ガーリー・エアフォース Rasskas i Utopia (カデクル/けーで)
しおりを挟む
序章「空の色」
“空の色”
そう人は言うが、それが実際に何色か、はっきり答えられる者はそう多くない。
晴れ渡る青、沈みゆく茜、澄み渡る星空の黒。
空の色は、見る者の心をも取り込み変化していくのだから。
そしてここにもまた、空を見る者が一人。
2015年、中央アジア地域に〈ザイ〉と呼ばれることになる飛行物体が発見される。
その性能をもって世界各国の軍事力を圧倒した硝子の化け物は、その領地を徐々に広げつつあった。
これに対抗するため各地ではザイの研究がすすめられ、遅れること一年近く。
ついにザイに対抗するための切り札、特殊戦闘機〈ドーター〉が産み出され、人類の反抗が幕を上げることになる。
その先駆けとなった北方の大国・ロシア。その小さな一角で、新しい翼が目覚める。
―2016年10月28日、昼頃―
「たまらないぜ“32”。早速ぶん回してやりたいもんだが」
“それ”の中で、男は自信に満ちた声で呼びかける。
「冗談はよしておけ。ここまでどれだけの手間をかけたと思っているのだ」
呼びかけに応えたもう一人の男は、対照的に慎重さを隠さぬ声で“友”を窘める。
ロシア・モスクワからそう遠くない場所。
いつからか〈マリインスキー〉と呼ばれた場所から飛び立ったその鳥は、鈍色に輝きながら空を見据えていた。
戦闘機としては最大級のボディに前進翼を携えた機体。
シルエットそのものはかの試作機〈Su-47〉によく似ていながらも、機体のあちこちの鋭角さがより攻撃的な印象を形作る。
後方では大柄の箱形のノズルが武骨な印象を与え、内側では機体を空へと押し上げた大型の双発エンジンが煌々と輝いていた。
「これよりS-32の機動テストを開始する」
そして、重々しい男の声がS-32の名を、その始まりを告げる。
飛ぶ鳥を待っていたかのような澄んだ空。
S-32にとっては祝福されたかのような初飛行であった。
ピッチ、ロール、ヨー。地上に続き、単純な動翼の動作テストを行っていく。
続いて指定のコースを危なげもなく通過。
内心ぎこちないメニューにうんざりしながらも、単純なメニュー故、その性能の一片一片が伝わってくる。
操作の一挙一動が、素直すぎるくらいに返ってくる感覚。いやそれ以上か。
アクロバットパイロットとして、それまでに彼が操ったどの機体よりも過敏に、予想の先を行く。
〈人の手に余る機体〉、それが彼にとってのS-32の印象だった。
「射撃テストに移行する」
興奮を押し殺した声で、次のテストへ移行。
手始めとばかりに前進翼に据え付けられたパイロンから、対空ミサイルを解き放つ。
直ちに加速し、ダミーターゲットへ吸い込まれる。命中。
Su-47譲りのウェポンベイを開けば、腹部・喉元のランチャーからもミサイル。
続いて30mm機関砲が火を噴き、ターゲットを打ち抜いていく。
「武装システムにも問題は無し、か」
地上から見守る男の声に揺らぎはなく、一つ一つを見守っていく。
淡々と進むテストが、しかし終わりを迎えるころ。
「なぁリョーカ、そろそろいいだろ?」
堪えきれなくなった空の男が、地上の男に問いかける。
「お前ならそろそろだとは思っていたが」
呆れながらも、内心その時を待っていたとばかりに。
「いいだろう。S-32の性能を試す。思いっきり飛ばせ」
リョーカと呼ばれた男の声が、S-32とその使い手を“鎖”から解き放った。
テストとはまるで打って変わった、生物を思わせる動き。
大気を切り裂き急上昇、そのまま螺旋を描き、しばらくして反転。
降下すると思わせて一気に出力を上げ、その場で一回転。
上を向いたまま、僅かに機体を沈ませる。
「最高だぜリョーカ!“32”は戦いの空に駆り出すには勿体ない、そう思わないか」
言葉と共にスロットルを全開にした瞬間、重力の重みが一気にのし掛かる。その負荷すらもが、彼にとっては心地よかった。
瞬間、光の尾を引く鈍色の鳥が、空を翔け上っていった。
