鬼火の尾、野狐の牙 (雄良 景)
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桃太郎侍来たり




 コン コン コン


 あな恨めしき、あやにくなり―――――


 コン コン コン


 醜き人の欲深さぞ


 コン コン コン


 あらゆる凶事、忌事ぞ
 罪深き者どもに降り注げ


 コン コン コン


 ―――――焼き尽くせ、喰らひ尽くせ


 コン コン コン


 痛いぞ憎いぞわりなしぞ
妾はゆめゆめ赦さんぞ


コン コン コン


 逃げらるるなどな思ひそ
ひとり残さず―――――





「いい加減にしなさい」





 

 

 

「ふんふんふ~ん」

 

 

 陽気な鼻歌が響く。ここは地獄の裁判所。閻魔のお膝元で、赤紫の癖の強い猫っ毛をふわふわと揺らしながら鬼狐(きこ)がゆっくりのん気に歩く。

 

 

「等活地獄に人が足りん!」「おいっ裁判前に亡者が逃げ出したぞ!」「たっ、大変だ! 衆合地獄の鬼女と叫喚地獄の鬼女がグラビア勝負を…」「クッソいい加減にしろこっちは忙しくて見に行けないんだうらやましい!!」

 

 

 しかしもちろん、年中人手不足の地獄が暇を持て余しているわけではなく。ヒイヒイ言いながら走り回る獄卒たちをしり目に、鬼狐は気にせず目的地へ歩き続けた。

 いくら周囲が忙しそうでも、鬼狐が罪悪感や肩身の狭さを覚えることはない。図太さがナンバーワンの自分だけがオンリーワンといった反日本人的精神構造(偏見)。

 ともすればスキップすらしそうな勢いで、鬼狐はとうとう閻魔の執務室へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「閻魔大王! 黒縄地獄の予算が…」「大変です、亡者の団体が到着しました! 拘留所がいっぱいいっぱいで!!」「血の池地獄の設備が壊れました!」「新しい拷問具の手配なのですが」「閻魔大王!」「閻魔大王!!」「閻魔「閻魔大王「閻魔大「閻魔大王!!!」

 

「ああ~っ全部鬼灯君に言ってよぉ~っ!!!」

「あらまあ、大変そうどすなぁ」

 

 

 ―――――閻魔は唸る。日々無くならない地獄業務の多さに、元来あまり(まつりごと)に向かない頭で一生懸命指示を出すが、キャパシティを超える仕事量に脳はとっくに限界を迎えていた。泣きたくなるような気持ちで、優秀で威烈、なにより地獄壱と言ってもいいほど有能な補佐官の名を呼ぶ。

 

 そんな地獄の権力者とは思えないような情けない姿に、鬼狐はのんびりとした声で話しかけた。

 

 

「あっ智嘉(ちか)ちゃん!」

(かがりび)さま……!!」

 

 

 見たらわかるだろう、と言いたくなるよなセリフに、閻魔はパッと顔を上げて発言者を見た。ザワ、と獄卒たちに動揺が走る。

 狐尾を揺らしてにこにこと笑う娘っ子―――――燎 智嘉の物言いは、言葉選びこそ丁寧なものだが方言のまま、口調は軽い。おおよそ『閻魔』に対してと考えれば無礼が過ぎる。けれど閻魔は其れを咎めず、久しぶりだねえ、と目尻を緩ませて歓迎した。

 

 

「3か月ぶりくらいかなあ。最近どう? あ、今日はどうしたの? お休み? 遊びに来たの?」

「お久しぶりどすなぁ。まだまだお仕事中どすえ。鬼灯さまに用事があったんどすけど、あのお人は今いてはりますのん?」

 

 

 のほほんとしながら、智嘉は探し人を明かす。

 

 『鬼灯』―――――それは閻魔大王の第一補佐官。その有能さ・カリスマからこの地獄の裏番長とまことしやかに囁かれる実力派の鬼神である。

 

 智嘉の用事とはすなわち仕事だ。智嘉は獄卒である。担当地獄は―――――阿鼻地獄。八大地獄で最も過酷といわれる地獄の最下層。

 

 それだけ過酷ならばさぞ獄卒も忙しかろうと思われるのだが、意外や意外、実はそうでもない。

 なにせ亡者が阿鼻地獄に到達するまでには2000年もの時間がかかるのだ。判決を下された者のほとんどがまだ落ちている途中。阿鼻の獄卒は定時退勤ができる。

 それだけ聞けばホワイト部署に聞こえるが、そこはさすが最下層。亡者の叱責のために誂えられた最も過酷な地獄の底は、獄卒ですら精神に異常をきたしかねないまさに地獄。結果としてかなり有能な獄卒のみが生き残るが故の仕事回転率を持つ修羅の世界。耐え抜けるものだけに許されたホワイト勤務は、ある意味獄卒の中では勇者の証のように扱われる。

 

 そんな最下層に3000年(・・・・・)勤続する獄卒の笑顔を見ながら、閻魔はつられたように笑って答えた。

 

 

「鬼灯君はね、今なら針山地獄あたりじゃないかなぁ。早く帰ってきてくれるといいけど…」

「針山地獄! えらい遠いとこどすなぁ。……相変わらずおせわしないご様子で。まああのお人が優れてるさかいこの仕事量なわけで、なんとも言えへんどすけど」

 

 

 ふうむ、と今度はその狐目の端を上げて智嘉が唸った。仕事のことで会いに来た自分が言うなという話かもしれないが、相変わらず忙殺されているらしい鬼灯をそれなりに心配しているのだ。

 有能な(ひと)はこれだから。忙しいのは仕方がないが、休み方を知らないわけでもないくせに。

 

 「(あて)がここで言うとってもあんお人の仕事が減るわけちゃいますが」とため息を吐いた智嘉に、閻魔は帰ってくるまで待っているかと声をかけた。

 

 

「お気遣いおおきに閻魔さま。せやけど鬼灯さまもの元へはこっちから出向きます」

 

 

 「それでは(あて)はこれで、失礼いたします」そう言って智嘉が踵を返したところで―――――ひとりの小鬼が、閻魔の元へ飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

「閻魔大王さまーーっ! った、大変ですっ!」

 

 

 智嘉の横を通り過ぎ閻魔に飛びつくように駆け寄った白い猫っ毛を揺らす小鬼は、今しがた発生したとんでもなく大変なこと(・・・・・・・・・・・)を報告しようとした。

 しかし―――――

 

 

「おいお前! 順番は守れよ!」

「そうだぞ先ず俺だ!」

「違うこっちだ! 閻魔さま、叫喚地獄のことについてなのですが!」

「あっずるいぞお前!」

 

 

 智嘉が話している間は大人しく待っていた他の獄卒たちが、横入り小鬼に食って掛かった。その喧騒に、背を向けて歩く智嘉は肩をすくめる。地獄はいつでも人不足。早く自分の案件を済ませたい獄卒たちによる取っ組み合いが始まるかと思わせる剣幕の言い合いに、小鬼はその小さな体を怯ませる。

 

 しかし、だからといって退ける話ではないのだ。小鬼は勇気を振り絞り、他の声をかき消すように叫んだ。

 

 

「そっ、それどころじゃないんですってば!! ―――――桃太郎(・・・)が攻めてきたんです!!」

 

 

 ―――――ぴたり。智嘉の足が止まった。

 

 

 

 

 

 

「針山は異常なし。……まったく、閻魔大王は何でも私に仕事を回してきて」

 

 

 地獄の端の方。バインダーを片手に仕事をこなしていた鬼灯は、ほやほやとした上司の顔を思い浮かべ握ったボールペンにちからを籠める。

無くならない仕事にサボる上司、削られる睡眠時間。小さくため息を吐いたところで、鬼灯はふと近づいてくる鼻歌に気が付いた。

 

 

「ふふふ、ふっふふっふ、ふんふふんふふ~ん……あ、居った居った。こんにちは、鬼灯さま」

「おや、智嘉さん。こんにちは。ご機嫌ですね」

「そうでっしゃろか? それより、お仕事のお話なんどすけど」

 

 

 くりん、首をひねった智嘉の癖の強い都言葉(きょうとべん)に少し目を細めた鬼灯は、変わらず平坦な声で「どうぞ」と続けた。

 

 

「ひとつは、まぁた天国から人材派遣依頼どす。中身はいつもどおり、仙桃を管理する人員が欲しい、せめて芝刈りくらいしてくれ~だのなんやの」

 

 

 天国、と聞いた時点で眉間にしわを寄せた鬼灯は、すべて聞き終えると鋭い舌打ちを放ち「この忙しいって時に余計な仕事を…天国の世話までしていられませんよ」と切り捨てた。

 

 

「大体、芝刈りってことは仙桃関係でしょう。そもそも仙桃をたくさん作って妙薬を確保しようとする天国の政策には反対なんです。慎ましく栽培してれば十分天国の人材で事足りるくせに……万能薬を大量製作するなんて、人格(ひと)が堕落します」

「ええ、ええ、天国(あちらはん)も欲深いどすなぁ。何をそないに恐れるのやら。備えよ備えよと、過ぎたることばっかり」

 

 

 智嘉はにんまりと笑って、鋭い爪のある指で自分の腹を数回撫でた。

 

 

「うふ、うふ、何でもかんでも腹にため込もうとするさかい、ほぅら、腹が張って、皮膚が引っ張られて、薄ぅなって―――――底が透けて見えそうや」

 

 

 冷たく笑いながら肩をすくめた智嘉は、一転して「人手不足は地獄の方が深刻やちゅうのに」とため息を吐いた。

 

 

「ふたつめは、不喜処地獄のついてどす。こないだ犬が2頭退職してまいましたさかい、えらいピンチのようどすなぁ。まあ、人足りてはる地獄なんて阿鼻くらいやろうけど。なんとかシフト組んで回しとったようどすが、そろそろ限界のようで」

 

 

 ―――――これについては、さすがに鬼灯も瞳に不憫そうな色を持たせた。不喜処地獄の獄卒はほとんどが動物である。元来鬼灯は動物好きであるし、不喜処の獄卒たちはまじめな子が多い。

 一生懸命頑張っている部下を想う気持ちは、鬼灯の鬼ハートにもあるのだ。

 

 

「人手不足、人手不足。ほんま地獄の第一課題やわ。人は足らへんのに仕事は増える。いややなぁまったく。そろそろ、抜本的な働き方改革のひとつでも打ち出さな…首回らへんくなりそうや」

 

 

 ジロリ、と鬼灯は剣呑な視線を智嘉に向けた。そんなことを言って、智嘉がこの人手不足を大いに利用している(・・・・・・)のは知っているのだ。

 まあ、それでも確かに現状を問題視しているのは嘘ではないだろうから、鬼灯はため息ひとつで見逃すことにした。智嘉が人手不足の地獄に貢献しているのも確かだからだ。

 

 

「人員というものは増やせばいい訳ではありませんからね。甘やかすつもりはまったく(・・・・)ありませんが、かといって見境なく起用して問題が起これば、結局その処理で仕事が増える」

「ご尤もどすなぁ。ややこしい話どす。それに、結局育てるのも楽ちゃうさかい、ベテラン勢は仕事増えますし…長ぁい目で見るなら、結果出るまでの苦労は仕方があらへんのやけど。

 

―――――ああ、そうや」

 

 

 うんうんとワザとらしく頷いた智嘉は、それからなんとも嘘くさい満面の笑みを浮かべてポン、と手を打った。

 ピクリ、鬼灯のこめかみが震える。その笑い方があまりに嫌いな男にそっくりだったのだ。嫌なところが似た、と苛立ちが湧く。

 

 

「むこうで獄卒の子ぉが騒いどったんどすが、どうやら地獄に『桃太郎』がいらはったそうどすえ。うふ、うふ、鬼退治でっしゃろか」

 

 

 

 

 

 

 ―――――桃太郎、という人間をご存じだろうか。

 おそらく多くの人はこの日本で最も高名な英雄を思い浮かべることだろう。

 

 『鬼』という概念を持つ者は皆、その名を恐れる。

 なぜなら『桃太郎』は『鬼退治』の権化。名前すらもが『退魔』を示すちからを持つからだ。

 

 桃から生まれた、桃太郎。現代にも広く伝わる退魔の大英雄。

 その知名度はあまりに驚異的で、存在が概念にすらなったひとりの人間。

 

 

 

 

 

 

「長いこと天国でゆっくりしてもろうてましたけど、不満があったのでっしゃろか。まあ、なににせよ、日の本が誇る大英雄さまの御来獄や。丁重なおもてなしが必要どすなぁ」

 

 

 キャアキャアとした声で智嘉が笑う。それは聞きようには有名人へのミーハーな反応だと思われるかもしれないが、それにしては吊り上がったくちの端の歪なこと。鬼灯はカチリ、持っていたボールペンのをノックした。

 

 

「そういえば、桃太郎のお爺はんは山へ芝刈りに行かれてましたなぁ。桃太郎も鬼退治に出るまでは鎌を持って草を刈っとったのでっしゃろか」

「そうそう、桃太郎といえば、お供の猿犬雉! 天国ではお供も一緒に暮らしてるちゅう噂を聞いたけれど、今日もお連れでっしゃろか。いやあ、会うてみたいなあ。聖獣て聞いたさかい、きっとお強いのやろうなぁ。そらぁ、地獄の亡者どもなんぞ恐れるに足らへんやろ!」

 

 

 にこにこと話す智嘉に、鬼灯はもう一度大きなため息を吐いた。言いたいことは良く分かった。気づきは間違いではない。けれど、この回りくどい言い回しはどうにかならないものか。

 

 

「うふ、うふ、天国はそないお暇なのでっしゃろか。桃太郎ほどの英雄を持て余すやなんて、贅沢なこっとすなぁ」

「……御一行はどこに?」

「はて、どこどしたか。受付らへんに来たて聞いた気がするなぁ。ご丁寧なこっとすなぁ」

 

 

 うふ、うふ、と笑う智嘉をしり目に、鬼灯は針山地獄から踵を返した。向かう先は―――――

 その後ろをご機嫌についていく智嘉は、何でもないことのように言葉をつけたした。

 

 

「そういえば、御一行は『一番強い鬼を出せ』? て騒いでるそうどすえ。おお、怖い怖い。このご時世に地獄で鬼退治どすか。使命に熱心なご様子で、全く恐れ入るばっかりや」

 

 

 それを早く言え。

 何が『ご丁寧なこっとすなぁ』だ。どう考えても受付を大人しく通っていないだろう。そう言えば最初に『鬼退治でっしゃろか』とか仄めかしてたな。

 青筋の浮かんだ目の前の額に「うふふ、」と上機嫌になった智嘉へ、鬼灯はさすがに軽いデコピンを食らわせた。

 

 

「あ痛ぁ! しょ、職場内暴力!」

 

 

 もちろん無視である。

 

 

 

 

 

 

 「ああっ鬼灯さま!」

 

 

 鬼灯が受付前に到着すると、気づいた獄卒が大慌てで出迎えた。忙しいところをわざわざご足労いただくなんて…受付担当として、結果的に上司に仕事を増やしたことへの罪悪感が募る。

 

 ―――――それに。

 

 獄卒はちらりと鬼灯の後ろを見た。そこには相変わらずにこにことした智嘉がいる。

 

 ―――――とんでもく恐ろしい(・・・・)ヒトまでご一緒だと、背筋に怖気が走る。

 

 ブルリ、と身を震わせた獄卒は智嘉と目が合ってしまう前に頭を下げて視線をそらした。

 

 

 ―――――それはそうとして。

 実はこの獄卒は、今の今まで桃太郎の相手をしていたひとりなわけで。

 その相手が、こんな態度を取れば、すなわち桃太郎も気づいてしまうわけで。

 

 

「そいつが上官だな!! おいお前―――――俺と、勝負しろ!!」

 

 

 まあ、こうなるわけで。

 

 

 

 

 

 

「生前悪い鬼の退治でご活躍なさったのを誇るのはいいですが、大義を見失っちゃあいませんか」

「いーや、見失ってないね。俺は鬼と戦ってこそ(・・・・・・・)桃太郎なんだ」

 

 

