あの、月の綺麗な日の陽だまりの中で(仮題) (RyuRyu(元sonicover))
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物語のおわり、はじまりの物語


──誰もいない、静かな場所。大好きで、大嫌いな場所。


 ──恥の多い生涯を送ってきました。

 

 去年の夏休みの読書感想文で読んだ本の冒頭が確かそんな感じの文から始まっていた。

 

 物語は、確か、自分の本心を悟られまいと道化を演じた男の半生を描いた私小説風のフィクションだったか。

 

 去年の俺はその本を読んで、主人公の堕落していく様子と『学校』という社会の()(わる)きを凝縮したような箱庭の異常性とを関連させて現代社会を自分の思うままに批判した所、当時の国語担当の教諭が、担任、学年主任を引き連れてわざわざ俺の所まで怒鳴りつけてきた。

 

 曰く、中学二年生の分際で学校の何たるかを、社会を舐め腐ってるんじゃないかと。

 

 そのうちの担任の教師は、割とガチで俺の精神面を心配して個人的に半ば無理矢理に心理カウンセラーを紹介してきた。大きなお世話である。

 

 俺──赤崎飛翔は中学一年生の時に両親を亡くした。結婚二十周年を記念して家族でとある国に家族で旅行した時に、テロ事件に巻き込まれて俺を庇って死んでいった。

 

 以来、俺は三人で過ごしたこの家に一人で住んでいる。

 

 中学三年生になって早一ヶ月。広い家で一人暮らしを始めて約一年半。決まった時間にベッドから這い出し、オーブンレンジでこんがり焼いたトーストにバターを塗ってかぶりつく。ボサボサに伸びた髪の毛からぴょこんと跳ねた寝癖を直しながら、のそのそと制服に着替えて学生鞄を肩にかけて家を出る。歩いて十数分、この通い慣れた道も今年で最後だと思うと少しだけ寂しくなる、ような事は決して無い。そんなセンチメンタルな感情は持ち合わせてない。

 時は移りゆくもの。過ぎ行くを惜しむより、先を見据えて行動する。それが俺のモットーだ。

 

 学校に近づくにつれて同じ制服を着た男女が多くなる。

 

 後ろから誰かが走ってきて声をかける。

 すると前を歩く奴が反応してこちらを向く。

 声をかけた人は俺を通り越してそいつへ駆け寄って共に俺に背を向ける。

 

 俺がいなくても成り立つ朝の一風景。むしろ俺がいない方が様式美として成り立つ。

 

 この世界、主人公は自分自身という最早テンプレと化した言葉があるが、少なくとも俺は自分の人生の主人公は俺であるはずがない。

 

 

 だから、だからこそ、俺はこの物語からいち早く離脱したいと常々思う。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 学校では、俺は空気になる事を望む。

 目立ちたくないし、目立たれたくもない。

 だから、教室に入って向けられる、様々な感情が篭った同じクラスの奴らの視線や、俺の机の上に置かれた、彼岸花が生けられた花瓶にも特別感情を、表情を変えることは無い。

 

 授業中も俺に対する扱いは変わらない。

 消しゴムの削りカスを投げられるのはいつもの事、先端を硬くした紙飛行機や不要なプリントをガムテープでぐるぐる巻きにしたボールを頭を狙って投げてくる時もある。

 教科書を開けばいつやったのか油性ペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶされているし、ノートには罵詈雑言が全ページに渡って書き連ねている。ご丁寧な事で、本当にいつやったのか俺が知りたいくらいだ。

 

 教科担当の教諭は全ての問題の答えを俺に求め、立たせ、黒板に書かせる。特に国語は、明らかに大学の入試問題レベルの記述問題を授業の半分以上を使って解かさせたりされた。もちろんその間も、後ろから紙飛行機は飛んできたが、その教師から咎める声は何も無い。担当教諭の出す問全てに答えていたら自然に学力が上がって、二年生の学年末テストでは見事学年一位を獲得した。

 そしてそんな無駄な事をさせるものだから俺の所属するクラスの国語の成績は全員が軒並み低評価となり、国語の担当教諭は減俸処分になったという。なんというか、可哀想な話である。

 そのおかげでそれまでの行為がエスカレートしたのは言うまでもないが。

 

 そうやって、全ての授業を欠席せずに受けて放課後、持参した靴袋の中身を外靴から上履きへと変えて帰路に着く。もちろん常識的に下駄箱は使わない。今頃は牛乳の染み込んだ雑巾にキノコが生えているだろう

 

 いつもは真っ直ぐ家に帰るのだが、今日は何故かそういう気分にならなかった。携帯を見ると、なるほどそういう事か。

 

