上司と副官 (山翁)
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血の過ち

合州国

1960年代

 

「吸血種の方々に関してですか?」

 

「一般的に優れた膂力、飛び抜けた瞬発力、常人より長い寿命、特異な同族形成は良く知られてはいますよね」

 

「え、種族としての話や市民権運動とは関係ない分野でのお話と」

 

「しかも、大戦中の?いや、確かに資料としては幾つかは有りますが大体は合州国や連合王国の従軍者あたりですよ。共和国や協商連合関連は本土が帝国に占領された関係で資料が集まりませんし」

 

「え?帝国の?それこそ資料なんて有りませんよ。戦中戦後の混乱でほぼ資料が散逸したりして、マトモな資料はありません。」

 

「戦場伝説の類いならありますが、それでも幼子が戦場で血を啜っていたという荒唐無稽な話ぐらいですよ」

 

吸血種市民権団体

 

朝 ライン戦線 後方駐屯地 大隊長私室

 

駐屯地にある宿舎の外から絶えず雷鳴に似た音が響いていた。

 

「少佐殿、今日も一段と響いていますね」

「ああ、セレブリャコーフ少尉。味方か敵かは知らないが、朝から仕事熱心なことだ」

 

敵か味方のどらかの砲兵隊による朝の定期便。

 

戦場では物珍しくもない日常の光景。

 

そう日常の光景。

 

私が望む日常の光景とは真逆のモノ。

 

慣れて適応さえすれども、心が安らぐことはない。

 

ただ、戦場の日常といえば今こうして私室で少尉と芋ばかりの朝食を共にし、その後の身支度を任せるのも私の日常と化している。

 

「芋ばかりは飽きる……」

「まだまだ兵站線が確立されてませんから、もう暫くは続くかと」

「はぁ、後方の兵站駅が稼働するのを待つしかないか」

「そうですね、噂ではもう少ししたらアレーヌからの兵站線が稼働するそうですよ」

「それは、誰からの話だ?」

「ええと、ライン司令部にいる同窓の友人から」

「なるほど、それなら本当の話だろうな」

 

少尉の話が本当なら、嬉しいことだ。

 

兵站が整う事は前線で戦う全将兵が心の底から望む願い事の一つだ。

 

兵器、弾薬、被服、糧食等その全てが不足する事は須らく恐怖だ。

 

現時点での補給体制を思うと、いま食べ終えた芋の朝食も有り難く思える程なのだ。

 

食べる物が有るだけマシなのだと。

 

「さて、少尉。従兵の真似事をさせてスマンが、身支度を終えたら食堂まで食器をお願い出来るかね?」

「はい、少佐殿。それと小官に謝らなくて大丈夫です。好きでしている事ですので」

「そうか、ありがとう少尉」

 

そう言い食卓の椅子から降り化粧台へ行こうとした所で、少尉に呼び止められた。

 

「少佐殿、申し訳ないのですが今週の特別配食をお忘れですが……」

 

その瞬間、忘れていたかった事実を思い起こさせた。

 

同時に存在Xへの憎悪を思い起こさせる。

 

そこまでして、そこまでして自由意思に基づく人の意思を、私たる自己を貶めるのかと。

 

「少尉、私にはその特別配食は必要ない。軍医殿に返しておいてくれ」

 

そう言い、先ほど少尉が朝食と一緒に食卓に置いた小瓶…前世の栄養ドリンクの瓶に類似している…を軍医に返すように伝える。

 

「しかし、軍医殿からは最低でも週に1度は特別配食を飲んで頂かないと困ると、言われております」

「それなのに、少佐殿はもう2週間も特別配食を飲んでおられません。今週は飲んで頂かないと」

 

少尉はそう言い、食卓の上にある小瓶を手に取り私に渡そうと、目の前に寄ってきた。

 

恐らく、少尉は完全な職務上から進言してきたのだろう。

 

私も少尉の立場ならそうしただろう。

 

上司が持病等を患っていたら、その持病に対する薬の服用を勧めるだろう。

 

体調の異変は仕事に対するパフォーマンスに直結する。

 

上司の仕事に対するパフォーマンス効率が悪化すれば、自分にまでその影響が及ぶ。

 

