いつかボク(日本人)が地球をすくう 〜亜宙戦記デミリアン〜 [ラノベ版] (多比良栄一)
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第一章 第一節 100万人殺しの少年
第1話 二十一世紀の日本人たち、すべておまえらのせいだ


『二十一世紀の日本人たち、すべておまえらのせいだ』

 

 ヤマトタケルは車窓から、シブヤのスクランブル交差点を見下ろしながらそう思った。

 眼下の交差点では、数十人もの警察官が歩行者たちを制止しているのが見えたが、どうもみな手こずっているようだった。

「草薙大佐……。ずいぶん時間が経つけど……」

 文句を言われた草薙素子(くさなぎ・もとこ)大佐はうんざりとした目をヤマトにむけた。

 

「タケル君。キミがスクランブル交差点を渡りたいなんて、無茶を言うからでしょ」

「まぁ、そうだけど……」

「準備して。そろそろ、降下するわよ」

 

 シブヤは二回の関東大震災と、第三次世界戦争の影響で、一時期ひとの流れが途絶えていたが、『スクランブル交差点』が世界遺産になってから人気が再燃した。

 今では最先端の街にすっかり生れ変わっていた。空飛ぶ車、スカイモービルのための、空の道路『流動電磁パルス・レーン』も、上空に縦横無尽に通じているのが見える。

 

 車が空から降下し、交差点の手前10メートルほどの位置に音もなく『着車』した。

 ドアが一斉に開くと、草薙大佐を先頭に、兵士たちが銃を構えながら降りたった。完全武装で一部の隙もないものものしい装備。高性能かつ強力な殺傷能力をもつマルチプル銃を構えている。

 草薙に促され、ヤマトはゆっくりと地面に足を降ろした。すぐに兵士たちがヤマトタケルを取り囲む陣形を組む。

 

 責任者とおもわれる警察官が近寄ってきた。

「あたりは全部封鎖いたしました」

 その警察官は敬礼をすると、去り際に兵士たちの中心にいるヤマトに目をむけた。その視線はあきらかに怒気を含んでいた。警察官はヤマトと目があうと、「チッ」とあからさまに舌打ちをした。

 ふと気づくと、現場を封鎖している警察官全員がこちらを見ていた。誰もが、警護対象者の自分に対して敵意むきだしの視線が向けていた。

「彼らの視線が気になる?」

 草薙がヤマトに声をかけた。

「まさか」

 草薙が手を大きく振って、どこかへむかって合図した。

「じゃあ、いくわよ」

 

 歩きはじめたヤマトタケルの周りを武装兵たちが取り囲む。どこから狙われても対処できるように四人が四方向に銃をむけて、ヤマトにからだをくっつけたままゆっくりと、スクランブル交差点へ歩をすすめていく。

 

『自分の時間が欲しいから、お金がかかるから……。そんなご立派な理由で、親になれたのに、なろうとしなかったヤツラ。そして……出産や子育てを支援する政策をなおざりにして、人口減少になんの手も打たなかった政治家や官僚ども……』

 

『そう。すべて、西暦2000年頃……、今から450年前の日本人全員の責任……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 『2470年、ボクは地球上で最後の日本人になった……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 警護されながら交差点を渡る少年を見て、やじ馬たちがざわめきはじめていた。一列目にいた黒人系の青年二人組の一人がヤマトにいち早く気づいた。

「おい、あいつ、ヤマトタケルだ」

「まさか。日本人のDNAを99・9%保持しているっていう最後の純血の日本人(ネイティブ・ジャパニーズ)か……」

「あぁ、『スリーナイン』だ」

「あいつが……」

 彼が息を飲むと同時に、うしろのほうの群衆の一人から叫び声があがった。

「オレの母親は、あいつに殺された……」

 イタリア系の中年男性だった。その隣にいたヒスパニック系の中年女性が声を荒げる。

「わたしは娘を殺され、家を潰されたわ」

「オレは会社を壊滅させられて、破産した……」

 次第にそれらの声が大きく広がりだした。人々は手にしたボトルや缶をヤマトたちのほうへ投げつけはじめた。警察官が張った規制ビームの壁に跳ね返されて届かなかったが、みな、その行動を止めることはできなかった。シブヤのスクランブル交差点は、悲鳴にも似た怒号、怨嗟に満ちた叫びに埋めつくされた。

 草薙がこめかみを押さえながら、「テレパス・ライン」と呼ばれる体内に埋め込まれた通信装置に声を張りあげた。

「音声ジャミングの出力弱いぞ、どうなってる?。まわりの音声がこっちに届いている」

「いいよ、草薙大佐……。慣れっこだ」

 その時、ヤマトの耳にひときわ大きな怒号が聞こえた。

 

「ミリオン・マーダラー(100万人殺し)!!」

 

 ヤマトは声の聞こえたほうに笑顔を向けると大げさに手を振った。

『まったく……気が早いったらない……』

 

『まだ95万人……なんだけどね』

 



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第2話 2237年『にいさんなぶられ、九州占領』、そう日本史で習った……

『全員、足をとめて!』

 交差点の中腹まで来た時、草薙大佐の声がとびこんできた。ヤマトを含めて全員がぴたりと足をとめた。先頭を歩いている草薙はその場に足をとめたまま、通信を受けている。ヤマトは自分の真うしろを警護していた兵士のほうを見た。彼は残念そうに肩をすくめた。

 残念だったな。今日はここまでだ……ということだ。

 草薙が顔をあげると、ヤマトのほうへ顔をむけた。ヤマトは先に口を開いた。

「出撃……だよね」

「宮崎県沖で捕捉された亜獣が……」

「行きたくない」

 即答したヤマトの態度に、草薙の顔色が曇った。

 

「あそこは、もう……日本じゃない」

 

 そう、あそこは太平洋進出を狙っていた『かの国』に、250年ほど前に攻められ占領されたのだ。大震災からの復興中を狙われたとはいえ、人口が半減した日本人では守り切れなかった……。

 

 2237年……『にいさんなぶられ、九州占領』

 そう日本史の授業で憶えさせられた。

 

 草薙が不機嫌さを隠そうともせず厳しい口調で続けた。

「宮崎県沖で捕捉したはずの亜獣が、今さっき仙台市に上陸したの!。すでに日本国防軍の大隊が足止めにあたってるわ」

「通常兵器で?」

「一時間は踏ん張ってもらうつもり」

「草薙大佐、ずいぶん楽観的な……」

「だから急ぐの!」

 

 空を見あげると、上空で待機していたスカイモービルが、ゆっくりと降りてきているのが見えた。

 

『人気のスイーツ店に『イチゴンゴーラ』食べにきただけなのになぁ……』

 

 

 

 最初の一撃は今から78年前……

 どこからか突如現われた怪物は、一日足らずでシドニーの半分を壊滅させた。

 なんの前触れも予兆もなかった。

 亜空間から出現したとしか考えられないその怪物は『亜獣』と名づけられ、世界中の人々を恐怖に陥れた。亜獣はいつどこから現れるかが予測不能で、いったん出現すると街をことごとく破壊し、数万人もの犠牲者をうみだした。

 

 人類は『国際連邦軍』を組織し対抗したが、あらゆる兵器が『亜獣』には無力だった。

 核兵器はもちろん、2250年にノーベル賞に輝いた『ポジトロン・レーザー素粒子』でも、その50年後発見され、国際条例で使用が禁止されたほど強力な『反動パルス・ニホニウム爆弾』でもまったく歯が立たなかった。

 

 25世紀の最先端科学をもってもなす術がないこの怪物に、国際的な研究機関は『この生体は地球上のあらゆる物体で触れることができない。そこに存在するようにみえても、目には見えない薄いベールのようなもので被われ、本体はこの次元とは異なる別の空間にある』と結論づけた。

 

 だが、人類はこの未曾有の脅威に対抗する手段を、どこからか手に入れた。

 それは亜獣をつつむベールを引き裂き、亜空間のむこうに力を及ぼすことができる能力をもつ謎の生命体。

 その生命体は誰が、いつ、どこで、どのようにして、手にしたものか、出自はまったく不明だった。だが、その生命体だけが怪物に対抗しうる唯一の方法だった。

 

 人類は安堵した。

 

 その正体がなんであったとしても、怪物を撃退できる武器を手に入れられた、と。 

 

 その謎の生命体は、亜空間にまで影響を与えられる宇宙人の意味で、『亜宙人 =デミリアン』と呼称された。

 



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第3話 ぼくがしくじったらふつうに人類全滅でしょう……

 スカイモービルからあわたただしく降りたった、ヤマトタケルは動く歩道上を走りはじめた。ふいにサッカーボール大の光る球体が飛び出してくる。

「ヤマト、遅い、遅い」

 その球体はヤマトの走るスピードに併せて転がりながら、ヤマトに声をかけてくる。

「シロ!」

『ブライト、怒ってるヨ』

「だと思ったよ」

 突然、眼前に『インフォグラシズ』と呼ばれる視覚デバイスから照射された映像が、網膜に投影された。司令官のブライト中将の姿だった。

「ヤマト、遅いぞ」

「ブライトさん。一応、空飛んできたんだけどね」

 AIロボットの『シロ』が合いの手をいれる。

『ヤマト、トンだ、トンだ』

「すでに、仙台駅近くまで迫っている」

「マンゲツはスタンバイOKですか?」

「マンゲツの生体状況、装備は万全との報告はあがっている」

 動く歩道上で移動しながら、ヤマトは上着を通路の途中に脱ぎ捨て、代わりに戦闘服に着替えはじめた。

「で、アルやエド、リンさんは?」

「出撃レーンに向わせた。直接、おまえに伝えたいそうだ」

「直接?。珍しいね。今日はなんかの記念日だったっけ」

「おそらく、前回の出撃の件を気にかけてるんだろう……」

 

 ヤマトの脳裏に前回の戦いが一瞬よぎる。

 『ナーヴセンサー』の調整ミスで、気絶寸前にまで追い込まれた前回のほろ苦い勝利。

 各担当の責任者たちは、それなりに責任を感じているのだろう。

 

 ヤマトは「出撃レーン」を進みながら、戦闘服に着替えたところで、ヤマトはレーンの終端になる一角に、だれか二人が待っているのに気づいた。

 ヤマトは顔を見るまでもなくそのシルエットだけで二人が誰かわかった。背が高くてガタイがよい作業服のアルと、背の低い白衣のエドの二人組の凸凹コンビは所内でも有名だ。

 アルとエド。

 戦闘装備の責任者と、亜獣対策の責任者。

 

「アル、コックピットの整備は万全?」

「当たり前だ、ヤマト」

「アル、前回、危うくボクが失神しそうになった『ナーヴセンサー』の調整は済んだ?」

「あぁ。あンときゃあ、済まなかったな」

「だが、今回は、一定以上の刺激が加わったら、瞬時に神経回路を遮断できるようプログラムの精度を高めといたよ」

「瞬時って、何秒?」

「すまん、0・3秒だ」

 ヤマトにはわかっていた。いつだって自分の要望を満額回答されたことはない。

「は、痛みが伝わる速度は0・05秒。確実に痛いよね」

「悪いな。これ以上速く遮断しては通常の微妙な操作に……」

「わかった。男の子だ、我慢する」

「わりぃな」

 枕詞のように謝意を口にするアルの言い回しには、いつも辟易とさせられる。

 

 ヤマトは神経質そうにメガネの中央を指でおさえている白衣の男エドに声をかけた。

「エド、亜獣の情報」

「あぁ、ヤマト君、現在まででわかっている情報を伝える」

 エドは下からヤマトの顔をのぞき込むようにして口をひらいた。

「出現順位ナンバー98。身長約30メートル、体長60メートル、二足歩行、恐竜型のいわゆる『ゴジラ』タイプ」

「名前をサスライガンと名付けた」

 ヤマトは「名前はどうでもいいよ」と皮肉を呟いたが、エドはまったく気にすることもなく、眼前に投影されているデータ表を見ながらたんたんと話しを続けていく。

「スキャンデータから推測すると、前回、ヤマト君が苦戦したナンバー97のゴルドライタみたいに、火の玉を吐きだすことはなさそうだ」

「武器は?」

「尻尾の破壊力はいままでにないほどに強力だ」

「で、こちらの世界への出現限界時間はどれくらい?」

「おそらく4時間。あと2時間はこちらの世界で暴れる可能性が高い」

「ぶっ倒す時間は充分ってことだね。で、弱点は?」

「いや、今のところまだ解析が…………」

 エドがメガネの弦をいじりながら顔を伏せた。

 

「タケル君。油断して、またマンゲツに怪我させないでね」

 

 皮肉たっぷりの女性の声が割り込んできた。

 春日鈴(かすが・リン)博士ーー

 白衣のリンが指でつまんだシート型端末をぷらぷらと振ってこちらにアピールしていた。

「リンさん」

 リンはハイヒールの音を高らかに響かせながらヤマトたちのほうへ近づいてきた。

「あなたは気絶しかかっただけだけど、あの子は腕折られたんだから……」

「了解…………。今度は気をつけるよ」

「あの子が死んだりしたら、私のそれまで積みあげてきた研究成果が台無しよ」

「またぁ……。リンさん、あいつが死んだら……」

「ふつうに人類全滅でしょうに……」

 

「ま、まぁね……」

 

 そう言いながらリンがふりむいた先、そしてヤマトがむかう正面の壁に、それはいた。

 



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第4話 おまえなんか、この世の終わりまでどこかをさまよっていたらよかったんだよ

 それはロボットと呼ぶにはあまりにも肉感的な部位がむきだしで、生物そのものを隠そうともしていないかった。

 

 はじめて見るものは、誰もが必ず一瞬息を呑む。

 

 40メートルもの巨体を下から見あげるため、顔ははっきりと見ることできない。だが、それでもそこに異形の禍々(まがまが)しさをかいま見ることができた。

 顔のフォルムはまさに髑髏(どくろ)そのもの。

 

 その頭を覆う兜には戦国武将のような立派な「前立(まえだて)」が(しつら)えられ、その中心には、名前を体現するかのように「満月」に見たてた大きな円形の装飾があった。身体につけられた、おびただしいまでの装飾は、その姿を中途半端に飾り立てることで、むしろ、その違和感を増幅している。武将の甲冑とも、僧侶の法衣とも、花魁《おいらん》の打掛ともとれる、厳めしさと、荘厳さと、絢爛(けんらん)な彩りが同居しているようでもある。

 通称『マンゲツ』ーーー

 

 そう呼ばれるデミリアンにむかって、ヤマトが大声をあげた。

「マンゲツ!。2ヶ月ぶりの出撃だ!」

「どうだ。嬉しいだろ」

 マンゲツの落ちくぼんだ眼窩(がんか)の奥で切れ長の目がうっすらと開く。爬虫類のまぶた『瞬膜』に似たものが目を一瞬白濁させ、まばたきをしたかと思うと、むき出しの歯が並ぶ顎をいびつにゆがませた。

 それは、明らかに、ヤマトの言葉に反応したとしか思えない反応だった。

 おそらくそれが、それにとっての「笑み」なのだろう。

 

「は、笑ってやがる」

「おまえなんか、この世の終わりまでどこかをさまよっていたらよかったんだよ」

 

 ヤマトは昇降機に乗るとコックピットへむかった。

 ウィーンという高音と共に、いたるところから同時にいくつものプロテクタが動きだし、マンゲツの顔をおおいはじめた。まるで気味の悪い顔を隠すかのようだ。

 それと同時に、マンゲツの胸に装着されたコックピットのハッチが、両側に開きはじめていく。

 およそ洗練されているとは言いがたい武骨な機器がごっちゃりと詰めこまれている小さな空間。操縦席は一人が搭乗できるギリギリの高さと奥行きしかない。

 昇降機がマンゲツの胸の部分で止まると、ヤマトはコックピット内に半身乗り入れながら、下から見あげているクルーに声をかけた。

「じゃあ、アル、エド、リンさん、サポートよろしく」

 下から三人三様の返事が聞こえてきた。

 すぐにコックピット内に目をむけたヤマトは、目の前のモニタからブライト司令官がこちらを睨みつけていることに気づいて、あわてて付け加えた。

「あ、ブライトさんも」

 モニタ映像のむこうで、ついでに呼ばれたブライトが苦虫をかみつぶしたような表情をしているのがみてとれた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 八冉未来(やしなみらい)はついにきた実戦本番に、どうしても興奮と緊張が抑えきれなかった。

 希望してやまなかった国連軍の仕事、それも最前線の日本支部の副司令官を拝命して、一カ月あまり。当初は、ブライト司令官の秘書まがいの仕事が続いていたが、やっと人類を救う戦いの末席に加わることができるのだ。

 

 彼女は深呼吸をすると目の前にあるマイクのスイッチをいれた。

 この位置へ長足のスピードで就けたのは、世界的に名だたる八冉財閥の名を借りたおかげ……。そう仲間内で囁かれていたことはもちろん知っていたが、彼女は意に介さなかった。

 財力を利用した割り込み……。みんなが快く思わないのも理解できた。

 

 だが、才能を持って生れてきた人間が、己の才能を駆使して一足飛びに駆けあがることがどうして悪いのか。スポーツや芸術の世界ではあたりまえのことではないか。

 

 自分の場合は単に、金持ち、という才能に恵まれただけだ。

 

「セラ・ムーンをパルスレーンへ移動します」

 第一声はつっかえることなく言えた。上々の滑り出しだ。

 と、突然、目の前にコックピットのパイロット、ヤマトタケルの映像がうかびあがった。「ミライ副司令、こいつはマンゲツだよ」

「セラ・なんとか、とかいう名前なんてやめてくださいよ」

 ミライはムッとした。

「ヤマト少尉。その機体、あなたの乗っているそれは、『セラ・ムーン』号で間違いないですよ」

「通称、マンゲツかもしれませんが、マニュアル通りに進めさせていただきます」

「ーったく、初めての本番だからって、力はいりすぎだよ」

 いくら百戦錬磨の戦士と聞かされてはいても、目の前に映しだされているのは自分よりもかなり年下の少年。ミライは新人扱いされたことにカチンときた。

「出撃マニュアルには、『セラ・ムーン』と書かれてます。『Selah(セラ) 』は旧約聖書の詩編に出てくるヘブライ語が語源で……」

「わかった、わかった」

「それ、前の担当者にも聞いたよ。セラ・何とかでいいよ……」

 相手が意外にもあっさり折れたことで、ミライはすこし拍子抜けした気分だった。

「でも、ボクのことをヤマト少尉とか、正式名称で呼ぶの禁止ね。タケルでいい」

「あー、まぁ、いいわ」

「よかった」

「ミライさん、ちょっとは肩の力が抜けたみたいだし」

 目の前に映し出されたヤマトのタケルがしたり顔で言ってきた。ミライはそこではじめて、自分が手玉にとられていたことがわかった。

 だが、おかげで緊張がすっかりほぐれていた。彼なりの気遣いなのだろう。

 ミライは小さく嘆息した。これから最前線にむかうというのに、他人の状態にまで気を配る余裕があるというのは、腹立たしくはあるが、さすが唯一無二のエースパイロットだ。

 いさぎよく降参するしかない。

 

 格納庫内に、気負いが解けたミライの軽やかな声が響きわたる。

 

『セラ・ムーンを流動電磁パルスレーンへ移動します』

 

 マンゲツの肩部分から上空に誘導パルスが放たれ、パチパチと電流が立ちのぼった。それを呼び水のようにして上空からパルスが走り、マンゲツの身体に帯電する。

 

 マンゲツの足がゆっくりと地面から浮きあがりはじめた。

 



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第5話 最後の一節を知れば世界は『発狂』する

 ブライトはこの出撃前の時間が一番苦痛だった。なぜならこのタイミングで必ず国際連邦の事務総長が連絡をしてくるからだ。

 イレギュラーはない。必ずだ。

『ビーッ』と甲高い音ともに、天井から投影され、3Dの立体映像が浮かびあがった。空中に浮かびゆっくりと回る『SOUND ONLY』の文字。

『ブライト君。53日ぶり……だったかな」

「あ、はい……」

『ところで、ブライト君……例の……』

「『四解文書(しかいもんじょ)』のことでしたら、まだです!」

 相手にイニシアチブをとられまいと、ブライトのほうから打ってでた。

『なぜだね?。拷問してでも聞きだすべきだと言っていたはずだが……』

「亜獣はあと11体も残っているんですよ。無理をして万が一、ヤマト・タケルになにかあったら、これからの地球の命運はどうするつもりです?」

『『四解文書』の内容を知ることは、地球の運命にかかわる最優先すべき事項だ。問題は、その内容を今や、世界中で、あの少年、ヤマトタケルしか知らないことだ』

「事務総長。おことばですが、本当に存在するか疑問視される文書のために、亜獣撃退のための切り札を捨てるわけには……」

 突然、天井から投影されていた『SOUND・ONLY』の文字が消えて、ニュース映像に切り替わった。ブライトにはすぐにそれがなにかわかった。

 何度も見せつけられた50年ほど前のニュース映像。

 当時のデミリアンのパイロットたちが、時のローマ法王に謁見したときのものだ。

 

 パイロットのひとりが法王になにかを耳打ちする。

 すると、みるみる法王の顔が青ざめていく。

 法王は胸を押さえて苦しみはじめ、

 その場に昏倒してしまう。

 まわりにいた教皇たちが駆け寄り、あたりは慌ただしさに混濁する。

 

 ライブ配信されていたことで当時、世界中で大騒ぎになったと、記録に残っている。

『この時、耳元で囁かれ、時のローマ法王をショック死にいたらしめたものこそ、『四解文書』の一節だよ』

「いや、重々承知しています」

「では、ブライト君、諳《そら》んじてみたまえ」

 毎度、毎度の茶番劇。

 ブライトはぐっと唾を飲み込んでから口をひらいた。

「四解文書……」

 

「一節を知れば世界は『憤怒』し……

 二節を知れば世界は『恐怖』し……

 三節を知れば世界は『絶望』し……」

 

「そして最後の一節を知れば……」

 

 事務総長の声がまるで唱和するかのようにブライトの声と重なる。

 

『世界は『発狂』する』

 

『こんな地球を滅ぼしかねない最終兵器が、君の部下である、あの最後の日本人、ヤマトタケルだけに継承されているのだ』

 

『実に危険だ……』

 

「いや、しかし、いまは彼は地球の救世主ですよ……」

 ブライトは反駁しようとしたが、声はそれを遮るように言った。

 

『あぁ……、ブライト君、言い忘れていたことがある……』

『月基地で訓練中のデミリアン操縦士を3名……。明日、そちらに到着する』

 ブライトは最重要事項を事もなげにぶち込んできた、事務総長の意地悪なサプライズに動揺してなるものかと、口をひきしめた。

 こちらから見えないが、あちらはカメラごしにこちらの顔色を伺っているはずだ。

 まちがいなく邪気に満ちた目で。

『96・9%の純血。96・9(クロックス)だ』

96・9(クロックス)!。事務総長、彼らはまだ実験段階の……」

 

『まぁ、少々、不安材料はあるがね。君ならば使いこなせると信じているよ』

 



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第6話 殴っていいのは殴られる覚悟のあるやつだけだ

 ヤマト・タケルは操縦席にからだを沈め、肘掛け部分に両腕を乗せた。その腕を上下から挟みこむように、椅子の肘かけ部分の上から機材がすーっとスライドしてきた。

 ガタンと音がしてヤマトの腕を固定する。と、下部から穿刺針がせり出してきて、ヤマトの手首に装着されたリングに突き刺さった。

 やがて、穿刺針からつながった透明チューブへと、ヤマトの血がいきおいよく吸い上げられていきはじめた。彼の頭上にある機器まで伸びた長い透明のチューブはみるみるうちに血で満たされ、赤いラインを上まで押しあげていく。

 吸い上げられた血が頭上の機械に到達すると、機材の反対、右側のチューブから血が下りてきて、ヤマトの右腕のほうへ戻っていく。

 一度は吸い出されたヤマトの血が、ヤマトと機材の間で循環しはじめた。

 

 戻される血は吸い出されていく左側より、わずかだが黒く濁って見えた。

 

 頭上に浮かんだホログラフのモニタにアルが映し出された。

 腕時計型の端末から浮かびあがったホログラフ画面を見ながら、アルが言った。

「ほう。ヘモグロビン値が前回よりかなり改善してるじゃねーか。もう貧血は心配なさそうだな」

「おいおい、アル。前回は貧血で失神しかけたわけじゃない」

「すまん、すまん」

「だが、体調は万全なのは安心した」

「当たり前だろ。だてに血気盛んじゃない」

 アルからの映像が途切れると、ヤマトはどこを見るとはなしに、コックピット内にむかって大声をあげた。

「おい、マンゲツ!。オレの血、今日もうまいだろ……」

 どこからともなく、ぎゅるるるといううめき声ともつかない異音が、コックピット内に響いてきた。

 ヤマトは両腕を固定していた機材が外れ、腕が自由になると操縦桿に手を伸ばした。

 その姿はまるで両腕に輸血チューブをつけた患者のようだ。

 

 ヤマトが操縦桿を握る。準備は整った。

 

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 事務総長との苦痛の時間を乗り切ったブライト・一条は、急いで司令室へ移動した。

 ブライトが部屋に入っていった時、今まさに飛行機のように現場へむけて射出されようとしているマンゲツの姿と、それに備えているヤマトタケルの様子が、別々の大きなホロ映像となって映しだされていた。

 

 ヤマトタケル……。

 

 ブライトは呟くともなく、その名を口にした。

 もしヤマトタケルという少年を好きか嫌いか聞かれた時、唯一自分だけは「殺してやりたい」と答えてよい権利があるはずだと、いつもブライトは思っていた。

 

 ブライトは子供の頃から、一条家という名門の名を汚さぬように生きてきた。大将を努めていた父の誇りとなるように、親や周囲から望まれる以上のエリートコースをひた走ってきたという自負もあった。三年前、亜獣撃退の司令官に抜擢されたときも、喜びよりも、それは当然だという自信のほうが大きかった。

 だが、ヤマトタケルという少年は、自分の築いてきた今までの『一流』を、根こそぎ否定し、まるで無意味なもののように葬りさった。

 

 それは計り知れないほどの犠牲が出た二年ほど前の上海での戦闘のあとだった。

 

 その夜、ブライトは自分の部屋にヤマトを呼びつけた。身体が怒りで震え、その感情をどうやって抑えたらいいのかわからないほどに激高していた。ヤマトが部屋にはいってくるなり、間髪をおかず大声を咎めただてしたのも当然だった。

「ヤマト、貴様、あの会見の態度、どういうつもりだ!」

「ブライトさんが会見に応じろっていうから」

「それであの受け答えか!」

 ブライトは空中で指をひねるジェスチャーをして、3Dスクリーンを空中に呼びだすと、再生映像をヤマトの目の前につきだした。

 それはつい数時間前に行われた記者会見の映像だった。

 会見席に座っているヤマトが中央に映し出されていた。会見席の周りにドローン型のカメラが何個も浮いているのが見切れて映っている。それは世界中へ関係各社が中継画面を配信している注目の会見であることの証左だった。

 彼の前に世界各国の記者たちが詰めかけ、マイクを向けている。その表情はインタビューというよりも、責任を追及しているかのように険しい。横に責任者として鎮座しているブライトの表情は硬く、居心地悪そうにしか見えない。

 脇には銃を携帯した兵士が数人。すぐ近くにいるのは、草薙大佐だ。

 代表のインタビュアーが口をひらく。その口調はまるで詰問のように冷ややかだ。

「ヤマトタケルさん、昨日未明、あなたと亜獣との戦闘で、4万人近い犠牲者が出ましたが、それについてなにかありますか」

「特になにも」 

「なにも、って、4万人ですよ」

「キミ、これだけの犠牲がでたのになんの反省もないのか!」

「謝罪すればいいんですか」

「犠牲者や遺族に対して言うべきことばがあるでしょ!」

 ヤマトがため息をつくと、ガタンと音をたて立ち上がった。ぺこりと頭をさげる。

「亡くなられた方々、そして遺族のみなさん……本当に悪かったと思います……」

 顔をあげると、ヤマトは屈託もない口調で続けた。

 

「運がね」

 

 別の角度からのカメラに記者たちの驚愕した表情が映し出されていた。誰もが、信じられない、という表情。一瞬、時間が止まったかのような間があくが、すぐにすべての記者たちが、ものすごい剣幕でヤマトに詰め寄り、口々に非難のことばを浴びせはじめた。

「おい、ふざけるな」

「遺族に謝れ!」

 今にもヤマトにつかみかからんばかりの記者にむかって、銃で威嚇して近寄らせないようにする草薙大佐とその部下たちの姿が画面いっぱいに映る。

 殺到してきた記者達の姿が画面をふさぎ、ヤマトの姿が見えなくなる。

 ふっと空中から、映像が消えた。

 

「どれだけ抗議が殺到したと思う」

「まさか4万人?」

「貴様ぁ。まだ反省しないのか」

「なにをサ」

「くっ、なんで……、なんでお前みたいなヤツに力が……、あのデミリアンを動かす力があるんだ……」

「優秀なんでね」

「優秀なヤツが、これだけ犠牲者をだすはずがあるか!。もし、私があのデミリアンを操縦できたとしたら、あんなに犠牲を出しはしない」

「ブライトさん、卑怯だよ。あなたの理想と、ボクの実績を一緒にしないでくれるかな」

「自分の理想と、他人の現実を同列で語るのは、無能な人間のすることだ」

 それは正論だ、とブライトは一瞬思った。だが、理性が感情をねじ伏せることはできなかった。

「きさまぁ!!!」と声を荒げると、ブライトはヤマトの顔を平手で殴りつけた。パンと大きな音がしたが、ヤマトは軽く顔をそむけただけで、すぐにこちらに居直った。

 

「殴ったね」

「それがどうした」

 ヤマトはニタリと笑って言った。

「オヤジにしか、ぶたれたことがないのに」

「なにぃ」

「上官失格だよ、ブライト司令」

 ヤマトがブライトに歩み寄り、下から不満をあらわにした目つきで見あげた。

「なんだ、ヤマト、まだ口答えするか!」

「いや……」

「からだ答え、させてもらう」

 というやいなや、ブライトの脇腹に拳をえぐり込ませた。ピンポイントで急所を殴られ。たまらずブライトは膝をついた。息ができなかった。こんな痛みは経験したことがない。ブライトは痛みにあえぎながら、自分は今までの人生で、一度も殴られたことがなかったことに思い当たった。

「顔を殴ったら痕が残るだろ」

「殴るんだったら腹を殴れ。証拠が残らない」

「オヤジには、何度も何度も、何度もそうやって身体に叩き込まれた」

「貴様、上官にむかって……」

「部下だったら手をあげていいわけじゃない」

「き、貴様ぁ……」

 ブライトは腹を抱えて跪いたまま、ヤマトを恫喝したが、ヤマトは彼を見くだすようにして言った。

 

「殴っていいのは、殴られる覚悟のあるヤツだけだよ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ブライトはいやな記憶をふりはらうように、司令室内を映したモニタ映像に目をやった。 十数人ものクルーが忙しそうにしている毎度ながらの出撃前の光景。ブライトは自分の斜めうしろのヤシナミライ副司令官に語りかけた。

「ヤシナミライ副司令。はじめての実戦はどうかね」

「さすがに緊張しますね」

「そうか……」

「ミライ君、いや、ミライ。君はあのデミリアン、マンゲツを見るのははじめてだったかな」

「いえ、セラ・ムーン、セラ・ジュピター号の二体は研修で何度か」

「そうか……」

「あれが天からの贈り物だっていう人たちもいる。君は信じるかね」

「いいえ、私は学校で、あれは地球侵略のためのワナ、ブービー・トラップだ、と習いました」

 ブライトは、久しぶりに聞く初々しい回答に、気分が晴れた気分がした。その証左に、いつのまにか口元が緩んでいる。

「ふ、軍人としては正解の返答だな。ま、そちらの解釈のほうが合点がいく。いつだって、未知の驚異と救世主はセットで現れると決まっている。マッチポンプのようにね」

 

「拾ったものを使うからよ」

 

 うしろの自動ドアが音もなく開いたかと思うと、先ほどまで出撃レーンでヤマトを見送っていた春日リン博士がその会話に割って入ってきた。

「リン……いや春日博士」

 

「どちらにしても善意の贈り物ではないでしょう。でもそれが私にとっては、そそるんですけどね……」

 



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第7話 チッ、何人か踏んづけた。気持ち悪い

 マンゲツは空中に張り巡らされている『流動電磁パルスレーン』の道筋に沿って、マッハに迫るスピードで飛んでいた。

 飛行コースは軍専用の特別レーンを最優先で使うことで、何にも邪魔されることもなく最短距離で飛行できるように設定されている。数百メートル下には、民間向けのスカイモービル用のパルスレーンが光のグリッドラインとなって縦横無尽に伸びている。民間用は自分が飛んでいる軍専用とはちがい、空中のレーンの各所で渋滞が起きていた。

 あれだけ警告しているにもかかわらず、誰もがスカイモービルを使って逃げようとしているので、こんな事態になっているのだろう。センサーの反応では、空だけでなく、地上の道でも車が渋滞しているようだった。

 この様子をみて、ヤマトはそろそろだなと準備をはじめた。

 地上の様子を知らせる監視カメラの映像を呼びだしすと、各所で破壊された建物からあがる火や煙が見えた。

 

 上陸してきた亜獣の痕跡ーー。

 

 すでに亜獣の通り道になった村や街はなすすべもなく、焦土と化しているといってよかった。しかし、それでも防衛軍はなにかしらの抵抗を試みてくれていた。亜獣を市街地に近づけるのを一分、一秒でも遅らせるために戦ったと思われる『重戦機甲兵』と呼ばれる人型戦闘兵器や、最新鋭の重戦車が見る影もないほどに破壊されて、農地や山の斜面などあちらこちらに散らばっている。その近くには兵士とおぼしき服装をした死体も転がっていた。

 ヤマトは自分たちの兵器ではまったく歯が立たないとわかっていながら、わずかでも亜獣の進行を食い止めるためだけに、命をかけた軍人たちに気持ちをはせた。

「まぁ、よくがんばったよ」

 ヤマトの顔が決意に満ちたものに変わった。

 

「あとは、ボクがなんとかする」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 仙台の市街地が見える距離まで近づいてくると、遠めにも亜獣が暴れている位置がわかった。もうもうと燃え盛る火煙(ひけぶり)にまじって、ビルが崩れ落ちて間もないことをしめす土煙がふきあがっている。

 近くには逃げまどう人々の姿。

 時間を稼いでもらったのに、まだ逃げ遅れた人々がいる。

 ヤマトは亜獣のうしろに回り込んで攻撃をしかけることにした。ビルの合間を縫うようにマンゲツの高度を落としてゆくと、亜獣の進行方向とは逆の位置に降りたった。

 ゆっくりうまく着地したつもりだったが、想像以上に大きな地響きが響いてしまった。マンゲツの巨体ではどだい、静かに降りるのは無理なのだ。

 異変を感知したのか、がむしゃらに進行していた亜獣がぴたりと動きをとめた。

 亜獣サスライガンはうしろをむいたままで、三本の首のうちの左右の二本を、ゆるりとこちらへむけた。爬虫類のような縦長の細い瞳孔をさらに細くしてマンゲツを見すえる。

 気づかれた。

 三本目の真ん中の首が自分の背中越しに、かま首をもたげるようにして顔をこちらにむけてきた。三本の顔、6つの目がこちらを睨みつけている。

 先に動いたのは亜獣のほうだった。大きな咆哮をあげたかと思うと、マンゲツにむかってものすごい勢いで突進してきた。そのスピードは鈍重そうにみえた巨体から想像できないほど速かったが、ヤマトは亜獣の左と右の首をぐっと押さえて、まずはスピードを殺すことに成功した。が、亜獣はスピードだけではなくパワーもひときわ強く、マンゲツは押さえつけているにもかかわらず、うしろに押されはじめた。

 

 マンゲツが足を踏ん張る。

 が、渾身の力にもかかわらず、からだがズルズルとうしろへ押しやられはじめた。マンゲツの足元付近で逃げまどっていた人々が踏みつけられ、押し潰されていった。

 引きずられた赤い血の帯が道路にべったりと刻まれていく。

 

『チッ、何人か踏んづけた』

 

 ヤマトは操縦席の右側の壁にとりつけられた機器にチラリと視線をむけた。そこには設置されたパネルはパタパタとめくれるタイプのかなり旧式のカウンター。6桁の数字がカウントできるような設定になっている。

 

 通称、デッドマン・カウンター。

 

 そのカウンターのパネルがパタパタとめくれて、『5』の数字が表示される。

 

『うぇっ、裸足で芋虫を踏んづけたみたいだ』

 

 ヤマトは出撃ごとに何度も味わってきたはずなのに、気色の悪いこの感触には絶対に馴れそうもなかった。いらついて大声で叫ぶ。

「アル!。センサーがデリケートすぎる!」

 アルの映像が目の前に投影されると、彼は本当に申し訳なさそうに言った。

「タケル、すまねぇな。ちぃとばかり我慢してくれや。それ以上センサーの精度、下げちまうわけにはいかねーんだよ」

 それを聞いて軽く舌打ちをすると、ヤマトは目の前にぐいぐいと迫ってくる亜獣の顔をぐっと睨みつけた。

「おまえかぁ、おまえのせいか」

 マンゲツは踏ん張っていた足をずらして亜獣の勢いをわきに反らすと、そのまま身体をくるりと回転させた。猛進する亜獣の勢いをそのまま借りて、亜獣を背負い投げする。

 亜獣の巨体が宙を舞う。

 亜獣が飛んできた方角にいた人々は、まさかの状況に驚愕の表情であわてて逃げだそうとするが、しょせん間にあうはずもなかった。

 ドォォーンと轟音とともに高層ビルが何棟も崩れ落ち、さらに低位のビルをなぎ倒した。

ヤマトの右壁のコックピットのカウンターパネルが、パラパラともの凄い勢いでめくれていく。

『88』

 ヤマトはその数字をチラリと見ると、驚くほど静かな声で言った。

「サーモ」

 そのコマンドで、目の前に、周辺のサーモグラフィーが浮かびあがった。

 燃え上がる炎が赤く、崩れ落ちたビルや道路は青や黒っぽく表示されるが、そのところどころに、オレンジ色の点が数多く点在するのが見てとれる。

「ブライトさん。避難どうなんってんの!」

「こっちだって何度も強制アラートを発信してる!」

「どうせ、こいつら、リアル・ヴァーチャリティで別世界で楽しくやってるか、ヴァーチャルドラッグでフルトランスぶっこいてんだろ」

「強制遮断くらいしないと……」

 と、その瞬間、ものすごい衝撃にコックピットが揺れた。

 ヤマトは予想より早くおきあがった亜獣の突進をもろに受けたと、瞬時に判断した。うしろに突き飛ばされたマンゲツは、轟音を響かせて、古いつくりのタワーマンションにからだをめり込ませた。

 

 

 衝撃でビルの上層部の4階分が、ボキッと折れて崩れおちていく。

 



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第8話 ちょっとムキになっただけです

 その女性はリアル・ヴァーチャリティ装置でセーヌ岸をデートしていた。

 彼女は『素体』と呼ばれるアンドロイドに、遠隔で人格や感覚を憑依させ、あたかもその場所にいるかのように体感できる機器にずっとハマっていた。

 これを使えば、部屋にいながらにして、リアルに世界中を旅できるのだ。

 視覚や聴覚はもちろん、触覚や嗅覚、完璧ではないものの味覚ですら感じられる。

 そうやって彼女は何人もの男性とつきあってきた。今度の相手は東南アジアのあまり聞きなれない国の若者だったが、驚くほど洗練されていてとてもやさしかった。

 今も自分の背中に回した手の暖かみがじんわり伝わってきてちょっとドキドキしている。 もちろん素体に憑依させた自分の意識体を通じてだが、生身で経験していることとどこが違うというのか。

 青年の顔が近づき、ほんのりスパイシーな香りがふっと鼻をくすぐる。

 あ、この匂い、好きかも……。

  彼女がゆっくりと目を閉じようとした時、突然地面が揺れた。

「揺れてる!」

「え、なにが?」

 相手の青年が怪訝そうに自分の顔をのぞき込もうとする。が、自分はすでに青年の数メートル向こうへ跳ね飛ばされていた。地面に転がる彼女を周りの人々が驚いて見ている。

 彼女の足に痛みが走る。

 

 痛いってどういうこと?。

 

 目の前に火花が散ったかと思うと、いきなり自分の部屋が目に飛び込んできた。コネクトが切れて、フランスの華やかな有名観光地から、自分の質素な部屋になんの前触れもなく引き戻されたのだ。

 なにかおかしい?。

 そこは見慣れたはずの自室とは思えなかった。ぼうっとしている自分の横顔に本がバサバサと音をたててぶつかった。

 なぜ本が横から落ちてくるの?。

 疑問が頭をよぎる間もなく、彼女は気づいた。この部屋が傾いているのだと。

 椅子から投げ出された体がゴロゴロと床を転がり外窓のほうへ転がっていく。彼女は手をばたつかせて、反対側の壁への激突を避けようとした。

 ガクンという衝撃とともにからだの落下が止まった。

 彼女は荒々しく息を弾ませながら上を仰ぎみた。

 落下が止まったのは自分のおなか部分から伸びているリアル・ヴァーチャリティ装置のケーブルのおかげだった。

 彼女はほっと息をした。

 しかし、それ以外の機器は無慈悲だった。

 RV装置の周辺機器や電化製品、調度品は重力に逆らいきれず、彼女に襲いかかるように落ちてきた。

 彼女は悲鳴をあげながら顔をガードしたが、ありがたいことに、落下物は軽く触れた程度で見事なまでに脇をかすめていった。下のほうでいくぶん鈍い衝撃音が聞こえてくる。

 彼女は自分の幸運に息つく暇もなく、自分を吊りさげているケーブルにすぐに手をかけた。こんな細いケーブル一本では、この状態はそんなには長く持ちそうにもない。

 上をみあげると、数メートル上に玄関のドアが見えた。日頃から部屋が狭いことが不満だったが、今は到底辿り着けるとは思えないほど遠い距離に感じた。

『絶対に戻る』

 彼女はドアを見あげながら呟いた。

 あの東南アジアの青年とは、うまく行きそうな気がする。

 絶対に幸せになれる自信がある。

 彼女はふと、目の前にAIポットが浮かんでいるの気づいた。先ほど自分の脇をかすめて落ちていったはずのポットだった。彼女は下方をのぞき込んだ。

  ベランダに続くテラス戸越しに外の風景が見えた。

 ものすごい勢いで地面が迫ってきていた。

 

 落ちているのだ……。

 

 この部屋が落ちているのだ。

『神様……』

 

 突然、落下が大きな揺れとともに止まった。

 その衝撃で彼女のからだをつなぎとめていたケーブルが切れた。彼女は仰向けになったまま落ちていき、数メートル下の部屋の壁に激突した。痛みに嘆息したが、あと数十センチ横だったら、テラス窓から外に飛び出し、数十メートル下の地面に叩きつけられていた。

 彼女は壁に背中をつけたまま安堵と恐怖でさらに息を荒げた。

 この背中は、ほんの数分前まで、あの素敵な彼がやさしい手つきでなでてくれていた場所だった。

 だが今は、汗でびっしょりと濡れた服越しに、壁が生身の自分をひんやりと冷してくれている。

 

 彼女には今、その冷たさが生きてる証でもあった。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 落ちてきたビルの先端の4階分の塊を、マンゲツは肩で受け止めていた。態勢を崩したところに崩落してきたビルの塊は避けるのが難しかった。ならばいっそ迎えにいく形で受け止めたほうが間違いない、という瞬時の判断だった。

 肩と首の部分に一瞬だが、猛烈な痛みが走った。痛みをシャットアウトするまでの、0・25秒分のタイムラグ分だけの洗礼。

 痛みがひくまでぎゅっと目をつぶって耐えていたヤマトが、目を開けると亜獣が自分のほうへ襲いかかってきているのが見えた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 彼女は壁に寝そべったまま上をみあげた。たった数メートル、大股歩きならたった数歩でいける距離に、玄関のドアがあった。

 彼女は上からぶら下がっている機材のケーブルを見つけた。あれをつたえば、もしかしたら……。彼女はすっくと立ち上がりつま先だちすると、そのケーブルに目一杯手を伸ばした。ケーブルの端がぐっと手に食い込む。リアル・ヴァーチャリティでは味わえない、本物を握った時の血管を圧迫するような感触。

 いける。

 が、その瞬間、ものすごい勢いでからだが上にひっぱられた。からだが宙にふわりと浮き、一気に玄関前のキッチンスペースにまで到達する。目の前に玄関ドアノブが見えた。

 彼女は必死で手を伸ばして玄関のドアノブに手をかけた。

 あと少しだ……。あと少し……。

 彼女はドアノブにぶら下がったままの姿勢でドアノブをまわした。

 ガチャと音がして、ドアの隙間から差し込む光が彼女の目に飛び込んできた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 マンゲツはビルの窓に指を潜り込ませ、肩の上に抱えたビルの塊を両手でぎゅっと握りしめた。目の前にはマンゲツの喉笛に噛みつこうと、鋭いキバをむき出しにした亜獣の3本の顔が迫っている。亜獣を睨みつけるヤマト。

「てめぇ、痛かったぞぉぉ」

 マンゲツは、せまってきた亜獣めがけて、まるで大木でも振り回しているかのようにして、両手でビルの先端を大きく振り回した。

 その遠心力で、そのマンションにまだ残っていた人々が窓から放りだされ、近くのビルの壁に激突した。

 べちゃ、べちゃ、と嫌な音をたて、ビルの壁に赤い斑点の花が咲く。

 ヤマトが叫ぶ。

 

「『月』に代わって……」

 

 その棍棒のようにふりまわしたビルで、亜獣の真ん中の顔を力のかぎりに強打する。

 

「おしおきだべぇぇぇぇ」

 

 あまりのパワーにビルの先頭がしなってみえた。

 ものすごい破壊音がしてビルが砕け散り、砂ぼこりが亜獣のからだの周りを舞う。

 

 が、亜獣はなにひとつ損傷を受けていなかった。

 なにごともなかったかのように、ただ一回まばたきをしただけだった。

 ヤマトは両手の中で破片となってしまったマンションの残り部分を、ぽいと投げ捨てた。

 デッドマン・カウンターが『95』の数字を刻む。

 あのマンションにはまだ何人か残っていたことがわかった。一度は救ったかもしれない命だったかもしれなかったが、ヤマトにはまったく興味がなかった。

「ヤマト、相手は『移行領域(トランジショナル・ゾーン)』にいるんだ。地球上にある物質で攻撃しても無駄だぞ」

 ふいにブライト指令の映像が目の前に飛び込んできた。 

 ヤマトは嘆息した。

「わかってますよ、ブライトさん」

 

「ちょっとムキになっただけです」

 



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第9話 わたしはあの化け物の主治医だ。人間の医者ではない

 マンゲツは右腕で背中に装備していた刀の(つか)を引き抜いた。

 とたんにマンゲツの頭から首筋にかけて、表皮の中を青い粒状の光が走りはじめた。光がソードの柄をもった右手にむかって、点滅しながら集まっていく。

 指先に光が集まると、徐々に光のソードを形作りはじめていく。

 それは『気』のようなものだ、と解釈されてたが、ヤマトにとってはこの光だけが『移行領域』を切り開ける唯一の力、で充分だった。

 

 サムライ・ソードと名づけられたマンゲツの武器。

「急げ。ヤマト」

 ブライトがいらいらとして声をかけてくる。

 その助言にイラっとしながら正面に目配せしたヤマトの視界に、突進してくる亜獣の姿が入ってくる。まだソードはバタフライナイフくらいの長さにしか形成されていない。

『チッ、空気読めよな』

 ヤマトはやむを得ず、短い刀身のまま亜獣にナイフを突き出そうとする。

 が、その瞬間、亜獣の右首が驚くような速度で伸び、パンチのように繰りだされた。カウンター気味に肩を直撃され、マンゲツはうしろへ吹き飛んだ。

 低層マンションを何棟かなぎ倒す。

 

 デッドマン・カウンターの数字は『110』。

 

「首が腕みたいに伸びた」

「エド、どうなっている。事前情報にはなかったぞ」

「どうやら、斥候(ちょうこう)部隊の調査漏れだ」

 エドのかしこまった顔が投影される。

「ったく、ちゃんと情報収拾してから全滅してもらいたいもんですね」

 マンゲツは崩れた低層マンションに手をかけて支えにして立ちあがった。手にもった光のソードはまだ包丁程度の長さに留まっている。目の前の亜獣にむかってソードを突き出すマンゲツ。それに呼応するように亜獣も右首をパンチのように突き出してくる。

『こんなに短いんじゃあ』

『刺すしかないよな』

 光の包丁を突き立てられた亜獣の右首が、悲鳴のような咆哮をあげる。痛みにのたうちまわるが、それをぎゅっと握りしめて見動けないようにするマンゲツ。

 

 ヤマトの右腕に痛みが走った。

 

 左首のほうがいつのまにか、マンゲツの右腕に噛みついていた。ヤマトはすこし感心したような口調で言った。

「エドさん、こいつ、右の首を囮にしてきたよ」

 反撃を受けて、司令室を映しているモニタ画面のむこうの司令室の空気が、一瞬にしてざわついたのが、伝わってきた。

 エドがめずらしく大きな声をあげた。

「タケル君、油断しないで。亜獣には知性があるんだ」

 横にいたリンは眉根をよせて、あきらかに不機嫌そうな表情で声を荒げた。

「ちょっとぉ、タケルくん、その噛みついた首を早くはずしてよ」

「今、やるとこ!。こっちだって、それなりに痛いんだ!」

 マンゲツが右手にもっていたソードを左手でもぎとるようにして手にした。噛みつかれた右腕に徐々に亜獣の歯が食い込んでいくのがわかる。

「タケル君、急いで」

「マンゲツの腕が……」

 マンゲツの左腕に青い光の粒が走りはじめ、左手にもったセーバーの刃先部分に光のソードを形成しはじめた。

「はいはい」

「あいかわらず、ボクの心配じゃないのが嬉しいね……。リンさん、らしくて安心しましたよ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 その皮肉めいたヤマトのことばに、リンは手のひらを額にあてがいながら呟いた。

『あの子……、まだ根に持ってるのね』

 

 あれは2年ほど前のことだっただろうか。

 思いだしたくもないロシアでの戦いーー。

 

 リンは回収されてきたデミリアンが収容されたドックにむかって走っていた。

 気が気ではなかった。

 報告では、『セラ・ジュピター』と『セラ・マーズ』は、両パイロットをうしなったもの、本体はほぼ無傷、あっても軽微な骨折程度とあった。

 しかし、マンゲツは逆にパイロットは生還しながらも、本体の被害は甚大だった。数ヶ所の骨折だけではなく、内蔵部分にも損傷がある可能性があるとのことだった。中継されてきたモニタ画面でみたかぎりでは、右腕は折れて、おかしな方向へ曲がっているだけでなく、手首がぐるりとねじれて、今にももげ落ちそうだった。

 焦りだけがつのる。

 数人の係員と救命ロボットが騒々しい音をたてながら、自分を追い抜き、ドックのほうへ走っていった。自分の足の遅さがもどかしく、腹立たしい。

 ドックが近づいてくると、修復用のドックの壁にもたれかかるようにして、へたり込んでいるマンゲツの姿が、遠めにも確認できた。

 顔を被っているフルフェイスのプロテクターは半分ほどが剥がれて、顔が一部むき出しになっている。その顔にはパックリと割れた大きな傷が刻まれ、血のような体液がぽたぽたと染みでている。

「最初にマンゲツの顔の止血をして!」

 リンは叫んだ。ニューロンストリーマで各担当と意識を共有しているのだから、口をひらく必要がないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。

 ふと、自分がむかう方向からよろよろとこちらへ向って歩いてくる人影があるのに気づいた。力なく垂れ下がった右腕をぎゅっと押さえて、今にも倒れそうな様子だ。

 リンはそれがヤマトタケルであることに気づいてハッとした。

 苦痛に顔をゆがめながらも必死で歩をすすめ、こちらへむかってくる。

 リンは下唇をきゅっと噛んだ。この緊急時にこの少年の相手はしていられない。

 が、一瞬逡巡している間に、リンはヤマトが顔をあげて自分の姿を確認したのがわかった。ヤマトの表情がみるみるほどけていく。緊張の糸が解けたのだろう、目を潤ませて嗚咽を漏らしはじめた。

 ヤマトとの距離が縮まる。

 もう気づかなかったとは言い逃れができないほどの距離。リンにむかってヤマトが声を振り絞った。

「リンさん……」

「ボク……おとうさん……を……」

 リンはその横を通りすぎた。

 リンには見なくても少年のショックを受けた顔は想像できた。心と身体に傷を負った少年をさらに突き放す行為なのは、客観的にもむごいことだとわかっていた。

 だが、どうすればいい。

 わたしはあの子、マンゲツの主治医だ。人間の医者ではない。

 ましてや、心の傷など治せるはずもないし、私にその義務はない。

 

 なんびとたりとも(とが)め立てされてたまるものか。

 



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第10話 上等だ。痛みのスピードよりたっぷり時間がある

 マンゲツは、サムライソードを持った左腕で、亜獣の首を一閃した。

 右腕に噛みついた亜獣の首が切断され、緑色の血しぶきが飛び散りはじめた。

 

 マンゲツには気の毒だったが、右腕一本を犠牲にすることで、反撃の時間を稼ぐことができた。この程度の傷なら、あの春日リンがなんとかするはずだ。

 

 噛む力を失った首は、名残惜しそうに徐々に力を緩め、ゆっくりとそのまま地面へと落下していく。

 それはほんの一瞬の隙だった。

 まったくの死角から、亜獣サスライガンの渾身の一撃がマンゲツの身体を強打した。大きな尻尾による攻撃。エドから注意を喚起されていたはずだ。

 ガコンと音がしてコックピット部分のガードが大きくへこむ。

 気づいた時には、すでにマンゲツの巨体は空中に放りだされていた。

 ヤマトはあわてて姿勢を制御しようと試みるが、まったくなにもできない。マンゲツの身体は数十メートル背後の高層ビルに激突した。

 耳を覆いたくなるような轟音。

 そしてすぐにビルが崩れ落ちる、ズズズ……という重低音が響いて、マンゲツの上からへし折れたビルの上層階が大きな塊のまま落ちてきた。ヤマトの目の前にあったハッチがさらにへこみ、計器類が火花を散らしながらこちら側に迫り出してくる。

 

『油断した』

 

 右の壁から聞こえてくる音で、デッドマンカウンターが、恐ろしいほどのスピードでめくれていくのが、見ないでもわかった。

 亜獣の攻撃に備えようと、ヤマトが身構える。

 が、正面の右側面のモニタがすでに使えなくなっていて、なにも見えなかった。

「サーモ!」

 辺りのサーモグラフィ画面が眼前に投影された。冷えきったビルなどの青や黒の周辺温度にまじって、おびただしい数の赤い点のような色が映し出された。だが、その赤い点は見る間にどんどんと消えていく。

 パタパタと音をたてているカウンターはいまだに止まる気配がない。

 ヤマトは目をこらして、赤く揺らめく周辺の火事のサーモ画像の、むこうのほうに大きな赤い影が動いているのを確認した。

 

 まだすこし距離がある。 

 

 ヤマトが操縦桿を動かそうとしたとき、ソードを持っている左手が動かないことに気づいた。左側のモニタカメラで確認すると、崩落した大きなビルの塊が左腕を挟み込んでいた。手首しか動かせない。

『まずい』

 その状況を察したかのように、赤い影が突然こちらへ突進してきた。

 ヤマトはアルの回線に叫んだ。

「アル!。サムライ・ソードは手を離したら何秒持つ?」

「手を?、手を離したらすぐに力を失うぞ」

「だから何秒!」

「すまん、おそらく1〜2秒ってとこだ」

 ヤマトは目の前に迫ってくる赤い影を見据えながら、

「上等だ。痛みのスピードよりたっぷり時間がある」

 ヤマトは赤い巨体が突進してくる振動を感じながら、タイミングを計っていた。近すぎても遠すぎても駄目だ。ヤマトの目の前のサーモグラフィ画面いっぱいに、巨体の赤い影が広がる。

 マンゲツは手首のスナップをきかせて、ソードを空中に放り投げた。刀サイズだった光のサムライソードがすーっと輝きを失いはじめ刀身が短くなっていく。

 その空中を舞うソードを右手で受け止めるマンゲツ。

 そのままギラリとした歯を剥いて噛みつこうとする。

 マンゲツが亜獣の真ん中の首を切りつける。

 切断された首が、突進していた勢いそのままにヒュンとかなたに飛んで行く。

 首がなくなっても突進の勢いを止められず、亜獣のからだだけがビルに突っ込んだ。

 その衝撃でビルの隙間に挟まれていたマンゲツの左手がはずれた。

 勢いよく数字を刻んでいたデッドマン・カウンターの音がゆるやかになる。

 手が自由になったマンゲツは、サスライガンの(むくろ)を横目にみながら、ゆっくりと立ちあがった。

 

「大丈夫か、ヤマト」

 アルの声がモニタから聞こえてきた。

 正面と右側面のモニタ画面の映像がいつのまにか回復していた。そこに大半が焼け野原になった仙台市の市街地の映像が映っていた。世界亜獣災害基金から復興費は捻出されるが、通常の状態に戻るまでには相応の年月が費やされるのは間違いない惨状だった。

「ヤマト、帰投します」

 ヤマトは司令部へ声をかけた。 

「アル、コックピットの修理を頼む」

「それと、リンさん。マンゲツの腕……頼みます」 

 ヤマトは大きく息を吐いた。

 これで98体目。

四解文書(しかいもんじょ)』に啓示された法則によれば、亜獣は全部で108体。

 

 あと十体で終わる……。

 

 その時、絶命したはずのサスライガンの尻尾がピクリと動いた。尻尾の先から、ツルのようなものがヒュるッと吐き出され、マンゲツの首に巻きついた。

 その動きにヤマトは瞬時に反応した。

 が、ツルとの間に手を差し入れて、首に食い込むのを阻止するまでが限界だった。ツルはまるで生きているかのように、幾重にも首元を回転して巻きついた。

 ツルがしなり、強烈な力で引っ張られると、マンゲツはなんの受け身をとれないままうしろに引き倒された。持っていたサムライソードが手から離れ、数十メートル先の地面に跳ね飛ぶ。

 そこにいた、赤ん坊を背負い、幼子の手をひいていた若い母親には逃げるすべはなかった。あっという間もなくソードの(つか)が親子連れをもろとも押し潰した。

 パタパタと無情に数字を刻んでいくデッドマンカウンター。

「な!」

 背後を映し出すカメラが、ツルを吐きだした亜獣の尻尾を映し出す。亜獣の尻尾の根本部分にうっすらと細い目が開いていくのが見えた。

 

「こっちが本物の頭かぁ!」

 



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第11話 どんなに過小評価したとしても、これは最悪な事態だ

 ブライトは、思わぬ亜獣の反撃にぼう然としていた。

 尻尾だと思っていたものが、実は頭部そのものであったという驚愕の事実。固定観念でみていた自分たちのミスであることは明らかだった。

 しかし、その口から吐き出された舌とも触手ともつかない細いツルごときに、あのマンゲツが完全に自由を奪われていることには我慢ならない。

「ヤマト、なんとかならないのか」

 ブライトが苛立ちを隠しきれない怒気を含んだ言葉を投げかけた。

 だが、その声を無視するように、ヤマトは無言で操縦桿をやみくもに動かし続けていた。歯を食いしばるその姿をみる限り、そのツルから逃れるのはこちらが思うほど容易ではないということだった。

 と、突然、亜獣が四つんばいでバタバタと足を動かし、ものすごいスピードで走りだした。マンゲツは仰向けの姿勢のまま、勢いよく引きずられていく。首を締めあげられないように、両手をつるから離せないマンゲツにはなす術がなかった。

 デッドマンカウンターがパタパタと数字を刻んでいく。

 ガタガタと揺れるコックピットで悪戦苦闘しているヤマトの下では、ひと揺れするたびに、建物や施設に避難していた人々を押し潰しているに違いない。

「ブライトさん、ボクは今どちらに向ってる!」

 眼前に浮かんでいるブライトの映像にむかって言った。

 ブライトは目の前に投影された大型地図に目をやりながらも、ミライにむけて叫ぶ。

「マンゲツの進行方向は?」

 ミライが答える。

「松島湾方向にむかっています」

「そこにはなにがある?」

「なにが……って?。なにもありません。海だけです」

「海……」

「ブライト、いえ、ブライト司令、まずいわ」

 リンが口を挟む。声のトーンがおどろくほどうわずっていた。

「なにがまずい?」

「このまま海を進んでいった先には……」

「日本海溝がある」

 それを聞いても、ブライトは微動だにしなかった。眼前に大きく投影された、太平洋プレートに横たわる日本海溝の立体地図をじっと見つめているだけだった。

 ブライトの脳がその事実から導きだされる可能性を本能的に拒否していた。だから動けなかった。もし身体を動かしたら、その瞬間、脳がこれから想定される最悪の事態を具体的に構築しはじめるに違いない。

 

 自分はその瞬間に、正気でいられるだろうか。

 

「ブライト司令!」

 耳元で大きく叫ぶ声に、金縛りが解けたようにハッとするブライト。

 リンが下唇をぎゅっと噛んで、こちらに厳しい目をむけていた。リンの前歯にかすかにだが赤い色が付着しているのが目にはいる。

 

 あれは、口紅なのか、それとも血、なのだろうか。

 

 一瞬、そんな疑問が頭をかすめたが、それほどまでに切羽詰まっている事態であることは間違いない。自分の知る春日リンは平常時ならそのような姿態をみせることは考えられないからだ。

「ミライ……、国防隊に協力要請を」

「でも通常兵器しかないんですよ」

「亜獣を倒せと言っているんじゃない。デミリアンの救出を要請しているんだ」

「了解しました。要請します」

 連絡をいれようとアクションをおこしはじめたミライにリンが叫ぶ。

「一個大隊、いやそれ以上、一個旅団を。緊急招集を要請して!」

「そんな無茶な」

「やるの!」

 

「でないと、あの子が死んじゃう」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ヤマトはコックピット内で、自分の状態を把握しようと悪戦苦闘していた。

 中空でセンサーを操作しながら、地上や空中、人工衛星などのライブカメラ映像をスイッチングしていくと、目の前の映像が、またたくような速さで切り替わっていった。

 投影映像に、亜獣が港を突っ切り倉庫をなぎ倒していく映像がヒットした。そのうしろに引きずられているマンゲツの姿が見え隠れする。

「まずい!」

 ヤマトは思わず叫んだ。

 その瞬間、ドーンと大きな音とともに、仰向けのままマンゲツの身体が、おおきく地面から浮きあがった。ヤマトは衝撃に備えて身構えた。が、来るべき衝撃はなく、そのままなにかに包み込まれたような感覚を感じてハッとした。

 

 海に引きずり込まれた!

 

「タケル、あわてるな」

 状況を察してか、アルが司令室に飛び込んでくる映像が目に映った。走ってきたせいで息は乱れている感じはあったが、いつものアルらしく落ち着いた声色で、ヤマトの不安を和らげようとしてくれていた。

「コックピットは1000メートルの水圧に耐えられる設計だ」

「アル、そんなに持たない。コックピットが破損している」

「いや、すまん、たぶん、なんとかなるはず……」

「アル、気休めはいらない!」

 ヤマトはここにいたっても、へりくだったようなアルの口調にいらだった。

「コックピットがもっても、セラ・ムーン本体がもたないわ!」

 リンが彼らの心配などおかまいなしに割って入ってきた。

「亜獣の本体は別の空間にいるけど、マンゲツはこっちにいるの」

「その子は水圧に耐えられない」

 

 リンさん、ありがとう。おかげで取り組まねばならない課題が二つに増えた。

 

「ブライトさん!、こちらでやれること……」

 ヤマトが司令室の面々にむかって、渾身の苛立ちをぶつけようと叫んだ瞬間、突然、コックピット内の計器が一斉に沈黙した。投影されていた各部署の映像も、計器類のシグナル、室内の電灯も消え、狭い小部屋が真っ暗になった。

 だが、突然のブラックアウトに、ヤマトは慌てることはなかった。今までの戦いで何回か経験している。

 コックピット内に予備電源による淡い光がともると、ヤマトはすぐに操縦桿を引き絞った。が、なんの反応もない。ヤマトは次に目の前に迫り出してきている計器類に顔を近づけた。制御機器の動作をモニタリングするメーターやシグナルパネルは、信号や電力が通じていないことを示していた。

 ヤマトはかなりのトラブルやピンチを乗り越えてきた自負があった。だが、今のこの状況はどうだろうかと思案した。

 コックピットにダメージをくらっている、相手に完全に動きを封じられている、海の中に引きずり込まれている、そしてマンゲツに操縦を伝えるすべを失っている……。

 

 どんなに過小評価したとしても……………… 最悪だった。

 



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第12話 今からボクの神経回路をマンゲツと直結させます

 マンゲツとの連絡が途絶えた司令室は静まり返っていた。

 率先して命令を下さなければならないブライトも、空気を読まず自分勝手な解釈を押しつけたがるエドも、すぐに人の会話に口を挟みたがる春日博士も、誰も彼もが言うべきなにかを失っていた。本来なら副司令官のミライが司令官を代弁して、各部署に指示や命令をくだすべきなのだが、今日が実戦初日というのでは口を開けるわけがない。

 緊張感が張りつめた室内を見渡しながら、アルは自分が口を開くべきか逡巡していた。アルはふだんムードメーカーとして軽口をたたくという自分の役割をわきまえていたが、今この瞬間においては自分には荷が重たすぎた。

「ブライト司令。現場に空挺部隊が到着しました」

 ミライが室内に立ちこめていた緊張の糸をふりはらってくれた。

 アルは心のなかで感謝した。すぐさま声を張る。

「ブライトさん、空挺重機からレスキューワイヤーロープを射出させてくれ」

「こちらからGPSソナーでマンゲツを誘導する」

 具体的な解決方法が提示されたことで、一気に司令室が動きはじめた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ヤマトはいまの最悪な状況に頭を抱える余裕はないと判断した。シートベルトをはずしながら、目の前にあるカメラにむかって、語りはじめた。

「リンさん、アル。この映像、そっちにつながっているかわらんないけど、現在、マンゲツとの操縦回路をロストしています」

「今からボクの神経回路をマンゲツと直結させます」

 ヤマトはチェアの上に飛び乗り、自分の頭上、椅子のすぐ上にある装置に手をかけた。いくつかの手順を踏まなければなはずせない安全装置だった。

そこにはその手順がわかるように、大きく番号が記載されている。

「まずは一番」

 そこにある重々しいレバーに手をかけてひく。ガタンという仰々しい音が響く。

「それから二番」

 ヤマトがレバーをひいて現れた隠し扉に手を突っ込むと、そこにあるツマミをつまむ。

「これを回すと、マンゲツがうけていた損傷や痛みがダイレクトに伝わります。もしかしたら、それだけでショック死するかもしれない……」

「でも、今はそんなこと言ってられません」

 正面のカメラに顔をむけてリポートをしながら、ヤマトがそのツマミをぐいと回した。

 突然、ヤマトの首がぎゅっと締めつけられ、息がつまった。おもわずツマミから手を離し両手で咽を押さえる。

 

 息ができないーーー。

 

 マンゲツが、首にツルを巻かれて引きずり回されているのだ。当然の結果だ。

 ヤマトがカッカッと咽を鳴らして喘ぐ。

 だが喘ぎながらも、先ほどの操作で出現した突起物に手をかける。そこには数字が刻まれたダイヤルがあった。ヤマトはかすみそうになる目を必死にしばたいて、その数字を右、左と交互に数回まわしていく。顔は赤く土気色に変色しはじめ、目は血走り、溢血点らしきものが見えてくる。

 

 ブラックアウトするーーー。

 

 ヤマトは奥歯を噛みしめ、今だせる最大の力で、ダイヤルにむかって上から拳を叩きつけた。ダイヤルはガチャリといくぶん鈍い音をたてて、下の台座に沈み込んだ。

 それが神経回路切断のトリガーだった。

 マンゲツとの神経回路が切断され、ヤマトは気管の狭窄から突然開放された。大きく息をして必死で酸素をむさぼるヤマト。

 ヤマトは頭を左右にふって意識が飛ばないように注意しながら、シートに座り込むと、自分の右手を目の前でぎゅっと握りしめた。徐々にだが、マンゲツと筋肉や運動神経などの感覚が共有されていくのがわかった。

「いくぞ、マンゲツ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 空挺重機から射出された緊急用ソナーブイは海に潜ると、海溝を下降するマンゲツを追いかけはじめた。自走型のソナーブイは高速回転して、ワイヤーをくねらせながら急下降していく。まるで垂直に潜っていくウミヘビのように見える。

「セラ・ムーン、深度400メートル超えました」

 アルがそれを打ち消すように叫ぶ。

「こちらは、深度300メートルまで到達した。もうちょっとで追いつく」

 リンが手元のペーパー端末を目の前に掲げて、透かしてみるようにして言った。

「マンゲツの圧壊深度がわかったわ」

「深度600メートルまでしかもたない」

 ブライトはその事実を耳にするなり、思わずシートから立ちあがった。

「あと200メートルしかないのか!」

 そのことばに、アルがめずらしくつよい口調で返してきた。

「司令、すまねーな。あと200メートルある、って言ってくれねーか」

「なにぃ」

「悪ぃですね。いまはネガティブな情報は勘弁してほしいんだ」

 ブライトは息を吐きだすと、どんとシートに腰を落とした。ブライトは文句を言いたかったが、アルの言い分はもっともだ。

 ブライトは目の前の海のなかの映像を凝視した。ソナーから送られてくる不透明な映像では、どこにマンゲツがいるのかわからなかった。

 だが、自分も含めて司令室のみんなはその映像に目を奪われていた。

 

 いまや、それに賭けるしかないことは、皆わかっていた。

 



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第13話 ボクに死ぬ権利なんてないんだぁ

 ヤマトが自分の首元に両手をよせ、ぎゅっと握りしめた。それはマンゲツが首に巻きついたツルをつかんでいるのと同じポーズ。これで動きをシンクロさせる。

 ヤマトは指先に力をこめた。体中の表皮を這うようにして、青い粒状のイルミネーションが集まりはじめる。指先に光がたまっていく。ヤマトは首にまきついたツルにぎゅっと指を食い込ませはじめた。指先が『移行領域』の薄いベールを通り抜け、ツルがジュッと溶けはじめる。

 両手を横にひろげて、ヤマトがツルを引きちぎった。そのままツルを自分のほうへ手繰りよせはじめる。

 だが、サスライガンはまだ深海への旅行を諦めようとはしていない。身体を器用にくねらせながら、マンゲツをさらに深みへと引きずり込もうとしていた。

 マンゲツが尻尾部分をぐっとつかむ。

 サスライガンは尻尾を大きく動かしてふりほどこうとする。

 すでに水の抵抗のせいで本来の攻撃力はない。

 マンゲツは尻尾の根元部分からこちらを睨みつけている本物の顔と対峙した。マンゲツはなんのためらいもなく、サスライガンの目に指を突きたてた。亜獣が目から体液をまき散らしながら、のたうちまわった。

 マンゲツは構わずそのままずぶずぶと手を眼窩(がんか)にねじ込んでいった。

 あたりが緑色の血煙で染まっていく。

 ヤマトが亜獣の目に突っ込んだ右腕を、渾身の力をこめて突き出して叫んだ。

「てめえのせいで、死にかけただろうがぁ」

 マンゲツの腕がサスライガンの右目から左目まで突き抜けた。反対側から飛びだしたその手には抉りとった目玉がふたつ握られていた。

 断末魔の声をあげる暇もなくサスライガンは絶命していた。

 マンゲツがサスライガンの頭から腕を引き抜くと、命尽きた巨体がゆっくりと上に浮上しはじめた。

 ヤマトはその浮力を利用しようと、亜獣の尻尾に手を伸ばした。

 が、マンゲツの手からスルリとすり抜けていった。腕に力が伝わらなかった。

 マンゲツの右腕の一部がへしゃげていた。

 この水圧に耐えきれなかったのだ。

 ヤマトはすぐに左腕の方でつかもうと伸ばしたが、すでにその腕も折れていた。

 あわてて何度も腕をかくしぐさを繰り返すヤマト。

 だが、ぶらぶらと水のなかで腕がゆれるだけで、推進力を生むことができなかった。

 

 ヤマトはここにいたって、はじめて恐怖した。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 下へ潜っていくソナーのスピードがあがっていたが、いまだにマンゲツのからだが見えないことに司令室の面々のいらだちや不安はピークに達していた。レスキューワイヤーロープでの救出に一筋の光を見いださせた手前、アルにはこれを成功させる義務があると考えていた。

 今回ばかりは、すまねぇな、では済まない。

 苛立ちが限界を超えているブライト司令官は、さきほどから30秒に一回は、まだか、の怒号を背後から投げつけてくる。アルは、腹のなかに鉛でも流し込まれたような緊張に、叫びだしそうになるのを抑えつけられる限界が近づいているのを感じていた。

『セラ・ムーン、深度500メートル』

「アル、まだか、まだ追いつかないのか」

 まただ。また苛立ちのつぶてが後頭部に当たる。

「あと30メートル。もう見えるはずだ!」

 その時、ソナーから送られてくる映像に、マンゲツの姿がうっすらと映し出された。

「いた!!」

 が、その映像を突然なにかが遮った。ソナーの先についているライトの強い光のせいで、そのものの表面が白々と照り返して正体がすぐに判別できない。

「なに?」

 リンが眉根をよせて、とげとげしい口調で焦燥感をあらわにした。

 ソナーのカメラの脇を、大きな泡とともに亜獣の巨体がすり抜けていく。その体躯には力はなく、すでに命がないことは、カメラ映像を通してもわかった。

「よし、ヤマト。亜獣を倒し……」

 アルは快哉を叫びかけたが、モニタリングしていた映像が突然あらぬ方向に切り替わったのを見て、そのまま声を失った。

「な、どうなったんだ、アル!」

 投影されている映像から、ソナーが亜獣の死体と一緒に浮上しはじめていることは明らかだった。

「嘘だろ!!」

「ワイヤーが亜獣に……」

 それ以上は声にならなかった。だが、誰もがそれがなにを意味しているかわかっていた。

『セラ・ムーン、深度550メートル』

 事務的に状況を読みあげたミライの声は、アルにとって、いや今の司令部の全員にとって、まさに死刑宣告のように響いた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ヤマトは操縦桿をつかんで必死で動かしていた。自分とマンゲツの神経のシンクロと機械的操作、どちらかでも動けば、まだこの危機を脱せる可能性がある。

「マンゲツ、動け!、動いてくれ」

 

「ボクは死ねない。死ぬ権利なんてないんだぁ」

 

 ヤマトの目から涙があふれだしてきた。悔しさのあまり声がひきつる。

「あと10体なんだぞぉ」

「あとたった10体なんだぁ」

「頼む。ボクを死なせるな……」 

 

 

 その時、声が聞こえた。脳に直接語りかけてくるような微かな信号のような声。

「誰だ」

「誰がいる?」

 

 

『わ・が・名・は……か・ん・げ・つ……』

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ミライには、からだに満ちあふれていたはじめての実戦への意気込みが、急速にしぼんでいくのが自分でもわかった。今、この狭い司令室内で、百戦錬磨の専門家たちが、抜け殻のようになっているさまを目の当たりして、どうして晴れやかな気分でいられるだろう。自分のもつ最大限の「才能」をして、ここまで到達したのに、今は、すぐにでもこの場を離れたい、気分でいっぱいだった。

「嘘だろ、おい……」

「ヤマトが……、最後の日本人がいなくなったら……」

 隣で焦りの色をぶちまけていたはずのブライトが弱々しい声でつぶやきながら、背後のシートに倒れ込むように座り込んだ。だらしなく足を投げ出していたが、ミライにはその様子を見ることすらはばかられるほど小さく縮んでみえた。

 ミライは目の前のセンサーをみながら、今できる自分の仕事をこなすことにした。

 

『セラ・ムーン、深度580メートル……』

 

 リンの手元からシート型端末がすべり落ちるのが見えた。手が小刻みにふるえ、取り落としたらしい。木の葉のようにひらひらと落ちていく端末には、マンゲツの下降位置をしめす光点が表示されていた。端末は床に落ちると勢いあまってふわりと浮き、リンの靴の先にあたった。ようやく端末を落としたことに気づいたリンが、それを拾おうと屈みこんだ。が、そのまま数歩前によろめいたかと思うと、その場に崩れるように膝をついてしまった。

 その横でその様子をエドも見ていた。

 ミライは、エドがリンを助け起こすしぐさくらいはするだろうと思っていたが、まったく動こうとしないのに驚いた。それどころか、おもむろに眼鏡をはずして指で目を揉みはじめた。メガネをかけていないので、今自分にはなにもできない、という意思表示でもしているのだろうか。

 ミライははじめての最前線の実戦にして、おそらく最後になるだろう仕事を続けるしかないと腹をくくった。自分が願った職務を、ほんの半日だけでも遂行できたのだ。今後、誰かにうしろ指さされることがあっても、胸をはろう。

 

 私は逃げなかった。

 

 最後までその場にいて、与えられた仕事をまっとうしたのだ。

 

圧潰(あっかい)深度を超えます』

 

 ブライトのつぶやきが聞こえてきた。

「四解文書は……」

「内容はアイツしか……、ヤマトしか知らないんだ」

 

『深度610メートル……』

 

 ブライトの目にはすでに精気もなく、ただのうわごとのようでもあった。

「もしこのまま……」

「四解文書は永遠に……謎のまま……」

「世界は……世界は……どうするつもりだ……」

 

 目の前のモニタ画面で明滅していた光がふっと消えた。

 そこにいる誰もが息をしていなかった。

 そのなかで、ミライだけは息を大きく吸い込んだ。

 これがたぶん最後の仕事だ。

 

『セラ・ムーン……』

 

 

圧潰(あっかい)…………しました』

  

 

 

 

 

 

 最後の……日本人が……死んだ…… 

 

 

 



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第一章 第二節 非純血の少年たち
第14話 96・9%[クロックス]と呼ばれる少年少女


 『四解文書(しかいもんじょ)

 

 一節を知れば世界は『憤怒』し…

 二節を知れば世界は『恐怖』し…

 三節を知れば世界は『絶望』し…

 そして最後の一節を知れば ………………… 世界は『発狂』する

 

 その者は、暗闇のなか、その文字列をぶつぶつと呟きながら反芻した。

 

 これが、あの少年だけに、あのラストジャパニーズと呼ばれる少年だけに託された、ということを知っているのは、世界でもほんのひとにぎりの者だけだ。その正体がなんなのかを知るために、各国がひそかにスパイを送り込んでいる、と囁かれていたが、それは間違いなく本当のことだ。

 自分もそのなかの一人なのだから。

 たった四節を知ることで、易々と世界の覇権を握れるかもしれないのだ。世界中の権力者が血眼になるのに値する情報だ。

 だが、それは本当にそれだけの『力』を持つものなのだろうか。

 いや、疑義をはさむ余地もない。

 本物だ。

 数十年前にローマ法王をショック死に至らしめた事実が物語る。

 表沙汰にはなっていないが、過去のデミリアンのパイロットの中には、精神を病んでしまった者が少なからずいたとも記録にある。

 

 その者はふと思った。

 

 なぜ皆、パンドラの箱を開けようとするのだろう。その事実を知らなければ、幸せのままでいられるのに。開いてしまったあとに、その箱の底に『希望』が残っている保証はない。

 

 まぁ、それなら、それでいい。

 もしそれが避けられないのなら、自分がこの手でそれを行使するだけだ。

 自分の出自を考えれば、人類そのものに仕返しをする権利は、自分にだけは、ある。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 八冉未来(やしな・みらい)は巻きあがる髪の毛を必死で押さえながら、軌道エレベータから降下してくる輸送機群を見あげていた。

 ステーションの係員が駆けよってきて、うやうやしくペーパー端末をさしだしてきた。ミライがその上に手をかざすと、自分が国連軍の「少将」で、月から招聘されたパイロットたちの身元引受人であることを証明するサインが表示された。係員は満足そうな顔で会釈をすると、事務所棟のほうへ引き返していった。

 

 ミライはふーっとため息をつきながら、昨日の自分の初めての実戦でのオペレーションを思いだしていた。まごつくことがなかったとは言えなかったが、自分なりに相応の手応えがあった。被害がでたとはいえ、亜獣を撃退することはできた。「これで残りの亜獣は10体、カウントダウンの始まりだ」と亜獣の専門家のエドが小躍りしていたのだから、任務はつつがなく完了したと自信をもっていいはずだ。

 

 それなのに、なぜかその数分後に事態は急変した。

 あらゆる部署にエマージェンシーが発動され、各部署の責任者たちは、あわただしいほどの勢いで組まれた緊急会議やグローバルミーティングに忙殺されはじめた。本来ならそれらを指揮すべきブライト司令官でさえ、みずから奔走する事態になっているのはまったく理解できなかった。

 おかげで、月基地から『96・9(クロックス)』と呼ばれる、デミリアンのパイロットたちが到着するというのに、それを出迎える役割を押しつけられてしまっている。

 新参者とはいえ、階級は「少将」で、副司令官を拝命しているというのにこの扱いだ。

 

 宇宙輸送船が、カーゴエプロンと呼ばれる貨物の積み下ろしスペースへゆっくりと着陸してきた。着陸脚が地面につくと同時に、上空から放たれていた誘導パルスが切断されて、ガシャンと重々しい音とともにぐっと機体が沈み込んだ。

 着陸するとすぐに搭乗口のタラップを3人の男女が大声で話しながら降りてくるのが見えた。

「なーんだ。意外に地球の重力ってたいしたことないじゃないのよ」

「アスカ、それはルナベースで1・5Gでの訓練をやらされてたおかげだよ」

「でも、からだが軽く感じて、飛んでいきそうな気分だわ」

「じゃあ、飛んでみせて」

「あんた『ボカ』ぁ、レイ、たとえよ、たとえ!」

「アスカ。『ボカ』ってなに?」

「あんたねー、『ボカ』は『ボカ』よ。最近流行っているでしょ」

 かまびすしい少年少女たちだったが、あれでも特別待遇で『中尉』の階級が与えられている将校なのだ。そうそう礼を失するわけにはいかない。

 ミライは軽く咳払いをすると、彼らの前に歩みでて敬礼をした。

「クロックスのみなさん、長旅、ご苦労さま」

 

「わたしは、国連統合軍本部の副司令官、ヤシナミライ少将です」

 



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第15話 なぜ、ぼくは生きている?