 すっぱりと、相変わらず八つ橋を知らないような鬼灯の冷徹が炸裂する。しかし、桃太郎はまるで応えた様子もなく、さらりと言い返した。

 

 にゅう、と智嘉の開いてるかわからない狐目が歪む。

 

 

( うふ、うふ……かわいそうなお人どすこと。 )

 

 

 智嘉の目に映る桃太郎は、あまりに客観的に自分を見てしまった、かわいそうな人の子だ。 

 

 『桃太郎』は『鬼退治』の代名詞。彼の没年はいつだったか。天国へ行ってどれほど経ったか。

 

 かわいそうに、かわいそうに。

 

 智嘉はお供の動物たちに酷いことを言われて憤慨する桃太郎を、笑いながら眺めた。

 

 

( 鬼灯さまったら、そないにいじめて、えげつないお人やなあ )

 

 

 うふ、うふ、と智嘉は笑う。こんな情けない目にあって、それでも退けられない桃太郎を笑う。

 

 

「殴る蹴るのタイマンはったろかァ!!?」

「あっ、殴る蹴るでいいならありがたいですシンプルで」

「さすがは英雄さま! 鬼にも優しい選択肢をご用意してくれはるなんて、器が大きゅういてはる」

 

「アッ、い、いや待って暴力はって、ヒギャア!!」

 

 

 金棒を構えた鬼灯の気迫―――――まさに鬼神。あまりの迫力に青ざめた桃太郎は、鬼灯の後ろからひょっこりと顔を出した智嘉に情けない声を上げた。

 

 急な登場人物に驚いたのもある。けれど、それ以上に―――――

 

 

「な、なななななっ……」

 

 

 その恰好に、真っ赤になってフリーズした。

 それもそのはず。智嘉は仕事着でそこにいた。―――――その仕事着が問題なのだ。

 

 

( っま、前掛けと、ししし下は(パンツ)だけじゃん!!? )

 

 

 なんで誰も突っ込まないんだよ! 桃太郎は心の中で叫んだ。

 

 

 智嘉の格好はいたってシンプルだ。上は金太郎の前掛けのような布が一枚に、下は後ろ前に履いた褌一丁。どこから見たって健全とは言い難い。むしろマニアックに全振りしている。

 どう見ても痴女だ。衆合地獄のイメクラでも見ないような格好だ。

 

 ―――――しかし、桃太郎が知らないだけで鬼灯は3000年前から何度も注意している。その恰好はいかがなものか、と。

 

 けれど智嘉は、鬼狐なのだ。とある神獣よろしく利便性のために人型を取っているが―――――元の姿は『狐』である。というか生まれは野生の狐である。

 むしろ野生動物にこれだけ服を着せているだけでも頑張ったほうなのだ。

 

 そんなことを知らない桃太郎は、地獄はやっぱり危険なところだと身震いした。

 

 

( お、女の子にあんな格好をさせるなんて…! やっぱり俺が、退治しないと(・・ ・・・・・・)……!! )

 

 

 桃太郎は決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 しかし、いくら桃太郎が決意を固めようと相手は地獄きっての鬼神である。いくら桃太郎でも分が悪い。

 

 

( 特に今の桃太郎はんは、本来のちから出せてへんやろうし )

 

 

 桃太郎は強い。しかし、それは単純な腕っぷしの話ではないのだ。

 

 

 

 桃太郎の本来の強さは―――――『心』にある。

 

 

 

 圧倒的ちからを持って村人たちを虐げた悪鬼たち。

 その姿を見て桃太郎が感じたのは『怒り』だ。

 怯え、媚びへつらい延命を求めるのではなく、彼はただ怒った。

 愛する人々を傷つけられたことに怒った。だから立ち上がった。

 

 ―――――たったひとりでも。

 

 

 桃太郎の強さの根源は、その魂の美しさだった。

 誰かのために矢面に立つその(うつくしさ)が、あらゆる魔を退けるほどもちからを持っていたのだ。

 

 

 聖獣を3匹もお供に得た幸運はその魂の美しさからくるものだ。

 だから、今の彼では鬼灯に届かない。

 

 自分のことだけを考えて刀を向ける桃太郎は、ようするに『解釈違い』なのだ。

 

 

( まあ心中はお察しすけど。彼も人の子やさかい持ち上げられれば多少は堕ちてまうこともあり得るやろう。せやけど、さて。 )

 

 

 ―――――何がきっかけかは知らへんが、自分の魂の堕落に気づいてもうたことが悲劇なのかもしれへんなぁ。

 

 

「うふ」

 

 

 『桃太郎は鬼と戦ってこそ』―――――後世に語り継がれた彼の偉業。それは結果ばかりが色濃く残り、とうとうその始まりを思う人は少なくなったように感じられる。

 

 

 第三者からの視線。それは、数多の英雄に共通する最大の苦悩なのかもしれない。

 勝手に期待して、勝手に落胆される。

 それは途方もない苦痛でありながら、それでも『応えなくては』と思ってしまう善性こそが彼らを英雄(かれら)たらしめる呪い(ゆえん)なのだろう。

 

 

 かわいそうな人の子。智嘉は笑う。目の前で必死に恥をかいているかつての英雄を笑う。

 

 

 仕方なかったのだろう。そうでもしなければ―――――誇りを取り戻せなかったのだろう。

 再び神話を繰り返すことで、彼はかつて胸を張った『桃太郎(じぶん)』を取り戻そうとしたのだ。

 

 

 智嘉は分かっていても救わない。ただ笑うだけ。愉快な見世物だと笑うだけ。

 

 けれど、ここには鬼灯が居た。

 

 

 

 

 

 

「情けなくないのですか」

 

 

 ずいぶんと手加減された平手打ち。かけた言葉は冷たくとも、その声はどこか情を感じさせる。

 けれど、それは桃太郎の歪んだ心には響かない。ただ、おまえが、害悪(オニ)が何をと反発心を膨れさせるだけ。

 ―――――そう、桃太郎には。

 

 

「桃太郎…もうやめようよ」

 

 

 ―――――何年共に居ただろうか。

 聞き慣れた声は、鬼灯のものと違い桃太郎によく聞こえた。

 それは桃太郎を馬鹿にするものではなく、ただ、友を思う音だった。

 

 鬼灯の声が桃太郎に響かなくとも、―――――そこに感じられた、道を誤る者を正そうとする音は桃太郎を想うものによく響いた。

 

 そうして、背を押されたように桃太郎に届けられた声の、温かさ。

 それは、ねじれることなく桃太郎の心の響いた。

 ポロリ、桃太郎の頬を涙が伝う。

 

 

「あんたが好きだから、一緒にいるんだ」

「もういいよ、止めようぜ桃太郎。……俺らはそのままのアンタが好きなんだ」

 

 

 それは、無償の愛にも等しい。

 

 ―――――かつて彼らが、桃太郎とともに旅をしたのは。多勢に無勢な鬼を相手に、怯むことなく立ち向かったのは。

 

 愛する人たちを思う桃太郎の心があまりにも愛しくて。

 鬼が島の悪鬼どもと比べればあまり小さく頼りない体で、それでも刀を片手に立ち上がった愚かさが可愛くて。

 その瞳に宿る炎に魅せられたから。

 

 

( 分かってるんだ、本当は。本当は、こんなことしたって意味ないなんて。分かってるんだよ。―――――それでも、 )

 

 

 

 ―――――あれが桃太郎?

 ―――――え~思ったより普通~

 ―――――ほんとにあんなデブが鬼退治したのか…?

 ―――――あ~でもお供の動物って聖獣なんだろ?

 ―――――お供ありきってことか~ちょっと幻滅

 

 ―――――かわいそうだよなあ、お供も。せっかく聖獣でも、あんなのがゴシュジンサマならさぁ。

 

 

 

( 俺はもう一度、英雄(ももたろう)に戻りたかったんだ )

 

 

 

 ―――――この世とあの世にある生命の中で、これほど友を思い友に思われたいのちがどれだけあるだろうか。

 

 

 

( けど )

 

 

 

 少なくとも、目の前のいのちが紡いだ言葉は桃太郎の肩の荷を優しくおろした。

 ねじ曲がって歪んだ桃太郎の心を、優しく優しく解いて抱きしめた。

 

 

 

( お前たちは、桃太郎(おれ)そのまま(おれ)ならそれでいいって、言ってくれるんだなあ )

 

 

 

 智嘉は少し目を開く。ギラ、青い瞳が少し煌めく。

 

 

 ―――――桃太郎はある意味吉兆の子だ。

 鬼退治に行って、『たまたま鬼が全員泥酔していた』から『すべての鬼に勝つことができた』?

 いくら鬼が酒好きだろうと、そんな奇跡的な偶然の確立がどれだけ低いと思っている。

 

 幸運の子。恵まれた子。運命の子。―――――運命を背負わせられた子。

 

 

( とんだ三文芝居やな )

 

 

 けれどそれでも、智嘉の心は震わない。

 

 

 

 

「………うん、―――――みんな、……………ごめん 」

 

 

 

 

 

 

「ところでよければ、お供の皆さんは地獄で働きませんか」

 

 

 

 

 

 

「ほな、おせわしない鬼灯さまに代わって(あて)が地獄を案内しまひょ。鬼灯さま、構いまへんか?」

「ええ、よろしくお願いしますね智嘉さん。手続きはこちらで済ませておきます。取り合えず、今日は『顔合わせ』程度の扱いで話を進めてもらいますから、そのように」

「はい、はい、その通りに。ほなついてきとぉくれやす」

 

 

 うふ、うふ、と笑う智嘉がくるりと踵を返す。桃太郎は慌てて少し泣き腫れた目をそらした。―――――智嘉の格好は背中が丸見えなのである。

 桃太郎は室町生まれだ。今までいた天国は奇抜な人は少なかった。だから晒す肌の多い智嘉は非常に破廉恥で直視するのが厳しいのだ。

 童貞と言うことなかれ。この男、鬼退治の功績で散々美女(室町基準)に侍られても結局ひとりにも手を出せないまま死んだ筋金入りのヘタレなのだ。というか、あの、尻尾で隠れてるけどお尻が……

 

 もだもだしている桃太郎をしり目(・・・)に、お供たちは意気揚々と智嘉についていく。

 

 

「ねえねえ、えーっと、智嘉さま? 職場ってどんなとこ?」

「はあい、みなさまが配属されるのんは『不喜処地獄』て呼ばれるところどす。簡単に言えば、生前動物をいじめた亡者を、動物がリンチにする職場でっしゃろか。

あ、せやせや。聞かなあかんことがおました。みなさまは―――――

 

 

 

 

 

人肉はお好きでっしゃろか(・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

 

「うふ」

 

 

 

 

 

 ―――――桃太郎は、おぞ気の走る背筋を反らせて慄いた。

 

 

 ―――――ここは地獄。叱責の責め苦を持って罪人を悔い改めさせる場所。天国行きとはいえ、ただえさえ亡者のひとりである桃太郎が恐れを抱くのは何らおかしなことではない。

 そこに、この悪辣な質問。そして、振り向かない丸見えの背中から感じる―――――黒い炎。

 

 

 桃太郎は震える目でお供を見た。人肉が好き? そんな質問に、なんと答えるのだと。

 

 

「えっ人肉? お肉は好きだけど食べたことないな~お腹壊さないかな?」

「うえ、そうか地獄だもんな…そういう仕事になるか…いや、やるさ。仕事だもんな」

「為すべきことを為す。罪を悔い改めさせるための仕事だ」

 

 

 ―――――すげえなあ。

 

 桃太郎は、とても自然に強張っていた体からちからが抜けるのを感じた。

 シロはあんまり何も考えていないだろう。けれど、柿助とルリオはそれを『仕事』として受け入れた。

 器が違う、というより―――――魂の格が違う。

 

 桃太郎は背筋を伸ばした。鬼退治の桃太郎が何を恐れているか。地獄はそういうもので、すべきことをするだけだ。―――――こんなことで後ずさりしていれば、お供たちに会わせる顔がないだろう。

 

 もう鬼退治はしていないけれど―――――自分は英雄『桃太郎』なのだから。

 

 

 智嘉は振り返り、まっすぐ立つ桃太郎を見てにっこりと笑った。

 

 

「ちなみに桃太郎はんは不喜処ちゃうどすえ」

「あえっ!?」

 

 

 だって『みなさま』って! ―――――そう言いかけた桃太郎はハッと気づいた。

 

 

 ―――――『お供の皆さんは』地獄で働きませんか

 ―――――生前動物をいじめた亡者を、『動物が』リンチにする職場どす。

 

 

 そういえばそんなこと言ってた。

 

 

 

 

 

 

「うふ、うふ、桃太郎はんったら、すっかりお顔が強張ってはるんどすもの。なんぼ人手不足の地獄でも、人肉食の種族でもあらへんお人に『喰らえ』なんて言いまへんよ」

「そそそ、そーっすよねぇ! あはっ、あははっ!!」

 

 

 勘違いに恥ずかし気に笑う桃太郎に、智嘉は目を細めた。―――――それでもこの男は、やれと言われたらやっただろうかと。

 

 顔は見ていないが雰囲気で分かる。今、桃太郎は確かにお供の返答を聞いて意識を研ぎ澄ませた。

 そうして振り返って見た顔は、まさに英雄の顔だった。

 

 

( せやけどまあ、さすがは英雄さま。普通、人間として、お供の回答はドン引きするものや思うけど )

 

 

 人を喰らえるといった友に対して、桃太郎は並び立つことを選んだ。なるほど確かに英雄だ。思考が常人離れしている。

 

 どぎつい質問だった自覚はある。けれど仕方あるまい。なにせ鬼灯が仕事内容の説明をすっかり忘れて契約(はなし)を進めてしまったのだから、これくらい脅しておかないと。

 

 

( あのお人がそないな説明義務違反(ケアレスミス)するやなんて、やっぱしお疲れなんやろうな。そろそろゆっくり休んでもらわな、死んでまうんちゃいますか? )

 

 

「勘違いさせたようですんまへん。まずはお供のみなさまをご案内しますえ。職場には先輩もぎょうさんいてはるさかい、どうぞご安心ください」

 

 

 ちなみに不喜処の獄卒は動物だけじゃない。もちろん鬼もいるのだから、就職していれば亡者がいることもおかしくない。まあ叱責側に亡者がいるのは非常の非常に(めちゃくちゃ)稀なのだが。だから桃太郎が不喜処に配属されてもおかしくはないのだ。

 

 ――――――まあ、もし桃太郎を不喜処に配属させても、彼が手を汚すことはなかっただろう。智嘉は一瞬鋭くなったお供たちの視線を思い出し、うふ、と笑った。

 

 

( へえ、へえ、分かってますがな。『桃太郎』は『魔物殺し(おにたいじ)』。人間相手の仕事なんて、させまへんさかいご安心を )

 

 

 そもそも、この英雄に向かない仕事だというのは分かりきったことなのだ。彼は悪逆の王や疎ましき賊を討伐したのではなく、あくまで『善良な人々を害する人外(オニ)を打ち滅ぼした』英雄なのだから。

 

 

「愛される男も大変どすなぁ」

「え? え、はは………?」

 

 

 桃太郎はよく分からなさそうに笑って誤魔化したが、お供も智嘉は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

「ほな桃太郎はんの職場へ行きまひょか」

「あ、はい、お願いします…」

 

(あっ、よかった…俺にも仕事あった…)

 

 

 不喜処へ向かえば、鬼灯から連絡を受けたらしい夜叉一が待っていた。その厳つい顔(スカーフェイス)に桃太郎とお供たちは震えあがる。

 

 夜叉一は聖獣ではないが、長年不喜処地獄の獄卒を務める大ベテランだ。鬼の中にも夜叉一に一目置く者は少なくない。経験が生み出す風格は、聖獣(かくうえ)であるはずのお供たちに尊敬の念を抱かせるには十分だった。

 

 ひどく興奮した様子のお供たちと別れ、智嘉と、『実は求められているのはお供だけで自分は放り出されるのでは』と危惧していた桃太郎は歩き出す。

 

 