少尉の言うとおりだ、感情より仕事を優先しよう。

 

「分かった、少尉。飲もう」

「本当ですか、少佐殿!」

 

まるでその場で跳び跳ねる様に喜ぶ少尉の姿から、どうも大きく仕事の効率が落ちていたようだ。

 

そこまで、少尉に迷惑をかけていたのか。

 

反省せねばならんが、やはりコレばかりは勘弁願いたい。

 

私が、私である限り。

 

だが、とりあえず目の前のコトを済まそう。

 

小瓶を少尉から受け取り、瓶の蓋を開け一気に呷った。

 

その瞬間、口のなかが甘さで満たさる。

 

チョコ等とは違う、形容し難い甘さだ。

 

そして、前世で酒を飲んだときと同じ酩酊感が襲う。

 

同時に全身が満たさる感覚。

 

だが、心は身体の満たさる感覚とは正反対に乾いていく。

 

そう、どうして私は他者の血を飲んでこう満たされるのかと。

 

小瓶に入っていた血を全て飲み干し、小瓶を少尉に押し付ける様に渡してから化粧台前の椅子まで歩き、満足感と酩酊感からか椅子に座り込む。

 

何故か血を飲んだ直後は酷く酔ってしまう。

 

椅子の背に身体を寄りかからせ、少し楽になろうとするが酔いは治まらない。

 

経験上から10分程すれば治るのは分かるが、その酔いが醒めるまで少尉に酔った姿を晒すことになるのが困りモノだ。

 

ああ、考えるのが億劫になってきた。

 

とりあえず、酔いが醒めるまですこし休もう。

 

仕事はそれからだ。

 

深夜 大隊長執務室

 

渇く。

 

酷く喉が渇く。

 

血を飲んだ日は酷く喉が渇く。

 

喉の渇きの理由は分かりきっていた。

 

軍医の話いわく、血を摂取しない期間が続くと、次に摂取した際に反動なのか1日程は血に対する欲求が高まるらしい。

 

また、欲求が高まるだけで身体に対しての異常はあらわれないので安心しても良いと言われた。

 

しかし、ギリギリで我慢できるラインの欲求を1日中耐えしのぐは苦痛だ。

 

血は飲みたくない、しかし、身体は血を飲みたいと欲する。

 

朝から執務室のデスクにむかい、書類仕事を行ってきたが、その耐え難いジレンマのせいで仕事は全く捗らなかった。

 

もう今日は仕事は終わりにして休もうか。

 

しかし、体調管理も出来ず挙げ句には仕事も終わらせられない無能と思われるのも勘弁願いたい。

 

幸い、もう少しで仕事の区切りはつきそうだ。

 

区切りをつけたら、早々に休もう。

 

明日もまた仕事《せんそう》なのだから。

 

その時、ドアをノックする音が聞こえた

ノックの音で反射的に私は「入室を許可する」と声に出してしまった。

 

入ってきたのはセレブリャコーフ少尉だった。

 

「セレブリャコーフ少尉どうした。緊急の要件か?」

「はい、いいえ少佐殿。少佐殿の体調を心配しまして様子を見に来ました」

 

どうやら、少尉に心配されるぐらいには今日の私は酷いモノだったらしい。

 

「少尉、それは心配させてスマンかった。だが、体調に関しては心配ない。少尉は帰ってよろしい」

 

ここまで上司が言ったなら、流石に少尉も帰るだろ。

 

「僭越ながら、少佐殿はお苦しいのではないでしょか」

 

少尉はたまに見せる頑固さを発揮し、私の体調を聞いてくる。

 

今回ばかりはその頑固さが恨めしい。

 

いま、私は、酷く、喉が、乾いているのだ。

 

それなのに、いま、少尉は、私の、体調を、案じて、声をかけつつ、私がいる、デスクまで、近寄ってくる。

 

「少佐殿、私は大丈夫です」

 

少尉が、なにか、いっている。

 

「私は少佐殿に血を吸われるなら大丈夫です」

 

血を、吸っても、だいじょうぶ。

 

血を、すっても。

 

血を。

 