 ヤマトタケルは、広い部屋の真ん中に無造作に置かれた、ベッドの上にいた。

 周囲には、これでもか、というほどの量の計測機器やAIシステム、検査ロボットがあり、どれもが静かな動作音をたてながら稼働していた。ヤマトはからだに異常がないことは検査で判明していたので、このなにかしら仕事をしているらしい輩が自分から何を引き出したいのか理解できなかった。だが、首や腕、そして脚に痛みが残っている身では、あまり無理することもできないと、病床に横たわる立場に甘んじることにした。

 ヤマトは空中で二本の指をまわすジェスチャーをして、目の前に投写されていた3D映像を最初から再生した。これで同じ映像を見るのは、何十回目だろう。もう一時間以上も同じ映像を繰り返して見ている気がする。

 

 映像はマンゲツが亜獣サスライガンを倒したところから始まっていた。

 現場が上空から撮影された映像。

 飛びかかってきたサスライガンをセーバーで返り討ちにしたマンゲツが、その死骸を横目にゆっくりとたちあがる。

 

 その瞬間、画面の一部がぎゅぎゅっと歪む。

 

 マンゲツが一瞬消えたかと思うと、数メートル横の違う立ち位置に移動し、同時に、あたり一面が水浸しになっている。マンゲツを中心にした数十メートルの同心円が、道路、家、ビル、樹木、すべてが一瞬にして濡れそぼっているのだ。

 その思いがけない変化にだれもが目を奪われる。

 が、すぐにその映像からサスライガンの遺骸が、瞬時に消えていることに気づかされる。まるでデキの悪い合成映像か、とんでもない仕掛けのイリュージョンのどちらかを見せられている気分にさせられる。

 しかもその後、マンゲツは崩れ落ちるように膝をおり、その場に倒れ込む。何度か映像をみると気づくが、マンゲツの左足は骨折していて、自分の体重を支えていられなかったことがわかった。

 

 最初にこの映像を見せられたときは、ブライト司令官をはじめ、アル、エド、春日博士に取り囲まれていて、病室だとはおもえない物々しい雰囲気があった。だが映像が再生されるにつれ、自分の顔を睨みつけているブライトの、今にも爆発しそうな心境も理解できた。困惑の表情しか浮かべていない他の担当者たちの口元をみれば、彼らも、はやく納得のいく答えを聞きたくてうずうずしているのは間違いない。

 だが、このなかで一番驚いているのは自分なのだ。

 

 なぜなら、あの時、まちがいなく死んだ、と意識したのだから。

 

 だが、なぜか生きているーーーー。

 あの時、なにがあったか思い出せ。

 水圧に押し潰された、と思った瞬間、仙台の街のまっただなかに、まだ、いた。

 しかも亜獣を倒して帰投しようとする直前。亜獣の罠にはまる寸前。

 だがマンゲツの機体がなぜか濡れていた。

 いや当たり前だ。海に引きずり込まれたのだから。だったら、街中にいるのがおかしい。しかも、周辺はまるでそこだけ豪雨が降ったように水浸しになってもいた。

 ヤマトは、マンゲツの足元近くに設置されたカメラからの映像に思わずさけんだ。

「ストップ」

 ブライトのほうにむかって向きなおるとあわただしく訊いた。

「ブライトさん、ソードは?。ソードはどこに?」

「それはこっちが聞きたい。ソードは見つかってない」

 ヤマトは驚きを隠せなかった。停止状態になっているその映像には、はね飛ばされたソードの柄の下敷きになったはずの、親子連れがいそいそとビルの影に逃げていく姿があった。

 

『なぜ、生きている?』

 ヤマトの頭に疑問が灯ったが、そこで思考はストップさせられた。そこからヤマトも全部どう答えたのか憶えていられないほどの質問攻めがはじまった。ヤマトには正直に答えるしかすべがなかった。この映像のあと自分が体験したことを。

 亜獣に反撃を受けたこと、海へ引きずり込まれたこと、操縦回路を喪失しデミリアンと直結して操作したこと、そして亜獣を倒したこと……。

 ほとんどのことは包み隠さず語った。

 だが、マンゲツが圧壊した事実と、その寸前にコックピット内に響いた「かんげつ」と名乗った謎の声については口をつぐんだ。

 それは安易に語るべきではない。

 

 本能的にそう感じていた。

 



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第16話 その間、ヤツはいったい、ぜんたい、どこにいたんだろうね

 春日リンは、救護スタッフと修復ロボットがマンゲツの怪我を修復している様子を、腕をくんだまま見あげていた。今までにない状況を目の当たりにして、リンは頭が混乱するばかりだった。

 リンは望めるかぎり最大限集中したかったが、ぱたぱたとあわただしい足音が聞こえてきて気分が削がれた。子供が走っているような小幅なストローク。見なくてもすぐにエドだとわかった。

「春日博士、ちょっと、これを見て欲しい……」

 エドはリンの前にくると、息を荒げたまま、亜獣の死骸の映像を目の前に3Dで展開した。まったくこちらの都合をまるで考えず、自分優先なのはいつもどおりだ。

「ヤマト君は聞き取り調査のなかで、亜獣に深海に引きずり込まれた、と言ってだろう」

「で、この亜獣の死骸を見てくれ」

 リンは空中でゆっくりと転回している亜獣の3D映像に目をこらした。3本の首が切断されたうえに尻尾の根元がえぐりとられた姿。特にどうというものではない。

「この尻尾の根元…」

 すーっとその部分が自動的にアップになっていく。

「ここに頭蓋骨があるんだよ」

「ということは……」

 リンは目の前の小男のほうに向きなおった。

「ヤマト君の証言どおり、この亜獣の本物の頭は尻尾側にあった……ってこと……?」

「でもわたしたちはこのサスライガンが首を切断されたあと、ビルに突進して絶命した瞬間をみていたはずよ」

「そうなんだよね。だったら、あのあとなにが起きたら、この状態になるのか、まったく説明がつかない」

 たしかにあの時、モニタごしとはいえ自分は目を離さなかった自信がある。深海に引きずり込まれたというタケルの証言は支離滅裂で、だれも受け合おうとしなかった。だが、しだいに明らかになってくるデータや数字は、信じがたいことに、それらの証言を裏づけていた。

 その時、頭のなかに、『テレパスライン』を通じてアルの声が響いた。

「すまない。春日博士、エド、ちょっとコックピットまできてくれないか」

「見て欲しいものがある」

 リンがマンゲツのほうを見あげると、昇降機にのって降りてくるアルの姿が目に入った。

「ありえないことが起きているんだ」

 ふだんからいつも控えめなもの言いをするアルが、ずいぶん大げさな表現をしていることにリンは少なからず驚いた。

 だが彼が少々興奮気味で声を弾ませているとなると、それは一見に値するということだ。

 

  ------------------------------------------------------------

 

「すまねーな。コックピットの一部に、ものすごい圧力がかかってできた亀裂があるって話しはしたっけな」

 コックピットに到着すると、アルは半身をなかにすべりこませながらリンに訊いた。

「話しはしてもらってないけど、わかっているわ」

「破断面のストライエーションの幅からみて、圧力がかかったのは間違いねぇ」

 ハッチは最大限に開いていたが、大きく歪んで計器類が前にせりでているせいで間口は狭く、中を覗き込むリンとエドは少々窮屈そうだった。

「タケルの証言じゃあ、海に引きずり込まれたときに制御装置が故障したので、マンゲツの神経回路を直結したと言ってたよな」

「えぇ。でも、こっちはまだそちらの検証にはとりかかれていないわ」

 アルはパイロットの座席にひざを乗せて、シートの上方にある機器を指さした。

「こいつをみてくれ」

 デミリアンと神経回路を直結するための装置。いくつかの行程を得ないと解除できないことは春日リン博士が自分の次によく知っているはず。すぐに気づくはずだと、アルはわかっていた。

「起動されてる!」

「さすが、春日博士」

「タケルの言う通り直結する装置が起動された痕があるんだ」

「いや、しかしね。アル。だからと言って、本当に直接操作したかどうか…。起動しただけかも…」

 存在感を出そうとエドが反駁しようとしたが、すぐに博士が否定した。

「いえ、もしマンゲツにつながったままで、この装置を起動したとしたら、ただじゃすまない。起動だけでも戯れにできるものじゃないわ」

「そう、映像が残っている」

 3人の目の前にホログラフ映像が浮かびあがった。

 ふいにカメラにアップになるヤマトの顔。ヤマトがカメラにむかって語りかける。

『リンさん、アル。この映像、そっちにつながっているかわらんないけど、現在、マンゲツとの操縦回路をロストしています』

『今からボクの神経回路を直結させます』

 アルはその映像を食い入るように見ているリンを見ていた。おそらくリンならこの映像が本物であることがわかるだろう。そしてそれがわかれば、この世で一番興奮を抑えられないのはほかならぬ彼女だ。

 映像のなかのヤマトが息を詰まらせ、顔をまっかに紅潮させ、のたうちまわりはじめる。

 アルはリンの目が大きく広がっていくのを見逃さなかった。いつも人間には興味がない、と言い放つ意地悪な女史に一発見舞った気分がして、アルはひさしぶりに爽快な気分を感じていた。あのエドさえも映像に食いついているのがわかる。

 しかし、本当に驚くのはこのあとだ……。

「たしかに、直結しているようにしか見えない……」

 エドがふりしぼるように呟いた。

「あの苦しんでいる時のヴァイタルグラフをみて!。同時記録されているデータと照らし合わせてみても、本物なのは間違いないわ」

 アルはにたりと口元をゆるめて言った。

「2人とも何かとんでもないことが起きていることに気づかねーかい?」

「とんでもないこと?」

「春日博士、時間だよ」

「この映像が撮影されたのは、昨日の16時45分なんだ」

 リンの目がこれ以上ないほどに大きく見開かれた。アルが望んだまさに最高の反応。エドもその事実に気づいて、手を震わせながら眼鏡をはずした。

「あの仙台市街地で撮られた映像は16時5分」

「これはそれから40分後の映像なんだ」

「でも、その間、我々はずっと映像に釘付けになったまま、マンゲツとタケルの救出をみていたはずだよな」

 

 

「ここに映っているヤマトはその間、いったい、ぜんたい、どこにいたんだろうね」

 



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第17話 そんなんじゃ、あんたとツガえないでしょ

 ヤマトが再生映像を見ていると、病室の外からガヤガヤと騒がしい声と、数人の足音が聞こえてきた。ヤマトはあわてて空中で手をふって映像を消し、テレビの映像に切り替えた。ふいにテレビの画面から、けたたましいローターの回転音にまじってレポーターの声が聞こえてきた。

『ご覧下さい。アコンカグアの頂上が削り取られています』

 ヤマトが映像に目をむけるとアンデス山脈の稜線近くを飛ぶヘリコプターの映像が映し出されていた。映像は、6000メートル級の山が20座以上そびえたつ山脈の最高峰アコンカグア。不思議なことに頂上から下に百メートルほどがスパッと横に切断されていた。

 ヤマトが映像に目を奪われていると、ドアがすっと開いてブライトがミライを連れて、見慣れない少年たちと一緒に入ってきた。

「なんだぁ、思ったよりいい男じゃない。ミリオンキラーって呼ばれてるから、実物はもっと『ギタギタ』しているかと思ったわ」

「アスカ、やめないか、初対面で」

 彼らのいきなりのご挨拶にヤマトはむっとしてブライトに尋ねた。

「ブライトさん、この子たちは?」

「今日、月基地から到着した」

「聞いてなかったけど」

「あぁ、わたしも上から昨日唐突に聞かされた」

 ブライトは憤懣やる方なしという仏頂面で答えた。 

「ヤマト、彼らを紹介する」

 ブライトが手に持った電子ペーパーを見ながら紹介をはじめた。

 

「こちらが、龍・リョウマ 17歳」

「ヤマト君、よろしくお願いします」

 ヤマトはいかにもリーダー然とした顔立ちをしたリョウマに、すぐさま『正義感』『朴念仁』とラベリングした。あの顔は、杓子定規で融通がきかないタイプの顔立ちだ。サイドを刈りあげた髪形は爽やかそのもので、目元から鼻にぬけるラインがすっきり通り、育ちの良さ、意思の強さ、をどうしても感じてしまう。いいヤツという印象しか感じさせない清廉さがにじみ出ている。

 ヤマトにはとうてい馴染めそうもなかった。

 

「で、こちらがリョウマの双子の妹、龍・アスカ 17歳」

 ブライトが紹介を続けた。

「あんたがはっているエースの地位を奪いにきたわ」

 アスカに対するヤマトの第一印象は『高飛車』『自尊心』。

 こういう虚勢を張りたがる人間は、実態を伴わないことがほとんだ。ただ、男まさりの口調とは異にして、外見はおどろくほど女らしい。赤みがかった黒髪をふわっと広げた髪形も、猫のようにクリッとしたまなじりも、たいていの男にとっては魅力的だ。本人もそれを理解したうえでの、あの口調なのかもしれない。もし、それが確信犯なら、『したたか』というラベリングも追加しておくべきか。

 

「それからレイ、レイ・オールマン」

 ヤマトはハッとしてブライトが手を指し示すほうを見た。

 もうひとりいた?。

 ヤマトが目をむけると、ショートヘアの子がリョウマのうしろでぼんやりとして立っているのが見えた。ジェンダーレスというべきか、ボーイッシュな顔だちをしており、アスカと違って女性らしさには無頓着らしい。『順応性』『控え目』とでもラベリングすれば良いだろうか。レイについてだけは、第一印象だけでは、とてもつかみきれない、とヤマトは感じた。

「ごめん。もうひとりいたんだ」

「気にしないで。馴れっこ」

「そうそう、この子のことは気にしないでいいわよ。存在感ゼロの『レイ』だからね」

 ヤマトはアスカの口調にイラっとしたので、皮肉を言うことにした。

「ありがたいね。ボクは厚かましいのも、馴れ馴れしいのも苦手だから。気づかないくらいがちょうどいい」

「は、そんなんじゃ、ツガえないでしょ」

「ツガう?」

 あわててブライトが補足をくわえた。

「ヤマト、彼らは日本人のDNAを96・9%を保持した『クロックス』のメンバーで、次世代パイロット生誕プロ……」

 タケルはいままで何回か聞かされていたプロジェクトの内容を思いだして声をあげた。

「ブライトさん、そういうのやめてくれないかな」

「ヤマト、これは軍の決定事項なんだ」

「だったら、ぼくはその『軍』をやめるよ」

「あんた、『ボカ』ぁ。あたしみたいな女とツガわなきゃ、日本人の純血が絶えちゃうでしょ。そりゃ、99・9%(スリーナイン)にはならないけど、98%くらいにはなるでしょ……」

 

「絶えてかまわないよ!」

 ヤマトは大きな声で、その場を一喝した。一瞬でその場が静まる。

 ヤマトはブライトと新しいパイロット三人を睨みつけるような目をむけて言った。

「あと十体で終わりなんだ」

「ぼくたちの子供世代に、ヤツラの脅威は絶対に残さない」

「いや、しかし、もしそれが果たせなかった時の保険も用意しておくことも必要だよ」

 リーダーのリョウマが、これぞお手本とでもいうべき正論を口にした。ヤマトはうんざりして思わず嘆息した。

「リョウマ君……。君は正論が正解だと思っているのか」

「あぁ、だってそうだろ」

「まったく、軍もまぬけな優等生をよこしたね」

 そのことばにリョウマより先にアスカのほうが反応して、食ってかかってきた。

「なによ、その言い草。たった3%、純度が高いだけで威張らないで欲しいわ」

「アスカ、君は死ぬと思ってここにきたのか?」

 ヤマトはたったひとことで、アスカの次のことばを封じた。

「次世代パイロットを用意する、ってことは、亜獣を駆逐する前にぼくらが死ぬってことだ」

「そ、そうは言ってないわ」

「あと十体、全部ぼくが倒す。次世代なんかに残しはしない」

 ヤマトの自信にみちた宣言にその場にいた者すべてが、ことばを発せなかった。

 

 その時、背後のドアがすーっと開いて誰かが入ってくるのが見えた。

 



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第18話 この『女狐』はまたたく間にわたしを『虎』にしたてあげた

「メイ。メイじゃないの」

 ふいにそう呼びかけられて、春日リンは一瞬ビクッと身体を震わせた。あまりに不意打ちだったため、心がそれを無視しきれなかった。油断した、と自分を呪ったが、すぐさま落ち着いた表情を顔に貼りつけて、正面に目をむけた。

 じっとヤマトタケルが見ていた。ベッドに寝そべったリラックスした態度と裏腹に、こちらの表情を探るような視線をこちらにむけていた。

 嫌な子……。

 リンは声の主のほうに振り向いた。

「まぁ、カオリじゃないの」

 みるみるアスカの表情が曇り、ばつが悪そうに沈んでいく。

「今は、カオリじゃないの…、今はアスカっていうの。香の前に在る村って書いて、在村香……」

 知ってるーー。

 そんなことは資料で確認済だ。今のはさっきの仕返し。この子に悪気はなくとも、こちらを一瞬でも動揺させたからには、少々の居心地悪さは味わってもらわねば割があわない。

 リンはアスカの隣にいるリョウマに声をかけた。

「あ、リョウマくん。ずいぶん背が伸びたのね」

「メイさん、おひさしぶりです」

「今は、倭名保護法にのっとって、春日リンって名乗っているの」

「春日?。なんで?」

「ほら、メイって五月でしょ。だから春の日…」

「五月だったら、サツキじゃない」

「まぁ、なんていうか、ちょっとした遊び心よ。響きがよかったしね」

「倭名保護法って?」

 ヤマトタケルが尋ねると、アスカが頭のてっぺんから出したような金切り声で罵倒した。

「あんた、『ボカ』ぁ。倭名保護法知らないの?」

「アスカ、ヤマト君は知らないのも無理ないよ。ずっとこの国にいるんだから」

 リンは話がわずかでも逸れればと考え、率先して説明役をかってでた。

「日本政府が、失われていく日本の名字や名前を後世に残すために、帰化した者や移民たちに『倭名』を名乗ることを義務づける法案を決めたの」

「は、くだらないね。血は絶えたから、名前だけでも残すって……」

 ブライト司令官がヤマトの戯れ言を無視するように、リンたちに声をかけた。

「君たちはなぜ知りあいなんだ?」

「ロンドンで『歌手』をやっていたとき、非常勤で『声楽』を教えていたの」

「そうなの。しかもとびっきり優秀だったわ、ね、メイ」

 春日リンは少々困ったような表情を作ってみせた。

「兄さんのリョウマくんのほうが、歌はうまかったわよ」

「リンさん、いいですよ。昔の話は……」

「そうね、それは認めるわ。そのいい声で口説いて、いつも違うガールフレンドとデートしていたもんね」

「アスカ、やめてくれよ」

「でも、メイの一番の生徒は私だからねー」

 そう言うなり、アスカがリンの腕に飛びつくようにして両腕をまわし、むしゃぶりついてきた。肌に暖かみを感じて、リンは反射的に苛つく感情がもたげたが、迷惑そうな表情だけは表にだすまいと、口角をぎゅっとあげた。

「そうでしょ。メイ」

 腕の脇からリンの顔をアスカがみあげて、ねだるような視線をむけていた。

「そ、そうね」

「ほらぁ」

 勝ち誇ったような顔をして、リョウマのほうに顔を突きだすアスカ。周りにいる他の人たちにも、それをさりげなくアピールしている所作だった。

 リンはアスカにアッという間に主導権をとられたことに少なからず腹がたった。この子はわたしを盾にして、その場での立場を優位に展開するのに成功した。

 

『虎の威を借る狐』

 この『女狐』は、無防備だったこのわたしを、またたく間に『虎』にしたてあげた。

 たいした手腕だ。

 

 おそらくこの子はいままでそうやって、自己を認めさせてきたのだろう。

 大人の女である自分を手玉にとろうとしているのは癪だったが、ここはあえて乗ってやろうと考えた。それが、大人の女の余裕、というものだ。だが、あとで高くつくことを教えてやらねばならない。それも大人の女、というものだ。

 その楽しみはあとにとっておくとして、今は仕事を優先すべきだと考えを切り替えた。

「さて、タケルくん、さきほどあなたの主張が証明されたわ」

 リンはさきほど自分にむけられたヤマトの探るような視線を思いだしながら、それとまったく同じような視線をむけながら言った。

 

「もう一度最初から、順を追って説明し直してくれるかしら」

 



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第19話 この子、面倒くさいって、顔に書いているわよ

「なに、この懐古趣味は?」

 

 ミライに引率されて案内された、国連軍パイロットの宿舎を見た第一声は、アスカのものだった。そこには20世紀頃隆盛だった『別荘』と呼ばれたような建造物が建っていた。歴史の教科書で、富裕層が所有していたと教えられたことがある。

「なかなかクラシックな感じがして落ち着くでしょう」

 異議などが生じるはずはないとばかりに、ミライがポジティブな感想を述べた。

 アスカにはこれを『クラシック』で済ませる感覚が理解できなかった。過剰な装飾や、華やかな見た目などは、生活するうえでの雑音のようなもの、と考えているアスカにとっては、機能性を無視したお洒落な建物という概念が飲み込めない。しかも外観だけでなく、豪奢な調度品が置かれ、手の込んだ内装がほどこされた部屋を見せられては、さらにその違和感がつのるばかりだった。おそれいったことに、外気や天気や温度も操れる時代だというのに、リビングには『暖炉」が(しつら)えてあった。

 レイもそれに気づいたらしい。

「これ、暖炉。はじめて見た」

「いいでしょ。それ」

 ミライが誉めそやす声をあげた。

「でも25世紀には、こんなもの絶対に使わない」

「インテリアですよ。インテリア」

「雰囲気がすごくいいですよね。落ち着くような気がします」

 兄のリョウマが場の雰囲気をも良くしようとしたのか、追従するような意見を言った。アスカにはそんな兄のそういうところが嫌だった。あえて不満を口にした。

「ちょっと、ミライ」

「ヤシナ副司令」

 ミライが事務的な口調でアスカの軽口をたしなめたが、アスカは気にせず続けた。

「ここに来るまで、あたしたち、結構大層なセキュリティくぐってきたわよね」

「えぇ。関係者以外は侵入できないようにするのが当然でしょう」

「で、住むところがこれなの?」

「25世紀よ。もっと機能性重視の飾り気のない……、なんかそういうのが普通でしょ」

 ミライはアスカをみてニコリとした。

 へったクソな作り笑い。

 アスカは、『この子、面倒くさいって、顔に書いているわよ』と言いそうになったが、ちらりと兄の方をみて、口をつぐむことした。

「ここでは、戦いに疲れたからだを休められるよう、アナログ感を重視しています。共同生活を通じて、あなたたちには協調性を強くして欲しいという願いもこもっているんです」

「こんなに古めかしいんじゃあ、部屋のほうはカビが生えてそうね」

 アスカは精一杯の抵抗を試みた。

 

 だが、屋敷全体の作りに反して、各自の個室は相応に近代的な作りになっていた。ほこりや汚れで部屋だけでなく、空気が一瞬でも汚れないような効果が施された『アルティメット抗菌』仕様に、室内の人のヴァイタル・データをリアルタイムで読取り、絶対的満足がいく空調や温度に秒単位で調整する『サティスファイ・コントロール』等、体調管理、室内管理は万全だった。

「司令部や各部署と緊密に連携がとれるよう、同時に100chを超える部署との同時接続が可能なラインが用意されてますし、室内に『ゴースト』を飛ばして、人を招き入れることも可能です」

 ミライが得意げにそう説明したので、アスカは鼻をならした。

「ふん、『ゴースト』でも、自分の部屋に他人をいれるなんて、まっぴらごめんだわ」

 しかし、ミライはアスカの言動になれたのか、まったくとりあうことなく、ベッド脇の壁に手をかざした。壁の一部が開いて、なかに用意された何本もの各種飲料水が見えた。

「保存庫には、飲み物が十数種類常備されていて、自動で補充されるようになっています」

「食べ物はないの?」

 レイがさりげなく疑問を挟んだ。アスカは食い意地がはった女だと一瞬思ったが、ミライが困ったような顔をしたのをみて、すこしレイを見直した。

「ごめんなさいね……」

「食べ物は自由に与えられないことになってるの」

「なぜ?」

「ほら、あなたたち、『フローラ処理』受けてないでしょ」

「太るからだめってこと?」

「えぇ、まぁ、わたしたちは『フローラ処理』が済んでいるから、なにをいくら食べても太らないけど……」

「あなたたちは……」

「いいわ、わかった」

 あまりにもあっさりと引き下がったレイに拍子抜けして、アスカが声を荒げた。

 

「じゃあ、食事のほうはさぞやおいしくて、栄養バランスとれているんですよね」

 



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第20話 もしうまくいかなければ、ただ殺される。それだけの話しだ

 食堂に行くとひとりの青年がなにやら準備しているところだった。彼はリョウマたちの姿に気づくと、手をとめ服を整えすっと姿勢を正した。

「こちらは、執事の沖田さんです」

 ミライがそう紹介すると、彼は背筋を伸ばしたまま、腰をおって、「はじめまして。執事の沖田十三です」と自己紹介をした。

 リョウマには、その滑らかな一連の動作が、気品あふれる所作に感じた。うしろに整えられた髪は清潔感があり、端正な顔だちと相まって信頼感を与えてくれる。残念なことに目頭から頬の横にむかって刻まれた傷が皴のように見えて、年齢を重ねているように見える。服装にもいたるところに配慮が行き届いていた。シャツやズボンの折り目だけでなく、カフスや前身ごろにも張りがあり、礼節をわきまえた佇まいでありながら、見る者への窮屈感はみじんも感じさせない。

 有能であるという見立ては間違いないが、それに「おそろしいほど」という形容詞をつけるべきかもしれない。ここに自由に出入りできるということは、それほどの切れ者が自分たちの監視役ということでもある……。

「十三さん、それは?」

 ミライが十三の手元にあるサンドウィッチらしき食べ物に気づいて言った。

「はい、これはエル様の病室にお届けしようと……」

「エル様……、それ誰?」

 すぐさまレイが反応した。

 リョウマは、まったくレイらしい、と思った。アスカは悪意をこめて、相手が困るような質問をぶつけるのが常だったが、レイは何の他意もなく、思ったことをすぐに口にして、やはり相手を戸惑わせるところがある。リョウマはレイをたしなめようしたが、ミライの言葉に遮られる形になった。

「あぁ、エル。ヤマト君のことよ」

「なんで?」

 十三が苦笑ぎみに口元をゆるめて答えた。

「申し訳ございません。わたしが着任した当初は日本語が不得手でしたので、『タケル』の発音がどうにも苦手で……」

 彼は空中で指をまわすと、3Dの文字が浮かびあがった。『託慧月』という文字。

「下の二文字だけをいただき『エル』様と呼ぶことを、特別に許可をいただいた次第です」」

 その浮かんでいる文字を見て、アスカが小馬鹿にしたような口調で噛みついた。

「なにその当て字?。とんだ『ドキャンネーム』じゃない」

「アスカ、失礼なことを言わないよ」

 リョウマは言いたい放題のアスカを軽く叱責したが、どうやら彼女はそれだけでは言い足りないのか、空中に浮かんでいる3Dの文字にちらちらと目配せしている。なにやら頭のなかでこね繰り回しているように感じたが、すぐになにかの結論に達したのか、おもむろに口を開いた。

「そうね。だったら、あたしは真ん中の一文字『慧』だけで『あきら』とでも、特別に呼ばせてもらおうかな」

「よろしいんじゃなんですか?」

 落ち着いた声で十三がそれに答えた。

「エル様は気にされないとおもいますよ」

 真顔で返事をされて、アスカがあからさまに気分を悪くしているのがわかった。こういう意図的な当てこすりに、肩透かしを食らわされるのが彼女は一番嫌いだと知っていた。リョウマは自分の妹がさらに失礼を働く前に、話しを切りあげるのが兄の努めだと心得ていた。

「ところで、ぼくらの食事はいつですか?。もうお腹がすいちゃって」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 食事を済ませると、ミライが国際連邦日本支部の施設内を案内してくれた。

 レイは紹介される各施設の広さに驚きを隠せなかった。

 22世紀に建てられた老朽化した狭いマンションに住んでいた子供の頃からは考えられなかった。しかも母が機嫌がわるいときは、自分の部屋に引きこもるのが常だったので、自分の身の丈はいつもその程度だと考える癖がついていた。

 広い場所はどうしても馴染めなかった。

「なに、きょろきょろしているのよ」

「だって、こんなに広いから……」

「あったり前でしょ。ここ地球、しかも亜獣と戦う最前線の国際連邦軍日本支部なのよ」

「まぁ、世界中がお金をだしているからね。立派なのも当然だよ」

 リョウマが困ったように笑って言った。

「それだけ、みなさんに命運を託しているってことですよ」

 屈託もなくミライが言ったことばに、リョウマの表情がいくぶん曇ったことにレイは気づいた。責任感をひと一倍感じるリョウマのことだから、たわいもない一言からでも重圧を感じとってしまうのだろう。

「こ、これからはぼくらも、ってことですよね」

「兄さん、だからあたしたち呼ばれたんでしょ」

「いや、たしかにそうなんだけど……」

「わたしたちは、あなたたちパイロットをサポートするためにいます」

「日本人にしか搭乗できないデミリアンが、この地球を救う切り札なんですから、わたしたちにとっても、あなたたちをサポートできるのは大変光栄です」

 ミライになんのてらいもなく褒められて、アスカが珍しくうろたえているのがわかった。

「まぁ、そう、こっちだって、光栄だわ」

 急にたいへんなところに来たと自覚したのか、ほんのちょっぴり声が震えていた。

 レイはふだんは饒舌なふたりがこんなに静かになったことに驚きを覚えた。月基地での一年半の訓練中には、そんな一面を見せたことがないのに……。

 レイはふたりがなぜ、こんなにも緊張するのかわからなかった。

 

 わたしたちに課せられた任務は亜獣を殺すこと。

 もしうまくいかなければ、ただ殺される。

 

 たったそれだけの、単純な話しでしかない。

 



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第21話 えぇ、わたしも一度、お母さんを殺したことがあるの……

「ここにはしっかりとした見識をもった責任者はいないのか!」

 自室でひとり報告書に目を通していたブライトは思わず大きな声で叫んだ。各部門の責任者から提出されたどの報告内容もブライトを納得させるものはなかった。

 あの亜獣サスライガンでの不可思議な事例があってから二週間。

 だがブライトを納得させるだけの報告をしてきたものは皆無だった。渦中にいたヤマト本人には何人もの専門家による聞き取り調査が行われていたが、内容は、一貫していてどこにも矛盾点や相違点はなかったとされていた。

 

「タイムリープしただと!」

 報告書のひとつに目をくれると、さらに腹立たしさをぶちまける。

「23世紀に初頭には『ゼネウィガー理論』で過去への跳躍は物理的に不可能であることはすでに証明されている。この連中は物理法則を馬鹿にしているのか」

 報告書の署名をみると『春日リン』とあった。ブライトはリンにむけて思念を飛ばした。

「リン、『ゴースト』でかまわん。ちょっとこちらにきて説明して欲しい」

「いいわよ」

 ブライトの部屋の天井から、小さな羽虫程度の機器が浮いたからと思うと、そこから映像が床にむけて投影された。『ゴースト』と呼ばれるリアル・ヴァーチャル装置は、投影された映像がアバターとなって、リアル世界のどこにでもいくことができる。

 

 等身大でブライトの前に現れた春日リンは、一糸まとわぬ裸で立っていた。どうやらシャワーを浴びた直後だったらしい。リンはいくぶん億劫そうな口調で言った。

「で、なに?。ブライト。勤務時間外なんだけど……」

「あ、いや、あくまでも個人的にキミの見解を聞きたくてね」

 リンは裸のままブライトのほうに歩いてくると、彼の手元にある電子ペーパーを覗き込んだ。

「ふーん、この報告書の内容が気に入らないのね」

「まぁ……、あぁ……、そうだ」

 リンが目にかかる髪の毛をはらうように、首を横にふった。ブライトの目と鼻の先で、リンの乳房がぶるんと震えた。

「で、なにが気に入らない?。タイムリープってとこ?」

 ブライトの返事を聞くまでもなく、リンがブライトのほうへ身体を乗り出して、電子ペーパーを操り別のページを呼びだそうとすると、リンの乳房がブライトの鼻先にあたった。

「あら、ごめんなさい」

「このゴースト、感応光線使ってるから……」

 最新型の『ゴースト』は単純に映像を投影するだけではなく、感応光線によって感触を再現できるようになっていた。感触レベルではあったが、実際には触ったのとほぼ同じ感触を皮膚へ与えることができるのだ。

 それをわかったうえで、リンがわざと挑発したのはわかっていたので、ブライトはだんまりを決め込んだ。

「ここを見てちょうだい」

 リンが前のめりでからだを突きだしているため、リンが指し示す場所が乳房で隠れて見えない。ブライトはこころもち首を傾けて、その部分に目をやった。

「アルの報告書にもあったと思うけど、あのコックピット内の時間は間違ってないの。当たりまえに時間を刻み、その通りの出来事が時間軸にそって起きている」

「コックピット内の映像は、わたしも見た」

「ただ、その時間がわたしたちが消費していた時間軸と整合性がとれないだけ」

「だから、納得のいく理由をつけようとしたら、タケル君が別の時間軸に行っていて戻ってきたというのが一番整合性がとれる説明になるの」

 ブライトは素っ裸のままのリンを正面から見て言った。

「きみはヤマトだけが、その時、別の時間軸にいた、というのかい」

「いいえ。そうは言っていないわ」

 

「わたしはたぶん、わたしたちもその時間軸にいたと思ってる」

 

 ブライトはリンが披瀝する仮説に、思わず目を大きく開いた。

「で、では、その時間軸にいた我々は、あの状況を、ヤマトが窮地に陥った状況の渦中にいたというのか?」

「えぇ、そう、たぶん、いたと思う」

 ブライトはごくりと咽を鳴らした。

「もし、もし、その仮説が正しいとしたら、わたしは……」

「これ以上ないほどの絶望を味わっていたでしょうね。たぶん、わたしも含めて」

 ブライトは椅子の背もたれによりかかって、天井を仰ぎ見た。リンがブライトの上に覆いかぶさるようにして、なまめかしい口調で耳元に囁いた。

 

「さぞや刺激的な夜になったでしょうね」

 

  ------------------------------------------------------------

 

『タイム・リープだって?』

 ヤマトは大きく落胆した

 自分はほぼすべてのことを正直に告白した。

 なのに、この結論なのだ。ブライトが怒っていると聞いたが、それには珍しく同意見だった。専門家がよってたかって分析した結果がこれでは、到底納得がいくはずがない。

 ヤマトは大きく伸びをすると、部屋を出た。

 今日は満月だ。画面越しではなく、直接月明かりを浴びて気分転換をするのも悪くないと考えた。

 だが、ヤマトがリビングに足を踏み入れると、窓際に誰かが立っていた。

 レイだった。

「レイ……、こんな夜中にどうした?」

「ここにいちゃ、駄目?」

「いや、そうじゃないけど……」

「わたしはあなたを待ってたの」

 そのことばを聞いた瞬間、ヤマトは自然に身構えていた。この子がどこから送られた刺客である可能性を排除していた、自分の油断を呪った。

「安心して、わたしはあなたに危害なんてくわえないわ」

「じゃあ、どうして?」

「あなたに聞きたいことがあったから」

 ヤマトはゆっくりと手をおろして、構えを解いた。

「なにを?」

 レイはヤマトのほうへ顔をむけ、まっすぐ見つめた。

「あなた、タイムリープしたって聞いたけど、本当?」

 ヤマトはわざとらしく、うんざりした表情を顔にうかべ、肩をすくめてみせた。

「専門家の話では、そういうことになってる」

「未来から戻ってきたの?」

 ヤマトは親指と人さし指の隙間をすこしだけ開いて、ウィンクしながら言った。

「ほんのちょっとの間ね」

 レイがまったく合点のいかない顔をして、次の質問を投げかけてきそうだったので、ヤマトは先まわりをして補足をいれた。

「もう面倒だから、忘れることにしたよ」

「なぜ?」

「『未来から過去にタイムリープした』っていう過去にとらわれていちゃあ、それこそ未来にはすすめやしないじゃないか」

 レイはぼうっと一点を見つめてなにかを考えている様子だった。自分なりにその話を咀嚼しようとしているのだろう。やがて、ゆっくりと口をひらいた。

「うん、わかった。もう聞かない」

「助かるよ」

 ヤマトはホッと胸をなで下ろすと、その場から立ち去ろうとくるりとうしろを向いた。 その背中にむけてレイがぼそりと声を投げかけてきた。

 

「あなた、お父さんを殺したって、本当?」

 

 ヤマトはぴくりと身体を震わせて足を止めた。彼はふりむこうともせずに言った。

「なぜ、そんな立ち入ったことを聞くんだ?」

 自分の声が怒気に震えているのが、自分でもわかった。

「私と同じだなって思って」

 ゆっくりとレイのほうをふりむきながら、ヤマトはレイの表情を伺った。からかっているのか、それとも本気なのか。もし前者だとしたら、とうてい許しがたい。

「同じ?」

 

「えぇ、わたしも一度、お母さんを殺したことがあるの……」

 



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第22話 たくさん訓練しておけば、殺された時、ちょっとは悔やまずに死ねると思う

 昨夜のレイからの告白が頭から離れなかった。

 たぶん、レイが言っていることは嘘ではない。

 おかげで今日の朝は少々寝不足気味だった。

 ひさしぶりにAIではなく、人間の教師が教鞭をとってくれているのに、ちっとも内容が頭に入ってこなかった。

 そんな時に、ふいに指名されてヤマトは、あわてて起ちあがった。

「では、アスカさん」

 指名されたのは自分ではなくアスカだった。何年もマンツーマンでの授業だったので、反射的に反応する癖が染みついていたらしい。自分以外の者が指名される現状に、まだ慣れずにいる。思わず苦笑したが、それにアスカが反応した。

「何よ、何がおかしいのよ」

 教室の隅で警備の姿勢を崩さずに待機していた草薙素子が、その剣幕にピクリと反応したのが目の端に入った。

「ごめん、アスカ…。ちょっと思いだし笑いをしただけだ」

 タケルはごまかすように嘘の言い訳をした。

「へーー、あんた、思いだして笑うほど楽しい思い出があったんだぁ」

 そう言い返されて、ヤマトは逆に虚をつかれた。ただの方便だとわかっていながら、頭のなかで、楽しい思い出を必死でかき集めていた。

 父や母、妹がいた幼き日、叔父貴や先輩、仲間と呼べる『99・9(スリーナイン)』の面々…。

 彼らとのあいだに、そんな瞬間はあっただろうか?。

 

「わたしにはないわ!」

 アスカの鋭い口調に思考を断ち切られたヤマトは、おもわずアスカに視線をむけずにはいられなかった。

「わたしも兄さんも思いだして笑えるような思い出なんて、爪の先ほどもない」

「おい、アスカ!、授業中だよ」

 先生が遠慮がちに咳払いして、リョウマのことばをあと押しする。アスカはなにか言いたげに眉根をよせるが、さっさと抗うことをやめて、息を吐きだしながら言った。

「2196年 第3次世界大戦終結です」

「そうですね。196、ひと苦労して三次戦争終結で、覚えてください」

 すっとレイが挙手した。

「2は無視するの?」

「あぁ、2000年代の年号の2は無視してもらっていいですよ。いくらなんでも弥生時代とごっちゃにしないでしょ」

 レイはそう説明されても手を降ろせずにいる。昨夜と同じだ。何事も合点がいかないと、納得できないタイプらしい。

 ヤマトはふっと視線を感じた。アスカがこちらを見ていた。だが、目が合うやいなやアスカはぷぃっと首をそらして、無愛想な意思表示をしてきた。

 隣のリョウマが椅子から身体を乗り出して、ヤマトに小声で囁いた。

「タケルくん、妹がごめんね」

「いや、別に…」

 ヤマトはリョウマに声をかけられたついでに頼みごとをお願いすることにした。

「リョウマ、あとで、リアル・ヴァーチャリティルームに付き合ってくれないか。ちょっと聞きたいことがある」

「いいけど、午後からは戦闘シミュレーションをやるの、聞いてる?」

「誰が?」

 

「ぼくらがさ。ブライト司令のたっての願いでね」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ブライトは、眼下に広がるシミュレーションエリアの端々に目を配っていた。富士山の山麓の樹海付近の土地を切り開いて作られた広大なエリアが、遥か遠くまで広がっていた。視界を遮るものがなにもないので、ともすると、とてつもなく大きなグラウンドにしか見えない。国連軍の広報ページには、『東京ドーム300個分』と、200年近くも前に無くなった施設で大きさを説明していたが、おそらく誰も正確な大きさは知らされてないだろう。国際的な機密事項でもあるので、そのあたりはぼかされているのは間違いない。

 隣の席に座っているヤマトタケルのほうをチラリと見た。予想通り、あからさまに不機嫌そうな顔をして、足をぶらぶらさせながら、エリアのほうを眺めていた。

 ブライトは目を閉じると、昨夜、リョウマ、レイ、アスカ、を呼びだした時の、彼らの反応を思いだした。

 

「君らの実力をみてみたい」

 ブライトは、円卓の前で車座になって座っている三人にむかって問いかけた。

「到着してまだ二週間ですよ。ずいぶん性急ですね」

 まずは3人を代表するようにリョウマが意見してきた。

「知っての通り、ヤマトのマンゲツ、いやセラ・ムーンは損傷が激しく、修復するまでに時間がかかる。だが、亜獣はいつ出現するかわからない」

「その間は、わたしたちでなんとかしろ、っていうわけ?」

「あぁ」

「次、亜獣現れるの、2ヶ月後だって、エドさんが」

 ぼそりとした声でレイが口を挟んできた。

「確かに今までのデータ通りならな。だが、出現の周期は確実に縮まってきている。自然災害と同じだ。25世紀の科学をもってしても完全に予見できるわけではない」

 アスカが不満そうに声を荒げた。

「だったら、あの特待生を別の機体に乗せればいいでしょ」

「いや、それは避けたい。機体を変更して、もしタケルの身になにかあったら…」

「は、やっぱりそれが本音。メイが言っていた通りだわ」

 ブライトはアスカの口から、『春日リン』の名前を持ち出されて、毛穴から汗が噴きだすのを感じた。

「エースを温存して、その次の戦いに備えておくというのも指揮官の努めだよ」

「ま、ものは言いようね」

 というなり、アスカはたちあがり、ドンと机の上に両手をおいて、ブライトのほうへからだを乗り出してきた。

「いいわ、乗ったげる」

「あの特待生の鼻をあかせる機会、行使させてもらうわよ」

 そのたくらみに充満ちた目線に、ブライトは身体をのけ反らせそうになったが、リョウマが口を開きかけたのを目の端にとらえ、機先を制するように強い口調で言った。

「マンゲツが間にあわなかったら、実戦も君たち三人だけで出てもらう。これは頼みごとではない……」

「命令だ!」

 案の定、リョウマは二の句がつげず、口をぱくぱくさせていた。どうせ、正論しか振りかざせない口だ。大人の社会では、常に理不尽な都合のほうがまかり通る、ということを叩き込んでおかねばならない。

 だが、アスカの反応は速かった。

「あら、ブライト司令、しっかりと決断、できるンじゃない」

「メイがブライトは優柔不断な男って言ってたけど、ちょっとはマシになったのかな?」

 ブライトはグッと口元を引き結んだ。

 この子は、この小娘は、扱いにくい。ヤマトとはまた異質の異物だ。

 やる気を高らかに宣言しながら、返す刀で、こちらのやる気を深々と削ぎ落としにくる。 さすがメイの一番の生徒と自負するだけのことはある。

 拍手を送ろう。

 

「戦争、はじめていい?」

 レイのひとことが、ブライトの苦々しい思考を断ち切った。

「あぁ、うん」

「いまからすぐにやってもいいの?」

「いや、今は夜中だから…」

「夜中には、亜獣、こないの?」

「そ、そうじゃないが、準備が…」

 

 レイのひと言ひと言が、なぜか重たく感じられブライトはゾクリとした。気軽に返答してはいけないような感覚に陥いる。余分な修飾語がないシンプルな単語の羅列の奥底になにか重大なことを潜ませているような、鈍重かつ鋭利な言霊。迂闊な返答で言質をとられたら命取りになる。

 そんな気分にさせられた。

 

「殺すんでしょ。この三人だけで」

「あ、あ、うん、ヤマトが間に合わなけ……」

「たぶん、間に合わない」

 返事が出てこない。ブライトは焦った。レイの言葉の沼にはまって、身動きできなくなってきている自分がいる。

 レイがとまどったような表情をして、こちらを見つめていた。

 

「でも、たくさん訓練しておけば、殺された時、ちょっとは悔やまずに死ねると思うの」

 



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第23話 わたしは次に出現するヤツが弱いと期待するほど楽天家ではない

 ブライトがシミュレーションエリアまで、わざわざ足を運んで直接戦闘訓練を見に来ていることに、ヤマトは違和感と興味を覚えていた。

 自分の訓練の時は直接見に来ないし、リアルタイムで映像をモニタリングすることもない。もちろん報告書には目を通すくらいはしてくれているだろうが、それ以上でも以下でもない関心の示しようが常だった。

「ブライトさん、珍しいですね」

「あぁ、彼らには、おまえ抜きで戦ってもらわねばならんのだ」

「ぼくはマンゲツでなくても乗れるけど……」

「それでなにかあった時、わたしにはとるべき責任の方法がわからん」

「へー、ぼくのこと大事に思ってくれてるんだ」

 ブライトの目だけがギョロリとこちらにむけられた。

「いいや、まったく」

「わたしの仕事は『おまえを死なせない』。それだけだ」

 これは一本とられた、とヤマトは思った。

 常日頃から自分が言っている口癖を、見事に切り返された。

 

『死なないことがぼくの使命だ』

 

  ------------------------------------------------------------

 

 誘導電磁パルスレーンの電磁波に導かれて上空からデミリアンがゆっくりと降下してきた。八冉未来(やしな・みらい)はブライトたちよりやや後方の席から、それを見あげていた。

 この三体を見るのははじめてだった。

 もちろん訓練学校でも3Dモデルや実物大の素体を使った授業で、いろいろ教えられたので今さら驚くことはない。だが、本物がもつ凄みや重厚感は既知であったとしても、未知のなにかを感じさせた。

 

 まず、リョウマが搭乗するセラ・プルートが着地した。

 ミライの第一印象は、なにやらおどけた顔、というものだった。セラ・ムーンは顔をプロテクタで覆われても、悪魔を想起させる邪悪な顔付きだったが、セラ・プルートはまるで歌舞伎の隈取りのようにも、ピエロのようにも見えた。頭を守る防具からは「連獅子」を想起させる真っ赤な長い髪の毛のようなものが腰まで伸びている。

 

『あれ、2470年の流行色だわ』

 セラ・プルート身にまとう甲冑が、淡い青と緑の中間の色合いで絶妙に配色されているのを見て、ミライはなぜか嬉しくなった。先日、色を自在に調整できる大きな庇の帽子を買って、この色にカスタマイズしたばかりだ。今のところそれを被って出かける機会には、恵まれていないことが残念だった。

 

 

 次に降りたったのは、レイのセラ・サターンだった。ちょっと濃すぎるのではないかという青い機体だった。ブルーというよりネイヴィーに近いかもしれない。サターンの顔を覆うプロテクタはなにをモチーフにしているか、すぐにはミライにはわからなかった。

 ただ、どこかの古都でみかけた気がしてそれを念じた。ニューロンストリーマが、あっという間にAIネットワークにアクセスし、思い浮かべた記憶と目の前のデミリアンを、ものすごいスピードで照合、該当のものを絞り込んでいく。

 ミライが似ていると思ったのは、「阿修羅像(あしゅらぞう)」と『仁王像」だった。静と動の真逆な顔立ちだが、そのどちらをも想起させた。

 

 最後に降りたったのは、アスカのセラ・ヴィーナス。

 ヴィーナスという名前にインスパイアされたのか、この機体だけ女性を意識させる丸みを帯びたフォルムだった。そもそもデミリアンに雌雄の区別があるか不明だと言われている。

 が、この女性を印象づけるプロテクタや色使いは、設計者の思いが色濃く反映しているのだろう。全体の色調はピンクに近い色合いだが、そのまわりを同系色で彩られ華やかさを強固に印象づけている。顔を覆うプロテクタも女性の化粧のような効果をほどこされ、どこかしら穏やかさを感じさせる。

 だが、その奥に隠された目がかいまみえると印象は一変した。燃えあがる炎のようを模したデザインに見えた頭上の前立(まえだて)が、のたくる蛇を頭に抱いたメドゥーサに見えてくる。

 

 ミライは各機に体格差や体力差、能力などの個体差があるかはよく知らなかった。

 が、異様であるという点では三体とも旗艦機であるセラ・ムーンにひけをとらないな、という印象をつよくした。

 

 ------------------------------------------------------------

 

 目の前の風景が動き始めた。

 広いエリアの各所の地下からビル群に見立てた白い建造物がせりあがってきた。ビルの形の素体。高層、低層のビルサイズ素体が所狭しとひしめき合うように屹立しはじめる。

 ヤマトは一目みただけで、それがどこの街かすぐにわかった。

「戦闘シーンは、シブヤか」

 ビルが街を形作りはじめると同時に、その表面に質感がマッピングされていく。ビルの形状、色合い、材質感覚、光沢、立体感が、まるで本物とみまごう精度で変貌していった。またたく間に、ただの広いだけのエリアに、シブヤの街が出現していた。

 空のうえから電磁パルスで持ちあげられた大きな白い塊がゆっくりと下降してきた。

「さて、どの亜獣をシミュレートするのかな」

 ヤマトはちらりとブライトのほうをみたが、彼は微動だにせずエリアを見ていて、ヤマトの呟きはまったく無視していた。

 ビル数階分の大きさの白い『素体』に、表面にスキンが投影されはじめ、目まぐるしく色や表情を変えていく。しばらくして素体が着地したときには、亜獣の姿に変身していた。

「バンガスター」

 ヤマトは嘆息するようにブライトに言った。

「あれ、S級だけど大丈夫?」

 

「わたしは次に出現するヤツが弱いと期待するほど楽天家ではない」

 

 目線をエリアにむけたまま、ブライトが言った。ヤマトはその態度に、おまえに頼らなくてもいいようにしてやる、という気持ちをくみ取った。

「んじゃあ、お手並み拝見といきましょう」

 



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第29話 自分の幸せが、まわりの人間の幸せにつながるみたいな幻想を押しつけないで

「ブライト、どういうこと!」

 ものすごい剣幕で自室に怒鳴り込んできた春日リンをみて、ブライトはため息をついた。すでにニューロンストリーマを通じて、その怒りの感情がこちらに送波されてきてはいたが、どうしても面とむかって言わずにいられなかったらしい。

 前々々時代的なことをする面倒な女だ、とブライトは感じずにはいられなかった。

「また同じことを繰り返すつもりなの?」

「なにがだ」

「一年半前と同じ。セラ・ジュピター、パイロット、神名朱門(かみなあやと)の二の舞いよ」

「あの時はあいつ一人だった。今度は三人がかりだ」

「熟練者と共同で戦わせるべきよ。タケル君をセラ・マーズに搭乗させて!」

「キミも彼らの戦闘シミュレーションの実績をみたはずだ」

「でも実戦は未経験でしょ!」

「なんだって未経験からはじまる」

「ハードランディングすぎる!!」

「ヤマトをマンゲツ以外の機体に乗せて、万が一、なにかがあったらどう責任をとる?」

「は、相変わらず自分の保身?」

「保身のなにが悪い。上にのしあがれた人間は、いつの世も減点がなかった者だ。あからさまな加点はむしろ害悪なのだよ」

「今はあなたの人生訓を聞いている時間じゃないわ」

「リン、キミはぼくに出世して欲しくないのか」

「自分の幸せが、まわりの人間の幸せにつながるみたいな幻想を押しつけないで」

 すっと音もなくドアが開いて、草薙素子がはいってきた。なんのエクスキューズもなく当たり前にその場所に現れたのをみて、リンが不快な目をむけたのがわかった。おそらく次に軽蔑の目が自分にむけられるだろう。

 だが、リンは目を合わそうともせずに、あくまでも事務的な声色で言った。

「それではブライト司令、出撃レーンにむかいます」

 すたすたと部屋を出ていくリンのうしろ姿を見ながら、ブライトは苦々しい気分を噛みしめていた。自分は今までそのような世渡りの仕方をしてきてここまで来たという自負と、これからもそれしか方法がない、という自己嫌悪のどちらをも一刀両断された、と感じていた。過去にも未来にもクサビを打ち込まれて身動きできない、そんな気分だった。

 草薙少佐がこちらをみているのを感じて、ブライトは咳払いをした。

 

 また国連総長とのあの茶番劇がはじまる。

 だが、いまのこのもやもやした気分を忘れられるのであれば、そんな時間でも少々ありがたいのかもしれない。

 ブライトは直立不動のまま、甲高い着信音がくるのを待った。

 

 -----------------------------------------------------------

 

 コンバットスーツを羽織りながら、出撃レーンへ足を踏みだしたリョウマは、足が震えるのを感じていた。デミリアン各機の周りでは、驚くほどの人数のクルーたちがめまぐるしくたち働いていた。その壮観な様子を目の当たりにすれば足がすくまないほうがおかしい。

 自分たちにかけられている責任はどれほどのものなのか……。

「そんなに緊張しないで」

 いつのまにか、かたわらに春日リン博士が立っていた。

「あら、メイ。わざわざこんなところまでお見送り?」

「そりゃ、そうでしょ。私の一番の生徒たちの初陣なんですもの」

「なによ、たち、って、私ひとりじゃないのぉ」

 アスカがぷーっと口を膨らませているのを横目でみて、リョウマはほんのちょっとだけ強張りがほどけた気がしてきた。

「ありがとうございます。メイ……、いえ、春日博士」

「あら、まだ緊張してる?。リンでいいわよ」

「あ、はい、リンさん」

 リンが自分のうしろに見え隠れしているレイのほうを首をかしげてのぞき込んだ。

「レイ、あなたは、大丈夫、よね」

「えぇ、やっと敵を殺せるんでしょ。問題ないわ」

「いや、そんなに最初から気合いをいれなくてもいいよ」

 リンのうしろからエドが短躯をのぞかせた。

「亜獣は一度出現するとそこからは短期で何度も出現する。そのどこかのタイミングでかならず倒せばいいサ」

 リンがエドのほうにちらりと目をむけた。

「エド、亜獣消失までの時間は?」

「75分20秒といったところだ。時間は充分あるよ」

「到着するのに60分くらいかかるわ。15分も残らない」

 レイがぼそりと抗議した。

「あら、タケル君は58秒で始末したことがあるわよ」

 リンのことばに、リョウマはハッとした。

「そう言えば、ヤマト君は?」

「聞いてなかった?。今日は待機よ」

 リンのその口調は、そのことに本人でも納得がいっていないような、ぶっきらぼうな響きがあった。リョウマはその声色を感じ取って、鼓動が高まるのを覚えた。ブライト司令があの時言っていたことばは、はったりではなかったのだ。新人三人だけを熟練者のサポートなしで、戦場へ送りだそうとしている。

 ブライト司令はぼくらの実力を信じてくれている。もちろん、そうだ。

 勝てれば。

 だが、負けたら……、初陣であっても負けたとしたら……。

 

 あぁ、わかってる……。ただの捨て駒だったということだ。

 



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第24話 青山通りの交通標識をあらかたぶっ飛ばしちゃった

 レイは空からの映像で亜獣の出現を確認すると、その位置を把握するためエリアの地図を覗き込みながらも、その広大さに驚いていた。

「リョウマ、ここ、月基地よりもエリアがかなり広いけど、どうする?」

「兄さん、プランBはどう?。あたしがおとりになるわよ」

「いや、プランCでいこう」

「了解。わたしがおとりで出る」

 レイはそう言うなり、搭乗機セラ・サターンを一気に走り出させた。

「アスカ、反対に回って」

「ーーったくぅ、レイ、いきなり駆け出すンじゃないわよ」

 

 レイはアスカに援護を要請しながらも、そのスピードを緩めようとしなかった。数百メートルほど走る間に、数基の信号機をなぎ倒し、20〜30台の車を踏みつけ、数橋の空中回廊を地面に落としていたが、速度だけは維持していた。右の壁にあるデッドマン・カウンターがパタパタと音をさせていたが、レイは気にしなかった。

 しょせん、シミュレーション……。

 だが、これが本当の戦闘で、本物の死者をカウントしていたとしても、反応はおなじだ。

 

 レイは3Dマップでアスカの位置を追った。アスカはプラン通り、亜獣の後方にまわりこむために大きく迂回しながら走って、亜獣から死角になる位置を目指している。

 目の前になだらかな下り坂が現れた。

 近くのビルのホログラフ看板に『公園通り』と表示が瞬いている。この坂の先にある丁字路(ていじろ)を曲がったところに、亜獣がいるはずだ。そこまで行けばさすがに亜獣に捕捉される。

 先手必勝。最初の一撃をどうする?。

「レイ、右!」

 

 リョウマの声が脳に響いた。

 その意味はすぐにわかった。レイは反射的に操縦桿を引き絞り、セラ・サターンの体躯をぐっと下に沈み込ませた。

 かがんだ頭の上をビーム砲のような光線が走り抜けていき、あたりのビルを破壊した。ビームの直撃は避けられたが、走っている勢いまでは削ぐことができず、セラ・サターンの機体が丁字路にむかってスライディングしていく。

 正面の大型ショッピングセンターが迫ってくる。

 レイは機体が正面のビルに激突するのは避けられないと確信した。レイは激突後すぐに体勢が整えやすいよう、わざと肩口からビルに飛び込んだ。

 が、激突の痛みは想像している以上だった。

 顔が自然に歪む。

 レイはすぐにからだを起こすと、中腰になったまま辺りを見渡した。

 亜獣とは十数メートルしか離れていなかった。敵からはまる見えの位置。

 第二波がくると察知したレイは井の頭通りから公園通りのビルのほうにジャンプし、ビル群のほうへ身体を飛びこませた。セラ・サターンのからだが空中に踊った瞬間、うしろのビルが崩れおちた。かろうじて第二波の直撃を回避できた。

 大きなビルの陰に隠れると、その次の攻撃にすぐに移れるように、腰に装備された武器を横から引き抜いた。それは人間のサイズで言えば警棒ほどの短い長さの棒。が、抜くと同時に4倍ほどの長さにのびてゆき、先端から刃が飛び出した。

 それはナギナタだった。

 セラ・サターンがそれをぎゅっと握りしめるとすぐに青い粒状の光が身体をはしり、指先を通じて、ナギナタの先端の刃に集まりはじめた。レイはモニタに語りかけた。

 

「さあ、いつでも狩れる」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 青山通りの交通標識をあらかたぶっ飛ばしたが、アスカは亜獣の反対側に回り込むことに成功した。レイへの攻撃が予想より早かったため、真うしろではなく真横方向に出てしまう形になったのは計算外だったが、それでも一番槍を食らわす自信はあった。

 アスカはセラ・ヴィーナスの背中に手を伸ばすと、肩口から棒状の武器を引き抜く。バトンほどの長さだった棒は、引き抜くと同時に3倍ほどに伸び、先端から先端が尖った部分が飛び出した。

 彼女の武器は、『槍』だった。

 アスカが槍を構えて走りながら、レイにコンタクトをとった。

「レイ、大丈夫?」

「今、足止めされてる。すぐにおとりになって引きつける」

「もう遅い!」

「遅い?」

「今、いったわ!」

 アスカは鉄橋の上を跳躍すると、槍を振りかざしたまま、亜獣の上方からのしかかるようにして、首筋めがけて突き立てた。亜獣は予期していない方向からの衝撃に驚いて、あらぬ方向へビームを吐きだした。

「兄さん、撃って!」

 アスカは亜獣に突き立てた槍の(つか)を両手でにぎりしめ、相手の背中にとりついたまま叫んだ。亜獣は首からぶら下がっているセラ・ヴィーナスをふり落とそうと、猛烈な勢いでからだをふりまわしはじめる。

 ふり落とされるわけにはいかない。

 アスカは槍を持つ手に力をこめた。亜獣の背びれがコックピットの外壁を荒々しくこする音が室内にうるさく響く。ものすごい騒音。これでは亜獣を倒せたとしても、しばらく耳が使い物にならない。

「ジャミング!」

 たまらずアスカは叫ぶと、嘘のようにすっと音が消えた。

「アスカ、手を離せ!」

 頭の中に響いた兄の声に、反射的にアスカは槍から手を離すなり、うしろへ飛び退いた。勢いあまってうしろのビル数棟にぶつかり、そのまま尻餅をついたが、すぐに起きあがり次の攻撃に備える。

 が、目の前の亜獣のからだは、ぐらりと傾いたかと思うと、その場に音をたてて崩れおち、近くの低層ビルにめり込んだ。その拍子にアスカのデッドマン・カウンターが申し訳程度にパタ・パタ、と2回、数を刻んだ。

 アスカはからだを起こしながら亜獣の顔を覗き込んだ。

 亜獣の頭蓋がみごとなまで正確に銃弾で射ぬかれてた。

「兄さん、遅い」

 アスカは自分のコックピットの外壁の映像をモニタリングしながら言った。

「もーー、わたしのコックピット、傷だらけになっちゃったじゃない」

 実際にはそれほど重篤な状態ではなかったが、慎重すぎる兄には少々大仰な言い方をしたくらいがちょうどいい。

「ごめん、アスカ。予定より0・5秒遅れた」

「それ、間違いなく命取りになるタイムラグでしょ」

「確かに……」

 アスカはたくらみに満ちた顔をした。

「んじゃー、あとで『イチゴンゴーラ』、おごってよね」

 

「わかったよ」

 



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第26話 本気には本気で返す それだけのことだ

『亜獣を狙撃した?。どういうことだ』

 リョウマが放った銃弾はすくなからずヤマトにショックを与えた。『移行領域(トランジショナル・ゾーン)』を突き抜ける飛び道具など見たことがない。

 移行領域に手を伸ばすにはデミリアンが生み出す特別な粒子を、体中からかき集めて武器の先端部分に集約させなければならない。その力はデミリアンの身体から一瞬でも離れたらたちまち力をうしなう。

 先日のサスライガン戦はソードを持ち替えただけで、どれほど危険な目にあったか。

 はるか数百メートル離れても力をうしなわないというのはどうにも解せない。

 

「ソードのほかに銃を使っていけないって誰が決めた?」

 

 声のほうをふりむくと、アルがゆっくりと部屋にはいってくるところだった。

「アル、どういうことだ?」

「わりぃな。あの銃には『Gウィープ素子』ってーのが使われているんだよ」

 ブライトがぶっきらぼうな口調で補足した。

「火星基地で開発された新型の伝達増幅物質だっていうことだ」

 ふたりのほうに近づいてきたアルが、やけに上から目線の調子で言った。 

「すまねーな。おまえのソードに使われていたモンたあ、この『Gウィープ素子』はレベルがまったく違うんだよ」

 アルの悪い癖が出てきた。こういう言い方には我慢ならなかったので、ヤマトはすぐに話しを核心に斬り込むことにした。

「そいつは何秒、キープできる?」

 これから鼻高々に説明を披瀝しようとしていた意気込みを削がれて、アルは気分を悪くしたような口調になった。

「あぁ、そうだな、悪くても2秒、条件によっちゃあ5秒程度は……」

「弾丸なら充分な時間だ」

「あぁ」

「アル、その『Gウィープ素子』は、ぼくのソードにも使えないのか?」

「タケル、安心しろ。製造中の新しいソードに搭載しているところだ」

 ヤマトは自分で自分の顔がゆるむのを覚えた。

 こんな朗報を聞いたのは、いついらいだろうか。たった数秒のアドバンテージがおそろしいほど価値がある戦術を産みだす、と考えると、心が踊る思いをおさえることができない。アルが去り際に「おまえがソードをどこかに無くしまったしな」と皮肉を言ってきたが、余裕で無視できるほどだった。

 ブライトが、改まった口調でヤマトに訊いてきた。

「ヤマト、今の戦いをどうみる?」

「そうだね。悪くないと思う。三人の連携がうまく行けば、実戦でも充分に戦力になる」

 ヤマトは弾むような声で答えた。こんな気分が良い時にはつい饒舌にもなるものだ。ブライトにちょっとしたリップサービスをするのも悪くはない。

「ほう、彼らは使える、と?」

 ポジティブな意見はブライトにとっても予想外だったのか、身体を乗り出すように訊いてきた。

「そうだね。三人一緒に、っていう前提はつくけど、まちがいなく使えるよ」

 ヤマトは耳に心地よいことばをダメ押しで、もう一波(ひとなみ)、ブライトへ送った。

 実際、彼ら三人の連携は悪くない。レイの反応速度やアスカの攻撃の間合いなどは、ヤマトが予想していたものよりも実戦向き……。

 半分は本当だ。

「そうか!」

 ブライトは嬉しさを我慢しきれず、やおら立ちあがって言った。彼の表情には、意外なほどの自信と決意のようなものが感じられた。

 

 あの三人が使えるなら、ヤマト、おまえは『用済み』だ。

 顔にそう書いてある。

 

 だが、ヤマトはあえてそれを無視した。ひさしぶりに高揚感を感じて、自分で自覚できるほどに浮かれているのだ。せっかくの気分を些細なことで台無しにするのはもったいない。

 ヤマトはブライトにむかって心の中で一言だけ呟いた。

 

『ただ全員が生き残れるほど、使えるわけじゃない……』  

 

  ------------------------------------------------------------

 

「すごい!」

 リアル・ヴァーチャリティルームに足を踏み入れたリョウマは、月基地とは違うそのスケールに思わず声を漏らした。体育館ほどの広さに最新型の装置がズラリと並べられている。うしろのドアからタケルが入ってきたのがわかったが、興奮は抑えられなかった。

「ヤマトくん。さすが国連軍日本支部だね」

「これだけのリアル・バーチャリティの機材が揃っているのは、はじめてだよ」

「ここならだれにも聞かれずに話ができる、と思ったから指定しただけだが……」

 リョウマは失礼だと思ったが、落胆の色を隠さずに言った。

「それはないんじゃないか」

「目の前に世界中どこでもいける扉が開いているのに……」

 ヤマトはその訴えにはまったくとりあわず、リアル・バーチャリティの椅子が向いあって並んでいる一角にすたすたと向い、指をパチンと鳴らした。すーっとその一角を白い光のような膜が覆いはじめた。

「リョウマ、『スペクトル遮膜』が閉じちまう。こっちへ」

 ヤマトに促されるまま、リョウマはゆっくりとヤマトの近くにいくと、片方の椅子に腰をおろした。ものの20秒ほどで周りだけでなく天井までが白い光に囲われて、まわりがまったく見えなくなった。

「これで、光も音も声も外に漏れることはない。思念は通すけど、ぼくらには関係ないしね」

 ヤマトはリョウマとは反対側の椅子にドスンと腰を落とすと口を開いた。

 

「昨夜、レイと話をした」

「レイと?」

「あの子は、自分は母親を殺した、と言っていた。どういうことか知っているか?」

 リョウマは小刻みに頭をふった。

 またあの話だ。あれほど他人に口外しないように諭しても、レイはどうにも意に介さないらしい。二週間ほどしか経っていないのにもうヤマトの耳に入れてしまっている。

 仲間とはいえ、まだ知りあって日が浅い人間に、どこまで打ち明けていいのか思案した。

「本人がそう言っているのは知っているよ」

 リョウマはゆっくりと、ことばを選ぶように話しはじめた。

「レイは母子家庭でね。かなり貧しかったらしい。なにせ22世紀に建てられた老朽化したマンションに住んでたっていうしね」

「ちょっと想像つかないな」

「母親は心を病んでいて、レイには辛くあたったらしくて……。それでも救急隊が駆けつけた時、レイは母親からは離れなかったらしいがね」

「救急隊?」

「あぁ、母親が死んだんだ。彼女はレイの傍らで『テロ・ブレイカー』を使った……」

 ヤマトの顔が驚きに歪むのがわかった。

 それはそうだろう、とリョウマは思った。だれが聞いてもこの話しには息を飲む。

『テロ・ブレイカー』を使ったとなれば、だれもがその現場がどれほど凄惨だったか、容易に想像つくからだ。

「つ、つまり、レイは母親を殺してはいないってこと……?」

「本人は殺した、と思っているんだろうね。まだ幼かったそうだから……」

 リョウマはヤマトがその状況を想像して、厳しい表情になっているのが意外だった。世間から『ミリオン・マーダーラー』と揶揄(やゆ)されている男が、人の身の上話に、驚くことはあっても、考え込むなどというのは似つかわしくない。

 リョウマはレイをかばうように言った。

「本当かどうかは別として、ぼくはとてもシンパシーを感じたよ」

「君が?」

「あぁ、ぼくは父のことが嫌いだったからね」

「いや、正確に言えば、ぼくらと母さんを見捨てた父が許せなかったからね」

「きみは自分の父親を……」

「あぁ、自分で手にかけられれば、どんなに楽だろうって思う時がある」

 ヤマトがじっと自分の顔を見つめているのに気づいて、リョウマはあわてて手を前でふって否定した。

「いや、ぼくはそんなことをしないよ、もちろん」

「でも、父親には復讐したいと考えているよね」

 リョウマはドキリとした。言い当てられたわけでない。ヤマトの人の心のなかを見透かすような目つきが、リョウマをなぜか不安にさせた。

 現在では、自分の思考を、許可した人たちの間で直接共有させる『ニューロン・ストリーマ』を使うことは茶飯事になっているので、心のなかを覗かれることへの抵抗は薄れてきている。自分たちにはその能力はないが、外付けの代替装置を使って訓練しているので、今さら心を見透かされる、ということに、それほど拒否反応はないはずだった。

 だが、共有する表層の『思考』ではなく、共有不可なはずの深層の『心理』までヤマトの目は読み取るかのようだった。

 リョウマは早々に観念した。

「あぁ、父は見返してやりたいと願っている。それがぼくの復讐だ」

「だから、今回の任務に着任できたのは、すごいチャンスだと思っているんだ」

「死ぬかもしれないのに?」

「あぁ、わかっている。でもいつかマスコミやネットワークでぼくの名前が知られれば、父もぼくのことは無視できなくなるだろ」

「いっぱい人も死なせる……」

「いや、殺す……けど?」

 リョウマはヤマトがわざと言い直したのがわかった。彼はぼくを試そうとしている。

「わかっているさ」

「それを恐れていたらヒーローになんかなれない」

 いや、もし亜獣を倒したとしても、人の命をたくさん奪った結果なら、それはヒーローと呼ばれるに値するのだろうか……。

 リョウマはハッとした。いつの間にか手が震えていた。ヤマトがその手を見つめている。

リョウマはあわてて、もう一方の手で震えを抑えようとしたが、そちらのほうの手も震えていてうまくいかなかった。

「ご、ごめん、気持ちは前向きなつもりなんだ。でも……」

 突然、ヤマトが両腕を頭のうしろで組んで、あきれかえったような表情をうかべた。

「そんな時はさ、現実逃避するのが一番だな」

「え?」

「せっかく、リアル・バーチャリティ装置に座ってるんだ。どこぞの街中にでも繰り出しにいくか」

「あ、うん」

 リョウマは胸を押さえつけていた重石が、いくぶん軽くなったような気になった。

「だったら、『ゴースト』じゃなくて『素体』を使えると嬉しいな」

「カバード!」

「え?」

「草薙大佐からいつも注意されてる。『素体』って言い方、差別用語……らしい」

「あぁ、そうなんだ。すまない」

 ヤマトはリョウマの詫びのことばも聞かないうちに、中空に現れたメニュー表示を操作しはじめた。

「さぁ、どこにいく?」

 リョウマにはヤマトの態度に違和感を感じた。彼はそういうことには無縁の生き方をしてきているはずだ。ともだちと連れ立って、ひょいひょいと遊びに出かけるような、そんな軽々しい男ではない。

「タケル君、どうして?」

 ヤマトは頭からゴーグル一体型のデバイスを装着しながら言った。

 

 

「本気には本気で返す それだけのことだ」

 



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第27話 君には妹とツガって欲しいんだよ

 ヤマトは土曜日は社員食堂で昼食をとる許可はもらっていたが、セキュリティの関係上で一般の職員がまばらな午後2時頃を指定されていた。おかげで、喧騒のなかでの食事を望んでいたはずなのに、ほぼ人が絶えた広い食堂で、ひとり遅い昼食をとる羽目になった。

