アナタの背中に手を伸ばす (朝霞リョウマ)
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アナタの背中に手を伸ばす

 

 

 

(あっ、いたいた)

 

 未央を探していた加蓮は、彼女の姿をレッスン室で見つけた。

 

 どうやら自主練中だったらしく、彼女のイメージカラーであるオレンジ色のジャージに紺色のハーフパンツ姿の未央。しかし何故か部屋の片隅に向かって胡坐を掻いていて、こちらに背中を向けている。ドアのガラスから中を覗いている加蓮に気付いた様子はなく、無防備に背中を見せる未央の姿に悪戯心が湧き上がってきた。

 

 息を殺し、そっとドアを開けた加蓮は身体をレッスン室の中に滑り込ませる。音を立てないようにゆっくりとドアを閉め、靴を脱いで荷物と一緒に入口の近くにまとめておく。そして靴下で足音を立てないように慎重に未央へと歩み寄っていった。

 

 一歩二歩と未央へと歩み寄る加蓮。どうやら未央は手元に気を取られているようで、背後から忍び寄る影に気付く様子はない。

 

 加蓮の胸の中に悪戯心とは別に、一体何に気を取られているのかという興味が湧いた。

 

(もしかして……クラスメイトから貰ったラブレターだったりしてぇ~?)

 

 悪戯心がムクムクと膨れ上がっていくのを感じ、加蓮の口元からニヤリと笑みが零れる。

 

 『未央はクラスメイトの男子を勘違いさせるタイプ』と何処かで小耳に挟んだことがある。本人としては何でもないようなスキンシップをきっかけに彼女へ恋心を抱いた男子が、彼女にラブレターを送っていてもおかしくはないだろう。

 

 そしてラブレターを貰ってしまった未央がその答えに悩んでいたとしたら? どういうふうに返事をしたものかと、恥ずかしさから誰にも相談できなかったとしたら? そう考えるだけで、加蓮はさらにニヤニヤと笑みを深めた。

 

 普段は一緒になって凛や奈緒を揶揄う立ち位置の未央。そんな彼女を揶揄うネタが見つかったかもしれない。そう考えつつ未央に近付いた加蓮は、そっと肩越しに彼女の手元を覗き見て――。

 

 

 

 ――スッと、自身の中で膨らんでいた感情が急速に縮んでいったような気がした。

 

 

 

「……未央」

 

「うわぁっ!?」

 

 加蓮が声をかけると、未央は驚きビクリと大きく体を震わせてた。

 

 ずっとレッスン室に一人でいたところへ、完全に不意打ちの形で声をかけられたのだ。いくら手元に気を取られていたとはいえ、突然すぐ後ろから声をかけられれば誰だって驚く。未央は自分の中でそう言い訳を述べた。

 

 一体誰が? と振り返ると、そこにいたのは制服姿の加蓮だった。

 

「か、かれん!? 驚かさないでよ~」

 

 大声を出して驚いてしまったことが少しだけ恥ずかしくて照れ笑いをする未央に、加蓮は「ゴメンゴメン」と手を合わせた。

 

「さっき凛と、みんなで御飯食べに行こうって話になってさ。未央のこと探しに来たの」

 

「わざわざ探しに来てくれたの? ありがと~! でも、メッセージアプリで連絡してくれたらよかったのに……」

 

「そのメッセージをスルーしたのは、どこの誰かな~?」

 

「えっ!?」

 

 慌てて未央が手にしていたスマホを操作してメッセージアプリを起動すると、確かに凛からのメッセージがあった。メッセージが届くとスマホの上部にポップアップが表示されるのだが、どうやら無意識的にそのポップアップを消してしまっていたようだ。

 

「ゴ、ゴメン、気付かなかったよ~」

 

 タハハと申し訳なさそうに笑う未央だったが――。

 

 

 

「……あんなの見てたから?」

 

 

 

 ――加蓮のその一言に、ドキッと心臓が跳ね上がった。

 

「……見ちゃった?」

 

「たまたま見えちゃっただけ」

 

 加蓮はしれっと手元を覗き込むために忍び寄った事実を隠す。

 

「寧ろ見ちゃったのは未央でしょ。……プロデューサーから、そういうの見ないように注意されなかったの?」

 