張りつめていた糸が切れる様に、私は隣まで近寄って来た少尉に襲い掛かった。

 

床に少尉を押し倒し上半身に馬乗りでのし掛かると、軍衣の襟首から覗く白く柔らかそうな首に牙を突き立てた。

 

皮膚と肉を切り裂き、牙を血管に届かせ血を溢れさす。

 

少尉は痛みから小さく悲鳴が漏らす。

 

しかし、その声すらも今の私にとっては飢餓感を和らげる要素にしかならない。

 

牙を血管から外すと首筋から血が溢れでた。

 

私はその血を舐めとる。

 

血を口に入れた途端に喉の渇きが癒され、口の中は甘美な味で満たされていく。

 

そう、この味だ。

 

この血の味を思う存分に飲みたかったのだ。

 

更に血の味を楽しもうと首筋に空けた牙の痕から執拗に血を舐めとる。

 

私が首筋に舌を這わせる度に、痛みからか少尉は小さな声を上げる。

 

しかし、私は目の前にある少尉の血に夢中だった。

 

もっと味わいたい。

 

もっと飲みたい。

 

しかし、首筋から血を飲んでいると何時もの酩酊感が襲い、私は気付かない内に意識を手放していた。

 

 

翌朝 大隊長執務室

 

朝の陽光を感じ、頭がボンヤリとだが覚醒しだすと同時に身体が柔かな感触を感じる。

 

はて、私は昨日はデスクに向かって書類仕事をしていたのでは無かったか。

 

仮眠用のベッドに入り込んだ記憶もないし、とすればデスクで寝落ちした筈。

 

だが現実には何か柔かなモノに包まれている感触がする。

 

この柔かな感触はあの固い軍用ベッドでは無さそうだ。

 

そこまで、思考を巡らせてから目で見て確認しようと目を開く。

 

視界にはセレブリャコーフ少尉の顔が映った。

 

まて、まてまて。

 

何故に少尉の顔が目の前にあるのだ、昨日は深夜までデスクに向かい仕事をしていた筈だ?

 

いや、そういえば少尉が訪ねてきた記憶が……。

 

その瞬間に寝ぼけていた頭が覚醒し、周囲の状況を認識し始めた。

 

私はいま、執務室の仮眠用ベッドで少尉に抱き付かれながら寝ている。

 

そして、私の記憶違い出なければと思いながら少尉の首筋に目をやると、くっきりと血を吸った痕が残っていた。

 

ああ、やってしまった。

 

部下に、しかもうら若き女性に暴行するなど最低な行いではないか。

 

とりあえず、隣で未だに私を抱き締めながら寝ている少尉を起こさねば。

 

「起床!少尉、起床だ!」

「は、はい!少佐殿!」

 

少尉の耳元で起床と叫べば、悲しい軍人の性ゆえに少尉は跳ねる様にベッドから飛び上がり、ベッドの横にへと立った。

 

そして、飛び上がり過程でベッドへと放り投げた私に向かって、惚れ惚れするほど綺麗な敬礼を行った。

 

「セレブリャコーフ少尉、ただいま起床致しました!」

「よろしいセレブリャコーフ少尉、休め」

 

少尉に声を掛けた後にベッドから降り、私は少尉に身体を向けると深々と頭を下げ謝った。

 

「セレブリャコーフ少尉、昨日はすまなかった」

「少、少佐殿!私は大丈夫ですので、頭をお上げください」

「いや、しかし私は少尉に謂われなき暴力を振るったのだぞ。少尉が望むならどの様な責任でも取る」

 

少尉は私の言葉を聞くと少し黙った後に、私に声を掛けた。

 

「わかりました、少佐殿。お手数ですが小官に付いてきて下さい」

 

そう言って少尉は私の手を握ると、私を引き摺る様に歩きだした。

 

「お、おい少尉!私は一人で歩けるぞ!」

 

しかし少尉は返事を返さずに執務室を出て、私を引っ張りながら廊下を進んでいった。

 

やはり、このまま憲兵隊に引き渡されるのだろうか。

 

普通に考えれば犯罪者を治安組織に引き渡すのは道理なのだ。

 

少尉がそれを厭う理由が無い。

 

ああ、この忌々しい吸血種としての本能が私の人生設計の足を引っ張る事になるとは、存在Xに災いあれだ。

 

そうこう考えている間に、少尉は目的の場所に着いたのか、ある扉の前で立ち止まり自らの姓官名を申告した後に扉を開け、私を連れ立って部屋に入った。

 

「おはよう、セレブリャコーフ少尉。朝から少佐殿と一緒にどうしましたか」

「はい、軍医殿。おはようございます。以前に仰られていた特定吸血種への専任血液提供申請に参りました」

 

軍医殿?