白い軌跡。この機体に携わってから描いていた光景。
友の手により空に舞う翼の姿が、目の前に広がる。
掛けられた言葉は、この機体が向かう先がザイとの戦場であることをよく知る男にとって、あまりにもナンセンスな発言であったが。
「ああ、俺もそう思うよ、エド」
それでも、S-32を産み出した男もまた、どうしようもなくこの空に焦がれていた。
一機を空に上げる、ただそれだけのために途方もない手間と費用を掛ける。
試作型の一点ものとあれば尚更のこと。
見た目の流麗さと裏腹に、決して自由ではない、現代の戦闘機とは、そんながんじがらめの機械である。
だがこの瞬間、S-32はどこまでも自由だった。
―2017年春―
どこまでも白く、生気というものを感じさせない、人工の揺り籠の中。
紫がかった羽毛のような髪がひと際目立つ、その人形のような影が、その躰を起こした。
開かれた眼は柘榴の赤を湛え、虚ろな光で傍の男を捉える。
命を得た影が、その小さな口を開く。
「私は、私はS-32。…私は、何者ですか」
「お前の名前はオリョール、澄んだ空を翔ける荒鷲だ」
「オリョール…それが私の名前」
数奇な少女たちが織りなす、数奇な物語。
ここにまた、新たな“物語”が始まる。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
第一章「影の少女」
第1話「S-32」
―2017年6月9日―
「うん、悪くない」
手にした本を見つめ、独りごちる。
何気なしに窓の外に目を向け、しばし余韻に浸った。
晴れ渡る青の空。
それを見つめる少女は、窓から差す光に照らされてなお影のような雰囲気を纏っていた。
陶器のような白い肌、白と黒で揃えられた衣装。
紫がかった羽毛のような髪は腰あたりまで伸び、その小柄な体躯をベールのように包んでいる。
色彩というものを省かれたような出で立ちの中で、空を見つめる柘榴色の瞳が存在感を放っていた。
本というものを読み始めて何冊目になるだろうか。
それほど多くの本を読んだわけではないが、短編集というものは中々性に合う。
長編小説の重厚さも捨てがたいが、短編という僅かな分量に全てを詰め込んだスタイルは、「一回休み」というものを苦手とする彼女にはありがたかった。
以前、本に夢中になるあまり迷惑をかけた時を思い出し苦笑すると、時計に目を向ける。
「と、もうこんな時間。急がないとな」
愛用の羽根を模った栞を挟み、ページを閉じると、影のような少女―オリョールは待ち合わせの場所へ向かった。
「所長、私だ」
「ああ、来たかオリョール。時間通りだな」
軽く言葉を交わす。言葉少なではあるが、お互いやるべきことははっきりしている故だった。
「シミュレータの準備は出来ている。お前はどうだ」
「私なら大丈夫。始めよう」
所長と呼ばれた男、アレクセイ=プロコフィエフは、自分たちの研究対象であるアニマをシミュレータに向かわせると、モニターを携えたデスクに着く。
戦闘機のコクピットを模したカプセルの蓋が閉まるのを確認すると、訓練プログラムを立ち上げ、オリョールのモニタリングを開始した。
“あの頃”を思い出す。
かつてザイと呼ばれる飛翔体が確認される前、この場所にはマリインスキーの名は与えられていなかった。
その実態は決して最先端の研究機関ではなく、あえて言うなれば大きな町工場といったところか。
生産ラインから外れた機体が持ち込まれ、再び空に向かう力を手に入れる場所。
大きな生産ラインを持たないが故、技術者たちはモノを良く見て自分の手指を持って機械に触れることを求められ、技術を深めていった。
そのスタンスは、とうに生産を打ち切られた部品に対するある程度の新規設計をも可能にしていく。
やがて囁かれるようになった、「どんな機体でも、一世代進んだような、より良い機体として生まれ変わらせる」という評判そのものについて、プロコフィエフは確実な誇りを持っていた。
尤も、「一世代進んだような」という評判については、パイロットの腕前に依るところも大きかった。