「桃太郎はんは天国で働いていただきますえ。確認どすが、生前植物やらの世話の経験は?」

「あります、一応。家業はもともと芝刈りだったので…」

「ええ、ええ。仕事内容は要するに果樹園どす。住み込みのお仕事になるさかい、詳しゅうは家主に聞いとぉくれやす。そんお人が果樹園の管理人でもあるさかい。家具はひと通り経費で揃えられるけど、もともとのお住まいから運び込むものはあるんやのん?」

「の、のん? いえ、大丈夫です…って、住み込み!? ですか!?」

「うふ、いろいろ勉強になる場所どすさかい、きっと身になりますえ。お供のみなさまも社員寮に部屋を用意されますよって、ご安心ください」

「は、はあ…」

 

 

 全く初耳の事実に桃太郎はギョッとした。しかし智嘉はケロリとした表情で話を進めるので、桃太郎もついつい流されてしまった。人が良すぎやしまいか。

いやしかし、これから職場の先輩になるであろう(推察)智嘉がそう言うのであれば、そういうものだと受け入れるしかないというのが桃太郎の思考回路だった。に、日本人……

彼は、どうか変な人ではありませんようにと祈るしかできない。いやそもそも、天国に住んでいるのだからよっぽど変な人ではないはずだ。桃太郎は自分を励ました。

 

 

「ああそうや、家主についてどすが」

 

 

 相変わらずのほほん、とした声で智嘉は言う。

 

 

「度ぉが過ぎて手に負えへんくなったら、一発しばいとぉくれやす」

 

 

 桃太郎は不安しかなくなった。

 

 

 






「あなたはまだ幼くものを知りません。故に、多くを知り賢くなれるよう『智』という字を贈ります」
「あなたはまだ生まれて間もなく、その命は何も成せていません。故に、誇れるものにれるように『嘉』という字を贈ります」


「『智嘉』。それが今日からあなたの名前です」





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桃源郷の極楽蜻蛉



■極楽
 「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。(wiki調べ)

■蜻蛉
 細長い翅と腹を持った昆虫である。
 形がカタカナの「キ」に似ていることから、キザ(気障)のことを「トンボにサの字」と言ったりする。
 前にしか進まず退かないところから「不退転(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、「勝ち虫」と呼ばれることもあった。(wiki調べ)

■極楽蜻蛉
 思い悩むことをせず暮らす人物をからかった語。のんき者。気楽者。

■白澤
 中国に伝わる、人語を解し万物に精通するとされる聖獣である。吉兆の印としても知られる。
 白澤の絵は厄よけになると信仰され、日本でも江戸時代には道中のお守りとして身につけたり、病魔よけに枕元においたりした。





 

 

「う、うわぁ…天国みたいだ…」

 

 

 目の前の光景を見て思わずそう呟いた桃太郎に、赤紫色の着物に身を包んだ智嘉は声をあげて笑った。

 

 

「何をおっしゃるのん。正真正銘の天国ちゃいますか。初めて来たわけちゃうくせに!」

 

 

 大きな声で笑う智嘉に、桃太郎は真っ赤になって恥じ入った。桃太郎もいっぱしの男として女の子の前では恰好つけたい気持ちを持っているが、何せ出会いが出会いだったもので。笑われてばかりな気がする。

 確かに天国に住んでたくせに何言ってんだと思われるようなことを言ってしまった。けれど、本当に驚いて、それ以外の表現が見つからなかったのだ。

 

 

「ええ、ええ、せやけど分かりますよって。ここら辺は基本立ち入り禁止区域どすさかい、見たことなかったやろうし。それに、特別な場所で、えらいきれいで、ええ、天国みたいやろなぁ」

 

 

 フォローをしているようで揶揄ってくる智嘉に、それでも桃太郎は大きく首を縦に振った。

 

 

「は、はい、あの、まさに桃源郷(・・・)って感じで……」

「桃源郷!!」

 

 

 智嘉は耐えきれないとばかりに、とうとう腹を抱えてしゃがみこんでしまった。稀代の英雄様とは思えないコメントがいたくお気に召してしまったのだ。

 

 桃太郎たちが居るのは、天国の中でも一部の人間しか出入りできない『仙桃』の果樹園だった。『仙桃』の話なら桃太郎も聞いたことがある。というか、一説には桃太郎が生まれた桃が仙桃ではないかという話まであるのだ。桃太郎だって意識してしまう。

 

 天国の気候は常に春のように温かい。そこで厳重に管理されている仙桃はその身に持つ莫大な可能性をもって辺りに神々しい雰囲気を漂わせていた。

 

 

「桃太郎はんにはここの管理のお仕事をしてもらいますえ。『桃太郎』なら桃と相性がええやろう」

 

 

 うふ、うふ、と笑いを引きずる智嘉に言われた業務内容に、桃太郎は背筋が伸びた。なんということか。仙桃の管理だなんて、とても重要な仕事を任されてしまった。普通本職でもない人間にやらせるか…!? しかもそんな理由で任せていいのか!? 天下の仙桃を!!!

 くちには出さないものの突っ込みどころしかない。桃太郎の心臓はバックバクだった。

 

 

「そないに緊張しいひんでも、なんかあれば大体は家主の責任にしてええどすさかい」

 

 

 というかさっきからこの人、その家主に厳しくないか。桃太郎は職場環境のストレスを考えて胃が痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 桃太郎は智嘉の案内で果樹園から出、近くの小道をまっすぐ進んでいった。道は人通りが少なくないのか、割かし人の手が入っていて歩きやすい。

 たどり着いたのはそこそこの大きさがある一軒家。いや、家、というより、店、であろう。けれど、智嘉の説明的には居住地でもあるらしい。裏側から水音と湯気、そして独特の匂いがあるから、温泉でも湧いているのかもしれない。

 家に温泉か。天国みたいだなあ、と思って、そこで桃太郎は慌ててくちを(つぐ)んだ。真っ当な感想だとしても、これ以上智嘉に笑われるのは勘弁願いたかったからだ。

 

 

「ここが今日からのお住まいどす」

「漢方薬局『極楽満月』…」

「へえ、家主の店どす。自家営業やさかい…」

 

 

 そこまで言って、智嘉が言葉を切った。そして勢いよく桃太郎の襟首をつかみ、店の出入口前に立っていた状態から大きく右方に退く。そのちから強さといったら!

 勢いに身体が浮かび上がった桃太郎は、詰まった襟首に首を絞められて「ぐえ、」と潰れたカエルのような声を出した。

 

 

 ガジャーン!!

 

 

 それと同時に、何か『白いもの』がドアを突き破って吹っ飛んでいく。

 桃太郎は目をむいた。―――――もしかして、今吹き飛んで行ったのは人だろうか。人のような形状をしていたように見える。まさか、と解放された首を押さえてせき込みながら、目を白黒させた。

 なにせここは天国。些細なトラブルはあるにしても、そんな暴力沙汰や大きな事件とは無縁の場所だった。だから桃太郎はこれまで、他人がドアを突き破って飛んでいくなんて見たことがなかった。まさかここは地獄だっただろうかとすら思った。

 

 

「最低!!」

 

 

 女の声が響く。壊れたドアからノシノシと大股で出てきたのは、少し乱れた着物を纏った、頭に2本の角を持った鬼女だった。やっぱりここは地獄だたのだろうかと桃太郎は呆ける。

 …いや、それにしても。ボケっとしていた状態から、サッと視線をそらして桃太郎は目元を手で覆った。乱れた着物の(なま)めかしいこと! 童貞には刺激が強すぎた。

 鬼女は扉脇に突っ立っていた智嘉と座り込んでいる桃太郎に気が付くと、キッと睨みつけてから、まさに鬼の形相で走り去って行った。

 

 

「あ、あの、今のは……」

「桃太郎はんには申し訳あらへんどすが、今のはこれからの日常になる思うさかい。早う慣れとぉくれやす」

「えっ」

 

 

「いっったぁ~~…」

 

 

 そっと智嘉に伺い立てた桃太郎は、まさかの返答にギョッとした。今のが? 日常? いったい何が起こったんだ。

 すっかり思考停止した桃太郎の耳に、若い男の声が届く。

 

 

「で、そこで転がってるまっしろしろすけが今の騒動の元凶で、この店の店主で、つまりは家主で、ほんであんたの上司どす」

「えっ」

 

 

 まさかのまさかだった。今の一瞬で桃太郎の中で店主はとんでもないトラブルメイカーなのではないだろうかという疑念が渦巻く。そんな人の部下になって寝食を共にするだなんて、自分はこれからどれほどの苦労をするのだろうか。

 桃太郎は大層察しがよかったために、すっかりこの先の苦労を感じ取ってしまい気が遠くなりそうだった。

 

 それにしても、智嘉はやっぱり、随分と店主に対して物言いが厳しいものである。もしかして彼女も苦労を掛けられたのだろうか。桃太郎は首を傾げた。

 

 

「ん? あれぇフーちゃんだ!」

 

 

 対して、男ののん気なこと。へらっとした笑顔で酷評ともとれる紹介をしていた智嘉に話しかけてきた。

 フーちゃん、という呼び方の語源を桃太郎はまったく理解できなかったが、まさか初対面の自分のことではないだろうからきっと智嘉のことであろうと断じた。

 しかし、あだ名ととれる呼び方をするということは、案外この二人は仲がいいのではないだろうか。桃太郎は、さっきの酷評も仲がいいからこそだったのかもしれない、と思い直すことにした。

 

 

「こないなのでも中国では名の知れた『白澤』っちゅう神獣でして、漢方の権威なんどす。上司っていうのんは、仙桃の土地はこの人の私有地やさかい。そやさかい桃太郎はんも住み込みで働いてもらうことになるんどす」

「えっ」

 

 

 思い直したところで放り込まれた爆弾に、また桃太郎は固まった。天国にあれだけ大きな私有地を持っているなんて、と言う驚きでもあったが、何より男の正体である。人でないどころか、かなり目上のお方であった。

 

 

「え~酷いなぁ。あれ、てかもしかしてその子が仙桃の管理手伝ってくれる子? 男なの? ちぇ~僕女の子がよかったなあ」

「そうや、せっかく住み込みなんやさかい桃太郎はん、漢方習うたらどないどすか? 神獣白澤に直接手ほどきを受けたとあれば箔も付くやろ」

「えっ」

「え~無視? あ、でもめちゃくちゃ褒められてる! うれしいなぁ」

「相変わらずお元気なお人や。もう少しお体を労わった方がええのちゃいますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうなる、俺。

 

 

 

 

 

 

「それにしても、またえらい男前にしてもろうたなぁ」

 

 

 智嘉が呆れたように白澤の赤くなった頬をまじまじと見る。視線は汚物を見るかのように冷たいが、白澤はうふ、と笑った。

 

 

( あ、智嘉さんとおんなじ笑い方だ )

 

 

 桃太郎はアッという顔をした。道中さんざん見て聞いた、印象的な笑い声だったからすぐに分かったのだ。

 

 

( そういや、なんか笑った顔も似てるような…? )

 

 

 ニンマリとした狐目に三日月のくち元。気づけばなんとも瓜二つに思えてきた。まさか親戚か何かだろうか。そうならどことなく親しげな雰囲気を感じる会話にも頷ける。と桃太郎が考えているうちに、話は進んでいく。

 

 

「いや~寝ぼけて違う子の名前呼んじゃってさ」

「その失敗はなんべん目どしたか」

「だってさぁ、寝起きだよ? ぼーっとするでしょ? 可愛い間違えじゃないか」

「脳みそ極楽蜻蛉どすか。行きずりやろうと最低限のデリカシーやん。はいはい、この話は終わりにしますえ。要望があった人材派遣の件どす」

「うん、後ろの子だろ? ねえだから僕女の子がよかったんだけど…」

「300年前! ご要望通り女の子派遣したらとんでもない修羅場になったやん。よりにもよって住み込みの子に手ぇ出すさかい…おかげさんで事態の収拾にてんてこまい! 女の子はもう来まへん」

 

( やっぱりなんか仲良さそうだな… )

 

 

 ポンポンと続く会話に、過去の話。少なくとも長い付き合いなのではあるんだろうな、とうかがえるよな親密さ。桃太郎はどこか身内空気の中取り残されて気まずげに肩をゆすった。

 しかしふたりはそれに気づくことなく話を続ける。

 

 

 

「ええ~、だってそれはあの子もいいって言ったから~~」

「へえ、へえ、もうええどす。話を戻しますえ。このお人今日から働いていただく桃太郎はんどす。天国の住人やさかい派遣するより話拗れんでよっぽど楽やろう。うちと連携せんでええんで、処理も増えまへんし」

「ああ確かに。大変だね~公務員」

「仕事増やしてくる人が何を言うのん。同情するなら納期守れ」

「酷いなあ。…ん? あれ、もしかして桃太郎って、あの?」

「ええ、ご想像の通り。桃太郎はん、すんまへんが挨拶を」

 

「っあ、はい! 桃太郎です、よろしくお願いします」

 

「はーいよろしく! 僕は白澤だよ」

 

 

 きょどって挨拶をする桃太郎に、にこり。白澤は智嘉とよく似た笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「あ、あの、このお茶、おいしいですね」

「ほんと? ありがと! お茶はねぇ、練習したからね。こういうの女の子が喜ぶから」

 

 

 とりあえず詳しい話は中で、と招き入れられた店内で、店主直々にふるまわれたのは花茶(ホアチャ)だった。ツルンとしたグラスの中で花が揺れ、見た目は大層美しい。

 が、今しがた雲の上の存在だと知った今後の上司と、その上司と親し気な狐娘との3人でお話合い、という状況下。桃太郎には茶を楽しむ余裕なぞなかった。

 

 ガッチガチに緊張している桃太郎に、もちろん智嘉は気づいていた。まあまあ、英雄様は肝が小さくいらはると、大して気にも留めていなかったが。なにせ、他人事なのだ。

 

 対して白澤は、当たり障りのない誉め言葉を絞り出した桃太郎に変わらず明るく笑いかけた。なにせ、これからの部下である。せっかく住み込みなのだからこれから自分の面倒も見てもらおうと(もちろん、本当は面倒を見てもらうなら女の子がいいが)算段をつけているので、好感度を上げておきたいのだ。

 

 

「ほな、簡単な説明だけしますえ」

「あ、はいっ、お願いします」

 

 

 ひとくち、お茶を飲み込んだ智嘉は桃太郎に簡単な説明をした。

 まず、立場としては天国で働く天国の住人だということ。地獄は関係ないということ。つまり、勤務に関する法や規則は全て天国の決まりにのっとったものになるということ。

 そして、桃太郎の仕事に対する上司、つまり責任者は、白澤であるということ。

 

 

(あて)から説明するのんはこれくらい。詳しゅうは上司になった白澤さまに聞いとぉくれやす。雇用の手続きやらも白澤さまがするさかい。ほな、白澤さま。後はおたのもうしますなぁ。(あて)はもう戻るさかい」

「はいはい。あ、ちょっと待って。おまじないしてあげる」

 

 

 言い終わって、グイっとお茶を飲みほした智嘉は椅子から立ち上がった。今回は桃太郎を案内するために天国までやって来たが、何を隠そう、未曽有の人材不足に悩まされている地獄において智嘉はピンチヒッター(・・・・・・・)と名高いのだ。暇ではない。

 茶を飲んで一息ついた。ならさっさと地獄に帰って仕事の続きをしなくてはいけない。

 

 

 立ち上がった智嘉に桃太郎は頭を下げた。話を聞いた限り、智嘉は本来桃太郎を案内する義務がないことには気づけたからだ。理由が善意かはわからないが、手間をかけてもらったのなら礼を言うべきだということを知っている。

 しかし、頭を下げたのちお礼の言葉を言う前に白澤が智嘉を止めた。おまじない、とは。桃太郎が首をかしげているうちに、机を挟んで座っていた白澤は手を伸ばし、人差し指で智嘉のおでこをなぞった。

 

 

 

 大きな楕円をひとつ。その中に、まるをひとつ。

 

 

 

「……おおきに。ほな失礼します」

 

 

 智嘉はスッと表情の消えた顔で頭を下げると、そのまま壊れた出入り口の扉を踏みつけて出て行った。遠ざかっていく背中からは「極楽蜻蛉……これやさかい………」という文句というか罵倒というか、そんな言葉がぶつぶつと聞こえてきた。

