イアーズ・ストーリー (水代)
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一章『水晶魔洞』
一話


「……はあ」

 

 嘆息しながら酒場のカウンターの上でひっくり返したのは自前の皮の財布。

 ころん、ころんと中から転がり落ちてきた硬貨を摘まみ上げながら一枚、また一枚と並べていく。

 

 2000ゴールド。

 

 全て並べ、数えた結果がそれだった。

 本日の宿が一泊1500ゴールド。

 さらに本日の夕飯代で500ゴールド。

 

 つまり?

 

「……明日から、どうするんだこれ」

 

 差し引かれた残高を計算し、思わず項垂れる。

 最後の一杯にと残した果実水を一気に飲み干す。

 さっぱりとした甘みが喉を通り抜ける。

 

「あぁ……」

 

 飲み干すと共に息を吐き、勘定を払ってそのまま酒場を出る。

 かちゃりかちゃりと歩くたびに鎧が音を鳴らす。

 そろそろこれも修繕しないとな、と思いながらもそのための金も無い有様。

 

 夜半、人気のすっかり途絶えてしまった街中を歩きながら明日のことを考える。

 

「ギルド行かねえとな」

 

 数日冒険者ギルドで依頼を受けていなかったため久々に行かなければならないだろう。

 あの受付にまた何か言われるのかと思うと憂鬱になってくる。

 

「ギルド、行きたくないなあ」

 

 とは言えまだ()()ことができない以上この街で暮らすしかないわけで。

 

 ―――なんでこんなことになったんだろうな。

 

 そんな内心の思いを吐露しそうになり、けれど飲みこむ。

 多分自分が悪い……のだろうけど、何が悪かったのだろう。

 良く分からないから困る。何よりいつまでここにいればいいのか分からないのが余計に困る。

 

「大丈夫かなあ、お嬢様」

 

 何て心配したって自分をここに寄越したのは彼女自身であるのだが。

 

 

 * * *

 

 

 ノーヴェ王国の南部にあるペンタスの街では現在近年稀に見る好景気に沸いていた。

 ペンタスのさらに南、オクトー王国との国境付近にて新たにダンジョンが発見されたからだ。

 

 洞窟の全てが水晶(クリスタル)でできた神秘のダンジョン『水晶魔洞』は洞窟内部から発生魔物に至るまで全てが水晶という極めて不可思議な場所であり、そこで入手できる原石から精製される水晶全てが魔水晶*1であるという事実が判明するとノーヴェ王国のみならず、オクトー王国やディッセン皇国からも冒険者たちが集まり、閑散とした田舎町だったペンタスは今やノーヴェ王国の首都にも劣らないほどの人に溢れかえり、好景気に沸いた。

 

 小さかったペンタスの冒険者ギルドも、需要に合わせて急激に拡張されたが、それでも収まりきらないほどの人数の冒険者たちが連日ギルドに訪れていた。

 

「うへえ……」

 

 数日ぶりに訪れた冒険者ギルドの人の多さを見て辟易する。思わず帰りたくなるが、けれどここで帰っても結局無一文なのには変わりない。

 

「……腹減ったなあ」

 

 朝飯すら食ってないので、外で適当に何か狩らなければならないだろう。

 とは言えそれだけで暮らしていけるはずもなく、とにもかくにもクエストをこなして金を稼がなければならない。

 そうして長蛇の列に並ぶこと数十分。

 ようやく自分の番が来る。

 

「いらっしゃいませ~。冒険者ギルドへようこそ……ってアナタでしたかぁ」

 

 僅かに間伸びした声と眠たげな目の猫人(ウェアキャット)の受付嬢は自分を見るなり机の引き出しを開けて、紙束を取り出す。

 その中から一枚取り出してカウンター越しにこちらへと寄越す。

 

「どうせまた金欠ですよね~。それとかどうですぅ?」

 

 渡された紙に目を通せば、冒険者ギルド発行の依頼書だ。

 内容を見やり、頬を引きつらせる。

 

「いやいやいや、いくらなんでもこれは無いだろ」

 

 書かれている依頼は極めてシンプルだ。

 

 ―――ダンジョン『水晶魔洞』のゲートキーパーを倒せ。

 

 最近になって発見されたというセーフゾーン*2奥に現れるという水晶を纏った巨大な爬虫類型のモンスターだ。

 ランク4の冒険者が六人でパーティを作って全滅したとかいう凶悪なやつで、基本的に一人で依頼をこなす自分のような冒険者に渡すべき依頼ではない。

 

「えーだって、でもこれくらいやらないとアナタの貧乏プレイはどうにもならないと思うんですけどぉ」

「貧乏プレイ言うな」

 

 こっちだって好きで貧乏やってるわけじゃない。というか元はそれなりに資産だってあるのだ。

 ただ今それを引き出せない状況というか、何というか。

 

「もっと普通のやつくれ……今ならいくらでも依頼あるだろ?」

「そーですねぇ……じゃあこれとかは?」

 

 そう言って代わりに差し出された依頼書を受け取る。

 内容は『水晶魔洞』に出現するモンスターから入手できる魔水晶を持ってくること。

 ただしサイズに規定があり、一定サイズ以上でなければならないとのことだ。

 

「このサイズ落とすモンスターってのはどのくらいのレベルになる?」

 

 モンスターは基本的に倒すと消滅する。

 基本的に肉体があるようで本質的には魔力の塊なのがモンスターだ。

 故に倒すと体を維持できず塵も残さず消える。

 だが時折残った魔力が物質となって残ることもある。

 それがドロップアイテムであり、冒険者の仕事の一つはこのドロップアイテムを集めることにある。

 そしてこのドロップアイテムの質とは素体となったモンスターの魔力に寄るため、質の良いアイテムを手に入れようとするならば強力なモンスターを倒す必要がある。

 

「そうですねぇ……ランク3冒険者でも十分可能なレベルのはずですよ~」

 

 ランクというのは冒険者の位分けである。

 登録したばかりのランク1から始まり、初心者卒業のランク2、一人前のランク3、ベテランのランク4、そして最上位のランク5に分類される。

 今の自分のランクは3。つまり難易度的には十分だろ。

 

「じゃあ、それで」

「はいは~い、じゃあこっちで処理しておきますね~」

 

 ぽん、とスタンプを突いて受領済みと赤字で半された依頼書を受け取り、カウンターを立ち去る。

 周囲を見やればパーティを組んでダンジョンへと行かんとする冒険者たちで溢れかえっているが。

 

「まあ、こっちは気楽にソロで頑張りますかね」

 

 とは言えポーター申請は必要だ。そちらの受付に言って適当に見繕ってもらう。

 ポーターは簡単に言えば『荷物持ち』だ。

 ダンジョンにおいて、多くの荷物を抱えて進むことなど自殺行為に等しい。

 いつ、どこから現れるか分からない敵に対して、装備だけでなく重い荷物まで抱えて進んでいてはいざという時動けず、致命的な隙となる。

 だからこそ、ポーターという職種がいる。

 

 ポーターは割と貴重な存在で、大前提としてポーターとしての能力が必要になる。

 例えば『軽量』の魔法だったり『空間拡張』の魔法なんてのを持っているやつもいた。

 単純に力持ちなやつもいたし、魔法が無くても魔導具で補っているやつもいる。

 とにもかくにもなるべく多くの荷物を持ってそれでいてダンジョンに一緒についていって生き残る生存能力が必須になる。

 もしポーターがいなければダンジョンに荷物を抱えて向かい、倒した敵のドロップアイテムも抱え、膨れ上がった荷物で探索を進めることになる。

 つまり生存率を上げるためにも、収益を上げるためにもポーターというのは冒険者には不可欠な存在なのだ。

 

 その辺りパーティを組んで人数を余らせているのならば代替することも不可能ではないが、俺のようにソロでダンジョンへと潜る冒険者にとってポーターは必須と言えた。

 

「チャーター料金はドロップアイテムの三割で問題ありませんか?」

 

 因みにそんな必須存在だからこそ、ポーターを雇うにはそれなりに金がかかる。

 事前に6000ゴールドを払うか、ダンジョンで入手したドロップを売却した額の三割のどちらかが報酬となるのだが、基本的にパーティなら前者、ソロなら後者が多い。

 単純に稼げる金額の違いもあるのだが、それ以上に人数割をした時の一人当たりの稼ぎというものがある。

 つまり毎回三割も持っていかれるとパーティ維持するほど稼げなくなるのだ。

 だがソロなら七割は保証されている。いくら稼ぐかにもよるがだいたいランク3の冒険者の一日辺りの稼ぎが6000~8000ゴールドほどなので三割持っていかれても宿代と飯代くらいは確保できるというわけだ。

 因みにこれがランク2以下になると一人辺りの平均が3000ゴールド前後にまで落ち込むのでそもそもポーターと雇うという選択肢自体が消失する。

 例え三割でも報酬から差し引かれると生活するだけの稼ぎが出ない、という事態に陥る。

 何よりランク2以下の冒険者たちが戦うようなモンスターのドロップというのはかさばるようなものが少ないので、ポーター自体をそれほど必要としないという面もある。

 もし必要な場合は同じランク2どうしでパーティを組んでやり繰りするのが普通である。

 

 まあそれはさておき。

 

「ポーターのフィーアです。よろしくお願いしますね」

 

 冒険者ギルドを出ると隣にあるポーター広場へと行く。

 簡単に言えばギルドから派遣されたポーターとの待ち合わせ場所だ。

 置かれたベンチに座って五分ほど冒険へと出発する冒険者たちを眺めていると、ふっと目の前に一人の少女がやってくる。

 歳の頃十五、六ほどだろうか。背中に追った大きな鞄が少女が何者なのか如実に示していて。

 そうして自らフィーアと名乗った少女はそう告げて手を伸ばす。

 

「ルーだ、よろしく」

 

 こちらも簡素に名乗り返し、その手を取る。

 冒険者にとって最も重要なものは何かと問われると、色々な答えがきっとあるだろう。

 だがその中で必ずあげられるものが一つ。

 

 信用である。

 

 ダンジョン探索は命がけである。

 奥へと進めば進むほど強力なモンスターが現れ、常に命の危険を感じながらヒリヒリと精神を焦げ付かせながら進むことになる。

 そんな中で一緒に歩く仲間が信用できないというのは極めて危険だ。

 人間は常に全方向を警戒することなどできないし、後ろの仲間に気を取られれば前からモンスターに襲われるのが冒険者の常である。

 だからこそ共にダンジョンに行く仲間を信用する。それが出来ないやつらはどこから野垂れ死にするのがオチだ。

 それはポーターとて例外ではない。

 というかポーターは基本的にそれほど戦闘能力を持たないので、冒険者以上に危険が付きまとう。

 冒険者の代わりとなって荷物を運ぶ以上、冒険者と違って身軽になることはできないし一緒に潜った冒険者が守ってくれなければ命の危険とて容易にあり得る。

 

 故に冒険者もポーターも信用と信頼が重要視される。

 

 少なくとも、後ろから刺してくるような冒険者やポーターは絶対にこの業界で生き残ることはできない。

 稀に野良冒険者や野良ポーターなんてのもいるが、あんなもの使う人間の気がしれない。

 少なくとも、目の前の少女……フィーアはその点に関して信用しても良さそうだった。

 こうして握手をする、その意味を分かっていて少女はやっている。

 

「よろしく頼む」

「こちらこそ」

 

 ダンジョンにおける信用と信頼の重要性を、理解しているということに他ならないのだから。

 

 

 * * *

 

 

 冒険者ギルドは冒険者をまとめ上げる組織であると一般に言われているが実際にはダンジョンを管理する組織である。

 大本が国家運営の『ダンジョン管理局』。そしてそのダンジョンを探索する『ダンジョンシーカー』を総括する機関だったのだが、かつては世界の神秘とされていたダンジョンも百年、二百年と経てば最奥まで攻略されるものも増え、ついには未踏破ダンジョンというものの数が数えるほどになった頃、多くの国はダンジョンシーカーを持て余していた。

 ダンジョンシーカーたちはダンジョンを探索する関係上、強力な戦力である。だがかつては多くあったダンジョンも踏破を終え消え去った物も多く、残ったダンジョンの数に反してダンジョンシーカーの数は供給過多。完全に持て余していた戦力をどうするか。

 

 そんな時、地上に魔族というものが現れた。

 

 魔族は人類種族に対して敵対的な存在であり、全ての人類国家と魔族の間で百年続く戦争が起こった。

 最終的にどういう決着がついたのか、それは誰も知らないことではあるが、結果的に魔族たちは地上から姿を消した。

 だが代わりに地上にはダンジョンにしか生息していなかったはずの魔物が増え、あちこちに出没するようになった。

 これによってかつてダンジョンのみを探索していたダンジョンシーカーたちは地上の魔物にも対応するようになり、これが現在の冒険者の大本である。

 

 最初は国営だったダンジョン管理局も戦争の影響で維持することができなくなり、解体。

 代わりに国家から委託される形で作られたのが現在の『冒険者ギルド』である。

 と言ってもやること自体はかつてのダンジョン管理局時代からそう大きな変更はない。

 

 基本的に地上の魔物というのはそう強いものは多くない。

 低ランクの冒険者、どころか民間人でも武装さえすれば追い払う程度のことはできる存在であり、強力な魔物や魅力的な資源というのは常にダンジョンから産出された。

 故に冒険者ギルドの役割は依然としてダンジョンを管理することだ。

 

 そしてダンジョンさえ管理すれば必然的にそれに向かう旧シーカー、現在の冒険者たちを管理することにも繋がる。

 実際、冒険者登録を開始し、登録された冒険者のみがダンジョンに立ち入ることが許可されるようになったのはここ十年前後のことであり、それ以前は誰だろうとダンジョンに入ることができた。

 

 登録もせずにダンジョンへと向かう野良冒険者や野良ポーターというのが生まれたのも結局は登録制度を作ったからである。

 

 とは言えこの登録制度で実力ごとにランク区分を行うことによって依頼の達成度を飛躍的に高めることができた。

 冒険者たちは身の丈に合わない無茶をする必要は無くなったし、依頼する側からしても依頼にある程度の確実性を求めることができるようになった。

 

 さらに新人冒険者に対してギルド側からの新人研修や講義などもあり、現状比較的上手く回っている、という印象だった。

 

 

 * * *

 

 

 ダンジョンを管理すると一口に言っても、ダンジョン内部はダンジョンコアによって常に状態が『更新』されている。

 ダンジョンコアは文字通りダンジョンの核であり、これを破壊することでダンジョンは消滅する。

 その代わり、ダンジョンコアを破壊しない限り、最奥に待ち構える『ボスモンスター』もボスへの通路を塞ぐ『ゲートキーパー』もダンジョン内をうろつく雑魚モンスターも何度でも復活する。

 また時々だがダンジョン内部では不自然な宝箱が設定されており、開けるとゴールド通貨や不可思議な力を宿した武器や防具、アイテムなどが見つかる。

 というか現在流通している『ゴールド通貨』とは全てこのダンジョンで産出されたものである。

 

 この宝箱もまたダンジョンコアが生み出しているとされており、一説によると宝箱を餌に冒険者たちをおびき寄せ『食らう』ためではないかと言われている。

 

「水晶魔洞は現在地下十二階層まで確認されています」

 

 内部の大まかな地図を示しながらフィーアが告げる。

 道中はダンジョン行きの無料馬車がある。これも冒険者ギルドに登録した際のサービスの一貫と言える。

 

「十二階層にてゲートキーパーが確認されているので注意ですね。一応尋ねますが目的は?」

「魔水晶、何だけどな……サイズまで要求されてるから、少し奥までは潜るかもしれない」

 

 自身の言葉にフィーアが頷く。

 

「とは言え十二階層に存在するのはゲートキーパーのみ、ということなので問題は無いでしょう。魔水晶ならほぼ全階層で取れますが、特にサイズ的に大きいとされているのは六階層と十階層ですね」

 

 さらに地図を広げながら地形を見せ、さらにどんなモンスターが生息しているのか、その階層で注意すべきことなど口頭で告げるフィーアに頷く。

 

「優秀なポーターで助かるよ」

「こちらこそ、優秀な冒険者と聞いています、報酬も割合制ですし、期待していますよ」

 

 告げるこちらの言葉にそう言って笑みを返すフィーアに思わず苦笑した。

 

 

*1
魔力の伝導率が高く、魔力を多く蓄積できるため魔法触媒として極めて有用性が高い。

*2
ダンジョン内におけるモンスターの発生しない地域。



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二話

 

 ポーターの貸し出し(チャーター)報酬は半分がポーター自身へ、残り半分がギルドに取られる。

 故にポーターにとって先払いができる定額制はどれだけ働こうが一定額が保証され、それ以上にも以下にもならない。

 つまり適度に手を抜いても全力で支援しても報酬は同じ3000ゴールドだ。

 

 逆に後払いになる割合制は探索が不調ならその分報酬は減るし、逆に探索が順調ならばその分報酬は増える。

 半分ギルドに取られるとは言え残り半分はポーターへと支払われる。つまり探索で得た報酬の15%はポーターの取り分となる。

 

 故にポーターの大半が割合制の時のほうがよく働く傾向にある。

 

 自分の働きが報酬に直結する以上それは仕方ないの無いことであり、働きぶりの違いを一々指摘したりしないのはある種暗黙の了解でもある。

 とは言え、余り極端過ぎれば『信頼』を失ってしまう。

 最悪定額払いのパーティには一切呼んでもらえない場合もある。

 残念ながら定額払いをするパーティというのは非常に『安定』して探索を進める、つまり危険を冒す必要無く稼ぐことのできるパーティであるためポーターとしても報酬は安くとも安全な仕事なのだ。

 逆に言えばそんなパーティから『信頼』を失うということは『信頼』に欠ける個人やパーティにばかり呼ばれるということであり、はっきり言ってそれはそれで命がいくつあっても足りないほどに危険性が高い。

 

 故にポーターはどんな状況でも最低限の仕事はしなければならない。

 

 そういう意味でフィーアという少女は非常に優秀であると言わざるを得ない。

 

「この先、坑道が分かれていますね。右は比較的モンスターが少ないようです」

「じゃ、そっち行こうか……今回の目的はあくまで六階層のモンスターだしな」

「分かりました」

 

 ダンジョンに侵入してはや二時間。

 基本的に先導は冒険者が行う、まあモンスターが出てくる危険性を考えれば当然だろう。

 だがポーターはただ荷物持ちだけすれば良いというわけではない。

 それは必要最低限の仕事であって、やろうと思えばいくらでもやれることはある。

 特に冒険者たちを支援して良く働かせ稼ぎを増やすことはポーターたちにとっても重要なことだ。

 割合制なら冒険者たちが良く稼げばそれだけ自分の稼ぎも増えるのだから。

 故に地図を見ながらのナビゲーションや適度な休憩の提案。セーフティーゾーンの確認などやれることは多くあり。

 

 フィーアという少女はその大半をそつなくこなす。

 

 何より、こちらの目的に沿って提案を出してくれることが何よりも有難い。

 稼ぐのは冒険者だ。モンスターを倒すのは冒険者である以上それは当然のことだ。

 だからこそ、ポーターはもっと多く稼ごうと冒険者に無茶をさせようとする者も一定数いる。

 わざとモンスターの多い方に誘導したり、酷い時はモンスタートレイン*1をするポーターまでいると聞く中で、六階層を目標にそれ以外の階層での戦闘を極力減らそうとするこちらの意思をくみ取って最短かつ消耗の少ないルートを選んでナビゲートしてくれているのが分かる。

 

「ナビゲートは助かるけど、余り前に出過ぎないようにしてくれよ?」

「大丈夫ですよ、その辺りは弁えていますから」

 

 まだ死にたくないですしね、と茶化すように呟く水色の髪の少女にまあこの少女なら問題ないか、とどこか安心感のようなものを抱く。

 

 現在ダンジョンの四階層半ば。

 

 実際、ここまで問題らしき問題も無くやってこれたのは間違いなくフィーアというポーターのお陰であることは間違い無い。

 

 『水晶魔洞』の一階層、つまりダンジョン入口は山の頂上部にある。

 そこから五階層までが地上部分で、六階層からが地下層となる。

 山の途中に実っていた適当な果実で空腹を満たしてから入ったは良いが、ダンジョンというのはとにかく広大である。外観と中の空間の広さは当然のように一致しない。

 下手に迷えば一階層抜けるのに半日はかかるだろうほどの広さである。その中で僅か二時間足らずで四階層までやって来れたのはフィーアのナビゲートが非常に正確だったからだった。

 

「随分と慣れた様子だが……ここにはすでに?」

「そうですね、今のペンタスで一番の稼ぎ場所ですからね。すでに十や二十で数えきれない程度には来ていますよ」

 

 呟きながら、周囲を見渡し、さらに地図へと視線を落とす。

 そんなことをずっと繰り返しているのは恐らく記憶の中の景色と現在の景色から現在地を確認しているのだろう。

 それにしても二十を超える数来ているとなると納得ではある。

 

「っと……あれは」

 

 洞窟全てが水晶で出来たという幻想的な光景の中を進んで行き、足を止める。

 

「……どうしました?」

「敵だ、しかも回避できそうにない」

 

 五階層へと続く階段の手前の広場に体の一部が結晶化した蜥蜴人(リザードマン)のようなモンスターが数体(たむろ)していた。

 単純に広場を占拠しているだけならともかく、あそこには五階層へと続く階段がある。

 

「これは……どうにもなりませんね」

 

 さすがにこの状況で戦闘を避けるのは無理だとフィーアも悟ったらしい、そう呟いてこちらを見やる。

 

「分かってる、ちょっと待っててくれ」

 

 ポーターは基本的に戦わない。

 絶対に戦えない、というわけでも無いし、中には並の冒険者より強いポーターというのもいなくはないが、ポーターの最優先は荷物を守ることであり、モンスターを倒すのは冒険者の役割だ。

 故に周囲を一度見渡し、他に敵がいないことを確認する。

 

 万一、自分があの広場に行っている間にこちら側でフィーアが襲われでもしたら。

 

 そういう状況を作らないことが重要であり、こういう小さな確認を怠ったパーティはいつか必ずどこかで破綻する。

 とは言えここに来るまでに完全に戦闘を避けられたわけでなく、すでに数度の戦闘を行っている。

 その際にフィーアがこちらを邪魔しない位置取りで周囲を警戒している様子は見ているので、よっぽど自身が手古摺るようなことが無ければ問題にならないだろう。

 

 その程度にはフィーアを信頼しているから。

 

 

 * * *

 

 

「やりますね」

 

 一般的なロングソード片手に広場へと躍り出るルーを見やりながらフィーアは呟く。

 水晶魔洞のモンスターは基本的に全身のいたる箇所を水晶に覆われており、剣などの武器は弾かれやすいのだが、見事に結晶化した部分だけを避けて切り裂いている。

 

 それは一見容易いことのようだが、モンスターとて棒立ちになっているわけではない。

 むしろずる賢く獲物を狩ってやろうと知恵を働かせながら立ち回っているのだ。

 だがそんなこと知ったことかと言わんばかりに次々とモンスターを屠るルーは確実に手練れだと言えるだろう。

 

「レベル60と言ったところですかね」

 

 当然ながらいくら的確に攻撃できても、レベルで劣っていてはまともなダメージなど期待できるはずもない。

 レベルとはつまり『存在としての格』そのものである以上、格が勝る者が格が劣る者に絶対的に有利を得るのは当たり前の話。

 とは言え有利である、というだけで確実に勝てるのとはまた違うのも事実。

 数の利、地の利、それらはモンスターの側にあり、けれどそれをものともしない強さで敵を屠る。

 

 ルー。

 

 それが眼前で戦っている少年を示す名である。

 冒険者として登録する際、登録名を記載するがこれに関して必ずしも本名で登録する必要はない。

 つまるところ、冒険者として区別できれば何でも良いので偽名登録している人間というのは少なからずいる。

 別に身分証を作っているわけではないので冒険者ギルドもそれに関してとやかく言うつもりはない。

 例え前歴持ちだろうと、そうでなかろうと。

 

 ダンジョン探索に必要無いならギルドとしては些細な話である。

 

 そう、だからそれはフィーア個人としての興味。

 大よそレベル60。それがここまで数度ルーの戦う様子を見てきたフィーアが出した結論である。

 とは言ってもそれは簡単なことではない。

 ランク4の冒険者ですらにレベル30前後が精いっぱいなのに、ましてその倍以上となれば……。

 

 ランク5の冒険者は上から下まで本当にピンキリではあるが、まず間違い無くルーはピンのほうに分類されるだけの実力がある。

 なのにランク3。しかもそれだけの強さがあって、つい最近まで聞いたことすら無かったのだ。

 

 がちゃがちゃと金属鎧を鳴らしながら戦う少年の姿に、フィーアは首を傾げざるを得なかった。

 

 一体彼はどこから来たのだろうか、と。

 

 

 * * *

 

 

 剣を振り下ろす。

 

 その一撃で最後の一体となった蜥蜴人の全身が霧散し、後には水晶で出来た剣だけが残った。

 先ほどの蜥蜴人たちが持っていた武器だが、どうやらそのままドロップ品として残ったらしい。

 拾いあげて見れば頑丈で中々悪くないが、ほとんどただの水晶の塊なので切れ味は無さそうだ。

 持って帰って研いだりすれば武器として使用できるだろうかとも思ったが、硬いが脆そうなのでそれも無理だと分かる。

 まあ見た目は美しいので芸術品くらいにはなるかもしれないなと思いつつ、戦闘が終わったのを察知してこちらへやってきたフィーアにそれを渡す。

 

「お疲れ様です」

「ああ……回収頼む」

「はい」

 

 一つ頷きながらフィーアがそれほど多くもないドロップ品をひょいひょいと拾い上げてはリュックの中へと詰め込んでいく。

 周囲を見渡すが、どうやら新手の気配はないようだった。

 

「次の階層に行く」

「分かりました、では案内しますね」

 

 こちらの意思を伝えればフィーアがまた頷いて手の中の地図を広げた。

 洞窟の中にも関わらず明らかに人工的な階段を下って行けば五階層へとたどり着く。

 

「ここから先はモンスターの強さが一段階上がります。まあ、アナタならそれほど問題も無いでしょうが」

 

 告げながらもう一度地図を確認し、周囲を見やる。

 階下は少し大きな広場になっている。その先を進めば右、左、正面と三方向に道が分かれていた。

 立ち止まりフィーアへと視線を移せば地図へと視線を落としていたフィーアが顔を上げて右の道を指さしたので、一つ頷きその指さす方向へと歩いて行く。

 

「因みにだが」

 

 しばらくは分かれ道も無い一本道を黙々と歩いていたが、少し気になったことがあったので口を開く。

 

「フィーアは何階層まで行ったことあるんだ?」

 

 五階層を超えて未だに案内ができる、ということは恐らくここまで来たことがある、ということなのだろうと予想する。

 

「私ですか……」

 

 相変わらず地図に視線を落としたままだが、少し思案するように黙し。

 

「十二層ですね」

 

 そう答える。

 十二層、それはつまり現在確認されている最奥である。

 その意味を理解し、少しだけ驚いて見やる。

 

「そういうそちらは?」

 

 けれどそんな自身の視線に構う様子も無く、フィーアが問いかけを返し。

 

「悪いが五階層、ここまでだ」

 

 ここまでは潜ったことがある。と言っても一度だけだが。

 基本的に自分は冒険をするためにここにいるわけではないのだ。だからそれで良いと思ってはいるが。

 

「この先は完全に未見何でな……頼らせてもらうぞ?」

「問題ありません」

 

 自身の言葉に何の躊躇いもなく肯定を返す少女に、これじゃ逆だな、と頼もしさを感じながらも苦笑した。

 そうしてしばらく何事も無く一本道を進んで行き。

 

「ここから先、また分かれ道です」

 

 抜けた先はフィーアの言葉通り、二つに分かれていた。

 

「今度は左へ」

「分かった」

 

 とは言えフィーアの案内に従って進んで行くため迷うことは無い。

 フィーアが道を間違えなければ、ではあるが少女が優秀なポーターであることはここまでで明らかである。だからその案内もまた信頼している。

 

「しかし、目に悪いダンジョンだ」

 

 視界に移る水晶の迷宮に辟易とした言葉を漏らす。

 明り一つ刺さない暗い洞窟はけれど明りを灯せば光が乱反射してたちまち眩い世界を魅せる。

 この光のせいで影から出てくるモンスターに気付かなかったり、知らず知らずの内に間違った道を歩いていたりと厄介なのだが、じゃあ明りを消せばいいのかと言われればまた視界が真っ暗になるだけの話だ。

 布を被せるなどして光量を極力押さえたランプを使うか、それとも暗闇に目を鳴らすか、基本的に対処法はこの二つくらいであり、モンスターは明るかろうが暗かろうが平然と襲ってくるため大半の冒険者は明りを押さえたランプで対処していた。

 

 透明感のある水晶は、けれど何度も何度も光を屈折させ、正しい像を映さない。

 

 見えた像はもしかすればまだ遠くの光景かもしれないし、もしかすると今まさに背後から襲いかからんとするモンスターの姿かもしれない。

 遠くに見えるモンスターの姿はもしかすると鏡のようにピカピカの水晶が映した虚像かもしれないし、もしかすれば何も無いように見えるそこには水晶が光を反射してしまって見えないだけでモンスターが隠れているのかもしれない。

 天井も床も壁も全てが水晶で出来上がったこの洞窟は遠近感や平行感覚、さらに距離感が曖昧になってしまう。

 そのせいで居もしない物を見ることもあるし、居るはずのものが見えなかったり、とにかく目に悪いダンジョンである。

 

「偶にモンスターが隠れていても見えないことがあるので耳で聞くのをおススメしますよ」

「……耳か」

 

 言われ、耳を澄ましてみる。

 だが聞こえるのは洞窟の中を歩く自分たち二人分の足音だけ……。

 

 きちっ

 

「…………」

「…………」

 

 その瞬間、確かに()()()()()()()()

 恐らく同じ音を聞いたのだろうフィーアが無言になる。

 

「…………」

「…………」

 

 互いに顔を突き合わせ、一つ頷く。

 

 もう一度耳を澄ませ。

 

 

 きち、きちっ

 

 

 ()()()()

 それも先ほどより近い。

 

「フィーア」

「はい……回り道しますか?」

「相手の情報は?」

()()()()()()

 

 返って来た言葉に思わず顔を押さえる。

 すでに何度も来ているだろうフィーアが、十二層まで到達しただろうフィーアが知らない()

 

変異種(ミュータント)か?」

「可能性はありますね……どうしますか?」

 

 二度目の問いかけ。

 

「じゃあ……」

 

 それに問いかけるより早く。

 

 

 ズドォォォォォォォォォォォン

 

 

 轟音が洞窟中に反響し、響き渡る。

 

「うわああああああああ!」

 

 直後に聞こえてくる誰かの悲鳴。

 

 一瞬思考し。

 

「行く」

「分かりました」

 

 自身の言葉にフィーアが即応した。

 

 

*1
別の場所にいるモンスターを引き連れてくること。当然迷惑行為、というかほぼ自殺行為である。



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三話

警告:グロ注意


 

 昔から直感に優れるほうだと思っている。

 物心ついた時から『なんとなく』で行動することが多かったし、実際その『なんとなく』に何度となく助けられた。

 

 小さな田舎の村で育った自分たちにとって町へと赴くことは一種の憧れだった。

 だから村全体の食糧難のために街へと食料の調達に行くための役割をみんな率先して引き受けていた。

 そんな中で自分だけはその役目から降りた。

 

 理由?

 

 『なんとなく』だ。

 

 そうして街へと向かった大人と子供たちは道中に現れた大型の魔物に皆殺しにされた。

 小さな村だからみんな顔を知っていた、中には自分の友達だっていた。

 それなりに悲しんだし、泣きもしたが、それ以上に心中を埋め尽くしていたのは別の思考だった。

 

 もしあの場に自分も居れば……。

 

 そう考えれば恐ろしくて身震いした。

 とは言え食糧難のために街へと向かったのに、結局食料の調達も儘ならず村は深刻な飢えに陥った。

 そんな中で自分だけは『なんとなく』赴いた森で得た果実を食べて飢えを凌いだ。

 幸い、なんて言うには余りにも不謹慎だが、街へと向かった村人たちが皆殺しにされ住人が減った分だけ僅かにできた食糧の余裕が村に残っていた人々に回りその年の冬を越すことができた。

 

 それでも何人かは冬を越すことができずに死んだが。

 そうして次の年も、その次の年も、さらにその次の年も。

 ばたばたと死んでいく村人たちを後目(しりめ)に、自分一人だけは要領よく生きていた。

 

 それでも限界は来る。

 

 ある日、余りにも唐突に壮絶に嫌な予感がした。

 

 ここにいてはならない。この村にいては死ぬ、そんな予感……否、確信にも似た感覚があった。

 

 その時、人生で初めて直感の導きに迷った。

 

 さすがに村を捨てて生きていけるとは思えなかったのだ。

 自分がまだ幼い子供であり、村の庇護無く生きていけるほどこの世界は優しくはないと分かっていたから。

 

 だから一度だけ村長に対して忠告した。

 

 この村に何か良くないことが迫っていると。

 

 とは言えそんな子供の戯言、聞いてくれるはずも無く。不吉なことを言うなと逆に怒られた。

 まあそんなものだろうと思うと同時に、決心もつく。

 ここにいれば確実に死ぬ、その予感は未だに消えない。むしろどんどん焦燥感のようなものが膨らんできている。

 

 時間が無い、それが分かったからその日の内に荷物を纏めた。

 

 幸い、なんて口が裂けても言えないが両親ならとっくに死んでいる。

 それでも支えて助けてくれた村だからこそ情も恩もあったが。

 

 結局自分は自分のことが一番大切だった。

 

 それだけの話。

 

 その日の内に村を出る。

 チリチリと脳裏を焦がす焦燥感のような予感が完全に消え去るまで、子供の足ながらも街への道を歩き続けた。

 

 その翌日、村に『災害種』*1が襲来した。

 

 まあその時の自分は街への道の途中で疲れて眠っていたのだが。

 モンスターに襲われる危険性も考えたが、直感は大丈夫だと言っていたので熟睡して。

 起きた時にはすでに終わっていた。

 まあ自分はその時村に何が起きたのか知らなかったのだが。

 ただ自分をここまで突き動かした嫌な予感は綺麗さっぱり消えていたことからすでに村は全滅したのだろうと思っていたのも事実だ。

 

 だが捨てた村よりも問題はこれからの自分だ。

 

 親も居ない、身よりも無い、助けてくれる伝手も無い、そんな子供が生きていくにはこの世界は余りにも過酷で。

 

 それでも、実のところそんなに不安は無かった。

 

 大丈夫、なんとかなる。

 

 『なんとなく』そう思ったから。それは直感だったのだろうか、それともただの願望だったのだろうか。

 

 未だに自分には分からないけれど。

 

 直感を頼りに街へと歩き出した。

 

 そうして街へとたどり着いた自分がまず真っ先にやったのは働き口を探すこと。

 とは言っても孤児を雇ってくれる場所なんて早々無い。あるとすれば余程のお人好しか、物好き、或いは何か腹に一物抱えたやつだけだろう。

 そんな少数派を小さな街とはいえ子供の足で探すのは骨が折れたが直感頼りに『なんとなく』立ち寄ったとある飯屋で事情を話すと住み込みの下働きとして雇ってもらえることになった。

 お人好しな飯屋の店主夫妻に助けられながら数年ほど生活し、十二歳の時に冒険者として登録をした。

 

 少し早いのではないか、と夫婦は言ったが、さすがに何年も何年も世話になるわけにはいかない。

 

 それでも直感が大丈夫と太鼓判を押してくれるまで二年も待った。

 ようやく行けると確信が持てたその日の内に長く世話になった夫妻に感謝と別れを告げて冒険者となったのだった。

 

 

 * * *

 

 

 一年もしない内に自分の名はそれなりに売れた。

 

 幸運者(ラッキーボーイ)

 

 ダンジョン内で何度となく『なんとなく』で隠れたモンスターやお宝を発見している内に付いた仇名ではあるが、この仇名のお陰でパーティ探索に何度となく呼ばれることになる。

 未だに成長しきっていない体のため戦力として見るとやや微妙な部分もあるが、索敵役としての能力は高かったため、パーティを組むに不自由しなかったのは運が良かったのだろう。

 

 そうしてさらに一年、冒険者として二年も経てばランク2冒険者として日々食うに困らないだけの生活ができるようになった。

 さらに自分の場合、時々ダンジョン内で宝箱を引き当てるので他のランク2冒険者……否、ランク3冒険者よりも稼ぎが良く経済的にも余裕ができていた。

 

 この直感がある限り自身は食うに困ることは無い。

 

 そんな慢心にも似た気持ちがあったのは仕方ないことだろう。

 

 近年新しく発見されたダンジョン『水晶魔洞』。

 その探索パーティの一員としてランク2ながら、ランク3冒険者と共にダンジョンへと突入して。

 

 途端に予感に襲われる。

 

 この先に進むな、引き返せ。

 

 直感が脳裏でそう警告を発する。

 

 だが他のパーティメンバーに嫌な予感がするので帰ろうと提案しても当然ながら一蹴された。

 まだダンジョンに入ったばかりなのに、帰れるはずがない。

 分かっている、そんな当たり前のこと自分だって分かっている……。

 

 だが直感からの警告は徐々に大きくなっていく。

 

 やばい、やばい、ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。

 

 脳裏を占めていく予感に背筋が震えた。

 だが『シーカー』としての役割の性質上、自身は一番先頭に立って歩かなければならない。

 逃げたい、逃げ出したい、その思いだけが脳裏を過るが、けれどここで逃げ出せばここまで冒険者として築きあげてきたものが崩れ落ちる。もしもそうなれば自分は二度と冒険者としての『信用』を得ることはできなくなるだろう。

 

 だから進む。進むしか無かった。

 

 例えこの先に死の恐怖が待ち構えていようと。

 

 同時に決意する。

 

 例えパーティが全滅しようと。

 

 自分だけは生き残る、その決意を決めた。

 

 

 * * *

 

 

 『水晶魔洞』の五階層は地上と地下の境目にある。

 とは言えダンジョン内部は空間が歪んでおり、外から見た広さと中の広さというのはまるで一致しないのでこれが事実かどうかは分からないが、五階層までと六階層以降で出てくるモンスターの質が一段階違うため冒険者たちにとっては区切りとなる層である。

 

 ここまで順調に探索は進んだ。

 

 パーティの仲間たちもそれなりの稼ぎを手に入れ、今ならまだ引き返せると直感も言ってくれている。

 

 だが順調が過ぎた。

 

 まるで幸運に見舞われたかのように順調に探索が進みすぎたせいで、一部「さすがは幸運者(ラッキーボーイ)だな」なんて茶化してくるやつもいて。

 つまるところ、全員に欲が出た。

 これだけ行けたんだから、ここまで行けたんだから、これまで順調だったんだから、もっと行ける、まだ行ける、さらに行ける。

 

 そんな思考がパーティメンバーたちに芽生えていた。

 

 元より自分はランク2、他の全員がランク3の冒険者だ。

 野良パーティ*2における発言権というのは基本的には強さによって決定される以上、自分の発言権というのは最も低い。

 

 だからこそ、地獄へと足を踏み入れる結果となった。

 

 直感は万能に見えて、自分自身に関わることにしか答えをくれない。

 

 故に分かるはずも無かった、予想できるはずが無かった。

 

 分厚い水晶で出来た壁をぶち破って突如モンスターが現れるなど。

 

 予想できるはずも無かったのだ。

 

 

 ズドォォォォォォォォォォォン

 

 

 轟音が洞窟中に反響し、響き渡る。

 余りにも突然過ぎた事態に、誰もが反応できなかった。

 直後に現れたソレにパーティメンバーの一人が捕まり。

 

 ばり、ばり、ぼき、ぐちゅ、ぶしゃ

 

 ()()()()()()、頭蓋が折れ、脳が弾けて鮮血と共に飛び散った。

 

 ぼた、ぼた、と落ちた肉片と血液が透明な水晶の床を汚す。

 

 ぶちぃっ、と嫌な音がして。

 

 直後、捕まった仲間の首が千切れ、胴体が崩れ落ちる。

 誰がどう見たって即死したはずの仲間の指先が痙攣するようにびく、びくと僅かに震え。

 

「あ……」

 

 呼吸すら止まったかのような情景の中で、誰かの声が漏れた。

 

 そして。

 

 

「うわああああああああ!」

 

 

 堰き止められた感情が決壊したかのような絶叫が洞窟に響き渡った。

 

 

 * * *

 

 

 走る、走る、走る。

 

 轟音と悲鳴が響き渡ってから即座に走り出したが、未だに悲鳴の主は見えない。

 そもそも声が聞こえたから同じ五階層だろうと予想はできれど、一言に五階層と言っても非常に広い。

 地図があるからこそ最短距離を通って進めているだけで地図を埋めるように進めば丸一日歩きっぱなしになるほどの広大な空間が広がっているのだ。

 

「フィーア! 場所の特定はできないか?!」

「大よその方向くらいは分かりますが、それも反響のせいで正確性に欠けます。とにかく走るしかありません」

 

 頼りになるポーターの冷静な言に歯噛みしながらとにかく走る。

 そうして走りながら気づく。

 

「モンスターに会わないな……」

「そう言えば……この辺りは溜まり場の一つのはずですが」

 

 咄嗟に手に持った地図に目を落としながら呟いたフィーアの言葉に、走りながら思考する。

 

「過去にこういったことが起きたことは無いのか?」

「少なくとも私が聞いた限りでは……」

 

 ダンジョンなのにこれだけ走ってモンスターが出ない、というのは明らかな異常事態である。

 この異常を先ほどの轟音や悲鳴を無関係とするには余りにも苦しいだろうことは明白で。

 どういうことかさっぱり分からない、だが分からないなりに行動するしかないとさらに速度を上げようとして。

 

「……まさか」

 

 フィーアがぽつり、と呟いた。

 

「どうした?!」

「……いえ、まさか。でも……」

 

 戸惑うようにフィーアが独り呟く。

 まるでそれが信じがたい事実である、と言わんばかりに。

 さらに数秒考えこんだ様子のフィーアがこちらへと視線を向けて。

 

 

「『災害種』の仕業かもしれません」

 

 

 告げられた言葉に、思考が止まった。

 

 

 * * *

 

 

 一言で表すならば、それは『蜘蛛』だった。

 全長10メートル近く、そして全身が水晶でできたそれを蜘蛛と呼ぶならば、だが。

 

「……っ」

 

 震える手で短剣(ダガー)を握る。

 こんなもの目の前の怪物に対して何の意味も無いと分かっているが、けれど丸腰よりは幾分かマシ、といったところだろうか。

 すでに自分以外のパーティメンバーは全て目の前の怪物に『食われ』ていた。

 ほんの数分でその場が流れ出した大量の血液と飛散した肉片と五人分の『死体だった肉塊』で満たされた。

 

 ぎちぎち、ぎちぎち

 

 その鋭い牙を鳴らしながら、蜘蛛が『肉塊』から何かを抜いた。

 血に塗れたそれは赤く染まった棒状の何かで。

 

 人間の『骨』であると気づいたのは直後だった。

 

 がり、ばき、ぼき、ばり、ばり、ばり

 

 硬い骨が蜘蛛の口内で『咀嚼』される音が響く。

 すでに他四人の死体は文字通り『骨抜き』にされていた。

 五人目の死体を悠長に食べている蜘蛛を前にして、けれど自身は動かない……動けなかった。

 

「…………」

 

 最早言葉も出ないほどの恐怖と絶望が心を染め上げ、震えた体は立ち上がることすら儘ならない。

 短剣を手に取ったのがせめてもの抵抗だったが、けれどそんなものに一体何の意味があるのか。

 それでも何とか逃げようと足掻くが、歩幅一歩分すら後退することもできない。

 直感が何かを叫んでいるが、凍り付いた思考をその意味を理解することすらできず。

 

 ぎち、ぎちぎち

 

 不快な音を鳴らしながら蜘蛛が食事を終える。

 後にはただ食い荒された肉の塊だけがそこにあって。

 それが数分後の自身の姿なのだと想像して、かちかちと歯を震わせる。

 

 そうして、そうして、そうして。

 

 

 

 

 ―――蜘蛛がこちらを見た。

 

 

 

 

 きちっ、きち、ぎち、きち、ぎち

 

 

*1
世界に七体存在する天災に等しき存在。

*2
固定パーティに入っていないフリーの冒険者たちで組んだ即席のパーティ。




王道ライトファンタジーを目指して書いていたはずなんだけどなあ……。


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四話

 きちきちと牙を鳴らす怪物蜘蛛に対して、短剣を突きつける。

 果たしてその行為にどれだけの意味があるのか、空周りする思考では分からない。

 ただ『何もしない』なんてことはできなかった。

 

 ただ座して死を待つ、というのは自身にとって何よりもあり得ない選択肢だから。

 

 こちらを見つめた蜘蛛は動かない。

 ぎちぎちと不快な音を鳴らしながら品定めするように蜘蛛がその水晶球を詰め込んだような複眼で自分を見つめて。

 

「おい……マジかよ」

 

 誰かの呟いた声が洞窟内に響いた。

 直後、カァァァァン、と硬い物どうしがぶつかりあったような音と共に。

 

 ぎちっきちっ

 

 蜘蛛が揺らいだ。

 

 

 * * *

 

 

「ふざけんなよ!」

 

 振り下ろした刃から跳ね返ってくる反動に、思わず手から剣が落ちそうになるのを辛うじて拾い上げる。

 頭上から一閃、振り下ろした一撃は蜘蛛の頭部を強く打ったが、僅かに怯んだ程度であり大したダメージにはなってないのが分かる

 だがその一瞬の隙に蜘蛛を蹴って後方に着地する。

 見やれば襲われていた冒険者をフィーアが救出する姿が見えた。

 

「……ふざけんなよ」

 

 再度同じことを呟きながら水晶の蜘蛛を見やる。

 水晶魔洞の生物は大なり小なり全身のいたるところを水晶で覆われている。

 このダンジョンの影響でそういう風に『変異』してしまっているのだ。

 だがこの蜘蛛は違う。最初から違う。前提からして間違っている。

 『変異』しているのではない、覆われているわけでも無い。

 

 体の全てが水晶で構成されていた。

 

 刃を通す隙間すら無い。

 

 魔水晶は硬度自体は普通の水晶並だ。鉱物である以上、鉄鋼の刃で叩けば砕ける。

 

 通常ならば。

 

 この蜘蛛の頭を叩いた感触からして、このまま殴り続けても間違いなく先にこちらの刃が折れる。

 何せ余りにも密度が違い過ぎる。材質は間違いなく水晶なのに、それを圧縮し続けたかのような圧倒的硬度が目の前の蜘蛛にはあった。

 

 あと三度、いや二度か?

 

 それだけ殴れば折れる。未だ痺れの残る手の中の感触でそう直感する。

 

 すでに蜘蛛は一撃入れたこちらを標的としている。

 フィーアたちは無事脱出できそうで何よりである。

 

「後は、こいつから逃げるだけ、か」

 

 とにもかくにも逃げることが先決だ。

 こちらの武器は全て通用しないと考えて良いだろう。

 サイズの差を考えれば逆に相手の攻撃は何を食らっても致命傷になるだろうことは分かりきっていて。

 

 つまり戦うのは愚策中の愚策。

 

「やれやれ、命賭けの鬼ごっこだな」

 

 呟き、足元に転がる砕けた洞窟の壁だったものらしき水晶の欠片を蹴り飛ばす。

 かこん、と欠片が蜘蛛に命中すると同時に。

 

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち

 

 蜘蛛が八本の足を動かし、こちらへと向かってくる。

 

「う、おおおおおおおおおお」

 

 サイズ10メートル前後。それだけの巨体が猛烈なスピードで迫って来るというだけで脅威であり、その全身が超硬化した水晶で出来ているということを考えると衝突の衝撃だけで死ねるだろうことは簡単に予想できた。

 

 水晶魔洞の通路はそれほど広いわけでは無い。

 横幅自体は三、四メートルほどあるのだが、壁が出っ張っていたり、天井がやけに低かったり、足元がデコボコだったり。体感その半分程度と言ったところか。

 

 当然走りにくい。非常に。

 

 まして10メートルサイズの蜘蛛の怪物などまず間違いなく通路に引っかかるのがオチなのだが。

 

「ふざけんなよおおおおお!!!」

 

 本日三度目の絶叫。

 だが叫びたくもなる。こちらがどうにかこうにか通路をすり抜けているというのに、全部無視で通路を『破壊』しながら猛進してくる怪物との差は徐々に縮まっている。

 それでも縮まりきらないのはひとえに洞窟内の通路が直線ではないから、だろう。

 蛇行したり、時には大きく弧を描いたり。

 

 直線距離を走るたびに徐々に差は縮まるのだがカーブを曲がるたびに少しずつ差がまた開く。

 

 それを繰り返しながら、五階層の階段目指して走る。

 道のり自体は事前にフィーアから確かめている。

 そのせいで助けに入るのが少し遅れたが、どのみち残った一人以外はあの場にたどり着いた時点で死んでいたのでどうにもならなかった話だ。

 

「あと、少し!」

 

 あと二か所ほど分岐を戻れば、四階層への階段のある広場にたどり着く。

 そう思うと同時に気づく。

 

 ()()()()()()()

 

 背後を追ってきていたはずの蜘蛛の足音が消えた。

 

「……は?」

 

 思わず足を止める。

 バクバクと鼓動の激しい心臓を落ち着かせながら、耳へと神経を研ぎ澄ませる。

 

 がり、がりがり……がりがりがりがりがりがり……

 

 ()()()()()()()

 

「…………」

 

 ごくり、と嚥下した唾が喉を鳴らす。

 気配を殺し、音を殺し、呼吸を殺し、洞窟の壁に背を向け。

 

 がりがりがりがりがりがりがりがりがりがり

 

 音が近づく。近づく。近づく。間近まで迫る。

 

 そして。

 

 

 ズドォォォォォォォォォォォン

 

 

 本日二度目の轟音と共に、視界の遠く先。

 ちょうど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で。

 ダンジョンの壁が吹き飛び、水晶の蜘蛛が飛び出してくる。

 

「っ?!」

 

 思わず漏らしそうになった悲鳴を押し殺す。

 両手を口に当て、無理矢理に声を殺し。

 

 ぎちぎちぎち……きち、ぎちぎち

 

 蜘蛛が何かを探すように周囲を見渡す。

 間違いなく自身を探している。

 

 ―――嘘だろ?!

 

 そんな内心の動揺を鎮めようとしてけれど全身の震えが止まらない。

 まさかそんな、である。

 ダンジョンの壁をぶち破ったのも驚きであるし、それ以上にモンスターがショートカットして先回りしようとしてくる、など予想外にもほどがある。

 

 不味いことになったと内心で舌打ちする。

 

 色々と問題は多いが、今何よりも問題になっているのは先回りされた、という一点である。

 

 四階層へと戻るためにはこの先を進んで広場に出る必要があるが、よりにもよってそのための道に立ち塞がられている。

 

 六階層へと向かうか?

 

 だが下に向かったところで自体が好転するわけでも無い。

 

 どうする?

 

 そんな思考をしている間に、蜘蛛がぎちぎちと牙を鳴らし。

 

 ()()()

 

「…………」

 

 呆気にとられる。完全に予想外なその光景に声を出すことすら忘れて、呆然とした。

 全身が水晶で出来た重量級の蜘蛛がその場で跳ねて天井に着地した。

 そうしてそのまま通路の先へ……つまり階段へと向かう広場のほうへと歩いて行く。

 

「……うっそだろ、お前」

 

 見つからなかった、振り切った、助かった。

 いくつも考えることはあったが、それ以上にその余りのあり得なさにただ呆然として。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 背後から聞こえた声にはっとなった。

 咄嗟、振り返り……剣に手をかけたところでそこにいたのは白のローブを被った少女。

 隙間から見える髪から、その色が水色であることが分かる。

 

「……フィーア、か」

 

 先ほどまで一緒にいた頼もしいポーターの姿に、緊張がほぐれていく。

 

「無事のようですね、お疲れ様です」

 

 全身から力が抜けそうになるのをなんとか堪える。

 通路の先、すでに影すら見えなくなった怪物に安堵しつつ壁に背を預けて何度も深呼吸する。

 

「冗談じゃねえぞ……化け物過ぎる」

 

 あの巨体で跳ぶとか嘘だろ、と思うし。天井に張り付いて移動するのかよ、と言いたくなる。

 壁ぶち破るとか反則だろ、と言いたいし、そもそも移動速度早すぎだろ、とも言いたい。

 そんな思いを全てたった一言に込めれば、そんな言葉が出た。

 

「恐らく……『アルカサル』の血族ですから」

 

 同意するように頷きながら呟くフィーアの一言に顔をしかめる。

 考えたくの無い可能性ではあったが『鉱物で作られた蜘蛛』なんてピンポイントな存在が偶然生まれたと考えるよりかはその『最悪の可能性』のほうがずっとあり得る話だった。

 

「災害種、か」

 

 この世界に七体存在する文字通りの『災害』存在だ。

 

 『集虫砲禍(アルカサル)』はその内の一体であり。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 いつから存在していたのか、最初からそんな存在だったのか、誰も知らない話ではあるが。

 少なくとも百年近く以前から人類の生存権を脅かし続けていたのは間違いない。

 金属や鉱物、火薬を主食としており、炭鉱や鉱山などに出現する。

 時折人里に出てきては『都市』を丸ごと()()()()しまうこともあり、積極的に人を襲うことは無いが、攻撃を仕掛ければその背に負った城塞で反撃をしかけてくることもある。

 

 ただでさえ問題だらけのその『歩く災害』はさらに厄介なことに数年に一度ほど『卵』を作る。

 

 作られた卵はダンジョンに植え付けられ、一週間ほどで孵るという。

 そして生まれた『子供(ケツゾク)』はダンジョン内部の鉱物や金属を食らい親と同系統の性質を身に着ける。

 問題は『親』と違い『子供』のほうは人間を積極的に襲ってくることだ。

 先ほどの蜘蛛を見れば分かる通り、人間を……正確にはその骨を食らうこともある。

 

「このダンジョンだって解放されてもう数年だぞ……なんで今さら出てくるんだ」

 

 少なくとも、ここ数年の間に『アルカサル』がこの周辺に出没したという話は聞かない。

 出没すれば間違いなく大惨事になっているため気づかなかったということも無いだろう。

 そしてこのダンジョンが発見されてからすぐにギルドの管理下に置かれ、連日冒険者がやってきていることを考えると、卵が植え付けられたのはダンジョンが発見されるより以前だということになる。

 そう考えれば今まであんな怪物が発見されていなかったのが奇跡のように思えてならない。

 

「多分最初はもっと下層のほうにいたんじゃないでしょうか」

 

 それがきっと冒険者たちが出入りする気配に気づいて徐々に上にやってきた、と。

 

「もしかするとこれまでにも遭遇した人間はいたのかもしれませんが……」

 

 きっと出会っても逃げきれずに……食われた。

 少なくとも討伐隊を組んで専用の装備を身につけなければ勝負にすらならない。

 そしてダンジョンに潜った冒険者が戻ってこない、なんてことはよくある話であり、ギルドからしても冒険者がヘマをしたと思われるだけでまさかあんな化け物が中に住み着いていたなんて気づけなかったのだろう。

 

「あれ……放っておいたら外にまで出るのか?」

「可能性はあるかと」

 

 ほとんど無意識的に呟いた言葉に、フィーアが返す。

 もしあんなものが外に放たれたなら、八匹目の災害種に成長していくこと間違いないだろう。

 それは不味い……これ以上『災害』を増やすの何としてめ止めなければならない。

 

 とは言っても。

 

「現状の装備じゃどうにもならねえな」

「殴った感触は?」

「レベル70以上ってところか……とは言っても装甲が飛びぬけて硬い。生半可な武器じゃ逆にこっちが折られるだけだろうな」

 

 因みに嘘か本当か知らないが『アルカサル』のレベルが300オーバーらしい。

 過去に何度か討伐隊が組まれたことがあるらしいが、圧倒的な存在としての格の違いに傷一つ付けることもできずに全滅したそうだ。

 そう考えれば『子供』はまだ倒せるだろう範疇だ。

 とは言え、それでも対策を組んでそのための装備を整える必要がある。

 

 大半の武器ではあの圧縮された水晶の体を貫けないし、砕けない。

 

 つまり。

 

「逃げる一択なんだが……」

 

 ちらりと、蜘蛛が駆けて行った先を見やる。

 その先に上へと戻る階段がある。フロアごとに上下の階段は一つずつしかないのでこの先に進まなければ四階層へは戻れない。

 

 だが同じ方向に歩いて行った蜘蛛のことが気にかかる。

 

 行くべきか、行かざるべきか、少し迷い。

 

「……そう言えば、さっき助けたやつは?」

 

 少年が一人いたはずだ。

 フィーアが連れていたはずだが。

 

「少し後ろにいますよ。あの蜘蛛がいた場合、即座に連れて逃げる必要がありますし」

 

 ちらり、とフィーアが視線を後方に向ける。

 キラキラと光が乱反射して見えづらいが、岩場の影で少年がこちらを見ていることに気づいた。

 合流はしていたようだ、と同時にこれで全員で動くことができると安堵する。

 

「どうするべきだと思う? この先に進むか、否か。否ならどうやって帰るか」

 

 手札が少なすぎてこの状況で取れる選択肢は非常に限られている。

 一つ間違えればまた蜘蛛と追いかけっこ……今度は逃げれる気がしない。

 

「問題はあの蜘蛛をどうするか、ですね。接触を避けるのか、それともどうにかして動けなくしてしまうか」

「動けなくって……そんなことできるのか?」

「まあ、手は無くも無いですよ」

 

 告げるフィーアの言葉に目を丸くする。

 

「まあ……ちょっとした裏技ですよ」

 

 ニィ、と口の端を吊り上げたフィーアに、本当に頼もしいことだと嘆息した。

 

 

 




災害種①

集虫砲禍『アルカサル』 危険度:A 脅威度:B

金属や火薬を好んで食らう全長300メートルの鋼鉄の蜘蛛。背中に城壁らしきものや、大砲などがついた要塞を背負っている。金属製の糸を吐き出すが、この糸は蜘蛛が去った後にも残っているので人間側が回収し様々な用途で利用される。
時々都市に乗り込んできて根こそぎ都市を食らうこともあるが、基本的に人間には敵対的ではない。まあ眼中に無いだけかもしれないが。
全災害種の中で唯一『生殖』を行う存在であり、数年に一度ダンジョン内部に『卵』を植え付ける。
植え付けられた卵は一週間ほどで孵り、ダンジョン内部の鉱物や金属を食らい親と同系統の性質を身に着ける。また親とは違い、ダンジョンへとやってくる冒険者を積極的に襲う。これは極論サイズの違いであり、親と比べれば随分と小さい子供たちにとって生物の骨は餌と認識されているからだと言われている。


危険度:戦う時の強さ
脅威度:人類への被害度合い


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五話

 

 

 ダンジョンは恐ろしい場所だ。

 時には命の危険すらある、文字通り命懸けの冒険を強いられる場所である。

 反面、実入りは大きい。何せ地上では希少とされる物が無限に収集できるのだ。

 

 だからこそ冒険者たちはダンジョンへと潜る。

 一攫千金を夢見て、或いは名誉を、或いは名声を、或いは自ら求めるべき何かを。

 

 だが考えてみて欲しい。

 どうしてダンジョンは地上においては希少と呼ばれるような物質が無限と称されるほどに大量に死蔵されているのか。

 その答えは簡単だ。

 

 ダンジョンに人が集まっているのではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

 * * *

 

 

 ―――ダンジョンには意思がある。

 

 そう言った学者がいた。

 

 彼曰く、ダンジョンには明確な意思があり、ダンジョンはダンジョン外から生きた生命を集めているのだと。

 そして過去数百年遡っても地上で最も栄え、繁栄したのは人であり、だからこそ最も効率良く生命を集めるためにダンジョンは人にとって有用な物を『産みだす』ことで人を集めているのだ、と。

 

 何のために? そう問うた誰かに対して、彼は言った。

 

 ()()()()()()()()()と。

 

 まるで生物か何かのように、ダンジョンは人を集め、ダンジョン内部で死亡した人間は()()()()()()()()()()

 まるで煙のようにふっと消えて、最初からそこには誰もいなかったと言わんばかりに痕跡すら残さず完全に消失する。

 それはダンジョンが人間を食ったのだ、と言われている。

 

 何故ダンジョンが人を食うのか、それは分かっていないが。

 希少な資源、そして宝箱という不自然な宝物やモンスターのドロップ。

 

 その全てが人を集め、ダンジョン内へ導くために存在しているとされ。

 

 内部へと入った人を確実に仕留めるためにダンジョンにはモンスターが徘徊し、そして。

 

「トラップが設定されている場合があります」

 

 手元の地図を広げながらフィーアが告げる。

 ダンジョンには多くの危険な罠が仕掛けられている。

 それは自然を利用した簡単なものから、完全に人工物なものまで様々ではあるが、こういう洞窟などのダンジョンには自然を利用したものが多い。

 

 そしてその最もポピュラーな物が。

 

「なるほど……アレを使うのか」

「ええ、ちょうど五階層にはそういうものがありますので」

「おあつらえ向きだな、とは言えサイズ大丈夫か?」

 

 ダンジョンの罠は『人間』を殺すための物のため、そこに住み着いているモンスターには効果が無い。というかそもそもそういう場所にはモンスターが寄り付かないし、それ以前に人間よりも遥かに頑丈なモンスターに対しては大半の罠が効果が無い。

 ましてあの化け物蜘蛛である、全長十メートル前後の全身が水晶で出来た硬質の肌を持つあの化け物蜘蛛に対して一体どんな罠なら効果があるのか。

 

「パーティ全体を巻き込むほど大きなものらしいので問題ないでしょう」

 

 心配する自身に水色の髪の少女はあっさりとしたものである。

 だが言ってること自体は最もだ。

 さらに言うなら物理的な物か否かというのも気になるが、まさか感応式ならフィーアも提案しないだろう。

 

「なら……やるか」

「全員で行きますか?」

 

 問うたフィーアの言葉に首を振る。もし自分とフィーアだけならばその提案もありだったかもしれないが、今は守らなければならない対象がいる。

 視線の先、洞窟の壁に寄りかかって荒く息を吐く少年を見やり、フィーアに目配せする。

 こくり、と了承の意を示したフィーアを見て。

 

「なら、行ってくるか」

 

 呟きながら立ち上がり。

 

「フィーア、荷物の中から長物取ってくれ」

「分かりました」

 

 ダンジョンに入る前にフィーアに預けた荷物を要求すれば、フィーアが背負っていた鞄に手を突っ込んで、がさごそと漁る。

 そうしてすっと抜いた手に持っていた120cmほどの木製の剣をこちらに渡してくる。

 

「気になってたんですが、これ何に使うんですか?」

 

 言いつつフィーアの視線は俺の腰に刺したもう一本の剣に向けられる。

 まあ鉄剣があるのに、わざわざ木剣を要求したのは不自然かもしれないが。

 

「ま、奥の手、ってやつだよ」

 

 そう呟き、薄っすら笑みを浮かべながら木剣を腰に刺す。

 さあ、これで準備は整った。

 

「じゃ、行ってくるわ」

「はい……どうか御無事で」

 

 祈るようなフィーアの言葉に頷き、走り出した。

 

 

 * * *

 

 

 『モンスター』と『魔物』の違いを知っている人間は実はそう多くない。

 というか大半の人間にとってそんなことは『どうでもいい』話である。

 だがそれでも、モンスターと魔物は別の存在なのだ。

 

 ダンジョンには魔力が満ちている。

 ダンジョンコアが地の底から魔力をかき集めて、それを充満させているからだと言われるが、とにかくダンジョンの中では地上よりも強い力が発揮できる。

 

 モンスターとはそんなダンジョンの中で生み出された魔力が『物質化し生命を(かたど)った物』である。

 モンスターとは厳密には生物ではない。魔力の塊であり、だからこそ倒せば物質化した魔力がドロップ品となる。

 

 では魔物とは、一体何か。

 

 魔物とは『魔力が無ければ存在できない生命』である。

 

 魔力とは『矛盾』だ。

 

 物理的な理に矛盾した力。

 

 魔力自体に肉体を強化する力は無いが、魔力で満ちた体は物理に矛盾しやすくなる。

 

 例えばどう見ても外見的には子供なのに人間離れした剛力を得たり。

 足腰が弱ったような老人が自分の身の丈を優に超えるほどの大きな跳躍を見せたり。

 吹けば飛ぶような線の細い少女が馬車と衝突して平然としていたり。

 そんな物理的に『あり得ない』ようなことを『あり得る』よう矛盾を起こすのが魔力というエネルギーの持つ性質である。

 

 無機物で構成させた蜘蛛が動くなんてあり得ない事態だし、ましてそれが生きているなどもっと異常だ。

 つまりそれは魔力によって矛盾を起こした生物だからであり。

 

 『魔力が無ければ存在しえないような生命』を総称して『魔物』と呼ぶ。

 

 と、なればあるはずだ。

 あの化け物蜘蛛にも、自分と同じように。

 

 先ほどまでの逃走劇で見ることのできなかった……奥の手が。

 

 

 ―――魔法が。

 

 

 * * *

 

 

 実のところ、逃げ切るならともかく、発見されるだけならそう難しい話ではないと思っている。

 先ほどまでの逃走劇で気づくが、あの蜘蛛は視覚的か、或いは聴覚的にこちらを知覚している。

 

 かぁん、と鉄製の剣をダンジョンの一角、五階層の広場の壁に叩きつける。

 

 二度、三度とそれを繰り返す。

 シンと静まり返った洞窟内ではその音は良く響く。

 

「さて……これで出てきてくれると良いんだがな」

 

 嗅覚は恐らく無い。あるなら先ほど見つかっているはずだ。

 隠れてじっとしていただけでこちらを見失ったとするなら視覚か或いは聴覚か、或いはその両方か。

 

 かぁん、かぁん、かぁん、とさらに何度となくこちらの位置を教えるように壁を打って音を鳴らし。

 

 ―――きちっ

 

 歯軋りが聞こえた。

 即座に黙し、耳を澄ませる。

 

 そうして。

 

 ―――きちきちきちきちきちきちきち

 

 ()()()()()()()()音に顔を上げて。

 

「なっ……」

 

 天井からぶら下がる怪物蜘蛛を見て、絶句する。

 一瞬の硬直、けれどもそんな自身の隙を見逃すことなく蜘蛛が降って来る。

 

「っらぁ!」

 

 キンッ、と咄嗟に抜いた剣で弾きながら後退する。刹那とは言え超硬度の水晶塊とぶつかったことで鉄の剣が歪む。

 真っ当に斬るどころか、切り払うことすらそう何度もできない、そんな確信が脳裏を過って。

 

「来い!」

 

 挑発するように叫びながら走りだす。

 後ろから聞こえるガチャガチャと鉱石がぶつかり合うような音から、どうやら蜘蛛が追ってきているらしい。

 

 予定通りだ。

 

 この図式に持ってこれた時点で目的の半分は達成できている。

 わざわざ広場で待っていたのは通路で先回りされないためだ。

 そして()()()()()()でも無い限り、ここから目的の場所まですぐだ。

 

 広場を抜けてすぐさま脇の通路に入る。

 

 枝分かれした道を右に左に曲がりながら走るその後ろをダンジョンの壁を破壊しながら蜘蛛が追う。

 そして事前にフィーアから聞いていた地点へとやって来ると同時に足を止めて。

 

「せえ―――のっ!」

 

 跳躍。

 

 全身に魔力を駆け巡らせ()()()()()する。

 6,7メートルの距離を跳躍し、着地する。着地の衝撃もまた魔力で減衰させつつ、振り返ったその先に。

 

 迫りくる化け物蜘蛛が床を踏み抜いて体が半分落ちかけていた。

 

 ダンジョントラップで最もポピュラーな物の一つ。

 

 『落とし罠』である。

 

 ただしここまで巨大な物は珍しい。

 フィーアによれば六階層のモンスターハウス*1に落とされる類の罠らしい。

 五階層から六階層まで15メートル以上の高さがあるのであの化け物蜘蛛でも落ちれば簡単には上がってこれない。

 

「よしっ!」

 

 やった、と思わず拳を握りしめて。

 

 がちん、と鉱石がぶつかる音。

 

 まさか、そんな内心を押し殺して視線をやれば。

 

「て……めえ」

 

 蜘蛛の水晶でできた前足が落とし罠の(へり)を掴んでいた。

 自重で落ちそうになりながら、それでもその足の先の鋭い鉤爪で縁をしっかりと掴む。

 

「落ちろぉぉぉ!」

 

 鉄剣を振り上げ、縁を掴む脚に向けて叩きつけるようにして振り下ろし。

 

 がきぃぃぃぃぃん

 

 ()()()()()()()()()

 

 目を見開き、さらにもう一本の足がゆっくりと縁へと伸びるを見て。

 

「マジで……持ってこなかったら、詰んでたな」

 

 折れた鉄剣をぽい、と捨てて腰からもう一本の……木剣を抜く。

 

 ―――きち、きちきち、きち、ぎち

 

 蜘蛛が歯を鳴らす。

 まるでそれはどうにかこうにか踏ん張っているようでもあって。

 

「うるせえ、落ちろ」

 

 振り上げた木刀を。

 

 『燃焼(バーン)

 

 振り抜いた。

 

 

 * * *

 

 

 この世界は魔力に満ちている。

 ダンジョン内は特にそれが濃いが、地上でもまた魔力は存在する。

 それは大気中に、石や木々などの自然の中にも、流れる川の水にも、広がる海にも、そこに生きる生命にもだ。

 

 魔力は『物理を矛盾させる力』だ。

 

 魔力が濃ければ濃いほどに物理的法則から逸脱する傾向にある。

 物理的に『あり得ない』ような現象を可能にするのが魔力であるが。

 

 それは魔力自体の性質であって『使い道』ではない。

 

 魔力は加工することで『もう一つの世界法則』へと変化する。

 

 物理的法則を総称した『第一法則』と並べて。

 

 非物理的法則の総称『第二法則』。

 

 または『魔導法則』。

 

 略して『魔法』である。

 

 

 

 上に投げた物は下に落ちる。

 この世界に重力というものがある以上、それは当然の話だ。

 だが魔力に満たされた物質というのは上に投げても中々落ちてこない。

 重力という物理の枷に魔力が矛盾を起こすが故に上に投げた物が下に落ちるという当然が当然でなくなるのだ。

 とは言え、当然ながら世界一つを司る法則と世界を構成する要素の一つ程度が釣り合うはずも無いため最終的にどれだけ魔力を込めようと上に投げた物は下に落ちてくる。

 

 だが魔法は違う。

 

 魔導法則の名の通り、それは文字通り『法則』なのだ。

 魔法は一つの理であり、第一法則は第二法則の上に来る。

 

 つまりあらゆる物理的現象を非物理的現象で塗り替えるのが魔法の本質である。

 とは言えどんな法則でも好きにできるわけでは無い。

 魔法は先も言ったように『法則』である。

 故に融通は利かない。使える人間は文字通り『呼吸するように』使えるし、使えない人間はどれだけ頑張っても使えない。

 

 とは言え、誰しも何がしかの魔法には適応しているものだ。

 

 それは魔法がこの世界を形作るれっきとした法則であり、自分たちはこの世界に適応して生きるれっきとした生命だからだ。

 何の魔法にも適応しないというのはあり得ない、だってそんなものはこの世界の住人ではないと言っているようなものだから。

 

 それこそ()()()でも無ければ。

 

 

 * * *

 

 

 蜘蛛が落ちると同時に再び塞がって行く穴を見やりながら、嘆息する。

 これでどうにか生き延びることができそうだ、と考えながら歩いて広場まで戻る。

 

「フィーア、終わったぞ」

 

 広場で叫べば音は反響し、少年を連れてどこかに隠れてしまったフィーアに届く。

 少し待つとこつこつと足音、そちらへ視線をやればフィーアととぼとぼとそれについてくる少年の姿。

 

「首尾は?」

「問題無い。確かに落ちたし、穴も塞がった」

「そうですか」

 

 まあ第六階層に誰かいたら……ご愁傷様ではあるが。

 だからと言ってあれに追われながら逃げるなんて不可能だし、隠れきれるとも思っていない。

 

「……ルー、剣は?」

 

 行くときは持っていた鉄と木の剣の()()()()が無くなっているのに気づいたフィーアが疑問に思ったのか尋ねる。

 

「使った……もう無い」

 

 詳しくは言うつもりも無いのでそれだけ答えると、そうですかとあっさりとした返事が返って来た。

 そうして少し耳を澄ませるが、シンと静まり返った洞窟内はもうこれ以上は何も無さそうだと思わせる。

 広場の先、四階層へと続く階段を見やり。

 

「帰るか、警戒はしながら、だけどな」

「了解です」

 

 フィーアが頷き、少年がこくりと首を振った。

 嘆息一つ。

 

「腹減ったな」

 

 安全を確保した途端、そんなことを思い出した。

 

 

 

*1
密室空間で大量のモンスターに囲まれる部屋。



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六話

 モンスターは人間を襲うと言われているが、正確には『ダンジョン内にいるダンジョン産の生命以外を襲う』というのが正しい。

 ダンジョンによって生み出された生命は、ダンジョンへと侵入してきた生命をダンジョンへと返すために積極的に襲いかかってくる。

 

 とは言っても基本的にダンジョンへ侵入する存在など人間しかいない。

 

 だからモンスターは人を襲う、というのは間違った表現ではないのだが。

 

 ―――ここに一つ例外がある。

 

 例えば産み付けられた卵が孵化し、ダンジョン内で成長した化け物蜘蛛、とか。

 

「思わぬ臨時収入だったな」

「そうですね」

 

 化け物蜘蛛から逃げる際中全くモンスターに遭遇しないと思っていたのだが、どうやら五階層のモンスターの大半はあの化け物蜘蛛が殲滅してしまっていたらしい。

 走っている時には気づかなかったが、通路のあちこちにドロップ品が散乱しており、俺があの化け物蜘蛛を引き付けて走っている間に、フィーアがせっせと拾っていたらしく、先ほど確認した限りではかなりの量になるようだった。

 

 さらに言うなら。

 

「あれもあるしな」

 

 ちらり、と向けた視線の先にあったのは、鋭い鉤爪状に変形した魔水晶。

 

「……良く斬れましたね」

 

 見やり、さすがに驚いたと目を丸くするフィーア。

 まあそうもなるだろう……何せその水晶は、あの化け物蜘蛛の『脚』の一部だ。

 持っただけで分かるが通常の水晶とはまるで()()が違う。両手で抱えるほどの大きさがあるのだから重いのは当然だが『それにしたって』である。

 数倍、或いは十倍近い密度の魔水晶、一体何をどうすればこんな物質が生まれるのかと思うほどに硬すぎるそれは完全にこちらの理解を超える産物であった。

 密度が高いということはそれだけ重いということであるが、まさかフィーアのバッグに入らないほどとは思わなかった。

 結局自分で担いで運ぶハメになったし、そのせいで現在馬車の中で体力切れでぶっ倒れている最中である。とは言え捨ててくるという選択肢は()()()()()

 

「ま……奥の手ってやつだよ」

 

 そのせいで木剣一本が()()()()()が、まあ代わりに手に入れた脚一本で木剣の百本や二百本余裕で買える程度の値段になるだろう。

 

「いくらになるか、値の予想ができませんよ……『災厄の子』の脚なんて」

 

 ギルドに提出すると仲介料が抜かれるのでやや買い叩かれる部分もあるが、それでも相当な額になるだろうことは予想できる。

 正直現状無一文だし、何より目的だった六階層に行けず、依頼を達成できなかった以上少しでも現金収入があるのはありがたい話である。

 苦労に見合うだけの物ではある。フィーアが拾ったドロップと合わせればしばらく冒険に行く必要もないかもしれない。

 

 まあ、最も。

 

「封鎖されるだろうな、あのダンジョン」

「されますかね?」

 

 がたごとと揺れる馬車の幌から流れる景色を見つめながらぽつりと呟いた言葉に、隣で座る少女が返事をする。

 がさごそがさごそと先ほどから鞄の中を漁っているのはドロップ品やそれ以外の荷物の整理をしているのだろう。適当に手を抜いたポーターはこういう面倒な部分をギルドで全部ひっくり返してから余計な時間をかけさせるのだが、やはりこういう細かいところで手を抜かないマメな仕事ぶり、それにダンジョン内での活躍を見ても心底優秀なポーターだと思う。

 

「少なくともランク3以下は許可されないだろ……自殺行為だしな」

「あんなのを相手にランク4がいたところで、どうなるという話ですがね」

 

 アナタが居たほうが余程良いでしょう、なんて臆面もなく告げる少女の表情はフードと前髪に隠れて見えない。

 そんなフィーアの言葉少し気恥ずかしさを覚えながらも嘆息する。

 

「ランク4で偵察して、ランク5集めて総力戦……てのは真っ当な流れだろうな」

 

 少なくとも、放置はあり得ない。放置するには『水晶魔洞』は利を出し過ぎた。

 最早ペンタスの街の主要な輸出品と呼んで差し支えないほどに。一時封鎖することはあっても、閉鎖は絶対にあり得ない。

 そして封鎖されている間街の主要な産業が完全に停止してしまう以上、一刻も早く事態の解決を望むはずである。

 それはペンタスの街を含むこの辺り一帯を治める領主もそうだし、ペンタスの街の冒険者ギルドも同じだ。

 

 ランク4以上の冒険者は非常事態に際してギルドから強制招集に従う『義務』が発生する。

 

 俺がランク3で昇格を辞めたのも実のところこれが大きい。

 とは言え『義務』がある分、『権利』はランク3以下よりも大きく、特にランク5ともなれば相当な物である。

 何よりも街における『信用度』が格段に違う。ランク5もピンからキリまでだが、本当に一部の冒険者はまるで英雄のような扱いを受けたりもする。

 

 とは言え、だ。

 

「この街のランク5冒険者は少ないですから、少し時間がかかりそうですね」

 

 基本的にランク5の冒険者には縄張りというものがある。

 別に明確にそう決まっているわけではないのだが、冒険者というのは各地を転々とするより一つのダンジョンを延々と周回したほうが儲けは多い。何せ同じダンジョンなら必要となる対策は同じ物になるからだ。

 潜るダンジョンを何度も変えればその度に必要となる物が変わって来る。中での立ち回りも変わって来るし、マップも新しく作り直すか買い直すか、調達の手間がかかる。

 だからランク5になるほど熟練の冒険者ならば基本的にどこか一つのダンジョンを専門にして潜っている場合が多い。

 

 水晶魔洞は近年発見されたばかりの新しいダンジョンだ。

 景気の良さから人は多く集まれど、冒険者の質的に見れば手軽な儲けを求めて集まって来たのは低ランクの冒険者ばかりで、地元ダンジョンで十二分に稼げる高ランク冒険者たちがわざわざやってくる、というのは余り無い話だった。

 

 勿論例外はあるし全員が全員、というわけではないのだが、実際ペンタスの街のギルドに登録しているランク4以上の冒険者というのは他の街と比べて少ないのは事実だ。

 

「ま、俺たちには関係の無い話だけどな」

 

 所詮自分たちはランク3冒険者とポーターの組み合わせである。

 この情報を持ち込むだけ持ち込んだらそれでお役目御免と言ったところだろう。

 

「ルーは……討伐隊には?」

「するつもりはない。そもそもランク3だしな、呼ばれないと思うぞ」

 

 答える俺に、フィーアが一瞬バッグを漁る手を止め。

 

「……はぁ、そうですか」

 

 少しだけ呆れたように息を吐いた。

 

 

 * * *

 

 

 魔法とは何も無制限に、無尽蔵に使用できる便利な力というわけでは無い。

 戦闘で体を運動させることに体力を消費するように、魔法を繰り出すことにも相応に代償が求められる。

 

 一つが魔力である。

 

 生物の大半が持っているエネルギーではあるが、その総量は個体ごとに揺らぎがある。

 とは言え種族単位で見ればその揺らぎとて誤差レベルである。正確には『上限値』とでも呼ぶべきものだが。

 魔力は鍛えなければ上昇しない。逆を言えば鍛えればある程度までは上昇する。

 魔力の総量は魔法の行使回数や干渉力にも関わって来るため、魔法を使って戦う者たちにとって魔力を鍛えることは必須事項と言える。

 

 だが魔力だけあったところで魔法は使えない。

 魔力自体には性質こそあれ色は無い。

 つまり指向性が無いのだ。魔法として打ち出そうにもただの魔力の塊にしかならない。

 

 魔法を使うためにはもう一つ求められるものがある。

 

 つまり色、属性。

 

 名を『媒体』と呼ぶ。

 

 ルーの魔法『燃焼(バーン)』は文字通り『燃やす』魔法だ。

 燃やすとはつまり、燃焼する、炎を発生させることであり、炎そのものを生み出すわけでは無い。この辺りが『火炎(ファイヤー)』や『陽焔(フレア)』との違いと言える。

 

 燃焼とはつまり引火点を超える温度によって物体が急激に酸化する現象ではある。

 

 そこに必要なのは『可燃物』と『酸素』、そして『温度』の三種になる。

 

 酸素自体はこの星のどこであろうと存在する。それこそ密閉空間でも作らなければ。

 まあそんなことをすれば圧力の変化で普通に死ぬだろうから例外として、基本的にはこれは問題無い。

 ダンジョンの中は生命が存続できるよう環境が整えられているので洞窟内で炎を使って酸欠などということには基本ならない。

 

 そして可燃物は基本的に魔法の対象の問題である。

 

 つまり普通に魔法を撃っても石は燃えないし、水が炎上することはない。

 だが逆に燃える物なら何でも燃えるし、それが体から離れていようと問題無い。

 

 と、この二つは環境と対象の問題であるが故に魔法の『媒体』にはならない。

 

 つまり最後の一つ『温度』である。

 

 ルーの魔法の『媒体』は温度。そして最も身近な温度と言えば……体温になる。

 

 結論だけ言えば、ルーの魔法は体温を抜き取り、増幅させて物質に付与させることで急激に温度を上昇させ発火させる。

 そういう魔法だから使えば使うほどにルー自身の体温が下がるという問題がある。

 

 勿論普通に少々使った程度ならば問題無いのだが……。

 

 あの化け物蜘蛛の脚一本斬り落とすのに必要な温度とはいかほどだろうか。

 

 何せ全身が『水晶』で出来ているのだ。

 それを融解させ、焼き切るだけの温度とは凄まじい物になる。

 

 支払った体温と発生する温度は決して等価足りえない。

 

 物理法則に喧嘩を売るような話ではあるが、その矛盾は『魔力』が補う。

 魔法に支払った代償(たいおん)と魔力の量によって熱量と継続時間が決定する、それが『燃焼』の魔法の基礎である。

 

 とは言えだ。

 

 焼き切る一瞬の刹那とは言え、発生させた熱量を考えれば、いくら魔力で補っていても補いきれるものではない。

 

 故に、補充する必要があるのだ。

 

「次くれ、次」

 

 皿の上に乗っかった山盛りのパスタを平らげながら通りがかったウェイトレスに次の注文をする。

 注文を受けたウェイトレスが机の上に所狭しと並べられた料理の残った皿の数々を見て、まだ食べるのかと言った表情をするがそれを口にすること無くオーダーを伝えに走って行くのを見ながら空っぽになった皿をさらに積み上げてさらに次の皿を取る。

 

「良く食べますね」

 

 飯時にまですっぽりと被ったフードを取らないフィーアがスープ皿をスプーンでかき混ぜながら呟く。

 前髪に隠れて見えないが、何となく呆れたような目をしている気がする。

 

「朝から碌なもん食べてねえのに一日ハードだったからな」

 

 とは言えその成果はあったと言える。

 今朝までの無一文が今こうして()()で飯を食べに来る余裕まであるのだから。

 何よりあの『脚』がとても良い値になった。

 何せ現存する災害種の子の一部という非常に貴重なサンプルだ。

 学者だろうが好事家だろうと欲しがる人間はいくらでもいる。

 純粋に素材としての価値だけでも魔水晶を圧縮して作られたあり得ざる鉱石であり、相当な値になることは間違いない。

 