エディソン=ミャスコフスキー、通称エド。
ロシア空軍屈指の操縦技能を持っていたとされる彼は、プロコフィエフの学生時代からの友人であった。
当時から航空機というものにひたすらに熱を上げていた彼らは、それぞれパイロットと技術者という道を志し、それを叶えて再び集ったのである。
そんな彼らが様々な機体を手掛け、空に飛ばしていった頃、“それ”は現れた。
ザイ。
初めて目撃された中国の言葉で災厄を意味するその謎の飛行物体は、2015年9月の遭遇以来各国の軍事力を圧倒し、世界に緊張状態を通り越した空気をもたらした。
その中、ザイの出現地域と地続きであり、強大な軍事力を有するとされるこの国・ロシアがザイに対する軍事研究の先端を切ることは、当然といえば当然であった。
果たして2016年も後半に差し掛かる頃、ザイに対抗するための兵器が完成を見る。
特殊無人戦闘機・ドーター。
ザイのコアを用いて作られたそれは、既存の戦闘機に徹底的な改修を施し、
人型制御ユニット・アニマがそれを操ることによりザイに比肩する機動性能・攻撃性能を持たせた機体だった。
ザイの有人機を優に上回る運動性能に対抗するための機動性。
人類側兵器の誘導性能及び各種センサーを無効化するEPCM(電子感覚対抗手段)への耐性。
これらを持つドーターを世界に先駆け産み出したロシアは、1号機ジュラーヴリク・2号機ラーストチュカを投入。
投入初期から大きな戦果を上げ、今では各国が研究を進め、次々とドーターが投入されていた。
しかし、研究の過程でドーターは大きな欠点を抱えていることが判明する。
機体そのものの高機動化は実現できても、それによる人体への負担及びEPCMの影響はどうにもならない。
そのための制御機構であるアニマであるが、これが一機種に一体のみしか生まれないというのだ。
実際、ロシアにおいても数少ないコアを用いてSu-27やMiG-29の改修が試みられたが、とうに適合することはなかった。
推論として、アニマはその機種の“本質”“記憶”といったもののの一代表である、という些かオカルティックな見解が、世界各国の共通認識となっていた。
余りにも広大な国土を持つロシアにとって、この問題は致命的。
そんな彼らがドーター以外の対ザイ戦術研究を止めず、これを加速させることは、考えるまでもなく当然のことであった。
オリョールの適合機体たる特殊電子戦機・S-32も、この流れの中生まれた機体の一機である。
プロコフィエフたちの工場に〈対ザイ用戦闘機〉の話が飛び込んできたのは、ド―ターの完成に先駆ける2016年春であった。
新規での機体開発など経験のない工場であったが、計画の詳細を聞いてプロコフィエフたちは奇妙な納得を見せたという。
Su-47を基礎ベースとした新規設計の機体、その設計データに改良を加えてほしいというのである。
元々在り物に手を加えたり、補完するのは彼らの得意とする処であり、また技術者集団としては新たなる挑戦でもあった。
以降、工場は対ザイ技術研究所〈マリインスキー〉と名を改められることになる。
後にS-32となる機体は、この時点では電子戦機型として〈Su-47MP〉と名付けられ、その開発は常識外れのスピードで進められた。
それまでとは比較にならないほどの予算はもちろんのこと、ロシアの持つ多くの航空技術へのアクセスが許された環境。
ザイとの戦いという緊急事態であるが故の贅沢さ。
その甲斐もあり、7月には暫定的な設計データが完成するかと思われた。
しかし、ドーターの欠点が露わになり、Su-47MPにはこれまでとは違った役割が与えられることになった。
以前の要求性能では、Su-47MPはあくまで前衛たるドーターに対する中衛としての性能を期待されていた。
ドーターのセンサーとリンクすることでEPCCMポッドによる電子/感覚面での支援を行いつつ、後方に攻撃指令を伝達し後衛機達の損害を抑えるという役目。
そのため自身はあくまで自衛程度の機動性があれば良いとされ、その範疇であればSu-47からの設計変更はさほど大きなものではなかった。
