AXYZ (オンドゥル大使)
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第一章 邪帝降臨
第一話 咎狗は微笑む


ハーメルン様では初めてのシリーズです。pixiv、POKENOVEL様にもマルチ投稿しております。


 疾駆する影に光る軌跡が追従する。

 

 円弧を描く青白い軌道は、漆黒の咎狗へと草むらを切り裂いて回り込もうとしていた。赤い制服に身を包んだ男女一組がそれぞれに呼吸を合わせ、直後には扁平な駒――スタイラーを稼働させる。

 

 平時ならばポケモンと感応波を同調させ、その力を借り受ける。それがポケモンレンジャーの大義名分であったが、今この時、一体のポケモンを捕捉している二人にしてみれば、それは本当に張りぼての代物であった。

 

 少なくとも雇われの身であるのに、そのような理念、振り翳すだけ馬鹿馬鹿しいというもの。スタイラーが草むらから飛び出し、四つ足のポケモンの進路を塞ぐ。決まった、と確信したキャプチャの一撃は、開かれた口腔部より発せられた牙が軋っていた。

 

「……スタイラーを噛み千切るなんて」

 

 想定外だ、と手元に戻しかけて、黒い痩躯が恐るべき速さで肉薄する。ハッと気づいたその時には既に至近。思いも寄らぬ距離まで接近を許した時点で、ポケモンレンジャーは敗北であった。

 

 突進をその腹腔に食らい、突き飛ばされた男のレンジャーの生死を確かめるよりも、残された片割れの女レンジャーは今、これをモニターしているであろう、本部に繋いでいた。

 

「作戦司令部、キャプチャ成功率は五割を切りました。捕獲作戦に移行するべきだと進言します」

 

 しかし、その提言を本部基地よりもたらされた通信は棄却する。

 

『キャプチャを続行されたし。Z02を無傷で確保せよ』

 

「……無理を言う」

 

 女レンジャーは既にキャプチャなどという生易しい領域で済む話ではないのは重々理解していた。この案件を受ける際に提示された契約書を脳裏に思い返す。

 

 その中に「同意した際には死んでも責は負わないとする」という条文があった事に歯噛みしていた。

 

 ここで死んでもそれはただ死んだだけだとするのならば、せめて意義のある抵抗を。

 

 彼女はスタイラーを起動させつつ、ホルスターに留めていたボールを解き放っていた。飛び出したのは黄色の矮躯である。頭を抱えた水棲ポケモンが、きつく目を瞑っていた。

 

「コダック、金縛り」

 

 命じられたコダックが念力を放出し、サイコパワーが標的を縛り付けようとしたが、敵の速度は並大抵ではない。

 

「かなしばり」の有効射程からすぐさま跳躍して逃れ、こちらから一定の距離を取る。女レンジャーはその姿を仔細に観察していた。

 

 四つ足の疾駆。その姿形だけ見れば陸棲のポケモンであったが、黒く沈んだ表皮に、緑色のマフラーのような形状物が首から伸びたその異様さ。そして、額に輝くスペードの文様が青くこちらを睥睨する。

 

 眼窩は白く、それで物を見ていないのは容易に想像出来た。

 

 見た目からしても通常のポケモンの枠に収まる相手ではない。ゆえにこそ、彼女は慎重を期すべきだとして、普段の装備ではない捕縛装備を身につけていた。

 

 レンジャーにトレーナーのような携行捕獲器の併用は認められていない。それは特殊資格をもってポケモンの力を「借り受ける」というレンジャーの理念に反するからだ。

 

 だが、眼前の敵を見よ。

 

 唸り声一つ上げない獣型のポケモン。先ほどから静かにこちらの射程を潜り抜けつつも、決して完全な離脱挙動には入らないのが、まるで値踏みされているようで、女レンジャーは気に食わなかった。

 

「……後悔させてやるわ。コダック! 思念の頭突き!」

 

 コダックが紫色の念波を纏い、その短い脚で目標へと一気に迫る。無論、速度面で劣るのは織り込み済み。

 

 対象は反対側へと逃げおおせる。それを待ち構えていたのはアイドリング状態に設定された、相方のスタイラーだ。咄嗟にスタイラーの位置を把握したのは、自分の手腕によるもの。稼働したスタイラーが円弧を描き、目標ポケモンを捕捉しかける。

 

「……抵抗しない事ね。私のレンジャーレベルは9。確実にキャプチャしてみせる」

 

 それはせめてもの慈悲のつもりであった。抵抗すればするほどに、強引な手を取らざるを得ない。そうしないのが、レンジャーとして残った矜持だとも。

 

 しかし、相手はその薄っぺらなプライドを打ち破る。目標ポケモンの体表より放たれたのは緑色の液体であった。瞬時に固形となったそれがスタイラーへと浴びせられる。

 

 スタイラーが一瞬で機能を奪われ、直後にはその軌道がコダックへと向いていた。

 

「スタイラーのジャック? まさか、そんな事が出来るポケモンなんて……」

 

 信じられない心地で眼前に展開された光景を目にする。標的はスタイラーを絞り、コダックをキャプチャする。

 

 コダックの瞳が見開かれ、その敵意が自分へと向いていた。

 

「……ポケモンの占有権を奪うなんて、……そんなのポケモンじゃ――」

 

 ない、と紡ごうとした女レンジャーの意識はコダックより無慈悲に放たれた「サイコキネシス」の激痛に掻き消されていた。

 

 四肢の筋肉を的確に砕いたコダックは混乱状態に陥ったのか、頭を抱えてふらついた後に倒れ伏す。

 

 それを、標的は感情の浮かばない眼光で見据えていた。

 

 ――二人の腕利きレンジャーが一瞬で無力化され、そして英知の結晶であるスタイラーを奪取する。

 

 あり得ないかに思われた戦場に、割って入ったのは鋼鉄の巨躯であった。空より投下された人型の巨大機械が扁平な頭部で標的を捕捉する。

 

 その姿はそのまま、この戦いをモニターしていた本部基地にもたらされていた。

 

 



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第二話 翻弄するスート

「キャプチャドローン投下完了! ターゲットを捕捉しました!」

 

 響き渡ったオペレーターの声にサングラスをかけた男は最奥に位置する司令席より声を絞っていた。

 

「……Z02のキャプチャを最優先。ロストした二人のレンジャーは後回しでいい」

 

「了解。キャプチャドローン、正常稼働。このまま広域捕縛モードに移行します。Z02、射程に入っています。キャプチャワイヤーを展開」

 

 遠隔操作される機動兵器が両手の袖口よりワイヤーを射出していた。これは先ほどのスタイラーによるキャプチャよりも前時代的ながら、射程を絞る事によって成功率を上げた武装である。

 

 捕縛は成功したかに思われたが、目標は即座に飛び退り、射程から逃れようとする。

 

「Z02、射程外へと!」

 

「逃がすな。疑似電磁波を使用。Z02は先ほどのスタイラーのジャックでいくつかセルを行使した。セルを使ったからには、そう遠くまでは逃げられない」

 

 その目論見通り、対象の速度範囲はレンジャー二人を相手取っていた時よりも遥かに劣っている。

 

 今ならば取れる、と確信していた。

 

 だからこそ、次の瞬間に訪れた、対象の背後に空いた大穴にオペレーター達が色めき立つ。

 

「ゾーン開放! 対象は空間跳躍に入ります!」

 

「ゾーンを閉ざせ! Z02の退路を断つんだ!」

 

 覚えず声を荒立てたサングラスの男の声にオペレーター達が対処する。

 

「Z02、位相空間へと移動。それまでにキャプチャが遂行される確率は……三十パーセント以下です!」

 

「Z02、物体宇宙より、概念宇宙へと移行開始! ゾーンのレベルが急速に増大していきます!」

 

 サングラスの男は舌打ちし、捕縛機械へと命令を実行させる。

 

「シークエンスを七つ飛ばせ! 強制キャプチャ実行!」

 

 モニターの向こうで描かれていたワイヤーの円弧が縮まっていく。それよりも早く、対象は空間に空いた孔へと自身を浮かび上がらせていた。

 

「ゾーン、閉じます!」

 

「キャプチャ機構、強制実行!」

 

 その言葉が弾けるのと、捕縛機械がキャプチャの輪を閉じたのは同時。

 

 固唾を呑んで見守る一同は、砂礫を上げて実行されたキャプチャの影響により、捲れ上がった大地と、そして――何も捉えなかった捕縛器に落胆の色を隠せなかった。

 

「……キャプチャ、失敗」

 

「Z02、ゾーンに入りました。こちらからの捕捉は不可能です」

 

 絶望的な宣告であったが、サングラスの男はそれを重く受け取っていた。司令席から立ち上がり、短く刈り上げた金髪をかき上げる。

 

「室長。やはり、Z02は……」

 

「皆まで言うな。まだ機会はある。今回の作戦、ご苦労であった。引き続き、ゾーン内の監視に移って欲しい」

 

「レンジャー二人を保護しますか?」

 

 完全に意識の外であった。室長と呼ばれた男は首肯する。

 

「……そうであったな。報酬金は払っておいてくれ。今回のミッションは他言無用だとは伝えてあるが、もしもの時は……」

 

「執行部が彼らの行き場は監視しています。逃れられませんよ」

 

 それも、分かり切った代物。男は襟元を整える。

 

「作戦失敗の是非は問われるだろう。私は報告に向かう」

 

「室長。今次作戦のレポート、仕上げておきました」

 

「……助かる」

 

 自分の端末に送付されたレポートには「Z02捕獲計画第14次報告書」と記されていた。

 

 そうか、もう「あれ」を追って十四回も失敗しているのか、と苦味を噛みしめる。

 

「しかし、ゾーンに入ったらお終いなんて……これではどれだけセルの痕跡を追っていても……」

 

「それ以上は言うな。無駄と分かっていても血税を注ぎたがる。それがこの地方の現状判断だ」

 

 答えて、男は司令室を後にしていた。廊下に出ると、先ほどまでの戦闘の苛烈さが嘘のように静まり返っている。

 

 機械に包まれた廊下を歩む途中で、男はジャケットを引っかけた若者と顔を合わせていた。若者の面もちには余裕が窺える。

 

 微笑んだ相手に男は苦虫を噛み潰したように目を背けていた。

 

「また失敗か? 室長殿」

 

「……生憎、舌戦のつもりはない」

 

「そう邪険にしなさんな。何もあんたを取って食おうってわけじゃない」

 

「何の用だ? 執行部は暇なのか?」

 

「今回のポケモンレンジャー二人、かなりの指折りを揃えたつもりだったが、お気に召さなかったかい?」

 

「……結果が全てだ」

 

 そう断じるしかない。結果が全て。過程などどれほどにも言葉を弄せる。問題は、導き出された結果そのものだろう。今回の場合は、完全な失敗。それが何より雄弁だ。

 

「お歴々はいい顔をしないだろうな。それが心配なのか?」

 

 若者は煙草のパッケージの底を叩く。

 

「ここは禁煙だが」

 

「っと、失敬。だがな、どうにも解せんだろ。無駄と分かっていても何回も挑戦するなんて」

 

「それだけ上は重く見ている。Z02……奴には今のところ、宿主がいない。叩くのなら今だという言説は分かるはずだ」

 

「世界に四体だけのポケモン……根深いねぇ、上の信奉は。それだけ躍起になっているって事か」

 

「……もういいだろう。私は上に報告する」

 

「わざわざ叩かれに行くのか?」

 

 嘲笑した相手に男は頭を振っていた。

 

「仕事上だ」

 

「お堅いな。どうだい? 今夜辺り一杯」

 

 くいっと手首を返した相手に男は笑み一つ浮かべずに応じる。

 

「分かっているだろう、それも」

 

「ああ、下戸だったな」

 

 ため息一つで打ち消し、男は相手の肩を叩いていた。

 

「こんなところで油を売っているとお前もなじられる。せいぜい、仕事をしていると装うんだな」

 

「肝に銘じておきますよ。サガラ室長」

 

 名前を呼ばれ、男――サガラは顔を拭っていた。思っていたよりも緊張で張りつめていたのか、掌にじっとりと汗を掻いている。

 

「やっていられないな」

 

 ぼやいて、サガラは上層へと向かうエレベーターに乗り込んでいた。僅かな振動と共にこの広大な地下施設の上へとこの身を運ばせる。

 

 叩かれに行く、という彼の評は半分ほど当たっていて、これから先会うであろう連中へとサガラは思いを馳せる。

 

 すぐにエレベーターが開き、サガラを迎えたのは巨大な円筒物質が支配する機械空間であった。

 

 そこいらに監視カメラが設置されており、一区画ごとに外敵を排除するためのセンサーが配されている。

 

 この排他的な空間の中枢にはプールが設置されていた。

 

 揺らめくその水面を眺めていると、不意に声が発せられた。

 

『失態だな、サガラ室長』

 

「逃がしたとはいえ、追い込みました。レポートは」

 

『拝読したよ。どうにも手ぬるいな。何故、モンスターボールを使わない?』

 

「……それは第十次報告書に書きました通りです。モンスターボールでの捕獲は既に……」

 

『失敗、であったな』

 

 分かっていて聞いているのだから性質が悪い。サガラは咳払い一つでその話題を打ち切った。

 

「相手は出来るだけ自然の形で確保するのが望ましいでしょう。そうしなければ、サ

ンプルナンバー05のように」

 

『浸食、かね。だがサンプルが少な過ぎる。我々はゾーンへと接続するために常に策を巡らせている。だというのに、今のところゾーンへの接触は契約の宿主のみ、か。これでは何年経ったところで成果は見られんな』

 

「……先にも言いました通り、新しい可能性としての今次作戦です。追い込んではいます。相手がゾーンに逃げたのがその証拠」

 

『しかしゾーンに逃げられれば、次の捕捉までは確実に六時間はロストする。その間の作戦は練っているのだろうね?』

 

「ご安心を。執行部に委託しました。それに、今回の作戦も無駄ではありません。セルを相手はいくらか使いました」

 

『存じている。現状の盤面を映そう』

 

 プール上に投射されたのは区分けされた盤面である。何度もそらんじたため、盤面の合計が100なのは脳裏に叩き込まれていた。

 

 その100の盤面のうち、埋まっているのがいくつか。

 

 四隅にはそれぞれ一つずつ、キングの駒が居座っている。

 

『ダイヤのコアの宿主は依然として不明。我が方にあるのはクラブのみか』

 

 朱色に塗られた区画と、緑色に塗られた区画が存在し、それらは常に情報が更新されている。殊に緑色の区画はこちらの切り札だ。

 

 着実に盤面を埋めているものの、やはりというべきか、他の陣営に比べれば少ない。

 

『スペードを逃がし続けている。サガラ室長。あまり悠長だと君の首が飛ぶ』

 

「ご心配なく。キャプチャから逃れた、という事は有効だという証左になります。確実に次こそは」

 

『君の次こそは、は何度聞いたか分からんよ』

 

『着実に追い詰めたまえ。そうでなければ読み負ける』

 

「……承知しました。全ては我らザイレムの理想のために」

 

『頼りにしているとも。Z02……ジガルデ捕獲作戦の要なのだからね、君は』

 

 虚飾に塗れたその言葉を聞きつつ、サガラはこの錆くさい空間から、一刻も早く立ち去りたいと願っていた。

 

 



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第三話 ランセの少年

 

 草いきれの強い空間を抜け、ようやく追いついたその光景に、彼は感嘆していた。

 

「……すごい。枝のアーチだ」

 

 木々が複雑に絡まり合い、緑の自然造形を生み出している。その中央で二つの影が対峙していた。

 

 片や、息を切らした新緑の巨体である。後部に向けて円弧を描く鋭い角と、草木に紛れるかのような色彩の体躯は常であるのならば、森林の守り手として相応しいであろう。

 

 今はしかし、その足首に打撲痕があった。

 

 それを見て少年は口にする。

 

「怖がらないで。僕とイワンコは敵じゃない」

 

 イワンコ、と呼ばれたのは対峙する茶褐色の四つ足ポケモンだ。獣というのには随分と丸っこい瞳と、そして愛玩動物を思わせる矮躯である。

 

 少年は威嚇の咆哮を上げた相手を見据えていた。

 

「ゴーゴート……。カロスなんかじゃ都会でも乗られているポケモンのはずだ。大人しい気性なのに……今は」

 

 今は手負いの獣の意地か、興奮状態にあるのが窺える。少年はそっと、声にしていた。

 

「イワンコ。練習した通りに当てるよ。行け! ストーンエッジ!」

 

 イワンコが地面を蹴りつける。浮かび上がった岩石へとその矮躯で体当たりする。全力の突撃が生み出したのは岩石の粒が一斉に対象へと殺到する技だ。

 

「ストーンエッジ」は岩タイプの高威力技。それなりのリスクは存在するが、オーソドックスに使われる技である。

 

 だがこの時、そのリスクは発生してしまった。

 

 イワンコが姿勢を崩し、その反動で岩の散弾が少年へと飛びかかる。咄嗟に腕を翳した瞬間、水の皮膜が輝いて拡張していた。

 

「フローゼル! アクアブレイク!」

 

 生み出された水の皮膜が拡散し、黄色の表皮を持つポケモンが尻尾を振って水を自由自在に練り上げた。

 

 ゴーゴートへと突き刺さり、その巨躯が揺れる。

 

 黄色の表皮を持つ水ポケモンはそのままゴーゴートの死角である懐へと飛び込んでいた。

 

 四つ足のポケモンは常に腹部が最大の弱点だ。そこに小回りの利くポケモンが入れば、後は推し量るまでもない。

 

 戦局は一変し、フローゼルと呼ばれたポケモンが水を尻尾に纏いつかせ、打ち上げていた。

 

「アクアジェット!」

 

 水の推進剤が至近で焚かれ、ゴーゴートの巨体が持ち上げられる。

 

 瞬時に攻勢が逆転し、ゴーゴートが地面に倒れる。

 

「まだよ! 相手は草タイプ。油断せずにそのまま追い打ちの一撃を――」

 

「駄目だ! リッカ!」

 

 割って入った少年に、先ほどからフローゼルに命令を飛ばしていた少女は憮然と腕を組む。

 

「退きなさいよ、エイジ」

 

「駄目だって。彼は怪我をしているんだ」

 

「だからって、自分のポケモンの放った技の余波から守った幼馴染に、一言の労いもないわけ?」

 

 痛いところを突かれ、少年――エイジはうろたえていた。

 

「……悪かったよ」

 

 丸みを帯びた茶髪を掻くエイジに髪を二つに結い上げた少女は勝気な瞳で睨み上げる。

 

「弱いのに前に出過ぎなのよ。イワンコだってかわいそう」

 

 名前を呼ばれて当のイワンコは首を傾げていた。エイジは優しく言いやる。

 

「大丈夫だよ、イワンコ。リッカだって分かってくれているんだから」

 

 諌めるとリッカは怒り心頭といった様子で責め立てた。

 

「よくない! あんた、何回死にかければ気が済むの? この間も大怪我したじゃない!」

 

「だから、それは……。ストーンエッジの命中精度を上げようとして……」

 

「そのストーンエッジだっていつになったらまともに習得出来るのかしら? これじゃ、ジェネラルランク2からの昇格も難しそうね」

 

「……そ、それは言わない約束だろ」

 

 エイジだって意地はある。しかしリッカは頑として認めなかった。

 

「いいえっ! あんたがいつまで経っても最底辺じゃ、幼馴染のあたしの沽券に関わるの! いい? ジェネラルレベル最下位なんていくらハジメタウンが辺境だからって馬鹿にされるわよ?」

 

「それは……でも仕方ないよ。ジェネラルレベルは上げようと思って上げられないんだから。あっ! それよりもゴーゴートは?」

 

「エイジ! それよりもって何!」

 

 リッカの追及を無視してエイジはゴーゴートの傷の具合を診ていた。足の打撲は近くで見れば一目瞭然。やはり高レベルポケモンとの戦闘に遭ったのだろう。

 

「かわいそうに……。今、傷薬で……」

 

 スプレー型の傷薬を振りかけようとして、ゴーゴートが吼えていた。その雄叫びにエイジは腰を抜かす。見かねたリッカが手から傷薬を引っ手繰り、ゴーゴートの傷跡にかけていた。

 

 ゴーゴートも下した相手なら文句はないのか、素直に治療されている。

 

「……ゴメン。僕じゃ言う事を聞いてくれないよね……」

 

「野生に嘗められてるんじゃ、この先高が知れているわよ。それにこのゴーゴートだってレベルは高くないでしょ」

 

「うん。レベル35……ってところかな。特性は草食……。多分だけれど、反対側の蹄が割れているんじゃないかな? ゴーゴートの得意とする速度戦じゃなくってこういう逃げ場のないところに自分から潜ったって事はあんまり機動力に自信のない表れだと思う」

 

 エイジの言葉にリッカはゴーゴートの蹄を観察し、そこに亀裂が走っているのを発見して、嘆息をついた。

 

「……その審美眼が、せめてバトルに活かされればねぇ。あんたっていっつも鈍くさい。イワンコならいくら素早くないからってこの状態のゴーゴートの隙をつけたでしょうに」

 

 傷薬を振るリッカにエイジは言い直す。

 

「イワンコの中距離戦を確かめたかったんだ。それにゴーゴートの傷を悪化させないためには、表皮で止まる技じゃないと駄目だった。僕とイワンコのストーンエッジは未完成だから、ちょうどいいかなって……」

 

「ちょうどいいかな、で死んだら元も子もないでしょ。はい、これでゴーゴートの治療は終わり。後は自然治癒ね」

 

 ゴーゴートの病状が少しばかりマシになったのは、顔の血色からも窺えた。結果論とはいえ、リッカのフローゼルが水タイプでよかった。これで対抗タイプであったのなら、ゴーゴートは再起不能になっていたかもしれない。

 

「この自然界のアーチなら、ゴーゴートもしばらくは外敵に怯えないでいいと思うんだ。ここなら治るまで療養出来る」

 

 周囲を見やり、エイジは木々に触れる。言わばこれは自然からのギフトとでも呼ぶべきだろうか。鳥籠のような空間は治療を要するゴーゴートには最適である。

 

 リッカは大きくため息をついていた。

 

「……死にかけてよく言えるわよ。フローゼルとあたしがいなかったら、あんた今頃傷だらけなのよ? 分かっているの?」

 

「うん。……でも、うまくいってよかった。これでこのゴーゴートは安全……」

 

 ははっ、と笑って見せたエイジにリッカは心底呆れたようであった。

 

「あんたさ……、もうちょっと自分を大事にしたら? それとも、何? 医療従事者とかになりたいの? ……あんたお父さんみたいに」

 

 最後の言葉は言うべきではないのだと彼女も思っていたのだろう。それでも、言ってくれれば自分の中でわだかまりを抱えずに済む。

 

「……どうかな。父さんは立派な医者だったけれど、でも僕はそうじゃないと思うんだ。だからって、この地方の……すごいジェネラルになれるっていうのも、なんか違う気がして……」

 

 リッカは手を叩いてこちらの思案を打ち切っていた。

 

「はいはい、あんたの言い分は分かったから。スクールに戻りましょ。勝手に抜け出すんだもん。そういうところは図太いのよね」

 

「……リッカだって、追っかけて来てくれたんだろ? ありがとう。おかげで助かった」

 

「知らないところで死なれたら寝覚めが悪いだけよ。あんたのお父さんから頼まれてるんだもん。留守の間は、あたしが面倒見るって」

 

「留守の間は、か……」

 

 エイジは森の木々の合間から空を仰ぐ。今は、どこの空を眺めているのかも分からない父親の事を思い浮かべるのには、少しばかりリアルではなかった。

 

 この空も、この森も、そしてこの町――ハジメタウンも。どこにもリアルがないような気がたまにしてしまう。

 

 それはいけない事のような気がしてしまって、このような考えは早々に打ち切るのだ。

 

「先生がカンカンよ? ゴーゴートは安全なんだから、とっとと戻りましょう」

 

「うん、でも戻るって言ったって……」

 

 ――それはどこに?

 

 その問いは直後には霧散していた。

 

 



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第四話 停滞の途上

 

「この地方……ランセ地方の歴史はとても古くまで遡れます。ブショーと呼ばれるポケモンの大地主が存在し、彼らは覇権を争いました。この地方の一国一城の主を決めるべく、長い間、闘争の歴史にあったのです。……しかし、ここ五十年で状況は一変しました。カント―の権威、オーキド博士のもたらした論文と、彼の功績が輸入され、多くの地方との国交の回復を行った結果、私達のランセ地方は今は治世も落ち着き、ブショーという身分はポケモンジェネラル――他地方で言うところのポケモントレーナーになり、我々の暮らしも豊かに、文化的になったと言えるでしょう」

 

 教鞭を振るう女性教師は朗らかな笑みを浮かべて、黒板にリアルタイムで更新される教材を指す。その中にはランセ地方中世の暮らしと営みが映し出されており、つい数年前まで本当にこの地方には平和が縁遠かった事を思い起こさせていた。

 

 エイジは教室の窓からそれを窺う。リッカも隣で機会を待ち構えていた。

 

「……いい? 先生がここテストに出ますよ、と言ったら入るのよ。それで何もなかった風を装うの。ちょっとトイレに、って言う具合にね」

 

「……でもさ、僕だけなら変じゃないけれど、リッカはどうするのさ。僕を追ってトイレに行ったなんて変だろ?」

 

「あたしはいいのよ。クラス委員だもん。いくらでも言い訳は出来るわ。それに、ジェネラルランクは4だし」

 

「……またジェネラルランクの話する……」

 

 教師が身を翻し、黒板の隅を叩いた。今だ、とリッカが手招く。エイジは頷いて教室に忍び足で入っていた。

 

「ここテストに出ますよー。……はい。エイジ君に、リッカちゃん。また抜け出していたんですねぇ」

 

 ぎくり、とリッカの動きが硬直する。エイジは素直に立ち上がっていた。

 

「だから言ったのに。不自然だって」

 

「あんたが勝手に出歩くからでしょ! 先生、あたしは悪くないです」

 

「二人とも、ですよ。授業中にどこかに行かない事。……でも、エイジ君、泥だらけじゃない。また森に行ったのですね」

 

 指摘にエイジは黙りこくる。先生はため息をついていた。

 

「……心配なのは分かります。でもね、森は危険なの。あなたのジェネラルレベルでは出歩くのも危ないのですよ? だから森には行っちゃ駄目。分かりましたか?」

 

「でも、先生、怪我をしたゴーゴートがいたんです。あのまま放っておいたら天敵のポケモンにやられてしまっていたかも……」

 

「聞こえなかったの? 駄目なものは、駄目なのです」

 

 そこまで言われてしまえば意見を仕舞うしかない。エイジは席につき、リッカも不承ながらに着席していた。

 

 授業が再開される。

 

「さて、話したのはこのランセの歴史についてでしたが、ポケモンの種類も多種多様。ランセ地方では元々、モンスターボールが普及していなかった事もあり一般の市民はトレーナー権どころか、ポケモンの能力を借りる事さえもつい五十年前までは考えられない事でした。だからなのかは分かりませんが乱獲の危険性もなかったため、独自の生態系が築かれており、カロス、アローラ、ホウエンなどなど、同一の地方にいるはずのないポケモンも多く生息しています。この生息域に関しては七十三ページのオーキド博士の論文を確認していただいて……」

 

 その時、後頭部に何かがぶつかってきた。手に取ると、それは丸められた紙だ。

 

 またか、とエイジは嘆息をつく。

 

 ここでの自分の立場を再確認させられる。

 

 開くとそこには「放課後、裏庭に来い」と書かれていた。これもいつもの事だ。だから、気にする事はないしいちいち気に病む事もない。

 

 エイジはペンを指で弄びつつ、残りの授業を過ごしていた。

 

 安穏とした日々。何も変わらない現実。

 

 何かを変えようとも思わない。変わったところで、それが幸運に繋がるわけでもないからだ。

 

 変化は、正直言って怖い。

 

 だから大人になるのも、ましてやこの町から出るのも、自分からしてみればあり得ない判断だった。

 

 ハジメタウンから旅に出て、ポケモンジェネラルとして一地位を築く事は、今の時代には難しくはない。

 

 だが、それも結局は自己責任。

 

 旅の途中で行き倒れても、ポケモンを失い、全てを失ったとしても、それでも故郷は優しいかと言えばそうでもない。

 

 遠く離れたカントーや、イッシュなどではその辺りの法整備がようやく敷かれ始めたと聞く。

 

 先進地方ですら、トレーナーの受け皿はないと言われているのに、このランセ地方に何かがあるものか。

 

 五十年前にはまだブショー達が鎬を削っていた後進地方。何周も遅れて他の地方の真似事をしている。

 

 それも今さらなら、こうしてトレーナーズスクールが開校され、子供達がポケモンジェネラルを志して勉学に励めるようになったのもここ数年。

 

 それまでは独学で戦い抜くしかなかったと聞く。

 

 恵まれているかと言えば、その通りであろうが、それでもエイジにはどこかこの変化を素直に喜べなかった。

 

 いっその事、戦いなんて縁遠い、ただの一小市民に成り下がっていればよかったのに。今の時代、ジェネラルにならない子供のほうがおかしいのだ。

 

「はい、ここテストに出ますよー」

 

 先生は確かアローラの出であったか。彼女だってランセ地方の事はよく分かっていないはず。それでも、こうして教鞭を振るう資格があるというのはどこか遊離しているように思えた。

 

 継ぎ接ぎだらけの町、継ぎ接ぎだらけの日々――。

 

 こんな場所から何かが生まれるはずがない。エイジはそう感じて、窓の外の景色を見やる。

 

 鳥ポケモンが大空に羽ばたき、その翼を広げて飛翔していった。

 

 



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第五話 痛みの代価

「Z02の追跡レポート、読んだか?」

 

 差し出されたコーヒー缶にサガラはふんと鼻を鳴らす。

 

「随分と仕事が早いじゃないか。いつもらしくない」

 

「まぁ、そう言うな。今回はレンジャー二人の協力に、それに現場に残された大量のセルが大きい。セルからZ02の追尾は可能だ。それに、何人かに適合試験を試したんだと」

 

 プルタブを開ける相手にサガラは缶を受け取って一気に呷っていた。

 

「……適合試験か。セルならそれほど難しくはないだろう」

 

「で、数名の適合者が生まれたから、そいつらへの教育……という名のいつも通りの洗脳だな。一人は前回の作戦で使ったレンジャーの片割れだ。協力的でね。女レンジャーのほうはビビッて案件から引き上げたみたいだが、まぁ、無知は助けになるってな」

 

「挽回の意味もあるのだろう。レンジャー勤務の連中はプライドだけは一級品だ」

 

 手元で缶を弄び、サガラは頭上を仰ぐ。地下施設の天井は高めに設定されており、青白い蛍光灯が輝いていた。

 

「まぁ、皮肉ってやるなよ。戦力には違いない。それで、だ。Z02の追跡任務に際して、お前の指揮を上は求めているようだが、どうだ? 執行部に来ないかって誘いだよ」

 

「生憎だが、今の職務が板についているのでね。執行部の領分じゃない」

 

 相手はははっ、と笑ってから、だよなぁ、と頷く。

 

「お前はそういう奴だよ。だが、別段、左遷ってわけでもないんだぜ? ザイレムにいる以上は機密に触れないといけない。どこの部署だって必死さ。それに、Z02の再出現に対して一番の優位を取れる。お前からしてみりゃ、何回も煮え湯を飲まされた相手だ。捕獲作戦くらいは参加したいってのが心情だろ?」

 

「Z02を甘く見るな。管轄が変わったからと言って、捕まるような相手じゃない」

 

「それも経験則、かねぇ。ま、いずれにしたってキャプチャではなく、Z02へと強硬策が取られる事になった、ってのは言っておくぜ。無傷で捕えるってのは無理って判断だな」

 

 立ち去り間際の相手へとサガラは呼び止めていた。

 

「オオナギ執行部部長。お前はどう考えている?」

 

 振り返った相手――オオナギは目を見開いていた。

 

「……久しぶりに名前で呼ぶじゃねぇの」

 

「考えを聞きたい。あれは御せるかどうかを」

 

 何度も取り逃がした。その度にお歴々からの叱責が飛ぶ。だがそれでも、自分をこの地位から外さないのは、Z02への有効打を分かっているからに他ならないはず。

 

 室長勤務としては失格かもしれないが、Z02へかける執念は買われているのは感じ取っていた。

 

 オオナギは顎をさすって応じる。

 

「制御可能か、って論点で言えば、まぁ難しいんだろうな。クラブのスートの前例だってある」

 

「それを加味して、奴を捕まえて、ではその後はどうする? また適合者探しか? ……今度は何人犠牲にするつもりだ?」

 

 上は焦っている。すぐにでも適合者を見つけようとするだろう。しかし、相手が容易くないのは彼らが一番に理解している。それでも、強硬策に出るのだろう。

 

 それだけが望みだと信じ込んでいるからだ。

 

 オオナギは慎重な議論だと感じたのか、周囲へと目を配る。人目はない。

 

「……これは俺の考えだが……Z02の側にも何かしら焦りがあるんじゃないか? ゾーンを見れば、あれが最後のスートだってのは証明されているんだろ? だったら、宿主を探すはずだ。どこかにいるかもしれない、ジガルデの適合者を、な」

 

「相手も焦っている、か。だからセルを消費してでも、こちらの手に渡るのを防いだ」

 

「コアにとっちゃセルは生命線だろ? それを使ってでも逃げるってのは、やっぱり何か考えがあるんだろうよ」

 

「考え……ポケモンに考えなど……」

 

 そこで断じかけて、否、とサガラは思い直す。Z02のこれまでの行動と状況把握、いずれもただのポケモンの枠で収めるにしてはあまりにも……。

 

「まぁ、ここで俺らみたいな人間が議論したってしょうがないさ。どこかで誰かが考えてくれているだろ。今は、まず結果を待とうぜ」

 

「結果、か……」

 

 畢竟、そこに集約される。結果を求めるしかない。自分達には、その程度しか出来ないのだ。

 

「このランセ地方じゃ、昔っからそうだったみたいだからな。結果、勝利、まぁ、エトセトラ。勝てば官軍って言葉もあるだろ? 荒れくれ者はさすがに淘汰されたが、それでも根っこの考えってのは変わらないもんさ」

 

「せいぜい、五十年余りの近代歴史、か。どうして、Z02を含め、ジガルデはこの地方に現れた? ここでなくともいいはずだ」

 

「カントーやジョウトじゃ、睨みを利かす怖い機関がたくさんあるからな。俺らとしちゃ動きやすいが」

 

「……やはり、ゾーンか」

 

 その結論にオオナギは肩をすくめる。

 

「陣取り合戦には打ってつけってわけだ。ランセのこの場所が」

 

 だが、とサガラは缶を握りしめていた。

 

 ――そのためにどれだけの犠牲があったか、せめて知らしめられれば。

 

 その思いは直後には霧散しているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「言われた通りにするってのは、従順じゃねぇか」

 

 最新型のホロキャスターをいじっていたのは、大柄なクラスメイトである。他の取り巻き達もどこか下卑た笑みを浮かべていた。

 

「最底辺。授業抜け出して森に行くにしちゃ、抵抗も出来ないんだな」

 

「……ジェネラルレベルが全てじゃない」

 

 抗弁にクラスメイト達から笑い声が響いた。

 

「こいつぁ、傑作だ! このランセ地方においては、ジェネラルレベルが全て! 結果が全てなんだよ! そんな事も分からねぇから、いつまでもレベル2を彷徨ってやがる!」

 

 大柄なクラスメイトに突き飛ばされ、エイジは尻餅をつく。それでも何か抵抗する気も起きなかった。

 

 それを目にして彼らは侮蔑の眼差しを向ける。

 

「何にも出来やしねぇ。せめてポケモンで打って来いよ。返り討ちにしてやらぁ」

 

「……ポケモンは、そんなためにいるんじゃない」

 

「綺麗事なんざ、うんざりなんだよ! いいから、打って来い! 力の差を見せつけてやる!」

 

 大声になったクラスメイトに、エイジは土を払いつつ冷静な声を出していた。

 

「……リッカに用があるなら直接言えばいいだろ。僕を倒したってリッカは振り向かないよ」

 

 それが相手の逆鱗に触れたのか、顔を真っ赤にしたクラスメイトが取り巻きを払う。

 

「うるせぇぞ、最底辺! やられてぇのか!」

 

「……呼ばれたから来ただけだし、僕を殴りたいのならそうすればいい。それで気が晴れるんなら、それでいいよ」

 

「ポケモンバトルの一つや二つも出来ないってか? 腰抜けが!」

 

「……腰抜けでも何でもいいよ。僕は森に行かないと。怪我をしたポケモンもいるし、この時間帯ならちょうどバタフリーの群れが見られるんだ。それも見ておきたい」

 

「俺とのバトルよりそんな下らねぇ事のほうが上だって言うのか! 俺の話にノーだって言いたいんだな、最底辺!」

 

「……何もそう言ってないだろ。決めつけで……」

 

「うるせぇぞ! 行け! ゴローニャ!」

 

 飛び出した巨体にエイジは嘆息をつく。そのデータをそらんじていた。

 

「ゴローニャ。岩・地面タイプ。レベルは見たところ45。メガトンポケモンの異名通り、力強い戦法を得意とする……」

 

「ナマ言ってんじゃねぇ! 俺のゴローニャ嘗めてると怪我するぜ。ステルスロック!」

 

 ゴローニャが周囲へとばら撒いたのは不可視の岩石であった。浮遊するそれが周囲を取り囲む。

 

「……逃がさないためにわざと? 別に逃げる気はないのに」

 

「いちいち癇に障る……! ゴローニャ! ヘビーボンバー!」

 

 ゴローニャの体躯が躍り上がり、エイジへとそのまま真っ逆さまに落下する。その体重を利用した物理技「ヘビーボンバー」。エイジは逃げようとは思わなかった。

 

 逃げたところで背後には「ステルスロック」の罠。それに、逃げおおせればこのクラスメイトの溜飲は下がらないだろう。

 

 なら、ここでちょっと怪我をする程度で、気が済むのならそれで――。

 

 そこまで考えていたところに、割って入った声があった。

 

「フローゼル! ハイドロポンプ!」

 

 水の砲弾が落下途中のゴローニャを押し飛ばし、躯体へと水を染み込ませる。効果は抜群の攻撃にゴローニャとクラスメイトが瞠目する。

 

「……クラス委員が」

 

「こんな場所でポケモンバトルはご法度でしょ! 弱い者いじめはあたしが許さないんだから!」

 

 フローゼルに対し、ゴローニャは相性が悪い。すぐさま赤い粒子となってモンスターボールに戻されていた。

 

「……覚えていろ、最底辺」

 

 捨て台詞を吐いて一同が立ち去っていく。それを見届けてから、リッカは腰に手を当て、声を荒らげる。

 

「呆れた! 何でイワンコを出さなかったの! やられていたのよ?」

 

 糾弾されてもエイジは特に言う事はない。

 

「だって……こんな人間同士のしがらみになんて出したんじゃ、ポケモンがかわいそうだよ」

 

「何のための手持ちよ! こういう時の自衛手段でしょうが!」

 

「自衛って……。別にあれを食らっても死にはしないよ。ヘビーボンバーくらいなら、あっても骨がちょっと折れるくらいで……」

 

「だから! その認識が変だって言ってるの! イワンコで防衛出来た! あんたのジェネラルレベルじゃ、確かに勝てるかは分からないけれど、でも戦いもしないで……!」

 

 よほど信じられないのだろう。目に涙さえも浮かべたリッカにエイジは醒めた様子で返していた。

 

「……相当、ヤケに見えたっていうのなら謝るよ。でも、勝ち負けってさ、そんなに重要かな。だって、こんな場末で戦ったって、何もないじゃないか。イワンコにも悪いよ。僕みたいなのの自衛に使われるなんて」

 

 その言葉から先を遮っていたのは、リッカの張り手であった。乾いた音が校舎裏に響く。

 

「……痛いよ」

 

「バカ! バカじゃないの! あんたがどう思おうが、それって結局、自分の事を軽んじているだけじゃない! そういうの、大ッ嫌い!」

 

「……嫌いになるのなら好きにすればいい。僕は森に行くから。ゴーゴートの怪我が心配だし」

 

 頬が痛みにひりつく。それでも、ここでリッカの言葉通りに何かを受け止める気にはなれなかった。

 

 彼女は身を翻す。

 

「……そうやって自己犠牲になっている気分に浸って……。あんたってやっぱり、最底辺」

 

 走り出してしまったその背中に、何も言い返せなかった。いや、言い返す気も起きない。

 

 最底辺なのは事実だし、それに別段、戦いに拘泥するのも馬鹿馬鹿しいだけだろうと思っていたからだ。

 

「……でも、戦って誰かが傷つくくらいなら、僕が一人だけで傷つけばいい。そうじゃないか。だって、この手が誰かを傷つけるよりもよっぽどいい」

 

 そう思っていた。思い込む事でしか、自分を保てそうになかった。

 

 



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第六話 契約の刻

「キャプチャ、オン」

 

 スタイラーを稼働させ、レンジャーは突撃に入ろうとしたポケモンをキャプチャしていた。

 

 レベルの高い飛行タイプの鳥ポケモンだ。図鑑を取り出してその名称を紡ぐ。

 

「ケンホロウ……。ランセ地方には進化系のポケモンが生息図を無視して乱立しているな。こんな辺境の森にまさか、最終進化がいるなんて」

 

 能力値を参照し、レンジャーは本部へと繋ぐ。

 

「こちら、エージェントK。ポケモンをキャプチャした。この場所で間違いないのだな?」

 

『本部より。Z02の空間移動の痕跡を確認したところ、その森が最も出現率が高いと算出されました。手持ちは……』

 

「相手は地面タイプだ。飛行なら優位を取れる」

 

 それに、とエージェントKは前回の事を思い返していた。一瞬で無力化された。あの敗北を思い返すだけで怒りに我を忘れそうになってしまう。

 

 それもこれも、組織に「あの処置」をされてからだ。

 

 エージェントKは胸元で脈打つ、ゲル状の物体をさすっていた。鼓動と同期し、血脈をたぎらせている。

 

 細胞膜のような姿の内側に本体があり、それが身体に吸着しているのだ。

 

 物体より声が脳内に反響する。

 

 ――壊せ。敵を倒せ、と。

 

 今まで感じた事のない酩酊感と闘争心であった。身を任せると心地よい。自分はトップレンジャーとして、感情を抑制する術に長けていたはずなのに、今ならばその楔を解き放ってもいいと思えるほどだ。

 

 それほどまでに、この物体の言葉は耳心地がよかった。

 

「ケンホロウで夜を待つ。それにしたところで、ランセ地方はもっと辺境地かと思っていたが……すぐそこに町があるのだな」

 

 端末のタウンマップに呼び出した町の名前は「ハジメタウン」。森の他に特筆すべきものは町の中央に陣取る巨大な風車であろう。

 

 穏やかな風の流れる町だ。情報によれば、この町は他の地方で言う「始まりの町」なのだと言う。

 

『町の市民には勘付かれないよう留意を願います。当然、目撃者は』

 

「分かっている。消せばいいのだろう?」

 

 これも、おかしいと感じてはいた。自分はあくまでレンジャー。トレーナーでもなければ、この地で言うジェネラルでもない。

 

 それなのに、相手を今ならば迷いなく消せる。その確信がある。

 

 どうしてしまったのだろうか、と己に問い返したが、そんなものは些事だ、と答えが返ってきた。

 

 ――ただ壊せ。何もかもを破壊せよ。

 

『ミッションを開始してください。これより六時間以内にその森にZ02が出現します。予測範囲を送信。範囲内における制圧権をエージェントKに譲渡します』

 

「了解。なに、こっちはトップレンジャーだ。すぐに終わるさ。Z02……」

 

 いや、と改めて教えられたその姿を脳裏に描き、彼は正式名称を口にしていた。

 

「ジガルデ……王の器」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーゴートの治療は自分が思ったよりもうまくいったらしい。既にその姿はあのアーチの空間にはなかった。最適な水辺を見つけたのだろう。走り続けていたのならば喉が渇いていたはずである。

 

 エイジは花園までの最短ルートを辿っていた。

 

 背の高い草むらを抜けようとすると、そこいらで生傷を作る。それでも前に進み、ようやく開けた空間に出る。すると、色とりどりのバタフリー達が乱舞していた。

 

 彼らの生息域は限られており、決まった時間に決まったように寄り集まる。

 

 エイジはその中にまだら模様の翅を持つバタフリーを発見していた。要観察対象として、手記をつけている個体だ。メモを取り出し、今日の状態を仔細に観察する。

 

「健康状態は問題なさそう。でも、エサが少ないのかな。ちょっと羽ばたきが弱い気がする……」

 

 それでも出来るだけ普段の営みには干渉しないのがエイジの流儀であった。エサは本当に餓死寸前のポケモンにしか与えない。いたずらに与えると他のポケモンがそれを真似して自分でエサを取れなくなってしまうからだ。そうなれば森全体の生態系に関わってくる。

 

 自分はあくまで傍観者。観察者としてのスタンスは崩してはならない。

 

 エイジはいつも通り、十六匹のバタフリーがいる事を確認していると、そのうち一匹が何かを隠し持っているのを目にしていた。

 

 窺うと楕円状のものが視野に入る。

 

 あっ、と声にするとバタフリーの群れが一斉に羽ばたき、エイジの目を眩惑した。花畑が風に舞い、風圧が草花を吹き飛ばす。

 

 風がやんでから、エイジは微笑んでいた。

 

「……タマゴ、か。また新しい命が生まれるんだなぁ……」

 

 感慨深くそう口にして、バタフリー達の去った花畑を後にする。こうして自分の関知せぬ間にポケモン達が増えていくのもまた楽しみの一つでもあった。

 

 帰路に位置するのは木製のログハウスだ。かつて父親が作った観測所であり、今は自分のセーフハウスになっている。

 

 家に戻るよりも、森の中の小屋に戻ったほうが落ち着くのだ。

 

 木の扉を開けると、忍び込んでいたコラッタが一斉に駆け抜けていった。特段、ポケモン除けの仕掛けは施していないため、こうして野生が雨風を凌ぐために根城にするのはよくある事であった。

 

 父親が言うのには、それも一つの営みなのだと言う。

 

「……人とポケモンが境目なく分かり合える、か。でもそれは、理想論だよ、父さん」

 

 木造の机の上に荷物を広げ、エイジは今日の観察日誌をつけていた。迷い込んだゴーゴートに、バタフリーのタマゴ。それに他のポケモン達の状態。それらを一日たりとも逃さずに書き連ねている。

 

 誰かに褒められるためではない。ただの自己満足だ。それでも、この日課を欠かさないのには理由があった。

 

 スクールでジェネラルレベルが低いと罵られても、それでもこれだけは欠かすわけにはいかないのだ。ポケモン達の息遣い、生物としての感触。それらが自分に伝えてくるのは、ポケモンもまた一種の生物としての根幹――ルールが存在し、自分達の理で動いているという事実である。

 

 それをいつの間にかヒトが冒してしまった。このハジメタウンの森が多種多様なポケモンの生態系に優れるのは、領分を守っているからである。

 

 ポケモン達の引いた線以上に踏み込んではならない。

 

 それが鉄則であった。

 

 しかし、とエイジはここ数か月の変化に目を留める。スクールでの課外授業にも使用されるため、この森にも人の手が入るようになってしまった。

 

 そのせいかは分からないが、少しずつ生態バランスが崩れ始めている。

 

 いたはずのポケモンが翌週には姿を消している事も多くなった。

 

「……嫌だな。どんどんポケモン達が住みづらくなっているなんて」

 

 それも人のエゴで。嘆息をつき、エイジは外を見やる。陽は沈み、森はすぐに夜の顔を見せる。

 

 ハジメタウンはそうでなくとも日の入りが早い。森に住まうポケモン達は既に夜の様相を呈している。

 

 夜に出歩くのは危険だ、と経験則で知っていた。イワンコを連れ歩いていても、それでも思わぬポケモンに出くわす。夜行性の凶暴なポケモンには手を出すべきではない。

 

 無論、防衛手段は心得ているが、それも成功すればの話。

 

 昼間のゴーゴートへの攻撃が逸れたのを、苦々しく思い返していた。

 

「……ストーンエッジの精度が悪いわけじゃない。でも、どうしてだか当たらないんだよな……。やっぱり、見透かされているのかな。イワンコにも」

 

 戦いたくない、という自分の思いが。秘めたる心がポケモンには窺えるのだ。彼らなりの何かが人の潜在意識を読み取るのかもしれない。

 

 いずれにせよ、ポケモンのほうが随分と人間より繊細だ。

 

 エイジはイワンコの戦術バランスを講じていた。「ストーンエッジ」を主軸に置くにしたところで、もう一手欲しい。

 

 確実な手段としてみれば、副次的な技を保持すると言ったところだろうか。

 

「岩石封じ……噛み砕く……ステルスロック……、どれも現実的のようで、ちょっと違うんだよな……。それに、あんまり攻撃に振ったところで僕は……」

 

 戦いたくはない。一つ深いため息をついたその瞬間であった。

 

 ログハウスを激震が見舞う。思わぬ衝撃にエイジはよろめいていた。

 

「地震? ……いや、何だ、この揺れと……」

 

 直後に轟音が響き渡る。明らかに平時の代物ではない。窓から顔を出すと、森の中央が淡く光り輝いているのが視界に入った。

 

「……森の中央に、隕石でも落ちたのか……?」

 

 確証はない。だが、それでも確かめなければならないだろう。森の生態バランスが崩れてからでは遅いのだ。すぐに支度を済ませ、エイジはホルスターにイワンコのボールを留めた。

 

 ログハウスを飛び出し、最短ルートを辿ると煤けた風が周囲を満たしている。隕石、というのはほとんど冗談のつもりだったが現実味を帯びてきていた。

 

「……頼むから、厄介な事にはなってくれるなよ……」

 

 口にしてエイジは光り輝く軌跡を目にしていた。光の曲線が描かれ、地面を滑走する。その速度と独楽のような形状はスクールで教えられていた、ポケモンレンジャーの専門装備、スタイラーに酷似している。

 

 そのスタイラーが追跡しているのは、漆黒の獣であった。木々を跳躍し、駆け抜けるその速さは尋常ではない。加えて、エイジはその対象が普通のポケモンにあるような気配を全く帯びていない事に気づいていた。

 

 まるで無機質のような冷たさを感じさせる疾駆の獣へと空中より一直線の降下攻撃が見舞われる。

 

「辻斬り!」

 

 弾けた声の主は赤い服飾を纏っている。その意匠はまさしくポケモンレンジャーのものであったが、どうしてここに? という思いが勝っていた。

 

 ハジメタウンの森には何の異常もないはず。ただ一つ、イレギュラーがあるとすれば、追っている謎の対象だ。

 

 エイジはその対象と攻撃を交わし合う飛行ポケモン、ケンホロウを交互に見やっていた。

 

 ケンホロウはプライドポケモンという異名を持つ。闘争になればその攻撃から逃れる事は難しい。

 

 そのためか、黒い相手は攻撃をさばき切れず、ケンホロウの放った風圧の刃を身に受けていた。

 

「エアスラッシュ!」

 

 黒い獣が声にならない叫びを上げて地面に落下する。エイジは咄嗟に草むらの中に身を隠していた。

 

「手こずらせやがって……。こちら、エージェントK! Z02を確保する」

 

 どこかに連絡しているのか、ポケモンレンジャーが歩み寄っていく。漆黒の対象は何度も立ち上がりかけて、その身体からゲル状の血潮を垂らしていた。

 

「セルがもうないんだろ? それなのに、10%の状態で動き回りやがって。ちょこまかと……目障りなんだよ!」

 

 レンジャーが獣の腹を蹴りつける。その行動にエイジは目を瞠っていた。ポケモンレンジャーがポケモンを傷つけるなど言語道断のはず。それが目の前で展開されている事に驚きを隠せない。

 

 黒い獣へとレンジャーがスタイラーをセットしようとする。軌跡がじりじりと描き出され、円弧がゆっくりと黒い獣から自意識を奪っていくのが窺えた。

 

 エイジは草陰よりそれを凝視する。すると、獣の白濁した眼窩と視線が合ってしまっていた。

 

 あっ、と声にしかけたその時、脳内に言葉が残響する。

 

(……ガキか。しくったぜ、クソッ。こんなところで、終わって堪るかよ。しかし、セルを使い過ぎたな……。ゾーンを開くだけのセルも残っちゃいねぇ……。……この際、選り好みはしていられねぇな)

 

「……この声は……君が?」

 

(ああ、そうだ。なぁ、ガキ。テメェもこれを見ちまった以上、逃がされやしねぇぞ? 皆殺しにしろってこいつは命令されてんだ。それに、こいつにはセルがついている。大方、証拠を隠すためにこの森も、近くの町も焼かれるぜ? それでいいのか?)

 

「何を……何を言って……」

 

「……そこに誰かいるのか?」

 

 こちらに気づいたレンジャーに、しまったと慌てて身を隠しかけて、ケンホロウの翼が草むらを掻っ切っていた。

 

 露になったエイジは腰を抜かしたまま、後ずさろうとする。

 

 レンジャーは冷淡な声音で口にしていた。

 

「子供、か。しかし目撃者には違いない。ケンホロウ、せめて苦しませないように一閃。それでケリがつく」

 

 まさか、と息を呑んだ刹那にはケンホロウの迷いのない空気圧の刃がすぐ傍の地面を切り裂いていた。

 

 その時になって状況判断が追いついたのか、どっと汗を掻く。

 

 呼吸困難に喘ぎ、四肢が硬直していた。

 

 ――ここから一歩も動けない。

 

 そんな状態なのにケンホロウが翼を研ぐ。恐らく一撃で首を落とすつもりだろう。

 

(おい! ガキ! 分かっただろう。こいつはテメェだけじゃねぇ! 皆殺しにするつもりだ! 殺されたくなけりゃ、言う事を聞け! オレならギリギリで助けられる!)

 

「……う、嘘だ……。レンジャーが人殺しなんて……するわけ……」

 

 歯の根が合わない。それでも、現実を受け入れられないエイジに、黒い獣が力を振り絞っていた。

 

 液状の何かが浴びせられ、電撃的にビジョンが脳内を駆け巡る。

 

 それはこのポケモンレンジャーが辿るであろう、破壊の未来であった。

 

 町は焼かれ、人々は蹂躙される。見知った者達が、この男一人に嬲り殺される。

 

 その中にはリッカも――。

 

「今の……は……」

 

(分かっただろ、これがヤツらのやり口だ。テメェだけ死ぬんじゃねぇ。全員死ぬ。それを止めたきゃ、オレに力を貸せ。終わりたくねぇんだろ、テメェも)

 

「……セルで意識を伝達しているのか。悪足掻きを!」

 

 ケンホロウの翻した翼の一閃が黒い獣の腹腔を掻っ捌いていた。腹部が割れ、何もない空虚な腹腔が露になる。

 

 意識を伝う声に舌打ちが混じっていた。

 

(……こいつぁ……参ったな。オレの意識も限界が近ぇ。さすがにコアを破壊する事はないだろうが、それでもセルは残り一割未満……。強硬策だが、仕方ねぇな。ガキ、オレと契約しろ。ただ一言でいい。オレに委ねると言え)

 

「子供だからと言って温情を与える気はないし、逃がすなという命令だ。それに……何故だか分からないがとても昂揚していてね。人殺しというものは縁遠かったはずなんだが、今ならば何でも出来そうなんだ」

 

 不気味に口角を吊り上げたレンジャーにエイジは息を呑んでいた。その間にも意識の声が脳内に残響する。

 

(早くしろ! オレと契約するんだ! そうすればここでは死なずに済む! それとも! テメェ、死んでもいいとか思ってんのか!)

 

 その言葉にハッとする。

 

 死んでもいいのだと、どこかで思っていた。諦めていた。どうせ、最底辺だ。多分、死ぬまでそんな場所を彷徨うのだと。

 

 それはいつからなのだろうか。

 

 ジェネラルレベルが2だと告げられてから? 森に入り浸ってから? それとも――あの日、父親が自分を置いて立ち去ってから――?

 

 ――この世は選択の連続なんだ、エイジ。だから父さんは、ここで一つの選択をする。お前を、連れてはいけない。

 

 自分は選ばれなかった。選択の対象に入らなかった。だから――要らない命、要らない子供なのだ。

 

 だから自分は……。

 

(選べ! 選択権はテメェにある! 選び取って、勝ち取れ! ガキ!)

 

 勝ち取る。その言葉がどうしてだろう。

 

 この時、自分の胸の中を、久しく高鳴っていなかった鼓動を、脈打たせたのは。

 

 エイジは手を伸ばす。意識の中で無数のビジョンが脳内に注ぎ込まれた。

 

 星々の瞬き、人々の刹那の命の輝き、この世界の創造と破壊。そして、Aに始まり、Zに終わる宇宙の理。

 

 光の人影が自分へとそっと手を伸ばしている。

 

 エイジはその手を意識の中で取っていた。

 

 ――契約は成された。

 

 



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第七話 終焉の王

 Z02から命の残滓が消え失せたのを、エージェントKは感じ取っていた。

 

 何が起こったのか、それを判ずる前に、眼前の少年が立ち上がる。先ほどまで恐れに戦いていたとは思えない、押し殺したかのような笑い声が押さえた手の下の口から漏れていた。

 

「……なぁ、オイ。最高じゃねぇか。この土壇場で、こういうのと出会うってのはよォ。運命って言うんじゃねぇのか? テメェら人間の言葉で言うならな」

 

「……まさか」

 

『どうした? エージェントK。何が起こっている?』

 

 エージェントKは無線を切り、少年と相対する。

 

 胸の上で脈打つゲル状の物体が危険信号を伝えていた。

 

「……お前、まさかコアと……」

 

「どうした? 殺さないのか? 相手はガキ一匹だぜ?」

 

 エージェントKは唾を飲み下す。もし、自分の想定しているように事態が転がったのだとすれば、この相手は――。

 

「それとも、ようやく気づいたか? テメェらの尺度で、オレを止められるワケがねぇって事がな!」

 

 少年が面を上げる。髪が逆立ち、青い線が入っていた。明らかに先ほどまでの少年の相貌ではない。

 

 そう、これは――畏怖だ。

 

 感じ取ったエージェントKはケンホロウへと命じていた。

 

「エアスラッシュ! 頸動脈を裂けぇーッ!」

 

「――遅ぇ」

 

 少年がホルスターに留めていたボールを地面に転がす。直後に割れた内部から飛び出したのは茶褐色を持つ四つ足のポケモンであった。

 

 獣のポケモンがケンホロウへと飛びかかり、牙で翼を噛み千切る。

 

 血潮が舞い、一撃を許したケンホロウへと追撃の牙が背中へと迫った。

 

「空を飛ぶ、だ! 急上昇して間合いを詰めさせるな!」

 

 ケンホロウが上空へと瞬時に飛翔する。少年が舌打ちした。

 

「おいおい、逃げんなよ。楽しもうぜ。せっかくのポケモンバトル……いいや、殺し合いだろうが!」

 

 面影の消え失せた少年の高笑いにエージェントKは叫んでいた。

 

「ケンホロウ! 急速降下! ゴッドバードを併用してこの場所を塵芥に還す!」

 

 既に布石は打った。風のエネルギーを翼に充填し、黄金の燐光を宿したケンホロウが急降下する。

 

 その単純な物量エネルギーだけで、この一帯は燃え盛るはず。そう確信していたエージェントKは満月へと咆哮するイワンコを目にしていた。

 

 たちまち後ろ足が力強く大地を踏みしめる。前足をだらりと下げ、発達した鬣が前に垂れ下がる。茶褐色であった体色に赤い色彩が混じり、丸っこかった瞳が鋭角的な光を宿した。

 

 狩人の眼だ。

 

 赤い眼光が照り輝き、月下の獣が吼え立てる。

 

「ルガルガン、か。いいぜ、来いよ。ゴッドバードでもなんでもかまして来い。それでオレに勝てると、本気で思っているのならな」

 

 その余裕にエージェントKはたじろいだのも一瞬。直後には命令を下していた。

 

「……後悔する! ケンホロウ! ゴッドバードでこの空間を薙ぎ払えーッ!」

 

 舞い降りたエネルギーの瀑布が森を焦土に変えるかと思われた刹那、躍り上がったルガルガンが蹴りを見舞っていた。

 

 その一撃がケンホロウの頭蓋へと叩き込まれる。僅かながら、絶対的な技を放つのには致命的であったのは、ここでのケンホロウとの関係がジェネラルとポケモンではなく、あくまでキャプチャを施した一時的な関係性であった事だ。

 

 ルガルガンが砕いたのは他でもない、キャプチャの際に用いる脳のシナプス。それが最も強く作用するうなじであった。

 

 一撃を与えられたケンホロウの身体からエネルギーが急速に絶えていく。その隙を逃さず、ルガルガンが脚を大きく振るい上げていた。

 

 そのまま打ち下ろされた踵落としがケンホロウの背筋に突き刺さり、その身を地面へと叩きつける。

 

 舞い上がった砂塵の中、少年は口角を笑みに吊り上げていた。

 

 エージェントKはコントロールを失ったケンホロウが混乱状態に陥っているのを認識する。

 

「……しまった。ケンホロウのキャプチャを……!」

 

「手ぬるいんだよ。あんなオモチャでポケモンを縛り付けようなんざ。それにこいつは……いい性能を持っていやがる。ルガルガン、かましてやれ」

 

 ルガルガンが降り立つなり、地面へと拳を叩き込む。捲れ上がった岩石へとルガルガンが拳の応酬を浴びせていた。

 

 岩を砕き、一個一個が無数の刃となってケンホロウとエージェントKへと襲いかかる。彼は咄嗟に叫んでいた。

 

「ケンホロウ! 風の皮膜で防御を――」

 

「防御は無理だぜ? ルガルガンの特性を、オレの能力で〝暴いた〟。こいつの特性はノーガード、攻撃は必ず」

 

 刃の嵐がケンホロウへと殺到し、エージェントKの身体を突き破っていく。岩の剣は正確無比にエージェントKとケンホロウの命を啄んでいた。

 

「命中する。死ぬ前に分かっただろ? 何で連中がオレを躍起になって追うのか、をな」

 

 膝を折ったエージェントKへと少年が歩み寄っていく。抵抗するだけの体力も残されておらず、彼は力なく顔を上げていた。

 

 少年は喜悦に表情を滲ませ、エージェントKの胸元に手を伸ばす。

 

 瞬間、纏いついていたゲル状の物体が少年の腕を伝っていた。そのまま胸元へと吸収され、青い光が瞬く。

 

「……セル一個分か。まぁ、ねぇよりかはマシだな」

 

「お前は……何者なんだ……」

 

 先ほどまで脳内を満たしていた昂揚感は消え失せていた。代わりに死の足音が実感を持って近づいてくる。

 

 少年がこちらの前髪を掴み上げ、見開いた眼で見据えた。

 

「分かり切った事聞いてんじゃねぇぞ、クズが。オレはこの世界を終わらせるものだって、教えられたはずだろうが」

 

「お前、は……」

 

「ただ、冥途の土産に教えておいてやるよ。オレの最終目的を。オレの志すのはただ一つ。――世界征服。それがオレの、たった一つの望みだ」

 

 突き飛ばされた瞬間、牙を剥いたルガルガンがこちらへと飛びかかっていた。

 

 血潮が舞う中、少年は満月を睨む。

 

「……いい夜だ。覚醒にはもってこいの、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本部基地にもたらされた情報は大きく二つ。

 

 一つは放ったエージェントの反応がロストした事。そして、もう一つは――。

 

「……室長。Z02の反応が……」

 

「ああ、モニターしている。遂に……最後のジガルデに宿主が決まってしまった……」

 

 この事実の意味するところを、本部施設にいる人間ならば誰しも分かっているはずだ。サガラは拳を骨が浮くほどに握りしめる。

 

「……始まるのか。この世界を賭けた最大のゲームが」

 

 本部の大型投影装置にはスペードのスートが映し出されている。その青い瞬きをサガラは睨み上げていた。忌むべき敵、そしてこの世界を終わらせる「Zの導き手」。

 

「……Z02、追跡に当たっていた全人員に告げる。これより、Z02……正式名称、ジガルデの完全なる殲滅を命令する。これは決定事項だ。進めてはいけない、奴は、ポケモンにとっても人間にとっても……最大の敵となるだろう」

 

 その想定にただただ苦味を噛みしめるのみであった。

 

 



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第八話 屹立する現実

 ――エイジ。お前を連れていけないんだ。

 

 頭を撫でた父親の影に、エイジは言葉も返せなかった。何を言ったところで無駄。それがどこかで分かっていたからであろう。父親は自分とは違う。自分はいつまでも最底辺を彷徨うだけ。対して、父親はこのハジメタウンで医師の地位についていた。

 

 彼はあらゆる分野に精通し、名医とも呼ばれていた。その甲斐があってか、医療機関の集中するカントーの大病院より声がかかったのだ。

 

 誉れだと誰もが語った。大人達は父親の出世を喜んだ。

 

 だから自分のような小さな存在が、その栄誉ある道を阻んではいけない。幼い心にそう刻み付け、エイジは別れの日になっても文句の一つも言わなかった。

 

 きっと、もっと悲しんでよかったのだろう。もっとわがままを言ってもよかったのだろう。

 

 しかし、言えなかった。言えるものか。寝る間も惜しんで毎日、学術書を読み込み、急患があれば夜半であれ関係もなく診察していた父親の背中に、自分は偉大さや誇りよりも、畏怖を抱いていた。

 

 どうしてそこまで他人のために出来るのだろう。どうしてそこまで切り売って、自分の損得は無視出来るのだろう。

 

 最も近い存在でありながら、最も遠い。生き方としては縁遠い相手。それが十三年生きてきて、エイジの下した父親への評価であった。

 

 別段、嫌いであったわけでもなければ、親子の関係が悪かったわけでもない。ただ、巡り合せとして、その生き方には同調出来ない。

 

 それだけのシンプルな答えであった。

 

 だから、この町に置いていく、という判断は順当であったし、自分のようなお荷物は置いていくのが正答だろう。

 

 そこまで客観視出来ていたエイジはごねる事も、ましてや縋り付く事もせず、遠ざかっていく父親の背中に涙の一つも流さなかった。

 

 どうしてなのだろう、と何度も問い返す。

 

 何回、問いを重ねてもそれでも答えは出ない。分かりやすい解答は出てくれない。

 

 だって、父親の幸福を願うのならば、自分は要らないからだ。

 

 要らない、子供なのだ。

 

 その人生に、必要のない存在なら、何も干渉する必要はない。

 

 きっと、父親にとっての自分は、ちょっとした汚点であったのだろう。

 

 だから、目もくれないのは当然の事。当たり前で、そしてたわいない。

 

 だから、涙なんて必要ない。孤独なんて必要ない。誰かと馴れ合うのも、必要ないはずだ。

 

 だから、だから自分は――。

 

「こんなにもシンプルに、僕は要らないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の声に導かれるようにして、エイジは身を起こしていた。

 

 セーフハウスのベッドの上で目をこすり、そして先ほど身に起こった出来事が脳裏を駆け巡った。

 

 慌てて起き上がり、窓の外を眺める。

 

 どこにも、隕石の痕はない。何かが起こったような痕跡も。

 

「……夢だったのか」

 

(バァーカ。夢で堪るかよ)

 

 その声の主にエイジは振り返っていた。机の上でエイジの手記を眺めているのは漆黒の獣である。

 

 四つ足のその獣は白濁した眼窩でこちらを睨んでいた。

 

 声も出ず、エイジは腰を抜かす。

 

「……なっ……なっ……」

 

(臆病なガキだな。オレと契約したクセに一端の挨拶も出来ねぇのか)

 

 ふんと鼻を鳴らした相手にエイジは声を搾っていた。

 

「……お前は」

 

(しかし、助かったぜ、ガキ。テメェが契約しなかったら、オレはあそこで捕獲……いや、もっと悪い結末に転んでいたかもな。その点では感謝さえしている)

 

「……ポケモンなのか?」

 

(人間に見えるか? ま、どっちだっていいんだがな。オレは、どっちでも構わねぇし、テメェだってその通りだろ? 死なずに済んだ。儲けものの命だろうが)

 

 エイジは首筋をさする。先ほどの殺意にひりついていたのはやはり間違いではない。

 

 本当に殺されかけたのだ。その事実がどこか遊離している。

 

「……お前みたいなポケモン、見た事もない」

 

(そりゃ、そうだろ。こうしてテレパシーで話していても、テメェの驚き様はよく分かるさ。それに、何匹もいるポケモンじゃねぇんだ)

 

「……何者なんだ……」

 

(自己紹介がまだだったな。よっと……)

 

 四つ足のポケモンは机から降り立ち、白濁の眼球でこちらを見据える。しかし、真に見ているのは額のスペードマークのようであった。

 

 目に見える部分は恐らくただの器官。それに、スカーフのように首に巻きついた物体も、ただの装飾のような気がしていた。

 

 意味を持たない、ただの形状。どうしてそのような感触を持ったのか、エイジ自身にも分からなかった。

 

 ただ、この相手は今までのポケモンの常識では決してない。それだけは断言出来る。

 

(オレの種族名は、ジガルデ。まぁ、そう分類されている、ってだけだが)

 

「ジガルデ……? 聞いた事もない……」

 

(秩序ポケモン、って呼ばれているらしい。オレ達は、この世界に危機が及んだ時にのみ活動を許される特殊なポケモンなんだ)

 

「オレ……達?」

 

 複数形に疑問符を挟むと、相手は舌打ちした。

 

(ああ、そこからか。しょうがねぇな。ま、教えるよりもこっちが早い。ガキ、オレの額に触れろ)

 

 スペードの意匠を持つ額へと、エイジは恐る恐る手を伸ばしていた。触れた途端、四つ足の獣の形状が崩壊し、ゲル状の物体が無数に四散する。

 

 その光景にエイジは驚嘆していた。

 

(いちいち驚いてるんじゃねぇよ。説明が先だ)

 

 エイジの手の上にいる相手がそう告げる。

 

 掌大になった相手はまるで細胞核のような形状をしていた。目のように見える器官を片目だけ有しており、緑色の半透明な細胞の中に青い結晶が入っている。

 

 額にはその結晶の青を引き写したスペードの文様があった。

 

「……どういう……」

 

(これが、オレの真の姿……というか、大元だな。ジガルデという種族は特殊でね。本来ならばこの掌程度しかないこの姿が全てなんだが、普段はセルっていう殻を身に纏っている。まぁ、人間でいう衣服だとかそういうもんだと思えばいい)

 

 地面を這い進むセルと呼ばれたゲルにも目がついている。それどころか意思があるかのようにそこいらにばらけている。

 

「これ……生きているの?」

 

(どっちとも言えるな。コアであるオレがいないと、こいつらは生きちゃいねぇ。面倒だから纏めて説明するぜ。ジガルデコア、それがオレ達の大元だ。この分散した殻はジガルデセル。このセルってのは全部で94個、存在している。ただし、全部が全部オレのものってワケでもない)

 

「……ジガルデってポケモンは……たくさんいるの?」

 

 ジガルデコアは、まぁな、と告げる。

 

(全部で四体。コアは四つ存在する。それぞれにスートと呼ばれる属性があってな。オレの属性はスペード。他にいるのは、ダイヤ、ハート、クラブの三匹。だがそいつらとオレは決して相容れない。絶対に相手の存在を許容しちゃいけねぇんだ)

 

「どうして? 同じジガルデなんじゃ……」

 

 ジガルデコアは思案するように目を伏せた後、エイジの手から机の上に移動し、ペンを操った。

 

 ジガルデが日誌に書き付けたのは四角形を四つ切にした図である。

 

(オレ達は四体が四体、それぞれ別の個体だ。そして、それぞれ生まれた時から互いを潰し合うように設計されている。……誰に、とか聞くなよ? オレらにだってそれは分からねぇんだ。ただ、ハッキリしているのは、オレ達は四つの陣営に分かれ、それぞれ陣取り合戦をしている、という事)

 

「陣取り……合戦?」

 

(これは体感したほうが分かりやすいな。ガキ、オレに触れろ。そうすりゃ、イメージとしてテメェの脳内に叩き込める)

 

 エイジはジガルデコアに触れる。すると、今までセーフハウスにいた意識が剥離した。

 

 途端に意識の身体が宙を舞い、虚空を彷徨う。

 

 何もない暗礁の闇が茫漠と広がる中、エイジは必死に己を保とうとして、ジガルデコアに制された。

 

(落ち着けって。ここはイメージの世界だ。重力も何もかも思いのまま。話を続けるぜ。オレ達ジガルデコアはこの世とは異なる次元……位相空間にそれぞれの陣地を持っている。あれを見な)

 

 示された先にあったのはマス目である。100のマス目の四隅にそれぞれ色が宿り、いくつかは他のマスを侵攻していた。

 

(色のついたマスは既に相手に取られちまっている。簡単に言えば、四人でやるオセロさ。陣地をいち早く取らないと押し負けちまう。そしてその陣地の証が、さっき分離したセルだ。オレ達、ジガルデコアはセルを集めなければならない。それも他の三匹より多く、より早く、な。セルを纏っているのはそれもある。セルの数だけ、オレ達は姿を変えられる。……だが、今のオレにあるセルはたったの四つ。これじゃ、10%の姿が関の山だ。それも長く維持出来ねぇ。つまるところ、追い詰められるのは必定だった、って事だな)

 

 イメージの宇宙でエイジはどこまでも広がる闇を見据えていた。青白くぼやけた宇宙はしんと静まり返っている。

 

「……この陣取りが、僕らに何の関係があるって……」

 

(詳しい事は、オレも教えられていねぇ。ただ、全ての陣地を制圧し、そして94個のセルを吸収した時、オレ達ジガルデコアに〝何か〟が起こる。そして、その何かってのはどうやらテメェらの世界を脅かす何からしい。だからオレは追われる身だった)

 

 あの追っ手のポケモンレンジャーを思い返す。簡単に人殺しをしてしまえる瞳に今さらながら怖気が走った。

 

「陣取り合戦なんて……他所でやってよ……」

 

(そうもいかねぇんだ。このランセ地方じゃないと、意味がねぇんだと。ま、何でなのかは……)

 

「分からない、って……? そんなの無茶苦茶だ」

 

(そう、無茶苦茶だが、ルールはルールだ。その上で、オレとテメェは契約した。見ただろ? オレ達ジガルデの中に内包する宇宙を。追ってくる連中はゾーンとか呼んでいたな。そのゾーンが、飛び切り珍しいみたいでな。追ってくる酔狂なヤツらはゾーン内のエネルギーを欲しがっている。そして、ゾーンはオレ達、ジガルデのコアと、その宿主である契約者しか、基本的に接触は不可能だ)

 

「宿主……契約者?」

 

(そうだ。テメェとオレはもう、運命共同体ってワケさ)

 

 せせら笑った相手にエイジは拳を握りしめて抗議していた。

 

「冗談じゃない! そんな危ない事なんて、僕には出来ないよ!」

 

(おいおい……せっかく契約したんだぜ? 今さら危ないとか言っている場合かよ)

 

「……契約を、じゃあ破棄する。こんな大げさな事に付き合っていられない」

 

(いいが……テメェの胸元を見な。それでも契約を破棄出来るか?)