 大よその予想通り、水晶魔洞は一時閉鎖されてしまったが、『脚』だけでも向こう数年くいっぱぐれることはないだろう程度の金にはなったし、残ったドロップ品も現在売却処理中だ。

 フィーアへの報酬を差し引いても当分は冒険する必要も無い。

 

「ま、多少やることもあるし、しばらく冒険から離れてゆっくりするのも良いかもな」

 

 目算ではあるが水晶魔洞の調査が開始されるのに三日程度。一日あればあの化け物蜘蛛が補足されるだろう。

 そこから討伐隊が編成され送り出されるまで三日から五日。

 

 まあ最短で十日弱と言ったところか。

 

 余り伸ばしすぎれば産業が止まった影響で街が致命的ダメージを追うだろうから領主側もギルド側もことを急ぐだろうし、もうちょっと早まる可能性もあるかもしれない。

 

「まあ……【レックス】も招集するとギルドの人が言っていましたので、それも良いかもしれませんね」

「……【レックス】か」

 

 『チーム』と言うシステムがある。

 『パーティ』が臨時のものも含めるとするなら、チームは完全に固定メンバーである。

 入れ替えのようなものも偶にあるが、基本的に同じ面子で冒険し、報酬なども個々人でなくチームへと渡される。

 利点としては同じ面子で組むため連携が取りやすいこと。また臨時パーティのように誰が来るのかどんな役割なのか、どれほどの実力なのか、そんな全てが運任せなものと違って実力が常に一定であること。

 実力が常に一定であるということはどこまでできるのか、どこからが危ないのか見極めがスムーズであるということで、命を第一とする冒険者としては大きな利点だ。

 何よりチーム単位で冒険をするので、欠員というものが基本的には出ない。

 その分自由度は下がるが、それでも常に万全の準備を整え、人員を揃えて冒険に出かけることができるというのはその不自由を補って余りある。

 

 とはいえ一言にチームと言ってもそう簡単に作れるものでも無い。

 

 まず第一に認知としてはメンバー個々人でなくチームと一括で見られるため、例えば誰か一人信用を無くすような真似をすればチーム全員の信用も無くす。

 集団でことに当たる分、何かあれば連帯責任を負うことになる、ということだ。

 

 第二に基本的に冒険者というのは自由を好む。一匹狼も多いし、ソロじゃやっていけず臨時パーティを組むものも多いが臨時パーティが次もまた続くことなど滅多に無い。

 他人に束縛されることを好まない人間が多く、そんなやつらを一か所に無理矢理集めたところで連携、連帯なんて言葉出てくるはずの無い烏合の衆にしかならなくなる。

 

 最後にチームは基本的に個人の都合よりもチーム全体の都合を優先する。

 チームの方針と個人の方針が一致している間は良いが、もしこれがバラバラになり出すと最悪空中分解することになる。下手をすればダンジョン内で連携に齟齬が出てメンバー全員お陀仏だ。

 

 メリットも多いがデメリットも多い。

 

 そんなチームの中で【レックス】というチームは最近ペンタスの街でも名を挙げている。

 

 メンバー全員がランク5という精鋭集団であり、この近辺の冒険者パーティの中では最強と謳われている。

 特にリーダーの『ティーガ』はかつて三つのダンジョンを制覇したことで【冒険王】の二つ名でも呼ばれる実力派だ。

 

「あそこが来るなら……まあまず問題ないな」

 

 有名なチームだし、実力も確かだ。

 あの化け物蜘蛛とて相当な相手ではあるが、けれどまだ成長しきっていない現状ならばまだ倒せるレベルだろう。

 十日ほど休養日だとでも思ってゆっくりと過ごさせてもらうか、なんて。

 さて何をやろうかなんて頭の中で考える。

 気が早いかもしれないが、討伐が終わった後のことだって考えていた。

 

 討伐隊が失敗する可能性は皆無に等しいからだ。

 

「……だと良いけど」

 

 だから、ぽつりと呟いた三人目の声にも気づかなかった。

 

 

 




このあといっぱいむしゃむしゃした(もぐもぐ



魔法名:燃焼(バーン)
階梯:第一階梯/第一法則
使用者:■■■・ルー・■■■■■

燃焼とはつまり炎を『発生』させることであって『生み出す』ことではない。
魔法自体の効果としては物質に宿る『熱』のエネルギーを増幅させ別の物質に移すことができる。
ルーは自らの『体温』を魔力で増幅させて付与することで着火している。
『引火点』を超えることで物質に炎が発生し、『燃焼点』を超えることで燃焼状態が継続し、『着火点』を超えることで魔法が終了しても炎が残ることになる。
この魔法で生み出される炎は『基本的』には『第一法則(物理法則)』に分類されるため、魔法的なアプローチが無くとも消すこと自体は可能。あくまで魔法は炎の発生であって、炎自体はただの物理現象である。
ただしあくまで物理現象なので『魔法を無効化する』力などの効果を受けても炎は消えない。
また本質的には『熱』を操る魔法なので『単純に燃やすこと』を目的とするよりも『超高温を発生させ結果的に物質が燃える』という過程のほうが圧倒的に効果が高く、熱や魔力のコストパフォーマンスも高くなる。
ルーは切り札として木剣を持っているが、この木剣に超高熱を付与し敵を『焼き切る』ことを可能としている。
ただし普通に燃やすと切るより先に剣が燃え尽きるので剣が敵に触れた一瞬だけの使用となる。因みに瞬間的に膨大な魔力を使用するのは割と高等技術である。


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七話

 

 

 およそ500万ゴールド。

 

 あの『脚』含めたドロップ品全ての売却額の総計がそれである。

 約3000ゴールドあれば一日生きていけると考えればそのざっと千倍以上がどれほどの額か良く分かるというものだ。

 

 因みにあの『脚』をドロップ品に含めるかどうかというのは極めて難儀な問題だった。

 

 基本的にドロップ品の定義は『モンスターを倒した時に残る魔力塊が物質化した物』であり、例えば水晶魔洞で採掘などで魔水晶を掘ったとしてもそれはギルドの定義的にはドロップ品には含まれない。

 だから冒険者たちはダンジョンに潜った時に採取や採掘で『ポーター代』の元を少しでも取ろうとするが、さすがにギルドもその辺りは大目に見ている、そこまで徴収しようとすれば特に低ランクの冒険者たちの生活が成り立たないからだ。

 

 だからポーター代に関してはモンスタードロップに限定されている。

 

 問題はあの『脚』はギルドの定義的にはドロップに含まれるか微妙なゾーンだということだ。

 

 何せあの化け物蜘蛛は()()()()()()()()()

 モンスターはダンジョンが生み出した魔力的疑似生命の総称であってあの化け物蜘蛛は災害種の一匹が落とした胤から生まれた『魔物』である。

 ダンジョンに住み着いているだけで魔物である以上、その素材がギルドの定義したドロップの範疇に収まるかと言われると否としか言えない。

 とは言え、ダンジョンで生まれ育ち、ダンジョンの鉱物を食らって成長した魔物の一部がダンジョンとは一切関係ないかと言われるとまたそれも微妙な話であり。

 

 前にも言った通り、基本的にモンスターと魔物の区別というのはそこまで厳密にされていない。

 大半の人間からすればどっちも同じようなものだからだ。

 つまりその区別は『法』に関連する部分であって、現場の冒険者からすればモンスターも魔物も同じようなものであり、その冒険者たちの元締めたるギルドもその辺りは大分ファジーに裁定している。

 

 だから通常ならギルド側か冒険者側、どちらかが妥協して終わるだけの話なのだが。

 

 あの『脚』に関しての問題が拗れたのはあれ一本で今回の収入の9割以上を占めるからだ。

 

 出すところに出せば6,700万……或いはそれ以上の値が付くだろう物であるが、出すところに出すだけのコネが無い以上ギルドに買い取ってもらうしかない。

 その結果が480万、まあギルドの買い叩きは今に始まったことでも無いので割り切った部分ではあるが、100万以上値切った上でさらにチャーター量に三割持って行く、というのはさすがに暴利が過ぎる。しかも規定からすればドロップ品にはならないはずの物である。

 金に関してそこまで細かく言うつもりも無かったが、それでも慈善事業では無いのだ。命懸けで化け物蜘蛛と戦ったのは自分であり、化け物蜘蛛の脚を切ったのは自分の魔法である。

 それを安く買い叩かれるというのは自分の腕を馬鹿にされるようなものだ。

 

 だが三割で100万を超える大金である、ギルドとてできれば逃したくはない。

 とは言え余り強権を発動すると信用問題になるため、互いに交渉することとなり。

 

「フィーアには感謝だな」

 

 いくつか条件を付けることとなったが、無事全額こちらに戻って来たのは間違いなくフィーアのお陰だろう。

 交渉の際に同席したフィーアが、全部こちらの取り分で良いと、そう言ってくれなければもっと交渉が長引いていただろうし、最悪かなり譲歩させられていたかもしれない。

 

 ―――こちらの用意した鞄では『脚』を運ぶことはできませんでした。ポーターとしての役割を果たせなかった以上、それに対して代金を要求するのは不義理でしょう。

 

 そう言って通常のドロップ品だけの代金で良いと言ってくれた。

 実際にダンジョンに行ったポーターが良いと言ったのだ、当事者たちを無視してギルドが一方的に進めることができなくなり、結局折れた。

 

 そうして手に入れた思わぬ大金ではあるが。

 

「……ま、使い道なんて決まってるよな」

 

 人のごった返した大通りを歩きながら、呟き、嘆息する。

 いつも泊まっている安宿からしばらく歩き、見えてきた冒険者ギルドを素通りして、さらに街の中央へと向かう。

 ペンタスの街は元々オクトー王国とノーヴェ王国の国境近くの田舎町だった。

 両国家の関係は良好であり、過去の歴史から見ても戦争の気配も無かったため、元々それほど大した警戒は必要とされていなかったのだ。

 だからペンタスはただの田舎町だった。近年、ダンジョンが発見されるまでは。

 

 水晶魔洞の発見によってペンタスは一気に飛躍を遂げた。

 

 ダンジョンから無限に産出される高品質の魔水晶は国境付近の田舎町を中規模の交易都市へと一気に押し上げた。

 元が田舎町だったのに急激に発展させた影響か、とにかく初期の頃に必要な物から建てていけと言わんばかりにペンタスの主要な施設というのはだいたいが街の中央に極端なほどに集合している。

 冒険者ギルドはダンジョンへ、つまり街の外へ向かう冒険者たちのため街の外周付近へと移転したが、それ以外の行政庁やそれに関係する施設、銀行などの商業関係の施設、交易所、駅、などほとんど全ての主要施設が街の中央にある。

 

 多分、あと十年もすれば少しずつ建て直しもされてたりしてもう少しバランス良くもなるのだろうが。

 まあその辺りはここの領主や行政の人間の仕事なので自分としてはさして興味も無い。

 とは言え冒険者としてここにいる以上、ギルドの近くに宿を取っているが、毎度毎度街の中央まで出向くのは面倒なため早めに駅などは引いて欲しいところではある。

 

「つって……それをやるには街全体の建て直し案件だけどなあ」

 

 駅の設置には当然馬車が通る専用道を敷く必要があるが、専用道の幅や歩道の幅などを考えれば一度道を通すところ周辺を空けなければならないし、建物を移させるための場所なども考えると、やはり駅を設置するには街全体を作り直すレベルの作業が要求されるためそう簡単にはできないだろうと思う。

 

「うちもこのくらい賑やかになれば良いんだけどな」

 

 雑踏を横目で見やりながら嘆息する。

 数年前までただの田舎町だったのによくまあこれだけ盛り立てた物だと思う。

 ダンジョン産の魔水晶という特産品があったのも大きいのだろうが、それでも数年でこの規模まで成長したその発展ぶりには目を見張るものがある。

 

「ダンジョンとか、ひょっこり出てこないかね」

 

 なんて戯言を呟きながら視線を彷徨わせ。

 

「っと、あ、ここだわ」

 

 考えながら歩いていたせいか、本当に気付けばと言った風に目的地にたどり着いていたことに気づいた。

 

 街の中央に位置する行政区。

 

 その隣にある商業区。

 

 そのど真ん中にあるのがペンタス唯一の『銀行』施設である。

 

 

 * * *

 

 

 銀行は市民からお金を預かる『国家機関』の一つである。

 行政庁が『領主機関』であるのに対して、銀行は国家機関である。

 つまりノーヴェ王国という国が運営している金融機関である。

 

 最大の利点としては安全にお金を保管できるということだ。

 

 『口座』というのを作ってそこにお金を預ければ、銀行が責任を持って管理してくれる。

 そして銀行は国家機関だ。もしそこに強盗でも入ろうものならば文字通り『国家を敵に回す』ことになる。

 少なくとも、今手元にある500万近い大金を安全に保管するのにこれ以上の場所は無いだろう。

 

 いくつかある窓口に並んでいる人の列を見て一番少ないところへと向かい、並ぶ。

 口座の作成さえしてしまえば手続きにそれほど時間はかからないため、十五分もしない内に自身の番が来る。

 

「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件で?」

「預かりで頼む」

 

 要件を告げると了解と頷いて受付のカウンターの下へと手を伸ばし、よいしょ、と声を挙げながら板状の機器を取り出す。

 

「名義と識別番号をお願いします」

 

 口座の管理は『登録名義』と『識別番号』によって行われる。

 このノーヴェ王国に銀行は20から30ほどの数があるがこれら全ての金庫は『共有』されている。

 魔導具の一種ではあるのだが、対応した鍵を挿すと、鍵に対応した空間へと接続される。

 つまり今ここで預けたゴールドは別に街の別の銀行でも引き出すことが可能となるのだ。

 

「はい、確かに確認が取れました、ではお預けになる現金のほうをこちらにお願いします」

 

 そう言って差し出されたトレイに懐から袋を取り出して、ひっくり返す。

 じゃららら、と数十枚の金色の貨幣がトレイの上に飛び出す。

 

「これで頼む」

「……あ、はい」

 

 ぴかぴかに光る10万ゴールド硬貨に一瞬受付の表情を驚愕に染まったが、すぐに気を取り直して一枚ずつ数え始める。

 十枚ずつ並べていってちょうど四つ、それから端数が数枚。硬貨が積み上げられる。

 

「四十八枚、480万ゴールドですね。確かにお預かり致します」

 

 受付がトレイを持ってそのまま後方に置かれた金庫へと持って行く。

 金庫に鍵を挿し込み開くとそのままトレイの上の硬貨を金庫の中へと入れる。

 それを確認してから受付を離れる。

 随分と軽くなった懐に安堵のようなものを感じている自分は根っからの貧乏人だなと実感し、苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

 それでも残金は10万近くある。

 あの化け物蜘蛛の『食い残し』が相当あったらしい。ざっと20万ほどの稼ぎになったと言っていた。

 チャーター代を支払っても差し引き14万の黒字である。

 あの『脚』の分は全て預金してしまったが、それでもまだ一月はゆうに暮らせる程度の金はあった。

 

「取り合えず今の内に補充しとかないとな」

 

 使っていた鉄剣は折れ、切り札として持っていた木剣も燃え尽きた。

 つまり今現在、武器を一つも持っていないということになる。

 

「それに防具ももうちょい軽いのに変えたいしな」

 

 鉄製の防具は安くて丈夫だが重い。

 革製の防具は安くて軽いが防具としては弱い。

 だが基本的に冒険者はこのどちらかを使っている。

 

 安いからだ。

 

 防具は基本的に最悪の時に命を守るためのものであり、基本的には冒険者の立ち回りはそもそも攻撃を受けないことが前提となる。

 理由としては簡単で、ダンジョン内で一々防具の修理なんてできないし、傷ついた体を休めることも難しいからだ。

 

 そういう『魔法』でもあれば別だが、継続して戦闘するためにはそもそもダメージを受けないスタイルが基本となる。

 

 つまり防具なんていざという時以外は使うことは余り無く、しかも普段から使っているだけで少しずつ摩耗していく。

 そして稼ぎの多い冒険者ほど危険を冒すこともなく安定して稼ぐため防具の使い道は余り無い。

 

 結局、高い防具を買っても使うことも無く摩耗させていくだけならばいっそ一発限りの使い捨てでも良いので安い防具を使ったほうが費用が浮くと考える冒険者は多いのだ。

 

 とは言え、今回の化け物蜘蛛のような相手がいるならば、やはり防具というのは良い物を選びたくもなるのは当然のことであり、そういう場面で招集されるような冒険者は大抵の場合もう一つ普段は使わない防具を持っていることが多い。

 

 別に自分はあの化け物蜘蛛の討伐に呼ばれてはいないし、呼ばれることも無いだろうが、この先に何があるかも分からないし一つそういうのを持っていておいても良いだろうと思っている。

 

 少なくとも、金があるなら今の動きが制限される鉄製鎧はなんとかしたいと思っていた。

 

 それに剣ももっと上等な物が欲しいと思うのは当然のことだ。

 少なくとも、あの蜘蛛に限らず、水晶魔洞の敵というのはどいつもこいつも硬いのだから。

 

 歩いている道中に見かけた屋台で鳥の串焼きを見つけたので買って食べながら歩いていく。

 

 目指すのは工業区だ。

 水晶魔洞で採掘された鉱石の精錬などが主な業務ではあるが、武器や防具の工房をやっているところもある。

 普通の武器屋や防具屋は基本的に量産された安価な市販品を売っているので、一点物やオーダーメイドなどは工房に直接出向くのが一番確実なのだ。

 

「とは言え、アテも無いんだけどな」

 

 呟きながらも歩いていき、しばらく進むとやがてかんかん、という硬い物を叩くような音が周囲から聞こえ始める。

 

「だいたいこの辺か」

 

 商業区が人の多さで騒々しいのならば、工業区は作業の音で騒々しい場所だった。

 澄んだ金属音が響き渡る街中を歩いて行くと、やがてぽつりぽつりと工房が見えてくる。

 

「さーて。どんな店が良いのかね」

 

 考えつつ、取り合えず適当な店に入ってみようかと考え、周囲を見渡すと。

 

「あっ……」

「ん?」

 

 ふと聞こえた声に視線を移せば、そこに工房の一つから出てくる一人の少年の姿があった。

 どこかで見たような顔だな、と既視感を覚えていると。

 

「あ、あの……昨日は、ありがとうございました」

 

 その言葉に少年の正体を思い出す。

 

「ああ、昨日助けたやつか」

 

 ダンジョン内で助けた少年だった。

 どうやら工房に武器を買いに来ていたらしい。

 

「この辺良く来るのか?」

「え? あ、はい。まあ」

 

 頷く少年にそうかと呟きつつ。

 

「ちっと頼みがあるんだが」

 

 告げた言葉に少年が首を傾げた。

 

 



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八話

 

 武器屋、防具屋、というのは基本的に『売る側』だ。

 つまり売れる物を取り揃えて、売れる努力をし、商品を売って生活している。

 故にそこにある商品は『売れる物』なのだ。

 

 オーソドックスな片手剣、両手剣、槍、槌、こん棒、メイス、弓、など種類こそ色々ありはするが、初心者でも使えるような安くて、それなりに丈夫、といういわゆる『量産』品がどうしても多くなる。

 

 別にそれが悪いわけでは無い。街と街の間の街道に出てくるような魔物は魔力濃度の関係でそれほど強い相手がいない。一部本当に例外的な存在もいる*1が、それは本当に例外的なだけで、大半の魔物は濃度の高い森や山、川、湖、海と言った自然の色が濃い場所に隠れ住んでおり、住処を荒さなければ滅多に表に出てくることはないので街道を歩くくらいなら素人に剣一本持たせる程度で十分なのだ。

 

 言ってみれば量販店なのだ、通常の武器屋や防具屋、というのは。

 

 街道に出る人が護身用に買って行ったり、冒険者に成りたての新人が安い物を買って行ったりするくらいで、基本的に中堅以上の冒険者はあまりこういう店を利用しない。

 中堅以上の冒険者になると自分が潜るダンジョンに合わせた装備、というのを考えるようになる。

 

 今俺たちが攻略しているのは洞窟型のダンジョン故に槍などの長物は道幅の狭さの関係で取り扱いが難しくなるし、体の一部が結晶化した敵のせいで剣などの切断系の武器よりも槌やメイスなどの打撃系のほうが使い勝手が良かったりする。

 他にも水中型ダンジョンや火山の中にあるダンジョン、森のダンジョンや遺跡型のダンジョンなど様々なダンジョンが世界にはあり、深く潜れば潜るほどそれぞれに対応した装備というものが必要になってくる。

 

 そうした時、汎用性の高い通常の店の武具より特化性能の高い武具のほうが重要性が高くなってくる。

 

 だが特化しているということは需要が限定されるということであり、通常の武器屋、防具屋にこういった類の物が並ぶことというのは余り無い。

 

 ではそういう時にどうするかと言われれば。

 

 一つは専門店を探す。

 

 大都市に行けば案外こういう専門の店というのはあるものだ。剣専門、槍専門、斧専門、槌専門、弓専門……武器の種類を一種類に限定する代わりにその武器種に限って言えば非常に幅広いラインナップを揃えている。

 まあ逆に言えば、人が相当数多い大都市くらいにしか無いとも言えるが。

 

 ペンタスも交易都市としてそれなりの規模になってきていはいるが、まだ成長途中といったところで規模的には中規模が良いところだ。

 多分あと十年か二十年もすれば大都市へと成長するのではないか、と思われるがそれはまだ未来の話であり、現状のペンタスでこういう専門店というのは存在しない。

 

 だから二つ目。

 

 工房に直接注文する、だ。

 

 

 * * *

 

 

「こっちの工房はメイスやハンマー専門ですね……えっと、ルーさんは」

「剣だな」

「なら、あっちですね」

 

 茶色の髪の少年の案内に従って工業区を歩く。

 少年、アルはまだランク2の冒険者らしいが、こちらの想像以上に手広く伝手を作っているらしく、こちらが一つ条件を出すたびに次から次へと工房を案内してくれる。

 

「この街に専門店なんてあったのか?」

「正確には剣専門の工房ってだけで色々なところに売り出してるみたいですけどね」

 

 表にあるのは見本みたいなものです、と告げながらアルが一件の店に入って行く。

 通りに面したショーウィンドウに並べられた幾本もの剣を横目で見ながらその後を追って店に入る。

 

 レウィス工房と銘打たれた看板が掲げられた工房は内装だけ見れば武具店に似ている。

 店のあちこちに掲げられたこの工房で打ったらしい剣の数々が並べられ、奥にはカウンターテーブルが置かれている。

 テーブルの前には店員らしき男が一人不機嫌そうに座っており、店に入って来た自分たち二人へと視線を向けた。

 

「いらっしゃい」

 

 不愛想に一言告げて、視線を逸らす男に、けれどアルは気にした様子もなく店の中を歩く。

 その後をついて店の中を見て回り、なるほどと頷く。

 

「良いな」

「ですよね」

 

 短く呟いた一言に、アルが何度も頷く。

 剣の良し悪しについてそこまで造詣が深いわけでは無い。

 自分はあくまで剣士であって、職人ではないのだ。見ただけで分かる情報など大した物ではないし、実際使って見なければ分からないことのほうが多い。

 

 それでも、だ。

 

 シンプルで、尚且つ実直なその剣を見れば作った人間の腕も見えてくる。

 

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 この剣を作った職人の根底にあるのはきっとそれだ。

 徹底的なまでに凡庸な素材だけで剣を作っている。その上で極限まで剣を実用的に鍛え上げている。

 単純な量産品ではない、一本一本丁寧に作ったのだろう。

 

 ダンジョン産の素材を使うことによって、物質に特殊な能力をつけることができる。

 それは武具も同じで、そうやって鍛え上げられた一品は時に伝説の武具として語り継がれることもある。

 聖剣や魔剣、魔槍、聖槌、他にも数々の曰く付きの一品こそあれ、そういった物は作るのにも修理するにも特殊な素材が必要になる。

 確かに能力は凄い。下手な魔法よりよっぽど強力な一撃を出せる物だってある。

 

 だからそれを求める冒険者は多い。

 

 冒険中の切り札として持っておくのもあるし、何よりも魔剣を所持している、という事実自体が超一流の冒険者のステータスのような風潮があるからだ。

 

 別にそこまで強力な物でなくとも、例えば水晶魔洞で掘り出された魔水晶を武器に使えば極めて有用な魔力伝導体になるだろう。

 つまり魔法の威力を底上げしてくれたり、魔法を使う際の媒介になってくれたりするのだ。

 

 冒険中の荷物は少ないほど持って帰れるドロップの量も増える。複数の効果を一つの武器に纏めれるならその分持って行く物が減る。

 そういう打算的な部分も含めて、武器や防具に特殊な能力を『付与』した物を求める冒険者は多く、それに合わせて職人側もそう言った武器や防具を作る。

 

 だが、だ。

 

 どれだけ凄い武器や防具だろうと、所詮は武器や防具なのだ。

 使えば少しずつ摩耗するし、小まめに手入れをしてやる必要もある、時には修理に出す必要もあり、やがていつかは折れるし、破損する。

 修理の際には部位によっては希少な素材を要求されるし、激しい戦いを繰り返す冒険者からすれば武具の摩耗なんてしょっちゅうのことであり、その度に少なくない金額をすり減らして修理を頼むことになる。

 

 確かに強いのだ、だが同時にとんでも無い金食い虫でもある。

 

 まあ作ったり修理したりの際の素材を自力で用意できるのならばまた話は別だが、大概の場合、職人が『最高の一本』を打とうとして素材に妥協をしないので世界各地の素材を発注することになる。

 輸送費だけでとんでも無い額になるし、遠くから素材を運んで来ればその分時間もかかることになる。

 

 そんな一長一短な特徴を持つのが魔剣などの特殊な武器であり。

 

 この店はその真逆だ。

 

 どこにでもあるような素材しか使わない、その代わり、その素材で作れる最高の物を一本一本作り上げている。

 確かに魔剣などと比べれば所詮は『ただの剣』ではある。

 だが純粋な武器としての性能は十分だし、修理などの際にも使っているのはどこにでもあるような素材だからこそ買うに安く、集めるのも早い。

 そして何より、摩耗して折れたとしても換えが効く。

 

 いつ何時、何があるか分からない冒険者業である。

 

 大枚叩いて買った魔剣が、突如足元に開いた落とし穴に落ちていった……なんてことがあった日には、大損害である。下手をすれば明日の生活にも困るような有様になるかもしれない。

 

 だから換えが効くというのは冒険者にとって割と重要なことである。

 

 同時にダンジョンの中では簡単な手入れくらいしかできない。

 だからこそ頑丈さ、そして信頼性が必要になる。大金叩いて不良品を掴まされた、では話にならないのだ。その時代償となるのは自らの命なのだから。

 

 ひたすらに頑丈で、丈夫で、丁寧。

 

 ここの店の剣を簡単に言えばそれだけだ。

 だがそれだけだからこそ、良い。

 丈夫で、頑丈で、信頼できて、直すに容易く、いざという時捨てるに惜しくない。

 ある種理想的な武器とすら言える。

 ある意味量産品なのだが、剣一種類に絞っていることによって、剣に限っては必要な需要を満たしていると言える。

 

 まあ水晶魔洞というダンジョンが目の前にあるからこそできる話ではある。

 

 このペンタスの街に集まった冒険者などほぼ大半が水晶魔洞が目的となるのだからそれに合わせていれば確かに売れる。

 オーダーメイドのようなフィット感は無いが量産されておりいざという時に使い捨てができるのならばそれはそれで需要も多いだろう。

 

 正直名剣や魔剣といった物にそれほど興味が無い自分としては使えれば良い頑丈な剣があれば十分なのでまさにこういう店こそ需要があった。

 

「一本3万ゴールドか」

 

 普通の武器屋で剣を買えば安い物で一本5000ゴールドくらいか。

 ちょっと高い物を買っても1万ゴールド前後なので高いか安いかで言われれば高い。

 だが魔剣など最低が数十万、高性能品なら数百万となるのでそれに比べれば随分と安いと言える。

 手持ちは十万ゴールドほどあるが二週間前後はダンジョンに入れないことを考えれば余裕も残しておきたい。

 

「取り合えず一本で良いか」

 

 並べられた剣の中から適当に一本、無造作に掴み取り、握りを確かめる。

 少し重いか、と思えば別の一本を取り、しっくりくる物が見つかるまでその繰り返し。

 十数回同じことを繰り返して。

 

「……これにするか」

 

 重さ、長さ、握り。その全てがちょうど良い一本が見つかったのでそのままカウンターに持って行く。

 不愛想な店員はこちらを一瞥し、寄越せと言わんばかりに手を伸ばす。

 剣を渡し、金を払うと後ろの箱に大量に刺さっている鞘から一本掴んで取ると剣を収める。

 無造作に一本掴み取ったように見えたが、長さや幅などピッタリに収まっていることに少し驚きながらも礼を告げて店を出た。

 

「うん、良いな」

 

 握って、放して。まるで新しい玩具を手に入れた子供のようだったが、それでも剣を新調するなど久々のことだったので思わず童心に帰ってしまっていた。

 

「アルも、ありがとうな」

「いえ……こちらこそ、助けてもらいましたから」

 

 笑みを浮かべて一礼して去って行くアルを見やりながら、さて目的は達したしどうるうかと考える。

 防具を買うという選択肢も考えたのだが、剣が想定より高くついたため、これ以上の出費は生活にも差し障る可能性も考えてしまう。

 まあ高かった分、出来は良い。プラスかマイナスかで考えれば間違いなくプラスなのだがそれはそれとして金がかかったのも事実だ。

 

「どっかに安い防具売ってねえかな」

 

 なんて、都合の良いことを口にして。

 

「防具お探しですか?」

 

 真後ろから聞こえた声に、背筋をぴんと伸ばし、思わず振り返る。

 驚いた、街中であるが故にそれほど警戒していたわけでは無いが、それでも真後ろに誰かいて気づかないというのは本当に驚いたのだ。

 そうして後ろを見て、そこにいた水色の少女を認識して、ため息を吐いた。

 

「フィーアか」

「はい、良く分かりましたね」

 

 鉄を打つ騒音ともうもうと上がる煙。騒々しく熱い工業区にまるで似合わない冷ややかな印象の少女がそこにいた。

 昨日見た時は一日中被っていたはずの白いローブも無く、顔を曝け出していた。

 

「まともに顔見たの初めてだな」

「仕事中は基本的にローブ被ってますので」

 

 十五、六くらいかと思っていたが素顔を見るとそれより幾分か幼く見えることが分かる。

 目鼻が整った小顔の美少女だった。髪色だけでなく、瞳の色まで水色……アイスブルーとでも言うのだろうか。

 ノーヴェはそれなりに北のほうに位置する国だが、それでもこういう色は見たことが無い。

 印象ではあるがもっと北の……ディッセンあたりの出身だろうか、と思った。

 

「今日は私用なのか?」

「休日ですので」

 

 私服らしい、真っ白なシャツに淡い青のスカート。伸びた足には真っ白なソックス。

 全体的に寒色が好きなのかもしれない、という印象。

 全体的に小柄なので、お洒落というよりは背伸びといった感じだが。

 

「……何か?」

「いや、なんでも?」

 

 アイスブルーの眼がふっと細められる。まるで見透かされているような態度に、思わず視線を逸らした。

 そんな俺をじっと見つめながら、やがてため息一つ。

 

「まあいいです……それで、防具がご入用ですか?」

「まあ探してはいたけど……知ってるのか?」

 

 言っては何だが、ポーターというのは基本的に戦わないので武器も防具も持たない。

 まあ護身用にナイフを忍ばせるくらいはするかもしれないが、基本的にポーターがより多くの荷物を運ぶために身軽になるのが基本だ。

 

「まあそれなりに。この街も長いですから」

 

 告げて、ふっと微笑む。

 

「んー、じゃあ良かったら教えてもらっていいか?」

 

 休日と言っているのに頼むのも悪いか、と思うがけれど他に宛ても無いのでダメで元々と頼んでみれば。

 

「構いませんよ……そもそもそうじゃなかったら声かけてませんから」

 

 あっさりとそう返したのだった。

 

 

*1
災害種とか。




次回「もしかして:デート」?

だがフィーアちゃんはヒロインでは無いのだ。いや、将来的にヒロインになる可能性は微レ存ではあるが。
その場合この小説ハーレムタグがつくことになりそう。まあ異世界ファンタジーだし複数ヒロインくらい別におかしくも無いけど。


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九話

 

 

 紹介されたのは工業区の比較的入口辺りの路地のさらに奥まったとこにある、本当に工房なのかと疑うような民家のような外観の建物だった。

 とは言え実際入ってみれば建物内に並べられた革鎧と、建物中に蔓延した革なめしに使われる薬液の匂いに確かにここで革の防具が作られているのだと理解できた。

 

 基本的に革鎧というのは金属鎧と違い音を立てないのが特徴であり、主に『シーカー』*1が好んで使う。

 その役割上、音を立てることを嫌うからだ。半面防御力自体は金属鎧には劣るため『アタッカー』*2などは余り使用しない。

 厚さにも寄る部分はあるが、特に打撃に対して弱いことが理由としてある。正確には打撃などで壊れない代わりに衝撃の大半をそのまま人体へと伝えてしまうのが大きい。

 金属鎧の場合、鎧自体がある程度の衝撃はその硬度で跳ね返してしまえるので革鎧よりは強い。

 まあ素材の性質自体は硬度の高い金属鎧のほうが打撃に弱いのだが、逆に弱いからこそ鎧が衝撃を吸収してくれると言える。

 特に全身鎧は受けた衝撃を全身に散らすよう設計されているので強力な衝撃からでも装着した人間を守ってくれる。

 

 半面、斬撃にはそれなりに耐性があるのが革鎧なのだが、例えば剣で切りつけられても切り裂かれない、というか表面が浅く傷つくだけで貫通はし辛い。だが斬れないからこそ打ち付けられた剣は衝撃となって使用者を襲うことになる。

 

 俺は基本的には金属鎧を使っているが、戦闘スタイルを考えると別に革鎧でも問題はない。

 そもそも剣で攻撃を打ち落とすスタイルなのでそもそも攻撃を受けないことのほうが多いからだ。

 それでも金属鎧を使っていたのは水晶魔洞の敵が基本的に『硬い』からだ。

 単純にその水晶の体で体当たりされるだけでも痛手になる。下手をすれば骨が折れるし壁に叩きつけられ挟まれでもすれば圧殺される。

 金属鎧は押し込むのに相当な力がいる。それこそ素材となった金属を凹ませるほどの強力な力が。

 最悪でもその硬度に任せて籠手(ガントレット)で殴れば相手を怯ませるくらいはできるが、革鎧ではダメだ、柔らか過ぎる。何せ相手の体は水晶なのだから。

 

 と、まあそんな理由でこれまでは金属鎧だったのだが、実際に潜ってみて思ったのは動きづらい、ということだ。

 

 単純に重い。金属の服を着こんでいるのだから当然ではあるが、自身の体重の一割か二割ほどの重さのそれは戦闘の際に自分から機動性を奪うには十分な重さだ。

 勿論しっかりと足に力を込めれば機動力も確保できるが、常に全力を出し続けるような戦闘を何度も繰り返すのは疲労が大きい。故に継戦能力を維持するためにも基本的には七割から八割程度の力で戦闘をするのが普通だ。

 

 と言っても、実際に戦ってみると鎧は逆に邪魔になることが多かったので革鎧というのも十分に考慮しても良い。

 勿論、いざという時の防護に不安は残るが、重い鎧を着こんで戦うほどに被弾率が上がるわけで、今の自分が装着しているような安物の鉄鎧ではそれでどこまで防げるか、という不安が残る。

 

 予算は大よそ3万から4万と言ったところか。

 

 ダンジョンが最短で開通すればまあギリギリ生活できるだろう程度の金額。もし長引きそうなら地上でできる依頼を探さなければならないだろう。

 

「よくこんなところ知ってたな」

 

 こんな分かりづらいところにある店なのに、それに相反するかのように陽気な店主の「いらっしゃい」の声を聞きながら鎧を見比べているフィーアに呟く。

 付き合いが良いのだろうか、フィーアが真剣な様子で鎧を見比べ、その一つを手に取る。

 

「先ほども言いましたが、結構長くいますから、この街にも……これとかどうですか?」

 

 手渡されたのは薄い茶色の革が張られたなんとも不思議な触感の鎧であった。

 硬いのに柔らかいという何とも矛盾した触感。そして軽く叩いてもまるで衝撃が伝わってこない。全て鎧に吸収されている。

 何より摩擦が強い、表面が全く滑らないのだ。聞いたことも無いし、当然見たことも無い、全くの未知の素材で作られた鎧だった。

 

「なんだこれ……不思議な触感だな」

「ラバーという植物の樹脂らしいですよ。極めて衝撃に強い上に摩擦が強く靴の裏なんかに仕込むとかなり良いらしいですが、熱に非常に弱いので水棲系モンスターの素材で表面を保護しているみたいですね」

「ほう」

 

 感心しながら鎧を叩いたり裏返したりとしながら具合を確かめる。

 中々良い。特に衝撃の吸収率が非常に高い。裏から手を当てて表を叩いてもほとんど衝撃が伝わってこないのだ。

 

「これ、斬れたりは?」

「するらしいですが、その分厚みを持たせているみたいですね」

 

 確かに革鎧に比べると少し厚みがある。それに裏地に革も張り付けてあるようで恐らく樹脂部分が切られて革部分が止めてくれるのだろう。

 斬撃にも打撃に強い、良い鎧だと素直にそう思う。

 

「値段は……」

「上下一式で5万ですね」

 

 告げられた言葉に顔が引きつった。

 

 性能は良い。非常に良い。魔力の籠った素材ではないため魔法鎧にはならないが、通常素材で作った鎧としては非常に便利ではある。文句のつけようがないほどに。

 ただし高い、想定していたよりは安いかもしれないが、それでも高い。

 

 予算より1万ほど高い。

 

 先ほど3万の剣を買ったばかりなのだ、合わせて8万……残りの手持ちは2万と少し。

 買えば間違いなく一週間暮らすだけの金が無くなる。

 うんうんと悩む自身に、フィーアが首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「金がなあ……」

 

 返した言葉に目を丸くし、不思議そうな表情をする。

 

「先日かなりの額を稼いだと記憶していますが」

「事情あってあれは使えないんだよ」

「はぁ……残りの予算は?」

 

 一瞬何故? と言った表情をしていたが、深入りするつもりも無いのか、次の質問を投げかける。

 

「あと7万と少し……ただダンジョンが使えるようになるまでまだかかりそうだからな」

「なるほど……」

 

 ふむ、とフィーアがその細い指を口元に当てて考え込むような仕草をする。

 数秒して、その視線がこちらを向き。

 

「では、一つお仕事を紹介しましょうか?」

「仕事? この状況で?」

 

 現在ダンジョンにて発見された……というか俺たちが発見した『災厄の子(バケモノグモ)』の討伐のためにダンジョンが閉鎖されている。

 しかも精鋭を集めるために召集されたのはランク4以上の冒険者たちであり、それ以下の……つまりランク3以下の冒険者たちは突如やることが無くなっている。

 そのため地上で出来る仕事を求めて街と街を繋ぐ街道を行く商人の護衛をしたり、はたまた街中の騒動を治めるために自警団の手伝いに駆り出されたり、本当にやることの無い冒険者は街中の清掃をするなど、どこもかしも手が有り余っている状況だ。

 

 その状況で、仕事……しかも金を稼げる仕事など果たしてあるのだろうか?

 

 そんな疑問に答えるようにフィーアがふっと口元を吊り上げ。

 

「今日一日、私に付き合ってください。そうしたら足りない分のお金、払ってあげても良いですよ?」

 

 悪戯っぽく、笑みを浮かべてそう告げた。

 

 

 * * *

 

 

「それで、何をすればいいんだ?」

 

 工業区を出て、商業区へと戻って来る。

 時間的にはそろそろ昼に差し掛かるころ合い、サイズの調整やら何やらでまだ引き渡しのできない鎧の注文だけして工房を出たので荷物は腰の剣だけだった。

 一日付き合ってください、と言われても正直何をすれば良いのかも分からず、かといって特に何か言ってくることも無いままここまで来てしまったがために思わず尋ねてしまう。

 

「あー……そうですね」

 

 こちらの質問に、前を行くフィーアが立ち止まり振り返る。

 口元に手を当てて少し考えた様子を見せ。

 

「どうしましょう?」

 

 こてん、と首を傾げた。

 

「……はあ?」

 

 問い返された言葉に呆れたような声が出た。

 だが自分に付き合ってくださいと言っておきながらどうしましょう、とは一体何なのだ。

 

「もしかして、揶揄(からか)われてる?」

「あ、いえ……そういうわけではないんですが」

 

 じゃあどういうわけだよ、という言葉を押し殺す。

 頭が痛くなってきたような錯覚すら覚えながら思案する。

 これは新手の思考テストか何かだろうか、どういう対応をするか試されているのだろうか。

 そんな馬鹿なことを考えていると、フィーアが少し焦ったように両の手を横に振って否定の意を示した。

 

「あの違うんですよ。実は今日、仕事の無い……所謂休日でして」

 

 告げるその表情はどこか戸惑ったような……迷子のようなソレであり。

 

「それはさっき聞いたけど」

「えっとその……」

 

 少し言いづらそうに、言葉を溜めて。

 

「その……休日って、何をすれば良いのでしょう?」

「…………」

 

 告げられた言葉の意味を理解できず黙り込む。

 

「…………」

 

 思考を回す。思案をする。言葉の意味を模索し。

 

「……は?」

 

 たっぷり十秒、沈黙を保った後出てきて言葉はその一文字だった。

 怪訝な表情の俺に、フィーアが当惑したような表情で視線を向けてくる。

 

「いや、どういうこと? 休日なんだから、好きなことすれば良いんじゃないのか?」

 

 冒険者だって毎日ダンジョンに潜っているわけでは無い。

 特に生命の危機を感じやすいダンジョンに長期間入り浸ると精神的に歪みが出てしまうことが多いため、だいたい二、三回に一度は休養日を取ることを冒険者ギルドも推奨している。

 冒険者の場合、休日は武器や防具の点検、修理、メンテナンスに費やしたり、稼いだ金で酒場に寄ったりと買い物をしたりと色々だ。

 それは基本的に必要なことをしているだけだが、時間や金が余ったならば個々人で趣味に費やしたりもする。

 男なら娼館などで世話になることもあるだろう。まあ俺は無いが。

 

 とは言えフィーアはポーターである。

 

 武器は使わないし、防具も無い、唯一鞄が装備品と言えなくも無いが拡張バッグ*3に関しても特に整備が必要にも思えない。

 

 故に好きなことをすればいいと思うわけだが。

 

「というか、今まで休日は何してたんだ?」

 

 フィーア自身何か趣味はあるのか、あるならばそれをすれば良いのではないか。

 そんな意味を込めた問いかけに、フィーアが一瞬言葉を詰まらせて。

 

「初めて、なんです」

 

 消え入るような声で呟いた。

 

「……はい?」

「だから、休日なんて、今日が初めてなんですよ」

 

 気まずそうな表情で語られた言葉の意味を理解すると同時に顔を引きつる。

 だってそうだろう、彼女自身が先ほど言っていた言葉だ。

 

 ―――まあそれなりに。この街も長いですから。

 

 長くこの街にいるというならば、生活するためにこれまでポーターをしていたというのならば。

 一体何年もの間、休む日も無くダンジョンへ潜り続けたのか。

 

 ―――正気じゃない。

 

 そんな思いが胸中に浮かぶ。さすがに目の前に本人がいるのに口にはしないが、それでも険しい表情をしている自覚があった。

 それは確かに、ポーターは戦闘要員ではない。ダンジョンではドロップを拾うことをメインとして、冒険者をサポートしてくれる、ある意味それだけの存在ではある。

 

 だが、だ。

 だが、けれども。

 

 ダンジョンというのは常に命の危険が付きまとう死に溢れた領域なのだ。

 例え戦闘に参加せずとも、それこそどこから敵が現れ巻き込まれるか分かった物ではない。そういう危険な場所なのだ。ポーターだから安全など、そんな話は()()()()()

 そうして常日頃から命の危険にさらされ続け、それを何年も休むことも無く続けていたなどまさかである。

 常人なら発狂しているだろう状況に、けれど目の前の少女が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それとも見えないだけで、表面化していないだけで、少女はとっくに狂っているのだろうか。

 

 いやそうは見えない、少なくともここまでの中でおかしな言動は無かったと思う。

 とは言え少女と出会ってまだ一日二日の間柄なのだ。知ったようなことは言えない。

 

 だからもしかすると少女は狂っているのかもしれない、そう思った。

 

 それと同時にもう一つの可能性も考える。

 

 もしそうでないとしたら、それはきっと。

 

 きっと―――。

 

 

*1
冒険者の役割の一つ。索敵や探索がメイン。

*2
同じく冒険者の役割の一つ。敵と戦うことがメイン。

*3
空間系の魔法を覚えないポーターが持つ外見以上の容量を持つ空間の拡張を行う魔法のかかった鞄など。




あ~フィーアちゃんかわええんじゃあ~。


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十話

「ここは……」

「見ての通りの露店通りだよ」

 

 商業区は文字通り商業に携わる施設や店舗が集中しているが、根本的にはここは『交易』のための街だ。そのため中心部に行くほど一般利用の店でなく、交易品を扱う店や輸出のための店が増えていく。

 要するに『政治色』が強くなるのだ。故に一般利用の店となると『外来区』寄り、つまり街の中心よりやや南東側のほうになる。

 

 飲食店や衣料品店、装飾店、数は少ないが武器、防具屋など数々の店が並ぶ通りはそのまま『行政区』と『外来門』を繋いでおり、緊急時など馬車の往来があることから道路幅が非常に大きく取られている。

 とは言え平素はそんなことは関係無く、スペースの無駄遣いは許されないと言わんばかりに屋台がずらりと並ぶ屋台市が出来上がっていた。

 

「ギルドから割と近いんだが、こっちのほうには来たこと無かったか?」

「はい……食事ならギルドのほうでも取れますし」

 

 人の賑わう屋台市が珍しいのかきょろきょろと周囲を見渡すフィーアの姿に良かったと内心で安堵の息を零す。

 

 それにしても中々無理難題を引き受けてしまったものだと思う。

 休みの日の過ごし方が分からないというフィーアに、では適当に街をぶらつこうと提案したのは確かに自分ではあるが。

 

 ―――私、デートというのがしてみたいです。

 

 それが依頼主のオーダーだった。

 

 生憎ながら俺はデートというものをしたことが無いので具体的にどうすれば、というのは分からないがまあ往々にしてこんなもの、というイメージはあるのでとにもかくにも商業区にやってきたのだが、さてここからどうしたものかと悩む。

 

「取り合えず、良い時間だし昼飯でもどうだ?」

「そうですね、私も少しお腹空きましたし問題ありません」

 

 並ぶ屋台市では飲食物が多く売られているので適当に買う。

 食べながら歩いても良いのだがこうも人が多いと忙しなく感じてしまうもので。

 商業区を抜けて、少し歩くと行政区の端にたどり着く。

 適当に見渡せば中央に噴水のある広場があり、ベンチなどもあったのでそこに並んで腰かける。

 

「ふう……人ごみに酔うかと思った。大丈夫か?」

「ええ、はい」

 

 自身より大分小柄なフィーアだけに、先ほどまでの商業区での雑踏は厳しかったらしい、まだ少し目を回しているようだった。

 魔導具で冷やされたらしい果実のジュースを渡すと、フィーアが受け取って一口含む。

 

「ふう……ありがとうございます、少し落ち着きました」

「飯買ってきたが、食べれるか?」

「問題ありません」

 

 頷くフィーアに、先ほど借りた鞄を広げ中から買ってきた物を取り出す。

 

「フリートですか」

「名産だしな」

 

 小麦粉の生地の薄焼きの上に生野菜や肉を甘辛く炒めたものをのせてヨーグルトソースなどをかけたペンタスの名産品である。

 元々ペンタス、というかノーヴェという国自体が小麦の生産量が多いので、小麦を使った料理を名産としている街はけっこう多い。

 その中でもペンタスの街はダンジョンが発見される前は酪農と農業が主な産業だったため、こういう料理が生まれた経緯がある。

 正確に言えばペンタスの名産というか、ペンタスを含むこの地域一帯の名産といったところか。

 ペンタスはダンジョンによって一躍交易都市として発展したが、未だにペンタス以外の周辺の村や町などは酪農と農業を主産業としている。

 

 ペンタスでも良く販売されており、特に片手間に食べれるため屋台などでは必ず売られている一品である。

 

「買ってきておいて今更だけど好き嫌いとかあったか?」

「いえ、特には」

 

 そうかと言いつつ手元のフリートにかぶりつく。

 周辺に農村があるからこそできるのだろう新鮮なシャキシャキの野菜の触感としっかりと味のついた肉脂の下たる牛肉、溢れ出た肉汁はそれを包む生地が吸って旨味を逃すことが無い。

 少し感じた脂っぽさはヨーグルトソースの酸味が上手く打ち消していていくらでも食べられそうだった。

 

「うん、美味い」

 

 ボリュームもあって、値段も手頃。

 味も良いとあって、名産品と呼ばれるだけはあると思う。

 それなりの大きさがあったはずなのだが、気づけばぺろりと一つあっさり平らげてしまっていた。

 買ってきた果実ジュースを流し込む。

 それからふと、隣で未だにフリートをちびちびと食べている少女のことを思いだし視線を向けて。

 

「……もしかして口に合わなかったか?」

「いえ、そんなことは無いですが」

 

 特に表情もリアクションも無く、淡々とフリートを齧る少女の姿に思わずそんな疑問が口をついて出るが、当の少女本人はそれを否定する。

 

「じゃあ美味いか?」

「……さあ?」

 

 続けて問うたその言葉に、フィーアは一瞬悩んだ様子を見せたが、返ってきたのはそんな言葉だった。

 ぱくり、とフリートを齧り、咀嚼し、嚥下する。

 そうして、首を傾げる。

 

「これは、美味しいんですか?」

「お前はそう思わないのか?」

「よく、分かりません」

 

 まただった。

 

 また少し困惑したように、戸惑ったように、困ったような表情をする。

 違和感。

 ずっと感じていた違和感。

 でもそれを訊くことはできない、してはならないと自制する。

 

「……そうか」

 

 だからそれだけ呟いて、顔を背ける。

 逃げるように……否、きっと逃げている。

 直視しないように、目に入れてしまわないように。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「お前さ……物食べて美味しいって思ったことあるのか?」

 

 だからそんな言葉が代わりに出る。

 けれど自身のそんな問いにさえ、フィーアは少し惑った様子で。

 

「覚えている限りでは、無いと思います」

 

 そんな答えに、正直頭を抱えたくなった。

 わなわなと震える唇が言葉を紡ごうとして、けれど理性がそれを必死に抑える。

 口を閉ざすと途端に会話が途切れ、気まずい沈黙だけが続いた。

 

 

 * * *

 

 

 商業区に戻って来る。

 屋台市を二人で冷やかしながら、抜けてさらに中心部のほうへ。

 ここまで一緒にいて、隣を歩く少女について何となく分かったことがある。

 

 ―――フィーアは必要だけで生きている。

 

 働くことは、金を稼ぐことは生きるために必要だから働いている。そこに目的や目標は無く、必要だけでやっているから『生きるだけ』の金があればそれで十分なのだ。だからあの化け物蜘蛛の足の代金をあっさり譲った、残った報酬分だけで十分だからだ。

 

 食べることが生きるために必要だから食べる。そこに味は関係無いのだ。食べなければ体が動かない、だから食べているだけであって、美味しい物を食べたいだとか、不味い物は嫌だとか、そういう考えが見えない。ただ生きるためだけに食べるから美食だとか贅沢だとかいう概念が無い。

 

 きっとあの防具屋のことを知っていたのも『それが必要だったから』だけの話で、知的好奇心で知ったわけでは無いのだろう。もしかしたら働く上での接点かもしれない、きっとフィーアが自発的に求めた物では無いのだろう。

 

 だから必要なことに関する知識は豊富だ。

 例えばダンジョン関連の質問をすればギルドで聞ける範囲のことならだいたい出てくるのだろう。実際ダンジョン内でも準備の良さとその知識には助けられた。

 

 だがそれ以外に関して。

 

 先ほどの屋台市などギルドから歩いて十五分ほどの場所にも関わらずフィーアは知らなかったらしい。

 一体普段どうしているのかと聞かれればダンジョンに潜るか、ギルドにいるか、ギルドでご飯を食べているか、宿屋で寝ているか。後は偶の仕事の合間に荷物の補給をしたり、それだけらしい。

 

 無欲、と言えるのかどうか分からないところではあるが、ワーカーホリックなのは事実らしい。

 

 ()()()()()()()()といった風にも見えるが。

 

 そう考えると不思議な話ではある。

 

 フィーアは言った。

 

 ―――私、デートというのがしてみたいです。

 

 確かにそう言った。

 それは自身が知る限り初めて聞く『彼女の希望』であった。

 必要だけで生きているようにしか見えないはずの彼女の唯一の『ブレ』がそこにあった。

 

「……どうかしましたか?」

「へ……? うおっ?!」

 

 そんな風に頭を悩ませていたせいか、こちらの様子に気づいたフィーアが覗き込むように顔をずいっと近づける。

 ともすれば触れ合いそうなほど近づいた顔と顔に思わず仰け反ってしまう。

 数歩たたらを踏み、何とか踏みとどまる。危うく転がるところだったと息を吐いた。

 

「その反応は失礼では?」

「すまん、考え事してたらいきなり目の前にいたから……というか近い近い」

 

 身内が女ばかりなので異性に対してそこまで初心なわけでも無いと自負しているが、さすがにこう無防備に近づいてこられるとこちらも戸惑ってしまう。

 一歩踏み込まれれば思わず一歩引いてしまう、ただそれが不満だったのフィーアが少しだけむすっとした表情をする。

 

「私、デートがしたいと言ったはずですが……デートというのはこういうのなのですか」

「いや、そうは言ってもだな」

「…………」

 

 一瞬、フィーアが黙し。ふと何か思いついたと言わんばかりに顔を輝かせ。

 

「手、繋ぎましょう」

「……は?」

「だから、手を繋ぎましょう。前に読んだ物語ではデートの時そうしていました」

 

 どこから得た知識なのかと思ったが、物語からだったのかと思うと同時に薄っすらと笑みを浮かべながら手を差し出してくる少女を思わず見つめてしまう。

 ん、と手をさらに伸ばすフィーア。どうするか一瞬悩み、硬直する自身に痺れを切らしたフィーアがさらに手を伸ばし。

 

「これで良し、です」

 

 自身の手を掴んだ。

 雪のように白い肌が目の前に伸びてきていた。触れたその手は滑かで、細く、少し力を入れただけで折れてしまいそうな繊細さがあった。

 

 ―――ずっと一緒にいて、■■■。私の傍に、ずっと。

 

「…………」

「どうしました?」

「……あ、いや、なんでもないよ」

 

 少しだけ開いた記憶の蓋をもう一度閉め直して、向き直る。

 (こうべ)を振ってフィーアと二人、気を取り直して商業区の店舗を回って行く。

 とは言え、俺は俺で特に必要のない物は買わないし、フィーアもまた特に欲しい物も無いというので本当に冷やかしているだけだ。

 

「こっちのほうにも武器や防具の店があるんですね」

「そうだな、こっちはまあどちらかと言えば商人の護身用とかが主だな、冒険者の使うような実用的なやつじゃなく威嚇とかに使えるようなやつが多い」

 

 やたらサイズの大きい割に軽い大剣や長すぎて先がしなっている槍が置かれた武具店を見たり。

 

「魔導具屋がこんなところに……」

「有名な魔導具店の系列ですね。ギルドでも使っている魔導具の修理などで来たことがあります」

 

 俺でも聞き覚えのあるような巨大な魔導具制作販売会社の系列店を見たり。

 

「服ですか?」

「デートだと定番らしいぞ」

 

 衣料店に行ったり。

 

「こういうのって何の意味があるんでしょうね?」

「いや、アクセサリーだからお洒落に使うに決まってるだろ……あ、店員さん、これくれ」

 

 装飾品店に行ったり。

 そうして街中を気の向くままに歩き回り。

 

「……もう夕方か」

「そうですね」

 

 気づけば西の空に夕日が差し込む時間となっていた。

 フィーアが特に何か買っていたという様子は無いが冷やかしながらも並べられた商品を見て、フィーアと二人あれやこれやと話しているのが何だかんだで楽しかったので本当に『気付けば』と言った感じだった。

 とは言え一日中街中を歩いていたのだ、さすがに少し歩き疲れたので途中で見つけた公園のベンチに二人で座る。

 

「こんなとこあったんだな」

「私も初めて知りました」

 

 商業区には不釣り合いなほど静けさに満ちた公園だった。

 雑踏で賑わう中を歩いてきただけに、この静けさが今は心地よかった。

 ベンチに座ったままぼんやりと空を見上げる。夕焼けに彩られた空を見ていると、何となく寂しさを覚えた。

 そうしてしばらく二人でその静けさを満喫していると。

 

 ぼーん、と遠くで鐘が鳴った。

 

 行政区にある『時計鐘(とけいしょう)*1の音だった。

 

「ルー」

 

 もうそんな時間か、と心の中で呟いた時、ふと隣でフィーアが自身を呼んだ。

 すく、と立ち上がりこちらへ向いたまま数歩後退する。

 

「今日はありがとうございました」

 

 ぺこり、と一礼。

 

「無茶を言ったと思いますが、それでも付き合ってもらって、嬉しかったです」

 

 そう言って微笑む少女に、少し気恥ずかしさを覚えて頬をかく。

 

「金貸してもらった、からな」

「報酬ですので、差しあげても構いませんよ?」

「そういうのはいらねえよ」

 

 さすがに出会って一日と少々の少女に防具代の一部を負担させるなど自身の矜持が許さない。

 それでも無い袖は振れないため借りるだけは借りた……が必ず後日返す、それは絶対だ。

 

「それに」

 

 確かに中々に無茶振りだったとは思う、けれど、それでも。

 

「割と楽しかったよ……だから気にしなくていい」

 

 最後のほうは自分だって楽しんでいた、だからお相子なのだ。

 そう告げればフィーアが嬉しそうにする。そんなフィーアの反応が照れ臭かった。

 

「そろそろ帰りますね」

 

 告げるフィーアに、ああ、と頷こうとして。

 

「あーその前に、一ついいか?」

「はい?」

 

 呼び止める、何事かと目を丸くするフィーアに、少し言葉を溜めて。

 

「今日、楽しかったか?」

 

 尋ねた言葉に、フィーアが黙す。

 少し考えたように視線を泳がせ。

 やがてこちらへと視線を戻し、ぱぁ、と花の咲いたような笑みを浮かべ。

 

「はい、楽しかったですよ、本当に……ありがとうございます」

 

 そう告げた。

 

「そっか……」

 

 安堵の息を漏らす。結局大したことはできていなかった気はするが、それでも彼女が楽しめたのなら良かったと思う。

 

 だから。

 

「フィーア、ちょっとこっち」

 

 呼び寄せる。

 

「はい?」

 

 不思議そうにこちらへやってくる少女に。

 

「手出して……これ、やるわ」

 

 ポケットから出したイヤリングをその手に落とした。

 

「…………」

 

 手のひらの上の銀製のイヤリングを見つめ硬直するフィーアの頭の上にぽん、と手を置き。

 

「こっちも楽しかった、ありがとうな……それじゃ」

 

 告げて早々に立ち去る。

 

 歩き去り、そのまま振り向かなかった。

 

 そうやって、柄にもないことをした、と照れくさくて赤くなっているだろう頬を隠した。

 

 

 

*1
午前八時、正午、午後四時に鳴る街全体に響く鐘。それぞれ行政区における『始業時間』『休憩時間』『終業時間』を示している。




フリートは創作料理です。
簡単に言うとケバブとブリートの合作料理みたいなやつ。というか半ばケバブ?
因みに作者食べたことない……一度は食べてみたいんだけどな、売ってるのみたことないんだ、田舎者だからね。

次回はフィーアちゃん視点の話になりそう。

いやあ……可愛いわ、フィーアちゃん。無知で無垢な人形のような少女を貶めて穢して人間にしたい欲望。
真面目にヒロイン候補しても良いかなあ。


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フィーア

 

 最初は四人だった。

 

 やがて二人になった。

 

 最後には一人になって。

 

 だから私は四番目(フィーア)だった。

 

 

 * * *

 

 

「恋をしたのよ」

 

 彼女はそう言った、確かにそう言ったのだ。

 どこか蕩けるような笑みを浮かべて、己こそがこの世界で最も幸福な命であると信じて疑わないような表情で。

 だけれども、私はそれが理解できなかった。

 

「恋とは?」

 

 私は私を知っている。そして私と彼女が同じであることを知っている。

 そして私が知らないことを、私が理解できないことを、彼女が知っていることが、彼女が理解していることが私には分からなかった。

 

「ふふ……言葉にすることは難しいわね。焦がれるような感情……そうね、貴女も誰かに恋をしてみれば分かるんじゃない?」

 

 恋、恋、恋。

 意味を調べてみても良く分からない言葉だった。

 だから彼女を見ていれば、彼女と共にいれば、彼女と同じ時間を過ごせば、私は私の知らないその感情を知ることができるのだろうか……そう思った。

 

 だからこそ、彼女は恋をしたのだろうか。

 

 それとも、恋をしたから彼女は……。

 

 分からない、分からない、分からない。

 ただ分からないまま、分からない私だけが残ってしまった。

 恋を描いていたはずの彼女は、未来を夢見ていたはずの彼女は、もうどこにもいない。

 

 一度死んでしまえばそれまでなのだ。

 心も、記憶も、思いも、必要なもの以外の全ては喪失する。

 

 だから死んだらそこまでだ。

 同じ彼女はもうどこにもいない。

 四番目(フィーア)の知る一番目(アインス)はもうこの世界のどこにもいないのだ。

 彼女と同じ顔をしただけの別人がそこにはいるだけだった。

 

 

 * * *

 

 

 恋をしたから彼女はあの場所を『逃げ出した』のだろうか。

 恋をしたから彼女は死んでしまったのだろうか。

 

 私には分からないその感情のせいで彼女が死んだというのならば。

 

 私はきっとその感情を知らなければならないと思った。

 

 彼女を死なせてしまった側として。

 

 彼女の妹として。

 

 彼女を理解しようと思った。

 

 けれどそれは難航した。

 恋どころか、()()()()()()()()()()()()()()私のような生物に恋を理解しろというのは無理難題だった。

 だからまず人間について学ぶことから始めた。

 

 こういうのを不幸中の幸いというのだろうが、彼女が死んだことによって私どころでは無くなった部分がある。

 どうして私でなく彼女が死んでしまったのか。そう思いながらもけれど死ぬことのできない私は結局生きていたいのだろう、浅ましくも、醜くも。

 

 そうして今の街にやってきた。

 

 流れ着いてきた。

 

 たどり着いた。

 

 私自身と姉妹、そして『カミサマ』以外の存在を認識したのはそれが始まりだった。

 

 時間の感覚が曖昧で、果たして私があの街に何年いたのかは思い出せないが、それなりの時間が経ったように思う。

 気づけば街は近くに出来たダンジョンによって急速に発展を遂げ、往来する人の数も急増していた。

 

 私は冒険者ギルドでポーターという職業についた。

 どうやら私でもできるような仕事、となるとこれが一番稼ぎが良いらしい。

 それに合わせて必要なことは詰め込んでいく。知識を得ることは簡単だ、一度見て聞いて覚えればそれで忘れなくなる。何せ自身は()()()()()()()だから。

 ダンジョン内では危険もあったが、それは私を脅かすほどでも無かった。

 

 それで生きていく分にはどうにでもなった。

 

 けれど結局、一番重要なことは何一つ満たされないままの日々が続いた。

 

 ―――人を理解することは難解だった。

 

 何故人間というのは合理に従わないのだろうか。明らかに非合理的なことを時折言い出し、やり出す。

 結局それで自分の首を絞める結果で終わるのに、それでも飽きもせず同じことを何度も何度も繰り返す。

 人間は一体どういう理屈で動いているのだろうか?

 

 そんな疑問が湧くくらいに意味の分からない生物であり、けれど同時に『模倣』するのは簡単だった。

 

 周りと同じように振る舞う。周りの人間を観察し、それらしく振る舞うだけで大抵の人間は私を『普通の人間』として見た。

 

 理解するのも難解なはずの生物の模倣は驚くほどに簡単で、そしてあっさりしていた。

 

 そして興味深い事実を見つける。

 

 『恋』とは人間が持つ当然の感情らしい。

 

 創作の中で良く使われる題材(テーマ)であり、人間たちは誰しもが『恋』を理解していた。

 方向性は間違っていなかったと思った。人間を模倣し、理解すればきっと私にも『恋』が理解できるのだろう。

 

 『恋』を理解できれば、彼女のことも理解できる……そう信じた。

 

 恋、つまり人を好きになる気持ち。

 

 好きと好き、ライクとラブの違いはどこにあるのか。

 恋とは、愛とは何かと問うた私にある人間がそう答えた。

 

 ライクもラブも同じ好き。

 

 けれど同じ好きなのに別の好き。

 つまりそれが愛という物の差なんじゃないかな。

 

 そう言った人間だったが、けれど私にはそもそも『好き』という感情が良く分からない。

 私にとって世界の全ては『必要』か『不必要』で別れているから。

 好む、好まないという極めて『非合理』な感情が理解できなかった。

 

 所詮人間ではない私には不可能なのだろうか、そんな諦めにも似た感情が胸の内に宿った。

 

 

 * * *

 

 

 彼を選んだのは本当に偶然だった。

 

 偶然、今日がこの街に来て初めての休日だった。

 偶然、出かけた先で彼を見かけた。

 偶然、彼の用事に対して私が力になることができた。

 

 偶然、偶然、偶然の偶然の連続。

 ただふと気づいたのだ。

 

 これを貸し借りと言えるなら、以前から気になっていたことを頼めるのではないか、と。

 

 書の物語に学ぶならば、恋をしている人間たちは『デート』というのをするらしい。

 

 実際これがどういう意味なのか私にはよく分からなかったが、とにかく男と女で買い物などに出かけたりすることをそう呼ぶらしい、ということは何となく理解した。

 ただ残念ながらそれを頼めそうな人がこれまでいなかった。

 買い物するにも仕事に使う物や生活のためのもの、そんなものは一人で行けるし、誰かを伴う必要もない。そもそも仕事を休むということが無かったのでそんな時間が無かった、とも言える。

 あの化け物蜘蛛の発見によってダンジョンが閉鎖され、それに伴って討伐隊が編成されたがさすがにそこにポーターの居場所は無い。

 

 ―――フィーア、アンタこれを機に少しは休みなさい。

 

 ギルドの人間にそう言われて一日完全な休日となったが、今まで『必要』だけで生きていたせいで、『不必要』な時間に何をすれば良いのかも分からなかった。

 街に出たのは特に理由があったわけでも無い。ただ宿でやることも無かったので、何か『必要』が無いかと街を目的も無く歩いていただけの話だった。

 

 そこで、彼に出会った。

 

 そこで、彼に貸しを作った。

 

 少なくとも彼はそれを『貸し』であると認識しているようで、だから一つ『頼み事』をした。

 

 ―――私、デートというのがしてみたいです。

 

 本当はそれを通じて『恋』を知りたいのだが、それは言わないほうが良いと判断した。

 少なくとも長くこの街で暮らし、他人と触れ合う中でその程度の知識は身につけた。

 彼は困惑したような表情をしていたが、やがて頷いてくれた。

 

 ()()()()()()()()

 

 そのことに驚く。喜怒哀楽は感情の根本ではあるが、私にそういう感情の揺れがあったことをその時初めて知った。

 そうして街を二人で歩くことになったが、察するに彼はこういうことに不慣れなのだろう、表情から困惑や懊悩が見え隠れしていた。

 それでも私の頼み事のために必死に考えてくれているその姿に胸が温かくなった。

 

 誰かと一緒にご飯を食べる。

 

 それも初めてのことだった。

 食べる時や寝る時、というのは意識が散りやすい。

 無意識に警戒してしまうのでこれまで他人と共に食事したことは無かった。

 

 ―――うん、美味い。

 

 食事は生きるために『必要』な行為だ。だから今までだって食べてはいたが、結局それは必要以上でも以下でも無かった。

 だから食べるという行為に味を求めたことは無かった。

 味覚が無いわけではない。甘い、塩辛い、酸っぱい、苦い、そういう基本的な味を感じ取ることはできる。

 だがそれはただ味がするというだけで、それを『美味しい』や『不味い』という表現に変えることができなかった。

 

 ぱくり、と彼の買ったフリートを一口齧る。

 

 甘くて、塩辛くて、少し酸っぱくて。

 

 隣で美味しいと言ってそれを食べる彼を見て、なるほどこれは美味しいのか、と理解する。

 そんなことすら今まで知らなかった。

 言ってみれば基準が無かったのだ。何が美味しいのか、何が不味いのかそれすら分からず、他人と食べることも無かったので他人にそれを教えてもらうこともできず。

 

 けれどこれは『美味しい』ものだと隣で食べる彼に勝手に教わる。

 

 そうしてもう一口、食べてみると先ほどと同じ味。

 でもやっぱり何か違う。さっきとは何か違う。

 

 これが『美味しさ』なのだろうか?

 

 彼に問うてみても怪訝そうな、どこか戸惑ったような表情を浮かべるだけで。

 

 そんな彼の様子がおかしくて、くすり、と心の中で笑い声をあげた。

 

 

 * * *

 

 

 少しややこしい話なのだが。

 ポーターというのはギルド職員であってギルド職員ではない。

 正確にはギルド職員ではないのだが、半ばギルド職員扱いされている、というべきか。

 その理由は様々あるのだが、大雑把に言うと半分くらいはポーターを守るためで、半分くらいはギルドの人手不足が挙げられる。

 その関係上、ギルドの仕事を手伝うこともあるのだが、その一環で商業区に何度か足を運んだことがある。

 そこまで広い街ではないので長年住んでいた関係上、街のことならだいたい知っていると思っていたのだが、思っていた以上この街は広く、そして知らない場所が多かったことに気づかされた。

 

 彼に連れられて街を歩くが、食事を買った屋台市もそうだがそれ以外でも来たことも無い場所があり、私自身思っていた以上に街のことを知らなかったのだと理解させられた。

 

 そうして知らない街並みを彼と手を繋いで歩くことを()()()と思った。

 

 その後もたくさんの店を見て回る。

 中には私が一度も入ったことも無いような店もあって。

 隣に誰かいる、という状況が酷く新鮮で時間はあっという間に過ぎ去って行った。

 

 そうして。

 

 ―――もう夕方か。

 

 告げる彼の言葉に空を見上げ、それほどまでに時間が経っていることに初めて気づいた。

 時間を忘れるなんて感覚、ダンジョンならばともかく街では初めてのことで少し戸惑った。

 今日が終わる。そのことを()()()と思った。

 寂しいなんて感情、生まれて初めて味わった。

 胸にぽっかりと穴が空くような、物足りなさに少し戸惑う。

 

 こういう時、人間はどうするのだろう。

 

 こんな、苦しい感情、人間はどうやって抑えているのだろう。

 

 その時、ぼーん、と遠くで鐘が鳴った。

 

 時計鐘が夕暮れの時刻を示す。

 時間的にはそろそろ良いころ合いではあった。

 明日はギルドの手伝いもある。休日はこれでお終いだ。

 

 ……そう、もうお終いなのだ。

 

 ―――今日はありがとうございました。

 

 だから彼に礼を告げる。

 今日たった一日で、これまで知らなかったことをたくさん教えてもらった。

 私が持っていなかったと思っていたたくさんのものをもらった。

 本当に感謝しかない。だから。

 

 ―――割と楽しかったよ……だから気にしなくていい。

 

 そう言ってもらえて嬉しかった。

 心が温かくなるような感覚。少し戸惑うけれど、決してそれを厭うことは無かった。

 だからそう、終わらせなければならない。

 帰られなければならないのだ。そう考えると少し()()()()()

 

 けれども。

 

 ―――今日、楽しかったか?

 

 呼び止められ、問われた言葉に頷く。

 間違いなく、今まで生きていて最も楽しいと感じた日だった。

 だからそれは間違いようもなかった。

 

 

 * * *

 

 

 ―――こっちも楽しかった、ありがとうな。

 

 告げて去って行く彼の背を呆と見つめながら。

 やがて手の中に落とされたそれを見やる。

 

「……イヤリング、ですか」

 

 多分途中で寄った装飾店、あの時に買っていたのだろうと思う。

 シンプルな銀製のイヤリング。

 

「あれ……どうして?」

 

 見ていると段々顔を熱くなってくる。

 とくんとくん、と心臓が早鐘を打つ。

 イヤリングを持つ手が僅かに震える。

 何故、どうして、唐突に。

 分からない、分からない、分からない。

 

 ただ焦がれるような思いだけがそこにあった。

 

 けれど今の私にはそれを理解することができなくて。

 頬に当てた手に感じたのは確かな熱。

 

 その頬が真っ赤に染まっていることに、今の私が気づくことは無かった。

 

 




アインスさんなら俺の隣で寝てるよ。


実を言うと、ルーくんであることにそこまで特別性は無い。
単純にフィーアちゃんが純真無垢で割とちょろいだけではある。
ただここで出会うのがルーくん以外では多分ここまで発展はしなかった。
まあその辺に理由はあるんだけど、ほぼ裏設定みたいなものなので気にしなくも良い。


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十一話

 夢を見た。

 

 滅びの夢。

 

 暗い暗い漆黒に包まれた街。

 

 蔓延る赤は撒き散らされた鮮血と肉片。

 

 普段なら眠ることの無い街は、けれどどこを見渡せど明りの一つも無く。

 

 ―――ああ、そうだ。

 

 そうして気づく。

 

 そうだ、そうだ、そうだ。

 

 この街はもう。

 

 もう。

 

 ―――滅びたのだ。

 

 

 * * *

 

 

 がばり、と被っていた薄布を蹴り飛ばして跳ね起きる。

 暗い寝室、音は無い。そのことに恐怖しながらもドアを蹴り飛ばすような勢いで開き。

 ()()()()()()()()()()()に立ち止まった。

 

「……ゆ、夢?」

 

 全身を濡らす汗に心地悪さを感じながらも部屋に戻り、ベッドに座り込む。

 そうして先ほどまで見ていたのだろう夢を思い出して。

 

「ダメだ……このままじゃ」

 

 独り言ちる。

 

「このままじゃ、この街は」

 

 あの夢の通りになる、その予感があった。

 アルフリートは昔から直感に優れていた。その直感こそがこれまで幾度となく自身の命を救ったと思っている。

 そしてその直感が警告を発している、このままではあの夢の通りになると。

 

 明り一つ残らない闇黒の街。

 

 撒き散らされ、街を彩る鮮血。

 

 惨殺され、骨の一本すら残らない無残な死体が街の至る所に転がっていた。

 

 アレは夢だ。

 

 だがいずれ現実になる。

 

 そういう予感があった。

 

「不味い……不味い」

 

 思考を巡らせる。

 考えなければならない。そうしなければ生き残れないから。

 

 まず大前提だ。

 

 原因は?

 

「間違いなくあの蜘蛛、だね」

 

 現状このペンタスの街近辺に存在する危険存在と言えば真っ先にあの蜘蛛が出てくるだろう。

 何より()()()()()()()()()()()()というのがその証拠だ。あの化け物蜘蛛は人間の骨を食っていた。

 原因は間違いなく化け物蜘蛛で決まりだろう。

 

 では次だ。

 

 いつ?

 

 ヒントは闇黒に包まれた街だ。

 そう、闇黒、暗闇……つまり。

 

 ()()()()()()()

 

「次の新月は……」

 

 日付的に言えば恐らく三日後。

 三日、それが制限時間。恐らく三日後にあの化け物蜘蛛が()()()()()()()()()()()ということになる。

 

「それってつまり」

 

 ギルドで組まれた討伐隊が出発するのが明日だ。

 実際にダンジョンに突入するかは分からないが、それでも遅くとも明日、明後日中には戦闘が始まるだろう。

 なのにこの夢が現実の通りになるとするならば。

 

「討伐隊は全滅する……」

 

 そして蜘蛛はさらに成長を続け、ダンジョンから出てくる。

 ダメだ、そんなの。そんなものもうただの魔物とは呼べない。

 ダンジョンから出て、地上の魔力濃度の中で当然のように街一つ食い散らかす化け物、そんなもの。

 

「災害種じゃないか」

 

 それ以外に呼びようがない。

 第二の『アルカサル』の誕生である。

 

「ど、どうする、何ができる?」

 

 その恐ろしい事実に気づき、震える声で呟く。

 だが考えるほどにどうしようもない。

 だって誰も信用してくれるはずがない。

 何せ根拠が夢だ、そんなもの信用してくれというほうがおかしい。

 

 また逃げ出すか?