「前、いいでしょ」

 というなり、アスカがミールプレートをどんと目の前に荒々しく置いた。

「これだけ空いてるんだから。ほかの席のほうがよくないか?」

「あんた、まったく『ボカ』ね。わたしがあんたに話があるからに決まっているでしょ」

 そう言いながらアスカは、ヤマトから2つ離れたテーブルの横で装備をまとったままこちらを監視している草薙大佐に目をやった。

「こんなとこまでお守り?」

 草薙は微動だにせず、視線だけをアスカのほうにむけた。

「草薙大佐の任務はぼくを守ることだからね」

「は、基地内でだれがあんたを襲うっていうのよ」

「これまでに2回襲われている。これでも、結構、ファンが多くてね」

 ずるずると麺をすすっているヤマトを、アスカはあきれた顔で見た。

「あたしたち専用の居住区域で食事すれば、あの女もあんたに金魚の糞みたいについてまわらなくても済むじゃないのよ」

「ま、ごもっともだけど、たまには人がにぎわう場所で食事したいじゃないか」

 アスカはほとんどひとけが絶えた食堂内をぐるっと見渡した。

「ほとんど人はいないようだけど」

 そう言うとドスンと乱暴に着席した。アスカが目の前のボウルから一口大のフライのようなものをつまみ、ぽんと口の中に放りこみながら言った。

「ねぇ、あんた、あたしとツガいなさいよ」

 顔を伏せていた草薙がうっすらと目を開けた。

「また、それか」

「あったり前じゃないの。あたしもそれが任務」

 アスカは草薙のほうに目をむけて言った。

「あなたみたいに、このくそつまらない男にまる一日ついていなきゃ女には同情するけどね、あたしも似たようなモン。くそつまらない、こんな男とツガわなきゃなんないの」

 自分を名指しされて草薙がやおら口を開いた。

「アスカさん。ヤマトタケル、という男はくそつまらなくはないわ」

「扱いにくい男だけどね」

 アスカはムッとした。言外にあなたみたいな新参ものとは、過ごしている時間が違うのよ、と宣言されたように思えて、なぜか腹がたった。

「あーら、ずいぶん親密だこと」

「まぁ、一日の大半一緒に行動していますから」

 アスカは草薙にもう何発か反撃しようかと、彼女を睨みつけたが、すぐにばかばかしくなったのか、両手をひろげて降参のジェスチャーをした。

「もーー、そんなこと言いに来たんじゃない」

 アスカはヤマトのほうへ向きなおった。ヤマトはふたりの女が目の前で静かな対決を繰り広げていたが、われ関知せずで、ラーメンのスープを飲んでいるところだった。

「ねぇ、放課後、兄貴とリアル・ヴァーチャリティでどこ行ってたの?」

「どこだっていいだろ。男同士の秘密だ」

「は、どうせ、どっかのシティで女の子、ハントしにいってたンでしょ」

「だとしても、それをとやかく言われる筋合いはないと思うけど」

「やっぱりだ。あのエロ兄貴。いっつも逃げてばっかり」

 ヤマトはラーメンを口に入れようとして手をとめた。

「逃げて?」

「そうよ、兄はいつだって現実を直視しようとしない。父そっくり」

 ヤマトは目の前で、兄のことで一人憤っているアスカに、リョウマとのことで気になったことを尋ねてみることにした。

「リョウマは、ずいぶんお父さんのこと、恐れてたけど……」

「そりゃ、厳しかったもの。期待もいっぱいかけられたし」

「まぁ、それはなんとなくぼくも察した」

「でも、それはすべて父自身のためのもの。あたしたち子供のためじゃなかった。だからあたしは、一時期、まったく口をきかなかったこともあった」

 アスカがフライを口に放り込む。

「兄はそのおかげで、あたしの分まで期待をひきうけることになって、必死でいい息子を演じたわ」

「でも、きみたちの父さんは、きみたちを見限った?」

「ええ、そう。3%だけ届かなかったから」

「わたしたちが検査を受けて、999(スリーナイン)ではなかったって聞いて、父の興味はわたしたちから無くなったの」

「そんな。きみたちの責任じゃない。むしろ親の遺伝の問題だろ」

「父はまず、それを母のせいにして母を追い出した。そして、そのあと、わたしたちをロンドンの寄宿学校に送り込んだ」

「あぁ、そこでリンさんと知りあったのか」

「むこうは小遣い稼ぎの、ただのパートタイムの講師だったんだけどね」

 あの時、あれだけ親密度をアピールして、場の空気を支配していながら、ここではあっさりと種明かしをすることに、ヤマトは驚いた。このアスカという娘は、その場、その場でもっとも優位にたてるシチュエーションを嗅ぎ取り、瞬時にそれにふさわしい人間を演じているのかもしれない。

 

 だとしたら、たいした役者だ。

 

 アスカが詰め寄るように顔をよせヤマトに訊いた。

「兄さん、どんな様子だった?」

「あぁ……。なんかすごくはじけてたな。リョウマにあんな一面があるなんて……」

 そこまでしゃべって、アスカがいつの間にか、こちらを(さげす)むような視線をむけていることに気づいた。

「あー、そうなんだ。やっぱりね。あのエロ兄貴」

「いや、彼なりのストレス……」

「で、あんたも一緒にお楽しみだったのね」

「ち、ちがうよ」

 ヤマトはいつの間にか抗弁させられていることに気づいて、とまどった。なにもやましいことも、隠しだてもないのに、なぜぼくは弁解している?。 

 アスカが突然、ドンと机の上に手をついて、からだを乗り出しヤマトに顔を近づけた。ヤマトがちらりの草薙のほうへ視線をむけたが、アスカはすでにもう一方の手を草薙のほうへむけて突き出し、制止の合図を送っていた。

 草薙もすぐにはうごくつもりがないらしい。

 アスカがまつげ同士が触れそうなほどまで近づき、まじまじとヤマトの目をのぞき込んできた。まるで網膜に隠しているものを読み取ろうとしているかのようだった。

 アスカが嘆息した。吐息がヤマトの頬をくすぐる。

 

「で、あんた、きのうの夜中、レイと抜け駆けして、なにしていたの?」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 レイの肢体が空中で大きく弓なりにしなったかと思うと、ぎゅうっと手足をまえにふりぬき、砂面(すなも)の砂をはねあげて着地した。着地点の近くに立っている記録判定ロボットが上空に「12・03m」の記録を表示する。

 レイとアスカの身体能力の高さを見せつけられて、ヤマトはおもわず首を横にふった。すでにここまで走り高跳びと走り幅跳びでは、ふたりの成績はヤマトに肉薄している。高校生の男女の体力差を考慮すれば、むしろ負けていると言っていい。今の三段跳びをみるかぎり、しなやなかな身体をうまく使って、ながい滞空時間をうみだす技術は、専門のアスリート顔負けだ。

 アスカが走り出す準備にはいる。一回屈伸して、からだをうしろにぐっと引くと、その反動で一気に勢いをつけて駆け出した。

「アスカ、胸、大きいだろ」

 横に座っていたリョウマがひじでヤマトの胸を突きながら言った。

「自分の妹だろ。そんなこと言ってると、またエロ兄貴って……」

 アスカが3ステップ目を踏んで跳躍すると、その反動でバストが上に持ち上げられた。1ミリでも遠くへ飛ぼうと空をかき、前傾姿勢で見事に着地した。今度はその衝撃でバストが下方へ揺れる。

「ほらね」

「だから……」

「君にはアスカとツガって欲しいんだよ」

「勘弁してくれ。どうせ親父さんへの意趣返しかなんかが目的なんだろ」

「まぁ、それもないとは言わないよ」

 リョウマが立ちあがりながら言った。

「でも兄として、妹の幸せを願っているっていうのにも嘘はない」

 

 リョウマに抗議をしようとしてヤマトが立ちあがった時、亜獣出現を告げるサイレンの音がグラウンドに響き渡った。先ほどまで記録を表示していたロボットの頭上には、すでに「亜獣出現」の警報が点滅している。

「亜獣が現れた?」

 その声はこころなしか震えているように聞こえた。だが、そんなことはおかまいなしにヤマトは奮い起つように声を弾ませた。

 

「30日ぶりだ。さて、ひと暴れするかな」

 



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第28話 ごめん。あの時、君を守れなかった

 それは信じられないことに、街中のイベント会場の駐車場になんの前触れもなく出現した。突然上空が暗くなったのを感じて、そこにいた警備員は最初、気象庁の天候操作機器の故障かなにかでも起きたかと思った。今日は終日晴れにするという『天気予定』になっていたはずだ。

 彼はいまいましそうに天を仰ぎ見た。

 

 そこに無数の目が浮かんでいた。

 

 百、いや千、それ以上を超える目に一斉に睨みつけられ、警備員はからだを凍りつかせた。

 そこに亜獣がいた。

 亜獣の目がギロリと動く。

 ひとつの目がむくと、頭と思われる部位のいたるところについた目が一斉に同じ方向へ動いた。甲虫のような形状。頭部には角のような突起、単櫛状の触覚、体中には染毛のようなとげがびっしりと生えていた。

 彼の目に、すぐ近くで開催されている『培養肉フェスタ』のホログラフ看板が目に留まった。あそこには今、数千人もの人々が集まっているのだ。『ゴースト』でも『素体』でもなく『リアル』、つまり本物の人間が足を運んできている。

 知らせなければ大変なことになる。

 警備員はガクガクと震える脚を押さえつけながら、警備室に飛び込むと警報器を作動させた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 男は、あの警報を一度だけ聞いたことがあった。

 亜獣出現の警告だ。

 この警報を聞いたら、なるべく遠くへ逃げろが鉄則だった。

 まわりにいる人は一斉に亜獣が出現した場所とは反対方向へ走り出していた。みな、その鉄則を知っているのだ。男もその人の波に押されるようにしながら、おなじ方向にむかってただただ走り続けた。

 どれくらい走っただろうか。まだビルの合間から見え隠れしている亜獣の姿は確認できる距離だったが、人々の走るスピードが緩みはじめた。すくなめに見ても数百メートルは離れことで、とりあえずは直近の危機は避けられたという判断なのだろうか。

 男もそれにあわせるように歩を緩めはじめた。これ以上、走り続けるのも難しいところでもあった。

 男が歩きはじめると、まわりではそこかしこで、安堵のことばを口々にしているのが聞こえてきた。男もほっとし、ゆっくり歩きながら、息を整えることにした。

 だが、そのとき、突然ボワーンという奇妙な音が聞こえた。音というより空気を震わせる不思議な振動だった。

『なんだ、今のは?』

 どうやらまわりの人々にもそれは体感されたらしく、みんながざわつきはじめた。

 それと同時に、人々の歩がとまりはじめ、徐々にその場にみな立ち尽くすばかりの人々の群れになっていった。だれもかれもが、なにかに見とれてぼーっとしていた。

 その時、ふいに自分のすぐそばで自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ミツル……君」 

 そう呼ばれて、男はおもわず前をみつめた。恋人の明子が目の前に立っていた。

「明子……なのか……」

 声が震えた。彼女はあの時着ていたピンク色のワンピース姿で、あの時と同じまなざしで自分のほうを見ていた。

 だが、そんなはずはない。明子は何年も前に死んだのだ。

 あの時と同じサイレンの音を聞いて、自分はなにか混乱しているにちがいない。

「ミツル君……」 

 だが、明子はもう一度、自分の名を呼んだ。あのときと変わらない声。自分が大好きだった声だ。ミツルは明子の前に、力なくひざまずいた。

「明子、ごめん。あの時、君を守れなかった……」

 目の前にいる明子は、首を横にふって言った。

「うぅん、ミツル君は頑張ってくれた。仕方がなかったんだよ……」

「仕方なかった、なんて言うなよ」

「でも悲しまないで。今、わたし、ここにいるよ」

 明子がミツルのほうを愛しそうに見つめていた。

 あの笑顔だった。自分が大好きだった、ちょっと目尻に皺がよって、細めた目にかかるまつげがやさしげに揺れる。「年とったら絶対しわくちゃになる」って、いつも笑いながら膨れっ面をしていたっけ。

 ミツルはいつのまにか明子を抱きしめていた。

「ミツル君、ありがと……」

 目から涙があふれて止まらなかった。まさかこんな日がまた巡ってこようとは……。

 

 ぼやけたミツルの目になにかがぼんやり見えた。

 それははるか遠くから飛来してくる何か、だった。鳥の群れのようでもあり、大きな粒の黒い雨のようでもあった。それが空を覆い尽くし、こちらめがけて落ちてくる。

 だが、ミツルにはそんなものはどうでもよかった。今、ふたたび愛しい人をこの手に抱けるしあわせは、どんなものにも優先する。

 大きな衝撃とともに鉄筋のような長い針が、彼の身体を貫き地面に突き刺さったとき、ふっと腕のなかの明子が消えていくのを感じた。ミツルはあわててあたりを見回した。

 彼が絶命のまぎわに見たのは、自分とおなじようにアスファルトの地面に串刺しになっているおびただしい人々の姿だった。

 

 みな、おだやかな表情をして息絶えているように見えた。

 

 そう、自分とおなじように。

 



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第29話 自分の幸せが、まわりの人間の幸せにつながるみたいな幻想を押しつけないで 

「ブライト、どういうこと!」

 ものすごい剣幕で自室に怒鳴り込んできた春日リンをみて、ブライトはため息をついた。すでにニューロンストリーマを通じて、その怒りの感情がこちらに送波されてきてはいたが、どうしても面とむかって言わずにいられなかったらしい。

 前々々時代的なことをする面倒な女だ、とブライトは感じずにはいられなかった。

「また同じことを繰り返すつもりなの?」

「なにがだ」

「一年半前と同じ。セラ・ジュピター、パイロット、神名朱門(かみなあやと)の二の舞いよ」

「あの時はあいつ一人だった。今度は三人がかりだ」

「熟練者と共同で戦わせるべきよ。タケル君をセラ・マーズに搭乗させて!」

「キミも彼らの戦闘シミュレーションの実績をみたはずだ」

「でも実戦は未経験でしょ!」

「なんだって未経験からはじまる」

「ハードランディングすぎる!!」

「ヤマトをマンゲツ以外の機体に乗せて、万が一、なにかがあったらどう責任をとる?」

「は、相変わらず自分の保身?」

「保身のなにが悪い。上にのしあがれた人間は、いつの世も減点がなかった者だ。あからさまな加点はむしろ害悪なのだよ」

「今はあなたの人生訓を聞いている時間じゃないわ」

「リン、キミはぼくに出世して欲しくないのか」

「自分の幸せが、まわりの人間の幸せにつながるみたいな幻想を押しつけないで」

 すっと音もなくドアが開いて、草薙素子がはいってきた。なんのエクスキューズもなく当たり前にその場所に現れたのをみて、リンが不快な目をむけたのがわかった。おそらく次に軽蔑の目が自分にむけられるだろう。

 だが、リンは目を合わそうともせずに、あくまでも事務的な声色で言った。

「それではブライト司令、出撃レーンにむかいます」

 すたすたと部屋を出ていくリンのうしろ姿を見ながら、ブライトは苦々しい気分を噛みしめていた。自分は今までそのような世渡りの仕方をしてきてここまで来たという自負と、これからもそれしか方法がない、という自己嫌悪のどちらをも一刀両断された、と感じていた。過去にも未来にもクサビを打ち込まれて身動きできない、そんな気分だった。

 草薙少佐がこちらをみているのを感じて、ブライトは咳払いをした。

 

 また国連総長とのあの茶番劇がはじまる。

 だが、いまのこのもやもやした気分を忘れられるのであれば、そんな時間でも少々ありがたいのかもしれない。

 ブライトは直立不動のまま、甲高い着信音がくるのを待った。

 

 -----------------------------------------------------------

 

 コンバットスーツを羽織りながら、出撃レーンへ足を踏みだしたリョウマは、足が震えるのを感じていた。デミリアン各機の周りでは、驚くほどの人数のクルーたちがめまぐるしくたち働いていた。その壮観な様子を目の当たりにすれば足がすくまないほうがおかしい。

 自分たちにかけられている責任はどれほどのものなのか……。

「そんなに緊張しないで」

 いつのまにか、かたわらに春日リン博士が立っていた。

「あら、メイ。わざわざこんなところまでお見送り?」

「そりゃ、そうでしょ。私の一番の生徒たちの初陣なんですもの」

「なによ、たち、って、私ひとりじゃないのぉ」

 アスカがぷーっと口を膨らませているのを横目でみて、リョウマはほんのちょっとだけ強張りがほどけた気がしてきた。

「ありがとうございます。メイ……、いえ、春日博士」

「あら、まだ緊張してる?。リンでいいわよ」

「あ、はい、リンさん」

 リンが自分のうしろに見え隠れしているレイのほうを首をかしげてのぞき込んだ。

「レイ、あなたは、大丈夫、よね」

「えぇ、やっと敵を殺せるんでしょ。問題ないわ」

「いや、そんなに最初から気合いをいれなくてもいいよ」

 リンのうしろからエドが短躯をのぞかせた。

「亜獣は一度出現するとそこからは短期で何度も出現する。そのどこかのタイミングでかならず倒せばいいサ」

 リンがエドのほうにちらりと目をむけた。

「エド、亜獣消失までの時間は?」

「75分20秒といったところだ。時間は充分あるよ」

「到着するのに60分くらいかかるわ。15分も残らない」

 レイがぼそりと抗議した。

「あら、タケル君は58秒で始末したことがあるわよ」

 リンのことばに、リョウマはハッとした。

「そう言えば、ヤマト君は?」

「聞いてなかった?。今日は待機よ」

 リンのその口調は、そのことに本人でも納得がいっていないような、ぶっきらぼうな響きがあった。リョウマはその声色を感じ取って、鼓動が高まるのを覚えた。ブライト司令があの時言っていたことばは、はったりではなかったのだ。新人三人だけを熟練者のサポートなしで、戦場へ送りだそうとしている。

 ブライト司令はぼくらの実力を信じてくれている。もちろん、そうだ。

 勝てれば。

 だが、負けたら……、初陣であっても負けたとしたら……。

 

 あぁ、わかってる……。ただの捨て駒だったということだ。

 



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第30話 君たちの任務は、人を救うことじゃない。生きて帰ってくることだ

「なぜ、ぼくを出撃させない!」

 ヤマトの口ぶりにブライトはうんざりとした。リンと言い争いを繰り広げ、そのあと国際連盟の事務総長に舌鋒でなぶられてきたというのに、今またこれだ。

「ヤマト、何度もいうように、マーズでの出撃は許可しない。おまえは待機だ」

 ヤマトが口を開きかけたので、さらに大声で制した。

「これは命令だ。反問は許さん!」

 ヤマトが恨めしそうな目のまま、三人のパイロットのモニタ映像のほうへ目をむけた。三人は両腕を機材に挟み込まれていて『血液循環チューブ』の左側のチューブ、通称『動脈チューブ』のほうから血を吸いあげられているところだった。

 ヤマトが先ほどの激高ぶりからは想像できないほど、静かな声で言った。

 

「ブライトさんは、あの三人が『勝てる』というのにベットしたんですか?」

「いや、彼らが『負けない』に賭けた。最初から勝てるなどと楽観視するほど、近視眼的な生き方をしてきてはいない」

「じゃあ……」

「あの時、神名朱門(かみなあやと)の時はなににベットしたんです?。あれは絶対に勝てない勝負でしたよ」

 たったいま、リンとの会話で耳にした名前を、今またヤマトにもちだされてブライトはことばに詰まった。

『出撃準備完了です』

 その時、出撃レーンから聞こえてきた報告に、ブライトはホッとした。目の前に三人のパイロットがシートに座って待機している姿が浮かびあがった。ブライトは大げさに咳払いをした。ヤマトへの牽制をふくんだしぐさだった。

「いよいよ、君たちの初陣だ」

「時間はたっぷりある。いつも通りの戦いかたができれば、必ずいい結果がついてくるはずだ」

「健闘を祈る!」

「リョウマ、アスカ、レイ……」

 突然、脇からヤマトが発言した。せっかくの手向けのことばを台無しにされて、ブライトはむっとした。

「残念ながらボクは待機にまわされて、君たちと一緒に出撃できない。初戦だからって倒そうと気負わなくてもいい……」

 ヤマトはモニタ越しとは思えないほど、真剣なまなざしを三人にむけた。

「君たちの任務は、人を救うことでも、街を守ることでも、ましてや亜獣を倒すことでもない……」

「生きて帰ってくることだ!」

 モニタに映る三人の表情にとまどっている色がみえたが、かまわずヤマトは続けた。

「頼むから、それだけは守ってほしい」

 それだけ言うと、ヤマトは踵をかえし司令室の出口にむかった。

「ヤマト、どこへ行く?」

「ブライトさん、自分の部屋でモニタしているよ」

 

「ここにいたら、ブライトさんの賭けを邪魔してしまいそうだからね」

 

  -----------------------------------------------------------

 

「速い」

 軍事用の電磁誘導パルスレーンの高速移動のスピードに、レイは思わず声をもらした。これだけの巨体がマッハを超えるスピードで、空中をすべるように移動しているのは驚きだった。

「なに言ってんのよ、レイ。軍用よ、軍用。200キロ程度で『だらたら』走っている民生用とは比べモンになるわけないでしょ」

「これなら基地から神戸までアッという間だ」

 リョウマもはじめて体験するその速度に、少々興奮気味なのが画面からも伝わってきた。

「ほら、もう見えてきたわよ」

 アスカの声はわずかだけだが跳ねるようにうわずっていた。

 レイがモニタに目をやると、もうもうとした煙が各所にあがっているのが、かなたに見えた。まだずいぶん遠いとはいえ、このスピードならものの数分で到達するだろう。レイは自分の腕につながれた『血液循環チューブ』を交互に確認した。左の『動脈チューブ』にも右の『静脈チューブ』にも特に変化は見られない。

「こんなに興奮しているのに、血、全然変わんないんだ」

「レイ、あったり前でしょう。気分で色とか変わったら、そっちのほうが怖いわよ」

「だって、ヤマトが血の力で操るって言っていたから……」

「はーん、このあいだの密会の時ね」

「密会?」

「しらばっくれるんだぁ。戦いから帰ってきたら、たっぷり聞かせてもらうからね」

 レイには意味がよくわからなかったが、リョウマがふたりに割って入ってきた。

「さあ、もうすぐ着くよ」

 



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第31話 虫の標本みたいに人間が地面にピン留めされている!

十三(じゅうぞう)、あの三人勝てると思うか?」

 ヤマトは食堂でコーヒーを口に含みながら訊いた。食堂の正面にある絵の前には、司令室から直結され、様々な角度から中継されている現場の映像が空中に映し出されている。

映像はちょうど、三人が各ポジションへ散開しようとしているところだった。

「さぁ、戦いのことはわたしにはとんとわかりかねます」

「作らなくていい。十三、ここにはふたりしかいない」

 そのことばを聞いた沖田十三の顔から心ゆかしい表情がふっと消え、たちまち険しさが顔に浮かんできた。

「ひさしぶりに食堂が華やいで、わたくしも給仕のしがいがあったのですが……」

「やはり、そう思うか」

「けっしてあの三人が負けるとかそういうわけではないですが……」

「でも、おまえはそう感じたんだろ、十三」

 十三は押し黙ったままだった。これ以上は執事の本分ではないとわきまえた行動だ、とヤマトは理解した。

「エル様、このタイミングで誠に申し訳ないのですが……」

「なんだ、十三?」

「依頼をいただいておりました例の人物の正体が判明しました」

 ヤマトの手元がびくっと震え、思わずコーヒーカップを落としそうになった。が、その動揺を気取られまいと、つとめて平静を装って言った。

「そいつは、ご苦労だった。すぐに開示してくれ」

 十三が指で中空にサインを描くと、目の前の空間に入手したデータが並び始めた。

 目を通しはじめたヤマトの口元にいつのまにか笑みが浮かんでいた。自分でも自覚できるほど邪悪なたくらみに満ちた笑みだった。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 いつもの戦いさえできれば間違いなく亜獣は仕留められる。

 リョウマは自分にいい聞かせるように心のなかで呟いた。飽きるほど繰り返してきたシミュレーション戦闘は、この時のためにあったのだ。手抜かりなどあるはずもない。

 プラン通り、アスカはわずかでも高いビルを選んでその陰に身を潜めながら、レイは見つからないことを優先してビルの合間をほふく前進しながら亜獣へにじり寄っていた。

 エドからの映像が目の前のモニタを占拠した。

 

「今回の99番目の亜獣を『アトン』と命名しました」

 

 リョウマはビルの屋上に設置したライフルの各部分を再度チェックすることにした。ふたりが予定したヒットポイントにうまく亜獣を引き寄せてくれれば、自分の一撃で決着がつく。ちらりと正面頭上のカウンターに視線を走らせた。

 亜獣があちら側に消えるまで、残り10分を切っていた。

 

 まだ、充分に時間はある。

 

 

 ------------------------------------------------------------

 

「なに?」

 レイは目の前にみえてきた光景に目を奪われた。地面をすれすれを這うように進んでいたからこそ発見できた特異な光景だった。

 交差点に人々が突き刺さっていた。

 レイには一瞬、そう見えた。よく見ると虫の標本のように、人間が地面にピン留めされていることがわかった。視界に入っている数だけでも、数十人はカウントできた。誰もが逃げまどっている最中に、亜獣が放った針に刺し貫かれて絶命したのは、容易に想像できた。だが、レイにはどうにも拭えない違和感があった。これだけ緊迫した場面にもかかわらず、死んでいる人々は、まるで死ぬ寸前までそこでくつろいでいたかのように、座り込んでいたり、屈みこんでいたるように見えた。だが、ここは今まさに亜獣が襲いかかろうとしていた現場だ。そんなことはありえない。

 レイはふと、(ひざまず)いた格好の男性が、笑みを浮かべて死んでいるのに気づいた。すくなくとも自分には満足げな表情を浮かべたまま、胸から背中を刺し貫かれて地面に突き刺さっているようにしか見えなかった。

「なに?」

 レイはもう一度、呟いた。  

 

 この亜獣は、この人たちになにをしたのだ。

 



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第32話 だれが死者になりすました……

「モスピダン!」

 レイのカメラから送られてきた映像を見ながら、エドは興奮にからだを震わせていた。 姿形はまったく違うが、エドは今回の亜獣はこの「モスピダン」とおなじような能力を有していると推察した。

 亜獣のデータベースが眼前に浮かびあがり、AIに自動ソートされた該当データを表示した。エドはそのデータに目を走らせながら、司令室にいる人々に講釈をはじめた。

「68年前にあらわれた亜獣3番の『モスピダン』は、まわりに幻影をまき散らしたという風に言われています」

「幻影?、それどういう意味?」

 リンが怪訝そうな顔をして訊いた。

「わからない。ただその当時の資料によれば、避難する人々がみな一瞬にしてなにかに取り憑かれたようになった、としか」

「みんな何をみたの?」

「それは……」

 そこまで言いかけて、エドはことばをうしなった。指が震えている。

 この3番目の亜獣の時にたいへんな事件が起きたことを思いだしたからだった。

「あぁ、大変だ。この『モスピダン』の時、大事件が起きたんだ」

「そうだったわ……」

 春日リンも狼狽しているように見えた。自分と同じように衝撃を受けているのは明らかだった。

「なにがあったんだ」

 ふたりの専門家がそろってショックを受けている姿にブライトが苛立ちをぶつけた。

「この亜獣の時に、デミリアンを一体うしなっているんです」

「セラ・ネプチューンよ」

「そんな早くに一体うしなっていたのか?」

 ブライトの驚きももっともだった。

 まだパイロットの訓練や亜獣対策も充分ではなかったとはいえ、全部で九体しかいないデミリアンの一体を、こんな序盤でパイロットごとロストした。『モスピダン』とはそれほどまでに手ごわかったのだ。

 エドの中空を操る手がとまった。目の前に浮かぶデータベースの画面に、パスワードを要求するアラートが点滅していた。

「生体パスワードがかかっている!」

「どういうことなんだ、エド」

 たまらずブライトが問いただした。

「わかりません。誰かがこの亜獣のデータを封印しているんです。しかも、そのパスワードの主はすでに死んでいるんです」

「つまり、今はなにもわからんということか!」

 エドにはブライトが一瞬、天を仰いだのが見えた。が、彼はすぐに正面のパイロットたちの映像のほうへ向きなおると、指示を出しはじめた。

「アスカ、レイ、リョウマ、みんな聞いてくれ」

「さっきから聞いてるわよ」

「『アトン』は近づいた相手になにか幻覚のようなものが見せるらしい。みんな注意してくれ」

 ブライトの注意喚起にレイとリョウマは口々に了解の合図を送ってきたが、アスカだけは皮肉たっぷりの軽口で返してきた。

「なにもわからないってことだけは、充分わかったわ……」

「それにこいつと同種の亜獣に、デミリアンが殺されたってこともね」

 エドはいたたまれない気分になった。手助けする専門家なのに、逆にパイロットたちに不安材料をふりまく結果になってしまっている。

 

 だが誰だ?。

 誰がこのデータに生体パスワードを施した……。これは死者のパスワードなのだ。

 だれが死者になりすましたのだ?。なんのために……。

 



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第33話 経験したこともないほどの激痛がからだ中に走った

 聞きたくもないネガティブな情報をしこたま送り込まれて、アスカはうんざりとしていた。

 頼るべき大人など、しょせんこんなものなのだ。ここは子供である自分がしっかりとしなければならない、と改めて思った。

 アスカは中腰を保った低姿勢のまま、ビルの陰に隠れながら、すでに亜獣の数百メートル手前まで近づいていた。衛星や上空、地上等あらゆる場所から送られてくる映像で、自分が相手に気づかれないギリギリの前線まで来ている。

 だが、そこから先が問題だった。

 亜獣が精神攻撃をする武器を有していると指摘されては、次の一手は司令部の判断に委ねるしかない。

 アスカはこの地域でひときわ高い高層ビルの壁に背中を預けながら、レイの合流を待つことにした。

 セラ・ヴィーナスを壁側にむけると、全面ガラス張りのビルの大きな窓ガラスに顔を近づけて、中をのぞき込む。

 7〜8階ほどの高さの階層には、サッカーコートほどの広いフロアが広がっていた。

 最新のクリア素材の柱の使用により、パーテーションや壁等もないため、100メートルほどむこうの反対側の窓まで見通すことができた。

 フロア内をのぞき見ると広い空間のところどころに、『スペクトル紗幕』が張られていることに気づいた。アスカには信じられない思いだったが、亜獣接近の警報が発せられている状況で、まだオフィスに残って仕事をしている人たちがいたのだ。

 個室サイズに張られた『スペクトル紗幕』のひとつがフッと消えて、体格の良い男性の姿が現れた。男性が大げさなアクションで指をパチンと鳴らすと、そこに設えられていたデスクとチェアが、床にすーっと沈みはじめて収納されていく。よほど仕事がはかどったらしく、鼻歌まじりに収納されていく様子をみていたが、ふいにこちらのほうを振り向いた。

 アスカにはその男性がパニックになる様子が手に取るようにわかった。

 高層ビルに貼り付いて自分を睨みつけている、異形のバケモノに遭遇したのだ。

 彼は顔をこわばらせ、悲鳴をあげ、震える足で駆け出し、つまづき、壁に設置された警報器を殴るようにして押し、そのまま壁際にへたりこみ、そして壁の陰に身を寄せて必死に隠れようとした。

 室内に鳴り響いた警報音に驚いて、各所に点在していた『スペクトル紗幕』が消失し、個室から何人もの人々が姿をみせはじめた。全部で20人ほどはいるだろうか。混血が当たり前になったとはいえ、日本人の勤勉な血は確実に受け継がれているらしい。

 命よりも大事な仕事を抱えている人のなんと多いことか。

 

 アスカにはまったく理解できなかった。

 最前線で戦う自分たちですら『死なないのが仕事』なのだから。

 

 その時、悲鳴ともとれる叫び声がコックピット内に響いた。

「アスカ、そこを離れろ!!」

 アスカは反射的にフロアの反対側の窓に目をやった。ガラスのむこうからなにか黒いものが近づいてくる。

 と、思うまもなく、亜獣が放った無数の針が窓ガラスを突き破って、フロアを横断して飛んできた。アスカはあわててセラ・ヴィーナスの両手を交差させて顔をかばった。

 経験したこともないほどの激痛がからだ中に走る。

 

 アスカは生まれてはじめて、悲鳴をあげた。

 



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第34話 問題ないわ。踏みつけたの、死んでる人だから

 レイはアスカが突然襲撃を受けた瞬間に、うつぶせの態勢からはじかれたように立ち上がり、ダッシュで駆け出していた。目の前にあった、道路に釘付けにされた人々の何人かを勢いで踏みつぶす。一瞬、その気持ちの悪さに思わずレイは顔をしかめた。

『気色が悪い』

 ちらりと右側の壁に設置されているデッドマン・カウンターに目をやった。ありがたいことに、カウンターは微動だにしていない。司令室からミライの声が聞こえる。

「レイ、大丈夫?、ヴァイタルが跳ねあがったけど…」

 

「問題ないわ。踏みつけたの、死んでる人だから」

 

 そっけない口調でそう返答すると、レイは走るスピードを緩めることなく、セラ・サターンの腰のうしろにあるナギナタを引き抜いた。

『今、アスカがやられたら、計画が台無し』

 レイは青い粒状の光が指先を通じて、ナギナタの先端の刃に集まりはじめているのを確認しながら、さらにスピードをあげた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

「アスカ、大丈夫?」

 司令室から聞こえてきた春日リンの声に、声をつまらせ気味にアスカは答えた。

「大丈夫じゃないけど、大丈夫よ、メイ」

「たった、0・25秒だけ痛かっただけ」

 痛みがシャットアウトされると、嘘のように冷静になれた。まずはヴィーナスの被害状況を確認しなければならない。が、コックピット内にパタパタと響く音に気づいて、アスカはハッとした。

 デッドマン・カウンターが数字を刻んでいた。

『37』

 今の攻撃で40人近くの人が命を落とした?。

 その事実を今はじめて認識して、アスカは顔から血の気が引いていくのを感じた。ヴィーナスの足元を映したモニタを見る。砕け散ったガラスや、削りとられた建物の破片に混じって赤い血溜まりが確認できた。アスカはヴィーナスのからだをチェックした。頭をかばった両腕に10本ほど、プロテクタに覆われていない腋や胸にも何本か針が刺さっていた。それを引き抜こうとして、自分の手のひらも何本かの針で射ぬかれてるのに気づいた。

 見ると、右の手のひらに男性が突き刺さっていた。

 あの時の男性だった。

 すでに腹と太ももを貫かれていて絶命しているようだった。

 アスカはごくりと唾を飲むと、目をつぶって、その男性を串刺しにした針を一気に引き抜いた。針が抜けると男性のからだは、十数メートル下の地面にボトリと落ちた。

 カチッ、と音がした。

 デッドマン・カウンターが『38』をきざむ。

 アスカはぎゅっと目をつぶった。

 気にするな、アスカ。どうせ死んでいた。

 自分に言い聞かせるように呟くと、顔をあげ大きな声をあげた。

「エド!、この針、毒とかないでしょうね」

「いや…、わからない」

「ん、もーー、それ聞き飽きた」

「ヴィーナスが毒で死んだらどうするのよ」

 大声でまくし立てれば自分の罪が消え去るわけではない。わかっているが、こうやって会話をつなげば、少なくともそのあいだは独りで背負い込まずにすむ。アスカはさらに、春日リン博士にも難癖をつけてやろうと声をあらげた。

「メイ!」

 その時、ブライトの大声が聞こえた。

「アスカ、うしろだ!!」

 一瞬にして、メインモニタが背面カメラの映像に切り替わった。そこには、こちらに突進してくる亜獣の姿が映し出されていた。

 アスカは目を見開いた。

 いったい、いつの間に移動をしてきた?。こちらはまったくの無防備だ。

 アスカは無理を承知でからだを反転させようとしたが、到底間に合わないスピードだった。

 やられる。

 そう覚悟した瞬間、交差点の陰から突き出してきたナギナタの刃が、亜獣のからだに突き刺さった。レイの乗るセラ・サターンが、猛スピードでダイブして、その勢いのまま亜獣の横っ腹に刃を突き立てたのだ。亜獣が衝撃に飛ばされ、アスカの横にある高層ビルの低層階に突っ込んだ。ガラスを砕き、柱をなぎ倒し、亜獣のからだがビルにめり込む。

「レイ!!」

 思わず、アスカが叫んだ。窮地を救われたという事実は癪だったが、とにかく命拾いしたことには感謝しなければならない。しかし、レイはそんなことは当然とばかりに、その隙も与えず次の指示を飛ばしていた。

 

「リョウマ、そこから撃って!」

 



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第35話 そのためにわたしたち、月から呼ばれたんでしょ

 リョウマはレイに指示を受けて、すぐにスコープから亜獣を狙ってみた。まずいことに地面に仰向けに転んでいる亜獣は、ビルの陰に隠れてほとんど見えなかった。

「だめだ、こちらの軸線上ににない」

 一刻も争う事態だとわかっていたが、予想外の場所にターゲットが転がってしまっては、打つ手がなかった。こちらがすぐに移動しなければ、亜獣を撃ち抜くことは困難だった。

「アスカ、レイ、なんとかもっと広いところへ亜獣を移動させてくれ」

「兄さん、ボカぁ。できるわけないでしょ」

「リョウマ、無茶言わないで」

 予想していたとおり、ふたりから一斉に非難の声が浴びせられた。

「リョウマ、場所は変えてくれ」

 ブライト司令の映像が目の前に現れ、リョウマに指示をとばしてきた。平静を装っている口調だったが、早くなんとかしろ、という圧力が言外にこもっているのは間違いなかった。リョウマは地図データに光点が点滅しているのを確認した。ここから数百メートル離れた場所にライフルを設置するのに適したビルがあることを示していた。

「レイ、アスカ、少し時間を稼げるか」

「ちょっとぉ、それ、マジで言ってる?」

 アスカが当然のように不平の声をあげた。が、レイは冷静に状況の把握に努めていた。

「エドさん、亜獣が消失するまでどれくらいある」

「あと5分20秒ほどしか時間がない」

「了解。わたしが殺る」

 レイが迷わず決意をしたのを聞いて、アスカもあわててそれに追随した。

「殺るって……、できるのか?」

「そのためにわたしたち、月から呼ばれたんでしょ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 亜獣は仰向けになったままで、起き上がれずにいた。甲虫に似た形状の亜獣は、驚いたことにその弱点も甲虫にそっくりだった。一度腹を上にしてひっくり返ると容易に元に戻れない。

 レイは躊躇無く、亜獣の目に薙刀(なぎなた)の刃を突き刺した。

 身体中に目がびっしりと埋め尽くされていて、どれが本当の目なのかわからなかったが、すべての生物は目が弱点であるのだから間違いない。 

 要は全部突けばいいだけだ。

 レイの行動の意図を瞬時に悟ったアスカも、追随するように槍を亜獣の目に突き立てた。

青い血しぶきがあたりのビルに飛び散った。すぐに槍をひきぬくと、さらにその横の目に槍を突き立てた。亜獣がひくい鳴き声らしきものをあげながら、足元でのたうち回る。

 ふたりは亜獣にたちあがる隙を与えない間隔で、矢継ぎ早に亜獣の目に刃をつきたてまくっていた。リョウマが銃をセットする数分を確保するためとはいえ、ある意味地味な攻撃ではあった。

「んもう、どんだけ目があるのよ」

 アスカのぼやきが早くも聞こえてくる。

「たぶん、千にすこし欠けるくらい。2秒で一個潰したとして、1000秒かかる」

「ちょっとぉ、あんた『ボカ』ぁ、それじゃあ、亜獣に逃げられちゃうじゃない」

「その前にリョウマがかならず間に合わせてくれる」

 モニタのむこうのアスカが驚いたような顔をした。

「へl、あんたって、兄貴のこと信じてくれてるんだ」

「えぇ。当然」

「あ、そう……。ありがとう……」

 アスカの唐突な感謝のことばに、レイはとまどった。

「なにが?」

「な、なんでもないわよ」

 アスカが今度は先ほどのことばを否定してきた。レイにはどうにも理解ができない。

 レイは流れでる青い血液や緑の体液で隠れてしまい、亜獣の目を視認するのがむずかしくなってきた、と感じていた。

「レイ、顔にはもう潰す目ないわよ」

 アスカも同意見のようだった。レイは司令室のモニタのほうへ目をやった。

「エド、どうすればいい?」

「参ったな。それだけ損傷させても、死なないのか」

「足や胴体にある目も潰したほうがいい?」

「いや、あぁ、そうだな」

 レイは嘆息した。

 まだまだこの単純作業が続きそうだったが、さすがに飽き飽きとしていた。

 



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第36話 兄さん、逃げて!!

 リョウマはふたりが亜獣にむけて、槍と薙刀(なぎなた)の刃を打ち下ろしている姿を見ながら、ライフルをセットしていた。ここなら倒れている亜獣の姿がしっかりと捉えられた。たとえ起ち上がられたとしても死角は少ない。

 突然、かん高い音がして警告音が鳴った。亜獣があちらの世界に戻るまで、あと一分しかないことを警告していた。

 つまりは一発で仕留めるしかない、ということを意味だ。

「エドさん、この亜獣の弱点は?。どこを狙えばいい?」

「リョウマ君、ヤツの頭蓋骨を粉砕してくれ」

「レイとアスカの武器では、あの頭を砕くのは難しそうだ」

「了解」

 リョウマはすぐさま、亜獣の頭にロックオンしようと照準を定めようとして、軸線をレイとアスカの機体がふさいでいることに気づいた。

「レイ、アスカ、正面を開けてくれ」

 レイのセラ・サターンがすぐに持っている薙刀の刃を、力の限り亜獣のからだに突き立てると身体を横にずらした。

 亜獣の頭部が見えた。が、その頭は青い血や緑の体液にまみれて、どこがどうなっているのかわからない。

『これでまだ死んでないのか』

 リョウマはすぐに頭部らしき部位にむけて照準を合わせた。

「ロックオン」

 

 ------------------------------------------------------------

 リョウマの声が聞こえたと同時に、亜獣の腹を覆っている、針の経帷子が一斉に起ちあがっていた。人間なら一瞬にして鳥肌がたった、と表現すべきなのか。

 アスカは瞬時に理解した。

「兄さん、逃げて!!」

 アッという間に亜獣の腹から、おびただしい数の針の矢が放たれていた。百や千という数ではない、文字通り針の雨が上空を覆い尽くす。その先には兄が、リョウマがいる。しかも射撃準備にはいっている態勢。逃げ遅れるのは必至だ。あの気絶するような痛み。

 それが一瞬の力のゆるみになったのかもしれない。アスカは手元の槍が浮きあがるのを感じてハッとした。

 亜獣が起ち上がっていた。

 自分と同じように虚をつかれたレイの機体、サターンは勢いにあおられて、すでに後方のビルに尻餅をついていた。ナギナタの刃はまだ亜獣の首に突き刺さっていたが、亜獣がぶるんと首をふると、ぽろりと抜け、道路にガシャーンと音をたてて落ちた。

 どうやって?。

 放たれた針の矢の一部が、亜獣の一番近くにあるビルの壁に突き刺さっていて、そこからクモの糸のような細い筋がつながっていた。

『矢をアンカーにした?』

 この亜獣は大量の針の矢でこちらの注意をひいて、別の針を壁に打ち込みアンカーにして、自分の体勢を立て直したのだ。裏返ってしまったら自力で起きあがれないという致命的欠点をもつ生物が、助かる術を持っていない、と考えていたこと自体がまちがいだった。

 人間のおごりだ。

 その時、銃弾が亜獣の何本かある脚の一本を吹き飛ばした。先ほどまでの組み敷かれた状態なら、まちがいなく亜獣の頭蓋を吹き飛ばしていたであろう位置だ。兄の一撃はまったくの狂いもなく狙ったところに着弾していた。

 だが、ほんのコンマ一秒ほどの時間差で雌雄は決した。

 亜獣がアスカのほうへ体当たりしてきた。亜獣に刺さっている槍を両手でつかんだまま、セラ・ヴィーナスは軽々とうしろへ飛ばされた。10メートルほど後方の低層ビルを数棟なぎ倒し、そのなかの一棟にしたたか身体を打ちつけた。

 また0・25秒の洗礼がアスカの背中に走ったが、今度は歯を食いしばり、声を押し殺した。アスカはすぐにからだを起こして、次の攻撃にそなえた。

 

 亜獣は目の前から消えていた。

 



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第37話 そこに『父』がいた。落胆を隠せない表情でこちらを見ていた。

 トリガーに指をかけたとき、にわかに空が暗くなったことはわかっていたが、構わず銃を撃った。しかし、その正体が針の雨だとわかった時にはすでに遅かった。無防備状態の背中を無数の矢に突き刺され、リョウマは背骨が折れそうになるほど、弓なりにそっくり返った。軽量をはかるためこの機体には背面のプロテクトは最小限に留められていただけに、その激痛は想像以上のものだった。

 すぐに痛みがひいても吹き出した汗と痛みによるショックで目がかすんだ。

『当たったのか』

 リョウマは最後の攻撃をうけたとはいえ、まちがいなく弾丸は亜獣の頭を粉砕したはずだと確信していた。

「レイ、アスカ、どうなってる?」

 視界がひらけたリョウマの目に、真正面にいる亜獣の姿が映っていた。

 ことばが出なかった。

 亜獣は羽をひろげて飛んでいた。 

 虫型なのだから飛ぶのは当たり前だ、ということを考えてはいた。だが、実際に羽ばたいているのを目の当たりにすると、驚きよりも、恐怖が先にたつ。

「うわぁぁぁぁ」

 おもわずあとずさりし、うしろのビルに尻餅をついた。駐車場になっていた一階部分が潰れて、その上の階はセラ・プルートの尻の大きさ分が崩れ落ちた。

 レイとアスカによる執拗な攻撃で、まるで安物映画のモンスターのようにぐちゃぐちゃになった顔をこちらにむける。おそらくどれかまだ機能している目で、こちらを睨みつけているのだろうが、損傷がひどすぎて、リョウマにはそれがどれかがわからない。それがさらに恐怖をかきたてた。

 しかし、亜獣との至近距離でのにらみ合いは、ほんの一瞬で終わった。みるみるうちに亜獣のからだが透明になりはじめたのだ。

 リョウマは正面頭上にあるカウンターを見た。

 残り3秒。『移行領域』のむこうに戻るまでわずかの時間しかなかった。

『し、しまった』

 セラ・プルートが、亜獣を逃がすまいと、あわてて手を伸ばす。

 あちらに帰してたまるか…。

 が、カウンターの数字が『0』になり、セラ・プルートの手が空を切った。

 その瞬間だった。

 リョウマはボワーンという奇妙な音とともに空気を震わせる衝撃を感じた。それはまちがいなくコックピット内にも届く不思議な振動だった。

「くそう!!」

 思わず、操縦桿を拳でたたいた。

「リョウマ、大丈夫か?」

 ブライトの顔が目の前もメインモニタに投影された。

 心配そうな顔をしている。

 だが、この顔は今回の失態を咎め立てしたいのを押し殺している表情にちがいない。

 リョウマはそう感じた。

「初陣にしてはみんなよくやった」

 アルが横からわってはいってきた。

『みんな?』

 そう、レイやアスカはよくやった。上出来だ。だがボクはどうだ。『みんな』の中にボクは含まれていない。父さんはいつもそういう物言いをしていた。言外に皮肉がこめられているねぎらいという形の責め苦だ。

「リョウマ君、セラ・プルートの被害状況はどうなってるかわかる?」

 春日リンが事務的な口調で様子を訊いてきた。リョウマはそこに、感情を押し殺している心根を感じとった。本当は『あなたはどうなっても構わないけど、デミリアンを破損したら承知しない』、そういう意味合いがこめられている口調だ。

 リョウマには、彼らの底意地が手に取るようにわかる。父さんはいつもそういう含みをもったしゃべり方をしていた。その意味をしっかりと読み取らないと、今度はそんなことも理解できていないのかという目をむけられた。

「まぁ、なによりみんな無事でよかった」

 ブライトが三人の健闘を総括するようにしてねぎらった。

 いや、違う、そういう意味じゃない。君には失望したよ、無事だったことが評価できるだけだよ。リョウマにはそう聞こえた 

 リョウマは口惜しさに思わず歯がみした。また父さんと同じように周りの人々を落胆させてしまった。ぼくはどうすればいい。

 ふと、モニタ画面をみると、避難していた人々がビルのなかから、ばらばらと外へと出てくるのが見えた。

 リョウマはハッとした。

 

 そこに『父』がいた。

 落胆を隠せない表情でこちらを見ていた。

 



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第38話 父は根絶やしにしなければならない。そういう類いの生き物だ

「大丈夫?」

 レイのセラ・サターンがすっと手を差しだすと、ためらいがちにアスカのセラ・ヴィーナスが手をのばした。ビルの合間にはまりこんで、自力で立ち上がるのに苦労しているくせにアスカは、助けられてやっているんだ、というような態度をとっていた。

 レイに引き揚げられて起ちあがったアスカは、すぐさま兄の元へ向おうとした。

「あわてなくていいわ。お兄さんは無事よ」

 自分の行動を見透かされた気がして、アスカは反射的にレイのことばを否定した。

「な、なにも兄さんを心配していたわけじゃないわよ」

「亜獣はもういない。逃げられた」

 アスカは大きく嘆息して言った。

「初戦は引き分けってことかぁ」

「たぶん、あともうすこしだった。でも私たちに油断があったのは確か」

「あ、あたしは油断なんかしてなかったからね」

 アスカが声を張りあげて否定したが、ブライトからのねぎらいの声がそれを打ち消した。

「レイ、アスカ、ご苦労だった。早く帰投を」

 リンからはすこし皮肉めいた口調のことばが投げかけられた。

「両機の損傷具合が気になるわ。とくにアスカのほう」

「ちょっとぉ、メイ。なんであたし?」

「毒がまわっているかもしれないでしょ」

「んもう」

 アスカは自分のはいた言質(げんち)でリンにやりこめられて、気分を害したようだったが、すぐに思い直したのか、兄の様子を訊いた。

「メイ、兄さんは?」

「あら、聞いてなかった?。大丈夫よ」

「兄弟仲良く、たっぷり針に刺されたようだけど」

 アスカとリンのやりとりを聞きながら、レイは自分だけ痛い思いをしなくて済んだことに安堵していた。

 と、突然、リョウマのいる方角でなにか異変が起きていることに気づいて、ハッとした。ビルの合間から粉塵とともになにかが舞いあがっているのが見えた。

 舞いあがっているのは……、人間だった。

 

「まるで人がゴミのよう……。どうして?」

 

 レイは自分の目を疑った。低層ビル群の屋上よりも高い10メートル以上もの上空に、人間が舞いあがる理由がわからない。

 レイは指を中空で動かして、その場所の映像に切り替えた。目の前に上空からの映像が飛び込んできた。

 その映像の中心にいるのはリョウマだった。リョウマのセラ・プルートが逃げまどう人々を踏みつけている姿がそこにあった。

 

------------------------------------------------------------

 

 リョウマの目に父の姿が映っていた。紛れもなくそれは父だった。

 あの日、自分と妹にゴミでも見るような視線で、自分たちに出ていくように言った父は、いまも息子への落胆と侮蔑が入り交じった目でこちらを見つめていた。

『父さん!』

 リョウマの心の声がまるで届いたように、自分の足元にいた父が一斉にふりむいた。大きな父、小さな父、太めの父、華奢な父…、そして、女の格好をした父。みんなこちらに、あの目をむけていた。

 突然、父たちが蜘蛛の子を散らすように、逃げまどいはじめた。どの父もこの場所から一刻もはやく逃れようと急いでいた。リョウマは父親に突き放された時に感じた、胸の痛みを思いだした。

 あんな思いは二度とごめんだ。

 セラ・ブルートは持っていた銃をひっくり返し、長い銃身のほうを両手に持ちかえると、台尻を下にむけて地面すれすれをなぎ払った。

 たった一撃で父たちはおもしろいように空中に舞い、はじけ飛んでいった。何人かの父たちは近くのビルの壁に激突し、びちゃびちゃと赤い花を咲かせる。

 コックピット内でデッドマン・カウンターが、猛烈な勢いで数字を重ねていく音が聞こえる。リョウマにはそれが天使の歌う賛美歌のようで、気持ちがよかった。

 リョウマは鼻歌をうたいながら、地面に残っている父をどすどすと踏みつけていった。

虫を足で踏みつぶして遊んでいた時の、子供の頃の気分に次第に戻っていく。その時とちがうのは、足の裏に伝わってくるぶにょっとした感触だけだった。はだしで果実を踏みつけているような感覚。力をこめるたび、なにかが足の裏ではじけて、中身が吹き出しているのがわかる、なんとも言えない気持ちよさ。

 この感触は甘美なる福音だった。

 リョウマは廃虚ビルの屋上の陰に隠れている父を発見した。何人も寄り添い、息を殺しながらも震えている父たち。

 父は根絶やしにしなければならない。

 

 そういう(たぐ)いの生き物だ。

 



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第39話 デッドマン・カウンターの数字が止まらなかった

 デッドマン・カウンターの数字が止まらなかった。

 

 司令室の中央付近の中空にうかびあがるように表示されている数字を、ブライトはぼう然とした面持ちで見つめていた。すでに『2000』を超えているのにさらに勢いをまして数字が積み上がっていく。

「な、なにがどうなってる?」

 あまりにもわけがわからない状態に苛立って思わず声を荒げた。

 今までにヤマトが出撃したときも『とめてくれ』と叫ばずにいられない恐怖のカウントアップがあったが、亜獣があちら側に消えたあとにもかかわらず、数字が上がり続けることは経験にない。

 セラ・プルートのコックピットのアップが正面に投影される。操縦をしているリョウマの目はうつろで、口角に唾がたまっていた。口から泡をふいているようさえ見える、その口元は小刻みに動いていてなにかをずっと呟いていることがわかるが、聞き取れない。

「レイ、アスカ、急いでリョウマを止めろ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

「まずい!」

 ヤマトはリョウマの錯乱した行動を見るなり、ソファからはねるように身体を起こした。

「どうされました?」

 十三が声をかけてきたが、それを一顧だにせず、ヤマトはこめかみに指をあて、司令室を呼びだした。

「急げ。急がないと大変なことになる!」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 レイのサターンとアスカのヴィーナスは、ビルをまるでハードルのように跳び越えながら、リョウマの乗るプルートにほぼ同時に飛びかかった。ふいをつかれたうえ、二体の巨体にのしかかられて、プルートは低層のビルを何棟か潰して倒れた。アスカがその勢いのままプルートに馬乗りになるなり、コックピットを殴りつけるようにノックした。

「バカ兄貴ぃぃ、なにやってンのよぉぉぉ」

 プルートがアスカから逃れようとあがき始めた。上からふり落とされそうになりアスカが叫ぶ。

「レイ、ボサッとみてないで、あんたも手伝いなさいよ!」 

「もう、押さえてる!。足!」

「じゃあ、もっと強く!」

 ふたたび、アスカはコックピットを殴りつけた。

 

「兄さん、出てきなさいよ!。早く!!。でてこないと……」

 

 勢いでそこまで叫んでから、アスカはことばをうしなった。

 でてこないと……、でてこないと、どうする?。

 どうすればいい。

 

 今のアスカという女は、そのとき、どんな役を演じなくてはならないのか……。



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第40話 リョウマを覚醒させちゃあダメだぁぁ

「リョウマを覚まさせちゃダメだ!」

 司令室内の大きく流れてきたヤマトの声と映像は、ほかの回線と一緒になり、リンの頭のなかで『キーン』と、ハウリングをひきおこした。

「ちょっとぉ、タケル君」

 ブライトが苛立ちを隠そうともせず、ヤマトにそれをぶつけた。

「どういうことだ、ヤマト。今は戦闘中だ」

「ブライトさん、ふたりを止めさせて。今、リョウマが我に返ったら大変なことになる」

「ヤマト、おまえ、なにを言っている?」

 ブライトに問い詰められたヤマトが、その先を言うのを躊躇している。リンにはそれが画面ごしでもわかった。

 なにか重要なことを隠そうとしている?。隠したまま、ブライトに行動を起こさせようと……。

 そんな都合のいい話はない。

「タケルくん、それはセラ・ネプチューン事件と関係ある?」

 カメラのむこうのヤマトが、リンのほうをギロリと睨みつけた。

 ビンゴだ。リンの心が逸った。

「今からそちらに行きます。だからリョウマを今は覚醒させないでください」

「バカ言うな。あいつを抑えなければ何人死ぬと思っている?」

 ブライトが叱りつけた。

 画面のむこうのヤマトは外に走り出ていたが、そのまま走りながら即答してきた。

「あれくらいの人数なら殺させておけばいいんです」

「きさまぁ、人の命をなんだと……」

 ブライトが怒りに顔を真っ赤にして息巻いたが、一瞬、デッドマン・カウンターのほうへちらりと目配せしたのをリンは見逃さなかった。どんなに感情を揺さぶられても、どこか冷静な自分を保とうとする習性はいまだに健在らしい。

 そうだった。あの男は昔からそう。

 愛し合っている最中でも、常に次はどうしようかと、頭の隅で考えているのが見え隠れしていた。

 流れにゆだね、快楽に溺れる、というのが、彼にはできない。

 別れて正解だ。

 

「リョウマには心の闇が、トラウマが、あるんです」

 ブライトの激高している様を無視して、ヤマトが冷静に説明をしながら廊下を走っているのが見えた。

「トラウマがなによ」

 アスカが割って入った。

「アスカ、君の兄さんは君と違って、心が弱い。だから、我に返ったとき、自分がたくさん人を殺したって知ったら、精神が耐えられないかもしれないんだ」

「だったら、なに?」

 映像のむこうで、ヤマトが言いよどんだのがわかった。

 まだなにか核心部分を言えない様子だった。

 なぜ言えない?。まさか……。

 リンはゾッとする仮説にいきあたった。

「『四解文書(しかいもんじょ)』に、そう書いてあるの?」

 リンのブラフに反応したのは、ヤマトではなく、ブライトのほうだった。いや、エドとアルまでもがぎくりとして、こちらに目をむけた。

 だが、肝心のヤマトのほうは、廊下で足をとめただけで動揺している様子はまったく感じられなかった。

 残念ながらストライクではなかったようだ。

 だが、ヤマトはその挑発に促されるように、言葉を続けた。

 リンは心躍った。ビンボールで尻餅をつかせることくらいには成功したらしい。

「残念。違うよ、リンさん……」

「リンさんは知っているはずだ。こいつと同じタイプの亜獣に昔、デミリアン一機が奪われたことを…」

 専門分野に言及されたと思ったエドが、空気もよまずにヤマトに進言した。

「いや、ヤマト君、それは先ほどデータベースを検索して確認済だ。でもデータベースに生体パスワードがかかってて……」

 が、エドの言い訳を遮って、リンはヤマトのことばの違和感を突いた。

「奪われた?。それどういう意味?」

 映像のむこうのヤマトはすぐには答えようとはしなかった。

 ゆっくりと歩きながら、なにかを考えているようだった。どこまで話していいのか考えているのだろうか。

 司令室の面々はヤマトが考え込んでいる様子を見ながら、一言も発することができずにいた。しばらく歩いたところでヤマトが口を開いた。

「ぼくたちパイロットは、デミリアンと血を交換し、その血を介して彼らを操っています’

「その血に分泌されるドーパミンやアドレナリンの量や質を通じて、ぼくらの思考や行動が伝達されるのはわかっていますよね」

「もちろんよ」

「でも、もしパイロットの精神が乱れて自分をコントロールできなくなったとしたら…」

 リンはごくりと唾を飲み込んだ。

「その血は逆流して、デミリアン側から人間のほうへ流れ込むんです」

「そんな初歩的なこと……。そうなったらパイロットは死ぬって……」

 

「嘘なんです」 

 

 ヤマトが大きな声で否定した。それはもしかしたら機器を通した強い思念だったかもしれないが、どちらでも変わりはしなかった。

 そのことばは、リンにこれまでにないほど大きなショックをもたらしていた。

 嘘……。それはどういうこと……。

 セラ・ネプチューンのパイロットは、死んだ……と文献に……。

 頭のなかで混乱だけが増幅していく。 

 デミリアンの専門家として任にあたり、地球上で一番詳しいと自負していながら、自分が知らないことがある……。いや「嘘」を信じさせられていた。

 ぼう然とするあまり、うまく言葉も思考も操れない。

「999(スリー・ナイン)だけに知らされている事実です。だからそのデータベースはボクがさきほど封印させてもらいました」

「な、なに……。ど、どういう……」

 今度は隣にいたエドがことばをうしなった。

 ふたりの専門家が口をつぐんだことで、司令室のクルーたちだけでなく、アスカとレイも迂闊にことばを発することができずにいた。

 

 リンは自分自身が許せない思いだった。研究者として、専門家として。

 これはわたしの専門分野。研究のなかで、その可能性に行き当たらなかったわけではない。だが、唯一の実例がその可能性を否定していた。だからわたしはその『嘘』を鵜呑みしていたのだ。

 リンは震える声でことばを絞り出した。

「もし……デミリアンの血が人間に流れ込んだら……操られるのは人間のほう……なの?」

 リンの導き出した結論を聞いても、ヤマトは顔色ひとつ変えず淡々と話を続けた。

「68年前、セラ・ネプチューンの搭乗パイロットは、3番目の亜獣、モスピダンの幻影に正気をうしなって暴走しました。そして……」 

 司令室の自動ドアがすっと開いて、ヤマトタケルが姿を現した。

 

「セラ・ネプチューンは4番目の亜獣になったんです」

 



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第41話 人がこれだけ殺されているのに、なにもするなだと!

「おまえからの黙示はどうだっていい」

 目の前に到着したヤマトを、ブライトはどなりつけて、頭ごなしに否定した。

 その怒りの感情に、それまで緊張に包まれた司令部の雰囲気が一気に払拭される。

 だがブライトの言い分はもっともだ。

 アスカは装着している外付のインターフェイスで、ブライトの感情を感じながらそう思った。ニューロン・ストリーマでブライトと思考を共有している人々にとっては、相当な負荷がかかっているだろう、と容易に感じとれるほどの激しい感情だ。

「人がこれだけ殺されているのに、なにもするなだと!」

 確かに。

 今、錯乱している兄をとめるためには、正気に戻さなければならない。

 ましてや、デミリアンに意識を乗っ取られる事態が想定されているなら、なおさら急がねばならない。今はレイとふたりがかりで押さえつけているが、いつまでもこうしているわけにもいかないのだから。

「ブライト、どうすればいいのよ」

 焦りが募るあまり、上司を呼び捨てにしていたのに気づいたが、そんな非礼に構っている余裕などアスカにはなかった。

「遠隔操作で、操作系統をシャットダウンする」

「バカな」

 ヤマトの声が聞こえた。

「こちらからデミリアンのコントロールを放棄したら、大変なことになる」

「いまでも充分大変なことになっている。今人々を殺しているのは、亜獣じゃない、リョウマだ」

 ブライトのことばがアスカの心に突き刺さった。アスカはぎゅっと目をつぶった。

『兄さんが人殺し……』

 いや、兄さんのせいじゃない、あの亜獣のせいで狂わされたのだ。だが、あのデミリアン、セラ・プルートが殺戮を行っているのは事実だ。そして、それを操縦しているのは兄。

 目の前でみていたからわかっていたはずだ。

 モニタを通じて相変わらずブライトとヤマトの揉めている声が聞こえてくる。

「ならば、どうすればいい?」

「ボクをセラ・マーズで出撃させてください」

「なにができる!」

「パイロットを、リョウマを処分します!」

 アスカはザワッと髪の毛が逆立った気がした。

 聞き間違い?。この男はなにを言っている?。正気なの?。

 体中の血が粟立つ。

 あんた、ボカぁ、どころの話ではない。気が違っているとしか思えない。

 ブライトさん、否定して。そんな狂人のいうことなんか聞かないで。

「バカを言うな、ヤマト!」

 ブライトがヤマトを一喝する声が、アスカの思いを加勢した。

「たったひとり処分するだけで、多くの人々が救われるのは、あなたが望む結果に一番近い!」

 ヤマトが食い下がる声が響いた。

 どうして。あれは、あたしの兄の生死を決める言い争い……。

 肉親であるあたしが、除け者にされてていい話ではない。

「冗談じゃない。わたしが兄さんを引きずり出す!」

 荒々しい叫びとともに、アスカがはセラ・プルートを抑えつけていた力を緩めると、コックピットのハッチを開けようと右手を伸ばした。セラ・ヴィーナスの指がプルートのハッチのハンドルにわずかにひっかかった。だが、人間が開閉するように設計された開閉用のコックは、デミリアンには小さすぎてひねることができない。

 レイが叫ぶ。

「アスカ、落ち着いて。わたしひとりじゃ抑えきれない」

「レイ、もうすこしなの。なんとか頼むわ」

 だが、レイが言うように、セラ・プルートはからだをよじらせ、二人から逃れようと暴れはじめた。

「兄さん、暴れないで」

 片方の手でセラ・プルートを押さえ、もう一方の手でハッチを開くのは、やはり無理があるのか。だが、どうにかしてハッチを開いて、兄を引きずり出さねば……。

 セラ・ヴィーナスの爪が。セラ・プルートのハッチのドアコックにひっかかった。

「よし!」

 アスカが確かな手応えを感じた瞬間、セラ・ヴィーナスのからだは、セラ・プルートの強烈な張り手で吹き飛ばされていた。

 ヴィーナスのからだが近くにある中層のビルに叩きつけられる。

 脳にまで響く痛みがからだを貫いたが、アスカは痛みをかみ殺してすぐに立ちあがろうとした。が、そこにプルートが渾身の力をこめて、銃の台尻でヴィーナスに殴りかかってきた。あたまを打ち据えられ、気が遠のくほどの痛みにアスカの目に涙がにじんだ。

 

 アスカはそれが、痛みのせいなのか、悔しさなのか、悲しさなのか、もはや自分でもわからなかった。

 



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第42話 おまえの語る正義なんぞ、現実世界ではサード・プライオリティくらいの価値しかない

 セラ・プルートが二体がかりでの抑圧から解放されたのを確認するやいなや、ブライトは大声でミライに指示をとばした。

「ミライ、遠隔操作で操作系統をシャットダウンする。用意を」

 ミライは素直に「はい」と返事を返してきたが、その声色は混乱の色が隠せなかった。ヤマトがブライトの腕をつかみ、そうさせまいとしてきた。

「ブライトさん、ダメだ。先にパイロットのほうを始末しないと、危険すぎる」

「まだ言うか。ヤマト」

「わたしは機体もパイロットもうしなうわけにはいかんのだ」

「そんな中途半端な決断では、両方ともロストする」

 ヤマトがぎゅっと拳を握りしめたのが、目の端にはいった。

「ほう、また上官を殴るつもりか、ヤマト!」

 その言葉に司令室にいる人間が一斉にヤマトのほうへ目をむけた。その事実を知らないアルやエド、ミライたちはみな驚いた表情をしている。事情を知っているはずのリンは冷ややかな目でヤマトを見つめていた。

「自分の正義がいつもまかり通ると思うな」

 

「『正義』なんぞ、現実世界ではサード・プライオリティくらいの価値しかない」

 

 そう一喝するなり、ブライトは指示を続けた。

「ミライ、認証画面を」

 ミライがコンソールのスイッチを押すと、ブライトの目の前と、それより一メートルほど離れた場所の空間に、手のひらマークが浮き上がった。ブライトは目の前のマークに自分のてのひらを合わせて言った。

「リン、頼む」

 春日リンは一瞬、逡巡するような目線をあたりに走らせたが、すぐにその場所に歩み寄り、手のひらマークに手をかざした。

 手のひらマークの上の空間に『認証』のサインが点滅した。

「ミライ、シャットダウンだ」

 ミライは命じられるままに、コンソールのスイッチを押下した。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 アスカがもう一撃をくらうと覚悟し、頭を両手でガードした瞬間、ふりあげたプルートの手からライフルがすっぽ抜けて、頭上を超えていった。プルートの腕がそのままぶらりと下に垂れさがっていくのが見えた。アスカにはすぐにプルートの操作回路がシャットダウンされたことがわかった。プルートは全身を脱力させて、立ち尽くしているだけの存在になった。

 アスカは即座にプルートに駆け寄ると、コックピットを鷲掴みにした。

「バカ兄貴、今引きずりだしてやるンだから」

 だが、デザイン性を帯びたコックピットは、凹凸があるにもかかわらず、うまく指をひっかけることができなかった。

「もう、指、かかんんないじゃない、このクソコックピット!」

 焦るあまり悪態をついているアスカの眼前にレイの映像が現れた。

「アスカ、わたしがやる」

「うるさい!。あたしの兄なの、あたしが助ける権利があるの!!」

「でも……」

 アスカはレイの無遠慮な親切心にいらだった。

「アスカ、槍を使ってこじあけろ!」

 ブライトからの指示だった。

 アスカは腰から槍の柄を引き抜くと、短い長さのままの状態で、槍の先をハッチのすきまにたたき込んだ。ガツンと手応えのある音がして、ハッチの隙間に刃先がねじ込まれたのがわかった。アスカの心が急いた。いつのまにか頬に笑みが浮かんでいる。あとすこし、あと少しだ。

 ハッチをこじあけたら、兄を引きずり出して、頬を何発もひっぱたいてやるんだから。

 ひっぱたいて、ひっぱたいて、ひっぱたいて……、抱きしめてやらなきゃいけない……。 

 

  ------------------------------------------------------------

 

 すこし、ほんの少しだけ、まどろんでいたようだ。

 搭乗中、しかも戦闘の最中に夢境をさまよっていたことに、リョウマは自分でも信じられない思いだった。アスカに知られたら、眉根を思いっきり寄せた険しい顔をして、罵倒してくるに違いない。レイだったら声すらかけてもらえないほど呆れられるだろう。ブライト司令はたぶん叱責だけでは済まないかもしれない。あの人は規律を重んじる人だ、相応の処罰は覚悟しておくべきだろう。

 だが、初戦は、なんとか負け戦にならずに済んだ。まずまずの滑り出しと胸を張っていいのではないか。今ごろ、世界中のマスコミが今回の戦いのことをニュースにしているだろう。しばらくは一面を独占し続けるのは間違いないし、トレンドワードの上位にぼくらの名前がランクインするかもしれない。

 父は……、父さんは、ぼくらの名前を見つけて、どう思うだろう?。誇りに思ってくれるだろうか、見捨てたことを悔いてくれるだろうか。

 リョウマの口元に笑みがこぼれた。

 たぶん、その両方だ。自分にはわかる。そういう変わり身の早さを、父さんは何のてらいもなくやってのける。そういう人だ。

 だがそれでも構わない。一度うしなったプライドを取り戻して、父に突き返せるのなら、そうやって元の関係に戻れるのなら、それだけでいい。

 リョウマはふとコックピット内がやけに騒がしいことに気づいた。カンカンという気持ちの良い金属音が前の方から聞こえてくる。とても心地よいリズムだ。

 あぁ、この音が鳴っていたから、眠りにいざなわれたのか?。たぶんそうかもしれない。

 リョウマはなんとはなく、右の壁に目をむけた。

 まず、羅列された数字がぼんやりと目に映った。『3250』という数字。リョウマにその数字がなんなのかわからなかったが、眺めているうちにそれが意味することに思い当たった。

 

 リョウマの目が大きく見開かれた。

 

 ぼう然とした面持ちで正面のモニタ群のほうに目を移した。

 なにも映っていなかった。

 司令部からの映像や音がとだえていて、自分がこの狭いコックピットのなかでたったひとりぼっちであることを知らされた。リョウマは混乱したまま、緊急用電源のスイッチを入れた。室内の電灯と一部のカメラが稼働をはじめると同時に、リョウマの思考をAIが読み取り正面の映像を、セラ・プルートの足元の映像に切り替えた。

 自分の足元に四肢がばらばらになった人間の死体がごっちゃりと転がっていた。ある場所では折り重なった死体が小さな山となり、地面の窪んだ場所はもれなく血溜まりとなっていた。そしてあたりのビルの壁には赤い血糊と一緒に人のからだの一部が貼りついていた。

 リョウマにはワケがわからなかった。恐怖にまごつき、思わず両手で顔を覆った。

 これは夢……。いや、これこそが夢なのかもしれない。

 が、リョウマはハッとして顔から手をはなして、自分の手のひらを見た。その思考を読み取ったAIによって、メインモニタにセラ・プルートの手のひらが映し出された。

 セラ・プルートの、いや自分の両方の手のひらは、血だらけだった。

 

 コックピット内に耳をつんざくような異音が鳴り響いた。

 なんの音だ……、これは何の音だ……。

 

 リョウマはすぐに、それが自分の悲鳴だと気づいた。

 



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第43話 さぁ、父さん狩りの時間だ

「ヴァイタル上昇。脳波が乱れています!!」

 ヤシナミライが緊急事態を叫んだ。

 ヤマトのギッと歯がみしている姿が見えた。

 ミライの頭にゾッとする結論が一瞬浮かんだが、いまはこの事態を収束することが優先された。ひとつひとつ片づけていけばなんとかなるはずだ。だが、司令部全体がいまやパニックに侵されている状態で、誰がどのようにそれを積み重ねられるのか。だいたい自分はどの立ち位置に居ればいいのかすらわからない。ミライはなにか伝達すべき新しいデータでも、従うべき命令でも、なんでもいいから、その足がかりが欲しかった。

 その時、ミライが目の端にとらえたデータに、あってはならないものを見た気がした。あわててその画面を注視する。

 そんな……。

 これを、この事実をみんなに伝えなくてはならないの?。わたしが?。

 なんと損な役回りだ。だが、これがわたしの任務だ。どんなに気が重たくても、この残酷な数字を見てしまったからには仕方がない。

 目の前のグラフは、セラ・プルートのヴァイタルが上がっていることを示していた。

 

「セラ・プルート、再起動!」

 

「コントロールを乗っ取られました」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 リョウマの悲鳴がコックピット内の壁を打ちつけていた。やがて声がでなくなるとすぐに自責の念と恐怖が一気に襲ってきた。

 ぼくが殺した。あんなに多くの人を……。

 ドクン、と大きな鼓動が胸を打った。

 みんなになんて言えばいいんだ。

 もういちど、大きな鼓動が鳴り、今度は胸をせきあげるような大きな波となって、リョウマの心臓を締めつけた。

 父さんをもっと深く失望させてしまう……。

 さらに大きな鼓動。

 リョウマは自分のからだの異変に気づいた。いまの自分は呼吸は乱れ、汗を大量にふきだし、手はふるえ、バクバクと心臓が打ち鳴らされている。なのになぜ、ゆっくりと心臓が拍動している音が聞こえるのか。彼はおそるおそる自分の右腕につなげられている『血液循環パイプ』のほうをみた。

 自分のからだに戻ってくる『静脈チューブ』の中が青い液体で満たされていた。

『青い血!』

 ドクン!、とひときわ大きな音がしたと思うと、自分のからだの中に大量の青い血が送り込まれていったのがわかった。

 透析が間にあってない?。

 そんな疑問が湧くのと同時に、ふいにリョウマの頭のなかで声がした。

『もう父さんを殺さなくていいのか?』

 心の声にしてはしっかりと明瞭で、あまりにも力強かった。リョウマにはそれがなにかわからなくて、パニックになった。

『父さんは君を(ぼくを)捨てたんだろ』

 一人称と二人称が一緒に聞こえてくる。わけがわからない。

『今度はぼくが(君が)父さんを捨てる番だ』

 リョウマの瞳孔が収縮しはじめ、焦点があわなくなってきた。大きな心音が耳に心地いい。気分が高揚して、今ならなんでもできそうだった。

『父さんはいくらでもいる。何人でも捨てられる。ワクワクしないか』

 リョウマは心の声に従うことにした。

「あぁ、ワクワクする」

 正面を見据えたリョウマの目の瞳孔はすでに人間の目ではなかった。デミリアンと同じ猛禽類を思わせる鋭い目。瞬膜が目玉を一瞬白濁させてまばたきをした。

 

「さぁ、父さん狩りの時間だ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

「開けぇぇぇl!!」

 プルートのコックピットのハッチの隙間にねじ込んだ槍の先を力の限り押し込んだ。ギシギシと音がして、開口に抵抗する音がしていたが、ついに耐えきれず、ガコーンという、けたたましい音がしてドアが吹き飛んだ。ドアはそのまま、数十メートル下の落下し、さらに騒々しい音をたてた。

「兄さん!!」

 ポッカリと開いたコックピットの入り口の中へ、メインカメラの焦点をあわせた。

 そこに兄の姿があった。

 アスカは一瞬、自分の鼓動がとまったと思った。

 兄だと思った影は兄ではなかった。

 そこに何かがいた。何かが操縦シートに鎮座して、こちらを睨みつけていた。

 

 それは間違いなく、兄ではない、なにかだった。

 



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第44話 こいつ殺していい?。だれか責任者が命令して!。

 

 コントロール回路を切断したはずのセラ・プルートが動き出したことを伝えられたレイの動きは俊敏だった。前にいるアスカの機体を横に突き飛ばすと、プルートに体当たりして、地面に押し倒し馬乗りになった。突き倒したアスカの様子が気になってちらりとモニタを見ると、アスカは自分が倒されたことに気づいていないほどの放心状態になっている。このセラ・プルートは自分ひとりで制圧しなければならない。今のアスカでは役に立たないどころか、足手まといにしかならない。現状を咀嚼(そしゃく)するだけで精いっぱいの彼女に、今はなにかをさせるべきでもない。