 

 エイジは左胸から左手首にかけて青いラインが走っているのを目にする。スペードのマークが手の甲に現れていた。

 

 辿っていくと、脈打つ心臓へと接続されている。

 

(オレの生命とテメェの心臓はもう同位体だ。オレが死ねば、テメェも死ぬ。逆も然り。言ったろ? 運命共同体だって)

 

 まさか、とエイジは絶句する。そのままよろめいて、空間が元に戻っていた。

 

 ベッドの上にエイジは腰を落とす。俯いていると、ジガルデコアはセルを取り込み、再び元の四つ足形態に戻っていた。

 

(ま、運がいいのか悪いのかはさておいて、このゲームからは簡単には降りられないと思うぜ? 何せ、一地方を巻き込んだ争奪戦だ。テメェの身勝手で降りるなんて、まぁ難しいだろうな)

 

「……じゃあ、他のコアにセルを渡せばいい。そうすれば、お前も僕も解放されるんじゃ……」

 

(そうもいかなくってね。敗北はつまり、死だ。取り込まれちまったら、もう何もない。死という結果だけさ。それにセルを無暗に譲渡するのはおススメしないぜ? オレは形状を保てなくなるし、それにテメェだって、貴重な戦力を手離す事になる)

 

「僕からしてみれば厄介者なだけだ」

 

(果たして、そうかな。ジガルデコアと契約した人間が安穏と暮らせるとは思わない事だな。……にしたって、テメェ、迂闊が過ぎるだろ。何で手持ちが一匹なんだ? 相性上で有利だったからいいものを、もし不利だったら死んでたぜ?)

 

 ハッと、エイジはモンスターボールを光に翳す。内部で手持ちが変化していた。

 

 後ろ足で立ち上がる屈強な獣のポケモンだ。垂れ下がった前髪の下で赤い眼窩がぎらついている。

 

「……まさか、ルガルガンに?」

 

(まさかも何もねぇよ。何でレベル水準は満たしているのに進化させてなかったんだ。宝の持ち腐れとはこの事だな)

 

「……お前……何をしてくれたんだ! イワンコだけは……進化させたくなかったのに……」

 

(テメェの都合なんて知るかよ。やらなきゃ今頃生きてねぇ。それとも、死んだほうがマシだったか?)

 

「……今となっちゃ、そうも思えるよ」

 

 そのような厄介ごとに巻き込まれているなど思いも寄らない。エイジは茶髪をかき上げ、天井を仰いでいた。

 

 何もかもが様変わりしてしまった。たったの一夜で。

 

 



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第九話 戦闘の予感

(……なぁ、ガキ。流儀は知らねぇが、イワンコだって進化したがっていたはずだぜ?)

 

「……お前に何がわかるんだよ」

 

(分かるさ。オレ達ジガルデにはそれぞれ固有の性質があってな。オレの性質は〝暴き〟。その対象が持っている潜在的な望みや指向性を暴く事が出来る。だからルガルガンになったのは、オレの暴きの性質が発揮されたからだ)

 

「……イワンコが心の底では望んでいたって?」

 

(少なくとも、イワンコのまま飼い殺しにするよりかはよかったはずだぜ)

 

 エイジは額に手をやる。確かにレベルを満たしているのに進化させなかったのはわざとだ。だが、それにも理由はある。

 

「……進化させるにしたって、ルガルガンは三つの姿がある。どの戦術を選ぶかによって、大きく変化するんだ。僕は……せめて真昼の姿に進化させるつもりだったのに……」

 

 ルガルガンの辿った進化は「まよなかのすがた」。大きく攻撃性能が上がる代わりに、平時から凶暴性が露になる扱いの難しい姿だ。

 

 ただでさえ、命中精度の悪い技の練習に励んでいたのに、これでは大きく路線変更を強いられる。

 

(……ふぅん。人間ってのはつまんねぇ事に気を遣うんだな。何に進化させたって、実際に使うのはテメェだろうが。なら、最大限の効力を引き出してやりゃいい。テメェの手記を読ませてもらったぜ。この地方じゃ、ポケモントレーナーじゃなく、ポケモンジェネラルって呼ぶらしいじゃねぇか)

 

「……そうだよ。だから何」

 

(ジェネラルって言葉には、智将って意味もある。悔やんでばかりいねぇで、そいつの最適を模索するのが、ジェネラルの仕事じゃねぇのか?)

 

 分かった風な口を利く。エイジは相手にするのも馬鹿馬鹿しいと感じていた。

 

「……お前には分からないよ。ポケモンジェネラルってのは、どういう意味なのかって事は……」

 

(いずれにせよ、連中はオレを逃がす気はないだろうさ。ガキ、ここで腐っていたってしょうがねぇ。町に出て情報を集める。オレもとっととこの身体には慣れたいところだ)

 

「この身体って、お前はずっとその形態のはずじゃ……」

 

(ああ、言ってなかったな)

 

 瞬間、ジガルデがコアへと変異し、自分へと飛びかかる。直後にはエイジの意識は内側に潜っていた。

 

 自分を中空から眺めている感覚に狼狽している間に、自分自身であるはずの身体が動く。

 

「コアと契約した人間の人格ってのは、こうやって簡単にジャック出来ちまうんだよ。だから慣れるのはオレのセルの肉体じゃなく、人間の肉体の動かし方だな」

 

 自分の喉を震わせた自分以外の声に、エイジは困惑する。その間にも自分にしか見えない相手が立ち上がっていた。

 

 髪の毛が逆立ち、横顔に青いラインが走っている。眼光は鋭く、まさしく自分以外の姿であった。

 

「……にしたって、つまんねぇ見た目してんな、テメェ。もっと腕に何か巻くとかしろよ。せっかくの人間の躯体なのに、もったいないだろ」

 

(お前……! ……僕の声のほうが、内側に?)

 

「ああ、そういう事。オレの人格が優先される。まぁ、多少のやりづらさはあるから、元の姿には何度か戻るだろうがよ。それでもまずは慣れだ。ちょっと身体を借りるぜ」

 

(待てよ! お前、僕の姿で身勝手に……!)

 

 セーフハウスを出ようとする自分自身にエイジは抗議していた。相手は喧しそうに耳をほじる。

 

「うるせぇなぁ……。完全に人格を乗っ取っていないだけマシだと思ってもらいたいくらいだってのに。契約したんだ。テメェの人格を消し去っても、別に構わないんだぜ?」

 

 まさか、そこまで出来るのか。押し黙ったこちらにジガルデコアは言いやる。

 

「安心しろって。ちょっと下界を覗きたいだけなんだからよ。今の今まで追われてばっかりでまともに人間の暮らしなんて見た事もねぇんだ。ちょっとだよ、ちょっと」

 

(……本当に、ちょっとなんだろうな)

 

「疑い深いヤツだな。そんなにまずいのか? 寝ている間に何が起ころうと知った事じゃねぇだろ? それと同じだよ」

 

 話を聞く限りではこのジガルデコアは悪意で動いているようではない。ただ、何か窺い知れないものを内包しているのは自分でも分かった。

 

(……その陣取り合戦って言うの、他のお前みたいなジガルデもいるって事だよな? もし、襲われたら……)

 

「あー、その心配はしばらく必要ないだろうぜ。コアは基本的に動かないんだ。出歩いて襲撃されたんじゃ元も子もねぇ。だから他の連中はうまく身を隠してるんだろ。オレみたいに宿主の中に入ってな」

 

 つまり他のジガルデコアも宿主を見つけ、こうして人間のふりを装っているというのか。

 

 エイジは考えるだけで恐ろしいと思えた。見た目は人間そのものでも、中身が、考え方が人間とは異なる何かがこの地方で跳梁跋扈している。

 

 そんな現状を、何もせずに看過しろというのか。

 

(……本当にコアは不用意にそこいらにはいないんだろうな?)

 

「うるせぇな。いねぇよ。いたら分かる。オレもジガルデコアだ。何かしら察するものくらいはあるだろうさ」

 

(……僕の身体で勝手な事だけはしないでくれよ)

 

「了解、っと。人間ってのは面倒だな。いちいち梯子かよ、ビビりめ。こんなの飛び降りりゃいいだろうが」

 

 エイジの身体がセーフハウスより跳躍し、地面を踏みしめる。感覚はないはずだが、意識の中にいるエイジは激痛を覚えていた。

 

(痛っつ――!)

 

「ンなワケねぇだろ。痛くもかゆくもねぇ」

 

(僕の身体だぞ!)

 

「オレの身体でもある。セルは纏っているからな。まぁ、たったの四つだ。気休めレベルさ」

 

 歩み出したジガルデコアは周囲を見渡して口笛を吹く。ポケモン達には平時の自分ではないのだと分かるのだろうか。どこか余所余所しく立ち去っていく。

 

「この森は生態系だけは一級だな。テメェの観察日誌を読んだぜ。これだけポケモンがいりゃ、駒の確保には苦労しなさそうだ」

 

(駒って……)

 

「言ったろ。陣取り合戦だって。それなのに、ルガルガンだけじゃ頼りねぇ。使えるっちゃ使えるんだがな。あの体躯と身のこなしなら、市街戦や混戦状態、それにタイマンならお手の物だが、相手がいちいち真正面から来るワケねぇ。搦め手も上等だと思っておくしかねぇだろ」

 

(それは……お前が戦わないって事なのか? お前の都合じゃないか)

 

 言いやったエイジにジガルデコアは鼻を鳴らす。

 

「勘違いすんな。オレは、他のポケモンとは違う。テメェの身体を使って、手持ちを使役する。それが一番に効率的だ。ハッキリさせておくぜ。オレは、絶対にポケモンとして、テメェを助ける事はねぇ。絶対にだ」

 

 何がそこまで言わせるのか分からなかったが、エイジはうろたえつつも認めるしかなかった。

 

「ン? 何だ、あいつら」

 

 ジガルデコアが見据えた先にいたのは森の出口で待ち構えていたクラスメイト達であった。彼らは瞬時に自分を取り囲む。

 

「……何の真似だ」

 

「昨日の隕石みたいなの、お前なら近くで見ていたんだろ、最底辺。森に入る。その前に、お前はのしておかないとな!」

 

 全員がホルスターに手をかける。その様子をジガルデコアはつまらなさそうに眺めていた。

 

「……五人か。にしたって、このガキ相手に随分と粋ってるじゃねぇの。こいつ、そんなに気に入らねぇのか?」

 

(ジガルデ! 面倒事に取り合う事はないんだ。今は譲って――)

 

「冗談。ガキ五人程度にかけずらってオレの目的が達成出来るかよ」

 

(目的……?)

 

「ああ、聞いていなかったな。そういや。オレの目的は……」

 

「ぶつくさ何言ってんだ! 今にぶっ潰すぞ!」

 

 凄んだクラスメイトにジガルデコアは嘆息をつく。

 

「弱ぇヤツほどよく吼える。それはどこの世でも同じみたいだな。ガキ。テメェのルガルガン、どれだけ強ぇか、いっぺん見てみろ。それなりだぜ?」

 

「やっちまえ!」

 

 全員がポケモンを繰り出そうとする。その時には、ジガルデコアはモンスターボールを踏みしだいていた。

 

 緊急射出ボタンが押され、飛び出したルガルガンが赤い眼光を滾らせる。その勢いを殺さず、まずは背後の三人の手を爪で裂き、躍り上がったルガルガンが掌に掴んでいた石粒をまるで弾丸のように親指で弾いていた。

 

 石粒が跳ねてもう二人の手にあったボールを叩き落させる。

 

 ほんの一瞬、瞬きの一つにも満たない時間で、ルガルガンとジガルデコアは四人を無力化した。

 

 その事実に呆然としていたのは内側にいるエイジとクラスメイトであった。

 

「……な、何を……」

 

「取り巻きってのはどういう立ち位置でもつまんねぇな。五人纏めて一気に来るなら勝算はあったのにてんでバラバラだ。これじゃ、狙ってくれって言っているようなもんだぜ?」

 

 挑発したジガルデコアにクラスメイトは逆上し、その手にあるモンスターボールの緊急射出ボタンを押し込んでいた。

 

「やれ! ゴローニャ!」

 

 飛び出したゴローニャが威嚇するのを、ジガルデコアは醒めた目つきで見やる。

 

「ゴローニャか。つまんねぇガキってのはつまんねぇポケモン持ってるんだな」

 

「お前……! 最底辺のクセに生意気な! いつもよりむかつくぜ!」

 

「そいつは結構。オレも随分と苛立っているんでね。バカにしてんのか? 悠長にお喋りなんざ」

 

 回り込んで横合いより、ルガルガンが爪を軋らせる。まさかいきなり攻撃が来るとは思っていなかったのか、クラスメイトもゴローニャも反応が一拍遅れていた。

 

 その一瞬をジガルデコアは見過ごさない。ゴローニャの懐に入り、その腹部へと蹴りを浴びせていた。

 

 一発が入るや否や、嚆矢として眉間に拳が撃ち込まれる。それだけに留まらず、攻撃の応酬はゴローニャの巨体をその場から後ずさらせていた。

 

「な、何でだ……? 相手は所詮、一進化だぞ!」

 

「分かってねぇのか、マヌケ。ゴローニャも主人に似て図体だけがでけぇでくの坊だな。攻撃への対応速度、それだけじゃない。撃ち込まれた一撃に対しての対処反応、そして緊急時の応対速度、技の反射も、視覚の情報網も……、全て遅ぇ」

 

 言い捨てたジガルデコアの言葉に呼応して、ルガルガンが大きく腕を振るい上げる。一撃がゴローニャの額へとめり込んでいた。

 

(……まさか、こんなに簡単に……)

 

 エイジも驚きを隠せない。よろめいたゴローニャにルガルガンが身を翻す。地に突っ伏した相手は戦闘不能であった。あまりの出来事に思考が追いついていないのか、クラスメイトも絶句している。

 

 ジガルデコアはエイジの身体を操り、茫然自失の相手へと歩み寄って襟首をひねり上げた。

 

「おい、ガキ。テメェ、オレの邪魔するんなら、これ以上って事になるが、死にたいみたいだな」

 

 その声音にクラスメイトが悲鳴を上げて逃げ去っていく。取り巻き達もそれに続いて駆けていった。

 

(なんて事を……。彼らは被害者だぞ!)

 

「うっせぇ。邪魔するヤツはぶちのめす。それがオレだ。それに、ちょうどよかっただろ? ルガルガンはあの程度の輩ならぶっ潰せる。それが出来るってだけ証明してやったんだ」

 

(……でも怖がらせる事なんてなかったはずだ)

 

 言い返した抗弁にジガルデコアは冷笑を浴びせる。

 

「テメェ、自分の事なのにいやに冷静なんだな。あのままじゃ、ぶちのめされていたのはこっちだろ? 正当防衛ってヤツ、知らねぇのか」

 

(……目立たないようにしていたんだ。それをお前が!)

 

「あー、うっせぇ、うっせぇ。どっちだっていいだろ。オレが楽しみなのは人間共の暮らしってヤツ。戻れ、ルガルガン」

 

 赤い粒子となって戻ったルガルガンには目もくれず、ジガルデコアは自分の身体で歩き回る。その瞳が一点を捉えていた。

 

「おっ、何だあれ。おい、ガキ。ありゃ何だ?」

 

(ガレット屋さんの事を言っているのか? 露天商だよ。知らないのか?)

 

「人間の姿で出歩くのは結構久しぶりでね。ああいう文化があるのか。殺して奪っちまえばいいのか?」

 

 モンスターボールに手を伸ばしかけたジガルデコアを、エイジは必死に制した。

 

(馬鹿! お金で買うんだよ! 殺すなんて……乱暴過ぎる!)

 

 その答えにジガルデコアは舌打ちする。

 

「ンだよ、つまんねぇな。何円だ?」

 

「おっ、エイジ君じゃないか。何それ、イメチェン? 髪上げたんだ」

 

「うっせぇぞ、オヤジ。ガレットくれ、一個」

 

 明らかにこちらの様子がおかしいのにも関わらず、ガレット屋の男性は快く応じていた。

 

「おじさんも若い頃はヤンチャしたからねぇ。男ってのは一晩で生まれ変われるもんさ! エイジ君も分かってくれたみたいで嬉しいよ。今までリッカちゃんの背中に隠れておどおどしていたもんね!」

 

「オヤジ、うぜぇからさっさと渡せよ」

 

「はい。二百円」

 

「二百円……? おい、ガキ。財布ってもんがねぇぞ?」

 

(あー! セーフハウスに置いてきてしまったんだ! じゃあ諦めて……)

 

「オヤジ、今はねぇんだ。貸しにしといてくれ」

 

 普段の自分ではあり得ない態度だったが、相手は頷いていた。

 

「いいねぇ、エイジ君。ワイルドって奴なのかな? いやー、小心者のエイジ君がここまではっちゃけられるとは! いいよ、まけてあげよう!」

 

 相手は自分が何かの拍子にこういう性格になったのだと思い込んでいるようであった。ジガルデコアはガレットを引っ手繰り、乱暴に頬張る。

 

「うめぇな、これ。味覚ってもんを自覚したのは……数えてねぇな。何千年ぶりか?」

 

「うーん! 何て言うんだろうね、こういうの! 中二病って言うのかな? いいよー、青少年の成長ってのはこうでなくっちゃ!」

 

「オヤジ、うっせぇ。でもこいつはうめぇから殺さずにおいてやる」

 

 失言にも相手はどこか満足げだ。エイジは内側でぼやいていた。

 

(……後で謝らなくっちゃ……。にしても、何千年って、それは大げさなんじゃないのか?)

 

「いや、そうでもねぇんだな、これが。オレらには食事ってのが要らなくてよ。ついでに言うのなら他の機能も何もかもだ。代謝だとか、そういうのもねぇし内臓もないから消化もしねぇ。ま、色々と無駄なもんを削ぎ落とさないと生きていけねぇ、不便な生き物なんだよ。しかしマジにうめぇ。オヤジ、才能あるぜ」

 

 サムズアップを寄越したジガルデコアは近場の噴水施設のベンチに座り込む。胡坐を掻いて座る様子は絶対に他人には見せられないだろう。

 

(……何でお前はそうなんだよ……)

 

「にしたって、平和だな、人間ってのは。このランセ地方で追い詰められていたのが嘘みたいだ。これならさっさと契約者を探したほうが楽だったか?」

 

 ジガルデコアは空を仰ぎ見る。青空を横切っていくマメパトの群れにいちいち大仰に反応した。

 

「うまそうだな、あれも」

 

(食べられないし、食べるなってば……。あー! もう! 指をしゃぶるな! 情けないだろ)

 

「だってまだうめぇのがついてるんだもん。仕方ねぇだろ。だが、この感じなら追っ手の心配は薄そうだな。ずっとテメェに成り代わってりゃ、やり過ごせそうだ」

 

(ずっとなんて悪夢だよ……)

 

「半分は冗談さ。オレもここで終わるつもりはねぇし、それに他のコアが嫌でもオレを追いかけてくる。連中だってバカじゃねぇ。オレの位置情報の捕捉くらいはわけないはずだ」

 

(待ってくれ。じゃあまだ追われる身だって言うのか?)

 

「そう言ってるだろうが。だから駒が要るんだよ。ルガルガンだけじゃ心許ねぇ。戦いにはまずは数だ。頭数を揃えないと勝負にすらならねぇ。それくらいは分かるだろ」

 

(でも……昨日のそういえばレンジャーは? どうしたんだ?)

 

「ああ、あの人間なら……。おい、待て。ざわつく」

 

 不意に周囲へと目線を配るジガルデコアにエイジはうろたえていた。

 

(ざわつく? 何が?)

 

「……テメェには伝わらねぇか。近くにセルの宿主がいる。追っ手かもしれねぇ」

 

(どういう事だよ。戦うのはジガルデコア同士だけじゃないのか?)

 

「ああ、厳密には違っていて……。まぁいい。説明ってのはどうにも性に合わねぇからな。行くぞ、ガキ。ルガルガンだけでも、まぁ自衛になればいいだろ」

 

(ちょっ……どういう事なんだ!)

 

 問い返したその時には自分の身体は駆け出していた。ハジメタウンの町並みを抜け、人垣が集まっている場所を見据える。

 

(何だろう……)

 

「おい、何があった?」

 

「ああ、エイジ君。どうしたの、髪型……、それに目つきもなんだか……」

 

 呼びかけた大人へとジガルデコアは詰問する。

 

「ンな事はいい。あの建物の中……」

 

「ああ。……銀行強盗らしい。何でも、人質を囲っているとか。危ないから下がったほうがいいかもね……ってエイジ君!」

 

 封鎖線を抜けていた自分の身体にエイジは内側で平謝りした。

 

(ああっ! すいません! 何をして……!)

 

「セルだ」

 

 応じた声にエイジは尋ね返す。

 

(……それってゲル状の? あれが何を……)

 

「セルにも意思がある。ま、細切れにされた身体の一部みたいなもんだから、残りカスだがよ。元になったスートのジガルデの性質を反映している。昨日のレンジャーだってそうだ。あいつはオレの〝暴き〟の性質を色濃く出していた。殺意が強く出ていたのはそのせいなんだが……有り体に言うとオレのスートのセルはその人間の本性を暴く。だから破壊衝動を抑えている人間なんかに宿った日にぁ……」

 

 その帰結する先を予見し、エイジは内側で息を呑んだ。

 

(まさか……! セルにもそんな性質が?)

 

「ああ、それにセルは同じスートのコアに引き付け合う。オレがここにいるから、同じスートがどこかから出てきたって寸法だろうさ」

 

 



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第十話 エイジとダムド

(そんな……! じゃあここから離れなくっちゃ……)

 

「いや、その判断は逆だぜ」

 

 思わぬ返答にエイジはうろたえてしまう。

 

(何で……! セルが来るって言うのならお前がいなければ……)

 

「バカ野郎。この状況を見ろよ」

 

 口角を吊り上げたジガルデコアは周囲を見渡す。強盗事件に端を発したのか、ハジメタウン中の人間が固唾を呑んで見守っている。

 

「……人間ってのはバカに出来てやがる。一匹が凶行に駆られりゃ、そいつを見に野次馬が数十人規模……。もし、こいつら全員にセルが宿れば……。考えるだけで笑えてくるぜ。一気にオレの占有するセルの陣地はデカくなる。ここは何もせず、連中にセルが勝手に宿っていい餌になってくれるのを待つんだ。賢い方法ってのはそういう事さ。どうせ、一匹ごとの戦闘力なんてこんな場末の町だ、高が知れてやがる。こういうの人間の言葉じゃ、一挙両得とか言うんだったか? それとも一攫千金か? まぁ、どっちでもいい。待っているだけでセルが来るなんてオレは出だしからツイてる」

 

 思わぬ答えにエイジは言い返していた。そのような事を許せばハジメタウンの人間は他ならぬ自分の手で皆殺しにされてしまう。

 

 先ほどの五人組の末路が脳裏に浮かんだ。ジガルデコアは容赦を知らない。きっと、全員から巻き上げられるだけ巻き上げるだろう。

 

 相手が死のうと構わずに。

 

(やめろ! そんな事はさせない!)

 

「させない、だぁ? だったらどうするよ? いずれにしたって、人は死ぬんだぜ? 中の強盗の様子は分からないが、オレのスートが憑いているんだ。凶暴性は折り紙つきだろうぜ」

 

 ジガルデコアに取り憑かれた自分自身がまるで制御が利かないのだ。その言葉は自然と説得力を帯びていた。

 

 だが、とエイジは頭を振る。こんなところで、何もせずにいるしかないのか。みんながジガルデの身勝手な理由で死ぬのを是とするのか。

 

 その時、声が響き渡った。

 

「リッカちゃんが……! エイジ君、あの中にリッカちゃんがいるの!」

 

 先生の声に警官達が抑え込む。エイジは内側で震撼していた。

 

(リッカが……?)

 

「リッカ? 何だ、それ。つまんねぇ事、言ってんじゃ――」

 

 その言葉が阻まれる。地面に転がっていた鋭いコンクリート片を手が掴み、自らの首筋にあてがっていたからだろう。ジガルデコアは沈黙を挟む。

 

「……オレの支配を」

 

(ジガルデコア、これは取引だ。僕の身体くらいなら、いくらでも貸す。貸してやる。その代わり、これは絶対だ。絶対に、なんだ! 僕の前で人殺しだけはさせない! それは僕の中の絶対だ!)

 

 ジガルデコアは首筋に向けられた石を反対側の手で退けようとするが、エイジは退かなかった。絶対に、ここでは屈しない。その思いが身体を支配するジガルデコアの神経を上書きしている。

 

「……右手だけの抵抗で何が出来る」

 

(じゃあ逆に聞くが、このまま右手で首を掻っ切ってもいい。そうすると困るのは誰だ? 僕の命とお前の命は等価なんだろ?)

 

「……こんなつまらねぇ問答で死ぬ気か?」

 

(お前にとってはつまらなくっても僕にとっては絶対なんだ)

 

 退かない、退くものか、という意思が伝わったのか。それとも時間を弄するだけだと判断したのか、ジガルデコアは舌打ちしていた。

 

「……契約者をこんなに早く死なせるとまた連中に追われる身だ。オレの現状のセルはたったの四個。ここで死ぬとそれもおしゃかになる。いいぜ、聞いてやるよ。ただし、取引って言ったな? 本当にこの身体、オレの好きに使うぜ? テメェの言う通りに事が進むのは今回だけだ」

 

 その言葉に嘘偽りはないとエイジは感じ、右手からコンクリート片を手離す。ジガルデコアは鼻を鳴らしていた。

 

「……で、どっちにしたってオレはチャンスをふいにするつもりはねぇ。銀行強盗のセルはいただく」

 

(それは僕も同意だ。暴きの性質なんて、野放しには出来ない)

 

 少なくとも被害が今以上に拡大する前に、自分一人でも対処すべきだろう。エイジは考えを巡らせる。

 

 その間にもジガルデコアは前に進んでいた。止めに入った警官をジガルデコアは人間の膂力とは思えない力で引き剥がす。自分の両腕にセルが宿り、筋肉を何倍にも引き上げていた。

 

 吹き飛ばされた大人達が呆然とこちらを目にしている。エイジは言葉を失っていた。

 

「……セルを手に入れるには強盗とやり合わなきゃいけねぇ。ガキ、視力を拡張する。中の様子を見てみろ」

 

 不意に視野が何倍にも拡大される。これもセルの力なのか、とエイジは圧倒されつつ映った視界の中に氷ポケモンを引き連れている強盗を発見していた。人質は全員、下を向いて座らされている。

 

(あれは……バイバニラか……。氷タイプのポケモンだ。イッシュで目撃例が最初にあって、二進化ポケモンで……)

 

「余計な情報はいい。氷単一か? それとも複合か?」

 

 エイジは脳内にバイバニラの情報を呼び起こす。何度も父親が家に遺していったポケモン図鑑を読み漁った。現状のポケモン図鑑に掲載されている情報のままならば、とエイジは口にする。

 

(氷単一……。でもレベル50は超えているはず。技構成までは分からない。でも一つだけはハッキリしている)

 

「何だ? 言ってみろ」

 

(特性だ。バイバニラの特性は三つある。そのうちの一つ、雪降らしなら今頃銀行の中に雪が少しでも積もっているはず。だったら、特性は残り二つのうち、どっちか……)

 

「ゆきふらし」の特性個体ならばあられが発生し、バイバニラの周囲を覆っているはずだ。それなのに、バイバニラの体表からは冷気は発生しているものの、あられは見られない。

 

「……へぇ。テメェ、ポケモン博士か?」

 

(……ただの図鑑オタクだよ。でも、危険だ。バイバニラの特殊攻撃力は高い。直撃を受ければ――)

 

 そこまで口にしてジガルデコアは駆け出していた。思わぬ行動にエイジは狼狽する。

 

(何をやってるんだ! 強盗の眼がこっちに……)

 

「それでいいんだよ。オレだけに注目させていりゃ、足元までは見えづらいだろ?」

 

 エイジは靴裏が何かを踏んだのを遅れて認識する。足蹴にしたのは、紛れもなく――。

 

(……だとしても、撃たれるぞ!)

 

「おい、そこのガキ! 何近づいてきてやがる! バイバニラ、ぶっ潰せ! 冷凍――」

 

「撃たれる前に、先手が起動する。三秒だ」

 

 駆け出してからちょうど三秒。突然に別移動を始めたもう一つの標的に強盗は困惑する。

 

「ルガルガンだと……いつの間に出してやがった……」

 

 まともな繰り出し方ではない。転がしたボールを踏みつけて強制起動させ、そのタイムロスを計算に入れて相手の視線を釘付けにした。

 

 当然、バイバニラは標的を決めかねている。この一瞬の迷いを無駄にするジガルデコアではない。

 

「ルガルガン! 地面を抉り飛ばせ! ストーン――エッジ!」

 

(ストーンエッジは命中しない! この距離でも……)

 

 今までの自分の経験則だ。ここぞという時に「ストーンエッジ」は決まってこなかった。

 

 だが、ジガルデコアは諦めた様子はない。

 

「いや、命中するぜ。ルガルガンを信じろよ」

 

(信じる……)

 

 久しく感じていなかったものだ。ポケモンを信じ、自分の腕を信じる事。当たり前でありながら、自分には最も縁遠いのだと思っていた。

 

 ルガルガンが地面を叩き、浮かび上がった岩石へと拳の応酬を見舞っていた。砕けた岩石が散弾となり、バイバニラへと殺到する。

 

 しかし、何の手も打たないバイバニラと強盗ではない。

 

 突然に大気の温度が下がり、氷点下の冷気がバイバニラの体表より浮かんで突風を編み出した。否、ただの辻風ではない、これは……。

 

(吹雪、だ! 凍結して死んでしまう!)

 

 この距離では避けようもない。相手の凍結攻撃に晒されるかに思われた瞬間、「ふぶき」の皮膜が岩石の弾丸を弾き上げていた。

 

 そのうち一つの鋭い岩石が天井を破る。直後、発生したのは水滴であった。

 

 噴射した水の勢いに強盗が天を仰ぐ。

 

「スプリンクラーを……」

 

「起動させた。弾かれるくらいは想定内だ。銀行内部にはスプリンクラー発生装置がある。そんでもって、テメェは今、吹雪でバイバニラの体表温度を冷え切らせた。冷えた氷に水をかければ、どうなるのか」

 

 バイバニラの表皮に亀裂が走る。凍結連動能力が低下し、放たれた冷気に乱れが生じた。

 

(まさか、これを狙って? 最初から、強盗に攻撃を焦らせるために、走って……)

 

 相手に攻撃の一手が急かされれば急かされるほどに、こちらの一撃への布石が打たれる。バイバニラが氷の凍結調整に時間をかけたのはほんの数刻だ。しかしその数刻が命運を分けていた。

 

 ルガルガンが跳躍する。その手にはいくつかの岩石が握り締められていた。

 

 バイバニラが照準を定め、中空のルガルガンを睨む。

 

「野郎……冷凍、ビーム!」

 

(危ない! ルガルガンが狙い撃ちにされるぞ!)

 

「ンな事は分かってんだよ。だがまだスプリンクラーは有効なはずだ。ルガルガンの身体にも、水はかかっている。岩石の身体から生じる僅かな体温の蒸気化……気流の乱れが発生し、精密な気流制御を必要とする冷凍ビームはこの時……」

 

 ルガルガンはわざと水を浴びていた。ルガルガン本体にも無論、体温は存在する。生じた水蒸気が「れいとうビーム」の精密照準を屈折させ、肩口に突き刺さるはずだったその光条はその僅かな差により、逸れていた。

 

 同時にバイバニラの額へと岩の岩石が叩き込まれる。亀裂が走り、バイバニラが仰向けに倒れていた。

 

「なっ……俺のバイバニラが……」

 

「甘ぇんだよ。何もかも。さて、手は潰した。ルガルガン!」

 

 着地したルガルガンが疾駆し、強盗を突き飛ばす。それで王手であった。戦力を失った相手にルガルガンが赤い眼光をぎらつかせて睥睨する。

 

 完全に手は尽きたのか、強盗は項垂れていた。その首筋へとルガルガンが手刀を見舞う。

 

 昏倒した相手にエイジが声を発していた。

 

(何を……!)

 

「意識があるとうまくセルを剥がせねぇ。眠ってもらったほうが手早い」

 

 歩み寄ったジガルデコアが人質へと視線を投げる。その瞬間には、ジガルデコアは身体から分離していた。

 

 漆黒の獣に変貌したジガルデコアがエイジの身体から占有権を手離す。いきなり身体感覚が戻ってエイジは狼狽した。

 

「……どうして」

 

(セルを吸収するのに人間の身体のままじゃ都合が悪い。それだけだ)

 

 しかし、きっとそれだけではないはずだ。人質相手に自分ではうまく宥められないと判断したのだろう。エイジは自然と口にしていた。

 

「……ありがとう」

 

(礼なんて言われる筋合いはねぇ。とっととその、リッカだが何だか知らねぇのを助けてこい)

 

「でも、僕一人ではここまで出来なかった」

 

(オレはセルを取りに来ただけだ。他の事はどうだっていい)

 

 そう冷たく切り捨てるジガルデコアだが、エイジはこの相手がただ冷酷なだけではないのではないかと感じ始めていた。

 

「……ジガルデコア、僕は……」

 

(ダムド、だ)

 

「……何だって?」

 

(オレの個体名だよ。いつまでもジガルデコアじゃややこしい。オレはスペードのジガルデ、ダムド。覚えておけ、ガキ)

 

「僕もガキって名前じゃないよ。エイジだ」

 

(そうか。じゃあエイジ、オレはセルを見つける。人質にはうまい事言っておけよ)

 

 エイジは目線を下げている人質達へと駆け寄っていた。その中にいるリッカを見つけ出す。

 

「みんな! もう大丈夫です! 強盗はその……僕が倒しました!」

 

 他に説明の方法がなくそう言うと、人質達は信じられないように目線を交わし合う。

 

「エイジ君が……? ジェネラルレベルは2のはず……」

 

「エイジ、あんた本当なの?」

 

 不安げにこちらへと視線をやったリッカにエイジは強く頷いていた。

 

「うん。僕が……やったんだ」

 

 ダムドの力を借りたとはいえ、それでも自分のような人間でも誰かのために戦う事が出来た。それがきっと一番の躍進だろう。

 

 リッカがよろよろと立ち上がり、こちらへと歩み出しかけて躓く。その身体をエイジは支えていた。

 

「大丈夫?」

 

 リッカは咄嗟に顔を背ける。

 

「……平気。それよりも本当に? だって強盗は……」

 

「あそこでのびてるよ。いいから、ここを離れよう。みんなに無事だって言わないと」

 

 リッカは困惑しながらもようやく事態を把握したようであった。共に歩みを進めようとして、ダムドの声が脳内に残響する。

 

(おい、エイジ。変だ。セルがねぇ)

 

「……どういう意味だ?」

 

「エイジ?」

 

 怪訝そうにこちらを見やるリッカに、エイジは手を払う。

 

 駆け寄ってきたダムドを目にしてリッカは驚嘆していた。

 

「何それ……。エイジのポケモン?」

 

「ええと……その……。何て言えばいいのかな……」

 

 愛想笑いを浮かべようとして、後頭部を掻こうとしたその手が――リッカの首筋をひねり上げていた。

 

「え、エイジ……? 何を……」

 

 自分でも分からない。当惑したエイジの脳内にダムドの声が響く。

 

(……迂闊だったぜ。セルはもう剥がれていやがった。そのメスガキの身体に、引っ付いていやがる。そいつを新しい宿主に決めたか……)

 

「ダムド? 何を……一体何を僕にさせているんだ!」

 

(セルが宿主を決めちまったら剥がす方法は一つだけだ。殺して奪う)

 

 冷酷なその宣言にエイジは目を戦慄かせる。リッカが苦しげに呻いた。

 

「エイ……ジ……」

 

「やめろ! やめさせてくれ! ダムド! 僕の手でリッカを殺させるなんて……!」

 

(忘れんな。テメェは契約した。オレの野望のためにな)

 

「野望……」

 

(言っていなかったな。オレの野望は世界征服。全ての民と全ての存在を手中に置く。それは人間だって例外じゃねぇ)

 

 手の力が強まっていく。リッカは当惑の眼差しでこちらを見やっていた。潤んだ瞳から涙が伝い落ちる。

 

 まさか、こんなところで自分は過ちを犯すのか? こんな、最悪の形で。

 

「ダムド! お前は僕に――」

 

 その瞬間であった。

 

 視界に大写しになった巨体の男が自分の身体を突き飛ばす。一撃が肺に食い込んだのか、エイジは何度もむせ返った。

 

 解放されたリッカを無視して男がこちらを睨み上げる。その双眸には迷いのない殺意が見て取れた。

 

「……本部へ。どちらが宿主なのかは不明だが、二人発見。どうする?」

 

『どうもこうもない。どちらかは確実に宿主だ』

 

 冷たい通信先の声が耳朶を打つ。男がリッカへと一瞥を向けた。エイジは咄嗟に声にする。

 

「やめ――!」

 

「少年のほうを優先して確保する。少女のほうではないと、判断した」

 

 男が繰り出したのは前に張り出した触手が腕のように小さな本体を支える水色のポケモンであった。触手の内側、殻のようになった内部より鋭い眼光が覗く。

 

「ドヒドイデ、先制する。毒突き」

 

 触手の一撃が食い込み、エイジの身体へと突き刺さる。激痛が生じた直後には意識が靄にかかったかのように薄らいでいた。

 

(エイジ! ルガルガン!)

 

 ダムドの思惟の声にルガルガンが反応して跳躍する。そのまま一撃が叩き込まれようとしてドヒドイデと呼ばれたポケモンは四肢節足を固めて防御陣を張った。

 

「トーチカ」

 

 ルガルガンの岩の弾丸を防御し、さらに返すように放たれたのは触手の一手であった。ルガルガンの懐へと潜り込み、一撃がその身を突き飛ばす。

 

「ルガ、ルガン……」

 

 消えかかった意識の中でエイジは手を伸ばす。男はスーツの襟元を正していた。

 

「Z02の宿主。その身柄、貰い受ける」

 

 その言葉が意識の表層を撫で、霧散していった。

 

 



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第十一話 決断

 ようやく何が起こったのか、解した時には一人の見上げるばかりの大男がエイジを抱えていた。それを止めるだけの状況判断もない。

 

 リッカは転がっていく状況にただただ翻弄されていた。

 

「……エイジ」

 

 今、自分の首を絞めたのはエイジの意思なのだろうか。それとも、と思案していると不意に脳内に声が響き渡った。

 

(……ヘタこきやがって、あの野郎が。しかしオレが出て行っても今のあの大男には勝てねぇ。それは確かだ)

 

 思わぬ声にリッカは周囲を見渡す。困惑の脳内に相手の声が残響する。

 

(ここだ、ここ。あの姿のままじゃ、気配が強いからな。咄嗟にコアとセルを分離して、テメェの身体に張り付いた)

 

 リッカは自分の腕にゲル状の物体がしがみついているのを発見する。ひっと短い悲鳴を上げて引き剥がそうとするのを声が制していた。

 

(やめろって! ……ったく、助けたってのに熱烈な歓迎だな、オイ)

 

「助けた? あんたは何……?」

 

(細かい事を説明する時間はねぇ。だが、助かったのはテメェにセルが取り憑いているのを、あの大男は関知しなかった事だ。オレのスートのセルならエイジほどじゃねぇが、手助けは出来る)

 

「エイジ……。そう、エイジは……? 何であんな……」

 

 首筋をさすると声が応じる。

 

(さっきのはオレの意思だ。エイジのじゃねぇ。安心しろ……って言うのもメンドくせぇな。ったく、人間ってのはつくづく非合理だ)

 

 語りかけるこの対象にリッカは不信感を持っていた。

 

「……あんたは、何者なの?」

 

(追々分かるさ。オレのセルを持っているのならな。いずれにしたって、エイジは連れ去られた。それだけは確かだろ)

 

「エイジ……。そう、エイジは……!」

 

 周囲を見渡すがあの大男は影も形もない。それどころか野次馬と警察が雪崩れ込んできていて個人の判別は困難であった。

 

(……逃がしちまったが、契約した相手の居場所くらいならば分かる。どうだ? メスガキ。エイジを助けたいんならオレに手を貸せ。そうすりゃ、ちっとはマシな事態になるだろうがよ)

 

「……エイジは何で連れ去られたの? セルとかコアとか……あんたは……」

 

(今は、シンプルに決めろ。エイジを助けたいのか、そうじゃねぇのか)

 

 突きつけられた二択にリッカは逡巡を浮かべたのも一瞬、力強く頷いていた。

 

「……エイジは、あたしが助ける」

 

 こちらの決意に相手は鼻を鳴らす。

 

(思い切りがいいのは嫌いじゃねぇぜ。メスガキ。こっちにも借りはある。エイジを助け出すぞ。オレ達だけでな)

 

 それは酷く無謀なようで、それでいて眩く輝く希望のようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確保が完了したか。分かった。すぐに向かう」

 

 サガラは報告を受け、司令室の拡大モニターを視界に入れていた。

 

 森の中でシグナルが消失したポケモンレンジャーの末路がそこに映し出されている。

 

 ――頭部を砕かれ、完全に息絶えている。

 

 これほどの残虐行為に及べるのが自分達の敵であった。しかし手に落ちたというのならばそれに越した事はない。

 

『執行部権限で持っている。上がすぐに通せって言うだろうが、一時的な跳ね退けが可能だ。どうする?』

 

「どうするもこうするもない。私が直々に会う」

 

 それが最適解のはずだろう。オオナギもそれは分かっていたらしい。通信の向こうで相手は微笑んだようであった。

 

『真面目腐ってもいい事はないかもしれないが』

 

「真面目不真面目の話ではない。これは誠意だ」

 

 その言葉の嘘くささに相手が嘲笑する。

 

『誠意、か。お前らしいよ。この少年……執行部の人間がこれから送る。まだコアの宿主なのかどうかの確認は取れていないそうだが、どうする?』

 

「確認はすぐに済む。分かるはずだ、私には」

 

 サガラは手の甲に視線を落とす。

 

 そこに火傷のように刻み込まれた意匠はスペードの文様であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第一章 了

 



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第二章 生存調停
第十二話 虚飾の上で


 漂っている感覚にエイジは手を伸ばす。

 

 眩く煌めく水面が天上に広がっており、自分は深海へと沈みつつあるのが窺えた。思えばこっちのほうが随分と現実めいている。

 

 非現実――ジガルデコアの闘争に巻き込まれて自分がダムドと名乗るそれと契約した――そんな事実よりもよっぽどだ。

 

 自分は弱い、最底辺のまま彷徨い続けるだけだろう。ハジメタウンを出る事も叶わない。恐らくは一生、地の底に近い場所に根を張るように。

 

 そういうのがお似合いなのだ。だから、自分には世界を変えるだけの力もなければ、それ相応の知恵も存在しない。

 

 分かっていたはずだ。何もかも諦観の向こう側に置いてきたはずなのに。

 

 脳裏に浮かぶのはジガルデコア――ダムドの声であった。

 

 確信に満ちた声音、自信に満ち溢れた行動。厚顔無恥でありながら、勇気に溢れたその洞察力。どれをとっても自分とは正反対で、あんなものが自分の身体を支配していたなど悪い夢に等しい。

 

 そう、これはきっと、悪い夢。

 

 だから醒めればお終い。醒めれば終わる。

 

 醒めてくれ、と願ったエイジはいつかの父親の背中を網膜の裏に描いていた。

 

 ――父さん。僕は要らない子供なの?

 

 連れて行けないと、そう判断したのは役立たずだからなのか。それとも、重石になるのだと早々に理解したからだろうか。

 

 いずれにせよ、賢い選択だ。

 

 そうと分かっているのならば置いていけばいい。そうだと明確な理由があるのならば、自分なんて連れて行く意味はない。

 

 それでも、とエイジは奥歯を噛みしめていた。

 

「……でも、僕にも何か……大きなものになれるかも、しれなかったじゃないか」

 

 いつにない、恨めしい言葉に夢の皮膜は剥がれ落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界に大写しになったのは無数の円弧を描く機械である。それらが自分の身体へと様々な光線を浴びせ、解析しているのが分かった。

 

 エイジは仰向けになったまま固定されている。自傷防止のためか、猿ぐつわが噛まされていた。

 

 手首を動かそうとしてそれさえも自由ではないのを感じ取る。

 

 呼吸をつくと近くの機械に鼓動と脈拍が克明に映し出されていた。

 

 まるで観察されているかのようだ。思わぬ空間にエイジはもがこうとして、声に遮られていた。

 

『動かないほうがいい。君に手出しをするつもりはないのだから』

 

 大人の男性の声にエイジは硬直する。

 

『ただし、ちょっと身体検査をしてもらう。君があれと契約したというのならばね』

 

 あれ、と濁されたのがジガルデコアなのだとエイジは瞬時に理解する。それと同時に、夢の境界から自分は醒めたのだと感じ取っていた。

 

 夢ならばどれほどによかっただろうか。エイジは項垂れる。

 

『検査の後、私のところに来てもらう。君には色々と聞かなければならない。我々も、出来るだけ協力したいと思っている』

 

 協力、という胡散臭い言葉にエイジは一瞥を投げかけて、近づいてきたレンズに阻まれていた。レンズが眼窩へと押し付けられ、そのままシャッターが切られる。何を精査しているのか分からないまま、エイジは実験動物の気分を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「室長。Z02の宿主と見られるサンプル14に、妙な変動値は見られません」

 

 その報告にサガラは採取したデータを子細に分析していた。サンプル14――あの少年の体内を探ったがどこにもセルもなければコアもない。

 

 しかし、契約のパスは確認出来る、とサガラは彼の手の甲にあるスペードの文様を睨んでいた。

 

「Z02はギリギリのところで逃げ切った、か」

 

 苦々しく呟くと司令室より声がもたらされる。

 

「実際、Z02による影響はほとんどありません。……奇妙なほどです。セルに寄生されたのならば脳神経のシナプスに何らかのフィードバックはあるはずなのに、その痕跡もない。加えてコアによる人格破壊なら、もう彼は廃人です。ですが、依然として人格が存在している」

 

「Z02のやり方にしては手ぬるい……それが結論だな」

 

 嘆息をついたサガラは情報同期された端末が鳴ったのを聞いていた。

 

「失礼。……何だ?」

 

『よう、どうだ? ジガルデコアと契約を果たした少年Aは』

 

 茶化したオオナギにサガラは頭を振る。

 

「そういう言い草は……いや、そういうものか」

 

『今まで煮え湯を呑まされてきた相手にようやく肉薄出来たんだ。喜んでいいはずだろ?』

 

「そうでもない。検査結果はまだ正確には出ていないが、今のところサンプル14に、契約による人格破壊や寄生された事による脳細胞の変異は見られない、という」

 

 その結論に通話先の相手は疑念を挟んだ。

 

『……そいつは……変じゃないか? だって、Z03の時は……』

 

「同じと思うな、なのかもしれないな。ジガルデ同士でもこうも差があるのか。あるいは、Z02が何か……彼に対して肩入れしているか」

 

『肩入れ? Z02が? そいつはあり得ないだろ。奴は追跡する人間をことごとく……』

 

「そう、排除してきた。だから人間的感情なんてものは存在しないのだと、我々は断定してきたのだが……」

 

 ここに来て仮説が覆されると、それはそれできついものがある。サガラは前髪をかき上げ、ぼやいていた。

 

「……これまでのデータ通りの相手ならば、まだやり易かったのだが……どうにも違う。Z02はまだ我々には窺い知れない何かなのかもしれない」

 

『でも、あの強盗犯は確かにセルの痕跡があったって聞いたが』

 

「耳聡いな。まぁ、その通りなのだが」

 

 少年とは別の実験施設に収容されている強盗犯は既に解析済みだ。そちらのデータを参照すると「破壊衝動を誘発された」という調査結果がある。

 

 今まで通り、セルによる寄生暴走事件。それもこれも、自分達が手を焼いてきたのと同じような案件だ。

 

「サンプルが同じ条件で、違う結果を示している。どちらを決定打にするのかは上が決めるだろう」

 

『どっちにしたって、Z02を捕獲するって方針からは変わらないんだろ? だったら契約者を餌にするのが……』

 

「最も効率的、だがそれも分かっていて、私は彼の身柄を引き取っている。勘繰りが過ぎると嫌われるぞ」

 

『へいへい。じゃあ執行部はせいぜい、守りに徹しさせていただきますよっと。言っておくが、あの腕利きを斡旋したのは俺なんだぜ?』

 

 腕利き、と脳内で繰り返しつつサガラは時計型端末に表示された執行部の大男を参照していた。

 

「ザイレム執行部所属……クジラ、か。妙な名前だな」

 

『コードネームって呼んでやれ。本人は気に入っているらしい』

 

 読めない相手ばかりだ、とサガラは鼻を鳴らす。

 

「有するポケモンはドヒドイデ。……暗殺者か」

 

『元、だよ。その経歴に関しちゃ、俺も上も不問に付している。ま、強ければ何でもいいってのが本音だな』

 

 元暗殺者に自分達の手駒を任せるのもなかなかにリスキーだ。サガラは壁に体重を預け、天井を仰いでいた。

 

 蛍光灯が淡く輝いている。この地下施設では唯一とも言える光源。これがなければ、自分達は穴倉にこもるモグラに等しい。

 

『だが、Z02に至るだけの証拠は手に入った。いい事じゃないか』

 

「……いつ不都合だと言った?」

 

『言葉振りがそう言ってるよ。実際のところでは契約者を探す前に確保するのが正解だったんだろ? 契約済みとなっちゃ』

 

「なに、サンプル12がその点では好例だ。ジガルデコアとの契約に際しては、彼女の経歴が分かりやすい」

 

『トゥエルヴ、か。あの子はまだ?』

 

「……まだ、実戦にはほど遠いだろう。上が囲っている」

 

『連中、実際のところはジガルデのもたらすゾーンの叡智が欲しいだけだろ? そのために女子供でも利用する、か』

 

「組織の中で陰口は叩くものじゃない。いつ悟られるか分からんぞ」

 

『ご心配なく。今のは秘匿回線に設定しておいた』

 

 そういうところはちゃっかりしているな、とサガラはフッと笑みを浮かべる。

 

「私は一度戻る。彼に関して、まだ調べなくてはいけない事が山ほどあるのでな」

 

『その前に、聞いておくぜ。もし、Z02に対して、少年Aが友好的な価値観を築いていたとすれば? お前はどうする?』

 

「何だ、その仮説は。笑えないぞ」

 

『笑い話にするつもりはないさ。これはマジの奴』

 

 笑い話にするつもりがないのならば、こちらの決定は既に覆らない。

 

「言っておく。そんな事はあり得ない。そしてもし、彼がZ02に対して温情のようなものを感じているのならば、それは最大限に利用する。そういうものだ」

 

 そう、そうするのだと自分は決めたのだから。

 

 



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第十三話 二人の策

 

「Z02?」

 

 問い返したリッカにセーフハウスで見据えた相手は首肯していた。

 

 黒い獣の姿を取っており、四つ足のポケモンに近いのだが、気配はまるでポケモンのそれではない。

 

 どちらかと言えば人間――それもただの人間ではない。別種の存在に思えていた。

 

(まぁ、そう呼ばれているって話だ。オレはどうにも嫌われているみたいでね)

 

 リッカはエイジの書き付けた日誌を捲っていた。エイジの日誌は昨日で止まっている。それは自分達の間柄に亀裂が走ってから時間が止まっている事の象徴のようでもあった。

 

「エイジ……大丈夫なの?」

 

(こればっかりは分からねぇな。オレはエイジの居場所は掴めても、何をされているのかは死にでもしない限り不明なままだ)

 

「死にでもって……! 縁起でもない事言わないでよ!」

 

 大声に相手は白濁した瞳で首を引っ込める。

 

(悪いだとか殊勝な事は考えてないぜ。だってオレと契約したのはあいつの意思なんだからな)

 

「その、契約ってのも分かんない。あんた達、何なの? ジガルデコアだとか、セルだとか……」

 

 説明はされた。リッカは自分の胸元に取り憑いているジェル状の物体を感じ取る。これがジガルデセルらしい。コアに隷属する存在。そして、いずれは自分の物になる、と相手は告げていた。

 

(……分かんねぇか。ま、それも仕方ねぇな。テメェはゾーンを経験してねぇ。だから、エイジに比べりゃ説明しても実感は出来ないだろうさ)

 

「……あたしだけ鈍いみたいな言い草はしないでよ。エイジを巻き込んだのはあんたでしょ」

 

(巻き込んだ……ねぇ。別段否定する気もねぇが、エイジだってオレに突きつけたんだ。だからこれもお互い様さ)

 

「四つのコアと、セル94個の争奪戦……。そんなの、信じろってほうが……」

 

 どうかしている。リッカは二つに結った髪を揺らし、天井を仰いだ。木目調のセーフハウスはいつも通りなのに、その主であるエイジだけがいない。

 

(いずれにしたって、今のままじゃ敵に攻め込むのに力が足りてねぇ。無謀もいいところだ。だからオレはテメェをここに誘導した。この森はポケモンの生態系が豊かだ。新しい力が手に入るとすればここだろうからな)

 

「力って……。あたしももちろん、エイジは助けたい。でも相手の規模も何もかも不明だって言うんじゃ……」

 

 打つ手はない。そこまで考えてから、相手は返答していた。

 

(……言っておくと、そこまで不可能でもねぇぞ? オレの条件に合うポケモンさえいりゃあな)

 

「……考えがあるって言うの?」

 

 相手はベッドから飛び降り、床を練り歩いて机の上にある日誌を顎でしゃくった。

 

(エイジの日誌はそれなりに当てになる。この森に棲んでいる、強ぇポケモンの記述くらいはあるんじゃねぇのか? そいつを捕まえればいい)

 

「……ポケモンが一体増えたところで、出来るの?」

 

(逆に言わせれば一匹でいい。あんまりたくさん雁首揃えたって対策を練られちまうだけだ)

 

 どうにも相手の自信がどこから発せられるのか分からない。リッカは、あーもう! と叫んでいた。

 

「……言っておくけれど、あたしの実力はそんなにあんたの思っているほどじゃないかもしれないわよ?」

 

 その言葉に相手は応じる。

 

(期待してもいねぇよ、メスガキ。エイジみたいに図鑑オタクだって言うんなら、まだやりようはある。日誌の中にある凶暴なポケモンを探せ。出来るだけ出力の高いヤツがいい)

 

 リッカは日誌を捲る。そのような都合のいいポケモン、と視線を走らせて、一つの記述に行き着いた。

 

「……治療不可能なポケモン?」

 

 いくつも付箋が貼られたそのページにはハジメタウンの森に潜むポケモンに関しての継続日誌があった。

 

(ほう……。願ったり叶ったりなヤツがあるじゃねぇの。エイジはこういうのに詳しかったんだな。あいつは何だ? ポケモンの医者なのか?)

 

 過去に切り込んでくる相手にリッカは苦々しい顔をする。

 

「……あんたに教える義理はないでしょ」

 

(……ま、どっちでもいい。この治療不可っての、つまりはそれだけ強いって事だろ? なら決定だ。こいつを捕まえて戦力にする)

 

 セーフハウスを出ようとする相手にリッカは慌てて日誌を手に追いかけていた。

 

「ちょっと! まだ対策も練れていないのに……!」

 

(ガン突き合わせて考えたって時間が惜しいだけだ。それに、捕まえれば何にも脅威じゃねぇ。メスガキ。ボールくらいは持ってるんだろ?)

 

 リッカはポーチの中にあるブランクのモンスターボールを数える。残り十個であった。

 

「あるけれど……簡単に考えないで。エイジが難しいって判断したのなら相当なはずよ」

 

(構えなさんな。どんだけ凶暴だからって不可能なんてねぇよ。今までだってそういうのはよく見てきたクチだぜ?)

 

 返答にリッカは嘆息をついていた。

 

「楽観的なんだか悲観的なんだか……。あたしのフローゼルで勝てなかったらどうするの?」

 

(こっちにはルガルガンもいる。テメェの手持ちが弱かろうがオレが何とかすればいい)

 

 前を歩み進む相手にリッカはとことん呆れていた。

 

「……あんた、本当に何なの? ポケモンがポケモンを駒みたいに言うのなんて、あたし知らないわよ?」

 

(そいつぁ小さい世界で生きてきたんだな。案外、ポケモンなんざ、そういうもんだ。期待したってそんなに高尚な世界で生きちゃいねぇんだよ)

 

 リッカはページを開く。日誌に書かれた場所は現在地から北東部に位置する洞窟であった。

 

「……洞窟の奥にいるみたい。エイジはそのポケモンに少量の餌だけを渡して、自然治癒に任せたって書いてある」

 

(そのポケモンの名前は? まさか名前が書いてねぇのか?)

 

 リッカはページを隅々まで見やるが、どこにも詳細な情報は書かれていなかった。

 

「……おっかしいわね……。何で名前も書いてないんだろ……」

 

(エイジの立場なら、もしかするとそのポケモンを他人に捕まえられるのがまずいって思っていたのかもな。だからもし日誌が泥棒に盗られてもそれ以上の情報が広がらないように対処していた)

 

「……分かった風な事を言うじゃない」

 

 自分だってエイジがこの森でどこまでの救助作業を行っていたのかは把握していないのだ。一昨日のゴーゴートだって、エイジはどう考えてもイワンコでは対処し切れない相手であった。それでも果敢に治療に励もうとしたエイジが「治療不可」と判断を下した。それだけでも警戒に値するべきだろう。

 

(メスガキ。テメェはエイジの何だ?)

 

「何って……幼馴染よ。あとメスガキって言うな」

 

(……そんな立場であいつもよく命張って助ける気になったな。強盗がそこまで強くなかったとはいえ、死んでも別段文句は言えないレベルではあったんだぜ? なのにエイジは逃げるなんて選択肢を取らなかった。そうさせるだけの何かがあるんだと、オレは勝手に勘繰っていたんだが……。いざ助け出したのは弱っちいメスガキ一匹ってのは笑えねぇな)

 

「だからメスガキって言わないでってば! 大体、あんたエイジの何を知っているって言うの? さっきから偉そうだけれど」

 

 相手は足を止める。何か、考え込んでいるようであった。

 

「……何? 聞いちゃいけない事を聞いた?」

 

(……いや、そういう点ではオレも妙だ。契約者なんざ、掃いて捨てるようなもんだと思い込んでいたんだが……どうしてだ? 何でここまでオレも必死にならなきゃいけねぇ。確かにエイジが嬲り殺されれば、オレの命も危うい。だがそんなもん、知った事じゃねぇし、大体、捕まったあいつが悪いはずなんだ。だって言うのに……何かモヤモヤするんだよ……。気分悪ぃ)

 

 相手の言葉振りにリッカはどこか驚嘆していた。その考え方や感じ方はどこか、人間くさい。

 

 しかし相手はどう見ても人間ではない。四つ足の獣形態もそうならばその正体である細胞膜のようなあの姿。どれをどう取っても人間の要素はないというのに。

 

「……あんたもあたしも、面倒な奴を助け出そうとしているって事じゃないの」

 

(言うじゃねぇか、メスガキ。だが、それに関しちゃ同意かもな。……ったく、安易に契約なんかしちまったばかりに、オレの行動範囲も限られちまう。セルが少な過ぎてゾーンに逃げるのも出来ねぇし……)

 

「……着いたわ。ここよ」

 

 洞窟は湿っぽく、大穴から空気の流れが感じられる。どうやら穴は一本道らしい。明かりはまるで差していなかった。光源がないと進むのも厳しそうだ。

 

「……光がないわね」

 

(オレは進めるが、テメェはどうする? 人間ってのは視覚に頼り切っているからこういう時にどうしようもねぇな)

 

 むっと、リッカは顔をしかめる。

 

「……悪いわね。人間には知恵があるのよ。行け、フローゼル!」

 

 繰り出したフローゼルが水飛沫を散らせて全身の毛を逆立たせる。すっと指を翳すと、水の塊が形成され、そこに太陽光線を取り込んだ。

 

 疑似的な光源が確保された光景に相手は鼻を鳴らす。

 

(フローゼル、か。水の球体の中に氷をいくつか混ぜて光を乱反射させやがったな。その氷を水の中で一定量保てば確保した光は逃げねぇって寸法か)

 

 まさか一瞬で看破されるとは思ってもみない。リッカは目を瞠り、改めて問い返す。

 

「……あんた何者? 本当にそこいらのポケモンなの?」

 

(言ってるだろうが。オレをポケモン扱いするんじゃねぇ。それに、そこいらのポケモンとはワケが違う。ま、どっちにしたって足手纏いにならないでくれよ。オレは進むぜ)

 

 歩みを進めた相手にリッカは慌てて追いすがる。

 

「待ちなさいって! あんただけで勝てないでしょ」

 

(どうかな。案外、エイジも気弱だからよ。本当に大した事のねぇポケモンを危険だとか言ったのかもしれねぇし、そこんところは分からないもんだ)

 

「……エイジを馬鹿にしないで。あんたとは違うんだから」

 

(オレとは違う、か。その通りだろうが、どっちにせよオレは……)

 

 そこで相手は言葉を区切る。胡乱そうに眺めていると、声がかかった。

 

(止まれ。これ以上は……まずい)

 

「何よ。あんたのほうがビビってるじゃない」

 

 リッカは構わず前に進む。ここまで馬鹿にされてきたのだ、自分が前に進まないでどうする。そのような感情を相手は知ってか知らずか、声を荒らげていた。

 

(聞こえねぇのか、メスガキ!)

 

「だーかーら、メスガキじゃないって。あたしにはリッカって言う名前が――」

 

 そこまで口にしたその時、ジガルデコアは飛びかかっていた。牙を軋らせ、ジガルデコアが自分の首根っこを引っかける。

 

 思わぬ膂力に洞窟の壁へと身体を叩きつけられる。背中に広がった鈍痛にリッカは抗弁を発していた。

 

「何すんのよ! あんたってば、本当に……」

 

(伏せろ!)

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、空間を満たしていたのは黄金の瀑布であった。

 



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第十四話 殲滅戦線Ⅰ

 光軸が洞窟を激震し、壁に張り付いていた虫ポケモンが一掃される。

 

 それほどの威力が放たれた事を実感出来ず、リッカは固まっていた。ジガルデコアが叫ぶ。

 

(メスガキ! ここはヤバいぞ! 洞窟なんかで戦ったら不利だ! 逃げに徹する!)

 

「ばっ……馬鹿! 何言ってんのよ! あんたが戦力の確保がどうのこうのって……」

 

(まだ分かんねぇのか! そういうレベルのポケモンじゃねぇ!)

 

「どういう……」

 

 その瞬間、風切り声が響き渡る。甲高い咆哮が洞窟の最奥より発せられていた。

 

「……何、今の……」

 

 聞いた事もないようなポケモンの声だ。ジガルデコアは警戒心を走らせ、舌打ちする。

 

(……完全にオレ達を敵と見なしやがったな。逃げるぞ!)

 

「じょ……っ、冗談じゃないわよ! ここまで来て逃げられるもんですか! フローゼルで捕まえにかかる!」

 

 こちらの決意に相手は苦々しげに呟く。

 

(……本音なら好きにしろ、ここで死ねって言いたいところだが……逃がす気はねぇみたいだ。来るぞ!)

 

 洞窟の奥から現れたのは翼を広げた翼竜のポケモンであった。灰色の体色にごつごつとした漆黒の棘を無数に持っている。

 

 甲高く吼え、こちらを睨むなり、その双眸が青白く発光した。途端、口腔部にオレンジ色の光芒が充填されていく。

 

(野郎……! こんな洞窟で破壊光線を撃つつもりか……!)

 

 リッカは完全に茫然自失の状態であった。見た事のないポケモンに射竦められた形である。

 

(おい! メスガキ! ……殺気に中てられて動けねぇのか)

 

 その通りであった。フローゼルも恐れに戦き、水の光源を維持するので精一杯の様子である。

 

 口を開こうとして、喉が酷く渇いている事に気づく。高密度のプレッシャーに晒された皮膚がひりついていた。

 

 何も言葉を出せない。何も動けない。何も出来ないまま――死ぬ。眼前に突きつけられた選択にジガルデコアが前に出ていた。

 

(……ったく、ポケモンとしては当てにすんなって言ってんのに。仕方ねぇ!)

 

 ジガルデコアの体表が波打つ。スカーフのように首に巻き付いた細胞から赤く変色し、額にあるスペードの文様が輝いていた。

 

 瞬間、ジガルデコアの身体から引き出されたのは無数の矢である。空間を満たすかのように弓矢が番えられ、迫る不明ポケモンを狙い澄ました。

 

(サウザン――アロー!)

 

 幾千の矢が敵ポケモンへと降り注ぐ。吼え立てた翼竜が直後に光条を放出していた。

 

 ジガルデコアが飛び退り、セルを分離する。

 

 ジェル状のセルがそれぞれ意思を持ち、フローゼルと自分を洞窟の外に向けて移動させていた。

 

 首筋に咬みついた形のジガルデセルに誘導されてリッカはようやく我を取り戻す。

 

「……今、の……」

 

(しくったぜ、クソッ! ここで使うつもりなんてなかったんだが……)

 

 口に出した途端の悪態に返す前に洞窟内を炎が満たしていた。煉獄に落とされた洞窟が照り輝き、出口で炎熱が燻る。

 

 リッカとフローゼルは突き飛ばされるように洞窟から脱出を果たしていた。

 

 まだ呼吸が荒い。それでも、生きている。その実感だけが確かであった。

 

「あの……ポケモンは……」

 

 授業で習った事がある。遥か太古に滅びた化石ポケモンがいたと。そのポケモンの一覧の中にあれに近い個体がいた。

 

 ――その名称をプテラ。化石ポケモン、プテラである。

 

 ジガルデコアは再びセルを取り戻し、四つ足の獣に戻った。身体をぶくぶくと沸騰させ、その直後、まるで風船が弾けたようにジガルデコアが脱力する。

 

 リッカは覚えず駆け寄っていた。

 

「ちょ、ちょっと! あんたどうしたのよ!」

 

(……使うつもりのない技を使ったからな。代償がデカい。サウザンアローは万全の時に使うんなら何でもねぇんだが、今のオレは10%程度のセルしか持ってねぇ。当然、反動があるってワケだ)

 

「あんた、そんな事一言も……」

 

(言ったら解決すんのかよ。そうじゃねぇだろうが。こっちだって必死なんだよ。……ったく、オレも焼きが回ったもんだ。人間なんざ、助けるもんでもねぇな)

 

 ジガルデコアはこの場から動けそうにない。リッカは逡巡を浮かべた後、ハッと胸元に宿るセルを意識した。

 

 もし、エイジがこのジガルデコアを身体に宿していたのなら、同じ事が――。

 

 その考えが明瞭な像を結ぶ前に、甲高い鳴き声が木霊する。森に住まう鳥ポケモンが一斉に羽ばたき、獣のポケモンまでもが逃げ出したのが伝わった。

 

「倒したんじゃないの?」

 

(あんなもん、気休めだ。倒すのは難しいだろうな。だが、分かった事がいくつか……)

 

 立ち上がりかけてジガルデコアは何度も失敗する。身体を維持するだけのセルが足りてないのだ。

 

 こちらが手間取っている間にもあのプテラにしか見えないポケモンは追撃してくるだろう。ジガルデコアに言わせれば、もう狙われている、と。

 

 ならば、迷う事なんてない。

 

「……あんた、人間に寄生出来るのよね?」

 

(あン? まぁ、そうだが、緊急時以外は人間になんざ寄生したくも……。って、テメェ、まさか……)

 

 息を呑んだ相手にリッカは首肯して手を伸ばす。

 

「あたしに寄生しなさい。そうしないとあんた、ここでプテラに食い殺されちゃうんじゃないの?」

 

(バカ言ってんじゃねぇ。メスガキに寄生して何の旨味があるって言うんだ)

 

「それでも、生き永らえるためにでしょ? あたし達はここで死ねない」

 

 その決意だけが確かな輝きを持つ。ジガルデコアは逡巡の沈黙を挟んだ後、問い返す。

 

(……言っておくが、セルの相手にコアが寄生するなんてやった事がねぇ。もし、反動でテメェの人格が消えても、オレを恨むなよ)

 

 人格が消える。その言葉に揺り動かされるものがあったが、今のリッカを突き動かすのはそんな些細な迷いではない。

 

 今は、エイジを助け出すために、最短ルートを行く。そのためならば、一時の命の危機くらい惜しくはない。

 

「……構わないわ。やりなさい」

 

 あまりにも突拍子もないのだと思われたのだろう。ジガルデコアは再度、思案の声を出す。

 

(……だが、消えちまった人格は戻る保証なんて――)

 

「グダグダ男らしくない事言ってんじゃないわよ! とっととあたしに全投げしなさい! このスカタン!」

 

 叫んだ刹那、ジガルデコアのスペードの文様が照り輝く。その藍色の光が視界を埋め尽くした途端、意識は無辺の彼方へと誘われていた。

 

 リッカの身体が静止する。

 

 全ての生態活動が、血液循環や脳のシナプスでさえも、何もかもが消え失せる。その消失点の向こう側にリッカの極大化した意識は銀河の果てを目にしていた。

 

 累乗の先、人々の命の瞬き。そして星々の流浪の旅の果て。命が生まれいずるところ――それ即ち「Z」の理。

 

 世界の闇を引き裂いて、四つの欠片が解き放たれ、青白くぼやける宇宙にマス目を敷く。灰色の盤面を俯瞰するのは自分の意思か、それともジガルデコアの意思か。

 

 いずれにせよ、ここでリッカは消え失せる運命の途上にある自分の魂の残滓を目にしていた。

 

 一目で分かる。ここはヒトの来る場所ではない。ヒトの到達出来る領域を遥かに超えている。

 

 ここに辿り着くのには幾千年、幾億年、気の遠くなるような時間の概念の向こう。

 

 その果ての果てから、彼らはやってきた。到達し、解き放たれた。この物質世界の、まだ涅槃には遠く辿り着けない、この常世に。

 

 ――何のために?