 

 驚いたのは桃太郎だ。なにせ、ずっとニコニコしていた智嘉からストンと表情が抜け落ちたのだ。びっくりして、けれど恐ろしくて何も言えず、智嘉の姿が見えなくなってからそっと白澤を伺った。

 

 

「は、白澤さま、今のは…」

「うん? おまじないだよおまじない。僕が神獣だってのはさっき聞いたでしょ? 白澤(ぼく)は『吉兆の象徴』なの。だいたい幸せ、幸福のことね。あの子昔、ここで漢方習ってたことあるからさぁ、師匠から可愛い弟子へちょっとしたお節介」

 

 

 変わらずニコニコとしている白澤に、まず桃太郎はだからあんなに親しげだったのか、と思った。しかし、いや、それにしても神獣相手に気安すぎる気もするから、やっぱり智嘉が特別なのだろう、と思い直した。

 ―――――けれど桃太郎は知らない。この後、自分が智嘉以上に白澤に対して辛らつになるということを。

 

 

「……あの、でもすっごい無表情でしたけど。あれ嫌がってるんじゃ」

 

 

 桃太郎は少しためらって、それでも自分の懸念を話すことにした。もし智嘉が、女の子が嫌がっているのなら、それを目撃した自分が止めるべきではないかと思ったからだ。いくら相手が神獣で、いくらそれが智嘉を思った、悪いことでないにしても。

 と言っても、その場で止められなかった自分がしゃしゃり出ても今更、かもしれなが。

 

 そうやって控えめに意見した桃太郎に、白澤は少し驚いた。それから、じんわり、うれしそうに笑う。

 

 

「なるほど。聖獣(かれら)が気に入るわけだ」

「え?」

「なーんでも! あの無表情は気にしなくていいよ」

 

 

 小さく呟いた言葉は、桃太郎に聞こえていなくてもいいもの。その代わりに、白澤はこれからの部下へ今日一番の笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、照れ臭くって拗ねてるだけだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄に戻った智嘉は、閻魔のそばに鬼灯の姿がないことに気が付いた。なんでも小休止ついでに自室に物を取りに戻ったらしい。

 なら丁度いい、と智嘉は鬼灯の自室へ赴いた。

 

 

「鬼灯さま、お邪魔しますえ」

「……ああ、あなたですか。ノックをしなさいノックを」

「そらすんまへん」

 

 

 扉を開けた瞬間、目の前には金棒を振りかぶった鬼灯。どうやら無断入室した不届き物をぶちのめそうとしたらしい。しかし入ってきたよく知った顔に、とりあえず矛を収めた。

 智嘉はケロリと謝りながら、やっぱしえらい疲れてはるなぁと改めて認識する。普段の鬼灯なら「そんな礼儀知らずに育てた覚えはありませんよ!」くらい言うだろう。なにせなかなかコメディな補佐官様なのだ。つまり、今の鬼灯にはそんな言葉を付け足すだけの精神的余裕がないのである。

 

 

「英雄様ご一行、無事に案内終わりました」

「ああ、お疲れ様です。ありがとうございました」

「いえいえそないでも。鬼灯さまの代わりに簡単な業務内容説明も済ませときたさかい。あとは現場がどうにかするやろ」

「………そういえば、してなかったですね」

 

 

 ゆっくりとまばたきをして、鬼灯が記憶を振り返る。そう言えば何の説明もしないで勢いで契約してしまった気がする。今回は問題にならなかったが、褒められたことではないのは確か。

 鬼灯は自戒するように目元を指で揉んだ。

 

 

「うふ、そろそろ一回休まれた方がええのちゃいますか?」

 

 

 ひょっこり。智嘉は鬼灯に近づいて、横からその顔をのぞき込んで言った。

 

 

「そうですね、今の仕事がひと段落したらですかね」

「おお! さすがは閻魔さまの第一補佐官さま! お仕事熱心でいてはるわぁ。こら周りも休んでいられまへんなあ」

 

 

 ―――――嫌みだ。

 今の発言は『お前が休まないと部下も休めないぞ』という意味だというのは、きっと10人中10が分かることだろう。

 

 ここで鬼灯は確信した。智嘉は端っから休ませるつもりでここに来たのだと。

 

 

「………」

「うふ、うふ、地獄きっての鬼神さまが、よもや過労死なさるとは。こら世も末どすなぁ!怖い怖い」

「勝手に殺さないでください」

 

 

 ギロリ、と閻魔も慄く目つきで智嘉を睨みつける鬼灯だったが、当の智嘉は慌てもしない。

 変わらぬ微笑みで、ぬろお、とした手つきで両手を鬼灯の頬に滑らせ、目の下をなぞった。

 

 

「今日も今日とておきれいなお顔どすなぁ。美白にも磨きがかかったのちゃいますか? 羨ましなあ。ここもほら、パンダちゃんみたいで可愛らしい。上野やったらアイドルになれますわ―――――お香はん(あねさま)を呼びまひょか? それとも漢方薬(・・・)にしまひょか」

 

「………3時間ほど休憩します」

「そら結構。ゆっくり休んどぉくれやす」

 

 

 舌打ちひとつ。智嘉の手を払ってベッドに向かった鬼灯は、白豚なんぞ呼ばれれば余計に気分が悪くなる、と吐き捨てた。智嘉の言った『漢方薬』がどういう意味なのか分かるくらいには長い付き合いなのだ。

 

 智嘉は鬼灯がベッドに入ったのを確認してから、部屋から出て閻魔の元へ向かった。鬼灯は何も言わずに休憩を延長したが、しかし何も気にせずに眠ることにした。

 たまった仕事はたくさんある。この後捌く予定のものはひとつも後回しにできない。けれど焦りはなかった。

 なぜなら、他でもない智嘉が鬼灯の休憩を把握しているのだ。

 ならば憂うことはないと、降って湧いた休憩時間を1分も無駄にしないことに専念した。

 

 

 

 

 

 

「あれ? 鬼灯くんは?」

「うふ、うふ、今頃ゆっくり夢の中……のんびりお休みタイムどす」

 

 

 閻魔の元へひとりで来た智嘉に、連日閻魔に群がっている獄卒たちはピタッと会話を止め身を引いた。シンとなった仕事場で、てっきり鬼灯が智嘉と一緒に戻ってくると思っていた閻魔はパチクリと瞬きして問う。それに対して智嘉はいつもの笑顔にどこか満足感を乗せながら鬼灯の休憩延長を伝えた。

 急なことではあるが、過労が癖になっている部下がゆっくり休んでくれるとあれば閻魔も嬉しい。

 

 

「よかったぁ、最近休めてないようだったから」

「そんなん言うてお仕事ぎょうさん回すんどすさかい、閻魔さまもお人が悪い」

「あ、はいすみません…」

 

 

 にっこりと優しい上司のセリフを言う閻魔に、智嘉は微笑みながら容赦なく突っ込んだ。これには閻魔も小さくなるものだ。

 しかし仕方ない。鬼灯は誰もが認める地獄の立役者。日々地獄経営のために忙殺される姿を知っているものからすれば、鬼灯を支援するのは自然の摂理。まあもちろん、閻魔が軽んじられているわけではない。ないのだが、まあ、其れとこれとは話が別で。

 

 

 ちょっと棘はあるが温かい会話。しかし―――――空気を読めないヤツというのはどこにでもいるものだ。

 

 

 

 

 

 

「ええーっ! じゃあこの仕事どうしたらいいんですか!」

「ば、馬鹿お前っ」

 

 

 

 

 

 

 急に、割り込むように響いた声に、閻魔と智嘉、そしてその場にいた獄卒たちの視線が集まる。茶髪の、今どきの若者と言った風貌の、獄卒と思われる男が書類を片手に不満そうにしていた。

 男の隣にいたもうひとりの獄卒は、周りの視線を伺いながら男を止めようとする。

 しかし男はまるで気にせず、『これだよこれ!』とばかりに手に持った書類を振った。

 

 

 ―――――先ほど言った通り、鬼灯の過労は多くの獄卒が知るところである。

 そして、下積みから叩き上げ、地獄のナンバー2にまでのし上がった鬼灯を慕う獄卒は多い。

 

 スウ、と周りの視線が冷えてきた。さすがに男も気が付いたのか、気まずげな色が顔に乗る。―――――しかし、自分は仕事の話をしているのだ。周りに非難される謂れはない。どっちかというと、勝手に予定を変更して休憩に入った鬼灯が悪いだろう、と開き直った。

 

 

 ここまでくればこの後の展開が読めそうなものではあるが、獄卒たちは男に冷ややかな視線を向けるだけで何も言わない。何もしない。―――――なにせ、ここにはちょうど、一番先に、一番恐ろしく怒るであろう『鬼』がいるのだから。

 

 

 

 

 

「かなんなあ、そないなおっきな声出して。怖おしてしゃあないわ」

 

 

 

 

 

 しゃなり、しゃなり、智嘉が歩きだす。ゆっくりと、獄卒の海は割れ、男の本へ一本道ができる。

 

 レッドカーペットのようなそこを、智嘉はゆっくりと歩いた。

 

 

「お仕事大変なんどすか? いったいどない案件やろう」

「え、あの、これです、けど……」

 

 

 その異様な雰囲気に、男はすこし勢いを落とした。そして、手を差し出した智嘉に持っていた書類を渡す。

 それを受け取ってまじまじと読み込んだ智嘉は、それからなんとも、わざとらしいくらいの声で騒ぎ立てた。

 

 

「まあま! こないなの鬼灯さまにお渡しして、いったいぜんたい、何がしたかったん? わざわざ第一補佐官さまが目ぇ通すようなものちゃうやろ」

「え、いや、だって!」

「赤ん坊かて自分で考えるでこれくらい。いややわ、教育係は誰どすか? こんなんも教えてくれへんかったん?」

 

 

 馬鹿にされてる。そう思った男は言い返そうとするが、その言葉はちかの声で遮られた。しかし、そのセリフ。『教育係』? いったい何のことだと男が一瞬頭をひねったと同時に、智嘉はにっこりと笑みを深めて笑いかけた。

 

 

「ああでも、あんた、―――――運がええ(・・・・)なぁ、鬼灯さまが居んで。うっかりこないな仕事を渡したら、ここの医務室じゃ手に負えへんくなってましたで」

 

 

 

 

 

 

 

「うふ」

 

 

 

 

 

 

 

「ほらほら、一緒に戻りんひょ。(あて)がアンタの教育係にちゃんと教えたれって言うたるさかい。まったく、教育不足でおせわしない鬼灯さまが無駄にお疲れになるとこどした。ああ、最初のうちはどの書類が指示を仰ぐべきかなんてわかりまへんさかいね。しゃあないしゃあない。アンタの責任やない。ほらほら、これでも勤続年数ばっかり長いもので、怖いものなんてあらしまへんさかい、安心してついて来とぉくれやす」

 

 

「あら―――――そない怖がらのうたってええのに。若いうちは失敗するもんどす。みなはん大目に見てくれますよって」

 

「智嘉さま、そいつもう6年目ですよ」

 

 

 

 ―――――すっかり固まってしまった男に、気にせず智嘉は話し続ける。不意に近くの獄卒が智嘉の勘違い(・・・)を正せば、男はこの世の終わりのような顔をして、智嘉もまた、驚いたような顔になった。

 

 

 

 

「まあまあまあ! そらすんまへんね、もうひとり立ちしてましたか。(あて)はてっきり、ものの道理も分からへん新人はんやとばっかり!」

 

 

 

 

 嘘だ。それくらいは男にも分かった。

 目の前の『鬼』は、分かっててあんな物言いをした。自分を晒上げるような言い方をした。

 

 

 

 一瞬―――――その狐目の奥、ゾッとするような(あお)が見えた気がして―――――それだけで、男はもう駄目だった。

 

 

 

 男はようやく理解した。自分が踏んだ地雷がどういったものなのかを。撫で上げた逆鱗の恐ろしさを。

 最初に男を嗜めた獄卒は、とっくにそばから居なくなっていた。男はまさに孤軍無縁の四面楚歌―――――

 

 

「まあまあ、智嘉ちゃん。それくらいで」

 

 

 大王がいつもの声で制止を促す。―――――けれど、その本心がどうであるか。それは智嘉が話している間は傍観に徹していたことから窺い知れるだろう。

 上司として、いくら公衆に黙認されているようなものとはいえひとりの部下を特別贔屓しすぎるわけにはいかない閻魔が、それでも黙っていた意味を。

 

 

「ええ、ええ、かんにんなぁ」

「い、いえ、俺も、すみませんでした……」

 

 

 もう男は涙声だった。地獄に勤めて6年。これほど恐ろしかったことがあっただろうか。若さと仕事に慣れてきたからこその慢心や気のゆるみが、まさかこれほど自分を追い詰めると思っていただろうか。

 男は今すぐこの針の筵から逃げたかった。智嘉の「ほな、みなはんお仕事しまひょか」という声に一目散にその場から逃げ出した男に、付き添うように一度見捨てた獄卒が追いかけて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんっなんだよあの(ひと)……!!」

「お前、運が無い(・・・・)な……」

「え、」

「よりにもよってあの(ひと)がいる時に問題を起こすなんて…大事にならなくてよかった」

「な……ん、だよ、それ、」

 

 

 

「―――――おい木方(きほう)!!」

「ヒッ、え、先輩…?」

「お前っ…あの鬼狐(きこ)相手にいったい何をした!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……智嘉さん。先ほど如飛虫堕処の責任者から物凄い腰の低い謝罪があったのですが」

「あらま、なんでっしゃろか。不思議どすなぁ。ほな、鬼灯さまも復活されたさかい(あて)はそろそろ職場に戻ります」

 

 

 しらっと居なくなった智嘉に、鬼灯はターゲットを変えた。

 

 

「閻魔大王」

「ふふふ、智嘉ちゃんって昔から、鬼灯くんになついていてるよねぇ」

 

 

 いつもは震え上がるような目で睨まれた閻魔は、しかし穏やかに笑った。

 その返答にならない返答で何となく事態を察した鬼灯は、深い、深い溜息を吐く。

 

 

「……余計に騒ぎ立てる真似を。これで件の職員が辞めたらまた人が足りなくなるでしょう」

 

 

 それでもそれ以上何かを言うことなく、智嘉が進めた仕事の続きに手を伸ばした。

 

 

 





「え~だってさあ、僕が何年生きてるか知ってる?」
「本当に気に食わない。あの男のそういつところが嫌いなんですよ…まあそもそも生理的に好きませんが」




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無念を纏ひし死肉の喘ぎ(グロ描写あり)

( 前話冒頭に智嘉のお着換え描写を(数文字)書き加えました。危ない危ない、流石にあの格好のまま天国に出入りはさせません )



※捏造亡者の叱責シーン描写があります。罪状も胸糞なのでご注意を。




 ブチ、ブチ、ブチ、ブチ……

「い、ぎいいいいいいっ、アガッ…!! ガヒュッ、ガヒュッ……!!」
「ほら、ほら、ほうら、ご覧。地獄に落ちても…うふ、あんたの肉はかいらしなぁ。赤ん坊のほっぺみたいな色や。……ああ、つやつやとしとって…極楽浄土に生る桃のように鮮やかで…」
「いグッ、!! やべ、ヤベでぇェ゛エ゛エ゛…!! ゆ゛るじでえ゛ッ…!!」
「ああ―――――ええ匂い。性根の腐った血の匂い…!! (あて)はなあ、腐った死肉が好きなんよ。残念なことに地獄じゃあ亡者は死なへんものやさかい、いっこも死肉にありつけんで…かといって時間がのうて現世にも行けへん。そもそも獄卒が現世の死体荒らしなんてしたら鬼灯さまにこっぴどう叱られてまうのやけど…そん代わり、あんたみたいに精神(なかみ)の腐った肉を食べることにしたんや」
「あぎゅ、オ゛エッ! エ゛ッ、 オ゛ォ エ゛ッッ!!」
「ほら、ほら、美味しいやろ? …あらあら、全部えずき出してもうたの。好き好かんして悪い子やなあ。…まあ、自分の肉はおくちに合わへんかったか。うふふ、かんにんな?」
「はひゅッ…はひゅッ……! は、あ、…う……」
「? なんや、どないしたん? なんか言いたいことあるん?」

「あ、―――――ゆ、ゆるじで……ごべ、ごべんなじゃい……も゛、じない、じないか゛らぁ゛……!!」

「―――――ああ、ちゃぁんと「ごめんなさい」できたんか。偉い、偉い、偉いなあ」





「 でも、だぁめ 」





「あは、なんでそない顔してるん? 「もうしない」なんて、次なんてあるわけあらへんやん! 可愛おして可哀そうやなあ。さ、続きをしまひょね。今度は(あて)にあんたの血肉を頂戴な。ぎょうさんお仕事したさかい、喉も渇いてお腹もすいてもうたわあ。さあさ、ええ子やさかい大人しゅう…」

「い゛ッ…いや゛だァァ゛アア゛ア゛ッ゛!! ダスッ、だすけでよ゛ォオオ゛オッ!! なんも゛ッ、な゛んモ゛しでないも゛ンッ!! アダシ、あだシッ、―――――あダし゛は悪くな゛い゛ッッ(・・・ ・・・・ ・   )!!!」

「―――――ああ、悪い子」


 ミチッ


「アグッ」


 ブチ、ミチチ、―――――ブチブチブチブチブチッ!!!


