長き夜が明け、朝日がすすき野原を照らす。内府と葦名の戦の音も気づけば止み、すすきを揺らす風が血の匂いを微かに運んでくる。
『踏みにじらせはせんぞ……!』
葦名を守らんとせんとする、巴流の侍。
『儂はこの葦名を黄泉返らせねばならぬ……、ゆえに隻狼……お主を斬るぞ』
国盗りの剣聖までも斃した狼は主の前で跪く。
桜竜の涙、常桜の花を主に飲ませ、残す使命は不死断ちのみ。背から赤の不死斬り『拝涙』を抜き自らの首に押し当てる。
「最後の不死を、成敗いたす」
主を含め、多くの人の人生を歪めた竜胤を断つ。
「人として、生きてくだされ」
――桜が、散る
主も義父も、一度は全てを失った狼の忍は、約定に基づき不死断ちを為した。
しかし、数奇な運命は狼の忍に新たな使命を与えるのであった。
ちりん
――鈴の音が聞こえる。
ちりん
『そなたなど、まだまだ子犬よ』
幻の使い手である師の声が聞こえる。訓練とは名ばかりの実戦で培われた実力に今は感謝している。最後には認めてもらえただろうか。
ちりん
『しょせんは、野良犬だったか』
義父の声。身の丈に合わぬ謀で己を滅ぼしたが、生きる道を与えてくれたのは義父であった。
……そうか。これが走馬燈というやつか。微睡みに身を任せ過去を思い出して見るも浮かんでくるのは血塗れの戦場だけであった。
しかし、不意に思い出すのは口に広がる甘い味。
『狼よ、私のおはぎは、どうじゃった』
『旨う、ございました』
『で、あろう』
あぁ、あのときのおはぎは旨かった。九郎様の嬉しそうなお顔を思い出す。今頃は竜胤から解き放たれて茶屋でも開いているであろうか。
他愛ないことを思い出しているうちに意識は深く沈んでいく。――深く深く。
「お兄ちゃん。この人、腕が……」
「大変だ! 早く手当を……!」
聞き覚えの無い声で目が覚める。凍てついた空気が体に突き刺さり、ぼんやりとした頭を徐々に覚醒させる。
(ここは……)
霞む視界に映るのはまだ幼い兄妹であった。耳に特徴的な飾りと額に痣のある兄と、簡素な着物に身を包みながらも顔立ちが整っている妹。
二人して雪の上で冷たくなっていた自分の体を引きずるように移動させる。声を出そうとしたが、かすれた呻き声しか口からは出てこず、気づいたときには意識はまた闇の中へと落ちていくのであった。
次に目が覚めたときには見知らぬ家で寝かされていた。囲炉裏の火が冷え切った体を温めてくれたようで体も動けるようになっていた。
「……誰だ」
襖の奥に声をかけるとビクッとした気配。そっと観察されていたようだが、忍である自分からすれば丸わかりであった。しかし、一切敵意を感じられない。葦名では戦が続いていたため不用心に他人を家に上げたりはしないはずだが。
「おじさん怪我大丈夫?」
「腕痛くないの?」
ひょこっと顔を覗かせたのは朧気な記憶で見た兄妹よりもさらに幼い兄妹。その目にはこちらを心配する純粋な気持ちが真っ直ぐと伝わってきた。自身の腕を見るとそこにもはや見慣れた義手はなく、代わりに包帯が丁寧に巻かれていた。
「……やっぱりまだどっか痛いのかな?」
「……難しい顔してるもんね」
薬師殿には眉間の皺が薄くなったと言われたはずだが……。しかし、そもそもなぜ自分は生きているのだろうか。もしや不死断ちに失敗してしまったのだろうか。思考の海に沈みかけていると新たな気配が近づいてきた。
「花子ー、茂ーご飯だぞーって、起きてる!! ちょっと待ってくださいね! 母ちゃん-! ご飯の用意一人分増やしといてー!」
自分をここまで運んでくれたであろう痣の少年が元気に駆けていく。……ひとまず情報を手に入れよう。
騒がしい食卓に混ざるのはなんとも慣れぬものであった。
「あ、自己紹介もまだでしたね。俺は竈門炭治郎といいます。こっちが妹の禰豆子で……」
六人の子供と一人の母親のこの家族は炭を売って生活しているようだ。長男の炭治郎は父親がいないことで苦労しているはずだがそんな様子を微塵も感じさせない明るさであった。
「そういえば、あなたの名前はなんと言うんですか?」
「……狼」
「すごい! かっこいい名前ですね!」
炭治郎は素直すぎて逆にこちらが心配になってしまう。葦名に戻ろうと場所を聞いてみたが、近くはともかく遠くの地名は分からないとのこと。閉鎖的な暮らしをしていれば仕方の無いことであろう。
「狼さんは刀を持ってたのでお侍様なんですか?」
どうやら倒れていたとき義手も不死斬りも身につけていたままのようだ。道具袋まできちんと保管してくれていた炭治郎には感謝をしなければ。
「……侍ではない」
「じゃあ義手の中に手裏剣があったんですけど忍者なんですか?」
「……言えぬ」
仕える主ももはやいないのについつい誤魔化してしまう。忍の掟は未だに己の中に染みついているようだ。
「炭治郎殿は……」
「炭治郎でいいですよ」
「……炭治郎は死人返りというものを聞いたことがあるか?」
葦名の存亡が分からぬ今、自身がすべきことは竜胤の有無を知ること。竜胤がもとの場所に帰っていないのであれば、世は必ず乱れるであろう。……御子様もそんなことは望まぬはずだ。
「死人……? いえ、聞いたことないですね。人食い鬼の話なら婆ちゃんから聞いたことありますけど……」
「鬼か」
鬼といって自分が真っ先に思い浮かべるのは赤く燃える怨嗟の炎だが……。戦無き地で怨嗟の炎が積もることは考えにくい。赤目のような変若水を飲んだものの成れの果てであろうか。
「鬼といっても実際に見たこと無いですし、ただの噂ですよ」
「そうか……」