「セラ・プルートを倒したわ。ブライト、次、どうすればいい?」

 レイは自分でも驚くほど大きな声で司令室の指示を仰いだ。

「ひとりじゃ無理よ。アスカも加わわらないと……」

 司令室から、リンが叫んできた。

「そんなのわかってる。でも今は無理」

「わたし一人でできることを指示して」

 レイは司令室から発せられる指示に耳をそばだてた。ヤマトが叫んだ。

「レイ、リョウマを殺せ。コックピットの中に刃を突き立てるだけで済む」

 そのことばに司令室にいる全員の顔が、みるみるこわばっていくのがモニタ越しでも感じ取れた。

「わたし、あなたに聞いてない」

「だれか責任者が命令して!」

 だが、誰もなにも言ってこなかった。

 レイはヤマトが言ってきた方法をとるしかないと腹をくくった。

「今から、これを刺し殺します」

 いつの間にかリョウマのことを『これ』呼ばわりしていることに気づいた。だが、どう言えばいいのだろう。もうそこに見えているのは、コックピットにいるのは『これ』としか表現しようがない『何か』なのだ。しかも、これは亜獣と化す可能性がある。そのまえに、今こうやって組み伏せている間に、命を絶つのが最善の策なのは間違いない。

「レイ、ばかなことをするな!」

 薙刀を逆手に持ち替えようとした矢先、それまで沈黙を守っていた司令室からブライトの怒号が飛んだ。

「今、ここで、こんなところで、パイロットを失うわけにはいかない」

 その横からヤマトがブライトに食ってかかるのが見えた。

「このままだとデミリアンもうしなう!」

 レイはどうでもいい対立に苛立っていた。

「はやくしないと、これが目覚める」

 組み伏せているセラ・プルートに目をやる。プルートはぎょろりとした目でこちらを見ていた。

 しまった、と思った時にはすでに遅かった。ものすごい力で跳ね起きたプルートに、上に乗っていたサターンの機体は吹っ飛ばされていた。なんとか踏ん張ろうとしたが、そのままうしろに転がされ、アスカのセラ・ヴィーナスに激突した。

 だが、レイは体勢を崩しながらも、すぐに中腰の体勢で踏みとどまり、すぐに次の攻撃に備えて身構えた。自分のすぐうしろで尻餅をついているアスカにむかってレイが叫ぶ。

「アスカ、立って!」

 レイは自分ひとりでも手いっぱいの状態に追い込まれたと判断していた。ここから先はアスカに安穏とさせている余裕はない。

 目の前に亜獣がいた。上半身を大きく前につきだして、今にも飛びかかろうという前傾姿勢。顎をおおきく開いて、むきだしの歯をいびつに歪ませ、その隙間から涎とも思える液体をだらだらと滴らせている。

 レイは薙刀を本来の長さまで延ばすと、目の前のリョウマにむけて構えた。これは差し違えてでも止めなければならない化物だと感じていた。妹のアスカにはこの戦いに参戦させるわけにはいかない。レイは覚悟を決めた。

「ブライトさん、こいつ殺していい?」

 レイは静かな口調で司令室に問うた。だが、返事がなかった。

「こいつ、殺していい?」

 もう一度、反芻した。一瞬ののち、ブライトの鎮痛な面持ちの映像が目の前に現れた。

「あぁ……、レイ、許可する」

 そのことばを聞き終える間もなく、レイはプルートに飛びかかろうと足を踏みだした。が、肩口を強い力で押さえられて動けなかった。ハッとして後方を映したモニタを見ると、アスカのセラ・ヴィーナスが自分の機体の肩に手をやり、うしろから押さえ込んでいた。

「アスカ、離して」

 アスカはなにも言わなかった。うつむいたまま、ただ手だけを伸ばしてレイを行かせまいとしていた。レイはアスカの手を荒々しくふりはらうと、リョウマのほうへ向き直った。

 そこにセラ・プルートの姿はなかった。

 レイはあわてて周辺地図のデータで、プルートの姿を探した。だが、どこに行ったかわからなかった。

 あれだけの巨体が一瞬にして目の前から消えていた。

 

 ------------------------------------------------------------

 

「消えた?」

 たった今、断腸の思いでレイに命令をくだしたばかりのブライトには、目の前で起きたことが夢のように思えた。いやそう言うなら、その光景だけでなく、今日起きた一連のできごと事態そのものが夢のようだ。

 しかも、とびっきりの悪夢だ。

 ブライトがミライのほうに向かって確認した。

「ミライ、今、何が起きた?」

「セラ・プルートが消失しました」

「それはわかっている、どこにだ!」

「わかりません」

「ブライトさん、移行領域(トランジショナル・ゾーン)のむこうだよ」

 うしろからヤマトから投げ掛けられた言葉に、ブライトがふりむくと、ヤマトはあからさまに落胆した様子をこちらにむけて立っていた。

移行領域(トランジショナル・ゾーン)……。どういうことだ、ヤマト。なぜ、セラ・プルートがあちら側に行けるんだ」

「それは……」

 いつもずけずけという物言いをするヤマトが言いよどんでいる。ブライトは足から力が抜けていくのを感じた。がくがくと足が震えそうになる。ブライトはすがる思いで、リンのほうへ顔をむけて助けを求めた。

「リン、どういうことなんだ?」

 リンは語らずともすでに答えがでているような青ざめた顔色で力なく答えた。

「わからない……。でもあの機体はもう使えないのは確か」

 ブライトは今度はエドに答えを請うた。だが、エドは声をかけられてもブライトの方を見ようともしなかった。鼻梁に指をあてたままなにか思索にふけっていた。いや、そういうふりをしていた。そうブライトには見えた。

「エド、答えろ!」

 ブライトが声を荒げた。エドはしぶしぶ顔をあげると、声を震わせながら答えた。

「認めたくありません、ぼくは……」

「でも残されたヴァイタルデータや、体液などの生体データが、別物に変化しているんです……」

「それはどういう意味だ?」

 エドは意を決した顔つきで、ブライトを正面から見据えて言った。

「ヤマトくんの言う通りです。あれは……、セラ・プルートは……」

 

「100番目の亜獣になりました」

 



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第45 話 そろそろそろそろ観念してくださいよ。ブライト・一条さん。

 その夜、レイとアスカの機体が帰投してきたと、ヤマトは報告を受けたが、モニタリングした映像では、それはむしろ『回収』というべき状況だった。自分も何度かおなじ目にあって多くの人の手を煩らわせる形になったが、今回は2機の回収のため、物々しい物量の装置や援軍が投入されていた。3機のデミリアンと数機の護衛機で出撃した昼頃とは様相を異にしていたが、仲間をうしなった新人パイロットが相手では、慎重になるのも当然だった。特にアスカは憔悴しきっていて、精神にかなりの耗弱(こうじゃく)が見られるため、複数の専門AIロボットが対応にあたっているとも聞いている。

 自分にはなす術がないのに、インフォグラシズに逐一報告が送られてきて、ヤマトは少々うんざりしていた。ヤマトにとって彼女たちのことよりも、十三から受け取った報告書のほうが、今ははるかに大事だった。

 いまこのタイミングで調査していた真相をつきとめられたことに、ヤマトはちょっとした運命のようなものを感じていた。無神論者のヤマトにとっては、ただの偶然の組み合わせでしかない、とわかっていたが、だからこそ、この機を逃してしまうわけにはいかなかった。

 『偶然』を活かせず失敗したとしたら、それは無能という『必然』でしかない。

 ヤマトは廊下の先に、リンの姿をみつけて駆け寄った。案の定、彼女は当然のように機嫌がよくなかった。

「なに?、タケルくん。網膜インターフェイスにアクセスするとか、テレパスラインに思考送波するとかできなかった?」

「こっちは『ふっちゃかむっちゃか』なのよ」

「ブライトさん、もうすぐ記者会見だったよね」

「わかってるでしょ。今、その準備に……」

 ヤマトはリンの文句をさいごまで聞く気はなかった。

「リンさん、耳を貸して」

 リンは口元を不快げに歪ませたが、怪訝そうな顔つきで言われるまま、頭を傾けて耳をヤマトのほうへむけた。ヤマトはリンの耳元に口を近づけると、手のひらで口元を覆って囁いた。

 こちらからははっきり見えなかったが、リンの顔色がみるみるうちに変わっていくのが伺えた。だが、その様子を確認するまもなくヤマトはリンから離れると、なにごともなかったように元来た廊下を引き返しはじめた。

 

「じゃあ、今夜0時に」

 

 ------------------------------------------------------------

 

 静まり返った廊下を通って、ブライトの部屋の前にたつと、待ちかまえていたかのようにすっとドアが開いた。どうせ監視カメラでこちらの動向を見張っていたのだろう。中にはいると、椅子に座ったブライトと、その横の壁に寄りかかるようにして立っている春日博士の姿があった。

「リンさん、リンさんまでお呼びだてしてすみません」

「ヤマト、きさま、何の用だ!」

 ブライトははやくも苛立っていた。

 それはそうだろうな、とヤマトはちょっとだけ同情した。

 新人の亜獣初戦に心を配って臨ませたにもかかわらず、甚大な被害をだしたうえ、亜獣にも逃げられた。しかもパイロット3人のうち、一人は重傷、一人はデミリアン一体とともにロストした。それだけでも気がおかしくなるほどのストレスだ。なのにさきほどまで開かれていた記者会見では、世界中の記者という記者につるし上げられ、それを世界中に配信されていた。

 おそらく夜があけたら、今度は軍本部からもなにかしらの処分が告げられるはずだ。

 精も根も尽き果てるほど疲弊しているのは承知していたが、だからこそ今、ここで真実を確かめ決着をつけるチャンスだと、ヤマトは感じていた。

「ブライトさん、記者会見、ご苦労さまでした」

「ふん、きさまに同情される筋合いはない」

「でも、いけないな。新人パイロットが勝手に暴走したはないでしょ。あれはあなたが操縦装置を止めなければおきなかったはずだ」

「それは結果論だ。わかるものか」

「あのとき、ぼくは止めましたよね……リンさん」

 突然名指しされて、リンがうろたえたように見えた。

「あ、いえ、よく覚えてないわ」

 ヤマトはふーっと大きく嘆息した。

「またですか?。神名朱門(カミナ・アヤト)の時とおなじように処理すると……」

 ブライトとリンのふたりは、その名前がヤマトの口から放たれるのを想定して心構えていたらしい。わざとらしいほどに、ぴくりとも反応しなかった。

「意味がわからんな、ヤマト」

 ブライトがもの静かに、言いがかりをつけるな、という態度をとった。

「あれは、カミナがひとりで倒せる、とみずから進言したから許可した。その結果、彼は命を落とすことになった。痛ましくはあるが事故だ」

「みずから?」

「あの人は、自分の力量をもっとも見極めていた人ですよ。身の丈以上だとわかっているのに、無茶を買ってでるようなバカをするはずがない」

 ヤマトはぎゅっとこぶしを握りしめた。

 ヤマトの脳裏にカミナの最後の姿が浮かぶ。カミナはコックピットと一緒に溶けていた。亜獣の吐きだす溶解液を喰らい、ものすごい勢いでまわりが溶けていく恐怖と戦いながら、なんとかとどめを刺した。カミナの遺体はコックピットのシートをまるごと取りはずさないと運び出せなかった、と伝え聞いた。

「ブライトさん、あれは司令官のあなたが出撃を強要したんだ」

「タケルくん、それは違うわ。報告書にもあるように、アヤト君は怪我をして動けなかった君の代わりに、単独での出撃を志願したの、そう書いてある!」

「あなたの証言でね」

 ヤマトはキッとリンを睨みつけた。一瞬たりとも目をそらしてなるものかという力強さがそこにこもっていた。

「そうでしょ……、ミア!」

 リンの動揺は瞳の動きですぐにわかった。それを隠そうと二度立て続けにまばたきをした。ヤマトはそれを見逃さなかった

 ヤマトは指を空中で動かして、3D空間にホワイトボードを呼びだした。

「アスカが、あなたのもうひとつの名前を言ってくれたおかげで、やっと調べがついたんですよ。それに十三がとてもいい仕事をしてくれた」

「あなたのミドルネームは『ミア』ですよね」

 ヤマトは空中に指を走らせ『春日・ミア・鈴』と大書した。すぐさまその文字は3Dに変化し、くるくると中空でまわりはじめる。

「母国アメリカでなにがあったかはわかりません。だけど、イギリスに渡ったときに読み方を変えて別人を演じ、そして日本に来てさらにまた変えた……」

「個人名擁護法の範囲内でしょ」

「あなたの名前の『鈴』、本当は『リン』ではなく『すず』と読む……」

 ヤマトが空中で指をくるりと回すと、『鈴・ミア・春日』と順番が入れ替わる。

「だから本当の名前は、すず・みや・はる…」

「やめて!、禁則事項よ」

 ヤマトはにやっと笑った。

「いいですよ。ぼくには、この名前には興味がない」

「それにしても、ただの人間には興味がないはずのあなたが、イギリスでは、ただの男に興味をひかれるとは、意外でしたよ」

 ヤマトはブライトのほうをちらりと見た。

「きさまぁ、なにを言いたい」

 その目配せに気づいてブライトは気色ばんだ。今日一日の疲労などまるで感じさせないほど高圧的な、子供ごときねじ伏せてやるという態度。だが、その子供を諌めようとして、一度、ヤマトに殴られたことをどうやら忘れている。

「ぼくは、なんでリンさんがカミナさんのことで、嘘の証言をしたんだろうって、ずっとわからなかった」

 ふたりとも黙り込んで口を開こうとしなかった。

「でも、やっとわかった。あなたたちは恋人同士だったんですよね。だからあの事故が起きた時、リンさんは、恋人の経歴を傷つけないため、口裏をあわせた……」

「どこに証拠があるというんだ!」

「さあ?」

「でもブライトさん、また同じことをやるんでしょ?。リンさんに強制して、今回はリョウマに責任をなすりつけようとしている」

 ヤマトはリンの目をみつめて訴えた。

「リンさんは、大事なデミリアン一体をうしなわせた、この軽率で優柔不断な彼氏をまた助けるつもりですか?」

「元よ……、元・彼よ」

 くちびるに重しでも乗っているような、鈍重な口調の反論だった。

「とっくに別れているわ」

 ヤマトはなんとなくそうではないか、と気配を察していたが、そのことはおくびにも出さず、目の前で回っている3D文字を指であやつり『春日』の文字を変更した。

『鈴・ミア・メイ』の文字が空中に踊る。

「で、どうするの?。この元彼をまた助けるつもりですか?」

 

「リン・ミア・メイさん」

 

 リンはブライトのほうからすっと目をそらした。決意を固めた顔だとヤマトは理解した。ブライトもその表情から同じものを感じとったらしく、うろたえた声で名前を呼んだ。

「リン……君は……」

 ヤマトはブライトのほうをふりむいた。

「そろそろそろそろ観念してくださいよ。ブライト・一条さん……」

 

「いや、一条・輝(いちじょう・ひかる)さん」

 

 

  ------------------------------------------------------------

 

 夜の暗闇のなかで、老人は崩壊したビルが散乱する瓦礫の上を、器用な足取りで飛び跳ねていた。ここは21世紀後半に建築されたビル群があったが、『名古屋大震災』に見舞われてから人々がこの地を離れていき、朽ちるままに放置されている地域だった。その後故郷を追われた九州からの難民が住み着くようになり、またたく間にスラム街となっていた。

 老人はベッドサイズもあるかと思うコンクリートの瓦礫の上に座ると、懐からおにぎりを取り出し、すぐにぱくついた。賞味期限は4日ほど過ぎていたが、エチレンフレッシュ技術で保存されていたものだから、腹をこわすことはないだろう。そもそもこの貧民窟にまともで安心な食事などはない。この飯にありつくのだって2日ぶりだ。むしろ気をつけるべきは、音と匂いのほうだ。

 もし誰かに飯を持っていることを知られたらどんな目に遭うか。街灯もなにもない月明かりのなかでは見つかる心配はないが、食べている音と食べ物の匂いは、どんな暗がりでも隠すことができない。

 老人がもう一個をふところから取り出そうとしたとき、うしろのほうで物音がした。あわててふところに隠すと、すぐにその場に転がって眠っているふりをした。若いやつらもただ眠っているだけの老人を襲うほど、元気がありあまっているわけではない。食べ物を持っていると思われなければ、大丈夫だ。

 老人は夜空を仰ぎ見た。

 なぜだろうか、満月の夜なのに、月が半分欠けて見えた。不思議なことに、下半分が欠けている。暗闇のなかで2つの星がまたたいた。そういう風に見えた。

 だが、それは目だった。

 三日月のように細くシャープな形をした2つの目のまばたきだった。老人は恐怖のあまり大口を開けたが、悲鳴が発せられる前に、大きな、とても大きな手が老人を上から叩きつぶしていた。彼は自分自身のからだがひしゃげるのを感じた。

 薄れゆく意識のなかで老人が最後にみたのは、暗闇で目をギラつかせる現世に降りたった巨大な悪魔の姿だった。

 

 

 

 

 

 

閑話休題

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

我ながらとんでなくバカバカしいことに手を染めてるなーと思います。

聞いたことある漫画やアニメのキャラと見せかけて、実は全然違うキャラと同じ名前って。へたするとせっかくのストーリーが台無しになるなと思いつつ、書いています。

 

でも、思いついちゃったんですよねー。

こりゃ、書かないといけないよなーって思って。

 

もちろん、本編のストーリーのおもしろさ、いままで見た事がないシーン、ゾッとする「四解文書」の真相。そして、中盤明かされるこの未来世界全体に仕掛けられた謎は、かならずや「アッ」と驚かせ、もう一度最初から全部読み直したくなるはずだと自負してます。

(小説家になろう サイトには「オルタナティブ版」と題した、 SFファンや一般の方向けの、オタク味を取り除いたバージョンを掲載しています)。

 

 

でもこれ生み出すのは本当に大変です。有志の方に助けて欲しいです。

この作品の登場人物に仕込まれたダブルミーニングの名前のキャラクター。

(別投降サイトでは、熱烈な読者様から、「地口を駆使した人名トリック」と命名していただきました)

 

もし読者の方で、アニメや漫画のキャラで読み方変えたら別の人物を埋め込める、というのを発見したり、考案されたら、ぜひ教えてください。

マイナー過ぎないキャラであれば、使わせていただきたいです。

 

よろしくお願いいたします。



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第一章 第三節 幻影
第46話 見慣れない天井


 次の朝、ブライトは各部署の責任者とヤマトとレイのパイロット2名を緊急招集した。昨夜、記者団から追求されたあと、ヤマトタケルにあのような辱はずかしめを受け、春日リンの裏切りを目の当たりにして、気分はこれまでにないほど最低だった。本来なら彼らと顔も合わせるのも避けたかったが、事は急を要した。断腸の思いではあったが、私的なことには目を瞑つぶってでも、今後の対策を練ることのほうが先決だった。

 

 これは、己の感情ごときに、ふりまわされていい仕事ではないのだ。

 

 禍根かこんを残しているように思われたくなかったので、ブライトはきわめて事務的に質問をして、冷静を装った。

「エド、セラ・プルートについてなにか新しい事例はあるか」

 開口一番に指名されて、すこしあわてふためいて起ちあがった。

「あ、いえ、えー、とりあえず名前を命名しました」

「名前?」

「えぇ、シンプルに、亜獣『プルートゥ』と」

 そんなものどうでもよかったが、それ以上なにもなさそうだったので、ブライトはアルを指名した。

「アル、音声データは抽出できたか?」

「ええ。あー、でも、すいません。雑音がまだ取りきれてないんですが……」

 アルが詫びをいれながら、空中にデータファイルを呼びだすと、音だけが会議室内に聞こえてきた。たえず重低音が響いている中、リョウマのものと思われる鼓動に耳障りなノイズが重なり、たちまち不快な音響が部屋を満たし始めた。

 突然、「ドクン」というひときわ大きな心音が鳴ったかと思うと、小さな声が聞こえてきた。

「お父……、お父さん……、なぜ、ぼ……、捨てた」

 会議室の面々は、微かすかな声を聞き漏らすまいと、耳をそばだてている。

「今度はぼく……捨てる……」

 音声データはたったそれだけだった。

 ヤマトが口火を切った。

「やっぱりね……」

「やっぱり、とはどういうことだ?」

 ブライトはヤマトに顔をむけることなく、その真意を促した。今、ヤマトの顔をまともに見たら、昨晩の屈辱的な仕打ちを思いだしそうだった。

 それでは司令官として、フラットな気持ちで意見を聞けなくなる。

「リョウマは父親に復讐をしているんだと思う。自分たちに見切りをつけて離縁をした父親にね」

「あの奇行は、父親への当てつけってことかしら?」

 リンがもうひとつ飲み込めない様子で訊いた。

「たぶん……だけど、リョウマには周りにいる人々がみんな父親に見えているんじゃないのかな」

「ではなにか?、あれだけの犠牲者をだしたのは、リョウマにとっては父親へただ恨みをはらしているだけだと?」

 ブライトがすこし声を荒げたが、レイがすっとぼけた質問をして混ぜっ返した。

「リョウマには、あんなにお父さんがいるの?」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 見慣れない天井……。

 アスカはぼんやりと上を見あげながらそう思った。いや、慣れ親しんだ天井など、はるか昔の記憶にしかない。

 ここはどこの天井だろうか、と頭を巡らせた。

 国連軍本部から供給された自分用の部屋……、月基地での狭苦しい部屋の二段ベッド……、騒がしかったロンドン寄宿舎のシェアルーム……。それとも、あの男……父に与えられた装飾過多で、悪趣味な配色の子供部屋?。

 アスカは寝そべったままぐるりとあたりを見渡した。だだっ広い部屋の中央に自分だけが横たわるベッドがあり、まわりでなにやら聞きなれない音が絶えずしていた。

 彼女はふと、自分のまわりで、息を殺しながらも各々の役割を粛々とこなしている、見慣れない機械や看護ロボットたちの存在に気づいた。

『これ、なによ?』

 一瞬、すこし怖気がしたが、すぐに合点した。

「ここ、あの時の病室……」

 地球に到着したその足で、まっさきに向かった場所。あの時、ここには、あの男、ヤマトタケルが寝ていた。そして、ブライト司令官、メイ、ミライ、レイ、そして……。

 アスカは漠とした、寂寥感がせきあげてくるのを感じた。

『そうだ……。兄さん……』

 突然、アスカの頭の中にフラッシュバックが走った。

 あのポッカリと口を開けたコックピットの入り口。外からのぞかせる内部は、そこはかとなく暗く、その奥にははるか深淵が広がっているように見えた。だが、実際には緑色のぬめるような質感の粘着物が、内部にはびこっていた。その一部はまるでなにかの器官のように脈打ち、そのあいだに張り巡らされていた細い糸状の部分には、青いシグナルが明滅しながら無尽に走っていた。まるで神経回路か血管のようにしか見えなかった。

 そしてその真ん中にある一番大きな臓器は……

 

 そう……、兄だった。

 

 あの顔、あの目、あの姿……。

 もう兄、いや人と呼べそうもないものに変わっているのを、自分は垣間見た。

 あの時、あれは兄ではない、と何度も否定したが、わずかに残った面影は、兄を感じさせた。ほかの人がもし否定してくれたとしても、双子である自分だけはわかっていた。

 あれは兄だったものだ。

 アスカの心に自分でも理解できない不安が襲ってきた。

 自分はこんな時、いままでどうしてきたのだろうか?。

 あんな兄を、あんな残酷な行いをおこなった兄を、怒りにまかせて罵倒しただろうか。

 兄の心の弱さをなじって、自業自得だと、兄を卑下しただろうか。

 あんな兄をもった哀れな妹として、自己憐憫の姿をさらしただろうか。

 それとも、無謀な出撃をさせたブライトやリンたちを問いただし、厳しく責めたてていただろうか。

 今、自分が演じるべき、アスカはどんな感情につき動かされるべきなのだろうか……。

 ふと、アスカは自分の目から大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちはじめているのに気づいた。流れ落ちる涙をどうしても止められなかった。

 アスカはわかった。

 あたしは、兄を、最愛の兄を亡くした妹なのだ。

 いまはどんな役も演じなくてもいい。

 

 アスカは枕に顔をうずめると、声を押し殺して泣いた。



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第47話 こいつは、おそらく、亜獣『プルートゥ』の体液だ

『わたしは精神科医であって、法医解剖医でもなければ病理医でもない』

 アイダ・李子は、突然、ブライト司令官に呼び出されて憤っていた。それでなくとも、新人パイロットの龍アスカの精神状態の検査や鑑定に手を束ねているというのに、外部からの遺体の受け入れに立ち会って欲しい、という依頼は責務を超えている。もちろん、手続きには医師の許諾が必要であることは知っているが、ならばいつものように、春日リンに頼めば済む話しではないか。それを今回に限って自分に頼み込んでくるということは、彼女に知られたくない何かがあるのか、それとも喧嘩でもしたかのどちらかだろう。 

 もし後者だとしたら、巻き込まれるのは勘弁して欲しいというのが、偽らざるところだ。

 李子は『搬入口』と書かれたドアの前にくると、手前に設えられたハンドドライヤーのような器具に手を突っ込んだ。シュッという音がして、手首まで一瞬にしてスキンが蒸着された。李子はスキンがムラなく皮膚に貼りついていることを確認すると、目の前の鏡を見つめた。

 幼い頃から父親似だとよく言われた。自分が養子であることを知っていたので、似るわけがないと、心のなかで笑いとばしていたが、年齢を重ねてくると、おかしなことに似ているところを自分でも感じることがあった。抜け目のないような目つきは、あきらかにあとから形成されたものだ。

 美人だ、と言われたことはないが、ボーイフレンドを欠かしたことはほとんどないのが自慢だった。どうやら尽くしてくれる、と思われる顔だちをしているらしく、彼女に『母親』を求める男からは、やたらと言い寄られた。だが、付き合ううちに家庭的な面も、キャリアもそつなくキッチリとこなすことに、だんだん息苦しくなってくるようで、『有能すぎる』という理由で別れることになったことが何回かあった。

 なので、ここ数年はもう男をつくらないと決めている。おかげで、自分とおなじように、男に興味がない同僚の春日リンともっぱら二人で飲んでいたりもする。

 李子は搬入口に続く廊下へ出た。そこは天井が低く狭いうえに照明もすこし暗く、クリーンでセキュアがあたりまえの25世紀の建築構造からは、かなりかけ離れた作りになっていた。敵に攻められた時に、簡単になかに侵入されないようになっている、と聞いてことがあったが、誰が攻めてくるというのだ。じぶんたちが相手にしているのは、最低でも20メートルはあろうかという怪物なのだ。

 搬入口にでると、目の前には一気に広い空間が広がり、ゆうに50箇所はあると思われる荷捌場にさばきじょうの各所で、ロボット作業員や自走式トラック、全自動クレーンなどによる荷物の積み下ろしが行われていた。李子はブライトに指定された「Z0ーB」号のドックを探した。すると目と鼻の先、約30メートルほど先でブライトが、受付係とペーパー端末を見ながら、なにやら話し込んでいた。ブライトは李子に気づくと、あわてて駆けよってきた。

「アイダ先生、すみません」

「司令、どうしたんです?」

「いや、さきほども言ったように、医師のサインがないと搬入は許可されない決まりなのでね」

「医師ならば、リンがいるでしょう?」

 ブライトがちょっと答えにくそうに顔をしかめた。

「いや、その……、リンとはちょっと……」

 ビンゴ!。 

 ふたりの間になにがあったか、あとで酒でも飲みながら、リンから問いただしてやることにしよう。

 李子はいじわるな気分がはやるのを感じたが、そのまま無言で受付係のほうへ足を運ぶと、差しだされたペーパー端末に手をかざして承認した。

 李子は運び込まれたストレッチャーのほうへ目をむけた。両脇には二体の医療ロボットが付き添っていて、ただの遺体の運搬にしてはやけに仰々しいのが気になった。

「で、あれはなに?」

 ストレッチャーのほうへ、あごをしゃくってブライトに訊いた。

「昨晩、なにものかに殺された人だ」

「昨日はずいぶん、ひとが死んだって聞いたけど?」

 ブライトはなにも答えようとしなかった。

「ちょっと見てもいい?」

 李子はブライトの許可も待たずに、ツカツカとストレッチャーに歩み寄った。付き添っていた医療ロボットが、その前に立ちはだかろうとしたが、李子が彼らの前に手のひらをかざすと、スクリーン状の目に「ADMISSION『承諾』」の文字が現れ、すぐに二体は両脇に退いた。

 シートを剥がすと、得もいえぬ饐えた臭いが鼻をついた。

「なに、この臭い?」

 思わず医者らしからぬことばが口をついて出た。

「体臭だよ」

「体臭?、死臭とはまた違って、強烈だわね。この人、『DNA滅臭処理』してないの?」

「浮浪者だからね。おそらく九州からの難民だ。人間として、当たり前の処理なんて施されてなんかないさ」

「確かに……」

 DNAレベルでの『滅臭処理』がマナーとされる時代に、体臭を貯め込んだような悪臭は、今は死臭よりも嗅ぎ馴れない臭いだった。

 李子は口元をおさえながら、ストレッチャーに横たわる人物を検分した。見た感じではかなり年をとった老人のように見えるが、頭蓋骨が潰れていて、ほとんど顔が判別できなかった。

「で、この浮浪者の遺体がなぜここに?。まさか、これでも軍関係者?」

「この老人は昨夜、大阪の西地区のスラム街で発見されたそうだ。実はこの老人とおなじような死に方をした人が、一晩で10人ほど見つかったと報告があった」

 李子は死体の上に手をかざした。そのすぐ上に等身大サイズで遺体の内部のスキャン映像が、本体の上にかぶさるように投影された。からだを切り開いたのと同等レベルの詳細な3D映像がこの老人が圧死したことを物語っていた。

「頭蓋骨だけでなく、からだ全体が完全に挫滅ざめつしてるわね。それに内蔵という内蔵が破裂している……。」

「なにかものすごく重たいものに潰された?」

 李子のその見解を聞いて、ブライトがすこし小声で言った。

「エドが言うには、彼の皮膚の表面についている付着物が問題だそうだ」

「付着物?」

 李子が3D映像の方に目をむけると、彼女の意思を読み取ったAIが、老人の頬の部分にフォーカスし、マイクロスコープがその部分を数十倍にも拡大して表示した。

 老人の頬の表面で、なにかが蠢いているのが見えた。

「なにか蠢いて……、浸潤しんじゅんしている……。これなに?」

「それがわからないから病理医のほうで検分してもらう予定だ」

「なにか心当たりがあるの?」

 ブライトはすこしためらいがちに言った。

「あぁ……、これは他言無用で頼む……」

 

「こいつは、おそらく……、亜獣『プルートゥ』の体液だ」



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第48話 おとこはいつだって、おんなの涙をぬぐってやれる存在でありたい

 ブライトからアスカが面会謝絶だと告げられたが、ヤマトはまったく驚かなかった。むしろ、それは当然のことだと思っていた。もしアスカの症状が軽かったとしたしても、そもそもが無理なのだ。面会など適うはずがない。特に自分だけは。

 兄を殺せ、と命じた男なのだから。

 会うどころか声すら聞きたくないだろうことは、想像にかたくない。

 ヤマトは部屋にひとりでいることが、どうにも居心地が悪かったので、ラウンジにいくことにした。気を紛らわすことだけでもできれば、と思っていたが、すでに先客がいた。

 レイだった。

「アスカ、面会謝絶だった」

「ぼくもさ、しかたがない」

「わたしがリョウマを殺そうとしようとしたから?」

「命じたのはボクだ。レイ、キミには責任はない」

「リョウマ、もう無理なの?」

「レイには、なんとかなると思えた?」

 レイは力なく首を横にふった。素人がみても手の施しようのないほど、リョウマは別物に見えた、とヤマトは理解した。そんなものを見たのだ。アスカがショックから立ち直れないのは無理からぬことだ。

 そして、たぶん、この子、レイも。

「レイ、キミは大丈夫かい」

「なにが?」

「その、リョウマが……、あんな風になってショックだったんじゃあ……」

「えぇ、ショックだわ」

「あいつを殺しそこねたんですもの。躊躇しなかったら、あのとき、亜獣を一体始末できた」

 ヤマトは、パイロットとして間違いのない回答をするレイを頼もしく思うと同時に、初戦にしてこの発言をためらいもなく吐きだせるレイの心の闇にすこし怖気だった。

 レイが屈託のない笑顔をヤマトのほうにむけた。

「安心して。次は仕損じないから」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 アルは整備士たちが修理ロボットたちにまじって、サラ・ヴィーナスとセラ・サターンのコックピットの装備のチェックをしているのを、ぼんやり下から見あげていた。いつもなら大声をあげて陣頭指揮をとって、忙しく立ち働くのが常だったが、どうにも気力が萎えて、そういう気になれなかった。ドック内にあるコンクリートのでっぱりに腰かけて、下から見守るのが今日は精いっぱいだった。

「なんか、お疲れのようね」

 春日博士が声をかけてきた。彼女が積極的にアプローチしてくることは、めったにないので、アルはすこしの驚きとともにうしろをふりむいた。

 驚いたことに、リンは自分以上に疲労の色を色濃く顔に刻んでいるように見えた。目の下にくまのようなくすみがあり、髪の毛は手先がすこし乱れて、いつものように艶めいた雰囲気が感じられなかった。この時代、そんなものいくらでもカバーできるスプレーやフィルムがあるし、だいたいDNAをいじった『デザイナーズ』の彼女なら、容姿の劣化に対する強固な耐性が備わっているはずだ。つまりは、それらでも支えきれないほどのストレスを抱えているということなのだろう。

「博士こそ疲れているようだけど」

「えぇ、くたくた……」

 そう言いながらエドの隣までくると、むきだしのコンクリートのでっぱりにドンと無造作に尻を乗せた。

「で、どうなの?」

「どうって……?」

「二体の状況」

「あぁ、すんません。二体ともこれといった異常は見つかりませんでしたよ。まぁ一部、防具と武器の破損が少々ひどいんで交換しないといけませんけど」

「そう……、まぁ、こっちもヴィーナスの手や腕に軽い怪我がある程度で、まぁ大丈夫って言えば、大丈夫なんだけど」

「よかったですね」

「わたしを悩ませてくれるのは、いつだって人間のほう」

「アスカ……ですか?」

 リンは無言のままこくりと首を縦にふった。

「アスカは……もしかしたら……、もう使いものにならないかもしれない……」

「あの子は、春日博士のいちばんのお気に入りだったって……」

 リンは困ったように口元をすこし緩めて、首を横にふった。

「あの子がかってにそう言いふらしているだけ」

「本当に一番弟子を自称するなら、なんとか立ち直ってもらいたいものだわ」

 なんだかんだ言っても自分の教え子を気にかけている様子をみて、アルはほっとした気分で「あぁ、そうですね」と相づちをうった。

「まったく、デミリアンとの『共命率』をあげるのに、どれだけ苦労したかわかって欲しいわ。パイロットが変わったら、また設定のやり直しよ」

「もう、うんざり……」

 アルは思わず心のなかでため息をついた。そうだ、この女はそうだった、そういう女だった。それが自分の教え子であったとしても興味がない。なによりもデミリアンが優先するのだ。

「そうでしょう、アル?」

 春日博士が自分にまで追認を求めてきた。これは強制だ。イエス以外の答えはすべて不正解。おそらくイエスをひきだすまで、しつこく自分の意見を押しつけてくるだろうことはすぐにわかった。アルは降参することにためらいはなかった。

「あぁ、えぇ、そうですね。こちらも機器の微調整に往生させられそうです。だから、アスカには、なにがなんでも、立ち直ってもらわんと困りますよね」

 リンがぼそりと呟いた。

「ありがとう、アル」

 思いがけない反応にアルは驚いて、博士のほうを見た。心なしか目を赤くしているように見えた。あぁ、そうなのか。博士なりの愛弟子へのエールなのだ。そしてみずからを鼓舞しようとしているのだ。その場を立ち去ろうとしている博士の背中を目で追いかけながら、なんとなく自分が誇らしく思えた。

 おとこはいつだって、おんなの涙をぬぐってやれる存在でありたいのだ。

 

 それが心のなかで流している涙であったとしてもだ。



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第49話 あなたのかけるべきは愛情だったはずでしょう!。かけたさ、お金という愛情をね

 ブライトにはその男が人間的に欠陥がある、傲慢ごうまんな男だとわかっていた。

 自分本位で、他人の痛みなどわかろうとうもしないクズ人間。すなわち、かつての自分の父とおなじ種類にカテゴライズされる男だ。それは承知はしていたが、責務として連絡をとらないわけにはいかなかった。 

 その成果が今、目の前に空中に浮かんでいる『SOUND ONLY』の文字だった。

 相手の男はリョウマとアスカの父親の龍氏だった。

「ーーですが、お父さん。あなたの息子さんと娘さんなんですよ」

 思わずブライトが声を荒げた。

「ふん、私には息子も娘もいないと何度も言わせるつもりかね」

「あなたが、お子さんたちと離縁されたのは重々承知しております。ですが、血縁上はあなたは父親なのですよ」

「逆に言えば、法律上は他人なのだよ、ブライト司令官。私は情愛が法律を越えることがあるなどと思ったことがないのでね」

 ブライトは、やりづらい、と感じた。この男は自分と似たタイプだ。人の意見を聞かない頑迷げんめいさを持ちながら、詭弁きべんまがいの理論武装で相手をねじ伏せようとする。言っていることに筋は通っているが、それは自分に有利な結論ありきで論点を構築しているにすぎない。そしてそれに対して反駁するものがあれば、排除するか、聞く耳を持たないようにする。

「息子さんが死ぬかもしれないんですよ」

「もしそうだとしたら、キミにはわたしたちの家名を汚さないように、はからってもらいたいな」

「それでなくとも、すでに各メディアは今回の戦いで、若きパイロットが暴れて4000人もの人々を殺したことをまくしたててるんだ」

「あなたの一番の心配はそれなんですか?」

「あぁ、もちろんだとも。あいつが未成年でいてくれてよかったよ」

 ブライトはその物言いに腹がたった。自分の采配の不手際に一因があるということはわかっている。わずかだが責任も感じてもいる。だから、親族に嘆き悲しまれたり、なじられたりすることは覚悟したうえでコンタクトをとったのだ。だが、命がけで戦地に赴おもむいた息子や娘に対する無神経な反応は、罵倒されるよりも腹立たしかった。

「お父さん。あなたが、あなたがそんなんだから……」

「他人の君になにも言われたくないね」

「私は赤ん坊の頃からどれほど二人に期待をかけてきたか、わかるかね。それを裏切られたのだよ」

「あなたのかけるべきは期待ではなく、愛情だったはずでしょう!」

「かけたさ、お金という愛情をね」

「それはあなたのプライドを保つための投資にすぎない!」

 ブライトはいつのまにか、自分が大きな声をあげていることに気づいた。それほどまでに自分が激高している。自己欺瞞じこぎまんに満ちたこの親の元で、あのふたりがどれほど窮屈な生き方を強いられてきたのだろうか。

 自分も父に厳しく育てられ、一条家の名を汚さぬよう教育されてきたが、これほどまで冷徹で残酷な仕打ちは感じなかった。父は自分が失敗することを笑って許してくれた時もあった。ただ、自分がそんな自分を許せなかっただけだ。

 だが、本当にそうだったのだろうか。ふと、不安が心のなかにもたげた。

 今回の件で、もし司令官の職を辞することになったとしたら、父は本当に心から許してくれるだろうか。家名に泥を塗るような事態になったとき、父はリョウマの父親とはちがう反応をしてくれるだろうか。

 ブライトは突然、胃がきりきりっと痛むのを感じた。からだに埋め込まれた『生体チップ』が異変を感知し、すぐさまAIドクターに診断を要求するレベルにまで達しているほど強いものに思えた。だが、どんな診断をくだされても、25世紀の医療ごときでは、この痛みは根治できるとは到底思えなかった。



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第50話 残念なことにリョウマ君は後者の30%のほうでした

 亜獣アトンの急所が判明したというエドからの報告で、緊急会議が招集されたのは、六時限目の「歴史」のはじまる直前だった。ヤマトは楽しみしていた授業が潰れてしまったことに、すくなからず落胆を感じたが、亜獣出現が迫るなか、これに参加しないという選択肢がないのはわかっていた。

 レイとともに会議室にはいると、すでにアル、エド、リンにくわえてアイダ李子が座って待っていた。各人とも手元をうごかして、なにかしらの操作をしていた。おそらく網膜に投影した映像を見ながら、これからの報告にそなえているのだろう。ヤマトたちが着席するとリンが近づいてきた。

「今日、アスカが退院したそうよ」 

 リンが報告データをチェックしているアイダ李子のほうに目をむけながら言った。

「アスカ、出れるの?」

 レイが素朴な疑問を口にしたが、李子が首を横にふってそれを否定した。レイは「そう……」とひと言呟くと、それ以上それについて言及しようとはしなかった。

 ブライトが入室してくると、すぐにエドが立ちあがって報告をはじめた。

 

「亜獣アトンの急所は首のうしろにあります」

 エドが空中に3Dグラフィックスで再現されたアトンの映像を表示させ、頭の部分を拡大させると、多数の目がある顔側とは反対の首のうしろ、人間でいうと延髄にあたる場所を指さした。

「ただ、ここは甲虫では『前胸背板』と呼ばれる甲冑のようなもので覆われていて、簡単には攻めることができないんです」

「目じゃなかったの」

 レイがぼそりと言った。

「あ、いや、申し訳なかった。あの時点では特定できなかった」

「そこ、裏側だったから、どっちにしろ私たちは無理だった」

 それを聞いて、ブライトがエドのほうに手を挙げた。

「エド、仮にだが、もしあのとき、リョウマの銃弾が予定通りの場所に着弾していたとしたら、どうだったのだろうか?」

 エドはあからさまに言いにくそうに、「あー、えー」ということばで言い淀んだが、やがて観念したのか、鼻梁びりょうに指をおしあてて、眼鏡を持ちあげながら言った。

「たぶんですが……倒せていました」

「あと……、0・5秒速ければ、急所は破壊できたと思います」

 それを聞いたブライトは忌々しげに机に拳をドンと激しく叩きつけた。

「ほんの一瞬……、ほんの一瞬ではないか……」

「えぇ……、残念です……」

 エドはまるで自分が悪いことでもしたかのように、消え入りそうな声で言った。

「だったら、次はぼくが撃つよ」

 ヤマトが沈み込みそうになった空気をふきはらうように言った。

「すまねーな、ヤマト、無理なんだ。あの銃はセラ・プルート専用で、ほかのデミリアンでは使えないんだ」 

「ではどうすればいい!」

 ブライトが苛立ちを爆発させるように言った。

「この場所にヒットさせようとしたら、亜獣が起ち上がった時、真上から首の付け根を貫くか、飛んでいる時に真横で突くかするしかないと思います」

 エドのことばにブライトより先にリンが反応した。

「ちょっとぉ、エド。どうやって、それを実行するの!。あんな針の攻撃をかいくぐって近づくのは無理でしょ」

 エドは、リンのほうに顔をむけて、咳払いをすると言った。

「それについては、アルに提案があります」

 指名されてアルがもったいぶった顔つきで起ち上がった。

 

「『万布ばんぷ』を使うことを提案させてもらいたい」

 アルの提案にリンがいくぶん怒気を含んできこえるような声で訊いた。

「万布?。あのさえないネーミングの形状記憶繊維のこと?」

「えぇ、あれですよ」

「あれって、テーブルウェアでしょ?。念じるだけで、カップとか皿とかボウルとかに形状や固さを自在に変えられるナプキンみたいな」

 リンはテーブルの上で、それを使用していることをイメージして、小物を持ちあげるしぐさをしてみせた。アルはその抗議ににんまりとして笑みを返した。

「その万布のバカでっかいヤツを用意したんですよ」

 目の前に浮かび上がっていた亜獣のデータが、ひらひらとはためく布の3Dのホログラフのデータに差し替わった。

「こいつに形状を記憶をさせました」

 アルはそのホログラフの映像にむかって『盾』と声をあげた。

 すると、布が瞬時にぎゅうっと反り返ったかと思うと、硬化して盾状の形をとどめた。

「こいつが『盾』。こいつはTNTミサイルの直撃ていどなら防御できる硬さがあります」

 続けて、アルが『ネット』と声をあげると、こんどは形状が目の細かいネット状に変化した。

「『ネット』にすれば、あの針を弾力で受け止めて勢いを殺します。柔軟性に富んでいますが、簡単に破れたり、穴が空いたりしません。こいつが優れているのは、基本的に布なので、携帯しても機動性をうしなわずに済むことなんですよ」

 ブライトがヤマトとレイのほうを見て、「どうだ、ヤマト。使えそうか?」と訊いた。

 ヤマトはブライトの真摯な表情に驚いた。

 数日前の夜、ヤマトからあれほどの屈辱をうけたのに、一切のわだかまりも感じさせず、純粋に司令官として職務を全力で果たそうとしている。

 普段は、大人の論理を威圧的にふりかざし、重要な局面では決断をためらい、いざという時は責任を言い逃れするような、ヤマトが一番毛嫌いする種類の人間だったが、いい意味でも大人だった。

 軍人としては優れていると認めざるを得ない。

 司令官ではなく、調整役である事務官であれば、ヤマトも尊敬できていただろう。彼の不幸は、自分の身の丈以上の地位を拝命してしまったことなのかもしれない。

 ヤマトはブライトの視線を意識しながら、ほんの一瞬もったいぶった。

「ん、まぁ、心強い武器だと思う。硬度があの針をまちがいなく防げるのなら、強力な盾になる」

「だろ、レイ?」

 ヤマトはレイに同意を求めた。たぶん、レイなら与えられたものなら、どんなものだって使うだろうと見込んでのことだったが、レイの返事はこれ以上ないほど、満点だった。

「わたし、これ、使いたい」

 それを聞いて、ブライトの顔にわかりやすいほどに安堵の表情がひろがった。アルはというと喜色満面の笑みで「あぁ、いいとも、いいとも」と言いながら、なんども大きくうなずいた。今にも身を乗り出して、レイに抱きつきそうな勢いに、ヤマトは苦笑した。

 ブライトはひとしきり嬉しそうにすると、表情をすっとニュートラルに戻して、アイダ李子のほうに、真顔をむけた。

「さて、アイダ先生、亜獣の幻影攻撃について対策を聞かせてくれないか」

 

 そのひと言で、室内を包みかけていたポジティブな空気はもうそこにはなく、一瞬にしてピンと緊張感が張りつめた。アイダ医師はすっと立ちあがって口をひらいた。

「ブライト司令、先日も申し上げましたが、時間がまだ足りません。エドからの情報も少なく、有効な手段を断言することはできません」

 ヤマトには、李子がブライトに、いくばかりか挑戦的な目をむけているように見えた 

「ですが、亜獣の幻影の分析から、なにかヒントが掴めると考えています」

 李子は目の前でぴらぴらとはためいている万布の3D映像をスワイプして、円グラフを呼びだした。円グラフは3つに区切られていて、一番おおきな部分は55%と過半数、あとの2はそれぞれ30%、15%となっていた。

「これは先日、街中で亜獣アトンの幻影を見せられて被害にあった人々を、死亡時のヴァイタルデータや表情などから3つにカテゴライズしたものです。一番大きな円は『喜び』。次が『怒り』、そして残りが『不明または恐怖』です」

 ブライトがいきなりの説明にたまらず尋ねた。

「アイダ先生、ちょっと意味がわからないのだが……」

 だが、李子はそれにはとりあわず、次の円グラフを表示して話しを続けた。次に現れた円グラフは、60・30・10%に切り分けられていた。

「まだ全部ではないのですが、つぎに、故人の家族や知人からにヒアリングして、故人に心残りがある人や想っている人、恨んでいる人がいないかを抽出しました。それを重ねたものがこのグラフになります」

「被害者たちは、亜獣に襲われているさなかにもかかわらず、死の瞬間、その多くが幸せそうな表情を浮かべていました。ヴァイタルデータをみると、それらの人は脳内報酬系と呼ばれる「ドーパミン」が大量分泌されており、家族らの、逢いたいと思う人がいた、という証言と、ほとんどが紐づけできました。逆に異常な量の「アドレナリン」が分泌した人には、憎んでいる人や忘れたい人がいたという証言と紐づけされています」

 ブライトがその意図を理解して、口をはさんだ。

「ということは、約60%は、逢いたい、と思う人に最後出会えて、しあわせな気分のまま最後を迎えた、ということになるのか」

「えぇ。残念なことに、リョウマ君は、後者の30%のほうでした」

「ならば、これをもとに、どういう対策がうてる?」

 アイダ李子は両手を軽く上にあげて肩をすくめてみせた。

「ブライト司令、わたしは精神科医です。人間専門のね。幻覚に取り憑かれた人をなんとかしてくれ、というご依頼なら、専門家ですからなんとかしてみせます。ですが、幻覚に取り憑かれないためになんとかしろ、と言われても……」

 ヤマトはそのやりとりを聞きながら、もしもの時、自分の元へは誰が現れるのだろうか、と思案した。パッと思いついただけでも、候補が何人もいる。が、ふと、逆にその候補をピンポイントで選ばせて、幻影として出現させられれば、あらかじめ対策がうてるのではないか、と思い当たった。

「どうした、ヤマト」とブライトが訊いてきた。気づくと、いつのまにか自分でも意識しないうちに挙手していたらしい。

「いえ、対策を思いついたような気がして……」

 室内の参加者が一斉のヤマトの目をむけた。

「誰が現れるかわからないから動揺して、幻影に翻弄ほんろうされるんですよね。なら、こちらから『誰か』を指定してやればいいんじゃないかな。あらかじめ現れる人物がわかっていたら、なにか事前に対策が打てそうな気がする」

「ヤマト、そのなにか、とは何だ?」

「ごめん、ブライトさん、まだそこまではちょっと……」

 ブライトが落胆して、大きく嘆息した。それを見て、ヤマトはあわててことばをつけ加えた。

「でも、なんとなく見えかかってるんだ。次の亜獣出現までにはなんとかできると思う」

 ブライトは顔をあげると、エドに強い口調で尋ねた。

「エド、次の亜獣出現予測時間はいつだ?」

 エドは待ってましたとばかりに声を張った。

「5日と約5時間後、活動時間は25分23分です」

 

 あと五日……。



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第51話 あの男は立場を利用して「希望」という面倒を押しつけてきただけだ

 『ゴースト』での入室申請がはいっていると連絡があったので、アスカはそれを渋々と認めることにした。病院ではスタッフたちに腫れ物を触るようなあつかいをされて、少々うんざりしていたので、ロンドン時代の友人たちと昔話をすることで、良い気分転換になればありがたいと考えた。

 しばらくすると、天井の一部が開いて、小さな消しゴムサイズの機器が飛び出てきた。全部で三機。その機械は天井近くにふわりと浮かぶと、すぐに床にむけて3D映像を投影しはじめた。そこに自分と同年代の少女たちの姿が浮かびあがった。

「はぁい。カオリ、おひさしぶり」

 その名前を呼ばれると、たちまち懐かしさがこみあげてきた。

 トレードマークの栗色のロングヘアをばっさりとカットしていたが、アスカにはそれがキムだとすぐにわかった。兄の一番お気に入りだった、仕切りたがり屋の学級委員。ジュニアハイスクールの時は、品行方正を絵に描いたような顔立ちだったが、今はその雰囲気がほとんど感じられないことに驚いた。

「カオリ……、リョウマさんのこと……聞いたわ」

 まるで嗚咽おえつでもこらえているように、口元を押さえながら話しかけてきたのはヴァネッサだった。セレブリティをなんの屈託もなく演じられる学園きってのお嬢様。いつも上から目線の話し方が鼻についたが、本人は意識していないだけに始末に負えないといつも思っていた。

 最後のひとりシェルミーは、こわばった顔で一生懸命笑顔をつくって、無言のまま手を挙げて挨拶をした。この女には転校したばかりの頃、よく嫌がらせをされた。強い者にへつらい、弱い者を徹底的に見下すタイプの人間だ。

「カオリ、大丈夫?。リョウマくん……」

 キムが口を開いたが、アスカは彼女たちに主導権を取られたくなかったので、彼女のことばに畳みかけるように答えた。

「仕方ないわよ。あたしたち軍人の端くれなんだから……。ただ、運が悪かっただけ」

 ヴァネッサは何かを言いたげだったが、まだ口元を押さえたまま目だけで、憐憫れんびんの情を送ってきた。悲しまれるのはよくても、憐あわれまれるのは我慢ならなかったので、少し当てこすりもこめて言い放った。

「あんな兄貴だったけど、あんたたちと好き放題やってたんだし、まぁ、生き急いだってとこかしらね」

「好き放題やってたって、どういうことよ?」

 怒ったような声でシェルミーが訊いた。

「だって、そうじゃない。兄さん、いつもあんたたちと、取っ換え引っ換えデートしてたんじゃない。そのせいで妹のあたしは、すっかりほったらかされっぱなし……」

 そう言い放って、アスカはすこし後悔した。その場がとても気まずい空気に包まれたのを感じたからだった。三人は笑いとばしてくれる、と思ってくれていただけに、予想外だった。やがて、キムがゆっくりと口を開いた。

「あのね、カオリ……」

 そういうなり口ごもってしまった。言いにくい、ことなのだとわかった。

「なぁによぉ。言いたいことがあったら言ってよ」

 アスカはその場の雰囲気を変えようと、軽口めいた口調で抗議した。

「リョウマに頼まれたの」

 押さえきれずにシェルミーが強い口調で発した。

「妹と、あんたと仲良くしてくれって」

「みんなリョウマさんに頼まれたんです」

 ヴァネッサも声を上げた。

「え?」

 アスカは見えない張り手を頬にくらったような気がした。

「リョウマさん、みんなの憧れだったから……」

 また口元に手をあてて、絞り出すようにヴァネッサが続けた。

「みんなデートしたい、彼女になりたいって思ってたわ」

 キムは顔に手をあてて言った。うしろめたいところがある時に、思わずでてしまう彼女のあいかわらずの癖。

「あんた、学校来たばっかの時、全然みんなに馴染めなくてひとりぼっちだったでしょ」

「そうそう、生意気ばっかり言ってモン。だからわたしは気に入らなくて、ちょっと嫌がらせしたんだけど……」

 シェルミーが苦言めいたことを口にしたが、それでもアスカには彼女が慎重にことばを選んで話してくれているのがわかった。

「わたしもあなたのこと苦手だった。寮の規則は守らないし、本当に手をやかされた」

 キムもやんわりとカミングアウトしてきた。自分のやってきたことを思いだすと、もっと激しく憤る権利が彼女にはある。そこまで二人が話したことで、自分も告白しなければ、と思ったのか、ヴァネッサまでもが、自分は好きになれそうもなかったので、ずっと無視し続けた、と心情を吐露した。

「でも、リョウマくんは、わたしたちみんなに頼んできたの。ほらなんて言ったっけ、日本式の最大級の頼み方……」

「土下座」

 キムの話しに、シェルミーが補足をいれた。

「そう、そんなんまでして頼まれたら、ねぇ」

 キムはあとの二人に同意をもとめるような視線を送った。ヴァネッサもシェルミーも促されるようにかぶりをふった。

「リョウマくん、カッコよかったし、優しかったし……」とキムが言うと、ヴァネッサが「リョウマさんは、知性的で見識が深い上に、とても礼儀正しかったわ」と主張してきた。シェルミーは二人とは違う見解で「リョウマはスポーツマンでとてもたくましいのに、どこか放っておけない弱みがあって……」と各々が感じた魅力をアスカにぶつけてきた。

 アスカにはわけがわからなかった。

「で、どういうことなのよ?」

「だから、あなたと仲良くして欲しい、っていうリョウマくんの願いをきくことにしたの」

 アスカは突然、あたまのなかのもやもやが晴れたような気がした。だが、晴れたことで見たくも、知りたくもなかったものが見えてしまった。

 ロンドンの寄宿舎になかば強制的に送られて、心ふさいだ日々が、ある時から突然嘘のように変化して、楽しい学園生活になったのは、兄のおかげだったのだ。裏工作とも言える兄の支えで、自分は充実した日々を送れたのだと今知らされた。あのハロウィーン・パーティーではしゃいだ時も、グレート・バリア・リーフでのスクール・トリップの時も、スポーツ・デーで活躍したときも、いつも自分がその中心にいれたのは、兄の力だったのだ。

 アスカの目から涙がつたい落ちた。それに気づいたキムが声をかけてきた。

「カオリ、大丈夫?」

「えぇ、もちろんよ。あったり前じゃない」

「でも……」

 アスカは指先で涙を拭うと、胸を張って言った。

「兄に、すてきな思い出をくれて、みんな本当にありがとう」

 素直な感謝の気持ちを露にしたアスカのことばに、三人は皆とまどっているようだった。だが、すぐにアスカの元に近寄り、口々に慰めのことばをかけてきた。

 アスカはいたたまれない気持ちでいっぱいになった。

 

 バカ兄貴、バカ兄貴、バカ兄貴……。

 こんな生意気な妹のために……、最高の……バカ兄貴だ。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ブライトはその夜遅く、自分宛ての機密メールボックスに、最新データが届いているのに気づいた。網膜デバイス上で、アップデートをしめすアイコンがチカチカと点滅していたのだ。彼は空中に指をはわせると、網膜に直接投影されたデータを目の前の空間に展開した。

「969」と記されたアイコンがアップデート対象であることがわかった。それはクロックスのメンバー三人の経歴などのデータになにか変更点がくわえられたという知らせだった。

「おかしいな。リョウマのデータはすでに廃棄済だが……」

 ブライトが思わず呟き、その中にアクセスすると、「RAY」と記されたアイコンにアラートマークがでていた。ブライトはそのアイコンに指をあてると、突然目の前に報告書がつきつけられ、勢いよく下にむけてスクロールをはじめた。それは訓練を受けた者か、動体視力をDNAレベルで強化された者でしか、追うのが困難なスピードだったが、ブライトはなんなくそれに追随した。が、数ページを読み進めたところで、手を前にだして制止するジェスチャーをして、その動きをとめた。

 ブライトはハッとした。手が自分でも驚くほど震えていた。

「なぜだ、なぜ今ごろになって、こんな重要なデータを送ってくる」

 ブライトは怒りを口にした。

「なぜ、こんな重篤な欠陥がある子供を、パイロットに任命したんだ」

 怒りのあまりブライトは、横の壁に拳を打ちつけた。

「すでに、ひとりは欠陥品だったというのに……」

 だが、ブライトはふいに笑いがこみあげてくるのを感じた。

 そうだ、彼らは、あの国連事務総長が送りつけてきた人材ではないか……。なぜ、援軍などと勘違いをしていたのだろうか。あの男が自分にエールなど送ってくるはずなどないとではないか。

 あの男は立場を利用して、「希望」という面倒を押しつけてきただけだ。

 

 ブライトは大声をあげて笑いだした。

 どうにもとまらなかった。



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第52話 レイ、君が好きだ

 朝、学校に登校してみると、すでにアスカが机に座っていた。

 ヤマトは挨拶をしようとしたが、護衛についていた草薙素子大佐が先に声をかけた。

「あら、アスカさん。退院したのね?」

 アスカはぷいと顎をつきだすと、ふりむこうともせず「えぇ、そうよ」と答えた。

「あ、アスカ……、退院、おめでとう」

 ヤマトの発した言葉は、どうにも不自然さが拭えないものになった。

「大袈裟よ。どこも怪我してない。ちょっと体調崩しただけ!」

 アスカがいつもの口調でヤマトのほうに顔をむけて、たしなめるように言った。目のまわりはすこし赤かった。たぶん散々泣きはらしたのだろう。

「で、次の出撃はいつ?。亜獣って、二回目以降の出現なら、予測できるようになるんでしょ?」

「えぇ……。でも、あなたはでられない」

 ふいに横からレイがそれに返事をした。ヤマトはすでに教室にいたにもかかわらず、存在感なく座っていたことに驚いた。しかし、それはアスカもおなじだったようだ。

「は、いたのね。存在感ゼロのレイ。で、なんで、あたしが出られないわけ?」

 

「危険だから……」

 

 レイの忌憚きたんのない意見を聞いて、ヤマトはアスカの頬が心持ちひくついたことに気づいた。あきらかに怒りを抑えつけている表情だった。

「なにが危険なのよ。言ってみなさいよ、レイ!」

 ドンと机を荒々しく叩いて、アスカがたちあがった。レイは激しい剣幕をみせるアスカの様子に、まったく動じることもなくアスカを不思議そうに見つめていた。

『これ以上、揉めてもな……』

 ヤマトが仲裁しようと口を開こうとしたとき、草薙がまるで煽ろうとでもするようなことばを投げかけた。

「あなたが取り込まれるからよ。お兄さんみたいに」

 ヤマトはこころの中で舌打ちをした。装飾を排した意見を述べる、軍人としての彼女の性格は理解していたが、これは心無い一言だ。

「そんなに精神が不安定な人を、あのバケモノに乗せられるわけがない」

 アスカが拳を握りしめて、ぶるぶると震えているのがわかった。

「あたしだって、やれるわよ」

「残念ね、本部の決定よ」

「亜獣出現予告は29時間後。この作戦にはあなたは加わらない」

 厳しい口調に馴れているヤマトでも、この身も蓋もない言い方に、さすがにアスカが気の毒に思ってことばを挟んだ。

「アスカ、復帰できるから、もうすこし様子を見よう」

「あなた、お兄さん、殺せる?」

 せっかくヤマトが配慮したのに、レイが無遠慮な質問を浴びせかけた。

 ヤマトはアスカが我慢できずに教室を飛び出していくのなら、それはそれで仕方がないと覚悟した。だが、アスカは突然興味をうしなったように、降参とばかりに両手を挙げると、どんと椅子にすわった。

「そうね、あんたの言う通りかもね。今は無理……」

 ことさらに念を押すように、声を張りあげて続けた。

「今はね!」

 そういうなりアスカは目の前に教科書のデータを呼びだして、授業の準備をはじめた。

 強い子だ。ヤマトはそう思った。

 今、自分が演じるべき、ベストの役割がなにかを感じ取って、みずからのペルソナを封印してみせた。 

 誰にでもできる芸当ではない。

 ヤマトはアスカの横顔をみながら思った。

 

『リョウマに、妹の……、アスカのこの胆力が半分でも備わっていたなら……』

 

  ------------------------------------------------------------

 

 亜獣対策のために各部署の戦略会議に参加させられるのは仕方がなかったが、ヤマトはここのところ授業が遅れ気味なのが気になった。将来目指したい大学や、なりたい職業があるわけでもなかったが、学ぶことは好きだった。戦いという非日常のなかにいるせいで、勉強や学校という日常に、やすらぎを見いだしているのかもしれない。

 だが、今はやるべきことがまだある。

 ヤマトがラウンジに足を運ぶと、レイがすでに応接椅子に座って待っていた。すでに二十時はすぎていて、そろそろラウンジから引き揚げねばならない時間だった。レイはヤマトの姿を認めると、すぐに口を開いた。

「なに?、用って?」

「パイロットだけの秘密会議だ。ほかの人には聞かれたくない」

「なぜ?」

 ヤマトはレイの質問攻撃が続きそうになると判断して、機先を制することにした。

「レイ、君はデミリアンの意識を感じたことがあるかい」

「デミリアンの意識って?」

「ぼくらは自分たちの血液を通して、あいつらと動作や感覚を共有することで、操作をしているだろう」

「えぇ」

「だけど、一番重要なのは、感情なんだ」

「知ってる。だから気持ちを律してる」

「君はね。見事だと思う」

 ヤマトに褒められて、レイはちょっと驚いた表情を浮かべた。

「だが、今度の亜獣、アトンはその感情に揺さぶりをかけてくる」

「つまり、わたしがリョウマみたいになる?」

「あぁ、場合によっては」

「そうなったら、わたしを殺して」

 レイはめずらしく感情をあらわにしていた。

「あなたがそうなったら、わたしが殺してあげる」

「レイ、落ち着いて。ぼくは取り込まれない!」

 そのヤマトの強い口調に、ふっと、レイのささやかな興奮が静まっていくのを感じた。ヤマトはレイの目を見つめた。

「ぼくはこの程度で心をゆらぐような、生半可な修羅場をくぐってきてはいない」

 レイが妙に合点がいったようにかぶりをふった。

「で、どうすればいい?」

 ヤマトはやおら椅子から起ちあがると、レイのうしろにまわりこみ、うしろから覆いかぶさるように近づいた。そして耳元で囁いた。

 

「レイ、君が好きだ」

 

 レイの顔はこちらから見えなかったが、あまり驚いていないように感じた。

 ヤマトは少しおおきな声で、

「上出来だ、レイ。亜獣の幻影はたぶん今のように不意をついてくる」

 レイがうしろにいるヤマトの方へ顔をむけた。

「で、どういう風に対策を?」

 ヤマトはレイがあまりにも動揺していない様子に、ちょっとプライドが傷つけられた気分だったので、わざと声を張ってみせた。

「アイダ先生が言ってたように、レイの大事な人、好きな人、嫌いな人、恨んでいる人、どれかはわからないが、一番思っている人が君の元に現れるはずだ」

「だから、こちらから強く念じることで、ぼくらのこころの中から出現させる相手を指定さえればいい」

「でも、その誰かに取り込まれるわ」

 ヤマトはたくらみに満ちた表情で口元をにやつかせた。

「ふたりで亜獣を騙そう」

「どうすれば?」

 

「ぼくらの記憶に偽の情報を潜り込ませる」



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第53話 この個体を、すこし前の時間に、空間ごと戻した

 真夜中すぎになって、ヤマトはこっそりと寮を抜け出した。

 完全な規則違反であるのは承知している。夜中にパイロットエリア以外をうろつくことは、生命の危機に直結するので禁則事項でもあった。

 だが、どうしても確かめなければならないことがある。

 しかも誰にも知られずに。

 出撃レーンにむかうと、ヤマトは誰もいないことを確認しながら、マンゲツのコックピットにすべりこんだ。あとでばれるのは承知していたが、いま、見とがめられなければ良い。

 『共命率』………。

 ヤマトはシミュレーション戦闘での、自分とマンゲツとの感覚や動きのシンクロ率を計る『共命率』の数字に納得がいかなかった。あの数字では、99・9スリーナインとは言えない。

 

「おかしいわね。まだマンゲツは本調子じゃないのかしら……」

 三回目の日本国国防軍との合同訓練が終了した時に、春日リンが手元のペーパー端末を覗きこみながら、ぼそりと言った。

「リンさん。まだ怪我が治ってないとこ、あるんじゃないですか?」

 ヤマトは、他人事のように返した。

 

 違う——。

 おかしいのは、マンゲツではなく、自分のほうだ。ヤマトはわかっていた。

『自分がマンゲツを信じきれてないからだ』

 ヤマトはあの時以来、自分がタイムリープしたと言われた時以来、マンゲツに対して疑心暗鬼だけが募っていた。

 あの自分が、死を覚悟した瞬間に聞こえてきた、あの声……。

 正体不明のなにかを同乗させたまま、平常心で戦うのは簡単なことではない。

 

 ヤマトはシートに座るとすぐに、穿刺針を自分の腕に刺す、デミリアンとの感覚共有オペレーションを実行した。すぐに左の『動脈チューブ』から自分の血が送りだされ、反対側の『静脈チューブ』へ血が送り返されてくる。ヤマトはそれを確認すると、座席から降りて正面のハッチの上部にあるメイン電源をオフにした。

 コックピット内のライトが消えて真っ暗になり、そののち予備電源が起動して室内に薄ぼんやりした光が灯った。ヤマトは、次にその下に並ぶ旧式のトグルスイッチをいくつか、下に押し下げた。

 これで、これからこのコクピットで起きることが、外に漏れることもなければ、内部で勝手に記録されることもなくなった。

「これで、外には漏れない」

 ヤマトはそうひとり呟くと、あの時とおなじ状態を再現するために、自分の背面にあるデミリアンとの直結手順のための、三つの安全装置を順番に操作していった。

 だが、さいごのダイヤルを下に押し込んでもなにも起こらなかった。

「マンゲツ!」

 ヤマトはそう叫んでみた。だが、薄暗い室内からはなんの反応もなかった。

 ヤマトは、もう一度、デミリアンとの直結手順を見直そうかと、自分の真上にある安全装置を覗き込んだ。そのとき、ふと、その装置の上、天井すれすれのところになにか銘板のようなものが黒光りしていることに気づいた。それに手を伸ばしてみる。そこには名刺サイズの大きさのちいさなハッチ。ハッチはなにかで煤けて黒ずみ、近くの壁と同化していた。よほど注意深くみなければわからない。

 ヤマトはそのハッチの開口部に爪をたてて、横にゆっくり押し開いた。

『なんだ、これは?』

 ハッチの奥にはなにもなかったが、なにかプレートのようなものが埋め込まれているのが見えた。

『ずいぶん年代もの…っていうか、まるで遺跡みたいな……』

 ヤマトはプレートの表面部分を指でぎゅっと拭った。油とも土ともつかない黒い汚れの下から、面版にレリーフ状に浮きでた文字が現われた。

 『か・ん・げ・つ……』

 ヤマトは一度心の中で呟いたが、すぐにそれを言葉にしてみた。

「かんげつ」

 そして、もう一度、今度はコックピットという狭い空間には不釣り合いなほど大きな声で叫んでみた。

「かんげつ!!」

「おまえだろ、あの時、ボクに話しかけてきたのは」

 その時、微かな信号のような声が脳に直接語りかけてきた。

『やまと・たける……』

 ヤマトはハッとした。

 この声だ……。

 この声があの時、自分に途切れ途切れに、なにかを囁いてきた。間違いない。

「おまえは何者だ?、あの時、なにがあった。いや、何をした?」

 ヤマトはカンゲツの反応を待った。あたりに気を配る。レリーフは操縦席の背後の上部の天井ちかくに取り付けられているが、本体がそこにあるとは限らない。先入観は禁止だ。

『……を戻した』

 ふいに聞こえてきた細い声。

「なにを戻した?」

『時を……戻した』

 ヤマトがごくりと唾を飲み込んだ。あまりに現実離れした回答に一瞬を虚をつかれた。「どういうことだ?」

『この個体を、すこし前の時間に、空間ごと戻した…』

 ヤマトの脳裏に何度も反芻して見返してきた映像がフラッシュバックする。

 サスライガンの死骸を横目にゆっくりとたちあがったマンゲツが一瞬消えたかと思うと、

瞬時に、マンゲツを中心にした数十メートルの同心円の場所が、水浸しになっている映像。

そして、いつのまにか消えたサスライガンの死体。その後、身体のいたるところを骨折して、その場に崩れ落ちるマンゲツ。

『時間跳躍させたというのか?』

『代償に……、なにか消失している……』

「アコンカグア…」

 ヤマトはすぐに思い当たった。連日報じられていたサスライガン関連のニュースを見ている時に、何度も見た。あの時、続けざまに報じられたニュースで、大きく欠けた山の頂の映像を何度見ることになったか……。

『等価交換……』

『四解文書』という重要機密を知っている自分ですら、聞かされていなかった新しい事実に、ヤマトは心が躍りたつような高揚感を憶えた。

「かんげつ……おまえ……なにものだ?」

 

 

『わたしは、この個体の命と秘密を守るもの……』



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第54話 ごめん、アスカ。キミの想い出の遊園地、今から戦場になる

 亜獣出現予定の当日は朝から、各部署担当やクルー、ロボットたちで、出撃レーンはあわただしさ一色になっていた。彼らのペースに引っ張られて、調子を崩したくなかったので、レイはセラ・サターンに搭乗し、彼らの邪魔にならない場所で、万布を使いこなすための訓練の最終点検をしていた。

 レイは、万布をセラ・サターンの首にケープのように巻くと、それをすっと引き抜きながら、「盾」と呟いた。布の終端が、首から離れるか離れないか、というタイミングで万布は形を変えた。レイが防御態勢の構えをした時には、すでにレイの手には盾が握られていた。レイが「布」と呟くと、それが手からダラリと垂れ下がり、元の布にもどった。レイは、すぐさま、「ネット」と呟き、形状をネットに変化させた。左右の厚ぼったい部分をもってピンと張ると、柔軟性に富みながらも、強靭な網に変化した。さきほどの盾の倍ほどの面積があり、かがんだ状態ならじゅうぶん全身を隠せるほど大きかった。

「レイ、使いこなせそうか?」

 ヤマトのコックピットの映像がサブモニタに映った。ヤマトはいつの間にかマンゲツに乗り込んでいた。

「えぇ、問題ない」

 レイがそう答えると、画面のむこうのヤマトが安堵したような顔を返してきた。レイがヤマトに声をかけようとすると、サブモニタにアルが割り込んできた。

「ヤマト、調子はどうだい?」

「あぁ、アル。ヴァイタルみてくれよ。鉄分もばっちりだろ」

「あぁ、そうだな」

 モニタのむこうでアルが、ヤマトに対してなにかいい淀んでいるのが感じとれた。

「なぁ、ヤマト、すまねぇな。昨夜、マンゲツが……」

 ヤマトがすぐにつよい口調でアルを制した。

「秘密の特訓だ。あとで正式に詫びるよ」

 アルは複雑な表情をしていたが、やがて「新型のサムライソード、搭載しといたぞ」と声を張った。

 レイにはヤマトの表情が晴れやかになるのが見えた。

「アル、何秒持つ?」

「あ、そうだな。3秒はもつと思う」

「了解」

 ヤマトはそれだけ言うと、アルとの交信を切った。レイには、ヤマトがあわてて打ち切ったように見えた。なにかやましいことでもあるような素振りだ。

「タケル、秘密の特訓って、なに?」

 レイの質問にヤマトは関心なさげな口調で淡々と答えた。

「レイ、秘密だから、秘密の特訓なんだよ」

 ヤマトはなにかをごまかしている……。

 レイは直感的に感じた。昨夜、ふたりっきりで、お互いの秘密を告白しあったというのに、まだこの男は隠すことがあるのだ。

『ほんとうに、この人を、タケルを信用していいの?』

 レイの脳裏に疑念が浮かびかけた。だが、司令室のミライから出撃準備完了の合図が送られてくると、レイはそんなことはどうでもいいことに思えてきた。

 すべてを晒していないのはこちらも同じ。

 

 わたしは、自分ですら知らない秘密をいっぱい抱えているのだ。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 アスカはラウンジのソファーに腰掛けて、目の前に投影された映像を見ていた。ラウンジでは部屋の三面を使って一度に50以上の映像が見ることができるようになっている。

 モニタには亜獣出現に備えて、あわただしさを増している司令室、ヤマトとレイのコックピットの映像、そして亜獣の出現予定地の施設の風景が遠景で映し出されている。

 いまの自分はとても不安定だから出撃はできない。

 それは納得した。だが、せめてレイとヤマトが戦ってるのは見ておくべきだ。

 アスカが各映像をチェックしていると、うしろからひとの気配がして、机の前にすっとドリンクのグラスが差し出された。

 執事の沖田十三だった。

「アスカさん、そんなに気をはらないでください。エル様は心配ありませんよ」

「な、なにもタケルのこと心配なんか……」

 アスカは十三に食ってかかろうと身構えたが、十三はやさしげな笑みを浮かべるとすぐに奥の方へ戻っていった。アスカは精いっぱいの虚勢をはって、ふんと鼻をならしてグラスを口に運んだ。

「おいしい……」

 世辞抜きにおいしいドリンクだった。ほっこりと心が休まる気持ちになった。

『アスカ!、アスカ!』

 うしろから機械的な声が自分を呼んでいる声がしたかと思うと、白いボール状のAI『シロ』が転がりながら、リビングに入ってきた。シロはころころと器用に机の脚をよけながら転がってくると、ソファに座っていたアスカの手元にポーンとジャンプして、彼女の腕のなかに飛び込んできた。

 シロはアスカの腕のなかに収まると「ヤマトから伝言だよ」と言い、上部からホログラフを投影し、メッセージを再生しはじめた。

 ヤマトの顔がそこに現れた。

『アスカ……、キミに謝らなければならないことがある』

 アスカはヤマトのいきなりの謝罪に驚いた。

『キミは、自分には思いだしたくなるような良い想い出なんかないって、怒った時のこと覚えているかな……』

『あのあと、謝りにきたよね』

 アスカは恥じ入るようなそぶりも見せず、映像のヤマトに言い訳をした。

「あったりまえじゃない。わたしだって、そういう時があったって思いだしたんだから」

『よく考えたら、楽しいことがあったって。子供の頃、家族で何度か行った遊園地が、とっても楽しかったって……』

 ホログラフのヤマトが、困ったような顔を見せて、言葉をつまらせた。

『ごめん、アスカ……。キミの想い出の遊園地……』

『今から戦場になる』

 ハッとしてアスカはメインモニタをみた。モニタ画面がアスカの思考を読み取って、ヤマトたちが亜獣を待ち受ける施設の近景に切り替わる。そこには、子供の頃の唯一の楽しい想い出が詰まった、遊園地の風景が広がっていた。

『アスカ……、本当にすまない』

 ホログラフのヤマトはそうもう一度だけ謝ると、シロの上部から消えた。アスカはシロを胸に寄せると、ぎゅっと抱きしめた。

 

「ボカぁ……」



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第55話 この身ひとつで盾になればいいだけ。簡単な話しだ。

『せっかくの連休だったのに、残念だったろうなぁ』

 ひとっこひとりいない大型遊園地を見下ろしながら、ヤマトはひとりごちた。そこには、とんでもない高さと長さのジェットコースターや、驚くほど大きな観覧車などが、広い敷地内にいくつも敷設されていた。連休期間中は晴天になるよう天気が設定されていたことを考えると、行楽を予定していた人たちには、申し訳ない気分にはなった。

 今ではヴァーチャル世界やリアル・ヴァーチャリティなど、想像できる限りの娯楽と、目もくらむようなアトラクションが、底なしに楽しめる時代になっているのに、結局、人々はこんなアナログの施設に集っている。あまりにも簡単に刺激が手に入るからこそ、仮想ではない『本物』を求めているのかもしれない。