 

それに、特定吸血種への専任血液提供申請?

 

少尉は何を言っているのだ?

 

憲兵隊ではないのか?

 

「あら、では少佐殿が遂に同意したの?」

「はい、先ほど許可を得まして」

「そうですか、では此方の書類にお二方のサインをお願い致します」

「はい、わかりました軍医殿」

 

軍医は近くの書類棚より書類を一枚取り出すと、それを少尉に手渡した。

 

少尉はそれを受けとると、軍医との敬礼時に手放した私の手をもう一度取ると、そのまま近くのデスクに私を座らせた。

 

そして、自分も近くのデスクに座ると軍医から貰った書類にサラサラとサインを行った後に、その書類を私に手渡した。

 

「少佐殿、こちらにサインをお願い致します」

「セレブリャコーフ少尉、これは一体なんだ?」

「何だと言われましても、小官と少佐殿との血液提供に関する書類ですが……」

 

少尉は何か問題が有りますか?という顔をして答えた。

 

「いや、少尉。私がいつ少尉からの血液提供に関して許可を出したのだ」

「え、先ほど少佐殿ご自身でどの様な責任も取ると仰られていたので……」

 

あの発言か!

 

なるほど、私は憲兵隊への引き渡しと考えて発言したが、少尉は何か別の考えをしたのか。

 

しかし、私も責任ある大人であり加害者なのだ。

 

少尉の要望を叶えてから、真意を聞いても遅くは無い筈だ。

 

「分かった少尉、サインしよう」

 

渡された書類にサインし、少尉に書類を手渡す。

 

渡された書類を少尉は、そのまま軍医に手渡した。

 

軍医は渡された書類に軽く目を走らせると「問題なし。受領しておきます」と言い、自らの事務机にある決済箱に書類を入れた。

 

その後に、私たちは軍医に別れを告げ大隊長私室に向かった。

 

取り敢えず、少尉の真意を確かめたかった。

 

私室に着いてから少尉を椅子に座らせ、私も向かい合わせになるよう椅子に座ると彼女に問うた。

 

「少尉。なぜ、私を憲兵に突き出さなかったのだ」

「理由をお答えしないとダメでしょうか」

「ダメとは言わないが、事が事だ。少尉に乱暴を働いて無罪放免とは少尉に申し訳ない」

「ええと、その色々と理由がありまして」

「色々か」

「はい、色々とです」

 

少尉はそう言うと私の顔を伺った。

 

「少尉。私は貴官を疑う事はない。だから、その理由を話してくれないだろうか」

 

そう言うと、少尉は心を決めたのか口を開いた。

 

「昨日、少佐殿が私の血をお飲みになられた時に、私に対して『愛している。好きだ、ヴィーシャ』と言われたのです。覚えておられませんか?」

 

聞いた瞬間、叫ばなかった私自身を褒めたかった。

 

愛している。好きだ、ヴィーシャ。

 

私が少尉に言ったのか?

 

歳が10以上も離れている少女に向かって?

 

私が、少尉に?

 

「それでですね、実は小官も前々から少佐殿の事を個人的な感情でお慕いしておりまして、これはチャンスだと思い、憲兵には連絡はしなかったのです」

 

え、少尉が私を慕っている。

 

likeではなくloveで?

 

確かに、確かにセレブリャコーフ少尉は魅力的な女性で有ることは認めよう。

 

頭の回転も良く、良く気配りができ、料理も上手く、私の様なコンプレックスの塊みたいな者と対等以上に接してくれる。

 

それに、彼女が淹れてくれる珈琲の旨さといったら前世でも味わいえない程の素晴らしさだ。

 

時折だが夢で彼女の事を見る事はある。

 

価値観的にいえば私は男性であると確信している。

 

だが、私がセレブリャコーフ少尉に惹かれていると?

