵の群れに突っ込んでいった。

 

 

 

 




防空棲姫と本格的に関わるのは次~次の次くらいでしょうか。首を長くして待っていただけると幸いです。


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24 助っ人は深海棲艦

こっそり表紙絵を張り替えてみました。前までの物は第1話に格納してあります。


 

 

 

 

 全身に掛かる加速Gに、ネ級は顔がひきつる。体中に重りをぶら下げているような不快感だった。

 

 ちょうど両手が来る場所にレイアウトされた操作レバーを微調整しながら前後に動かす。今まで触ったことも無いような超大型の艤装を旋回させ、ネ級はまた敵の軍勢に切り込む。

 

 味方に射線を空けて貰ったお陰で撃てた20inch砲の威力は凄まじい物だった。先程はコンソールを埋め尽くさんばかりにあった敵反応が軽く半分は無くなっている事に、自分が撃っておきながら背筋が冷える。

 

「うぅ゛ッ! ぐっ……!!」

 

 勢いがついていた所からの急旋回で、遠心力で体が悲鳴をあげる。しっかりと体をホールドしてくれるバケットシートとシートベルトがあったから良かったものの、これらが無ければ吹き飛ばされていたのではと思うような負荷だった。

 

 手元のモニターを叩き、素早くパスコードを入力する。艤装の背面に配されたミサイルコンテナの蓋が外れ、弾頭が空気に晒される。

 

「……………!」

 

 一旦操作レバーから片方の手を離し、艤装の火気管制と連動している単装砲を構える。海面を跳ねる乗り物の上で狙いが定めづらいが、ネ級は気合いでレティクルを敵に合わせた。

 

 引き金を引く。タン、と軽い発砲音のすぐあとに、装填されていた大量のロケットが敵に向けて殺到した。

 

 アナログテレビの砂嵐を極限まで大きくしたような発射音が戦場に轟く。鼓膜どころか頭が震えるような音に、思わずネ級は身動ぎした。

 

『鈴谷、敵に囲まれてるぞ!』

 

「わかっ……てるって……!」

 

 無誘導の弾頭は滅茶苦茶に海面を跳ね回り、蛇がのたうつような動きで敵を火だるまにした。だが、それでもなお仕留めきれなかった個体から放たれる攻撃を、乗っていた生き物の腕で無理矢理防ぐ。そんな立ち回りをしていると、友人から警告を受けた。

 

 味方から敵を引き離す、という当初の目標は達成したが、ネ級は作戦行動を続ける。というよりも、数多くの敵に包囲され、撃滅しなければ逃げることすらままならない状況に追い込まれていた。

 

 ただ、ネ級は比較的余裕な精神状態を維持する。というのも、流石に使っていたのが鬼級深海棲艦の物だけあり、その頑丈さを信じていたことが大きかった。

 

 後方で部隊を逃がすための誘導と、ネ級の横を素通りした残党の処理をしている木曾はよくやってくれていることをモニターで確認する。ひとまず作戦失敗になるようなことはないと判断してほっとしたのも束の間、流れ弾が当たり大きくよろけた艤装に、彼女は苦い顔をした。

 

(残った敵……軽巡と戦艦、あと空母が少しか!)

 

 最初の奇襲が上手くいったこと。何よりもそこに感謝するべきか。後は派手に暴れて逃げようかな。ネ級は簡単に行動指針を固めると、単装砲の狙いを戦艦タ級に合わせる。

 

「>―=?]`~「-:^`<`}@^;<_]@]……!!」

 

「おぉおぉ、怒ってる怒ってる♪」

 

 1か月と意外と短かった島の生活。その中で、ネ級は「2番目の深海棲艦」にも、簡単な感情表現があることを理解していたが、それを上手く利用する。狙い通り、効きもしない豆鉄砲みたいな武器で挑発された敵の一団は、怒りに染まった表情でこちらを追い掛けてきた。

 

 後方から豪雨のように殺意の濁流が押し寄せてくる。どうにか小回りの利かない怪物を左右に振り回しながら回避に専念していると。港で待っているヲ級から無線が入る。

 

『何してる。20inch砲を使え』

 

「ここからじゃ味方に当たります!」

 

『手段を選んでる場合か? その速度で海面に叩き付けられて見ろ。狙い撃ちにされてお前の体が砕け散るぞ』

 

「承知の事ッ!!」

 

 右手のレバーを限界まで手前へ。反対に左は奥に押し込む。操作に従って、ネ級を乗せた艤装は右回りに急旋回し、慣性に従って後ろ向きに進み続けた。

 

 そして追い掛けてきた者らを正面から迎え撃つ。ネ級は装備に強引に括ってあった航空機用のミサイルを放った。多弾頭式のそれは、花火が弾けるような光と炎を撒き散らしながら、深海棲艦の頭上に降り注ぐ。

 

 これで終わりか? そう思ったが、安直な思い込みは崩れ、尚もまだ被弾を免れた複数の個体が前進を続けるのが見えた。

 

「……………ッ!」

 

 弾幕を潜り抜けた一団が、矢鱈滅多らと撃ちまくるのを視界の隅に捉える。大きな図体ゆえに回避が取れず、ネ級はそのまま装備で攻撃を受けた。

 

 主砲として2基用意していた20inch砲の1つが破損する。ついで爆発と衝撃が各部に波及したのか、大型艤装のあちこちから嫌な音が出始めた。

 

 部品の破損を知らせるブザーが鳴る。警告音に顔をしかめつつ、ネ級は出力を上げて前進すると、今度は敵の群れの側面を狙って突撃を敢行する。

 

「ググギ……ギギ…ギ……」

 

「持ちこたえてよ……ガンバって!!」

 

 今のダメージは少し堪えたのか、怪物が唸り声をあげる。ネ級は自分の鞭に応えてくれる彼に呼び掛けながら、操舵に込める力を強めた。

 

 有り余るパワーが艤装を前へ前へと加速させる。

 

「ここだっ!!」

 

 そしてネ級は、唐突に再度レバーを引き、90度程怪物の方向を変えた。

 

 操作パネルに幾つか配された、cautionの文字が書かれたボタンを押す。すると、破損を免れた1基の大型砲が展開される。冷静に砲弾の装填音を耳で捉えてから、彼女は引き金を引いた。

 

「うぅりゃああぁぁぁぁ!!」

 

 タ級たちに最初に襲い掛かってきた物と同じ。深い緑色をした光が、彼女らに降り注いだ。

 

「はぁ……はぁ、ふううぅぅぅ……終わったぁ……」

 

 不味いな、ボロボロになっちゃった……可愛そうなことしたかな。

 

 体の緊張が切れる。シートベルトを外して楽な体勢になると、ネ級は座っていた下の生き物の頭を撫でた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 装備にそれなりの損害を出したものの、危なげなく任務をこなし。ネ級と木曾は、援護した部隊と仲良く鎮守府に帰投した。

 

 「お疲れ様」の一言と共にスポーツドリンクを渡してきたヲ級に、取り合えずネ級はありがとうと言っておいた。

 

 壊れた装備を、整備工員が声かけをしながら何かの点検をしているのを眺める。同じく横でその様子を見ながら、ヲ級は続ける。

 

「こいつの乗り心地はどうだった」

 

「まぁ……悪くないんじゃないですか。あまりにも小回りがきかないケド」

 

「そーかそーか。しかしまた、派手にやったな。そんなに大軍だったのか?」

 

「あの人たちよく持ちこたえたなって感じでしたよ。目測で30ぐらい敵がいて」

 

「……おい待てよ。30だと? それ本当か?」

 

「嘘言う必要ないじゃん。明らかに味方の倍は確実に居ました」

 

 敵が多かったことに何かの不都合でもあったか、ヲ級はこめかみに手を置き、頭が痛そうな素振りを見せた。

 

「参ったな。また突発的に湧いてきたってのか? にしても30は数が多すぎるぞ」

 

「何かあるんですか?」

 

「…………そうだな。お前さん、なんで俺が軍に居場所があるか。気になる?」

 

「ん~……ちょっと」

 

「そうかい……。俺はな、顔見知りから情報を買ってるんだよ。海にはお前さんのお友だちみたいに戦い嫌いな深海棲艦もいる」

 

「あぁ。居るでしょうね。それも結構」

 

 ネ級は自分用のブーツや武器を用意してくれた泊地水鬼や中枢棲姫を思い出す。

 

「そういう奴らはな、(ココ)の物を、例えば食べ物なんか渡すと大層喜ぶわけさ。コンビニのおにぎり渡しただけで号泣するヤツだっている」

 

「へぇ……」

 

 会話の最中、レ級が屋敷で教えてくれたことも思い出した。ヲリビーは買い物好き、という話である。初めて彼女を見たときは服装などから私的な物だと考えていたが、この事だったのかと思う。

 

「そういうのを小突くと教えてくれるのさ。集団で活動する深海棲艦の群れとか、最近戦闘が激しかった場所、とかな」

 

「なるほど。それで安全な場所を割り出して船の航路とか作ってるわけだ」

 

「大当たり。察しがいい奴は好きだぜ」

 

 昔から、ネ級は不思議に思っていた事がある。軍は、特に日本はアウトエリアなんかの危険地帯が、かなり明確に細分化されて地図に有ることだった。このヲ級がいつから活動しているかは知らないが、確かに、海の王者とも言える生き物の協力があるなら、あれだけ精巧な物も作れるよな、などと考える。

 

 会話を続けよう、とネ級が思ったとき。木曾が自分らの元へと走ってくるのが見えた。

 

「お帰り。どうしたの?」

 

「戦果報告はやってきたけど、報告書を書けだってさ。あと今昼だし、飯食いに行こうと」

 

「あっ。もうそんな時間なんだ」

 

 ネ級は書類を受け取りながら、隣のヲ級に向けて口を開いた。

 

「ヲリビーさんは?」

 

「ご一緒、しようかね」

 

「そっか」

 

 深海棲艦2人は寄り掛かっていた手すりから体を離した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 華々しい……物かはさておき、デビュー戦を勝利で飾った日の翌日。ネ級はやはり木曾に手錠をかけられて1日を過ごしていた。

 

 当然だが深海棲艦なのであまり歓迎されていない様子の彼女だったが。ならば逆に利用すれば、あまり作戦に呼ばれなかったりしてぐっすりと午前中は睡眠を取れたりしないだろうか? 等という怠け心は、着任2日目にして朝早くに木曾に叩き起こされた事で砕けて無くなった。

 

 一応早い時間に寝ていたので寝覚めは悪くなかったものの。何の理由があって自分は布団を引き剥がされたのか、ネ級は友人に聞く。

 

「なんでこんな朝っぱらから起きないとダメなのさ。また仕事?」

 

「近からず遠からずだな。あぁ、強制参加だから一応仕事かな」

 

「ドジ踏んだ人らの救助の次はなにさ。まさか秘書艦?」

 

「書類仕事か。確かにお前なら任されるかも」

 

「…………あのさ、なんでそう露骨にはぐらかすのさ」

 

「はっきり言うとお前逃げそうだしヘソも曲げそうだし」

 

 木曾が言い終わらないうちに、ネ級は手錠を押さえながら目一杯に腕を捻る。変な方向に手を曲げられた友人は悲鳴をあげた。

 

「あぁっが!? いだだだだだだだ!!」

 

「言わないともっとネジるよ~」

 

「話すよ、喋るったら離せって!」

 

 「か、肩が外れたかと思った……」 木曾は答えた。

 

「俺とお前。あともう一人今日配属になるやつの自己紹介をやるんだと。そんだけだよ」

 

 肩を擦っていた木曾の誘導に従って、ネ級は昨日も数回訪れた食堂に着いた。

 

 自己紹介、だとぉ。昨日渋い顔をしていておいてそんなことをするのか。あの提督、なんか変なこと企んでたりして。そんなことを思いながら大部屋に入ったネ級は、視界にあった1人の人物に目が吸い付いた。

 

 見覚えのある女が、艦娘達とは離れた所に座って静かに読書をしていた。

 

 蛍光色の作業着の上からライフジャケットを羽織り、右手には赤字架の書かれた腕章をつけている。何よりも目を引いたのは、その女性は腰から恐竜の頭のような巨大な尻尾が生えていた。まるでレ級だ。というよりレ級その人で間違いなかった。

 

 相手もこちらに気が付いたようで、彼女は落ち着き払った動作で本に(しおり)を挟んで閉じ、背筋を伸ばす。

 

 『凶作恐怖恐慌京都』というタイトルのその本が、一体何の小説なのか凄く気になったが、とりあえずネ級は久し振りに再会した彼女に話しかけてみた。

 

「レッちゃんが何でここに?」

 

『お久し振りです。怪我は大丈夫でしょうか』

 

「え? あぁ、うん。私はなんともないよ」

 

『そうですか。私は、貴女が目を覚まし、この鎮守府に配属されると聞きましたので、迅速に駆け付けました』

 

「え゙」

 

 ネ級が読んでいた物を覗き見て、木曾が口を開く。

 

「おまっ、コイツに合わせてこんなとこまで!? 北海道から?」

 

「北海道!?」

 

『貴女に何か不都合でもありましたか? もしそうならば深くお詫び申し上げます』

 

 手錠を握る友人の発言にネ級は思わず声を張り上げた。

 

 救護の部隊とは聞いたが、そんな北国からはるばる自分ごときのために迎えに来たのかと思う。当のレ級はというと、2人が変な反応をしたものだから、深くお辞儀して頭を下げてきた。慌てて女2人はそんなことはしなくていいと言ったとき。食堂の入り口から、ここの提督が入場してきた。

 

「みんな、おはよう……なんだお前たちも来ていたのか」

 

 朝食を摂っていた者らに挨拶を済ます中で、彼は木曾らを見つけると、あからさまに嫌そうな表情になった。男の露骨な態度に、ネ級は真顔に、木曾は眉を潜め、レ級は情けない笑顔を浮かべた。

 

「はい……おはようございます」

 

「「……………」」

 

 渋々やってやってる、という気持ちを顔面から滲ませて木曾が挨拶をする。後ろの深海棲艦2匹は無言でお辞儀をした。

 

 

 

 

「どーすんだー鈴谷ぁ。お前もレ級も印象最悪ってカンジだぜ?」

 

「しょーがない。信頼って言うのは気長に築くしかないよ。」

 

「そんな悠長で大丈夫なのか? 下手すると後ろから撃ってきそうな雰囲気だったケド」

 

 やる気のない男が主導で行われた3人の自己紹介+朝礼だったが。あまり良い結果で終われず、木曾は頼んだ魚の定食に手をつけながら愚痴を呟く。

 

 ハッキリ言って、どんなに自分が凄い人間だったところで上手くいくわけがない(もよお)しだったな。ネ級の感想は(おおむ)ねそんなところだった。

 

 そもそも、向こう(この鎮守府)は初めからこちらを警戒していた。風変わりなネ級の噂はよく伝わっているようだが、ここの艦娘はそんな迷信には踊らされない者が多いのか、怪物の話す言葉など最初から聞く気が無いようにネ級の目には写っていた。

 

 ぞんざいな扱いを受ける理由は頭で理解できていたが。正直、多少ネ級は腹が立った。

 

 昨日助けた艦娘だが、自分の装備を確認するという口実でこっそりと整備の様子を見たが、かなり追い込まれていたらしいことを装備のダメージで把握した。そんな所から一応は身を(てい)して庇ったのだ。ちょっとぐらい、誰か1人ぐらいは褒めてくれてもいーじゃん等と考える。

 

「ま……頑張るよ。一応、考えが無いわけでもないし」

 

「お、マジでか。例えばどんな?」

 

「なんだろ。そうだ、カッコつける。それも、めっちゃくちゃにね」

 

「…………わかんねーわ。どういう事?」

 

 メロンソーダで喉を潤してから、続ける。レ級はというと、パンケーキをアイスコーヒーで流し込みながら2人の様子を黙って見ていた。

 

「男女関わらずカッコいいものっていうのは人を惹き付けるんだよ? 木曾が昨日言ってくれたじゃん。私が作戦で、例えば民間の人を助けたりなんだりで大活躍するわけ。最初の印象が悪い分、ギャップで株が上がるってものでしょ!」

 

「あぁ、そんなこと言ったっけ。言い分はわかった、なるほどな。でもそんな簡単に上手くいくのか?」

 

「上手くいく・いかない関係ないし。頑張ってる人っていうのは、大なり小なり人の心を動かすんだから」

 

「ふ~ん……」

 

 納得がいかないような表情の友人へ、鈴谷は言う。

 

「なにさ。そのカオは」

 

「いいや。さっきまでブーブー言ってた割には、今元気だなって」

 

「あそこまでどいつもこいつもあからさまだとね。ちょっと頭に来ちゃって」

 

「ほ~。でも、大丈夫なのか。そう空元気振り撒くのも、見返りが無いとキツいだろ。お前だっていつも元気だとは限らないんだし」

 

「ふふ~ん……私はね、褒められて伸びるタイプなの。でもね、自家発電も出来るワケ。今日の私は頑張ったなぁとか、最高だ~とか思って自己暗示をかけると、人って能力が上がるんだって。知ってた?」

 

「………………」

 

「つまりだよ。私ってスゴい! 無敵! 天才! とか日頃から思うネ級ちゃんは最強ってこと。おわかり?」

 

 鈴谷という人間は、頭が良い奴だと俺は思っている。だけど今この瞬間は突き抜けたアホだな。 そんな風に対面の女に思われているなど露知らず、ネ級は上機嫌で続けようとした。

 

 ふと、木曾は腕時計に目をやった。瞬間、血相を変えて彼女は無理矢理食べ物を口に押し込み始める。

 

「……? なにしてんの」

 

「仕事だ仕事。もう少しで時間だ。お前にも来てもらうかんな」

 

「ふーん。別に良いけどさ」

 

 味わう暇もなく2人は頼んだ料理を完食する。片付けようとしたネ級を止めて、木曾はレ級に話し掛けた。

 

「レ級、悪い、片付けて貰っていいか」

 

「…………」

 

「そっか、あんがとよ。後で何か奢るよっ」

 

 手錠をはめ直して、木曾はネ級を引っ張って慌ただしく食堂から出ていく。

 

 なんだか大変そうだな。今日一日、予定もなく暇なレ級はのんびりと食器を戻しながらそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「…………………」

 

 さて、キッチンには取り合えず来てみた。マミヤ、という調理場の責任者からも許可は取っている。どんな料理を作るべきか……。 レ級は冷蔵庫の中身を物色しながら思案する。

 

 どうしよう、どうしよう、と物思いに(ふけ)る2人を眺めていたレ級だったが、会話にこそ混ざらなかったものの、実は彼女も多少の方策は練っていた。

 

 仕事の方針、職員・艦娘への気遣い……色々と話していたネ級らだが。レ級は、「鎮守府の構成員に手料理を振る舞おう」等と考えていた。

 

 まず彼女自身も様々な予測を立ててみたものの。一周回って簡単に考えて、美味しい食べ物を振る舞ってやれば、余程性根の曲がったもの以外は心を開くだろう、と思ったのである。

 

「…………………」

 

 肉類、野菜、果物に、生クリームやチーズ、つぶ(あん)等の加工食品や調味料と大方揃っている。しまいにはドラゴンフルーツやらサボテンまであって驚くが、取り合えず作れなさそうな物は無いなと心中で彼女は呟いた。

 

 豪勢にフルコース的なモノか? 軽くつまめるジャンクフードの寄せ集め……? いや、ダメだ。前者をやるには自分は腕も信頼も時間も無いし、後者はあまりにも手軽すぎるものを作ったって、わざわざ自分が作る意味がない。困ったな、いよいよ行き詰まった…… 文字通り頭を抱えてそんな事を思っていると。彼女の目に、食堂に貼ってあったポスターが写った。

 

 『定期周回~移動式屋台 天然素材のクレープ屋さん』

 

 クレープ……いいな。名案だ。レ級はそう思った。

 

 手軽に、それこそ外出先で散歩しながら片手間に食べるような食べ物の代表格である。片手で持てて、手は汚れづらく、そして味も人に合わせてかなり自由がきく。何よりも作り手の温もりが感じられるような食べ物だ。今自分が用意したい料理として、これ以上ないぐらいに適任だろう。

 

 これは神様からの天啓かな? レ級は表情を(ほころ)ばせながら、フライパンやホットプレート、ガスコンロ等と使いそうな道具を取り合えず並べる。

 

 食器・器具に洗い忘れた汚れなんかが無いかと見つつ、スマートフォンの電源を入れた。主食に関係するような物はほとんど網羅(もうら)するほど作ったことがあるが、レ級はデザートはあまり作った経験がなかった。それとなく調べて情報を仕入れつつ、じっくりとクレープという食べ物を考えてみる。

 

 中の具材は何にしようかな。何気無しにぼうっと周囲を見渡す。レ級はそのとき、開け放たれた食堂の入り口を通り過ぎる艦娘を見つけた。

 

 待機中の者だろうか。なんだか暇そうだな。等と考えていると、レ級は名も知らぬ彼女が手に持った蜜柑(みかん)で遊んでいるのが目につく。

 

 蜜柑……か。あまり嫌いな人が居なさそうだし、どうかな。そんなように考えつつ、キッチンの近くを見回したとき。先程のポスターの隣の貼り紙と、その下にあった紙袋に注意が向いた。

 

 『誤発注につき、ミカン缶大量発生 ご自由にお取りください』 間宮が作ったのか、黄ばんだ紙にはそう書かれている。袋の中を覗いたが、なるほど、確かに備蓄というには多すぎる大量のミカン缶が入っていた。

 

 決めた。取り合えず最初はこれで実験してみようか。中の物を1つ手に取り、レ級はIHコンロの電源を入れた。

 

 

 

 

「ふううぅぅ…………ふぅ。」

 

 料理上手で手先も起用な彼女は手早く試作品1号を作り終える。出来立てで熱いそれを、猫舌なので入念に冷ましてから食べる。中の具は暫定的にミカンと生クリームとした。

 

「…………」

 

 ボツ……かなぁ。レ級は一口食べてしばらく考えたのちにそう判断する。

 

 最初から上手くいくことなど考えていないし、そもそも練習目的で作ったのでかなり適当にやったのだが。生地は厚く、具材の蜜柑はあまり生クリームと相性が良くないように感じた。

 

柑橘(かんきつ)の独特な酸味がクリームの人工的な甘さとケンカしてる……ような気がする。そのくせ、後味に蜜柑の苦味がやって来る。あまり美味しいとはいえないかな)

 

 他人の味覚の違いということも多少考えるが、自分が美味しいと思わない者を他人に提供して良いのだろうか。そんな考えが脳裏によぎる。

 

(ダメだ。南様ならダメ出しするレベルだこれは。却下だな……具材はともかく、取り合えずもっと薄く焼くコツを掴まないと)

 

 生地に入れるものの量を変えてみよう。それで何かが変わるかも、等と考えていた時だった。

 

 立ち上がった瞬間、誰かに呼び止められた。驚いてレ級は机に膝を強打する。

 

「何、してるの?」

 

「!? っ~~~!!」

 

 床に固定されている物に強かに体を打ち付けて、レ級は思わず声にならない声をあげて座り込んだ。唐突に話し掛けた秋月(防空棲姫)は、急いで弁解しながら彼女を介抱する。

 

「ご、ごめん大丈夫?」

 

『許しません』

 

「うっ!? そんなぁ……」

 

 レ級は震える手で書いたものを彼女の胸に突きつけた。続いて彼女は涙目になっていた秋月に伝言を続ける。

 

『試食、手伝ってください。じゃないと許してあげない』

 

「試食?」

 

『そこのクレープ見えてないの』

 

 何のことだ? と問い掛けて相手が出してきた、ボードマーカーでやたらデカでかと書かれたメモに。秋月は慌ててテーブルにあったものを口に突っ込んだ。

 

 

 

 

「私はあまり悪くないと思うんだけどなぁ」

 

「そうかい? 僕は微妙かな」

 

 どうでも良いことだったかもしれないが、いきなり声をかけてきた相手に頭に来たレ級は、秋月を何度もクレープの食べ比べに付き合わせる。

 

 時間の経過と共に、ふらりとやって来た彼女の妹だという同じく駆逐艦の初月(はつづき)も興味本位からそれに付き合うことになり。茶菓子代わりにそれを食べて感想を言う2人を見つつ、レ級はひたすら焼き加減について練習する。

 

 「私は好きな味だな」。最初にレ級が作った物を食べて、秋月はそう言っていた。逆に初月はあまり好きではないと言うのを聞く。それを踏まえてレ級は考えを変えていた。

 

 当然と言えば当然か、食べ物の好みなど人によって千差万別である。たまたま万人受けするものがお店として繁盛するぐらいで、100人が嫌いと言う味がたまらなく好みな人間も存在するだろう。薄く焼く事ばかり躍起になったが、レ級は気楽に考えて厚いものも薄いものも両方用意することに決めた。

 

 生地の問題は解決した。沢山色々用意すれば良いだろう。が、中身はどうだ。下手に色々用意しても余るものが出たりして面倒だし。そんなように思っていると、秋月からリクエストが来る。

 

「ちょっといいですか」

 

「…………………」

 

「しょっぱいものって作れますか? こう、サンドイッチの具みたいな……」

 

 あぁそうだ。おかず系統のクレープなんて物があったな。レ級はミカン味の物ともう1つ、サラダ味でも作るかと思い立った。

 

 嫌な出会い(ワーストコンタクト)だったが良いことを言うな。そんなように思いつつ。レ級はしっかりと彼女の好みに合わせて厚い生地にキャベツとトマト、ベーコン等を挟んでマヨネーズをかけてから渡そうとしたときだった。

 

 ふと、レ級は気に入らなかったミカン入りクレープを食べた初月の感想が耳に入る。

 

「私は良いと思うけどな。気にしすぎじゃないかな。初月はどういうところがダメだったの?」

 

「僕は……そうだな。食感が気になった」

 

「食感?」

 

「うん。苺とかバナナとか、クレープに使われる果物って、結構サクサク噛める物のイメージがあるんだ。オレンジみたいな、少しぶよぶよした歯触りの物ってあまり使われない気がするし」

 

 「味そのものは悪くないんじゃないかな。僕の感想だけど」 そう、彼女は締め括る。

 

 歯触り……食感。そうか、違和感の正体はそれだ。レ級は初月の肩を掴み何度も頷いた。

 

「…………!」

 

「わっ!? なんだ急に? 変な気があるなら容赦しないぞ」

 

 彼女が言い終わらないうちに、レ級はてきぱきと調理を始めていた。

 

「なんなんだ一体……それに深海棲艦を2人も入れるなんて。提督は何を考えてるんだ」

 

「別に良いんじゃない? 悪い人では無さそうだけど」

 

「でもね、姉さん。軍の体面って物が」

 

「あっ、これ美味しい!」

 

「……………はぁ」

 

 何をひらめいたのか、鼻歌混じりに自在に調理器具を振り回すレ級と、すっかり餌付けされた自分の姉に。初月はため息を吐いた。

 

 

 

 

 




レ級の手料理作戦は成功するのでしょうか。因みに着任したばかりの彼女は秋月が深海棲艦であることを知りません。ついでに作者は料理はヘタクソなので必死にネットと本を読み漁りました。


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25 品定めはいつまで続く?

FAガールを作ってたら遅くなったので初投稿です。すち子作ってたらvar2発売とかもうね()

ネ級のフィギュアとかでねーかな


 

 

 

 「隊長聞きました? あいつ、「ライセンシー」だそうで」 食堂で頼んだ料理を待ちながら、額に貼っていたガーゼを交換していると。隣の席に居た摩耶が話し掛けてきたので、天龍は手鏡を眺めながら続ける。

 

「ライセンシィ?」

 

「ほら、鎮守府の優良隊員に配られる資格があったじゃないスか。なんか、艤装の管理を任される奴が」

 

「深海棲艦が資格持ち((ライセンシー))……そりゃ、すごいな」

 

 昨日、自分らを助けたネ級に思いを()せる。今朝のレ級、木曾と3人並んでの自己紹介を思い出して、天龍は真顔になった。

 

 最初に思ったことと言えば。「すごく流暢に喋るヤツだな」というものだ。

 

 思い起こせば、いつも砲弾をプレゼントする相手は電波を飛ばしてくるような声ばかり出すので。前から鎮守府に居座っていたヲリビーを差し引いても、何を取っても人間と変わらないように発声するネ級が、たまらなく違和感の塊のように思えたのである。

 

「一体俺らの提督は何考えてんのかね。鎮守府に3匹も深海棲艦を置くとはな」

 

「正直、アタシは嫌だな。どいつもこいつも信用できそうにねーや……特にあのヲ級だ。何をしたのか知らねーが、偉くなって一丁前にでかい顔しやがってよ」

 

「まぁ、異常事態ではあるよナ。しかし、資格持ちねぇ……でもなんであいつ提督に装備押さえられてんだ? 昨日のばかでかいのは借り物だって話だが」

 

「まだ信用されてないって事でしょうよ。アタシがここの指揮取ってるならたぶんそーするし」

 

 話の途中で、給仕の者が来る。2人の前にそれぞれ料理が並べられた。

 

 さぁ食べるか。そんなように考えた天龍の手にブレーキがかかる。どういうことか、運びに来た女は、数種類のクレープが並べられた皿も一緒に置いた。頼んだ覚えがないデザートに彼女は突っ込みを入れる。

 

「? なんだ、クレープなんて頼んでねぇぞ」

 

「みかんの缶詰を誤発注してしまって、処理するために作ってもらったんです。お好きにどうぞ。半分からこちらの方は、サラダを具にしたおかずになります」

 

「ほー。まぁいいや。どうも」

 

 気を取り直し。食事を楽しみつつ、2人は話す。

 

「隊長サンはどう思って? アイツとかレ級とか、あのな~んか怪しい木曾とか言うのは」

 

「さぁな。意外と悪いやつじゃないんじゃないかな」

 

「はぁ?」

 

「一応助けてもらったことには変わりねぇ。貸しを作ったことにはなる。いつか何かしてやんねーとな、ってな」

 

「へぇ……律儀っすね。ホント」

 

「お前も一応礼ぐらいは言っとけよ。わりと真面目に俺は命の恩人だと思ったからな」

 

「なっ、頭下げたんスか!?」

 

「あたりめーだろうが。普通にどういたしましてって返されたケド」

 

 まさかちゃんと返事が来るとは思わなかったがな。天龍は心中で呟く。

 

 艤装研究所の職員が着ている作業着に、顔に被った狐の仮面という着こなしが恐ろしく噛み合わず違和感を(かも)している容姿だが。あぁ見えて普通に話の通じるヤツ。今のところの天龍のネ級の評価はそんなところに落ちていた。

 

「………………。」

 

 ぐちぐちと何か呟く摩耶をちらちら見つつ、考える。話題に出てきた深海棲艦たちへ比較的前向きに思っていた彼女は、もしも自分の部隊に配属されたら、と予想していた。

 

 前提としてこちらの命令に忠実なことが必要だが、ネ級・レ級とは高い身体能力で名を轟かせる種である。無茶はききそうだし、使いこなせればさぞかし仕事は捗るだろうな、等と思っていたとき。また誰か1人、天龍の隣の席に腰を落ち着けた。自然と彼女の目線は横に移る。

 

 流れるようにして横につけてきた割烹着姿の女……食事に関係する事柄を任されている間宮(まみや)は、天龍に話を振った。

 

「どうか、しましたか。難しい顔になってます」

 

「まぁな。変わりもんが結構な数ウチに来たし」

 

「ネ級さんと、木曾さん。あとレ級さんでしょうか」

 

「わかるかやっぱり。お前はどう思ってんだよ」

 

 まかないだろうか、炒飯と野菜炒めを口に運んでから、彼女は返事をする。

 

「ここだけの話にしてもらえますか。私は、特にどうとも思ってないんです。……ただ、そうですね。どちらかといえば、好意的に見ています」

 

「はぁ!?」

 

「摩耶、うるせぇよ。で、なんで?」

 

「このクレープ、食べましたか?」

 

「……? いや。俺は甘いの苦手だからよ」

 

「あ、じゃあこっちのはどうでしょう。天龍さんみたいに、甘味が好きじゃない人用のサラダ系の具なんですけど」

 

 それはさっき別のやつから聞いたケド。口ではそう言いつつ、だが暗に「食べてみろ」との間宮に、天龍は真顔で物を取って口にしてみた。

 

 中に入っていたのは、トマトとチーズ、千切りのキャベツだった。それらがオリーブオイルベースの少し酸味があるソースでまとめられている。個人の好みもあろうが、天龍としては舌に合っていた味だった。

 

「……ウマいな、誰が作ったんだ。間宮さんアンタか?」

 

「いいえ。聞いたらお2人は驚くと思います」

 

「ほぉ? キッチンにも新人でも来たのか?」

 

「少し、近いですね。これ、作ったのは全部レ級さんです」

 

 予想よりもうまいな、等と思って再度クレープをかじった天龍の手が止まる。間宮が来る前からオレンジクレープを食べていた摩耶はというと、間宮の発言に激しく咳き込んだ。

 

「ゲッホッ! ぐっ、けほっ、ん゙ん゙ッ」

 

「大丈夫ですか!?」

 

「ほっとけ。つーかさ、マジかよ。あいつが作ったのか……深海棲艦てのは料理もできんだな」

 

「隊長、何ノンキかましてんだ!? 毒でも盛られて……」

 

「馬鹿かおまえ。この人が監視してる場所でそんなことできるわきゃねーだろ」

 

「毒は言い過ぎですよ。それは失礼すぎます」

 

「間宮さんまで……」

 

「言ったでしょう。私は、あの人たちを悪いようには思ってないんです。摩耶さんは決めつけがすぎます」

 

 頬杖をついてぼうっとした様子で、間宮は続ける。

 

「ちょっと感激したんです……なんでこんなことをしたの?って、レ級さんに聞きました。そうしたら、ネ級さんからの指示だと」

 

「なんだと」

 

「皆さん、連日の作戦行動や訓練で疲れてるでしょうし、何より艦隊行動は頭も使うから。糖分が摂れるものを、との事で」

 

 わざわざこっちに気を使った、って事かよ。不気味なほど人間味のある根回しを指示したらしいネ級に、天龍は思う。実はレ級が間宮に伝えたこれは、彼女がネ級のために作った嘘だったが、当然そんなことは調理した本人以外に誰も知らなかった。

 

「…………」

 

 無言で天龍はオレンジ味を取って口にする。生クリームと和えられた控え目な柑橘の甘さが広がる。果物は好きではないが、嫌いではない味だった。

 

「割りと、こっちもいけるな」

 

「…………」

 

「どうした摩耶」

 

「いや。なんか、ちょっとイラッしただけ」

 

「そうか」

 

「疑ったアタシがバカみてぇだ。ほんと何したいんだあいつら……」

 

「さぁな。ただ、案外単純かもよ……「鎮守府に信用されたい」。みたいな」

 

 口を麦茶で濯ぎながら、天龍は食事を続けた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 生まれ持った社交的な性格に加えて、レ級の計らいによる極秘の手料理工作によって、着実に鎮守府からの信頼を勝ち取っていた事はとうぜん欠片も知らず。ネ級は今日もまた近海で味方と演習に(いそ)しんでいた。

 

 鎮守府ではレベルの高いグループに含まれる艦娘たちに囲まれながら必死に応戦するネ級を、演習の責任者である艦娘、鹿島(かしま)が遠くから双眼鏡で眺める。

 

「具合はどうです? 天龍さん」

 

『微妙だな。動きは悪くない。まぁまぁか』

 

「そうですか。時間まであと10分間、続けてお願いします」

 

『あいよ』

 

 スマートフォンのタイマーと、模擬戦を繰り広げる彼女らの被弾状況などのモニタを見つつ、指示を出す。いつも通りの馴れた仕事に、天龍は事務的な応答をしてきた。

 

 2本1対の触手や、腰から生えた尻尾など。外見こそ見るからに人間から逸脱しているものの、能力や性質としてはそれほど危険性は秘めていない。というのが鹿島のネ級への見解だった。

 

 この深海棲艦を連れて歩く木曾と話しているところを見ているし、それなりの礼儀も叩き込まれているらしいことも知って、鹿島は多少この怪物への警戒を緩める。

 

「また被弾……それに動きがぎこちない?」

 

 レンズ越しにみえる女に、独り言を呟く。このネ級、鎮守府の精鋭チームには一対一でぎりぎり勝てない程度の力量であることが、鹿島を安心させる要素の一つだった。

 

 鎮守府の備品の作業着にエプロンという格好で、悪地形に苦戦しながら水面を駆け抜けるネ級を見る。

 

 弱い……と断言できるほどお粗末ではない。が、文句なしの一流というには少し動きが固い。鹿島の下した評価はおおよそそんな物だった。

 

『ほらほらどうした、避けれてないぞ?』

 

『こっちもです!』

 

『……………ッ』

 

 浅瀬に足を取られて転倒しかけるが、ネ級はしなやかな身のこなしで後転して体を起こす。ただ、それに夢中になると、隙を突かれて駆逐艦・軽巡洋艦らの攻撃を回避しきれなくなる。そんな流れが何度も眼前では繰り返されていた。

 

『どうです、こいつ? 教官』

 

「さぁ、私からはなんとも……」

 

『いいとこ中の上ってトコですよこれ。そりゃ、ハチャメチャに強いのも怖いですけど』

 

『他の子と連携するには、ちょ~っと練度が合わないかなぁ?』

 

 駆逐艦の漣、天龍と同じく軽巡洋艦の那珂(なか)が端的に感想を述べる。こうして軽口を流す余裕が出来てしまっていることからも、ネ級と天龍らに技量で差がある事は簡単に想像できた。

 

 噂と違うんだな。鹿島は思う。

 

 開示された情報で知ったが、彼女は軍でも有名だった人助けをして回っていたネ級だと言う。最後は艦娘の部隊と連携して戦艦棲姫を撃破したとのことだが、とてもそれほどの強さがあるようには思えなかったのだ。

 

 療養で2か月のブランクがあるとは聞いたけど、ここまで(なま)るものなのかな。30分間の演習中、既に両手で数えられないほど被弾し、服をペイント弾で濡らしていた彼女を眺めていると。今まで黙々とネ級を狙い撃ちしていた摩耶から通信が入る。

 

『こちらエスコート3。少し良いかい教官サマ』

 

「どうかしましたか」

 

『こいつ、やっぱり疲れが取れていないんじゃないのか。昨日の今日だ。不馴れだとかとは別で動きがぎこちない気がするよ。そうは思わないか?』

 

「………………」

 

 思い当たる物があって。彼女は返答に詰まった。

 

 鹿島は、前に悪戯(いたずら)好きな艦娘たちの悪乗りに付き合わされて覗くことになった、ネ級の寝顔を思い出す。

 

 

 

 数日ほど前に(さかのぼ)る。その日は自分の主要な仕事である演習がなく、鹿島は適当な雑用をこなしていた。

 

 定期的に運ばれてくる武器や装備の弾や燃料を数え、発注の書類を作成していると。非番で暇そうにしていた何人かの艦娘に絡まれる。

 

『あっ、教官。ちょっと良いかな?』

 

『? 磯風(いそかぜ)さんに(あらし)さん。どうかしました?』

 

『暇を持て余していてな。少し度胸試しでもしようかと考えたんだが、一緒にやらないかい?』

 

 この寒くなってきた頃合いに肝試しでもするのか? そう思って彼女は聞く。返ってきたのは、鹿島としては余り良いとは思わない返事だった。

 

『度胸試しって、夜中にお墓参りでもするんでしょうか?』

 

『そんなんじゃない。ただのイタズラさ。例のアイツにな』

 

『アイツ』

 

『な~んだよニブいな、ネ級だよネ級! あの野郎、仮面なんて被ってスカしてるだろ? 自分の部屋がないとかで、いつもソファで寝てるらしいんだ。ちょっくら引っ()がしてやるのさ』

 

 嵐の発言に思わず鹿島は2人を睨んだ。確かに、彼女もネ級に不信感を抱いていたことは否めない。が、何か理由があっての仮面だろうと思っていたのでそれは少しやりすぎでは? と思った。

 

『あまり気乗りしないです。それにまだ仕事も……』

 

『手伝うよ。ザイコ整理なんて3人でやりゃすぐ終わるだろ』

 

『え? あぁ、どうもすみません……』

 

 作業を理由に逃げようとすると、退路を塞がれる。嫌ではあったが興味が無いわけではない彼女は渋々2人に乗せられた。

 

 数分後。話を持ち掛けた2人と仲の良い加古(かこ)も加わり、4人は件の踊り場に着く。階段をよく使う艦娘らの話のとおり、毛布を被ったネ級が静かな寝息をたててそこのソファに寝ていた。

 

『シー。居たな。誰が最初に行く?』

 

『へへ、俺がやろうか?』

 

『お、嵐どうした? なんかあるのかよ』

 

『油性のマジック持ってきたぜ。デコッぱちに「肉」って書くとかどうだ?』

 

 笑いながら話している3人へ鹿島は釘を指す。

 

『ダメですよ。一応私たちの仲間なんですよ?』

 

『はぁ。わかってねーな教官は。新人クンにイタズラするだけだっての!』

 

『あっ、ちょっと!』

 

 鹿島の制止を振り切り、意気揚々と嵐は早歩きでネ級の元へと近付いていった。

 

 ここで少しおかしなことが起こる。

 

 宣言通りに嵐は仮面を剥いで落書きをやろうとした……が、心境の変化でもあったのか。彼女はなにもせず、それどころか取った仮面をつけ直して戻ってくる。

 

『どうした? なんで何もしないんだ、お前らしくない』

 

『なんか、シラケちまったよ……』

 

『ハァ??』

 

『お前らも見てくりゃわかるよ。……チッ。イタズラなんぞする気になれねーよ、あんなん……勝手にしな』

 

 付き合いが悪いな。そんなように言われても無視して嵐は去ってしまった。磯風ほどつるむわけではないが、彼女のいたずら好きを知っている鹿島は妙に思う。

 

 疑問に思いつつ、3人は眠るネ級に歩み寄る。仮面の顎の部分を掴み、ゆっくりと加古はそれを取り払った。

 

『『『……………』』』

 

 目当ての物を見て、3人は無言になる。

 

 仮面を勝手に取ってしまっても、全くネ級は動かなかった。相手からすれば元々は敵である存在((艦娘や人間))だらけな鎮守府の中で、本当に無警戒でぐっすり眠ってしまっていたこの深海棲艦に、磯風らは動揺する。

 

 そしてそのマスクの下にあった彼女の寝顔を見て。それを眺めた全員は、なんとも言い難い気持ちになっていた。

 

 どんな怪物みたいな表情かな? そんな決め付けをしていた者はまず拍子抜けする。肌の色さえ気にしなければ、特に変な部分もない。それなりに整った、世間的には美人に含まれる位の顔だ。

 

『なんか、想像と違うんだけど……』

 

 加古は言う。口には出さなかったが、他2人も概ね同じことを思った。

 

 仕事に疲れきった人間のような印象を3人は受ける。それこそマジックでイタズラされたような、かなり色の濃い隈が目の下に刻まれ、右目を中心としてうっすらと火傷の跡みたいな傷跡がある。ついでに、このネ級は首に大きな傷跡があるのが目を引いた。

 

『なんの傷だよ。ギロチンでも食らったっての?』

 

『さぁね。普通じゃないな、こんな切り傷砲弾で付くものじゃない』

 

 「可哀想」という単語が脳裏に浮かぶような痛々しい顔周りの傷に。それに、全く起きる様子がないほど深く眠る彼女に、磯風と加古のイタズラしてやろうなどという考えは無くなっていた。リアクションが無くてはつまらないと思ったのもあるが、何よりも罪悪感を感じたのである。

 

 次に3人は、触手を抱き枕のようにして寝息をたてている女の側にあった、彼女の私物であろう手帳に目がいった。興味本意から加古が手に取って中を覗いてみる。

 

『なんだ、メモ書きか?』

 

 ページを開き、彼女は眉を潜めた。

 

『うっわ!? なんだこれ……?』

 

 薄汚れた手帳の紙には、びっしりと隙間なく文字が敷き詰められていた。3人は何が書いてるかと見てみる。

 

 鎮守府の提督、艦娘……だけに留まらず、整備士や清掃員、果ては出入りの業者に至るまで。この建物に関わる人物ほぼ全ての名前が記入されていた。

 

 その中で一際目を引いたのは、書類仕事→施設内清掃→艤装自主点検→敷地内清掃→……――という何かの走り書きだ。何の予定かピンと来た加古は半笑いで言う。

 

『な、なんなんだよこれ……フザけてるだろ、こいつここの掃除なんてやってたのか?』

 

『いや、誰か言ってたな。外でゴミ拾ってたとか』

 

『じゃあ、こりゃ1日のスケジュールってことか……ならこいつほとんど寝る暇も……』

 

『何かの冗談だ。ワーカホリックか何かか? タダ働きをこんなに……自分は理解しかねる』

 

 

 

 アレから生活習慣が変わってないとしたら? 疲れが溜まる一方だろうし、まともに動くことは……。鹿島が物思いに耽っているときだった。

 

 演習場内に、試合の終了を告げるブザーが鳴り響く。まだ時間はあったはずでは? と思った鹿島は、タブレットに目を通して気付く。どうやらネ級はこちらの駆逐艦からの攻撃で撃沈判定が出たらしく、それで終わったようだった。

 

「エスコート6、轟沈判定です。港に戻りましょうか」

 

『ははは……すいません。やられちゃった』

 

「……次は頑張ってくださいね」

 

 鹿島が無線を飛ばすと、相手は半笑いでそんなことを言ってきた。素顔は見えないのだが、あの疲れの滲んだ顔面で力なく笑っているのが想像できる。

 

 不意に、ネ級が足元から突き出ていた岩に(つまず)いて転ぶ。完全に不注意だったらしく、結構派手に飛沫をあげて倒れたものだから、摩耶らが慌てて駆け寄って声をかけた。

 

『おいてめぇ、大丈夫か? 立てる?』

 

『すみません。不注意でした』

 

『あぁ、問題ないならそれに越したこた無いけど……気を付けろよ』

 

「…………」

 

 彼女は本当に、自分の知っている深海棲艦という生き物なのだろうか。鹿島はつくづく疑問に思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 更に別の日の出来事。ネ級の飼い主(木曾のこと。周囲が皮肉を込めてこう呼ぶ)が、どこか違う場所で仕事があるからと鎮守府を離れているという。そんな訳で、演習で面倒を見ていた天龍がその日限りだが代役に抜擢されてしまった。

 

 監視といっても、ここ最近ではそれは名前だけの飾りみたいな仕事と化していた。

 

 何故ならば対象のネ級はいたって大人しいし、問題行動など何一つ起こさなかったからだった。おまけに自主的な物と1日の業務を終えると、大体はソファで寝ているだけなのだ。

 

 彼女が鎮守府に入ってきてから早1週間と少し。もうその一連の生活習慣を把握していた天龍は、数時間に1度姿を確認する程度の適当な仕事をしていた。

 

 しかしここまで模範的となるとつまらないもんだな。何か想像もできない問題行動を起こしてくれたほうが、いっそやりがいがある。報告書に文字を綴っていきながら考える。とうとうやる気が完全に無くなった彼女は、適当なレポートをでっち上げて遊ぶことにした。

 

 佐世保の鎮守府は、提督の趣味で建物の中にバーが入っている。食堂と同じく利用は金を払う必要があったが、特に夜限定などと営業時間が決まっていないのを知っている彼女は、そこで暇潰しをすることに決める。

 

 まさかこんな昼間から、仕事の日に酒を飲む事があるとはな。どうせネ級は大丈夫だろうと中に入る。

 

伊良湖(いらこ)、席()いてるか」

 

「あっ、天龍さん。こんな時に珍しい。時間が時間ですから、()いてますよ」

 

「そうかよ。じゃあ邪魔して……」

 

 何か飲もうかね。そう言おうとした天龍の口の動きは止まる。

 

 さすがに殆どの人間が働いているこんな時間は、普段は誰も居ないバーなのだが。カウンター席に一人居たヲ級に彼女の目は釘付けになる。

 

 入り口の鈴の音で人の出入りに気付いて、短くこちらをちらりと見てから何かの作業に戻ったそいつの隣に、天龍は座った。

 

 アルコール度数の低いフルーツカクテルのグラスを側に置いて、何かの書類を書いている。コジャレたスーツに眼鏡をかけている姿は、端から見ればやり手の弁護士か何かのようだ。

 

 妙な先客に、嫌味を多分に込めて天龍は話し掛けてみる。

 

「昼間から優雅なもんだな。オリビーさんよ」

 

「さて、どうかな。徹夜明けで疲れていたんだがね」

 

「徹夜? 仕事か何かか。とてもそういうようには見えないけどな」

 

「心の広いやつは余裕を持った態度を取ると聞いたんだ。意識してのことさ。アンタこそどうした、今日はネ級の監視だろうに」

 

「あんなのほっといたって何もしねぇよ。仕事と飯と寝ることしかしやがらねぇ」

 

 相も変わらず掴み所の無い態度が気に食わねぇな。そんなように思っていると、ヲ級は携帯電話で遊び始めた。

 

 天龍の瞳に、この女が使っていたヴィトンのスマートフォンカバーが写る。注意深く観察すればこの深海棲艦、かけていた眼鏡や手袋もかなり値が張るブランド物ばかりだ。いったい軍から幾ら貰っているのやら、と呆れる。

 

「何の書類だ。日記か?」

 

「そんなところかな。ネ級の観察日記。ここの提督から頼まれた」

 

「ネ級の?」

 

「ここ数日の働きっぷりが気になるんだそう。そうだ、天龍さんはあいつの指導役だったっけ? 何か適当に教えてもらえないかい。どんな雰囲気だとか、感じた感想とか」

 

「感想……別に。これといって変なことするヤツじゃないし、言うことはちゃんと聞くから……」

 

「借りてきた猫みたいか」

 

「…………前から気になってた。よくそんな言葉知ってるな。勉強でもしてるのか」

 

「陸で暮らしてもう10年だからな」

 

「!?」

 

「なんだよ知らなかったのか。お前さんが学生だった頃から俺は働いてるよ。」

 

「へ、へぇ。そうなんだ」

 

 嘘だろ。そんなように返したかったが、このヲ級にしては珍しく真面目な顔をしていたのでホラを吹いてるようには見えず、納得しがたい発言だったがぐっと飲み込む。脊髄反射(せきずいはんしゃ)で、天龍は疑問をぶつけてみる。

 

「10年か……結構なもんだな。切っ掛けはなんだ? その、こっちに来たのは」

 

「というと?」

 

「軍に味方する理由だよ。なんかあったんだろ? 金稼ぐだけが目的なのか?」

 

 あぁ、なんだそんなことか。ヲ級ははにかみながら、しかし表情と噛み合わない返事をした。

 

「好きな人が深海棲艦に殺された。それだけさ」

 

「好きな……って。なんだよ、恋人でも居たのか」

 

「くくく……違うよ。君らの言う「家族」みたいな人さ。義理だけどね」

 

「…………。そうか。聞いて悪かったな」

 

「別に。慣れてるから」

 

 悪いことをしたな、と思った天龍は話題を強引に切り替える。

 

「そういや秋月とか照月とは上手くいってるのか。確か最初に姉貴((秋月))が砂浜に倒れてるの見つけたのアンタだろ」

 

「まぁまぁかな。でも良かったよ。今は体調も問題ないみたいだし、成績良好なのも知ってるだろ」

 

「あぁ。まるで前とは人が違うみたいだよ。なにより射撃の腕がとんでもねぇ。ありゃ、今年の表彰台は確実だろうな」

 

「ふふふ……まぁ、あまり目立たないほうが本人のためだと、俺は思うんだがねぇ……」

 

「どういうことだ?」

 

「あいつの妹たちほど、俺はあいつを知らない。だけど人を見る目はあるつもりだ……あまりあぁいう奴は、人前に出たがるタイプに見えないからな……」

 

 へぇ~、などと話し半分に聞いているような態度で、天龍は水を飲む。

 

「しかしまた、なんで秋月はともかく、ネ級もここにぶちこんだんだ。お前、言っちゃ悪いがみんなから嫌われてるぞ。前よりももっと……秋月の事で株上がってたのによ、もったいねぇな」

 

「別に気にしてない。そういう天龍さんだっていつも距離を置くじゃないか」

 

「……知ってたのか」

 

「人の心の動きには敏感なつもりさ。じゃなきゃ今ごろ俺は海の藻屑(もくず)だ」

 

「そこまで言うかね」

 

「言うさ。偉い人の機嫌を損ねないように慎重に生きてる…………俺は賭けてるのさ。あの秋月とネ級にね。俺が手を差し伸べた二人が活躍すれば、見出だした俺の株も給料も上がる。奴等も信用と名声、ついでに金を得る。みんなが特をする……良いことだ」

 

「ほぉー。なんだよ、そんなに入れ込んで。あいつらが好きなのか」

 

「好きだねぇ、金には及ばないがな。あいつらには情緒(じょうちょ)って物が確かにあるから、見ていて退屈しないからな……」

 

 情緒……ねぇ。確かに感情豊かとは言えるか。そんなように思っていると、ヲ級は天龍の思考を読んだような言葉を投げた。

 

「気になるかい、ネ級のこと」

 

「一応人並みに、かな」

 

「そっか。これ、やるよ」

 

 そう言ってヲ級がルイヴィトンのバッグから出したのは、綺麗にファイリングされた資料だった。話の流れから、ネ級に関するものだろうと察する。

 

「ネ級について、知ってる限り集めた。いつか俺に聞いてくるやつがいるだろうから、と思って一部作ってたんだ。天龍さんが一番最初だからあげる」

 

「そりゃどーも」

 

「さて。出ようかね……車で出る仕事があってねぇ……」

 

「車? おい、飲酒運転する気か」

 

「酒飲んでたと思った? 残念、こいつはただのモクテル((ジュース))さ。残りはあげるよ。じゃあな」

 

 ヒールのかかとを、わざとらしくカツカツ鳴らしながらヲ級は店から出ていってしまった。興味本意で天龍は言われた通りに飲み物を口に含む。嘘ではなかったらしく、全くアルコールを感じさせない甘さが口内に広がった。

 

「マジだ。ただのカルピスじゃねぇか」

 

 本当、何考えてるかわかんねーやつだな。飲み物で再度喉を潤しながら、風変わりなヲ級のことをそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ーーと言うわけで、この部分にどれだけ圧力をかけるかで艦娘の艤装の出力特性はガラリと変わるのれす」

 

「なるほどね。えーと、低圧が続くと低燃費か。じゃあ、あのでっかいのは意外とパワー無いのね」

 

「そういうことになるのれす。得体が知れないと思ってたけれど、調べてみれば普通のパーツにまみれていたのれす」

 

「へぇ~……。でも、ありがとね。妖精さん。いつも付き合ってくれて」

 

 えっへん! と胸を張る数人の小人たちの頭を、ネ級は指で撫でる。いつも自主的な仕事で暇を潰しているが、今日は自分の担当の妖精らが戻ってきたので艤装の勉強をしていた。

 

 密かに木曾やレ級、ヲ級の助力もあったが、何よりも彼女自身の日頃の行いが評価されたのだろうか。相変わらず良い顔はされないが、鎮守府での信頼は着々と勝ち取り。最近では、没収されていた装備、妖精、その他様々な物が返ってきていた。

 

 少しでもここの工員の負担を減らそう。そんな思いで、妖精らと話しながら叢雲から貰った槍を磨く。いつかまた会えたら、返さないとな。などと考えていると、普段は整備工場に来ないような友人が来る。レ級だ。

 

「あっ。どうしたの、こんな時間に」

 

『呼ばれたんです。どうやら私たち2人を加えて作戦行動をとるんだとか』

 

「えっ、私が? なんか変なの」

 

 渡された紙を見てから顔を上げる。嫌われ者をわざわざ入れるとは何事? と思ったが、それよりもいつもと違う格好のレ級に目がいった。

 

 服装が大きく変わったからだろうか。かなり雰囲気が変わったな、と思った。オレンジ色の少しサイズの大きなツナギに、海上保安官のキャップと赤いフレームの眼鏡がよく似合っている。しかし彼女は目も悪かったのか? とネ級は新事実に驚く。

 

「どうしたのその眼鏡?」

 

『前の鎮守府で視力検査をしたんです。そうしたら視力が1を切ってました』

 

「あらら……でもコンタクトじゃないんだね」

 

『それが、話すようになった方から頂いたんです。もう使わないからいいよって』

 

 何気ない世間話に2人が花を咲かせている時だった。なんだか背後からザワザワとした人の気配と音を感じてネ級は振り向く。ざっと片手の指では足りない数の艦娘に囲まれていた。中には艦娘に擬態中のあの防空棲姫も居る。

 

 ヤバイな、何か悪いことでもしたかな。良くない雰囲気を察知し、そう身構えていると。先頭にいた天龍から話を切り出された。

 

「時間通りか。なるほど、教育はちゃんとされてるな、やっぱり」

 

「「?」」

 

「出撃の時間だ。レ級、外に出ろ。ネ級はあのデカブツ連れて出てこい。いいな?」

 

「! 了解です」「…………。」

 

 レ級の言ったそばから来たのか。ネ級は言われた通りに装備を整えて乗り物の電源を入れる。手早く準備する傍ら、妖精と話した。

 

「なんだか随分急な話じゃない?」

 

「ここの提督しゃんはよく解らないのれふ。鈴谷しゃんやレ級の事は悪く言うのに、頻繁に働かせてるし」

 

「あぁ。だね。」

 

 遠隔操作のコントローラを持って海面に降りる。ネ級は変な不安を抱えたままガレージから海へと出た。

 

 

 

 

 




・ネ級……最近は当然のように触手を枕にして寝る
・レ級……いつも和食ばかりだったので洋食の勉強を始めた
・天龍……ヲリビーと防空棲姫を除いた上記二者を警戒中。個人的に木曾のことを気に入らない。
・木曾……実は鈴谷が鎮守府に馴染めるまで、という契約で来ていた。なのでネ級はたぶんもうほったらかし


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26 心の炎を燃やすとき

おまんたせ ほのぼのと戦闘が半々だけど、いいかな?