 ──今日は、両親の命日。父さんと母さんが死んだ日だ。

 

 たまには寄り道して帰ろう。それで花でも買って家の仏壇に手向けてやろう。そう思うくらいには二年生の秋から続く行為に嫌気が差してきたのかもしれない。それくらい、許して欲しい。

 

 ただし同じ制服を着た奴らに目撃されては寄り道しても気晴らしにはならない。そう考えた俺は学校から少し離れた駅へと足を向けた。

 

 

 

 

 電車に揺られる事数十分。

 俺は知らない駅に降り立っていた。車内で寝てしまったのがいけなかったのかもしれない。

 

 今から引き返そうか。

 

 黄昏時の空を見てそう思った時、雑踏に紛れて駅のアナウンスが聞こえてきた。

 

『──18時34分頃、○○駅で人身事故が発生した為、只今全線で運転を見合わせております。運転再開は20時50分頃を予定しております。繰り返し、お知らせします-』

 

 ああ、きっとこの人の人生はこの人が主人公なんだ。

 

 だから、この人は自分の物語に幕を自ら引いたんだ。

 

 ──弱い人だ。

 

 自分が人生の主人公だと思うから、意識してなくとも脳の片隅でそんな事を認識しているから、自分に対して絶望なんてするから自ら幕を引くという決断ができるんだ。

 

 翻って、俺はどうだろうか。俺の人生には終わりがない。主人公がいないから。幕を引く必要がないから。それとも、もう絶望しきっているからなのか。

 

 そんな事を考えているうちに、何だか電車を待って家に帰るのも馬鹿らしくなったので、改札を抜けて、ぶらぶらと、薄暗い街を散策してみる事にした。

 

 ふと、気になって、改札を抜けた先で駅名を確認した。特に確認して何になるかと言ったら何にもならないけど、自分の本能に従って確認してみた。

 

 ──『椚ヶ丘駅』

 

 うむ、初めて見る名前だ。

 

 でも、こういった初めての街でこその発見や出会いがあるのではないか。

 

 「……はっ」

 自嘲的な笑みが零れた。

 なんなんだろうな、俺は。そうやって変な所で変な希望を持って。馬鹿なんじゃねぇのか。

 

 未だ自らを蔑むような笑みを浮かべながら、俺は夜の椚ヶ丘の街へ繰り出した。

 

 

 

 

  ◆◆◆

 

 

 

 

 駅前のバスロータリーを抜けて歩くこと数分、住宅しかないこの区画に場違いすぎるほどの巨大な建物が、そこにはあった。見た感じだと学校、もしくは何らかの研究所か。少し気になって、敷地の塀伝いに歩くと、建物に相応しい立派な門が存在感を放っていた。

 

『椚ヶ丘中学校高等学校』

 

 やはり学校だったようだ。正門と思われるその門の脇に刻まれてあったのを見てそう思った。

 

 今までの俺だったら、そこでこの学校に対する興味は失せて、駅の方へと足を向けていただろう。

 だが、何を考えたのか、まだ電車が止まっているのを理由にして家に帰りたくなかったのか。わからないが──わかろうとも思わないが、椚ヶ丘学園の校舎、その向こうにある小高い山に俺はどうしようもなく興味を持った。

 

 もっとも、もう既にこの学校に対する興味は無かったので、俺はその山にまるで吸い寄せられるように足を進めた。

 

 山の麓には、ある程度整備された山道が暗闇に向かって続いている。その道を進んで行くと、頂上付近で急に視界が開ける所に出くわした。

 

 広場みたいな場所で、薄暗くてよくわからないが、隅の方には砂場や、サッカーゴールの枠組みがあり、所々に生える雑草や、ここが山奥というのもあって、今は使われていない、寂れた公園だろうかと予測した。

 

 誰もいない静かな場所を何よりも好む俺にとってはここが自宅の次に居心地が良いと感じ、しばらくの間、ゴールポストに寄っかかった。

 

 ──どのくらい経っただろうか。

 

 時計を見ると、九時を回った所だ。どのくらい彷徨っていたかはわからないが、思ったより長くここにいたようだった。

 

 もうそろそろ帰ろう。それでこの場所にはもう来ることは無いだろう。

 

 体を起こしてここに来るまでに使った山道に戻ろうかと思ったその時。

 

 何故今まで気がつかなかったのだろう。俺が登ってきた山道と反対側に、古ぼけた建物がひっそりと建っていた。

 

 猫よろしく夜目が効く訳でもないので窓越しに見ても中の様子はわからなかったが、廃墟も同然のこの建物には誰かが使っているという感じがした。

 

