ゴッフ料理長の厨房 (廓然大公)
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天才のクラッカー

「まったく、天才って言うか馬鹿なんじゃないの」

 

 その声が聞こえたのは既に深夜一時を回ったノウムカルデアの食堂だった。

既に食堂の明かりは消され、微かに冷蔵庫たちの稼働する低い駆動音だけが残されているはずだった。

 

「人間にとって睡眠がどれほど大事か、など子供の頃から教わるだろうに。それを全くあいつらと来たら」

 

にもかかわらず聞こえるのは一人の男の声と低い機械音、そしてガスコンロと小鍋の煮立つ小さな音だった。

新たな拠点の入手によって退去していた英霊たちも少しずつ戻って来つつある。襲撃によって残ったのは二十名弱、そして戻って来た英霊も又二十名程度。今後も増えていくことを予想されるために新設されたこの厨房も又それなりの広さとなっている。しかし、今明かりが点いているのはその一角のみ、丁度蛍光灯一本分程度の明るさの場所だった。

 

「しかし、また伝説の彷徨海にも小麦粉はあるのだな」

 

目の端に映るのは幾重にも重ねられた小麦粉の袋、表面には品種のみが記載されており、市場に流通するような情報などは記載されていないことがここでの消費のみを考慮されたものだとわかる。シオンに確認すればどうやらここで作られたものであるらしい。一年中海のそこに沈んでいるような陰気な場所で作られた得体のしれないものとみるか、それともここの住民も又パンを食べる人間であると喜ぶべきか。気持ち的には少しばかり気が引けるに軍配が上がるだろう。そして何より眉をひそめたのはその調理器具の真新しさだった。

 

「明らかについ最近作った奴じゃないか、しかも、用意されているのは最低限の調理機器だけ、仮にも時計塔と並ぶ魔術研究の最高峰ならもっとマシなのないのか」

 

以前そうシオンに詰め寄るとどうやらこれでも随分と余分な物と認識されてたようで、彼らにとって食事とはあくまでカロリーの摂取のみ、パンだけあればいい、そんな風に考えているものも少なくないらしい。

 

「いくら魔術師が神に背くものだとしてもだ、人はパンだけに生きるにあらずという言葉知らないのか奴らは」

 

本来の意味とは少し異なるがそう愚痴を言うことくらいは許されるだろう。深夜の厨房には自分しかいない、呟くことくらいはトゥールも見逃してくれるだろう。

そう言われてみればこんなにも無いもの尽くしなのは十一歳の春を思い出す。魔術の訓練だと言って半年間無人島に放り込まれた時だった。渡されたのはナイフ一本とバケツ一つ。魔術も十全に使えないあの頃では、いいや今考えてもあの所業は些かネグレクトとも思える。思い出すのは夜の狼の目と融ける様な日差し、そして肉にあり付けた夕暮れ、そして広がる星空。今考えてみればよい思い出にも…

 

「いや、駄目だろう。私じゃ無かったら死んでるんじゃないか。って言うか私でも半分死にかけてたじゃん」

 

父上にもさすがに諫められ、良い思い出になるとごまかそうとしていたトゥールの雄弁無表情に騙されそうになり一瞬末恐ろしいものを感じる。

 

「おっと」

 

そうこうしている内に背後に置かれた大きなオーブンから焼き上がりを告げるブザーの音が聞こえた。丁度、小鍋の中の蜂蜜も沸々と泡立ち、焦がしたような甘い香りが広がって来た。

 

「まだ改善の余地があるか」

 

オーブンから取り出したのは薄く切られた林檎とオレンジだった。皮目にうっすらと焦げのあとがつき、蜜からは甘い匂いが漂ってくる。ここの林檎とは言えその味に外と遜色はない、ならば必要なのは料理人の腕のみ。

 

「まったく、本当にあいつらと来たらこんな時間まで働きおって」

 

一人つぶやくのは二人の天才の姿だった。

一人は薬物中毒のいけ好かない優男、自分のしたくない事にはとことん無頓着なくせに、今は異常なほどにのめり込んでいる偏屈な私立探偵。もう一人はこれまでカルデアを支えてきた今は子供の姿である世界一の芸術家。

 

「英霊とはいえもともと人間ならば睡眠というのが大切かなんて簡単に分かるだろうにまったく。それに上司が休まないと部下が休めないなんて簡単に分かるだろうに。まったく天才どもは凡人の気持ちなんてわかりゃしない」

 

人類の最後の砦であり、今現在もそうであることは間違いない。だからここの職員たちは良く働く。働きすぎる。六時から始業して三十分程度の昼休みを挟んで日付こえ、丑三つ時を回ってようやく床に就く。ワーカホリックとしか言えない。

 

「この危機のために生きるんじゃない、この危機を乗り越えて生きるためなんだというのに」

 

やらなきゃいけなかった、やるしかなかった、だからそうならざるを得なかった。分かっている、分かっているとも、しかし、休まねば人は死ぬ、休んでもいずれは死ぬがともかく生きるためにはそうでなくても人は休まねばならない。

新所長として始業を八時、終業を遅くとも十一時と定めた。ようやく守るものも増えてきたものの、どうやら今でも守らない不届きものが二人いるらしいことなど火を見るより明らかで、しかし、彼らの頭脳に代わることは出来ない。だから

 

「よしこんなものか」

 

目の前に置かれたのは焼いたオレンジと林檎の乗せられた全粒粉のクラッカーと自分が隠し持っていたアールグレイを使ったミルクティー、そしてクラッカーには生姜と蜂蜜を煮詰めたソースが添えられていた。

 

「まったく、本当に世話の焼けるバカ者どもめ」

 

片付けられた厨房から小さなトレイを持って男が出て行った。パチンという音と共に電気は消され、そしてくらい厨房には柔らかな甘い匂いだけが残されていった。

 




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高貴で善良なる中華鍋

なんか続きました


 目にしたことの無い火の手が上がる。

 

 見たことの無い様なすべてを焼き払ってしまう様な悪魔の炎。多くの神話で神が人間に与えてきた、人を動物から人間たらしめてきたその現在の炎が揺らめく。煌々と燃え上がるその火柱は時折その火の粉を巻き上げながらそれでも嵐のように踊り、燃える。その熱気は肌を焼き、汗すらも拭い去ってしまう。手をかざせば一瞬で炭となってしまう様なそんな紅炎。

 

「海老の準備はまだかっ、手が遅いんじゃないのかっ。もうっ」

 

そこへと蓋をされるように置かれたのは丸く凹んだ黒い鉄の塊、炎を囲むような鉄製の五徳とこすれ合い、小さな火花をまき散らしていく。軽く揺さぶられ、その甲高い音と火花をまき散らしながら急速に熱せられていく鉄板、程なくして今度は何かが蒸発するような音が聞こえた。鉄板に流し込まれたその液体、腐敗した豆と鳥の亡骸そして草本より抽出した結晶体などを混ぜた赤い液体。

 

「新所長は猫使いが荒いのだ、そんなことではストライキ待ったなし、メーデーを待たずして迷える子羊たちの沈黙も破られることになるのは予想に難くないのだわん」

 

「ふん、ちゃんと給料分の仕事をしてから言うのだ。ほれ、これで貴様の仕事は終わりだ、さっさとあっちに混ざってこい」

「ぶっきらぼうというか、甲斐性なしというか、これではお嫁さんが来るのはあと五年三か月と三日というところだわん」

「英霊の占星術での結婚占いとか洒落にならんことをするなっ、さっさと行けっ」

 

笑いながら出て行く猫から海老を受け取るとそのまま別の熱せられた中華鍋へと放り込んだ。加熱されたなべ底へと達した海老たちが焼かれ、一気に赤色へと染まっていく。そしてそこへとくわえられたのは薄く切られた小さな黄色い皮。

 

「所長ー、おかわりマダー」

「二分も待てんのか、あの一般人は」

 

インカム越しに聞こえてきた少女の声に汗の浮いた額に少しだけ青筋を浮かべながら中華鍋を振るう。赤く染まった海老と、そして豆板醤と鳥ガラスープを煮詰めたソースが絡み合い、程なくして配膳係の少女たちの手には大きなエビチリの皿が運ばれていった。

 

 

 

「まったく、英霊というのは本来食事が必要ないのではなかったのかね。それをあんなに食べて、いくら彷徨海とはいえ資材にだって限りはあるんだから少し位節制したらどうなんだ」

 

それは第三の異聞帯、シンを踏破した一週間後の事であった。これまでの慰労を兼ねた食事会が企画されていた。最初は唯一のマスターである少女がこぼした『おいしいご飯が食べたい』という小さな発言であり、こじんまりした催しだったはずではあるものの、幾人かの扇動スキルを持ったサーヴァントたちやお祭り騒ぎに興じたい者、楽しそうな騒ぎにつられた者など気が付けばノウムカルデア全体を巻き込んだパーティーへと変貌していた。丁度時期としては五月一日、メーデーとも重なり、少女の『雇用主は被雇用者に適切な福利厚生を与えるべきではないか、ボーダーの時も一人でベーコン食べてたし』の発言もあり、当日の食事当番にはいつの間にかゴルドルフ新所長が据えられていた。

 

「いくら英霊とは言え、元は人間だ。嗜好品になったとはいえ食事をするという行為自体は精神的にもあった方が良いものだ。逆に言えば伝説に名を遺した英霊が必要ないはずの食事をとりたくなるほどに美味だったともとらえられるのではないか」

「私もその程度で騙されるほど単純ではないわ」

 

錬鉄の英雄の言葉に新所長は少し赤くなりながらも手渡された手ぬぐいを受け取った。ようやく大方のメニューも出し切り、厨房の中には少しの静寂が戻ってきていた。今頃、宴会場となっている大ホールでは余興でもやっているのだろう、少し前には皇帝とアイドルの金切り声も聞こえてきていた。

 

「お前も宴会場に行って来ても良いのだぞ。まだ十分遅くはないだろう」

「なに、ここでも十分その余韻は味わえる。私にはそれで十分すぎるほどだ」

 

錬鉄の英雄はそう言うとゴルドルフの隣に腰かけた。

 

「まったく、極東の九尾の狐の分霊に英国の女王、それに果ては人類の守護者がキッチンを任される組織なんて時計塔が聞けばひっくり返るどころではないというのに」

「まったく、わがことながらお偉方が聞けば悪い冗談にしか思えまい」

「私だって実際に見てみるまでは信じられなかったさ」

 

ゴルドルフは手に持った水を煽るとようやく息が落ち着いてきたのか、コックスーツのタイを緩めながら一つ息をついた。

 

「大方の英霊は自分で調理することくらいはできるだろう。少なくとも自分の腹を満たすことくらいはな。故に今、こうしてキッチンに立っているものは、そうだな。いうなればお節介焼なのだろうよ。見ていられない、そうしなければ自分が救われない、私も含めてそんな者たちだよ」

「世界で一番お節介焼の守護者がそう言ったところで面白くもなんともないわ」

「そうかもしれん」

 

鼻白んだゴルドルフの言葉に錬鉄の英雄はニヒルに口元をゆがめた。

遠くでは出し物が終わったらしく歓声とも悲鳴とも取れない拍手が響いてくる。次の出し物は夫婦漫談らしく三味線の出囃子が聞こえてきた。

 

「一つ質問なのだが」

「それは雇用主へメーデーの要求という事か」

 

その言葉と声色だけで随分といじめられたらしいことが見て取れた。元より今日のキッチンも彼一人に任せようという無理難題も発生しようとしていたほどで、キッチン班も今日はあくまで手伝いという肩書でもある。愛されているというべきか。なんというべきか。

 

「いいや、只の雑談さ」

「そうか」

 

少し安堵したような彼の言葉に少しだけ憐憫を感じながら問いかけた。

 

「どうして中華料理を選んだのだ。作り慣れているようではあるが、いつもの牛肉やパスタといった料理の方が得意なのではないか」

「特に意味などない。昔の家庭教師に仕込まれた腕が鈍っていないか試しただけの事だ」

「特に意味などない、か」

 

そう言う彼は取り出してきた氷で腕を冷やしていた。それだけで今日一日でどれだけの中華鍋を振って来たかが見て取れる。特に意味などない、その程度であの料理は、いいや満漢全席は作れるはずはない。満族と漢族の料理の集大成とも言われる四十八珍の中国料理のフルコース。この物資の限られたノウムカルデアでそれを再現しようとするならば調味料からの作成が必要となり、その原材料も限られている。どの食材を組み合わせ、そして元の味を再現するか、それだけでこの料理に彼がどれだけの熱量が加えられているか見て取れた。

 

「満族と漢族の全ての家族の胃袋を満たす料理、という説は些かロマンチシズムが過ぎるか」

「満漢全席の語源か、そんな由来聞いたことも無い」

 

いつもよりその反応は薄く、尊大ないつもの姿は鳴りを潜めていた。

 

「雇用者から労働者への下賜にしてはその心意気は中々なものだとは思うがね」

「そんなものではない」

 

呟くように彼は言った。

 

「私があの子たちの家を奪ったんだ」

 

ゆっくりと彼は確かめる様に言った。

 

「知らなかったとはいえ私がカルデア襲撃の一因になったことは確かなことだ」

「しかし、あくまであなたは何も知らなかった。コヤンスカヤと言峰に乗せられていたにすぎない」

「確かに、私が断ったとしても彼女たちは別の誰かを祭り上げここを襲撃していたかもしれない。でもそれはもしもの話だ。現実には私がここを買収し、襲撃を引き込み、そしてあの子たちの仲間と家を奪った」

 

 

祈るように、震える様に彼は唱える。

告解というには尊大で

宣言というには無力で

懺悔というには善良すぎた。

 

 

「年端もいかない子供たちが世界を救った。それだけで十分だ、十分すぎる。一人の人間としても、そして英雄としても。けれどその上に地球の生存をかけて世界を滅ぼすなんて背負い過ぎるにきまっているんだ」

 

怒りのように少しだけ噛みしめたようにしかし、水の波紋のように静かに響く。

 

「あの子たちなら背負えてしまうことがさらにどうしようもない。当人たちもなんでも背負い込んではいはい答え過ぎだ。まったく日本人はどうしてノーと言えないのだ」

「否定はしないがね」

「だから私が新たな家を作ってやる。それだけだ」

 

喋り過ぎた、そんな風に顔をゆがめたゴルドルフは気恥ずかしくなったのか、急ぎ足で鳴りだした宴会ホールからの連絡電話を取りに行った。善良さだけでなく誠実さを持ち合わせた戦闘能力のない強い人間。

 

「まったく面倒な生き方をするものだ」

 

 

『いい  、エビチリはここで隠し味に柚子の皮をほんの少しだけ入れるの。これが入れすぎると雑味になるし風味の邪魔になるからほんの少しだけ、これが会得できるまで免許皆伝なんて遠い夢だと思いなさい』

 

 

いつかの思い出はもう色褪せてしまった、それでもどうやらまだ息づいているらしい。

「はぁ、もう食べきっただとっ。二十人分は…、誰だっ、そんなに大食いなのはっ」

奥から聞こえてきた声に彼は立ち上がった。

 

「兄弟子として少しだけいいところを見せても構わないよな、  」

 

錬鉄の英雄は少しだけ笑いながら再び厨房へと入って行った。

 




意味深な空白はお察しください

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BUTAKIMUCHI WAR

またまた続きました


 そこは小さな倉庫だった。

 

彷徨海に作られたノウムカルデア、その創設は決して古くは無いものの、シオンによって準備され、キャプテンによって今なお増設されているためにそれなりに物品は多く、所によっては引っ越し直後のような多くの木箱やコンテナ段ボールが置きっぱなしになっているところも少なくない。使用頻度の高いものは指令室や工房、製作所に近い倉庫に置かれる。つまり、このノウムカルデアの端の倉庫に置かれている物品の使用頻度は低く、一年ほどは誰も掃除をしていないのか辺りには埃もたまっている有様だった。

 

 

「まったく、英国人なら英国人らしくピクルスでも食べていればいいものを」

 

しかし、小さな金属の擦れる音共に聞こえたのは誰かの足音そして独り言だった。

 

「まったく、あれのどこが騎士王だというのだ。ただの大食漢の小娘ではないか」

「まぁまぁ、そう言いたくなる気持ちも分かりますけど、その分ちゃんとと働いてくれてますし」

 

 少し怒った男の声に、それをなだめる様な少女の声。少し錆びついているのか多少重く鳴く扉を開けながらその声色たちは荷物の間を抜ける様にして室内へと入って来た。

 

「それにしても所長、よくこんなところに倉庫があるなんて知ってましたね」

「自分の統括する施設を把握しているなんて基本中の基本以前の問題だ。自分の知らないところに隠し通路があってそこから侵入者を招き入れたなんてことがあったら手におえん。勝手知ったる我が家が戦場になるなんて笑い話にもならんわ」

「それにしては随分とリアリティが籠ってますね。もしかして経験談だったりして」

「ノーコメントだ」

 

電気をつけると天井につるされていた蛍光灯が光り、辺りを照らし始めた。

 

「随分と埃っぽいですね。それにやっぱり匂いはそれなりにありますね」

「衛生的には問題は無いのだがやはりこうも埃が積もっているのは精神的に気持ち良いものでは無いな」

 

男はそう言いながらあたりを見回し、そして部屋の奥の方へと視線を向けた。

 

「片付けようにも人手は足りん、それに他に優先事項が多すぎる。なら多少の事には眼を瞑る寛容さが生き抜くコツだ」

 

そう言って男が手を掛けたのは部屋の奥へとつながる小さな扉だった。誘われるように少女と共に入り込んだのは薄暗い小さな小部屋だった。

 

「うっ」

 

少女は少しだけ鼻をつまむ。その姿に男は小さくため息をついた。

 

「この程度で呻くな、貴様の国にはくさやに納豆だってあるだろうに」

「あれと比べないでください、ちょっと驚いただけです。シュールストレミングぶつけますよ」

「食べ物で遊ぶんじゃない。まったく付いて来たいというからわざわざ」

 

男はぶつぶつと呟きながら奥の方に置かれた棚の一角へとしゃがみ込んだ。部屋の中を照らす電燈は小さな裸電球のみで。決して光量は足りていない。しかし、男は勝手知ったるというように手の感触だけでそのタンクを探り当てた。

 

「それですか」

「うむ」

 

ようやく電球に晒されたそれは青色の大きなポリ容器だった。蓋のつけられたその容器は一抱え程、小さな子供ならば入ってしまいそうなほど。床を引きずる音からすると、それなりに重くもあるらしい。

 

「まったく、所長はみんなの知らないとこで何やってるんですか、こんなにたくさん。この前のベーコン然り、カレー然り」

 

暗い部屋ではあるもののよく見れば辺りには似たようなタンクがいくつか並んでいる。よく見ればその一つには小さく日付が記されていた。

 

「いくら人類の危機だからと言って趣味が出来る環境と技術と時間があるのならば何か問題があるのかね。それにもともと自由時間にやってたものをこうして提供してるんだから感謝しなさい」

 

そう言って男が空けた蓋、そしてその中に入れられていた重しを除き、大きく縛ったビニール袋を開くと少し酸っぱい様な辛い様な匂いが漂ってきた。脇に置かれた蓋の端に張られた白いシールに黒い文字で書かれていた、キムチ。

 

「ホームズも大変だった北欧で白菜仕入れて、死にかけていたシンでトウガラシ見つけたからって何やってるんですか」

「それが今役に立っているのだから文句を言われる筋合いはない」

 

小部屋の外、少し汚れた扉には真新しい看板が掛けられていた。

『醗酵室』

 

「たくあんに奈良漬けにラッキョウ、ピクルス、シャンツァイ。うわ、そうかこの前のカレーの時の福神漬もここからきてたのか」

「赤い守護者がどうしてもというので卸してやったがまだあれも完成品ではない。まだカレーも完成してはいなかったというのに嗅ぎつけおって」

 

そう言いながらゴルドルフはポリ容器を立香の持って来た荷台に乗せた。いつもよりお替りの多かったために追加の材料を取りに来ていたのだ。

 

「さて、時間を食っている暇などない、さっさと戻るぞ」

 

時計を確認すれば既に厨房を出てから十分、急いで部屋を出て行く。元のカルデア程では無いものの最近は所属の英霊も増えてきており、それはつまり昼の食堂が戦場となる事を意味していた。

 

「まったく、大英雄なら少し位食事を我慢してくれたっていいだろうに」

「むしろ大英雄だからこそそう言うところに貪欲なのでは」

 

小走りになりながら宥める立香に、少しだけ息を弾ませながらゴルドルフは苦渋の表情を浮かべていた。

 

「それにしてもなんでこんな遠いところにわざわざ醗酵室を作ったんですか」

「ボイラー室や、工房や、指令室といった、人の出入りや、気温の、変わりやすい、ところではなく、温度、湿度の、安定した、場所が、あそこだったのだ。それに」

「それに」

「近ければどこぞの吞兵衛どもがまた酒のつまみにするだろうがっ」

「あぁ、確かに」

 

立香の苦笑いとゴルドルフの苦渋に満ちた顔が、既に似たような事件があったことを物語っていた。

 

「今は、緊急事態、だから、教えたけど、ほんと、黙ってなさいよ、部屋の場所。一気に、なくなるん、だから」

「じゃあ、代わりに納豆作ってくださいよ、納豆。日本人くらいしか食べませんし、酒のあてにはなりませんし、久しぶりに食べたい」

「乳酸醗酵室に納豆菌をかえって、爆弾発言だぞっ、それっ」

 

そんな雑談をしながらたどり着いた厨房では既にキッチンメンバーによって山となったキャベツと豚肉、そして多くのフライパンが用意されていた。

 

「遅いぞ、何やっていたっ」

「十五分、くらい、待てというに」

「所長は…、ちょっと休んでた方がいいね。立香ちゃん、ちょっと手伝ってくれる」

「はいっ、ってこわっ。皆睨み過ぎじゃない」

 

食堂の中では昼食を待った英霊たちが大人しく、しかし剣呑な雰囲気を漂わせていた。

 

「手を出さず、大人しくしているのが逆に怖いんですけど」

「補給線の大切さは皆知ってるからね。それに所長のキムチがおいしいってのもあるんだけどね。それでも後五分遅かったらこの辺りは消し飛んでたかもね、あはは」

「ブーディカさん、洒落になってないです」

 

ご飯をよそい始めた立香の少し隣。

 

「トレース・オン」

 

その声と共に目にも止まらぬ速さで炒められていく豚肉、キャベツ、そしてキムチ。フライパンの中で肉の油とそしてキャベツの甘さと絡み合いそして少し柔らかく、トウガラシによって橙に染まった油が全てを包み込むようにまとわりつき、宝石のように光を放った。そして

 

「豚キムチ定食、一丁、上りっ」

「お替りです」

 

その声に最も早く、そして列を蹴散らしてたどり着いたのは誉れ高き騎士の王だった。

その一声がのろしとなった。

 

 

 

第二次豚キムチ大戦の勃発である。

 

 

 

 

今ではその英霊たちの悲劇を語るものは誰もいない。しかし、食堂に掲げられた

『暴れない』

『追い越さない』

『豚キムチ』

その三つの所長命令が今日も確かに食堂を見守っているのだった。

 




おいしいよね豚キムチ

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ソラ色のコロッケ

またしても続きました


 遠くから時折聞こえるのは甲高い笛の音色だった。

 

 リズムを刻むように流れてくる笛の音と共に漂ってくるのは乾いた砂埃の匂い。巻き上げられたような微かな張りつく様な乾いた匂い。見上げれば雲一つない青が広がっている。探せば光源は既に僅かに西に傾き、時刻にすれば午後一時少し前といったところ。気温は二十度ほどだろうか、動かなければ少しだけ肌寒いものの、降り注ぐ光が十二分に補ってくれている。乾いた空気はすぐにその湿気を吸い取っていく。いうなれば運動に適した環境。

そして

 

「ちょっと、っちょっとって、休憩っ」

「はい、弱音を吐いたからあと百週追加で」

「鬼かっ、貴様はっ。アトラスの魔術師だからって好き勝手にできると思うなよっ。この事態が収束したら弁護団を組んで正式に民事で訴えてやるからなっ」

「それだけ喋れるんならあと二百周追加で」

「ひぃっ」 

 

明るい光はそんな水はけのよいグラウンドと笑う眼鏡の女と、そして小太りの男を照らしていた。

 

 

 

「予想通り予定の半分のスケジュールもこなせてナイですね」

「いきなり、言われて、できると、おもうか」

「思ってるわけナイじゃないですか。まぁ予想通りでしたので特に驚きもナイですけど」

「じゃあ、もっと、まともなメニュー、考えなさい、よ」

「最初だし、パンチ強いのは常套手段ですよ。一撃必殺ってね」

「魔術師がそんな冗談言うんじゃないよ。まったく、殺す気じゃないか」

「殺しても死なないくらいにならないとこのあとやっていけないでしょ」

「否定はせんがそれとこれとは問題がちがう」

 

良く晴れた空の下、ゴルドルフが倒れ込んだのはグラウンドの端に植えられた木陰だった。ノウムカルデアに設置されたシミュレーター。訓練や精神衛生の保全にも使われるそのシミュレーターが投影していたのは小さなグラウンドとそれを囲むように茂った山林の情景だった。青々とした木々とその緑に覆われた連なる山々。他の生物や人間などは存在しないもののエネミーを設定すれば戦闘訓練として十分実用に足るものである。

 そして今回、投影されたグラウンドは肉体訓練に使われているらしかった。

 

「それにしてもさすが彷徨海といったところか、時計塔にもこのレベルの投影装置はあるまい」

「確かに時計塔と比べれば科学とない混ぜになっている分進んでるのかもしれませんけど、正直言ってこの程度の規模は元のカルデアの三分の一もナイのです。元より時間も無ければ人手も私とキャプテンしかいませんでしたしね」

「じゃあこのシミュレーターの基本設計は一人で設計したというのか」

「もちろん、アトラス院でも最高の錬金術師とも名乗っている私ですからそんなことは朝飯前です。天才ですから」

 

胸を張るシオンにゴルドルフは少しだけ眉を顰めながらようやく地面から起き上がり木陰に腰かけた。

 

「自分で言うところが自信家というか厚かましいというか」

「とはいえさすがに稀代の天才の一人ではありますけど、カルデアのスタッフもえりすぐりのエキスパートですから彼らが来て手直ししてくれたことでようやく使えるまで仕上がったわけです」

 

 空を見上げるシオンにつられるようにゴルドルフも視線を上げる。そこには良く見慣れた青色が広がっていた。辺りには気流に揺れそよぐ草本たちと木々の少し鼻を衝く様な匂い。異界の海に浮かぶ岩塊のようは彷徨海では決して見られぬはずの風景は確かにそこの存在していた。

 

「スペックとしては聞いてはいるものの体感してみると段違いだな」

「カッコいいこと言っているつもりかもしれませんけど息も絶え絶えのその姿では些か迫力に欠けますよ」

「前々から思ってたんだけどキミ所長への敬意ってものは無いのかね」

 

彼は肉体的に、そして精神的にダメージを追ったよう少し仰け反り、その姿にシオンは人懐っこい笑顔を浮かべた。その表情に彼はまた大きくため息をつく。

 

「それに鉄人レースを完走したことがあるとはいえ、ブランクもあるというのに、ハードワークは最も忌避すべき人災だぞ」

「ちゃんとそのあたりは考慮済みですよ。それに所長も少しばかり緩み過ぎじゃないですか。カルデア買収に忙しかったとはいえ、暴飲暴食しすぎたような状況…ってそうでしたね。コヤンスカヤに唆されてたんでしたっけ」

「私の前で、その名前を出すんじゃないっ。本当に人の純情を弄びおって。人の心がないんじゃないかっ」

「まぁ、妖怪に人の心があるかどうかは分かりませんけど」

 

シオンから手渡されたドリンク受け取りながらゴルドルフは自分の体を顧みた。

 

「確かに、ここまで体力が落ちているとはな、久しぶりに鍛え直さねばならんかもしれんな」

「あら意外、運動とかお嫌いかと思ってましたけど。バイクが趣味なんでしたっけ」

「馬鹿者、モータースポーツなら肉体のコンディションがどうでもいいとか思ってるとは素人目にもほどがあるぞ。体重1キロの増減だけでサスペンションの挙動もトップスピードまでの時間もカーブのタイミングも変わってくるのだ。そのために自分の肉体を維持し、それに見合うようにチューンした車体を一体化させなければならんのだ」

「魔術師というよりただのバイクオタクじゃないですか」

「うるさい」

 

ゴルドルフはそう言うと木の根元、ブルーシートの上に置かれていた包みへと手を伸ばした。大きな風呂敷のむすびを解くと現れたのは六段にも重なったお重が現れる。一段が通常よりも大きなお重、それは明らかに二人で食べきるような量ではない。

 

「立香、お昼ご飯にしますよ」

『ひゃっほぉう、メシだぁっ』

 

シオンの連絡に通信機と遠くの山の方から雄たけびのような音が聞こえてきた。

 

「あのあたりからなら後十分くらいかかるでしょうね」

「あの小娘は一体あと何回私に慎みを持て、と言わせるつもりなのだ」

「生まれっぱなしの子供みたい」

「みたいというよりそのものだ。服は片付けない、だらしない格好でうろつく、いつもどこかしら髪が跳ねている、ピーマンを残そうとする。まったくカルデアは幼稚園か」

「今日のレオニダスブートキャンプもお弁当が久しぶりの出張閻魔亭の紅女将のお手製って聞いてやる気出してたみたいですけどね」

「あんなのに一度世界は救われたというのか」

「二度までも救われようとしている現状ですけどね」

 

ゴルドルフは苦渋に満ちた顔で水筒から水をぐびりと流し込むと丁寧にではあるもののお重を開けていった。

 

「先に食べたら立香は怒るんじゃナイですか」

「まだ食べはしない。それに集合時刻に遅れたのはあっちの方だ。怒られる義理は無い」

 

開いて行くお重の中には小さく、しかし柔らかく握られたおにぎりやあっさりとした煮物、力をくれる様な焼き物といった懐石料理のような弁当が詰まっていた。

 

「それにしても紅女将といいキャットといい獣であっても毛の一本も残さずにこのおにぎりを握るってすごい技術ですね」

「当然のことだ、それが出来なければキッチンに入る事すら私は許さん」

 

お重を広げ終わった彼はそのまま再び風呂敷のあたり、荷物のボックスを取り出した。

 

「しかし、日本食の弁当という文化は評価するが些かヘルシーすぎるんじゃないか。運動した後なのだからもっと食べないといかんだろうに」

「そんなこと言ってたらまた太っても知らナイですよ」

 

そんな時だった。軽口を言いながら突然の呼び出し音と共につながった通信からは叫ぶような唸りが聞こえてきた

 

『マゥァスタァァーッ、お、おち、落ち着いてください。私の計算によればこの道を左に行けば元来た道に戻れるはずですっ』

『さっきもそう言って戻って来たじゃん、やばい、分からん、帰りのために来た道に落としてきた落ち葉も自然に帰ってしまって見分けがつかない、どうしよう、どうしよう、お弁当がっ。うっ、おなか、へっ、た。がくっ』

『マァスター』

「何をやっとるんだあの阿呆たちは」

「迎えに来いってことでしょうかね」

「まったく、世話の焼ける」

 

直線距離で二百メートル、山道でも歩けば十五分ほどだろうか。通信機がなくても聞こえる彼らの救援要請に彼は明らかに顔に倦怠の様子を滲ませながらものそりと立ち上がると怒り肩で森の中へと入って行った。

 

「あなたも大概ですけどね」

 

 

見上げた空は十二分に青く染まっている。自然のように見える。いいや自然の用に見せようとしている。誰が見ても自然な投影とみえる。しかし設計者だからこそごまかした部分、妥協した部分が嫌に目に映る。

あくまでもシミュレート

どこまで行っても人工物。

漂白化した未来を知った時 時間がナイ

アトラス院から彷徨海へ来た時 知識がナイ

ノウムカルデアを建設し始めた時 確証がナイ

ナイナイづくしで始まった第二の世界の危機。

それでも、と抗ってきた日々

 

「人のことは言えナイか」

 

小さい音がした。

振り返れば先ほどゴルドルフが何やら取り出していたボックスの箱が気流にあおられて転がってしまったようだった。重箱ほどは無いもののそれでも両手で持つほどには大きなその箱に触れると微かに暖かい。保温の魔術が込められているらしい。今日の献立にはそのような別の荷物があるとは聞いていない。つまりこのボックスはゴルドルフが用意したものであるらしかった。

小さな金具を外し、蓋を開ける。

 

「クロケットかな」

 

それは日本ではコロッケとも呼ばれるこぶし大の揚げ物が詰められていた。何かしらの魔術でもかけてあるのか表面の油が衣に染み込んでいる様子は無く、揚げたてのまま時が止まっているようにも見えた。さして難しいものでは無く、彼が作るものにしては調理難易度も低いだろう。ノウムカルデアシミュレーターよりも設営を急がせた館内農場で育てたらしいジャガイモと玉ねぎ。それを潰して、丸めてそして衣を付けて揚げる。簡単な分、箱の中に見た目よりも山のような量のコロッケが詰められている。これも又一人で食べるような量ではない。確かに紅閻魔の弁当には入っていない揚げ物は食べ盛りにはちょうどいいだろう。

 

「とことんキャンプ向きの魔術師なことで」

 

山のようなコロッケに一つ手を伸ばした。律儀に用意されていた包装紙で一つ包みながら口へと運ぶ。そして感じたのは鼻に抜ける様な苦みだった。

断面を見ればそこには予想していた芋の黄色ではなく。見慣れた黄緑色があらわれていた。その正体はソラマメとクミンを中心としたスパイスから作られたコロッケ、ターメイヤ。

エジプトのコロッケ。

 

「本物はこんなんじゃないってば」

 

 

青い空と柔らかな風の中で少女は微笑んだ。

 

 

遠くからは彼らのやかましい声が近づいてきていた。

 




ゴッフ所長の肉屋感

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カレー戦線異状なし

続いてしまいました


初め、神は鍋と包丁を創造された。

 

鍋の中に形は無く、漠然と空虚なる寸胴が磨き上げられ輝いていた。

それから神は言われた

「食べ物あるように」

するとトレイの中には野菜が生じた。神はそれをよしとせず、香りの強きものと味の強きものとの区分を設けられた。神は前者を香辛料と呼ぶことにし、後者を野菜と呼ぶことにした。

一日目である。

 

 次いで神は言われた。

「圧力鍋の中に水が生じ、水と水の間に区分が出来る様に」

そうして神は空を作り大空を下り鍋の中に溜まる水と大空へと登って行く蒸気を作った。二日目である。

次いで神は言われた。

「香辛料は選び抜かれより合わせたものを砕き一つの場所へと混ぜられ乾いたものが現れる様に」

するとそうなった。そして神はそれをスパイスと呼び、水に溶かされたものをルーと呼んだ。

 次いで神は言われた。

「ジャガイモの芽には毒があり食べると腹を下してしまうので皮は厚めに剥く、ニンジンなど根菜類はちゃんと柔らかく煮えているか確認すること。火の通り具合が均一になるように大きさはなるべくそろえる、しかし、時々少し大きいジャガイモが入っているとくじに当たった時のような気分になり良い。玉ねぎは切っていると硫化アリルが気化して涙が出るので切る前まで冷蔵庫で冷やしておくとよい。ジャガイモ、ニンジンは乱切り、玉ねぎはくし切りにすること」

するとそうなった。

三日目である。

 

 次いで神は言われた。

「最初に切った玉ねぎを二つに区分するように。それの片方はきつね色になるまで炒めることでル―に溶け、もう半分はルーの中にあって固体となり食感にバラエティをもたらすことになる」

するとそうなった。

そして神は木べらで焦げぬよう鍋の底で根気よく炒め、そこへ切った野菜たちを入れた。

四日目である。

 

次いで神は言われた。

「いれる肉は多くの種類があり個人の見解にもよる。宗教上使えない食べ物も存在するためにいささか気を付けなければならないものもある。しかしベーコンやウインナー、ハムなどを入れる場合は注意せよ。ルーの風味と燻製の香りが戦う事があるためにあまり芳しくはない。あれはあれでおいしいがもう少し味の調整が必要となる。案外白身魚のフライとかを乗せてもうまかったりする」

すると羽を持った生き物と鱗を持った生き物が生まれた。そして神はそれらを祝福し言われた。

「多くの種へと増え、海と陸を満たせ。そうすればさらに入れる肉の選択肢も広がるであろう」

五日目である。

 

 次いで神は言われた。

「ジビエなども人気ではあるが入手手段は困難であり一般家庭向きではない。それでも十分牛や豚でも十分おいしい。牛筋などは煮込むほどに柔らかくなるので相性は良い。王道である豚バラは脂身も多少多くともそれを感じさせないので優先度は高い。とりささみなどあっさりとした肉はルーの風味に負けてしまうこともあるので煮込むよりも焼き目を付けた後に添えるなどしてもおいしく頂ける」

すると大地には牛や豚、鶏といった家畜が溢れ、数々の鍋に、それぞれの肉が入れられ、肉に微かに焼き色が付けられるまで炒められた。

次いで神は言われた。

「私に似た姿を持つ人を作りともに食卓を囲ませよう」

こうして神は自分と同じ像を作り男と女を作った。そして神は彼らを祝福し言われた。

「生み増え地を満たせ。共に食事を囲むのは家族が多い方が良い」

次いで神は言われた。

「さぁ、私はすべての大地と海に揺蕩う子を為すすべての野菜と魚と家畜を与えた。それらがあなたの食材となるように。」

するとそうなった。

 その後に神は鍋にすべての食材が水に浸かる分量の三割増し程の水を入れ煮込み始めた。お玉の裏で灰汁を取りながらニンジンが軟らかくなるほどまで煮ると弱火にしてルーを注ぎ込み、とろみが出たら火を止め、味を確かめた。それは非常に良かった。