「うっ……」

 

 まるで悪戯をした子どもが大人に見付かったときの反応を見せる未央。寧ろ悪戯をしようとしたのは加蓮なのだが、それはさておき。

 

「……やっぱり、気にならないって言うと……嘘になるから」

 

 未央は片手でスマホを操作すると、先ほどまで自分が見ていた画面を表示させた。

 

 それは所謂『匿名掲示板』と呼ばれるサイトであり、未央が見ていたのは……彼女、アイドル『本田未央』について書かれているページだった。

 

 匿名だから何を言ってもバレないし自分には関係ない。そんな考えで書かれる言葉はときに人を傷付け、それを目にした人でさえ不快にさせる。特にアイドルという大勢の人目に曝される職業をしている彼女たちは、そんな悪意の対象になりやすい。加えて、今は『シンデレラガールズ総選挙』という事務所をあげての一大イベントの真っ最中なので、アイドルについての書き込みが数を増していた。

 

「そんなところに書かれてることを真に受けちゃダメだって散々言われたでしょ?」

 

 ゆえに彼女たちのプロデューサーも「そういうものは見ない」「見てしまっても気にしない」と口を酸っぱくして言い聞かせていた。それを見ることで励みに出来る人間も存在するが、多くの場合は不利益にしかならないものをわざわざ自分から見に行く必要はないのだ。

 

「あはは……分かってるんだけどねー」

 

 勿論、未央もそれは重々承知していた。これが見るべきものじゃないと、受け止めるべきものじゃないと。けれどこれは……触れると痛いと分かりつつも、傷口に触れてみたくなるような、そんな感覚に似ているような気がした。

 

「……しぶりんもしまむーもさ、シンデレラガールになったじゃん」

 

「……うん」

 

 未央のユニットメンバーであり、以前の総選挙で一位に輝き『シンデレラガール』の称号を得た渋谷凛と島村卯月。

 

「二人が一位になってさ、私も自分のことみたいに嬉しかった。寧ろ『どうだ! ウチのしぶりんとしまむーは凄いだろ!』って自慢したいぐらいだった」

 

 壁にもたれかかるように座りながら話す未央。加蓮も彼女のすぐ隣に腰を下ろす。

 

「でも……やっぱりちょっとだけ羨ましかった」

 

 ガラスの靴を手に涙を浮かべながら笑顔で壇上に立つ凛と卯月の姿は、まるで本物のお姫様のようで。そんな二人の姿に……未央は子どものような憧れを抱いた。

 

「同じニュージェネのメンバーとして『私も!』って」

 

 凛と卯月も、そんな未央に「待ってる」と言ってくれた。

 

 だから次は自分が――。

 

 

 

 ――けれど。

 

 

 

「……いやー楓さん凄かったよねー! まさかの楽曲総選挙と合わせて二冠なんだもん! あの大人の魅力には敵わないよねぇ」

 

「……ねぇ」

 

「あとウサミンも! 獲得票数が歴代最高だって! 最後の挨拶で鼻水流しながら号泣する姿に、未央ちゃんも思わず釣られて泣いちゃったよ……」

 

「ねぇ未央」

 

「次はぁ……おーっと? そういえば徐々に順位を上げて来ているクールアイドルが目の前に――」

 

 

 

「……いい加減にしろっ!」

 

 

 

「――え」

 

 加蓮は勢いよく両手で未央の両頬を挟み込んだ。レッスン室にバチーンッという乾いた音が響く。

 

「アイタァ!? えっ、ちょっ、かれん!? かれんちゃん!? 顔はマズいって! これでも一応未央ちゃんアイドル! アイアムアイドル!」

 

「ミートゥー!」

 

 ヒリヒリと頬が痛み、一体全体何事かと困惑する未央だが、まるで睨むように怖い顔をしている加蓮に思わず息を飲んだ。

 

 加蓮は両手で未央の頬を挟んだままズイッと顔を寄せる。

 

「どーせさっき見てた『本田未央は無冠のまま終わる』とか『いつもあと一歩が届かない本田未央』とか『また下の順位の奴らに抜かれる』とか、そんな書き込み気にしてるんでしょ」

 

「え、えっと」

 