 柄にも無く興味を示した俺はもっと知ることが出来ないかと注意深く部屋の中の様子を見た。

 暗闇にも慣れた目でようやく視認出来たことは、三人分のデスク、デスクに乗せられた書類、壁に掛けられたホワイトボード……。

 

 事務室か?いや、こんな山奥にこんな場所──

 

「おや?そこにいるのは誰ですか?」

 

 どうやら中の様子にいつの間にか夢中になっていて、背後の方に気を使えていなかった。

 

 ──どうする。今の俺は傍から見れば完全に不審者だ。最悪通報まである。

 

 どうやらまだ相手もこちらの存在を完全には認識できてないようだ。

 

 世の中にはこんな言葉がある。

 

 ──三十六計逃げるに如かず。

 

 俺はその場の運に任せて走り出した。

 

 

「あっ!こら!待ちなさい!」

 

 後ろからそんな声が聞こえる。もちろんここで大人しく待つようなバカではないので俺は暗闇が広がる雑木林に走り込んだ。

 

 雑木林を抜けた辺りで後ろに振り返ると、俺を追ってくるような気配はもう無かった。

 乱れる呼吸を整えて、心を落ち着かせると、今自分が置かれている状況が正確に把握できた。

 

 ──うん。ここどこだ?

 

 闇雲に走ったせいで、引き返そうにもどこに進めば良いのかがわからない。雑木林の中は暗闇。よくこんな所転ばずに走ったなと自分でも思う。

 後ろを見れば真っ暗闇。反対に前を見ると、その先が無い。

 この先は崖の様で、下を見ても飲み込まれる様な黒しか見えない。どうやらそれなりに高さはあるようだ。人が落ちれば100%死ぬくらいには高い。

 

「……」

 詰み。八方塞がり。退路無し、かといって進路も無し。

 俺の置かれている状況に常人なら帰れないとかで慌てふためくだろう。

 けど、俺はこれが必然、もっといえば運命だと直感した。もちろん、今日は家に帰れないだろうとも思った。

 が、それよりも、この状況が何故かしっくりくるものだった。

 

 見渡す限りの暗闇。進路も退路も無い──

 

 ──ああ。そうか。今の俺じゃないか。

 

 誰からも認知されず、向けてくるのはせいぜい闇のような黒い悪感情。そんなので雁字搦めの俺は逃げる事も進むこともできない。まさに八方塞がり。

 

 こうやって、誰からも必要とされない人間は淘汰されていくのか。薄っぺらい自分の人生にも何も意味は無かったのかと。薄っぺらい俺にはやはり生きる資格などあってはならないものなんだと。

 

 そう思うと、それまでドス黒く感情で支配されていた脳内がスーッと晴れていくような気がした。

 

 ──なんだ。俺ってばその程度の存在なんだ。

 

 ──薄っぺらいなぁ

 

 崖の先端に立って下を見ると、相変わらず闇がそこを支配していた。

 でも、今の俺には、その闇がこちらに手招きしているようにしか見えなかった。

 

 不意に頬を伝う温かい何か。

 

 

 ああ。俺今泣いてんだ。

 

 

 俺って泣くこと、できたんだ。

 

 

 誰もいない、静かな場所。

 この場所は今、俺とっては最も心が痛む場所になっていた。

 

 ──心が、痛い。

 

 ──嫌だ。ここに居たくない。

 

 崖下の暗闇がこちらへ手招いている。

 

 

 ──もう、いいよな。

 

 

 一陣の風が俺の背中を突き動かした。

 

 身を煽られ、俺はなす術もなく、崖から身を投げ出される。

 

 瞬間、脳内に走馬灯が駆け巡った。

 どれも血反吐を吐きそうな辛い記憶。

 学校の奴らは俺が死んだらどうするんだろうなぁ。きっとみんな揃って万歳三唱だろうなぁ。

 

 ああ、そういえば姉ちゃんには悪い事したなぁ。どうだろ。謝ったら許してくれるかなぁ。

 

 俺って死んだらどっちに行くんだろう。やっぱ地獄かなぁ。天国の父さんと母さんはなんて言うんだろう。

 

 巡りゆく走馬灯の最後、決して忘れることの無い両親の顔と共に雲の隙間から見えた青白い光。

 今年の三月に世界中を騒がせた世紀の大ニュース。

 その七割を失った物を見て、何を思うだろうか。

 

 ──手を伸ばしても掴み取れない、一筋の光。

 

「……歪な月」

 

 その言葉を最後に俺は来たる最期に備えて意識を手放した。



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終わる世界に言う──


──俺は、この世界に絶望した。そのはずだったのに。


 知らない天井。

 

 半開きの窓からそよぐ風。

 

 カーテンの隙間から差す陽の光。

 

 微かに香る消毒液の匂い。

 

 耳元で聞こえる心電図の音。

 

 

 ──結論から言うと、俺は死ななかった。

 

 てっきり死んだつもりでいたのに俺は今、どこか知らない病院の一室で目を覚ました。

 

 あの高さから落ちて何で生きてるんだろ。

 もしかして、ここって死後の世界?やっぱり死んだのか?