 

 そう考え、けれど直感がノーを突きつける。

 ()()()()()()()とそう言っている。

 今は逃げられるかもしれない、が一時凌ぎにしかならないと。

 実際のところ、『アルカサル』レベルの存在が積極的に人間を襲いだすならばとっくに人類は滅亡していると言って良い。

 どうしようもないほどの理不尽で、災害としか言いようのない不条理ではあるが、身を縮こまらせて耐え凌げばいつか通過する、だからまだ災害程度でしかないのだ。

 あの化け物蜘蛛は人間を積極的に捕食する。正確には人間の骨を食う。

 その味を覚え、気に入り、積極的に地上で人間を食いだした時、その被害は計り知れないだろう。

 

 今はまだそれほど大きくも無いあの化け物蜘蛛が、本当に親と同じサイズにまで成長し、それでも尚人間を食うことを止めないならば。

 

 それはこの大陸における人類の滅亡と同義だろう。

 

「くそっ! どうする、どうすれば……」

 

 その予兆を今自分だけが感じ取っている、そのことに深く懊悩する。

 何か、何か無いのか、考える、考える、考える。

 

 そうして。

 

 ふっと、昨日助けてもらった二人のことを思い出した。

 

 まるで導かれたかのように、脳裏に浮かんだその光景。

 

「……そういう、ことなのか?」

 

 呆然としながら呟きつつ。

 

 けれど確かに得た生への手応えに、ぐっと拳を握りしめた。

 

 

 * * *

 

 

 空腹感に背を押されてやってきた夜の酒場は賑わっていた。

 

「適当に飯、それと……飲むもん、酒以外で」

 

 カウンターに腰かけて店主に注文を告げる。

 すでに何度も通っているが相変わらず酒場で酒を飲まないことに不満そうな店主に早くと手を振ってやると、渋々ながら厨房のほうへ注文を渡しに行く。

 

「今日は一段と賑わってるな」

 

 通しに出された塩ゆでされた豆を摘まみながら複数のテーブルを囲んではしゃいでいるやつらの顔を見やる。

 多分、というかほぼ間違いなく冒険者だ。それも結構な手練れ。

 さすがに酒飲みに来るのに武装はしていないので絶対とは言えないが、身のこなしや身体つきを見れば何となく分かる。

 

 ただ見ない顔ではある。

 

 この街に来てからずっとこの酒場で飯を食っているが一度も見たことが無い。

 ということは、恐らく。

 

「他所の街から呼ばれた討伐隊のやつらか」

 

 多分そんなところだろうと当たりを付ける。

 まあ別にそんなことは構わないのだが。

 

「誰でも構わんけどな、あの化け物蜘蛛倒してくれるなら」

 

 呟きつつぽりぽりと豆を食べる。仄かな甘みと塩気が舌の上で混ざり合い、いくら食べても飽きの来ない味ではある。

 これだけで意外と腹が膨れる物で、先ほどまで感じていた空腹感は収まっていた。

 そうこうしている内に奥から店員が料理を運んでくる。

 

「ほほう」

 

 シンプルなトマトソースのパスタにサラダ、それからスープにパン。

 中々の量である。昼飯がフリート一つだったので少し物足りなかったところだ。

 さらに置かれた木製のジョッキに入っていたのは。

 

「おーい、これ酒だろ?」

「度数は低い、今あるのはそれだけだ」

「酒はちょっとなあ」

「文句言うな、ここは酒場だぞ」

 

 鼻を鳴らす店主に、これ以外に無いと言われ嘆息する。

 いや、別に嫌いというわけでは無いのだ。飲めるし、それなりに強いという自負はある。

 だが酒が入ると真っすぐに剣を振るのが難しくなる。

 街中だから安全などという保障は無い、だから実家以外で酒を入れるのは嫌なのだ。

 

「まあ度数低いなら」

 

 とは言え、余り神経質になり過ぎても、だ。

 別に一杯飲んだら即座に出来上がるほど酒に弱いわけでは無いし、度数の低い物ならば問題も無いかと一人納得してジョッキを手に取り。

 

「うらああああああああああああああ」

 

 背後から聞こえた声に、咄嗟に一番手前にあった皿一つ掴んで跳ねた。

 直後に吹き飛んできた誰かがカウンターに激突し、当然ながら並べられていた料理も台無しである。

 

「あ、くそ、これだけかよ」

 

 咄嗟に掴んだ皿に入っていたのはスープ。

 もう片方の手にはジョッキ。

 見事に水分ばかりである。

 

「ふっざけんなよ、おい、こらぁ!」

 

 振り返って視線を向ければ酔った勢いで乱闘騒ぎ、完全に巻き込まれたと自覚しつつもそれはそれとして腹が立つので手に持ったスープ皿を恐らくこちらに向かって男を投げただろうやつに投げつつ、さらに近寄って集団のリーダーらしき黒髪の男の頭に思いきりジョッキを傾ける。

 

 ジョバジョバと酒が男の頭から流れ落ち、その体を濡らしていく。

 

「「「…………」」」

 

 全員の視線がこちらに集まる。

 ほんの一瞬にして場が沈黙で満たされて。

 

「……あ?」

 

 滴り落ちる雫が自らの頭の上から落ちてきた物だとその時ようやく気付いたらしい男がこちらを向いて。

 

「……カゲ?」

「……ノル?」

 

 振り返ったその男が()()()()()()()()ことに今更ながらに気づいた。

 

 

 * * *

 

 

 【レックス】というチームは現在いくつかの他チームを纏める代表的な存在だ。

 

 『チーム』という制度がパーティメンバーの固定化にあるとするならば、そのパーティをいくつも寄せ集めて作られるのが『クラン』だ。

 ただここまで来ると『傭兵』と余り違い存在と見られるため実際にクランを組んでいるチームは少ない。

 その数少ないクランの一つが【レックス】を代表すると複数のチームによって作られたクラン『レグヌム』である。

 と言ってもこちらは余り知られていない。

 基本的に【レックス】として行動することのほうが多いため、チームが実はクランを組んでいるという事実はマイナーな事実だった。

 

 その【レックス】のリーダーにしてクラン『レグヌム』の頂点に立つのが【冒険王】と呼ばれた男であり。

 

 本名を『ノルベルト・ティーガ』と言う。

 

 

「いや、なんかその……悪いな」

「いや、こちらこそ、食事の邪魔したみたいだな」

 

 あっさりと場を収め、酒に濡れた服を着替えてきた男、ノルベルトが彼の借りている部屋の椅子に座る。

 随分とがっしりとした体格の良い男で、身長など自分よりも一回りか二回りほど大きい。

 正直自分の借りている部屋より一回りは大きいサイズの部屋のはずなのに、彼が佇んでいるだけで狭く見えるような錯覚すらある。

 数カ月ぶりに出会ったが、その巨体ぶりは相変わらずのようだった。

 

「来てたんだな、こっちに」

「ああ、まあな」

「お前があの屋敷から出てくるとは思わなかった」

「まあちょっと、な?」

 

 口を濁す俺に、不思議そうに首を傾げる。

 

「それにしても……そうか。【レックス】はお前のとこのチームだったのか」

「ああ」

「それにお前が『ティーガ』だったなんてな」

 

 冒険王の名は当然ながら聞いたことはある。

 だが正直俺はこの男の名を『ノルベルト』としか認識していなかったので『ティーガ』という苗字を聞いてもピンと来なかった。

 

「ティーガは父親のほうの姓だ。あそこにいたころは母親のほうの姓を名乗っていたからな」

「なるほどな」

 

 道理で聞きなれないと思ったがそういう理由だったのかと納得する。

 

「それにしてもまさかこんなところで会うとはな」

「それはこちらの台詞だ。本当に何があった? カゲ、お前があの屋敷から出てくるなんて本当に驚きだが」

「あー、すまん、今こっちじゃルーって名乗ってる」

「ルーか、なるほど、了解した」

 

 頷くノルに安堵の息を漏らす。

 この男は自分の本名を知っている。フルネームでだ。

 うちの名前はそこそこ有名であり、皆が皆知っているわけでは無いだろうが、知っているやつは知っている。だから普段はミドルネームの『ルー』とだけ名乗っているのだが、それを伝えていないと不意にぽろっと本名を零しかねないので先に釘をさせておいて良かった。

 

「それで、何があったんだ? ついにお嬢と喧嘩でもしたか?」

「ぐ……い、いや、喧嘩というかな」

 

 何気無く、と言った様子でかなり核心を突いてくる男である。

 

「別に言い争ったとかそういうわけじゃないんだが」

 

 言葉を濁した自身に、ノルがああ、なるほどと何か納得したように頷き。

 

「どうせまた無神経なこと言ってお嬢を怒らせたな」

「ぐっ!」

「お前は本当にそういうところがダメなやつだな」

「ぐあっ?!」

「同じこと何度繰り返せば気が済むんだ」

「ぐはああ!!?」

 

 吐血しそうな気分だった。

 

「ぐう、分かってんだけどなあ」

「まあお嬢もお嬢で迂遠に言ったって伝わらんの分かってるだろうに」

 

 全くお前ら二人は、と嘆息するノル。

 だが待って欲しい。

 

「それを言うならノルはどうなんだよ」

「何?」

「年に一回帰るかどうかの生活で、何時になったら結婚すんだよ」

「…………」

 

 反論すると途端に黙り込む。

 実際のところ、ノルが惚れている女を俺は知っている。というか非常に良く知っている。

 知り合いなんてレベルじゃないくらいに知っている。

 だからこそ、ノルのそのことに関しては本当に他人事にはなれない。

 

「お前、もし冒険中に何かあったりしたら……間違いなく悲しませるぞ」

「……分かっている」

「その時は俺も怒るからな。死んでてももう一度殺すくらいには」

「……ああ」

 

 まあ実際、外野がどうこういう話でも無いのだろう。

 これに関しては完全にノルと彼女の問題であるから。

 時々こうして呟くくらいはするけれど、根本的には彼女が良いとしているならば何も言うまいと思っている。

 ただ同時に思うのだ。

 

 彼女には幸せになって欲しいと。

 

 心底、そう思うのだ。

 

 

 * * *

 

 

「ところで今日はちょっと報告あるから『通信』するけどお前も話すか?」

「……いや、辞めておこう。仕事の前だからな。ジンクスは大事にするほうだ」

「そうかい」

 

 嘆息一つ。

 

「お前も大概不器用だよな」

「お前に言われたくないさ、カゲ……いや、ルー」

 

 

 

 




ご飯をくいっぱぐれることに定評のあるルーくん。


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十二話

 

 

「もしもし?」

『あら、ようやくね』

「えっと、まあその、な?」

『まあ分からなくも無いけれど、余り長く連絡も無いとお嬢様が寂しがるわよ』

「そのお嬢様なんだが……」

『まだお冠……アナタ何言ったのよ』

「うーん、分からないから困ってるんだが」

『何時ものことね、まあ時々寂しそうにしているからもうすぐでしょ。帰り支度だけはしておきなさいな』

「分かった。ああそれと少しばかり金が入ったから振り込んでおいたから」

『余り無理しなくても良いのよ? 余裕がないのは事実だけど、今すぐどうこうという話でも無いのだし』

「まあ予想外の大金だったからな、こっちで生活するのに必要な分だけは避けてあるよ」

『予想外の大金って、アナタ無茶してないでしょうね?』

「無茶ってほどのことでも無いよ、心配しなくていいから」

『本当に、止めてよ? ただでさえ一人フラフラしてるのがいるんだから、これ以上心配させないで』

「あ、そうそう、その一人に会ったよ、というか今同じ宿に泊まってる」

『え? どういうこと?』

「いや、本当に偶然。ちょっとこっちのダンジョンで問題が起きたんでその解決のために呼ばれたらしい。通信するか? って聞いたけど、ジンクスは大事にしたいから止めておくって言ってた」

『はあ……あの馬鹿は。カッコつけなんだから』

 

 

 * * *

 

 

「待ってるってさ」

 

 翌朝、朝食を取りに宿から降りると酒場ではすでに昨夜のメンバーが朝から大騒ぎしていた。

 カウンター席に座って店主に注文をし、運ばれてくる大量の料理を平らげていく。冒険者は体が資本なので朝からがっつり食べるのだ。

 俺が来たことに気づいたノルがこちらへとやってきて挨拶してくるので、昨日『通信』*1で聞いた伝言をそのまま伝えてやる。

 

「……そうか」

 

 カップに入った水を一息に飲み干し、ノルが立ち上がる。

 昨日とは違い、しっかりと武装しており、その背には身の丈2メートル近い大剣と腰には数本の短剣を帯びていた。

 

「それでは、行くか」

 

 ぽつん、とした呟きだったが、けれど不思議と騒々しかったはずの酒場にその言葉は響いた。

 直後にぴたり、と騒音が止んで全員がそそくさと荷物を片付け始める。

 あっという間に準備を終えるとノルの元へ集まってきて。

 

「また今度」

「ああ、気をつけてな」

 

 それだけ告げてノルが店を出ていく。

 その背を見送りながら、カップに残った水を飲み干して。

 

「さて、俺も一休みしたら仕事探すか」

 

 フィーアに返すための金やら、渡したイヤリングの分の出費やらの分、どこかで稼がなければダンジョンが再び解放されるまでに路銀が尽きる。

 とは言え冒険者の主な収入源は基本的にダンジョンだ。

 別にダンジョン以外に金を稼ぐ方法が無いわけでは無いのだが、それでも9割以上の冒険者はダンジョンへ潜る。何故かは簡単でそれが一番儲けが良いからだ。

 逆に言えばダンジョン以外は儲けが出ない、と言うわけでは無いのだが大した金にならない依頼が多い。

 

 その中でもまだマシなものを探すのならば。

 

「適当に依頼見繕うしかねえかな」

 

 後でギルドに行ってみるか。

 そう考えて。

 

「あ、あの、すみません!」

 

 聞こえた声に振り返る。

 見やればそこにアルがいた。

 ノルたちの一団が出て行ったせいで、酒場は今俺以外に人がいないし、店主も奥に下がってしまっているため、その声の先は多分俺なのだろう。

 

「アル? 俺に用か?」

 

 正直用件が思いつかない。

 赤の他人というわけでも無い、先日など武器屋の紹介などで助けられたし縁はあると思っている。

 だが友人というわけでも無いし仲間というわけでも無い。精々が知人レベルの俺に、こんな朝から何の用があるのか。

 

「ルーさん、その……」

 

 言いだし辛そうに、けれどその眼差しは真剣そのもので。

 

「ふむ」

 

 ただちょっと所用があって、という感じでは無さそうだった。

 

 

 * * *

 

 

「あと三日でこの街が滅びる?」

 

 聞かされたのは荒唐無稽と言われても仕方ないの無い話だった。

 酒場で話すような用件でも無いと借りてる宿の部屋で話したのは今にすれば良い判断だったかもしれない。

 三日後にこの街が滅びる。あの化け物蜘蛛がダンジョンから出てくる。

 それは言ってみれば、討伐隊が敗北するということであり、街の人間が聞けば不謹慎なことを言うなと怒り出すだろう。

 

「で、その根拠がお前の見た夢……?」

 

 こくり、と頷くアルに嘆息する。

 馬鹿に……しているわけではないのだろう。アルの表情は真剣そのもので嘘を言っているようには見えない。

 だが余りにも話が荒唐無稽が過ぎる、とても本当のこととは信じられないくらい。

 しかもその根拠が夢である。

 

「それを信じろってか?」

 

 問われるアルもそれが無茶であることは分かっているのだろう。

 だがそれでも、と言った様子でこちらを見つめ返してくる。

 

 実際のところは信じてやりたい。

 というかもしこの話事実だった場合の被害が余りにも大きすぎる。

 ただ根拠が薄すぎる、到底事実とは思えないし、事実じゃなければ……。

 

「とは言え三日か」

 

 そうたった三日の話。

 さらに言うなら特にやることがあるわけでも無し。

 

「アル、お前金持ってるか?」

「え? あ、はい」

 

 頷き、アルが懐から袋を取り出して。

 

 ひっくり返す。

 

 ジャララララララララララララ、と大量にゴールド硬貨が床に転がり落ちた。

 

「…………」

「全部お渡しします。だからどうか、お願いします。助けてください」

 

 ざっと見て20万ゴールドくらいはあるだろうか。

 どう見たってランク2冒険者が用意するには多すぎるが。

 アルの言う『直感』でこれだけ集めたのなら、相当な物だと思う。

 そして同時にそれを全て(なげう)つように差し出してきたという事実からアルの本気具合が見て取れる。

 

「……分かった」

 

 だから結局、頷くしか無かった。

 それが本当に事実かどうかは分からない。

 だが少なくともアルは本気でこれが事実だと思っているようだし、そのためにこれだけの大金を差し出してきた。冗談で出来ることじゃない。

 

「ただ一つだけ分からないんだが」

 

 そうだからこそ疑問なのだ。

 これだけの大金があれば高位の冒険者でも動いてくれる可能性はある。

 だからこその疑問。

 

「なんで俺なんだ?」

 

 俺より高位の冒険者はいくらでもいる。

 俺よりレベルの高いやつは少ないかもしれないが、それでも別に俺が一番強いなどと己惚れるほどの腕があるわけでも無い。

 さらに言うならもしあの化け物蜘蛛がダンジョン外に出てくるとして、あの討伐隊の面々を破った化け物蜘蛛を俺が単独で倒せる可能性は極めて低い。

 

 だからこそ、分からない。

 

 どうして俺なのか。

 

 問う俺の言葉に。

 

「それは」

 

 はっきりと、俺の目を見つめ。

 

「勘です」

 

 そう言ってのけるアルに、思わず苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

 決めたのならば、戦うための備えが必要だった。

 まあもし夢が外れて無事討伐隊が化け物蜘蛛を倒して戻って来たとしてもあって無駄にはならない。

 真っ先に行ったのは先日フィーアと共に行った防具屋だ。

 注文しておいた鎧は一晩の間に仕立て直され、すでに受け取りが可能な状態となっていた。

 

 さらに武器屋に行く。

 ただし昨日行ったようなしっかりとした工房直営の店でなく、量販店だが。

 

「こんなところで何を買うんですか?」

 

 不思議そうな表情でアルが尋ねるが、まあ普通に考えればあの化け物蜘蛛に通用するような武器がこんな量販店にあるわけない。

 ただし『魔法』という理不尽はそういう不条理を覆す。

 

 店に入ってすぐに見つけたのは木剣だ。

 刃のある武器を持たせたくない大人が子供に与えるような、練習用の木剣。

 それを十本ほどまとめて買う。

 

「何に使うんですかそれ」

 

 問うアルに魔法用だと答えると。

 

「……魔法?」

 

 ピンと来ないと言った様子で生返事だった。

 そう言えばと今更ながらに思い出すが、魔法というのはある種特権的な物があることを忘れていた。

 アルは聞くところによると外村*2の出身らしいのでそういう知識が無いのかもしれない。

 

 魔法とは魔力を使って引き起こす超常現象のことだ。

 魔力自体は世界中のどこにでも存在しているため、後はそれに個々人の持つ資質を掛け合わせることで『法則』を生み出す。

 つまり理論的にはこの世界に生きる存在ならばどんな生命体だろうと使用できる技術ではある。

 だが現実に魔法を使う存在というのは非常に限られている。

 人間でも知識としては知っていても現実に使っているかどうかはまた別だろう。

 

 魔法には三つの階梯がある。

 

 第一法則に干渉する第一階梯。

 第二法則に干渉する第二階梯。

 そして第三法則を『生成』する第三階梯。

 

 当然ながら階梯が上がるごとに強力な魔法へと変貌を遂げていくわけだが、階梯を上げるためにはただ魔法を使えば良いというわけでは無い。

 絶対に必要なのは『レベル』である。

 これこそが『魔法』を使う人間が少ない大きな理由となる。

 

 レベルは生命の存在としての格ではあるが、普通に生きているだけで上がるような代物ではない。

 高位の存在と戦ったり、命を懸けて自らの格を上げるような戦いをした時にだけ上昇する。

 

 戦わない人間のレベルは基本的に1だ。1のまま生涯を終える人間だって多くいる。

 

 だが第一階梯の魔法を『編成』するのに必要なレベルが10と言われている。

 第二階梯ならばレベル30以上無ければ発展しないと言われ。

 第三階梯に至ってはレベル70が目安だと言われている。

 

 だが第三階梯魔法の暴威というものは一種凄まじい物がある。

 文字通り(たが)が一つ外れた効力を持つため、第三階梯に至っているか否かで戦力に大きな隔たりがあると言っても良い。

 まあそこまで至っているのは人類でも数少ない強者だけなのだが、それは置いておいて。

 

 第一階梯ですらレベル10が必要とされる。

 

 レベル10というのはダンジョンの一階層目を単独で踏破できる程度のレベルの目安と言える。

 

 つまり冒険者ならざる身では中々に難しい。

 だから冒険者が良くやってくる街の住人ならともかく、冒険者などほとんど見たことの無い村の人間、それも外村の出身となると『魔法』というものに対する理解が足りなくても仕方がないのかもしれない。

 

 因みにだが地上でレベルを上げることは可能だ。

 

 ただし地上とダンジョンで文字通り魔力の『濃度』が違う。

 ダンジョン内では大よそ地上の数倍近い濃密な魔力が漂っている。

 逆に言えば地上というのは魔力濃度が薄いのだ。

 だからこそ地上では魔物というのは余り活発には行動できない。

 

 魔物は物理的に存在しえないような生命が『魔力』という物理に矛盾する力によって存在し得る範囲に納まっている生命である。

 故にその力が強大になればなるほど生きるために必要な『魔力』というものも増大する。

 そうすると必然的に強大な力を持った魔物は地上から姿を消し、ダンジョンへと生息域を移すようになるのだ。

 

 当然ながら魔物にも『レベル』というものがある。

 

 これに関して計ることができた人間がいないので、具体的には誰も知らないが、学者たちの推論としては生命の格たるレベルはこの世界に存在する全ての生命体に適応されるとのことである。

 さらに言えば実際に戦った冒険者たちからすれば『レベル』の違いから来る手応えの違いを確かに感じることがあり、故に魔物には『レベル』があるというのはほとんど事実とされている。

 

 故にこそ、ダンジョンへ生息域を移した魔物は途端に『レベル』を上昇させる。

 地上のように『強さ』を制限する必要が無くなるためダンジョン内のモンスターを戦闘を繰り返し、どんどんレベルを上げるのだ、冒険者たちのように。

 

 逆に言えば地上に残った魔物はそれほどの強さを発揮できない。

 とは言え魔物は魔物である。

 肉体的には人間よりも強い場合が多いので、それを討伐することによってレベルを上昇させることは可能だ。

 

 可能ではあるのだが、ダンジョンに潜ればもっと簡単にもっと早くレベルが上がる。

 だからこそ冒険者はダンジョンに潜るのだ。

 そしてダンジョンに潜らない冒険者以外はレベルが上がりづらい。

 第一階梯に到達するための10レベルすら地上では中々上がらないもので。

 

 故に『冒険者』にとって魔力の運用方法と言えば『魔法』になるのだが。

 それ以外の『地上の人間』にとっての魔力の運用方法は『魔導具』を使うためのものになるのだ。

 

 

 * * *

 

 

「アルもランク2ならレベル10くらいは行ってるのか?」

「えっと……そうですね、今レベル12ってところです」

 

 本来レベルを尋ねるのはマナー違反ではある。

 冒険者にとって『底が知られる』というのは怖いことだから。

 その理由は……まあ今は良いとして。

 

「なら第一階梯魔法くらいなら覚えれそうだな……後で教えてやるよ」

 

 ただし『魔法編成』には個人差があるのですぐに使えるようになるかどうかは不明だが。

 

「えっと、なら……お願いします」

 

 それでも、今は少しでも戦力を増やすべきだろう。

 

 それがどの程度の意味を持つかは別としても。

 

 

 

*1
情報複写伝達魔導通信結晶。魔力の波長によって同じ波長を持つ魔力に対して情報を複写する魔法がかけられた水晶球。簡単に言ってしまえばこの水晶玉に向かって発した声や言葉は同じ周波数の水晶玉で同じ声と言葉で再生される。略称が『通信』。

*2
人類圏と圏外の境目に作られた村。安全が保障されないため領主たちの領地外として税収などは取られないが代わりにいつ魔物に滅ぼされてもおかしくない危険地帯。



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十三話

 

 ソレが生まれたのは明るい洞穴の中だった。

 

 生まれた時、すでにソレには意思があり、意識があった。

 故に生まれてすぐに行動を始める。

 目的はただ一つだけ、それを達するためだけにソレは生きる。生まれてすぐにソレの意識はそのためだけに動き出す。

 

 食った。

 

 食った。

 

 ただ食い荒らした。

 

 ソレはソレ以外の全てを食った。

 食って、食って、食い続けて、どんどんと成長していく。

 

 ソレは洞穴において明確な強者だった。

 

 洞穴の中に沸く生命未満も何かは積極的にソレを襲ったが、けれどソレの硬い外殻に傷一つ付けることなく蹴散らされていった。

 ソレは敵のいない世界ですくすくと育っていく。時折やってくる生命未満とは違う、確かな命を持った存在もいたが、けれどソレにとっては何ら敵ではない。ただの餌程度にしか認識していなかった。

 

 そうして、ソレはその日も同じように命を貪り食らい。

 

 ()()()()()()()

 

 初めての喪失にソレが悲鳴を上げた。

 

 

 * * *

 

 

 チーム【レックス】を中心とした討伐隊は選び抜かれた精鋭部隊だった。

 とは言えそれは緊急招集がかけられた昨日の時点で、ノーヴェの周辺から一日内でやってこれる者の中から見ればという話ではある。

 さすがにイアーズ大陸全土からかき集めればさらなる精鋭部隊も結成できるだろうが、そのためには最低二週間、下手をすれば一月以上の時間がかかる。

 今のペンタスの街にそれだけの余裕はなく、そういう意味で【レックス】率いるクラン『レグヌム』が近場にいたことはペンタスの街にとって幸運だと言っても良かった。

 

 限られた者の中から選んだのは確かだが、それでも『レグヌム』に参加しているチームは皆ダンジョン経験豊富なベテラン冒険者たちばかりだ。

 実力も折り紙付きであり、精鋭を名乗れるだけの力はあるとノルベルト・ティーガは確信している。

 

 だが、だ。

 

「……どうにも妙な胸騒ぎがする」

 

 ぽつり、と思わず呟いた一言はけれど他の面々に聞かれることは無かったようだった。

 討伐隊のリーダーである自身がそんな弱気な台詞を吐けば、隊の士気が下がる。

 とは分かっているものの、胸の内に燻るもやもやとした物を消化できない。

 経験から言って、こういう予感がある時は何かろくでもないことが起きる物だ。

 とは言え、嫌な予感がするから帰ります、とは言えないのが雇われの辛いところ。

 

「っと、見えてきたな」

 

 四階層の最奥、そこにある階段の前で立ち止まる。

 ここまで隊を分けながら虱潰しに見回ってきたが、例の化け物の姿は影も形も見ていない。

 恐らくさらに下の階層にいるのだろう。好戦的と聞いているのでこちらに気づいたならば必ずやってくるはずだ。

 

「目標と接触したという五階層に突入する。各員、注意を怠るな」

 

 全隊に向けて指示を飛ばしつつ、斥候の役割を担う『シーカー』で構成した部隊を先に突入させ、その後を本隊がついていく。

 念のために最後尾にも同じ『シーカー』の部隊を置いて、どちらから敵が来ても即座に感知できるように警戒を密にする。

 

 階下から『シーカー』たちの手招きを受けて階段を降りる。

 階下の広場に敵影はいないようなので足早に進み。

 

 一歩、五階層へ足を踏み入れた瞬間。

 

 ぞわり、と背筋に寒気が走った。

 

「……いるな」

 

 果たしてそれが目標かどうかは分からない。

 だが何かいる、本能が危機的状況にあると警告を発した。

 もう一度全体に強く警戒するように声を挙げながら『シーカー』の報告を待つ。

 

 そうして。

 

 ―――アアアアァァァァァァ

 

 洞窟内を悲鳴が反響した。

 

 

 * * *

 

 

 薄明るい洞窟の中、一歩、一歩と歩みを進める。

 男がこの水晶魔洞のダンジョンに来たのはこれが初めてではあるが、聞いた通り明りの必要のない不思議なダンジョンである。

 洞窟型ダンジョンは常に光源を確保していないと一寸先の視界すら闇に覆われることが多いため、こういう明りのいらない洞窟ダンジョンは非常に珍しいと言える。

 

 とは言えこれはこれで視界が悪い。

 

 端的に言えば、明る過ぎるのだ。

 

 視界がチカチカと眩しい。なまじ洞窟の全てが水晶で構成されているだけに、半透明な洞窟に光が乱反射して上から下から、右から左から、あらゆる角度から僅かながら光が差し込んでくる。

 『シーカー』にとって目は非常に重要だ。視覚で得られる情報はその他五感を使った情報よりも圧倒的に情報量が多い故に。

 だから真っ暗なのも困るが、ここまで明るいのも目が痛くなる。

 

 これは慣れが必要だな、と内心で思いつつも、慎重に気配を探る。

 見える範囲で視界内に不審な物は無い。

 音も……聞こえない。

 だがどこかざわついた空気を肌に感じる。

 

 とは言え触感で感じているわけではない。

 

 強いて言うならば第六感とでも言うべきか。

 

 男とてこれまで幾度もダンジョンに潜り、死線を潜り抜けてきたベテランの『シーカー』だ。

 

 その男の経験則が何ら異常の見えないダンジョンの異質さを感じ取っていた。

 

「…………」

 

 口元に手を当てる。

 そうして呼吸音すら隠し、耳を研ぎ澄ます。

 目を細め、視界の範囲を絞ることで焦点を定める。

 ゆっくり、ゆっくりと視点を移動させながらダンジョンを見やる。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………。

 

 音は無い。

 

「……おかしい」

 

 そう、おかしい、それはおかしい、明らかに、あからさまにおかしい。

 だってここはダンジョンだ。モンスターの巣窟だ。

 そんな場所で()()()()()()()などあり得ない。

 

 異常だ。

 そうだ、すでに異常はあったのだ。

 五階層に入ってからそれなりの距離を歩いたはずなのに、男は一度もモンスターを目撃していない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 つまりあり得ざる事態がすでに起きているという何よりの証左であり。

 事態を認識すると同時に背を向けて走り出す。

 散開した『シーカー』部隊の集合地点。そこまで行けば部隊長がいる。

 たどり着き、部隊長にこの異常を伝えれば一度集合がかけられる。

 そうすれば広場で待機している本体と連携しながら動くことができる。

 

 だから、そこまでたどり着ければ良いのだ。

 

 そこまで、そう……大した距離じゃない。

 

 その、はずなのに。

 

 どうして、何で?

 

 先ほどから()()()()()()()のはどうしてだ。

 

 動いていたはずなのに、確かに走っていたはずなのに。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 徐々に地面が近づいてくる。

 咄嗟に手を前に出そうとして。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 否。

 

 手どころか、足も無かった。

 

 いつ失くしてしまったのか、そんなことすら分からないまま。

 

 胴が倒れ、顔面を強打する。

 

 直後に喪失した手足の痛みが男を襲い。

 

「あ、ああ……あああああああ」

 

 一瞬意識が飛び、けれど痛みで強制的に戻される。

 

 直後、ふっと、男に影が差す。

 

 すでに手足も無く、唯一動かせる首を、顔を上げ。

 

 ―――きち、きちきちきち

 

 男を見つめる化け物蜘蛛がそこにいた。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 振り下ろされる巨大な脚を前に、男が最後に出来たことはただ絶叫することだけだった。

 

 ぐじゅり、とまるで果実が潰れるような音と共に鮮血と脳が混じった物が飛び散り。

 

 後には物言わぬ屍だけが残った。

 

 

 * * *

 

 

「しっかし、どうしたもんかね」

 

 武器を調達した帰り道、アルと共にギルドに向かって歩きながら独りごちる。

 ギルドとはダンジョン管理局が前身となっている。

 つまり冒険者ギルドの役割とは『ダンジョンの管理と保全』であり、そのために冒険者を登録制にして管理している。

 

 勝手にダンジョンに入られたら困るからだ。

 

 ダンジョンの入口はそうやってギルドの手で封鎖されている。

 俺もアルも正式に手続きをして登録しているので平素なら入ることは出来たのだが、今は化け物蜘蛛の登場で水晶魔洞は閉鎖されている。

 討伐隊の手によって化け物蜘蛛の討伐が完了、確認されるまではこの閉鎖は解除されないだろう。

 

 だから今からダンジョンに行って化け物蜘蛛を倒す、というのは現実的じゃない。

 

「その辺何か考えてるのか?」

 

 アルに尋ねてみてもふるふると首を振られる。

 まあ勘が良いらしいが、所詮はランク2の冒険者だ。その影響力というものはたかが知れている。

 

 となると方針としては三つ。

 

 一つはダンジョンの外に化け物蜘蛛が出てくるのを待つこと。

 三日後の夜にはこの街で暴れ回っているならそれ以前にダンジョンから出てくるということ。

 そこを叩けば良い、という考え。

 ただしこれはかなりリスキーだ。

 接敵から討伐まで一度でこなさなければならない。

 もし戦ってみて勝てそうに無かったり、何らかの理由で素通りされたりするとそのまま街へ一直線。

 一度のチャンスを確実に掴み、一度で確実に終わらせなければならない。

 正直勝算があるかと言われればかなり微妙なラインなので出来ればこれは最終手段としておきたい。

 

 二つ目は別の入口を見つけること。

 ダンジョンの入口は一つしかないように見えてその実複数あることがある。

 冒険者ギルドが管理しているのは『一番大きな入口』であり、それ以外は封鎖してしまっている場合が多い。

 つまり封鎖を解いてしまえば、誰でもダンジョンに潜ることができるわけである。

 冒険者が登録性になり、管理されるようになったにも関わらず野良冒険者や野良ポーターというものが絶えないのはそのせいだ。

 とは言えこれは容易なことではない。

 もし別の入口があったとしても、当然だがギルドだって簡単には入れないように封鎖し、隠蔽してある。

 そして野良冒険者がいたとして飯の種を、しかも違法行為の証拠を他人にひけらかしたりはしないし、そもそも本当にそんなやつがいるのかどうか、居たとしてどこにいるのかなんて分かるはずも無い。

 つまり入口か知っているやつかを自力で見つけるしかないのだ。

 正直あと三日以内に可能か否かと言われると……口をつぐんでしまわざるを得ない。

 

 そして三つ目はダンジョンに入る『用事』を探すこと。

 例えば討伐隊に被害が出たので一部を連れ帰る。討伐隊に物資を届ける。

 この辺りがギルドからの依頼として張り出される……ことがある。

 そうなれば正面から堂々とダンジョンに入ることも可能になる。

 正直可能ならばこれが最も簡単で確実だ。

 ただしそんな依頼があれば、の話だが。

 

「正直どれも運に頼る部分が大きいよなあ」

 

 何とも言えない。

 どれが良いとも、どれが悪いとも。

 とは言え優先順位はつけることができる。

 

「できればあって欲しいんだがな」

 

 呟きつつ、遠くに見えてきた冒険者ギルドを見つめ、嘆息した。

 

 

 * * *

 

 

「……は?」

 

 告げられた言葉に少しだけぽかんとした。

 どうも昨日から情動が安定しない気がする。驚くことはあっても、呆けることなんて今まで無かったから。

 とは言えローブを被っていれば表情は見えないので相手から気づかれることは無いのだろうけれど。

 

「すみません、確か私の記憶違いでなければ、それは必要無いと言われていたはずですが?」

 

 柔らかいソファーの座り心地に慣れず、何度も身じろぎする。

 大体何で私がこんなところに座っているのだろうか。本来ただのポーターであるはずのフィーアにとってそんな疑問が浮かんでくるのは当然の話ではあるが。

 

「討伐隊からの要請だ。高位の『シーカー』、それも動けるやつが必要になった、と」

 

 だがそんな疑問は、正面で豪奢な椅子に座り書類で埋まった大きな机に肘をつく男の存在が答えていた。

 ペンタスの街の冒険者ギルドの長たる男によって。

 

「本来ポーターを出すなどあり得ない話ではある、が」

 

 お前は別だ、と言わんばかりの視線、どう考えても面倒ごとではある。思わずため息が出そうになる。

 そもそもフィーアはその幼さの残る外見とは裏腹に戦えるポーターである。

 本当に外見だけ見れば触れれば折れそうなほどに細くとも、並の冒険者など歯牙にもかけない強さを秘めている、そのことを男は知っている。

 だがそれでもポーターなのだ。

 本来矢面に立って戦うのは冒険者の仕事であり、ポーターたるフィーアがそれに付き合う理由などありはしない。

 

 本来ならば、だ。

 

「すでに討伐隊の『シーカー』部隊が半壊しているとの『通信』が入っている。『シーカー』とはつまり『目』だ。それが半壊しているとはつまり半ば目隠しして戦うようなものだ」

 

 それがどれだけ無理のある話か、分かるだろう。そう問いかける男に、こくりと頷く。

 あの化け物蜘蛛を直に見ただけにその思いは余計にある。あるのだが。

 そもそもフィーアが討伐隊のために何かをしてやる理由も無いのも事実なのだ。

 

 『必要』ではない。

 

 『必要』でないならばそれをする理由も無い。

 

 それがフィーアだったから。

 

 ()()()、から。

 

 だから。

 

「……はぁ」

 

 嘆息一つ。

 

 結局それは過去形なのだ。

 

 今のフィーアは昨日までのフィーアと少しだけ違っていて。

 

 だから、だから。

 

 だから。

 

「分かりました、行ってきます」

 

 そう告げた。

 

 




ルーくんに情感揺さぶられたせいで少し安定しないフィーアちゃんが可愛い。
ホントフィーアちゃん書いてて可愛い。
こう、最初は人形みたいだった子が少しずつ人間らしく変化していく。その理由が異性って……素敵じゃない???


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十四話

「「あっ」」

 

 それは偶然の産んだ邂逅だった。

 と言えば詩的ではあるが、実際はただギルドの前でしばらく出会うことはないだろうなあと思っていたはずの二人がばったり出会っただけのことである。

 

 俺からすればポーターの仕事が無い以上フィーアは拠点にしている宿かどこかに戻っているのだろうと思っていたのだが、多分フィーアからすればダンジョンが閉鎖されている以上、昨日の今日で俺がギルドに来るとは思っていなかったのだろう。

 

 互いに会うことになると思っていなかっただけにこの出会いは偶発的だった。

 

 だからどうした、と言われればその通りではあるのだが、昨日のことを思い出してしまい、思わず言葉に詰まってしまったままギルドの入口で二人して硬直していた。

 

「ルーさん? どうしました?」

 

 その後ろからひょっこりやってきたアルが視線を向ければ。

 

「あ、フィーアさん、おはようございます」

 

 声をかけられ、まずフィーアが硬直から抜け出す。

 

「え……あ、はい。おはようございます」

 

 言葉を返したことで少し冷静になったのか、こちらをみやり。

 

「早速依頼探し、ですか?」

「え……あ、ああ。まあ、そうだな」

 

 硬直から動き出した自身の口から吐き出されたのは、少し濁したような言葉だった。

 ほとんど無意識的な判断だったが、アルからの依頼はおいそれと口にできるようなものではない。

 というか知られると止められるだろうし、何より告げ口でもされたら完全に目を付けられる。

 だからフィーアが相手であっても簡単には言えない。

 

 そう、思っての判断だったのだが。

 

「あの、ルーさん。あのこと、フィーアさんにも話しても良いですか?」

 

 後ろからそう言うアルに思わず振り返る。

 

「……本気か?」

「はい……言っておいたほうが良いと思うんです。その……勘ですけど」

「…………」

 

 また勘か。と言いたくなるが、そもそもこの依頼の大本だって夢である。

 アル自身の勘の良さについてはある程度聞いている。というか昨日紹介された武具工房もその勘で見つけたものらしい。

 曰く、外から見てピンときた、らしいがそれでこの街に多くある工房の中からピンポイントであの店を引き当てているのだから、その勘も一概に否定できるようなものではないとは思っている。

 

 少し悩む。

 

 もしこれがフィーア以外だったら絶対に断っていた。止めておけ、と言うところだったがフィーアならば話は別だ。

 

 と言っても昨日ので情が湧いたとかそういうことではなく。

 

 フィーアは物事をシンプルに判断する。

 

 『必要』か『不必要』か、だ。

 

 そしてこの話をフィーアが信じれば『必要』と判断するだろうし、もし信じず『不必要』と判断されたとしてもそれを他人に話す可能性は極めて低い。

 別に俺たちが勝手にダンジョンに行って何をしようとフィーアからすれば()()()()からだ。

 自分に関係のないことはシンプルに『不必要』と判断するだろうから、話がそこでストップする。思考から切り捨てられて他人に言い触らすことも無い、そんなことをする『必要が無い』だからだ。

 

 そういう意味でフィーアは信用できる。

 

 ただこれはあくまで俺が見た限りのフィーアであり、俺はフィーアではないので、もしかすると俺の知らないフィーアの一面がある可能性もある。

 さらに言うならば必要無ければ言い触らすことは無いだろうが、逆に『必要』ならば俺たちの口止めなどあっさり無視してフィーアは内容を他者に漏らすだろう。

 昨日色々ありはしたが、結局俺たちとフィーアはまだ出会って一日、二日の関係なのだから。

 

 ただし。

 

「依頼主はアル、お前だ。判断はお前に任せる」

 

 結局はそこに尽きる。

 俺が俺の意思で動いているのならばともかく、今はアルから依頼を受けてアルの意向に沿って動いている状況だ。

 俺としてはメリットデメリットが半々と言ったところなので、最終的な判断はアルに任せることにする。

 そんな俺の返答にアルがフィーアのほうへと向き直り。

 

「少し、聞いて欲しいことがあるんですが」

 

 告げる言葉にフィーアが首を傾げた。

 

 

 * * *

 

 

「ちょうど良いかしれませんね」

 

 アルが俺に話したのと同じ内容をフィーアに告げると、フィーアは考え込むように少し黙し、そう言った。

 

「ちょうど良い?」

 

 今の話を聞いて何故そんな言葉が出てくるのか分からず問い返すとフィーアが頷く。

 

「冒険者ギルドに討伐隊から応援要請がありました。高位の『シーカー』が必要とのことで、ギルド長から私に依頼が来ました。その依頼でこれからダンジョンに向かうところだったので、私の裁量でルーとアルの二人を連れて行くことは可能だと思います」

「本当か!」

 

 降って湧いたような話だ。確かにそれは『ちょうど良い』。

 そう思い思わず声が大きくなったが。

 

「って、ちょっと待て。『シーカー』が必要ってどういうことだ」

 

 冒険者は基本的に複数人で『パーティー』を組んでダンジョンに行くわけだが、ただ単純に徒党を組んだだけでは烏合の衆である。

 パーティを組む、つまり人数を増やすならば人数を生かす立ち回りというものが必要になるわけで。

 だからこそ冒険者たちはパーティを組むのに際して『役割』を作った。

 

 敵の殲滅や戦闘の際の遊撃を担当する『アタッカー』。

 敵の攻撃から味方を守ったり、敵の注意を引きつけたりする『ディフェンダー』。

 味方の支援や敵の妨害を行う『サポーター』。

 ダンジョン内の索敵や宝箱の発見を主な仕事とする『シーカー』だ。

 

 固定パーティであるチームやそのチームの集合であるクランなどを組むとさらに役割が細分化し、『マッパー』*1『フロントブロッカー』『サイドディフェンダー』『バックブロッカー』*2『スティーラー』*3『ディーラー』*4『メカニック』*5『トラッパー』*6などもあったりするのだが今は置いておいて。

 

 この中で『シーカー』の役割はダンジョン内の索敵、つまり味方に先行して周囲の様子を確かめたり、いち早く敵を発見して味方が奇襲されることを防いだり、ダンジョン内にある危険な罠や宝箱を発見したりと言った『探索行為』全般である。

 

 『シーカー』はパーティにおける『目』と『耳』だ。

 『シーカー』抜きでダンジョンに挑むなど、目隠しと耳栓して戦闘するに等しい自殺行為である。

 当然討伐隊にも『シーカー』はいる。というかいないなんてほうがあり得ない。

 

 にも関わらず『シーカー』……それも上位レベルが求められているとなると。

 

「やられたのか、あの化け物蜘蛛に」

「……半壊しているそうです」

「それ、不味くないですか」

 

 思わずと言った様子のアルにそうだな、と頷く。

 周囲を見渡す。ギルド隣のポーター広場は今は誰も居ない閑散としたスペースと化している。

 幸いここにいるのは自分たち三人だけ。今の話は誰も聞かれていないようで安堵の息を零した。

 まあフィーアも誰もいないからこそ話したのだろうが。

 

「それでフィーアが派遣、と」

 

 ぶっちゃけフィーア、かなりの実力者だ。

 まあ俺の見立てでは、というカッコ書きがつくが。

 戦闘しているのを見たわけでは無いので実力の底は知らないが、少なくとも動きを見ればかなり高位の実力を持っているのは計れる。

 ダンジョン内で的確に敵を避けながらナビゲーションしてくれたことを考えると『シーカー』技能のほうもかなりの物だと予想できる。

 何でポーターやっているのか謎なくらいではあるが、人選には納得できる。

 

「ルーも『シーカー』技能、ありますよね?」

「そら当然な」

 

 そもそも役割自体は冒険者がダンジョン内でやらなければならない仕事を明確化した上で振り分けた物であって、ソロ冒険者ならばその全てをやらなければならない。

 と言っても実際に必須と言えるのは二つ。

 

 『アタッカー』としての強さと『シーカー』としての探索能力だ。

 

 基本的にこの二つがあれば単独でもダンジョンに潜ることはできる。

 とは言え一人でなんでもかんでも、というのは中々に難しいからこそ皆パーティを組むわけだが。

 

「別にソロ専門ってわけじゃないが、ソロで潜ることも多いしな、一通りの『シーカー』技能はあるよ」

「それで問題無いです。今回の場合、特に必須なのは『強さ』でしょうし」

 

 一口に『シーカー』技能と言っても、内容は多岐に渡る。

 単純に言って敵を見つける技能と罠を見つける技能は全くの別物、ということではあるが今回に限って言えば必要なのは『敵を見つける技能』と『見つけた敵に殺されない強さ』の二つだ。

 

 何せ『シーカー』というのはレベルが上がりにくい役割なのだ。

 

 レベルというのは種としての存在の格ではあるが、どうやってこれを上げるかと言われればモンスターと戦うのが一番手っ取り早い。

 要するに危機を乗り越えるなどをして『自らを高める』ことによってレベルは上昇する。

 

 だが敵と戦って直接倒す『アタッカー』や激しい敵の攻撃を防ぐ『ディフェンダー』は重装備に身を固めるが、とにかく探索探索で動き回る『シーカー』は身軽な装備になりやすい。短剣(ダガー)などの邪魔になりづらい小回りの利く武器に身軽な布性の防具。

 当然ながら大剣や大槌、盾や重鎧などを装備した『アタッカー』や『ディフェンダー』と比べて戦闘向けかと言われるとどうしても否である。

 

 故に戦闘中は『シーカー』は『サポーター』の役割を兼用することが多い。

 

 敵の妨害や味方のアシストが主な仕事であり、戦闘を行った際に得られる経験は前衛で戦う両者より格段に低くなる。

 経験が薄いとその分レベルが上がり辛い。レベルが上がらないから余計に戦闘で活躍できない。そして戦闘で活躍できないからレベルが上がらない、その負の連鎖である。

 

 『シーカー』がレベルを上げようとするならば、ある程度安全マージンを取ったダンジョン上層で単独で戦い、経験を積むのが一番良いのだが、そもそも役割を振り分けている以上パーティを組んでいるわけで、他のパーティメンバーがいるのに単独行動なんてできるわけも無い。

 

 これもまた負の連鎖。

 

 だからレベルの高い『シーカー』というのはかなり少ない。

 

 実際、戦闘においても『アタッカー』のレベルが高ければ敵を殲滅できるし、『ディフェンダー』のレベルが高ければ安定して敵を引き付けて味方を守れる。

 だから『シーカー』や『サポーター』は別にレベルが上がらなくも良い、と考えるパーティは多いのだ。彼らの目的はレベルを上げることでも、強くなることでも無く、金を稼ぐことなのだから、レベルを()()よりもより多く探索することのほうが大事だと考える冒険者は多い。

 

 なので高位、つまりレベルの高い『シーカー』はソロ冒険者に偏っている。

 

 正確には『シーカー』でなく、『シーカー』技能のある冒険者ではあるが。

 

 ただ『クラン』規模になってくると『シーカー』の育成のためにレベルを上げることをしたりもする。

 『レグヌム』は決して大きい規模のクランではないが、それでも酒場で見た限り、誰も彼もが一角の実力者であるように見受けられた。

 その『レグヌム』はメインとなった討伐隊の『シーカー』たちが半壊するほどとなると必要とされるレベルは最低で40……いや、もっと上と言ったところか。

 

「聞いて良いのか分からないから、嫌なら答えなくても良いんだけどさ」

 

 一応個人情報になるので基本的に聞くようなことでは無いのだが、この場においては重要なことなので前置きをしてからフィーアに問う。

 

「フィーアって、レベルいくつなんだ?」

 

 冒険者にとってそれは強さの『底』に直結する数値でもある故に本来は聞くべきではないのだろう。

 だがこれから向かう先は文字通り『命』を賭けた場所である。

 何より、ギルド長から直接依頼を受けた、とフィーアは先ほど言っていた。

 果たしてそこまでの待遇を受けるフィーアの強さとは一体どれほどの物なのか、そんな興味が確かにあって。

 

「私ですか?」

 

 別になんて事の無いような表情で、フィーアが少し首を傾け。

 

「今……86と言ったところですかね」

 

 あっさりと、そんなことを言ってのけた。

 

 

 

 

*1
ダンジョン内の地図制作を担当する。クランの役割上、新規ダンジョンの開拓などもあり、そう言った際に必要とされる役割。

*2
順番に『前衛』『両脇』『後方』を固める『ディフェンダー』派生の三職。

*3
モンスターの持っている物を『盗む』役割。この方法でしか手に入らないモンスター素材やドロップ率が極めて低い素材などを集めるのに便利だったりする。

*4
購買者。簡単に言うと仲間の装備を集めたり、停泊先を決めたりなど資金繰りに関する役割。戦闘とは関係ない役割だが『クラン』規模の集団になると必ず必要とされてくる。

*5
クラン拠点などで仲間の装備を修繕したり、ダンジョン内で簡単な装備補修などもしてくれる。いわゆる『整備士』。

*6
簡単に言えば『罠師』。余り必要とされる役割ではないが、一部徘徊型のボスなどがいるダンジョンで活躍することがある。




因みにルーくん60! ルーくんは60!

でも前回のダンジョン探索で蜘蛛ちゃんと遭遇してるので少しは上がってる。


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十五話

 

 

 レベルを上げるというのは本来簡単なことでは無い。

 

 生命体としての存在の『格』を上げるというのは、ただ生きているだけで為せることでは無い。

 相応の『試練』を乗り越えてこそ『格』が上がる。

 とは言えこの世界には『ダンジョン』と言うものがある。

 まるでお手頃に調整されたかのような危機を巡ることでレベルというのは飛躍的に上昇させることができる。

 

 ある程度、までは。

 

 魔法の階梯に対してレベルが必要となるのは以前にも言ったが、第一、第二階梯魔法の使い手に対して、第三階梯魔法に至った人間というのは非常に限られている。

 ダンジョンの整備と管理、適切な開放によってレベルの高い冒険者というのは年々増加の傾向にあるが、それでも尚、第三階梯へと至った存在というのは余りにも少ない。

 

 目安として凡そレベル40。

 

 その辺りを境としてレベルは急激に上がりづらくなっていくからだ。

 正確には各地のダンジョンで上げることのできる目安のレベルが50前後なのだ。

 低難度ダンジョンなら35、超高難度ダンジョンならば45から50前後まで行けることもあるが、基本的には40が一つの目安と言われている。

 

 理由としては出てくるモンスターの質だ。

 

 格下の雑魚ばかり倒していても何ら経験にはならない。

 経験を得られなければいつまで経っても『格』が上がることも無い。

 

 だからこそ、ダンジョン最下層の所謂(いわゆる)『ボス』へと挑戦するわけだが。

 『ボス』というのは一度倒すと約一か月くらいは出てこなくなる。

 しかも『ダンジョンボス』の落とすドロップはその稀少性から極めて高値で取引されるため、多くのチームやクランが挑戦の時を今か今かを待ち構えているわけだ。

 

 『ダンジョンボス』はそう称されるだけあって、かなりの強さを誇る。

 そのため安全マージンを取って味方の数を増やし、数の利で殴るのが正当な攻略となっている現状で、良質な経験というのは得られるはずも無く、故に『ボス』へとたどり着いてしまった冒険者たちはそこが一つの『レベルキャップ』*1になってしまう。

 

 そうした話を踏まえると一つ分からないことがある。

 

 この世界で最も簡単にレベルを上げる方法は『ダンジョン』だ。

 だがダンジョンで上げることのできるレベルは実質的に『50』が上限だ。

 にも関わらずこの世界には第三階梯魔法へと至った、つまり『レベル70』前後へ到達した人間が複数いる。

 

 では彼ら、彼女らは一体どこでレベルを上げたのだろうという話である。

 

 その答えは―――。

 

 

 * * *

 

 

 水晶魔洞の入口へとたどり着いたのは太陽が真上を通り過ぎて少ししたくらいの時間だった。

 ダンジョン入口は空間が歪んでいる。最初恐らく岩の中央にぽっかり空いただけの穴だっただろう入口はギルドの手によって改修され、立派な門まで拵えられてはっきりとそれが入口であると分かるようにされている。

 

 いつもはギルドの用意した管理者が交代で立っているのだが、今見た限りではどこにもいないようだった。

 そうして入口へとやって来ると、フィーアが立ち止まって振り向く。

 

「入る前に確認です。目標は五階層。深入りしなかったため、まだ四階層への階段のほうに集まっているそうです。入口をしっかりと固めているため四層より上に蜘蛛が出てくることは無いと思います」

 

 事前にギルドから挙げられたらしい報告書を復唱しながら俺たちへと見せてくる。

 

「なのでまず四層まで突っ切ります。強行軍ですが……まあ大丈夫ですよね?」

「ああ、問題無い」

「こっちも大丈夫です」

 

 確認のためにこちらを見やるフィーアに頷くとアルも同じだと頷いた。

 

「あとアル、触り程度にしか教えられなかったが、行けそうか?」

「……うーん、ちょっと分からないですね」

 

 突入前にもう一度装備の点検をしながらアルに問いかけるが、渋い表情を作って首を振る。

 ペンタスの街からダンジョンまでは馬車でも数時間かかるのだが、その間にアルに軽く魔法の手ほどきをしておいた。

 まあそれですぐに魔法が発現するかどうかは割と人それぞれな部分があり、それほど期待しているわけでも無い。

 元より無いことを前提にしているので、できれば儲けものくらいの感覚だ。

 ただアルの魔法は俺の予想が正しければ今回の任務に使えるのではないか、と思っていたので少し落胆したのもまた事実だった。

 

「まあその分俺が働けば良いだけか」

 

 元よりアルは雇い主だ、そっちに期待するほうが間違いではある。

 それにフィーアとは大まかに打ち合わせはしてある。

 そこで決めた予定の中にアルの魔法は入っていないので、無くてもどうにかなるだろう。

 まあ希望的観測なのは否定しないが。

 

「フィーア、準備できたぞ」

「こっちも、行けます」

 

 腰には先日買ったばかりの剣を、背には数本木剣を負って、片手には今朝木剣と共に買った鉄槌。

 昨日の今日だったがすでに出来上がっていた鎧は受け取って装着済みだし、細々とした道具類は先ほど全てあるのを確認した。

 そうして準備を終えてフィーアに声をかけたのと同じタイミングでアルも準備を終える。

 フィーアはフィーアで、まるで一昨日と代わりの無いすっぽりと顔を覆うフード付きの白いローブを被っていた。そうして持っているのも同じ大きな背負い鞄。

 

「その鞄いるのか? 『シーカー』として呼ばれたんだろ?」

「救援物資です。すでにかなり深刻な状況にあると予想されますので、ギルドが持って行くようにと」

「なるほどね」

 

 フィーアの言に納得しながら、視線をダンジョンの入口に向ける。

 

「じゃ、行くか?」

「そうですね」

 

 今回のリーダーはフィーアだ。

 何せこれはフィーアの受けた依頼であり、俺たち二人をそれに同行している形だからだ。

 故にフィーアに確認を取れば小さくこくり、と頷き。

 

「行きましょう」

 

 その掛け声と共に一歩、歩みを進めた。

 

 

 * * *

 

 

 一層から四層まで昨日も辿った道ではあるが、ダンジョンというのは一日たちとて同じ姿を見せない。

 地図がある以上、道が急に変化する……などということは()()()無いが、それでもモンスターなどは常に同じ場所にい続けるわけでは無い。

 分布など範囲はあって、だいたい同じ範囲内にいるが広大なダンジョンの一部範囲のどこにいるかまではその日次第であり、それを読み切って戦闘を回避したり、または接敵しに行ったりと敵の居場所を把握することができるかは地図を読む人間の腕が試されると言っても過言ではない。

 

 フィーアはそういう意味で文句なく一流だった。

 

 一層を難なく突破し、二層へと辿りつく。

 まだ一層とは言え一度も戦闘が無かったのは運が良かったというよりはフィーアのナビゲートが良かったのだろう。

 とは言え普段よりもスローペースに進んでおり、時間がかかっているのも事実。

 

「急がなくて良いんですか? 一刻を争うような事態だと思うんですけど」

 

 心配そうにそう尋ねるアルの言は正しい、正しいが。

 

「気が急いているからこそ、足は遅くするんだよ」

 

 そんな俺の返事に意味が分からないとアルが怪訝そうな表情をする。

 と、そこでフィーアが補足するように言葉を付け足す。

 

「急いでいる時というのは慌てていて普段よりも注意力が落ちます。普段なら避けれるような事態も避けれなかったりするんです。だから普段よりゆっくり歩いて注意深く進むんですよ。余計なトラブルに逢うほうがよっぽど時間取られたりしますし、最悪たどり着く前に誰か怪我でもしたら本末転倒ですから」

 

 それと、時間をかけて歩くことで目的地までに少しでも冷静になるためでもある。

 焦りは思慮を奪う。ただでさえ自分たちより強大なモンスターたちに力任せに戦っても人間が敵うはずがないのだから。

 焦っても仕方ない、そういう思考を身につけられないやつほど咄嗟の事態で死んでいくのだ。

 そんな俺たちの言葉に納得したのかアルが頷くが、けれどそれでも焦りが抜けないのかその表情は硬かった。

 

 そうして二層、三層を無事突破する。

 

 道中何度かアルがフィーアのナビゲートとは別の進路を指し示すことがあったが、そのことごとくで敵と出会うことも無く進めた。

 一度だけアルの直感とは別の進路を取ったが、そうすると不思議とモンスターが(たむろ)していた。

 アルの直感の精度をさすがにフィーアも信じたのか、それ以降特に何か言うことも無く、アルの言に従って歩く。

 

 そうして四層の最奥へとたどり着き。

 

「確か階段降りたところで固まって守っているって話だったよな?」

「そのはずです」

「……でも」

 

 そう、でも、だ。

 

 ダンジョンの層と層を繋ぐ階段はそう長いわけじゃない。

 精々十メートルほどの高さを降りる程度であって、一番上から一番下は角度的には無理だが、声をかければ届く程度には近い。

 

 にも関わらず。

 

「音が無いな」

 

 呟いた言葉に二人が頷く。

 そう、音が無い。二十人弱の人間が僅か数十メートル先にいるはずなのに何の音も聞こえない。

 外なら、まだ分かる。風の音や鳥の声などが小さな音などを消し去ってしまうから。

 けれどここはダンジョンだ、洞窟の内部だ。

 シンと静まり返った洞窟内では僅かな音でさえも過敏なほどに聞き取れてしまう。

 まして二十人やそこらの人間がいて、音が聞こえないなどあるはずも無い。

 視線を向ければフィーアもまたこちらへを見ていて、互いの視線がぶつかり合う。

 

「「…………」」

 

 互いに無言のまま一つ頷き合う。

 振り返って、アルに口を押えるようジェスチャーを出す。

 静かに、その意図を察したアルが口を押え頷く。

 鉄槌を片手に一歩、前に出る。

 

 もう一度振り返りフィーアを見つめれば、フィーアが頷く。

 

 道中何度か話し合ったが、あの化け物蜘蛛相手の場合、フィーアより俺のほうが相性が良い。

 フィーアのほうがレベルが高いのは事実だが、レベルが高いから強い、という単純な話でもない。

 大よその推測ではあるが、フィーアは()()()()の可能性がある。

 高いレベルと強大な魔法である程度以上にモンスターとの戦闘も熟せるのだろうが、正直言って水晶魔洞の敵とは相性がかなり悪い。

 

 あの化け物蜘蛛との相性に至ってはほぼ最悪だ。

 

 俺もそれほど相性が良いわけではないが、フィーアほどではない。

 それにフィーアと違って鎧を着ているので最悪一撃食らっても生き延びれる確率は俺のほうが高いだろう。

 とは言え食らわないに越したことは無いのだ、慎重に警戒を怠らないようにゆっくり階段を下りていく。

 

 あの化け物蜘蛛、あの重量と巨体で天井に張り付いていることもあるので警戒しなければならない範囲が広く厄介ではある。

 だが階段ならばその範囲が途端に狭まるので俺程度の索敵能力でも奇襲を受けないことは可能だろう。

 

 ……とは言え、階段を降りて広間に出たらさすがにフィーアと交代になるだろうが。

 

 しかしフィーアの能力は知れば知るほどに疑問が出て仕方ない。

 

 極めて高い探索能力と索敵能力、そして殺傷能力の非常に高い魔法。

 

 それにそれ以外の色々も含め。

 

 あれでは冒険者ではなく、まるで―――。

 

 ぶんぶん、と頭を振って余計な思考を追い出す。

 今はそんなこと関係無いのだ。

 命賭けの場面だ、集中をかき乱すな。

 何度となく自ら念じ、警戒を厳にしながら階段を降りる。

 もう少しで階下だ。やはり階段の辺りに討伐隊の姿は無い。

 ゆっくり、ゆっくり、歩みを進める。

 

 そうして。

 

「……どういうことだ、これ」

 

 広間に出る。

 

 そこに。

 

 

 ―――無数の冒険者たちの屍があった。

 

 

 * * *

 

 

 息を吐き出す。

 震える手足に力を込めようとして、けれど失敗する。

 動かなければならない、その意識はある。

 なのに、手は動かない、足も動かない。

 動かなければならない、そうしなければ死が迫って来る。

 なのに体は震え、歯がかちかちと鳴らされる。

 

 ただ恐ろしい、ひたすらに恐ろしい。

 

 恐怖という名の感情だけがどろり、と泥のように心の奥底に溜まって全身を支配していた。

 

 みんな散ってしまった。

 散り散りになってしまった。

 四散させられてしまった。

 

 討伐隊という自分たちに与えられた名が滑稽なほどに、今の自分たちは明確に()()()()側の弱者に過ぎなかった。

 

 ―――おかしい。

 

 恐怖に支配された思考の裏で、そんなことを思う。

 

 ―――絶対におかしい。

 

 上手く回らない思考がもどかしい。

 それでも少しずつ少しずつ恐怖は薄れていく。

 まだ手足は動かない、体は強張ってしまって表情すら変えられない。

 流れだす涙は止まらないし、口から零れ落ちる涎を拭うことすらできない。

 

 それでも少しだけ、思考は回っている。

 少ししか思考は回らない。

 だから一つだけを考える。

 

 一つのことしか考えられない。

 

 おかしい、その言葉だけが胸中を埋めていく。

 

 確かに思い出すだけで震えあがるほどあの化け物蜘蛛は怪物的だった。

 けれど討伐隊の面々とて歴戦の冒険者たちなのだ。

 純粋な実力で言えばもっと上位の怪物たちを狩ったこともある。

 けれどどうして自分たちはあの化け物蜘蛛にやられたのか。

 

 負けたのか。

 

 敗走したのか。

 

 負けて、散ってしまったのか。

 

 その理由を考え、一つの可能性に思い当たる。

 

「ま……さ、か」

 

 未だに舌を硬直させる恐怖は心の奥底にへばりついて拭うことはできない。

 そしてそれこそが答えなのだと気づく。

 

 そう、つまりこれは―――。

 

 

 

 

 

 キチッ

 

 

 

 

 

 聞こえた()()()の鳴き声に。

 

 何ら反応する間すら無く。

 

 ぶちぃ、と何かを引きちぎるような音。

 

 直後。

 

 ぶしゃああ、と噴水のように鮮血が噴き出す。

 

 後には首の無い冒険者の死体だけが残った。

 

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 ………………………………。

 

 

 

*1
レベルの上限。実際には上限はついていないのだが、大半の冒険者はそこから上げることができない以上は、実質的にはそこが上限であると言える。



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十六話

 

 

 

「ああ、くそっ」

 

 毒づきながら、水晶の壁にもたれかかり腰を落とす。

 荒い息を吐きだしながら視線を彷徨わせる。

 眩い光のダンジョンは、乱反射する光のせいで遠くが見えづらい。

 それでも耳と合わせて少しでも敵の位置を探ろうと神経を尖らせる。

 

 シン、と静まり返ったダンジョン内でただ自身の荒い呼吸だけが響き渡る。

 

「一先ず安心……とは行かない、な」

 

 視線を右へ左へと移すがそこには誰も居ない。

 二十人といたはずの仲間の全てが散り散りになってしまっていた。

 探さなければならない、と思いつつも未だに震えが収まらない両足は立ち上がるのすら困難だった。

 

 何十回、否、何百回とダンジョンへと潜り続けたし、ダンジョンボスを撃破したことだって何度もある。

 言ってみれば怪物退治なんてものは男、ノルベルトにとって容易いわけでは無いが、緊張し恐怖に震えるようなことでも無い。

 戦いの高揚こそあれ、恐怖に震えるなことはあり得ない……はずだった。

 

「……やっぱりそういうことか、これは」

 

 足が震える。正確には言えば()()()()()()()()

 怪物の姿が見えなくなってからですら、こうだ。

 根深く、心の奥底に刻まれた恐怖と言う名の傷がいつまでもじくじくと疼いている。

 

()()()

 

 確信めいた口調でそう呟く。

 否ほぼ確信している。

 冷静に考えれば厄介な相手ではあっても恐れるような相手ではないのだ。

 にも関わらず討伐隊に面々が半狂乱に陥り、まるで統制が取れなくなってしまったことを考えると。

 

 ―――恐怖心を植え付ける魔法。

 

 言うなれば。

 

「『恐怖(フィアー)』ってところか」

 

 自分たちの例に習って名前をつけるならば、多分そんな名前になるのだろう。

 その効力は……今の討伐隊の有様を見ての通りだろう。

 

「厄介だな」

 

 吐き捨てるように呟き、顔を顰める。

 

 そもそも『精神』に作用する魔法というのはかなり少ない。

 魔法は原理こそあれど、その根本は『イメージ』だ。

 計算式のような精密な理論の上に立つものではなく、頭の中に絵を描くような想像的発想によって発現する。

 だからこそ『目で見えない』ものはイメージし辛くなるのだ。

 『恐怖』などというものを明確にイメージするのは難しい、それは人それぞれだろうし何よりも『実感』し辛いからだ。

 

 だから()()()()()()()()()()()のでも無ければあんな魔法普通は生まれないのだが。

 

「いや、それはどうでも良い。問題はそこじゃない」

 

 確かに珍しいがそれ自体はどうでも良い。

 魔物なのだ、魔法が使えて当然だった。それは前提に入っていた。

 というか単純に魔法を使うだけならダンジョンボスだって使う。自分たちよりも遥かに格上の化け物は魔法という強力な力を手にしているのは脅威ではあるが、けれどそれだって対処法さえ分かればどうにでもなる。

 

 対処法さえ分かれば。

 

「……あの魔法、防ぎようがないぞ」

 

 感情を持つ生物である以上、恐怖心というものは必ず存在する。

 それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()、恐怖心に絡めとられ足は竦むし、手は縮こまる。心というものがある限りそれは不可避の結果だ。

 それこそが何よりも凶悪であり、討伐隊を壊滅に追い込んだ何よりの原因だろう。

 

 とは言え、それが必殺の一撃となるかと言われればそれはまた別の話。

 

 ノルベルトがこうして生きているのがその証拠だろう。

 

「強く意識を持つこと……()()()()()()()()だけの意思、後は単純にレベルか?」

 

 まだ手足の震えは収まらないが、それでもあの場でノルベルトだけが剣を抜いて戦うことができたのは、仲間を引きずって逃げ出すことができたのは、恐らくその二つが要因だろう。

 冒険者稼業とは実力主義の部分が大きいので、クランやチームなどのリーダーは必然的に一番レベルの高い人間が務める傾向にある。

 ノルベルトのチームも同じであり、今回の討伐隊の中で最もレベルが高かったのはノルベルトだ。

 レベルの高さは生命としての格の高さだ。故に押し付けられた恐怖心に抗うことができたのだろう。

 だがそれでも全身を襲う虚脱感はぬぐい切れなかったが、それでも恐怖に縮こまった体を無理矢理に動かす。

 それが出来たのは恐怖に染まった心を捻じ伏せるだけの意思があったからだろう。

 

 精神的な作用をする魔法だけに、強靭な精神ならば耐えられるのかもしれないと考察する。

 

 とは言え、ノルベルトのレベルでようやく、と言ったラインだとするならば。

 レベル50以下の人間はほぼ全てあの化け物蜘蛛の前では無力と化すのだろう。

 

「しくじったな……」

 

 ギルドの応援を要請したのは良いが、この状況では焼け石に水どころか無駄死にになりかねない。

 なんとか途中で状況に気づいて帰還してくれれば良いのだが。

 

「まだ大丈夫だ。あの街にはルーが……カゲがいる」

 

 討伐隊の面々は壊滅してしまった、それでもあの街には自分の信頼する男がいる。

 だから大丈夫……なんだかんだでいつも何とかしてしまう男だ、だから大丈夫。

 自らを納得させるように何度も何度も呟き。

 

「むしろ、ここから生きて帰れるか……それを心配すべきかもな」

 

 自嘲気味に呟く。

 

 装備はボロボロ、先ほどの戦いで獲物の剣も折れてしまった。

 未だに心の奥底に巣食う恐怖のせいで力の半分も発揮できず、ダンジョン中層で孤立している状況。

 

「やっぱりろくでもないことになったな」

 

 あの時の胸騒ぎは決して間違いでは無かったということだ。

 とは言え今それを言っても仕方ないの無い話。

 

「何人助かった……何人死んだ?」

 

 自分が連れて逃げ出せたのは数人。それも途中で錯乱して逃げられて。

 果たしてあの化け物蜘蛛の巣食うこの五階層でどれだけの人間が生きているのか。

 

 ごとり、と。

 

 不意に音が響いた。

 何か、石のようなものが転がる音。

 

 ―――来た。

 

 そのことを確信する。

 死神(クモ)(ツメ)を携えて獲物を狩りに来たのだ、と。

 まだ足は動かない。いや、動かそうと思えば動くのだろうが、その動作は緩慢でありとてもあの化け物蜘蛛から逃げ出せるようなものではない。

 そもそも先ほど逃げ出せたのも、あの化け物蜘蛛が討伐隊の仲間の死体を漁ることに夢中になっていたからであり、一度補足されてしまえば逃げ出すことは限りなく困難であると言える。

 

「俺もここまでか……」

 

 呟き、嘆息する。

 諦めたわけでは無いが、この状況から生き残れる確率など無に等しいことは分かっている。

 

「……アイリス」

 

 そうして迫る死に、思い浮かんだのはたった一人、惚れた女の顔。

 必ず帰ってこい、そう言われて飛び出した故郷。

 

「約束、破っちまったなあ」

 

 何て呟いた言葉に。

 

「何諦めたようなこと言ってやがるんだよ」

 

 言葉が返ってくる。

 視線を向ければそこにいたのは。

 

「……カゲ?」

「ルーだっつってんだろ」

 

 自身の最も信頼する男が呆れたような表情で立っていた。

 

 

 * * *

 

 

 五階層の広間に散らばる惨殺死体。

 その意味を考えれば、討伐隊の壊滅という答えにすぐに行きついた。

 アルを助けた時と合わせてあの化け物蜘蛛の()()()()()()を見るのはこれで二度目になるが、骨を抜き取られ千切れた皮と散乱した肉が血の海に沈んでいる光景は何度見ても慣れる物ではない、思わず視線を逸らし顔を顰めてしまう。

 フィーアはローブに隠れて表情は見えないが、気分の良い物じゃないとフードを深く被ったし、アルに至っては顔面蒼白で今にも吐き出しそうだった。

 

「……どういうこったこりゃ」

 

 だがそれと同時に湧いた疑問。

 死屍累々という言葉が似つかわしいほどに酷い有様の広間を見やり、だからこそ思う。

 

「こんだけ人数いて一方的に全滅……? あり得ねえ」

 

 そう、戦った痕跡が無いのだ。広間のどこにも。

 剣を抜く、槌を叩きつける、或いは魔法だってあったかもしれない。

 彼らに与えられた戦うのための手札は多くあったはずなのに、それらを使った形跡が無い。というよりまるで荒れていないのだ、この広場は。

 あの超巨大な蜘蛛が鉤爪一本振り下ろすだけで床が砕けるというのに、広間にはたった一つを除いて一切の傷が無い。

 直接あの化け物蜘蛛と戦い、鬼ごっこまで演じたのだ、その力量のほどは良く分かっている。

 一度も攻撃させないまま倒した、なんて無理な話だし、一度も攻撃できないまま殺された、なんて可能性もあり得ない。

 

「これは……多分着地の跡だな」

 

 広間のやや奥のほうに残る亀裂の入った床は恐らく蜘蛛が上から降って来たのだろう痕跡だと思われる。

 だがそれだけだ。

 唯一それだけを残して、痕跡は絶えていた。

 ダンジョンが修復した? まだ一日も経っていないし、着地跡が残っている以上きっと違う。

 そもそも戦っていない?

 ならばこの死体の有様は何だ。まさか蜘蛛が来る前に全員死んだとでも言うのか、あり得ない。

 

 やはり可能性として考えられるのは一つ。

 

「戦えなかった、ってところか」

 

 何等かの事情があった。例えば怪我人を逃がしていた、などの可能性。

 いや、それなら戦える人間が前に出て守るはずだ。

 逆に見捨てた? 足手まといを切り捨てた、という可能性。

 リーダーのノルがそういうことをするとは思えない、というか切り捨てるには人数が多すぎる。

 ぐちゃぐちゃの惨殺死体になってしまっているため詳細には分からないが、最低でも十人以上は死んでいるだろう。元々三十人弱の討伐隊なのに切り捨てるには数が多すぎる。

 

 となれば。

 

「一瞬で全員やられた?」

 

 あの蜘蛛にそんな攻撃方法があったのだろうか?

 だが全員同時にやられた割には死んだ人数が少ない。壊滅したという『シーカー』部隊を差し引いても本体は二十人かそこらはいたはずだ。

 

 と、なると。

 

「こいつらがやられたから撤退した……ってとこか?」

 

 その辺りが妥当なラインだろう。

 だが着地の位置からして、爪や脚を使った攻撃、と言うわけでは無さそうだが。

 

「ルー」

 

 そんな風に考察していると、いつの間にか俺の傍にやってきていたフィーアが袖を引く。

 

「どうした?」

「あちらに」

 

 袖のだぼついたローブから出した白魚のような指が指し示す方向を見やれば、点々と続く血痕。

 

「どっちのだと思う?」

「間隔からすれば人間のほうかと」

 

 例えば怪我をした討伐隊の誰かがここから逃げる時に流した血の跡。

 ならば素直に追っていけばその誰かに会えるかもしれない。

 

 だがもし……例えばの話だが。

 

 人を食った蜘蛛の口から垂れ流された血、だったりした場合、それを追えばどうなるか。

 

 とは言え人間とあの化け物蜘蛛では歩幅が違い過ぎる。

 点々と続く血痕の間隔からすれば、確かに人間だろう。

 

「行くか」

「罠という可能性は?」

「あの蜘蛛が?」

 

 人質を囮にのこのことやってきた仲間を諸共に鏖殺(おうさつ)……という可能性は無いわけでも無いが。

 

「あの蜘蛛にそこまでの知能は無いと思うぞ」

「分かりました、では行きましょう」

 

 余りぐだぐだと主張をぶつけているわけにも行かない。

 ここはダンジョンであり、すでに自分たちは死地に踏み込んでしまっているのだから。

 最小限の意思疎通だけで意見を決めていく。

 アルは特に言うことも無いようで周囲を警戒するように何度も右へ左へと視線を向けながらこちらについてくる。

 

 点々と続く血を目印にしばらく歩く。

 

 そうして。

 

「……途切れたな」

 

 立ち止まる。

 幸いにして水晶魔洞はとにかく光が乱反射するので血のような光を通さない物は良く見えるのだが、点々とダンジョンの床に零れていた血の痕跡が分かれ道の前で途切れていた。

 それから少し周囲を見渡してみれば。

 

「ここ、血痕があるな」

「それと、こちらにも」

 

 分かれ道の両方に血痕がある。ただし片方はほとんど分岐一歩目で再び途切れており、もう一方は続いている。ただ途切れているほうの血痕のつき方がそれまで少し違っていて……。

 

「フィーア、ここ少し立ってみてくれ」

 

 ふと思いついたことを試そうとしてフィーアに声をかければフィーアが言われた通りの位置に立つ。

 ちょうど分岐路の中央あたり。そうして自身がその隣に立ち。

 

「これは……二人いた可能性があるな」

「その根拠は?」

「多分ここまでは担がれるかどうにかして逃げて来たんだ。片方はこの血痕の主で、もう一方はそれを担いだ方」

 

 分岐路の中央、ちょうどフィーアと俺が隣り合って立っている場所を足で蹴って示す。

 

「ただ……またあの化け物蜘蛛に襲われたのか、それとも何かあったのか分からんが、ここで二人が別れた……というより怪我してるほうが逃げたんじゃないかこれ」

 

 フィーアの肩に触れて、軽く押す。

 押し込む分だけフィーアが後退して。

 

「……そういうことですか」

 

 ちょうどフィーアが数歩下がった辺りに血痕が飛び散っていた。

 

「多分この辺で怪我してるやつがもう一人を突き飛ばして分岐のこっち側へ……」

 

 点々とさらに奥へと続く血痕を指さす。

 

「もう一人がどっちにいったかは分からんが……」

「なら先にこっちへ行ってみますか?」

「そうだな」

 

 血痕の続くほうの通路。恐らく怪我人がいるだろうほうへと進もうとして。

 

「待った」

 

 後ろから聞こえた声に、歩みを止める。

 

「どうしたアル?」

 

 ここまで一言も喋らずに押し黙っていたアルの突然の言葉に、少しだけ緊張して尋ねる。

 

「多分……こっちのほうが良い、と思います」

 

 血痕の途切れた通路を指さし、告げるアルにフィーアと思わず顔を合わせ。

 

「分かった」

「分かりました」

 

 躊躇いなく頷き、そちらへと歩き出す。

 ふと振り返ればアルが驚いたようが表情をして立ち止まり。

 

「行くぞ」

「え……あ、はい」

 

 呆けていたアルに声をかければ、すぐにはっとなって慌てて追いかけてくる。

 何の根拠も無い話ではあるが、それでもアルの発言には何か意味がある。

 それはここまでのナビゲートで十分に分かっているはずだ。

 

 だからこそ、この先にはきっと何かがある、そう信じて歩き。

 

「約束、破っちまったなあ」

 

 そこにいたのは。

 

「何諦めたようなこと言ってやがるんだよ」

 

 そこにいたのは。

 

「……カゲ?」

「ルーだっつってんだろ」

 

 自身も良く知った男だった。

 

 




魔法名:恐怖(フィアー)
階梯:第一階梯/第一法則
使用者:アルカサル・ファミリア

恐怖とは感情の一つであり、言うなれば生命体の本能が発する『危機』に対する警告であると言える。
化け物蜘蛛の威容を見れば大半の人間はそれを『危険な存在』だと認識するし、それに対して本能が『危機』を発する。つまりそれが『恐怖』という感情であり、この魔法はこの『恐怖心』を増大させる効果を持つ。
逆説的に化け物蜘蛛の威容や力に『恐怖』を抱かない場合効果が無いし、『恐怖』が薄い場合その効果が相応に低くなる。
簡単に言えば竜などの肉体的な格の差がより上位の存在や化け物蜘蛛よりもレベルが圧倒的に高い存在には効果がほぼ無い。逆に肉体的に格の差が下位の存在や蜘蛛とレベルが同じかそれ以下の存在には圧倒的な効力をもたらす。
とは言えあくまで『恐怖』を増大させるだけの魔法であり、直接的な攻撃手段とは言えない。また『恐怖』を克服する強い精神があれば軽減も可能である。

根本的には怪物的肉体を持つ生物を前にした際の本能的な恐怖に対して作用する魔法であり、心の持ちよう一つで割とどうにかなってしまう魔法ではある。




『第一階梯ではまだ』……ではあるが。


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十七話

 動けないノルを担ぎながら四階層まで戻る。

 道中で襲われるのではないかと警戒していたが、あの化け物蜘蛛が出てくることも無く無事階段へと辿り着いた。

 

「今更だが大丈夫か?」

 

 見たところノルに怪我は無いように見えるが、それでもあのノルが動けないほどになるまでに座り込み、ここまで担がれて運ばれてくるほどに衰弱しているのだ。尋常では無い事態であることは明確だった。

 

「ああ、ちっと体が震える、だけだ」

 

 どう見たってそれだけと言えるような有様では無かったが、それでも怪我らしい怪我は無いらしい。

 だが同時に疑問が残る。

 

「何があった?」

 

 ノルベルト・ティーガという男は非常に優れた冒険者である。

 冒険王などという呼ばれ方をしていることからも分かるように、歴戦の冒険者でありこの手の化け物相手に幾度となく戦い、打ち勝ってきたはずの男である。

 だからこそその男が、その男が率いていたはずの一団が、あの蜘蛛相手に一方的に敗北したという事実がどうしても引っかかる。

 

「確かに強敵ではあるが……それでもお前たちがそこまでやられるような相手じゃないはずだ」

 

 あの広場を見た時から感じていた違和感。

 

 その答えを。

 

「魔法だ」

 

 ノルが告げる。

 

「あの蜘蛛の放った魔法で全員やられた」

 

 忌々しそうに、表情を歪めた。

 

「魔法だと?」

 

 僅かに驚く。何故なら俺が戦った時はそんなもの使った様子が無かったから。

 とは言え魔物なのだ、魔法だって使えて当然だ。しかもここは『ダンジョン』なのだ。

 ダンジョン内部は地上と比べて圧倒的に魔力濃度が高い。

 地上の魔力濃度では生きられないような魔物すら生きることを可能とするほどに。

 故にダンジョン内部ならば冒険者も魔物もばかすかと魔法を使うことができる。

 まあ俺の魔法は余りばかすか撃ってたら凍死する危険性があるのでそう使える物でも無いのだが。

 

 そんなダンジョン内部で魔法を使ってくる様子が無かったのでおかしいとは思っていたのだが、単純に『まだ』使えるレベルではないのだと思っていたのだ。

 もしくは、大した効果が無いような魔法か、或いは自分にだけ作用するような。

 とにかく他者を害するような、そういう類ではないかもしくは使えないか。そう推測していたのだが。

 

「魔法に関して推測は?」

 

 俺はその魔法を見ていないのでそれを体感したのはノルだけになる。

 当然それを尋ねるわけだが。

 

「…………」

 

 訊かれたノルはけれど黙したまま僅かに俯く。

 

「ノル?」

 

 その様子を少しおかしい、そう思いながらもう一度訪ねて。

 

「『恐怖(フィアー)』だ。少なくとも俺はそう名付けた」

 

 そうして気づく。ノルの手足が未だに震えていることに。

 まるで恐怖に耐えるかのように、俯いているのはその時の感情を思い出してしまったからか。

 そんなことを考え。

 

「恐怖心を植え付けられる……多分そういう魔法だ。気をしっかり持てばある程度軽減は可能だが」

 

 その結果が今のノルの惨状だというのならば、凶悪という言葉では尽くしがたい。

 よりにもよって精神干渉系魔法とは厄介過ぎる。

 

「不味いな」

 

 精神干渉魔法というのは非常に希少だ。

 何せ魔法には強いイメージが必要となる。理論はあっても理屈じゃ使えないのが魔法なのだ。

 魔力を自らの性質に合わせて変換する、例えば俺ならば『燃焼』の概念。

 だが変換したそれを『魔法』として発現するためにはどうやってもイメージが必要になる。

 

 だから魔法を『組み上げる』時は実際に自分が起こそうとする現象を『見て』覚えるのが一番手っ取り早い。

 

 そういう意味で『燃焼』というのは非常に分かりやすい。

 イメージがしやすいから咄嗟の状況でも即座に魔法が使える。

 

 だが『恐怖』というものをイメージするのは簡単ではない。

 

 これが『恐怖』である、と目に見えて言える物ではないし、目に見えない以上『イメージ』もし辛い物がある。

 果たしてあの蜘蛛がどうやって魔法を発現させているのか、謎ではあるが問題はそこではない。

 

 例えば『燃焼』の魔法ならば火を起こすことは魔法であって、物を燃やすことはただの現象だ。

 つまり水をかければ消えるし、そもそも一階梯ならば燃えない物質を身に纏われればそれだけで魔法が使えなくなる。全身を鉱石で構成したあの蜘蛛などは一階梯魔法では『燃焼』させることはできない。

 

 第一法則下の現象ならば、同じ第一法則で防ぐことができる。

 

 だが精神に対する干渉というのは基本的に()()()()()()()()()のだ。

 人間は基本的に自らの精神を自由にできる力を持たない。精神生命体などならばともかく人間に精神干渉を防ぐ力は無い。

 

 故に精神干渉系魔法に対する対策は基本的に三つだ。

 

 一つは同じ精神干渉魔法で上書き、もしくは防止する。

 同じ位階(ステージ)の魔法ならば後は単純なレベルの違いの問題だ。

 故に『暗示(インプリント)』の魔法などで予め精神を『強制的に』正常に保つようにするか、より強力な精神干渉でかけられた精神魔法を『上書き』するか。

 軍隊などに良くある手法である。そのため精神干渉魔法を使える人間というのはその種類や階梯に関わらず優遇される立場にある。

 

 二つ目は『魔導具』を使う、だ。

 『魔導具』にも種類はあるが精神保護系の『魔導具』というのも稀にはあるのだ。

 ただしほとんど出回らない。何せ要人が大半買って行ってしまうからだ。

 そのため冒険者たちからすればこんなもの持っているほが稀なレベルではあるのだが、基本的に精神干渉魔法など使ってくる敵などいないためこれまでそのことが問題になったことは無かった。

 とは言えこんな事態に遭遇すると分かっていたならば大枚叩いてでも買っておくべきだったのだろうが、今更過ぎる話である。

 

 そして三つ目が『意識を強く保つ』こと。

 つまり精神論である。

 とは言えこれは決して馬鹿にできない効果がある。

 精神干渉魔法とはその名の通り『精神』に対して作用する魔法だ。

 例えば『恐怖』という感情を植え付けられたとしてもその恐怖を克服するだけの精神力があれば動くことは可能になるだろう。

 もし何も知らずに何の心構えもできていない状態でいきなり使われたのならば……俺もあの広場の連中のように屍を晒していたかもしれない。寧ろいきなりの魔法に耐えられたノルのほうが例外なのだろう。

 だがそのノルのお陰で知ることができた。

 『未知』は何よりも恐ろしいが、『既知』ならば心構えだってできる。

 今ならば蜘蛛が『魔法』を使ったとして耐えることはできるだろう。

 

 ただそれは一番手っ取り早い方法ではある反面、そもそも防ぐことができていない、ということでもある。

 できるのは『軽減』であって『無効化』では無いのだ。

 つまり確実にパフォーマンスは落ちる。

 あの化け物蜘蛛相手に、実力を十全に発揮できない。

 想像するだけで背筋が凍る話だった。

 

 

 * * *

 

 

 しばらく時間を置くと少しずつ回復してきたのか、ノルも立ち上がることくらいはできるようになっていた。

 まだ手足が少し震えるらしいが、モンスター相手に切った張ったするくらいならできるだろう。

 

「それで、だけど」

 

 とは言えあの化け物蜘蛛を相手にするには完全に足手まといであるのは事実である。

 だがこの四階層に置いておくわけも行かない。何せここは敵地なのだ、いつあの化け物蜘蛛が五階層から上がって来るともしれない。

 

「結論から言えばノルとアルの二人で脱出してくれるか」

 

 告げた言葉に咄嗟にアルが反論しようとして……けれど項垂れる。

 アルとて分かっているのだろう、自分に来れるのがここまでだと。

 確かに勘は良い、だがまだ実力が足り無さ過ぎる。

 恐らくアルでは蜘蛛の魔法に耐えられない。そうなれば動けない足手まといを抱えることになり、余計に危険だ。

 

「……わかり、ました」

 

 行けば死ぬ、それが直感で理解できたのか悔しそうな表情でアルが頷く。

 それから視線をノルに移し。

 

「脱出したらペンタスの街にこのことを伝えてくれ……最悪の可能性も考えてな」

 

 告げる言葉にノルが一瞬息を飲む。

 すでにアルによって予知が為されている。

 ここで防げなければ三日内にダンジョンを飛び出しペンタスの街を食い荒らすことを。

 

「カゲ、お前」

「ルーだっつってんだろ。それに別に死ぬつもりはねえよ」

 

 こんなところで死ぬつもりは毛頭無い。

 

()()()()()()()()()()()()……そのためにもあの化け物蜘蛛はここで止めるし、そのためにも俺は生きて帰る」

 

 約束だ、と拳と突き出す。

 

「…………」

 

 一瞬、ノルがそれを見て迷う。

 僅かな時間黙す。思考し、やがて。

 

「分かった……約束だ」

 

 ノルの伸ばした拳が俺の拳とぶつかり合った。

 

 

 * * *

 

 

「もう良いんですか?」

 去って行く二人を見送りながらフィーアがそんなこと尋ねてくる。

「何がだ?」

「お知り合いのようでしたし、もっと色々話すこと、あったのでは?」

 なんだそんなことか、と鼻を鳴らす。

 

「良いんだよ。俺は死なねえ、あの化け物蜘蛛はぶっ倒す」

 

 それは絶対だ、と告げる俺にフィーアがくすりと笑う。

「頼もしい話ですね」

「……まあ、お前を巻き込んだのは悪かったと思うがな」

 ノルを帰したのは、足手まといなのも事実だが、それ以上死なせたくないという個人的に感情が大きかったのも自覚している。

 そのために戦力を自ら手放したのだから、残されたフィーアには申し訳なさもあった。

 

「構いませんよ。言ってることは間違いではありませんし」

 

 だがあっけからんとそう告げるフィーアに少しだけ救われたような気分になる。

 

「とは言え……もうどうにもならん話はここまでだ」

 

 視線を階段のほうへと向ける。

 五階層へと続く水晶の階段。その先はここからでは見えない。

 だがその先に確かにいるのだ……あの化け物蜘蛛が。

 

「多分これが最後だ、準備は良いか?」

 

 隣に立つ少女へと尋ね。

 

「もちろ……あ、いえ、少しだけ待ってもらっていいですか」

 

 準備万端、といった風に見えたフィーアだったが、ふと何かを思い出したかのように持っていた荷物を床に置く。

 何をするのかと見ている俺の目の前で着ていたローブのフードを脱ぐ。

 仕事中は脱がないと思っていただけにそのことに少しだけ驚くと同時に気づく。

 

「それ……着けてたんだな」

「ええ、折角もらったものですから」

 

 その耳に昨日去り際に渡したイヤリングが着けられていた。

 そのことに気づいた瞬間、どくんと僅かに心臓が波打った。

 そんな自身を他所にフィーアは目の前でそのイヤリングを外しそれをポケットに入れようとして。

 

「…………」

 

 何故かその動きを止める。

 少し考えごとをするように手の中のイヤリングを見つめ。

 

「フィーア?」

 

 動かないフィーアに思わず声を挙げると同時にフィーアがこちらへ向き直る。

 そうして手の中のイヤリングの片方を自らのポケットに放り込むと。

 

「良かったらこれ、片方持っていてもらえませんか?」

 

 僅かに口角を上げてそんなことを言った。

 その表情が少し気恥ずかしそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。

 その頬が僅かに紅潮しているように見えるのはダンジョンの光加減が見せる錯覚だったかもしれない。

 そうして差し出されたイヤリングを見やり、それからフィーアとイヤリングへと視線を何度も往復させ。

 

「……えっと、何のために?」

 

 片っぽだけのイヤリングを俺に渡す意味が分からず、そう尋ねるがフィーアは曖昧に笑うだけで明確な答えを返そうとはしない。

 ただ冗談とかそういうことではないのは分かる。何がしか意味はあるのだろう……恐らく。

 フィーアという少女の性格を考えればそれが『必要』なのだろう。

 

 だから。

 

「分かった、受け取っておくが……街に戻ったら返せばいいか?」

 

 折角送ったのに半分だけ返されてもそれはそれで困るし、是非ともそうしてくれ、という意味も込めて尋ねればフィーアがそれで大丈夫です、と頷いた。

 そうしてフィーアの手からイヤリングを受け取り、少し考えたが上着のポケットに入れる。

 荷物に入れておくのが一番安全なのだろうが、最悪荷物は捨てることになる可能性もあるので、そう考えればここが一番『マシ』な選択肢だろう。

 

 そうこうしている内にフィーアが再び荷物を担ぎ直して。

 

「すみません、余計な手間を取らせましたね。もう大丈夫ですから、行きましょうか」

 

 こちらを見やり、そう告げる。

 少しだけ戸惑ったが、けれどすぐに意識を切り替える。

 これからあの化け物蜘蛛と戦うのだ、そう考えれば簡単に意識なんて切り替わる。

 

 ―――本能が危機を発している。

 

「それじゃあ今度こそ」

「ええ、今度こそ」

 

 ―――行くな、死ぬぞ、と叫んでいる。

 

「行くぞ」

 

 それでも行くしかないのだから。

 

「はい」

 

 ただ行く。

 それだけの話だ。

 

 



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十八話

 

 階段を下ると相変わらずの惨状が広がっていた。

 咽返るような血の臭いに顔を顰めながらも足早に通り過ぎていく。

 足元に広がる地獄めいた光景に気を取られがちだが、上にも警戒を払う。

 あの巨体でどうやって、と思うがあの化け物蜘蛛は天井に張り付いて移動できるらしい。

 さらには壁を掘って進むこともできるようだし、移動先を予測して先回りするだけの知能もある。

 足元に気を取られている間に上から……という可能性も十分考えられたのだが、どうやらそれらしい物は見えない。

 耳を澄ましてみるが壁を掘るような音も聞こえない。

 どうやらこの周辺にはいないらしい。

 

 そう油断したところで、という可能性も無くはないが。

 

 だが常時神経を張り詰めさせることもできない。

 一度弛緩させ、ゆっくりと息を吐く。

 

「入口辺りはセーフ、か」

「そうですね」

 

 離れていてもなお鼻につく血の臭いに思わず鼻を摘まみたくなる衝動に駆られるが、両手とも空いていないとそれはそれで不安にもなるので我慢しようとする。

 

 と、その直後。

 

「おっ」

「あっ」

 

 途端に強まるダンジョンの光。

 その元凶が広間に転がる惨殺死体からであるのを認めると二人して思わず声が漏れた。

 死体が光輝に包まれる。その眩さに目を細めていると段々と光が小さくなっていく。

 徐々に、徐々に、けれど目に見えてサイズが減少していくそれらはやがて小さな小さな光の珠となって―――。

 

 ふっと、虚空へと消えた。

 

「……時間切れだな」

「そうですね」

 

 ぽつりと呟いたそんな俺の独り言にフィーアが同意するように返した。

 何が起きたのか、俺だって初めて見た光景だがすぐに分かった。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 光はすでに消え、先ほどまで血生臭さ漂う地獄のような光景が広がっていた広間では、けれどまるでそれが夢か幻だったかと思うほどに何も残っていなかった。

 血痕の一滴すら残されず、感じていた血の臭いすら綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「俺たちも死んだらああなるのか」

 

 ダンジョンが人を食う、聞いてはいたが本当に一切の痕跡すら残さず、まるで最初からそこにはいなかったかのように消え去るその光景に、思わず呟く。

 

「死にませんよ……私が、死なせません」

 

 内心の動揺を押し殺そうとして、けれど手は確かに震えていて。

 そんな自身の手をそっとフィーアが掴んだ。

 驚き、視線を向けた先で、フィーアは真っすぐこちらを向いていた。

 

「絶対に……絶対にです」

 

 告げるそのフードの奥から見え隠れする瞳は、真っすぐ過ぎるほどに……ただ俺だけを見ていた。

 

 

 * * *

 

 

 ―――おかしい。

 

 内心で呟いた言葉はけれど表に出ることは無いままに心の内で秘められる。

 けれどそれは先ほどから何度も繰り返している言葉であり、いい加減見て見ぬふりをすることもできなくなっていた。

 

 ―――どうして?