「誰が書いたか分かんないような書き込み気にして、ヘラヘラ笑いながら内心でウジウジして……」

 

「か、かれん辛辣……いや、その前にそろそろ手を放してもらえると……」

 

 

 

 ――未央の背中に追いついたって喜んでた私がバカみたいじゃん。

 

 

 

「……え」

 

「……ふんだ」

 

 呆けた表情になった未央を解放しながら鼻を鳴らす加蓮。その顔はちょっとだけ照れたように朱に染まっているようにも見えた。

 

「前回も前々回も、未央はシンデレラガールになった二人と最後まで競い合ってた。『あと一歩が届かない』ってことは『あと一歩の位置にいる』ってことなんだよ? それが凄いことだって、未央は分かってるの?」

 

 『敗れたから二位』なんだと、そう見られてしまうこともある。『銀メダルは負けた証』と心無いことを言う人もいる。

 

 

 

 けれど、今、本田未央が()()()()()()()()()()()()()()()なのだということは紛れもない事実なのだ。

 

 

 

「私だってシンデレラガールになりたいって、本気で思ってる。そしてその最後の壁が……未央、アンタなんだよ」

 

「かれん……」

 

「未央が本気になってくれないと、私の一人相撲みたいじゃん。……そりゃあ本音を言うと、シンデレラガールになれるなら、それならそれで嬉しいんだけど」

 

 でも、と加蓮は首を横に振る。

 

 未央が凛や卯月の背中を追ったように。愛梨や蘭子や周子といった歴代のシンデレラガールの背中を目指したように。未央の背中もまた、北条加蓮という少女の目標だった。

 

 かつて高垣楓が『最後の壁』と称されていたように。本田未央という存在もまた、加蓮にとって……今のアイドルたちにとって、最後に挑むべき壁なのだ。

 

「私だけじゃない。まゆだって志希だって幸子だって、みんなシンデレラガールになりたいって……応援してくれてる人のために必死になってる」

 

 だから、と加蓮は立ち上がった。

 

「そんなどうでもいい声じゃなくて、もっと聞くべき声があるでしょ」

 

 それは顔と名前のない誹謗中傷なんかじゃない。

 

 それはいつもアイドルたちの背中を押してくれた大勢の声。

 

 単純な、簡潔な、シンプルな、たった一言。

 

 

 

「『頑張れ』」

 

 

 

 頑張っている人には不適切だと言われることもあるその言葉は、ずっと頑張っている人には辛いとも言われてしまうその言葉は。

 

 それでも、いつだって人を奮い立たせる魔法の一言だった。

 

 

 

「全力で走って、未央。私はそんな未央を全力で追い越すから」

 

 座ったままの未央に加蓮は手を伸ばす。未央は(かれんがいつの間にか茜ちゃんみたいな熱血になってる)と内心で苦笑しつつその手を取って立ち上がった。

 

 身長にそれほど大きな違いのない二人。けれど立ち上がった未央が、加蓮にはいつも以上に大きく見えた。

 

「……かれん、ありが――」

 

「ほら、早く着替えてご飯食べに行こ」

 

 未央の感謝の言葉を加蓮は遮った。まるでこの会話はこれで終わりとでも言うように。……もしくは、自分の発言が少しだけ恥ずかしくなってきたのかもしれない。

 

「……うん! いやぁ練習頑張ったから、お腹減っちゃったなー! 今の未央ちゃんなら、ファミレスの全メニュー制覇も夢ではないかもしれない……!」

 

「ホント!? それじゃあ私と一緒に新メニューの『超ウルトラ山盛りポテトメガマックス』を……」

 

「ゴメンナサイ」

 

 以前SNSで「しばらくポテトはいい」とぼやいていた凛と奈緒のようにはなりたくなかった。

 

 

 

「それじゃ……行こっか?」

 

「……うん、行こう。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 




自分は楓さんと唯ちゃんの担当Pです。

楓さんに総選挙楽曲をもう一度歌ってもらいたいですし、唯ちゃんにもシンデレラガールになってもらいたいです。

けれど今回の総選挙では、未央を応援すると決めました。

……それでも願わくば、未央と加蓮が奇跡の同率一位で二人同時にシンデレラガールになるという奇跡が起きますように……。


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