アイマイな彼、フツウなキミ (メグリ)
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アイマイな彼、フツウなキミ

寒い・・・

 

人や車が小さい点となって地上を動き回っている。

さくらニュータウンを上空から見下ろしながら、オロチは先ほどから思案している。

 

「寒い・・・。」

 

久々の任務を完了させたところだった。

梅雨入りした空はまだ日中だというのに鈍く気だるい雨色に染まり、湿った冷たい風を吹かせる。

オロチはわずかに身体を震わせた。

蛇属性の変温体質は、恒温のそれのように安定した体温を保つことができず、気温にそのまま影響を受けてしまう。

もともと低体温だが一度寒いとなると比例してさらに体温が下がっていき、いったん下がってしまったものは自力ではどうにも戻せなくなる。

太陽が出れば身体を温めることもできるのだが・・・この曇り空ではとうぶん出てきそうにもない。

オロチの身体はそうしているうちにもどんどんと冷え、震え出す。

 

どこか温かいところ・・・

 

パッとケータの顔が浮かんだ。

 

ケータもう帰ってるかな・・・。

 

しばらく考えた後、オロチの身体は角度を変えた。そのまま落ちるように一気に降下していく。

ある程度の低さまできたところを今度は垂直に、より速度をつけ風を巻き起こしながら飛ぶ。

家、木、車、そして人。

それらを避けながら、オロチは両手を広げクルクルと身体を回転させる。

ひゅうひゅうと風は切られ髪がなびいた。

飛ぶのは嫌いではない。

人ではなくアヤカシの身になって良かったと思うこと。

どこでも飛んでいける。

妖気に満ちている。

 

窓から覗くと、ケータが机に向かって難しい顔をしていた。

おそらく宿題でもやっているのだろう。

ジャマをすると悪いかもしれない。

でも・・・寒い。

 

オロチはそっと窓を開け、近づいた。

 

「・・・ケータ。」

 

「え、・・わっ!オロチ!?」

 

振り返ったケータは目を丸くして仰け反る。

 

「び、びっくりしたぁ!!」

 

「ケータ、手。」

 

「え?えっ!?」

 

オロチの両手がひんやりとケータの手に触れる。

心臓をドキドキさせながらケータがその手を包むと、しばらくしてオロチがため息をついた。

 

温かい・・・

 

「ジャマして悪かったなケータ。帰る。」

 

「は!?もう帰るの!?なんで?」

 

「宿題やってただろ。」

 

「宿題なんてすぐ終わるし!待ってて、終わらせちゃうから!」

 

宿題を後回しにしたらおそらくオロチはそのまま帰る。

ケータは焦って算数の問題に取り組んだ。

 

【問題】

15分間に600個の部品を作る工場があります。

この工場では、40分間に何個の部品を作ることができますか。

 

「おもしろいな。」

 

オロチがケータの横から問題を覗き込む。

 

「なぜ40分なんだ。40分後に何があるんだ。」

 

ち、近い・・・。

ケータのほうは動悸がして集中できない。

 

「えーと・・・40分後に工場の社長が見回りに来るとか・・・かな・・・。」

 

この問題は1分間に何個作れるかを考えるんだな、きっと・・・

あー、でも式が思いつかない。オロチが近くて緊張する・・・

 

「1600」

 

横からオロチが答えた。

 

「この工場の人間は40分で1600個を奉納する。」

 

「わっ、オロチすごい!」

 

ケータは目を見張った。

 

「どうやって答え出したの?暗算!?」

 

「・・・人だった時に、そろばんを少し習ったことがあるからな。」

 

人間だった頃に育った家は貧しかったから、『習った』というのは語弊がある。

村で唯一そういった類いのものを持っていた家の者がパチリパチリと音を響かせるのが面白く、家事の合間に窓から覗いて見よう見まねでなんとなく覚えた、というのが実状だった。

朝に晩に仕事はあり、オロチが手習いを受けたのはかろうじて読み書きくらいだった。

それでも、それだけでも受けさせてもらえたことが有難かったとつくづく思う。が、その後も就学の機会が特にないまま今に至り、たまになんとなくそのことについて考えるときがある。