 

 けれどすでに何度か問いかけたその言葉に答えが返って来ることも無かった。

 隣を歩く彼を姿をそっと盗み見る。

 幸いにもフードのお陰でこちらの視線に気づかれた様子も無い。

 見たところ普通の冒険者だ。腕は良いが、それ以上に何かがあるわけでも無い。

 別にフィーアにとって特に必要な物を持っているわけでも無ければ、排他するほど害があるわけでも無い。

 

 彼……ルーの存在は単純な必要と不必要で言えば不必要に分類されるだろう。

 

 とは言っても積極的に排除する必要があるわけでも無い。だからただの冒険者、ただのポーターとして付き合っていれば良かった。それで良いと思っていた。

 確かに一度、デートに付き合ってもらった身ではあるが、確かにそれには恩を感じているが、それだけと言えばそれだけなのだ。

 だからいつも通りで良い、何か特別に思う必要も無い。

 ただの知り合い程度の距離感で良い。

 そう思っていたはずなのに。

 

 今朝、ルーとギルドの入口でばったりと出会った時、言葉が出なかった。

 

 どうして?

 

 その言葉を考え続けても答えは出なかった。

 少しだけ、胸がきゅっと苦しくて、彼と話す時だけどうしてか、時折言葉に詰まりそうになってしまう。

 彼に気づかれなかっただろうか、ふとそんなことを考えてしまい、また余計にどうしてそんなことを考えてしまうのか、ぐるぐる、ぐるぐると思考の迷路に陥ってしまう。

 

 ダンジョンに入ってひりついた空気を浴びて、気は引き締まった。正確には意識が『切り替わった』ため先程までそんな思考は止めていられたのだが。

 

 ―――片方持っていてもらえませんか?

 

 どうしてそんなことを頼んでしまったのだろう。

 ただあの瞬間、気づけばそう言っていた。

 

 ―――私が死なせません。

 

 どうしてそんなことを言ってしまったのだろう。

 ただのあの瞬間、死んでほしくないと願っていた。

 

 自分の言動が、自分で理解できなくて。

 けれどその理由がきっと彼にあるのだろうというのは分かっていて。

 胸の奥に燻った理解しがたい感情がある事実に、先ほどから妙にそわそわとしてしまう。

 

 そうして気づけばまた彼のほうを見ていて。

 

「ん? フィーア? 何かあったか?」

 

 どうやら気づかない内に見過ぎていたらしい、彼がこちらの視線に気づいた。

 けれどそれに何でも無いと首を振れば、そうかと言ってまた正面へと向き直る。

 

 一体私は何をやっているのだろう。

 

 こんな時に、こんな状況で、一体何をやっているのか。

 

 自問自答してみてもどうしても答えが出ない。

 

 ―――そうね、貴女も誰かに恋をしてみれば分かるんじゃない?

 

 ふと思い出す、姉だった彼女の言葉。

 結局私は最初から最後まで彼女を理解できなかった。

 恋という感情を持った彼女を理解できなかった。

 そして私の中にある同じ理解できない感情。

 果たしてそれは同じなのだろうか。

 

 分からない、分からない、分からない。

 

 ただそう。

 

 初めて『必要』と『不必要』以外のカテゴリーができたのは確かだ。

 

 彼のことを『特別』であると思ったのは確かであり。

 

 ―――そんな感情あるはずない。私にそんなものが『備わっている』はずがない。

 

 そう思うこと自体がすでにおかしいのだと、自分でも理解できていて。

 

 ああ、私も随分と『バグ』を起こしている。

 

 けれどそんな私自身のことを、私は『嫌』だとは思わなかった。

 

 

 * * *

 

 

 例えばランク3以上の冒険者ならば、一日でダンジョンを五階層か六階層以上突破して稼いで戻って来ることは不可能じゃない。

 ランク4,5ともなれば一日で十層近くを踏破することもある。

 だがそれは事前に地図が分かっていて、さらに言うなら階層を突破することに集中した場合だ。

 一階層丸々を探索する、となるとそれだけで一日がかりとなる大仕事であり、だからこそ『クラン』において『マッパー』なんて役割が生まれるほどだ。

 

 五階層をただ抜けるだけならば難しい話じゃない。

 そもそも障害と成り得る居るはずのモンスターたちが居ないのだ、恐らくあの化け物蜘蛛に食われたのだろう。

 モンスターというのは生命体に見えて、その実ダンジョンが生み出した魔力の塊のような存在なので、魔力無しでは生きられない魔物からすればただの餌でしかない。

 

 つまり時間をかければかけるほどあの化け物蜘蛛はさらに『成長』してしまう。

 

 早く見つけなければならない。

 だが焦って注意が疎かになればあの化け物蜘蛛がどこから奇襲してくるか分かったものではない。

 警戒は厳重に、けれど迅速に。そんな矛盾した要求を突き付けられながらも少しずつ少しずつ五階層を埋めていく。

 

「地図的にはどうだ?」

「まだ一割も埋まってませんね」

 

 地図に視線を落としながら答えるフィーアに嘆息する。

 本来ならば三十人かそこらでやるべきことを二人でやっているのだ、当然ながら作業は遅々として進まない。

 そのことに僅かな焦りを覚えながらも同時に別に懸念もある。

 

「フィーア」

「……はい」

 

 名前を呼ぶが、少女はこちらを見ない。

 フード越しに顔が見えないのは今までも同じだったが、こちらを向くことさえしないというのは今までならば無かったことであり。

 

「その……」

 

 その理由を問おうとして何と言った物かと思い、戸惑う。

 フィーアもまた、中途半端な俺の態度に常ならば『何か?』くらい言うだろうに、今に限って何も言ってくれない。

 そうして結局。

 

「いや、何でもないわ」

「……そうですか」

 

 少し気まずい空気が漂う中、ため息と共に視線を落とす。

 そうして。

 

「止まれ!」

 

 思わず声を荒げる。

 声と共にフィーアがぴたりと足を止め、そうしてさすがに何かあったことを察してこちらへと視線を向ける。

 

「足元だ、何か光ったぞ」

「それは……常にでは?」

 

 ほんの一瞬だけだが、視線を落とした瞬間、視界の中で何かが光ったのを見た。

 告げる俺に、けれどフィーアが怪訝そうに尋ねる。

 確かにこのダンジョン、壁も床も天井も光を透かせるせいでキラキラと乱反射する光が眩しいダンジョンではあるが。

 

「そうじゃない……空中で何か……線のような物が」

 

 呟きながらじっくりと見やるが、けれど良く見えない。

 フィーアも同じように視線を細め。

 

「ん……?」

 

 直後にフィーアから声が漏れた。

 見つけたのかとフィーアを見やると、フィーアが手でこちらを制止してくる。

 どうするつもりだ、と見ているとローブの内側に手を入れ、そうして一本の短剣(ダガー)を抜く。

 初めて見たフィーアが武器を抜くところに僅かに驚きながらその光景を見守っていると、フィーアは目の前の空間に短剣を突きだして。

 

 すっと、縦方向に降ろした。

 

 ぷつん

 

 直後、何も無いはずの空間で何がか()()()

 

「「…………」」

 

 はらり、と床に落ちたそれを見やり、そっと指先で摘まみ上げる。

 

「糸、か、これ?」

「の、ようですね」

 

 ほとんど透明に近いが、摘まみ上げ角度を変えてみればほんの僅かに光を反射する不思議な触感のする糸だった。

 やけに硬い、本当に細い細い糸なのに、まるで中に鉄心が入っているかのような妙な『しこり』がある。

 両端を持って軽く引っ張ろうとするが嫌に硬い感触が返って来るのでさらに力を込めてようやくブチりと引きちぎることができる。

 

「なんだコレ」

「ただの糸……なわけがありませんよね」

 

 フィーアも同じように引っ張って千切っているが、その弾性に驚いているような声音だった。

 ほとんど肉眼では見えないほど細いにも関わらず非常に丈夫だった。

 多分歩いている時ならともかく、走っている時に引っ掛けたらそのまま転ぶと思う程度には。

 

「嫌な予感がするな」

「同感ですね。そもそも相手が『蜘蛛』という時点でこういう可能性は考えるべきでした」

 

 例えば後ろからあの化け物蜘蛛に追いかけまわされている時にこの細い糸があったとして気づけるだろうか? 余程の奇跡的幸運に恵まれなければまず気づかず足を引っかけ転び、そしてそのまま……。

 

「この間戦った時はこんなの無かったよな」

「恐らくこの僅かな間に獲得したものかと。そもそも元凶である『アルカサル』も同じように糸を使うそうですから、親と同じ特性を持っていても不思議ではありません」

 

 言われ思い出す。

 『災害種』が一体『集虫砲禍(アルカサル)』は時折人の街にも襲来するが、その時街を半壊させ人工物を『食って』いった後、時折だが金属製の『糸』を残すらしい。

 その『糸』は性質として非常に強靭かつ柔軟であり、数えきれないほど多くの用途で使用できる希少品である。

 あの化け物蜘蛛は恐らく『アルカサル』が落とした『卵』から産まれた『災厄の子』である以上、親である『アルカサル』と同じような『糸』が使えてもおかしくは無い。

 

「粘着性は無いみたいだな」

「けれどそれ以上にこの強度と細さは厄介ですね」

 

 視線を上げて先へと続く通路を見やる。

 乱反射する光のせいで明るくはあるが、けれどそこに糸があるのか無いのかここからでは見えない。

 

「二、三本束ねたら人間の首くらい簡単に切り落とせそうだな」

「鋼糸ですか? 恐らくこの糸、原料はここの水晶でしょうから、石糸と言うべきかもしれませんが」

 

 ただでさえ蜘蛛に対する警戒が必要だというのにさらに厄介な物が追加されてしまった。

 

「フィーア、俺が先に出る」

 

 腰に刺した鉄剣を抜いて軽くブンブンと振る。

 気づかなかったらしい何本かの糸がぶつんと切れてはらりと落ちてくる。

 

「厄介ではあるが、歩いてるだけで怪我するよりはマシだろ……これで行こう」

「……分かりました」

 

 一瞬悩んだ様子を見せたものの、フィーアが納得したように頷いて。

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 




フィーアちゃんのヒロイン度アップのために休憩シーンを挟もうかと思ったけど、長引くからカットして歩きながらヒロインムーブしてもらうことにした。

こう……ちょっとずつ、ちょっとずつ自覚していくのって、可愛いと思うんだ。

→あれ、何だろうこの気持ち。
→私、どうして……。
→もしかしてこの気持ちが。

みたいな感情の移り変わり?
もうちょっと尺取ってフィーアちゃんとルーくん積極的に絡ませても良かったかもしれないが、まあそれは今後の楽しみとしておこう。
ガンバレルーくん。頑張ってフィーアちゃんをデレッデレにするんだ。

尚、ルーくんのほうは(


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十九話

「なん……だ、今の」

 

 洞窟内を反響し続け、響き渡った咆哮が鼓膜震わせる。

 ぞくり、と背筋に寒気が走るのを感じながら音が聞こえてきた方へと視線を向ける。

 

「聞こえてきたの……こっち、だよな?」

「はい、多分ですが」

 

 音自体は反響しているとは言え、通路自体は一本道だ。前からか後ろからか、どちらから聞こえたか、それくらいなら分かる。

 前方だ。ただしばらく進むと分岐に出る。

 

「どこから……いや、こっちだな」

 

 三方向に分岐する通路の一本を指さし、歩き出せばその後をフィーアが追って来る。

 

「どうしてこっちに?」

「通路のサイズ……あの化け物蜘蛛が通るなら他二つは狭すぎると思った」

 

 人間サイズならともかく、あの化け物蜘蛛が通れる道というのはそれなりに限定される。

 いざとなったら壁を突き破る相手だけにそのセオリーがどこまで通用するかは知らないが、壁を破れば破ったで痕跡がはっきりと残るだろうし、そもそも敵や獲物を追っている時ならともかく、平素からわざわざ壁を破ったり、自分の体格より狭い道をわざわざ通ったりはしないだろう、という判断。

 そんな自身の根拠に納得したのか、なるほど、とフィーアが頷きながら地図を広げる。

 

「となるとこの道とこの道もダメですね……あとこっちのこれとこれと……」

 

 そう言いながら地図の上にバツ印をつけていくフィーアに目を丸くする。

 

「道順だけならともかく、道幅まで覚えてるのか?」

「え? あ、あっはい。そうですね……地図を見ればだいたい思い出せますので」

 

 相変わらずぶっ飛んで優秀な相方であると僅かに口元に笑みを浮かべる。

 そうして道中でまた数本、糸を切り払いながらも進んで行き。

 

「……こっちの道って」

 

 しばらく進んだ先の道に既視感を覚えた。

 さらに右に左にとグネグネと分岐する道を進んで行き。

 

「確かこの辺、だったよな」

「そうですね」

 

 ふと、立ち止まって呟く。

 ほとんど独り言のようなものだったが、後ろでフィーアが同意したことによりそれは確信に変わる。

 そう、確かちょうどこの辺りだった。

 数日前のこの辺りで、俺たちはアルたちの悲鳴を聞いたのだ。

 そうしてアルたちの救助のために走り去ったためここからは進んでいないが。

 

「これ、六階層への道、だよな?」

「そうですね……他にも道はありますが。ここから少し進むと六階層へたどり着けます」

 

 地図を確認しながらのフィーアの言葉に少し考え。

 

「一番奥、行ってみるか」

 

 別に必ずそうであると決まっているわけではないのだが、少なくともこの水晶魔洞というダンジョンは上層と下層を繋ぐ階段の手前は必ずそれなりの広さのある空間がある。

 あの化け物蜘蛛のサイズを考えると狭く細い通路よりも、そちらにいる可能性のほうが高いようにも思える。

 実際二人だけでこの五階層を調べ尽くすには時間が足りないのだから、ある程度絞って調べる必要はあった。

 

「フィーア、案内頼む」

「分かりました」

 

 そうして二人縦に並んでいくつもの分岐した道を進んで行く。

 はっきり言ってフィーアの案内が無ければ地図を見ながらでも迷いそうなほどに入り組んでいる道だったが、それでも距離自体はもうそれほど無かったらしく、少し歩いて進んだ先に。

 

「……これは」

「なんとも、ですね」

 

 目に見えるほどに太く紡がれた糸が広間のあちらこちらへと張り巡らされていた。

 天井から床まで十数メートルは優にあるだろうに上から下まで張り巡らされた糸は視界を大きく制限していた。

 

「これじゃあ奥が見えないな」

 

 下層へと続く階段があるはずなのだが、白く濁った半透明の糸が光を乱反射していてここからでは見ることができなかった。

 だが同時にこの光景を見て確信することもある。

 

「巣、だな、こりゃ」

「……の、ようですね」

 

 天井を見上げれば糸に絡まるように恐らく討伐隊だったのだろう冒険者の死骸が宙吊りになっている。

 他にも()()()()()()()()鎧や使い手のいなくなった剣や槍、槌など冒険者たちが使っていただろう武器や防具も同じように吊られている。

 

「餌を保管しているって感じか」

「と、なると」

 

 呟く俺の言葉にフィーアがそう続けた。

 そう、となると、だ。

 ここが巣だとするならば、そこに蜘蛛が居る様子が無いのならば。

 

「餌でも探しに行った、か?」

「可能性はあります」

 

 そんな会話をしながらゆっくりと奥へと進んで行く。

 探しているのは階段だ。

 六階層へと続く階段。

 あくまで可能性ではあるが、五階層と六階層を行き来しているかもしれない。

 何せ一度は落とし穴を使って六階層へと叩き落したのだ。

 六階層がどうなっているのか、五階層の現状を見るとやはり少しばかり気になってきている。

 周辺を探りながらの前進ではあるが、やはり蜘蛛の姿は見えない。

 

 本当に六階層に向かってしまったのか?

 

 そんな疑問を抱いた直後。

 

「ルー」

 

 同じように探索をしていたフィーアに呼ばれ立ち止まる。

 振り返った先に、壁の一部を見やるフィーアの姿があった。

 

「ここ、見てください」

「……ただの壁に見えるが? まあ糸張られてるけど」

 

 壁に沿って糸が張り巡らされているように見える。

 しかも通路の時より糸自体がかなり太いこともあって、壁の一部が完全に糸で埋め尽くされてしまっていた。

 剣先で触れてみるが返って来るのは強い弾力とまるで切れる気のしない硬い手応え。

 硬いのに柔軟というまるで俺の来ている鎧の素材のような……否、それをもっと硬く強靭にしたような手応えがあった。

 

「色が濁っていて見えづらいですけど、ここ……良く見てみてください」

 

 フィーアが壁の一部を指さし、ぐるっと円を描く。

 だいたいこの辺り、という意味なのだろうその部分を目を凝らしてみてみれば。

 

「……ん?」

「気づきましたか」

 

 僅かだが糸の向こう側が透けて見える。

 水晶が材質の糸だからなのだろう、透けて見えた糸の向こう側は巨大な空洞だった。

 つまり、これは。

 

「階層を繋ぐ階段か、これ」

「そうです……それも完全に埋まってますよ、これ」

 

 言いつつフィーアが短剣を片手に握る。

 握った短剣を振り上げて。

 

「『切断(カット)』」

 

 素早く振り切られた短剣が壁に張られた糸を縦一直線にすっぱりと切り裂く。

 そうして斬られた糸がばさりと広がり……その奥にもまた同じように糸があった。

 

「まるで樹脂みたいな糸で階段が埋められていますね」

「切って進む……は現実的じゃねえな」

 

 実質的に六階層への行き来は不可能と言える。

 今日という日が終われば恐らくダンジョンが『リセット』されるのでこの糸も消えてなくなるだろうが、少なくとも今日中にこの糸をどうにかする、というのは現実的ではない。

 

「戻るか」

「そうですね」

 

 本来なら冒険者たちを救出……いやもう死んでいるだろうから遺品だけでも持って帰ってやるべきなのかもしれないが、あの化け物蜘蛛が居るかもしれない場所でそんな悠長なことしていられない。

 正直こんな巣の中であの化け物蜘蛛を迎え撃つというのは勘弁して欲しいところである。

 あちらこちらに糸を吐きかけられ、壁と床、天井が幾本もの糸で繋がれたこの広間はあの化け物蜘蛛のテリトリーと化してしまっている。

 通路で戦うのとどっちがマシか、と言われると悩むが最上を言うならば四階層へと続く階段前の広場。

 あの場所が一番良いだろう、とは言えあの場所に蜘蛛がまたやってくるかと言われれば分からないとしか言いようがないが。

 

「にしても、さっきの魔法か?」

「そうですね」

 

 糸の強靭さはかなりの物だ。

 正直、俺の持っている鉄剣でも上手く刃筋を立てねば切れる気がしない。

 それを短剣一本で軽々と切り裂いたのだ、フィーアの技量もあるかもしれないが、それ以上に先に聞いておいたフィーアの『魔法』だろうことは簡単に予想できた。

 

「余り日常生活で使えるような魔法ではありませんが……まあ戦闘にはそれなりに役立っていますよ」

 

 そう言って短剣を収めるフィーアを横目に見ながら、余りフィーアという少女に似つかわしくない物騒な魔法だと思った。

 とは言え、俺がフィーアについてどれほど知っているのだという話であるが故にそんなこと口に出して言えはしないが。

 

「しかしここにもいないとなると宛てが無くなったな」

 

 正直しらみつぶしは勘弁して欲しい。

 こちらは二人しかいないのだから、人海戦術のような真似はできない。

 すでにダンジョンに潜って結構な時間が経っている。

 敵と出会う『かもしれない』状況は直接相対している時ほどではないにしろ少しずつ少しずつ精神を蝕む。

 

「もう少し探してダメだったら、一度四階層に戻ったほうがいいかもしれないな」

「確かに。集中もいつまでもは続きません」

 

 フィーアの同意も取れたし、一度四階層前の広場まで戻るか、と内心で考えて。

 

「……ん?」

 

 ふと視界の中に違和感を覚えた。

 立ち止まった俺に、フィーアが不思議そうな様子だったが、それに答えることも無く、ただ目前を見やる。

 

 視界に映るのは糸に張り巡らされた広間だ。

 

 特におかしい物は無い、いや可笑しいものだらけではあるが、入って来た時との差異は感じられない。

 何がおかしい? 何かがおかしい。

 視線を右に左にと往復させながら、その違和感の正体を確かめようとして。

 

「……待った、ちょっと待った?!」

 

 それに気づいた瞬間、声を荒げた。

 

「ルー?」

 

 声の様子から何かがおかしいことに気づいたフィーアがこちらへと視線を向けて。

 

「入って来たの……()()()()()()?!」

 

 来た道を逆戻りしているだけだったから、糸のせいで視界が悪かったから。

 だからそれまで気づかなかった。奥の壁が見えてきてもそこかしこに糸が張り巡らされており、この広間のどこを見ても糸だらけ、だからこそ今の今まで気づかなかった。

 

 広間への入口が消えてきた。

 

 正確にはあの壁のどこかにあるのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、つまり。

 

 とどのつまり、それは、それは、それは。

 

 

 ―――きちっ

 

 

「来るぞ! フィーア!!!」

 

 ほとんど絶叫染みた警告の直後。

 

 ふっと、足元が暗くなる。

 

 見上げたそこに。

 

 

 ―――きちきちきちきちきちきちきち

 

 

 化け物蜘蛛が降ってきた。

 

 

 * * *

 

 

 咄嗟に足元を蹴る。

 ふわり、と一瞬の浮遊感と共に体を大きく後退し。

 

 

 ズドォォ――――ン

 

 

 直後、床の水晶を粉々に砕きながら蜘蛛の巨体が降り注ぐ。

 フィーアもまた素早く後退し、難を逃れたようだったが。

 

 ―――分断された。

 

 蜘蛛を挟んで前と後ろで、俺とフィーアが分断されていた。

 これではいざという時にカバーもできないし、サポートもできない。連携も取れないまま個別にこの化け物蜘蛛と戦うのは無謀というものだろう。

 

 ならば。

 

「今しかねえ!」

 

 真正面から蜘蛛へと向かって突っ込む。

 着地の衝撃で一瞬体を硬直させた蜘蛛だったが、接近する俺の姿を認めその爪を振り下ろし。

 

「その態勢で、当たるか!」

 

 床に半分体が埋没した態勢のため、腕しか動いていない。

 単純に振り降ろされただけの一撃は確かに脅威的な威力を持つが同時に一直線でしかない。

 弾けるように体を横にスライドさせてさらに加速する。

 もう一方の爪も同じように飛んでくるが同じことだ。

 そうして前足の爪二本を振り下ろしたその態勢は、両手を伸ばして跪くような形になる。

 

 つまり、頭が下がる。

 

「そら……よっと!」

 

 高さ1メートルほどにまで落ちた頭を跳躍と共に踏み抜いてさらに高く飛ぶ。

 そうして真上という死角に位置取った俺への攻撃を一瞬戸惑った蜘蛛の隙を突いてそのままその背中を駆けて後方へと飛ぶ。

 

「っと」

 

 着地、と同時にくるりと体を反転させる。

 そうして、さらに数歩後退すれば。

 

「よし、合流だ」

「無茶しますね」

 

 すでに短剣を構えて臨戦態勢を取っていたフィーアと合流を果たす。

 そうこうしている内に蜘蛛が陥没した穴から体を出し、こちらを向いて。

 

「……なんかでかくなってねえか?」

「気のせいでなく、明らかに前に見た時より大きくなっています」

 

 すでに全長二十メートル近いのではないかと思うほどに巨大に成長してしまっている化け物蜘蛛を見やり、頬に一筋冷や汗が流れた。

 もし初撃、降って来る蜘蛛を避けきれなかったら……それだけでミンチと化してしまっていただろうことは明白だった。

 ただでさえ化け物地味たサイズだった蜘蛛が、さらに怪物染みた成長を遂げている。

 そのことに戦慄を覚えざる得なかった。

 

 

 ―――きちきちきちきちきち

 

 軋るような鳴き声を発する蜘蛛がどこが目かもわからないような視線でこちらを見つめ。

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それが戦闘開始の狼煙となった

 

 

 




魔法名:切断(カット)
階梯:第一階梯/第一法則
使用者:フィーア

切断とは文字通り『切り断つ』ことであり、同時にそれは『切り離す』ことである。
つまり究極的には『切断』とは『1を2にする』ことであり、極論を言えば『分離』こそが本質であると言える。
第一階梯における効果は『物質への切断効果の付与』であり、敵に直接付与すれば付与した部位が『切断』されるし、自らの肉体に付与すれば『肉体を刃物と化す』ことができる。
ただしこの第一階梯魔法における効果の大きさは『自身の持つ武器』に依存する。
つまり彼女自身の持っている短剣で切れない物はこの魔法単体では『切断』できない。
だが短剣にこの魔法を付与することで切れ味を飛躍的に上昇させることは可能になる。
ただしその場合、当てることや近づくことには本人の技能が必要となる。
この微妙な使い勝手の悪さが『モンスター相手には使いづらい』とされる理由である(大半が短剣より硬い)。


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二十話

 

 

 ―――『恐怖(フィアー)

 

 咆哮が本能を刺激する。脳髄にまで響き渡った絶叫が怪物を前にした人間の本能的な恐怖を喚起する。

 直後、がくん、と全身から力が抜ける。恐慌する体が一瞬の虚脱を起こす。

 

「う……らああああああああ!!!」

 

 故に叫ぶ。まるで全身にのしかかる重い空気を振り払うかのように。

 心を強く持つ。

 超と共に恐怖を吐き出すように、叫び、咆哮し、心を奮い立たせる。

 

 ―――きちきちキチ

 

 蜘蛛が動き出し、爪を振り上げる。

 ワンパターンではあるが、その爪は防ぐことすら不可能な必殺の武器である。

 同じことの繰り返しではある、だが同じことを繰り返しているだけでこの蜘蛛は大半の生物を打倒できてしまう。それだけの肉体的なスペックの差が……『肉体の格』に差があり過ぎた。

 

 恐怖に竦んだ体に鞭を入れ、無理矢理に動かす。

 動くのは動く……少なくとも動けないままに一方的に殺されるということは無い。

 だがこの恐怖に『慣れる』までに数分程度、大きな制限が付くのは間違い無い。

 

 一人ならば間違いなく詰んでいる状況、だが。

 

「フィーア!」

「大丈夫、こちらは問題ありません」

 

 今は頼りになる相方が隣にいる。

 振り上げられた蜘蛛の爪に合わせるように短剣をかざし。

 

「『絶分離(セパレーション)』」

 

 言葉と共に莫大な量の魔力がフィーアの持つ短剣へと収束する。

 肌で感じ取れるほどの強力な魔力が第一法則への極めて強力な矛盾を引き起こす。

 第二階梯魔法、それは第二法則への干渉。

 第二法則とは魔力法則、それはつまり第一法則の反理法則。

 

切断(カット)……です」

 

 まるで何の抵抗も無く。

 燃える刃物で積雪を切るより容易く。

 蜘蛛の前脚が一本、宙を舞った。

 

「ナイス、だ」

 

 突如一本、脚を失った化け物蜘蛛がバランスを崩して地に転がる。

 直後にベゴッ、と鈍い音を立てて床をひび割りながら切り飛ばされた前脚が降って来る。

 それを契機にしたかのように、後退する。

 少しずつだが感覚は戻ってきている。

 だがもう少し、もう少しだけ時間が必要だ。

 

「すまん、あと少し頼む」

「分かりました」

 

 端的な願いに躊躇も無くフィーアが頷き、前に出る。

 

「もう一発行きましょう」

 

 とん、と一歩、前に踏み出し。

 

「『過程略断(ルートカット)』」

 

 呟きと共に()()()()()姿()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 魔法には三つの階梯がある。

 

 ―――第一法則に干渉する第一階梯。

 

 第一法則とはつまり『物理法則』だ。

 上に投げた物は下に落ちる。水は高きより低きに流れ、火に水をかければ消える。

 木々は大地の上に育ち、太陽は東から西へ昇り、空気が移動すれば風が吹く。

 そういう極々自然的な事象を意図的に『発生』させるのが第一階梯。

 

 鉄の刃で切れば大抵の物はすっぱり切断(カット)される。

 

 それが当然の理ではあるが、岩や鉄を刃で切れば刃が弾かれる。

 何故なら岩や鉄のほうが『頑丈』だから。それが当然の理だ。

 故に第一法則に干渉する第一階梯魔法ではそういう当然の理を無視しえない。

 

 だから次の階梯があるのだ。

 

 ―――第二法則に干渉する第二階梯。

 

 第二法則とは魔力法則、それはつまり第一法則の反理法則。

 魔力の持つ『物理法則への矛盾』という性質を突き詰めた反物理法則。

 硬い物と柔らかい物、この二つをぶつけて硬い物が砕ける。そういうあり得ざる矛盾を引き起こすのが第二法則であり、それを意図的に引き出すのが第二階梯魔法。

 とは言え、結局それだって第二法則という一つの法則の中で起きている事象に過ぎない。

 極論を言えば魔力を加工すれば同じような効果を引き出すことができる。

 

 だからこそ、その次は魔法の『究極』なのだ。

 

 ―――第三法則を『生成』する第三階梯。

 

 第三法則というものは厳密には『存在しない』法則である。

 少なくともこの世界を作る法則(ルール)は第一法則と第二法則の二つだけだから。

 では第三法則とは一体何なのかと言われれば『個々人が作った法則』と言うのが正しい言い方だろう。

 

 簡単に言えば『概念』を基準として生み出された勝手なルールである。

 

 そう、ルールなのだ。法則なのだ。理なのだ。

 

 第三階梯魔法使いが何故飛び抜けた力を持つと言われるのか、その全てがそこに集約されている。

 

 即ち。

 

 ―――第三階梯魔法使いは『世界の理』を創造/改竄する力を持つ。

 

 勿論どんなルールも自由自在に、というわけでは無い。

 魔法の性質となる『属性』*1がある以上はそれに縛られるが、逆を言えば個々人が持つ『属性』の範囲内ならばどんなルールでも『生み出せる』というわけだ。

 

 そして何よりも問題なのは。

 

 第三法則とは第一法則と第二法則の上に来るのだ。

 

 つまり、物理法則よりも魔導法則よりも強固な概念を持っている。

 

 だからこそ、第一法則、第二法則に矛盾するようなルールすらも第三法則で一時的に上書きすることができる。

 

 ルールの範囲内で戦う第二階梯以下の魔法使いたちと、ルールを自分で創り出す第三階梯魔法使いでは次元が一つ違うのは当然の帰結なのだ。

 

 

 * * *

 

 

「『過程略断(ルートカット)』」

 

 そう呟いた瞬間には全てが終わっていた。

 

 ―――ぎちぎちぎちぎちぎちぎち

 

 軋りようなうめき声のような音を発しながら、恐れるように蜘蛛が数歩後退する。

 否、正確には数歩分、体を引きずったというべきだろうか。

 何せその後ろ脚は三本まとめて綺麗に切り落とされていた。

 

 断言するが、一瞬たりとも俺は蜘蛛とフィーアから目を離していなかった。

 だがフィーアが呟いた瞬間にはフィーアの姿が消え、蜘蛛の後方に現れたと思ったら蜘蛛の後ろ脚が切断されていた。

 何が起きたのか理解できないまま、けれど確かなのは今がとてつもない好機であるということで。

 

「が……ああああああああああ!!」

 

 沸き立つ恐怖を吐き出しながら、一歩、一歩と踏み出す。

 たったそれだけの作業に気力を振り絞る必要があった。

 恐怖が絡みついた肉体は、ただ動かすだけで気力と体力を大きく削られる。

 それでも動く、平時と比べて涙が出るほど鈍い動作で一歩、一歩、踏み出していく。

 すでに蜘蛛はこちらを見ていない。背後に回ったフィーアへと意識を向けて体を回転させようとしている。

 

 だから、この一撃は避けられない。

 

「『不燃炎(ノットブレイズ)』!」

 

 手にした鉄剣を構え、真っすぐに突き出す。

 第一階梯魔法に必要なのは『可燃物』。だからこそ木剣を使っていたが、逆にこの魔法に必要なのは『不燃物』。

 蜘蛛の多脚の一本へと鉄剣が伸び、僅かな関節の隙間に突き刺さる。

 

 バキン、と一瞬その脚の動きを止めた鉄剣だったが、けれどすぐに()()()()()()

 それでもすでに剣は突き刺さった。以前使っていた剣ならば刺さる前に折れていた、やはりあの店の品は良い物だったと内心で苦笑しつつ、圧し折れ刺さったままの剣先を見つめ。

 

 だがそれで良い、それが良い。

 

 内心で笑う。

 

 ―――すでに魔法は仕込み終わった。

 

 直後。

 

 ―――キチキチキチギチ

 

 化け物蜘蛛の全身を()()()()()が包んだ。

 

 ―――ギチッギチギチッキチキチキチキチ

 

 自らの身に起こる現象に気づいてか蜘蛛が困惑したように軋るような音を発するが、陽炎のような半透明な靄でできた炎は爛々と蜘蛛の全身を包んでいた。

 

 

 * * *

 

 

 ―――『過程略断(ルートカット)

 

 『切断』概念から生み出したフィーアの()()()()()()である。

 極めて単純に、誰にでも分かるように言うならば。

 

 過程を『切り落とす』魔法だ。

 

 フィーアの魔法はその性質上、対魔物・モンスター相手にはそれほど相性が良いとは言えない。

 確かに絶対切断の刃は非常に強力ではあるがその代償に切断対象が強固であればあるほど必要とする魔力量が跳ね上がる。故に目前の化け物蜘蛛のような全身を鉱物で構成された魔物など相性的には最悪に近い。

 何よりも刃自体は必殺のそれであって、それを当てるのはあくまで自らの力でだ。

 

 あの全長二十メートル近い化け物蜘蛛相手にこの手の中の小さな短剣一本を当てるという所業がどれだけ難易度が高いか。

 

 相手が攻撃してくる瞬間にカウンター気味に被せるのならばまだどうにかなるかもしれない。

 だがリーチの差は歴然である、一発目のあのカウンターとて二度目が決まるかどうか怪しい。

 そうフィーアの最大の弱点とはその肉体である。

 

 レベルは非常に高い。魔法も殺傷性が高い。

 

 だがそれを生かすには体躯が小さく、力も非力だった。

 こんな小さな短剣一本まともに振るうのがやっとなほどにフィーアは肉体的に非力だった。

 例えばルーあたりが同じ魔法を持っていれば地上最強の剣豪が出来上がっていたかもしれない。

 だが現実にはフィーアではこの魔法を最大限に生かせているとは言えない。

 

 そんな現実を塗り替える『都合の良い現実(ダイサンマホウ)』がフィーアにはあった。

 

 相手に接近する、短剣を振り上げ、相手を切る。

 

 この三つの動作の『過程』を『切り落とす』。

 

 そうすると魔法を発動した瞬間に『相手に接近して切った』という事実だけが残る。

 

 それがフィーアの第三階梯魔法『過程略断(ルートカット)』である。

 

 

 * * *

 

 

 第二法則とは先も言ったように物理法則の反理法則である。

 では『燃焼』という概念の反対とは。

 

 簡単である『不燃』。燃えないこと。

 

 第二階梯魔法『不燃炎(ノットブレイズ)』とはつまり『燃えない炎』である。

 鉄や鉱物など『本来燃えない』物質にだけ作用する魔法であり、『酸化』を引き起こさない代わりにひたすら『熱』だけを増幅させる作用がある。

 この時『燃やす』のは対象の物質に込めた『魔力』であり、魔力が無くなった時この魔法の効果も消失する。

 

 ただし。

 

 もし対象が『魔力』を含んでいたならば。

 

 例えば魔物はその全身を魔力を持っている。

 その魔力があるからこそ、魔物は物理的には存在しえないような生態を維持している。

 故に魔物は須らく魔力を持っている、魔力が無ければ生きられない。

 

 それはあの化け物蜘蛛も同じはずなのだ。

 

 そう……()()()()()()()()()()()化け物蜘蛛には一体どれだけの効果があるのか。

 

 それは目の前でのたうち苦しむ蜘蛛の姿が証明していた。

 

 

 * * *

 

 

 ―――ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち

 

 燃えていた。

 色は無くとも、半透明で薄っすらと、靄のようにしか見えずとも。

 確かにそれは燃えていた。

 化け物蜘蛛の命綱を燃やし尽くしていた。

 

「効いたか?!」

 

 想像以上の効果を発揮する半透明の炎にようやく戻って来た全身の感覚を確かめながら視線を蜘蛛へと固定する。

 どんどん、と床に脚を叩きつけながら苦しみ暴れ回る蜘蛛に近づくにはリスクが高すぎる故にこうして離れて見ているが、段々と蜘蛛が弱っているのが分かる。

 そもそも魔物とは魔力が無ければ生きられない存在であるが故に、魔力を燃やす炎は致命的なダメージとなって蜘蛛を襲っていた。

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 蜘蛛の絶叫が洞窟内に響く。

 だが先ほどと違って恐怖を喚起されるようなことは無い。

 正真正銘()()()()()だった。

 逆に言えば、最早魔法を発動するほどの余裕も無いということだろうか。

 

「ルー」

 

 そうして藻掻く蜘蛛の様子を見ていると、いつの間にかフィーアがこちらへとやってきていた。

 さすがにこの状況で手は出せないと同じく様子を見ているようだ。

 

「これで、終わりか?」

「……まだ終わってませんよ」

 

 だが時間の問題のようにも見える。

 あの炎は基本的に『魔力が無くなるまで』は燃え続ける。

 もしくは使用者である俺が死ぬ、ないし気絶するようなことでもあれば別ではあるが。

 だが最早その余裕すら無いほどに苦しんでいる蜘蛛をこうして離れて見ている、それで終わりだ。

 嘆息し、目を閉じる。

 

 何だか随分と呆気なかったな。

 

 そんなことを考えた、直後。

 

 

 ―――ぽたり、と何かが頬に落ちた。

 

 

 僅かに驚き目を開く……そうして頬に手を当て。

 拭った手の平へと視線をやり。

 

「……あ?」

 

 手の平に付いた真紅に思わず声が漏れる。

 

 ぽたり、ぽたり、と。

 

 再び雫が落ちる。

 

 一体何だこれは。

 

 考えながら視線を背後へと向け。

 

 

「……る、う」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「…………」

 

 一瞬、理解ができずに言葉を失くし。

 

「……は?」

 

 思わず呟いた一言、まるでそれを契機にしたかのように。

 

 

 

 ぐしゃぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィーアの頭が爆ぜた。

 

*1
個々人の持つ魔法の根底的な概念。ルーなら『燃焼』とかフィーアなら『切断』とか。




三話書いてる頃から思ってた。

まりもちゃんしよう!

ってな!!


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二十一話

 

 重力に捕らわれ地に落ちていく小さな体を見て。

 首から上が半分消失してしまったその光景を見て。

 溢れ出す血がまるで洪水のごとく降り注ぐのを見て。

 

 それが誰なのか、一瞬理解を拒否した。

 

 まるで現実感の無い光景に、夢でも見ているのかと思ったほどに。

 呆気なさ過ぎるほどにあっさりと。

 

 ―――フィーアが死んだ。

 

 

 * * *

 

 

 どん、と物言わぬ死体が地上に落下する。

 その衝撃で衣服のポケットからイヤリングが飛び出す。

 

 ちりんちりん、と床に転がったそれを見て。

 

 ぶちり、と頭の中で何かが()()()

 

「―――あ、ああああ」

 

 硬く握った拳に爪が深く食い込んで血が流れ出す。

 震える肩が歯を鳴らし。

 見開いた目はただ真っすぐに、眼前の化け物だけを見つめ。

 

「アアアアァァァ―――!!!」

 

 腰から抜いた木剣を両手に一本ずつ持り、絡め取る体の重さを()()()()()走り出す。

 

 ―――きちきちきちきちきちきち

 

 『咀嚼』を終えた蜘蛛が迫る自身へと視線を向けると、その両前脚を振り上げ迫る自身を目掛け振り下ろす。

 脚先の鋭い爪が上から降りそそぐ。掠るだけで致命傷は確実だろう重量と鋭さ。直撃は間違いなく即死。

 それでも一瞬も迷うことなく、前身し。

 

「焼き切れ……『燃焼(バーン)』!!!」

 

 燃え上がる両の木剣を蜘蛛の前脚へと叩きつける。

 紅蓮に染まった木剣が蜘蛛の両脚を焼き切り、その爪先を切り飛ばす。

 だが焼き切るという性質上、振り下ろされた前脚を押しのけるだけの力が足りない。

 慣性に従って飛来した爪先の一つが自身の左肩を切り裂く。

 ほんの僅か、先っぽが掠っただけにも関わらず肉が抉れるほどの衝撃に意識すら飛びそうになる。

 派手に血が噴き出し、左手の力が抜けそうになるが。

 

「『燃焼』!」

 

 再度発動した魔法で『傷口』を燃やして、無理矢理に血を止める。

 激痛に絶叫しそうになるが、これで傷を塞ぐことも痛みで意識を保つことは出来た。

 

 ()()()()()()()()

 

 些末事だと切り捨て、目と鼻の先まで迫った蜘蛛へと拳を突きだし。

 

「不燃―――」

 

 『燃えない炎』の魔法を放とうとした瞬間、()()()()()()

 

「っ?!」

 

 辛うじて視界の端に捕らえた影を追って視線を真上に移動させれば、天井に張り付いた蜘蛛がそこにいた。

 

 ―――あの一瞬で?!

 

 その余りの早さに驚愕すると同時に、少しだけ頭が冷えてくる。

 

「……っ糞!」

 

 さすがに天井に陣取られると攻撃が届かない。とは言えあちらも前脚二本斬り飛ばされたのだ、向こうとて慎重にならざるを得ない、ということだろう。

 こちらをじっと見つめ動かない蜘蛛へと視線を固定しながら、吐き捨てるように悪態を吐いてじりじりと後退する。

 そうして一瞬、フィーア()()()()の傍まで寄って一瞬だけ盗み見るようにその有様を見やる。

 

 即死だった。

 

 頭の上半分が砕けているのだ、血と脳漿が混じり合ってダンジョンの床を流れていた。

 砕けた骨の隙間から半分消失した脳が零れ落ちている。

 

 誰がどう見たって一目で分かる。

 

 死んでいる、どうしようも無いくらいに。

 

 やるせないような喪失感と、沸々と湧きおこる怒りがない交ぜになってどうしようも無いくらいに感情が抑えきれない。

 手が、足が、肩が、拳が、顔が、歯が、怒りに震える。

 

「ぐ……あぁ!」

 

 言葉にならない感情の渦を口から吐き出すように漏れ出した声。

 怒りで爛々と輝く瞳はただ天井の蜘蛛だけを見つめ。

 

 ―――脚がある?

 

 そのことに気づく。

 フィーアが先ほど切断したはずの後ろ脚がある。

 自身が以前に前脚を焼き切ったのは数日前なのでその間に回復していてもおかしくは無いとしても。

 この短時間でフィーアが切ったはずの欠損までもう戻っている、というのはいくらなんでもおかしい。

 

 そうしてさらに注意深く見ていると、ふと気づく。

 蜘蛛の後ろ側から伸びた糸。臀部の辺りから伸びた糸が天井に張り付いて蜘蛛と天井を繋げていた。

 あれだ、とすぐに察した。

 あれが先程の移動の正体だ、と。

 なんてことは無い。天井に繋いだ糸を引っ張って戻っていただけなのだろう。

 だがまさかあの超巨体を支えるなど、凄まじい強靭さである。

 そしてその糸を一瞬で引き戻して天井まで移動できるとなると、厄介な話だ。

 

 この糸塗れの光景を見れば分かるが、あの糸はいくらでも出てくるし、どこにでも張り付く。

 

 そして直接出した糸を辿っている限り蜘蛛はあの巨体からは想像もできない程の恐ろしい速度で移動できる。いくら直線移動しかできないとは言え、あの巨体が一瞬で視界から消えるほどの速度で移動するというのは厄介過ぎる。

 

 いや、それ以前の話だ。

 

 待て、と言いたくなる。

 

 そうだ、余りの衝撃に忘れていたが。

 視線の先の蜘蛛が俺たちの知っている化け物蜘蛛ならば。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 視線を外すことに僅かな躊躇を覚えるが、けれどもしあの蜘蛛が『複数』存在するなんて話になると不味いなんてレベルの話ではない。

 

 じりじりと後退を続ける。蜘蛛は動かない。さらに後退する。蜘蛛は動かない。

 

 天井の蜘蛛と大分距離を離す。少なくとも天井から降りてすぐにでも潰せる距離ではない。

 間合いと取り、それから先ほど自身が戦っていたはずの燃える蜘蛛がいた場所へと視線を移し。

 

 ―――そこにあったのは抜け殻だった。

 

 フィーアが切断した後ろ脚が欠けた蜘蛛。

 確かに先ほどまで戦っていたはずの蜘蛛だ。

 だがよく見れば()()()()()

 背中の辺りに割れ目があり、中が空洞だった。

 

 まさか、とその意味に思い当たり、顔を強張らせる。

 ハッとなって再び視線を天井の蜘蛛へと向ければ。

 

 まるで衣服を脱ぐかのようにその背が割れ、中身が溢れ出していた。

 

 ぬるり、と体中に液体のような粘液のような何かを付着させながら。

 ふっと、天井から『ソレ』が降って来た。

 

「う、そ……だろ」

 

 さすがに驚かずにはいられない。

 轟音を立て、床を破壊しながら降って来たそれは。

 

 

 ()()()()()()()化け物蜘蛛だった。

 

 

 * * *

 

 

 魔物とは『魔力が無ければ存在し得ない生物』である。

 

 例えば全身が水晶で出来た蜘蛛、なんて本来存在できるはずがない。

 無機物に生命は宿らない。モンスターのように外見的には生命体に見えてもその実は生命ではない存在であることが大半だ。

 だが魔力とは『物理に矛盾する力』だ。

 故に無機物の体を持ち無機物を食らって生きる生命という極めておかしな存在を生み出す。

 

 だが、だ。

 

 魔物とは本来『存在しない』生物だ。

 例え目の前で『実在』しようと種としては『存在』しない。

 何故ならば魔物とは魔力を得て『変異』した生物だからだ。

 故に魔物は大半本来元となった生物が存在する。

 

 で、あるならば。

 

 蜘蛛の形をした魔物が蜘蛛と同じ生態を持っていることに何ら不思議は無い。

 

 蜘蛛と同じように八本脚で歩き回り。

 蜘蛛と同じように糸を吐いて巣を作り。

 蜘蛛と同じように巣で獲物が罠にかかるのを待つ。

 

 ならば、ならば、ならば。

 

 蜘蛛と同じように脱皮することだってあっても不思議ではない。

 そもそも蜘蛛とは脱皮しなければ『成長』できない生物なのだ。

 故に大量の食物(ニンゲン)を食らい、栄養(ホネ)をため込んだならば『成長』するために脱皮することは不思議ではないし。

 

 脱皮に際して体を新しく作る以上、負った傷なども全て元通りになる。

 

 それだけの話ではあるが―――。

 

 

 * * *

 

 

 ―――きちきちきち

 

 化け物蜘蛛が軋るような声をあげる。

 まるでこちらの驚愕を見通し、嘲笑うかのようであり。

 

「ふ……ざ、けんなよ」

 

 肩の抉られるほどの代償を払って焼き切った前脚も、フィーアが切り払ってくれた後ろ脚も、全て一瞬で元通りとなってしまった事実に、歯噛みする。

 

 どうすれば良い?

 

 余りにも理不尽過ぎる化け物蜘蛛の怪物ぶりに、沸騰していた頭に冷や水をかけられたように熱が引いていく。

 先ほどまで怒りで我を忘れていたからか『恐怖(フィアー)』の影響もすでに抜けて体は軽い。

 だがすでに熱は引いてしまっている。怒りを忘れたわけでは無いが、目の前に迫る死の脅威によって強制的に頭を冷やされてしまった。

 

 つまりもう一度魔法を使われればほぼ詰みだ。

 

 大してこちらは攻め手に欠けている。

 『不燃炎』を浴びせ続ければ倒せる、魔物である以上それは絶対だ。

 だが脱皮することで逃げ出すことができる以上、それは必殺の一撃と成りえない。

 

 向こうはこちらを一撃で殺せるのに、こちらにはそれを防ぐ手も無ければ先に致命傷を与える手も無い。

 

 状況的には限りなく詰んでいると言っても良い。

 畜生と内心で悪態を吐く、と同時に。

 

 ―――きちきちきちきち

 

 化け物蜘蛛が動き出す。

 八本の脚で凄まじい速度で近づいてい来る。

 

 どうする、どうする、どうする。

 

 鉄剣は一本折れて残り一本。

 木剣も二本焼き切ってあと二本。

 

 それと―――。

 

「そうだ……」

 

 ソレを思い出すと同時に迫りくる蜘蛛を見やり。

 

「こいつがあったな」

 

 背中に下げた鉄槌を握る。

 

 ―――例え逃げられても良い、何度だって魔法をぶちこんでやる。

 

 握った鉄塊を見つめ、そう決意を固めると、一つ息を吸いそれから吐く。

 一度深呼吸をして僅かに平静を取り戻す。

 そうすると焦って見えなかった物も見えるようになってくる。

 

 ―――大丈夫、行ける。

 

 自らの心を安堵させるように何度もそう呟いて、視線を上げる。

 蜘蛛が目前へと迫って来ていた。

 

 

 化け物蜘蛛の糸は非常に強靭だ。

 何せ超巨大な化け物蜘蛛が天井にぶら下がって落ちないのだから。

 そして同時に非常に不可思議な性質を持っており、先端部は多量の粘球が付着し極めて強力な粘着性を持って壁や床、天井に張り付くのだが先端部以外の部分に関しては全く粘着性が無い。

 通常の蜘蛛の『縦糸』と『横糸』両方の性質を一本の糸で再現しているのだ。

 つまり、床から天井や壁に伸びたこの糸は()()()()()()足場になる。

 

 ―――きちきちきちきちきちきち

 

 迫り来る蜘蛛を前に、傍にあった太い糸を足場にして跳躍する。

 二度の脱皮によってさらに巨大化した蜘蛛は高さだけで五メートルは越す。

 さすがにその距離を普通に跳躍して飛び上がることは難しいが、こうして糸を足場にすればまるでロープのようにしなった糸の反発によって一気に飛び上がり、蜘蛛の頭上を越す。

 

 さすがにそれは予想していなかったのか、蜘蛛が咄嗟に前脚を伸ばすが手にした鉄槌で弾く。

 当然ながら片手で持てる程度の鉄槌(ハンマー)で巨大な蜘蛛の脚を押しのけるなんて無理な話だが。

 空中にいる状態で超質量に向かって鉄槌を打ったのだ、反動だけで一歩か二歩分距離が開ける。

 直後、無理な態勢で脚を伸ばした反動で蜘蛛が床へと倒れ込む。

 すでに全長二十メートルを超す巨体が助走をつけて飛び込んだのだ。進路上にある糸を跳ね飛ばし、慣性に従って数メートル引きずられたところでようやく勢いが止まる。

 

 その間に空中で近場の糸を掴み、ぶらりとぶら下がる。

 掴んだ勢いのまま体の動きで反動をつけ、さらに跳ぶ。

 二回、三回と繰り返せば蜘蛛の真上までたどり着き。

 

「ぶち砕け!」

 

 真上からの強襲、ようやく体を起こした蜘蛛がそれを知覚するが最早遅い。

 鉄槌が蜘蛛の頭(らしき部位)へと叩きつけられる。

 果たしてこの蜘蛛に脳なんて部位があるのか謎ではあるが、斬撃には無類に強いこの蜘蛛も打撃は痛いらしい。

 

 一瞬びくり、と全身が痙攣して動きが止まる。

 

 だが直後には再度動き出そうとして。

 

「もう遅いんだよ……『不燃炎』!」

 

 白の炎が再び蜘蛛を包み込んだ。

 

 

 * * *

 

 

 全身を包む炎にソレは悲鳴を上げる。

 

 ソレの全身は水晶であり、決して『燃えない』物質ではあったが、少しずつ少しずつではあったが自身にとって最も重要な物が削れていくのが確かに実感できた。

 

 先ほども食らった白い炎。

 

 先は体を『創り直す』ことで難を逃れたが、すでに蓄えた物も吐き出し切ってしまった後である。

 もう一度『創り直す』ためにはまた自らの体を構成する物を蓄える必要があるが、そんな悠長なことをしている内に自らの命が消えていくのは明白だった。

 

 魔物にとって『魔力』とは最も重要な物だ。

 

 魔物の定義が『魔力が無ければ存在し得ない生物』である以上、その魔力を喪失することは自らの死と同義である。

 ソレ自身にそんな知識があるわけでは無いが、自らの命の危機をソレは本能的に察して狂乱していた。

 

 死。

 

 迫り来る命の終わりに本能的な恐怖が沸き立つ。

 

 嫌だ、死にたくない。

 

 魔物とは言え生物は生物なのだ。

 死を忌避する当然の生存本能があった。

 

 だがどうすれば良いのかが分からなかった。

 ただ自分の最も大切な何かが削れていく感覚はあれど、この白い炎がその原因だと分かれど、どうすればこの炎が消えるのかが分からない。

 

 ただ捕食の本能が、削れる命を補強しようと視界内の『餌』を求める。

 

 半狂乱となって爪と振るい、突進をしかけ、糸を吐き出すがけれど『餌』はひらりひらりとソレの攻撃を躱し、捕まることは無い。

 

 そうこうしている内にさらに炎が沸き立ち、命が燃えていく。

 

 押し迫る死の恐怖が徐々に、徐々に、ソレの心を埋め尽くしていき。

 

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 

 ―――『恐叫喚(テラー)

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 




魔法名:不燃炎(ノットブレイズ)
階梯:第二階梯/第二法則
使用者:■■■・ルー・■■■■■

『燃えない』物を『燃やす』ための『燃えない』炎。
『燃焼』とは物質の急激な酸化現象ではあるが、全ての物質が簡単に酸素と結合できるわけでは無い。つまり『燃えない』物質というのは存在するのだ。
第二階梯魔法とは第二法則に則った魔法である以上、第一法則に『矛盾』結果を引き起こす。
『燃えない』物質を『燃やす』ための『燃えない』炎は『不燃』の物質のみを対象とし、酸化現象を引き起こさない代わりにひたすらに膨大な熱を増幅し続ける陽炎のごとき白く半透明の炎となる。
この魔法が発現する時、初期状態では使用者の『魔力』によって炎は発生するが、最初に込められた魔力が尽きた時、次は対象の魔力を使用して炎を持続しようする。よって対象が魔力を持たない物質の場合、この魔法は最初に込めた魔力を使用しきった時点で終了するが、対象が魔力を持つならば対象の持つ魔力を全て使用し切るか、使用者本人が消去するまで炎は持続する。



因みに災害種……というか親のほうにこれを使うと、魔力消費量より供給量のほうが多いので火だるまになった全長300メートルオーバーの化け物蜘蛛が狂乱しながら地上で暴れ回ることになります(大惨事


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二十二話

 

 二度、三度。

 放たれるたびに背筋が凍りそうな鋭い爪の一撃。

 荒れ狂ったように暴走気味に突っ込んでくる突進。

 だがそれでも避ける。特に先までの糸を使った移動が無いため視界から消えるようなことが無いのが幸いだった。

 すでに化け物蜘蛛の動きに先程までの余裕が無い、ただガムシャラに乱雑な動きで自身を捉えようとしているが、そんな動きで捕まるはずがない。

 

 それに逆にこちらには先ほどまでと違い余裕があった。

 

 化け物蜘蛛が苦しんでいる。

 

 それはつまり自身の魔法が効いているということだ。

 脱皮で逃げられるかと予想していたが、この状況でそれをしないということは簡単にはできないと考えて良いだろう。

 

 だとすれば、このまま化け物蜘蛛の魔力が尽きるまで耐えれば勝てる。

 

 生への希望が心の奥底にあった怪物への僅かな恐怖を消し去る。

 

「いくらでも相手してやるよ……お前が力尽きるその時まで」

 

 鉄槌を握る手に力がこもる。

 実際あとどれくらいやれるか。

 肩に受けた傷が痛む。傷口は焼き切ったとは言え、派手に出血もした。

 その状態で激しい運動を繰り返しているのだ、息も荒くなっているし、体力も残り少ないのを自覚している。

 

 そして何より、魔法を使い過ぎた。

 

 自身の魔法は自らの『体温』を使用する。

 故に使えば使うほどに体温が下がって行く。

 先ほどの出血と併せて、動いても動いても体に熱が溜まらない。

 

 コンディションはかなり悪い。

 だが、だからどうしたという話だ。

 

 あと少しなのだ……あと少しで化け物蜘蛛を倒せる、そこまで来ているのだ。

 

 少しばかり血が足りずに頭がふらついていても、体温が下がり過ぎて手足の感覚が無くなってきていても、体力が底を突きそうで全身が鉛のよう重くても、焼き切った肩の傷口に激痛が走っていても何だというのだ。

 

「あと少し」

 

 燃え上がる白い炎はそれだけ多くの魔力を燃やしている証左でもある。

 だが段々と段々と、炎が縮小していっている。

 白い炎が燃え尽きた時、それがあの化け物蜘蛛の魔力が尽きた時であり、それはそう遠い先のことでは無い。

 

 ―――あと少し。

 

 最早その言葉を口にする余裕すら無いほどに疲弊しながらも視線だけで化け物蜘蛛を射抜いていた。

 

 直後。

 

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 

 蜘蛛の絶叫が響き渡る。

 広間を反響し、左右から鼓膜を突き抜けていく音の連なりが脳へと届いた瞬間。

 

 ふっ、と。

 

 全身の力が抜け落ちた。

 

「あ、ああ……ああああああ……ああああああああああ」

 

 硬く冷たい水晶の床に転がりながら全身を震わせる。

 先ほどまでの余裕が嘘だったかのように、心に()()()()()()恐怖が体を震わせ、指一本自由に動かせない。

 先ほどまでの本能的な恐怖を喚起させる類の物とはまるで別。

 

 心を強く、だとか意思で克服するだとか、そんな物がまるで無意味だと言わんばかりに。

 

 ―――()()()()を一瞬にして徹底的に()()()()()()

 

 耐える耐えないの話ではない。

 聞こえた瞬間に強制的に心が折られた。

 恐怖の余りに全身が震え、力が入らない。

 指先一本動かず。

 

 ―――きちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきち

 

 炎に包まれた化け物蜘蛛が狂乱染みた軋り声を挙げながら迫って来る。

 不味い、不味い、不味い。

 このままではまともに食らう。

 

 あの炎は自身の魔法だ。

 

 自身が死ねば解除されてしまう。

 

 それはつまりあの化け物蜘蛛が解き放たれるということに他ならない。

 

 避けろ、動け、避けろ、動け、避けろ、動け。

 

 命じても、命じても体は動かない。

 凍り付いたかのように震えるばかりで何一つ思い通りにならず。

 

 ―――ああ、ここまでか。

 

 そんな諦観の思いすら湧き出して。

 

 迫り来る蜘蛛をぼんやりと見つめていた。

 

 あれに轢かれたら……まあ即死だろう。

 

 痛みすら感じぬ間に死ねるのなら……まあ良いかな。

 

 そんなことを考えながら視線をふと動かし。

 

 

 

「……あ?」

 

 

 

 床に転がる銀色を見た。

 

 

 * * *

 

 

「俺たちも死んだらああなるのか」

 

 ダンジョンに食われた討伐隊の面々を見て、確かそんなことを思った。

 

「死にませんよ……私が、死なせません」

 

 内心の動揺を押し殺そうとして、けれど手は確かに震えていて。

 そんな自身の手をそっとフィーアが掴んで。

 

「絶対に……絶対にです」

 

 告げるそのフードの奥から見え隠れする瞳は、真っすぐ過ぎるほどに……ただ俺だけを見ていて。

 

 とても綺麗なアイスブルーの瞳を、ふと思い出した。

 

 

 * * *

 

 

 イヤリングだった。

 

 自身が、フィーアに渡した物で。

 フィーアが片方だけ持っていたはずの物。

 先ほどから大暴れしていたせいで、知らぬ間に転がってきていたらしい。

 

「…………」

 

 フィーア。

 

 蜘蛛に殺された自身の……俺の相棒。

 と言ったって、今回限りの話。

 俺はあいつのことなんてほとんど何にも知らないし、あいつだって俺に何にも話はしなかった。

 だから今回だけの浅い付き合い。

 それでも俺は、あいつのことが嫌いじゃなかった。

 何がしたかったのか、今となってはもう良く分からないけれど。

 

 きっと、フィーアは俺に何かを求めていた。

 

 ほとんど互いのことも知らない、数日前に初めて顔を突き合わせたばかりの俺に一体何をと思うけれど。

 それでもほんの数日。人を好きになるのにそれだけの時間があれば十分だった。

 

 感情表現が不器用で、不格好で、どこか子供っぽくて、どこか人形染みていて、それでいて人間臭い。

 

 そんな少女のことが好きだった。

 短い付き合いだったが、言ってみれば友人のように思っていたのだ。

 

 ―――分かった、受け取っておくが……街に戻ったら返せばいいか?

 

「……やく、そく、あったな」

 

 そうだ、約束があるのだ。

 

 ―――俺には帰るべき場所がある……そのためにもあの化け物蜘蛛はここで止めるし、そのためにも俺は生きて帰る。

 

 フィーアとだけではない、ノルとも約束をした。

 

「まもらなきゃ、な」

 

 何より、()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――ちゃんと帰ってきてね、■■■。

 

「し、ねる……か」

 

 沸々と、心の奥底で何か熱い物が沸きあがって来る。

 

「死ねる、かよ……こんな、とこで」

 

 少しずつ、少しずつ、震える体にゆっくりと、丁寧に、力を込めていき。

 

「まだ、俺は……俺は……」

 

 ―――きちきちきちきちきちきち

 

 半狂乱となって突っ込んでくる化け物蜘蛛を前に。

 

「死ねるかああああああああ!!!」

 

 

 ―――『勇往心燃(イグナイトハーツ)

 

 

 傍に落ちていた鉄槌を思い切り投げつけた。

 ぶんぶんと円運動を繰り返しながら鉄槌が蜘蛛へと迫り。

 

 がん、と硬い音を立てて()()()()()()()()()()

 

 当然と言えば当然だ、先も言ったが質量に差があり過ぎる。

 だがそれでも顔面を強打したのだ、一瞬蜘蛛がふらついて、その進路が逸れる。

 ほんの1メートルか、2メートルほど。蜘蛛のサイズから言ってほんの一歩分ほども無い程度ズレ。

 それでもその僅かな進路のズレが俺の命を救う。

 

 ドドドドドドォォ―――ン

 

 真横を化け物蜘蛛が通り過ぎ、そのまま壁に激突する。

 勢い任せの突撃だったせいで壁に大穴が空いているが蜘蛛はそんなことはどうでも良いとさらにこちらへとゆったりと方向転換、引き返し。

 

「はあ……はあ……」

 

 荒い息を吐き、腰に刺さっていた木剣を杖代わりにゆっくりと立ち上がる。

 すでに心に巣食っていた恐怖はどこかへと消えて行った。

 理屈は分からないが、無我夢中で何か『魔法』を使った気がする、恐らくそれの効果だとは思う。

 だが体の自由を取り戻せど、すでに失った体力や魔力までは取り戻せない。

 最早限界に達しているこの体であの化け物蜘蛛の再度の突進をどうやって止めれば良いのか。

 

 回避は、無理だろう。

 

 体が重すぎる。

 

 元々かなり疲労していたのだ、そこに精神的な追い打ちがかけられた。

 半ば気力で持たしていたのに緊張の糸が先の魔法で切れてしまったのだ。

 堰を切ったかのように溢れだした疲労感が全身を鉛のように重くしていた。

 

 使える手札は木剣二本と鉄剣一本。

 

 化け物蜘蛛の全身を覆う炎は目に見えて小さい。

 ただえさえ魔力を削られ続けているのに魔法まで使ったのだ、当然の帰結である。

 最早化け物蜘蛛にとて時間的な猶予は残されていないだろう。

 

 この突進さえ凌げれば……。

 

 だがどうやって?

 

 回避の手段すら無い以上、どうにかして迎撃するしかないのだろうが。

 あの超質量をどうやって止めれば良いのだろうか。

 

 考え、考え、考えて。

 

「分からん……行くか」

 

 何も思いつかないまま一歩()()()()

 

 ドドドドとまるで洞窟中に反響するような地響きを立てながら蜘蛛が迫り。

 

 

「ルーさん!」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 完全に予想もしていなかった方向からの衝撃に踏ん張ることすらできないまま数メートルの距離をゴロゴロと転がる。

 直後に蜘蛛が直前まで自身がいた場所を通り過ぎて行き。

 

 

 ―――きち……きちきち……きち……きち……ッ!

 

 

 ギイィィィ……ィィ……ィ……

 

 

 断末魔のような悲鳴を上げ()()()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 ルーが動かなくなった化け物蜘蛛を見やり、ゆっくり、ゆっくりと重い足取りで近づく。

 そうして触れるほどの距離まで近づき、それでも動かない化け物蜘蛛を見て。

 

「『不燃炎』」

 

 ルーが何かを呟くと同時に化け物蜘蛛から白っぽい半透明な炎のような揺らめきが立ち上る。

 そうして数秒の間、化け物蜘蛛が燃えるがすぐに炎が消え。

 

「……死んでる、か」

 

 ぽつり、とルーが呟くと同時にその全身が力無く崩れ落ちる。

 

「ルーさん!」

 

 慌てて駆け寄りその体を支えられるが、最早立つ気力すら沸いてこないと、ぐったりと力無く手足を投げ出したルーの肩を揺するが反応は無い。

 疲労の極致(ピーク)であることは見れば分かるので少しだけ化け物蜘蛛から引き離し、持ってきた荷物を枕にして眠らせておく。

 

 目を閉じた途端に寝息を立て始めたルーを見やり。

 

「……お疲れ様です」

 

 小さく呟いた。

 

「……ん?」

 

 同時に気づく、だらんと力無く投げ出された手だが拳だけは硬く握りしめられている。

 何がを握っている、のだとは思うが……まあ良いだろう。

 少し気を取り直して周囲を見渡す。

 蜘蛛の巣、らしい糸だらけの場所。

 気になるのは見えない『もう一人』。

 

「フィーアさんは、どこに」

 

 歩きながら少女の姿を探すが、床が抉れていたり、糸に塗れていたり、天井や壁と繋がった糸が邪魔で通れなかったりと非常に歩き辛い。

 それでも勘便りに『なんとなく』で歩いていき。

 

「…………」

 

 頭半分消失した()()()()()()ローブを着た死体を見つけた。

 それが誰の死体かを理解し、唇を噛み締める。

 

「……ごめんなさい」

 

 それが一体何に対して謝ったのか。

 自分でも良く分からないけれど、それでも。

 

「ごめんなさい」

 

 涙が溢れそうになる。

 フィーアとはそう深い関わりがあったわけじゃない。

 だが全く見知らぬ他人というわけでも無い。

 自身は確かに知れたはずなのに。

 

 ―――こうなることを自身は確かに察すことができたはずなのに。

 

 それは後悔だった。

 自身の怠慢が導いた後悔の結果。

 

「ああ……くそ、なんで」

 

 何で今更後悔しているんだ。

 後悔するなら最初から動いていれば良かったのに。

 

「助けられたんだ、俺なら」

 

 直接的な手出しはできなくても……助言ならば。

 

「いつもそうだ」

 

 口では色々言える。

 だがいつもいつも自分では何もできない。

 そんなもどかしさが胸の内側で燻っていた。

 

 そうして物言わぬ死体となった少女を前に、涙しているその瞬間。

 

「……っ!」

 

 少女が光に包まれる。

 まさか、と気づいた時にはすでに遅く、少女の輝きがどんどん強まったかと思うと、その全身が少しずつ、少しずつ小さくなっていき。

 

「フィーアさん!」

 

 叫び、手を伸ばした直後、ぱぁん、と光の粒子となって消えて行った。

 

「……そんな」

 

 後には何も残らなかった。

 血の一滴すら残らないままに。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 愕然となり、思わず膝を突く。

 ダンジョンに人が食われた瞬間を見たのは初めてだったが。

 

「こんな……こんなのってあるかよ」

 

 血の一滴、服の一破片すら残さず、まるで最初からそこに誰も居なかったかのように死体は消え去っていた。

 

「こんな……まるで何も無かったみたいに」

 

 死体一つ、遺品すら残さず消えてしまった。

 その事実に歯噛みしてしまう。

 しばらくそうして誰も居なくなった空間を見ていたが、やがて振り返ってルーの元へと行く。

 

「生きててくれて良かった」

 

 例え彼だけでも、生きていてくれて本当に良かったと思う。

 静かに眠るルーに安堵の息を漏らし。

 

「帰りましょう、ルーさん……街へ一緒に」

 

 呟き、眠るルーを起こさんと手を伸ばした。

 




魔法名:恐叫喚(テラー)
階梯:第二階梯/第二法則
使用者:アルカサル・ファミリア

『恐怖』の魔法が生命の本能的恐怖の喚起だとするならば、こちらは『自ら』が持つ『死の恐怖』の増幅と転写である。
極めて凶悪な魔法であり、一般的な精神干渉魔法が『精神論』で耐え、軽減することが可能なのに対して、自らの持つ恐怖を『増幅』させそれを『転写』し相手の心に『刷り込み』『刻み込む』ことによって一瞬にして感情を書き換えてしまう。
そのためどれだけ意思が強かろうが無条件に『心が折れ』てしまう。
また『死の恐怖』に苛まれるため『死』による安楽を救いであると錯覚し、自ら求めてしまう。つまり魔法の対象全員に『自殺願望』を持たせる。
そのため万一蜘蛛自身に殺されなくても、最悪自らの手で自らの命を絶ち、『死の恐怖』から逃れようとする。


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二十三話

 

 人の波に賑わう朝の市場を歩きながら横目で並ぶ店々を物色する。

 ふと視界に入った屋台で適当な朝食を購入し、歩きながらささっと朝食を済ませると、少し足取りを早めて目的地へと急ぐ。

 

 そうしてたどり着いたのは冒険者ギルド。

 

 まだ朝早いからか、ほとんどの冒険者は夢の中だ。

 とは言え()()()()ダンジョンが解禁されるのでもう少しすれば一階もすぐに冒険者で埋まってしまうだろう。

 

 とは言え今日の俺の要件はそこではない。

 

「おはよう、アル」

「あ、おはようございます、ルーさん」

 

 入口前で俺を待っていたらしいアルに声をかければ、アルも微笑して挨拶を返す。

 そのまま二人でギルドの扉を潜り、室内へと入る。

 

「あー、いらっしゃいましたかー、お二人ともー」

 

 相変わらず間伸びした声と眠たげな目の猫人の受付嬢がカウンター前でこちらを待っていた。

 どうぞこちらへ、と言われ奥の部屋に案内される。

 基本的にギルド職員しか入ることの無い部屋なので俺が入ったのはこれが初めてではあるが、カウンターのほうから普通に奥が見えるので実際には何度も見た光景が広がっていた。

 

 簡単に言えば事務室だ。

 書類の散乱する机が並ぶ部屋を通り過ぎ、さらに奥の扉へと進む。

 こんこん、と受付嬢が扉をノックすれば中から入れの一言が。

 

「失礼します。ギルマス、例の依頼を受けた冒険者二名が来ました」

「通せ」

 

 その言葉で受付嬢が一歩横にずれて、こちらへと内側へと手招きする。

 それに従って中に入り……。

 

「よく来た」

 

 部屋の奥に置かれた大きなワークデスクとそこに積み上げられた大量の書類片手に顰め面をする男が椅子に座ってこちらへ視線を投げかけていた。

 実際のところ、俺も見るのは初めてだがこの部屋の主であるこの男が。

 

「ああ……本当に良く来てくれた。一応紹介しておくと俺がこのペンタスの冒険者ギルドのギルドマスターだ」

 

 ギルドマスター。つまりこの冒険者ギルドの長である。

 それは同時に。

 

「まあ知っての通り貴族階級にあるが、冒険者に礼儀なんて物求めてもいないんで気にしなくても良い。取り合えずソファーにでもかけて楽にしてくれ」

 

 この男がこの街……否、このペンタスの街を含む周辺の領地を治める貴族、領主の家系の人間であることを示していた。

 

 

 * * *

 

 

 冒険者ギルドとは以前にも行ったが『ダンジョン管理局』という国家機関が解体され、国家から委託される形で作れた組織である。

 そして国家機関である以上は当然ならその頂点は国家であり、ひいては『王族』である。

 その王族から委託されるのだから必然的にその委託先は『貴族』になる。

 

 とは言えこれには相応に理由がある。

 

 冒険者ギルドというのは結局のところ『ダンジョン』から産出した物を扱うための機関だ。

 ダンジョンや冒険者の管理というのも結局のところその一環でしかない。

 このペンタスの街の例を挙げても分かる通り、ダンジョンから産出する資源は国家にとって非常に有益であり、貴重な物でもある。

 ダンジョン一つ増えるだけで国家間のパワーバランスが揺れるほどにダンジョンというのは重要な国家の『資源』なのだ。

 それを管理、委託を任されるとなるとそういう上の立場からの視野が必要になる。

 ただ無計画に流せば良い物でも無いのだ、商業の流通ルートに乗せるということは最悪他国に流れる危険性だってあるのだから。

 

 故に冒険者ギルドのトップは大局的視点を持つ人物が必要になる。

 

 さらに言うならば国営だったダンジョン管理局が解体されたのは戦争によって維持するだけの費用や人材がいなくなってしまったからだ。

 

 だからそれを委託するならば財力もあり、人材や人脈を持ち、それでいて大きな視野で物事を見える人物となる。

 

 そんなもの、王族を除くならば貴族しかいるはずも無い。

 

 少なくともこの国……ノーヴェ王国ではそうだった。

 

 故に冒険者ギルドは王都にその本部を持ち、その本部で委託された貴族*1が集まって作った貴族の会合が会議の場を持って各地のダンジョンを管理するための人材、つまりギルドマスターを決定している。

 そして当然ながら自分の領地から出土する資源を他の家系の貴族に管理されるなんて真っ平御免だという話になるため、基本的にギルドマスターというのはそのダンジョンのある領地を治める貴族の家系の人間が選ばれるのだ。

 

 因みにこのイアーズ大陸における12の国家の中には統治者が王権を持たない国家もあるが、そういう国家だろうと王国だろうと皇国だろうと『十二国条約』によってダンジョンなどの管理方法、管理規定、管理条例の一括化がされている。

 つまりどの国のどんな冒険者ギルドに行こうと基本的には同じ運営の仕方がされている。

 なので冒険者の側も自由に他国に行って他の国のギルドの世話になったり、好きにダンジョンに潜ったりできる。

 

 

 * * *

 

 

 そもそもの話。

 俺たちがダンジョンに潜って化け物蜘蛛と戦ったのはアルからの依頼ではあるが。

 封鎖されていたダンジョンに潜ることができたのはフィーアがそういう依頼を受けたからだ。

 

 そのフィーアは死んだ。

 

 残念ながらそれは事実だ。

 とは言え俺たちはそのパーティメンバーとして選ばれ、そして戻って来た。

 である以上、その報告というものが必要になる。

 だが依頼を直接受けたのはフィーアである。そのフィーアは居ない。

 少しばかりややこしい話ではあるが、俺たちがフィーアと一緒にダンジョンに潜ったということを証明できなければ、俺たちが報告する『権利』が無い。

 じゃあもう無視すれば良いのかと言われればそんなことして良いわけも無い。

 少なくともフィーアの受けた依頼のパーティメンバーとして同行した以上それは『義務』なのだ。

 

 報告する『義務』があるのに、報告する『権利』が無いというのは酷くおかしな話ではあるのだが、ギルドの制度上報告には『正当性』と『正確さ』が必要となってしまうので仕方がない話ではある。

 

 あの化け物蜘蛛を討伐してからすでに三日以上の時間が経っている。

 

 街に戻ったノルベルト・ティーガからの報告により一時は騒然となった冒険者ギルドだが、その後戻った俺たちの報告で今度は別の方向で大騒ぎとなった。

 その時に軽く報告はしたのだが、実際問題俺もあの化け物蜘蛛との戦いで大怪我を負ったし、肉体的にも精神的にも、そして魔力的にも限界だった。

 ギルドとしても実際に倒された化け物蜘蛛の確認に向かわなければならなかったし、確認が取れれば今度は封鎖を解くための準備も必要もあって、両者ともに時間が必要だったのだ。

 

 結果的に三日後の今日、報告のためにギルドを訪れるように昨日通達があった。

 

 すでに俺たちがフィーアと一緒にいたという証明はノルがしてくれているらしい。その辺は大丈夫だと言われたのでダンジョン内部で何があったのか、それを淡々と『事実のみ』を報告していく。

 フィーアが死んだ、その話をした時はさすがにギルマスも思うところがあったのか眉間に皺を寄せていたが最終的には。

 

「―――そうか。報告確かに受け取った、もう良いぞ」

 

 それだけ告げると俺たちに退出を促した。

 出る間際、目を瞑り、深く息を吐き出すその姿は、少し疲れて見えた。

 

 

 ギルドを出るとすでに朝日が高く昇っていた。

 街は働きに出る人たちで溢れかえり、ダンジョン解禁の報を聞いてギルドに続々と冒険者がやってくる。

 そんな彼ら、或いは彼女たちを見送りながらギルドを背にして歩きながら、うーん、と一つ背伸びする。

 ソファーは中々座り心地は良かったが、どうにも座った時の沈み込むような感覚に慣れず、肩が凝ってしまっていたのだ。

 

「さて、それじゃあこれで全部お終いだな」

「……はい」

 

 アルからの依頼はあの化け物蜘蛛を倒した時点で終わった。

 フィーアの受けた依頼はたった今、報告を終えたことで終わった。

 今回の件に関してはこれで終了ということになる。

 

 とは言えだ。

 

「折角だ、一緒に酒場でも行くか」

「え……?」

 

 一仕事終えた後に飲んで騒ぐのは冒険者の常だ。

 そう思い、アルに声をかければ少し驚いたように俺を見た。

 

「でも、そんな……」

 

 少し戸惑うように、どこかやるせなさそうに。

 言葉を濁すアルに首を傾げ。

 ふとアルが()()冒険者だったことを思い出す。

 

「もしかして、不謹慎だとか思ってるのか?」

「え……いや」

 

 半分当たりってところか?