 

 体を起こしてみると、体に異常が一つも無い。むしろ無傷。あの高さから落ちて無傷。ますます謎が深まるばかりである。

 

 ──何故生きてるのか。

 ──例え生きていたとしても大怪我では済まない所を何故ほぼ無傷なのか。

 

 ……ダメだ。考え出すとキリがない。

 

「……寝よ」

 

 壁掛けの時計は16時を指し示している。こりゃ学校は休みだな。

 まあ、でも、ここがどこなのかも、俺がどのくらい寝ていたのかもわからないし、学校行ってもどうせ何も変わらないし……。

 

「死んどけば良かったかなぁ」

 

 そう呟いた時、病室の扉が短くノックされた。

 

 姉ちゃんかな?

そう思ったから特に何も考えずにノックの主に入室を促した。

 

「どうぞ」

 

「失礼する」

 

 エアークッションのついた病室の扉を開いて入ってきたのは、姉ちゃんでも、ましては女性でもなくスーツを着た男性だった。

 

 え、誰。知らないんだけど。あ、そもそも知ってる人が姉ちゃんぐらいしかいなかった。しかも身内だから実質ノーカン。あれ、俺知り合いいないな。

 男性はベッドの側に立つと、徐に口を開いた。

 

「こんにちは。俺は防衛省特務課所属、烏間惟臣という。君にもいろいろと思う所があるだろうが、まずは話を聞いてほしい」

 

 防衛省。

 

 その言葉に俺は少しばかり警戒心を覚えて頷いた。

 

「今年の三月、月が何者かによって爆破された事件があった。それはもちろん知っていると思う」

 

 俺は頷いた。

 もちろん覚えている。むしろそれを知らない人の方がおかしいくらいだろう。

 

「その犯人が、今回君を助けた」

 

「……え?」

 

 助けた……?俺を?何故?

 

 未だに理解できていない俺を見て、烏間さんはこう言った。

 

「あとは、当事者に話してもらうのが一番だろう。……入って来い。さっきから窓にへばりついてるのは知っている」

 

「そうですか。バレてましたか」

 

 どこかで聞いた事のある声。その声と同時に病室内に旋風(つむじかぜ)の様なものが巻き起こると、烏間さんの隣に奇妙な黄色い生物が立っていた。

 

「!?」

 

 一瞬の事で全く追いつかない。今、俺の目の前にはさっきまでいなかった黄色いタコみたいな生物がいる。状況整理しても何が何だかわからない。

 

「こんにちは、赤崎飛翔君。烏間先生からの通り、私が月を七割方蒸発させて、昨夜君を助けました」

 

 俺の混乱っぷりを他所に、黄色いタコ型生物は流暢な日本語でそう言った。

 

「いやあ、あの時は焦りましたよ。職員室を覗いていた不審者を追いかけたら、君が崖から落ちているんですから」

 

「はあ……」

 

 て事は、あの時後ろから声をかけたのはこの黄色いタコ型生物で、俺は真っ暗闇の中この黄色いタコ型生物に追われていたのか。

 ……どんなホラゲーだよ。

 

「……でも。なんで俺無傷なんですか?」

 

 それが気になっていた。どうやってこの黄色いタコ型生物は俺を無傷で救ったのか。

 

「ああ、それはこの触手でやったんです。ほら、こんなふうに」

 

 そう言って触手をネットの様に組み上げる黄色いタコ型生物。というよりそれ触手だったんですね。

 

「…そうだったんですか。助けてくれてありがとうございました。それと、職員室を覗いていた不審者は俺の事です。興味本意でやってしまいました。すみませんでした」

 

 大体の状況が把握できて、今更ながら頭を垂れてお礼と、謝罪の言葉を言う。

 

「いえいえ、人助けも教師たる者、大事な仕事の一つですから」

 

 

「……教師?」

 

「はい。こう見えて私、実は中学教師なんです。椚ヶ丘中学校という所の、三年E組を受け持っています。ちょうど君が覗いていた建物で生徒達に授業を教えています」

 

 そう自信満々に言う黄色いタコ型生物。どこかその生徒達を誇りに思うような感じで嬉しそうに言う。

 ……先生、か。

 