竜胤による乱れが無い、それは喜ばしいことである。ならば、自分はどうして生きているのであろうか。これから何をすればいいのか。戦場で佇んでいた幼子のときの自分とは違う。御子様のように歩むべく道は己で定めなければならない。
「炭治郎」
「はい?」
「……酒だ」
「まだ子供ですっ!!」
感謝の印に最高級の酒を振る舞おうと思ったのだが……。一心様や仏師殿のように大人にしか喜んでもらえないらしい。
それからしばらくは炭治郎の家で世話になった。薪を割るのを手伝ったり、山に入って熊を狩ったり、子供達とかくれんぼをして圧勝したりと穏やかな日常を過ごした。
「炭を売りに行くのか」
「うん。狼さんのおかげで食べ物には困らなくなったから、今度は禰豆子に新しい着物を買ってやりたいんだ。禰豆子にはいつも我慢させてばっかりだからなぁ」
雪が降り積もり足場が悪い日にも関わらず、炭を売りに行くという炭治郎は嬉しそうに話す。
「手伝おう」
「私も!」
「狼! かくれんぼしよ!」
「えぇ! 兄ちゃん薪割り一緒にやるんじゃないの」
大騒ぎになってしまった所を母上がまとめて自分だけがついていくことになった。雪が積もっていては歩くだけで重労働である。
「お兄ちゃん。狼さん」
「禰豆子。六太を寝かしてくれたのか」
「うん。大騒ぎしちゃうからね。狼さん、いつも手伝ってくれてありがとう。またおはぎ用意して帰りを待ってますね」
「かたじけない」
以前好物を聞かれたときにおはぎと答えてから、禰豆子はおはぎをよく作ってくれる。御子様のおはぎより甘みがすくないおはぎが自分は好きであった。
家族に見送られ山を下りる。最近は炭治郎も狩りに興味を持ったらしく、自分に色々と聞いてくるので気配の消し方などを教えている。ただ、教え方など分からないので全て実戦形式だ。炭治郎は真面目で飲み込みが早いので、数ヶ月の間でめきめきと実力をつけた。
「はぁ~……。狼さんみたいにウサギに気づかれずに回り込める気がしない……」
「鼻に頼りすぎだ」
炭治郎は鼻がいいので感覚で動きがちだ。そこさえ直せば忍の動きももっと板につくであろう。
「思ったより時間がかかりましたね……」
「あぁ」
炭は売れたが時間がかかってしまい、辺りは暗闇に包まれている。道中泊まっていけと声をかけられたが、忍は暗闇でもまったく問題がないのでそのまま帰ることにした。
「それにしても三郎爺さんよっぽど寂しいのかなぁ。人食い鬼なんているわけがないのに」
先ほど声をかけてきた老人。曰く、夜になると人食い鬼がうろつき出す。なので、夜は家にこもっているべきだと。
冗談にしてはあまりにも真剣な顔つきだった。首なしや七面武者といった怨霊の類いとも斬り合ったことのある自分にとって鬼がいてもなんの不思議でも無い。腰の楔丸に自然と手が伸びた。
家に着く直前、先に変化を感じ取ったのは炭治郎であった。
「血の……匂い?」
瞬間、自分は駆け出していた。楔丸を抜き、家と同時に目に入ったのは末っ子の六太を庇い、何かに斬られる禰豆子の姿であった。
ガシャン!
義手に仕込まれた瑠璃の手裏剣が光の筋を描く。禰豆子を斬ったナニかは手裏剣を躱すこともせずその身で受け止める。
ガシャン!
投擲が効かないと悟るやいなや、仕込まれた忍具を変える。義手の見た目からは想像できないようなリーチをもった仕込み槍が胴体を貫こうとするが易々と手で止められる。
狼は止められるもそのまま槍を思い切り引く。敵が急速に迫る中、首を落とさんと刀を振るう――
「!?」
「そんな刃ではこの首は落ちぬ」
眼前に現れたのは口は血に染まり、筋肉が膨張し、額に角があるまさしく鬼であった。楔丸の刃は首の皮一枚も斬ることが出来なかった。
「狼さん! 一体なにが……禰豆子!?」
遅れてきた炭治郎が惨劇を目にしてしまい固まる。鬼はその隙を見逃さず炭治郎に襲いかかる。
「くっ……」
ぶつかるように炭治郎と鬼の間に入る。
ぞぶり、と肉の抉れる音が頭に響いた。
「……狼さん?」
瓢箪……丸薬……お米、全て家の中だ。腹が灼けるように熱い。真っ白な雪が赤く染まっていく。……炭治郎せめてお主だけでも逃げてくれ。声を出そうとも口から出るのは血反吐しかない。
また、守れないのか。重くなる瞼に必死で抗っていると微かに見えたのは鬼に立ち向かおうとする炭治郎の姿。
――まだ、死ねない
意志とは裏腹に暗くなる視界の中、声が聞こえた。
『狼よ、我が血とともに生きてくれ』
禰豆子の漢字どうやって変換すればいいですか……?(小声)
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2話
ゴホッ……ゴホッ……
竜胤の力を持つ者が死を重ねると、竜咳と呼ばれる病が世に振りまかれる。病に罹る者は狼と関わった者であり、竜咳に罹ると話すことさえ難しくなる。
大いなる力には必ず代償があるものだ。果たすべき使命のため、何度も命を落とした狼は竜咳を世に広めていった。
やがて、薬師であるエマが竜胤の雫を用いた治し方を見つけてくれたため、命を落とす者は現れなかったのが幸いか。
目の前で炭治郎が鬼に喰われそうになっている。赤く染まる視界の中、狼は自分の体に竜胤の力が残っているのを感じていた。
(御子様…)
狼は再び因果に巻き込まれる。
――回生
禰豆子を背後に庇いながら、炭治郎の頭は高速で回転していた。
(狼さんが俺を庇って死んでしまった! 家の中からも血の匂いが溢れて止まらない! 禰豆子は呼吸しているみたいだけど早く医者に診せないと……!)