何故かオロチの周囲の妖怪にはいにしえからの高貴と部類される出が多い。

キュウビも長く続く由緒正しき家柄なのだと以前、土蜘蛛から聞いたことがある。

だからなのかキュウビは何でもよく知っているし、遠回しにしろ直接的にしろオロチはよくたしなめられる。

先日などは「マナーや常識をわかった上であえて外して楽しむ酔狂と、キミの無鉄砲さは違う。」と苦笑混じりに言われてしまった。

つまりキュウビからは、私に世の常識や作法が身についていないように見えるのだろう。

エンマに至っては、おかしなことを言っていないはずが話していると時々鼻で笑うのが気に入らない。

エンマに終始付いているぬらりひょん曰く、教養というものを積み重ねていないことがさらに私の視野を狭くしているのだと。

帝王学というのか王家を継承する為の特別教育をほどこされ、あのチャラチャラとした性格にも関わらずエンマは軽々とそれらの習得をこなしている。

何故かそんなやつらばかりが周囲にそろっている。

そういった面々に引け目を感じるつもりは毛頭ないのだが、由緒正しい者たちの中で自分はきっと妖気の強さだけで今の座を得てしまったのだろう、と思う時もある。この立ち位置に来るのは、早すぎたように思うこともある。

 

「そろばん!俺のクラスにもそろばん習ってるヤツいるよ!」

 

ケータは明るく目を輝かせる。

 

「すごいなあ、習ってたんだ!式を立てなくても暗算できちゃうなんて、かっこいいよね。

 俺もそろばん習ってみたいなーなんて一瞬思ったこともあったんだけど、その時一番興味あったのがサッカーだったから結局・・・」

 

満面に笑みを浮かべて話し続けるケータを見て、オロチは自分の発言の齟齬に気恥ずかしさを感じながらもホッとする。

フツウだ。あまりにもフツウな反応だ。

良かった…ケータが今日もフツウで本当に良かった。

 

「…ん?何?」

 

ケータが聞いてくる。

 

「いや、今日もケータがフ・・・」

しまった。ケータはフツウと言われるのはイヤなんだった。

 

「フ…フラッグシップ?」

 

「えっ?どういう意味?」

 

「さ、さあ、私にもわからない。」

 

オロチは目をそらす。

 

「ケータ、宿題まだ残ってるぞ。」

 

「あ、わかった。次は国語。」

 

【問題】

この物語を通して、作者が最も伝えたいことはどんなことか、まとめましょう。

またそのことについて、あなたはどんな考えをもったか、記しましょう。

 

「なぜこの作者の脳内をまとめなければならないんだ。」

 

「いや、なんでって…俺だって毎回、なんで他人の言いたいこと考えなきゃならないんだって思うけど…。」

 

オロチは黙って教科書を読んでいる。

 

「…わかる?作者の伝えたいこと。」

 

「さっぱりわからない。」

 

「そ、そう?俺は一応、なんとなくこう言いたいんだろうなっていうのはあるけど…」

 

「そうか…すごいな。」

 

生返事をされて、うわ、オロチ、こういう問題すっごく苦手そう…とケータは心の中でクスクス笑う。

 

ケータが宿題に取り組む間、オロチのほうも横で熱心に教科書を読んでいた。

 

「宿題、終わったぁーーー!」

 

ケータが大きく伸びをする。

 

「良かったな、ケータ。」

 

オロチは辺りを見回す。

 

「今日はジバニャンは?」

 

「出かけていったよ。たぶん、いつものコンサートかイベント。」

 

「そうか。」

 

オロチは少しガッカリする。久々にジバニャンを撫でたかった。

 

「あの白いのは?」

 

「え、ウィスパー?あれ、そういえば…おかしいな。オロチが来る前までいたんだけど…。」

 

ケータはしばらくキョロキョロしていたが、やがてニッコリ笑う。

 

「ま、いっか!」

 

そして勢い良く立ち上がる。

 

「そんなことより遊ぼうよ!宿題終わったし!」

 