三越ネ級がどこから見ても人外に見えなくて草生える。しかもあいつ重巡棲姫みたいに触手が脱着式なのか……




 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 自分の装備に紐で繋げられた数機の瑞雲が、ジェットスキーのように海面を跳ねている様子を見る。妖精らは普段と変わらず、愛機のコクピットでのんびりしているのが確認できた。

 

 そこから更に奥に目をやって、少し後悔する。深海棲艦が同じ部隊で行動することに納得がいかないのか、事情を知っている秋月以外の艦娘はあからさまに殺気立っている。

 

 こちらに文句を言いたいのだろうが、一番はこんな作戦を企画したあの男だ。一体なに考えてるんだ? そんなように苛立(いらだ)っていると。自分と並走していたレ級から、こっそりとプライベートチャットが送られてきた。

 

《後ろ どうです?》

 

《ヤな感じ みんな怖い顔しちゃって》

 

《そうですか あまりジロジロ見ないほうが良いかもしれません なにか因縁つけられるかも》

 

《かもねぇ 気を付ける》

 

 作戦に連れ出されたはいいが、詳細はまだ伏せられたままだった。大方こちらが妙な事が出来ないように、という保険だとは予想がついたが、「アレだけやって」まだ信用が勝ち取れていないという事実がネ級を落ち込ませる。

 

「…………。」

 

「信じてもらえないことが、不服なのれす?」

 

「え? あぁ、うん……」

 

 天龍からのオーダーでゆったりとした速度で現在航行中である。手の重み程度にレバーを倒してぼうっとしていると、何かを察したらしい妖精に声をかけられた。

 

 「きっと大丈夫なのです」 必勝、と書かれた鉢巻きを頭に巻いている彼はそう続ける。

 

「鈴谷しゃんは頑張りやさんですから。それはきっと伝わってるはずなのです」

 

「そう、かな。」

 

「じゃなきゃ、そもそも軍が深海棲艦を保護なんてさせるわけないのです。例え後ろのすっとこどっこいがそう思っていなくても、きっと、前の瑞鳳さんや霞しゃんには響いているはずです」

 

「…………………。」

 

「貴女が道を(たが)えない限り、私達は鈴谷しゃんの味方なのれす。いつも酷い目に()ってるのに……報われないのは哀しすぎるのれす……」

 

 いつもはにへらと笑っている妖精たちの表情が曇る。しかし気丈に振る舞って返事をする気持ちになれず、鈴谷は黙ってしまった。それが一層妖精らを不安にさせる。

 

 重く気だるい空気に体まで(だる)くなってきた気がする。そんなとき。後方の天龍より無線が入る。

 

『おい、ネき……エスコート6。聞こえるか?』

 

「感度良好です。何かありましたか」

 

『良いか? これから護衛するのは通学船だ。解るか? 人間のガキどもが沢山乗ってんだ。間違って誤射でもやってみろ。遠慮なくぶっ殺すからな』

 

「通学船?」

 

『そうだ。離島に住んでるとかで、学校に定刻で往復する便がある。だから子供がわんさか乗ってる。命に代えても一人も犠牲者なんて出すんじゃねぇぞ、いいな?』

 

「……了解(ラジャ)

 

 通学に船……なるほどな。そういえばここは佐世保だったものな。東北に比べて島もそれなりにあったか。フェリー便が多いとかも聞き覚えがあるし、ならそういった人も居るか。

 

 生まれ育ちが北海道→東京近郊の鈴谷には、船で通学・通勤というのはどうにも想像しづらい。ただ、九州地方では割りとごく普通の事なのは、知識として知っているので無理矢理納得する。

 

 味方より背後からぶつけられる殺気に参りそうになること数分。目的地の中継基地が見えてきて、ほんのちょっぴり、ネ級は安心からため息をついた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 全く作戦を教えられていないネ級は、初めは港に船を迎えにいくとばかり思っていたが。予想は外れ、仕事は軍所有の海上補給基地からスタートした。

 

 なんでこんな変な場所で停まっている? と思ったが、ネ級は天龍他、艦娘や施設職員の話を盗み聞きしてそれとなく状況を整理する。

 

 1日に船が出るのは5回ほどらしい。バスや電車がルートを巡るように、島から本土までを一応復するらしいが、途中、護衛の艦娘の負担などを考えて中継地点で休憩や給油を済ませるという。

 

 停泊していた中型の船舶には燃料パイプが繋げられている。自分らが到着する前に居た艦娘達が、食事の片手間に天龍と何か話しているのが見えた。

 

「引き継ぎか何かかな。自分の出る幕は無さそうね」

 

「大人しくしているが吉なのです。後は今のうちに休憩しとくです?」

 

「そうしよっか」

 

 技術研究所とヲ級から貰ったこの艤装だが、艦娘と並んで行動するにあたって様々な改造や調整がされている。

 

 その中でも居住性の向上が目的なのか、車のダッシュボードのような収納が設けられている。ネ級は手元のスイッチでロックを解除してそれを開くと、中に入れていた携帯食糧を妖精に渡し、自分は水を飲むことにした。

 

「ふぅ。」

 

「作戦前に栄養補給というのは……なんだか新鮮なのれす」

 

「……言われてみれば。そうだね初めてかも」

 

 艦娘だったころはこんな暇な状態から始まる仕事なんて無かったものな。ふと、熊野や浜波の顔が浮かんだ。

 

 こちらをちらちら見ているどこかの鎮守府の艦娘を眺める。無害をアピールするために意図的にこちらがのんびりとした態度を取っていても、落ち着きが無いように見えた。

 

 それにしても何を話しているんだろうか。興味が湧いたネ級は妖精に指示を出してみた。

 

「……妖精さん、盗聴ってできる?」

 

「誰の、れす? てんりゅー?」

 

「ビンゴ」

 

 「任せろー!」「あいあいさ!」 リクエストをすると、彼らはネ級がつけていたインカムに何かの細工を始めた。ほどなくして天龍と、更に彼女に向き合っていた艦娘の声が耳に届き始める。

 

『本当に大丈夫なんだろうな。暴れ始めでもしたら手に負えんぞ』

 

『レ級については問題ねぇってよ。気味悪いぐらいに大人しいからな。それに違う鎮守府で何ヵ月か働いてたそうだ』

 

『じゃああっちのでかいのはどうなんだ? あんたのとこの提督、ネ級を船の護衛に付けて、レ級をここに置いてけって指示だがね、逆の方が良いんじゃないのか?』

 

『俺に言われても困るよ。一応、暴れてるとこは見たことない。それに部下が前にあいつに助けられてんだ』

 

『なに?』

 

『結構な数で囲まれたときがあってよ。あいつ、たった一人で包囲網に穴空けて俺らを援護しやがった。最初は目を疑ったよ』

 

『ほー。あんなボケたやつがな』

 

『ボケた? どういうことだよ』

 

『後ろ見てみろ。あの乗り物の上でのんびりお茶してるぞ』

 

 名も知らぬ艦娘がこちらを指差してきたのを見てネ級の心臓が跳ねる。慌てて飲み物をしまい、ずらした仮面をかけ直したが、ばっちりと天龍に見られてしまった。

 

『あぁー………その』

 

『ふふ……考えが変わった。なんだよ、可愛いところあるじゃないか。あいつ』

 

『まぁな。俺もそー思うよ』

 

 今の一連の行動を見た途端に語調が柔らかくなった二人に、ネ級は顔を赤くする。肩に居た妖精にも、その事をつつかれた。

 

「鈴谷しゃん顔がまっかっかなのれす」

 

「しーらないっ!」

 

 手元膝元に居た者らも笑い始める。こいつら……。等と思っている間にも天龍と艦娘の会話は続いていた。

 

 そんな中で、気になる話題で二人が話を締める。ネ級は耳に意識を集中する。

 

『お前らも気を付けろよ。ここ最近で結構な数が襲撃受けてるのは聞いてるだろ? ……こいつにも来るとしたら10件目だぜ。怪我人こそ数抑えちゃいるが、もう3隻沈められたってウワサもある』

 

『青マントのタ級だっけか。まあ心配すんなよ、それ見越してこっちはこんだけ数集めたんだからな、海育ちの助っ人((深海棲艦))も居る』

 

『そうかよ。まぁ、元気でな』

 

『お前もな、Гангут(ガングート)。じゃあな』

 

「…………青マント?」

 

「深海棲艦にも2つ名があるやばいのがいるってことです?」

 

「さあね。ちょっとレ級に聞いてみる?」

 

 会話に出てきた固有名詞に引っ掛かったネ級は、先程やったようにまたスマートフォンでレ級に話を振った。

 

《れっちゃんちょっといい? 「青マント」って知ってる?》

 

《? 聞き覚えがないです なんでしょう?》

 

《そういうあだ名のタ級が居るみたい 島暮らしの時に居た2番目とかで心当たりとかない?》

 

《申し訳ないです わからないですね。》

 

《そっか ありがと!》

 

 青マント、ね。覚えておこうか。タッチパネルを叩いて燃料や潤滑油の残量などを確認していると、引き継ぎを終えた天龍がこちらにやって来る。そしてようやく彼女は作戦の説明を始めた。

 

「そろそろ出るから簡単に説明するぞ。隊は2つに分ける。1個はここの防衛、もう1つは船の護衛だ。レ級はここに残れ。何かわかんねーことあったらそっちの那珂に聞け。いいな?」

 

「…………。」

 

「ネ級、お前はついてこい。仕事は単純だ、ずっと船と並走して壁になれ。もし敵が来たら俺らが飛び出して追っ払うから、「ソレ」((艤装))盾にして船を守れ。いいな?」

 

「承知しました。」

 

 盗み聞きした通り、だな。天龍に敬礼し、ネ級はそう思う。

 

 給油を済ませた船が発進する。追従するように、レスキュー隊を乗せた船と艦娘達が動き始める。ネ級はレ級に手を振りながら、今一度気を引き締めた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

『Bポイント通過、異常なーし』

 

『敵反応は無し。警戒を続けます。オーバー』

 

 たかが民間の船1つ。それを守るための物々しい護衛6人+救助隊の無線が飛び交う。

 

 九州勤めの艦娘はいつもこんな感じか、大変なんだな。左右レバーを互い違いに倒して艤装を旋回させながら、まるで他人事のように思う。

 

 なるべく早く人を運ぶため、昔よりも早い航路、速い船を使っているとのことだが、到着まで安全面から1時間はかかるという。忙しなく周囲を見渡す中で、出航から15分が経過することをネ級は液晶を見て確認した。

 

「何もなければいいのにね」

 

「警戒は続けるのれす。万一姫・鬼なんて出てきたら……」

 

「怖いこと言わないでったら」

 

 暇なことは良いことだ。そんなように妖精と会話している時だった。並走していた民間船から子供たちの声が届いてくる。

 

 「でっけー!」「かっこいー!」 小学生ぐらいの子らのそんな言葉が結構な頻度で聞こえてきて。複雑な心境にネ級は渋い表情をしながら苦笑いをする。私があまりそういう反応は貰うべきじゃ無いんだけどな……。少し迷ってから、彼女は仕方なく手を動かした。

 

 加減速レバーには引き金等のスイッチが沢山取り付けてあるが、とあるボタンを素早く2回押す。モニタに「巡航モード」と出たのを確認すると、ネ級は操縦幹を横に倒した。

 

 操作に従って艤装が動く。乗り物の右腕にあたる部分が大きなピースサインを作って船へと向ける。それにあわせてネ級はレバーから手を離し、子供たちに向けてひらひらと手のひらを振った。

 

「これでいい……かな?」

 

 わっ、と小さな歓声があがる。しかし楽しげな子供たちとは正反対の様子で船の奥の方で目を細くしてこちらを睨んでいる大人たちや、腕を組んで強い視線を飛ばしてくる救助隊員に背筋が寒くなる。

 

「ガラじゃないんだけどなぁこういうの」

 

「好きにしていいと思うのです。現にてんりゅーたちも何も言ってこないし」

 

「そうかな。ご機嫌取りでやったのにさぁ、これじゃまるで逆効果だよ」

 

 友人のレ級も遥か後方に置かれることになり、現時点では唯一心置きなく喋る事のできる妖精らが、尚も鈴谷の事を持ち上げて機嫌を取る。気を使われている事は勿論気づいていたネ級は、ため息をつきながら、無駄話混じりに前進を続ける。

 

 毎日の登下校がいつもこんな調子で、不安を溜めていたりしないのだろうか―― そんな思いからやった行動から更に数10分。航行中の艦隊に1つの不穏な事象が訪れた。

 

 唐突に海域全体に深い霧が立ち込めたのである。山の天気のように急激な気候の変化に、それを気にしてか部隊内のあちこちからの隊員の(ささや)く声を、ネ級は聞く。

 

『酷い濃霧だ。全員距離を詰めろ、視認できる距離まで近付いて安否確認できるようにな』

 

『あいさァ。しかしすげぇな……天気予報にこんなのあったっけか?』

 

『偵察機、増やしますか?』

 

『頼む。瑞鳳気を付けろよ。お前は大切な「目」だからな』

 

 随時飛び交う無線を飲み込む。旗艦の天龍に従って、少し前までは自分から離れた場所にいた摩耶と鳥海が視認できる距離まで後退してきた。

 

「霧か……さっきまで晴れてたのに」

 

『熱源反応! 隊長、どうしますか?』

 

「!」

 

 独り言を呟いた次に、鳥海が発した言葉がネ級に電気を流す。船を囲んでいたエスコート隊に一気に緊張が奔った。

 

『どこにいる?』

 

『座標送ります。でもなんでいきなりこんな』

 

『ここか。近くに島がなかったか? 待ち伏せって訳かよ……でも早く見つかって良かったぜ、俺とヘリオス2((防空棲姫))で突っ込む。エスコート4((瑞鳳))、援護しろ』

 

『はーい!』

 

『ネ級、絶対に船から離れるなよ。摩耶、鳥海、火力あるお前らがそいつを守ってやれ、良いな!』

 

『あいよ!』『了解!』「わかりました」

 

 敵の情報、自分だけ送られてこないなんて事にならないだろうか。ネ級はそう思っていたが、杞憂だった。流石に緊急事態のため、反応があった場所の情報が送られ、液晶に映し出される。

 

 強力な深海棲艦が味方に紛れているとはいえ、たった3人で行くのか? と思ったがデータを見て少し安心する。敵部隊の内訳は駆逐艦が3匹、軽巡洋艦が2匹。馴れた者なら1人でも相手になれるような軽い編成だ。

 

 ただ、保険をかけて心配するに越したことはないよな。そんなように思って、ネ級は船に接触しそうな程に艤装を近付けて並走させると。天龍が先を行った後に、摩耶から声をかけられた。

 

『エスコート6。聞こえるか?』

 

「はい」

 

『その場所、維持してろよ。お前は動かなくていい。ハエが(たか)ってきたらアタシと鳥海で撃ち落とす。自衛、あと盾になるのが役割だ。わかってるよな?』

 

「何度も言われましたから。大丈夫です」

 

『そーかい。聞き分けがいいのはいいな』

 

 フン、と鼻をならして機械を切る音が聞こえて、ネ級はため息をつく。もしもの戦闘に備えて、外していたシートベルトを締める。田代から貰っていたグローブを両手に()めたその時だった。

 

 敵の反応などなかった場所から、何発かの砲弾が飛んできて。(たぐ)(まれ)な動体視力でどうにか反応できたネ級は、全力で艤装を並行移動させ、体当たり的に船への着弾を防いだ。

 

 いち早くネ級の考えを読み取った妖精たちは発艦許可を取らずに離水する。ついで、北方棲姫経由で鹵獲されていた深海棲艦の飛行機も飛び立って行く。

 

「長距離砲撃!? 一体どこから……」

 

「鈴谷しゃん避けて! 次は右から来るのです!」

 

 霧で視界が遮られるなか、早速何かを見つけたらしい。猫艦戦に乗っていた妖精が叫ぶ。背後の船を気にしつつ、回避行動を取った。すぐにこの異常事態に対応するために摩耶と鳥海を探したが、霧のせいか、それとももう交戦中なのか、近くに姿がない。

 

(こ、こんな早くに取り残されてしまった……!)

 

 自分一人で船を守らなければいけないのか。ネ級は白い闇の中へ牽制に機銃を乱射しつつ、格納されていたマニュアルに書かれていたパスコードを操作に打ち込んだ。

 

『解除コード認証ーー優先目標を確認。防御姿勢に移行します』

 

 ガチャガチャと機械が動く音が響く。折り畳まれて収納されていた防弾板が展開され、それは乗り物の全面部分を守るような形状になった。

 

「やるだけやるしか、か。妖精さん、どこから飛んできたか細かいことはわかる?」

 

「不意を突かれてしまって……でも、大まかな方向なら」

 

「ありがと! ナビしてくれる?」

 

「あいあいさ!」「「「がってん!」」」

 

 運が良いのか悪いのか。この霧が船を隠してくれているうちに全部倒しきらないと。触手に固定していた副砲の安全装置を切り、私物としてずっと使っているサブマシンガンを小脇に抱える。

 

 精度こそ低く、直撃になることこそ無かったが遠距離からの砲撃が止まない。任務の都合上あまり派手に動くことも出来ず、悶々としながら角度をつけた艤装のシールドで攻撃を弾いていた時。

 

 ふと、敵反応を知らせる警報器が鳴る。また増援かと舌打ちして迎撃体制を取るが、現れた深海棲艦たちにネ級は変な表情になった。

 

「……? 撃ってこない?」

 

 上空から待機していた妖精らからも混乱の声があがる。多数の駆逐艦、軽巡洋艦が突っ込んできたが、攻撃してくる様子がないのである。理性のある個体か? と思うが、しかしそれでは背後から飛んでくる攻撃に合わせて突貫してきた理由がつかない。

 

 不思議に思いつつ、駆逐艦を数匹倒す。気になったネ級は、そのうちの1匹を乗り物の腕で捕まえて眺めた。

 

「なんだ……非武装で突っ込んできてる?」

 

『い、いみわからんのです! こやつら無防備なのです!』『『まるはだか!』』

 

 手の中で暴れる駆逐艦を連装砲で撃つ。不可解なことに、体当たり的に突撃してきたばかりか、この個体は武器らしいものを持っていなかった。

 

 そして更にネ級の思考を乱す出来事が起こる。駆逐イ級を撃ったとき。銀色の粒子状の何かが周囲に散乱した。

 

「……!? な、なに、粉……?」

 

 新雪が風に舞うように、霧の中で日光を反射する銀色の粒が大量に拡散される。明らかに血液や機械の部品ではないし、これは何だとネ級たちの混乱は加速した。

 

 それに合わせて、先程より姿を消した重巡洋艦の艦娘二人と連絡がつかず、いよいよキナ臭い状況になってきたとネ級は眉間にシワを寄せる。

 

「摩耶さん、鳥海さん? ダメだ、返事が来ない……」

 

『シールド損傷70%。被弾部位をパージします』

 

「……っぐ、きっつぅ……これもまだ続くかな……?」

 

 治ったばかりにムチ打つようで悪いけど、砲撃戦仕様から盾に積み替えたこの子で来て良かったって所か。断続的に続く攻撃を防ぎつつ、船への砲撃はシャットアウトできていたことに一先ず安堵する。

 

(前……ちょっと見辛いかな)

 

 田代から保険に受け取った仮面も、こう気の抜けない状況になると流石に邪魔に感じられて。やむ無くネ級は横にずらして顔を晒した。

 

(後ろで不安になっているだろう子供たちの精神衛生的にも、不審者みたいに思われないようにするにも、こうしていたほうがいっか。)

 

 視界が開けたことで死角が減る。先程は捌き損ねた攻撃も防ぎながら、なるべくネ級は楽観的に考えた。

 

「天龍さんたち、まだ来ない?」

 

「それが、なぜか通信障害があるのです。妙なノイズが酷すぎて無線ががが!」

 

「ノイズ? もしかしてECM((電波妨害装置))??」

 

「まさか、流石にそんなものを深海棲艦が使うわけが……」

 

 防御に専念しつつ、妖精らと喋っていると。唐突に背後から来た攻撃にネ級は艤装ごと揺すぶられる。考える間もなく、敵だろうとは思ったが、まさか遠くから撃ってきていたやつか?と旋回の速度を上げる。

 

 間髪入れずにまた違う方向から撃たれる。なぜかすぐ近くの船に当ててくる様子がないが、自分が狙われる分には好都合だと前向きに解釈した。

 

 しかし小回りに難のある装備だけに、回避に失敗しては損傷し、と繰り返す。このままでは(らち)があかない。そう思ったネ級は置いていた連装砲を手に取る。

 

「これじゃ後ろが見えないな……!」

 

 旋回性能の問題から何度も後ろに陣取られることに業を煮やしたネ級は、シートベルトを外して体の拘束を解く。その瞬間だった。

 

 警報装置の耳をつんざくような音が体に飛び込んでくる。顔をしかめながら警告表示を読む。何が書いてあったかを理解して、全身の血の気が引いた。

 

 いつの間に近付かれたのか。1体の深海棲艦がネ級の座っていたシートの真後ろに来ていた。

 

「トロイんじゃないの君ぃ?」

 

 相手が持っていた物を見て、全力でネ級は身をよじる。敵はアーミーナイフを両手で持ち、体重をかけて自分の脳天めがけて振り下ろす体勢に入っていた。

 

「いっ、がっ……!」

 

「アッハッ、ハハハハ! なんだよ、撃ち返してみろよ!」

 

 頭蓋骨を叩き割られる最悪の事態は回避したものの、左腕に深々とナイフが突き刺さる。すぐに相手を蹴り飛ばして距離を離すものの、そいつは涼しい顔で笑い声をあげて霧の中へと消えていった。

 

 震える手ですぐに刃物を引き抜くが、骨まで達する傷に満足に腕が動かなくなる。激しい痛みと焦りにネ級の額からは汗が止まらなくなった。

 

「なんだぁ、これで護衛が剥がれたと思ったらまだいたか。しかも深海棲艦だ」

 

「………!!」

 

 あっ……ぶない。大量の砲弾と爆弾を、妖精の操縦する猫艦戦が捨て身で弾き、残りはネ級自らが腕を振って逸らした事で船への直撃は回避する。そして濃霧の奥から、わざわざ再度接近してきて姿を晒した女に。その服装を見て、ネ級は表情を強張らせた。

 

「う~ん……」「落とされたぁ!」「ばたん きゅー……」

 

「みんな……! ごめん……こいつ!」

 

「ま、間違いないのれす!」

 

 鈍く黄色に光る眼球。先端に砲の付いた尾が何本もある。セーラー服のような上着に、下半身は水着のような格好で、最後にそいつは「蒼い外套」を羽織っていた。

 

 本能的な物で何となく察知した。間違いない。こいつが「青マント」か。鈴谷は瞬きせずに相手の行動を注視する。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「おいおい避けるなよぉ……お舟に穴が開いちまうぞぉ……?」

 

「……っ!」

 

 私は一体なにやってるんだ……! 1発、船を掠めた攻撃に、全身に鳥肌がたつ。

 

 先程背後から撃ってきた時とは変わって、レスキュー隊の船を無視して的確に民間の船ばかりを狙い撃ちする敵に、沸々と怒りが湧いてくる。悔しいことに、相手の言うとおりか。そう思った彼女は回避をやめ防御姿勢を取り直した。

 

「楽しい……楽しいな。こんなでかいのが居たか、それも活きもイイ!」

 

「があっ!? くっ……!」

 

「ははっ、いいねぇ! トロい癖によく動くじゃないか!」

 

 右に左、時折体を逆に傾かせてのフェイント。自在の体捌きで翻弄するタ級に必死に照準を合わせる。しかし致命傷になるような直撃は全て避けられ、ネ級は自分の力量で当てられる気がしなかった。

 

 速い、そして何よりも場慣れしているのか? 瑞雲に足した猫艦戦など、合計15機程の機体が、妖精たちの操縦で的確に機銃や爆弾をばら蒔くものの、その軌道すら読んで避ける。戦艦級の深海棲艦とは思えない女の身のこなしに、薄ら寒いものを感じた。

 

 そして何よりもネ級が不快に思ったのは、この敵が本気ではないのが理解できた事だった。貼り付けたような笑顔が取れる様子がなく、これだけの波状攻撃を仕掛けても息1つ乱していないのである。

 

 落ち着け、倒す必要はない。島まで送り届けるのが仕事なんだ、それに天龍たちが戻ってくる時間さえ稼げれば―― 必死に考えを巡らせる、その時。

 

 反撃に撃ってきたタ級の攻撃を、ネ級は艤装の腕で跳ね返した。そしてその「行き先」を目で追う。

 

「しまっ――――!!」

 

 弾いた弾道の先には航行中の船が居た。

 

「ほほ~♪ 大当りだぁ……」

 

「じょ、冗談じゃないやい!」

 

 なんてことだ。心中で一言、そう思った。弾き損ねた弾が1発船に当たったのである。おまけに誰か一人、海に落ちるのも見えた。

 

 何に変えても助けなければ――あんなのが居るときに放ってみろ、一体何をされる!? ネ級は妖精らに無茶ぶりを振る。

 

「妖精さん運転代わって!」

 

「ひゃい!?」

 

「早く!!」

 

「は、はいなのです!」「「「あいあいさ!」」」

 

 ネ級が妖精に指示を出しているのを聞いたパイロット達が高所から降りてくる。意図を察した彼らは、刺し違える覚悟でタ級の邪魔を始めた。

 

 仕事を引き受けた妖精が複数人がかりでペダルやレバーを動かすのを見てから、鈴谷は艤装伝いに海面すれすれまで近づく。

 

 この生き物の腕のような場所まで来ると、その手のひらに収まりながら、ネ級は妖精らへ叫んだ。

 

「今! 右に動かして!」

 

「「がってん!」」

 

 見えた、ここだ―― ネ級は全身に海水を被りながらも、瞬き1つせずにその瞳に人影を捉える。

 

 割れ物を扱うように優しく、それでいてしっかりとした力で落水していた子供を捕まえる。泣きじゃくっていた彼を、ネ級はそっと撫でながら落ち着かせた。

 

「大丈夫だった? 痛いところは無い?」

 

「ゔぅぅ、うぅぅ……」

 

「よしよし……よくガンバッた……!」

 

 良かった、まだ生きてたぁ……。

 

 死人でも出たらどうなったか。冷や汗を拭ったが、ネ級の事を敵は待ってはくれなかった。

 

『すずやざんっ!! 避けてぇ!!』

 

「!!」

 

 タ級の妨害を行っていた妖精からの叫び声を無線機が拾う。直後、背後から猛烈な弾幕が濁流のように押し寄せてきた。

 

 ダメだ、避けるな。避けたらこの子に当たるッ――――

 

「ぐうっ……ぅぅ!?」

 

 無茶だとわかっていても、やらずにはいられなかった。何かの破片にしがみついていた男の子の体をしっかりと抱き締めて、敵の攻撃を全て自分の体と装備で受け止める。

 

「うぅ、ううえぇぇ……!」

 

「泣かないで……ほら、大丈夫、だからね……お姉ちゃんが居るから……!」

 

「うぅ、ぅぅ…………」

 

「よしよし、いーこいーこ。偉いね、もう少しの辛抱だからッ!」

 

 男の子の体を触手で巻き抱える。急いで操縦席まで戻ると、操舵を妖精と交代した。

 

 拘束装置を外したせいで、何度も艤装から振り落とされそうになる。ネ級は両足で踏ん張り、触手の口をレバーや手すりに噛み付かせてなんとか席に留まった。

 

 焦る気持ちを抑えながら、しかし痛みに震える手でネ級は機械を操作する。自動操縦のプログラムを入れると、彼女はレバーを両方とも目一杯引っ張りブレーキをかけ、速度が落ちたのを見計らって飛び降りた。

 

 定点防衛の設定が入っていた鬼級艤装は、ロケットや対空・対艦等の各種砲弾をルーチンに従ってばら蒔きつつ、船の前に立ち塞がってその図体を活かして壁となる。どうにか彼(彼女?)の助力で敵に対応する者の頭数を増やせたネ級は、一目散に先に行った船を追い掛けた。

 

 小さく煙を吹いている船の後ろに、並走して盾になっていた救助船を目視する。そのデッキから梯子を伸ばしていたレスキュー隊員の方へと急いだ。

 

「早く! こっちだ!」

 

「君、しっかり掴まってて!」

 

 なんとか寸でのところで縄梯子の先端を引っ掴み、それを手繰(たぐ)って船に乗り込む。振り向いて後ろを見れば、艤装が自動操縦で応戦してくれている。

 

 が、さすがに1匹の味方だけでは無理があったか。例のタ級ではないが、一体の敵がこちらに接近してくるのが見えた。

 

「っ、こんなときにっ!」

 

 再度両手で男の子をやんわりと抱き締める。ネ級は舌打ちしながら、触手を1本向け、迎撃しようとすると。

 

 救助隊の船から、砲撃の音が聞こえた。なんだと?と思った次には、正確な射撃によって放たれた弾が自分のすぐ近くにいたホ級の顔面を捉え、その体を吹き飛ばした。

 

「な、なんかよくわからないけど……!」

 

 何が起きたかわからなかかったが、船の上に上がる。救助隊員に助けた子供を預けながら、今のは何かと聞こうと隊員らに話そうとする。が、口は動かなかった。

 

 視界の隅、デッキのぎりぎりまで体を寄せて、立ち膝をつき艦娘用の武器を構えていた女が居た。

 

 砲口から白煙が出ているのを見て、今しがた援護してくれたのは彼女かとネ級ははっとする。こちらの表情を伺うように、彼女は呟いた。

 

「天龍さんの読み、当たった。弥生(やよい)、伏せてて良かった」

 

「!」

 

 ゆっくりと立ち上がってオレンジ色の雨合羽のフードをめくり、女が顔を出す。髪を青紫色に染めた彼女は自分を弥生と言ったが、見たところ駆逐艦の艦娘らしかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「隊長、奇襲、警戒してた。だから、何人か、この船で待つように言ってた」

 

「そうか……流石ですね。あの人は」

 

「そんなことはいい、です……早く敵を引き付けよう」

 

「わかりました。あの、海に落ちたのはこの子だけでしたか? 他にもいるなら早くしないと」

 

「私は見てない、です」

 

「そうですか、ありがとうございます!」

 

 奇襲による被害を抑えるために乱射で弾を減らしたネ級は、弥生から予備の弾薬を受け取る。

 

 乗り物生物クンに妖精たち。彼ら彼女らが必死に応戦しているのが、霧の中からの爆発の光や音でよくわかる。早く戻らないと。ネ級の中で焦りが大きくなる。

 

「ふぅーっ、ふぅーーーっ!」

 

 タ級の不意打ちで食らったナイフ傷の出血を強引に止めるために。ネ級は息を止めて、患部が鬱血(うっけつ)するような力で包帯を締める。見かねた弥生が心配の声をかけた。

 

「そ、そんなことしたら」

 

「いい、んだ。ちゃっちゃとやっつければ済む話なんだから」

 

 予想した通り、傷はかなり深く。応急とはいえ止血したにも関わらず、じんわりと出血が続く。腕全体の痺れに渋い顔をしつつ、ネ級は更に力の入らない手と持ってきていた槍とを縛り付けて固定した。

 

「私が単独で引き付けます。全開フルスロットルで離れてください」

 

「えっ? わ、私も一緒に……1人じゃ……」

 

最初(ハナ)から盾になるのが役目です。こんなときだし、誰かが踏ん張らないとみんな死んじゃうよ! ……それにやってみなきゃわからないって」

 

 それに貴女達が居てくれた方がみんな安心するでしょ? ネ級の言葉に、弥生は反論を封じられる。

 

 渋々この深海棲艦の言うことを飲み。弥生は、悪あがきの代わりにこんな事を呟いた。

 

「……っ、あの敵、完全に撃沈して。じゃなきゃあなたが連れてきたあの子も、レスキューさんも安心できないから」

 

「…………。私を信じて。」

 

 一際大きく、海上で爆発が起きる。いよいよ足止めに専念してくれている友人たちも限界か。そう思ったネ級は覚悟を決めて船から降りた。

 

 ほんの気持ち、霧が薄くなる。船に付きっきりの護衛が居たことから、今度は逆に囮になるべく、ネ級はぐんぐん船から離れる。

 

 果たして先程まで戦っていた場所まで戻ると、満身創痍に近い状態の艤装が見えた。たったあれだけの時間でコレか。ネ級は舌打ちする。

 

「お前の相手は……」

 

 へらへらと、個人的に気に食わない顔をしていた敵へ砲身を合わせた。

 

「私だ!!」

 

 続けて、破損した銃のバレルを投げつけて意識をズラす。少し驚いていた相手に、お構い無しに大量の火薬を送り付けた。

 

 普通ならこれで終わる事だが。武器のマガジン交換をしながら、ネ級は爆風が晴れるのを待つ。

 

 やはり、ただ者ではないのだろう。予想通りのへらへら笑顔でダメージを抑えていたタ級は、表情を崩さずに(のたま)い始めた。

 

「運が()いなぁ、今日は上物に会えたんだぁ♪ タイクツな日々に色がついていく……」

 

「いーえ、良くなんてないね」

 

「うーん?」

 

 不服そうな顔をした女へ、明確な敵意を剥き出しにしながら鈴谷は言う。

 

「とても、それはそれは不運な日にしたげるよ。あんたみたいなキチガイ、私がやっつけてやる!!」

 

「なんだぁ、怖いこといっちゃってまぁ……」

 

 ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべ、文字通り目を輝かせてタ級がゆっくりと歩いてくる。ネ級は血の滲む腕を根性で持ち上げ、空いた片手に砲を持った。

 

 正眼に構えた切っ先と、銃身をまっすぐに敵の体に合わせる。

 

「狙えよこっちを……! 相手になってやる!」

 

 鈴谷は触手の副砲も起動し、敵を迎え撃った。

 

 

 

 

 




相変わらず酷い目にあう鈴谷さんやいかに


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27 動け この体

長らくお待たせしました。就いている業務の関係でなかなか忙しいのですがシコシコ書いてたので初投稿です() 勿論完結までは見据えていますが、ちょっと空いたのでキャラがおかしいかもしれません。妙な点がありましたら感想でもメッセージでもご自由にお書きください。


 

 

 

 

「ツ級1、ヌ級1撃破しました!」

 

『そうかい、流石だな秋月。このところ絶好調じゃねーか』

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 大した事ない敵、か。この程度なら簡単だ。良かった良かった……。ネ級・摩耶・鳥海の3者が奇襲の対応に追われていた時。手早く天龍と敵に当たって殲滅(せんめつ)し、防空棲姫はそんなことを考えていた。

 

 陸のどこかに捕らわれているという港湾、離島棲姫のために鎮守府に潜り込んで、はや数ヵ月。なかなかどうして、結構自分は演技が上手いな、等と思う。

 

 自前の身体能力のおかげで苦戦する敵はほぼなく。偶然だが、角や触手といった身体的特徴もないので変装せずとも人に近い。様々な要因に恵まれていたため、じっくりと時間をかけた内偵は順調に進んでいた。

 

 その昔、激戦で行方を眩ましたという人物に成り済ましつつ、記憶障害をチラつかせ姉妹と仲を深める。演習、任務でも功績を積み上げ、信頼を得る……読めないことがあったとすれば、せいぜい最近ネ級とレ級が鎮守府に来たことぐらいか。たった数ヵ月でも、振り返ると懐かしく感じるなぁ。

 

 天龍と無線越しの瑞鳳が連絡を取り合っているのを見ながら、防空棲姫は少し考え事に上の空になる。が、部隊長の彼女の発言に現実に引き戻された。

 

「…………? なんだ、通じねぇな」

 

「天龍さんどうしました」

 

「鳥海と無線が繋がらねーんだ。他にもネ級に摩耶、あと弥生とかも残してきた筈だけど……瑞鳳、そっちはどうだ?」

 

『ダメ、繋がらないよ。どうしちゃったんだろ?』

 

「……なんか怪しいな。おい、急いで戻ろうぜ」

 

「はい」『はーい!』

 

 別に機械に詳しくないが、確か艦娘用の無線って性能いいよね? どういう事だろうか、等と思っていると。

 

 ブウウゥゥン……と、微かにプロペラ機が飛んでくる音を聞き。頭を空に向けた。同じく不思議そうな顔で天龍も同じ行動を取る。遠くから支援した瑞鳳は既に船へと撤退を始めているため、彼女の飛行機ではないはずだと2人とも考える。

 

 やはり、飛んできた瑞雲は彼女の物ではなかった。深緑色ではない。現代航空機のような、青と黒を基調とした洋上迷彩が施された――ネ級が持っている機体だった。

 

「ネ級の機体です」

 

「なんだいったい? しかも1機だけかよ」

 

 怪しい表情をしていた天龍の元へ、その瑞雲は機体後部からパラシュートのようなものを展開し、強引に減速しながら彼女の胸へと飛び込む。

 

「はぁ!? わっ、おい、ちょっと!!」

 

 防空棲姫は驚く。この妖精、かなりの腕前だと思うと同時に、こんな無茶をするなんて本当に何をしに来たのかと疑問が膨れ上がる。

 

 頭を大量の?で埋め尽くしていた2人へ。機体のキャノピーを壊すような勢いで飛び出した妖精が天龍へと口を開いた。

 

「緊急事態なのです! 緊急事態なのです! 敵なんてほっぽって早く戻るのです!!」

 

「はぁ?」

 

「船が襲われてるのです! ネ級しゃんが孤軍奮闘で、通信妨害されて!!」

 

「何だと!?」

 

 支離滅裂にも聞こえた発言を飲み込み、天龍は動く。理解はできずともただ事ではないと判断し全速力で戻ろうとした相手に合わせ、慌てて防空棲姫も追従する。

 

 最大船速のために、猛烈な水飛沫を巻き上げた天龍に顔をしかめたときだった。

 

 唐突に防空の頭に「景色」と何者かの「声」が届いた。

 

 ひき肉がいーかな。踊り食い? いや、なんか子供って生臭いンだよなぁ……あ、そうだ、すりおろしってやったことないな、それでいこう!

 

 妙なビジョンが頭に届くと同時に頭痛と吐き気を覚える。思わず彼女はその場に止まり、えづいてしまった。

 

「うっぅ、あっ……! ぉえ……!」

 

「はぁ!? なっ、おい、大丈夫か?」

 

「へ、平気です。それより早く行かなきゃ!」

 

「え? あぁ、おう、ってちょっと!!」

 

 他の深海棲艦がどうなのかは知らなかったが。防空棲姫という女は、簡単なテレパシーのような能力が行使できた。

 

 と、言ってもそれは融通が利かない、勝手に電波を拾うラジオのような物なのだが。時折、今のように敵対する者の考えている事などが、ノイズとして頭に届くことがあった。

 

「待てったら、おい! ったくどうしたんだよいきなりよ……!」

 

「急ぎます! 強い敵が来てるようで」

 

 非常に不味い―― 脳裏に浮かんだ、「血を浴びて顔を綻ばせているタ級」という情景に。そして彼女が今考えている事も読み取り――何よりもこの危険思想の塊のような敵が今しがたネ級や鳥海らと交戦中だと察し。防空棲姫は先を急いだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 最悪な時間はとっくに過ぎた。今、傷を負うとすれば戦闘中の艦娘や自分ぐらいだ。もっと気楽に考えなきゃ―― 手のひらに固定した槍を振り回しつつ、ネ級は考える。

 

 時間にしておよそ数分が経過したか。コンマ1秒にも満たない間にチラチラと確認していたレーダーの反応では、船は自分からそれなりに離れていた。どうにかこのタ級の妨害は半分は成功したと認識する。

 

「活きがいいな、良すぎて邪魔だァ!」

 

「勝手な事ばかり言って!」

 

「敵がわがままで悪いか? なんでお前なんぞに手心を加える必要があるんだァ??」

 

 最初から倒す気がさらさら無いネ級は、自然と弾を温存する動きをしていた。味方に攻撃が当たるのを嫌い、何度も距離を詰めてしつこく近接戦闘を仕掛ける。

 

 だがしかし、自身の安全を度外視した戦法の最中にも、少しずつネ級は劣性になっていた。既に艦載機はほとんど撃ち落とされ、猫艦戦も瑞雲も大半が海に没した。

 

 何とか脱出していた妖精に片手間で指示を出し、中破していた怪物は船の護衛へと後退させている。正真正銘、今度こそネ級は正面からこのタ級との一騎討ちの状態になっていた。

 

「んっふ、くく、ふふふふふ……」

 

「何が可笑しいのさ……このっ……なんで、そんなに船ばっか狙って!」

 

「う~ん?」

 

 遊んでいるとしか思えないような楽しそうな表情で、ネ級の質問にタ級は返答する。

 

「……甘いんだ」

 

「!!」

 

「甘いんだぁ……脂ノッてる人の肉ってさ。だからなるべく生け捕りにしてから、美味しく頂いてる。そんだけ」

 

「……………!」

 

「なんだよ、答えてあげたのにそんな青筋浮かべてぇ……おぉ恐い恐い」

 

 タ級が言い終わらないうちに。ネ級は右目を文字通り煌々と赤く光らせながら力任せに殴りかかる。やはり回避されたが、今度は反対の手を音を置いていくような速度で女に叩き付けた。

 

「ざ~んねん♪」

 

「っ、いちいちウザイってぇ!」

 

 これでやっと攻撃が入ったかと思えば、タ級は寸前で槍が飛んできた方向に動いて衝撃を吸収した。舌打ちするネ級を尻目に、また敵は後退する。

 

 一方的な鬼ごっこが続く。1度近づいて槍で刺そうとすると避けるか弾くかで通らず、すぐ逃げられては弾幕が飛んでくる。そう何度も同じことが続くと、流石に鈴谷の集中力も持たなかった。

 

 柄に巻いた包帯をきつく締め直し、再度、接近して横に凪ぐ動きをしたときだった。

 

 さっきまでは近接戦に積極的ではなかったタ級が、唐突に今度は限界まで距離を積め、弱い体当たりでネ級の事を押し退けてくる。

 

「――――――!?」

 

「間合いが近すぎたな、お嬢ちゃん?」

 

 一体何を。思わず軽く背中を仰け反らせたネ級に、タ級はすぐに答えを見せた。

 

 ネ級と同じく、両手は素手でも砲撃が行えるタ級という個体だが。さっきまでは何も持っていなかった手に、女は最初にネ級を刺した物と同じナイフを握っている。

 

「!!」

 

「串刺しになれってェ!!」

 

 ちょうど、ネ級の頭の、耳がある場所を目掛けてタ級は両手を振った。

 

 このままでは避けきれない。ネ級は賭けの行動に出る。

 

 ほんの少し、後ろのめりになっていた彼女だが。一思いに膝を曲げると、そのまま海面に倒れた。

 

「何ィっ!?」

 

「うぅりゃああぁぁ!!」

 

 千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンス、物にしなきゃ―― 反撃を予測して顔を腕で被いつつ、ネ級は触手に持ったありったけの火気類を叩き込む。

 

 これで終わりじゃないだろうな、間違いなく。そう思い、寝そべったまま動こうとした彼女へ、爆風を押し退けながら、タ級がぬるりと姿を晒す。

 

「仕返しぃぃイイ!!」

 

「!?」

 

 相手が頭を守っていた事を読んでいた女は、ネ級の持っていた武器を腕ごと掴んで強引に構えを解く。急の出来事で怯んだ彼女へ、更にタ級は逆手に持った刃を降り下ろした。

 

 一瞬の判断が生死を分ける。半ば条件反射で、馬乗りに近い体勢の女の腹をネ級は蹴飛ばした。結果、ナイフはネ級の顔面を両断はせず、薄皮をなぞる程度に留まる。

 

 慌ててネ級は艤装の出力を限界まで下げる。浮力が小さくなった彼女は、触手で大量の海水を飲んで自分の体を重くすると、1度海の中へと沈んで身を隠す。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 おっかない……なんて敵だ……。

 

 初めて直撃を与える事が出来たのを喜ぶ間も無く、恐るべき切り換えの早さでこちらを殺しに来たタ級へ。改めてネ級は恐怖を覚える。

 

 呼吸を整え、浮上する。落ち着いてくると、顔に付けられた傷に海水が染み、じわじわと痛みだした。

 

「いっ……痛い……ぃ! 全くろくでもない……!」

 

 まだ島に着かないのか?? 傷口を強く縛ったせいで痺れる腕を必死に振り回しながら考える。相対する敵が強く、時間の流れが遅く感じたのもあったが、まだ戦闘開始から10分も経っていない。しかしそんなことは知らないネ級は、次第に焦りの感情が大きくなっていく。

 

 足止めだけでイイなんて考えたけど……私はあと何十分も戦えるのか? この強敵に? 戦艦棲姫とやったときだって、周りに味方が居たから出来たことであって……。 疲労でネ級の動きは精彩を欠き始める。

 

 そこへ、思わぬ援軍が乱入してくる。

 

「でぇやああぁぁぁ!!」

 

「「!?」」

 

 ネ級の肩の辺りを砲弾が通り過ぎる。何処からかやって来たその攻撃は、距離の近いタ級の胸を正確に捉えた。

 

 薄い霧を抜けて姿を現したのは、摩耶だった。それなりの数がいた敵に付けられたのか、体のあちこちが傷と血で汚れている。

 

「はは、なんだお前?」

 

「沈めぇぇ!!」

 

 かなりの速度で航行中の彼女だったが、途中から防戦一方だったネ級のことなど無視して、タ級に近付いて殴りかかる。が、軽く手を払うような動作でいなされた。

 

「スッとろいんだよカス!」

 

「まだァ!! しっかり受け取れぇぇぇぇぇ!!」

 

「ぅおっと!?」

 

 渾身の右ストレートが防がれたと見るや、すぐに切り換えてバックすると。摩耶は砲身が焼き付くような無茶な連撃を繰り出す。連戦によりダメージも蓄積していた武装の砲身が吹き飛ぶ。身を削るような摩耶の重い一撃に、タ級が冷や汗をかくのを、ネ級は見た。

 

「おいおい……セコンドの乱入は反則だろォ?」

 

「うぅぅりゃああぁぁぁぁぁ!!」

 

「はっはは、いいねぇ、楽しませてくれるなお前!」

 

 着実に傷を増やし、血を流し続けているにも関わらず、女は笑みを濃くする。反撃に転じる隙を潰さんと、攻撃手段のほとんど無くなった摩耶に代わり、ネ級も加勢に切り込んだ。

 

「いいねぇ、最高だねぇ、でもまだ足りないよなぁ?」

 

「何をッ」

 

「こうすればもっとケツに火がつくだろうがァ!?」

 

 何をする気だ タ級に投げ飛ばされ、受け身をとって海面を転がるネ級が不審に思う。

 

 ネ級も気付いていたが、ここ数分で霧が薄くなっていたのだが――うまい具合に船を隠してくれていた物まで無くなっていた。タ級は、見晴らしが良くなった事をいいことに、また船に狙いを定めて砲撃を行おうとした。

 

 ただ、それも不発に終わる。何に変えても船は守り通す―― そんな執念が摩耶から滲み出ていた。

 

 彼女は手榴弾に空の弾倉、果てはキャンプ用のナイフまで、およそ武器になるものをありったけ投げつけてタ級の進路と射撃を妨害する。

 

「ぶっ殺されてぇかあぁぁぁてめええぇぇぇぇ!!」

 

 肩の副砲を乱射して吠える。摩耶は使えなくなった砲の嵌まった腕で女の鳩尾を殴ろうとした。

 

「効かないなァ、(ゴミ)のお遊戯はァ!!」

 

 膝で彼女の腕を蹴りあげて回避したタ級は、右腕でわざとらしく手刀を作って振り上げる。

 

 何か、猛烈に嫌な予感がしてネ級の体に寒気が走る。予測は当たり。タ級は豪快に腕を降り下ろし、指で摩耶を切りつける。

 

「うぅっ、がぁっ!!」

 

「摩耶さん下がって!」

 

「ぐっ……うぅ゙、くそがぁ……!」

 

 刀で袈裟斬りをされたように皮膚を裂かれた摩耶は、自分の傷と相談し。納得のいかない顔をしながらも、ネ級の叫びを聞き胸を押さえながら後退する。

 

「止まれ……ええぇぇぇ!!」

 

 謀らずも敵との距離が取れていたことを利用する。短い助走でやれるだけの加速をすると、ネ級は背中を水面に叩き付けるように再度わざと倒れた。慣性で前方へと流れるように滑り込みながら、両手で持った槍をタ級の足を狙って思い切り振る。

 

「ふっ……うふ、フフフ……」

 

「ッ、まだまだっ!」

 

 行動は読めていた、と言わんばかりに相手はネ級の槍を飛んで避けた。

 

 足元を通り抜けていく敵を、さも余裕そうに目で追っていたタ級に。ネ級は滑りながら身を捻って、腹這(はらば)いの状態から流れるようにして立ち上がる。体勢を変える中でちらりと見えた女の涼しい表情に、彼女は舌打ちする。

 

 もっと手を動かせ。そう思ってもこれで手一杯だ、何をすればいい……? 考え事などしようものなら一撃必殺の威力を秘めた致命傷が飛んでくる。手を止めずに、しかし残った少しの思考回路で必死に考える。

 

 ふと、何度も繰り返される無我夢中の行動の中で、無意識に振り回していた触手が目に入った。

 

 これしかない。ネ級はまた新たな攻撃方法を思い付くと、考えるよりも先に行動に移すことにした。

 

 肩に深傷を負ったせいで満足に力を出せなくなった手に固定していた槍だが。ネ級は前に戦艦棲姫と殴り合いに発展したときのように、固定に使っていた包帯と止血のための物二つを解いた。違う手に武器を持ち直すと同時に、大振りに凪ぎ払う。

 

「てやぁっ!」

 

「っと、なんだよ、当たらないな?」

 

 お粗末な動きだったので、避けられる事は想定済みだった。ネ級の狙いはここからだった。

 

 彼女は痛む左腕全体に触手を1本絡ませると、副砲を撃つ。更に巻き付かせた物の力で、動かすときに力む必要がなくなった手に連装砲を持ち直して乱射を始めた。明らかに動きが変わったことに動揺したか、意図せずしてタ級の追撃と反撃が止まる。

 

「おっほォ! なんだぁ!?」

 

「こうっ、すればっ! 少しは面倒でしょう!?」

 

「ははは、面白いこと言うじゃないか」

 

 例え固い表皮に阻まれて通じない豆鉄砲でも。相手だって生物ならば、目に何か飛んでくるとなると、生理現象として瞑ってしまったりぐらいするはず。それを見越して、ネ級は右手の槍も触手に噛ませると、空いた手に持ったマシンガンのマガジンが尽きることも(いと)わず引き金を引き続けた。

 

 自分が深海棲艦だからこそ出きること、と思い立って実践してみたが。このまま不意を突いて押し込めるか? ネ級が攻撃を交わし続ける敵にそう思ったとき。負傷して後退した摩耶が居た方向から、また誰かの砲撃が飛んできた。

 

「何だと……!」

 

 噴煙の色が普通の砲弾とは違う――ロケットか何かの類いがタ級の頬の辺りに着弾して爆発する。大きな隙ができたとネ級は全砲門の火力を集中しようとしたが。この混戦で計算を間違えたか、また弾切れを起こしてしまう。

 

 迷っている暇はない――破れかぶれでネ級は触手を女の胸に噛ませると、槍を大上段から袈裟斬りに振るった。

 

「!!」

 

「何をォ!?」

 

 渾身の一撃が、一瞬ネ級が怯んだせいで見切られた。一体どれだけ戦闘に慣れているのか。触手はいかつい牙が並んでいる割りには力が弱いことをすぐに察した相手は、もがきまくって拘束を解く。摩耶にやられたことの再現に体を縦に切り付ける予定が、首を掠める程度に回避されてしまった。

 

「ふふっ、ふふぁははっ、もう終わりかぁ?」

 

「……ッ、こんな……」

 

 本当、自分はダメなやつだ。せっかくだれかが作ってくれたチャンスだったのに……! 