 

 問い返したその時、自分の唇が答えを紡いでいた。

 

「――さぁな。オレもそれは分からねぇんだ。分かれば、こんな回り道はしねぇさ」

 



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第十五話 殲滅戦線Ⅱ

 

 洞窟内部より、プテラが鍾乳洞を砕いて現れる。岩石の鎧を身に纏ったかのようなその壮観なる姿に、自然と笑みがこぼれていた。

 

「へぇ……よくよく見りゃ、ちぃとは分かるな。エイジがさじを投げるワケだぜ。こいつは遺伝子に欠陥がある」

 

 自分の喉を震わせる全く異質なる声の主にリッカは内側より問うていた。

 

(どうするの?)

 

「落ち着いているんだな。今、テメェの肉体をオレがジャックしているんだぜ?」

 

(合意の上だもの。倒せるんでしょうね?)

 

「勘違いすんな。倒すなんて勿体ない真似するかよ」

 

 自分の身体が立ち上がり、頬についた煤を拭っていた。直後にはその下に喜悦の笑みが宿る。

 

「――捕まえて戦力にする。千載一遇のチャンスってヤツだ」

 

(異論はないけれど、あんなもの……)

 

 言葉を濁したのはプテラの放つ圧倒的な威容であった。通常のポケモンの理が通用するのはさえも不明。しかしジガルデコアは言い放つ。

 

「なに、こっちには手駒が二つある。どこで聞いてもこの通りのはずさ。一より二のほうがデカいってな! 行けよ、ルガルガン!」

 

 投擲したボールが弾け、ルガルガンが解き放たれる。瞬間的に間合いを詰めたルガルガンが跳躍し、プテラの上を取っていた。

 

「ドたまの上からぶっ潰される、その気分はどうよ! ルガルガン、ストーン――」

 

 その手が携えていたはずの岩石の散弾は、しかしプテラには命中しなかった。命中する前にその巨体が掻き消えていたのだ。

 

 まさか、と息を呑んだその時には、プテラはルガルガンの直上にいた。

 

「あり得ねぇ……。速過ぎる!」

 

 プテラが硬質化した翼でルガルガンを叩き据える。その攻撃力にルガルガンが地面を転がり、ようやく体制を整えた。

 

 ジガルデコアが舌打ちする。

 

「何でだ! ルガルガンの特性なら当たるはず……!」

 

(特性……あれは真夜中の姿よね? 確か特性は……)

 

「オレの暴きの能力で普段は現れない特性に設定してある。普通なら大した事のない特性だが、オレの操るポケモンはそのポケモンの持つ隠し特性を暴く。今のルガルガンの特性はノーガード! 相手の攻撃も受けちまう代わりに、絶対の命中を確約するはずなんだ!」

 

 まさか、ジガルデコアにそのような力があるなど思いも寄らない。絶句するリッカにジガルデコアは悪態をつく。

 

「クソが! 何であいつの攻撃射程に入れねぇ! これじゃ、ルガルガンの命中精度でも……」

 

 高空に位置するプテラを迎撃するのには、ルガルガンだけでは足りない。その帰結に、リッカは口にしていた。

 

(……フローゼルも使いなさい。なら、勝ち筋は……)

 

「ダメだ。お互いの弱点になっちまう。フローゼルの攻撃がルガルガンの特性で命中しちまうんだ。逆も然り。互いに撃ち漏らしたら、それが決定打になる。ヘタな攻撃をしちまうと、ルガルガンだけじゃねぇ、フローゼルまで戦闘不能になっちまうぞ」

 

 下手は打てないというわけか。しかし、リッカはプテラの行動を反芻していた。洞窟の中では「はかいこうせん」のようなハイリスクの技を撃ってきたというのに、今こちらを睥睨するプテラはどうしてだか攻撃を待っているかの如く大人しい。無論、凶暴性は露だが、それでも洞窟内のような行動には移らない。

 

(……理由がある)

 

「何だって?」

 

(プテラは洞窟内なら勝てる算段があった。でもここにはない。そうだと思わない?)

 

「問答だな。洞窟の中にはあって、外にはない、か」

 

 自分の姿を取るジガルデコアは思案を巡らせているようである。リッカはフローゼルへと意識を向けていた。

 

 相手の弱点タイプをうまく取れれば、フローゼルでも勝ち目はあるかもしれない。しかしそれは危険なる賭けだ。

 

 何よりも自分達が全滅するリスクのほうが高まっている以上、下手な真似をすれば逆効果。それは分かっているのに、分析する頭はやまない。

 

 こうして自分の身体を客観視すると、何かが見えてきそうなのだ。それが見えてくる前段階で姿を消す。

 

 もう少し。もう少しだけ反証材料が欲しい。それさえあれば勝算はある。

 

(……あんた、戦いを長引かせられる?)

 

「難しい事を平然と言いやがるな。だが、まぁルガルガンとプテラなら、少しは可能か。今受けた感覚だと、プテラは飛行タイプ持ちだ。ルガルガンは岩、有効打は打てるが……それが決定打になるかは分からねぇ」

 

 しかし、それならばどうして、とリッカは疑念を持つ。飛行タイプ持ちで素早さも高いのならば何故もっと翻弄しない。ルガルガンは言ってしまえば動くだけの的。空中から攻撃を仕掛け続けるだけでも疲弊するはずなのに……。

 

 そこまで考えてリッカは先ほど、ジガルデコアの発した技に思い至る。

 

(……あんた、さっきサウザンアローって技……)

 

 それでジガルデコアも気づいたらしい。フッと笑みを浮かべる。

 

「……なるほどな。テメェを逃がすために咄嗟に撃った技だが、それが効いてきているってワケかよ。ああ、考えている通り。サウザンアローは飛行タイプにも命中する地面技。その効果は、相手が空中にいようがどこに飛ぼうが、絶対に命中するように相手の因果を捻じ曲げる。プテラはその技の残滓を感じ取って警戒しているワケだ。そりゃ、破壊光線なんて撃てねぇよな。あれは撃てば反動がある。機動力に秀でている自分の長所を殺すようなもんだ。……とすればこっちにも勝算が少しは垣間見えてきたぜ。相手は地面タイプの技、それに他の攻撃技で優位を打たれる事を恐れている。洞窟内なら、破壊光線でオレらを一掃出来たが外ではそうもいかねぇ。必ず隙が出来る。つまるところ、一撃でも与えれば勝ち目はあるってこった」

 

(……乗るにしてはちょっとばかしリスキーだけれど、でも、やるしかないわよね)

 

「思ったよりも勝負師じゃねぇか、メスガキ。そこんところは褒めてやるよ」

 

(だから、メスガキって呼ぶなっての! これ、生き残ったら相手の名前を覚えなさいよ!)

 

「へいへい。じゃあせめて、ここでは死なない事を願いますか。さて、プテラ。第二ラウンドと行こうぜ」

 

 その言葉に呼応するかのようにプテラが咆哮し、こちらへと円弧を描いて翼を翻す。

 

 やはり「つばさでうつ」。物理技であくまでも制そうと言うのだろう。

 

「悪ぃな。並大抵のトレーナーなら、それでも脅威だろうさ。だがオレは! さっき見た技なら何とでもなるんだよ! ルガルガン!」

 

 声に弾かれたようにルガルガンが跳躍する。掌に岩を貯め、照準をプテラの首筋に据えていた。

 

 しかし、プテラは瞬時に翼を返し、ルガルガンを射程に入れる。空中で制御の利かないルガルガンは格好の的だ。

 

(危ない! 狙い撃たれるわよ!)

 

「そんなヘマすっかよ! フローゼル! 出番だ! アクアジェット!」

 

 フローゼルが尻尾から推進剤のように水を噴き出させる。先制を確約する水の技「アクアジェット」。それでプテラを狙うのかと思われた。

 

 しかし、プテラは低軌道から来る相手など意識のうちに留めるまでもなく、いなすように翼を刃の如く立てた。

 

 それだけでまさしく鉄壁。

 

 堅牢なる翼の城塞が「アクアジェット」の残滓を虚しく散らせる。

 

(アクアジェットでも……)

 

「いや……狙い通りだ!」

 

 どういう、と問い返す前に、再度フローゼルが「アクアジェット」を焚く。

 

(無理よ! プテラの表皮はアクアジェットでは砕けない!)

 

「おいおい、いつ、オレがフローゼルでプテラを倒すって言った?」

 

 その言葉にリッカは「アクアジェット」の矛先を目にし、震撼する。

 

(まさか……)

 

 フローゼルが狙い澄ましたのは空中で身動きの取れないルガルガンそのものであった。しかし、とリッカは慌てて声にしようとする。

 

(岩タイプに水は効果抜群! 沈むわよ!)

 

「安心しろ! 致命傷は免れるようにコントロールする!」

 

 フローゼルの水流のジェット噴射がルガルガンの鳩尾へと突き刺さった。その一撃の重さにルガルガンが目を見開く。

 

 通常のポケモンバトルならばここで勝負が決するはずだ。しかし、ルガルガンの赤い眼光は諦めていなかった。

 

 それどころかフローゼルの一撃に対して闘魂を燃やしている。

 

 その瞳がぎらつき、拳が大きく振るい上げられた。

 

(……ダメージはレッドゾーンのはずなのに……)

 

「いい事を教えてやるよ、メスガキ。追い詰められた獣ほど、その牙は恐ろしく研ぎ澄まされている。今のルガルガンみたいに、な。そして仕上げはこいつだ! フローゼル! 泥かけ!」

 

 何とフローゼルは味方であるはずのルガルガンへと、泥を引っかけたのである。その行動にはさすがのリッカも狼狽した。

 

(何やってるの! 泥かけなんてしたら――)

 

「ああ、命中しねぇよな。――フローゼルには」

 

 ハッと戦局を目にする。フローゼルに振るうはずであった拳が空を切った。離脱したフローゼルに代わり、その射程に現れたのはプテラである。

 

 プテラの頭上で繰り広げられた仲間同士の諍いが、まさか降りかかるとは思ってもみなかったのだろう。

 

 さすがにその行動速度は遅れていた。

 

「プテラの意識から攻撃の予見を割くのにはこれしか方法がねぇ。そして! 一発でも上を取れば、ルガルガンは優勢を行ける! ぶちかませ! ルガルガン! 怒りを拳に乗せて、食らい尽くさせろ!」

 

 ルガルガンの拳が赤く煮え滾る。思わぬ攻撃にプテラは応戦の翼を見舞おうとしたが、ルガルガンの動きのほうが早い。

 

 前が見えていないのにも関わらず、ルガルガンは身に携えた闘争本能で射程の相手へと拳を食い込ませていた。

 

 その一撃に空間が鳴動する。

 

 茫然自失の声でリッカはその技の名前を紡いでいた。

 

(カウンター……。相手の攻撃を、倍にして返す格闘技……)

 

 それも今回は標的を誤った形での一撃だ。プテラは頭部の鎧めいた黒い岩石を砕かれ、その飛翔能力に翳りを見せる。どうやら脳震とうに陥ったらしい。ルガルガンはその隙を逃さない。

 

 地面に降り立つなり手で砂礫を舞い上がらせ、それぞれを拳で叩いてプテラに向け、一斉掃射する。それはまさしく、回避不可能な岩石の散弾――。当然、それらは完全にプテラの躯体へと突き刺さったかに思われたが……。

 

 プテラは何と牙を噛み締めて持ち直し、翼を回転させて暴風を作り出したのだ。

 

 その風の間合いに岩石の散弾は撃ち落とされていく。ジガルデコアは舌打ち混じりにフローゼルに指示を振っていた。

 

「フローゼル! もうちょいのはずだ! アクアジェット、再噴射を……」

 

 刹那、プテラが舞い降りる。あり得ない距離での対峙に内側のリッカは委縮した。

 

(これが……化石ポケモン……)

 



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第十六話 殲滅戦線Ⅲ

 ジガルデコアはしかし、その程度ではうろたえないと決めたのか、拳を強く握りしめて払う。

 

「こんなところで! 終われねぇ! ルガルガン!」

 

 前に出たルガルガンがプテラの懐に潜り込み、そのまま突き上げの一撃を見舞おうとする。それをプテラは飛翔の力を得ずに、翼の一振りで制していた。思わぬ一撃の応酬にルガルガンの勢いが削がれる。

 

「それでも!」

 

 フローゼルが躍り上がり、水の砲弾を掌に貯めた。確約された一撃の重さに今度こそ、という思惟が伝わったのも束の間、プテラは口腔部にオレンジ色の光を充填する。

 

(破壊光線! 諸共ってわけ?)

 

「だったら! それを封殺する! フローゼル! ルガルガンにハイドロポンプで攻撃しろ!」

 

 思わぬ指示にリッカは困惑を浮かべた。

 

(何言ってるの! 水タイプで岩のルガルガンにそんな一撃を与えたら……)

 

「沈むだろうな。だが、一手は次の一手のためにある。積み重ねが戦略になるって事を分からせてやるよ。フローゼル! 構うな! 撃てェッ!」

 

 その言葉に迷いがないと判断したのか。フローゼルの放った全力の「ハイドロポンプ」はルガルガンの背中を打ち据えていた。

 

 これで完全に戦闘不能に陥ってもおかしくない一撃。よろめいたルガルガンはしかし、倒れなかった。否、倒れる前に、それは巻き起こっていたのだ。

 

 ルガルガンの眼窩が闘争心を露にしたかのように赤く煌めく。その眼差しが野生の本能を導き出していた。

 

 その二の腕に巻かれていた赤いタスキが破れて溶け落ちている。思わぬ道具にリッカは息を呑んでいた。

 

(あれは……気合のタスキ?)

 

「きあいのタスキ」は一撃で瀕死、または致命傷を受けても絶対に持ち堪える特殊な道具だ。ルガルガンは牙を軋ませ、闘争心のままに拳を振り翳す。

 

 周囲に散らばった岩石が寄り集まってルガルガンの腕に集中した。構築されたのは岩石の剣である。

 

 取り回しを意識せず、完全なる一撃の重さに意識を置いた形状は荒々しく、そして力強い。暴力そのものの具現の如く、岩の刃をルガルガンは振るい落としていた。

 

 その一閃にプテラが呼応する。

 

 至近距離でチャージされた「はかいこうせん」の光芒が煌めき、今まさにルガルガンを打ちのめそうとしていた。

 

(危ない! こんな距離じゃ、ルガルガンのほうが……!)

 

「命中するよりも早く当てりゃいい! メスガキ、ボールを出すぞ!」

 

 ジガルデコアがポーチより取り出したボールを指の間に挟む。拡張したボールがプテラの額へと投げられていた。

 

 ルガルガンの岩の剣が融けるか融けないかの刹那。

 

 全てを消し去る閃光の果てに、勝負は決する。

 

 光をルガルガンは切り裂いていた。しかし岩の剣は亀裂が走り、直後には脆く砕け散る。

 

 粉砕された岩がルガルガンの身体へと突き刺さるかに見えたその瞬間であった。

 

 砕けた岩に紫色の思念が宿り、プテラの翼へと中空に舞った勢いをそのままに圧し掛かる。思わぬ地点からの重圧であったのだろう。

 

 ルガルガンを貫くかに思われたプテラの光軸はその肩口を僅かに焼いたのみで逸れていた。

 

「皮膜だ。最初から狙いはそれだった」

 

 ジガルデコアの言葉にプテラが呻く。

 

「飛翔するのが得意なのってのはな、一番弱いのはその長所たる翼なんだ。だからそのタイミングをはかっていた。至近距離で、絶対に避けられないタイミングで岩を砕いてくれるのをよ。技の名前は岩石封じ。これで、テメェは動けねぇ。そして、ダメージは相当のはずだ」

 

 額に命中したボールに、プテラは吸い込まれた。破壊光線の光条がジェネラルである自分達にも及ぶか否かという距離だ。

 

 熱量が感じられるほどの至近で、その高熱が急速に消滅していた。リッカは内側でへたり込む。

 

(……なんて、危ない綱渡りを……)

 

「危なかろうがここまでしないとこのプテラは手に入らねぇだろうってのは分かっていたからな。さて、そのプテラだが……」

 

 ボールが左右に揺れる。抵抗するのならば、とジガルデコアは構えさせる。フローゼルがボールへと即座に攻撃出来るように姿勢を沈めていた。

 

 しかし、それは杞憂であったようだ。

 

 ボール内部でカチリと音がし、捕獲成功を伝える。ようやく緊張の糸を解きほぐしたリッカは内部で嘆息をつく。

 

(まったく……。あんたに身体を預けるなんて無謀な真似に出なきゃいけないなんてね)

 

「そいつはお互い様だ。女の身体に入るなんざ、こっちだって願い下げでね」

 

 ジガルデコアがボールを拾い上げる。参照されたプテラのデータは異常値を示していた。

 

「メガシンカ……通常時からそれの状態なんて普通じゃねぇ」

 

(エイジはそれを分かっていて、治療は不可能だって?)

 

「多分な。メガシンカが恒常って事は、遺伝子系の病気なんだろうな。だから専門知識のない自分じゃ治せない、か。あいつも食わせ者だ。こんなの、森の洞窟に囲っていいレベルじゃねぇだろ」

 

 笑い話にしたジガルデコアにリッカも同意する。

 

(本当に……。でもこれで必要な駒はそろったんじゃないの?)

 

「ああ、絶対的な一が手に入った。それだけじゃねぇ。こっちが敵の位置を捕捉していてもどうやって仕掛けるかって話だったが、こいつはハッキリしていていい。飛んで強襲出来るってのはデカいはずだ」

 

(……何だかんだであんたもエイジの事は心配なわけ?)

 

「当たり前だろうが。宿主が死んだら全てがおじゃんだ。まぁ、連中、そんな軽率な真似には出ないだろうが、それも時間の問題ってのがあってな。ルガルガンとフローゼルを回復させて、プテラを……いや、こいつはメガプテラか。メガプテラを使えるようになったら作戦を練る。いいか? 後悔すんなよ。ちぃとばかしデカい戦闘になる。覚悟は……」

 

 そこでリッカは己へと身体感覚が戻ったのを感じ取っていた。手足が自分のものへと戻り、麻痺した身体が僅かに痺れるものの、それでも人格は消えずこうして戻ってこられた。

 

 傍らには獣形態へと順応したジガルデコアがいる。

 

「……身体、戻ったんだ……」

 

(賭けに等しい真似だったがな。テメェの肉体は思ったよりも頑丈らしい)

 

「……それ、誇れるの?」

 

 腰に手を当てて憮然とするとジガルデコアはせせら笑う。

 

(安心しろ。いざとなりゃ使える作戦が増えたって事だ。喜べよ)

 

「何だかなぁ……。まぁ、いいわ。ねぇ、あんた……名前は? ほら、ジガルデコアじゃ呼びにくいし。あるんでしょ?」

 

 その問いかけに相手は不服そうに聞き返す。

 

(……聞いてどうする? オレの宿主はエイジだ)

 

「だからって、いつまでも名無し気取るつもり? あたしはリッカ」

 

 こちらが名乗ると、相手も不承ながらに応じていた。

 

(スペードのスートのジガルデコア……ダムドだ。まぁ、呼びたい名前で呼びな)

 

「じゃあダムド。早速、作戦に入るわよ。一刻も早く、エイジを取り戻す」

 

 歩み始めたリッカにダムドは鼻を鳴らす。

 

(誰のお蔭で生きてんだか、分かってるんだろうな?)

 

「そっちこそ。あたしがいないと死んでたのは同じでしょ?」

 

 ケッとダムドは毒づいた。

 

(口の減らないメスガキだ)

 

「リッカって呼びなさいよ」

 

(呼んで欲しけりゃ戦果を上げろ。オレは実力のあるヤツは素直に信じるし、従うぜ)

 

「じゃあ、あんたを屈服させるのに実力さえあればいいのね」

 

 リッカは拳を叩く。

 

「上等じゃない。ある種では分かりやすくっていいわ」

 

(……何でエイジはこんなヤツを助けようとしたんだ? 勝手に生き残るタイプだろうが)

 

 その疑問を他所に、二人は歩き始めていた。

 

 



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第十七話 遠い過去へ

 

 浮かんだ疑問には素直に応じる――そのスタンスが敷かれ、エイジは拘束服に包まれた自分の身を案じるよりも先に、目隠しの向こう側で反響した声に尋ね返そうとしていた。

 

 身をよじっても、拘束服は緩まない。自分に何かしら隠し玉があるとでも踏んでいるのだろうか。

 

 しかし、今の自分には手持ちどころか、契約したはずのジガルデコア――ダムドの助力さえも失っている。こんな状態で何をしろと言うのだ。

 

「目隠しを外してくれ」

 

 命令口調にようやく目隠しが外される。エイジは机の対面に座る男を目にしていた。

 

 サングラスをかけたその双眸は窺えないが、こちらを睨み据えているのは分かる。まるで忌むべき敵のように。

 

「拘束服はすまないが解いてやる事は出来ないんだ。君の事を我々は非常に警戒していてね」

 

「……僕には何もない」

 

「そうだろうか。君に、何の価値もないと? それは嘘だろう」

 

 男の姿を仔細に観察する。仕立てのいいスーツに、サングラスの奥から覗く怜悧な瞳。部屋を見やると、机と椅子以外は何もない簡素な空間であった。

 

 しかし、監視されているのだけは分かる。どこから注がれているのかまでは不明だが、無数の眼がこの面会を凝視している。

 

「……何で僕を攫ったんです?」

 

「いくつかの誤解があるようだ。まず一つ。攫った、というのは事実誤認でね。君に、同行願った、というのが正しい」

 

「どの口が……!」

 

「君のデータを参照した。ハジメタウンに住む、ごく平凡なポケモンジェネラル。しかし、ジェネラルレベルは最低の2の評価。そのせいか否かは分からないが、いじめに遭っているようだね」

 

 自分のデータを看破して見せた男にエイジは言葉を失っていた。相手は顎をしゃくる。

 

「この程度は些事だよ。さほど難しいものでもない。ジェネラルのデータはランセ地方が統制している。そのデータバンクにアクセスすれば誰でも入手可能だ」

 

「……後半はそうじゃない」

 

「無数の証言を照らし合わせたものだ。客観的事実で成り立っていると思うが」

 

 相手はどこまで知っているのか。それを探り入れようとしても、やはりと言うべきか、今の自分では事足りない。

 

 ダムドを失い、そして手持ちもない自分では、ここで交渉条件に乗るだけの何かがないのだ。

 

「僕に何の用で……」

 

「それを私に口から言わせるのかね? ……いや、君からしてみれば一昨日に起こった唐突な出来事だろう。いいとも。私と君、どちらの視点から見ても分かる事、そして、君が不明に思っている事を解き明かそう」

 

 男が指を鳴らす。するといくつかの画面が空間に投射された。そのうちの一つはダムドが追っ手から逃げ回っている映像であった。

 

 追っている人間はまばらだが、どれも一流のトレーナーなのは確かめるまでもない。そんな彼らがダムド相手に敗走し、そして捕まえ損ねている映像である。

 

「様々な方法を試し、我々は彼を捕獲しようとした。ジガルデ……私達はあれをZ02と呼称している。Z02は幾度となく我々の干渉を拒んだ。私達は安全策で、あれと交換条件を模索していたんだ」

 

 安全策、という言葉の虚飾めいている感じにエイジには吐き気がした。相手のやり口はもっと凶悪だろう。きっと、自分が捕獲された時のように手段は選んでいないのは分かり切っている。

 

 無言のエイジをどう感じたのか、男は手を払う。

 

「嘘……詭弁に聞こえるかな? だがこれは事実でね。私達はジガルデより、ゾーンの内部へのアクセス権を譲渡してもらうために、こうして捕獲……という形での交渉を試みてきた。……失敗してはきたが、いくつか分かった事がある。それは彼らが、この世界を終わらせるために遣わされたという事だ」

 

「終わらせる? どういう……」

 

「そこまでは、あのジガルデからは聞いていなかったようだね」

 

 ハッと、エイジは口を噤む。相手は自分の口からダムドより聞いた事実を話させるつもりだ。そうはさせない、と目線を逸らす。

 

「……まぁ構わないさ。君は、あれと契約し、そしてスペードのスートのコアを引き継いだ。君とZ02の間には既にリンクが張られている。だが……不思議な事にそのリンクをこちらからは逆探知出来ない。だから君に協力を頼んでいる」

 

 つまりは自分の身体を解析したが何も出なかった。だからエイジ自身からダムドを呼べ、という事だろう。

 

 どこまでも狡猾な、大人のやり方だ。

 

「……僕を信じさせたいのなら、信じるに足る要素を喋ってください。さっきから都合のいい事ばっかり言っているのは、子供である僕でも分かる」

 

「耳触りのいい言葉は嫌いかね? それとも、大人が、かな?」

 

「……正直どちらも」

 

 応じた声に男は嘆息を漏らす。

 

「しかし、正直なところ分からない事が多い。どうして、君なのか。これまでこちらの物理干渉や他の接触を頑なに拒んできたZ02がどうして君を選んだのか。……心当たりはあるかね?」

 

「知りません」

 

 断じた声音に相手はほうと感嘆したようだ。

 

「度胸はある。肝も据わっているな。しかし、君とて知りたいはずだ。何故、自分なのか、を」

 

 そんなもの、ダムドが生き永らえるために他の手段を選ばなかったからではないのか。それ以外が見当たらず、エイジは沈黙していた。

 

 相手は映像の一部を手元に持ってくる。

 

「Z02に対して、これまで精神干渉……つまるところは物理宇宙でははかれないスケールの接触をした事もあった。だがそれでも、だ。彼らの操る特殊なエネルギー空間――ゾーンには触れられない。我々は掠る事さも出来ないんだ。それがこちらとしては歯がゆくてね」

 

「……ジガルデに関して、僕の知っている事はほとんどない」

 

「昨日今日あれに接触したんだ。確かに我々のほうがよく知っているだろう。だがね、私達は実感を大事にしたい。契約した、君の実感だ」

 

 男の繰り言にエイジは睨む目を寄越す。

 

「……僕は何も知らない」

 

「結構。そのスタンスは正直なところ驚嘆する。わけの分からない組織に拉致され、そして取り調べを受けている。かなりのストレスのはずだ。それでも君は取り乱しもしない。ジェネラルレベル2とは思えない」

 

 またここでもジェネラルレベルが持ち出される。エイジはうんざりした様子で声にしていた。

 

「……あなた達の知っている事実だけで、ジガルデを捕まえればいい」

 

「我々の知る事実だけ、か。しかし、少年。私達もほとんど何も知らないようなものだ。闇雲に捕まえにかかって、それで後れを取っている」

 

「それはそっちのせいだ」

 

「言われずとも。しかし、Z02は我々の干渉を拒み続けた。何故か。そう、全ては何故か、という疑念に集約される」

 

 馬鹿馬鹿しい、とエイジは切り捨てていた。何故か、どうしてか、なんて考えるだけ無駄なのに。

 

「……結果論でしょう」

 

「しかし、私達は似た者同士だろう? ジガルデに運命を翻弄され、そして今もまだ捕えられ続けている。こんな偏狭な運命に」

 

「……あなた達は何故、ジガルデを追うんです」

 

「ゾーンに関して、君の知見を知りたい」

 

「聞いているのは僕だ」

 

「強硬だな。もし、君が真実を話さなければ電撃を流すと脅しても?」

 

「そんな事をすれば僕が死ぬだけの事」

 

 落ち着き払っていたためだろう。それか、死んでも構わないのだと、どこかで割り切っていたせいもあるのかもしれない。相手は一拍の沈黙の後、なるほどと呟いていた。

 

「伊達や酔狂ではなさそうだ。虚栄心でもない。なかなかに落ち着きもある。……しかし、君の周囲は協力的であったが? 教師や旧友も」

 

 信じていたものは全て張りぼてであったか。しかし今さらそれを明かされたところで自分の立ち位置は変わらない。

 

 いくら……先生や、クラスメイトに期待したところで、それは自分にとっての指標だ。他人からしてみれば少し売れるくらいの振れ幅なのだろう。

 

「……落胆もしないのだね」

 

「慣れていますから」

 

 その言葉をどう受け取ったのかは分からない。しかし、そこで男の姿勢が変わったのは事実だ。

 

「……少しだけ、我々の話をしようか。ジガルデ……あのポケモンを追い始めたのは七十年も前になる。このランセ地方はまだ統制されてもいない頃合いだ。そもそもジガルデはどこにいたのか。歴史は古く、カロスの地に眠る神話まで遡れる。生命の象徴であるゼルネアス。死の象徴たるイベルタル。その二つの持つ強大なオーラを打ち消し、秩序をこの世にもたらすとされている眠れる大地のポケモン――それがジガルデだ」

 

 まさかカロスの伝説に出てくるポケモンだとは思いも寄らない。エイジはその言葉に目を見開いていた。

 

「伝説級……」

 

「興味が湧いたかい?」

 

 これもこちらから情報を出させるための罠かもしれない。エイジは慎重に言葉を繰っていた。

 

「……遠い地方の出来事です」

 

「そう、遠い地方の、それもほとんど廃れた話かに、思われていた。否、誰もが判断していたんだ。しかし、七十年前に、我が組織の前身がジガルデをカロスで発見した。その時の最初のジガルデ……通称Z01は別の形態であったと聞く。君が出会った獣型ではなかったらしい。これを」

 

 男が映像資料を手で空間から運び出す。そこに映し出されていたのは、まるで蛇のようにのたうつ巨大な無機質めいたポケモンであった。自分の知っているジガルデコアとはまるで違う。

 

「……これもジガルデだと……」

 

「見解は少し違っていてね。これがジガルデだと言われている」

 

 こちらが真実の姿だと言うのか。しかし、その生命感のない形状と威容にエイジは言葉を失っていた。

 

 ――ここからどうやってダムドが生まれたのだ?

 



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第十八話 ランセの真実

 

 疑念が顔に出ていたのだろうか。それとも相手の勘繰りか。男は言葉を差し挟む。

 

「如何にして、ここから我々の組織が追うようになったのか、気になるんじゃないかね?」

 

 その言葉をエイジは何でもない事のようにかわす。

 

「……それが今回の件に関係あるとでも?」

 

「ジガルデはこの巨大な形状でさえも、完成体ではないと聞く。あれは別種の存在なんだ。全てのポケモンの生態系から外れた、鍵のようなものだと我々は捉えている。別次元の扉を開く鍵だとね」

 

「……その別次元とやらに、どうしたいってあなた達は……」

 

「もし……仮定の話だが、その別次元に膨大なエネルギーが眠っているとすれば? そのエネルギーを取り出す術を持っているのは、ジガルデだけだと分かれば、まずどうすると思う?」

 

 質問にエイジはぶっきらぼうに答えた。

 

「さぁ? 捕まえたり、解析したりするんじゃないですか」

 

「その通り。捕獲、解析は即座に行われた。全ては別次元……ゾーンに眠るエネルギーを確保し、我々の営みに反映するために。……だがそれは失敗し続けてきた。理由は一つ。確保したZ01は完全ではなかったからだ」

 

 次いで映されたのはダムドより導かれて目にしたマス目の空間であった。四隅にそれぞれの色が配され、陣営が刻まれている。

 

「Z01はハートのスートに陣を構えるジガルデだった。そう、ジガルデはこの時点で既に四種の別形態が存在した。ゾーンからエネルギーを取り出し、そして利用するのには全てのジガルデを、せめて捕獲しなければならない。そのための研究と追跡に割かれたのが、その後の五十年。ジガルデはしかし、ようとして現れなかった。Z01以外のジガルデはもうこの世には存在せず、ゾーンの向こう側にいるのではないか、と目されていたほどだ。しかし、つい二十年前」

 

 映し出されたのはジガルデのセルである。セルが高速で群れをなし、森林地帯を横切っていく映像が眼前に手繰られていた。

 

「ここで我々は理解する。ジガルデにはコアとセルが存在し、今まで研究してきた分野は全てコアであった、と。セルとコア、両方を手に入れなければジガルデの完全なシステムの把握には至らない。そして、ジガルデの持つ四種類のスートがここに来て明らかになった」

 

 中空に浮かび上がるホログラムはそれぞれ、スペード、ダイヤ、ハート、クラブの文様である。

 

「四種のジガルデはそれぞれ呼応し合い、干渉し合って存在している。四種類全てを手に入れられればそれに越した事はないのだが、彼らとの遭遇率は極めて低く、そして発見出来たとしても、それは本体であるコアではなく、セルばかり。セルのジガルデにも何らかの意思が介在するのは分かっていたのだが、ここで解明の手段は絶たれ、さらに十五年の月日が流れた。その間にもZ01の解析結果は芳しくなく、何も分からないという状態が続いた。……我が組織も焦ったのだろう。カロスを血眼になって探したが、それでもジガルデの痕跡すら存在しない。どこにいるのか、どれだけいるのかさえも不明のまま、月日だけが漫然と過ぎる日々……。しかし、ここ五年で事態は大きく変位する」

 

 映し出されたのはランセ地方であった。思わぬ事態の変容にエイジは唾を飲み下す。

 

「ランセ地方……他地方に比べ劣っている、いや文明レベルの低い地域だと目されていた。しかし、この場所には他の地域では見られない特殊性が見られた。常なる闘争と、そしてポケモンとの特別な関係の歴史。君は知っているだろうか。ブショーと呼ばれた者達はモンスターボールを必要とせず、さらに言えばリンクと呼ばれる不可思議な力で彼らと結びついていた事を」

 

 歴史の授業で習った事だ。ブショーにはモンスターボールの拘束は介在せず、そして彼らは他地域におけるボールの束縛を下策中の下だと判断していたという事実。

 

 しかし、それは遅れた地域でもたらされていた、ただの現象であると思っていた。そう教え込まれていた。リンクという現象はポケモンとの結びつきの強いランセ地方ならではのものだと。

 

 だからなのか、それとも予見していたのか。

 

 ――ランセ地方の一画で発見されたという映像に視線が釘づけにされていた。

 

 克明に映し出されていたのはポケモンを操るブショーと、付き従う伝説級のポケモンだ。ブショーの身体の一部が拡大される。その映像には粗いが間違いなく――。

 

「ジガルデセル……」

 

「そう、セルの一部だ。我々がカロスを探し回っていた間、ジガルデは海を渡り、ランセ地方を訪れていた。そして、彼らのした事は、ゾーンにエネルギーを蓄積するために人間の能力を利用する事……君とZ02のしたような契約だ。ジガルデはそれまでコアとセルを分離出来る事は分かっていても、まさかそこまで高等な知能を有するポケモンだとは思われていなかった。しかし、この研究結果で明らかになったのは、ブショーと呼ばれた者達の有する特殊事象、リンクが、ジガルデの介在によって円滑に行われていた、という解析結果であった」

 

 思わぬ真実にエイジは呆然とする。男も頭を振っていた。

 

「信じられないだろう。だが、これはこの五年間で実証された事実なんだ。ジガルデセルは人間に取り憑き、そしてポケモンとの結びつきを濃くする。これをリンク、と疑似的に呼んでいたに過ぎない。これは君とZ02のやった契約と同じものが、セルレベルで行われていたという事なんだ。彼らはそれぞれのスートの勢力とエネルギーを増すためにランセ地方の人間達を利用し、そして発展を遂げさせていた。ランセ地方の歴史はジガルデと共にあったんだ」

 

「……信じられない。だって、それが事実なんだとすれば……」

 

 赴く先の帰結におぞましさを感じて口を噤んだが、男は言い放っていた。

 

「ああ、ランセ地方の人々は古くからジガルデの媒介として飼われてきた、養殖の人間達だ」

 

 まさか、と目を戦慄かせる。それを男は驚愕も分かる、と首肯する。

 

「衝撃だろう。私もこれを知った時は耳を疑ったよ。しかし、こうだと考えればランセ地方の人々のみ、どうしてポケモンとボールという楔なしで結託してきたのか。そして、何故、伝説級であろうとも一個人に従うなどという驚くべき歴史事実があったのか、全て説明がつく。彼らはジガルデと知らず知らずのうちに結託し、ゾーンの恒久的な平和を確約していた。……ランセ地方で世が乱れたとされる五十年前。その頃の観測データではゾーンは不完全であったと聞く。しかし、その五十年前を嚆矢として、急速にゾーンと我々の物理世界とは完全なる別種の進化を遂げたとも。分かるかい? ゾーンを手の届かぬ範囲に追いやったのはジガルデ達ではない。それを苗床にされた、かつての宿主達だ。彼らの意識情報とエネルギーがゾーンを確固たる場所へと形成させた。現状、ゾーンに入れるのはセルに選ばれた者達と、コアと契約した宿主のみ。この状態を作ったのは、同じ人間なんだ」

 

 頭がぐらつく。どうしても、男の言葉を信じ込めない。否、信じてはいけない気がしていた。それを認めてしまえば、ランセ地方の人間全てにジガルデへと隷属する因子が存在する事を許容してしまう。

 

 男は一拍の沈黙を挟み、こちらへと言葉を投げていた。

 

「よく考えて欲しい。無論、これも君の選択だ。しかし、ランセ地方の……一地方の命運が君にかかっている。Z02を解析させてくれれば、もしかしたらランセ地方の人々を救えるかもしれない。それこそ、ジガルデの呪縛から。そうなれば躍進があるはずだ。我々人類が、ジガルデという凶悪なポケモンに打ち克つ事の出来る、かつてない契機なんだ。私は君にその資格があると感じている。Z02はどのような言葉で君を惑わせたのかは知らないが、この歴然とした事実だけは覆せない。ジガルデは、この地方をただの養分としか考えず、吸い尽くすだろう。君の大切な者達も含めて」

 

 それは最後通告であったのだろう。これ以上、ダムドを隠し通したところで何もいい事はない。それどころか、自分は愛する者達に背を向け、彼らに顔向け出来ない事をやってのけようとしている。その事実がエイジの胸に重く圧し掛かった。これまで、何でもない、ただの人間として生きてきただけなのに、ダムドとの契約がこの世界の全てを変えてしまっていた。

 

 今の自分はランセ地方の敵だ。

 

「……僕は」

 

「私は、ジガルデの味方でも、ましてや君の敵でもない。しかし、忠告しておくのならば信じる者達に背を向け、唾を吐くのは辛いぞ。それがどのような帰結を辿るにしても」

 

 男は立ち上がる。待って欲しかった。自分をこのようなところで一人にするのか、と懇願した瞳が伝わったのだろう。彼は重々しく口にしていた。

 

「……君の自由はここでは保障されない。君は生きている限り、我々の実験動物、モルモットだ。しかし、自分で変える事は出来る。最後になったが我々の組織の名前を告げておこう。私達はザイレム。ジガルデを駆逐する者だ」

 

 男は扉の向こうへと消えていく。その背中に何か言葉を投げようとしてエイジは結局、自分には何一つない事を再認識するのみであった。

 

 

 



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第十九話 強襲

 司令室では今もエイジ少年のシグナルが認証されている。サガラはその様子を目にし、まず状況を訪ねていた。

 

「彼、かわいそうですよね。たった一人でランセ地方の真実を背負わされたんですから……」

 

 一人のオペレーターがそうこぼしたのを、他のスタッフが咳払いで注意する。

 

「す、すいませんっ! 辛いのは室長だって同じはずなのに……」

 

「いや、私は彼に責任を問いただした。ある意味では罪深い人間だろうな」

 

 だが、これも事実の一面。彼はいずれ知るだろう。ならば早いほうがいいだけだと思ったのみだ。

 

「執行部から連絡来ています」

 

「繋いでくれ」

 

「エージェント……クジラからの通達。パッケージの納品に不備があった場合、再納品する、との事です。室長、再納品って……」

 

 皆まで言う必要はない。サガラは目頭を揉んでいた。

 

「執行部のエージェントですら、仕損じた感覚があった、というわけか。これは掴まされたかもしれないな」

 

「でも、契約痕は確かに……」

 

 その言葉が失言だと分かったのか、オペレーターは口を噤む。今もじくじくと痛む手の甲のスペードを忌々しげにサガラは睨んでいた。

 

 平時は手袋をはめて隠している。しかし、この経歴を知られているから、自分はここにいるのだ。

 

「上からのお達しは?」

 

「不気味なほどの沈黙ですよ。……何か企んでいる?」

 

「勘繰るにしても上層部に対して、企んでいる、などという言い方は避ける事だ。余計な摩擦を生む」

 

「す、すいません……」

 

 だが、とサガラは思索を浮かべる。どうしてあれほどジガルデにこだわり、Z02の捕獲に熱を上げていた上が、いざ手に入れると沈黙するのか。そこには何か、窺い知れない闇があるような気がしていた。

 

 上層部は何かを必死にひた隠しにしている。そのためにエイジは邪魔であるのか。それとも、他の思惑が?

 

 考え始めて、詮無い事だ、と打ち切っていた。その当人と話したばかりではないか。その結論として導き出したのは、彼も被害者だという事。そして、思ったよりもジガルデに関する情報は共有されていなかったという事実だろう。

 

「……Z02はわざと黙っていたのか。あるいは騙していたのか……」

 

「ですが、彼とZ02の契約パスは健在……。これはつまり、我々の認識範囲にZ02はいないという事なのでは?」

 

「ゾーンを構築し、紛れていると? だがあり得ない。エージェントKとの対決で、セルのほとんどを使い切ったはずだ。逃げ回るにしてはもうセルが足りない。だというのに、沈黙するターゲット、か……」

 

「室長。番号が入っています。三番の内線で」

 

「繋いでくれ。何だ?」

 

 受話器を取ると、相手の声は変声機を使った合成音声であった。

 

『……ジガルデの少年を匿っているな?』

 

「……何の事だか」

 

『とぼけても無駄だ。こちらからお前らの位置は追跡している。頭の上に気を付ける事だ』

 

「頭の上……」

 

 そこまで口にしたところで地下施設を激震が見舞った。全員がモニターへと注視する中で、次々に回線が切断されていく。

 

「何だ! 状況報告!」

 

「高熱源探知! 上空一万メートルより飛来! ……嘘だろう、一万メートル?」

 

 自分で計測しておいて彼らはそれが信じられないらしい。サガラは声を飛ばしていた。

 

「強襲か……! すぐに隔壁を閉じろ! 今からならば状態を回避出来る!」

 

「駄目です! 全てのローカル通信を遮断! 敵は電波塔を狙った模様!」

 

 何故だ、とサガラは拳を握り締める。このランセ地方でザイレムの所有する電波塔は秘中の秘。それを察知する事も難しければ破壊などより難しいはず。

 

 サガラは受話器を置かず、オペレーター達に命令する。

 

「対空迎撃は! フワライドを出して防衛しろ!」

 

 有事の際、フワライドを換気用のバルブから射出し、敵の爆撃からは身を守れるようになっている。しかしながら、射出したはずのフワライドの入ったモンスターボールは全て起動前に薙ぎ払われていた。

 

「フワライド迎撃部隊……、全滅……。まさか、こっちの手が読まれている?」

 

 あり得ない、とサガラは受話器を握り締める。骨が浮くほどに力を入れたサガラは別働隊へと叫んでいた。

 

「光学迷彩システムは? 機能しているか?」

 

「執行部の光学迷彩は稼働しています。現在、九十パーセント超えの稼働率を維持!」

 

「……つまり、衛星から割れたのでもなければ他の組織による計画攻撃でもない。個人攻撃か。何者だ、貴様は」

 

『誰かを問う前に自分から名乗るべきだろう』

 

「……これは失礼した。しかし、侵入者に名乗る名前はなくってね」

 

 サガラは手を払う。逆探知の指示だ。すぐに本部の迎撃システムが稼働し、相手の通信領域を捕捉する。

 

 無言で示されたのはカエンシティの南西部であった。公衆電話からの通信にサガラは手を振るう。

 

 潰せ、の合図にオペレーターがその権限を行使していた。

 

 直後には執行部が動き、カエンシティにいるであろう犯人を抹殺しているはずだ。

 

「……しかし、惜しい事をする。そこまでずさんでないのならばまだ良好な関係を築けていた」

 

『惜しい? 何を言っている? これで作戦は遂行された』

 

「いや、真に賢しいのならばこの情報発達した世界で、位置情報端末を所持していない程度で満足しない事であったな。我々は貴様の位置を既にマークしている。飛行部隊が貴様のいるであろう、公衆電話を捕捉した。残念だよ。頭のいい犯人でなくって」

 

『……まさか本気で言っているのか?』

 

「冗談を貴様のような下賤なる者に弄するのも時間が惜しい。今で……三分か。これだけの時間を無駄にした。空襲攻撃は確かに有効だったよ。そしてフワライドを止めたところまでは、評価のレートに挙げてもいい。だが、それ以前に自分の姿を隠さず、私にこだわったのがミスであったな。ここで決定打となるのは、如何にランセ地方が広いとは言え、手は打てるという事実を見過ごした事だ。我々は中継地点を持っていてね。離れていたとしても別働隊が貴様を始末する。タイムロスは……十分ほどか。本当に残念だ。ザイレムの地下施設に狙いを絞ったのは正答だが、そこから先の詰めが甘い。最期に名前を聞いておこうか」

 

 サガラはゆっくりと、ここから先の時間を楽しもうとしていた。ここにコーヒーの一杯もないのが残念でならない。その証左に爆撃は止み、相手は言葉も出ないらしい。

 

「どうした? 何か言ったらどうだね。それに、攻撃も止んだ。位置情報を掴まれて慌てて逃げ出したか?」

 

 しかし位置は依然としてカエンシティのまま。たとえ「そらをとぶ」や「テレポート」を使っても逃げ切れまい。十分と言ったが、それもかなり譲歩した時間だ。実際には五分もないだろう。それなのに、受話器も離さず、こうして位置も変えない。

 

 変えたところで変声データを照合すれば逃げた獲物でも炙り出せる。今のザイレムにはそれだけの技術が集っているのだ。

 

「さて、貴様が死ぬまでの時間をはかってやろうか。いや、それよりも何のつもりだ? 対抗勢力の犬か?」

 

『……今で何分経った?』

 

「もうすぐ五分だとも。まさかギリギリでテレポートでもするか? しかし位相空間を我々は関知する術がある。残念であったな。移動手段は他に何を使う? 鳥ポケモンで空を飛ぶか? それで一番端の地域まで逃れたところで……それでもまだ我々の手は伸びている。それに、そこまで離れれば爆撃を再開も出来まい。さて、ここまでで王手だが、どう出る? 五十年前のランセならばこの戦術でも生き延びられたかもしれないな」

 

 しかしここは現代のランセ地方。既にカロスのホロキャスターや、アローラの最新鋭AIの技術が入っている。逆探知など児戯に等しい。

 

 それでも、ザイレムに攻撃を仕掛けたのは敬意を表そう。

 

 サガラはその酔狂者の名前を知ろうとしていた。

 

「名前は何と言う? 少しは記憶に留めておいてもいい」

 

『名前は……よく知っているだろう。それとも、テメェらはこう呼んでいたか? ――Z02』

 

 その名前が紡がれた瞬間、カエンシティ南西部の公衆電話機へと迎撃部隊が迫った。

 

 フッとサガラは笑みを刻む。

 

「……少しは情報に精通しているか。しかし、もう貴様は逃げられん。そこにいるのは分かっている。映像を出せ」

 

 映像が現地と繋がり、サガラは巨大スクリーンに映し出された――小太りの男を目にしていた。

 

 目差し帽を被り、正体は隠しているが、それでも相手には違いない。受話器を手にした相手は両手を上げていた。

 

 だが、無慈悲に執行部は銃撃する。

 

 一拍の猶予もなく、犯人は銃殺されていた。サガラは嘆息をつく。

 

「……少しはマシかと思ったんだが」

 

『マシか……だと? テメェら、相変わらず敵を嘗めるのが……お得意らしいな』

 

 置こうとした受話器から発せられた声にサガラは目を戦慄かせた。まさか、と執行部に繋ぐ。

 

「何をやっている! まだ犯人は生きているぞ!」

 

『いえ、完全に沈黙しています。しかし……これは!』

 

 飛び出したゲル状の物体が執行部の一員へと覆い被さる。その緑色の姿と形状にサガラは絶句していた。

 

「ジガルデセル……だと」

 

『エイジは返してもらうぜ』

 

 その言葉を最後に通話が切られた。執行部が困惑する。

 

『本部司令室! 緊急入電! この男、犯人ではありません! ただの一般市民で――』

 

 そこから先の言葉を再度の爆撃が遮っていた。サガラは敵影を司令室に捕捉させようとする。

 

「敵はどこだ!」

 

「高度一万を維持! 降りてきません!」

 

「高高度からの攻撃が可能なポケモンだと……。それも半端は出力では意味を成さないな。この戦局……上に陣取っている一体と、フワライドの誘爆特性を無効化したもう一体がいる! 上に気を取られるな! 上の一は囮だ! 敵は既に……」

 

 基地内に潜っている。その事実に喉を嗄らした時、声が発せられていた。

 

『よう、追いかけっこは終わりか? それとも、穴倉に籠るのが得意ではこっちの位置までは把握出来ないかよ』

 

 再び震わせた肉声はしかし、またしても疑似音声だ。これは、とサガラが返答する。

 

「貴様……Z02だな……! いや、これもダミーか」

 

 その言葉に相手が口笛を鳴らす。

 

『二度も同じ手は通用しねぇか。ま、いずれにしたってオレはここまでだ。さて、楽しい襲撃のお時間と行きますかね』

 

 爆撃が地下施設を激震させるが、サガラは判断していた。この爆撃は派手だがほとんど意味を成してないどころか、考えなしのものだ。恐らくこちらの位置情報のみを掴み、大雑把に仕掛けている。しかし、物の見事にはまったのは逆探知を仕掛けた事だ。そのせいでこちらの正確な位置が掴まれてしまった。

 

 サガラは悔恨に拳を握る。

 

「……上が囮と言う事は、敵は地下道から来ている。我々の関知から逃れるのには水路だろう。フワライドの無効化をやってのけたのは高機動のポケモンのはずだ。バルブに仕掛けたボール射出装置を狙えるだけのポケモンという事は四肢を持っているな。それも高精度の攻撃持ち、か」

 

 そこまで並べ立てて、敵の試算に入る。高高度爆撃のポケモンは簡単には仕舞えないはず。しかしながら頭上一万メートルに位置する相手を狙い撃とうとすればこちらにもロスが生じるため、現実的ではない。

 

 何よりも――この敵の目的はエイジ少年の奪還。ならば、ここでは内側の守りを固めるべきだ。

 

「内部警戒を厳とする。敵にこれ以上の侵攻を許すな」

 

「しかし! 執行部はすぐには戻せませんよ!」

 

 悲鳴のような声にサガラは出せる駒を脳裏に描く。今の執行部はもぬけの殻。それも加味したのならば、と先の電報の相手が思い浮かぶ。

 

「……執行部エージェント、クジラへと繋げ。彼への電信は」

 

「一分以内に可能です」

 

「では、通話を」

 

 コールすると間もなく相手が通話先に出た。押し殺したような冷たい声音である。

 

『……パッケージに不備があったか』

 

「不備と言うほどではないが、問題が発生した。パッケージ奪還に動く勢力の掃除を頼む」

 

『……いいだろう』

 

 報酬に関する議論に移ろうとして、相手はそれを制していた。

 

『構わない。こちらの後片付けだ。こちらでつける』

 

 それなりの矜持は持ち合わせている様子。サガラは慎重に言葉を継いでいた。

 

「……勝てないと判断すれば撤退も止むなしとする。現状、こちらが不利だ」

 

『不利など。全ての状況は覆すためにある。切るぞ』

 

 通話が切られ、サガラは息をつく。

 

 少しばかり出端を挫かれたがそれでも状況そのものは悪くない。

 

「……エイジ少年の身柄は?」

 

「先ほどの面会室に……。どうします?」

 

「ここは最大限に利用する。クジラの配置を見てからエイジ少年を移送。相手に罠を張られたままで黙っていられるものか」

 

 こちらも相手を罠にはめる。そう断じ、サガラは肘掛けを握り締めていた。

 



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第二十話 基地潜入

 

(悪くない状況だろ?)

 

 問い返したダムドにリッカは下水道の臭気に顔をしかめていた。そこいらに汚泥を纏ったポケモン、ダストダスやマタドガスが群棲しており、この場所が如何に汚れているのかを告げている。

 

「……どこが。あんた、これうまくいっているんでしょうね」

 

(織り込み済みの事象は全部、計算内だ。メガプテラの爆撃はいい塩梅に敵の戦力を分からせてくれた。敵の迎撃部隊を回収したルガルガンはもうすぐ合流ルートについている。それに、オレの仕掛けた罠も発動したらしい)

 

 という事は、とリッカは肩口に留まったダムドを横目にしていた。

 

 彼は現在、ジガルデコア一匹のみの状態。まさかここまで身を削る作戦だとは思いも寄らなかった。

 

「……あんた、セルを使えるだけ使って大丈夫だったの?」

 

(ンなわけねぇだろ。コアが剥き出しの状態なんざ、想定外もいいところだ。これで敵に出会ったらまずいっちゃまずいな)

 

「よくもまぁ、抜け抜けと……。あんたの身の保証までは出来ないんだからね」

 

(してもらう必要もねぇさ。オレだって必死だ。エイジを取り戻すのに手段は選んでられねぇ)

 

 それだけダムドもエイジの事を考えているというのだろうか。否、話に聞いていた契約とやらが本当ならば、エイジの確保こそが急務であろう。

 

「……あんたもエイジも、それだけ無茶をしているってわけなのね」

 

(セルがねぇんだ。もしもの時の弾除けは頼むぜ)

 

「願い下げよ。にしたって……酷いにおい……」

 

(下水道だからな。だが、もっと過酷な場所を想定していただけにまだマシだろうさ)

 

「合っているんでしょうね、このままで」

 

 懸念事項を浮かべたリッカにダムドは頷く。

 

(これで間違っていたら相当なロスだが、間違ってはいねぇはずさ。気配はずっと感じているからな。契約した相手の場所は逐一分かる)

 

「それって……エイジのほうからも?」

 

(そこまでは不明と言うしかねぇ。結びつきって言ったってまだ二三日だ。エイジがオレを感じるのにはちょっと時間が足りねぇかもな)

 

 どちらにしろ、不安が横たわるわけか。リッカは嘆息をついて下水道の隅で舗装された足場を気にしていた。

 

 澱んだ水流が行き過ぎるのをリッカは視野に入れる。

 

「……ねぇ、エイジは、どうしてあんたなんかと契約したの?」

 

(しなけりゃ死ぬだけだった。だから最善を選び取ったんだろ)

 

「それってさ、あんたが強制したんじゃ……」

 

 一番の不安はダムドとエイジの再接触が悪い事態に転がる事だ。しかし、ダムドはそれだけはないと言いたげだった。

 

(強制じゃ契約は出来ねぇ。そのはずだ。エイジの中に一滴でも、オレを疑う気持ちがあったのならな。だが、エイジは勝ち取る事を選んだ。それが何よりの証明だろうさ)

 

「勝ち取る、ね……」

 

 どれもこれも遊離した言葉である。リッカは不意に立ち現れた巨大な隔壁を目にしていた。

 

 さすると振動を感じられる。メガプテラの爆撃が有効な証であろう。

 

「行き止まり……じゃないわよね?」

 

(水流は中に続いている。問題はねぇはずだ。反対側から隔壁を解除する)

 

 その言葉に汚泥が波打ち、放たれた影が反対側へと赴いていた。隔壁を破ったのはフローゼルの一撃である。

 

 先ほどから汚水に身を浸しているせいでせっかくの黄金の毛並みが台無しであった。

 

「ゴメンね、フローゼル。後で手入れしてあげるから……」

 

(上に登れそうだぜ、メスガキ。フローゼルを戻して移動するぞ)

 

 視界に入った梯子にリッカはため息を漏らしていた。

 

「どうにもこう……肉体労働よね。ってか、メスガキって呼ばないでよ」

 

 抗弁を発し、梯子をよじ登る。見えてきたのは機械の廊下であった。壁は一面の精密機械で構成されている。

 

(メンテナンス用の通路か。これなら問題なく侵入出来そうだな)

 

「さっきまで泥臭かったのに、何か変な感じよね。今度は滅菌されたみたいに……。でも、においはするのね」

 

 鼻をつまむとダムドが嗤う。

 

(人間ってのは五感を封じられねぇから面倒だな。オレなら五感をコントロール出来るってのに)

 

「そりゃ、あんたはそうでしょうよ。細胞一個の状態じゃない」

 

 だが、そこまで自分を搾ってダムドはエイジを助け出そうとしている。その心意気だけは買おうと思っていた。

 

 だからなのか、直後のダムドの慎重な声に身を固くする。

 

(……おい、止まれ)

 

「……勘付かれた?」

 

(……いや……こっちの手を読んでかどうかは分からねぇが……エイジを移動させやがった。ちょっとだけルートを変更するか)

 

「見抜かれたんじゃ……」

 

(カエンシティに置いていた措置は正常に稼働した。そっちは問題ねぇはずだ)

 

 その「措置」とやらに対して、リッカは詳しくは聞いていなかった。今回の作戦はほとんどダムドの独断だ。

 

 しかし、自分の知恵ではどれだけ搾ったところでエイジは助けられないだろう。それが分かっていただけに、ダムドに任せたのは正答だと思っていた。

 

 ここに来てイレギュラーが出たのならば、自分も腹をくくるべきだろう。

 

「危なくなったら……」

 

(フローゼルで対抗出来る相手なら助かるんだがな。そうとも限らねぇだろうし、ルガルガンとの合流ポイントをずらすぞ。少しでも相手の想定を崩す。それしか方法はねぇ)

 

 機械の壁に手をつき、リッカは歩みを進める。ここで下手に敵と遭遇すればそれだけエイジ救出のタイミングははかり辛くなるだろう。打てる手は全て打っておくべきだ。

 

「……ねぇ、敵に対して、あんたの分かっている事を教えてよ。あたし、危ない連中だって事以外はほとんど分かっていないんだけれど」

 

(オレみたいなのを躍起になって追っている連中ってだけじゃ信用ならねぇか。……まぁ、オレもよく分かっていないんだがな)

 

「あんたも、分かっていないの?」

 

 驚愕したリッカにダムドは当然だろう、と応じる。

 

(追ってくるから迎撃していただけだからな。何を目的にした組織なのか、よくは分かっていねぇ。しかし、それがろくでもねぇのだけは確かだろうな)

 

 ダムドが自分の中に入った時に流れた電撃的なビジョンを思い返す。こちらの物質の支配する宇宙とは違う、概念の宇宙の姿。あれを手中に入れようとしているだけでも脅威ではあるだろう。

 

「……協力する気はなかったの? 話くらいは聞いても」

 

(そんな友好的な相手じゃなかった。いつだって強硬策さ。捕まえられるのは癪だから逃げ続けてきたらこういうザマだ)

 

 まさかそこまで考えなしだとは思うまい。リッカはこの作戦もどこか不安になっていた。

 

「……せめて話し合いが通用すれば、ね」

 

(そんななまっちょろい相手かよ。ま、期待はしないんだな)

 

「そうさせて……、あれは何?」

 

 窺えた光にリッカは足を止める。ダムドはフローゼルの背に乗り、先んじて確かめに向かっていた。

 

(メンテナンス通路から普通の廊下に出られるのか……。だが待ち伏せの可能性もある。フローゼルで突き進むから、テメェは死なねぇようにしておけ)

 

「どうすればいいっての?」

 

(知らん。流れ弾にでも気ぃつけておけ。行くぞ)

 

「ちょっ……ちょっと! まだ心の準備が……!」

 

 開かれた先の通路に、人影はなかった。それどころか人間の住んでいる気配もない。

 

(人っ気がねぇな……。あまりに静かだ。本当にここなのか?)

 

「あんたが疑問に思ってどうするの。撃たれはしないわよね?」

 

(今ンところは。来い、メスガキ。敵の気配はねぇ)

 

 その言葉にむっとしながらリッカはフローゼルに続く。ダムドはその背に乗って周囲を見渡した。

 

(ここまで静かだと……ちぃとおかしいな。だが、この階層なのは間違いなさそうだ。さっきまでよりも強く、エイジを感じるぜ。すぐに合流は出来そうだが……)

 

「ねぇ、ここって何なの? まるで秘密基地じゃ……」

 

 そう濁したのは鋼鉄に包まれた廊下と、そして最新設備で固めたメンテナンス路を目にしていたからだろう。ランセ地方に、まさかこれほどの規模の地下施設が存在するなど思ってもみなかった。

 

(……ひょっとすると、ヤバい組織なのかもしれねぇな。今さらだが)

 

「まさか……昔あったロケット団とか?」

 

 歴史の授業で聞いた事がある。その昔、カントーのような文明国でも地下組織が存在し、暗躍していたと。それらの組織を破壊したのはいずれも少年少女だったと聞いているがまことしやかな噂ばかりで実際には定かではない。

 

(……分かりやすい象徴もねぇし、どういう組織なのか、まるで……)

 

「あんたさ、そういうのばっかり――」

 

 その刹那でった。ダムドがフローゼルの背中からこちらへと飛び込む。突然の事に言葉をなくしたリッカは直後の意識のジャックに応じられなかった。

 

 唐突に意識の線が切れ、内側から文句を発したその時には、先ほどまで頭部のあった空間をポケモンの触手が引き裂いていた。

 

(何を……! 何なの、こいつ……!)

 

「おいでなすったか! いや、遭遇した、というべきだな。あの時の毒ポケモン使い……!」

 

(毒使いって……。知り合いなの?)

 

「一日前の付き合いさ。こいつがエイジを連れ去った」

 

 その言葉に宿った怒りにリッカは当惑していた。内側に潜ったからこそ分かる。ダムドは彼なりに焦っている。その焦燥感が、眼前の男への脅威も相まって睨む眼を寄越していた。

 

 相手は大男だ。血色が悪く、青白い顔立ちをしており、まるで幽鬼のようである。

 

(……あたしみたいに操られて……?)

 

「いや、あいつはそういうのじゃねぇ。生まれながらの……人殺しの顔だ」

 

 人殺し。そう断じられてリッカは押し黙る。

 



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第二十一話 再戦

 

「……パッケージの確保には、失敗していたらしいな」

 

 氷のように冷たい声音にリッカは怖気を覚えたが、ダムドはケッと毒づく。

 

「残念だったな。簡単には捕まってやれなくてよ」

 

「だがここに現れたのは失策であった。貴様は捕獲する。Z02よ」

 

「気に入らねぇ名前で呼ぶじゃねぇの。だからテメェら、間抜けなんだよ」

 

「抜かせ。行くぞ、ドヒドイデ」

 

 その声に相手の手持ちである白い触手のポケモンが応じていた。四本の太い触手に支えられた中型の水棲ポケモンは回転しながらこちらへと滑るように接近する。

 

「フローゼル! ハイドロポンプ!」

 

 発した水の砲弾を直に受けても相手は止まる気配がない。ダムドは舌打ちし、身体を横っ飛びさせていた。明らかに筋肉の負荷を無視した動きにリッカは声を荒らげる。

 

(あたしの身体なんだからね! あんた!)

 

「うっせぇな……。誰の身体だろうが死んだら終いだ。それに、テメェ、そこそこ運動しているのか? エイジよりかは使いやすいな」

 

(そりゃ、トップジェネラルを目指しているんだもの。運動神経くらいはエイジよりいいわよ)

 

「……いずれにしたって、ここで生き残るのにはこいつを倒すしかねぇらしい」

 

 睨み据えたダムドに大男が応じる。

 

「名乗っておこうか。ザイレムのエージェント、クジラ、だ」

 

「妙な名前だな。だがオレは名乗る気はねぇぜ」

 

「いいさ。殺す相手に敬意くらいは表しようと……思っただけだ。ドヒドイデ! 壁を伝って毒を注ぎ込め」

 

 ドヒドイデが水を滴らせて滑走する。その動きはまるで読めなかった。壁へと吸着し、そのまま疾走する。

 

「無茶苦茶だな。毒で壁を融かして張り付いてやがる。フローゼル! アクアブレイク!」

 

 フローゼルが両手に水の榴弾を溜め、直後には爆砕するそれを放っていた。水を相手へと凝縮して放出する技「アクアブレイク」はこの時、正常に発動したが、それでも相手の勢いを殺す事が出来ない。

 

 再び首を刈ろうとした敵にフローゼルが応戦していた。

 

「アクアジェットで逃れろ! そいつに止められるな!」

 

(どうして? 接近すれば……)

 

「阿呆が! あいつの毒は並大抵じゃねぇ! 鉄の壁を融かすんだぞ! ンなもん、受けたら消耗戦だ! それに……フローゼルには出来るだけ時間を稼いでもらわないといけねぇんだよ」

 

(でも、時間なんて相手に見つかった以上……)

 

「まぁ、ねぇのと同じには違いないが、それでも、だ。好位置に来てくれねぇ」

 

(好位置……)

 

 フローゼルが水の推進剤を焚き、相手から後退する。出来るだけ接近を許さない戦い方であったが、それでも狭い廊下では限界が来る。

 

 ドヒドイデは壁を融解させ、そして自分のフィールドとするほどの毒の濃度を持つ。当然の事ながら、ここで呼吸していたリッカの身体にも影響が表れ始めていた。

 

 不意に咳き込むと掌に血が滲む。

 

(これって……!)

 

「おい、テメェの命も度外視して、オレの確保か? 空気の中に毒を混じらせやがったな。だが、この濃度ならテメェも無事じゃ済まねぇはずだ」

 

「その心配はない。私はドヒドイデの毒に対して抗体を持っている。しかしながら、その小娘にはない。貴様がどれほど優れたポケモンでも、人間の身体を使う以上は致し方ないはずだ」

 

「なるほどね……。このメスガキの身体が逝っちまえば、結局関係はねぇって事か。時間稼ぎをやっている暇もなさそうだな」

 

「どういうつもりかはしらないが、時間なんて稼がせない。貴様はここで費える」

 

 能面のような表情でクジラは言いやる。それに対してダムドはその瞬間――嗤っていた。

 

(な……何で笑ってるの? おかしくなった?)

 

「何故笑う。イカれたか」

 

「いんや、そうでもねぇさ。テメェらどっちにしたって……人間の領分ってヤツからは逃れられやしねぇ。この場所の捕捉に、五分あればよかった」

 

 その瞬間、天井が粉砕される。立ち現れたのは牙を軋ませたルガルガンであった。驚嘆したクジラがその姿を目にした時には、ルガルガンの爪がクジラの首筋を掻っ切る。

 

 全ての現象が遅れたように、ルガルガンが地面を滑ってダムドの前に佇み、そしてクジラの首筋から血が迸っていた。

 

 鮮血の赤に相手も狼狽しているようだ。

 

「……伏兵か。いや、そのポケモン、ドヒドイデの毒を受けているな。あの時のルガルガン……」

 

「そうだとも。そいでもって、こいつは、とっておきさ」

 

 セルが一つ、ルガルガンからリッカの身体へと飛びつく。ルガルガンを遠隔操作していたセルであろう。

 

「……驚いたな。自身を分離する事でポケモンの遠隔操作か」

 

「別段、おかしな話でもねぇだろ? オレのセルは分割した自己そのもの。自分を切り外せるってのはこういう使い方がある」

 

 セルがリッカの腕を伝い、その筋力を補強する。手にしたのはポーチから出したボールであった。

 

 三つのボールをそれぞれ投げ飛ばす。

 

 ドヒドイデが瞬時に飛びかかり、破砕した瞬間、煙玉が発動していた。

 

 煙幕の中で立ち止ったクジラに対し、ダムドは反対側に逃げおおせていた。ルガルガンとフローゼルを伴い、足に移したセルで脚力を上げている。

 

(ちょ、ちょっと! 逃げないで戦えば……)

 

「テメェ、戦局が見えてねぇのか。あのままの空間にいれば決着の前に肺が腐って死んじまう。少しでも距離を取って相手の消耗を待つ。そいでこれは次いでだ」

 

 ルガルガンが投げたのは注射器であった。ダムドはそれを腕に突き刺す。電撃的な痛みが走る中、少しばかり体調がマシになっていた。

 

(……これは、抗体?)

 

「……ビンゴで助かったぜ。あいつ自身に抗体があったって人間だ。高が知れてるさ。予備くらいは持っているはずだったからな」

 

 まさかあの一瞬の交錯で、ルガルガンに持ち物を引っ手繰らせたのか。その手腕にリッカは絶句する。

 

(あんたって……もしかしてとんでもない?)

 

「今さら言ってんじゃねぇ。にしたって、エイジの気配は近づいてきている。そろそろ出会ってもいいはずなんだが……」

 

 瞬間、ダムドは足を止めていた。何を、とリッカが口を挟む前にルガルガンの爪が空間を奔っていた。

 

 服飾の前の部分が引き裂かれる。ダムドは赤い眼光をぎらつかせたルガルガンに息を呑んでいた。

 

「ルガルガン……テメェまさか……」

 

 ルガルガンが咆哮する。瞬時に手を払い、フローゼルに命じていた。

 

「アクアジェット!」

 

 水の推進力を得た体当たりがルガルガンにぶつかる。互いに後退した形の二者にダムドが舌打ちする。

 

「……テメェもいやらしい真似を覚えてるじゃねぇの。毒の枝葉を仕込んだ相手の行動を縛るなんざ」

 

 ルガルガンの胸元に毒の欠片が妖しく紫色に輝く。ドヒドイデと共に、クジラはゆっくりと歩み寄ってきていた。

 

 首筋にはドヒドイデのものであろう粘液で傷口を補強している。まともではない、とリッカは唾を飲み下した。

 

(こいつ……ヤバいんじゃ……)

 

「ドヒドイデの毒はたとえ掠めた程度でも三日三晩苦しむほどに強烈な毒。それを相手の神経に注ぎ込めば一時的な操作も不可能ではない。ルガルガンはしかし、岩タイプだからな。血液の中に流して心臓を圧迫させ、殺すよりもこういうやり方で凶暴性を利用する」

 

「他人の事は言えねぇな。テメェだって汚いやり方だ」

 

「勝てばいい。勝者の意見は全てにおいて優先される」

 

 ドヒドイデが構え直す。リッカはダムドへと言葉を投げていた。

 

(どうするの! ルガルガンが敵になったら、いくらあたしのフローゼルでも……!)