目の前の鬼を油断無く見ながら次の一手を思考する。眼前の鬼の姿が消えた。
「っ!?」
反応出来たのは奇跡だった。咄嗟に体を転がすとさっきまで自分の体があった場所には鬼の足が深々と突き刺さっていた。
「手間をかけさせるな」
一瞬の攻防で炭治郎は己が絶対この鬼に勝てないことを悟ってしまう。力の強さも、動きの速さも全てにおいて桁違い。
(勝てない……! でも諦めない……!)
狼に救われた命を無駄にしないため、家族の命を守るため、炭治郎の心は決して生きることを諦めなかった。
「……忌々しい」
圧倒的な力の差を分かっていながらも、炭治郎の目の奥には希望の炎が燃えているのを見た鬼が憎々しげに呟く。日の出が近いのも鬼をいらつかせる原因の一助となった。
鬼が炭治郎を物言わぬ肉塊に変えようと腕を振り上げた瞬間、
ドックン
狼の心臓が動き出した。
(体は、問題ない……)
信じられないものを見る目でこちらを見る炭治郎と鬼。無理もあるまい、体には穴が空き、血は池を作る勢いで流れ出ていた。
しかし、竜胤の力は一度では死なぬ。己が諦めなければ一度でも、二度でも、何度でも立ち上がることが出来る。
「貴様……。鬼か……」
「……参る」
鬼の問いには答えず、楔丸を構える。
先手を取ったのは鬼であった。人間離れした早さの拳が狼に迫る。しかし、狼はその場から動くことはしない。楔丸を構えたまま、刃を拳に添える。
――弾く、弾く、弾く
まるで、剣で打ち合うかのような甲高い音が森に響く。炭治郎には戦いの様子がはっきりとは見えなかった。
一撃が必殺の拳をいなす。自分より遙かに大きな獅子猿や、長大な得物を振り回していた破戒僧と戦った経験から力だけの攻撃は恐れるものでは無い。
弾きとは攻守一体。敵の攻撃を防ぎながら、相手の体幹を削っていく。最初は押していたはずの鬼の顔に焦りが浮かぶ。
(攻めているのはこちらのはず、ならばなぜこんなにも体が重い……!)
思わず鬼が体を引くと、眼前には刀があった。
寄鷹斬り
体を大きく捻り、相手の懐に瞬時に入り込む。仏師から受け取った忍び義手の流派技。
「ぐぅ!?」
体幹を大きく崩し、地に膝をつく。ハッと顔を上げると視界が真っ黒に染まった。刃が目に突き刺さる。
「がっ!?」
目を潰したところで鬼の傷はすぐに癒える。狼を突き飛ばし、その隙に傷を癒やす。わずか数秒で視界が戻った鬼は、”死”を感じた。
奥義・不死斬り
――赤い剣閃が夜の闇を斬り裂いた
(逃げられたか……)
手応えはあったが、浅かったようだ。奥義を放った後の一瞬の隙に鬼に逃げられてしまった。
(不死斬りが抜けた……。やはりこの身には竜胤の力が残っているのか)
常人には抜けぬ不死斬りを抜けたことで、竜胤がこの世に残っていることは分かった。ならば、為すべき事は一つ。今度こそ、不死断ちを果たす。
「母ちゃん、花子、竹雄、茂、六太」
思考を現実に引き戻したのは炭治郎の力なき声。家の中に生きているものは誰も居ない。昨日まで騒がしかった家の無音が炭治郎の心を抉る。
台所には作りかけのおはぎがあった。
「禰豆子だけは死なせない……」
唯一、息があった禰豆子を背負い炭治郎は駆け出す。……しかし、あの出血量では。後で弔いに来ることを心で固く誓い、狼も炭治郎の後を追う。
先ほど登ってきたばかりの山を全速力で駆け下りる。荒い呼吸の炭治郎に比べ、禰豆子の呼吸は小さくなるばかりであった。
やがて、背負うのを交代しようと言い出そうとしたときだった。炭治郎の背の禰豆子が吼えた。
「グオオオオオ!!!!」
「!?」
慌てた炭治郎が禰豆子と共に崖下へと落ちていく。すぐさま義手の鍵縄で二人の後を追う。
「無事か?」
「へ? あ、大丈夫です……。そうだ、禰豆子は!?」
辺りを見回す。禰豆子はすぐ近くに
「よかった! 禰豆子、すぐ町まで連れてってやるから……。狼さん?」
炭治郎の肩を掴んで下がらせる。手はすでに楔丸を掴んでいた。
「禰豆子……?」
炭治郎の問いかけに伏せていた顔が上がる。そこに、いつもの優しい顔をした禰豆子はいなかった。
目は血走り、牙が生えた禰豆子は、鬼であった。
「炭治郎……下がれ」
「狼さん!? 違う! 禰豆子は鬼なんかじゃない。生まれも育ちも人間なんだ!」
刀を抜いた自分を見て、必死に引き留める炭治郎。だが、もはや常人では生きていられぬ程、血を流した禰豆子が人間であるとは思えなかった。
「狼さん! 止めてくれ! 禰豆子は最後の家族なんだ! きっと鬼から戻る方法だってあるはずだ!」
炭治郎の言葉に迷いが生まれる。確かに、自分は鬼について詳しくない。もしかしたら、鬼になってしまった禰豆子も心優しい少女に戻せるかもしれない。
迷えば、破れる。
一心様の言葉が頭をよぎる。こちらの迷いを見透かすように、禰豆子がこちらに襲いかかってくると同時、もう一つ接近してくる影があることに気づく。
その影の殺気が禰豆子に向いていることを感じ、狼は決めた。
「炭治郎……禰豆子は任せる」
「っ! 任せて!」
禰豆子に背を向け駆ける。炭治郎ならば、機転が利くあの子ならば状況を変えてくれるかもしれない。
自分はそこに邪魔が入らぬようにしよう。
立ち止まり、楔丸を構える。
「お前は誰だ? なぜ、鬼をかばう」
現れたのは、まだ年若い青年。しかし、その若さとは裏腹に練り上げられた剣気は並のものではない。
言葉の代わりに構えをとる。
「何が目的かは知らんが……、そこをどいてもらう」
青年が剣を抜く。波紋が一つも無いような穏やかな水面の如く。戦いは静かに始まった。