 

 大振りに長物を振り回した隙に、やはりタ級は仕返しに反撃を開始する。やられたことの再現とでも言うか、女はついさっきやったように、吐息が顔にかかるぐらい限界まで逆に距離を詰めてきた。

 

 ネ級は相手の手の内が読めず、内蔵が氷水に浸されるような悪寒を感じた。

 

「よくもマァ、私の体に傷なんぞ付けおってマァ……!!」

 

 なんだか勿体を付けた発言だったが。簡単に言うなら今まで殺す気で武器を振ったネ級と摩耶に対する文句だった。もっともこのときのタ級の、やはり例によって口許が割けそうなぐらいにひきつった笑顔だったのは、ネ級の内心の不安を更に煽ったが。

 

「はっはぁ!」

 

「ガッ!? ぐっ……ゥ」

 

 起き上がりこぼしに似た気持ちの悪い動きで猛烈な頭突きを繰り出す。避けきれずに強烈な衝撃を額で吸収することになり、ネ級の意識が一瞬飛んだ。

 

「死ねぇ!」 

 

 武器がない。弾がない、槍は間合いが近すぎて振れない、じゃあ何をすればいい…… 朦朧とする脳で、この後、雨あられと殺到するだろう弾丸を血の滲む腕で弾くべく、構えながら考える。

 

 しかし。計、数十門の火砲が鈴谷を消し飛ばすことはなかった。再度、助け船を差し出すものが居た。

 

 またどこからか、白い闇を切り裂いてロケットが飛んでくる。それは視界の悪いこの状況下でも、恐ろしい精度でもって放たれたものらしく、正確にタ級の鼻の頭を捉えて着弾した。

 

「何をっ……、邪魔ばかりっ!!」

 

 また援護射撃? 一体誰が――つけっぱなしだった胸元のトランシーバーから叫び声が出力された。

 

『隙ができたでしょ! 今ァ!!』

 

 音質の悪い声が無線から届けられる。声の主は、不信感を抱きつつも、特に深い交流はしていなかった防空棲姫だった。

 

 そっか、秋月(防空棲姫)が助けてくれてたんだ――周囲に見られても誰にもわからない程度の小さな笑顔を浮かべながら。ネ級は傷口から流れる血液を置いていくような速度で動き、女に反撃する。

 

 間合いが近いので槍は仕舞う。ネ級は胸元に入れていたが、何度もいなした女の攻撃で持ち手の壊れたナイフの刃先を握る。研ぎたての部分で切れた手のひらから血を滴らせながら、しかしネ級はそんなことなど微塵も気にせずタ級の肩目掛け突き刺す。ダメ押しとして刺さったものに拳を叩き込み、更に深く射し込んだ。

 

「なんだ……これはァ??」

 

 ずぶり、と鈍い感触が伝わる。ダメージを与えることができた。手を伝わる確かな手応えにネ級は会心の笑みを浮かべた。対照的に、痛みからか一瞬白眼を剥いた後、女は激昂した。

 

「この私にィ、こんな安物の刃物なぞ突き刺してぇぇ!!」

 

 普通は痛みに叫ぶものだろう……。プライドからなのか。意味のわからない事を言い始めた敵を蹴ろうとするが、寸前でかわされる。しかし間を離された程度で彼女は諦めない。おまけに、蓄積された負傷からか、明らかにタ級の動きが鈍っている事を確かめる。

 

 ふと、前に自分が貫手を放ったチ級のことを思い出した。そこから繋がるように、あの戦艦棲姫が自分にしてきたことも脳裏によぎる。

 

「どいつもこいつもぉ! 私の邪魔をしてぇ!!」

 

「こっ……のぉっ!」

 

 それを言いたいのはこっちだって同じなんだよ――ネ級の激情と連動するように、彼女の左目の眼球全体が紅く光る。その光が美しく残像を描くような速度で、彼女はタ級の胸元まで再度、距離を詰めた。

 

 腰から生えた尻尾を何本か掴んで牽制射撃をしてくる敵に、冷静に攻撃を見切りながらネ級は両手に何も持たない状態になると、顔以外を触手で覆って強引に突撃する。

 

 強引に防御を突破した後、ネ級はまた触手をタ級の脇腹に噛みつかせると。殴りかかろうとした相手の行動を膝で蹴って封じる。次いで、逃げる隙を作らせず、爪を立てた右手を全力で相手の腹を目掛けて叩き込んだ。

 

「私を舐めんなぁぁぁぁ!!」

 

 勢いをつけた指は、タ級の鳩尾(みぞおち)の皮膚を突き破って体内へと潜り込む。予期せぬ苦戦に負傷。そこに加えての未知の激痛に、女は滅茶苦茶に暴れ叫び始めた。

 

「おッぼ……ぁあっあ、ぃいっ!? いだぃ痛い痛い痛い痛い!?」

 

「捕まえ……たぁァァアア!!」

 

 自由だった左手でしっかりと敵の体を抱えるように固定し、逃げ場を無くす。ネ級は万力のような力を込め、生暖かい部分を時計回りにかき混ぜた。

 

「うううぅぅぅぉぉぁぁ!!」

 

 1度勢いが付いた貫手は、ネ級の激情を余すことなく破壊力に変換してタ級の体を壊す。だめ押しとばかりに押し込んだ腕は、敵の背骨を圧壊させ、背中を貫いた。

 

「ずううぅぅおおぉぉりゃああぁぁ!!」

 

 白眼を剥いて痙攣(けいれん)しながら、タ級は(おびただ)しい量の血液を口から吐き出して戦闘不能となった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 周囲に立ち込めた霧が完全に晴れる。息切れでぜえぜえと肺の空気を入れ換えるなか、ネ級は自分の行動で辺りに蔓延した火薬と血の臭いに表情を険しくした。

 

 さっきまで元気だったのが嘘のように、瀕死のタ級は弱々しく痙攣している。ため息をつきながら、ネ級は血塗れになった腕を引き抜いた。

 

「ぅあっ…………寒い……寒いよぉ……」

 

「……………………」

 

 まるで別人みたいだな。胴部に穴の空いた女は、うわ言のように同じ言葉を復唱して海面に横たわっている。

 

 罪悪感は――少し、感じてしまっていた。戦闘中の発言から、きっと多くの人間を殺してきたのだろう。しかし自分がここまでする必要はあったのか……? 一度考えると気が滅入ってしまう。そんなことを思っているうちにも、赤い海水を作りながら女は没していく。

 

「痛い……寒い……いた…い………さ…む……ぃぃ……―――――」

 

 目から光の無くなっていくタ級に、目が釘付けになる。可愛そう、等と思っていた訳ではなかった。

 

 妙な物をネ級は見詰める。気のせい、と言うにははっきりと。水底から、彼女を引きずり込むような動きの、血の気の感じられない真っ白な「腕」が見えた気がした。

 

 たすけて こわい……。

 

 完全に顔が水に浸かったとき、タ級が自分にそう言ってきたような幻聴を覚える。

 

「…………自業自得、でしょ……ふん」

 

 自分に霊感だとかが有るのかは知らないが。そもそも今のが疲れすぎたことによる幻覚・幻聴だった可能性もあるが……一体「誰」の腕だったのかを察して、ぶっきらぼうにネ級は吐き捨てた。

 

 今まで身勝手に食い散らかした報いを受けた。だから、「連れていかれた」んだろう。そんなように、鈴谷は解釈した。

 

「はぁっ、はっ……うっぷ……おぇ……」

 

 無茶な動きを何度も繰り返した反動が遂に出る。ネ級は海面に両膝をつき、胃液を吐いた。

 

 酸に焼かれて傷む喉に顔をしかめる。電源の入ったままだった無線はそんな彼女の声も拾ったか、機械の先にいる防空棲姫から心配されてしまった。

 

『!? ちょっと、大丈夫なの?』

 

「えぇ、何とかッ!? ぅぇ……」

 

『もしかして何か戻してるの? 本当に大丈夫!?』

 

「心配、いりませんよ。敵は居なくなりましたから……そんなことより、ありがとうございます。貴女のお陰で、本当に助かりました」

 

 見晴らしが良くなったため、遠方で航行中の船を見付ける。そこからそう遠くない場所で護衛中の防空棲姫も見付ける。相手から見えていたかはわからないが、一応軽くお辞儀をしながらネ級は応対した。

 

 やっと、一息つけるんだな……。そんなように思ったとき。無線が鳥海の声を拾う。

 

『敵、第3波! 来ます!』

 

『嘘だろ……』

 

『つべこべ言ってる場合か、迎撃体制だ早く!』

 

 苦い口内を海水で(すす)ぎながらネ級は仕舞っていたスマートフォンの画面を見た。もはや余力など無かった彼女を絶望させるには充分な量の敵反応が液晶を埋めている。

 

 「うぅぅ……ぐぁ……」 どうにか槍を海面に突き刺して立ち上がろうとするが、戦闘なんてもっての他どころか立つことすら満足に出来ない。呻き声と共に崩れ落ちそうになる。

 

 諦めの念がエスコート隊の面々に伝播していたそのときだった。ネ級他、全員の無線・レーダー機器類の警報が鳴る。

 

『追加の反応! ひ、姫級です!』

 

『どうしろってんだ!? 弾も人も足りねーぞ!!』

 

『うるせぇ!! やるしかねぇだろうが!』

 

『げ、迎撃! 弾幕です!!』

 

 天龍らは雑兵相手とはいえ連戦に次ぐ連戦。残っていたネ級たちは視界不良と難敵に痛め付けられた。辛うじて元気なのは防空棲姫と船上に待機していた艦娘ぐらいだった。

 

 霞む左目に力を入れ、遠くに意識を向ける。さて、私たちを殺しに来た姫級はどんな顔をしている? おおよそ、ネ級はそんなようなことを思っていた。

 

(…………。……あれ?)

 

 遠方に見えたのは。強力な深海棲艦特有の、赤黒い光だ。不気味で威圧感を与える物だ……しかしなぜか、どこか落ち着く優しさが有るような、そんな色。遠くに立っていた個体に、妙な感想をネ級は思い浮かべた。

 

 雰囲気、か? どこかで感じたことのあるようなこの違和感は……? 震える手で、艤装に備え付けられたスコープを覗いたとき、その疑問は消えてなくなる。

 

 そこに居たのは、忘れもしない、数か月前に自分が看病した中枢棲姫だった。ただ、あのときとは服装や装備が違う。

 

 戦艦の艦娘に似た格好をした彼女が、マイクらしき物へ口を開くのが見える。

 

『そこの艦娘さん……深海棲艦も連れているなんて……変わっているのね』

 

『な、なんだ?』

 

『通信です。どうやらあの深海棲艦からのようです』

 

『なんて返事する?』

 

『知るかよ、俺に言われたって……』

 

 私が何とかするしかない……ネ級の口は自然と動いていた。

 

「中…枢棲姫、様……覚えて、ますか……私です。ネ級です……」

 

『なっ、てめぇ! 何勝手に』

 

『待て。エスコート6に任せてやれ』

 

 途中、摩耶や天龍の声が混じったが、ネ級は続ける。

 

『ネ級……!? あっ……あの時の……貴女なの?』

 

「! は、はい!」

 

『どうして艦娘の子達と?』

 

「理由は、長く……なります。お願い、します……周りの敵、お願いでき…ますか……?」

 

 やろうと思えば、防空棲姫が何とかしてくれるかもしれない。だけど、本気を出せば内偵がばれてしまう。

 

 先程自分を助けてくれた借りがあるから。そんな理由から無意識に彼女を庇って、ネ級は中枢に呼び掛けた。

 

 返事は、「YES」だった。次の瞬間、両手に構えた大口径砲で、中枢棲姫は船に迫っていた重巡級を派手に撃ち抜く。

 

『あいつ、一体何を!?』

 

『ふふふ……貴女たちと居るネ級……大切な友達なの。お手伝いするわ』

 

 疑問の色を多分に含んだ天龍に返事をしつつ、中枢棲姫の支援が始まる。

 

 赤黒い、彼女が体から発しているものと似た色の細い糸のような光線が、3連装の砲身から幾つも放たれる。それは着弾時にほとんどの個体を一撃、持っても2撃で爆発させて、文字通りの消し炭に変えていった。

 

『て、敵反応……中枢棲姫以外は消えました』

 

『わーお……隊長さんよ、どーする?』

 

『…………こいつぁ……敵わねーな。』

 

 圧倒的。この一言に尽きた。中枢棲姫は構えた武器を適当に撃つと、1発として無駄な弾を出さずに敵を殲滅して見せた。天龍配下の艦娘とネ級は勿論のこと、同じ姫級の防空棲姫も呆気に取られている。

 

『お仕事、頑張ってね。じゃあね』

 

 船にひらひらと優雅な仕草で手を振りながら、優しい声色で彼女は言う。それなりの規模だった敵艦隊を全滅に追いやってなお涼しげな様子に。護衛艦隊の面子は冷や汗を流さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ほんと、何者なんだろうね。あのネ級さん」

 

「瑞鳳よォ……お前なんで俺に聞く。後ろに居んだ、本人に直接聞きゃいいじゃねぇか」

 

「いやちょっとそれは」

 

「はぁ~っ。ったく……」

 

 大量に自分等に襲い掛かってきた危機を乗り越えて、約30分弱。港に着いた船を見ながら、天龍はため息混じりにコンクリートの地面を踏み締める。

 

 たった今日一日、それも戦闘に掛かった数十分で、天龍を含めた部隊員のネ級への印象はがらりと変わった。何せ、彼女が居なければ全滅していた可能性があったのだ。良くても護衛対象その他の被害は確実に出たろう事を考えても、誰も彼女の独断行動を責めようとは思わなかった。

 

 「…………。」 タラップから親と一緒に降りていく子供たちと、船から少し離れた場所で顔を海に向けて警戒中のネ級とを交互に見る。降りる客の中には、振り返って大型艤装に乗り込んでいる彼女の事を見る者がちらほら居た。子供たちは深海棲艦ながら護衛についていたネ級に興味津々だが……対照的に、親と思われる大人はほぼ全てが彼女を睨んでいた。

 

「…………ちっ。」

 

 情けねぇ、よな。助けてもらってその態度かよ……いや、それを指摘できねー俺も同じか。

 

 仕事は、乗客が降りて、手続きを済ませるまでは一応続く。出迎えの家族らと話している者達を尻目に、天龍は暗い顔をしながらタバコに火をつけた。

 

 子供はいいよナ。純粋だもの、深海棲艦だろーがなんだろうが助けてもらったらちゃんと礼言うもんな。変なプライド持ってる俺らはダメなクソババアだよなァ……。そんなような考え混じりに、煙を吐いたときだった。

 

「あの、すいません。お時間ありますか……?」

 

「んぇ?」

 

 死角から来た女の声に変な声が出た。天龍がくわえ煙草のまま頭の向きを変えると、小学生ぐらいの男の子を連れた女性が近くに来ていた。

 

 煙が掛からないように子連れの彼女の反対方向の手に吸っていたものを持ち、耳を傾ける。

 

「どうかしたっスか、まぁ、今は大丈夫っすよ」

 

「この子が、話したい人が居るって聞かなくて。すいません」

 

「あぁ~わかり、ました。ここから見えます? 例えば服の色とか。呼びますよ」

 

「あの……彼処の見張りをやってる人? なんですが……」

 

 女性が指差した方向を見てギョッとする。

 

 天龍の見間違いでなければ、その親子はネ級を指名したのである。

 

「あいつ……ですか、すいません、もしよければ聞いて良いですか。何かあったんで?」

 

「深海棲艦、って言うんですよね。あの、クジラみたいなの。船が撃たれて、この子、海に落ちたんです」

 

「え゙っ」

 

「私からも……頭を下げるぐらいしかできませんけど、お礼が言いたいんです。ユウキの命の恩人ですから……」

 

「そ、そーですか……わかりました、あいつですね? すぐ呼びます」

 

 おいおいおいおい。マジかよ―― 頭の中が白くなる。天龍は言われた通りの事を、何も考えずに実行した。

 

 無線越しには別段嫌がる素振りも見せず。ただ、若干不思議そうに思っているような声だったが、ネ級はOKと言って切る。それほど距離も無かったので数分もせず、仮面の彼女は港に来た。

 

 「えぇ……っと。」 どうすればいいのか、そもそもなぜ呼ばれたのか知らず。ネ級は困惑の声をあげる。天龍は簡潔に指示を出した。

 

「……。こちらの方が、お前に直接会ってお礼したいそうだ。あとカオに付けてんの、外せよ。失礼だ」

 

「…………わかりました」

 

 上司の命令に、深海棲艦は付けていた狐の面を外す。

 

 ゆうき、というらしい男の子はパアッと明るい表情になる。逆に、整った顔立ち――化け物みたいなのを想像していたのに、人間とそう変わらない顔面が出てきて、母親と天龍の2人は驚きが顔に出た。

 

「ユウキ、この人で間違いないの?」

 

「うん!! このおねーちゃん!!」

 

「そっか、ほら、あいさつ……」

 

「おねーちゃん大好き!! めっちゃかっこよかったー!!!!」

 

 喜びを抑えられない様子で、男の子はネ級に抱き付いて触手を鷲掴(わしづか)みにした。こら、と母親が言ったが彼はやめない。

 

「すいません、すぐやめさせますから」

 

「あぁ、いや、ぜんぜん大丈夫ですよ。……うりうり、きみスッゴい元気ね~!」

 

 抱っこされて満面の笑顔になっている子供を見て。天龍は何とも言えない表情で自分は離れる旨を母親に伝える。

 

「では、手続きとかあるんで、ちょっと離れます。好きに使ってやってください、話すこともあるでしょうし」

 

「ごめんなさい、勝手で聞き分けの無い子で」

 

「いえいえ全然。では、ごゆっくり」

 

 言い様の無い居心地の悪さを感じた天龍はそそくさとその場を離れた。

 

 吸い損ねた煙草を口に戻す。顔を上げると、今の一連の様子を見られていたのか。部下の艦娘が何人かまばらに自分の前に立っている。

 

「何を喋ってたんですか? 隊長さんがお話なんて珍しい」

 

「あ~。作戦中に海に落っこちたガキんちょが居んだと。まぁ、色々あって」

 

「はぁ!? 海に落ちただ!? だ、誰が引き上げたんだよ」

 

 それは。答えようとした天龍より先に、弥生が口を開いた。

 

「あのネ級だよ」

 

「「「!?」」」

 

「弥生の言う通りだよ。喜べお前ら、あいつのお陰でノー犠牲者記録更新だぜ」

 

「「「……………。」」」

 

 期待していないどころか警戒していた者の働きぶりに思うところがあったか。全員が無言になる。

 

「命の恩人に親子揃って礼がしたいらしい。……ほんと、すげー野郎だよ」

 

 黙っていたうちのひとり、瑞鳳に向けて天龍は口を開く。

 

「マジで何者だろーな、あのネ級は」

 

 全員の目線の先では、穏やかな表情で親子と話している深海棲艦の姿があった。

 

 

 

 

 

 




新型コロナウイルスの罹患者が世界で230万人を超え、原油価格のマイナス等、異常な事態が多発しています。

外出自粛で暇をもて余している方々に、少しでもこの作品が癒しとなれればな、と思います。


ついでに作者は感想を貰えると舞い上がります()


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28 疑いようのない優しさ

くっそ遅くなって本当に申し訳ナス
コラボってるお相手様の防空さんのお話になります。それどはどうぞ。


 

 

 

 鎮守府に戻って早々に、天龍は事後報告のため執務室に行く。

 

 ダメージの激しかったネ級の艤装はドック入りし、彼女もまた深く負っていた怪我の治療を済ませたのを見て、こちらから休むように言っておいた。基地の防衛のために残した部下に聞いたが、レ級もまたよく働いてくれたと聞き、勝手に敵視した二人には、天龍は申し訳無さでナーバスになっていた。

 

 いつも通り。戦場と違って落ち着いた執務室という場所で、机に向かって字を書いて、提督に提出する。慣れていることなので機械的にこなしたが、事務作業中も考えていたのはネ級のことだった。

 

 「あの2匹、どうだった。」 二枚重ねのレポートをめくりながら、上司が言う。「匹」、って数えるかねぇ。あまり良い態度で彼女らに対応しない彼に、天龍は苦笑いしながら返事をする。

 

「凄かったよ。正直、俺らだけじゃ犠牲者が出てた。間違いなくな」

 

「あのネ級の肩を持つのか?」

 

「違う。経験と勘に基づいた分析ってヤツだ……俺以外から報告来てないか、ズタボロになるまで頑張ってくれてたよ」

 

 彼女の発言に、男は書類を片手にパソコンの画面を切り換えて何かの資料をチェックし始めた。天龍の言う報告がメカニックや医療班から来ていたのか、それについて口を開く。

 

「なるほど、機械も本人も相当な痛手を負っている。これは、予想以上にいい買い物になったかな」

 

「買い物?」

 

「そういえば天龍には言ってなかったか。この鎮守府は、技術研究所からの取引であのネ級を引き取っていたんだ。取り合えずの手付け金に、なんて1500万円貰ってる。あの深海棲艦に問題があったとき、全額ここに入る資金だ」

 

「1500万円……」

 

「あぁ。ただし、素行に異常がなかったり、艦娘としての性質に問題がないとここの人間に認められた場合は、程度に応じて少しずつ返すお金だ。今は、確か600は返金したかな。因みに500万は戦闘や日々の生活のデータと引き換えに提供してくれるんだそうだ」

 

 少しだけ、天龍は心当たりがあった。いつ戦死してもおかしくないから……そんな理由で、艦娘の中でも特に戦闘に参加することが多い者は月一回に限らず、頻繁に給料明細が発行されることがある。その中に含まれている彼女は、ネ級が来てからは演習の方が多いにも関わらず、自分の配当が上がっていて不審に思っていた。タネはそれか、と思う。

 

 同時に思ったことがあった。あいつの命はたったの1500万円か。そんな感想だ。

 

「……お前さ、三国志わかるか?」

 

「どうしたんだ急に? まぁ、有名どころはだいたい知ってるが」

 

「……趙雲(ちょううん)、って武将知ってるか? 作り話らしいんだけどよ、大将の息子を胸に抱いて、万単位の敵の囲みを振り切るって話がある。俺はそれ結構好きなんだけど、ちょっと思い出しちまったよ」

 

「敵の大軍を、あいつは切り抜けたのか」

 

「大軍て程でもねーが、結構なキツい敵倒して、民間人を助けたらしい。あいつ、港についたときにガキに抱きつかれてやがったぜ」

 

「……ネ級が、子供に好かれていたのか」

 

 顔を少し地面に向けて、天龍は続けた。

 

「なんつーかな、何か、普通の艦娘とかとは違うんだよな。言っとくが、深海棲艦だからなんて野暮なこと言うなよ」

 

「それを見ていて。君はどう思ったんだ?」

 

「マァ、なんだか妙に優しいヤツだと思ったよ。そのあともガキども一人一人に話しかけてやんの。元気付けたり勇気づけたりしてさ……それに子供の扱いにも慣れてそうなカンジだったな」

 

 「なんか、価値観変わっちまう感じだよ。」 ほんのちょっぴり。頑張り屋のネ級を物扱いした自分の上司に、軽蔑の念を抱きながら。天龍は部屋から静かに出ていった。

 

 

 

「…………中枢棲姫との接触を報告しない、か。見損なったよ、天龍。」

 

 観音開きの扉を白い目で睨みながら、男は言う。

 

「まぁいい……あのネ級がいる限り、奴はこちらに敵対することはなさそうだな……お前もそう思うだろう?」

 

 『えぇ。しかし、あのような強力な個体と繋がりがあるとは……危険です、ネ級を殺しますか』 男が机に置いていた、仕事用とは別の私物のノートパソコンから声が出力された。

 

「なるほど、お前は頭が悪いな?」

 

『えっ』

 

「馬鹿なことを言うものじゃない。適当に泳がせておけ……余計な事をすればそれだけ感付かれることになる、無駄なアクションを取る必要はない。「検体」は今の量で充分だ。おい、食事や世話はちゃんとしてるんだろうな」

 

『はい。勿論、このように……見えますか?』

 

「……なるほど、機嫌は悪そうだがな。たまには気分転換に、時間を決めて外に散歩でもさせてやれよ……まぁいい、これまで通り、しっかりと丁重にもてなせ。彼女らは金になる」

 

 この執務室には盗聴機が幾つか取り付けてあった。実は提督の彼が、とある「仲間」との連絡手段として意図的に付けたものである。

 

 パソコンモードから画面を切り離し、タブレットになった機械の液晶に映る、テレビ電話上の作業着の男と話す。その男の奥、彼が意図的に見せてきた景色に、提督の男はつまらなさそうに目を細めた。

 

 

 端末の画面には、それぞれ片手と片足を欠損した状態で、少し渋い顔をしながら洋食に手をつけている港湾棲姫と離島棲姫の姿があった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 完全に日が落ちてから数時間後。夜勤で近海警備中の艦娘以外は、帰宅しているか寮で寝ている時刻に、防空棲姫は懐中電灯片手に鎮守府を歩いていた。

 

 夜中の1時に何をしていたのかと言えば。彼女は、軽くネ級に「探り」をいれるつもりだった。

 

 念には念を入れて足音を消しながら歩く。少し調べたが、今日、施設の深夜見回りをする者はこちらから言って交代して貰っている。あまり大規模な鎮守府でないからか、自分以外は他にこの警備の仕事をやるものも無いことを知り、彼女にこっそり接触するにはうってつけの日だと判断した。

 

 天龍ら、いわゆる「普通の艦娘」は、今回の出撃で正の方向にネ級への認識を改めていたが。防空棲姫の抱いた感想は違っていた。

 

 奴は、自分の知らなかった、自我のある深海棲艦。その中でも、あのような特殊な個体と交流があるらしい。ともすれば危険な存在かもしれない――そんなように思っていた。

 

 艦娘としてこの鎮守府に溶け込んできたわけだが、他の者から聞くと、ネ級は自分の部屋を割り当てられていないらしく、いつも階段の近くにあるソファに荷物を置いて寝ているらしい。果たして、言われた通りの場所に彼女は寝息をたてて横になっているのを見つける。

 

「…………」

 

「ん……ぅ……ゥ……」

 

「起きない、な。安心安心。」

 

 事前に夕食に軽めの睡眠薬を盛っておいたが、相手の顔や手などを弱くつねったりする。尚も静かに眠っている彼女を見て、防空は用意を始めた。

 

 ショルダーバッグから、箱状の電子機器を取り出す。「さ。泊地、この機械の使い方、教えてちょうだい」 女は持っていたスマートフォンにそう語りかける。防空棲姫は、ネ級よりも以前に泊地棲姫と交流があった。そもそも、この内偵事態が彼女からのお使いである。

 

『そりゃ、教えるが……本当にやるのか』

 

「当然でしょう。それと……言うのを忘れてた、なんて言わせないよ?」

 

『悪かったよ。そいつが中枢棲姫様と仲が良かったって話だろう。必要になる情報だとは……』

 

「はぁ……もういい。早く使い方」

 

 コード付きの電極が付いたAEDに似た機器を指示に従ってセッティングする。一方の極をネ級の頭と首に、もう一方を防空は自分の額と首の辺りに貼り付けた。

 

 防空棲姫は、鎮守府に潜り込むに辺り。漂流物に見せかけて、様々な物を泊地やその部下から支援として受け取っている。艦娘の服や、装備を偽装するためのハリボテ、規格が合わない自分の砲の専用弾頭などだ。そんな中で今日持ってきたもの……これは、「人の夢の中に入ることができる機械」だった。

 

『本当に使う日が来るなんてな……』

 

「なぁに、なんだか変な声になってるけど」

 

『別に……妹の友達がまた一人減るのか、って……そう思っただけさ』

 

「…………疑わしきは罰すると言ったのはお前だぞ」

 

『…………。電話、切るぞ。達者でな』

 

 勝手に切りやがった。なぜか相手が少し不機嫌な声になったのに、防空棲姫は理解できないまま、装置を作動させる。

 

 女の目が、濃い赤色に光る。薄目で笑いながら、彼女は寝ているネ級に呼び掛けた。

 

「さようなら……最後の夢、楽しむと良いよ……バイバイ。じゃ、おやすみ。」

 

 全ての準備を整えて。防空棲姫は眠りに就いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ネ級も出会い、物資的な支援をした泊地棲姫だが、彼女は1つだけネ級に嘘をついていた。

 

 泊地は、ネ級と出会う以前から、妖精を見たことがあった。これは彼女の妹も知らないことだった。なぜ隠していたかと言えば、ネ級のことを最後まで信用できていなかったことに起因する。

 

 更に彼女は妖精の技術も、多少は取り込んで自分のものとしていた。その集大成として作り上げ、防空棲姫に渡していたのが、「夢に入れる機械」だった。

 

「んしょ。っと」

 

 取り敢えずは成功か。泊地から機械と同時に持たされていた手書きの説明書を片手に、秋月(防空棲姫)は自分が寝ていたベッドから起き上がる。

 

 夢を夢と判断する方法。それは、現実世界と夢世界では侵入した者の姿形が異なる、という物だ。丁度よく自分が居た部屋にあった鏡に写るのが、深海棲艦・防空棲姫ではなく、髪も黒く、肌も血の気のある人間の姿になっていたのを確認し。まずは第一ステージは来たかと思う。

 

「……ふ~ん。なるほど」

 

 部屋からでて、そこにあった廊下を眺めたり、壁や床の材質などを調べながら秋月はネ級の夢の世界がどういうものかと吟味する。

 

 艦娘として、鎮守府の寮で生活している夢、か? 秋月は、道行く作業員や艦娘を見て、そう思った。

 

 なんだ、普通の夢だな。そんなように感想を抱いたとき。目標の人物に声をかけられた。

 

「おーはよっ。どうしたの?」

 

「!? おっ、おはようございます!」

 

 背後からいきなり来た声に驚く。振り向くと、迷彩服を着たネ級が居た。

 

「朝の見回りと、体操でもやろうかと。ははは……」

 

「そっか。私、庭の掃除があるから。またあとで、じゃあね!」

 

 前から不思議に思っていたが。深海棲艦や艦娘相手にはほとんど効かないサブマシンガンを、ネ級は大事そうに紐を付けて肩から下げている。髪留めの鈴を鳴らしながら彼女は去っていった。

 

 適当に言ってしまった後に後悔したが、運よくこの夢の状況を軽く知る。何の疑問もなく素通りしたことから、どうやら時刻は午前の6~9時ぐらいらしい。

 

「…………。」

 

 さて、どうやって殺すかな。

 

 ネ級の夢の中の建物を練り歩く傍ら、そんなことを防空棲姫は考えた。

 

 

 

 

「聞こえますかー。声、私の、解りますかー?」

 

 さて、秋月(防空棲姫)が夢に潜り込んで数時間が経過したが。目の前にある景色に、彼女は酷く動揺していた。

 

 初めて入った夢世界という物に。好奇心をもって、多少楽しもうなどと考え、秋月はこっそりとネ級をつけていた。するとこの深海棲艦は、唐突に道で倒れた女性の処置を鎮守府の艦娘とやり始めたのである。

 

朝潮(あさしお)さん、AED持ってきてもらえますか? なければ、近くの病院とかに連絡!」

 

「は、はい! 了解です!」

 

「頼みます。私、心臓マッサージするから!」

 

 花壇の植え込みに身を隠しつつ、対象を観察する。倒れた人物の上着を1枚取り、両手を女性の胸、肋骨の辺りに当てて、腕を真っ直ぐに伸ばし。ビデオ教材のお手本のような綺麗な姿勢でネ級は心肺蘇生を試みている。

 

「1、2ィ、3、4、5、6ッ……!」

 

 防空棲姫は、ただただ唖然とした。

 

 ヲリビーと田代が情報を伏せていたこともあって、彼女はネ級が元は人間だったことを知らない。が、普通の深海棲艦ではないとの考えには至っていた。それが現在の、どう考えても医療の知識がなければできないことを、さも当然とネ級がやっているのを見て。ますますその考えが固まる。

 

 夢の中を見る機械。しかし正確には違う。これは、「対象人物に理想の夢を見せる+その中に入ることができる」というマシンだった。つまりは、このように道行く人間に手を差し伸べるような生活がネ級の理想の現実ということになる。

 

 話を戻すと、やはり防空は酷く狼狽(うろた)えた。正直なところ、彼女は共に出撃したときのネ級の行動を「自分をよく見せるための打算」か何かだと思っていた。が、こんなものを見せられては、彼女の心の底からの親切心を認めるしかなかった。

 

(……気になる。本当に、何が)

 

 茂みに隠れるのをやめ、建物の方へと走る。

 

(お前の正体は一体なんなんだ? 重巡ネ級……。)

 

 

 

 

 マシンの説明書を片手に、秋月はあるものを探す。

 

 そもそも、彼女がわざわざこの機械でネ級の夢に入り込んだ理由だが。単純な興味というものに加えて1つ、大事な要素がある。それは、「完全犯罪的に対象を簡単に抹殺できるから」だ。

 

 夢、というものはまだまだ医療分野でもわかっていない現象だが、人の活動に多大な影響を及ぼすというのは有名な話だ。泊地の機械は、そんな夢の「核」を破壊することができる機能がある。

 

 簡潔に言うと。この「夢のコア」を壊された人間は死ぬ。そう防空は聞いていた。

 

 どこからか調達した設計図通りに物を作っただけだという泊地には原因不明だそうだが、侵入者が直接手を下す必要があるが、夢を壊された対象は植物状態のようになるという。

 

「…………これか」

 

 見えない壁に体を軽くぶつけた秋月は、そこから一番近くにあった扉を睨む。

 

 夢世界は、無限に広がっているわけではなかった。対象から半径数km程度の場所で終わっており、そこからもっとも近い扉や窓といった開くもの。それが夢の核の保管庫だとマニュアルにはある。

 

 すぅ、と深呼吸してから入る。

 

「……こりゃ、また」

 

 明らかに建物の中とは別な、異質な空間が広がっていた。

 

 ドアの先なのだから、普通は部屋のはずだが。扉1枚隔てた先は、雨の降る夜の町並みが広がっていた。

 

「ここから先は、と。」

 

 入ってきた場所を閉め、秋月はメモ書きに目を通す。

 

《扉を越えると、そこは夢を見ている人間の「人間性?」のような景色がある。ずっと歩けば行き止まりがあるから、そこの核を壊せば夢が壊れて出ることができる。もし、壊さないのであれば、侵入した時に目が覚めた場所で眠ればそれでも夢から出られる。》

 

「人間性……? ジトジトした性格ってことなの、このネ級?」

 

 流石は夢と言ったところか。なぜか打たれても濡れない雨水を妙に思いつつ、秋月は歩き始めた。

 

 数分間、町を歩く。程々の強さに降る雨音以外に音の無い、静かな場所だと彼女は思う。これはつまり、あまり騒いだりするタイプの性格ではない、ということか。等と考えていた時だった。

 

 ぶぐじゅ。ぐじゅるぅゅり。唐突に、粘ついた、水気のある音が近くからした。

 

「えっ―――」

 

 好奇心と、疑問から後ろを見た事を。防空棲姫は激しく後悔する。

 

 そこに居たのは、端的に「化け物」と呼んで差し支えが無さそうな物だった。皮膚がなく、内蔵が剥き出しのゾンビみたいなヒトガタが数人立っていたのである。

 

「ひっ……!」

 

 この世のものとは思えない異形に、意図せず変な声を出して後ずさる。

 

 ネ級の心の中には文字通り魔物が住んでいる、ということか。あまりにもおぞましい醜悪な姿をした者達を、嫌悪感を隠せない表情で防空棲姫は睨む。

 

 妙な反応をそいつらは見せた。

 

 防空が睨み付けると。彼(彼女?)らのうち何人かは顔を被う。もう何人かは壁にかかっていた旗などで体を隠し、最後の一体はなにやら申し訳なさそうに見えなくもない表情になったのだ。

 

「ゔー……ゔー……」「るぅ……」「……ぅ」「うぅ……」

 

「???」

 

 なんだ、こんな見た目で襲ってきたりするわけではないのか? 数分様子を見たが、こちらに近付いてきたりする事がなかったので、防空棲姫は先に進むことにした。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ…! 入り組みすぎでしょう!? 全く……!!」

 

 一体どれだけ歩いただろうか。泊地はまっすぐ歩けば目標まで辿り着けると書いているが、それは嘘じゃないだろうなと思うほどに防空は焦る。町は迷路のように複数の路地が噛み合った構造で、目的の行き止まりまで到達できないのだ。

 

 道行く中で度々目にする怪物たちへの忌避感すら無くなる。夢の中だというのに、疲れまで覚えた防空はその辺りにあったベンチに体を投げる。

 

「意味わかんない……どういう性格してんのよコイツ……」

 

 複雑、ということか。にしたっていい加減にして欲しいものだ……そんなように防空棲姫が思っていたときだった。

 

 ふと、1匹のゾンビがゆったりとした動きでこちらに来るのが見える。何かと彼女は上体を起こす。

 

 襲ってくる、というわけではなかった。性別もわからないような外見のそいつは、何かを持ってきた。

 

「ゔー……ゔー……」

 

「? なにこれ……取……扱い…説明書??」

 

 ゾンビの一体が本を差し出してくる。恐る恐る、受け取って開いてみる。このとき、血や何かの粘液に濡れていた怪物が持っていた割りには、なぜか貰った本に湿り気などが無いことに不思議に思うが、夢なのでこんなものだろうと防空は思考停止した。

 

 『根上 紀美の思考を紐解く』 辞典のような書物の表紙にはそう書いてある。根上、というのは確かネ級の偽名だったか?―― 本当は本名なのだが、ヲリビーのように陸でネ級が使っている名前だと勘違いしながら、防空は読み始める。

 

・人知れず頑張りすぎることがあります。たまにでいいので(ねぎら)ってあげてください。

 

・考えすぎて空回りすることがあります。落ち込んでいるときは励ましてあげてください。

 

・疲れていても顔に出づらい傾向にあります。決まった休息の時間をあげましょう。

 

・頼まれごとは断れずに引き受けてしまいます。疲れて寝ているときにはそっとしてあげましょう。

 

・甘いものが意外と苦手です。間食よりも主食など、体力のつく食事を与えましょう。

 

・交流のある人物が害されたとき、我が身を省みず暴れ始めます。気を付けてください。

 

・彼女は自分を大した者ではないと考えています。また、彼女は自分の命を他者に生かされているもの、と考えています。

 

・ありがとうと誉められて無理をすることもあります。時にはあえて突き放すことも大事です。

 

「…………――――」

 

 何のことはない。人並みに情緒があって、どちらかと言えば他人に尽くす性格だ――大まかにそんなような事の記述があった。

 

 しかし気になるのはこの書物よりも、これを寄越してきた怪物である。一体何がしたいのかわからないな、などと思っていると。今度はまた違うゾンビが来て、秋月は服の袖を掴まれる。

 

「うぅ、う」

 

「?? 着いてこいってこと?」

 

 疑問に思って質問すると。その怪物は静かに頷いた。

 

 ゾンビに誘導されて到着したのは、マンションのような建物だった。外見は老朽化か何かで小汚いが、中は掃除が行き届いて綺麗だ。

 

 尚も誘導に続く。案内された先には、映画館をそのまま小さくしたようなシアタールームがあった。やけに礼儀正しく、それでいて大人しい所作でエスコートするゾンビに従うまま、秋月は中央の席についた。

 

「るぅ……るるる……」

 

 複数体いたうちの、片腕のない怪物が、なにやら器用に機械を操作する。

 

 大型スクリーンに映った映像に、防空棲姫は目を奪われる。

 

「な…に……これは」

 

 火の粉を散らして燃え盛る住宅街。笑いながら重火器を人間に向ける艦娘たち。意味のわからない、脳が理解を拒む映像が流れている。

 

 場面が切り替わる。鮮やかな頭髪の一人の女性が、女の子を守って艦娘に顔を撃たれて死亡した。

 

「っ!?」

 

 なんなのこれ。どういうことなの? この夢の中で何度目かわからないが、ただただ防空は困惑する。恐らくは、ネ級が見た記憶か何かだろう。色々とあったが、艦娘が一般人に手を出している点が一番意味がわからなかった。

 

 映像は尚も続く。また防空は驚く。死んだと思った女性が立ち上がり、また女の子を守るように艦娘の前に立ち塞がったのだ。

 

 唐突に、女性の腹部が裂けた。そして、そこから2本の触手が生えてきて、彼女の肌が急激に血の気を無くして白くなる。

 

「!!」

 

 片方の目を眩しいほどに赤く輝かせながら、その女は力任せに艦娘をなぎ倒した。しかし命までは取るつもりがなかったのか、そいつは律儀に自分の吹き飛ばした者の脈を測ってから、女の子を抱えて逃げ出す。

 

 

 カメラが切り替わって顔が大きく映る。防空は唖然としてだらしなく無意識に口を開く。その女はネ級だった。

 

 

 全速力のまま、およそ1、2kmほど走っているだろうか。流石に体力が持たなかったのか、ネ級は足がもつれているのにも関わらず、尚も走り続ける。

 

『死なせない……ぜったい、死なせない!』

 

『はあっ、はっ……! っぐ、ぜったい、助けるんだ……!』

 

『お姉ちゃんが、着いてるからね……ぜったい、死なせたりするもんかっ……!!』

 

「…………っ」

 

 これは? 背負っている子供に言い聞かせているのか? 何のために? 恐怖心を少しでも和らげるためか? 困惑する防空に構わず映像は続く。

 

 流れる物は、どれもこれもが彼女に衝撃を与えるには充分な情報量を秘めていた。多対一の状況に構わず突撃する、手負いの艦娘を艦隊まで送り届ける、気を病んだ中枢棲姫への付きっきりの看病……他者への深い慈愛の念でもなければまず不可能なネ級の数々の行動が、防空の胸を締め付けた。

 

 最後に、戦艦棲姫と刺し違えるような形で彼女が気を失い、南方棲鬼が乱入する所で場面が切り替わる。映像主体だったものが、唐突に真っ暗な画面に文字が映される演出が入る。

 

「!」

 

 ―心労が祟って病んでしまうことがあります―

 

 ―気丈に振る舞ってはいても、それは弱さを周囲に見せないための仮面なのです―

 

 ―自己犠牲。彼女の人間性は、その一言に集約されるのでしょう―

 

 ―彼女を助けてあげてください。そして、支えてあげてください。彼女は、決して強い人間では無いのです―

 

 

「…………………」

 

 ムービーが終わる。重巡ネ級という女性の本質を知ったとき。防空棲姫は全てを理解すると、その場で泣き出してしまった。

 

 何の事はない。何があったのかはしらないが、彼女は自分と同じ、元は人間で純粋な深海棲艦ではなかった。付随する要素として、他人思いで自分を省みない性格だということはこの映画ですぐに理解できた。

 

 次いで、どうしてここまで心優しい夢の「住民((ゾンビ))」は怪物の姿をしているのか。暗く陰鬱とした色彩に溢れているのに、空気も居心地も良い空間が無意識の領域に広がっているのか。

 

「そうか……そういう、ことか……」

 

 容姿、言動、立ち振舞い。様々なものがあるが、他人から理解されづらい。もしくは、酷く誤解されてしまうような性質をもつ。そんなネ級(鈴谷)を表す風景だったんだな。自分もまた「誤解」していたと自覚した彼女は、申し訳無さと自分の短絡的な思考回路の情けなさに、涙が止まらなくなった。

 

「ゔ……ゔ~……!?」「ぅうるぅ……」「……ぅう」

 

 泣いている客人に気を使ったか、化け物の一人はお菓子の包み紙を、もう一人は暖かそうな毛布。更にもう一人が涙を拭くようにとハンカチを差し出してくる。

 

「あり、がとう……優しいのね。貴方たちは……」

 

「疑惑は解けた。……かな? 防空棲姫……さん」

 

「!」

 

 不意に、横から投げられた言葉に。防空は顔を上げる。

 

 いつの間にかに隣の席に座り、声をかけてきたのは重巡ネ級だった。一瞬ギョッとしたが、現在進行形で夢を見ている本人とは何だか雰囲気が違う。よくよく見てみれば瞳の色や髪型も違い、防空はこのネ級は映像に映っていた「鈴谷」とは別人だと認識する。

 

「お前は……?」

 

「見れば解るでしょ。重巡ネ級でごさいます。」

 

「そりゃ、そうだけど……お前は鈴谷じゃない……」

 

「あら、ご名答。そう、私は紀美じゃない……この夢の護り人さ。鋭いね」

 

 飄々とした態度の女だ。顔を見るまでは、声や言葉選びからそんな印象を受けた。が、発言者の表情を再度見て、その認識は間違いだと改める。

 

 どこまでも澄んでいて、かつ、視線の先を射抜くような鋭さを秘めた――強い意思を感じる目で防空は見られていた……気がした。もっと簡単に言うと、この人物の前ではどんな嘘や建前も効きやしない気がする顔を、ネ級はしていた。

 

 膝を組み、その上で指を組んでいる余裕そうな態度が。なおさら、相対するこの女のただならぬ雰囲気を助長していると防空は感じる。数分ほど、女二人はお互いに見詰めあっただろうか。スクリーンの映像がリピートでまた再生される。

 

 「さて。」 青紫色の瞳の先を、コンマ一秒たりとも防空棲姫から外さずに席を立つと、ネ級は言った。

 

「あまり変な詮索(せんさく)はしないであげてよ……こう見えて、内面この子はナィーブだから」

 

 スクリーンに映っていた鈴谷の顔を見ながら、ネ級は秋月の肩を軽くとんとんと叩く。

 

「じゃあね……私の代わりに見守ってあげて。鈴谷(紀美)を。」

 

 女が言い終わるか、というとき。防空棲姫は抗いがたい強烈な睡魔に襲われた。

 

「…………!?」

 

「っとぉ、落ちる前に。良いこと、教えたげる」

 

 次第にまぶたが開けられなくなる。そんな彼女へ、(ささや)くような声でネ級は助言をした。

 

 

「貴女の鎮守府の提督に気を付けな。じゃあ、おやすみ。」

 

 

 意識が遠くなる。気絶や何かの類いではない、心地よく眠りにつくような……そんな感覚だった。

 

 そして、完全に気を失う前に。防空棲姫の脳内で、この夢の中で経た情報が整理される。

 

(殺す……だなんて……)

 

(笑われるのは私のほうか……)

 

(最初から……彼女のなかに、私のような偽物の好意などは無かったのだから……)

 

 1から10まで。害意など無いどころか、出来すぎているほどに他人思いで思慮深い人物。それが、この女性(鈴谷)の本質だった。

 

 もう、防空棲姫の中には。ネ級を殺そうなどという思考は微塵(みじん)もなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 




仕事が……仕事が忙しすぎる


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29 私は片目が見えないんだ

おまんたせ 

活動報告にて今後のストーリーについての簡単なアンケートを取っています。期限などは設けていませんので、暇な方は参加して頂けると助かります。


 

 

 非番の日、というのは前は酷く退屈だった。だけれども、こうやってやれることが増えたのは良いことだな。夜中にガレージに(こも)り、妖精らと艤装を触っている折、そんなことをネ級は考える。

 

 時間の経過とは早く、ネ級とレ級が鎮守府に入ってもう3週間が経つ。過去の実績が助けるレ級はともかく、槍働きに加え、掃除や備品の整理と、地味な事でも周囲から点を稼いでいたネ級は、すっかり周りから敵視されるような事はなくなった。

 

 やっと気を使いすぎるような日々からも解放されるかな――分厚い整備書を眺めながらボルトナットを緩め、そんなことを考えていると。妖精らから声をかけられる。

 

「鈴谷しゃんは本当に勉強熱心なのれす。非番の日ぐらい、ねぼすけぐーぐーでも誰も文句言わないのに」

 

「ただでさえ煙たがれるようなカッコでしょ私。働いてるフリ働いてるフリ」

 

「フリ、なんて言葉で片付けられる行動じゃ無いのです。こんなの立派な自主トレなのです」

 

「まぁ、さ。少しずつでも、やれることを増やさないと。ね?」

 

 グリスを()しオイル交換が終わった装備を保管場所に戻す。続いて彼女は、妖精らが手書きで作ったぶ厚い本を手に取る。

 

「さて、と。で、なんだっけ? また新しいこと教えてくれるんだよね」

 

「そーなのです。鈴谷さんは、自分の艤装が改造で軽空母の装備に出来るのは知ってるのです?」

 

「一応ね。火力落ちるし、みんなに指示出すの苦手だからやるつもりは無いけど」

 

「オーケーなのです。んーんとー、だから、鈴谷さんには多少なり、空母の艤装の適正があることになるのです。今から出すのは、一部の空母の方が使う裏技なのです」

 

「裏技?」

 

 なんだろうかそれは。気になりつつ、小人達の指示に従った。

 

 艤装に使われている特殊な鋼材が使用されているという筆と、一般に市販されているような墨、そして廃棄予定の軽巡洋艦の装備を用意する。意味がわからない組み合わせだが、戦闘に役立つ技術を教えてくれるという。

 

 理由がわからないまま、ネ級は視認しづらい程の細目のワイヤーが繋がった武器を腕に巻き付ける。次に、糸と腕を捲き込むように、妖精の説明にそって魔方陣のような絵を描いた。

 

「これで……っ!?」

 

「ばっちぐー、なのです!」

 

 思わず驚くような変化が起こった。描いた模様が一瞬鈍く光り、自分の腕の中に武器が吸い込まれていったのだ。

 

 流石に少し動揺する。しかし特に異物感等はないし、変な違和感も無い。強いて言えば、気のせいかと言える程度に肘から先が重くなった気がするぐらいか。

 

「すごー! なにこれ?」

 

「軽空母艦娘の知恵なのれす。巻物みたいなものから何か召喚する艦娘を見たことないれす?」

 

「あぁ! あれってこうやって格納してたんだ。でも普通の武器でも出来るんだ?」

 

「なのです。でもでもふつーの艦娘しゃんはこうやって使いこなすのは難しいのです」

 

「そうなの?」

 

「格納した装備の半分の重量がそのままのし掛かっちゃうのです。ましてや腕なんかに入れたら取り回しがががが……。深海棲艦ぱわーが活かせる鈴谷しゃんの専売特許なのです」

 

「なるほど、ね」

 

 わざわざ自分のために知恵を使ってくれた妖精に。感謝しつつ、鈴谷は質問を投げる。

 

「……所でこれ、使うときはどうするの?」

 

「とってもカンタンなのれす。ちょっぴり、絵を描いた場所を傷つけるのれす」

 

 へぇ? そんな生返事を返しながらネ級は作業着からカッターナイフを取り出す。

 

 入れ墨のように印をつけた部分に、ゆっくりと刃を押し当てて、薄く血が滲む程度に傷をつけた。すると、ポンッ、と軽い音と共にその部分が煙に包まれる。もやが晴れたときには、手には糸で繋がれた主砲が握られていた。

 

「ほぉ~う!? こりゃすごい!」

 

「あまり誰も使わない技術なのれす。敵ならとーぜん、意表なんか簡単に突けるのれす」

 

「便利だねこれ、まるで忍者か何かみたい」

 

 手数ってのは多いに超したことは無いものな……。毎度、大量に弾丸や軽量の武装を持ち込んで弾幕を張るような戦いをする自分には合いそうだな。そんなように考えていると、「ただ……」と、何かばつの悪そうな顔で妖精が呟く。

 

「?」

 

「1つだけ欠点があったのを忘れてたのれす……」

 

「なぁに?」

 

「糸を巻くと、先っちょが仕舞った場所に埋まっちゃうのです」

 

 ……なぬ? ネ級は握っていた物を机に置き、巻かさっていたものをほどいていく。なるほど、彼ら彼女の言う通り、ワイヤーの終わりの部分が腕に埋まっており、引っ張ると皮膚まで持ちがった。

 

「これは……っと……(いつ)ぅ……」

 

 無理矢理糸を引っ張るとそのまま抜けた。注射針でも刺さったような軽い痛みと、血こそ出なかったが痕が残る。

 

「ごめんなさい」

 

「あぁ、いや、別にさ。いいよ、こんぐらい」

 

「ふぇ?」

 

「いつもボカスカ敵に殴られてるモンネ、こんなの痛いの内に入んないよ。それよりさ、ありがと! いーこと教えてくれて!!」

 

「鈴谷しゃん……」

 

 悪いことをしたと思っているのか、泣き顔になっていた妖精を指で撫でているときだった。

 

 備品が積まれて狭いこの部屋の入り口の方から物音が聞こえて、ネ級は顔の向きを変える。誰かと思えば、何だか浮かない顔をしたレ級だった。

 

「レっちゃん? どうしたのこんな時間に」

 

「…………………」

 

 いつもは薄ら笑みを浮かべて穏やかな表情なのに、どういうわけか、今の彼女はムスッとしていた。見るからに機嫌が悪そうなレ級は、持っていたマグカップの1つをネ級の机に置くと、適当な場所に座る。もう1つを口に含みながら、彼女は筆を走らせて筆談を始める。

 

「ありがと。どうしたの、なんか機嫌が悪そうだけど。珍しい」

 

『さっき男性と間違われたんです』

 

「はい?」

 

 何が?? 頭の混乱したネ級へレ級は文字を書く速度を早める。

 

『いつも通り、暇を持て余して廊下で本を読んでいたんです。そうしたら出入りの業者の方に「キャー!!」って言われて』

 

「それで?」

 

『イケメン……あっ、女性の方!?って。失礼じゃないですか? いきなり廊下でそんなこと』

 

 ふふっ、と笑ってしまいそうになる。咄嗟に出掛けた鼻笑いをネ級は押し殺した。

 

 まぁなんと言うか。見ようと思えば確かに顔立ちは整っているから美男子に見えなくもない……か??? 私にはどう見ても女の子に見えるがね。そんなようにネ級は考える。

 

 作業を続けながら、レ級が持ってきたカフェオレを飲む。ぬるめの温度だったが、猫舌なネ級には丁度良く感じられた。

 

 置いていたラジオの音楽にたまに耳を傾けたり、読書中のレ級をチラ見したりなどとネ級は静かな時間を過ごす。そんな折、またもう一人、深夜の工厰に訪れる。物音に二人が顔をあげると、そこにいたのは秋月((防空棲姫))だった。

 

「あ……ここにいたんだ、ネ級。それにレ級も」

 

「こんばんわ。どうかしました?」

 

「………………。」

 

 別々のタイミングで二人は壁掛け時計に目をやる。時刻は午前1時を回っている。確か今日はこの人は警備ではなかったはず。よくもまぁ、こんな時間に会いに来たな? 多少違いはあれど、深夜の来客に深海棲艦らはそんなように不思議に思った。

 

 「ちょっと、お話がしたくて。」 神妙な面持ちで防空が言う。丁度、やることも一段落したネ級は、机の上で寝ていた妖精にハンカチを掛けて相手に身体を向ける。レ級はというと、雰囲気から自分には用がなさそうだと判断したのか、その場から立ち去った。

 

「なぁに、そんな改まって」

 

 そういえば、面と向かってじっくり話すような事は初めてに近いな。ネ級が思う。防空棲姫は、どうにも複雑な顔で会話の口火を切った。

 

「貴女は自分が好き? 愛して、いるの? その答えが聞きたい」

 

「……。まぁ、取り合えず座りなよ。そこに椅子あるし」

 

「……………うん」

 

「えらい哲学的なこと聞いてきたね。別にいーけど」

 

 変わった質問だな。特段驚くこともなく、鈴谷は少しだけ考えてから続ける。

 

「…………なんて、言おうかな……」

 

「………答えられないなら、」

 

「好きに決まってるじゃん。……私を信用して………。愛してくれる人がいるから、私は自分を愛してる……と、思いたい!」

 

 熊野。那智、浜波、蒼龍に、木曾と長門や満潮に提督。さっきまで居たレ級、南方棲姫……は違うか。それに、直海や父や中枢棲姫。自分を「愛してくれている」とはおこがましいだろうか。でも、好意を抱いてくれているのは間違いない筈だから……。そう思っての返事だった。防空は、自分の発言を遮り気味にネ級から放たれたその言葉に、顔を強張らせる。

 

「持論になっちゃうんだけど、聞いてもらえる?」

 

「えぇ。」

 

「自分を(かえり)みれない……好きになれない人が、他人を愛することはできないと思う。秋月さんはどうでしょうか」

 

 深く考えてなどいなかった。気心の知れた相手ではないが――少なくとも「敵」じゃない相手。だから、リラックスできる。そんな状態だからネ級の口からすんなりと出てきた……――と、言うことを。防空棲姫は読心能力でそれとなく把握した。

 

「あぁ……」

 

「?」

 

 目頭と鼻の辺りが痛くなる。本当に、本当にこの人は……私を敵だなんて欠片も思っていなかったんだな。対面の女が涙を(こら)えてそう思っているなど知らず、ネ級は唐突に顔を下げた防空を心配する。

 

 数秒ほどの間を挟む。秋月は言った。

 

「…………。自分のこと、か……大好き…………あなたのお陰で、好きになれたよ。……あなたと同じ。こんな私を好きでいてくれる人がきっと居るから、かな」

 

「……そっか。なら良かった。私の返事は満足できました?」

 

「大満足。ありがとう、じゃぁ、おやすみ」

 

 何かあったんだろうか。でも、解決したみたいだ。真顔のままだったが、どこか雰囲気が穏やかになった防空棲姫に鈴谷はそう思う。

 

 

 

 数分の会話を終えて防空は自分の寝室へと廊下を歩いていた時。先程部屋から出ていった筈のレ級とばったり出くわした。

 

「あっ……」

 

「……………」

 

 ネ級以上に面識の無い相手に。適当に会釈して立ち去ろうとした。が、歩き始めようとした彼女を、レ級はゆっくりとマグカップを持った手で塞ぐ。

 

「??」

 

 何だ? そう思った防空へ、レ級は物を持った肘に手帳を挟みながら、器用に字を綴って相手に見せた。

 

『話が長引くと思って用意したんです いらなかったですか』

 

「えっ」

 

『それともカフェオレは苦手でしたか それならこちらで処理します』

 

 ……………………。はああぁぁぁ。防空は心中で特大のため息を()いた。レ級の差し出してきた手に握られたコップを受け取り、口を開く。

 

「ありがとう。コップは後で洗って返しておくから」

 

「…………………。」

 

 不自然ではないだろうか。そう思いながら笑顔を作って言う。レ級は手を振ってから、工厰のほうへと歩いていった。

 

 自分の思っているほど。「敵」なんて者は、実際はそれほど居ないのかもしれないな。

 

 (ぬく)い飲み物の熱が、じんわりと身体中に浸透するような感覚を覚える。両目を涙で潤わせながら、防空棲姫は自分の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「内偵の手伝い、それを私に??」

 

「うん。お願い! 一人じゃあまり情報が集まらなくて……」

 

 深夜に言葉を交わしたときから(およ)そ半日後ぐらいの時分か。昼寝から目が覚めて庭の掃除をしていたネ級へ、防空棲姫は協力を願い出てきた。

 

 前までは淡泊というか、どこか距離を置かれていた気がしたのに。なんだろう、最近妙にフレンドリィだな? 自分の頭の中を目の前に居る女に覗かれていたことなど知る(よし)もなく。不思議に思いつつも、ネ級は返答する。

 

「別にいいけど……いいの?」

 

「やった――って、え? 何が?」

 

「私なんか信用できるの? どっちかって言うと立場が艦娘よりなのに。貴女は海の人((2番目に近い))なんでしょう?」

 

 夢に侵入してから、防空棲姫の中にネ級(鈴谷)への疑念など綺麗さっぱり消えていたが。実のところ、ネ級の方はといえば、彼女は防空棲姫の事がそれほど好きとは言えなかった。そんな心境が返答に現れる。

 

 というのも彼女は始め、ネ級へ「人間と敵対している」というニュアンスを含めたような事を言っていた。それが、鈴谷の無意識に引っ掛かりを与えていたことが大きかった。

 

「…………………っ」

 

「それにあまり言いたかないけどさ。ヲリビーとか、他に連絡取れる人、居たりしない? そういう人の方が適任だと思う。」

 

 自分の苦手な女に。遠回しに、「自分は辞退させてもらう」と伝えた。

 

 深夜の相談についてもそうだったが。予想外の返事が返ってくる。

 

「……助けて、ほしいの」

 

「!!」

 

 最初にあったときや、戦闘中の余裕そうな彼女とは似ても似つかない。防空棲姫は泣きそうな顔に、弱々しい声を添えて続けた。

 

「前世って……貴女は信じる?」

 

「……………まぁたセンチな。そうだね~私は信じるかな」

 

「あはは、そっか……どっかで会ったことがある気がするんだ。あの二人は……」

 

「離島棲姫に、港湾棲姫だったっけ。デジャビュってやつ?」

 

「そう、かも、しれない……泊地から頼まれてこんなことしてるけど……二人の写真を見たとき、ズキーンて頭が痛くなって……映像みたいなのが脳裏に流れて」

 

「それが確かめたくて二人に会いたいんですか?」

 

「それもある。でも、私はあの二人を助けなきゃいけない……そんな気がするの」

 

 前世、かい。ネ級は数ヵ月前、自分がまだ人間だった頃を思い出す。

 

 潤んでいた防空棲姫の瞳から涙が溢れて頬を伝う。それをネ級はいつも常備しているハンカチで拭い。口を開いた。

 

「自分で言うのは自画自賛みたいでなんだか嫌だね」

 

「へ??」

 

「私お人好しで(とお)ってるからさ……そんな顔見せられたら断れないじゃんか」

 

 口許を(ほころ)ばせながら言う。返答に満足したのか、防空棲姫はパッと表情を明るくした。

 

「ありがとう……ありがとう……! ダメだな私……この間の作戦だって、昨日にしたって貴女に助けてもらって」

 

「……? どうしたの最近。なんだか躁鬱(そううつ)みたいな」

 

「ううん、なんでもない……人の優しさって、暖かいんだなって……」

 

「???」

 

 本当に大丈夫かこの子は? そう思っていると、防空棲姫から今度は質問が飛んできた。

 

「ねぇ、ネ級。どうして貴女と話すと心が安らぐのかな……貴女の優しさは、どこから来てるんだろ?」

 

「ふぁ~……また答えにくそうな事聞いてきましたな」

 

「ふふ、ごめん……」

 

「まぁ良いけどさ」

 

 持っていたジョウロでその辺りの草花に水をやりつつ、ネ級は何の気なしに答える。

 

「打算で動いてるだけだよ。誉められたもんなんかじゃない。人に優しくすれば、いつか返ってくるって思ってるだけ」

 

「………………そっか」

 

「後はその……何だろうね。」

 

 ちょっと困るような質問してきたんだ、逆に困らせてやるか!