 

「フィーアのこと、気にしてる?」

「っ! それは……」

 

 こっちは大当たりって感じ。

 

「なるほど、ね」

「逆に……ルーさんは、どうなんですか?」

 

 問われ、少しだけ目を丸くする。

 フィーアのことを気にしてないかどうかと言われれば。

 

「当たり前だけど、全く気にしてない、とは言わないな」

 

 付き合いこそ短かったが、優秀でどことなく目を離せないやつだった。

 何だかんだ俺は結構好きだったし、生きていればまたパーティを組みたい、素直にそう思えるやつだった。

 

 とは言え。

 

「冒険者稼業はいつだって命賭けだ。比較的な安全はあっても、絶対の安全は無い」

 

 言い換えれば、いつだって大なり小なり死の危険は付き纏っているのだ。

 

「だから冒険者ってのは自分の命に自分自身で責任を持たなきゃならない」

 

 だがそんなものは冒険者に限った話じゃない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そしてだからこそ、自分の命の『使い道』は自らで決めなければならない。

 

「フィーアは自分で選んであの場所に向かったんだ」

 

 例え切欠はアルの依頼だったとしてもそれを受け入れたのはフィーア自身。

 

「だから死んだことは残念に思う。居なくなったことは悲しいし、寂しい。あいつを殺したあの化け物蜘蛛には怒りだって沸いた」

 

 けれど。

 

「だからってそれをいつまでも引きずりはしない。冒険者ってのはそういう生き方をしてるんだよ」

 

 昨日まで隣で酒をかっ食らっていた仲間が次の日の冒険で居なくなるなんてことザラで。

 さっきまで今晩の飯と酒を語り合っていたはずのやつが次の瞬間には死ぬなんてこと当然のようにある話であり。

 

「理不尽だよ、不条理だよ、でもそんな世界に身を置いてるのは俺たち自身の『選択』なんだよ」

 

 嫌なら逃げれば良い。誰も強制なんてしない。

 冒険者は決して楽な職業じゃない。命も賭けるし、痛い思いもする。辛いこともあるし、苦しいことだっていくつもある。

 それでいて決して儲かるわけじゃない。誰もが最初はランク1からのスタートだが、ランク1の冒険者の日々の稼ぎではその日暮らしが精いっぱい。下手に怪我でもすれば大赤字で生活にすら困窮する。

 実際そうやって冒険者の『成り損ない』というのは毎年のように増えている。

 

「生も死も全部飲みこんで俺たちは生きてる。だから俺たちは冒険から帰ってきたら騒ぐんだよ」

 

 ―――ああ、今回も生きて帰れた。

 

 そうやって生の悦びを堪能し。

 

 ―――死んだあいつの分まで。

 

 そうやって死の悲しみを払拭する。

 

 冒険者とはそういう生き物なのだから。

 

 

 * * *

 

 

「……はぁ」

 

 アルフリート・リュートは嘆息し、手の中のジョッキを一気に傾けた。

 ごく、ごく、と冷えたエールを飲み干し、バンッとジョッキを叩きつけるように机に置く。

 そうして机の上に置かれた皿の一つに手を伸ばし、先ほど焼かれたばかりの鳥の肉にフォークを突き立てると一気にそれにかぶりつく。

 

「…………」

 

 もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。

 そうしていつの間にか中身の注ぎ足されていたジョッキを手に取りまた傾ける。

 

「……ぷはぁ!」

 

 腹の中に抱えていたもやもやとした感情を吐き出すように大きな息を吐くと、なるほど確かに言われた通り少しだけ軽くなった気がする。

 

 そうしてふと視線を上に向け。

 

「不味い! もう一杯だ」

「か……ルー。お前飲み過ぎじゃないのか」

「良いんだよ、普段飲まねえんだから今日だけは。お前も飲めよノル」

「十分飲んでるよ……そもそも俺は騒がしいのは嫌いだ」

「堅いなあお前」

「今のお前が珍しすぎるだけだろう」

 

 男二人並んでジョッキ……どころかタルで酒を飲み干している姿を見やる。

 普段は酒の一滴すら飲まないとか言ってたはずのルーが浴びるように酒をかっ食らっている、そんな姿は隣にいる男曰く珍しいようだった。

 

「……はぁ」

 

 今日何度目になるのか分からないため息。

 アレを真似て無理してみてもやはり心は晴れない。

 フィーアの死という事実が、アルの心に消えない傷を刻んでいた。

 

 そもそもこれが初めてだったのだ、自分の直感に人を『巻き込んだ』のだ。

 

 そうしなければならない事態だった、というのが実際のところではあるが、今までのアルは危険があっても『避けて』きた。

 その道中で周りに危険が及ぶならばそれを『報せ』てきた。

 ほとんどの人間はそれを戯言として受け取り死んでいった。

 あの村の人間たちだってそうだし、ルーたちと出会う切欠でもあった冒険者たちもそうだ。

 

 そういった人間たちに関してアルが思い悩むことは無い。

 

 ―――自業自得だ。

 

 少なくともアルは忠告してやったのにそれを無視したのは彼らなのでその時点で彼らはアルから『切り捨て』られているのだ。

 だから彼らが死んだことには大して感慨も無い。どうでも良いやつらだったから。

 だがフィーアは逆だ。フィーアと、そしてルーの二人はアルが自分の意思で『巻き込んだ』のだ。

 

 今までずっと『被害者』だったアルは、この一件で初めて『加害者』になったのだ。

 

 それだって別にアルが悪いわけじゃないとは自分でも分かっている。

 放っておけば街が滅びた……最悪世界規模の災害となっていた可能性を考えればアルのやったことは極めて正しい、褒められて然るべき行為だっただろう。

 

 ()()()()()()()フィーアの犠牲を許容できるかと言われればそれはまた別の話だった。

 

 ―――理不尽だよ、不条理だよ、でもそんな世界に身を置いてるのは俺たち自身の『選択』なんだよ。

 

 先ほど言われたルーの言葉が思い起こされる。

 本当にこの世界は『理不尽』で『不条理』で、突然のように人から大切な物を奪い去って行く。

 それは冒険者だけに限った話ではなく、ただの村人だったアルがこうして村を捨てて街にいること自体もその理不尽の結果だと言える。

 

 だが、だ。

 

 だからと言って。

 

 『仕方なかった』なんて言葉で許容できるはずがない。

 だってアルが一緒に戦えたなら、アルにその力があったなら。

 フィーアの死という理不尽は回避できたかもしれないのに。

 

「……はぁ」

 

 嘆息一つ。

 

 結局ソレなのだ。

 

 命を賭けた世界において。

 

 弱い、とはただそれだけで罪だった。

 

「……はぁ」

 

 何度嘆息したって、きっとこの想いを許容できることは無いのだろう。

 

 だからアルフリート・リュートは今日もまたため息を吐き……ジョッキを一息に呷った。

 

 

 

*1
基本的に領地内にダンジョンを持つ貴族が選ばれている。ただし一部管理能力が不足していたりで別の貴族が選ばれていたりもする。




というわけで次回エピローグっぽいもの書いたら二章突入。
二章はダンジョン探索から離れるかな?
ルーくんの『お嬢様』とか『通信』のお相手とか出で来る予定。




それとは別に適当に作ってみたやっつけ感溢れるボスデータ。



【概要】

名 前:アルカサル・ファミリア
種 族:魔物
レベル:70
魔法名:『恐怖』
全 長:28メートル
総重量:75トン
危険度:C
(怪物級。ダンジョンボスとほぼ同格、或いはそれ以上の存在であるが現状ダンジョンの外に出ると弱体化するため危険度という意味では中の上程度)
脅威度:A
(人類に対して極めて好戦的であり、ダンジョンから出てきた場合、災害種に匹敵する脅威と成り得る)


【行動】

引っ掻く:脚部の爪を使っての攻撃。圧縮された硬水晶を非常に尖らせたその爪は非常に鋭利であり、水晶の壁や床を削り、堀り進めるほど。当然人間など一撃で即死である。

噛みつく:体の前面にある口の牙を使っての攻撃。爪と同じく鋭利である。獲物を『食い千切る』ための犬歯のような物と、鉱物を『磨り潰す』ための臼歯のような物がある。

体当たり:二十メートル近い巨体と60トンの重量が激突するだけで大半の生物が即死する。これに対して耐えられるのは『肉体の格』が余程上回っている時だけであり、レベル差すらも無意味と化してしまうほどに、純粋な重量こそが『必殺』と化す。

移動:その鋭利な爪を『食い込ませる』ことによって壁や天井などを縦横無尽に移動可能。また多脚型の生物のため移動も相応に素早く、曲がる、止まるも自在。

繰糸:捕食した生物の骨や食らった鉱物などを体内で粉砕し、内臓器官の一つで分泌される体液と混ぜることで非常に細く、硬く、頑丈な鉱物性の糸を生成する。これを使って天井からぶら下がったり、獲物の動きを止めたり、罠を仕掛けたりと多彩な使い方ができる。

恐怖:魔法。対象の心理に『恐怖心』を植え付ける。恐怖に駆られた存在は正常な行動ができなくなる。




蜘蛛さんは基本的にシンプルに作ってあります。
肉体スペックだけでシンプルに凶悪だからね。
親のほうになるともっと行動が多い。


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二十四話

 

 

「……死にたい」

 

 目を覚ますと同時、朝から不謹慎な言葉が口から洩れる。

 窓から差し込む朝日が室内を照らし上げ、二度寝しようと閉じられた瞼越しに煌々と照らしてくる。

 ベッドの上にうつ伏せになったまま、もぞもぞと腕を伸ばし、傍にあるはずの机を探す。

 指先に当たる木の感覚にさらに指を伸ばし、そこにあるはずの水差しを探し。

 

「ぐ……ぐああ……」

 

 ズキズキと痛む頭を押さえながら水差しの取ってを掴むと、ゆっくりと上半身を起こす。

 水差しに直接口を付け、入っていた水を一息に飲み干していく。

 すっと喉の奥へと流れていくぬるくなった水がけれど今は心地よい。

 水差しを置いて、朝日の差し込む窓へと視線を向け。

 

 ぱたん、と窓を閉じる。

 

 そうして布団を被り直し。

 

「……寝るか」

 

 鈍痛に頭を抱えながら呟き、目を閉じる。

 

 見事な二日酔いだった。

 

 

 * * *

 

 

 頭痛と戦いながら二度寝を始めた物の、すぐに目を覚ました。

 理由は簡単である、腹の中に溜まった物が込み上げてきて寝てる場合じゃなくなったから。

 

「……ふう」

 

 それから数分後、空っぽになった胃に妙な清々しさを覚えながらトイレを出る。

 一つ伸びをし、部屋を出るとそのまま階下へと降りる。

 未だに収まらない頭痛に頭を押さえながら酒場へと出ると漂ってくる酒の臭いに思わず顔を顰める。

 カウンター席に着くと店主に適当な注文をする。

 

 さすがに酒場の店主だけあって、二日酔いの相手も知った物らしい。

 通しで出てきた塩で揉まれた胡瓜をぽりぽりと齧れば口の中に広がる青臭さと強いくらいの塩気だったが、一緒に水を飲めば苦にはならない。というかむしろ今の状態ではさっぱりとして少しだけ気分も良くなった。

 

 さらに続けて出されたのは中心の芯を抉るようにカットされた白い果物。

 リンゴのようにも見えたが、ついている皮が黄色なので梨だろうか。

 寒冷な気候のノーヴェ王国では余り見ない品ではあったが、食べてみればしゃりしゃりとした不思議な触感でするりと喉を滑っていった。

 

 そして最後に出てきたのは野菜の煮込みスープ。

 付け合わせのパンは保存用に乾燥されているので浸して食べるのが基本だ。

 

 そうして軽い朝食を食べ終え、まだ気怠さと頭痛と気持ちの悪さの残る体を引きずって部屋に戻る。

 

 ベッドの上にごろんと寝転がり、もうひと眠りするか、と目を閉じた。

 

 直後。

 

 キィーン、と耳鳴りのような音が響いた。

 

「……うぐ」

 

 普段なら何ともないその音も、二日酔いの今にはきつい。

 呻き声をあげながら音の元凶……『通信』へと手を伸ばす。

 荷物の中でピカピカと発光し、自己主張する水晶玉を手に取り魔力を流して起動させる。

 

「もしも―――」

『おはよう、元気してる?』

 

 受信が繋がった直後、もしもしと言うよりも早く声が聞こえてくる。

 

「何だよ、こんな朝っぱらから」

『そっち何か事件があったそうじゃない。昨日ようやく情報が届いてお嬢様も心配してたわよ』

「ん? 今頃か。えらく遅かったな」

 

 『通信』に似た情報伝達系の魔導具は割と多いし、普及もしているので同じノーヴェ王国内ならば一日あれば情報なんて伝わる物だと思っていたのだが、三日四日してようやく、というのは少し遅い気がした。

 

『こっちもちょっと問題が起こっててね。それでアナタ、こっちに帰ってきなさい』

「お嬢様は?」

『とっくに機嫌も直ったわよ。アナタが事件に巻き込まれたって聞いて昨日からずっと落ち着かないみたいだから、早く顔出してあげなさいな』

「そうか……分かった、すぐに帰る」

『そうして頂戴。今ちょっと面倒なことになってるから、出来るだけ急いでね』

「了解」

 

 告げて、向こう側からのそれじゃあ、という言葉と共に通信の接続が切れる。

 何の反応も居なくなった水晶玉を荷物の中に戻すと、一つ息を吐く。

 

「ようやく帰れるな」

 

 別にこの街が嫌なわけでは無い。

 良い出会いもあった、悲しい別れもあったが、それでも来て良かったとは思う。

 とは言え、俺には俺の帰る場所がある。

 

「まあそもそもこの街に来たの自体、お嬢様の命令なんだがな」

 

 呟きつつ、嘆息した。

 

 

 * * *

 

 

 アルフリート・リュートは嘆息する。

 そうしてがやがやと騒がしいギルドの中、広間の半分ほどを陣取る売店の隅のテーブルに座り先ほど注文したばかりの果実水(ジュース)をちびりちびりと飲みながら受付の前に並んだ冒険者たちへとぼんやりと見ていた。

 

「どうしようかなあ」

 

 呟きつつ、コップを傾ける。

 そうして中身のなくなったコップを机の上に置くと、財布をひっくり返す。

 ころん、ころんと中から転がり落ちてきた硬貨を摘まみ上げ、勘定分を差し引いてまた財布に戻す。

 今まで散々ため込んできた貯蓄はルーに払った。

 一週間分くらいの生活費は残してあるが、いずれにしろまたダンジョンに潜って稼ぐ必要があるだろう。

 

「……それだけなら、まあ簡単なんだろうけど」

 

 以前までのアルならばもう少し困っていたかもしれないが、()()()()ならばそう難しい話でも無い。

 

「なんか横から掻っ攫ったみたいで気が咎めるけど」

 

 あの化け物蜘蛛を倒した瞬間、あの場にいたせいか、それともルーを助けたお陰か。

 アルのレベルは以前より飛躍的に上昇していた。

 気づけば12だったレベルは20を超えており、単純なレベルだけならランク3冒険者の域に達していた。

 

 レベルの上昇判定というのは実際のところ良く分かっていない。

 

 基本的に戦闘をこなすことで上昇するとは言うが、今回の例のように直接的に戦闘に関わっていなくても上昇したりもする。

 特に10レベル近い上昇値は正直異常としか言いようがないが、あの化け物蜘蛛が相手だったと考えればそれも不思議では無いのだろうか。

 きっと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだろう。

 

 まあ気が咎めるからと言って返すこともできないのだから、幸運だったと割り切るしか無いのだが。

 

 それにあの瞬間あの場所に居たのは、あの時ルーを助けることができたのは決して偶然ではない。

 

 ―――『予見(フォアサイト)

 

 それがルーの教えによって生み出されたアルフリートの魔法である。

 アルがいつも感じ取っている『直感』は恐らく、アル自身の『属性』が影響しているのだろう、というのがルーの言である。

 基本的にアルの直感はアルの任意で能動的に使えるような類の物ではなく、思考を巡らせた時や逆に何も考えていない時にふっと閃くように浮かび上がってくる。

 だがそれを『魔法』として成り立たせることで、ある程度能動的に、アルの指定した事柄に対して、魔法の起動を条件として直感を発動できるようになった。

 

 つまりアルがあの時、ルーを助けることができたのは『ルーの危機』を事前に知っていたからだ。

 

 とは言え実際に魔法が発動したのは洞窟を出た後だったのだが。

 怪我を負ったノルベルトを来る時に乗ってきた馬車に預けて急いで戻って来たのもこのままでは全員死ぬと魔法が教えてくれたからだ。

 事実あの時ルーを助けられなかったら、あの化け物蜘蛛は生き残り、ダンジョンで力を蓄えいつかの夢の通りに街にやってきていただろう。

 

「……でももっと早く使えてれば」

 

 否、それは無理だった。

 『ルーが死ぬこと』はつまりあの化け物蜘蛛が生き残ることだった、それはつまり将来的なアル自身の危険を意味する。

 だからこそ、あの瞬間『ルーの危機』を『予見』できたのだ。

 逆に言えばもしあの時、ルーとフィーアが死ぬ順番が逆だったら、自分はルーが死んだ後にフィーアを助けていたのだろう。

 

 未だにまともに使いこなせているとは言い難い魔法。

 

 けれど、もしあの時使いこなせていればフィーアの危険も察せていたのではないだろか。

 

「……はぁ」

 

 嘆息。堂々巡りの考えがここ数日ずっと止まらない。

 

 結局その結論は一つになるのだ。

 

 ―――自分が弱かった。

 

 それに尽きるのだ。

 

 アルがもっと強ければ一緒に戦えた。

 もっと魔法を使いこなせればフィーアも助けられた。

 もっともっと力があれば……そうすれば。

 

「強くなりたいなあ」

 

 ぽつり、と呟いたそれはけれどギルドの雑踏に紛れて消えていく。

 

「強くなりたいか?」

 

 ―――はずだった。

 

 

 * * *

 

 

「ルーさん?」

 聞こえた声に振り返れば、そこに昨日別れたばかりの少年がいた。

「よっ、ちょっとばかし話があるんだが、良いか?」

 今しがた売店で買ってきたのだろう果実水の入ったコップを片手に、自身の返事を待たずに隣に座る。

 話とは一体何だろうと思いつつ視線をやり。

「お、このジュース美味いな……」

 コップを呷りながら呟くルーは、けれど中々話を切り出そうとはしない。

 

「あの、話って?」

 

 じれったくなって、こちらから切り出せばルーの視線が一瞬こちらを向き。

 

「ああ、まあ……ちょっとな」

 

 言葉を濁すような言い方に、一体何を言うつもりなのだろうと僅かに身構える。

 そうして。

 

「アルは……冒険者であることに拘りみたいなの、あるか?」

「……はい?」

 

 口を開いたルーから問われた言葉に思わず首を傾げる。

 とは言えルーの視線は真剣そのもので、冗談や茶化しではないようで。

 

「いえまあ、前に少し話したと思いますけど、手ぶらで故郷飛び出してきたようなものなので、そんな状況で稼げる手段って限られてるじゃないですか。それに俺みたいなガキが一人で生きていくならやっぱ冒険者くらいしか無いと思いますし」

 

 この国における成人は十五歳だ。

 現在十三、もうすぐ十四にはなるが、それでもまだ成人には一年以上の時がかかる。

 基本この国では成人にならねば職業に就くことができない。

 その辺り、冒険者は厳密に言えば職業ではないので余程幼くなければ何か言われることも無い。現に十二歳の時に冒険者登録が出来たほどだ。

 

 正直このまま冒険者稼業を続けていくかどうか、少し悩んでいるのも事実だった。

 

 何せ冒険者とは常に命懸けだ。

 今回だってルーやフィーアが居なかったら自分は一週間以上前に化け物蜘蛛に食われて死んでいただろう。

 来年、もしくは来年以降。

 成人し、自活できるだけの金を溜めたらどこか安全な職に就くのも良いのではないか。

 そんな風に思ったりもしている。

 

「そうか」

 

 そんな自身の思いをつらつらと語ってみれば、ルーが一つ頷き。

 

「それならアル、お前……うちに来ないか?」

「うち? と言うのは、チームを組むってことですか?」

 

 自分の知る限り、ルーはノルベルトなど有名な冒険者とも知りあいのようだったが、それでもチームを組んでいる様子は無かったので少し意外に思っていると、ルーが首を振ってそれを否定する。

 

「違う、そうじゃない。というかそうだな、前提からして間違えてたな」

 

 間違えたな、とルーが頭をがしがしと掻き、えーえー、と少しだけ考えるような素ぶりを見せ。

 

「大前提として、まず俺は冒険者が本業じゃないんだ」

 

 あっさりと、そんなことを言ってのけた。

 

 

 * * *

 

 

 俺が今名乗っているルーというのは別に偽名……というわけではない。

 ただ長ったらしい本名の一部であるのだが、単純にそれだけ名乗ると酷く偽名っぽいのは事実だ。

 正確に言うなら俺の『実家を継ぐ』ことを意味する名前が『ルー』というミドルネームになる。

 だから俺のファーストネームやセカンドネームというのはまた別にあるわけだが、それはまたその内のこととして。

 

 やや長ったらしく、それでいて大雑把な説明だったが、それでもアルはなんとか理解したらしく、最終的にはこちらの誘いに乗った。

 

 ―――別に冒険者で居続けたいわけでも無いですから。安定した職がもらえるならそちらのほうが良いに決まってます。

 

 という打算的な思惑だったが、俺とアルの間に打算を抜きにできるほどの友情や信頼があるわけでも無い以上それは当然だろう。

 と言うか、俺だって打算的にアルを勧誘した以上、人のことを言えた義理ではない。

 

 そもそもを言えば、この街で人を勧誘などするつもりも無かったのだ。

 だがそんな俺の気を変えてしまうほどにアルの魔法は有用だった。

 それに本人に強くなる気があるのも良い。

 

 間違いなく、アルはこのまま成長を続ければ強い戦士になれる。

 

 或いは良い冒険者、だろうか。

 

 非常に有用な魔法を持ち、戦う才能も持ち合わせている。

 未だ未熟ではあるが、将来性があり、それでいてまだ誰もその価値に気づかず、本人もまた俺とくらいしか『縁』が無い。

 

 これほど優良な物件があるだろうか。

 

 何よりアルには『しがらみ』が無い。

 俺の周りにはそういう面倒な『しがらみ』が多いので厄介亊を抱えていたりするとこれ以上は、と勧誘を止めていたところだったが、アルにはそういう余計な『しがらみ』が無い。

 

 それは目に見える物でも無いし、即効性がある物でも無い。

 

 だがそういう小さな縁の結びつきが良い結果にも悪い結果にもなり得ることを俺は知っている。

 

 だから色々な意味で、アルは良い人材だった。

 

「ま、事後承諾になるけど……ダメならうちで雇えば良いしな」

 

 流れていく景色を見やりながら呟く言葉は風と共に流れていく。

 自身の後ろでは初めて乗る乗合馬車*1が珍しいのか目を丸くするアルがいたが、どうやら聞こえなかったらしい。

 

「到着までもう二、三回乗り換えないとダメかな」

 

 目的地である俺の故郷エノテラは同じノーヴェ王国内にあってもそれなりに距離がある。

 ペンタスの街がノーヴェ王国とオクトー王国の国境近くにあったのに対して、エノテラはディッセン皇国側にある。

 そのため同じ国内でも移動に数日かかるのだ。

 

「……ま、のんびり行くか」

 

 急いで帰る、なんて通信じゃ言ったが、急いだところで馬車が急に早くなるわけでも無し。

 

「……ふ、あ」

 

 ゆったりと進む馬車に揺られ、思わず欠伸を一つ。

 遠ざかって行くペンタスの街を見やり。

 

「ま、悪くなかったかな」

 

 呟き、指先を摘まんだ()()()()()()()()を目の前にかざす。

 

「じゃあな、フィーア」

 

 そうして今はもう居ない『友人』にそう呟いて、目を閉じた。

 

 

 * * *

 

 

 薄っすらと目を開く。

 そうして見えたのは薄暗い中に浮かぶ、ぼんやりとした淡い光。

 ごぽり、と口から漏れ出した泡が浮かび上がっては消えていく。

 うっすらと開かれた視界に移るのは、半透明なガラス状の何か。

 そこから向こう側の景色が見えるかとぼんやりと見つめるがけれどただ見ているだけで何かが変わるはずも無かった。

 

 ―――。

 

 何か、あったような気がした。

 何か、大切なことがあったような、そんな気がした。

 けれどぼんやりとした頭ではその内容までは浮かんでは来ない。

 

 ―――。

 

 ごぽり、と口を開くと泡が漏れ出した。

 全身が液体に包まれていることにようやく気付くがけれど息苦しさは感じない。

 

 否。

 

 そもそも呼吸などしていないのだから、感じるはずも無かった。

 

 ―――。

 

 けれどそんなことにも気づかない。

 呆けた思考で空回りし続けて。

 

 こつん、と足音が響いた。

 

 こつん、こつん、と足音がこちらへと近づいてきて。

 

 そして半透明なガラス状の何かの向こう側に影が映る。

 

 ―――。

 

 それを見た瞬間、脳裏に何かが浮かび上がりそうになって。

 

「『傀儡操(コントロール)』」

 

 影が何かを呟くと同時に全身に電流が走ったように、びりっとした感覚。

 直後、暗転する意識。

 

 ―――。

 

 ―――。

 

 ―――。

 

 そうして何ら思い出すこともできないままに。

 

 『ソレ』の意識はあっさりと堕ちた。

 

 

 

*1
街と街を繋ぐ街道を往復する大型馬車。だいたい10~15人程度の人間が一度に乗れる。




用語集とか欲しいです?
実は全部アドリブで書いててそんなもの一切作ってないので、必要なら作るけど。

それはそれとして、次回から二章になります。

目指せ、ジャングル大帝ルーくん。


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二章『闇哭樹海』
一話


 

 

 

 およそ150年ほど前。

 人魔大戦というイアーズ大陸史上最大規模の戦争が勃発した。

 地上に現れた魔族と人類の勢力圏を守らんとした人類との戦いは100年にも渡って続けられた。

 

 当時人類は大陸中央部に存在した『イアーズ帝国』という一国家が大陸統一を成し遂げており、それに従属する十二の国家が大陸の端で細々とあるだけだった。

 イアーズ大陸の名はこのイアーズ帝国に由来しており、人類史上初めて単一国家によって大陸統一を成し遂げた国としてその名を残している。

 とは言えそれも数百年以上前の話であり、長い時の流れの間にイアーズ大陸には皇帝の血族がそれぞれ従属国家として大陸の端で十二の国を興していた。

 つまり当時のイアーズ大陸には巨大な覇権国家とそれに従属する十二の小国の十三の国が存在していた、ということになる。

 

 だが全ては人魔大戦によって変わる。

 

 地上に突如出現した魔族の軍勢によって()()()()()()()()()()()()()()

 

 イアーズ帝国の首都『デュランタ』は大陸の中央部に位置する。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 人魔大戦が実に100年近く続く大規模な戦いとなったのは結局それこそが最大の理由だったのだろう。

 数百年もの間大陸に覇を唱え、栄華を極めた史上最大の帝国は大戦の始まりからたった数日のうちに崩壊してしまった。

 結果的に残った十二の小国が崩壊した帝国の領土を接収し、魔族との戦いを始めた。

 

 そしてそれが戦争を長引かせた次なる理由だった。

 

 十二の小国の指導者たちは全員帝国の頂点たる皇家の血族だ。

 つまり彼らには()()()()()()()()()()()()()()

 このイアーズ大陸に覇を唱えた最強の国家の後継。その座を巡って十二の国家の指導者たちは戦争の裏で暗躍を始める。

 この時代、国家間での謀略や暗躍が横行し、一日一人はどこかの国で政府関係者が暗殺されていた、なんて話もあったくらいに魔族と戦争しながら人間同士でも争っていたらしい。

 

 実に愚かな話ではあるが、そんな愚かな話には愚かな結末が待ち構えていた。

 

 大陸中央部、イアーズ帝国の元首都から魔族たちは大陸の各地へと戦火を広げていっていた。

 イアーズ大陸自体は円形に近い形をしているため、中央から進出する魔族とそれを囲み押しとどめる十二の国家、という形式が出来上がっていた。

 魔族の力は強大ではあったが、その数は人類と比べ少なく、数に勝る人類が四方を囲んでいる状況によって戦線は一進一退の膠着(こうちゃく)を見せていた。

 

 だが最南端の国家、『ジューン公国』が人類を裏切り魔族へと着くことを宣言。

 両端にある『メイ公国』や『ジュライ公国』へと兵を差し向けたことで南部の戦線が完全に崩壊。

 人類と魔族の戦力比が傾き始めた。

 

 この時『ジューン公国』が何故人類を裏切ったのかは未だに定かとなっていない。

 一説によれば皇帝の座を餌に魔族によって誑かされたのではないか、と言われているが、実際にその証拠となるような物は無く、さらにその結末まで考えると果たしてそれも事実かどうか怪しい物である。

 

 ただでさえ人類同士、謀略と暗躍の限りを尽くし、互いに疑心暗鬼になっていたところにまさかの人類からの裏切り、そして戦線の崩壊。

 

 かつての人類は恐慌し、その戦線は日に日に後退していったらしい。

 

 それから数年ほどでメイ公国とジュライ公国は魔族の軍勢によって滅ぼされる。

 さらに1年後、()()()()()()が攻め込んだ魔族の軍勢によって滅亡する。

 

 そもそも魔族の目的は『人類を根絶やしにすること』であり、領土を奪い合う人間同士の戦争と根本から違っていることに人類はようやく気付いた。

 

 そう、その時になってようやく気付いたのだ。

 

 戦争が始まってからすでに数十年経って、ようやく人類は気づいた。

 

 この戦争が人類と魔族との生存競争であることに。

 

 今から60年ほど前。

 

 戦争が90年目を迎えた時。

 

 すでに人類は崖っぷちだったと言っても良い。

 

 元々、個の強さは圧倒的に魔族のほうが上だったのだ。

 にも関わらず、人類の強みであった数と包囲を断たれた以上、少しずつ少しずつまるでいたぶるように、嬲るように人類は魔族に蹂躙されていった。

 

 魔族が人類圏に一歩踏み入れればそこはすでに生命の足音の途絶えた死地となる。

 

 人類の生存圏は大きく削られ、戦争以前の小国並にまでその領土を削られていた。

 

 このまま人類は魔族に攻め滅ぼされる。

 

 誰もがそんな悪夢(ゼツボウ)を見ていた、そんな時。

 

 

 ―――戦場に『英雄』が現れた。

 

 

 * * *

 

 

 ルー・オルランド。

 

 それが英雄の名であった。

 たった一人、戦場にて鬼神のごとくに暴れ回り、魔族の軍勢を薙ぎ倒す。

 強さという意味で、恐らく人類史上最も強かったのだろう男は自らよりも格上の魔族という怪物を相手に真っ向から立ち向かい、次々と討ち果たしていった。

 

 だがそれだけならば『個』の強さだ。

 

 正直言ってただそれだけならば『英雄』などと呼ばれない。

 『個』が戦況に与えられる影響なんてものはちっぽけな物だ。

 さらに言うならばどれだけ強かろうと数が違い過ぎる。

 数で劣る故に力で人類を捻じ伏せた魔族ではあったが、それでもルー・オルランド個人と比較すれば圧倒的に数で勝るに決まっている。

 

 故にそれは敗北の確定した戦いであった。

 戦場で大暴れした男は、多くの魔族の『個』を討ち取った男は、魔族の『軍勢』に敗れて死ぬ。

 それが定めのはずだった。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 それこそが彼が『英雄』と呼ばれる最大の理由。

 

 ―――『我らが心に火を灯せ』。

 

 かつて男が言った言葉である。

 かつて戦場で男が戦う姿を見た者たちが、かつて戦場で男に助けられた者たちが、かつて戦場で男と共に戦った者たちが。

 

 その言葉と共に立ち上がる。

 絶望の沼より抜け出し、再び自らの足で立ち上がる。

 悪夢の内より這い出し、再びその手に武器を取る。

 

 そうして叫ぶのだ。

 

 ―――『我らが心に火を灯せ』。

 

 その言葉が、男の背中が、確かに彼らの心に火を灯した。

 火はやがて人類全体へと燃え広がって行く。

 心折れた人類はけれど、再びその手に武器を取り、魔族と戦った。

 

 不思議な物で、圧倒的劣勢の中にあって再び立ち上がった人類は()()()()()

 

 90年間敗北し続けたはずの戦争は、10年間積み上げ続けた勝利によって全てが覆された。

 

 人類は大陸の支配圏を取り戻し、全ての魔族が地上から消えた。

 

 

 ()()()()()()()()

 

 

  * * *

 

 

「で、そのルー・オルランドってのが俺の曾爺さんなわけだ」

 

 揺れる馬車の中、退屈凌ぎにアルに俺の実家やその周辺についての説明をする。

 詳細に説明をすると大陸史から始めることになるので、大戦の辺りからざっくりと、ではあるが。

 

「ま、簡単に言えば『英雄』の末裔ってわけだ。つって、魔族が地上から消え、戦禍の爪痕のせいで互いに争う余力すら失くした今の人類からすればそんなもんいたって何だって話なんだがな」

 

 俺の名乗っていた『ルー』とはオルランド家を『継承』する人間に与えられる名であるが、大本を辿れば初代様の名でもある。

 

「それってあれですか? おとぎ話に聞く英雄様の」

「あー、うんそれ、それが曾爺さん」

 

 人魔大戦に関しては終戦から五十年ほどしか経っていないのだが、正直当時の人類が喪失した物が多すぎて伝承と言う形でしか残せていない。

 はっきりとした資料があるのなんて、恐らく南側三家を除く十二家*1だけだろう。

 

 民間にはおとぎ話として伝わっている。

 

 正確には当時を知る老人世代が子供に昔話として伝え、それを聞いて育った子供世代が孫世代に一種の伝承、昔語りのようにして伝えたというのが正しいのだろうが。

 

「ま、それはさて置いて」

 

 ルー・オルランドの功績は文字通り、人類を救ったと言っても過言ではない。

 間違いなく、彼が居なければ人類は滅んでいたとされており、故にその功績に報いようと、彼の出身国であった『ノーヴェ公国』は彼に望む物は何でも用意するとすら言ったらしい。

 

 だがルー・オルランドは望む物はない、ときっぱりと返した。

 

 ならば領地を貴族の位を、と言った公国に対して。

 

 そんな面倒な物いらない、と他の貴族たちが唖然とするようなこと言い放った。

 なお、実際にはただの平民かつ脳筋だったルー・オルランドにとって政治や統治などと言った物はただ煩わしかっただけの話なのだが。

 

 まあそんな夢の無い話はさておいて。

 

「それで公家は、最終的にはルー・オルランドとその血縁たちが永劫生きるに困らないようにと取り計らった」

「お金とかですか?」

 

 良い線を突いているアルの言だったが、少し違うとそれを否定した。

 

「とある貴族にオルランド家を未来永劫養うように命じたんだ」

 

 名を『オクレール』家と言い。

 

「見えてきたぞ……あれが俺たちの主様。オクレール家の統治する領地」

 

 

 ―――『エノテラ』、それがその地の名である。

 

 

 * * *

 

 

 『エノテラ』は人口1万ちょっとの小さな領地だ。

 

 農業がもっぱら盛んであり、特に西側の穀倉地帯では収穫期が近づくと一面が金色に染まるほどの麦畑を見ることができる。

 

 反面、人の出入りの少ない領地である。

 というのも地理的にはノーヴェ王国の東端のほうにあり、大陸中央部に接している。

 小麦の輸出以外に見るべき特産品があるわけでも無いので定期的に街のほうへと来る商人が居る以外は人の往来もほとんど無く、例えばペンタスの街一つの税収と比較しても負けるだろうほどの田舎である。

 

「……長閑ですね」

「素直に言って良いぞ、何にも無い田舎だってな」

 

 それでも一応ノーヴェ王国領であり、街があるので別の領地の街まで行くのに乗合馬車は通っている……一日1便だけではあるが。

 ペンタスの街から出ている乗合馬車が一日あたり12~13と考えればどれだけ田舎町かというのが良く分かるものだ。

 

「んで、今乗ってる便で……二、三時間くらいかな、したら目的地だ」

 

 一番最寄りの街から寄合馬車で数時間揺られながらたどり着く場所。

 それがエノテラ領『唯一』の街である『スペシオザ』である。

 

「ま、つって何も無いけどな」

 

 ペンタスの街を見た時に王都(デイジー)に並ぶほどの人並だと錯覚を起こしたが、あれを見た後に故郷の街を見比べると悲しくなるほどに人が少なく、規模も小さい。

 そもそもの人口からして3万人を超えるだろうペンタスの街と比べ、5000を超えるかどうかと言ったレベルだ。

 南にあるペンタスと違い、冬になれば雪も積もるし、夏になっても温度が上がりきらず年中肌寒い。

 まあそれでも王国最北の領地(ガランサス)よりはマシだろうが。

 

「つって、今はお嬢様……あー、俺の主様とかが少しでも改善しようと思って色々やってるんだけどな」

 

 ぶっちゃけノーヴェ王国で最も貧している疑惑すらあるエノテラ領である。

 領地の税収がイコールで財源となるオクレール家もそれに違わぬ貧乏貴族である。

 

「ま、これからに期待ってところだな」

 

 その努力が実を結ぶかどうかは分からないが。

 それならそれで、何とかするのがそれに仕える俺たちの役割だろう。

 

 

 * * *

 

 

 とん、とインク壺に浸したペン先のインクを少し振り落とし。

 かりかり、とペンを紙の上へと走らせる、

 紙の目が粗いので何度も引っかかりそうになるが、貴重な紙である破くわけにも行かないと慎重にペンを動かし。

 

「これで終わり、かな?」

 

 仕上げた最後の一枚を机の端に積み上げた紙束の上に載せるとペン立てにペンを戻すとぐっと伸びをする。

 朝からずっと書類仕事ですっかり硬くなってしまった体を解しながらふと窓の外を見やる。

 日が落ちつつある景色を見つめながら、目を細める。

 

「もう街に着いたかな」

 

 呟き、見つめる視線の先にあるのは小さな小さなこの領地唯一の街。

 それから視線を机の方へと戻し。

 

「…………」

 

 机の引き出しを開け、そこに置かれた水晶玉を手に取る。

 

「…………」

 

 どうしよう、なんて考えてみても、意味なんて無いのだが。

 

「…………」

 

 大体何を聞くのだ、もう今日か明日には着くのに。

 

「…………」

 

 それに『通信』するなら彼女に頼めば良いでは無いか、いつも彼女がやっているのだから。

 

「…………」

 

 とは言えもう街についたかどうかくらいは聞いても良いのではないだろうか?

 

「…………」

 

 久々に帰って来るのだし、出迎えくらい……。

 

「…………」

 

 いやいや、何を考えて……そもそもあの街に行くことになったのは自分のせいで。

 

「…………」

 

 でもでもやっぱり久々に声を聴くくらい。それに今日の分の仕事はもう終わったんだし。

 

「…………」

 

 うん、そうだ。何時頃になるか、そのくらいなら良いだろう。

 

「…………」

 

 そうだ、彼女に準備してもらう必要だってあるのだし、だったら私が聞いたって問題があるわけない、無いったらない。

 

「…………」

 

 それにあの子だってきっと心配しているだろう、いつ帰るのか、教えてあげたならきっと喜ぶだろうし、これは決して自分だけの個人的な感情というわけではないはずだ。

 

「そうだよね、問題無いよね」

「何がですか?」

 

 一つ頷き、自らを納得させたところで、聞こえた声にふと視線を上げて。

 

「あの子に通信するのですか?」

 

 そこに居た少女の姿を見つめ。

 

「わ、わあああああああああああああ?!」

 

 思わず手の中の水晶玉を放り投げた。

 

 

*1
当時の十二の公国の指導者の一族。




開幕から3000字以上使っての歴史説明……。

因みにルーくんの曾爺ちゃんはガチで人類最強クラス。
ぶっちゃけ化け物蜘蛛と真正面から殴り合って勝てるレベルのちょっと人類かどうか怪しいくらいの怪物である。


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二話

 

 

 

 夕日が山の向こう側へと消える頃、ようやく『スペシオザ』へと辿り着いた。

 ペンタスの街でもそうだったが、そう強くないとは言え魔物という明確な脅威があるこの世界において、街というのは防壁で囲まれており、街の外と内を往来するには門を通る必要がある。

 

「随分厳重じゃないですか?」

 

 ただペンタスの街とは違い、『スペシオザ』の街へと入るには街を囲う二重の防壁と門を超える必要がある。

 鄙びた地方都市に過ぎない『スペシオザ』の規模を考えるとアルが違和感を覚えるのも当然かもしれない。

 だがそこにはれっきとした理由がある。

 

「外村出身のアルなら分からないか?」

「え? あ、あー……もしかして()()()()ことですか?」

 

 自身のちょっとした問いに、アルが一瞬小首を傾け、けれどすぐにそれに気づく。

 そう、こんな田舎街に二重の囲いがされているのには相応に理由がある。

 実をいうとエノテラだけが例外ではないのだ。

 

 ()()()()エノテラと同じような条件を抱える領地の街はだいたい同じような二重の防壁を持った街がある。

 

 即ち。

 

「もしかしてここ……『闇哭樹海』の傍ですか」

「そういうこと」

 

 魔物は地上のどこにでも湧いて出てくるが、その大半は一般人でも追い払える程度の雑魚ばかりだ。

 その最大の理由は地上の魔力濃度が薄いことが挙げられる。

 

 あの化け物蜘蛛もそうだったが、魔物というのは魔力が無ければ生きることができない。

 第一法則(ブツリ)では決して生きることができない身体構造のせいで、魔力が消失した時は生命機能を維持できなくなる。あの化け物蜘蛛などそもそもが全身が無機物で構成されているので、内包する魔力が無くなった瞬間ただの『物質』になり果てた。

 

 まあそのせいでダンジョンに『食われて』回収できなかったのだが、それはさておき。

 

 魔力が空間に空気のように充満するものであり、生命というのは大なり小なりそれを取り込みながら生きているのだが、まるで呼吸のようにその魔力吸収量というのは空間における魔力の濃度に大きく左右される。

 

 つまり魔力濃度の薄い地上において、魔物というのはそれほど大きな『逸脱』ができない。

 元となった生物の在り方に大きく縛られるのだ。

 逆にダンジョンなど魔力濃度の濃い場所において魔物は通常では考えられないような奇怪な成長を遂げたり変異をしたりと元の種から大きく『逸脱』する。

 

 この『逸脱』の度合いが大きいほど魔物というのは強力になっていく性質がある。

 

 方向性に違いこそあれど、あの化け物蜘蛛など分かりやすいのではないだろうか。

 肉体全てが鉱物へと『置き換わった』無機物生命体。

 そんな『あり得ない』存在が実際に生命として生きているのは『魔力』という物の性質だ。

 

 故に魔物は地上よりダンジョンのほうが強力である……とされている。

 

 ()()()()()

 

 否それだって間違いではないのだ。

 地上の魔物の9割以上はダンジョンに生きる魔物より圧倒的に劣るのだから。

 それは決して間違いではない。

 

 問題は残った1割未満が未だに世界に残る戦争の『傷痕』である、という事実だった。

 

 

 * * *

 

 

 ルー・オルランドは平民の出身である。

 

 当時の世界情勢を見れば分かるだろうが、日々を生きるだけで精一杯であり、貴族などの統治者……つまり生まれながらにして上に立つことを義務付けられた人間でも無い限り教育など受けることは無く、当時の平民とはつまり戦災から逃げ惑いながらその日その日の飢えを凌ぐような人間たちを指していた。

 

 だからルー・オルランドには学が無かった。

 

 若い頃はそれなりに苦労したらしい。いや、苦労なんて当時の全人類がしていただろうが。

 どうして彼が剣を手に取り魔族と戦うようになったのか、その経緯は分からないが、魔族との戦争が終わった後、ルーはたった一つだけ、公家に要求した。

 

 ―――ただひたすらに強さを追い求めること。

 

 それが彼のシンプルな理念であり、その環境を用意することを求めた。

 その結果がオクレール家の支援であり、同時に当時の公家……後のノーヴェ王家から彼は一つの命令を受け取っていた。

 

 血を残し、その火を灯し続けよ、と。

 

 大戦の後、魔族は地上から姿を消した。だが魔族が滅んだのか、否か、それを確認した者はおらず。

 故にいずれの未来、再び魔族が台頭するかもしれないその時。

 

 先陣を切って戦い、希望を示すこと。

 

 それが『オルランド』家の三代重ねて未だに残る盟約だった。

 とは言え、すでに魔族の消えたこの地上で果たしてその盟約が果たされる時が来るのか、それがいつになるのかは分からないが。

 

 オクレール家はその時が来るまでオルランド家を『管理』するための家系だった。

 オルランド家が潰えることの無いように、守り、養い、時には修練の場を提供する。

 とは言え、この地上において修練の場など限られてくる。

 

 最も手っ取り早いのが『ダンジョン』である。

 

 だが『ダンジョン』は資源の宝庫であり、『ダンジョン』を持つ貴族たちからすればそれを手放すなど絶対にあり得ない。となると他の手段を、となるのだが。

 

 幸か不幸か……と言われれば間違いなく不幸なのだろうが。

 

 地上に一つだけ、『ダンジョン』と同等、或いはそれ以上の強さを得ることができる場所があった。

 

 ―――その名を『闇哭樹海』と言う。

 

 

 * * *

 

 

 かつての人魔大戦の終結は酷く唐突だった。

 

 人類は結局()()()()()()()()()()()

 だが魔族が生き残ったどうかも良く分からない。

 少なくとも大戦の終結から五十年、魔族は一度も表舞台に姿を現していなかった。

 当時の人類の状況を考えれば魔族を逃す理由は無い、断じて無い。

 にも関わらずどうして人類は魔族を滅しきれなかったのか。

 

 それは大陸中央に()()()()()生まれた巨大な樹海が原因だった。

 

 かつて帝都『デュランタ』があったその場所を中心として一つの国と同等の面積を有する巨大な樹海はある日突然出現した。

 大陸中央は最初に魔族たちが出現した場所であり、当然ながら魔族との関連も疑われたが、そんなことは当時問題では無かった。

 鬱蒼と茂る樹木は森を完全に覆い、日の光一つ刺さぬ完全なる闇に包まれた漆黒の森。

 その魔力の濃度はダンジョンをも超えるほどの濃密な物であり、森の中には多くの異形の生物が蠢いていた。

 敗走する魔族たちは次々樹海へと逃げ込み、その姿を隠した。

 

 当然ながら人類とて追撃した。

 森に火を放ち、逃げ込んだ魔族を次々と狩り取った。

 だがそれもすぐさま終わりを迎える。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 否、それを『勢力』などと呼ぶのは余りにもおかしい話だ。

 何せそれは『個』だ、群れてすらいない。

 

 けれどそれはただ単体で『勢力』だった。

 

 それは最早生ける()()だった。

 

 ―――梟歌衰月『オーデグラウ』

 

 それはこのイアーズ大陸に存在する七体の『天災』が一体。

 介入と言ってもそれに大それた意思は無い。

 人類の邪魔をしようとしたわけでも無いし。

 魔族を助けようとしたわけでも無い。

 

 ただ都合が良かったのだ、魔力濃度の高いその森が。

 

 ()()()()()()()()最高の環境だったからそれは必然のごとくやってきた。

 

 ソレにとって森への侵入者はただの邪魔者であり、等しく排除すべき対象である。

 そうして森へと突入した多くの強者たちが次々と帰らぬ人となった。

 だが同時に逃げ込んだ魔族もまた森の中で屍を晒すこととなり。

 人類はその森に手を出すことはできなくなる。

 

 そうして戦争は終わった。

 

 余りにも呆気なく。

 

 何の決着も迎えることも無く。

 

 人類が勝利したわけでも無く。

 

 魔族の滅亡を確認できたわけでも無い。

 

 ただ手の出しようが無くなった、それだけの理由で百年続いた戦争は終結した。

 

 それ以降も人類は時折漆黒の森へと人を遣わしては森を探索しようと試みてきたが、その度に『災害』に襲われ誰も森から帰ってこなかった。

 

 光刺さぬ闇の底から哭き声響く死せる樹海。

 

 人々はそれに『闇哭樹海』と名を付けた。

 

 

 * * *

 

 

「樹海から時折やばいのが出てくるのは知っての通りだ……ま、そのための備えってとこだな」

 

 基本的に魔物というのは魔力濃度の高いところから移動したがらないのだが、魔物も結局野生の生物なのには変わりない。時折縄張り争いのようなことが起きて、森から追い出される魔物というのがいるのだ。

 追い出されるのは結局弱かったからなのだろうが、森の中で弱かったからと言って人類からしたらとんでも無い怪物だ。十数年ほど前にもそれで別の国で地方一つが壊滅するほどの事態に陥ったこともある。

 

「だからこういう領地があるんだよ」

 

 オクレール家もそうだが、『闇哭樹海』と接した領地を持つ貴族というのはある種『壁役』を期待されている。

 樹海から溢れ出た魔物に真っ先に襲われることで『警告』するための一種の犠牲……言い方は悪いが『生贄』である。

 

 非道のようにも思えるが、けれどそうしなければならないのが人類の現状だ。

 

 例えこのイアーズ大陸の8割以上を支配下を治めていたとしても。

 人類は『天災』が現れれば頭を低くて過ぎ去るのを待つだけだし、『魔物』が現れれば一部を犠牲にして対処しなければならない弱者だった。

 

「…………」

 

 それが現実、とは言え誰もが納得できるはずも無い。

 アルだってそうだ、難しい表情で押し黙っている。

 その頭をぽん、と叩き。

 

「ま、少なくともこの領地に関しては大丈夫だ」

「えっ」

 

 告げる言葉にアルが目を丸くし。

 

「昨日までは色々あって他所にいたが、俺は基本的にここにいるしな」

 

 森から出てくる魔物と言えど所詮は魔物だ。

 魔力を焼く白の炎はああいう類には極めて効果が高い。

 何より森から出てきた魔物というのは魔力濃度の関係上、弱体化する。

 察知もされず急襲されたのならばともかく、事前に察知して待ち構えていれば決して勝てない相手では無いのだ。

 

 

 門を潜ると賑やかな街並みが見えてくる。

 勿論ペンタスのような発展中の都市や王都のような大都市と比べれば雀の涙ほどに過ぎないが、エノテラ領唯一の街ということもあって、この領地の中では最も人が多い。

 とは言えエノテラというのは基本的に『作る側』であって、それを輸出する側だ。

 そのためこちらから大都市に赴くことはあっても、大都市の人々がこちらに赴くことはほぼ無い。

 そのため人の入れ替わりというのがほとんど無い。

 

 停留所で馬車から降りて街を歩けば声をかけてくる昔馴染みばかり、というこの状況。

 少しばかりアルが居心地悪そうにしながらも俺の後ろをついてくる。

 

「アル、疲れてないか?」

 

 振り返ってそう尋ねれば、周囲をきょろきょろ見回していたアルが一瞬遅れてこちらへと振り返る。

 

「え、あ、はい。馬車に乗ってただけなので、それは全然」

 

 とは言え馬車の上も結構揺られるので、長時間だと乗っているだけでもかなり疲れるのだが、まあ仮にも冒険者であるアルはその辺り本当に平然としていた。

 

「なら良い。このまま中央通り突っ切って、東門から街を出るぞ」

「え? ここが目的地じゃないんですか?」

 

 驚いたように目を丸くして呟くアルに苦笑する。

 

「ま、そう思うわな」

 

 まあ普通はそう思うだろう。

 まさか領主の館が街の外にあるなんて思いも寄らないだろう。

 多分ほとんどの領主はそんなことしていない。

 というかオクレール家が余りにも例外過ぎるだけだろう。

 何せ。

 

「この領地、私兵すらいねえからな」

「……は?」

 

 ほとんど独り言染みた呟きだったが、聞こえたらしいアルが呆然と声を漏らした。

 直後にぶんぶんと周囲を見渡し。

 

「あれ、居ない?! え、でもさっきの」

「門のとこの人たちか? あれ私兵じゃなくてこの街の町長の雇った警備員だな」

 

 兵士でなく警備員なので基本的に門の前から動くことは無い。

 ついでに言えば魔物が出ても戦うのではなく避難誘導や門を閉めたりが主な仕事になる。

 

「え、でもこの領地って」

 

 危険と隣合わせである。

 まあそれに関してはどうにもならない理由があるのだ。

 

「ぶっちゃけた話、うちの領地って」

 

 正直少し言い辛い。

 だが直視したくない事実であろうとそれが現実であり、目を背けたところで変わるはずも無い。

 

「貧乏なんだよ」

 

 人を雇う金も無いほどに。

 

「余りにも貧乏過ぎて一昨年くらいに、屋敷で雇ってた使用人全員に暇を出してな」

 

 と言ってもそれにもどうにもならない事情があったのだが。

 人の良いうちの主様は全員に出来得る限りの額の退職金を出したため貴族の家系にも関わらずその日の食事にも喘ぐほどの金欠に陥った。

 

「今から行く領主の館なんて、使用人俺含めて二人だしな」

「えぇ……」

「ま、まあいざとなったら徴兵することもできるんだが」

 

 実際問題、ただの村人や町人を集めてどれだけの戦力になるか、と言われると悩ましい話である。

 

「と言うわけでアル、お前すらこの領地なら即戦力だぞ」

「この状況で言われても嬉しくも何ともないですね」

 

 なんて話をしながら大通りを抜けていく。

 基本的に門から門までの間は大きな道が敷かれているので道なりに進めば迷うことも無い。

 そうして次の門が見えてくる。

 

「まああの化け物蜘蛛の脚が良い値段になったから、多少の余裕は出たんじゃないかと思うが」

「え……あ、ああ。あの時のお金どこに消えたのかと思ったら、そういうことだったんですか」

 

 と言っても領地経営には莫大な金が必要になる。

 正直個人が一生暮らせるような金額でも領地全体で見れば一日で消費される程度の物に過ぎないほどに。

 だがまあその一日分の額すら無いからこそ領主ですらその日の食事にも困っていたわけであり、預けた金はこの領地の状態を考えれば十分過ぎる物なのだろうが。

 

「ま、その辺はお嬢様たちが考えることだ」

 

 俺はあくまで平民である。そういう政治的なことは学んでいない。

 『オルランド』が政治に関わるのは余りよろしくないことであるのも事実だからだ。

 故に俺はお嬢様に言われたままのことを熟すだけであり。

 

「っと、見えてきたな」

 

 門を抜けて街の外へと出る。ちょうど入ってきた方向とは真反対になる。

 街の外を出れば遠くのほうに見えてくるのは大きな館。

 

「あれが領主の館」

 

 オクレール家である。

 

 

 




梟歌衰月『オーデグラウ』 危険度:A 脅威度:C

闇哭樹海の奥深くに居るとされている全長5メートルの巨大な梟。
基本的に樹海の中から出てくることをしないが、この梟の鳴き声は不可思議な旋律となって森へやってきた人間を森の奥へと誘う。一種の洗脳効果があるとされており、聞いた時点で抗えない衝動となって森の奥へ奥へと足を踏み入れさせる。
毎年のように被災地が異なっているため、樹海の中にいくつか点在した住処があるとされている。
ただし先も言ったように森から出てくることは無いため、森に近寄らなければ無害ではある。まあそんなことは無理ではあるが。





剣と魔法の異世界!
でも人間が社会を形成している以上、一番重要なのは『金』なのだ。

世知辛いね!


というわけでダンジョンでレベル50まで上げた人たちがさらに上げようとするなら『闇哭樹海』で樹海ブートキャンプだ!
ただし浅いところだけにしとけよ? 深く入ると災害種に殺されるからな!
だいたいレベル70くらいまではここで上げられますね。
時々浅いところでも災害種出現するので、運が悪いと理由も無く死ぬ。

因みに森に近づかなければいいので脅威度は(災害種の中では)低め。
でも森に入らないと人類はレベル50カンストするので段々人類の最高レベルが落ちて行って他の災害種に滅ぼされるかな?
ぶっちゃけ『英雄』的な飛び抜けた力を持った個人で守られてるのが現在の人類だからね!


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三話

 

「えっと……何ですかこれ。何かの動物の石像?」

 

 街から徒歩で三十分ほど歩くとオクレール家の屋敷へとたどり着く。

 すでに日は落ち、すっかり暗くなってしまっているが、月明りは煌々と照っておりその全容は良く見える。

 屋敷を囲む塀の正面の門を抜けようとして、その横に経つソレに気づいたアルが首を傾げた。

 

「犬だよ……正確には『狛犬』何だが」

「コマイヌ?」

 

 屋敷の外見と余りにも合ってない石造りの犬の像はけれど十年以上前から置かれた物であり。

 

「『東和』文化の産物でな……厄除けみたいな意味合いがあるらしいぞ」

 

 本来なら神社……俺たちの文化で言うところの神殿のような場所に置かれる物らしいが、()()()()()()()()()()()である、気にする人間も居ない。

 

「トウワ! トウワってあのトウワですか?!」

 

 驚いたようにアルが目を丸くして声を大きくする。

 まあ割と予想通りの反応だったのでそうだと頷き、肯定する。

 

 ()()()()()()()()()()()()()以前から東和文化の品はとにかく貴重品だった。

 この世界……否、このイアーズ大陸の人間にとって『海』とは一種の禁忌だからだ。

 それ故にイアーズ大陸からほんの数十キロ程度しか距離の無い島国である東和国の存在は数百年前にイアーズ帝国が発見し、交流を始めるまで誰も知らなかった。

 東和という国自体は二千年近い歴史を持つ国だったらしいのだが、とある理由により島国なのに『海』から距離を置いていたため東和の人間もすぐ近くに大陸があったことに気づかなかったらしい。

 

 現代においてすでに東和とは亡国の名である。

 

 人魔大戦中には多くの人間が無くなり、南方の三つの国が滅びかける事態にもなったが、人魔大戦以降平和だったはずのイアーズ大陸の国々にこの世界の厳しい現実を突きつけた。

 

 忘れていたわけでは無いのだ。

 

 この世界の現実を。

 

 だが人類はそこから目を逸らしていた。

 いつ起こるかも分からない不確定な『天災』よりも目前に迫った明確な『天敵』を見ていたから。

 だから魔族という人類の『天敵』が消え、ようやく安堵の息を吐いた人類に『天災』は降り注いだ。

 

 東和事変。

 

 災害種が一体餌生蛸沈(イミタシオン)によって一つの国家が滅ぼされた、人類史上最大規模の『災害』である。

 

 

 * * *

 

 

 オクレール家の屋敷には意外と東和由来の品が多い。

 庭の一角を彩る『枯山水』などもその一つだ。

 東和文化を良く知らないアルからすれば何故芝を敷いた庭の一角に石ころを詰めているのかと疑問に思うのだろうが、明るくなってから見るとまた違った(おもむき)が見られるだろう。

 後は屋敷の屋根の上に載せられた謎の魚の像などもそうだろうか。

 置いた人間曰く『シャチホコ』とかいうらしい。東和由来の文化だと言っていたが果たしてそれが事実かどうかは謎に包まれている。

 

 東和文化は大陸文化とはかなり違う独特の雰囲気があるので一緒にしていると明らかに調和が取れておらず、一目見ておかしいと思える。

 逆に言えばこの屋敷を見て何かおかしいと思ったならそこに東和文化の品が隠れている。

 

「このお屋敷は貧乏だと聞いてましたけど?」

「貧乏だぞ……正真正銘な」

「でもトウワ由来の品ってお高いのでは?」

 

 基本的に東和由来の品はどれだけ大したものでなくとも『最低』が100万ゴールドを超える。

 例えば東和で一般に使われていたという安物の『毛筆』という筆記用具。大陸文化では羽ペンや万年筆などが使われているが、この『毛筆』がどれだけ安い物でも200万ゴールドを越える。

 その他にも東和では一般に普及しているようなものでも、現在の大陸では途方もない価値になり得るものばかりであり、この屋敷にあるそう言った品々を全て売却すれば屋敷を立て直しても有り余るほどの金銭が得られる……のだろうが。

 

「全部貰い物で買ったわけじゃないからな」

「へ? 全部ですか?」

 

 驚くアルを他所にたどり着いた玄関の扉を開く。

 そうして開いた扉の向こう側に明りが灯っていた。

 

「お帰りなさい」

 

 そこに立っていたのは侍従(メイド)服を着た一人の少女だった。

 女性にしてはそこそこ上背が高いが、さすがに俺よりはやや低い。そのせいか、それとも僅かな幼さの残る容姿のせいか、外見的には俺より少し下くらいに見えるかもしれないが、実際は二つ上。

 自身の黒に近い藍色の髪とは全く似つかない銀色の髪に、自身の真赤な瞳とは対照的な青の瞳。

 色素が抜けているかのような白い肌は芸術的というよりは()()だが別に肌が弱いというわけでも無いらしい。

 外見的特徴だけ挙げていくとまるで似ても似つかない少女と俺だが、一応()()()を言うならば姉弟になる。

 

「ただいま、アイ姉」

 

 アイリス・オルランド。それが今現在の少女を示す名前だ。

 身内贔屓抜きで美しい少女だった。ただそこに佇んでいるだけで見惚れる男がいるほどに。

 例えば、俺の後ろのやつとか。

 

「アル……しっかりしろ」

 

 とんとん、と肩を叩くとすぐにはっと、意識を取り戻す。

 それから何度となく俺とアイ姉を見比べる。

 

「アイ姉、紹介するな。『通信』でも伝えたと思うが、アルだ」

「アルフリート・リュートです……えっと」

「アイリス・オルランドよ、そこのミカの姉になるわ」

 

 アイ姉の言葉にアルがこちらを見つめ、ミカ? と疑問を口にする。

 そう言えばちゃんと名乗ってなかったとその時になってようやく思い出し。

 

()()()・ルー・オルランドだ。ルーってのはミドルネームなんだよ」

 

 正確には『ルー』はオルランド家を継ぐ人間だけが持つ名前ではあるが、まあ扱いとしては普通にミドルネームである。

 まあミカだったりカゲだったり、基本的には名前呼びされることが多いのだが。

 

「アイ姉、お嬢様は?」

「執務室にいるから、荷物を置いたら先に行ってなさい。私はこの子を部屋に案内するから」

「分かった、じゃ、アル。後はアイ姉について行ってくれ」

「あ……はい、分かりました」

 

 まだ緊張が解れないのかアイ姉の顔を二度、三度と見やりながらも頷いてアイ姉について屋敷の中へと入って行く。

 そうして後には一人残されて。

 

「じゃ……行くか」

 

 ほとんど一月ぶりくらいになる再会に少しだけ緊張しながら玄関を開けて目の前にある二階への階段を登る。

 登った先で通路が左右に分かれているが、まずは左へ。

 進むと部屋がいくつか並んでいるが、一番奥の部屋の扉を開く。

 開いた瞬間、ふわりと香る花の香。

 部屋の中に置いた覚えの無い花瓶があったが、そこに生けられた花を見て誰がそこに置いたのかを察する。

 

「後で礼言っとかないとな」

 

 一月ほど空けていた自室は、けれど清掃が行き届いており、埃の一つも見えなかった。

 居なかった間もアイ姉が清掃してくれていたのだろう、あの人はそういうところマメというか几帳面だから。

 それはさておき、部屋の片隅に背負っていた荷物を置く。

 ペンタスからここまでそれなりに長旅だったので荷物を纏めていた鞄も汚れている。

 これも今日明日には綺麗にしなければならないな、と思いつつ。

 

「服……一応着替えるか」

 

 クローゼットを開けば大きな姿見(カガミ)に自身の姿が映っている。

 とは言え夜の闇の中で月明りのか細い光は頼りにならないので入口横のスイッチを入れて天井の照明を点ける。

 魔導照明(ランプ)がスイッチに触れた際に流れた魔力によって起動を始め、天井からの光が室内を明るく照らす。

 

「うへえ……埃っぽいな」

 

 そうして姿見に映る自身の姿を改めて見るとあちこち服が解れ、汚れていた。

 まあ上に鎧を付けていたとは言え、ダンジョン内であれだけ切った張ったしていたのだからそうなるのも当然と言えば当然なのかもしれないが。

 そもそも元々からしてそれほど数が無かったのに、化け物蜘蛛の爪で肩を抉られたせいで一枚襤褸切れになってしまった。

 着古しすっかりくたびれてしまった物も含め、新しい物を買う必要があるのだろう。

 

 尤も、エノテラ領にそんな物無いので王都からの輸入を待つ必要があるのだが。

 

 いや、ただの服ならある、服屋というのがあるのでそこで買えば良い。

 ただ自分のように戦う人間の服というのはそれなりに条件を付けたくなるのだ。

 服のせいで戦いづらいということが無いようにすると、自然と注文が多くなる。

 そういう要望を満たそうとすると人の多い王都のほうから品が流れてくるのを待つしかない。

 これでも領主の配下ということでやってくる商人に注文できるだけマシなほうなのだ。

 

「さすがに風呂入るのもこの時間じゃなあ」

 

 何よりお嬢様をいつまでも待たせるわけにも行かない。

 とは言えあんまり小汚い恰好で行くのも不味いだろう。そこまで神経質な性質でも無いだろうが、それでも貴族のお嬢様なのだ。

 

「服だけ着替えて後は拭うしかねえか」

 

 いそいそと服を脱ぎ、そうしてクローゼットの中から一着掴み取り出す。

 広げて見やる、その黒一色の服に。

 

「これ着るのも一月ぶりか」

 

 呟き、苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

 こんこん、と扉をノックする。

 反応は無いが、特に気にせず扉を開き。

 

 ―――最初に見えたのは真っ暗な室内。

 

 先ほどまで照明に付いた部屋にいたから、目がこなれていなかったが、暗闇に目が慣れてくると窓から差し込む月明りのお陰で段々と室内がはっきりと見えてくる。

 部屋の中央にどんと置かれた大きなデスクに背もたれのついた大きな回転椅子。壁際には本棚が並び、書籍や書類がぎっしりと詰まっている。

 部屋の片隅に置かれたスタンドテーブルには花瓶が置いてあり、自身の部屋にもあったピンク色の花が活けてある。

 

 自身の知る風景と変わりのない室内の様子、けれど部屋の主の反応は無い。

 

「…………」

「…………」

 

 居る。確実に居る。

 というかこちらに背を向けた椅子に座っている。

 それは分かっている。そして向こうも俺がやってきたことは分かっているはずなのだが、こうも反応が無いと困惑してしまう。

 

「……むっすー」

 

 口に出してむっすーとか言われた。

 

「え、あの? お嬢様?」

 

 戸惑いながら尋ねるが、けれど返答は来ず。

 

「つーん」

 

 あ、これ拗ねてる、それに気づくと共に嘆息する。

 

()()

 

 名を呼ぶ。まだこちらに顔を見せてくれない少女の名を。

 それに反応するように椅子越しにでも分かるくらいに少女がぴくり、と体を震わせ。

 

「……ルーくん」

 

 名を呼ばれるが、未だにこちらを向こうとはしない少女に少し呆れる。

 

「何で怒ってんの?」

「危ないことしたでしょ」

 

 仕事着で来たのだから相応の態度で、と思っていたのだが向こうはどうやら完全に公私の私のほうらしいので、敬語も辞めるが向こうも特にそれを咎めるような真似もせず、言葉を返した。

 

「まあそれなりに」

「…………」

「仕方ないだろ、それは」

 

 そもそもの話。

 

()()()()()()()()()()俺をあの街に送ったんじゃないのか?」

 

 そんな俺の言葉に、少女……トワはけれど黙して返さず。

 その代わりのように、はぁ、と嘆息一つ。

 

「ごめんね、それと……ありがとう」

 

 それは直接的な答えではないが、けれど間接的な容認のようにも取れる言葉ではあった。

 

「ま……俺が『ルー・オルランド』である以上は仕方ない話だよ」

 

 その言葉はほとんど自身へ向けた独り言染みた物ではあったが、けれど静かな室内で口に出した言葉は良く響いた。

 

「それでも、だよ……ありがとう。『私の』ルー・オルランド」

 

 それから、と口にしながらトワがクルリ、と椅子を回転させ。

 

「おかえり、()()()()!」

 

 満面の笑みを浮かべて、そう告げた。

 

 

 * * *

 

 

 光の刺さない闇深く。

 

 ―――ぐるぅぅぅぅぅぅ

 

 闇の中で鳴き声が響いた。

 もしその光景を見る者が居たならば、そのあり得ないような光景に目を疑うだろう。

 全長数メートルの規格外に巨大な『梟』が同じく高さ百メートル超はありそうな太い太い幹を持つ樹木の枝に逆さまにぶら下がっていた。

 先ほどの鳴き声の主がその『梟』であると、けれど誰も気づかない。

 

 何故ならば『梟』を中心とした範囲数百メートル付近には()()()()()()()()()()()からだ。

 

 故にその鳴き声は反響を繰り返し()()()()()()として知覚される。

 

 災害種が一体。

 

 梟歌衰月『オーデグラウ』

 

 闇哭樹海から出ようとしないその存在が『災害』と称されたのはひとえにその声が原因とされる。

 この『梟』は幾重にも重ねた鳴き声で『歌』を作る。

 森に反響する音の連なりがやがて『歌』を紡ぐのだ。

 そしてその『歌』を聞いた物は抗えぬ不可視の力によって森の奥へ、奥へと導かれていく。

 かつての大戦時には魔族追討のために森に入ってきた人間の軍勢を20万人以上殺したとされ、その時に正式に『生ける災害』とされた。

 

 この歌が厄介なところは森を反響し続けるせいで下手をすれば『森の外』から誘われる危険性がある点。

 そして元凶へ近づけば近づくほど強烈な『音』を食らうことになる点。

 

 故にそれは異常としか言い様が無かった。

 

 ざ、ざ、ざ、と闇の中から()()が聞こえた。

 

 『梟』の『歌』が流れる今の森の中で、『梟』以外存在が歌を聞いてそれでも平然と『梟』の元へと向かおうとしている。

 その異常性にけれど誰も気づくことができない。

 

 そうして足音の主はやがて『梟』の足元で辿り着き。

 

 

「――――――――」

 

 

 何かを呟いた。

 

 

 

 

 




ついに登場、お嬢様ことトワしゃま。
そしてラストに登場した『梟』の力を物と物しないのは一体どこの幼女なんだ。


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四話

 

 葉物野菜のスープにスクランブルエッグ、カットされたウインナーに今朝焼いたばかりの食パンのトースト、そこに新鮮なミルクとフルーツを付け加えればオクレール家の朝食の完成である。

 ノーヴェ王国内でもかなりの田舎領地であるエノテラ領は、そこそこ広い領地を持ちながらその半分以上が畑や牧場で占められている。

 そのため領内の食料自給率は高く、少なくともエノテラ領内における食糧品の価格というのは王都などと比べれば随分と安い。

 とは言え野菜など年中作れる物でもないので小麦以外そこまで極端に安価、というわけでも無いのだがアイ姉がその辺に拘っているためこうして毎日毎日欠かさず肉、野菜は食卓に出てくる。

 

「お~、アイちゃん今日も美味しそうだね」

「ふふ、ありがとうございます、お嬢様」

 

 食卓に並べられた料理にお嬢様……トワが目を輝かせる。

 そんなトワの様子にアイ姉が苦笑しながら椅子を引いて着席を促す。

 メイドというか王都のレストランのウェイターみたいだな、なんて感想を抱きながら自身もまた席に座り。

 

「どうした? 座らないのか、アル」

 

 食堂の入口に立って戸惑った様子た佇むアルに声をかければ、びっくりした様子でこちらへと視線を向けてくる。

 

「え、だって、一緒にって、主人の目の前ですよ?」

 

 ちらちらとトワへと視線を向けながら呟くアルに、なるほどと頷く。

 まあ確かに普通貴族の食卓ともなればもっと厳粛というか厳格なのをイメージするのかもしれない。

 

「まあ見ての通り、うちは割とそういうとこ自由だぞ」

 

 そもそもからして、住人が四人しかいなかった屋敷である。

 貴族『らしさ』なんて物を求められたところで恰好すらつかない、侘しいだけである。

 

「あ、アルくんも早く座りなよ、みんなで一緒に食べよ?」

「え……あ……は、はい」

 

 にっこりと笑みを浮かべて手招くトワに毒気を抜かれたようにアルが頷きながら俺の隣の空いた席に座る。

 

「あれがうちのお嬢様だ、どうだ? 良いだろ?」

「…………」

 

 少しだけ自慢するようにアルに問いかければ、数秒沈黙し、やがてこくりと頷く。

 まだ少し貴族の家という物に対して緊張があるようだが、まあこの家で生活していればすぐに慣れるだろう。

 そうして忙しそうに準備を進めるアイ姉の後ろ姿を見つめていると、そんな俺の視線に気づいたアイ姉が少し呆れたようにこちらを見つめ。

 

「ミカ、暇ならあの子を起こしてきてくれる?」

 

 言われて視線を巡らせれば、確かにまだ一人足りない。

 アイ姉は忙しそうに準備を進めており、まだ時間がかかりそうだった。

 

「分かった、ちょっと行ってくる」

 

 告げて席を立ち、食堂を出た。

 

 

 * * *

 

 

 オクレール家はオルランド家を『管理』する家系である。

 管理と言えば少し言い方が悪いが、言い換えればオルランド家が途絶えることの無いように『扶養』し続ける役割を負った貴族なのだ。

 故に、元々はオルランド家はオクレール家から『家』が与えられていた。

 かつてのエノテラ領もまた今と変わらないド田舎領地だったらしいが、それでも今よりはよっぽど金銭的な余裕もあったし、貴族として家を一軒用意するくらい簡単なことだった。

 

 当初は使用人なども用意しようとしていたらしいが、オルランド家……ルー・オルランド自身は英雄とは言えその生まれは『平民』である。自分のことは自分でやるが当然の『平民』にそんなものは必要無いときっぱりと断られ、一家族が普通に暮らすには少々大きいが貴族の屋敷にしてはややこじんまりとした、言わば別荘のようなものを用意し、オルランド家はそれ以来そこを自らの『家』として暮らしてきた。

 

 この時点で両者の関係性は『養う側』と『養われる側』ではあったが、養うことが国王からの命令である以上、ある種平等ではあった。

 もしここからオルランド家がつけあがれば、或いはオクレール家が傲慢さを見せれば、両者の関係はあっと言う間に崩れ、利用し、利用されるだけの冷え切った関係性となっていたのかもしれない。

 だがオルランド家はルー・オルランドを初めとしてその子も、孫も自らが『平民』以上であることを求めず、『平民』として『平民』らしく生きることを良しとしたし。

 オクレール家もまた代々善良性を見せ、あくまで王国の臣として王国の英雄たるオルランド家を大切に扱った。

 

 ただそこには一定の『距離感』があった。

 

 オルランド家は『英雄の家系』である。

 別にルー・オルランド一人で世界を救ったわけでは無いが、民間伝承で語られる英雄がルー・オルランドを指し示すように、当時に最初に立ち上がり、人類の反撃のための一歩目を踏み出し、最初に旗を振ったとされている。

 

 大戦の終結から五十年。

 

 当時の戦争を覚えている人間はまだそれなりに多く、それ故に『英雄』の名は必要以上に重さを持っている。

 そんな『英雄の家系』が必要以上に特定の『貴族』と距離を近づけるのはいらぬ誤解を与えかねない。

 そのことをオルランド家はともかくオクレール家は理解していた。

 そしてそのころを理解していないオルランド家にとってもオクレール家という『貴族』家系と必要以上に近づくことは『平民』として弁えていた。

 

 そういう事情からオルランド家とオクレール家は互いに意識はしていても『良き隣人』というスタンスを崩すことなく長年やってきていて。

 

 そんな関係性が壊れてしまったのが、数年前のことである。

 

 

 * * *

 

 

 とんとん、と寝室の扉をノックするが反応は無い。

 少し考え込み、扉を開く。

 そうして開け放たれた扉の向こう、部屋の中からふわりと香る花の匂いが鼻孔をくすぐる。

 

「起きてるか?」

 

 部屋を中を見やり、ベッドの上でシーツに包まって動かない少女を見つける。

 自身の声に反応してぴくり、と丸まったシーツが揺れるがけれどそれ以上の反応は無い。

 まだ寝てるのか、と嘆息しながら部屋へと入り、ベッドのシーツの塊を揺する。

 

「おい、起きろ……起きろー!」

「う……うぅ……」

 

 揺らすごとに反応が大きくなる。そろそろ起きるか、と思っていると。

 

「う……あう……」

 

 ぬ、とシーツから顔を覗かせる。

 自身に良く似た黒に近い藍色の髪と赤い瞳。まだ幼いその顔立ちは、けれど将来きっと美しくなるだろうと今から期待できるほどに整っている。

 (よわい)十二にもなるが、未だに十にも届かないようにしか見えない小さな体がシーツから這い出るようにして現れる。

 そうして上半身を起こし、ベッドの上でぺたんと座ると共に、その顔がこちらを向く。

 ぱちぱちと、眠そうに目を何度も(しばたた)かせながらとろん、とまだ半分眠ったような瞳が自身を見つめ。

 

「……おにいちゃん?」

「おう。おはよう()()()。良い夢は見れたか?」

「……うん。かえってたの?」

「ああ、昨日の夜な。お前はもう寝てたけど」

「そっか……」

 

 寝ぼけた頭に自身の言葉が届いているのかいないのか、分からないが。

 自身をじっと見つめたほぼ一月ぶりに会った()()()としばらく見つめ合っていると、やがてその顔がにへら、と笑みを浮かべ。

 

「おはよ、おにーちゃん」

 

 そう返した。

 

「おう、おはよう」

「……えへへ」

 

 何が嬉しいのか、笑みを浮かべたままその手を伸ばし。

 

「おにいちゃん」

「っと、どうした」

 

 ベッドから落ちそうになりながらさらに手を伸ばすので思わず受け止めると、サクラはさらに手を伸ばして自身の体にしがみつくような態勢になる。

 

「ぎゅー」

 

 そんなことを口で言いながら、しがみつく妹の頭を撫で、抱き上げる。

 

「何やってんだ、サクラ」

「えへへ、いっかげつぶりのおにーちゃんをたんのーしてるの」

 

 そんなことを言いながら胸元に顔を埋めてくるサクラに嘆息し。

 

「後にしろ、朝食だぞ」

「えー」

 

 抱えたサクラをベッドに降ろしそう告げると、不満そうにサクラが唇を尖らせる。

 

「早くしないと、アイ姉に怒られるぞ」

「……はーい」

 

 まだ不満そうではあったが、アイ姉の名を出すと渋々納得し頷く。

 だが起き上がる気配も無いサクラに首を傾げると同時、サクラがその両手を挙げて。

 

「おにーちゃん」

「何だよ」

「きがえさせて?」

「一人でやれ」

 

 甘えたことを言う妹をずばっと切り捨てる。

 えーと不満げなサクラだったが、先に行っているぞ、と言えば諦めて、はーい、と返事をした。

 そうして部屋から出ようとして。

 

「あ……おにいちゃん」

 

 聞こえた声に振り返ったその先には、サクラが真っすぐこちらを見つめていて。

 

「いいわすれてた」

 

 どうした、と問い返せば。

 

「おかえり、おにーちゃん!」

 

 告げて、えへへ、と笑みを浮かべた。

 

 

 * * *

 

 

 朝食は家族みんなで。

 それが『今の』オクレール家の規則(ルール)だ。

 

「いただきます」

「いただきまーす」

「はい、いただきます」

「えっと、いただきます?」

「いただきまーす!」

 

 ご飯を食べる前には必ず『いただきます』。

 『今の』オクレール家の形が出来た時から続く伝統である。

 元は東和文化らしい。何のためにそうするのか『意味』は知らないが、少なくとも俺たちはこれが『習慣』となっている。

 

「ごちそうさまでした」

 

 因みにこちらも『習慣』である。

 幼い頃から身に付いた物というのは中々離れない物で。

 他所ならともかく、家で食べる時は無意識のようにこの挨拶が出てくる。

 

「そういやアル、ちゃんと紹介してなかったな……サクラ」

「はーい?」

 

 そうして全員で朝食を食べ終え、アイ姉が片づけをしている姿を横目に、ふと思い出す。

 自身の対面で朝食を食べていたサクラを手招きするとちょこちょことこちらにやってくる。

 そうして隣に座るアルと向き直らせて。

 

「アル、こいつは俺の妹のサクラだ」

「はじめまして、サクラだよ」

「んで、サクラ。こいつが今日から新しい家族のアルだ」

「アルフリート……です」

 

 家族、という言葉に一瞬アルが反応していたが、けれど飲みこんだのかそれを口にすること無く挨拶をする。

 

「サクラ、悪いがアルに屋敷の案内してやってくれないか?」

「いいよー」

 

 まかせて、と嬉しそうに告げる妹の頭を撫でながらアルへと視線を向け。

 

「アル、一先ずサクラについて屋敷を見て回ってくれ。それが終わったら仕事について教えるから」

「分かりました」

 

 こくり、と頷いたアルにじゃあ後は頼んだ、と言えばサクラがアルを伴って食堂を出ていく。

 その背を見送りながら、ぱたん、と扉を閉まるのを確認し。

 

「それで、お嬢様」

「ん……ふう。んー? なになに?」

 

 食後の一服にとアイ姉に出された紅茶のカップを傾けていたトワがこちらへと見やる。

 

「『通信』でさらっと聞いただけなんだが、何か問題があるって?」

 

 その言葉にトワがうっ、と顔をしかめる。

 その表情から察するに、かなり面倒なことが起こっているのだと理解する。

 そうして言いたくない物を我慢するかのようにトワが紅茶を一口飲み、カップを置く。

 

「ふう」

 

 少し息を整え、心を落ち着かせて。

 

「確かに、問題と言えば問題だよ」

 

 嘆息一つ。

 

「簡単に言っちゃうとね」

 

 その視線を窓の外……黒い森へと向けて。

 

「樹海絡みの話なんだよね」

 

 そうしてもう一度、ため息を吐いた。

 

 

 * * *

 

 

 何度も言うがエノテラ領はドがつく田舎領地である。

 領地の半分ほどが畑のため領内の食料自給率は高く、少なくともエノテラ領内における食糧品の価格というのは王都などと比べれば随分と安いのは先も言った通り。

 

 逆に言えば、大量に生産しても安く買い叩かれているのが現状であり、輸出する作物の量と比べ入って来る貨幣の量というのは随分と少ない。買い叩かれた少ない対価に関しても結局王都からの輸入に使ってしまっているからだ。

 

 だがそれを制限することもできない。

 

 畑以外に目立った物がないこの領地で、王都からの輸入を止めると本当に経済が回らなくなってしまうからだ。

 酷いところでは物々交換が当たり前のように成り立つほどにエノテラ領の『貨幣』の流通量は少ない。

 輸入まで取りやめたらいよいよ本当に『貨幣』の使い道が無くなってしまう。

 そうなれば貨幣経済のこの国において、経済が成り立たない、それは即ち領地経営の破綻を意味するに等しい。

 

 大戦の影響でどこもかしこも復興に追われていた十数年前までならそれでも良かったかもしれないが、すでに復興も終わり経済が回り始めたこの国でそんなことになれば、統治能力に疑問を抱かれて最悪領地没収すらあり得る。

 

 故にエノテラ領主トワ・オクレールにとって最も重要なことは『経済』の流れを生み出すことであった。

 

 だがそのために必要な物がある。

 

 売り物だ。

 

 現在のエノテラ領は安く買って、他所で高く売るを商人が繰り返しているが、そもそも食料品などエノテラ領以外でも多く作られており、王都などに行けばそれなりの値段は付くが、あくまでそれなりでしかなく、最悪エノテラ領で買わずとも他所で買える程度のものでしかない。

 そもそも余裕があるのは小麦くらいであり、他を輸出するほど量があるか、と言われればそれほどでもない。

 故に売れるのは小麦、しかも安い物ばかりであり、それで得た貨幣を、王都で輸入するのに払う貨幣の量が釣り合っていない、これが領内からどんどん貨幣が減って行く最大の原因である。

 

 故に解決策は二つある。

 

 一つは現在輸入している物を領内でも作ること。

 そうすれば領内で安く物を作り、普及させることができる。

 だがそれをすると今度は外から貨幣が入って来なくなる。

 結局領内だけで回すなら物々交換に行きついてしまうのだ。

 これまでの経験から『貨幣』を使うという習慣がエノテラ領の人間……特に村の人間たちには無いのだ。

 