感想がいっぱい…
うおおおお(モチベ爆発)
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3話
鬼殺隊。その数、およそ数百名。政府から正式に認められていない組織。だが、古より存在していて今日も鬼を狩る。
鬼。主食、人間。身体能力が高く傷などもたちどころに治る。太陽の光か、特別な刀で首を切り落とさないと殺せない。
鬼殺隊は生身で鬼に立ち向かう。人であるから傷の治りも遅く、失った手足が戻ることもない。それでも、鬼に立ち向かう。人を守るために。
鬼殺隊の要。最高位の柱の一人である富岡義勇は目の前の男に足止めされていた。男の後ろには未だ鬼の気配があり、どうやら一般人もいる。一刻も早く鬼を切り捨てに行かなければいけない状況下の中、義勇は動けずに居た。
(この男、隙がない……)
強者は相対した時点で、ある程度相手の力量を推し量る事が出来る。互いに刀を構えいつでも仕掛けられるようにする。
(目的は時間稼ぎか)
攻めてくる様子を一向に見せない男に義勇は内心舌打ちをする。守りを固めた強者を打ち崩すには圧倒的な力が必要だ。しかし、僅かの油断も無くこちらを見据える男と、己の力の差は隔絶してはいなかった。
戦いは不意に始まった。
「
ダンッ!
(っ!?)
音を置き去りにするほどの突きを放った剣は、狼の足の下にあった。迫り来る刃に自ら踏み込み、自らの足で受け止める。ほんの少しでもタイミングがずれていれば、己の体に風穴が空いていたであろう。
「
崩れた体制をそのまま技に繋げる。上半身と下半身の激しいねじりによって生み出された強い渦動が狼を飲み込む。
上下左右絶え間なく襲いかかる剣戟を弾く中、狼の動きは最適化される。一撃目より二撃目の動きは小さく、速く、正確に。
数十もの打ち合いの末、いつしか攻守は入れ替わっていた。
(……これほどとは)
攻められながらも義勇は焦ることはなかった。水の呼吸はその名の通り、水の如く変幻自在。どんな相手にも対応できる。
ふと、義勇は戦いの最中であるにも関わらず刀を下げた。
反対に、狼は初めて攻めるための構えを取った。剣を正面に、両手で高く掲げる。
「全集中・水の呼吸
「葦名流……」
「凪」「一文字」
――大気が震えた
「お前は、なぜ鬼を守る」
衝撃で腕が痺れているのを隠しながら義勇は問う。凪は全ての攻撃を無にするのだが、完璧に相殺することが出来なかった。
「恩人の為」
表情一つ変えずに狼は答える。体幹を著しく奪い去る技を放ってもなお、立ち続ける義勇に警戒を続ける。
「恩人が見知らぬ他人を喰ってもいいのか」
「させぬ」
問答は無用とばかりに再び構える。今度こそどちらかが死ぬと思った刹那、
「狼さーん! 禰豆子が大きくなったり小さくなったりするんですけど……」
場違いな明るい声が響く。炭治郎となぜか小さくなった禰豆子が手を繋いで現れた。
「それが鬼……か?」
「禰豆子は人間です! それで貴方は誰ですか?」
先ほどまでの剣呑な雰囲気は彼方へ消し飛んだ。義勇は刀を収める。
(明らかな飢餓状態のはずなのに人を襲わぬ鬼など聞いたことがない)
炭治郎にピッタリとくっついている禰豆子は知らない人からすれば、ただの子供にしか見えない。今まで出会ったことのない鬼に困惑していた。
「その娘はお前の家族か」
「そうです! 禰豆子は俺の妹です!」
「ならば、お前は妹の生殺与奪の権をその男に委ねるのか」
「え……」
訳が分からないという顔の炭治郎に怒りが湧き起こる。
「お前は妹が人を喰らった時どうするつもりだ!」
「禰豆子は人を食べたりしません!」
「何故言い切れる! そんな楽観的希望だけで鬼を野放しになど出来るものか! お前は妹を止める力を持っているのか!」
「!? それは……」
「鬼から妹を守れなかったお前が、鬼の妹を御することなど不可能! ならば万一の時にはそこの男に頼むしかあるまい、妹を斬れとな」
炭治郎は思わず狼を見る。狼は、否定しなかった。誰も禰豆子を守ってくれない。
「お、俺が鬼から元に戻す方法を見つけます!」
力のない炭治郎の台詞はあまりにも無力であった。しかし、禰豆子を見捨てることなど出来るはずもなかった。
「だから、どうか……どうか……俺から家族を奪わないで下さい」
冷たい雪の上で炭治郎は地に頭を擦りつけた。もはや、自分に出来ることは許しを請う事だけだと思った。脳裏に浮かぶ冷たくなった家族達。炭治郎はこれ以上家族を失いたくなかった。
「他人に生殺与奪の権を委ねるな! 惨めったらしくうずくまるのはやめろ! 弱者には何の権利も選択肢もない! お前が妹を守るためにすることはそんな無様な姿をさらすことなのか!」
力なきものは淘汰される。大事なものは奪われる。狼も一度は全て失った。
「……戦え」
楔丸を差し出す。心優しい炭治郎には酷かもしれない。しかし、戦わなければ何も取り戻せない。
楔丸に込められた願い。
――忍びは人を殺すが定めなれど、一握の慈悲だけは、捨ててはならぬ……
刀とは殺める為だけに振るうものではない。何かを守るためにも振るう時がある。
「お主が、禰豆子を守るのだ」
「……はい!」
炭治郎は楔丸を受け取り立ち上がる。その目は、弱者の目ではなかった。
「来い! 貴様の力を示せ!」
「いきます!」
「ううううう!」
不格好ながらも構えた炭治郎に付き添い、義勇を威嚇する禰豆子。
狼は若き剣士が生まれる瞬間を見た。
感想パワーで一気に更新!