 

 ネ級のいたずら心に火が入る。仮面を外して前髪をずらし、彼女は防空棲姫と顔を合わせてじっと視線を飛ばす。

 

「私の目を見て」

 

「…………!」

 

「前に怪我して右目はもう見えてません。…………私はそれから右の目で過去を見て、左の目で今を見ていた……つもりです」

 

 神妙な面持ちを装って相手にふっかけると。互い違いの色の瞳に、多少、というのを飛び越え、「かなり」防空棲姫は動揺しているようにネ級には見えた。

 

「なんの……話なのさ」

 

「聞きたかったんでしょう。私の昔のことが」

 

「…………うん」

 

「ふふふ。じゃ、続けようか」

 

 乗ってきたな。口撃開始だ。ネ級は笑いながら口を開く。このとき、いつも彼女の肩に座っていた妖精の一人からは意図を察されたのか、白い目で見られていたが、気にしない事にした。

 

「テロか何か、結局なんだったのか解らずじまいだけど……まだ右目が見えてた頃に、目の前で沢山人が殺されていくのを見た。辺り一面焼け野原で、建物の焼ける嫌な匂いが充満していて……その時に、私は女の子を一人だけ助けてあげる事ができた」

 

「…………!!」

 

「でも、その子だけだった。その子の親を、母親を、私は見殺しにしてしまった。あろうことか、その子の目の前で」

 

 後ろ髪を縛るのに使っていた髪留めを外して眺める。チリリ、と、てんとう虫の形の鈴がなる。

 

「覚めない夢でも見てるみたいだった」

 

 いつの間にか、冗談でやってるということを忘れる。うつむき加減で、睨みつけるような表情で花壇の方を見ながら、静かにネ級は続けた。

 

「………………。」

 

「なんだかこの世のことが酷く曖昧(あいまい)に感じられたよ。ひょっとしたらこの地獄みたいな光景は夢なんじゃないか? 立ち塞がってきた奴らをなぎ倒して女の子を抱えて逃げた。そんな中でも、私はそんなこと考えてた」

 

「その……それ、で…………?」

 

「何も考えずに走った、かな。安全なところへ……そんな場所があるかもわからなければ、保証もないのに探して逃げた。夢なら覚めて欲しかった――――」

 

 段々と様子がおかしくなっていく鈴谷を見かねて妖精が声をかける……のに少し被せるように、彼女は防空へ顔を向けて呟いた。

 

「でも醒めちゃってた。そんな白昼夢みたいなボッとしたボケた思考は」

 

「……………うん。」

 

「右の目が見えなくなって……いつの間にかに覚めてしまってた。逃げた先で野宿して、次の日にとなりで女の子が寝てたから。あぁ、これは現実なんだ……って」

 

 深呼吸をひとつ。挟んでから、息を整えてネ級は言う。

 

「私が助けた……助けて「しまった」命だから。この子は守らなければいけない。そう思った」

 

「…………………」

 

「でもそうはならなかったんだよ。私の方こそ……助けてもらった。私は深海棲艦だから。陸で人目についたらいけない、そう言って海に逃してくれた友達がたくさん居た。今、その子はその連中に預けてる。」

 

「信用、してるんだね。その人たちのこと」

 

「さぁね。でも大丈夫なはず。って自分を納得させてる。」

 

 形容しがたい、笑顔なのだが……どことなく影を感じる表情で、彼女は防空に続けた。

 

「私は色んな人の手助けをした……はず。それ以上に、私自身は今まで数え切れない人等から助けてもらって生きてきた。だから……」

 

 植え込みのカスミソウに混じっていた、雑草のタンポポの花を抜き。ネ級は言った。

 

「そんな気持ちのただの自己満足で、勝手な罪滅ぼし。どれだけ悔やんだって過去なんてどうにもできない。だから今を生きる人の手助けを精一杯勝手にやってる。それだけのくだらないこと。」

 

「くだらなくなんてない!!」

 

 びくり、とネ級と妖精らは体を震わせた。いきなり声を張り上げて反論した防空棲姫は、泣きながら喋り始める。

 

「自分を卑下(ひげ)しすぎなんだよ……立派だよ……凄いことなんだよ……貴女のやっていることはッ!!」

 

「いや、そんな」

 

「もし本当に貴女のやってきた事らが真実だったとして! それを聞いて! なお貴女をコケにするような奴がいたなら、私がそんなやつら蹴散らして回ってやる!!」

 

 ま、まずい。何か変なスイッチが入ったぞ! 言っていたこととは裏腹に、実はそこまで悲観的になっていた訳でも無い鈴谷は焦る。付き人の妖精たちもまた、突然熱を帯び出した防空棲姫を見て冷や汗を流した。

 

「変な質問のせいで……嫌なことっ……思い、ださせて……!!」

 

「い、いや別に?」

 

「サイテーだ、私は…………!!」

 

 前に覗き見た夢の中の世界を防空は思い出す。自分なんかが口に出すのもおこがましいと思える死線をくぐり抜けてきた彼女だ、絶対に冗談じゃない、全部事実だし、妙な詮索(せんさく)をしてほじくり出した自分が恥ずかしい――――等と深刻に思われている事などもちろん知らず。ネ級は大慌てで彼女をなだめる。

 

「そんなね、あんまり言いたかない辛い事なんて誰彼構わず、大小は有るもんだろうしさ、ましてや私のはそんな……」

 

「………………る。からっ……!!」

 

「……? なんて」

 

「貴女は私が死なせない………!! 絶対に守り抜いて見せるから…………!!」

 

 先ほどと同じか。それ以上にも聞こえた大きな声での宣言に、ネ級+その他大勢が上体をそれとなく仰け反らせる。

 

 流石にちょっとやりすぎたか…………? ほんの出来心でやった行動が、対面する女を強烈に焚きつかせる結果になったことに。ネ級は後悔していた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鈴谷としては印象的だった防空棲姫との問答から数日が経過する。

 

 別段、これといって特別と言えるほど親しいわけでも無かったが、あれ程の熱量で頼まれると、流石に無碍(むげ)にする理由もなく。それとなく、不審がられない程度にネ級は内偵を開始していた。

 

 この鎮守府に来て1月は経っている……が、逆に言えばそれしか経過していない期間しか居ないネ級は、腕前こそ評価されているが部隊では新人も良い所である。加えてルーティンワークで特定の場所の掃除や花の手入れなどで時間を取られていたため、実はあまり詳しくはこの建物の内情を知らないでいたのだが、彼女は逆にこれを活用する。

 

 出入りの業者への対応や、掃除·管理できる備品の数を増やしたい。そんな口実で、それとなく周囲の艦娘から建物の間取りや部屋割、どこに何が置いてあるか、等を細かく聞いてリスト化していく……というのが、ここ数日間でのネ級の仕事になっていた。

 

「どうも。日用品はここに詰め込めばいいんですね」

 

「そ。あとは当番の子が勝手に持ってくから適当に積んどいて〜」

 

「わざわざ時間を割いてお答えいただき、ありがとうございます。」

 

「いーよ〜暇だし。ほんと真面目だねぇ〜お前さんはね〜」

 

 質問に答え終わると、あくびをしながら手を振って去っていく艦娘に。仮面の下で目を細めながら、ネ級は今までの聞き込みから出来上がったデータを眺める。

 

 これといって特徴なんてない。強いて言えば、倉庫みたいな部屋が多くて、自分が元いた場所よりはでかい鎮守府……なんてのは来たときからわかりきってた事実なんだよなぁ……。手帳の文字の羅列にがっくりと肩を落とす。

 

 防空棲姫は鎮守府外に目を向け、周辺の町や海などにアンテナを張っている。ならば自分は、逆にこの鎮守府の中に二人が囚われている可能性は無いのか? とあえてこの場所に探りを入れていた……が、結果は著しくないというのが現状だった。

 

 廊下のソファに座ってため息を吐いていると。建物内の調査を頼んでいた妖精の一人が瑞雲に乗って戻ってきた。それに気付いた彼女が手を伸ばすと、腕を滑走路にして着地した飛行機からパイロットが降りる。

 

「はぁ……怪しいやつのへそくりでもなんでも見つからないもんかね」

 

「今日のてーさつかんりょー、なのです」

 

「おかえり。何かあった?」

 

「工廠と武器庫に探りを入れたのれす……れす……」

 

「………そっか。ありがと、ゆっくりお休み」

 

「ふあぁ……お言葉に甘えるのれす……ぬふぅ…………」

 

 何も見つからなかった、と。ニュアンスから察したネ級は、徹夜して作業してくれた彼を自分の触手に乗り物ごと格納する。

 

 日々の仕事と並行してやってるとはいえ、1週間も続けて全くと言っていいほど何も出て来ないとなると、いよいよ不安になる。こっちも防空棲姫のやり方に乗っかったほうが良いのか? 自分のやり方に疑問を持って悩み始めていた時だった。

 

 今度は窓のカーテンを伝って、別の妖精が戻ってくる。着けヒゲの特徴的な彼は、どこか落ち着かない様子だった。

 

「あわわわわ……と、とんでもない物を見てしまったのです……」

 

「…………!! まさか何かあった?」

 

「そそ、そ……それがっ……」

 

「わしが変わりに話すのれふ。鈴谷しゃん」

 

 何か見つけたらしいが、よほど凄まじい「何か」だったらしい。要領を得ない彼の代わりに、鎧武者姿の妖精が口を開いた。

 

「近くに誰もいないれふ……?」

 

「えぇ……今は大丈夫そうね。心配ならこっち来る?」

 

 盗み聞きされたくないのなら耳元に来れば? と提案した。が、後からわらわらと合流してきた彼らは、聞かれる心配が無いなら問題ないと、そのままネ級の手のひらの上で話を始めた。

 

「簡潔にいうのれふ。2体の深海棲艦を発見したのれふ」

 

「うっそぉ!? マジぃ??」

 

 思いの(ほか)早く見つかったな!? 妖精たちの抜け目ない仕事ぶりに舌を巻きながら。ネ級は小人の群れに尋ねる。

 

「どーゆーところで見つかったわけ? 秘密基地? 研究所? それとも牢屋みたいな」

 

「全部正解なのれふ。場所はここ、なのれふ」

 

「どこよここ……って」

 

 えっ―――。 思わず生返事が漏れる。

 

 妖精たちが見せてきた写真付きのメモ書きに示された場所は、いま、自分がいる場所。すなわちこの鎮守府の「地下」だった。

 

「なーるほど、どうりで秋月が見つけられなかったわけか。灯台下暗しとはよくいったもんだね」

 

「なんだか不自然に荷物がぎゅうぎゅう詰めの倉庫部屋があったのです。こっそり荷札を見たらどれも賞味期限どころか3、4年も置きっぱなしの食品類! 腐った物ばかりで雑に蓋された場所に入り口があったのです」

 

「うぅわぁ、荷崩れしたらやばい香りがしそうねその部屋。」

 

 冗談混じりに、しかし顔は真剣な様子でネ級は続ける。

 

「二人の他に何か見つかった? こう、コナン君の敵組織みたいな奴らがいた!とか」

 

「黒づくめは居なかったですがビンゴだったのです。ホラ、二人の姿が」

 

 時間がない中での隠し撮りのためか、画質が荒い写真を数枚見させられる。しかしなるほど、どういうわけか資料と服装が違うが、目標の港湾棲姫と離島棲姫の姿が確認できた。

 

「なんで二人ともパーカー姿……ってあれ、離島棲姫のほうは片足がない? もともとかな?」

 

「拷問されたのです!」

 

「まさか。だってほら、別に辛そうにしてるようには見えないけどなぁ?」

 

 渡されたうちの1枚をひらひらと小人たちに晒す。そこに写る離島棲姫は、松葉杖を立て掛けたテーブル席に座り、あくびをしながら読書をしていた。そもそも痛めつけられているのならこんな余裕そうに暇を満喫しているものか? との鈴谷のもっともな疑問に「それもそうか」と妖精らは納得する。

 

 が、まだ何かあったらしい。納得のいっていなさそうだった顔の妖精が、更にもう一枚の写真を差し出して言う。

 

「でもこんな物みられたのです? ごーもんされてたのです。」

 

「どれどれ……はっ―――??」

 

 思わず息を呑む。渡されたものは港湾棲姫の写真だったが。写っていた彼女の様子に、ネ級は言葉を失った。

 

「え……なに、これは」

 

「見てのとーり、なのです。鈴谷しゃん、貴女が艦娘の免許持ちじゃ無かったらもしかしたらこうなってたのかも……」

 

「怖いこと言わないでったら……はー、にしても何かねこれ。いったいどういう状況さ」

 

 理解できない……というよりかは、「したくない」というような情景が激写されたフィルムに。少し考えてから、ネ級は妖精たちに1言、約束を作ることにした。

 

「……妖精さん、ちょっとお願い。この写真、誰にもバレないように燃やしといて」

 

「??? せっかくのしょーこを処分なのれす???」

 

「とーぜん。こんなの見たら防空さん暴れだすよ?」

 

「………まぁ確かに。なのです」

 

「場所はわかったんだし。ちょっと準備もしなきゃね」

 

 指に力を入れる。ひと思いにネ級は持っていた物を何等分にも破り捨て、破片を妖精たちが拾う。

 

 

 隠し撮りされたのは。眠そうな顔でぼうっとしている港湾棲姫が、手術台のような場所で、左腕を肘先から切断されている、という光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハイファイな夢。(悪夢)

余談ですが最初から最後までネ級はふざけて質問に答えていました。


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30 善意に偽物なんてあるのかい?

お ま た せ

相変わらずゴア表現有りです。少々ご注意を。


 

 

 

 

 日頃の行いに並行しての内偵で、思わぬ収穫を得ていたネ級とは裏腹に。今日この頃の防空棲姫は多少の焦りを感じていた。

 

 ネ級にも伝えた通り、最初期、初めてここに来た頃合いは鎮守府内部を重点的に探していた。が、成果が得られず、探索範囲は近くの港·その周辺の水中·町中……と段々と拡大の一途を辿っていたのだ。それでもなお、痕跡すら掴めなかった事から、終いには泊地棲姫の情報は間違っていたのか?とまで邪推する始末だ。

 

(どこだ……いったいどこに居る? 離島……港湾…………)

 

 融通の効かない自分のテレパシー一本(いっぽん)に頼り切りでは流石に探し切れない。だけど、二人の波長のようなものは何となくだが感じ取れるから、やはりこの街にいることは間違い無い―――。

 

 机に置いた地図の一部にバツを付けながら頭を抱える。戦闘に関する仕事は、彼女の能力を持ってすれば朝飯前も良いところだったから問題は無い。しかし、フルパワーなど出そうものなら異常な戦果を出して怪しまれる。加えて、周囲の人間関係も気を使う……そんな気苦労が、日に日に防空棲姫を追い詰めた。

 

 苛立ちから、持っていたボールペンを握り潰して割ってしまう。いけないな、物に当たるなんて。頭を冷やそうと、水を少なく濃い目に作ったレモネードを喉に押し込んだとき。部屋の扉をノックして初月が入ってきた。

 

『ちょっといいかな。姉さん?』

 

「いいよ〜。どうかしたの?」

 

「ごめんね。こんな遅くに」

 

 そんな時間だったか?と時計に目をやると針は10時を指していた。考え込みすぎて時間が経ってたのを忘れてたのか。混ぜた水の量が少なく、溶け切らなかった粉のジャリジャリした舌触りに不快感を覚える。なるべく疲れは顔に出さないように、秋月(··)は初月に向き合う。

 

「ん〜と、ね。」

 

「?」

 

「暴露話……って言うのも違うかな。なんて言おうか」

 

 真顔の中にも、穏やかさを感じさせるような表情をいつもしている初月だが。今日はどこか、その余裕さのようなものが感じられず、また、変に勿体ぶる物言いと、なぜかゴルフバッグの様な物を担いでいたのに防空棲姫が妙に思ったときだった。

 

「僕は口が下手だから。はっきり言う事にする。」

 

 ガチャリ、とわざとらしく部屋の鍵を施錠し。彼女は……少なくとも防空棲姫にとってはとんでもないことを呟く。

 

「姉さん……いや、防空棲姫って。そう、呼んだほうがいいのかな。」

 

 咄嗟の判断だった。

 

 防空棲姫は素手で自室の壁を叩き壊し、隠していた自分の武装を女へ向けて発射する。

 

 煙が晴れる。しかし、爆風が晴れたそこには無傷の初月が居た。

 

「!!」

 

「そうきた、か……びっくりした」

 

 自慢じゃないが戦艦並みの攻撃力がある主砲だ、どうしてこいつは無傷だ? そう思ったが、種は相手が自分から明かしてくる。

 

「なんで無傷か不思議そうだね。ちょっと開発室からくすねて来たんだ、この増設バルジのおかげさ。」

 

 ススだらけのボロ布と化したバッグから、彼女は鉄の塊のような何かを取り出した。艦娘の武装はあまり詳しく無いが、確か増加装甲の一種だったか。防空棲姫は細目で初月を睨む。

 

「そう来るってことは、やっぱり図星か。びっくりしたかい?」

 

「……なんでわざわざ公言した? 不意打ちでもすれば良いものを」

 

「不意打ちなんてしないさ……だって最初からそんな気は無いもの。」

 

「?」

 

 軽くだが読心が発動した。すると、なるほど、なぜか初月からは敵意やそれに類するような思考は感じられない。

 

「考えてもみなよ。あなたほどの個体に僕が一人、そんなで戦いになりはしない。僕がもしやるなら沢山引き連れてくるし、そもそも鍵掛けたりなんて自分を追い込むような事はしない」

 

「……確かに」

 

「僕はただ、貴女と夜更(よふか)ししに来ただけさ……」

 

「その割には、準備万端だったみたいだけど」

 

「どうせ信じてもらえないだろうから、最初は砲弾が飛んでくることは予想してたんだよ。読みどおり、ってところかな。2撃目が飛んでくる前に説得できるかは賭けだった。」

 

「………………。」

 

 やりづらい女だな。自分の性別を棚に上げ防空棲姫は考える。

 

 戦闘中に行方不明·死亡した艦娘に(ふん)して行動していた彼女だったが。生前の秋月と仲が良かったのか、ベタベタして来る照月、手料理を振る舞ってくれる涼月辺りとはよく話していたが、初月とはあまり深くは接していなかった。というのも、この女だけは抜け目無い性格なのをそれとなく察し、避けていたからだ。

 

 超火力の主砲に、グチャグチャに破損した装備を床に置き、初月は口を開く。

 

「気が付かないと思ったのかい。でも大丈夫さ。多分気が付いてるのは僕だけだ……照月と涼月はどこか天然な所もあるからね、わかってないと思う。まぁ、あのネ級とヲ級も貴女のことを知っていそうだけど……合ってるかい?」

 

「………………」

 

「無言は肯定と受け取るよ」

 

「いつから……気づいた?」

 

「ん〜。2、3週間経ったあたりかな」

 

 「漂流中のストレスで容姿が変わったと聞いたけど……その白い髪も、赤い瞳も。姉さんからかけ離れたと思ったけど、でも偶然なのか、貴女の顔立ちは姉さんそっくりだった。から、あまりそこは気にならなかった。」 初月は続ける。

 

「簡単な話さ。単純に、姉さんは貴女ほど強くなかった。はっきり言って異常な練度だもの、すぐに気付いた。あぁ、変装して陸を偵察しに来た深海棲艦なのかって、最初はそう思った」

 

「…………………。」

 

「昔から姉さんは運動音痴だったんだ。かけっこはいつもドンケツだし、縄跳び飛んでもすぐにバテるし。艦娘になっても、僕ら姉妹の中じゃ1番芽が出るのが遅かった」

 

 戦い方だって貴女とは違っていたよ。淡々とつづける初月に、防空は黙って聞き続けた。

 

「端的に言って弱かったから、姉さんは自腹を切ってまで用意した強い武器に頼ってた。艦載機撃ち落としたり、敵に攻撃したりなんていつも散弾だし、たまに普通に砲撃するときに使ってる弾も新型の貫通弾とか融通してもらったり」

 

「そうか。それで?」

 

「その点、貴女は違った。镸10cm砲ちゃんみたいに勝手に動いてくれる自立装備もそんなに使わなければ、たまに有り合わせで持ってきたような単装砲で敵の艦載機を撃ち抜いたり。気づかないほうがおかしいさ」

 

「……………。」

 

 わからない。なんだこの女の纏う雰囲気は。自分が敵である深海棲艦であったことへの失望や敵意ではないし、こちらがアクションをしてこない安心感などとも違う。防空棲姫は疑問から口を開いた。

 

「気づかないほうがおかしいさ、か。わからないな。私にはわからない」

 

「?」

 

「お前がそう言うんだ、他にも感付いた奴がいるはずだ。それでなぜ私に何もしてこなかった?」

 

 スウゥゥ、と。防空の問いに対し、唇から息を吸う音が出るような深呼吸をしてから初月は答える。

 

「鋭い、ね。具体的には僕と、空母の加賀さん。でもそれだけさ。みんな疑問に思いつつも、貴女のことは艦娘の秋月である、と。受け入れてた」

 

「? 気付いたのはたった二人か。なんでだ?」

 

「……貴女が思っていた以上に。秋月という女性が、この鎮守府のみんなの心の比重を占めてた。って、ことさ。」

 

「………………そうか」

 

 仕事(戦闘)はできなかったらしいが、信頼はされてた、ということか。それとなく初月の、何かを含んだ発言を理解する。

 

「照月のことを、突き飛ばして自分が身代わりになったこと、覚えてるかな?」

 

「……ちょうど1ヶ月前か」

 

「うん。それぐらい」

 

 「僕は、一瞬あのときに貴女に姉さんの姿を重ねた。」 初月は言う。

 

「もしかしたら……本当に姉さんが生きてたのかって、そう思ってしまった。その程度には、あの時の貴女は姉をエミュレート出来ていたよ」

 

「秋月は……照月を庇って死んだのか?」

 

「近いけど違うかな。簡単に言うと、僕らが敵に襲われて酷く消耗してたときがあってね。その時、殿を買って出たんだ。ちょうど他の鎮守府の方とも合同の作戦でね。確かそこの島風と一緒に敵に突っ込んで……そこから行方不明さ」

 

 女二人、だんまりを決め込む。部屋が数分間静かになるが、座っていた防空棲姫に対してずっと立っていた初月が、持っていたボロ布を尻に敷いてごみの上に座ると。事の続きを話し始める。

 

「帰って来たら酷い空気だったよ。みんなから慕われてた女の、死んだに等しい報告。晴れてた日だったのに、お通夜みたいな静かさでね」

 

 照月と涼月もそこそこ美人なのにさ。台無しになるような顔でわぁわぁ泣いてて……。重い話の中で、心臓を掴まれる様な痛みを防空は覚える。

 

「でも、時間が解決してくれた。何年も経つと、みんなそこそこ元気にはなった―――けど、そこに貴女が現れた」

 

「………………………」

 

「望月と菊月さんに三日月。特に古参の菊月さんは顔見てびっくりしたって貴女も聞いてたか。まぁ、そりゃそうだよね。遠洋で死んだはずの同僚そっくりの女が浜に倒れてたんだもの。しかもどう見ても水死体じゃない容姿。興奮しないわけがない」

 

「……この顔はただの偶然だ」

 

「うん。データにあった防空棲姫って深海棲艦が、秋月姉さんに似てるってからかったことがあったから、まさか初めはそれかと僕も思った」

 

 「でも、だよ」 俯いていた顔を上げて、初月は言う。

 

「貴女は……初めて会ったとき僕と、照月、涼月の名前を言ったでしょう。まぁ、本名じゃなくて艦娘としてのものだけれど……でもそれが、二人の。特に照月の――琴線に触れた」

 

「どういうことだ」

 

「秋月姉さんは職務熱心だったから。よく照月に本名で呼ばれては注意してたんだ。「照月。仕事中は、私の名前は「秋月」だからね?」って。そしてその約束を守るように、姉さんは、ついぞ最後まで鎮守府の中じゃ照月を「照月」としか呼んだことが無かった。もちろん、僕と涼月にも」

 

「ただの艦船の名前にそんな……」

 

「いや。照月にとっては、それは仕事の中では特別な名前だったから。姉に似た顔の女から本名を当てられる以上に、心を揺すられたはずだ。」

 

 寂しさの漂う笑顔を浮かべて、初月は言う。

 

「きっとこう思っただろうさ。「姉さんが帰ってきたんだ」って。僕も最初は騙されそうになった。貴女の人間のフリは完璧だったからね」

 

「皮肉か?」

 

「いや本気さ。でも妙に器用に戦いで立ち回るところとか……正式にヲ級が。というより、ネ級とレ級がここに配属になって、この人は姉さんじゃ無いとは確信に変わった。この人は、軍が口実をつけて深海棲艦を配置するための布石だったのかって思った……けど、表情を見る限りその読みは少し違うみたいだね」

 

 喉が乾いたのか、初月は立ち上がって洗面台で水を汲む。コップを傾けて喉を潤す彼女へ、防空棲姫は瞳を震わせながら質問を投げた。

 

「2人しか気づかなかった、と言うより、無理矢理この私を秋月として認識するよう周囲が努めた、という事か。だけどまだ不思議だ。なんでお前と加賀は知っていて私を放置した?」

 

「加賀さんの提案さ。特に現状を維持して問題ないなら、下手に告発して事を荒立てる必要なんてないとのことで」

 

「加賀が、だと?」

 

「理由は教えてくれなかったけど、あの人がそう僕に釘を刺した大体の検討はついてる。それもまた、照月に関することだと思う」

 

「…………そんな事まで私に教えて良いのか」

 

「言ったでしょう。僕は最初から貴女を敵だなんて思ってない」

 

 ええと、どこまで言ったっけ。話の腰を折った防空に、少し考え込んでから初月は口を開いた。

 

「照月はたぶん、偽者であっても姉が「また」居なくなることに耐えられない。から、だと思う。」

 

「!」

 

「時間が経ってなお、照月は目に見えて気分やら体調やらが落ちていたからね。それがあなたのお陰でぐんぐん持ち直した。いわば特効薬さ。それを取り上げる事なんて、僕も加賀さんもできない。そういう事さ」

 

 言いたい事は言い切った、と言うことだろうか。涼しさを感じさせる表情で初月は言った。しかし防空棲姫は対称的な暗い面持ちで意見を告げる。

 

「特効薬だって? ……私が? ………そんなのまやかしだ」

 

「まやかし、とは」

 

「私はみんなを騙してた。バレたく無いから本気も隠したし、会話も合わせたし。記憶喪失でみんなの艦娘の名前しか覚えてないなんて(うそぶ)いた。色々と他人に優しくしたのだってそうさ、それとなく親切を振り巻けば信頼を勝ち取れると思っただけだ」

 

 自分の頬を伝う涙に気づかないまま防空棲姫は続けた。が――

 

「偽物の姉の偽物の親切だ。そんな物で立ち直るわけが」

 

「善意ってものに……本物と偽物なんてあるのかい?」

 

「えっ――――」

 

「たとえ本心から親切にされても。たとえ、打算的に組まれた優しさだったとしても……どっちにしたって、やられた側は嬉しいさ……嬉しいに決まってる。だって相手の気持ちだなんてそんなもの、心でも読めなきゃわからないんだから。」

 

 初月は目を瞑り、顔を下に向けた。喉の奥から絞り出すような震えた声で、彼女は言う。

 

「貴女が思っている以上に。貴女は、私達の姉を演じられていたんだよ。それを、知っておいて欲しい……そして、それがどれだけ照月の事を救ったのかと言う事を。」

 

 ぐい、とまた顔を上げた彼女は両目を涙で満たし、鼻を(すす)りながら続けた。

 

「多分あなたは何気なく声を掛けただけだったと思う。痩せ気味だったあの頃の照月に、「ちゃんと食べてるの?」って。働き盛りなんだから、ちゃんと朝昼晩、ご飯抜いちゃ駄目だって。その一言で、どれだけ照月は姉の事を感じられたのか……僕はわからない。でも、確かに救われたはずなんだ」

 

「………うん……そう…………か。」

 

「偽物だとか本物だとか関係がない。姉を名乗って現れた貴女は、確かに「秋月」を演じ切っていた。それで良いじゃないか」

 

 真顔とも笑顔とも言えない――悲壮感のようなものをたっぷりと含んだ表情で、初月は壁掛け時計に目をやる。「こんな夜遅くまで、ごめんね」 そう一言。血縁者でもなんでもない女に謝罪してから、彼女は部屋を出ていく。

 

「…………うぅ」

 

 ただ、泊地棲姫への親切心から簡単に引き受けただけの仕事だった。なのに私は何か―――とんでもない罪を犯していたんじゃないのか?

 

 未だに見つからない同族のこと。勝手に敵視していたネ級のこと。そして、秋月の妹たちのこと―――考えすぎて、防空棲姫は軽い頭痛を覚える。

 

 その日の夜。防空棲姫は枕に顔を(うず)めると、涙が枯れるまで、ひたすら涙を流した。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

「木ィ〜曾〜? イママデドコイッテタノカナー??」

 

「アダッ、いっ!? いちちち……わ、悪かったって! いててて……」

 

 「別の仕事で場所を移らなきゃいけなくなった。」 唐突にそう言ってから丸2週間は姿を消した木曾が、これまた性懲りもなく戻ってきて。ネ級は恨み言一つ、寂しかった旨の発言も添えて弄り倒していた。

 

 気分が晴れたネ級は、腕を捻られて痺れる感覚に顔をしかめる友人を無視し。すっかり日課と化した庭掃除に入る。そんな二人の様子を、自発的に掃除中の彼女とは別で、この日の当番として花の手入れをやっていた初月は笑って眺めていた。

 

「大変仲がいいみたいだ。二人とも」

 

「そう見えます?」

 

「うん。親友同士って感じかな」

 

「はは……どーも。にしても……大きい鎮守府っすよね。ココ。駐車場なんかたくさんいい車停まってるし」

 

「そうかな? 偉い人なら、もっとたくさん贅沢してる人とか、僕は見たことあるけどな。」

 

「マジすか? あそこにベントレーなんか止まってますけど、俺んとこあんなの居なかったっすよ」

 

「ははは。あれね、実は提督の車さ」

 

「え゛? あんなやべぇのを?」

 

「奮発して買ったんだって。3500万円とか。僕らには関係ないようなものだね。」

 

 これみよがしの場所に高級車、ねぇ。ネ級は目を細める。

 

 熊野のランボルギーニは確か中古で800〜700万とか言ってたっけ。単純計算で5倍か……。えらい高給取りだな。そんなように、鈴谷は仮面の下の瞳を、建物の窓の奥にいる男へ向けた。

 

 プライドだかメンツだか知らないが、金持ってますよアピールは少しヤーね。そんなように考えていると、ふと、自分の上司(佐伯提督)が型落ちのシルビアで毎日鎮守府に来ていた事を思い出す。時折、いまにも壊れそうな音を出していたが「そういう所が可愛いと思いませんか?」などと彼がのたまっていた事も同時に思い出し、噴き出しそうになる。

 

「木曾さんの所には高級車とか居なかったんだ。珍しいね」

 

「第7横須賀は質素倹約がモットーっすから。うちの提督なんてガタついたシルビアですからね、乗ってんの。たぶんあの車(ベントレー)買う金で20台くらい用意できて釣りが来ますよ」

 

「ふふっ。良いじゃないかシルビア。かっこいいし」

 

 カッコ……良かったかなぁ??? フロントバンパーにはヒビが入り、運転席のドアはサビまみれな車を想像して、ネ級と木曾は同じような感想を浮かべた。

 

 しかしなかなかどうして……すっかり溶け込んでるじゃないか。表情は被り物で読めないが、声色などから別にこの雑談で嫌な顔をしてるようにも思えないネ級(鈴谷)に。木曾は、ふとそう思う。

 

 元はといえば、木曾が監視の建前でネ級と一緒にこの鎮守府に来たのは、自分らの上司である佐伯の提案があっての事だった。「敵対存在として、きっと邪険に扱われるのはそう想像に難しくない。彼女からは気のおけない間柄の貴女のような方が1人居れば、ぐっと紀美さんの負担も和らぐ筈です。」―――ネ級が目を覚まして数日後あたりからの彼の発言を、思い出す。

 

(心配ねぇよ提督。さすが鈴谷ってところだ。悪評なんて身の振り方でねじ伏せてるよ。)

 

 快晴とは言えないが、多少曇っているお陰で涼しい気温のこの日の空を見上げる。ぼうっとしながら、そんな事を木曾が考えていたときだった。3人のもとへもう一人、ここ数日でネ級に思う所があった人物が合流する。

 

 「ちょっといいか。」 天龍の声に。初月はちらりと顔を見るだけ、ネ級と木曾の二人は体を向けて何かと彼女に向き合う。

 

「お疲れ様です。どうかしましたか」

 

「肩肘張んなよ、別に説教しに来た訳じゃねぇんだ。ちょっとお前に渡すものがよ」

 

「?」

 

「ほら、これだ」

 

 肩掛けカバンから天龍は袋詰された新品の服か何かを差し出す。前に軽く注意された経験から仮面を外そうとした手を、相手の差し出した荷物に向けて、ネ級は何かと訪ねた。

 

 封を開けて物を広げる。入っていたのは、天龍らが前に着ていたライフジャケットだった。胸には所属する鎮守府のマークと部隊章が刺繍されている。

 

「これは?」

 

「ここの鎮守府の備品だ。お前を正式に俺たちエスコート隊の一員として認める。あらためて、ヨロシクな。ネ級」

 

「!」

 

 ネ級も木曾も、少し驚く。奥にいた初月は少しだけ目を見開いたあと、またすぐに真顔に戻った。

 

 良かったじゃねーか鈴谷? 隣の木曾から小声でそんなことを言われながら肘で突かれる。純粋に、仲間として認められたことが嬉しかった鈴谷は、貰ったものに袖を通してみた。

 

「俺らのソレは特別性でな。海難救助も見越して、誰か抱えたりしても大丈夫なように3人分ぐらいの浮力がある」

 

「わぁ……いい着心地……でも良いんですか? こんなもの貰ってしまって。私深海棲艦……」

 

 と、そこまで言ったとき。天龍は軽くネ級の頭にチョップをかます。「んふぇ!」と変な声が出た彼女へ、すかさずその首の後ろに腕を回して抱きつくと、天龍は笑いながら口を開いた。

 

「ばーかっ! もう誰もお前のことそんなフーに思ってねーよ! 知らねーのか? こないだよおめーさんの大活躍でファンレターまで来てやがったぜ。もっと胸張れよ!」

 

「ファンレター?? どんなのだい?」

 

「お、なんだ初月も知らなかったのかよ。こないだのガキンチョがな。でっかくなったら提督になってコイツと結婚したいだってさ! ケッサクだったぜ」

 

「えぇ……?」

 

 困惑するネ級と、それを笑って眺めていた2人だったが。天龍は強引に会話を締める。

 

「まぁなんて言うかさ。自信、持てよ。お前はお前が思ってる以上に、人様救ってるんだぜ。じゃ、あばよ!」

 

 渡すものはあげたから。そう言ってその場を後にする天龍は、3人から離れる途中で思い出したようにもう一言、ネ級に向けて追加した。

 

「今晩他の鎮守府からの仕事が入った。お前、それ着てまたうちの部隊に混じってくれ、待機所で待ってるからさ。詳しいことは秋月から伝えさすから、また後でな」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

『我が鎮守府の管理下にある海域で、水位の異常上昇が認められた。現場は満潮時を除いて島があるような場所で、普段ならば水の下はすぐに砂か岩肌が見えるような地域だが、それらが深く沈み込んでしまうほどに海水面が上がっている。妙な減少の発生に、みな首を傾げている。』

 

『更に今までは発生していなかった大きな水の流れも観測されており、大型の船舶などは勿論、速度が出せない戦艦や空母の艦娘も身動きか取れなくなったと聞く。こんなことは今までに前例がない。』

 

『ともあれ、同海域に調査部隊を派遣したのだが、連絡が途絶えている。偵察とはいえ武装や練度に過不足は無く、熟練の艦娘たちを派遣したのだが、音沙汰が無くなってしまった。深海棲艦の大部隊のような熱源も感知できず、いったいそこで何が起きているのかを早急に把握する必要がある。』

 

『そこで君たちエスコート隊に海域の調査を依頼したい。早い海流に対抗できる艦種でほぼ占めている編成であることに、護衛任務での堅実な仕事ぶりと、指揮を取る天龍の高い戦略眼。そして最近入隊した重巡ネ級の良い噂と働きぶりも聞いている。活躍を期待する。』

 

『消息を絶った者たちはいずれもベテランと呼んで差し支えない艦娘だった。作戦中、もし障害となる物が現れた場合、遠慮なく排除してくれて構わない。彼女たちが戦死したとは考えたくはないが、もしそうなのなら、仇をとってやってほしい。以上だ。』

 

 

 

 練度の高い艦娘を抱えた鎮守府には、たまに他の鎮守府から依頼という形で仕事が回ってくるそうだが、まさかそんな大事なことをこなす役目が自分に回ってくるなんて。夜の海を、ネ級は他の艦娘から少し離れた場所を先行しながら考えていた。

 

 速度という面では今回の作戦の成約はなかったが、小回りが効かないということで装甲空母鬼の艤装は鎮守府に留守番をさせている。自分用の軽装備だけを纏った状態で、ネ級は携帯電話に繋いでいたヘッドセットからの依頼文の読み上げに耳を傾ける。

 

 しかし、とうとうこんなものまで見聞きさせてくれるようになったか……。着々と自分を信用してくれるようになった隊員らに、ネ級は顔を綻ばせた。

 

『Aポイントマーカー通過。そっちは?』

 

「確認しました。周囲に敵反応なし、オーバー」

 

『了解。そのまま索敵頼むぜ』

 

 鎮守府からはかなり離れた場所が作戦海域と言うことで、そこまでの道中には、スマートフォンの画面上にいくつかの中継地点を設定しての行軍となっていた。最初の1つをくぐったという事で、ネ級は後ろにいた天龍と簡単な連絡を済ませる。

 

 この日の編成は、旗艦は変わらず天龍。その後ろから秋月、摩耶、鳥海、弥生。そして先頭がネ級と言った具合だ。本来は瑞鳳が来るはずだったが、依頼にもあった謎の海流とやらで行動が制限されるため、代わりにと今日は駆逐艦の弥生が入っていた。

 

 しかしまた、夜の海に戦いに出るのは久し振りだな――。横須賀に居た頃は朝から夕方までが持ち時間だったネ級が、サーチライトで照らされる海面を見ながらそう思っていると。周囲数百メートルは索敵が完了し安全だと分かった辺りで、着いてきていた艦娘らが雑談を始める。

 

『そういや、隊長ってネ級の素顔って見たことあるンスか?』

 

『ん? あるけどなんだ』

 

『あんの!? えっ、嘘!?』

 

『ど、どんな感じだったんですか?』

 

『いやどんなって言われても……普通だったけど。普通の女の顔』

 

『前に補助で入ってたときに私も見たよ?』

 

『はぁ!? おい、弥生、詳しく』

 

 天龍と弥生の発言に急に言葉を荒げた摩耶にネ級は噴き出しそうになる。尚も彼女らは続けた。

 

『うっせ〜な〜お前らと来たら。そこに本人居ンだから見せてもりゃぁいーだろ』

 

『えっ?? そんなフツーに見せてくれんの??』

 

『たぶん。え、というか摩耶さんは見てないの? 前の作戦だとあの人外して動いてましたよ?』

 

『見るヒマなかったんだよ……あんのクソタ級にやられちまって。あぁ思い出しただけで胸いてぇし頭来るわ……』

 

 あの時か。摩耶さんけっこう重傷だったものなぁ……。手刀で袈裟斬りをされた彼女を思い出しながら、ネ級はインカムのスイッチを押し、会話に参加した。

 

「ちょっといいですか。別に、言われれば外しますが……」

 

『ウッソ! まじぃ!? 見せて! こっち向いて!!』

 

「どうぞ」

 

 まさかあの憎きクソオヤジ((吉田提督))の部下でもなし、別に見られて困るものでも無いし。ネ級は嫌がる素振りなど見せず、仮面を外して体の向きを変えた。パッと自分に照明の光が当たり、眩しさに目を細める。

 

『おぉ……お? …………ほんとに普通だ』

 

『……です、ね。』

 

『わかったかよ、全く……秋月は見たことあったのか?』

 

『ありますよ。私も前の作戦で』

 

『そっか。あぁネ級、もういいぞ』

 

「はい」

 

 やっぱりこういう、意味もない話に交じるのは楽しいな。元来、お喋りが好きな性分だったのでそんなように思ってたとき。天龍からプライベート回線でちょっとした謝罪が来た。

 

『わりぃな。変なことに付き合わせてよ』

 

「いえ、ぜんぜん構いませんよ。それより、部隊員の方とは仲が宜しいようで」

 

『まっ、今年で付き合いも7年になっからな。一緒に仕事すんのにギクシャクすんのもヤだろ?』

 

「ですね(笑)」

 

 暗い海を先陣切って行くのは少し心細いものを感じていたが、今のやり取りで大分それが和らぐ。そんな間にも着々と目的地へとエスコート隊は近付いていた。

 

 最後のマーカーのDを通過する。目印であった、過去に放棄された海底資源の引き上げのための小さな基地が目に入った。すると、声色を仕事モードに切り替えた天龍からの声が無線に届く。

 

『夕方のミーティングは覚えてっか?』

 

「はい。まず私が先行、後ろから天龍さん秋月さん弥生さん。後方の殿を摩耶さん鳥海さんがやって、手早く原因の調査、でいいですか」

 

『バッチリだ。報告通り、先行した部隊が消息を絶ってる。気を付けろよエスコート6。無線の電源は切るな』

 

「了解しました」

 

 気のせいか、周りの空気感が張り詰めたものに変わった気がした。みんな戦闘モードってところか。察したネ級は触手に付けていた武装の残弾を確認し、背負っていた槍を手に持つ。

 

 出発から数時間。エスコート隊は作戦海域に侵入した。事前の打ち合わせ通りの陣形を組み、ネ級は偵察に瑞雲を3機ほど飛ばす。

 

「暗いからみんな無理しないでね」

 

「あいあいさ!」「おーれーにーまーかーせーろー!!」「せんじょーをとぶ!」

 

 口を開けた触手から、洋上迷彩柄のプロペラ機が飛び立つ。ネ級は携帯電話の光で手元を照らしてメモ書きを確認し、予定通りの動きを始める。

 

 この周辺は既に謎の海流とやらの発生地帯である。後ろに控える駆逐艦·軽巡洋艦の味方はともかく、どうしても初速で劣るネ級は減速すると動きに制限がかかる。と言うわけで初めは航行してきたそのままの速度で流れを突っ切り、適当に探索をする。

 

 次いで、この海流の穏やかな場所が見つかり次第、そこを起点に水質や埋まった地質の調査を行う、というのが今回の作戦だった。ちなみに一番槍の役目に彼女が選ばれたのは天龍の支持だった。重巡洋艦の艦娘は巡航してトップスピードに乗っていれば問題は無いし、前の作戦から不測の事態への柔軟性は極めて高いと判断した。天龍の言い分はそんなところだった。

 

 調査海域のど真ん中を目指して進軍中のネ級と違い、他の艦娘は海域の外周を見るため、互いはどんどん距離を開けていく。眼前の暗闇に心細さがまた顔を出し始めたが、信頼には答えなければ、とネ級は口を結んで深呼吸をする。

 

 数分ほどただひたすら真っ直ぐに進んだだろうか。ここで少し不可解な事が起こる。携帯電話で確認すると、ネ級はちょうど作戦領域の真ん中に来た。どういう訳か、台風の目のようにこの部分は海面が凪いでいたのである。

 

(川の流れみたいなものだと勝手に思ってたけど、ここを中心に渦を巻いてたって事なのかな?)

 

 だとしたら、この真下に何かありそうだな。その場に止まることはせず、なるべく速度を維持するために同じ場所をぐるぐると旋回していた時だった。

 

 つん、と鼻をつく血の匂いにネ級は気付く。敵深海棲艦の熱源などは無かったが、考えるよりも先に愛銃のセイフティーを切る。

 

「………………………。」

 

 偵察に出ていた妖精たちは少し自分から離れているため、ネ級は持っていたライトで臭気が漂ってくる辺りを照らした。先にあった光景に、無言になる。

 

 何か大規模な戦闘があったらしい。艦娘·深海棲艦問わず、複数の死体が水の上に浮いていた。臭いで既に勘付いていたが、どれも血が乾き切っていない新鮮な状態だ。限界まで警戒心を研ぎ澄ませ、ネ級は天龍に報告する。

 

「こちらエスコート6。エスコートリーダー、今良いですか?」

 

『なんだ?』

 

「作戦領域の中心部に海流の止まっている地点を発見しました。さらに艦娘と深海棲艦の死体を複数確認。状態から、およそ数時間前に戦闘があった模様。どうすれば良いですか?」

 

『前に派遣された部隊か? やっぱり交戦してたのか……おい、そこは止まっても加速まで助走は付けれるのか?』

 

「ちょっと待ってくださいね……そうですね、スペースは充分あります」

 

『わかった……そこに止まって録画頼む。じっくり撮影してこっちに映像送ってくれ』

 

 嫌な予感。そんなものは言うまでもなく通り越し、見るからに危険としか言い様が無い光景だ。ネ級はサーチライトの光量を絞り、録画機器の暗視スコープを起動する。

 

「ちょっとショッキングな映像送りますね。良いですか?」

 

『……ちょっと待ってな。…………おしいいぞ』

 

「カメラ回します。では」

 

 言われた通りにその場にしゃがみ込み、ゆっくりと360°回りながら映像を撮っていく。レンズ越しに、血の匂いすら感じさせるような凄惨な現場が記録される。多少良かったことがあるとすれば、現在は夜で辺りも暗いため、ほんの少しばかりこの状況の視覚的情報が薄れていた点ぐらいか。

 

『………………。お前の言いたい事は良くわかったよ。ちとみんなに注意してからそっち行く。待ってな』

 

「わかりました」

 

『何かあったらすぐ逃げて来いよ。全力で援護してやる』

 

「ありがとうございます。オーバー」

 

 依然、敵反応はナシ、か。この状況でかえってそれは不気味だな。あまり長居はしたくない景色の広がるこの場所に、肩で震えている妖精をそっと撫でて落ち着かせる。

 

 とはいえこの惨状をしっかり何なのか調べるのも仕事のうちだよな。かなり嫌ではあったが、ネ級は両手に衛生手袋を嵌めると、死体のある方へと歩みを進める。同時に、このようにぷかぷか浮いているものが沢山あるということは、この流れのない部分の面積は中心部から割と広がっているらしい事も彼女は把握した。

 

「………………。」

 

 ひい、ふう、みい……改めて見るとそんな数え方があほらしく思える程の数がある。じっくり見ていてまず1つ気がついたのは、さっきは「死亡して間もない」と思っていた死体たちだったが、その中に時間が経過していることがわかる物も混じっていたことだ。

 

「……!」

 

 水に浮いていた遺体の1つを、慎重に触って何なのかと探ってみる。すると、手応えが異常な事に気付いた。

 

(なんで……?? 防腐処理がされている……? 誰が、何のために?)