 

「ああ、少しまずいかもな。しかもフローゼルの攻撃は全然効いてねぇし……。ドヒドイデのタイプじゃ有利にならねぇのか」

 

「抗体を盗んだな。……お陰で楽に死ねる方法で倒すわけにはいかなくなった。苦しみながら死ね」

 

 リッカは震撼する。クジラの瞳には一滴の慈悲もない。殺し尽くす、と決めた双眸には迷いなど欠片もなかった。

 

(こいつ……あたし達をここで……)

 

「殺す気だろうな。ま、間違いじゃねぇだろうさ。しかし、ルガルガンをどうやって正気に戻すか……。見えている距離じゃねぇと精密な遠隔操作は無理なのは分かるんだが、ここで退くのはちょっと違ってな」

 

「退かぬのならば押し潰す。それまでだ」

 

 ドヒドイデが稼働し、水と毒で再び壁を滑走する。背後に猛ったルガルガンが爪を立ててこちらに向かう。必然的にフローゼルが受けていた。

 

 水の皮膜でルガルガンの一撃は防げるものの、ドヒドイデは確実にこちらを目指す。

 

 ルガルガンをさばいてもドヒドイデから逃げる術がないのならば同じだ。いずれにせよ、ここで詰む。リッカは問いただしていた。

 

(……ねぇ、ダムド。あんた、本当に手があるの? このままだと……)

 

「うっせぇな。今考えてる。敵がここまでマジになるのは、つまるところ近いって事には違いねぇはずだ。手としては下策だが、仕方ねぇな。おい、メスガキ。身体、返すぜ」

 

 瞬間、身体感覚が戻ってきてリッカはつんのめっていた。

 

 分離したダムドがセルと融合し、漆黒の獣と化す。

 

「ダムド? あんた、逃げるつもり?」

 

(悪く思うな。生存率を上げるためだ)

 

 四つ足形態になったダムドはルガルガンを速度で圧倒し、肉薄した刹那、額のスペードの意匠が照り輝いた。

 

 何が起こったのかまるで分からぬまま、ルガルガンは爪を軋らせる。ダムドの肉体が崩壊し、その躯体が砕け散った。

 

「ダムド!」

 

(バカ野郎。ただでやられるワケねぇだろ)

 

 ダムドの肉体が黒い霧となってルガルガンを包み込む。一瞬の眩惑の後、ダムドの姿は消え失せていた。

 

 まさか、本当に逃げたのか。

 

 ルガルガンが両腕を構える。

 

 そして、ドヒドイデが射程に入っていた。

 

「……どうやら見限られたようだな。かわいそうだとは思わないし、温情をくれてやるつもりもない。ここで、貴様は死ぬ。辞世の句でもあれば、聞いてやろう」

 

「い、いや……。本当に、こんなところで……」

 

 ドヒドイデが壁を融かし、毒の霧を広げていく。リッカは目に涙を溜め、直後には叫んでいた。

 

「助けてよ……。エイジーっ!」

 

「――うっせぇな。ちょっと身体を返しただけだろうが」

 

 その声の主へと、全員が目を向けていた。

 

 直後、機械の隔壁が破砕され、中から現れた拘束服の人影に瞠目する。

 

「……まさか」

 

「……エイ、ジ……?」

 



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第二十二話 逆転の鍵

 

「痛ってぇ……。ずっと同じ姿勢だったんだな、エイジ。関節のところどころが痛くって仕方ねぇ。だが、ま。オレが宿ったんなら関係ねぇか」

 

 茶髪を逆立たせ、その相貌を青いラインが貫いている。右目に浮かぶのはスペードの意匠。

 

 その威容にクジラでさえもたじろぐ。

 

「……契約者……。しかし何故この位置に……」

 

「さぁな。だが、まぁ、時間は稼げた。どいつの目論見かは分からねぇが、こういうの、天の思し召し、とか言うのか? 人間は。どっちだっていいさ。天だろうが地だろうが、オレの味方には違いねぇ!」

 

 言い放ったエイジへとクジラが手を払う。

 

「ドヒドイデ! ルガルガンを操って攻撃せよ」

 

 しかし、ルガルガンはその命令を聞き入れなかった。それどころか敵意を持って、ドヒドイデとクジラを睨む。

 

 その瞳が赤く怒りに燃えていた。

 

「ルガルガンの毒ならさっき消したぜ。オレの黒い霧でな」

 

「さっき肉体が砕けた時の……」

 

 ダムドは躯体を破壊される事も計算内でルガルガンに肉薄したのか。正気を取り戻したルガルガンがドヒドイデへと一瞬で接近する。ドヒドイデの遅れた一撃が突き刺さる前に、ルガルガンの手に固めた岩石の刃が突き刺さっていた。

 

 ドヒドイデが後退した床へとルガルガンが地面に拳を打ち付け、衝撃波を与える。

 

 ドヒドイデの体重が床にかかった瞬間、地面が砕け無数の岩の散弾がその堅牢な躯体を震わせていた。

 

「……これは地面タイプの……」

 

「ドンピシャだ! やっぱり毒は持っているって事はよォ、地面は苦手タイプだよなァ。そんでもって、今のルガルガンは……」

 

 ドヒドイデが応戦の毒針を放射する。リッカは慌てて声にしていた。

 

「危ない! ルガルガンに攻撃は絶対に命中する!」

 

 そう、特性「ノーガード」が有効ならば、ルガルガンは避けられない。だが、その特性をまるで無視したようにルガルガンは軽く身をひねり、ドヒドイデの攻撃の応酬を完全に回避していた。

 

 クジラもその素早さに言葉を失っている。

 

「馬鹿な……。特性は変えようがない」

 

「ああ、変えられねぇ。だが無効化は出来る。それがオレの固有技、コアパニッシャー。ルガルガンに接近した時、今だけ特性を打ち消した。今のルガルガンに攻撃は当たらねぇ。もちろん、こっちの攻撃が当たるかどうかも賭けだが、それでもドヒドイデからしてみれば、今のルガルガンは脅威だろ? 素早くて地面技を出せる相手だ」

 

 クジラは歯噛みする。リッカは構え直したルガルガンを目にしていた。主人を守り、そして誓いは貫くと決めた双眸に迷いはない。最早、操り人形の愚を犯す事はないだろう。

 

 この戦局、クジラはどう出る? と息を呑んでいると相手は意外にもドヒドイデをボールに戻していた。

 

「……おいおい、まさか終わりかよ」

 

「ああ。勝てない勝負はしないのが私の流儀だ。行くといい。ただし、私は一度帯びた任務は死んでも達成する。いずれはパッケージを確保すればそれでいい。そう、最終的な勝者が覆らなければ、それでいいのだ」

 

 今の因縁に執着するよりも大局の勝利を見据えたやり方にダムドは反吐が出るとでも言いたげであった。

 

「つまんねぇな、テメェ。だが、ここでオレを逃がせば背信行為じゃねぇのか」

 

「それよりも、ここで私が死ねばそれこそ、組織にとって不利益となる。私はそういう風には動かない」

 

 見事に挑発が外れた形となった。ダムドはしかし、この戦局も読んでいたのか、言葉少なにリッカへと顎をしゃくる。

 

「行くぜ。道を譲ってくれるって言うんだ」

 

「で、でも……」

 

「でもじゃねぇ。堂々と行こうぜ」

 

 リッカはクジラの横を悠然と通り抜けようとするダムドを止めかけたが、クジラもダムドもそれ以上の言葉を交わそうとしなかった。その代わり、二人の間にはより色濃い因果が横たわったのが窺い知れる。

 

 エイジの身体に宿ったダムドに手を引かれ、リッカは通り抜けるその瞬間まで緊張の糸を緩められなかった。

 

 ようやく敵が射程距離から離れてようやく呼吸を戻す。

 

 通常の呼気から離れた緊張の吐息はいつもより深かった。

 

 ダムドがエイジの身体で嘆息をつく。

 

「こんなところで、やられてられねぇ。相手が譲るんならそれ以上の深追いはしねぇ」

 

「でも……ここでやらないと」

 

 追われるだけなのでは、という疑念にダムドは頭を振った。

 

「……正直なところ、こっちも限界が近ぇ。ここで敵が退かなかったら奥の手も辞さないくらいだったんだからな。それなら、敵が潔いほうがちょうどいいさ。こっちも手を晒さずに済む」

 

「……そんな悠長な……」

 

「悠長もくそも、エイジを取り戻すのが第一条件だったはずだ。それを果たした以上、勝利条件は満たした。オレ達は勝利しながらに帰還しないといけねぇ。間違えんな、メスガキ。まだオレ達は戦いのレートにすら立っちゃいねぇんだと」

 

 戦いにすらなっていない。その言葉の重みにリッカは身震いする。これだけ戦力を整え、戦術を磨いてもそれでも足りない。圧倒的に足りないのだと実感させられただけだ。

 

 ダムドはセルを使用し、必死でエイジを取り戻した。それはきっと、契約とやらが言うほど容易くない事の表れであろう。

 

 エイジは、と窺った眼差しにダムドが応じる。

 

「……エイジは何でだかさっきからだんまりだ。おい、エイジ。メスガキが必死こいて助けてくれたんだ。礼くらいは言えよ」

 

「だからメスガキって……。エイジは、本当に……その……」

 

 エイジ本人なのか。そう問い質そうとして、エイジの逆立った髪が戻っていた。癖っぽい茶髪に戻り、柔らかな眼差しが応じる。

 

「……ゴメン、リッカ。ダムドからある程度は聞いたよ。無理をさせた……」

 

「別にいいのよ。留守の間は任されているんだし」

 

 そうは強がったものの、エイジの帰還は素直に嬉しい。それを言葉にするのが照れくさいだけの話だ。

 

 エイジの表情にはしかし、翳りが見えた。どうしてだか助け出された事実をエイジ自身がどこか気後れしているようである。

 

「エイジ……。何かあったの?」

 

 幼馴染なりの機転のつもりだったが、エイジは頭を振る。

 

「いや……まさかダムドとリッカが助けてくれるとは思っていなくって……。正直な驚きだよ」

 

「それは……ダムドがどうしても助けたいって言ってくれたのよ。あんたが……強盗からあたしを助け出してくれたって聞いたし」

 

 その事も礼くらいは言わなくては、と思い立ったその時、地下通路に声が鳴り響いていた。

 

『エイジ君。逃げるのか』

 

 男の声音にエイジが目に見えて息を呑む。リッカは前に出て言い返していた。

 

「勝手に連れ去って、何て言い草!」

 

『……お仲間か。君はしかし、真実を知ったはずだ。ならば、戻れないぞ』

 

 その退路を断つ物言いに抗弁を発しようとしてエイジが制していた。

 

 首を横に振り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「……教えてもらった事が嘘だとは思っていません。それに、その真実とやらも。……ですが、僕は自分で知りたい。自分で、本当の事は自分の目と耳で、感じたいんです。それの手助けを、ジガルデはしてくれる」

 

 その言葉振りに何かあったのは疑いようのないのに、エイジは異論を挟ませなかった。相手は納得したのか、元より説得は不可能だと判断していたのか、言葉を繰る。

 

『しかし、エイジ君。それは茨道だ』

 

「構いません。僕はジガルデと契約した。その時から無関係は決め込めないんだと、覚悟はしたんですから」

 

 普段のエイジらしくない強い論調に言葉をなくしていると、相手の男はふむと一拍置いた。

 

『……覚悟、か。しかし後悔する権利はある。君には道を誤って欲しくない』

 

「違えるかどうかは僕の問題です。あなたの問題じゃない」

 

 言い放ったエイジに相手はそれ以上の言葉を仕舞った。今も自分達の位置は捕捉しているはずなのに、攻撃してくる事もなかった。

 

『……ルート23を開く。そこから脱出したまえ』

 

「むざむざ逃がすと?」

 

『今の君に宿っているジガルデはスペード。最も強い力を持つとされるジガルデだ。その追撃を、エージェントは諦めた。それだけで、もう我々の追う理由は半減した。今の君は、そのジガルデと共に外に逃がしたほうが有益だろう。無論、我々にとってね』

 

「……行こう」

 

 エイジは示された道を歩みゆく。リッカはその背中に覚えず声を投げていた。

 

「エイジ……! あたしもその……いるから」

 

 すぐ傍にいる。そう言いたかったのだが、言葉が浮かんでこない。いい言葉が、気の利いた一つでも言えれば、どんなに違うか。

 

 エイジは寂しげに頷いた。

 

「ありがとう。でもゴメン」

 

 どうして謝ったのだろう。どうして、そんなに悲しい眼をしているのだろう。悲しげに沈んだままの瞳で、自分を見て欲しくなかった。

 

 エイジは無鉄砲でも、優しくそして前を向いて欲しい――。

 

 そう願うのは、自分のエゴだろうか。今はまだ答えは分からない。

 

 分からないまま、この地下通路から、二人は外を目指していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対象、離脱しました……。これでよろしかったのですか?」

 

 オペレーターの問いかけにサガラは頭を振る。

 

「これ以上は自由意思に差し障る。それに、追撃に出ていたクジラがもう不可能だと判断した。執行部が諦めれば、我々が追うわけにもいくまい」

 

「ですが……このままでは」

 

「上からの命令もある」

 

 その一言が効いたのか、全員が押し黙った。

 

 上の考えは窺い知れない。しかし、ジガルデによるこの壮絶な陣取り合戦を裏で糸を引こうとしているのだけは間違いないだろう。

 

 そのために、今はスペードスートのジガルデコアは逃がす。

 

 その判断が大局を見ているのならばそれに従うしかない。所詮自分達も、駒に過ぎないのだから。

 

「しかし……ジガルデコアがこれをやってのけたと? 我々ザイレムの上を行くのでは……」

 

 その懸念も無理からぬ事。翻弄されたのは事実なのだから。これまで以上に、ザイレムではジガルデコアの警戒を厳にするべきだろう。

 

 サガラは拳を骨が浮くほど握り締めていた。

 

「……借りは返す。だが今ではない。我々も盤石ではない今、追う事ばかりにかまければ見失うものもあるだろう。泳がせるのも必要な戦術だ」

 

 それに、とサガラは胸中に結ぶ。

 

 今回、スペードのジガルデコアは相当セルを消費した。こちらで回収出来たセルも多数ある。その収穫だけで充分だと思うほかない。

 

「しかし……苦々しいですよ。せっかくの契約者を逃がすなんて……」

 

「だが彼は全てを知った。……まぁ、彼の世界で知り得る全てだが」

 

 まだ隠し通しているジガルデの秘密はある。無論、世界の秘密も。

 

 だが、まだ知る時ではない。エイジはいずれ、立ち向かわなければならないだろう。彼自身の世界の秘密に。

 

 そして対面した時、彼は何を思うのか。それがジガルデ攻略の鍵となる。

 

「闇の眷属達よ……。その時を待っているがいい。貴様らを潰すのは自らの育んだ毒だ。それを知った時、お前達は……」

 

 絶望するのか。その答えまでは出なかった。

 

 



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第二十三話 新たなる場所へ

 

 メガプテラは帰投ルートを悟らせないように高度を保ったまま、隣町であるカエンシティを経由して回収する、とリッカが言った時、エイジは別の事を考えていた。

 

 今もこの身に宿るダムド――ジガルデコア。それをどう自分の中で落としどころを見つけるのか、それがまるで見当たらない。

 

 ザイレムで男の言った事が本当ならば、ランセ地方は最初から実験台であった。その事実にエイジは押し潰されそうな胸を必死に押し留める。

 

「……エイジ。どうしたの?」

 

 リッカの問いかけにエイジは頭を振る。

 

「何でもないよ」

 

「何でもなくないでしょ。……何か言われたの?」

 

 さすがは幼馴染と言ったところか。目聡いところに、エイジは頼ろうとして、内奥よりのダムドの声に阻まれていた。

 

(エイジ。何か枝でもつけられたのか? さっきから動悸が落ち着かねぇみたいだが)

 

「いや、そんな事は……ない、はず」

 

(オレが精査した限りじゃ逆探知の心配はなさそうだが、それでも不安ならもっと深層に潜っても……)

 

「いや、それは駄目だ」

 

 無論、ダムドが心の奥底まで読むと思ったわけではない。しかし、今心の内側を読まれれば、きっとダムドへの不信感が露になってしまう。そんな状態で契約を続ける自信はなかった。

 

「エイジ……?」

 

 リッカが手を彷徨わせる。エイジは何でもない風を装う。

 

「いや、本当に何でもないと思うんだ。だって、それなら僕を逃がすわけがない」

 

(同意だが、今回ばっかしはあんま楽観視も出来ねぇ。敵は何をしてくるか分からないってのがハッキリしたんだからな)

 

「……それはお前もだろ。まさかリッカを巻き込むなんて」

 

「巻き込まれたつもりはないわ。ダムドにはあたしも話を通してある」

 

(その通りだ。メスガキも色々と有能でね。メガプテラの捕獲は今回の作戦を有意義に進めた)

 

 リッカのポケモンデータベースに登録されたメガプテラにエイジは素直に驚いていた。自分が治療不可だと判断した個体をまさか捕獲しているとは思ってもみない。

 

「……あのメガプテラ、言う事を聞いたんだ……」

 

「苦労したんだからねっ。死にかけたし」

 

(笑えねぇんだがな。マジだったし)

 

 ダムドがそう言うのならば相当な戦いであったのだろう。エイジは後にした地下施設へと振り返っていた。

 

「……あんなところに基地の出入り口があったなんて……」

 

 出口に使ったルートは一方通行で、輸送車の通る専門ルートの真下に位置していた。平時には封鎖されている場所である。「汚染地帯」と書かれた札と封鎖線があり、誰も入ろうとは思わないだろう。

 

 そんな場所に――否、このランセ地方そのものに、あの組織は根を張っている。

 

「……ザイレム、か。あの組織、多分これじゃ終わらないよね……」

 

「危ない連中の集まりよ。イカレてるわ」

 

(それに関しちゃオレもそう思うが、それでも解せないのがある。ちょっと外に出るぜ)

 

 ジガルデコアが染み出し、セルを寄り集めて漆黒の獣形態を取る。その姿にエイジは言葉を投げていた。

 

「セルの数は? 相当使ったって聞いたけれど……」

 

(あと二つ。正直、この姿も維持出来ねぇ。ギリギリだな。五分もなっていれば形象崩壊しちまう)

 

「それって、やっぱりまずいの?」

 

(いくら宿主であるエイジが戻ってきたところで、オレの出れる時間は限られる。それにこれから先、セルの争奪戦に入るんだ。オレがあんまし出張っていてもしょうがねぇ。この姿は極力見せず、セルやコアの宿主から掠め取れればいいんだが……)

 

「そう簡単じゃない、か……」

 

 口にして、困難な道であるのを再認識する。セルの争奪戦。それだけではない。ランセ地方はジガルデの特色に染まった土地。この場所で闘争が繰り広げられるのは、最早運命なのだ。

 

 その運命の歯車に、自分も組み込まれた。

 

 大いなる一手として。

 

 ならば、意義のある一手になりたい。それが今のエイジを突き動かす行動原理であった。

 

「……ダムド。セル集め、僕にも手伝わせてくれ」

 

 思わぬ提言であったのだろう。二人とも瞠目している。

 

「エイジ……どうして急に?」

 

(協力的なほうがやりやすいがよ……。今回の件で分かっただろうが敵も手段は選らばねぇ。基本的には死と隣り合わせだ。それでも、やるってのか?)

 

「契約しただろ。僕は、お前の宿主だ」

 

 無論、それだけではない。戦い抜くのならばしかし、決断は早くなくてはならないだろう。

 

 いつまでも燻っている場合ではないのは、あの男より教えられた事と、そしてダムドと同じくジガルデコアが無数に存在する事実からも明らかだ。

 

 戦わなければならない。戦って勝ち抜くしかない。

 

 それが自分達に与えられた宿命だとするのならば。

 

 リッカは反対するかに思われていた。しかし、彼女は殊勝にも頷く。

 

「……正直なところ、あたしもそれがいいと思う。何もしなくても、敵は攻めてくるし、それにいつまでも逃げに徹していたんじゃ、何も出来ない。エイジが戦うって決めたんなら、あたしも応援する。一人にはしないから」

 

「リッカ……。でもこれは、僕の問題で……」

 

(言ったろ。一蓮托生なんだ。それに、このメスガキも相当にやる。味方にして惜しい戦力じゃねぇ)

 

「だから、メスガキ言うな。……いずれにしたって、今のあんた達を放ってはおけないわよ」

 

 しかし危険な戦いになるだろう。もしもの時、リッカも巻き込んでしまう。その危惧を口にしようとすると、エイジは額をデコピンされた。

 

「痛った……」

 

「今、巻き込んでまう、とか言おうとしたでしょ?」

 

 言い当てられて無言を是にすると、彼女は腰に手を当てて憮然とする。

 

「呆れた! 今さらそんなの、言ったところで通用する? もういい感じのところまで巻き込まれちゃっているのよ。だったら! そのまま長いものに巻かれるか、そうじゃないかの違いでしょ!」

 

 言ってのけた胆力にダムドが鼻を鳴らす。

 

(根性だけは据わっているな。ま、大方の意見は同じだ。エイジ。もう逃げたってしょうがねぇ。オレもこのままじゃ、契約した張りもねぇってもんだ)

 

 二人分の意思を受け止め、エイジは首肯する。

 

「……旅に出よう。ランセ地方で、僕らがセルとコアを集めて……この大きな戦争に勝利する」

 

 未だに現実感はない。それでも、高鳴る胸の鼓動だけは、本物であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二章 了

 



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第三章 試練前夜
第二十四話 十二番目の少女と死に損ないの彼


 

 プールの上に浮かび上がった光景にサガラは苦味を噛みしめていた。

 

 高度一万メートルに位置する相手の正体はようとして知れず、加えて執行部の不始末、そしてエージェントの手前勝手な命令。

 

『これらは全て背信行為である。何か、言い分はあるか。サガラ室長』

 

 円筒型の機械より声が発せられる。沈黙を貫こうとすると糾弾が浴びせられた。

 

『これは査問会だ。場合によっては君の今の処遇を解いてもいい』

 

 それは、とサガラが致し方なく口を開いていた。

 

「これは……最善策であったはずです」

 

『どの口が言う。執行部をカエンシティに独断で動かし、そしてエージェントの一人を自分の都合で命じておきながら、Z02の逃亡を許した。君の不始末を問うのは簡単だが、我々とて今までの君の手腕は買っている。ここでただ単に尻尾切りにするのは惜しい、と言っているんだ』

 

 尻尾切り。比喩でも誇張でもなく、その通りなのだろう。彼らからしてみれば、切っても何の痛みもない身分である。代わりなどいくらでも利く人間だ。だからこそ、彼らの詰問の声は激しい。

 

『Z02の宿主にランセ地方の秘密も一部漏えいした、という報告もある』

 

 お喋りなオペレーターがいたか。誰か、までは問うまいが。

 

『これらが事実だとすれば、我々は大きな一手を仕損じた。反論があれば聞くが、それが有用かは』

 

『我らが決める。君はどれだけ言葉を弄そうとも責任は取らなければいけない。Z02の宿主を逃した、その責からは逃れられない』

 

『言い分はないのか? サガラ室長』

 

 ここで下手に抵抗したところで、ザイレムでの居場所は限られている。だが、このお歴々の言う通りにすごすご下がるのも、それは違うとサガラは拳をぎゅっと握りしめていた。

 

「……Z02の宿主である少年にはまだ使い道があります」

 

『どのような? あんなもの、どうせ死にたくない一心で契約した紛い物だ。殺してどうして契約権を奪わなかった?』

 

「解析しても、Z02の痕跡は出なかった」

 

『しかし契約痕は出たはずだ』

 

 その声に自分の左手の甲を咄嗟に隠す。今は手袋をしているが、それでも内側のスペードの火傷が疼いた。

 

「……それが決定打とは」

 

『サガラ室長。君の悠長な態度にザイレムのスポンサー連はそれなりにお怒りでね。Z02が手に入らないのならば多額の寄付金も来期はないと言っているのだよ。これ以上状況が逼塞すれば、それこそここまで積み上げた意味もないというもの』

 

『左様。今こそ、一気呵成に全てのスートを揃え、そしてセルの盤面を支配する時。そのような一刻を争う事態に、君は何をしていた? 敵であるはずの契約者に何もしないなど。まさかそこまで日和見になったわけでもあるまい』

 

「しかし、まだ八割以上のセルの居場所も分からないのです。セルは、コアに引かれ合う。ならば、ジガルデコアを泳がせる方向に行動させても何ら不思議はないでしょう」

 

『セルの居場所など、君ら自慢の十二番目に任せればいいだろう』

 

『それとも、あの被験者は失敗かね?』

 

 挑発されればこちらがぼろを出すとでも思っているのだろうか。むしろ、それを引き合いに出されればサガラはより慎重であった。

 

「……彼女は不安定です」

 

『だが利用は出来る。コアにセルが引かれるというのならば、あれも例外ではないはずだ』

 

「コアと言っても、クラブのスートは我々からしてみても切り札。出したくないのが心情のはず」

 

『サガラ室長。我々を侮ってもらっては困るな』

 

『これを見たまえ』

 

 プールに投影されたのは、どこかの戦地を行き交う白髪の少女であった。白いスーツを身に纏っており、その背中にクラブのマークが緑色の光を伴って現出する。

 

 その光景にサガラは息を呑んでいた。

 

「まさか……」

 

『実戦配備は滞りない。執行部の教育は行き届いている』

 

 サガラは奥歯を噛みしめた。これでは自分の計画通りに事が進まない。

 

「……トゥエルヴは不完全です。出すべきではない」

 

『しかし戦果はそれなりだ。見るといい。現在のゾーンだ』

 

 投射画面が切り替わり、概念宇宙に発生する盤面に僅かながら差異が発生したのを告げていた。

 

 四隅のうち、緑色に区分けられた部分が増えている。

 

『クラブのスートのジガルデはそれなりに働いてくれている。まぁ、確かに君の言う浸食の危険性ははらんだままだが、それも別の駒を用意すればいいだけの事』

 

『どうかね? サガラ室長。これでもまだ、異論があると?』

 

 最初からこれを見せつけ、自分の退路を断つためにこの査問会は開かれたのだ。そう考えれば、この連中もとんだ食わせ者。室長の座を追いたい誰かの口車に乗せられたか。あるいは、もっと旨味のある交渉条件を上げられたのか。

 

 サガラはしかし、この程度で折れるつもりはなかった。これしきで下がるくらいならばこの悪魔達とどうやって渡り合うと言うのか。

 

「……では、これもご存じで?」

 

 サガラがプール上に投影させたのは、適合者のリストである。その合致率に相手が今度は言葉を失っていた。

 

『……合致成功率八割以上だと……』

 

『サガラ室長。我々に黙っての適合者探しは――』

 

「違法、ですか? そっちも外法を使ったのです。こちらばかり糾弾されるのも間違っているはず。それに、我々ザイレムにとって法は意味を成さない」

 

 適合者リストを漁るお歴々は急に言葉を慎重にしていた。

 

『……これが事実ならば……サガラ室長。君はセルの適合者を、わざと野に放った、というのかね?』

 

 そう、適合者達はスペードスートのジガルデの放ったセルを移植した後、ランセ地方にて元の生活に還した。

 

 これがどれほどの脅威なのかはゾーンで陣取り合戦を俯瞰する連中ならばよく分かるはずだ。

 

 駒が駒以上の動きをする可能性がある。しかも、自分達には不利益な方向で。それだけでもマイナスならば、サガラはさらなるカードを切っていた。

 

「セルの適合者の位置情報は私が持っています」

 

 これで相手の出る行動は絞った。後は、どれだけの手札を互いに持っているかで変わってくる。

 

 ここでは――目論見通り、相手は態度を委縮していた。

 

『……セルの適合者の情報は秘匿権限にある』

 

『それをどう扱うのかは我々の一存のはずだ』

 

「ええ、そうでしょうとも。しかし、持っているのは私ですよ?」

 

 下手を打たなければ、ここで相手は引き下がるはず。しかし、ザイレム上層部はただでは後退する気はないらしい。

 

『……十二番目の被験者との面談を、君に課す』

 

「……何故、私が……」

 

『あれの適合実験を指揮したのは君だ。今の彼女のメンテナンスくらいはお手の物だろう?』

 

 精一杯の嫌味のつもりか。サガラは言い返していた。

 

「適合者のそれからの処遇は彼ら彼女らの心情を優先すると……」

 

『その言葉が正しいのならば適合者の情報をオープンソースにしたまえ。全てはそれからだろう』

 

 ここに来て本音を隠すつもりもないか。サガラは少しばかり剣を呑む必要性もある、と自分に言い聞かせた。

 

「……承知しました。しかし、セルの適合者の情報は私の権限で動かしてもらいたい」

 

『構わん。君の都合のいい時に渡してくれるといい』

 

 ここで課せられるだけのペナルティは課したのだろう。それ以上は相手も要求してこなかった。

 

『以上で査問会を閉会する。サガラ室長。首の皮一枚で繋がったな』

 

「……幸運に、思うべきなのでしょうかね」

 

『ゆめゆめ忘れるな。我らザイレムの理想を。それは全てのスートのセルとコアを手に入れた時にこそ、達成される』

 

 話はそこまでだ、と言うように円筒の機械達は沈黙する。サガラは踵を返していた。

 

 エレベーターに揺られながら、使用端末より十分後に十二番目の適合者との面談予定が設定されたのを確認する。

 

 それを目にしてサガラはエレベーターの壁を殴っていた。

 

 何も出来ない不実よりも、こうして突きつけられた弱さが滲み出る。

 

「私は……まだ降り切れていないと言うのか……」

 

 到着したエレベーターは十分のインターバルを利用すべく訪れた喫煙所であった。

 

 そこに佇む人影一つを確認して、サガラはサングラスのブリッジを上げる。

 

 密閉された喫煙ルームで、背中越しにその影と声を交わした。

 

「珍しいねぇ。室長がここを訪れるなんざ」

 

「……執行部にはすまない事をしたな、オオナギ部長」

 

「いいさ。泥を被るのは慣れてる」

 

 オオナギは一服を含み、紫煙をたゆたわせた。

 

「……だが私の判断ミスだ。あそこでZ02に読み負けなければもう一手上を行けた」

 

「セルは手に入った。それでチャラだろ」

 

 そう、セルは手に入った。スペードスートのセルは有効に使える。問題なのは、仕損じたという事実は思ったよりも重く沈殿するという事。

 

「……セルの数だけでこの争いに終止符を打てるわけではない」

 

「コアをどこまで効率よく手に入れられるか、だからな。加えてコアの宿主には、セルを感じ取る能力もある。効率的にセルを集められるのは、どう考えてもコアの契約者だ」

 

「……だから、トゥエルヴも利用される」

 

 その言葉には一家言あったようでオオナギは言葉尻を沈ませた。

 

「……悪かったな。ああいうパフォーマンスもしないと、お前さんの首が飛ばされそうだったからよ」

 

「いや、最低限の被害であったと、理解している」

 

 ただ、理解するのと納得するのは別の話だと分かっただけの事。サガラは大きくため息をついていた。

 

「トゥエルヴの利用には、こっちももちろん、慎重にするようにしているさ。あれを失えばお歴々は怒り心頭だろう。それが自分達の采配ミスだなんて考えもしない」

 

「考える前に結果の試算だろう。トゥエルヴの利用に際していくつかの条件を設けたつもりだったが、甘かったな。上は軽く、その抜け道を見つけてくる」

 

 上層部を嘗めていたわけではない。それでも苦味が先行するのは、やはり現実とは割り切れないものだと痛感させられるのだ。

 

「……五分後だろ。面会」

 

「……他人のスケジュールに干渉するのはおススメしないな」

 

「トゥエルヴに関しては俺も悪いとは思っているからな。だから……罪滅ぼしじゃないが、今回の作戦報酬に好きなものを選んでいいと言ってやったら……新しい本が欲しいだと。カロスの学術書が欲しいってんで、渡してやったよ。その話でもして盛り上がって……いや、これも嫌味かもな」

 

「いいや、助かる。カロスの学術書ならばいくつか読んだ事があるからな。遺伝子研究、メガシンカ分野ならばそれなりに」

 

「俺はちんぷんかんぷんだ。頭が痛くなるから見せないでくれと頼んだらむくれていたよ。あのお姫様は」

 

 ははっ、と渇いた笑いが出たのも一瞬。サガラは喫煙ルームを後にしていた。

 

「一つだけ聞くが、過去への償いは、ただ虚しいだけだぜ」

 

 それは、誰への忠言のつもりなのだろうか。サガラは目線すら向けずに応じていた。

 

「……この地に赴いてから、私を苛むのは過去ばかりだ。目を背けていたら何も出来んよ」

 

 それを潮にしてオオナギと別れ、サガラはエレベーターへと再び乗り込む。向かった先にあるのは実験区画であった。

 

 いざという時にはこの区画はザイレム地下施設から切り離せるように設計されている。いくつかの照合を経てからサガラは滅菌されたかのような真っ白な空間に出ていた。

 

 立方体の部屋の壁は自傷防止のためにクッション状になっている。

 

 その部屋の中央部に、真っ白な少女が佇んでいた。

 

 黒い革製のカバーをかけた本を読んでいる。

 

 先ほどの映像のままの身体に張り付くかのようなスーツを身に纏い、白い少女はこちらの気配に気づいて面を上げていた。

 

「……トゥエルヴ。具合はどうだ?」

 

「ステータスはオールグリーンです。身体状況に影響のないレベルでの汚染は、七パーセント以内に備蓄。空間内の酸素濃度は、平常通り」

 

 読み上げるかのような機械的な声を聴き、サガラはサングラスをかけ直す。

 

「実践データを見た。有意義な戦闘だったか?」

 

 その問いかけに白い少女は、その白亜の見た目の中で最も映える真っ赤な瞳を伏せていた。

 

 伏せた眼差しが何かを得たかのように見開かれる。

 

「……十五時間前の戦闘を反芻。はい。いくつかのセルを回収しました。埋めたゾーンは三つ。私とZ03は共に損耗状態は軽度。これは我が方の勝利と言えます」

 

「そうか。……それならばいい」

 

 淡々と白い少女は告げてから本へと視線を落としていた。サガラは咳払いして尋ねる。

 

「その本は面白いか?」

 

「面白い……。その感情は明言化が難しいと、判定します。私の中にはない経験のため、これに対する的確な判断を保留。ゆえに、結果としてその判定は困難です」

 

「……Z03は?」

 

「コアの状態で私の中で眠っています。睡眠状態はレム睡眠へと移行中。起こしますか?」

 

「……無理がないのならば」

 

「では。起きて、〝ライカ〟」

 

 その言葉に少女の身体からしみ出すかのように緑色の体色をしたジガルデコアが出現していた。

 

 コアの色も同じく緑。

 

 サガラはそれを前にして聞いていた。

 

「ライカ。先の戦闘での感想を聞きたい」

 

(はい。サガラ室長。我々はセルの争奪戦に参加し、執行部の方々と共にセルを三つ、入手しました。それぞれ、クラブが二つ。ハートが一つです)

 

「別のスートが混じっていたのか。反発は?」

 

(今のところは。トゥエルヴの体調も悪くありません。今回は相性が良かったのでしょうね)

 

 少女よりかは少しばかり感情の籠った声音だが相手はZ02と同じ、ジガルデコアには違いないのだ。

 

 こうして話しているのもジガルデコアが高度な知能を持ち、テレパシーで人間と交信する術を持っているからに他ならない。

 

「少しでも異常が発生したら知らせてくれ。私はそのためにいる」

 

(はい、室長。……トゥエルヴ。その本が面白いか、という質問をされたのですから答えなさい。それが務めでしょう)

 

 叱責したライカに少女――トゥエルヴはここに来て初めてどこか顔を翳らせる。

 

「……分からないから、答えられない」

 

(貴女の場合は答えられない、ではなく、答えようと努力しない、でしょう。考えなさい。何のために貴女の五感はあるのか。それで感じた事をそのまま言葉にすればいいのです)

 

 トゥエルヴは目線を彷徨わせた後、ふっと答えていた。

 

「……興味がある」

 

(それが貴女の感想です。興味があるのならば、それは面白い、のですね?)

 

「……分からない」

 

 平行線を辿る会話に、ライカのほうが呆れ返る。

 

(申し訳ありません、室長。トゥエルヴはまだ、その感情をどう呼ぶのかを……)

 

「いや、無理はしないでくれ。私も、無理難題を吹っかけたようなものだ」

 

 サガラは腕時計型の端末に予定時間を調整する。これで面会時間は過ぎたはずだ。

 

(もうお仕事に戻られるのですか)

 

「……君らと会うのも上から命じられてね。たまには顔を出せ、との事だ」

 

(無理はなさらないでください。トゥエルヴ。室長が帰られますよ)

 

 その言葉にトゥエルヴが本から視線を上げ、そしていつもの挨拶をしていた。

 

「……行ってらっしゃい。にいさん。……ライカ、これってどういう意味なの?」

 

(そう言って差し上げると室長は私達のために頑張ってくださるのです。そう言いなさい)

 

「うん。分かった。がんばってね。にいさん」

 

 その言葉を受けてサガラは身を翻していた。いくつかの身分の照合を再度受けて、エレベーターへと入る。

 

 誰の監視の目もない事を確認し、サガラは奥歯を噛みしめ、叫んでいた。

 

「チクショーが!」

 

 どうしようもない憤懣。そして、どうしようもない現実。それがサガラの脳裏を掻きむしる。

 

 どうして現実の前に人間は無力でなければならない。どうしてここまで残酷な事を強いられなければならない。

 

 全ては――この呪われた地が放つ運命なのだとすれば……。

 

「恨むぞ、ジガルデ。私は、お前が憎い……」

 

 その罪なる一滴が、墨のように黒く心を澱ませていた。

 

 



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第二十五話 力への求心力

 

 ハジメタウン北部に位置するポケモンセンターは近年に新設されたものであり、それまでの技術からは一歩抜きん出た代物として、この始まりの町に屹立していた。

 

 中でもカロスの近代技術の粋であるホロキャスター技術を応用したポケモンの状態以上をリアルタイムで計測出来る回復装置はランセ地方では一目置かれている。

 

 それまでカントー産の大雑把な回復装置でポケモンの状態を確認していたランセ地方の人々の間には、民間療法が強く根付いており、どうしても手持ちをポケモンセンターに預けたくない、という層が一定以上存在した。

 

 それらの溝を解消したのは技術革新の分野においてはやはり、若年層における情報の近代化であろう。

 

 彼らは遠く離れたカロス、ホウエンのような技術立国とリアルタイムで通信を繋ぎ、現状ランセ地方に必要なものが何かを日夜議論していると言う。

 

 そうしてポケモンセンターや医療機関のアップデートがこの近年で拡大した――と言う話をリッカから聞かされたダムドは辟易した様子であった。

 

(何て事はねぇ。結局、俗信や独学が一番偉いと思ってやがるのさ。遅れた地方によくあるこった)

 

「あんた、そういうけれどねぇ……。メガプテラが二時間も経たずに回復出来るのはこの施設のお蔭なのよ?」

 

(だからって後生大事にしろってか? 下らねぇ。そういうの、無知ほどバカを見るって言うんだぜ)

 

「……本当に強情ねぇ。どう思う、エイジ」

 

 急に振られてエイジはまごつく。

 

「えっと……でもやっぱり、ダムドをポケモンセンターに預けるのは反対かな。いくら……ルガルガンの一撃を受けたって言っても」

 

「まぁ……そうよねぇ……。でも、あんたも、自分が大丈夫、なんて思わない事ね。ルガルガンの毒だって、取れていなかったんだから」

 

 ルガルガンは毒の回復に回されていたが、やはりと言うべきか、即座に突き返されていた。

 

「すいません……。この町の医療情報だけでは判断出来なくって……。やはり大きな町に行くのがいいでしょう」

 

 その答えを聞いてエイジはボールを握り締める。自分の迂闊さが招いた結果だ。甘んじて受け入れるとしよう。

 

「いえ、いいです。ありがとうございます。とりあえず、痛み止めを打ってもらって安心しました」

 

 医療機関従事者――別名、「ジョーイ」は微笑んでいた。

 

「それ以外の傷は治しましたので、やはりジェネラルレベルの高い方に付き添っていただくのが一番でしょうね」

 

 ここでも突きつけられる。ジェネラルレベルが低いばかりに、手持ちにまで負担をかけるとは。

 

 我が身の不実を嘆くだけならばまだいい。問題なのはこれからであった。

 

 リッカがメガプテラとフローゼルを受け取り、待合でジェネラル識別番号を打ち込む。こうした医療機関の恩恵を受けるのには市民番号が必須であり、ジェネラルは基本的にジェネラルごとの固有番号を打ち込む事で無償のサービスを受けられる。

 

 他地方で言うトレーナーID制がこのランセ地方でも採用されていた。

 

 先進地方ではいち早くこのトレーナーID制を実施したものの、野良トレーナーの増加やトレーナーの受け皿の不備によってうまく機能しなかったと授業で聞いた。

 

 現状、この制度が正常に稼働しているのはホウエンとカロスだけらしい。他の地方では、まだうまくこの機能を活かし切れず、事件や事故が勃発していると言う。

 

 ホウエンが技術で抜きん出ているのはデボンの功績が大きいのだろう。デボンコーポレーションは一昔前の不祥事で一時的な企業解体に追い込まれたものの、今は持ち直し、先進企業として一線を走っている。

 

 それはこのランセ地方でも同じで、ホウエン製のアイテムは数多く存在し、リッカが身に着けているものなどほとんどがデボン製品だ。

 

 エイジは少しばかりレトロなジョウト風の機械製品が気に入っている。

 

 カントー、ジョウトは跨っているためかやはりシルフカンパニーの貢献度が大きい。五十年前には稀代の天才、マサキが確立させたポケモン預かりシステムを筆頭に、シルフカンパニーは歴史の先駆者として名前を刻んでいる。

 

 カントーの本社はイッシュと貿易を結んだとしてその功績は大きく、そのお膝元であるヤマブキシティでは高層ビル群に肩を並べているシルフは誉れだと聞く。

 

「シルフ製品なんて、エイジってばやっぱりジジくさいわねぇ」

 

「いいだろ、好きなんだからさ」

 

 シルフカンパニーの作り上げた通信端末――ポケッチを掲げ、エイジはポケモンセンターを後にしていた。

 

 ポケッチはホロキャスターやアローラのロトム図鑑に比べれば五世代も前の通信機器だが、未だにキャリアは廃れず、第一線で使えるのは大きい。

 

 リッカがジジくさいと馬鹿にするのは、若者がホロキャスターや最新機器に流れるのに対して、ポケッチなどのシンプルな操作機器はやはり高齢層に支持されるからだろう。

 

 その分、保証も耐久性も折り紙つきだ。今回は保証期間内であったためか、あの組織を後にした時、剥奪されていた端末と同じものを買い揃える事が出来た。

 

(……しっかし、テメェらも呑気だねぇ。故郷に帰って真っ先にする事が身の回りの機械の点検かよ)

 

「人間からしてみればこれも必要なの。ダムドだって、このテレパシーが使えなくなったら不便でしょ?」

 

 その問いかけにダムドは不遜そうに応じる。

 

(人間とは場数が違うんだよ、メスガキ。それくらいはどうにかならぁ)

 

「だから! メスガキ言うな!」

 

 リッカの大声がハジメタウンの往来で弾ける。他人からしてみれば、エイジの身体の中に潜り込んだダムドとの会話のため、急に大声を出したリッカへと周囲の目が行く。

 

「……リッカ。押さえて押さえて……」

 

 赤面したリッカは顔を背ける。

 

「知らないっ。エイジもあんたも」

 

(おーっ、おーっ、そいつはとんでもないこって。エイジ、一旦対策を練る。あの木の家に戻るぞ)

 

「ああ、うん……。でも、今日もスクール、休んじゃったな……」

 

「あんたは病み上がりみたいなもんだからいいのよ。あたしのほうがピンチだし……」

 

 リッカはクラス委員だ。それにジェネラルレベルも一個抜きん出ている。模範生のつもりなのだろうが、度々自分を追って森に出ているため、決して内申点はよくないはずだ。

 

 肩を落としたリッカに、ダムドが声を発する。

 

(おい、エイジ。身体、貸せ)

 

「うん? 何をするのさ」

 

(いいから。借りるぜ)

 

 瞬間、ダムドが表へと出る。茶髪が逆立ち、右目を青い文様が貫いていた。

 

「あんたってば! こんな往来でよく……」

 

「うっせぇな。何か問題でもあるのかよ」

 

「大有りだってば! この町はそうじゃなくっても狭いんだから。エイジの人格が問われるでしょ」

 

 その言葉振りにダムドがケッと毒づく。

 

「人間様はその辺メンドくさいねぇ。ま、オレはどうだっていいけれど。それよか、あれ。あれだ。オヤジ!」

 

 呼びかけた声にガレット屋の主人が大慌てでこちらへと駆け寄る。肩を荒立たせた主人は自分達を見比べた。

 

「エイジ君! リッカちゃん! この間は、強盗事件で、その……」

 

「ああ、いいって事よ。解決した話なんて蒸し返すなって」

 

「そうかな……。でも、心に傷を負うのが君たちのような若者で……」

 

「うぜぇって。オヤジ、それよか前食ったあれ、焼いてくれ」

 

「ガレットの事かい? まぁ、いいけれど……」

 

 渋々ガレット店に戻った主人にリッカは呆けたように口を開けていた。

 

「あんた……勝手な事……」

 

「事実だろうが。どうでもいい話なんざ、蒸し返すだけ無駄さ。それに、あの強盗だってオレのスートのセルのせいでああなった。だから余計に、だろうよ」

 

(それって、僕らに心配をかけないため……?)

 

「エイジ。テメェもうっせぇぞ。どっちだっていいってのはそういうこった」

 

 疑問を打ち切り、ダムドは焼き上がったばかりのガレットを頬張っていた。主人がその様子を嬉しそうに見やる。

 

「本当に美味しそうに食べてくれるなぁ。前まではガレットが嫌いだっただろう?」

 

「そうなのか? こんな美味いもん食って、嫌いたぁ、贅沢だな! オレも!」

 

 大笑いしたダムドに主人もつられて笑う。

 

「いやぁ、まったくまったく! エイジ君は甘いもの苦手じゃなくなったんだ?」

 

「あン? そうだったのか?」

 

 内側でエイジは渋々声にする。

 

(苦手って言うか……おじさんのガレットは甘く作り過ぎなんだよ。砂糖盛り盛りだし、女子はいいかもしれないけれど……)

 

 リッカもガレットを受け取り、金を払っていた。

 

「エイジってば、その辺面倒なのよね。美味しいのに」

 

 リッカもガレットを頬張ってその甘さにうんうんと頷く。エイジからしてみれば味覚を感じないとはいえ、この身体であまり好きでもないものを食われるのは不承である。

 

「……しかし、エイジ君もイメチェンして様変わりしたねぇ。いや、おじさんも昔はロックをやっていたからよく分かるよ。エイジ君当たりの年齢だと特にねぇ」

 

「オヤジ、話分かるじゃねぇの。ま、そういう事にしておいてくれや」

 

(……人の身体で勝手に……)

 

「ところでよ、ジェネラルレベルってどうやって上げるんだ? エイジが最底辺の2なのは分かるが、そう易々と上げられるものなのか?」

 

 その問いかけにガレット屋の主人は頬杖をついて感嘆する。

 

「へぇー、万年サボり魔のエイジ君も遂に年貢の納め時か」

 

 その言葉にダムドが疑念を呈する。

 

「……ンだ? 真面目かと思ったら、テメェそうでもねぇのか?」

 

「エイジってば、試験の限りは絶対に受けないのよ。ジェネラルレベルが低いのもそのせい。内申点も悪いから、スクール進学に差し障るって言ってるのに」

 

 リッカの怒りにダムドは嘆息をついていた。

 

「……テメェ、もうちょっと真面目にやる気はねぇのか」

 

(……僕は真面目なつもりさ。ただ、その日に限って森の様子がおかしかったりして……)

 

 もちろん、これも言い訳である。試験の限りを受けないのは純粋に現状のレベルを知りたくないからだ。

 

 自分の戦闘力を知ったところでジェネラルとして旅に出ないのならば別段、困る事もない。そう思っていただけに、ここで足枷になるとは、と後悔が浮かぶ。

 

「オヤジはジェネラルなのか? ガレット屋やってっけど」

 

「昔はね。ジェネラルって言葉も発展途上の頃にやっていたよ。これでもジェネラルレベルは5なんだ」

 

 胸を張った主人にダムドはリッカへと視線を流す。リッカは肩をすくめていた。

 

「まぁ、並みね。ジェネラルレベルは全部で十三の項目があるから」

 

「真ん中じゃねぇか。よくえばれたな、オヤジ」

 

「ところが、5でも結構難しいんだよ。だってリッカちゃんは4だろう?」

 

 その指摘にリッカは痛いところをつかれたのか、言葉を澱ませた。

 

「よっ……4でもあたしはこのハジメタウンでは上のほうなのよ? ただ……あたしのフローゼルだと試験の相性が悪くって……。だから思案中ってわけ」

 

「要するに、テメェも決して強ぇワケでもねぇんだろ。ヘタなプライド張ってんじゃねぇよ」

 

 ダムドの舌鋒の鋭さにリッカは頬をむくれさせていた。

 

「ふんだ! エイジはもっと弱いじゃない!」

 

「どうかな。エイジ、やる気はねぇのか? オレとセルを集めるって、テメェ約束したよな? だったら手段は選んでいられねぇはず。町の行き交いにジェネラルレベルが必要だって言うんなら、オレは取得するのもやぶさかでもねぇ。テメェはどうなんだ?」

 

 問いかけられてエイジはまごついていた。強くなりたくないわけでもない。ザイレムのあの男から聞かされた真実が本当かどうかを確かめるのには旅に出なければならないだろう。しかも過酷な旅だ。それを行くのに今の最底辺では決していけないのはよく理解している。

 

 理解はしているが――自分は最底辺を彷徨い過ぎた。今さらのし上がるなど、過ぎたる思いであるという気持ちが先行する。

 

(……強くなったって、何があるって言うのさ)

 

「少なくとも、こんな田舎町で腐って、セルもコアも台無しにするよりかはマシなはずだぜ? オヤジ、ガレット美味かった。また食いにきてやらぁ」

 

「ああ、いつでも。しかしエイジ君、アドバイスするわけでもないが年長者として言わせてもらうと、向上心のない人間はただ闇雲に時間を浪費するだけだ。時間だけは絶対に後からは取り戻せない。これだけは言っておくよ」

 

「あいよ。多分、エイジの中には反響するはずさ」

 

 背中を見せたまま手を振り、ダムドは森のセーフハウスへと足を向ける。リッカがその背中へと追いすがっていた。

 

「どうするって言うの?」

 

「策を練る。このままじゃ、エイジの気持ちだって難しいだろうさ。だから、いっぺん、納得するまでオレとエイジだけで話したい。メスガキ、テメェは出来る事ならジェネラルの試験の申請でもしておいてくれ。円滑に進むためには、それも必要だろ」

 

「要するに、使いっパシリでしょ? ま、やるけれどね」

 

 呆れ返ったかのような仕草で返したリッカの思わぬ返答にダムドは足を止めていた。

 

「……テメェ、エイジに上がって欲しいのか、現状維持して欲しいのかどっちなんだ?」

 

 リッカは自分の瞳を見返す。それがダムドではなく、エイジである自分に語りかけているのが窺えた。

 

「……長い間、あんたのそういうところを見てきた。お父さんがいなくなってから、ずっと。あんたは塞ぎ込んで……、森のポケモン達にばかりかまけて。でも、あたしはここで、あんたに前に進んで欲しい。もう充分に足踏みはしたでしょ? だったら、歩み出そうよ、エイジ……!」

 

 エイジは咄嗟に応じられなかった。幼馴染であるリッカにそこまで考えさせてしまっていたのか。その気持ちが重く沈殿する。

 

「……ま、テメェらの関係性なんざ、知ったこっちゃねぇ。オレはオレのセルと、他の陣営を取るために戦うぜ? 異論は挟ませねぇ」

 

 歩み出したダムドにエイジは問いかけていた。

 

(……ダムドは、どう思っているんだ? 僕の事、弱虫だとか思っているんだろ)

 

「ま、消極的だとは思っているがな。弱虫だとは、まったく。結びつきもしねぇ」

 

 思わぬ返答に面食らっているとダムドは己の左胸に手を当てた。コアと同期する胸の鼓動である。

 

「テメェは、あの夜、オレと契約した。その時点で、弱ぇなんて思っちゃいねぇのさ。本当の弱虫ならあの時死んでらぁ。勝ち取った、選び取った。それって結局、強ぇって事なんじゃねぇの?」

 

(僕が……強い……)

 

 思いも寄らなかった言葉に放心しているとダムドが声を重ねる。

 

「ま、それでもテメェがセル集めも、コアの陣取りもやる気がねぇのなら別の手段を講じるさ。ただし、覚えておくんだな。あのメスガキもオレも、危険を承知で連中に仕掛けた。恩を売るつもりはねぇけれどよ。そういう人間も周りにはいるって事、理解しておきな」

 

 それはその通りであろう。まさか助け出されるなんて考えもしない。リッカとダムドは危険を承知で乗り込んできたのだ。しかもダムドは自分のために貴重なセルをいくつか消費したのだと言う。セルの陣営にこだわるダムドからしてみればあり得ない行動であろう。それほどまでに、自分は重要な駒なのだ。ただ闇雲に時間を浪費している場合でもないのは分かり切っている。

 

(……ダムド。セーフハウスで、ちょっと話したい事がある。どうして僕が、ジェネラルとして身を立てないか、だ)

 

「大事な話なんだろ。だからメスガキは追っ払った」

 

 自分と契約したダムドには分かっているのだろうか。否、分かっていても名言化しなければ伝わらないだろう。

 

 彼の厚意には応えるべきだ。

 

 セーフハウスは特に廃れた様子もなく、そのままの状態であった。

 

 机の上の日誌も確認し、エイジは息をつく。

 

(ここでいいだろ)

 

 ダムドが分離し、漆黒の獣と化した。エイジは椅子に座り込み、ダムドへと目線を向ける。

 

「僕が旅を拒む理由は、父親にあるんだ」

 

(テメェのオヤジがどうしたって?)

 

「……父さんはとても偉い医者で……、そして人格者だった。この町の医療を数年分進めたほどだ」

 

(だったら、テメェはこの町からは好かれているはずだよな?)

 

 きっと、クラスメイトの取り巻き達の様子を知っているから出た言葉なのだろう。エイジは一拍置いて答えていた。

 

「好かれているわけがないんだ。父さんは、ある日突然、出て行った。特に誰かに自分が何をするのか、それも告げずに。まるでこの町には、本当に用事がなくなったみたいに、すっと」

 

 あの日の事を今でも思い返す。幼い日のエイジは父親についていくとせがんだ。しかし、父親はこう返したのだ。

 

 ――連れて行けない、と。

 

「父さんは、医療従事者で、ポケモンの専門管理も行っていた。権威とまでは行かなくても世界各地のポケモン図鑑の蔵書を漁って、それなりに精通していたはずだ。だから、もしかしたら誰かからお呼びがかかったのかもしれないし、そうじゃなくってもフィールドワークに出かけたのかもしれない。いずれにせよ、僕はあの日……実の父親から捨てられたんだ」

 

 こうして言葉にするのは初めてかもしれない。リッカは自分を憐れんでいる。他のクラスメイト達は、捨てられた子供と嘲る。

 

この町そのものがエイジからしてみれば、ずっと憐憫の対象にされているようで、だからせめてもの抵抗にジェネラルレベルは最底辺に落とした。

 

 そうすれば誰も期待すまい。誰も、自分に父親の影は見るまい。

 

「……今なら、ちょっとだけ分かる。僕は父さんの代わりになるのが怖かった。要らないって言われたのに、いびつな形で必要とされるのが……怖かったんだ」

 

 そう、純然たる恐怖。戦いへの畏怖と言い換えてもいい。自分は、戦う事でこの運命に抗うのが嫌だった。捨てられた子供が、どうして運命に抗い、行動を起こすのか。それはただ他の者達からの憐憫と、そして涙をそそるだけだ。そんな美談にしたくない。自分の苦々しい過去は自分だけのものだ。

 

 それなのに、誰かに見せつけるなんて間違っている。

 

 だから、戦いを拒み、強さを遠ざけた。

 

 それを感じ取ったからか、それとも契約した段階で分かっていたのか、ダムドは白濁した眼を向けていた。

 

(……戦いが怖ぇ。強くなるのが他人の同情を得るみたいで嫌、か。だがよ、思い違いがあるぜ、エイジ。テメェは、どこかに強さへの渇望を持っている。そうじゃなくっちゃ、オレみたいな闘争心の塊と契約すれば、人格なんて消し飛んじまうはずなんだ。テメェの中にはテメェも知らない、制御出来ない獣がいるのさ。そいつを直視しない限りは、何をしたって無駄だろうぜ)

 

「僕の中に……制御出来ない、獣……」

 

 どこか遊離した言葉にダムドは言いやっていた。

 

(もっと希望的な言い方をするのなら、力、か。力が要らないとは言葉の上で言っているが、テメェの本質はそこにはねぇ。平和主義者でもなければ、戦闘を忌避しているワケでもねぇ。テメェの根幹のスタンス、魂の根っこはオレと同じはずだ。だから、オレ達は出会い、契約した。オレは間違っているなんて思っちゃいねぇさ。この契約には意味があったはずだからな)

 

「契約の……意味」

 

 だが本当にそのようなものあったのだろうか。あの時は生死をかけた戦いの中で見出された本能が先行しただけだろう。自分が戦闘狂のようであるなど信じ難かった。

 

「ダムド……僕は」

 

(疲れたんなら寝とけ。人間ってのは寝ないと性能が落ちるみたいだぜ? 雑務はメスガキが引き受けてくれている。オレ達はその間だけでも休もうじゃねぇか)

 

 ダムドの言い分も分かる。しかしエイジはルガルガンのボールを手にしていた。

 

「……試験の前には準備がいる。ダムド、手伝ってくれ。ルガルガンの技の最終調整をする」

 

(やる気はあンのか?)

 

 その問いには素直に頷けなかった。

 

「……分からないよ、まだ……。でも、間違いないのは、僕はもう戦いの盤面にいるんだろ? だったならさ……! せめて意義のある事をしたい。そうでなければ……」

 

 ザイレムの男の声が脳裏に響く。あの言葉が本当にせよ嘘にせよ、確かめるのには今は前を見据えるしかない。

 

 ダムドは声に喜色を滲ませた。

 

(……ちぃとは分かってきたか。いいぜ、エイジ。ルガルガンの技構成もちょっと粗い。その部分を補完していこうじゃねぇか)

 

 エイジは日誌のページを手繰る。真夜中の姿のルガルガンにもしもの時に進化した場合の戦術表が練られていた。

 

「……ダムド。妥協はしない。いいね?」

 

(上等だ。オレだって負ける勝負なんてする気はねぇよ。勝つに決まってんだろ)

 

 強気なその言葉が今はありがたかった。

 

 



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第二十六話 本物の称号

 

 呆れた! とリッカから叱責が飛ぶ。エイジは眠け眼をこすっていた。

 

「試験会場に二十分も遅刻するなんて!」

 

「……しょうがないだろ。ルガルガンの技構成を組んでいたんだから」

 

「あたしだって! 書類を提出するのに忙しかったのよ!」

 

 言い争いが始まる前に、手が叩かれていた。目線を振り向けると、先生が佇んでいる。

 

「はいはい、エイジ君にリッカちゃん、そこまでー。でも、嬉しいわ、エイジ君。ジェネラル試験は受ける気がないと思っていたから」

 

 おっとりとしたその言葉に内側のダムドが言葉にする。

 

(おい、あれが相手か?)

 

「ああ。ジェネラル試験はトレーナーズスクール教師との一対一。それが基本ルールなんだ」

 

(だったら楽勝な気もするがな。何でメスガキは難しいって言ってるんだ?)

 

「先生の手持ちでよく分かるよ。いずれにしたって、先生! ここで僕が戦うのにもう他の理由だとか、そういうのはありません。ジェネラル試験、受けさせてもらっていいですよね?」

 

「もっちろん! エイジ君もようやくやる気を出してくれて、先生嬉しいです」

 

 うんうんと何度も頷く先生にダムドが疑念を呈する。

 

(……強いようには見えねぇが……。いずれにしたって、エイジ。分かってるんだろうな? ここまで来りゃ)

 

「ああ、後戻りする気はない。それに……」

 

 周囲を見やる。トレーナーズスクールの戦闘試験場は解放されており、町の人々がこぞって見学に来ていた。これもハジメタウンならではの光景であろう。町のみんなは家族も同然なのだ。

 

 その中にダムドののしたクラスメイトの姿を認めて、エイジは覚えずばつが悪そうに視線を背けていた。相手も同じのようでどこか得心がいかない様子である。

 

「……きっと、これまで最底辺だった奴が何で今さら……なんだろうな」

 

(気にすんな。気にしたら負けだ。それよりも、連中より上に行くんだろ? だったら、勝ちゃいい。勝って実力を示せば、誰も文句は言わねぇ)

 

「うん、それも……分かっているつもりだ」

 

 先生がバトルコートのジェネラルラインに入る。自分もジェネラルラインへと入場した。

 

 他の地方で使われるトレーナーコートと全く同じ構成である。違うのは、地面に投影された最新鋭の機材であろう。

 

 アイドリング状態で浮かび上がっている映像にはモンスターボールを中心に据えたデザインであり、凹凸も、そして地形的不利もまるで存在しない、オーソドックスコートであったが、これが試験中には激変する事をエイジは知っている。

 

「エイジ君、まずは説明します。このジェネラル昇級試験で使用されるコートは、一定時間ごとに属性が変化し、その変動値は教師である私にも分かりません。いわばこれは、フラットな勝負と言えます」

 

(属性が変わるってのは……いざ見ないとよく分からねぇな。テメェもそれには気をつけろとは言っていたが……)

 

 ダムドにはピンと来ないのだろう。エイジは何度も昇級試験は見てきたクチだ。それなりに攻略法もあるはずだと思っている。

 

 しかし、いざコートに立てば、その理由は半減した。

 

 戦いに際しないと分からない精神性がある。胸の高鳴り、不安と興奮がない交ぜになったこの胸中だけは戦う者達特有のものだろう。

 

 これを自分は味わいたくなかった。今まで避けて生きていたのだが、もう遠ざける事は出来ない。

 

 目を背け続け、戦いから逃れ続ける事は、もう叶わないのだ。

 

 ダムドを身に宿したからだけではない。それはザイレムで聞いた真実とも符合する。ここで逃げれば、単純に男が廃るから、それだけでは決してない。

 

 逃げられない理由が出来た。そして確かめなければならない理由も。

 

 戦いは、こうして胸を高鳴らせる戦闘への昂揚感は、ここで因果にケリをつけると決めた意地の一つでもある。

 

 その意地を貫くため、エイジはホルスターに留めてあるモンスターボールをさすっていた。

 

 ルガルガンの鼓動。そして、戦いへの連鎖。その道行きが今、眼前にハッキリと示される。

 

 だから、逃げない。背中は決して見せられない。

 

「行きますよ! エイジ君! ジェネラル昇級試験を、開始します!」

 

 その言葉にエイジは首肯し、構えていた。先生がモンスターボールを天高く投擲する。

 

「行け、クワガノン!」

 

 現れたのは緑色の体色をもつ虫ポケモンであった。僅かに地面より浮遊し、その電磁を纏いつかせた翅を高速振動させる。

 

 真正面に位置するヒトの顔面に見えるオレンジ色の発光体がこちらを睨んでいた。

 

 クワガノンに併せてエイジもボールを投げ放つ。

 

「行け! ルガルガン!」

 

 ルガルガンが地面に降り立つなり、その赤い眼窩をぎらつかせて咆哮した。その威容に先生が声を発する。

 

「進化したのね……、エイジ君のイワンコ。でも、どれくらい使いこなしているのかしら。さぁ! 見せて頂戴! クワガノン、電磁――」

 

「――遅ぇ」

 

 刹那、ルガルガンの姿が掻き消える。どこへ、と先生が首を巡らせた時には、その姿がクワガノンの直上にあった。ルガルガンがその掌に岩石を溜める。

 

 一撃の予感にクワガノンが急速後退していた。

 

 恐らく急に自分の纏う空気が変化した事をいち早く察知したのだろう。先生の表情から笑みが消える。

 

「……あなた」

 

「ルガルガン、追い込め。ンなポケモン、やれるだろ?」

 

 主人のその言葉にルガルガンは応じるように一声鳴き、地面を蹴りつけて身体を反転させていた。そのまま、斬りかかるかのように一撃が見舞われる。

 

 クワガノンが前面に張り出したハサミの間に電磁を通わせる。

 

 その攻撃がルガルガンに放たれる前に、急に地面より岩が屹立した。

 

 突然の岩礁にクワガノンが攻撃を中断し、円弧を描いてルガルガンへと肉薄しようとする。それを、ルガルガンは待っていたばかりに眼前の岩肌へと爪を軋らせていた。

 

「……なるほどね。リアルタイムでホログラフィックでありながら、実体のあるフィールドの変化……。これがエイジの言っていた気を付けるべき特筆事項か。だがな、こんなもんは百パーセント利用するためにあるもんだ。ルガルガン、登れ」

 

 ルガルガンが爪を立てて岩石の山を駆け上る。クワガノンが電磁波攻撃を何度か浴びせかかったが、どれもルガルガンを捉えるのには至らなかった。

 

「……速い」

 

「センコーよぉ。そんな虫ポケモンでオレら捉えようなんざ、百万年早ぇっ! ルガルガン、直上からストーンエッジ!」

 

 ルガルガンがその掌に蓄積した岩石の散弾を一斉に放つ。天より爆撃のように放たれた岩の応酬をクワガノンはほとんど受け流していた。

 

 自身をロールさせ、電磁を纏わせた身体で受け流したのである。

 

「クワガノンは伊達じゃないわ!」

 

 その言葉に口笛が上がった。エイジ――ダムドは喜悦に笑みを浮かべる。

 

「やるじゃねぇの。でもよ、まだルガルガンの攻撃は継続しているぜ!」

 

 着地したルガルガンがそのまま地面を蹴り上げ、クワガノンを地面へと叩きつけていた。

 

「地ならし!」

 

 ルガルガンの放った衝撃波が地面を揺さぶり、クワガノンの堅牢なる体表へと亀裂を走らせる。

 

 電気タイプに地面攻撃は効果抜群のはず。クワガノンが明滅する顔面部位で苦悶した。

 

 さらに追撃を、ルガルガンは見舞う。

 

「ストーンエッジ」を溜め込んだ掌底で放ち、ゼロ距離で激震されたクワガノンが傾いだ途端、軽業師めいた動きでクワガノンの背後を取っていた。

 

 そのまま翅を掴み取る。

 

「まさか……」

 

 息を呑んだ先生にダムドは哄笑を上げた。

 

「そのまさかよ! ルガルガン、引っこ抜いちまえ!」

 

 翅を引き裂き、ルガルガンが吼え立てる。その攻撃の荒々しさにギャラリーがざわめいていた。

 

 まるで今までの自分の戦法とは違っていたからだろう。ダムドの戦闘神経にルガルガンが呼応し、能力以上の戦闘を実現していた。

 

 ルガルガンは飛翔能力を失ったクワガノンをそのまま掴み上げ、岩礁へと引きずる。

 

 そのままクワガノンを岩石へと叩きつけようとした、瞬間――、クワガノンはその満身から糸を吐き出していた。

 

 ルガルガンの身体へと纏いついたそれを、しかしルガルガンは気にするでもない。

 

「引き裂くまでもねぇ。そのまま岩石に身体突っ込ませて吹き飛ばせ!」

 

 昂揚した戦闘本能がルガルガンへと凶暴なる攻撃を命じる。だが、それが実行される前に、クワガノンは先生のボールへと赤い粒子となって戻されていた。

 

 フィールドが移り変わり、焼け落ちた家屋のフィールドとなる。

 

 先生は焦土の向こう側で、なるほどね、と声にしていた。

 

「……エイジ君。その姿に関しては問いません。しかし、強くなったのは事実みたいね。まるで命令に迷いがなくなった。それに、岩フィールドを瞬時に物にするだけの技量。落ち着いた……いいえ、もとより備わっていた技術と胆力が前に出ている。まるで剥き出しの本能のように」

 

 先生の指摘にダムドがケッと毒づく。

 

「ンなこたぁ、関係ねぇだろ、センコー。問題なのは、今戻したって事は、負けを認めたって事なんだよな?」

 

 確かに、ポケモンが致命打を受ける前に戻すのはジェネラルとして、敗北を認めた事になる。だがエイジは、どこかこの戦いの行方に得心がいかなかった。

 

 どうにも、出来過ぎている。その予感に内側で声にしていた。

 

(ダムド。何だか変な感じだ。まるで勝てるように誘導されていたみたいに……)

 

「エイジ、テメェはビビり過ぎだ。オレ達が強かっただけだろ? なぁ、センコー。これで、オレはジェネラルレベルは上がったって、そういう事でいいんだよな?」

 

 その問いかけに先生は頷く。

 

「そうね。少なくとも、ジェネラルレベル2は取り消し。4までは保証しましょう。ですが、エイジ君。もっと上を、目指したくないですか? そう、たとえば私の権限なら、ジェネラルレベルを最大で6までなら保証出来ます」

 

 思わぬ提言にエイジは内側で声にする。

 

(ダムド……、これは妙だ。元々、ジェネラルレベル4辺りで手打ちにする昇級試験。それなのに、6だって? 6もあればこの町では事欠かないどころか、ランセ地方の真ん中辺りまでは行けるだけの権限だ)

 

「ちょうどいいじゃねぇの。センコー、二言はねぇな?」

 

 挑発に乗ったダムドにエイジは忠言する。

 

(……何かあると思ったのはこれか……。ダムド、ここは素直に4で手を打とう。最初から、先生はこれにお前が乗るのを――)

 

「うっせぇぞ、エイジ。6をもらえるんなら、それに越した事はねぇ。センコー、日を改めるのか?」

 

「いいえ。このまま試験を続行してもらいます。その代わり、負ければ一生、エイジ君は昇級試験は出来ません。だって最低ラインの2から、標準以上のラインである6への昇級ですから。これは例外的措置です。それでいいですね?」

 

 何と言う条件、とエイジは絶句する。これを呑めば、自分は一生、どれだけ試験を経ようがジェネラルレベルは2のままだ。これは罠に違いない、とエイジは人格を戻そうとする。

 

(ダムド! 僕に変われ! もうここで試験は打ち止めでいい。これ以上やるのは下策だ!)

 

 その言葉にダムドは口角を吊り上げていた。

 

「……センコー。面白味のねぇマジメ人間かと思いきや、結構ユーモアがあるじゃねぇの。いいぜ。ジェネラルレベルを賭けたこの戦い、オレも半端じゃつまらねぇと思っていたところだ。それに、メスガキと同じ4じゃ、高が知れている。受けようじゃねぇか」

 

(駄目だ! ダムド、これは絶対に……)

 

「罠、か。それも込みで、さ。エイジ。ここで打ち負けるようなら、セルを集め切って他のコアを出し抜くなんて出来やしねぇ。これは分水嶺だ。オレとテメェが、どこまで行けるかってのを、示すためのよォ!」

 

 駄目だ。今のダムドは戦闘の高揚感に酔っている。これでは対等な判断を下せるわけもなし。

 

(ダムド……でも先生がクワガノン以外を出すとすれば、それは恐らく……)

 

「エイジ。あんましうっせぇともう一生、内側から出さねぇぞ。これは戦いだ。極上の戦いに! 余計な言葉は不要だろうが!」

 

 ダムドの言葉振りに先生はフッと微笑む。

 

「……先生、嬉しいわ。エイジ君がそこまで、ポケモンバトルに夢中になってくれるなんて。だから、これは先生の、ちょっとしたワガママでもあるのよ。ここであなたと、本気で打ち合えるのなら、先生だって試験官の権利を取っ払っていいほどの」

 

 先生がホルスターから外したのは紫色に輝くボールであった。緊急射出ボタンの上に「M」の刻印が映えている。そのボールに入るポケモンの意味を、エイジは瞬間的に悟っていた。そして、現れるであろう、ポケモンの強大さを。

 

(ダムド! ここは退いて――!)