六日目である。

 こうして世界は完成した。そして七日目までに行われたすべての調理を終えられ神は七日目を祝福され、完成したそれを食べた。

 これは、天と地とカレーが創造された日における歴史である。

 

 

 

「というわけでカレーを作ります」

「何がというわけだ。馬鹿者」

 

ノウムカルデアの厨房、時刻は午後四時、夕食の準備にしては些か早すぎる時刻だった。明るい厨房の中には白く真新しいコックスーツと異様に長いコック帽子から綺麗な赤毛の覘く少女と太った新所長の姿があった。

 

「大体いきなり現れてカレーを作るとは何事だ。それにさっきの似非旧約聖書はなんだ。バチカンになんて言われても知らないぞ」

「魔術師ってだけで教会には喧嘩を売っているようなものなのに所長ってば意外と小心者」

「誰が小心者かっ、獅子心王ならぬ不死鳥心のゴルドルフと言われた私だぞう。火にくべられたとて灰から再び生まれ変わるのだ」

「一度木っ端みじんにはなるんですね」

「話をすり替えるなっ、だから何なのよ。その魔本は」

 

少女の小脇に抱えられていたのは一冊のハードカバーの本だった。小麦色の皮の装丁がされ、その滑らかさからはそれがいかにも高級であることが見て取れた。厚さは辞書程もありページ一枚も幾分薄く、少し剥げつつあり他の文字は読めないもののCの文字が金色で印字されていた。数千ページはあろうかというほどの代物だった。

 

「それになんかただならぬ魔力も生み出してるし、何それ、なんでアーティファクトなんて持ってるんだっ。悪魔の書かっ」

「失礼なっ。これは私が信仰するカレー教の聖典の写本を師である伝道師マルシェより賜ったものです。キリスト教で言うなら聖書、イスラム教で言うならコーランです」

「無駄に敵を作りそうな宗教を作るんじゃないっ。第一節から聖書のパロディってもはや薄い本以下じゃないの」

「そんじょそこらのソリッドブックと一緒にしないでください。ちゃんと世界の成り立ちから歴史、この世の滅亡、予言、スパイス研究、カレーに合うおコメの品種の調査、全国にある名店のカレーのレビューとその特徴や店長へのインタビュー、自作カレーのレシピなどなどこの世のありとあらゆることが記されているのですから。しかも金銭的な利潤ではなくあくまで真の信仰の布教のために本の製作費以外は受け取らない頒布という形を取っているのです」

「むしろより同人誌感が強まったんだけど、それに今日のレシピはもうサバの味噌煮に」

「カレーシフトセッートっ」

 

ゴルドルフの言葉を遮るように広がったその声に反応するようにキッチンスタッフが動いて行く。一瞬で厨房の中には山となったニンジンとジャガイモ、玉ねぎと各種肉、コンソメなどが山となり、取り出されていく。

 

「何この統率された動き」

「それでは第百四十二次大カレー作戦開始を宣言するっ。者ども、かかれぇいっ」

 

その声と共に響き始めたのはだだだと銃声のような轟音だった。リズムを刻むように聞こえるその音色。よく見ればそれが無数に切られていく野菜たちだというのが分かる。一瞬にして玉ねぎは細くくし切りにされ、ニンジンとジャガイモも乱切りにされていく。

 

「カルデアはあまり外界との接触も余りありませんでしたし、日付の感覚も薄くなりがちなんです。だからいつも毎週日曜日はカレーの日なのです」

「なるほど、確かにちゃんと今を生きるというのは大切なことだからな」

「それに経典にも日曜日はカレーを食べると書いてありますし」

「台無しだぞ」

 

流されるようにため息をついたゴルドルフも又野菜を切り始めようとするがその手はすぐに止められた。

 

「下準備はわれらに任せて、所長はマスターの補佐に回るとよいだろう」

「補佐だと」

 

苦笑いをした赤い英霊の視線に従うといつの間にか厨房の端、廊下へと続く扉の前に立ちながら手招きをしていた。

 

「あれで案外子供っぽいところもあるのでね。我らがマスターは」

「まったく、面倒な奴め」

 

ため息をつきながら少女に誘われ厨房を出て行った。

 

 

 

「これは」

「ふふふ、内緒ですぜダンナ。何しろこれほどの上物だ。末端価格百は下らない代物ですぜ」

「なぜわざわざ危ない言い方するのだ。確かに黄金より値の付いた時代があった分なんとも言い難いが」

「雰囲気ってやつですぜ、旦那。それにようやくここまでこぎつけたんだから」

 

厨房から出て数分、たどり着いたのはノウムカルデアの端に併設された異様に明るい部屋。そう言って少女が見つめるのは緑に茂った小さな植物たち。そこはノウムカルデアに設けられた試験農場だった。彷徨海にいるものは半ば人外へと片足を突っ込んだような者たちではあるもののやはり食事をとらなければならない者たちも少数ながら存在する。そんな者たちのために細々と活用されていた農場であった。

しかし、カルデア一行が到着したことでより一般食料の必要性が生じ、特にゴルドルフによって持ち込まれた多くの野菜の種などが植えられ、カルデアの食料のレパートリーを豊富にしている生命線でもある。現在も拡大しつつある試験農場の端、少女が畑から続く倉庫から取り出してきたのはいくつかの小さな缶。既に開けられていたその中に入れられていたのはいくつかの香辛料だった。

 

「赤トウガラシとパクチーは元から上手くいってたんだけど、ようやくウコンとクミンが上手く育ったからようやく中止されていたカレー祭が開催できるというわけさ」

 

ただでさえ食料のバラエティの少ないノウムカルデアでは食材は少なく、香辛料や調味料といったものはそれだけで種類も量も無い。

しかし、種があれば育てることは出来る。

 

「聖典の付録、『ゼロからできるスパイス調合』のスパイスの種が使えるなんて思いもしませんでした。急速成長用の魔術も記されてましたし」

「ほんとに何なの、あの魔導書、時空間魔術とか魔法の領域なのよっ」

「すべてはカレー神、ラヤーンの思し召しでございます」

「絶対その神、邪神だと思うぞ」

「ま、とりあえず前みたいにカレー祭が出来るわけだしそれで十分だよ」

 

 

そう言う彼女の表情は確かに笑っていた。年相応の少女のように明るく、快活に、柔らかく。

異郷の土地で物を育てるということがどれだけ実らぬことかは彼自身が一番知っている。どれほどの失敗を経たのか、

どれほどの失望を得たのか

それを彼女が言葉にすることは無く、誰にも伝えることは無い。

隠す様に後ろに回した手、爪の間に入り込んだ取れることの無い土が残っている。

何も言わぬ少女

そしてそれでもなお少女が育てたもの。

多くを失い、戻らないことを知った少女が求めたいつもの食事。

それは値千金になど代えることのできない魔法に等しい。

だから

 

「どれ、今の配合を見せてみろ、足りないものをいくつか私の私物の代用品で賄うとしよう。ケチャップとインスタントコーヒーで些かごまかせるだろう」

「まじで、いいの」

「まだ正確な分量も決められていないのだろう。スパイスも色々と足りていないからな、今回は特別だ」

「なんか太っ腹だね」

「その邪神の経典には皆で楽しく食べるのだとお前が言っていたのだろう。ならばお前が笑っていなければ始まらんだろうが」

 

少女はその言葉に少しだけ呆気にとられる。

そして少女は少しほおを赤く染めた男へと笑いかけた。

 

「ありがとさん、所長」

「敬語を使いたまえ、敬語を」

 

 

程なく懐かしいカレーの匂いがカルデアを包んでいった。

 




最近これまでにない程のお気に入りをいただいておりとてもうれしく思っております。
楽しんでいただけたら幸いでございます

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報告ありがとうございました


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パイクアンドシードル

なんでか続きました
ゴッフ料理長は今回はお休み


それは古いベンチだった。

 

 魔術協会、アトラス院と並ぶ魔術研究における三巨頭の一角、彷徨海。唯一残された神代の海に浮かぶ孤島。海を突き刺すように聳え立つ黒き山嶺は何物をも触れさせないような排他と尊厳を刻み込む。山肌に草木が萌えることはなく、濡れたように黒く濃く冷たい山肌と固く崩れることのない岩肌のみが島を形作ている。その様は生物の生存を許さないような、存在を認めないような、人間であることすらも許さない、そう神々の問いかけのようにも思える。カルデアを失い、新たな拠点となったノウムカルデア、その工房から少し離れた一角、尾根道の途中、わずかに平たんになった鞍部ともいえない猫の額程度の小さな平地にそのベンチは置かれていた。

 いつ、だれが置いたのかすらも分からない。元の色すらも分からないほどのベンチに腰掛けるとしかして思いのほか丈夫に作られているらしい。微かな軋む音を立てはするものの壊れる様子もない。背持たれに体を預けゆっくりと息を吐く、昼間から続く熱気を絞り出すように大きく長く、そして深く吐く。体中に力を入れ、そして一気に弛緩させるとこわばっていた体中の筋が緩み血が通い始めるのがわかる。閉じていた目を啓けばゆっくりと視界が戻ってきた。半ば朽ちているような古臭い木製のベンチだけが置かれあたりには何もない。人工物も、人影も、そして文明の光すら見えることはなく、

ただ

雲一つない明るい満月が昇っていた。

 

 

 

「まったく、俺の手には余るっていうに」

「この状況で出てくる言葉がそれとは叙事詩に語られるような輝きの兜の名が泣くのではないか」

 

背後から聞こえてきたその声に振り返れば小さな童話作家の姿が見えた。少年のような姿をした彼がそのままどかりと隣に座りこむ。ところどころ白衣にはしわが寄り、目の下にはクマが濃く表れどことなく黒い雰囲気を漂わせていた。

 

「作家先生は厳しいねぇ。これじゃおちおち弱音も吐けなくなっちまうな」

「批評家の言葉など気にしていれば創作活動などできるわけがあるまい。もとより自身の作品をこき下ろすのはその作者の特権だ。一瞬前の自分が綴った一文字すらも嫌悪し非難するからな。最も厄介な批評家が付いて回るのだ。作家という生き物ほど度し難いものはない」

 

嘲笑するような壊滅的とも感じる彼の皮肉に軽く笑いを返すことにした。

 

「それにしても随分と荒れたご様子で、今日は調査班の担当でもなかっただろうに」

 

漂白化された地球、文明を白く押し流された地表。その原因調査とサンプルの回収、遺留物の調査、そして生き残りの人類の発見のため数日に一度ほどの割合で各地へと戦闘能力の高いサーヴァントを中心とした調査隊が派遣されている。長く、広く、何もない白い大地を眺めながら無数の地平線を超える作業でもあった。

 

「馬鹿め、もとより誰があんな刺激も題材も落ちていないような外出をするものか。もとより俺が役に立つときなど平時ですらないというのに緊急事態に戦闘能力皆無のお荷物を抱えていくようなもの好きなどいるとしたらすでにこの世にはいないだろうさ」

「相変わらず自己評価が正しく低いことで」

「俺にできることなどインクを無駄に減らすことだけだ。それ以上の労働などごめん被る」

 

童話作家はとりだしたハンカチで黒く汚れていた指をぬぐっていく。

 

「それにしては一仕事中って感じに見えるけど、締め切り間近って感じの風体じゃないか」

「締め切り前なのだから、そう見えるのは当然だろう」

 

その言葉に彼は少し驚いたように目を丸くした。

 

「このご時世で締め切りがあるのか」

「無ければだれが書くものか。版元からも編集からも印刷所からもせっつかれるようなせわしない胃薬の手放せない日々に進んで陥りたいと思うやつがいるならばそいつは書かずにはいられない精神異常者かよほどの阿呆に違いあるまい」

 

耳をすませば遠くから彼の名を呼ぶ声が聞こえてきた。マスターとカルデア職員の声、どうやらこの小さい毒舌家は締め切り前の現実逃避をしているらしかった。

 

「しかし、作家というものは書かなければ死んでしまう。誇大な妄執と虚構が作家自身の意識にまで手を伸ばそうとしてくるからな。物語を記すことはその怨念のようなキャラクター達を自分から切り離すようなものだ。死に至る病を性懲りもなく抱えた生き物だ。わがことながらあきれ返るほかはない。そのうえに間に合わなければどこぞの牛女との相部屋が待ってるそうだ。まったく我がマスターながらいい趣味をしている。良き編集者になるだろうさ。作家の死に至る境界線を簡単にまたぐとはな」

 

苦渋に満ちた彼の表情には嫌悪だけではない感情も含まれているようにも思えた。しかし、言葉にすることはなく、代わりにただくたびれた煙草に火をつけた。ゆっくりと肺にくゆらせ、血液へと煙を流し込む。血の中に流れる異物を、体の内側を泡立たせるような化け物をなだめるように。

そして、満月の浮かぶ空に小さな雲を揚げる。

 

「あれだけ目障りだった光輪が懐かしくなる日が来るとはね」

 

人理を焼却しようとした魔術王の計画、すべての熱量を、人間の営みをすべて集めた光。

しかし、すでに暗い夜空には欠片も輝くことはなく、冷たく青い月が凍えるだけ。

 

「まったく、世界を救ったというのに今度は世界を滅ぼす側に回るとは、神というやつも随分と性根の曲がったことを考えるものだ。脚本としても掃いて捨てるほどあふれている。陳腐、凡庸、廉価、子供産僧のほうが幾分ましだ」

 

 

異聞帯、誤った歴史の枝葉、それ以上進展することは無い行き止まりの人類史。有り得たかもしれない未来。

カルデアの新たなる敵

漂白化された汎人類史の敵

滅ぼされた汎人類史の敵

 

「負け戦は何度も覚えはあるけど負けた戦というのは存外応えるな」

 

トロイアの時も負け戦には変わりなかった。事実トロイアは負け、自分の亡骸もあの阿呆に引きずり回されたらしい。しかし、あくまでそれは自分が死んだ後のこと。負け戦ではあってもあの時は負けていなかった。そうあるようにと仕掛け、勝つことはなくとも負けはしない、そのように戦ってきた。悔いはなく、後悔はない。しかし

 

「マスターが生きてる今を守れなかったその落とし前はつけさせてもらうとするかね」

「負けない槍兵が勝つというか、矛盾をはらんだ言い回しではあるが神代の英霊を見るのも一興というものか」

「そういうのはあの阿呆の領分だろうよ。あくまで俺はただただ負けないだけさ」

 

口元に携えるのは短く、灰と化した煙草の煙が昇っていた。

 

「なに、もうこれ以上何物にも踏み込ませない。それだけの話ってことよ」

 

作家はつまらなそうに鼻を鳴らすと返答に小さな小瓶を投げつけてきた。

 

「新所長殿の新たな秘蔵品だ。黄金の林檎など市井にでも流せば値千金はくだらないだろうが秘蔵していればあの阿呆が休むことなく走り続けるからな。代替消費研究の産物というやつだ。猫に小判どころの話ではないがな」

 

投げつけられた小瓶に入っていたのは金色の液体、よく見た林檎酒のようだった。

 

「黄金の林檎を酒にするとはうちの新所長は随分と剛毅なお方なこって」

「名君には程遠く、暗君には臆病すぎる。魔術師だというのに常識を持った一般人にもほどがある。あれが王であったのならあんな物語など書くことはなかっただろうよ」

「確かに彼には弾圧なんてできそうもないな」

 

彼ならば騙され全てを剥がれ歩いたとしても多くの者が毛布を手に近寄ってくる。その姿が容易に想像できる。

 

「案外、彼みたいな人間が王になるべきなのかもしれないな」

「喜劇、いいやスケッチコメディーにしかなるまいよ」

 

小さな笑いにつられ手の中の黄金もちゃぷんと揺れた。

全ての元凶となった黄金の林檎。多くのものを知り、多くのものを失うこととなった知恵の果実。

苦く、あまりにも苦く彼はそれでもゆっくりと笑い栓を開けた。

 

「景気づけだ」

 

小さく、そして甲高い壜のぶつかる音が聞こえ、ゆっくりとあおる。

 

 

「次は負けられんのさ」

 

 

月だけがまだ空には輝き、ベンチは小さく鳴いた。




本編ではあまりからみがないので書いてみた
彼にはシードルが似合う気がする

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ラーメン二万海里

どうしてか続きました


 ぐらぐらと湯の沸き立つ音がする。

 子供、いいや大人が一人入れるほどの大きな寸胴の足元を青く大きな炎があぶっている。換気用の大きな扇風機が耳障りなほどの騒音を奏で、勢いよく噴き出るガスと燃え盛る炎の焦げる音がさらにその音を重ねてくる。真っ白に照らされた厨房の中を占める三つの大きな寸胴。ぼこぼこと泡立ちながら煮えたぎるその熱湯からは目に見えない水蒸気がその光を歪め、先の景色を縦横無尽にたわませる。鍋を離れた水蒸気たちはすぐに湯気となり厨房の中へと薄い雲を作る。蛍光灯の白い光を受けもうもうと換気扇へと流れていくその下には一人の男が立っている。黒いTシャツに前掛け、タオルをねじりその金色の頭に結び付けた小太りの男。

 

 彼は求めに応じて振りざるへとまとめられたそれを放り込むと鍋一杯にゆだっているその地獄へと放り込む。ざるの中、微かに黄色いその麺は一気にほどけ踊っていく。一気にそして花の啓くように色づいていく麺。時間はきっかり一分十二秒。鍋のふちにかけられている二十いくつのざるを時計を見ることなく確実に揚げていく。機械のように精密に、そして素早く、そして丁寧に。

 

 ときは来た。無造作に、しかし流れるように振りざるをあげるとそのまま軽く、小さく、手首を振る。いいや違う、腰から、肩から、肘から、そして手首からざるへとその小さくも確かな揺れは伝わり、目に見えることはなく一瞬の隙にざるは振られ同時に麺に残っていた最後のお湯が切られる。

乾燥の時間は短く

振りの衝撃は小さく

そして麺の触感と味を壊さぬように求められた最適解。

ゆっくりとざるからどんぶりへと移されたほどけるような黄金は湯気を纏いながら移され。そして琥珀色に輝くスープを浴びる。ここで作られた醤油と昆布と、そしてあれからとったどこにもないしょうゆベースのスープ。門外不出の研鑽を積まれたそのネクタルが食欲をそそる。二度三度、麺となじませるように絡ませる。和わらかな小麦と醤油そして出汁の匂いを纏っていく。

彼らを彩るのは青ネギとメンマ、そして黒光りするほどの味を吸った煮卵のみ。シンプルで、しかし同時に逃げることのできない味。

出来上がった赤いどんぶりがテーブルの前にどん、と置かれた。

息を吸い、その香りを体いっぱいに吸い込む。

そして割りばしへと手を伸ばす。ぱきり、という破砕音とともに少しのヒノキの香り。

手を合わせる。

小さくつぶやいた言葉を共にスープとと絡み合い亜麻色に輝く麺を勢いよくすすった。

そして

 

「店長、すっぱいぞっ」

「店長じゃないっ、所長だっ」

 

小太りの店長、いいや所長、ゴルドルフ・ムジークは厨房の中、大汗をかきながら、またしても笊を振っていた。

 

 

 

 

 

 

「ラーメンが食べたい」

「何を阿呆なことを言っているのだ」

 

第四のインド異聞帯から帰還し数日。無数の検疫検査と報告書の山を片付け、目には疲弊したようなくまを残しながら少女がつぶやいたのはそんな言葉だった。

 

「いいじゃん、もう一年近く食べてないんだから」

 

「ラーメン、ですか。中国の刀削麺にその源流を発するというめん類ですね。スープとその麺の性質にもいくつもの種類があり、その味は多岐にわたるともいわれてますね。前のカルデアにはありましたけどそういえばノウムカルデアにはありませんね」

梅干しのおにぎりをじんまりと睨みつけながら眉を顰める少女に後輩は軽く説明するように言った。

 

「なんでラーメンはないんですか」

 

汎人類史とは異なった歴史をたどった異聞帯。その中で育ったウイルスや菌、風土病など予防できる以上の病理の危険性が残っている。人類の最後の砦となったこのノウムカルデア、異聞帯から帰還した面々には一定期間の検疫隔離処置が施される。その隔離からようやく解放された朝、マスター、デミサーヴァントの少女、そして所長が少し遅めの朝食をとっていた。

 

「手間がかかる、そのひとことに尽きる。料理には正解などないがラーメンは魔境だ。スープも塩、海鮮塩、カニ塩、鶏がら塩、豚骨、豚足、大蒜豚骨、醤油豚骨、鶏がら醤油、カツオ醤油、魚醤、麺も細めん、太麺、縮れ麺、卵麺、かた、ばりかた、はりがね、無数の選択肢から一つだけ作ればそれこそ戦争が起きるからな。割に合わん」

 

「確かにルルハワでもラーメン町ができてましたからそれ全部を網羅することは現実的に不可能ですしね」

 

様々なリゾートが混在していたあのルルハワアイランドの一角に存在したラーメン町、町一つがすべてラーメン店であり古今東西全てのラーメンがそろっているともいわれていた。ノウムカルデアの物資では到底再現することはかなわない。

 

「醤油ラーメンだけでもなんとかならない、醤油なら所長とエミヤとキャットが作ってるのがあるじゃん」

「醤油だけでラーメンが作れると思ってるのなら全国のらーめんやに殴られるぞ。ほかにもいろいろと足らんものがあるのだ」

 

平に頭を下げる彼女に彼は依然として首を振る。

 

「私とて作ろうと思えばやっている。しかし、もとより備蓄が少ないのだ」

「確かに、そういわれてみれば和食系の食事は少ないような気がしますね」

 

食堂に掲げられたメニュー表にはラーメンだけでなく、うどんの文字も失くなっている。

 

「武蔵ちゃんがいれば真っ先に気が付くとは思うんだけど。でもうどんはどうしてないの。ラーメンほど種類が多いわけじゃないのに」

「出汁が足らんのだ」

「だしって出汁のこと」

「特に鰹節、顎だし、煮干しだしといった海鮮系の出汁の備蓄がもうなくなってしまったのだ」

 

小さく頷く所長の額には苦悶のような深いしわが刻まれている。忸怩たる重いがにじみ出ているのだろうかため息に似た感情が混じっているようにも聞こえる。ノウムカルデア初期にはうどんもあった。しかし、どうやら帰還したサーヴァントの量は予想より多く、備蓄はあっという間に減ってしまったらしい。

 

「どこぞの騎士王も騎士王だがそれにつられて調子に乗る者も調子の乗る者だ。まったく」

 

食堂の端、そして厨房の奥、耳ざとくその言葉を聞いたらしい青い少女と赤い青年がちらりと視線をそらした。

 

「でも農場もうまくいってる感じだし、養殖とかできないの」

「植物の種のようにうまくいくわけではないからな。いかに生け簀を作ったとしても元となる稚魚がいなければどうしようもない」

 

漂白化された地球に海はなく白い大地が広がっているだけ。稚魚を採取しようにもその元となる稚魚すらも漂白され姿形はのこってはいない。肉類はこれまでの異聞帯からも採取することはできた。行く手を阻むワイバーンや聖獣を片付け、そしてその一部を格納庫に保存し持ち帰ってきている。しかし、魚となればそうもいかない。目には見えないほどの微細な稚魚を捕まえることも、魚をとらえることも何が起きるかわからない異聞帯では漁業にいそしむほどの労力を割くことは現時点でもできていないのが現状だった。

 

「それに植物のように成長の促進だって簡単には行えない。漁でもしてとってくるのが一番簡単ではあるが神代の海をかけるにはそれ相応の船がなければやってられない。そしてそんな漁船をわざわざ作っている余裕は今のカルデアにはない」

 

地球のテクスチャへと張り付いた特異点とも呼べるこの彷徨海、確かに絶海の孤島ではあるもののそれは同時に神代の脅威をはらんだ海でもある。

 

「故に今は肉料理で我慢、あれ」

 

ふと、電気が消えた。

一瞬真っ暗になる食堂、そしてまた一瞬にして目の端に光をとらえた。

 

「私がその程度の事情でラーメンをあきらめるとお思いかね」

「何をやっとるんだ」

 

真っ暗な食堂の中ピンスポットが当たっているのは先ほど目の前にいたはずの藤丸、どこからか取り出したビールケースのえうに仁王立ちしていた。振り向けばマシュが生真面目そうにピンスポットを彼女へとあててた。

 

「確かに現状でも必要最低限の食事は賄えるでしょう。それなりにおいしい、それなりに満足、それなりに幸福。しかぁし、私たちは禁断の果実へと手を伸ばしたアダムの末裔。知恵を手にした霊長類、つまりっ」

 

どこかを力強く指差しにやりを笑った。

 

「持てるすべてをかけて欲望を満たす。さてかもぉん、ニューカマーっ」

「すごく出ていきたくないんだけど、でなくてもいいかな」

「先輩も乗ってますし、少しだけ付き合ってくれませんか」

「仕方ない、同じ神を持つ兄弟の頼みか」

「裏話が聞こえているのだが」

 

その言葉を消すように新たにスポットライトの元には白い少年の姿があった。

 

「紹介しよう、彼こそが七つの海を知り尽くしたキャプテン・ネモ」

 

人類史に名を遺す船長ので英霊、そして彼が操るのは全ての海を渡ることのできる最高の潜水艦、ノーチラス。

 

「つまり何が言いたいのかね」

 

彼女はしたり顔でいった。

 

「カルデア海洋部漁業資源確保作戦、プロジェクトノーチラス発動っ」

 

男は深くため息をついた。

 

 

 

 

 

『あーあー、こちらカルデア、試験潜航艇アンモナイト聞こえますかー、定時報告どうぞー』

「こちらアンモナイト、感度良好、オールブルーこれより待機時間へと入る、どうぞー」

『りょうかい、それじゃあ神代の海をゆっくり楽しんでねぇ』

 

切れた通信に深い溜息をつきながら、所長は前面に広がるくらい海を眺め始めた。何もない黒い海はそれが神代であるか、現代であるのか判別がつくことはない。未開の深海、宇宙と同程度に未知の溢れる地ともいわれる深海ならばそれは現代であっても神代の名残を残している、そんな風に思えた。

 

「インドでの励起はうまくいったようだね」

 

横から声をかけてきたのは白い少年の英霊、シオンによって呼び出された英霊、キャプテン・ネモだった。

 

「本来ならばこんな軽装の船で深海に潜ろうとすればこの半分でも耐えきれないだろうに」

「伊達に英霊やってないからね」

 

葉巻型の小さな潜水艦のなかに五畳ほどの空間と前面には大きな強化ガラスが張られている。そして潜水艦の中央に飾られている白い衝角がこの船をノーチラス号にとどめていた。

 

「ボーダーをこの前みたいに使ってもいいんだけど、それはあまりにもリスキーすぎるからね、試験運行程度にはちょうどいい」

 

小さなノーチラス号、試験船アンモナイトの中にはキャプテン、マスター、そして所長の三人の姿があった。インド異聞帯で本来の力を励起させたキャプテン、今回の作戦はその効果のほどの調査、そしてマスターではない藤丸とキャプテンとのパスのリンクがつながるかを調査する実験との合同作戦であった。

 

「それならば私が乗るのはリスクが高いとは言えないのかね」

「所長はいてもいなくても別にどうでも、ちがった、所長のたぐいまれなる操縦技術は操舵手としても十二分に有用だからね」

「いまいてもいなくてもいい暇人といわなかったかね、どうだねっ」

「冗談だよ、それに船長だけじゃ船は回らない、所長はどうせボーダーから出ないんだからこういう内部の作業をやることになるだろうし、手慣れておいてもらえると僕も助かる」

 

所長の知るドラッグカーの内装ともボーダーとも違うその操縦席は確かに少しばかりマスターするには時間がかかりそうでもある。深海に潜ってからすでに三時間、既に流し網も仕掛け終わった。もう少しすればその網を引き揚げることとなる。小さなマニュピレーターの操作にも少しだけ慣れ、そして残るのはあと一つではあるが。

 

「まったくいい気なものだ」

「あそこまで船に弱いとは僕も思ってなかったよ」

「ちぃがぁう、まだなれてないだけ、まだなれてないだけぇ、うっ」

 

消え入るように聞こえる彼女の声、明らかに青い顔をした彼女はエチケット袋を片手にこの世の終わりをつぶやいていた。

 

「これじゃあ、ほんとにダメなんじゃないのか」

「まぁ船乗りも吐いて乗って吐いて、慣れるしかないから。とりあえず次からはエチケット袋は多めに用意しておくことにするよ」

「さめがぁ、さえがぁくるぅ」

 

うわごとのように繰り返す少女に憂いを込めた視線を配る。

 

「それにしても神代の魚を食べるというのはいささか命知らずでもあるのだが」

「カルデアはウルクに行ったんだろう、なら似たようなものじゃないか」

「しかし彷徨海だからな。神代とはいえどんな魚が取れるものやら」

「時計塔の連中が効いたらおおわらわになるだろうね」

「違いない」

 

その言葉とともに聞こえたのは網の巻き上げを知らせるタイマーの音、そして船外から響くのは網を巻き上げるモーターの駆動音だった。

 

「一つ聞いてもいいかな」

「なんだね」

「彷徨海の海っていうのは神代の海ってことだよね」

「まぁそうだな」

「ってことはその昔の生物がいるわけだ」

「そうだな」

「海にいるのは魚だけじゃないよね」

 

振り向くとキャプテンの視線の先、三次元ソナーには波の音波を遮るような大きな黒い点の数々が近づいてきていた。

 

「例えばサメの祖先のメガロドンとか、鯨の祖先のバシロサウルスとかあとは」

 

そして、目の前には無数の触手がうごめいていた。

 

「伝説に語られるようなクラーケンとか」

「全速反転っ、全速後退っ、早く逃げるんだよぉ」

「ひゃっはぁー、冒険っていうのはこういうのじゃなくっちゃあなぁ」

「なにこの子、一気にテンション上げてるんじゃないよっ」

「揺らさないでぇ、ゆらさないでぇ、うっ」

 

小さな悲鳴は海の底へと消え、白い小さな一角が星のように逃れていった。

 

 

その日から変わったことは二つ

一つ目は訓練メニューにアンモナイトを操り怪物たちから逃げる水中操作研修が増えたこと

二つ目は食堂に新たなメニューが増えたこと、その名前はアンモナイトらーめん

 

 

「やはり冒険の後のラーメンは格別だね、特にこのイカ天がいい」

「所長、まだ口の中すっぱいんだけど」

「うがいしてこい馬鹿者」




所長のラーメン屋のおやじ感

誤字訂正を行いました
報告ありがとうございました


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With

 夕食の終わった食堂、すでに片付けもそして清掃まで終わった食堂はすでに火は落とされほとんどの明かりも消されている。そんな厨房の一角、拭きあげられた調理台の前、いつもならば食材たちが載せられているステンレスの調理台の前、三足の簡素な椅子に腰かけながら台の上に広げられた目の前の紙へと向かう。明かりは棚に取り付けられた小さな蛍光灯だけ。必要最低限のその光はくるりと回り続ける鉛筆と端に置かれたタブレット、そして脇にいくつか積まれている厚い辞典のみを照らしている。冷たいステンレスの調理台もいつの間にやら蛍光灯の熱が移ったのか、腕から伝わった体温のせいか少しぬるく、しかし依然として紙の上にはインクが乗ることはなく白く綺麗なままだった。

 

「やっぱりエミヤ君に頼むべきだったかなぁ」

 

白い紙の一番上、ほとんど白い紙の上に唯一書かれている『今週の献立』、その文字だけが光を吸い込み少しだけ熱くなっていた。

 ブーディカの小さなため息が暗い厨房に溶けていった。

 

 

 

 

 第三異聞帯より帰ってきて早数か月、司令部ではシャドウボーダーの改装のためインド異聞帯への進出が決定し、そのための準備に追われている。それぞれの異聞帯がどれほどの成長を遂げているか、時間がたつごとにどれほどの脅威が増して行くのか、その答えは未知数で、汎人類史側の自分たちにとって早急に異聞帯を打ち落とすことが急務となる。そのために夜中遅くまで作業するものも少なくはない。このノウムカルデアでは以前のフィニスカルデアよりもその人員は少ない。ある程度は落ち着いてきたもののノウムカルデアとなり最初に呼ばれたうちの一人としてその苛烈さは人理修復よりも苛烈だったとそう応えてしまうほどに。

そうしなければ折れてしまうほどに。

そうしなければ動けなくなってしまうほどに。

そうしなければ。

 

 

 

 

「こんな時間になにをやっている。消灯時間はとうに過ぎているぞ」

 

不意に背後から聞こえたその声に振り向くと予想通りパジャマ姿にナイトキャップを被ったゴルドルフの姿があった。

 

「む、あなたがこんな時間に規則違反とは珍しい」

 

彼は小さなライト片手に厨房へと入ってくるとその白い紙に気づいたらしかった。

 

「あなたならばすぐに書いてしまえるものと思っていたのだが」

「そうでもないわよ。もとよりこれでも王女なのよ。それなりに子供たちにもご飯は作っててもそんなにひと様に作れるようなものを作ってたわけでもないからね」

「それにしては十二分に腕を振るっているようだが」

 

彼は摘まれていた辞典をめくりながら不思議そうに尋ねた。

 

「自分で作ろうとすればそれこそ子供たちの好きな料理とか野戦のための簡素なものとか偏っちゃうからさ、こういうちゃんと栄養学っていうのかな、そういうちゃんとした教育を受けたようなバランスの取れた献立って難しくってね」

 

栄養学を中心とした食事のための辞典がそこには積まれている。本自体は比較的新しいもののそのくたびれ具合を見れば短期間で使い込んだことが目に見えていた。

 

「いままではある程度食材もいろいろと使えたけど、こっちだと制限もあってその中で献立を立てなくちゃいけないからちょっと難しくてね」

 

少し苦笑しながらタブレットを開くと計算機のアプリが開いていた。

 

「エミヤ君がカロリー計算とか簡単だからってくれたんだけどやっぱり機械ってむつかしくて使いこなせてないの。ないしょだよ」

 

端に置かれた雑記帳にはいくつかのメニュー候補と計算と、そしてうまくいかなかったのかそれを消す車線が引かれていた。

 

「確かに家庭の食事ならよいのだろうが非常事態だからな。職員たちの健康にも気をつけねばならないからな。生活習慣病で倒れられでもしたら溜ったものじゃないからな」

「それは一番所長さんが気をつけなきゃいけないんじゃないかな」

 

その言葉に図星を突かれたように眉をひそめるも理解しているのか否定はしなかった。

 

「これまではどうしてきたのだ。献立の担当が初めてでもあるまいに」

 

代わりというように小さな嫌味を混ぜた悪意のない言葉。

頭に浮かぶのはヒマワリのように笑う一人の友人の姿。

計算機にすら手間取っていた自分に声をかけて、そして献立の相談からカロリー計算まで手伝ってくれた料理上手な新しく出来た友人を。

ミステリー小説と自転車と、そして郷里に恋人を残してきた彼女。彼はアレルギーと趣味とそして好き嫌いが多い人なのだ、と嬉しそうに、寂しそうに笑っていた友人の言葉を。

そして今のこのカルデアにはいない友人の姿を。

 

「ごまかし、ごまかしやってきたけどついに万策尽きたって感じかな。エミヤ君とか紅ちゃんとかはちゃんとそのあたり勉強してそうだけど、私はやっぱり素人だからちょっと荷が重いなぁって。キャットは、まぁキャットだから」

「確かに、料理で英霊になったわけでもあるまいし、そのあたりで苦労を掛けているとは。対策を考えるべきか」

 

真剣になまなざしで考え始めた彼に少し意地悪をしすぎたかと少し罪悪感が沸く。小さな撃鉄が鳴りゆっくりと血に似たなにががこぼれ始めた。

 

「冗談よ冗談。ブリタニアのごはんって言っても香辛料も無いし、あんまり土地が豊かなわけでもないからさ。それにカルデアには他のとこの人もいっぱいいるからいろいろと勉強しないといけないじゃない。まぁエミヤ君とか紅ちゃんとかいるからちょうどいい機会でもあるしね」

「ならばよいのだが」

 

少し困ったような、依然として納得はしていないような善良な彼は小さく何か考えたように顎に手を当て考え始めた。小さく聞こえる単語から察するに、カルデア内農場のさらなる拡張を考えているらしい。

 

 

 

ゴルドルフ・ムジーク

カルデアの新所長となった男。

クリプターと異星の神による襲撃の切り口を作った男。

友人と、仲間たちと、そしてあの子たちの居場所を奪った男。

あのローマと同じ私の家族を奪った男。

胸の奥が小さく焦がれる。

黒く落ち

無音が叫ぶ

怨讐にも似た吐息が灰の中にたまり始める。

タールのように不快で

泥のようにつかみどころのない

涙のようなその痛み。

忘れることのできない

忘れてはいけない存在

今ここで彼の首を取れば

その鼓動を止めてしまうことなど造作もない

他の英霊の姿はなく

かの魔術師の技能は英霊には及ばない。

指揮官ではあっても戦士ではない、しかし英霊にとっては些末なことだった。

ならば。

 

 

 

 

小さい音がした。

 

「あっ」

「ちょっとした差し入れだ。残業は褒められたものではないが。たまにはな」

 

香るのは柔らかなそして綻ぶようなその温かさだった。

 

「ブリテンといえば紅茶というのはあなたからはずっと後のことだろうがな」

 

彼女の目の前におかれたのは綺麗な香色をしたミルクティー。彼はそういって自分の分へと小さく口をつける。その味に少し満足したように首を振った。

 

「どうした、飲まないのか」

「えっ、いや、ああ、うん、ありがとう」

 