ケータは引き出しをガサガサとあさる。

 

「あ、あった。ねえ、トランプやらない?」

 

「トランプ?」

 

「うん、トランプ。雨ばっかで校庭で遊べないからさ、先生がトランプなら学校に持ってきて遊んでもいいって。

 だから俺のクラス最近けっこう流行ってるんだよね。」

 

ケータは部屋の真ん中に座ってシャッフルし始めた。

 

「スピードやろうよ。やり方、教えてあげる。」

 

スピードとは。

隣り合った数字のカードを次々と出し、相手よりも早く持ち札をなくせば勝ちという、2人でやっても楽しいゲーム。

ケータのクラスでは一時期休み時間ともなるとそこかしこでスピードが始まったほど、人気があった。

 

「やり方わかった?」

 

「ああ、たぶん。」

 

「じゃ、始めよう!」

 

オロチは初めてだから最初は手加減してあげよう。

…なんていう気遣いは無用だった。

 

オロチが迷うことなく出してくるカードの速さにケータは全くついていけず、結果は勝負にならなかった。

 

「な、なに!?オロチ初めてなのになんでそんな強いの?!」

 

ふっ、とオロチは薄く笑った。

 

「瞬発力と集中力が足りないなケータ。

目の前のコマのみ見ずに、手元のカードを覚えて常に一手二手先の戦術を練るんだ。」

 

スピードに戦術なんて必要だったんだ…。

 

何度やってもパッとカードを置かれてしまいケータは全く勝てない。

オロチはどんどんカードを出してきて、もちろん手加減してくれる様子もない。

 

初めてやるゲームでも負けないって、やっぱオロチってエリートなんだな・・・。

ケータは変なところで感心してしまう。

 

「これで終わりだ。」

 

オロチが楽しげな様子で最後の1枚を置く。

 

「ケータ、もう一回やろう。」

 

「えっ、もういいよ。7回もやったし勝てないし…。それよりさ、」

 

「…なんだ。」

 

「キス…」

 

最後まで言い切るのが恥ずかしく、濁しながらケータはオロチに顔を近づける。

 

「ん…」

 

短いキス。

ケータは自分の頬が染まっていくのがわかった。

 

「ケータ。」

 

「な、なに?」

 

「からい味がする。」

 

「え、ええっ!?あっ、そういえば今日の給食カレーだったあぁぁぁ!」

 

ごめん!ほんとごめん!

ケータは叫びながらすごい勢いで階段を駆け降りていく。

階下で水を流す音、うがいの音が聞こえ出した。

 

別にいいのに。

 

オロチは笑いが込み上げる。

それにしてもトランプ、面白い。

 

戻ってきたケータは顔を真っ赤にしている。

 

「もう大丈夫だから!ごめんね!」

 

ああ、ケータは可愛い。

 

「かまわない。トランプの続きしよう、ケータ。」

 

「あ、えっと…キスの続きは…?

キスの後どうするか、俺もう知ってるよ?」

 

「何が?」

 

「え、何がって聞かれると言いにくいけど…。その…キス以上のこと…。

言ってもいい?」

 

「ダメだ、ケータ。ここまでだ。おまえにはまだ早い。」

 

ケータはグッと詰まった。

 

「じゃあ、いつになったらいいの?!」

 

「そうだな、ケータがハタチを越えてからだな。」

 

「うっわ!何それ!?ありえないよ!」

 

「ありえないのはケータの発想だ。まだ子どもなのにそういうことを考えるな!」

 

オロチの目がつり上がっている。

本気で言っているのかどうかは抜きにして、こういう顔の時のオロチは言い出したことを絶対に下げないことをケータは知っている。

 

「もー…、わかったよ…。」

 

まずは受け入れざるを得ない。

 

「あのさぁ、じゃあ自分はどうなの?キス以上のこと、オロチも誰ともしてないよね?」

 

一瞬間が空き、オロチはフイと顔をそらした。

 

「私は妖怪だから関係ない。」

 

「ず、ずるーーーいっ!!!」

 