 

 その昔、鈴谷は親しくなった解剖医の勧めで簡単な仕事を手伝った事がある。その時に触った物と同じ手触りに激しく動揺した。当たり前だがここは海上であり、そんな設備も道具もないばかりか、近くに島などもない。艦娘か深海棲艦でも無ければ来るのは困難な場所だ……だとしたら、いったい誰が??? 他の死体も確認しつつ、ネ級は脳内に大量のクエスチョンマークを浮かべた。

 

 程なくして後ろに控えていたエスコート隊の面子が集まって来る。事前に知らせてたとはいえ、実際の生の光景を見て、全員は渋い顔になる。

 

「わりぃ、待たせた。……思ってたよかヒデェなこいつぁ」

 

「ジョーダンきついぜ……なんだよこれ」

 

「ひどい臭い……ネ級、大丈夫?」

 

「私は別に何とも。それよりも、こんな場所に長居はまずくないですか? 提案ですが、調査はちゃっちゃと済ませるか切り上げるかで早く撤収するべきです」

 

「だな。こんだけの戦闘でぜんぜん何も襲ってこねぇのはおかしい。早いとこずらかるか―――」

 

 そう、天龍が言い終わらないうちに、事は起こる。

 

 

 突然海面から何か細長いロープ状の何かが数本飛び出す。更に、それらが死体に突き刺さった。すると、操り人形のようにヒトガタが動き始める。

 

 

「!!」

 

「な、なにっ、なんだ……!?」

 

 ネ級の抱いた疑問は、すぐに解決することとなった。恐らくはこの水面の下にこれらを操作している誰かが居るのか、何かの装置が起動したのかは知らないが。わざわざこのような悪趣味な芸当のために用意した死体か、と彼女は舌打ちする。

 

「漫画とかでぇ……ちょ~ヤナ奴が使ってくるヤツじゃんっ!!」

 

「冗談を言う場合か、早く迎撃!!」

 

 最初こそ動揺していたが、卓越した判断力で素早く天龍ら部隊の艦娘らは、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも武器を構える。予想外の出来事に軽口を叩いたものの、ネ級ももちろんいい顔ではなかった。

 

「地獄に行くようなバチ当たりってのは、こういうのを指すんだろうな。」

 

 体を弄ばれる死体の、どこも見ていない虚ろな瞳を見たあと、暗い海の底に向けて視線を飛ばす。ネ級は射抜くようにじっとその場所を見詰めていた。

 

 

 

 

 




今章はあと5話ほどで終了です。もうしばらくお待ちください。


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31 アイ·ヘイト·ユー

呪術廻戦が面白いので初投稿です。今回張り切りすぎて1万3千文字もあるゾ


 

 

 

「いい気分しねーな。死体相手とはいえ味方とはよ」

 

「かなり趣味が悪いと見えるわね」

 

「私も大いにそう思います」

 

 眉間に深いシワを刻んだ顔で、天龍は操られている遺体の頭を吹き飛ばす。鳥海は胴を打ち抜き、ネ級は一番近くの者に繋がっていた糸を切断した。

 

 咄嗟の判断で全員はすぐに後退+陣形の組み直しを行い戦闘に入っていた。初め、こういったものに耐性のあることを自覚しているネ級は、他人の心配をしていたが、それも杞憂に終わる。やはり長年こんな仕事をしているせいなのか、約1名を除き、みないつも通りの戦闘をこなしている。

 

「無理すんな秋月。……嫌なんだろ?」

 

「!! い、いえそんなっ!」

 

「いい、とどめ刺すのはこっちでやる。お前はとにかく弾幕を張ってくれねぇか? 頼むぜ。」

 

「っ……了解」

 

 その1名、というのが防空棲姫だった。不意を突かれても全員無事だった事は安心したものの、この現状にネ級は苦い顔をする。

 

 言うまでもなく現状のこの編成で1番強い者が秋月だ。それに続いて腕前は天龍辺りが1番だろうが、武装の火力から摩耶、鳥海、そして自分となるだろう。それにもしもの事があれば彼女の正体がバレることも承知で本気を出してもらい、弁解は自分がやろうか等とネ級は考えていた……が、武器を構えつつも狼狽している様を見るにプラン変更が必要かと思う。

 

(一騎当千の能力があっても、ってやつか。)

 

 純粋に、こんな変な場面に出くわした事も無ければ、死体なんて見慣れてないのだろう。と、言うよりも。元々純粋な軍人が少ない艦娘ならこんな物は嫌悪して当然だし、そもそも軍人ですら顔を背けたくなるようなこの現状だ。いきなり吐いたりえづいたりしないだけ上等と言える。

 

 本人もやはり気にしたか、必死に応戦してはいるが明らかにその動きは精彩を欠く。いくら1番の腕利きとはいえ彼女にばかり任せては負担だ―――他の全員は察したか。表情は良くないが、天龍ら各々は積極的に死体を撃ち始める。

 

「数は多いみたいですが、そこまでとんでもなく強くは無さげですね」

 

「あぁ、狙いも間隔もテキトーだ。目ぇ瞑ってても避けれる」

 

「油断、禁物……です」

 

「おう。背中預けるぜ弥生」

 

 攻撃が激しくなってきたら散開して相手の照準を分散させ、攻勢がまちまちになるか1、2体が飛び出してきたらまた集まって集中攻撃。時間の経過とともに対処法がわかってきたエスコート隊の動きに無駄が無くなっていく。

 

 終わりこそ見えなかったが、驚異と言うには物足りない。そんなこの戦いの中で、ネ級に少しずつ芽生える感情があった。

 

 静かな。それでいて熱を持った怒りだった。

 

 沸々と内心で(ほむら)を燃やす。それは瞳に灯る赤い光となって出力されると、彼女の被っていた仮面の左目を赤く染めた。

 

 目の光が残像を描くような速度で動き続ける。ナイフを片手に、ひたすらネ級は死体に繋がった紐を切り続けた。文字通り糸が切れた遺体は海面に倒れる……しかしやってもやってもまた更に触手が遺体に打ち込まれるか、新手が発生するかで終わりが見えない。

 

 死体相手に「不殺」と言うのもおかしいが。ネ級はなるべく遺体に傷を付けたくなかった。彼女の性格上、人間心理として当然のことだったのだが、その行動を見ていた鳥海に声をかけられる。

 

「…………っ。」

 

「…………。優しいんですね、本当に貴女は」

 

「えっ」

 

 唐突な感想に面食らう。駆逐艦から放たれた弾を冷静にいなしながら、鳥海は続けた。

 

「秋月と同じだ、本当は嫌なんでしょう。無理矢理私達に合わせてるけど、あの死体に繋がった紐を切ってどうにかしようとしてる」

 

「……やっぱり、わかりますか……バレちゃったか。」

 

「マァ当然ですよね。嫌に決まってます、こんなこと……」

 

 鳥海が撃った砲弾が、血まみれの服を着ていた傀儡(くぐつ)の右手をもぎ取った。猛烈に不愉快だ。そんな感情がありありと見て取れる表情を、彼女はネ級に見せた。

 

『根上しゃ〜ん今戻っ……ど、どういう状況なのれす!?』

 

「説明は後!! とにかく相手の妨害を!!」

 

『『『了解!』』』『任せろーー!!』

 

 交戦中のエスコート隊へ、偵察に出ていた瑞雲と猫艦戦が戻ってくる。喋る時間すら惜しいネ級は声を荒げながら指示を出した。

 

 手練の味方は良くやってくれていた。……が、戦闘が長引くにつれてだんだんと押され始める。

 

 単純な物量に合わせて、敵には戦艦の艦娘も混じっていたし、何よりも辺りが真っ暗な時間帯が問題だった。サーチライトの光とレーダーだけが頼りの綱だが、相手は死体とはいえ艦娘。熱源感知は味方の反応と誤認しており、肉眼による観測だけでエスコート隊はどうにか誤射を抑える。

 

 しかし相手はどうか。敵味方お構いなく主砲も魚雷もぶっ放し、酷いものは後ろから撃たれて両足を失い、固定砲台になった遺体まであった。死を恐れず突撃を繰り返す尖兵に、行動に制限をかけられている天龍たちはジリ貧になる。

 

「逃げるべきでしょうッ! ……かね! 今のヤバかったァ……!」

 

「大賛成だぜ! お前らぁ!!」

 

「承知しました……!」

 

 ネ級の提案を飲んだ天龍の言葉に条件反射で意味を理解した部隊員は、打ち合わせでもしたように一斉に体の向きを変えるか引き撃ちをするかで後退を始める。この中では頑丈な方だったネ級と鳥海は、自分から殿の役を買って出た。

 

 時間が経てば立つほど攻撃は苛烈になっていく。ネ級は顔に向かって飛んできた弾を殴り飛ばし、鳥海と弥生に摩耶は体を捻って回避する。その時だった。

 

 唐突にまた水中から数本の触手が伸びてくる。また倒した死体に繋がるやつか。そう、天龍と防空棲姫が思う。

 

 しかしそんな決めつけは間違いだった。

 

「秋月!!」

 

「えっ――」

 

 「ここまで」の戦闘では時折出てくる触手は、電気コード程の細さの2、3本だった。それがどうだろうか。このとき出てきたのは――数百から数千は有りそうな数が束状に突き出てきた。

 

 それらは複数本が捻れてより合わさり、先端の尖った太い触手となると。防空棲姫の両手両足を貫き、更に体を縛り上げて身動きを封じた。余った触手は今度は天龍にも襲いかかる。

 

「がぁっ!? あぁっ……!」

 

「秋月!? クッソ!」

 

 すぐに愛刀を引き抜き、殺到してくる物を切り飛ばす。が、天龍が切払う速度よりも早く、伸びてきた触手は、彼女の艤装に穴を穿(うが)ち侵入してきた。

 

「しまッ……うぉっ!?」

 

 ビービーと喧しく警告のアラートが鳴る。絡まった配線コードのようにめちゃくちゃに入り込んできた触手は天龍の装備の制御を乗っ取ると、彼女の体を味方の方へと向けた。

 

 持っていた砲が無理矢理動いて弥生に照準を向ける。類稀な判断力でこの後に何が起こるかが分かった天龍は、それを手放すと刀で串刺しにして壊した。しかし今度は背負っていた艤装の砲が味方に向く。

 

「くそっ、弥生避けろ!!」

 

「!」

 

「装備がこのクソ糸に乗っ取られた! お前ら離れろぉ!!」

 

 秋月と天龍が同時に戦闘不能に陥ったと同時に、今まで元気に動き回っていた死体たちから紐が抜けていった。一斉攻撃が急に止み、意味がわからず残った4人は混乱する。しかしそんな暇もあるわけが無く、全員が意識を天龍へと向けた。

 

「秋月ぃ!! 隊長ォ!!」

 

「あぁコノヤロウ、止まれ! やめろってんだ!!」

 

「鳥海さん危険です、とにかく今は距離を取って!」

 

 刺し貫かれた場所から血を流して居る秋月を助けようと突っ込みかけた鳥海を、ネ級と摩耶は服を掴んで強引に止める。すると次は、何やら海面が盛り上がり、強い波と水飛沫が上がる。

 

 「ちきしょう、今度は何だってんだよぉ!!」 今回ばかりは満足に戦えていなかったとはいえ、一線級の実力の秋月に手練である天龍が一気に動けなくなり。更に何かが起こると見て、余裕の無かった摩耶の焦りも最高潮になる。彼女の怒声は、気を失っていた秋月以外の全員の心中を代弁した。

 

「「「「!!」」」」

 

 過酷な戦場に何度も立たされてきた経験が彼女たちを生かしたのか。何か不穏な気配を察知し、身動きのできる4人全員がその場から飛び退る。すると、捕まっていた天龍、秋月のいた辺りの水中から星空に向かって何発もの砲弾が湧いて出てきた。

 

「水中から攻撃……潜水艦!?」

 

「いや違う、戦艦か何かだろ!」

 

 天龍らに当たらないよう注意を払って弾をばらまいていたネ級に、摩耶は言う。何だ何だと警戒心を限界まで高めていたエスコート隊の前に。海面の下にいた存在は姿を表した。

 

「仕留められず、か。つまらんな……良い勘を持っている」

 

 初めに空気に晒されたのは、逆さまにしたピラミッド型の鉄の塊だった。重力を無視しているとしか思えない動きでそれは宙に浮き始めると、更にその下に居た……というよりも繋がっていた深海棲艦が口を開いてそう呟いた。

 

「おぉ……ぅ!?」

 

「んふふ……雑魚が驚いている♪」

 

 なんだこの個体は。見たことがないけど、間違いなく姫級、それも戦艦棲姫·空母棲姫とかみたいに複数個体居るようなのとは違う……どう見ても中枢棲姫さんらみたいなかなりヤバめのヤツ―――!! 頭上の鉄塊から青い光を放ち、不遜(ふそん)な態度で喋る白ドレス姿のこの女に、ネ級の頭の中ではけたたましく警報が鳴っていた。

 

 死体と天龍さんを操る触手はコイツの髪の毛だったのか。生き物のように空中で揺らめいている女の頭髪にネ級は目が向く。しかしそれ以上の分析の暇を、この敵はくれなかった。

 

「あははぁ♪」

 

 眼前1mと離れていない場所まで、前のタ級のような気持ちの悪い速度で近付いてきたかと思えば。その女は両手に嵌っていた巨大な鉄塊をネ級目掛けてひと思いに振り下ろしてくる。

 

「   」

 

 一瞬の判断力がネ級を助けた。彼女は逆に更に敵との距離を詰めると、勢いがつく前に、落ちて来るものに向けて両手を突き出して備える。

 

(な、なんちゅー馬鹿力ッ!!)

 

 両手を眼前に持ってきた上から触手を2本とも巻きつけて防御の姿勢を取った……が、そこからでも伝わってきた衝撃と攻撃の重さに。ネ級は膝を震わせながら必死に抵抗する。

 

「アッ」

 

「!!」

 

「はっハァぁ!!」

 

 女が楽しそうに笑い声を上げた瞬間。一気に込められる力が強まったのを感じたネ級は、耐えるのをやめて一気に艤装の出力を下げた。結果、叩き伏せられたように海中に没することでどうにか一時的に難を逃れる。

 

(つ、潰されるかと思った……)

 

 口に咥えたライトのスイッチを、歯で噛んでONすると。そのまま女の顔を照らしつつ、浅く沈んだ状態から、腕だけを海面から突き出して当てずっぽうに敵を撃った。元から当てることは考えていなかったが、果たして敵には笑いながら回避してやり過ごされる。

 

「おい大丈夫かよ!」

 

「な、なんとか」

 

 多少呆気に取られて数秒動きを止めたものの、すぐに援護を始めた鳥海らが助けに来る。軽く身動ぎして服の水を切り、ネ級も敵に砲を向けて撃つ……のだが、どうだろうか。この敵もまた、体の前で攻撃が遮られてダメージが通らない。

 

「なんだ?? バリア!?」

 

「諦めないで、いろんな方向から撃ってください!!」

 

「ちっ、簡単に言ってくれるぜ……鳥海、散開して回り込んで……」

 

 戦友にそう言いかけたとき。摩耶の目に、攻撃を続けながらも青ざめた表情の鳥海が写る。

 

「おいどうした、早く援護!!」

 

「深海……海月姫……!?」

 

「は……なんだって? クラゲ……?」

 

「前に大隊1つに大損害与えた個体よ! こんな装備と編成じゃ勝てっこない!!」

 

 鳥海の発言に、気を失っていた秋月以外の全員が顔を青くした。

 

 「嘘だろ……」 摩耶が一言呟く。深海海月姫。鳥海が言ったとおり、軍艦数隻と数百人の艦娘を相手に単艦で損害を与えた事もある―――半ば都市伝説と扱われるほどの戦闘力がある深海棲艦だった。前の戦艦棲姫よりも勝ち目がない敵に、一周回ってネ級は笑ってしまう。

 

「嬉しいなぁ……私も、有名になったんだァ……ふふ、はは、んひふ………」

 

 再度、女はまた予備動作もなく動いた。海月姫は今度は摩耶の前に立つ。

 

「早っ……」

 

「んーふ。死〜ね♪」

 

 ネ級には潜られて回避されたからか、敵は今度は横なぎに艤装を振り回す。

 

 避けられない。摩耶はそう思ったが、インパクトの直前にネ級と弥生の二人が間に無理矢理挟まる。そこから更に鳥海が砲撃を叩き込み、注意がそれた女の殴打の威力が少しだが和らいだ。

 

「がっあっ!?」「くっひ………うぅ!!」

 

「!? ??」

 

「ほぉう?」

 

 骨がきしむ音を、ネ級は聞く。弥生に至っては左腕の骨が折れた事を知覚したが、2人が無理矢理エアバッグ代わりになったおかげで摩耶は弾き飛ばされるだけで済む。

 

「うぅ゛っ!? 痛たた……」

 

「ネ級に弥生……お前ら……!」

 

「手をっ止めないでっ……摩耶さん……大事な、火力……!!」

 

「ちぃっ!!」

 

 あまりの激痛に泣きながら引き撃ちを始める弥生に、舌打ち混じりに摩耶はとにかく動きまくる。ネ級も戦意を喪失しかけている鳥海にどうにか励ましの言葉をかけながら援護に回避にと縦横無尽に海原を駆ける。

 

 「殴るのは駄目か。じゃあこうしようか?」 ふと、海月姫がそんな事を、わざとらしく、こちらに聞こえるような声量で言った。すると、髪の毛が刺さった艤装で身動きのできない天龍が砲撃を始めさせられる。

 

「!! ちぃっ! みんな避けろォ!!」

 

「っ! このッ!」

 

 どうにかして海月姫を補足しようとネ級は躍起になる。しかし射線は天龍か秋月かに阻まれて満足に狙いが付けられず、時折どうにかねじ込んだ砲撃も、相変わらず前の戦艦棲姫を想起させる透明な何かに防がれて通らない。

 

「ネ級! 構うな、俺ごと撃て!!」

 

「ダメだッ、その髪の毛さえ撃てば……うわっ!?」

 

 レーザーサイトで彼女の艤装に取り付いている海月姫の髪を狙う。しかし、攻守自在に滅茶苦茶に動き回る有機的な敵の艤装に阻まれ、これも狙いが定まらない。

 

「ふざけんなよ、てめぇにそんな腕があんのか!? 早く撃て!」

 

「できるわけが無いでしょう!? ぐうゥッ!」

 

 大量に伸びる触手の1つに武器を貫かれる。砕けた電装品と暴発した火薬に顔が歪む。

 

 背後に居た海月姫はというと、完全にエスコート隊4人を舐めた態度ででも見ているのか。浮いていた艤装と思われる鉄塊を着水させ、頬杖をついてそれによりかかり薄笑いを浮かべている。

 

「舐め……やがって……!」

 

 一発、狙いを定めた砲撃をネ級は女へ叩き込む。透明な壁で効きはしなかったが、身代わりにしている秋月と天龍を避け、針の穴を通すような狙撃をしてきた相手に海月姫は多少驚いたような顔をする。しかしそれだけで、またすぐに顔を笑顔で歪めた。

 

 操り人形の天龍の砲撃がネ級の顔面に当たる。砕け散った仮面に眉間にシワを寄せながら、たまらず彼女は後退した。

 

「うぅっぐっ……!」

 

 どれだけ必死になっても攻撃が通らないせいで段々と全員の戦意が削ぎ落とされていく。生傷が増えるばかりで動きが鈍り、それで更に傷が増えて……パフォーマンスの落ちた者に攻撃が当たり……負の連鎖が続く。

 

「クッソォ!! クソがあ!!」

 

「お前らもネ級に任せて早く逃げろ!! 俺に構うんじゃねえ、鎮守府にこのことを!!」

 

 ニタニタと薄気味悪く笑っている女に視線を飛ばす。しかしこのままでは全滅する。それだけはなんとしても防がないといけない―――怒りと悔しさで凄まじい形相をしながら、ネ級が退却の構えをとったときだった。

 

『鈴谷しゃあぁん!! 後ろぉぉ避けてぇっ!!』

 

「!?」

 

 上空から、効かないながらも、しつこく攻撃して援護してくれていた妖精の叫び声が耳に入る。咄嗟に身をひねったネ級の脇腹の辺りを弾が掠めていった。

 

 なんだ? またゾンビから出てきた攻撃? はじめはそう思ったが。腕に固定していた液晶機器の画面を覗いて、ネ級は顔を蒼くした。

 

 さっきまでは海月姫しか写していなかった敵反応が、およそ10個ほど増えている。

 

「おっとぉ。ここを通すわけにはいかないな」

 

 背後に並んでいた深海棲艦たちのうち、旗艦らしき軽巡ツ級がそう呟く。

 

「はっ、ははっひひ……じょ、ジョーダンだろ???」

 

 絶望。後退を初めかけた他のメンバーの声に、振り向いたネ級の脳裏にその2文字が過ぎった。敵の攻勢を捌くのに手一杯で完全に周囲の索敵を怠った結果、退路は敵の増援に阻まれる。

 

 ………………。もう覚悟を決めるしかない、よね。混戦の最中、いつの間にか摩耶たちから離れていたネ級は、インカムのスイッチを押した。

 

「……私一人でどうにか姫級の相手をします。摩耶さん、弥生さん、鳥海さん。3人で血路を開いて、貴女方だけでも逃げてください」

 

『は……? 何を』

 

「もう考えてる時間ない! 早く逃げなきゃ全滅するヨ!」

 

『……わかった』

 

 この際、敬語使ったりなんて考える暇すら惜しい。天龍と、海月姫の座る艤装からの砲撃を交わしつつ、無理矢理反撃をねじ込みながら叫ぶ。すると、無線の先の摩耶は弱々しい声でこう言った。

 

『ひとつ……いいかな。約束してくれ』

 

「………………。」

 

『死なないでくれよ……お前のこと、最近やっとわかってきたんだから。あと、隊長と秋月のこと……できるなら助けて……くれるか?』

 

「…………頑張ります。今はそれだけ」

 

『あぁ…………一緒に生きて帰るぞ。絶対だかんな……!!』

 

 ピッ。ネ級は押していたスイッチから手を話す。砲戦の音に混じり、無機質な機械音が響く……そしてなぜか敵からの攻撃が止んだ。

 

 困惑している天龍をよそに、海月姫が口を開く。

 

「お前が一人で私を止める? 健気なことだ……」

 

「………………。」

 

 どうやら完全に舐めてかかっているらしいとみたネ級は、海月姫に背を向け、離れた場所で上がっている砲撃の光とレーダーの画面とを交互に見る。

 

「無視とはひどいな。別れの挨拶は済ませたか? あぁ、あと最後の晩餐は――」

 

 女が言い終わらない内に。ネ級は振り向きざまに、グレネードランチャーの引き金を引いた。

 

 もくもくと煙が上がる。やはり効いてはいないようだったが続けて何発も放つ。弾が切れたそれを放り投げ。静かに、彼女は敵に向けて言う。

 

「嫌いだ……」

 

「ん」

 

「人の命を手のひらで弄ぶ……そんなヤロウが私は嫌いだ!!」

 

 使っていなかった槍と予備の主砲をそれぞれ触手の口を噛ませた。そのまま全ての砲を海月姫へ向け、ネ級は進み始める。

 

「これは面白い! 深海棲艦が人の心配とは……ふっ、ふふふ? 別に、ご自由、に?」

 

 両腕を顔と胸の辺りに持ってくる。そして前が見えるよう、目元を残して体に触手を巻きつけると、ネ級は猛然と海月姫目掛けて突撃を敢行した。

 

「ううぅぅぅァァああああああ!!」

 

「!? ばっ、馬鹿、なにやってんだ!」

 

「無駄な真似を……」

 

 回避の動作をかなぐり捨てた動きを見せる相手へ、当然海月姫は天龍と自分の砲撃2種をぶつけた。しかし多少の被弾をものともせず、どんどんネ級は相対距離を詰めていく。

 

「ネ級なにやってんだ避けろ!! 死んじまう!!」

 

「うるさいな、黙っていろ」

 

「もごぁッ!? 」

 

 触手の表皮を血で濡らすネ級に天龍は叫ぶ。そんな彼女を、海月姫は束ねた髪を猿轡(さるぐつわ)のように噛ませて無理矢理黙らせた。

 

 海月姫は一発、副砲の乱射に混ぜて、主砲を発射した。

 

「終わったな。楽しかったぞ裏切り者。」

 

 轟沈、かな。この時の海月姫はそう思ったが――それは少しだけ短慮だった。

 

 繰り返すが、ネ級は両手両触手で見を包んではいたが、目元は避けていた――彼女は、自分に1つだけ違う威力の弾丸が放たれた事を見切り、寸前でそれを避けた。

 

「何?」

 

 そして自分にはどうせ届かないと無視していた妖精らの爆弾が降り注いで来る。一瞬とはいえ爆風で視界が遮られ、天龍を操作するのが遅れる。ネ級がその隙を見逃さない訳がなかった。

 

「お待ちどぉッ!! 天龍さんッ」

 

「んー! ……んー!」

 

 天龍の目と鼻の先まで近づいた時を見計らってネ級は防御体制を解く。自分の触手をうまく使って相手の背負物に絡ませて無力化し、どうにか第一の障害は突破する。

 

「ふふ、ふふふふ! 面白い、面白いぞ(さか)しい小娘……」

 

「!!」

 

 強引に味方に抱き着いて同士討ちを封じたものの、やはり予想した通りか、ネ級目掛けて無数の髪の毛が向かってくる。

 

 原理はわからないけど……アレに刺されると装備の制御が乗っ取られる。なら! ネ級は天龍に付きまとっていた女の髪を掴むと、それを引き千切ろうと力を込める中で、頼れる味方に向けて叫んだ。

 

「みんなぁ!! どうにかしてぇ!!」

 

『『『任せろぉ!!』』』

 

 ネ級の叫びに応えて。上空から数十機の瑞雲と猫艦戦が編隊を組んで降下する。

 

 彼女の心からのSOSに、妖精らは彼女でも予想がつかなかった方法で対処してくれた。航空機に命綱をつけて何人かがぶら下がり、彼らは手に持った工具を振り回して、襲ってきた物だけではあったが、無理矢理触手を無力化したのだ。

 

「……なんだと?」

 

 無茶苦茶なやり方で助けてくれた妖精たちに。ヒュウ、と思わず口笛を吹いた。そんな中、ネ級が艤装に大量に繋がった髪をどうにか悪戦苦闘しながら切っていたその時だった。

 

 天龍に絡まっていたものが、どこからともなく発射されてきた砲弾で断たれた。唐突に拘束が解け、もがきまくっていた2人はバランスを崩して海面に倒れる。

 

「ぅおわっ!? なんだっ!?」

 

「!!」

 

 チャンスがやっと訪れた。そう思ったネ級は、とっておいた自分の切り札を惜しみなく使うことにする。

 

「N·ユニットォ!!」

 

 渾身の一撃を叩き込んで距離を取る。という事を彼女は優先した。

 

 背中から倒れた姿勢のまま全身の武装を全て展開し、猛烈な弾幕を形成する。血のレーザーの攻撃に、一瞬だけだったがたまらず怯んだ相手を見て。ネ級は急いで天龍を触手で巻き取り、敵との距離を離す。

 

「天龍さん!」

 

「大声あげなくても聞こえるよ。俺は大丈夫だ……けど今のは?」

 

 たった数秒の会話だったが2人は隙を見せた。それを見逃さず海月姫はすぐにまた襲い掛かる――のを妨害するように、後方から太い2本の光線が放たれる。またもや何者かに助けられたことを察したネ級は、天龍を抱えて更に敵との距離を離した。

 

「今のってまさか……」

 

 女二人、見覚えのあるレーザーの光に顔を見合わせたあと、顔を後ろに向ける。

 

 

「なんてシケた顔してんのよ。ネ級? 「あの時」はもっとかっこよく見えたものだけど」

 

 

 前に自分も使った大型艤装がそこにいた。一体誰が乗ってきたんだ? シートのある場所に立ち膝の状態でいた人物に、ネ級は目を剥いた。

 

「グロいだけのデカブツだと思ったけど、なかなか使えるじゃない。気に入ったわ」

 

 自身に満ち溢れた吊り目がちな表情と、サイドテールにした銀色の頭髪。かっちりと制服を着こなし、高性能な最新鋭の武装で身を固めているその女は、呆けていたネ級と天龍へ向けて口を開く。

 

「苦戦してるらしいから、助けに来たわ。全く、見てらんないったら。」

 

『すぅずやっ。私と木曾も居るぜ。ザコは任せろ』

 

 自分らを助けてくれたのは那智と木曾――それに、数ヶ月前、鈴谷が手当した後に艦隊まで送り届けた、駆逐艦の霞だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「スマン遅れた。みんな大丈夫か」

 

「那智おせぇぞ! 見ろ、結構ヤバい雰囲気だぜ……!」

 

「ボサッとしない! 死にたいの!?」

 

「へいへい……ったく人使いの荒い隊長だぜ」

 

 4基の武器コンテナから大量のマイクロミサイルを発射しながら、2人の横を霞がすり抜けて行く。次いで、軽口を叩きながら、那智、木曾と続いた。

 

 全く持ってなんでこんなに良すぎるタイミングで親友らが現れたのかは意味がわからなかったが。まだ戦闘中なのに、ネ級は心の底から安堵(あんど)する。しかしそこは素早く切り替えて、友人2人へ通信した。

 

「お助けありがと。木曾、後ろに居た敵は?」

 

『ツ級とかル級のことか? さっき撃退したぜ。ただ何匹か逃しちまったがな。3人ほど怪我してた艦娘は逃した。後ろで控えてる味方と合流してるはずだ』

 

「……!! っ、ありがとう!」

 

『気にすんな。それよりコイツどーにかすんぞ、あとその隊長さんはどっか安全なとこ下げてあげな!』

 

「うん!!」

 

 信頼の置ける3人にひとまず海月姫の相手を任せる。凪いでいた海域中心部から離れ、海流が渦を巻いている外側に退避しつつ、鈴谷は友人らに1つ忠告をしてから無線を切る。

 

「那智、木曾、あいつの髪の毛に気をつけて。刺さったら装備が乗っ取られるから!」

 

『あいよ、任せな!』『りょ〜か〜い!』

 

 ふうぅぅぅう、と。霞たちが戦っている、時たま火薬で明るくなる場所をため息混じりに見つつ、ネ級は適当な速度で周囲をゆるく流す。自分の胸の中で同じく深呼吸をし、一息ついていた天龍へ、彼女は声をかけた。

 

「どうにか……生き残ったってワケか。あがいてみるもんだな」

 

「天龍さん動けますか?」

 

「ちと、厳しいかもな。さっき変なもんぶっ刺さったせいで艤装が動かねぇ。が、多少援護射撃するぐらいならヘーキみてぇだ」

 

「そうですか……なら、霞さんの乗ってきたアレに乗せてもらって」

 

「霞……お前の艤装に乗ってきたやつか。悪いな、先に逃げてるぜ」

 

 片手で上司を抱えつつ、器用に触手と右手で武器の弾を交換していると。続けて天龍が口を開く。

 

「お前はどーすんだ? 適当に戦ってから逃げるのか?」

 

「ぼ……秋月を助けに行きます。」

 

「…………。わかった。無理はすんなよ。何か算段はあるのか?」

 

「さっき天龍さんに近づいた時にわかったことがあるんです。あの女(海月姫)のバリアだけど……たぶん展開できる距離に制限があります」

 

「制限?」

 

「はい。ギリギリまで近づいた時に、一発だけ妖精さんの爆撃が通ってたのを見ました。恐らくですがある一定の距離よりさらに近づけば、フィールドの内側に潜り込んで無防備なあいつを叩けると見てます。」

 

「……呆れた。やっぱすげぇわお前は……まぁいいや。後は頼む。俺は逃げるけどよ。精一杯の援護はするよ」

 

「お願いします。」

 

 もう一度、大きく深呼吸をする。ネ級は今度は霞に向けて機械の電源を入れた。

 

「霞さんいいですか? ちょっとお願いがあります」

 

『何よ、どっかのクズのせいで今忙しいんだけど』

 

「天龍さんをそれに乗せて逃げてくれませんか。敵の足止めは私とそこの2人でなんとかします」

 

『…………作戦はあるのよね?』

 

「もちろん……成功する確証は無いですが」

 

『ふん……いいわ、聞いてあげる。これで貸しは無しよ。深海棲艦』

 

 会話が終わったぐらいで、一際大きな火柱が上がるのが見えた。同じ頃合いに、反転してこちらを迎えに来る霞が確認できた。

 

 リロードが完了したネ級は、傷口を包帯で縛り上げる。再度の突撃の準備を済ませる彼女へ。天龍は言う。

 

「…………。秋月を……いや、防空棲姫っつったか。たすけてやれ、な?」

 

「! 知ってたんですね。彼女のこと。」

 

「ったりめーだ。あんな異常な駆逐艦がいるかよ……でもそんなことは後だ。鎮守府帰れば話なんざいくらでもできる。だから、よ。」

 

 ネ級の口に何かがねじ込まれる。一瞬困惑したが、何かと思えばチョコレートバー型のお菓子だった。一呼吸おいてから、天龍は呟く。

 

「甘いもの食べたら元気出るだろ? ……今夜は6人揃って帰るぞ。命令だ、いいな?」

 

「…………。 イエス·マム!」

 

 そっと海面に上司を下ろす。減速しながら迎えに来た霞とすれ違い、ネ級は友人達のもとへと急いだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 主砲、副砲、豆鉄砲のマシンガン。全部合わせて弾は50発ぐらい、無駄撃ちはできない……。敵の居る場所に向かう道すがら、ネ級は残り少ない体力で静かに集中力を高める。

 

 1度は逃げたが、自分の攻撃が届く範囲にまた海月姫を見据える。時間稼ぎに徹してくれていた友人に彼女は無線を投げた。

 

『無傷ってマジかよ……魚雷10発ぶつけてコレか』

 

『遠·中距離じゃ分が悪いってところか。さてどうする』

 

「2人とも、ちょっといい? 今しがた考えた事があるから、私の援護に回ってくれない?」

 

『お、やっと来たか。別に良いけど。どんな作戦だ?』

 

「私が突っ込む。2人はただひたすら後ろから弾幕。オッケぃ?」

 

『『了解((あいよォ))!』』

 

 知り合いってやっぱり楽でいいや――滅茶苦茶な指示にも嫌な声を出さずに即答してくれた2人に心から感謝する。両手で主砲を構えてネ級は速度を上げ、肩に乗っていた妖精に指示を出し敵の懐へ飛び込んだ。

 

「妖精さん、艤装の出力上げといて」

 

「はぇ!? これ以上上げたら動いてる途中で分解するのれす!」

 

「いいからっ!」

 

「うぅ、うう! どうなっても知らないのですよ!?」

 

 槍を片手でプロペラのように回しつつ、散発的に弾をばら撒いてただひたすら敵に近づく。その途中、妖精が操作して完全に全ての安全装置が外れた装備から警告アナウンスが鳴る。

 

《安全装置が解除されました。強制冷却まであと300秒》

 

「ありがと、これで心置きなくッ!」

 

 艤装の出力を更にもう1段階引き上げた。今日霞が乗ってきたものか、それを上回る強烈な加速に思わず背中側に仰け反りそうになる。それを恵まれたフィジカルで無理矢理克服し、ただただ前を目指す。

 

 また無駄に何をする気だ? とでも言いたげだった海月姫の目を見た。一発、サブマシンガンの弾を女の顔に当てる。

 

 カァン、と軽い金属音が聞こえた。つまらなさそうな顔だった女の頬に弾丸が当たって跳ね返るのを確かに捉える。

 

「なんだこのホコリは?」

 

「!!」

 

 大当たり、攻撃が当たるならやりようはあるっぽい。でも今は……あの人を連れて帰ることだけ考えろ。がんじがらめにされて気絶している防空棲姫を見る。

 

 色々無茶やってきたけど。もう本当に、何かできるとしたらチャンスは1度ぐらいだろうな。接近することをやめ、今度は攻撃の回避に専念しながらネ級は高速で左右に切り返しつつ、様子を伺う。

 

「逃げてばかりか。雑魚?」

 

「じゃあっ、もっと、撃ってみなよ!!」

 

「ほぉう?」

 

 ネ級の挑発に乗り、雨あられと弾がやってくる。どうにか最小限の被弾で済ませ、反撃に移ろうとしたときだった。

 

 彼女の眼前に、海月姫は血を流してぐったりとした防空棲姫を盾として持ってくる。粘ついた気持ちの悪い顔をした女を、ネ級は睨んだ。

 

「これで撃てないだろう?」

 

「……さぁ」

 

 腕に嵌めていた副砲と、両手で構えた主砲を防空棲姫にむけて。

 

「どうだろうね?」

 

 なんの躊躇もなく。負傷していた彼女に集中砲火を叩き込んだ。

 

「!?」

 

「やりぃ!」

 

 申し訳ないとは思ったがこれが1番手っ取り早い。ネ級は彼女の打たれ強さに賭け、わざと火力を集中させて海月姫の髪を焼き切った。落ちてきた防空棲姫の体をしっかりと抱きかかえて、火花を散らし始めた艤装に鞭打ち、全速力で後ろに下がる。

 

「ふふ、ふふふ。ここまで私を驚かしてくれたのは久しぶりだ。面白いなぁ……」

 

「っ、キツイかな……」

 

 両手で抱えた防空棲姫を触手で抱え直し、空いた利き腕に武器を持つ。

 

 2、3度指を動かす。が、ネ級の持った武器から弾が出なかったのを見て。海月姫は笑いながら触手と砲撃を見舞った。

 

「今後こそ終わりか? 早かったな」

 

「…………っ」

 

 破れかぶれで連装砲を相手めがけて投げつけた。しかし、涼しい顔で海月姫はそれを指で弾き返す。

 

 

 ニヤリ、とネ級は笑った。すかさず彼女は左手でその場の空気でも握るような動作をとると、勢いよく腕全体を後ろに振る。

 

 

 瞬間、女が吹っ飛ばした連装砲から砲弾が発射された。

 

「なっ…………!?」

 

 仕掛けはごく単純な物だった。あらかじめ引き金に細いワイヤーを掛けておき、それを、砲口が敵に向いたときを見計らってタイミングよく引っ張っただけだ。

 

 わざとらしく指を震わせ、弾切れを演出したブラフは効果てきめんだった。完璧な不意打ちが決まり、さすがに致命傷とまではいかずとも、傷を負わせることには成功する。大きな隙を見せた敵に、これ幸いとネ級は役目を終えた糸を腕から引きちぎり、満身創痍の防空棲姫を抱き抱えて全速力で海域から離脱を図る。

 

 そう簡単に逃がすと思うか? 海月姫の目はそう言いたげだった――はたして、大量の触手が殺到してくる。が、那智と木曾の2人がありったけの砲弾で弾幕を張り、追撃を阻止した。

 

「!」

 

「させるかよ!」「あばよクソ女ぁ!」

 

 死にもの狂いの親友の妨害に、ダメ押し……もとい追撃を封じるための味付けとして、ネ級は出力を上げた連装砲から、自分が出せるギリギリの量の血を発射する。

 

 最大船速で逃げる途中に思わず意識が飛びかけた。そんなネ級の事を、那智が大声で怒鳴りつけて無理矢理覚醒させると、その手を繫いで引っ張る。

 

「ケツまくって逃げるぞ! 鈴谷、手!」

 

「ッ、掴んだ……!」

 

「うッし!!」

 

 爆風が晴れる前に立て続けにありったけの火力を集中する。弾切れをいとわず滅茶苦茶に砲も魚雷も撃ちまくり、3人は海月姫に背中を向けて逃走した。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ――!! ふううぅぅぅ!」

 

 どうにか、間に合ったか。

 

 敵の射程距離の外まで全速力で逃げ切った頃合いで、強引なリミッターカットで限界を迎えた艤装が煙を上げ始める。同時に急激に航行速度が落ちてきたことで、ネ級は自分の装備が完全に破損したことに気が付いた。冷却が追いつかず、赤熱した装甲板からは湯気まで出ている。

 

「………………はぁ。」

 

 脈は、ある。呼吸も落ち着いている。然るべき処置を施せば死にはしない。自分の両手の中で寝息をたてている防空棲姫に、彼女は安堵から大きなため息を吐く。

 

「スゥぅ……ふううぅぅ。フゥ。」

 

「オーバーヒートかよ……久々に見た。無茶するな、相変わらず」

 

「ふふ……那智こそ。よくやるよ。もう」

 

「そりゃ私は横須賀のエースだからな。褒めてもいいんだぞ?」

 

 やっぱり……キツイときは頼もしく見えるな、この人は。少し焦げた顔で得意気に笑う友人に、力なく笑ってみせる。

 

 歩いて帰るか……。動悸の激しくなっていた自分の体を深呼吸で無理矢理落ち着かせる。2人から味方の増援が控えている場所を聞くと、ネ級は鎮守府への……エスコート隊が待ってくれている場所まで歩みを進めた。

 

 

 

 




いよいよ今章も佳境です。目まぐるしく状況が切り替わる戦闘シーンは書いてて楽しいけどすっごい疲れる(標準語)


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32 自分も知らない本音を響かせて

久々の間隔早め投稿です(当社比
その代わりあまり推敲してないので誤字脱字がありそうですがご了承をば


 

 

 はっ、として目が覚める。かかっていた羽毛布団をふっとばし、防空棲姫は上体を起こして忙しなく周囲を見渡す。

 

 自分の寝かされていたベッド含め、家具類·壁紙などがなんだか全体的に白っぽいこの部屋は医務室か。手首に点滴が刺さっていたのを見てそう思う。すぐ近くにはレ級が椅子に座って本を読んでいた。

 

「「……………」」

 

 目と目があった2人に無言の間が続く。いきなり起き上がった病人にレ級はビクリと体を震わせたが、彼女は努めて落ち着いた様子で何か手帳に書いて防空に手渡した。

 

『少しお待ちください。喋れる者と交代します』

 

「……どうも」

 

 気遣いだろうか。小型のウォーターサーバの載った机をベッドに付けてから、女は部屋を開ける。一体何があったんだっけ……。寝惚けた眼で、タンクに浮かんでいた薄切りのレモンを眺めながら防空棲姫はぼんやりしていた。

 

 

 

 

「おはよ。よく眠れた?」

 

「さぁね……体の節々は痛むけど」

 

 数分後、防空棲姫の前に、仮面を付けずに素顔を晒しているネ級……と、もう一人、自分の知らない艦娘が現れる。長い黒髪をサイドテールにし、紫色の制服に身を包むその女を警戒して防空は目を細めた。

 

 怪我の心配をしちゃいるがアンタも大概ひどいな。ネ級という深海棲艦の特徴である触手が両方とも包帯まみれになっているのを、彼女に汚れたガーゼを交換されながら眺める。謎の艦娘はというと、部屋の換気でもするのか窓を開け、何かの液体の入った瓶に竹串が指してある妙なものを花瓶の隣に置く。

 

「……ネ級、誰? その艦娘は」

 

「そのネ級の友達。自己紹介遅れたな、名前は那智っていう。よろしく」

 

「ふ〜ん……」

 

「気張らなくていい。事情はもうヲリビーからもネ級からも聞いてる」

 

「そういうこと。一応木曾も知ってたみたい……あんにゃろう、私に黙ってたけど……」

 

「あっそ。」

 

 初め、初月から言われた事が衝撃過ぎたのか、それとも自分の中で様々なことがどうでも良くなってしまったのか。自分が深海棲艦であることを知っているなどと言われた所で何も感じない。

 

 そしてそんな事よりも。防空棲姫は自分が気絶したあと何があったのかをネ級に尋ねた。

 

「…………あのあと何があったの。死体をみんなが撃ち始めたぐらいから記憶が無い」

 

「海中から姫級が出てきた。深海海月姫って言うらしいんだけど……まぁ、全員負けて敗走したかな。まず最初に貴女が捕まって……色々あったけど、こっちの那智とかにも助けてもらって、防空さんは私が抱えて帰ってこれたよ」

 

「……負けたんだ。私。……深海海月姫に」

 

「あなただけじゃない。天龍さんも、摩耶さんも、みんな負けたよ。どうにか暴れて隙を見て逃げて来たの。命からがら、ってやつかな」

 

 負けた……のか。戦うこと以外に取り柄のない自分が――。その事について別段誰かに責められたわけでもないが、防空棲姫は涙を流した。目元を隠したくて、腕を顔の上に置く。そんな彼女をなんとも言えない表情で眺めつつ、ネ級は強引に話題を変える。

 

「リンゴとナシ、あと柿があるけどどれが好き?」

 

「別に……好きにすれば………」

 

「そっか。じゃ、私ナシ好きだからナシ剥くね」

 

 窓側に頭を向け、枕に顔を埋める防空棲姫に。包丁で器用に果物の皮を向きながら、ネ級は続ける。

 

「……別にさ、そんなに自分のこと責めなくていいんじゃないかな。そりゃあんなボコボコに負けたらツラいけど。みんな生きて帰ってきたんだし。命あっての物種ヨ。」

 

「気休めなんて……いらない……」

 

「ち〜が〜う。そんなんじゃない本音も本音のホントで言ってる。もしかして自分が弱いだなんて思ってないよね?」

 

「弱くないならなんな」

 

「防空棲姫は強いよ充分すぎるぐらい。あれはさ、巡り合わせが悪かっただけでしょ」

 

 自分の発言に被せて話す相手に苛立ちを隠せず、思わず防空棲姫はまた起き上がって怒鳴り声を上げそうになった。のを、ネ級はその行動を読んでいたように、開き始めた彼女の口に剥いた(なし)を突っ込んだ。

 

「ふふっ、相変わらず強引だな……」

 

「ストーップ。この話もう終わり、良い? あなた3日も寝てたんだよ。点滴だけだったから、お腹空いてるでしょ? これ食べな」

 

「…………。」

 

 後ろで笑っていた那智と、無理矢理に話を折ったネ級を睨む。しかし怒る気力もなくなって、防空は大人しく爪楊枝の刺さったそれを食べ始めた。

 

「……………………。」

 

「……味うっす。あんまり()れてないのかな?」

 

「どうだか、安物なんじゃないのか?」

 

「木曾が病院まで持ってきたやつならすっごい美味しかったのにな」

 

「ばっか、ありゃ贈答用の高級品だぞ。そんじょそこらのスーパーで買えるようなモンじゃない」

 

 マジで? マジで。 などと中身の無い会話を繰り広げる2名をぼんやりと眺める。前に居た木曾と同様、この艦娘ともネ級はきっと友達同士なんだろうな……。うつむき加減でいると、防空の脳裏には今まで嘘の関係を構築していた妹達の顔が浮かんだ。

 

「私のこと……みんな知ってるんでしょう? 教えて……ネ級……」

 

 ふと、そんな言葉がぽろりと口から滑る。すると、ひと呼吸置いてから、ぎこちない笑顔でネ級は話す。

 

「えぇと、確認するけど貴女の……正体の事について、だよね?」

 

「うん」

 

「あ〜……んとね。那智、ごめん」

 

「おう。説明か」

 

 少し離れて壁に寄りかかっていた那智が近くに来る。彼女は手帳の1ページを開いて、それを防空の布団の上に置いた。

 

「詳しいことは後で話すがな。私がここに来てるのは、まぁ、アンタ絡みの事なんだ」

 

「!?」

 

「驚いてるとこ申し訳無いがその事は後だ。最近、ここでアンケートを取った。知ってたのは五分五分ってところかな。それが多いか少ないかはあなたの感じ方次第といった具合だろ」

 

 手帳の見開きを見ると、この鎮守府に居る艦娘の名前がリストアップされていた。そのところどころに星のマークが付けてあるが、それが恐らくは自分の事に感づいていた者かと察する。

 

「知らないやつは本当に知らないし、薄々勘付いてたのは揺すったらすぐ教えてくれたから、(あぶ)り出すのはそう難しくなかったよ。……こう言って信じてくれるかはわからないけど、みんな貴女を気遣ってた」

 

「なんでさ。深海棲艦を」

 

「1つはコイツ((ネ級))やらヲリビーやらの存在だろうな。人の言葉が話せて、別に害になるわけでもない。さも当然のように仕事をこなす連中が現れたから、まぁ問題を起こさなければほっとこうとでも思ったんじゃないのか」

 

「1つは、ってことは他にもあるの」

 

「貴女が良い人だからってのがデカいんじゃ無いかな」

 

「……フフっ。さぁ、どうなんだろうね」

 

「……みんな心配してくれてるぞ。それに知ってた人らはみんな揃って私に釘指してきたんだ……「どうか彼女が深海棲艦かも知れないってことは、他の子にも本人にも内緒にしてくれないか」って。」

 

「!?」

 

 「それをバラしてる那智は最低だね」「自覚してるから言うな」 話している内容のせいなのか。2人の表情がどことなく寂しそうに見える。しかしなかなかどうして、なんで自分の事を察していながらみんなは黙っていたり、そればかりか庇ってくれているのかがわからなくて。防空棲姫は頭の中が無になった。

 

 ガチャン! と、唐突に大きな音が、ドアがあった方から聞こえて3人の視線が入り口に向く。何かと思えば、今度は霞が来た。また知らない艦娘だ、と防空は思う。

 

「怪我人が起きたって聞いたけどあんたら出てこなかったのは何? そいつと長話でもしてたわけ??」

 

「今しがた言いたい事はだいたい終わりました。どうしました?」

 

「どうしましたじゃないわよ用事終わったらさっさと出てきなさいよ。アンタが無駄に仕事請け負ってたせいでね、抜けてる間に埋め合わせするこっちは忙しいのよ」

 

「あぁ、すみません」

 

「那智もなんか言ってやんなさいよ、お人好しにも程があるわよその深海棲艦」

 

「私は放任主義でして。霞さんもご存知でしょう?」

 

「…………はぁ。そうだったわ、全く……」

 

 なんだなんだ、台風みたいな女だな。いきなり入って来てかき回してくる艦娘に少し引いていると。クイッと顔をこちらに向けてきた霞に、防空棲姫はドキッとした。

 

「……何ですか」

 

「失礼だけど、部屋の外で盗み聞きさせてもらったわ」

 

「「「……!?」」」

 

「情けない深海棲艦。ここにいる誰よりも強いくせに、だらしないわね」

 

 アンタ今しがた来たカンジしといて外に居たのかよ!? そんな事を言いかけたネ級と那智に、純粋にここまでの暴言で腹が立っていた防空棲姫を放って霞は続ける。

 

「この狭いところで暴れまわろうだなんて考えない事ね、このクズ。全治1ヶ月の大怪我……それがアンタの治癒力と薬で縮まったらしいけど、完治は最短で5日はかかる。言ってることわかるかしら?」

 

「何が言いたい」

 

「あっきれた……ネ級に世話されながら寝てろってんのよ。はっきり言わなきゃわかんないわけ??」

 

 いい加減止めたほうが良さげだな。そう思ったネ級は立ち上がると、自分よりも背の低い上官の両肩に手を置いて(なだ)める。

 

「ストップ、です。霞さん。流石に口が強すぎますよ」

 

「アンタは甘やかしすぎよ、こういうね、自分の能力にうぬぼれたクズにはこれぐらい強く当たんのが当然なんだから」

 

「いえ、流石にそれがあってたとしてもクズ呼ばわりはちょっと」

 

「なによ。じゃあ代わりにアンタのことクズって呼ぶわよ」

 

「それで霞さんの気が晴れるならどうぞ。」

 

「かぁ……!? ん……い、いいわ、なんだか頭痛くなってきた……」

 

 口撃の矛先を向けられてなお、ニッカリと笑みを浮かべたネ級に、顔を引きつらせながら霞は大きくため息を吐いた。

 

「と·に·か·く! 傷が治るまではそこで寝てろって事。わかったら梨でも食べて安静にしてなさいな。全く…………」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、霞はずかずか歩いて部屋から出ていった。荒々しい動作とは裏腹に、入って来たときとは正反対に静かに戸を締めたのを見て、真面目な人だな、などとネ級と那智は言う。

 

 一体何だったんだあの口の悪い女は。イライラしながら防空棲姫は口を開いた。

 

「あの暴言厨は何なの? なんかだんだん腹立ってきた」

 

「私が前に助けてから接点ができた知人、でしょうか。私なんて歯が立たない方ですが」

 

「ちなみに私の元先生だ。今の軍でも駆逐艦なら上から数える手練だろうな」

 

「……そんなに強いの」

 

「今、駆逐艦の霞を名乗っている方ではナンバー2だとか」

 

 ふ〜ん……。それを聞いて、つまらなさそうに防空棲姫は深呼吸をして自分を落ち着かせる。

 

 簡単に状況説明を終えたら、少々滅茶苦茶な行動で霞が嫌われ役を演じ、場をかき乱して病人に余計な事は考えさせないようにする――そんな仲良し3人の作戦に、実はうまく乗せられていたのだが。もちろん防空棲姫は気が付かなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 療養中の防空棲姫の部屋をあとにして。ネ級と那智は、木曾と霞、そして天龍に初月の4人が待つ艤装の保管庫に向かう。

 

「…………」

 

 万感の思い、って言うのは今の自分みたいのを指すのかな。寝て起きたら陸にいた、という状況だった1ヶ月と少し前だが、それに近しい目まぐるしい動きを見せたここ2、3日をネ級は思う。

 

 初めは彼女がここの提督のおかしな動きとその正体に感づいた辺りからだった。実はネ級はこれは一人では手に負えないと早々に悟り、木曾と、知人の中では頭が回るところに期待して那智に助けを頼んでいた。これがおよそ1週間ほど前の事で、あの海月姫に出くわしたのが4、3日前になる。

 

 全くの偶然で、運が味方をしてくれた結果だが、ネ級の人選はほぼ完璧と言えた。

 

 那智は彼女の抱えていた爆弾のような話題を真顔で呑み込み協力してくれたし、また何の巡り合わせか、以前助けた霞はなんと那智に海戦の手解(てほど)きをした教官だったのだ。「借りを返しに来ただけ」とは霞は言っていたが、たったそれだけのために、那智から相談を受けて強引に助っ人として合流した彼女は、エスコート隊が受けた任務の危険性を察知して無理矢理3人で突撃してきたのだという。

 

 ここでネ級は改めて、那智と木曾の2人の頼もしさを知ったがもう一つ。自分の助けた霞という女の恐ろしさも知る。実はあの急な援軍は完全な独断出撃で、更には嘘の報告で控えの味方とエスコート隊の回収部隊を用意していたらしい。そんな事をしてただで済むのか? と思ったが、この()の凄まじさはここからだった。

 

 ネ級も薄々は勘付いていたが、先に依頼を受けた部隊はまず間違いなく全滅していると検討を付けると。霞はまず、エスコート隊が全滅した際の「損失」や「費用」などに目を付けた。

 

 軍きっての貴重な生きた深海棲艦の、それも言う事を聞いてくれる重巡ネ級。様々な作戦で手堅く信頼を得、目まぐるしく編成の変わるエスコート隊を当然のように制御する現場指揮官の天龍に、あまり性能の良くはない装備の駆逐艦でありながら非凡な戦果を叩き出す弥生。そして、激戦地から奇跡の生還を果たし((表向きはそうなっている))、目覚ましい活躍をしている秋月。エスコート隊の中ではこの4人が死亡した際の損害が大きいことを独断で助けに行った理由として説いたという。

 

 那智から聞いた話だが、特に彼女はネ級と秋月の事について念入りに言ったらしい。

 

 今2人が死ねば軍には損失だけが残る。ネ級の生態はどうか、協力的なのだから細胞などのサンプルも取り放題、人手不足の艦娘に混じって仕事もするし、良くも悪くも人権的にあやふやな存在のため金銭的なコストも低い。しかしそれに見合わない働きぶりで部隊ではウェイトが大きい人材となっている。

 

 秋月の方は、生きていたということで鬱状態一歩手前の者の士気を上げ、その抜きん出た戦闘能力で皆の盾となり、矛になっている。特にこの艦娘が死ぬと、精神的に持ち治っていた同型の駆逐艦の姉妹らの落ち込んでいた優秀なパフォーマンスがまたガタ落ちする危険性も孕む――これだけの爆弾が炸裂し、抜けた場合の埋め合わせはどうするつもりだ?? 大雑把に霞はそんなようなことを言ったという。

 

 前に上官に向かって「うるせぇ」と遠回しに言った自分が言えたことではないかもしれないけど。すごい人だな。純粋に鈴谷はそう思った。

 

 予想に過ぎないが、きっと霞さんは多くのお偉い様に囲まれてごちゃごちゃ言われただろう。だが今、3人が普通に過ごしているのを見るに、それを真正面からねじ伏せて自分の事を正当化したのだろうか。そう考えると彼女は腕っぷしの他に口まで上手いということになるが、とんでもない人を味方につけたな、と思う。

 

 色々と考え込んでいると、目当ての場所に着く。開け放しになっていた戸をくぐり、2人は中に入った。

 

「待ったか?」

 

「いや、みんな今来たとこ」

 

 ソファに腰掛けて水を飲んでいた木曾に那智が尋ねるとそんな返事が帰ってくる。ネ級がドアを閉めるのを眺めつつ、全員が集まったことを確認し。テーブルに置いていたノートパソコンを操作していた天龍が口を開く。

 

「全員来たよな。じゃ、作戦会議と行こうぜ」

 

 その場に居た各々が静かに頷いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

提督と研究員? 盗撮音声2

 

 

『あ、あ。ヨシモト、報告の時間だ』

 

『離島棲姫·港湾棲姫共に健康状態もメンタル面でも良好です。どうやら昨日の献立だったたこ焼きがお気に召したようです』

 

『たこ焼き、ねぇ。まさかそんな庶民的な物を言ってくるとは思わなかったがな』

 

『ははは。話を戻しますが、腕と脚は第13研究所が5000万円ほどで買い取りました。』

 

『5000万? 随分羽振りが良いな』

 

『ちょうど研究資料が欲しかったそうですよ。それも姫級の物という事でそりゃもう、引くぐらい喜んでいましたが』

 

『なるほどな……いっそネ級とレ級も引き渡そうか』

 

『ご冗談を。その2名は名目上は艦娘でしょうに』

 

 

 

提督と研究員? 盗撮音声5

 

 

『ヤマガタ、まずいことになった。聞こえてるか?』

 

『例の深海海月姫とか言いましたか。面倒な事になりましたね』

 

『全くだ……ネ級……いや、中枢棲姫め、余計なことを……!!』

 

『エスコート隊を差し出すのは失敗だったかもしれませんね。なによりあのネ級はこちらの予想よりも遥かに手練。あのような個体との繋がりもありますし……しかし私は疑問でした。あの部隊が抜けてしまっては、流石に業務に支障が出るのでは?』

 

『わかってたさ。海月姫と青マントの要求が段々と重くなって来てやがったんだ……あの戦闘狂どもめ。新人を差し出しても歯応えがないなどとのたまいやがって』

 

『歯応え……ですか。では別の鎮守府を炊きつけるのはいかがです? こう、連中に頼んで海で怪現象でも起こすんです。自然と軍の調査部隊が派遣されるのでは?』

 

『……なるほど。よし、ツ級に連絡しておくか』

 

 

 

提督と海月姫 内通疑惑?