温まったカップを両手で包むように持つ。自分の知らない、しかし、自分の国の味。

ゆっくりと一口飲みこんでいく。

濃く柔らかい。

口の中いっぱいの香りが鼻へと抜けていく。

野原のような撫でるような香り

そして舌に触れるのは小さな甘味。

干した麦のような少し焦がしたようなあたたかさだった。

ゆっくりと体の中を流れていく。

確かな温かさだった。

 

「ミルクティーていうんだっけ。それにしてはいつもより濃いのね」

「普通のミルクティーはお湯で煮出した紅茶に牛乳を加えるのだがこれは違う」

 

彼は立ち上がると背後にあるまだ小さなミルクパンを見せた。

 

「少量のお湯で紅茶を開かせた後に牛乳で煮出すのだ」

 

小鍋の中にはきれいに色づいたミルクティーと浮かぶ茶葉が残っている。

 

「小さな手間だがそれを行うことでより薫り高くまろやかな味となる。英語でいうならシチュードティーなのだがあの娘のように日本語でいうならロイヤルミルクティーともいう」

 

ちょうどよいだろう、と少し自慢げな彼の表情に少し笑てしまった。

 

「どうだ」

「とてもおいしいよ」

「おほめに預かり理恐悦至極」

 

その滑らかな甘さにため息にも似た吐息が出た。

彼ではない。

騙され、図られ、そして捨てられた。

戦いを楽しむものでも無く、

占領を尊ぶものでも無く

そして簒奪を誇るものでもない。

ただ家族とともにお茶を楽しむ

それだけで構わない。

この暖かさをくれた彼はそうであってほしい

ただそう思った。

 

 

「そうか」

「どうかしたか」

「いいや、前に紅茶について教えてもらった時のことを思い出していただけ」

 

彼女は言っていた。

 

『この紅茶が文化になっていった歴史だって決して正しい歴史とは言えないものよ。でもね。少なくとも今こうしてあなたとお茶を片手に献立を考えながらおしゃべりしている。その幸福だけは間違ってはいないとそう思うわけ。歴史なんてそんなものよ。あれ、今私いい感じのこと言ったでしょう、どうよ』

 

「この甘みも実は普通の上白糖ではなく実は黒糖を使っているのだ。確かに滑らかさでいえば上白糖のほうが良いのだろうがロイヤルミルクティーには十分滑らかさがあるからな。その分アクセントとして黒糖の雑多さが合うと思うのだよ、いかがかな」

 

「ふふっ」

 

髭に白く紅茶のついた彼を見て少し笑ってしまう。少し得意げなその姿が似ているような似ていないような気がした。

 

「ねぇ所長さん」

「なんだね」

「栄養学とかカロリー計算とか分かる」

「そんなものは料理人として初歩で土台でもあるからな、できん奴はまだ半人前だ」

「じゃあそんな半人前からお願いがあるんだけど」

 

自分の失言に気が付いたのか少しおどおどした彼に問いかけた。

 

「献立考えるの手伝ってくれない。私いつも献立は友達と考えることにしているの」

 

その言葉に彼は少し驚いたように目を丸くし、そしてゆっくりと席を立った。

 

「献立を考えるのにお茶一杯というのは寂しいからな」

 

彼は小さなクラッカーを取り出しながら問いかけてきた。

 

「お茶の御代わりは、女王陛下」

「喜んで」




何か書きたくなったので書きました


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ヘルズキッチン!立志編

いい加減に続きました


一つの線が走る。

 

流れるような軌跡はただ美しく闇の中を割いていく。

人の技ではなく、自然の中に生まれた積なる美、人の手の届くことはないほどの柔なる流れ。

ただ美しいその流れはしかして、触れることなど叶うことはない。

刹那なる一閃に触れることはすなわちその割断を意味する。

誰かに説明されたわけでもなく、ただこの体が、頭が、心臓が、そしてその魂が理解する。

あれは人の命へと触れるものであると。

不用意な接触をすれば死へと運ぶ技であると。

覚悟をもってしても冥府へと誘う業であると。

しかし、その光から目を離すことはできない。

暗闇の中の灯を見つけた蛾のように離れることはできない。

近づけばその身を焼く死であったとしても。

それが例え死であったとしても、感じたのだ

風のように緩やかに

火のように輝かしく

水のように途絶えることなく

そして願いのようにただ純粋な

きっとそれは

 

 

 

 

遠くのほうで声が聞こえる。

誰ががしゃべっている音だ。

一人、二人、いいやもっと多く、十数人ほどの音が聞こえる。聞けば物の揺れる音、いいや誰かの走る音も聞こえてくる。せわしなく出ていっては戻り、そして出て行っているらしくその音が微かな揺れとなり音となり迫ってくる。微かに聞こえる小さく甲高い音は何か硬いものをこすり合わせたようなものだろうか。大声を張り上げているそれはどうにも鉄火場の様相を呈しているらしい。怒号にも似た伝令のような声が聞こえる。

このノウムカルデアも又そんな火急の事態とも無関係とはいえない。シンへと赴く契機となったコヤンスカヤの侵入、先日の大奥騒ぎの根も乾いてはいない。しかし、だからこそ新たなる侵入に関しては万全の体制をとっている。確かに表では職員たちが何やら急いでいるらしいものの真っ先に鳴らすべき緊急警報もそして指令系統のトップである自分への伝令がないということは大したことでもないのだろう。昨夜は大量の焼き豚の仕込みで忙しかったのだ。何よりいつ危険な事態に遭遇するとも言えないこの状況、仮眠は取れるときに取っておかねばならない。

微睡の中、二度寝の決意を固めた。

 

「いい加減起きるでち」

 

聞こえたのは鉄のたわむような、銅鑼をたたいたような音それとともに頭には走る鈍い痛み。

 

「起きてるのはわかっているでち、余暇ならまだしも今回は二度寝などまかり通りまちぇん」

 

少しばかり舌足らずな彼女の声を聴きならが痛みと耳鳴りを腹の底にしまい込み寝ぼけ眼を強引に押し上げる。

視界に広がるのは大きな大きな厨房だった。小さなホールほどはあろうかというほどの厨房、木造のあちらこちらに赤い唾根の衣装と飾り棚が拵えており、時を経た木の亜麻色が密のようにそれらを輝かせ、同時にその厨房の古さを語っている。多くのかまどから湯気が上がり、広い木製の調理台の上には一抱えほどはあるような大笊にうずたかく積まれた野菜たちが置かれていた。湯がたち、米がたき上り、野菜に火を入れ、魚を捌き、そして肉を焦がす。聞こえてきた怒号もよく聞けば人間にしては高い雀のさえずり。火と食材たちと、そしてどこか漂ってくる微かな硫黄の香り、少しだけ久しいその匂いはそう簡単に忘れられるものではなかった。

 

「ここはどこ、いいや野暮だったな」

「物分かりのがいいのは説明が省けて楽なので大歓迎でち」

 

それは閻魔亭、

舌切り雀こと紅閻魔女将率いる地獄の温泉旅館であった。

 

 

 

 

 彼が目を覚ましたのは厨房に敷設された六畳ほどの小さな和室、部屋の端には無数の段ボールと壁には何やら挟まれている紙の端が少しくたびれたクリップボードやいくつかの張り紙が見える。見慣れた指令服ではなく以前来ていた番頭服であることにはすぐに気が付いた。

 

「一年分の幸福はきちんと集め、この旅館の負債も解決しそれで充分手打ちとなったとは思うのだが」

 

出された茶をすすりながら毅然とした態度で彼女へと問いかける。以前特異点としてレイシフトを敢行した際にこの閻魔亭の意義ともいえる旅館の顧客たちの幸福の気持ちを彼が放出させてしまったために集めなおさなければならない事態となった。さらにはこの閻魔亭が抱えていた負債も帳消しにしたためにいうなれば彼らがこの旅館を救ったともいえる。しかし事の発端となった彼はトラウマなのかよく見れば彼の手元は震えている、しかし彼女もその揺れに気付いてはいても気にすることはない。

 

「今回はそれとは別件でち」

 

その言葉に彼は少しだけ安心したように一息つくと、すぐにまた慌てたように取り乱し始めた。

 

「いや別件とはいっても、現に今私はカルデアから離れてここにきているのだが何が起きているのだ、またしても以前のように洗脳だのなんだのされるのはこりごりなのだが。連絡手段はないのか、ジュネーヴ条約にのっとった捕虜の適切な扱いを要求するっ。これを逸脱した場合には戦後に重大なバツがあることを覚悟してもらおうか」

「落ち着つくのでち」

 

またしてもフライパンの甲高い音がする。少しばかりの脳震盪から復帰しながら彼が言葉を言う前に彼女が口を開いた。

 

「今お前の体はカルデアのベットで寝ている真っ最中でち。寝ている幽鬼の状態で閻魔亭に逆召喚させただけでち、もとより経路自体とおっていまちゅ。あまり難しいことではありまちぇん」

 

以前の邂逅から縁自体はつながっている。そのために時折紅閻魔自体がカルデアに来ていることは知っている。特にこれは良い機会だとヘルズキッチンの出張版が開催されているときなど一部から阿鼻叫喚の悲鳴も漏れてくる程、新たな講習生となった源頼光ですら根を上げていると聞く。

 

「それに時々マスターも手伝いに来てくれているでちよ」

 

彼女の指さした先、従業員ロッカーの端には藤丸の名札がかけられている。どこで買ったのかわからないファンシーなシールまで張り付けてあった。確かに全職員の行動は把握しているものの夢の中までは把握できない。

 

「いつの間にっ。というか一応ここは地獄であるから、そこへこうも簡単に呼ばれるっていうのは、一時的に死んでるってことにも…、え、大丈夫なの、これこっちでものを食べたら戻れなくなるとかないの、本当に大丈夫」

「この前も朝昼晩とちゃんと食べていたでち。チャンということを聞いている限りそんなことはありまちぇん」

「いうことを聞かなかったら」

「チャンと正社員として雇用してやるでち」

 

甲高い悲鳴が響き、またしてもフライパンの打撃音が聞こえてくる。

 

「今回はマスターの発案もあってのことでち」

「して結局いったい私に何をさせようというのだね」

 

赤い大きなたんこぶをこしらえながら彼は威厳たっぷりにそう聞いた。

 

「道すがら説明するのでちょっとついてきてくだちゃい」

 

ようやく回復した頭を抱えながら、紅閻魔につらられ厨房の裏口から外へと出る。迷い家としてそびえる閻魔亭はその名に恥じぬほどの大きな本館別館含めた全体が深い山間に鎮座している。周りにはもちろん人工物などなく、流れる清流と青く茂る木々、そしてあたりを囲む霊峰が美しくそびえる。そんな閻魔亭の裏、従業員たちのみが入ることのできる小さな小道を抜け裏山の端へといざなっていく。

 

「ゴルドルフ所長さんは無宗教なのでちか」

 

道すがら紅閻魔はそんな風に訊ねてきた。

 

「魔術師だからな、教会とはもちろん折り合いが悪いのは間違いないのだが、代行者や仏門ならば僧侶でありながら魔術師であったりするのだからそうなのだろうがな。私もそして私の家もそういった宗教というものは持っていないな」

「そうならよかったでち」

「まさか、日本の地獄に別の宗教の人間が入るとまずいことでもあるのだろうか」

「そうならば英霊の皆様も来れてはいないのでち。確かにそれぞれの地獄があるので死後はそれぞれの地獄へいくのでちが、今はグローバルの時代、英語しかしゃべれない日本人という子も出てきているのでちからちゃんと勉強しているのでち。ぬかりはありまちぇん」

 

彼女はそう言って懐から駅前留学のロゴの入っている単語帳を見せつけてきた。

 

「まぁどこぞの加護がないならばかち合うことものないでしょうしちょうどいいでち」

「何か言ったかね」

「なにも」

 

彼女のつぶやきは彼に届くことはなかった。

 

「マスターから聞きまちた、ゴルドルフ殿は料理人ほどの腕前を持つと」

「たしかにそれなりという自負はあるがな」

「ちょうど、次の団体様がイギリスの方たちなのでち」

「なるほど、それで私に調理法など聞きたいということか。しかし、ほかの英霊たちもいるならばそちらに聞いたほうが良いのではないか、料理の英霊というのもいないわけではないだろう」

 

紅閻魔は彼の言葉にゆっくりと首を振った

 

「英霊や亡霊、迷い子たちはみんなお客様でち。だから彼らからの供与というのはあまりよろしくありまちぇん。しかし、現世の人間であるマスターやゴルドルフ殿ならば獄卒として一時的に閻魔亭の職員にできるのでちょうどいいのでち」

 

山道を抜け小さな桟橋を渡った、谷川が流れているのか微かに水の涼しさが肌に触れる。谷川のすぐそばを歩いてゆく。

 

「なるほどそれで、その団体客というのはいつ来るのだ」

「今度のお盆でち、仕込みにもあまり時間がありまちぇん」

「確かにそこまで時間があるわけではないがワインを一から作るわけでもあるまいし大げさではないか」

「聞きまちたよ。先日大奥でいともたやすく敵に言い込められたと」

 

途端に彼女の口から出た単語に、彼の口は閉じる。自分の不出来、失態。弁明しようにもとっさには言葉が出ない。

 

「いきなりの襲撃でもあり、第六天魔王の策略ならば確かにそのなんというか、あれなのだが、どういうので、そうだ、運悪く、はい」

「情けないとはいいまちぇん。今が異常事態なのは重々承知でちから、しかし、その精神の弱さは改善しなければなりまちぇん」

 

少し冷たくなったような彼女の言葉に少しだけその小さい背中を見つめながら彼は言った。

 

「一体私はどうなるのでしょう」

「お盆で人も増えるので新しい料理人も欲しいと思っていたのでちょうどいいのでち」

 

ゆっくりと留まった彼女の背中、そしてゆっくりと振り返ったその表情は笑みが浮かんでいた。

 

「私も久しぶりの弟子取りでこようちてしれまちぇん。しかしその分気合後の技は期待ちてかまいまちぇん」

「弟子取り?いったい何が、え」

 

笑みの彼女の裏にはちょうど切り立った崖となっている。これまで隣を流れていた河が流れ落ち、滝と化していた。その落差は百メートル。瀑布といっていいほどの轟音がここまで聞こえてくる。

 

「みんな第一歩はここからでち、私も最初は無理だと思ったものでち」

「話の先が見えないのだが」

「獄卒は地獄で死ぬことはないのでちょうどいいでち。夢の中ならば現世との時間も解離して何倍も余裕を持たせられまちゅ」

「だから一体なに」

 

しかしその先を紡がれることはなかった。小さく感じた襟元の違和感。

、いつの間にか彼女に崖から放り出されていたことに気が付いた。

 

「閻雀裁縫抜刀術、第一業 滝割 はじめっ」

 

ゆっくりと遠くなっていく彼女の姿を見ながら笑みは本来肉食獣が威嚇に用いていたものの名残だという。彼はそんなことを思いながら彼女の笑みを見つめ、そして落ちていった。

 

 

 

 

「それで今所長はあの滝つぼの中で滝を切ろうとしているわけ」

 

藤丸の言葉にはいささかのあきれたような響きが含まれていた。橙の仲居の様相をした彼女、正月以降、本格開業したはいいもののまだ従業員の数が足りていなかった閻魔亭で期間従業員をしていたのだ。

 

「確かにいい料理人がいるっては言ったけど、あそこまでする必要あるの。もう点にも見えないけど」

 

桟橋の上から見下ろしてなおその姿は見えない。それ以上に何も持たない状態で瀑布のような滝を切ることなどできるはずもない。

 

「ヘルズキッチンの時も厳しかったけどあれはレベルが違いすぎるんじゃないの紅ちゃん」

「ヘルズキッチンは料理教室、これは弟子取り、いうなればヘルズガーデンでち。閻雀洋裁抜刀術の神髄を叩き込むならばこれでもまだ序の口でち」

「おてやわらかにね」

 

地獄の窯の蓋が開くお盆それは同時に閻魔亭の繁忙期を意味する。再開した閻魔亭に足りないマンパワー、仲居はある程度確保できたのだが、料理人の確保が難航していた。もとより専門職、一朝一夕で仕込めるわけはなく、ならばヘッドハンティングを行わなければならない。

そこで白羽の矢が立ったのがかの男だった。

 

「それにいかに基本が出来ているとはいえこのあたりの獣には通用ちまちぇん」

「それにしたって何も持っていないうえで滝割って」

 

苦笑だけが洩れ地の底の彼には同情を禁じ得ない。

 

「マスターは私がお櫃を持っているときに何で敵を打ち倒していると思っているのでち」

「そういわれてみれば、しゃもじしか持っていないのに」

 

驚いた彼女の顔に紅は得意げに笑いかけた。

 

「閻雀抜刀術は決して殺しの技ではありまちぇん。食材を捌きお客様に提供し、そして悪人を捌き、適切な罰を与え新たなる旅路へと導くための活人剣でち。ただ人を思いやるためだけの剣、彼ほどの担い手もそうそう見つかりまちぇんよ」

「それならうちの所長は世界一に決まっているもの」

 

笑いあう少女たちの声が流れる水音に取り込まれていった。

 

 

川岸に倒れこむ

夜の闇が広がる。滝つぼのほとり、無数の星空へと焚火から立ち上る煙が唯一の雲となっていた。

水の砕ける轟音が遠く聞こえる。夜鳥の鳴き声と梢の揺れる小さな音そして枝の弾ける小さな音色。串に刺さっている猪肉から脂が垂れる。照るようなその炎と久しぶりの星空だった。もはやどれほどの時間がたったかなど覚えてはいない。時間の流れが違うのかすでに三十二の夜までは数えていた。途切れることのない水の奔流。時を止めるとまではいかなくとも魔術を使えば一時より短いその刹那ならば留めることはできるだろう。しかし、どうやらこの谷ではその魔術を封じられているらしかった。

 

「おかげでまぁ随分と懐かしいことを思い出させてもらっているがね」

 

それはまだ十にも満たない頃、数回放り込まれたのは誰もいない無人島。刻印の移植も行っていない頃、ナイフ一本で食いつないでいたあの虐待ともいえる訓練を思い出す。

 

「あれはトゥールⅡのころだったか」

 

ムジーク家、そしてゴルドルフの教育係でもあったあのホムンクルスたち。姉のような、妹のような師の様な、弟子の様な彼女たちのことを思い出す。無表情のくせに芯が強く、そして好奇心の旺盛だった彼女たちのことを。

 

「まったく、主人を主人とも思わない奴らだったがな」

 

眠るように、微笑むように止まっていった彼女たちのことを。

 

「あいつらも限度を知らんからな、最初の時なんて刻印どころか魔術の一つも教えてもらってはいない頃、」

 

違う、それは違う。

トゥールⅡが初めて来た際の一番最初の仕事が魔術刻印の移植だった。ならばこの記憶の中の最初の星空はそれよりも前。

それはつまり

 

「もう顔も思い出せんというのにな」

 

数か月だけの生活だったというのに

もう二十年も前だというのに

それでもまだいてくれているのだろう

 

『わたしたちは知識を教えることはできる、しかし経験を授けるには時間が足りなさすぎる。料理なんてその最たるものだ。レシピがあっても経験とそれによって育まれた技量がなければおいしいものは作れない。だから次はお前がその目と耳と肌と、そして舌で経験した世界を食べさせてもらうとしよう』

 

ぶっきらぼうに頭を撫でつけてきた不器用な褪紅の瞳をした彼女のことを。

より長く

より元気に

ずっと多く笑っていてほしい

原初の願いから握ったその包丁のことを思い出す。

 

「まったく、みんなして言葉で言えばよいものを」

 

貴方はそんなことじゃ身に沁みないでしょう、そんな彼女の言葉が聞こえるようだった。

 

「確かに」

 

懐から取り出したのは小さなナイフ。

人を傷つけるためでなく

人を生かすために綻ばせるために鍛えられた刃。

それだけで十分だった。

 

「夢の中で仕込むとはあの女将もなかなかに侮れんな」

 

そう小さく笑い、軽く振る舞った。

 

「閻雀裁縫抜刀術、一の型、褪紅滝割」

 

音もなく、滝は割れた。

 

 

 

 

 

「思いのほか早かったでち」

「それはそれは厳しく教え込こみましたからね、これでも遅いくらいです」

「きびしいのでちな」

「駄目な子ほどかわいいというやつですか、まぁあの子なら出来て当然ですけど」

「親ばかでち」

「まぁ今日のところはこのくらいにしておいてあげましょう、この後もまだあるんでしょう」

「基本十二、亜種六、派生五、総計八十の技全てを教えるにはまだ時間がかかるでち」

「どうか、あの子のことをよろしくお願いします」

「まかされたでち」

 

 

「いやむりだって、ナニコレ、なにこのでかい鯉っ、幻想種じゃないのっ、頭のあたり半分龍だしっ、気持ちわる、ああぁっ、言ってません、言ってません、気持ち悪いなんて思ってませんからっ。滝割ったら出てくるってなしじゃないのっ、こんなの果物ナイフで切れるわけないだろうって、ジュネーブ条約をっ、責任者をだせぇ、あ」

 

 

はるか下のほうで小さな影が大きな魚影に飲まれて消えていった。

 

「しまらないわね」

「まったくでち」

 

彼女たちはため息をつく、しかしその表情は少しだけ笑っているように見えた。




面白いといいな


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ナスとピーマンの肉味噌炒め(適量)

もうそろそろ続きました


 

「というわけで料理教室の開催でございます」

 

 女の声が聞こえた。

まだ年若い女の声。良く知っている彼女の声。よくとおる彼女のいつものように少しうるさいくらいに元気な声が聞こえた。人類最後のマスター。世界を救った一人、そして自分が先輩と呼ぶ彼女が立っていた。

 

「何がというわけだ、だいたい昼食を抜いて来いとはいったいどんな了見だ、事と次第によっては福神漬けの卸をストップする用意があるぞ」

 

続けて聞こえたのは少し年を重ねたような男の声がした。少し小太りで金髪、そして白いコックスーツに身を包んでいるのはカルデアの所長であるゴルドルフ・ムジーク新所長だった。

 

「料理教室をするのにおなか一杯昼ご飯食べちゃダメでしょうが、これから作るのに」

「だいたい何の料理教室だ。私は講師を依頼された覚えはないぞ」

 

昼下がりの食堂はすでに腹を減らした職員たちも帰り、ちらほらと食いはぐれた数人がいるのみ。厨房内に残っているキッチン担当の者たちもすでに洗い物もあらかた片づけたらしく彼らを見守るように近くのテーブルで一息ついていた。

 

「所長の料理教室じゃありませんよ。所長は生徒側です」

 

その言葉に所長はあからさまに眉を顰め、そして何かに思い至ったように顔を青ざめさせていく。

 

「まさか、紅師匠が来ているのか、いやこれは決してか彼女に恐れおののいているとか恐怖しているとかではないぞ。別に腕をなまらせているわけでもなければ教えに違反した行動をしているわけでもないぞ、うん、何も、やましいことはしていない、そうだ、なにもおそれることはない、さぁどんとこいだ」

「でち」

「ひっぃ」

 

とっさに厨房の調理台の下に隠れようとする所長ではあるもののその体躯を隠すにはスペースは足りず、調理台の下に置かれていたボウルや笊を落とすその騒音がすべてを物語っているようだった。小刻みに震えている彼の尻を見ながら彼女は悪戯っぽく笑った。

 

「冗談です。紅女将は今日は来ていません」

「やはりそうか、そういう報告も受けていないからな。それに今日は確かあちらのほうでもケルトの団体が入ってたはずだからそんな時間はないはずだからな」

 

平静を取り繕いながらもまだ膝が笑っている彼へ彼女は薄笑いを浮かべていた。切り替えるように彼は一つ咳ばらいをすると少し頬を赤くしながら言った。

 

「それではいったい誰が講師となるのだ。確かにキッチン担当の英霊たちも料理はうまいが料理教室と銘打つほど力量は離れていないと自負しているのだが」

 

その言葉に近くの英霊たちも異論はなく、しかし彼女の計画をすでに知ってるためか軽めの笑みを湛えるだけだった。

 

「確かに、所長は料理が上手です。それはキッチン班に引けを取らないうえに、私のカレーにはもはや所長の福神漬けは欠かせないところでもあります。しかし、貴方には全く足らないものがある」

「いっ、一体なんだというのだね」

 

彼女から一直線に向けられた指先。そしてにらみつけるような鋭い眼光に彼は少したじろぎながらそう答えた。

 

「それはずばり」

「ずばり」

「ズバリ、初心者の気持ちですっ」

 

パネルカモンっ、という彼女の声にいつの間にかそばへと待機していた錬鉄の英雄がホワイトボードを回し、裏面に書かれていたそれを広げた。そしてそこに書かれていたのはカラフルなペンで書かれたポップ体。

『藤丸立香のお手軽おふくろの味教室、とりあえずれっつクック』

そんな言葉が書かれていた。

 

「意味が分からんのだが」

「これ以上分りやすいこともないと思うのですが」

「私がお前に教わるのか」

「もちろん」

 

教授とは本来知識や技術のあるものから持たないものへ伝えるために行われる行為、しかし今回の場合は技術の劣っている彼女から、彼へ教授を行うといっているのだ。本来は意味のない行為。ともすれば、侮蔑ともとられかねないその発言であった。彼はあきれたように、しかし、少し眉を顰めながらも憤慨することはなかった。

「まぁ当然私より所長のほうが料理が上手なのは周知の事実ですし、正直言って今回所長はおまけです」

「おまけって」

 

頭に疑問符を浮かべている所長、彼女はそんな彼を観てそして彼からは見えない死角へと控える私に視線を送ってきた。

 

「それじゃあ本日の主役を呼びましょうか」

 

彼女の手招きに応じ、彼らの前へと進み出る。いつもの服の上に来た水色のエプロンはアイロン仕立てのように皺ひとつなく、少しかたい裾が歩くたびに膝へと触れた。そばに控えていたキッチン班の面々や職員たち、少し納得のいったような彼の顔、そしていつも見てきた彼女の笑みを受けながら声を上げた。

 

「藤丸立香のお手軽おふくろの味教室、生徒一号、マシュ・キリエライト。本日はよろしくお願いいたします」

 

小さな拍手とともに始まった。

 

「なるほど、キリエライトに教えるついでというわけか」

「一対一で教えるっていうのもそれはそれでつまらないし、一番暇そうな所長に生徒をお願いしたというわけです」

「これでも今後の計画の作成とか、これまでの経過報告とかまとめたりいろいろと忙しいんだけどっ」

「まぁまぁ、ある程度まとまってあとは技術部方面の整備と機器の調整のほうが重要って頃合いだと見ましたがいかが」

 

詰まったように答えない彼、どうやら図星であったらしくそれ以上のコメントは避けたらしい。

 

「それで、これはいったい何をしているのだ」

 

話題をそらすように彼は今自分の手の中にあるラップに目を落とす。手のひらに載るほどの小さく切られたラップに右手で持ったスプーンを用い小さく山を盛るそこへ薄茶の粉と乾燥ワカメとネギを載せ小さな球となるようにラップを包み込んでいく。流れ作業のように作っていくその小さなラップ玉もキリエライトのそばにはすでに五十は作られていた。

 

「なにって味噌玉をつくっているのですよ」

「普通の味噌ではないのですか」

 

所長の代わりというようにキリエライトは新しいラップへと取り換えながら彼女へと問いかけた。

 

「これはただの味噌ではないのだよ。これが何かわかるかな」

 

彼女が掬ったのは薄茶の粉、彼女に勧められるがまま二人は手を差し出すと、手のひらにその粒を少しだけ載せた。二人ともおもむろにそのその匂いを嗅ぐとその顆粒と口へと運んだ。

 

「顆粒だしでしょうか、カツオの様な香りもします」

「正解、つまりこの一袋の中には出汁と味噌とワカメとそしてネギというみそ汁に必要な基本食材が入っているから、食べるときはこれを器に入れてお湯をかければもうみそ汁ができるというお手軽ミラクル食品なのだ。忙しい朝も温かい汁物が簡単にできるというわけなのだ」

 

彼女は出来上がった味噌玉たちを冷凍庫へとしまい込んでいく。

 

「確かに良く市販されている顆粒だしの味によく似ているな。まさかわざわざ作ったのか」

 

彷徨海には当然顆粒出汁の搬入などなく、備蓄などない。漂白化された地球上で購入できることはない。つまり自作するしか入手方法はない。

 

「もちコース。サンプルっていうか非常食として少しは本物も残っていたからね。シオンに頼んで成分分析してもらってあとは何とか試行錯誤で頑張った。いやぁ企業秘密を知っちゃったぜ」

 

サムズアップする彼女とともに錬鉄の英雄は少し自慢げにうなづいていた。

 

「鰹節から抽出したエキスと各種調味料を細かく砕きそれらを調合する。まったくここまでの芸術的工業製品を作り使うくらいなら普通に出汁を使ったほうが早いだろうが」

「そこなのだよ所長」

「なれなれしいぞ下っ端」

「今回のキーワードは初心者の気持ちといったでしょう。それに目的はマシュに家庭料理を教えようというものなのですよ」

「しかし、さすがに遠回りではないか、普通に出汁からとればいいではないか」

 

彼女はちっちっと舌を鳴らしながら人差し指を振った。

 

「確かに所長の様な人にはそれでいいでしょう」

 

しかぁしっ、と彼女はわざわざ振り向きざま天を指さしながら吠えた。

 

「世の中のオカンやオトンは料理人ではないのです。特に男女平等主義が浸透し、共働き世帯、核家族化が進み、子供たちは塾へ、大人たちはぶらっくな会社へと赴く時代。毎食毎食わざわざ出汁とっているような時間はないのです。家庭料理三大原則のうちの簡単であると、短時間で済むという二つものタブーをすでに犯している。貧乏暇なし、猫灰だらけ。それでもご飯はちゃんと食べたいそういう家庭にはこういった簡単食材は欠かせないのです」

 

力強く顆粒だしを掲げながら彼女は力説していた。

 

「花嫁修業というようなものは前時代的といわれるようになり、それでなお毎食外食というのは家計に響く、子供たちにもちゃんと食べさせなきゃいけない、しかしみんながみんな料理上手なわけではない。しかし、嘆くな国民よ、我々にはほん格だしも鍋角もクックドゥードゥルドゥーもついているっ」

「あいつはいったい何へ語り掛けているのだ」

「楽しそうだからいいんじゃないですか」

「お前もお前で大物だなぁ」

 

見えない観衆たちへと語る彼女へと視線を向ける、いつも通りの彼女の姿に笑いながら最後の味噌玉を詰め終わった。

 

「先輩。終わりましたよ」

「私はこの味噌玉を持ち国政へと、え終わった。そう、ありがとう。まぁ簡単に言えばこのおふくろの味っていうのはより実践的家庭の味ということです。まず用意するものは近くのスーパーってことで」

「それでいいのか現代日本」

「それが最適化の過程ならば何ら問題ないのでは」

「きみもバッサリ行くね」

 

次の工程のために取り出した包丁はおもむろにナスの蔕を落とし、まな板を力強くたたいた。

 

 

 

「これで汁物はできたのであとは適当に納豆なり漬物なりサラダなりとごはんと常備菜のヒジキ豆あたりでも出してあとはメインディッシュですよ」

「まぁ一汁三菜か。確かに家庭でそれ以上毎食というのは厳しいか」

「時間があれば作れますけどね。それにこうして時間がある時にストックを増やしていけば形にはなりますし」

 

 彼女がきゅうりの浅漬けの味を確かめる。満足いったように小さく頷いた。三杯酢、素人でも簡単にできるその調理法、しかし簡単であるからこそ深く、その分見極めが自分にはまだできない。まだ彼女の様な味は出せない。

 

「家庭料理とはいっても料理が好きでもない人には苦痛であったりもしますからね。簡単で美味しいならそれが絶対正義ですよ」

「そんなものかね」

「そんなものですよ」

 

そういいながら彼女は手早くなすびを切っていく。一口大になるようにそろえて、慣れたように鼻歌交じりで、包丁を小気味よく奏でていく。

カルデアに家庭料理はない。

カルデアは家庭ではなく国連直轄の人理保障機関いうなれば仕事場。心休まる家庭との対極ともいえる。栄養は管理されメニューは決められ、そして何の思いも持たずに食べる。健康に職務に励むためのエネルギーの効率的な摂取。栄養補給というだけの様な食事にそれ以上の価値はない。デミサーヴァントとして作られた自分、ここで作られ生まれた自分。母もなく、父もなく。製造されただけの自分にとって食事とはそれだけのもの。

『それはいかん。まったくもっていかん。女子たるもの得意料理の一つや二つ持っていなければだめだよ。男は胃袋からつかむというのは一番てっとりっ早いけどそれ以上に自分で好きなもの作れたほうがお金もかからないし、カロリーも抑えられるからね。代わりに私は好きなもの食べすぎて最近太ってきちゃったけど』

おふくろの味を知らない私に彼女はそう言って包丁の持ち方を教えてくれた。芋の剥き方も、具材の切り方、魚のさばき方、灰汁の取り方、煮物、焼き物、漬物。

エプロンをして、鍋をかき混ぜて、そして豪快にもフライパンをふるう。その姿は本で読むところの母のようでけれどそう言えば彼女はそんなに年取っていないと膨れるだろう。ならば姉のように、しかし血のつながりなどなく。

 

 

母と呼ぶには年若く

姉と呼ぶには遠すぎる

だから

 

 

「先輩、ピーマンの準備できました」

「おう、早いね、それじゃあ、今切ったナスをすでにフライパンで火を通して脂が透き通ったくらいになってるひき肉に加えちゃう、んでうまいことナスにも火が通ったらこの味噌とみりん、醤油、酒を混ぜた調味料と水を入れる」

「分量は」

「適量」

「そこを適量って言ってしまったらもう料理教室ではないじゃないか」

「家庭料理なんてそんなものよ。いちいち計ったりしません。目分量と勘です。代々オカンよりこのくらいと教えられてきた由緒正しい分量です。所長もそうでしょう」

「まぁ経験則から来る目分量といってほしいが」

「それに人の好みっていうのは違いますから。家庭料理三大原則の最後の一つは家族が喜んでくれること。それはもう千差万別です。自分で見つけましょう」

「最後の最後で投げたな」

 

少しあきれたような彼の声と、それを笑う彼女の声はいつものように溌剌としていて大きくて面倒くさくてそしてどこまでも晴れやかに聞こえた。

 

「あとはちょっと全体的に煮立たせてピーマンを投入。私はここでラー油とかちょと入れますが辛ければゴマ油とか入れてもいいです」

そしてまた火をつけ最後の火を入れた。

「これで藤丸特製ピーマンとナスの肉味噌炒め定食の完成」

 

フライパンから盛られた皿と、そして自分と同じ小鉢と椀とそして湯気の立つごはん。先輩と所長と、そして遅めの昼食として同じものを前に、同じテーブルへと座っていたキッチン班の彼ら。

なんでも選べる食堂で、なんでも食べることのできる食堂で、同じものを同じテーブルで食べる。

それはまるで

 

 

「どうしたの、マシュ」

「いいえ、なんでもありません、食べましょう」

「え、なに今日はマスターが昼飯作ってんのか」

「え、マスターの手料理ってこと」

「おまえはさっき食べてたろうが」

「ダイエットはまた今度でいいかしら」

「おじさんもくいっぱぐれちまってなぁ」

「雑種の腕がどれほどか見てやるとするか」

「一口ほしいって言えばいいのに、素直じゃないなぁ」

「デザートはどら焼き所望」

匂いにつられたような彼らに苦笑を漏らし、再び混み始めた食堂はいつもの喧騒を奏でる。

「それではみなさん、お手を拝借」

そして、両の手を合わせた。

 

 

 

たぶん

いいや

間違いなく家族の食卓だった。

 

「いただきます」




そういえばマシュについてあんまり書いていなかったので


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デリバリーマルタ

久しぶりに続きました


 日の匂いがする。

 

青く澄み切ったような空の中に浮かぶような白い太陽が高く、輝いていた。時折吹く風が山の中を吹きおろしてくる。日に焼かれ焦がされたような青く萌える草木の匂いを運び、そして影の微かな湿気を取り込みながらゆっくりと降りてくる。沢の冷たいしぶきを取り込みながら流れ行く。唐突に木々のないその開けた先、太陽の光に白く塗りつぶされていた。じきに目が慣れればその先にあるアスファルトの路面が見えただろう。長く、そして白と赤のガードレールによって仕切られたその本来の姿を。

 しかし、ゆったりとしたその流れはそして音もなく、いいやその轟音によって塗りつぶされていた。

 

瞬きなどとうに遅く、刹那など冗長で、触れる熱のみが声を伝える。

あたりに響き渡るほどの唸りが響く。

風を引き裂く裂傷と逆巻く風鳴りが甲高く悲鳴を上げる。

地面は低く、遠くそして強く揺れ続け、その歓声を叩き潰す。

あたりに漂うのは焼けたタイヤの匂い。

赤熱したような鉄の心臓の拍、

人とは比べ物にならないほど脈打つその心臓はしかして確かに彼の鼓動を紡いでいく。

剣舞のようなその先、英霊たちの背中が見える。

汗は感じない、日の照り返しの暑さも、ライダーススーツ内にこもる熱気も感じることはない。

ただ感じるのは自分の心臓の熱、自分となる鉄の心臓の熱、内なる熱のみが彼を奮い立たせる。

行けるか

わからない

次、

1.2秒、

修正、

遅い、

より深く

まだ

一人

まだ

二人

まだ

三人

まだ

ここだ

 

ヘルメットには止まることのない路面が流れていく。

色を認識するより早く、風景をとらえるより早く

流れる意識の中を走る。

火花が散る、膝のサポーターが地面に触れ、削れていく。

倒れる

滑る

いいや、とどまることのない車体の影が流れるように雄たけびを上げた。獣のいななきのようなその声はどこか鳳の目覚めのようにも聞こえた。

 

 

 