 

「うっせぇ! 来い!」

 

「行きなさい。――カプ・コケコ」

 



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第二十七話 荒ぶる神よ

 導き出された言葉と共に、覇者のボールであるマスターボールが割れる。

 

 光を引き裂いて現れたのは、鶏冠を持つ甲殻のポケモンであった。閉ざされたその威容に無数の民族的文様が走っている。

 

 ダムドはその立ち姿に疑問符を浮かべた。

 

「……弱っちそうだな。その閉じた状態が本命か?」

 

「それはあなたが確かめなさい」

 

 いつになく強気な声音にダムドは笑みを刻ませる。

 

「いいぜぇ……そういうの嫌いじゃねぇ。ルガルガン! ストーンエッジを叩き込め!」

 

 ルガルガンが焦土を蹴って疾駆し、不明ポケモンへと肉薄しようとして――敵影が完全に掻き消えていた。

 

 これは速度による圧倒ではない。

 

 瞬間的な敵の気配の消滅。

 

 その驚くべき事態にエイジもダムドも困惑する。

 

「嘘……だろ。いきなり消え――」

 

「ダムド! 上よ!」

 

 ギャラリー席よりリッカの声が迸る。エイジはダムドと感覚を共有しているが、それでも客観視は出来ているはずであった。

 

 だからなのか。本当に直上に位置するだけの敵を、まるで認識する事が出来なかった。

 

 ルガルガンの上を取った相手は甲殻を開き、内側に位置する痩躯に黄金の光を滾らせている。

 

 黒い本体が甲殻に電磁を纏いつかせた。その眼差しは戦闘の気配に煌めいている。

 

 まさか、とダムドは声にしていた。

 

「……完全に意識圏の外に、一瞬で移動した、だと……」

 

「カプ・コケコ。エレキボール」

 

 カプ・コケコの周囲に位置する電撃の球体が一斉にルガルガンへと襲いかかる。ルガルガンが咄嗟に地面を蹴ろうとしたその時、大地がまるで磁石のようにルガルガンの足裏を吸着させていた。

 

「……フィールドの状態が」

 

「エレキボール」が包囲し、ルガルガンの視界を染め上げる。エイジは咄嗟に声にしていた。

 

(ダムド! ルガルガンを逃がすんだ! このままじゃ――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一斉掃射は確実にルガルガンを捉えたかに思われた。

 

 しかしながら、瞬間的な判断か、ダムドは叫ぶ。

 

「ルガルガン! テメェの足元に向けて地ならしとストーンエッジを併用しろ! 地面の状態を最適化してから、敵の散弾とこっちの銃撃をぶつける!」

 

 それにルガルガンが対応出来たのはひとえにエイジへの信頼か。まず「じならし」による電気フィールドの無効化が入り、ルガルガンの足場一つ分だけの空間が手に入る。

 

 直後、掌に溜めた「ストーンエッジ」の猛攻が全方位より急速接近する「エレキボール」の砲撃とぶつかり合った。

 

 干渉波のスパークが散り、一瞬だけ観客席でさえも眩惑に包まれる。フィールドのポケモン二体はもっとだろう。

 

 何が起こったのか。固唾を呑んで見守る町の者達はホログラフィックフィールドが草へと変容したのを目にしていた。

 

 瞬間的に森林地帯へと移り変わったフィールドで、カプ・コケコが飛翔する。

 

 周囲を見渡しているところを見ると、フィールド変化とルガルガンの咄嗟の行動により仕留め損なったのが窺えた。

 

 リッカはその異様なる姿を認める。

 

 両側にオレンジ色の甲殻を持ち、王者に相応しい鶏冠がその奇異なるポケモンを映えさせている。

 

「カプ・コケコ……。土地神ポケモン。それを手にする事を許されたトレーナーは、アローラではこう呼ばれる。――島キング。あるいは、島クイーンと。先生は、アローラの島クイーン。その圧倒的実力を買われてランセ地方の最初の町の教員に抜擢された……。でもまさか、昇級試験でこんなものを使うなんて……」

 

 想定外だ、と結んだリッカに先生が視線を振る。

 

「……ギャラリーからの応援の声はご法度よ、リッカちゃん。でも、今のは許可します。だって、あのままじゃ何にも出来ずにやられていたものね」

 

 どこか淡々とした声音は平時の先生の纏う空気ではない。完全にアローラでの戦いの日々を思い返した、歴戦の猛者だ。そんな相手にエイジとダムドが勝てるのか――リッカはぎゅっと拳を握っていた。

 

「エイジ……」

 

 ダムドの乗り移ったエイジはバトルコートの向こう側で顔を伏せている。森林のフィールドが余計にその表情を翳らせていた。今の状況ではエイジの顔色を窺えない。

 

 しかし、窮地に立たされているはずである。

 

 そんな彼へと嘲笑が浴びせかけられていた。

 

「やっぱ、最底辺が勝てるわけないだろ。見るだけ無駄だ、無駄」

 

 エイジを目の敵にしていたクラスメイト達とその取り巻きに、リッカは声を荒立たせていた。

 

「まだ! 負けてんない!」

 

「……ここからどうやって勝つって言うんだよ。カプ・コケコだぜ? 先生は本気だ。本気であの最底辺を潰す気なんだろ。だったら、勝てるわけがない。カプ・コケコを倒すなんて、それこそ不可能だ。あの最底辺はもう一生、最底辺を彷徨うしかないんだ……」

 

 その言葉尻を歩み寄ったリッカが胸倉を掴み上げて制していた。相手が言葉を失う。

 

「取り消しなさい……。エイジは、這い上がろうとしている。そんな人間を、嗤うなんて……」

 

「やめなさい! リッカちゃん!」

 

 先生の注意の声にリッカは我に帰る。先生はふふっと微笑んだ。

 

「勝負は時に残酷。どれだけ志が立派だろうと、それは時の運と、そして実力を前にかき消される。これは私とエイジ君の勝負です。あなた達は口出しをする権利はない」

 

 真っ当な意見にリッカは手を離す。クラスメイトは捨て台詞を吐いていた。

 

「勝てるわけがない! こんな状況から勝てるとすれば、そいつはマジもんだ!」

 

「ええ、ここで勝機を見出すとすれば、それは本物ね。いずれにせよ、エイジ君。ここで私に、勝てるのかしら?」

 

 森林フィールドを隔てた先にいるエイジは答えなかった。

 

 



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第二十八話 激戦の渦中

「クソがっ……、あり得ねぇ、何だあれは……」

 

 ダムドは当惑している。エイジはルガルガンの現在地を把握させようとした。

 

(落ち着くんだ、ダムド。僕らが取り乱せば、ルガルガンは致命的な一手を間違う事になる)

 

「分かってんよ、クソッ! ……無茶苦茶なポケモンだ。何だ、あいつ……」

 

 エイジはポケモン図鑑の名称を紡ぎ出す。いつか、アローラの伝説で目にしたポケモンであった。

 

(カプ・コケコ……。土地神って言われている。アローラじゃ、島キング、もしくは島クイーンと呼ばれる実力者のみが所有と捕獲を許された至上のポケモンだ。……確かに先生はアローラの出だって聞いていたけれど、まさか島クイーンレベルだなんて……)

 

 完全に想定外であった。内側で歯噛みしたエイジはダムドよりルガルガンの位置を聞き出そうとする。

 

「……要するにあり得ねぇ強さなのは当たり前、か。食わせ者め」

 

(ダムド。今、瞬間的にルガルガンを逃がしたね。どこに隠したんだ?)

 

「……直前に森林フィールドになってくれたのが幸いしたな。右の大樹の真下だ。あの辺りに木の洞がある。一時的だが、相手の生み出すこの電磁のフィールドからも逃れられた……。マジに結果的だがな」

 

 森林地帯の地面を満たす黄金のフィールドにエイジは息を呑んでいた。

 

(カプ・コケコの特性はエレキメーカー。強制的にフィールドは電気に覆われる。それを無効化する方法は……ルガルガンにはない)

 

「分かってんよ、ンなこたぁ……。状態変化の能力はないからな。これならメスガキのメガプテラでも借り受けるんだったぜ、畜生め。メガプテラならギリギリ勝ち筋はあるんだが……」

 

(ルガルガンは今、フィールドの恩恵に与っている。でも、それも一時的だ。いつ、どの瞬間にフィールドが移り変わるのか、誰も分からない。もちろん、それは先生も)

 

「しかし、このエレキメーカーの特性の前じゃ、フィールド変動のこのギミックも意味ねぇだろ。強制的に電気にされちまう。それに……さっきのエレキボールの数は何だ? 一回に練れる個数を遥かに超えてやがった……」

 

 その疑念にエイジは仮説を返す。

 

(……エレキボールは速ければ速いほどに生成率が上がる技……。つまり、カプ・コケコは相当なスピードのポケモンという事になる)

 

「速度勝負じゃ、ルガルガンに勝ち目はねぇ」

 

 どうする、とエイジは策を巡らせる。相手は伝説級だ。そう容易く迎撃出来る相手ではない。電気タイプを突き崩すだけならば地面タイプの「じならし」があるが、あれは接触技。カプ・コケコに接触するのにはルガルガンがスピードで追いつかなければならない。

 

(……ストーンエッジで相手の目を眩ますのも難しいだろうね。さっきはちょうどエレキボールとぶつかったけれど……)

 

「二度目はねぇ、か……。きつい相手だな、どうする……?」

 

 エイジは周囲を見渡しているカプ・コケコを仔細に観察する。弱点のないポケモンなどこの世には存在し得ない。ゆえに、あれだけ完璧でもどこかに穴があるはずなのだ。

 

(速さじゃ遥かに格上……。だから、正面切っての戦いは不利。それに地ならしだけじゃ、カプ・コケコを潰すのは難しい)

 

「他にタイプはねぇのか? 複合なら別の弱点を突く」

 

 その問いかけにエイジは黙するしかなかった。

 

(……カプ・コケコは電気とフェアリータイプ。フェアリーの弱点は、毒や炎になる。でも、毒も炎もルガルガンには……)

 

 絶望的な宣告に思えた。ダムドは舌打ちを滲ませる。

 

「ねぇ、か。このままじゃ、マジに消耗戦だ。もし、一瞬でもこのフィールドが掻き消えれば、今度は逃げる場所のないタイマン。……そうなればルガルガンに勝ち筋は見い出せねぇ……」

 

 だが、本当に勝つ手段はないのか。エイジは昨晩、ダムドと共に組んだルガルガンの技編成を思い返す。

 

(ルガルガンの今の技は、ストーンエッジと、地ならし。それに、岩石封じにカウンター……か)

 

「フルアタック構成で勝てると思っていたからな。カウンターに持ち込もうにも、奴さんが速過ぎて間に合わねぇ」

 

(それだけの距離に近づくための布石が欲しい。岩石封じで相手の注意を逸らすのには?)

 

「さっきの岩フィールドならまだ目はあったんだが……周りに岩がない森林フィールドじゃ、編み出すためのロスがある」

 

 速度面でカプ・コケコを落とすのは難しいだろう。エイジは考える時間もそうそうない事を思い返す。

 

 いつフィールドが変わるかも分からない上に、カプ・コケコにはまだ手の内があるのだ。それを晒し出さない限りは相手の上を行くなど簡単には言えない。

 

(森林地帯にあるのは……木と土くれ。それに僅かだけれど水分……)

 

「その土くれも、電気のフィールドが上塗りしている。地ならしで自分一体限りの無効化はまだ出来るが、相手も巻き込むのは困難だ」

 

 打つ手がない。そう思われたその時、先生の声が発せられた。

 

「撃ってこないの? エイジ君。それとも怖気づいたのかしら? カプ・コケコに相手させるんだもの。私だって本気になる。やりなさい、カプ・コケコ。自然の――怒り!」

 

 その言葉が紡がれた瞬間、周囲のフィールドがたわんだ。強制圧縮されていく森林地帯にエイジが困惑する。

 

(圧死するぞ! ダムド、ルガルガンを!)

 

「やべぇ! ルガルガン、跳躍しろ!」

 

 木の洞から飛び出したルガルガンは直下のフィールドがたちまち、捩れ、圧縮されていくのを目にしていた。凝縮されたフィールドが緑色に輝いたかと思うと、直後に爆発の光が拡散する。

 

 その光は一時的にせよ、ダムドとルガルガンから指揮を奪うのには充分であった。

 

 カプ・コケコが飛び退ったルガルガンに至近距離まで接近する。そのあまりの距離にルガルガンの習い性の攻撃本能が刺激されたのか、「ストーンエッジ」を溜めた掌底が叩き込まれかけて、カプ・コケコの甲殻がルガルガンの腹腔に叩き込まれていた。

 

「捉えたわ。自然の怒りでフィールドを圧殺すれば、必然的に出てこざるを得ないものね。それに、この距離なら、容赦なく潰せる」

 

 カプ・コケコの甲殻に殺意が宿る。エイジは直感的に声にしていた。

 

(ルガルガンにカウンターを命じるんだ! この距離なら当たる!)

 

「分かってんよ! ルガルガン、カウンター!」

 

「――全て遅い。ワイルドボルト」

 

 刹那、発動した電撃の怒号がルガルガンの肉体を貫いていた。ルガルガンが身体の内側を焼く灼熱の電流に苦悶する。それだけではない。先ほどのクワガノンが発した糸へと電流が至り、ルガルガンの身体を拘束したのである。

 

 思わぬ搦め手にダムドが息を呑む。

 

「何を……しやがった……」

 

「甘いのね、剥がさなかったの? クワガノンに出させたのはエレキネット。電流を加える事によってそれは発動する。エレキネットの効力で、ルガルガンの速度はさらに下がるわ。それに加えて高圧電流を今も流し続けている。これで、ルガルガンの足は奪った」

 

「させねぇ! カウンターで本体へとゼロ距離で叩き込め! ルガルガン!」

 

 大きく腕を引いたルガルガンの拳がカプ・コケコの本体へと突き刺さる。そのまま手の内側に保持していた「ストーンエッジ」の一閃を浴びせかけた。

 

「……特性ノーガード。攻撃は命中する。甘んじて受けるわ、その程度。でも、これで終わり? なら、あなた達に勝機はない!」

 

 言い放った先生にルガルガンは至近で弾けさせた「ストーンエッジ」の弾幕を自ら握り潰し、カプ・コケコの目に向けて払っていた。

 

「……疑似的な砂かけ?」

 

「命中率は下がる。ワイルドボルトは最大出力では命中しねぇ。蹴り上げろ!」

 

 ルガルガンが甲殻を蹴り、カプ・コケコの接触から逃れる。しかし、それでもダメージは深刻だ。

 

 膝を折りかけたルガルガンへとカプ・コケコが甲殻を向ける。その表層に無数の「エレキボール」が練り上げられた。

 

「どれだけ策を弄しても同じ。ルガルガンは勝てない! エレキ、ボール!」

 

 瞬間的に発せられた「エレキボール」の砲撃網をルガルガンは駆け抜けて回避しようとするも、その時には稲光のようなスピードで接近したカプ・コケコが迫っていた。

 

「もう一度、ワイルドボルトでその躯体を打ち抜く!」

 

「させねぇ! 地ならしで相手を地面に叩きつけろ!」

 

 ルガルガンが両腕を組み、それを打ち下ろしたのと同時に地面を衝撃波で満たす。

 

 だが、その即席のフィールド無効は、カプ・コケコの編み出す「エレキメーカー」の電磁フィールドをまるで掻き消せない。

 

 ルガルガンの足元だけ元のフィールドに戻っただけだ。

 

「頼りないわね! そんな攻撃じゃ、カプ・コケコは墜とせない!」

 

「――誰が、墜とすための一撃だって言った?」

 

 その言葉に先生がハッとした瞬間、ルガルガンは足場へと腕を突き入れていた。そのまま抉り出したのはホログラフィックのフィールド発生装置である。

 

「……要はどれだけ言っても、ポケモンの能力に耐え得る製品ってヤツはそれだけ頑丈に造られているってこった。このホログラフィック発生装置がどこにあるのかを探し出すのに、さっきのよく分かんねぇ力で捩じ切ってくれたのは助かったぜ。お陰様で、どこに、どういう形で、ホログラフィック発生装置があるのか、読み取れた」

 

 立方体のホログラフィック発生装置のスイッチを、ルガルガンは強制的に入れていた。

 

 瞬間、縦向きに焦土が立ち現れる。ホログラフィック装置は、その対称面から直角にフィールドを生成する。それならばフィールド発生をそのまま壁として利用する事は出来るはずだ。

 

「……炎の地面を壁にして……」

 

「叩きつけろ!」

 

 振るい上げたルガルガンにカプ・コケコを操る先生は、フッと笑みを浮かべていた。

 

「でも、一手遅いわね。カプ・コケコの速度なら間合いは瞬時に遠ざけられる!」

 

 その言葉通り、瞬間的に、空間を飛び越えたとしか思えない速度でカプ・コケコは飛び退っていた。

 

 ルガルガンの渾身の一撃は虚しく空を裂く。

 

「お生憎様、その一撃は致命傷にならない。そしてカプ・コケコは、この距離でも正確無比にルガルガンを狙える。自然の、怒り!」

 

 手にしたフィールド発生装置より不意に生じたのは先ほどの森林フィールドと岩石フィールドの入り混じった空間である。その二つがルガルガンを押し潰さんと迫っていた。

 

「フィールドを使って圧死させるだと!」

 

「自然の怒りはあらゆる自然情報を読み取り、自身の攻撃へと転化する。この場合、エレキメーカーで編み上げたフィールドと! 今まさにルガルガンの保持しているそのフィールドが対象! さぁ、自然の裁きを食らいなさい!」

 

 三種のフィールドがルガルガンを圧迫し、そのままひき潰さんとする。その威容にダムドはたじろがなかった。

 

 それどころか、圧倒的不利なこの戦局を前にして彼は――嗤っていた。

 

「……これが水とか炎だったら、オレは絶望していただろうぜ。だが、よりにもよって生み出したのが岩と森林だった。フィールド発生装置ってのは、全部プログラムされて組み込まれてるんだろ? だったら、さっきまであった木の洞が、そこにあるのは必然だよなァ?」

 

 先生とカプ・コケコがそれに気づき、甲殻の表層で電流の砲弾を練り上げる。

 

「やらせないっ! エレキボールで!」

 

「ルガルガン! 森林フィールドの指定座標に逃げろ!」

 



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第二十九話 一筋の活路

 

「しぜんのいかり」の発動によって生み出された三種のフィールドの圧迫攻撃はそのまま、ルガルガンに逃亡の契機を作らせた。

 

 森林フィールドに位置する木の洞へと飛び込んだルガルガンが「しぜんのいかり」から逃れる。だが、それはフィールドを突き抜けただけの話。

 

 戦局的に優位に立ったわけではない。

 

「一時的な逃げ、大いに結構! でも、これは避けさせないわ! エレキボールはあなた達を照準した!」

 

 包囲した「エレキボール」にルガルガンは姿勢を沈め、その手より無数の岩の断片を中空に放っていた。

 

「感謝するのはこっちもさ。岩のフィールドからいくつか岩石を抉り取らせてもらった。エレキボールとストーンエッジをぶつける!」

 

 放った岩石の散弾を、ルガルガンは蹴りつけ、拳で殴り、それぞれ分散させる。一面の岩石の散弾にはさすがのカプ・コケコも回避を諦めていた。

 

 その代わりに相手の「エレキボール」がルガルガンに突き刺さる。

 

 電流が躯体を走り、灼熱が内側から焼いた。

 

 先生は突き出した手をそのまま握り締めるイメージを伴わせていた。これで決まったと思ったのだろう。

 

 それでも、ルガルガンは膝を折らない。まだ決定打には至っていないのだ。

 

「……見苦しいわね。いつまでもいつまでも」

 

「それはこっちのセリフだぜ。ストーンエッジを一応はまともに受けたんだ。ダメージはあるよな?」

 

 カプ・コケコ側にも確かに攻撃によるよろめきは存在するが、こちらほどではあるまい。

 

 打ち据えられた「エレキボール」は思った以上にルガルガンの身体を蝕んでいた。麻痺状態にならないのが不思議なほどだ。

 

 エイジは内側より声を発する。

 

(……ダムド。ここで退いても誰も文句は言わない。カプ・コケコの猛攻を凌いだんだ。僕は……これでもいいと……)

 

「いいワケあるか! 畜生が!」

 

 突然の叫びに先生を含め、ギャラリーの面々も黙りこくる。エイジはダムドの飽くなき執念を目にしていた。

 

「オレは、最強の、スペードスート。ジガルデのダムド様だぞ? こんなところで膝を折ってられねぇ。ンな簡単に、もういいだとか言ってんじゃねぇ! まだだ! オレ達はまだやれる!」

 

 その言葉の証明のように、ルガルガンが構え直した。

 

 まだ自分の手持ちも、ダムドも闘争の炎を消していない。だというのに自分は、勝手にさじを投げようとしていた。大馬鹿者だ、と恥じ入る。

 

(……ゴメン。ダムド。それにルガルガンも)

 

 一声吼えたルガルガンには通じているのか。エイジは改めてフィールドを見渡す。フィールド全面のうち四分の一の地帯だけ変動フィールドの恩恵を得ていない。剥き出しの地面フィールドはダムドがルガルガンに発生装置を抉り取らせたからだ。

 

 しかし、カプ・コケコの特性「エレキメーカー」によって、その剥き出しの地面も上塗りされている。

 

 再びフィールドが移り変った。

 

 今度は鋼タイプに優位な鋼鉄のビル群である。エイジは咄嗟に地面より生えてくる高層ビルを見出していた。

 

(ダムド! 高層ビルの上にルガルガンを!)

 

「一時的に逃がすんだな? やるぜ、ルガルガン!」

 

 ルガルガンが地面を蹴りつけ、高層ビルに飛び乗る。それをカプ・コケコはどうしてだか、攻撃もせずに見送っていた。

 

 その一瞬でありながら致命的な攻撃中断に、エイジは考察する。

 

(……今、何で攻撃しなかった?)

 

「鋼が不利だからじゃねぇのか?」

 

(それもあるかもしれないけれど……、飛び乗って逃げられる前にエレキボールで先んじて……。撃てない? 何で相手は撃てないんだ?)

 

 直後、乱立するビルの群れがカプ・コケコの周囲に屹立する。その様子に、エイジはある仮説を思い浮かべていた。

 

(……仮想フィールドとは言え、内在するエネルギーはある。もしかして、相手は待っているのか?)

 

「どういうこった。エイジ」

 

(高層ビルの乱立するコンクリートジャングルじゃ、結局取り逃がすかもしれない。ルガルガンは市街戦は得意だって、お前は言っていたな?)

 

「ああ。ルガルガンなら小回りも利く。このフィールドなら、ちぃとは逃げ回れるか」

 

(……だからなんだ。あまり相手もこちらを逃がし続ける気はないとすれば? 絶対的な致命傷を、今度こそ与える。そのために、今は攻撃しなかった。さっきの自然の怒り……乱発するタイプの技じゃないのは分かる)

 

「スタミナ切れを起こしているって?」

 

 と言うよりも、とエイジはカプ・コケコの様子を観察する。スタミナ切れという言葉とは無縁に思えるその立ち振る舞い。もし野生ならば圧倒的な力で状況を切り拓くタイプだ。それこそエネルギー枯渇なんて想定せずに。

 

 そこでエイジは先生の経歴を思い返した。

 

 アローラで尊敬される立場、島クイーン。その称号が伊達でないのならば、ポケモンの想定射程やその攻撃区域は完全に頭に入っているはず。

 

 無駄弾は撃たない。もし、自分の考えている通りの人格ならば、先生は次手で――。

 

(ダムド。このフィールドでやるべき事は、僕らも決められるべき攻撃を決定する事だ)

 

「勝負を焦ったっていい事はねぇが……」

 

(違う、焦るんじゃない。待つんだ。ダムド、次にフィールドが変動する時、それがもし僕の想定している通りのフィールドだとすれば……)

 

 ダムドに語って聞かせた事実に、彼は瞠目する。

 

「……じゃあやべぇじゃねぇか。余計に逃げ回るなんざ……」

 

(だから、勝てる手段を講じる。今のルガルガンは何なら出来る?)

 

「……地ならしに、ストーンエッジ。カウンターはリスクがデカ過ぎる。もうルガルガンもあれで限界だ。格闘技なんてミスったらシャレにならねぇ。近接戦は避けるべきだ」

 

(じゃあストーンエッジしかない。それで、相手に命中させる。問題なのは、その一撃で沈んでくれるか……だけれど)

 

 その時、ルガルガンが不意に膝をついた。どうしてだか、ルガルガンが疲労を色濃く引きずっている。

 

 ダムドが舌打ちを混じらせた。

 

「さっきのフィールド発生装置を抉ったのは、やっぱりデカかったか……」

 

(いや……それだけか?)

 

「どういうこった、エイジ」

 

(ルガルガンのステータスを蝕んでいるのは、本当にさっきの無茶と、エレキネットと、ダメージだけかって聞いているんだ)

 

「……意味分かんねぇ。錯乱したワケじゃねぇだろうな?」

 

 こんなタイミングで錯乱なんて出来るものか。エイジはルガルガンの状態を凝視する。荒立った呼吸、その呼気はどこかで見覚えがある。そう、最近だ。最近、あれに近い状態を目にした事がある。

 

 脳裏に描いた可能性に、エイジは言いやっていた。

 

(……ダムド。この可能性が一パーセントでもあるかどうか、あの状況下で戦って僕を助けてくれたお前ならば、分かるだろう? 聞かせてくれ。――今のルガルガンは万全か?)

 

 その問いかけにダムドは胡乱そうなものを感じつつも答えていた。

 

 



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第三十話 戦いの果てに

 

 時間が経ち過ぎると、如何にカプ・コケコとは言えぼろが出る。

 

 その速度に胡坐を掻くわけでは決してない。それどころか、逆だ。エイジには審美眼がある。それを自分は教師として理解している。

 

 ゆえに、余計な動きは相手の先読みを助長するだけ。教師として、今、エイジに現実を分からせるのには決定的な敗北を経験させるしかない。

 

 それも、絶対に立ち向かおうと思えないような敗北を。

 

 そのためにはあるお膳立てが必要であった。それを待ち望む。

 

 ルガルガンはこの隙に体力を回復するかもしれない。それでも、一撃だ。一撃で沈めさせれば何の問題もない。

 

 そのタイミングは果たして、直後のフィールド変動で訪れていた。

 

 ビルが大地に沈み、そして代わって現れたのは――水辺。

 

 それこそが狙い通り。それこそ、電気・フェアリーのカプ・コケコが最も輝く戦場。

 

「エレキメーカーを全開にする! エイジ君、ここまでよ!」

 

 四分の一区画が水辺ではないものの、ルガルガンの接地した地面は既に水浸しだ。そして、水のフィールドに電撃を流せばたちまちどうなるのか、分からないほどジェネラルとしての格が低いわけでもないだろう。

 

 ルガルガンが咄嗟に中空へと至る。

 

 特性「エレキメーカー」と水辺が干渉すれば、瞬時に感電する。そうでなくも麻痺は確定の状況。

 

 この攻撃が完遂する前に中空へと逃げるのは必定の構え。

 

「残念だったわね、エイジ君。それでもカプ・コケコは――遥かに速い!」

 

 ここに至るまで速度を温存し続けたカプ・コケコがこれまでにない速度で上昇する。まさしく神速の域でカプ・コケコはルガルガンの真正面に位置していた。

 

 ここで無暗に下がれば、水のフィールドに足を浸す。そうなれば麻痺状態に陥るはずだ。機動力をメインにするルガルガンは足を殺されれば終わり。継続戦闘を維持するのならば、ここでの後退はあり得ないはず。

 

 だが、前を行くカプ・コケコに致命傷など与えられるものか。ルガルガンはここでどのような対処法を考えたにしても、負けは揺るぎないはずであった。

 

 だからだろうか。エイジがこの瞬間、確かに絶望でも、ましてや悲観でもなく――勝利の予感に嗤っているのを目にして怖気が走ったのは。

 

「……何で笑うの」

 

「いんや……計算通りってのは面白くってね。自然と笑いが出ちまうもんなのさ」

 

「……それは敗北の計算? カウンターで再び相打とうとでも思ったのかしら? 言っておくけれど、今のカプ・コケコの速度ならば、カウンターをどこに打ち込まれようが、ワイルドボルトで一撃。それで決着はつく」

 

 そう、その通りのはずなのに。エイジはここで敗北の予感に絶望しているわけでは決してない。ルガルガンがその時、胸元を引き千切っていた。

 

 岩の硬質さを兼ね備えた体表に突き刺さっていたのは――紫色の毒針である。

 

 いつの間に、という疑念よりも、どうやって? という疑問が先行した。ルガルガンは戦闘前にあのようなものを持ち込んでいたか?

 

 否、持ち込んでいれば分かるはず。クワガノンを倒した際、その手を封じるための「エレキネット」でもあった。

 

 道具の使用を遅らせる意味合いもあったあの一撃で、他の道具ならば予備動作で分かるはず。

 

 どうして、今の今まであの毒針に気づけなかった? これではまるで……。

 

「まるで……体内に隠し持っていたみたいに……」

 

「その通りです、先生」

 

 急に声音の変わったエイジに、視線を振り向ける。エイジは真っ直ぐにこちら見据えて言い放っていた。

 

「僕のルガルガンは、この町では治療不可能な状態異常を受けていた。――ドヒドイデの放った神経毒を含む毒針。それはまだ有効だったんだ。ルガルガンの肉体に、深く食い込んでいた。……だから、テメェでも読み取れなかった。違うか? ルガルガンは傍目に見れば確かに何の状態異常も受けていないように映るが、その実は猛毒を受けていた。だが、それはオレが無効化した。つまり、今は働いていないはずの毒だ。だから、純粋に、猛毒の針として肉体から抉り出せる」

 

 毒針がルガルガンの手に保持された岩石に含まれる。それを大きく振るい上げたルガルガンに、慌ててカプ・コケコへと命令する。

 

「カプ・コケコ! ルガルガンを引き離して!」

 

「不可能だ。この距離じゃ、退けねぇってのは、計算内だろ? オレのルガルガンも退けねぇが、テメェも回避不可能領域。さぁ、食らい知れ! ストーン――エッジ!」

 

 打ち下ろされた一撃の重たさにカプ・コケコは咄嗟に甲殻を突き上げて防御姿勢を取ったが、それでも地面に打ち付けられる。咄嗟の「エレキメーカー」の加護が衝撃からは身を守ったが、それが仇となった。

 

 舞い降りるルガルガンの攻撃は、まだ終わっていない。

 

 その赤い眼光が戦闘の勢いを灯らせたのを、確かに目にしていた。

 

 カプ・コケコに回避を命じようとするも、ルガルガンの捨て身の攻撃が放たれる。

 

「地ならし!」

 

 自らの全体重をかけた「じならし」の一撃はカプ・コケコの内部骨格を軋ませていた。

 

 地面タイプの効果抜群の技に震える肉体を、カプ・コケコは電気を振るい上げて相手を無理やり引き剥がす。

 

 ルガルガンはこの水フィールドでは逃げ場はない。

 

 ――だが、それは自分も同じであった。

 

 カプ・コケコの身体から急に力が凪いでいく。恐るべき勢いで体力が削られているのが窺えた。

 

「フェアリータイプに対して、毒の攻撃を放った。先生、フェアリーに毒は、効果抜群のはずですよね?」

 

 その言葉通り、カプ・コケコの体表が瞬時に毒で腐敗していく。このままでは戦闘継続不可能なだけではない。瀕死以上に持ち込まれる恐れも充分にあった。

 

「さぁ、センコー。やり合うか? これ以上。簡単だよな。水辺のフィールドに電気を一発でもいい、流せばそっちの勝ちさ。ただし、その時にはカプ・コケコは対処不可能な毒に侵されているぜ?」

 

 そう、電気技を一発でも撃てばこちらの勝利。しかし、決断するよりも早く、毒は身体中に回るだろう。そのうち、脳神経を壊死させるのも考えられる。

 

 ここはポケモンジェネラルとして。それ以上に教師として、模範的な行動が求められていた。

 

「……戻りなさい、カプ・コケコ」

 

 覇者のボールを向け、赤い粒子となってカプ・コケコが吸収される。エイジのルガルガンはそれでも立ち続けていた。

 

 これで勝敗は完全に決した。

 

「……負けたわ。エイジ君」

 

 そこでルガルガンが膝を折る。どうやら一進一退の攻防であったらしい。少しでも自分が戻すのが遅ければルガルガンは敗退していたであろう。だが、それは教師として正しくはない。

 

 何よりも、誉れある島クイーンとして、見苦しいだけであった。

 

「しかし、まさかカプ・コケコを下すなんてね」

 

 水辺のフィールドが反転し、元の何もない地面へと巻き戻った瞬間、エイジはルガルガンに駆け寄っていた。

 

 先ほどの戦闘で見せた苛烈なる瞳ではない。

 

 今は、平時の心優しいエイジの眼差しがルガルガンを労わっている。

 

「よくやった……。戻れ、ルガルガン」

 

 ボールに戻したエイジに、ゆっくりと歩み寄っていた。刹那、戦闘時の眼差しへと変貌したエイジが警戒する。

 

「……ンだよ。負けたのに文句でもあるのか?」

 

「いいえ。健闘を。お互いに称え合いましょう。それがポケモンジェネラルのバトルにおける礼儀よ」

 

 茫然とするエイジはやがて、ふんと鼻を鳴らす。

 

「ジェネラルとしての礼儀、ねぇ。人間の礼儀に従うつもりもねぇが、認めてやるとすりゃ、カプ・コケコ、確かに強敵だったぜ」

 

 差し出した手を取ったエイジに微笑みながら答えていた。

 

「ええ。あなたのルガルガンもとても強かった。そしてエイジ君、この瞬間、あなたにはジェネラルレベル6としての権限が与えられたわ」

 

 その言葉にエイジは目を白黒させる。

 

「ああ、そうか。元々、ジェネラルレベルが低いからって戦いだったか。すっかり、戦いに酔っちまうとは、オレらしくねぇ」

 

「エイジ君も変ったわね。それを称えるべきなのかしら?」

 

 その問いかけにエイジは手を払っていた。

 

「少なくとも、あんたの教え、無駄じゃなかったってこった。センコー。エイジは、あんたが教えたから、勝ったんだ」

 

 そうか、と思い直す。自分の教えも無駄ではなかったというのならば、これ以上のない完敗ではないか。

 

 覚えず笑みがこぼれる。

 

「おめでとう! エイジ君、あなたはここで、今! エースジェネラルへの一歩を歩み出したのよ」

 

 この言葉が、教師として言えるのが心の底より嬉しかったのは言うまでもない。

 

 



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第三十一話 まだ見ぬ明日

 

 ギャラリー席からリッカが駆け寄ってくる。エイジは内側でダムドに言いやっていた。

 

(よく……僕の戦術を信じてくれたよ。ありがとう、ダムド)

 

「感謝するのはまだ早いぜ、エイジ。オレの目的は……」

 

(世界征服、だろ? そのためのセル集め。まだスタートラインだ)

 

 だが自分一人では、いつまでもこのスタートにさえも立てなかっただろう。その点ではダムドに感謝している。彼がいたから、戦い抜けた。ルガルガンを信じ抜き、カプ・コケコに勝利出来たのだ。

 

 ダムドは頬を掻いていた。

 

「分かってんならよせ。お互いに礼を言うのは、その時になってからだ」

 

「おめでとう! エイジ! これでようやく……」

 

 感無量と言った様子でリッカは涙ぐんでいる。ダムドはそれを茶化していた。

 

「おいおい、もう旅が終わったみたいな盛り上がりじゃねぇか。これからだろ」

 

「そう……そうよね。先生! エイジとあたしは、旅に出ます。ジェネラルレベルが6になったのなら、旅の同行も可能なはずです」

 

 言い放ったリッカに先生は予め了承を取られていたのか、何度も頷いていた。

 

「ええ。あなた達の旅に幸多い事を。……でも、一晩くらいは待てるでしょう? お願いだから、ハジメタウンの町中でお祝いさせて。それが先生の、最後の望みよ」

 

 その言葉には自分もリッカも最大限の敬意を示していた。

 

「はいっ!」

 

(ありがとうございます! 先生!)

 

「……ったく、しょうもねぇ。町中って田舎だろうがよ」

 

「ダムド! あんた、またそんな事を言って……!」

 

「うっせぇ、メスガキ。騒がしいのは性に合わねぇ」

 

 ダムドはバトルコートより歩み出していた。エイジが問いかける。

 

(どこに行くんだ?)

 

「オレとテメェだけでゆっくり話せるところだよ。うざいったらありゃしねぇ!」

 

 その背中にリッカの声がかかった。

 

「エイジ! ダムド! あんた達、明日は遅刻しちゃ駄目よ!」

 

 その言葉に自分の意思ではない。ダムドの意思で、手が振り返されていた。

 

「安心しろって。抜け駆けで旅に出るほど、驕ってもいねぇ」

 

 言葉振りにエイジは内側で震える自分を発見していた。今まで最底辺だと思っていた。これから先も、ずっとそうなのだと。この町で腐っていくしかないのだと。

 

 だが、もう違う。

 

 リッカよりもジェネラルレベルが上の6になった。

 

 これは、ようやくリッカと――胸を張って肩を並べていいという結果だ。

 

 エイジは森を目指すダムドに言いやる。

 

(……みんなお祝いしてくれているのに……。背を向ける事はないんじゃ?)

 

「だーかーら、そういうのがうざってぇ。静かにも出来ねぇのか、人間ってのは」

 

 森は比して静まり返っている。いつもと同じだ、とエイジは周囲を見渡していた。

 

(そうだ。この間治療したゴーゴートの様子を見させてくれ。もう、彼は治ったはずだ)

 

「……テメェも相変わらずだな、エイジ。別にもう旅立つんだろ? じゃあ、森の連中なんざ、どうだっていいじゃねぇか」

 

 確かにその通りかもしれない。しかし、自分なりの禊くらいはある。

 

(……森のみんなに、挨拶しておきたい。これは人間がいるところじゃ出来ない事だ)

 

 その説得に何か感じるものがあったのか、ダムドは応じていた。

 

「……とっとと済ませな。一旦引っ込むぜ」

 

 いきなり身体感覚が戻ってきて、エイジは身震いしていた。自分が、まさか先生の切り札に勝利するなど思いも寄らない。この世界がひっくり返ったってないと思っていた。

 

 それだけに感激もひとしおであったが、ダムドは急かす。

 

(さっさとしろ。また表に出るぞ)

 

 それは困る。エイジは深呼吸し、ゴーゴートの生息地へと踏み込んでいた。

 

 草いきれが強くなり、木々のアーチをいくつも潜って、エイジはゴーゴートと対面していた。

 

 彼はきっちりと、四つ足で佇んでいる。もう治ったのだ。それが素直に嬉しい、とエイジは微笑む。

 

 ゴーゴートはエイジの周りを駆け回った。

 

 決して心を許したわけではない。それでも、治療してくれた恩義のつもりだろうか。彼なりの誠意にエイジは目頭が熱くなる。

 

「ありがとう……。そして、さよなら。ゴーゴート。もう行っていいよ。後は、君達の勝手だ」

 

 ポケモンを縛る事も、この場所に自分が縛り付けられる事も、もうない。

 

 言葉少なに背中を向けたエイジは、森のポケモン達の声を聞いていた。

 

 草ポケモン、虫ポケモンの区別なく、彼らは自分の門出を祝福してくれている。その事実に、どうしても足が止まってしまう。

 

 ここで、ずっと居られたらどれほどいいだろうと思えてしまうのだ。

 

 しかし、それは停滞。もう自分は進むと決めた。ならば、心に従うのが道理である。ダムドがいなければ踏み出す事のなかった一歩を、エイジは踏み出していた。

 

 自然と足はセーフハウスに向いていた。ダムドが自分と一対一で話したいと言うのならば、これほどの的確な場所もないだろう。

 

 梯子を上り、いつものように扉を開けると、普段と変わりなく、コラッタ達が駆け抜けていく。

 

 この変わり映えのない景色も、もう見納めなのだ。

 

 そう思うと名残惜しかったが、分離したダムドがその感傷を打ち切っていた。

 

 四つ足の形態となり、彼は言い放つ。

 

(……ようやく、一端……いや、その末端か。それでも、まぁ、健闘したんじゃねぇの)

 

「……意外だな。お前から労いが聞けるなんて思わなかったよ」

 

 ダムドはいつでも冷酷だと思い込んでいたからだ。その様子に彼自身も思うところはあったのか、一拍の逡巡を浮かべる。

 

(……だな。らしくはねぇ。エイジ。朝になれば、すぐにでも出立だ。これからだぜ。セルを集め、この陣地争いに勝利する。そうでなくっちゃ、契約した張り合いがねぇ)

 

 契約、か。エイジはセーフハウスの中を見渡す。ここから始まった因縁だ。

 

 この森の事を、自分は一生忘れないだろう。この日の事も、もちろんだ。

 

「ああ。セルを集めて、勝利する。それが僕達の目標だ」

 

(いい答えだ。本音を言えば、もう少し駒が欲しかったんだがな。この森で調達出来るのにも限界はある。なら、旅先で捕まえたほうが早ぇ)

 

 獣の姿のダムドは床を踏み鳴らす。そうか、ここから旅に出れば、他のポケモンとも出会えるのだ。

 

 ははっ、とエイジは笑っていた。

 

(ン? 何がおかしい?)

 

「いや……考えもしなかったなぁ、って……」

 

 旅に出れば必然的に出会いが増える。そんな当たり前さえも自分からしてみれば非日常であったのだ。

 

 それが明日には日常となり、そして現実となる。その確信にエイジは手が震えているのを目にしていた。

 

「……参ったな。怖気づいてる」

 

(武者震いだと思え。せっかくの機会だ。万全に使おうぜ、エイジ)

 

 ダムドは前向きだ。それに比して、とエイジは嘆息をつく。まだこの町に名残惜しさがある。これまでの日々との決別には時間がどれほどあっても足りないくらいであった。

 

 それでも夜は更け、日は昇るのだろう。

 

 無情に。それでいて、背中を後押しするように。

 

 いつまでも足踏みしていたのでは、せっかく勝てたこの感触に背を向けるようなものだ。

 

「ダムド……僕は」

 

(そっから先は、言うもんじゃねぇさ。今は寝て、しっかりと準備しろ。オレも準備してくる)

 

「お前が準備って……」

 

 言いかねた瞬間、ダムドが乗り移っていた。どうにも、最早この身体に慣れられたらしい。

 

「……朝一に出るんだ。あれは今しか味わえねぇさ」

 

(あれって?)

 

 疑問符を浮かべるエイジに、ダムドは町へと駆け抜ける。真っ先に向かったのは公園に陣取るガレット屋であった。主人は、おおっ、と声を上げる。

 

「エイジ君? みんな、戦いのお祝いをするって言って――」

 

「うっせぇ、オヤジ。ガレットくれ。ほれ、二百円」

 

 差し出した硬貨に主人は笑みを浮かべる。

 

「はいよ! せっかくのエイジ君の門出だ! 精一杯に最高のガレットを焼き上げよう!」

 

 その様子にダムドが手を振る。

 

「頼むぜ、オヤジ」

 

 その様子をエイジは内側から窺っていた。

 

(……まさか、これ?)

 

「他にねぇだろ。オヤジのガレットはオレが初めて、うめぇって思ったもんさ。だったら、名残惜しいって言うんなら、これを食わねぇとな」

 

 何だか肩透かしを食らった気分であったが、ダムドは芳しい香りに満足げであった。

 

「おっ。この匂い、たまんねぇな」

 

「いやぁ、エイジ君が抜け駆けしてまでここを選んでくれて嬉しいよ。……でも、寂しくもなるかな。きっとおじさんのより、もっと美味しいガレットにも出会うだろうさ。君はまだまだこれからなんだから」

 

「説教くせぇのいいから。ガレットくれ」

 

「はいよ! お待たせ!」

 

 差し出されたガレットをダムドは乱暴に引っ手繰る。噛り付き、ふんと鼻を鳴らした。

 

「やっぱうめぇじゃん」

 

 ダムドの行動には問題はあるもののエイジはこれも最後か、と感じ入っていた。

 

(この町とも明日でお別れなんて……)

 

「泣きに入っている場合か? 言っておくが、こんな辺境で最初から終わっているつもりなんだとしたら、お門違いもいいところさ。オレ達はさらに前に行く。それだけだ」

 

 ガレットを頬張り、ダムドは前を向く。

 

 今はただ、前を向ける彼の眩しさにエイジは感嘆するのみであった。

 

(……お前が羨ましいよ。故郷とか、あるのか?)

 

「知らん。あるのかもしれねぇし、ないのかもな。オレ達ジガルデにそんなもんがあるとか、聞いた事もねぇし」

 

 あの場所で男より聞かされたジガルデの起源を思い返す。彼の言葉通りならば、ジガルデは破滅への導き手だ。それでも、自分にしてみればずっと暗がりにいたこの身を救い出してくれた、恩人には違いない。

 

(……ダムド。僕はお前と一緒に行く。一蓮托生だ。その決意だけは揺るぎない)

 

「結構、結構。そいつさえ見据えておけ、エイジ。絶対をオレに突きつけたんだ。あの時のマジな感じ、また味わわせてくれよ」

 

 きっとその先にはまだ見ぬ明日が待っているはずだから。

 

 



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第三十二話 彼女の約束

 

 リッカは何か言葉をかけるべきであったのだろう。

 

 それでも、立ち入れないな、と判断していたのは何も彼らの決意が眩かっただけではない。

 

 街灯の陰でリッカは面を伏せる。

 

 ジェネラルレベル6のエイジとならば、ようやく大手を振るって旅に出られる。その予感に高鳴る胸に、でももし、と問い返していた。

 

「ダムドがいなかったら、エイジはこんな決断、してくれなかったんだよね……」

 

 そういう点では感謝すべきなのだろうか。それとも、運命を捻じ曲げたあのポケモンに侮蔑の一言でもぶつけるべきなのだろうか。

 

 いずれにせよ、もう自分達は明日にはこの町から発つ。その現実がどこか遊離しているようで、リッカは持て余していた。

 

 自分には両親がいる。もう先刻話した事だ。両親ともに旅に出るのは賛成で、その道を阻もうなんて大人は、この町にはいない。

 

 ――だが、エイジは?

 

 今の今まで蔑まれ、そして父親に捨てられたエイジに、大人達は素直に祝いなんて述べられるのだろうか。きっと誰もが、心のどこかでは憐れんでいる。

 

 それを見るのが、何よりも辛い。

 

 いくらエイジが自分で決断した事とは言っても、親のいない子供が旅に出る非情さを、知らないわけがないのだ。

 

 自然と足はスクールに向かっていた。

 

 いつだってエイジと共に森へと飛び出していた場所。問題児だとからかわれ、それでもエイジの背中を追う事を諦めなかった自分。

 

 きっと、これまでとは違う運命が待っているに違いない。それでも、旅立つ事が出来るのか? エイジからしてみればより過酷なだけの旅だ。こんなもの、ここで破いてしまったほうがいい約束なのではないか。

 

 胸を掠めたその感傷に、声が投げられた。

 

「……リッカちゃん?」

 

 振り返り、その大人を認める。

 

「……先生」

 

「カプ・コケコは、毒の治療が終わって、回復までは二三日だって。その間、先生は先生の業務もお休み。クラスのみんなも臨時のお休みで喜んでいるでしょうね」

 

 ふぅと息をついた先生は先ほどのバトルの過酷さからは浮いているように思えた。島クイーンとしての実力を発揮し、改めて強者である事を認識した相手に、どう顔を合わせればいいのか分からず、リッカは俯く。

 

 その頭にそっと手が置かれた。

 

「リッカちゃん。寂しかったらいつでも帰ってきなさい。ここで先生は待っているから。……本当はエイジ君にこれを言うつもりだったんだけれど、彼にはもう、充分な相棒がいるみたいだし」

 

 笑って見せた先生に、リッカは何度も言葉を継ぎかけていた。

 

 ダムドの事、ジガルデの事、話してしまえればどれだけ楽であっただろう。

 

 だが、それは出来ない。エイジが旅立つ本当の理由を、誰も知らないまま送り出される。それが、自分の中では辛かったのだ。

 

 誰もエイジの「本当」を知らない。そのまま、この始まりの町から旅立たなければならないエイジに、気の利いた一言なんて誰だって言えるものか。

 

 そんな嘘くさい代物、とまで思っていたリッカに先生は言いやっていた。

 

「……正直、ね。エイジ君とリッカちゃんが、羨ましいかも」

 

「羨ましい? でも先生は、アローラの島クイーンで……」

 

 こうしてランセ地方の田舎町まで来た実力者ではないか。そう言いかけていたリッカは、先生の次の言葉に口を噤んだ。

 

「先生も、ね。あっちからこっちに来る時に先生の先生……まぁ、お師匠さんと喧嘩しちゃってね。ランセ地方なんて遅れた地方に教師をやる馬鹿がいるかって。カンカンだったのよ」

 

 思わぬ告白にリッカは困惑していた。先生は柔らかな相貌に影を差す。

 

「……大喧嘩の末に、結局先生は、師匠から勝ち取ってここに来たの。カプ・コケコはその証」

 

 だったのなら、今の自分とエイジを止められるはずだ。止めるだけの言葉を持つ大人のはずであった。

 

 しかし、先生にはそのつもりもないらしい。どこか懐かしむような声音で、かつての日々を口にする。

 

「その証を、いつか誰かに破ってもらうのが、きっとここまで来た意味だったのかもね。だって先生をやるんだもの。教え子がいつか旅立つのは仕方ないのよ。その時に、一番の障害になるのも、きっと変えられない運命なのでしょう。それを、師匠は分かっていたのね。だから、全力で止めて、嫌な役に徹した……」

 

 先生の師匠がどのような人であったのかは予想するしかない。それでも、いい人であったのは確かなはずだ。そうでなければ、こうして自分達を出送ってくれるはずもない。

 

 きっと大切な事をたくさん教わったのだろう。

 

 それに比して自分は、何度も授業を抜け出した。怒られてもいいはずなのに、先生はそのような素振りを少しも見せない。

 

 一人の大人である前に、旅立ったかつての子供として、自分に語り聞かせてくれているのが分かった。

 

「……先生は、後悔した事はないんですか。旅立って、故郷にも喧嘩別れして……」

 

「後悔? ……不思議なんけれどね、ないの。何だかあなた達に対して教師をしていると、そういうの忘れちゃってた。ここで誰かの旅立ちの時に立ち会えるだけで光栄だって、そう思えていたのかもね」

 

 だとすれば、自分はかつての先生の子供時代のように無鉄砲に飛び出す愚か者に見えているのだろうか。

 

 問い返そうとして、リッカは不意に抱き留めてきた先生の体温に呼吸も忘れていた。

 

 大人のあたたかさに言葉も出ない。

 

「先生……」

 

「お願いね、リッカちゃん。エイジ君を見てあげて。先生はここまでだけれど、リッカちゃんなら見てあげられる。あの子が最後の最後に何を掴むのか、それを目を逸らさずに、最後まで……」

 

 後半は涙声になっていた。リッカは先生の頬を流れる大粒の涙を目にする。先生は赤らんだ頬で、あれ、と声にしていた。

 

「おかしいな……。泣かないって思っていたのに。泣き虫で、ごめんね……」

 

 ううん、とリッカは頭を振る。自分の頬を伝う熱いものを茶化せないように、他人の涙だって茶化せるものか。

 

「約束……します」

 

 この言葉を決して忘れる事はないだろう。誓うのは、誰でもない、自分自身に、であった。

 

 



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第三十三話 ジェネラルの夜明け

 

 体温をじわりと温めた陽射しに、ダムドはエイジの身体で身を起こしていた。

 

 エイジの意識は眠りについている。その間だけこの身体の権限を借り受けていた。

 

「……朝ってのはいつだって好かねぇ。決断を先送りにしたって、朝だけはやってくるんだ。だから、オレは夜が好きなんだ。テメェもそうだろ? ルガルガン」

 

 ボールの中で身じろぎするルガルガンにダムドは微笑んでから、セーフハウスの扉を開けていた。

 

 いつの間に集っていたのか、森中のポケモン達が見渡さんばかりに足元にいる。彼らもきっと、エイジに真正面から別れを告げる気はないのだろう。

 

 そんな残酷な事を、彼らはやるものか。

 

 きっとエイジはここでどれだけでも傷を癒していたに違いない。過去までは分からないが、ジェネラルレベルをずっと最底辺で彷徨っていたエイジには自分なりに思うところがあった。

 

「……この場所から離れたくないのは、同じってワケか……。だがよ! テメェら! オレ達の覇道を邪魔すんな! 邪魔するヤツは、ここで切って捨てる!」

 

 その言葉に彼らは道を開ける。ダムドは鼻を鳴らしていた。

 

「……そういうの、人間が見たら泣くんだろうな。オレに、泣くって機能はねぇからよ。そういうの分からねぇんだ。だから、涙とか期待しても出ねぇよ。悪いな」

 

 時間の一時間前だが、ダムドは準備を整えていた。

 

 ホルスターにポケッチ。そして出かけるのに適した赤いジャケットに袖を通す。手袋をはめ、最後に鞄へと書き付けた日誌を詰め込んだ。

 

「……エイジは言葉をいくらでも使うだろうな。それでも、オレは何にも言えねぇし、言うつもりもねぇ」

 

 セーフハウスから降り立ち、ポケモン達の開けた道を歩み切る。振り返るまいと決めたその背中に、一匹として声は投げなかった。

 

 フッと笑みを浮かべ、ダムドは手を掲げる。その指差すのは中天――即ち、空の彼方だ。

 

「言っておく! オレはセルを全て手に入れ、そんでもって、世界を変えてやる! テメェらと次に会うのは、それからだ。変わった世界でまた会おうぜ」

 

 ポケモン達の無言の肯定にダムドはそれ以上の言葉を弄そうとは思わなかった。

 

 そう、最早、旅立ちの準備は整ったのだ。ならば、歩み出すしかない。それが旅立つ者の務めである。

 

 何か、気の利いた事をエイジならば言うのだろう。彼らへの恩義、そして義理はエイジも言葉では星の数ほど尽くしても尽くせないはず。

 

 しかし、自分はあえて言葉少なであった。

 

 それがこの身体を使う、という意味でもある。

 

 これから先、エイジは何度も後悔するかもしれない。だが、その度に逃げ出したくなるような弱い人間を宿主に選んだつもりはない。

 

「……エイジ、テメェはそれなりに強ぇんだと、オレは判断するぜ。そして、こうも言ってやる。これだけのポケモンに見送られたんだ。情けない戦いだけはするんじゃねぇぞ」

 

 まだエイジの精神は起きていない。それでも、そう語り聞かせる事だけが、自分に出来る唯一の――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅立ちの祝いが催されたようであったが、いざ旅立つ自分達にはほとんど無縁で、そして関係がなかった。

 

 ツーサイドアップの髪留めを新しくしたリッカが約束していた刻限通りに集合場所で待っている。

 

 いつの間に起きたのか、自分でも分からなかったがダムドが適切な時間に起こしてくれたのだろう。

 

「……ゴメン。遅れそうになっちゃって……」

 

「本当よ! こういうの、旅の中ではご法度なんだからね」

 

 リッカはしかし、どこか迷いを振り切ったようであった。それともハジメタウンから出たがっていたのはリッカのほうであったのか。

 

 自分は、と言うと、見送りの大人達に振り返っていた。

 

 彼らは一様に涙を浮かべ、そしてハンカチを振っている。

 

 その中で代表として、先生が歩み寄ってきていた。

 

「エイジ君、リッカちゃん。辛かったら戻ってきてもいい。でも、それ以上に、あなた達の旅路に幸多い事を祈るわ。そしてエイジ君、昨日の昇級試験の報酬をまだ、与えていなかったわね。これを」

 

 差し出されたのは菱形の石であった。それが何を意味するのか、エイジは理解して先生の眼差しを直視する。

 

「これは……。でもまだ僕らには早い」

 

「いいえ。そんな事はないわ。先生に勝ったんだもの。受け取りなさい」

 

 手の中にしっかりと渡され、エイジは困惑しながらも受け取っていた。

 

「寂しかったらいつでも帰ってきていいから」

 

「大丈夫です、先生。僕らは、そう……大丈夫」

 

 二人だけではない。ダムドもいる。そして、自分達の手持ちを信頼している。

 

 町と外を区切るアーチの前に、二人は立っていた。

 

 あと一歩、踏み出せば旅は始まる。もう戻れない。戻ってはいけない旅が。

 

 幾億の足踏みをするよりも遠い一歩。その足を踏み出すかどうかは自分次第。

 

 しかし、今は皆が待ち望んでくれている。自分達の旅に幸多い事を。

 

 だから、迷いなく踏み出そう。

 

 どれだけ辛い事があろうとも。どれほどに残酷な運命が待っていようと。

 

 エイジはその一歩を、ようやく踏み出していた。

 

(これからだな、エイジ。ようやくセルを集める事が出来る。そしてオレの野望を達成する)

 

 その野望の赴く先がたとえ破滅だろうとも。

 

 今は、己の信念を胸に、前に進むだけだ。

 

「エイジ。まずはカエンシティまで行くわよ。ジェネラルレベルが上がったんだから、ポケモンジェネラルとして、これから先は戦いを挑まれる事も多々ありそうね」

 

(他の地方で言うトレーナー身分ってのに、ようやくなったってワケか)

 

「まぁ、そういう事。でも、ハジメタウン近辺にそこいらのジェネラルなんていないからね。大体、ジェネラルが勝負を挑んでくるようになるのはカエンシティより向こうなんだ。そこから先は、気が抜けなくなる」

 

 その言葉にダムドは内側でケッと毒づく。

 

(ジェネラル同士のバトルにかまけて本来の目的を見失うなよ。あくまで、セル集めが本懐だ。他のは些事だと思え)

 

 それは、ダムドからしてみれその通りだろう。彼の保持するセルはまだ少ない。

 

 このままでは通常形態すら維持出来ないのだ。

 

「でも、ダムドも勝手よね。セルを自分で使っておいて、その尻拭いをしろなんて」

 

(うっせぇな、メスガキ。テメェを助けるのにもセルを使った事を忘れんな)

 

「はいはい。でもまー、セル集めって言ったって、まずはどうするの? 当てでもあるのかしら」

 

(言った通り、コアはセルと引かれ合う。自然と分かるっちゃ分かるんだが、人間が多い場所のほうがセルもエネルギーを扱いやすいだろ。ジェネラルレベルを上げたのは単純に効率がいい)

 

 つまり、人の多い都心部ほどセルは集合すると言うわけか。エイジはポケッチの情報に視線を落としていた。

 

「カエンシティの平均ジェネラルレベルは4。まだ駆け出しのジェネラル達ばかりだ。ダムドの言い分の通りなら、もっと向こう側に行かないといけない」

 

 少なくとも旅は始まったばかりであろう。焦り過ぎたところで仕方ないのだ。

 

「でも、トップジェネラルのニュースは更新され続けているわ。これを」

 

 リッカのホロキャスターに映ったのは、このランセ地方を代表するトップジェネラル達であった。

 

 その名前と称号、そして佇まいにエイジは息を呑む。

 

 今まではハジメタウンで、ただ漫然と見るだけであったトップジェネラルも、これから先には出会うかもしれない強敵なのだ。

 

(ジェネラルレベルの高ぇヤツってのは、公にされちまうのか?)

 

「色んな企業の広告塔としての意味合いもあるからね。彼らの強さは純粋な強さ以外にも、その広告塔としての機能や、それと同時に他の地方で言う四天王のような国防戦力としての意味合いもあるんだ」

 

(ふぅん。面倒だな、ジェネラルレベルが高過ぎるってのも)

 

「でも、彼らに会う確率なんて相当低いとは思うわよ? だって有名人だし」

 

 その中の一人へとエイジは自然と目を向けていた。

 

 金髪の威風堂々とした青年である。エメラルドの眼差しが射る光を灯し、戦闘経験の深さを思い知らせる。

 

「……トップジェネラルの一人。ジャックの称号を持つジェネラル――レオン・ガルムハート」

 

 どうしてだかその時、レオンと言う男の姿から目を離せなかった。

 

 



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第三十四話「レオン・ガルムハート」

 

 写真をお願いします、と言われ、彼は佇まいを正す。この街では自分のような人間は目立つだけか、と内心感じながらも快く応じていた。

 

「構わない」

 

 写真をねだった女子高生達は黄色い歓声を上げていた。

 

「ジャックジェネラル、レオン様と写真が撮れるなんて……!」

 

「別段、気にするでもないよ。いつでも写真程度ならば請け負おう」

 

 その姿勢も相まってか、女子高生達は興奮しているようでもあった。レオンは写真を撮り終えてタクシーを呼び付ける。

 

 その姿勢でさえも流麗。道行く人々が足を止め、それぞれに写真を撮っていた。それを諌めるでもなく、レオンはタクシーが動き出して、息をついていた。

 

「お疲れですか? すごい人気ですね、ジャックジェネラルと言うのは」

 

 タクシー運転手の声にレオンは手を払う。

 

「皆が俺の事を信頼してくれているからこその身分だ。甘んじて受けよう」

 

「そういうのも含めて、なんでしょうなぁ」

 

 レオンは流れる街並みを視野に入れていた。コブシシティはランセ地方でも内陸部に位置しており、その交通の利便性から、かつての戦国の世においても物流の中心地に程近かったと聞く。

 

 このコブシシティを経て、さらに南部――カエンシティなどへと物流が至るのだ。必然的に流行り廃りも激しく、時にはその時流は自分達ジェネラルをも巻き込む。

 

 トップジェネラルとして活動するのに、必然的な移動手段は車や鉄道であったが、ランセ地方ではコブシシティより北部でしか鉄道は機能していない。

 

 やはりまだまだ発展途上の地方であると言う印象は拭えず、その結果、他地方の後追いになっている文化は数多い。

 

 ジェネラルの扱いもその一つであり、ランセ地方独特のものでありながら、他地方におけるコーディネーターやブリーダー、四天王と言った役割がない交ぜになっており、結論として何を名乗ればいいのかが悩みどころであった。

 

 トップに位置するのは自分を含め、たったの五人。

 

 ジャックジェネラル――それは自分ともう一人。そしてその上に立つクイーンジェネラルは女性二人。

 

 さらに頂上、王者の風格を持つ者、キングジェネラルは一般的に公表されていない。

 

 この五人の中で唯一、他地方にも、ましてやランセ地方内部でも極秘に扱われているのがキングジェネラルだ。

 

 だが、その五人でさえも、ジェネラルの真の意味での頂点である最高峰の位――エースジェネラルには程遠い。

 

 エースジェネラルを名乗った者はこのランセ地方の歴史の中で存在しないのだ。

 

 他地方で言うところのポケモンマスターに相当する地位は、やはり伊達ではなく、身勝手に名乗ろうものならば、自分達五人が黙ってはいない。

 

 それほどまでに格式高い、ジェネラルと言う身分でも、ここ数年では混迷の時代にあると言われている。

 

 カントー、ジョウトなどで偏在化してきたトレーナーの受け皿の不足。それがこのランセ地方でも顕著になってきていた。

 

 ジェネラルの身分になるのは勝手だ。誰でも名乗れるが、それを名乗った以上はジェネラルとしての活動を強いられる。

 

 自分達のようなトップジェネラルではない者達はスポンサーの後ろ盾もなく、彼らは日々困窮の中にあると聞いていた。

 

 無論、レオンとて最初からトップジェネラルであったわけではない。

 

 幾つもの試練と苦難を乗り越え、その先に掴んだ身分だ。簡単に手離すつもりもなければ、誰かにくれてやるほどに執着がないわけでもない。

 

 だが、トップジェネラルの行き着く先は自然と他のジェネラル達の模範であった。

 

 自分達がしっかりと見本を見せなくては、他のジェネラル達は居場所を失う。そのためには絶えずメディアに出演し、そして人気を勝ち取るのが先決であった。

 

 この苦労を要らぬ気苦労だと思った事もない。必然的に力を持つ者は他者へとその姿勢も含めて、模範となる必然性に駆られる。

 

 自分はこのジャックと言う称号を穢すつもりはない。少なくとも自分ではないはずだ、と思っていた。

 

「しかし、大変ですよね、レオンさん。あなた方トップジェネラルは他の地方にも行ったりと聞きますが」

 

「ああ、先日はカロスに視察に出かけた。彼の国は進んでいる。技術の進歩と、そしてトレーナーの先進的な統合も含めて勉強になったとも」

 

「ジェネラルである以上、他地方との交易も仕事、ですか」

 

「人の上に立つんだ。それなりだろうさ」

 

 しかし、とレオンはこのコブシシティの街並みをその視界の中で捉える。ジムリーダーのような分かりやすい力の象徴がないこの地方には、やはりと言うべきか争いは絶えない。

 

 今しがた、荒々しい気性の男達がサラリーマンを捕まえて路地に入っていくのを確かに目にしていた。

 

「……止めてくれ」

 

「レオンさん。ああいう喧嘩には、あなたみたいな……」

 

「俺でなければ誰がやる。それに、見てしまったものを見なかった事には出来ない」

 

 タクシーを降り、レオンは真っ直ぐに路地裏へと向かっていた。サラリーマンが三人の男達に囲まれ、恐喝されている。

 

 レオンは声を張っていた。

 

「やめるんだ!」

 

 その声に男達が振り返って息を呑んだ。

 

「なっ……レオン・ガルムハート……」

 

「君達、恥ずかしいとは思わんのか。見たところ、ジェネラルのように感じる。それなのに、弱い者を集団で襲うなど」

 

 男達はどこか気後れした様子であったが、そのうちの一人が歩み出ていた。

 

「何か文句でもあるんですかねぇ、トップジェネラル様直々に。我々下々の事は、放っておいてもらいましょうか」

 

 額に入れ墨をした男からは他の者達とは違うオーラを感じる。レオンは瞬時にその実力がジェネラルレベル6相当である事を見抜いていた。

 

「……見過ごせるものか。彼を置いて、立ち去るといい。しなくていい怪我までするぞ」

 

「あ、兄貴ぃ! 相手はトップジェネラルだ! さすがに敵いっこねぇ!」

 

 逃げ腰の二人に対してその一人はどこか自信を持っていた。まるで勝てるとでも言いたげな昂揚した眼差しである。

 

「うるせぇよ。それに、野良試合でのせば、さすがのトップジェネラルの名も地に堕ちる。ここでハッキリさせましょうや。なぁ! レオン・ガルムハート!」

 

 男がモンスターボールを投擲した。レオンは身をかわし、飛びかかってきた影を目にする。

 

 即座に狙い澄まされた水の銃撃に、レオンは軽くステップで回避していた。

 

 顕現したのは虫の躯体を持つポケモンだ。目のような文様を持つ翅が特徴的な虫ポケモンがレオンを睨む。

 

「……アメモース。虫ポケモンか」

 

「それだけだと思うな! アメモース、ハイドロポンプで狙い撃て!」

 

 水が練り上げられ、数多の砲撃網がレオンを襲う。レオンは後退し様にその攻撃軌道を予測していた。路地裏のアスファルトが抉れ飛ぶほどの威力に、ほうと感嘆する。

 

「それほどの力を持ちながら、何故いたずらに人々を害する。それが理解出来ない」

 

「理解してもらわなくって結構! あんたはここで死ぬんだからよ!」

 

 アメモースが羽ばたき、風圧でレオンを吹き飛ばそうとする。

 

「この攻撃……俺をこの場から吹き飛ばす気か……」

 

「ポケモンも出さないで、嘗めた真似をするからこうなるんだよ!」

 

「……ポケモンを出す? 君は今、三つ間違えた」

 

「何が!」

 

 アメモースの翅が高速振動し、レオンの身体を掻っ切らんと迫る。レオンは目を開き、その攻撃を紙一重で回避していた。それでも、その白色の服装の胸元が引き裂かれる。

 

「……一つは、俺達トップジェネラルにとってポケモンを出すという行為は、相手へのリスペクトありきだ。だからこんな野良試合で、ポケモンは出さない」

 

 そのスタンスに相手は苛立ちを隠せない様子であった。舌打ちし、手を払う。

 

「じゃあ死ねよ! アメモース、蝶の舞!」

 

 アメモースが翅を広げて舞い遊び、直後、風圧が刃の勢いを伴わせた。

 

「これで死ぬぜ! アメモース、虫のさざめき!」

 

 アメモースが連鎖する虫の鳴き声と共に可視化された光線を見舞う。その一発は明らかに、レオンを捉えたかに思われた。

 

 だが、レオンはそれでもポケモンを出す気配はない。

 

 それどころか、アメモースに向けて真っ直ぐに駆け出す。

 

「勝負を捨てたか! トップジェネラル!」

 

 相手の哄笑にレオンは冷静な言葉を返していた。

 

「もう一つ。これは野良試合だ。勝負には程遠い。だから、俺は、手持ちは晒さないし、それに君を倒すのは、ポケモンですらない」

 

 投げられたのは一発のプレシャスボールであった。出現の予感に男が警戒した瞬間、ボールが割れ、内側から黒煙が噴き出す。

 

「煙玉……。煙幕程度で! アメモース! 吹き飛ばしちまえ!」

 

 アメモースの全力の「ふきとばし」攻撃で路地裏に舞っていた粉塵が消し飛ばされていく。

 

 その時には――レオンの姿もなかった。

 

「今の一瞬で、逃げたのか?」

 

 首を巡らせた男は背後へと降り立った気配を感じる。その時には声が弾けていた。

 

「最後に一つ。俺は決して逃げない」

 

 振り返る前に首筋へと放たれた手刀が命中し、男を昏倒させる。レオンは残った二人へと視線をくれていた。

 

 サラリーマンを残し、男達が逃げ去っていく。それを見やってから、レオンは男の身体をその場に突っ伏させていた。

 

「……ジャックジェネラルの……」

 

 言葉も出ない様子のサラリーマンへとレオンは手を差し伸べる。

 

「怖かったでしょう? もう大丈夫です。出来れば、あまり他言していただかないようお願いします」

 

 サラリーマンは何度か頷いた後、路地裏から逃げるように走り去っていった。

 

 恐ろしく密度の高い戦いに思われたのだろう。

 

 実際にはレオンはポケモンを出してすらいない。戦いのレートに上がってすらいないのだ。

 

 レオンは倒れた男へと手を伸ばす。

 

 瞬間、男の胸元から飛び出したゲル状の物体が手を伝い、レオンの胸元へと至っていた。

 

「……やはり、これか」

 

 男の闘争心を掻き立て、自分へと向かわせたのはこの物体の作用なのだ。レオンは胸元の表面で脈打つそれを無感情に観察し、そしてタクシーへと戻ろうとして声に阻まれていた。

 

「――あなた、それが何なのか、分かっているのかしら」

 



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第三十五話 ジャッジメント・ワン

 

 声の主は女である。帽子を目深に被った女が路地に佇んでいた。

 

「……何の事だか」

 

「しらばっくれても無駄よ。あなたがそのゲル状の物体を、いくつも身体の中に飼っている事はこちらにはお見通しなのだから。凄まじいわね、確認出来るだけでも三つのスート。そして今手に入れたスートで四種揃った。あなたは、ジガルデセルを飼いならしている。その強靭な精神力で」

 

「……ジガルデ……何だって?」

 

「とぼけているのかしら。それとも、本当に分からない? 分からないまま、それを集めている? 相当な使い手なのは知っているけれど、まさかそこまで無知蒙昧で?」

 

 女がフッと口元に笑みを刻む。レオンは無感情にそれを眺めていた。

 

 ――否、無感情にはなり切れていない。今吸収したゲル状の物体を含め、今まで吸収してきた同じ形状の者達が鼓動に根を張り、脈打っている。

 

 そして脳に告げるのだ。

 

 ――この女も同じだ、と。

 

「……君は、何を知っている?」

 

「全てよ、ジャックジェネラル、レオン・ガルムハート」

 

「全て、か。随分と傲慢な物言いだ」

 

「それでも、あなたよりかはそれに詳しい。我々に同行していただこうかしら」

 

 いつの間に展開していたのか、武装した兵隊達が自分を包囲していた。銃口は既に全身を狙っている。

 

 その立ち振る舞いから素人ではない事を予見した。

 

「……失礼。君達は俺に何をさせたい?」

 

「何も。セルを渡しなさい。それでカタがつく」

 

「だとすれば……渡せないな。これが何なのか、俺も知りたくってね。だが誰に聞くわけにもいかなかったんだが……君達が教えてくれるのならば話は早い」

 

「勘違いをしないで、ジャックジェネラル。お願いをしているんじゃないのよ。これは命令。絶対的な、ね」

 

 女は手を掲げる。その一動作で引き金が一斉に絞られるのが、レオンには窺えた。

 

 だからこそ、ホルスターからモンスターボールを引き抜いていた。緊急射出ボタンが赤く明滅し、そして起動する。

 