 

セレブリャコーフ少尉を愛していると?

 

「それで、少佐殿。あのお返事を頂きたいのですが」

「へ、へんじ?」

「はい、少佐殿」

 

目の前にいたセレブリャコーフ少尉は、椅子から立ち上がり私の元へ来て跪いた。

 

顔を赤らめ、少し深呼吸した後に告げた。

 

「私、ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフはターニャ・フォン・デグレチャフを愛しております」

 

今生において、いや、前世においても無かった事だ。

 

他人から愛していると言われるのは。

 

だからだろうか、すらりと言葉がでたのは。

 

「私も同じ気持ちだ、セレブリャコーフ少尉」

「少佐殿、もう少し具体的な言葉を欲しいのですが」

「これでも、意味は通じるだろう少尉!」

「はっきりと少佐殿のお言葉をお聞きしたいのです!」

 

「愛してる、ヴィーシャ」

 

恥ずかしさを我慢し、そう告げると少尉は感極まったのか立ち上がり私を抱き締めた。

 

「少、少尉!危ないぞ少尉!」

「すみません少佐殿、わたし嬉しくって」

 

少尉に、いやヴィーシャに抱き締められながら、存外に愛されるとは良いものだと感じた。

 



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泥船の中での恋

書籍9巻の内容を含んでおります。

あと最初から付き合ってる設定。

前回の設定とは関係はありません。


1927年6月29日

 

帝都ベルン 参謀本部

 

レルゲン大佐と別れたあと参謀本部のエントランスへと歩くあいだ、先ほどのルーデルドルフ中将閣下の話が重くのし掛かる。

 

最高統帥会議の実質的な機能不全。

 

信じられない思いだった。

 

まさか、最高統帥会議がマトモな国家方針の策定すら出来ない集団になってしまったとは。

 

正しく帝国は泥船になってしまった。

 

今は辛うじて浮かんではいるが、いつか訪れる破断点を迎えてしまえば、盛大に沈んでいくだろう。

 

いや、取り敢えず先の会談については後で考えよう。

 

何かしら考えを纏めるにしろ、少し時間を置いた方が良い。

 

帝都の、後方の情報も少なすぎる。

 

後でウーガ中佐等から情報を仕入れねば。

 

そうこう考えている間にエントランスまでたどり着いた私は考えるのを一旦やめにして、エントランスで私の帰りを待って立っていた副官を労ることにした。

 

「セレブリャコーフ中尉!出迎えご苦労!」

「はっ、デグレチャフ中佐殿」

「それにしても中尉、貴官だけでも帰って良かったのだぞ。久しぶりの帝都だ、ゆっくりしたいのでは?」

「はい、いいえ中佐殿。少しでも中佐殿のお役に立ちたいと思いまして」

「中尉、その気持ちはありがとう。貴官の事だ、ただ待っていただけでは無いだろ?」

「はい、中佐殿をお待ちする間に少し情報収集を」

 

全くこの副官は良く出来た副官だ。

 

ちょうど情報について考えを巡らしていた最中に、この様な申し出とは。

 

いやはや、後で何か労いをしなければ。

 

「そうか、中尉。君の献身には何時も感謝している」

「はっ、ありがとうございます中佐殿」

「それで、集まった情報は?」

 

そう言うと中尉は声を抑え話し出した。

 

「はっ、少し憚る内容もありますので、どうせなら大隊保養地まで行く車の中でも宜しいでしょうか」

「勿論だ、中尉」

 

頷くと、中尉が事前に手配していた車が用意され、そのまま中尉の運転する車の後部座席に乗り込んだ。

 

手早く車を発進させた中尉の手際に惚れ惚れしながら、私は運転席のシートを見ながら話しかける

 