「まだ二輪自体に恐れがあるな、バンク角も甘い。全体的に体に力が入っているためだろう。まず慣れることだ」

「まず慣れるも何も、ドラッグマシンなんてそんなに乗れるほうがおかしいんだって。確かにバイクは乗るけどさすがにこれは厳しいって。初めてでこんだけ乗れるようになったんだから褒められてしかるべきだと思うんですけど」

「負け惜しみかね、ピカタ君」

「ムニエルだっつのっ」

 

 彼はそう愚痴りながらドラッグに置かれた自分のマシンを見ながらスポーツドリンクに口をつけた。遠くにままだエンジンの高鳴る音が聞こえる。掲示板には各所につけられたカメラから送られてくる映像とラップタイムが表示されている。振り向けば青い空とそして山間を開かれるように作られたサーキットが広がっている。山間を巻くように多くのカーブと峠を経た一周十五キロを超える大規模なレースコース。照りつける太陽の下、無数の声援と歓声、そしてたぎるほどのエンジン音は山間に響きあい、その熱量をさらに高めていく。今日はシャドウボーダーの操縦訓練、そして所長の個人的な趣味もかねて毎月第一、第三日曜日、最規模シミュレーターを用いて開催されるカルデアグランプリの日だった。

 

「にしてもおっさんも大概だな、ライダークラスにコンマ数秒まで迫るってどんな構造してるんだよ」

 

グランプリという名前とモータースポーツという覇を競う大会、その響きに心を揺さぶられた英霊も少なくない数いる。日々愛車を磨くことしかできない英霊たちも多く、この大会はそう言った英霊たちの息抜きの場ともなっていた。

 

「レギュレーションとして真名解放も行っていないただのドラッグマシンでのモータースポーツならば不可能なことではあるまいに。いかに騎乗のスキルを持っていたとしてもあくまで本来の得物ではなくとも使い方がわかるというものだ。確かにランクが高ければ二輪車とて十全に扱えるのかもしれんが、実際には十分な経験と知識と判断力が満ち足りていれば同様のことを行うことも不可能では無いに決まっているだろうに」

 

「まぁ確かに英霊の騎乗スキルのもとになっているのは大体が馬ってことだからそういう意味ではバイクは不得手、いいや慣れてないってもいえるのか。嫌でもそれにしてもちょっとやばいな」

 

『おおっと、第四レース、トップに躍り出たのは予想通り黒メイドだぁ。事前のインタビューでは何を間違ったかグランプリの優勝賞品が聖杯だと勘違いしているらしいゾ。その聖杯を使って尽きることのないジャンクフードを願うというのだからここは是が非でも別の選手に勝ってもらいたいところだぁ』

 

黒いメイドの姿をした騎士王がちょうど彼らの目の前を抜けていった。

 

「まぁ何事にも例外というものはあるものだ」

「むしろ普通って何なのかカルデアにいるとわからなくなる一方なんですけど」

 

彼女を追うように一輪バイク、戦車、ハーレー、ペガサス、ヒポグリフ、馬、呂布といった多種多様の選手たちが駆け抜けていく。万夫不当の英霊たちによると競争。時折雷やビームといった異能が行使されているような気配もあるもののため息を漏らす以外にできることはない。その声にこたえるように補修用のゴーレムが動き出す。

午前中最後のレースもあと三周。腹の虫も泣き始めていた。

 

「フランベ君、今日の昼食担当は君だったはずだが」

「抜かりなく、キッチン班にホットミールのデリバリーを頼んでおいたんだけど、そういえばもうそろそろ来てもいいころなんだけどどうしたんだろう」

 

グランプリ会場の周りにはどこから沸いたのかいろいろな屋台も現れてはいるもののフランクフルトやベルギーワッフル、チュロスやハンバーガーといったあくまで軽食が多い。そのために選手達にはキッチン班から特製の昼食を用意するのが常であった。しかし、いまだいつも昼食会場となる中庭にキッチントラックの影も形もない。本来ならばすでに設営を始めているような時間、少しだけ違和感を覚える。

 

『おおっと、ここでいきなりの乱入者だぁ』

 

不安をよそに、実況の白熱した声に呼ばれモニターへと目をやるとコース上空、ドローンから撮影された映像が映っている。どうやら先頭集団からは少し離れた位置らしく闖入者以外は写っていない。あと三周。半周遅れ、致命的。ただの騒ぎ立てにしかならない。そのはずだった。

 

『はやい、早い闖入者、半周遅れから、一周ですでに先頭集団をとらえているっ。この状況にほかの選手たちも焦りを隠せないのかぁスピードを上げるっ、しかし侵入者、負けていないっ巧みなコース取りで見るいるうちに近づいていくっ。ああっと、ここでしびれを切らしたのかノッブによる赤甲羅の投擲っ、しかし避けられた、メイヴの戦車に当たった、横転、三台を巻き込んだぁ、ノッブ死すっ、がしかし彼らにはわき目も降らず侵入者は先頭集団へとかじりついたっ』

 

ファイナルラップを知らせるブザー音が聞こえた。

その小さな車体を生かし、インを突き一人抜いた、

アスファルト上に巻き上げられていた泥をよけることも、しかし滑ることもなく加速しまた一人抜いた。

外側から追い越すように、しかし確かに最善のコース取り、相手を飛び越すかのように一人抜き去った。

最後の直線、そのスクーターは大きなトップケースをものともせずにその黒い騎士王の二輪へと迫る。

つばぜり合い

はじかれるように逃げる闖入者。性能では圧倒的に勝っているはずの騎士王に負けることはなく落とされること無く並走する。曲がる、しかし揺れることなく、頬を削るような鋭角なその車体はその黒い騎士王を逃すことはない。

 

『両者一歩も譲らないっ、そしてレースは最後のコーナーを抜け、最後の直線に入ったぁ。しかしかしトップスピードはメイド王のほうが圧倒的有利、徐々に離されていく原付っ。ついてこられるのもここまでかぁっ』

 

原付特有の軽いエンジン音、しかし限界まで回る振動音はその意地にも、怒声にも聞こえる。

吠える二つの影は、互いに食らいつき、そしてゆっくりと離れていく。黒い獅子は最後のスパートへと向かい、

そしてその体勢を崩す。

人にとってはミスにも至らない揺らぎ、しかし同じ英霊にとっては致命的な隙となる。

行け

行け

届け

白く丸っこい車体ではあの流線型のフォルムにはかなわない。

だから、ゴールテープにはわずかに届かない。

「ハレルヤァァァァァッ」

最後に伸ばすのは自らの拳。

 

ブザーの音が鳴り響く。

 

『決着っ、史上最速となったレースを勝ち抜いたのはっ』

 

簿記を強めた概説の言葉に誰もがみな息をのみ、そして掲示板を食い入るように見つめる。

そして長い一秒が経ち、掲示板に文字が灯る。

 

『一位は闖入者、乱入者マルタだぁっ』

「やった、やりやがったっ」

「やはり聖女様が最高なのはロジカルですっ」

「流石マルタの姉御だぜ、俺っちも見とれちまった」

「おやおや、祭りとはいえ余り羽目を外してはいけませんよ、風紀は守らねばなりませんよ」

「興行的にも大盛り上がりだ、急げ、今からでも優勝者のロゴの入ったタオルカップ、バンドメットその他もろもろの製作を始めるのだ。直流の工場であれば不可能ではないっ」

「凡骨め、既に交流の生産体制ならば第一陣の搬入を開始しているのだ、我がビジネスパートナードルポンド女史よ」

「すいませーん、あまりに想定の超過数のロットとなってしまいましたので追加料金として12億QPほどの超過金が発生しそうですよー」

「乱入者が一位ってオッズはどうなるんだっ、ダークホースにもほどがあるって」

「いいや、乱入者とはいえサーヴァントである以上対象ではある、とはいえ明確な参加表明はしてないからだれも、いいや一人、一人だけ入れてるやつがいるだとっ」

「代理人の名前は花のお兄さん、あの野郎っ、こんなことに千里眼使いやがってっ」

 

割れるような声援と怒号が聞こえる

喧騒とともにモニタへと映し出されたのはヘルメットを脱ぎ、その長くたおやかな長髪をなびかせながらカルデアのマークの入った四角いトップケースを積んだスクーターでウイニングランを飾る聖女マルタの姿だった。

よく見れば荒い画像の中の車体にはデリバリーマルタ、そんな文字が躍っていた。

 

「リソレ君、もしかしてお昼ご飯ってあれ」

「ムニエルです、祈りましょう、もうそれしか俺たちにできることはありません」

 

歓声の中、モニタには最後の一瞬、原付を担ぎ上げ、駆け出した聖女の姿と、トップケースが少しだけ開き、そこから騎士王へとナゲットが投擲されている様子が繰り返し流されていた。

 

 

 

 

 

「それにしてもデリバリーがサーキットに侵入する必要はあったのかね」

「仕方ないでしょ、単車があってコースがあるのが悪いのよ」

「走り屋っていうかレディースっていうかヤンキーっていうか」

「何か言ったかしら、ムニエル。また手が止まっていてよ」

 

聖女の笑顔を向けられ微かな悲鳴を漏らしながらまた手を動かすムニエル。横を向きながらも野菜たちを切っていく聖女の手元には乱れはなく瞬く間に下処理の終えられた白菜が積みあがっていた。

 

「それにしても手早いな」

 

仮設キッチンの中にいるのはマルタを含めて三人ほどだというのに見るが早いか次々と出来上がり運ばれていく大皿の列。瞬く間に広場には温かく、そして立ちかな湯気の香りが漂い始めている。中華や、地中海沿岸の料理、イタリアやフランス、ペルシアあたりの料理まで手早く作り上げていっている。 

 

「流石、料理人と主婦の守護聖人といったところか」

「そんな無駄口叩いてる暇あるならさっさとこっちのフライパン手伝ってくれないかしら」

「そもそも、遅れたのはレースに参加していたからでは」

 

笑顔の彼女の手に握られていた鉄製のお玉がまるで飴細工のように曲がった。

 

「何か言ったかしら」

「何か聞こえたかね」

「おっさん、変わり身はやいな」

 

フライパンの中にはオリーブオイルときつね色になったニンニクが小さな音を立てている。赤唐辛子、キャベツ、塩、そして茹で上がったスパゲッティを手早くからませていった。

 

「キャベツのペペロンチーノ上がったぞ」

「こっちもラタトゥイユ上がったわ、シュウマイは」

 

几帳面に角切りにされた野菜たちが鍋の中を踊り、炒められ燻製の香り立つベーコンそしてトマトの香り混ざりあいが漂ってくる。

 

「まだあと少しかかる」

「ムニエルっ」

「叫ばなくても聞こえてますよ、サラダはもう出しましたっ」

「クルトン乗っけてないでしょうが」

「やっべ」

「所長っ」

「サーモンならもうオーブンの中っ」

 

怒号が飛び交い、その代わりに香しい芳香が確かに鼻孔をくすぐり始めていた。

 

 

 

 

「あらかた出し終えたってところか」

「後一品あるんだけど」

 

外を見ればすでに中庭いっぱいの立食パーティーの様相を呈していた。

 

「そういわれてみればこの騒ぎにあの娘は来ていないのか」

 

汗をぬぐいながらひとまず腰を落ち着けると耳元のすぐそばに声を感じた。

 

「誰をお探しですかな」

 

一瞬にして飛び起きる、やはり彼の予想した通り赤毛のマスターの少女がそこには立っていた。なぜか割烹着を着て。

 

「その恰好はなんだ」

「マスターには私からご飯を炊くように頼んでおいたんです」

 

最後の料理の下準備をしながら聞こえて来た聖女の声に目の前の赤毛の少女は自慢気に深く頷いていた。

 

「米もまたカレーの一部、カレーも又米の一部ですから。カレーという神にこの身をささげた私なればこそおいしいご飯を炊くことができるのです。導師マルシェより賜ったこの聖典にもおいしいご飯の炊き方も書いてありますからかまどでの炊飯も習得積みです」

「これは邪教じゃないの、いいの、迷えるっていうかもう逆に迷ってない小羊じゃないのこれ」

 

曇っているのか澄んでいるのかわからない彼女の目に眉を顰めながら聖女の小声で確認を取る。

 

「まぁ、実際の被害自体は出ていないので良いとしましょうか。あまりにひどいときはお説教一発くれればモーマンタイです」

「それちゃんと説教だよね、物理的な手段じゃないよねっ、一応最後のマスターなんだからね、忘れないでね」

 

冗談です、と笑う聖女に少し心配を残しながらもその様を眺める。

熱せられたフライパンの中に豚バラ肉が触れ、水の焼ける音が聞こえた。肉の赤からわずかに白く変性する、火が通るとざく切りにした白菜と薄切りにしたシイタケ、ニンジン、タケノコ、チンゲン菜そして鶉の卵の水煮を加える。強火で火が通り白菜が柔らかくなったころに酒、砂糖、鶏がらスープ、オイスターソースを加え味をなじませる。水溶き片栗粉を加えとろみをつける。

 

「八宝菜、いいや中華丼か」

 

大きな取り皿に盛られ、そして大きな御櫃とともに運ばれていく。

 

「なぜ中華丼なのだ」

「こういうお祭りの時ってやっぱりケバブとかアメリカンドックとかそういう肉ものが多いのよね。でもちゃんと野菜は取らないといけないから」

「サラダも随分とちゃんと用意してはあるが」

「メイヴとか女性サーヴァントじゃあるまいしあのでっかい子供みたいなやつらが食べるわけないじゃないの」

 

遠くでは韋駄天がアマゾンの女王に追いかけられていた。

 

「でも中華丼だと子供たちもよく食べるのよ。子供は好きだしね、ウズラの卵」

 

視線の先、お櫃をのそばに立ちご飯をよそっていく赤毛の少女とあんをかけていく彼らの前にはすでに長めの列が出来上がっていた。

 

「やはり主婦の守護聖人ということか」

「なによ、嫌味。悪かったわね、全体的に料理が芋臭くて」

「いや、私ではこれは作れんだろうさ」

 

雑多で、ばらばらで家族の好きなものを集めたような、愛するものへささげるための料理。

話を聞く妹を羨んだ家事をしていた姉。

母たるものの守り人となったその姿。

 

「さてと、もうそろそろだろうかね」

 

彼は再びコック帽をかぶりなおすと、不思議そうな彼女の視線を表へと、近づいてきた赤毛の少女へ向けさせた。

 

「所長、御代わりが足んないって、なに座ってんの、マルタさんも早く早く、暴動になるって。あーまってまって騎士王様っ、横取りしない、喧嘩になるっ、うわ、っうわーっ」

「世話のかかるやつらのことだ。我々ももうひと働きということさ」

聖女は笑い、そして小さく息を吐いた。

「もう、そこ喧嘩しない、げんこつ一発くれてやるわよ。ぃよぉしっ、やってやろうじゃないの。あたしを誰だと思ってんの。タラスク、あんたも骨になるまでこき使うから覚悟なさい」

『えっ』

 

 

 

太陽はまだ天高く輝いていた。




うずらはうまい


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カルデアスペシャル ロコモコ探検隊 甘き誘惑の黒真珠タピオカ

いい加減に続きました


自然界より生まれた森の黒真珠の正体とはなにか

灼熱のカルデアに走ったその一報はすぐさま全職員へと伝えられた。瞬く間に広がっていくその黒真珠の噂はまさしく熱病のように知れ渡っていった。

人間の欲望と堕落渦巻くラスベガスを席巻する宝玉の存在を聞くつけた我々ロコモコ探検隊はすぐさま、その調査へと乗り出した。

少年の見たという輝く黒真珠の情報を頼りに歩を進める我々調査隊を追い詰めるのは厳しい自然だけではない。

謎の原住民との遭遇や、悪徳カジノによる陰謀、そして世間を脅かす水着浪人七重苦の正体とはいったい何なのか。

無数の困難を掻い潜りついに我々探検隊はついにその正体へとたどり着いたのだ。

 

 

カルデアスペシャル

ロコモコ探検隊 甘き誘惑の黒真珠タピオカ

 

 

 

 

 

「まるでお祭りのようですね」

「夏の祭り、というのならば確かに間違ってはいないのであろうよ」

「たしかに私たちの知っている夏まつりとはずいぶん違うものではありますが」

 

苦笑にも似た年若い女の笑い声は直ぐに雑踏の喧騒に消えていく。

南中にほど近い正午の太陽は彼らを真上から照らし出す。乾いた風と焼けるような太陽、そしてあたりから聞こえる無数の人々の足音、姦しくも楽し気な話し声、客を呼び込む店員たちの底抜けに明るい呼び声。そしてどこからともなく聞こえる歓声。普段のカルデアでは感じることのない無数の話し声、広場には無数の観光客が行き交い、そして 思い思いの場所へと歩を進めていた。

 

「少し小休止といたそうか。何やら町のほうでは茶に牛の乳を入れた『みるくてぃー』なるものが流行っている様ではあるが」

「冷やした麦湯を持参いたしました、但馬守様もいかがですか」

「ありがたい、頂こう」

 

広場の端、小さな日陰となっているベンチを見つけると、二人は手ぬぐいでその汗をぬぐいながら町のほうを眺めていた。

 

「賭場の近くと聞いていたのであまり治安が良くないのではとも思っていたのですが、杞憂だったようですね」

「それがこのらすべがすという土地の特色やもしれぬな。世界有数の歓楽街なればこそ、徹底して付け入る隙を潰すのだろう。賭場には金が集まりやすく、胴元は金を貯め力を持つ。なればお上にも意見しやすかろう。その意味ではお上への口利きなく権力者の協力で成り立っているこの土地はなかなかに稀有な例でもある。敵対する者に弱みを見せぬということは口利きすら必要ない事の表れやもしれぬ」

「ムニエル殿に頼み、水着剣豪とやらの取り仕切るかじのからは幾分遠い場所にれいしふとしてもらったとはいえ、この治安の良さは予想以上ですね。それだけ獅子王殿の支配力が強いとも言えますね」

 

アメリカ西海岸、水着獅子王によって作られたラスベガスの一角、小さな噴水広場のベンチには年若い女武者と、アロハシャツの老父が小休止を取っていた。

 

「しかし、但馬守様。その恰好は」

 

いつもの服装とは違い、オレンジ色のアロハシャツに紺のハーフパンツの男は自らの服装を顧みる、破れも汚れも見受けられない。少しだけ不思議そうに彼は彼女へ視線を送る

 

「出立の際、ムニエル殿より借り受けたのだ。真夏のらすべがすに紋付き袴というのも風情が無かろう。郷に入っては郷に従えということよ」

 

何事もないように言う彼の服装に不備はなく、その姿だけ見れば誰よりも風情を理解し、場に溶け込んでいるようにも見える。

 

「そういう、ものでしょうか」

「そういうものだろう」

 

しかし、漏れ出るその剣呑な気配と鋭い殺気は彼らを中心とした五メートル圏内に人を寄せ付けさせてはいない。そのことに少し気疲れしたように薄く笑うと、彼女は区切るように小さく咳ばらいをひとつついた。

 

「それにしてもいかんせん情報が少なすぎる様にも思います」

「少なくとも食べ物ではあるのだろうな。でなければ食べたとは言わぬだろう」

「小太郎殿も一度戻ってきて、また直ぐに出て行ってしまったようで。段蔵殿も何やら所要とかで今留守にしておられますのでもう一度聞くことも難しいでしょう」

「やはり」

 

小休止から立ち上がると、男はゆったりとした足取りで再び歩を進めた。

新たなる謎へ迫るため。未知なる神秘を辿るため、そしてなにより

 

「待つよりも自らで調べたほうが早かろうな。その『たぴおか』というものの正体は」

 

まだ見ぬタピオカを食するため、ロコモコ探検隊は一路西へと飛んだのだった。

 

 

 

 

事の発端は三日前のことだった。

夏の騒ぎから遠く離れたカルデアで余暇を過ごしていた時のこと、彼女の下を訪れたのは懇意にしているからくり女忍者こと加藤段蔵だった。

 

「夏季休業の前に小太郎殿が髪と関節によい油をくれたのでそのお返しの相談にいらしたのですがその折に、話が出たのです」

 

彼女によるとマスターとともに風魔の棟梁がラスベガスに発生した特異点調査へと赴き、調査と同時に夏季休業をそこで過ごしているということだった。

 

「準備などために一度小太郎殿がカルデアに戻ってきたときに話していたことらしいのですがどうやら『らすべがす』では『たぴおか』というものが流行っており、マスター殿も大層気にいっていらっしゃるということらしいのです」

「主殿の御用達ならばその詳細を知っておきたくはあるのだがな」

 

そういってあたりを見回すもやはり彼の鋭く見える視線を向けたそばから蜘蛛の子を散らすように人が減っていく。無論、彼らが訊ねることのできる人も又逃げるように歩を早めていってしまっていた。

 

「このありさまでは道案内も頼めそうにはない」

「柳生殿が最初にこの特異点へマスターとともに赴いていればこのような面倒な状況にはなってもいないのですか」

 

声にも、動きにも表れはしないものの、どこかその雰囲気が消沈しているようにも見える。今夏、ラスベガスに発生した水着剣豪七番勝負の気配を察知した彼はマスターへの同行を言葉巧みに掻い潜り面倒事を避けたばかり、そんな彼がラスベガスへと赴き、マスターの下を訪ねるのはいささか以上にバツが悪いらしかった。

 

「不徳の致す限り」

「私も興味もございましたし、異郷の地というのもなかなかにありがたいものでございますから、ちょうどよい余暇となりまよしょう」

 

道を行きながら、彼女は笑うと、彼も又つられるように少し笑う。

 

「しかし、それにしても『たぴおか』に関する情報がこうも少なくてはな」

「閃きましたよっ。但馬守様」

 

長考の姿勢に入ろうとした男に彼女は大きく手を挙げるとそういい切った。

 

「今、但馬守様が着ているアロハシャツも日本の着物を縫い直したものと聞いたことがあります。この『ラスベガス』とやらもどうやら近年になって発見され、発展してきたもの、優れた異文化を吸収しやすい土壌であることは明白です。さらに此度は特異点に変貌している。つまりその原因がこの『たぴおか』に詰まっているのです」

「その心は」

「もとより『かじの』というのが妙だったのです。仮にこの街を支配したとて確かに狂気渦巻く退廃の都ではあってもそれは富めるものが富み、貧しきものがさらに貧しくなるだけ。総量としては目減りしていくだけ、ぜろさむげーむというやつです」

「ならばなぜ『かじの』にしたというのだ」

「いつの世も流行りものには悪い虫が付くもの、熱に浮かされ稼げるだけ稼ぎ、そして正気に戻る前に忽然と姿を消す。そして舞台は賭場の街。ならばあの人が動くのは必定」

「まさか、そんなはずは、いかに彼といえども」

「そうです、そのまさか、そして何より私たちが探しているのは『たぴ岡』です」

 

 

彼女が力を込めて言い切ったその言葉に男は大きく頭を抱えた。

 

「彼の御仁とて、英霊の座に刻まれた人理の守り人。かような浅はかな、いいや、浮ついた、これも違う、見え透いた、軽率な行いは考えにくいのでは」

「流石に突飛すぎましたかね。第一に岡田殿がこちらに来ているかということも確かなことでは」

 

その言葉を遮るように二人の間を少年が走り抜けていった。

 

「急げよ、あっちで水着浪人の岡田以蔵が打ち首になるんだってよっ。なんでもタピオカじゃなくてカエルの卵入れて売ってたのがばれたんだってよっ、これは見逃せないぜ」

ラスベガスの太陽はまだ明るく輝いていた。

 

「阿呆め」

 

 

 

 

「しかし、まったく、こうも大ごとになるとはな」

「まさか、岡田殿がやはり博打で借金を作った相手が特異点と化したらすべがすを水着浪人の力を使い新たなローマへと塗り替えようとしていたシーザー・オルタだったとは。シェイプアップし神祖殿の力を借りることができたカエサル殿の力が無ければ危ないところでしたね」

「一刀斎はおろか、まさか、身を持ち崩した二天道楽を相手にするとは思わなんだ」

「聖杯を鍋替わりにしたのはまだしも、まさかうどん代のために質に入れるとは思いませんでした。舌の根も乾かぬうちになんと申しますか。あの方らしいといえばあの方らしくもあるのですが」

 

いつも以上に明るいように取り繕った彼女の声、そして、深いため息が響く。

響く。

響く。

そしてそれにぶつかって消えた。

 

「それにしても、つぶしたシーザー・マフィアがため込んでいた白い粉、どうやらただのでんぷん質だったようですね」

「阿片や麻薬の類で無かったならば良しとするべきか」

 

彼らの前、カルデアの倉庫一つにうずたかく積まれたのは真っ白いでんぷん質の粉が目いっぱい詰め込まれた袋の山。消滅させたシーザー・オルタから押収した物品がそこには詰め込まれていた。用途不明、使い道不定のその粉の山が何も言わず彼らの目の前に詰まれている。

 

「果たして、『たぴおか』とは何かわからずじまいか」

「それどころではありませんでしたから仕方ありません。縁があればまた出会う日もございましょう」

 

倉庫から出かけようとしたその時だった。

 

「らすべがす、らすべがす、漂白化したんじゃなかったの、一刻も争う世界修復の旅じゃなかったっけ。なに水着剣豪七番勝負って、私か、私がおかしいのか、私が間違っているの」

「所長殿」

「ひぃっ」

 

廊下の端にうずくまった白く丸く、金色の毛が生えた謎のつぶやき生命体は見まごうことなきカルデアの所長に間違いなかった。

 

「夏の乱痴気騒ぎはカルデアの伝統のようなものです。白昼夢を見たようなものだと気にすることはありませんよ」

 

彼女の声に所長は少しだけ正気を取り戻したように一つ咳払いをするとゆっくりと立ち上がった。

 

「あーあー、失礼、醜態を見せた。うむ、気にしても仕方ないことは気にしないことが良いな、確かにそうだな。助言感謝する」

 

頷く老父にまたしても所長はふと驚いた顔を向けた。

 

「今まで君たちはどこにいたのかね」

「ちょっとらすべがすのほうに、それがどうかしましたか」

「いいやねタピオカの匂いがするもんだから」

 

カルデア各所で小脇に抱えられ運ばれていく所長の姿が見られたという。

 

 

 

 

「タピオカっていうのはもともと南アメリカ原産のキャッサバっていう芋のでんぷんから作られたものだ。そういう点でいうなれば芋餅に似ているな。中華料理ではココナッツミルクに入れたり、デンプンということで冷凍うどんにこしを持たせるために入れられたりしていることもある」

 

所長は沸騰したお湯に砂糖とキャッサバ粉を入れると力を入れながら鍋をかきまわし、透明になっていくそのタピオカを練っていく。

 

「ラスベガスで流行っている大粒の黒いタピオカっていうのは黒糖が入っているから甘い、普通だとただのデンプンの塊だからな。あまり味はない。タピオカミルクティーはそういう意味では味を補ってもいるのだろうな」

「じゃあ流行っているタピオカとはミルクティーのことだったのですか」

「見つからぬはずだな」

「なんだと思っていたのだ」

「ロコモコの件もありましたし、てっきり丼ものだと」

 

少し恥ずかしそうな二人に苦笑が洩れる。

 

「まぁわからんでもないがね」

 

鍋から取り出した透明なタピオカを細く伸ばし、切り分け、そして一つずつ丸く整形するとそのまま沸騰しているお湯へと投げ込んでいった。

 

「それと知らずタピオカを求め、最終的にそれと知らず手に入れてしまうあたり、さすがというかなんというか、まぁなんにしても良い余暇にはなったかね」

「ええ」

「久方ぶりに心躍る仕合もあったのでな」

「物騒ではあるな」

 

そういって出されたミルクティーは彼女たちの予想に反し甘くはない。

 

「麦湯か」

 

彼は頷いた。

 

「タピオカ麦茶オレとでも名付けるかね。濃く煮出した麦茶を牛乳で割る、麦茶の風味と牛乳の柔らかさ、それにアクセントとして少し甘いタピオカが来る。黒糖タピオカも普段より甘くはしていないから少し大人の味というのかもしれんな。それに」

「それにとは」

「タピオカは元が芋だから炭水化物、それに黒糖という糖質、ミルクティーにするときに甘くするため加えられた砂糖、時にはその上にアイスやらソフトクリームやらチョコソースなんてものがかかっている。それが牛乳や、紅茶のように手軽に一日に何杯も飲まれるということは」

「つまりカロ」

 

青ざめた彼女の言葉を遮るのはカルデアすべてに響き渡るような最後のマスターの悲鳴だった。

 

 

 

 

甘き誘惑の黒真珠タピオカ

古来より人々の食を助けてきたキャッサバが姿を変え、新たな一大ムーブメントを起こしていた。

人の腹を満たし、飢えをしのいできたその黒き真珠は飽食の時代にいったい何を告げようとしているのか。

黒糖、紅茶、牛乳、世界中の多くの食文化と出会い、そして進化してなお人々を誘惑するその黒真珠は確かに人間の求める願いの在り方の一つ。

そして体重計に表示されたプラス三キロの表示もまぎれもないこの世の真理だったのだ。




甘いものもほどほどに


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少女には一輪のヒナギクの花を

やっと続きました


「これは失敗かなぁ」

 

籠ったような少女の声が聞こえる。

 

開いた戸からは黒煙が立ち上り、一気に部屋の中へと充満していった。少し黒い煙にぼやけた視界の中、少し顰めた眉が蒲鉾型の入り口を覗き込むと、その煙の匂いが鼻を突いたのか小さくせき込んだ。煙に目じりにもわずかに涙が浮かんでいる。少し充血しているその目、もうもうと出ていく煙の中、先に見えるそれを何とか手前へと引き寄せると待ちわびたように瞼を閉じ、肩口でこすった。

 

「見まごうことなき失敗だろう。少なくとも俺には人間が口にできる範囲を超えているように見える」

 

白い髪、そして赤い目の男は少女が取り出したそれを食い入るように眺め始めた。

黒く、固化したようなその平べったい塊は元が何であったのかすらもう判断はつかない。ところどころ元の色を残しているように見える箇所もあるもののそれも灰にまみれたようにくすんでいる。微かに上がる煙は鼻を突き、目を焼く。しかし男はその煙を意に介した様子もなく、ただ観察している。

 

「やっぱりそうだよねぇ、あんまり素材にも余裕があるわけじゃないんだからそう何度もは失敗できないんだけどなぁ」

 

少女は換気扇をつけ、その煙を追い出す。小さくせき込み、そして回り始めた大型の換気扇が唸りを上げ煙を吐き出す。ようやくまともに開けるようになった視界、小規模なホールほどもある少し暗いその部屋、いいや正確には部屋ともいえないそこは洞穴だった。空っぽの部屋の中、置かれているのはいくつかのボウルや具材が載せられた大きな調理台、そして部屋の中央に置かれたピザ釜が今なおもうもうと焦げた黒煙を上げ続けていた。

 

 

 

 

 

 大きな岩山のような島をくりぬいた中に建てられている彷徨海。アリの巣のように広がる施設の中、カルデアの面々に使用が許可されたのはエントランスともいえる表層。彼らがいるのはそんな表層の一部、水の浸食によってできたらしい洞を改造し床を平たんにコンクリート舗装とむき出しのランプを下げただけの使っていない予備ドックだった。

 

「落胆することはない、誰にでも失敗はありそれが今回はこれであっただけに過ぎない。貴方に依頼した私の配慮が乏しかった。私に落ち度がある。その一点に尽きる」

 

ほとんど何もない部屋の中、おかれたテーブルの上にはすでにいくつかの黒い塊が鎮座している。

失敗はすでに五度目。生焼けや、全てが真っ黒に焦げたもの、火の当たりが偏ったのだろう、きっかり半分は焦げ半分が焼けていないもの、窯の中にへばりつきぼろぼろになったもの、突っ込みすぎて灰まみれになったものなど無数の失敗の山が積み上げられている。

 

「きみもやっぱり辛らつだねぇ」

 

今しがた取り出したピザを包丁で割ってみれば中にはまだ白く柔らかな生地が微かに包丁にへばりついた。表面は焼け焦げ、中身はまだ火が通りすらしていない。

 

「この調子では今日の完成は厳しい。また明日にでももう一度レシピを確認してからでも遅くはない。根本的な原因がわからないままに作業をしても無意味となろう。今の状態ではまた焼いたとて失敗は必至はまちがいない」

「あと二回分はあるんだけど」

 

調理台の上には広げられる前の丸い生地が残されている。昨夜から準備した生地、使われないのなら廃棄処分となるであろう、その生地、もとより失敗して炭と化すならば末路は同じ。少女は小さな踏み台に乗り、その記事が入ったボウルを引き寄せると再び彼へと向き直った。

 

「止めはしない」

 

少女は彼を見上げながら崩れたように笑う。彼はその言葉にただ少女を見返すだけ。少女は少し目を伏せながら残った生地を一心に伸ばしていく。小さな手では記憶にある通りには伸ばせない。ものの多少不格好ながら丸く広げられていく。

 

「ぶしつけな依頼をしてすまなかったな」

「いいよ。だって私は万能の天才ダヴィンチちゃんだからね。ピザの一枚や二枚焼くことなんてお茶の子さいさい、とは今のところいっていないけど、ちゃんと要望にはこたえられるものを作るよ」

「ただいなる感謝を送ろう、ダヴィンチ女史よ」

 

大仰な大英雄の礼を受けなあら少女は少し困ったように笑う。彼女の体格にはいささか長すぎるめん棒を取り回しながらひとつづつ確かめるように生地を広げ、最後の一枚を仕上げていく。

 

「それにしてもなんでいきなりピザが食べたいっていうんだい。カレーならマスターのほうがずっと上手だと思うんだけど」

「食べるのは俺ではない、ジナコが小型モンスターの新作ができるようになったので少しの間それにかかりきりになるためにピザとコーラを入手してくるようにと厳命されたからだ」

「なるほど、あっちに置いてあるのはビールケースの山はコーラの瓶だったのね」

 

部屋の端にはよく見れば十ケースが詰まれていた。よく見るデザイン性の高いものではなく、一カルデアのロゴが刻印された簡素な一升瓶が詰められていた。

 

「でも、ゴッフ所長が良く作ってくれたね、ジャンクフードとかも嫌いじゃないみたいだけど、よく考えるとそこまで食べてるの見たことないし」

「あれはマスターより分けてもらったものだ」

 

その言葉に少女は驚き、空中で回そうとしていた生地を取り落としそうになり、慌てて体勢を立て直す。

 

「いつの間に、っていうかどうしてレシピ知ってるの」

「マスターの持っていたカレーの本に載っていたそうだ。肉を柔らかくするために使えるからと」

「一回あの本はちゃんと検査したほうがいいかもしれないね」

 

少女は考えこみながらもようやく伸ばし終わった生地にトマトソースをかけて、そして広げていく。トマトの甘酸っぱいさわやかな香り、そして微かなニンニクの匂いがあたりに広がった。

 

「それにしても、ガネーシャ神も君につかいっぱを頼むなんて剛毅というか、なんというか。気を許してるんだね」

「ああ。無能、不要の類に関して言えば彼女は他の追随を許さぬだろう。その身でありながらも他人に気を許し、他者へ依ることのできる精神性は俺にまねできるものではない。その彼女の寄る辺となるのならばいかにこの身がその体重によって傾いだとて支えるに足るその精神性だと判断した」

 

少女は彼の言葉に小さく笑いをこらえた後に再び大きく笑いながらモッツァレラチーズを千切りあたりにまぶしていく

 

「それじゃあ、ガネーシャ神が能無しの引きこもりの穀つぶしみたいに聞こえるんだけど」

 

彼はその言葉に少し考えこんだようにうつむき、そして少し疑問に思ったように首を傾げた。

 

「何もかもが間違って伝わっているように思うのだが、その事実は何一つ間違っていない。なぜだ」

「あらま」

 

悩む彼を横目に少女は最後にバジルを散らすと、窯に入れるためのピザピールの上に乗せる。以前と同じピザピールの柄は長く、少しだけふらつきながらも、それをふたたび温まっていたピザ釜の中へと差し入れた。

 

 

 

 

その時だった。

 

 

「この悪ガキどもっ、勝手にオレンジを持ち出しおってぇ」

 

扉の開いた音とともに聞こえた大声は洞窟の壁に反響して何倍にも大きく聞こえる。

 

「ようやく枝ぶりに実り始めたというのに大量に持っていきおって、なにが少し借りますだっ。あんだけ炬燵でミカンが食べたいというから、あれ」

 

薄暗い部屋、尾の声の主が彼女たちの姿をとらえると、目を凝らしてあたりを見回していく。

 

「藤丸はどこに」

「マスターならおそらくジナコとともにモンスターを捕まえていることだろう」

「なるほど、コーラの材料になったオレンジは所長のところからくすねてきた奴だったのか」

 

得心が言ったような少女の言葉に入ってきた男は驚いたようにぐるりと目を向けてきた。

 

「コーラだとっ、そんな馬鹿な、あのレシピがどれだけ重要でどれだけ機密に保持されてきたと思っているんだ。そんなレシピをただの小娘が持っているはずが」

「飲んでみれば」

 

線抜きで開けられた瓶から注がれたのは黒く輝くカラメル色、そして湧き上がるのは甘く、そして黄金に輝く泡の王冠。注がれたグラスには結露の雫が水晶のように浮かび上がる。得も言われない香しい香りは確かに彼のよく知ったものであり、人理漂白以降、彼が研究し追い求めていたあの芳香だった。盗まれたオレンジの行方を捜すためにカルデアを走り回り大汗を流した彼にその匂いは離れがたく背けない物、少しだけ警戒しながら、そして少しだけ期待しながらグラスの中身を喉に流し込んだ。

 

「どうだい」

 

彼は小さくゲップで答えた。

 

 

 

 

 