 

 

『お、おい! 話が違うじゃないか! 私は確かに言われた通りの情報を……』

 

『情報? 笑わせるなぁ……。雑魚も雑魚ばかり、殺し合いにもまるで興が乗らん獲物ばかり寄越して。張り合いも楽しみもない』

 

『っ……少しぐらいは自重してくれと言ったはずだ。高練度の艦娘を、ましてや生贄まがいの単艦突撃なんてそう簡単に命令できるわけが―――』

 

『お前の事情など知った事じゃないなぁ。それに、だよ。私のかわいいタ級が、お前の子飼いのネ級とやらに殺されたと聞く。もう無理だねぇ……交渉は決裂さ……』

 

『うっ!? そ、それは』

 

『飼っている犬の強さすら把握していないとはねぇ……まぁ良いんだぁ……私はねぇ……君の所を襲いに行くつもりだよ。そしてとびきりの殺し合いを楽しむつもりだから……まぁ、覚悟は決めておいたほうが良いねぇ……』

 

『………………………』

 

『あぁそうそう。前言撤回だ、あのネ級とその周りはそこそこ楽しかったよ……あと、君と他の人間は逃げるといい……戦えないカスに用はないのさ……んふふふ♪』

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 パソコンの外付けドライブから出てきたCDを、天龍は一思いに拳で叩き割る。ネ級が妖精に頼んでいた提督の盗撮音声記録だったが、溢れ出てくるこの男の恐るべき正体と秘密に。部屋の全員は怒りと呆れの混ざった感情を抱いた。

 

 なんの事はない。話を聞いてきて見えたのは、ここの提督はどうやったのかは知らないが好戦的な深海棲艦と内通しており。その伝手で手に入れた姫級2体の深海棲艦の体細胞サンプルなどで金稼ぎをやっていたのである。……もっともあのような話も通じなさそうな危険な女(海月姫)と通じているものの、全く御せていない有り様に、6人は「人を見る目が無いな」と内心で失笑していたが。

 

 ディスクを壊した天龍はというと。ネ級からは別段激しく怒り狂っているようには見えなかった。上司のろくでもなさに気付けなかった自分へやるせなさ、呆れ、不甲斐なさでも感じているのか。少し悲しそうな、そんな顔をしている。

 

「大丈夫、ですか?」

 

「……まぁ、ちったぁ落ち着いたかナ」

 

「…………。こないだの青マントは、どうやら彼女の部下だったみたいですね」

 

「だな。」

 

「ごめんなさい」

 

「……はぁ?」

 

 唐突に謝罪してきたネ級へ、天龍他、その場にいた全員は少々間抜けな顔を見せる。

 

「私があれを撃沈しなければ……この女を炊きつける結果には――」

 

 そこまでネ級が言った時だった。天龍はにっかりと笑顔を見せながら、彼女の肩を叩いたあと、強めに揺する。

 

「ばーかっ! お前は何も悪かねーよ…………カッコ良かったよ。遠目で見てたけどあの時のお前は」

 

「!!」

 

「前も言ったっけ。自分の仕事に自身持っていーヨお前は。少なくとも俺らはそう思ってる、ワリィのはこんな得体の知れない連中とつるんでたこのクズ((提督))だって。な?」

 

「…………っ、ありがとうございます!」

 

 ネ級が気崩れた作業着の襟を直していると、初月と霞が口を開く。前者はにやにやしながら、後者は呆れ帰った様子で言う。

 

「……今改めて思うけど。やっぱりネ級さんはいい人だ。」

 

「えっ」

 

「どうだか。天然もここまでボケてるとなると先行きが不安だけど……ったく、海で会ったときはもっとクレバーな奴かと思ったのに」

 

「えぇと。霞教官が前に助けてもらったのがこの人だったんだっけ」

 

「そうよ。コイツに会って手当してもらったっていうのが私の自慢話だったってのに。こんなのだったなんて興醒めね」

 

 口では散々な言いぶりだったが。当の霞は、数カ月前に包帯が巻かれていた部分の傷跡を撫でながら優しい顔になっている。ネ級は恐縮してしまっていたが、他の者は彼女が遠回しに「害はない人物」と評しているのを何となくだが察して笑った。

 

 そんな雑談で場の空気が和んだ辺りで、話題も切り替わる。程よく緊張感のある雰囲気を漂わせながら、天龍と那智、初月らが話す。

 

「提督よォ。金に目が眩んだのかね。残念だよ、俺は……」

 

「そうかな。僕は薄々思ってたけどね。何か悪いことしてるんじゃないかって」

 

「というと」

 

「このところ妙に羽振りが良かったもの。車も高いの買って、ヲリビーさんみたいにブランド品持ってきたりとか」

 

「ほー。うちの佐伯とは大違いだな」

 

「俺知ってるぜ。第7横須賀の提督ってアレだろ、サビた白の15シルビア乗ってる人だよな?」

 

「そうそう……質素倹約とか純朴って言葉が似合う人だよ」

 

 なんだか懐かしそうに那智が言う。それを見ていた木曾の目が潤んでいるようにネ級は見えた。

 

「海月姫の襲撃か。忙しくなるぞこりゃ」

 

「さ、て、と。こりゃ準備が必要か、久々に本格的なヤツ」

 

「具体的にはどうする?」

 

「もう四の五の言ってられる状況じゃねぇ。秋月のこと知ってる奴らをかき集めて、迎撃の準備だ。まず手始めに艤装の改造かな」

 

 そう言うと、天龍は自分の名前が書かれた工具箱を手に取り、ある一点に視線を集中させる。

 

 一同が同じ場所を見れば。前の戦闘で破損してから放置されている、彼女や鈴谷の艤装があった。

 

「今ここにいる奴らだと霞サンと那智、木曾。この3人は別にいいよな、そこそこいいモノ持ってんだし」

 

「自慢じゃないけど、まぁ、そうね」

 

「教官に同じく」

 

「俺も賛成」

 

「初月はどうだ? 何か不安とかあるか」

 

「今の所はないよ。最近あまり忙しくもなかったから、変に壊れたものとかも無いし」

 

「なるほどな……やっぱ問題は俺とネ級だよな……」

 

「すみません……」

 

「いいんだよ。メチャクチャにぶっ壊したのは俺だって同じだ。それに、敵にやられた俺と違ってお前は仲間助けるために壊したんだし。むしろ誇れよ」

 

 コツン、と軽く自分の鉄くずを蹴りながら天龍は言う。手帳に何か書きつつ、彼女は続ける。

 

「俺とお前のは新品発注しとくか。予備のがあるったってまたぶっ壊されて再出撃って事も有りそうだし」

 

「そうだね。僕もそう思う」

 

「あとはあの髪の毛対策か。私と木曾で捌いてたがあれはなかなかキツかった」

 

「一応こっちの魚雷やら砲弾とかの火薬で焼き切れはするんだよな。非効率だけど」

 

「焼き切る、ねぇ? 全員ナイフか何か持ってたほうが確実じゃないか?」

 

「ナイフって。どーすんのよ、今から格闘訓練の習熟でもやるわけ?」

 

「保険だよ保険。万が一刺されたときにすぐ抜けれる手段が欲しいしな。俺もやったが刀とかになると、デカすぎて取り回しがよ」

 

 ここの提督と海月姫の会話上では、この鎮守府の艦娘は皆殺しになる事になっていたが。もちろん指を加えて見ているだけになるつもりも無い天龍らはどうすべきかと議論する。そんな中で、廃材置き場から何か修繕に使える部品でも無いかとネ級が鉄くずを漁っていたときだった。

 

 ここ数日、働き詰めでネ級は目の下に深く隈が入っていたが。那智や木曾なんかも同じようなことをしていた手前、他人に指摘するのは気が引けたが、流石にかなりの疲労の色が親友の顔に出ているのを見て心配する。

 

「…………ネ級、いいか」

 

「? どしたの那智」

 

「後は私らに任せて寝たらどうだ? クマ凄いぞ」

 

「えっ、いや、でも」

 

 グッ、と。ネ級は服の肩を霞に掴まれた。

 

「いいから寝てきなさいアンタ。そんな顔見てるとこっちも具合悪くなんのよ」

 

「そうですか?」

 

「あのねぇ……友達なんでしょ。そういうのの言う事は、素直に聞いとくものよ。」

 

「……わかりました。」

 

 いつもの霞らしくない。優しい声色で、諭すように言われてしまって言葉に詰まる。仕方なく、ネ級は大人しく自分の寝床へと戻る事にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……久し振りだね」

 

「んぇ、どうしたの。なんかいつになく私への態度が優しいけど」

 

「別に。怒る気分でもないし」

 

 さて、あのあと大人しく友人らの言うとおりに眠りに就いた鈴谷だったが。この日は久し振りにネ級と対面する夢を見る日となった。

 

 今日の夢の舞台は映画館だった。スクリーンにはコメディ映画が流れており、まばらに客がいる席のあちこちでは笑いが上がっている。慣れた様子で、なぜか手に持っていたポップコーンを食べながら鈴谷は隣のネ級と話す。

 

「な、なんか適応してない鈴谷??」

 

「別に。4回目ともなればこーなるってだけ」

 

「へ、へぇ?」

 

「ふふっ、結構面白いじゃんこの映画」

 

 どうせ夢だからと鈴谷は足を組んで前の座席にかかとを乗せ、恐ろしくマナー違反な態度で映画鑑賞に臨む。ネ級はというと、最初の頃とはあまりにもかけ離れた、大胆かつどっしりとしやがるこの体の持ち主に顔を引つらせた。

 

 乾いた喉を水で潤す。深呼吸を1つ。鈴谷はネ級へ、真面目な話題を切り出した。

 

「最近さ。疲れが取れないんだよね」

 

「寝てないからでしょ。バカみたいに仕事しすぎだもの、それこそ那智とか木曾とか来てくれてるんだから任せりゃいいのに」

 

「そ~なんだけどさ……なんか、頼りっきりってのが落ち着いてられなくて」

 

「ふ〜ん。貴女らしいっちゃらしいけどね」

 

 最近テレビを賑わせる流行りのタレントの顔が画面に映る。すっとぼけた態度でバカをやる彼の顔を見つつ……笑える場面だが顔を綻ばせず、鈴谷は続ける。

 

「勝てるかな。私は、あの海月姫に」

 

「難しいだろうね。見ていた限り防戦一方だったし、かといってこっちから大部隊なんぞ持ってったらまるごと乗っ取られる危険性もある」

 

「だから精鋭1人、戦うにも多くてもアイツの相手は3人が限界ってとこだよね」

 

 どこまでもこちらを舐めてかかってるのが見え見えな、憎たらしい笑顔を思い出す。水の入ったカップを潰しながら、鈴谷は心を落ち着かせた。

 

 ふと、彼女は思い出したことがあって、「そういえば」と会話を切り出す。

 

「もし、何かあった時。貴女って私の体を使えるの?」

 

「!? どうしたの今日本当に?」

 

「答えてよ。その、もしも私が死んだりして――貴女にこの体の「主導権が渡る」みたいな事って発生するわけ?」

 

 こうして夢の中では会える同居人だが、鈴谷は、ずっとこの人物は自分のもう一つの人格か何かなのではと考えていた。この際なので聞いてみることにする。

 

「死んだときにどうなるかはわからないかな。貴女と同じくぶっ飛ぶかもしれないし、今度は私が表に出るかもしれない」

 

「そっ、か。」

 

「でも多分できるよ。貴女が「やって」って言うなら私が体を動かすってのは」

 

「本当? じゃ、やってくれるんだ」

 

 目を輝かせる鈴谷へネ級は尋ねる。

 

「にしてもどうしたの急に。私に身体を明け渡すだなんて。不安じゃないわけ?」

 

「……別に。なんか嫌な奴には思えないから」

 

「変なの。最初の頃あんなに警戒しといて」

 

「だって、さ。」

 

 組んでいた足を戻し、隣の者にしっかりと向き直ってから鈴谷は言う。

 

「冷静に考えたら貴女別に変なこと言ってきてないし。言う事は、だいたいこっちの助けになってるし。だからいざってとき、私が動けないときにはいいかなって」

 

「…………………。」

 

「あとはそう。さっき言ったけど、最近疲れて……る……から……」

 

 まぶたが嫌に重く感じ、それと同時に鈴谷に睡魔が襲ってくる。だがいつものような急激なものとは違う。自分自身の疲労によって起こされる眠気だと察して、鈴谷は必死に言葉を絞り出した。

 

「ちょっとでいい、から……防空とか……那智……けて…………げ……て」

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 どうやら落ちたらしく、鈴谷は気持ち良さそうに寝息を立てて動かなくなってしまった。

 

 「全くもう……」 大きくため息を吐く。深く座席に身体を預けて無防備に寝る鈴谷へ、薄手の毛布をかけ、ネ級は立ち上がってシアターの出口に向かう。

 

「約束なんてしたからには。やりますかね、悪いこと(いいこと)

 

 いつになく真面目な面持ちで。彼女は観音開きのドアを開いた。

 

 

 

 

 

 




佐世保の彼は銭ゲバゲス提督でした。ちなみに彼らは金稼ぎの元手を得る代わりに、見返りとしてバトルジャンキーな青マントや海月姫には、それなりの練度の艦娘を生贄として差し出していたりしました。もっともネ級と那智らの抵抗でそれらも無に帰しましたがね!()


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33 さよならの鐘の音

一ヶ月と半月ほど続けてる食べ物アンケートですがたこ焼きとすき焼きの激しいデッドヒートに1人笑っているので初投稿の作者です。


現時点での通り名〜
ネ級……海駆ける鬼子母神
レ級……堅忍不抜の防人
防空棲姫……現人阿修羅




 

 霞と木曾の取り計らいで。一時的に無理矢理、ここ、佐世保鎮守府に根を下ろすことになった那智だったが。ゲストのような立場とはいえ、プラプラするのも嫌なので今日は事務仕事を引き受けていた。

 

 ネ級もとい鈴谷のやっていた備品の発注書の処理を済ませる。手早く伝票をまとめ、届いていた荷物に判を押して棚へ。品物が届くのは1日に3回だというが、その合間の暇で花壇の手入れや廊下·部屋の掃除をしておく。

 

 明らかに疲れていた鈴谷のことは既に他の者に伝えており、周りが勝手に彼女の事をこの日は休みにしてしまっていたが。にしても起きてくる気配が無いな? 腕時計を見るともう午後の2時半ごろを指していて、那智は建物に目をやる。

 

 どうやら相当お疲れだったみたいだな。こんなにぐっすり寝るやつだったか、アイツ。鎮守府に戻り、再度荷物の仕分けをしていたとき。何をしていたのか、書類の束を抱えた木曾と出くわした。

 

「お。なんだ木曾、その書類」

 

「ネ級の観察記録。もう一月超えたからな、厚くなってきたからまとめるトコ」

 

「そっか。顔見てないがあいつ、まだ寝てるのか?」

 

「たぶん。まだあっちのソファで……」

 

 そこまで言って顔の向きを変えた木曾が口を止める。なんだと那智が同じ方を見ると、大あくびと伸びをしながら歩いてくるネ級が見えた。

 

 「起きたのか。お〜い、すず……」 そこまで言いかけて、もう一度。木曾の口が動きを止める。

 

 今度はなんだよ。そんなように言いかけたが、こちらに来る親友の顔を見て那智も無言になった。

 

 今日のネ級は、普段は赤いはずの左目が深い青紫色になっていた。カラーコンタクト、というわけでもない。どう見ても虹彩の色がガラリと変化している。それに何故だろうか、普段の彼女のものとは似つかない異質な雰囲気がある。意味がわからず木曾と那智の2人は困惑した。

 

「ふぁ〜あ。まだ眠いな……」

 

 「違う」。うまく言語化できないが、2人は眼前のネ級にそんな感想を抱いた。

 

「おはよ……」

 

「誰だおまえ」

 

 咄嗟に那智の口からそんな言葉が出てくる。木曾が思わず彼女の顔を覗き込むが、対面するネ級はというと、ニヤリと笑いながら会話を切り出した。

 

「あ〜。すごいね、やっぱり解るんだ」

 

「っ! おい、鈴谷はどこだ」

 

「あの子は大丈夫だよとりあえずは。疲れて寝てるけど」

 

「…………1ついいか。お前は敵か味方かどっちだ」

 

「那智、距離離そうぜ。何か変なカンジだこいつは」

 

「いや大丈夫だ……特別、害意があるようには思えない」

 

「ふふふ……木曾は警戒心が強いんだね…………那智は、友達相手だからちょっと安心してるってところかな?」

 

 薄く光る目を細めて、ネ級は穏やかとも不気味とも言える笑顔を見せる。質問に答えない。よくわからないがいいやつでは無さそうだ。そう思って、那智が背中に隠した護身用のナイフに手をかけたとき。相手は木曾に会話を振った。

 

「木曾はさ、聞いてたんじゃないの鈴谷から。夢の話」

 

「夢……看護士になりたいってやつか」

 

「あぁそっちじゃ無い。えぇと、2、3ヶ月前の入院中のとき。「夢でネ級と話した」って」

 

 ネ級の発言に木曾は目を見開く。何かは知らないが、こっちはこの深海棲艦を知ってるのか? 尚も那智は相手の様子をうかがう。

 

「私ソレだよ。鈴谷の頭の中の「重巡ネ級」。」

 

「返答がまだだよな。もう一度聞くぜ、アンタは敵か?」

 

「さぁ、敵じゃないんじゃない? 知らない」

 

「………………」

 

 なんか、調子狂うな。親友よろしく、疲れ目をこすってどこかに持っていたらしい栄養ゼリーを口にするネ級に。那智は警戒態勢を解いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 場所は変わって艤装保管庫に。着々と準備を進めるべく、中身の入れ替わったネ級を伴って2人は作業を始めた。

 

 最近本腰を入れて本格的な整理知識を得ようと勉強を始めた鈴谷には劣るものの、元から消耗品の交換ぐらいなら自分でやっていた那智と木曾は艤装の点検をする。その傍らで、ネ級は届いたばかりの鈴谷の装備を分解して清掃し始めた。

 

 落ち着かない様子で2人は女をちらちら見る。やっている行動·仕草は同じでも、まとう雰囲気と表情が親友と重ならない……が、目の色を除いてその友人と同じ顔をしている。その事実がどうにも違和感と気持ち悪さを那智と木曾に与える。

 

 この場の空気に耐えかねる。先に口が開いたのは那智だった。

 

「……鈴谷はなんと言って、引っ込んだんだ?」

 

「「ちょっと疲れてるからしばらく寝てる」って。そんだけ」

 

「へぇ……で。お前の目的はなんだ?」

 

「そんな御大層なものはないヨ。別に。あいつに代わってここ何日か、適当な仕事ぐらいはやっといてやろうかな程度のコト。」

 

 何かの部品に油を差しながらネ級は言う。手を止めずに、彼女はずっと薄笑いだった顔を真顔に差し替えて那智に向き直った。

 

「鈴谷の敵は私の敵。鈴谷の味方に私も味方。オゥケィ?」

 

「……信じて、いいんだな?」

 

「モチ」

 

「そうかよ。……ハァ」

 

 なんだか随分フレンドリーだが初対面の相手とあって、態度がよそよそしくなる。だがここまで言って、妙なことをしてくる様子が無いとなるとひとまずコイツの主張は本当か、と2人は考える。

 

 ふと、木曾は思いついたことがあり、この際ならばと、この妙なゲストに質問した。

 

「1個、いいか。さっき流しちまったけどお前俺らの名前知ってたよな。もしかして鈴谷の目を通して外が見える……とかなのか」

 

「頭いいんだねぇ〜。そう、そんなカンジ」

 

「そうかよ……あと、もいっこ。お前から見て鈴谷ってどんな人間なんだ」

 

 「う〜ん……?? ムズかしいな」 勿体ぶってからネ級は答えた。

 

「放っておいたら自滅するタイプだね。抱え込めるものは全て抱え込んで離そうとしない、アンタらが来なかったら心中を吐露できる相手もない。まっ、過労で倒れてたんじゃない?」

 

「「………………」」

 

 ハッキリしたな。こいつ本当に「鈴谷」じゃないらしい。自分らの親友はこんな事は言わないし、内に引っ込んだ人格とやらの欠点を客観的に評価したところで2人は思う。

 

 どうやら話はわかるやつのようだな。さっきから思っていたものの、何となくだが気さくな性質だと察して今度は那智が話しかけてみる。

 

「お前は純粋な深海棲艦なんだよな……「向こう側」に行こうとは思わないのか」

 

「ムコーガワ???」

 

「海月姫とかの事だ。仲間じゃないのか?」

 

「……傷つくんですケド。それレ級とか防空棲姫に行ってみ? 多分本当にブチ切れるから」

 

「あ……」

 

「ま、許したげる。ネ級ちゃんが珍しいからいろいろ聞きたいんでしょう〜? いいよ、私は寛大だから……♡」

 

 自分の触手から一人一人、寝袋に入っている妖精を机に並べていきながら女はニタニタ笑顔で言う。鈴谷の言うとおり、性格悪そうってのはそれっぽいな……。苦い顔をしながら木曾は言う。

 

「えぇとなんだっけ……前に鈴谷から聞いた。深海棲艦にも派閥みたいなのがあんだっけ。お前は大人しい方ってわけだ」

 

「どうだろうね。ヲリビー、レ級、南方棲鬼、北方棲姫はそうだろうけど。防空棲姫とここで獲っ捕まってる2人はよくわかんない。鈴谷とあんまり面識ないし」

 

「「どうだろ」ってお前……」

 

「まぁ別にヒトゴロシなんぞ見ていて気持ちの良いものでもないし。別にやりたいとも思わないし……だから私は何となくで艦娘の肩を持つ。そんだけだよ。」

 

「………………。そうか」

 

 ネ級は少し穏やかな顔をして、また気持ち悪さの残る笑顔になる。

 

 その少しだけ見せてくれた表情に、2人は確かに鈴谷の面影を感じた。悪い奴じゃない―――体の持ち主の方と付き合いの長い那智と木曾にそう思わせるには充分な一コマだった。

 

 雑談などやっていると更に部屋に入ってくるものがある。ここ数日ですっかり打ち解けた初月と天龍に、その部下の摩耶と鳥海。最後に防空棲姫が来た。

 

「おはようさん、やってんな」

 

「天龍さん、もう昼だよ」

 

「どうも。秋月サン、怪我大丈夫なのか?」

 

「まぁ、まぁまぁ……!?」

 

 那智がなんの気無しにニセ秋月に挨拶したその時。対象を捕捉したネ級はニンマリと気持ちの悪い笑顔を見せたが、それを見た防空棲姫は信じられない物を見たとばかりに表情を歪める。

 

「んフッ、随分と調子良さそうだねぇ……」

 

「なんで、どうしてお前……!?」

 

「んぉ、なんだ、アンタもコイツのこと知ってんのか?」

 

「??? 那智、なんの話だ?」

 

隊長((天龍))さん悪いな、後でゆっくり話そう。全部言うと少し長くなるんでね」

 

 硬直していた防空の元へ、ニコニコしながらネ級は近づき、その隣に立つ。何をする気だ―――そう思っていた女を無視し、彼女はその奥、棚に仕舞ってあった消耗部品を取りながら口を開いた。

 

(余計な詮索(せんさく)は、お互いにしないようにしよう防空棲姫。そのほうがいい人間関係を築ける事もある。)

 

「………………」

 

(鈴谷をどうこうしようとしたこと。一生忘れないからナ?)

 

(わ、悪かったわね!)

 

「んっふふふふ……」

 

 大勢が居る前なのに、わざとらしく小声で話す。動揺していた防空もまた、無駄に相手に合わせた声のトーンで答えた。挙動不審になった女に満足しながら席に戻ると。ネ級は天龍に挨拶する。

 

「改めて、こんにちは。天龍さん」

 

「…………まぁ、なんだ。お前には世話になったからな。何も聞かないことにしておく」

 

「お気遣い、痛みいります……♪」

 

「っ、なんだ気持ち悪ぃな。拾い食いでもしたのか??」

 

「これは手厳しい」

 

 明らかに様子がおかしかったが、変なことは言わない事にする。そう言って何か察してくれた天龍へ、やはり彼女は大人だな、とネ級は笑顔を向けた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鈴谷の体には、現在2つの精神が同居している状態である。この情報を知っても問題はないと那智が選別した艦娘のみ、今日、那智が苦心してどうにか件のネ級は元人間であることを伏せて作った話でその事は伝えられた。

 

 そしてその当人はというと。鎮守府の堤防の上で、夜の海と携帯電話の画面を交互に見ながら考え事に耽っていた。というのも、鈴谷が起きる気配が無いのをそれとなく察したのである。

 

「いつ起きるんだコイツ……」

 

 新品の防水スニーカーの靴紐を結びながら独りごちる。前の戦闘でボロボロになった服は新調した。着々と積んだ日頃の行いから、鈴谷には熊野から貰っていた着替えまで含めて全ての装備が戻ってきたため、ネ級は勝手にそれらを使うことにしたのだ。

 

 自分自身でもよくわからない事だったが、鈴谷と違って、ネ級は自分自身と鈴谷の「心の健康状態」のような物が把握できた。初めはもしかして死んでいるのかと思ったが、確認すればやはり彼女は寝ているだけで。いったいどれだけの無茶をして疲労を溜め込んでいたのかと呆れる。

 

 最初は適当にスマホでネットサーフィンをし、くだらないネタ記事ばかり読んでいたがそれも飽きてしまい、彼女は鈴谷が端末内に作っていた日記とメモ帳を覗いていた。

 

 簡単にネ級に感想を言わせれば。彼女は鈴谷のやっていた事に引いた。

 

 日記……と呼べるか怪しい走り書き。それは、その日1日に誰かに何か怒られたり、自身で改善できることの羅列であり。次の日には出来た事にはマル、出来なかった事にはバツしてあって、もちろんそこにもその日出来なかった事が追加されて……という具合に「どう自分をアップデートするか」というデータみたいな物だった。

 

「フツーの人間こんなことすんの……??」

 

 今日の自分は頑張った。明日はこれをやろう! ……とか、書かれているならまだわかる。でも 「対 天龍 ✕ コーヒー 好み もっとニガめ 対 摩耶 ○ 連携時 右方向攻め中心―――」 などなど。本当にひたすらデータ取りを煮詰めるような記述を見ていると、コイツの精神状態は大丈夫なのか??? などと思ってしまった。

 

 ダメだ、これ以上見てると気が触れそうだ。そう思って端末をスリープさせる。

 

 顔を上げる。眼の前に赤く光る2つの物体が現れた。

 

「うぅおわあァ!?」

 

 なんの事はない。居たのは防空棲姫だったが、突然過ぎて腰が抜けそうなほど驚いたネ級は反射的に思い切り背中側に仰け反り、危うく堤防から転がり落ちそうになる。慌てて背筋を総動員させ、触手の口を石に噛ませて抵抗していると、女に腕を引かれて助けられた。

 

「なにしてんのさ」

 

「こっちが言いたいよ!? 何よイキナリぃ!!」

 

 にィッと防空は笑ってみせる。どう考えても昼の仕返しだとわかってしまって、ネ級は表情筋を引きつらせた。

 

「なにさ、まだ根に持ってるわけ? 言っとくけど初めに仕掛けてきたのはそっちだかんね」

 

「そういうんじゃない……聞きたいことがあっただけ。入れ替わったって、いったい何があったの?」

 

「別に……あんたのせいで、疲れた鈴谷は寝てるだけだよ。この分だと下手したら丸三日ぐらい」

 

「! ……なんか、ごめん」

 

「いいよ別に。私じゃなくて中身のコイツのお人好しが招いた事だし」

 

 人が一人で居たいときに変なのが来ちまったな。そう思ってネ級は、鈴谷の趣味なのか、携帯の中に入っていた最近流行りのアーティストの曲を流しっぱなしにしてそばに置く。……考え事が隣のその邪魔者に覗かれている事には気付かない。

 

 そんな事を考えるほど、今のネ級は一人の時間が欲しかったのだが、わざわざこんな変なところまで探してきた相手を思うと、さっさと逃げることもできず。ウダウダと無言の間を作り続けて5分ほど経過する。なにか喋ってよ、とでも言いかけたとき。今度はネ級にとっては珍しい人間が2人現れた。

 

 「秋月姉、探したよ!」 外灯で照らされる場所から声がする。確か、秋月の妹の照月と涼月とか言ったか。防空棲姫と似た制服姿の明るい茶髪の女と、彼女と同じく真っ白な頭髪が目を引く女とをネ級は交互に見やる。

 

「照月? それに涼月も。なにかあったの?」

 

「姉さんがここに居るって摩耶さんから聞いたから……たまにはみんなでお喋りしたいなぁって。怪我、大丈夫かなっ、て……」

 

「そっか」

 

 「ん〜……姉思いの子達なコト」 青い目を文字通り光らせながら、ネ級は大好きな秋月の近くに来た2人を見て言う。

 

 艤装の点検を自分でやっている点で繋がりがあった初月とは多少話すこともあったが、この2人の妹のほうは挨拶ぐらいしか接点が無い。相手もそれが原因か、初めの頃の天龍·摩耶たち程の敵意は無いが、余所余所しい態度で見られる。もっともネ級はそれが当たり前だと思っていたので何とも感じなかったが。

 

「えぇと……ネ級さんと大事なお話?」

 

「いやぜんぜ」

 

「この鎮守府の存亡に関わる話だってのに、邪魔入ったな……」

 

「え」

 

「ばっ、ちょっ!? お前!」

 

「おほほほほ♪」

 

「「???」」

 

 隙あらばとなにかおちょくってくるネ級に防空は思わず声を荒げた。妹らは呆けていたが、2人の距離感を見て友達同士か何かと勘違いする。

 

「仲良しなんだね。良かった……」

 

「そりゃもぅね、マブダチ!」

 

「はぁっ!? いい加減に」

 

「ヤバーいから、もうね、パピコ1個を一緒にちゅーちゅーするぐらいナカヨシよォ〜♪」

 

「ぐっ、ん゛ん゛!! ……………もういいよ……そういうことで」

 

 やられたことへの仕返しの仕返し、妙なことをべらべら話してかき乱すネ級に防空棲姫は頭を抱えてそう言う。傍から見ていた2人は引きつった笑みを浮かべながら、姉の横に座った。

 

「良かった……秋月姉、元気そうで」

 

「とーぜん。お姉ちゃんは強いんだから」

 

「知ってる。でも最近疲れた顔してたから、心配で。涼月なんか秋月姉に元気出るようにってかぼちゃのプリン沢山作ったんだよ?」

 

「あはは……」

 

 眉を八の字にしながら涼月は手提げ袋に入ったデザートを防空に手渡す。

 

「迷惑……だったかな?」

 

「そ、そんなこと! ちょうど甘い物欲しかったから」

 

「いらないなら食べていい?」

 

「あっ、ちょっと!?」

 

 意地悪の気持ち半分、あまり湿った空気にさせないための牽制(けんせい)目的半分。袋の中身が照月の言うとおり、大量のプリンで埋まっているのをちゃんと確認してから、ネ級は中身を一つ取った。

 

 あまりにも自由奔放に振る舞う女に呆けている妹ら2人に、苛立ちから貧乏ゆすりを始めた防空棲姫の事など知らん顔で、ネ級は付いてきたスプーンで中身を掬って口に放った……実のところ、ただのイタズラでやった行動なので味なんてあまり期待していなかったのだが。予想外の完成度の高さに目を剥く。

 

「!? おいしっ!! 凄くない、えぇと……涼月ちゃん、だっけ」

 

「へ? えぇ、ぇと、はい!」

 

「すごいじゃ〜ん艦娘なんて辞めてさ、パティシエ始めれるよコレ!? お店建てれば!」

 

「ぇと、遠慮します!」

 

「あら残念」

 

 いや、本当に美味しいなこれ。そんな事を思いながらネ級はキビキビ強奪したものを味わった。すぐに食べ終わると、彼女はごちそうさまの一言と同時に立ち上がって伸びをする。

 

「あ〜……美味しいもの食べたらなんか秋月いじめるのもどうでもよくなった。じゃ〜ね〜」

 

「できれば今日はもう二度と会いたくないけど」

 

「あ、そんなこと言っちゃう? じゃあまた会いに来るかも」

 

「どうぞお好きなようにっ!!」

 

 ニタニタと笑ってその場を後にするネ級に防空は白い目を向けた。

 

 ため息を一つ。改めて、やっと落ち着けると思った彼女は涼月の用意したプリンを食べた。うん、やっぱりこの子のコレは裏切らない味だな――そんなように考えていると。同じくデザートに手を付けていた2人と会話になる。

 

「う〜ん。美味しい……」

 

「……天龍さんから聞いたんだけど……秋月姉、また怖い深海棲艦と戦うんでしょ?」

 

「うん。私じゃないと捌けないから」

 

「わたしは、さ……嫌だな」

 

「?」

 

「秋月姉がその……怪我で寝込むところは、見たくないから」

 

「………………そっか」

 

 どう返答したものか。顔を俯き加減にする照月と、こちらをじっと見詰める涼月とを見る。なんの気無しに……自然に、防空棲姫の口から声が出た。

 

「2人も来る? 次の作戦」

 

「え!」

 

「良いの? 私はともかく……照月は……」

 

「ぜ、絶対出る! それで秋月姉の隣で!」

 

「ふふ……そっか。じゃ、天龍に言っておくね。今回のエスコート隊は、連合艦隊ってことで!」

 

 穏やかな顔をしながら、防空棲姫は小指と人差し指を出す。それに自分らの小指を結んで、妹2人は約束をした。

 

「やっつけようね。えぇと……秋月姉の敵!」

 

「深海海月姫、ね。大丈夫、みんなで行けば勝てるよ」

 

「うん!(はい!)」

 

「あとは……そうだ。終わったあと、やりたい事とか。2人はある?」

 

「みんなでご飯でも食べに行こうよ。久しぶりに、4人で。ね? 前に初月とさ、美味しいクレープ屋さんも見つけたの」

 

 気丈そうに振る舞ってこそいたが、その両目には涙が溜まっていた。よほど自分は心配を掛けてしまったらしい。秋月は申し訳無く思った。

 

「うん……わかった! 私さ、あんまり良いお店とかわからないから。エスコートお願い!」

 

「任せて! 高いお店の予約しておくから!」

 

 内心、防空は穏やかな心境ではなかった。

 

 どれだけ繕っても。この子の事を騙しているという事実に変わりはない。そう思うと、自然と防空棲姫の笑顔は影が差したようなものになってしまうのは当然と言えた。

 

 

 

 

「……………………美しい(いびつ)さだね。」

 

 先程プリンを食べているとき、ちらりとこちらに意味ありげな表情を送ってきた涼月の顔を思い出す。

 

 照月とか言う方はよくわからない。けど、あの白髪のほう。あいつ多分防空の事気付いてるな――

 

 さも、邪魔者は退散すると見せかけた言動を放っておきながら。ネ級はひっそりと、3人の座る堤防の近く、吹きさらしのベンチに座って様子を眺めていた。妖精特製の盗聴器からの盗み聞きが終わり、イヤホンを外す。

 

「………………………。」

 

 何か思い上がっているか勘違いか、「家族」って〜の。必ずしも血が繋がってなきゃいけないなんてキマリは無いんだよ。防空さん? 

 

 考え事混じりに、スマートフォンの写真フォルダを漁る。目当ての物が見つかって、ネ級は力無く笑う。

 

「やっぱり消せてないでやんの。鈴谷のやつ」

 

 撮った日付はおよそ3年前ほど。どこかの観光地で、車をバックに、養父らしき男性と仲睦まじく肩を組んでピースをしている鈴谷の写真を、網膜に焼き付ける。やはり未練があったのか。持ち歩いていた物については車ごと陸に置いて行ったくせに、彼女は思い出を自分の携帯電話から消せないでいたらしい。

 

 血縁関係なんてものはただの飾りでしかない。お互い認めあっていて、仲が良くて、変な事は踏み込まない妥協点みたいなものが呑めるのなら――もうその時点でそれは家族と呼んで過不足無い関係の気がする。鈴谷や防空棲姫の方は知らないが、とりあえずはそれがネ級の持論だった。

 

「認めればいーのに。打算関係なく妹が好きなコト。」

 

 大きなため息をついて、ゆっくりと立ち上がる。

 

 お仲間助けるってのにご執心なのは結構だけど。もうちょっと周りに対する態度考えたほうがいいんじゃないの? 義理の妹3人からすでに気づかれていると思われる防空棲姫に。ネ級は遠くから哀れみを多分に含んだ視線を飛ばした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 照月の朝はいつも早い。

 

 艦娘の中では残念ながら「落ちこぼれ」と揶揄されるような実力でも、淡々とした真面目な仕事ぶりで尊敬していた姉が、行方不明になってから。寝れない夜を幾つも経験したが、その名残か、彼女は決まって4時半から5時の間には目が覚める生活リズムが出来上がっていた。

 

「ふぁ……あ。喉乾いたな」

 

 眠い目をこすりながら、部屋の冷蔵庫を開ける。買い置きしてあった水やジュースなんかは前日に飲んだもので最後だったか、中は空だった。

 

「……たまには、良いかな。」

 

 別に水道の水で喉を潤すことも考えたが、なんとなく外に出たかったので。小銭入れに使っている巾着を片手に、照月は寝間着で使っているジャージ姿のまま、鎮守府の外の自動販売機に向かう事にした。

 

 

 

 

 肌寒い外気に体が晒されて眠気が収まっていく。まだ日が昇りきっておらず薄暗い周囲は、小雨交じりの外気に外灯の光が乱反射してぼんやり輝いている。なんだか現実離れしていて幻想的だな。そんなような事を思う。

 

 雇われの警備員とすれ違って程なくして、自室の窓から見えていた自販機の前に着く。

 

『照月、はい。これ飲んで』

 

『秋月姉……なんでブラックコーヒー? 私苦手なんだけど……』

 

『今日は夜勤でしょ? いざってとき、眠いと困るでしょう。これで眠気覚ましてってこと。ほら、一気にぐいっと!』

 

「………………。」

 

 ふと、まだ姉が行方をくらます前の事を思い出す。自分に気を遣ってくれたのか、もしかしたらただのいたずら心からの行動だったか。苦いのは嫌いな照月に秋月はブラックコーヒーを奢ったことがあった。

 

 眠気覚まし、か。まぁ、たまには良いのかな。

 

『はい、どーぞ。』

 

『…………またブラック! せめて微糖とかさ』

 

『少し慣れたほうが良いと思うの。照月の舌はお子様すぎるもの』

 

『もしかしてわざとやってる?』

 

『まさか〜!』

 

 自分の嫌いなコーヒーの差し入れは一回だけでは無かった。何回も、照月が夜の出撃がある日は決まって姉はそれを買ってきた。嫌だと抗議すると、今度はカフェインの覚醒作用だとか、興奮作用だとかが艦娘の業務には効果的だとか言われたのをよく覚えている。

 

 HOT100円、か。今日は少し寒いから、まぁ……。何か見えない力が働くように、照月は初めに買う予定だったココアから、ブラックコーヒーのボタンに指をずらす。

 

『秋月姉、差し入れ!』

 

『あ、ありがとう。ブラックコーヒー!』

 

『…………。苦いの平気なの?』

 

『うん。あ、照月チョコ食べる?』

 

『いいの? じゃあ……ひぃっ、なにこれぇ!!』

 

『カカオ80%だよ♪ 照月には刺激が強かったかな?』

 

 電子音が周囲に響き渡る。意識がここに無いような顔で、照月はライトアップされている自分が選んだ苦い飲み物のダミーラベルを見詰める。

 

 秋月は苦い物が好きだった。同じく甘い物が苦手だった天龍と、それがきっかけで仲が良かった。

 

 (秋月)は甘い物が嫌いだった。照月とは正反対だ。

 

 かぼちゃのプリン、いつもありがとうね。甘くて美味しい。()()()()()()()()の発言を思い出す。

 

「……………………」

 

 照月の目から涙が頬を伝う。何を今更。初めから分かっていたことだったのに。彼女は自分自身の耳にも届かないような声で独りごちる。

 

 髪の白くなった姉は、甘い物が好きだった。ただ一点。そこだけが、明らかに自分の知る姉と違っていた。

 

 

 照月はひた隠しにしていた。彼女は、この鎮守府で最も早く秋月が別人だという事に気付いていた。

 

 

 秋月はとにかく甘い物を受け付けない舌をしていた。もはや体質なのかと言う程で、多少ならデザートに手を付ける天龍からすら「血の代わりにコーヒーが流れてる」などとよく冗談を言われていたぐらいだ。

 

「う……っ、……ぅ!」

 

 涙が止まらない。抑えようとすればするほど溢れ出てくる。滲んできて焦点の定まらない視界の中で、缶コーヒーの封を開けて、一思いに中を飲み干す。相変わらず、脳髄に来るような強い苦味は慣れない。

 

 涙を拭いながら、顔を下に向けたときだった。照月の目線が、釣り銭の返却口に向かう。

 

 誰かの取り忘れた小銭が3枚ほど、そこに残ったままだった。

 

『今日は遅いな……いつも帰ってくる頃なのに』

 

『はぁっ、はぁっ……!! 照月!!』

 

『? どうしたの初月、何か急いで』

 

『姉さんが……姉さんが……みんなを…………逃がすために、第2の島風と2人きりで殿をやったって!』

 

『???』

 

『敵の大群を突っ切って……艤装の反応が消えたって…………』

 

『……………? 嘘………………』

 

 あの日はよく覚えている。カンカン照りの晴れた日のこと。夜の戦闘が終わって、姉はいつも昼頃に港に戻ってくる。自販機には2種類、安物の缶コーヒーと、多少値が張るボトルのコーヒーがある。秋月は後者が特に気に入っているのを知っていた照月は、いつもお疲れ様の一言と共にそれを渡していた。

 

 ボトルのほうは170円。200円を入れて30円の釣りが帰ってくる。

 

 何の冗談だろうか。眼の前には10円玉が3枚残されていた。

 

「ぅあ、ぁぁぁぁ…………!」

 

 もう、我慢は出来なかった。嫌な思い出が蘇る要素が揃いすぎていた。堰を切ったように。だが、呻き声を殺して静かに。照月は泣き始めた。

 

 泣き腫らしてぐちゃぐちゃの顔のまま、コインを入れてボタンを押す。姉の大好きだった物を、嗚咽混じりに強引に喉に押し込む。

 

 あの、嫌な苦い味は感じなかった。水でも飲んでいるような気分だった。自分の味覚がおかしくなってしまったのか、それとも姉の言う「子供の舌」が治ったのか、もう照月にはわからない。

 

「姉……さん……私、大人に……なれたかなぁ…………?」

 

 両膝を地面に付いて、照月は地面に語り掛ける。返事を返してくれる者は、この場には居なかった。

 

 

 




防空棲姫は鎮守府の約65%ほどの人間から正体をそれとなく感付かれています。が、妙に掘り返すと以前までの酷い空気に戻るからと思っている艦娘達によって触れられていませんでした。因みに照月は、姉と別人だけど姉エミュしてくれてついでにみんなのメンタルケアもやってくれている謎の聖人だと認識しています。


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4 キラクにいこーぜ
34 オレラ世界に立った一人だよォ


長らくダラダラ続けたアンケートは一回ここで切ろうと思います。参加してくださった皆様、ありがとうございました。

非常にどうでもいいですが今回はずっと作者の作品を追い掛けてくれた方々へのファンサービス回だゾ()



【挿絵表示】



 

 

 

 鎮守府のガレージは、今日は賑わっていた。この場所は大抵、整備工員と出入りの業者で面子が限られているが、ここ最近は自分らで艤装の整備を始めた数人の艦娘も、少しずつ見受けられるようになった。

 

 フォークリフトに乗って運ばれてきた自分の艤装その他、諸々の発注した部品を見て天龍はため息をつく。本来こういったものは艦娘から提督に打診するものなので、艦娘のほうで勝手に発注したりすると何事かと怪しまれる。が、「なぜか」この頃どこか上の空な自分の上司は、自分の机から判子が持ち出された事にすら気付いていなかった。

 

「オーラーイ、オーラーイ。OKでーす」

 

「どーもー。すぐあけますか?」

 

「うっす。ちょっと中身見たいんで」

 

 どうせ経費で落ちるのだ。そんな考えから天龍は勝手に上等品の搬入を打診していた。梱包を剥がすと、以前のものよりも高性能の砲と出力機が搭載された自分用の艤装が姿を見せる。

 

 こんな時でもなければ、多少テンションアガんだけどな。そんな事を思いつつ、安全装置や配線など、これを動かすための準備を行う。そんな折、今日の作戦を終えた自分の部下たちが続々とガレージに入って来た。

 

「お疲れさまです。……艤装、届いたんですね」

 

「お疲れ。来たよやっと、着いたのはネ級のの次だ」

 

「何か手伝います? アタシ隊長より不器用っすけど」

 

「いーよ、今日は俺暇だし。それよか摩耶は自分の準備しな」

 

「っす。ども。あ、これ、整備長から差し入れらしいです。みんなで食べるようにって」

 

「お、マジか。ありがとな」

 

 昔から肩を並べて働いていたからか、整備の人間が天龍に寄越してくれたのは甘味ではなく煎餅やスナック菓子といった塩っ気のあるお菓子だった。慣れない整備作業で疲れていた彼女は有り難く受け取る。

 

 あの日、エスコート隊が海月姫に手痛いダメージを負ってから。どこか自分らの実力に(おご)って、装備というものの大切さを軽視していた佐世保の艦娘たちに大きな意識の改革があった。

 

 良くも悪くも、この鎮守府の艦娘は全体的に能力が高い傾向にある。そのため必要最低限の装備を背負って、最高の効率で戦果を出す……という考えに囚われている点があり。結果、確かに被害が出たときの金銭的な損失こそ少ないかもしれないが、日々、技術の進化と共に更新されていく装備を意欲的に使いこなす、という点に置いては見劣りする所がある。

 

 その点を突かれたのが、ここ数日間での戦闘だった。

 

 旧式の物に混じり、受領していた大型の装備を上手く乗りこなし、海月姫との戦闘では中枢棲姫製の最新装備と艦載機、更にはあまり使われていない魔法の格納技術まで駆使して暴れ回り、文字通り死ぬ気で血路を開いたネ級だったが。天龍ら、古参の者はそのやり方に秋月の事を思い出した。

 

 決して練度は高くなく、それどころかハッキリ見劣りするレベルの実力。だが彼女は実費まで切って用意した装備に助けてもらう形で、その差を埋めてきた。当時は下駄を履いているだけだと馬鹿にするものまでいたが、あのような明確な格上を相手するにあたり、皆は考えを改める。

 

 天龍は操られているときにじっくりとネ級を観察していて気づいた事があった。当然といえば当然の事だが。彼女が何か新しいこと、もしくは妙な装備を持ち出すと海月姫は狼狽えていた、という事だ。

 

 新兵器、とは性能以外にも副産物がある。相対する敵を威圧したり、どんな物かと考える時間を作らせて行動を鈍らせたり、予想外のギミックがあれば強引に隙を作り出すこともできる。

 

 装備に助けてもらう。自身よりも下の、簡単に倒せるような敵ばかり最近は相手したせいか。簡単なこと忘れてたな、俺は。天龍はその威力に頼ることに……天龍以外にも、過去の秋月のこと。そして状況に応じた武装の選択が上手いネ級を見て、実力以外にも艤装という点を見直す艦娘が増えた。

 

 考え事混じりにボルトを締め直すと、天龍は出来上がったモノを机に乗せる。軽く起動してみたが問題はなく、正常に動いた。「良し」と小声で言うと、近くでネ級の装備を見ていた摩耶と鳥海の会話が聞こえる。

 

「しかしよ……あいつなんでこんな艤装に詳しいんだ?? 消耗品の交換も自分でやってあるし」

 

「いつも肩に乗ってる妖精さんから聞いてるみたいよ。私も備品の整理をしに来たときに見たし」

 

「面白い話か? 混ぜてくれよ」

 

「隊長」

 

 やる事は一通り終わったので、天龍は柿の種を一袋つまみながら整備中の艦娘らに交じった。

 

「変わってるよなぁホント。艦娘でもそんな居ないよなぁ整備自分でやるやつ?」

 

「……別にマイナスになることでもないのにな。」

 

「? どうしましたいきなり」

 

「いいや。別に……」

 

 米菓をボリボリ噛み砕いてその場から離れ、天龍は今度は3人の様子を遠巻きに見ていた初月の近くに寄り、口を開く。

 

「なぁ、初月」

 

「……何かな。天龍さん」

 

「俺は、さ。俺らの行動、なんか全部提督サンに操られてた気がしてならねぇよ」

 

「………………………。」

 

「平和ボケってのは怖ぇよな。自慢じゃないけどさ……俺はちょっと前まではけっこー自分は強かったと思うんだよ。前、横須賀のフィフスシエラって部隊に居て……周りの奴らも強くてよ。頑張って姫級とかも倒してきた」

 

「うん。戦歴、すごいんだっけ。何かで見たとき、僕はびっくりしたよ」

 

「でもこっちに来てから周りはザコばっかで。良い装備持つ必要もねぇからグレード下げて、武器もしょっぱいのにした。それでもそこそこ戦えてたから、まぁそれで良いんだとか思ってたらこれだ」

 

 食べ終わった物をキチンとくずかごに入れて、尚も続ける。

 

「強かった奴を、ヌルい場所で飼い殺してから、強えキチガイどものオモチャに仕立て上げる。そんなシナリオの構成部品にされた気分だ」

 

「…………僕は、なんて答えるべきかな」

 

「……イヤ、わりぃな。暗い話に付き合わせちまった」

 

 お互いにバツの悪い顔になって、天龍はまた摩耶たちに混ざろうとした。それを、初月が引き止める。

 

「また摩耶たちにちょっかいかけて……」

 

「天龍さん。」

 

「っとぉ。なんだよ」

 

 どこに視線を合わせているのか……なんだか虚ろな様子で、初月は言う。

 

「例え真実がそれだったとしても……僕は、まぁ、悪くなかったと思ってるよ」

 

「?? またすげぇこと言うな」

 

「うん……だって。あの男がそう仕向けたから、今の姉さんとか、ネ級とか、木曾とか。そういう人たちと出会えたと、僕はそう思うから。」

 

「…………………巡り合わせ、ね。お前けっこうロマンチストなのな」

 

「そうかな?」

 

 どこか影の指す顔にはにかみ笑顔を貼り付けて初月は答える。

 

『気になってたケド……ネ級のコレよ、普通と見た目違う気がすんだけど』

 

『砲身が切り詰めてあるんスよ。ほら、アタシのと並べたら』

 

『ほんとだ。なんだってこんな?』

 

『取り回しの問題ってやつだな。アイツは駆逐艦みたいな近い間合いで戦うことも多いし、そんなに射程距離なんて重視しないで、素早く振り回せるようにこんなにしてるんだと思う』

 

『いいわねこれ……真似しようかな……』

 

 いつの間にかガレージはそれなりの人数の艦娘が集まっていた。離れた場所では、摩耶たちがネ級の装備を見て自分らの改造のアイデアに使えないかと盛り上がっている。

 

「……。いっちょ、足掻いてみるか。アイツら(深海棲艦組)のおかげでここにも革命が起きそうだし」

 

「うん。」

 

 袖を捲くりながら、今度こそ天龍は自分の部下たちの元へと歩いていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 着々と準備を整える日々を過ごすこと数日。ある日、どういうわけか天龍は深夜に提督に呼び出されて執務室に向かう。