「それで、どの様な内容だったのだ?」

「はっ、軍内での世間話程度の内容ですが世論、政府、軍との間で意見の相違が目立つと」

「なるほど、他には?」

「議会の機能不全に、政府の大衆迎合化、参謀本部内の職掌範囲の異様な増大です」

「そうか、ありがとう」

 

あまり良いニュースと言えないのは確かだ。

 

帝都へ帰る最中に読んだ新聞からも言えるが、理性で判断しなければならない政府や最高統帥会議が世論の圧力と勝利の幻想に屈している。

 

これは、これは余りにも酷い……。

 

我らが帝国は泥船だ。

 

一刻も早く何とかしなければ。

 

だが、どうすれば。

 

ルーデルドルフ中将やレルゲン大佐の動向に加え、東部のゼートゥーア中将の動き。

 

ああ、やはり帝都の動向が読めないのが痛いな。

 

何をするにもやはり情報が……。

 

「ターニャ、大丈夫ですか」

 

中尉からの声で私は思考の海から浮上する。

 

「ああ、大丈夫だ。大丈夫だともヴィーシャ」

 

いかんな、どうやら随分と考え込んでいたらしい。

 

ヴィーシャを不安にさせるとは情けない。

 

「ヴィーシャ、保養地に着いたら二人で過ごさないか?」

 

そうだ、せっかくの帝都なのだ。

 

ルーデルドルフ中将やレルゲン大佐から無茶振りされる前に、思いっきりヴィーシャと一緒に過ごそう。

 

「何処に行きたい?映画か?それともカフェか?」

「それでしたら、今日は出掛けずにターニャと二人っきりで過ごしたいです」

「ん?」

 

まさか、ヴィーシャがここまで積極的だとは。

 

確かに、東部ではいつ連邦軍に襲われるか分からん時が続き、かつ風紀の関係上ヴィーシャと過ごす時間があまり無かったからな。

 

ヴィーシャがそう思うのも宜なるかな。

 

「ヴィーシャ、君がそこまで我慢していたとは知らなかったよ」

「タ、ターニャ?」

「ああ、みなまで言うな。君の気持ちは良く分かっている。東部ではお互いロクに時間取れなかったからな。二人っきりでゆっくりと部屋で過ごそうじゃないか」

「その、ターニャ!」

「ん、何だねヴィーシャ」

「その、私はゆっくりターニャと二人で珈琲でも飲もうと……」

 

あー、何だ。

 

もしかして、これは私の早とちりか。

 

途端に自分の顔に朱が指すのが分かった。

 

「ターニャ」

「な、何だねヴィーシャ」

「可愛いらしいですよ」

「なっ」

 

直ぐに顔を車窓に反らすが、クスクスと小さな笑い声が運転席から聞こえる。

 

どうやら、ミラー越しに私の事を見ていたらしい。

 

流石は我が副官、状況把握はお手の物ということか。

 

しかし、このまま副官に良いようにされるのも癪だな。

 

「さて、ヴィーシャ。珈琲を飲んだ後はどうする?」

「ターニャも意地悪ですね」

「何を言う、私ほど優しい人間もいないだろ」

「なら今度、戦闘団の皆さんに聞いてみますか?」

「……それは勘弁して欲しいな」

「ふふふ、分かりました」

 

どうも今日のヴィーシャには敵わないらしい。

 

ちょっとした反撃も、ヴィーシャからの逆襲にあって押し込まれてしまう。

 

「ターニャ、保養地のホテルが見えてきましたよ」

 

あれこれヴィーシャに対してどの様に反撃しようか考えていたら、ヴィーシャからの声にフロントガラスから前を覗くと、帝都での保養施設に指定されているホテルが見えてきた。

 

たしか、あのホテルは戦前では帝都でも有名なホテルの筈だ。

 

ルーデルドルフ中将かレルゲン大佐のどちらかが奮発したみたいだ。

 

確かに我が戦闘団はそれだけの働きはしたのだ。

 

働きに対する正当な報酬は大切だ。

 

「それでは車は正面に止めますので」

「ああ、分かった。車はどうする」

「付近の憲兵が拾いに来てくれる予定です」

「そうか、流石だな」

 

ホテルの正面に車を着けたあと、ホテルマンが直ぐに車の扉を開けエスコートする。

 