「それで、ガネーシャ神に言われてピザを焼いていると」

 

所長は二杯目のグラスを手にこれまでの成果である黒炭たちを見て小さくうなった。先ほどと違うのはまたその黒い塊が一つ増えていたこと。表面が炭と化し、下にこびりついた底面はやわらかくまだ火すらも通っていないようだった。

 

「ああ、浅学菲才の身でな。以前、レオナルド・ダ・ヴィンチがピザを焼いていたのを思い出し、依頼したのだ」

「トマトが食用になったのも、ピザが今の形に洗練されていったのもダヴィンチの後の時代だけどさ、前のカルデアでは時々作っていたわけだから今回もこのダヴィンチちゃんにドーンと任せておきなさい。前に作った時には随分と好評だったみたいだったから。息抜きがてらちょうどいいだろうって思ってね。みんなの慰労をねぎらうのもダヴィンチちゃん福利厚生の一環さ」

「そしてできたのがこれか」

 

図星なのか少女は少しバツが悪そうに小さく漏らし、白い男も又、どこへなりとも視線をそらした。

 

「みんなが知ってるレオナルド・ダ・ヴィンチなら失敗しなかったのかな」

 

少女は笑った。

笑ったように顔をゆがませた。

ただ、その顔はすこし泣いているように見えた。

 

 

 

 

「生地は厚くしすぎないように伸ばす」

 

腕まくりをしながら一息入れるように大きく深く息を吸い込むと彼はそう言った。

 

「家のレンジとは違って窯の中は四百三十度度近い高温で焼き上げる。それによって生地の中の水分が抜けすぎることなく短時間で火を通すことができる」

 

彼は最後に一つ残っていた生地を手に取る。彼は少女に手招きをすると彼女の後ろから手を伸ばし、生地をこねさせる。

 

「このくらいになったら生地を広げる。よく見る生地を放り投げて回すのはあまり手を触れさせないようにして生地をつぶさないための方法ではあるが、演出でもあるからな、必須技能ではない。丁寧に広げればいいだけ」

「所長はできないのか」

 

男がそう声をかけると彼は少し困ったように口を曲げた。

 

「ほこりもたつし出来ないわけではないが。見たいのかね」

 

二人は小さく頷いた。

そして、白い生地が華麗に宙を舞う。白い弧を描き、ゆっくりと広がっていく。綺麗に丸く、やわらかく。薄暗いランプの光を浴びていた。少しだけ打ち粉がとんできて、おいしい匂いがする。ゆっくりと、指先で押し上げるように回している。少女の顔より大きく広がった生地を彼はやわらかく降ろすと、残ったトマトソースとチーズバジル、そして隠し持っていたオリーブオイルをかけると手際よく窯の中へと入れた。

 

「よく見ておきなさい」

 

彼に促されかまどの中を見る。

 

「あの煙、黒煙が出てくるのは薪が不完全燃焼しているということ温度が上がっていない。しかし見てごらん、出てくる白い煙、あれは水蒸気だ。あんな風になっているうちに入れる。炉の中が十分温まっているということだ。底面まで十分に温まっていればくっつくこともない」

 

肌に当たる熱気が炉の温度を伝えてくれる。

焼けるような、

燃やすような、

焦がすような。

 

「薪に近い奥のほうがピザ釜は暑い。焼き目に偏りが出るためにピザを回す。しかしピザの裏からも熱は入る。出来るだけ少ない回数で回すことでピッツァ自体にも負担をかけることなく焼き上げることができる」

 

生地の端がゆっくりと膨らみ表面が少しだけ焼け微かに黒く焦げる、彼はすかさずパールを使いピザの底面を確認する、少しだけ生地の白色が焼け小麦色に近くなっていた。奥から回転させるように百二十度ピザを回転させる。直ぐに新たに奥へと入れられた側も膨らみ、ソースが煮えるような香しいトマトの匂いをさせる。

一瞬のその炎は不規則に燃え盛り、揺れ、そしてただその熱を感じていた。

 

 

 

「焼きあがったぞ」

 

時間にして二分も絶たずに窯から取り出された。よく溶けた柔らかなモッツァレラチーズと少し端の焦げたバジル、まだ熱が残り煮えたようにぷつぷつと音を立てるとトマトソース、そして熱によって部屋いっぱいまで広がるさわやかなオリーブオイルの匂いがあたりに立ち込めている。

知識には、記憶にはあっても経験したことのないその匂いは確かにジブンだけの初めての物。

 

「これはいいにおいっすねぇ」

「ああ、相応の対価を支払わねばならないような技巧の尽くされた食事だ。何もせずにただこれを要求し貪ろうとするものがいるとすればよほどの勇者としか考えられまい」

「ヒキニート殺しっすね、カルナさん、全国のピザデブを敵に回したっすよ」

「それは失策だった、凡夫である俺がガネーシャ神を敵に回してしまえば結果など見え透いている。寛大なる御心を見せてほしいものだ」

「今、遠回しにカルナさん僕のことピザデブって言ったっ」

 

匂いにつられたのかいつの間にか部屋に現れたガネーシャ神が姦しく騒ぎながら試作品を切り分けていく。

 

「すまないね。私に依頼されたのに、結局手伝ってもらっちゃって」

「まったく、ホムンクルスというのはどいつもこいつも自分のことを過大評価している」

 

彼は汗をぬぐいながら忌々しいというように眉を顰め言った。

 

「あくまで学習した知識は知識、それが経験と結びついていなければどうにもならん。笑いたいなら笑い、泣きたいなら泣き、助けてほしいなら助けてほしいといっていい、初めてなら初めてと楽しんでいい。知識だけ与えられたとしても本来ならばまだおしめを替えられているような時期なのだからな」

「それはセクハラに当たるんじゃないのかな」

「えっ、マジで、これセクハラなの、更迭とかされちゃうの」

途端に青くなり今度は冷や汗をかき始めた彼に笑ってしまう。

「冗談だよ所長さん」

 

からかったことに気が付いたのだろう。彼は少女の頭を強くなでて髪をくしゃくしゃにすると小さく笑った。

 

「生憎と私は新参者だ。私が知っているカルデアはこのノウムカルデアであり、知っているレオナルド・ダ・ヴィンチはこのちっこい生意気な小娘だけだからな。そのカルデアの指令代行をしていた大人のレオナルドダヴィンチのことなど知らん」

 

もとより、知っているダヴィンチは剥げたおっさんの姿だが、そう彼はため息をつきながら切り分けられたピッツァへを少女へと渡す。

 

「お前は確かにレオナル・ド・ダヴィンチだ。でもそれはレオナルド・ダ・ヴィンチにならなければいけないということじゃない。お前はお前がなりたいものになればいい」

 

子供の口には大きく切り分けられたピッツァを少女はそれでも大きく口を開けかぶりつく。柔らかく熱い。トマトの甘さとバジルの通り抜ける苦み、そしてチーズが噛み切れることなく伸びる。口の中を火傷した。知識の中にそんなことは書いていなくて、しかしきっとそんなことを前のレオナルドも又知っていたのだろうか。

教えるまでもないと思ったのか。

それともいつか自分で知ってほしい、そんな風に思ったと考えるのは少しロマンチックが過ぎるだろうか。

 

 

 

髭にチーズをつけたまま、彼は少し思案するとふと思いついたように言った。

 

「そうさな、それじゃあミドルネームでもつけるというのはどうだろうか」

 

ああ、ならば

 

「一ついいのがあるよ」

 

 

 

微笑みながら少女がつぶやいたのは希望の意味を持つ小さな花の名だった。




多分次で最終回


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Morning of Moanin'

長くなったので二話に分けることにしました
好き嫌いは分かれると思います


少女は暗い部屋の中、いつもの夢を見ていた。

 

「  」

 

声が聞こえた。

 

 

遠く

遠く

 

 

 

よんでいるような声が聞こえた

 

 

届かない

 

 

音に触れることはできずそれでもそれに触れようと手を伸ばす

 

呼ばれていたのか

呼ばれていてほしかったのか

 

けれどやはりそれに届くことはなく、そのまま遠くへといってしまった

 

「ああ」

息が洩れる

どれだけ叫んでもそれは言葉になることはない

真空の中を叫ぶように音にはならず、伝わることはなく、届くことはない。

体の力が抜ける。

四肢が崩れ落ちる。

震えるほど寒く、しかし臓腑を焼かれるような熱が入ってくる

 

動かない

 

動かない

 

動かない

 

動かない

 

感覚はない

麻酔でも打ったように動くことも感じることもない

痛みはなくまるで動かしていた糸を切られたような

最初から自分のものではなかったような

自分の体はすでに誰かの物へと渡ったようにただの人形のよう

煙のような焼け据えた匂い

動くことはできず

叫ぶことは叶わず

そこにただあるのみ

 

 

「             」

 

それでもまだ叫んでいた

自分の言葉すら耳に届く音はない

何を叫んでいるのか

何を叫んでいたのか

其れすらも分からない

ただ

喉が枯れるほど

声が失せて尚

まだ何かが叫んでいる

叫ばずにはいられない何かがいる

 

もうないなにかが

 

 

そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「リツカっ」

耳元で叫ばれた。

「うううぇっへ、ってぇ」

飛び上がって起きる。勢いよく起きるとベッドのはしでしたたかに手を打ち付けた。

「気をつけなさいよ。それじゃ、お母さんもう出るから、あんた出る前お兄ちゃん起こしといてね」

「あれ、まだ六時前じゃん」

「昨日の夜に今日は母さんは早くいくって言ってたでしょ」

「そうだっけ」

「そうよ、じゃ後のことはよろしく」

「へいへい」

部屋を出ていく の姿を目をこすりながら眺めた。

小さな欠伸をする。

目がすでにさえてしまったらしく、再び寝ようにも落ち着きが悪い。

寝跡のついた腕を書きながら起き上がると、いつもの部屋が見える。

教科書と漫画と雑誌の詰まった本棚と小物の入っているカラーボックス、机の上には何やら無数の紙の束が奇妙なバランスで山のように積まれ本来の役目を成そうとはしていない。部屋の中央に置かれた小さなテーブルの上には携帯の充電器やお菓子の空き箱と昨日買ったカプセルトイの殻が置きっぱなしになっている。

「しまった。蟻は、たかって、はないな」

お菓子の空き箱を手に部屋を出た。一階へとつながる階段を下りる。微かな軋む音とお菓子のビニールがこすれ鳴る音が聞こえた。

一階、リビングへとつながる扉を開けるといつもの部屋が広がっている。朝のキャスターが何やら昨日会った事故だかなんだかのニュースを読んでいた。

「じゃあ、朝ごはん作っといたから、お兄ちゃん起こしてあんたたち二人で食べなさい。それとお母さん、今日は帰り遅くなるから」

「なんでぇ」

「寝ぼけてんじゃないの、今日お父さん帰ってくるでしょ、仕事終わったら空港まで迎えに行ってくるから」

「そうだったっけ」

「そうだったっけじゃないわよ。それじゃお母さんもう行くから、戸締りして出なさいよ」

「へいへい、いってらっさーい」

「いってきます」

インスタントコーヒーを飲みながら を送り出す。

砂糖を入れようとする、けれどどうやらスティックシュガーは品切れらしく、仕方なく台所から上白糖を取り出し二杯ほど入れた。

「あっま」

それでも飲み切ると小さくあくびを噛み殺し、テーブルの上に置いてあるハエ除けネットを開ける。オムレツというよりも卵焼きといえるそれ、ウィンナーと二本の野菜ジュースが置かれていた。

「牛乳牛乳」

元々はクッキーの入れ物だった缶の中から大きなグラノーラの袋を取り出す。ざらざらと二つのさらに取り出すと残り少ない牛乳を注ぐ。片方に入れ、もう片方に半ばまで入れたところで牛乳が尽きてしまった。買い置きはない。仕方なく多いほうを引き寄せ、少ないほうを少しばかり水で薄めた。

お湯が沸いた音がする

冷蔵庫から取り出した二つの味噌玉をお椀に落とし、お湯をかけた。いつものうちのみそ汁の匂いがする。

「起きろー朝飯だぞー」

部屋から二階へと向かってそう呼びかけるも物音一つ聞こえない。

「あれが院生とは世も末かねぇ」

仕方なく二階へと上がると階段突き当りの部屋をノックすることもなく開ける。ようやく上ってきた朝日を入れるようにカーテンを開け放つ。明るくなった部屋の中、きれいに整理整頓されたその部屋と自分の部屋との差は歴然だった。

「起きろっつってんだろうが阿呆」

「あと五分、あと五分」

「寝るのはいいけど起こしてやんないよ」

「久しぶりに帰って来たんだから少しくらい丁寧に扱ってくれてもよかろうて」

「超丁寧じゃん、わざわざ妹が起こしに来てくれてるってだけでもうお金取れるレベル、小遣いくれ」

「あっちに置いてた漫画勝手に読んでいいからもう少し寝かせろ、妹アラームよ」

「朝ごはんできたっつってんだろうが」

「グラノーラはひたひたにする派なの」

「あっ、そういえば、小橋さんから大学で停電あったって」

「えっ」

その一言に彼は枕を抱えたまま飛び起きた。彼はそのまま数秒フリーズし、こちらを向くと小さく舌打ちをし持っていた枕を投げつけてきた。

「め、覚めた」

「肝が冷えた」

あくびをしながら彼は眠そうに問いかけてきた

「帰りに俺がケーキ買ってくるけどリクエストはなにかあるか」

「なんでケーキ、甘いものにがてじゃなかったっけ」

「なんでってそりゃ、今日は

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、今日は戦闘訓練の日じゃなかったっけ」

その声に飛び起きる。

「なんだJBじゃん、びっくりさせないでよ」

寝転がった逆さの視界には人懐っこそうな顔をした黒人の青年の姿があった。手には二つほどのコンテナを抱えている。

「なんだとは何だよ、寝るなら仮眠室使うか自室まで戻れよすぐそこなんだから、寝るにしてもせめて毛布くらい着ろよ。風邪ひくぞ。今日も外吹雪いてんだから」

「ママぁ」

「誰がお前のママだ」

「閉鎖空間でインフルどころか風邪すらひかない状態なのに風邪をひく心配をしてくれるJBママぁ」

「細かく説明するな、せっかく人の好意で言ってやってんのに、人の気遣いを分かれよ。和を以て貴しとなす日本人だろうが」

「国際化の時代にもう出身国にこだわるのとかもうナンセンスだよね」

「これはカレーじゃないって言ったハリシャとガチの殴り合いをしたのはどこの誰だったかな」

「なに、カレーを馬鹿にするの、許されないよ、教育しようか」

「やめろやめろ、目が怖い怖い、その怪しい魔本をしまえよ、なんでそんな大辞典がポケットに入ってるんだよ。まったくカレーに関しては冗談が通じないんだから」

彼はそういうと手にもっていたコンテナから茶の入ったペットボトルと小さな羊羹を一本渡してくると私の座っていた椅子の横に腰を下ろす。

「ロマニはまたこんなの隠し持ってたのか、糖尿になるぞ。」

「あんまりお菓子食べ過ぎるなよ。夕飯とかいろいろ入らなくなっても知らんぞ」

「なに、なんか今日デザートでも出るの」

「あ、あぁ冷凍ミカンが出る。それにしてもこんなところでさぼってていいのか」

彼は少しうろたえるとあからさまに話を反らす。じっと見つめても、それ以上のことは出てこない変に頑固な彼に仕方なく、聞き流すだけにしておいた。

「今は休憩時間だよ、レオニダス先生とマシュはヒートアップしてるみたいだけど、一般人にはつらいのさ、そっちは」

「俺も似たようなものさ、第五特異点へのレイシフトの準備やらなんやらかんやらまだしばらくは時間がかかるからお前の出番はまだ随分先だよ」

「それはそれでまだこの戦闘訓練とロードエルメロイの魔術講義が随分続くわけでしょ、なんて言うか複雑な気分」

「お前はそうかもしれないけどロードから直々に講義してもらえるなんてすごいことなんだぜ。俺なんてまだ魔術師になって浅い家系だから時計塔から仕方なしにここに来たけどこんなところでロードの講義が受けられるんだからそういった意味では僥倖なんだぞ」

「ただゲーム好きな偏屈な人にも見えるけどねぇ」

「まぁ確かにロードエルメロイはそういった意味でも少し特異らしくてな。魔術師自体の格は高くはないらしいのだがその分彼の教室からは杯術された生徒はみんなブランド以上になるとか言われているんだ」

「分かりやすく言うと」

「卒業生みんなベンチャー社長、その上東証一部上場」

「なにそれ怖い」

「それよりもやばいっていわれているのがな、卒業生がみんなロードのことを狙っているらしいってことだ」

「それはポストをってこと」

「いいや貞操」

「JB、お前はいいやつだったよ、お前がどうあっても私たちは友達だからな」

「違うって俺じゃねぇよ。でもそれもあながち間違いじゃなくてな、卒業生は男女問わず彼の貞操を狙っている。時計塔抱かれたいロード11年連続一位、彼が一言命じれば弟子たちによって勢力図は簡単に変わる、ないすばでーな内弟子をかこっているなどなどうわさが絶えんのだ」

得意げに語る彼へと向けるのは疑いの視線。

「事実、カルデアス担当のメリッサ室長とか、技術部のアンリエッタさんとかもエルメロイ教室の出身でな。ロードとしゃべるときは声が1オクターブくらい高くなるだろう」

「言われてみれば確かに」

「ロードは座に記録されたわけでもないから何とも言えないし、この世界のロードエルメロイとは言えないのかもしれないが、世界の窮地に現れた愛した男、何ともロマンチックじゃないの」

「人の好みにどうこういうつもりはないけど、くたびれたゲーム廃人にも見えるけどねえl」

「さらにはロードは義妹にまで手を出したといううわさもあってな」

「なにそれ詳しく」

身を乗り出してそう言おうとして体が宙に浮かぶ感覚を得た。

「サーヴァントをこの身におろすとはなかなかに度し難い経験だとは思っていたが、こういうろくでもないででばがめを簡単に拘束できるのは益と考えるべきかな」

聞こえてきたのは耳馴染みのある疲れたような声。そして新たな視界に映るのはすでにぼこぼこにされた友人の姿。

「メリッサ、アンリエッタ、そちらの少年は任せてもいいだろうか」

「もちろんですわロード、この仕事をさぼっていった阿呆にはいろいろと教えてあげなければいけませんので」

最後に見た友人の顔は大きく膨れ心なしか笑っているようにも見えた

「生きて帰って来いよ」

「果たして彼の心配をしている場合だろうかな」

羊羹の最後の一口は少ししょっぱかった。

 

 

 

 

 

 

「リツカ」

肩を大きく揺さぶられた。

「おうっ、しまった寝てたか」

「一限だしね」

「本当に一限に必修持ってくるなよ」

あたりに固まって座っていた友人たちが声をかけてくる。時計を確認すればちょうど一限の終了の時間、大講義室からは学生が三々五々散っていく。

「どうするリツカ、早いけど学食にでも行ってみる」

「朝ごはん食べてないからなんか食べたい」

「じゃあ学食でいいか」

彼女たちとともに教室を出る。秋めいた学内を歩く。

「そういえば三限なんだっけ」

「哲学」

「さえちゃん、頼むレポート見せて」

「この前代返してくれたし、まぁいいよ」

ショートカットの彼女は資料をまとめたファイルを渡してくれた。

「それで結局、代返したときのデートは上手くいったので」

「その顔がなんか親父臭いから言いたくない」

「横暴だー、圧政だー。代返に協力したのだからその結果くらい聞いて面白おかしく話題にするくらい許されてしかるべきだー」

「何がしかるべきよ阿呆、普通にごはんをおごられてきただけよ。食事をおごってくれるのならちょうどいいじゃない」

「哀れなるメッシーに黙とうをささげよう」

「私よりあんたのほうがどうなのよ。化粧っ気もない癖に整ってるからもう腹立たしいったりゃありゃしない。なんでこんな肌プルンプルンなのよ」

「牛乳石鹸のおかげさ」

「こ憎たらしいこの阿呆は」

「男より仕事って感じだもんね、リツカは」

「それは褒められていると取っていいのかい」

「褒めてる褒めてる半分褒めてるよ」

彼女の言葉はけなしているというよりもあきれているそんな風だった。

「高校と中学までは分かるけどこいつ小学校教諭の免許まで取ろうとしてるし。もう何がしたいのよ、先生か」

「そんなんなら教育学部行けばいいのに」

彼女たちの視線を受けながらなれた風に言った。

「どうせ取れるならちょうどいいじゃん授業料は変わらないんだから多く単位とか資格とかとったほうがお得じゃない」

彼女たちのため息が聞こえる。

「なんというかあんた観てると頭がいいと馬鹿って両立するんだってよく分かるわ」

「確かに天は二物を与えなかったんだねぇ」

「なにヨその言い方、それじゃまるであたしが賢いって言われてるみたいじゃない。もっと褒め称えるといい。社くらい作ってくれたら年に一個くらいミルキーを下賜しよう、菓子だけに」

彼女たちのまたしてものため息を聞きながたどり着いた学食にはまだ人は少なかった。

「じゃあ先にテーブル言ってるから」

彼女たちの声を背に受け見慣れた券売機の前に立つ。

「そういえばリツカ、今日の夜大丈夫でしょうね」

「まきちんの家で鍋でしょ、キムチとトマトがいいな」

「二つも作らんわい、ちゃんと来なさいよ、いろいろと準備が無駄になるんだから、絶対来なさいよ、来ないと折る」

「どこをっ」

350円から揚げ定食のボタンをいつものように押した。

 

 

 

 

 

窓の外は暗い

 

虚数の海には何の光が浮かぶこともなく、ただ誰もいないように、暗い。

毛布を手繰り寄せる。

最低限の空調が効いた部屋。

夏も冬もなく、そして朝も夜もない船の中。

さして寒くも、熱くもない。

最低限の装備を外した黒いインナーだけの体に巻き付けるように毛布をかぶる。

寒くはない。

けれどまるで冬の外のように息をする。

 

音が聞こえる。

 

簡素なベッドから聞こえるのはこの船のエンジン音だろう。今私たちの命をつないでいてくれているこの船の鼓動。振動の音と船体の軋み上げる音が代わりに耳鳴りを受けてくれる。

耐えることのないその叫びを打ち消すように鳴る。

漏れ聞こえるのは自分の吐息、小さく、そして意図することのない小さな吐息。搾り上げられたような小さな音が聞こえる。

 

声が聞こえる

 

『どうして』

 

きこえない

 

『どうして』

 

聞こえない

 

『どうして』

 

聞きたくない

 

『どうして』

 

聞いていたくない

 

声はやまない。

ただその言葉だけが頭の中を反響していく。

耳を塞いでも聞こえるその声は、暗い部屋の中によく響く。鉄の箱の中を跳ね返り、響き、揺らし、崩していく。

だんだんと大きくなるその声。

その声をかき消していたはずの振動は聞こえなくなっていた。

暗い部屋の中に音はなく、ただその声だけが響いていく。

ただその声だけが聞こえる。

 

『どうして』

 

どうしようもなかった

 

『どうして』

 

そうするしかなかった

 

『どうして』

 

何もできなかった

 

『何もできなかったのにどうしてあなたがそこにいる』

 

私以外には誰もいなかった

 

『なぜおまえだけが生き残った』

 

運がよかった

 

『運が良ければ、奪ってもいいのか』

 

みんなあの爆発で焼けてしまった、誰もいなかった。仕方なかった

 

『仕方なければ、他の全ては優先されるのか』

 

なら何でみんな生き残ってくれなかった

 

『これまでの力も、能力も、成績も、信念も、矜持も、願いも、意思も、夢も』

 

そして命も

 

『お前じゃなければもっとうまくやれた』

 

そんなのは誰よりわかってる

 

『お前がいなければ、もっと上手く人理修復ができていた。もっと被害も少なく、もっと早く、誰もいなくなることなんてなかった』

 

それでも人理を修復した、世界を救った。

 

『その結果がこれか』

 

うるさい

 

『地表は漂白された、人類史は消え去った、新たな敵が飛来した、カルデアを失った、そして』

 

みんな死んだ

 

『お母さんも

お父さんも

兄ちゃんも

ばあちゃんも

雪も

さえちゃんも

健司君も

みっちーも

島さんも

田山先生も

西先輩も

こうちゃんも

吉岡も

さとしも

千秋ちゃんも

桜も

茉奈も

花美も

ダストンさんも

キークも

JBも

アナンダも

チョウも

ラティファも

チョンヒも

ペトロさんも

マリーダちゃんも

鮮宇も

トットも

ノエルも

アマンダも

ベンテおじさんも

翔も

エルモさんも

フェリベールも

ロランも

メリッサさんも

アンリエッタさんも

慶一さんも

オスカルも

雨桐も

みんな、みんな死んだ』

 

みんな死んだ。

 

マックスはようやく帰れるって言ってた

ララはこれで生まれた子の顔見れるって

ジョンソンは嫁さんと同い年だったのに俺のほうが老けちゃったって苦い顔してて

いい加減帰ってやらないとアレルギーで彼氏が死んじゃうってハリシャはのろけて

セルゲイさんは滅んでいた世界が戻ったんだから、多少カルデアに残されてもまだ待てるって

家のベランダを作りかけ出来ちゃったから嫁が怒ってるんだっておびえながらジュニアは笑った

ダヴィンチちゃんとかから推薦貰えて今度からまた時計塔で勉強できるってネルソン坊は意気込んでた

デレーロは家に帰っていい加減お母さんのグラタンが食べたいんだって

キーシャなんてもう二度と来るかって言いながら仕事は終わりまでするってツンデレみたいだった

ロウはいい経験になったって笑ってた。

ミランダ姐とキケロさんは二人で帰って結婚するって、結婚式では友人代表スピーチしてくれって

キキはこれで故郷に戻って自分の研究ができるって、ようやくお金がたまったんだって誇らしげで

ブラックさん、もう二度とこんなこと起こさないぞってまだカルデアスの調整してて

シウパはいい加減アラサーになっちゃったから婚活しなきゃって

ウェスタリアさんは世界平和を解決したんだからこれで家督が継げる拍が付いたって

ジフンは楽しみにしてたゲームがようやく発売されるって

 

言ってた

 

カルデアが解体されたあとにまた会おうって言ってた。

連絡先もみんなの教えてもらって、

そこの国行っても案内してやるって

おいしいもの食べさせてやるって

家族を紹介したいんだって

私たちは旅をしたんだぞって

過去をさかのぼって

伝説と英雄と出会って戦って

そして

こいつと世界を救ったんだぞっていうんだって』

 

みんな言ってたんだよ

 

『願いのために戦って、祈りのために駆け抜けて、そして明日のために生き残った』

 

じゃあ

 

『なんでみんなは死んだ』

 

『カルデアの中で、仲間たちだったクリプターの手で、無残に死んだ』

 

『なんで血にまみれて死んだ』

 

『なんで苦しみながら死んだ』

 

『なんで助けられなかった』

 

『なんで救えなかった』

 

『なんで無力なお前が生き残った』

 

『なんでお前が死ななかった』

 

『何のためにあの人は消えた』

 

『何のためにあの人はいなくなった』

 

『みんなを死なせるために行ったのか、苦痛の中で事切れさせるために消えたのか』

 

『そのためにあの人は、自分を消してでも守ろうとした』

 

『その結末がこれだ』

 

『お前じゃなければよかった』

 

『お前が生き残ったことが間違いだった』

 

『お前があの人を無駄にした』

 

お前がロマニを殺した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『死ねよ 私』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャドウボーダーに朝日はなくただ時計が朝を知らせるだけ。

換気することもできないシャドウボーダーの中、生き、そして腐ったような人間の匂いがした。

 

 

少女は暗い部屋の中、いつもの夢を見ていた。

 

 

 

「おなかへったな」



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ある少女と彼らの厨房

最終回です


小さな足音が聞こえる。

 

スリッパを引きづるような軽いその音が良く響いていく。

リノリウムの床を小さくたたくようにその音は歩き回り、そしてまた戻ってくる。

昼時ならば耳にすら入ってこないようなその小さな音は午前三時の誰もいない厨房の中に響いた。

 

「よっ、こい、せ」

 

小さな声とともに鳴るのは甲高い金属音と低い衝突音。すぐに止んだその音を辿れば磨き上げられたステンレスの調理台の上に乗せられた大きな薄力粉の袋が目に付く。二十五キロの大きな袋を抱え上げ、そして調理台まで持ち上げたらしい。使いかけなのかすでに開けられていた口へと大きな手桶を突っ込み、そして中から白い粉を取り出す。手桶に山盛りとなった薄力粉を一抱えもあるほどの大きなボウルの中へと移す。

大まかに、そして手早く三度、そして段々と回り始めた重量計の針を睨みつける。少しずつ揺れが収まり、そして再び少しだけ大袋から山に追加する。二度の調整の後ボウルに覆いをかぶせ、幾分軽くなった大袋の口を再び堅く閉じる。足音は再び遠くへと去っていく。

 

次に響いたのはケトルの沸き立つしゅんしゅんという蒸気の音だった。

戻ってきた足音は手にしていたその卵の段ボール箱をやさしく調理台の上に置いた。

がちゃんというガスの消える音の代わりに小さな突沸を含んだ水音が聞こえる。大きめのボウルの中に注がれたその湯の中に入れられたのは透明な耐熱ボウル。中に入っているのは大きく、そして四角いバターの塊。拳ほどの大きさはあろうかという大きなバターが少しづつ溶けていく。白いヘラは少しづつ柔らかくなっていくバターをなでる。熱が通っていき、溶けだす。白い塊は綺麗な黄金色へと変じていく。香りが立つ。バターの溶けるその甘い香りが立つ。長く溜まるようなその香り。少しだけぬるくなった湯煎、代わりにすべてが溶け切ったそのバターのボウルを取り出す。

 

「よし」

 

彼はそろった材料を前に小さく息を吐いた。

 

「手際がいいね」

 

暗い部屋の端から声が聞こえた。最低限の明かりしかつけていない厨房、その人影が見えるだけ。

その声に彼はさして驚いた様子もなく、気にする様子もなく、段ボールから取り出した卵をより分け始める。大きな赤卵に傷がないか確認していく。

 

「やっぱり魔術師よりも料理人になったほうが大成したんじゃないかな」

 

「それだけ言いに来たのなら、帰ってもらって良いかな。衛生管理は料理人の基本なのだが」

 

彼は残った段ボールを保管庫へと戻しながらあしらう。その声は小さく笑った。

 

「まさか」

 

声は変わることなく、吐息を吐くように言う。

 

「夢を見ただろう」

 

大きなボウルが調理台に置かれる。かつん、と小さな音がする。

 

「お前が見せたというのか」

 

「余計なお世話だったかな」

 

「まったくだ」

 

声とともに軽い割れる音が聞こえた。

綺麗に拭われたボウルへと卵が滑り込んでいく。蛍光灯の明かりを受け、丸くゆがんだ光を綺麗に照り返す卵黄。

 

「じゃあ、なぜそんなことをしたのかとか聞かなくてもいいのかい」

 

「もう二年だ」

 

彼は大きくため息をつきながらそう言った。

 

「二年間、あいつらの素っ頓狂なイベントなりなんなりにも呼ばれたのだ、推測はつく」

 

「それはなんとまぁご愁傷様かな」

 

声は少しだけ苦笑したような色を含んでいた。

そして少しだけ懐かしそうに聞こえる

 

「あの街はよく似ているんだ」

 

その人影は確かに見ていた。

 

「あれが最初だった」

 

最初に見つかった特異点

それはただの町だった

どこにでもあるような普通の町

それは異国でもなければ、古代でも、紀元前でもない

ただの少女が暮らしたようなただの町

 

燃え盛る街

 

住民の姿などなく、無事な建物の形などなく、息づく生活の匂いなどない

 

焼け残ったような黒い焦げ跡と、倒壊し焼け落ちた残骸と、すすと煙の臭い

 

「この街が最初だった」

 

「そして、この町があの子の心象風景だよ」

 

 

 

 

 

 

 

街が燃えていた

 

赤い赤い炎が町の中を這いずり回っていく。

 

尾を引くようにその残火を残しながらその獣は街を歩く。

 

足跡には赤い炎の後だけがちらちらと揺らぐ

 

煙が天までも立ち上り空すべてを覆いつくす

 

雲よりも厚く、曇天よりも重いその煙によって日の光は微塵も差し込むことはなく

 

今が朝なのかそれとも夜なのかも知れることはない。

 

唯一の光源は視界の満たされる炎の赤色

 

しかし目の前の赤色があたりを照らす

 

あたりは色彩なく、いいや、その炎の赤にのみ染められた光景が広がる

 

揺れる色の風景の中広がるのは崩れ去った街の様子

 

路は燃え、家は崩れ、そして人は消えた

 

熱で崩れたのかあたりには倒壊しかけたコンクリートの破片

 

元の形もわからないほどに拉げ落ちた看板、

 

黒く焦げ、骨組みのみとなり乗り捨てられた自動車の山

 

臓腑を焼くような、焦がすような熱が入ってくる

 

そのくせに四肢から冷たさが這い上がってくる

 

背骨を削るような、肉を凍らせ剥ぎ取っていくような冷たさ

 

既にそれは終わった

 

既にそれは潰えた

 

既にそれは始まってしまったもの

 

街が燃えていた

 

 

 

 

 

 

 

卵が割れる小気味よい音が聞こえる。

用意していた卵を割り終え、傍らに置かれたゴミ箱の中には無数の殻が捨てられている。二つのボウルは卵黄と卵白に分けられ、中には何十人分の目玉焼きになりそうな卵が割り入れられている。彼は小さな菜箸でわずかに残った細かな殻とからざを取り去っていく。抱えるように持たれた大きなボウルの中を卵白が揺れる、そして彼に右手には大きな泡だて器が握られている。やがて聞こえてきたのは小気味よい泡だて器が揺れる音。透明だったその揺れはだんだんと白く淡く染まり始めていく。

 

「どうだった」

 

声は昨日の休暇を訪ねるように言った。

 

「最悪以外に言葉を持たん」

 

彼はこともなげに返す。

さも、見に行った映画がつまらなかったように、今日の髪型が気に入らなかったように小さな倦怠のみをその言葉に浮かべる。

 

「誰が好き好んで焼け野原を歩きたいと思うかね」

 

泡だて器とボウルがあたり規則的な音が聞こえる。チャカチャカと、こともなげにその音が響く。

 

「怨嗟と崩壊と死に満ちた焦土の世界など誰が見るに堪えん」

 

少しだけ苛立たように眉を顰め、泡だて器を振る。

 

「あの年頃の娘の世界だ、もっと化粧品なり、テレビなり、アイドルなり、恋人なりそんな他愛ないものでいいというのに」

 

いつの間にかボウルの中には分離のない綺麗なメレンゲが出来上がっていく。並々と揺れるその白は微かに蛍光灯の光を反射し、ゆらりとその影を映す。おかれた泡だて器の代わりに彼の手に握られたのは白い砂糖、三分の一ほどをまだ揺れている卵液の中へ落とす。

 

「一度世界を救ったんだぞ、何でもないただの女の子が耐えて耐えて耐えて救った」

 

再びの泡だて器の音はすぐに止まる。白い粉は卵液の中へと混ざり合い、すぐにその跡は見えなくなる。次は残りの半分を入れる。

 

「その上に今度は世界を滅ぼすと」

 

先ほどよりも少しだけ溶け残りそうになった砂糖はそれでも混ざり合う。先ほどより少し持ったりとし始めた生地に最後の砂糖を入れる。早く、そして少しだけ大きく動かされた泡だて器、だんだんとボウルの中は白く膨らんでいく。手早く、そして早く、そしてどこか優雅にも見えるように空気を含ませるように音を立てる。

 

「いいかげんにしろよ」

 

呟き、吠える。

 

低く、静かに

しかしすべてを飲み込んだように吠える

かすれた声が響く

 

 

 

 

 

 

 

『世界を救った』

 

燃え盛る街の中、声が聞こえる

それに音はなく、ただ言葉だけが浮かぶ

それだけが伝わる

その思いだけが入り込んでくる

その思いだけが満ちている

聞いたことのないような少女の声が聞こえる。

 

『怖くない時なんてなかった』

 

『いつも震えていて、それがみんなに知られないように押し込めて笑った』

 

『技術のあるエキスパートなんかじゃなくて思慮深い魔術師でもないただの凡人』

 

『ただでさえ人手なんて足りてなくて、運よく生き残ったの素人マスター』

 

『弱音を吐くことは許されない、震えることは許されない』

 

『それだけ人類の終焉は近づいて、その分だけ人間は追い詰められていく』

 

『必要なのは最後のマスター、そうあらねばならない』

 

『力がなくとも、覚悟がなくとも、進まなければならない』

 

『そうしなければ、その役割を果たさなければ』

 

『そうすれば』

 

『すべてが元通りになると信じて』

 

『異常の中で、日常を取り戻せると信じて』

 

『異常も日常も区別なんてなくて、それでも、夢みたいに漫画みたいに何もかもが元に戻るって思い込んで、縋って』

 

『そして、どこかの、顔も知らない多くの人たちの世界を救った』

 

『手の届く、私たちの世界を犠牲にして』

 

『助けてくれた人たち、あの人を犠牲にして』

 

 

 

『私は世界を救った』

 

 

 

 

 

 

ボウルいっぱいに膨らんだメレンゲは薄く、白く、そして緻密に詰まっていく。もたりとリボン状に落ちていく。泡だて器にから流れ落ちボウルの中へと戻ると形を残しゆっくりと崩れ塊へと戻っていく。カン、とボウルのふちに泡だて器を当てる。泡だて器についていた残り、小さな粒となりボウルの中へと散る、そしてやはりまた形を失っていく。

 

「生存競争に善悪などない」

 