対して、新たな要求性能はこれらの性質と大きく異なるものだった。
高範囲へのデータリンクという電子戦機の機能はそのままであったが、明らかに有人機の範疇を超えた目標値が設定されていたのである。
Su-47MPが無人機としての道を歩み始めているというのは、誰の目から見ても明らかであった。
『恐らくは、ドーター管制の外部ユニットとして扱われるのであろう』
Su-47譲りの大きなボディがドーターに随伴するためのペイロードとして扱われることについて、
この機体に携わる者としては複雑な心境でもあったが、対ザイ兵器への需要も、彼ら自身の好奇心もあり、Su-47MPはその姿を変えていった。
その内、大きな変更点の一つである推力偏向ノズルの形状がSu-47の前身であるコンセプト案に似ていたことから、S-32と密かに呼ばれ始めたのもこの頃である。
果たして、Su-47MPは有人機としての意匠を持ちながらも、設計段階で無人機の性能を持たされた特異な機体として設計された。
設計データの正式採用が決定した8月半ばからは、実機の製作へ。
生産されている部品であればそれをいかなる手段をもってしても手に入れ、そうでなければ自分たちで作る。
こうして完成した機体には〈S-32〉の名が正式に与えられ、10月末を持って彼らの翼は空へと舞い上がった。
兵器として、例えどのような役割が与えたれていたとしても、今この瞬間S-32は彼らにとっての到達点だった。
それから続けて機体の試験が行われていた冬頃、S-32プロジェクトに危機が訪れる。
機体そのものの完成度は非常に評価されながら、ドーターと連動するEPCCMポッドの開発が難航していたのである。
一方ドーター開発においては、Su-47がコアへの適合を遂げ、順調に改修が実施されていた。
世界各国でドーターの研究が進められていたのもあり、T-50、MiG-1.44等他の機体に対してもコアの適合が試みられることに。
無論、ドーターへの予算投入はより重視されることになった。
S-32プロジェクトの続行には、EPCCMを抜きにしたS-32そのものの有用性の証明が求められた。
とはいえ、EPCCMポッドのないS-32を無人攻撃機として運用するには、あまりにも費用対効果が悪すぎる。
結局、S-32プロジェクトは凍結。テストパイロットのエディソンも前線に引き抜かれることになるのだった。
主を引き抜かれたS-32を乗りこなせるパイロットを呼ぶことも、そもそも飛行のための予算も出ない中、それでも彼らはS-32の保存に努めた。
彼らがS-32と共に歩んだ密度ある時間のことを思えば、自然なことだった。
S-32をドーター化するという話が出たのは、冬のプロジェクト凍結から数か月が経過した3月から4月にかけてのことである。
当初、マリインスキーの研究者たち、特にプロコフィエフはこれに大きく反感を覚えた。
聞く話の通り、アニマを生むのが機体の積み重ね、記憶が作る“本質”であるのであれば、製造から僅か半年のS-32にそのような積み重ねがあるはずもなく。
『事実上の廃棄処分ではないか』
そんな軍に対する不満が彼らを支配しつつもS-32を飛ばす代替手段があるわけでもない。
出来る限りのベストを尽くしながらもS-32の本当の終わりが近づいているかに思えた。
しかし、果たして何の奇跡か。S-32にアニマが形成されたのである。
そして、そのような積み重ねのあまりに少ない機体にアニマが生まれ、柘榴色の瞳を見せた日のこと。
『私は、私はS-32。…私は、何者ですか』
『お前の名前はオリョール、澄んだ空を翔ける荒鷲だ』
『オリョール…それが私の名前』
影のような少女が第一声を発し、オリョールと名付けられてから約一週間。
「シミュレーション条件を確認。S-32、状況を開始する」
電脳の世界に、その翼が飛び立つ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む