「――行け」

 

 飛び掛かった影が瞬間的な速度を伴わせて、銃撃を全て弾き落としていた。水色の雷撃を身に纏い、その影は屹立する。

 

 周囲へと電撃が四方八方に放たれる。兵隊が倒れ伏し、無力化されるのを女はどこか予定調和とでも言うように眺めていた。

 

 レオンは青く滾る稲光の徒である相棒のポケモンに命じる。

 

「……やるぞ」

 

 途端、雷のポケモンは飛びかかっていた。その速度は尋常なものではないはずであったが、女は軽く姿勢を沈ませ、そして跳躍する。

 

 人間とは思えぬその跳躍力にレオンは手を払っていた。

 

「油断するな。相手も使い手だ」

 

「その通り! ジャックジェネラル、あなたの輝かしい功績もここまで! 行きなさい! エンニュート!」

 

 飛び出した漆黒の獣に電磁を纏いつかせた疾駆は黄金に輝く拳を放つ。しかし、命中の手ごたえよりも先に訪れたのは違和感であった。

 

 周囲を満たす紫色の煙幕にレオンは咄嗟にハンカチを口元に持っていく。

 

「これは……毒ガスか」

 

 神経毒が瞬時にこの空間に充満する。それは恐らく味方の被害も鑑みていない攻撃であろう。女は指を弾いていた。

 

「正解、これは毒ガス。私はね、決定的なもの以外は信じていない。だから攻撃の命中率も極めて高いものを優先する。今は、あなたのポケモンを毒状態に晒し、そしてその正体を看破する必要があった」

 

 動きの鈍った雷撃のポケモンを、エンニュートと呼ばれたトカゲポケモンが尻尾を払って攻撃する。青い息吹を帯びたその一撃にレオンは歯噛みしていた。

 

「今度は竜の怒りか……」

 

「確実に! そして的確に敵を葬るのが、私の流儀! 私の名前はエージェントLこと、レナ! レオン・ガルムハート。あなたはここで、全てのセルを私に献上して死ぬのよ!」

 

 稲光の加護が離れていく。露になったのは、全身に稲妻を走らせる黄金のポケモンであった。

 

 そのポケモンの名をレナが紡ぐ。

 

「なるほどね。ゼラオラ。速度に秀でた雷ポケモン」

 

 ゼラオラが構え、再び攻撃姿勢に移ろうとするのを、レオンは制していた。

 

「待て、ゼラオラ。今の神経毒、ともすればこちらの攻撃射程を操られる可能性もある。ここは慎重に行くんだ」

 

 しかし、主人であるはずのレオンの言う事を聞かず、ゼラオラはエンニュートに全力攻撃を見舞おうとする。

 

 拳が照り輝き、エンニュートへの至近戦に躊躇わずに向かったゼラオラに、レオンは声にしていた。

 

「既に布石は打ってある、というわけか」

 

「その通り。先の神経毒はゼラオラの行動を抑止するだけではなく、その行動を完全に我が物とする事にこそ、意義があった。エンニュートが毒ガスに混じらせていたのはベノムトラップ。毒状態の相手はエンニュートの指令に逆らえない。それだけではなく――」

 

 エンニュートへと見舞った拳から電撃が凪いでいく。思わぬ光景にレオンは絶句する。

 

「……攻撃が弱まった……」

 

「ベノムトラップで攻撃神経を最小限に留めた。これでゼラオラは私のエンニュートに、傷一つつけられない!」

 

 ポケモンはその行動の一つ一つに、特殊な神経を使用する。それこそがポケモンが「技」を行使するために必要なものであり、そしてポケモンセンターで回復出来る要因なのであるが、それを先んじて封じられたとなれば、今のゼラオラは牙を抜かれたも同義。

 

 否、ただ単に攻撃を弱められたのならばまだいい。今回の場合、攻撃は弱められたが、戦闘本能は研ぎ澄まされているのだ。

 

 昂ぶった神経をゼラオラは制する術を知らない。

 

 ただ闇雲にエンニュートへと攻撃を浴びせかけようとする。平時ならば高圧電流を纏っているはずの足技が弾けるが、今はただの飛び蹴り。威力は半減以下である。

 

 それをエンニュートは受け止め、そのままゼラオラを地面へと叩きつけた。

 

 粉塵が舞い散る中で、ゼラオラの身体より電撃が放出される。

 

 自らでも制御出来ない電流が作用し、路地を粉塵爆発が満たしていた。思わぬ爆流にゼラオラの体力が削り取られる。

 

「……自らの電撃で自らを傷つける……」

 

「エンニュートの恐ろしさは堪能したでしょう? さて、あなたが素直にセルを渡すと言うのならば、ここまでにしてあげてもいい。どうするの? セルを渡すのか、渡さないのか」

 

 問いかけにレオンは迷いなく、頭を振っていた。

 

「……俺にもこれが何なのかはよく分からない。だが、君達のような野蛮人に、渡してしまってはいけないのだと、それだけは理解出来るとも」

 

 その言葉振りが意外でもなかったのだろう。レナはフッと笑みを浮かべていた。

 

「そう言うと――思ったわよ。じゃあ殺して奪うわね! 私の中に眠るジガルデセルよ! レオン・ガルムハートの持つセルを賭け、彼にゾーン戦を挑むわ!」

 

「……ゾーン戦?」

 

 疑念が形になる前に、レオンは周囲の景色が掻き消えているのを目にしていた。コブシシティの路地や今まで戦っていた場所が上塗りされ、その代わりに現れたのは青白い宇宙である。

 

 地面も存在しない常闇で、レオンは中空を掻いていた。レナはセルを用いて地面を得ている。

 

 エンニュートも慣れているのか、行動不能に陥っているゼラオラを尻尾で絡め取っていた。

 

 その尻尾より青い炎が迸る。「りゅうのいかり」が実行され、ゼラオラの体力を確実に奪っているのだ。

 

「ここで潰えるのがお似合いかしら? ジャックジェネラルとは言っても、その程度なのね。私達には決して勝てない。あなたは確実な手段をいくつも見過ごしてきた! エンニュートを倒すつもりなら、もっと早くに本気になるべきだったわね」

 

 エンニュートが粘液を纏いつかせた口腔部を開く。ゼラオラを、丸呑みにする気なのだろう。レオンは言葉少なに、その事実を前にしていた。

 

「……俺に分かる事は少ないが、それでも三つだけ。一つは、この空間は特殊だ。先ほどまでの現実の物理法則は意味を成さない」

 

「それは正解。ゾーンの中に入る事が許されるのはセルを持つ宿主とコアを持つ者だけ。兵隊達や一般人は関知する事さえも出来ない。この領域で! あなたは孤独に死に絶えるのよ!」

 

 ゼラオラへとエンニュートは頭部から齧り付く。牙が軋り、何度も身体を仰け反らせ、ゼラオラをその腹腔へと呑もうとした。

 

「……もう一つは、このゾーンと言う場所ならば、何が起きようとも誰にも分からないし、誰もそれに異議を挟めないという事だ」

 

「それが分かったところで何を! もうゼラオラは完全に呑み込まれた!」

 

 エンニュートがゼラオラの身体を丸呑みする。その瞬間、レオンは面を上げていた。

 

 勝負を諦めていない双眸にレナは息を呑む。

 

「何故! ここに来て何の希望があると……」

 

「ゼラオラは攻撃を下げられ、そしてエンニュートの毒でその速度も制されている。通常に考えるのならば、優位な状況とは言い難い」

 

「そ、その通り! だから敗北だと……」

 

「しかし、俺はこの状況を最大限に利用する。エンニュートはゼラオラを呑み込んでしまった。それは胃液で確実に殺すための手段なのだろう。実際のところ、その目論見は半分成功していたと言える。だが俺のゼラオラは、もう既にその攻撃への準備を完遂していた。攻撃ではなく、丸呑みした。その事で、ゼラオラには攻撃の契機が生まれた」

 

 エンニュートが不意によろめく。何度も口を開き、その喉から引き出されたのはゼラオラの腕であった。

 

 粘液を浴びてもなお、輝く流星のような青白い電撃の腕が、エンニュートの体内から伸びる。

 

「まさか……」

 

「ここで決める。プラズマ――フィスト!」

 

 雷撃の一撃がエンニュートの体内を焼き、その胃の腑から電磁が吐き出されていた。

 

 再び水色の稲光を宿らせたゼラオラがエンニュートの眼前に屹立する。

 

「……でも毒は受けた! エンニュート! ベノムショック!」

 

 ゼラオラの身体に埋め込まれた毒が作用し、その身から無数の毒の槍が引き出される。しかし、ゼラオラはあろう事かその毒槍を握り締めていた。

 

 途端、毒槍が反転し、雷エネルギーの塊となる。

 

「プラズマフィストは、無属性エネルギーを補填し、雷へと変換する。ゼラオラは今、単純な属性変換は通用しない。そして、自ら電気を生み出し続けるゼラオラは! その特性、蓄電によって、体力は回復する!」

 

 特性「ちくでん」は電気攻撃を受ければ体力の回復する代物だ。この時、ゼラオラはエンニュートによる攻撃を電気タイプへと変位させ、自らへの攻撃とした事で回復を果たしていた。

 

 レナがうろたえたように歯噛みする。

 

「だから何! 言っておくけれどこのゾーン内で、他の物質は扱えない!」

 

「そのようだな。だから最後の一つだ。ゼラオラがどれだけ強靭な電力の攻撃を振るおうとも、誰かを傷つけそして破壊する恐れがないのならば……ゼラオラはこれまでにない本気を扱う事が出来る」

 

 途端、逆立った青白い電撃をゼラオラは放出していた。その攻撃網にレナが舌打ちする。

 

「放電、ってわけ……」

 

「違う。これは放電攻撃ではない。ただの――蓄電行為の延長線だ」

 

 そう、何の攻撃でもない。これはゼラオラ本体が抑え切れない電撃を、体表に纏っているだけの事。ゼラオラの身につけている電流のオーラが増してゆき、やがてそれは龍の形状を成した。

 

 ゼラオラの両腕に宿った龍が咆哮し、エンニュートへとその攻撃を浴びせかかる。

 

「逆鱗」

 

 ゼラオラの「げきりん」がエンニュートの疾駆を捉えかけて、相手は身を沈めて回避していた。

 

「素早さは依然として下がったまま! そんな大振りで捉えようなんて!」

 

「そう、大振りでは当たらない。だから、蓄電で最大まで電撃を蓄えておいた」

 

 電流が爆発的に増大し、ゼラオラの攻撃射程が跳ね上がる。倍増した射程に咄嗟には反応出来なかったのだろう。

 

 エンニュートを捉えた「げきりん」の牙に相手は反撃さえも儘ならない。

 

「こんな事って……」

 

「あまりこういう事は言いたくはないんだが、言わせてもらおうか。――レベルが違う。このまま貴様を――ジャッジメントする」

 

 ゼラオラの攻撃によって浮いたエンニュートの躯体へと凄まじい勢いでラッシュが見舞われていた。

 

 ゼラオラが高速の青い稲光を引きながら拳を叩き込む。

 

 吼え立て、その拳が雷光を拡散し、エンニュートの身体を完全に焼き尽くす。その時点でゾーンとやらは閉じていた。

 

 恐らく勝敗が決したからであろう。レナはエンニュートを戻し、口惜しげに奥歯を噛みしめている。

 

「まさか、こんな事が……」

 

「俺も意外であった。あんな空間での戦闘は初めてであったが、なるほど、これが、セルと言う奴か」

 

 自分の中に宿った不可思議な物体。それの生み出した謎の空間。なかなか完全に把握するのは難しかったが、ここで勝敗が決したのだけは確かであろう。

 

「……殺しなさい。あなたには権利がある」

 

「いや、君は殺さない。それはジェネラルとしてでもあるし、それに俺は殺さないほうがいいと、判断した」

 

 その言葉にレナが狼狽する。

 

「……殺そうとしたのよ?」

 

「だからだ。俺は殺されるような巡り合せには見当がないが、しかし、この身体にいくつか宿っているジガルデセルとやらには興味がある。それを解明するのに、俺だけでは足りない。君達は組織なのだろう? ならば俺に宿ったこれを、説明出来る人間がいるはずだ。案内してくれ。それが勝者の条件だ」

 

 何と言う、とでもいうようにレナは言葉を失っている。レオンはボールゼラオラを戻していた。

 

「これで、もう君を害する気はないと信じてもらえたか」

 

 まさしく隙だらけである自分を、強襲する事は可能であろう。しかし、レナはそれを命じさえもしなかった。

 

「……完敗って言うのはこういう事を言うのね……。いいわ。ジャックジェネラル、レオン・ガルムハート。あなたに我が組織、ザイレムへの謁見を許可します。……それと、これは個人的な興味なのですが……あなたはこれまでも、このような戦いを?」

 

 その問いかけにレオンは即座に応じていた。

 

「これがジャックジェネラルとしての、振る舞いと言うものだ」

 

 迷いなく放った言葉にレナはなるほど、と首肯する。

 

「それが、この地のジェネラル達の頂点に立つ者の、目線と言うわけ」

 

 兵隊達が起き上がるが、誰一人として攻撃に移る者はいなかった。レオンは彼らに導かれる間際、タクシーへと身を翻す。

 

「……勘定を忘れていた。お代を」

 

 タクシー運転手は払われた千円札をじぃと凝視したまま、茫然としていた。

 

 レナが微笑みかける。

 

「死にかけたのに、お代?」

 

「死にかけても、ルールだけは破ってはいけないはずだ」

 

「生真面目ね。でも、それがジャックジェネラルとしての矜持と言うわけ。いいでしょう。レオン、あなたは私達、ザイレム上層部より話を聞く権利があります。そして知る事になるわ。このランセ地方で今、何が起こっているのか」

 

 その言葉振りにレオンは自ずと胸が高鳴っているのを感じていた。

 

 



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第三十六話 そして、運命の刻

 

 エージェントLの手土産がまさか、抹殺対象であったジャックジェネラル本人だとは誰も思わなかったのであろう。

 

 すぐさま、彼は当局の上層部へと通されていた。

 

 それを面白がっていないわけではないが、何か胡乱なものを感じる、とサガラはこぼす。

 

 喫煙室で、オオナギが紫煙をたゆたわせた。

 

「純粋に実力を認めたんじゃ? エージェントLの実績はそれなりだ。執行部の要するエージェントの中でも指折りのほうさ」

 

「そのエージェントが、抹殺対象を連れてのこのこと帰ってきた。私にはそれが解せん」

 

「レオン・ガルムハート。二十一歳。この地方に名高い、ジャックジェネラル。そんな男が同行しろと言われてはいそうですか、とはいかんだろうな。一悶着あって、その結果、こちらの都合に即した、と言うのが見方としては正しいはずだ」

 

「だが、腐っても彼は実力者だ。我々のような類には鼻が利くのでは?」

 

「それこそ、データにあった通りなのだとすれば、彼だって分からん事もあるのだろうさ」

 

 データを参照する。ジャックジェネラル、レオンには無数のジガルデセルが取り憑き、その結果として戦闘本能が研ぎ澄まされている、とする経過報告があった。

 

「……珍しいな。セルの媒介者か」

 

「通常、ジガルデセルの引き起こす闘争本能の激化に耐えられるだけの精神力なんて、普通の人間にはない。事ここに至るまで、誰にも悟られなかった、という時点で、大物だよ、レオンと言う男は」

 

 レオンが何か事件を起こした形跡はない。つまり、彼はジガルデセルに寄生されながら、何一つ自分の意に反した行動を起こしていない、という事実が導かれる。

 

 それは今までのセルの宿主の常識からは考えられなかった。

 

「……セルの宿主は多かれ少なかれ凶行に駆られる。それを全く無視するなんて……」

 

「図太いのか、それとも本当に、評判通りの精神力なのかを決定するのは上だ。こっちで出来る事は尽くしたからな」

 

「……いきなり上との謁見か。エージェントLの直々の話だと聞いていたが」

 

「どこかで、あの女もジャックジェネラルにイカれちまっているのかもねぇ……。その辺りが、本物と呼ぶべきなのか」

 

 本物の強者。本物のジェネラル。どう言葉を尽くしても足りない。彼は本当は何者なのかを解するのには。

 

「……ジャックジェネラルがもし、我々の味方に付けばこれほどまでに強大な戦力もない」

 

「期待し過ぎんなよ。その分だけ裏切られた時に辛いぞ」

 

「裏切られた時に……か」

 

 それは分かっているつもりであった。しかし、この機に乗じてコアのどれかを組織のものに出来ればそれは大きな躍進となる。

 

 ――出来得る事ならば前回の雪辱を晴らす。

 

 そのために、ジャックジェネラルであろうが何者だろうが利用してやろう。

 

 サガラはコーヒー缶を握り締めていた。

 

「……Z02、貴様の敵は、最強のジェネラルだ。その時、貴様は――」

 

 どう動く? その言葉をサガラは呑み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大方の事情は理解出来た、とレオンは口にしていた。

 

 ただ、と目線を走らせる。先ほどからその事実とやらを告げている者達は、自分の前に姿を現す気はないのか、別室越しの伝令であった。

 

 相手も自分をモニターしているのかもしれない。それはそれで構わない、とレオンは断じている。

 

『レオン・ガルムハート。君はこの真実を聞いて、どう行動する』

 

「どうもこうもない。ランセ地方の民草がジガルデと言う脅威に晒されていると言うのならば、俺は救済の道を辿る」

 

『それは我々ザイレムに協力してくれる、と考えていいのかな』

 

 この胸に脈打つのもジガルデというポケモンの残滓。ジガルデセルを、しかし自分は使いこないている。これならば自分は道を違えた人々を救済する立場にあってもいいはずだ。

 

「その最短の道筋がザイレムに所属するという事ならば、俺は構わん。好きに使うといい」

 

『では、レオン・ガルムハート。君にはこれより、執行部のエージェントとして行動してもらう。同行者としてエージェントLを許可しよう。君にはこのジガルデコアに寄生されてしまった少年を助け出して欲しい』

 

 もたらされたデータにレオンは眉根を寄せる。

 

「……ジェネラルレベルがたったの2、か。弱者をいたぶるのは好きではない」

 

『だが、その少年は今もジガルデの汚染に晒されているはずだ。人格が完全に消え去るまでに、君が助け出すのが急務だと判断する』

 

 そういう言い分ならば、自分はその役目を全うしよう。

 

「……いいだろう。ジャックジェネラルとして、彼を助ける。名前は……エイジ、か」

 

 顔写真付きのプロフィールに目を通し、レオンは身を翻していた。

 

 一刻も早い救済を。そのためには、自分が動かなければ話にならないだろう。

 

 部屋の外で待ち構えていたレナと目線を交わす。

 

「Z02の宿主を強襲するのね」

 

「間違えてはいけない。彼を助け出す。ジガルデと言う魔から」

 

 それが出来るのは自分だけだろう。レオンは使命感に燃える瞳で、迎え撃つべき存在を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章 了

 



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第四章 宣告審判
第三十七話 誅殺の誓い


 

 いくつかの映像情報は消費されるものとして構築されているようにさえも感じる。

 

 明滅し、流れていく情報に、金髪の獅子は静かなる面持ちを向けていた。彼はただ情報を読み取り、そして分析する。

 

 何が、この少年にもたらされたのか。

 

 映像解析情報だけでは判然としない部分もあるが、それでも理解出来たのは――。

 

「脅威ではないですか?」

 

 問いかけられた声にレオンは振り向いていた。レナが壁に背中を預けて尋ねている。

 

「これほどの戦力。加えて、子供とは思えない……頭脳がある」

 

「どうかな。君らは子供を見くびり過ぎだ。彼の地……カントーでは地下組織を滅ぼしたのはまだ十歳になったばかりの子供と聞く。そう飛躍した理論でもないのだろう。それに、ポケモンを持つ以上、子供も大人も関係がない」

 

「あなたは迷わないと言うのですか? レオン・ガルムハート様」

 

 問いかけられてレオンは頭を振る。

 

「どうだかな。俺とて人の子だ。だから、その時にならなければ分からないのだろう。こうして、彼の情報を読み漁っても、何にもならない。それは結局のところ、形骸上の代物に過ぎないのだから」

 

「意外ですね。あなたはこのジガルデコアに関する……膨大なデータと知見から何かを見出すかに思われましたが」

 

 その言葉にレオンは皮肉の笑みを浮かべていた。

 

「そこまで万能ではないよ。ただ……そうだな。気にかかった事があるとすれば、何故……Z02とやらは彼を選んだのか。俺には分からない。この胸に脈打つセルとやらと同じ意思にしては、何か違う気がしてならないのだ」

 

「それは第六感? それとも、戦士としての直感ですか?」

 

「どちらでもないと、今は言っておこう。俺とて、まだ全てを見通すのには足らぬさ。だが、情報はいくらか有益であった。少なくとも、何も知らぬまま対峙するよりかは建設的であろう」

 

「建設的?」

 

 思わぬ言葉であったのだろう。レナは明らかに困惑しているようであった。その胸中へとレオンは言い当てる。

 

「まさか、俺がまだジェネラルレベルも低い少年相手に、何の慈悲もなく立ち向かうとでも?」

 

「……それは」

 

「確かに、Z02とやらが鬼畜の存在であるのはよく分かった。諸兄らが受けた被害や、もう戻らぬものも。しかし、だからと言って闇討ちなど、俺の信条に反する」

 

 レナからしてみれば組織――ザイレムこそが法。その彼女からしてみれば、うまく転がらない一事であったのだろう。胡乱そうな眼差しに、レオンは声を返す。

 

「誤解しないで欲しいのは、俺はZ02は倒す。しかし、彼を害するのは違うと言う意味だ」

 

「それは……Z02の宿主である少年に何もしないと言っているようなものでは?」

 

「そういうわけでは……。いや、そうなのかもしれないな」

 

 ある種では少年Aに同情すらしている。彼の人生において交わるはずのない交点があった。それだけは歴然としているからだ。

 

 しかし不幸だとは思っても、かわいそうだとは思わない。それは、彼の生き方に対しても失礼に当たるだろう。

 

「……少年A……エイジと言う彼には真実を教えられた、と言う報告もあった。まさか、こんな残酷な真実を、子供に聞かせたのか?」

 

「相手はコアの宿主。子供であろうと大人であろうと、世界を変えられるだけの資質を持っているんです。だから、室長は迷わなかった」

 

「どうだかな。彼にも会ったが、どうにも……心の中に道標を持たぬ男に思えたが」

 

 ザイレム室長、サガラ。彼は自分に対して温情の一滴も挟まずにZ02とその宿主の抹殺、あるいは捕獲を命じていた。

 

 捕獲が二の次の辺り、かなりの辛酸を嘗めさせられたのが窺える。

 

「だが、俺はジャックジェネラルとして判断する。ザイレムのエージェントとしての判断は二の次とさせてもらおう」

 

「それが許される身分だとでも……」

 

「許されないか? 俺は、諸兄らに勝って見せた。ならばこれ以上は譲歩というもの。それでも、まだ間に合わぬと言うのならば……」

 

 この身に宿るジガルデセル共々、ここで逃走し、そして勝ち抜いて見せよう。その自信が滲み出た声音に相手も折れた様子だ。

 

 レナは肩を竦める。

 

「ですが……ジガルデコアは特殊ですよ。他の、セルの宿主とは次元が違うと言ってもいい。そういう相手に、温情なんて」

 

「必要ない、か。だがそれは君達の理論だ。俺の理論ではない」

 

 振り翳すのはあくまでこの「レオン・ガルムハート」としての個人理論だ。それ以外にない、と断じた声にレナは嘆息をついていた。

 

「……強情なんですね」

 

「嫌なら俺の下にはつくな。それだけだ」

 

「まさか。それが分かっているからこそ、あなたに従うと決めたのです」

 

 レナが傅き、頭を垂れる。こうして誰かを下に置くのは好きではない。だが、今まで覇道を阻もうとした誰もが自分の実力に閉口し、そして敗れた後に心入れ替え、こうして下に付くことを望む。その度に誰かを従わせていては膨大な人数になるため、レオンは平時こそ、誰が自分の補助につく事も合意していなかったが、今回ばかりは別だ。自分も巻き込まれた。

 

 このジガルデというポケモンの巻き起こす闘争に。このランセ地方を再び戦乱の時へと巻き戻そうと言うのか。

 

 ――そのような事、断じてさせるものか。

 

 使命感が宿り、レオンは胸の中で脈打つ鼓動を感じていた。この身体に寄生しているジガルデセルの数に、ザイレムは驚愕していたと言う。その理由には大した意見はない。別段、不思議でもないからだ。

 

 闘争心に、ジガルデセルは引き寄せられる。それがどのような形であったとしても、ジガルデセルはこの地に、戦いと動乱をもたらすであろう。 

 

 それを止められるのは、同じくジガルデセルを宿した者達だけだ。他の人々や民草では決して、この宿命だけは課せられない。

 

「ジャックジェネラルとしての意地……ですか。そんなもので、貴方に……」

 

「縛られて欲しくはない、か。貴様も傲慢な事を言う」

 

「いいではありませんか。傲慢なくらいが、ちょうど」

 

 この胸にジガルデセルを――いずれ世界を掴むであろうポケモンを宿すのならば少しくらいは傲慢なほうが好かれるか。

 

 何に、とは言うまい。それがたとえ悪魔であろうとも、自分は前に進むだけだ。

 

 レオンは全ての電源を落としていた。今、収拾すべき情報は手に入った。

 

「……まさか、もう向かうので?」

 

「早くしなければならぬ事は室長より伝え聞いた。残り少ない陣地を争い、殺し合いが繰り広げられているとなれば穏やかではない」

 

「それは貴方に関係があるので? 無視も出来るのではないのですか?」

 

 この女の物言いは傲岸が過ぎるが、その通りだ。無視してもいい。看過してもいいのだが、それを許せるほど精神は堕ちていなかったと言うだけの事。

 

「俺は、彼を救い出す。この過酷なる運命の鎖から。そのためのジガルデセル、そのための宿縁なのだと、思い知ったよ」

 

「貴方だけには行かせられない」

 

 その言葉にレオンは何も返さなかった。ついて来たければついて来ればいい。いばらの道であるのは分かり切っているのだから。

 

「俺は、エイジ少年……彼を助け出す。この、ジガルデ同士の、醜い争いから。それが出来るのは――この世で俺だけだ」

 

 言い放ったその胸に迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「室長。レオン・ガルムハートが出ました。エージェントLも連れて」

 

 思わぬ事態であったが、それを最大限に利用するのが自分の立場である。サガラはその報告を聞きつけ、一つ首肯していた。また運命の楔が放たれたか。その感慨にふける自分へと、オペレーターが声を振り向ける。

 

「でも……過酷ではありませんか? エイジ少年は、だってまだ……」

 

「真実を知らないからと言って、なかった事には出来ない。何よりも、契約の意思があったのは確かなはずだ」

 

 それは、と口ごもるオペレーターにサガラは冷酷に言いやる。

 

「選択権がなかった、という言い訳はいつでも出来る。だが、問題なのはそれを選び取った瞬間のはずだ。彼とて、願った。その末に掴み取った宿願。ならば、それをなかった事には出来ない」

 

 どれだけその運命に待ち受けるものが過酷であろうとも。誰も手を差し伸べる事など叶わないはずだ。サガラは己の中でそう結び、手の甲にあるスペードの意匠を意識する。

 

 ――そう、自分もそうであった。

 

 運命は、いつだって残酷で過酷だ。それを選び取った、その瞬間だけの、刹那の幻に縋って、一生鎖に縛られ続けるしかない。

 

 だとしても、自分は前を見据える。それだけが運命に抗う術だからだ。

 

「室長。内線が入っています」

 

「繋いでくれ」

 

 受話器を取り、サガラはオオナギの声を聞いていた。

 

『よう。具合が悪そうだな』

 

「……そう思うのならばかけてくるな」

 

『言いなさんな。……しかし、あの天下のジャックジェネラル、レオン・ガルムハートがセルの宿主か。データは見せてもらったよ。一応は執行部権限になるんでね』

 

 ならば理解もしているはずだ。あのレオン・ガルムハートは――。

 

「……分かっていて、か」

 

『お歴々も焦っている。Z02捕獲に失敗しただけではなく、高名なジェネラルにセルが取り憑いたとなれば、それは失脚を招く可能性もあるってね。結局のところ、保身だよ、保身』

 

 上の考えは明け透けとは言え、ここまで堕ちているとなれば笑えもしない。サガラは嘆息をついていた。

 

「……用向きは何だ?」

 

『ジャックジェネラル、レオンの暗殺。頼まれちまったんだよなぁ……』

 

 秘匿事項を容易く口にする相手に、サガラは諌める。

 

「それが彼の耳に入ったらどうする」

 

『入ったら、まぁやり返されるだろうな。そういう手合いだ』

 

「分かっているのならば……」

 

『だが、どうにもきな臭い。あのエージェントL……レナは組織に忠誠を誓った構成員だが、レオンに対する態度だけで切り取れば危ういところもある』

 

「背信か? だが、彼女には旨味がない」

 

 思いも寄らぬ結果になる危惧に声が上ずってしまう。その愚問にオオナギは何でもないように返していた。

 

『あるいは、こうかもな。リターンがないからこそ裏切る』

 

 それはそもそもの矛盾だ。リターンのない攻勢など何の意義もないではないか。

 

「……エージェントに施している教育は……」

 

『もちろん、有効なはずだ。だが、どうにも、自分から忠信を挿げ替える、って言うケースはなかなかなくってね』

 

「彼女が、その第一号になるとでも?」

 

『あるいは、もうなっているか、だ。レオン・ガルムハート。ただ純粋に、強さだけでこの地における特権に近い場所――ジャックに位置しているわけではない、ってのが今回窺えた事だな』

 

「分かっているのならば何故、手を打たなかった? もしもの時に……」

 

『裏切られるって? そんなの怖がっているんじゃ執行部をやっていけないさ。ま、レオン暗殺は別部門に委託しておいた。エージェントLは知らないはずだ』

 

 その不都合さにサガラは純粋に口を噤む。

 

 一体、オオナギを含め組織は何を期待している? ジガルデ捕獲と、そしてゾーンから得られるエネルギーの供給。全てのコアとセルを手中に置く事。それだけではないと言うのか。

 

「……レオンはしかし、歴戦の猛者だぞ」

 

『まぁ、最悪差し違えだな。そうでもしないと殺せないってのは、見たら分かる。別物だ、あれは。この地に無数にいるジェネラル身分でも、さすがは他地方における四天王に近い身分って感じだな。まぁ、今時四天王制を敷いていないのなんて、ランセとアローラくらいだ。いや、アローラにはこの間実装されたんだったか』

 

「……お喋りならば切るぞ」

 

『まぁ、待てって。そう焦るなよ。こっちだって色々情報筋を辿ったんだ。ジガルデコア……Z02の消息だが、やはりエイジ。彼に寄生しているのは間違いない。それは確認出来た。だが、問題は、まだ彼の人格が生きている、という事に尽きるんだよな』

 

 それは奇妙な符合でもある。こちらの保持するサンプルに合致しないのだ。

 

「……条件が違えば、結果も違う、と言うのか」

 

『そもそも誰が、人格消去なんて憂き目に遭うなんて決めたんだ? そうとも限らないんじゃないのか、って言う、そもそもの判断からの洗い直し。こりゃ時間かかるぜ』

 

 時間のかかる仕事はこちらのお手の物だ。それを分かっていてこの通話なのだろう。

 

「……人格消去は意図的であった、とでも?」

 

 潜めた声にオオナギも冗談めかした声音になった。

 

『意図がなきゃ、損な真似はしないって話だろう。Z02の今までのやり口はもう組織の中じゃ公然の秘密だ。だからこそ、エイジ少年の無事さが際立つ。彼は、何故、まだ浸食も、ましてやサンプルのような被害も受けていないのか』

 

「問答だな。それこそ、ジガルデという種の気紛れ……では済まんか」

 

『気紛れで済むんなら俺達の仕事はないって事だろうさ。ザイレムが躍起になって探しているジガルデに、意図も思惑もないって想定するほうが無理な話ってものだろう』

 

 サガラはレオンの身体につけられたシグナルを確認する。もし、彼がジガルデセルの誘惑に負け、本能のままに行動すればすぐさま執行部が断罪出来るようになっている。そのためのエージェントLの敗北の放置の意味もあった。

 

「……負けた駒を有する意義もある。Z02の継続調査は行っていく方針だ」

 

『そりゃ、その通りだろうさ。だが、間違うなってのはそこ以上だ。Z02は本当に、何の感情もなくこれまで逃げ回ってきたのか』

 

「何が言いたい? 逃がし続けてきた失策を恥じろとでも?」

 

『そう言うのなら、ザイレム全体の責任だろう。俺が言いたいのはもっと個人的な話だ。……お前はどう思っている? サガラ室長』

 

 改めて問いただされる形となったサガラは、一拍の逡巡を挟んだ後に応じていた。

 

「……奴を逃がすつもりはない。放逐する気も。ここで、因果は手打ちにする」

 

『その言葉が聞けただけでもよかったさ。これまで通り、継続、だな』

 

「何だ、いつから上のご機嫌伺いになった?」

 

『邪険にするなよ。これは友人としての警句のつもりだ』

 

「では問うが、ジガルデ共を、私が取り逃がすとでも? それには否と言っておこう」

 

『分かってるよ。せいぜい、連中がお前の神経を逆なでしないのを祈るばかりだぜ』

 

 通話が切られ、サガラは息をつく。何が巻き起ころうとも、自分の意思だけは変わらない。

 

「……ジガルデを討つ。そして、術を見つけ出せれば……」

 

 



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第三十八話 浮かぶ選択肢

 

 カエンシティをまともに訪れたのは初めての事で、エイジは真昼間の街中をもの珍しそうに眺めていた。

 

 そこいらに暖色の煉瓦を用いた外観は素直に文明的な街並みである。ハジメタウンが田舎町と言われる所以がどこか分かった風な気がして、嘆息をついているとリッカが肘で突く。

 

「おのぼりさんみたいよ。……まぁ、事実そうなんだけれどさ」

 

「……まぁ、僕だって、カエンシティを初めて来たわけじゃないけれど、滅多には来なかったから」

 

 この物流の時代、ハジメタウンにいても事足りる事のほうが多い。ポケモンセンターはあるし、ある一定の教育は受けられる。ジェネラルレベルも、4までならば取得可能なハジメタウンの環境は決して悪いものではないだろう。

 

 ただし、そこから旅に出るとなれば別である。

 

 ランセ地方は横長の地形をしており、自分達のいるカエンシティは南の地域に当たる。そのためか、温暖な風が流れ込んできていた。それはこのカエンシティが元々、カエンの「国」と呼ばれていた事に由来する。

 

「見て、リッカ。温泉だってさ。そこいらに沸いているんだ……」

 

 感嘆していると、リッカはため息を漏らす。

 

「授業で習ったでしょ。カエンシティは元々、カエンの国だって。そう呼ばれていた時代には、もっと特殊な地形だったって聞くわ」

 

(おい、エイジ。メスガキ。国って何だ? ランセ地方はシティという区分で分かれてるんじゃねぇのか?)

 

 今は自分の中にいるダムドのテレパシーにリッカはやれやれと肩を竦める。

 

「ここにも学のないのがいたか」

 

(バカにするんじゃねぇよ。オレはテメェらより長く生きているつもりだ。何ならカロスの歴史をそらんじてやろうか)

 

「でも、ランセ地方の事はからっきしなんでしょ?」

 

 それには言い訳が出来ないようで、如何に弁の立つダムドでも口を噤んでいた。

 

「ランセ地方は、元々十七個の国に分かれていたんだ。国って言う区分はランセ地方独特で、他の地方で言うシティやタウンと言う行政区画と同じだと思ってくれて構わないよ。で、その国をブショーって言う、今とは違う価値観の人々が争い合っていた」

 

「それもこれも、一国一城の主を決めるために、ね。その頃はポケモンも出しっ放しだったったらしいけれど、詳しい文献資料は残っていなくってね。鎖国政策をかなりの長期間に取っていたランセでは、他の地方みたいに伝承も明確にはなかったのよ」

 

(伝承……、伝説のポケモンや幻のポケモンってのも、ここにはねぇって事か)

 

 その背景にはザイレムで聞かされた真実が影響しているような気がしていた。

 

 ――ランセ地方の人々はジガルデの養分であり、共栄関係にあった。

 

 にわかには信じられなかったが、自分やリッカにジガルデが容易に馴染んだ事からも、その仮説を裏付けるものはある。

 

 しかし、と暗く考えを巡らせていたエイジに、ダムドが声をかける。

 

(おい、エイジ。何、ぼうっとしてやがる。ここから先には、さすがに連中だって黙っちゃいねぇはずだ)

 

「連中って……」

 

「ザイレムとか言う、地下組織でしょ?」

 

(それもあるが……コアやセルの宿主だ。さすがに辺境地までは来なかっただろうが、ここならば可能性はある、って言ってんだよ)

 

「遭遇するって? まさか」

 

 冗談にしようとしたエイジにダムドは慎重な声を出す。

 

(いや……分かんねぇぜ。案外、そこいらに張っていたりしてな。セルの宿主がいても、対面しないとどういうセルなのかの分析は不可能だ)

 

「対峙すれば分かるっての?」

 

 リッカの問いかけにダムドは鼻を鳴らす。

 

(大概は、な。ある程度でしかない。結局、吸収するまでそのスートが何を司っているのかはオレも全くの不明のままだ)

 

「頼りにならないわねぇ……」

 

(放っておけ。エイジ、オレが言いてぇのは、ここから先は闇討ち、他、何でもありってこった。そういうヤツらと戦うのに、今のままじゃ少しばかり足りねぇ)

 

 ダムドの言葉の赴く先をエイジは予見していた。

 

「戦力の拡充、か」

 

(ハジメタウンの森が理想的だったんだが、あの状況じゃ仕方ねぇ部分もある。問題なのは、ルガルガンだけじゃ勝てない局面に立たされた時、どうするかって話だよ)

 

「対抗タイプのポケモンを所持しておく必要がある、って事よね? だったら、あたしのフローゼルで……」

 

(いざって時、他人の手持ちなんざ当てにはならねぇさ。エイジ、テメェが使えるポケモンを増やしておけ。何だっていいワケじゃねぇが、このままじゃジリ貧の戦いになる)

 

 それは理解もしていた。先生のカプ・コケコに勝てたのは結果論だ。あそこで負けていても何らおかしくはなかった。

 

「分かっているけれど、カエンシティでは……」

 

 街並みにはポケモンの生息域があるとは思えない。せいぜい、地下水脈にダストダスやマタドガスが棲み付いている程度だろう。

 

「まぁ、焦らない事だと思うわよ。もっと捕獲に適した場所はあるし。それよりも!」

 

 顔を引き寄せてきたリッカにエイジはどきりとする。

 

「な、何だよ……」

 

「エイジ、あんた忘れてない? ルガルガンは万全じゃないのよ?」

 

「あっ、そうか、ポケモンセンター……」

 

 まだドヒドイデの毒が完全に除去出来たわけではない。前回の戦闘では優位に転がったが、完治していないポケモンを所持するリスクは推し量るべきだ。

 

「とりあえず、ポケモンセンターに行こう。そうすれば、おのずと見えてくるものもあるし……」

 

(当てがあるってのか?)

 

「街をぶらぶらしていてもしょうがないって話よ。ひとまずポケモンセンターで情報収集と行きましょう」

 

 駆け出したリッカにエイジは声を潜める。

 

「……リッカ、あれで多分、浮かれているんだろうな……」

 

(浮かれている? メスガキがか?)

 

「……僕に合わせて、旅に出なかったのは何となく分かっているからね。きっと、本来ならもっと早く旅に出るべきだったんだと思う」

 

(感傷か。テメェら、そういうのが好きだな)

 

 ケッと毒づくダムドにエイジは尋ねていた。

 

「でも、ダムドだってこうして旅に出られてよかっただろ? きっと、僕らに必要な試練だったんだ」

 

(試練ねぇ……。ま、いずれにしたって、オレはテメェの身体を最大限に利用する。そのスタンスは変わらねぇからな)

 

「僕だって同じだ。……ジガルデコアの争奪戦。ただ静観するつもりはないよ」

 

 ひとまずはポケモンセンターだろう。そう思って駆け出した、その時であった。

 

「おいおい! 何、ぶつかっておいて粋ってるんだ! お前!」

 

 怒声が響き渡り、エイジは足を止める。そこにいたのは水色の髪の男達であった。彼らはジェネラルと思しき少女二人を囲い、笑みを浮かべている。

 

「詫びってもんがあるだろ? ジェネラルならなおさらなぁ!」

 

「大人に詫び一つも出来ないで旅に出るってのは無謀じゃないかねぇ?」

 

 三人組の男達の高圧的な物言いに少女らは委縮している。周りの大人達は見て見ぬ振りを貫いていた。

 

「……彼ら」

 

(メンドー事だな。無視しようぜ、エイジ)

 

「いや、僕は……」

 

 踏ん切りのつかないエイジにダムドが息をついた。

 

(……テメェも余計な事に首を突っ込む性質だな。言っておくが、オレはやめとけって言ったぜ?)

 

「分かっている。でも……」

 

 歩み出たエイジに三人組が反応する。

 

「あの……そういうの、よくないと思うんですけれど」

 

 自分でも渇き切った喉から発した言葉に緊張する。相手は声を張り上げていた。

 

「こいつは! とんだ正義漢の出現か?」

 

「おいおい! 見たところジェネラルレベルも高そうにない、とんだガキじゃねぇか。そんな奴が俺達! ギンガ団に指図するって言うのか?」

 

 服飾に「G」の意匠を携えた三人にエイジは威圧されそうになりながらも、ぐっと前へと踏み出す。

 

「そういうのって、弱い者いじめって言うんじゃないんですか」

 

「弱い者いじめ! こいつは笑える! 聞いたか、おい!」

 

「俺達、ギンガ団が弱い者いじめだと? そういう言いがかりってどうなんだ? なぁ、おい! そこいらの善良な民衆の方々よぉ! 俺達がそう見えるか?」

 

 人々は顔を伏せて関わり合いを持たないようにしている。それを、ホラな、とダムドが声にする。

 

(ヒトなんて何てことはねぇ、自分かわいさにいくらでも残酷になれる)

 

「……でも、僕はそうなりたくない」

 

「ぶつくさ何言ってんだ! ぶっ飛ばすぞ!」

 

 張り上げられた声にエイジはびくつきながら、ホルスターのモンスターボールへと指をかけようとする。それを目にして相手は嘲笑した。

 

「まさか、俺達にポケモン勝負をしかけようって腹か? このお坊ちゃんは!」

 

「三人対一人で勝てるとでも思ってるのかよ!」

 

「……でも、僕は……」

 

「おい! 聞いてんのか! てめぇ!」

 

 胸倉を掴み上げられた瞬間、意識は内奥に閉ざされていた。

 

 舌打ちを発したのが自分なのだと理解した時、相手の腕をひねり上げていた。

 

「……エイジ、言ったろうが。やるんなら徹底的にやれって。こういう手合いは分からせてやったほうが早ぇ」

 

 髪が逆立ち、スペードの意匠が瞳に宿る。こちらの態度が急変したせいか、相手がうろたえた。

 

「な、何だ、お前!」

 

「何だじゃねぇよ、ごろつき共。テメェら、分からせたいって言うんなら、抜きな。そうすりゃ、ハッキリする」

 

「なっ……! 後悔するぜ! ギンガ団の俺達に、ポケモンを出させるなんて――!」

 

「うっせぇ。行け、ルガルガン」

 

 ホルスターから外し、転がったモンスターボールを踏みつけて起動させる。飛び出したルガルガンがまだ威嚇態勢にあったギンガ団の一人に飛びかかった。

 

 岩を尖らせた一撃を相手の肩に見舞う。

 

 血潮が舞い、残り二人がハッと構えていた。

 

「お前!」

 

「構えが遅ぇよ、クソッタレ。そんなんで何が出来るって言うんだ? オレに見せてくれよ。そこいらのごろつきと何が違うのかってよ」

 

「野郎……。ポケモンを出していない相手に攻撃なんざ……」

 

「そいつぁ、ちゃんちゃらおかしいな! テメェらの始めたケンカだろうが! 口出せねぇなら最初からオレに関わるんじゃねぇよ。弱ぇヤツらほど粋りやがる」

 

 ふぅ、と嘆息をついたダムドにエイジは声を投げていた。

 

(平和的解決をしないと! ダムド!)

 



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第三十九話 滲む敗退

 

「ナマ言ってんじゃねぇよ、エイジ。最初からその結末がお望みなら、割って入るんじゃねぇ。……ったく、そういうところだぜ? メスガキだって気が気じゃねぇのは」

 

「行けよ! ダストダス!」

 

「潰せ! ミルホッグ!」

 

 繰り出されたのは巨大な粗大ゴミの形状をしたダストダスと、背丈の高い細身のポケモンであった。

 

 ダストダスはまだ見かけるが、ミルホッグに関してはほとんど初見と言ってもいい。

 

(ミルホッグ……。イッシュで見られるポケモンだ。タイプは、ノーマルのはず。分類は警戒ポケモン。その名の通り、眼が……)

 

 眼光ばかりが煌々としている。その鋭い眼差しにルガルガンが闘争本能を刺激されていた。ふんと相手のミルホッグが鼻息を漏らし、ルガルガンの闘争心に火を点ける。

 

 その特殊な眼光から注がれる謎のエネルギーがルガルガンの脳内をスパークさせているのだ。

 

 ルガルガンが岩石を溜めた掌で攻撃しようとして、その対象は自分の肩口であった。

 

「……何やりやがった?」

 

(威張る、の攻撃だ。相手はそれを使う事で、ルガルガンを混乱させた。今のルガルガンに、精密な命令は通用しない……)

 

「だがよ! どんだけ混乱したって当たるもんは当たるはずだ! ルガルガン、相手はたったの二匹! ぶっ潰せ!」

 

 ルガルガンの眼光に正気が宿り、地面を捲り上げ、壁にした岩石をそのまま拳の応酬でぶつけにかかる。

 

 岩の散弾である「ストーンエッジ」を回避する方法はないかに思われた。

 

 しかしながら、敵のミルホッグの身体を貫通した「ストーンエッジ」に相手は怯む様子もない。

 

 それどころか、別方向より、ミルホッグの攻撃が突き刺さる。放たれたのは催眠攻撃であった。ミルホッグの身体が明滅し、ルガルガンを瞬時に眠りへと追い込む。

 

 ダムドが舌打ちし、ルガルガンに命じていた。

 

「おい! ルガルガン! 何やってんだ、眠ってんじゃねぇ!」

 

 ダムドの声も空しく、ルガルガンは戦闘中に眠りについている。必死に抗おうとしているのは窺えたが、ミルホッグの「さいみんじゅつ」は思ったよりも強力な様子だ。

 

 眠ったままの判断はさらに鈍る。

 

 催眠状態にあるルガルガンは敵を認識出来ない。

 

 そんな只中でさらに混乱に陥っているのだ。ただでさえ攻撃は命中しづらいのに、催眠まで受けたとなれば勝利は遠ざかる。

 

(駄目だ、ダムド! ルガルガンの現状ではミルホッグ一体でさえも簡単には倒せない! ここは退いて……!)

 

「冗談じゃねぇ! テメェの仕掛けたケンカだろうが。こんなところで下がるくらいなら、死んだほうがマシだ!」

 

(だが……全滅するぞ……)

 

 ルガルガンは徐々に体力を奪われていく。それに比して敵はほとんど万全な状態だ。この戦局は圧倒的に不利。

 

 エイジは判断を迫られていた。

 

(……ダムド。悔しいけれど僕らが浅はかだった。催眠術に、さらに言えば、身代わりと威張るでこっちを混乱させて命中させない……。思ったよりも考えられている戦略だ)

 

「感心している場合かよ! こんなところで勝てないなんて、絶対に許さねぇからな! ルガルガン! オレの暴きの性能で、特性はノーガードのはずだ! 相手が見えてるんなら、当てて見せろ!」

 

 ルガルガンが必死に瞼を擦り、その赤い眼光を煌めかせて躍り上がった。軽業師のように宙を舞ったルガルガンが両手に溜めた岩を弾き出していた。「みがわり」の幻影が消え失せ、ようやくミルホッグ本体が露になる。

 

 しかし、大きく振りかぶった一撃は相手の小刻みな一撃には敵わない。あまりに大振りなルガルガンの一撃を掻い潜って、ミルホッグの前歯が炸裂する。

 

 エイジは内側で歯噛みする。

 

(怒りの前歯、だ。こっちの体力は強制的に半分にされた……)

 

「ンなの関係あるか! 当たっちまえばこっちのもんだ! ルガルガン、ぶちかませ! カウンター!」

 

 ルガルガンの拳に闘志の赤が宿り、ミルホッグの腹腔へと突き刺さる。その一撃にミルホッグが大きく後退した。

 

「効いたはずだぜ、今のは!」

 

(だが、僕らが相手にしているのは……)

 

「ダストダス。攻撃するのを待っていた。恨み、攻撃」

 

 ダストダスの眼が赤く輝いた瞬間、「カウンター」に宿っていたパワーが凪いでいく。

 

「……使える回数を減らしやがった……。だが、その程度で!」

 

「まだだ。ダストダス、痛み分け」

 

 ダストダスへと黒い瘴気が浮かび上がり、ルガルガンの魂を吸引する。その攻撃にルガルガンの体力値が恐るべき変動に晒された。

 

(……痛み分けは体力を均等に分ける技……。なんて事だ……。今のルガルガンは何個も状態変化をかけられている。こんな状態で、さらに体力を激しく変動させられたら、身体の中の神経が暴れ出す……)

 

「どうなるって言うんだ!」

 

「分かっていないようだな。戦いを仕掛けた割には素人か。まず一つ。威張るによる、脳細胞の攻撃神経の活性化。それによって既に能力は制限されている。さらに、何度も自分に訳も分からず攻撃し、消耗している。それだけではない。催眠術で、今のルガルガンは眠りと覚醒の狭間。そんな中で、痛み分けと恨みでまともに攻撃も繰り出せない。今のルガルガンの身体を維持するポケモンの神経系はズタズタだ。それでも攻撃を誘発すれば――」

 

 その赴く先にエイジは震撼する。ダムドは認めたくないのか、声を張り上げていた。

 

「ルガルガン! どっちでもいい、もうミルホッグは限界だ。今度はダストダスを蹴散らすぞ!」

 

「その前に、お前は思い知る事になる。ダストダス、ダスト――シュート!」

 

 その腕が汚染物質を掴み取る。振るい上げられた汚泥がルガルガンに浴びせかけられた。

 

 ルガルガンはようやく催眠による眠りから脱しかけたところで、その腕を前に垂らし、足を重く引きずる。

 

「……ルガルガン?」

 

(……毒状態だ。しかもまだドヒドイデの毒が解毒していないせいで余計に……。今のルガルガンはまともな戦闘状態じゃない。退いたほうがいい戦いもある)

 

「何言ってんだ! エイジ! ここで退けば、何のために旅に出た? まだセルの一個にも遭遇してないってのに、オレの指示通りに動けば、勝てる芽はあるって言って――」

 

(それでも! 勝てない事もあるんだ……。今のルガルガンに無茶はさせられない!)

 

「……何を一人でぶつくさと。言っておくが、お前が喧嘩を売ったんだからな。相棒の怪我の代償くらいは払ってもらおうか。素人ジェネラル!」

 

 ダストダスが再び、汚泥を手にし、そのまま拳にして突き上げようとする。とどめを刺すつもりなのは容易に想像出来た。

 

 エイジはダムドへと声を弾けさせる。

 

(ボールに戻せ! ダムド!)

 

「……退けるかよ。こんなところで! 退けるかってんだ!」

 

 叫んだダムドはエイジの身体から抜け落ちていた。いきなり身体感覚の戻ったエイジがよろめいたその時には、四つ足の獣形態になったダムドが身体より無数の青い矢を番える。その矢がダストダスに殺到し、その身体を射抜いていた。

 

「……ダムド」

 

(……勝てりゃ、いいんだろうが)

 

「な、何だ、そのポケモンは……! どこから出てきた?」

 

「……退いたほうがいいですよ。こいつは、僕でも抑えられない」

 

 それは純粋な警告のつもりであったが、相手はそう思わなかったらしい。怪我をした仲間を引き連れ、言葉を吐き捨てる。

 

「お、覚えていろ! ギンガ団に楯突いて、ただで済むと思うな!」

 

 逃げ去った相手まで追いすがるほどの体力はない。エイジはふらつくルガルガンをボールに戻した。

 

「……ごめん、ルガルガン。こんな戦いを強いて……」

 

 ダムドは周囲の好奇の眼差しに唸りを上げ、警戒を白濁の眼に浮かべる。

 

(人間共が……。このまま噛み殺してやろうか!)

 

「やめろ! ……ダムド、お前も戻ってくれ。今回ばかりは、僕らの敗北だ……」

 

 ダムドは舌打ちを滲ませ、だが、と声にする。

 

(……勝っただろうが)

 

「……こんなもの、勝ち星とは言わないんだよ。お前だって分かるだろ」

 

 ダムドがゲル状化し、エイジへと吸い込まれていく。エイジは人々の視線に耐えかねて駆け出しかけて、少女達に声を掛けられていた。

 

「あ、あの……! 助けてくださったんですよね……?」

 

「……助けたなんて高尚なものじゃないよ」

 

「でも! お礼がしたいんです! だよね!」

 

 二人組はどこか気後れ気味に頷く。どうやら二人旅らしい。人垣を抜け、リッカが追いついて声を放つ。

 

「エイジ! ダムドは……」

 

「……ちょっと込み入った事態になっちゃったみたいで……。ダムドは……」

 

「さっきのポケモン……凄かったっす!」

 

 興奮気味に語る少女にエイジは困惑していた。ダムドを――ジガルデを晒してしまった。それだけでも随分と失策だと言うのに、どう説明すべきなのだろうか。考えている間に、少女らは声にする。

 

「ネネ達は、カエンシティに戻ってきたんです。その……ジェネラルの旅に疲れちゃって……。一旦、故郷で落ち着こうって話になって。あっ、もしかして今日の宿をお探しですか? ポケモンセンターなら、ただで宿泊出来る施設の紹介もしています! だよね?」

 

「あ、……うん。そうっす……そういう経緯があって……。でも、助けてくださって感謝っす!」

 

 ボブカットの少女の声にエイジは出来るだけ穏便にこの状況を抜けようとしたが、無理のようだ。

 

 騒ぎを聞きつけて、警察を呼んだ市民がいたらしい。このままでは騒ぎが大きくなるばかりである。

 

「こっちへ! 故郷なので、抜け道ならば多少は!」

 

 先導する少女に、エイジは困惑しつつリッカに目線を振り向ける。彼女は、躊躇いつつも頷いていた。

 

「……ダムドの事も出来るだけ口外しないように言わないといけないし……」

 

「……こっちも余裕ないよね。ゴメン、案内してもらえるかな?」

 

「はいっ! こっちっす!」

 

 

 



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第四十話 あたたかな家へ

 

 二人に導かれ、エイジ達はカエンシティの裏道へと入っていた。

 

 毒ポケモン達がそこいらに群棲している。一歩、裏通りに入っただけなのに、据えた臭いが充満していた。

 

「……これは」

 

「カエンシティはまだまだ発展途上の街なんす……。表通りは煉瓦造りで綺麗ですが、裏はこの有り様……。だからさっきみたいな連中の溜まり場みたいになっていて……。故郷ながら恥ずかしいっす……」

 

「さっきの連中、何なの?」

 

 リッカの質問に、少女は周囲を見渡す。誰の視線もないと分かってから、片割れへと頷いていた。

 

「ノノ達は双子の姉妹なんす……。ネネ……妹が、こっちで……」

 

「……どうも。区別がつかないってよく言われるんですけれど……」

 

 虹彩の色が違うだけで、二人はほとんど鏡写しだ。それでも、各々に個性はあるようで、どこか活発なほうが姉で、奥手なほうが妹のようであった。

 

「ギンガ団は、ここ最近、ランセ地方の南部へと手を広げ始めた地下組織……って言えばいいんですかね……。ノノ達みたいな、弱小ジェネラルを狙う、汚い奴らなんす!」

 

 怒りに拳を握り締めた姉に妹は宥めていた。

 

「……ネネ達も、もっと強気に出ればよかったんですけれど、そうもいかなくって……。あっ、手持ちを見せたほうがいいですかね?」

 

 その提案に自分とリッカは首肯していた。

 

「お願い出来る?」

 

「ノノ達はあまり強いポケモンは持っていなくって……。自分がプラスル」

 

 ボールから解き放たれたのは赤い電気文様を持つ小型ポケモンであった。さらに、妹のほうが繰り出したのは水色の電気文様の同じ体躯のポケモンである。

 

「ネネがマイナン……。だから抵抗しようにも、弱いから……戦いなんて出来なかったんです」

 

「プラスルとマイナン、か……。三人を相手取るには無茶よね。でも、それより無茶な事を仕出かした奴が、ここにいるけれど」

 

 糾弾の眼差しにエイジは委縮する。その様子にノノは声を張っていた。

 

「い、いえっ! もし助けていただかなければノノらは今頃、もっと酷い目に遭っていたでしょう。本当、感謝っす!」

 

 姉のほうが頭を下げる。ネネのほうもどこか気後れ気味に礼を言っていた。それをエイジは、とんでもない、と手を振る。

 

「僕らが考えなしだったんだ……。ああいう事に口を出すのには……あまりに弱くって……」

 

 拳を骨が浮くほど握り締める。戦うのに、この身はあまりにも弱小だ。それを思い知らされた。ダムドがいても、あのような搦め手を受けただけで容易く瓦解する。それもそのはずであろう。自分はジェネラルレベルが昨日一昨日まで最底辺の2であった。その事実はやはり重く圧し掛かるのだ。

 

 どうあっても、ブランクだけは脱しきれない。戦うのにはまだ最適解を得られていない。

 

「でもでもっ! 助けてくださったのは事実っすから! 目立つので、ポケモンセンターは夜になってからの利用がいいっすね。自分達の家まで案内していいっすか?」

 

 ノノの提案にリッカは首肯する。

 

「お願いしていいかしら? 近いの?」

 

「この裏路地を抜ければ、その先にあるっす! ネネ、それまで後ろを頼むっすよ」

 

「うん……。分かったけれど……いいの? ギンガ団に絡まれたなんて、お母さんに言えないよ……」

 

「黙ってりゃいいっすよ! それに、その三人組を退治してくれたんすから、招かないほうが不誠実っす」

 

 ノノの言葉にネネは静かに頷いていた。どうにも初対面では窺い知れないパワーバランスがあるようだ。

 

「でも……表と裏でこうも違うのね……」

 

 リッカの言葉はカエンシティの裏路地に向けられていた。毒ポケモンや虫ポケモンの溜まり場となっている配水管が剥き出しであり、工事中の札が錆びついている。

 

「カエンシティは、やっぱり南方なんで、ランセ地方の近代化改修も後手後手なんすよ……。カエンシティの市民は、表で暮らす分には困らないっすけれど、裏では、ああいう……」

 

 濁したのは劣悪環境に身を置くホームレスや、明らかにぼろ衣を纏った少女達を目にしたからであろう。

 

 こんな近くで、まさか現実を突きつけられるとは思っても見なかった。

 

「……ハジメタウンにまで戻れば……」

 

「駄目なんす……。カエンシティで育った市民は、カエンシティより下に戻る事は、どうやら精神的に許さないようで……。お恥ずかしい限りっすが、自分達の世話は自分達でしろって言うのがお上の決定のようっすね……」

 

「何それ。まるでハジメタウンが馬鹿にされているみたいじゃない」

 

 覚えず出た言葉であったのだろう。エイジが諌める前に、ノノが声にしていた。

 

「……ごめんなさいっす。そういうのがまだ整備の整っていないのが、ランセ地方なんだって理解するしかないんすよ……。それもまた、この地方の現状だって……」

 

「いや、その……。あたしこそ、ゴメン。何だか、分かった風な口を利いて……」

 

 気まずい沈黙が流れる中、ノノが努めて明るく口走っていた。

 

「でも、さっきのポケモン、何なんすか? 何もないところから出てきたように見えたっす!」

 

 興奮気味のノノに、エイジはどう説明すべきか思案して、リッカに肘で突かれていた。

 

「……あんまし言うと巻き込んじゃう」

 

 それは言う通りであろう。ジガルデコアとセルの争奪戦に一般市民を巻き込むのは反対であった。

 

「……ちょっと込み入っていて……言えないんだ」

 

「ああ、分かるっすよ。ああいう珍しいポケモン、捕獲したがる連中もいるっすからねぇ。ギンガ団は何を考えているのか、そういうのもコレクションしているみたいっす」

 

(……オレはそこいらのポケモンじゃねぇ)

 

 抗弁のようにダムドが発する。その声は自分とリッカにしか聞こえていないようであったが、ノノは構わず続ける。

 

「でも、スカッとしたっす! さすが、ハジメタウンから旅立ったジェネラルっすね! ジェネラルレベルも高いと予想するっす!」

 

「いや、その……。それほどでもないよ」

 

 謙遜のようになってしまったが、本当にそれほどでもないのだ。ちょっと前まで最底辺と馬鹿にされていたとはさすがに言えない。

 

 妹のネネのほうは先ほどから押し黙っている。マイナンを連れ、背後の警戒に意識を割いてくれているのだろうか。黄色のリボンを手首に巻いている。

 

 しかし、とエイジは改めて二人を見比べた。喋らなければ二人の違いはほとんど分からない。着ている服も同じ色調だ。白いブラウスに、黒スカートである。髪型は両者共に茶髪のボブカット。一応は、頭頂部の髪の毛の跳ね具合に違いがあるのだろうか。前を行くノノは跳ねているが、ネネは跳ねていない。それとリボンだけが彼女らを分ける記号か。

 

「……何ですか?」

 

 観察していたのがばれたのか、ネネの声にエイジは誤魔化そうとして、ノノの笑い声に制される。

 

「もの珍しいのは分かるっすよ! 双子なんて、そこいらにはいないっすから! 気にしないでいいっす」

 

 さばさばとした性格のノノに対し、ネネはどこか奥手のようであった。

 

「……でも、ギンガ団なんて、ハジメタウンまで評判は来なかった……よね?」

 

 リッカに問い返すと、彼女も同意見のようである。

 

「……あたしは何度かカエンシティまで来た事はあるけれど、ああいうのは初めて見た。よくある事なの?」

 

「……ギンガ団の下っ端は多分、ノノ達がこうやって故郷に落ちぶれるまで監視していたんだと思うんす……。それで弱ったところを難癖つけた、ってところだと」

 

「あり得ない! 最低の連中ね!」

 

 言い放ったリッカにノノは何度も頷いた。

 

「ええ、最低っす。でも徒党を組まれれば勝てないのも確かなんす……。ノノ達はそうでなくとも、もう旅は諦めようと思っていたところっすから、心にも余裕がなくって……」

 

「そういう気持ちの余裕のなさに付け込んだ、悪質な連中って事ね」

 

 リッカがポケモンセンターに先行しててよかったと、ここに来てエイジは思い始めていた。自分でなくともリッカがギンガ団に分け入っていた可能性がある。

 

 自分が泥を被るので済んだのは不幸中の幸いか。

 

「あ、もうすぐっすよ。この先がノノ達の家っす」

 

 案内され、辿り着いたのは団地であった。家屋が軒を連ねており、その中にあるこじんまりとした一軒家が、ノノとネネの生家らしい。

 

「ちょっと、ノノ……。本当に帰るの?」

 

 ネネの言葉にノノは手を払う。

 

「帰るって……決めたじゃないっすか」

 

「それはそうだけれど……。どう説明するの? ジェネラルの夢を捨てて、むざむざ帰ってきただけじゃなくって、人様に迷惑をかけたって……」

 

「ネネは体裁を気にし過ぎっすよ。ノノ達みたいな輩は大勢いるっす。そういちいち目くじらを立てていたら、世の中――」

 

「ノノはそう言うけれど、ネネは違う……!」

 

 拳を握り締めたネネは身を翻していた。マイナンが心配そうに主人の顔を窺う。

 

「……ネネ。でも決めたっすよね? 潔く引退するって。それなのに、どうしてここに来て戸惑うんすか? それって、結局、諦められないって事じゃないっすか!」

 

 どこか責め立てる声音になったノノを押し留めようとエイジが割って入りかけて、ネネが声を弾けさせていた。

 

「……ノノには、一生分からないよっ!」

 

 駆け出したネネの背中に、リッカが声をかけようとする。エイジはノノへと視線をやるが、彼女はどこか冷淡であった。

 

「……放っておくといいっす。どうせ、一人じゃネネも無理だって分かっているはずっすから。お二方とも、家に入ってくださいっす。ただいまー!」

 

 扉を開けたノノに二人の母親であろう女性が慌てて駆け出していた。

 

「ノノ、なの? 帰ってきたのね!」

 

「あー、うん。まぁ、そういうところっす。あ、紹介するっす! 自分達が困った事になったのを助けてくださった……えっと……」

 

「エイジです。その、ちょっとした野暮用で……」

 

「リッカです。ハジメタウンから旅立ったばかりですけれど」

 

 まぁ、と母親は手を叩く。

 

「ノノとネネがお世話になったでしょう? みんなー! お姉ちゃん達が帰ってきたわよ!」

 

 その言葉に家の中から無数の足音が聞こえたかと思うと、同じ顔立ちの少女らが一斉に駆け込んできていた。

 

 思わず二人とも絶句する。

 

 あー、とノノが後頭部を掻いて愛想笑いを浮かべる。

 

「言い忘れていたっすね。自分達は、双子の長女、次女で、他にも五人の妹がいるっす。騒がしいかもしれないっすけれど、ゆっくりしていって欲しいっす」

 

「ノノおねえちゃんだ!」

 

「ねー、ネネおねえちゃんは?」

 

 問いかけにノノは慣れた様子で応じる。

 

「ネネはちょっと用事があるって離れているっす。もうすぐ帰ってくるっすよー!」

 

「たのしみ!」

 

 幼い妹を肩車し、ノノが二人を手招く。母親も大歓迎の様子であった。

 

「どうぞ、ゆっくりしてらして! カエンシティは初めてかしら?」

 

「ええ、まぁ。ほとんど……」

 

 毒気を抜かれたようなエイジの対応にリッカは嘆息をついていた。

 

「前途多難ね……。まぁ、今日の宿には困らなさそう」

 

 しかし、とエイジは家の中を見渡す。やはりと言うべきか、大家族が住むのには少しばかり手狭だ。

 

 本当にここで、というのが視線で伝わっていたのだろう。ノノは滞りなく応じる。

 

「妹達には不便かけてるっす。お母さんにも……」

 

「いいのよ、いつでも帰って来てって送り出したんだから! さぁ、今日はシチューにしましょう! ノノとネネが大好きだった、甘いホワイトシチューよ!」

 

 その言葉に諸手を上げて喜んだノノがよろめく。覚えずエイジは背中を支えていた。

 

 その光景に母親が、まぁ、と口元に手をやる。

 

「もしかして、そういうご関係に?」

 

「ご、誤解です!」

 

「いやいや、助けてくださったのは事実っすから。エイジさんさえよければ、ノノはいつでもいいっすよ?」

 

 その言葉に黙っていない相手へとエイジは目線を振り向けていた。リッカがどこか不承気に腕を組んで目を逸らす。

 

「……勝手にすれば。勝手にした結果だし」

 

 どうにも虫の居所の悪いリッカを宥めるのは難しい。エイジはそのまま家の奥にあるソファへと誘われていた。

 

(……そこいらにある家庭って感じだな。これが人間ってもんなのか?)