誤字報告ありがとうございますm(_ _)m
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第4話
『狭霧山の麓に住んでいる鱗滝左近次という、老人を訪ねろ。富岡義勇に言われて来たと言え』
炭治郎、禰豆子と立ち会った義勇。炭治郎の機転の良さと、禰豆子の鬼になっても兄を守ろうとする姿勢に思うところがあったのだろう。二人を軽々とのした後、そう言うと霧のように消えた。
『妹を太陽の下に連れ出すなよ』
言葉は少ないが、禰豆子を気にかけてくれたりと無表情だが根は優しい青年なのであろう。狼は炭治郎と共に竈門家にもどり、家族の埋葬を手伝いながら自身にだけ伝えられた言葉を思い出す。
『……もし、あの娘が人を喰うようであれば、お前が斬れ』
家族の墓前を前に、祈ることもせず虚空を見つめる禰豆子。この娘に明るい笑顔がもどる事はあるのだろうか。
「狼さん」
雪が降りしきる中、五人もの墓を掘った手は真っ赤に染まり、体は冷え切っていた。黙祷を捧げ炭治郎は決意を決めた。
「俺はこのまま狭霧山に向かいます。狼さんには世話になりました。この恩はいつか必ず返します」
深々と頭を下げる。これ以上、他人に迷惑はかけられない。
家族を失ったばかりの少年がこうまで他人を気遣えるものか。炭治郎はどこまでも優しい子供であった。
……どこであろうと、小さな体にも強い意志は宿るのかもしれない。
「恩を返すのはこちらだ」
狼が思い返すのは暖かな日々。見ず知らずの男を拾い、家族の一員として扱われ、短い期間だったが平穏な生活を過ごした。戦場で、屍と共に育った自分にとっては初めての経験。
「恩義には、報いる」
片膝をつき、頭を下げる。これは契約、ではない。しかし、自らの意志でこの少年の力になりたいと思った。
それに、鬼は不死の存在に近い。不死断ちの手がかりを得られるかも知れない。
「わわ! 頭を上げてください!」
慌てる炭治郎にぼーっとしている禰豆子。この二人は守ってみせる。固い決意と共に狼の眉間の皺が深くなったやもしれぬ。
狭霧山を目指すに当たって、禰豆子は日の光の下を歩けないため、籠を作り日中はその中に入れて行動することになった。籠を頭から被った禰豆子を見て一人の男を思い出すが、頭の片隅においやる。
義勇との立ち会いから炭治郎は強さを求めた。禰豆子を救うためには鬼と対抗するための力がいる。そのため、鬼と渡り合うことが出来た狼に教えを請うた。
しかし、これが地獄の始まりだった。
「構えろ」
「はぁ……はぁ……」
狼の師は幻術使いの忍びであった。忍びは、手取り足取り優しく技を教えることはない。実際に見て、聞いて、体に教え込む。つまりは実戦形式である。
今までの狩りの仕方などという、気配の殺し方とは違う。ただの炭売りをしていた少年にとって狼との実戦形式の鍛錬は過酷であった。
「ぐぅっ!」
「遅い。温い」
――怖じ気づくと人は死ぬ
迫り来る真剣は恐怖心を刺激する。恐怖は判断を鈍らせる。一瞬の過ちは死を招く。
耳元を刃が通り、髪がはらりと舞う、剣を受けた腕は痛みで痺れ、呼吸が乱れ意識も朦朧とする。炭治郎は鬼と対峙したとき以上に死を感じた。
(頑張れ! 炭治郎はやればできるぞ!)
心の中で己を鼓舞し、雪で遊ぶ禰豆子を見て癒やされながら必死に鍛錬を重ねる。
鍛錬の疲労は凄まじく、最初は終わる頃には指一本も動かせない様であった。そんな時は狼が持つ不思議な瓢箪を飲まされる。すると、体は元気になり再び鍛錬が始まる。炭治郎の心は死んだ。
道中はこんな有様であったので狭霧山への行程は遅々として進まなかったが、炭治郎は確実に成長していた。
次第に剣を弾いた腕は痺れを感じなくなっていた。呼吸も乱れず、鍛錬が終わっても立っていることが出来る。
そしてついに、
「む……」
ガキィン!!