彼はボウルの中央を開けるとそこへ卵黄と溶かした砂糖とバターを落としていく。優しく、流れるように。

黄色い卵黄の群れ、軽く裂かれた卵黄から流れ出た黄金はメレンゲへと少しづつ染み込んでいく。その境界は見えず、ゆっくりと薄黄色に染み込む。白と黄色のまだらは、だんだんと薄く優しく侵す。

 

「異聞帯を切り取ることも、そこに生きる人たちを切り落とすこともそれは生存競争にほかならず。その世界に生きる生命すべてを殺したという罪科などありはしない。もとより落とされ、なかったはずの枝葉。切り落とさなければ幹たる編纂事象、ひいては人類史すら枯らせかねないもの。それは背負う必要のないものだ」

 

声は無機質に彼に伝える

 

「それで割り切れるならば、私たちは人間ではなくなってしまうのだろうよ」

 

彼はメレンゲを崩さぬように切るように混ぜていく。音はなく、ただ彼のコックスーツの着ずれの音が少しだけ、それも機械たちの駆動音に紛れてしまう。

 

「これは背負ったものじゃない、溜まっていったものなのだよ。心の中に溜まっていく澱の様なものだ。それに真面目過ぎると言っても過言じゃない。全てに向き合うなんて。どう理屈を取り繕うとこれから我々が成すことはその世界を滅ぼすことに違いはない。それも一度失われ、剪定され、失った未来を」

 

全体を染めた卵黄の黄色は白かったメレンゲをきはだ色へと染め上げていた。抱えられるように支えられていた腕は離され、彼は小さく息をつく。疲労を感じたのか、小さく腕を振っている。ボウルから上げられた泡立て器の跡は角が立ったように小さく跳ね、そしてゆっくりと倒れていった。

 

「まるで自分が救った様な生きようとした世界をだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

焼け焦げた道を歩く

崩れた街並みを抜ける。煙の臭いが鼻を突き、肺を侵していく

靴の裏から這い上がってくる熱気とは裏腹に熱気を抜かれていく。

足は重く、しかし止まることはない。

 

『後始末だと思った』

 

『全てがうまくいったわけじゃない。でもこれで終わると思った』

 

『前みたいに何もかもがなくなったわけじゃなくて、旅で増えた仲間だっている』

 

『いつも耳元から聞こえていたあの人の声はもうなくなっていて』

 

『それでも管制室のみんなの声が聞こえてきた』

 

『少しずつ終わっていって、少しずつ日常が近づいてきて』

 

そして

 

『一度だけ』

 

焼けた町の中、ベルの音が鳴る。着信を知らせる公衆電話のベルの音が響く。辺りに彼以外の人影などあるわけもなく、彼は焼けた受話器を取った。

 

『もしもし、あ、母さん、私、立香だけど。うん、そう。大丈夫大丈夫。元気。そっちは。うん、うん。そうそう、それで詳しいことはもう少し後になるんだけど次の春前までには帰れそうだから。そうだ、中央公園の桜並木ってまだあるよね。新しく出来た友達も日本に来てみたいって言ってるの、そうそう、じゃあ、近いうちにまた連絡するから、じゃあね』

 

切れた電話の外、どこかで大きな音が聞こえる

何かが崩れたか、何かがきしんだか、何かが割れたか

その轟音はどこか叫び声によく似ていた

 

 

 

 

 

 

 

 

白い雪が舞う。

目に見えないほどの小さな雪が降り注ぐ。

辺りに広がるの柔らかく甘い小麦の香り。だまにならぬように篩から落ち、薄力粉の雪が小麦色のメレンゲへと積もっていく。少しづつ、積もらせては白いゴムベラで切るように混ぜる。もう一度、振るい、そして返す。出来た泡を崩さぬように、壊さぬようにそして薄力粉がだまにならぬように混ぜる。切り、そして返す。四度ほどの篩の後、次第に種は少しだけ白くそしてより滑らかに変性していた。

出来上がった種を前に彼が取り出したのはいくつかのケーキ型、大きさにしてみれば大きなもので言えば十二号は超えるほど大きく、一番多いのは六号だろうか。一つ一つもうには入念にバターが塗られていた。それぞれ同じ大きさの方が敷き詰められているのはオーブン用の天板。彼は出来上がったその型へと種を流し込んでいく。

 

 

「お前なら、ずっとあの子と共にあったお前なら気づかないわけないだろうに」

 

 

彼はつぶやくように言った。

押し殺したように

押しつぶし、殺したように言った。

 

「確かに結果論に過ぎない」

 

「あの時はあれ以外に方法なんてなかった」

 

「なんの覚悟も特別も持っていない女の子たちを巻き込むことも、彼女たちに重責を負わせることになることも、男が一人消えることも」

 

「そしてあの子たちにさらに重しを背負わせることになることも」

 

「それ以外に選択はなく、ほかに道はない」

 

彼の言葉は事実にほかならず、合理に相違なく、正義に違いない

彼は知っている。

その事実を、その顛末を、そしてその行く先を否応なく想像することができる。

それが最善だった。

それが最も被害が少なく、

それが最も多くの人間を救い

それが少女が目指した結果へとつながる唯一の路

それ以外に方法はなく、

その想像を超えることはなく、

下回ることすら考えられることを彼は知っている。

それでも

 

「失うことを何より嫌った普通の女の子が一番恐れることを、大切な家族を失うことを最も怖がる普通のあの子のことを」

 

種を入れた型を少しだけ持ち上げて軽く落とす。中に入っていた空気を抜いていく。型と天板がぶつかる高く小さな金属音がする。かたん

 

「それでもなお、お前はそれを裏切った。その身と引き換えにすべてを解決した」

 

かたん

 

「それで全てを救ったつもりか、それで全てを正したつもりか」

 

かたん

 

「それですべてが救われたつもりか」

 

かたん

 

型を握る白い手袋のしわが伸びていく。強く、強く握られたその型は少しゆがんだようにこすれる音を発した。生地の中から少しづつ気泡が浮かんでは割れていく。小さいものも、大きいものもゆっくりと浮かび上がりそして消えていく。

 

「それでも残されたものは生きてゆかねばならんのだ」

 

かたん

 

 

 

 

 

 

『世界を』

 

色のない世界が見える

 

『一つの世界を修正した。過酷な環境下でもなんとか生き残ろうとした世界を消した』

 

耳鳴りのような燃える音のみが聞こえる

 

『一つの世界を修正した。賢明なる女神が守ろうとした無垢なる世界を消した』

 

冷たい指先は触れたかどうかすらもわからない

 

『一つの世界を修正した。進むことと引き換えに苦しみから逃れた平穏なる世界を消した』

 

焼けた、喫えたにおいはいつものように鼻につく

 

『一つの世界を修正した。善良なる民が生きるすべて、正しくあることのできる世界を消した』

 

そして、砂を噛むように食いしばる

 

『その世界に生きるすべての人を殺して、

 

そして

 

『また、私は世界を救うのだろう』

 

風が吹く

冷たく肌を削るような冷たい風が灰を巻き上げる。

街の炎は大きく燃え上がり、踊り、這いまわる。

そして怪物をまだどこかへと連れていく

その道行は巡礼者のように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「夢の中で何と言われたと思うかね」

彼はその手を止めること無く、片手間に問いかける。

 

「何だろうな、今日のご飯なに、とか」

 

「確かにそれもいいそうだが」

 

彼は少し笑った。

 

『お前がこなければみんな死ななかった、お前がいなければ誰も殺さずに済んだのに』

 

一度も聞いたことの無い様な声で、泣いているのか叫んでいるのか分からないような声を聞いた。

むき出したような目と噛み締められ、血のにじんだ唇は渇き裂けている。

振り乱され、伸び切った髪は獣のように荒れ狂い、黒く腐りかけた手が彼の首を絞める。

首に触れるのは死人のように冷たい指先、その指先に力などなく、殺したいという殺意もなく、殺せるだけの覚悟もない。小さく震えるその手は確かのこの少女の手。子供の癇癪というにはその手は傷つきすぎていた。

 

「心なんて何度折れたかなんて知れない、癒えてすらいない、ただ折れた意志に使命という添え木を施し無理やり立っているようなものだ」

 

「それすらなくしてしまえばあの子はもう戻ってこれなくなる」

 

「でも、まだ私を憎んでくれているなら」

 

たとえそれが中身のないただの八つ当たりだとしても

 

「それがあの子が生きるための薪となるならば」

 

「この身が灰になったとていとわんさ」

 

焼き上がりを知らせるオーブンのブザー音が聞こえた。

 

「私は不死鳥のゴルドルフだからな、灰からでもよみがえるのは得意なのさ」

 

 

 

「生クリームはたっぷりね」

「チョコレートももってきたよ」

「苺も万全です」

「今日はリソースなんて度外視で行こう」

「ラズベリーも用意いたしましたわ」

「何よラズベリー程度で気取っちゃって、こういう時はマーマレードって相場が決まってんのよ」

「トーストではないのだが」

「まぁいいじゃないの、ほれ、ネクタル」

「兄さん、神酒なんて飲ませたら死んでしまいますよ」

「ガレットに使おうと思っていたオレンジも良い出来の物がある」

「ミートパイなんてどうだ。ほれドラゴンの喉元だ」

「年頃の乙女に合わせる顔はないのですが、マスターならば話は別、魔猪の肉です」

「どっちも駄目に決まっているでち」

「材料が足りないならばそこの駄羊を焼けばいいじゃないか、私も手伝おう」

「姫、それは私怨がこもっていると思うの」

「西洋の菓子ならば門外漢ではあるが抹茶の菓子ならばいささかなりとも助力はできよう」

「マスターはカレーが好きだと聞く、カレー味はどうだ」

「流石にそれはねぇだろ、合わせ方ってもんがあるだろう」

「とりあえずターキー焼きゃあいいんだよっ、祝い事なんだから」

「マッシュしますか」

「キュケオーンをお食べよ」

「引っ込んでろっ」

 

 

 

食堂の扉が開く音がする。

小さな子供の歓声とそれを制する大人たち

持ち寄った贈り物の包装紙がすれる音

半べそかきながらエプロンを求める声

獣臭い匂いは誰かが猪でも狩ってきたのだろう

かすかに高まった厨房の気温

甘い匂いの広がる食堂に集まったのは万夫不当の英霊たち

争うためでなく

競い合うためでなく

世界を救うためでなく

 

 

 

 

「所長ー、変な時間に目覚めちゃって小腹がすいたからなんか作ってー」

 

「やばいっ、急げ、見られたらサプライズが終わりだぞっ、私が行ってとどめておくからこれを何とかしろっ」

 

蜂の巣を突いたように彼らは慌てて動き出す。

 

彼女へのケーキを飾るために

彼女への贈り物を彩るために

 

ただ一人の少女を生誕を祝うために

 

「やっぱり、あなたはただの人間みたいだ。怒り、悲しみそして喜んでくれるただの普通の人間」

 

だから

 

「あの子を、みんなを頼んだよ、ゴルドルフ所長」

 

カルデアの厨房に気勢が響く。

 

まだ早い冬の朝のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼がたどり着いたのは小さな丘の上だった。

街の中心部、少しだけ小高い丘の上、頭上には大きく黒い穴が開いていた。

ゆっくりとその穴より流れ出るその黒い泥は止めどなく溢れ、地表を覆っていく。

コールタールのようなそれが地表に触れれば赤く燃え上がり、再び町へと広がっていた。

どれほど流れ続けたのだろうか、眼下に広がる黒い海はその世界を焼き尽くす死の呪の沼。

頭を埋め尽くすような絶叫、足を折るような倦怠のただの少女が流した血と涙の湖

黒く濃く、深いその海を彼は見つめていた。

湖畔に腰を下ろしその腕の中には子供のように泣き疲れ眠る少女の姿。

橙色の彼と彼女の髪、子をあやす父のような背中があった。

 

「一つだけ聞いていいかい」

 

彼は問いかけた。

 

「どうして手作りにこだわるんだい。設備がないわけでもないんだからベーコンもチーズも機械を使ったほうが簡単じゃないのかい」

 

「そのほうがロマンがあるだろう」

 

彼は少し驚いたように、そして笑った

 

彼は少し誇らしいように、そして笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

今回で『ゴッフ料理長の厨房』は最終回となります
七か月の間お付き合いくださりありがとうございました。
書き物の練習がてらの募ったお題から始まった本作がランキングに上がるまでになったのも皆様の応援のたまものでございます。
本作は終わりますが公式より『Fate/Grand Order 英霊食聞録』の連載が始まるそうですのでそちらを読んでみてはいかがでしょうか
感想を下さった方、評価をつけてくださった方、誤字訂正を知らせてくださった方、お気に入りやしおり登録をしてくださった方、そしてなにより本作を読んでくださった方、本当にありがとうございました

また運が良ければお会いいたしましょう


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Study in dark dark Black

ちょっと続きました


 夜の闇に揺れるのは頼りない小さな火の光だった。

 

小さなオイルランプの風よけガラスの中で小さく赤く揺れている。

ぼう、と照らし出す灯が届くのは人の歩幅ほど、闇を紅く色づけた程度のもの。

サイドテーブルに置かれた小さな灯台の上から見えるのは大きな本棚と机と小ぶりなタンス

そして一人分の影。

かたかたと聞こえる物音

青白く光る人影

口から洩れ捏小さな笑い声

無音に近いその部屋の中、小さなオイルランプの炎だけが怯えるように、しかして立ち向かうように揺れる。

しかしその炎はあまりにも小さく、弱く、そして遠い。

震えるように揺れるその炎に青白い人影は大きく映し出される。

白い死相の浮かぶ影、光を通さないような白く反射するその目

ただその深みに落ちれば上がってこれぬという確信がある

それはさながら蜘蛛にとらえられた鮮やかな蝶のように

 

しかしそれでも

そしてそれはその炎が大きく燃えた時だった。

 

「完璧だ」

 

白いその影は少しの感嘆とそして倦怠を含んだ声でつぶやく

そこに失敗はなく、同時に勝利などない、否必要などない。

水が流れれば高きから低きへと流れるようにただそれだけですべてが成るその計画を。

人の行動など聞くまでもなく

人の怠惰など見るまでもなく

人の悪意などこの身のように

生前すら、そして死したこの身となってすら変わることなく、ただ手慣れた児戯に等しき手慰みを一つ

幾人もの害意あるものを導き

幾人もの殺意あるものを送り

そして

彼の名探偵すらも欺いたその手腕にて書きあげられたそれは。

 

 

「マスターの期末テストが完成したよぉーん」

 

 

「電気くらいつけたらどうなのだ」

 

ぱちりと電灯のスイッチの音とともに開いた扉、そこにはカルデアの新所長となった男が立っていた。

英国のアパートの一室を用いたような部屋の中、部屋の中央ほどに置かれた椅子には闇のフィクサーが座り、テーブルの上に開かれたノートパソコンには出来上がったばかりのテストが映し出されていた。

 

「だいたい、あれも、もう期末テストだなんだという年頃でもないでないだろうに」

 

彼の持ってきたティーセットから香ってくる紅茶を楽しみながら教授は得意げに笑った。

 

「確かにそうかもしれないがね、あくまでそう銘打っているだけだヨ。そっちのほうがマスターも親しみやすいんじゃないかとネ」

「あの小娘のことだ、一夜漬けとヤマ張りでなんとか乗り切っていそうでもあるのだが」

「その様もありありと思い浮かぶねぇ」

 

少しミルクを入れようとした教授を彼の声が止めた。

 

「ミルクティーではせっかくの軽食が甘くなりすぎてしまう」

 

彼が取り出したのはバスケットの中、山に積まれた上げ芋のチップス。ところどころに見える黒いてんはごまらしい、飴がかけられたのか表面がてかてかと光を反射している。

 

「ジャガイモじゃないね、縁の紫色の皮、スイートポテト、日本語だとサツマイモであっていたかな」

 

教授の見分に彼は、そうだ、と素直に返しながら自分の分の紅茶を用意する。

 

「大学芋というのだそうだ。本来ならばもっとサツマイモを大きく切りゴマとあめをかけるのだそうだが、軽食ならばこのくらいの薄切りのほうがちょうどよいだろう」

「アラフィフには油物はつらいのよ」

「ならばその手を止めてから言ってはどうだ」

 

おや、と手を止めた教授はそそくさと手に持っていた一枚を口の中へと放り込んだ。

 

「それで、どうなのだ」

 

彼の言葉に教授は映し出されたモニターを彼へと向ける。途端に眉を顰める彼に得意げに笑いかける。

 

「どうだね、これ以上ないほどの力作であると思うがどうかネ」

 

食い入るように見つめる彼の顔に浮かぶのは疑問の表情、魔術師として、さらにはそれを成すための資産家としての高等教育は一通り受けてはいるもののそんな彼でも画面に映る設問は十分に難解に思える。

 

「これは一般人でも解けるものなのかね」

彼はこれを受ける赤毛の少女のことを思い出し、そう問いかけた。

「もちろん、私がなんと呼ばれているか知っているだろう」

 

 

 

ジェームズ・モリアーティー

名探偵シャーロックホームズの天敵であり、彼の解決した事件のフィクサーでもあった犯罪界のナポレオン。どの事件からも彼の足取りをたどることはできず、ホームズがその命をとして討ち果たした帝王。

 

 

 

そして何より、此度重要であったのはその彼の表の顔、つまり大学の教授であったということだった。

 

 

「いやぁ、久しぶりにテストなんて作ったけどやっぱりこれはこれで楽しいものだ。初等とはいえ美しい数の世界へとつながる一歩だからね、より美しい回答となるような問題作り、そして何より、一夜漬けのぼんくら学生が単位を落としたことを確信するあの表情、滑稽極まりない」

「さぞ嫌われた教授だったのだろうなぁ」

 

彼が一時期過ごした時計塔とはまた違った方向での偏屈者であるらしい。しかし、目の前の数学者も、そして時計塔に巣食う傑物たちもどこか似たような変質が匂ってくる。その表情に良く知る先輩を思い出し震える彼をよそに教授は言った。

 

「これが案外そうでもない、普通に勉強していれば引っかからなければ難しいものではないからね」

「引っかからなければ」

 

彼が繰り返したその言葉に教授はにやりと笑いながら彼の用意したスナックを口へと運ぶ。

 

「トゥーレが出してきた問題もなかなかに難しかったが、あれはちゃんとそれまでの学習という下地があったものだが、ほんとにあの娘の知識で解けるのか」

「基本的には高校数学があれば解けないわけではないし、それにこれまでの秘策もあるからネ」

 

教授の意味深なウインクに彼は少しだけ背筋に悪寒を感じながら、それを払拭するかのように紅茶をぐびりとながしこんだ。

 

「秘策とは」

 

恐る恐る訊ねると教授は得意げにポケットへと手を伸ばす

 

「これだよ」

 

彼が取り出したのは小さなカセットテープとウォークマン。

 

「これには私お手製の出る順数学生講義の音源を録音していてね、睡眠学習がてら眠ったマスターに聞かせているのさ」

「眠った女性の部屋へと侵入する成人男性ということの事件性について悪属性に道徳を説いても無駄なのだろうか」

「やってるのはいつもベットに潜んでる女の子たちにお願いしてるから」

「眠っている間に聞かされるおじさんの声というのもなかなかにぞっとしない話なのだが」

「巌窟王君にも渡してあるから、夢の中でも講義がうけられるネ」

「名探偵を呼んでこなければ」

 

じょうだん、じょうだん、と食い下がられる教授に大きく一つため息をついた。

 

「それにしても君もなかなかにお人好しだねぇ」

 

紅茶を飲んだ後に彼は本腰を入れたように問題へと目を通す。元来の知識はあったとしても聖杯によって与えられた現代常識がすべて過不足ないかといわれればそれは正しいとは言えない。ましてこの問題の作成者は稀代の犯罪王であればマスターの少女に解かせる前に誰かの査読が必要なことも決して無理からぬことでもある。それでもなお問題作成を依頼するに至った理由。

 

「わざわざこんなものを作らせた理由というのを聞かせてもらってもいいだろう」

 

問題で止まったのか彼はじっと答案を睨めつけながらつまらなそうに返事を返す。

 

「わざわざわかっていることを言う必要もないだろう」

「いやいや、ちゃんと口に出して言うことは大切なことさ、それが良きにしても悪しきにしてもね」

「貴方が言うと言葉が鉛のように重いのだけれどな」

 

再びペンを動かした彼はただ言った。

 

 

 

「すべてがおわった後のためだ」

 

 

 

 国連の組織と銘打っているもののその実態はアニムスフィアの運営する工房であったカルデア。時計塔におけるロードの管轄であった組織ではあるもののそのロードは死に、その後継者たる娘も又既に倒れた。そうなれば雪の積もるあばら家のようなもの、いともたやすく潰れる。たとえそれが誰が実感することはなくとも世界を救った組織だとしても、いいやだからこそ解体されるはずだった組織。

彼とて、その利権が金を生み出すと睨んだ死体狩りのうちの一人。それがたまたま今もこうして残ったカルデアを運営しているに過ぎない。

 

「確かにカルデアは私が買い取った。しかし、生憎とムジーク家にはアニムスフィアほどの力などない。忌々しいがそれは紛れもない事実だ」

彼は画面に映し出された問題を解かんと気いるように見つめながら雑記帳にペンを走らせていく。

「仮に人理再編を行い、かつての世界が戻ってきたとしても、ここは以前ほどの独立性は持てん。より国連や時計塔の力が及び、影響を受ける。正規の職員や魔術師たちが来るようになり、公明正大な公的機関になるだろうよ」

 

彼の言葉を教授は愉快そうに微笑みながら聞き届ける。

 

「融通など通らず、バイトなんてもってのほか。責任者が私でなくなる可能性だって考えられる、そうなれば一般人より選ばれた補欠のマスターなど如何にコネがあっても首になることなど間違いない」

 

ならば

 

「正規の手続きで試験を受け、面接を行いそして合格した者がいられぬ道理などないだろう」

 

教授は深いため息をついた

 

「マスターの経歴を詐称するなり、周りを整えてここに残らせることなんて私にとっては造作もないことではあるのだがね。生憎と今回はキミたち自身がそれを望まないなら計画の破綻は目に見えているからネ、大人しく付き合うとするヨ」

「恩に着る」

「まぁ、君たちが抗おうとも壊されない計画なんて朝飯前に建てられるんだがネ」

「だからあなたが言うと言葉の重みが違うだろうにっ」

 

解けない問題に知恵熱でもあげたのか少し赤くなった彼の顔。

 

 

そこには世界の平和も

 

世界の崩壊も

 

そして唾棄すべき悪もなく

 

あるのはただ真理を目指す学徒の姿のみ

 

手を伸ばしつまむは思考のために必要な糖分

 

ぱり、と甘く小さな音が聞こえた。

 

 

 




家にいなければならない時間が増えた方が多くいらっしゃる今日この頃、本来であれば完結した作品ではありますが、新しく書きました。
稚作ではありますがこの作品が誰かの楽しみになればと思います。


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二輪とトマトと時々うどん 誰かのソーセージを添えて

ここまでは続けられます


音が聞こえる

 

強く、早く、そして大きい。

人間では生み出すことのできないほどの唸りを上げるその鼓動はしかし、遠い。

耳鳴りのようにその鉄の鼓動が聞こえる。

段々と近づいてくるその音。

耳馴染みのあるその連続音がどこからか聞こえてくる。

あわただしいエンジンとけたたましいクラクションの音、品のないその暴走の音に眉を顰める。

それはまるで眠りから目覚めるための目覚まし時計のベルの騒音。

夢へと入り込んでくるような無遠慮な侵入者。

しかし、夢にまで見たこの真っ青な空と、どこまでも広がるフロリダの荒野にそんな無粋な物などあるはずがない。

誰もいない一本道を愛馬とともに行く自分、周りに人影もなく、ただ自分の鼓動と鉄の鼓動がシンクロしていくだけ。

お気に入りのライダースジャケットは太陽を照り返し、ブーツは傷一つなく磨き上げられている。おそして、お気に入りのサングラスには夢にまで見た自分だけのルート66が広がっている。

そして彼はつぶやいた。

 

「まるで夢のようだ」

 

 

 

かんっ、と一際甲高い音が聞こえる

どさっ、と何か重いものが落ちる音がした

 

「えっ」

「いってぇ」

 

唐突な痛みに目を覚ます。どうやら腰あたりに何かがぶつかったらしい鈍い痛みが軽く前進を駆け抜けていった。

 

「今度は誰だっ。まだチャーシューはできていないっていう、の、に」

 

彼は飛び起きながら自室への侵入者へ警戒の言葉を発するも最後まで言われることはない。尻すぼみになったその言葉を発したとてその意味はない。何故ならそこは彼の自室ではなく、真っ青な空の下、どこまでも広がる荒野、背中に感じるのは革張りのシートの感触とバイクのエンジンが上げる力強い振動。

そして

背後から追ってくる無数の暴走族と走行中ながらも今現在彼が乗っているサイドカーを無理やり切り離そうと結合部を滅多打ちにしているバイクに乗ったどこかの大剣豪の姿だった。

 

「久しぶり、所長さん」

 

 

 

 

「久しぶりじゃないよっ。ななな、何してんのあんたっ」

 

彼女の刀を遮るように結合部へと覆いかぶさる彼に彼女は快活そうに挨拶を返した。

 

「所長こそいきなり出てきてびっくりしたんだから、なんでこんなところに。レイシフトだっけ」

 

ゴーグルごしの彼女は手にしていた刀を戻しながら背後に迫る追っ手の軍団を一瞥する。

 

「私に効かれても知らんっ、それより前、前っ」

「おっと」

 

彼女は前方の大岩をすんでのところで避けると今度は前を向きながら彼のほうへ少しだけ視線を流した。

 

「何も知らないってことはいつかのマスターとおんなじってことね。眠っている間になんかドリフトしちゃったのか」

 

その一言に彼も大きく眉を顰めた。人類最後のマスターの少女とともに歩んでそれなりに時間もたつが、確かに彼女は時折どことも知れぬ世界へと夢を渡り大活劇を繰り広げている。カルデアで観測できたものだけでなく、のちにレポートとして提出されたものも目に通したことがあるが、それだけで目を覆いたくなるような事件であった事も理解したくない事件であったことも少なくない。技術部とともに高性能ドリームキャッチャーの製作を検討したほどである。

そんな状況に彼自らが陥っているらしかった。

 

「冗談じゃないけどそれよりどんな状況よっ、これはっ」

 

依然として背後に見えるのは黒山の暴走族たち。まるで世紀末とでもいうようなパンクな格好の彼らたちが怒気を纏いながら疾走してくる。

 

「待てヤァ、このアマぁ」

「やつざきじゃぁ」

「あいつを晩飯にしてやらぁ」

「最悪の食い逃げ女をとらえろぉ」

「世界一の美食家であるボスに対して食い逃げとはいい度胸じゃねぇか」

「この世に二つとないスペースウルトラギャラクシーソーセージの窃盗だぁ」

「冷蔵庫が一刀両断されてたぞ」

「丁寧にフライパンで焼きやがってぇ」

 

エンジンと風切り音の中、耳をすませば聞こえる彼らの怒号、横を見れば無邪気に舌を出しながら笑う大剣豪。

 

「てへっ」

 

おもむろに彼は後方、追手たちのほうへと向き直った

 

「こいつは渡すから、私は完全に無関係でーすっ。こいつの命はどうとでもして構わないからぁ」

「なっ、所長ともあろうものが仲間を売るのですかっ」

「知らんっ、うちにそんな食い逃げの小悪党など聞いたこともないっ、みなさーん、食い逃げ犯はこいつでーす、引き渡すから私は助けてー」

「ここまできたら一蓮托生でしょうっ、あ、ちょっと、運転に割り込んでこようとしないでよ、危ないっ」

「貴様といるほうが危ないわっ。夏にあれだけのことをやらかしておいて今度は食い逃げだとっ、始末に終えんわっ」

「仕方ないでしょっ、こっちの世界に来たと思ったら大型の冷蔵庫の中なんだもの、寒いし出口には鍵かかってるし、切るしかないでしょうが」

「うむぅ、それなら」

 

納得しかけたところに股も後方からの声

 

「他にもでっかい肉もあるのに、冷凍庫のなかの一番奥の開封厳禁の張り紙がされた肉にまで手を出しやがってぇ」

「そりゃあ、開封厳禁って書いてあったら開けるしかないでしょう」

「ギルティ」

 

再燃したその言い合いの終止符を打ったのは小さなぷすんという音、それはつまりガス欠の音だった。

 

「ということはつまり」

 

炎天の荒野にて地獄のマラソン大会が始まった。

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った」

「私も」

 

すでに火も暮れた頃、ようやく追手の姿が見えなくなる。彼らは走り続けた体を休めるように近くの洞穴へと逃げ込んでいた。荒野の空、雲一つない夜空に月はなく代わりに小さくそして白く巻かれた星たちの砂粒が輝いてる。昼間と比べ幾分と下がった気温はまだ熱を持つ体を冷ますように少しづつ熱を抜いていった。

 

「焚火は厳しいかな」

「煙を隠す魔術はある、気にするな」

「便利な魔術もあるのね」

 

バイクから持ち出してきていたバッグの中身を確かめながらとりだしたライター、星だけの夜空の中灯の橙色の光が燃え始める。

 

「はいよ、晩御飯」

 

その声とともに放り投げられたのは小さなほうれん草の缶詰。

 

「これは素材であって料理ではないのだが」

「他に食べられるものも、ないんだ、し」

「なんだ今の間は、そしてしゃべるならこっちを見ながらしゃべれ、目が泳ぎまくっているではないか」

「いやほんとほんと、他のなんてないから、全然ないから、あっ」

 

彼の視線に耐えかねたのかあとずさりした彼女の足元、暗がりの中にあった小さな石に躓き体勢を崩した拍子に彼女の胸元からこぼれてきたのは小麦粉とそして燻製の香り漂う小さな包み。体勢を崩した彼女より先に足元に転がってきたそれを開いた。その中にあったのは二玉ぶんのうどん、そして一本のフランクフルトソーセージだった。

 

「これは」

「てへっ」

「一本くらい返したら収まりつかないか」

「一本くらい返したところでどうにかなる量じゃないと思う」

「元々何本くらいあったの」

 

彼女はにこやかに右の人差し指と中指と薬指を立てる。

 

「三本なら一本返せば」

「ううん、三十本」

 

気恥ずかしそうな盗人大剣豪に落ちたのは雨もない荒野に響く大きな雷だった。

 

 

 

 

「考えれば考えるほどあほらしくなってきた」

 

しょんぼりと正座する大剣豪の前、魔術によって安定した火勢の焚火へと持参していた寸胴に汲んできた水を湛え火にかけ、ほうれん草の缶詰二つを開いた。

 

「ええい、もう知らん、あとのことなど明日の私が考えればいいことだっ」

 

半ば叫びながら彼は手にしたナイフでソーセージを一口大に切っていく。

 

「これで所長も共犯者ですな」

 

正座のまま悪い顔で笑い始めた彼女にげんこつが落ちる。

 

「でも、ソーセージでなに作るの、ほうれん草と炒めるとか」

「自分が持ってきたのだろう」

 

そういって彼はうどんを取り出し煮えたぎる寸胴の中へと放り込む。

 

「ざるうどんにソーセージは食べ合わせとしてどうなの」

「出汁なんぞ携帯しとらんわ」

 

代わりに彼が取り出したのは朝食用に用意していたはずの真っ赤なトマトジュースだった。火にくべられたフライパンの中に注がれたトマトジュースと鍋とともに上備してあった固形コンソメ。だんだんと煮立ち、コンソメの形がなくなっていく。少しに詰まった微かな酸味を含んだソースがあたりに香りを広げていく。

 

「くっ」

 

そこへ何かを想い切るように彼は顔を歪めながら切ったソーセージと缶詰のほうれん草を入れ絡めていく。

 

「そして」

 

ちょうど茹で上がったうどんの麺をソースの中へと放り込み、そして炒める。鉄板の上、湯切りなどしない麺から滴るゆで汁が一瞬にして沸騰する。くつくつと泡立っていたソースは麺とともに大きくその色を変えていく。白いうどんへとゆっくりとトマトの赤みが移る。焼き色のついたソーセージと深い緑となったほうれん草が躍る。荒野の夜空の中、聞こえるのはただフライパンの焦げていく音だけ。

 

「できた」

 

皿の上に盛られたそれはトマトソースの赤色とほうれん草の緑が映える。

 

「うどんナポリタンというところか」

 

少し冷えてきた外の空気の中、トマトの匂いを含んだ湯気が空へと昇っていく。

 

「さっさとくえ、冷めてしまう」

「食べてもいいの」

 

依然として反省の正座のままの彼女は差し出された皿を少し驚いたように受け取った

 

「反省はしてもらうが飯の恨みは恐ろしいからな。それに戦闘になれば私を守ってもらわねばならないからな、ほんと守りなさいよ、団子とかあってもよそ見するんじゃないよ、ほんとに」

 

フォークに巻き付けた麺の先にソーセージを差し、頬張りながら胸を張った。甘く少し焼うどんのような、ナポリタンのような心地よさが広がる。

 

「不肖、新免武蔵守藤原玄信、一宿一飯の恩義は忘れませんとも」

 

フォークを刀に見立て、それを握りこむようにサムズアップして見せる。

 

 

 

空へと至り、そしてなお先へと進む先をその瞳に見据えながら。

彼の剣豪はこの空の下、果てなき旅路の半ば。

荷物を持ちえぬ彼女の持ちうる土産。

いつか、酒でも酌み交わしながら語るそんな足跡ひとつ。

 

 

 

 

「ほんとかなぁ」

「全くです、事の発端は忘れているんじゃないでしょうか」

「まったくもってそうだぞ、夏のことといいツーアウトだ」

「今度から彼女の分のデザートは私が申し受けましょう」

「二人ともひどい、確かに私が盗まなければっ」

 

とっさに振り向いた視線の先、もう一人分のナポリタンを食むのは風景に似合わないセーラー服を着た金髪アホ毛の眼鏡少女。どこかで見たようなその姿。

 

「なんですか、二人して私をじろじろ見て」

「お前はなぞの」

 

しかし彼らの言葉は遮られ、そして彼らの下へなだれ込んできたのは昼間にさんざん見飽きた暴走族の連中。

 

「ボス―っ、やっぱりみつからな、あっ、こいつらですよ、こいつら、ボスのソーセージ盗んだ奴らっ」

「もう食べてる、なかなかにデリシャス。でも別にいいかな。普通のばいえるんでいい」

フォーク先のソーセージを咀嚼しながら眠そうな返事を返す。

「ボス?」

「ボス」

 

彼の質問に興味なさそうに彼女は生返事を返す。ソーセージ窃盗の罪が許され、そして彼らがあっけにとられている間に空になった皿を置くと、彼女は取り巻き立ちを塗らうように視線を向けた。

 

「それでおはぎは」

「おはぎ?」

 

新たな単語に彼はもはや声のほうを向く人形と化していた。

 

「確かにスペース歌舞伎町のナンバーワンキャバ嬢に納入予定の品を手に入れていたのですが、それもソーセージと一緒に」

 

一党の目が向かう先はかの大剣豪

 

「てへっ」

 

 

 

 

これがかの第一次スペース甘味大戦、発端のあらましである。




これと前のとあともう少し書いてセカンドシーズン的なのをしようとしてやめたやつです
暇つぶしになれば


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芳香

続いているのかいないのか
それは誰にも分らない


 本来、したためるべき報告書とは別にこの書簡を残す。

 

 規則通りであれば事の全容を報告書へと記し、それを提出すべきものであるが私はそれを行わなかった。事実司令部へと提出した資料にはあくまで客観的な事実とその前後関係のみを記すこととした。所感程度であれば許容されるべきものではあるがこと今回の場合においてはそれはおこなわれるべきではないと判断したための処置である。

 しかし、それによってこの事件自体が不明瞭になってしまうことは間違いない。それでは今回の事態に関して今後警戒することも、対策することもできない。もとより今回のような事件が今後再び起こったとしてもそれへの対策を講じることなど不可能にも近いのではあるが、それでも再び今後起こりうるための対応策、いいや代替策としてこの書簡を用意している。つまり、これは多くの私の主観を含むものであり、その感覚をいかなる計測器にて残すこともかなわなかったためにそれは証拠とはいいがたく記録として信頼するに値するものではないことを先に伝えておかなければならない。

また、これより語ることは私が記憶しているものではあるものの、私ですらそれこそが確かなる記憶であると断言することができない。確かに感じ、この身に記憶しているはずのものであるにもかかわらずその事実を信頼することができない。まるで現実そっくりに作られた悪夢のようなものであり、月を見ていたはずであるにもかかわらずそれは湖面に映ったように水面に揺れる偽物であるという感覚がぬぐえないのだ。現状、別側面としての私の影響なのか私はその出来事をまだ覚えておくことができている。健全なる精神を持った同輩たちはすでにその記憶の輪郭を失い、その出来事についての詳細すらも記憶できていなかった。ただ午後の微睡に多少の夢見が悪かった程度の漠然とした不快感を持つのみとなってしまっている。人間の持つ自己防衛本能的忘却なのかあれによる記憶的障害なのか、それとも私たちには想像もつかない何か永劫の力によるものなのか判別はつかないものの事実としてすでにあの出来事を語れるものは私だけになってしまった。その私もすでに記憶の崩壊が始まり刻一刻と思い出せなくなってきているという自認がある。そのために私は筆を執ることにした。

 そしてこの書簡自体がどのようにかしてあの事件ともつながりを持ってしまうことは何よりも避けなければならない。そのためにできる限りこの書簡を手に取るものが出ないように、そして 事のあらましだけを知りたいのならばここに書いてあることなど全くの無意味であり、早々にこれを封印することを求める。

 

この事件など一言で表すならば『何もなかった』に過ぎない。それ以上の結果などなく、それ以下の原因などない。それでもなお、新たなる事態が発生した時のみこの書簡を開き事態の解決へと導く一助としてほしい。