「 い ガァ ァア゛ア ア゛ア゛ア゛ア゛ アッ゛!!!!!! 」





「うへあ……セ、先輩、燎さまさすがにやりすぎじゃあないっスかね…」
「馬鹿言え、あの方は叱責のプロだぞ。さじ加減を間違えるわけないだろ……まあ確かに、絵面はかなり惨いが」
「あれが妥当って…あの亡者何したんスか」
「あー…確か、2歳を餓死させて乳幼児を虐待死させたらしいな。上の子はまだアイツの両親が健在だったからなんとか育ってたらしいが、下の子が生まれる前に亡くなって……嘆かわしいもんだよ。腹減ったってなく赤ん坊を煩いからって殴り飛ばしてたみたいだな。上の子は泣き方すら忘れるほどの憔悴っぷりで…それでも、泣く弟をあやそうと一生懸命抱きしめたりコップに水を汲んで飲ませようとしていたらしい。そのうちピクリとも動かなくなった赤ん坊とそれに必死に声かけてる2歳児置いて2週間オトコんとこに遊びに行って……ま、そういうことだ」
「……嫌な時代っすね」
「昔にそういうことがなかったわけじゃねえが…やりきれないよなあ。ひとりじゃ三途の川を渡れない2歳児と赤ん坊を特別措置で抱えて移動した奪衣婆も、何とも言えない顔してたよ。あんなボロボロの山姥みたいなばあさんに抱えられて、ふたりとも嬉しそうにしてたんだとよ」
「ウッ…」

「…それでもひとりに対して時間かけすぎじゃないっすか? 効率的には…」
「ひとりはいいんだよ。見せしめだ見せしめ。他の連中の反抗しようとする気持ちをへし折っておくんだとよ。ま、逃げても逃げられるわけじゃねえから逃げるだけ無駄だけどな。―――――さ! 仕事するぞ仕事! 燎さまが代わり叱責跡してる間にこの書類の山と勝負だ!」





 

 

「うふ、うふ、うふ」

 

 

 ゆうらり、幽鬼のように揺らめいて歩を進める。

 

 

「も~ぉ、いー、かー~ぁい」

 

 

 黄色人種特有の肌色によく似た皮膚や梅紫(うめむらさき)色の前掛けには赤が飛び散り、ゾッとするようなおどろおどろしさを醸し出す。

 

 

「うふふ、うふ―――――」

 

 

 ぱちょん、と背の高い女下駄が血溜まりを踏む。

 

 

 言葉が出ないと言うかのように首を振る。息ができないとばかりにくち元が音もなく喘ぐ。足が動かないのか地面を必死に這う。

 

 にんまり。悪辣な顔で笑う(きつね)と目が合った。

 

 

 

 

 

「 みぃーつうけたぁ 」

 

 

 

 

 

 

 

 

「燎さま、ありがとうございました」

「いえいえ、こちらも楽しめましたわ。ほな(あて)はここいらで失礼させていただきますよって、皆はんもお仕事おきばりやすね」

 

 

 また手足らへん時は声かけとぉくれやす、と言い残して去っていった智嘉に、獄卒たちは返事をすることなく真っ青な顔で頭を下げ続けた。

 

 ―――――現代において地獄は前代未聞の繁忙期を迎えている。

 増える人口。加えてさらに地獄行きの割合が増えたことによる獄卒の人手不足。追い打ちをかけるような悪霊の凶暴化・活性化に、あっちもこっちも手が足りないと泣くばかり。

 

 そんな中、智嘉の担当する阿鼻地獄は相変わらずのホワイト勤務を極めていた。なにせ到着するまでが死ぬほど(亡者はもう死んでるが)長い叫喚地獄である。土地はまだまだスカスカで、増える亡者は1年に2,3人居るか居ないか。今のところ次の団体さんが到着するまで400年はこの調子という見積もりなのである。

 

 自分の時間がたっぷりとある智嘉は、しからば世のためヒト(おに)のため、と忙しさにてんやわんやしている他の地獄を手助けに回っているのだ。

 

 

 東へ行っては亡者を潰し、西へ戻っては亡者を殴り。南へ駆けつけ亡者を刻み、北へ向かって亡者を蹴り飛ばす。

 

 

 なかなかに器用な智嘉は特に亡者の叱責がたいそう上手く(・・・・・・・)、現在地獄では智嘉が亡者を集団叱責している間にその地獄の獄卒たちは溜まった事務仕事他を済ませる、という大変ありがたいボランティアシステムが導入されているのである。

 

 

 からあん、ころん。からころおん。智嘉の足音がゆっくり遠のく。やがてその音が聞こえなくなったころ、見送りに出そろっていた数人の獄卒は救われたとばかりに息を吐いた。

 

 智嘉のボランティアシステムは非常にありがたいものだった。地獄といえど組織。しからば事務仕事は切っても離せない存在であるからして、獄卒の業務は多岐にわたり疲労もひとしおである。

 朝起きて亡者の叱責。書類をさばいて地獄内を右往左往してまた叱責。鬼の過労死が笑い話ではなくなってどれほどか。藁にもすがる思いで手を伸ばしたこのシステムの導入中は智嘉が走り回って亡者を叱責し、その隙に獄卒たちは余裕をもって書類仕事他ができるようになり、仕事は大変はかどることはかどること。―――――智嘉のそばでなければ。

 

 

 叱責中はいい。仕事場が違うから接触がない。しかし、お出迎えとお見送りが問題なのだ。―――――ああ、膝が笑っている。

 前後にドッとまとめて疲労が分配されただけでトータルの疲労度はあまり変わらないのだから何とも言えない。まあそれでも仕事は進むのだからまあこのシステムに頼ってしまうのだけれど。

 

 

「ああ……恐ろしかった」

 

 

 せめて相手があの鬼狐(きこ)でさえなければ……

 

 

 

 

 

 

「じーごくよいとこいちどはおーいで……ああ、鬼灯さま。お疲れ様やすなあ」

「ええ、お疲れ様です。あなたはまた例のボランティア(・・・・・・)ですか」

「ええ、ええ、皆さま大変おせわしなくしていてはりますさかい、少しでもお役に立てればと」

 

 

 うふふ、と笑う智嘉に鬼灯は白い目を向ける。なんとも胡散臭い。…まあその行動は確実に利益があるのだからあまりとやかく言うつもりはないのだが…

 

 

「以前も言いましたが、限度は考えてくださいね。あなたに頼ればいいと思って怠け始める獄卒が出てくれば元も子もないですから」

「そらもちろん。さじ加減はばっちりですよって」

 

 

 あまり心配していないが念のためと鬼灯がこのボランティアが始まってから繰り返し伝えていることを改めてくちに出せば、智嘉は嫌な顔ひとつせずに頷いた。

 

 鬼灯の懸念はもっともだ。ヘラヘラとしているように見えて智嘉も相手選びは慎重にしている。時にはボランティアを頼みに来た獄卒を叱責することもある。そうすると結果的に獄卒の質向上に貢献することにもなるので、智嘉のボランティアは一石二鳥…いや、一石三鳥(・・・・)なのである。

 

 狐目をゆわんと曲げ、智嘉は笑う。もちろん、もちろんだとも。そんな失態はしない。するわけにはいかない。そんなことをしてしまえば、このボランティア活動が(・・・・・・・・・・・)禁止されてしまう可能性がある(・・・・・・・・・・・・・・)。そんなことはご免こうむるのだから選別に必死にもなるというものだ。

 

 

「この後のご予定は?」

「うーんと、2時間後に衆合地獄で姐さまのお手伝いどすなぁ」

「なるほど。でしたらそれまで私の仕事の手伝いをしてください。あの大王、また仕事をさぼって……」

 

 

 ぶつぶつ、と禍々しい(しかしどこか所帯じみた)文句を漏らしながら智嘉に背を向けた鬼灯に、智嘉は文句ひとつ言わずについて歩いた。

 鬼灯が刻まれたその背中をくるくると視線を滑らせ眺めながら、睡眠時間は2時間くらいやろうか、とあたりをつける。日々地獄で最も多忙を極めると言っても過言ではない鬼灯は膨大な業務のせいで徹夜・寝不足の常連だ。

 智嘉の手が空いていれば多少は肩代わりしたり夜食を届けたりすることもあるが、もちろんいつでもフォローできるわけではない。

 

 寝不足とは思えないほどまっすぐな、それでも普段と比べれば少しくたびれている背中を見ながら、智嘉は今日の予定を反芻した。

 急遽入った鬼灯の手伝い。そのあとは衆合地獄でお香姐さまの手伝い。最後は黒縄地獄に呼び出されて今日は終わりだったはず。ということは、夜の8時ごろにはフリーになるはずだ。

 

 

( ほなら今夜は鬼灯さまのお手伝いで、夜更かしと洒落こもか )

 

 

 せっかくのきれいな顔はすっかりパンダになっている。今までの経験から考えると、あの濃さからしてここ1週間はまともに寝てないクチだろう。ああ、せっかくこの間無理矢理睡眠をとらせることができたというのに。いたちごっこだ。

 気を向け手をかけ奉仕してもまるで状況が改善されない。なんとも手の出し甲斐がない。が、鬼灯が崩れれば地獄が瓦解しかねないのだ。それに、まあ恩もある(・・・・)相手なのだから、智嘉もそれなりに気を使うというもので。

 

 

「さて、どうしたものやろか…」

「? 何か言いましたか」

「いいえ? それより、今日のお夜食は何がええですやろか。ああ、シーラカンスの煮つけなんていかがでっしゃろ」

「それは―――――」

 

 

 

 ――――― ウーッ!! ウーッ!! ウーッ!!

 

 

 

「―――――」

「あら、あら、あら……」

 

 

 すう、と鬼灯の目が細まる。智嘉はくちの端を悪辣に釣り上げた。

 少し遠くから、青ざめた獄卒が走り寄ってくる。

 

 

「ほ、鬼灯さまっ! 燎さまーっ!!」

 

「はて、ひまな亡者の反乱(おまつり)か、まさか身内の不始末か……地獄(ここ)はいつになっても退屈しいひんもんどすなぁ」

 

 

 うふふ、と笑った智嘉に、鬼灯は重たいため息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

「こいつです! こいつがワンセグを持ち込んだせいで…!」

「は、はわわ…」

 

 

 智嘉と鬼灯が真っ青な獄卒に連れられてやってきた地獄の一角では、複数の獄卒が右往左往としながらひとりの小鬼を取り囲んで怒りをあらわにしていた。

 はて、どうやら騒動の原因はあの小鬼だろうかとふたりがあたりをつけたところで、一番そばでその小鬼を叱り飛ばしていた獄卒が近づいてくる上司に気づき、叫んだ。

 

 

「落ち着きなさい。状況は?」

「は、はいっ! えっと、この新人が禁止されてる区域にワンセグを持ち込んで…」

「禁止区域? ちゅうことは、まさか…」

 

「 悪霊サダコが逃げ出しました(・・・・・・・・・・・・・)!! 」

 

「…ほんまに退屈しぃひんわぁ」

 

 

 

 

 

 

 辛い苦しい苦しい苦しい悲しい恨めしい辛い恨めしい何故如何して許せない許せない苦しい辛い恨めしい恨めしい恨めしい恨めしい―――――許さな い か  ら

 

 

 

 

 

 

 ドゴシュッ!!

 

「ウボァ!!」

 

 

 一閃。圧倒的密度を誇るように黒々と輝く鬼の金棒が、鬼灯の手によって小鬼の頬を打った。

 いくら鬼と言えどこれは痛い。小鬼は打たれた頬を抑えながら崩れ落ちた。

 

 

「まったく―――――新人研修でちゃん教わったでしょう! 禁止されているのは理由があるものなんですよ」

「忘れとったのか、慢心か。そこら辺の重要さはしっかり履修されたはずどすけど…最近の新人はんには八大地獄の教育も生温いものなのやもしれまへんなあ」

「理由があったにしても、社会の基本は報告(ホウ)連絡(レン)相談(ソウ)! 事前に話をしておけば防げたミスは多いものです」

 

 

 カッと一瞬、その鉄仮面に怒りを乗せた鬼灯の叱責と、やんわりとした笑顔のまま嫌みを放つ智嘉に小鬼は震える声で謝罪を繰り返した。鬼灯の眼力には震え上がるし、智嘉にいたっては灼熱の八大地獄をして「温かったか」などという言い回しはあまりにあからさまな皮肉だ。

 

 しかし仕方のない話だ。いや、小鬼がワンセグを持ち込んだことではなく、鬼灯たちが怒ることが。

 まず第一に、この小鬼は獄卒で、その獄卒がが禁止区域にワンセグを持ち込んだ結果亡者が逃げ出した件については監督不行届として彼の上司も影響が出るだろう。新人ということで新人研修内容に疑問の声が出る可能性もあるし、教育係の獄卒にも責任が及びかねない。

 そしてその処罰もろもろの最終的な報告の取りまとめ、手続きは回り回って鬼灯(うえ)に行くのだ。

 

 

( ヒトが鬼灯さまを休ませようしとるときに問題起こすなんて、タイミングの悪い…… )

 

 

 しかも、逃げ出したのは「サダコ」だという。これが事態を重くさせるのだ。

 

 

 悪霊サダコは日本において最も有名な悪霊であるだろうということは間違いない。

 そもそも彼女はもとから文句ひとつないほど有能なサイキッカーであった。それに加え、彼女の死後その無念を拾い上げた人間が、電波に乗せて彼女の存在をひろく世界中に広めてしまったのだ。

 今でも彼女を題材にした映画などは複数制作されており、その勢いに波はあれど知名度に陰りは無い。

 

 なにより厄介なのが、視聴者や読者の「感想」である。

 

 よりエンターテイメント性を求められた結果、彼女の無念は貪られた。そして、変形させられた彼女の姿により「サダコならありうるのでは」という期待(ちから)がサダコに集まってしまった。

 

 すべてが収束した先にあったのは、世間の目によって歪められ、かつての悲しみ(かたち)を失ってしまった、悪霊でしかあれない(・・・・・・・・・)サダコであった。

 

 

( まあ、今はアレがどない存在であろうとどうでもええ。問題なのは、 )

 

 

 ―――――集まった期待(ちから)によりサダコが非常に強いちからを持った悪霊であるという事実。

 

 

「だいたい、いくら性質上テレビがあれば逃げ出せる(あとづけせっていがある)とはいえワンセグから逃げ出すとは…どんなボディですか。軟体動物(タコ)か!」

「いや、それはもうかなり頑張ったみたいで…」

「根性ありはるわぁ」

 

 

 智嘉はくち元に手をあて、くふりと笑う。鬼灯はわずかに寄せた眉のままふう、とため息を吐いた。

 

 

 

「―――――さて」

 

 

 

 サダコは非常に危険な悪霊だ。しかし、行動範囲が地獄であるのならまだ対処のしようがある。

 自体収束は時間との勝負。―――――現世に逃げられる前に、捕縛しなくては。

 

 

「では火急速やかに近隣のテレビ画面をお札で封印なさい」

「えっ?」

「そないおきばりはったなら、そら、えらいお疲れでいらはるやろなあ。つまり、今好機ちゅうことや―――――ああ、鬼灯さま。閻魔殿の倉庫から札を手配終了しましたわ。すでに貼り付け作業に入った班と、今からこちらに向かって来る班行動を開始しとります」

「結構。あなた方は半数が今から合流する方々と一緒に近隣のテレビを封印し、サダコが移動できないようにします。それから、」

 

 

 端末をいじりながら報告した智嘉に鬼灯は視線も向けず獄卒に指示を飛ばす。唐突な内容に一瞬すっとぼけた鬼たちは、しかし鬼灯が指を群れを半分に割るように動かしたのを皮切りに、瞬時に2班に分かれ指示に集中した。

 

 

「もう半分はブルーレイ内蔵52型テレビをここに」

 

 

 確か、あなたたち経費で落として職場に設置していましたよね?