(とった!)
一月も立つ頃。弾いた刃が狼にとど……
(あ、このままいったら狼さんが怪我をしてしまう)
「甘い」
「ぐへぇ!」
……いたのだが、炭治郎の甘さが出た。いつの間にか空中にいた狼の菩薩脚が炭治郎を地に沈める。
(飲み込みはいいが、詰めが甘い)
ぴょんぴょんと菩薩脚の真似をする禰豆子を横目に見ながら狼は悩む。炭治郎は優しすぎる。優しさは美点であるが、戦いにおいては枷にしかならない。実戦でこの優しさが足を引っ張らなければよいのだが……。
夜。今日も今日とて炭治郎は疲れた体を引きずり歩く。漸く狭霧山への行程が進むようになっていた。寝られそうな場所を探していると、灯りが漏れるお堂を見つけた。ホッと一息つくのも束の間、鼻が異様な匂いを感じた。
(血の匂い)
誰かが山中で怪我をしたのかもしれない。かつての炭治郎ならばすぐにお堂の中に飛び込んでいたであろうが、狼との鍛錬を経て、戦闘の勘が養われた炭治郎は刀を抜いた。
音を立てないように中を覗く。
くちゃ……くちゃ……
(鬼……!)
中では予想通り鬼が人を喰らっていた。息をしているものは誰もいない。
「あー。やっぱ女の肉のほうが柔らかくて旨いな」
人をゴミのように扱う鬼を見て炭治郎の頭がカッと熱くなる。
カタリ
「なんだ……あ、ごぺぇ!?」
鬼が物音に振り向こうとしたときには首が落とされていた。音もなく背後から忍び寄り、敵の急所を貫く。血が噴水のように湧き、赤く染まったのは炭治郎であった。
「はぁ……はぁ……」
(お、鬼とはいえ殺してしまった)
炭治郎が初めて人を害したことについて戸惑う中、狼は炭治郎の覚悟の強さを見た。
炭治郎は思いやりが強い子である。本当なら人を喰った鬼にさえ優しさをかけられるような子である。しかし、義勇との立ち会い、狼との鍛錬を経て、炭治郎は禰豆子のために戦う覚悟を決めていた。もし、禰豆子が人を傷つけたら自分が禰豆子を斬って腹を切る。決して、狼や他人に任せることなどしない。
己の弱さを知った炭治郎は強くなった。
「狼さん。亡くなった人の埋葬を手伝ってもらっていいですか?」
「御意」
鬼の脅威がなくなり、犠牲となった人達の埋葬をしようとした時、首のない鬼の体がピクリと動いた。
「ううううう!」
瞬間、禰豆子が駆け出し鬼の体を蹴っ飛ばす。
「禰豆子!?」
「がっはぁぁぁ!?」
首だけの鬼の断末魔。もはや鬼の体は関節が増えすぎて動くことが出来ない状態であった。
ふんす、とやりきった表情の禰豆子に炭治郎は悩んだあげく褒めることにした。妹には甘い兄である。
「……いつまで見ている気だ」
一人だけ戦闘態勢を解いていなかった狼の問いかけ。炭治郎が何事かと周りを見渡す。
「話に聞いていた様子とは違うが、お前が竈門炭治郎か」
気づくと、天狗の面をした男がそこにはいた。……天狗の面。葦名にいた天狗と同じように、この男もただ者ではない。
狼は奇妙な縁を感じずにはいられなかった。
鱗滝「義勇からの手紙の奴が全然来ないんだが……」
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炭治郎の修行日記
丸月×日
禰豆子に向けて今日から日記をつけることにした。お堂で鬼を斬った後、鱗滝さんに連れられ狭霧山に到着した。
まず初めに、鬼の殺し方を教わった。鬼は首を落としても死なない。太陽の光か、鬼殺隊がもつ日輪刀という特別な刃で首を斬らなければならない。狼さんが持つ赤い刀に鱗滝さんがとても興味を持っていた。
それから俺は毎日山を登っては下りての繰り返しだ。山の中には罠がたくさん仕掛けてあって降りる頃には体のあちこちが痛む。空気も薄くて呼吸するのも精一杯だ。
明日も朝から山へ行く。今日はもう寝よう……
丸月△日
最近罠の難易度がどんどん上がっている。俺を殺す気満々だ。体力が上がって、鼻も前より利くようになっていなかったら危なかった。
最近は狼さんも罠作りに協力しているらしい。狼さんはあまり喋らないが人付き合いが得意なのかも知れない。夜遅く、鱗滝さんとともにお酒の匂いがよくする。
俺も大人になったら混ぜて欲しい。
丸月□日
今日は刀をもって山下り。これが本当に邪魔で、前まで簡単に避けることが出来ていた罠にかかりまくってしまう。
狼さんは刀を二本履いているのでコツを聞いてみたら、見て学べと山から下りてきたばかりなのにまた走らされた。
足が棒になった。
丸月丸日
今日は刀の素振り。今日は、というより今日もだけど。山下りの後、毎日腕がもげそうになるほど素振りをさせられる。
最初は重く感じていた刀も大分ましになってきた気がする。鱗滝さんに狼さんとの鍛錬の仕方を聞かれたので話したら、お前は忍びになるつもりかと言われた。
確かに、狼さんの戦い方は剣士と言うより忍びに近い。どちらがいいかと鱗滝さんに尋ねれば両方やれと返ってきた。
……禰豆子、兄ちゃんは死んだかもしれない。
△月×日
久々に日記を書く。ここしばらくは日記を書く元気が残らないほどの訓練内容だった。
朝起きて山に登る。空気が薄い中、狼さんとの鍛錬が始まる。狼さんにぼこぼこにされた後は山を下る。もはや、罠が置いてある場所のほうが少ないのではと思う道をひたすら走り抜ける。刀を持って走ることも気づけば苦にならなくなっていた。