 

 

事の発端はある朝のことであった。

第三の特異点を超え、第四へと向かう準備の最中、カルデアスによって発見された微小特異点の調査とその解決へと主も赴く事となったがそれ自体にさして特別性のあることではなかった。魔術王の人理焼却による弊害は特異点以外にも多く発生しており、そのノミ取りとでもいうべきこまごました修正を行うのは日常茶飯事であったためだ。

有限であるカルデアのリソースによって選定され召集され、赴くこととなったのは私と気高き女狩人、無垢なるデミサーヴァント、そしてマスターである赤毛の少女の四人。場所はニュージーランドより東に数キロほど、クック諸島に属する小さな小島のうちの一つであり、その反応自体も小さいことからこれまでと同様に人理焼却における余波として人理の影が形となり異形の有り得ざるべき敵性体の反応となっていることが十分に予想された。それに即するように作戦内容も困難なものではなく、既に所在の知れている敵性体の捜索、打破、離脱、そしてカルデアより特異点の消滅を確認するだけの計画が立案され、同様の作戦もすでに一人では数えられないほどをこなしてきた私たちにとってさほど気負う事もなく、レイシフトを行った。

果たしてたどり着いたのはさして大きくもない小島だった。全周は二キロメートルもなく猫の額ほどの小さな浜と南国特有の椰子類の森が小箱を埋めるように茂っている。外周の調査は数刻と立たずに終わり残された森の中に目標は巣くっていると考えられた。時刻は南中までいくばくかの猶予があり、探索にしても戦闘にしても十二分に対応できるだろうと判断した私たちは足を踏み入れた。

 果実や植物の円熟とも腐敗ともいえない発酵匂の林を抜けると我々の行く手を遮る壁へと出た。そこは南北に紡錘型をしているこの島を中央から二分するように走っていた断層が姿を現した。さほど広いともいえない雑木林の探索の末に敵性の様子は見受けられず、引き換えに人の背丈ほどの岩壁の一部に樹木に埋もれた人一人分程度の入れるような小さな洞の入り口を見つけるに至った。

 入口からは肉の腐ったような不快な臭気と鼻腔を襲うような微かな刺激臭が漂ってきていた。これまでの経験則より人理焼却のゆがみが生じた場合に発生する敵性はそのほとんどが実在の何かを作り替えたようなものであった。ただの猪が魔猪へと変じたように、獅子や蛇が混交しキマイラとなるようにもとよりある者たちが変質したような微少な改変が主であり、それは同時に生物としての形質を依然として有しているということであった。魔力だけではなく、その物理的な体の維持や混交前のルーティーンというように狩りを行うことや巣の確保、縄張りの主張といった動物本来の形質を持つものも多く存在しており、その点でいえばこの洞の中に討伐対象がいる可能性は大いに考えられる状態であった。

 洞の中は一日中日が当たらないらしく岩の表面は苔むしており、急な斜面となっていることも相まってに三度ほど体勢を崩しそうになりながらも降りていくとそこには声が響く程度の鍾乳洞が広がっていた。電灯の明かりに照らされるのは無数の歪な柱と天井と床面から対称的に伸びるつらら、乳白色に光る床面には天井から落ちてきた雨だれが集まり流れるためのような小さなくぼみが一筋ひかれている。電灯の明かりに照らされ時折虹色へと姿を変えてらてらと光るその洞は緩やかに下降しておりその先はまだ長く続いていることが見て取れる状態であった。

 体感にして数百メートルは進んだ頃に私たちは壁面から音が聞こえることに気が付いた。規則的に段々と大きく聞こえるようになった地響きのような騒音が聞こえ始めたのだ。あたりを探索した結果その反響音が聞こえてくるのは洞窟上部からだと判明すると女狩人は作成していた島の地図と洞窟へと下った後の進路を比較してみればその地点ではすでに島の範囲外となり既に海底の下へと続いていることが判明した。この島の近海は遠浅であるらしくその下へと潜り込んだために潮流が海底をこする音が規則的に聞こえているらしいと結論付けるに至った。

 再び進んだ先、そこは先ほどの入り口よりも広く開けていた。匂いはより一層強まり、先ほどよりも壁面からの音は大きく微かに地面すらも揺れているように感じた。手持ちの調査器を設置し探索を行おうとした時だった。それまでとは違った足音とともに暗がりから襲ってきた者たちがいた。洞窟の奥より狂乱したようにとびかかってきたのは人の腰丈ほどの大きさの物体であった。ぺちぺちと足音を立てながら走ってくる様には知性を感じることはできず、またピラニアのように首元を狙いとびかかってきたその者たちを狩人が三匹射落とし、私が二匹を切り伏せた。野良犬程度の物でありさして労もなく対処できたものの、その者たちの形質はいささか以上に異様という言葉に尽きるだろう。その全体像は小さな人間のように見えた。肌の色は白く、短い二本の腕と肥大した足の甲を持つ、それに首はなく、まるで魚のような醜い顔が上を向くように胴体から分かたれることなくつながっていた。本来首や肩に当たる部分には鰓のような切れ込みがあり、よく見れば手足にも水かきのような薄膜が指の間に張っている。しかし、魚人というには口の中には歯があり、頭部に当たる部分には幾ばくかの毛髪が残っており何より全身には皮膚がありうろこのかけらも見られなかった。

 人間とも魚ともいえない未知の敵性体ではあるもののカルデアにて観測されていた反応は六体であり、残りの一匹は近辺を捜索した時にあっさりと見つけることができた。先ほどの魚人とも違う大型の爬虫類のような昆虫類のような蝙蝠のような羽根をもった生物の死骸がそこにすでに置き去られていたのだ。外傷はなく、厳密な死因を調査することはできなかった。ただその死骸の体表が異様にふやけていることに気が付いた。人間の皮膚のようにも見えるがどれだけ水にさらしていたのかも分からないほどに水を含み風船のように膨らみつつある。本来の骨格と思しきそのシルエットすらもまるで骨すらも軟体化してしまったように硬さを無くしつつあるその体はどこか昆虫の蛹のようにも見えた。そしてそれの周りに散らばっていた小さな丸い物体もよく観察すれば先程私たちが切り伏せた魚人のように大きな足の甲が何とか見て取れた。元の形状よりこの水膨れのような蛹へと変ずるにはそれなりの時間が必要であるように思え、またカルデアスより発見された今朝からの時間程度では到底間に合わないように思えるほどの劇的な変貌、変性に見えた。

 それが何かの毒によるものなのか、果たして魔術によるものなのかの判別はつかなかった。いいやつけられなかった。見分するより早く私たちを襲ったのはひときわ大きな地鳴りとともに押し寄せた瀑布だった。私たちが入ったことによって洞窟のどこかに亀裂が入ったのか、それとも満潮の時刻にでもなったのかは分からない、ただ一つ言えることはその水はまったく塩辛くなかったということだ。

 

 

 次に気が付いた時にはすでに完全に水は引いていた。

 私は瀑布に飲まれ同行者たちとも完全にはぐれてしまい自分の居場所すらそこがどこなのかも見当がつかない場所へと押し流されてしまっていた。瀑布は洞窟の入り口から流入してきたためにそこはそれまでより深い場所のようだったが流される前の調査ではそれ以上の奥など存在していなかったはずだったにもかかわらず、そこはどうにも見覚えのないような奇異な香りが充満していた。体は何か丸いものに引っかかるようにして止まっておりまったく光のない空間では明確に視界を得ることは叶わない。魔術なりを使えれば確かにその部屋の中を子細にとらえることができたのかもしれないが私はあくまで一介の将に過ぎないために暗闇の中を這うように進むしかなかった。しかし、今となってはその幸運に感謝する、子細にあれを見ていたとすれば私は今ここで筆を執ることすら叶わなかった。

 暗闇の中で声をあげても返答は無く、大講堂で叫ぶように音が反射するのみであり、そこがこの洞窟内で最も広い空間であることと同時に私一人だけがそこへと辿り着いてしまったらしいことを表していた。手と足の感覚のみを頼りにあたりを探索するとそこは人工的にならされたように平滑な床が広がっており、私がいる地点よりも幾分も奥へと細長く続いている事が分かったために、前後不覚であった私にとってはそのどちらもが等価であったために試しに前進することを試みた。

 

 結果としてその魂胆は失敗に終わった。

 変化が起きたのは床面の石灰岩のざらついた床面がいつの間にか真珠層のように肌に吸い付くような感触へと変わったころだった。遠方に小さな光源が見えたのだ。暗闇に慣れたその目に大きく映ったのは焚火のような代々の炎の影とそれに付随するような何かの焼ける匂いに惹かれたのだ。どれほど暗闇の中で時間を過ごしたかわからなかった私にとってそれはまさに光明にふさわしく蠱惑的に私を誘った。光に寄せられる蛾のように、そこへと駆け出していたことに私は気が付かなかった。ただあの光へと進まねばならない、この香の辿る先へと赴かねばならない。それはまるで囁きのようだった。耳元ではなく呼吸するたびにその香りが私を苛むのだ。香しきそれは私の肺へと潜り込み、体をめぐりそして脳を侵していく。霊体であるはずのこの身であって尚呼吸が荒く、酸素を、いやその香を取り込もうと深く息を吸っていた。モルヒネなど比較にならないその麻薬のような酩酊と脳へと寄生虫でも入り込んだように私の意思などなく体を手繰っていく。しかし、たどり着いたのは光のない暗闇の中、そこには火の気配も光の気配もない。あるのは下品なほどにむせ返るようなその匂いだった。

 嗅覚というのは最も脳へと働きかける感覚器だと聞いたことがある。視覚が脳の処理のは七割を占有していて尚、人間へと最も簡単に、そして直接的に語り掛けるのはその香りであると。理論も感情も必要とせず、ただ知らしめる。その匂いは夢だった。映像ですらない。音ですらない、触覚ですらない。それが現実だった。夢、彼も見ている夢の中に私たちはいた。意志は必要なく身じろぎ程度で崩れ去る泡沫の夢の住人だった。微睡の中にいつ変わるともいつ目覚めるともしれない薄氷の上の世界を見た。

立ってなどいられない。この足がほどけない保証などない。

立ってなどいられない。この地面が溶けない保証などない。

立ってなどいられない。この惑星が崩れない保証などない。

立ってなどいられない。この宇宙が潰れない保証などない

立ってなどいられない。この世界が割れない保証などない

杞憂ですらない。

落ちてくる天を見た男のように揺れ動く世界を知ってしまえばそこになど立っていられない。

支えを求めた。

縋るものを探した

寄る辺を欲した

 

 

そして見つけた

 

 

見つけてしまった

良く知っている手だった

見知った少女の手だった

見知っているはずの手だった

なんの力もないはずのない赤毛の少女の手だった

そしてその時私は初めてその匂いの正体に気が付いた、いいや思い出した。毎週口にしていたその匂い、彼女がいつも上機嫌に作っていたその匂いだ。洞窟から入ってきてずっと漂っていた匂いだ。ようやくここまで臭気のも元へとたどり着いてようやくわかった。

しかし、そうならば、この考えが正しいのならば、なぜ彼女は分からなかった。誰よりも愛し、誰よりも望、誰よりもそれを願っていた少女がなぜこのにおいを分かっていなかった、わからなかった、わからないはずがなかった。

 

 

いいや、わかっていた。

 

 

一切の光のない闇の中で彼女は微笑んでいた。先に広がる祭壇を前に歓喜に濡れたようにただ微笑んでいた。耐え切れず私は彼女の手を振りほどき、騎士の誇りすらもかなぐり捨て少女へと切りかかった。しかし、その剣は空を切り、石灰岩の岩肌へと衝突する。微かな火花が上がり刹那の間あたりを白く照らした。それが最後だった。それに大きさなど持たない、それに強さなど意味を持たない、それに重さなど縛られることはない。ただそこにそれはあった。

 

奈落の大穴のような巨釜と、どこまでも続く壁のような包丁が。

 

それより先は思い出すことができない。

ただ何かに熱に浮かされるように洞窟を出て、いつの間にかそろっていた仲間たちとカルデアに戻ってきていた。他の仲間たちに話を聞こうとしても洞窟にて魚人を数匹倒してそのまま帰還したと口をそろえて言うのみであり、途中洞窟内に設置した観測系にも又何の異常もましてや私を押し流したような洪水も検知されてはいなかった。記録はなく記憶も定かではない。誰の記憶になくとも確かに私があの時見たのだ。あの赤毛の我らがマスターの姿を。知っているはずのない神殿を望む、知っているはずの知らぬ女の姿を。

 

 

今日は日曜日、またあの匂いが漂い始めるだろう。

私の世界を乱していくあの匂いが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あのカレーの匂いが。

 




特に意味はないけど一周年です


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ヘルズキッチン!新たなる仲間ポテト

続けましょうか


ここは閻魔亭

 

閻魔大王の名代として小さな雀の営む地獄の温泉宿。

迷い家として存在する閻魔亭には今や世界各地から多くの妖怪や妖精、英霊から神様まで様々な者たちが足を運ぶ。風光明媚な景観と日々の疲れをいやす天然の温泉、そして頬を落とす料理は今日も来訪者たちに一時の極楽を提供する。地獄良いとこ一度はおいで、そんなキャッチコピーも聞かれるその最上の温泉宿。

 

そしてその厨房では小太りの男が一人、死にかけていた。

 

「吸い物はまだかっ、菊の間の膳は」

炎の音、湯気の立つ熱気と何かの煮え、焼ける音、そして包丁がまな板をたたく音、積み重なった台所の轟音の中、声を張り上げながら、手元は狂うことなく鯛を三枚におろしていく。

「今もって行ってるでちゅん」

「楓の間、ご飯のおかわりちゅん」

「お櫃ごと持って行け、今のうちまた三升炊を出してたいておけっ」

厨房から受け取った料理たちを小さな雀たちが世話しなく動き、小鉢や小鍋などを手際よく膳と並べ、塔のように重ねるとそれをひょいひょいと次々と運び出していく

「梅の間のてんぷら上がったでちゅん」

「こっちの船盛上がった、行け」

「桜の間からチーズが食べられないのでやっぱりデザートをチーズケーキから別の物にしてほしいそうでちゅん」

「いわんこっちゃない、冷蔵庫にフランボワーズのタルトがある、それを持っていきなさい」

「いい猪を買って来たから調理してほしいともってきたちゅん」

「血抜きはっ」

「処理済みちゅん」

「そんな地獄の猪の肉なんて食べて大丈夫なのかっ、いいかっ、だいたい食べるのは英霊とか見様だしかまわないか」

「試食はするちゅん」

「ガッデムっ」

 

そんな戦場のような厨房の端、底から規則的に聞こえるのはまるでマシンガンのような規則的な打音。ぶれることなく、途切れることなくずっとメトロノームのように聞こえ続ける。よく聞けばかろうしてその音が包丁で何かを切っている音だと認識することができる。

「見習いさん、ひとまずとりあえずキャベツの千切りはそのぐらいで十分ちゅん。次はきゅうりの乱切りをお願いするちゅん、小鉢の酢の物用がなくなってきたのでとりあえず百二十本分ほどお願いするちゅん」

「承りました、この命に代えても」

「重いちゅん」

それは偉丈夫だった。

小さな山をも思わせる堅牢な肉体に火の光のような金髪、手にした包丁が小さく見えるほどに大きなその手。そんな彼が厨房の端、うずたかく積まれた野菜の段ボールと無数の籠、そしてそして小さなまな板へと向き直る。手分けした雀たちが斬り終えたキャベツの山を持っていく。代わりにまた聞こえ始めたのは先ほどと同じ打撃音、そして見る見るうちに山となっていくきゅうりの籠。

「野菜の皮むきとか、下処理とかをしなくてよくなったのはとてもいいちゅん」

「特に昼食の効率が段違いでちゅん」

「代わりに厨房に謎の圧を感じるでちゅん」

「常在戦場でちゅん」

「シールサーティーンディシジョンスタートでちゅん」

「底の雀どもっ、無駄口言ってないでさっさと運ぶっ、時間ないでしょうがっ」

「ちゅーん」

雀たちが去って尚、ただ黙々と野菜を指示通りに素早く切り続ける青年。

 

彼の名は千切りマシーンガウェイン

 

第二の聖剣を置き、包丁に持ち替えた円卓の騎士だった。

 

 

 

昼下がり、客たちの昼食も終わり、厨房に一時の休息が訪れる時間、厨房の裏、小さく開けた裏庭のような広場に青年が腰かけわずかな休息をとっていた。

「どうかね、調子は」

声をかけたのはコック帽を取り、一息つきに来たらしい新所長の姿だった。

「ありがとうございます、兄弟子」

「その呼びかけは何とかならないかね、なんか背中がぞくぞくするのだ」

「然し、こればかりは礼節として譲りかねます。人の上に立つのならば慣れていただきませんと」

「しかしね、かの円卓のガウェイン卿に兄弟子呼びされる先人もいないだろうに」

その一言に青年は笑った、

「私とてただの人ですよ、兄弟子の腕には遠く及ばない」

「そういうならそういうことにしておくがなぁ」

何とも納得が言っていないものの飲み込んだような彼の反応に笑みを浮かべる。

 

事の発端は彼のマスターの言葉だった。

彼女が訪れたサーヴァントユニヴァ―スなる別宇宙ではどうやら彼に当たる人物がシェフとして働いていたらしい。様々な問題があったようではあるものの料理の師を得、その腕を磨いているらしかった。

「丁度、所長が紅女将のところに呼び出されるだろうし、その時に弟子入りさせてもらえばいいんじゃない」

 騎士として生き、そして死する。その力を持って今英霊として存在している。騎士のふるまい、戦闘の技量としては申し分なくともその他の部分に関していえば完全とは言えない。特に騎士王など生前、彼の料理を食べているときと比べカルデアの食堂で食事をしているときなどその表情には雲泥の差が見られる。騎士王の責務として表情なく食べていたと思っていたがどうやら案外そうではないと聞かされた時の衝撃を言い表す言葉はない。そのためこの話は彼にとっても渡りに船だった。

 

「食事は確かに美味であることに越したことはありませんが、腹持ちがしてエネルギーになればそれだけで十分でもあったのです。私にとっては、ですが」

「なんというか、うん、そうだとは思うよ」

初めて見た彼の手料理、生のジャガイモをつぶし始めたときには思わず眩暈がしたものだ。

「しかし、どうやら他の者にとってはそうでもないようですね」

「人の好みを否定することはできないが、それでもやはり万人に受け入れられ易いものというものは存在するからな。それはさして気にすることではない。それを他者に押し付けなければだが」

図星を刺されたように彼は高らかに笑う。

「兄弟子、これは痛いところを突かれましたな」

「そこまで図星とわかっていて高らかに笑えるキミも君だがね」

手にしていたお茶を一口啜る。

「そうだな、それじゃあ、今日、ジャガイモの皮をむいて何か気が付いたことはなかったか」

「ジャガイモですか」

午前中のうちに小山ほども剥いたジャガイモ、最近ほぼ日課になっているジャガイモの皮むき、小さなナイフを使い永遠に近い皮むきの中での違和感。

「そういえばやたらと手元が滑ったような」

「それはなぜだと思う」

彼に手招きされながらひと段落した厨房の中へと戻る。野菜の段ボールの間を通りまだ青年が立ち入ることを許されない厨房へといざなう。

「私のナイフ捌きが狂うことはありえないのでジャガイモが滑ったのでしょう、ということはいつもより水分が多かったということでしょうか」

「流石円卓の騎士、流石の自信だな」

青年の答えに彼は二つ、彼へと放り投げる。こともなげに受け取ったその二つ、歪な形をした二つの球体、どちらもただのジャガイモに見える。

「確かにその二つはどちらもジャガイモだ。同じ男爵イモ、だけれど今日のは新じゃがいも。簡単に言えばとれたてのジャガイモだ」

彼がその二つを斬ると一報はそのまま断面が見えるのに対してもう一方はうっすらと表面から水がしみだしてくる。

「とれたての分中に水が多く皮ごと食べても問題がない。その分ジャガイモ特有のほくほく感というのは出にくい」

二つ細切りにして手早く油で揚げる。青年はバットに揚げられた湯気の上がる出来立てのフライドポテトをつまみ食べ比べる。一報は口の中で崩れていくようなその舌ざわりを、もう一方は野菜のような噛み応えを感じる。

「女将も言っている事だが、料理とは愛情ではない。知識と経験、そしてただの努力だ」

彼は火にかけられていた大なべからゆでられていた無数のジャガイモたちを救い上げると手早く皮をむいていく。

「芋の皮むき一つ、野菜の洗い方ひとつで料理の味は決まる。その一つ一つを積み重ねることで料理ができる」

ボウルに揚げられたジャガイモをつぶす、あらく、形が残る程度に。

「それを知ったうえでよりおいしくなる方法を見つけねばならん」

青年が先ほど切っていた色とりどりの野菜を加えて混ぜる。

「未熟者の私にはいまだにその成功が見えません」

その言葉に彼は笑う。

 

「料理には成功もそして失敗もない、あるのはおいしいかったという言葉。それだけが唯一の正解だ」

 

ボウルの中にはマヨネーズを一回り。

出来上がりの山盛りのポテトサラダを二人、つまみ食いしながら茶を飲む。

 

「兄弟子は王には向いていないかもしれませんね」

「お前が言うと重いわ」

「そうでしょうか」

「まったく」

彼が王だったとしたら、あの終わりはもう少し違っていたのだろうか。青年は小さく笑い首を振った。

 

「うむ、悪くない」

青年はもう一口、ポテトサラダを口に入れ、そしてそういった。

 




おもしろいかはわかりません


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誰がためにカボチャは笑う

なんで続いたんでしょうね


たん

 

何かの音がした。小さな、小さな音が。

 

それは弾む音、リズムを奏でるステップの音

 

とんとん

 

何かの音がした。少し小さな、少し小さな音がした

 

それは歩く音、小道を抜けるかけっこの音

 

かさり

 

何かの音がした。少し大きな、少し大きな音がした。

 

それは潜む音、透明になる魔法の音

 

どんどん

 

何かの音がした。大きな、大きな音がした。

 

それは訊ねる音、扉をたたくお客の音

 

きぃと開く、扉は開く

 

お客は訊ね、主人は答え

 

貴方は串刺し、私は物取り

 

悪魔は群れる、ランタンもゆる

 

葬列長く、老い先短く

 

一行行は夢半ば

 

まだ見ぬ冥府の果てまでも

 

 

「これはなんの歌だね」

「モーツァルトが作ったみたいですよ」

「さらっと怖いこと言うんじゃないよ、この楽譜いくらで売れることになるやら」

「本物って信じられるかは微妙じゃないですか」

「それはそれでもったいないような」

「まぁ正確に言うならモーツァルトが作ったのをサリエリ先生が随分書き直したみたいですけど」

「それはそれで意外というか、カルデアのサリエリならばよりモーツァルトの作品に手を加えないような気がするのだが」

「元々が子供たちが歌いたいって発注だったんですけど、まぁなんというか」

「そこまで言って区切るんじゃない、余計気になるじゃないか」

「そうですね、例えていうならばあの男は自分の尻を嘗めろと謳う曲を作った男ですよ」

「成るほど、察した。それ以上言う必要はない」

「聞きますか、原曲、具体的に言うと父親の留守中に母親が間男を連れ込んでいるのを発見してしまい性癖のねじくれまくった少年の歌」

「いうなって言ったじゃないっ」

 

時刻は午後十時を回ったころ、食堂には数人のサーヴァント、そしてマスターとカルデアのスタッフが集まっていた。すでに夕食も終わり、多くのサーヴァントたちは自室なり談話室などで歓談しているころ、既に消灯した食堂の中に再び人影が集まっていた。

 

「子供たちの様子は」

「うん、もう眠ったみたい。昼間にこれだけ気張って飾りつけしたんだから疲れてたのかもね」

 

食堂の蛍光灯が付くと、そこにはオレンジ色、そして紫色を基調とした無数の飾り付けが施されていた。壁にはラメの入ったようなきらびやかなモール材が張り付けられ、そのところどころにはお化けや骸骨を模した大きな模型がや紙細工がつられている。どこから持ってきたのか分からない木桶や椅子には魔女や尖った目や口にくりぬかれたかぼちゃが所狭しと積み上げられていた。

 

「如何に英霊とはいえど子供は子供ということか」

 

新所長はその言葉に小さく息を吐き、そしてわずかに眉を寄せた。

 

「難儀なものだな」

「ゴッフ所長ー、始めちゃうよー」

 

呟きは赤毛のマスターの号令に流されてどこかへと消えた。

 

 

 

 

夜の厨房に甘いにおいが立ち込める。

クッキーやキャンディー、チョコレートにかぼちゃのパイの濃い匂いがあたりを包む。その日は十月三十日、ハロウィンを翌日に控えた真夜中。小人となった大人たちはいたずら悪魔の魔の手から逃れるために、その小さなモミジの手に分ける甘いお菓子を焼き上げる。子供たちに秘密の工房、そんな甘い香りの中から彼は一人抜け出し椅子に座ると手にしていた水を口にふくみ一時の休息をとる。

 

ぱしゃ

 

小さく光り、そして消えた。

一瞬の光にたじろぐこともできず少しぼやけた視界はすぐに戻ってくる。

 

「私に写真写りの良い角度はあるのだがそれはどうだね、ゲオルギウス殿」

「意識する表情も美しきものですが、何気ない意識の端々に現れるその趣も又良いものです」

 

カメラを手にした男はそう笑いかける。その様子に彼も又つられて小さく笑った。

 

「少し形の悪いのだが一つどうだね」

 

彼はポケットの小さな紙袋から少し罅の入ったクッキーを彼へと手渡した。

 

「ありがとうございます、ラングドシャですか、これは子供たちも喜ぶでしょう」

 

そういって彼は祈りをささげるとそのままクッキーをカメラに収めてから口へと運んだ。

 

「おいしいです」

「子供たちの飾り付けは取らなくてもいいのか」

「お昼に飾りつけをしていたジャックたちとともに存分にレンズに納めさせていただきました」

 

彼の見せてくれたカメラの液晶には笑う子供たちがあふれる。

 

「いいのか」

「何がですか」

「ハロウィンはケルトの行事だろう、それをこう楽しむのはどうなのだろうなと思ってな」

 

彼は小さく笑った。

 

「幼子たちが汗を流し、楽しもうとしている祝い事に水を差す、それこそお認めにはならないでしょう」

「そんなものか」

「そんなものです」

「そうか」

 

彼は半分理解し、半分困ったような顔のまま納得したようだった。厨房の中でもひと段落付いたように手の空いたものから休憩をとっている。

 

「あらぁ所長、もうへばったっていうわけ」

 

いつもの露出の多い服装ではなく、コックスーツに身を包んだのは先ほどまで自分と同じ厨房に立っていたコノートの女王だった。

 

「英霊のスペックと同じ領域で考えないでほしいのだが」

「そんなんで熱い夜が過ごせるかしら」

「私にも選ぶ権利はあるぞ」

「あら生意気ね」

「私とて名門ゴルドルフの男。その手のハニートラップの一つや二つ」

「それでコヤンスカヤなんて狐に化かされたと」

 

椅子から崩れ落ちるように床へと倒れこみそうになる、しかし澄んでのところで体勢を持ち直し立ち上がる。平静を保ったわけでなく、ただコックスーツを床につけるような愚を許さなかった情景反射に近い動作だった。

 

「落ち込んだ顔も一興ですよ」

「そこ、さらっと傷口に塩を塗らないっ」

にこやかに笑う聖人に鋭い視線と注意を向けるもその笑顔の牙城を崩すには至らない。

「もうほこりが立つじゃない、厨房で暴れるなんてなってないんじゃないの」

「貴方も、どこ口が言うのだ」

「私過去は振り返らない女なの」

 

そういって彼女は手にしていた小さなお盆から一つを彼らへと差し出す。

 

「バームブラックか」

 

一口大に切られた小さなケーキ、ケーキというよりもパンに近いようなそれにはレーズンやイチジクといった無数のドライフルーツが仕込まれていた。

 

「そう、まぁ一応私はこれ作っとかなきゃね」

「それにしても私としては少し意外だったのだが」

「何が」

「いうなれば貴方がこのお菓子生産に加わってくれるというのが意外だったのだ」

「そうかしら、私は私がしたいようにしているだけよ」

「そんなものか」

「そんなものよ」

「そうよねぇ、メイヴはスカディ様のために参加しているのだものねぇ」

「ちょっと、何言ってるのよ、エウロペっ」

「あら、内緒だったかしら」

「稀代の女王もヨーロッパの母には形無しか」

「っ、もうっ」

 

彼女は自分でも一つバームブラックを手に取り再びしゃべりだそうとしたエウロペの口の中へと放り込むとそのまま厨房の奥ふかくへと連れて行ってしまった。

 

「ああしていると、どこにでもいる少女のようにも見えるものだな」

「サーヴァントは全盛期で呼ばれる訳ですから、実際の外見年齢と一致するわけではありません。しかし、外見に引っ張られるということもあります」

「そう考えるとやはり子供の姿をしたサーヴァントは子供なのだろうか」

「ここカルデアにも随分サーヴァントも増えましたからね、一概にいうことはできませんが間違ってもいないようにも思います」

「アンデルセンあたりが効いたら特大に皮肉を返してくれそうだな」

 

二人はコーヒーで口を濡らしながら小さく笑いあう。

 

「とりあえず、この飾りつけを楽しんでくれた子たちが喜ぶ分のクッキーは焼くこととしようか」

「エリセも混ざっていました、本人は少し照れた様子でしたがそれでもいつもより柔らかく笑った顔が取れましたよ」

「14だったか、彼女は」

「ええ、現代でいえば中学生ですか」

「まだ親の庇護下で学んでいるような年だろうに」

 

彼はそういって部屋の中を見回す。

 

「新所長、そこまででやめておきましょう」

 

時代が違えば、環境が違えば、けれど彼らはここにしかいない。

 

「大人たちは子を憂う」

 

けれど

 

「大人が思うより、子供たちは強い」

「ああ、もうずっと見てきたよ」

 

漂白の大地を駆け抜ける子どもたちを、彼は見た。

 

 

「それはあなたもですよ、ゴルドルフ・ムジーク」

彼はクッキーに似た小さな硬貨を彼の殻になった紙袋へと落とした。

「小さなお菓子、されどこの一つが誰かを笑顔にするのなら、それは主の奇跡と何ら違うことない」

 

 

「そんなものか」

「そんなものです」

 

 

甘い匂いと、次のクッキーが焼きあがるブザーの音が聞こえた。




トリックオアトリート


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Dear A

Happy Birthday


廊下を子供たちが行きかう。

 

 

 場違いなカルデアの中、相応にはしゃぐ子供たちは厨房から運び出されていった大きなブッシュドノエルに引き連れられていく。そのままパーティー会場となったホールへと笛吹男の様に姦しくその行軍は続くだろう。ハンドワゴンにそれを載せた錬鉄の英雄と子供たちからのつまみ食いを諫めるためにわざわざ二人ほど付き添っていく。いつもなら五人ほど詰めているような厨房の中には二つの人影しか残っていなかった。

 

「とりあえず、一山は超えたらしいな」

「すまないな、ラウンジの調理の方に人手が回ってしまってな、手が足りなかったのだ。ありがとう」

「いいさ、たまには腕を振るっておかないと錆びてしまう、刃物と一緒だ」

「あの腕前ならそう簡単に錆びることもあるまいに」

 

ひと段落と、たすき掛けを解き、前掛けをきれいに畳み始めた彼女へと苦笑を浮かべる。今しがた運び出されていったブッシュドノエル。チョコレートとクリームとスポンジで構成されているはずのその大樹はしかしまるでそこに息づくように、深い森の中の静寂と命を引き連れたように精緻で緻密な造形、それも両手いっぱいっものスケールで作り上げて見せたのは目の前に佇む黒髪の彼女。こともなげに、しかし抜かりはなく、芸術作品のようなそれを半日で仕上げた彼女に彼は大きな苦笑を浮かべた。

 

「正直、この時代に近い生まれなので頼んだだけだったのだが、見事な腕前という賛辞以外の言葉を私は持ち合わせていない。アサシンというよりかはむしろパティシエとかそんなクラスのような気もするのだが」

「俺はただの一般人だよ」

「もしよければ食堂を手伝ってくれまいか」

「やめておくよ。見ての通り凝り性でね。中途半端は作れない、毎日朝飯が夕食にはなりたくないだろう」

「なるほど、料理人というよりは芸術家気質のような気もする」

「そんなこと初めていわれたよ」

 

厨房から見える食堂の中央にも大きなもみの木が設置され、飾られている。靴下や雪だるま、キャンディーケイン、雪に見立てた柔らかな綿にはどこかで見たような雄弁な無表情の羊の顔も描かれていた。ひとたび廊下を出れば子供たちか、それともどこぞの作曲たちによるクリスマスの調べが聞こえてくるだろう。

日付は12月24日、俗にいうクリスマスイブと呼ばれる日。それはこのカルデアにおいても特別な意味を持つ日。カルデア職員の慰労も兼ねた大きなパーティーが開かれる日。季節感の薄くなる閉鎖的なカルデアの中で季節ごとの催し物は積極的に行われるものの、やはりクリスマス配置大イベントであり、最も盛り上がり、そして規模の大きな催し物だった。

 

「ケーキがあっちに付いたようだ」

 

扉の向こう、廊下の先のはずのホールからわずかに漏れ聞こえてくるのはケーキの登場による歓声らしい。彼はその残響に小さく、しかし自慢げに笑っていた。

 彼女はふと笑う彼のそばにはまだケーキが一つ残されているのを認めた。今日彼女と彼らが焼いていたような美しく、華やかなものとは違った、小さなホールケーキだった。どこにでもあるような、どこのケーキ屋にも売っているような苺と生クリームの乗ったケーキ。しかし、そこには今日のケーキに乗っていたはずのものが足りなかった。

 

「所長、それ、まだ一個残ってるぞ。それにサンタのマジパンも乗ってない」

 

そこにはあるべきサンタクロースもトナカイもツリーもリースも何も乗ってはいない。クリスマスケーキというにはあまりにも質素で飾り気のないシンプルなホールケーキがおかれていた。

 

「ああ、それはいいんだ」

 

彼はその一つ残されたホールケーキを前にすると近くに残されていたチョコレートのプレートを取った。

 

「これは私用の、いいや私個人の、なんと言えばいいか」

「それ一つくらいならあんたならぺろりと行けそうだけどな、こんな日だしちょっとくらい黙っておいてやってもいいぜ」

「私の盗み食い用ではないわっ」

 

彼は一つ熱気を抜くように息を吐くと手にしたチョコペンをそのチョコレートボードへと向けた。

 

「これはしいていうなら注文分なのだ」

「マスターからか」

 

彼は小さく否定を返す、それは遠くを見るように、それとも懐かしき友を見るように、淡い。

 

「いいや、もっと、もっと古い客からだ」

 

 

 

 

 

それは冬の日だった。

南極のカルデアほどの猛吹雪ではないものの十分車は立ち往生して、学校が休みになるくらいの大雪の日だった。未明にまで降り積もった雪は街を白く染め、同時に街から足を遠のかせるくらい。それでも少年が街へと向かったのは簡単な理由。

『サンタが何者であろうと来客があるならば迎えねばならない』

まだサンタクロースを信じていた時分だった彼にとってそれは至上命題に近く、来客ならばもてなさねばならないという少年の単純明朗な思考から彼は街へと繰り出していた。七面鳥の手配にケーキ屋料理のための材料、トナカイへのニンジンを紙袋に入れ、彼が最後に立ち寄ったのは町の小さなケーキ店。ケーキ自体を作るには問題なかったもののその造形や装飾まで万全とはいいがたく、その調査がてらその店を訪れていた。

 

「だから、なんとか一つくらい残ってませんか」

「もう全部売れちゃったし、予約もいっぱいだからね、悪いけど他をあたったほうがいい」

「そこをなんとか」

「諦めも悪い人だ、サンタのマジパンかクッキーならまだあるが」

「クリスマスケーキじゃなくて、バースデーケーキがいいんです」

 

店の中、聞こえてきたのは店主とどうやら年若い東洋人の諍いの声だった。

 

「時期が悪い、クリスマスの用意で手一杯なんだ。隣町まで行けばどうかわからないけど望みは薄いかもな、悪いなあんちゃん」

 

店主は取りつく島もなく青年から離れ新たに入ってきた客へを向かう。

 

「しまったな」

 

そう独り言ちる青年のポケットから何かが落ちる、ゆっくりと地面に落ちたそれを拾い上げて見れば何やら何かの名前らしく、しかし3つほど書かれているそれはどれも微妙に綴りが異なっていた。

 

「お前、これ」

 

それを拾い上げた少年が振り向けばすでにその東洋人の青年は店の外へと出ていしまっていた。

 

 

「そこの東洋人のお前」

店の外、往来の少ない道を行く彼の背中にそう声をかければ青年はそれに驚いたように一瞬肩を震わせると反射的にこちらを振り向いた。咄嗟の行動に体勢を崩す、それは本来の青年ならば有り得ることはなく、しかし、それを経ち直すことはできず、まして路面は昨夜の雪がみぞれの様に濡れ、そしてわずかに凍結していた。結果として青年は道の真ん中でしたたかに額を打つことになった。

 

 

 

「悪いね、メモを拾っただけでなく。手当までしてもらっちゃって」

「俺が声をかけたのだ。あそこまで派手に倒れられて知らんぷりというのは出来ん」

「これまたご迷惑を」

 

唯一開いていた小さなカフェテリアに二人の姿はあった。したたかに打ち付け、赤くはれているはずの青年の額には大きなばんそうこうが張られ、同時に少年の手元にはすでに開けられた薬局の紙袋が置かれていた。大きく眉を潜ませた少年とは対照的に少し照れたように笑う青年は差し出したメモ書きを2度ほど受け取り損ね、そして3度目でようやくつかみ取った。