 

 変わらぬ鉄仮面から放たれた言葉にやっぱり呆けてしまった一同は、鬼灯越しに突き刺さった智嘉の鋭い視線に慌てて行動を開始した。

 

 半分は、姿が見え始めた閻魔殿から来た獄卒へ合流に。もう半分は、今頃野球中継を見ながら仕事をしている上司の元からテレビを強奪しに。

 

 

 ―――――この灼熱の八大地獄で、獄卒たちの顔が青鬼ですらはっきりわかるほど青ざめたのはなんのためか。

 少なくとも、近いうちに自分の職場に監査が入るであろうという事だけは分かった獄卒たちであった。

 

 

 

 

 

 

 呼ばれる。惹かれる。なんだろうか―――――とても、魅力的な。

 ひどく鮮明な、意識が。ああ―――――これは、……これは………?

 

 

 

 

 

 

「いやあ、呆気ない終幕どしたなぁ」

「かつての天下のサダコも、今やB級映画のやられ役のようでしたね」

「盛者必衰、ちゅうよりは……存在を面白おかしゅう書き換えらられてもうた結果ちゅうか。日の本を震撼させた超級の悪霊があの始末とは、うすら寒いものを感じさせるわ。恐ろしや、恐ろしや……」

 

 

 うふ、と拘束され獄卒に手酷い叱責を受けているサダコを見ながら笑う智嘉をしり目に、鬼灯は功績者を労わった。

 

 

「よくやりましたよシロさん。B級ホラー映画の狼男みたいで素敵な登場でした」

「はいっ鬼灯さま!」

 

 

 きゃうん、とシロは甘えた声を出す。それをいくらか機嫌よくなった雰囲気で撫でながら、鬼灯は智嘉へ「予定を変更します。私はこれから休憩に入るので、お手伝いは結構です」と伝えた。

 もちろん智嘉はそれを肩をすくめて了解し、すっきりとした顔でその場を去った。―――――最後にサダコを一瞥して。

 

 

 

 ―――――サダコの罪というものは、『死後の罪』にあたる。

 というのも、生前のサダコは地獄に落ちるほど悪徳を積んではいなかったのだ。

 けれど、無残な死がすべてを変えた。

 憎しみが、苦しみが、サダコが本来持っていた素質を巻き込んで日本中を覆うような悪夢を生み出した。

 

 

( ああ、ああ、お可哀そうに )

 

 

 うふ、と智嘉は笑う。サダコはとんでもない悪霊だ。しかし、智嘉はサダコがそこまで嫌いではなかった。

 

 憎むことの何が悪い。無念が渦巻いて何が悪い。許せないことの何が悪い!

 

 それでも智嘉がサダコを罰するのはここが地獄でそれが地獄の定めであったからだ。

 

 サダコは亡者で智嘉は獄卒だ。そして地獄はサダコを罪人(つみびと)とした。それがすべてだ。

 

 だから個人の感情で言えば、智嘉はサダコが嫌いではない。

 

 

 

 ―――――それはあるいは共感か。智嘉は静かにその場を去り、今回の脱走により罪が重くなったであろうサダコに対する処罰他の、手続き処理の準備に取り掛かった。

 

 

 

 





「はーっ! ええ汗かいたなぁ」
「―――――それにしても、」
「…ん、ちゅ、んちゅ、ちゅる………ごくん」


「うふふ…相変わらず、臭おして臭おして……食えたものちゃうなあ、人間なんて」




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猿と犬




 今回は結構智嘉が頑張る





 

 

 

「あっ! 智嘉さまだーっ!」

「あら、こらお久しぶりどすなぁ」

 

 

 のうらりくらり、のんべんだらり。珍しく空いた時間を散歩に充てて地獄内をふらふらと歩いていた智嘉は、後ろからかけられた声にパッと振り返り、うふ、と笑った。

 

 駆けよってきたみっつの影。それは少し前に出会った、桃太郎のお供たちだった。

 

 

「皆さま、本日はお休みどすか? ご一緒で仲がよろしいこと」

「そうだよ!」

「ちょうどいい、アンタに聞きたいことがあったんだ」

「俺たち久しぶりに桃太郎に会いに行こうと思ってさ。でも、俺たち今は地獄の獄卒だろ? 住んでる場所も地獄だし…勝手に天国に行っていいのかなって」

 

 ぶんぶんと尻尾を振るシロに対して、ルリオは至極冷静に話を切り出し、柿助が本題を告げた。

 それに智嘉は「なるほど、立場を考えればそんな疑問も出てくるものか」と頷き、はんなりと肯定する。

 

 

「そらもちろん。皆さまはもとより天国のおヒトで、今は雇用契約により地獄に出稼ぎに来てはるようなもんやないですか。獄卒ゆうても、阻めるものはあらしまへんよ。…ああ、そん代わりぃ、天国にお入りになる前にはしっかり消毒(・・)を受けてもらわんとあきまへんけど。向こうには穢れ(・・)に弱いおヒトもいてはるさかい……ほんの数分で済みますよって、徹底しとぉくれやす」

 

 

 ゆうるりと。しかしきっぱりと言った智嘉に、3匹はしっかりと頷く。彼らとて伊達に聖獣をやっていないのだ。穢れのアレソレについてはそれなりに理解がある。

 

 

「―――――あら、そういえば」

 

 

 ふと、智嘉は思い出した。桃太郎を白澤のもとへ案内した際、かの英雄殿はあの漢方薬局の存在を知らなかったではなかったか。

 

 

「皆さま、桃太郎はんが天国のどこにいらはるかご存じなんどすか?」

 

 

 

 

 

 

「……何羨ましいことしてるんですか」

「あらまあ。欲望に忠実な本音転がり落ちてはるわ」

 

 

 まぁた寝てへんのどすか? と片眉を上げた智嘉をスルーし、鬼灯はその智嘉の周りを取り囲んで一緒に歩いていた3匹をじっと見つめた。

 

 

「鬼灯さまだ!」

「こんにちは、皆さん」

「「「 こんにちは 」」」

 

 

 よい子のお手本のように返事を返す3匹に、鬼灯の雰囲気が少し和らぐ。やはりアニマルセラピーは偉大である。

 ひとりでほのぼのしている鬼灯に無視された智嘉は、しかしそれ以上攻め立てることもなく黙って鬼灯の癒しの視覚摂取を受け入れた。

 

 

「ところで、皆さんはこれから天国ですか?」

「え! 何で分かったの!? そーだよ! 桃太郎のとこ行くんだよ!!」

 

 

 シロはぴょんと飛び跳ねた。超能力!? と騒ぐ姿は愛嬌があり、つい鬼灯も「そんなものですね」と答える。

 しかしもちろん種も仕掛けもある話で、ただ単に智嘉が服を着ていたからそう判断しただけだった。

 窮屈なのを嫌い普段は痴女のような仕事着で地獄を走り回る智嘉だが、鬼灯の長年の努力により『他所に行くとき・他所から客が来るとき』くらいは身なりを整えるようになった。

 だから智嘉は天国に行くときにはしっかり質のいい着物を手早く着付けてから出かけるのだ。

 

 

「桃太郎さんのところですか。奇遇ですね、私も丁度そこに用があり、今から向かおうと思っていたところですので……見たところ、智嘉さんは案内係ですか。私も同行しても?」

 

 

 いや鬼灯さまがおるなら(あて)が案内する必要あらへんやん……とは言わずに、智嘉は黙って頷いた。……また騒がしくなるだろうなと、ため息を吐きながら。

 

 

 

 

 

 

「もーっもたーろさんっ! もーもたーろさんっ!」

「おいシロ、あんまりはしゃぐなよ」

「すいません智嘉さま、鬼灯さま…」

 

「いえ、大丈夫です」

「ええ、ええ、お元気でいてはるんがシロはんの素敵なところやないですか」

 

 

 ご機嫌な仲間に少し恥ずかしそうにした柿助とルリオは、しかしおおらかにそれを許す智嘉と鬼灯にほっと胸をなでおろした。

 

 

「ここ桃いっぱいだね! 食べてもいい?」

「あらあら、そればっかりは勘弁したってくださいねぇ。ここん桃は天国が管理してはる仙桃やさかい」

「ああ、これが噂の…」

「えっ、じゃあ桃太郎仙桃の世話してんの? 桃太郎が、桃の世話……」

「なかなかの敏腕だそうですよ。天国からの覚えもめでたいようで」

 

 

 一行はゆっくりと目的地へ向かう小路を歩む。雰囲気はひどく柔らかく、ほのぼのとした空気が流れていた。

 ―――――しかし、ふと小路の反対側から強い怒気を纏った鬼女が歩いてきたことにより、その空気は砕けて消える。

 

 

「あら…」

「っ、ほ、鬼灯さま!? 智嘉さまも……」

「―――――なるほど、大体察しはつきます。あの白豚はシメておくので、あなたは家に帰って休みなさい」

 

 

 まさかの人物に出会った、と言った顔をしていた鬼女は、しかし鬼灯のセリフを聞いてぐっと涙ぐみ頭を下げ歩く速度を上げる。智嘉はすれ違いざまににその鬼女へ衆合地獄にある穴場のカフェを教えてやった。

 

 

「鬼灯さま、あの人どうしたの?」

「豚に噛まれたんですよ」

「豚って…」

「まったく、あのヒトぉが懲りへんのはいつものこっとすけど、あないなおヒトや知っとっても寄って行ってまうんは何でなんやろなあ…」

「手の内に入れる術には長けている男ですからね」

「まあ、性別が女ならどないな子でも優ぁしくしてくれるさかい、勘違いしてまう子ぉもおるみたいやし…魅力はあるちゅうことやろうけれども」

「魅力なんてありませんよあんな白豚」

「……手癖の悪いオスの話か…?」

 

 

 ブチブチと呟くふたりに3匹は首を傾げた。…ところで鬼女が歩いてきたのは小路の向こうからで、自分たちの目的地はその先なのだが。まさかその手癖の悪いオス、桃太郎と一緒にいるのではあるまいな。

 

 

 

 

 

 

「ぎゃーっ!! 出たな猛毒豆をまけ!! あっフーちゃんだフーちゃんはいいよちょっと横にずれててねよーし豆をまけ!!!」

 

 

 くちの端から血を垂らす白澤が声を張り上げる。それに向ける鬼灯の目は冷ややかだ。混沌の現状。かつてない様子の白澤に、桃太郎は寄ってきたシロを撫でながら困惑しきって智嘉を見た。

 白澤は確かに感情豊かなヒトではあったが、こんな様子を見るのは初めてだった。

 

 

「ああ、気にせんでええですよって。あんヒトら、毎度毎度のことですさかい……ウマ合わへん言うか反りが合わへん言うか……もうあの世のテンプレみたいなもんやから、流して避難しとったらええんどす」

 

 

 こっちのおふたりは仲ようしていらはるんに、と言いながら柿助とシロを見てひらひらと智嘉が手を振る。その顔は少し呆れているようで、確かに慣れている様子であったために、桃太郎とそのお供たちは「そういうものか」と受け入れて少し離れることにした。

 

 

「あー、ところでお前らは仕事順調か?」

「うん! 難しいこと一杯だけど、楽しいよ!」

「桃太郎はどうなんだよ~仙桃の世話してんだろ?」

「ああ、あとそれと一緒にあのヒトから漢方も教わってるんだ」

「あの手癖の悪いオスからか?」

「て、手癖の悪いオス……否定のしようがねぇ」

 

 

 ひくり、と桃太郎はくちの端を引きつらせた。あの人の好色ぶりは地獄まで響き渡っているのか…いやあれだけの有名人なら知ってる人の方が多いものか……とため息が出る。

 

 

「まあ、確かにちょっとアレなとこもあるけど、あのヒトすげぇヒトなんだぞ。中国の神獣さまで、漢方の権威なんだ。知らない草はないんじゃないかな」

「へぇー! 見かけによらないんだね!」

 

 

 天然に辛辣なシロのコメントに、しかしいつの間にかケンカの手を止め桃太郎たちを見ていた白澤がのほほんと手を振る。伊達に長生きしていない。マイナス評価なんて聞きなれたものだ。貫禄がある。

 

 

「やっぱ今の時代手に職じゃん? 俺もいつか、自分印の薬とか作ってみたくてさぁ」

「大人になったな桃太郎」

 

 

 ふう、とルリオが笑う。目の前にいる仲間は、少し前まで腐っていた時と違いかつての輝きを取り戻した懐かしい目の色をしていた。―――――いや、少し違うかもしれない。

 

 未来を見据えた目だ。先を選ぶ目だ。かつて年端も行かぬまま、その愚かで美しい意志の元英雄となり、幼いまま大人にならざるを得なくなってしまった少年が、そしてそのまま死んでしまった子供が、今ようやくまっとうに『成長』というものをしているのだ。

 

 チラリ、とこちらを見ている鬼灯たちに視線を向ける。死後に育つというのも不思議な話だが、彼をただの人間の子供と見ている大人があの世(ここ)にはいてくれる。それは何とも幸福な話だと、ルリオは思うのだ。

 きっとそれは、他の2匹もそうだろう。

 

 

「桃太郎印のきびだんごだね!」

「いやそれ既にありますよね」

 

 

 きゃらきゃらと笑うシロに、鬼灯があんなもんなくても調教すればいいと宣えば、「お前はな」と白澤が苛立ち交じりの溜息を吐いた。

 

 

「………あの、ところでおふたりってなんか……親戚とかなんかで……?」

「あ、言うてもうた」

「えっ」

「違います知人です」

「お、セーフや」

「えっ」

 

 

 桃太郎はきょどきょどと鬼灯と智嘉を交互に見た。智嘉の反応が不穏すぎる。あと嫌そうな顔になった白澤の顔もちょっと怖い。

 

 

「偶然お互いに東洋医学を研究していまして」

「まあね、望む望まないに限らず色々と付き合いってもんがね」

「まあ極力会いませんが」

「ええ……なんで……」

 

 

 交互に早口でまくし立てる鬼灯と白澤に桃太郎も微妙な顔になる。もしかして自分が抱いたイメージ以上に仲が悪いのだろうか。零れ落ちた疑問に、視界の端で智嘉があちゃあ、という顔をした。

 

 

「端的に言うとコイツが大嫌いだからです」

「僕もお前なんて大嫌いだよ!!!!」

「ああ、ああ、もうええ加減に終いにしとくれやっしゃ。あんさんらの仲の悪さなんて誰もが知っとるさかい、さあさそれより鬼灯さま。早うご用事を済まされとぉくれやす」

 

 

 再びケンカに発展しそうになったふたりを、智嘉が遮って促す。いくらテンプレとはいえ巻き込まれるのは勘弁願いたいのだ。このふたりに関することはいくら智嘉でものほほんと見ていられないから困る。

 

 

「それもそうですね。注文してた金丹をとりに来たんですけど」

「うわーんフーちゃんは僕の味方してくれるもんね! ざまあ見ろ常闇鬼神!」

「ああ、せやせや。桃太郎はん、もうご存じかもしれまへんが、白澤さまはアタマを信用してもおくちはあまり信用しいひん方がよろしいですよって」

「あれ!? フーちゃん!?」

「おい金丹出せっつってんだろ」

 

 