 

 このところ機械油と親しむような時間をの使い方をしていたから、書類と関わるのは久々に感じるな。そんな事を思いつつ、扉を開く。

 

「うぃ〜す。明日の仕事で……す…か」

 

 彼女の視界に、見慣れない3人の艦娘が入った。予想外の光景に思わず口ごもる。

 

「天龍、いきなりで申し訳ないな。今日から補充人員として来てもらった艦娘になる。施設の案内等、頼む。君たち、挨拶だ。」

 

 綺麗な銀髪とスタイルの良さが目を引く者。長い黒髪に着物姿といった艦娘に、短めの茶髪とスーツとセーラー服を合わせたような服装の小柄なヤツ。そんな3人が、それぞれ口を開いた。

 

「呉から来ました。駆逐艦·浜風です。よろしくおねがいします」

 

「特別に一時、こちらの所属になります。祥鳳です」

 

「自分は若葉。どーぞお手柔らかに」

 

 駆逐艦が2人に、軽空母1、ねぇ……? 眼前に立つ3名に、内心でだが天龍は特大のため息を吐いた。

 

 言うまでもなく現時点でこの鎮守府は危機に直面している。数で当たれば当たるほどこちらが不利になる敵がいると言う事で、天龍はあの深海海月姫には少数精鋭で当たるべきとは考えていた。が、当然だが敵は一人ではない。周りを固める一般級が複数いるだろう事は既に予測している。

 

 憎き海月の野郎には防空棲姫とその義妹で腕が立つ照月、補助にネ級か霞あたりでも当てておけば万全としても、それに茶々をかけてきそうな他の敵には、戦艦や空母の艦娘といった火力を集められる人員が欲しかった……のに、この提督と来たら……。今しがた渡された書類と3名とを交互に見る。

 

「あー、その……どうも。今来たばっかか。3人とも」

 

「はい。天龍教官は、輝かしい戦果を挙げたお方だとお伺いしています。ご指導ご鞭撻、お願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「横に同じく」

 

 真面目な挨拶をした2人と、どこかおふざけが見える1人を流し目で見る。まず、突っ込みどころが多すぎるが何から言ったものか。天龍はこめかみを抑えながら発言した。

 

「もうちょっと、その……戦艦の子とかは寄越してくれないのか上は」

 

「ごめんな。俺の権限じゃ、この程度だ」

 

 …………。ウダツの上がらないってぇのは、こういう人間を指すんだろうな。このタイミングでこんな適当な増援。抵抗する気があるのか、俺らを見殺しにする気なのかわかんねぇよこれじゃあ……。

 

 心底呆れた様子で、天龍は何度目かわからないが内心溜息を吐いた。若葉、と名乗ったものはニヤニヤしていたが、他2人は軽く見られたのを不服に思ったか、少し機嫌が悪そうだ。

 

 

 

 

「……そっか。悪ぃ、聞かなかったことに――――」

 

 そう、天龍が話を切り上げようとした時だった。1つ、気になる「音」を彼女の耳が拾う。

 

 コツン、コツン、コツン――と。なんだか自分の足元をよく確認し、踏み締めているような。革靴か何かが地面を叩く足音だ。真夜中の廊下によく反響して聞こえてくる。

 

 なんだ、この時間だ、廊下をウロチョロしてるやつなんて居ないはずだが。そこまで考えたところで、執務室の扉がバンと乱暴に開かれた。

 

「「「「「ッ……!?」」」」」

 

 きっと真面目な性格なんだろう。浜風、と名乗った艦娘が「ノックもなしに入るのは失礼だ」とか、そんなような事を言いかける。が、入ってきた「女」に。その場にいた全員が息を呑んで驚愕した。

 

 

「……? チッ……………フン、あのボケたネ級が居るって聞いたんだけど……何なのかしら、この見るからにザコ同然の艦娘どもは」

 

 

 自分も知るネ級やレ級と同じ、真っ白な長い髪。下着姿の上から丈の短いジャンパーを羽織り、下はジーンズ姿と随分ラフな格好の女だったが、問題はそんな事ではなかった。

 

 どこからどう見ても。この威圧感、不機嫌そうな表情にある赤い目に、じわじわと体から放出されている妙なオーラ。天龍も数回交戦したことのある姫級の深海棲艦のそれだった。

 

 

 執務室に気怠げに入ってきたのは、あのネ級達と一緒に捕虜になった深海棲艦。南方棲鬼だった。

 

 

 反射的に思わず身構えそうになったが、天龍は必死に臨戦態勢を整えたい本能をねじ伏せて平静を装う。というのも、そもそもこんなところにノコノコやってくる時点で何かの仕事で来ている相手であろうし、敵ではないという情報は彼女も知っていたからだった。

 

 あの海月とか言うやつとはまた違った空気感だ。油断したらゲロが出るぜ……。顔を青ざめさせていた彼女を見て、何故か少し笑顔を見せる南方棲鬼に。一体何なんだと独りごちる。

 

「へぇ……?」

 

「……な、なんですか」

 

「ふぅん〜??」

 

「?」

 

「お前と、お前。私を前に変な事をしようとはしなかった。度胸があるんだなァ……♪」

 

 だから、何の話だよ……。天龍と、その後ろにいた若葉を指差す南方棲鬼に、冷や汗をかきながら天龍は愚痴を言いたくなる。見れば、なるほど、確かに他の者はあからさまに警戒している様子だったが、若葉だけは自分と同じく無理して平常心を取り繕っている。

 

 天龍は昔、何度も鬼·姫級を撃破した現場に立ち会ったことはある。が、いくらなんでもこんな至近距離で、こんな危険な生き物と面と向かったことは初めてだった。一応、ネ級やレ級から話は聞いているので、妙な真似をしなければ害はないことは知識としてある。だが脳内の警報は鳴り止まないし、背筋を流れる冷や汗も止まらなかった。

 

 「な、南方棲鬼……どうしてここに?」 どうやら予定に無い来客だったらしい。沈黙する6人の中で、初めに口を開いたのは提督だった。

 

「そりゃそうよ。だって連絡なんてして無いもの」

 

「こ、困るんだよ、アポイントメントぐらいは……」

 

「フフフ……何をワケのわからないことのたまってんかしら、この馬鹿チン」

 

「ッ!」

 

 面と向かって罵倒を始めた女に、思わず男は何も言えなくなる。呆れたような顔だったのを、余裕さと不遜(ふそん)さを満遍なく含ませた笑顔に歪めて、南方棲鬼は静かに呟いた。

 

「助けに来てやった。男、お前じゃなく、ネ級とレ級の事だ。私は勝手に動く事にする。じゃあ、ごきげんよう」

 

 無駄にキレのある動きで体の向きを変えると、そのまま南方棲鬼はひらひらと手を振りながら部屋から出ていく。

 

「…………………。」

 

 最初にここに来た頃のネ級なんかは、どこかぎこちない行動が目立った。慣れない環境だからか、それとも周囲の艦娘からの視線を気にしていたのか、少なくとも天龍にはそう見えたものだ。

 

 が、コイツはどうだ。調子に乗ったような態度を最後まで崩さず、平気でこちらに背中を向けてどこかに行きやがった。よっぽど自分のことに自身があるらしいな、と彼女は思う。

 

 転勤してきた者との挨拶が目的だったのに、すっかり話題と注目を掻っ攫っていた乱入者に。明日からまた面倒なことになりそうだ、と、オロオロする3人とは真逆の、眠そうにあくびをしていた若葉を見て。天龍は軽い頭痛を覚えた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 目が覚めてすぐ、布団をふっ飛ばして鈴谷はソファから上体を起こす。

 

 友人らから身を案じられて長めに寝かせてもらったが、なんだかやけに体が軽い。1日どころか数日かけて休みを貰ったみたいだ……休息って大事だな。などと考えつつ、身支度を整える。

 

「…………???」

 

 ここで一つ、彼女は妙なことに気付いた。誰かが着替えでもさせてくれたのか、どういうわけか寝る前の自分と今の服装が違うのである。不審に思って確認すると、上着どころか靴から下着代わりの水着まで全部違う。鈴谷の脳内に大量の?が発生した。

 

 次に、思考を切り替えて何気なしに自分の携帯電話を開く。カレンダーの日付が目に入った。4日が経過していて、今の時刻は昼の1時半程だった。

 

 寝た日から4日が経過して、昼の1時ぐらいだった。

 

「!?」

 

 肌着を見るのに着崩した上着を着直して寝ていた場所から飛び出す。

 

 いや意味分かんない意味分かんないなんでなんでなんで? なんで4日も経ってんの?? そして誰も起こしに来なかったの??? 次から次へと疑問は湧いてくる。が、まず初めにクソ真面目な彼女が思ったのは、「こんな大遅刻をかましてどんな大目玉を食らうだろうか」という心配だった。

 

 取り敢えず1日のスケジュールと仕事を貰う為に全速力で執務室へと急ぐ。廊下を駆け抜けていると、鈴谷は親友と出くわした。那智だ。

 

「那智ぃ!!」

 

「うぉっなんだ」

 

 運動靴のソールが削れるような勢いで急ブレーキをかけて止まる。続けて口を開いた……が、会話の口火を切ったのは那智が先だった。

 

「! 目が赤い……鈴谷か!? お帰り!!」

 

「???」

 

「どうした? 変な顔して」

 

「………ごめん、いろいろわかんない。どゆこと?」

 

 元気いっぱい、と言うよりかはダウナー気味な態度が常な友人が、自分を見た途端目を輝かせて話すのに強烈な違和感を感じる。そこに合わせて言っていることの意味もわからず、鈴谷は呆けながら質問した。

 

「んん……あぁ、多重人格……ってのは知覚してるのとそうじゃない人格があるっていうしな。なるほど」

 

「? ちょっとまって、多重人格?? 何の話???」

 

「…………悪いな、私も頭の中整理するわ……オッケィ、じゃ、話す。長くなるけど良いか?」

 

「そりゃ、まぁ」

 

 大きくわざとらしい深呼吸をしてから、那智は口を開いた。

 

 

 

 

 食堂で那智と木曽の二人に挟まれた状態で、鈴谷は真顔でハンバーガーを(かじ)ってはメロンソーダで押し込む動作を繰り返す。好きな食べ物を好きな飲み物で流し込んでいるのに、つい数分前に那智から教えてもらった、にわかには信じ難い話のせいで味がしない。

 

 聞けばここ数日間。ちょうど明晰夢(めいせきむ)で件のネ級に後を頼むなどと自分が(のたま)ってから目を覚ますまでの間、あんにゃろめは表に出てきてこの体で過ごしていたのだという。まさかァそんなこと、なんて始めは思ったが、次に木曾が、そして今度は防空棲姫に、おまけに天龍らまで「あ、普通に戻った」とか言ってきたので事実だと飲み込む他無かった。

 

「…………どんなヤツだった。アイツは」

 

「性格悪かったなぁ」

「面白いヤツだったよ」

 

「ふ〜ん……」

 

 何気なくこぼしたら、木曾と那智の返しが被る。鈴谷的には2人のそれぞれらしい反応だった。

 

 さっきまで話していたのでここは譲ろうとでも考えたのか、那智は木曾に会話の主導権を譲る。意図を察した彼女は鈴谷に続けた。

 

「その、今から言うこと怒ったりすんなよ……お前の悪いところと良いところをまるままひっくり返したようなカンジ」

 

「そーなの?」

 

「ヒトに対するイタズラ心とイジワルが7割、残ったところに親切と慈愛と博愛精神って具合?」

 

「わかるぞその配分。私もそう思うから」

 

 もはや止める事も面倒なので放っておくが、那智が触手を抱き枕か何かのように手で弄っているのを白い目で見ながら、鈴谷は木曾の言う事に耳を傾ける。

 

「でも悪いやつじゃない……の……かな? 多分。別に変なことしてくるわけでもなかったし」

 

「へぇ」

 

「あ、あとすごい甘党だったから絶対コイツ鈴谷じゃないってのは確信した。お前あんまり和菓子とかケーキとか食べないじゃん?」

 

「甘党……あぁ確かに……うん」

 

 ハチミツとアイスが乗ったフレンチトースト。羊羹(ようかん)最中(もなか)。キャラメルポップコーン。思い返すとあのネ級は胸焼けしそうな甘いものばかり食べてたのを思い出す。因みに鈴谷は飲み物以外は本当に気が向いた時ぐらいにしかデザート類は食べないので、そりゃこっちの事を知る2人からは変に思われるわけだと自己完結する。

 

 まぁなんにせよ―――木曾はそう言って続けた。

 

「戻ってきてくれて……良かった。前よりビミョーに顔色良くなってるし」

 

「なぁに、愛の告白?」

 

「いやちげーよ! 何じゃそら……なんかこう、ホッとすんだよ。すっげぇ久々に友達と話した時みたいな。って言うか現在進行系で俺ぁ癒やされてる」

 

「そんなに? あんまり私って他人から好かれる人間じゃ無いと思うんだけど」

 

「うっそだぁ! そりゃ過小評価しすぎだよおまぇ!」

 

 2人仲良く談笑を続けていると、今まで静観していた那智が思い出したように口を開く……のだが。鈴谷の目を離した間に、この女は触手をテーブルに乗せてその上に頭を乗せてぐったりリラックスしていた。

 

「ちょっといいか。そう言えばさ、お前寝てる間にまたココ人増えたよ」

 

「またぁ? ……………なにしてんの」

 

「いやぁさ、柔らかいなぁって思って」

 

「あのね、それ枕とかじゃ無くて私の体なワケ。重いんだけど」

 

「俺もいいか」

 

「引っ叩かれたいの木曾」

 

「因みに来たやつがなかなか曲者でな。1人、若葉って奴が、元天龍の部下だったとか」

 

「若葉……って駆逐艦だっけ。へぇ、隊長さんの教え子なんだ」

 

「今は軍じゃなくて、民間の企業に雇われて仕事するフリーランスだそうだ。ココの提督が人出不足だからって雇ったんだと」

 

「ふ〜ん。来たのって1人だけなの?」

 

「いやあともう3人。その中にもう1人ヤバいのが……い……て……!」

 

 机の上で居眠りスタイルを崩さず話していた那智が、どういうわけか口を止める。よく見ると、なんだか視線が自分の後ろに向いているのに気づき、鈴谷は振り返った。

 

 

「見 つ け た」

 

「    」

 

 

 少しの間、思考が完全に停止した。なんで南さまがここに?? 居ないはずの自分の上司(?)(南方棲鬼)がずかずか近づいて来て頭を鷲掴みにしてくる。しかし尚も鈴谷の脳は動きが止まっていた。

 

「ふふ、ンフ、ふふふふふ…………♪」

 

「     」

 

「無防備だなァ……相変わらず無防備。このまま頭を力任せに潰せるぐらい注意がなってない」

 

 猫か蛇を思わせる縦に割けた瞳孔で見詰められる。何も無ければただ色白美人な人なのだが、こんな近くの、しかも何故か今まで見たことが無いぐらいテンションが高い今の南方棲鬼はハッキリ言って怖かった。

 

「ど、どうしてここに??」

 

「レ級が世話になってると聞いて来た。あとついでにお前を可愛がってやる算段もある。あとは、そうだな……道行く艦娘共がみな私を見て震えるのは観察して面白いな……」

 

「け、怪我は大丈夫なんですか? あの、結構体に古傷とかありますけど……」

 

「誰に向かって言ってるのかしら……私の砲撃は……本物よ……」

 

 いや返事になってなくない!? 回らない頭のまま鈴谷は言う。

 

「海月姫の話は聞いていますか。こんなところにいたら、もしかしたらアレに相対することだって……」

 

「あの程度の女、私が息の根を止める……それだけのコト。」

 

「……………なんか良い事でもあったんですか。すごく機嫌が良いように見えますが……」

 

「さぁ、どうでしょうね……ンフフフ♪」

 

 勿体ぶるようなはぐらかすような返しをし、南方棲鬼はジャンパーから取り出した携帯食料を齧りながらどこかに去っていった。本当に何があったのか。前のどこか影を感じるような雰囲気から一転、全身から自身が満ちているような態度に、鈴谷は妙に思う。

 

 今の彼女の変なプレッシャーのせいか、椅子に行儀良く座り直していた那智が口を開く。

 

「台風みたいな人だったな。でもお前の友達なんだろ?」

 

「友達……友達? 友達、かなぁ……それより上司とか先輩みたいな」

 

「そうなの? 俺レ級からお前ら2人仲良しだって聞いたけど」

 

「うぅわ……それはむしろ向こう((レ級))のほうなんだけど」

 

 思わぬ再会のせいで眠気が吹き飛ぶ。尚もダラダラと鈴谷が友人らの無駄話に付き合っていると、3人の対面に座って食事を取る者が居た。天龍と、鈴谷の知らない茶髪にスーツみたいな格好の艦娘だ。

 

「おはようさん、災難だったなお姫様に絡まれて」

 

「どうも……すみません。何日も寝てたみたいで」

 

「いや気にしなくて良い。疲れてたんだろ? 別に誰も何もいわねーよ。それよかホラ、挨拶しろ若葉」

 

 天龍に促され、薄ら笑いを浮かべて微動だにしていなかった艦娘は、のんびりとパックのジュースの封を切りながら口を開いた。

 

「若葉だ。お互いに仲良くしよう、な?」

 

「どーも」

 

「……お前もうちょっとこう、無いのか。自己紹介的なよぉ」

 

「自分は天龍さんが困ってるらしいと聞いて雇われただけです。何個か作戦終わったら帰りますから。仲良くしたいのは山々ですが、ココの皆様とはそう長い付き合いにはなりませんし」

 

「…………。ここ来た時の挨拶で俺のこと知ってたくせにしらばっくれて初対面のフリしてたの忘れねーかんな?」

 

「おや手厳しい」

 

 ……事情は知らないが、気心の知れた間柄らしいな。ムスッとしていた天龍に涼しい顔をしていた若葉という女を見る。しかしまぁ、彼女の部下だったというならかなり腕が立つ人間だろうか、などと考えていると。大きなため息を一つしてから、天龍が話しかけてきた。

 

「そういやさ、ちょっとお願い聞いてくれる? 今度あんにゃろう(深海海月姫)とやり合うときにでも、お前のアレ、俺が使っていいか?」

 

「あれ?」

 

「いつも乗ってる乗り物があんだろ。俺の艤装はお世辞にもいい性能じゃねーからな、今回ばかりは面で押せる火力が欲しいんだ。だめか?」

 

「いいですよ」

 

「返事が早いなオイ。まぁ良いけどよ……そっか、ありがとさん!」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 周囲の取り計らいのおかげでネ級はしばらく非番の日にされていると木曾から聞き、鈴谷は一日中ぼうっと過ごしていたが。特に事件とかがあったわけでもないのに、今日は濃い1日だったなと思う。

 

 強引に無理矢理乗り込んできたらしい南方棲鬼は、ニタニタしながらそのへんをうろついては度々周囲の艦娘を恐怖させているらしい。天龍についていた若葉は、過去にたった1人で戦艦クラスを複数相手取って、余裕の態度で撃退·帰還してきた事もあるような手練だという。「ただの噂か都市伝説でしょ」などと本人は言っていたが、纏う雰囲気がベテランのそれで、鈴谷はこれは恐らく事実かと考える。

 

 後になって更にもう2人、配属になった艦娘と言うのにもあったが、別に悪気はないが鈴谷には「薄い」人間だった。駆逐艦の浜風、軽空母の祥鳳と名乗る2人は、雰囲気や過去の戦歴を見て力量はなんとなく自分と同じぐらいだろうか、と見当を付けたが。前述2人のインパクトが強くてどうも霞んでいた。

 

 考え事混じりに、寝過ぎでスッキリした頭で夜の鎮守府内を当てもなくウロウロする、そんなとき。

 

「ちょいちょい、ネ級さんや」

 

「?」

 

 あのあとまたばったり遭遇した南方棲鬼に叩かれて痛む肩をさすりながら、自分のソファまで戻る道で。背後から追いかけてきた那智に声を掛けられる。変な話し方だったので、間違いなくふざけているのはわかった。

 

「なに、こんな時間に?」

 

「久々にゲームでもやらないか。3人で」

 

「……はぁ!? こんなときに??」

 

「こんなときにこそ、だろ。デカい仕事の前なら緊張ほぐさないと。変に肩肘張ってちゃ碌な事にならないからな」

 

「………………………。」

 

 本当にこの人、ふらふらしてるようで鋭いこと言うよナ。鈴谷としても、別に友人と遊ぶ事は嫌いでは無いし、那智の言う事も理解し。渋々承諾することにした。

 

 

 

 数分経って、那智が借りている部屋に木曾も来る。こんな事まで見越していてわざわざ持ち込んだのか、那智はベッドの近くのテーブルに、液晶テレビと据え置きのゲーム機を繋いで待っていた。

 

「ふあぁ、あ……こんな時間からゲームってか。お前らしい」

 

「あれ、木曾って夜弱い感じか」

 

「いいや、あくびしただけ。で、俺は別に良いけどよ。何すんの? 格ゲーとかか?」

 

「女神転生III。」

 

「「RPGやんのこの時間からぁ!?」」

 

「そ。最近HDリマスターが出てな?」

 

 てっきり単発の試合で終わるような格闘ゲームか、カジュアルレースゲームだろうかと思っていた二人は那智のチョイスに目を剥く。RPGなんてジャンルの、どう考えても1時間で終わるようなゲームでは無いし、ストーリーを楽しむとなると数時間はかかる。

 

「まぁまぁ、地下道ぐらいまでそこそこ話進めてるし。とりあえず池袋目指そうぜ? イソラ焼こうぜイソラ」

 

「うわ、レベルたっか。てか何、那智ってこの鎮守府でゲームやってたんだ……」

 

「まぁな」

 

「ば、馬鹿だコイツ……」

 

「なんだと」

 

 これまた事前に準備していたとでも言うのか。那智の作っていたデータは、物語を進めるには過剰なほどキャラクターのレベルが上がっており、道中の敵も快適に薙ぎ倒せる強さになっている。自然な流れでコントローラーを渡されて、ネ級は操作を始めた。

 

 携帯以外のゲームなんて本格的に触るの何年ぶりだろうか。テレビ画面の主人公が口から炎を吐いて敵を一掃するのを、ネ級はのんびりと眺めていた。

 

 

 




鈴谷、木曾、那智の3人の仲良しこよし具合がいまいちわかりにくいとの指摘があったので、じゃあこれならどうだ! とばかりに友達っぽい描写を詰め込めるだけ詰め込んだらこうなりました(白目


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35 死んでも守りたい場所

ゴールデンウィークに投稿する男


 

 

 

 

 

 鎮守府内に響き渡る警報の音で鈴谷は目を覚ました。何だ何だと慌てて身支度を済ませて、彼女は取り敢えずはと艤装の保管ガレージへ急ぐ。

 

 かなり前に、何回か仕事で出向いた前線基地でしか聞いたことがないこのサイレンは、鎮守府やそれに準ずる施設に深海棲艦が近づいている事を知らせる物だ。

 

 数ヶ月前まで彼女が根城にしていた南方棲鬼の屋敷があったような危険地帯の基地ならば、これが作動するのはよくあることだが、こんなしっかり陸地に構えた鎮守府で鳴ることなんて殆どない。そもそもすぐ後ろに、多少離れているとはいえ住宅街があるようなこんな場所まで敵の侵攻を許した事になるし、ひいてはこの場所を預かる提督の責任問題にもなる。つまりはあり得ないことなのだ。

 

「来やがった、かな。ついに」

 

 昨日、夜中までゲームなんてやっていた鈴谷だが、そんな中で木曾と那智からここ数日の話は聞いた。

 

 あの海月姫がもうじきここ目掛けて突っ込んでくるだろう事は予想して、事情を知る者はみな装備を変えるなどして準備を整えている。ついでに、天龍などは妖精たちをうまく使って、下手をすれば提督の男がここの艦娘を生贄に、例の相手を誘き寄せる手筈まで進めている可能性まであると情報を掴んでいるという。明確な日付までは解っていないと聞いていたが、それが今日かと思う。

 

 大急ぎで走ってガレージに到着する。既にこの場所は、大勢の艦娘や艤装整備関連の人員で賑わっていた。

 

「木曾、那智にレッちゃん、待った?」

 

「いや、私らも今来たばっかりだ。大丈夫だよ鈴谷」

 

「そっか! ……で、出撃準備……って感じとも違うね。なんかあった?」

 

 艤装を身に纏って待機していた友人3人らのそばに付く。自分の装備まで持って来ていてくれた那智らから物を受け取って準備する中で、鈴谷は周りを見る。注意深く観察すれば、この場には落ち着いている者と軽いパニックになっている者との2者が居るようだった。

 

 「ここの提督さんは? 警報出てんのに指示とかないの??」 手慣れた動作で体の至る所に武器を括り付けていた鈴谷に、背後から迫る人物が居る。眉間に影を作り、いつもの余裕そうな笑みが顔から消え去ったヲリビーだった。

 

「それについてはねぇ……俺が説明する。」

 

「あ……お久しぶりです、ヲリビーさん」

 

「時間無いから手短に。ここの提督よ、逃げたよ。たぶん。」

 

 鈴谷は口を開けて目を見開く。聞き間違いか。そう思ったが、木曾も那智もレ級も、大小怒りを孕んだような表情になり、鈴谷はそれとなく状況を理解した。

 

 唇を震わせながら、木曾が補足するように言う。

 

「お前んとこの妖精の隠し撮り、みんなで見たろ。あのクソ野郎、敵の言うままの行動取ったんだよ。死にたくないから、みんな置いてってトンズラだ。……下手したら捕まってたってお姫様らも連れられて」

 

「!! あ、あのクズ男ぉ……!!」

 

 ざわめく周囲の声に負けないように声を張る友人らから詳細を聞くほど、鈴谷の心の中で轟々と炎が上がる。

 

 秋月=防空棲姫。この鎮守府の非常にセンシティブな問題。それを上手いこと触れないようにしつつ、天龍は正体を知るものや、あまり動揺しないような者らを見繕って海月姫に対抗する予定だったのに。今日の提督失踪騒ぎに、海月姫の強襲とその対応で、何も知らない艦娘らはパニックになっていた。今現在静かなのは事情を知る者で、騒ぎ立てているのはこの鎮守府の様々な問題を知らない者達だという。

 

 そもそも敵と内通したりなんだりしている時点で、この提督は鈴谷の中ではカス以下だなとは思っていたが、もはやそんな言葉で評するのも贅沢なゴミだなと考える。

 

「どうすんのこの騒ぎ……まともに防衛戦できる? 那智はどう思う」

 

「さぁ、どうなる事やら。ヲリビー、あんたなんか無いのか?」

 

「……実はさっき、ちっとばかし天龍隊長と打ち合わせした。ま、見てな」

 

 那智から会話を振られたヲリビーは、いつの間にやら、ブルーシートに包まれた何かを載せた台車を用意していた。彼女は3人にひらひらと手を振ると、部屋の中央の方でもみくちゃにされていた天龍の方へ歩いて行く。

 

「あいつ何する気だ?」

 

「さあ?」

 

 どいたどいた、と無理矢理艦娘らをかき分けて人混みに消えていくヲリビーを4人は見守る。視線を先の方に向ける。出撃用の設備がある場所に立っていた天龍が、腕時計を確認しながら周囲の艦娘に対応している。

 

「なんなんですかこの警報は!? 天龍さんは知っているんでしょう??」

 

「まぁ、な。でも悪いけどお前には言えない」

 

「どういうことだそれぇ!! てめぇふざけんなよ!!」

 

「待てって、事情ってのがあるンだよ」

 

「この緊急事態に事情も何もあるんですか!!」

 

 一人、天龍の胸ぐらに掴み掛かった者を鳥海が渋い顔で止めているのが見える。そのとき、会話に割って入る形でヲリビーが混ざる。

 

「取り込み中のところ悪いな。隊長さん、用意したぞ」

 

「あぁ!? なんだテメェ引っ込んでろよぉ!!」

 

「落ち着けよ。ありがと、ヲリビー。それ、取っていいぞ」

 

「あいあいさぁ♪」

 

 勿体ぶるような動作で、ヲリビーは台車に掛かっていたカバーをサッと取り外した。

 

 出てきた物に、その場にいた複数人が目を剥く。積まれていたもの。それは、防空棲姫の装備だった。言うまでもなく、1番驚いていたのはその場にいた持ち主だ。

 

「な、なんですかそれ……」

 

「知らないか? 深海棲艦、防空棲姫の装備だ。高級品だぜ」

 

「い、いえですから、なんでこんな物がここに……」

 

「説明は俺がやる。秋月、ちょっと来い」

 

 呆けていた防空棲姫の腕を掴んで側に寄せると、澄まし顔のヲリビーからマイクを受け取り。天龍は一呼吸置いてから、口を開く。

 

『わりぃなみんな、こんな真っ昼間に集まってもらって。この警報やら、そこの装備やら色々の説明は今する。今まで黙ってたやつには謝る。ごめん』

 

 軽く頭を下げてから、彼女は特大の爆弾発言をかます。

 

『知ってる奴居るだろうがな、みんなビビらないで聞いてほしいことがある。俺らんとこ帰ってきた秋月な、本当は防空棲姫ってな深海棲艦だ』

 

 一瞬、静かになったガレージがまたざわざわと騒がしくなる。それを無理矢理静めて、天龍は続けた。

 

『だからビビんなっての。ヲ級にネ級、レ級までウチには居るだろうが、今更ってカンジだろ、なぁ?』

 

『何ヶ月も肩並べて働いた仲間だ。その中で背中撃たれたやつなんていたか? 答えはもう出てんだろ。俺は自分の寝てるベッドぐらいにはコイツに背中預けられるぜ』

 

 ぎゅっと、天龍は秋月、もとい防空棲姫と手を繋ぎ、頭上に伸ばす。もたらされる情報の多さにフリーズする艦娘たちへ、尚も彼女は言う。

 

『こんな状況だ、もうとにかく時間がねぇ。手短に、取り敢えず秋月に害なんてものは無いってことだけ伝えとく』

 

『あと、も一個大事なことな。この警報だけど、今鎮守府に深海海月姫ってな野郎の部隊が近づいて来てる。先行して迎撃に当たってる扶桑(ふそう)と菊月から聞いたから間違いない。あとは、俺らの提督。あの野郎、その深海棲艦と内通してやがったんだ。だから、ここが標的にされた』

 

『軽い指揮は俺とそこの若葉、今ヘルプで来てくれてる霞さんでやる。前から打ち合わせで編成は決めてるから、このあとすぐに海出て迎撃戦だ。繰り返すが時間がないから、質問は受け付けねぇ。こんなグチャグチャしちまったのは、用意できてなかった俺のせいだ。本当に悪かった、このとおりだ』

 

 スゥ、と天龍が深呼吸をする音が聞こえた。すると、彼女は深々と頭を下げるどころか、その場に土下座してみせる。

 

「「「「……………!」」」」

 

 しん、と周囲が静まり返る。少し予想外な彼女の行動に鈴谷らも驚いているとき。皆が彼女を静観しているこの場の中で、口を開いた者がいた。

 

 「天龍さん。頭、上げてください」 そう言ったのは、照月だった。

 

「……おう。今、こんなことしてる場合じゃないか。」

 

「…………………一個だけ。私のわがままな質問に答えてもらえますか。」

 

「なんだ。長いなら無視するぞ」

 

 水辺のギリギリに立って艦娘らに向き合っていた天龍はともかく。彼女とその隣、防空棲姫に相対していた照月の顔は、鈴谷には見えない。だが声色から、何かの覚悟を感じさせるような……そんな調子で、照月は続ける。

 

「本当に、問題はないんですね? 天龍さん。」

 

「…………あぁ。少なくとも俺はそう考えてる。現にコイツのおかげで救われた命だってあんだ。信用して当然だ」

 

 天龍の答えに。照月は深呼吸をして目を閉じる。すると、今度は鳥海が話を始めた。

 

「照月。それに、初月に涼月。あなた達はどう思ってるの。もし良ければ、聞かせてほしい」

 

 話題の渦中にいた秋月の姉妹は、たまたまか、それともヲリビー·天龍の打ち合わせどおりなのか、全員が天龍の近くにいた。3人は静かに呟く。

 

「僕は気にしないよ。姉さん」

 

「うん。私も……涼月は?」

 

「……………見なかったことにします。姉さん。帰ってきてから、じっくりお話、です」

 

「……だそうだよ。「秋月」姉さん。僕らみんな気持ちは同じだ。いま「そんなこと」気にしてる時じゃない。」

 

 また周囲がざわつく。何しろ生きていたと思われた者が全くの別人だと知ってなお、「どうでもいい」などと妹らは発言した。無理もないか、と鈴谷は一人勝手に思う。

 

 床に置いたマイクを拾い。天龍は強引にこの場を仕切り直す。

 

『と、そういう事だ。頼む。みんな、細かい事は後にしてほしい。今は全力でここに近づいてる連中追っ払うことに集中してくれな、頼むぜ』

 

 そう、彼女が言ったとき、開きっぱなしになっていた海へ続くシャッターの方から、怒鳴り声に近い瑞鳳の声が響いてきた。

 

「みなさ~ん!! 扶桑さん帰ってきましたぁぁぁ!!」

 

「やっとか! 怪我してるだろうから誰か手当してやれ!」

 

 咄嗟に体が動く。この場で誰よりもそういった仕事に向いていると自負があった鈴谷は迷う事なく、部屋に備え付けてある簡易の医療キットを引ったくって海面に降りた。

 

 ギョッとしていた瑞鳳から怪我人が居る場所を聞き外に出る……までもなく。すぐに対象の人物と出くわした。

 

 体の大きさを有に超えるような、巨大な主砲を幾つも背負った、長い黒髪が目を引く戦艦の艦娘。鈴谷は面と向かって話す機会はほとんどなかった、先程も話題に出た扶桑(ふそう)という者だ。だが背中の立派な装備も、複数の砲身がひしゃげて曲がり、黒煙を噴き出している。また使用者自身も、身体中に怪我をして流血し、逃げてきた戦闘の壮絶さを物語っていた。

 

「あら……貴女は……」

 

「面と向かって話すの、初めてです……なんて言ってる場合じゃないですね、酷い怪我……」

 

「ごめんなさい。心配かけちゃって」

 

 同じく先行していたという菊月に支えられてよろけていた彼女を、体重をかけて支えながら、鈴谷は特に出血のひどい場所を抑えつけつつ湾内に誘導する。ついでに、外せそうな装備のロックを外してその辺りの水辺に放り投げた。

 

 帰ってきた者の姿を見て天龍が血相を変える。なんだ? 何かあったのだろうか? 不思議に思っていると、彼女は扶桑に駆け寄って来て手当を手伝う。

 

「血だらけじゃねぇか!! 一体何が……!?」

 

「かんたんな話。情けなく敗走してきたってだけ。あと、大事な話があるわ」

 

 天龍と鈴谷に扶桑を任せると、菊月は駆け足で、車椅子を持って戻ってくる。それに座って、額に冷却シートを貼りながら、扶桑は重い口を開いた。

 

「ごめんなさい……悪いニュースよ。この警報、姫級の接近を知らせていたみたいなの」

 

「「「!?」」」

 

 先程もあったが、また周囲がにわかに騒がしくなる。ただのイロハ級なんてものじゃなく、敵の主力……海月姫がすぐそこまで来ているのかと事情を知るものらが顔を青くする。

 

「く、クラゲの野郎本人が来てるってのか!? すぐそこに!?」

 

「いえ、別の個体よ。迫ってるのは空母棲姫。でも、どうにか行軍を止めるので精一杯だった」

 

「いや、にしてもおかしいだろうが、警備の連中とかは何してやがる!? 幾ら姫級ったってこんなとこまで陸に近付けるはずが……」

 

「あり得なく、ないのかもな」

 

「あンだと?」

 

 悟りを開いたような真顔で会話に入ってきた那智に思わず天龍は怒鳴る。すると今度はどこからか現れた霞が言った。

 

「ここのクソ提督と繋がってたんでしょうあの海月姫とかっての。なら、最短航路と防衛網の手薄な場所……知られてそうだしね?」

 

「対処法が分からなかったら複数人で挑むだろうしな……そうすれば戦局が悪化するとも知れずに」

 

「……!! ぃッ、そういう事かよ!」

 

 もう時間は無い。天龍の言っていた以上に、その言葉通りな状況みたいだ。体に固定した武装類を確認しながら、鈴谷は項垂れている扶桑を見る。

 

「……………。別の鎮守府の子だったけれど……私より若い子が、2人程眼の前で亡くなったのを見たわ。……ごめんなさい天龍。私達だけで逃げてくるのが精一杯だった……あの先で、まだ助けを待っている子達も居る。だから、早く行ってあげて」

 

「扶桑……お前……」

 

「時間は稼いだわ。後は頼みます……」

 

 タオルを巻いた氷で頭からの血を止めている扶桑の目は。強い意志を秘めているような、そんな光があった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 とんでもない事になったな……なんて、今までにもこんなヤバい事あったし、今更か。

 

 心なしか落ち着いている友人らとエスコート隊の面子を見ながら、鈴谷は海面にしゃがみこんで靴紐を結ぶ。パンっ、と自分の顔を叩いて眠気を覚ましておく。

 

 そんなときだった。ヲリビーがまた何やら段ボールを抱えてこちらにやって来る。

 

 「さて、と……勝利のお膳立てと行こうか……」 そう言う彼女に、天龍は一瞬驚いた顔を見せたかと思えば、何か興奮した様子で話す。

 

「! 本当に用意してくれたのか」

 

「海軍の皆様は俺に良くしてくれるクライアントなんだ。頼まれごとは無碍(むげ)にするわけには行かないのさ……」

 

 「ほれ、アンタも着なよ」 そう言ってヲリビーが鈴谷に投げ渡してきたのは、いつも着ているライフジャケットよりも重い、中に何かが入った服だ。何かと見てみると、内張りの収納に大量のナイフが差してある。

 

「だが、悪いな。あんたらぶんぐらいの数しか用意できてない。いいか?」

 

「この際ゼータク言わないよ! ……オリビア、本当にありがとうさん」

 

「礼なんていらない。こっちは言われた事を完璧に出来てないし……死なないようにな。あんた、みんなから慕われてんだし」

 

「バカ言うな、そんな無茶しねーよ」

 

「そうかいそうかい……ここから応援してる。頑張れ〜」

 

 気の抜けているようでいて、心配はしてくれているのか。はにかみながら手を振るヲリビーに天龍も笑顔を返した。

 

 前日の約束通り、鈴谷の大型艤装に乗り込み設定を済ませる天龍が、打ち合わせ通り、今日はエスコート隊に入る若葉の方を見る。あいも変わらず、駆逐艦のこの女はニマニマ笑っている。

 

「若葉、お前のコールサイン」

 

「サザンカ。」

 

「ンだよ、前と同じかい。ま、いいか。お前ら聞いてたか?」

 

「無線でサザンカって拾ったらコイツってこと?」

 

「そ」

 

「はいよ。ま、隊長の教え子ってんなら腕は良いんでしょーね。遠慮なく行くぞ、いいか?」

 

「どーぞお構いなく」

 

 どうもこの女は苦手だ。そんな態度がありありと見える摩耶に、鈴谷は苦笑いする。

 

 着々と準備が終わる者が居る中で。まだ水面に降りずに打ち合わせ……というよりも、作戦に出る前に会話を楽しむ者も居た。防空棲姫と、その妹らだ。

 

 早く来いよ―――そう言いかけた口を、天龍はつぐむ。少し離れた場所に、姉に向けて花束を持った照月を見つけ、何か大切な話をしているように見えたからだった。

 

 

綺麗……こんなの貰っちゃっていいの? ……だって私は――――

 

姉さん。その先は……言わないでね。ね?

 

………わかった!

 

 

 会話の内容がかすかだがエスコート隊各々の耳に入る。急かしたりはせず、彼女らは4人姉妹の様子を見守っていた。

 

 見ていると、秋月は受け取った物を2つに分ける。何をしているのかわからないといった顔になっていた照月へ、彼女はもう一方を渡した。

 

 

私、花言葉とかは詳しくないから、わからないけど……でも、きっと良い意味なんだよね。照月は、そういうの調べる性格だものね……なら、貴女にも持っていてほしいの

 

私、にも?

 

うん。もし、何かあったとき。この花束が目印になるでしょ? それにお守り代わり。私に全部なんて勿体無いもの。

 

……………うん!

 

 

 あれ、初月と涼月には渡さないんだな。そんなように疑問に思った鈴谷へ那智が軽く耳打ちして教えてくれる。

 

 どうやら今日は防空棲姫に照月が随伴で海月姫の相手をするらしく、他2人は邪魔が入らないように周囲の敵の掃討に徹するという。恐らくだが危険な任務かつ、精神的に危うい照月を気遣っているのでは、と那智は言う。

 

 2人はそれぞれ自分の艤装にガムテープで花束を固定した。姉妹の交流が終わり、4人も水面に降りてくる。周囲の艦娘らも次々と出撃する中、準備の整ったエスコート隊と、霞や那智、秋月らで構成される部隊が全員集まり。天龍は言った。

 

「じゃ。出撃すっか。」

 

「あいよォ」「了解」「解りました」「委細承知。」「イエス·マム」

 

 なかなか様になってるな隊長サン。装甲空母鬼の装備に乗り込んで誘導を受けている天龍を尻目に、鈴谷は再度、自分の持ち物を確認した。

 

 20.3cm連装砲と8inch連装砲をそれぞれ1基づつ。15.2cm単装砲と15.5cm3連装砲を予備含め2基づつ。瑞雲6機。中枢棲姫から譲り受けたブラッドストームに、叢雲から貰った槍を背中に。次いで、この作戦のためだけに用意したダガーナイフが10本入った上着。最後に両腕に格納した14cm単装砲が2基―――間違いなく、ネ級は過去に無い重装備で海面に降り立つ。

 

 

 自分(すずや)が初めて深海棲艦になってからやった戦闘を―――これでもかと全身に荷物を担いで鎮守府から出奔した日のことを思い出させた。

 

 

 頼ってくれるなんてうれしーなー。なら、頑張るかナ―――

 

 大量の刃物を差したライフジャケットのフロントジッパーを閉じる。深呼吸を一つ、重みを感じる腕から視線をずらし、ネ級は水平線の先を睨んでいた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

『進行する敵の部隊を発見! 情報通り、旗艦は空母棲姫、周囲に多数のイロハ級も確認しました』

 

「ありがとよ。鹿島、危ないから戻っててくれ」

 

『了解です……皆さん、お気をつけて』

 

 たまたま近くを通りがかっていたという違う鎮守府の部隊と、扶桑たちの奮戦により、接近中の空母棲姫は周囲の兵力と艦載機を減らし、脅威度は下がっているという。とはいえ相手は姫級。力任せにこちらの部隊をなぎ倒して進んでいると聞き、天龍は誰よりも先行して戦場の把握に努めていた。

 

 撤退を始めた鹿島の助力もあり、こちらに一直線に進んでくる敵の数や種類なども知る。まずは俺が囮になって、後はそこからか。脳を高速回転させ、1秒でも早く敵を倒す方策を考える。

 

「こちらエスコート1!! 後方の全部隊に通達、空母棲姫は俺たちエスコート隊とファルコナー隊((鈴谷がもと居た部隊。))でどうにかする。控えの隊は、抜けてきたイロハ級の迎撃を頼む!」

 

『『『了解!』』』

 

「…………さて、はじめっか!!」

 

 ペダルを踏み込み、艤装に加速をかける。そのまま全速力で突撃を敢行すると、目標の空母棲姫とその周囲を固める軽巡や戦艦といった複数の深海棲艦を確認した。

 

 そのまま天龍は敵の横を通り過ぎる。適当にぱらぱらと砲弾やミサイルを放って様子を見ると、相手は撤退中の手負いの艦娘たちを無視して天龍へ集中攻撃を始めた。

 

(予想通り、1番厄介に見える俺に仕掛けてきたな。このまま注意を引き続けて……)

 

 初めてこの乗り物を使ったときの鈴谷と、奇しくも天龍は同じことを考えていた。まずは何よりも敵を鎮守府から離すのが先決だ。そんな考えだ。

 

(良い子だ。そのまま俺を狙えよ!)

 

 ニヤリ、と彼女は笑う。声を張りながら、無線へ呟いた。

 

「サザンカ、出番だぜ。」

 

 

 

 

 

『サザンカ、出番だぜ。』

 

「ふふ……この瞬間を待っていた!」

 

 猛スピードで先行していた天龍だが、その後方には摩耶、鳥海、鈴谷、若葉の4人が追従していた。師が自分を呼んだのを聞き。作戦開始だ、と、若葉は上げていた口角をさらに釣り上げて笑みを浮かべる。

 

「打ち合わせ通り、若葉は先頭だ」

 

「ネ級、配置に付きました」

 

「私もOKよ!」

 

「っしゃあ! 行くぜ! しっかりついて来いよ!!」

 

「勿論!」「了解!」「んふ♪」

 

 天龍が前方で上げた信号弾を合図に、4人は突撃を開始した。

 

 先頭を若葉、次いで摩耶、鳥海、鈴谷と続く。敵に体の横を見せ、相手の攻撃をすり抜けつつ、砲を構えながら進む。

 

 脇腹が海面すれすれを掠めるような姿勢で、横から滑り込むように若葉は敵を追い抜いて背後を取る。気を取られたホ級を摩耶が打ち抜き、隣のリ級は鳥海に足を掴まれて転倒する。すかさず後に続いていた鈴谷は、スライディングしながら身をひねって照準を合わせて発砲する。4人は流れるようにまずは敵2匹を仕留めた。

 

 軽く打ち合わせしたとおりの展開になったな。4人の居た場所の遥か後方、那智は木曾に支えて貰いながら、遠距離から戦艦用の砲を数度撃つ。その隣では、立て膝の体制で武器を構えていたレ級も砲戦に参加した。

 

 着弾したかどうかの確認はせずに那智はすぐに余計な装備を捨て、3人は会心の笑みを浮かべながら、全速力で先行するエスコート隊との合流を目指す。偶然だが、4人の撹乱に気を取られたもう一匹のホ級に今しがた放った攻撃が当たり、敵旗艦の護衛は次々と数を減らす。

 

「まずは奇襲成功……♪」

 

 一番乗りで敵の背中を取った若葉は、フレンドリーファイアなど気にせず砲も魚雷も滅茶苦茶に放つ。当てずっぽうに撃ったものだが、いくつかは空母棲姫とその取り巻きに着弾した。激昂して艦載機や砲弾を放つ敵に、口笛を吹きながら、彼女は敵の部隊を中心に時計回りに動いて回避行動をとる。

 

 後に続いた3人も散会しながらすかさず攻撃を開始し、敵の注意を散らす。更に合流した木曾と那智が、守りを固めていたル級の2体に集中砲火を行う。不意を突かれた痛手にダメ押しを貰い、その2体は反撃することすら無く沈んでいった。

 

 7人はそれぞればらばらの方向に動いて、とにかく連射の効く武器を撃ちまくる。残弾など気にせず縦横無尽に動く標的に、狙いを絞ることができないのか、空母棲姫の放つ艦載機の攻撃もそれほどの驚異にはなり得なかった。多少の被弾など物ともせず、全員、副砲や対空機銃を連射する。

 

 波状攻撃はまだ続く。散らばっていたイロハ級の掃討を済ませた弥生と涼月と初月、最後に霞の4人が合流した。敵に接近する時間も無駄にせず。4人は対艦ロケットランチャーや単相砲を放ち、弾の無くなったそれらを投げ捨てて身軽になる。

 

『こちらエスコート1、更に先行して敵を引っ張る。お前ら、そのデカブツは任せた!』

 

「「「「「「了解!!」」」」」」

 

 あの夜とは真逆の展開が生まれる。恐ろしいまでに息のあった連携と撹乱で瞬きする間に護衛部隊を全滅させると、エスコート隊とファルコナー隊は足を止めて集中砲火の体制を作った。

 

 だが、空母棲姫もただただ翻弄されているだけでは終わらない。なけなしの艦載機を放ち、抵抗を続けようとした……のも、無駄に終わる。

 

「やらせない!」

 

 涼月と初月が艤装の弾の装填を済ませ、猛烈な弾幕を形成する。あろう事か。2人は装備の性能と弾の数に物を言わせて敵の艦載機をほとんど全て撃ち落とした。多少の撃ち漏らしも、他全員は回避するか適当に撃ち落とすなどして対応する。

 

「………!? ?? ………………!!」

 

 ありえない。そんなはずがない、夢でも見ているのか―――先程までは道行く艦娘たちを力任せになぎ倒せた自分らが、たった数分、10数人ごときに完封されたのが余程応えたらしい。鈴谷から見て、空母棲姫はそんな様なことを考えていそうな、驚愕と絶望の混じった表情でこちらを見ていた。

 

 余裕そうな態度が一転して、恐怖に染まりきった顔で、彼女は座っていた乗り物に付けてあった副砲か何かを取り外して、霞を狙って引き金を引く。しかしそれもまた、今度はレ級が、いつの間にやら構えていた刀で弾いて防いでみせる。

 

 カァン!! と甲高い金属音が周囲に響く。得意げな表情のレ級とは間逆な空母棲姫へ、若葉は無慈悲に告げる。

 

「残念。もう手遅れだ……♪」

 

 およそこの場面には不釣り合いな、満面の笑顔を浮かべていた若葉……どころか、その場に居たほぼ全員だったが。代表して彼女は静かに、だが自分の勝ちを確信しきった声色で呟いた。

 

 目を見開いて、この後に自分がどうなるかを察してしまった空母棲姫の表情が歪む。当然、それを気にする事なく、即席の連合艦隊は引き金を引く。

 

 完璧な連携、正確な砲撃。そして、ダメ押しの集中攻撃。ありとあらゆる方策で翻弄され、空母棲姫は為す術もなく、海中に没した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鈴谷たちが空母棲姫を含む敵部隊を殲滅したころ。防空棲姫と照月は、その様子を空母の艦娘が撮っていた映像越しに見ていたのだが、あまりの手際の良さに驚いていた。

 

 息をするのも忘れて送られてくる動画に魅入っていると。秋月の元へ、摩耶が通信を入れてくる。

 

『見えたかよ、秋月。アタシらのカッコいいとこ?』

 

「うん……とても、すごかった……!」

 

『アタシらの腕も……まぁまぁだろ?』

 

 どうやら自分は他者の事を過小評価していたらしい。あの夜はそもそも敵が死体とはいえ艦娘だったり、自分や天龍が迷惑をかけたという事もあって彼女らは本気を出せていなかったが。全力を出せばここまでのものなのか―――そんなふうに思う。

 

『この程度なら姫級だろうとどうにでもなります。さ。貴女と照月は海月姫の相手を』

 

「……了解!」

 

 とてつもなく頼りになる者を、私は味方に出来ていたのかもしれない。海月姫が居ると検討をつけられた地点まで移動するため、前進する中で考える。そんなとき、続けて霞や鈴谷からも無線連絡が来る。

 

『ねぇ。今ちょっといい。アンタ』

 

「……どうぞ」

 

『……人との話、なんてものは時間あればいつだってできんのよ。今はただガムシャラに前の敵に集中することね』

 

『私も霞さんの言うことには賛成します。秋月さん』

 

「…………。お気遣い、どうも」

 

 進んでいると、先行していたエスコート隊の面々らが見えてくる。向こうからもこちらが見えたようで、摩耶はインカムのスイッチから手を離し、大声で話しかけてきた。

 

「あーきーづーきー。おせぇぞ〜」

 

「すみませんでした」

 

「まぁ、そんなことは良いけどさ。あの、さ。お前は確かに周りとは桁が違う強さだよ。だけどな……」

 

 人を指差すようなポーズでピースサインを作りながら。摩耶は続ける。

 

「アタシたちだってそれなりに頼りになる実力あるぜ? 見直したかよ?」

 

 摩耶だけではない。今しがた姫級を一体仕留めた面子は、全員が自信に満ちた目を防空棲姫へ向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は海月姫VS防空です。今まで散々変な連中に翻弄されていたので分かりづらいですが、エスコート隊も普通の目線で見たらとんでもない手練だと言う事を見せたかった回になりました()


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36 憎き笑顔に吠え面を

時間かかって申し訳ナス。 ついでに表紙絵を張り替えておきました。前までのものはそのうちどこかに格納しようかと思います。


 

 

 

 

 幸先よく、空母棲姫という難敵を排除した鈴谷たちだったが。二手に別れて敵の迎撃をする最中に状況を把握していく中で、あまり現時点ではこちらは優勢では無いらしいと理解していく。

 

 佐世保鎮守府の所属艦娘はおよそ60人ほどと鈴谷は記憶している。今しがた迎撃で出ているのはたまたま待機していた30人ぐらいだったが、残りの半分は遠征や他方への派遣、もしくは第一陣の迎撃で負傷して退却中であり、敵の数に対して全く足りていない。

 

 また、運がいいのか悪いのか。たまたま合流していた別の鎮守府の者もちらほらこの作戦には協力してくれてはいたが、頼りにするにはいささかその数は少なかった。

 

 黙々と鈴谷は親友の那智や木曾、助っ人の霞、弥生に初月と6人で駆逐艦や軽巡洋艦級の雑兵を排除していく。反応を探知した者が複数いるが、姿が補足されていない海月姫は以前のように海中に潜んでいるのか。それはわからなかったが、こちらの切り札である防空棲姫への負担を減らすためにも、露払いに徹する。

 

『ぶ、ブラボー3から各艦へ! 敵の数が多すぎます! 怪我をした方は無理せず後退してください!!』

 

『こちらエスコートリーダー、後退ってどこにだ。俺らの鎮守府か?』

 

『え……あ、ハイ』

 

『おいおいしっかりしろよ。民間人ごと陸地が吹っ飛ばされちまうぜ……覚悟決めろ、なんとしてもこいつらは食い止める』

 

『しかし……』

 

『ホットケーキ隊、了解した』

 

『エメラルド1、承知しました』

 

『え、そ、そんな……!』

 

『そういうこった。……こちらエスコートリーダー! 全員死ぬ気で行く! 止まったら皆殺しになっちまうぜぇ!!』

 

『っ、ブラボー3から全艦へ、戦線の維持に努めてください』

 

『アイサァ!』『辛いな……』『はいよォ!』『任せろォォ!!』

 

 ふと、何気なく無線が拾った会話が耳に入った。最初に弱気なことを言っていた者を、天龍が強引に激励して発言を変えさせているのを聞いて鈴谷は笑いそうになる。

 

 これで何体目だろうか。戦艦ル級を一体打ち倒したところで一旦敵の攻勢が途切れ、ちょっとした暇ができる。頬のかすり傷の血を拭っていた木曾から声をかけられた。

 

「えらく悲壮感の漂った無線だったな」

 

「その割には、天龍さんはどこか楽しげだったけど」

 

「笑ってなきゃやってらんねーだろ、この状況はよ。」

 

 ランナーズ・ハイみたいな精神状態にでも入っているのか―――現時点で戦闘中の者は、疲労で肩を落としている者と、どこか楽しげな者との2つに別れていた。

 