ヴィーシャも車から降り、ホテルマンに車の鍵を渡した。

 

ホテルに入り受付を済ませた後は、戦闘団に割り振りされた部屋まで案内された。

 

部屋はホテルでも上等なランクらしく、部屋は広々とし窓からの眺めも最高だ。

 

案内してくれたホテルマンにチップを弾み、部屋から離れる様に言い含めた。

 

「それでは、珈琲でも飲みましょうか」

 

ヴィーシャのその言葉に、ターニャも動き出す。

 

備え付けの小さなキッチンへ赴き、部屋にあった珈琲豆(しかも本物の珈琲豆!)をフライパンで焙煎し、次にヴィーシャが丁寧に豆を引いていく。

 

二人して窓の近くにあるソファーに肩が触れ合う程の狭せで座り、出来上がった珈琲を飲む。

 

「ああ、これぞ本物の珈琲だ」

「ええ、本物の珈琲ですね」

 

至福と言って良い時間だった。

 

恋人が隣におり、本物の珈琲をのんで穏やかな時を過ごす。

 

正しく私が望んだ平穏な日々。

 

そんな理想の時間なのだ、もう少し欲張っても良いだろう。

 

「ヴィーシャ」

「なんです、ターニャ」

 

傍らにいるヴィーシャが私の声に反応して此方に顔を向けた瞬間、ヴィーシャの唇にキスをする。

 

軽く触れる程度のキス。

 

何秒も触れていないキスだが、こういった事も東部では人目と連邦軍のお蔭でおいそれと出来なかった。

 

「……不意打ちは卑怯ですよ、ターニャ」

「いやなに、ついな」

「……もしかして欲求不満ですか?」

 

ヴィーシャからの指摘に対して咄嗟に否定しようとしたが、止めた。

 

ヴィーシャの指摘が正しいと思ったからだ。

 

そうだ、恋人同士に成ったのに触れ合えないのは可笑しい。

 

普通はもう少し休日にデートしたり、家で一緒に夕食を食べたり、過ごすものだろう。

 

なのに、実際は戦場での僅かな触れ合いのみ。

 

しかも、身体は女性かもしれんが、心は男性なのだ。

 

私とて欲求不満に陥るだろう。

 

「ああ、そうだ」

 

そう答えるとヴィーシャは顔を赤くさせ押し黙った。

 

どうも、私がこうも容易く肯定するとは思っていなかったようだ。

 

ソファー横のサイドテーブルに珈琲カップを置き、ヴィーシャにも珈琲カップを置くように促す。

 

少し間をおいてヴィーシャも珈琲カップを置き、私の顔をじっと見つめる。

 

私は再びヴィーシャの唇に軽くキスをし、そのままソファーに押し倒し馬乗りになる。

 

「ヴィーシャ、良いか?」

「……はい、ターニャ」

 

そして、また唇にキスをした。

 

 

 

 

帝国は泥船だ。

 

何時かは沈む泥船だ。

 

泥船から逃げなければ、私も溺れてしまうだろう。

 

だが、その泥船の中でも一つだけ、たった一つだけ私を泥船に留まらせる理由があった。

 

ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ。

 

私の愛しい部下《こいびと》



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イルドア

ネット版の戦後、前に上げた吸血ネタをジョン・ウィックネタにぶち込むごった煮ネタ。


198X年

 

イルドア王国 首都 夜

 

古の大帝国、その香りを今日まで漂わせているイルドアの首都。

 

その郊外にある遺跡に設けられた特別会場には、今回の特別なパーティーに参加する為に訪れた人々で溢れていた。

 

そのパーティーに参加している人々には、とある共通点があった。

 

暴力と利益を信奉すること。

 

俗にいうマフィアといわれる者達。

 

その参加者の中でひときわ注目される人がいた。

 

白銀の髪と碧眼。

 

昨今から考えれば身長は低く、150cmは有るか無いかの高さ。

 

性別は女性。

 

いや、外見からすれば少女という表現こそ相応しい見た目。

 

この場に居るのが場違いな程に美しい少女の両脇と背後を屈強なボディーガードが警護していた。

 