 しょせん人間そのものがアナログな存在なのだから、デジタルとの共存にも限界があるということなのだろう。

 メインモニタにブライトが映し出された。

「亜獣アトン出現まで、あと30秒だ。準備はいいか、ヤマト、レイ」

 ヤマトはそっけなく「OKです」と呟いたが、サブモニタに映し出されているレイは、コクリとちいさく頷いただけだった。

『緊張しているのだろうか……』

 ヤマトは一瞬いぶかったが、すぐにその考えを撤回した。

 あの時、リョウマを討ち損じたことをあれほどまでに悔やんでいた子だ。緊張などするはずがない。むしろ次こそは逃がさない、と気負っているだけだろう。

「レイ、さきほどの手順を確認しよう」

「えぇ」

「まず、わたしがおとりになって、この『万布』で針の攻撃を防ぎながら、アトンの正面に出る」

「ぼくがキミのうしろに隠れながら追走して、ぎりぎりまでアトンに近づいたところで、キミの背中を踏み台にして上空にジャンプして……」

「アトンの首のうしろにある急所を刺し……」

 モニタのむこうのレイは、そんなものはどうでもいい、と言いたげで、その次の手順の確認を急いでいた。

「もし、その前に幻影攻撃を受けたら?」

 レイが焦るのも無理はなかった。そこからはある意味、出たとこ勝負。昨夜、ふたりで決めた亜獣対策が本当に奏功するかは未知数だったからだ。

「もし、攻撃を受けてうごけなくなる事態が発生したら、まずはうごけるほうがもう一方を守る」

「両方同時に攻撃されたら?」

「取り決めたトリガーワードを相手にむかって叫ぶ」

「もし、お互いとも叫べなかったら?」

「その時は……リンさんとアルに策がある」

 ヤマトはリンが映っているモニタにウインクしながら言った。

「でしょ!」

 モニタのむこうで、リンが戸惑ったような表情で「えぇ」とだけ呟いた。その横にいたブライトが、聞いてない、というムッとした表情をみせながらも叫んだ。

 

「ヤマト、レイ、亜獣、出現の時間だ!」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ズズズ……という地鳴りのような音が、あたりの空気を震わせた。

 レイには亜獣が出現する瞬間にたちあうはじめての体験だったが、なんの感慨もわかなかった。どこから亜獣が出現するかを一秒でも早く把握することが、今は大事だった。

 なにもない空中から、ぬっと亜獣アトンの突き出た頭が姿を現した。ひときわ目をひく大きな観覧車のすぐ横。レイとアスカに散々になぶられた痕は、ほとんど癒えていないらしく、アトンの顔は醜くゆがんだままだった。

 今、この瞬間、あの突き出ている頭だけを狙い撃てれば、という思いが、レイの心にふっともたげ、『万布』を持つ手に力がこもった。

 いえ、今は迂闊なまねをしていい時ではない。

「レイ、行きます!」

 レイはそう言いいながら、万布を首まわりにケープのように巻きつけると、一気に地面を蹴り出して亜獣めがけて走りだした。うしろのモニタを目をむけると、ヤマトのマンゲツがぴったりと追走してきているのが見えた。正面のアトンはみるみるうちに姿をみせはじめ、もうすでに上半身のほとんどがこちらの世界に来ているのがわかった。想定されていたのよりも少し速い。エドたち専門チームをもってしても、0コンマ数秒の誤差は読み切れないなら仕方がない、とレイは腹を括った。

「ネット!」

 レイは首から万布を引き剥がすと、自分の顔の前に両手でもちあげてピンと張った。正面に全身をカバーできるほどの大きさのネットに変形する。

 アトンが上半身の繊毛を逆立てると同時に、無数の針を一気にこちらへ飛ばしてくるのが見えた。

『来る!!』 

 レイは勢いを殺して足を止めると、ネットを正面に据えて、その場に踏ん張り身構えた。

「くるぞ!」

 ヤマトと司令室のブライトから同時に、レイにむけて警告の声がかけられた。

 わかってる!。

 レイは口を開きかけたが、あわてて抗議のことばを飲み込んだ。無数の針が万布を猛烈な勢いで直撃してきた。針は受け止めきれていたが、間断なく繰り出される砲撃のような衝撃に、サラ・サターンの機体がじりじりと後退していく。

『まずい……』

 そう思った時、レイの機体をうしろからマンゲツが肩でぐっと受け止めてきた。

「レイ、耐えろ」

「耐えてるところ」

 レイは万布を張った手にさらに力をこめた。

 ふっと、砲弾の嵐がやんだ。

「レイ、前進よ」

 亜獣を注視していたリンからの指示が飛んだ。

 レイはその命令を耳にするなり、手にもった万布をかなぐり捨てた。

 針の攻撃は連続してできない。連続発射までにはどんなに短くても十数秒が必要。そう分析されていた。その十数秒に勝負をかけるためには、万布を携えていては間に合わないと判断した。

 レイはうしろのマンゲツにかまわず、地面を力の限り蹴って亜獣にむけて飛び出すように走りだした。次の攻撃までに間に合わせてみせる。だが、もし間に合わなければ……。

 

 簡単なことだ。この身ひとつで盾になればいいだけ。たったそれだけの話しだ。



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第56話 ごめん、わたし幻影に掴まった

 レイの思いきりのいい判断をヤマトは高く評価した。

 あの『万布』は望むべくもないほど軽くて丈夫な盾だったが、攻撃に転じた時には、やはり幾ばくかでも機動力を損なわせる代物だ。

 レイのセラ・サターンが亜獣へむけて突進していく。メリーゴーラウンドを踏みつぶし、ジェットコースターのコークスクリュー部分を吹き飛ばしたかと思うと、コーヒーカップを蹴りあげた。うしろから追走していたマンゲツの足元にむかって、コーヒーカップが宙を転がってきた。亜獣の醜い顔が間近に迫る。

 サターンのからだにぎゅぎゅっと負荷がかかって勢いがとまった。レイはその場に屈みこむと、背中を大きく丸めながら叫んだ。

「タケル、飛んで!」

 ヤマトは背中に携えていたサムライソードを引き抜くなり、サターンの背中にグッと足をかけ大きくジャンプした。空中高く舞いあがったマンゲツの手元の刀が光を帯びていく。眼下に亜獣アトンの姿があった。

 剣を逆手に持ちかえ、そのまま上空から急所めがけて剣をふり降ろそうとした瞬間、繊毛針が亜獣のからだから四方に放たれた。針はヤマトのほうへも無数に飛んできたが、彼の視点は、亜獣の首のうしろ一点に集中していた。

『こいつで終わりだ』

 ヤマトがフルサイズまで伸びたサムライソードの切っ先を亜獣の首筋に突き立てた。そのまま、マンゲツが亜獣の肩にまたがる。

 確かな手応えがあった。ヤマトはそう思った。

 だが、亜獣は倒れなかった。首筋に刃を突き立てられながらも、からだを揺さぶり肩の上に乗ったマンゲツを振り落とそうと暴れた。

「なぜだ?」

 ヤマトの疑問をカメラが読み取り、刃が刺さった箇所をクローズアップした。

 ほんのわずか……、ほんの数十センチだけ、急所とされた場所からずれていた。

『なぜ、ずれた?』

 その思考をAIが読み取り、マンゲツの姿を映しだしているカメラを選択し、メインモニタのほうへ転送した。アトンの肩の上に馬乗りになっているマンゲツは、からだの片側だけにおどろくほどの針が刺さっていた。

『軌道を狂わされたのか?』

 その時、レイがヤマトにむかって叫び声をあげた。

「もうひと太刀!」

 ヤマトはその声に脊髄反射的に反応して、剣を引き抜くともう一撃を加えようと、腕を上にふりかざした。が、その剣の切っ先が亜獣のからだに届く前に、マンゲツは宙に放りだされていた。なすすべもなく、マンゲツは近くにあった、ミラーハウスとお化け屋敷を押し潰した。背中の下でかすかに鏡が砕け散る音がした。仰向けになったまま痛みに苦悶するヤマトの目に、羽根を振るわせ飛んでいくアトンの姿が映った。

「くっ、レイ、逃がすな!」

 その時だった。

 ボワンという空間が膨張したような音が聞こえた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 空間が膨張したような音は、レイにも感じ取れていた。これが幻影攻撃の合図かどうかはわからなかったが、慎重を要するべき事態だと心得ていた。

 レイはすぐに自分の状態を確認した。

 今、自分はセラ・サターンのコックピットのシートに座っている。そして、今、目の前で翔んで逃げられた亜獣を追いかけねばならない。

 ちゃんと自分の居場所となすべきことをしっかり把握している。問題ない。

 だが、座っているシートの周りの光景は、その冷静な分析と理解を許さなかった。レイの目には、周りを取り囲む計器類が、古ぼけたタンスや傷ついた柱へと変貌してみえた。そして、自分はいつのまにか、みすぼらしいブランケットにくるまれている。

 これは錯覚だ。

 間違いない。

 だが、自分の手元にあるブランケットは、あの時のものだ。これも間違いない。

 いつも手放さずにいたあのブランケット……。母が機嫌がわるい時は、このブランケットを頭から被って震えていた。本当は鮮やかな緑色だったのに苔むした色に変色して、毛がぼろぼろと抜け落ちた。

「レイ……」

 コックピット内から、自分を呼ぶ声が聞こえた。モニタを通してでも、外部デバイスを通してでもない。テレパスラインのような内耳を直接ふるわせるような音声でもない、なにか心の奥底から湧いて出てくるような声だ。

「レイ……」

 もう一度声が聞こえた。あきらかに自分の背後から聞こえている。その思考を読み取ったAIが、メインモニタを自分の背後を映すカメラに切り替えた。

 

 自分の左の肩口に、血まみれの女が取り憑いていた。



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第57話 ブライトさん。今、あの神名朱門がボクの隣にいる。

 ヤマトは幻影に捕まった、と即座に判断した。

 あと一秒あれば渾身の一撃を食らわすことができた、という後悔は今は考えるべきではない。ヤマトは目を閉じて心を研ぎ澄ませた。さいわいにも亜獣アトンは、この場を飛び去った。すぐに襲ってくる脅威は今はない。

 だが、こんなところで幻影ごときに捉まって、時間を浪費していいわけではない。

 ヤマトは操縦桿に力をこめて、マンゲツを立たせようとした。が、操縦桿は動かなかった。ふと見ると、操縦桿を握る自分の腕に誰かの手が置かれて、押しとどめられていた。

「まぁ、落ち着けって、タケル」

 ふいに耳元で勢いのある声がした。ヤマトが驚いて声のほうに顔をむけると、コックピットのシートの横からこちらをのぞき込んでいる男の姿がみえた。

 神名朱門(かみなあやと)ーー。

 あいかわらず大胆不敵な自信に満ちあふれているにやけた顔。それでいて細かな計算を常に頭のどこかでフル回転しているような落ち着きがある目。こんな二律背反したような表情を同時に浮かべられるような男はそうそういるものではない。

「アヤト兄ぃ。手をどけてくれないかな?」

「だ・か・らぁ、タケル、おまえはいっつも急ぎすぎなんだよ」

 ヤマトにはここにいる、自分のコックピットの横にぴたりとへばりついている男が、まぎれもなく幻影であることわかっていた。ヤマトは操縦桿を荒々しく何度も動かしてみた。だが、びくともしなかった。ちらりと反対側の腕のほうに目をやる。そこにアヤトの手はおかれていなかったが、右腕同様どういうわけから動こうとしなかった。

「亜獣のやつも空気を読んで、どっか翔んでいっちまったんだ。ゆっくり話でもしようや」

 横からアヤトが軽い口調で提案してきた。まるでヤマトの心のなかの焦りを見透かしているようだった。

「アヤト兄ぃ、あいつを逃すわけにはいかない。その手をどけてくれ!」

 たまらずヤマトが叫んだ。

「おまえ、今、エースパイロットなんだって?。なんかすまねえな。おまえ、ひとりにこんな大変な責任を背負わせちまって」

 アヤトがヤマトのほうへ身体を寄せてくると、そっと耳打ちした。

「もう、そろそろ降ろしちゃっていいんだぜ。そんな重荷……」

「だれも、おまえに感謝なんかしてくれちゃあ、いないんだろ」

 アヤトの甘言がヤマトの心をくすぐった。

『まずい、取り込まれる!』

 ヤマトは自分の心が、アヤトのことばに揺さぶられはじめたのがわかった。

「レイ、すまない。こっちは摑まった。援護してくれ!」

 ヤマトは大声でレイに声をかけたが、目の前に呼びだされたレイは、困惑ぎみに眉根をぎゅっとよせた表情をしていた。

「ごめん、タケル。たぶん、わたしも掴まった」

 ヤマトは心のなかで舌打ちをした。あまり想定したくなかった悪い方向の事態に陥っていると感じられた。

「レイ、動けるか?」

「たぶん……、大丈夫」

「なら、そっちのほうが有利だな」

 呟くようにそう言うと、ヤマトは大きく呼吸を整えて、レイに問うように声をかけた。

「レイ、それは君の想い人か?」

「えぇ、残念ながら。あなたは?」

「こっちもそうだ。想った通り、アヤト兄ぃが邪魔しにきた」

「だったら、あなたが、その人をなんて呼んでいたか、忘れないで」

「あぁ、レイ。そっちも、そいつが君をなんて呼んでいたか、思いだせ!」 

「わかった」

 目線だけでレイは了解の意思を伝えてきた。すぐにレイの映像が消え、かわりにブライトの顔が飛び込んでくる。

「ヤマト。アヤト……、神名朱門だと。なにも見えないぞ」

「いえ、ブライトさん。今、あの神名朱門がボクの隣にいる」

 そう言いながら、ちらりと横に目をむけると、アヤトが正面のモニタに映ったブライトにむけて、指を二本ふって挨拶しているのが見えた。



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第58話 レイ、よくも殺してくれたわね

 ブライトはぎりっと奥歯を噛みしめた。

 また、神名朱門の名前が自分を追い込もうとしている。

 彼にはヤマトの横になにも見えなかったが、ヤマトには間違いなくそれが見えているのだろう。だが、レイも同時に幻影に掴まったと聞かされた今では、アヤトの一件での嫌な思いを感じている余裕もなかった。ブライトはリンにむけて咳払いをした。

「リン、策があると聞いていたが、どうすればマンゲツとサターンをこの呪縛から解放できる?」

「策はないわ。ただ、前回のようなことにならないよう応急処置はしたつもり」

「アル!」

 リンがアルに声をかけた。ホログラム映像で空中にアルが投写された。腰から上しか見えなかったが、ブライトはアルがシートに腰掛けていることに気づいた。

「あいよ」

「万が一の時は、すぐに回路を切り替えて。あなたに操縦をまかせるわ」

 ブライトはそのやりとりに耳を疑った。生粋の日本人、しかも95%以上の純度を持つ者しかデミリアンを操作できないというのが常識だったので、そんなにも安易に操縦云々を口にしたことには驚きしかなかった。よく見るとアルはデミリアン用の操縦席を改良したようなシートに座っていることがわかった。

「リン、こんな装置で操縦できるのなら、わざわざ純血の子供たちに頼らなくていいじゃないか」

「まさか。私たちみたいな混血が、あの子を操縦できるわけないでしょ」

「すまねーな。ブライト司令。そうじゃないんだ」

 アルがしゃしゃりでて答えた。

「いや、しかし、今、操縦って言って……」

「あの装置は動かすんじゃないの。これはあの子たちを押さえつけるための装置」

「わりぃな。いざという時こいつで、あいつらの暴走だけは食い止めようっていう腹だ。俺たちがやれるのはそれくらいなんでね」

 ブライトは身体中にわきたった期待が急激にしぼむのを感じた。

「だが、パイロットが……、もしパイロットが取り込まれたら……どうするつもりだ?」

 リンが余裕の笑みをブライトにむけた。

「安心して、ブライト。おなじ轍てつは二度と踏まないわ」

「もし、パイロットがデミリアンに取り込まれたとしても、シートごと強制射出できるように改良しているの」

 強制射出だと……。

 ブライトはこのおんなの口から、当たり前のように残酷な解決法が飛びだしてきたのが、信じられなかった。

「いや、しかし……、そんなことをしたら、パイロットは……」

「あら、両方うしなうような失態をくりかえさずにすむでしょ」

「わたしは万が一の時、デミリアンの方を、あの子たちの方をとる。それだけの話」

 ブライトはリンがヤマトの狂気にあてられたのではないかという思いに恐怖すら覚えた。

 

 いや、そうではない。

 いつもはっきりと白黒をつけてきたではないか、この女は……。自分が取捨選択されない側にいたから、その容赦のない決断に気づかなかっただけだ。彼女から一度心が離れて価値のないものと判断されれば、それは一顧だにすることもない、塵芥ちりあくたと見なされるのだ。

 

 それは、パイロットであっても、元恋人のブライト自身であってもだ。

 

  ------------------------------------------------------------

 

 レイは大きく目を見開いた。ヤマトとことばをかわしているほんの数秒の合間に、女は自分の背中に覆いかぶさってきていた。

 女はレイの耳元にぴたりと口元を寄せて囁いた。

「レイ……、よくも……殺してくれたわね……」

「そ、悪かった?」

「あなた、わたしのこと、口汚くののしったわ」

 女がくわっと目を見開き、ヒヒヒヒと聞こえるような不気味な笑い声を漏らした。口元からは血がだらっと滴り落ち、レイの肩口を血で染めていく。

「おまえが邪魔でしかたなかったからね」

 レイは操縦桿をひくと、セラ・サターンを前進させた。亜獣アトンがいつ戻ってきて奇襲をかけられるかわからない。ぼうっとしていていいわけがない。

「レイ……、安心なさい。あの化物はもう戻ってこないわ。ずうっと私とレイのふたりきりでいられるのよ」

 ふいに女の口調が変わったことに気づいて正面のモニタに目をむけると、自分の肩口から手をまわして抱きついているのは、綺麗だった頃の母親の姿だった。若返りのドリンクを飲んで、もらい物の化粧ロボットに映画スターをまねた化粧を施してもらい、その当時流行していた服を着て、めかしこんだ母親がそこにいた。

「レイったら、お母さんにすこしは構ってよ」

 母がことばを紡ぐようにやさしく言った。レイの心のなかに、なにか懐かしくて、暖かなものが灯ったような気がした。

『ダメ!。信じちゃ』

 レイはあわてて強い意思で、その心地よさを否定した。レイは目を閉じると、心のなかでヤマトから言われた警告を反芻した。

『あいつが、わたしを何と呼んでいたかを思いだせ』

 レイは目を開いた。どんな甘いことばだろうと、どんな厳しいことばだろうと、心など乱してなるものか、という決意に満ちていた。

 レイはふと、セラ・サターンの歩みにあわせて、自分のうしろから抱きついている母のからだが小刻みに揺れていることに気づいた。

『物理の法則を免れない……?』

 レイはぐいっと操縦桿を押し込むと、足のペダルを力の限り踏み込んで、一気に走りだした。さきほど亜獣に突進した時とおなじほどの猛々しい勢いのある歩幅に、コックピット内が揺さぶられガタガタと震える。

「どうしたの、レイ!」

 司令室から誰かがなにか言ってきたが、レイはとりあわなかった。が、その問いかけを合図にして、今度は一気にブレーキペダルを踏み込んで急停止をした。レイのからだが猛烈な力で前方へひっぱられ、背中がシートから剥がされた。上半身が前に飛び出しそうになる。シートベルトが肩と腰にぐぐっと食い込み、それを押しとどめる。

 そのレイの脇をすりぬけるように、レイの母親が前方にむかって飛んでいった。そして目の前のメインスクリーンの奥、ハッチに取りつけられた計測器に音もなく激突した。母はすでに先ほどの血まみれの姿に戻っていた。

 レイは構わず、思いっきり右側に操縦桿を傾け、セラ・サターンのからだをひねった。母親のからだは今度は右側の壁にふきとばされ、デッドマン・カウンターの下の計器類にぶつかった。

 レイは自分の足元にごろごろと転がってきた母親を見下ろしながら言った。

 

「母さん、これからたっぷり、かまってあげる」



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第59話 危険よ!。あの亜獣の幻影はほかのひとに伝播する!!

「レイ!」

 セラ・サターンを急発進したり、急停止したりしているレイに、リンがたまらず大声を投げかけた。あまりにもおかしな動き、すでになにものかに取り込まれた可能性もある。今は、足元あたりに目をやったまま、なにかを呟いている。危険だ。

 こんなとき、パイロットたちがニューロン・ストリーマを埋め込んでいないことがもどかしかった。心の声をそのまま拾えれば、選択肢はいかようにも広がるはずだ。

 リンは空中に表示されている端末を操作して、レイの足元にカメラをパンさせた。

 やはり、何もない。

 だが、リンはレイが足を数十センチ浮かせていることが気になった。

 どういうこと?。なにかを踏んづけてる?

 どうにも気になってリンは、レイの足元のちかくにカメラをズームさせた。

 

 レイの足元に血まみれの女が這いつくばっていた。

 そしてじっとこちらを見ていた。 

 

 リンは息を飲んだ。

 だが、目をしばたいた時には、そこにはもうなにもいなかった。

「今の……」

 リンの口から漏れでたことばに、ミライが呟いた。

「今……、なにか、見えましたよね」

 リンは驚いてミライのほうを振り向いた。彼女の顔はこわばり、血の気がひいているようにみえた。

「血まみれの女の人が……」

 そこまで言ったところで、過呼吸でも起こしたのか、息をつまらせて喘えぎはじめた。

「ミライ。おちついて」

 あわててミライのほうへ駆けよって、背中をさすって落ち着かせようとした。

 リンは、ブライトやアル、エドたち男どものほうへちらりと目配せしたが、それ以外のクルーもふくめて、なぜ騒いでいるのかわからず、こちらの様子をいぶかっている。

 なにも見なかった?。心に疑問がともった。

「今、なにか見た人!」

 リンは大声をあげた。悪い癖だ。ニューロン・ストリーマに回線をあずけて、思うだけで伝わるではないか。

 だが、その問いかけに、おずおずと女性クルーの何人かが手を挙げた。そのだれもが少なからずショックを受けているようにみえた。

 ここにいたって、なにか異常事態が生じていると察したブライトが声をあげた。

「リン、なにがあった?。何をみたんだ?」

 リンはミライの背中に手をあてたまま、ブライトの顔をむけて大声を挙げた。

「ブライト、危険よ」

 

「あの亜獣の幻影はほかのひとに伝播でんぱする!!」

 

  ------------------------------------------------------------

 

『恐怖』が支配している。

 ブライトは顔色をうしなっている、司令部内の女性クルーたちの様子をみてそう思った。

「リン、みんな、なにを見たというんだ」

「血まみれの女の人……」

「血まみれの……」

 ブライトはことばを詰まらせた。一瞬にして司令部をパニックに陥れたのだから、想像を超えるものだと覚悟はしていた。だが、あまりに場違いすぎる……。

 ブライトが女性クルーたちを見渡した。

「君たちもそうか?」

「えぇ、女性でした……」

「血だらけでよくわからなかったけど、女性なのは間違いありません」

 女性クルーたちはブライトの催促に、口々に吐露した。

「なにか心あたりがあるんですか?」

 ミライが呼吸を整えながら訊いた。

「あぁ。だが、これはレイの個人情報にかかわるので……」

「話して!」

 あのリンが取り乱していた。目が血走った必死の形相で訴えていた。

 

「みんなをこのままで放りださないで……」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 リビングでひとごとのように戦況をみていたアスカにも、司令室がパニックに陥っている様子はすぐにわかった。ブライトが戸惑っている様子は見てとれたが、突然各自の思考データや音声データをシャットアウトされたため、アスカには、実際にはなにが今起きているのかがわからない。

 その場所にいた女性クルーたちは、みなこわばった表情をしているのに、男性クルーは棒立ちになったままで手を束ねている様子も不自然だった。さいごに聞こえたのはリンの「あの亜獣の幻影はほかのひとに伝播する!!」だったが、アスカにはこれも意味不明だった。

 それだけではない。さきほどからヤマトはなにやら見えない誰かと、会話しているように見えるし、レイに至ってはぶつぶつ言いながら、挙動不審な操縦をなんども繰り返している。

 いま、現場でなにが起きているのか……。

 アスカは不安で仕方がなかった。彼らはすでになにかの幻影に取り込まれて、兄のようにおかしな行動をおこしていたとしたら、助ける術はない。今、こんなところでシロを抱きかかえてソファーに安穏と座って見ている場合ではないはずなのだ。

 アスカは抱きかかえたシロを強く抱いた。

「シロ……、今なにが起きているの?」

「アスカ、ヤマトとレイ、戦ってる」

「それはわかってる」

「ふたりとも……いっしょう……けんめい……死んで……」

 シロの音声データが途切れ途切れになり、よくわからない返事になっていた。アスカは怪訝に思い、腕のなかにあったシロを持ちあげると、目の前でかざすようにしてみた。なにかボタンを押したのか、とも思ったが、この機械にはアクセントになる大きなリボン以外に突起物がない。どうもそうではないらしい。

「アスカ……、おまえも……死ね……」

 アスカはシロをひざの上に置くと、頭頂部分を見下ろしながらシロに文句を言った。

「シロ、アンタぁ、なにを言っているの?」

 その時、自分の足元に目がいった。

 

 血まみれのおんなが自分の両足を握って、こちらをじっとみていた。



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第60話 時間をかせぐのはかまわないけど、別にアレを倒してしまっても構わないんでしょ?

 

「君たちが見たものはおそらく……レイの母親の幻影だ」

 女性クルーたちを部屋の隅に集めると、ブライトがためらいがちに口をひらいた。亜獣との戦いの最中ではあったが、このままでは女性クルーが集中を欠くと判断した。なによりも取り乱したリンの訴えが、放置できない事態の深刻さを物語っている。

「みな、レイが自分の母親を殺したと信じてること、報告書で知ってると思う……」

 ブライトは全員がそれを把握している体で話しをはじめた。時間が惜しい。細かな説明をしている暇はない。

「えぇ、みな知っているわ。たぶん……」

 リンがみんなを代表するように、ブライトに言った。

「だが、そう信じているだけで、実際は、母親はみずからの手で……」

「自殺……ですか?」

 ミライの口調はまるでブライトに詰め寄るような強さがあった。

 リンがさらに追いつめるように聴いてきた。

「どうやって?」

 ブライトは一瞬言いよどんだ。だが無駄な時間はかけてられない。

「『テロ・ブレイカー』を使った……」

 女性クルーたちがみな、ザワッと色めきたった。ブライトはすぐさま片手をあげてそれを制した。

「だから、母親が血まみれの姿で現われているのもそのせいだ」

「それって、レイはその姿を見たってこと……なの?」

 リンのその声はいくぶん震えているような気がした。

「あぁ、見た。君たちに見えている姿は、レイが見た母親の最後の姿なのかもしれない」

 それを聞いて気分が悪くなったのか、ミライはまた喉元をおさえて呼吸を整えた。リンがブライトに進言した。

「だったら、レイに母親を殺していないことを教えてあげれば、母親の幻影は消える……」

「それはダメだ!」

 ブライトがリンのことばをひときわ大きな声で一喝した。怒鳴りつけたと思うほど強い口調に、リンだけでなく、ミライをはじめ他のクルーたちもビクリとからだを震わせた。

「絶対に真相を告げないでくれ!」

「な、なぜ……よ?」

「先日更新されてきたレイの履歴データにあった……。レイのなかにはいくつかの人格が存在するそうだ」

「いくつかのって……、まさか『解離性同一症かいりせいどういつしょう』?」

「そのなかには危険な人格がある、と報告にあった。もしかしたら、真相を知ったことでさらにやっかいな幻影を呼びだす可能性がある。それは避けたい」

「そんな……」

 ミライが声を震わせた。

「レイの母親も、違う人格を受け入れられず、ずっと混乱していたそうだ」

「そんな時、自分の子供を『レイ』とは呼べず、別の名前で呼んでいたらしい」

 リンが訊いた。

 

「なんて、なんて呼んでいたの?」

 

  ------------------------------------------------------------

 

「あなた、なにしに来たの?。わたしの邪魔?」

 レイは足元に這いつくばっている、血まみれの母親をみすえた。母親は見下ろされているにもかかわらず、レイを侮蔑するような目をむけて睨みつけていた。

「おまえは私を殺した……」

「だからなに?」

「おまえはそれを償わせなければならない」

 母親は男とも女ともつかないひび割れた声をふるわせた。

「償ったから、どうなる?」

「親殺しは大罪だよ」

「そう、大罪ね」

「まぁ、なんて子だ。開き直るのか……」 

「あなたのことなど、どうでもいい」

 レイは母親のことばを一喝すると、司令部にむけて指示を仰いだ。

「司令部、わたしは今から亜獣を追います」

 ブライトかリンが返事をするかと思ったが、予想外なことに、エドが慌てた様子でモニタ画面に現れた。

「ま、あ、いや、ちょっと待ってくれないか?」

「ブライトさんはどうしたの?」

「あ、いや、今、ブライト司令官は女性クルーと席をはずしてるんだ」

「どうして?」

 エドはことばに詰まり、周りにクルーに助けを求めるように、せわしなく辺りを見回しはじめた。

 レイは嘆息して、エドに言った。

 

「時間をかせぐのはかまわないけど、別にアレを倒してしまっても構わないんでしょ?」



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第61話 あぁ、あのセラ・サターンを倒そう……

 

「タケル。あン時のこと憶えてるか。インドでの戦いをサ」

 

 アヤトがにこやかな顔をして言った。

 こいつは……、自分の脇に経っているこの神名朱門カミナ・アヤトは幻影だ。ヤマトは心のなかでそれを反芻はんすうした。

 が、その顔をみたとたん、ヤマトは一気にフラッシュバックに襲われた。

「あの日は暑かったよな」

 これは自分の記憶から、亜獣が作り出した幻覚に過ぎない。ヤマトはわかっていた。それなのに、ヤマトはそのことばに素直に返事をしてしまっていた。

「あぁ、確かに暑かった」

 ヤマトはアヤトとはじめて一緒に戦った、あの日に引き戻されていた。

 

「それにしても人が多すぎる」

 アヤトが空を見あげながら言った。

 空はスカイ・モービルで埋め尽くされていた。民生用の誘導電磁パルスレーンは、逃げようとするスカイモービルの渋滞で、遅々として進まない。そのせいで晴天とは思えないほど、辺りは暗かった。 

 渋滞は空だけではなかった。各所にある道路の映像に目をむけると、幹線道路の『アクラバー・ロード』をはじめ、ほとんどの支線でも身動きできなくなった車が、道を埋め尽くしているのがわかった。

「なんだって、タージマハール廟びょうの近くにこんなに人がいっぱいいるんだ」

 正面をみると、世界遺産タージマハールの手前側に、100階はゆうに越える高層ビルが驚くほど乱立している。景観を損ねないように廟の敷地内には手を付けられて居なかったが、その手前の街は不自然なほどに高層ビルが建ち並んでいた。それぞれのビルには壁面を埋め尽くすように、何重にも積み重なって3D看板が動きまくっていて、CGキャラや映画のスーパースターが、歌い踊って、商品の宣伝に忙しそうだ。ヤマトにはなじみのない食べ物や宗教的意味合いの強い装飾品に興味を感じたが、この緊迫している状況では、それらは単に目にうるさいものでしかなかった。

 ヤマトは正面のモニタに目を向けた。

 タージマハール正面に「アクロバン」と命名された亜獣がいた。

 水色がかった透明のからだは、まるでゼリーで作られているかのような質感で、動くたびにぶよぶよとだらしなく体躯が揺れていた。からだが透明なせいで、外側から臓器や骨格がまるみえで、簡単に急所とおぼしき場所すら特定できていた。しかし、その弾力が強いからだは、マンゲツのサムライソードの刃をまったく受けつけなかった。

 下半身にあるイソギンチャクのような無数の触手を動かしながら、ずりずりと進むアクロバンは、その触手の一部をまるでカメレオンの舌のようにあたりに繰り出していた。すでにその舌に掴まった犠牲者は数千人を越えており、透明なからだに取り込まれゆっくりと消化されていっていた。

 最悪なことに、透明なからだのせいで人間が消化される様子がまる見えで、それがニューロン・ストリーマ等を通じて共有され、収拾がつかないほどのパニックを引き起こしていた。

「さあて、どうするよ」とアヤトが言った。

「父さんたちを待って……」

「バカなこと言うなよ、タケル。おやっさんは今、ニュージーランドだ。駆けつけてきたときゃ、こいつはむこうに戻ってるよ」

 ヤマトは押し黙った。

「さて、おまえのご自慢のサムライソードの刃が通らねーとなると、どうすりゃいいかね?」

 アヤトはのんびりとした調子で思案をしていたが、ヤマトはマンゲツのデッドマン・カウンターがさきほどからゆっくりだが、間断なく、パタッ、パタッとリズムを刻んでいるのが気になって仕方がなかった。

「アヤト兄ぃ、早くしないと犠牲者が……」

「おいおい、そんなこと言ってるとまた怒られるぞ…」

「ひとの命なんでどうでもいいって、おやっさんに散々叩き込まれただろ、まったく」

「うん、そうだけど……」

「そんな甘っちょろい考えじゃあ、戻ったらまたおやっさんにぶん殴られるぞ」

「あ、うん」

「この国の人口は、今現在で10億人。100万、200万の生き死にに、そこまで大騒ぎしても仕方ねーだろ」

 ヤマトはちらりとデッドマン・カウンターに目をやって黙り込んだ。

 アヤトはエドを呼びだした。

「エド、この亜獣……えーと、アクロンだっけ、こいつの弱点わかったかい?」

 モニタにエドが神経質そうな顔をして現れた。

「アクロバンだ、アヤトくん」

 そうひと言、修正すると、エドは3D映像を操りながら、説明しはじめた。

「アクロバンは見てのとおり、からだの構造が外からみてとれるので急所は丸見えだ」

「エド、そんなのをわかってるさ。だが、皮膚とも脂肪ともつかねぇヤツが、ぶ厚すぎてまったく刃が通らねーから困ってるんだよ」

 エドがアヤトにムッとした目をむけると、亜獣の映像をくるりと回して、背面からの角度に切り替えて首筋を指さしながら言った。

「ここをみてもらえるとわかるが、人間でいうところの延髄にあたる部分、ここがその皮膚が一番薄い場所になる」

「んじゃあ、そこ狙って刺せば倒せるってことかい」

「アヤト君、さっきからヤマト君の刃がさんざん跳ね返されただろ。簡単じゃない」

「どーすんのさ」

「このブヨブヨとした身体に穴を穿うがつには、摩擦によるダメージが有効だ」

 その意味に気づいたアヤトが口をにやつかせた。

「おっ、そいつは俺の出番ってことだね」

 エドはあきらかに気分をそこねた顔つきで「あぁ、きみのドリル型の兵器が役にたちそうだ」と言った。アヤトは額に手をあて、嬉しさを爆発させた。

「カァーーーッ、そいつはうれしいね。いっつもツルハシみたいなダっさい武器で戦わされてたからね」

 そこへ仏頂面をしたアルの映像がわりこんできた。

「すまなかったな、アヤト。ダっさい武器で」

「アル、そーなんだよ。俺もサァ、タケルみたいにかっこいい武器が……」

「アヤト、武器の感想はいいから、急いでくれ」

 司令室からブライト司令が苦言を呈した。

「あいよ」

 アヤトは相手が司令官であろうとも、飄々ひょうひょうとした態度で軽口を叩いた。ブライトはあからさまにムッとした顔をしたが、ヤマトはアヤトがこういう生意気な口をきくときは、かなり自信があるときの兆候だと、父から聞いていた。

 アヤトの乗るセラ・マーズが右肩に装着されていたドリル兵器に手を伸ばした。ふだんは厳ついデザインを感じさせるだけの飾り程度の役割しかなかったが、取り外すことで武器になる。マーズがドリル兵器の把手部分をつかんで引きはがすと、ずしりとした重みがマーズの腕にのしかかった。アヤトはすぐにその兵器を持ち替えると、両手で構えてみせた。ウィーンという低い音とともにドリルの先端が高速回転しはじめる。

 アヤトがヤマトのほうにウインクをして言った。

「さあ、準備はできたぜ。穴は俺がしっかり空けてやるから、おまえがソードでとどめをさせ」

「アヤト兄ぃ。了解だ」

「だな。タケル、おれたち二人は『愚連隊』。息のあったとこ、いっちょ見せてやろうぜ」

 

 ふと、フラッシュバックが消えた。

「あんときのオレのドリル捌きどうだったよ?」

 ヤマトは破顔した。

「あぁ、あの時のアヤト兄ぃは見事だった。一発で亜獣の急所に穴を掘って……」

「そんでおまえが電光石火の突きで、あっと言う間に片づけちまったな」

 ヤマトは上気したような表情で、何回もうなずいた。

「ンじゃあ、今度も一撃で始末しちまおうぜ」

「いいね」

「あそこにいるデミリアン、セラ・サターンをサ」

 ヤマトはうわごとのように繰り返した。

「あぁ、あのセラ・サターンを倒そう……」

 そういうと、ヤマトは操縦桿をひき、ペダルを踏み込んだ。

 

 マンゲツは背中に帯同している、サムライソードを引き抜くと、セラ・サターンのほうにゆっくりと歩きだした。



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第62話 シロ、アンタはもう用済よ

 

 足元にとりついた血だらけのおんなが、アスカをみつめていた。

 アスカのからだが反射的にびくりと震えた。

 悲鳴をあげたほうがいいだろうか。

 おんななら許されるはずだ。

 だが、アスカは漏れでそうになった悲鳴を、口元を押さえておし殺した。

 自分は、アスカというおんなは、女という特権に甘んじることを、自分に許さないおんなだったはずだ。アスカがそう腹を括った刹那せつな、足元のおんなの姿がかき消えた。

 アスカはハッとした。さきほどまで司令室を混乱させていたのは、これではないかと行き当たった。

「メイ!。メイ、いる?」

 テレパス・ラインを通じて、リンに語りかけた。

「メイ!」

 もう一度、今度はもっと高圧的に聞こえるように念じた。

「あ、アスカ、どうしたの?」

 ようやくリンが回線に返事をしてきた。アスカには妙に取りつくろっている印象の声色に感じたが、単刀直入に言った。

「こっちにも現れたわ」

「現れた?」

 今度はとても不自然なニュアンスを含んだ声色に変わった、と感じた。目の前のモニタにリンの映像が現れた。

「現れたって……、なにが?」

「血まみれのおんなの人」

 リンの顔が一瞬こわばるのが感じとれた。

「現れたの?、見たんじゃなく?」

「えぇ。わたしの足をつかんで『死ね』って」

 リンが口元を覆った。ショックを隠そうとしているようだったが、その所作自体がそれを隠しきれていない。アスカはリンの心理状態など構わず、聞きたいことだけを尋ねた。

「あれ、誰?」

「あれ……、あれは、レイの母親よ」

 というなり、ここでお終いとばかりに、目の前のリンの映像がふっとかき消えた。

 アスカは合点した。

 今、レイは幻影が捕われている。ピンチに陥っているのだ。

 アスカの口元からふいに笑みがもれてきた。

 仲間が苦境に陥っていることというのに、不謹慎だとわかっている。だが、とめられなかった。

 やっぱりレイじゃ駄目。あたしがいないと駄目なんだ。

 そう確信できた。

 あぁ、アスカは、この子はこうでなければならない。

 やっと自分が演じるべきアスカが戻ってきた、と体中に力がみなぎるのを感じた。

 アスカは膝の上に抱えていた『シロ』をぽうんと床に転がした。

「シロ、アンタはもう用済よ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 あの亜獣は弱い。

 このセラ・サターン一機でも充分しとめられる。レイはそう確信していた。

 A級、S級にランクづけされていた過去の亜獣と比べて、決定的な武器がなかった。こちらをなぎ倒すほどの剛力もなければ、瞬時に辺りを消し去るビームや炎、溶液も吐かない、手が付けられないほど大きくも小さくもなく、目で追えないほど速いわけではない。

 シミュレーション戦闘での、という但し書きはつくものの、それらの亜獣と戦う訓練をしたレイからすると、むしろ与くみしやすい敵といってよかった。人間に対しては圧倒的な殺傷力があるものの、銃弾のように針を飛ばすだけの攻撃と、幻影攻撃だけなのだ。

 今はそのうちのひとつ、幻影攻撃を受けているまっただなかにいるとはいえ、なんとか克服できている。脅威は感じない。

 レイはレーダーで亜獣が潜んでいる位置を確認した。周辺を映しだしているあらゆるカメラから、亜獣をとらえているカメラがないかを探すよう命じる。

 正面のメイン映像が目まぐるしい勢いで切り替わっていくと、すぐに森林公園のなかに潜んでいる亜獣の姿が映し出された。ここから2キロほど離れた場所にある、森のなかを疾走するジェットコースターの近く、地面に潜っていくコースに設置されたカメラが、下から煽るような角度で亜獣アトンを映しだしていた。

「レイ、おまえは母さんを捨てるつもりなのか」

 正面の映像にかぶさるように、母親が恨めしげな目をしてこちらをみていた。レイはそれを無視すると、司令室にひとこと告げた。

「レイ、行きます」

 セラ・サターンが、ダッシュのためにぐっと足を踏み込んで体重を乗せ、からだをうしろに反らした。その時、うしろからなにかが自分にむけて振り降ろされるのに気づいた。レイは反射的に、横に跳ね飛び、宙にからだを踊らせた。地面に転がりながらその場所を見ると、空を切ったマンゲツのサムライソードの刃が、セラ・サターンのいた場所の地面をえぐっていた。



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第63話 わたしのことののしるのに『レイ』なんて呼ばなかったわ

 

『もし追撃してきたときは、迷わずぼくを殺せ』

 ヤマトの攻撃をかわした瞬間、レイは一瞬、昨夜ヤマトから告げられたことばが頭をよぎった。だから横っ飛びから体勢を整えるなり、薙刀なぎなたをマンゲツのほうへ向けた。

 もう一撃来たらそれは幻影に取り憑かれた証拠……。

 その時は迷わず、タケルを殺す!。

 だが、マンゲツは刀をふりおろしたままの体勢で、その場からぴくりとも動こうとはしない。

 茶番はお終いだ。

「タケル、操られたふりはもういい」

 モニタのむこうでヤマトが肩をすくめてみせた。

「あれ、計画だともうすこし長引かせるはずだったけど?」

「ごめん。こっちも立て込んでる」

「んじゃあ、そっちも片づけろ」

 レイはタケルのことばを聞くなり、踵きびすをかえして亜獣のほうへむかおうとした。

「レイ、いかせないよ」

 足元のアクセルを踏ませない、とでもするようにレイの母親が、レイの両足首に手を延ばしていた。だが、まったく接触されている感覚はない。

 掴んでいるつもり……なの。

 レイはかまわず、アクセルを踏み込んだ。セラ・サターンが前に飛び出すと同時に、母親のからだが飛ばされて、目の前のハッチに音もなくぶつかった。

「レイ、おまえはなんて親不孝なの……」

「あなたは母じゃない」

「なにを言うの。いい母親じゃなかったのは認めるけど……」

「いいとか、悪いとかじゃない」

 レイはそれが本物の母の霊魂であったとしても、いっさいの抗弁を認めるつもりはなかった。ましてや偽物では、聞く耳をもつ必要すらない。

 レイの母親が血まみれの顔をさらに異形にゆがめて、怒りの表情をあらわにした。

「レイ、なんて子だ。母親になんて口を……」

「ねぇ、母さん、気づいている?」

「あなた、わたしのこと罵るときに、『レイ』なんて呼ばなかったわ」

 母親の顔の怒りの色があきらかに狼狽するものに変わったのがわかった。

「わたしは、嘘の記憶でずっとあなたを欺いてきたの」

「嘘つき。な、なんて呼んでいたのさ」

 母親がかっと目を見開き、すごんでみせた。口からは血がしたたり落ち、目からも血が涙のようにつたい落ちた。

 

 レイは目を閉じてその日のことを思いだした。

 その日のレイの母親は、酒かドラッグのせいなのか、目の焦点はうつろで、顔は赤らみ、すこし興奮しているようだった。いつもとちがう様子に、幼き日のレイは脅えていた。母親は時々、こういう姿をみせることがあったが、その日は特に様子がおかしかった。母は片手にペーパー端末をぴらぴらとさせながら、レイの目の前につきつけてきた。

「これ見なさいよ。これはおまえの出生届……」

 その文書データに記載された文字は漢字だらけで、レイにはまったくわからなかった。それよりも、なにかわからないものを突きつけて、一方的にまくしたてる母の態度が怖くて、なにも言えなかった。

「あんたがこの国の国民で、ここで生きているってことを、認めてくれる証明書よ」

 母は悲しそうな顔をして、レイの目の前に書類の一部を指さした。

「ほら、ここ見て……。あなたの名前んとこ……」

 指し示した欄をおそるおそるレイはのぞき込んだ。

 なにも書いてなかった。

 名前・性別、父親の欄、どれも空欄だった。

「ごめん、おまえには名前をつけなかったの」

 母はそう言うと笑いをかみ殺した。

 今でも、その時の笑いがどんな感情からきているものなのか、レイにはわからなかった。

母は、嘲っていたのか、喜んでいたのか、苦しんでいたのか……。

 その時のレイは訳がわからず、ただちいさなからだを縮こまらせただけだった。

 

 うろたえた表情を隠しきれずにこちらを注視している母にレイが言った 

「その時、あなたはわたしを見て言ったの……『かおなし』って……」

 

 さらにことさら憐あわれみのこもった視線を母親に投げつけた。

 

「あなた、本物の母親なら……、なぜ、レイではなく、わたしを『かおなし』って罵ののしらないの?」



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第64話 残念だったね。本物はまちがわない

 操られたふり、というレイのことばを聞いた神名朱門かみなあやとが、驚きの表情をヤマトにむけた。

「お、おまえ、どういうことだ」

「言ったろ。ちょっとした余興だ。おかげで、ほら、動けるようになった」

 ヤマトは、アヤトの前で両手をぷらぷらと振ってみせた。

「アヤト兄ぃ、すまないな、騙して。さっきのは、ぼくのまちがった記憶だ」

 

 ヤマトは昨夜のレイとのやりとりを思いだした。

 ラウンジのソファにむかいあって座っているレイが、ペーパー端末をまさぐっていた。

時間はすでに23時を超えていて、自室に戻らなければならない時間だった。すでにふたりっきりで、3時間以上もここに座ったままでいる。

 レイが端末のスクロールをとめて、端末に目をむけたまま訊いた。

「神名朱門とはじめて、ふたりだけで戦った亜獣の名前は?」

「アクロバン」

「あってる」

 ヤマトは額に手をやった。

「すまないな、レイ。キミのはすぐにいくつも見つかったのに……」

「気にしないで。わたしは、自分で覚えてないことが多いだけ……」

 ヤマトはレイを見つめた。亜獣対策のためとはいえ、こうやってお互いの秘密をカミングアウトしあって、レイという人物が徐々にかいま見えてきていた。最初に出会ったときに、なぜ、自分がレイにレッテル貼りしきれなかったか、ということも、なんとなくわかってきていた。レイの生い立ちに同情するのは、おこがましいとは思ったが、自分とはまたちがう過酷な生き方を強いられて、それを乗り越えてきたと考えると、一種の頼もしさすらおぼえた。

 レイはヤマトに見つめられていることなど気にする様子もなく、端末を一心に操作していた。

「じゃあ、次、いくわ」

「神名朱門とあなたが、ふたりで名乗っていたチーム名は?」

「愚連隊」

 レイがつぎのページを探ろうとペーパー端末をめくっていた手をとめた。

「ちがう……」

 ヤマトは天井を仰いで大きくふーっと息を吐くと、からだを前にのりだし、左腕をレイのほうへさしだす。

「これでやっと5個目」

 レイはヤマトがつきだしてきた左腕を掴むと、前かがみになって、油性マジックペンで答えを書き記しはじめた。ヤマトはすこしくすぐったかったので、それを紛らわすようにレイに小声で言った。

「レイには、ぼくの過去をずいぶん知られちゃたな」

「わたしのも、ずいぶん知られたわ」

「ごめん。恥ずかしい……よね」

「いいえ、ちっとも……」

 レイはヤマトの腕を掴んでいた手を離しながら、ヤマトを見つめた。

「お望みなら、もっとほかも晒してもいいわ」

 ヤマトはすこし恥ずかしくなって、あわてて横に首をふった。

「あ、いや……、次の質問、頼むよ」

 

 ヤマトが目を開いた。

「幻影は、ぼくの記憶をさぐって、アヤト兄ぃになりすましてくると予想していたよ」

「だからあらかじめ、偽の記憶を念じて事実をゆがめることにした。さらに自分の記憶間違いを利用して、呪縛から逃れられるように細工もしておいた」

 アヤトの顔にあきらかに戸惑っている表情が浮かんでいた。

「さっき、アヤト兄ぃは、『おれたちふたりは愚連隊』って言ってたね」

「わるいね。あれ、ぼくの記憶ちがいなんだよ」

 ヤマトは操縦桿から手をはなすと、ジャケットの左袖をまくしあげ、上腕をアヤトのほうへむけた。そこにはレイがマジックで書いた文字が、いくつか並んでいた。

 お世辞にも上手とは言えない筆跡で、『3回』『シナガワ』『ホットかき氷』『フェネックキャット』『3A棟の看護婦さん』『シナモン寿司』という意味不明の単語。

 ヤマトはそのなかの一文字を指さした。

 そこには『ぐれんだん』とあった。

「残念だったね。それはぼくの記憶ちがいから出てきた嘘の情報だ。アヤト兄ぃ、本物はまちがわない」

 アヤトがうろたえながら、なにか抗弁しようとしたが、ヤマトは一喝した。

「茶番はおしまいだ。うせろ偽物!!」

 

 そのつよいことばに、偽のアヤトがなにかを抗弁しよう口を開きかけたが、そのまま粒子状にパーッと弾けとび、その場からたちまち霧消した。



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第65話 レイ、そいつを殺して!

 

 目の前で母がぼう然とした面持ちをしていた。

「母さん、もうやることが尽きたんだったら消えてくれる?」

 やさしくも棘のあることばを聞くやいなや、レイの母親の幻影は顔色ひとつ変えることなく、コックピットの床に沈み込みはじめた。まるでそこが水面であるかのように、ゆっくりと消えていった。

 レイは消えていく母親の姿を目で追おうともせず、すぐさま操縦桿のギアを入れ替えた。

「レイ、前!!」

 司令部からミライの警告の声。レイは正面のモニタに一瞬だけ目をくれた。亜獣アトンが羽根をひろげて飛んできて、眼前に迫っていた。羽根に生えた繊毛が逆立つのが見えた。この距離であの針の銃弾をくらったら、避けようがない。

 レイは反射的に腰にあるナギナタを引き抜いていた。そして亜獣のほうへグッと足を踏みだし、ナギナタを槍投げの槍のよう亜獣にむけて投げつけた。

 ほぼ同時に亜獣アトンの羽根の表面から無数の針が放たれたが、レイは投擲とうてきした勢いのまま、前のめりでからだを地面に投げ出してうつぶせに倒れた。地面に突っ伏したところで、そのうえを無数の針が跳び越えていった。間一髪のタイミングだった。

『あぶなかった……』

 つよい衝撃で地面にからだをぶつけたが、瞬時の判断で被害を受けずにすんだことに、レイはほっとした。ゆっくり起ちあがりかけた時、ブライトの迫った声が聞こえた。

「レイ、とどめをさせ!」

 レイは一瞬、怪訝けげんな表情を浮かべそうになったが、すぐさま正面モニタを亜獣に切り替えた。その映像をみるなり、ブライトの言っている意味がわかった。

 亜獣アトンは羽根をまだ広げたまま、地面に落ちていた。

 地面に這いつくばったまま、手足をバタバタと動かし、苦しみもがいている。

 レイがさきほど苦しまぎれに投げつけたナギナタの刃が、急所と言われていた場所付近に突き刺さっていた。まったくの偶然だったが、アトンの装甲のすきまをかいくぐって刃が刺さったのだ。

 レイが操縦席のペダルを踏む抜く勢いで踏み込む。アトンがまだ絶命に至っていないのは、ナギナタの光の刃の長さが足りなかったせいかもしれない。深部にまで達しきれなかった可能性が高い。

 今すぐ、首元に刺さったナギナタの柄をつかんで、力を与えれば、そう、ほんの数秒、セラ・サターンの力を刃先に送り込めさえすれば、こいつは息絶える。そう確信できた。

「これでおしまいにする」

 レイは転びそうになるほどの勢いで、アトンの首筋に突き刺さっているナギナタの柄に飛びついた。ぎゅっと力をこめて握りしめる。セラ・サターンの体中を青いプラズマがはしり、ナギナタの刃の穂先に力が宿りはじめる。

 レイはぐっと腕に力をこめて前に突きだした。しかし、おかしなことに、それ以上ナギナタが前にでていくどころか、うしろに押し戻されていった。

「なんで?」

 そこにナギナタの柄を途中でつかんでいる手があった。地面に横たわるアトンの首のすぐ近く、地面からまるで生えているからのように、手が下から突きだしていた。何者かの手だけが柄をつかんで、ナギナタを押し戻そうしていた。レイはその手をみて叫んだ。

「邪魔しないで!、リョウマ!」

 司令室の面々がざわついたのが、モニタ越しにもわかった。

 手の主は、レイの叫びに反応したかのように、ゆっくりと地面から浮かびあがってくるように、姿を現しはじめた。

 

 亜獣 プルートゥだった。

 

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 リョウマのセラ・プルートを見るのは実に十二日ぶりだった。

 そのあいだ自分は、どれだけ泣いて、苦しんで、どれだけふさぎ込んだだろうか。アスカは自分の口元がわなないているのに気づいた。いまにも、怒り、嘆き、憤り、悲しみ、いやなにかそれ以外のなにかわからない感情が、口からとびだしそうだった。なにが飛び出すか自分でも想像がつかない。アスカにはそんな制御できないなにかが、自分のなかで爆発しそうなことが怖くもあり、腹立たしくもあった。

 おちつけ、アスカ!。

 アスカは自分のなかの荒波を静めようと、内なる自分にむけて声を放った。

 おちつけ、アスカ!。

 さらにもう一度。

 正気をとりもどせ、いや、狂気でもかまわない。どちらでもない、自分でも説明できない感情に自分が振りまわされそうなことが怖くてしかたなかった。

「兄さん」

 アスカの歯のすきまから、声が漏れだした。

 いや、あれは兄ではない。兄とは呼んではならないものだ。亜獣「プルートゥ」。みんながそう呼んでいるものだ。あたしたちの、人類の、敵なのだ。

 アスカはふーっとおおきく息を吐いた。

 心の中のアスカの意見は決まった。

『レイ、そいつを、そいつを殺して!』

 アスカは自身を自制できた、と口元を緩めた。だが、それは心のなかだけの叫びだった。 

 

 まだそれを口元にのぼらせられるほど、『決意』はかき集められていない。



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第66話 一瞬だが、亜獣にこちらの兵器が通用する瞬間があった

 亜獣プルートゥの力はおそろしく強かった。デミリアンの力はどれもほとんどおなじくらいだと聞いていたが、ナギナタの柄を通じて伝わってくる力量差は、レイには圧倒的だと思えた。

「なぜ?」

 レイは必死で操縦桿を握りしめながら、どうしようも埋めきれない力の差に歯がみした。

「エド。プルートゥの力が強すぎる!」

 エドから亜獣プルートゥに対してなにかアドバイスがもらえるかと問うてみたが、その質問はモニタの向こうのエドをただ慌てさせるだけだった。レイは今、司令室に助言を求めても無駄だと判断した。グリップを握りしめた手から、しだいに力がうしなわれていく。

「リョウマ、やめて……」

 レイはもう一度叫んだが、そこまでが限界だった。大きくふられたナギナタの柄に振りまわされて、バランスを崩し、セラ・サターンは空中に放りだされていた。なんの受け身もとれないまま、サターンのからだが地面に激突し、常設の大型野外劇場の観客席を潰し、舞台をなぎ倒した。プルートゥの力に必死に抵抗した分、勢いが強く、サターンは施設を壊しながらゴロゴロと転がっていった。

 レイは体中を走る痛みに悶絶した。

「レイ!。正面!」

 司令部からの声に反応して切り替わった正面カメラの映像には、ナギナタをふりかざして突進してくるプルートゥの姿がみえた。必死で立ちあがろうとしたが、足元がまだ定まらずとても受け身がとれる余地はなかった。レイは刺し貫かれる、と覚悟した。

 その瞬間、突然プルートゥがうしろむきにはじき飛ばされた。

 レイは目をしばたいた。倒れたプルートゥの肩口にサムライソードが突き刺さっていた。ふりむくとそこに、こちらへ走ってくるマンゲツの姿があった。

「たった、三秒だけど、刀が飛び道具になるのは大きい!」

 声が聞こえて、遅れてからメインモニタにヤマトの顔が映った。

「レイ、すこし遅れた」

「ん、ぎりぎりだけど、間にあったから、いい」

 レイはすこしほっとした表情で答えたが、ヤマトが大きな声で叫び声で我に返った。

「レイ、左だ!」

 亜獣アトンがそこにいた。すでに繊毛の針は逆立っている。万布を探している余裕も、飛び退く余裕もなかった。レイは、プルートゥが手放したナギナタが転がっていないかと辺りをみまわす。振幅が50メートルもある巨大ブランコ、500メートル級落下のフリーフォール、亜獣に襲われる体験ができるホラーハウス……、目に飛び込んでくる遊具施設のどこにも見つからなかった。距離は数十メートルしか離れていない。この近さで針を喰らえば、いままでとは別次元のダメージになるのは容易に想像できた。

 レイは自分のすぐ脇に敷設されていた、オールドスタイルのジェットコースターのレールをもぎ取るように引っつかんでダッシュした。そしてそのまま槍のようにアトンの首元に飛び込み、突きだした。アトンの針が一斉に放たれようとした瞬間、アトンの胸にレイが突きだしたレールの先端が突き刺さった。アトンがうしろに押し倒される。アトンが放った針の矢は体制を崩されたことで、上方のあらぬ方向にむけて飛んでいった。

 

  ------------------------------------------------------------

 

「まさか!」

 ブライトは思わず声をあげた。

「移行領域トランジショナル・ゾーンにいる亜獣に届いただと!」

 ブライトは後方に控えていたエドにむけて声を荒げた。

「エド、どういうことだ。亜獣はこちら側の兵器では、打撃はおろか、傷、いや埃ひとつつけることができないはずじゃなかったのか?」

「あ、いえ、そ、そうです」

 エド自身も目の前の状況が理解できずに、落ち着きをうしなった顔つきをしていた。今起きた状況を記録映像で分析しようと、空中に浮かんだメニューをまさぐるようにして操作していた。いくつかの静止画が表示されたのち、一枚の画像をブライトが見ているメインモニタのほうへ転送した。

「ブライト司令、みてください」

 表示された映像は『移行領域トランジショナル・ゾーン』とこちら世界とを隔てる膜を、サーモグラフィのようなスペクトル処理で表示したものだった。先ほどの戦いの瞬間がスローモーションで再生されていく。

 アトンが針の攻撃を放とうした瞬間の映像。

 からだ全体を赤い膜で完全に覆われていたが、針が起立すると、みるみる色が黄色から青色に変わっていき、針が放たれる寸前には、画面は黒色になって、『移行領域トランジショナル・ゾーン』の膜がほとんど無くなっていることがわかった。そして、針が放たれるかどうかという瞬間、レイがねじ込んだレールの先端がアトンのからだに突き刺さっていた。

 その映像をみて、ブライトは勝ち誇ったように、半笑いを浮かべながら言った。

 

「一瞬だが、亜獣にこちらの兵器が通用する瞬間があった……」



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第67話 隠し球があるのは、こちらだけじゃないってこと?

 アスカはモニタ画面から目が離せなかった。

 ヤマトのマンゲツがプルートゥに飛びかかり、馬乗りになるのが見えた。ヤマトは乗りかかるやいなや、肩口に突き刺さっているソードの柄に手をかけた。マンゲツの頭部から青い光が送り込まれ、力をうしなっていたソードの刃に力が戻っていく。

 そのまま刃が深々とねじ込まれると、マンゲツのしたでプルートゥが痛みにのたうち回った。

 アスカは、そんなプルートゥの姿から目をそらしそうになった。覚悟はできているはずだったが、冷静に見ていられるほどの余裕はなかった。

 マンゲツがプルートゥの肩口からソードを引き抜いた。

 そして、そのまま、なんのためらいもなく、リョウマがいるコックピットにむけて、刃を力強く、突き立てた。

 アスカは悲鳴をあげそうになった。

 だが、叫ばなかった。

 腹の底からの恐怖も、胸の奥からの煩悶も、頭の頂点からの怒りも、すべての感情を断ち切った。まだ心臓はばくばくと驚くほどのリズムで脈はうっているし、からだ中、総毛立っていることもわかっていたが、自分をコントロールできていた。

 アスカ、よく声をあげなかった。

 あたしはアンタを褒めてあげる。

 

 だが、勝負はついていない。

 プルlトゥはマンゲツの手首を掴んでいた。サムライソードの光の刃を力づくで押しとどめ、切っ先を左側にずらしていた。

 光の刃はコックピットの右側から左側に斜めに抜けていた。切っ先がコックピットの側面から突き出している。モニタ越しにでも、中央のリョウマにヒットしているとは思えないことがすぐにわかった。

 ほんの数十センチずれていたら……。だがそんな僅差で、ヤマトはプルートゥを仕留め損ねていた。

 司令室からヤマトへいくつもの指示が飛んでいた。だが混線して誰がなんの指示を出しているか、わからなかった。みなそれぞれの責務を負っていて、必死なのは理解するが、みな好き勝手言って現場を混乱だけ生じさせているようにしか見えない。

 アスカは腹立たしかった。同時に自分の兄のことで、ヤマトの手を煩わせているのは、申しわけない、とも思った。

 アスカはヤマトにむかって、腹の底から大声をあげた。

「タケル!!!」

「アンタぁ。はやく、そいつを、殺しなさいよ!」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 二度もピンチをしのいだことが、かえってレイを不安にさせた。

 追いつめられて、ナギナタを投げつけるような悪あがきが、偶然アトンの急所近くを痛撃し、いままた、ジェットコースターのレールをナイフ代わりにするようなバカげた攻撃が、思いがけず奏功する。

 奇跡的なタイミングが続きすぎる。

 自分の生い立ちを考えれば、こんな僥倖に恵まれるのはおかしい。このあとになにか落とし穴が待っている、に違いないとレイは思った。

 浮足だってはいかない。これは確かだ。

 レイはアトンがひるんでいる隙に、ナギナタと万布を手にしていた。すぐさま右手にナギナタ、左手に万布を軽く巻きつける。

 亜獣アトンはあきらかに警戒色を強めていた。なかなか向こうから仕掛けてこようとはしてこない。だが、このままだと時間切れになる。

 どうする……?。

「レイ、アンタぁ、なににらめっこしてンのよぉ」 

 そんな思いに喝でも入れるように、アスカ本人の威勢のいい声が耳に飛び込んできた。

「にらめっこじゃない」

「じゃあ、お見合いよ、お見合い」

「お見合い……って……」

 アスカがかんしゃくをおこすように怒鳴った。

「ん、もう、400年前にやっていた、なんかそういう儀式の……。もう、そんなのどうでもいいの。レイ、はやくそいつをやっちゃいなさいよ」

「それができなくて困ってる」

「アンタぁ、バカぁ。左手にもってるの万布でしょ。それ投げつけちゃいなさいよ」

 レイはセラ・サターンが左手に巻きつけている万布を見た。

「これ、投げつけても倒せないと思う」

「もう、あいつ、目がほとんど残ってないでしょ。だから、そいつで残った目をふさげば……」

「わかった」

 レイはアスカのアドバイスを途中まで聞いたところで、アトンにむかっていきなり突進した。アスカの提案する妙案を、とりあえず実践するのが得策という判断だった。この万布をアトンの顔に押しつけ、視角を奪うことができれば、一瞬だけでも隙ができるはずだ。アトンはもうすでに至近距離まで迫っていた。セラ・サターンが走りながら、腕に巻きつけていた万布を両手で開いた。

 その時だった。

 上から、頭上から、なにかがセラ・サターンを猛烈なスピードで襲いかかってきた。レイは反射的に、万布に「盾」と叫んだ。両手に抱えていた万布は、その場で瞬時に硬化し、盾状に変化した。が、上から襲いかかったきたものは、猛烈な力で盾を正面から打ち据えた。レイは盾でかろうじてその攻撃を防いだはずだったが、そのまま地面にたたきつけられた。背中に痛みが走り、レイは思わず「きゃっ」と小さな悲鳴をもらした。

 なにかに襲われた。なにに?。

 レイは自分に襲いかかったものの正体がまったく見えなかった。思考がみだれて、正面モニタには彼女の思考を読み取ったAIが、あらぬ方角のカメラ映像をめまぐるしく切り替えていく。

 どこ?、どこから襲われた?。

 レイは自分がパニック状態になっているとは思わなかったが、思考が定まってくれないことにいらだった。やがて、一台のカメラが、亜獣アトンの背後からの映像を選び出した。

 アトンの大きく羽根を広げたまま立っている映像——。

 驚いたことに、飛ぼうとする気配もなく、ただ羽根を大きく広げたまま、仁王立ちしていた。カメラはその広げた羽根の下、背中の位置から飛び出ているなにかを捉えた。

 それは『尻尾』だった。『終体』と呼ばれる長く伸びた尾っぽの部分が、背中からアトンの頭のほうに、蛇のかま首のようにもたげていた。その先端には『尾節』と呼ばれる鋭い針のようなものがついている。

 それはまるで羽根の生えたサソリだった。

 

「隠し球があるのは、こちらだけじゃないってこと?」



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第68話 もし持ちこたえきれなかったら、レイはそれまでのパイロットだった、ということだよ

 レイが亜獣アトンの背中に隠された大きな尾っぽに打擲され、地面にたたき伏せられたのを、司令室のモニタで見せつけられたブライトは、ことばをうしなった。またしても、こちらの先入観がピンチを招いた、と感じた。

「エド、この尻尾の武器には気づかなかったのか!」

 いくぶん腹立ちまぎれの気持ちで、エドを怒鳴りつけた。エドはすでにアトンの体内スキャン3D映像を指でこね繰り回していた。

「エド!!」

 ブライトが声を荒げる。

 エドは声がひっくりかえりそうなほど、あわてて言った。

「あ、いえ、前回出現時にはあんなものありませんでした。3Dスキャンでも、サーモデータのどちらにもないです」

 リンが口をはさむ。

「じゃあ、あれはあらたに生えたものだっていうの?」

「ばかな。逃がしたあとに進化したというのか」

 ブライトは唇を噛みしめた。甲虫とおなじような羽根と飛び方をするので、おなじような構造をしているだろうという思い込み。長足の進化をしたり、ほかの個体と融合することなど、頭をかすめもしない思い上がり。

 カメラが、亜獣アトンの鈍重で獰猛な針が、倒れているセラ・サターンに再度襲いかかるのを捉えた。

「レイ!」

 ブライトが思わず声をあげた。

 横たわったまま腕を上に挙げて、レイは万布の盾で針の直撃を防いだ。だが、尾っぽの威力は凄まじく、盾の上からの衝撃で、セラ・サターンのからだを地面にめり込ませた。

『この攻撃を受け続けたら、もたない』

 ブライトはヤマトの助けを請うた。

「ヤマト、レイが危ない!」

 

 

  ------------------------------------------------------------

 

 あともうすこし、切っ先をずらすだけで雌雄は決する。

 たった数十センチ刃先を傾ければ終わりなのだ。ヤマトはぐっと奥歯を噛みしめた。

 だが、プルートゥの力は予想外に強かった。刀をもつ腕をつかまれたまま、どんなに力をこめてもピクリとも動かなかった。おもわず口からことばが漏れる。

「くそぉ、リョウマぁぁぁ……」

 ヤマトは、サブモニタにある、プルートゥのコックピットの内部に向けられた映像に目をむけた。映像は薄暗い室内にフォーカスしていき、徐々にはっきりと見えてきた。

 室内には細い糸状の血管や神経のような器官の一部に見えるものが、網状に張り巡らされていた。その一部はマンゲツの刃によって薙ぎ払われ、すでに機能はしていないことがわかった。だが、真ん中に鎮座しているおおきな物体だけは、青白い光につつまれて全体が脈打っている。

 これの部位さえ破壊できれば、すべてが終わる。

 ヤマトはハッとした。それは驚いたことにまだ人間の形をしていた。

 これはどう解釈すればいいのか……。もう手の施しようがないはずだ。それは疑う余地はない。だが、リョウマの痕跡が色濃く残ったこの姿をみれば、ヤマト自身でさえ、もしかすると……、という期待が湧いてくるのは否定できなかった。

 司令部の面々やアスカがこれを見れば決意が揺らぐ可能性がある。

 いますぐそんな希望は断ち切らねば、とヤマトは心に決めた。なにがなんでも、ここで幕引きをしてやる、という決意に、マンゲツが手にしたサムライソードに力がこもった。

「マンゲツぅぅぅ……、力を貸せえぇぇぇぇ」

 マンゲツのからだに青い光が走り、刃先にむかって勢いよく集まりはじめる。

「刀が動かせないなら、切っ先を大きくしてやるだけだ」

 青い光が集まりはじめた刃先部分が、徐々に肉厚に膨らみはじめた。シートに座っているリョウマの首筋めがけて、ゆっくりとそれが迫り出し、近づいていく。

「もっとだ!」

 ヤマトがマンゲツにむかって叫んだ時、ブライトの声が聞こえた。

「ヤマト、レイが危ない!」

 ヤマトは軽く舌打ちして、ちらりと正面モニタに目をくれた。そこに亜獣アトンの攻撃を受けて、なすすべもなく地面に組み敷かれているセラ・サターンの姿があった。

「ブライトさん、もうすこしなんだ!」

「ヤマト、レイはもう限界だ」

「こっちを始末してからだ」

「貴様ぁ、これは命令だ」

 モニタのむこうのブライトの怒りが伝わってきた。

「もし持ちこたえきれなかったら、レイはそれまでのパイロットだった、ということだよ」

「なにを言ってるの、タケル」

 ヤマトのことばに噛みついたのは、ブライトではなく、リンだった。

「リンさん、邪魔しないで」

「レイが、レイが危ないのよ」

「わかってるよ!」

 ヤマトは声を荒げた。このやりとりで集中力を欠いてしまい、サムライソードの刃の厚みがふやせずにいる。ちらりとレイ側の映像を見た。レイのセラ・サターンはアトンが上から振り降ろしてくる尻尾の強烈な攻撃を、万布の盾を掲げて必死で受けていた。遠目にみても受けるのが精一杯だというのがすぐにわかったし、あれを一撃でも受け損ねたら、ただでは済まないという状況も理解できた。

 だが、ヤマトはレイを救うことよりも、この目の前のリョウマを、亜獣プルートゥを倒すことを選択した。

 集中しろ!。

 その時、レイを映しているモニタのなかで、あれほど容赦のない攻撃を繰り返していた亜獣アトンがうごきをとめたのが見えた。と思う間もなく、羽根の上の繊毛せんもうが起立し、夥おびただしい数の針が空にむけて放たれたれるのがわかった。 

『まずい!』

 ヤマトはその状況をすぐさま理解した。

「マンゲツ!。頼む、あとすこしだ」

 だが、マンゲツの頭から、表皮を這うように刃先にむかっていく青い光は、ヤマトの期待には応えてくれようとしなかった。さきほどよりスピードは遅くなり、またたきが弱くなっている。

 ヤマトの焦りが募る。

 プルートゥのコックピット内にフォーカスしている映像を見る。

 厚みを増したサムライソードの切っ先は、リョウマの首筋をしっかりととらえていた。刃先がリョウマの首に触れ、一条の血がつぅーーっと流れ落ちるのが見えた。

「あと、すこし!」

 が、そこまでだった。

 空から針の銃弾が降り注いだ。

 針は両手で刀の柄をもったまま膠着こうちゃくしていたマンゲツを、容赦なく突き刺した。悲鳴こそ堪こらえたが、激痛のあまり手から力が抜けた。

 その緩みをプルートゥは見逃さなかった。プルートゥは掴んでいたマンゲツの腕を力任せに横にふった。マンゲツはひとたまりもなく、空中に放りだされ、そのまま地面に激突した。マンゲツの背中が子供向け遊具のいくつかをなぎ倒す。からだに刺さっていた針が、衝撃でさらに深く食い込み、ふたたび衝撃的な痛みがヤマトを襲った。今度は我慢できず、思わず苦悶の声を漏らした。

 一瞬ののち、痛みが遮断されても、ヤマトの目はかすみ、視線がさだまらなかった。だが、早く体勢を立て直さねば、という強い気持ちだけは切れなかった。

 プルートゥの反撃を受けることだけは避けねばならない。ヤマトは身構えた。

 だが、なんの衝撃も来なかった。

 目をしばたいてあたりを見回す。ヤマトの気負う心に肩透かしでも食らわすかのように、辺りの気配はおだやかで、なんにも感じられない。すばやく周辺を映しているモニタに目を走らせる。

 なにも居なかった。

 足元のカメラの映像には、地面にびっしりと突き刺さった針の山。ヤマトはサムライソードの柄が転がっているのに気づいて拾いあげた。すでに光の刀身は光の力をうしなっている。先ほどまでプルートゥのコックピットに刺さっていたはずのものだ。

「司令部、どうなってる?」

「消えたよ」

 ブライトが吐き捨てるように言った。

「逃げられたのか?」

「あぁ、そうだ」

 ヤマトはため息をつきながら、絞り出すように訊いた。

「レイは……。レイはどうなった?」

 そう訊きながら、レイのセラ・サターンを映しだしているカメラに目をやった。モニタに映っているセラ・サターンはちょうど、ゆっくりと身体を起こしているところだった。あの亜獣アトンの猛攻撃をなんとか、しのぎ切ったらしい。

「レイは無事よ」

 リンの報告に続いて、エドが事務的に追加情報を付け加えた。

「アトンの活動限界時間が来てくれて、助かった、というところだ」

 それを聞いて、ヤマトは胸をなでおろしている自分がいることに気づいた。あのとき、助けを断り、見限ろうとしたレイの無事を、今さらながら気づかおうとする態度は、自分でも偽善的とは思ったが、それでもホッとしたのは確かだった。

 ヤマトは地面に転がっているサムライソードの柄を拾いあげた。

「ヤマト、帰投します」

 ヤマトが司令部に告げると、モニタ越しにレイの「レイ、帰投します」という声が聞こえてきた。コックピット内の映像で見る限りでは、レイはかなり疲れ切っているように見えた。いや、もしかしたら彼女のことだ。亜獣を仕留め損ねたことに落胆しているだけかもしれない。

 が、それは自分もおなじだ。

 一回で仕留め損ねたのは、いつ以来だろうか?。

 あと十体程度、ひとりでなんとかしてみせる、と豪語していたが、今回の戦いで亜獣の質があきらかに変容してきていると確信した。いままでS級と分類していた、つよい能力をもつ亜獣とはまたちがう種類の強さがあるように感じた。いくつもの能力を一体で有しているのみならず、それが変化したり、あらたに付加されていく、というのは、S級をしのぐと考えざるをえなかった。

 亜獣の予想外な脅威的進化をみれば、この先、共闘できる者がいてくれるのは、けっしてマイナスではなさそうだ。ヤマトは心からそう思った。



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第69話 あれ、わたしじゃない……のに……

 夕方に帰投したレイとヤマトのふたりは、ロボット検査員による生体検査と、アイダ李子医師による簡単な心理検査を受けたのち開放された。それらがひと通り終わると、時間はすでに22時を回っていた。

 レイは熱いシャワーに身を委ねながら、帰投する途中で交わした会話を思いだしていた。

 軍事用パルスレーンを使っての高速移動中、こちらの疲労を考慮してなのか、ことば少なめに各部署の担当が声をかけてきた。ブライト司令官は「無事でよかった。よく健闘した」という内容の教科書通りのねぎらいの言葉、エドやアルたちからは「俺たちが力不足で申しわけなかった」という謝罪のことばがあった。ただ、リンとミライはなぜか、言いにくそうな口調で、母のことを尋ねてきた。レイは訊かれたことだけを答えたが、アスカが突然会話に割り込んできて「あんたのお母さん、見たわよ」と鼻高々に言ってきたので、なんとなく合点がいった。

 あの幻影は自分だけでなく、ほかの人にも見えたのだ、と。

 あれだけ、ずうずうしい母のことだから、それくらいあっても特に驚くこともない。死んだあとまでこちらに迷惑をかけるのは勘弁して欲しかったが、それももう終わった。

 シャワーからでると、更衣スペースのすぐ脇にある鏡の前に立って全身を眺めた。日頃のトレーニングのおかげで筋肉質な部分はあるが、肩から腰までのラインはなめらかで、華奢なままだった。いっこうに胸が膨らむ様子もない。

 レイは首筋をきれいに見せる胸鎖乳突筋の稜線に指を這わせた。デコルテと呼ばれる鎖骨のくぼみを際立たせていて特に嫌いだった。ここは、母がいつも自慢していた部位だ。

 レイは指を3本立てて、空中で揺らした。すぐに正面のガラスと背後の壁から同時に、猛烈なエアーが吹き出し、レイのからだについていた水滴をあっと言う間に吹き飛ばした。

 レイは浴室をでると、すっぱだかのままベッドに倒れ込んだ。あおむけになって、あの亜獣アトンとの最後の戦いを振り返る。その思考を読み取ったのか、メディアの映像が天井に投影されて、アトンとの戦いのシーンのニュースが流れ始めた。