コンコンとドアがノックされて、母が顔を覗かせた。

 

「ケータ、さっきからひとりで何を騒いでるの?」

 

「わっ、お母さん、ごめん!な、なんでもないから!」

 

見えないことをいいことにオロチはすましている。

母がいなくなると、ケータはオロチに身体を寄せる。

 

「ねぇねぇ、キスの後にギューッてするの、あれってそんなに悪いことだったの?」

 

「えっ?」

 

「ほら、よくテレビとかで、キスした後お互いギューッと抱きしめるじゃん。あれって、ダメなの?」

 

「・・・ああ。」

 

オロチは頬が少し赤くなりマフラーを引き上げた。

ケータが言ってたのは抱きしめるだけのことだったのか。

 

「ダメじゃないな。」

 

手を伸ばしケータの身体を引き寄せるとギュッと抱く。

ケータが顔をまたも赤くして抱き返してきた。

 

温かい、温かい身体。

 

人の子どもの身体の温かさがじんわりと染み込んでくるのを、オロチは目を閉じて受け入れた。

 

愛おしい、懐かしい、温かさ。

羨ましい、もう戻れない。

 

人に触れるたびに胸がいっぱいになる。

色々な記憶。人だった頃に見えていた情景。

 

「あのさ・・・」

 

ケータが小さくつぶやく。

 

「俺もいつかは妖怪ウォッチを誰かに引き継ぐのかな。

 ハタチになって・・・俺、妖怪が見えなくなってたらどうしよう。」

 

最近ケータはよくこういう発言をする。

 

「ケータが妖怪ウォッチを手離すことになっても、妖怪が見えなくなっても、それは成長の証でもあるから仕方ない。」

 

オロチはケータの背中を優しくさする。

 

「仕方ないとかそういう寂しいこと言わないでよ。どうにかしたいよぉ。」

 

ケータは思わず涙ぐむ。

 

「いいよ、俺、転生したら妖怪になるから。そしたらオロチと同じだよね。」

 

「…」

 

オロチは困った顔で笑う。

 

私は今目の前にいる人間のケータが好きだ。

でもきっとケータなら、何度転生しても陽の当たる道を歩んでいけるのだろう。

 

「ケータ」

 

「…ん?」

 

「もう一度やろう、トランプ。」

 

ニコッと笑いかけられ、その貴重な笑顔にケータのほうもつられて顔が緩む。

 

「ふふっ」

 

ケータの顔に笑顔が戻る。

 

「そうだね、やろうか。」

 

念入りにシャッフルを始めたケータをオロチは見つめる。

 

ケータがこちら側の世界を見なくなっても、私がケータを最後まで見届けてあげる。

今生をずっと、守ってあげる。

ケータが転生したらその先はまた別の誰かと巡り会って、ずっとずっとケータが幸せでいられるように祈ってる。

ケータがその笑顔と温かさをいつまでも持っていられるように。

 

 

 

 

トランプが終わると、オロチはハッと顔を上げた。

思いがけず長い時間が経過していた。

 

「そろそろ帰らねば。」

 

「もう帰るの?」

 

ケータは寂しそうな顔をする。

 

「…でも今日は良かった。オロチが遊びに来てくれたから。」

 

「ああ、私も良かった。ケータが今日もフ…」

 

「フ?」

 

「フ…フラジャイル」

 

「えっ?どういう意味?」

 

「さ、さあ、私にもわからない。」

 

オロチは目をそらした。

ケータは首を傾げる。

オロチは時々「フ」から始まるカタカナを突然喋る。

 

 

窓から飛び立つ。

冷気がサッとオロチの身体を包む。

でも大丈夫。

オロチは風を切り裂き飛行しながら、片手を頬にあてる。

まだ温かさの余韻が残っている。

 

オロチが飛び去った上空を見つめ、ケータはたたずむ。

入り混じった寂しさが今日も心の隅にくすぶる。

でも大丈夫。

ケータは笑って、自分の頬に手をあててみる。

この手はキミの冷たい手を、これからも何度でも、温めることができるから。

 

 

 

 

 

 

 



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