「……椚ヶ丘ってあのでっかい校舎の所ですよね。どうして……えーっと…」

「殺せんせー、と呼んでください。生徒達が付けてくれた私の名前です」

 

「……殺せんせーはどうしてあのでっかい校舎じゃなくてあんな建物で先生をやってるんですか?……あ、ごめんなさい。答えづらい質問でしたよね。忘れてください」

 

「……にゅ、どうしてそう思うのですか?」

 恐らく興味本意だろう。殺せんせーはそう尋ねてきた。

 

「や、俺自身その学校の事よく知らないですし、いろいろあるんでしょう。それに……」

 

「……それに?」

 殺せんせーが先を促す。その時の俺はどう見ても人外とはいえ久しぶりに他者と会話した事で少しおしゃべりになっていたのだろう。いつもなら絶対に言わないであろうその言葉がスラスラと出てきた。

 

「……その。その質問をした時に殺せんせーも烏間さんも少しだけですけど、悲しそうな顔をしていたので…」

 

「……」

「……」

 

 虚をつかれた様に両者ともこちらを見ている。え、俺なんか変な事でも言ったかな……?

 

 しばらく固まったままの二人…いや、一人と一体か?まあ、いいだろ。二人で。

 固まったままだった二人は顔を見合わせて頷き合うと、こちらを向いた。……やっぱさっき言ったのがまずったかな…?とりあえず謝らないと。

 姿勢を正した俺を見て、何を思ったのか、烏間さんが口を開いた。

 

「赤崎飛翔君。君もE組に転校して来年の三月までにこの黄色いタコ型生物を殺して欲しい」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 二人が病室から出た途端に病室を静寂が支配した。

 

 携帯を確認してみたら、姉ちゃんから三分置きにメールが来ていた。どうやら今はフランスにいるみたいで、帰ってくるのは六月頃になるらしい。

 

 メールは全部が俺の容態を心配する様な内容で、少し嬉しくなったから、『もう大丈夫。心配させてごめん。あとありがとう』と返信した。

 やっぱり姉ちゃんだなと思いつつ、心配してくれるのが姉ちゃんだけという現実に少し悲しくなった。まあ、電話帳のフォルダには姉ちゃんしかいないんだけど。

 でも今日二人増えた。

 

 電話帳に新たに追加された二人分の電話番号。それと、去り際に二人から手渡されたエアガンとおもちゃみたいなナイフを見て、俺はつい先程のことを思い返した。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

「は?転校……?……え?」

 

 国家公務員の烏間さんから突拍子もない事を言われてしどろもどろになる俺。それもそうだろ。面向かって初対面でいきなり転校しろだなんて、取り乱さない方がどうかしてると思う。

 

 その後、烏間さんにE組について教えてもらった。

 

 全国屈指の進学校、椚ヶ丘中学校。

 そのうち、学業のレベルについていけなかった者、素行不良者を寄せ集めて、あの山奥の廃墟のような建物に隔離させたのがE組。通称、『エンドのE組』。“特別強化クラス”と銘打ったこのクラスは、学内差別の対象になっている。

 一応の救済措置として、定期試験で上位を取って、本校舎の担任から許可を貰えば晴れてE組を脱出できる。

 

 まあ、合理的っちゃ、合理的だわな。

 E組という存在を見せしめに、「E組に行きたくない」と強く思わせる事で、本校舎の生徒の学力を底上げさせる。

 その上、教師陣含めての圧倒的な差別待遇。そりゃあ、同じ穴のなんとやらには成りたくない奴らには効果的かつ教育的にも合理的か。

 

 そして、そのエンドのE組に送られてきたのがあの超生物。

 三月に月の体積のおよそ七割を消し去り、来年の三月には地球をも消し飛ばすとのたまう殺せんせー。どうやら、そこに教師として毎日姿を現す代わりに、E組の生徒に奴を殺させるのだとか。

 要は暗殺。言うなれば、暗殺教室である。

 

 そして、暗殺が成功した際の報酬は、なんと百億円。何をするにも有り余る大金だ。

 

 ──それでも、だ。

 

「あの、なんで俺が転校しなきゃなんないんですか」

 

 何故俺が。

 烏間さんの話を聞いていてずっと思っていた事だ。

 E組の生徒以外で殺せんせーの正体を知ってしまった人は国からの記憶消去手術を受ける事になっているらしい。……まあ、それもそれでなんか嫌だが。

 

 その質問をした後、今度は殺せんせーが苦虫を噛み潰したような声で答えた。表情ではなく、声である。

 