山を下りたら刀の素振り。刀を折ったりしたらお前の骨も折るからな、と低めに脅されてから素振りの精度が上がったのは言うまでもない。
こんな生活に漸く慣れて日記も書けるようになった。後で鍛錬の仕方を纏めておこう。
△月△日
今日は転がし祭り。どんな体勢になっても受け身を取って素早く起き上がるための訓練だ。
俺は刀を持って素手の鱗滝さんに向かっていく。丸腰の鱗滝さんは馬鹿みたいに強い。気づけば俺はいつも地面から空を見上げている。
体勢を崩さないために、狼さんからは葦名流という流派の技を教わっている。葦名というのは國の名で、その國は源の水?と縁が深いそうで、水の流れのように相手の攻撃を受け流す術に長けているのだとか。
当然、狼さんとの鍛錬なので実戦形式。今日、俺が地面に転がった数は百に近い気がする。
△月□日
今日は呼吸法と水の型を習う。腹に力が入ってないってお腹をバンバン叩かれて叱られる。
鱗滝さんは数ある呼吸の中でも水の型の使い手で、葦名流も水の流れと関係があったのですんなりと覚えることができ、鱗滝さんにも珍しく褒めてもらえた。
狼さんからは水生の呼吸術といって、なんと水の中でも息が出来る方法を教えてもらった。……禰豆子、兄ちゃんのほうが人間やめてるかもしれない。
□月丸日
禰豆子が目覚めなくなって半年経つ。医者に診せても問題はないと言われたけど、ある朝コトンと死んでしまいそうで怖かった。
訓練は厳しさを増している。山下りはもっと険しく、空気の薄い場所で、転がし祭りは二対一に。何度も死ぬかも知れないと思った。
でも、俺は諦めない。
今日、夜遅く。鱗滝さんと狼さんが試合をしていた。
――ただ、凄かった。
鱗滝さんは老人と思えない動きで相手を翻弄しようとし、狼さんはそんな全ての攻撃を受け流し、時に反撃していた。まるで舞のような二人の剣戟。
いつも無表情な狼さんの眉間の皺が薄くなっていたのは気のせいじゃない。……俺もあの人達みたいに強くなりたい。
×月×日
狭霧山に来て一年後。
『もう教えることはない』
突然、鱗滝さんに言われた。
『この岩を斬れたら”最終選別”に行くことを許可する』
そこにあったのは俺の体よりも大きな岩。……岩って斬るものだっけ。刀で斬れるものなのか?
鱗滝さんは何も教えてくれなくなった。狼さんは変わらず鍛錬の相手をしてくれる。岩を斬れない……とは思えない。
ただ、今の自分には何かが足りない。その何かさえ掴めば岩を斬れる。
×月○日
鍛錬の相手が増えた。錆兎と真菰だ。
錆兎は狐の面をした少年で、全集中の呼吸を教えてくれた。頭で理解していたことを体に教え込ませると、容赦なくぼこぼこにされた。
真菰は小柄な可愛らしい少女で、俺の無駄な動きや癖を矯正してくれた。
二人がどこから来たのか、どうして俺に色々教えてくれるのか。聞いても何も教えてくれなかった。
ただ、二人のおかげで俺はもっと強くなれる。明日は、錆兎に勝とう。
鬼滅のアニメ最高ですね……
呼吸のエフェクトだけでご飯三杯はいける()
いつも感想、誤字報告ありがとうございます!
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6話
『鱗滝さん。一つお願いをしてもいい?』
『なんだ』
『私も、鱗滝さんとお揃いのお面が欲しいの』
恥ずかしそうに俯き加減でそう言ったのはまだ幼い少女であった。彼女の両親は鬼に食い殺され、鬼に強い恨みがあるということで儂が初めて育手として引き取った。
『面か。構わんが』
『本当ですか! 約束ですよ!』
嬉しそうに笑う少女。これから彼女が歩む道は鬼斬りの道。苦難に満ちた道であろう。儂は彼女の厄を一つでも祓えるようにと祈りを込めて面を彫った。
『頼まれていた面だ』
『うわぁ……! ありがとうございます!』
手渡した面を心底大事そうに抱え込む。狭霧山に来たときはろくに話も出来なかったのに、今では感情も年相応に豊かになった。
『でも、どうして鱗滝さんと同じ天狗の面じゃなくて狐の面なんですか?』
『天狗の面より、狐の面の方がお前には似合っているだろう』
剣士として育てておいて、今更女子扱いするのもおかしな話だ。彼女は可憐な少女であった。本当なら綺麗な着物に憧れるような歳であろう。なのに、柔らかかった手の平は剣を振るううちに固くなり、山下りのせいで体のあちこちには傷跡がある。
剣士として育てたことに後悔はない。だが、この子に似合う面を彫っていたら自然とこの面が出来上がっていた。
しばらくキョトンとしていた少女であったが、言葉の意味を理解したのであろう。サッと面で顔を隠す。
『ぐすん……。えへへ、どうですか? 似合いますか?』
『……面に似合うも何もあるまい』
柄にもないことをしたことが恥ずかしかった。厳しい修行の中、嫌われても当然と思っていたが、彼女は儂を信じてくれた。彼女なら、きっと最終選別も乗り越えて見せるだろう。
『鱗滝さん。私、必ず帰ってきます。最終選別だって、この面がきっと力を貸してくれますから』
華のように咲いた彼女の笑顔。……本当に、強い子に育った。
翌日、最終選別に送り出した。いつもの癖で食事を二人分用意してしまった。