 

「そういうわけじゃないと思うけれど……」

 

「さぁ! エイジさんもリッカさんも、落ち着いてくださいっす! もてなしの用意をするっすから!」

 

 ノノに促され、リッカもソファに座り込む。目線を振り向けると、やはりと言うべきか、顔を背けられた。

 

 ため息をつき、エイジは起きた事実を反芻する。

 

 ギンガ団という組織に関してはほとんど初耳だ。このランセ地方で、ザイレム以外にも厄介な地下組織がいると言うのか。

 

 リッカの言葉ではないが前途多難なのは疑うまでもなかった。

 



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第四十一話 争いへの前奏曲

 

 マイナンが心配そうにこちらへとちらちらと視線を寄越す。それをネネはずっと無視していたが、それも辛くなって声を投げていた。

 

 裏路地から表通りを抜け、川沿いに進んでいる。

 

 川のせせらぎは間違いなく故郷のそれであったが、しかしもう決別すると決めた音色でもあった。

 

「……どうして、ノノってばあんなにも簡単に受け入れられちゃうんだろ……。ネネには分かんないよ……」

 

 助けられたとは言っても、不明な要素が多い相手をどうして家に招くなんて事を仕出かしたのだろう。それも看過出来なかった。

 

 元々、自分達二人の旅は破綻が近づいており、その解消の糸口を見つけるため、カエンシティに戻る、という口実であったはずだ。

 

 もちろん、実力不足は嫌と言うほど分かっている。それでも、ネネ個人はジェネラルとしても道を諦めたくなかった。

 

 まだ旅をして夢見るままでいたかったのに、ノノは早々に見切りをつけたのだ。

 

 ――ここで無理なら帰ろう。

 

 ネネは時折、姉の見せるそういう手前勝手な割り切りの良さに苛立つ事が多々あった。どうして双子なのにこうも違うのか。

 

 ポケモンの実力は伯仲なのに、それでも性格面がまるで異なっていた。

 

 同じ家で育ち、同じ環境で身を置いてきたはずが、いつの間にか見ているものが違っていたのだろう。

 

 ネネは河原に歩み出て石を手に取る。丸みを帯びた石を投げ、水を切った。

 

 それでも気は晴れてくれない。エイジとリッカを別段、歓迎していないわけではない。ただ、この重要な局面で誰かを自分達の事情に立ち入らせられるノノの精神が理解出来ないだけ。

 

「……結局、ワガママなのかな。ネネは」

 

 マイナンが慰めようと近寄りかけて、不意にその電気袋に警戒の電流を走らせる。相棒のその様子にネネは何かを悟っていた。

 

「……何か来るの? 野生?」

 

 否、野生の群生地は完全に排除され、街中では野生ポケモンは裏路地以外には出現しないはず。

 

 ならば、何が、とうろたえたネネは河原より出現した緑色のゲル状物体に目を戦慄かせていた。

 

 ゲル状のそれが空間を奔り、瞬時に自分へと衝突する。

 

 胸元を貫かれたと思った一撃はしかし、何も影響を及ぼしていなかった。ただ、何かの脈動を感じる。それだけは確かだ。

 

「……何だったの?」

 

 問いかけにマイナンは威嚇したままである。まだ、何かあると言うのか、と視線を巡らせた直後、その視線がかち合ったのは先ほどのギンガ団の下っ端三人組であった。

 

 まだこの街に、と構えかけて、不意にネネは膝を折る。

 

 何かの脈動が身体に熱を生じさせていた。

 

「これ、何……?」

 

「さっきのガキじゃねぇか。こいつはちょうどいい、苛立っていたところなんだ。あんなクソガキにしてやられてな!」

 

 繰り出されたミルホッグが瞬時に催眠術の光を放つ。マイナンで防御する前にネネの意識は昏倒していた。

 

 その意識の表層で耳朶が拾い上げる。

 

「エサにはちょうどいい。あのガキに、思い知らせてやる」

 

 それを最後にネネの意識は闇に落ちていた。

 

 



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第四十二話 二人の覚悟

 

「よかったのかな……」

 

 そう口にしたエイジにダムドが内奥より応じる。

 

(何がだ? この姉妹に世話になるのが、か? それとも……)

 

 濁した語尾にエイジは言いやる。

 

「……お前の言う通り、戦力の拡充は急がなくっちゃいけない。あんな連中にも勝てないなんて……」

 

 苦味を噛み締める。どう足掻いたところで覆せないのは、あのままでは負けていた、という現実である。

 

 それに関してはダムドも言葉少なであった。自分達の命令系統が生ぬるかっただけではない。ちょっとした百戦錬磨で他人の喧嘩に割って入ってこのざまでは、この先が思いやられるからだ。

 

(……オレもやれると思い込んでいた。甘かったのはお互い様だ)

 

 ダムドにしては殊勝な事を言うのは、自分の判断だけではなかった、と慰められているようであった。

 

 しかし、そもそもあの場に分け入ったのは自分自身だ。ダムドは止めた。それを自分は、やれると息巻いていた。

 

「……僕の責任だ。ダムド、お前がいなかったらもっと手痛い敗北を味わっていた」

 

 その言葉にダムドは何も返さない。沈黙が痛くて立ち上がろうとすると、ノノが声をかけてきた。

 

「エイジさん。お風呂入りましたけれど、どうっすか? お背中お流しするっすよ?」

 

 本気なのか冗談なのか。ノノの言葉にエイジがまごついていると、リッカがふんと鼻を鳴らす。

 

「じゃ、あたしが先にもらおうかしらね」

 

「あー、じゃあリッカさんのお背中をお流しするっす!」

 

「いいってば! 女同士だし!」

 

「……女同士なら、問題ないのでは?」

 

 そう問われるとリッカも反論の術がないのか、単純に頭を振っていた。

 

「恥ずかしいし……。それに、昨日今日会った立場でしょ」

 

 脱衣所に入ったリッカにノノは小首を傾げていた。

 

「何か不都合だったっすかねぇ?」

 

「いや、その……。急に頼られても困るだけだと思うんだ。僕ら、ちょっと割って入っただけだし、恩人みたいな扱いってのは……」

 

「でもでもっ! エイジさんは恩人じゃないっすか! 命の恩人っすよ!」

 

 詰め寄ったノノから香った少女のにおいに、エイジは覚えず赤面する。

 

「大げさだよ……。僕じゃなくても誰かが助けていたって……」

 

 その言葉にノノは腕を組んで憮然とした。

 

「いいえっ! きっと誰も助けてはくれなかったっすよ! 分かるんす。故郷っすから。そういう、どこか他人行儀なのは」

 

 エイジはどう取り繕うべきか、と思案する。どうあっても、ノノは自分を恩人と思いたいらしい。ここは話題を逸らそうと考えて口にしていた。

 

「……ネネちゃんは? まだ帰ってこないけれど……」

 

「知らないっすよ! せっかくのシチューも冷めちゃうし、台無しっす! ネネの強情さには参るっすよー」

 

 呆れ返った様子のノノにエイジは尋ねていた。

 

「仲は悪いの?」

 

「まさか! 意見が割れる事のほうが子供の頃から少なかったっすから! だから……余計なんす。今回、旅を止めようって切り出したのはノノっすから」

 

 意外であった。消極的なネネのほうから、故郷に帰るのを提案したのだと思い込んでいたからだ。

 

 しかし、それならば先ほどの態度も納得が行く。ネネはこうして家に帰る事すら、諦める事だと思い込んでいるのだろう。

 

 そう思い込んだ人間は、絶対に二度と帰りたくないはずだ。

 

 信じて前に進んでいる人間の背中を、自分はよく知っているではないか。

 

 そうだとも。父親が帰ってこないのは自分が要らないからだけではない。もう帰るまいと、彼は判断し、そして一度として連絡は寄越さなかった。旅と言うのはそういうものだ。旅立つと決めれば、そこには非情さが宿る。そうしなければ、甘えてしまいかねない。エイジは、昨日今日ようやくハジメタウンを出る権利を得たばかりであったが、もう故郷が恋しかった。

 

 隣町に来ただけなのに、二度と帰れない、という重石が呪縛のように圧し掛かる。

 

 これが、旅立つという事。ならば、さらに故郷から離れた時、自分はどう思うのだろう。

 

 先生や、故郷の人々の事を思い返して、こみ上げるのだろうか。

 

「……ノノちゃん、は旅立って辛かった事はないの?」

 

「あるっすよ、たーくさん! 数え切れないっす!」

 

 ソファの隣に座り込んだノノは、両手を大きく広げた。それでも、と彼女の声が先細りになる。

 

「それでも……旅が出来たのは、ネネのお陰でもあるんす……。妹を前にして、カッコつけないわけにはいかないじゃないっすか」

 

 姉として、だろう。迷わない、という選択肢が、ノノにとっては旅立ちの指針であったのだ。だが、それが今回の場合、食い違ってしまった。

 

 ネネは良くも悪くも割り切りの強いノノが理解出来ないのかもしれない。自分達のようなよそ者を家に通す神経も。

 

「……二人の旅は、でも二人だけのものだと、僕は思う。だから、口出しはしたくない」

 

 勝手な口出しは彼女らの旅路を侮辱する。そう考えの言葉に、ノノは頭を振っていた。

 

「……優しいっすね、エイジさんは。でも、そういう、誰にでも向けられる優しさって、万人のための優しさだと思うんす……。言葉をかけてもらってこういう言い方はどうかとも思うんすけれど、ノノ達の旅って結局、その程度だったんすよ。万人のための慰めで、事足りてしまう。それがノノ達の旅でしかなかった、って言うのが、結論で……」

 

 面を伏せたノノにエイジは、違うと言いたかった。しかし言えないのだ。彼女らがどのような苦楽を共にし、どのように寂しさを紛らわせてきたのか、自分には推し量りようもない。旅立ったばかりだ。余計に、言葉を差し挟むのは躊躇われた。

 

 ――万人の優しさ、か。

 

 それは時に誰かを傷つける毒になる。それに気づかないまま、自分は生きていたのか。ハジメタウン――いつまでも停滞し続ける町で、ずっと、漫然と時間を食い潰してきた功罪を突きつけられた気がして、エイジは何も言えなかった。

 

 強ければ勝利者。弱ければ敗者。そんな二元論で二つの道に割られてしまうのが、悔しくもこのジェネラルと言う身分だ。

 

 勝てればいい。負けなればいい。弱くても、負けなければ……。だがそれは残酷ではないか。

 

 弱い存在が弱いと認識出来ぬ世界など、それはただただ強者の理論のみで回る価値観だ。そんなものを振り翳したくって、ジェネラルとして身を立てようと思ったわけではない。

 

 ダムドのため、自分に取り憑いたジガルデが理由としても、それは結局、誰かに責任を投げたいだけだ。

 

 そんな身勝手、許されるものか。

 

「……ゴメン。一人になれるところ、ないかな?」

 

「屋上なら、空いているっすよ。でも、エイジさんに感謝しているのはホントっす。ノノ達を助けてくれた、勇気はあるんすから、自分を卑下しないで欲しいっすよ……」

 

 ノノの言葉振りにエイジは、いや、と声を出し渋る。

 

「……それも結局、僕を慰めたいだけだ」

 

 階段を上がり、屋上に出る。夜の冷たい風が頬を撫でていた。

 

 突き放すかのような風だ、とエイジは感じる。昼間の、旅立ちに浮き足立っていた風とはまるで違う。

 

 誰も助けてくれない。誰も、救ってはくれない。

 

 それが旅の真理。旅の絶対である。

 

 そんな基礎すら分からずに、自分は旅立とうとしていたのか。この広い世界に、何を刻もうとして――。

 

 愚かしいを通り越して、ここまで来ると悪辣にも等しい。どうして、そんな事も分からずに旅立てたのか。どうして、決断を下せたのか。

 

 ――問い返すまでもないじゃないか。

 

 エイジは己の中で脈打つ、その鼓動を感じ取る。自分ではないもの。一夜にし、自分の世界を変えた存在。

 

 それに語りかける。

 

「……ダムド。僕は思ったより、甘ったれだったのかもしれない」

 

(そうだな。テメェの力加減さえも分からない、バカ野郎だった。それだけだ)

 

 ダムドはいつでも冷酷だ。しかしながらこの時ばかりは、彼にも反省があったらしい。

 

 言葉振りに、僅かな逡巡を混じらせていた。

 

(……だが、オレも似たようなもんだったのかもな。ちょっと勝てた程度で浮かれちまっていた。何てこたぁねぇ。オレも世間見てきたようで、一端じゃなかったってこった。案外、テメェのほうが世の中は分かっていたのかもな。強いヤツを相手に、弱いのは無力だって)

 

「ダムド……。でも、僕の……」

 

 そこまで口にした時、エイジの視界に入ったのは昼間のギンガ団であった。下っ端が手にしたものに、エイジは瞠目する。

 

「あれは……」

 

 下っ端が下卑た笑みを浮かべて握り締めていたのは――ネネの身につけていたリボンだ。

 

 相手は身を翻す。追おうとして、ダムドの声に遮られていた。

 

(待て! エイジ! テメェ、また一人でやるつもりか?)

 

 はたと足を止める。そうだ、それで昼間にこっぴどくやられたばかりではないか。ここは少しでも勝率を上げるために、リッカとノノを引き連れて――。

 

 そこまで考えた己を叱責するかのように、エイジは拳で膝を叩いていた。

 

「……ダムド。嘗めないで欲しい。僕は、確かに臆病だし、それに弱虫だ。勝てない戦いをして、自らを危険に晒す。それは何よりも馬鹿馬鹿しいのだと、知っている」

 

(だったら……)

 

「でも! それでも! ……女の子のピンチに、駆けつけないのは、もっと臆病じゃないか……。ダムド、僕は旅に出ると決めた時、一つ誓ったんだ。何があっても、この戦いに、意義や正義なんてなくったって、それでも僕は戦い抜くと。犠牲も、もちろんあるだろう。でも、それでもだ! 僕は、僕の誓った絶対に逆らいたくない! それが今の僕を衝き動かす絶対だ!」

 

 自分を動かす一つだけの原動力。それに従わないのは、それこそ違うはずだ。そう断じたエイジに、ダムドは静かに言いやる。

 

(……あの時、オレに突きつけた絶対と同じ、か。いいぜ、エイジ。だが、一つ間違っている)

 

「……何がだよ」

 

(テメェは一人じゃねぇ。目ぇかっ開いてよく見るまでもなく、テメェはもう一人と運命共同体だろうが)

 

 そうだ。この鼓動は最早一蓮托生。しかし、とエイジは言葉を鈍らせる。

 

「……勝てない戦いはしないんだろ」

 

(だからだよ。エイジ、テメェの知恵を借りさせてもらう。オレはポケモンバトルに関しちゃ、ずぶの素人だ。そこは認めてやってもいい。だから、一つだけ。オレからも絶対を突きつけさせろ。エイジ――オレ達は、もう負けねぇ。これがオレの絶対だ)

 



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第四十三話 エイジの実力

 

 ダムドに突きつけられた絶対に、エイジはフッと笑みを浮かべていた。

 

「言っておくけれど、これは賢い選択肢じゃないぞ」

 

(なに分かり切った事言ってやがる。オレもテメェも、賢かったらこんな戦いに身を投じはしねぇだろ?)

 

 分かり切っている。彼もまた「自分」なのだから。エイジは息を詰め、屋上から飛び降りていた。

 

 平屋から飛び降りた程度だ。走った痛みも、この程度、と我慢する。身を裂く敗北の痛みに比べればずっとマシだ。そうだ、もう負けない。負けたくない。

 

「行くぞ、ダムド」

 

(ああ、嘗め腐っていた連中に、ぶちかましてやろうぜ)

 

 駆け出した足に迷いはない。ギンガ団の背中を追ってエイジは夜のカエンシティを疾走する。相手はわざと距離を詰めさせて誘い込む算段だろう。いくつもの裏路地を折れて視界に飛び込んできたのは廃工場であった。

 

(いかにも、だな)

 

「ああ。連中、どこまでも……」

 

 エイジは拳を握り締める。歩み入るとギンガ団の下っ端達が声を張り上げていた。

 

「誘い込まれるとはなぁ! 弱小!」

 

 その言葉にエイジは冷たく切り返す。

 

「誘い込まれたつもりはない。ネネちゃんは?」

 

 ネネはギンガ団の下っ端の一人が後ろ手に縛っていた。舌を噛み切らないように猿ぐつわを噛まされている。その瞳から涙が伝っていた。

 

「卑劣な……。こんな事をしてまで、僕に鬱憤を晴らしたいって?」

 

「あのポケモンを寄越せ。あんなのさえいなければ俺達が勝っていた」

 

 エイジはダムドへと問い返す。彼も同じ心持ちであったのだろう。

 

(……いいんだな?)

 

「ああ。僕からしてみてもそれで構わないさ」

 

 ダムドが分離し、四つ足の獣形態となる。その威容に相手はたじろいだ様子であったが、エイジがダムドを下がらせたのを目にして声音を変えた。

 

「ダムド……ジガルデは渡せない。その代わり、もう一度僕と勝負しろ。それで負ければ、それでいい。僕をどれだけでも殴るなり何なりすればいい。ただし、ネネちゃんは解放するんだ。そうでなければこの勝負は受けない」

 

 こちらの条件に相手はケッと毒づいた。

 

「どこまでも調子づいて……。いいぜ、ここまでお前を追い込むのが、こちらの本当の目的だったんだからな」

 

 ネネが束縛を解かれ、立ち上がりかけてよろめく。エイジは思わず駆け寄っていた。

 

「……怪我はない?」

 

 猿ぐつわを解き、何度も咳き込んだ後、ネネは頷いていた。瞳には涙が潤んでいる。相当、怖い思いをしたのだろう。

 

 エイジはキッと睨み上げる。その視線にギンガ団下っ端が舌打ちしていた。

 

「妙なポケモンさえなけりゃ、お前もお終いだ。二人とも!」

 

 廃工場の扉が閉められる。最初から逃がす気がないのは分かり切っていた。ここで自分とネネを痛めつける気であろう。

 

「さて、邪魔は入らない。この条件下でどう戦う! ダストダス!」

 

 飛び出したダストダスが低いうなり声を上げる。エイジはホルスターのモンスターボールを手にしていた。その手をネネが取って頭を振る。

 

「駄目……。やられちゃう……」

 

 不安はもっともだろう。だが、エイジは努めて平静な声を発していた。

 

「大丈夫だ。僕が、勝つ」

 

「その生意気な口上! 吼えられないようにしてやるぜ! ミルホッグ!」

 

 昼間と同じ、ミルホッグとダストダス。しかし、それだけではない。もう一人のギンガ団員が手持ちを放っていた。

 

「行け! マタドガス!」

 

 肉腫のような形状のポケモンが放たれる。毒ポケモンが二体に、ノーマルポケモンが一体。

 

 それだけではない。退路は断たれ、増援は望めない。そんな中で相手は自分が絶望すると思ったのだろう。哄笑を響かせていた。

 

「言っておくが、この廃工場は圏外! 助けなんて来ないぜ!」

 

 その宣告にネネが身体を震わせていた。エイジはそっとその肩に手を置く。

 

「大丈夫だから。すぐに、終わらせる」

 

「何息巻いてんだ! 潰せ!」

 

 ダストダスが汚泥を手にし、ミルホッグが蛍光色を煌めかせて催眠電波を放つ。昼間に見た通り、二重の構え。

 

(……エイジ。オレは手ェ、出さねぇぜ。テメェの強さ、見せてくれよ)

 

「ああ、分かっているさ。ダムド。僕一人で、勝ってみせる。行け、ルガルガン」

 

 放ったルガルガンが瞬時に構えを取るが、ミルホッグの「さいみんじゅつ」の射程に入ってしまう。

 

 たちまち眠り状態に陥ったルガルガンに相手は勝ちを確信したのか、マタドガスが真っ直ぐに攻めてくる。

 

「相手に手はねぇ! マタドガス、そのまま大爆発して一気に決めてやれ!」

 

 防衛手段のないエイジとネネ、それにルガルガンにとって、眠らされてマタドガスの「だいばくはつ」を受ければそれだけで致命傷だろう。

 

 無論、分かっている。分かっているからこそ――ギリギリまで、ルガルガンの射程に潜り込ませる形で何もしなかった。

 

 ネネが声を振り絞る。

 

「逃げて!」

 

「ルガルガンは負けない。そして、有効射程に入ったな」

 

 刹那、ルガルガンの牙が何かを軋らせていた。直後、眠りから覚めたルガルガンは瞬時にマタドガスへと蹴りを浴びせかける。

 

 マタドガスはまさか反撃は来るとは予期していなかったのか、その勢いを殺せずにギンガ団の側へと反転し、攻撃しかけていたダストダスを相手に大爆発を誤爆させていた。

 

 ミルホッグが辛うじて逃れるも、他のギンガ団員が絶句している。

 

「どうして……。眠り状態のはずだ……」

 

「このカエンシティに来るまでに、僕は森に住んでいたから、いくつかの木の実の特性は知っている。それに役立つ木の実はこうして、鞄に備蓄も。ルガルガンに持たせたのはカゴの実。眠り状態から脱却出来る。昼間にあの戦術を見せたのは失敗だったな。ダムドはこれを知らないから、あの術中にはまったが二度も三度も、僕だって同じ戦法にはかからない」

 

 攻勢に出たルガルガンとエイジにギンガ団員は声を張り上げる。

 

「だ、だが! どっちにしたってそのポケモンじゃ勝てないはず! 昼間あんだけのしてやったんだ、あの妙なポケモンさえいなければ、ただのガキ――」

 

「そうだと思っているのならば、その認識を覆させる。ルガルガン、残ったミルホッグへと攻撃」

 

 ルガルガンが地を蹴りつけ一瞬にして間合いを詰める。だが、それは相手も予期していたのだろう。

 

 瞬時にミルホッグの眼光から不可思議な光の渦が放たれていた。

 

「かかったな! その距離まで行けば、ミルホッグの術中だ! 真正面から立ち向かうなんて愚を犯して、馬鹿が――」

 

「馬鹿は、ここまで近づかせるのをよしとしたお前らだ。ルガルガンの特性はノーガード。この距離なら確定で当たる。カウンターの拳を叩き込め」

 

 ルガルガンの放った「カウンター」がミルホッグの腹腔へと叩き込まれる。ミルホッグの眼光から術の輝きが失せ、その効果からルガルガンは完全に脱却する。

 

 まさかこれほどまでの力の差だとは思いも寄らなかったのだろう。

 

 団員三人がよろめいていた。

 

「あ、あり得ん……。一瞬でダストダスと、マタドガスを倒しただけじゃなく、ミルホッグもだと……」

 

「僕は、ダムドに甘えていた。ある意味では、戦いたくないって投げていたんだ。でも、もう関係がない。お前らみたいなのがいるって言うんなら、そういう連中が大切な人に危害を与えるって言うのなら、もう関係がない。僕は戦う。自分の意思で。ルガルガンと、ダムド……お前と共に」

 

(その言葉を待っていたぜ)

 

 ダムドが駆け抜け、団員達の退路を塞いだ。相手からしてみれば白濁した眼を持つ不明ポケモンは恐怖の対象であろう。

 

 悲鳴を上げた団員達へと、ルガルガンを伴って迫る。

 

 相手はほとんど、失神寸前であった。

 

「これ以上やるのなら、僕は容赦しない」

 

 ダムドが吼え立てる。その一声で下っ端達は頭を抱えて許しを乞うた。

 

「も、もうしないっ! もう悪事はしないから! だから、逃がしてくれ!」

 

(どうする? エイジ。信用は出来ないぜ)

 

「ああ。その通りだな。だが、これ以上やれば、連中と僕は同じ穴のムジナだ。ここでは僕は何もしない。とっとと消え失せろ」

 

 ルガルガンが疾駆し、廃工場の扉をその爪で掻っ切る。相手は悲鳴を上げながら逃げ去って行った。

 

 それを確認し、エイジは安堵の粋をつく。

 

「もう大丈夫。ノノちゃんも心配しているだろうから、帰ろう」

 

 手を差し出すと、ネネはおずおずとその手を取っていた。

 

 瞬間、何かが電撃的に駆け抜ける。この感覚は、とエイジが目を見開いたその時、その意識はダムドに支配されていた。

 

「このガキ……セルを宿していやがるな。エイジ、テメェの義は通す、そのやり方に異を挟むつもりはねぇ。だが、いずれはオレのものになる力だ。それだけは自覚しておいてくれよ」

 

 ダムドがエイジの身体を使ってネネの首筋に手を回し、そして手刀で昏倒させる。

 

(何を!)

 

「前後不覚にさせただけだ。オレならこのままセルを奪うんだが……今回はテメェに免じてやるよ。それに、セルを宿していたってこたぁ、このガキにだってオレの声は聞こえていたって事になる。厄介になる前に潰すか、それとも……」

 

(やめろ! ダムド! 彼女も被害者だ!)

 

「被害者、か。テメェが言うと笑えてくるぜ、エイジ。だがまぁ、今回ばかりはオレも手を下さねぇ。昼間の連中に一泡吹かせたのはテメェの功績だ。それを掻っ攫うほどのクズでもねぇんでね。このガキをあの家まで運ぶ。それだけだ」

 

 信用し切れず、エイジは問いただしていた。

 

(……本当に、それだけなんだろうな)

 

「疑い深いな。だから言ってんだろ。今回だけだって。義を通すのは間違いじゃねぇ。オレがバカやって勝てなかったのは認めてやるよ。それに……次からも戦いで支援が必要な相手に、これ以上信用を落とすような真似をするかよ」

 

 支援が必要な相手、という言葉にエイジはどこか浮いたものを感じていた。今まで、ダムドは自分を利用していた。無論、それはセルを集めコアを集めるために必要な措置であろう。自分だけならば前に進めなかったことも事実だ。

 

 ダムドがいるから、自分も前に進む。逆にダムドも、自分一人では前に進めない事を分かり始めている。

 

 今は、その結果論だけで満足するしかなさそうだ。

 

(……僕達は、運命共同体だ)

 

「ああ、オレ達はそうだとも。だから、言ってやるぜ。エイジ。戦う時は、二人で一人だ。一端な事をお互いに言うもんじゃねぇ。足を引っ張る真似だけはすんなよ」

 

 それはお互い様だろう。しかしエイジはその言葉に宿った不可思議な感触だけを握り締めていた。

 

 ――二人で一人。

 

 いつからなのだろう。

 

 自分が一人で生きていき一人で死ぬのだと思い込んでいたのは。その定説を、ダムドは一発で覆してしまう。その奔放さがひとえに――羨ましかった。

 

(……ダムド。僕が死ぬ時はお前が死ぬ時と同じだ)

 

「ああ。そうだぜ、エイジ。不幸だと、思うんだな。オレみたいなのに生き死にの権利を握られた事に」

 

 通常ならば、不幸だと思うだろう。だがエイジが思ったのはまるで逆であった。

 

 ――きっと、彼に与えられたのだ。生きていていい権利を。

 

 だから、ここで湧いた感情も全て、本当ならば逆なのだろう。そこから先は言葉少なであった。

 



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第四十四話 力を求む者

 

「あのガキ……廃工場を潰して、このままぺしゃんこにしてやる」

 

 ギンガ団の一人がボタンに手をかけようとした、その時であった。

 

「――生き汚いを通り越して、下品なのね。ギンガ団って言うのは」

 

 不意に放たれたレナの声に振り返った団員のうち、二人をエンニュートが毒で瞬時に麻痺させる。しかも放ったのは溶解毒。人間の表皮を腐敗させ、苦しみの果てに命を奪う最も残酷な毒であった。

 

 残った一人がボタンを手に後ずさる。

 

「なっ……お前は……」

 

「このランセ地方で息巻くにしては、弱過ぎよ。どういたします? レオン様」

 

 暗がりへと言葉を投げたレナはその最奥に位置する憤怒の男の双眸を視界に入れていた。相手がごろつきでも自分の名前くらいは知っているらしい。

 

「じ……ジャックジェネラル……レオン・ガルムハート、だと……」

 

「有名と言うのも考え物ですね。このような粗末な人間でさえも、貴方の痕跡には気づいてしまう」

 

「だが、醜悪な本性を隠し立ても出来ないのは、彼らの特権だろう。俺はザイレムには共闘を申し込まれたが、ゴミ掃除までは頼まれていない」

 

「ですが、目先の塵は払っておいたほうがよろしいかと。この男達、サンプルの少年を殺すつもりでした」

 

「だったらなおさらだ。この程度の者達に消されるのならば、それもやむなし。しかし、彼は生き残った。それもジガルデの力を借りず、自分の力で。それだけは称賛に値する。ともすれば、彼も俺と同じく、この忌まわしきジガルデの呪いを解く、鍵となるかもしれない」

 

「レオン様と同じ? それは穿ち過ぎでしょう」

 

「……果たしてそうかな」

 

 逃げおおせようとする男の眼前へと粘液を纏わせたエンニュートが降り立つ。ギンガ団下っ端が後ずさったが、エンニュートはその毒の牙で相手を縛り上げていた。毒が即座に下っ端から抵抗の意思を奪う。

 

 レオンはそれを見やり、ふんと鼻を鳴らす。

 

「ギンガ団、か。ある意味では脅威になり得るかもしれない。報告はしないでいいのか?」

 

「必要ないでしょう。下っ端三人、消えたところで、誰も気にしません」

 

「た、助けてくれ! あんた、ジャックジェネラルだろう! 人々を助けるのが、上級ジェネラルの務めじゃ――」

 

「悪人に、そのような慈悲はない。俺が助けるのは弱者だけだ。弱きを挫き、強きにこびへつらう、そのような人間には、生きている価値などないだろう」

 

「そんな……」

 

「レオン様、殺しておきましょうか」

 

「……好きにするといい」

 

 レナに後の処理は任せよう。悲鳴が劈いたが、レオンはそれよりも裏路地に消えていくエイジの背中を見据えていた。

 

 どうしてなのか分からない。だが、この身体に脈打つジガルデセルが告げている。

 

 ――あれは危険だと。

 

 だが、とレオンは口にしていた。

 

「……彼も俺と同じ、ジガルデに精神まで侵されない、ある意味では強者。ならば戦い甲斐がある。エイジ少年、それにスペードスートのジガルデ、Z02。いずれは君達と戦わなければならないだろう。それは真正面からが相応しい」

 

 そう結んで、レオンは身を翻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迎えたノノにエイジはどう言葉を浮かべるか迷っていたが、すぐにネネを認め、エイジを家の中へと招いていた。

 

「……エイジさん。また、助けられちゃったみたいっすね」

 

「いや、僕は……」

 

 大した事をしたつもりはない。それでも、彼女らからしてみれば相応のものなのだろう。ノノは頭を振っていた。

 

「ネネとノノの身勝手に、付き合ってくださったのはありがたいっす。本当なら、ノノ達は自分達の判断だけで旅を止めるつもりだったのに、これだと判断も鈍っちゃうっすね」

 

 笑い話にしようとしたノノだが、エイジは言いやっていた。

 

「……ギンガ団に狙われている。あまりしばらくは外を出歩かないほうがいいかもしれない」

 

「忠言、感謝っす。でも、それはネネが目覚めてから、の結論でいいっすかね」

 

 それはノノにもまだ決断出来ない部分があるからだろうか。エイジは素直に頷いていた。

 

「それは……構わないけれど」

 

 ノノは笑顔になってエイジへと言葉を返す。

 

「ありがたいっす。ネネは……多分、エイジさんを信用出来なかったんだと思うんすよ。それは、ノノ達がたった二人でずっと戦ってきたっすから。外側からの助けって得られなかったもんだと思い込んでいるんす」

 

「それは……旅立つって決めた時から、ずっと?」

 

 問いかけにノノは静かに首肯する。

 

「……何でなんすかね。家がこんなだから、立派なジェネラルにならなきゃって思いもあったんだと思うんす。でも、それ以上に、多分自分達なら、何でも出来るって言う万能感のまま、旅に出ちゃったのも失敗だったのかもしれないっすね。挫折を、ある意味では知らなかったんすよ」

 

 挫折。それはエイジ自身幾度となく味わってきたものだ。ハジメタウンで、何度も何度も、嫌と言うほど自覚してきた。

 

 自分は最底辺。自分は一生、彷徨うばかり。それを変えてくれたのはダムドとリッカである。

 

 挫折があるから強くなれる、と単純には言えないが、それでも挫折があるから、今の自分があるのは事実だ。

 

「……でも、君達は強いだろうさ。だって、旅立つって決めたんだから。それって結構、勇気のいる事だと思う」

 

「エイジさんは優しいっすね。その勇気だって、でも結局は借りものなんすよ。カエンシティの、他の子供達がそうするのと同じように、ノノ達は旅に出たって話で」

 

 ノノは頭を振り、自身の頬を叩いた。

 

「いけないっすね! 暗い話になっちゃって。とにかく! ネネを助けてくれて感謝っす! また貸しが出来ちゃったっすね」

 

「いいんだ。僕が勝手に仕出かした事だし、それに……」

 

 濁したのは、自分の決めた絶対に従った結果だからだ。だがその行動が逆に彼女らを苦しめる事になったかもしれないと思うと、やはり単純には喜べない。

 

「ネネを部屋まで運ぶっすね。エイジさんも休んでくださいっす」

 

 ノノの背中を見送りながら、エイジは嘆息をつく。この行動が無駄にならない事を祈るばかりだが、果たしてどうなるのだろうか。

 

(……エイジ。言わなくってよかったのか。セルが取り憑いているって事)

 

「……そりゃ、言ったほうがいいだろうけれど、それは僕らの事情に巻き込む事になってしまう」

 

 旅を止めると判断したのならば、それに口出しすべきではない。エイジの結論にダムドはどこか不承気味に返していた。

 

(相手の都合、か。ま、いずれにしたってあのガキもこのまま帰すってワケにもいかねぇだろ。ギンガ団とか言うのはセルを狙っては来なかったが、今までの連中が来る可能性もある)

 

「……ザイレムか」

 

 セルを狙って彼らが来るとすれば、それこそギンガ団の脅威などとは比べ物にならないだろう。エージェントのやり口が自分達に対してと同じだとすれば、ここにネネを置いておく事さえも下策のような気がしてくる。

 

「でも、どうしたって……」

 

「エイジ。ノノちゃんから話は聞いたわ。勝手に飛び出したんですってね」

 

 リッカの差し挟んだ声にエイジは覚えず顔を背けていた。

 

「……危なかったんだよ」

 

「呆れたわ。まだ、自分一人で戦っているつもりなの?」

 

「そうじゃない。でも、ノノちゃんやリッカを巻き込みたくなかった」

 

(オレはエイジのやり方に賛成だぜ。相手は人質を取っていた。雁首揃えて出て行けば、それこそ格好の的だったかもしれねぇ)

 

「ダムドは黙っていて。あんた、関係ないでしょ」

 

(関係ない? 大アリだぜ? エイジが死ねばオレも死ぬんだからな。その辺り、誤解してもらっちゃ困る)

 

 リッカは深いため息をつき、エイジへと言葉を投げる。

 

「明日、シティロビーに向かうわよ。そうして、次の街に行くのに相応しいかどうかの審査を受ける」

 

(審査? ンなもんが必要なのか?)

 

「ジェネラルには、ね。僕のジェネラルレベルなら、南方の街を渡り歩くのにはほとんど審査なんて要らないはずなんだけれど、リッカが……」

 

 リッカは肩を竦めていた。

 

「あたしはジェネラルレベル4だから。行ける範囲に限りがあるのよ。だから、ジェネラルロビーに挑む。そうして、ジェネラルレベルを旅しながら上げていくってわけ」

 

(よく分かんねぇな。このランセ地方では度々、ジェネラルレベルってのが引き合いに出されるのか?)

 

「ほとんど全ての場所で、ジェネラルレベルが意味を持つと言っても過言じゃないよ。だからみんなトップジェネラルを目指しているんだ」

 

(人間ってのはメンドーだな。結局は、だ。メスガキが足を引っ張ってるんだろ?)

 

「メスガキ言わないでってば。……まぁ、事実ではあるんだけれど」

 

 ふんと視線を背けたリッカに、エイジはジャケットを翻していた。

 

「ひとまず、僕も休むよ。明日も早いだろうし」

 

「エイジ。言っておくけれど、ダムドの命令に何でもかんでも従う事はないわよ? こいつはだって、人間じゃないんだから」

 

 それはその通りかもしれない。人間の尺度の通用しない存在。それがジガルデコアなのだろう。

 

 しかし、エイジは一面では、ダムドの言い分にもまた、意義があるのだと感じていた。

 

 人間社会に染まっていないからこそ、ダムドは容赦のない理論で自分を叩きのめしてくれる。

 

「ありがとう。でも、僕は大丈夫だから」

 

 当てられた部屋の扉を開け、エイジはベッドへと雪崩れ込む。それなりに疲れが出ていたのか、すぐに睡眠の波が押し寄せてきた。

 

(……エイジ。テメェの放った絶対、オレは悪いとは思ってねぇぜ)

 

 寝る間際に言いたかったのだろうか。ダムドの言い草にエイジは微笑む。

 

「……でも、僕らはまだ弱い」

 

 拳を握り締める。そう、まだ遥かに足りないのだ。これで本当にセルとコアを集め、ダムドの目的を達成させられるのか。全てが暗中模索の中、ダムドの声が弾けていた。

 

(それでも、よ。すまねぇな。オレのやり方に、テメェを巻き込んじまって)

 

「殊勝だな。お前がそんな事を言うなんて思ってなかったよ」

 

 少なくとも、ダムドは傲岸不遜に戦い抜くのだと思い込んでいた。

 

(……根っこの部分は変わらねぇさ。戦い抜いて、勝ち抜いてやる。……だがそれには、オレだけじゃ足りねぇ。それが今回、よく身に染みたって話だ)

 

「二人で一人、か……」

 

 結んだ声音にダムドが声を残響させる。

 

(オレは勝つ。そしてテメェも、頂点に立つ。それが出来るってこった。オレ達なら……)

 

 そこまで大それた野望は持っていない。だが、ダムドの胸中にはそれがあるのだろう。

 

 ――世界征服。その赴く先が破滅なのか、あるいは栄光の道なのか……。

 

 問いただす術を持たず、エイジはただ眠りの中に落ちていった。

 

 



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第四十五話 強者の領域

 

 差し出されたそれに、サガラは胡乱そうな眼差しを向けていた。オオナギは微笑む。

 

「安心しろって。逆探知なんてされるヘマはしないからよ」

 

 メモリースティックを受け取り、サガラは端末に差し込む。喫煙室では他の部署からの盗聴の心配も少ないがそれでも監視カメラは回っている。どこに行ったとしても、この鋼鉄の基地の中で、目の届かない場所などなかった。

 

 だからこそ、このやり取りも記録されているに違いない。

 

 そう分かっていても密会の一つにももつれ込めない己が純粋に愚かしい。

 

 サガラは端末に表示されたセルのキャリア――レオン・ガルムハートの詳細情報を目にしていた。

 

 目を通すたびに、ほうと注目出来る箇所が多い事に気づく。

 

「スートが一種類ではないのか」

 

「ああ。あのジャックジェネラル、凄まじいな。四種のスート全てのセルに寄生されているってのに、自我を保っているなんて。破壊衝動にも駆られなければ、他の衝動も押し殺している。これがジャックジェネラル――このランセ地方を束ねる四人衆の一人って事なのかねぇ」

 

「我々も少し迂闊であった、という事か」

 

「そうでもないはずだ。ジャックジェネラルにセルが寄生しているなんて思わないからな。完全に想定外だよ。ただ……その想定を覆すのは、レオン・ガルムハート本人が、まるでセルに操られた言動をしない、という一点だな」

 

 今までのケースを呼び起こす。何度もセルの寄生事件は発生してきた。その度にザイレムは事件の揉み消しと、情報統制に回ってきたのだ。

 

 だと言うのに、レオン一人に関して今の今まで後手であった事が悔やまれる。彼をもう少し早く見つけていれば、Z02との対処にも別の方法論が見出せたかもしれないのに。

 

「セルを支配下に置く精神性……。驚嘆に値するな」

 

「セルなら支配出来るって言うモデルケースが先にあったのなら、Z02に対して後れは取らなかったかもしれないな」

 

 やはり考えている事は同じか。サガラはオオナギのたゆたわせる紫煙を手で払っていた。

 

「しかし、コアは最後の宿主を見つけてしまった。その事実だけは消せない」

 

「契約解除なんて事が可能なのかどうかでさえも不明……。結局、俺達のやる事は今まで通りって感じだな」

 

 現場のエージェントからもたらされる情報を頼りにして、机上の空論だけで戦い抜くか。しかしそれではまだ足りない事を、サガラは実感していた。

 

「ジガルデセルとコア……この二つは自ずと引かれ合う……。コアが集まればセルも然り。今のところゾーンに大きな変化は見られない。コアの宿主達は沈黙を貫いている」

 

「見つかるのにビビってる、って言うよりかは、こっちの腹を試している感じか。食わせ者ばっかりだな」

 

 ザイレムの調査網はほとんどランセ地方全域に達している。それでもコアの残りの宿主二名を発見出来ないのは後手に回っていると言える。

 

「加えてセルは次々と宿主を見つけ出す。これではどれだけエージェントがいても仕方ないところでもあるな」

 

「そういや、そのエージェントから報告があった。こいつを知っているか?」

 

 オオナギの取り出した写真には水色のウィッグを被り、銀の服を着込んだ人影が写っている。胸元には「G」の矜持が輝いていた。

 

「……シンオウで猛威を振るった地下組織だな。確か、ギンガ団……」

 

「ランセ地方にもどうやら進出しているらしい。エージェントLとレオンからの報告にあった。ま、始末したって話だがな」

 

「軋轢を生む。他の組織との干渉は最小限にしておけと言っておかなければ」

 

「言ったさ。言ったが、眼前の羽虫は払う、って言うスタンスみたいでね。まぁ、手を下すのはレナのほうだが、レオンも看過出来ないって性格だ。奴さん方、いずれ、またこいつらとやり合いそうだ」

 

「面倒ならばこちらから話をつけろ、か」

 

「分かりやすくっていいが……ギンガ団はちと厄介だな。シンオウをほとんど支配下に置いているだけじゃない。一時期にカントーを支配していた組織との癒着もあったって聞く。カントー支部から手を引いたのは一人の少年トレーナーが強硬策に出たからだって風の噂だったが、それにしたってこいつらのネットワークはそれなりだ。ザイレムの強みって言えば、強豪エージェントを保持しているって事くらいだからな。情報面では劣るかもしれん」

 

 オオナギの結論に、だとすれば、とサガラは言葉を絞っていた。

 

「余計に、だろう。勝たなければならない。我々は、この生存競争に。それを阻むのならば、ギンガ団とて敵だ」

 

「頼もしい事だな、室長殿」

 

 茶化したオオナギにサガラは身を翻す。

 

 ここで共有すべき情報は既に仕入れた。後は、結果を待つだけだ。そう考えた背中へとオオナギが声を振るう。

 

「……トゥエルヴとは会ってきたのか?」

 

「上の嫌がらせだ。私をどうこうするために、あれは必要なのだろう」

 

 手の甲に浮かんだスペードの文様をサガラはさする。疼いた痛みに瞑目していた。

 

「上は焦っている。ゾーンのエネルギーを一刻も早く得たいって寸法だろう。それには俺達の仕事の遅さが癇に障るのさ」

 

「お歴々は何がしたいって言うんだ。ゾーンのエネルギーを得たとして、では何のために――」

 

「そこから先は、施設内では言わないほうがいいな」

 

 同意であった。ここで口にした疑問は即座に上へと共有される。下手に刺激してまた査問会に呼ばれたのでは話にならない。

 

「……データ感謝する」

 

「いいって事よ。しかし、全てのスートに寄生されていても自我を保つってのは、一体どういう心地なのかねぇ」

 

 オオナギの疑問にサガラは応じていた。

 

「きっと、それこそが強者にしか分からぬ領域なのだろうさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一宿一飯のお礼に、と少しでも金を払おうとしたが、二人の母親は断っていた。

 

「いいのよ。ノノとネネも帰ってきたし、それにお世話になったみたいで。こっちがお礼をしたいくらいだから」

 

 ノノとネネは二人とも姿を見せない。どうしてなのだろうか、と訝しんでいると、母親が声を潜めた。

 

「……それよりもエイジ君だっけ? ネネが随分とご執心でごめんねぇ」

 

「え……いや、僕は別に……」

 

 ネネからそのような素振りはなかったような気がするが、ノノがどう説明したのか謎である。リッカが肘で小突いていた。

 

「さっさと行きましょう。カエンシティのシティロビーに出向かないと」

 

「おや、シティロビーに行くのかい? だったら、これを持っていくといい」

 

 手渡されたのはボール一式であった。エイジは覚えずそれを拒む。

 

「受け取れませんよ……高額なボールもありますし……」

 

「持って行っておくれ。二人からの手向けだと思って」

 

 ノノとネネ、二人がもう旅に出ないからこそ、自分達に託したいのだろうか。リッカが代表して受け取っていた。

 

「ありがたく頂戴します」

 

 ノノとネネの母親と妹達が自分達を見送る。エイジは手を振ってから、ふぅと息をついていた。

 

「……いい人達だったね」

 

「そうね。でも、カエンシティがこんなにも貧困層に厳しい街なんて、今の今まで思いも寄らなかった」

 

「……思ったより僕らの見ている世界は狭いのかもね」

 

(ンな事はどうだっていい。エイジ、それにメスガキ。この街に用がないのなら、さっさと行くぞ。昨日の連中の報復だってあり得る)

 

 ダムドの言う通りだ。ギンガ団があれで諦めるとは思えない。

 

「……厄介な連中と、また喧嘩したってわけ」

 

 呆れ返ったリッカにエイジは言いやる。

 

「相手が仕掛けたんだ」

 

「それでも、ザイレムって言うただでさえわけの分からない連中に追われているのよ? もう少し自重すれば……」

 

 リッカが言葉を止めたのは、表通りの噴水公園で待つ二人の影を目にしたからであろう。エイジも二人を認めるなり目をぱちくりとさせた。

 

「あっ、エイジさん、リッカさん! 待っていたっすよ!」

 

 ノノが駆け寄ってくる。ネネがその背中に続いた。

 

「あの、何か……」

 

 戸惑うリッカにノノは強く口にしていた。

 

「ノノ達、もう一回、旅をしようと決めたっす!」

 

 思わぬ言葉にエイジはまごつく。ノノは構わず続けていた。

 

「自分達の世界が、思ったよりも狭いって分かったからなんすけれど、何よりも……エイジさんに憧れる気持ちがあるからなんす! ノノ達も誰かを助けたい! そうして、道を切り拓きたいんす!」

 

 エイジは瞠目して言葉を仕舞う。

 

「で、でも僕は、大した事なんて……」

 

「それに関しては、ネネからあるみたいっすよ?」

 

 ネネが歩み出てエイジの手を握り締める。その行動にどぎまぎしていると、ネネが口を開いていた。

 

「エイジさん……。ネネ、エイジさんみたいな人になりたいんです。誰かを助けられたらって。だからそのために、もう一回、旅に出ようってノノを説得して……。迷惑……ですか?」

 

「いや、全然。だってそれはネネちゃんの決めた事だろう?」

 

 ネネは微笑み、エイジの手の甲へとそっと手を翳す。

 

 瞬間、手渡されたのはジガルデセルであった。思わぬ贈り物にエイジとダムドは困惑する。

 

「これは……」

 

「ネネが持っていても仕方ないですし……それに、エイジさんには必要でしょう?」

 

(確かにセルが一個でもあれば助かるが……。ってこの声も聞こえているのか?)

 

 ネネはその証明のように自身の耳に指をやっていた。

 

「……エイジさんが、ネネ達では及びもつかないほどの戦いをしているのは、何となく分かりました。だからこそ、ネネ達だって負けてられない。そう思えたんです」

 

「っていうわけで、ノノ達も旅に出ます。お母さんにはもう言っておいたので、大丈夫っすよ!」

 

 その言葉にリッカはへぇ、と感嘆の息をつく。

 

「諦めないって決めたんだ?」

 

「ええ。諦める前に、まだ出来る事があるはずだって。だから、エイジさん。また旅先で出会えればよろしくお願いします」

 

 ネネが頭を下げる。エイジは頷いていた。

 

「うん。僕達も会えるの楽しみにしている」

 

 瞬間、ネネが顔を上げ、頬に口づけを寄越す。思わぬ行動にエイジが認識した時には、二人は離れていた。

 

「あーっ! ネネってばずるいっす! ノノもー!」

 

「エイジさん。また」

 

 微笑んだネネが走り抜けていく。エイジはしばし放心していたが、やがてリッカが声にしていた。

 

「……キスされちゃったわね」

 

(されちまったな)

 

 二人分の糾弾にエイジは困惑する。

 

「いや、その……! 僕にその……そういうつもりはなくって……!」

 

「慌てるところがまた怪しいんだから。まぁ、いいんじゃない。旅の餞別、でしょ」

 

「えっと……怒らないんだ……」

 

「何であたしが怒るのよ。変じゃない」

 

 どこか拍子抜けの感覚を味わいつつ、エイジは頬に感じた体温をどこか引きずっていた。

 

(ま、懸念事項だったセルの回収も出来た。これに勝る事はないんじゃねぇの?)

 

 それもその通りだが、エイジはどこかつっけんどんなリッカの態度が気になっていた。ノノとネネがまた旅に出るきっかけを作れたのならばそれに勝る事はない。しかし、リッカはつんと澄ましてこちらに視線を向けない。

 

「あの、さ、リッカ。シティロビーに関して、ダムドに説明してやってよ」

 

「何であたしが。あんただってスクールで学んだでしょ。あんたが説明しなさいよ」

 

 二つに結い上げた髪を振るい、リッカは視線を合わせようともしない。はぁ、とため息混じりにエイジはダムドへと言葉を投げていた。

 

「ダムド。ジェネラルレベルに関しての説明は……」

 

(ああ、テメェを助ける時にメスガキからそれなりには聞いたが。ジェネラルレベルで行ける街が限られちまうんだろ?)

 

「そう……。僕が6、リッカが4だから、必然的に試験を受けないと上級の街には行けないんだ。まぁ、他の地方で言うところのジムバッジに相当するのかな。だから、強さに準じて旅で行ける範囲も異なるわけで……」

 

「ハッキリ言っちゃえば? 4と6じゃ、南方の街を行くのが精一杯だって」

 

 どこかしら苛立ちを覚えているようであった。エイジは刺激しないように口にする。

 

「うん、まぁ。つまるところ、いずれはまた試験みたいなのを受けないといけないっていう制度なんだ」

 

(メンドーな制度だな。最初からどの街にも行けりゃいいのに)

 

「そうじゃないのは、やっぱりこのランセ地方の成り立ちに影響しているんだろうね。一国一城を争った動乱の時代があったからこそ、優れた土地に赴くのには優れた人間、って言う、どこか優生学に近い考え方が根付いたんだ。だからジェネラルレベルがそれなりに引き合いに出されるって事」

 

 そもそもランセ地方では頻繁に争いが起こっていたとも聞く。戦乱の時代には、それこそそこいらで争いの火種が勃発していたのだ。それが近代になって終焉したとは言え、やはり土地に住む人間の考え方の根幹までは変わらない。

 

 強い者が生き残り、弱者は虐げられる。

 

 無論、誰も表立ってその理を口にはしない。野蛮人の原理だからだ。しかしながら、それでもジェネラルと言う制度が何よりも雄弁に物語っている。

 

 この土地では強い者が全て。だからこそ、勝ち続けなければならない。

 

「ランセ地方には他の土地で言う、野良トレーナーっていないんだよ。みんな、ジェネラルレベルで統一されているから。だからポケモンバトルも、公の場以外では出来るだけ控えるべしって言う教訓もある。もちろん、守っているのは一握りだけれど、それでもジェネラルレベルで相手の強さをはかれるのは大きいはずだよ」

 

(言っちまえば、レベルの高い相手に歯向かわないようにするために制度だろ? そりゃ、みんながみんな、牙を抜かれたみたいになるワケだぜ)

 

「別段、そうでもないんだ。ポケモンバトルに関して言えば、他の地方よりも進んでいる面もある。それがこのポケッチによる電脳通貨制度かな。端末で勝利した場合や敗北した場合の賞金処理は成されるから、借金とかにはならないし、負けたからって法外な金額を払う事もない。ポケモンバトルにだけ言えば、他の地方の発展している点を、きっちりと踏襲している。だから、地下組織とかは出来辛いはずなんだけれど……」

 

 濁したのはやはりギンガ団の存在だろう。隣町なのにまるで気づけなかった。否、気づいていたとしても何も出来ないだろう。

 

 それほどまでに、ランセ地方で地下組織の活動経歴は薄いのだ。いざ戦うとなっても、皆が皆、どこか他人事を決め込むのはそれもある。

 

 他の地方を引き合いに出すまでもなく地下組織との争いになど誰も首を突っ込みたくはない。その証のように、人々は見て見ぬ振りを貫く。

 

(だが、ギンガ団やザイレムみたいな連中は闊歩している。何てこたぁねぇ、見ないようにしているだけじゃねぇか。臆病者集団が)

 

 言われると言い返せない。臆病者と揶揄されても仕方なかった。

 

「でも、ジェネラルレベルさえ上げれば、裏を返せばそこいらのごろつきは寄ってこないんだよ。だから上げなきゃいけないって事。今から行くシティロビーがその場所に相当するんだ」

 

(ジェネラルレベルを上げられる施設か?)

 

「……と言うよりも、レベルの確認ね。ジェネラルには特定時期までにレベルの再申請を行わないと勝手にレベルの繰り下げが行われちゃうのよ。まぁ、いつまでも強いかどうかの判断を、昔の栄光に縋られたんじゃ困るって事ね。だから、シティロビーはジェネラルレベルの客観的査問機関に相当するのよ」

 

 沈黙するダムドにエイジはてっとり早く言いやる。

 

「まぁ、言っちゃえば、ジムバッジを他の地方では集めるだろ? それの簡易版だよ」

 

(ンだよ、小難しい事言って、結局は他の地方のやり方に準じているんじゃねぇか)

 

「まぁ、どちらかと言えばアローラに近いかしらね。バトルだけじゃない場合もあるし、査問試験はその時々によって違うから対策も練れない」

 

(なるほどな。エイジは上がったのが最近だから申請しないでいいが、メスガキは最近じゃねぇから再申請が必要って事か)

 

「平たく言えばね。……あとメスガキ言うな」

 

(いずれにしたって、そのシティロビーってのに行くのに時間がかかるのか。エイジ、何か別の事をしようぜ。建設的じゃない)

 

「いや……僕も何をすべきなのか……」

 

「頬っぺたにキスされちゃって浮かれてるのよ」

 

 ぷいと視線を背けたリッカにはかける言葉が見つからない。ダムドも何を誤解したのか、そういうもんか、と納得する。

 

「なに二人とも納得してるのさ。僕は、別に……」

 

(いずれにせよ、エイジ。テメェは戦い方を学ぶ前に、まずは戦力の拡充だ。このままじゃ明らかに頭打ちが来る。その前に、ポケモンは捕まえておくべきだぜ)

 

 ダムドの論調はもっともだ。ルガルガンだけではこれから先、勝てない。

 

 それは嫌と言うほど思い知った。

 

「でも、どんなポケモンが僕に合っているのか……」

 

 思案を浮かべたエイジは、まだ朝方だと言うのに、視野の中を横切った流星を目にしていた。

 

「……流れ星?」

 

(いやに低いな……。あれは流れ星じゃねぇ)

 

 そう断言されたその時には、カエンシティを激震が見舞っていた。覚えずよろめいたエイジは地に突っ伏す。

 

「何が!」

 

「……何かが……落ちた?」

 

 カエンシティ中央部から黒煙が上がっている。何かが起こった。それだけは確かである。エイジは即座に立ち上がり、駆け抜けていた。

 

「ちょ、ちょっと! エイジ?」

 

「まさか……ギンガ団か……?」

 

 脳裏に浮かんだのは昨夜のギンガ団の破壊工作である。ダムドも心得ていたのか、内奥より声にする。

 

(……あり得ない線じゃねぇな。戦うのに、しかしエイジ。手は出し尽くしているぜ)

 

 今のままでは勝てないと言いたいのだろう。無論、それは分かっている。分かっていても――。

 

「……誰かが傷つくのを、もう見たくない」

 

(やれやれだ。聞かん坊だな、テメェは)

 

「……よく言われるさ」

 



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第四十六話 獅子との邂逅

 返答し、路地を折れたエイジはカエンシティ中央部に燻る何かを視野に入れていた。

 

 幸いにして被害者はいなかったようだが、飛来してきた何かに全員がまごついている。

 

「何が起こった!」

 

「隕石だ! 隕石が落下した!」

 

 その言葉にエイジは疑問符を挟んだ。

 

「隕石……? そんな事って……」

 

(あり得るのか? いやそもそもあれは……)

 

 警戒姿勢に入ったダムドにエイジは問いかける。

 

「分かったのか?」

 

(あれは……ポケモンだ)

 

 断じられたその刹那、落下地点より浮かび上がったそれが砂塵を纏いながら疾走する。思わぬ物体に誰もが呆気に取られているようであった。

 

「あれは……」

 

 エイジはダムドの言葉があったためか、その対象を追いかける。確かにただの隕石ではない。明らかに障害物を認識し、それらを回避して街を混乱に陥れている。

 

 それだけではない。

 

 纏っていた砂塵が晴れ、そのポケモンの姿が露になっていた。

 

「……何だあれは。岩の……塊?」

 

 そうとしか言いようがない。そのポケモンは岩そのもののような形状を伴いながら、街頭を抜けていく。

 

 やがて至ったのは工場区画であった。

 

 思ったよりも速度が遅いのが幸いしてか、エイジは追いつく。

 

 そのポケモンは眼窩と口腔部に見える落ち窪んだ部位から声を発していた。

 

 威圧感にエイジはホルスターに手を伸ばす。

 

「ポケモンなら、始末するしか……!」

 

(エイジ。あれは見た事ねぇのか?)

 

 自分ならばポケモンの種類を言い当てられると判断しての言葉だろう。しかし、エイジは断定出来なかった。

 

「……何となく、似たものは何個か挙がったけれど……でも決定打に至らない。何よりも、あれの纏っているのが……」

 

 そう岩の塊にしか映らないポケモンの纏っているのが、そこいらから寄り集めたガラクタや信号機、さらに言えば車のバンパー看板まで多岐に渡っているのだ。

 

 ノイズが多過ぎて自分では判断出来ない。恐らく、と思える個体はいるものの、断定は難しかった。

 

(……なら、オレにやらせてくれ)

 

 思わぬダムドの言葉にエイジはうろたえる。

 

「ダムド? でも、お前じゃ……」

 

(オレだって人並みにゃ、昨日の事を気にしてる。エイジ、テメェはギンガ団相手に、自分を通した。オレも、通してぇんだよ。テメェと契約した身だ。足手纏いはゴメンなんでな)

 

 ダムドにも思うところはあると言うわけか。エイジは一つ頷いて彼に身を任せていた。

 

「……ああ。頼む」

 

 次の瞬間、感覚は消え失せ、意識は深層へと潜る。

 

「――それなりの使い手名乗るんならな、負け試合なんて引きずってられねぇんだよ!」

 

 繰り出したルガルガンもまるでダムドの闘争心を引き移したかのように眼光に鋭さを滾らせていた。ダムドは手を払って命じる。

 

「まずは小手調べ! ストーンエッジ!」

 

 ルガルガンが地面を拳で打ち鳴らし、コンクリートで壁を構築したかと思うと、それらに対して一斉に拳を打ち込んでいた。無数の拳の応酬が岩石を散弾と化させる。

 

 殺到した岩石の散弾を相手は一身に受けるかに思われた。だがそれを裏切るかのように、敵ポケモンは身体を翻しただけで、風の流れを変位させる。

 

 旋風が掻き消され、ダムドは舌打ちする。

 

「……岩をどうこうしたんじゃねぇ。風を変えたな? つまり、飛行タイプに近い特性を持つってわけだ。エイジ、分かるか?」

 

(待ってくれ。……見た目はまるで岩で、それに加えて飛行だって……? 岩・飛行なら化石ポケモンを除けば、それは一種類だ。該当するのは……そうか。あれはメテノだ!)

 

 導き出した答えにダムドは敵を睨む。敵性ポケモン――メテノは身体を返して浮遊する。

 

「メテノ……? 強いのか?」

 

(データに乏しい。標高の高い山や、隕石に紛れて落ちてくるって言う、別名流れ星ポケモンだ。アローラで確認された、って言うけれど、僕も詳しくは分からない。でも、まさかランセ地方に落ちてくるなんて、多分例がない)

 

「じゃあ、早い話、誰も持ってねぇ。そういうこったな?」

 

(……ああ。多分、誰も……。ダムド?)

 

 疑問を挟んだその時には、ダムドはモンスターボールを指の間に挟んでいた。その行動にエイジは困惑する。

 

(何をする気だ?)

 

「ジェネラルがポケモン相手にボールを掴むってのは、意味するところくらいは分かるんじゃねぇか?」

 

 その言葉振りにエイジはメテノを改めて観察する。

 

(捕獲するって? ……確かに例のないポケモンだ。珍しいと言えば珍しいけれど……)

 

「だろ? 対策も練られ辛い。なら、お眼鏡にかなうってもんさ! 来い、メテノ!」

 

 投擲されたボールがメテノへとぶつかり、その内部へと吸収する。メテノはほとんど抵抗せず、モンスターボールが左右に揺れたのもほんの一瞬であった。

 

 捕獲成功の合図である音が聞こえ、ダムドは拳を握る。

 

「よっし! これで戦力は拡充出来たな!」

 

 満足げなダムドに、しかし、とエイジは言葉を挟んでいた。

 

(ダムド……。でもメテノは、岩・飛行だ。これじゃ、ルガルガンと被るんじゃ……)

 

「心配すんな。オレなりに考えての行動さ。ルガルガンを最大限に活かすために、飛行タイプは欲しかったところだ」

 

 その赴く先はさすがに一心同体の自分でも分からない。エイジは戸惑いつつも、まぁ、と納得しようとする。

 

(ひとまず前進、かな)

 

「敵が雁首揃えてきたら、さすがに勝てるかどうかは怪しいからな。二体は欲しかった。それだけだ。返すぜ」

 

 思わぬ形で自分の身体が戻ってきてエイジはたたらを踏む。

 

 手にしたメテノのボールにエイジは後頭部を掻いていた。

 

「……何だかなぁ。岩タイプじゃ、活躍するのは難しそうだけれど……」

 

(グダグダ言ってんな。いいんだよ)

 

 そこはダムドを信用すべきなのだろうか。エイジは決めかねて身を翻そうとした、その時であった。

 

「――エイジ君、だね」

 

 知らない声にエイジは振り返る。眼前に佇む青年の姿に、覚えず息が詰まった。

 

「……何で……」

 

 金髪に精悍な面持ち。眼差しは王座の風格を宿し、自分を見据えている。その立ち振る舞いから逃げ出せず、エイジは後ずさる事も出来なかった。

 

「エイジ君。君の事は聞いた。いくつかの事実と、いくつかの証言。そして、いくつかの物証も。君は……」

 

 紡がれる言葉の一つ一つがどうしてだか重々しい。そうだ、本来、ここにいないはずの相手だ。どこか遊離しているのも頷ける。

 

 その名前を、辛うじてエイジは紡ぎ出していた。

 

「……ジャックジェネラル。レオン……」

 

「知っているのか。光栄だな。もっとも、こう言えばいいのだろうか。知っていてもらって好都合だと」

 

 どうして、そのような大人物が自分の事を知っている、否――まるで怨敵のように睨みつけているのか。まるで分からずようやく後ずさろうとしたエイジにダムドが内側より声を発していた。

 

(エイジ! こいつ……セルの宿主だ!)

 

 まさか、とエイジは硬直する。すると、レオンもその声が聞こえたのか、岩石のように厳しい面持ちの中に何かを見出していた。

 

「ほう、分かるのか。いや、分かるらしいな。どうやらそういう風に出来ているらしい。ジガルデ……その因子を持つ者同士は引かれ合う。それがどのような運命のいたずらめいていたとしても」

 

(こいつ……オレらをやりに来たのか!)

 

 構えたダムドにレオンは頭を振る。

 

「そう、警戒しないでくれ。……と言うのも無駄か。君達はここで、俺に出会う事は全くの意想外であろう。ある意味では不幸と、言い換えてもいい。だが、俺の役目は果たさせてもらう。それがどれほどに理不尽でも、君を救うのに、これ以外の最適解は思い浮かばなかった」

 

 至近まで歩み寄ってきたレオンに、エイジは後退する事も、ましてや前進する事も出来ずに、固まっていた。

 

 そんな自分に声が振りかけられる。

 

「エイジ君。俺に、ジガルデコアを譲渡するんだ」

 

 思わぬ宣言にエイジだけではない。ダムドも驚愕し、声を荒らげていた。

 

(何言ってんだ! テメェ! コアをやるなんて出来るワケねぇだろ!)

 

「……口の悪いジガルデコアだな。だが、それも想定内だ。エイジ君、君には二つ……選択肢がある。ここで俺に、ジガルデコアを譲渡し、何も、そう何も問題なく……日常に帰るか。あるいはもう一つ。こちらは決して賢しいとは言えないのだが……俺と対立し、ジガルデコアを渡さないか。二つに一つだ。選ぶといい」

 

 そんな、と呼吸音と大差ない声が漏れる。決められるはずがない。突きつけられた二択はどこまでも無情にエイジを追い込んでいた。

 

 しかし、ダムドは迷う事はないと告げる。

 

(あいつのセルをかっぱらう! そんでもって、オレ達の支配領域を増やすぞ! エイジ! ルガルガンをもう一度出せ! あいつのクソ生意気な喉笛、噛み千切ってやる!)

 

「でも……僕は……」

 

「震えているな。怖いのなら、前者を選ぶといい。それで君は、救済される」

 

 レオンの声に、戦闘の気配はない。それどころかどこまでも冷静に、事柄を俯瞰しているように思えた。

 

 今の自分に扱い切れぬジガルデコアとジガルデセル。それを持て余すくらいならば、上級ジェネラルに引き渡したほうが、いいのではないか、と。

 

 帰結する結論にダムドが声を張った。

 

(おい、エイジ! まさかこんなクソ野郎に、オレを渡そうだとか思ってんじゃねぇだろうな! オレは願い下げだぜ! こいつの軍門に下るくらいならよ、セルを全部放出して逃がしてやる!)

 

「それは困るな、エイジ君。どうかその、口汚いジガルデコアを説得してくれないか。俺なら、やれる。俺ならば、ジガルデコアと契約しても、その誘惑には負けない」

 

 その言葉の説得力に、エイジは圧倒されていた。レオンならばダムドを使いこなす。その予感がどこか現実味を帯びてくる。呼吸困難に陥ったように、エイジは言葉を失っていた。赴くべき言葉を見失ったエイジにダムドが激しく言いやる。

 

(エイジ! 何迷う事があるんだ! こいつにコアを渡したら、テメェは死ぬかもしれねぇんだぞ! オレ達は運命共同体! 違うのかよ!)

 

 その言葉にようやくエイジは自分を取り戻していた。そうだ。ダムドと共に在ると決めた。だと言うのに、強者の言葉一つでこうも揺り動かされてしまう。

 

 それはジャックジェネラル、レオンの圧倒的な存在感もあっての事だろう。彼は自分に対して、何か申し訳ないとも思っている風でもなければ、この決断に逡巡を浮かべたわけでもない。

 

 ただ、使命として、それを全うする。

 

 一つの志を前にすれば、こうも自分の決意なんて……。

 

「エイジ君。君が迷うのも分かる。そのジガルデコアに、助けられてきたものもあるのだろう。しかし、それ以上に、その力は災厄をもたらす権化だ。そんなものを放置していいのか? このまま、何もなかった事にしていいと言うのか? 俺は異を唱える。君が出来ぬ事、難しい事を俺が肩代わりしよう。それで救われるものもあるはずだ」

 

 救われるもの――自分が宿主であるよりもレオンが宿主に成り代わったほうが、ダムドは目的を滞りなく遂行出来るかもしれない。ともすれば、彼の野望に一番近い位置に、レオンはいるのかもしれなかった。だが、何かが決定的に拒んでいる。

 

 ここでダムドをむざむざと明け渡して、それで終わりでいいのか。

 

 それで、自分は納得するのか。

 

「……出来ません」

 

 言葉にしたのは自分でも掠れた声であった。レオンは小首を傾げる。

 

「何故だ。そのジガルデコアは君には手に余る。俺が使えば、少しは従順のはずだ。誰かを巻き込む事もない。……勝手ながら、昨夜、君がギンガ団と戦ったのを見ていたよ」

 

 思わぬ言及にエイジは鼓動を跳ねさせた。

 

「……それが何だって……」

 

「未熟だ。あれではこれから先、戦い抜けない。ルガルガンの能力に頼り切った、新米ジェネラルの戦いぶり。俺ならば、もっとうまく、彼らを制する事が出来た」

 

 きっと、同じ条件、同じ状況でも、レオンならば最適解を編み出す事が出来るのだろう。それは、分かっている。分かり切っているのだが、エイジはここで承服を呑み込めなかった。

 

「……だからって、あなたは僕になれない」

 

 その一言にレオンは、なるほど、と言葉を仕舞う。

 

「それもその通り。少しばかり、強硬が過ぎたかもしれない。今は、顔見せだけだ。だが、早いうちに君の意思を確認しておきたい」

 

 レオンはメモを投げていた。エイジは足元に落ちたそれを手に取る。

 

「そのメモに書かれた場所に、覚悟を決めて訪れるといい。その時、君がどう決断するのかは、自由だ。しかし、もし敵対するのならば、容赦はしない。ジャックジェネラルとして、そしてザイレムのエージェントとして、君と戦おう」

 

 敵として、ジャックジェネラルが屹立する。

 

 その事実にエイジは目を戦慄かせていた。

 

 彼が立ち去ってからようやく、エイジは言葉にする。

 

「……僕の次の敵は……この地方の頂点に立つジャックジェネラル……」

 

 その事実があまりに現実から遊離しているように思われていた。

 

 



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第四十七話 戦士の宿命

「どうして、手を下さなかったのです?」

 

 レナの問いかけにレオンはナンセンスだと返していた。

 

「今の彼には覚悟がない。そんな相手に、強襲するなど俺のポリシーに反するのでね」

 

「ですが、相手はコアの宿主。たった数時間であっても、その性能は変化する可能性があるのですよ」

 

「エージェントとしての言葉か。それはもらっておくが、俺は彼に対して、どこか羨ましいと思っているのかもしれない」

 

 胸中の感情を手繰ったレオンにレナは問い返していた。

 

「羨ましい? このランセ地方で、ほとんど全てを手に入れているに等しい、貴方が?」

 

 信じ難いのだろう。レオンは、フッと笑みを浮かべていた。

 

「全てなんて手に入れていないさ。俺が持っているのは、俺の努力の上にある結果のみ。だから、彼のように選ばれた存在、というものには心惹かれる」

 

「貴方だって、存分に選ばれた存在でしょう?」

 

「分からないかな。俺は選んだ。彼は選ばれた。その明確なる違いを。……いずれにせよ、コアと言うからには相当な強さだと思っていただけに、口ばかり回る相手で少し落胆したな」

 

「貴方の敵ではないのでしょう? 何で回りくどい真似を?」

 

 確かに、あの場でエイジを襲い、そしてコアを強引にでも奪えば全ては足りた。しかし、それは自分の信念に反する、という事実と、そしてもしもの可能性を視野に入れていた。

 

「もし……コアを取り出したとしても、ジガルデが俺を拒む可能性もある」

 

「そんな事……」

 

「ないとは言い切れまい。だからこそ、俺は彼と正当なる勝負で向かい合い、そして勝利する。そうすれば、彼もジガルデコアも、俺を認めざるを得ない。勝利者である俺を……」

 

 その時、内奥で疼く闘争本能にレオンは奥歯を噛み締めていた。身体を強張らせ、胸元を掻く。

 

「レオン様? まさか、セルの衝動が?」

 

「……大丈夫だ。コアと接触したせいか、少し昂ぶったようだがね。もう収まっている。それに、俺はこの胸に宿した、いくつものジガルデセルを手中に置いている。それも自信の一つではあるのだが、何よりも、俺が目的とするのは彼の救済だ」

 

「救済……。ですがコアによって穢された存在です」

 

「かもしれない。だからこそ、だよ。俺はエイジ君、彼を救わなくてはいけない。力による一方的なものではなく、正当なる戦いの上で、盤面を通して、彼を屈服させる。そうする事でのみ、俺はジガルデコアの宿主として選ばれるであろう。そう、俺はあのジガルデコアに、選ばせてやる」

 

 従うべき存在は何か。それを分からせた上での交渉に持ち込めばいい。

 

 レナはため息をついて、尋ねていた。

 

「……サポートは?」

 

「要らない、と言いたいところだが、彼との真剣勝負に立ち入る相手を阻んで欲しい。それだけだ」

 

「本当に……貴方は戦いにおいて余計な感情を差し挟まないのですね」

 

 その言葉にレオンは当然だろうと返していた。

 

「それこそが――真なる戦いというものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝手に駆け出した事をリッカに咎められたが、エイジは言い出せなかった。

 

 レオンとの邂逅。そして、ジガルデコアを賭けた真剣勝負。ポケットの中に握り締めたメモに、エイジは面を伏せる。

 

「……エイジ? そりゃ、あたしも言い過ぎたかなって思うけれど……、何かあった?」

 

「いや、何でもない。メテノをどう使うのか、ちょっと考えていて……」

 

「呆れた! あんたってば本当に勝手なのね!」

 

 そう思われるくらいでちょうどいい。何よりも、リッカを巻き込むわけにはいかなかった。

 

「……まぁいいわ。シティロビーに行くから、あんた達はどうするの? 同行するって手もあるけれど、時間を潰す? そうするんなら、合流時間を決めておかないと」

 

(時間がかかるのか?)

 

「それなりにね。せめて、あんたらと同じ、ジェネラルレベル6には昇級するか、あるいは4の実力を見せないと。即時剥奪はないとしても、これから先、やりにくくなるんだから」

 

 リッカの戦いに口を挟むわけにはいかない。エイジは促していた。

 

「じゃあ、どこかで合流しよう。その時に、また……話すよ」

 

「エイジ?」

 

 違和感を覚えているはずである。何年一緒にいると思っているのだ。この程度の嘘はすぐにばれる。

 

 だが、ここでは意地を通したかった。

 

 ジャックジェネラル、レオンとの決闘は自分達だけの問題だ。だから、リッカだけはこの戦いに不安要素を持ち込んで欲しくない。

 

「……言いたくない事があるのね。まぁ、あんたがそういう態度を取った事は何度もあるし、今さらって感じよ。……ちゃんと終わったら話してよね」

 

 その時には、自分はもうダムドの宿主ではなくなっているかもしれない。ともすればコアを奪われて死んでいるかもしれないのだ。

 

 それでも、エイジは言い出せなかった。

 

「うん。その時には……話すよ」

 

 リッカは嘆息をつき、シティロビーへと向かう。カエンシティの煉瓦造りの建築物の中で一際大きな存在感を放つのがシティロビー――その名の通り、街の中心部である。

 

 豪奢なカロスの建築様式が取り入れられた城壁はかつての動乱の時代の残滓なのだと聞く。

 

 一国一城をブショーが争い、戦った城の跡が、現在のシティロビーの舞台となっているのだ。

 

「……ちょっとばかし緊張するわね。カエンシティだから、確か炎使いか。相性はいいはずなんだけれど……」

 

(他の地方で言う、ジムリーダーなんだろ? さっさと戦って来いよ)

 

「簡単に言ってくれるわね。言っておくけれど、負けたら前に進めないのよ?」

 

 その言葉にダムドはふんと鼻を鳴らす。

 

(だから何だってんだ。死ぬわけでもあるまいし)

 

 ダムドの口から、死ぬと言う言葉が出てエイジは胸を痛ませる。彼も予見しているのだ。レオンとの戦いの果てに、ともすれば死が待っているかもしれないと。

 

 しかしリッカはその言葉振りに肩を竦めた。

 

「大げさな物言いね。……まぁ、確かに死ぬわけじゃないわ。でもね、名誉ってもんがある」

 

(名誉だぁ?)