 物々交換は一番分かりやすく安心できる価値の保証だ。

 

 だがそれではダメなのだ。

 周りはどんどん貨幣経済に順応していっている。

 そこに取り残されれば最悪この領地は滅びるかもしれない。否、そこに行くまでに確実に没収されるだろう。

 

 故にもう一つの解決策。

 

 『売れる物』を領内で作って外貨を稼ぐ。それでもできれば『エノテラ領でしか作られていない』物が良い。

 結局行きつくのはそこである。

 

 トワ・オクレールがこのエノテラ領の領主となって数年が経つが、領内のごたごたを片付けたのが昨年のこと。

 今年になってようやく『売れる物』……つまり『特産品』の開発に取り組み始めたのだが。

 

「実はね……先週、『錬金術師』の一人がうちの領地に工房を構えたいって申し出てきたの」

 

 それがこの件の始まりだった。

 

 




一応言っとくと今回初登場のサクラちゃん、ポケモンのほうとは全く関係ないので(
妙な勘違いしないように(ドールズ読者には釘差しとく


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五話

 

 錬金術とは大昔にあったとされる科学とオカルトの融合した学問である。

 その始まりはかのイアーズ帝国より以前とされており、大戦によって多くの記録が喪失してしまったため残された少ない資料からの学者たちの推測になるが、当時の錬金術の大半はいわゆる『詐欺』のような物だったらしい。

 それらしい物に、それらしい曰くをつけて、それらしい(まじな)いをして、それらしいことを煽って高値で売りつける。

 そこには何の根拠も無く、そして何の効果も無い。

 

 ただそれを信じた人間から大金を巻き上げるための『詐欺』の道具。

 

 それが一般市民たちの認識だったらしい。

 自称錬金術師たちがそうして詐欺を行い続けたせいで、錬金術は世間から批判を集め続け廃れていったが、それでも懲りずに錬金術師を名乗る連中の中には『本物』もいた。

 

 ギュンター・ファウスト。

 

 当時唯一国に認められていた錬金術師の名である。

 ギュンターは当時まだ今ほど詳細が分かっていなかった『魔力』についての研究を行っていた。

 『魔法』という明確な現象のみが認められ、その大本となる『魔力』を存在しない物とされていた時代に『魔法』の元となる物が存在すると学説を発表した人物であり、そこに一定の成果が認められながらも全体的には否定的だった当時の学会に、生涯をかけて『魔力』の存在を認めさせた現代における偉人とされている。

 

 そしてギュンター・ファウストが生涯を通じて『魔力』という物を調べ尽くした後、その弟子が研究を継いだ。

 そうして研究を継いだ弟子はやがて『魔力』という物の性質を利用することを思いつき。

 

 そうして出来たのが現代にまで残る『魔導具』である。

 

 現在において錬金術師とはつまり『魔導具』を作る人間の総称であり、れっきとした職として認められている。

 だがその開祖となったギュンター・ファウストの弟子の名は現代には伝わっていない。

 

 紛れも無く偉人である。

 だが同時に罪人でもあった。

 

 弟子は自らが作った『魔導具』と『ギュンターの弟子』という肩書を使って各地で『詐欺』を働いた。

 あのギュンターの弟子なのだから本物である、という人々の心の隙を突くように各地で多くの詐偽を行い、莫大な金を巻き上げた。

 そうして最後には『王室』に対する詐欺行為によって捕まり、処刑された。

 

 故に弟子の本名は残っていない。

 忌むべき名として歴史から抹消された。

 

 故に弟子の名はたった一つ。

 

 詐欺としての名だけが残った。

 

 

 ―――錬金術師カリオストロ。

 

 

 それが今に残る弟子のたった一つの呼び名であった。

 

 

 * * *

 

 

 そもそも錬金術とはかなり敷居の高い学問であり、技術である。

 何せそれを語るならば大前提として『魔導具』とは何か、という部分から触れていかねばならない。

 そして『魔導具』について語るならば『魔力』についての知識は必須となるし、さらに言うならば『ダンジョン』及びそこで起こる物質の『変異現象』についてもまた知る必要がある。

 錬金術と一口に言ってみても、その実は複数の学問をより集めた総合科学技術とでも呼べる物なのだ。

 

 それ故に錬金術師は非常に貴重な存在でもある。

 

 しかもただでさえ数の少ない錬金術師は大戦によってその数を大きく減らしており、その稀少性を言えば一国家において十人いるかどうかと言えるレベルである。

 正確には錬金術師『見習い』ならもっと数は多いし、国に認められていない『闇』錬金術師ならばいるのだが。

 錬金術は使い方次第では非常に危険な代物も作れてしまう。

 そのため錬金術師は国家試験を受けて『免許』を得る必要がある。

 これは十二国条約によって決まっているので、どこの国でも同じだ。

 『免許』を得ず魔導具を製造、販売することは違法行為であり、国に見つかれば最悪処刑されることすらある。

 

 本来ならば王都などの大都会で囲われて、こんな田舎領地にやってくることなどまずあり得ないのだが。

 

「なるほど、ね」

 

 トワから聞かされた経緯に、思わずため息を吐く。

 ある種納得の理由でもあり、確かに問題と言えば問題である。

 俺もそこまで詳しいわけでも無いが、錬金術において必須となるものがある。

 

 錬金素材と呼ばれるものである。

 

 読んで字の通り、錬金術の素材でありこれが中々に難しい。

 

 まず第一に『魔力』が大量に宿った代物でなければならない。

 

 この時点で地上に存在する物質の大半が弾かれる。

 

 そして第二に何等かの『性質』を帯びていなければならない。

 単純に物質に魔力を込めるだけならば人工的に不可能では無いのだが、そこに『性質』を付け足すとなると現在の人類に可能な技ではない。

 

 もっともっと簡単に言えば、ダンジョンから産出する物質。

 

 これが錬金素材として用いられる。

 

 例えば先に潜った『水晶魔洞』で採掘される魔水晶。

 

 これなどは主に魔力バッテリーや、この屋敷にも取り付けられている照明などに使われる。

 それは魔力の伝導率が高く、魔力を多く蓄積できるという魔水晶の『性質』や、取り込んだ光を乱反射し続けるというダンジョンの『性質』を水晶が持っているからだ。

 

 そしてそこに宿った『魔力を加工』することで、物質の持つ『性質を引き出す』。

 

 それが錬金術である。

 

 だがそれ故に錬金術には必ず錬金素材が必要となる。

 そして錬金素材とは錬金術のみに用いられるわけでは無い。

 以前にも言ったが、ダンジョン素材で作られた武具は特別な力を宿す。

 そのためダンジョンから出土する品というのは常に需要が多く、正直その需要が追いついているとは言い難い。

 

 ただこの地上において、未だ手つかずの錬金素材があるとすれば、どうだろう。

 

 既存のダンジョンから出土する錬金素材を使った魔導具ならば最早大半公表されている。

 故にもし手付かずの素材、そんなものがあるならば未だ誰も見たことの無い全く新しい魔導具が作られることになる。

 

 先も言ったが地上の大半の物質は錬金素材の条件から弾かれる。

 

 何故ならば地上の魔力濃度はダンジョンに比べて薄いからだ。

 宿った魔力を加工し、性質を引き出す以上そこに宿る魔力の過多は魔導具の効力に直結する。

 地上の物質では宿る魔力が少なすぎて大した物ができないのだ。

 

 逆に言えば魔力濃度さえ濃ければ地上の物質でも何ら問題が無いと言える。

 

 そしてこの地上において唯一、そんな場所がある。

 

 『闇哭樹海』

 

 ダンジョンよりも魔力濃度の濃い、大陸最大の危険地帯。

 

 災害種が住まう黒の森。

 

 だが同時に、濃い魔力濃度によって物質が変容し、異質と化したそこは、錬金素材の宝庫とも言える。

 

 錬金術師垂涎の場所だろう。

 

 その危険性を考慮しなければ。

 

 

 * * *

 

 

「結局のところ、その錬金術師が工房を構える条件が」

「そう、『闇哭樹海』を探索させること」

 

 当たり前の話だが『闇哭樹海』は立ち入り禁止である。

 正確にはその領地の主の許可なく立ち入ることを禁止している。

 勝手に樹海へと入れば法によって裁かれる。まあそもそも勝手に立ち入って生きて帰って来れること自体がほぼ無いのだが。

 

 実のところ、数年に一回くらいあるのだ。

 

 樹海の魔物の素材や樹海に満ちる素材を求めた密猟者(いのちしらず)や、自らの力量に驕り災害種を仕留めて名を挙げようとする冒険者(じさつしがんしゃ)

 

 当然普通に入れてくれと言われても危険だからダメだ、としか言えるはずも無い。

 故に勝手に踏み込むのだ。立ち入り禁止と言っても別に封鎖されているわけでは無い。

 そもそも森の近くなんて恐ろしいところ誰も住みたがらないし、そこで作業なんてやりたがらない。地元住民からすれば近寄ることすら忌避される禁忌である。

 

 それ故に入ろうと思えば誰だろうと勝手に入れる。

 

 それで帰ってきた人間など俺は知らないが。

 

「自殺志願者か?」

「だよねえ……」

 

 長年樹海の傍で暮らしてきたから俺もトワもその危険性を良く理解している。

 というか俺に関しては()()()()()()()()()()ため尚のことだ。

 

「その錬金術師ってどんなやつなんだ?」

「えっとね、けっこう可愛い感じの人だったよ」

「……ん?」

 

 一体どんな死にたがりだ、そんなことを考えながら問いかけに返ってきたのは妙な言葉だった。

 

「可愛い感じの……? 女か?」

「そうそう、私と同じか、少し上くらいかな? 錬金術師だっていうから私てっきりお爺さんみたいな人だと思ってたら、すっごい若いの」

「てことは二十からそこらくらいか?」

 

 トワが俺より一つ上で十八だから、それより少し上となると多分それくらいだろうか。

 

「一応聞くけど、正真正銘錬金術師……だったんだよな?」

 

 錬金術師の試験は国家資格の中で最難関と言われるほどの狭き門だ。

 大抵の錬金術師は四十を過ぎてようやく合格できるほどであり、数年前に三十半ばで試験に通った錬金術師が世間に異例の速さで資格を得た天才錬金術師と持てはやされた……と言えばそれがどれほど難しいことが、分るだろうか。

 

 というか二十なんて若さで試験を突破できるなんて明らかにおかしいし、そんな錬金術師の話なんて聞いたことも無い。

 

「正直それ、詐欺か何かじゃないのか?」

 

 もしくは自称錬金術師の闇錬金術師か。

 そんな疑惑に満ちた視線に、けれどトワは首を横に振った。

 

「錬金術の正式な免許も見たよ……確かにあれは本物だった。何より帝印*1があったからね」

 

 帝印があったとなるとまず間違いなく本物だろう。

 あれは現存する魔導具の中で決して複製できない遺物の一つだ。どこで作られたのか、何を元に作られたのか、恐らくそれは十二家しか知らないのだろう。

 魔導具は元となる素材さえ分からなければ複製は不可能に近い。

 さらに言うならば帝印を複製すること……というかしようとすること自体が重罪であり、発見されれば死罪は免れない。

 そしてそこまでして複製しようとしても非常に困難であり、万一作れたとしてもそこまで意味があるか……と言われると正直無い。

 何せ帝印は『家系』ごとに別々の形をしている。故に仮にどこか一家の物を複製できたとしてもそれが使えるのがその家系が納める国の中だけだ。

 さらにそれが使用できるのはその国の長……ノーヴェ王国ならば国王のみであり、国王が直接印字を押すような物など複数の人間の目が通る故に偽装などすれば発覚する可能性は大きい。

 

 つまり不可能とさえ言われるような複製の難易度に対して、得られるメリットが余りにも少ない。

 

 逆に言えば帝印が押してあるということは国からの保証が付いているということでもある。

 この国の貴族であるトワからすればそれを疑うということ自体が不敬であると言われても仕方ないレベルだろう。

 

「となると……本物か?」

「だからさっきからそう言ってるよ」

 

 と、言われても。

 

「どうにもなあ……」

「若すぎるって言うなら私だってそうだよ……年齢はこの際良いんじゃないかな」

「……お嬢様」

 

 そう告げるトワの表情に僅かな自虐があるのを見て、嘆息する。

 これ以上この話題を引っ張りたくない、そう思った。

 

「分かった、一度会ってみるか」

「ルーくんが?」

「ああ、樹海についてどれだけ知ってるのか、どういう風に探索するつもりなのか。何より」

 

 『魔の歌声』をどうするつもりなのか。

 

「実際のところ、樹海が立ち入り禁止なのは『危険だから』に尽きる。実際に会って話してみないと分からないだろうが、もし立ち入って無事に帰って来れるようならならこの領地にとってはひたすらに得な話だし、ダメそうなら……」

 

 何とか妥協してもらうようトワと交渉してもらう、それでもダメならば縁が無かったと思って諦めるしかないだろう。

 何よりも、立ち入りを許可しておきながら貴重な錬金術師をむざむざ死なせてしまった……なんて悪評が立ってしまうことは絶対に避けたい。

 

「……うん、分った。先方には『通信』で話を通しておくから、今から向かってくれる?」

 

 少し悩んだ様子のトワだったが、やがて頷いて、(くだん)の錬金術師の所在を伝えてくる。

 どうやら『スペシオザ』の街にいるらしい。この館から歩いてすぐだ。

 了解の意を伝え、そのままの足で屋敷を出る。

 

「……まあ妥協案も無くはないしな」

 

 かなり面倒だがさらなる面倒は呼び込まない案が一つ。

 面倒は少ないができればやりたくはない案が一つ。

 凄まじく面倒であり絶対にやりたくない案が一つ。

 

「素直に諦めてくれるのが一番何だがな」

 

 それか自力で帰って来れるか。

 

 少なくとも二十なんて若さで錬金術師を名乗っているのだ。

 

 天才なんて生易しいものでもあるまいし。

 

「ちっとは期待できれば良いんだがな」

 

 呟きながら門を潜り。

 

 遠くに見える街を見つめ、歩きだした。

 

 

*1
イアーズ帝国時代の遺物。当時の皇家とその血族だった十二家だけが持つ世界に十三しかない印章の魔導具。ただし肝心の皇家の物が見つかっていない。




自分で書いてて思うが設定多いよなあって。
説明ばっかで中々進まないけど、この辺の説明すっ飛ばしていくとまるで意味の分からん話になるし。
その辺上手く本文に溶け込ませるのが今後の課題だろうか。


ところで、アンケート協力ありがとうございます。
この話の投稿を持ってアンケート終了ということで。
因みに参考にはするけど、アンケートに従うとは言ってない。


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六話

 

 去って行くその背を見送ると、カップに残った紅茶を飲み干す。

 中身の無くなったカップをソーサーに置く。

 

「お代わりはいかがですか?」

 

 どこで見ていたのかと言わんほどにタイミング良く現れた従者がそう尋ねてくるが、けれど自身が答える前からその答えを分かっていると言わんばかりにその手には何も持っておらず。

 

「いや、良いよ……今日もお仕事しないとね」

 

 窓から見やれば日はすっかり昇っている。

 ぽかぽかとお日様が温かい。昔のように二度寝でもできれば心地よいだろうが。

 

「ごちそうさま、今日も美味しかったよ。アイちゃん」

「はい、お粗末様です。後で部屋のほうに紅茶お持ちしますね」

「うん、よろしく」

 

 目の前の少女も、先ほど出て行った少年も、そして最初に出て行った二人も。

 自身が背負うべき物であり、守るべき家族だ。

 それは()()()()()()()()()()()決めていたことであり、だからこそおちおち寝てもいられない。

 

「さーて……今日も頑張ろうか」

 

 両手を突きだして伸びをしながら呟く。

 そうしてつい先ほど街へと向かった少年のことを思い。

 

「……あ」

 

 その要件に思考を巡らせている時、ふと思い出す。

 

「大分変った人だったよ、って伝え忘れてた」

 

 呟いて……まあ大丈夫か、なんて楽観的に考える。

 

「何とかなるよね、ルーくんだし」

 

 そこにあるのは少年への厚い信頼だった。

 

 

 * * *

 

 

 屋敷から三十分ほどに歩いて街へとたどり着く。

 門を抜け街へと踏み入れると、街中を人がまばらに歩いている姿が見える。

 これから仕事へ向かう人や、夜間の仕事を終えて戻ってきた人など様々ではあるが、ペンタスの人がごった返す様を見てしまうと、やはり根本的に人が少ないのだと思わされる。

 

 まあ自分は政治家ではない。

 

 オルランド家は『平民』である。

 ならばそんな『貴族』の領分についてあれこれ考えても仕方ない話ではあるのだが。

 

「お嬢様に近づきすぎたな」

 

 『オルランド』という名が大戦から五十年経つ今となってはどれほど意味を持つのか俺には分からないが。

 それでも五十年、初代様を含め父や祖父もまた守ってきた節度を俺は超えようとしている。

 自らの主が、トワがどれだけ頑張ってこの領地を支えているかを知っている身としては、どうしてもそういう視点で考えてしまう。

 

 朝起きてから夜寝るその時まで、毎日毎日この領地のことを考えているような少女だ。

 あの小さな肩にはエノテラに住む1万人の人間の命が懸かっているのだ。

 ほんの少しでも、その荷を、その責を減らしてやりたい。

 そう思ってしまう。

 

「だからって俺に何ができるって話ではあるけどな」

 

 今からすることだってその一環だろう。

 トワの従者として動くことに不満はない。それがトワの役に立つのならばむしろ喜んで引き受けよう。

 『平民』として生きてきた俺には本当の意味で『貴族』であるトワの苦労は理解し得ない。

 けれど、だからこそトワのためにできることがあるならば何だってしてやりたいと思う。

 

 今でこそ、俺とトワは従者とその主だが。

 

 ほんの数年前、俺がただのミカゲ・オルランドだった頃まではただの()()だったのだから。

 

 

 * * *

 

 

 錬金術師の工房というのは外観から見てすぐに分かる。

 何せ魔導具を作るための施設だ。相応の設備というものが必要になるためどうしても規模の大きい建物になる。

 とは言え、まだ実際に工房が作られると決まったわけでは無いため(くだん)の錬金術師は街に唯一ある宿に泊まっているらしい。

 

 故郷を卑下するわけでは無いが、ペンタスならば街中に宿は二十軒、三十軒とあった。

 それだけ必要とされているという話であり、逆に言えばこの街において宿など一軒あれば十分と言える程度にしか外から人が来ないということでもある。

 実際、王都からやってくる商人くらいしか使われない宿屋は平時では常に空き部屋ばかりであり、基本的にメインは一階の酒場である。

 その酒場だって夜に仕事終わりの男たちが安酒を呷る程度の物であり、大きな儲けになっているとは言い難い。

 じゃあなんで潰れないんだと言われれば唯一の宿屋が無くなったらいよいよ街に来る人が皆無になってしまうためにオクレール家が金銭的に支援をしているからだ。

 

「ああ……見えてきた」

 

 数年前まではオルランド家もまたこの街に住んでいた。

 だから街唯一の宿屋の場所くらい分かる。

 スペシオザの街は大きな二重の壁で囲まれているのは以前も言った通りだが、門自体は『東門』と『西門』の二つしか存在しない。

 これはいざ外敵が襲来した時に敵の入口を制限するためであるのと、門にそれほど多く人員を避けないため門自体を減らして少人数でも警戒できるように、という配慮である。

 さらにその二つの門を繋ぐように中央通りが存在する。

 

 ペンタスの街は真上から見れば六角形の形をした街だったが、スペシオザは長方形と言える。

 

 その中央に道が敷かれているので住人からは分かりやすく上側を『北街』、下側を『南街』と指して呼称している。

 基本的に北街のほうは商業関連の建物が多く、南街のほうは逆に住居が多い。

 

 そういうわけで街唯一の宿屋は当然北街の西端のほうにある。

 昔住んでいた家は南街の東端のほうなので、実は同じ街の中でもこちらのほうはそれほど行く機会が無かったりする。

 そんなわけで、少しだけ新鮮な気分になりながらも遠くに見えた宿屋の看板目指して歩き続け。

 

「ここか」

 

 目的地にたどり着いた。

 

 

 * * *

 

 

 世間ではどうか知らないが、この街においてオルランド家という名はオクレール家と同じくらい知られている。

 なのでその一員である俺のことも宿屋の主人は知っていたらしく、突然の訪問に驚かれながらも歓迎される。

 何か飲んでいくか、なんて誘いも断りながら宿を借りている女について尋ねる。

 

「ああ、あの人たちか……」

「たち?」

 

 トワの話しぶりからすると錬金術師一人だと思っていたため、たち、という表現に首を傾げる。

 

「ああ、若い女の子が一人とフードを被った子供が一人だよ」

「何だその怪しすぎるの風体のやつ」

 

 若い女の子、というのが多分トワの言っていた錬金術師、ということだろうか?

 じゃあもう一人のフードを被った子供というのは。

 

「そのフードを被った子供ってのはどんなやつだった?」

 

 錬金術師と一緒にいるのだから護衛か何かだろうか、とも考えたらだが子供が? とも思う。

 弟子か何かなのかもしれない。普通に考えればそちらのほうが自然だろう。

 そんなことを思いながら訪ねるが、宿の主人は良く分からないとのこと。

 

「全身をすっぽりコートで覆って顔はフードで隠しちまってるからなあ。小柄だったし、ほとんど喋らなかったけど少し聞こえた声から多分女の子だろうって思っただけで実際どうなのかも分からんよ」

「……そうか」

 

 聞いてるだけで怪しさ満載なのだが、とは言え実際に会ってみないことにはこれ以上は分からないということが分かった。

 

「一応聞いとくけど……何かやばい客なのかい?」

 

 俺というトワの従者が来たことに不信感でも与えてしまったのか、宿の主人が声を潜めて聞いてくるので首を横に振る。

 

「いや、お嬢様の客だよ。ただ粗相のないように一応事前に話を聞いただけさ」

 

 そう言って返すと、宿の主人がほっとしたように息を吐いた。

 そうしてその二人の泊っている部屋を聞くと、階段を上り客室のほうへと向かう。

 

「えっと……ここ、だよな?」

 

 廊下を進んで一つの客室の扉の前で足を止め、確かめるように部屋の番号を確かめる。

 そうして。

 

 こんこん

 

 扉をノックする。

 

「…………」

 

 返事は無い。

 ただ中からがさごそ、と音が聞こえるので誰かいるのは確実のようで。

 

「すまない、オクレール家の人間なのだが、錬金術師殿はいるか?」

 

 もう一度ノック。

 

 そうしてたっぷり十秒ほど沈黙が続いたところで。

 がちゃり、とその扉が僅かに開く。

 

 そこにいたのは。

 

「……あ、あの。その……ぼぼ、ぼく、ぼくに……なな、なにかごよう、ですか?」

 

 そーっと開いた扉の隙間からこちらを覗く、小さな少女だった。

 

 

 * * *

 

 

 がくがく、ぶるぶる。

 

「あの」

「ひゃ、ひゃいっ」

 

 がくがく、ぶるぶる。

 

「いや……その……なんでもないです」

「は、はは、はい」

 

 客室に置かれた机を挟んで座っているが、少女には気づかれないようにこっそりとため息を吐く。

 先にトワが連絡を入れてくれていたためオクレール家からの遣いとして中に入れてもらえたのは良い物の、先ほどからずっとこの調子だ。

 こちらが話を切り出そうとする度、こうも過敏に反応されてはどうにも調子が狂う。

 

 どしたものか、と視線を向けてまたびくり、とその肩が震える。

 

「…………」

「ななな、なにか」

 

 いや、なんでも、と首を振る。

 だがそれにしても、だ。

 

 小さな少女である。

 

 歳の頃十二か三ほどだろうか?

 両サイドで縛って垂らしている薄紫色の髪は椅子に座っているのに床に届くのではないかと思うほど長い。

 白と青のツートンカラーのミニドレスを着て腰には黒いフリルリボン、そして藍色のボレロを羽織ったその姿はどう見ても『錬金術師』のそれではない。

 

 正直言ってどこかの貴族の御令嬢ではないかとしか思えない。

 

 けれど先ほど『錬金術師はいるか』と戸を叩いた自身に『ぼくに』何か用かと返してきたのは目の前の少女である。

 そうすると目の前の少女こそが件の錬金術師、ということになるわけだが。

 

 視線の先にびくびくと体を震わせるこの少女が……錬金術師?

 

 だがトワは『私と同じか、少し上くらいかな?』と言っていた、目の前の少女を見てそんな感想が出てくるはずも無い。

 

 じゃあ別人か?

 

 だとするなら今度は先程の言葉の意味が分からない。

 

 いやまあ普通に聞けばいいだけの話ではあるのだが。

 

「あの……」

「ひ、ひゅぁい?!」

 

 そうして声を発せば、即座にびくりと怯えるようにこちらを見てくる。

 何か酷いことをしているような気分にさせられて気は進まないが、けれどいつまでもこのまま見合っているわけにも行かない。

 

「一つだけ確認させてくれ……錬金術師、というのは?」

「そそ、それは……ぼぼ、ぼ、ぼくのこと、です」

 

 ようやく一歩、話が進んだ。そう思うと少し肩の力が抜ける。

 ほんの僅かとは言えちゃんと意思疎通ができた、そのことに良い意味で緊張が緩んだ。

 と同時にやはり疑問が残る。

 

「お嬢様からはもっと年上の人物と聞いていたんだが?」

「え、あ、あ、あ、あ、ああのですね、そそ、それは、ええ、えと、えっと、えっと」

 

 問うた言葉に激しく動揺を見せながらしどろもどろになる少女にどうしたものかと思う。

 けれど少女のほうもこれでは埒が明かないと思ったのか、椅子から立ち上がる。

 

「すす、少しままままま、待っててくだだださい、待ってて、てて、ください」

 

 壊れた装置のように同じ台詞を繰り返しながら少女が部屋の奥へ、寝室のほうへと消えていく。

 そうして待つこと十分ほど、未だに戻ってくる様子の無い少女にまだかまだかと考えていると。

 

 かちゃり、と奥の部屋の扉が開き。

 

「待たせたわね」

 

 そう告げて、寝室のほうからだぼだぼの灰色のローブを着た一人の女がやってきた。

 ぱっと見た感じ歳の頃は二十くらいだろうか? もしかするともう少し若いかもしれない。

 

「アンタ……は」

 

 その顔を見て驚く。

 先程までここで向かい合っていたあの小さな少女、あの少女がそのまま成長すればきっとこんな顔になるのだろうと思えるほどにその容姿は極めて酷似していた。

 

「ごめんなさいね、『あの子』は人と話すのが苦手なのよ。ここからは私が話を聞くわ」

 

 そう告げて女は俺と対面するように椅子に座り、こちらへと視線を向けた。

 

「すまない、その前に分からないんだが、結局アンタとさっきの子、どっちが『錬金術師』なんだ?」

 

 先ほどの少女は自らが錬金術師であると認めた。

 だが恐らくトワの元へ錬金術師であると名乗り、交渉に来たのは目の前の女だろう。

 そうなるとおかしなことになる、そう思い尋ねれば。

 

「何もおかしなことは無いわ」

 

 女はくすりと笑って口元に手を当てる。

 何気無い仕草ではあったが、女がそうするとどこか上品に見える。

 やはり先ほどの少女と合わせて貴族の家系なのではない、とそんな疑念が深まり。

 そんなことを毛ほども気にした様子も無く女は微笑みながら答えた。

 

「私もあの子もどちらも錬金術師。私たちはね、『二人で一人』の錬金術師なのよ」

 

 そう告げて、女の視線をこちらを見据え。

 

「改めました紹介させていただきますわ。錬金術師ハイデリーラ・()()()()()、先ほどの子がハイゼリーラ・()()()()()と申します」

 

 どうそ、よろしく。

 

 告げる女の笑みは酷く妖しく、そして艶めいていた。

 

 

 




というわけで新キャラハイデリーラとハイゼリーラ。
作者からの公式な呼び方は「リーラさん」と「リラちゃん」です。



あとすっごい今更だけど超大雑把な大陸地図とペンタスの地図、それからスペシオザの地図をペイントで30秒で書いたので貼っときます。


【挿絵表示】


この長方形がスペシオザ。



【挿絵表示】


この六角形がペンタス。



【挿絵表示】


そしてこの真ん丸が大陸です。
いや、本当に真ん丸なわけじゃないよ?
単純に面倒だから細かくは書いてないだけで。
本当に大陸がこんな新円描いてるとかそんなわけじゃないから。
あくまで国とかの位置を見る程度にね。


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七話

 

 領主の仕事は多忙を極める。

 それはエノテラ領のような人も少ない領地でも同じことだ。

 そもそも貴族の中でも『領地持ち』というのは少ない。

 元々十二国の大本となったイアーズ帝国が皇帝を頂点とする中央集権を推し進めていた国家ということもあって、十二の公国もまた同様だったのだ。

 とは言え人魔大戦によって公国の領地は荒れ、イアーズ帝国は滅び去り、さらに旧帝国領の接収による領土の拡大などもあり、公家だけでは手が回らず、目が行き届かない場所が増えた。そうして公家の代替としていくつかの貴族家系に領地を運営する権限が委譲された。

 つまり領地を持った貴族というのが現れたのはここ何十年かからの話であり、それ以前の貴族というのは称号であり、身分であり、地位の名でしか無かったのだ。

 国内における特権階級ではあるものの、逆に言えば特権を保有するだけの市民でしかない、とも言えた。

 そんな理由もあってか、領土を持った貴族というのは必要最低限の数でしかない。

 このノーヴェ王国内でも貴族の領地の数を上げていくと両手の数で足りる程度にしか無く、その内の一つがエノテラ領だ。

 確かに領民の数自体は国内でも最底辺に位置するような田舎領土だが、それでも領地持ち貴族としてやらなければならないことは非常に多い。

 

 当然ながら一人でやることでは無い。

 

 秘書として家令(スチュワード)執事(バトラー)が着いて補佐を務めたり、時には主人の代理として書類を処理したりして複数人でこなすような仕事である。

 だがオクレール家にはそういう人間がいない。

 

 正確には()()は居ない。

 

 一応ミカゲが手足となって動いてはいるが、それでもミカゲでは政務はできない。

 

 だったら雇えば良いだけの話、なのだが。

 

「それもねぇ……」

 

 嘆息しつつ、アイリス・オルランドは銀製のトレイに乗せたティーポットとカップを片手に扉の前で立ち止まり、トントンとノックする。

 はーい、と中から返事が聞こえると共に扉を開く。

 

「お嬢様、紅茶をお持ちしました」

「あ、アイちゃん。ありがとう」

 

 本日二度目になる差し入れに、トワが手に持っていたペンを直すと、うーん、と伸びをする。

 

「いつの間にか結構時間経っちゃってるね……」

 

 視線を移せば壁に掛けられた振り子時計の針は11時を示していた。

 2,3時間ほど熱中していたらしい、体も硬くなるはずだと思いながらアイリスが淹れてくれたアイスティーの入ったカップを受け取る。

 ノーヴェ王国は地理的に比較的気温が上がりにくく、その中でもエノテラは年中寒い地方ではあるが、トワとてエノテラで生まれエノテラで育ってきたのだ、この程度の寒さなら慣れた物であったし、比較的寒いのには強い方だったのでそれほど気にしたことも無い。

 何だったらこうして冷たい飲み物を飲む余裕だってあるのだが。

 

「うーん」

 

 とは言えアイリス曰く、慣れない内は相当に厳しいらしい。

 こういうのもこの領地に人が寄り付かない要因の一つなのかもしれないと思いつつも気候なんてどうしようも無い話。

 紅茶のカップを片手に、ふと窓から見える街のほうへと視線をやり。

 

「そう言えば、ルーくんどうしてるのかな?」

 

 少しばかり帰りの遅い()()のことを想った。

 

 

 * * *

 

 

()()()()()?」

 

 目の前の女……ハイデリーラの名乗り聞き、思わず呟く。

 そんな俺にハイデリーラはええ、と頷いて。

 

「ファウスト錬金学会はご存じ?」

「それはまあ……名前くらいなら誰でも知ってるだろ」

 

 何せ現在における大陸随一の魔導具メーカーである。

 そして『錬金術』を『経済』と結びつけ、魔導具の流通を作った先駆者でもある。

 元々は学会、という名の通り本質的には研究者の集まりであり、その研究費用を稼ぐために研究の副産物を自らが抱えた錬金術見習いの技術者たちに流し、技術者たちが魔導具を作ってそれを販売する。

 それを繰り返し、大戦以前より拡大を続けた結果、市場に流通する魔導具の半数はファウスト製と言われるようになったほどだ。

 

「錬金術という物についてどれだけ造詣が深いかは分かりませんが、ファウスト、という名くらいは知っていて?」

「錬金術の開祖……というより、現代の錬金術の根底を作った人物、ってところか?」

 

 そんな俺の答えにハイデリーラは満足したように頷く。

 

「概ねその認識で間違っていません。我ら錬金術の偉大なる祖、ギュンター・ファウスト。我らファウスト錬金学会はその名と共に、偉大なる祖の教えを代々継いできた者たちです。そして私たちはその末席を汚す者。畏れ多くも『ファウスト』の名を名乗ることを許された者たち」

 

 曰く、ギュンター・ファウストの研究を直接継いだのは錬金術師カリオストロ一人ではあるが、ファウストの弟子はそれ以外にも数人いた。

 中には独立した弟子もして、ファウスト亡き後カリオストロを除いた弟子たちが寄り集まってできたのがファウスト錬金学会の大本となる組織だった。

 長い時の間、けれど弟子たちは自らの後継に偉大なる師より学んできたことの全てを教え、受け継がせ、そうして今に至るまでその教えを残してきた。

 

「とは言え、人魔大戦で多くの教えが失われました」

 

 人類が死滅するか否か、そこまで追い詰められたのだ。

 喪失した知識や文化は数え切れず、同時に大戦の中で培われた知識や文化も数えきれない。

 

「今や学会とは名ばかり。魔導具を売って儲けることばかりを考えた集団と成り果てましたわ」

 

 これではカリオストロと何ら変わりがない。

 偉大なる祖もさぞ嘆いていることでしょう、とハイデリーラは嘆息する。

 

「ですが学会の中にもまだ偉大なる祖から続く教えを受け継ぎ、真理を解き明かそうとする者たちもいます」

 

 例えば私たちのように、とはハイデリーラの言。

 

「ですが」

 

 困ったように嘆息一つ。

 

「すでにこのイアーズ大陸における人類圏で行える研究の大半は終わったと言っても過言ではありません」

 

 何せ錬金術とはイアーズ帝国誕生以前からの話、千年どころか二千年、或いは三千年以上前から続く物である。

 イアーズ大陸は広大で、巨大で、膨大ではあるが、それでも有限である。

 千年単位でこと細かに研究を続ける者たちがいるならば、大半調べ尽くしていても何ら不思議ではない。

 

「故に、我々は次なるステージが求められています」

 

 人類圏での研究が終わったというならば、次はその外に……ということになる。

 

「残念ながら海は人類の禁忌」

 

 どのタイミングで、どの場所から海に出ようと、必ず数日内に『災害』がやってくる。

 そして数日の船旅で辿り着ける場所など『東和』くらいしか無く、その東和もすでに滅んだ。

 故に古来より海は化け物の領域だ。災害の住まう場所であり、人は陸の上で生きる生物なのだとやつらは徹底的に教え込んだが故に海は禁忌だ。

 

「と、なれば、この大陸で残された未踏破地域は一つしかありませんわよね?」

「『闇哭樹海』か」

 

 呟く言葉にハイデリーラがニコリと微笑んだ。

 

 『闇哭樹海』は大陸の中央に位置し、今の人類圏はそれを囲うように円状に作られている。

 故にエノテラ領で許諾が取れなかったとして、別の領地に……何なら国外にでも行ってしまっても構わないのだ。エノテラ領でなければならない理由というのは基本的に無い。

 

 では何故エノテラ領に来たのか。

 

 ―――少なくとも、ハイデリーラ・ファウストにとっては()()()()()()()()()()()()()()()()というものがあったのだと、後に知ることになる。

 

「こちらからもお聞きしたいことがあるのですが?」

「……伺おう」

 

 僅かに目を細め、警戒する俺を見てくすりと笑みを浮かべ。

 

()()()()()をご存じかしら?」

 

 その名に目を見開く。

 

 ―――それこそがハイデリーラがこのエノテラ領に来た最大の理由だったと。

 

 

 * * *

 

 

 ()()()()()()がソレを見つけたのは二年ほどの前のことだ。

 

 錬金素材とは基本的にそれ専門の業者が『どこのダンジョンの物』と言った風にラベリングして持って来る。

 錬金術を知らない人間は勘違いしがちだが、ダンジョン産の物質ならなんでもかんでも錬金素材になるわけでは無い。

 性質次第では特定の保存方法でしか保管できない物もあるし、最悪ダンジョンから持ち出した瞬間性質が失われるような類の素材だってある。

 

 故に錬金素材を得たいなら相応の知識を持ったそれ専門の人間がギルドに行って必要な物を買ってそれを運んでくる、というのが大半の錬金術師にとっての常識である。

 

 錬金素材の在処とその性質などは実際使ってみるまで分からないことも多く、どんな素材がどんな性質を持っているか、何より魔導具を作った時にどんな効果を持つか、それらの情報を纏めた『レシピ』は錬金術師にとって何よりも大切な宝と言える。

 そういう意味でファウスト錬金学会は千年単位でのレシピの積み重ねを持つ。

 魔導具メーカーとしてどこよりも長けた所以がそこにある。

 

 だが錬金素材が一般的な市場に無いか、と言われるとまた別の話。

 

 冒険者の全てがギルドにダンジョン素材を持って行くわけでは無い。

 個人的なコネクションで売っている冒険者もそれなりにある。

 ギルドを仲介に挟むと余計な手数料が取られるため、冒険者を支援して代わりに優先的にダンジョンのドロップを買い取る商人というのもそれなりにいる。

 

 ただそれが錬金素材に用いることができるか否か、というのは結局のところ錬金術師にしか分からない。

 判断基準自体は簡単なのだ、錬金術師だったら一目見ただけで分かる。

 ただ錬金術師以外の人間では少しばかり難しい。

 

 ()()()()()()()()技術は錬金術師以外には難しい芸当なのだ。

 

 ただ逆にそこに宿る魔力を一目で見分けることのできる錬金術師ならば、市場の中から有用な物と無用な物を見ただけで区別できる。

 そうして時折、掘り出し物の錬金素材が売られていたりするので、ハイデリーラは他の錬金術師たちと違いそれなりに市場へと赴いていた。

 

 そうして掘り出し物を探し求め赴いた市場で、ハイデリーラはソレを見つける。

 

 ―――ソレは一見すればただの肉の塊のようではあった。

 

 色がやや黒ずんでいて、余り清潔な印象は持てなかったが、それでもぱっと見れば成人男性の拳大ほどの丸い肉片だった。

 恐らく大半の人間がそれを見てちょっと何かの動物か魔物の肉だな、くらいにしか思わないだろう。

 実際通りすがる人々はそれを一瞥しても特に気に留める事無く去って行く。

 

 だがハイデリーラは一目見てその異常性に気づいた。

 

 ()()()()()()()()()()()()に気づいた。

 

 魔力浸食。ダンジョン学の中でもかなり深い造詣が無ければ知らないような知識ではあるが、錬金術師にとっての基礎知識である。

 ダンジョンで高濃度の魔力に晒され続けた物質が()()()()()()()()現象であり、錬金素材としては最も重要な事項である。

 物質全体がどれだけ魔力に置き換わっているか、それを示す数値を浸食指数と呼び、この浸食指数の高さこそが錬金素材の価値の高さに直結する。

 現在までのダンジョン産の錬金素材において最も高い浸食指数を記録したのが大昔、南のほうの今はもう無きダンジョンから産出された無色透明な液体だ。

 

 通称『神の雫』と呼ばれる最高峰の錬金素材として今尚ファウスト錬金学会にほんの僅かなサンプルだけが残されたその液体を使って作られたのは『エリククシール』と呼ばれるほんの一滴で死者をも蘇らせるほどの力を持った奇跡の秘薬となった。

 

 ハイデリーラはその目で『神の雫』を見たことがある。

 

 その強烈なまでに渦巻く魔力の光を目に焼き付けたことがある。

 

 今目の前で何気無く売られているその肉片には『神の雫』に或いは匹敵するかもしれないほどの尋常ではない魔力が込められていた。

 これは一体どこで発見されたものなのか、これほどの一品が現代にあるなど聞いたことも無かった。

 それ故に商人に尋ねてみれば。

 

 ―――さあ? ただエノテラ領から運ばれてきた物だよ。

 

 という答えが返ってきた。

 

 

 * * *

 

 

「その後当然調べたわ。このエノテラ領でそんな強力な錬金素材が手に入るなんて話は聞いたことも無かったし、一時調査は難航した。でもね、ここを行き来する商人に聞いてようやくその在処にたどり着いたわ」

 

 スペシオザの街に往来する商人はいつも同じ人間だ。

 もしエノテラ領から何かを輸出するならばほぼ確実にこの商人を通しており、この商人に聞けばその出所は判明する。

 勿論商人にとって信用は第一なのでそんな簡単に顧客の情報を売ることは無いだろうが。

 

「錬金術師の信用、か」

「ええ。ある物は使う、当然でしょ?」

 

 錬金術師は国家から認められた職業の一つだ。

 言うなれば、貴族とは別種の特権階級と言える。

 特に信用に関して、国家からのお墨付きが出ているの等しく、その信用をかざせば確かに商人ならば口を開かざるを得ない*1

 当然聞いた内容を悪用すれば信用はがた落ちする。できるのはあくまで錬金術に関する範囲*2にのみである。逆に言えば範囲内ならば多少他人の意思を無視しても許されるということでもある。

 

「その商人が言うには()()『オルランド』が『闇哭樹海』から持ってきたって言うじゃないですか」

 

 あの、というのはどういう意味なのかは分からないが、少なくとも目の前の女はオルランドというものがどういう存在なのか理解しているようだった。

 

「ふふ……アナタがここに来たのは『闇哭樹海』の件、ですよね?」

「……ああ」

「私があんなことを言うから、私が『闇哭樹海』で生き残れるかどうか、計りに来た……と言ったところでしょうか?」

「……ああ」

 

 ふふふ、と怪しく笑みを零す女に、苦々しい表情になるのを自覚する。

 どうにもペースを掴ませない。面倒な相手だった。

 

「逆に問いたいのですが」

 

 そうしてハイデリーラはこちらを見つめて、その口元に弧を描く。

 

「アナタはどうやってあの魔境で生き残ったのですか?」

 

 ねえ、ミカゲ・ルー・オルランド……さん?

 

「……お前、良い性格してるな」

 

 全部分かっていた上での質問だったのだと思えば、本当に性格が悪い。

 けれどそんな自身の視線を受けて、女は笑みを崩さない。

 

「ふふ」

 

 口元に手を当て、楽しそうに笑みを浮かべていた。

 

 

*1
分かりやすく言えば治安維持組織(けいさつ)などのように社会的信用がある。ただしそれらと違って強制する権限は無いが、国家が背後についている以上大半の国民は後ろ暗いことでも無ければ自主的に喋るし、問題無い範囲で協力もする。

*2
この場合で言えば素材の出どころの調査などのみに聞いた情報を使用するという暗黙の了解がある。




ポケマスやってて遅くなりました。楽しいね、あれ。


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八話

 

 

 

「あ……」

 

 ぐぅ、と鳴った腹の音でふと我に返る。

 随分と時間が経っている、窓から外を見やればすっかり日は高く昇っている。

 そろそろ昼頃か? そんなことを思いつつ、視線を目の前の女へと戻し。

 

「そう言えばそろそろ良い時間ですわね」

「そうだな……話も一応纏まったし、俺はそろそろ失礼するとしようか」

「あら、よろしければお昼も一緒にどうかしら?」

「……遠慮しておく、帰ったら自分の分も用意されてるだろうしな」

 

 それほど強く引き留める気も無かったのか、否定の言葉に女は気を悪くした様子も無く、そう、とだけ呟いた。

 椅子から立ち上がり、部屋の出入り口へと向かう。

 扉に手をかけ、開こうとして。

 

「一つ、聞きたいのだけれど」

 

 背後から聞こえた声に、ドアノブを掴んだ手を止める。

 振り返った先には、先ほどまでの薄ら笑いを止め、どこか戸惑うような視線でこちらを見る女がいて。

 

「貴方、あの樹海で『誰か』に出会ったことはあるかしら?」

「―――ッ、俺の知る限り、俺たち以外であの樹海に立ち入って帰ってきたやつなんていねえよ」

 

 問いかけられた言葉に、一瞬言葉が詰まった。

 けれど女は気づかなかったのか俺の返答に、そう、と嘆息し。

 

「分かったわ、ありがとう」

 

 告げて目を伏せる。

 それで用事が終わったのかこちらを見ることも無く。

 

「ああ、それじゃあ、また」

 

 挨拶だけしてそのまま部屋を出る。

 ばたん、と扉をしまると同時に思わず胸に手を当て。

 

「……バレて、無いよな?」

 

 小さく、誰にも聞こえないくらいの声で呟く。

 息を殺し、扉の向こう側の様子を伺うが、特に反応らしい反応は無い。

 無意識的に足音を殺しながらそっと扉から離れ、そろりそろりと階段を降り、そのまま宿を出る。

 そうして表の雑踏に紛れたところで。

 

「ふう」

 

 息を吐く。

 未だに鼓動の跳ねる心臓を鎮めるように深く呼吸を繰り返し。

 

「知ってる、のか? あいつ」

 

 最後に問われた言葉の意味を考える。

 

 ―――誰かに出会ったことがあるか。

 

 その言葉の意味を考える。

 ただ単純に他の冒険者たちに出会ったかどうか、なんて話じゃないだろう。

 他のやつならともかく、()()()()その理由に心当たりがある。

 

「知ってる、のかもしれない」

 

 半ば確信にも似た呟きだった。

 

 ―――樹海の奥に何がいるのか。

 

 それだけならば誰だって知っている。

 

 だが。

 

 ―――そこに『誰』がいるのか。

 

 それを知っているのは、俺だけだと思っていたが。

 

「そうでも無いらしいな」

 

 ほとんど勘だったが、けれどそれで間違いないという確信にも似た何かがそこにはあった。

 

 

 * * *

 

 

「で? どうだったかしら、彼は」

 

 部屋を出た少年が扉を閉めるのを見やりながら、女は背後へと声をかける。

 直後に背後の寝室のほうの扉が僅かに開き。

 

「た、多分……()()()()と、思う」

 

 出てきたのは女よりも一回りも二回りも小さな少女。

 扉から顔を覗かせながらも体半分扉に隠しながら少女は女を見やる。

 

「問い詰める?」

「だだ、ダメ、だよ。そういうの……は。へ、へいわ、てきな、かいけつを、のぞみ、ます」

「平和的に、ねえ?」

 

 できるものならば、とでも言いたげな女の視線に、少女が不満げに頬を膨らませる。

 

「さ、さいしょから、あきらめるのは、ダメ、だよ」

「はいはい……仰せのままに、我が主()()()()()()()()()()()

 

 くすり、と笑う女に()()()()()()と呼ばれた少女は僅かに動揺する。

 

「ぼ、ボクは……ハイゼリーラ、だよ。今は」

「ああ、そうでしたわね。ええ、ハイデリーラは私でした。すみません、間違えましたわ」

 

 そう言いながら口元に歪める女を見ればそれがどう考えたってわざとだったのは明白だったが、結局それとて今更な話。女がそういう性格であることを少女は理解しており、許容している。

 故に何時ものことと嘆息して。

 

「ボクの『鏡心(メンタルミラー)』は、こ、心まで読めるわけじゃない、から」

「分かっていますわよ。あくまで対象の感情を反映するだけ。具体的に何を思っているかまでは分からない。だからこそ確実ではない、と」

「も、もう一つ、上まで行けば……わかる、かもしれない、けど」

「そこまでやれば確実に気付かれますわね」

 

 魔法を使うことには魔力が必要になる。

 ある程度熟練した魔法使いならばその魔力の動きを察知することは可能だ。

 とは言え、錬金術師は魔力の扱いに長けた者たちであり、第一階梯魔法くらいならば集中すれば気づかれずに発動させることは可能だ。

 けれど第二階梯魔法ともなれば必要とする魔力量は第一階梯とは比較にならない。

 さすがに今の状況でそこまで大量の魔力を隠蔽することはできないし、やったら確実に気付かれただろう。

 

 錬金術師とは社会的にも地位の高い職業であり、世間からの信頼は強い。

 必要に駆られてとは言え、商人から個人の情報を聞き出せる程度には信頼のある職業なのだ。

 そんな錬金術師が他人に……それも領主の遣いに対して『精神系魔法』を使ったとバレでもしたら確実に問題になる。

 例えそれが相手には何の害にもならないことだろうと、『精神系魔法』というだけで問題視されてしまうのだ。

 

 故にリスクは犯せない。

 絶対に気づかれないという確証のある第一階梯にのみ留めておいたが、けれどそれだけでは決定的と呼べるような情報を抜き取ることはできていなかった。

 

「……ふう」

 

 片足を椅子の上に上げて、足を抱え込むような態勢をしながら、どこから取り出したのか紅茶の入ったカップをもう片方の手に持つ。

 

「行儀、悪いから……止めて」

 

 少女が僅かに眉をひそめながらの注意を聞き流すように澄ました表情で笑みを浮かべ、カップに口を付けようとして。

 

STOP

 

 少女が呟いた一言に、女の動きがピタリと止まる。

 

「や、止めてって、言ったよね……な、何度も、言わせないで」

 

 びくびくと怯えたような言動ではあったが、けれど少女の目だけはジロリと女を射抜いていた。

 数秒、完全に硬直していた女だったが、やがて動きだすと持ち上げていた足を下し、姿勢を正す。

 

「はーい、了解ですわ」

 

 仕方ないな、とでも言いたげな女の声に少し不満そうな少女だったが、けれどそれ以上何かを言うことも無く、嘆息一つと共に扉から身を出して先ほどまで少年が座っていた椅子に腰かける。

 

「リーラ……ぼ、ボクにも、紅茶」

「畏まりまして」

 

 ふふ、と薄く笑いながら女がまたどこからともなくカップを取り出し少女の前に置かれると、小さな両手でカップを包みながら口元へと運ぶ。

 こくり、と小さく喉を鳴らした少女がカップを置いて、ふう、と息を吐いた。

 

「それで、リラ? 結局のところ、どうするのかしら?」

 

 女に問われた少女はけれど悩む様子を見せたまま答えることは無く。

 

()()()()()が一番分かっているとは思うけれど、私は『戦闘用』じゃないわよ」

「う……わ、わわ、分かってるよお」

 

 告げられる女の言葉に半泣きになりながら少女が頷く。

 それでも受け入れがたいと視線だけで女に助けを求めて。

 

「無理な物は無理ね。諦めて自分で行くか……そうね、それこそ『作れば』良いじゃない」

「そそ、そんな簡単に作れるなら、くく、く、苦労しないよ」

 

 すっぱりと切り落とされて、少女が項垂れる。

 机に突っ伏して、両手を投げ出し。

 

「…………」

 

 しばしの沈黙。

 突っ伏して黙す少女を見やりながら、女は悠々とカップに入った紅茶を飲んでいて。

 そうしてしばしの後、がばり、と少女が半身を起こし。

 

「い……行くしか……ない、かあ」

 

 諦観したような、絶望したような暗い表情で少女が呟くと女がふっと笑みを浮かべた。

 

「ま、頑張りなさいな、主様」

 

 

 * * *

 

 

 屋敷に帰るとすでに正午を超えていた。

 

「遅かったわね」

 

 出迎えてくれたアイ姉にそう言われながらも、まだサクラとアルが戻ってきてないらしくこれから探しに行くようだった。

 

「先に食堂に行ってなさい、お嬢様もすでにいるわよ」

「了解」

 

 告げてアイ姉と別れて屋敷の中を歩く。

 そうして到着した食堂の扉を開くと、窓から庭を眺めていたトワがこちらに気づいて笑みを浮かべる。

 普通の屋敷なら主が従者を待つなどあり得ないのだろうが、トワは団欒という物を好む性質なのでなるべくなら食事は皆で取るようにしている。

 俺たちもそれを知っているのでなるべくトワを待たせることの無いようにしているのだが。

 

「おかえり、ルーくん」

「ただいま、お嬢様」

「それでどうだった?」

 

 前置きの無い端的な質問だったが、まあ分からないはずも無いし、先ほどまで話し合ってきたことをそのまま答える。

 

「取り合えず一回だけ俺が付いていって浅いところの探索に留める。その時の様子を見て最終的に二度目の許可を出すかどうかを決める、って方向性にした」

「うん……なるほど、まあ妥当なところかな。でももしダメだったら?」

「その時は『冒険者』としての俺に樹海素材の採取を依頼をするということになった」

 

 そう告げる言葉に、トワが目を丸くする。

 

「え、ちょ、ちょっと待って。他所に行くんじゃなくて?」

「ああ、基本的に素材さえ手に入るなら文句は無いらしいからな。俺でどうにかなるレベルならまあ良いだろう」

「良くないよ、あんな危ないところ!」

 

 声を大にしての否定に、今度はこちらが目を丸くする。

 

「だがお嬢様としては居着いて欲しいんだろ?」

「そうだけど……なんであんな危ないとこ、わざわざ行くかなあ」

 

 実際に入ったことは無いにしてもこの地で十数年生きてきたトワである、樹海の恐ろしさを身に染みて知っているだろうしそう思うのは当然かもしれないが。

 

「まあ……お前のためだしな」

「……へ?」

 

 呟いた言葉に、トワがぽかん、と呆けたように口を開いて動かなくなる。

 

「ん? どうかしたか?」

「ど、どど、どうしたって、だって、キミ……そんな」

 

 ぱくぱくと何度も口を開いたり閉じたりするその顔は真っ赤に染まっていて。

 何か言おうとして、けれど止めて、また言おうとして、また止める。

 そんなことを数度繰り返した後、トワがぎゅっと目を瞑り。

 

「……はぁ、そうだよね、ルーくんだもんね」

 

 何かを諦めたように大きなため息を吐いた。

 意味が分からず、思わず首を傾げ。

 

「えっと、何がだ?」

「……なんでもなーい」

 

 つーん、と自分で言いながら顔を背けるトワの態度の意味が分からずに混乱していると。

 ぎぃ、と軋むような音を立てながら食堂の扉が開き、アイ姉がサクラとアルを連れて入って来る。

 

「お待たせしました、お嬢様」

「遅れちゃってごめんなさい、お兄ちゃん、トワお姉ちゃん」

「す、すみません、遅くなりました」

 

 三者三様の物言いに、けれどトワは気にした様子も無く着席を促し、三人が食卓に着く。

 卓の上にはすでにアイ姉が並べていたのだろう料理が並んでおり、美味しそうに湯気を立たせていた。

 

「ん……こほん、じゃ、みんな。冷めないうちにアイちゃんの作ってくれたお昼、食べようか」

 

 未だに頬が赤いトワが咳払いしながらそう告げて両手を合わせる。

 それに倣うように皆が手を合わせ。

 

「「「「「いただきます」」」」」

 

 

 * * *

 

 

 凛と鈴のような澄んだ音が暗い森に響き渡った。

 無音の森の中でその音はことのほか良く響く。

 だが直後には再び静寂が広がる。

 

「ふーむ」

 

 首を傾げながら視線を彷徨わせる。

 『闇哭樹海』はその名の通り、多い茂った木々が日の光を完全に遮ってしまって森の中は闇に包まれている。

 故にこの樹海において『視覚』というのはほぼ役に立たない。

 実際樹海に住む魔物も、中心部へと行くほどに視覚捨て他の感覚に特化したものが多くなる。

 

 故に音というのは非常に重要になる。

 

 この『闇哭樹海』の深部において、物音一つが生死に直結することなど多々とある。

 特にこの『樹海の主』は自分以外の音に非常に敏感だ。いっそ過敏とすら言っても良い。

 

「……居ない、か」

 

 そんな中で平然と音を立てて歩く一人の少女がそこにいた。

 

「今日辺りはこの辺に来ると思ったんだがね」

 

 だぼだぼのローブに学者帽を被った橙色の髪の少女が頬を掻きながら独り呟く。

 

「まあ良いさ」

 

 振り返り、歩き出す。

 音も無く、光も無い森の奥へ、奥へと。

 

「時間ならいくらでも、だ」

 

 そしてその姿は闇の中へと飲まれていった。

 

 




スチームでAOE2買って久々のプレイしてたら沼ってた。
こうなるの分かってたけど後悔はしていない。
アイスボーンすら今はもうどうでも良いってくらい沼ってしまった。


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九話

 

 ぱらり、ぱらり、と1ページ、また1ページとゆっくりと読み進めていく。

 だがどれだけ読み進めようと、どれだけの書物を読み解こうとその膨大な掲載数に反して得られる情報というのはほとんと同じ、僅かな物でしか無かった。

 

 梟歌衰月『オーデグラウ』

 

 闇哭樹海に住み着いた災害種が一体。

 外見的には巨大な梟のような姿をしている……らしい。

 基本的に樹海の中から出てくることをしないが、この梟の鳴き声は不可思議な旋律となって森へやってきた人間を森の奥へと誘う一種の洗脳効果があるとされており、聞いた時点で抗えない衝動となって森の奥へ奥へと足を踏み入れさせる……らしい。

 

 基本的に災害種というのは歩く災害としか呼べないような怪物ばかりではあるが、その実人類は災害種の実態というものを未だにほとんど理解できていなかったりする。

 その中でも特に人類との関わりが深い『集虫砲禍』が例外的なくらいで、それ以外の六体。

 

 天蓋粉毒『レヴナント』

 亀樹廻界『ユグドラシル』

 威飢幼鷹『バイスフォルク』

 梟歌衰月『オーデグラウ』

 餌生蛸沈『イミタシオン』

 

 そして『いる』とされながら誰もその存在を知らないとされる最後の一体。

 

 刻死無双『デッドライン』

 

 最後の一体に至ってはその外見すらも判明しておらず、なら一体誰がその名を付けたのか、何故『いる』と言えるのか、それすらも分かっていない。

 基本的に『アルカサル』以外の災害種というのは出会うこと自体が死なのだ。

 まあ『ユグドラシル』は例外と言えるかもしれないが、『レヴナント』に遭遇することは死よりも悍ましい死生災害を引き起こすし、『バイスファルク』は突然襲来しては村一つ全て食らうし、『オーデグラウ』は被害者数こそ少ないが生き残りなんてほぼ居ないし、『イミタシオン』に至っては人類が大陸に閉じ込められている最大の原因である。

 

 どれもこれも同じような内容ばかりが繰り返し書かれている上にそのどれもこれもが断言されない曖昧な言い回しで濁されている。

 まあ所詮こんなものだろうと事前に分かっていて読んではいるがそれでもここまで予想通りだと溜め息だって吐きたくなるというものだ。

 

 錬金術師とは即ち学者だ。

 その本質は探究者であり、その本分は研究者である。

 とは言え探究者である以上、机上の空論ばかり並べたてるのは錬金術師のやることでは無い。

 実際に現場に出て、自らの目で、自らの耳で、自らの手で、自らの足で自らの理論が正しいか否かを試してみることも重要である。

 この場合の現場というものの中にはダンジョンも当然含まれる。

 

 何せ錬金術師の作り出す魔導具はダンジョン探索において大きなアドバンテージとなる。

 深層へと潜ろうとすればするほど必須になってくるのが魔導具というものであるが、とは言えその検証を行うならば実際にダンジョンに潜ってみるのが一番手っ取り早く、そしてもっとも確実なのも事実。

 

 だから錬金術師も全く戦えない……と言うわけでは無いのだ。

 

 ただやはりその本領は学びである以上、錬金術師の強さとは『情報収集』と『対策』にこそある。

 これから行く場所にいる敵の予備知識を学び、必要とされる対策を練り上げる。

 逆に言えば情報不足のまま何ら対策すらできずにダンジョンに放り込まれればかなり高い確率で錬金術師は死ぬことになる。

 まさに『情報』こそが自分たち錬金術師の命綱なのだ。

 

 翻ってこれから向かう闇哭樹海、引いてはその主である『オーデグラウ』という存在についてどれだけの情報があるだろうか。

 一体どんな『対策』が打てるだろうか。

 

 それを考えれば()()()()()()・ファウストが嘆息するのも無理の無い話なのだ。

 

「せめて戦闘用ホムンクルスが居ればなあ」

 

 矛盾するような話だが、どれだけ情報を集めようと、どれだけ対策を練ろうと、錬金術師は基本的に学問の徒であり、常に命のやり取りをしている冒険者と違い肉体的には脆弱なことが多い。当然戦闘面では予期せぬ遅れを取ることも十分にあり得るだろう。

 

 であるが故に錬金術師たちは自らを守る『前衛』を作る。

 錬金術師とは学徒であると同時に研究者であり、そして技術者なのだから。

 自らが戦いに向いていないと分かっているならば『戦いに向いた存在』を作れば良い。

 

 否、これは別に戦いに限った話ではない。

 

 錬金術師は自らの未熟を恥じるし、それを克己せんと足りない物は補おうとするが、同時に酷く現実的な思考を持ってもいる。

 つまり自らの努力で補える範囲に無いと判断した場合、すっぱりと『無理』と切り捨てるのだ。

 だがその『無理』が必要とされるならばどうにかしてそれを手に入れる必要がある。

 

 『フラスコの中の小人(ホムンクルス)』とはそうして生まれた錬金術の一つの極致だ。

 

 それは三百年ほど前の錬金術師ラケル・パラディウスによって作り出された技術とされている。

 物質に『魂』を宿すこと、それは錬金術で『命題』の一つとされていながらも千年近く実現できなかったことであり、最もそれに近いとされたのは『錬金人形(マタードール)』と呼ばれる人を模した人造生命体や『真理の像(ゴーレム)』と呼ばれる石や金属で出来た像に命令を打ち込んだ(プログラミングした)無機生命体などだが、それらは与えられた命令を忠実に熟すだけで自ら意思を持たないただの傀儡に過ぎなかった。

 

 故にこそ『真理を知る小人(ホムンクルス)』とは錬金術の極致なのだ。

 

 何せそれは『生命』を人造し、『魂』すらをも創造してしまうのだ。

 生み出されるそれは『ホムンクルス』という一つの種族として共通する個の『生命体』なのだ。

 『ホムンクルス』の外見や性能は全て元となった素材と作り上げた錬金術師の力に依存する。

 つまり同じ『ホムンクルス』であっても千差万別であり、同じ個など存在しない。

 だが『フラスコの中の小人』法で生み出された存在は必ず『ホムンクルス』という種族になる。

 これに関しては種族を確認できる魔導具を使って確認済みだ。

 

 ()()()

 

 錬金術師たちが定義するより先にこの世界は『ホムンクルス』を定義していた。

 まるで最初からそういう存在が生まれると分かっていたかのように。

 そもそも今に至るまで錬金術師たちは一体この『フラスコの中の小人』法がいかなる理屈を持って『魂』を宿した『生命』を生み出すのか、実のところ自分たちでも分かっていなかったりする。

 まるで突如天啓でも与えられたかのようにラケル・パラディウスは『フラスコの中の小人』法を思いつき、不自然なほどに急速にその手法は錬金術師の間に広まり、定着した。

 

 この一連を総称したのが錬金術師たちの歴史に言われる『神の指先』事件である。

 

 ―――世界の真理を解き明かさんとする錬金術師たちを嘲笑うかのように、真理の果てに至る神がその指先で我々を突いたのだ。

 

 神が我々に教えたのだ、だからこそ錬金術師は『魂』を作り出す術を突如としても手に入れたのだ。

 そんなことを本気で言った錬金術師が当時は多くいた。

 そのせいかラケル・パラディウスは『ホムンクルス』を生み出した人物と言うより『ホムンクルス』を生み出す技術を仲介した人物、という見方が強い。

 『ギュンター・ファウスト』のような錬金術師にとっての偉人、というような見方を余りされない人物でもある。

 

 まあそれはさておき、だ。

 

 ホムンクルスとはあらゆる面において錬金術師の『不足』を補うための存在である。

 

 『戦闘』に不安があるのならば戦うことを得意するホムンクルスを。

 『研究』に不安があるのならば共に思考し、探究してくれるホムンクルスを。

 他にも多くの需要に合わせてホムンクルスは生み出されてきた。

 基本的に創造主に従順であり、自らの良いようにその性能をカスタマイズして誕生させることのできる、そんななんとも都合の良い助手が作れるならば研究者ならば喉から手が出るほど欲しいと思うのは当然のことであり。

 

 ハイデリーラ・ファウストが『リーラ』を作ったのも当然のことであると言えた。

 

 自らの血肉を生命因子として与えたためか自らに非常に良く似た存在が生まれたがハイデリーラが『リーラ』に求めたのは『研究』と『交流』である。

 偶然見つけた闇哭樹海産の素材を使ったため人間ではあり得ないレベルの飛び抜けた魔力量を持ちながら魔力に浸食されない……魔物にならない存在。

 

 錬金術の研究に魔力とは外付けで代用できるので無くても困りはしないが、あればあるほど便利なのも事実だ。ただし魔力の下限と上限は種族ごとに大よそ決まっており、そのブレ幅は総合的に見ると『誤差』にしかならない。

 ハイデリーラ・ファウストは人間としては飛び抜けた魔力量を持ってはいるが、それはあくまで『人間としては』であり、魔物と呼ばれる存在やダンジョン生命(モンスター)などと比較すれば数段劣ることは否定しようの無い事実だ。

 

 そんな魔物やモンスターと比較しても遜色の無い魔力量を持ちながら自身に従順な助手をハイデリーラは確かに欲し、作り上げた。

 ただやはりホムンクルスという種族の枠に収めるには魔力量が高すぎたか、いまいち従順とは呼べなかったがそれでも結果的には悪くなかったと思う。

 

 従順では無いからこそ、他人は『リーラ』がホムンクルスであると分からなかったのだから。

 

 事情あって顔は知られずとも名前は知られてしまっているハイデリーラにとって自身に極めて良く似たホムンクルスには見えないホムンクルスというのは非常に都合が良かった。

 何せ自分とリーラを比べれば誰だってリーラを錬金術師であると思う、思い込む。

 人と交流することが苦手、というよりは他人を信じられないハイデリーラにとって自らの代わりに表に立って人目を集めてくれるリーラという存在は非常に便利だった。

 

 そうしてハイデリーラはハイゼリーラと名を変え、ただのリーラだったホムンクルスはハイゼリーラの代わりにハイデリーラを名乗った。

 リーラはリラの代わりに『交流』、つまり人付き合いを担った。

 今まではそれで良かったのだ。

 リーラはリラに必要な能力を持っていた。その能力でリーラはリラを補ってきた。

 今まではそれで上手く行っていたのだ。

 

 だが残念ながらここから先はそうは行かない、それだけの話ではあるのだが。

 

「うぅ……戦闘用ホムンクルスなんて作ってないよぉ」

 

 何より行き先が闇哭樹海である。

 なまじ『リーラ』の性能を知ってしまっているがためにその素材元となる魔物の力も察してしまえる。

 はっきり言って半端な素材で作っても鎧袖一触に蹴散らされてお終いだろう。

 盾代わりにしても盾ごと一撃で薙ぎ倒されそうな気がする。

 

 闇哭樹海でも戦え、生き残れるだけの戦闘用ホムンクルスを作ろうとするならばきっと『リーラ』の元となった素材と同格の物を用意する必要がある。

 つまりそれは闇哭樹海産の素材が必要だ、ということになるわけだが。

 

「む……矛盾だなぁ」

「矛盾ね」

 

 闇哭樹海に行く準備に、闇哭樹海産の素材がいる……。

 それができれば苦労しないだろう、という話だ。

 

「それ以前に『オーデグラウ』の対策はできているの?」

「ぼ、ボクの『鏡心(メンタルミラー)』を使えば、良いかな、て」

 

 『鏡心』の魔法の基本的な効果は『精神状態のコピー』だ。

 以前のように他人が今『どんな感情を抱いているか』を知るためにも使えるし。

 

「お……『オーデグラウ』の能力は、た、多分音による精神操作、だから」

 

 同行者となる『彼』が『オーデグラウ』への対策をしているだろうから、その『彼』の『精神状態』を反映し続ければ行ける……と、思う。

 

「他人任せね」

「だ、だってそんな簡単にた、対策、できたら……災害種なんて、よ、呼ばれない、よ?」

「……ま、それもそうよね」

 

 そもそも根本的情報が少なすぎるのである。

 音で人の精神を支配するとは一体どんな理屈なのか。

 それは魔法なのか、それとも『オーデグラウ』の持つ純粋な能力なのか。

 それすらも分からないのにどうやって対策しろというのだ。

 

「頼むから死なないでよ? マイスター」

「わわ、分かってる、よ、そんなの」

「そもそも無理について行くのを止めれば良いのに」

「だ、ダメ! それは!」

 

 自分でも珍しいくらいに大きな声が出たと思った。

 リーラも同じことを思ったのか、目を丸くして硬直した。

 

「だ、ダメ、なんだよ、それは」

 

 ぱたん、と手の中の書物を閉じ、棚に戻す。

 そうして机の引き出しを開き、そこにあった一冊のノートを手に取る。

 

「確かに、危ない、かもしれない……命の危険だって、あるよ」

 

 表紙をそっと指先でなぞりながら、1ページ目を開く。

 

「それでも、会いたいんだ……会ってみたいんだ」

 

 2ページ、3ページと読み進めていく。

 それは書物ではない。

 それは知識を得るための物では無い。

 

「どうしても」

 

 それはただ日々のことをつらつらと書いているだけのノートだ。

 それはただの日記だ。

 

「どうしても」

 

 相当に長く使われているのかあちこちがぼろぼろになって変色してしまっている。

 それでもそこに書かれた文字は確かに読むことができていて。

 

「ボクは……どうしても、会いたいんだ」

 

 ぱたん、と閉じたその裏表紙には。

 

()()()()

 

 ハイゼリーラ・ファウストと、書かれていた。

 

 




災害種全鑑

①集虫砲禍アルカサル
全長300m強の鋼鉄の蜘蛛。背中に城塞を背負っている。

②天蓋粉毒レブナント
全長50mくらいのめっちゃでかい蝶。大陸で引き起こされる死生災害の元凶。

③亀樹廻界ユグドラシル
背中の甲羅に超でかい樹木が生えた全長200mくらいの陸亀。こいつが通過した場所は森一つ枯れ果てる自然破壊の権化。

④威飢幼鷹バイスフォルク
全長30mくらいの魔鷹の『雛』。最初に確認された時点で10mくらいだったのに恐ろしいことに未だに成長し続けている。人里離れた村とかが突然全滅してたりするのはだいたいこいつのせい。ぶっちゃけアル君の元の村を殺ったのはこいつ。

⑤梟歌衰月オーデグラウ
全長5mくらいの梟。声で生命を操る力があるゾ。樹海に引きこもってるせいでいまいちマイナー。
でも実はこいつ■■■■■■■■たりする。

⑥餌生蛸沈イミタシオン
人類が大陸から外に出れない最大の要因。全長■■■mの軟体生物。
その特異性によって大陸のどこから船出しても必ずこいつに捕まって海底に引きずり込まれる。

⑦刻死無双デッドライン
取り合えずこの世界における既存生命の中でぶっちぎりに最強で最凶で最悪の存在。
作ってみたは良いけど、これどうやって倒せば良いんだと作者自身が首傾げてる。

⑧■■■■■■■■
■■■■■■が実は■■■■■■■■たりするので■■の■■目の■■■。


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十話

 

 

 時を遡ること半日ほど。

 

「こっちがねー、トウワ由来のカレサンスイだよ」

「かれさんすい……? 何か石がばら撒かれてるだけのような」

()()()()……だったかな? なんかトウワ文化ってこういうのが多いらしいねぇ」

 

 少女サクラによって屋敷の中の案内を一通りされたアルフリートはそのまま二人で庭にまで出てきていた。

 アルフリートは平民……というか外村出身の田舎民なのでこれまで貴族の館というものを見たことが無い。

 故に何が正しいかなんてこと分かるはずも無いのだが、それを差し引いてもこの家の庭が間違い過ぎているのは分かる。

 

 オクレール家の庭は一言でいうならば『混沌』だった。

 

 正面玄関は大陸文化洋式の通常の庭だ。

 シンプルながらも硬く大きな鉄門。煉瓦で固められた高い壁。内側は綺麗に整列した花壇とそこに植えられた色とりどりの季節の花の見事な園芸。

 そこだけ見れば一般に想像されるような立派な貴族の庭と言えるかもしれない。

 

 だが一度屋敷の側面に回り込むと途端にその景色は一片する。

 

 片やトウワ文化由来とされる『カレサンスイ』とかいう石をばら撒いて模様をつけたような不可思議な光景。最初に見た時は何かの儀式だと本気で勘違いしそうになった。

 片や同じくトウワ文化由来とされる品々の中でも屋敷の中に置いておけないような物が並べられた倉庫。

 陶器で作られたと思しき不細工なタヌキの像が何体もずらりと並んでいる横で玄関にもあった『コマイヌ』とかいうおどろおどろしい犬の置物、さらには何故かスカーフのような物を付けた狐の像などもあって、一体これらが何に使われているのか想像もできないようなものばかりがそこにあった。

 

「えぇ……」

 

 挙句の果てに屋敷の裏庭。

 確かにここに住人以外が来ることなど無いのかもしれないが。

 

「畑って……」

 

 ここ一応貴族の家だったよね、というアルフリートの感想は決して的外れな物では無いだろう。

 とは言え軽く話を聞いた限りでは貴族なのは館の主であり新しい自身の雇い主であるトワ・オクレールだけらしい。

 後は全員平民であるらしく、トワ自身こんな田舎町の領主ということもあってか鷹揚な気質らしく、感性的には自分たちと同じ平民寄りらしい。

 

「最後にねー、ここ!」

 

 そうして屋敷の外の紹介も一通り終え、最後にサクラが案内してくれたのは庭の片隅に生えた一本の木だった。

 残念ながらすでに葉が散っており、すっかり禿げてしまって物悲しさすら覚える有様ではあったが、それ以上にアルフリートの興味を惹いたのはその木の種類だった。

 

「オークじゃないよね、ケヤキ、じゃないし、パインも違う……スギでも無いし、何だろう」

 

 曲がりなりにもアルフリートは外村の出身だ。

 つまりほとんど自然の傍で暮らしてきた身だ。

 村の近くには森もあったし、そこで色々な種類の木々を見てきた。

 だが目の前に佇む木はアルフリートの記憶の中にあるそのいずれとも合致しなかった。

 少なくともこのノーヴェ王国でこんな種類の木が存在することをアルフリートは初めて知った。

 そんなアルフリートにサクラが少しだけ得意気になって。

 

「これはね……サクラだよ」

 

 そう言った。

 

「……サクラ?」

 思わず目の前の少女を見やる。

 そんなアルフリートの反応に少女『サクラ』がくすりと笑みを浮かべる。

 

「そう、サクラ……私と同じ名前の木で、私と同じ名前の花」

 

 そうして少女、サクラが『サクラ』の木に手を突いて。

 

「『桜火圏満(フラワーガーデン)』」

 

 呟いた直後。

 

 ―――世界が変貌した。

 

 

 * * *

 

 

 

 『■■■道(ラ■■コ■ル)

 

 

 

 

 荒い息を吐きながら我武者羅に走る。

 

 ―――オオオオオォォォォォォォォォォ!