彼女達は会場の中心からやや離れた場所で佇み、会場に設けられたステージで行われている余興を眺めていた。

 

その彼女達に、ある男が親しげに近寄ってきた。

 

直ぐに少女の周りを固めていたボディーガードの者が近寄ってきた男の前を遮ろとするが、少女が右手を少し上げ警戒を解くよう合図した。

 

ボディーガードが警戒を解くのを確認すると、近寄ってきた男は少女に近づくと親しげに声をかけた。

 

「ボナセーラ、シニョリーナ ティクレティウス。良い夜ですな」

「ボナセーラ、スィニョーレ サンティーノ・ダントニオ。ええ、良い夜ですね」

 

声をかけたのは、ホスト役の息子である男だった。

 

「いや、貴方が来られるとは珍しいですな。今宵は楽しんでますかな」

「ええ、楽しんでますよ!いやなに、貴方のお父上に久方ぶりにご挨拶をと思いまして」

「それはそれは、私の父も喜ぶでしょう」

「そう言って貰えるとは、嬉しい限りです」

「なに、本当の事ですよ。父は貴女との友情を忘れた事は有りません」

「いや私の方こそ、お父上との友情を忘れた事はありません」

「そのお言葉は父に伝えておきましょう。それでは自慢のイルドア料理とワインをお楽しみ下さい」

「ええ、そうさせて頂きますよ」

 

そうして挨拶を交わしたあと、ダントニオは去っていた。

 

ダントニオが十分に離れた後にティクレティウスはひっそりと呟いた。

 

「息子は何も知らんようだな」

 

ただの独り言だった筈だが、すぐ近くから返事が返ってきた。

 

「社長、私達がこのイルドアでやんちゃしてから何年経ったとお思いですか」

 

返事を返したのは、いつの間にかティクレティウスのすくそばに立っている女性からだった。

 

「おや、いつ戻ってきたんだヴィーシャ」

 

「彼と入れ違いですよ」

 

ヴィーシャはそのまま立食パーティーエリアから仕入れた山盛りのローストビーフを盛った皿から、一切れフォークで取ると口に頬張る。

 

「食いしん坊は相も変わらずだな」

「昔の習慣は抜けませんから」

 

ヴィーシャはそう返事をすると、ローストビーフの山を崩す作業を始めた。

 

それを眺めると昔、イルドアへ侵攻した際の事が思い出される。

 

皆がみな、イルドアの食事を腹一杯食べようとしていた光景を。

 

あの頃の帝国は酷いものだった。

 

私達の部隊でさえ良質な補給からは縁遠くなり、貧しい物資を遣り繰りしていた頃を。

 

今ではその頃を覚えている部下は、隣でローストビーフを頬張っているヴィーシャのみだ。

 

いやはや、そう考えると長生きしたものだ。

 

まさか異世界で女性として生まれ、あまつさえ存在Xにより吸血鬼などというモノに作り替えられ、私の自由意思と権利を蹂躙されるとは思わなかった。

 

しかし、私は成し遂げた。

 

戦争から抜け出し、文明と知性が尊重される世界へと戻ったのだ。

 

まあ、カンパニーからの仕事で少しばかり野蛮染みた事をしなければならないが、そこは仕事と割りきれば良い。

 

さて、そろそろカンパニーからの仕事に取り掛かろ。

 

時間は有限だ。

 

「ヴィーシャ。これからの予定は」

「はい、社長。これからホストのダントニオ氏との会談です。カンパニーからのオーダーはカモッラが得たルーシー連邦の情報入手です」

「よろしい、手早く済ませてイルドア観光へと洒落こもうじゃないか」

「はい、社長」

 

そうだ、早く仕事を終わらせヴィーシャとイルドア観光をしよう。

 

美味しいイルドア料理とワインを飲みながら、ヴィーシャと過ごす時間は格別だろう。

 

いまなら胸を張って存在Xに言えるだろ。

 

私は存在Xに屈せず、私の自由意思に基づいてこの世界で幸せになった、と。

 

私の半身たるヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフとともに。




今回は上手く書けなかったネタです。

今度は甘々なタニャヴィシャかヴィシャタニャを書きたいな。


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