 案外智嘉さんも混沌を生み出すんだよなあ、と桃太郎は思った。

 

 

 

 

 

 

「あの、ところで『金丹』って何ですか?」

 

 

 ふうふうと荒い息を零す白澤を見ながら、ふと桃太郎はひとつ質問をしてみた。『注文した』と鬼灯が言ったのだから、おそらく漢方のことだと思うのだが、あいにくまだまだひよっこの桃太郎には『金丹』というのが一体何なのか分からないのだ。

 

 弟子からのそんな疑問に「ああ、そう言えば知らないか」とケロリといつもの調子を取り戻した白澤はもぞもぞと着ている割烹着のような白衣のポケットを漁り、コロリと手のひらに取り出したものを転がして見せた。

 

 

「これだよ」

「ちょい待ち」

 

 

 取り出された宝石のような丸薬。それにわぁ、と桃太郎が感嘆の声を上げるよりはやく、智嘉がギョッとして割り込んだ

 

 

「え? なになに?」

「何ちゃいますわ。まさかその金丹、そのままポケットに突っ込んどったんどすか?」

「そうだけど」

「『そうだけど』!? あ、あんた薬を、ヒトの口に入るものをようもまあそないな、不衛生な……ようポケットの中の縫い目で迷子にならへんかったわな……」

 

 

 あんまりな管理にさしもの地価もくちの端が引きつる。店に来る女の子たちにはかわいらしいラッピングをして渡すくせに相手がそれ以外だとこれだ。呆れを通り越して感心してくる。

 そんなふたりの様子を見ながら、桃太郎は鬼灯に話しかけた。

 

 

「あの、智嘉さんって昔ここで漢方習ってたって聞いたんですけど…鬼でも天国で暮らせるんですか?」

「ああ、そんなこともありましたね。できないことはないですよ。彼女の場合、もう少しめんどくさい理由があったんですけど……まあ置いといて。彼女がここに居たのはまだずっと幼いころでして。あのこってこての京言葉に少し混じる花魁言葉のような話し方は、あの白豚が幼いあの子を行きつけの花街の女性に預けてたりしてた結果ですね」

「へえ……」

 

 

 曖昧に切られた言葉を、桃太郎は追及しなかった。ここは好奇心で聞いていいことではない、というくらいの判断はできるからだ。

 

 

「そういえば先ほどの話の続きですが、『金丹』というのは中国の妙薬で、道教では『仙人になる薬』や『不老不死になる薬』とも言われていますね。まああの世の人外からしてみればよく効く万能薬という感じですが」

「うわ~ロマンがねえ~~~……」

「『仙人』も『不老不死』も案外現実的に考えれば最初からロマンなんてありませんよ。―――――智嘉さん、もう結構です。私も白豚の手垢がついた薬には思うところはありますが、今回ばかりは時間がないので」

「ほんっとお前嫌い!! 手垢なんてついてませんこっちはプロだぞ!!」

「プロなら衛生管理くらいしろ。いいからはやくください」

 

 

 にべもない鬼灯に片眉を跳ね上げた白澤は、ぶっすりと不満げな顔をして金丹を乗せた手のひらを鬼灯に向けた。

 

 

「ったく、医療研究の一環じゃなきゃこんな奴にこんな貴重なものあげたくないんだけどな~~ほんとうはぜっっったい嫌なんだけどな~~~~」

「まぁた油に火ぃつけて……」

 

 

 徹頭徹尾煽ってくスタイル。智嘉と桃太郎はため息を吐いた。またケンカが始まるのか、止めても止めてもキリがないと鬼灯の出方を伺えば、意外にも鬼灯は特に反応した様子もなくその手の上の金丹を受け取ろうとして―――――

 

 

「バルス!!!!!!」

「ぎゃああああああっ!!!! 手が、手がぁぁぁああああ!!!!」

「っぶな、」

 

 

 思い切り白澤の手のひらに鋭い爪を食い込ませた。

 予想外の激痛に白澤は絶叫を上げて鬼灯を振り払い、その拍子に手のひらから吹き飛んだ金丹を間一髪智嘉がキャッチする。だから貴重な妙薬だつってんだろ丁重に扱え。

 

 

「なんだそれは『滅びろ』ってことか!? お前ジブリマニアか!? 痛いわバカ!! この人でなし!! だからお前嫌いなんだ!!!」

「まあ人ではないですね」

「くそ、僕の手は女の子の柔らかい手を包み込むという大切な仕事があるんだぞ!」

 

「いやあんたついさっきその柔らかい手でぶん投げられてたじゃないですか……」

 

「そういえば道中、酷く気を乱していた鬼女に会いましたね」

「また泣かせて…特に鬼女は獄卒かもしれへんのやから、ちょっかいかけるのんはほどほどにしてくれまへん? 感情を引きずって後々仕事に支障きす子もいてはるのに…」

「あはは、ごめんごめん」

 

 

 釘を刺す智嘉に、けれど飄々とした返事をする白澤。来る者(相手持ちでなければ)拒まず去る者追わずのスタンス、ともいえるかもしれないが、この男は単に期待していないのだ。

 

 それは悠久を生きる自分が、いずれ滅びる誰かに理解されること。相手のいのちが自分の人生に付随してくれるのもだと思っていない。

 だから相手が怒っても「ああ怒らせちゃった」とは思っても、その感情に寄り添ってもう一度縁を紡ぎなおそうとはしない。謝りはするし、他の理由で悲しんでいれば親身になって慰めもする。けれどこの男はどこまでも人で無しだから。うだうだ言っても割り切って、線を越えない。

 

 非合理の塊のような男の、そんな合理的なところが鬼灯は嫌いだった。(むしろ好きなところは無いのだが)

 

 

「……あなた、そのうち奈落に堕ちますよ」

「そんなことより金丹の代金ちょうだいよ。5千元……10万円で良いよ。よこせ天下の日本銀行券」

金額盛ってんじゃ(ぼってんじゃ)ねぇぞ」

「元って何ですか?」

「中国のお金の単位どす。ちなみに2011年3月ごろやと1元が日本円で12円くらいやったはずやわ」

「(なんで2011年……)じゃあ5千元は6万円っスか。全力でぼったくろうとしてる……」

 

 

 いや妙薬を6万で買える方がおかしいのか…? と悩む桃太郎を置いて、鬼灯は一度ゆっくりと瞬きをした。

 

 

「……そうだ、あと高麗人参をください」

「あああれ? あれは向こうに置いてあるな~取ってくるよ」

「あ、白澤さま雑用なら俺が、って、え?」

 

 

 追加注文に背を向けた白澤は、さすがに嫌いな相手でも客相手にそこまでの横暴はしないのか、文句なく目的のものが置いてある場所に足を進める。それを見てハッとした桃太郎の言葉を遮ったのは鬼灯だ。

 ―――――歩く白澤を見つめる目はどこか昏く鋭く、桃太郎は思わず言葉を止める。

 

 

白澤(・・)さん。ひとつ忠告をしておきますが、由緒ある神獣であろうとおいた(・・・)が過ぎれば罰は当たりますよ」

「あたらないも~ん。むしろお前に当た―――――れ、え!?」

「えっ」

 

 

 ―――――バキバキバキッ!!!

 

 

「えっ!!?」

「落ちはったなあ」

「白澤さま!!?」

 

 

 一瞬のことだった。ひょうひょうと鬼灯の忠告を流した白澤の足元がふいに音をたてて沈み、白澤の体をまるっと飲み込んでしまったのだ。

 あまりのことに桃太郎が慌てて現れた穴を覗き込めば、それはあまりに深く、深く、深く―――――

 

 

「えっこれ現世に届いてます!?」

「現世どころか地獄直通ですよ。これがほんとの奈落の底ってね」

「下手人めっちゃ名乗り出とる」

 

 

 何やらかしとんのや、と智嘉が頭を抱える。鬼灯は穴に向かって「人間がごみのようだ」と言っているが、地獄直通ということはあの神獣は空から降ってきて地の底に沈んでいった姿を現世の人間に見られた可能性があるということではないか。リスク管理どうした。やっぱり寝ぼけているのでは、と判断した智嘉は、地獄に帰ったら目の前のハイパー問題児(ウン千歳)をまた布団の中に押し込もうと決意した。

 

 

「いだだだだ……何なのこの穴…昨日までは無かったのに……こわ……」

「は、はぁ!? ちょ、何で穴から戻ってくるんやっ」

 

 

 仕方ない、後始末を、と取り出した携帯端末を握り締めて智嘉が声を張る。地獄に落ちて、落ちた穴から這い上がってくるって、これ絶対姿を戻して(・・・・・)帰ってきてるだろ。絶対人間に見られてる。いや最悪白澤の姿が見られることはいいとしよう。現代ならテレビで特集を組まれることはあっても合成だろうと一蹴される可能性の方が高いのだから。

 問題は地獄につながる穴の存在が知られることだ。うっかりその穴を調査されて、あの世に辿り着かれれでもすれば未曽有の大混乱が発生する。

 

 

「もしもし、大急ぎで済ましてほしいんやけどっ! せや、大問題や。穴があるんや、穴が! え、どこって、えーっと、あーもうっここの真下はどこなん!?」

「私が徹夜で6時間かけて掘った穴ですよ。落ちたことを光栄に思え」

「多分針山地獄あたりの上空、やと思う! そこに現世に通じる穴開いてもうているはずやさかい、公になる前に埋め立ててもうてくれへんか! 構わん、阿鼻の獄卒動員したってええさかい、直ぐにや!」

「ロンドンハーツのスタッフかお前は!! そんなことで隈作ってる暇あったら寝てろ暇人!!」

「あなたが人間ならとっくに大量受苦悩処へ堕ちているでしょうからね。いやぁ徹夜した甲斐があった……」

「薬代払ってとっとと地獄へ帰れ!! だから嫌なんだこの男!!!!」

 

「ああもう、やかましい! 少しは静かにしてくれまへん!? あああともしもし、針山地獄ちゃうくて大量受苦悩処やったわ! 急いだってな!」

 

「……智嘉さんってあんな大声出るんだな」

 

 

 ぽつり、とカオスの中で呟かれた桃太郎の声は誰にも拾われず。

 

 ―――――別に、地獄が混乱に陥ろうと実は智嘉にはあまり関係ない。どうせあっちこっちが責任の押し付け合いをして、結局お上のやんごとなきお方たちの摩訶不思議パゥワーで無理矢理でも整頓されるのだ。それによってどんな支障が発生しようと、智嘉は変わらずのんべんだらりと歩くだけ。

 けれど、鬼灯と白澤が原因となってしまうのならさすがの智嘉も慌てて手を回すというもので。全く持って勘弁してほしい。自分のペースを乱されるのは好きじゃないのに。しかも今回は事が大きすぎる。おかげさまでキャラを投げ捨てて声を張ってばかりだ。これで喉を傷めたら労災は通るだろうか。

 

 

「ちょ、いつまでもケンカしてへんでこっちの穴を埋めるの手伝うてくれます!? ていうかこの穴どないすれば埋まるん…? 土ぃ、かけてもかけても現世に落ちてまうやんっ」

「白豚がなんか術とか使ってどうにかしますよ」

「はぁ~~? 自分でやったんだから自分でどうにかしろよ!」

「そもそも白澤さまはなんで家の真横に穴を掘られとるん気づかへんのや! えらいぐっすりお眠りやったんどすなぁ! 健康的でよろしいこと!」

「アレェ僕が悪いの!?」

「というかだから道中すれ違った女性とよろしくやってたんでしょう。私はちゃんと耳栓して作業してたので知りませんが」

「耳栓してる時点で確信してんじゃねーか!」

 

「ああ、やかましい、やかましい! くちより手ぇ動かしてや! 時間あらへんのやで!」

 

「地獄のタイムアタックですね」

「ここは天国ですぅ~~~!!」

「あの、俺も手伝います…!」

「おおきになあ桃太郎はん! 見倣いやそこの年長者(バカ)ふたり!!」

 

 

 







 いろいろあって智嘉にとって鬼灯と白澤には恩があるので、この二人が関係するなら案外積極的に動いてくれる。





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かくして日常は流れゆく



 あけましておめでとうございます。新年一発目の投稿がこちらです。
 今年はせっせこ妄想を出力していく年にしたいので、頑張っていきます。
 ただ基本的にマイペース更新なのは変わらないので、ご理解ください。

 そういえば最近ツイッターの方もフォローをしてくださる方が増え、ありがたいことです。
 鍵は欠けていないアカウントですので、たまにこぼす裏話や執筆状況を暇つぶしにでもしてください。





 

 

「へえ、そないなことしてはったん。なんやぁ壁に穴やのボールペン(オブジェ)やの増えとったさかい、模様替えでもした思てましたけど…」

 

 

 それにしても、まあよくそんな地雷を踏み抜けられたなと智嘉は疲れた顔をしている桃太郎に感心した。

 ―――――ここは天国、漢方薬局『極楽満月』。そこに訪れていた智嘉は桃太郎からつい最近知ったらしい鬼灯と白澤との確執の始点と、千年越しの進展について聞いていた。

 彼の話によると、なんでも桃太郎が投げかけた軽率な質問により鬼神と神獣の千年越しの因縁に触れてしまったのが始まりらしい。

 あの世では鬼灯と白澤が犬猿の仲ということは周知の事実である。そこに抵触した話題を出すやつなんぞ、鬼灯より位の高いお方か食えないようなやつばかりで、一般モブは触らぬ神に祟りなしとばかりに必死に避けるものだ。

 それを、いくら気になったからといって地獄のナンバー2にペロリと聞いてしまうなんてどんな精神構造をしているのか。さすが英雄頭おかしい。

 特に一番頭がおかしいと思うのはそんな状況下で「じゃあ確認してみませんか」と提案するところだ。どうしてそこからさらに踏み込んだことをしようと思うのか。というか閻魔と鬼灯相手に普通に話しかけてることがすでに結構すごいことだとこの英雄さまはご存じなのか。

 

 

「そういえば、智嘉さんは白澤さまのお弟子さんしてたんですよね」

「ようご存じで」

「あ、はい白澤さまから……あの、じゃあおふたりの仲違いの理由も知ってたんですか?」

「いえいえ、たった今初めて知りましたわ。前々から、なんとなぁく反りが合わなさそな雰囲気出してはったんが、催しが終わった後から急にお互い『あいつが気に食わん』て言い合い始めたさかい、まあ何か、あったんやろうなぁ思うとったけど……なんと、まあ、しょうもな………」

 

 

 やれやれと息を吐く智嘉に全くその通りだと頷き返そうとして、桃太郎はあれ? と首を傾げた。『前々から反りが合わなそう』で『急に気に食わないと言い出した』…?