 

 絶望の叫びが森に響き渡り、その声に恐怖した怪物たちが次々と逃げ出すのに紛れながら必死になって走る。

 直後、ひゅん、と風を切るような音が聞こえ。

 咄嗟に振り向き様に剣を伸ばす。

 差し出した剣が投げつけられた巨木の破片にぶつかる。直後にばきん、と軋む音と共に剣が折れ、砕ける。

 刀身が砕け散り、柄だけになった剣を投げ捨て、腰に刺した木刀を一本抜く。

 

 一瞬遅れて上から降り注ぐ黒い影。

 

 『■■■■』

 

燃焼(バーン)!」

 

 呟きと共に燃え上がる木刀を上段に振り上げ、降ろす。

 タイミングはジャスト。影が伸ばした拳が木刀と激突し。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……はっ」

 

 引き攣ったように、彼は苦笑いを浮かべ。

 

 ズドォォォォォォン

 

 拳が振り切られる。

 

 そうして。

 

 まるで最初からそこには何も無かったと言わんばかりに。

 

 ()()()()

 

 

 * * *

 

 

 がばっ、と布団を蹴飛ばすようにして飛び起きた。

 同時にそこが暗いながらも自室であることに気づき、呆然としながらも無意識に寝台を飛び出し、部屋の扉に手をかけて。

 

「……あれ」

 

 そこで立ち止まる。

 同時に疑問。

 

「私、何しようとしてたんだっけ」

 

 酷く焦燥感のようなものに駆られていたような気がするのだが、一体何をそんなにも焦っていたのか思い出せない。

 もどかしい気持ちだけが心の中でぐるぐると渦巻いて、けれど一向に答えは出ない。

 この感覚は覚えがあった。

 

「ああ、また、だ」

 

 過去にも何度か同じようなことがあった。

 その度に思い出せないもどかしさと焦燥感だけが胸を焦がして。

 

「これは……悪い夢だね」

 

 きっとまた()()を見たのだろう。

 自らの親友をペンタスに送り出した時のように。

 自分でも思い出せない何かのために、自分でもそうと気づかない内に親友を送り出すのだろう。

 

「吐き気がする」

 

 表情が歪んでいるのが自覚できるくらいに、心が掻き乱れていて。

 歪んだ表情を戻すことができないくらいには今最低な気分だった。

 振り返り、寝台を見やる。

 

「……はぁ」

 

 どうにも寝付けるような気分でも無かった、少し紅茶でも飲んで気分を落ち着かせようか、と考えたところでふと視線をずらす。

 時計を見やれば深夜二時と言ったところか、残念ながらもうみんな寝ている時間だ。

 

「うーん、残念」

 

 別に紅茶の一つも淹れられないわけじゃない。

 他所の貴族のお嬢様たちはともかく、オクレール家では自分のことはなるべく自分でやるのが当たり前だったから紅茶どころか炊事、洗濯、掃除だって一通りはできる。

 とは言えメイドであるアイリスの淹れてくれるお茶というのは別格だ。

 昔まだ小さい頃に行った王城で飲んだ紅茶よりも美味しいと思えるほどに。

 

「まあ、仕方ないね」

 

 あれで朝早くから起きて仕事をしてくれているのだ、わざわざ夜中に起こすのも可哀そうだ。

 自分で淹れるしかないか、と思いつつ部屋を出て階段を降りる。

 食堂の扉を開くと僅かに木が軋む音と共に闇が広がっていて。

 

「灯り……どこだっけ」

 

 多分部屋の隅にあるはずなのだが、暗くて良く見えない。

 廊下が月明りで明るいからと横着してカンテラを持ってこなかったのは失敗だっただろうか。

 

燃焼(バーン)

 

 パチン、と後ろで指が鳴る音がしたかと思うと、途端に部屋が少し明るくなる。

 驚き振り返ったそこに、親友の少年がいて、その姿を見た時無性に()()()()()自分がいることに疑問を抱く。

 

「ルーくん?」

「何やってんだ、こんな夜遅くに」

 

 いつも自分の前で見せる執事服ではない。時間から考えても先ほどまで寝ていたのだろう、着古した様子のあるくたびれた黒いシャツに青いズボンは彼の寝間着だった。

 彼の出してくれた炎の明りを頼りに食堂の壁にある魔導照明のスイッチを入れると部屋全体が明るくなる。

 

「ちょっと夢見が悪くてね……変な時間に目が覚めちゃったから何か飲もうかなって思っただけだよ」

「ん、そうか、なら良い」

 

 そう言いつつも食堂の椅子を引いて腰かける様子を見ると、部屋に戻るつもりも無いらしい。

 

「そういうルーくんこそ、どうしたの、こんな時間に」

「こんな夜中に誰か廊下を歩いてるからな、気配で目が覚めた」

 

 気配で目が覚めるってどういう感覚なのだろう、と自分には理解できない領域の話ながらそういうものだと流してしまう。

 

「ルーくんも飲む?」

「俺が淹れようか?」

「良いよ……気分転換に私がやるから、座ってて」

 

 一瞬腰を浮かした彼を制止しながら食堂の奥の厨房へと足を踏み入れる。

 基本的にはアイリスの城である厨房ではあるが、几帳面な彼女なので誰が使っても使いやすいように厨房は常に片づけられており、大して手間取ることも無くティーポットとカップ、それと茶葉を見つける。

 ついでにお茶請けのクッキーもあったが、時間が時間なので今回は止めておくことにする。

 

 魔導具のケトルでお湯を沸かしながらその間に茶葉をポットに取り分け、お湯が沸くとポットにお湯注ぐ。

 ふわふわと舞い踊るような茶葉を見て笑みを浮かべながらもその間にカップのほうも温めておく。

 そうしてポットを蒸らす間にソーサを用意して全てをトレーに乗せて食堂へと運ぶ。

 

「お待たせ」

 

 ルーにトレーを渡すと、いつもの自分の席から椅子を引っ張ってきて、そのままルーの隣に座る。

 そうして二人並んで座ると、そろそろ蒸らし終わったのだろうポットから良い香りが漂ってくる。

 二人分のカップを並べて、ポットを傾けて二人分のお茶を注ぐ。

 

「どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 

 ソーサごとカップをルーに渡すと、受け取ったそのままカップを口へと持って行き。

 一口、口をつけてカップを戻す。

 

「どう?」

 

 ちゃんと淹れたはずだが、と恐る恐る尋ねてみれば。

 

「ああ、美味しいよ」

 

 そんな彼の言葉にほっと一安心。

 自分の分のカップを手に取って一口。

 

「……ふう」

 

 口の中で広がる香りに、ほっと安堵の息を漏れる。

 淹れ方は間違っていなかったらしい、口に入れ、嚥下する瞬間に香りが喉から鼻へと抜けていくようなこの感覚が溜まらない。

 

「うーん、でもやっぱりアイちゃんみたいにはならないなあ」

 

 苦笑しながらもう一口。

 うん、美味しい。素直にそう思うが、けれど同時に物足りなさも覚えてしまう。

 アイリスの淹れてくれた紅茶ならもっと美味しい。

 これで十分ではあるが、もっと上がある、それが分かっているからこそ惜しいとも思うのだ。

 

「十分だろ……アイ姉はプロだしな」

 

 机に肘を置きながらカップを傾け苦笑するルー。

 行儀が良いとは言えないが、ルーがこうして態度を崩すのは自分と二人の時だけだと知っているので何も言わない。

 むしろそれは彼が心を許している証拠だと思えば嬉しくもなるというものだ。

 

「…………」

「…………」

 

 そうして一杯目を飲み終えた時、自然と言葉が少なくなっていた。

 こうして二人でゆっくりとするなんて実に一月振りくらいだろうか。

 そう考えるとこの時間が何だか勿体ないと思えてしまう。

 

 ―――あとどれくらい、二人でこうして過ごせるのだろう。

 

 そんなことを考えてしまうのだ。

 悪い癖だ。

 自己嫌悪に陥りながらも、嘆息一つで誤魔化し。

 

「そう言えば……ペンタスはどうだった?」

「え……あ、ああ。賑やかな街だったよ」

 

 何か話すことでも無いか考えて、出てきてたのはそんな言葉だった。

 とは言え彼も彼で話題を探していたらしい、こちらの振った話題に一瞬戸惑ったようだったが、すぐに乗ってきた。

 

「やっぱダンジョン一つできるだけであそこまで変わるんだなって思った。賑やかで活気があって、街のどこを歩いても人、人、人、だ」

「へー、そっか。やっぱりダンジョン効果凄いね」

「まああそこはそれでもダンジョンに偏り過ぎな気もするがな……街の主要産業がダンジョンに依存してて、商業もダンジョン依存、冒険者もダンジョンに依存してるからダンジョンを閉鎖すると街の活気が一気に無くなってたな」

 

 例えそうだとしてもその経済効果はとてつもなく大きい。

 うちの領地にもダンジョンできないだろうか、なんてことを思ってしまうくらいには。

 エノテラ領にはとにかく外貨を稼ぐ手段が乏しい。

 そのため食料品ばかりダブついて、経済が滞っているのが現状だ。

 そのために『彼』が冒険者として外貨を稼いでくれているのも分かっているが、ルーと合わせても焼け石に水だ。

 もっと抜本的な対策が必要とされているのだが……。

 まあ、今はそれは良いだろう。

 

「誰か知りあいとか出来た?」

「そうだな……まあ一番の収穫はアルだろうな」

「ああ、そう言えばあっちで拾ってきたんだっけ」

 

 アルフリート・リュート。

 外村出身の少年。ルーが彼を気に入って拾ってきたので屋敷に入れたが、これからに期待したい新人である。少なくとも性格的な面では問題は無さそうなのでこれからこの屋敷に馴染んで行ってくれたらと思う。

 

「あとそれから……」

 

 話をしていて舌が回るようになっていたのか、ルーが調子良く口を開いて。

 

「……いや、何でも無い」

「…………」

 

 突然閉ざされた口に、目を細める。

 紅茶を飲む振りをしながらカップで口元を隠すと、そっと横目で彼の様子を見やる。

 

「…………」

 

 少しだけ遠い目で、呆とした少年の姿がそこにはあって。

 

「何かあった?」

 

 一歩、その心に踏み込もうとして。

 

「…………」

 

 かちゃん、と彼がカップをソーサーへと戻し。

 

「いや、何でも無いわ」

 

 ごちそうさま、と告げて立ち上がり、そのままおやすみと言って去っていく。

 

「……はぁ」

 

 ため息を吐く。

 何かが彼の心に入り込んでしまっていることに気づく。

 

「ずるいなあ」

 

 何となくそれが女だと思った。

 だから思わず呟いてしまう。

 

「ずるいなあ」

 

 二度繰り返した言葉は、紛れもなく彼女の本心だ。

 

 トワ・オクレールはずっとずっと昔からミカゲ・オルランドのことが大好きで。

 

 それでも彼女がオクレールで、彼がルーである以上、決してその気持ちを口出してはならない。

 

 それが彼女の義務であり、彼の定めだから。

 

 だから時々無性に羨ましいのだ。

 何の気無しに彼に本心を伝えれる他の人間たちが。

 何の気無しに彼の心に入り込むことができるほかの人間たちが。

 

「ああ……ずるいなあ」

 

 三度呟いた言葉はけれどそれを呟いた当人以外に聞かれることも無く、虚空へと消えて行った。

 

 

 




フィーアちゃんは確かに可愛かった。予定にも無いまま突如生えてきたヒロインだった。
だが俺の推しはトワしゃまなのだ……。

まあでもオクレール家の人間はオルランド家を『管理』するために領地持ちとなった貴族家系なのでオクレール家の人間がルー・オルランドを身内に加えようとするのは言うなれば『横領』行為であり、ノーヴェ王家への反乱疑われます。
というかぶっちゃけ現状がすでにグレーゾーンです。トワしゃま、ルーくんのことバリバリに使ってるからね。


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ハイゼリーラ・ファウスト

 

 

 赤子の時のことを覚えている人間というのは滅多にいないらしいが、()()はボクが生まれた時のことを良く覚えている。

 

 生まれて最初に覚えたことは息を殺すことだった。

 

 そこでは生まれたばかりの赤子が声を殺して、泣くことをしない。

 正確には母親に口元に手を当てられ、無理矢理口を閉じさせられる。

 廃墟と瓦礫の山だけが残る荒廃した街において、生きるということは戦うに等しい。

 声を上げることは自らを危険に晒すに等しい行為であり、泣きわめく赤ん坊は真っ先に死に、息を殺し、口を閉ざすことのできた賢い人間だけがそこでは生き残った。

 

 そんな地獄にボクは実の母親によって()()()()()

 

「なあに……私の子なら生き残れるさ」

 

 生まれて間もないボクにそう告げる母さんは笑っていた。

 まだろくに身じろぎすらできない赤子を、地獄のような場所で生み落とし、捨て、それでも笑っていた。

 どうして、そんな疑問すら声にできないまま母さんは去って行き。

 

 その日から生きるための戦いが始まった。

 

 

 * * *

 

 

 地獄のような日々でいくつか幸運があったとすれば。

 その一つはボクの精神が生まれた時から完成していたことだろう。

 鏡心の魔法によって映し出された母さんの精神の反転はハイデリーラと名付けられた赤子の精神に焼き付いてボクという完成された精神を作り出した。

 

 ろくに動けない体をどうにかこうにか転がしながら、真っ先に求めたのは隠れられる場所だった。

 

 ボクはボクの中に焼き付いた知識からこの場所を知っている。

 

 墟廃の街キルタンサス。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()街である。

 

 かつての大戦で人類を裏切り、魔族に滅ぼされた亡国の首都。

 今となっては首都は移され打ち捨てられた、瓦礫と廃墟だけが残る街。

 そうしていつの間にか大陸中から罪人や難民が集まり、ならずものの街となった場所。

 

 この街にはあらゆるものが足りていない。

 食べる物も、着る物も、寝床すら。

 人間が人間足りえるための、尊厳を守るためのあらゆるものが足りていない。

 

 故にこの街に住むのは人ではない……獣である。

 奪い合い、殺し合い、盗み合い、そして負ければ打ち捨てられていく。

 ここは獣が息を潜め隠れ住む場所だった。

 

 そんな場所に生まれたばかりの赤子が一人、生きていくことがどれほど難しいことか。

 

 思い返せば真っ先に逃げ隠れたのは正しい判断だったと思う。

 何せこの街に潜む獣どもにとって弱者とは餌だ。

 奪うための餌、殺すための餌、盗むための餌。

 否まだそれだけなら『マシ』と言える。

 

 文字通りの『餌』になってしまうよりは、まだ人間として死ねるのだから幾分か『マシ』と言えるだろう。

 

 負け続け飢えに喘いだ者たちからすれば同じ『人』すらも『食料』となり果てるのだ。

 身動きできない赤子などましてや……である。

 

 この街にモラルなんてものは存在しない。

 それどころか文明すらも崩壊してしまっている。

 人が人であることすらできずに獣に立ち返る、それがこの街だった。

 

 

 * * *

 

 

 生きるためにならなんでも食った。

 

 この街でまともな食糧を食いたいなら奪うしかない。

 奪う先は『外』かそれとも『中』かにも寄るが、どちらにしても赤子にできることでは無い。

 で、あるならば『まとも』じゃない物を食うしかなかった。

 

 しかも『赤子』でも手に入る物で、となると一番マシなのが自生する植物だった。

 と言っても普通の人間が想像するような『まとも』な植物じゃない。

 それこそただの雑草すらもあの街では御馳走なのだ。

 飛んできた虫にかぶりついたこともあったし、汚水で喉を潤したこともあった。

 何度も腹を下したし、熱を出して死にかけた時もあった。

 一番辛かったのは他人の吐瀉物を食った時だろうか。

 酸っぱくて不味くて、臭くて自分でも吐き出しそうになりながら、それでも無理矢理舐めるように食った。それ以外に食う物が無かったし、食わなければ死ぬと分かっていたから。

 

 ()()()()()()()()()一週間もしない内に死んでいたかもしれないが、どうやらボクの母親というのはまともな人間では無いらしい。そしてその母親の胎から生まれたボクもだ。

 

 恐ろしいほどの速度で街に順応し、劣悪極まり無い環境の中でそれでもボクは生き残り、成長した。

 とは言えまともな物を食べてなかったせいなのか余り体は大きくならなかったが。

 

 まあ無駄にサイズがでかくなればそれだけ寝床に困るし、隠れ潜むことも難しくなるので逆に助かったと言えなくも無いが。

 二歳にもなれば自ら立って歩くことも可能になる。

 そうなれば行動範囲は大きく広がる。例え二歳児の体でも、だ。

 

 だが行動範囲が広がるということは、逆に言えば他人の行動範囲と被りやすくなるということでもある。動く時は慎重に行く必要があった。

 

 

 * * *

 

 

 初めてそれを食べた時、この世にこれほど美味しい物があるのかと思った。

 普通の人には何てことの無い、長期保存用の固焼きのビスケットだ。

 だが初めての『盗み』の収穫であるそれを口にした時、余りの美味しさに涙が出た。

 

 もっと欲しい、そう思ったのは自然な成り行きだったかもしれない。

 

 だが忘れてはならないのだ。

 欲は身を滅ぼすのだと。

 決して忘れてはならなかったはずなのに。

 

 ―――無茶をした。

 

 無茶をし過ぎた。

 そうして当然のようにその代償を払った。

 盗みというのは決して簡単ではない。この街では誰もかれもが自らの物を奪われまいと目を血走らせているのだから。

 もしやるならば小さな集団、できれば相手も単独が良い。

 そして誰もに見つからずこっそり、相手が狩りをしている最中などにこっそりと、そんな風に注意していたいたはずなのに、

 

 当然ながら盗みの報酬は小さな集団より大きな集団のほうが良くなる。

 大きな集団は幅を利かせている。つまり質の高い物を優先的に手に入れやすいからだ。

 

 欲に目が眩んだ。

 

 そうして大規模な集団へと盗みを働こうとして当然のように見つかってしまった。

 掴みかかって来る大人に対して幼い子供が対抗できるはずも無く、あっさりと捕まり殴られた。

 何度も、何度も、何度も殴られ、蹴られ、血を吐いた。

 

 もし後三、四年、歳を重ねていれば犯されてかもしれない。

 

 とは言えまだ五歳程度の子供に欲情するような特殊な性癖持ちも居なかったらしい。

 気を失うまで殴られ続けた後は縄でぐるぐる巻きにされ、彼らの『夕飯』にされるために下処理された。

 身に纏っていた服は全て剥ぎ取られ、ベッドに両手両足を押さえつけられ固定される。

 

 それから彼らが大鉈を持ってくる。

 

 ―――屠殺され、解体されるのだ。

 

 そのことに気づき、恐怖が沸きあがって来る。

 叫び、懇願すれば煩いと言わんばかりに殴られ、首を絞めつけられた。

 ギリギリと引き絞られていく首に呼吸が止まる。

 もがこうとしても手足は四人がかりで固定されしまっていて僅かにも動かない。

 そうして意識が朦朧とする中で大鉈が振り上げられて。

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 

 死にたくない!

 

 ゾゾゾ、と恐怖が背筋を駆けあがる……と同時に首を絞めていた大人の一人が突如立ち上がって狂ったように声を挙げながら鉈を持った男へと殴りかかった。

 否、一人ではない……その場にいた全員が恐怖に染まった表情で鉈を持った男へと殴りかかった。

 それどころか鉈を持った男は振り上げた鉈を自らの頭へと振り下ろした。

 

 鮮血と共に脳漿がぶちまけられ、床に散った。

 

 大人たちは男の頭に突き刺さった鉈を手に取り、互いに殺し合っていた。

 その光景に恐怖しながらも自由になった手足で逃げ出す。

 逃げて、逃げて、逃げて。

 

 自らの隠れ家に戻った時、すとん、と崩れ落ち、動けなくなる。

 

 ただひたすら心の中で死にたくないと呟き続け。

 

 平静に戻るために一週間の時間を要した。

 

 

 * * *

 

 

 『鏡心(メンタルミラー)』。

 

 それはボクが母さんから受け継いだらしい魔法。

 自らの知識と照らし合わせても間違いないだろうと思う。

 あの大人たちが殺し合ったのはこの魔法のせいだった。

 

 自らの恐怖心が鏡のよう反射して周囲の大人たちの心に映ってしまった。

 しかも恐怖心の余り暴走状態にあったのか大人たちが互いの心に映った恐怖を合わせ鏡のように映し合うことでその恐怖心をさらに高めてしまった結果……があれなのだろう。

 死にたくない、そう願ったからこそ、あの場にいた全員がそう思ったからこそ彼らは殺し合った。自らが生き残るために、助かるために。

 仲間であるとかそういう余計な思考は全て恐怖心に塗りつぶされ、ただ自分以外の全てを排除すれば助かるという思考に憑りつかれた……結果があの惨劇なのだろう。

 鉈を持った男は自身にとって殺戮の象徴だ。故に恐怖心の矛先は全てそちらへと向き、自らが最も恐ろしい存在であると錯覚した男は自らを殺すために鉈を振り下ろした。

 

 一週間経ち、ようやく思考が落ち着いてきたボクはゆっくりと、冷静に思考を張り巡らせていた。

 

 この魔法は子供のボクにとって唯一の切り札だった。

 精神に干渉する魔法は非常に珍しいとボクの知識は言っていたが、同時に非常に扱いの難しい魔法だった。

 

 使い方を幾度も幾度もシミュレートしながら引きこもっていた一週間の間に消費してしまった蓄えを手に入れるために動きだした。

 

 

 * * *

 

 

 そうして月日が流れた。

 10歳になる頃にはこの街で生きていくこともすっかり慣れていた。

 そんなある日ふと疑問に思ったことがある。

 

 母さんはどうしてボクをここに捨てて行ったのだろう。

 

 必要無いならば最初から殺せば良かったのだ。

 赤子だった時ならば容易に出来たはずだ。そもそも産まずに流せば良かった。

 だが母さんの言葉を思い出せばそれは違うのだと思う。

 

 ―――なあに……私の子なら生き残れるさ。

 

 母さんはボクが生き残ることを望んでいた。

 ならば一体母さんは、何がしたいのだろう。ボクに何をさせたいのだろう。

 そんなことを考え。

 

 そもそもどうしてこの街なのだろう。

 

 ふと思った。

 

 どうして母さんはこの街に来たのだろう。

 胎の中に自分という赤子を連れたままこんな街に。

 

 疑問を抱けばいくらでも出てくる。

 何度も何度も考え、幾つもの考えを出し。

 

 もしかして、この街に母さんの手がかりか何かあるんじゃないだろうか。

 

 そんな考えに行きついた。

 

 そもそもこの街に来てすぐに赤子を産む、なんてことできるはずがない。

 十年ここで暮らしていたからこそ分かる、この街でそんなことしていればあっという間に囲まれ殺されるか嬲り者にされる。

 ならばどこか安全を確保した場所でボクを産み落としたはずだ、ボクが生まれて捨てられるまで居た場所があるはずだ。

 

 きっとそこに手がかりがある、そう思った。

 

 そうして記憶を掘り起こしていく。

 ゆっくり、ゆっくりと、一つ一つあったことを思い起こしていくように。

 

 覚えていく限りの最初の風景は瓦礫の山と廃墟の群れだった。

 

 だがその前があるはずなのだ。

 忘れているだけで覚えているはずなのだ。

 そうして記憶を頼りに街を探索していき。

 

 ボクは母さんの『研究所』を見つけた。

 

 ハイゼリーラ・ファウスト。

 

 それが研究所で初めて知ったボクの母さんの名前。

 

 ハイデリーラ・ファウスト。

 

 それが研究所で初めて知ったボクの名前だった。

 

 この街に似つかわしくないほどに白く、清潔で静かな部屋だった。

 研究用の資料と思わしき『錬金術』の本が本棚にぎっしりと詰め込まれていた。

 錬金術に使っていたらしい『魔導具』がいくつもそこにはあって。

 

 最奥、母さんが使っていたらしいデスクは綺麗に片づけられていて。

 

 そこには一冊の日記(ノート)が置いてあった。

 

 相当に長く使われているのかあちこちがぼろぼろになって変色してしまっている。

 それでもそこに書かれた文字は確かに読むことができていて。

 そこに書かれたボク宛てのメッセージが目に入った。

 

 我が娘ハイデリーラ・ファウストへ。

 そう出だしに書かれていた。

 

 そこに書かれていたのはシンプルなメッセージだった。

 

 ―――錬金術師になれ。

 

 他に書くことは無かったのかと言いたくなるような、母さんからのシンプル過ぎるメッセージ。

 それでもそれはボクにとって母さんのへの確かな手がかりだった。

 日記の大半は難しい内容で埋め尽くされていた。

 恐らく錬金術師としての勉強を積み重ねて行けばこの内容も読み解けるようになるのだろう。

 

 幸いにしてここには錬金術関連の書物が大量にある。

 

 ならば手さぐりでもここの書物を読み進めて行けば学は身に付いていくだろう。

 

 そうしてボクはその日から錬金術を学びを始めた。

 

 

 




実はリラちゃん設定だと18~20くらいだったんだけど、何故かロリな理由全く考えてなかったんだけど、きっと幼少期の栄養状態がうんたらかんたらだったんだよ、という謎の説得力が出来てしまった。


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十一話

「ふう」

 

 鼻から抜けていく紅茶の香気を感じながら息を吐く。

 やはり昨夜自分で淹れたものと同じ茶葉で同じ容器、設備を使っているのに自分の物よりも数段質が良い。

 何が違うのだろうと首を傾げながらもトワ・オクレールは隣に立つ自らのメイドに感謝を述べつつ、視線を上げた。

 

「一晩考えてみたんだけどね……アイちゃんも一緒に行ってもらうことにするよ」

「それは昨日の話のことか?」

「そう、最初に探索のこと。ルーくんだけでも大丈夫だとは思うけど、錬金術師に万一のことが無いように保険が欲しい」

 

 領主として考えるならばあんな危険な森に近づくなど論外と言えるのだが、ミカゲに関してそれは『仕方のない』話でもある。実際ミカゲはあの森に何度となく入っては戻ってきている以上、あの森の中で生存する力があると判断せざるを得ない。

 

 だが錬金術師は現状この領にやってきた『客人』だ。

 

 しかも錬金術師とは本来戦うことが領分の人間ではない。となれば『護衛』は必要だろう。

 もっともそんなもの当の本人が連れてくるだろう……とは思っているが、それでも万一の時を考えてこちらでも保険を用意しておくに越したことはない。

 

 そしてこのエノテラ領で『最も強い人間』となれば目の前のオルランドの後継者たるミカゲ……。

 

 ()()()()

 

 トワの隣でお茶のお代わりを注いでいるメイド……アイリス・オルランドに他ならない。

 

 

 アイリス・オルランドはオクレール家の使用人だ。

 

 少しややこしい話なのだが、アイリスはトワの雇った使用人だ。

 ミカゲはトワの親友として動いているが正確には雇っているわけではない、何せオルランドの後継者だ。立ち位置としては善意の協力者となる。

 サクラは後継者ではないが、血族としてトワが扶養すべき相手だ。

 全員オクレールの屋敷に居を移しているが、全員オクレール家との関係性が異なっていたりする。

 

 問題は。

 

 アイリス・オルランドはオルランド姓を名乗ってはいるが、オルランドの血縁ではない。

 先代のルー・オルランドがアイリスが幼い頃に迎えた養女であり、オルランド家との血縁に無い。

 故にミカゲ・ルー・オルランド及びサクラ・オルランドの両者とアイリス・オルランドの間に血縁関係は無い。

 だからこそアイリス・オルランドはオルランド姓を持っていてもオクレール家の使用人となれる。

 

 アイリスの素性は誰も知らない。

 

 或いはアイリス本人ならば知っている、かもしれないがそれを誰にも……主人であるトワにすら語ろうとしないためアイリスが何者なのかは屋敷の誰も知らない。

 そもそもアイリスという名前自体、トワが幼少に着けた名前であり、本来の名前すら誰も知らないのだ。

 

 ただ一つ分かっていることは。

 

 アイリス・オルランドは『完璧』だった。

 

 一を聞いて十を知る、どころではない。

 一を聞いて全を知るとでも言うかのように、一つ学ぶだけでその先にある全てをアイリスは完璧に熟した。

 メイドとしての作法もかつてのオクレール家にいた使用人たちに学び、すぐに身に付けた。

 素性すら知られていない幼子は屋敷で一番のメイドとなり、やがてオクレール家の没落によって屋敷の使用人たちが一斉に居なくなった後もたった一人で広い屋敷を完璧に管理し続けた。

 

 その華奢な体躯と人目を惹きつけすぎる容貌から手弱女のような印象を受けてしまいがちになるが、その実ミカゲ・ルー・オルランドと同郷の友人であるノルベルト・ティーガを同時に相手にして鎧袖一触に蹴散らしてしまえるほどの実力者だった。

 

 或いは。

 

 この女こそ世界で最も強いのではないかと冗談抜きでミカゲはそう思っている。

 

 レベル100。

 

 人類の限界とされる99を超えた先の世界に到達した人類の極点。

 

極点無欠(ジ・アルティメット)』の第三法則を生み出した怪物。

 

 それがアイリス・オルランドと言う……ミカゲの義姉だった。

 

 

 * * *

 

 

 レベルとは存在の格だ。

 

 格を上げることは簡単ではない。だが決して難しいことでも無い。

 自らを鍛えること、磨き上げること、それこそが格を上げるための手段であり、最も手っ取り早いのは『格上』と戦うことだ。

 

 レベル50の壁というものがある。

 

 現存するダンジョン内で上げることのできる大よその『到達上限(レベルキャップ)』であるレベル50を超えるためには大雑把に三つの方法がある。

 

 一つはダンジョン深層の『ボス』を倒す方法。

 

 正直言って、『ボス』を倒すことの旨味を知る冒険者たちで溢れかえっているせいで大規模なクランでも無ければこの方法は難しいと言わざるを得ないが『最も』現実的な方法ではある。

 

 一つは『闇哭樹海』へと入る方法。

 

 はっきり言おう。この樹海で一日生き延びることができればレベル50から一つ先へと進める。

 だが『最も』現実的じゃない方法だ。リスクが高すぎる上にそもそも生き延びることのできる可能性は極小と言っても過言ではない。

 

 だからレベル50を超えた人間は大抵最後の方法でレベルを上げる。

 

 レベル50以上の相手と戦うことだ。

 

 何を当たり前のことをと言っているようにも思えるが、『最も』手っ取り早い方法でもある。

 先の例のように、人類はレベル50の壁を超える方法をその難易度は別として持っているのだ。

 ならばすでに壁を越えた者と戦ってその強さを身に刻めば同様に壁を超えることができる。

 

 ダンジョンボスを幾度となく倒し、壁を越えたノルベルト・ティーガのように。

 

 闇哭樹海へ幾度となく潜り、生還したミカゲ・ルー・オルランドのように。

 

 一度壁を越えた人間は壁を前に立ち止まっている人間の手を引くことができる。

 

 そして。

 

 極々少数の例外として、誰の手も借りずに独自にその壁を越えてしまう人間もいる。

 

 

 ―――アイリス・オルランドは間違いなくその例外中の例外だった。

 

 

「しっかりと握ってなさい……剣士が剣を落とすなんて恥よ」

「ふざけんなよ、この馬鹿力!」

 振り下ろされたのはどこの街でも売っているよう短剣(ショートソード)

 握りの部分である柄とほぼ同じサイズしかないような短い刀身だが、馬鹿正直に長剣で防げば()()()圧し折られるのが目に見えている。

 だからこそ払うしかない。払って、受け流して、それを繰り返す。

 

 そこには反撃の隙が無い。

 

 元より長剣と短剣振るえばどちらが早いかは明白で、そして剣を戻す、剣を構える、剣を振る、どの動作を取っても軽くそして長さの無い短剣のほうが圧倒的に上だった。

 故に払う動作も最小限で行わなければならない。動作を大きくすればするほど余計な間が生まれる。

 そしてその間が積み重なって相手の速度に追いつけなくなる。

 

 それがミカゲがアイリスに負けるいつものパターンだから。

 

 笑えることにここまで一方的に攻撃され続けていて、これが全く本気でも無いのだ。

 レベル60……或いはもう少し高くなっているだろうミカゲのレベルは人類でも壁を越えた一流と呼べる領域にある。

 レベル70……第三階梯魔法へと手をかければそこからさらに世界は変わると言われているが、ミカゲはすでにそこに手をかけかけているし、何だったら第三階梯魔法の使い手だったフィーアと比較しても対人戦闘能力以外の部分では引けを取っていないと自負できる。

 

 だが、それでも。

 

 目の前の女からすれば自分との戦闘など児戯……戯れに等しいのだろう。

 

 真っすぐ歩きながら片手で剣を振るうだけで圧倒される。

 手も足も出ない。前に出ようにも振るわれる剣が早すぎて防御が間に合わない、後退しようとすればその一瞬の虚を突かれて剣が突き出される。

 結局じりじりと下がりながら剣で防ぐ以外にどうにもならない。

 

 まともに受け止めれば剣ごと斬られる。

 避けようにも相手のほうが素早いのだ、避けてる間に二撃目が飛んでくる。

 必死に受け流してもそれはジリ貧の展開に持ち込まれていつもの負けパターン。

 

 なら。

 

燃焼(バーン)

 

 燃やせば、と思っても。

 

「『極点無欠(ジ・アルティメット)』」

「ぐぅっ!?」

 

 ぶん、と振り払われた短剣。その剣先に生まれた圧が『極限』と化して突風となる。

 人間一人の体を吹き飛ばすのに十分な威力を持った風圧が自分の体を軽々と持ち上げ、数メートル後退させる。

 魔法によって魔力が浸透した一撃によって剣に宿っていた俺の魔法も掻き消させれている。

 

 そうして。

 

「これで、お終いね」

 

 ―――震脚。

 

 どん、と一歩足を踏み出せば大地を踏み抜いた衝撃が地鳴りとなり俺の足元を崩す。

 そうして蹴り上げられた勢いのままに、アイリスが一気に間を詰めて。

 

 その短剣が俺の喉元に突きつけられた。

 

 

 * * *

 

 

「相変わらずね」

「……さいですか」

 

 荒い息を吐きだしながらその場に座り込む。

 俺以上に高速で動いていたはずの姉はけれど息一つ荒げることも無く、汗の一つすらかいていない涼しい顔でこちらを睥睨していた。

 

「中途半端なのよ、ミカゲは。対人方面に鍛えたいのか、それとも対魔物方面に鍛えたいのか。方向性が全く違うのに両方取ろうとしたって今のミカゲで上手くいくはず無いでしょ」

 

 何度となく言われた言葉ではある。

 

「人を相手にしたいならその長剣止めなさい。大振りなだけで防御くらいにしか使えないわ。魔物を相手にするなら小技を捨てなさいな。化け物を相手にするなら力も速度も全然足りない」

 

 中途半端なのよ、ともう一度言われる。

 とは言え今のスタイルが一番慣れてしまっている。

 これを崩してもう一度別の戦い方を覚える、というのは中々に難しい。

 

「そこまで行けばもう悪癖ね」

 

 それを告げてもばっさりと切り捨てられるだけだったが。

 けれどそれから少し考え込むような仕草。

 そうして。

 

「なら今のままのスタイルをベースにして組み上げていくしかないわね」

「今のスタイルをベースに?」

「中途半端とは言ったけど、結局それはミカゲの身体能力が追い付いてないから。対人用の小技をいくつかと、対魔物用の大技をいくつか覚えて使い分けなさい。元よりそういうセンスはあるんだから、後はひたすらにレベルを上げることね」

 

 本当なら、とアイリスが嘆息しながら続ける。

 

「一から型を覚え直したほうが早いのだけれど……まあそのスタイルを貫くなら仕方ないわ。お嬢様からもなるべくミカゲの意に沿う形で、と言われているし」

 

 感謝しなさいよ、と半眼でこちらを見ながら。

 

「こうして時間を割いた分、お嬢様が穴埋めしてくださってるのよ」

 

 忙しい方なのだから、ともう一度嘆息。

 

「分かってる。感謝してるよ」

 

 トワにも、姉にも。

 そのためにも時間を無駄にできない、と剣を杖代わりに立ち上がる。

 そんな俺を見やり、アイ姉がよし、と一つ頷いて。

 

「樹海探索はいつ頃の予定?」

「来週だよ。あっちもこっちも予定合わせるなら来週の頭から浅いところを半日ほどかけて探索の予定」

「そう、なら対魔物用の技から仕込んでいきましょうか。それとあの辺に出てくる魔物の知識も仕込んであげるから」

 

 ―――帰ってきなさいよ?

 

 暗に告げられたそんな言葉が少しばかりくすぐったくて。

 分かっている、とばかりに剣を構える。

 

 当たり前の話だ。

 

 ―――俺もう二度とトワを独りにしないと決めたのだから。

 

 

 * * *

 

 

「ふむ」

 

 生い茂る木々を見上げながら、困ったと言わんばかりに少女が嘆息する。

 

「どこに行ったのやら……」

 

 凛、と手持ちの鐘を鳴らしみるが、けれど反応は無い。

 となるとこの辺りには居ないのだろうと予想する。

 すでに探し始めて三日ほどが経つがアレも気まぐれに樹海の中を移動するせいで、一度見失うと中々見つからない。

 

 それでも近くにいるならばこの鐘の音に反応してくれるのだが。

 

 凛、と再度鳴らす。

 

 澄んだ音色が森へと響く。

 

 それに対する反応は沈黙、そして静寂。

 

「ふーむ」

 

 仕方ない、と言わんばかりに少女が懐に鐘を終い込む。

 別の場所を探すしかないかと嘆息し、踵を返そう……として。

 

 ひゅん、とほんの一瞬、風を切る音が聞こえた。

 

「むっ?」

 

 立ち止まり、振り返るその先にけれど変化は無い。

 静寂が場を包み込む。

 じっ、とそのまま少女がその場で佇んでいると。

 

 ひゅん、と再び風を切る音と共に。

 

 ―――クルゥゥゥゥゥゥ

 

 突如として目の前に巨大な鳥が降り注いだ。

 全長五メートルほどだろうか。

 広げた両の翼を大きく、そのせいでとても大きく見える。

 やがて翼を閉じ、佇むその姿は『梟』だった。

 

 それは人が『災害』と呼ぶ存在だった。

 

 災害種と呼ばれる存在。

 

 そんな怪物を前に、少女は笑みを浮かべ。

 

「やあ、久しぶりだな」

 

 まるで街中で偶然出会った友人に接するような気軽さを怪物へと声をかけた。

 

 

 




魔法名:極点無欠(ジ・アルティメット)
階梯:第三階梯/第三法則
使用者:アイリス・オルランド/■■■■・■■■■・■■■■

それは『究極』を意味する魔法だ。
魔法の優秀さを決める際に『対象範囲』というものがある。例えばミカゲ・ルー・オルランドの燃焼の魔法ならばそれは『有機物』もしくは『無機物』に限定されるように。
『極点』の魔法は『上下する全ての物』に作用する。
その対象に対して『プラス』と『マイナス』が存在するならばその全てがこの魔法の対象と成り得るのだ。実質この世の大半の物に対して作用する魔法と称して良い。
『極点』の魔法はあらゆる物を『極限化』する。プラスならプラス方面に、マイナスならばマイナス方面に作用し、プラスならプラスを、マイナスならマイナスをただひたすらに『極端』にしていく。
ある意味それは『上昇(アップ)』と『下降(ダウン)』の魔法と言っても良いが、その上昇幅、下降幅が『極端』なのだ。故に剣を振った際の風圧で人を吹き飛ばす突風とすることも、地面に足をついただけの衝撃で大地を揺るがすような衝撃を発生させることもできる。
この魔法が第三法則たる由縁は『消耗魔力量』と『発生効果』がまるで釣り合わないからだ。
極々少数の消耗で極限まで増大した効果を得られる。まさしく『第三法則』である。


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十二話

 

 

 

 朝の澄んだ空気は冷たく、吐く息が白い。

 とは言え生まれてからずっと住んでいた故郷だ、これくらいの寒さなら慣れたものではあるし、何なら王国北部はもっと寒いことを考えればこれでもまだ王国内でもマシなほうだった。

 

 屋敷から『スペシオザ』の街まで徒歩三十分といったところ。

 

 道は整備されているため比較的歩きやすく、片道通行になるが馬車なども通れなくはない横幅の道を進みながら朝の散歩を楽しむ。

 つい先ほどまで朝焼けが空に広がっていたのだが、いつの間にかそれも見えなくなり。

 燦々と輝く朝日が遥か遠くに見えてきていた。

 さらに視線を戻せば見えてくる街の東門。少し視線を落とせばその傍に多くの人がいた。

 

「賑わってるな」

 

 東門から先は基本的にオクレール家の屋敷しか無いため交通らしい交通は西門で行われる。

 にも関わらず東門にこれだけ人が多いのは正直言って珍しいと言えるだろう。

 

「これは今回は結構な量みたいだな」

 

 東門を守る自警団に挨拶をしながら門を潜ると、常では考えられないほどに賑わった街の景色が見えた。

 街のあちらこちらに屋台や露店が出ているし、それを覗きに街の人間のみならず恐らく村からやってきた人々もいた。

 町民と村民では服装が割と違うのでぱっと見ただけでも割と区別がつきやすい。

 

 中にはエノテラ領外から来たのだろう仕立ての良い服を着た人間も見かける。

 商人とはまた違った様子だが、はてさて一体どんな用事でこんなところまで来たのやら。

 そうして街の中央あたりまでやってきた時。

 

「ん?」

「あら」

 

 露店を眺めながら歩いていると前方からやってきた見覚えのやる女と視線をぶつかった。

 

「錬金術師殿か」

「ハイデリーラですわ、数日ぶりですわねルー・オルランドさん」

「こんな早くに何を?」

「散歩ですわ……だってこんなにも街が賑やかなんですもの」

 

 視線を周囲に移しながら怪しい笑みを浮かべるハイデリーラになるほどと一つ首肯を返す。

 まあ普段の『スペシオザ』は昼になったってここまで賑やかではない。

 突然こんな市が立っていれば気にもなるかと納得する。

 

「それにしても今日は何かのお祭り? 普段と比べても随分と人が多いようですけども」

「ああ、いやいや……今日は―――」

 

 ―――王都から商人がやってくる日なのだ。

 

 

* * *

 

 

 エノテラ領に王都から商人がやってくるのは一月に一度だ。

 

 『スペシオザ』から王都までの距離を考えればこれでもまだ良いほうであり、北のほうの街となるとさらにその数は減る。

 基本的に需要が領内で完結してしまいがちなエノテラ領だが、この時ばかりは領内の村々から多くの人が唯一の街へと集まって来る。

 何せエノテラ領は基本的にはド田舎領地だ。畑だけはたくさんあるが、工業などはほとんど無い。

 商店なども唯一の街『スペシオザ』に無いわけではないが、その仕入れは細々とした物である、基本的に常時品薄と言っても良い。

 

 だから王都から商人がやってきた時は王都由来のエノテラ領には無いような物が大量に並べられることになる。

 少しばかり割高だったりするが、何せ畑を耕す以外にやることがないような領地だ、取れた作物を輸出して金を蓄えてもこんな時しか使う場所が無い。

 

「だからまあみんなここぞとばかりに財布の紐も緩めてしまう」

「ふふ……なるほどね」

 

 なんとなしに一緒に歩きながら今日の賑わいについて説明する。

 そんな俺の話に苦笑しながらハイデリーラがふむ、と少し考え。

 

「よろしければもう少し案内してもらえないかしら?」

「案内って……どこを?」

「別にどこでも良いわ、どこに行っても良い散歩になるだろうし……ああ、後喋り方も普通で良いわ」

「いやそれは……ん……ああ、分った」

 

 少しばかり躊躇もあったが、結局ハイデリーラがそうしろと目で語っているので諦めた。

 

「ならまずはこっちの食べ物関係から見て行っても良いか? いくつか買う物もある」

「構わないわよ」

 

 告げて並んで歩く。

 何だか妙なことになった、そんなことを内心呟きながら。

 

 

 * * *

 

 

「凄い賑わいね」

「余りふらふらするな。この人込みでははぐれそうになる」

 

 流れる人をかき分けながら街中に乱立した市を歩いていく。

 別に珍しいものでも無いと思うのだがハイデリーラは先ほどからあっちの店を見てこっちの店を見てと忙しなく動き回っていた。

 

「錬金術師ってことは王都にいたんじゃないのか? そんな珍しい物でも無いだろ」

「まあ一時はね……基本的に私とリラは『流れ』なのよ、どこかに所属しているわけじゃないし、王都にいたのは実際には半年にも満たないわ」

「は? 前にファウスト錬金学会に所属してるって言ってただろ?」

「一口にファウスト錬金学会と言っても実際にはその中にも派閥があるわ。私とリラはその中の一つの派閥に入ってはいるけれど、この派閥自体が組織に縛られたくない自由な気風なのよ」

「いや、意味が分からんのだが」

 

 問うた言葉にハイデリーラは少し考え風に唇に指を当てて黙り込む。

 そうね、と零して。

 

「詳細に言っても分らないだろうから簡単に言うけれど、今のファウスト錬金学会は主に三つの派閥があるわ」

 

 指を三本立てて、突きつける。

 そこから二本折り。

 

「一つは最も知られていると思われる『魔導具メーカー』としての派閥。ここは元は研究費のための資金繰りのための部門だったのだけれど、いつの間にかこっちが主になっちゃってるのよね……」

 

 一本、指を立てる。

 

「一つは『ファウスト』の名を受け継ぐ錬金学会の『名誉』を重んじる派閥。錬金術師の本分も忘れて矜持(プライド)を拗らせてしまった愚か者たちね」

 

 中々な辛辣な物言いだが、不機嫌そうな表情からして相当に嫌いなんだな、と察せられた。

 そうして先ほどと同じように三本目の指が立てられ。

 

「一つが『錬金術師』の本分を忘れること無く今なお、真理を探究せんとする研究者たち」

 

 因みに私たちはここに属するわ、とはハイデリーラの言。

 

「最初に挙げた二つは実に俗物なやつらでね……金と名誉を重んじ、『ファウスト』の名を『ブランド』か何かと勘違いしている馬鹿たちだわ」

 

 嘆息一つ、やれやれと両手を広げながら。

 

「逆に最後。研究者たちはその真逆。まあ真逆過ぎてそれはそれで駄目なんだけど……『ファウスト』の名とかどうでもよくてただひたすらに研究に没頭していたい、っていう変人たちね」

 

 結局自分の派閥にまで辛辣なのか、顔を引きつらせながら話の続きを黙って聞く。

 

「まあ最初の二つは確かに貴方のイメージ通り、組織の所属だとか、どこの派閥だとかかなり厳しいところね。でも私の所属する派閥は……まあ理解してもらえたと思うけれど、とにかく研究できれば何でも良いっていう考えだから基本的に派閥でどうこうっていうのが無いのよ」

 

 だから私みたいなのも所属できるのよね、と呟きながらふと市場の一角に視線を留める。

 

「あら、美味しそう」

 

 果実を潰し動物の乳に加えた物らしい白っぽいどろっとしたソレを見てハイデリーラが硬貨を差し出しカップごと購入する。

 早速とばかりに一口飲み、笑みを浮かべる。

 

「うん、良いわねこれ」

 

 気に入ったと言わんばかりの笑みにそんなに美味しいのかと興味を惹かれ俺もまた購入してみる。

 そうして飲んでみたそれはなるほど確かに悪くない。

 二人してあっという間に飲み終え、カップを店主に返すとまた歩きだす。

 

「あー……もしかしてだけれど」

 

 歩き出してすぐに隣でハイデリーラがバツが悪そうにこちらを見る。

 困ったように頬をかきながら、苦い笑みを浮かべ恐る恐ると言った様子で口を開き。

 

「私たちがここに来ればファウスト錬金学会と繋がりができると期待させてしまったかしら?」

「は?」

「さっきも言ったけど、所属こそファウスト錬金学会だし、一応ファウストの名ももらったけれども実質的には疎遠なのよね……だからもし私たちがここに来たこと、ここに工房を構えようとすることで錬金学会との繋がりができると思わせてしまったのなら、ごめんなさい、それは無いと言っておくわ」

 

 唐突に何の話かと少しばかり考えるが、すぐに理解しいやいや、と手を振って否定する。

 

「そういうのは別に良いんだ……見ての通りド田舎でな。錬金術なんて便利な代物とは縁の無かった場所だ。だからそういう繋がりを抜きにしても、錬金術師がここに……この街に工房を構えてくれるっていうならこちらとしては願ったり叶ったりだ」

 

 そんなこちらの言葉にほっと安堵したようにハイデリーラが息を吐く。

 

「なら良かったわ……そうね、取り合えずちょっと品薄なとこもあるけれど、街にそれほど問題は無いわ。あとは先の件……それさえどうにかなるならここに工房を構えることを約束しておくわ」

「良いのか? 勝手に約束しちまって。もう一人のやつに聞かなくても」

「リラも同じ意見よ。それにこれ自体はリラと何度か話しあった末の結論だから、安心してちょうだい」

「そうか……」

 

 告げられた言葉に安心する、と同時に僅かな興奮もある。

 生まれてからずっとこの街に住んでいたのだ。この街には愛着があるし、良い場所だと思っている。

 だが同時に王都やペンタスなどを見ればこの街がいかに狭く、小さく、閉ざされているかも知っている。

 

 だからこそ、これはチャンスなのだ。

 

 錬金術師というのは少し大きな街になればだいたい一人や二人は居てもおかしくは無い存在だが、このエノテラ領に至っては未だに零だ。

 つまり『少し大きな』という条件すら満たせないほどに『スペシオザ』は小さな町で、そんな小さな町がこのエノテラ領の『唯一』の町なのだ。

 

 錬金術師が工房を構えれば『錬金術』によって生み出された製品がこの街にも流通することになる。

 それはこの街だけに留まらず、少しずつ少しずつやがてエノテラ領全土に行き渡るだろう。

 それは確実な変化だ。それも大きな。

 

 エノテラという領地は余りにも閉鎖的で、けれど単体で完結できていない。

 エノテラ領内部だけでは需要を賄いきれないし、雇用を与え切れない。

 年々年若い領民たちが王都などへ出稼ぎに出ているし、そのせいで領内の年齢層は段々と高くなっていく。

 いつか破綻することは目に見えていて、だからこそ変わらなければならない。

 

 それ自体は領主であるトワの仕事だ。

 

 俺はそれを手伝うだけではあるが。

 

 けれど俺だって少しずつ少しずつ衰え、朽ちていく故郷を見て何も思わないわけではないのだ。

 年々衰退していく領内をどうにか盛り返そうと昼も夜も必死になる親友を見て何も思わないわけではないのだ。

 この街に錬金工房が生まれる、それは確実な変化だ。

 故郷が生まれ変わろうとしている。

 親友の努力が実ろうとしている。

 

 そのことに喜びを覚えないわけがないし、興奮しないわけではない。

 

 そして同時。

 

 だからこそ、失敗は許されない。

 

 喜ぶのも、興奮するのもまだ早いのだから。

 

 まだ一度、二度出会っただけのこの錬金術師たちだが決して悪いやつらではない、とは思う。

 少なくともこの街に工房を構えてくれる気になっているだけでも御の字だ。

 けれど同時に『樹海探索』が為されなければあっさりと街を出て行ってしまうだろう。

 彼女たちはあくまで『樹海』の素材を得るためにここにいるのだから。

 

 

 * * *

 

 

「それじゃ、付き合ってくれて感謝するわ」

 

 軽く手を上げ、ハイデリーラが宿へと戻っていくのを見ながら、俺もまた背を向けて歩き出す。

 少しばかり遅くなったが、まだ少しばかりやることが残っている。

 幸いにして目的地はこの宿の近くなのでそれほど時間もかからずたどり着く。

 

「おーおー、こっちは大した賑わいだ」

 

 街の西門へとたどり着くと大勢の人々がそこかしこで露店で売買をしていた。

 この街へと外から来ようとすると真っ先にこの西門へ着く、ある意味ここは街の玄関なのだ。

 だからきっとここが一番賑わっているだろうと予想していたが、これは想像以上だ。

 本当にスペシオザの街なのかと思ってしまうほどに雑多な人の数だがそれでもペンタスと比べるとまだ大人しいと言えるのはさすがに街としての規模の違いだろう、悲しい話だが。

 

 とは言え今回は物を買いに来たわけではない。

 

 そのまま市を抜け、西門の真下までやってくるとさらに門の脇に備えつけられた扉へ。

 自警団の人間に軽く挨拶しながら扉を開くと中へと足を踏み入れる。

 

「おはよう……オッサン、お屋敷宛てに何か来てるか?」

 

 薄暗い部屋だった。部屋の中央に吊り下げられたランプがゆらゆらと不規則に揺れ、小さな光源揺れるたびに部屋の中の影が蠢く。

 こじんまりとした部屋の中央にはどんと広い机が広げられており、そこには何十通という手紙が整理して置いてあった。

 机の前の椅子に座っていた男が俺の声に振り向き、ん、と机の端に寄せてあった三通ほどの手紙を握るとそのままこちらへと渡してくる。

 

「領主様宛の荷はそれだけだ」

 

 渡された手紙を受け取り、改めて見ると。

 

「オッサン……髭くらい剃れよ」

 

 ぼさぼさのよれよれの髭が伸び放題になって酷い有様である。

 顔の半分が髭で隠れて見えないのはさすがにやばいだろと思うのだが男は放っておけと手振りで、しっしっ、と追い払おうとする。

 

「へいへい……全く」

 

 取り付く島も無いと嘆息しながら部屋から出ると再び外だ。

 早速受け取ったばかりの手紙に目を通して。

 

「……あん?」

 

 金の装丁の封緘が押された封書を見やり、思わず声が漏れた。

 バツの字にも似た『十番目』を意味するこの字を印とした封書。

 それはこの国において一つのことを意味する。

 

 金の十字『Ⅹ』。

 

 それはこの国、ノーヴェ王国の『帝印』だ。

 

 そしてそれを使って文書を発行できる機関はたった一つしかない。

 

 王都の中央、この国の頂点が座すその場所。

 

 つまり。

 

 ―――王城からの封書だった。

 

 




オッサンはいつかまた出す、かもしれない(需要があれば

というわけでリーラちゃんとお散歩デートしながらもうすぐ森へキャンプだ着火用意!


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十三話

 

「生誕祭の招待状だね」

「……ああ、そう言えばもうそんな時期でしたね」

 

 王城から届けられた手紙を開き中身を一瞥したトワが漏らした一言にアイ姉が納得したように頷いた。

 まあそっち関連の話で俺にできることは無いので引き続き椅子にもたれかかるようにしながら目の前に置かれた手紙を仕分けていく。

 

 ルー・オルランドは英雄だ。

 

 その功績によってオルランド家はこの国に守られて生きている。

 

 とは言え、オルランド家に何か政治的権威があるのかと言われればそんなことも無い。

 多少の箔付けくらいにはなるかもしれないが、それで何か変わるかと言われれば別にそんなことも無い。

 

 先ほども言ったがルー・オルランドは英雄だ。

 

 魔族との戦争で活躍した英雄だ。

 

 だから魔族がすでに消え去った今の時代において過去の実績で遇されることはあっても、必要とされることはまあまず無い。

 それでもまだ大戦からたった五十年。オルランドの名はまだ人々の頭の残っているが故にその影響力は決して零ではない。

 だから俺たちは平民としての立場を崩すつもりは無い。

 政治の世界に関わるつもりも無いし、余計な火種になるつもりも無い。

 

 まあ……また魔族が世界に溢れでもすれば、話は変わるのかもしれないが。

 

「無い……とは言えんが」

 

 あの樹海の奥深くで生き残っている可能性がゼロとは言わないが、確率は限りなく低いだろうことも事実だった。

 そんなことを考えながら招待状の内容について相談しているトワたちから視線を移せば、向かいの席ではサクラとアルが何やら楽しそうに何話していた。

 

 サクラと年代が近いから仲良くなってくれることを多少期待して連れて帰った部分もあるのだが、見ている限りではサクラのほうから寄っているように見えるのが意外だった。

 

 普段から他者と積極的に交流しようとしない内気な性格だったし、人見知りなところもあるのも知っている。

 何より身内以外に対して排他的な部分があることを知っているので慣れないながらも何かとアルに構っているように見える現状に驚きすら覚えた。

 

「まあ仲が良さそうなのは良いことだ」

 

 将来的にどうなるかまでは知らないが、まあ良い友達でいてくれれば良いなと思う。

 いい加減、アイツも兄離れすべきだろう。

 

 

 ―――いつまでも俺が一緒にいてやれるわけじゃないのだから。

 

 

* * *

 

 

 ノーヴェ王国はその名の通り王制国家だ。

 当然ながら国家の長として国王が居り、その親族たる王族と呼ばれる血族が居る。

 イアーズ帝国皇家の血を引く十二の公国が長たちが一人、ノーヴェス王が起こしたのがノーヴェ王国の始まりだ。

 

 最早帝国の崩壊から百五十年以上経つにも関わらず未だに帝国時代の影響は大きい。

 イアーズ帝国皇家の血族というだけでその血筋に正統性が生まれるのだ。

 

 故に現在このイアーズ大陸においてジューン公国以外の十一の国家の元首は王、または皇帝などを名乗っている。

 

 まあそれは置いておいて。

 

 未だに王制の強いこの国において国家元首たる王の誕生日ともなればそれだけで祝いの口実となる。

 王都では誕生日を前後して大きな祭りが開かれ、ノーヴェ王国中から人が集まり、賑わうこととなる。

 特に誕生日当日は騎士団によるパレードも行われ、王族も参加することから多くの見物人が人目見んと集まるし、それに先駆けて一週間近い前日祭りが催され、期間中に王城で行われるパーティーへと国中の貴族が集まって来る。

 

 トワもまた『領地貴族』の一人として、オクレール家の当主としてこれに招待されている。

 

「去年まではお父さんとお母さんのことがあったから不参加だったんだけどね」

 

 トワの両親が存命だった頃はトワの父親……つまり先代オクレール家当主がこれに参加していたのだが、トワの両親は三年以上前に亡くなっている。

 急な継承もあり領内の混乱を抑えるため、と口実をつけてこれまでは断っていたのだが、さすがに三年それで押し通しているためそろそろこの理由も使えなくなってしまっているだろう。

 これ以上領地にかまけて中央に顔を出せないなどと言っていると統治能力に疑義を持たれて最悪統治権を剥奪されかねない。

 

 以前も言ったが貴族の大半は領地を持たない身分だけの貴族というのが大多数だ。

 

 こんな貧乏領地でも欲しがる貴族はごまんといるし、ただでさえ若年で女であるトワを侮る声が多い中でさらに隙を晒せば『そら見たことか』とハイエナのように寄って集ってトワを引きずり降ろそうとするだろう。

 或いは体の良い理由……若く経験の少ないトワの補佐を、とでもうそぶいて婚姻に寄る乗っ取りを目論むかもしれない。

 

 そんなこと許せるはずがない。

 

 まあ俺が許すどうこう以前に、トワのことを大切に思っているアイ姉が絶対に許すはずも無いのだが。

 

「参加は絶対……でしょうね」

「問題は時期だよね」

 

 誕生祭は一月後だ。

 

 招待状が届いたパーティーはその数日前にあって。

 この街から王都までの道のりが三日ほどかかる。

 さらに言うならパーティーの当日にいきなり行くのではなく、二週間以上前から到着して方々に挨拶周りなども必要になる。

 ついでに言えばパーティーに参加するための衣装などの準備も必要であって……。

 

「来週の探索……無理そうですわね」

 

 要するに王都へ行かなければならない時期と樹海探索へ行く時期がばっちり被ってしまっているのだ。

 トワは確実に王都へ行かなければならない。そうなればたった一人の従者であるアイ姉もそれに同行しなければならず。

 

「ま、俺一人でもどうにかするよ」

 

 いきなり最高戦力が抜けてしまうことに不安が無いわけでも無いが、駄々を捏ねたところで予定が空くわけでも無い。

 どうせ行かなければならないならばトワを不安がらせるようなことは無いとなんて事の無いように告げた。

 

「…………」

 

 一瞬こちらを不安そうにこちらを見つめ、何か言おうとするがけれど言葉にならないままにトワが目を瞑り。

 

「うん、分った、じゃあ」

 

 そうして開く。

 

「ルーくん。後ははお願いします」

「ああ、任せとけ」

 

 そこに込められた信頼の意に、どん、と胸を叩いて答えた。

 

 

 * * *

 

 

「どうしたもんかな」

 

 任せとけ、なんて言ったものの実際のところ、行き先があの樹海というだけでそんな自信など微塵も無いのだが。

 毎日の日課となっている剣の素振りをしながら考える。

 

 俺が実際に闇哭樹海に潜ったのはたった三回だけだ。

 

 たった、とは言ってもあの樹海に一度でも入って戻ってきた人間というのは極々稀なので三度入って戻って来れるという時点で最早『たった』ではないのだが。

 恐らくこの大陸でおいて三度以上樹海に潜った人間というのが『歴史上』でも稀だろう。

 

 樹海の恐ろしさを語る上で誰もが『オーデグラウ』を挙げるが、実際のところ『オーデグラウ』の被害というのは人々が思っている以上に少ない。

 何せ『オーデグラウ』が住み着いているのは樹海の中でも奥深くだ。

 そこに引き寄せられる前に『それ以外』が当たり前のように殺しに来る。

 稀に浅いところにやってくることもあるが『オーデグラウ』が移動するとそこにいた魔物たちが一斉に他所に逃げ出すため逃げ出した魔物と鉢合わせして……というパターンのほうが圧倒的に多い。

 

 そう、樹海において最も恐ろしいのは『オーデグラウ』ではない。

 

 『オーデグラウ』が居らずとも、あそこは大陸一魔力濃度の濃い場所であり、そこには凶悪極まりない数多くの魔物の生息地なのだ。

 『オーデグラウ』に出会う確率などほとんど事故のようなものだ。

 よっぽど樹海を端から端まで探索しなければ滅多に出会うものでは無い。

 そんなものよりもそこに生息する魔物たちのほうがもっと身近でもっと直接的な危険だ。

 

 考えてもみて欲しい。

 

 一寸の光すら刺さない樹海の中で延々と息を潜め、獲物を待つ怪物たちが跋扈する森を。

 完全なる闇の中、視界はゼロ。

 あそこの魔物たちは何よりも音を立てることを嫌うため普段はシンと静まり返っている。

 馬鹿な人間の足音一つに反応して気づけば周囲を囲まれ逃げ道すら無い。

 

 あそこの魔物たちに共通する『弱点』が無ければ俺だってとっくに樹海に転がる屍の一つになっていただろう。

 

 そう、弱点があるのだ。

 

 あいつらには。

 

 正確には個々で別々の弱点があるのだが、俺の『魔法』はその全てに対応できると言ったほうが正しいだろうか。

 

 簡単に言えば、『火』が嫌いなのだ。

 

 

 ―――樹海における魔物は大雑把に三種類に分かれている。

 

 

 それは魔物ごとの『探知方法』と言っても過言じゃない。

 

 一つは『耳』で探知している種。

 この類の種は聴覚が異常なほどに発達しているため『炎が弾ける音』にすら強烈に反応する。

 故に火を振りまくとあちらこちらで音が乱立してしまってどれに反応すれば良いのか混乱してしまうのだ。

 

 一つは『目』で探知している種。

 樹海の中は真っ暗闇ではあるがそれでも『目』で見て探知する種がいる。『魔物』なのだ、物理的に見えないという状況すら魔力はそれを覆す。反理法則は『見えない』を『見える』ようにする矛盾が故に。

 そしてだからこそそういう種は火を……正確には『光』に過剰なほどに反応する。

 『見えない』を『見える』にしているが故に『見える』ようになると何も『見えなく』なるのだ。

 

 一つは『熱』で探知している種。

 蛇や蜥蜴のような爬虫類系の種はだいたいこれだ。音でも光でも無く『熱』を感じ取って他の生命を察知している存在。

 この手の種は往々にして環境に合わせて体温が変化する。そして光の刺さない樹海というのは基本的に空気が冷え切っている。夏場でも平然と零度を下回るほどに……にも関わらず一切凍結する様子も無いのは相変わらず異常な場所であるがまあそれはさておき。

 この手の種はそんな場所に住んでいるからこそ熱に極めて弱い。

 『樹海』の冷気に合わせて体を馴染ませているため『寒さ』には強くても『熱さ』には弱いのだ。

 

 故に派手に火を炊くとこいつらは火から避けていく。

 

 唯一『耳』で探知している種は近づいてくるが火の弾ける音と人間の出す音の区別がつかないため良い囮になる。

 

 そして樹海に住む魔物たちのもう一つの共通の弱点。

 

 否、どこに住んでいようと『魔物』に定義される以上、決して逃れられない致命的な弱点がある。

 

 即ち魔力切れだ。

 

 魔物とは生きるために魔力を必要とする。

 逆に言えば魔力が無くなると生きていけない存在だ。

 であるが故に俺の『燃えない白い炎』は魔物に対して致命的な一撃となる。

 

 俺の切れる手札はこの二つだ。

 

 樹海内では濃密な魔力が空間に渦巻いているが、その魔力は魔物だけではない、人間だって恩恵を(あずか)ることができる。

 ダンジョン内と同じだ。あそこではいつもより強い魔法が使える。

 

 だから俺一人ならば相性は悪くないのだ。

 

 俺一人、ならば。

 

 

 * * *

 

 

 王都へと向かうとなり、屋敷の中が忙しなくなる。

 当然のことだが、計三週間近く領地を留守にするのだ、その間滞り無いように領地を回すために事前に備えておかなければならないし、王都へ行くための準備も必要となる。

 さらに言うなら今回王都に行くのはトワたちだけではない。

 アイ姉が屋敷から居なくなった時点で家事が回るわけがないのでサクラとアルの二人も同行することになっている。

 

 そうしてあっという間に一週間が過ぎて。

 

「準備はばっちりか?」

「うん……できたよ、おにーちゃん」

 

 まだ日が昇るかどうかの朝早い時間帯。

 眠い目を擦るサクラに頭をぽんぽんと撫でながら用意された馬車へと荷物を運ぶ。

 アルも手伝おうと荷物を運んでいるが、まだ小柄なアルでは中々に重いのだろう、えっちらおっちらと危なっかしく運ぶ様子は見ているこちらがハラハラする。

 

「ルーくん、じゃあ後のこと、任せるね」

「ああ……行ってこい。樹海の件が終わったら俺もそっちに行くから」

「うん、待ってるよ」

 

 トワと二、三言別れ際の挨拶を交わし、トワが馬車に入って扉を閉めるのを見ると御者台に座るアイ姉が馬に鞭打つ。

 

「それじゃあ、ミカゲ……気を付けなさいよ」

「ああ、アイ姉も。トワのことよろしくな」

「ふっ、当たり前よ」

 

 当然だ、と鼻で笑いながらアイ姉が馬車を走らせ始める。

 そのまま徐々に消えていく背を見やりながら。

 

「さーてと……じゃあ、俺も行くか」

 

 傍らに置いていた剣を掴み、歩を進める。

 

「どうなることやら」

 

 呟きながら視線を向けた先に。

 

 

 

 ―――黒に染まる深い深い樹海の姿があった。

 

 




次回、樹海探索開始。


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十四話

 

 

 話には聞いていた。

 

 書物などでも読んだし、知識として知ってはいた。

 

 だが実際に見ると絶句するしかない。

 

「ほ……本当に、何も、見えないんだね」

「ああ。基本的にこの森の中で視界ってのはアテにするな」

 

 一歩、足を踏み入れた瞬間、ぞわり、と背筋に寒気が走る。

 まるで大勢の『何か』に囲まれているような錯覚すら覚えてしまうほどの視線に周囲を見渡しても漆黒の闇が視界を塗りつぶしてしまっていてそこには何も見ることはできない。

 

「み、見られて、ない、かな?」

「かもしれない……実際、時々恐ろしく感知範囲が広いやつもいるからな。とは言えそういうやつらはすぐには動かないから問題無い」

 

 曰く感知範囲の広い魔物はかなり遠くからこちらが弱るのを待って動き出すらしいので森に入ったばかりの自分たちは襲われない、らしい。

 逆に言えば道中で魔物と戦って消耗すればそいつらも動き出す、ということになるのだが。

 

「死にかけとかそんな状態じゃなければ来ないからそんなに怖がらなくも良いぞ」

 

 感知能力の高さは翻せば臆病さの裏返しでもある、らしい。

 リソースを感知に割り振っている分、純粋な強さでは他に劣る。それが故に確実に勝てる相手……それこそ瀕死の重傷でも負っていなければ見ているだけの存在、らしい。

 

「少なくとも俺が襲われたのは一度だけだ……まあ火をちらつかせたらすぐに逃げたけどな」

 

 どうにでもなる、と告げられてもやはり安心はできない。

 とは言えびくびくしていても仕方ないのも事実だ。

 ハイゼリーラ・ファウストは自らの意思でこの危険極まり無い場所に来ることを決めたのだから。

 ハイゼリーラには目的があるのだ、そのためにはこんな森の入口も入口で立ち止まっているわけにはいかない。

 とは言えあくまで素人の自分一人ではこの森から生きて出ることも不可能だろうことは分かっている。

 だからこそもう一人の同行者へと視線を向けるのだが。

 

「な、なに、してるの?」

「ん? ああ、ちょっとした細工だ」

 

 しゃがみこんで足元に何かしている少年の様子を見やり首を傾げる。

 暗く視界がほとんど機能しないこの闇の中でぼんやりとしか見えない少年が足元に何をしているのかは分からないが、多分何か意味があるのだろうと考える。

 少しの間何か作業をしていたようだったが、すぐ様立ち上がり。

 

「よし、じゃあ行くか」

「う、うん」

 

 一つ頷いて、黒闇の森の奥へと歩き出した。

 

 

 * * *

 

 

 『闇哭樹海』はこのイアーズ大陸において最も危険とされる場所の一つだ。

 

 それはこの樹海に災害種の一体が住み着いていることもそうだが、それ以上この樹海がこの大陸において最も魔力濃度の濃い場所だからだ。

 

 魔力自体はこの世界のどこにあっても存在している。

 

 だがその濃さというのは場所によって天と地ほども差がある。

 ダンジョンなどが分かりやすい例だろう。

 とは言えダンジョンはその内に溜め込んだ魔力をモンスターという形で発散させている。

 

 魔力とは『矛盾する理』だ。

 

 魔力が濃いということはそれだけ『物理的にあり得ないこと』が起こりやすい。

 その最たる存在が『魔物』だ。

 『魔物』とはその名の通り魔力を持った生物。

 そして。

 魔力が無ければ生きられない生物だ。

 

 一番分かりやすい例としては『サイズ』が挙げられる。

 

 そう例えば。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 驚き、絶叫しそうになったハイゼリーラの口を咄嗟に塞ぐ。

 震え、もがもがと口を動かすハイゼリーラに落ち着けと耳元で囁きながらゆっくりと後退する。

 だがその囁きを聞き取ったのか、それとも後退る歩みが音となったのか、ぎょろり、とソレの目玉がこちらを向き、ハイゼリーラがまた悲鳴を上げそうになる。

 ぎゅっとその口元を塞ぎ、絶対に声を出さないようにするのと同時、空いたほうの手でそっとソレの横を指さし。

 

 『燃焼(バーン)

 

 声にもならない声で呟き、同時に木々の一部に僅かな火が灯る。

 ぱち、ぱちと小さいながらも確かに爆ぜる音がし初め。

 少しずつ、少しずつその勢いは増していく、同時に継続的に音はなり続けて……。

 

 ぶん、とソレの丸太のように太い尾が燃える木々へと振るわれ、直径一メートルはありそうな太い木々をあっさりと圧し折る。

 べぎり、と半ばから折られ倒壊した木々が地面に激突し、大きな音を立てる。

 折れ、倒れた木々へソレが大きな口を開けて食らいつき……吐き出す。

 どうやらそれがただの木であることに今更ながらに気づいたらしい。

 シューシューと空気を吐き出すような不思議な音を立てながらソレが……全長二十メートルはありそうな巨大な蛇の怪物はその顔の真ん中にどんと見開いた大きな一つ目をぎょろぎょろと動かしながら去っていった。

 

 そうして怪物が消え去り、シンと再び静まり返った森。

 

「……はぁ」

 

 息を吐く。

 同時に手の中で硬直しているハイゼリーラの肩を叩く。

 

「静かに……良いな?」

 

 こくこくとハイゼリーラが慌てたように頷くのを確認してからゆっくりとその口元から手を離す。

 幸いにも再び騒ぎ出すようなことも無く、大きく二度、三度と深呼吸し心を静め。

 

「あああ、あれ、あれあれ、あれ、あれ……な、なに?」

「この森の一般生物」

 

 告げる言葉にハイゼリーラの表情が引き攣る。

 まだ心臓の鼓動が激しいのか無意識的に胸を抑えているのが見えた。

 まあ暗い森のせいで数メートル先すら良く見えないのだ、そこでいきなり目の前にあんな化け物蛇が現れればそうなるのも分かるが。

 

「運が良かったな」

「え? え? え?」

 

 先ほどの蛇を思い出し、無意識的に呟いた一言に過敏なほどに反応するハイゼリーラ。

 だが実際運が良かったとしか言いようが無い。

 

「あれ、目で物を見てないやつだ……」

 

 もし視力があるなら今見つかっていてもおかしくは無かった。

 じゃああの目玉は一体何なんだと言われれば。

 

「多分『目』で『音』を聴くタイプだな」

「……えっと?」

 

 視線に射抜かれた時、即座に襲われなかったことから目で見ていないかもしれないと火で音を出したのだがずばりだったらしい。

 あの大きな目はじゃあ何なんだと言われればきっと『視力』ではなく『聴力』をもたらしているのだろうと予想する。

 

「な……なにそれ。ああ、あり得ない、よ。目で、音を聴くって……ぜ、絶対におかしい」

「魔物だぜ? 常識が通用するかよ」

 

 俺の予想を聞いてあり得ないと断ずるハイゼリーラだが、魔物というのは『普通じゃないし普通には生きられない』から魔物なのだ。

 

「それにしても、お、大きかった、ね」

「この森の魔力濃度は尋常じゃないからな……普通あり得ないだろうってサイズでも平然と成長しやがる」

 

 その種の生物がそんなサイズで普通生きられるわけないだろ、と言えるような異常すらも魔力という反理法則が全て解決してしまう。

 ダンジョンもそうだが、この森も一種の異世界なのだ。『普通』なんて常識が通用するわけがない。

 

「次は……無さそうだな、行くか」

 

 耳に神経を集中させ、周囲が無音なことを確認する。

 僅かな音すら聞き逃さないようにしなければこの森では生きられないが、もし耳を澄ませて『歌声』が聞こえて来ればそれはそれで生きられない。

 やっぱここ真っ当な生き物が来る場所じゃないよな、とは思うがそれでも来なければならない事情があるのだから仕方ない。

 

 静まり返った森に取り合えず大丈夫そうだ、と判断する。

 

 それからハイゼリーラに声をかけてさあ行くかと思い……。

 

「あ、あの目……欲しいな」

「何?」

 

 ぽつり、と後ろで突然呟くハイゼリーラの言葉に振る。

 だがそこにいたのは先ほどまでのおどおどとした少女ではない、目を細め、深く集中した様子でこちらのことなど全く眼中に入っていない。ただひたすらに自分の思考に没頭していた。

 

「音、目で……要素を取り出せれば……」

 

 ぶつぶつと呟きながら思考を纏めているのだろう口元に手を当てながら所在なさげに視線だけが右へ左へと彷徨っている。

 

「魔力の高まり……結晶化したら……最終的にはどんな形……? 目、目……目に……それなら……いやでもそれだと加工に……この場で必要になるなら……それとも次回……でもここなら、魔力濃度は高い……でもその場合錯視してしまう? 見えない、見える、見えない、見える……音、音、音? 象徴化する? それとも具象化してしまうべき? 物理ではあり得ざる瞳、とすれば浸蝕指数はかなり高そうだし、だとするなら……」

 

 独り言なのだろう、恐らくハイゼリーラの脳内では目まぐるしい思考が回っているのだろうが傍から聞いていると何を言っているのかさっぱりである。

 俺は他を知らないが錬金術師とはもしかしてみんなこうなのだろうか、とよからぬことを想像した。

 完全に思考に没頭してしまっていて、こちらの呼びかけに反応しないハイゼリーラを見やり、嘆息する。

 

 できれば早く奥へと進みたいのだが、俺の仕事はこの少女を守ることであり、少女がここから動かない以上、俺も留まるしかないのが辛いところだ。

 

「しかし……独りなんだな」

 

 先のスペシオザの宿で会った時にいたもう一人の女、ハイデリーラはどうしたのだろうと首を傾げる。

 いや、非戦闘員が二人も居ては俺一人では守りきれないので単独で来てくれたのは助かるのだが。

 ただどうしてこちらが来たのだろうという疑問はある。

 見た限り引っ込み思案というか人見知りというか、そんなハイゼリーラよりハイデリーラのほうが『向いている』とは思うのだが。

 いや、俺が勝手に思っているだけと言われればその通りではあるのだが。

 

 しかしまあ、改めて見ると幼い少女だ。

 

 聞いたところによると正式な資格を取った錬金術師は目の前の少女、ハイゼリーラのほうらしい。

 つまりこの見た目ならば十二、三と言っても良いような幼く見える少女は実のところ二十近く、少なくとも俺よりも年上らしいという事実に眩暈すらしそうだった。

 

 とは言え。

 

 錬金術師という職について俺は世間一般で知られている以上のことは知らないが、少なくとも二十にもならない子共がなれるような職ではないということは分かる。

 つまり目の前の少女は幼く見えても『あり得ない』ような天才であることは間違い無いのだろう。

 

「事象を優位にするなら……魔力係数を下げてあえて効果を落とす? 触媒を使えば聴力からの変更は……いやでもそれは本質を違える結果にならない? やっぱり現物が無いとそこは……できるならより……例え無理だとしても……聴力を視覚化することは……でもそれは構築式のセンテンスが……確か昔そんなのがあったはず……構造体理解が足りないなら魔力媒体で補って……」

 

 ぶつぶつと独り言を繰り返すだけの思考は見ている限りまだまだ終わりそうも無く。

 

「これいつまでかかるんだろうな」

 

 その間に厄介なのが来ないと良いんだがな、と思った瞬間。

 

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち

 

 ()()()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 食物連鎖という言葉がある。

 

 生態系における循環を示した三角形の構図。

 肉食は草食を食らう、草食は草を食み、肉食や草食の死骸や排泄が草木を育てる。

 肉食が増えすぎれば草食が減るが故に、肉食は食うに困って数を減らす、草食が増えればやがて草食を食らう肉食が増えてその数を減らす。

 生態系というのは案外よくできているもので、一時そのバランスが崩れたとしてもまた天秤は元に戻るようにできている。

 

 だが何事にも例外というものがあるもので。

 

 この森……闇哭樹海において食物連鎖の図式は極めて異様を呈している。

 

 頂点に立つのは災害種、梟歌衰月『オーデグラウ』。

 それだけは間違いなく。

 そしてそれ以外の全てが横並びだ。

 

 森には多くの魔物が住み着いてるが。強さの差はあっても食物連鎖の観点から見るとその全てが横並びとしか言いようが無い。

 

 頂点捕食者たる『オーデグラウ』を除けばその全てが食う物であり、食われる物なのだ。

 

 そう例え先ほど見かけた二十メートルを超す巨大な怪物蛇ですら。

 

 たった十センチほどの『蜘蛛』の群れに食われることがある。

 

 それがこの森の恐ろしさだった。

 

 

 * * *

 

 

「わ、わぷっ、な、なな、なに?!」

 

 ぎちぎちと聞こえてくる音に壮絶に嫌な予感を覚え、咄嗟にハイゼリーラを抱えて木々の上まで駆け上がる。抱えたハイゼリーラが腕の中で何か言っていたがそれどころではないと無視する。

 直後、眼下を通り過ぎていくのは千や二千は軽く超えているのではないかと思えるほどの小さな『蜘蛛』の群れだった。

 

 蜘蛛……嫌な物を思い出すがさすがに全身が水晶でできているなんて非常識な存在ではないようだ。

 

 暗くてよく見えないが多分普通の蜘蛛だ……いや、数千匹の群れを為して森を爆走する蜘蛛を普通と呼んで良いのかは知らないが。

 そうして通り過ぎていく蜘蛛の群れを見送りながら音に釣られて次が来ないかとしっかりと警戒し、次が来ないのをしっかりと確認してからようやく安全を確保したと降りていく。

 

 そうして思い出すのは先ほど蜘蛛の向かった先。

 

「あの蛇と同じ方向かあ」

 

 先ほど蛇が派手に木々を圧し折ったが、あの音に惹かれてどこからかやってきたのだろうか。

 どれだけ時間が経っているのだと言いたくなるが。この森の場合10キロや20キロくらいの遠方からでも平然と音を聴きつけてやってくることがあるから要注意だ。

 

 好機到来である。

 

 行くにしろ、逃げるにしろ、基本的にこの森ではまともに戦闘してはならない。

 化け物の相手は化け物に『なすりつける』ことが重要なのだ。

 そして両者が争い、疲弊した両者を後ろから刺して漁夫の利を得る。

 

 ただし漁夫の利が欲しいのは周辺にいるほぼ全ての魔物がそうだ。

 

 その中で利が得られると判断した魔物たちが殺到するので迂闊に近づくと漁夫の利狙いの魔物たちがさらに火種となって地獄の乱戦が開始される。

 

 行けるのか、行けないのか、いつ行くのか、その判断こそが生死を分けると言っても過言ではない。

 

 ただ逃げるだけなら別方向へ行けば良いだけだ。

 どうせ周辺の目はこれから始まる争いごとに集中するのだから。

 先ほどまでよりもさらに安全に奥へと行くことができる。

 

「どうする?」

 

 とはいえ先ほどあの蛇の目が欲しいと言っていたハイゼリーラには一応伺いを立ててみる。

 

「で、できるなら、欲しい、かな」

 

 まあ答えは決まっていたのだが。

 

「なら急ぐぞ」

 

 余計な乱入者がやってくる前に、行かなければならない。

 

 そう、考えて。

 

 

 ―――。

 

 ―――――――。

 

 ――――――――――――。

 

 

 ()()()()()()

 

 




読んでると「結局これ見えるの? 見えないの?」と思うかもしれないが、視界1~2メートルくらいまではなんとなく見える。
人間は夜の闇に眼が慣れればある程度は見える生き物なので、目の前に何かあれば輪郭くらいは見える。
そしてレベルが高いとちょっとくらいは人間離れできるので五感全部を使って視覚情報を補うことでなんとなく見える、くらいにはなる。


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十五話

 

 

 このエノテラの地に住んでいるならば、闇哭樹海の主が何者かなんてこと子供だって知っている。

 

 梟歌衰月『オーデグラウ』

 

 樹海に響く歌は死の旋律だ。

 聞く者全てを樹海の奥地へと導き、そして帰って来る者は居ない。

 とは言え滅多に聞こえるような物では無い。

 何せ『オーデグラウ』は樹海の各地を定期的に移動しており、常に同じ場所にいるわけではない上、基本的に森の奥地に住み着いており、浅いところに出てくることは稀と言っても過言ではない。

 はっきり言って、普通に森の周辺で過ごしているだけならば道端を歩いていて暴走馬車に跳ねられる確率よりその遭遇率は低い。

 

 故に油断していた、と言うわけではないが。

 

「……歌? こ、これって、もも、もしかして」

 

 それでも、だ。

 

「まさか……こんな浅域で、しかも初日からだと?!」

 

 とはいえだ、そんなことを言ってもしかたない。

 今まさに歌は響いてきているのだから。

 対処は手早く、呆然としていては手遅れになる。

 一歩、ハイゼリーラを守るように前に出る、と同時に。

 

 ―――不燃炎(ノットブレイズ)

 

 撒き散らすは燃えない物を燃やす矛盾の炎。

 その性質によって魔力を燃やすその半透明な白い炎は、旋律に乗せられて届けられる魔力を焼き尽くす。

 と、同時に。

 

 轟、と炎が激しく燃え上がる。

 

 当たり前だ、魔力を糧に燃え盛る炎なのだ。

 ここをどこだと思っている……大陸一魔力濃度の高い場所だ。

 故に炎は燃え盛る。

 激しく燃え盛り、音すら焼き尽くして歌声をかき消す。

 

 ―――実のところオーデグラウの歌が人の精神に干渉するのはそれがオーデグラウの『魔法』だからだ。

 

 魔法である以上、魔力という燃料がそこには必須となる。

 だからこそ、この歌は魔力を焼けばただの音でしか無くなる。

 

 とはいえだ。

 

 できるならばやりたくなかった手ではある。

 何せこれは半ば自爆のようなものだ。

 

「行くぞ」

「なな、何?!」

 

 動揺するハイゼリーラの体を抱えながら木々の間を飛び移っていく。

 跳躍の際にかなり揺れているのか、ハイゼリーラがあわあわとしているが、残念ながら優しくしてやれる余裕が無い。

 

 魔力が無ければ生きていけない『魔物』という存在は必然的に魔力を察知する力に長ける。

 

 そんな魔物だらけのこの樹海の中で『魔力喰いの炎』を放ったのだ。

 鳴り響く鐘楼よりも明確に、この場所の異変をアピールしているようなものだ。

 故に急がねばならない。急いで逃げださなければ『手遅れ』になってしまう。

 

 だが焦る気とは反対に、足場となる木の枝は暗くほとんど見えないためどうしても速度が落ちる。

 腕の中に抱えた少女の重みもまた気を使わざるを得ない。

 

 早く、速く、疾く!

 

 二つ、三つと木から木へと飛び移り、燃え盛る半透明の炎が遠くに見えるほどに小さくなった……その時。

 

 どん、と派手な音を立てながら炎が大きく揺らめいた。

 それが()()()()()()()()()何かの巨体であると理解する間も無く続けざまにざぁ、と木々を揺らし、樹木を揺らし、森を揺らして。

 

 

 ―――全長五メートルはありそうな巨大な梟が降り立ち、その翼の一薙ぎで炎を消し飛ばした。

 

 

「っ!!?」

「なっむぐ……!?」

 

 咄嗟に声が飛び出そうだったハイゼリーラの口を一早く封じ、木の葉の多い茂った木の内側へと隠れる。

 幸いにも濃度の高い森の魔力に浸蝕されながら太く頑丈に育った木々は大きく、少し場所を選べば人ひとりくらいならば枝葉ですっぽりと隠してしまえる。

 

 故に視覚的に気付かれることは無いだろう。

 

 そもそもこの森の中で視覚的に物を見える存在がいるのかどうかは知らないが。

 だがこれは困ったことになったと、歯噛みする。

 この樹海の主があの場所を陣取ったということは、他の魔物たちはこちらに来ないだろう。

 むしろ樹海の主に見つからないように逃げていくかもしれない。

 そういう意味では助かった、と言える。

 

 だが同時にすぐ近くに樹海の主が陣取った。

 

 それはある種の死刑宣告に近い。

 確かに危険性はあった。樹海に入ることを何故禁じられているのか……こうなる可能性があったからだ。

 こうなることを考慮はしていたし、そのための対策も考えてはいた。

 

 だがこんなにも早くに、ということだけが予想外だった。

 見間違い……であればどんなに良かっただろうか。

 だが俺はアレを見たことがある、かつて一度だけ見たことがある。

 たった一度、けれど鮮烈なほどに刻み付けられたその印象は決して色褪せることは無く、だからこそ見間違いなどであるはずが無かった。

 

 オーデグラウが出没するのは基本的に樹海の奥だ。

 樹海に入って半日足らずのこんな浅い場所で出会うなど滅多にないことなのだ。

 何故よりにもよってこんな時に、そう思わざるを得ないが、今はとにかく息を殺して見つからないことを願うばかりだった。

 

 くるっ……くるっ……

 

 炎がかき消されたせいで樹海は再びの暗黒に包まれている。

 視界が完全に閉ざされてしまった状態で、聞こえてくるのはオーデグラウの物であろう鳴き声。

 その声だけがまだそこにオーデグラウが居ることを示している。

 

 故にその声が止むと、森がシンと静まり返る。

 

 静寂、音一つ無いそれは生命の気配が感じられないほど。

 少しずつ、少しずつ、神経が研ぎ澄まされていくのを自覚する。

 ほんの僅かな衣擦れの音、爆ぜる自らの心臓の鼓動ですらうるさく感じてしまうほどに聴覚が鋭敏になり、どんな些細な音すらも聞き逃さないとばかりに意識を尖らせていく。

 

 そうして。

 

 どん、と何かを叩くような……そんな音が響いて。

 

 それが何の音か思考を巡らせて。

 

 直後。

 

 がさぁ、と木の葉を揺らして。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「きづっ……」

 

 そうして驚愕の一瞬。こちらが反応するよりも早く。

 

 ―――ォォォォォォォ

 

 目の前で『歌』が弾ける。

 

 先ほどまでの遠くから聞こえたそれとはまるで()()の違う音の暴力に一瞬にして脳が揺らされ。

 

 

 ―――視界が暗転した。

 

 

 * * *

 

 

 ごぽっ、ごぽっ、と沸騰したかのように泡立つビーカーの中身に数滴ほど試験管から試験薬を落としてやれば途端にぼふん、と煙を立ててビーカーを揺らす。

 しばらくもうもうと煙が昇っていたが、やがてそれが収まると残っていたのは先ほどまでの液状の中身とは一転した固形化した黒い塊だった。

 

 恐らく作っている当人以外にはこれを見て、一体何なのか分かる存在は居ないのだろうと思われる濁った黒色の不可思議な物体に、さらに別のビーカーに入った赤い液体と、別の試験官の中身の黄色い液体を加えてガラス製の棒でかき混ぜていく。

 途端に黒かった固形物が液の中に溶けて行き、赤と黄色でオレンジ色に染まっていたはずの液体が何故か白く染まっていく。

 

 そうして出来上がった液体にさらにチューブを差し込み、チューブを繋いだ先の両手で抱えるほどの大きさの機器に取り付けられたダイヤルを回すとごぼごぼとチューブから気体が吐き出されていく。

 気体がごぼごぼと泡立ち、白い液体に溶けていくごとに液体がまたその色を青へと変化させていくのを確認しながらゆっくりとかき混ぜる。そうしてすっかり淡い青へと染まってしまった液体を見つめ、チューブを外すとビーカーを持ってさらに移動。

 

 金属製の受け皿の上にビーカーを置くと、胸元のポケットから無地のメモ帳を一冊取り出し、『燃焼』と書かれたページを一枚破ってビーカーの下に敷く。

 

 ―――『貯造庫(ストレージ)』/『燃焼(バーン)

 

 ぽつり、と呟かれた言葉に反応するかのように、破られたメモ帳のページが突如猛々しく燃え始める。

 燃え盛る炎がビーカーを包み……同時にビーカーの中身の液体が薄っすらを光を放つ。

 見る間に炎がビーカーへ、正確に言えばその中身の青い液体へと吸い取られるかのように消えていき。

 

「うむ、上出来だね」

 

 再び固体化し、青い宝石と化したソレを手に取りながら少女は再度メモ帳を取り出し、何も書かれていない空白のページを開くと。

 

「これも貯蔵(ストック)しておこう、ラベリングはまあA分類で良いだろう」

 

 ぽとり、とメモ帳の上に宝石を落とす。

 落下した宝石はそのままメモ帳の上で跳ねる……ことは無く、どういう原理かそのまま空白のページの中に吸い込まれていった。

 そうして空白だったメモ帳のページに宝石のような絵と共に『試験作Aー32』という文字が表示される。

 

 そうして作業が一段落するとちらり、と部屋の窓から外を見やる。

 

「……ふむ?」

 

 いつも通りの真っ黒な景色。

 そこには何ら常との違いなんて無くて、だというのにどうしてだろうか、そこに何かあるような気がするのは。

 なんとなしに木製の扉を開けば広がるのは黒闇の景色。

 室内から洩れた光が僅かに照らしはしているが、とてもでは無いがそれだけで晴れるような濃度の低い闇ではない。

 何せこの場所では深まり過ぎた闇が魔力と結合し、質量を持っている。言わば黒一色に染まった霧のようなものだ。少々光を照らしたところで見通せるのは目の前くらいだ。

 

「『夜』は十全に機能している、か。ならこれはどういうことだろうね」

 

 こうして室外に出てみれば、そこに異常が無いことは分かった。

 だが同時に違和感の正体にも気づく。

 僅か……そうほんの僅か、気のせいとも言えるレベルの微量さで空間内に満ちた『魔力』が震えている。

 

 まるで遠くで起きた地震の余波で震えるかのように。

 

 まるで海を裂いて飛来した何かの余波で遠く離れた波打ち際で揺れを感じるかのように。

 

 遠く、遠くで何かあった。

 それだけならばいつも通りのことだろうが……。

 この魔力の揺れは気になる。

 

「この闇を震わせるほどの揺れ……となると」

 

 先ほども言ったがこの空間において、闇は魔力と結びついて『質量』を持つ。

 その濃度を考えれば多少の『余波』程度が伝わってくること自体がおかしいのだ。

 

 何せここは『闇哭樹海』……その深層なのだから。

 

「いや……むしろそういうことなのかな?」

 

 逆に言えばここは深層なのだから、ここにまで届くような『余波』を生み出せる存在というのは限られてくる。

 そしてその筆頭のような存在につい先日出会ったばかりだからこそすぐに気付くことができた。

 

「ふむ『彼女』が何かやっているのかな?」

 

 寧ろここに来ようとしているのかもしれない。

 先ほどから少しずつ増している空間の震えがその証左となり得た。

 だとするならばその要件は何だろう。

 

「もしや封が破られたか? いや、それならもっと異常があってしかるべきだろうしそれは無いか……となると」

 

 考えてみたが、どう考えても先日の一件だろうと当たりをつける。

 

「もしやもう来たのかい? 一年内に来れば良いほうだろうと思っていたんだがね。これは運が良いのか悪いのか」

 

 少女にとっては間違いなく運が良いことだろう。

 何せ最悪数年は待たされると思っていた要件なのだ。それがたった数日の間で為されたというのならば間違いなく運が良い。

 

 ただし相手にとっては最悪かもしれない。

 

 この樹海の内において、そのヒエラルキーの頂点に立つ存在に樹海に入って早々に追い掛け回されることになったのだから。

 ご愁傷様と言ってやりたいところではあるが、まあ相手にとっても良い経験になっただろう、と勝手に考えて勝手に納得する。

 

 とは言えこれから来るモノが少女の想像通りならばいくらか準備が必要だろう。

 

 何せ最低でも数か月はかかると思っていたせいでまだろくな準備も終わっていないのだ。

 最低でも一週間程度の時間はかかるし、その間この『部屋』に泊めておくわけにもいかない。

 この樹海にいると時間感覚が確実に狂うため少女にとっては一週間など瞬く間に過ぎる程度のものでしかないかもしれないが、他人にとってはきっとそうではない。

 

「やれやれ……久方の客だ。相手が相手だからまあそこまで張り切る必要も無いだろうがね」

 

 呟きながら少女が『室内』に戻ろうと扉に手をかけた、瞬間。

 

 ―――くるぅぅぅ

 

 すぅ、と音も無く飛来した巨大な梟が片足で着地し、少女の真横でぴたりと止まる。

 そうして少女を見やり、首を回しながらその顔をじっと見つめ。

 ひょい、ともう片方の足に掴んでいたものを地面に置く。

 

「おやおや、本当に早かったね。ありがとう……『ネル』」

 

 『ネル』と呼ばれた巨大な梟が鳴き声を上げ、再び飛び去って行く。

 そうして後に残されたのは少女と……。

 

「さてさてそれじゃあ……っと……?」

 

 梟が置いて行ったソレを見つめ、少女が目を丸くする。

 一人は少女の予想通りの少年。

 そうそれは良いのだ、そこまでは良い。

 何せ梟に少年をここに連れてくるように頼んだのは紛れも無い少女なのだから。

 

 だから問題はそこに『もう一人』いること。

 

 そしてそのもう一人が。

 

「この子は……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 否だ。

 

 正確に言えばその姿に余り見覚えは無い。

 何せ見たのは二十年近くも前の話。

 しかも生まれたばかりの赤子の時だ。

 だから少女は目の前の少女の姿を知らない。

 

 知っているのはその内に秘めた物。

 

 間違えるはずも無い。

 

 何せ。

 

 目の前で気絶した少女(ハイゼリーラ)をそういう風に()()()のは紛れも無い少女自身なのだから。

 

 

 




梟さんが二章ボスだと思った???