 当然のようにトップニュースで扱われてはいたが、メディアでは今回の戦いではめずらしくひとりの犠牲者も出なかった、ということが、ことさらに強調されて報じられていることがわかった。

 レイはそれを、見るとはなしにそれをぼーっと眺めていると、突然、自分の映像が映し出されたことに気づいた。月基地での訓練を映したものだった。下の方に『資料映像』とある。レイはため息をついた。メディアで自分が取り上げられるときは、きまってこの時の映像が使われる。

 ほかの訓練生とのシミュレーションゲームでの決勝戦で勝利をおさめたときの映像。画面の隅にお互いの数字が表示されているので、レイが相手をゼロ封して勝利したことがわかる映像だ。レイがいかに優秀なパイロットであるかを煽る演出なのは理解していたが、毎回、これが使用されるのは、どうにも気に入らなかった。

 画面のなかのレイは、拍手喝采を送っている観衆を前に、それに答えるように晴れやかな笑顔で力強く腕を突きあげていた。

 レイは眠りにおちいりながら、その映像にむかって呟いた。

 

「あれ、わたしじゃない……のに……」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 彼女が病理学への道を志したのは、亜獣に肉親を奪われたからだった。

 75番目に出現した『ボトマズ』と命名された亜獣は祖父と母の命を奪った。直接的な犠牲ではなく、亜獣が残した残留物による、食や水の汚染による間接的な被害が原因だった。その症状は二十一世紀後半に根絶されたはずの『溶血レンザ球菌』通称、『人食いバクテリア』と呼ばれたものに酷似していた。たちが悪いことに、生体チップで秒単位でのヴァイタル・データの管理があったにもかかわらず、この病原菌はあっという間に劇症化した。パンデミックで一気に世界中に蔓延したこの病気は百万人近くの命を奪った。

 このような悲劇を繰り返したくない、自分とおなじような目にあわせたくない、という思いで、彼女は国連軍の研究機関での職を希望した。

 だから、今回、ブライト司令からの、からだに浸潤しんじゅんする謎の粘着物の検査依頼は、その願いをかなえる興味深いものだった。

 今、自分のまわりで忙しく動きまわっている数体の助手の医療ロボットや、検査を繰り返している多くのAI装置に囲まれて、彼女は充実感を感じていた。ありったけの機器を同時に稼働させたおかげで、彼女の前におびただしい数の検査結果が次々と提出されてきている。自分でも少々やりすぎたか、と思いはしたが、一秒でも早く正確な分析結果が欲しかった。すでに退庁時間をすぎているが、真夜中までひとりで残業する価値があると感じていた。

 ふと、彼女はいくつかの機器からアラート音が鳴っているのに気づいた。隣の『死体安置所』でなにか、機械の不具合があったようだった。ふつうなら事前に故障を予見したAI装置から、修理ロボットのほうに連絡がいくはずだ。

 彼女はふーっとため息を吐くと椅子からたちあがった。面倒ではあったが、すでに数時間も報告書類に目を通していたところなので、むしろちょうどいい息抜きになるかもしれない。

 「死体安置所」に入室すると、ぶるっとからだが震えた。もともと低い温度設定にはなっているが、こんなに冷えることはない。壁一面に遺体を保冷する引き出しがあるだけなのだ。特に室内の温度設定に注意をはらう必要もない。

 彼女は腕をさすりながら、部屋のなかを見渡した。どういうわけか、ひとつの引きだしが開いていて引き出されていた。そこから冷気がずっと出っ放しで、部屋の温度が下がっていたのだ。あわてて駆けより、その引きだしの把手に手をかける。中を覗き込むと、検査中のあの身元不明の浮浪者の老人の遺体だった。

 エア・エンバーミングと呼ばれる、ドライエアの冷気の煙のようなもので全体が覆われていて見えにくかったが、まちがいなく老人の顔がそこにあった。彼女はほっとして引きだしを押し込もうとした。だが、なにか違和感があった。

 遺体のからだをつつむエアを手でふっと薙ぎはらった。

 そこに身体はなかった。

 老人の顔はそこにあったが、首から下が無くなっていた。

「まぁ、大変!」

 彼女はこめかみにひとさし指を押しつけ、テレパスラインを作動させた。死体が盗まれたとしたら、まだ外に犯人がいるかもしれない。彼女はうしろをむいた。

 そこに首のない胴体だけが立っていた。

 うしろにある冷暗庫の引きだしの中から声がした。

 

「次はおまえの番……」



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第一章 第四節 誓い
第70話 あなたも次は兄さんを始末して


 意識が胎動していた……。

 

 脳そのものがひとつの感覚器官と化しているような感覚。 

 言葉や映像のような外からの刺激ではない、ニューロンを一本、一本、震わせる音叉のような刺激。脳のなかの神経伝達物質「セロトニン」の粒子ひとつひとつに、なにかが取り憑いていくのが感じられる。受容体がそれを受け取るやいなや、脳内でパレードがはじまる。『英知』の行進、『感覚』の乱舞、『経験』の跳躍。

 脳内に「知」が形成されていくのが、自分で知覚できる。それは本来、DNAに刻まれているはずの本能を、前から知っていたかのように、あとから埋め込まれていく作業。

 白い繭のなかで、リョウマがうっすらと目を開いた。

 リョウマのからだはガタガタと小刻みに震えていた。秒単位でDNAがアップデートされていき、同じスピードで、新たな本能と記憶が脳のなかに積みあがっていく。

 リョウマはまだ心と呼べる自我のなかで、ずっと叫んでいた。

『なぜ、教える……、なぜ、それをぼくに教える……』

『やめろ、やめろ。知りたくない。知っちゃいけないことなんだ……』

『ぼくに、それを教えないでくれ。知ったら、生きることも、死ぬこともできない……』

 リョウマのからだがびくっとすると、それまでの小刻みな震えがとまった。

『こうして……、こうして……もたらされたのか……』

 リョウマはかつて自分と同じように、誰かがこのデミリアンと融合して、言葉を、啓示を、真理を、受け取ったのだと悟った。人類が知るべきではない、この世の理(ことわり)

を四つの詩編として知らされてしまったのだ。

 彼もまた、知ってはならない禁忌を脳にすり込まれてしまった。ことばにも、思いにもしてはならない、人類を絶望と狂気に陥れる四つの真実を。

『だから、純血なのか……、だから日本人なのか……』

 リョウマの目から青い液体が、涙のようにあふれだしていた。

『選ばれた民……なのでは……なかったのだ』

 リョウマの口から嗚咽のような咆哮が漏れ出していた。

『人類をふるいにかけたとき、日本人が種の中の一番の『異物』だったにすぎなかった』

 

『ただ、それだけだったんだ……』

 

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「なぉによ、あんたたちの戦いっぷり!」

 ヤマトとレイが登校してくるなり、アスカは朝っぱらから待ちかまえたように言い放った。ヤマトがやれやれという面倒くさそうな表情、レイはあいかわらず無関心をきめこんだような顔をしていた。結局、アスカが望んだ反応をしたのは、ヤマトの後方に控えていた草薙大佐だけだった。彼女はわずかに口元をゆるめると「元気そうでよかった」と言った。アスカはふんと鼻をならすと、どんと勢いよく椅子に座って、その草薙にぷいっと顔をそむけるようにして、教壇のほうをむいた。

「まぁ、タケルもレイも安心して。次はあたしが仕留めるから」

 アスカはふりむきもせず、ボソリと漏らした。

「そう。でもまだ許可がでてないわ」

「許可ならもらったわ。李子にね」

「本当に?、大丈夫なの」

「レイ、しつこいわ……」

「あなたのところに、わたしの母がお邪魔したって聞いたわ」

 アスカは、はっとして口をつぐんだ。それからゆっくりと時間をかけてレイのほうに向きなおると、「えぇ」とだけ言った。恐怖の色も憐憫の情も、狼狽の片鱗も見せてなるか、と慎重にことばを選んだら、それしか出てこなかった。

 悔しかった。

「母が驚かせて、ごめんなさい」

「別にぃ!。驚きも、怖がりもしてないわよ。バカぁ」

 レイが頭をさげてくるとは思っていなかったので、アスカは強がってみせた。これであの時、自分の足首を掴んだ血まみれの女がアスカの母親だったのだと再確認できた。

「せっかく一度、わたしが殺したのに。あのひとは本当にしつこいの」

 レイはアスカの太ももに手をおいて、真剣なまなざしで言った。

「安心して。次はかならず始末するわ」

 アスカはレイのゆるぎない決意を目のなかにみて、少々気が引けるような気がした。

「あ、あたりまえでしょ。ちゃんと始末しておいてよね」

「えぇ……」

 

「だから、あなたも次は兄さんを始末して」



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第71話 自分は諦めの悪い生き様しかできない男だ

『四面楚歌』ーー

 

 中国の古い故事にならえば、今自分がその状態のまっただなかにいることは、疑いようのない事実だった。

 ブライトは敵しかいない、この公聴会という名の儀式の『(にえ)』であることは充分理解しているつもりでこの場に臨んでいたつもりだった。だが、こうやって、この場に実際に立ってみると、そんな高邁な理由づけなどない、ただの『生き餌』にすぎないのではないか、と感じられて、足が震えた。

 ブライトはぐるりと周りを見回した。すり鉢状になった議席は、まるでコロシアムのようだった。この場所もその中心で繰り広げられる残虐な行為を、どこからでも見られるように席が配置されている。その議席の並びに沿うように、国連幹部の文官と、国連軍幹部の軍人とが、空中に大きなホログラフとなって映し出され、中央に引きずり出されたブライトを、取り巻くように中空から見下ろしていた。

『生身のまま来ている者は誰もいないのか』

 ブライトは不平ともつかない言葉を頭に浮かべた。  

 もちろん、自分自身も生身ではない。数千キロ離れたこのスイス国連本部に身を晒しているのは、自分の意識を憑依させた『素体』と呼ばれるアンドロイドだ。だが、このコロシアムの臭い、空気がよどんでさえ感じられるズンと重々しい空気感。まるで生身でそこに立っているのとなにも変わらない。

 だが、もし自分を斬首するつもりで彼らが呼びだしたとしたのなら、その『死』はだれかひとりでも生身の目で直視するのが礼儀であろう、とも思う。

 国連事務総長が口を開いた。出撃があるたびに「SOUND・ONLY」のアイコンとともに流れてくる聞きなれた声。しかし、この日は決定権者として顔を見せていた。まるでおのれの威厳をほかの参加者に見せつけようとでもするように、ことさら厳めしい顔をしていた。

「さて、ブライト君、今回のデミリアンが亜獣に乗っ取られた一件について申し開きを聞こうじゃないか」

 ブライトが予想していた通り、案の定、高圧的な物言いで機先を制しにきた。これで、むこうは、マウントポジションを取ったと考えているだろうが、そうはいかない。

「なんのでしょうか?」

「きみの失態で、デミリアンを一体、そして優秀な新人パイロットを一名、うしなった件のことだよ、ブライト君」

 ひとりの中年男性が加勢するように、事務総長のことばをあと押しした。おそらく次期総長の座を狙う候補のひとりなのだろう、とブライトは値踏みした。

「失態?、失態とは?」

「いいかげんにしたまえ。九体、いや、八体しかいないデミリアンを一体、うしなったのだぞ」

 ブライトは上にむかって大きな声で言い放った。

「まだ、七体もあるではないですか!。あなたがたは、その数では足りないというのですか?」

 ブライトはこのハゲタカどもに、ついばまれながら、ゆっくりとなぶり殺しにあう前に、みずから非を認めてキャリアに幕引きするか、どんな屁理屈を駆使しても自分を正当化するかしかない、と腹を括っていた。そして、自分は後者を選択する、諦めの悪い生き様しかできない男であることも知っていた。

「もちろん、デミリアンとパイロットをうしなったことは、痛恨の思いです。ですが、パイロットは今、三人いる。すこし前まで、あのヤマトタケル、ひとりであったことを考えれば三倍もの戦力強化ができている。そしてデミリアンはたった三人のパイロットに対して七体も残っている。これで戦うのに、なんの不都合がありますでしょうか」

「くだらん言い逃れを……」

「わたしが司令官を辞すれば責任をとったことになるのであれば、そうしてください。だがここにおられる方々は、まだ事態が収束していない状況で、わたしがすべてを放りだし、敵前逃亡するような真似をお望みなのですか?」

 

「だーれが、そんなことを?。そんなこと、あなたに臨んでなんかないわぁー」

突然、女性の軽やかな声が場内に響いた。



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第72話 さすがだな。男をくわえ込んで、昇進を果たしたか

 ブライトはその声にまちがなく聞き覚えがあった。そしてその声は自分がもっとも会いたくない人物のものだった。

 ブライトは突然、口のなかがからからに乾いていることに気づいて、手元のコップの水を口にした。喉が潤ったような気がしたが、それは脳の反応でしかなく、実際には喉は乾いたままだった。当たり前だ。水を喉に通したのは、遥か遠くにあるアンドロイドなのだから。

 ふっと、目の前に等身大の女性の姿が現れた。上から照射されているかすかな光から、彼女は『ゴースト』を使っているのがわかったが、ブライトはその姿に見入っていた。

「あらん、輝ぅ、おひさしぶり」

「ん、あぁ……」

 上から大きな声が響いた。

捷瀬美聡(かつらいみさと)中将だ」

「まぁ、ブライト君は紹介しなくても知っていると思うが……」

 ブライトは「中将?」と思わず口にした。わずかな間に自分とおなじ階級になっていることに驚いた。

「うふん、そうなのぉ。おなじ階級に追いついちゃったぁ」

「彼女がなぜここに!」

 上に大きく浮かんでいる責任者たちの映像をみあげて、ブライトは声を荒げた。

「さぁ、なぜだと思う?、ヒ・カ・ル……」

 ブライトは前から、この女の甘えるような口調が苦手だった。いや、ふたりの関係がうまくいかなくなってから苦手になった、というのが本当のところだろうか。蜜月だった時は、この鼻にかかる甘ったるい声が好きで仕方がなかった。

 ブライトはいらだつ気持ちが湧いてきたが、感情をあらわにしては、会場の人間にふたりのかつての関係を気取られると思い、あえて口に出して問うた。

「君が、わたしの後釜なのか?」

「まさかぁ、冗談でしょ?」

 ミサトが誘うような、いや挑戦的とも思える視線を、ブライトに送ってきた。そういうしぐさを心得ている女だったと、ブライトはあらためて噛みしめた。ミサトは大人びた女でありながら、どこか放っておけない危なっかしい可愛らしさがあった。計算していないように見えながら、男をその気にさせる女を自然に演じる、一種の天賦があった。同性からは相当疎まれていたが、『わたし、みんなに嫌われてるの』と打ち明けながら、男にしなだれかかる真似を平気でしてのける。そんなしたたかな女だった。

「さて、ブライト君、懐かしの再開はすんだようだね」

 ブライトは強い視線を事務総長のほうへむけた。

「では、もうひとり紹介させてもらうよ」

 すっと光が差しこんだかと思うと、ミサトの横に背の高い人物が立っていた。あまりに間近だったので、ブライトは思いがけずその人物を仰ぎ見る形になった。

「ウルスラ大将だよ」

 少々年齢を重ねてはいるように見えたが、その年月を差し引くまでもなく美形の分類にはいる顔だちだった。鼻すじは通り、顎のラインはおどろくほどシャープで、精悍さに満ちていた。そしてその目。ひとにらみで並の男なら委縮してしまうほど力強く、それでいながらその奥には、貫録とでもいうべき余裕を感じさせた。

 だが、その一方で、どこか全体のバランスを欠いているような歪さを、ブライトは感じた。顔の造形や配置がどうこうのというものではなく、もっと奥深い何か。

「ミサト、この男か。おまえの前の男っていうのは?」

 ウルスラ大将はこちらを見据えながら、ブライトが秘密にしようとしていた話しを、なんのためらいもなく初っぱなからぶつけてきた。ブライトはその苛立ちを気取られまいと、顔を横にそむけた。

「違うわよ。前の前の前よ」

 ミサトはそっけない口調で否定のことばを口にした。

 ウルスラ大将がミサトの肩をそっと抱いた。ブライトは相手のペースに巻き込まれまいとして、目を上にそらした。

「悪いな。今はわたしが、ミサトのパートナーだ」

 ブライトは驚きを顔に出さないよう、ぎゅっと目を瞑って、心のなかでゆっくりと10カウントして、心を落ち着けると、ふたりに向きなおった。

「それはおめでとうございます。ウルスラ大将」

 ブライトはわざと口元をゆがめて、皮肉めいて聞こえるような口調でミサトに言った。

「さすがだな。男をくわえ込んで、昇進を果たしたか……」

「『(めなん)』だよ」

 ウルスラ大将は口角をあげ、はにかんだような笑顔をみせた。

(めなん)……」

「日本では、第三の『性』のことを、新たにそう呼称してたと思うが、ちがったかね?」

「あ、いえ……」

「言いづらかったら、国際的呼称の『ニューマン』と呼んでくれてもいい。『ニュートラルマン』の『Neuman』」

 ブライトは、「Man、Neuman、Woman……」と思わず呟いた。ミサトに、自分の動揺を覚られたくなかった。

「あらぁ、わたしが『男』専門だとでも、思ってたのかしらぁ」

「あ、いや……」

「正直、男はもー、たくさん。面倒くさいしねーー」

 そう言いながら、ウルスラの腕にまわした手に、ミサトがぎゅっと力を込めた。ブライトはその姿から目をそらすように、上に浮かんでいる責任者たちにむけて大声をあげた。

「事務総長、このふたりが、わたしの後釜ということなんでしょうか!」

 事務総長が口元に薄ら笑いを浮かべた。

「わたしはそれでいいのだけどね」

「いやーー、勘弁してよねぇ」

 ミサトがウルスラと腕を組んだまま、冷たい目をむけてきた。

「輝ぅ、あなた勘違いしてない?。わたしたちは、あなたに頑張って欲しいからここに来ているの。いわば応援団」

「応援団?」

「国連の日本支部の司令官を希望するような人、ふつう、いないでしょ」

「どういうことだ」とブライトが怒りがこもった声をあげると、ウルスラ大将が空いているほうの手を前にあげて、ブライトに落ち着くよう促した。

「デミリアンを擁する日本支部は、亜獣退治においては常に最前線だ。そりゃ、やりがいもあるだろうよ。だが、勝っても負けても、称賛されるどころか、世界中から誹謗中傷を浴びのではねぇ」

「そんな割に合わない仕事って、ほかにある?」

「だが、亜獣退治はだれかがやらねば……」

「えぇ、その通り。でも、そんなババは誰もひきたくない。わたしたちもね……」

「ブライト司令官。君にヘマを重ねられたら、上の連中は君を更迭するだろう。そうすると、そのとばっちりが我々に振りかかってくるのだよ」

「いや、しかし……」

 ことばが続かなかった。

 自分が誇りをもって当たっている任務が、自分が大抜擢されたと思った最前線の司令官の立場が、それほどまで軍部で忌み嫌われているという事実を突きつけられたのだ。

 ブライトにはなにを言えば、相手をやり込められるのか、頭に浮かばなかった。

「ブライト司令。これからも頑張ってくれないかねぇ。わたしとミサトは、君がリタイアしないように、陰ながらバックアップしていくつもりなのでねぇ」

 そんな心強い言葉をウルスラ大将から投げかけられても、ブライトはどう反応していいかわからなかった。この場で繰り広げられるはずの『公聴会』という名のゲームに、負けないための手札もスキルも手にして臨んだはずだったが、今は思いもよらない展開に、どのカードも切れずに硬直してしまっている。

「輝ぅ、頑張ってね」

 去り際にそうミサトに声をかけられて、ブライトは儀礼的に笑って見せた。

 

 今の彼にはその反応が精一杯の抵抗だった。

 



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第73話 この基地の近くに出現するだと!!

 亜獣が現れる場所を事前に特定できるようになったのは、38体目の「ゲッターロ」からだ、と記録にあった。

 初回での出現先の予測はあいかわらず不可能だったが、二度目の出現には対応できるようになった。個体ごとに異なる亜獣の体液の特長から、生体マーカーを特定する技術が開発されたおかげだ。

 出現する地域、出没時間、地上での行動時間……。

 エドは、亜獣アトンの生体マーカーから、次の出現がどこになるのかを解析していた。 エドが中空に浮遊するモニタに表示されている生体マーカーの値の一部のデータを指でつまんだ。そのまますぐ下に設置されている机型モニタの上にむかって落とし込む。数値がそのモニタ上に吸い込まれると、地図データとなって展開していった。地図は、世界地図から一気に日本にフォーカスされ、みるみるうちに首都圏近くがズームされていく。地図は数値を読み取りながら、ズームとスクロールをくりかえしたかと思うと、富士山近くの街の上空でぴたりと静止した。その地図データの脇に「出現予測日 5月12日 午前3時02分」と浮かび上がっていた。

 エドはすぐにテレパスラインを起動し、ブライトに接続した。ブライトは2コール目ででた。寝起きなのか不機嫌そうな声を返してきた。

「エド、どうした?」

「亜獣の出現日と場所が特定できました。出現場所は富士市です」

 エドはブライトに前のめりになってもらうため、一番、心をつかむだろう情報をまっさきにぶつけた。

「この基地の近くだと!」

 ブライトの驚く声に、エドは心が躍った。すかさず次の情報をたたみかける。

「えぇ、四日後の12日の3時です」

「真夜中!」

 エドにはそう言ったまま口をつぐんだブライトの気持ちがよくわかった。過去にあまり前例のない暗闇での戦いに、どう対応しようかと頭を巡らせているに違いないのだ。エドは自分の考案した作戦を披瀝する、千載一遇のチャンスだと感じていた。

 さあ、自分たち「亜獣チーム」の活躍の番がきた。

「ブライト司令官、じつは、わたしに策がありまして……」

 エドはブライトに自分の考案した作戦の概要の説明をはじめた。

 

だが、その背後で亜獣出現予定地を指し示していた「光点」がするするとスクロールをはじめた。時間にするとものの数秒の間に、地図上では二十キロ横に「光点」は移動していた。それは清水市内の中心にあるオフィスビル群が集まる地区だった。

 

 その地区のシンボル、高さ200メートル級の「清水グランドビル」の上で「光点」がなにごともなかったように点滅をしていた。

 



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第74話 損傷するのはあの子たちのほう。アスカ、あなた自身じゃないわ

 ブライトが昼前に、一時間ほどのミーティングを行うという連絡があったので、四時限目以降の授業は中止になった。ヤマトとしては授業が潰れるのは勘弁して欲しいところだったが、来客の都合ということだったので、しぶしぶそれに従うことにした。

 ヤマトが会議室に入っていくと、アスカがすでにブライトの真正面の席を陣取っていた。ここから梃子でもうごかないぞ、という気概に満ちた表情で、身じろぎもせずに座っている。隣には本来の座席を奪われた春日リンが座っていた。どうもアスカを扱いあぐねているらしく、リンは机に肘をついてアスカに背をむけていた。察するにこのふたりは、すでに大いにやりあったあとらしい。

 ヤマトはふたりから一番離れた席をチョイスして座った。ブライトが入室してくる頃には、アル、エド、李子、レイたちもみな着席していたが、部屋を支配する重苦しい空気にみな口をつぐんでいる。

 ブライトは入室してくるとすぐにアスカに気づいて、腰を宙に浮かせたまま、なにかを言おうとしたが、アスカが立ちあがって先制した。

「ブライト!。あたしをこの席からはずそうってしたって、ぜったい動かないからね!」

「あたしはもう大丈夫。からだも心もすべて元通りになった」

 アスカはブライトを睨みつけた。

「次はあたしに退治させて。亜獣アトンと……」

「プルートゥを!」

 プルートゥの名を力強く言いはなったのを聞いて、室内にいる面々がお互いの顔を見合わせた。ブライトはアスカの挑発には構おうともせず、李子のほうに顔をむけた。

「アイダ先生。アスカは大丈夫ですか?」

「えぇ。今のところは」

「アスカのトラウマティック・ストレスには、長足の改善が見られました。PTSDやパニック障害にともなう、過覚醒・感情鈍磨・忘却傾向・想起の回避・関心の減退などは見られません」

「では、アスカをセラ・ヴィーナスに搭乗させても問題ないってこと?」

 リンが李子にむかって尋ねると、李子は軽くうなずきながら「まぁ、大丈夫でしょう」と答えた。アスカはそれを聞くと、鼻高々の表情で高らかに言った。

「はん、こっちは、まともな神経の図太さじゃないんだからね」

「アスカ、なんか使い方、まちがえてる」

 レイが小声でただしたが、アスカは一顧だにしようともせず、自分の胸を指で叩いて指し示しながら、ブライトを見据えた。

「人類なんて、このあたしがいなきゃ、何にもできないんだから」

 そう啖呵を切るなり、どんと腰を落として、「さぁ、会議をはじめて」と言った。ブライトは一度、ため息をつくと、エドに尋ねた。

「エド、次の亜獣出現予定をもう一度教えてくれ」

「はい。三日と18時間後です」

「真夜中の三時じゃないの」

 リンが驚いて思わず声をあげた。

「この時期なら、まだ外は真っ暗闇だわ。あの針の攻撃を回避するのは……」

「あぁ、日中に比べて相当に難易度が高くなる」

 ブライトがリンのことばを受けるように、話しをまとめた。

「ちょっとぉ、簡単に言わないでよ。怪我するのは、あたしたちなのよ」

 アスカがそれに異議を申し立てた。ヤマトにはどうやら、アスカは前回出撃できなかったことのうっぷんをこの場で晴らそうと、躍起になっているように見えた。

「損傷するのは、あの子たちデミリアンのほう。アスカ、あなた自身じゃないわ」

 リンがその勢いを削ごうとでもするように、穏やかな口調でアスカをたしなめた。

 ブライトがやおら立ちあがった。その顔に余裕のような誇らしげな表情が浮かんでいた。

「そこで、わたしは、日本国防軍の援軍をお願いすることにした」

 そう言うと、隣に座っている人物を手のひらをむけて紹介した。

 

「こちらは、日本国防軍のシン・フィールズ中将」

 



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第75話 あんな兄は見たくないわ。いっそ死んでくれればいいのよ

 武骨な顔だちをした見慣れない制服を着た男が起立した。

「自分は日本国防軍陸軍東日本方面師団長 シン・フィールズ中将です」

 さりげなく着座していた人物が、驚くほどの高官であったことで、その場にいた面々の多くのあいだにわずかに緊張した空気が走った。フィールズ中将はそれを察して、手のひらを前にだして、気にするな、というサインを送ってきた。

 ヤマトは、しょせんブライトと同格、現場指揮官として最高位、程度、という認識だったので、萎縮するなどおよびもつかなかったが、どういう人間であるか、ということには少々興味が湧いた。

 まず最初の印象で『威厳』というレッテルを貼ってみた。軍人の職務をまっとうする、指示を命がけで死守するという頑迷さが顔に色濃く出ていた。だが、その目は凛と澄み切っていて、やさしい印象を与える。腹をわって話してみると案外、柔軟な思考の持ち主で、人好きするような性格なのではないか、と思われた。『豪放磊落』などという、とても古くさい、男らしさ、がそこにあった。

「ブライト司令、基本的な質問があります」

 見ると、アイダ李子が挙手していた。

「日本国防軍の中将が援軍に加わる、というのはとても心強いのですが、あの亜獣はこちら側にある兵器ではキズひとつ付けられなかったのではないでしょうか?」

「アイダ先生の疑問はもっともだ。だが、今回は違う」

 ブライトのあまりにも自信ありげな表情に、ヤマトは目をみはった。

「前回の戦いで『移行領域』の膜がひらく瞬間を狙えば、我々の兵器でも亜獣に対抗できることが証明されたんだ。だから、その瞬間を作り出しさえすれば、国防軍の兵器で攻撃することができる」

「すみませんが……、ブライト司令。司令は大事なことを忘れてないかい」

 いつのまにか、アルが遠慮がちに挙手していた。

「大事なこと?」

「差し出がましい話しですが、あの亜獣、アトンは背中の甲羅と首のあいだに弱点がある、って聞いてます。国防軍の攻撃がいくら凄くても、そんな難易度が高い部分をピンポイントで攻撃できるとは……」

「それなら、問題ありません」

 アルのことばを遮るように、エドが横から口をはさんだ。

「前回、狙った亜獣アトンの弱点は、デミリアンの武器を使った場合が前提なんです。だって、剣と槍と薙刀ですよ」

「そんな非力な武器で倒そうっていうんです。弱点を狙うしか方法がないじゃないですか」

「もっと力のある兵器を使えるなら、弱点は関係ないというの?」

 春日リンが疑い深い口調で、エドに言った。

「もちろんです」

「相手が『移行領域』のむこうにいて、攻撃が当たらないから倒せないだけなんです。当りさえすれば、生き物ごときが25世紀の最新兵器の前に太刀打ちできるわけがない」

「あら、亜獣の専門家だから、ちょっとは亜獣に肩入れするかと思ったけど?」

 リンの指摘にエドがしどろもどろになった。

「あ、いや、まぁ……。でも、亜獣は駆逐の対象ですから」

 ヤマトは会議室の雰囲気が和らいだのを感じた。どういう形であっても、亜獣を倒せる可能性がでてきたのは、ヤマトとしても嬉しいことだった。だが、そのなかに重要なファクターが抜け落ちているのを感じて、控えめに挙手した。

「なんだ、ヤマト。問題でもあるというのか」

 ブライトが食ってかかるような口調で、ヤマトのしぐさに答えた。

「いえ。亜獣アトンについては……」

 ヤマトはわざとアスカのほうへ目をむけて言った。

「亜獣プルートゥへは、どういう作戦が?」

 会議室内にふたたび、不安げな雰囲気がもたげてきたのがわかった。なかでもアスカは、特に厳しい目つきをヤマトのほうへ向けてきた。

「いや、それは従来通り……、デミリアンで……」

 エドが小さな声でそれに答え始めると、アスカがドンと机を叩いてそれを遮った。

「あたしが、殺ってやるわよ」

 その剣幕に会議室の空気がぴりっと震えた。

 ヤマトはシン・フィールズ中将に目をむけた。フィールズ中将は顔色ひとつ変えず、その様子を興味深そうに傍観していた。その横にいるブライトが、フィールズ中将の手前、アスカを叱りつけられずに、悶々と手をつけあぐねている姿とは対照的だ。

 いまのは自分が巻いた種だとも言えるので、ヤマトはブライトに代わって、この場を収束することにした。

「アスカ、君には無理だ」

「えぇ、わたしも無理だと思う」

 ヤマトの否定する発言に、それまで口をつぐんでいたレイが追従してきた。実兄の始末を焚きつけた、朝方の発言とは真逆の意見だ。

 ヤマトとレイに自分の決意表明を否定されて、アスカが眉根をよせて、ヤマトを睨みつけなにか言いたげにしていたが、突然、ふっと力をぬいてドンと椅子に座った。

「あんな兄は見たくないわ。いっそ死んでくれればいいのよ」

 ブライトがやれやれという顔つきで、ことさらおおきく嘆息した。ヤマトは、隣にいるシン・フィールド中将への、わざとらしいアピールだとみてとった。おそらく、こんなに手のかかる連中を指揮しているんですよ、というところだろう。

 姑息なブライトらしい。

 ブライトはさきほどまでの、前向きな会議室の雰囲気を取り戻そうとでもするつもりなのか、声を張ってエドに声をかけた。

「では、エド、作戦を聞かせてくれ」

 エドが珍しく自信ありげな顔つきで立ちあがった。

 ヤマトは顔をしかめた。

 エドがこのように顔に力がみなぎっている時は、たいてい話が冗漫で長くなると相場が決まっていた。そのことを熟知している春日リンもおなじことを察知して、天井に顔をむけて軽くため息をついた。エドは空中に作戦書らしきものを表示しようとしたが、誤って文書をスクロールさせてしまった。数十ページものデータが勢いよく、画面の上をすべっていく。

 ヤマトはリン同様に天井をみあげて嘆息した。

 

 予想通りなのはまちがいない。また遅い昼飯をとるはめになりそうだった。

 



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第76話 ヤマトタケルが死ぬ寸前にねがったものは、ちっぽけなものだった

「ヤマトタケル」

 

 彼はこの名前が世界一嫌いだった。

「ミリオン・マーダラー」と世界百億人全員から忌み嫌われているこの名前は、呪いたくなることに自分の本名とおなじだった。

 もちろん漢字はちがっていたが、誰がその違いに頓着するだろうか。

 ありがたいことに、脳内の生体認証チップと「個人名保護法」のおかげで本名を名乗らずに済んでいる。今では「通り名」を使っているが、たまに「ヤマトタケル」という名前が会話のなかで飛び出してきた時は、心穏やかでいられない。

「ヤ・マ・ト・タ・ケ・ル」というこの六つの音の響きが、人々の口の端にのぼるときは、糾弾、誹謗、怨恨、敵意などがともなう感情的になる話題なときだけ……。

 それも、老若男女、人種や国や宗教を問わず、すべての人々においてだ。

 

 彼が国連軍基地に職を求めたのは、ここだけは、この名前に拒否反応がないからだろうという思いだった。職員向けの食堂という瑣末な仕事ではあったが、ここだけは誰も「ヤ・マ・ト・タ・ケ・ル」という六音を発音するとき、ネガティブな感情をこめることはない。もちろん、ポジティブな意味合いで発するものは少数ではあったが、それでもありがたかった。

 昨日、そのヤマトタケルが出撃したというニュースがあったので、彼は早退することにした。こういう時はこの職場であっても、嫌な思いをすることが往々にしてあった。

 彼は人目を避けるために、ひと気のすくない人工森のなかを抜けることにした。

 

「ヤマトタケルか?」

 

 ふいに頭のなかで声がした。その声は彼にはまったく聞き覚えがないものだった。だが、見知らぬ誰かが自分の本名を知っている。彼はゾクリとして思わず足を速めた。これは相手にしてはならないヤツだ、と本能が警鐘を鳴らしていた。

 

「ヤマトタケルか?」

 

 声がもう一度、訊いてきた。

 彼はそれを大声で否定しようとしたが、咽から声が出て行こうとしなかった。でてきたのは、ごぼごぼという泡のような音。その音ともに咽から空気が抜けていく。あわてて自分の胸元をみると、服が血だらけになっていた。生暖かい血が、みるみるうちに白いシャツを赤く染めていく。

 彼は自分が首を切られたことに気づいた。

 逃げようとしたが、すでにからだは力をうしない、地面に崩れ落ちていた。

 彼は思考回路を開いて、ニューロンストリーマをだれかと同調させようと試みた。だが、近くに誰もいないのか、願ったような反応は返ってこなかった。

 うすれゆく意識のなかで、彼は知人にむけて、テレパスラインを送った。

 間に合わないのはわかっていた。もう助からない。

 でも、誰でもいいから、せめて今日のうちに発見してほしかった。

 あしたは朝から雨を降らせる降雨予定日だ。

 今日中に見つけてもらえなければ、誰にも知られずに、ずっと雨にうたれ続けことになる。

 

 だから、早くぼくを見つけて……。

 

 彼の、もうひとりのヤマトタケルの、死ぬ寸前に(こいねがった)ったものは、そんな、ちっぽけなものだった。

 



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第77話 たった二百十八人の命と引き換えに、死んだんですよ、オレ

 ブライトが会議から開放されたのは夕方頃であったが、どうにも疲れがぬけず、そのあとの個別ミーティングはキャンセルしてもらうことにした。

 国連の諮問会で答弁をしたのが、本日の未明だったのだから、すでに15時間連続で仕事をしている。心身ともに疲れ切っていて当然だった。

 諮問委員という大仰な処刑場に引きずりだされて、つるし上げられただけでもかなりのストレスであるのに、事務総長が仕込んだ、あの「カツライミサト」という隠し球。

 あれが相当に応えた。

 任命権しかない事務総長という立場では、軍の作戦や方針に直接口を挟むことができない、というのを熟知しているうえでの圧力。

 自室のソファでくつろいではいるというのに、あらためて憤りがふつふつともたげてきて、おさまらなかった。ドンと強めにテーブルを叩いた。

「くそぅ、わたしが更迭されるだと。わたしは歴代の司令官のなかでも、一番多くの亜獣退治を指揮してきているのだぞ。たわいもない失敗で失脚させられてたまるものか」

 その時、部屋の一角から声がした。

「だって、あんたはオレを殺したじゃないですか……」

 ブライトはぎくりとした。だれもいないはずの部屋で、声がしたからではなかった。その声に聞き覚えがあったからだった。ブライトはゆっくりと、声がした方に顔をむけた。背の高い観葉植物の陰から、男が右半身だけを覗かせてこちらをみていた。

「だろ、ブライトさん」

 自分の内臓の一部が凍りついて、動きをとめたのを感じた。そしてその臓器は凍ったまま腹の下のほうへズンと落ちていく。そんなゾッとする感覚。

 目の前にカミナアヤトがいた。それはゴースト向けのアバターでも、素体に被せられたヴァーチャルキャラクタでもないとすぐに悟った。ゴーストでは再現できない影がそこにあり、素体では表現できない皮脂のテカリ等の実在感がそこにあった。

 そう、これは幻影だ。

『この幻影はほかのひとに伝播する』

 血の気をうしなった顔で、リンが訴えかけていた時の状況が頭をかすめた。

 そうか、そういうことなのか……。

「カミナ・アヤト……」

 ブライトにはその名前を口のあいまから絞りだすのが精いっぱいだった。目の前のアヤトはにたっと笑うと、話を勝手に続け始めた。

「オレは、あン時、自分ひとりじゃ、勝てないって抗議しましたよね。だが、あんたは人の命がかかっている、そのまま見殺しにするわけにはいかない、とかいろいろ言って、無理強いした……」

「ブライトさん、あン時、死んだ犠牲者の数って憶えていますか?」

 ブライトは目の前に半身を覗かせて、偉そうにしゃべっているアヤトが、偽物の幻影だとわかっていた。だが、理解していながらも、アヤトにむかって返事をした。

「二百十八人だ」

 アヤトが納得したように、首を縦にふった、

「二百十八人!、たった二百十八人の命と引き換えに、死んだんですよ、オレ」

 ブライトが思わず大きな声をだして抗議した。幻影と真摯にむきあっている自分の状況を、間違えている、と把握しながらも、申し立てずにはいられなかった。

「おまえが戦ったから、その数で済んでいるんだ。おまえが出撃しなければ、こんなものじゃあなく、もっと犠牲者がでていた」

 だが、アヤトはブライトの抗議をまったく取りあおうとしなかった。

「あのあと、アンタは反省したんだろ。あの亜獣はオレの武器とは相性が悪すぎだった。出すべきではなかったって……」

 ブライトはなにかを口にしようとしたが、ことばが喉に貼りついたまま、でてこようとしないことに苛立った。が、それと同時に、言うべきことばなど、はなから持ち合わせていないことにも気づいていた。

「弁明する気もないってかい」

 アヤトがため息をつくように言い放った。

「あんたのクソみたいなプライドと、おためごかしの正義感で、オレはどうなったと思うかい?」

 アヤトはそう言うなり、暗がりからゆっくりと左半身を現わした。彼の左半身は死んだ時のままの姿、亜獣の溶解液でどろどろに溶けていた。皮膚は破れ、溶けた骨の一部が筋肉のあいまから覗いている。その陰惨な姿に、思わずブライトは目をそらしたが、そのまま反論を口にした。

「人生には理不尽なことしかふりかからない。わたしが押しつけた理不尽で、きみが命を落としたからと言って、わたしはそれを詫びるつもりはない!」

 その瞬間、あたりを包んでいた重苦しい空気のよどみが、ふっと消えた。ブライトはハッとしてアヤトのいた場所に目をむけた。そこにはもう誰もいなかった。なにごともなかったように、いつもの味気ないブライトの部屋の風景があるだけだった。

「疲れているだけだ。疲れているから、あんな夢をみるんだ……」

 ブライトは自分に言い聞かせるように呟いた。だが、自分が夢だという相手に、いつのまにか訴えてもいた。

 

「だがな、アヤト。上には上の理不尽がある。しかもその理不尽はさらにもっと大きくなるんだ……」

 



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第78話 葬りさる?。それは殺すということですか?

 国連軍の基地内にある雑木林で遺体が発見されたーー。

 その情報は「国連憲兵隊」の警備部から草薙素子に秘密裏にもたらされた。

 草薙は日頃から警察庁や各県警などに強固なパイプを築いていたが、こんなところでそれがやっと役に立った。国連軍の法執行機関である「国連憲兵隊」とのコネクションは、部隊内でも一悶着あった。

 軍にとっては、国際連合軍内の警察「国連憲兵隊」は天敵だからだ。

 それが奏功するとは、推進した草薙ですら思ってもみないことだった。

 

 草薙はすぐにブライト司令へ、アポイントをとった。

 ブライト司令官の執務室に入ると、ブライトだけでなくヤシナミライも待っていた。草薙はそのことに意見を述べようと口を開きかけると、ブライトがそれを制するように口を開いた。

「草薙大佐、基地施設内でなにものかに職員が殺された、という話だったが、それがなにか我々に関係があるのか?」

 ブライトの時間が惜しい、と言わんばかりの態度をみて、草薙はミライのことは不問として話を続けることにした。

「犯行は本日夕方十六時ごろ、人工林道を通って帰宅中の男性が、何者かに鋭利なもので首を掻き切られて殺されました」

「それは聞いた。だが、それは憲兵隊の管轄だろう」

「えぇ。現在、憲兵隊の刑事課が犯人と凶器の特定に奔走しています」

「だったら、我々になんの関係がある」

 ブライトが苛立ち気味に言った。草薙はブライトたちのほうに数歩、歩み寄ると、声をひそめて訊いた。

「失礼。ニューロンストリーマとテレパスラインは切断されていますか?」

 その小声につられてブライトも声を弱めて「もちろんだ」と言った。ミライも肯定するように、軽く首をたてにふる。

「殺された男の本名は、ヤマトタケル……です」

 草薙はそれだけ言って、ふたりの反応を待った。ブライトは微動だにしなかったが、ミライのほうは、反射的に口元を手で押さえていた。

「ヤマトタケル……」

 やがてブライトは名前をぼそりと反芻すると、()め付けるような視線だけを草薙に返して、先を促した。

「もちろん、同姓同名の別人です」

「ただの偶然じゃないの?」

 ミライがこわばった表情で言った。

「えぇ、偶然です。ヤマトタケルと同姓同名の男が殺されただけです……。偶然、プロ並の手際をもつ何ものかに……」

「それはどういうことだ」

 ブライトが苛立って言った。ブライトに癇癪(かんしゃく)をおこさせる意図があったわけではないので、草薙は素直に解釈を述べた。

「犯人は現時点でまったく不明。男か女かもわかっていません。しかし、一瞬にして、この男の喉をかき切っています。この手際はとても素人の手によるものとは思えません」

「プロ、つまり暗殺者が侵入したと……」

「その可能性が高いかと」

「では、草薙大佐、あなたはヤマトタケルが狙われていると?」

 ミライがおそるおそる訊いた。

 草薙はミライとことばをかわすのは、それほど多くなかったが、副官を任されるのにはかなり荷が重たいのではないかと前から感じていた。いまも自分の意見を述べるのではなく、最後の判断はこちら側に委ねている。どうにもまどろっこしい。

 ブライトは優柔不断ではあったが、人の意見を簡単に取り入れない頑迷さがあった。だがよく言えば、どんなに迷っても最後は自分の意見は押し通すということだ。こちらのほうがまだ潔い。

「逆にお訊きしますが、そう考えない理由がほかにありますでしょうか?」

「じゃあ、誰がそんな……」

「現在、捜査中です」

「で、我々はどうすればいい?」

 ブライトが身を乗りだし、慎重にことばを選んで訊いてきたが、そこには、いささか強迫めいた感情がこめられているようだった。苛立たされる態度だったが、草薙はむしろブライトの興味をひくのに成功したと、良い方向にとらえた。

「まず、兵士を貸してください。警護隊の人員ではとても、広範囲の警護と捜査に手が回りません」

「捜査?。憲兵隊の仕事だろう」

「わかっています。ですが、今回の事案は憲兵隊の手にあまります」

「草薙大佐、そうだからと言って、越権行為は認められん」

「しかし、彼らの職務は犯人を逮捕するところまでです。犯人がもしプロであれば、葬りさらねばなりませんが、それは含まれていない」

「葬りさる?。それは殺すということですか?」

 予想はしていたが当然のようにミライが異議を申したててきた。

「ええ。もちろんです。ヤマトタケルの命を守らねばなりませんので」

「しかし、そんなことは……」

 草薙はこの場所にミライが同席していた時点で、人権や生命や法律などの原理原則を盾に、抗議してくることはある程度予測していた。

 面倒な女ーー。

 が、それはブライトのひと言で簡単に断ち切られた。

「わかった。君の言う通りにしよう。君が必要だと思うだけの兵士を招集するがいい。警護でも捜査にでも使いたまえ」

 草薙の口元に思わず笑みがこぼれそうになった。

 それは、ミライがブライトに憮然とした表情を向けたからでも、自分の思い通りに事が運んだからでもなかった。その即断が実にブライトらしいと思ったからだった。ひとから優柔不断の(そし)りを受けることが多いが、実は自分に責がおよばないようにする決断は、おそろしいほど敏捷(びんしょう)だ。

 

 ふりかかってきた火の粉は、絶対にふりはらう、しかも迅速に、というポリシーは徹底していた。たとえ、ふりはらった火の粉で、ほかの家が延焼したとしても構わないのだ。

「憲兵隊のほうは、捜査協力をするという形で、こちらから筋を通しておく。草薙大佐は一分でも早く犯人を特定し、排除するように」

 

 草薙は敬礼をして謝意を述べると、すぐにその場を立ち去った。

 



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第79話 そりゃ、逮捕……か、それ以上でしょうね

 草薙は部下を招集している間に、憲兵隊本部に足を運ぶことにした。

 警察に捜査権がない軍隊の敷地内での犯罪捜査は、軍隊内部の法執行機関である国連憲兵隊が担っている。

 ブライトから捜査権限を一任されたとはいえ、捜査部署である憲兵隊・刑事課には筋をとおすべきだと考え、憲兵隊本部に足を運ぶことにした。軍人ならば上からの命令は絶対なので疑義を挟むことなく柔順に命令に従うだろうが、ミリタリーポリスという半端な立ち位置の彼らが、同じ習性であるとは言いきれない。 

 憲兵隊に割り当てられたエリアは、シミュレーションエリア近くにあった。

 つまりは日本支部全体からみると、一番はずれに追いやられているといるということなる。とは言え、エリアの占有面積は思いのほか広く、トレーニングルームや食堂、RVルーム等の各施設も本館と遜色ない。一瞥する限りにおいては充実しているように見えた。

 草薙が案内の細身の兵士に、刑事課の看板が掲げられた部屋の中に紹きいれられると、そこには二人の男がいた。大仰な机の前に座っている男と、その横で、まるでボディガードのように仁王立ちしている屈強そうな男。

 

「草薙大佐、ようこそ」

 椅子に座った男が言った。男は軍人にしては少々華奢な体つきで、抜け目のなさそうな目つきをしていた。まったく気が許せないタイプの男——。

 自分とおなじタイプの人間だ。 

 その横に立つ男は、彼とは真逆でがっしりとした体をしていた。冗談のように筋肉を盛りつけた肉体は、制服がはちきれんばかりに張って、今にもボタンが弾けとびそうですらある。三世紀前まで『ボディビルダー』と呼ばれ、もてはやされた時代遅れのからだつきだ。今では筋肉の過度な強化は寿命を縮めるとされ、生体チップが自動で抑制する設定になっているので、この男はそれを無視してオーバー・トレーニングをおこなっているか、筋肉増強剤をオーバー・ドーズしているのだろう。

 

「私が刑事部長のトグサ大佐です」

 細身の男が、やけに野太い声で言った。

「そしてここにいるのが、私の双子の弟、トグサ中佐」

 草薙が疑問を感じて口を開きかけると、すぐにトグサ大佐がそれを手で制した。

「言いたいことはわかってる。私たちが双子なのに、なぜそんなにも違っているんだと聞きたいのでしょう」

「いや、お二人ともトグサというお名前なら、私はあなたたちのことを、何と呼べばいいのか聞きたかったのですが?」

 だが、その質問はトグサを大いに失望させたらしい。一瞬、息につまったような間があったのち「あぁ……」と吐きだすような相づちの声が漏れた。草薙は似ても似つかぬ双子という話が、彼の挨拶代わりのまくらだったのか、といまさらながら気づいた。

「そうですね。草薙大佐、どう呼んでもらってもかまいませんよ」

「そう。すみませんね」

 草薙は二人の顔を交互に見てから言った。

「トグサ兄、トグサ弟と呼ぶわけにもいかないですから、階級で呼ばせてもらいます」

 それを聞いて二人が目配せしたのが見えたが、かまわず草薙が続けた。

「ところで、今回の捜査にわたしの部下も参加させていただける件、聞き及んでいるかと思うのですが……」

「ブライト司令官、直々に要請があったよ。できるだけ連携しましょう」

「ただし……」

 トグサ兄がひとさし指を一本たてて、草薙に言った。

「警備や検問に関しては、そちらにお任せするが、捜査に関しては、こちらに一任させてもらいたい。すでに捜査本部をたてているのでね」

「つまりは後方支援に徹しろ、と」

「ん、まぁ、そういう解釈もできるかもしれませんね」

 草薙はこれくらいのことは予想していたので、とくに感情的になることもなかった。

「了解しました。だが、トグサ大佐、捜査会議への参加は認めてもらえますか?」

 

「いいでしょう。ただし、草薙大佐おひとりだけ、末席でよければ……」

 

 

  ------------------------------------------------------------

 

「草薙大佐、わたしたちに武器を持たせてもらえるの?」

 

 レイはひとこと、そう言った。 

 ヤマトタケルという男性が殺された事件の概要を、草薙大佐にひとしきり説明されたあとで、レイが気になったのは、ヤマトの命を守るためにどうすればいいか、だけだった。

 彼らの出立ちは、午後十一時前という時刻もあって、ヤマトはトレーニング着姿、レイとアスカはパジャマ姿のままだった。

「あのねぇ、レイ。あたしたちに戦えるわけないでしょ」

 アスカの声は眠気を押しころすようにして言った。

「そう。でもどうやって殺されないようにするの?」

 そのことばに草薙がパチンと指を鳴らすと、入り口のドアが開いて、武器を装備した兵士たちがぞろぞろと入ってきた。

 

「バトー」

 草薙がそう呼ぶと、兵士の先頭にいる大柄の兵士が前に進み出た。

「こちらが、あなたたちの警備責任者、バトー少佐。今から、彼が責任をもって、あなたたちを四六時中警護します」

 兵士がにこやか笑顔でレイとアスカのほうに会釈した。

「本当はバットーっていうんだがね。まぁ、名前なんてどうでもいいんで、好きに呼んでくれてかまわんよ」

 レイはバットーの頬に銃創とも切創とも見える、大きな傷跡があるのに気づいた。相当の修羅場をくぐってきたのだろうか。彼は銀色の髪の毛をうしろにひっつめて、一本結びにしていた。ヤマトと同じ髪形だったが、全体の印象は似ても似つかない。

 

「タケル、あなたは知ってるわね」

 草薙の声の投げかけに、ヤマトが面倒くさそうに言った。

「あぁ。うんざりするほどね」

「おい、おい、タケル。そういう言い方はねーだろ」

 レイは兵士たちをひと通り見回して、言った。

「ねぇ、これだけの人、全員ここに寝泊まりするの?」

 そう聞いて、アスカがその状況に気づいて、草薙に食ってかかった。

「草薙大佐、まさか、この人たち全員、ずっとここに常駐するんじゃないでしょうね?」

「あら、アスカはそれがお望み?」

「なわけないでしょ。こちらは年頃の乙女なのよ」

「これくらいいないと、タケルは守れないってことなんでしょ」

 レイがそう言うと、草薙が訝しがるような顔で尋ねてきた。

「なぜ、そう思うの?」

「だって、みんな銃を複数装備しているから。制圧射撃用のアサルトライフルに、多目的用マルチプル銃を装備してるし、弾薬ベルトも複数帯同している……」

「警備だけなら、小型グレネードランチャミサイルが二発も内蔵されたマルチプル銃なんて不要でしょ」

 この回答に、草薙よりもはやくバットーが驚きの声をあげた。

「参ったな。レイ・オールマン、見事な洞察力だ」

 レイは顔をまじまじと見つめるバットーを見あげて訊いた。

「で、それでタケルを守れるの?」

「あぁ、安心しな。守ってみせるさ、な、タケル」

 そう最後に同意を求められたが、ヤマトは手を挙げてそれに応じただけだった。

 レイはそのことばが嘘偽りのないものだと感じた。すくなくとも、バットーのなかに、こちらを欺こうという意図はない。

 レイは草薙のほうに顔むけて言った。

「草薙大佐、わたしたちにも銃を持たせてちょうだい」

「ちょっとぉ、レイ、冗談でしょ。これだけものものしい兵隊が警備しているのよ」

 アスカがあからさまに、これ以上、話しをややこしくしないで、とばかりに口を挟んできた。

「冗談じゃない……。守ってみせると、実際に守れる、とは全然違う」

 バットーが弱ったという表情で、頭を掻きながら、なにか言おうとしたが、草薙がそれを手で制した。

「レイ、わたしはこの五年間、ずっとタケルを命がけで守ってきた。同じように彼らも命がけでタケルを守る。絶対に!」

 レイは押し黙った。

 自分以上にタケルの命を心配して、世界で一番、命をかけてきた人が目の前にいる。

 

「大佐、わかった。お願いする」

 ラウンジ内の空気が一気にやわらいだ。

 それまで静観していたヤマトが、草薙に声をかけた。

「で、草薙大佐はどこへ?」

「わたしは、憲兵隊……、つまり軍の警察と一緒に犯人捜査に加わるわ」

「犯人が見つかったら?」

 草薙はとてもくだらない質問とでも言うように、また肩をすくめて言った。

 

「そりゃ、逮捕……か、それ以上でしょうね」

 



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第80話 神に祈りを棒げていたら、リョウマは助かっただろうか?

 次の日の朝から国連軍日本支部内は厳戒態勢につつまれた。

 

 朝、登庁してきた職員からは、何事かと不平不満があがったが、ブライトに一任された草薙大佐は手を緩めることはまったく考えていなかった。

 とにもかくにも、この国連軍内にヤマトタケルに対して殺意をもった誰かを、特定することが先決だった。セキュリティの強化はその端緒にすぎない。しばらくすれば各所のクレームは、ブライト司令官の耳にもはいるだろう。やりすぎを叱責されるかもしれない。すでにその覚悟はある。そうでなければ、犯人を短期間でいぶりだすことは難しい。

 

 しかし、驚いたことに、退庁時間になっても、ブライトやその周辺からはなんの咎めもなかった。草薙は国連軍の各部署も、さすがにこのことの重要性をわかっているのだろう、と推察した。もしかしたら、案外、寄せられているクレームをブライトがからだを張ってくれているのかもしれない。

 もしそうだったとしたら、ブライトに対する評価を改めなければならない。普段は、決断力の鈍さや、責任能力の脆弱さにうんざりとさせられることが多かったが、このような有事において、見事なまでの配慮をみせられれば、草薙も素直に感謝するしかない。

 

 おかげで、いくつかの情報がこちらに寄せられてきて、そのなかから、重要性が高そうな順番に絞り込んでいくことができた。

 草薙が特に気になったのは五件。

 

 被害者男性の通勤路で、不審者らしき人物が目撃されていた件。

 病理学研究所の所長が本日出社後行方不明になっている件。

 生体監視係の男性の生体データが、犯行時間に一時間ほど途絶えたという件。

 整備チームのひとりの行方が一時的に不明になって二時間後に連絡があった件。

 ヤマトタケルを殺す、という脅迫メールの件。

 

 このなかで草薙は、脅迫メールについては、早々に捜査対象からはずすことにした。ヤマトタケルに対するこのような脅迫は茶飯事で、こない日は一度もない。しかも膨大な量が世界中のことばで寄せられている。

 メール・テレパスラインや各種電子掲示板に「ヤマトタケル」専用のトピックがあり、始終、膨大な意見や書込み、思いのたけ、がずっと増殖し続けている。本来なら、ただの個人への中傷にすぎないのだが、世界的な規模で寄せられるため、国連本部では、専用部署を設けて、その処理にあたるほどだ。おおかた、それが当たり前の状態だと知らない、 憲兵隊の誰かが、鬼の首をとったように進言したのだろう。

 

 もうひとつ、不審者が目撃されていた件も、しっくりこなかった。もしなんども下見にきていたとしたら、ヤマトタケル、が本物であることを調査していた可能性がある。なのに犯人は間違えて殺害しているのだ。不審者がたとえいたとしても、本件とはあまり繋がりがないはずだ。 

 だが、残りの三つの件は、調べてみる価値があるとみた。通常の生活を送っているうえで、脳下垂体に埋め込まれた生体チップからの『生体ビーコン』が途絶えるということはが稀なことだ。

 なかでも特に彼女には、病理研究所の所長が行方不明、という情報がいちばん引っかかった。真面目を絵に描いたような人物で、連絡もなしに欠勤するのをいぶかしがる声が複数寄せられている上、前日、被験体の事でおかしなことを言っていた。という証言も気になった。病理研究所での被験体というのは、多くの場合「生きてないモノ」を意味する、と推測すると、それは「何だ?」ということに行き着く。

 もしかしたら、その「被験体」なるものが鍵を握っている可能性は捨てきれない。

 だが、まずは発見されている、ふたりからヒアリングするのが先決であろう。

 

 草薙はトグサ大佐に、立ち会いの許可を求めることにした。

 

------------------------------------------------------------

 

「おいおい、ずいぶんものものしいな」

 アルがあきれたような顔で言ってきた

 今夜未明の国防軍との合同訓練の前に、各自、自分の機体の最終チェックをするようにとアルから連絡があったので、アスカはヤマトとレイと連れだって、出撃レーンに足を運んだ。

 ヤマトがうんざりとしたような表情を作ってみせた。

「そうだろ。一人につき三人。九人もの護衛がついてくるんだぜ」

 アスカは自分の回りにチラリと目をはせた。銃をもったフル装備の兵士たちが三人をとり囲んでいる。

「いやぁ、アル。お騒がしてすまんね。草薙大佐の命令なんでね」

 先頭にいたバットーがアルに詫びを入れた。たわいもない口調だったが、周囲に鋭い視線をむけ続け、あたりの整備員や修理ロボたちから目をはなそうとはしない。

 アスカには儀礼的なエクスキューズはどうでも良かった。

「アル、あたしのセラ・ヴィーナスを、さっさとチェックさせてもらうわよ」

「あぁ、いいぜ。たぶん非の打ちどころがないほど、ばっちりメンテナンスされてると思うけどな」

「それでも心配!。自分でチェックする」

 アルがなにか不都合があればなくなりと捜してみるがいい、と言わんばかりの余裕の表情を浮べた。

 アスカはくるりとふりむくと、後方の警護についていた兵士たちに言った。

「あんたたち、あたしがコックピットをチェック中は、下で待機しててよね。うしろにぴったりくっつかれたりしたら、気が散るから」

 その剣幕に兵士たちはどうしたものかと戸惑っていたが、先頭のバットーが彼らのことばを代弁するように言った。

「レイ、わかったよ。彼らにそうさせる。だが、先に内部をチェックさせてくれ」

 アスカーはバットーの方を見た。その目が『そこが落し所だぞ』と訴えていた。

 アスカは両手を広げて降参のサインをおくった。

「了解。あなたたちにも、任務があるものね」

「でも早くしてちょうだいね!」

 最後のことばは、バットーに対するあたしの落し所はここだよ、という宣言にほかならなかった。バットーはその意をすばやく察して、目と手ぶりで、部下達にデミリアンの方へ行くよう促した。

 少しの間、待ち時間ができたので、アスカはゲームで時間でも潰そうと、中空に指を這わせようとしたが、その先にある光景に気づいて手をとめた。

 出撃レーンの一番奥、今は格納するデミリアンがないので、空になっているドックの脇に、おどろくほどの人だかりができていた。どうやら日本国防軍の兵士らしい。会議の席で見たフィールズ中将と似た制服を着ている。

 二百メートルほど離れていたが、人々のざわめきがこちらに聞こえてくるほどで、目につくだけで数百人はいるのではないかと、アスカは推察した。

「教会だよ」

 ヤマトが言った。

「教会?。こんなところに」

「すぐ裏手には神社やモスクもある」

「何するの?」

「お祈り」

 レイがぼそりと補足した。

「お祈り?」

 アスカはそこまで言って、ことばに詰まった。そういう習慣がなかった自分としては、ことばの意味は知っていても、なぜお祈りをするのか理由がわからなかった。

 その様子に、ヤマトが苦笑を交えながら言った。

「むかしのパイロットたちは亜獣と戦う前に、それぞれが信じる神にお祈りしたらしい」

「でも、あの人たちはどうして?」

「今夜、実戦形式の亜獣撃滅訓練あるだろ。危険な実弾演習なんだ。だから、神に祈りを捧げている」

 アスカはレイの方を見た。レイは今のヤマトの説明に、完全に納得してはいなさそうだった。アスカもおなじだった。行為の目的は理解できても、そうしたから、どうなるのか、という、心情がまったく理解できないのだ。

 では、もし前回の出撃の時、神に祈りを棒げていたら、リョウマは助かっただろうか?

 そう、助かるはずがない。

 

 もし、それで助かるようなら、亜獣に七十年以上も苦しめられてなんかない。

 

 



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第81話 私には一秒たりとも、連絡がとれない、という状況が許されないのでね

「だから何度も言っているでしょ。ぼくは瞑想室にいたって!」

 草薙が取調室横に設置されている控室に入っていくと、声を慌げたおとこの声が耳にとびこんできた。本当は取り調べに参加させて欲しいと申し出たのだが、許可されたのは、シークレットガラス越しでの閲覧のみだった。

 案内してきたトグサ弟は、おとこの表情が見えやすい正面にある椅子へと草薙を促した。

 草薙はシークレットガラス越しに男の顔を見た。25世紀にはめずらしい、すこぶる厳つい顔をしていた。見る人によっては味があるという言い方もできただろうが、一般的にいえば醜男の範疇にはいる顔つきだ。目は細いうえに小さく、鼻は大きくでんと顔の真中に鎮座している上、押しつぶされたように横に広がっている。短髪に切りそろえられた髪形には精悍さはなく、むしろ高圧的な顔だちをさらに際立たせてみせた。

 顔などは流行にあわせて、いかようにも整形できるはずなのに、その顔を選択して生きていることが不思議でならない。

「刑事さん。刑事さんは、瞑想室に入ったことないですか?」

 取り調べをおこなっているトグサ兄は、目の前のおとこから思ったほどの成果がひきだせないせいか、苛立ちを隠せなくなってきていた。

「いや、ないな」

 おとこは、ありえない、とばかりに目を丸くしてみせた。

「刑事さんは、見たこと、聞いたこと、考えたこと、なんでも共有されることに、うんざりしたことないですか?」

「ん、まぁ、なくはないが……」

「瞑想室は、すげー合金使って作られてて、音とか、電波とか……、まぁ、そーいうの何もかも遮断して、完全に一人っきりになれるんですよ」

「ああ聞いたことがある」

「誰からも干渉されない、AIに監視されることもない、勝手に人生のログをとられることもない。中、入ると、自分の声すら打ち消されて、まったく聞こえなくなってしまうんですから」

「ほう。だが、それで何を?」

「癒しですよ。癒し!」

 何とも微妙に噛みあわない男と、トグサ兄の会話は聞いていてもしかたがなそうだった。

草薙が途中で切りあげようとすると、トグサ弟がとつぜん話しかけてきた。

「草薙大佐は、瞑想室を利用されたことがありますか?」

「いや」

「私には一秒たりとも、連絡がとれない、という状況が許されないのでね」

「あ、はい……。なるほど……」

 トグサ弟は落胆の色をかくせない様子で、何とも間の抜けた返答をしてきた。どうやら顔に似合わず、狭い空間に他人といて沈黙を保つことに耐えられないタイプらしい。

 草薙は意気消沈した表情の、トグサ弟に声をかけた。

「トグサ中佐。もう一人容疑者がいたと思ったんですが……」

「ああ。防磁ヘッドギアをつけていた男ですね」

「防磁ヘッドギア?」

 草薙が反芻した。その反応に、あわててトグサ弟が言い直した。

「犯行時刻に生体ビーコンが消えたっていう男なんですが、電波や超電磁波を遮断する簡易ヘッドギアをつけていて一時的に、居場所が特定できなくなったって、ことらしいです」

「で、その男は何のためにそんなものを?」

「浮気ですよ。まだ日も落ちてないってーのに、どっかの男のかみさんと、しけこんでいたらしいです。しかも勤務時間中にですよ」

「まぁ、仕事を趣味や生き甲斐のひとつ、と考えているヤツもいますから……いや、まぁ。でも、俺は違いますけどね」

 トグサ弟の、自分はしっかりとした職業人である、というアピールが面倒臭かったので、草薙はすぐに次の質問をした。

「で、おんなの方も?」

「あ、えっ、どういう?」

「おんなのほうも、ヘッドギアをつけていたの?」

「えぇ、まぁ。そうらしいです」

 草薙の頭に、裸の男女が奇天烈なヘッドギアを着けたまま、よろしくやっている姿が浮かんだ。草薙はその姿で興奮できることに少なからず驚きを隠せなかった。

「で、容疑は晴れたの?」

「あ、はい。完全なアリバイがありました」

「となると、容疑者はいまだ行方不明の病理研究所の所長だけか」

 トグサ弟がおどろきを隠せない様子で、シークレットミラーの向こうの取調べ中の男のほうをさししめした。

「あの男は容疑者じゃないと?」

「あれが手際よく人を殺すような男に見える?」

「あの腕っぷしをみなさい」

 トグサは草薙に促されて、男の隆々ともりあがった腕を見た。

「トグサ中佐。あなたと同じタイプのマッチョマン。もし人を殺すとしたら、その腕っぷしを見せつけるように『撲殺』を選ぶでしょ」

 トグサが妙に納得したという顔をむけた。

 その時、ドアをノックする音がして、取調室にひとりの兵士が入ってきた。兵士は容疑者から隠すようにして、取調中のトグサ兄にペーパー端末を見せながら、耳元で何かを囁いていた。それを聞いているトグサ兄の顔がみるみる沈んでいく。どうやらポジティブな情報ではないらしい。

 トグサ兄はゆっくりと立ちあがると、目の前の容疑者に丁重に頭を下げ、退室を促していた。トグサ弟はそれをじっと見守っていたが、そのあいだに連絡があったのだろう。突然、トグサ弟が草薙のほうへ向きなおると、姿勢を正してから言った。

「草薙大佐、犯行現場で採取された体液から、犯人の性別が判明しました」

 

「女です」

 

 それを聞いた草薙は、かしこまったトグサ弟の肩をぽんぽん叩いて「イズミ・シンイチのヒアリングの時には、取り調べに立ち合わせてほしい」と言うと、部屋を出ていった。

 



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第82話 あれほどの兵力を指揮できるのはうらやましいな

 その日の未明にシミュレーション訓練が行われることになった。

 実戦を想定して、同じ時刻、同じ街並みでの、実弾を使ったシミュレーション訓練だった。

 デミリアンに搭乗したヤマトとレイは電磁パルスレーザーの力で持ちあげられ、富士山麓のシミュレーションエリアにむかった。上空から見下ろすエリアはヤマトには慣れ親しんだ風景だったが、今夜だけはいつもと様相を変えていた。

 

 すでに亜獣予定地域の街並みが素体によって再現されていたが、道路やビルのイベントスペースや駅のロータリーなどに、国防軍の自走式重火器や八つ脚歩行する戦車、重装歩兵と言われる戦闘ロボットなどが、所狭しと配備されていた。特に亜獣の正面には、一度に百発発射可能なランチャーミサイル兵器、その背後にはレーザー砲を装備した二足歩行ロボットが数基準備されるという物々しさだった。街中の電気が消灯されて、月明かりだけが辺りを照らしているだけなので、超高感度暗視カメラを通して見なければ、それほどの兵器がひしめいているとはとうてい思えなかったが、おそらく一個旅団程度は動員されているのだろうとヤマトは推察した。

 その陣形の最後方には、シン・フィールズ中将が乗る作戦本部のトレーラーが控え、そして最前列にはアスカのセラ・ヴィーナスが待機していた。

 作戦はこうだった。

 万布をまとったヤマトのマンゲツと、レイのセラ・サターンが、亜獣アトンを挟み込むように横から襲撃し、アトンの反撃を陽動。アトンが針の矢を発射しようとする瞬間、国防軍の各兵器がアトンに一斉射撃する。すぐにアスカのセラ・ヴィーナスが大型の万布のゲージを陣形の前に掲げて、アトンの針の矢から国防軍を守る。

 そしてそれをうまくいくまで反復する。

 その間に、どの兵器からの弾でもいいので、ひとつでも着弾できれば、それで勝負は決するのだから。

 ヤマトはモニタ画面で、アスカの様子をみた。出撃時は、護衛にまわされたことに不満たらたらだったが、今は自分の役割をしっかりと努めることに注力しているように見えた。

 電磁パルスレーザーの力が弱まり、すこしづつヤマトとレイは地面のほうへ降り始めた。すぐ目の前にある超高層ビルを挟み込むように、お互いが百メートルほど離れた位置へゆっくりと降り立つ。

 ヤマトは司令部の映し出されたモニタにむかって「ヤマト、準備完了!」と言うと、レイもすぐに「レイ、準備完了」と続いた。アスカは一拍置いたのち息を吐きだすように、「アスカ、準備完了」と合図を送った。

 

 上から大型の素体が降りてくる。すでにこちらも準備済で、白い巨体が亜獣アトンの姿に変形し、表皮がマッピングされていく。エドの話しでは針の矢は、素体では再現しにくいので、そこは光の矢を放つことで代替する、とのことだったが、降りてきている外見は、まごうことなき亜獣アトンそのものであった。

 国防軍のシン・フィールズ中将の作戦室の映像に目をやると、その再現性に驚いているのか、ごくりと息をのむ姿が見て取れた。おそらくここにいる兵士にとっては、はじめての亜獣掃討作戦に、みな同じような緊張感で臨んでいるに違いない。

 司令部からブライトが命令する声が聞こえた。

 

「戦闘開始だ」

 

  ------------------------------------------------------------

 

「あれほどの兵力を指揮できるのはうらやましいな」

 戦闘訓練をいつものようにモニタルームから見ていたブライトが、うしろの席に控えているミライに呟くように言った。

「ですが、いまや半分はロボット兵ですよ。それでも?」

「あぁ、階位が高いということは、それだけ多くの兵力を指揮する権利を与えられたということだ。本来なら、わたしは一個師団、一万もの兵力を指揮できる立場なのだよ。シン・フィールズ中将とおなじようにね」

「だが、わたしにあてがわれた戦力は、あのデミリアン三体だけだ」

「そうですね。でも、あのデミリアン一体はどれほどの戦力だとお考えですか?」

 ミライがブライトにかけたその口調には、どこか駄々っ子をなだめるような、そんなニュアンスが感じとれた。だが、嫌な気にはならない。

「わたしが国連軍への配属を希望したのは……、いえ、なにより、この国連軍日本支部を希望したのは、あのデミリアンがいるからですよ」

 ブライトはゆっくりとふりむいてミライのほうを見た。

「なぜかね?」

「当然でしょう。ここは亜獣と戦える唯一の武器を持っているのですよ」

「数ヶ月前までは、その武器は一体しかなかったというのに?」

「その一体が一個師団に匹敵します。あ、いえ、それ以上かもしれません。世界中のすべての兵力をつぎ込んでも勝てない未知の敵を、この一体はいともたやすく倒すのですから」

 

 そのことばにブライトは心が軽くなるのを感じた。この女、ヤシナ・ミライという女は副司令としての職務はもちろんだが、上司の扱い方を驚くほど心得ている。

 最初に副官としてあてがわれたとき、ブライトには戦歴や経験がすくないことが気になっていた。巷間ささやかれているように、財力をもってその地位を買った、とは信じてはいなかったが、常人にはおよびもよらない大きな力が働いている可能性は感じていた。しかし、彼女はこちらの問いかけに対して、偏見を交えないニュートラルな意見を述べた。押し着せがましくなく、それでいながら控えめが過ぎてネガティブにとられることもない、絶妙なバランス感覚。しかも常に正鵠を射ていた。

 その反面、想定外や突発的な事案には弱く、感情や行動を揺さぶられる危うさはあったが、それを補ってあまりある優秀な副官だと感じていた。

 

 残念なことに、この部署は常に「想定外」が日課になっているため、もっぱら彼が頼りにするのは、春日リン、のほうではあったが、その女に背を向けられた今、自分が頼るべき者は、ヤシナ・ミライのような資質の者なのかもしれない。

「一斉射撃開始されます!」

 ミライが事務的な口調で言った。

 

 国防軍の一斉射撃が開始され、おびたただしい量の砲弾やレーザーが発射されたのが見えた。かなたにいる亜獣アトンのからだに着弾し、目もくらむような火花があたりを照らしだす。

 



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第83話 わたし、死体に命令された

 草薙があてがわれた新しい観覧席は、取調室の一番端に置かれた椅子だった。

 それでもまだ取調室の中に入れられただけましなのだろう。

 ワンランクアップというとこだろうが、取り調べの任をこちらに譲るという選択肢は、トグサ大佐にはないようだった。

 証人の「イズミ・シンイチ」が部屋にはいってきた。

 彼の第一印象は、ひょろっとしたからだつきをしている、というものだった。日々、研究や検査に明け暮れている理系男子なのだから当然、という見方もあったが、生体チップの管理下で、これだけ不健康そうに痩せるのは、むしろ難しいのでは、とさえ思える。

 

「イズミさん。本日は御足労いただきありがとうございます」

 まずはトグサ兄が謝辞を述べた。

「あ、はい」

 けっして広いとは言えない取調室で、草薙にはイズミ・シンイチがかなり緊張しているように見えた。数人の刑事に取り囲まれているうえ、部屋の隅には武装した女性兵士が座っているのだ。無理もない。草薙は網膜デバイスに照射されていたイズミ・シンイチのプロフィールを見た。そこには漢字で『湖・紫単(イズミ・シンイチ)』とあった。

 草薙がぼそりと呟くように言った。

「イズミって名前なのに、なんで『湖』っていう漢字なのかしら?」

 草薙の狙いどおり、イズミがその呟きに気づいて答えた。

「あ、いえ、名前はどう読んでもいいって聞いて『湖』って書いて、イズミ、と読ませるように……」

「あなた、『リ・プログラム』を受けて、改名したのね」

「えぇ、そうです。前職は……」

「いえ、説明は不要よ。わたしの知っている人にも『メイ』っていう名前なのに『春日』っていう名字に『置換』した人がいるしね……」

「へぇ、そうなんですか……」

 イズミ・シンイチの顔がだいぶほころんできたように見えた。リラックスしたとまでは言えないが、すくなくとも硬さはとれたようだった。

 

「で、右手所長はどんな人だったの?」

 イズミは目の前のトグサ兄弟ではなく、奥にいる草薙を意識しながら言った。

「右手所長は、真面目を絵に描いたような方で、連絡もなしに欠勤することは今まで一度もありませんでした」

「ところが、昨日はあきらかに様子がおかしかったんです。あのひと、一昨晩、研究室に泊まり込んでたんです。そんなことなかったんですよ、今まで」

「緊急事態でもあったんじゃあないの?」

「そんなもの、ぼくら聞いてないですよ。それにあの人、猫を二匹飼っているから、どんなに忙しくても一回は帰宅するんです」

「そんなの、AI給餌機や掃除ロボットが面倒みてくれるだろう」

 トグサ兄が口を挟んだ。草薙に取り調べの主導権をとられまいという意図がみえた。

「まぁ、そうですけど……」

「ただ、右手所長、その次の日、一日中様子がおかしかったんです」

「どういう風にだね?」

「なにか思い詰めた様子で、ぶつぶつと呟いていて……徹夜明けのせいですかね?」

「なんと呟いていたか覚えているかね?」

「いえ、それが……」

 イズミが言いよどんだ。草薙は彼の顔をじっと見つめた。どうも彼は戸惑っているように見えた。

 草薙が助け船を出した。

「どうせバカバカしい話しなんでしょ」

「あ、えぇ。そう、そうなんですよ」

「どんなバカ話だったの?。すてきな男の人の話、それとも猫ちゃんの話?」

「あ、いえ、そういうんじゃなくて……。その……ホント、バカバカしい話しなんですけど、右手さん……」

「わたし、死体に命令された……って呟いてて……」

 トグサ兄は思わず椅子から腰をあげかけた。草薙は聴取中の相手に動揺を与えないようにと、「大佐」と強めの声をなげかけ、自制をうながした。だが、イズミはそのやりとりに、それほど注意をはらうこともなく証言を続けた。

「死体が……、殺せってわたしに命令するのよ、とか、言うことをきかないと、わたしも殺されるんだ、とか、支離滅裂なことを……」

 トグサ兄はゆっくりと着座しながら、噛み砕くような口調で言った。

「その……所長は……、誰を、殺せ、と命じられてたのかね?」

「いやぁ、ぼく、冗談だと思って『右手さん、誰を殺せっていうんですか』って、笑いながら訊いたんです」

「そしたら……」

 イズミがまた口をつぐんだ。草薙はその口元に視線を集中させた。

「そうしたら……、右手さん、どろんとした目つきで……」

 

「『決まっているだろ、ヤマトタケルだよ』って」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 イズミシンイチの証言を受けて、容疑者が右手里実所長に絞られた。