「……君を受け止めた時に見てしまいました。その服の下、あれは普通ではありません」

 

 ……そうか。見られたのか。服の上からでは見ることのできない傷。そりゃあまあ、普通ではないよな。普段なら洋服で隠れる様な所にしかない打撲痕、カッターナイフでやられた切り傷、根性焼きの痕エトセトラ…。中2の冬、毎日校舎裏でワイシャツを無理矢理脱がされたのを思い出す。

 

「それで、烏間先生に頼んで国の方で調べてもらいました」

 

「そう、ですか……」

 

「ですので……」

「お断りします」

 はっきりとした拒絶に場の空気が一瞬止まった気がした。

 

「そんな理由で転校しろというなら断ります」

 こうなったら言ってやる。俺なんて所詮その程度だと。俺という人間の価値を。

 

「哀れみの同情なんていりません。確かに、両親が死んで悲しいですし、姉が日本にいなくて寂しいです。この前だって机の上には彼岸花が置かれていたし、教科書も油性ペンでぐちゃぐちゃにされていました。でも、今更だ。今の状況は俺が選択した結果だ。他人にどうこう言われようと、俺の選んだ道に干渉する事は俺が許さない。同情なんてもってのほかだ。見ての通り、俺は捻れていて、薄っぺらい人間だ。生きている意味なんて無いに等しい。俺なんて死んだ方が──」

 

「いい加減にしろ!」

 

 殺せんせーがうねる触手で俺の頬を叩いた。大して痛くは無かったが、何故か心の方が頬より痛かった。

 二本の触手で俺の胸ぐらを器用に掴んだ殺せんせーの顔色が黄色から変わっていた。

 

 黒。ドス黒い、黒。

 

 顔色でその感情を表すのだとしたら、これは誰がどう見ても、怒り。マジギレだ。

 

 いつもの俺だったならば、ビビりまくっていただろうが、殺せんせーの顔色並に心の中が闇に覆われた、マイナス感情がカンスト状態の俺には、殺せんせーのそのドス黒い表情の奥に、何か得体の知れない悲しみの感情がちらちらと燻っている様に見えた。

 

「おい!落ち着け!」

 マジギレ状態の殺せんせーに一瞬固まった烏間さんだったが、すぐに立ち直り、殺せんせーを止めに入った。

 

「……失礼しました。少し取り乱しました」

 そう言って触手を話した殺せんせーはいつもの、黄色いタコ型生物に戻っていた。

 

「ですが、君がいくら断っても、もうあの学校に行くことはありません。君の転校は確定事項です」

 

「……もう既に国の方で君の転校手続きは完了している。今日俺達が来たのはその報告と確認のためだ」

 

 殺せんせーの通告を烏間さんが補う形で俺に説明する。

 

「……は?確定なんですか?」

 俺の意思は?

 

「はい。私が烏間さんに君の転校を提案しました」

 

「ええ……」

 じゃあ、俺ってなんの為にあんなに啖呵切ったんだよ……。ああ恥ずかしい。

 

「安心してください」

殺せんせーが、諭すように、俺に語りかけてきた。

「E組の生徒達は皆優しくて聡明な子ばっかです。君もすぐに馴染めるでしょう。今まで苦しかった学校生活を、この暗殺教室で是非取り返してみてください。きっと最高の一年になると思います」

 

 殺せんせーはそう言って触手を出してきた。その口ぶりは、本当に彼らを信用しているような、彼らの事を心から誇りに思っているような、そんな口調だった。相変わらず表情はわかりづらいが、どこかで見た、生徒達を第一に考える先生の顔をしていた様な気がした。

 

 ──この先生(ひと)なら。この先生(ひと)がとても大事に思ってるE組なら。きっと……

 

「……確定事項なら仕方がないですよね。よろしくお願いします。殺せんせー」

 俺は出された触手を握った。なんとも言えない感触だったが、どうしてか心が温かくなった。

 

「これが、この教室で使われる、奴だけに効く特製の弾とナイフだ。俺も体育教師として君達の訓練を行っている。週明けからだが、よろしく頼む」

 烏間さんともがっちり握手を交わすと、二人は立ち上がった。窓の外を見ると、既に太陽が赤く染まり、辺りを照らしていた。

 

「では、俺達はそろそろ行くが、君からは何か気になる事はあるか?」

 そりゃあもう、気になる事だらけです。とは言えない。一つ一つ訊いてたらキリがないので、「特に無いです」とだけ言うことにした。

 

「今日は君に会いに来て本当に良かった。明日には退院できるそうですね。私はあの教室で君を待っています。君は、この私が全身全霊をもって『手入れ』します。覚悟してくださいねぇ。ヌルフフフフ……」