 

「誰かの誕生日なのか」

「えっ」

「ケーキ屋で行っていただろう」

「ああ、聞かれてたのか」

 

青年は少し困ったように笑った。

 

「そう、誕生日のケーキを注文したかったんだけど、この時期はちょっと厳しいみたいだね、クリスマス、忙しいに決まってるか。そうだね、クリスマスと同じ日って思ってはいたのにそこまで気が回らなかった」

「気が回る回らない以上にまずその浮浪者のような恰好をどうにかするほうが先決だろうな。その風体では飴玉一つ売ってもらえるものか」

「えっ」

 少年の目から見てもクロのシャツとコートに黒のズボンと真っ黒尽くしな上にそのあちこちはどれほど着古し、クリーニングにも出してもいないのかわからないほど草臥れ擦り切れている。まさに浮浪者とでも言うような彼の風体は確かに怪しさを醸し出していた。

「そうか、ああ、なるほど、道理で」

「それに誕生日の相手の名前も分からないのか、そのアルケドだかアラケドだか知らんが」

 

青年は手にしたメモ紙をいじりながら、見えてはいないはずのその視線をその紙へと向ける。

 

「呼び方は教えてもらったんだけどね、綴りまでは聞いてなくてさ」

 

彼は言った。

それは遠くにいる誰かを呼ぶようで。

それが届かないのを知っているようで。

それに気が付いてしまったことを嘆くようで。

それでもひとかけらさえ、何も変わらぬように。

彼はその間違った名に触れる。

 

「誕生日を祝いたい相手の名前も書けんとはな」

 

怪訝な顔をした少年の気配を感じとったのか青年は、たははと屈託もなく、あっけらかんと笑った。

 

「そうだね、それもそうだ」

 

青年は自分の言葉を思い返し、その曖昧さに笑ってしまったようだった。

 

「そうだった、薬代を立て替えてくれたろう、手持ちはこれしかないから足りるかは分からないんだけど」

 

そういうとくたびれた財布から皺の依った紙幣をいくつか差し出してくる。見えているのかいないのか、異国の紙幣も混ざったそれを合わせても彼が購入した包帯代にも満たない程度。

 

「足りないな、さらに言うならばこのコーヒー代も含めて足りない」

 

痛いところを突かれてしまったように青年は呻くように眉をひそめた。

 

「まいったな、一人なら食い逃げもできないことはないんだけどさすがにこの状況だしね。皿洗いくらいで見逃してもらえないかな」

「そうだな、軟膏代と包帯代と治療費、ここのコーヒーと俺が今食べたこのパフェ代合わせたざっと百万飛んで22ドル5セント足りない」

「百万って国家予算レベルのような気がするんだけど」

「この俺の人件費だ」

「それにしてもぼったくりのような気がするんだ」

「しかし事実は事実。請求書を書かねばならんな」

 

少年は近くに置いてあった紙ナプキンを手に取ると、それにさらさらとペンを走らせていく。

 

「話は変わるが俺の家では今年もクリスマスの祝い事があるんだがね」

 

ペンを走らせながら少年は青年へと語り掛けた。

 

「今年から私がケーキを担当することになったのだがね、どうにもただのケーキじゃ味気なくてな」

 

少年はさも困ったように大げさにため息をつきながら告げる。

 

「生憎と私たちは別段カトリックというわけでもないのでね。せっかく祝うならば神の誕生日に代わりにどこの誰とも知らない誰かの誕生日を祝うというのはなかなか皮肉が効いていていいだろう」

 

彼は二枚目のナプキンに手を伸ばすと、一枚目と同じ文面を逃さず書き連ねていく。

 

「そこでその日が誕生日の誰かを探しているのだがしっくりくる人がいなくて困っているんだ」

 

少年は書きあがったそれを青年の前へと向ける。

 

「もしも誰かがその日が誕生日の、そうだな。名前の最初はアから始まるといいのだが、その誰かを教えてくれたのなら」

 

少年は小さくウインクした。

 

 

 

「百万と二十二ドルの賞金とその名の入ったケーキ一つを出してやろうかな」

青年は笑い、そしてその借用書に自分の名前を入れると丁寧に懐へと入れた。

少年は笑い、そしてその古びた五セントをズボンのポケットへとしまい込んだ。

 

 

 

「それで、その焦げ付いた百万と二十二ドルは取り立てられたのか」

「焦げ付いたと確信しているのかね」

「そんなの一目瞭然じゃないか」

 

その言葉に彼は少しだけ気恥ずかしそうに眉を顰めるも何かを飲み込んだように小さく笑った。

 

「そうさな、この一仕事終わったなら取り立てに行くのも悪くは無かろう」

 

彼の言葉に、彼女は少しだけ笑った。

 

「案外、すぐに聞けるような気がするぜ、そのメガネのこと」

「ふむ」

 

困惑したように彼が彼女へと振り向いた。目の端に彼女の青い瞳が揺れた気がした。

 

「私は」

 

彼が眼鏡をしていたといっただろうか、そう言おうとした彼の言葉は、廊下から聞こえてきた喧騒に飲み込まれた。

 

「所っ長っ、大変だっ」

 

慌てて走ってきたのはマスターの赤毛の少女、息も絶え絶えな彼女は叫ぶように告げる。

 

「突然クリスマスケーキの上に召喚サークルが出てっ、そんで二人組が出てきたの」

「なんだパーティー中にいきなり、礼儀もなっとらんのはどこの英霊だっ」

「知らない、けどちょっとイレギュラーみたい、二人組だし、みんな知らないっていうし」

 

手早くコックスーツから着替えた所長は赤毛の少女に先導されながらパーティー会場へといってしまった。

 

「でもみんな眼鏡に学生服と金髪赤目の女の子の二人組のサーヴァントなんて聞いたことないって」

 

赤毛の少女の言葉は出口の扉に遮られ最後まで聞こえることはなく、厨房には彼女が一人、名もなきケーキとともに残された。

 

 

 

「名が入るのはもう少し後かしらね」

 

答えるようにケーキには一枚のネームプレートが乗っていた。

それはまるで書きかけの様に、左に寄った『A』の一文字だけの飾り文字が入れられていた。



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12粒分の夜

短いですが続きました


 あと少しで日付は変わる。

 

 

 昨日の騒ぎが嘘とでもいうように厨房には残ったような甘い残り香が未だに漂う。

 甘ったるいにおいを嫌ったのかそれとも別の理由なのか、いつもより心なしか少ない夕食も既に終わった。贈り物を送る彼女と、それに対する返礼をする英霊たち。その準備と贈答も既に全て終わった。年々増えていく英霊たち一人ひとりのために作る彼女のやつれた表情は既に無く、部屋に積み重なった品々の中で埋もれている時分。

 

 

 それは一人の英霊だった。

食堂に併設された小さなラウンジにその影はあった。他には誰もなく、ラウンジ中央に設置されていた小さな植木を眺めながら呆けるように、彼女は座る。

 

「また誰か用意してなかったやつがいたか」

 

彼女の後ろから現れたのはカンテラを持った所長の姿だった。いつもの指揮服ではないコックスーツ、それも朝からずっと着た押していたのか服は柔らかく、動きの皺が深く折りつけられ、同時に染みついたような甘いにおいが漂っている。それだけ今日という日が忙しかったということを表しているらしい。

 

「すいません、所長。ちょっと台所を借りていました」

 

彼は彼女の前、机の上に置かれたそれを見つける。手のひらほどの小さな箱、それは赤いチェックの包装紙にくるまれ、同じく真っ赤なリボンによって飾られていた。

 

「別にそれ自体はかまわんがそう呆けていいのかね。もう今日が終わってしまうぞ」

 

彼が腕時計を確認すればあと十分ほどで日付が変わる。今日というバレンタインデーが終わってしまう。彼は少し眉を顰めたようにしてうなった。

 

「確かにこの時期の厨房の忙しさやら予約やらは大変なものだが別に遠慮するようなものでもないのだが。作る時間と場所がないというのは問題だな」

 

深く考え込み始めた彼に、彼女は慌てて首を振った。

 

「違うんです。マスターへの贈り物は渡しましたし、これはマスターへというわけではないので」

「じゃあ、誰か他の英霊や職員へ、まさか私へか」

「子供サーヴァントからもらってたのみましたよ、それに職員一同からも。あと個人的にマスターからも貰ってたのにこれ以上はいやしんぼって言われちゃいますよ」

 

それを言われた彼は子供のように小さくうなだれる。

 

「確かにいまのは不誠実だった、失礼した」

 

きっちりと頭をさげる彼の生真面目な対応に彼女は笑う。

 

「まぁでも他の英霊へっていうのは当たらずとも遠からじですかね」

 

その言葉に彼は少し驚いたように彼女を見た。

 

「友チョコとかいうのかね。十二勇士ならばアストルフォか」

 

「あーちゃんには普通にもうあげました。上げないと面倒くさいから」

 

ああ、と納得したように彼は頷く。

 

「しかし」

 

と彼は少しだけ困ったように眉を顰めた。

 

「なんというかほとんどの職員が英霊という中で色恋沙汰に対しての考慮をすることになるとは思っていなかったのでな」

「というと」

 

彼女がそう突っ込むと彼は少し居心地が悪いように歯切れが悪くなる。

 

「なんというかだな、その、端的に言ってしまえば英霊が新たな色恋をするとは思っていなかったのだ」

 

彼は意を決したように、自分の非を告解するように口を開く。

 

「確かにに多くの英霊が愛によって生きていたのは知っているがそれが伝説の中でもモノと思っていてな。新たな恋というものに疎くなっていた」

 

失敗したように彼は苦い顔をする、それは考えていなかった自分を恥じているような対策を怠った事を憂いているような、面倒事を押し付けられ憤慨しているような表情。

 

「そんなに面倒なのですか」

「職場恋愛はそれはもう面倒だとも。特に課が同じであるとさらに面倒でな。周りに知られていないなら知られていないで微妙な事に一憂し、周りに知らせているならばそれはそれで周りも気を使ってな。さらに別れたとなればもう地獄絵図だ」

 

思い出したくもない、そんなように彼は身震いする。蛇に睨まれたカエルのように首を埋めている。

 

「確かに恋は全ての事へのエネルギーにもなりうるが同時に行き場を失った時の爆発力も桁違いだ。確か君のところのローランもそんなんだったじゃないか」

 

女に振られ、全裸で駆け巡った彼女の仲間を思い出すと彼の言葉は確かに間違いないらしく思えた。

 

「自由恋愛であるとは思うがプライベートだけにしてよ、というのが本音だ」

 

彼の愚痴にも似たそれはまさしく管理職の悲哀という相応しく、気苦労に疲れた姿ではあるが彼の愛嬌にどこか笑いがこみあげてくる。

 

「個人的には周りと私に迷惑をかけない範囲でやってもらえると助かる」

「違いますよ所長、ここにいる誰かにあげるものではないものです」

 

包装されたのは確かにチョコレートでそれは力の入った本命で、愛した人へと送られるそれは、しかして届けられることはない。

 

「ロジェロはここにいませんから」

 

 

 

十二時の鐘が鳴る。

恋人たちの日は終わり、また何でもない二月十五日が始まる。

 

 

「さて」

 

そういって彼女はその包みを剥がす。綺麗な赤い包みをわざと破るように。粗雑に、汚く。

 

「贈り物じゃなかったのかね」

「もうバレンタインは終わりましたから、これはもうバレンタインのチョコではなく、ただのチョコです」

 

黒い平箱を開ければ出てくるのは十二個の黒いチョコレート。

 

「恋人の日のうちに来ればあげましたけど、今年もまた来なかったのでこれは今年も私の物です」

 

彼女はそういってそれを一つ口の中へと放り込んだ。

 

「ついでに所長にも一個あげます」

 

彼女はそういって彼の口へと黒いチョコレートを一つ食べさせる。丸いミルクチョコレートのまろやかな甘さが広がる、そして溶けだし崩れたチョコレートの中から香るのはラム酒とレーズンの香り。

 

「洋酒入りチョコレートか」

「いいでしょう。前にマタハリさんに教えてもらったんです」

 

僅かなアルコールは酔いを呼ぶほどではなく、けれど少しだけ笑いを零させる。

 

「いつもは私が迎えに行ってるから、たまには迎えに来てくれないかな、なんて」

 

黒い二つ目を眺め、そして放り込む。

 

「恋人の日を邪魔するのも、何もしないのもそれはそれで嫌なので、恋人の日が終わって、新たな日の朝が明けるまでのこの夜だけは、ちょっとだけ好きなようにしても罰は当たりませんかね」

 

疑問形で返す彼女に彼は笑った。

 

「そうさな、まぁ。上司として部下の恋愛の愚痴くらいには付き合う度量はあるさ」

 

十二粒分の夜がそうして溶けて更けていった。




おもしろければいいな


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晴天へ進路をとれ

アンケート機能というのを使ってみたく思ったので続きました
あとがきに乗せておきます


「あぁ」

 

 

漏れ出るような声が聞こえる。

後悔に濡れるように

慙愧にかられるように

 

 

「なんで」

 

 

彼女の声が届くことはない。

あたりに広がるのは諍いの叫び、争いの遠吠、そして絶えることない剣戟の輪舞

一つ槍が穿たれる

大地は割け、砕け、その姿は原始へと帰る

 

 

「なんでこんなことでみんな争わなきゃいけないの」

少女はそう問いかける。戦場の中を何も持たぬ非力な少女が走る。

 

 

二つ弦が放たれる

空は落ち、歪み、その姿は末路を辿る

 

 

「みんな今までだってやってきたじゃない。味方だった人を敵に回して、それでも敵とも手を取り合った」

その音にかき消えぬよう声をからし投げかける。

 

 

三つ轍が刻まれる

世界は果て、巡り、その姿は流転に至る

 

 

「世界は残骸で、人間は残酷で、神様は残響に過ぎなくても」

崩れた大地が彼女を飲み込もうとする。澄んでのところで韋駄天が彼女を救い上げる。

 

 

四つ英知が零れ落ちる

理は解け、流れ、その姿は落陽を象る

 

 

「それでも私たちは世界を救った」

空から眺めるその戦場は赤く、すでに何度地形が変化したかなど分からない。

 

 

五つ祈りが駆け巡る

願いは薄れ、忘れ、その姿は忘却を嘲る

 

 

「分かり合えなくても、今までやってきた」

彼女の声は届いているだろう。しかしそれでなお彼らは止まることはない。

 

 

 

六つ狂乱が囀る

言葉は枯れ、割れ、その姿は永劫を忘れる

 

 

「だから、そんな私たちが争うなんて、おかしいよ、間違ってるよ、こんな、こんなことで」

「マスター、もう無理だ、この争いは止まらない」

 

涙を堪えた少女に韋駄天は惜しむように言葉を重ねた。

 

「この断絶が埋まることはない。最後の一人になるまで終わらない」

「でもだってこんな事で」

 

 

七つ剣が振るわれる

そして

「半熟の醤油一択でしょカリバーっ」

 

 

 

「目玉焼きで壊滅させられてたまるか馬鹿野郎っ」

 

 

 

 

 事の発端はその日の朝のことであった。

 一日のサイクルが希薄なノウムカルデアにおいて食事の時間というのは比較的重視される物だった。あたりの出入りもなく外界へ外出も用意ではないカルデアにとって体内時計の調節のためにも職員たちは作業に優先して食事をとることを強く推奨されていた。

 

「まぁ福利厚生って事なんだろうけどね」

 

依って食事の時間帯というのは必然的に多くの職員たちが顔を合わせることになり軽いミーティングとも雑談ともいえないような会話が行われる。

しかし、今朝に限って少女は遅めの朝食をとっていた。

 

「昨日は随分時間もかかってたな、新しいマスター礼装の調整だったか」

 

声をかけて向いに座ってきたのは同じく遅めの食事を取ろうとしていた韋駄天の姿だった。

 

「そうそう、ワンオフ品だからね。魔術師じゃない私が使うような礼装だし、その分、調整が大変なんだって。ダヴィンチちゃんとムニエルが言ってた」

「ムニエルの野郎は朝に見かけたぜ。徹夜だったみたいだが一応形にはなった見たいで今頃部屋で寝てんじゃねぇか」

「ムニエルもいい加減礼装にフリルをつけようとするのはどうにかならないかなぁ。コスプレじゃないんだから」

「いつぞやメディアが大変なことになってたな。レース編みの礼装みたいなのこさえてたが結局あれはどうなった」

「使える訳ないじゃん、レース編みで野外調査なんてした日には私は木々の木れっぱしのついた毛玉になるよ」

「それはそれでおもしろそうだな」

「おもしろくないって」

「正直アジア系の顔は俺たちにとっては幼く見えるもんだからな。マスターならまだ学生でも行ける行ける」

「無理無理、外見は何とかなったとしても恥ずかしくてできないよ。ミニスカももうギリギリなんだからさ」

「そんな物かねぇ」

「女心は複雑なのよ、大英雄さん」

「来世になってもお手上げだよ」

 

大仰な韋駄天の姿に少女は少し笑いながらテーブルに常備されている調味料入れに右手を伸ばす。黄色のラベルがつけられたそれ、垂らそうとした先は黄色い目玉焼き。

そして気が付いたのはいつの間にか横に座っていた韋駄天と、彼に捕まれピクリとも動かない右手だった。

 

「おいおい、マスターともあろうものが間違えてるぜ。疲労が溜まるのは分かるがな」

 

ほらよ、と彼が差し出したのは卓上に置いてあった白い容器、彼女の手に合った黒い中身とは違い、薄く透明な黄色は水というよりは僅かばかりのとろみを有していた。

 

「え、間違えたっけ」

 

彼女は手の中にあるそれを見た、容器の中で揺れるそれは黒く、いつものにおい、そしてはげかけのテプラに印字されたその表記は間違えることのない醤油の二文字だった。

 

「どうしたんだ」

 

対して彼の手のに中にあるのはそう、オリーブ油。薫り高く僅かにさっぱりとしたその風味が僅かに漂って来た。

 

「いやいや、間違えてないよ。炒め物するんじゃないんだから」

「いやいや、英霊じゃあるまいし生きているマスターに間違っても腐ってるもの食べさせられるかよ」

「いやいやいや、大丈夫だって第一こっちのほうがうまいし」

「いやいやいや、絶対こっちのほうがいいって、ケイローン式だぜ」

「いやいやいやいや、こちとら天地開闢からの教えよ?、体は醤油でできているのよ」

「いやいやいやいや、今を生きるからこそ、この新鮮で芳醇な薫り高い油をこそマスターは取るべきだろうが」

「いやいやいやいやいや、大体油をそんなにかけるかっての年頃の女の子に油食べさせようとするんじゃないよ」

「いやいやいやいやいや、オリーブオイルの油は不飽和脂肪酸だからむしろダイエットにいいはずだからな、太ってるのはむしろマスターが日頃食いすぎてぇ」

 

 

その拳は音を置き去りにした。

最速の英霊を上回り、その先を紡がせることはなかった。

座っていたはずの少女の体は瞬きのうちに彼の右側へと回り込み、既に降りぬかれた拳は巨漢の韋駄天を殴り倒していた。転倒した偉丈夫は机へとぶつかり音を上げ倒れ伏す。十秒間、その巨体は動かず、そしてその後ゆっくりと立ち上がると再び自分の膳の前へと戻るとそのまま座った。少女もまた彼と同じように座る。一方はその手に醤油を、もう一方はオリーブ油を手にその目玉焼きへとかけるとそのまま飯を掻き込む。五分と経たず彼らの茶碗はきれいさっぱり空になり、そして

 

 

 

「「戦争の時間じゃァ」」

 

 

かくして火蓋は切って落とされたのだった。

 

 

 

 

 

「しかし、ここまで大ごとになるとは」

「醤油派の日本サーヴァントとオリーブオイル派のギリシャ系サーヴァントまでは想定通りだったんだが」

 

あたりを見渡せば円卓の騎士やインドの神性、アメリカ近代サーヴァントまで入り乱れた神話大戦の様相を呈していた。

 

「マーマイト、カレー、ケチャップ、塩コショウ、チリ、ナンプラー、世界は広いというか雑多というか」

 

あたりに漂うのは無数に入り乱れた調味料たちのにおい。鼻につくそれ、しかし一瞬のうちにそれは誰かの一撃の余波によって消し飛ばされる、ついでというように彼女たちがたっていた大地とともに。

 

「なんてしょうもないきっかけで戦争って始まってしまうのね」

「いつの世もそんな物さ。きっかけは些細なもの。しかしその憎悪は積み重なったもの、傷つき膿んだ目には目の前の者は見えない。何も見えないうちにまだだれかを傷つけている。戦争なんてそんなものだ」

「私たちにはもう止められないのね」

「もう燃え広がってしまった」

「かなしいね」

「ああ、かなしいな」

 

 

「何馬鹿なこと言っとるか。お前らが原因じゃないかっ」

 

 

「やべ、ばれた」

 

ウマに引き連れられた彼は大きく息を切らしながら少女たちの下へとたどり着くと、元凶である二人を一喝する。

 

「大の大人が目玉焼きの調味料で喧嘩してんじゃないまったくもうっ」

「返す言葉もございませんな」

「なんで偉そうなんだ貴様は」

「まぁまぁ、ここは俺の足に免じて」

「同罪だ馬鹿者」

 

大きなため息を着いた彼はつけた通信機にいつも通りに連絡を飛ばす。

 

「一瞬サーヴァントへの魔力供給をストップだ、ここまで暴れれば多少の気は晴れただろう」

「今回はそれなりに大騒ぎなのに案外落ち着いてますね」

「慣れた、英雄たちの大喧嘩なんぞ慣れたくもないがな」

「いいねぇ、本気じゃないとはいえ、英霊たちの諍いを止めたとありゃそのうちアンタも座に呼ばれかねねぇぜ」

「ずっとお前たちの尻ぬぐいなぞごめん被るわ」

「でも結局の根本原因ってかわってなくない」

「食卓にそれぞれ調味料を常備すれば済むだけのことだ。それにたまに各土地の郷土料理も出すようにしよう、文化交流だ。好き嫌いはどうにもならんがそういうのもあるのだと知れば多少はマシになるだろうさ」

「それが今回の落としどころか」

「物語の主人公ならば彼らを中心に回ればいいが、残念ながらここは地球なのでな、地軸は一本で回っているのだ。別の暮らしと趣味と趣向があり回っている事を体感してもらわなければならん。少なくともこのカルデアにいるうちはどんな英霊も職員にすぎん、役割は守ってもらうさ」

 

僅かに震えたような声色とは裏腹の言葉。韋駄天は少し感心したように弾んでいた。

 

「落としどころのタイミングと見極めが上手い軍師は重宝されるぜ。発端にばかりこだわると直ぐに足元をすくわれる。それが勝者側でも敗者側でもな」

 

苦い顔をした彼は彼を薄くにらみながら不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「こんなにもしょうもない争いなら勝手に落っこちてしまえ」

「こりゃまた失敬」

 

いつの間にか鳴りやんだ剣戟の音を背に彼は帰っていく。

 

 

 

「まったく、調味料などなんでも美味いだろうに、固焼きのサニーサイドアップならばな」

「「あ」」

 

 

「あ」

 

 

「だから目玉焼きには半熟醤油だって言ってるでしょカリバーっ」

 

 

 

そして戦争の歴史は巡っていくのであった。




ソースもおいしい

稚作を果たしてまだ読んでいる人がいるかはわかりませんがアンケートをつけてみました
よろしければ


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嚆矢の御使い

気が向いたので続きました


 大安吉日一粒万倍日、お日柄も良いハレの日に遠くは南極、カルデアまでやってまいりました。

 

 人理の最前線とはいえ、週休二日制の土曜日、のんべんだらりとオヤスミを満喫する女の子がいました。最初は初めて出会うことばかりで教えて貰うこともたくさん、先輩やマスターたちに頼りっぱなしでしたがカルデアに来てもう三年、後輩たちも多く増えて彼女もいっぱしのお姉さん、最近では新しく来た衛星の男の子を連れてお姉さん風をビューびゅふかせている沖田オルタちゃんです。

 仲良しの煉獄くんと一緒に出かけることもしばしば。今日も茶々さんのお手伝いです。

 

「よし、それじゃあ伯母上も夕方には戻ってこられそうだし、沖田ちゃんは晩御飯は何が食べたい」

「今日はおでんがいい、がんもどきがいい。あのぼそぼそりがいい」

「それをいうなら今日は、じゃなくて、今日も、でしょう。もう仕方ないなぁ。じゃあ今日もお茶々が腕によりをかけて作って進ぜよう」

「うれしい、うれしみ」

 

嬉しさでアホ毛まで揺れています。一番好きなおでん、それが食べられると聞いて上機嫌です。

 

「あれ、しまったっ」

 

そこで茶々さんの悲鳴が響き渡ります。

 

「どうかしたのかっ」

「沖田ちゃんたいへん、昨日の敦盛パーティーのせいで今日のおでんに入れる具材がないっ」

 

開けた冷蔵庫の中身は空っぽ、昨日の信長さんたちの宴会のせいで冷蔵庫の中身はすっからかん、こんにゃく一つ残っていません。

 

「昨日ののっぶが貰ってきた油揚げは残ってないのか」

「もう全部いなり寿司になってたべちゃった」

「そうか、かなしみ」

「じゃあ茶々はおでんの出汁をとらなきゃいけないから沖田ちゃん、代わりにお使いに行ってきてくれない」

「承った、煉獄行こうか」

 

いつも一緒に出掛ける煉獄君に声をかける沖田ちゃん、こうなることは予想済みです。

 

「あ、煉獄ちゃんはおでんに入れる昆布を結んでくれないかな」

 

おでんに入れる結び昆布、カルデアという大所帯ではその仕込みだけで一苦労、そのお手伝いをしなければいけない煉獄君は今日は一緒には行けません。

 

「じゃあ以蔵は」

「昨日の二日酔いでまだトイレからかえってきてない」

「じゃあ待っていよう」

 

言葉にはしませんが一人では行きたくない、そう聞こえるようです。梃子でも動かなそうな沖田ちゃんに茶々さんは投げかけます。

 

「でもそれだと味が染みる時間が無くなっちゃうよ」

 

おいしいおでんは食べたい、でも一人で行くのは嫌、沖田ちゃんの心が揺れます。

 

「じゃあ、沖田ちゃんにはお茶々特製お守りを進呈しよう」

 

茶々さんはこんな事態も予測済み。ここで茶々さん特製、沖田ちゃんの大好きなおでん型の大きなぬいぐるみのお守り、具材は上から三角こんにゃく、丸形大根、四角い油揚げ。もちろん中にはマイクが入っています。

 

「沖田ちゃん、これでおつかい行ける」

 

大好きなおでんのぬいぐるみお守り、首からかけて貰った沖田ちゃんはすっかり上機嫌です。

 

「お使い、いく」

「ありがとう、沖田ちゃんのおかげで茶々すっごい助かる」

 

もちろん、褒めることも忘れません。

 

「それじゃあ、一つ目に、パラぴーのところからこんにゃくを一つ、普通のやつって言わなきゃダメ」

 

よくいくパラケルスス先生の工房、いつもお散歩で横を行っているから場所は間違いません。

 

「おでんの具材で一番大事な大根を藤太農園から一本貰ってきて」

「大根」

 

おでんに欠かせない大根、知り合いの藤太お兄さんも顔なじみです。

 

「あと最後に厚揚げを二枚」

「厚揚げ」

 

そんなにいっぱい覚えられるかな、既に困り顔の沖田ちゃん。でも茶々さんに抜かりはありません

 

「分からなくなったらお守りの順番って覚えればいいかも」

 

茶々さんは両手を頭の上に広げて狐のよう。沖田ちゃんもつられて真似をします。

 

「上からこんにゃく、大根、厚揚げこんこん」

「こんにゃく、大根、厚揚げこんこん」

 

念仏の様に沖田ちゃんは繰り返します。

 

「行ける」

 

大きく頷きました。

 

「いってきます」

 

 

 

ソドレミ、ソドレミ、ソソソドレミ

みんなに秘密のお使いなのさ

どこにも行けるのね

カモン! ネバギバ!

 

 

 

「なんだね、このどこかで聞いたような音楽は」

「シッ、うるさい、気づかれたらどうするのですかっ」

 

歩き始めた沖田ちゃんの後ろ五十メートル、何やら言い争う老夫婦に変装した二人。手押し車に似せたカメラとマイクを沖田ちゃんはにバレてはいけません。

 

「わざわざシミュレーターまでつかって一体何がお使いなのだ。そして何故私が老婆なのだ、逆ではないか」

 

おばあさんの格好をした新所長が手押し車に手を着いたままぼやきます。けれど大声をあげないその様、おばあさんはいつものように空気を読んでいます。

 

「初めてのお使いなんて一生に一度ですよっ一大イベントにしなくてどうしますか」

 

帽子の中に潜ませたカメラからも沖田ちゃんを逃すまいとするおじいさん姿のマスター、流石おきたちゃんの鼻歌もばっちり取れています。

 

「確かに思い出を残すのは大切なことだが一応いま白紙化中なのよ、流石に町一つ作ってまでのイベントって、もう少し小ぶりに出来んものか」

「姿形は大人でもまだ生まれたばっかりみたいなサーヴァントも多いからのう、こういうイベントは大切なんじゃなぁ婆さん」

「これ付き合わなきゃいけないの私。必要かね、あそこに髭にサングラスに変装した東方の弓兵、梁山泊の侠客とかいるんだけど」

 

子供は日に日に大きくなるもの、目を離すことは出来ません。

 

「そしてなにこの謎のナレーション、怖いんだけど、どこから聞こえるの、だれなのこれ」

 

 この番組はオヤスミからオハヨウまでを見守る巌窟王、目の付け所がシープだねシープとゴランノスポンサーの提供でお送りします。

 

「誰かあの夢魔から千里眼を取り上げてくれないだろうか、あと巌窟王も何を巻き込まれているのだ、貴方まで止まらなくなったら誰があの阿呆を止めるというのかねっ」

「うだうだ言ってないでホラはやく行きますのじゃ、もう沖田ちゃんが言ってしまいそうじゃ」

 

おじいさんに引きずられるおばあさんの前方百メートル、沖田ちゃんはもう初めのお店についています。

 

「ごめんください」

「おや、魔神沖田総司さん、これはこれはいらっしゃいませ、今日は一人ですか」

「うん、お使いなんだ」

 

胸を張る沖田ちゃんにパラケルススさんも笑い返します。

 

「それで今日は何をお求めですか。今なら出来立てのホムンクルスもありますよ」

 

店の奥でうぞうぞと動き始めた白い塊が見えます。おもしろそうなそれに沖田ちゃんも興味津々。

 

「いいやあれはどちらかといえば正気度が削れるタイプではないか」

「キモカワといえなくもないのじゃ」

「どちらかといえば肝と皮だがな」

 

後ろの二人には目もくれず沖田ちゃんは首を振ります。

 

「普通のこんにゃくを一つくださいな」

「おお、分かりましたではこちらを」

 

沖田ちゃん、お竜さんからもらった蛙のがま口からお金を取り出してお釣りをもらいます。つつんでもらったこんにゃくは茶々さんから借りた籐の籠の中へとしっかりと修めます。

 

「案外普通の買い物ではないか、わざわざここまでする必要はあったのか」

 

順調な滑り出し、でも待ちにはいろんな誘惑も待っているものです。

 

「そうですじゃ、台本はないけれどもだからこそのドラマが生まれることもあるのじゃ、もちろんトラブルもな」

「もはや何役なんだ、お前は」

 

パラケルススのお店から橋を渡ってすぐ、広がっているのは藤太さんの畑です。そのすぐ隣の小さなお店が直売所、お米やお野菜、お豆腐も売っています。

 

「おお、沖田の小さいほうか、今日はお使いか」

「うん」

 

声の大きな藤太お兄さん、いつものように大きな声で沖田ちゃんに話しかけます。

 

「今日は何を買いに来た、おお、丁度がんもどきも揚げたてだぞ」

「がんもどきっをみっつほしい」

 

いつもならば茶々さんに止められるところ、けれど今日は茶々さんはいません。元気のいい沖田ちゃんに藤太さんは大きく笑いながら大きいがんもどきを詰めてくれます。

 

「ほら、王道の買い間違いですよ、自分の好きなものを買ってしまって本当に買いに来たものを忘れてしまう。手に汗握りますね」

「気持ちは分かるがなぁ」

 

店を飛び出していった沖田ちゃん一目散に家へと向かいます。

 

「沖田ちゃん、もう買って来たの」

「茶々様、いいがんもどきがある、おでんに入れてほしい」

「沖田ちゃん、今日はがんもどきは頼んでないってばっ」

 

茶々さんの言葉に沖田ちゃんは思い出したように籠を落としてしまいます。

 

「でもこれじゃあ、おでんは作れないかもっ」

「こ、こんにゃくはあるぞ」

「沖田ちゃん、こんにゃくとがんもどきだけのおでんでいいの」

 

沖田ちゃん大きく首を振ります。

 

「じゃあ、もう一回おつかいいってきてくれる」

 

首を立てには振りません。今行って来たもん、もう一回一人では嫌、顔がそう言っています。今度は部屋の隅で座り込んで小さくなってしまいました。

 

「よしきた、予想通りっ所長、例の仕掛けゴー」

「なんで分かるんだ、お前はどれだけ見てきたんだ」

「今の私は多くの英霊たちのマスターつまり、使い魔マスター言い換えればお使いマスターです」

「時計塔の連中が激怒しそうだがな」

「ほらいいからいいから早く呼んでくる」

「上司を顎で使うな、まったくもう、あとで覚えてなさいよ」

 

しばらくして沖田ちゃんの前に現れたのは小さな星の王子様、最近いつも沖田ちゃんと一緒にいる仲良しさんです。

 

「沖田ちゃん、みてみて」

 

王子様の手に握られているのは 奇妙な形の鉄のわっか。

 

「星の形をしてるんだぁ、型抜きっていうんだって、料理とかを星の形にできるなんて素敵だねぇ」

 

興味を引かれたように沖田ちゃんも顔を上げます。

 

「クッキーとかもだけどニンジンとかダイコンとかもするといいってさ」

「大根」

「今日のおでんの大根は星型にしようよ」

 

 

 

泣かないでお嬢さん

明日には忘れてる

オカンのおせっかい

気に留めもしないで

 

 

 

沖田ちゃん大きく頷きました。

 

「もう一回お使いにいってくる」

 

さっきまでの泣き顔はもうどこかへと去っています。また元気に飛び出していきました。

 

「よし、あとは速いですよ」

「ほんとに速すぎてついていけないんだがっ」

 

風の様に走る沖田ちゃん、先ほどまでのうつむきなんてどこに行ったのか。もう間違えません。だって友達との楽しいおでんが待っているんだから。

 

「大根ください」

「おお、また来たか、良いよい、一番大きくいい大根をやろう」

 

丸々と太った大根、籠に入りきらないので背中に結わえてもらいました。

 

「こんにゃく大根厚揚げこんこん」

 

沖田ちゃん、最後の厚揚げへまっすぐ走っていきます。

 

「思ったのだが、厚揚げはどこから買ってくるんだ。他は誰のどこって言っていた気がするのだが」

「そういえば藤太のところには無かったでしたっけ」

「なぜかなかったな、取り扱いが無いではないようだがいつもすぐ売り切れるという話だったな」

「廃棄が少ないのはいいことですけど、直ぐになくなるくらい少ししか作ってないんですか」

「なんでも大量に買っていく奴がいるとか」

「というかもうこの先に店らしい店は無いですね、あるのは神社くらい」

 

上機嫌に歌う沖田ちゃん、茶々さんに教わった歌を謡います。

 

「こんにゃく、大根、厚揚げこんこん」

「こんこんか」

「こんこんですね」

「そういえば、今日信長公たちはいないのかね」

「それが新選組にちょっと折檻されてました」

「罪状は」

「窃盗だそうですね。献品の不当横領だそうで」

「品目は」

「お供えの油揚げだそうで」

「親の背を見て子は育つかぁ」

「カルデアって少年法あるんですか」

「さあなぁ」

「無邪気とは邪気が無いのですからどうして罰を与えられましょうかね。マスター」

「そうねぇ」

「しかし、その子供たちの保護者には監督責任が発生するとは考えませんこと。所長様」

「まったくだな、教育に悪いな」

 

青い衣の狐は笑いながら二人の背後に現れます。その手にはぼろ雑巾の様になった第六天魔王の姿がありました。

 

「一度ならず二度までも、仏の顔も三度までとは申しますが生憎と私の尾っぽは一つだけ。四の五の言わず眺めてみれば無下にはできぬ七転八倒、お揚げ一つとおっしゃりますれば積み重なれば十重二十重、ならば誰に少しばかりの灸をすえねば私の気もおさまりませんのですよ、マスター」

「「ですよねぇ」」

 

むんずとつかまれたおばあさんたちを背に、沖田ちゃんは家路へと急ぎます。広いこんにゃくと大きな大根、そして籠いっぱいの油揚げをてに扉を開けます

「ただいま」

「わぁ、すごい。こんなにいっぱい買って来たの」

「皆で食べれるように」

よく頑張った沖田ちゃんの背中は一回りも二回りも大きく見えます。

「それじゃあ沖田ちゃん、皆で食べるおでんの準備一緒にしようか」

「うん」

 

その日の星型のおでんはいつもよりずっと美味しかったとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「白紙化した地球だというのに何故私たちは油揚げに酢飯を詰めているのだろうな」

「ノッブなんてエプロン一枚で油揚げ揚げてるんですから。私たちはまだましなほうなのでは」

「アッツ」

「是非もないな」

「それわしのセリフっアッツ」

 

 

 




ギャグのつもり


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