 …決定的な仲違いが起きたのは千年前だと聞いた。なのに、その言い方だと智嘉さんはそれ以上前からふたりと交流があったみたいでは……

 

 

「しゃあない人たちどすなぁ、男の人って」

「………そう、っすね……」

 

 

 もしかして智嘉さんってかなりの古株なのでは―――――その言葉を飲み込んで、桃太郎はあいまいに頷いた。女性に年齢のことを聞くのは野暮が過ぎる。

 

 

「フーちゃんお薬できたよぉ~って、あれ、ふたりとも何の話してるの?」

「何でもありまへん。それより早ぅ薬ください」

 

 

 話がひと段落したと同時に、袋を抱えた白澤が奥の部屋から出てきた。そして目の前の光景にキョトンとした顔になって智嘉と桃太郎に問いかけるが、智嘉はバッサリと切り捨てる。

 白澤はブスくれた顔になったが、仕方のないことだ。なにせ智嘉がこうして桃太郎と話しながら極楽満月に滞在していたのは、依頼していた薬を取りに来たというのに二日酔いでダウンしていた白澤のせいで薬の受け渡しに時間がかかってしまったからなのだから。

 

 智嘉は獄卒である。スーパー獄卒である。やらなきゃいけないことはたくさんあり、暇なんて基本的にちっともない。なのにどっかの極楽蜻蛉のせいでスケジュールを滅茶苦茶にされれば、そりゃあ対応もそっけなくなる。

 

 差し出された手に仕方ないなあという顔で薬を置いた白澤に「どの面下げてこの野郎」とも思ったが、智嘉は面倒なので黙った。まあ鬼灯が取りに来ていたらこれ以上待たされた上にまたケンカを始める可能性もあったから、智嘉がちょっと待たされたくらいで済むのならまだ平和な方だろう。

 

 

「はい、確かに。ほな(あて)は失礼しますわ」

「はいはい」

 

 

 ひとつふたつと薬を確認して頷いた智嘉は、これでもう用はないとばかりにさっさと立ち去ろうとする。そんな姿に白澤はひょいっと手を上げて、智嘉のおでこに円をふたつ描く。

 むず痒そうな顔をした智嘉はしかし特に文句を言うことも無く、そのまま店を出て行った。桃太郎は慌てて「ありがとうございました!」と声をかけてその背を見送ってから、なんとなく白澤を見る。

 

 

「? どうしたの?」

「あ、いえ、その…あれ、前もやってた『おまじない』ですよね? 毎回やってるんですか?」

「ああ―――――」

 

 

 円を、ふたつ。大きめの楕円をひとつに、その中、真ん中に、まん丸円をひとつ。どことなく既視感を覚えるその『おまじない』。吉兆の印たる白澤直々に施されるとあればご利益はとんでもなさそうだが、だからこそそう何度もするものなのかと疑問に思う。

 

 

「んー……ま! いいんだよぉ、こういうのはしたい時にするものでしょ」

「そういうもんですか…」

「ね、それより僕を待ってる間ふたりで何してたの?」

 

 

 曖昧な、はぐらかすような話題転換。聞くべきではなかったか、と気づいた桃太郎はそれ以上追及することは無く、白澤の質問に答えた。といっても、ここ最近あったことをいくつか話していただけなので特に話題になることなどない。普通のお茶会だ。

 

 

「君が誘ったの? お茶会に」

「そりゃ、ただ立たせて待たせるわけにはいきませんし…アッちょっ、ナンパじゃないですからね!?」

 

 

 ワタワタと弁明し始めた桃太郎に白澤は笑みを深めながら、考える。

 ―――――あの(・・)智嘉が、いくら仕事で関りがあって相手に悪意も下心もないとしても、人間相手(・・・・)に仲良くお茶会だなんて、そんな時間の共有を許すだなんて、まさに青天の霹靂だなと。

 

 ……いや、なんとなく予兆はあった。智嘉は桃太郎に対してだけは、他の人間相手より当たりが柔らかいのだ。

 それは付き合いの長い鬼灯や白澤くらいにしか分からない差ではあるが、それでも確かに、智嘉は桃太郎を邪険に扱っていなかった。

 

 ―――――桃太郎は、清い。

 それは清廉潔白だとか、そう言うわけではなく……彼は人間の酸いも甘いも含めた清さがあった。

 

 人としての優しさ。幼さゆえの愚かさ。その心は時に歪み腐りながらも、大切に思う相手の心を無碍にはできないほどに誠実で、向けられた愛情を真っ直ぐに受け止められるほどにはまっとうだった。

 だから、彼は清い。

 

 その、人としての美しさを持つ子だから、智嘉は何か、他の人間とは違う……あるいは、とてもシンプルに、桃太郎という人間に対応できるのではないだろうか。

 

 

「ええ~? ほんとかな~?」

「だから違いますって! ああもう、ほら、仕事に戻りましょうよ!」

 

 

 キャンキャンと吠える桃太郎にいつも通りの笑顔を浮かべながら、白澤は桃太郎と智嘉をふたりっきりにして奥に引っ込んだ自分のファインプレーを称賛した。

 ―――――もうすぐ、『期限』が終わる。この出会いは、ともすれば革命になるのではという思いを抱きながら。

 

 

 

 

 

 

「あら、智嘉ちゃん?」

「―――――ああ、あねさま。お久しぶりどすなぁ」

 

 

 からん、ころぉん、と女下駄を鳴らして閻魔庁に戻った智嘉が入り口で早々に出会ったのは、衆合地獄で働く獄卒のお香だった。

 しゃなり、とした美女がにこりと微笑み、智嘉もそれに笑んで返す。

 お香は鬼灯の古くからの知り合いであり、智嘉も何度も世話になった恩人のひとりだ。特に立場上スキャンダルを気にしなくてはいけない鬼灯にとって気をつけながらも気兼ねなく接せるお香は貴重な存在であり、また女性であったために智嘉が鬼灯の元に来た当初はかなり手助けを頼まれていたものだった。

 ペコリ、と頭を下げて挨拶をした智嘉にお香は嬉しそうに「久しぶりねぇ」と言った。

 

 

「鬼灯さまに御用で?」

「ええ、ちょっと武器庫の確認をしてたんだけど…」

 

 

 にこにことした顔が、智嘉の質問にくてりと困る。よく見ればお香の手には巻物が握られていた。……表題を見るに、それは武器庫の記録だ。

 眉を下げたお香と、その手の中でどうしたものかと揺られる武器庫の記録。それを見て智嘉はなんとなく嫌な予感がした。

 

 

「まさか思いますけど、なんや不備でも?」

「実はねぇ、用具数が記録と合わないのよォ」

「………あらまぁ」

 

 

 智嘉は思わずギョッとした顔をした。とんでもないことだったからだ。

 

 それはダメだ。備品管理はやばい。なにせ、武器庫にある用具はすべて備品なのだ。

 武器庫と銘打っているが、基本的に収納されているのは要するに拷問具で、もちろん二束三文で買えるような代物じゃない。酷使する分入れ替えも早いものだが、それでもどれもこれも高価なものだから、規定に則りほとんどが消耗品費ではなく備品費から支払われて購入した備品だ。―――――そして、備品は定期監査の際に所在他を確認される対象になる。

 

 もちろん普段であれば、誰かが使っているのだろうとそこまで気にされることではないのだが、管理職のお香がチェックをしたということはその武器庫は来週に監査が入る3つの内のどれかだろう。

 監査の入る武器庫は所属備品を一時回収し一定期間持ち出しが禁止される。中身の確認のためだ。だからそれが合ってないということは記録が間違っているのか、あるいは勝手に持ち出している者が居るのか。どちらにせよ、監査を目前にした今は厄介この上ない。

 

 

「一応、持ち出した子がいないかの確認もしたんだけど…」

「該当者はおらへんと」

「ええ。それと、持ち出されていた備品を回収した時点では、当時の記録簿上すべて回収できたことになってるのよねェ」

 

 

 つまり、高確率で新しい記録簿が間違っていると。

 こういう厄介なところでミスをされるのが実は一番きついものだ。地味に時間をとられるしものすごくややこしくてめんどくさい。

 

 

「担当どこでしたか…確認せなあきまへんね。とりあえず、鬼灯さまのとこに行きまひょか」

 

 

 ああまったく、仕事が減らない。

 

 

 

 

 

 

「こんにちはぁ、鬼灯さまいてはりますかぁ」

「あ、智嘉ちゃん」

 

 

 お香と智嘉、ふたり並んで向かった閻魔の元。方言の独特な緩さで声を上げた智嘉に反応したのは閻魔だった。

 こっちこっち、と手を振る閻魔にふたりで近づけば、その場には鬼灯と白黒の小鬼の極卒がふたり。

 

 

「こんにちは。何か?」

「ああ、(あて)はこれ、お薬もろてきましたわぁてだけどす。それよりあねさまが…」

「お忙しいところ、ごめんなさいねェ鬼灯さま。今、来週の監査に向けて武器庫の最終チェックをしてたんですけど、ちょっとこの武器庫の記録がおかしくてェ……実際の用具数に合わないみたいで。色々確認してみた結論としては、多分この新しい記録が間違ってるんだと思うんですけどォ」

「そやさかい、これ、担当部署がドコやったかお聞きしよ思て」

「なるほど」

 

 

 お香と智嘉の訴えに鬼灯は眉をしかめた。武器庫といえばつい最近、監査に向けて記録との照らし合わせの指示し、完了報告を受け取ったばかりだ。それがさっそく合わないとは。確かに担当に話を聞く必要がある。

 三人がさてはてと首を傾げていれば、恐る恐るとこちらを伺っていた白黒小鬼の内、黒い方、唐瓜が問題の記録巻物をチラリと見て「アッ」と真っ青になった。

 

 

「唐瓜さん?」

「そっ、それコイツがやったやつです!」

 

 

 真っ青になった唐瓜がぼへら、と横で突っ立っていたもうひとり、茄子をグイっと引っ張って言う。そのちからにたららを踏みながら、引っ張られた茄子は「あれ? もしかしてまた俺何かした?」と少し冷や汗をかいた。

 何かしたどころの騒ぎではない。その緊張感のない物言いに唐瓜はますます青ざめた。唐瓜はまじめな男であったので、大体の上司の顔はすでに覚えていた。故に、目の前で話し合っているのがこの地獄において上の上、とんでもない上司たちであることを知っているのだ。

 衆合地獄の主任補佐(ナンバー2)に地獄の最下層の古株(ベテラン)、何より地獄の第一補佐官(うらばんちょう)

 なんてことをしでかしてくれたんだこのおバカ。

 

 

「すみません、すみません!」

「あらァ、あなたたち、新卒の子よねェ」

「……これ、そっちの子がやったん? あんたやなく」

「はっ、はい! あのっ、すぐやり直させますから!」

 

 

 未だ現状を把握しきれていない顔でポヤポヤとしている幼馴染の頭を押さえつけ、唐瓜は頭を下げた。メンツだけなら物理的に首を飛ばされそうな相手である。もちろん本当にそんなことをされるとは思っていないが、それだけ怖いということだ。お命だけは。お命だけは。

 

 

「まだこの記録が間違うてる決まったわけやない。せやけど、そこまで言うんやったら、なんや思い当たることあるん?」

「えっ、いえその、コイツいっつもぽやぽやしてて、結構ミスが多いんで、それで……」

「ふぅん……マ、数合わへん原因はほぼこの新しい記録簿が間違うてるからやろうし、せやったらその子の失敗ちゅうことになるなぁ」

 

 

 ひょい、と持ち上がった智嘉の眉に、唐瓜はブルリと震える。とんだ失態。いったいどんな罰を与えられてしまうのだろうか。

 青さを通り越して土気色になった唐瓜の様子に、お香は苦笑いをした。そこまで怯えなくても、という気持ちであるし、なにより唐瓜は関係ないはずなのに当人より慌てふためいているその気質に呆れと好感を抱いたからだ。

 じっと唐瓜と茄子を見つめる智嘉。お香はそんな圧から庇ってやるように、ふたりに向かって柔らかく手を振った。

 

 

「いいのよォ、新人の内は失敗なんてよくあることだわ~。今回は大事になる前に分かったんだから、次は気をつけてちょうだいねェ」

「はい! ありがとうございます!!」

「ほぅら、そっちの…真白の子。あんた、何をボケっとしてんの」

 

 

 誠心誠意下げられた唐瓜の頭にうんうんと頷いたお香に対して、智嘉はスパッと切り込む。その矛先は唐瓜ではなく茄子だ。

 いつも通りの狐目はどこか剣呑な雰囲気を持ち、困惑した様子で頭を押さえられている茄子を射抜く。

 

 

「あんたのお友達があんたの失敗をカバーするために頭ぁ下げてはるんに、あんたは何をしてんねん」

 

 

 失敗したのは茄子だ。唐瓜は何の関与もしておらず、しかし友として頭を下げている。正直、まったく関係ないと言える唐瓜が頭を下げたところで何の意味もない。

 意味もないが、智嘉は別に友のために平身低頭して詫びる男を蔑ろにしたいわけではない。価値のない謝罪に興味もないが、智嘉だって空気くらいは読めるのだ。

 茄子は向けられて視線の鋭さに身震いをし、それから言われた言葉にハッとした。

 

 そうだ、何事かとなされるがままに頭を下げていたけれども、唐瓜はまったく関係ないのだ。

 

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 

 茄子は慌てて自分で頭を下げた。茄子は何もバカじゃない。ただ少し、周りと思考のテンポが違うだけで、悪いことは悪いこととして知っている。つい最近にも大きなミスをして周囲に怒られたばかりであるからして、失態に伴う責任と言うのも学んだばかりだ。

 だというのに。

 

 

「……甘やかすつもりはまったく(・・・・)ありませんが、お香さんのおっしゃる通り失敗とはだれにでもあることです。あまり上司である私がこういうことを言うのはよくないのですが、今日は残業してこの記録をやり直しなさい」

「はい……」

「……ま、ええわ。それにあんただけの責任でもあらへんし」

 

 

 ここまで、と一線を引くように発言した鬼灯に、ふう、と智嘉は溜息を吐いて身を引いた。

 失敗したのは茄子である。しかし、この真っ白茄子が新人なことは分かり切った事だった。そしてお香が気づくまで事態が明るみにならなかったということはつまり、教育係や仕事を割り振った上司がろくな確認もしていないということだ。

 どんな事情があろうと、上司として、教育係として、彼らにはまだひよっこの茄子をフォローするという義務がある。地獄は多忙なこと以外は意外とホワイトな職場なのである。

 新人の茄子に仕事を振り分けたとして、それは現時点では作業分担ではなく経験値稼ぎなのだ。茄子の教育係や上司がサボっているとまでは言わないが、これは彼らの職務怠慢とも言えてしまう。どうやら茄子はかなりぽわぽわした性格であるために彼の指導はなかなか骨を折るものかもしれないが、それでもやらなきゃいけないのだ。自分だけではできないのなら周囲と連携してでも。

 

 どんな理由があろうと結果がこうして出てしまっている以上、そしてその結果をほぼ最高職に近いメンツに知られてしまった以上、彼の上司たちは何かしらの注意は免れない。

 

 

「じゃ、アタシは失礼しますね~」

「ええ、ご足労おかけしました」

 

 

 ひらひらと手を振って去っていくお香。唐瓜と茄子はその後姿にぺこぺこと頭を下げた。完全に委縮してしまっている。ちらり、と鬼灯の視線を受けた智嘉は頷いた。

 

 

「ほな、(あて)も失礼します」

 

 

 カラン、と音を立てて智嘉も歩き出す。あのふたりが感じている威圧感の大元は智嘉だ。ならこの場から智嘉が居なくなることが、一番手っ取り早い状態緩和の策だろう。

 

 見たところ唐瓜は責任感が強く仕事もできる、いわゆるアタリの新卒だ。対して茄子はマイペースで注意力散漫。しかし、あの独特の緩い雰囲気が決定的な悪意を近寄らせない。百凡から一歩ずつズレた彼らの素質は存外基調で替えが効かないものだ。どちらも育てれば地獄を担う支柱の可能性を秘めた原石。なら、ここでうっかり潰してしまうわけにはいかない。

 唐瓜はストレスを溜めやすく、茄子は孤立しやすい可能性が見えている。あれらの長所を生かしながらうまく成長させるのはこの地獄の利益につながるだろう。

 

 ちょっと打ちのめされてしまった心のケアと仕事のフォローは、おそらく似たようなことを考えている鬼灯と生粋のお人好しの閻魔がなんとかする。なら、智嘉の仕事は茄子の上司たちのところへ行くことだ。

 まずは彼らの失態を伝え、残業をさせることの連絡。それから、茄子の教育を見直すことについての話。…変に追い詰めて彼らが茄子の個性を潰してしまわないように、上手いこと智嘉が話をまとめなきゃいけないのだが、まあよくあること。これも仕事。未来のため。

 

 

 ああまったく、今日も仕事がなくならない。

 

 

 






 なんか書いてて桃太郎オチになりそうでびっくりしている。そんなつもりはないのに。
 ちなみに智嘉ちゃんは別に唐瓜と茄子が嫌いなわけじゃないですよ。ただほら、厳しくする人は必要だし。でも鬼灯さまは将来のために唐瓜と茄子に好印象を持たれていた方がいいから鞭役は智嘉ちゃんがやりました。

 あと、薄々感づいてる人もいると思いますが、この子特定の相手と一定の基準以上の相手以外の子とは全く興味がありません。ビジネススマイルにビジネス気づかいくらいはするけど、なんて言うの? 立場上葬式には出るしお香典も持っていくけど別に泣かないし葬式終わったらさっさと帰って焼肉でも食べに行く感じ?




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