 

 去り際にそう言って殺せんせーは窓から飛び出ていった。

 

 ……あの人空飛べるんだ。

 



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嘘も方便


──どうやったって、俺は俺なのだから。


 週明けの朝。いつもなら地獄の一週間の幕開けでもあり、ベッドから出るのすら嫌になった。

 

 でも、今日からは違う。そう信じたい。

 

 烏間さんと殺せんせーに出会った日の翌日、退院する時に防衛省の人が椚ヶ丘中学校の制服を持ってきた。どうやら本当に俺は転校した事になったらしい。烏間さんの仕事が早いのか、国の力が意図せぬ所でかかったのか。どちらにせよ、今日から俺は三年E組の一員になる。この事がどっちに転ぶかわからないが、少なくとも、この先生(殺せんせー)の事は信じてみたいと思う。

 

 トーストにジャムを塗りたくってかぶりつく。

 手早く朝食を済ませて貰ったばかりの真新しい制服に袖を通す。

 

「……うお、超ぴったり」

 卸したてのブレザーなので多少固い所があるが、それ以外は概ね問題が無い。いや、もうホントにジャストフィット過ぎて驚いた。俺サイズなんか教えてないからね?

 

 国って凄いなぁと、他人事みたいに思いつつ、いつもより早めに家を出た。

 最寄りから快速電車に揺られる事十数分。人生初の満員電車は俺のHPがゼロになるには十分でした。

 明日からは各駅停車に乗ろうと心に決めて俺は転校先へと歩を進めた。

 

 椚ヶ丘駅から歩く事十数分。夜中に1回しか通った事のない通学路だったが、それなりに憶えていたみたいで、特に迷わずに椚ヶ丘の本校舎の前に辿り着いた。

 思ったより早く着きすぎたせいか、本校舎からE組へ向かう道すがら、同じ制服を着た人は見なかった。やっぱり快速なんて乗るんじゃなかった。

 山道を登りきると、あの時以来のE組校舎が姿を現した。あの時は辺りが暗かったからぼんやりとしかわからなかったが、想像を超えるボロさ。

 何十年も前の学校の校舎の様で、今は誰も使われていない様な、廃墟と言われてもすんなり納得できるくらいのボロさ。

 

 所々に雑草が生える校庭を横切って校舎の中に入ると、先週俺が覗いた職員室を目指した。昨日のうちに烏間さんからまずこっちに来るようにと言われていた。

 

 木造りの引き戸を開けると、烏間さんがパソコンで作業していて、殺せんせーはグラビア雑誌を読んでいた。

 

 ……朝から何やってんだよ担任教師。

 

 二人と挨拶を交わし、E組で暗殺する上での大まかなルールを教えてもらった。

 

 曰く、授業中の暗殺は禁止。第三者への口外も禁止。口外した場合にも記憶消去手術が施行されるそうだ。なかなかヘビーな罰で少しだけ背筋が震えた。

 ほかにも、殺せんせーは生徒に危害を加える事はできないが、その家族、友人には当てはまらないなど、予想以上に制約があったお陰で時間はいつの間にか朝のHRが始まろうかという時間になっていた。

 

 ……今更なんだが、生徒が先生を暗殺とか、普通だったらありえないよな。マンガにして少年誌で連載しても普通に面白いでしょ。ジャンプとかどうよ?

 

 時間になったので、烏間さんと共に教室へと向かう。殺せんせーは既にE組で朝のHRの最中だ。

 

「……奴からも言われたと思うが、ここの教室の生徒達は皆奴の暗殺という一つの目標に向かっている。個性的な者ばかりだが、皆がそれぞれに長所を持っている。最初こそは戸惑うと思うが、仲良くしてやってくれ」

 

 E組のドアの前。烏間さんからそう言われた。

「……殺せんせーからも、この教室で君の学生生活を取り戻せと言われました」

 

「是非そうしてくれ。でないと君をこの教室に転校させた意味が無い」

 

「……頑張ります。それで、殺せんせーを殺します。改めてですが、これからよろしくお願いします。烏間先生」

 

 そう言って笑う俺を見て烏間先生は期待しているというふうに柔らかい笑みを浮かべてくれた。

 

「出席も取り終わった所で、皆さんにお知らせです。今日から新たに私を殺しに来るクラスメイトが一人増えます。私が望んでこの教室にスカウトしました。それでは入ってきて下さい」

 

 そのセリフで教室内のボルテージが一気に上がった様な気がした。にしても、スカウトって……。

 

 若干の入りづらさを覚え俺は引き戸を開けた。

 