 視界に入る大海原の景色のそこかしこで、爆散した深海棲艦から黒煙が立ち昇っている。

 

 額から流れ出る血を無理矢理包帯で抑えつけて止めながら、那智は海面を漂っていた駆逐イ級の死体の上に座り込む。顔色の悪い親友に、心配になった鈴谷は声をかけた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「まぁ、なんとか……頭にいいの貰っちまった。ちと目眩が、な」

 

 よく見れば那智は目線の焦点があっていないように見えた。これは危険な状態では。語気を強めて帰るように彼女が言いかけたとき、それを遮って霞が口を開く。

 

「……撤退しなさい。命令よ」

 

「教官、しかし………」

 

「死にたくなければ逃げろと言ってるのよこのクズ。……この忙しいときに死なれたほうが迷惑よ。いいかしら?」

 

「っ、了解した」

 

 ナイス霞さん。流石に昔の先生には強く出られないらしい。大人しく従う様子を見せた那智にそんなように思っていたとき。無線機のスピーカーが、鎮守府で待機していた扶桑の声を拾った。

 

『鎮守府から、扶桑よ。みんな落ち着いて聞いてちょうだい。医療班がフル稼働しているのだけれど、手当てに当たっている子の数がまるで足りていないみたいなの。誰か1人だけでもいいわ。戻ってこれないかしら?』

 

『こちらガーネット2……冗談きついですヨ、こっちだって数が足りてないんだ、そっちでどうにかならない?』

 

『無理ね。そもそも待機中だった子たちだけじゃまるで手が足りていないし、手伝っているのも素人だもの。譲歩はできないわ』

 

『……わかりました。どなたか、誰か戻れるやつ居ませんか?』

 

 …………………。これは、呼ばれてるな。鈴谷は深呼吸をして目を瞑った。

 

 扶桑と別働隊の艦娘の会話を聞いた木曾と霞の視線が鈴谷に向く。この女の経歴を知らない弥生と初月は不思議そうな顔をしていたが、意を決して、彼女は那智を立たせながら無線のスイッチを入れる。

 

「こちらホワイトナイト。私が戻って医療班に回ります」

 

『はぁ!?』『なっ!』『て、てめぇが!?』

 

 重巡ネ級が戻って手当をする、などと言ったものだから戦線に散らばっていた艦娘達が動揺する。無理もないな、と本人は苦笑いした。

 

「こっちの那智が頭を負傷しまして。送るついでに待機します」

 

『待てよ深海棲艦……お前に人間の手当なんぞできるってのか??』

 

「心得はあります」

 

『信用できるかぁ!!』『ちょ、ちょっと加古、落ち着きなって!』

 

 …………。やっぱり無理か、ここは残るべきか。流石に戦友らの生殺与奪を、味方とはいえ、深海棲艦に握られるのは我慢ならないと見える無線機越しの艦娘たちに、渋々鈴谷が引き下がろうとした時。

 

「…………やはり他の者が」

 

「コイツ以外に適任は居ないと思うけど?」

 

「!!」

 

 霞が間に割って入る。そのまま彼女は、このネ級を助ける発言を繋げた。

 

「ちょっと前だけど、私はこのネ級に死にかけてたところを助けられてる。どこで覚えたのか知らないけど、コイツの腕前はトーシロなんてメじゃないけれど?」

 

『なんだと……』

 

「だいたいそもそもあんたらは、コイツのコールネーム((ホワイトナイト))の由来知ってて言ってんのかしら。バカ正直に怪我人の前に現れて、手当して本隊に送り返す。……その中にバカでロマンチストな奴がいたのか、それでコイツを白馬の王子様に例えたのが始まりらしいけど?」

 

『そ、そーなんだ』『へぇ……』

 

「で、どうなのかしら? 噂に違わぬ海難救助の腕があるらしいなら、コイツほど裏方に回せる適任者は居ないけど? それとも救急隊みたいな行動が得意なやつがこの場で他にいるのかしら?」

 

『『『『………………。』』』』

 

 胸を張って堂々と言う霞の態度が機械を通していても伝わったのか、返事をする艦娘は居なかった。「本当、肝心なときに曖昧な連中ね」。どこか寂しそうな顔をしながら、彼女はふらつく那智に肩を貸していた鈴谷に言った。

 

「行きなさい」

 

「えっ」

 

「帰れと言ってるの、これ以上余計な事を言わせないで」

 

「はいっ」

 

 言われるままに、後退を開始した彼女を尻目に。霞は木曾にも指示を出す。

 

「木曾、アンタもよ」

 

「俺も、ですか?」

 

「友達なんでしょ、護衛に付き合ってやんなさい。何があるかわからないのに、二人だけは危険だもの」

 

「了解……すぐ戻ってきますんで」

 

「当たり前よ。いいから早く」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 霞たちと別れて5分ほど。鈴谷たち後退組が鎮守府に帰るに当たり、立ち塞がる敵をなぎ倒しながら退却する中で、負傷していた那智は鈴谷の背中で眠りに就いていた。

 

 この爆音と敵の悲鳴飛び交う環境でよく寝れるな、なんて、穏やかな顔で寝息を立てる友人を見て鈴谷は思う。人一人をおぶさる関係で両手を使わないで砲戦に参加していた彼女へ、木曾は背中合わせで反対側に武器を向けながら口を開いた。

 

「霞さん、大丈夫かね。強いとはいえ3人ごときで」

 

「問題ないっしょ。軍じゃ上から数えたほうが強い人なんだし」

 

「そうかな……ちと不安だよ」

 

「この乱戦なら即席で艦隊も組めるしダイジョーブダイジョーブ」

 

 友人に気を使ってあまり揺れないような動きを心がける。

 

 先程の扶桑の語った状況を考えると、たぶん私はもう戦闘には参加できないで終わるだろう。そう思った鈴谷は正確に狙う木曾とは対象的に、当てずっぽうに撃ちまくった。

 

 島にいた頃に共闘した南方棲鬼等には遠く及ばない物の、今の鈴谷は全身に火器類を積載してハリネズミのように武装している。副砲だけでも両手で数え切れない数、しかも腕を使わず使える。短射程ながらも猛烈な弾幕を形成するこの女に、有象無象の敵たちは近付けないでいた。

 

「距離詰めなよ木曾! 当たっても知らないかんね!」

 

「うっせぇ、わかってる! 誰が好き好んで死ににいくってんだ」

 

 カバーできるほぼ全方位に雨あられと火薬を撒いていく鈴谷に、木曾はピッタリと体がぶつかる程引っ付いて狙撃に徹する。

 

 やはり、というよりも当然だが鎮守府に近づくにつれて手負いの敵も増えていく。撃ち漏らしがあってはならない。同じことを考えた女2人は無心で殲滅していった。

 

 このペースなら問題はない。体力に余力はあるし、弾もちょうど到着する頃合いで切れるはず―――ほんのちょっぴり、気を抜いてネ級が深呼吸をしたとき。

 

『高熱源反応を感知。識別不能、該当データ、なし』

 

「「!!」」

 

 一瞬、2人は海面の波が妙に激しく揺れたのを感知する。と、同時に身につけていた警報の作動とアナウンスに眉間にシワを寄せ、水中を睨んだ。

 

 ズズズ、と飛沫を上げて浮上してくる物から全速力で遠ざかる。突然のことだったので思わず2人は無意識に鎮守府とは逆方向へ向かってしまった。

 

「嘘でしょ……」

 

「ちっ。おいおい……ジョーダンきついぜ」

 

 なんとなく予想は付いた―――浮上してきたのは。当然、深海海月姫だった。この場面で対応しなければならない相手にしては強すぎる……そんな考えともう1つ。想像以上に鎮守府まで近づかれていた事実に2人は鳥肌が立った。

 

 前のふざけた態度や盗み聞きからこの女の性格はわかっている。おおかた、一方的ななぶり殺しに適したカンムスと見てこちらを補足したんだろう……幸か不幸か、そのおかげで時間稼ぎはできそうだけど……。鈴谷も木曾も似たような考えを浮かべる。

 

 にんまりニタニタと気持ちの悪い笑顔の相手に容赦なく先手を撃つ。鈴谷は一瞬だけ那智を抱えていた腕も総動員したフルバースト。木曾は打ち切る勢いで魚雷を放つ。

 

「「どけよおおおおぉぉぉォォォ!!」」

 

 心の底から殺意を向けた一撃が怨敵に到達する。奇しくも女2人の叫ぶ言葉は同じだった。

 

「!!」

 

 以前と同じく余裕さのある態度かと思えば、海月姫は少し面食らったように見えた。不意をつけた、という事か。鈴谷は爆発で水しぶきが柱のように巻き上がったその場から更に距離を取る。

 

「那智。那智。起きて、那智!」

 

「ぅ……? んん……!」

 

「早く、死にたくないなら」

 

「ぐっ……気絶しちまってたか……悪い」

 

「謝るぐらいなら早く立って。海月姫が出た。応戦する必要があるから。」

 

「! ……なるほど、ね。つくづく私らは運がないな…………」

 

 海面に立った那智は、バチン! と大きな破裂音が出る強い力で自分の頬を叩く。気付けをして戦闘に参加する彼女を心配しながら、鈴谷も配置に着いた。

 

「ふ、ははは、ひひ……イイなぁ…………こんな痛みは久しぶりだ……」

 

「おいおい……鈴谷、何したんだ? 元気そうだぜ奴は……」

 

「サァね、黙って戦う!!」

 

「やるだけやるしかってヤツかよ……お前らしいがな」

 

 煙が晴れた先に見える光景に、鈴谷は再度自分が鳥肌立つのを感じた。

 

 目覚めさせてはいけない何かに触れてしまった………。あの大きな鉄塊が砕け散り、その身1つになっていた海月姫の纏う異様な雰囲気に変な汗が噴き出す。

 

「みんなに絶望をあげよう……」

 

 念力でも使っているというのか。前は確かに海面伝いに行動していた海月姫は明らかに宙に浮いていた。更に周囲に4つ、青白い光を纏ったクラゲのような、こちらも浮遊している生物を従えている。

 

 この喧騒に包まれた戦場にはおよそ不釣り合いな、優雅な仕草で。海月姫はまるで指揮者のように、大げさに手を振るった。

 

 こいつ、いったい何を―――考えたり予想したりよりも体が動く。鈴谷はしっかりと顔を腕で多い、上半身を自分の触手で包み込む。

 

 集中豪雨と見まごう火薬の雨が3人に襲い掛かった。

 

「逃げ(まど)え、舞い踊れ、私のために血を流せぇ!!」

 

 艤装や硬化している皮膚が弾を弾いてくれる感触。柔らかな部分に突き刺さる鈍い痛み、露出している足のブーツを掠める衝撃が全部一緒に鈴谷にやって来る。

 

 離れろ、とにかく離れろ。考えるな、何も考えずに逃げる事だけ考えろ。逃げなきゃ死ぬ―――

 

 厳しい環境に置かれて磨かれた鈴谷の、生き残るための判断力が警報を鳴らす。彼女は防御態勢で全く視界が効かない中で、運だけを頼りに背中を向けた方向に進んだ。

 

 およそ10数秒がまるで永遠に感じられる。こころなしか当たる弾の数が減り、受ける衝撃が弱く感じた所で守りを解く。目を開いて前を見据える。相手との相対距離はおおよそ100mぐらいだろうか、あの化け物の身体能力を考えると心許ない距離だが、今受けた不意打ちの至近距離よりはマシだと前向きに考えた。

 

「絶対逃げ切って押し通ってやる……!!」

 

 自由になった腕を振るう。尚も攻撃は続いていたが、大振りに槍を振って撃ち落とせる物を叩き落とし、鈴谷は連装砲を片手に自分の射程距離のぎりぎりまで接近を試みる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「木曾! 那智! 生きてるなら返事して!!」

 

『大声あげなくても聞こえてんよ。』

 

『さぁ、死んでるかもな』

 

「フザケてる場合!?」

 

『こういうときこそ、だろうがっ、とぉ、危ないな』

 

 『怪我したアタマに運動は響くな……』 無線越しに具合の悪そうな那智の声を聞いて、鈴谷は怪訝な面持ちになる。だが、敵の攻撃の激しさで満足に周りも見れないが、一応2人とも無事なことはわかって安心した。

 

 それにしても―――異常な弾幕に、鈴谷は前だけを見る。前に叩き割られた仮面に代わって、今日は泊地に作ってもらった物を顔に付けているので、頼みの左目以外は最悪爆発しようがどうということはない。そうして強引に自分を落ち着かせながら、冷静に攻撃を弾いて観察する。

 

 大前提として、宙に浮いているあの女の髪は艤装の制御を乗っ取ることができる。おまけに今こうして砲弾まで発射できると来て、どんな構造だと舌打ちする。追加で、取り巻きのクラゲ型の生き物からも散発的に弾が飛んでいるのが見えた。

 

 人間の髪の毛は軽く見積もっても億単位で生えていると聞いたことがある。あの女が人と同じかどうかはともかく、多目に見積もって注意するに越したことはない。と、なると。奴は約数万単位の数の銃火器を、しかも巡洋艦や戦艦の艦娘の射程距離まで発射できると見たほうが良いだろうか。

 

「………ッ。キモッ………」

 

 そんな数の砲門があるなら秒間の発射弾数はたぶんCIWS((ガトリング砲))とかも超えてくる。不意打ちなんて食らったが最後、穴だらけの粉微塵になって吹き飛ぶだろうな―――冷静に考えるとあまりの勝ち目の無さに笑えてくる始末だった。

 

「……………………。」

 

 何か、何か隙は無いか。当てずっぽうで武器を撃つ。すると、相手の撃ってくる細かい弾が挟まって動作不良を起こした装備が誘爆した。手元でこんな事が起きても火傷すらしない頑丈な自分と、継ぎ目が無いので破損しづらい中枢棲姫の武装に感謝しつつ、敵を睨む。

 

 手応えのある、殺し合いの相手。ふと、鈴谷の脳裏に天龍の叩き割ったディスクに録音されていた海月姫の言葉が浮かんだ。

 

 相手は純粋な戦闘狂。か、もしくは弱い者いじめが好きなんだよな。生きるか死ぬかの瀬戸際で、残された思考のリソースで彼女は必死に策を練る。

 

「…………………!」

 

 もしかしなくとも、この攻撃が本気で無いとしたら? 幸先よく艤装の一部を吹き飛ばしてやったけど、まだ不意打ちのカードがあるのなら? それを、こちらの身構えている時に引き出さなきゃ―――

 

 さっきみたいな事がもう一度あったら、生きて帰れる気がしない。今度こそみんなが死んでしまう。

 

「妖精さん、お願いがあるんだ」

 

「んふぇ! なんなのです?」

 

「私、限界まで相手の近くまで突っ込むから。駆逐艦の子らが戦うぐらいの距離まで来れたら、一気に全員発艦して欲しいんだ」

 

「!? 無茶なのれす! 鈴谷しゃんが死んじゃ……」

 

 激しく動き回って応戦していた鈴谷の首輪に捕まっていた妖精の口を、空いた手で塞ぎ。鈴谷は薄笑いを浮かべながら呟いた。

 

「体の半分ぶっ飛んで生きてたやつが、「この程度」で死ぬと思う?」

 

「ん、んん……」

 

「じゃ、行くよ。お願いねっ!!」

 

「あ、あいあいさ!」「つっこめー!」「いちげきだぁ!!」

 

 砲撃のために前に向けていた触手を後ろに向け、その口を限界まで開いて妖精たちの発艦がしやすいように準備する。幾度となく鈴谷の無茶に付き合って来た彼ら彼女らは、言いつけ通りのタイミングを見計らいながらじっと待つ。

 

 気のせいか、雨あられと飛んでくる攻撃が薄くなる。

 

 ここだっ―――

 

 2人には関係のない、勝手に決めた決死の突撃を鈴谷は敢行する。

 

「うおおおぉぉぉりゃああァァ!!」

 

「「「!?」」」

 

 友人と敵を含めた3人全員が目を剥く。突然セオリーと逆行する特攻をかける親友に、本能的に援護しつつも木曾と那智は思わず叫ぶ。

 

「すっ、鈴谷何を」

 

「戻れ!! 死にてぇのか!?」

 

 前のめりになりすぎて海面に倒れそうな程の前傾姿勢で突っ込む。やるからにはためらいはない。躊躇すれば死ぬ。そんな思いから真っ白な頭で持てる速度の最大で海月姫に接敵した。

 

 その場に屈むよりも見を低くした鈴谷へ、あまりにも低すぎる姿勢のせいか敵の攻撃があまり当たらない。予想したりよりも受ける怪我が少ない嬉しい誤算に、鈴谷は経験に基づく動作でしっかりと槍を握りしめる。

 

 相対距離およそ50m。もう半分ぐらいの所で全機発艦、それと同時に全ての火力を総動員してこの壁に穴を空ける―――

 

「みんな、行ってェ!!」

 

「「「「まーかーせーろぉぉ!!」」」」

 

 喉が潰れる声量で叫ぶ。言い終わらない内に、妖精たちは一斉に各々の愛機で離陸して行った。

 

 流石の腕前と言うべきか、この濃密な弾幕の中で最小限のダメージに抑えて皆が飛び立つ。特に瑞雲を駆る者は器用貧乏な機体ながら、まるで手足のようにマシンを操って指示通り鈴谷の真上に陣取る。

 

 全く余裕の無い彼女の知らない事だが、困惑しながらも援護してくれていた木曾と那智の活躍も見逃せない。鈴谷のやる事の意味がわからないながらも、2人は親友が無駄な事はしないはずだとただ信じて弾を撒き続けた。

 

 乗るか、反るか、ワンチャンス。

 

 ちらちらと見えるか見えないか―――もしかしたらスキなんて相手には無いのかもしれない。だけど、そこを崩す以外に生き残る手段はない。鈴谷の賭けが始まる。

 

「オオォォァァアアッ!!」

 

 後ろに向けていた触手を前へ。叫び声を上げる鈴谷が両手両足両触手、前砲門を前面に集中させて引き金を引く、その時だった。

 

 海月姫の周囲を漂う生き物が前に出てきて盾になる。火薬の暴力であえなく吹き飛んだそれに混じり、小さな水飛沫がそこかしこで発生した。

 

 ―――なんだコレ。破片が落ちてからの現象ではない。明らかに何かが水中から「湧いている」。砲身が焼け付く事をいとわず、鈴谷は続けて水面を撃ち抜く。

 

「!!!!」

 

「貴様っ!?」

 

 鈴谷のカンは当たった。海月姫はおびただしい数の艦載機を水の中から発艦させていたのだ。人間を超えた動体視力で無理矢理対応してみせたこの女に、海月姫は自分を棚に上げて背筋に寒気を感じる。

 

 が、しかし手数で勝る海月姫の優位は変わらない。少しばかり意表を突かれたものの、無茶をした鈴谷は、今の突撃で確実に怪我が増えてパフォーマンスが落ちていた。正確さを欠き始めて大味になってきた対処を見て、海月姫は余裕を取り戻す。

 

「ふふ……その虚勢、いつまで持つかな?」

 

「……………!」

 

 勝てるなんて考えるな、何が何でも逃げることだけ優先するならどうにかなる!! 自分が疲れている事を見抜かれた鈴谷は、しかし諦めずに抵抗を続ける。

 

 前の交戦経験と自分の体を最大限に利用する。彼女は槍を背負い直すと、両手に大振りのナイフを持ち、自身の触手を持ち上げて副砲を構えた。

 

 大量に殺到する海月姫の触手を冷静に捌く。本数が多すぎて、全て切断し切るのは現実的ではない。が、攻撃のリソースを全て防御に割り振ればどうにか身を護るぐらいはできた。副砲で弾幕を張り、遠いものは撃ち落とし、こちらを刺しに来るものだけを正確に切り払う。

 

「ちっ……小賢しい」

 

「ッ!!」

 

 親友のために作戦海域から離脱することのみを考えた鈴谷の行動は鋭くなる。誘爆を懸念して使わない武器の弾を海にばらまき、贅沢に装備を盾にして懐に飛び込む。

 

「腕2本で……足りないならッ!!」

 

 鈴谷の体から生える触手の口の1つから、せり出すように刃物が飛び出す。さらにもう一方に槍を噛ませて、彼女は4本持った獲物を振り回し始めた。

 

 滅茶苦茶に刃をぶん回し、距離を考慮して同士討ちの危険が無いことを察した鈴谷は矢鱈滅多らに弾をばら撒き始める。こんな事をすれば先に弾が無くなるのは自分だろうが、最初からそもそも勝つ気がない鈴谷に攻撃を緩める考えは無かった。

 

 息が詰まる。というよりも、呼吸に意識を割くことすら惜しい。気を抜けば死ぬ、ミスは許されない。少しずつ攻撃をいなす彼女の集中が深くなる。それと同時に、予想外に善戦するこのネ級に海月姫の意識が集中し始めた頃合いだった。

 

 海月姫の両脇で小規模な爆発が起きる。意識の外から来た攻撃の痛みと、体が揺すぶられる衝撃で思考が止まる。今、一体何が起きた? 海月姫が目線をネ級から離す。

 

「悪いな……私らは甘くないんだ。」

 

 しまった―――いつの間にこんな近くまで………。海月姫の注意が完全に鈴谷から外れ、割り込んできた木曾と那智の2人に向く。

 

「こっちはな、目ぇ(つむ)ってても連携できんだよォ!!」

 

 結果的にそれが、この女への重大なダメージへと繋がった。

 

 鈴谷の命がけの行動で接近に成功した2人は。海月姫へ、打ち合わせした訳でもないのに、しかし同じタイミングで反撃を行う。

 

「こんなはずが―――ッ」

 

「「「堕ちろおおおぉぉぉ!!」」」

 

 魚雷20発、爆撃10回、50発の砲弾が海月姫に炸裂する。鈴谷の仮説は当たっていた。近すぎてバリアが発動できなかった海月姫は、自分を殺す気で放たれたエネルギーをまともに受けて爆風の中に姿を消す。

 

「や、やれた…………!」

 

 熱風に顔をしかめながら、鈴谷は顔を覆いつつ後退する。無線越しに親友らの声も聞こえた。

 

『無茶しやがってよ、俺らが来なかったらどうする気だったんだよ』

 

「いいや。絶対来ると信じてたから。」

 

『答えになって無いぞ。全くこれだから鈴谷は……』

 

「ははは。ごめんごめ―――」

 

 だいたい爆心地から数十メートルは離れたかな、と鈴谷が思っていた時だった。

 

 目の前に深海海月姫が現れる。

 

「え?」

 

 意味がわからなかった。

 

「ここまで追い詰められたのは、今日が初めてだ」

 

 女は、笑いながらそう言う。しかしいつもと違って、鈴谷から見て目が笑っていない気がした。

 

「これは礼だ。お前を最初に殺す。」

 

 知覚できない速度で例の髪の毛で触手を貫かれる。咄嗟に何本かはナイフで切り払ったが焼け石に水だ。

 

 寄り集まった髪の毛の束が顔に向けられて、赤く光って熱を持ち始める。

 

 

 

 対処ができない、本当に殺される。そう思うと恐怖に声も出なくなるんだな。どこか他人事で鈴谷が思っていると。彼女は横から猛烈な衝撃を受けて、その場から左側に吹き飛ばされる。

 

「――――――――??」

 

 もうわけがわからなかった。誰かがわざと誤射で自分を飛ばしてくれたのか? 思考回路が止まりかけていた鈴谷の目に、数ヶ月前の命の恩人が映る。

 

 南方棲鬼が、海月姫の目の前に立っていた。気のせいだろうか。こちらを見て、何か言っている。

 

 

 逃げろよ。元人間。

 

 

「えっ――――――」

 

 

 放たれた砲撃をまともに喰らって、南方棲鬼を中心に小規模な爆発が起こった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「うぅ゛……ぅ……………」

 

「……………………………ちっ」

 

 爆煙が晴れて撃たれた彼女の姿が露になる。誰がどう見ても―――今の南方棲鬼は、全身血まみれで髪や皮膚の一部が焦げ、立っていられるのもおかしい程の満身創痍だ。

 

 焦げ臭い自分の体に舌打ちする元気すら無いが、南方は重い首を回して遠くを見る。鈴谷、木曾、那智がかなりの速度で離れていくのが見える。離脱に成功した3人を見て、仕留め損なったと海月姫が舌打ちしているところも見た。

 

「まったく……甘ちゃんなの……よ……どいつも…こい…つ……も………」

 

「フン。見上げた自己犠牲だな、南方棲鬼。裏切っていたのは知っていたが、まさか艦娘紛いの盾になるとは」

 

 血に濡れた震える手で前髪を直しながら。南方棲鬼はおよそこの場には似つかわしくない笑顔を作り、海月姫へと口を開く。

 

「フフ……フ……クラゲさん、言いたいこと、あってさぁ…………」

 

「………………。なんだ? わざわざ身を投げて味方を庇った理由か?」

 

 呂律(ろれつ)も回っていない。重傷で喋るどころではないはずだが、南方棲鬼は口から煙を出し、不敵な笑みを浮かべながら続ける。

 

「戦いに自信があるらしいな。是非とも……どんな威力か食らってみたかった………だけだ……」

 

「……それだけか」

 

「それと」

 

 相手の言葉を遮るように。南方は吐き捨てる。

 

 

「お前の吠え面が見れて……満…足……だ………―――――」

 

 

 ゆっくりと。彼女は膝から崩れ落ちるように海面へ身体を投げた。

 

 やることなす事、上手くいなかった海月姫は額に青筋を浮かべてわなわなと震える。こんなくたばり損ないを殺したところで嬉しくも何ともないが、しかしこの怒りはどこにぶつければいいんだ?? そんな感情を胸に、照準を南方棲鬼に向けた。

 

 ふと、腹部に違和感を感じた。また不意打ちで撃たれて痛い、という訳ではない。弾の当たった衝撃や爆発も無いから違う。なんだろうか? そう思っていると、着ていた服の内側に1機だけ艦載機が潜り込んでいる。

 

「?」

 

 操作ミスか? なぜこんな場所に。手づかみでそれを取り出したところ、事は起こる。

 

 どういうことか、非武装だったその機体は異常な加速で海月姫の腹部に突き刺さる。

 

「がっあっ!?」

 

 予想外の出来事に吐血しながら妙な声が漏れる。だが受難は続く。その艦載機はアフターバーナーを炊きながら更に深々と突き刺さり、海月姫の腹を突き抜けて貫通して飛んでいった。

 

 な、何が起こった?? 不思議に思いながらその起動を眺めていると。その機体は、倒れていた南方棲鬼の近くに減速しながら着水して止まる。

 

「!!」

 

 そもそも自分の機体ではなく、南方棲鬼の持っている艦載機だったのだ。あまりにも単純なからくりに、海月姫の怒りが増幅される。

 

「いいだろう、南方棲鬼。そんなに死にたかったのなら

 

 とどめを刺すことは叶わなかった。

 

 海月姫は首の骨が折れそうな程の、体感したことが無い衝撃に真横に吹き飛ぶ。

 

「ごおっほへッ!?」

 

 海面に強かに叩き伏せられた海月姫は、困惑しつつ立ち上がる。

 

「早く立てよ。借りを返しに来た」

 

 前に自分が痛めつけた相手。秋月型の服を纏った防空棲姫が、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 




なんぽっぽ捨て身のファインプレー回。あとついでに伏線も回収。


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37 夕暮れ•血飛沫•焦燥

待たせたな! ちょっとイラスト修行にうつつを抜かしすぎた。


 

 

 だんだんと日が傾いてくる。沈む太陽と雲間からの月明かりを頼りに、防空棲姫……もとい秋月は海月姫を執拗に狙い撃ちにする。

 

「逃さないッ―――ここで終わらせる!」

 

「ふん、軟弱な裏切り者の分際で……」

 

 巧みな連携で艦載機をそれなりに撃墜してくれたネ級たち、身を挺して味方を守ったあとに不意打ちで打撃を与えることに成功した南方棲鬼。その他にも、数え切れない数の味方がこの戦いで貢献してくれている。無駄にするわけにはいかない―――できるわけがない。無意識に秋月は武器に込める手の力を強める。

 

 初めの頃に比べると、多少とはいえ海月姫は消耗気味だ。だが、それと引き換えにこの女からは油断といえるものが無くなっていた。不意打ちこそ決まったものの、秋月が時間をかけても未だ決定打を与えられなかったのはここに起因していた。

 

 それにこれは自分1人での戦闘ではない。援護に来ている照月の事も、正直、彼女のパフォーマンスを下げていた。元々の身体能力が常軌を逸している秋月と違い、彼女は艤装を取ればただの人間。海月姫に遭遇するまでの露払いや支援にも混じっていた彼女は、疲労で動きに精彩を欠く。

 

「私の食事と楽しみを邪魔ばかりする奴らめ……みな死ねばいいッ」

 

『!! 高熱源反応、姉さん!!』

 

「わかってる!」

 

 戦闘中の役割は単純だ。攻撃役は秋月、後ろにいる照月は支援のためのオペレータの真似事をし、絶えず猛烈に抵抗する海月姫のことを姉に伝えていた。何度目になるだろうか。実弾ではない、原理不明の光線の溜め撃ちをしてくる相手に牽制攻撃をしつつ、秋月は距離を取る。

 

「正面からは……無理なのか?」

 

「もっと知恵を使えなのれす。この深海棲艦!」

 

「っ!?」

 

 不意に聞こえた声にぎょっとした。専用艤装に増設した自立装備の長10cm砲の鳴き声でもない。何かと肩の辺りを目だけ動かして見る。いつの間にか、確かネ級にいつもくっついているはずの妖精がそこに居た。

 

「艤装のオートマッピング機能を使うのれす。少しは地形を活かして戦えるのれす」

 

「ど、どこを操作すれば……」

 

「長10cm砲ちゃんの上辺りなのれす! 妹のためなら早くするのれす!!」

 

 これか! 言われた通りに秋月は装備類に並んでいたスイッチを出鱈目に押す。

 

 妖精のアドバイスは的確だった。身体能力に物を言わせた戦闘ばかりしてきた彼女は、この日初めて、元から装備に搭載されていた機能に助けられることになる。

 

〘後方に注意•付近に大型の障害物を確認。敵性熱源反応なし。遮られる視界に注意ください〙

 

「後ろ……これか!」

 

 なんだこれ……? 船や基地の、残骸? それもかなり大きい。いつもなら電源を切っている小型の計器類をちらちらと見る。海月姫との戦闘中に、どうやら自分を含めた3人はどんどん沖へ、そして放棄された海上施設の近くに来ている事に気が付いた。

 

 錆だらけで半分ほど沈んでいる船と、それがもたれかかってる基地を横目に捉える。集中しすぎてわからなかったが、もうほとんど触れるほどまで傍に自分らは居た。これを使って体制を整えよう。秋月は無線を飛ばす。

 

「この残骸を盾に! 照月そいつから離れるよ!!」

 

『! で、でも』

 

「私に押し付ければいいでしょッ!!」

 

 弾が切れた装備を迷うことなく捨てる。深呼吸を一つ、自分の装備に呼び掛け、目くらまし代わりに秋月は持ちうる火器類を一斉に撃つ。

 

「行くよ、長10cm砲ちゃん……今っ!!」

 

「「キュ〜〜!!」」

 

 照月の退避を最優先に考える。砲身が焼け付くことをいとわず撃って撃って撃ちまくる。予想通り、敵の注意はこちらへ、そして透明な壁に攻撃は弾かれた。

 

「馬鹿な一つ覚えを、下等動物がうっとおしいッ」

 

「ッ!」

 

 反撃を避けて、そこに一発照明弾を撃ち込む。両手で自分の目に影を落としながら、秋月は急いで逃げた照月を追う。

 

「ぐっ!? 味な真似を、小娘が………」

 

 体制を立て直そう。この子達にかかる負荷も大きくなってきた…………。うまく障害物で追手をまいた秋月は、疲れた顔をしている自立艤装の頭をなでながら先を急いだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 半分が水中に浸かっている傾いた土台に座り、残った武器と弾薬を確認する。先程のフルバーストは相当な無茶を強いただけに、持っていた物のほとんどの砲身が駄目になっていた。

 

 いけないな、必死になりすぎて扱いがラフになってる。予備はそこまでは持ってきていないし、こんな無理はもう出来ない。やったが最後になるな……―――自分の太腿にベルトで固定していた新品の砲身に交換しながら、秋月は少し離れた場所に居た照月と目を合わせる。

 

 小声で無線越しの会話を行う。

 

『どうしよう姉さん。近くまで来てるみたい』

 

「通り過ぎたところを狙おう。背中から撃てば何か変わるかも」

 

『OK。合図は?』

 

「発煙筒が残ってたから、コッチで。じゃ、行こうか。」

 

 水をかき分ける音と、時折軽い爆発音が背後から聞こえてはにわかに薄い闇が明るくなる。照月も言うとおり、海月姫はゆっくりとこちらへ、障害物を破壊しながら近付いてきていた。

 

 南方棲鬼は無事だろうか。ふと、初月に支えられながら帰った彼女のことを思う。ネ級、レ級と関わりがあるようだが、自分は面識がそこまでない。だがあの女は身を挺してネ級のことを守った。あんな自己犠牲、自分は出来るのだろうか……。雑念交じりに艤装に弾を込める。

 

 別にこれでとどめを刺そうとは、実は秋月は思っていなかった。まずは一撃。致命傷に至るきっかけになるような直撃を―――考え事と並行して集中力を研ぎ澄ますと自分の心音が大きく聞こえる。

 

 がしゃり、と。一際大きい物音がすぐ近くで鳴った。秋月はそれを利用して一度廃墟の壁の死角に回り込み海月姫の視線から逸れるよう立ち回る。見ていなかったが照月も同じ事をしているだろうか。じっと、息を殺して、両脇に居る長10cm砲の頭を撫でながら、相手の様子をうかがう。

 

「どこだ……どこに消えた? 小賢しいだけの人間風情が……」

 

(相対距離、数メートルと無いのです)

 

(わかってる)

 

(こんなチャンス二度と来ないのれす。覚悟決めろ、なのれす!)

 

(うん……!)

 

 風にのって海月姫の独り言が聞こえる。耳元でささやく妖精と軽い打ち合わせをし、秋月は目を瞑って発煙筒を握った。

 

 たかが数秒の出来事が嫌に長く感じる。波が女の足に当たる音が、少しずつ遠くなってゆく。1m、5m、10m―――小さい体格を利用して他の建物から相手を見張っている別の妖精からの情報だけを頼りに、頭でイメージしながら距離を測る。

 

 50m。そう聞こえた瞬間、秋月は停止していた艤装を再起動し、立っていた場所を蹴り壊す。体当たりで壁を破壊しながら、そのままの勢いで水面に降り立った。

 

「!!」

 

 女がこちらを見る。握っていた物を瓦礫に押し当てて着火し、水面へ投げ捨てる。振り返り切る前に、秋月と照月は攻撃を繰り出した。

 

 確証はないけど、後ろからなら―――そんな希望に賭ける。

 

「「当たれえええぇぇぇぇ!!」」

 

 照月の撃つ弾に被さるように、秋月の撃った大口径砲弾が追い付き、同時に着弾、大爆発を引き起こす。切り替えた武装が放つ爆風と煙に顔をしかめながら、照月は再度物陰に、秋月はその辺りを漂っていた錆びたドアを盾の代わりに構えて海月姫の動きを待った。

 

「や、やれた!?」

 

「まだわかんない、隠れてて!」

 

 反撃は来ない。だけど、この程度で死ぬ相手ならここまでみんなが苦戦などしない―――油断はしない。無言で身を守っていた秋月へ、やはり反撃が飛んできた。

 

「ちっ………」

 

 これでもダメ、なのか……!? やっぱり懐に潜り込む以外の方法は――――気が狂ったような表情で乱射を続ける海月姫を見る。先程と何一つ変わった様子がみられない。攻撃は効いていなかった。

 

 一発、秋月は避けそこねて被弾する。持っていた鉄板が吹き飛び、思わずよろけて倒れそうになる。

 

 まずい――――――

 

「あはははは!! 死ねえぇぇぇぇ!!」

 

 嫌な光景が脳内に広がる。四肢が吹き飛び、赤い肉塊が海に広がる光景……数秒後の自分の事か……? 背負っていた武装の1つを破壊され、秋月は後ろに倒れた。

 

「姉さぁぁん!!」

 

 隠れている照月が、自分を呼ぶ声が聞こえる。これからやってくるであろう衝撃と痛みに、彼女は薄目で海月姫を見ていた。

 

 

 予想外の事が起きる。

 

 

 海月姫の片腕と髪の一房が、切断されて水面に落ちた。

 

「「「!?」」」

 

 この場にいた3人全員に電気が奔る。何が起きた?? うめき声をあげる海月姫へ武器を構え直した秋月は眼前の光景に驚いた。

 

「ふううゥぅぅぅぅ………っ!」

 

 血まみれの日本刀を構え、呼吸を整えているレ級がそこに居た。見間違えるはずがない、いつもネ級たちと仲良くやっていたあのレ級だ。

 

 待ち伏せしていたのは秋月と照月だけではなかった。遠くから眺めて事前に3人の動きを予測し、先回りしていたレ級は、2人が撃ち終わって敵が油断した瞬間を狙ったのだ。高所から飛び降り、海月姫を相手に、大上段から振り下ろした刀で大打撃を与える事に成功する。

 

「があっ、ああああぁぁぁぁ !? おまえ、お前えええええ!!!!」

 

 自分目掛けて殺到してくる髪の触手を必死で切り払うレ級の元へと急ぐ。接近するなら今しかない。そう考えた秋月は走る。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 必死で追いかけた意味、あったな。2人のためにも、私が頑張らなきゃ―――レ級は無心で、手に馴染む得物で殺到する海月姫の攻撃を薙ぎ払う。

 

 大物の対処に夢中だった者は気がついていなかったが、周囲にひしめいていた深海棲艦らの掃討は徐々に完了しつつあった。たまたま近海まで後退し、手負いの敵の対処をしていたところ、彼女は満身創痍で初月に連れられている南方棲鬼とすれ違っていたのだ。

 

 『あの姉妹を手伝ってやれ。』 レ級が受けた伝言は、シンプルな物だった。強引に押し寄せる敵を突破、この残骸地帯まですっ飛んできて今に至る。

 

「ユル………さン………殺すゥ、ころしてやる…………」

 

「……………………ッ」

 

 切断したばかりの女の腕が、断面からズルリと勢いよく生えて治る。前の戦艦棲姫の比じゃない。話には聞いていたが、しかし凄い再生速度だ。至近距離で、なおかつ複数人がかりの砲撃で消し飛ばさなきゃ死なないのでは。好機を見計らって首を突っ込んだはいいが、しかしレ級も今まで海月姫に挑んだ者と同じく防戦を余儀なくされる。

 

「レ級、どいて!!」

 

「!!」

 

 後方からの声に、彼女は足元を流れてきた瓦礫を蹴って横へ飛ぶ。防空棲姫の援護射撃が海月姫の眼前でまた止まる。飽きるほど見た光景だ。諦めずに爆風を切り払い立ち向かうレ級へ、秋月は無線を飛ばした。

 

『コッチも余裕ないから、遠慮なく撃つからね。ちゃんと避けてよ!!』

 

「………………!」

 

『やるよ……ここで、みんなで!!』

 

 返事の代わりに、レ級は大きく頷いて見せる。空いていた片手にマチェットを逆手に持ち、ひたすら来るものを切って切って切りまくる。

 

「邪魔なんだよ、不愉快だ、羽虫のようにうろうろと、なぜ大人しく殺されないんだ?」

 

 死にたくないから。そんな簡単なこともわからないのですか。もし声が出せたならそういっただろう。喉の潰れた口をそう動かし、レ級は冷静に捌いていく。

 

 巧みに二刀で積極的な防御をする彼女と、その後ろ2人が攻撃に専念するという今の動きはよく噛み合っていた。執拗にへばり付いて、少しでもスキがあれば攻撃に転じる気を見せるレ級に、当たらないまでも爆風や音で集中を見出してくる姉妹。海月姫にフラストレーションを貯めさせるには充分だ。

 

 血が出るなら、汗を掻くなら、代謝をするなら。生き物である以上、永遠に無尽蔵に動き続けるなんてことはない。絶対にどこかで疲れを見せるはずなんだ―――「いつ」かはわからない。だが、この場にいる「艦娘」3人は、それだけを希望に体に鞭を打った。

 

 レ級は大振りに刀を薙ぎ払って前へ前へ、後ろに後ずさっていた海月姫にしつこく近付く。

 

(まずいな―――!)

 

 友軍の援護射撃に当たらないよう、意識を周囲に向ける―――彼女はこの場に更に敵が集まりつつあるのを風の流れで察知していた。

 

 嫌な予感は当たりだった。不意を付くように水面から一匹のイ級が飛び出す。

 

「!? 新手!!」

 

「!!」

 

 しかし身構えていたレ級はコンマ数秒で判断を下し、雑兵の頭に深々と刃を突き立てる。自分の尻尾を敵に密着させると、至近距離から砲撃を叩き込んだ。

 

 増援……いや追いつかれたってところか! こんなときに……。突き刺した刃物を抜き、死体を足蹴にして真上に飛ぶ。

 

「…………………ッ!」

 

 どうにか包囲を突破して秋月を助けに来たレ級だが、彼女にも疲れは溜まっていた。それにいま戦っている者は、ほぼ皆が残弾の底が見えているような状態だったが、レ級も例外ではない。撃沈した深海棲艦から剥ぎ取った武器でどうにかやりくりしていたものの、限界は近付く。

 

 上にジャンプ――つまりは空中で落下していく以外に身動きが取れなくなれば、当然海月姫には狙われる。しかしレ級は抜かり無かった。彼女は思い切り前屈をするような体制を取ると、今度は真下の残骸を撃つ。

 

「??」

 

 変な場所を撃った敵に海月姫が止まる。レ級は反動と爆風で更に上に飛んだのだ。

 

 これまた奇想天外な動きを見せた相手に、海月姫は反射的に触手でその体を射抜こうとした。が、ここまでがレ級の狙い通りだった。

 

 反動で吹き飛ぶのを利用して宙を舞ったまま、レ級は目下の水面に対して仰向けのような体制になっている。向かってくる髪の束を、彼女はボタンで起爆できる爆弾を投げていなした。弾かれたが、触手の手前で起爆させて数本は焼き切れる。それで十分だった。

 

 目論見通り。焼いたおかげで先端が丸まり、刺されずに済んだレ級は殺到する髪に押されて斜め後ろ方向に飛ばされ、その先にあった建物の壁に着地した。そこを足場に蹴飛ばし、あろうことか彼女は海月姫の上を超えて背後に回り込んだのだ。

 

「「!!」」

 

 賭けに近い無茶苦茶な一発勝負が決まり、レ級はそのまま海月姫に背中を向ける。撤退したネ級から受け取っていたバズーカ砲の最後の弾を発射し、背後から来ていた深海棲艦の群れ目掛け引き金を引いた。

 

 海月姫の不意打ちなどは来ない。当たり前か。眼の前には弾や体力を温存していた秋月ら姉妹が居て、自分よりも脅威度は高いのだから―――。心置きなくレ級は増援を片付けることを優先した。

 

 爆風で怯んだ重巡リ級までひとっ飛びに接近し、胸に刀を突き刺す。ずぶり、と鈍い感覚が手に伝わってくる。吐血して事切れた敵から刃を引き抜き、まだ残っている戦艦や空母から距離を取った。

 

 散々に酷使したせいで研ぎたてだった刃ももうボロボロだ。おまけに脂や血でもう殆ど切れ味もないに等しい。馬鹿力任せやノコギリを引くようなやり方で騙しながら戦っていたが、弾がないからと無茶のし過ぎでもう使える状態ではない。倒れるリ級の腕を引っ捕らえ、その指越しに重巡の主砲をやたらめったらに撃ちまくる。

 

 次から次へと湧き続ける敵の動きは杜撰と言って差し支えなかった。きっと艦載機は落とされてもう無いのだろう。雨だれのように適当に副砲を撒いてくるだけの空母は回避すらせずに直撃を受けて沈んでゆく。取り巻きの戦艦や重巡も手負いばかりで、全滅させるのにそう時間はかからなかった。

 

「ッ、……………。……………!」

 

 敵反応、背後のクラゲ以外ナシ―――――!! 2人のための露払いが終わる。休む暇はない、また手伝いを…………片足を軸に、急いで振り向いた。レ級は目に映った光景にはっと息を呑む。

 

 この数分で一体何があった。防空棲姫が壁にめり込んだ状態でぐったりしていて、それを庇うように照月が力任せな突撃を敢行しようとしていた。

 

 だめだその動きは―――見切られてる―――!!

 

 咄嗟にレ級は刀を海月姫目掛けて投げた。しかし、敵の動きを止めることはできない。

 

 レ級と防空棲姫の眼の前で、照月は艤装に大量に触手を差し込まれる。あの夜の防空と同じく、一切の身動きが取れなくなった。

 

「照……月いぃ………………!!」

 

「グッ……うっぅ………!!」

 

「……………………………………………ッッ!」

 

 情けない……助けに来たつもりが、対応が遅れた。砲身の折れた連装砲を敵に投げると、レ級は単相砲でそれを撃ち抜く。残った火薬に引火させて爆発する事は上手く行ったが、かすり傷程度しか海月姫に効いているように見えなかった。

 

「ここまでだな、防空棲姫? 手も足も出ないとはこのことを指すよな??」

 

「「「!!」」」

 

 こいつ、防空棲姫のことを知っている!? 効かないとわかりながらも残ったナイフや空弾倉なんかを投げるレ級を無視して海月姫は悠々と話す。その口から出た発言に、3人は目を見開いた。

 

 不意に、基地の廃墟の崩壊が始まる。激しい撃ち合いに耐えられなかったか、赤錆を花びらのように散らしながら、轟音とともに一際大きな建物が土台ごと崩れ落ちた。

 

「ほう?」

 

「がっ……は!」

 

 見ていない間にいい一撃を食らったらしい。防空棲姫はえづくばかりでその場から動かなかった。レ級は急いで最短距離で近づき、彼女を小脇に抱えて崩落する基地から離れる。

 

「丁度いい! 邪魔が入らず嬲れるじゃあないか………」

 

「………………ッ!」

 

 がしゃがしゃと崩れ落ちた鉄屑は海上に壁を築いて海月姫と照月•レ級と防空棲姫の2者ずつを引き離す。

 

 焦るな。ここは一旦引き下がるしかない。顔を蒼くしている防空棲姫に不安に思いながら、レ級は比較的損傷の少ない港の入り口らしき場所まで後退した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 息が上がる中、レ級は防空棲姫の応急処置をする。元は基地なのだから何か敷くための布ぐらいあるだろうと探ったところ、たまたま近くの建物にあったベッドから取ってきた布団の上に彼女を乗せる。かび臭くてホコリがすごいがこの際贅沢など言えないだろう。

 

 幸い骨が折れたり激しい出血があったりなどはなかった。流石は姫級、自分のよく知る南方棲鬼様より頑丈だな、等と考える。手当の傍ら、レ級自身も千切り取ったカーテンの布で強引に自分の額から流れてくる血を止める。

 

「ははは…………情けないや、私……………」

 

「……!」

 

「助けられてばかり。なんの役に立ちやしない……自惚れだった。自分の強さなんて……誰一人守れやしない………」

 

「……………」

 

 包帯の巻かれた手で顔を覆って丸くなり、唐突に防空はそう言いながら泣き出してしまった。

 

「あの時。死ねばよかったんだ私なんか――――」

 

「!!」

 

 すべてがどうでも良くなって、彼女がそういったとき。

 

 

 ぱちん。と、大きな破裂音が響く。防空棲姫はレ級に、少し強めに頬を平手で叩かれた。驚いていた彼女の胸ぐらをつかみ、レ級は怒鳴った。

 

「ば……ぉぃふぉん……っぁぁい!!」(馬鹿なことを言うものじゃない)

 

「!?」

 

「ぃんぁッ、ひっぃげつぁぃ………がぃし(みんなが必死に繋いだ命、)………ぇ!!」(無駄にしないで)

 

 声の出せない彼女の怒号は、静かなものだった。破裂音や辛うじて判別できる母音ぐらいしか発せないからだ。が、表情と口の形で何を言っているか、どれぐらい必死なのかはわかる。防空棲姫の中に渦巻いていた黒いものは次第に薄まっていく。

 

 服を破りそうなほど強かった力が段々と弱まる。レ級は眉間に寄せていたシワを深くしたまま、無理やり上体を起こした防空棲姫になにか押しつけた。

 

「…………!」

 

「?」

 

 レ級がくれたのは細身のサーベルだった。先程まで使っていた刀やナイフの予備なのだろうか、全く刃こぼれや血糊がないあたり一度も使っていないらしい。自分で使えばいいものを、どうやら彼女は防空棲姫のために温存していたらしかった。

 

「剣……なんで……?」

 

「………………」

 

 困惑していた防空に、レ級は彼女の羽織っていた上着を指差す。そこには出撃時に準備したナイフ―――この長期戦で消耗し、レ級が使い倒した物には及ばないものの、刃こぼれしている物が指してある。まだ切れ味鋭いこのサーベルはこれらより遥かに上等だろう。

 

「あ、貴女ね、もう少し自分のこと考えてッ」

 

「♫」

 

 苛立ち気味に捲し立てる防空棲姫の口に人差し指を立てた手を置き、レ級は静かにするようにと伝える。そして、彼女は口を動かした。

 

 あなた(貴女)だけが たより(頼り)です。 みんなのつくった さいご(最後)きぼう(希望)。 そのけん()で つないで(繋いで)ください。

 

 声が出せない代わりに。レ級は大袈裟に口を動かし、そう言った。

 

「………!」

 

 防空の剣を握る手にそっとレ級も手を置く。しっとりとした彼女の手から、じんわりと体温が伝わる。

 

 しっかりと物を受け取ったその時だった。突然レ級は咳き込みながら片手をついて蹲る。どうしたのかと防空は思ったが、考えてみれば当然か。もう何時間とみんなは戦っている。彼女にも体力の限界が来てしまったらしい。

 

「…………レ級、ありがとう。でももう下がったほうがいい。その傷じゃ邪魔になるだけだ」

 

「……………………」

 

 どうやら自分でも同じ事を考えていたのだろう。きつい言い方になったと秋月は言ったあとに気付いたが、レ級は先程とは打って変わって嫌な顔一つせずにふらつきながら後退を始めた。

 

 まだ塞がっておらず血の滲む傷跡を抑え、脂汗をだらだらと流す彼女を見送り、再度秋月は攻撃を再開する。

 

 2度目は無い。今度こそ、この手で――――。

 

 艤装に貼り付けていた花束から、花弁が散っていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「痛いか? 痛いだろうなぁ……でも上等だな、この程度でも喚くやつはそれなりに居たからな………」

 

「ぐっ、ん………ぅぅ!!」

 

「そう怖い顔しないでくれよ………私はただ、遊びに付き合ってほしいだけなんだよ」

 

 防空らと分断されてまだ数分。照月は海月姫に宣言通りなぶられていた。

 

 どう考えても正気とは思えない。青く光る瞳を血走らせながら、だがしかし興奮しているようには思えない落ち着いた声色のこの女を。ただただ異常なモノと、照月の目は認識していた。まだ殺す気が無いのか、明らかに拘束が弱い所が尚更不気味に感じられる。

 

「離せッ……このぉ………」

 

「お前が私と仲良くなりたいそうだから、こうして近くに来させてやったものを」

 

「誰がっ、貴女みたいな異常者に!!」

 

「異常者? 面白い……姉が姉でないと知り、深海棲艦であるのも知っていて慕う貴様らの方が異常者だ」

 

「貴女に何がわかるんですかッ!!」

 

 右腕を締め付けられる力が段々と強くなる。二の腕が鬱血して蒼くなるにつれ、痺れて感覚がなくなる。息を乱しながら、照月は護身用のハンドガンを左手に持ち、縛られた手で強引に安全装置を解除して発砲した。

 

「貴女なんてっ、怖く、無いッ!」

 

「ははははっ! あぁ……かわいい子だ……無駄な抵抗だと言うのに……」

 

 言うまでもなく、目や口内といった部分はともかく、大鑑主砲を物ともしない、ましてや恐らく自身の体に改造を施しているだろう海月姫に。対人用の拳銃など、蚊ほども効く筈がなかった。

 

 建設現場のプレスマシンでもびくともしないような頑健な構造の艤装を、女は素手でバターでも溶かすようにぐちゃぐちゃに握り潰す。頭が理解を拒む現象に、照月はただただ怯える。

 

「ふふ、はは……怖いだろう?」

 

「そんな、こと……!!」

 

「声が震えているぞ……? お前の姉は私に近付けない……家族ごっこの好きな防空棲姫は目の前で妹(もど)きを殺されるんだよ……」

 

「姉さんは、必ず来る!」

 

「無理だな、心が折れていた顔だよアレは。くくく…………人に媚びを売っていたのか知らないが、まさか艦娘に紛れていたとは。まぁ、周りの君らが弱すぎるから気を使って全力じゃなかったようだがな?」

 

「!? そ、そんな……………」

 

 海月姫の好きなこと。それは弱い者いじめだ。ニタつきながらこの女は言葉や暴力で相手を捻じ伏せて、顔を歪ませる相手を見ることが何よりも好きだった。自分のやりたいままに照月に言いたい放題口を動かしていたときだった。

 

 ドオオォォン―――!! かなり近い場所から廃墟の崩れる音が轟く。サビを含んだ茶色い煙がたっていた場所へ、海月姫はすぐさま砲撃と同時に触手を送り込む。

 

「「!!」」

 

 秋月かレ級が来てくれたのだろうか。照月は目を見開く。海月姫の方はというと、突っ込んだ髪が瞬く間に切断された感覚と、埃の舞う地点から正確にこちらを狙撃されて驚いた。

 

「…………………………………!」

 

「…………………しつこいな。邪魔をしないでくれと、何度言えばわかる?」

 

 薄れていく煙の中に赤い光が複数見える。果たしてそこには、最低限の武装のみの軽装な防空棲姫が立っていた。背中には専用の姫級の艤装は無く、秋月としての装備のみ、右手に細い剣を握っているのが見える。

 

「決めたんだ………みんなから頼まれたんだ。お前はここで仕留める!!」

 

「たった一人で何ができる? 妄言もここまで行くと立派なものだ…………」

 

 身動きの取れない照月と、既に満身創痍に見える防空棲姫とを海月姫は交互に見る。口角を釣り上げて、女は縛り上げていた照月へ呟いた。

 

「良い余興を思いついたぞ……照月。お前の目の前で、あの偽物の姉の首を飛ばしてみせようか」

 

「………!!」

 

 背筋が凍る。余計なことを想像してしまって、そして姉がこの怪物に勝てる想像がつかなくて。照月はこれから何が起こるかわからない恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

 

 姉さん……秋月姉さん。どうか負けないで!!

 

 今この瞬間。義妹の彼女には祈る以外の事はできない。

 

 

 2人の最後の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 




チャージしたぶん、マッハで更新すっぞ


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