実はこの子味方なんだよね(
正確に言えば『少女』の味方であって別にルー君の味方ではないんだが。

そして実を言うと『オーデグラウ』というのは種族名であって個体名では無いんだよ。まあ個体名つけられた災害種なんて他にほとんどいないからあんま意味のある情報では無いけど。



【概要】

名 前:オーデグラウ/ネル■■
種 族:魔物
レベル:250
魔法名:『月歌』『梟月歌』『梟歌衰月』
全 長:5メートル
総重量:670kg
危険度:A
(伝説級。基本的に単体の性能が人類の敵うレベルじゃない上に数で叩こうにも音を聴くだけでアウトという性質上、人がどうこうできるレベルの存在じゃない)
脅威度:C
(基本的に樹海から出てこない上に滅多に出会うことは無い出会うこと自体が『事故』のような存在だが、その危険度故に脅威度は高くなっている)


【行動】

移動:木々の上から翼を広げての無音移動。羽ばたきの音が一切しない。この特徴のせいで着地の音以外で気づかれ辛い。

月歌:第一階梯魔法。声に魔力を乗せることで声を聴いた対象を半洗脳状態に陥らせる。要するに頭がぼーとして何も考えられない状態になる。

梟月歌:第二階梯魔法。声に魔力を乗せることで『音の出ない声』を生み出す。『月歌』によって対象を半洗脳状態にした後、この魔法で指示を出すことで半洗脳状態の対象に対して指向性を与える。

梟歌衰月:第三階梯魔法。なんかすごいことになるらしい。


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十六話

 

 

 ゆっくりと覚醒していく意識の中、薄っすらと目を開く。

 ぼんやりとした視界が段々と焦点があって明瞭な物へと変わっていき、見えてきたのは見知らぬ木製の天井。

 

「―――だいたいこの程度であっさりとだね……」

「―――いやいや、無茶言ってくれるなよ、あんなの人間にどうにかなる代物じゃ……」

 

 どこからか聞こえてくる会話に視線を向ければ、古びた木造の扉が僅かに開いていた。

 ここがどこなのか、ぼんやりとした頭で周囲を見渡しながらゆっくり体を起こすと上からかけられていたブランケットが滑り床に落ちた。

 未だに呆とした頭をふらふらと揺らしながらゆっくり、ゆっくり扉へと近づいて。

 

「つうか結局何で俺たちはここにいるのかが分からないんだが」

「ああ、それに関しては手間を省いてくれてありがとうと言っておくよ」

「何についてだよ、もうちょっと会話してくれよ()()

 

 ぎぃ、と古びた扉が軋みを上げながら開く。

 軋みを上げた音が嫌に良く響いた。すぐに二人がこちらに気づいて。

 

「良かった……気づいたか。どこか痛いところか、体調の悪いとことかあるか?」

「え、えっと。いや……ない、です」

 

 その片方、少年(ミカゲ)が安堵したように息を吐いて笑みを浮かべた。

 そのままこちらへやってきて、無造作に自身の額に手を当てる。

 他人に……それも異性に触れられるという状況に頭が沸騰しそうになるが、純粋に心配してくれているのは分かるので明確に拒絶も出せないまま硬直していると。

 

「馬鹿弟子、女性にそんな風に無造作に触れるものじゃない。デリカシーという言葉を覚えたまえ」

 

 そんな少年の後頭部を叩く一人の少女の姿……。

 

「えっ」

 

 その姿を見た瞬間、驚愕の余り目を見開く。

 思わず声が漏れだし……次が出てこない。

 だってそうだろう。外見だけ見れば十五にも満たない、下手すれば自身と同じくらいの年頃の少女に見える。

 だぼだぼのローブに学者帽を被った橙色の髪の少女は一見すればとてもでは無いがそんな風に見えないだろう。

 

 だがそれでも、()()()()()()には分かる。

 

 だってハイデリーラは直接彼女を見たことがある。

 

 たった一度だけ、ハイデリーラの()()()()()()の中に彼女の姿は焼き付いていた。

 

 

 

「―――母さん?」

 

 

 ぽつり、と呟いたその一言に少女がにぃ、と笑みを浮かべ。

 

「やあ、やはり生き残ったね、さすが私の娘だ」

 

 企みが成功したと言わんばかりに喜色のあらわにし、確かにそう告げた。

 

 

 * * *

 

 

 ()()()()()()

 

 それが目の前の少女の姿をした彼女の名前らしい。

 そしてそんな彼女の娘こそがハイデリーラという名前の少女らしい。

 

「なんでそんなややこしいことに……」

「か、母さんの名前を表に出せば……母さんが見つけてくれるかもしれない、って。思った、から」

 

 もしくはその名を知る者が少女(ハイデリーラ)の前に現れるかもしれないと思ったから。

 そもそも何故彼女(ハイゼリーラ)自らの娘(ハイデリーラ)を……生まれたばかりの赤子をよりにもよってキルサンタスに置いていくような真似をするのだろう。

 

 墟廃の街キルタンサス。

 

 このイアーズ大陸で最も治安の悪い街である。

 否、正確に言えばすでにあの場所は『街』として認識されていない。

 あそこにあるのは『街だった』だけのただの廃墟であり、そこに住まう者たちは正確には『不法滞在者』であって『住人』ではないのだ。

 

 大戦を通して生まれた人類の掃き溜め、吹き溜まり、負の遺産。

 

 何故あれがまだ残されているのか色々理由はあるのだが、それは別の話として少なくとも子供……しかも生まれたばかりの赤子を置いていくなどほとんど見殺しにするようなものだ。

 

「良く生きてたな」

 

 過去一度だけあの廃墟に行ったことがあるが、その時のことを思えば正気の行動とは思えないし、そこで生き残ったことも嘘みたいな話だった。

 何せ街に一歩でも足を踏み入れれば……どころか踏み入れる前ですでに三度襲撃を受けた。

 街に足を踏み入れてからは十歩歩くたびに誰がしか襲い掛かって来る始末だ。

 大よそ考え得る限りの最悪を具現したかのような場所ではあったが、それでもその墟廃の街の深く深く奥底には文字通り『深淵』のような連中が居るから始末が悪い。

 目的を果たして治安という言葉の存在する領域に戻って来るまでに受けた襲撃は都合百を超えるし、その分だけ『殺し』もやった。

 

 正直言ってあそこの住人を俺は『人』だとは思わない。

 

 正気どころか理性すら喪失し、本能のままに『人の肉』を食らおうと襲いかかってくる連中を『人間』であると認めることは俺の理性が削れてしまいそうだ。

 あんな場所で生まれたばかりの赤子が十年生き延びたというのはどうにも信じがたい話ではあるが、けれど事実なのだろう。

 まあ多少同情はあれど、だからどうという話でも無いのだが。

 

「……良いの?」

 

 少しばかり驚いたようにハイゼ……ハイデリーラが俺を見るが、何が悪いのだろう。

 あの街に居たというだけで社会において致命的なまでのレッテルが貼られてしまうのは事実ではあるが、それはあの街の住人がどいつもこいつも正気を失くしたような連中だからだ。

 このイアーズ大陸における犯罪行為……その中でも国家機構が調査に乗り出すほどの大規模犯罪の半数以上がキルサンタスの住人によって引き起こされているものであるという事実を知れば誰だってあの街の『住人』という一括りで見てしまうのは仕方のないことだと思う。

 

 だがハイデリーラという少女は顔も性格も知らない誰かではないのだ。

 

 少なくとも出会って一週間近くはあったし、錬金術師という社会的信用もあり、何よりこの森に入って来てからずっと一緒だった。

 その間にハイデリーラが見せた言動は俺がハイデリーラという少女を信用するに十分な物であると言えた。

 

「うん……そっか。えっと、えっと、その……えへへ、あ、ありがとうございます」

 

 そうして少女はどことなく言葉に困ったように何度も同じ言葉を繰り返しながら、最後は笑って誤魔化しながらそれでも感謝を告げた。

 

 

 * * *

 

 

 ハイゼリーラ。

 

 それが目の前の少女の姿をした彼女の名前らしい。

 それが俺の()()の本当の名らしい。

 

「さ、さっきから気になってた、けど……し、師匠って、何?」

 

 ハイデリーラに問われ、少しだけ考える。

 俺は彼女(ハイゼリーラ)を師匠と呼ぶが、それが何のと問われると中々に難しい。

 何せ俺が師匠から教わったことは余りにも多い。

 

 だがまあその中で一番を言うならば。

 

「魔法……かな」

「そうだね、馬鹿弟子に仕込んだ物は多岐に渡るが……まあその中で一番を言うならば魔法だろうさ」

「そ……そうなん、だ」

 

 まあ敢えて選ぶなら、という言葉をつけるがね。

 と口元に弧を描きながら告げる師匠に、ハイデリーラが納得したようなしていないような微妙な表情で応えた。

 実際問題、師匠と出会えなかったら今の俺は無かったと言えるほどに目の前の少女の姿をした彼女から受けた影響は大きい。師匠と出会わなければ全く別の人生を歩んでいたかもしれないと思えるほどに。

 

 師匠と出会ったのは数年ほど前のこと。

 

 そう、ちょうど。

 

 トワの両親が亡くなった時の話で。

 

 ()()()()()()()()()その少し前の話。

 

 その頃の俺はまだただの『ミカゲ・オルランド』だった。

 

 『ルー』の名は俺の父の物で、オルランドの当主は父である『ラディスラウス・ルー・オルランド』だった。

 

 父ラディスラウス……親しい人間からラディと呼ばれていた男はトワの両親、特に父親とは親しい友人だった。

 俺とトワが生まれた頃から一緒で、幼馴染で親友で、今となっては家族同然で居られるのもそうした二人の関係性が一因となっている。

 

 だからこそ、俺には分らなかった。

 否、理解はできても、したくなかった。

 

 トワの両親が亡くなった時、たった一人残されたトワがそれを継いだ時。

 

 俺はトワを助けたかった。何よりも大切な親友を、幼馴染を、助けたかった。

 けれど父は線引きをした。『オルランド』と『オクレール』の関係を、その平等性を守るために安易な手助けを良しとしなかった。

 

 結果的に『ルー・オルランド』の意こそが『オルランド』の総意となった。

 

 俺はそれに従えなかった。従うことを良しとしなかった。けれど俺では父に届かなかった。届かないことを知っていた。

 だから強さが欲しかった。求めて、そのために『命』を対価に置いた。

 

 『闇哭樹海』。

 

 このエノテラ領において……否、イアーズ大陸において禁忌とされる領域に足を踏み入れた。

 当然ながら死にかけた。当たり前のように、至極当然の結末として俺は死にかけた。

 

 そうして。

 

 偶然にも浅層にやってきた師匠と出会った。

 

 

 * * *

 

 

「さておき、だ」

 

 森に入ってからの急展開で流されてしまっているのも事実だが、それでもこうして会話をしていれば少しずつ整理もついてくる。

 全員が冷静になってきたタイミングで師匠……ハイゼリーラが話を切り出した。

 

「馬鹿弟子、キミに来てもらったのは本来キミにそこの私の娘を探し出してここまで連れてきてもらうためだったんだが、何の偶然かこうしてハイデリーラも一緒についてきたのは好都合だ。実を言うとハイデリーラにやってもらいたいことがあってね」

「ぼ、ボク……に?」

 

 まさか自分が名指しされるとは思わなかったのかびくり、と体を震わせながらおどおどとした態度で師匠へと視線を送る。

 

「あの墟廃の街の地下にあった私の研究室は見つけたかい? 錬金術は学べたかい?」

「え……あ、う、うん。見つけた、よ。母さん」

 

 母さん、と呼ばれる師匠の表情は柔らかい。

 正直本当に親子なのかというのも疑わしければ、先程まで何考えてんだろうと正気すら疑うような言動をしていたが子を思う気持ちというものはあるのかもしれない……いや、やっぱあったら生まれたばかりの赤子を置き去りにするような真似しないと思うのだが。

 

「良し、良し良いぞ。可能性は低いとは思っていたがそれでも錬金術師になっていない可能性もあったからね。これで一つ問題はクリアされた……なら次はその腕前を見せてもらおうか」

 

 胸ポケットから一冊のメモ帳を取り出し、ぱらぱらとページを捲ってその中から一枚を破る。

 部屋の壁へと向かって歩き、壁に破ったページをぺたりと貼りつけて……。

 

 『貯蔵庫(ストレージ)開転錠(アンチロック)

 

 貼りつけたページが一瞬光ったと思った直後にそこに『扉』が出来ていた。

 ドアノブに手をかけ、開けば奥に見えたのは並ぶ棚の数々。

 そしてそこに置かれているのは一体何に使うのか良く分からない品の数々で。

 

「えっ……えっ、えっ?!」

 

 何だこれ、と思う俺の横でそれを見て目を白黒させているハイデリーラ。

 一体どうしたと思って見ていれば……。

 

「―――ネキレウスの角? 嘘、だってあれってもう現存しないはずじゃ。それにあっちはモルガニの触手。一角一眼の剛毛に白杭鮫の歯と鱗。それにあれってまさか神の雫じゃ……」

 

 どうやら何かの素材らしい。遠目で見ただけでそれが分かるのか、呟くごとに少しずつその声音が高くなっていく。段々と興奮したかのような口調で声も大きくなっていき。

 

「あ、あの、あのあの、か、母さんこれって」

「私の研究素材を集めた倉庫だよ……まあそこは問題じゃないさ。この先は研究室になっている。そこでちょっと作ってもらうからおいで」

 

 言われて師匠のほうへと向かうハイデリーラだったが、視線は完全にその奥の棚へと固定されていた。

 まさに心ここにあらずと言った様子だったが、それでも扉の中へと入り。

 

「馬鹿弟子、キミにも後でやってもらうことがあるから、その辺で適当に寛いで待っていてくれ」

「了解」

 

 そう告げて師匠を扉を閉める、と今の今まで扉があった場所が壁へと戻る。

 思わず近づいて壁に触れるが……ただの木製の壁だ。何の変哲も無い。

 それに軽く叩いてみるが軽い音が返ってくるだけだった。

 しかも少し横には窓がついている。覗いてみれば真っ暗闇で見えないが外へと繋がっているようで。

 

「空間接合? それとも転移? 何にしてもとんでもないな」

 

 師匠には色々と教えてもらったし、それなりに長い付き合いではあったが、まだまだ知らないことばかりだと改めて思う。

 

「しかしやっぱ知ってて来てたんだな、ハイデリーラ」

 

 先週、初めてハイゼリーラと名乗った小柄の少女とハイデリーラと名乗った長身の女に出会った時。

 帰り際に言われた台詞から薄々そうなんじゃないかとは思っていたのだ。

 

 ―――貴方、あの樹海で『誰か』に出会ったことはあるかしら?

 

 あの台詞は樹海の奥に『誰か』居ることを知っていなければ出てこない台詞だろう。

 

 ―――俺の知る限り、俺たち以外であの樹海に立ち入って帰ってきたやつなんていねえよ。

 

 咄嗟に返した言葉に嘘は無い。

 少なくとも俺や義姉以外でこの樹海に入って戻ってきたやつは知らない。

 師匠は俺が樹海に入るよりも以前からこの森に『居た』し、森から『出て』くることは無いのであの時の言葉には決して嘘は無いのだ。誤魔化しはあったことは認めるが。

 

 ただ予想外の問いかけからの咄嗟の言葉だったので、返答に違和感を持たれても仕方ないだろう。

 普通に考えれば騙されるかもしれないが、樹海の奥に『誰か』いることを前提に考えればどうやっても違和感はある返答だ。

 

 師匠のことを隠したのは別に師匠がそう言ったからではない。

 

 そもそも師匠は別に他人との関わりを排除しているわけじゃない。

 実際偶然出会っただけの俺だって助けてもらったし、多くのことを教えてもらった。

 師匠と呼ぶのは彼女が俺を馬鹿弟子と呼ぶからだけではない。

 

 『森の魔女』と『オルランド』に語られた彼女のことに敬意を表しているからだ。

 

 だからただそれだけならば師匠のことを隠す必要なんて無い。

 

 ただたった一つ。

 

 

 彼女が最早存在しないと思われた『魔族』であるという事実だけがひたすらに致命的なのだ。

 

 




というわけでお師匠様正式に登場。
次回は多分設定大公開回だ。

災害種って何だよ、というあたりの設定がいっぱい出てくるよ。


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十七話

 

 錬金術とは究極的に言えば『物質に宿った魔力』を加工する技法だ。

 生物の内の魔力と大気中の魔力を合わせて理を為す『魔法』との違いはそこにあると言える。

 

 そのための素材には一般的には大量の魔力が含まれているダンジョンから出土した物質が良いと思われている。否、それは正しいのだ、実際現状の錬金術師たちの大半がそうやってダンジョン産の物質を加工して魔導具を作っているのだからそれが最も一般的なのは事実だ。

 

 だが定義的に言えば『魔力』さえ宿っているならばダンジョン産の物質である必要は無い。

 

 例えば魔物の体の一部などでも良いのだ。

 

 かつてハイデリーラが自らの使い魔『リーラ』を生み出した時のように。

 

 あれだってここ『闇哭樹海』に住まう魔物の肉塊だった。

 そこに含まれた魔力の量はこの地上で最も濃いとも言える。

 だったら魔物の部位素材というのは一般的じゃないのか、と言われれば是と答える他無い。

 

 その最たる理由として現状、この地上において現れる魔物は『魔力濃度』の低い地に住み着いている。

 魔力によって体細胞が変異している以上確かにそれらは魔物と呼べる存在ではあったが、けれど通常の生物からそれほど大きく逸脱しているわけではない。

 

 例えば通常ではあり得ない頭部から角が突き出た兎、目が一つになっている蛇、足が六本ある馬など確かに普通に考えればそんな生物は居ない。

 だが居ない生物だからと言ってそれが通常の種と大きく違うか、と言われると別にそうでも無いのだ。

 角が突き出ていようと兎は兎、草食で小柄で臆病で、基本的に『捕食』される側。

 蛇だって目が一つで視界が狭くなっているが、根本的に熱で感知する器官で獲物を感知するため通常の種と何か変わりがあるかと言われるとそれほど、としか言い様が無い。

 馬だって六本も足があるから何が違うと言われても、多少脚が早い、それくらいの物である。

 

 極論を言えばそれは魔力によって多少の逸脱はあっても物理的存在の範囲内なのだ。

 もしかしたら将来的にその生物が進化、或いは異様な変異を起こしてそうなるかもしれない、くらいの存在。

 それを魔力を得ることで強制的に引き起こされてしまっただけの通常の生物の範囲。

 それはただの物理範囲の物質であって、魔法範囲の物質とはなり得ない。

 それで錬金術の素材にはなり得ないのだ。

 

 例えばハイデリーラがいつかの日見つけたミカゲが入手し、売ったという肉塊。

 黒ずみ滲んだ血でぬらぬらと光るその肉塊は商人が入手してから一週間以上の時間を間に挟んでも腐ることも乾く無く、ハイデリーラが魔力を与えることで活性化し『脈打ち』始めた。

 最早肉塊の本体だったはずの魔物が死に絶え、肉の一部を切り取り、一週間以上の時間が経ってもその肉塊は『生きていた』のだ。

 通常ならばあり得ない。死んだ生物の肉は時間と共に腐り、腐臭を放つのが当然。

 だがその通常ならばあり得ないことを引き起こすのが魔力であり、その魔力を多量に含んだ物質こそが錬金術にとって最高の材料なのだ。

 

 だから今現在この地上でその例外となり得るのは『闇哭樹海』内の存在くらいだろう。

 この地上において、ダンジョンを除いてそこまで魔力の濃い場所と言うとそこしかないから。

 だが過去の歴史を紐解けば全く無かった、というわけではないのだ。

 

 少し話は変わるが魔物というのは基本的に同じ個体が存在しない。

 同じ種の動植物が同じように魔力を宿したとしても何故かそこには個人差のような変異の差が生まれる。

 故に魔物には名前というものが存在しない。

 魔物は一括して魔物であって、それを種族別に分類しようとしても『分類不可』だらけになってしまうのが精々だ。

 

 例えば森の中で見た巨大な一つ目の蛇。

 ミカゲ曰くの『この森の一般生物』だったが、あれはまさにそうなのだ。

 あそこまで強力な魔物が生まれるのはこの闇哭樹海ならではと言えるが逆に言えばもっと小規模な変異や小型の魔物ならば世界中で発生しては人目の無いところで自然に淘汰され消えていく。

 故に魔物というのは分類できるような存在ではないし、分類しても次の日まで生きているかも不明、つまり分類する意味も無いのだ。

 

 だが。

 

 それでも。

 

 名前付き(ネームド)と呼ばれる魔物が存在する。

 

 余りにも特異な変異を起こしたり、大規模な変異によって()()()()()()()()()()なったりと理由は様々だが魔物という通常の生物から逸脱した例外存在をしてさらに別格とされるような怪物たち、人が『共通認識』するほどにその存在感を得た化け物たちだ。

 

 一番分かりやすいのは『災害種』だろう。

 

 あれだって分類するならば『魔物』なのだ。

 だがアレらをただの魔物と分類するには余りにも例外的過ぎて結果的に『災害種』という一つの枠ができてしまうほどの強烈で。

 あそこまで強烈でないにしてもやはりただの魔物、と定義するには逸脱し過ぎた存在というのはいて。

 

 封の森の王『ネキレウス』はかつてメイ王国の北西に位置する封の森と現地の人間に呼ばれる森に住まう魔物だった。

 見た目は体長60cmほどの黒い毛皮の子ヤギで、その後頭部には二本のジグザグな形をした角が生えている。

 だがその見た目に騙されてはならない、その小柄な見た目に騙された生物は一人の例外無くこの怪物に『取り込まれて』いったのだから。

 その最大の特徴は『圧縮』だ。ありとあらゆるものを『圧縮』し、喰らってしまう。

 小柄なその見た目は自らを『圧縮』した結果であり、か弱そうなその外見とは裏腹に重量は三十トンを優に超え、その物理的にあり得ないような密度の体組織はどんな名剣すらも弾き、魔剣の一撃にすら耐えうる堅牢無比な鎧である。

 自らの住処たる封の森を『喰らい』、森一つの質量を持つ動く災厄となりかけていたところを当時のメイ王国の兵士と冒険者が一丸となって戦い、これを撃ち果たした。

 その死亡時には圧縮され続けた『森一つ分』の体組織が一気に弾け、甚大な被害をもらたしたらしいが……まあこれは余談だろう。

 

 ネキレウスの死骸は解体され、幾つもの部位に分けられたが、どの部位も非常に強大な魔力が宿っており、錬金術の最高の素材になるのは間違い無い。

 特にその角はネキレウスの『圧縮』の能力を司っていたと言われ、その角の一片でも組み込んだ魔導具は凄まじい性能を持つ……とのことだ。

 ハイデリーラ自身見るのは初めてだがこのジグザグとした形の角、そして何よりそこに内包された絶大な魔力が尋常な代物ではないと物語っていた。

 

 これだけでもあり得ないような代物だが、その他にもかつて死者の泉に生息した化け物植物『モルガニ』の触手や『ゴルダバ山脈』の麓に広がる草原を征していたとされる魔獣一角一眼の剛毛、茫漠と広がる砂漠地帯『ネルの大砂漠』を泳いでいたとされる砂鮫の長『白杭鮫』の刃歯と刃鱗など過去に存在したとされる『名前付き』の素材がこの場所には多く保管されていた。

 

 どれもこれも錬金術師からすると垂涎物の一品ばかりであり、錬金術師の元締めたる『国』からすれば国宝と呼べるレベルの代物ばかりどうやって集めたのかかなり謎はあったが、それはさておき。

 

「これ……って。なんだか偏って、ない?」

「ほう、分かるかい?」

 

 並べられた素材を見て浮かんだその違和感を呟けば、母さんが笑みを浮かべる。

 錬金術とは『物質に宿った魔力を加工する技術』ではあるが、物質に宿った魔力に秘められた『要素』ごとに加工後の『結果』は変化する。

 そして複数の素材からなる複数の要素を組み合わせ、全く新しい結果を導き出すのが錬金術師の腕前というもので。

 

 『ネキレウスの角』は『圧縮』の要素を秘めた魔力を持つ。

 『モルガニの触手』は『封縛』で、『一角一眼の剛毛』は『遮断』、『白杭鮫の歯』は『削減』で『鱗』は『減衰』。

 そして『神の雫』は『充填』や『充満』。

 

 要素とは『性質』と言い換えても良い。

 これらを組み合わせて出来上がる物にはとある方向性が見えてくる。

 

「これって……何かを封じるための道具?」

 

 これら全てを組み合わせ出てくる答えなど必然的に限られてくる。

 その中でも一番『それらしい』答えを返せば……母さんが笑った。

 

「ふふ、さすがは私の娘だよ。そうさ、これは封印のための物」

 

 告げてその視線を部屋の入口……その向こう側を見据えるように移し。

 

「この樹海の最奥に『封じられたモノ』の封印を更新するためのものさ」

「樹海の奥に……?」

 

 寡聞にして聞いたことの無い話だった。

 否そもそもこの『闇哭樹海』に関する資料というものが余りにも少なすぎて世間一般で知られている以上のことなどそれこそこの樹海に住んでいる母さん以外誰も知らないのではないか、という予想すらあるのだが。

 

「必滅の黒竜。破壊の権化。荒れ狂う暴威。かつて色々と言われていたけれど……まあシンプルにこう呼んだほうが良いかもしれない」

 

 ―――死ヲ刻ムモノ。

 

 ―――(ナラ)ビ立ツ者無シ。

 

 即ち。

 

 

 刻死無双(デッドライン)

 

 

 最強最悪の大災害だ。

 

 

 * * *

 

 

 災害種の最大の特徴はその『被害規模』にある。

 

 気まぐれに都市一つ丸ごと喰らい尽くす『集虫砲禍』。

 街一つを一夜にして()()で満たす『天蓋粉毒』。

 各地を転々とし自然の中にに根を張り土地を枯らし尽くす『亀樹廻界』。

 頻繁に村々に現れては大勢の人々を襲い、喰らう『威飢幼鷹』。

 大陸の中央の広大な樹林を住処とし、人類の生存圏を大きく削る『梟歌衰月』。

 海の全てに根を伸ばし、人類を大陸へと封じ込めた『餌生蛸沈』。

 

 正確に言えばオーデグラウに関しては仲間外れとしか言い様が無いのだが、人類の災害種の定義は余りにも曖昧であるが故にこの中に名を連ねてしまっているというべきか。

 人類は山といる魔物の中でも別格の存在を『名前付き』として定義した。

 だがその名前付きたちの中でもさらに別格。

 

 文字通り『災害』としか言い様の無いような存在をして『災害種』と定義した。

 

 では『刻死無双』とは一体どんな『災害』なのか。

 少なくとも今現在人類でその名こそ一部で知られていても具体的な情報は一切無い。

 それは遥か昔に失われてしまったはずの情報だから。

 

 だからそう、それを知っているのは。

 

 まだこの大災害が暴れ回っていた頃を知る存在だけだった。

 

 

 

 ―――当時、それは地竜の一種だと言われていた。

 

 少なくともソレに翼は無い。翼竜種(ワイバーン)のような翼も無ければ、真龍種(ドラゴン)のような羽翼も無い。

 少なくともソレに飛ぶための機能は無かったし、蛇竜種(ワーム)というよりは蜥蜴種(リザード)系列の体躯だった。とは言え蜥蜴種というには余りにも四肢が発達していたし、ならば地竜種系列の存在だろうと思われていた。

 事実、ソレには特異な能力というのはほとんどない。

 ただひたすらに頑丈で、ただすたすらに強靭で、ただひたすらに強大だった。

 

 ただどうしようも無いほどに強く、強く、強すぎた。

 

 災害種という時点でどれもこれも規格外過ぎてどんな尺度で測っても測り切れる物では無いだろうが、それでも、だ。

 災害種同士が争えばまず間違いなく、確実に、絶対に、勝つだろう、生き残るだろう存在はソレだった。

 

 寧ろ災害種と言う言葉がソレを指し示すためだけに生まれたと言っても過言ではない。

 

 かつて人類は……イアーズ帝国という統一国家の元に纏まっていた。

 大陸に荒れ狂う災害種と言う名の脅威を前に、団結せざるを得なかったのだ。

 否、正確に言えばソレ以外の災害種に関しては当時のイアーズ帝国ならば討伐……は無理としても撃退くらいならやり様があった。そのくらい人類に力があった、歴史上における人類の最盛期だったのだ。

 

 だがソレだけはどうやっても無理だった。

 

 どうやっても討ち果たすどころか、撃退することすら敵わずソレは地上で暴れ狂った。

 

 刻死無双。

 

 その名の由来はシンプルだ。

 

 世に双つと無く、死を刻む存在。

 

 死を告げる者、必滅の黒竜、破壊の権化、双つと無き死、荒れ狂う暴威、死の神、世界最強、絶対無敵。

 

 文字通り。

 

 世界を滅ぼす存在だった。

 世界を滅ぼせるだけの力を持った竜だった。

 生まれてきた時点でどうしようも無く手遅れだった。

 

 故に当時の人類はそれを封じた。

 封じることでしか対処できなかった。

 結果的に当時のイアーズ帝国の国土が半壊しようと、それを封じることが出来なければその時点でイアーズ帝国の名は地上から消え去っていただろうことは間違いない話だった。

 

 そうしてソレは封ぜられた。

 

 ソレを封じたその場所に帝国は首都を作り直した。

 決してソレが出てくることの無いように、幾重にも幾重にも封をし、そして。

 

 帝国は滅びた。

 

 人魔大戦によって首都『デュランタ』は滅び、そして封印を管理する者が居なくなった。

 

 そう、だから。

 

 

 だからハイゼリーラ・G・ファウストは『闇哭樹海』を()()()

 

 




今回台詞少なすぎたな(


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十八話

 

 

 錬金術とは魔力を加工する技術だ。

 

 だが一言に加工とは言った物の、現実的に魔力を加工するというのは容易なことではない。

 

 魔力とは物理に属さないエネルギーであるが故に『第二法則』こと非物理法則を知らねばその変化は意図せぬものとなるだろうし、そもそも変化、変質させることすらできない。

 魔力というのは純粋なエネルギーではあるが、一度物質化してしまうと結束が強固になってしまう。

 そして一度そうして状態の固定化が行われると一切の変化を受け入れなくなってしまう。

 高熱で溶けた金属が冷えることで固まってしまうかのように、その形状を変化させることが非常に困難になってしまうのだ。

 

 だから錬金術で物質化した魔力を加工する時に必ず魔力を『融和』させる。

 

 冷えた金属をもう一度熱して槌で叩くかのように。

 固定化し、強固になってしまった物質魔力の結束を緩め、変化させやすくする。

 

 そのために必須の物がある。

 

 錬金術の基礎にして秘奥。

 

 それが『魔素溶液(エーテル・リキッド)』だ。

 

 

 『魔素溶液』の作成は錬金術の基本中の基本となる技術だ。

 

 単純に『液体』にひたすら魔力を注ぎ、融和させ、定着させていく。

 やること自体はこれだけのことであり、作り方自体はシンプルと言える。

 だが物質に魔力を定着させるというのは相当に繊細な魔力操作技術を要する。

 そのためこの『魔素溶液』の出来というのは錬金術師の腕前に大きく左右されることになる。

 

 加工対象となる魔力物質を浸す程度の『溶液』があれば量としては十分であり、それ以上の量を増やしても何ら効果が無い以上、重要なのは『溶液』の中にどれだけの魔力が定着しているか、である。

 

 例えば100の魔力を持つ物質があったとして。

 魔力濃度50%の『溶液』ならば50の魔力を加工できる。

 逆を言えば濃度50%では残り50の魔力を加工できない。

 加工されない魔力は『溶け切らず』変質しない元の性質を残したままとなる。

 

 当たり前だが50の魔力を加工した物質よりも、100の魔力を加工した物質のほうがより大きな効果をを引き出すことができる。

 残った50の魔力は溶けていないのだ。つまり定着し、固定化し、変質しない。

 固定化されてしまっているが故に変化しない、だから何の効果も引き出せない。

 

 融解、融和させた複数の魔力を掛け合わせて新しい効果を生み出すのも錬金術師の立派な技能だろう。

 

 だがこの『魔素溶液』の品質というのもまた錬金術師の技能を見るための目安と言われるほどに重要だった。

 『魔素溶液』にどれくらいの魔力が定着しているか、錬金術師は魔力に可視化できるが故に一目見ただけで凡そは分かる。

 先ほどの例で言うところの濃度50%とは錬金術師になるための国家試験で実際に行われる『魔素溶液』作成の一つのボーダーだ。

 たった50%と言うかもしれないが、魔力操作とはそれだけ難易度の高い行為である。

 何気なく魔法という形で人は魔力を操るが、それを意識的に、しかも意図的に操るというのは本当に難しいのだ。

 と言うより普段何気なく、感覚だけで行えてしまうが故に意識すると逆に難しい。

 

 だが、だからこそ濃度の高い『魔素溶液』と作れる錬金術師とは貴重な存在だった。

 

 

 * * *

 

 

 ハイデリーラ・ファウストは大陸でも有数の凄腕の錬金術師である。

 その若さからは考えられないような事ではあるが、けれどそれは確かな事実だった。

 そも『ホムンクルス』の作成とは錬金術師にとって一つの到達点である。

 そうでなければ『リーラ』というホムンクルスがホムンクルスであるという事実が誰にも知られることも無く、ハイゼリーラ・ファウストという偽名はあっさりとバレていただろう。

 

 信じられないような話ではあるが、錬金術師とは天才と呼ばれる人間たちが二十年、三十年と勉学、研究、実験に励み、その腕を磨き続けた上でそこまでやってようやくその中の上澄みだけがなれる超が付くほどのエリート職なのだ。

 実際、錬金術師になるためには国家試験に合格し、錬金術師としての免許が必要になるのだが、この試験がまた難問であり、何度も何度も落ちては受験し、苦節の果てにようやく合格できると言った類のものであり。

 そんな難問の試験を二十にもならない少女が一発で合格し、四十、五十と年月を重ねた熟練の錬金術師たちと同等の地位を築いているという時点で少女の人外染みた天賦の才が分かるというものだった。

 

 だがそんなハイデリーラが作る『魔素溶液(エーテル・リキッド)』ですらその濃度は80%を下回る。

 自らの助手たるホムンクルス『リーラ』に補助をさせてようやく80%に至るか否かと言ったところか。

 つまり天才の中の天才たるハイデリーラですらどうやったって20%は融和しきれない領域があるのだ。

 だがそれはハイデリーラが未熟なのではない。むしろ『魔素溶液』を専門とする錬金術師ですら75%を超えた『魔素溶液』を作れることは稀と言えるレベルなのだ。

 ハイデリーラの作る『魔素溶液』は大陸トップレベルと言っても良い。

 

 それは言い換えればハイデリーラ・ファウストの錬金術師としての魔力操作技術が大陸でも最上位に位置するものであり、ハイデリーラ自身もまた自らの腕前が確かなものであると、周囲を比べて劣るような物では無い……むしろ勝っているのだと思っていた。

 

 そう。

 

 ()()()()()

 

 

 

「なに……これ」

 

 呆然としながら呟くその視線の先には薬棚が一つ。

 棚にずらりと並べられている瓶の中には透明な無色の液体が並々と入っている。

 大半の人間は何かの液体が入っているとしか思わないだろうが、錬金術師の目で見ればそこに内包された桁違いの魔力量に驚くだろう。

 そしてさらに『腕の良い』錬金術師の目で見ればそれが常識を超えた代物であることが分かるはずだ。

 少なくともハイデリーラの持っていた常識はたった今粉々に破壊された。

 

 それは()()()()()()()()『魔素溶液』だ。

 

 液体……恐らく元はただの水だろうそれに桁外れの魔力を込め、定着させた物。

 だから定義的にはそれは『魔素溶液』だった。

 

 ただ一つ。

 

 定着させた魔力が桁外れ過ぎて『魔力浸蝕』を起こしていることを除けば。

 

 超高濃度の魔力に晒され過ぎて物質が『矛盾』を引き起こし、『魔力』そのものへと変換されている。

 そんな『魔素溶液』なんてハイデリーラは今まで見たこと無かったし、そもそもそれを『魔素溶液』であると認識することすらできなかった。

 

 それは南のほうにあった今はもう無きとあるダンジョンで採取された魔力物質に極めて酷似していた。

 桁外れの魔力量により無理矢理浸蝕を引き起こされ、浸蝕指数が世界最大値と言われるその物質の名は。

 

 『神の雫』。

 

 だがそれはダンジョンで作られた物では無いことをハイデリーラは知っている。

 それは人工的に作られた物だ。何せ作った本人がそう言ったのだから。

 魔力濃度、なんて言葉で溶液の質を表していたこと自体がまるで未熟の証拠であると言われたような気がした。

 魔力浸蝕を起こしたその溶液を分かりやすく言うならば『魔力濃度200%』と言ったところか。

 

 そもそも魔力濃度50%とは何を基準にして50%としていたのか、100%とはどこを指して言うのかと言えば、その物質に込めることのできる魔力の限界量だ。

 人の身に宿る魔力量に限界値があるように、あらゆる物質には宿せる魔力の限界がある。

 その魔力の限界まで定着した状態を100%とした時を基準として錬金術師たちは濃度を測っていた。

 

 だからこんなのは予想外も良いところだ。

 

 ダンジョンで高濃度の魔力に晒され続けた物質が魔力浸蝕によって物質が魔力へと置換されているのは錬金術師なら誰でも知っているが、それを個人の手で起こすことができるなどとは長年誰も考えなかった、考えられていなかった。

 

 だがそれができるというならば話はまるで変って来るのだ。

 

 物質に魔力を限界まで宿す濃度100%の状態。

 そこからさらに物質を魔力へ変換することができるなら100%は容易く超える。

 そしてその全ての物質的部分を魔力へと変換しきった極致とも言えるのが目の前にある溶液だろう。

 それはかつて『神の雫』と呼ばれ、今でも錬金学会の秘蔵の品として保管された素材と全く同一の性質を持っている。

 

 それが意味するとことはつまり。

 

 今まで世界最高峰の素材だと思われていた物が実は個人で作れる程度の物でしかないということ。

 もしかすれば他の唯一と思われていた素材もまた……。

 つまりそれだけ隔絶した差があるということだ。

 

 ハイデリーラたち大陸の錬金術師と。

 

 この溶液を作った人物……ハイゼリーラ(母親)との間に。

 

 一体自分の母親は何者なのだろう。

 

 その時、ハイデリーラは初めてその疑問を抱いた。

 

 

 * * *

 

 

 暗い森の中を静かに歩みを進める。

 『闇哭樹海』の深奥はたった一匹の怪物の縄張りであるが故に周囲に他の生物の気配は無い。

 とは言え時折迷い込んでくる魔物もいるらしいので油断はならないが。

 

 妙な気分だった。

 

 一言でいえば心臓に悪い。

 

 この『闇哭樹海』の主とされる梟は大陸なら誰もが知る脅威だ。

 人類の生存圏を大きく侵すこの森がけれどいつまで経っても不可侵領域である理由が結局のところその梟にあるのだから。

 

 これまでこの森に何度か入ってその度に梟の存在に怯えてきた。

 

 出会えば死だ。

 

 それを知っていたからこそ俺は梟を避け、時に忍び、その目を掻い潜ってきた。

 見つかった時、死んだかと思った。絶対に死ぬかと思った。

 『死』という圧倒的な事実の前に心が竦みあがった。

 『水晶魔洞』であの化け物蜘蛛と戦っていなかったら恐怖で動けなかったかもしれないほどに。

 

 つまり俺にとって災害種『オーデグラウ』とは死と恐怖の象徴なのだ。

 

 ずっと昔からエノテラ領で……この『闇哭樹海』の傍で暮らし、何度もこの『闇哭樹海』に立ち入ったからこそ余計にその恐怖を知っている。

 

 そして。

 

 だからこそ、妙な気分になる。

 

 オーデグラウを引き連れて『闇哭樹海』を歩くという今の構図が。

 

 ―――まるで首に刃を突きつけられたような気分だ。

 

 ぼやくように心中で呟く、代わりに息を吐く。

 

 そんな些細な『音』にも反応して、ばさ、と羽音が立てられる。

 すぐさま振り返って何でもないと首を振ると音が消えた。

 

 これだ。これである。

 

 オーデグラウの羽が極めて消音性が高いため基本的に羽ばたく音は出ない。

 それがあんな風に音を立てるのは何かあったのかとこちらを注視しているためだ。

 考えてみて欲しい。

 身の丈5メートルを超える巨大な梟に常に上空から見張られているような様を。

 しかも今は大人しくしているとは言え人を襲う獰猛さを持ち、それに対していざと言う時抗う術が無い人間の気持ちを。

 

 そもそもの話、どうして災害種が『師匠』に従っているのか。

 

 その理由すらも分らないからいつあの梟がこちらを襲いに来るのか、本当にあの梟は襲ってこないのか、それすら分からず冷や冷やする。

 

 ―――師匠も師匠で謎が多い人である。

 

 どうしてこんな森の中にいるのか、とか。

 この森で何をしているのか、とか。

 一体何者なのか、とか。

 

 分からないことは多く、謎もたくさんあって。

 それでも分かることは一つ。

 

 俺があの人に助けられたということ。

 

 ああ、そうだ。

 

 助けられたのだ、俺は。

 

 他でも無い、ルー・オルランドの孫が。

 

 

 ―――仇敵であるはずの魔族に。

 

 

 そもそも魔族とは一体何なのか。

 

 現在は地上から姿を消したが、ほんの五十年、六十年前までは魔族との戦争は続いていた。

 にも関わらず、魔族に関して分かっていることは余りにも少ない。

 凡そ百五十年ほど前に突如地上に現れ、当時のイアーズ帝国首都を壊滅させ、人類に対して宣戦布告した存在。

 戦いは百年にも渡って続いたが、やがて英雄の登場によって徐々に人類は魔族を押し込み、そして。

 

 この『闇哭樹海』の中に消えて行った。

 

 それ以来魔族は表舞台には出てこないまま、生きているのか、死んでいるのかさえ分からない状態が続いていた。

 その魔族が生きていた、となればそれは大事である。

 しかもその魔族がこの樹海の主を従えているともなれば……。

 

 だが師匠は俺を助けた。

 

 ルー・オルランドの血族たる俺を助け、俺を導き、結果的に俺は『ルー・オルランド』になった。

 

 その上、その気になれば樹海から出ることもできるだろうに樹海の中に長年引きこもり樹海の外へ手を出す様子も無い。それも()()()近くもだ。

 

 そう、五十年。

 

 人が一人、生まれ、死ぬくらいの時間を得て尚あの少女の姿をした魔族はあの場所から一歩たりとも動いていない。

 何故それが分かるかと言えば初代オルランドこと『ルー・オルランド』もまた彼女に会っているからだ。

 

 『ルー・オルランド』は英雄と言われているが身近な血縁だった俺たちからすると『脳筋』と言う言葉がとても良く似合う存在だった。

 何せ統治や義務などが面倒で『貴族』と言う地位を蹴っ飛ばした男である。

 大戦が終結し、国々が復興のために心血を注ぐ中、自らの拠点の目の前にある大陸屈指の危険地帯に修行と称して飛び込んだのはある意味当然と言えば当然の結果だった。

 

 その中でルー・オルランドは彼女と出会った。

 

 俺が師匠と呼ぶ少女の姿をした魔族に。

 

 彼女を指して『森の魔女』と呼んだルー・オルランドだったがけれど彼女と争うことも無く、彼女を排斥することも無く、森を出た。

 

 ―――困ったことがあったなら『森の魔女』に会って見ると良い。

 

 そんな言葉を息子や孫に残して。

 

 その五十年近く後に、孫である俺がその言葉に縋るように『樹海』に踏み入れたのは……まさに運命とでも呼ぶべき行いだったのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら足を進めて行った先に。

 

 やがてそれは見えてくる。

 

 

「……嘘、だろ?」

 

 

 この森の中で声を発する、その危険性を知りながらも声が抑えられなかった。

 ほとんど無意識の中でぽろっと出てきたその言葉は、だからこそ掛け値なしの俺の本音であり。

 

 ―――そこにあったのは都市だった。

 

 長年放置され草木に覆われた石造りの建物。

 すっかり腐食が進み、最早原型すら留めていないような建物もいくつかあった。

 

 この常闇の森の中で、けれど確かにそれは視界に映った。

 

 広がる都市の中央。

 

 奥行きすら見えないはずの広大な都市で、けれどそこが中央なのだと理解できる。

 

 何故ならばそこにあったのは巨大な城だ。

 

 明らかに森の樹々よりも背の高いはずの城は森の樹々に隠されるようにして佇んでいて。

 

 空間が歪み、物理的な距離感すら狂う中でその城の一部を半壊させながらそれは大地に突き刺さっていた。

 

 水晶だ。

 

 透明な……光を放つ水晶がこの闇の森を照らしていて。

 

 

「刻、死……無双?」

 

 

 水晶の中央に眠る巨大な漆黒の竜がそこにはあった。

 

 

 



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十九話

 

 

 『魔素溶液』に素材を浸けて手をかざせばそれで完成……なんてお手軽に魔力加工ができるならば錬金術師なんて職業が生まれるはずも無い。

 魔力操作自体は非常にマイナーかつ使いどころの少ない技術ではあるが、けれど得意不得意の差を考えなければ究極的には魔力があるならば誰にだってできることなのだ。

 

 『魔素溶液』に浸けた素材はじわじわと魔力が解けていく。

 だが魔力浸蝕された物質の魔力を解かし過ぎればそのまま魔力が溶けてしまって消えてしまう。

 かと言って早すぎればそれは碌な加工もできない状態のままで二度目の固定化が始まる。

 二度状態固定された素材を再度溶かすことは容易なことで無い以上、魔力の解け具合を良く見て最適なタイミングで素材の加工を始める『眼』こそが錬金術師の命と言える。

 

 そう、目だ。

 

 『眼』こそが錬金術師にとって最も大切なものだ。

 

 錬金術師が錬金術師という一つの職として確立されているのは全てこの『眼』があるからだ。

 

 魔力を見る『眼』こそ錬金術師が錬金術師である証であり……。

 

 そういう意味では、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 単一素材を『溶液』で解かして加工することはそれほど難しいことではない。

 何だったら駆け出しの錬金術師でもできる程度のことである。

 だがその程度の品が一体何に使えるのか。

 単一素材を解かして加工したところで単一の効果しか持たない以上、幅というものが限られてくる。

 

 二つ以上の素材を加工する時、二つの性質を『合成』することで新しい性質を生み出すことができる。

 これこそが錬金術にとって最も重要な要素であり、逆に言えばこれが無ければ錬金術はとっくの昔に廃れてしまっていただろう。、

 

 例えば『A』という素材と『B』という素材を組み合わせ全く新しい『C』という効果を生み出すとする。

 この時この『A』と『B』二つの素材を使って作れる魔導具の効果は『A』と『B』が元々持っていた性質とその二つを掛け合わせた『C』と言う効果の()()()できることになる。

 さらにこの三つの効果を掛け合わせることで新しい使い方が生まれるとする余地だってある。

 

 となればこの素材の数を増やせば増やすほどに生み出される『性質』や『効果』の数は急激に増していくこととなる。

 さらにその莫大な数の性質の中から任意の物を選び出し、組み合わせ、一つの魔導具を作っていくからこそ魔導具というのは職人の技術の結晶なのだ。

 

 だが複数の素材を組み合わせる、と言葉にするのは簡単ではあるがそれが実際には恐ろしく難しい技術であることは余り知られていない。

 先ほどの例で言えば二つの素材を解かした時点でそこには『A』という素材の魔力と『B』という素材の魔力、さらにそこに自らの魔力の三種類が混ぜ合わされた状態になる。

 魔力の加工とはこの複数種類の魔力を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。

 

 だがそこにあるのはバラバラの性質を宿した魔力だ。

 

 バラバラの性質の魔力を画一的な動かし方でどうこうするというのは不可能だ。

 で、ある以上『A』には『A』の、『B』には『B』の魔力の動かし方というのがあって、けれど実際に動かしているのは自らの魔力だけなのだ。

 それは右手と左手に筆を持って両手で別々の絵を描くような難解な作業である。

 たった二種類ですらこの有様なのだ。まして三種類、四種類……それ以上の数ともなれば気が狂いそうなほどの精密かつ緻密な魔力操作が要求されることとなる。

 

 だから通常魔導具が作られる時は『一種素材(ソロ)』や『二種合成(デュオ)』か多くて『三種合成(トリオ)』で複数の加工品を作りそれを道具の中にセットすることで組み上げている。

 

 さて、ここで母が素材として用意した数々の品を思い出してみよう。

 

 『ネキレウスの角』

 『モルガニの触手』

 『一角一眼の剛毛』

 『白杭鮫の歯』

 『白杭鮫の鱗』

 『神の雫』

 

「……六種合成(セクステット)って」

 

 はっきり言って出来たら神業である。

 

「せめてリーラがいたら……」

 

 ホムンクルスの魔力は制作者の魔力と極めて同質の性質を持つ。

 つまりハイデリーラの魔力をリーラは一緒になって操作できるのだ。

 先の二種合成の例を言えばハイデリーラが『A』の素材を間接操作している間にリーラが『B』の素材を間接操作することで二種合成程度ならば容易に作成可能だ。

 だからこそホムンクルスは錬金術師にとって極めて重要な物ではあるのだが……。

 

 そもそもホムンクルスを作るのに四種合成(カルテット)を複数回熟す必要があるという矛盾がある。

 

 だからこそホムンクルスを持つことは錬金術師の極致の一つなのだ。

 普通四種合成ができるなら錬金術師としては超一流と称して差し支えないのだから。

 

 というか、四種合成以上の配合で作る物というのが余り無い。

 

 正確に言えば三種合成までで大半のものが作れるので四種合成まで使わなければならないほどの品というのはほぼほぼ無いというべきか。

 ホムンクルスが到達点とされるのはそういう一面もある。

 

 正直言って四種の素材を掛け合わせて作る時点で『性質』の組み合わせの選択肢は膨大なものとなる。

 だが大半の場合、その膨大な組み合わせの中から二つ、三つだけ選んで組み合わせれば必要な物は大概作れてしまう、となれば最初から二種合成、三種合成を複数回行うだけで済んでしまう。

 わざわざ四種合成のような難易度の高いことをやる必要性も無いということだ。

 

 錬金術師として大成していると自負しているハイデリーラをして、六種合成などという常軌を逸しているとしか思えないような品は初めて見た。

 

 一体これで何を作るというのだろう。

 

 一体これで何が作れるのだろう。

 

 余りにも高い難易度に震える。

 

 けれど同時にその先に生まれる物を思い……別の意味で震えた。

 

 

 * * *

 

 

 静まり返った黒闇の森の中、その中央部に位置する廃都市群。

 そして都市の中央に座する廃城の敷地に突き刺さるようにしてあるのは巨大な水晶塊。

 

 その水晶の中に見えるのは。

 

「でか……いや、小さい?」

 

 一匹の巨大な黒い竜。

 全長二十メートルあるかどうか、と言ったところ。

 巨大だ……だが同時に小さい。

 生物としてはかなりの巨体であることは間違い無い、だが『竜種(ドラゴニア)』としては小さめと言ったところ。

 

 竜とは幻想種だ。

 

 通常の生物とはあらゆる意味で『規格』が違う。

 魔物のようで魔物では無く、モンスターのようでモンスターではない。

 生きるために魔力が必須という意味では定義的には魔物なのかもしれない。

 だがその体は肉体が魔力に浸蝕されているわけではない。肉では無く、魔力によって構成されているという意味では定義的にはモンスターが近いかもしれない。

 だが意思と感情を持ち、本能すら持ち合わせているという点ではそれはモンスターではない。

 

 生きた魔力の塊、としか表現することのできない存在。

 

 それが幻想種であり。

 

 その最強と呼ばれるのが『竜』だ。

 

 故に竜は物理的な束縛というものが無い。

 明らかに体のサイズに不釣り合いな翼で平然と空を飛ぶし、発炎器官も無いのに炎を吐く。

 肉も食らわず、魔力を得るだけで永遠の時を生きるし、どれだけ体が大きくなろうとも肉体の動きに支障が出ることは無い。

 

 だが同時にその身は常に大量の魔力を必要としている。

 

 故に『竜』は基本的に魔力の強い地を自らの領域とし、(ねぐら)から出てくることはほぼ無い。

 ただ自らの領域に侵入した存在は確実に消し去るその強さから強大な存在の象徴とされており、同時に金銀財宝などの『強い思念』の宿った物を集める性質から富の象徴ともされている。

 遥か昔より悠久の時を生き永らえながら滅びていないことから一定以上の年月を重ねた竜のその強さは『災害種』と同等とされており、基本的に規格外としか言い様の無い存在である。

 

 ただ『竜』というのは基本的にフェブラ王国とマーチ国の国境東端に連なる『大竜山脈(ドラグマウント)』にその大半が根を差し巨大なコミュニティーを形成しているはずであり、極稀にそのコミュニティーから外れたはぐれ竜(レッサードラゴン)が各地で見られる程度だ。

 少なくともこの『闇哭樹海』に竜がいるなどという話は聞いたことが無い。

 

 ―――そもそも闇哭樹海についての情報が少なすぎて、誰も知らなかっただけなのだろうが。

 

 こうして封印されている以上、それを知るにはこうして樹海の深奥までやってくるしかない。

 この樹海の、深奥まで、だ。

 無理に決まっている。俺だって師匠という存在が居なければ絶対に無理だ。

 

「そもそもどうしてこいつは封印されている?」

 

 封印した、と師匠自身が言っていた。

 どうしてこいつだけ? 他の災害種は全て地上で、或いは海で好き勝手しているのに。

 

「世界を滅ぼす竜、ね」

 

 師匠はそう言った。

 その意味はまだ分からない。

 少なくとも俺はこの竜が動いている様を見たことが無いから。

 ただ()()()()がこれだけ手を尽くしている時点でそれがヤバイことなのは分かる。

 

 だから、だから、だから。

 

「……マジかよ、これ」

 

 近づいていく。

 歩いていく。

 街の中央、城へと少しずつ、少しずつ。

 そうしてやがて見えてくる。

 はっきりと、その様が見えてくる。

 

 水晶があった。

 

 水晶の中に竜があった。

 

 その竜の。

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 かつて大戦があった。

 人類と魔族の全てを賭けた大戦。

 

 結果、魔族は負けた。

 

 ()()()()()()()()()()とした彼らは負け、そして彼女だけが残った。

 

 ハイゼリーラ・G・ファウストは魔族である。

 だが根本的な話。

 魔族とは一体、何なのかと言われればそれはこう答える。

 

 ―――本来あるべき肉体を失った精神生物。

 

 故に魔族は『人』が居なければ生きられない。

 ()()()()()()()()()()()存在に憑りつくことでしか生きることができない。

 

 だが、だ。

 

 元よりそうだったわけではない。

 元よりそんなおかしな生命だったわけではない。

 彼らは、彼女らは元を正せばただの人でしか無かった。

 ただの人でしか無かった彼ら、彼女らはけれどだからこそ『裏返って』人で無くなった。

 肉体に依存する人だったからこそ、裏返れば肉体の無い、精神だけの存在になった。

 

 彼らは好きでそうなったわけじゃない。

 彼女らは好んでそんな存在になったわけじゃない。

 そうされた、そうなるように強制された。

 だから彼らは人を恨む、だから彼女らは人を恨む。

 

 本来あるべき自分たちの居場所を奪ったやつらを憎んでいる。

 本来あるべき自分たちの居場所を取り戻したいと思っている。

 それと同時に自分たちをそんな体にした相手を殺したいと思っている。

 

 でもだからと言って方法というものがあるだろう、と彼女は思った。

 

 人への憎しみがこびり付いた魔族たちの中で、彼女は……『ファウスト』は異端だった。

 自分たちの居場所を取り戻したいと思っているのは彼女も同じ、けれど今自分たちの居場所に居座っている『人』が自ら望んでその場所にいるわけではないということも分っていた。

 

 故に『ファウスト』は『人』を滅ぼすつもりは無かった。

 

 そもそもこの世界を滅ぼすつもりも無かった。

 

 魔族と一口に言っても様々だ。

 共通しているのは誰もが自分たちをこんな体にした相手への殺意を抱いていること。

 そして大なり小なり人を恨んでいること。

 居場所を取り戻したいと思っていること。

 

 けれどその比重は個体ごとに異なる。

 

 故に。

 

 殺意だけが極端に先走った魔族たちがいた。

 

 ただひたすらに、自分たちをこんな体にした存在を殺すことだけを考え続けた彼らは。

 

 

 ―――決して作ってはならない物を作った。

 

 

 災害種。

 

 今現在人類でそう呼ばれている存在の『大半』は実は自然と生まれてきた存在だ。

 かつての魔族はその存在を、その存在が生まれる過程を解明し、そして何故それが生まれるのかを知った。

 今となっては最早世界に数えるほどしか存在しないその怪物たちは自然淘汰の中で生まれた奇跡のような存在だ。

 

 そしてその力は圧倒的の一言に尽きる。

 

 何より自然に生まれた存在故に……この世界の理で生まれた存在であるが故にこの世界に適応している。

 世界は異物を排除しようとする。運命的に、必然的に、ありとあらゆる手段を持ってして異物を消し去ろうとする。

 だがこの世界で生まれ、この世界に適応した存在は例えこの世界を破壊し尽くす存在だろうと異物ではない。

 

 そこに目を付けた魔族たちがいた。

 最強の存在たる『竜』を意図的に『災害種』と同じ体質へと変化させる。

 そうして生まれたのが一匹の黒い地竜。

 

 結果だけを言えばそれは成功し、失敗した。

 

 黒い地竜は他を圧倒する力を持ち、成長し続ければ世界をも破壊するほどの強大な力を持つだろうと思われた。

 だが同時にそれは決して誰にも手綱をつけることのできない本物の『災害』になってしまった。

 

 

 刻死無双(デッドライン)という名を世界に刻むこととなった。

 

 

 



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ご報告

えー、大変申し訳ないのですが、イアーズストーリーに関しては未完結のまま終了とさせてもらいます。

理由としてはとても簡単で。

 

 

全く面白くも無い。

 

 

からですね。

本当にこればっかりは申し訳ないのですが、水代は水代が面白いと思っている物を書いてます。

なので水代は自分で書いた作品を読み返しても基本的にそれを面白いと認識できるのですが、これに関して読んでて余り面白いと思えないことに気づいてしまいました。

 

なんというか、読んでてもどきどきとかわくわくが無いんですよね。

続きに妄想膨らまして「こんな展開だろうか」とかそういう次回に対する期待みたいなものがもうなんか感じられないなんとも面白みのない物になってしまっていることに気づいてしまった。

 

どうにかこうにかこっから軌道修正できないかな、と思ったりもしたんですがどう考えてもこれ以上は無理、という結論に達したので本作品に関しては未完結で終わらせてしまおうという結論となりました。

 

ここまで読んでくれた読者の方々、毎回感想くれてた方に本当に悪いなとも思うのですが、もう書いてて苦痛感じ始めてるのでこれ以上は無理、ということで。

 

 

 

 

一応ある程度残りの構想みたいなのはここに書いておくと。

 

 

 

闇哭樹海の最奥で『刻死無双』が目覚める。

ルー君が森の中駆けまわりながら時間を稼いでる間に、リラちゃんたち錬金術師組が作ったアイテムで森自体に結界を張り直す。

結界の効果は『刻死無双』から魔力を抜いて森に循環させること。

闇哭樹海が大陸で最も魔力濃度の濃い場所の理由がこれ、長年封印されてきた『刻死無双』の魔力が大量に森に巡っている。

でまあ、結界が再度機能し始めたのであとは『刻死無双』の残存する魔力が尽きてもう一回封印されるまでルー君が命張って逃げ回って封印完了。

途中でリラちゃんとラブコメったり第三階梯魔法に目覚めたりすること以外はさして語ることも無い終わり方ですね。

 

これにて二章はめでたく終了、と見せかけて王都のほうでトワちゃんが『勇者』さまに結婚申し込まれてたり。

 

三章はシティアドベンチャー風味になる予定でした。

舞台はノーヴェ王国首都たる『王都デイジー』。

イアーズ帝国から派生した十二の国々の王族にはある特徴的な相続法があって、『国の冠した数字』番目の子供が王位を継ぐ、ということ。

分かりやすく言うと『ノーヴェ王国』は元ネタで分かるように『11月(ノーヴェンバー)』=11を冠する国家なので王の子供の11番目が王位を継ぎます。

 

で、その11番目の王族は『変動』します。

 

うん……継承権って上が一人減ったら空くよね???

 

因みに殺し合って11人未満になる、という事態を防ぐため王族の順位は上から10番目までは固定されます。

で、11番目の座を巡って争う王族たち……を他所にトワちゃんことオクレール家は10番目の王子様とそれなりに懇意です。因みにルー君も。

10番目の王子様はある意味継承権を絶対にもらえない存在なので安牌扱いされてる。代わりに絶対王にはなれないけど。

 

この王位争いに数少ない「領地持ち貴族」たるオクレール家、つまりトワちゃんと名誉だけの存在たる『ルー・オルランド』、つまりミカゲ君も巻き込まれていく……という話。

 

 

生誕祭を記念して城で開催されるパーティに参加したトワちゃんはパーティの最中に『勇者』に婚姻の申し出を受ける。

『勇者』は所謂国家の武力の代表存在みたいな感じですね。

過去、ルー・オルランドに呼応して戦った各国の戦士たちの代表として大戦後に選出されるようにんなった。なんかこう武闘大会とか開いてその優勝者だけが名乗れる称号、みたいなイメージ。

今代の勇者は貴族家系の人間であり、トワちゃんからすると割と良い縁談ではある。

とは言ってもトワちゃんはルー君が好きで、でもオクレール家を捨てない限りはルー君とそういう関係になれる可能性は絶対に無いので、受けてしまおうかな、とか悩む。

貴族同士の婚姻の話なので当然その場でまとまるわけがなく、返事はまた後日ということで返事に悩むトワちゃん。

でまあその後、森でのごたごたが終わったルー君が合流したり、合流した途端にトワちゃんとルー君が暗殺者に狙われたりする。

ルー君はこの暗殺者を辛くも返り討ちにする。暗殺は無理と判断して引いていく暗殺者だったけど、その姿はかつて『水晶魔洞』で死んだはずの『フィーア』と瓜二つだった。

 

という展開。

 

フィーアは死んだはず、ならあれは誰だ、他人の空似か? と悩むルー君。

そんな中、城にてルー君は『勇者』から決闘を申し込まれる。

 

 

 

と、その辺までは考えてた。

 

その後の展開はまだ考えてなかったけど、最終的な話をすると。

 

王都には裏で暗躍する『人形遣い』と『傀儡士』という二人の魔法使いがいる。

人形遣いは多分、大臣辺り偉いやつ。傀儡士に関しては本当の本当に暗部、もしくは研究者。

この辺まだ決めてなかった。

 

人形遣いの魔法『人形』は『人形を作る』魔法。

十年くらい前にはこの魔法で複数の『人間を人形にした』。

要約すると『クローン』を作る魔法。

そして傀儡士の魔法『傀儡』は自意識の無いクローン体に『プログラム』をぶっこむような魔法。

この二人の合わせ技で『殺人人形』といういくらでも量産のできてしかもレベルも高い暗殺者集団ができた。

これが十年くらい前に王都でめっちゃ暗躍して、王都が王位継承者が大量に死んだりもした。

因みにこの時は先代『ルー・オルランド』、つまりミカゲのお父さんが王都で暴れまくって『殺人人形』の原型(クローン元)になった人間四人の内二人が奪還されたせいで大きく活動が制限された。

さらにトドメを指すようにクローン元の残り二人の内一人が意識を取り戻して脱走。

『殺人人形』もあと一人しかいなくなってしまった。

となっていたところに最後の一人を元に作ったクローンすらも脱走。行方をくらましてしまい、後処理と再生産のために十年活動を自粛させられていた。

 

因みにもう分かったかもしれないが、最後に逃げたクローンが『フィーア』ちゃんだ。

 

王都でルー君たちを襲ったのは『フィーア』ちゃんのオリジナルを元に再度クローニングされた次代の『フィーア』ちゃん。

このクローニングの欠点とでもいうのか、オリジナル一人につき一体のクローンしか作れず、次のクローンは前のクローンが死ぬまで作れない。

だから『フィーア』ちゃんが逃げ出してかなり手詰まり感があった。

でも『水晶魔洞』でフィーアちゃんが死んで、十年ぶりに次のクローンを作れるようになった。

そして時期的にちょうど王都で生誕祭がやってて……。

 

みたいな感じ。

 

最終的にどこに持って行くか、みたいなのはかなり曖昧に決めてたので具体的にはどうとは言わないが。

フィーアちゃんのオリジナルをルー君が取り戻すのは決定してた。

因みにフィーアちゃんと意識というか記憶というかそういうのは共有してるので基本的に同一人物と思って構いません。

というわけで実は三章で初代突発ヒロイン復活だった。

フィーアちゃん殺すの決めた時からこれは決めてた。だからせめて三章まではやろう、って思ってたんだけどね。

 

んで、あと『勇者』に関しては『人形遣い』たちとグルだったので一緒になってルーくんたちの邪魔しようとしてアイリスさん、つまりルー君のお姉ちゃんにぶっ飛ばされました。

いや、強いんだよ? 勇者君。でもアイ姉基本的に人類最強キャラだから。

 

因みに因みに、アイ姉がフィーアちゃんの前に脱走した『殺人人形』のオリジナル。つまり『アインス』さんだ。

正確には『アイリス・ユース・ノーヴェ』が本名なんだけどね。

 

そうノーヴェ。

 

実はアイ姉『10番目の王族』なのです。

現在『10番目』とされている王子様は実は双子の弟。

なので本当は『10番目』の王子様は『11番目』の王族、つまり次期王様だったのだ。

という事実が最終的に発覚して、そのままトワちゃんやルー君と仲の良かった王子様をスライド式で次期王様にする予定だった。

 

アイ姉がなんで『アインス』になったかと言うと生まれてすぐに捨てられたからです。

11番目の王子様を守るため、王子様を『10番目』にするために生まれてすぐに捨てられました。

でも覚えてるんだよねアイ姉。

 

実はアイ姉は『転生者』なのだ。

 

トワちゃんとアイ姉に関しては昔作った小説のキャラそのまま流用したので、アイ姉は『人類最強の肉体』と『見聞きした物を絶対に忘れない記憶力』と『世界最強の魔法』に加えて『実は現代日本からの転生者』という欲張りバリューセットな設定がついてます。

作中でルー君が妙にファンタジー世界観に似合わない科学的なこと言ってたろ?

あれアイ姉の受け売りなんじゃよ。

 

と、いうわけで次期王様がトワちゃんとルー君の味方になったので頑張れば何も捨てないまま、『オクレール』であるままルー君と結婚する目もでてきたぜやったねトワちゃん、って感じで三章は終了する。

 

あ、あと三章でフィーアちゃんから告白されます。

 

 

というわけで四章はついに『災害種』とガチバトルです。

 

 

舞台は引き続き王都デイジー。

 

と言ってもあんま具体的には決めてないんだけど。

 

『集虫放禍』ことアルカサルさんが王都デイジーに向かってまっすぐ突っ込んでくるので王都の力を結集してこれを撃退……無いし討伐せよ、というのが四章。

大砲ばんばん撃ったり、砦でアルカサルを足止めしたり、その隙に背中の城塞都市に昇って要塞を攻略したり、とそんな感じになる予定だった。

 

五章はまたリラちゃんの話で、多分墟廃の街ことキルサンタスにルー君と一緒に行く話になるかな。多分、お母さんの研究所に何か忘れものでもあったのでしょう、そこでひと騒動あったり、リラちゃんとラブコメしたりする。

多分この辺でリラちゃんに告られるんじゃない??

 

そして続く六章は他国との戦争がメインになる予定だった。

 

 

んでそのまま七章に続いて。

 

 

―――世界を混沌に陥れている『災害種』の存在が明るみに出る予定だった。

 

 

八番目の災害種『蛇智暴逆』こと『クィネス』です。

あらゆる意味で規格外の災害種で、刻死無双が『最強』ならこいつは『最悪』の災害種。

 

その前に災害種ってどういう存在っていうのを解説すると。

 

魔物化によって変異したとある『ウイルス』に感染した個体。

後に魔族によって『ゴライアスウイルス』と名付けられるそのウイルスは自己増殖を繰り返す。

自己を増殖し続けることのみを絶対として、感染した個体を『肥大化』させることでさらに自らも増殖しようとする。つまり体がでかいほうがウイルスも増える余地多いよな、ってこと。

当たり前だけどウイルスの『魔物』なので魔力が無いと死ぬ。

さらに感染した個体も半ばウイルスのせいで魔物化するので魔力が無いと死ぬ。

そして並の濃度では魔物本体とウイルスの2倍消費するせいで魔力が足りずに死ぬ。

 

そうして濃度の濃いダンジョンなどで生き残った魔物の中で『ダンジョンコア』を手に入れた存在。

 

つまりそれが災害種。

 

ダンジョンコアは無限の魔力生成装置なのでこれを体内に取り込むことで無制限に拡大、増殖が可能となる。

災害種が際限なく巨大化するのはそのせい。

そして魔物なのに平然と地上を歩き回れるのもそのせい。

いくら暴れ回っても魔力が切れないのもそのせい。

 

クィネスは『逆転』の力を持つ蛇であり、際限なく巨大化するのが災害種ならば同じ災害種でありながらクィネスは際限無く『縮小』していく。

やがて眼に見えないほどに小さくなったクィネスは人の脳に憑りつき、支配する。

精神をおかしくしたり、とか自分の操り人形にしたり、脳に憑りついているので脳への刺激を自ら自在にできるので好きなように人間を操れる。

そうして操った人間を使って大陸中に戦争の種撒き散らしている。

 

それが蛇智暴逆という最悪の災害種。

 

これを倒すのが八章になるはず。

 

 

そして九章からは『世界の謎』を追っていくことになる。

 

 

魔族のとこで書いたけど、魔族なんて本来は存在しなかったし、なんだったらこの世界は魔法なんて存在しなかった。

実はルー君たちの住むこの世界は元は『地球』だった。

けれどそこに生まれた『魔王』が世界を『反転』させた。

 

故に物理法則の上にあり得ざる法則、つまり魔法法則が来る。

 

元々地球上に住んでいた『人類』は反転して肉体を持たない精神的生物、つまり『魔族』になった。

さらに『魔王』は反転して『神』になった。

 

つまり魔族たちが殺したいほど憎む共通の敵がこの『神』となる。

 

魔族たちが『刻死無双』を作ったのは『神殺し』のため。

 

ダンジョンとは一つの『世界』そのものであり、ダンジョンを形作るダンジョンコアとは『創世核』と呼ばれ、世界を形作る核となる。

そしてこの星の中心部にも創成核は存在する。

 

つまりこの『反転世界』そのものが一つのダンジョンなのだ。

 

というわけで最終的にこの星の中心たるダンジョンへ突撃します。

何でだろうね、自分でもどうやってここに持って行くか考えてなかった。

 

星の中心『創世回廊』の前に9体目の災害種喰全世壊『ヴァナルガンド』と戦い、それを倒せば創世回廊の最奥にて最後の敵、10体目の災害種神亡淵慮『ラグナロク』と戦う。

 

ラグナロクはあらゆる法則を破壊する存在なので、これをほっとくと今のファンタジー世界が破壊され尽くして元の地球に戻る。

ただしすでに魔族は死滅してるので戻ったところで人類が滅ぶだけなんだが……と言ったところ。

 

で、結局これどこに終点持って行くのよ……というのは全く考えてなかった。

 

 

 

因みにルー君というか『オルランド家』っていうのはこの星に生まれたバグ的存在。

『魔王』というか『神』によって力を与えられた存在でも無い、純然たる人類に生まれたバグ存在なのだ。

 

 

 

とまあそんな感じの設定は考えてましたが、残念ながらこいつが日の目を見ることは無さそうですね。

もし書きたいなんて奇特な人がいればどうぞご自由に。

 

あともし何か分からないこととかあったら聞いてください。




最後にこのような終わり方になってしまい、とても申し訳ないと思います。

というか自分でもこの終わり方は非常に残念に思う。
本当はもっとポテンシャルを引き出せる小説だと思ってる。
ただ俺の作り込みが甘かったですね。特にパワーバランスと展開はもっとしっかり決めておくべきでした。
ただプロットを作るという作業がとても苦手なんですよね。書かないとアイデアが降ってこない人間なので。

取り合えず今作はこれで終了、ポケモンのカロス編でも本格的に始動させようかと思ってます。



長い間、読んでいただきありがとうございました。


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設定録

もう出すことは無いからついでに放出。


魔法リスト

 

 

『燃焼(バーン)』/『不燃炎(ノットブレイズ)』/『命滾灯火(ライフフレア)』『勇往心燃(イグナイトハーツ)』/『希望之灯火(ブレイブライト)』

 

『切断(カット)』/『絶分離(セパレーション)』/『過程略断(ルートカット)』『思心落断(アムネジア)』

 

『鏡心(メンタルミラー)』/『反鏡心(リフレクトマインド)』/『鏡心戮力(アセンブラハート)』

 

『警告(アラーム)』/『危警報(ワーニング)』/『分岐選択(ルートチョイス)』

 

『人形(ドール)』『人形劇(ドールズ)』『魔人形成(ドールマスター)』

 

『傀儡(パペット)』『傀儡操(コントロール)』『傀儡人形(マリオネット)』

 

『恐怖(フィアー)』『恐叫喚(テラー)』『戦々恐々(ロストスピリット)』

 

『貯蔵(ストック)』『貯造庫(ストレージ)』『無尽貯宝(コレクション)』

 

『桜火圏満(フラワーガーデン)』

→サクラ・オルランドの魔法。地に眠る記憶を辿り過去の象形を実像を持って創り出す魔法。

要するに『ムー〇ィー・ブルース』みたいな範囲魔法。

 

『生成動道(ライフコール)』

→トワ・オクレールの魔法。ただし本人に自覚は無い。

自身の周囲で『生命の危機』に陥る運命を持つ人間がいる時、自動的に発動する。

その人間が辿る死の未来を夢として見る。トワちゃん本人に自覚が無いので薄っすらとして記憶できていないけど、何かあるんだろうな、とは本人も思ってる。

 

『極点無欠(ジ・アルティメット)』

 

『改全武傑(チートコード)』

→あらゆる物質を『組み替える』魔法。

 

『隠牙応法(フルカウンター)』

 

『百禍霊嵐(ワイルドハント)』

 

『英雄舞闘(ヒーローショウ)』

 

『流星道去(ハイウェイスター)』

 

 

まあ後はなんとなく字面で予想して。

 

 

 

あとはまあ出す直前で終わってしまった災害種のデータ。

 

 

集虫砲禍『アルカサル』 危険度:A 脅威度:B

 

金属や火薬を好んで食らう全長300メートルの鋼鉄の蜘蛛。背中に城壁らしきものや、大砲がついてる。金属製の糸を吐き出すが、この糸は城塞蜘蛛が去った後にも残っているので回収し様々な用途で利用される。

時々都市に乗り込んできて根こそぎ都市を食らうこともあるが、基本的に人間には敵対的ではない。まあ眼中に無いだけかもしれないが。

全災害種の中で唯一『生殖』を行う存在であり、数年に一度ダンジョン内部に『卵』を植え付ける。

植え付けられた卵は一週間ほどで孵り、ダンジョン内部の鉱物や金属を食らい親と同系統の性質を身に着ける。また親とは違い、ダンジョンへとやってくる冒険者を積極的に襲う。これは極論サイズの違いであり、親と比べれば随分と小さい子供たちにとって生物の骨は餌と認識されているからだと言われている。

 

 

 

 

刻死無双『デッドライン』 危険度:S 脅威度:S

 

歩く天災。地竜から進化したとされているが、詳細不明。

目につく物、触れる物全て倒壊し、破壊し、粉砕し、塵となるまで叩き潰す。

あらゆる生物にとっての大敵であり、過去幾度となく討伐が試みられたが、不死身染みた回復能力と竜種としての圧倒的暴力によって現在では討伐不可能とされている。全災害種の中でも最大の危険存在。

 

魔法:刻死無双

あらゆる物に『死』を刻み込む。『死』を刻みつけられた物質は概念ごと消滅する。

拳で殴りつけた時だけ発動するが、基本的にこいつに拳で殴られて無事な存在がほぼほぼ無いのであまり使われない。

 

 

 

天蓋粉毒『レヴナント』 危険度:B 脅威度:A

 

大陸の空を悠々と舞う全長50メートルを超す超巨大蝶。その羽からは常に猛毒の鱗粉がまき散らされており、降り注ぐ毒粉は空を覆うほどである。

『一度触れれば生を失くし、二度触れれば死を失くす』と言われ、人が一呼吸で死に至るほどの強烈な毒であると同時に、死した生物をアンデッドに変貌させる効果もある。

常に自然を求めて彷徨う性質を持つため、都市などに現れることは滅多に無い。反面、自然の中にある村などはちょくちょく全滅させられ、増えすぎたアンデッドが死生災害……死災を引き起こす。

 

 

 

亀樹廻界『ユグドラシル』 危険度:B 脅威度:B

 

背に巨大な樹の生えた全長200メートルの陸棲の大亀。普段は地面の下に身を隠しており、その背の大樹だけがぽっかりと地上に姿を見せている。実はこの時、周辺の大地から養分を吸収しており、この亀が住み着いた土地は数年で枯れ果てる。

土地が枯れ果てるとまた別の土地へと大陸中を転々としている。基本的に人間を襲うことは無いが、そのサイズからして進路上にある村や町は軒並み踏みつぶして進むので数年置きに村や町がいくつか地図の上から消える。

 

 

威飢幼鷹『バイスフォルク』 危険度:A 脅威度:A

 

魔鷹の特異個体と言われている純白の幼鷹。

最初に確認された時点で全長10メートルを超える巨体を持っていたようだが、それから数十年経過した今、全長30メートルを超え、未だに成長し続けている。

その巨体を維持するために常に飢えており、人間、動物、魔物、モンスター見境なく襲い掛かり、食らう。その旺盛な食欲により毎年数百の人間が犠牲になっている。

ただし冬になると大陸のどこかに消え去り、春になるまで出てこないことから冬眠のような性質があるとされている。

風を収束させ爆発させることで音速を超えた速度で飛行することができる。

 

 

梟歌衰月『オーデグラウ』 危険度:A 脅威度:C

 

闇哭樹海の奥深くに居るとされている全長5メートルの巨大な梟。

基本的に樹海の中から出てくることをしないが、この梟の鳴き声は不可思議な旋律となって森へやってきた人間を森の奥へと誘う。一種の洗脳効果があるとされており、聞いた時点で抗えない衝動となって森の奥へ奥へと足を踏み入れさせる。

毎年のように被災地が異なっているため、樹海の中にいくつか点在した住処があるとされている。

ただし先も言ったように森から出てくることは無いため、森に近寄らなければ無害ではある。まあそんなことは無理ではあるが。

 

 

 

餌生蛸沈『イミタシオン』 危険度:A 脅威度:A

 

大陸周辺の外海を彷徨う大海の悪魔。頭から触手の先まで100メートルを超す超巨大な軟体生物。

非常に知能が高く、海難事故で沈没した船などを海上に浮かべ、船に近づいてきた他の船などを襲うが、本体は常に海の中に居り、触手だけが時折海面へと浮かんでくる。

そのため現状の人類では討伐は不可能とされている。

非常に広範囲な索敵能力を持つ。8本の触手のうちの2本が非常に鋭敏な感覚器官となっており、その触手を海面へと浮かべることで、船などが作る僅かな波を鋭敏に察知する。

また常に大陸の外海を回遊しているため、だいたいどのタイミングで海に出ても一週間以内に察知され、襲われる。

かつて『東和』の国を滅ぼした怪物。

海底ダンジョンを使って移動しているため、大陸の端から端までを僅か一日足らずで移動できる。

 

 

 

蛇智暴逆『クィネス』 危険度:S 脅威度:B

 

全長1センチメートルにも満たない超々小型の蛇。魔法の影響でゴライアスウイルスが逆作用しており、他の災害種とは逆に成長するほどに縮小化していく。ただしこの縮小をさらに『逆転』させることも可能であり、その場合全長1000メートルを超す超々巨大な蛇へと変貌する。

『ダンジョンコア』からの無制限なる魔力供給によりあらゆる事象を『反転』させる力を持ち、そのためか自らの生態すらも思うがままに変化させることができる。

知能が非常に高く、残虐な性格と相まって、普段は人間社会に紛れ、人に憑りつき、人を破滅させることを好む。

 



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