 だが、捜査三日目の捜査会議でも、これといった成果はもたらされなかった。

 捜査員たちはライブカメラやテレパスラインを通してとは言え、一人あたり数十人にもおよぶ聞き込みをおこなっている。ほとんどの犯罪が未然に防がれるこの時代において、今どき『聞き込み』などという、前時代的なことをよくこなしている。

 草薙は各員からの捜査報告を会議室の最後列に座ってききながら、そう思った。

 会議を正面の真中の席に陣取って、とりしきるトグサ兄が最前列の分祈官に声をかけた。

「まだ、右手里美の生体チップのビーコンは見つけられないのかね」

 その分祈官はこの二日間答えてきたのと同じ口調で答えた。

「ええ、見つかりません。おそらくヘルメット型のジャマーか何かを装着して、電波や起磁波が漏れないようにしていると思われます」

 トグサ兄は面倒くさそうに、手のしぐさだけで分祈官に着席を促した。

 兄の横に立つトグサ弟が捜査員たちをひとしきり見渡すと、正面に大きく投影された支部の館内図を指さしながら言った。

「支部内のほとんどの部署内の捜査は終ったので、明日からは外部の納品業者や委託会社の方へも捜査範囲を広げる」

「各員、本日も遅くまでご苦労だったが、明日もよろしく頼む」

 そう言われて何人からの捜査員が正面横に設置されている、デジタル時計に目をやるのがわかった。時刻は二十二時をとっくに回っている。早朝から駆り出されているはずなので、なるほどなかなかに良くやっていると、草薙はひとりごちた。

 その時、ビーッというが高い音とともに、正面に投影されている館内のマップ上に赤い点が点滅をはじめた。

 トグサ兄が大きな声で怒鳴った。

「なんだ。これは」

 問いかけられた捜査員もわけがわからず、回りの仲間たちの顔色をさぐっている。

 草薙はその中で先ほどの分析官だけが呆然とした表情で、マップを見あげているのに気づいた。彼とは面識もなく、テレパスラインやニューロンストリーマで、脳に直接語りかけることもかなわなかったので、草薙は大声で直接問いかけた。

「分析官、どうした!」

 分析官はふいにうしろの方から呼びかけられて、ふらふらとした様子で、草薙の方をふりむいて言った。

「右手里美が見つかりました」

 彼は正面のマップを指さして言った。

 

「シミュレーションエリア内の人工の街の中にいます!」

 



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第84話 今からやろうとする『鬼ごっこ』は捕まえた『子』に殺されるかもしれないものだ

 シミュレーションエリアの入り口からエリア内に足を踏み入れると、入り口から百メートルほど向こう側に、エアーバイクにまたがって憲兵たちが集結していているのが見えた。三十人以上はいるだろうか。トグサ兄から精鋭を用意すると連絡してきていたので予想はしていたが、荒くれ者のような風貌をしている兵士がほとんどだった。

 入り口の出入りを担当している係員が、手前にあるバイクを手で指し示めした。

「草薙大佐、こちらが大佐用に用意したバイクです」

 草薙は無言のまま首肯すると、バイクにまたがりながら、係員に訊いた。

「こいつは最新型みたいだが、なにか注意することはあるか?」

 係員はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「このバイクはふつうのエアーバイクとおなじで、『超流動斥力波(ちょうりゅうどうせきりょくは)』をこのスキー板のようなプレートから発生させて、空中を疾走するんですが、最大の特長は、どんな状態になっても浮いてられるってことです」

「それはどういうことだ?」

「プレートから発生した超流動斥力波をうまく対流させることで、バイクが横になったり、、裏返ったりしても、そのまま走り、いえ、飛び続けることが可能なんです。そのときにライダーもその斥力波の『反重力』の力でシートに押さえつけられるので、ふり落とされないんですよ」

 草薙はその若い係員が得意げに披瀝する性能には、あまり興味が湧かなかったので、気になることだけを尋ねた。

「こいつのスピードは?」

「地上 250km。空中は350km程度なら余裕です」

「それだけ出れば充分だな」

「あ、いや、このバイクはスピードよりも、小回りが利くところや、軽い車体が……」

「ご苦労だった」

 草薙はバイクにまたがりながら、係員の追加の情報を遮った。係員は話の腰を折られて不満そうにしていたが、敬礼をすると「ご無事で」とひとこと言った。

 草薙はバイクのスロットル脇のスイッチを押すと、上空十メートルほどまで一気に車体を舞いあげた。上空から憲兵隊のライダーたちを見下ろすと、先頭に、トグサ兄と弟がバイクに乗って待機しているのが見えた。

『あのふたりも現場に?』

 草薙は一瞬、なぜこんな場所に責任者が来る必要があるのか?、という疑念が浮かんだが、すぐにあの二人がこんなお祭りごとを見逃すほうが考えにくい、と思い直した。

 草薙は部隊の先頭まで進むと、トグサ兄を見つけて、空中から声をかけた。

「トグサ大佐、右手さとみの捜索にあなたも協力してくれるのかしら」

 トグサ兄は上を見上げて言った。

「えぇ。こんな広大な場所での捕物ですからね。人数が多いに越したことないでしょ」

「ひとっこひとりいない広大な街での高速鬼ごっこ。なんかワクワクさせられますしね」

 そのトグサ兄の物言いが、草薙には気に障った。こちらは相手を「敵」ととらえて、場合によっては、差し違えるくらいの気持ちでここにいる。物見遊山の気分で寄り集まっている(やから)とは、覚悟が違うのだ。

 草薙はエアーバイクの高度を一気に降下させると、トグサ兄の真横に車体を寄せた。

「トグサ大佐。あなたはここに遊びに来たのか?」

 ことばの棘に気づいたのか、トグサ兄はかしこまって言った。

「あ、いえ。そういうわけでは……」

「あんたの今からやろうとする『鬼ごっこ』は捕まえた『子』に殺されるかもしれない命がけの『鬼ごっこ』だぞ。迂闊なたとえはするな」

 いつのまにか草薙の口調が、命令調に変わっていたが、彼女は気にとめないことにした。いままでが遠慮しすぎていただけなのだ。

 トグサ兄は正論で一喝されて、みるみるうなだれていった。

「あ、いや、申しわけない」

 それ以上、責め立ててもしかたがないので、草薙はエアーバイクを前に進めた。

 そのとき、眼前にあった街が消えはじめた。

 まず最初に、建造物に質感を与えていたマッピングデータが拭い取られたように、消えはじめた。街の手前側から奥にむかって、ビルや家や標識等々だったものが、ただの白い一枚岩(モノリス)のようなものへと変化していった。まるで見えない波に、色彩や立体感だけが、(さら)われていくような光景だった。

 この様子をはじめてみる憲兵隊の隊員たちから驚きの歓声があがった。指笛を吹いている隊員もいた。彼らの浮かれた様子に、草薙の我慢はきかなかった。

『静かにしろ!』

 草薙はニューロンストリーマを通じて、兵隊たちの頭に呼びかけた。草薙のあまりの剣幕に、彼らは我にかえって、すぐに口をつぐんだ。

 はるか向こうの建物まで色が消えて、目の前が白一色に変わった次は、光が消えた。十キロ四方はあろうかという広大なエリアは、今度は奥のほうから手前にむかって光が失われていった。それは、ブラックアウト、と言われる現象そのものの光景だった。

 月明りのなかに白くのっぺりとした街並みが薄ぼんやり見えるだけになった。

 やがて音もなく、街が地面に沈みこみはじめた。

 草薙は網膜デバイスに投影された、右手里美の生体チップからのビーコンをもう一度確認した。彼女がいるのはここから五キロ以上向こうにある、この街の中心の超高層ビル群の一角。しかも移動速度から、乗り物に乗って走り回っているのは間違いなかった。

「出発する」

「草薙大佐。まだビルは沈みきってないですよ」

 トグサ兄がうしろからあわてて進言してきた。さきほどの失言を取り返そうとでもしているかのような慌てっぷりに、草薙はさらに苛立った。

「待ってられない。この建造物の素体は出現する時は早いが、収納はとんでもなく時間がかかる」

「いや、それでも更地になってから、追いこんだほうが効率がよい……」

「憲兵隊はずいぶんお暇になれているようだな」

 草薙があからさまな皮肉をいった。

「いや、そう言うわけじゃあ……」

「じゃあ、おまえたちは、ここで建物が沈むまで、小一時間待ってるがいい」

 草薙はめったにみせることのない笑みを、口元に浮かべてみせてから言い放った。

 

「わたしには無理だな」

 



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第85話 だが、私だったら……むしろ樹海に逃げこむな

 草薙はスロットルを回すと、街の奥にむかって縦断する大通りにむけて、バイクを走らせた。

 ニューロン・ストリーマを通じて、置き去りにされた隊員たちのあわてふためく声が聞こえてきたが、草薙はそれを無視して、バイクの高度を一気に十メートル以上までにあげた。それくらい上昇すれば、上空から街並みを俯瞰できるかと思ったが、高層ビル群が建ち並ぶ市街地では、その程度の高さでは足りなかった。

 街の上を斜めに通り抜けて、最短距離をとれればとも目論んだが、早々に諦めざるをえなかった。

 草薙はそのまま上空五メートルほどの位置にバイクを降下させると、フルスロットルで最高速までトルクを上げ、街の大通りを突っ切っていった。どうせ、ここには『往来』がない。あたりの風景は『街中』に見えるが、ただの区画と考えれば問題がない。

 草薙はバイクを走らせながら、右手里実の生体チップがなぜ急に信号を送りはじめたのかに、頭を巡らせた。二日間も信号を遮断するジャマーを装着していながら、ここにきてそれをやめた明確な理由がわからない。もしそれをはずすとしたら、この敷地内を出てからするべきことだし、もしその装置を装着しているせいでこの基地内のセキュリティにひっかかるとしたら、もう数時間待つはずだ。

 あと二〜三時間で亜獣戦がはじまるのだ。これ以上警備が手薄になる機会はそうそう恵まれない。

 考えられるとしたら、我々の中の誰かをおびきだそうとする揺動作戦だ。だが、ここに至って何の目的のための揺動だ。

 前方に超高層ビル群が見えてきた。ここまで走ってきた道にもかなり高いビルがひしめいてきていたと感じていたが、この先は五十階建クラスが普通に乱立しはじめる。すでに下から数階分は地下に潜りこんでいるとはいえ、視野をはばむ建造物としての圧力はまったく失われていない。

 草薙は綱膜デバイスに投影されるこの街のマップを見た。右手さとみの生体チップの信号はこのエリアの右側へ向っていた。このまま突き進めば、数分後には河口湖に到達する。エアーバイクは水上を飛行することはできない。その先へ進むのは困難だ。

 おそらくその時点で方向転換を迫られるはずだ。行き先を見失った右手さとみは、そこから左右、どちらに曲がるだろうか。ひきかえしてくれば、追撃してくる我々と鉢合わせは免れない。右に曲がると市街地、左に曲がると樹海に飛び込む形になる。

 どちらに逃げられてもやっかいだ。

 その時、突然、トグサ弟の声が頭に飛び込んできた。

「草薙大佐。われわれが右側から回り込みます。うしろから追いあげてください」

 どうやら、いろいろ協議した結果、草薙と行動をともにすることに決定したようだった。

「市街地側から回り込めるのか?」

「なんとか、間に合わせてみせます。犯人を挟み込みましょう」

「挟み込む?」

「えぇ、この先は湖ですので、かならず反転して戻ってきます」

「左側に曲がったらどうする?」

「左側に?。そっちは富士の樹海ですよ」

「ほう、そんな場所には逃げないと?」

「だって、マップも不確かですし、こんな真夜中に、エアーバイクで技や木のなかを走り抜けるのはさすがに……」

「なるほど……、だが、私だったら……」

「むしろ樹海に逃げこむな」

 草薙はぐっと右側にハンドルを切った。左側の樹海に飛び込まれる前に、右手里実を迎え撃つほうが得策だと考えた。できれば市街地で決着させたい。

 草薙はバイクを方向転換させると、トグサ兄を呼びだした。ここは、弟だけでなく、トグサ兄にもひと働きしてもらうべきだろう。

「トグサ大佐、今、どこにいる?」

「今、草薙大佐のうしろです。もうすこしで追いつきます」

 バイザーの映像モニタにトグサ兄が二人の兵士を引き連れて、バイクを飛ばしている姿が見えた。顔はバイザーで見えなかったが、声色から先ほどの失態を取り戻そうと躍起になっているように思えた。草薙はすぐにトグサ兄に指示を出した。

「いや、そこから左側に展開してくれ。右側のトグサ中佐とわたしで、左側に追い込んだら、挟撃してほしい」

「了解しました」

 草薙は彼らの位置をしめすビーコンを街のマップで確認した。右側からトグサ弟、左側からトグサ兄が挟み込もうとしている。だが、このペースだと、肝心の自分が右手里実を追い立てる役割をする位置に間に合わない。 

『やっぱり、街の上を斜めに突っ切るしかないか』

 そう言うなり草薙はハンドルをぐっと上に持ちあげた。バイクの頭が上をむくやいなや、。草薙はぐっと足元のアクセルを踏みこんだ。トップスピードのまま、車体が斜め六十度の角度であがっていく。

 目の前に百メートル級のビルが見えてきた。まるで大きな壁。

『横に回避してられんな』

 草薙は、さらにハンドルをひくと、バイクはほぼ直角とも思える急角度にまで傾いた。こんな無茶な乗り方は、バイクに相当負荷がかかる操縦だったが、かまわずアクセルを踏み込み、超流動斥力波をさらに吹かしあげた。ビルの壁が眼前に迫りくる。

 と、ふいに夜空がひらけた。屋上の鉄柵に触れそうになるほどの、ギリギリのタイミングで、なんとかその上にとびだしたのがわかった。

『よし!』

 思わず快哉を漏らしそうになったが、まだツインタワーの低いほうのビルの上に出たにすぎなかった。

 目の前の進路に、もうひとつの高いほうのビルが目の前に立ちはだかる。すでにただのモックのように変化した白いビル。だが、実物と同じで、ぶつかればひとたまりもない。

「やっかいなビル!」

 草薙はバイクをさらに上昇させて、その超高層ビルの乗り越えに挑もうとした。だが、それまでのように車体を持ちあげていた推進力が得られない。やがて、車体からピーピーという耳をつく警告音が発せられはじめた。このバイクの想定高度を越えていることをメーターが指し示めしていた。

 何が最新型だ。

 草薙はこのエアバイクの高性能っぷりを熱く語っていた若い兵士を思いだして、心のなかで悪態をついた。

 みるみる高屋ビルのガラス窓の枠の形をした壁が目の前に迫ってくる。草薙は残念そうに顔をゆがめた。彼女はハンドルをぐっと切ると、そのまま車体を横倒しにした。バイクはビルに激突しそうなぎりぎりで向きを変えた。ビルの窓にソリ型のプレートを向け、横になったまま走りつづけた。

 窓という窓が派手な音とたてて、割れていく。ビルの窓を地面のようにして、横向きで飛んでいたバイクの車体がぐらっとふらつく。

『ちっ。こんなとこまで精巧に作らなくても』

 ソリ部分から発せられる超流動斥力波が窓を破壊しているおかげで、不安定な流動が生じていた。運転を誤れば失速して墜落する可能性もある。

『ここまでか……』

 そのとき、トグサ弟から連絡がはいった。

「草薙大佐。右手里美が河口湖手前で、こちら側に反転してきました」

「そのまま上空を斜行し続けてください。約五分ほどすれば出くわすはずです」

「了解。心得た」

「注意して下さい。今、バイクの影が四つに分かれました」

 

「四つに?。どういうことだ?」

 



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第86話 ここのAIドロイドは、ロボット三原則の適用範囲外の戦闘シミュレーション用の軍隊仕様だ

「生体反応は依然として一つなんですが、どうもほかに三台のバイクを引き連れているようなんです」

「AIドロイドか?」

「おそらく、そうではないかと」

「わかった。そちらも反対側から追い込みをかけてくれ」

 草薙はビルの壁の角の部分を直角に曲がると、指定のあった地点の大通り上空に車体を乗り入れた。しばらくすると、大通りに沿って向こう側へ疾走していくバイク群がみえてきた。いつのまにか先行し過ぎて、対象者たちのうしろ側に回り込んでしまっていたようだった。草薙がバイクを反転させる。

 右手たちは、草薙の予想通り、富士樹海方面へむかっているように思えた。

 

 こんな真夜中に富士樹海の中を追いかけっこするはめになるのは願いさげだな。

 

 草薙はスピードをあげると同時に、バイク群をとらえているカメラがないかを念じた。綱膜デバイスにいくつかの候補映像がランダムに投影される。やがて、AIがバイクの近くにあるビルからの俯瞰映像を選びだした。そこには、バイク群を正面、やや上方からとらえている映像が映し出されていた。

 報告通り、バイクは四台。陣形はひし形に組まれ、先頭と両脇の二台に守られるように。

して二人乗りのバイクが走っている。どうやらそれが標的の右手里美らしい。

 草薙は一瞬、違和感を覚えた。三台のAIドロイドに護衛させているうえ、自分で運転せずAIドロイドとタンデムで走っている。

 なぜだろう、なにかがおかしい。

「草薙大佐、こちらは相手の正面にでました。挟み撃ちにしましょう」

 そのとき、トグサ兄の勇んだ声が聞こえてきた。

 草薙はこの短時間で先回りしていることに驚いた。いいところを見せようとして、かなり無茶をしたのだろう。

「よかろう」

 草薙はそれだけ言うと高度を下げて、道路上にバイクの進路を戻すことにした。

 網膜デバイスに映るサブモニタに、右手たちを正面から迎え撃つ形で走ってくる憲兵隊のバイク群が見えてきた。全部で四台。一台欠けているところをみると、ついてこれない隊員を置き去りにするほどの無理をしてきたのだろう。

 彼らと右手里美たちのバイクの距離がみるみる縮んでいく。

「そこのバイク、とまりなさい」

 そうトグサ大佐が警告を発した瞬間、けたたましい銃撃音が聞こえた。

 モニタ画面に憲兵隊のバイクが二台跳ね飛ぶのが映った。一台は隊員を乗せたままくるくると回転して、近くのビルに激突し炎上した。攻撃を免れた二台のバイクが、草薙の真上を猛スピードで通り抜けていく。

 草薙はハッとして顔を正面にむけた。

 さいごの一台はドンと道路に落ちたが、スピードを緩めることなく、バイクのカウルをつんのめらせたまま滑ってくる。そして地を這いながら草薙のほうへ向ってきていた。ライダーがロデオの荒馬乗りのように、必死に態勢を整えようとあがいているのが見えた。

 草薙はあわててハンドルを上にむけて一気にアクセルを踏み込んだ。

 高度が急角度でクンとあがる。

 滑ってくるバイクの一部が、超流動斥力波(ちょうりゅうどうせきりょくは)のプレートにわずかに接触する。

 間一髪のタイミング。

 草薙のうしろのほうでビルに激突した爆発音が聞こえた。

 

『武装している……』

 草薙はその可能性を一顧だにしなかったことにほぞを噛んだ。

 ふだんから隊員には厳しくいいきかせているのに油断をした。

 どう言いわけしようもない、己のミスだ。

 草薙はいらだち半分に、自分のうしろに迫っているはずのトグサ弟の部隊を呼んだ。

「右舷の追撃班、今どこにいる!」

「もう一分ほどで現着します」

「相手は武装している。今二人がやられた」

 むこうから息をのむ声がきこえた。

「やら……れた……って」

「死んだ」

「死んだ……んですか……。あ、兄は、兄はどう……」

「わからん。ヴァイタル・データで確認してみろ」

「あ、はい……、そうでした」

「おまえたちも武装用意しておけ」

「あ、いや、でも……、こちらは通常の拳銃しか携行していないのですが……」

「それで充分。私の部下ならこん棒だけでも倒せる相手だ」

 

 そこへ先ほどの一撃をすり抜けた隊員のバイクが二台、反転してきて、草薙のバイクを両側から挟み込み並走をはじめた。

 ひとりはトグサ兄だった。

「くそぉ」

 トグサが無念の声を漏らした。

「すまんな。AIドロイドが攻撃してくる可能性を検討すべきだった」

「くそぉ、なぜ、AIのくせに人に危害を与えられるんだ」

 無念の気持ちが晴れない様子で、トグサ兄は、ぼやきをとめられない。

「ここに配置されているAIドロイドは、ロボット三原則の適用範囲外の戦闘シミュレーション用の軍隊仕様だ。ほんのちょこっとプログラムをいじって、本物の武器を与えれば、誰彼構わず躊躇なく引き金をひく」

 眼下に右手里美たちのバイクが、ふたたび見えてきた。

「おまえたち、銃はもっているな。援護しろ」

「大佐は?」

 草薙は背中に背負っている銃をひきぬいた。

「このマルチプル銃で、やつらを排除する」

 そう言うなり、草薙は一気に車体を急降下させていった。

 手に銃を両手で構えたまま、体の重心を下に向けることだけで動きをコントロールする。

 上空から滑空してくる草薙のバイクの影に気づいたのか、右側を走るAIドロイドが銃を上に向けようとした。すぐさま草薙は先頭のバイクにむけて攻撃をしかけた。

 まず一発目に送り出したのは、銃の下部に搭載された小型グレネードランチャーだった。ランチャーミサイルは大きな爆発音とともに、先頭車を吹っ飛ばした。その爆風にあおられ、後続の三台の車体がゆらぐ。草薙は続けざまにバイクの横から真下に手を垂らして、右側のライダーをショットガン三発で掃討した。AIドロイドは頭を打ちくだかれて、バイクは道路の脇の標識に激突、派手な音をたてて爆発した。

 しかし、その間に左側のAIドロイドが自分より上方の位置に上昇したのを、草薙は目の端に捉えた。すでに銃を構えて草薙を狙撃する動作に入っている。

 草薙は渾身の力でハンドルを切り、空中でバイクを横転させた。発射された銃弾が耳元をかすめる。勢いあまって、そのまま車体がぐるりと反転したが、草薙はそのままの状態で走り続けた。

 あのメカ好きの係員が言った通り、このバイクは車体がさかさまになっても、浮遊したまま時速100キロ近いスピードで疾走を続けた。

 たしかに優秀な性能だ。

 

 草薙はバイクを元の状態に戻そうとハンドルを切ろうとした。

 だが車体はびくとも動かなかった。いや、それどころか徐々に地面のほうへ押しつけられはじめている。

 草薙は自分の状態がわかるカメラを探しだして、網膜デバイスに投影させた。

 自分のバイクの上に先ほどのAIドロイドのバイクがのしかかっていた。

 逆さまにひっくり返ったまま走っている草薙のバイクの上から、敵のバイクがソリのプレート部分を押しつけてくる。その強烈な力に、草薙のバイクが裏返ったまま沈み始める。ちらりと下に目をむけると、自分と地面のあいだはもう数十センチもない。

 突然、パーンという音がして、草薙の顔の近くで道路の破片が飛び散った。

 AIドロイドが地面にむけてやみくもに銃を撃ってきていた。バイクの車体が二台垂直に重なっている状態なので、真下にいる草薙を正確に撃てない。ならば乱射すべきだいうAIなりの判断なのだろう。草薙は下から応戦しようと銃を構えようとした。ガガッときしむような音がして、バイクのカウル部分が地面にぶつかり、弾け飛んだ。チタンファイバーの破片が草薙のヘルメットにバラバラとぶつかってくる。

 草薙はバイクのスピードを加速するか、減速するかして、この不利な状態から抜け出そうと試みた。だが、それを察知したかのように、敵が思いきり、超流動斥力波を吹かしてきた。エアーバイクの構造上、加速プレート部分に、マイナス質量の波動をあてられてはなすすべがなかった。

 さらに一段と深く車体が沈められていく。草薙のへルメットが地面と接触し、がりがりと嫌な音をたてはじめた。

 もう一度下に沈められたら、次は首が折れる番だ。

 

 草薙はバイクのサドルを両腿で挟み込むと、逆さまにぶら下がったまま、両手で銃を構えた。上にむけて撃っても、二台のバイクが重なった状態では、効果がある攻撃は限られる。草薙は顔をそらして、進行方向の先の上空を見あげた。

 満点の夜空と、交通標識、そして陸橋らしきものしか見えなかった。

 

 草薙は数十メートルほど先にある、その陸橋の左側の土台側にむけてランチャーミサイルを撃ち込んだ。

 ドーンと派手な音をたてて、陸橋の脚がもげ落ちた。

 片脚をうしなった陸橋は、すぐにバランスを崩して、そのまま道路に崩れ落ちる。

 損傷のない右側の脚から、左側にむかって崩れ落ちた陸橋が、斜めに傾いで、車線を半分ふさいだ。

 

 草薙は銃のモードを切替えると、車体の脇からからだをできる限り乗り出し、上にむけて銃のひき金をひいた。銃口の上にある小さな射出口から、火炎が吹き出した。

 炎は大きな火の玉のようになって、上から伸しかかるバイクをまるごと炎で包み込んだ。 炎に包まれたAIドロイドは、燃える服をあわてて手で消すしぐさをした。

 

 わかっている。AIドロイドは炎ごときで燃えない。

 

 だが戦闘専用とはいえ、人間をシミュレートするプログラムが組み込まれているのだ。炎を浴びれば、人間らしく、火を消すための行動をする。

 そのプログラムを利用した。

 その動作のせいでAIドロイドは、自分の走る軸線上に、崩れ落ちた陸橋が横たわっていることに気づくのが一瞬遅れた。

 が、AIドロイドはすぐさま反対車線側に、陸橋が斜めに傾いでいる部分の下にできた隙間を見つけたようだった。バイク一台分程度の隙間があり、そこをくぐることができる、と判断したらしい。

 AIドロイドが右にハンドルを切る。陸橋の隙間にバイクをむけ、車体を下降させようとした。

 だが、そこには草薙の逆さまになったバイクがあり、それ以上沈め込めない。

 すぐに下のバイクを押し込んで、隙間をすり抜けるのは無理だと判断した。AIドロイドはあわてて車体を浮上させようとしたが、すでに間にあわなかった。

 猛スピードのまま、バイクごとAIドロイドが陸橋に激突した。

 その下の隙間を、草薙のバイクだけが天地がひっくり返った姿勢のまま、すり抜けていく。

 草薙は陸橋の隙間をすり抜けるやいなや、バイクのハンドルをぐっと切り、車体の向きを本来のむきに立て直した。

 

 すぐに最後の一台、右手里実がタンデムしている車体を探す。

 網膜デバイスの情報がアラートをあげる。

 AIドロイドと余計なランデブーをしている間に四〜五百メートル先を先行されていることがわかった。しかもマップデータと照らし合わせる限りでは、目と鼻の先にはこのシミュレーションエリアのに終端が追っていた。

 

 その先は、富士樹海だった。

 



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第87話 やっぱり、肉弾戦するしかなさそうね

 レイは暗闇の中で身じろぎもせず座禅を組んでいた。

 

 頭の中を無にして、数時間後に迫った亜戦との戦いに集中したいという思いがあったわけではない。パイロット全員が行動範囲を制限されたため、出撃までの時間をわずかでも有意義になるように、費しているにすぎなかった。

 ヤマトを狙う殺人者が基地内をうろついている可能性があるのだから仕方がない。

 

 集中をたかめて、頭の中を無にするように努力していたレイだったが、母の幻影のことが、どうやってもチラついて集中力が続かなかった。

 前回に続いて再び出現することがあれば、戦いの邪魔をしてくるのは間違いない。

 今度また同じようなことをされたら、前回のように冷たくあしらうことができのだろうか……。どこかで張りつめた糸が切れたら、自分はどういう行動にでるのか想像できない。今度はすみやかに排除するという行動以上のことをするかもしれない。

 幻影相手に、それが具体的にはどんな行為をさすものなのか、自分でもわからなかった。

 

 目をつぶって心を集中しているレイのうしろに、ぼんやりとした灯りがうかんだ。その灯りに照らしだされるように、レイの背後に青白い手が浮びあがった。

 その手はゆらりと伸ばして、無防備のレイの肩をつかんだ。

 レイはその感触にふっと目をひらくと、ゆっくりとうしろをふりむいた。

 

 そこに恨めしそうな目をむけ、大きな口をぱくぱくとさせる男の顔があった。呻くように顔をゆがめ、その目はレイに何かを訴えかけているようにも見えた。

 

 レイはうすぼんやりとした灯りに浮かぶ男の顔をまじまじと見つめていたが、やがて大きく嘆息すると、座禅を組んでいた足をといてすっくと立ちあがった。

 レイが暗がりの中を数歩歩いて壁にいきつくと、壁面に手のひらをすべらせた。

 すると、すーっと室内が明るくなりはじめ、同時に、声が聞こえはじめた。

 

「ーーーですから、そろそろトレーニングの時間……」

 そこまで言ったところで、レイのうしろに待機していた兵士は自分の大声におどろいて、しゃべるのをやめた。

 レイは兵士を見た。

「そんなふうに肩を叩かれたら、瞑想している意味がないのだけど」

 兵士は真険な顔つきでレイに苦情を言われて、おもわず頭をたれた。

「す、すみません」

「でも、そうでもしないと何も伝わらないものですから」

「当然。瞑想室だから」

「いやあ、ぼく、はじめてだから焦っちゃって……」

「なにを?」

「だって何も見えないし、聞こえないし、外と完全に遮断されて何のデータも入ってこないから、誰とも連絡とれないし……」

 兵士は自分の装備にぶらさがったカラビナフックを揺らして、ジャラッと音をさせた。

「それにこれ……」

「どんな音をたてても聞こえない。自分の声すら聞こえなくなるんですから」

「だってそれが瞑想室」

 レイは壁に貼付された注意書きを手で指ししめした。

 そこにはこの部屋における注意事項が記載されていた。

 

『この部屋は音波・電波・マイクロ波・光波、電磁波、超音波、放射波、電磁気超伝導粒子波などすべての波形を遮断します。ドアを閉めると外部との一切のコンタクトがとれなくなりますのでご注意下さい』

 

「そ、それはそうですけどーー」

 それだけ言って口をつぐんだ。何を言っても自分がただ一人でバカ騒ぎしただけ、というのに気づいたのだろう。

「いやぁー、こんなとこ閉じこめられたら、死ぬまで行方不明になってしまいますね」

 それを聞いて、レイはふと思った。

 草薙大佐が容疑者が見つからないと漏らしていたが、そのことがどうも気にかかっていた。だが瞑想室の中にいれば、その間は生体チップでの生命維持状況の把握も、ニューロン・ストリーマでの意識共有も、テレパスラインでの脳への直接連絡もできない。

 この部屋のなかにいるのは、AIによる生体管理システムの(もと)においては、死んでいるか、存在しないのも同じ。

 レイは兵士の方を見た。

 この時点でバットーたちからすれば、この人は死人同様なのだ。

 レイが壁に手をおいて、生体認承をすると、ドアが開きはじめた。すぐに、いくばかりかの光と音、そして空気圧によるかすかな空気の動きが感じられた。

 

「さぁ、生きかえる時間」

 

 

------------------------------------------------------------

 

 人工の街の終端まできたところで、草薙はついに右手里美の乗るバイクに追いつくことができた。だが間にあわなかった。右手里美のバイクは、なんのためらいもなく樹海へと、車体をとびこませていった。

 夜の(とばり)と、鬱蒼(うっそう)とした草木が、ここから先は咎人(とがびと)のための安全地帯であるかのように、彼らの姿を覆い隠した。

 目の前に暗闇に沈む樹海の森が迫ってくる。

 草薙は一瞬逡巡したが、そのまま右手たちのバイクのあとを追って樹海に突入した。

 だが、草薙は飛びこむやいなや、たちまちその判断を後悔した。

 大きく張り出した大木の幹や枝が、我がもの顔で草薙のバイクの行く手をはばんできた。先ほどのチェイスで防風カウルを失っていたため、小さな枝の先や葉っぱが、草薙の顔や体を容赦なく打ちのめす。もし誤って、枝や幹に激突すれば、ひとたまりもない。

 ヘルメットのバイザーに映る映像を、サーモグラフィー映像に切替えれば、森の中でも見失わないと思っていたが、この状況では諦めざるを得なかった。

 森の上空から追いつめるしかなかった。

 草薙はバイクを上昇させて、森の上空に躍り出た。

 ふーっと大きく息を吐きだす。

 いまでは希少な原生の自然の草木ならではの草いきれと、じとっと体にまとわりつくような土いきれに晒され、すくなからず気分が悪くなっていた。ひとの手が加えられていないというのは、これほどまでに容赦がないのかと思い知らされた。

 常緑針葉樹の上を飛びながら、草薙は生体ビーコンの信号をチェックした。

 信号だけを頼りに、高速で逃げるバイクを追いかけねばならないのは至難だった。市街地ならば、各所に取り付けられたカメラを呼びだして、多角的に相手の位置を把握することが可能だったが、この原生林のなかにはそんな便利なものは設置されていない。圧倒的不利を覚悟せねばならない。

 だが、しばらく飛んでいると、突然、森の木がいくぶんまばらになりはじめ、下の様子が肉眼でもかいま見れるようになった。

 この程度余裕のある隙間ならば、森のなかにふたたび飛び込んでも大丈夫かもしれない。

 草薙はそう判断すると、ぐいとハンドルを前に倒して、地面から5メートルほど上空の位置にまで車体を沈み込ませた。

 目の前、十数メートル先を右手里実のバイクが飛んでいた。地面すれすれの位置で、枝や幹を回避している。

 

 見つけた!。

 

 草薙は張り出した枝を避けながら、バイクのスピードをあげて右手里実のバイクとの間を徐々にせばめていく。テールランプが目の先までに近づいてきた。

 敵のバイクを眼下にして、どのような攻撃をしかけるべきかを思案した。

 

 先ほど自分がやられたように、AIドロイドの上からバイクごとのしかかるか。

 もう一発残っているグレネードランチャーを見舞ってもいい。

 

 どのような攻撃を仕かけても、相手を倒すのはたやすかった。だが問題は、どの作戦をとっても後部座席にいる、右手里美まで犠牲にしてしまうということだった。まだ容疑者なのだから、怪我さえもさせるわけにはいかない。

 草薙はふっとため息を吐くと、「やっぱり、肉弾戦するしかなさそうね」と呟くなり、ぐんと高度を落して、相手のバイクの真横にぴたりと横づけした。

 すぐにAIドロイドが銃をこちらに向けて弾丸を発射した。草薙は瞬時にハンドルを切ってバイクを横倒しにし、弾をソリ部分のプレートを盾にして受けた。

「そんな攻撃は折り込み済みよ」

 チュンという金属音がして弾がはじけとぶ。

 すぐに草薙はバイクを縦に戻そうとした。

 が、バイクの下部から炎があがりはじめてるのに気づいて、舌打ちをした。

『しくじった』

 下部のタンクを狙い撃たれたのだ。自分がバイクの車体を盾にして避けることこそが、むこうにとって、折り込み済だったにちがいない。

 炎があきらかに勢いを増しはじめた。これではへたに超流動斥力波を吹かすことは、命とりになる。しかし、このまま乗車していてもまちがいなく爆発するにちがいない。

 目の前に大木が迫ってきているのが見えた。ぶつかるか爆発するか。

 草薙はバイクのハンドルから手を放すと、体を大きくふって右手里実のバイクにむけてジャンプした。

 からだが空を舞う。

 草薙は翔んだ勢いを利用してとびかかろうとしたが、AIドロイドにバイクを横に倒されかわされた。だが、それこそが計算通りだった。バイクが横倒しになったおかげで、下部のソリのプレート部分がむき出しになった。草薙はプレートをバシッと掴んだ。

 手がかかったと同時に、草薙のバイクは大木に撃突した。後方で爆発音が響き、まっ暗闇の樹海に立ちのぼる炎が、まばゆい光をあたりに投げかける。

 バイクのプレートにぶらさがった草薙はすぐに体をひきあげようとした。だが、ソリにうまく足が引っかからなかった。足が滑ってからだが再び宙ぶらりんになった。

 バイクの上に這い上がろうとするのに苦闘している草薙の姿をみて、AIドロイドがすぐにバイクの高度を下げてきた。

 草薙の足が地面に接地する。

 草薙はバイクにぶらさがったまま、地面についた足を動かし必死で走りはじめた。

「とめて!!」

 草薙が哀願した。

 

「それ以上、下げないで!!」

 さらに悲痛な声をあげた



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第88話 なにかがおかしい……

 AIドロイドは、草薙の命乞いを聞いて、さらにバイクを降下させはじめた。

 

 草薙がにやりと口元を緩めた。

「あさはかだな」

 地面に近づくということはバイクにつかまっている人間に、地面を蹴飛ばしてジャンプできるチャンスをつくるということに気づかない。

 草薙はバイクのソリ部分をつかんだ状態で、バイクの下のからだを横にずらし、併走しながら勢いをつけると、後部座席の右手里美の上にとびのった。

 上から乗しかかられた右手が呻き声をあげたが、かまわず草薙は体を前にのりだし、AIドロイドの首をうしろから、腕でしめあげた。

 人の背中に乗ったままという、アンバランスな状態で格闘する経験は、さすがの草薙にもなかったが、彼女にとってはたやすいことだった。 

 彼女はドロイドの首にかけた両腕を締めあげると、ちからのかぎり上に腕をひきあげた。

 ゴキッという音と共に、AIドロイドの首がもげた。

 草薙がAIドロイドの頭を投げすてる。

 さらに、バイクの前座席の方へ体をひきよせながら、バイクに残った体の部分を蹴飛ばす。AIドロイドのからだが落下していき、下方からドスンという重たい落下音がした。

 草薙はバイクのシートに座るやいなや、ブレーキをかけてエアバイクを停止させた。

 あたりは木々がひらけたちょっとした空地のような場所だった。

 草薙はその中央付近にバイクを停車させた。

 バイクから降りると、後部座席に座ったまま沈黙を貫く石手里美のほうを見ながら、草薙は左のてのひらをヘルメットの左の耳当て部分に宛てがった。シュッという音がして、草薙がかぶっていたフルフェイスのヘルメットが、ふんわりとした柔らかな素材へ変化すると、左耳の方へ引きこまれていった。やがて、へッドフォンの耳あてのような大きさの部分だけになった。草薙は、コンパクトになった『ヴァーサタイル・ヘルメット』を胸ポケットに入れると、右手里美に詰め寄り声をかけた。

「右手里実だな」

 返事がない。首を縦や横にふって意思表示する気配すらない。

 

『なにかがおかしい……』

 

 そこへまばゆい光が投げかけられて、右手と草薙を照らし出した。

 うしろから合流してきた憲兵隊のバイクが降下してきた。

「草薙大佐。ご苦労さまでした」

 トグサ兄がバイクから降りてくるなり、草薙の元へ小走りしながらやってきた。

 草薙はため息をついた。

 トグサ兄には援護を頼むと申し伝えていたはずなのに、今さら、のこのこと追撃班のトグサ弟と合流してくるとは……。

 その草薙の心中を察したのか、トグサ弟が草薙の前に歩みでて敬礼をした。

「草薙大佐。ご苦労さまでした」

 いつのまにかほかの隊員たち五名が、草薙の正面に横一列に整列していた。誰もがなぜかやたら上気したような表情だった。草薙はまゆ根をよせた厳しい視線で隊員たちを見回した。

 が、やにわに隣にいたトグサ兄の腰から、銃を引き抜いた。

「トグサ大佐。これは飾りか?」

「あ、いえ……」

 その剣幕にトグサ兄の顔が硬ばった。

「私は援護してくれと言ったはずだが……」

「あ、はい。ですが、どうやって援護すれば良いかわからなくて……」

 草薙はトグサにあきれたような表情を向けた。

「撃てば良かったんだよ。こういう風にな」

 そう言うなり、草薙は横一列で並んでた隊員たちの方に銃を向け、たて続けに銃弾を三発、発射した。

 その場でトグサ兄弟をふくめ、隊員全員がすくみあがった。

「な、なにを……するんです!」

 トグサ兄が草薙を咎めるような大声をあげた。

 

 隊員たちの背後でドサッという音がした。トグサ兄がハッとしてそちらのほうへ目をむけた。そこに首のないAIドロイドが倒れていた。胴体に三発分の穴が空いて、そこからうっすらと煙があがっていた。

 草薙はトグサ大佐に借りた銃をくるりとひっくりかえすと、銃座のほうをむけた。

「トグサ大佐。アンドロイド兵ともし戦う機会があったら、思いだしてほしい。

 ヤツラは首が弱点なので、簡単に引き抜いたり、へし折ったりできる。だが、ヤツラは

首なしでも襲ってくる。かならず胴体も破壊するのを忘れるな」

 

 隊員たちはまだすくなからずショックを受けた様子があったが、草薙は構わず、右手里実のほうへ歩みよっていった。草薙は目をすがめて彼女の様子を見た。不思議なことに、近くでこれだけの大騒ぎが起きているのに、なにひとつ動じているように見えない。

 草薙は右手のヘルメットの左側の耳元に手のひらを宛てがった。すぐにシュッという音がして、ヘルメットの素材が変化して左耳の耳当て部分へ引きこまれはじめる。

 それをみて、草薙は息をのんだ。

 ヘルメットの下から、右手里実の顔が現われた。彼女の顔は、特殊素材のシールドで覆われ、目も耳も塞がれていた。

 

 待て、待て、待て。おかしい、おかしい、おかしい……。

 

 草薙の頭のなかで、けたたましい警告音が炸裂していた。それまで感じていた違和感が、今、目の前で最悪の姿に具現化していくように感じた。

 草薙はその場に腰を落とすと、荒々しく右手の顔に貼付けられたシールドを引き剥がした。どんな弱い粘着力だったとしても絶対に悲鳴があがる、ほど容赦がない力だった。だが、右手はなんの声もあげなかった。顔をのぞき込み、急いでヴァイタルをスキャンする。耗弱していたが、死んではいない。

 

 右手は意識をうしなっていた。

 

 草薙は右手の頬をひっぱたいた。どこかに気付け用のデバイスがあったはずだ、とわかっていたが、そんなものを引っ張りだすような余裕が、彼女にはなかった。

 反応がないように感じたので、もう一発見舞おうとしたところで、右手がふっと意識を取り戻した。目をひらいたまま、じっと空を見あげて微動だにしない。

 

「右手里実さんですね」

 声をかけられ、ビクッとからだを震わせたが、草薙には彼女のメンタリティーも体調も気づかっていられなかった。

「あなたには基地内でおきた殺人事件の容疑者として逮捕状がでています」

 右手里実はぼんやりとした面持ちで「逮捕……」

「ええ。あなたの部下のイズミ・シンイチさんから……」

 そこまで草薙が口にしたところで、突然、右手里実の顔が引きつった。

 それだけではない。からだを驚くほどガタガタと震わせ、うめき声のようなものを口から漏らしはじめた。その一瞬の変わり様に、草薙はゾクリとする感覚を覚えた。

「イズミ……」

「えぇ。あなたの部下の(湖 紫単)イズミ・シンイチさん……」

 

「あの子がやったの……」

 

 それは震えのなかで、がちがちと鳴る歯の隙間から、絞り出すような声だった。

「なにをです?」

 草薙は聞き返しながら、祈るような思いだった。頼むから、自分が思っていることとは違っていて欲しい、という祈りだった。

「すべてを……。あの子がすべてをやったの」

「右手さん、犯人は女性なんですよ」

「えぇ。だからそう、そうなの……」

 右手里実が顔をあげて叫んだ。目からは涙があふれていた。

「あの子は娚(めなん)。男性に移行中だから、まだ性別は女性……」

 草薙は目をつぶって天を仰ぎ見た。だが、右手はうわごとのように言葉を続けた。

「ほんとうの名前は タムラ・レイコ(単紫 湖)。湖の英語読み『レイク』をもじって『レイコ』って呼んでるの」

「タムラ・レイコ……。そいつは何者なんだ?」

 草薙はいつのまにか右手里実の襟首を掴んで、彼女のからだを揺さぶっていた。声がめずらしくうわずっている。だが、草薙の激しい剣幕を逆なでするかのように、右手里実はのんびりとした口調で言った。

「さぁ?。あれはなんていうんでしょう……」

「きさまの部下じゃないのか!!」

 右手が草薙にからだを揺さぶれながら、首を横にふった。

「ちがう……。だって……。彼女は……、あれは、もう人間じゃない」

 草薙が右手里実を揺さぶる手がとまった。

 聞いてはいけない、いや聞きたくなかったひと言を耳にしてしまった。

 思考も動きも停止した。もしかしたら、心臓や内蔵も今、動いていないのかもしれない。だが、それでも足のつま先から、恐怖がぞろぞろと這い上がってくる感覚だけは感じられた。

 右手里実が続けて言った。

「タムラレイコは、もう人間じゃない……」

 

「だって……、からだの一部が刃物や槍になったりするんだもの……」



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第89話 わたしの邪魔をするな

 あくまでしおらしく、女っぽく近づけばいいのだ。

 

 なぁに、すこし前までは「女」だったのだ、演じるのはたやすい。

 タムラレイコはパイロットエリアの入り口に目をやった。

 これみよがしにわかるような、武骨で頑丈そうな作りのゲートが正面にあった。超合金製とおぼしき頑強な鉄扉。おそらくゼータファイバーポリマーを間に挟み込むことで、レーザー銃のピンポイントの攻撃も、MJP爆薬のような『面』での攻撃も、容易に退けることができる構造になっているはずだ。

 さらに、そのまわりを厳重きわまりないセキュリティ装置が、何基も取り囲んでいた。

生体認証や虹彩認証はもちろん、声紋や歩き方などが完全合致しないと、ゲートはピクリともしないのだろう。

 つまり、部外者がここを突破するの生半(なまなか)なことでないのは間違いなかった。

 それだけ強固な設備にくわえて、重装備の兵士が四人、ゲート前に立ちはだかっているのを、レイコは確認した。おそらくゲートのむこうにも精鋭部隊が待ちかまえているに違いない。

 だが、兵士ごときは何の問題はない。

 レイコは無警戒な様子を装いながら、ひとりの兵士に近づいた。

「あのぅ……。草薙大佐に、こちらへ来るように言われたんですが……」

「草薙大佐に?」

 その兵士がほかの三人に目配せした。ニューロンストリーマで意識を共有しているので、すぐに連絡を確認できたのだろう。一瞬ののちに兵士が口を開いた。

 

「いや、誰も草薙大佐から言付けされていないよう……」

 そのあとのことばはくぐもった雑音だけになった。

 タムラレイコは右上腕部を鋭利な刃に変形させて、兵士の咽を一閃していた。兵士の首の動脈から、大量の血しぶきがほとばしった。レイコはそれをすばやい動作で回避し、一滴たりとも浴びることなく兵士のうしろへ素早く回り込んだ。

 残り三人の兵士の動きは俊敏だったが、あまりに思いがけない事態を、脳に納得させるまでのほんの一瞬のためらいが、命取りになった。兵士たちが引き金に指をかけた時には、すでに全員が反撃不能なほどの致命傷を負っていた。

 驚くほど簡単に兵士達が崩れ落ちた。

 

 ひとりの兵士が最後の力を振り絞って、敵の足首をつかもうと必死で手をのばした。レイコはそれを力いっぱい踏みつけて振り払うと、ゆっくりと認証装置の前に近づいた。彼女が静脈認証のセンサーに手をかざすと、すぐにセンサーの上に『承認』の文字が浮かびあがった。続けて顔認証のセンサー光がレイコの顔を捉えた。

 

『承認』の文字が浮かびあがる。

 

 にたりと不敵な笑みをうかべた彼女の口元は、タムラレイコのものとはまったく違う顔に変わっていた。

 

    ------------------------------------------------------------

 

 右手里美を犯人と決定づける証言をしたイズミ・シンイチこそが、なにかに憑依された「敵」であることを聞かされても、草薙はそのことばを鵜呑みにはしなかった。ものすごい不安が腹の奥底をひっかきまわしはじめているのが、自分でもわかったが、彼女は行動した。

 彼女はこころのなかで「ヴァイタルデータを!」と叫んだ。網膜デバイスの下の方にパイロットたちの警護にあたっている兵士たちのヴァイタル・データが表示された。

 草薙は目をくわっと見開いた。

 入り口の警護にあたっている四人の兵士のヴァイタル・データのひとつがすでに沈黙していた。脳波・脈拍・呼吸……、すべてがフラットになっていた。ぼう然とする草薙に追い討ちをかけるように、残りの三人のヴァイタル・データの数値が一気に下降し始めた。

『映像!』とあわてて念じると、彼らが警護するパイロットエリアの入り口を映したカメラ映像が網膜に投影された。

 そこには無残な姿で転がっている兵士たちの姿が映っていた。

 草薙はほんの一瞬、我をうしないそうになった。

 あまりの失態に、口が裂けるほどの大声で、叫びだしそうな衝動にすら駆られた。だが、ぐっと奥歯を噛みしめると、トグサ兄のほうに顔をむけて、絞り出すように言った。

「トグサ大佐、エアーバイクを借りるぞ」

 草薙はトグサ兄のバイクのほうへ駆け出したが、足が震えて、つんのめりそうになった。その動揺を気取られまいと、足にちからをいれて踏ん張ると、飛び乗るようにして、トグサ兄のバイクにまたがった。

「草薙大佐、どこへ?」

「わたしはパイロット居住エリアにむかう」

「では、我々も……」

「わたしの邪魔をするな!」

 草薙が大声で一喝した。トグサだけでなく、ほかの兵士たちもビクリとしたのがわかった。彼がこちらを(おもんばか)って、言ってくれているのがわかっていたが、いまはその気遣いのことばで、発狂しそうになる自分がいた。

 草薙はバイクをスタートし浮遊させると、無言でシミュレーションエリアのほうへバイクを走らせた。

 

『どうすれば……、どうすればいい……。どうすれば、タケルたちの元へ最速でたどり着ける?』

 



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第90話 わかってる。遊びじゃない。だから頼んでいるの

 パイロット専用居住区にある共用ラウンジでバットーは、ヤマトタケルがゲームに共じているのを、直立不動のまま眺めていた。ゲームは亜獣対戦をシミュレーションするネット対戦型格闘ゲームで、それを小一時間の間、飽きもせずに取り組んでいる。呆れ返ることに、通算成績で、ヤマトタケルは亜獣相手に負け越していた。

 バットーには信じられない思いだった。百戦錬磨を自負する自分ですら、この警護の任務には相応の緊張を強いられている。だが目の前の少年は数時間後に本物の亜獣と戦うというのに、緊張感や覚悟のようなものが感じられない。感情が鈍麻しているのか、想像がつかないほど肝がすわっているのか、バットーには考えがおよばなかった。

 バットーは、ヤマトが次の亜獣になすすべもなくやられたところ見はからって、声をかけた。

「タケル。そろそろ準備をしたほうがよくないか?」

 ヤマトは気にせず、すぐ次の対戦に挑戦しようと、中空に浮かんでみえるメニュー画面に手を伸ばしながら 答えた。

「バットーさん。大丈夫。今回は現場がすぐ近く、目と鼻の先なんだから余裕だよ……」

 

 その時だった。

 バットーの網膜デバイスに表示されていた、入り口を警備している隊員のバイタルデータが、大きく膨むように跳ね上がったかと思うと、脈拍・呼吸・脳波などのグラフが真一文字になった。バットーが無言のままヤマトのほうへ手をあげて、彼のことばを制した。ヤマトがただならぬ様子を即座に察して、すぐさま口をつぐむ。

 バットーは室内を警備している三人の兵士に目で合図すると、テレパスラインで頭に呼びかけた。

『ここの入口を警護していた連中に何かあったようだ』

『はい、今、入り口のモニタ映像でます』

 

 全員の網膜デバイスに隊員に呼びだされた、このエリアの入口の映像が飛び込んできた。

 バットーの目がカッと見開かれる。

 エリアの入口を警護していたはずの隊員はすでにそこにはいなかった。

 そこにあるのはかつて隊員だったものの(むくろ)だった。精鋭だったはずの隊員たちは 無残に切り裂かれて、フロアに血まみれで転がっていた。

 自分がうろたえては、ほかの隊員が動揺する。バットーは、恐怖や驚愕や悲痛など、すべての感情を心の底にねじ伏せた。まずは草薙大佐に報告しようと、テレパスラインで呼びだそうとした。が、バットーより先に草薙大佐からの連絡のほうが速かった。

 

『バットー、どうなっている?』

 草薙大佐の声はあからさまな怒気を帯びていた。バットーは脳に直接その感情をぶつけられて、一瞬、くらっとしたが、すぐに冷静な声で返答した。

『パイロットエリア入口、警護の連中がやられたようです』

『そんなのはわかっている。敵の姿は把握できているか?』

『いえ、まだ。今から調査に向かいます』

『ヤマトタケルは、無事か?』

 バットーは目の前のソファに座っているヤマトタケルのほうにちらりと目をやった。ヤマトは真剣なまなざしでこちらを見ていた。

『いまのところは……』

『すぐに、全員、ニューロン・ストリーマのスイッチをオンにして、思考を共有しろ。今からそちらへ向かう』

 オンにすると、突然、草薙からの情報が頭に飛び込んできた。

『侵入者の名前は、タムラレイコ。なにかにからだを乗っ取られているそうだ』

『乗っ取られている……ですか?』

『あぁ、擬態する上、からだの一部を硬化できるらしい』

『そ、そんな……、そんなの地球上に……』

『あぁ、あちら側の世界の生物だろうな』

 バットーはいつのまにか、ごくりと唾を飲み込んでいる自分に気づいた。

『あとのふたりのパイロットはどこにいる?』

『アスカは自室、レイはトレーニングルームに』

『まずいな……』

 ぼそりと草薙が呟く声が頭に響いた。ニューロンストーリマによる思考の共有は、不適切な内容や深層心理は、瞬時にしてAIがフィルタリングをかけて共有できないようにする。だから共有していても本音を知ることはできない、とされていたが、たまに、どちらとも判別ができず、漏れる心の声が聞こえることがある。

 今のような声がそれだ。

 たったひとことだったが、バットーはその呟きに心臓がぎゅっと縮むような緊張感を覚えた。

『バットー、パイロット全員をすぐに集めて、緊急脱出路のほうへ送りだしてくれ。わたしはそちらの通路のほうから、そちらへ向かう』

『了解』

 バットーは、あいかわらず簡単に言ってくれる、と思いそうになったが、思考を共有している今、うかつな思念は危険だと考え、あわててヤマトに声をかけた。

「タケル、草薙大佐から、パイロット全員で脱出路へむかえ、という指示だ」

 ヤマトは両腕を横にひらいて、肩をすくめた

「了解。でも、ぼくしかいないけど」

 

 バットーはふーっと息を吐くと、「今、連れて来る」と言うなり、すばやく通路側のドアまで駆けよった。兵士たちが死んだ入り口から、もし敵が侵入してきていたとしたら、このドアを挟んだ反対側にすでに張りついていたとしても不思議ではない。

 こころのなかで念じて、バットーはドアのむこう側にある、通路の映像を呼びだした。通路には複数のカメラが仕掛けられていたが、なにも異常は見受けられなかった。映像や通信データ、サーモデータ、あらゆるデータが、そこになにもないことを証明していた。

 バットーは一番近くにいた細面の兵士に『援護を頼む』と思念を送ると、残りの兵士に『おまえたちはここで待機して、ひき続きパイロットたちを警護してくれ』と指示し、ドアの開閉スイッチを押した。

 

 音もなくドアが開いて通路が見えた。バットーは壁に背中を預けながら、顔だけを通路側に覗かせて、すばやく目を走らせた。映像カメラでは確認済だったが、どこかに死角がないとは断言できない。

 慎重を期することに手を抜いていいシチュエーションではない。

 バットーは銃を構えたまま、ゆっくりと通路側に足を踏みいれた。この通路はあの入口から直通する一本道だ。もし何者かが侵入したとすれば、この通路エリアのどこかにいなければおかしい。二十メートルほど先にある、パイロットエリア入り口のドア付近に、スコープの望遠レンズの焦点をあわせる。ドア付近の床、壁のどこにも、血が一滴も付着していなかった。

 だが、あのドア一枚隔てた向こう側には、警備兵たちの死体が転がっているのだ。

 バットーは内側の方の壁に目をやった。

 内壁側には三つの扉があった。

 自分から近いほうから「トレーニングルーム」「瞑想室」「RV(リアル・バーチャリティー)室」と表示があった。侵入者がこの三つの部屋のどれかに隠れている可能性を考えるべきだろうか。

 バットーは同行させた細面の兵士を通路に待機するように命じると、まず一番手前の「トレーニングルーム」のドアを開けた。

 

 ドアが開くなり、バットーはドアの隙間からねじ込むような勢いで、銃を内部にむけた。

 そこに専用器機を使ってトレーニング中のレイ・オールマンがいた。そして、そのすぐうしろで、異常事態を察したレイ担当の隊員が、入り口にむけて銃を構えていた。バットーはその隊員に目で合図すると、彼は『こちらは異常ありません』と頭の中に思念を返してきた。

 室内には有酸素運動用のトレッドミルが三台、リニア電動の反発で負荷をかける仕組みの、レトロな筋肉トレーニング用マシンが二十基ほど並んでいた。それ以外にも見馴れないハイテクマシンらしきものが数基あったが、バットーにはおそらく三半器官や高G耐性を強化するものらしいと推測するのが精いっぱいだった。

 想像以上に広いトレーニングルームだったが、『サーモビジョン』でも『生体チェッカー』でも、ふたり以外のなにものかがこの部屋に隠れていることは感じられなかった。

 

「レイ、すぐにここを出て、タケルとアスカと合流して、脱出路から脱出してくれ」

 バットーはレイ担当の兵士に、目でレイの警護を頼むという指示をすると、隣の部屋へ移動しようとした。

 すると、レイが背後からバットーに声をかけてきた。

「バットーさん、わたしにも銃を」

 バットーは振りむくことなく言った。

「ダメだ、レイ」

「どうして?。自分の命を自分で守るだけよ」

「レイ、これは遊びじゃない」

 

「えぇ。わかってる。遊びじゃない。だから頼んでいるの」

 



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第91話 これは地球存亡の危機なのだ

 ヤマトたちが、未知の侵入者に襲撃されている、という緊急事態を聞いたブライトは、怒りにたぎっていた。

「君たちは何をやっていたんだ」

 第一報を入れてきた草薙大佐を怒鳴りつけた。

「申し訳ありません」

「君は命を賭してもヤマトを守るのが仕事のはずだ」

 ヤシナミライはブライトの怒りももっともだと思ったが、今やるべきことはヤマトたちの救出だと考え、口をはさんだ。

「ブライト司令。ヤマト君たちへ援軍を」

 ブライトは怒りのたぎった目を、無言のままミライのほうにむけてきた。余計な口出しは許さない、という、ふだんのブライトらしからぬ、強烈なメッセージだった。

『怒りに我を忘れてる……』

 ミライはひとりごちた。だが、ミライにはブライトの怒りがどこまでも根深いものから来ていることを理解していた。出撃のたびに国連事務総長と一緒に草薙大佐に嫌な思いをさせられていることを、日頃から愚知で聞かされているのだ。積年の恨みが吹きだして、自分でも感情をコントロールできないのだろう。

 助けを求めるように、司令室内を見渡してみる。

 リン、エド、アルはブライトのかんしゃくを熟知しているせいか、我感せずとばかり自分の用事を優先していた。いやそういうふりをして逃げていた。ミライもできるならかかわりたくはなかった。

 だが、ゾッとすることに、これは人類の未来がかかった重大事態だった。殴ってでも目を覚まさせねばならない。あれほど隙をみせない草薙という女が、だしぬかれてしまうほどの敵がこの基地内を跋扈(ばっこ)しているのだ。全力を注いで彼らを助けにいかねばならない。

「草薙大佐、今タケル君たちはどこに?」

 ミライがブライトを無視するように、事務的な口調で訊いた。

「今、まだパイロットエリアのラウンジに。バトーには三人とも集めて、非常脱出路から脱出させるように指示しました」

「で、あなたは今どこ?」

「今、富士山麓の樹海から、エアーバイクでそちらへ向かっています」

 その返事を聞いたところで、ミライはちらりとブライトのほうをみた。なにか指示を出したがるのではないか、と思ったが、ブライトはてのひらで目頭を押さえて、どうすればいいのか悩んでいるように見えた。

 

 試行錯誤している余裕はないというのに!。

 

 ミライはブライトを無視して続けた。

「草薙大佐。わたしたちはどうすれば?」

「このままエアーバイクで別館と本館のなかを突っ切っていきたい、と思っています。そのあいだのすべての隔壁扉をオープンしてください。それから……」

 そのことばに、ブライトがハッとして声をあげた。

「なにを言っている。そんなことしたらセキュリティもへったくれもないではないか」

 だが、ミライはそのブライトのことばを、手をつきだして制すると、草薙大佐のことばの続きを促した。

「続けて」

「それから、本館は食堂室の横の通路を突っ切ります。これから30分、いえ、20分間は食堂への入場を禁止し、さらに食堂から誰も通路にでないよう通達してください」

「わかりました」

「それからできるだけ多くの兵士をラウンジのほうへむかわせてください。もちろん、武器を装備して」

「了解しました」

 通信が切れるやいなや、ミライは各部署へ通達するため、中空に投影されたコンソールを操りはじめた。ブライトがなにかをぶちまけそうな顔をむけていたが、ミライは無視して作業に集中した。

 

 これは地球存亡の危機なのだ。いち司令官ごときが私怨をまじえていい状況ではない。

 

------------------------------------------------------------

 

 バットーはトレーニングルームのドアを開くと、通路に待機させていた細面の兵士に、異常がないか確認しようとした。

 しかし、そこに彼の姿はなかった。

「どこにいった?」

 バットーは呆然とした面持ちで通路を見回した。ラウンジ側にも入り口側にも、兵士の姿は見えなかった。が、十メートルほど先に『瞑想室』と表示された部屋を見て、バットーはごくりと唾をのみこんだ。

 瞑想室の扉は開いていた。

「どういうことだ?」

 湧きあがる不安にバットーの口から、思わずことばがついて出た。

 細面の兵士の名前をとっさに思いだせなかったが、バットーはすぐに網膜デバイスに、彼のヴァイタルデータを呼びだした。目の隅にデータが表示される。彼の心拍や脳波などは不自然なまでにギザギザの振幅が刻まれていた。が、ほんの数分前に突然、すべてのデータが途絶えていた。波形がフラットになっているのなら絶命していると説明がつくが、途絶えているとなると、その理由がわからなかった。

 

 バットーは大きく深呼吸をすると、壁を背にしたまま慎重に近づいて、扉の陰からゆっくりと中を覗きこんだ。部屋のなかは真っ暗だった。外光が入り込まない設計になっているのか、通路からの光があっても、奥のほうはなにも見えなかった。

 バットーはこめかみに指をあて、暗視ゴーグル機能のスイッチをオンにした。

 正面に三つのドアが見えた。自分がいまいる場所は実は前室で、その奥にあるドアの向こうに三部屋の瞑想室があることがわかった。同時に三人が瞑想することができるつくりだ。

 バットーはハッとした。

 

 中央の部屋の上部にランプが灯っていた。

 生きているかどうかは別として、その部屋にあの兵士がいることは間違いない。兵士の生体データが、突然途絶えたことに説明もつく。すべての電波や電磁波などを外部からも内部からも遮断する構造。25世紀の現代においては、何者にも管理されず、誰とも連絡をせずにすむ、真にたったひとりになれる唯一の場所だった。

 バットーはドアを正面に見据えながら、中央の部屋へ腰をかがめてゆっくりと近づいた。が、ドアを開けようとして、ドアノブがないことに気づいた。掌紋認証か虹彩認証装置でしか開かない、高セキュリティ仕様のつくりだった。

『くそぅ』

 バットーは心の中でそう呟くやいなや、正面のドアにむけて銃をかまえた。が、トリガーにかけた指を、あわてて緩めた。この『瞑想室』は、外部からのすべての情報を遮断して、『無』になるための空間。そのドアが銃弾ごときで破壊できる造りになっているはずはない。

 バットーはそっとのドアの表面に、てのひらを這わせた。

『あぶない。ダイヤモンドより硬い、ロンズデーライト合金製……』

 迂闊に銃弾を放っていたら、跳弾がこの狭い前室を縦横無尽に跳ね回っていただろう。

 バトーはドアに目を釘付けにしたまま、防弾ジャケットをまさぐり、一枚の名刺サイズの板状の機器をとりだした。脇にあるスイッチを押してから床にそっと置く。

 リニア・プレートと呼ばれる旧型の空間浮遊装置。

 

『このサイズのリニア・プレートじゃあ、天井までが限界だろうな……』

 バットーは腰のベルトのスイッチをいれ、床においたプレートの上に、覆いかぶさるように前のめりに体を傾けた。するとバトーの体がふわっと宙に浮いた。床のプレートとベルト側のプレートの『超電導リニア電極』の反発しあう力で浮遊する仕組みだ。

 バットーのからだが、伏臥して銃を構える姿勢をとったまま、ゆっくりと天井にむけて舞いあがっていく。やがて天井に背中がぺたりと接すると、バットーはそのままの姿勢でドアの入り口をしっかりと狙い定めた。

 

『さあでてこい』 

 その声がまるで合図になったように、ふいにカチりと音がした。

 中央の部屋のドアがゆるゆると開いていく。

 と、突然、勢いよくドアが全開すると、同時にものすごい勢いで、通路側になにかが飛んでいくのが見えた。バットーはそれがなにか確認できなかったが、反射的に三発弾丸を放った。あまりのスピードに弾丸はヒットしなかったが、飛んでいったものは、通路側に開け放していた入り口のドアをくぐり抜け、向い側の壁にドンという鈍重な音をさせて、ぶつかったのがわかった。

 バットーはその方向に目をむけようとしなかった。あれは囮だ。もしくは、こちらがドアの前に立っていることを想定して放たれた攻撃だ。もしそこに立って待ちかまえていたら、間違いなく巻き添えを喰らっていたはずだ。

 中央の瞑想室のドアから不用意に顔をだして、前室の様子を伺う女性らしき顔がみえた。見知らぬ顔だった。バットーは天井からその女にむけて、立て続けに三発を撃ち込んだ。

 何の躊躇(ちゅうちょ)もしなかった。

 入口を警備していた手だれの兵士たちが、いとも簡単に餌食になったのだ。油断する何かがあったはずだ。

 無用心そうな女性の姿は、その油断する何かに値する最右翼の一つだ。

 

 バットーの中に一分の迷いはなく、狙いをはずすことはないはずだった。だが、放たれた弾丸はすべて外れていた。いや、外されていた、が正しい。

 女性はとっさに両手でつきだし、顔の前にかざして弾丸を避けようとした。が、そのかざした手のひらは、一瞬にして大きく広がり、まるで鋼鉄のように硬化したかと思うと、盾となって弾丸をはじき返した。それでも、女は上からの襲撃を想定していなかったのだろう。あわてたような表情を見せたかと思うと、人間離れした跳鰡力で通路の方へ、一気に跳ね飛んだ。

 バットーはその背中にむけて銃弾を浴びせかける。

 だが女はその弾が着弾するより速く、通路側の開け放たれたドアから外へ飛びだしていた。バットーはすぐさまベルトのリニア・プレートのスイッチを切った。反発力が消えて、バットーのからだは、紐が切れたようにストンと床に落ちた。バットーは着地するやいなや、通路にむけて銃をかまえた。

 

 暗い部屋に射し込んでくる光の中に、何者かの姿が影をさした。

 



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第92話 この地獄はバットーに、それさえ許そうとしなかった

バットーはかまえた銃の引き金を引こうとして、ハッとした。

 そこに立っていたのは、先ほど通路からいなくなったあの細面の兵士だった。頭から血を流し、頬がはれあがっていた。あきらかに重篤な傷を負い、体をふらつかせながら、なんとか彼は立っていた。

 ドアが開いた瞬間に通路に飛ばされたものは、彼、だったのか……。

「バットー副隊長……」

 兵士はうめくような声でそれだけ言うと、吐血した。

 バットーは若い兵士を手で制して言った。

「しゃべるな。今、助ける」

 そのとき、兵士のうしろに、あの女がいることに気づいた。兵士は盾にするため、女の前に立たされているにすぎなかった。

「副隊長……、さすが手だれだな」

 兵士を盾にしている女が言った。

 

「きさまは何者だ」

 バットーがスコープで女の頭に狙いをつけながら訊いた。女の答えをきくまでもなく、撃ち抜くつもりだった。

「さぁ、誰だろうねぇ……」

 女は兵士の頭の横から、手を突きだして言った。その手には兵士たちが常に携帯している.『手榴弾』が握られていた。

 バットーがあっと思った時には遅かった。

 女は安全装置をはずしたかと思うと、手榴弾を兵士の胸の防弾ジャケットの奥深くねじこみ、そのまま通路のドアから瞑想室のほうに、兵士を突き飛ばした。兵士はとんとんと数歩前によろめき、前につんのめって、バットーの目の前でうつ伏せに倒れた。

 

 スコープを覗いていたばかりに、バットーは虚をつかれ反応が遅れた。この手榴弾の有効破壊範囲は、直経十メートルをゆうに超える。つまり、今いるこの瞑想室の前室程度の空間では、どこに隠れても確実に吹き飛ぶということだ。

 バットーは倒れた兵士の上を乗り越えて、通路側のドアから逃げようとした。しかし、通路にいたあの女は、兵士を突き飛ばすと同時に、そのドアをすぐに閉めようとしていた。バットーは扉が閉まる寸前に隙間から、女の顔をかいま見た。その顔はさきほど見ていたあの女のものから変貌していた。

 バットーはその姿に「あっ」と思ったが、すぐに(きびす)をかえすと、まだドアが開いたままになっている中央の瞑想室に、飛び込むようにからだを踊らせた。からだを反転させ、ドアを急いで閉める。その隙間から、うつ伏せで倒れた若い兵士が、哀願するように、自分のほうに手を伸ばそうとしているのが見えた。

 ドアがしまりきる寸前、猛烈な爆発音とともにドアの隙間から爆風が吹き込んできた。その風の勢いにバットーが、うしろにもんどりうって尻をつく。その脇の壁に隙間から吹き飛んできた血糊や肉片がびちゃびちゃと飛び散った。

 ドアが完全に閉まると、外の音がまったく、気配すら感じられない静寂な空間になった。

 間一髪だった。あの兵士を救えなかったのは残念だったが、腹立たしいことに、そんな余裕すらなかった。バットーは天井を仰いで、嘆息した。

 まずはここを抜け出て、追撃しなければならない。

 バットーはドアの把手を握った。が、ピクリともしなかった。あわててドアの周辺を見回した。するとドアの脇の壁に、『生体認承装置』があるのに気づいた。バットーは、べっとりと塗布している血糊を指でぬぐいとると、祈る思いでそれに手を置いた。

「Access Denny」というアラートが目の前に投影されただけだった。バットーは網膜デバイスを注視したが、当然なことに何も映ってなかった。

 外のカメラ映像もなければ、音声も聞こえなかった。テレパスラインの呼びかけも、ニューロン・ストリーマによる共有思考も感じられない。

 バットーは呆然とした表情で、血で汚れた側の部屋の壁面を見つめた。

 そこにはこの部屋における注意事項が掲載されていた。

 

『この部屋は音波・電波・マイクロ波・光波、電磁波、超音波、放射波、電磁気超伝導粒子波などすべての波形を遮断します。ドアを閉めると外部との一切のコンタクトがとれなくなりますのでご注意下さい』

 

 バットーはその場に崩れ落ちるようにへたりこんだ。

「くそおぉぉ」

 バットーは心の底からの雄叫びをあげたが、その声がバットーの耳に届く前に、逆位相の音波によって完全に打ち消され、部屋のなかはまったくの無音のままだった。

『大失態』ごときで片づけられるレベルではないしくじりだ。

 

 バットーはぎゅっと目をつぶり、拳を床に何度も打ちつけた。だが、どんなに強く打ちつけても、なんの音も聞こえなかった。せめてこの「痛みの音」だけでも聞こえたら、いかばかりか贖罪になったかもしれない。

 

 だが、この地獄はバットーに、それさえ許そうとしなかった。

 

------------------------------------------------------------

 

 レイは渡されたマルチプル銃を馴れた手で子細に点検すると、ランチャーミサイルのマガジンをカチリと装着した。隣で護衛の兵士が感心したような目つきで見ていたので、レイは言った。

「なに?」

「あ、いや、すごい手馴れているなって」

「銃に手馴れてたら、おかしい?」

「そ、そうじゃないけど」

「だったら、あなたも銃を準備して」

「オールマン中尉、何を?」

「ヤマトタケルを救出にいく。わたしはあの人の盾になるために、ここにいるのだから」

「盾に……って……」

「タケルが死んだら、人類が終わるのよ」

「いや、でも、君たちがいるじゃないか?」

 

「いる?。そうね、そう、いるだけ……」

「わたしたちはあの人の、タケルの足元にも及ばない」

 

「でも先日の戦いは見事だったって聞いたよ」

 レイはかぶりをふった。

「技術じゃない。わたしたちには覚悟が足りない」

「覚悟?」

 

「ヤマトタケルは全人類を犠牲にしても、この地球を救う覚悟で戦っている……」

 

 レイの迷いのない表情を見て、兵士はたじろいで、思わず一歩うしろにさがった。

 その時、トレーニングルームが、ずずーんという響きと共に揺れた。右側の壁に下がっている器具や掲示物が勢いよく床に落ちた。

 右隣の『瞑想室』でなにかがあったのは確かだった。

 兵士が驚愕の表情でその壁を見つめていたが、レイは落ち着いた様子でマルチプル銃の安全装置をカチッとはずして、入り口にむけて身構えた。

 

  ------------------------------------------------------------

 

「くそぅ、くそぅ、くそぅ!」

 草薙はエアーバイクをフルスロットルで疾走しながら、自分のなかに怒りの感情をぶつけていた。シミュレーションエリアのビル群は、すでにかなりの地面に沈みこんでおり、ほとんどが平地になっていたので、斜めに横切って最短コースをとることができた。だが、それでも時間が足りないと感じていた。

 その焦りは最高潮に達していた。もはや恐怖というレベルかもしれない。

 敵の陽動作戦にまんまと(はめ)められ、要警護者からひき離されたという、自分に対する怒り。これから将来が嘱望されたであろう伸び盛りの兵士の命を、いとも簡単に奪ってのけた犯人に対する怒り。ブライト司令のこれまでの仇をとろうとするような、あてこすりめいた叱責に対する怒り。

 いや、ブライトの怒りは当然だ。

 草薙はふと思い直した。自分だって、易々と敵に侵入を許してしまったバットーに、苛立ちを覚えているではないか。彼の責任ではないのにだ。

 今の私にブライトを責める権利なんぞない。

 目の前にシミュレーションエリアの出口が見えてきた。そこを抜けると本部の事務所棟別館や生活エリアがにつながっている。

 草薙は出口のドアの横で、だらしなく足を投げだして眠っている係員をみつけて大声で呼びかけた。エアーバイクの性能について、ひとしきり講釈を垂れていた係員だ。

「おい、係員。そこのドアを開けろ!」

 係員はよほど深い眠りにおちいっているのかピクリともしなかった。考えてみれば、現在、直夜中の一時になろうとしている。つい寝入ってしまったといって、係員を責めても仕方がない。

 草薙は網膜デバイス上に彼の顔を間近にとらえている映像を呼びだした。

『彼のIDを解析』

 彼の顔の上からワイヤーフレームが網状は貼りついて解析をはじめると、一秒も経たないうちに係員の個人を特定し、網膜デバイス上に彼の軍の登録データが表示された。

『コネクト』

 草薙はそういうなり、大声で思念を飛ばした。

『ドアを開けろ!』

 脳内に直接大声で呼びかけられて、係員があわてて跳ね起きるのが見えた。椅子からすべり落ちて、したたかに尻を打ちつけたが、すぐに立ちあがり、辺りをキョロキョロと見まわしはじめた。

『ドアを開けろ!』

 今度は係員が気づいた。

 係員は自分のほうへエアーバイクで突っ込んでくる草薙の姿に、これ以上ないほどの慌てふためきっぷりをみせた。彼は両手を前に突き出して、ストップのサインを送った。が、草薙がとまる意志がないと見てとると、自分の後方にあるドアの開閉ボタンにとびつくようにして押しこんだ。

 間一髪、ドアがシュッと開くと同時に、草薙のバイクは事務所棟へのドアをすりぬけていった。

 

 実はそこからが最大の難関だった。

 ヤマトとアスカの元へ最短ルートを通るために、難所がふたつあった。

 ひとつは『隔壁扉』。各エリアを厳重に仕切っている頑強な扉が、すくなくとも十箇所は立ちはだかる。

 もうひとつは、人だった。

 ふだんの基地であれば真夜中のため、深夜番、もしくは見廻りの者しかいない。だが、今日はこれから二時間後に控えている亜獣との本番にむけて、おびただしいまでの職員がスタンバイしている。こちらで算出した最短ルートを通るためには、食堂の前の通路を通らなねばならない。この時間なら職員たちでごったがえしていることは、想像に難くない。

 草薙は導線になる部署や関係各所に連絡を送るように、司令部に協力を要請していたとはいえ、それがどれだけ守られているか不安だった。あの怒りっぷりでは、その意図を汲んでもらえてないのではないかと危惧がつのる。

 草薙のバイクが事務所棟に突入した。

 すぐさま、百メートル先の通路に『隔壁扉』が見えてきた。

『開いて!』

 草薙が祈るような気持ちで、心で囁いた。もしあのドアが開かないとしたら、ランチャー弾で吹き飛ばしていくしかない。それでも吹き飛んでくれれば、の話しだ。

 草薙は背中に担いでいた銃に手をかけようとした。

 が、ありがたいことに、数十メートル手前で、すっと両側に開いて草薙に道をあけた。

 ブライトはどうだかはわからなかったが、少なくともミライか、誰か側近がこちらの意図を把握してくれていたらしい。

 

 草薙はバイクのスロットルをひねると、スピードをあげた。

 

 



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第93話 タケル、アスカ、レイ!!。今すぐそこから逃げて!!