 うう……緊張する……。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 HR後のE組、殺せんせーに促されて通された席の周りには早くも人だかりが出来ていた。マンガとかでよく見る、転校生の席の周りに集まって質問攻めにする、アレだ。正直言って甘く見てました。質問攻めってこんなにハードだったんだな……。完璧美少女とかは嵐の様な質問を笑顔で全て受け答えするのか……凄いな。聖徳太子かよ。

 

 でもまあ、学校生活を取り戻すと言った手前、できるだけ早く溶け込むためには質問攻め位は難なくこなさないと……。

 

「赤崎ってどこから来たんだ?」

 

 …………。

 

 おおう。のっけからヘビーだな岡島とやら。一瞬フリーズしてしまったじゃないか。

 

「あ、ああ。福岡から来たんだ。あと、俺の事は好きに呼んでもらって構わないから」

 

 どうよ。さり気なく大嘘ぶっ込んでからの他人を気遣うこのコンボ。え?どうでもいいって?言うな。自分でもわかってるから。

 

「そうか?じゃあ飛翔って呼んでもいいか?」

 

「ああ、もちろん。岡島、よろしくな」

 

「おう!よろしく!」

 

 とまあ、そんな感じで質問の嵐をやり過ごして一時間目。ちなみに他の人からの質問は殆ど似たような内容だった。「好きな食べ物は?」とか、「好きな教科は?」とか。当たり障り無さすぎて逆に楽だった。それで殆どの人が俺の事を下の名前で呼ぶことになったのも同じ。最早テンプレと化してしまった感も否めない。まあ、岡島だけがだいぶ際どい質問をかましてきたからだったんだけど。

 

 

 とまあ朝の段階からいろいろあって、1時間目。

 最初の授業は英語という事で殺せんせーが教壇に登るのを待っていたが、教室に入ってきたのは黄色いタコ型生物ではなく、金髪で碧眼の巨乳の美女だった。つーか整いすぎだろ。全男の妄想上の生物だと思ってたのに。金髪碧眼巨乳美女。レア度で言ったらペガサスくらい。それってこの世にいないじゃん。

 

「あら、見ない顔ね。新入り?……なかなかイケメンじゃない」

 

 教室に入って開口一番、その金髪碧眼巨乳美女は俺目がけてツカツカとヒールを鳴らせてやって来る。

 

「……ちょ、近いんですけど」

 

 机の前に立った金髪碧眼巨乳美女は身を乗り出して俺の顔を覗き込む。うおっ、こうして近くで見るとそりゃあもう。素晴らしいモノをお持ちで。

 

「この教室の英語を担当するイリーナ・イェラビッチよ。What your name?」

 

 この人だけかもしれないけれど、ネイティブの発音ってなんかエロいよね。

 

「あ、赤崎飛翔です……」

 

「Excellent!私の事はイリーナ先生と呼んでくれると嬉しいわ。か・け・る・君」

 

 あの、これ以上は俺の精神衛生上大変宜しくないので近づかないで頂くと……ああっ!耳元で囁かないで!

 

「ビッチ先生ー。早く授業始めてよ」

 

「ビッチ言うな!わかったわよ!始めればいいんでしょ始めれば!」

 

 隣の赤髪の人に言われてイリーナ先生は教壇の方へと戻っていった。てか、あの人ビッチなんだ。……まあ、確かにビッチだな。金髪巨乳の時点でビッチ確定だろ、相場的に。

 

「ああ…その、ありがとうな」

赤髪の人にお礼を言うと、その人はお構いなくというふうに手をヒラヒラさせながらやけに親しげに答えてきた。

「んー?気にしないでいいよ。あの人皆からビッチビッチ言われてるから赤崎君くらいにはマトモに呼んで欲しかったんだよ」

 

「うっさい赤羽!ディープキスするわよ!」

 

 うわぁ、やっぱりビッチだ。

 それにしても、赤羽はそれを分かっててビッチ呼ばわりしてんのかよ。いい性格してんな。

 

「そうか。なら俺もビッチ先生って言った方がいいのか?赤羽」

 

「業でいいよ。そうだね。ビッチ先生の方がビッチ先生も喜ぶから」

 

「そうか。あ、俺の事も下で呼んでも構わないぞ」

 

 その直後、カルマにディープキスしに来たビッチ先生の口に、カルマがわさびのチューブを突っ込んでビッチ先生が悶え苦しむというイベントがあったのだが、その話の度にビッチ先生から報復ディープキスが飛んでくるのでE組のタブーになったのはあとの話。

 

 ……でも、頬を紅潮させて床をのたうち回るビッチ先生は、やっぱりとてもエロかったです。



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