七日後。彼女の帰りを待った。彼女の好物をたくさん用意した。
翌朝。飯が冷えても、彼女は帰ってこなかった。
その夜。鬼殺隊に合格者の名前が知りたいと烏を出した。烏はすぐに帰ってきた。
――彼女の名前はそこになかった
「……夢か」
炭治郎を送り出した夜。久しく見ていなかった夢を見た。子供達を送り出すのはこれが何回目であろう。
騒がしかった昼間に比べ、静まった夜。静寂に耐えきれず外に出る。すると、そこには先客がいた。
「狼」
不思議な男だった。この忍びは愛想はまるでないが、話を聞くのが上手い。それに……
「……茶でも飲むか」
奴の茶は旨い。苦い記憶も一時は忘れさせてくれるほどだ。今夜は、特に飲みたい気分だ。
「いただこう」
スン、と香りを楽しんでから注がれた茶を一気に呷る。茶は喉元を灼き、体を巡る。……あぁ、やはり旨い。いつもならここで他愛ない話をする。だが、そんな気分にはなれなかった。
「炭治郎は……帰ってくる」
珍しく、狼の方から話し出す。それ自体にも驚いたが、炭治郎の名前が出たことに少し動揺する。
「あぁ、儂もそう信じている」
「そうは見えぬ」
見透かすような瞳。自分が面をつけていないことに今気づいた。炭治郎と狼の別れはひどくあっさりとしたものだった。
『狼さん。禰豆子を頼みます』
『御意』
ただ、これだけ。これから命を賭け鬼と戦いに行く者を送り出すというのに、家の留守を任せるかのような簡単なやりとり。儂も、昔は帰ってくると信じて疑わなかった。
「炭治郎は……強い。選別の鬼に遅れをとるとは思えぬ」
そう、炭治郎は強い。普通の鬼なら気づかれる間もなく灰に変えることが出来るであろう。
「お主は何に怯えている」
「……」
体が熱い。茶のせいかと思ったがそうではない。ズキズキと痛む頭をおさえ思い出すのは送り出した十三人の子供達。
「誰も……帰ってこぬ」
岩を一番早く斬った錆兎も、誰よりも速かった真菰も。最初の弟子である、あの子も。
「強く、鍛えたはずだった。皆、賢い子であった。なのに、誰も帰ってこぬ」
吐き出した言葉は止まらない。
「修行を厳しくしても、岩を大きくしても、あの子達はそれを乗り越える。そして、儂が死地へ送るのだ」
爪が自らの肌に食い込むほど拳を握りしめる。
「育手を何度も止めようと思った。だが、出来なかった」
鬼が溢れる現代において鬼殺隊の人員不足は深刻であった。自分が育手の役割を放棄すれば、育手に新たな人員を割くしかない。その分、鬼の被害が増えることは明白であった。
「儂は、恐れている」
「炭治郎が、帰ってこないことをか」
狼の言葉に首を振る。
「死んだ子供達に恨まれていることをだ」
あの時、こうしていれば。もっと、出来ることがあったはず。後悔の念が消える日はない。どれだけ、自らの全てを教え込んでも、面に祈りを込め一心不乱に彫っても、帰ってこなかったあの子達の恨み声が聞こえるのだ。
――鱗滝さん。どうして、私を最終選別に送り出したの?
「儂が無力なせいで大勢の子供が死んだ。所詮、儂は自分で斬ることしか出来ぬ、ただの老いぼれだ」
子供達を育てるほどに情が湧く。師弟の絆は、やがて家族の絆へと変わった。家族を自らの手で死地に送った儂は、恨まれて……当たり前だ。
酔いもすっかり冷め、もう寝ようと立ち上がる。
「義父は……戦場で飢えた狼を拾った」
静寂を破ったのは狼であった。
「義父は狼に己の全てを仕込んだ」
忍びの掟。戦いの技術。全てを。
「義父は最後に狼との死合を望んだ」
古い記憶の中であったが、義父の願いは果たされた。
「……ひどい義父だな」
「そうだ。だが、恨むことなどない」
振り返って尋ねる。
「……なぜ」
「親の願いを聞くのは、子の役目だ」
その言葉に鎮まった激情が再び呼び起こされた。
「儂は……!」
言葉が、詰まる。静かな夜に悲痛な願いが響く。
「ただ、あの子達に帰ってきて欲しかった!」
それだけで、よかった。
「十三」
「何……?」
怒号を気にした風もなく、突如数字を発した狼。
「何の……数だ」
自分でも声が震えたのが分かった。
「狐の面」
「何を、言っている……」
狼は山を見ると、確かめるようにゆっくりと話す。
「口元に傷、二枚の花びら、額に……」
言葉が出なかった。狼が語る狐の面は、かつて自分が子供達に渡した厄除の面の特徴と完璧に一致していた。なぜ、狼は知るよしもない面のことを知っているのか。
全ての面を言い終えると狼は魂寄せのミブ風船を勢いよく割った。
「皆、帰ってきている」
――鱗滝さん
「あぁ……」
涙が、零れた。
――鱗滝さん、帰ってきましたよ
「あぁぁ……」
料理はとっくに冷めてしまったぞ。
――ごめんなさい。ちょっと遅れてしまいました
「いいんだ……。もういい……」
何も見えぬ闇夜に手を伸ばす。十三人、全員抱けるように。大きく。
「おかえり」
――ただいま
月明かりが照らす山には二人しか見えない。ただ、そこには家族がいた。不器用な父親と親思いの子供達。
もう、誰も失いたくはない。
(炭治郎……必ず…必ず帰ってこい)
最終選別終了まで、あと七日。
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