 非常事態だった。

 ヤマトもラウンジが揺れるのを感じていた。さほど大きな揺れではなかったが、通路内にある三つの部屋のどれかで爆発があった、と考えるべきだった。この基地内に刺客を侵入させただけでも大問題なのに、いままさに何者かが自分を殺そうとしにきている。ヤマトは今までにない危機感を覚えた。

 デミリアンに乗って亜獣と戦っているときの自分は無敵だという自覚は、常に抱いていた。それが、思いあがりだろうが、なんだろうが、自分にはそう思えた。

 だが、ひとりのヤマトタケルという少年に戻ってしまった時はどうだろう。

 くそ生意気な口を叩くくらいしかとりえのない、ただの高校生にしかすぎない。地球の救世主ともてはやされようと、最終兵器「四解文書」を知る人類の破戒者と(そし)られようとも、こうやって身の丈だけになってしまっては、ただの『要警護者』でしかない。

 それでも警護できる人材が、傍らにいてくれれば、の話だ。

 彼らは、ぼくを守ることができるだろうか?。

 バットーが出ていったあと、部屋の入口に目をむけたまま、動こうとしない兵士たちを、うしろからながめながらそう思った。

 ヤマトはレイとアスカに連絡をとるため耳元に装置したイヤリングを指でつまんだ。これを使えば、思い浮べた相手に直接思念をとばすことができる、体内埋込み型テレパスラインの代替品。ヤマトは両方同時に語りかけたが、レイだけが即座に反応した。

「タケル、今、隣の部屋が揺れたわ」

「レイ、今どこだ?」

「トレーニングルーム」

 ヤマトはレイのことばから、爆発があったのが瞑想室であると特定した。

「レイ、そこの入口にカギをかけて動かないで」

「そうはいかない。わたし、あなたを守らないといけないもの」

「レイ、無理だ。できやしない」

「できるわ。バットーから銃を受けとったもの」

 ヤマトは思いもよらない返答に驚いて、思わず甲高い声をあげた。

「バットーから銃を?」

「えぇ。気持ちよく貸してくれたわ。だから、これであなたを守ってみせるわ」

 レイにはめずらしく高揚していた。ヤマトは自分たちにニューロンストリーマのような思考が共有できるデバイスが埋め込まれていなくて良かったと感じた。もしそんなものがあったら、レイの高揚感が伝播して、こちらも心を乱されていたかもしれない。

「今、一人?。アスカは一緒にいる?」

「今は二人、護衛の兵隊さんと一緒。アスカは知らない」

 ヤマトは額に手をやり、アスカがこの時間にどこにいるのか思い出そうとした。もう一度、心で念じてアスカを呼びだす。

『アスカ。応えろ。アスカ!』

 しかし、応答がない。このエリアにいるのは間違いないはずだ。もしかしたら通信装置をはずしているのかもしれない

『くそ、時間までアスカを呼び続けるしかない……』

 ヤマトはそう呟いて、はたと考えた。

 時間まで?。

 なんの時間だ?。何の時間まで、と自分は、今思ったのだろう。

 ヤマトは混乱した。

 

 だが、ひとつだけ、間違いないことがある。

 なんの時間かはわからないが、その時間はそれほど残されていない。

 

   ------------------------------------------------------------

 

 アスカは湯舟につかったまま、浴室の天井を仰ぎ見た。天井には各チャンネルのニュース映像が映しだされている。どのチャンネルの映像も、数時間後に予定されている亜戦との戦いについての報道で埋め尽くされていた。

 戦場になると想定される場所の人々の、避難の様子。

 殺到するスカイモービルで混雑するパルスレーン。昔ながらに地面を車やバスで移動している人々。おどろいたことに徒歩で逃げている者も混じっていた。誰もがすこしでも現場から離れようとしており、みなパニックになっていた。

 何人かの避難者たちがインタビュアーに促されて、なにかしらの意見を述べている。アスカは音声も字幕もオフにしていたので聞こえなかったが、その顔つきや、身ぶり手ぶりの感じから、国連軍へのネガティブな意見だというのはすぐに感じとれた。すくなくとも、、これから命がけで戦おうという国連軍へ、彼らからは感謝や応援の気持ちはみじんも伝わってこない。

「あったりまえよね」

 アスカは呟いた。

 三十メートル級の巨体が自分の家の近くで暴れまわるのだ。たとえ命が助かったと喜んでも、前の生活に戻れる保証はないのだ。

 アスカはなんとはなしに、すうーっと自分の乳房に手をはわせた。

「また大きくなってる……」

 兄は女としての魅力が増してる、と、いやらしげな感情抜きに心の底から喜んでくれたが、アスカは嫌だった。パイロットとしてヤマトをこえてみせるという目標の前には、この重量の増加は可動域を狭め、パイロットとしての可能性を縮小していく。

「もう嫌!」

 アスカは大きな声をあげた。浴室内に声が響く。

 その時、階下でくぐもった音がして、浴室がわずかに揺れたような気がした。

「何?。いまの?」

 階下には、何人もの兵士たちが詰めていたはずだ。

 彼らが何かをしたのだろうか?

 いや……、それとも何かをされたのだろうか?

 アスカは今になって、自分がなにも身に着けてないことに気づいた。服だけではない。、外部と連絡をとるためのデバイスを何も身につけてないのだ。

 

 

 アスカは、こんなに無防備な気分になるのははじめてだった。

 

------------------------------------------------------------

 

 その時、室内に緊張がはりつめるのをヤマトは感じた。

 先ほどまで入口をじっと見つめていた兵士たちは、テラス側に投影されているカメラ映像に目を奪われていた。ヤマトははっとして彼らの視線の先にある物を見た。

 そこには今まさに、この部屋へのドアを開けようとしている侵入者の姿だった。

 ヤマトはその姿を認めるなり、キリッと歯噛みした。体中の毛穴から汗がどっと吹き出す。まったく予想していなかったわけではない。だが、それは次の瞬間に、一笑にふせるほどバカバカしい可能性だ、と思っていた。

 

 だが今、目の前にそのありえないものが『死』を(たずさ)えて、入口のドアをこじあけようとしていた。

 

 

 シャワールームから出たアスカは、下着を身に着けると、薄いベール風の服を上から羽織った。窮屈なコンバットスーツを着るぎりぎりまで、ゆったりとした服装でリラックスしていたかった。

 アスカは鏡を見ながら、自分の髪の毛の上に手を這わせた、指にはめたリングがチカチカと光ったかと思うと、広がった髪の毛をすーっとうしろにまとめ、引っ詰めていく。ものの数秒で髪の毛は、ポニーテールのように束ねられていた。

 続けて、耳に会話用デバイスのイヤリング型の『リングフォン』を、カチッという音ともに耳たぶに装着した。

 続けて、テーブルの上のインフォグラシズに手を伸ばした。

 が、その時、部屋がぐらっと揺れた。

 油断すると、その場に座り込んでしまいそうなほどの振動。

 また揺れた?。

 揺れはすぐさまに収まったが、アスカはとるものもとりあえず、部屋から飛び出すと階下のラウンジへむかった。

 だが、階段を降りている途中で、アスカはラウンジがただならない状況になっていることに気づいた。柱や壁の各所は穴があき、ヒビがはいっており、カーテンは破れ、窓ガラスはいたるところが割れていた。

 だが、階下まで降りる頃には、これは地震が原因ではないことに気づいていた。壁の穴やヒビは、銃弾によるけずれ傷や弾痕だった。だが、それだけではない。床や壁に血とおぼしき赤い点が飛び散っており、床には赤く染まってみえる場所もあった。

 

 ただごとではない。

 まごうことなき戦場の光景が目の前にあった。アスカはぼう然とした。いったい何があったのだ。自分が二階の自室にいる間に、ここで何があったのだ。

 ラウンジには誰もいなかった。沖田十三は勤務外なのはわかっている。もしかしたら、ヤマトやレイはまだ部屋にいるのかもしれない。だが、今日は屈強な護衛の兵士たちが、この場所に数人待機していたはずだ。しかも、草薙大佐の右腕と呼ばれるバットー副隊長の姿もみえない。彼らが何の連絡もなしに勝手に持ち場を離れるわけがない。

 彼らはどこに消えたの?。

 その時、ラウンジの中空から突然、いくつもの映像モニタの映像が同時にふりそそいできた。それらは監視カメラの映像だった。このパイロットエリアの周辺や、内部を様々な角度で映しだしていた。

 突然、アスカの頭の中に草薙大佐のひっ迫した声が飛びこんできた。

「タケル、アスカ、レイ!!。バットーと連絡が取れなくなった」

 

「今すぐそこから逃げて!!」

 

 アスカは瞬時に今自分が命の危機が迫っていることを理解した。ラウンジ内のいたるところから吊りさがるように投影されているカメラ映像に目を走らせる。

「どこ?。敵はどこなの」

 アスカのすばやく走らせる視線がとらえた最初の異常は、パイロットエリアのゲート前の光景だった。

 四人の兵士が血だまりの中に倒れていた。

 モニタの下部に表示された彼らのヴァイタルデータは、横真一文字になっており、すでに彼らの命がなくなっていることを示唆していた。アスカは一瞬、ほんの一瞬だけ。彼らのことを思い、胸が痛みそうな感じを覚えたが、今生きている自分に、モニタのむこう側の兵士と同じ末路が迫っていることを思いだし、すぐに我にかえった。

 

『敵はどこ!』

 集中しろ。アスカ!

 アスカは心の中でおのれを叱咤した。

 次に見つけた異常は自分がいるこの部屋。ラウンジの内部の映像だった。部屋の隅にある暖炉の周りに血溜まりがあり、中から脚だけがでていた。そこは、すこし身体をずらせば、直接自分の目で確認できる位置だったが、アスカは動けなかった。

 あの暖炉はダミーだ、なかにひとひとりの上半身がはいるスペースなどない。

 あそこに見えている下半身は……。

 下半身だけ……。上半身はどこか別なところにある。

 

 だが、あとふたりか三人はいたはず。どこに消えたの?。

 アスカは慎重に周りを見回した。おそらくここから先は監視カメラの映像に頼らなくても肉眼で見れるはずだ。足が震えてもおかしくない状況の中でも、アスカは冷静に今の自分を分祈した。

『アスカ——』

 耳元でリングフォンを通じてヤマトの囁くような声がした。

 アスカはほっと胸をなでおろした。

 少なくともタケルはまだ生きている。

 アスカは自分を鼓舞するように、声を発して言った。

『タケル、どこにいる……』

「静かに」

 アスカは安堵のあまり、集中を切らせかけたことに自分でも驚いた。

 素直に口をつぐんだ。

 ヤマトは静かに、的確に、そして残酷なことを伝えてきた。

「アスカ、よく聞いて。敵は君の真上にいる」

「真上……って」

 

「天井に張りついている」

 



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第94話 だが遅かった。アスカは敵の顔を、正体を見てしまった

 アスカは自分の血が粟立つのを感じた。これまで経験したことのない恐怖だった。天井に張りついている、という意味が、敵がまともなものではないことを示していた。

「どうすれば……、どうすればいいの?」

 そう訊きながらただの少年が何もできるわけがないと、絶望的な気分も同時に感じていた。武装した精鋭の兵士たちがなすすべもなく殺されたのだ。武器を持たない自分たちにできることなど……ない。

「私が囮になる」

 ふいにレイの声が聞こえた。

「レイ?。どこなの?」

「トレーニングルーム。今、ラウンジ入り口のドアのところにいる」

「じゃあ、はやく逃げなさいよ」

「タケルを助けないといけない」

「あんたぁ、ボカぁ!。どうやって助けるのよ」

「わたし、マルチプル銃を持ってる。それで背後から敵を撃つ。そうしたらふたりとも逃げて」

「ふたりとも……」

 レイが言ったことばの意味を考えて、アスカはゾクリとする事実にいきあたった。 

 つまり、今この部屋のどこかに、タケルがあたしと同じ状態でいるということだ。

 アスカは目だけを動かして、周りに映しだされている監視カメラの映像を見渡し、タケルの姿を探そうとした。心藏はバクバクと脈うっていたが、最大限の冷静を保って、慎重に目を這わせていった。おかげで、見つからなかったふたりの兵士の姿を見つけることができた。ひとりは正面のソファの脇、もうひとりは自分の足元のテーブルの下……。ゆっくりと視線を自分の足元の方へ向ける。 

 自分の足先から数十センチのところに、兵士の頭部が転がっていた。

 彼の頭は無念そうな、本当に悔しそうな表情を浮かべていた。首から下は割れた窓から放り出されたのか、テラスの方に散乱しているのが見えた。

 

 あたしは……

 あたしたちはこうなるわけにはいかない。あと一時間ほどで出撃して亜獣を倒さねばならないのだ。

 

 死んでる余裕などない。

 

「タケル。今どこ?」

 アスカはテレパスラインで思念を飛ばした。インフォグラシズは置き忘れてきてしまったが、通信機器だけでも装着していたのが、せめてもの幸運だ。

「場所は言えない」

 タケルからの返事はそっけないものだった。アスカは凍りつく気分で訊いた。

「な、なんで?」

「アスカ、合図をしたら、すぐにその場所から飛びのいて」

「と、とびのくって……、どこに?」

「テーブルの下をくぐり抜けられるかい?」

 アスカは心の中だけで悪態をついた。テーブル下にはすでに先客がいる。悔しそうな表情をしたあの兵士の頭だ。ヤマトの命令は、そこに飛びこめと、いうことだ。

「いいわ、わかった」

 今はどんな要求も拒否できるだけの選択肢を持ちあわせていない。彼女は現状に合わせる覚悟をした。

 その時、むこう正面、部屋の入口側のドアがふいに開いたかと思うと、いきなり機銃の銃撃音が部屋全体に響いた。アスカがハッとしてそちらに体を向けると、そこに機銃を連射するレイがいた。

「アスカ、今だ。飛びこめ」

 すぐさまアスカはテーブルの下に飛びこむように潜り込んだ。

 まだ固まりきれていない血が胸元にねっとりと付いた。撥ねた血がピピッとアスカの顔に赤い点々を散らす。軽がっていた頭が伸ばした手にあたって、レシーブしそこねたボールのように奥へと跳ね飛んでいく。アスカはつき指の痛みに顔をゆがめた。

「アスカ、こっちだ」

 テーブルの下をかいくぐって立ちあがったアスカを奥からタケルが呼んだ。見るとタケルは兵士のジャケットを着ていた。ソファによりかかるように倒れていた兵士はタケルだった。タケルが兵士を装って機会を伺っていたのだとアスカは悟った。

 

 アスカがタケルの方へ向かおうと足を踏みだそうとした瞬間、うしろに、ドンとなにかが落ちる、いや降りてきた音がした。それに反応したタケルがアスカに銃を向けた。タケルの表情に緊張感を感じとったアスカは、今自分と同じ方向、おそらくうしろにターゲットがいるのだと理解した。つまり、今この瞬間にも自分は先ほどの兵士とおなじ末路を迎えてもおかしくない。ということだ。

 アスカはゆっくりとうしろをふりむいた。

 誰に、いやどんな生物にやられたかもわからずに、死ぬのはごめんだった。

「アスカ、ふりむくな」

 ヤマトのことばが耳をついた。

 

 だが遅かった。アスカは敵の顔を、正体を見てしまった。

 

 そこに兄、リョウマが立っていた。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 アスカはぼう然として立ち尽くしていたが、ヤマトは構わず銃を発射した。

 アスカが敵の正体を見てしまうのを止められなかったのは残念だったが、悔やんでいる時間はなかった。やや側面から撃つことになったが、銃弾は見事に敵の顔をとらえた。そう見えた。

 だが、瞬時に敵は腕の形を盾のように変形させて、着弾を防いでいた。弾丸をはじく強固な盾。ヤマトは目を見張った。その変形し、硬化する腕は先ほど兵士が戦っているときに見ていた。だが、その時は鋭い刃だった。今度は平たく硬化し防御の道具に変形している。

「いくつ変形パターンがあるんだ?」

 ヤマトはもう数発、弾丸を送りこんで叫んだ。

「アスカ!。こっちへ来い!」

 だが、アスカは見動きしなかった。まずは彼女を正気に戻す必要があった。ヤマトはアスカの方へ駆けよると彼女の手をとり力強く引張った。

「アスカ、そいつは兄さんじゃない。君の兄さんに化けた刺客だ。逃げるよ」

 ヤマトに引きずられるようにしてアスカはよろよろと歩きはじめた。

「レイ、援護を頼む」

 アスカの手を引きながら、二階にむかう階段に足をかけてヤマトが言った。

「了解」

 その声が聞こえると同時に背後で、銃撃音が響いた。

 ヤマトにはふりむいている余裕はなかった。レイの渾身の援護射撃も、おそらく数秒程度の足止めにしかなっていないのはわかっていた。

「レイ、そのままゲートの方から出撃レーンにむかってくれ」

「タケルは?」

「アスカと一緒に非常用の通路から、出撃レーンにむかう」

「非常用の通路って?」

「こういう事態を想定して作られた脱出ルートさ」

「大丈夫なの?」

 ヤマトはレイの自分を守るという使命感に、あまりに執着してすぎることに、いらだちを覚えた。

「大丈夫さ?」

「わたし、タケルを守れなくなる」

「構わない」

「今は一人でもパイロットが出撃できる状態にいることのほうが重要だ」

 一瞬、レイが返答に困っているような間ができた。だが、すぐに返事があった。

「わかった」

 レイがやっと納得してくれてヤマトは心底ホッとした。

 ヤマトはアスカの手を握りしめたまま、一気に階段をかけあがった。一瞬、足手まといになるのでは、と危惧したが、アスカはヤマトの駆けあがるスピードについてきていた。 階上まであがりきったところで、ヤマトはアスカの方をふりむいた。

 アスカはショックの色を顔のそこかしこに残していたが、それでもしっかりと前をむいていた。あれが兄であっても、そうでなかったとしても、自分たちの命を狙っている『何か』だということは理解している。そんな顔つきだった。

 レイの援護射撃は階下でまだ続いていたが、さらなる数秒分の目くらましにすぎない。そうヤマトは心得ていた。間髪をおかずにあのリョウマに化けた何者かは必ずこちらに追いついてくるはずだ。

 ヤマトは二階の通路を走りながら、壁のつきあたりにむかって大声で「ヤマトタケル、ゲートオープン!」と叫んだ。すぐさま、ヤマトの声に通路に設置されたセンサーが反応して、一斉に稼動しはじめた。廊下の上部にある各センサーがチカチカとまたたく。

 正面の壁の真中が大きく開きはじめた。

 ヤマトは走るスピードをいっときも緩めることなく、通路の突きあたりの壁に突進した。ヤマトはふりむいてアスカを見た。アスカは隠し扉に当惑しているように見えた。重要な脱出経路をまったく聞かされてなかった、ことに戸惑っているのだろう。

 半分ほど開いた入口へ、体を精いっぱいかがみこんで、ふたりはくぐり抜けた。

「ゲート・クローズ!」

 ヤマトはふりむきもせず叫んだ。呼応したシステムがすぐに扉を閉じはじめた。

 ふりむいて敵がどこまで迫っているか確認する必要はなかった。インフォグランズに映っているカメラの映像で位置は把握していたし、たとえここで振り切れたと思っていても、体の一部を硬化できる化物だ。あの通路入口の壁を破壊して、この通路に必ず侵入してくる。

 

 だから自分たちにできることは、さらに遠くへ逃げ続けることしかない。

 

 



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第95話 レイ、そのままゲートの方から出撃レーンにむかってくれ

 アスカはぼう然として立ち尽くしていたが、ヤマトは構わず銃を発射した。

 アスカが敵の正体を見てしまうのを止められなかったのは残念だったが、悔やんでいる時間はなかった。やや側面から撃つことになったが、銃弾は見事に敵の顔をとらえた。そう見えた。

 だが、瞬時に敵は腕の形を盾のように変形させて、着弾を防いでいた。弾丸をはじく強固な盾。ヤマトは目を見張った。その変形し、硬化する腕は先ほど兵士が戦っているときに見ていた。だが、その時は鋭い刃だった。今度は平たく硬化し防御の道具に変形している。

「いくつ変形パターンがあるんだ?」

 ヤマトはもう数発、弾丸を送りこんで叫んだ。

「アスカ!。こっちへ来い!」

 だが、アスカは見動きしなかった。まずは彼女を正気に戻す必要があった。ヤマトはアスカの方へ駆けよると彼女の手をとり力強く引張った。

「アスカ、そいつは兄さんじゃない。君の兄さんに化けた刺客だ。逃げるよ」

 ヤマトに引きずられるようにしてアスカはよろよろと歩きはじめた。

「レイ、援護を頼む」

 アスカの手を引きながら、二階にむかう階段に足をかけてヤマトが言った。

「了解」

 その声が聞こえると同時に背後で、銃撃音が響いた。

 ヤマトにはふりむいている余裕はなかった。レイの渾身の援護射撃も、おそらく数秒程度の足止めにしかなっていないのはわかっていた。

「レイ、そのままゲートの方から出撃レーンにむかってくれ」

「タケルは?」

「アスカと一緒に非常用の通路から、出撃レーンにむかう」

「非常用の通路って?」

「こういう事態を想定して作られた脱出ルートさ」

「大丈夫なの?」

 ヤマトはレイの自分を守るという使命感に、あまりに執着してすぎることに、いらだちを覚えた。

「大丈夫さ?」

「わたし、タケルを守れなくなる」

「構わない」

「今は一人でもパイロットが出撃できる状態にいることのほうが重要だ」

 一瞬、レイが返答に困っているような間ができた。だが、すぐに返事があった。

「わかった」

 レイがやっと納得してくれてヤマトは心底ホッとした。

 ヤマトはアスカの手を握りしめたまま、一気に階段をかけあがった。一瞬、足手まといになるのでは、と危惧したが、アスカはヤマトの駆けあがるスピードについてきていた。 階上まであがりきったところで、ヤマトはアスカの方をふりむいた。

 アスカはショックの色を顔のそこかしこに残していたが、それでもしっかりと前をむいていた。あれが兄であっても、そうでなかったとしても、自分たちの命を狙っている『何か』だということは理解している。そんな顔つきだった。

 レイの援護射撃は階下でまだ続いていたが、さらなる数秒分の目くらましにすぎない。そうヤマトは心得ていた。間髪をおかずにあのリョウマに化けた何者かは必ずこちらに追いついてくるはずだ。

 ヤマトは二階の通路を走りながら、壁のつきあたりにむかって大声で「ヤマトタケル、ゲートオープン!」と叫んだ。すぐさま、ヤマトの声に通路に設置されたセンサーが反応して、一斉に稼動しはじめた。廊下の上部にある各センサーがチカチカとまたたく。

 正面の壁の真中が大きく開きはじめた。

 ヤマトは走るスピードをいっときも緩めることなく、通路の突きあたりの壁に突進した。ヤマトはふりむいてアスカを見た。アスカは隠し扉に当惑しているように見えた。重要な脱出経路をまったく聞かされてなかった、ことに戸惑っているのだろう。

 半分ほど開いた入口へ、体を精いっぱいかがみこんで、ふたりはくぐり抜けた。

「ゲート・クローズ!」

 ヤマトはふりむきもせず叫んだ。呼応したシステムがすぐに扉を閉じはじめた。

 ふりむいて敵がどこまで迫っているか確認する必要はなかった。インフォグランズに映っているカメラの映像で位置は把握していたし、たとえここで振り切れたと思っていても、体の一部を硬化できる化物だ。あの通路入口の壁を破壊して、この通路に必ず侵入してくる。

 

 だから自分たちにできることは、さらに遠くへ逃げ続けることしかない。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 草薙はエアーバイクのアクセルをやや緩めた。スピードが落ちていく。

 ひと気の少ない別館だったとはいえ、エリアを隔てる隔壁扉が十基近くも行く手を阻んでいたのだから、スムーズに通り抜けられたことに、少なからずホッとした。

 しかし、これからが試練だった。ここまではうまく抜けられたが、本館をくぐると、こんどはドアだけでなく、人が行く手を邪魔してくる可能性が高い。

 草薙は司令部に再確認をいれた。

「司令部、こちらの導線にあたる部署全部に部屋から出ないように通達してもらえた?」「ええ。通達しました」 

 ミライが応答した。

 草薙の予想通りだった。これだけの手際のよさは、副官のヤシナ・ミライの手配によるものだったのだ。このあとも心配なさそうだ。

「草薙大佐、ただ、どうしても連絡が行きとどかなかった人員がいるの」

「それはどこです?」

「食堂。だから食堂は注意して」

 草薙は「了解」とひと言だけ言った。が、あまり猶予はなかった。今走っている通路の角を曲ったところが、まさに食堂だった。正面に左矢印で『食堂』とナビゲーションサインアニメーションが動いている。草薙はテレパスラインの共有モードを使って近くにいる人々に思念で叫んだ。

「本館五階、B5通路、食堂前を、いまからエアーバイクが通り抜ける。そこにいる奴らはみなふせろ」

 出撃時には軍の規約で、テレパスラインは誰にでも伝わるよう共有モードにしておく決まりなっている。厳密に守られているとはいえなかったが、それで半経十メートル内の人々には聞こえていてくれれば、なんとかなるはずだ。

 食堂へ抜けるコーナーにさしかかった。

 草薙がぐっとブレーキを引き絞ると、きゅっとハンドルを曲げてバイクを横倒しにした。

 バイクのスピードが減速される。が、惰性で壁のほうにむかって車体がすべっていく。

 そのまま行けばバイクの横っ腹が壁にぶつかるというところで、草薙は思いっきり、超流動斥力波をふかした。ぐんと車体が前に飛び出す。

 車体は壁ギリギリのところで接触を免れ、左側の通路に方向転換した。

 

 が、草薙が曲芸じみたターンをした、その先の通路には人々があふれていた。

 瞬時に視認できただけでも二〜三十人はいるだろうか。

 誰も伏せている者はいなかった。

 きさまら、軍規違反だぞ、と叫びたかったが、そんな余裕はなかった。

 

 余裕がないのは通路にいた職員たちも一緒だった。通路の角からエアーバイクが飛び込んできたのだ。あわてふためいて、皆反射的にからだを伏せた。

 が、この食堂の通路の天井は思いのほか低く、この大型バイクの車体では、中途半端な中腰でかがみこんでいる者を、ソリのプレート部分でひっかける可能性があった。

 草薙は思いきりハンドルを切ると、ふたたびバイクを横倒しにした。

 ソリのプレート部から発せられる超流動斥力波が、食堂室側の窓に向けられる。

 窓ガラスがパンパンと音をたてて砕け散っていく。

 そのせいで不安定な流動が生じて、バイクの車体がふらふらっと揺れはじめた。

『ちっ。やっかいな』

 草薙はバイクを横になったまま走らせながら、揺れる車体をなんとか安定させようとして、計器類に一瞬目をやった。

 その時、ひときわ大きな男が、ふいに食堂の出入り口から通路のほうへ飛び出してきた。

割れるガラスに、なにごとかと思ったのだろうか。到底回避できない位置で、自分のほうに飛んでくるエアーバイクに驚き、通路の真ん中で立ち尽くしていた。

『こんの、バカがぁがぁ』

 草薙がハンドルを大きく右に切った。バイクを45度さらに傾ける。バイクの車体は逆さまの状態になり、天井にソリのプレート部分が軽く接触する。

 通路で棒立ちになっている大男の顔のすぐそばを、逆さまになった状態の草薙の顔がすり抜けた。もう十数センチずれたら『死のキッス』をする間一髪のタイミングだった。

『あぶない……』

 草薙はさきほどのシミュレーションエリアに続いて、こんなところでもサーカスじみた運転を強いられるとは思わなかった。

 本当はすぐにでも戻って、一発殴ってでもやりたいところだった。

 

 残念ながら今はそんな暇はない。

 



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第96話 あぁ、二十二世紀のアナクロ技術だ。でも今はこれがボクらの命綱だ

 襲撃者からの攻撃を逃れて、可変する入り口をくぐり抜けた先に通路が続いていた。

 通路は足元がやっとわかる程度の照明のせいで薄暗い上、通路内はなにか腐食しているような臭いがこもっていた。

 アスカはおもわず顔をしかめた。

 今まで嗅いだことのない臭い。あらゆるものが徹底的に無菌化され、衛生的で無臭なことがあたりまえとされているこの時代で、このような刺激臭は衝撃ですらあった。通常の生活をしていて出会う機会などめったにない。

 アスカは目をこらして通路の奥の方をのぞき見た。だが暗すぎて、この通路がどこまで続いているのか、どういう形状をしているのか、わからなかった。インフォグラシズを装着し損ねたことが悔まれる。暗視モードが使えれば、なんの苦もなく遠くまで見ることができたはずだ。

「行くよ」

 ヤマトが握りしめていた手をひっぱって、アスカに先を急ぐように促してきた。アスカはその手から目が離せなかった。せっかく非難通路に逃げ込んだというのに、ヤマトの手からは緊張感が解けていない。まだ、安心していいわけではないのだろうか。

 アスカはヤマトに促されるまま、歩きだした。まだ息があがっていたせいもあって、ヤマトも無理にスピードを速めようとはしなかった。

 百メートルほど奥まで進んだところで、「ガコーン」とくぐもった音が通路内に響いた。

 さきほど抜けてきた入り口のほうからだった。

 アスカは思わずうしろを振りむいた。

 もしかして、あのぶ厚い壁を破壊しようとしている……。

 おそろしい想像だった。

 ヤマトとレイが挟みうちにして、あれだけの銃弾を浴びせかけたのだ。どんな生物であっても絶命するか、深手を負うはずだ。だが、もしそれをものともせず、まだ自分たちを追ってきているとしたら、あれは兄、リョウマ……どころのものではない。

 すでに生物と呼べるものなのだろうか……。

 

 アスカはヤマトに声をかけた。

「タケル、どこまで行くつもり?」

「このまま出撃レーンまで向う」

「出撃レーン?。このフロアの五階も上じゃない。どうやっていくつもり?」

「あれを使う」

 ヤマトは通路の前方を指さした。アスカが目をむけると、十メートルほど奥に何やらゲートが(しつ)らえられているのが見えた。アスカにはその距離でも暗くて見えなかった。

「あれってなによ?」

「超電動リニアリフト」

「冗談でしょお。そんな大昔の動力って……」

「あぁ、二十二世紀のアナクロ技術だ」

 ヤマトが見あげた先には、通路の天井に沿って敷設されたレールが、奥の方まで続いていた。レールは均等に四列、そこからはつり革に似たハンドルがぶら下がっている。

 ヤマトはそのハンドルの下にあるテーブルに歩み寄った。テーブルには大仰な装飾がほどこされた幅広のベルトが置かれていた。ヤマトは無雑作にその中のひとつをひっ掴むとアスカに手渡しながら言った。

「でも今はそれでも、これがボクらの命綱だ」

 ベルトは埃まみれでわずかばかりべたついていた。

「なによぉ、これ、なんかベタベタする」

「我慢して、腰に巻いて」

 そう言いながら、ヤマトが馴れた手つきでベルトを巻きながら「このベルトが床の電磁石と反発して、からだを浮遊させるんだ」と言った。 

 アスカは一瞬、苛立ちを感じたが素直に従うことにした。今まさに敵が、明らかにリョウマではない何かが、襲いかかってくるかもしれないのだ。だが、ベルトを腰に回した時、

バックルの留め具の部分が、今まで目にしたこともない作りであることに気づいた。

 思わず手がとまった。

 これ何よぉ?。自動で装着できないの?。

 バックル部分からとびだしている二本の爪をいくつもあいている穴に通すことで固定するのだと想像できたが、それをどうしていいのかわらなかった。隣をみるとヤマトは、すでに腰にベルトを装着し終えて、スイッチを入れたところだった。スイッチが入るとすぐに、ヤマトの腰がぐっと持ちあがり、体が浮びあがった。ヤマトが天井からぶらさがっているハンドルに手をかける。

「アスカ、急いで」

 アスカはヤマトにそう言われることがわかっていたが、この前時代的な造りのベルトをうまく着けられず苛立っていた。アスカは手助けを求めるように、ヤマトの方を見た。

 ヤマトがふいに背後をふりかえった。

 そのしぐさに驚いたアスカは、思わず手からベルトがすべり落としてしまった。通路内にガタンという鋭い金属音が響く。

 インフォグランズを身につけているヤマトはこの暗がりの中でも、通路内の様子が見えているはずだ。その視線の先に何があるかわからなかったが、ヤマトの神経をとぎすませるような態度からはただならないことが迫っていると感じさせた。

「ごめんなさい」

 アスカはひと言詫びると、ベルトを拾いあげようとかがみこんで、手をのばした。その時、自分のからだの上に、何か大きな影がおおいかぶさっていることに気づいた。

 

 屈みこんだ自分の足元のうしろのほうに、誰かの足があることも。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 いつのまにか、ベルトをつまみあげた手が震えて、カチャカチャとベルトが音をたてていた。 

 背後の影が動いた。

 なにか金属のようなものにかすかな灯りが反射して、光がひらめいてみえた。

 何か鋭利なものがそこにかざされようとしているような……。

 その瞬間、アスカは腰に手を回され、自分の体が上へ持ちあげられるのを感じた。それと同時にアスカの体はものすごい力で、前へはじきだされていた。タケルが左腕でアスカの体を抱えて、リニアリフトを動作させていた。

 二人は宙に浮いたまま、あっという間に十メートルも前に移動していた。すでにかなたに離れた、先ほどまで居た場所から「ガツン」という鈍い音が聞こえてきた。

「アスカ、ボクの体にしがみついて」

 ヤマトが苦しげな表情で言った。リニアベルトをして宙に浮いているが、片手だけでひとりの人間を抱えつづけるのには無理があるのだろう。アスカはすこしだけためらってから、タケルの首に手を回して抱きついた。

「へんなとこ触らないでよ!」

 アスカは左手だけでお姫さま抱っこされているのが、すこし恥ずかしかったので、タケルから顔をそむけながら言った。タケルはアスカの体をぐっと力をこめて自分のほうに引き寄せながら、「残念。そんな余裕はないみたい」と言った。

 先ほどうしろで聞こえた鈍い音は命の音だと、アスカはわかっていた。

 あたしの命が助かった音。

 もしタケルが一瞬でも自分を引きあげるのが遅れていたら。

 リニアリフトのスピードは先ほどより加速していた。時速まではわからなかったが、人間ではとうてい追いつけないスピードなのは間違いなかった。

 そう、人間では……。

 アスカは間近で見るタケルの表情が、安堵や余裕とは程遠い切迫感で歪んでいるのを見てとった。これほどの猛スピードで疾走していても、まだ気を緩めてはならない、ということなのだ。

 ふいに、うしろのほうでカサカサという音が聞こえた。今まで生きてきた中でかけねなしに一番の耳触りな音。ゾワッと総毛立つ。

「アスカ、うしろに向けて銃を撃てるか?」

 ヤマトが右肩にひっかけていた銃を目で指し示しながら訊いた。ヤマトの顔には余裕があるようには見えなかった。

「撃てばいいの?」

「あぁ、頼む、一発でいい」

 ヤマトの左腕で支えられているアスカが、彼の右肩に下がっている銃を撃つためには、かなり無理な姿勢をとらねばならないことが、すぐにわかった。

 アスカはヤマトの左側から正面へからだをずらすと、ヤマトのからだに両足を絡ませ、ぎゅっと挟み込んで位置を固定した。ヤマトの首にまわしていた手を、片手から両手に変え、真っ正面からべったりと抱きついて、からだを密着させた。

 まるでヤマトを正面から抱っこしているようなポーズ。アスカの豊満な胸がちょうどヤマトの顔を埋めるような位置になる。ヤマトは苦しそうにすこし顔を反らした。ヤマトは左腕をアスカのお尻の下にまわすと、アスカのからだをぎゅっとひきあげた。アスカはちょっと恥ずかしかったが、ヤマトの目がすぐに行動に移すよう促しているのに気づいて、ヤマトのからだにむしゃぶりついたまま、彼の背中のうしろに手をまわして、銃をもちあげた。

「あたし、見えない。どこにむけて撃てばいい?」

「どこでもいい。一発撃てばわかる」

 言われるまま、アスカは引き鉄をひいた。

 パンと乾いた音がして、火花が散った。

 数メートル先に四本足の生き物が天井を這いながら、迫っている姿が一瞬、見えた。

「もう一発。狙って!」

 アスカはすぐさま、先ほどその生き物が這っていた天井にむかって、もう一発放った。弾丸が命中したのか、散った火花に照らされて、その生き物が床に落ちていくのが見えた。

「あたった。あたったわ、タケル」

「とりあえずは、上出来だ」

「もういい?」

 アスカは訊いた。ヤマトに正面から抱きついたままなのが、さすがに恥ずかしくなってきた。ヤマトがこくりとうなずいたので、アスカは先ほどまでのお姫さま抱っこの状態に戻ることにした。

 そのまま、ふたりは数十メートルのあいだ、なにもことばを交わさなかった。が、長い一本道が終わり、直角に曲がる通路の角が見えてくると、タケルがいきなり叫んだ。

「草薙大佐。今どこ!」

「なによ。タケル、耳元で大声あげないで」

 あまりに唐突な叫び声に驚いたアスカは、つい反射的にタケルに文句を言った。

「今、祭壇を降下中よ」

 草薙の返答は事実を伝えるだけの淡白なものだったが、アスカには妙に心強く感じられた。

「大佐、急いで!」

「了解」

 アスカは今の会話が、安心して良い話なのか、それとも正念場をむかえようとしているのかさえわからず不安が募った。

「ねぇ、いまの……」

 アスカがタケルに尋ねかけたが、それをタケルが遮った。

 

「アスカ、今から縦穴を昇るルートに入る。絶対にボクの体から手をはなさないで!」

 



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第97話 アスカ!、おっぱいが邪魔よ

 ヤマトの必死の視線がすぐ目の前にあった。すこし横揺れしたら頬と頬が触れそうなほどの距離。こんな非常事態なのに、顔を赤らめそうになる自分がいることに気づいた。

「な、なによぉ。だからどうなるの?」

「数十メートル垂直にあがっていくから、強烈なGがかかる」

「絶対にボクの体から手をはなさないで」

「こっちも命がかかってるの。嫌でしかたないけど、手だけははなさないわよ」

 アスカがそう言い放ったとたん、ガクンと体がゆれ、体が上へと上昇しはじめた。

 天井からぶら下っていたハンドルは、そのまま今度は壁から横にとびだしている状態へと変った。天井だった部分が壁に変わると、二人の背中がべたっと壁にくっついた。上昇と同時に背中が壁をこすりはじめる。縦穴はまるでちょっと大きめのダクトとしか思えないほど狭く、通路とは比較にならないほど暗かった。ナイトアイ機能の装置を装着していないアスカには、まったく何も見えなくなった。

 自重がズンとかかり、体がずり落ちそうになる。アスカがタケルの首に回した腕に、力をこめた。

「しっかり掴んで!」

「だぁからぁ、本当は嫌だけど、しっかり掴んでいるわよ」

 そう悪態をついたが、ちょっとばつが悪くなって下方に目をそらした。すでに十メートル以上も上昇していた。

 その時、縦穴の下方に何かがいるのが見えた。

 下方の通路から漏れでている淡い光を、何かが入口に張りついて塞いでいる。

「タケル、あいつが、下にいる」

「わかってる」

 その何かは狂ったようなスピードで、この縦穴を這い登ってきていることが、影の大きさの変化でわかった。

「タケル、追いつかれる」

「わかってる」

 その声色には焦りのようなものがにじんで聞こえた。

 その時、草薙大佐の声が耳をうった。

 

「アスカ!、おっぱいが邪魔!」

 

 アスカには何を言っているのかわからなかった。

「タケル、アスカのおっぱいが邪魔よ。何とかして」

「草薙大佐、無理を言わないで」

 アスカは混乱をした。この二人がこの非常時に戯れ言をかわしている神経が、理解できなかった。

「タケル、あなたが、アスカのおっぱいをひっこめて!」

「わかった!」

 タケルがやむなくといった口調で承諾した。

 アスカは下をのぞき見た。そこにはすでに通路から漏れでる光はなかった。

 光が届かないほど上昇した?。

 いや、ちがう。自分の真下に、そうすぐ足元に、あいつがいる。

 あいつが、この縦穴いっぱいに体を広げて、這いあがってきているのだ。アスカは目をすがめて見たが、どれくらい近くにいるのかわからなかった。

 アスカは見えないことに恐怖し、悲鳴をあげそうになった。

「アスカ、手を放すよ」

 タケルはそう言うなり、アスカの腰に回していた手をはなした。腰へのサポートをうしなって、アスカの腕に一気に自重がのしかかってきた。からだがだらんと伸び、下に落ちそうになる。タケルは、そんな無防備の状態のアスカの背中側から手を伸ばして、アスカの乳房をぐっと鷲掴みにした。

 アスカは反射的に叫んでいた。

「何するのよ!」

 

 その瞬間、目の前を何かが猛スピードで落ちていった。文字通り、目と鼻の先をかすめて、大きな何かが下へ通り抜けていったのだ。

 アスカがすぐさま下に目を向ける。そこにわずかな光が見えた。

 光の中でかいま見えたのは、エアーバイクもろとも追手に突撃した草薙大佐の姿だった。

「二人とも早く出撃レーン……!」

 草薙大佐の声は、すぐ真下からから突き上げくるような、衝激音と振動にかき消されて聞こえなくなった。

 アスカはあまりの事態の急変に、呆然として、ダクトの下の方を見つめていた。

「アスカ、草薙大佐は大丈夫だ。心配しなくていい」

 ヤマトにそう耳元で言われて、アスカは我にかえった。

 とたんに何が焼け焦げたような臭いが鼻をついて、思わずアスカは顔をしかめた。

「アスカ、もうすぐ頂上だ。また向きが変わる」

 ヤマトの手はアスカの乳房をぎゅっと押し潰したままだったが、アスカはその手からぶすぶすと煙があがっているのに気づいた。服の上腕部分が溶けていて、そこから嫌な臭いがしているのがわかった。服がこそぎ取られてなくなった部分からは、上腕部が露出していた。すり傷と軽いやけどで血が滲んでいる。先ほど草薙大佐のバイクとすれ違ったときに負った怪我。

 アスカはヤマトの腕のキズに、そっと指を這わせるとやさしく囁いた。

 

「あんたぁ……。ばかぁ……」



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第98話 最悪、ひとりで戦うことになるのかもしれない

 レイはてのひらにじっとりと汗がにじむのを感じた。

 すでにセラ・サターンに乗り込み、亜獣出現予定場所のツインタワー付近でスタンバイをしていた。住人たちはすでに避難済で、部屋や通路等に電灯はついてはいたが、ひとっこ一人いないゴーストタウンと化していた。

 なにひとつ息吹を感じない街中に、今、ひとりレイだけが居るのだ。その場所から数百メートル離れた場所には、日本国防軍の兵士たちが、夜陰に身を潜めてその時間がくるのを待っている。

 レイは不安だった。

 孤独だからなのではない、ヤマトがどうなったのか、さきほどから誰も教えてくれないので、不安で仕方がなかった。不安で汗が吹きだすのをとめられない。

『タケルはどうなったの?』

 レイは司令部に尋ねた。これでもう何度目だろう。

「レイ、ごめんね。まだ報告がきてない。わからないの」

 ヤシナ・ミライ副司令官がモニタのむこうから、おざなりの返事をよこした。レイはかるいため息をついた。あと一時間もすれば戦闘がはじまる、というのに、ずっとおなじ返事ばかり。

 最悪、ひとりで戦うことになるのかもしれない。

 それはそれで仕方がない。

 だが、その時は日本国防軍との連携だの言っている場合ではなくなる。確実に倒せるのはこのデミリアン『セラ・サターン』しかいないのだから。

 レイは、先ほどからずっと気になって仕方がないことがあったので、モニタ越しに司令室本部の様子を見ながら、ミライに訊いた。

「司令室から、人がどんどん少なくなってるけど、みんなどこに行ったの?」

 

  ------------------------------------------------------------

 

 ヤマトはアスカの手をひきながら、階段を駆け上がっていた。

 リニア・リフトのレールは、階段の手前百メートルで終了していたため、そこから自分の足で走ってきた。浮遊して運ばれるのも便利だったが、ヤマトは足が地面についている状態のほうが安心できた。

 幾重にもつづら折りになった階段をあがっていくと、上から射し込む光が徐々に強さを増してきているのがわかった。出口が近い。アスカのほうをみると、彼女も出口が近いことを予感して、表情が晴れやかになってきていた。

 ふたりが出口から外へでてみると、そこは教会の祭壇脇にある地下への階段だった。

 ヤマトは、思わず教会をぐるりと見回した。

 今まで興味がなかったので、出撃レーン間近に併設されていたにもかかわらず、一回も足を踏みいれたことがなかったので、これだけ立派な施設だとは知らなかった。

「へぇ、ここ、あの時の教会なんだ」

 アスカが手でひさしを作りながら、教会の天井を見あげていた。先ほどまでほとんど光のない穴蔵のような場所を走り回っていたので、天井から降り注ぐシャンデリアの光は、相当にまぶしいようだった。

 だが今こうやってピンチを脱して、たどりついたこの教会をあらためて見てみると、意外にも本格的な造りであることがわかった。窓に貼られたステンドグラスや正面のキリスト像は投射されたり、ホログラフで再現されたような疑似的なものでなく、本物であることは素人目にもすぐにわかった。

 祭壇の前に左右にわかれて並んでいる長椅子も、どこかしら雰囲気を感じさせるアンティーク調で、教会の装厳なたたずまいを演出する役割を担っていた。ヤマトは本物の教会を見たことがなかったが、これで信者が納得しないなどと言うことはないだろうと感じた。

 ヤマトが天井の装麗なデザインに目を奪われていると、教会の入口の方から声をかけられた。

「ヤマト、カオリ!」

 聞きおぼえのある声はリンのものだった。

「メイ、メイなの?」

 ヤマトよりも先にアスカが反応したのは、当然と言えば当然だった。アスカはリンの顔を見るなり、頼をゆるめた。ほんの少し前には命の危機すらあったのだ。並の神経なら、その場にへたりこんで動けなくなってもおかしくはない。リンが教会のなかに入ってくるるころには、そのすぐうしろからブライトやミライたちも姿をみせていた。

 ブライトはヤマトの顔を見るなり、「ヤマト、もうあまり時間がない。急いで搭乗の準備を」と事務的に言った。

 ヤマトは心の奥で嘆息した。あいかわらずブライトらしい。こちらの安否を尋ねるでもなく、命がけの脱出劇をねぎらうでもない。

「大丈夫ですよ。まだ余裕があり……」

 

 その時、背後で強烈な爆破音が轟いて、ヤマトたちの上に木っ端とほこりが石つぶてのように飛んできた。思わず顔を覆ったが、小さな木っ端の直撃を免れきれず、額や頬に小さな傷を負った。切れたキズからじわっと血がにじむ。

 ヤマトが傷口を指でぬぐいながら祭壇のうしろに目をむけると、舞いあがるほこりの中に何かがいた。

 

 リョウマだった。

 

 

------------------------------------------------------------

 

「まずい」

 ヤマトはアスカのほうに駆けよった。アスカの目はすでにリョウマにくぎづけになっていた。ぼう然とした面持ち。ショックのせいなのだろうか唇がわなないている。

「アスカ、あれはリョウマじゃない」

 ヤマトはことさら力強い口調でアスカを正気に戻そうとした。しかし、司令室の面々も大きな衝激を受けていることに気づかなかった。

「リョウマ君なの?」

 春日リンが思わず漏らした。ヤマトは顔をしかめた。せっかく疑念を払拭したというのに、リンのことばが間違った事実を追認しようとしている。

「リンさん、ちがいます。あれはリョウマに化けているだけです」

 リョウマがどーんと人間離れをしたジャンプをして祭壇をとびこえた。

 ヤマトとアスカの前に立ちふさがった。

 この間合。リョウマが腕を刃物に変化させて一閃しさえすれば、ひとたまりもなく、ふたりとも消し飛ぶ。そんな近さだった。

「アスカ……」

 リョウマがふいにアスカの名前を呼んだ。ヤマトは顔を見るまでもなく、アスカがハッとしたのがわかった。ヤマトはすっとブライトたちの方の視線をむけた。誰かしら武器を携帯しているのなら、このリョウマに化けたヤツを撃ってほしいと願った。だが、ブライトたちは目の前で起きている、不可解な現象に呑まれて身動きできずにいた。

「ヤマトタケル」

 リョウマがヤマトの名を口にした。ヤマトは動じることはなかった。彼は、いや、目の前にいるコイツは、ヤマトタケルを殺しにきたのだ。名前を口にして当然だ。

 だがリョウマは予想もしないことばを続けた。

「ぼくも知ってしまった……」

「知りたくもないのに……、ヤツに……、頭の中に……、ねじこまれた……」

 そのことばに、ヤマトは鼓動が高まるのを感じた。ごくりと唾をのみこんだ。本能的にこれはとてもやっかいな状況になりそうなことがわかった。

「君はリョウマじゃない」

 ヤマトは明瞭に否定した。もしこのあとに続くことばがあったとしても、何者かの戯言に過ぎないと印象づけたかった。

「あれは……、人間が知ってはいけない、踏みこんではならないことだ……った」

「そうだろ。タケル」

 その言葉づかい、声色、表情はまさにリョウマだった。

「おまえはリョウマじゃない」

 もう一度鋭い口調で否定すると、ヤマトは祭壇の上に置かれた燭台に手を伸ばし、リョウマにむかって投げつけた。リョウマの腕が一瞬にして硬化し、鋭利な刃物へと変化し、投げつけられた燭台をまっぷたつにした。

 

「ほら、おまえはリョウマじゃない」

 

 ヤマトはそこにいる化物の正体を晒してみせ、どうだという表情をブライトたちのほうに向けた。

 だがブライトの表情はヤマトが期待したものとは違っていた。

 恐怖、驚愕、落胆、それらのうちのどれか、もしくはそれと同等のネガティブな感情がそこにあるべきだった。だがそこにあったのは、まったく逆の反応だった。ブライトの頼はいくぶん紅潮し、目は期待と希望にぎらぎらと輝いているように見えた。

「リョウマ、ブライト司令官だ。わかるか」

 ブライトが数歩よろよろと前に歩みでた。それでもこちらとは十メートル以上離れている。やさしげに声はかけているが、信用はしていないのだろう。だが、思わず前のめりになってしまっているのも事実だ。

 ヤマトは急いで否定する必要があった。

「ブライトさん。あいつはリョウマじゃない!」

 だが、リョウマに化けた化物は、リョウマの実直そうな笑顔をつくって言った。

「やあ、ブライト司令」

 ブライトはにこりと笑いを見せると、もう数歩だけ歩を進めた。

「リョウマ、教えてくれないか?。君が知ってしまったこととは何だ?」

「人間が知ってはならない真実だよ。ブライト司令」

 ヤマトはブライトの口元があからさまにほころぶのがわかった。

「もしかしたら、それは『四解文書』と関係があるのか」

 リョウマの目が急にうつろに沈んだようなものに変わった。落胆したのか、おびえているのかからない。

「教えてくれないか、それを」

「教え……られない」

「なぜだ。君ひとりで抱えきれない内容なら、私に、いや、私たちでわかちあおう。きっと心の重しが軽くなるはずだ」

 

「だめだ。知りたいと、知っていいは、同義語ではない」

 



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第99話 アスカはもうダメだ。間にあわん

「あぁ……、ああ……、そうだね」

 ブライトがたまらず、もう数歩、足を進めた。興奮しているというより、すでに何かに酔っているような目。

 ヤマトはブライトのうしろで事態を見ている他のクルーたちの様子にちらりに目をやった。アイダ李子は冷静な視線で、リョウマの状態をあくまでも客観的に分析しているように見えた。人間ではないものの精神分析ができるわけがないのだから、本当にそうしているとしたら、これはもう職業病なのかもしれない。

 だが、エドやアルよりはましだった。エドはいつものように、どう対処していいかわからずメガネをいじくり回しているし、アルは何かあった時のためいつでも飛びかかれるように身構えている。だが、手に持つ武器が整備用の工具だということに気づいていない。まったく頼もしいかぎりだ。ヤマトは心の中で毒づいた。

 春日リンは冷静な視線で、事態をあくまでも客観的に分析しているように見えた。が、表情ひとつ変えず立ちつくしているように見えながら、指先を小刻みに震わせている。おそらく思念で関係各部署に援護要請や指示をとびしているのだろう。知らず知らず指が網膜に映っているメニューを操作しているに違いない。

 ヤマトは、自分の背中にしがみついているアスカの様子をインフォグラシズを通して確認した。教会の入口、リンたちのうしろの方から祭壇を映しているカメラが、自分たちを真横からとらえていた。映像をズームしてアスカの表情を追う。アスカはリョウマを睨みつけていた。その下にどんな感情をおし隠しているかまではわからなかったが、目を離さないことで、彼女なりに現実と対峙していた。

「なぁ、リョウマ、そんなに一人で苦しむ必要はない。私たちにも背負わせてくれないか

 ブライトがことさら憐れな様子を強調した口調で言った。

 ヤマトは焦りを感じている自分に気づいた。このことはどんなことがあっても公になってはならないことなのだ。自分が、いや自分たち歴代のエースパイロットが、精神を病むほどの苦しみを背負い、気が遠くなるほどの犠牲をはらって、守り通してきた秘密なのだ。

 リョウマが口を開いた。

「ぼくはプルートゥと一体化してすべてのことを知った。彼らがいた世界とぼくらたちの世界との関わり……」

「教えられたり、伝え聞いたんじゃない。彼とのつながりが深くなっていくうち、いつの間にか知っていたんだ」

 そこまで言って、リョウマはふいに黙りこんだ。 

 ブライトは苛立つ感情を押し殺すように、ゆっくり噛んでふくむように言った。

「なにを……、なにを知ってしまったんだ」

「なにもかも……」

「リョウマ、言うんじゃない」

 ヤマトが押し殺した声で、リョウマに圧力をかけたが、リョウマは続けた。

「彼らが、デミリアンがなにものかを知った。なぜ亜獣があらわれるのかを知った。ヤツラが本当はどこから来るのかを知った」

 リョウマが悔しそうに顔をゆがめた。

「本当に知りたくなかった」

「だって、彼らは、ぼくらがデミリアンと呼んでいるものは……」

「リョウマ!!、言うな!!」

 ヤマトは今まで出したことのないほどの大声でリョウマを制した。

 リョウマはヤマトの方へ目をむけた。

「タケル、キミは、すべて知ってるんだろ」

「あぁ、残念だけど、全部知っている。だから君はそのことを口外しちゃいけない」

「キミは……、キミは、なぜ泣き叫ばずにいられる。なぜ絶望せずにいられる。なぜ気が狂わずにいられる!」

 ヤマトはリョウマの目をぐっとにらみつけた。

「ぼくには絶望することは許されてない……。もし、ぼくが絶望したら……」

「人類が滅亡する」

 リョウマが自嘲するように口元をゆるめた。

「タケル、まったくその通りだ。君が絶望したら、人類は終わるかもしれない」

「でも、ぼくには君が、いっぱいの狂気で、正気を保っているように見えるよ」

 ヤマトは苦笑した。

「リョウマ……。いや、君はおそらくリョウマの意識とつながった素体のようなものなんだろうけど……」

「ぼくの気持ちを代弁してくれて……嬉しかったよ」

「揺るぎないな、キミは。今までキミはそれを一人で抱えていたんだね」

「あぁ、その通りさ。そしてこれからも一人で抱えていく」

「さよなら、リョウマ」

 ヤマトはくるりとリョウマに背中をむけると、うしろにいたアスカの体を抱きかかえて、リョウマから離れるように空中に飛んだ。

 

 その瞬間、リョウマが炎につつまれた。

 

 

------------------------------------------------------------

 リョウマが炎につつまれた瞬間に、ブライトは大声で叫んでいた。

 自分でも意識していない狂気が入り交じったような悲鳴。

 目の前で自分の希望が燃えていく。手に入れかけた「力」が「夢」が「将来」が灰になっていこうとしている。

 ブライトは前につんのめりながらリョウマに走り寄ると、ジャケットを脱いで、その火を煽いで消そうとした。が、目の前でのたうち回っているのは、すでにリョウマではなかった。炎に苦しむあまり、本来の姿にもどっていたそれは、見たこともない女性とも男性ともつかない人物だった。火をふりはらおうとするあまり、その手を大きな羽のようなものに変形させて、ばたつかせている人間大の鳥のような生物にすぎなかった。

 だが、そんな姿になっても、まだ情報は聞きだせるはずだ。

 ブライトはジャケットを押しつけようと近づいた。が、横からだれかにぶつかられて、勢いよくうしろにひっくり返った。ふいをつかれて倒れたブライトは、自分にぶつかってきた人物を見あげた。

 草薙素子だった。

 黒くすすけた顔には、頬や額にキズを負い、その右肩口が赤く染まっていて、その手に握られたマルチプル銃の先からは、炎があがっていた。

 ブライトはぼう然として、その姿を見た。

 草薙大佐がマルチプル銃をその場に荒っぽく投げ捨てると、腰から銃をひきぬいて構えた。

 ブライトは大声で「やめろ!」と叫んだが、間に合わなかった。

 

 草薙は瞬時に六発の弾丸を放っていた。

 ブライトにはそれが全弾命中したのがわかった。彼女が至近距離で一発でもはずすことを、自分に許すわけがない。

 一瞬ののち、リョウマが頭と胸から血を吹きだして崩れおちた。

 草薙がゆっくりと近づいていく。

 すでに炎は消え、くすぶるだけになっていたが、まだ銃を構えたままで、警戒を解こうとはしない。

「草薙大佐!。なぜ撃った」

 ブライトは大声で怒鳴りながら立ちあがると、死体を牽制している草薙の元に近づいた、

草薙は構えていた銃を、胸元のほうにひいた。

「なぜ撃った、とは?」

「君はなにをしたのか、わかっているのか」

「はい。ヤマトタケルの命を救いました」

 よどみなくそう答えた草薙に、自分のなかの落胆や怒りをどう発露していいかわからず、。ブライトは大声を出していた。

「ちがう!」

「君は今、『四解文書(しかいもんじょ)』の秘密が解明されようとした瞬間をぶちこわしたんだ」

「それが何か?」

 

「ふざけるな。『四解文書』の解明は国連軍の最優先事項だろうが!」

 

 草薙は怪訝そうなまなざしでブライトを見た。

「私の任務は、ヤマトタケルを命がけで守ることです。それ以外はありません。先ほど、あなたはわたしをそのことで責められましたよね」

 ブライトは二の句が告げなかった。奥歯をぐっと噛みしめた。噛みしめていなければ、この場で狂ったような咆哮をあげてしまいそうだった。

 その様子をみて、草雉はブライトからそれ以上の言葉はないと判断したのだろう。くるりと踵を返すと、床に座りこんだままのヤマトのほうへむかい「大丈夫?」と声をかけた。

「大佐、助かったよ」とヤマトが答えた。

 ブライトはその心から安堵したようなヤマトの横顔をみて、ふたたび苛立ちをつのらせた。その『助かった』には、文字通り命が助かった。ことよりも、四解文書の内容がばれなくて助かった、という意味の方が大きいはずだ。

 もうすこしで、あともうちょっとで、世界中の誰もが手に入れたがっている究極の「切り札」を手中にできたかもしれないと思うと、残念や悔しいというありきたりの表現では、自分を納得させられないなにかが胸にわだかまって仕方がなかった。

 ブライトはふと、頭の中でリマインダーのアラート音が鳴っていることに気づいて、我にかえった。網膜デバイスに出撃時間がさし迫っていることが表示されていた。 

 ブライトは嘆息した。

 気持ちはおさまらなかったが目の前にやらねばならないことがさし迫っている。

 ブライトはヤマトとアスカに出撃準備にはいるように命令しようとしたが、ヤマトがアスカに呼びかける声にはっとした。

 ブライトが声の方に目をむけると、祭壇のヘリにしがみついて、ガタガタと震えているアスカの姿があった。顔色は青白く、目が細かく動き、視線はそこかしこに飛んでいた。おそらくあらゆるところを見ているが何も目にはいっていない目つきだ。体は床にへたりこんだまま、小刻みに震え、まともに動けるどころか、一人で立ちあがることさえ困難なように思えた。

 ブライトは、まだわずかに煙がくすぶっている、リョウマだったものの死体に目をやった。アスカの異変は、これが原因なのはすぐにわかった。

 たったいま、自分の兄が炎に包まれたうえ、射殺されたのだ。

 

 それをいくら違うと否定しても、アスカにとっては、それが目の前で起きたことなのだ。

 

 残念だがアスカはもう使いものにならない、とブライトは判断した。

 

 

------------------------------------------------------------

「アスカ!。アスカ、しっかりしろ」

 ヤマトは叫び声をあげ続けるアスカの肩を掴んで、アスカの名前を何度も呼びながら大きく前後に揺さぶった。

 とてつもない衝撃をうけてショック状態の人間に、さらに刺激を与えることは、さらに事態を悪化させる可能性があった。だが、正気を取り戻させるのにほかに方法が浮かばない。だが、アスカは引き攣れた悲鳴をとめようとはしなかった。目はうつろになり、からだはガタガタと小刻みに痙攣していた。

 アスカのかん高い悲鳴が教会内に反響し続ける。

 ヤマトはアスカに呼びかける声をさらに大きくした。

「戻ってこい、アスカ。あれは、あいつは、君の兄さんのリョウマじゃない」

 そう言いながらアスカの顔にとびちった血の飛沫を指でぬぐった。

「アスカ、目を覚ませ。今から出撃するんだ。そうだろ!」

 それをうしろでみていたブライトは、目の前にモニタ画面を呼びだすと、司令室で待機しているミライにむかって言った。

「現時点をもって、リュウ・アスカをパイロットから解任。本日の作戦はヤマト・タケル、レイ・オールマン、両名だけでおこなう」

「ミライ、作戦プランDに変更だ。国防軍のシン・フィールズ中将に連絡を」

「ちょっと待って下さい」

 ヤマトが背後から大きな声で異議を唱えた。

「アスカはもうダメだ。間にあわん」

「ぼくが間に合わせてみせる」

「無理よ。あきらめなさい」

 ブライトに追随するようにリンも言った。

「すまねーな、タケル。もう時間がねぇ。今回はおまえとレイだけで行くしかない」

 アルまでもがつっけんどんな反応だった。

「あきらめるわけにはいかない」

 ヤマトは力強く宣言した。

 ヤマトは両方の手のひらで、やさしくアスカの頬を包み込むと、ゆっくりと顔を近づけ、彼女の目をのぞきこんだ。その目の奥にまだ希望の光があるのを、すくいとろうとでもするようなしぐさだった。

 ヤマトはアスカの顔から手を放すと、アスカの左手首をつかんだ。そして、その手を思いっきりヤマト自身の右頬にむけて、打ちつけた。

 パーンと乾いた音が教会に響く。教会にいるブライトやリンたちが思わず目をむけるほど大きな音だった。

 だが、その一発でアスカの叫び声が消えた。

 きょとんとしたような目つきでヤマトを見つめている。

「ごめんね。痛かっただろ、アスカ」

 アスカが頭を横にふった。

「ううん……。だって、叩いたの、あたし……」

「でも、アスカ、君の手……、真っ赤だ」

 そう指摘されて、アスカはヤマトを叩いた自分の手に目をむけた。てのひらがすこし赤くなっていた。じんじんと手が痺れているのに気づいた。

「あ、本当だ……。痛い……」

「だから……、ごめんね」

「あんた……ボカぁ。痛いの、あんたでしょ。頬っぺた、真っ赤にして……」

 ヤマトは少し弱ったように笑った。

 ヤマトはやさしく肩をつかんで

「おかえり、アスカ。戻ってこれた」

 アスカはちょっと不満気に顔をそむけた。

「おかえりって……、なによ」

「君はさっき、兄さんが射殺されたと思って、取り乱して……心神を喪失しかけた」

 

「だから、おかえり、だよ」



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第100話 あたし、そんなに、強くない……

「あぁ、そ、そうなのね……」

 アスカはヤマトのことばを聞くと、ゆっくりとうつむいた。自分は先ほど、強いショックに自分を見失ないかけてしまったのだ。

 だが驚いたことに、そんな自分に腹がたたなかった。恥ずかしいとも思わなかった。

 思わず口をついて出たことばは、自分でも思いがけないものだった。

「だって、しかたないじゃない……」

 

 そう、しかたがない。

 転がった兵士の頭。

 あんなにも無慈悲なものを目の当たりにしたのだ。

 襲ってくる異形の化け物。

 そう、あんなに足がすくむ恐怖に身をさらし続けたのだ。

 兄、リョウマの死。

 あんなにも、残酷な瞬間を心に刻んだのだ。

 もうここで、すべてを諦めたとしても、しかたがない……。

 

「パイロットであることを諦めるのか、アスカ!。きみはそんな女じゃないはずだ」

 ヤマトの力強いことばに、アスカはハッとして顔をあげた。

「ボクの知っているアスカは、忌々しいほど気位が高くて、あきれるほど自分本位で、自分がされた仕打ちを絶対に忘れない嫌な女だ」

「だから、パイロットであることを諦めない。自分勝手に決めた自分の道を絶対に踏み外さない。そして兄がされた仕打ちにかならず借りを返す」

「もう、いい!!!」

 アスカが大声で制した。ヤマトがすっと口をつぐんだ。無言のまま、アスカのほうをじっと見つめた。その視線を感じながら、アスカはぼそりと言った。

「あたし、そんなに、強くない……」

「なら、兄さんの分だけでもあきらめるな!」

 ヤマトが声を荒げて、アスカの肩を揺さぶった。

「君の兄さんが、リョウマが、どれほど心の底から、この戦場で活躍することを乞い願っていたと思う。どれほどの覚悟でここに来たと思う」

 アスカの胸にぐっと熱いものがこみあげてくるのを感じた。

 何、このバカ、熱く語ってるの?。

 なんでこんなあたしに期待してるのよ。

 このあたしが、このアスカさまが、もう無理だと思ってるのよ。

 なに希望を抱いちゃってるわけ?。

 ヤマトは語るのをやめなかった。

「アスカ、きみには義務がある!」

「兄さんの、リョウマの分まで、君のお父さんを見返してやる義務があるはずだ」

 

 アスカは恨めしげな目つきをヤマトにむけた。

 このバカ。せっかくあたしの化けの皮、剥がれかかったのに……。

 あたしに、アスカという女のペルソナをもう一度かぶれって、あんたは言うのね。

「人類なんて、アスカがいなきゃ、何にもできないんだろ」

「ええ、そうよ。あったりまえでしょ!」

 アスカはヤマトに大きな声で答えた。参列席に座って、二人のやりとりを傍観していた。リンと李子が驚く様子がちらりと見えた。

 あぁ、そうなのね。メイも李子も、あたしがもう立ち直れないって、見切っていたんだ。

 ふつうはそうよ。あたしだってそう思う。

 なのに、この目の前のバカは!。

 アスカは聞こえよがしにに言った。

「あぁ、いいわ。タケル。乗ってあげるわよ。セラ・ヴィーナスに乗って戦ってあげる」

「だったら……」

「だったら、ぼくと約束をしてほしい。それが守れなければ乗せられない」

「なぜよぉ」

「君はショックを受けた。もしかしたら自分を制卸できないかもしれない。だとしたら君を乗せるわけにはいかない」

「あたしは大丈夫……」

「だったら、それをぼくに証明してくれ」

「どうやって?」

「ぼくがこれから言うことに誓えるか?」

「ちょっとぉ、なんで、あんたにそんな権限があるわけ?」

 ヤマトが足を前で組んで参列席に座っているブライトに、ちらりと目をやった。

「ぼくは権限をもらってる……」

「司令官って言っても、現場じゃ何もできやしない。だから現場のことは、指揮官のボクの判断に委ねてくれてる」

 ブライトが何か言いたそうに顔をゆがめたのが見えた。

 アスカはそれを無視してヤマトに訊いた。

「じゃあ聞いてあげる。なにを約束すればいいのよ」

 ヤマトが肩においた手にぎゅっと力をこめた。

 

「ブライト司令や司令室の命令に必ず従え。ぼくの命令に反してもだ」

「アスカ、誓えるか!」

 アスカはあ然とした。今あれほど司令官のブライトを揶揄しておきながら、開口一番にこう来るとは思わなかった。

 タケル、あんたも処世術をなかなか心得えてるじゃない。

「誓うわ」

 そろ言いながら目の端でブライトの姿をとらえた。ヤマトにいいように翻弄されて、苦虫をかみつぶしたような顔になっていた。

 ヤマトが続けた。

「国防軍が攻撃をうけた時は万布で最大限の防卸をしてくれ。誓えるか」

 アスカははっとして気づいた。ヤマトは今回の作戦をおさらいしようとしている。

 作戦を忘れていないか、焦るあまりに身勝手な行動をとらないか、を確認しているのだ。

「誓うわ」

「司令室からの指示があったら、すぐに電磁誘導パルスレーンを使って、亜獣がいる場所へ移動する。誓えるか?」

「えぇ、誓うわよ」

 アスカはちょっと上目遣いで、そんなことたいしたことないわ、という態度で、そう答えた。

 ヤマトはアスカのほうへからだを寄せると、アスカの頬を両方の手のひらで、包み込むようにして添えた。アスカが驚いて、身を引こうとすると、ヤマトがそのまま自分の顔をアスカの顔に近づけてきて、額と額をぴたりとくっつけた。

「な、なにする……」

「もし、レイが暴走したときは、ぼくがレイを殺すのを邪魔しない。誓うか?」

 アスカはことばを続けられなかった。この男はなにを言い出すのだ。戸惑いに目がきょろきょろと動きそうになる。だが、ほんの数センチ先にあるヤマトの目に、じっと見つめられて、アスカは目をふせてごまかした。

「誓うわ」

 ヤマトが矢継ぎ早に次のことばを紡いだ。

「プルートゥがもし現われた時……」

 プルートゥの名前を持ち出されて、アスカはごくりと咽をならしそうになった。だが、我慢した。ヤマトの目が見ている。

「ぼくとレイが、兄リョウマを排除するのをきみは邪魔しない。誓うか?」

 一瞬だけ間をおいて、アスカは小刻みにかぶりをふりながら言った。

「えぇ、えぇ。誓うわ」

 ヤマトの額がぐっとアスカの額を押すのを感じた。思いがけず力がこもり、まるでこすりつけているかのようだった。ちょっと痛い、と感じたが、それを口に出せる雰囲気はそこになかった。ヤマトの目に宿る強い力に、気圧されているとアスカは感じた。

 ヤマトが言った。

「もし、ぼくが暴走したときは、きみの手でぼくを殺すこと……」

「誓うか」

 ぎゅっと心臓が引き絞られたような感覚がした。そして、それと同時に漠とした驚きが浮かんだ。

 え、どういうこと?。

 その役目はあたしじゃないでしょ。ちがう、ちがう。

 もしそんなことがあっても、その役目はレイに任せればいい話。あのこなら、ためらうことなんかしないはず。

 だけど、タケルはその役目をあたしに……って。

 あんた、それでいいの?、あたしなんかでいいの?。

 アスカはヤマトの目をみつめた。疑いもなく自分に肯定を期待している目だった。

 本当にいいのね……。

 

「誓うわ」

 



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第101話 誓う。誓う。誓う。誓う。誓う……

 アスカが言うと、すぐ目の前でヤマトが、立て続けに二回まばたきをした。目を閉じた瞬間、アスカはヤマトがわずかばかり緊張してるような雰囲気を感じとった。なにか言いたくないようなことを言おうとでもしているような、そういうためらい。 

 アスカは、ヤマトが最後に、自分になにを誓わせようとしているのかに気づいた。

 そう、レイが言っていたあのこと……。

 いちばん、あたしがやれないはずのこと。

 でも、あの時、あたしは「やれる」ってみんなの前で宣言した。

 だったら、その通りよ、その通りする。

 やれる。やれるはず。

 口にしなくてもわかってる。

 

 誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う。誓う……………。

 

 だから、ことばを口にしないで。

 だが、ヤマトはそれを口にした。

「きみがもしプルートゥと戦うことになったら……きみの手で兄さんを殺すこと」

「誓うか!」

 そう訊くなり、ヤマトはアスカの頬に手を添えたまま、促すようにゆっくりと左側をむかせた。

 さきほどから目をそらし続けた、リョウマの遺体がそこに横たわっていた。アスカはその死体をじっと見つめた。

 あれは兄、リョウマではない、わかっている。

 こちら側から顔は見えなかったが、つい先ほどまで、いつも見訓れたリョウマの顔で困ったような表情を浮かべていた。だから自分にとっては、確かに兄だったものなのだ。

 馬鹿みたいに妹思いで、そのためには驚くほどの献身をもいとわない。なにか執念じみたような愛情があった。それが重たくて、アスカは時折、兄を困らせる行動をとった。それでも兄リョウマは困り果てたような顔で、なぜか嬉しそうに顔を輝かせながら対処してくれた。腹立たしくも感じたこともあったが、自分にそんな兄がいることが、心のなかでは自慢でならなかった。

 その兄をためらいもなく殺せるか……。

 目の前で兄が殺されるのを見せつけられパニックに陥った自分に、このヤマトタケルという男は、もう一度、今度は、あたしの手で殺せという。

 今、数センチ先で自分にむけられている心がひりつくような、あたたかいまなざし。

 アスカ、という女はこんなことで終わりになるような役を演じてなかっただろう。

 そう目が訴えている。

 あたしを信頼してくれてる?。でもそれは残酷な期待……。

 なんて卑怯な男。

 これじゃあ、私に選択肢なんてない。

 アスカは目の前で額をこすりつけたまま、自分の目をまばたきもせず疑視し続けるタケルの目を強くにらみつけた。

 さぁ、タケル、あなたが望むアスカに、もう一度、もう一度、なったげる。

 もう私は取り乱さない、悲しまない、怒らない、そして躊躇(ちゅうちょ)しない。

 アスカは力強く宣言した。

 

「誓うわ」

 

 ヤマトが目でうなずいたのがわかった。だが、自分の頬に添えた両手をまだ放そうとしなかった。アスカはヤマトを睨みつけた。

 だが、目の前のヤマトの目は、すこし戸惑っているようにみえた。

 なに、なんなの。

 もうこれ以上誓わなくちゃいけないほどのものは、残ってないでしょ。

 だが、ヤマトはアスカの目を、じっとのぞき込んだまま言った。

「最後にもうひとつ……」

「もしきみがセラ・ヴィーナスに取り込まれそうになった時……きみは自分の命を絶つことで、それを阻止しようとしない」

「誓えるか!」

 アスカはうろたえた。

 自分の目がヤマトの目からすっと逸れていくのを、自分自身で感じた。自分の決意が見透かされていたことが悔しかった。だが、それくらいの決意を持たないものが、亜獣を倒せるはずがない。それもすぐれたパイロットの資質のはずだ。

 それに……、あたしにはあたしの生き方がある。

「嫌ッ。あたしは、兄のようにはなりたくない」

「あたしが、もしあなたたちの、人類の敵になる、とわかったら、あたしは自分の手で、みずからに決着をつけ……」

「ぼくが絶対に助ける!」

 ヤマトが強いことばで言い放った。

 アスカは驚いてヤマトの瞳を見つめた。

「きみをヤツラのいいようになんか、絶対にさせない!」

「だから、死なないと誓ってくれ」

 

 ずるい

 ずるい

 ずるい

 ずるい…… 

 予想外のことばだった。

 タケルは、自分がやつらに取り込まれた時は、あたしの手で殺してくれ、って言っておいて、あたしが取り込まれた時は、絶対に助けるって……。

 そんな勝手、このあたしが、アスカ様が、許さない。

 そんな身勝手を、この男に、ヤマト・タケルという男に許したら、あたしは……。

 

 その時、教会の入り口から、強い光が射し込んできた。出動しようとした投光ロボットが誤動作したようだった。

 強い光が、祭壇の前にいるふたりを照らしだす。

 爆発の際に巻きあがっていた埃や塵が、まるでダイヤモンドダストのように、キラキラとふたりの周りに舞い降りてきているのが見えた。

 

 ヤマトがアスカの額に、自分の額をさらに強く押しつけながら、訊いてきた。

「もう一度きくよ。もしきみがデミリアンに取り込まれそうになっても、自分ひとりで決着をつけようとするな」

「ぼくが絶対に助けにいく。だから絶対に自分で死ぬな!」

「誓えるか!」

 

 お互いの睫毛(まつげ)睫毛(まつげ)が触れそうなほど近くにヤマトの真摯なまなざしがあった。アスカはその瞳に語りかけるように、ゆっくりと口を開いた。

 

「誓います」

 

 その時、アスカには、ヤマトの目の奥にかすかな安堵の光が指したような気がした。ちょっぴりだけ微笑んでいるような光。

 アスカの頬を両側から包み込んでいたヤマトの手のひらに、ほんのすこしだけ、やさしく力がこめられた。

 そう感じた。

 それだけで、アスカはぎゅっとからだを抱きすくめられたような気分だった。

 

 ヤマトは何も言わなかった。でもその目には決意がみなぎっていた。

 ヤマトは参列席に座っていた、ブライト、リン、エド、アル、李子、そして、そのうしろに待機している兵士たちのほうをふりむいて言った。

 

 

 

「アスカ、出撃します!」

 

 

-------------------------- 第1章 第四節終了 第1章最終節へ続く ---------------------

 



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