 

「そうよ。ジガルデコアにはあるのかないのか分からないけれど、名誉。まぁ誇りね。ジェネラルとして、戦い抜くって決めた、そういう名誉。それって大事じゃない? 結構」

 

 リッカは自分より遥かに早く、ジェネラルとしての道を決めていた。だからこそなのだろう。彼女の浮かべる希望が、今は少しだけ眩しい。

 

 後ろ向きな自分達に比べて、リッカはどこまでも前向き。そして、未来を見据えている。

 

 それなのに、今、この瞬間の戦いに命を懸けられないのは、それは嘘ではないのか。

 

 自問自答の中で、エイジは一つだけ言葉を搾っていた。

 

「……リッカ。もし、自分の今までのやり方全部、間違っているって言われたら、その時はどうする?」

 

 こんな事、戦いの前に聞くべきではなかったのかもしれない。それでも、今聞かなくては、聞く機会を一生失ってしまいそうであった。

 

 リッカは腕を組んで考える仕草を挟んだ後、うんと答えていた。

 

「それ言ってきた奴、ぶちのめす。それだけよ。だって、あたしの決めた事に口出しするんなら、それなりの覚悟があっての事なんでしょ。だったら、気に食わなかったらぶちのめす。それが手っ取り早い」

 

(メスガキにはお似合いの頭のねぇ言論だな)

 

「あんただって……直情的でしょうが」

 

 ダムドの物言いにリッカは再び突っかかる。そのやり取りを他所にエイジは拳を握り締めていた。

 

「……決めた事に、口出しする覚悟……」

 

 そうだ。自分も決めた。ダムドと共に、ジガルデコアとセルを集める旅に出る事を。いつまでも最初の町で、足踏みをしている場合ではないのだと。それなのに、こんな最初で自分は困惑してしまっている。

 

 ――決めたら、貫き通す。

 

 簡単そうでこれはなかなか難しい。最後の最後までそれを全う出来るのか。

 

 全うする自信がなければ、むざむざ逃げ帰るのか。

 

 それは違う、とネネは思ったから、反抗した。

 

 そしてまたあの二人は旅に出た。己を知るため、そして、お互いをより深く理解するために。ならばそれは、称賛されるべきだ。

 

 戦いの果てに、何が待っているとしても、それを容認するだけの覚悟を。その胸に宿した闘争の炎は決して、容易く掻き消されるものではないと。

 

「……ありがとう。ゴメン、変な事聞いて」

 

「ホント、変。でも、……それだけでいいの?」

 

 もっと他に聞く事はないのか。もっと問いただすべき事はないのか。その最後の確認にエイジは頭を振っていた。

 

「今は、その答えだけでも充分だよ」

 

 勇気をもらえた。歩み進むだけの勇気を。ならば今度は示すのだ。

 

 覚悟とは、戦いの上に成り立つその結果。道筋に栄光はなくとも、果てには何かが待っている。

 

 絶望でも、希望でもどっちでも構わない。

 

 ただ、ここで真正面から己の運命に逃げないだけの勇気が欲しい。そしてその勇気の一端をリッカは与えてくれた。それだけで充分だ。

 

「……ダムドが変な事を言うんだったら、言いなさいよ。とっちめてやるんだから」

 

(それはこっちの台詞だ。とんでもねぇバカだと判断したら、こっちから切ってやるからな)

 

「何よ、口が減らない」

 

(お互い様だ。エイジ、行くぞ)

 

 ダムドは確認するまでもないらしい。エイジはリッカから身を翻していた。彼女の声が背中にかかる。

 

「もし! ……もし本当に辛かったら、無理はしないでいいんだからね! あんた達だって!」

 

 エイジはこの時だけは優しさには甘えないと決めていた。振り返らずに手を振る。

 

「大丈夫だよ。……今の僕には、それだけで」

 

 結果論であろうとも。道すがらに得た、ただの仮初めであったとしても。

 

 それでも自分で自分に課した事だ。ならばそれを果たさないで如何にする。

 

 充分に離れてからエイジはシティロビーへと入場したリッカを見送っていた。

 

(……エイジ。オレは後悔してねぇ。まだテメェに宿って短いが、それでも肝の据わった、そういう宿主だったって思うぜ)

 

「……何だよ。まるで死ににいくみたいじゃないか」

 

 茶化しても、笑い切れなかった。相手はジャックジェネラル。死ぬようなものだ。だが悲観ばかりで戦いが出来るものか。

 

「ダムド。僕は、怖かったのかもしれない。お前の力が僕を暴走させる。僕を……暴く。それが何よりも」

 

 自分の中の押し殺した欲求。押し殺してきた、これまでの道筋。それをダムドとの出会いが「暴いた」。

 

 たとえ要らない子供であっても、最底辺を彷徨う自分であっても――勝ち取りたい。そして選ぶのは、自分自身だ。他の誰でもない、自分なのだ。

 

 そんな些細な事に、ダムドは気づかせてくれた。

 

(……ンだよ。テメェだって死ににいくみたいな事言ってんじゃねぇか)

 

「いや、死ぬつもりはない。必ず、生きて……生きてそして勝ち取る。そうと決めたからお前と契約した。それが……今の僕に言える全てだ」

 

(……いいぜ。ぶつけてやれ、エイジ。テメェの今持っている、全てをな)

 

 そうだ。しゃにむでも、どれだけ無謀無策でもぶつけてやればいい。

 

 自分と言う、この脈打つ鼓動そのものを。戦いの中で。

 

 見据えるべきは決めた。

 

 戦いの相手はジャックジェネラル、レオン・ガルムハート――。

 

 



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第四十八話 押し上がるための

 

 ショウの舞台は整った、と最奥に位置する男は口にしていた。

 

 リッカは怪訝そうにそれを見やる。

 

「……カエンシティの使い手は、炎タイプだって聞いていたけれど」

 

「もちろん、その通りさ。そして炎ってのは人間の営みの中で作られてきた概念でもある。知っているかい? 炎がヒトと獣を分けた。炎の使い方一つで、ヒトは獣にも堕ちる」

 

「……概念を聞きに来たわけではないのだけれど」

 

「もちろん、存じているとも。ジェネラルレベル4の少女。リッカ、であったか」

 

「ジェネラルレベルの査定に来たのよ。御拝聴を窺いに来たんじゃない」

 

「急ぐなって。カエンシティではね、そうそうジェネラルレベルの査定は行われないんだ。何でかと言うと、ある程度の紙の試験だけで事足りる部分があってね。それは、ある種の功罪とも言える。他のシティから、文明的だって認めてもらうために」

 

 リッカは裏路地を思い返していた。人々は表だけを見ようとしている。それは何も精神性だけではなく、この街そのものの在り方なのだろう。

 

 カエンシティ――二つ目の街。自ずとその帰結する先はそれほどのレベルの場所ではないと言う判断に落ち着く。

 

「……カエンシティは、表だけ見れば文明的……。それを主張するために、筆記試験を主に?」

 

「答える義務、あるかい? ま、その通りなのだから笑えない。いずれにしたって、我輩と君は矛を交える運命」

 

 スポットライトが当てられ、赤いタキシードを纏った小太りの紳士が歩み出る。リッカはスッと見据えていた。

 

 相手はシルクハットを返し、一礼する。

 

「お初にお目にかかる。カエンシティ、ジェネラルリーダー、ハツヒデ。挑戦を受けよう」

 

「査定のはずよ。挑戦じゃない」

 

「だがね……我輩も退屈しているのだよ。少しばかりは遊んでくれたまえ。皆がペラ紙一つに躍起になって臨み、実地試験には目もくれないこのご時世……。主義者ではないが、動乱の時代のほうがよかったと、一面では思う」

 

 団子鼻の相手はふんと鼻を鳴らす。リッカは言い切っていた。

 

「それは文明の否定になるんじゃないの? 特に、ジェネラルリーダー身分だと」

 

「なに、ちょっとばかし窮屈なだけで結局はジェネラルリーダーは国家の制定した、ジムリーダーの代わりだ。いずれはこのシティロビーもポケモンジムに名を変え、そして職務は他地方の手慣れたジムリーダーが引き受ける。そういう宿命にあるんだよ、この地方は。いずれにしたって、他の地方の手を借りないとまともな文明国を名乗る事も出来ない」

 

 やれやれだ、とハツヒデは嘆く。それは主義? とリッカは問いかけていた。ここで問答する間も惜しい。

 

 エイジは何かをひた隠しにしている。それを解明するのに、自分の役目はさっさとこなさなければ。

 

 ホルスターからモンスターボールを外した自分に、ハツヒデは手を掲げる。

 

「……問答も惜しいのかい? 査定に来たのでは?」

 

「……進展しない話し合いに来たんじゃない。あたしは! 進みに来た! だったら、足踏みなんてしれられないもの!」

 

 その宣言にハツヒデは大きく頷く。

 

「分かるとも。逸る気持ちも、そして我輩の言葉に一喜一憂している暇もないのだと。だがね、我輩は違う」

 

 ハツヒデは片手を開き、その中に炎を浮かび上がらせた。ふっと息が吹きつけられた瞬間、炎が凝固しボールに変位する。

 

「マジックに付き合っている場合じゃない」

 

「マジック? これはそういう意図じゃないさ。そりゃ、君から見れば我輩のこの衣装もまるで奇術師、ピエロだろう。だがね、我輩は嬉しいんだ。久方ぶりに、本気を出してもいい。シティロビーではリーダーの出すポケモンは厳密には決められていない。それは相手のジェネラルレベルをはかる、という役割に準じているからだ。だから、どのレベルを出すのかは完全なる任意性。ゆえに、ここでは我輩も本気を出せる。行け!」

 

 繰り出されたのは真紅のポケモンであった。照り輝く内側の炎をたらこ唇から吹き出し、めらめらと燃える炎そのものの文様を身体に生じさせている。

 

「……ブーバーの進化系、爆炎ポケモン、ブーバーン」

 

「チャレンジャー! 我々は対等だ! 対等がゆえに、本気を出すのに躊躇いはない! そうであろう!」

 

 主の闘争心を受け、ブーバーンが炎を噴き出す。しかし、とリッカは仔細に観察していた。

 

 如何にジェネラルリーダーが使うポケモンには査問の対象外とは言え、ブーバーンは相当なレベルのポケモンだ。それを疑いもなく、本気で出す。その時点で相手はある種、正気ではない。

 

 途端、リッカは脈動を感じる。目を凝らしたその時、ハツヒデの肩を伝っていたのは、ゲル状の生命体であった。

 

 まさか、と目を見開く。

 

「……セルの、宿主……」

 

 それならばこの過剰演出も納得がいく。ダムドの話が本当ならば、ジガルデセルの寄生者は理性を維持出来ない。

 

 相手は本気で自分を倒そうとしている。挑戦者などと言う楔は関係なしに。

 

 ならば、こちらも本気で応じなければ押し負ける。リッカは手を払っていた。

 

「行け! フローゼル!」

 

 飛び出したフローゼルが体毛を逆立たせえ、身体の水分を弾き飛ばす。それを目にしてもハツヒデの闘争本能には変わりがないようだ。

 

「水タイプ! 理解しての事だと、想定するとも。だが嘗めるな。我輩とて、強い!」

 

 その言葉と共にブーバーンが動き出していた。拳を照り輝かせ、直後の攻撃が予見される。リッカは命じていた。

 

「屈んで一気に! アクアジェット!」

 

 姿勢を沈め、相手の渾身の薙ぎ払った拳を回避する。軌道上の空気さえも炎熱に染めたその一撃は「ほのおのパンチ」。フローゼルは尻尾を回転させ、瞬時に水の推進力を得ていた。

 

 弾き出されたフローゼルの一撃をブーバーンが腹腔で受け止める。

 

 決まった、と確信したリッカは直後、硬直したフローゼルに目を見開いていた。

 

「……アクアジェットを、止める……?」

 

「素晴らしい! 水タイプでの即座の応戦! これぞ戦い、これぞ戦よ! こちらの炎のパンチに屈せず、全力で攻撃してきたのは称賛に値する! だがね、これでは駄目だ」

 

 どこか醒めたようにハツヒデは手を開く。

 

「これでは我輩のブーバーンは沈まないし、それに嘗め切っているようだ。ジェネラルリーダーの素質というものを」

 

 ブーバーンが足元から発火する。それだけでフローゼルの体表に纏いついた水が水蒸気と化したのが伝わった。沸騰した己の水にフローゼルは慌てふためく。

 

 リッカは即時に離脱を命じかけて、ブーバーンの発する炎熱領域が拡大している事を察知する。そのあまりの広域射程に息を呑んでいた。

 

「……ブーバーンは、特殊攻撃型のポケモン……」

 

「見抜いたか! しかして遅い!」

 

 その身より放たれた炎熱の放射がフローゼルを押え込む。まるで灼熱の檻だ。フローゼルが空間に固定され、もがくもそれは虚しいだけである。

 

 ブーバーンがその巨大なる拳に、稲光を溜めた。まさか、とリッカは声にする。

 

「雷パンチ……。水対策を!」

 

「当たり前であろう、これもまた戦い。査問だからと言って嘗める気はないし、この戦いをただの査定の場とするつもりもない。やるのならば、それは誠意ある戦いを。ブーバーン、焼き切るのだ。雷――っ、パンチ!」

 

「させない! フローゼル! ハイドロポンプ!」

 

 手の中に溜めた水を一挙に放つ。しかし、ブーバーンはその程度では沈まなかった。それよりも、携えた稲妻が輝きを増し、水攻撃を蒸発させる。

 

「しかと受けよ!」

 

 その一撃が尾を引いて放たれる。リッカは瞬時に策を巡らせていた。

 

「泥かけ!」

 

 フローゼルが尻尾を回転させ、ブーバーンの視野を遮る。「かみなりパンチ」の一撃が僅かに逸れた。その瞬間を見逃さず、リッカはフローゼルに離脱を命じる。

 

「アクアジェット、逆噴射! 即座に離脱!」

 

 フローゼルが尻尾を回転させ、「アクアジェット」の推進力を上げて、高度に飛び上がる。これで少しは逃れたか、と思った直後であった。

 

 ブーバーンが稲妻の拳を回転させる。流転した電気エネルギーが拡散し、周囲へと放たれていた。

 

「……雷パンチのエネルギーに噴煙を上乗せさせて、広域射程を可能にするなんて……」

 

「即座に見抜いたその審美眼は褒めてやろう! だが射程内だ!」

 

 フローゼルを絡め取り、雷の鎖がそのまま打ち下ろされる。地面に叩きつけられたフローゼルへとブーバーンが肉薄する。リッカは守りでは足りないと判断していた。

 

「フローゼル、拳に水を溜めて、アクアブレイク!」

 

 水流が瞬時に拳へと固められ、フローゼルのアッパーカットがブーバーンを捉えかけたが、相手はその身より放った炎熱だけで遮断する。

 

「ブーバーンは身に炎の鎧を纏ったも同義! 攻撃は通用せぬ!」

 

「そう、だったら! その鎧を引っぺがせばいいのよね!」

 

 入った拳に水流が再度流転する。無数の弾道がブーバーンの頭上を覆っていた。

 

「……諸共か」

 

「そんなつもりはないわ! あたしが、勝つ!」

 

「片腹痛い! そんな攻撃で! ブーバーン! 噴煙で敵の攻撃網を完全に遮断!」

 

 ブーバーンの纏う炎熱はただの攻撃ではない。その身に燻る熱を一斉に放出し、そして攻勢へと転じる恐るべき技だ。

 

 それには一朝一夕ではない、ポケモンとの深い心の繋がりが必須となるであろう。

 

 その闘争心にジガルデセルが作用しているのか。今のハツヒデとブーバーンは通常のジェネラルとはまるで別の領域だ。

 

 ――これがジガルデセルの宿主との戦闘。

 

 ザイレムと名乗った組織が躍起になって集めているのも頷ける。これはポケモンと人間の楔を剥がす、別種の存在。横行すれば、ジェネラルとポケモンの制度そのものが崩れ落ちる。相手は秩序の崩壊を望んでいるのか、それとも現状を維持するための戦力としてジガルデセルを捉えているのか。それは判然としないが、今のリッカにとってブーバーンは越えなければならない敵であった。

 

 リッカは奥歯を噛み締め、フローゼルの攻勢一手一手を鑑みる。

 

 フローゼルの水の砲撃がブーバーンに突き刺さったが、やはりと言うべきか決定打には至らない。

 

「弱いな! その程度で!」

 

「ブーバーンの炎の鎧は堅牢……。通常攻撃では、ダメージがまるで通らない」

 

「その通り! 勝てると言う希望が潰えたか? ブーバーン、決めにかかる! フレアドライブ!」

 

 ブーバーンの纏っている炎熱が位相を変える。瞬時にその身を押し包んだこれまでにない熱量が視界に入った途端に、色相さえも変化させえた。

 

 ブーバーンの身体が赤色光に包まれ、これまでより色濃い焔が紫に染め上げる。その丸太のような腕が振るわれただけで、放出された炎熱が空間を歪めていた。

 

 炎タイプの高位技「フレアドライブ」。それを身に纏ったブーバーンはまさに炎の化身。両腕に装填されたのはそれそのものが高出力の弾丸であった。

 

 砲撃姿勢を取ったブーバーンが腕に炎を充填させる。

 

 それそのものが強大なる砲撃。放たれた火炎弾の攻撃に耐熱保護を剥がされたシティロビーの施設が震えた。

 

 高密度の灼熱がポケモンの閾値ではないと判断したのか、降り注いだのはスプリンクラーの水滴。

 

 霧の雨が降りしきる中で、水の網を蒸発させつつブーバーンの鉄拳が迫り来る。リッカは瞬時の判断を下していた。

 

「後退! そして防御を!」

 

「遅いな。その程度で! ブーバーンの能力は削れない!」

 

 炎の鎧を身に纏い、今や白熱の域に達したブーバーンの攻撃を止めるのに、フローゼルの水の壁ではあまりに足りない。

 

 構築した壁を蒸発させ、消し飛ばしてブーバーンが拳を見舞う。腹腔へと入った一撃にフローゼルが目を見開いていた。

 

「勝利者は我輩だ!」

 

 セルの闘争本能に打ち負けたジェネラルの末路か。あるいはこれこそが、ジガルデセルの生み出すポケモンと人間の楔を解き放つ機能か。

 

 ブーバーンの熱量に比例して、ハツヒデの闘争心が剥き出しになる。そのあまりの闘志にリッカは全てが足りないと判断していた。

 

 ――ここで勝つのには、投げ打たなければならない。

 

 己の力量、そして何もかもを覆し、全ての現象を掌握する強さを。

 

 ブーバーンが大きく腕を引く。間違いなく到来するのは「かみなりパンチ」の一撃。フローゼルを沈めるための布石が照り輝き、電磁を引いたその時であった。

 

「あたしの勝ちね、ジェネラルリーダー!」

 

 宣告にハツヒデが目を剥き、そして高笑いを発していた。

 

「何を言っている! このまま撃ち込まれれば落ちるは必定。勝つのは我輩である! 分かり切っている事をわざわざ……」

 

「いいえ。あんたは、それが見えていない。ブーバーンの発する殺気と熱量、そしてその強大なるパワーの前に、見えているはずのものさえも見えていない」

 

「馬鹿を言え。我輩のブーバーンは完璧である!」

 

「……だったら、撃ちなさい。そうすれば分かる」

 

 その言葉に僅かな逡巡を浮かべたのも一瞬、相手は攻撃を実行していた。

 

「構う事はない。ブーバーン! 雷――」

 

 その瞬間であった。発火したのはブーバーンの棚引かせる腕からだ。繋がれたのは凍結の糸。ブーバーンの肘部分に至るまで細やかな糸が纏いつき、伸びたそれがハツヒデの直下に至っていた。

 

「……これは、いつの間に!」

 

「……あんたが攻撃を悩んだその一瞬、仕掛けるのは難しくなかった。ただ、選択肢は無数にあったはず。雷パンチをここで実行せず、単純な灼熱技に終始すれば、勝っていたのはあんただった」

 

 凍結の糸が熱量で水へと戻る。その瞬間、まるで火薬庫の導火線に火が点いたかのように、一瞬のうちに電流がのたうち、ハツヒデの直下でそれは弾けていた。

 

 高出力の電圧がハツヒデの身体を焼き、その内側から燻らせて、倒れ伏す。

 

 その時には身体から這い出たジガルデセルが弱り切っていた。

 

 リッカは歩み寄り、片手を差し出す。ジガルデセルが体内へと入り、新たなるスートが内側で燻っていた。

 

「……まさか、ジェネラルレベルの査問でこんな目に遭うなんてね」

 

 同時によく理解出来てしまった。ジガルデセル、その闘争に巻き込まれた以上、このような事はこれから先も頻発するであろう。

 

 その戦いの、これはただの前哨戦に過ぎない。

 

「……エイジ。あんたも、こんな戦いを、どこかで……」

 

 思いを馳せたリッカはしかし、この場では無力を噛み締めるのみであった。

 

 



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第四十九話 対峙する二人

 

 指定された場所は静まり返っており、相手が人払いをしたか、あるいは最初から人気のない場所を選んだのが窺える。

 

 いずれにしたところで、エイジは眼前に佇む、二人を見据えていた。

 

 片方はザイレムのエージェントの女性。もう片方はこの土地を統べるジェネラルのうち、最強の一角。

 

 ジャックジェネラル、レオン・ガルムハートはこの時、瞳を逸らさずこちらを睨んでいた。

 

 王者の眼差しだ、とエイジは感じ取る。

 

「……意外だったとすれば、二つ」

 

 指を立てたレオンにエイジは問い返していた。

 

「来ないと、思っていましたか」

 

「それも一つ。敵前逃亡、しかし、それは別段、責められるものではない。俺と君の実力は遥かにかけ離れている。それも有効な戦術の一つだ」

 

「……もう一つは?」

 

「一人で来るとは思っていなかった。片割れに少女がいたはずだ。彼女の持っている手持ちを駆使すれば、ともすればもっと優位に戦えたかもしれない」

 

「戦う前から、勝ったような言い草だ」

 

「気に入らないか?」

 

「いえ、言う通りだと思います。自分はジェネラルレベルも6だし、それもここ最近なったばかり。侮るのも分かるかと」

 

「……誤解をしているな。侮ったつもりはない」

 

「だとすれば、迂闊だ、と僕は言っているんです。こうして僕と話している事も」

 

 瞬間、レオンへと屋根伝いに襲いかかったのは四つ足の獣である。彼が反応し、視線を振り向けた時にはその牙が軋っている。

 

(悪ぃな。力の差があり過ぎるんでね! セルをいくつかいただくぜ!)

 

 ダムドが吼えるとレオンの体内に宿っていたジガルデセルが活性化する。これでいくつかセルを奪えればこちらが有利に立てる。そう思って練った策に、レオンは心底侮蔑したかのような声を出していた。

 

「……小手先だな」

 

 レオンが身をかわし、体内で沸き立ったジガルデセルに対して、行った事はたった一つ。

 

「――落ち着け。我が内に眠るジガルデの因子よ」

 

 まさかその一声でだけで、コアの呼び声に対して有効だとは思いも寄らない。磁石のように引き寄せられていたジガルデセルが一斉に、レオンの体内へと潜っていた。

 

 まさか、とエイジとダムドは震撼する。ダムドの提案した作戦であった。

 

 ――コアである自分が急速接近して引き寄せれば、絶対にセルのいくつかは奪い取れる。

 

 その言葉を信じ込んだ戦法は脆く崩れ去る。

 

 ダムドが行き過ぎ、身を翻してレオンと対峙する。レオンは体内のジガルデセルの活性化を抑え、脈打つそれを制御していた。

 

(……なんて奴だ。ジガルデセルの破壊衝動を完全に抑え込んだ、だと……)

 

「嘗めてもらっては困る。スペードのジガルデコア。諸兄らの思うほど、俺は単純な鍛え方をしていないのでね。自分の中の衝動は自分で抑える」

 

 それは理論上の代物だ。理屈ではいくらでも取り繕えるが、実際にやってのけるかは別物。

 

 それをレオンは何でもない事のように実行してみせた。

 

 その事実に慄いたエイジへとダムドが舌打ちを漏らす。

 

(……初手は失敗か)

 

「ダムド。一度戻るんだ」

 

(仕方ねぇ)

 

 ダムドがコア形態とセル形態に分離しエイジの体内へと潜り込む。その動作を相手は何もせずに眺めていた。

 

 内側でダムドが問い返す。

 

(……今、攻撃だって出来たはずだ)

 

「何故何もせずに、諸兄らの行動を見ていたか、かな? 簡単な話だ。構えてもいない弱者に対して攻撃姿勢を取るほどに、愚かしくはないのだ」

 

(……構えてりゃ、別だったって聞こえるぜ)

 

「それはその通りだろう。さぁ、ジガルデコア。そしてエイジ君。諸兄らの力を見せて欲しい。期待はしていないが、俺は戦いならば容赦はしない」

 

 これがジャックジェネラル。これが、最強の四人衆に名を連ねる事を許された、王者か。

 

 その余裕にダムドが内側で歯噛みしたのが伝わる。

 

(……エイジ。変に搦め手を使うのは逆効果みたいだな)

 

「真正面から戦って倒すって? でもそれは……」

 

(テメェが難しいって判断したのなら、そうだろうさ。だが、他に方法がねぇ。相手を屈服させ、その上でセルを奪う。それが最短距離だって言うんなら)

 

「従うしかない、か。しかしどうやったところで……」

 

 周囲を見やる。狭い路地の中に優位になりそうなものはない。何かないかと視線を走らせる中で、レオンはその眼差しを感じ取ったのか、ふっとこぼしていた。

 

「考えているな。勝てる方策を。ここで、俺の考えを凌駕し、その上でジガルデセルを奪い取る……最短距離を」

 

 見透かされている事にエイジは息を呑む。レオンはすっと指差していた。

 

「考えを浮かべる事は上策。しかし、それ以外がてんで駄目だ。君は見え過ぎだ。考えも、そして目線も。勝ちたければ、相手に自分の考えの一端でさえも分からせるな。ポーカーフェイスを演じて勝利しろ」

 

(野郎……余裕かましやがって……)

 

 今にも挑発に乗りそうなダムドをエイジはたしなめていた。

 

「駄目だ、ダムド。相手の挑発に乗っちゃ負ける」

 

(乗らなくても不利だろうが。どうするつもりなんだ、エイジ。見渡したところ、有利になりそうなものは見えねぇ。予め練った策のうち、一つが潰えた。初手の出鼻を挫かれたのは痛いぜ。初手がうまくいけば、まだ希望が持てたんだがな)

 

「……セルの引き剥がしで少しは優位に立てるってのは」

 

(マジの話だ。相手の保有セルが大き過ぎる。あのままじゃ、ただの一般人なら自滅コースなんだが、相手はジガルデセルのもたらす戦闘昂揚作用を完全に封殺していやがる。あの状態を表すのなら、狂いながらにして正気みたいな厄介さだ。頭の沸点は高いままで、それでも常態の精神性は狂ってやがる。だからこそメンドーなんだ。マジもんの死狂いってのは、妙に醒めてやがるもんさ。それに近い……)

 

「本当の……死狂い」

 

 ジガルデセルに精神を弄ばれていながら、それでもなお己の芯を曲げない強さ。あまりに厄介なのは、ジガルデセルのもたらす作用で見えなくなっている部分がほぼ皆無であるという事。

 

 相手の審美眼はそのままに、戦闘時の強さだけがアップデートされている。

 

 如何に難しいのかは、何度もダムドの言っている通り。相手は正気ながらにして既に狂い果てている。

 

 ゆえにこそ、醒めた相手よりもやり辛く、そして狂った者よりも度し難い。

 

 そのような状態の相手を制する事が出来るのか。エイジは額に浮かんだ汗を拭おうとして、レオンの声に制される。

 

「汗粒一つで、戦局は変わる。君は今、汗を拭おうとした。その動作だけで、俺は踏み込んで喉を掻っ切れた」

 

 断言にエイジは精神を摩耗させられる。

 

(惑わされんな! よくある言葉繰りだ! 今の一瞬だけでどうにか出来るはずがねぇ!)

 

 もちろん、エイジとて分かっている。相手はポケモンすら出していない。ホルスターに指もかけていないのに取れるわけがない。

 

 だが同時に感じ取る。

 

 相手は今の一瞬、取れたのではないか、という疑念。その隅の一滴のような疑念が胸中で黒々と広がり、やがてそれは戦局全てを左右する。

 

 ジャックジェネラルの実力だと言うのならば、言葉一つも含めてだろう。

 

 相手に与える心的影響。その言葉で相手がどう動くのかの先読み。それこそが、ジャックジェネラル。不動の強者の立ち位置。

 

「……分かっている。分かっているけれど、ダムド。ここで先に抜かなければ、勝利はあり得ない」

 

(バカ言ってんじゃねぇ! 何度も示し合わせただろうが。相手のポケモンを見るまで、絶対に抜くな! それだけは鉄則だ!)

 

 ダムドの言葉も一つの正答。しかしながらポケモンジェネラルとしての第六感とも言える部分が告げる。

 

 ――相手が抜くのを待っていれば、この勝負、決していい方向には流れない。

 

 勝ち筋を得るのには、こちらの手のうちも含めて、相手の言葉振りに乗るしかない。エイジはそれこそが真摯だと感じていた。

 

 しかし、ダムドは譲らない。ホルスターへと伸ばしかけた指先をダムドは制する。

 

(駄目だ。抜けば負けるぞ、エイジ)

 

「……かもしれない。だが、抜かなければ勝てもしない」

 

(屁理屈こくな! いいか? ガキの喧嘩じゃねぇんだ! これはコアとセルをかけた戦い……一個の打ち間違いで全てが終わっちまうんだぞ! オレは一手も間違うつもりはねぇ!)

 

 冷静に俯瞰するのならば、相手のポケモンに対して後出しで勝利する。それが最低条件のはずだ。それでも、エイジはこの時、ダムドの制止を振り切ってホルスターのボールに指をかけていた。

 

 それを目にしてレオンは意外そうにする。

 

「君は、ジガルデコアに隷属しているわけではないのか。そう映っていたが」

 

「それなら……とんだ見込み違いですよ、レオン・ガルムハート。僕は……自分から勝ち取るために、ダムドと契約したんだ! だから、あなたにも勝つ! 行け、ルガルガン!」

 

 繰り出されたルガルガンが吼え立て、赤い眼光をレオンへと注いだ。レオンは手を払い、なるほど、と声にする。

 

「なかなかに覚悟はあるようだ。ならば応じようではないか。俺の、唯一の手持ちで」

 

 レオンが流れるような所作でホルスターからボールを引き抜く。そのモンスターボールを軽く投擲した瞬間、割れた光が弾け、周囲にエネルギーを分散した。

 

 四肢を持つ獣のポケモンである。後ろ足で立ち上がり、両腕を翳しているのはルガルガンと同じ。陸上型の獣ポケモン。

 

 しかし全身に迸る力が桁違いであった。

 

 黄金の毛並みを持つそのポケモンが滾らせたのは電撃だ。走った電磁が瞬時に青く染まり、そのポケモンを包み込む。

 

 まさしく、雷の獣。

 

 吼え立てたそのポケモンの名を、レオンが紡ぎ出す。

 

「ゼラオラ。俺の唯一の手持ちだ」

 

 唯一、とは言ってもそれがまったく不利に転がらないのは、声音からして窺える。

 

 唯一にして絶対。その一枚だけで、彼は切り札を出したようなもの。そして、その切り札は容易く折れない。

 

 ゼラオラが両腕に稲光を充填させる。

 

 その段になって女エージェントが歩み出ていた。

 

「加勢を……」

 

「必要ない。それに、俺と彼はこれから誰にも邪魔されぬ領域で戦う。その前に、彼の覚悟を問いただせてよかった」

 

(よかっただぁ? テメェ、要らない挑発でエイジの手持ちを炙り出しやがって……!)

 

「言われる筋合いはないな、ジガルデコア。さて、エイジ君。俺のスートは、これだけだ」

 

 両手の甲と両膝に浮かび上がったのは四種類のスートである。それぞれが光を帯びて、レオンの体内で相克を描いているのが窺えた。

 

「この四種のスートの導くもの。ジガルデセル。俺は全ての力をもって、君を駆逐する。そして、手に入れて見せよう。ジガルデコア、その力を! 俺はここに! 君へのゾーン戦を挑む!」

 

「……ゾーン、戦……」

 

 言葉を咀嚼する前に、周囲の空間が歪む。何が起こったのか、まるで分からぬ間にカエンシティの路地裏の風景が消え失せていた。

 

 代わりに現れたのは青くぼやける宇宙の地平だ。遥か彼方まで広がる茫漠とした宇宙にエイジは周囲を見渡す。

 

「何が……」

 

(ゾーン戦でケリをつけようってのか……。エイジ、オレに一旦変われ! 足場を作るぞ!)

 

 言葉を聞くや否や、身体の所有権がダムドへと渡され、エイジは内側より目にしていた。

 

 紫色に煙る宇宙で、レオンと自分が対峙する。

 

 ダムドは心得たかのように無重力の宇宙で足場を見つけ、膝をついていた。

 

 相手も同じように足場を得ている。

 

「ゾーン戦……簡単にケリをつける算段だったってワケかよ」

 

「足場を見つけるまでも相当な時間がかかる。その間に手持ちを潰させてもらうつもりだったんだが」

 

 ゼラオラが両拳を突きつけ合い、電磁の波を散らせる。既に臨戦態勢に入っている相手に比してルガルガンは困惑していた。

 

「ルガルガン、落ち着け。この空間は何も見えている限りの宇宙空間じゃねぇ。物理法則は物質世界のままだ。精神の在り方次第で足場がなくなる。ジェネラルが気を強く持てば、手持ちの足場は保証される。そういう、精神エネルギーの優先される場所――それがゾーンだ。ゾーン内では慣れているほうが優位に立つ。テメェ、最初からそのつもりだったな?」

 

「さぁな。いずれにせよ、現れたな、諸悪の根源」

 

 突きつけられた言葉にダムドは鼻を鳴らす。

 

「オレをそう形容するかよ。ま、間違っちゃいねぇし、変に否定する気もねぇ。だがゾーン戦ってなれば、マジに援護は期待出来ねぇが、それでいいんだな?」

 

「問い返すまでもない。俺はそのつもりでこれを選んだ」

 

「……そうかよ。ルガルガン! 駆け抜けろ! ゾーンの中なら、オレのほうがちょっとばかし一日の長はある!」

 

 その言葉通り、構築された道筋が地面となってルガルガンの足場を形作った。エイジは息を呑む。

 

(精神の在り方がフィールドを変える……。これが、ゾーン……)

 



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第五十話 貫くべき意志を

 

「疾走しろ! ルガルガン! 先手だ、地ならし!」

 

 一気に決めようと言うのだろう。ルガルガンは跳躍した。ゼラオラまでの距離はあと僅か。接近すれば地面タイプの技「じならし」は問題なく遂行されるかに思われた。

 

 その攻撃射程を相手が読んだかのように、発生した無数の軌道壁がルガルガンの攻撃を阻むまでは。

 

 ゼラオラの足場より発した真っ白な足場が螺旋を描き、ルガルガンを押し込む。その軌跡にエイジは絶句していた。

 

(地面を生み出して……それを打ち上げて見せただって?)

 

「精神エネルギー……、いや! これは!」

 

「お察しの通り。俺も教えてもらっていてね。ジガルデセル……四種のスートが俺の頭に直接語りかける。この状況で、優位を打てるだけの戦い方を。ゾーンに不慣れだと判断したのは早計だったな。俺の中に介在するジガルデセルが、戦い方を教えてくれている。勝つのにはこういうやり方もあると」

 

 真っ白な螺旋がルガルガンを締め付ける。発生した地面による攻撃にエイジはうろたえていた。

 

(何なんだ……。こんなの、どうやって逃れるって……!)

 

「ゼラオラ。中空の相手を射抜くのは得意だったな。掌握せよ、その腕に雷撃を溜め、そして一息に放て」

 

 ゼラオラの両腕が青く染まる。膨れ上がった熱量にまずいと感じたのはダムドも同じらしい。すぐさま命令を下していた。

 

「ルガルガン、離脱だ! 何でもいい、ありったけの攻撃で相手の迎撃行為を阻止しろ!」

 

 ルガルガンが両手に溜めた岩石を放ち、爪で螺旋の白を削り取って応戦する。驚くべき事に螺旋を描くそれは地面と同質であった。

 

(……あんなものも、地面の一部なのか)

 

「ゾーンの中では想像力が優先される! あいつの中に眠る無数のジガルデセルがそれを補強してやがるんだ! 想像力の地面さ、それでルガルガンを押し潰そうってハラだろうぜ」

 

(それはまずいはずだ! ルガルガンは岩タイプ! 地面なんてやられたら……)

 

「まずいなんてもんじゃねぇ……。早く離脱しねぇと取り返しがつかなくなる……。ルガルガン! 全力でストーンエッジだ! 斬り払え!」

 

 ルガルガンが片手に構築したのは岩の刃である。その一振りが想像力で補強された地面を叩き割っていた。

 

 その時にはしかし、相手の攻撃の布石も打ち終わっている。大振りで払った姿勢のまま隙だらけのルガルガンへと、飛びかかったゼラオラがその拳を打ち込んでいた。

 

「プラズマ――フィスト!」

 

 青く照り輝く雷撃の拳が抉り込まれ、ルガルガンの体躯がゾーンの宇宙を転がる。ダムドは言葉を投げていた。

 

「ルガルガン! 衝撃を最低限に減殺しろ! 想像すれば、地面は生まれる!」

 

 ルガルガンが自力で地面を想像し、己の身体を止める。しかし、その時には既に体力の半分を奪われているのが明らかであった。

 

 ゼラオラは青い電磁を纏いつかせ、両腕を引く。

 

「戦闘不能になるまで痛めつける趣味はない。諦めるのならば潔いほうがいい」

 

 ダムドが舌打ちする。この状況では勝ち筋はほとんど望めないだろう。ゾーン戦でここまで不利に転がるとは、ダムドも想定外に違いなかった。

 

「一言でいい。負けた、コアを譲渡する。それだけで、この無益な戦いは終息する」

 

 ダムドは絶対に認めないだろう。こんな形の敗北など、認めるわけがない。

 

(……ダムド。交代だ)

 

「エイジ! 何言ってやがる! テメェに今替わったら、絶対に諦めるだろうが! ルガルガンはまだ戦える! オレに任せて、テメェは内側で大人しく……」

 

(――いいから、替わってくれ)

 

 その言葉振りに宿ったのが絶望でないのだと悟ったのか、ダムドは問い返す。

 

「……考えがあるんだな?」

 

(一応は)

 

「負けたとかほざくために替わるんじゃねぇなら」

 

(ダムド。何回も言わせないでくれ。僕は、自分から選んで、勝ち取るために、ここに来たんだ)

 

 フッとダムドが笑みを浮かべる。

 

「……テメェも強情だよなァ、エイジ。いいぜ、何をするのか分からないが、替わってやるよ」

 

 その言葉を潮にして、身体感覚が戻ってくる。ダムドは本当に、自分を信頼して替わってくれたのだ。

 

「……ありがとう、ダムド」

 

「エイジ君に戻ったという事は、言葉が通用するな。無益な戦いは望まず、このまま俺にコアを差し出してくれ。そうしてくれれば悪くはしない。俺が、責任をもってコアの宿主となり、この戦いに終止符を打とう」

 

「……一つだけ、聞かせてもらっていいですか。レオンさん。僕は、確かにまだ弱い。彼を扱うのも、力不足なのかもしれない。でも、それでも聞かせてください。コアを手に入れてどうするんです? その後、あなたはどうしたいんですか」

 

 この問いかけだけは誤魔化せないのだと彼も悟ったのか、レオンは瞑目し、一拍の沈黙を挟んで応じていた。

 

「……俺はジャックジェネラルだ。責任ある行動が求められる。ゆえに、コアを手に入れれば、責任をもって、ザイレムという組織を打ちのめそう」

 

「……あなたがさっきから言っている責任って言うのは、誰に対する責任ですか」

 

「問いただすまでもない。この地方に息づく全てに対する責任だよ。それこそが、俺の――」

 

「そこに、あなたはいるんですか。その場所に、あなたの意思は、介在しているんですか」

 

 レオンはすぐには応じなかった。答えられない質問ではないはずだ。しかし、答えてしまえるとすれば、それは……。

 

 獅子の相貌が紡いだ答えは、エイジの想定内であった。

 

「……俺は大義をもって、ジガルデコアを処罰しよう。それこそが、俺に課せられた役割だからだ」

 

 役割、処罰、そうすると決めた、決め込んだ――使命感。

 

 エイジは瞑目し、そしてレオンを見据えていた。この場で、彼は内在するジガルデセルの闘争心に流されずに答えている。それは誠実であろう。ダムドの言う通りだ。醒めながらにして狂っている。狂いながらにして、正常だ。

 

 だから、この言葉も嘘偽りはない。

 

 自分は全ての責任を負うために、ジガルデコアを手に入れ、そして処罰を決める。

 

 一見すると立派だが、そこには――何もない。

 

 欲望もなければ、希望も。ましてや羨望も。何も望まず、何も欲さず、そして何も考えていない。

 

 考える前に使命感で動いている。

 

 ゆえにこそ、エイジはここで退けないと感じていた。

 

「……その答えならば、僕は負けを認めるわけにはいかなくなりました」

 

「何故だ。俺は、正しいと思った事を成そうとしている。何が不満だ」

 

「僕は、欲深い」

 

 発した言葉にレオンは眉を跳ねさせる。

 

「……何だと?」

 

「ジガルデコアの……ダムドの力を得た時、その衝動に負けた。屈したんです。彼に何度も敗北した。……でもそれからは逃げなかった。自分の欲深さと、自分の望むものの果てなさ、その深淵から、僕は決して! 目を逸らさなかった! あなたの言う事は正しい。そして真にジガルデコアの在り方を正そうとしている。でも、そこには何もない。空虚なんだ。望むものもなければ、勝ち取りたい欲もない。正しいとか、正しくないとか、他人の決めた物差しだ。あなたは僕に対して、きっと導くつもりなんでしょう。無知蒙昧な、僕を、救いたいと思っている。でも、それは! 相対的な正しさだ! あなたの中にある欲望の正しさじゃない!」

 

 口走った言葉にレオンはすぐに返す。

 

「……それの何がいけない。俺はジャックジェネラル。この地方を束ねる四人のうちの一人。模範たる在り方を望まれている。その通りに動くのが、ヒトであろう」

 

「なら僕だって断言する。僕はただのポケモンジェネラル、ただの子供だ。でも知っていませんでしたか? 子供ってわがままでもいいです」

 

 その言葉一つで断絶を感じたのだろう。レオンの瞳から憐憫の光が消え失せた。代わりに浮かんだのは、ここで相手を排除すると言う、硬質なる意志。

 

「……ジガルデコアの昂揚感に負けた人間の言い訳だ。それを正しいとは思えない」

 

「それでも、どうぞ。僕は勝ち取るために、ダムドと手を組んだ。それが僕の――絶対だ」

 

「悪魔と手を組んだ事を称賛する人間はいない。よってここで罰せられるは君だ。……残念だよ、エイジ君。君はもっと賢いと思っていた」

 

「僕は愚かだった。でも、愚かで何が悪い。道を違えて、何がいけない。そうして、間違えて、誤って、でもそれでも、前って見えるもんでしょう。あなたの言葉と姿勢は確かに誠実だ。でも、前がない。見据えるべき、真正面がないんだ!」

 

 レオンが手を払う。最早、問答は必要ない、とでも言うように。

 

「もう、いい。君は、そういう人間であった。救うべきに値せず。罰するべきにあり。君を、俺は救えると思っていた。救ってもいいのだと。……だが、思い違いも甚だしかったな。断言しよう。――正義は、俺にある」

 

(来るぞ! エイジ。やるんだな?)

 

「ああ。やると決めたからには、やり切らなきゃいけない。それが間違っていても、僕はそれを遂行するのだと、決めた!」

 



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第五十一話 ライジングボルテージ

 

「エイジ君。俺はもう、下手に君の事を考えるのも、そして君がこの先、何を見るのかをきっちりと保証するのも、馬鹿馬鹿しくなった。ゼラオラ、潰せ」

 

 その一声でゼラオラが構築した空中の足場を蹴り、ルガルガンへと肉薄する。プラズマを帯びた拳がルガルガンに突き刺さりかけた、その時であった。

 

「行け! メテノ!」

 

 投擲したモンスターボールが割れ、飛び出した岩石のポケモンに、レオンは瞠目する。

 

「メテノ……そんなポケモンで! 壁にすらならない!」

 

「ああ。壁になんてするつもりはない。メテノ、ルガルガンの補助をする。構築しろ、光の壁!」

 

 メテノの眼窩より投射された光が障壁となり、ルガルガンに足場をもたらした。降り立ったルガルガンがゼラオラと向かい合う。

 

「即席の足場を得たから何だと言う。それでもゼラオラには勝てない」

 

「そうかもしれない。でも、これでちょっとは分からなくなったんじゃないですか。僕が何をするつもりなのか」

 

 そう提示すると、レオンは眉根を寄せる。そう、この行動の意味と、そして何に繋がるのかを、ジャックジェネラルならば全力で考察するはず。

 

 その一瞬の隙さえあればいい。

 

「メテノ、ボディパージ! ルガルガン! 浮き上がった岩を触媒にして、ストーンエッジ、全力掃射!」

 

 メテノが岩石の鎧を砕き、身軽になった分、ルガルガンを乗せて後退する。ゼラオラの鉄拳が空を裂いていた。

 

 その隙間を埋めるようにルガルガンが放った岩の散弾がゼラオラへと突き刺さる。

 

 相手は手を払っただけでほとんどの攻撃を無効化したが、それでも一手空いた分は埋めようがないだろう。

 

「……詰めを一手分、空けたか。それで逆転出来るとでも?」

 

「分かりませんよ。ポケモンバトルは時の運だ」

 

 その言葉にレオンは面を伏せ、嘆息をついていた。

 

「バトルが時の運? そう口にする連中を、俺は何人も見てきた。そう嘯いて、考える事を放棄した奴らを。言っておく。ジャックジェネラルとして。それを吐いた時点で、もう敗北している」

 

 ゼラオラが空間に足場を構築し、四方八方から襲いかかろうとする。ルガルガンは姿勢を沈め、先ほどから岩石を分離し続けるメテノより無限の供給を得ていた。

 

「なるほど、メテノのボディパージ。それによってルガルガンの補充までの時間を稼いだか。しかし、それがあろうとなかろうと、結果は変わらない。動く足場があるとしても、俺のゼラオラが遥かに素早い!」

 

 ゼラオラが全身に青い瞬きを充填し、疾駆する。その軌道上にあった岩石の散弾を噛み潰したのは龍の咆哮であった。

 

「……逆鱗を展開した」

 

「混乱に至る前に、その首を貰い受ける!」

 

 構築した「げきりん」の牙が拳に纏いつき、そのままルガルガンを掻き砕くかに思われた。しかし、直前にメテノが前に出る。

 

「光の壁で防ぎ切れまい! ゼラオラ、逆鱗!」

 

 振るわれた一閃がメテノの岩の鎧を粉砕していた。粉みじんになったメテノが空間を流れる。

 

 それで勝ったと思い込んだのだろう、ゼラオラが次の標的に選んだのは空間を滞留するルガルガンだ。

 

「終わりだ! 俺はジガルデコアを正しい事に使う! そのために、君には負けてもらおう!」

 

 その牙が軋りかかった、次の瞬間である。

 

 赤い流星が棚引き、ゼラオラとルガルガンの中に入っていた。ぐるぐると巻いた眼球に、赤く光るその球体にレオンは絶句する。

 

「これは……メテノ、か?」

 

「メテノの特性はリミットブレイク。メテノは流星の姿で一定のダメージを受けると、コアの姿へとフォルムチェンジする」

 

 コア形態になったメテノが光の壁を放出しつつ、ゼラオラへと突き進む。その攻撃網に僅かにゼラオラが怯んだのが窺えた。

 

「ゼラオラはもう少し押せば混乱になる。それは逆鱗を使った事からも明らかだ。もう少しだけ、戦闘を引き延ばせば……」

 

「――聞き捨てならないな。ちょっとやそっと、戦いを引き延ばしただけで勝てるとでも? その程度の実力差だと思っているのか? 言っておこう。そんな些末な差であればもっと早くにケリがついている。そして――ゼラオラは!」

 

 ゼラオラの拳に再びプラズマが充填される。またしても最大出力の攻撃を放つつもりであろう。点火されたそれが並大抵ではないのは、目にすれば分かる。

 

「プラズマフィストじゃ、ない……」

 

「プラズマフィストは一度でも撃てば、全てのノーマルタイプの技は電気技へと転化する。そして! これも電気技だという事だ! ギガ――インパクト!」

 

 オレンジ色の閃光を拳に留め、照り輝いたその鉄拳が灼熱に煙を棚引かせる。

 

 明らかに桁違いの一撃。それに賭けるものは無論、一撃必殺。

 

 だが、ルガルガンもメテノも、自分も――そしてダムドも諦めていない。

 

 諦めてなるものかという意地が自分を衝き動かしている。

 

「ルガルガン、岩石の刃で受け切る……」

 

「遅い! そんなものを構築させる前に、ゼラオラの渾身の一撃が貫く。真に賢しいのであれば、もっと早くに勝負を投げるべきであった! 終わりだ、少年!」

 

 終わり。確かに、普通の考えを持っているのならば。通常の空間ならば、これで終わりかもしれない。

 

 だが、ここはゾーン。そして自分達はジガルデを賭けた勝負をしている。

 

 通常空間で、ただのジェネラルとジャックジェネラルの戦闘ならば、これは分かり切っている勝負であっただろう。

 

 しかし、今、ここで展開されている勝負は、別次元の戦い。それ故に、勝機は存在する。

 

「メテノ! 近づかせたな。そこでがむしゃら攻撃だ」

 

 メテノが全身を照り輝かせる。ハッと互いに息を呑んだ刹那には、膨れ上がったメテノが爆発の光を宿し、ゼラオラを退かせていた。

 

 ゼラオラの撃ち損じの「ギガインパクト」の残滓が空間に放たれる。瞬間的に発生した灼熱が渦を成し、爆炎がメテノの身体より流れる岩のデブリを吸い込んでいく。

 

 それほどの一撃であった。受けていれば即死であっただろう。

 

 だが、今ゼラオラは後退した。何故か、と言う事実を問い返すまでもなく、レオンは忌々しげに口にする。

 

「……がむしゃら……相手の体力と自身の残り体力を引いて、その分だけのダメージを与える技。メテノはかなりのダメージを受けている。それを加味しての技構成か」

 

「ゼラオラのギガインパクトには、それなりに精巧な技の構築が必要と踏んでの判断です。ただのギガインパクトを出すのならこれを防げていたでしょうが、電気技へと転化すると言うのはそう容易くはないはず」

 

 加えて先ほどまで「げきりん」による全力攻撃を行っていたゼラオラの神経は極めて逆立っていたはずだ。そのような状態で体力を奪われる「がむしゃら」を受ければ、嫌でも後退せざるを得ない。

 

 そして――少しでも後退させればそれは埋めようのない断絶となる。

 

 ゼラオラが膝をついていた。混乱状態に陥りつつあるのだ。

 

「……まさか、混乱のゼラオラでは追いつけないと言いたいのか」

 

「ゼラオラは素早さが売りのポケモンのはず。ですが、今のメテノも相当に素早い。リミットブレイクによるフォルムチェンジ。そしてボディパージで素早さを上げ続けている。これなら、ゼラオラは追いつけない」

 

「ひかりのかべ」を放射し、ルガルガンの足場を再度構築する。レオンはそれを睨み、ゼラオラへと命じていた。

 

「……素早さの点で勝利すれば、ゼラオラの電撃は防げる、と言いたげだな。まさかそのような些末なる勝機だけで、ここまで戦い抜いたと?」

 

「それでも勝機には違いないでしょう」

 

 レオンはこちらを指差し、そして言い放つ。

 

「ゼラオラ。お前のレベルを見せつけてやれ。混乱状態であったとしても、お前はルガルガンを撃ち抜くくらいは造作もない。十万――ボルト!」

 

 ルガルガンの体表が再び青い雷撃に包み込まれる。放出された電撃の波動がルガルガンとメテノを襲った。エイジは舌打ちする。メテノのタイプ構成上、電気タイプを受けるわけにはいかない。

 

「メテノ……ルガルガンを引き連れて後退。そのままゼラオラの射程外まで」

 

「不可能だ。ゼラオラの射程は一キロを超えている。それに、どこまで逃げる? ここはゾーン。確かに限りなく遠くまで逃げ切れるかもしれない。だが、ポケモンバトルの関知範囲は、所詮ジェネラルの関知範囲に集約される。今の君のレベルで、遠隔でポケモンを操るのは不可能だ」

 

 その言葉通り、メテノの動きが止まった。恐らくこれが自分の「限界範囲」。そしてポケモンジェネラルとしての自分に出来る最善であろう。

 

「終わりだ。混乱であっても、ルガルガンを照準し、ゼラオラは正確無比な電気技を見舞う。ゼラオラ! 十万ボルトを!」

 

 両拳を突きつけ合い、放たれた電磁が纏いついて直後、砲撃となってそれが放たれていた。光軸がルガルガンとメテノに突き刺さる。周囲へと拡散した電流がメテノを襲い、その身を焦がしていた。

 

「これで足場を潰した! 最早ゼラオラに対して優位を打てる要素はない!」

 

 消え失せる足場とメテノから力が凪いでいく。これ以上の継続戦闘はメテノには不可能だろう。ゼラオラが跳躍し、一瞬でルガルガンへと肉薄する。

 

 その速度はまさしく神速。追い縋られる前に、メテノが最後の「ボディパージ」を実行する。

 

 周囲へと岩礁が浮かび上がり、岩の鎧の欠片が四方八方に降り注いでいた。

 

 無重力状態の中で、デブリが漂う。

 

「デブリで壁を作ったつもりか! そのような小手先!」

 

 ゼラオラがデブリへと真正面から衝突する。しかしノーダメージだ。無傷でゼラオラはルガルガンの射程へと食い込む。

 

 立ち現れたゼラオラが青い電撃を身に纏い、大きく腕を引いた。最後の技を放つつもりであろう。雷撃を纏いつかせ、「プラズマフィスト」が遂行されようとする。

 

「ゼラオラは最強だ! この攻撃を前にルガルガンはひとたまりもない!」

 

 青い雷撃龍が咆哮し、身に宿した最高潮の技を告げる。ゼラオラはルガルガンを打ち砕くつもりであった。そのために全身に電気を滾らせ、周囲のデブリを打ち砕いていた。

 

 絶体絶命の光景に、エイジは――嗤っていた。

 

 その段になってレオンは疑問を挟む。

 

「何故笑う。遂にイカレたか」

 

「いいや、イカレちゃいないさ。にしたって、エイジよォ……。こうも段取りをつけてくれた事、感謝するぜ」

 



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第五十二話 輝け、Zの鼓動

 

「貴様……! ジガルデコアか! だがもう間に合うまい!」

 

 ゼラオラの放つ一撃を前にルガルガンが赤い眼光を向け、その手を翳していた。

 

 瞬間、ルガルガンへと散らばったデブリ岩礁が一斉に迫る。まさかの全方位よりの攻撃にゼラオラがうろたえ、そしてその身に岩の攻撃を突き刺さらせていた。

 

「何が……何をした!」

 

「ルガルガンに弱点があるとすれば、それは技の構築までにかかるロスだ。そして、相手へと接近しなけりゃならねぇ。加えてオレの偏在化させた特性、ノーガードにより、ルガルガンへと全ての攻撃は因果を捻じ曲げて命中する。しかし、それはここまでエイジがお膳立てしてくれたこのフィールドに関しても例外じゃねぇ。エイジは分かっていた。メテノのもたらしたこの――岩で満たされたデブリ帯を。ここがゾーンじゃなく、通常空間であったのなら、無重力みてぇな状態にはならず、岩もそこいらで転がっているだけだっただろうさ。だが、ここはジガルデの保有するエネルギー宇宙だ。岩は重力の楔から自由になり、浮かび上がっている。周辺に浮かんだ岩を操るのは、不可能じゃねぇよな。この技なら」

 

 ルガルガンの手の中へと岩が一斉に集まっていく。その風圧に岩の旋風が巻き起こった。ゼラオラは全身に裂傷を作る。

 

「この岩の烈風が狙いか! だがそれさえも小手先だ! ゼラオラ! 電気エネルギーで身を護れ! 身体に纏った高密度の電流がお前を保護する!」

 

 ゼラオラが吼え立て、蒼い電流を鎧のように身に纏う。その電流の鎧を前に、ルガルガンの岩石の集約は意味を成さない――そう、相手は思い込むはずだ。

 

 しかしルガルガンの手に構築されていくのは単純な岩のエネルギーではない。周囲に分散した岩を一斉に組み換え、そして再構築したのは岩の巨大な槍であった。四本の岩の槍がゼラオラを狙い澄ます。

 

「狙いは……岩の風じゃ、ない……」

 

「エイジはこの好条件を作るために、メテノの装甲を砕き、そして周囲にばら撒いてきた。確かにオレだけならこの勝利は導けなかっただろうな。エイジとオレ、お互いが何をするのかをギリギリまで予見出来ないからこそ、テメェのジャックジェネラルとしての格に左右されなかった。ある意味じゃ、悪足掻きが見出した、活路だよ。ルガルガン、渾身のZ技だ」

 

 ダムドが片腕を掲げる。その手にはZクリスタルが握られており、ダムドの瞳より放たれた青い「Z」の因子が飛び交い、Zクリスタルを介してルガルガンへと注ぎ込まれた。ルガルガンの体表が照り輝き、その眼光が赤く染まった。

 

 咆哮と共に舞い降りたのは月夜だ。

 

 静謐の満月がゼラオラを睥睨する。暗黒を貫通する黄金の視線が、ゼラオラを縫い止めていた。

 

「これは……! 動けん……!」

 

「確実に、そして確定で当たる距離まで引き寄せたんだ。オレのコアの力も使って、絶対に完遂させるぜ、エイジ。オレと! ルガルガンの放つゼンリョクのZ技!」

 

 岩石の槍の穂先がゼラオラへと向けられる。その攻撃照準にゼラオラは両手より稲光を迸らせた。

 

「Z技……ポケモンとの深い信頼と、そしてジェネラルとしての実力がなければ実行不可能な大技か。だが! 俺とゼラオラの纏う雷光は! その大技さえも阻むであろう!」

 

 確かに。ゼラオラが如何にこの静寂の月に魅入られたとしても、その装甲を砕けるかまではほとんど運次第。しかし、この時、エイジはダムドとルガルガンを信じていた。

 

 信じる事でのみ、発揮される力がある。その時にだけ、微笑む勝利の女神が。

 

 エイジはダムドの内奥で口にしていた。

 

(……信じるぞ、ダムド)

 

「任せとけ、エイジ。絶対にぶち当てる! 食らい知れ!」

 

 ルガルガンが両腕を広げる。その赤い眼差しの導く矛先がゼラオラを見据えていた。ゼラオラの雷の壁が屹立する。

 

「来い! 完全に防いでみせる!」

 

「――ラジアルエッジ、ストーム!」

 

 岩石の槍が一挙に放たれ、ゼラオラを挟み込む。ルガルガンが飛び込み、巨大な岩石の槍を打ち砕いていた。

 

 幾千、幾億の散弾が殺到し、ゼラオラの全身を震わせる。ここに来るまで、メテノの「ボディパージ」によるデブリ攻撃も受けたはずだ。

 

 相手も相当に疲弊している。

 

 それでも、この渾身の一打、どう受けるか――。

 

 ダムドは満身より叫んでいた。

 

「届けぇ――ッ!」

 

 ゼラオラの腕に構築された雷撃がその時、最大出力に達し、巨大な稲妻の柱が立つ。

 

「ゼラオラ……最大出力で応戦する! 十万、ボルトォッ!」

 

 ゼラオラの体内に充填された青い瞬きが一射され、こちらの最大のZ技「ラジアルエッジストーム」の応酬を受け止める。

 

 互いに熾烈を極めたこの戦いの行方は誰にも知れない。

 

 最大級の技がぶつかり合い、直後――膨大な光の瀑布が視界を押し包んでいた。

 

 ポケモンのエネルギーの最大の高まりがゾーンの内在エネルギーと呼応し、爆発的に高まったのである。

 

 白熱化する視野の中、エイジはただ信じた。

 

 己の手持ちが誇る最大の功績を。

 

 レオンもただただ見据えるしかないらしい。

 

 ダムドはその中でも落ち着き払い、そして口走っていた。

 

「……限界か」

 

 



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第五十三話 勝利者の友

 その言葉と共に光が晴れ、ルガルガンが膝を折っていた。全身に相手の電撃によるダメージを負い、ほとんど瀕死状態に近いところまで追い込まれている。

 

 レオンがフッと笑みを浮かべた。

 

「これが……王者との差だ」

 

 しかし、直後、レオンのゼラオラは全ての電力を使い果たし、倒れ伏していた。足場を構築する力も残っていないのか、無重力に漂う。

 

「まさか……俺が負けただと……」

 

 ゼラオラは動かない。エイジの眼にもハッキリと映っていた。ルガルガンの体力はレッドゾーンだが、まだ辛うじて残っている。それに比してゼラオラは完全に瀕死であった。

 

「……勝利者は、最後まで諦めないほう、か。オレも読めなかったぜ、エイジ。この、最後の立ち位置まではな」

 

 ルガルガンが裂傷を負いながらもすくっと立ち上がる。その佇まいにいささかのてらいも見られない。ルガルガンは勝利した。そして、勝利者の視点でゼラオラを睨む。

 

 レオンは信じられないのか、面を伏せて奥歯を噛み締めていた。

 

「俺が……俺の正義を賭けた戦いで……敗北した」

 

「正義なんざ……一番に馬鹿馬鹿しいってもんだ。いい加減、楽になれよ。……オレ達は、ただ互いのエゴのために戦い争い合っただけだ。それ以上でも以下でもねぇ」

 

(ダムド……お前……)

 

「誰かを慰撫するための言葉でもねぇし、誰かの勝利を侮辱する気もねぇ。これはそういう結果だ。受け止めないのは嘘だろ」

 

 勝利は、訪れるべくしてある。今、自分達の勝ち取った白星はきっと、一人ずつでは決して得られない代物であろう。

 

 ダムドはモンスターボールを翳す。ルガルガンがボールに戻った。メテノは出したままだが、それはレオンの悪足掻きを警戒しての事だろう。

 

「勝ったのは、オレ達だ。ゾーン戦は互いのセルを賭けた勝負。エイジ、このジャックジェネラルのセルを全部奪うぞ。相手はオレらを潰すつもりだった。順当な判断だ」

 

 ダムドの言う通り、レオンは自分達を潰すつもりであった。だが、とエイジは応える。

 

(……ダムド。替わってくれないか)

 

「またかよ。言っておくが、ゾーン戦ってのは絶対にセルの受け渡しは行われなきゃいけねぇ。こいつを無罪放免で逃がすとかは出来ねぇからな」

 

(分かっている。だからこそ、僕に任せて欲しい)

 

「……ったく、焼きが回ったもんだ。ただまぁ、今回の勝ちはテメェの功績もデカい。こいつからどれだけ奪うのかは、一任してやってもいい」

 

 その直後、身体感覚が戻ってくる。

 

 エイジは項垂れ、膝をついたレオンに歩み寄っていた。敗北を噛み締めるレオンにエイジは言いやる。

 

「……あなたの言う事も間違いじゃなかった。僕みたいな不完全な子供に、ジガルデコアは任せられない。それは大人として、正しい判断だ」

 

「……ならば何故、負けてくれなかった」

 

 どうして自分は負けられなかったのか。その問いかけにエイジはすぐに応じていた。

 

「だって、僕らは終れないから。こんなところで終れないんです。それは、僕とダムドの交わした、絶対ですから」

 

 そう、自分の譲れない「絶対」。それがこの戦いで潔く退くのをよしとしなかった。レオンになら負けてもいいと思った反面で、どうしても負けたくないという意地が勝ったのだ。

 

 それは、始まりかけた旅を奏でるのに、自分達はまだまだ途上であったからだ。

 

 その途上で、終れない。その一念がこの土壇場での勝機を見出させた。

 

「絶対、か。いいさ。君らに負けた。その咎は受けよう。俺は、エージェントとして君達を襲ったのだからね」

 

 セルを奪うのなら好きにしろとでも言うのか。エイジは瞑目し、レオンの肩口に触れていた。

 

 彼の中で蠢動する四種のスートのセルはゆうに十二個。よくこれほどまでのセルの誘惑を絶ち、自らの信念を押し通したものだ。

 

 彼はそれほどまでに気高く、強いジャックジェネラル。この地方を統べる素質を備えた、四人の一人。

 

 だからこそ、彼の意思はぶれない。彼はきっと、よりよい未来を描くためにジガルデセルを使ってくれる事だろう。

 

「……ダムド。レートは、勝利者が決める、だったな?」

 

(ああ、そうだが。……まさか)

 

「レオンさん。僕が奪うセルは、スペードスートのジガルデセル、一個分だ」

 

 手を伝い、レオンの身体からスペードスートのセルが一個だけ、エイジの体内へと移動する。その言葉に彼は驚愕の眼差しで面を上げていた。

 

「……情けなど」

 

「情けではありません。僕が決めた、僕のレートです」

 

 その有無を言わせぬ声音に彼は押し黙っていた。内在するダムドが舌打ちを漏らす。

 

(……綺麗ごとじゃ済まねぇのは、分かってるんだよな?)

 

「ああ。でも僕は、彼の意志の強さを信じたい。レオン・ガルムハートと言う人は間違いなく、ジガルデの誘惑に負けない人であった。だったら、それを尊重しないのもまた、嘘じゃないか」

 

 彼の体内に眠る残り十一個のセルはあえて残す。そうする事がこの戦いの幕引きには相応しいだろう。ダムドは面白げがないのか、何度か毒づく。

 

(……全部奪っちまえばいいのによォ。ま、それもテメェの結論か。エイジ、今回ばかりはテメェの補助がなけりゃ負けていたし、オレも熱くなっていた。だからこの結論に、意義は差し挟まないぜ。ただ、生易しいってのはマジだがな)

 

「分かっている。でも生易しくても、僕はこの人を……信じたいんだ」

 

 彼は一時として、ジガルデセルの闘争本能に負けなかった。ならば、彼ならばセルを預けるのに適任だろう。レオンは己の胸元に手をやって、問い返していた。

 

「俺を……許してくれるのか……」

 

「許すも何もありません。ジガルデセルを、暴走させずにおいてくれて、ありがとうございます」

 

 その言葉に彼は恥じ入るように面を伏せ、そして頭を振った。

 

「……完敗だ。こうまで清々しい敗北は、久しぶりだな」

 

 ジャックジェネラル、レオン・ガルムハートはこの時、ようやく戦いの行方を噛み締めたらしい。

 

 エイジは身を翻しかけて、その背へとかかった声に足を止めていた。

 

「待ってくれ、少年。……いや、エイジ君。俺は、君に負けた。正確に言えば君達に、だが、そのケジメはつけさせて欲しい。俺なりの、ケジメを」

 

「ケジメって……。もう僕らの邪魔をしないのなら、別に何も……」

 

「ゆえにこそ、だ」

 

 直後、王者たる素質を持つ青年は傅き、重々しく頭を垂れていた。

 

 まるで――仕えるべき王者を前にしたかのように。

 

「俺は君の剣となろう。ジャックジェネラルとしてではない。ただの一個人の、ポケモンジェネラル、レオン・ガルムハートとして。エイジ君、君にこの身を仕えさせてくれ。最後の最後まで、俺は君のためにこの身を砕く。それこそが、俺のケジメだ」

 

 思わぬ言葉にエイジはうろたえていた。まさかジャックジェネラルが自分のような子供に仕えるなど言うとは思うまい。

 

「よ、よしてください! ……邪魔さえしないのなら、僕はそこまで……」

 

「いや! 俺の気が収まらない! どうか! 俺を使ってくれ! エイジ君!」

 

 どうにも困惑するエイジにダムドは内側でほくそ笑んでいた。

 

(こいつぁ……面白ぇ駒を手に入れたじゃねぇか、エイジ。強ぇ駒は大歓迎だぜ。ゼラオラも、テメェの身分も全て、オレ達のために遣い尽くすと誓うか?)

 

「ダムド、何て言い草をするんだ! そこまでしてもらわなくっても……」

 

「いや! ジガルデコアの言う通りだ! 俺は君のための騎士となろう! それこそが、この生き永らえた身を少しでも有効活用出来ると言うのならば!」

 

 困った事になった、とエイジが後頭部を掻く。ダムドはしかし、乗り気であった。

 

(負けたヤツはそのまま相手に従う。分かりやすくっていい。それにテメェだって、こいつにセルをいくつか預けるんだ。手元に置いたほうが有益なのは間違いねぇはずだが?)

 

 参ったのはそれもある。任せる、と言ったのは別にそういう意味ではないのだ。

 

 しかし、レオンもダムドも譲るつもりはないらしい。エイジはこの結果だけは不承ながらも、頷いていた。

 

「……どっちが主君だとか従者だとかはなしにしましょう。あくまで、その……対等な立場で」

 

 そう結論付けると相手も納得したらしい。ようやく面を上げ、その左胸を拳で叩く。

 

「この心臓の音がやむまで! その誓いを守り通そう!」

 

「そこまで大げさに捉えなくっても……。でもまぁ……こちらこそよろしくお願いします。ザイレムに、ジガルデセルを渡すわけにはいきませんから」

 

「ああ。それは同意見だ。そして、俺はあの組織より、情報を渡されている。交換条件としては悪くないだろう」

 

 そうか、とエイジはそこまでは考えていなかったと遅れて納得する。エージェントとして仕掛けてきたのならばザイレムの手の内をレオンがある程度分かっていてもおかしくはないのだ。

 

「ある意味では……対ザイレムにおける切り札……か」

 

(悪くないってのはそれもあるんだぜ、エイジ。相手からしてみりゃ……これほど面白くねぇ話もないはずだ! 放ったはずの切り札がそのまま返ってくるなんてな!)

 

 哄笑を上げるダムドにエイジは呆れ果てる。

 

「……笑うなって。でも、よかった。もう、戦わないで済むんですね」

 

 穏やかに微笑んだエイジにレオンは厳めしい眼差しのまま応じる。

 

「ああ。だが脅威が去ったわけではない。ゆめゆめ、警戒は怠らぬよう、主殿」

 

「あ、主殿?」

 

 思わぬ呼び名にエイジはうろたえてしまう。レオンは何でもない事のように告げていた。

 

「俺は負けた。そして君に仕えると決めた騎士だ。ならば軽々しくエイジ君とは呼べない。せめて、この名で我慢して欲しい」

 

「いえ、でも……主殿って……」

 

 当惑したエイジにダムドが高笑いする。

 

(傑作だな! 主殿と来たか! ……だがまぁ、オレとしちゃ、呼ばれるのは悪くねぇ。そのまませいぜい傅いてくれよ)

 

「何を言っている。俺が仕えるのは貴様ではない。ジガルデコア。エイジ少年という、一人の主君に仕えるのみだ。貴様はまた別だ」

 

 指差したレオンにダムドはいきり立って反発する。

 

(はぁ? 何でだよ! エイジとオレは同じだろうが!)

 

「彼と貴様は違う。それだけは分けさせてもらう」

 

(……釈然としねぇ)

 

 ダムドの言葉にエイジは笑いかける。きっと、これが最善であったのだろう。レオンの強さも認め、彼の持つジガルデセルもこのまま、レオンが保有する。

 

 そうすれば、すぐに陣営が傾く事はないはずだ。

 

(……まぁ、ンな事はいい。ゾーンから出る。もう用はないからな。変に長居すると、飲み込まれるぜ)

 

 ダムドの言う通りだ。エイジはレオンと共に顔を見合わせる。

 

「ゾーンより、出る」

 

 その一声でゾーンの宇宙がガラスのように砕けた。実体世界に戻ってきたレオンへと真っ先に声を投げたのは、ザイレムの女エージェントであった。

 

「……レオン様?」

 

 様子がおかしいと感じたのだろう。レオンは彼女の眼を真っ直ぐに見据える。

 

「レナ。俺は負けた。ザイレムを裏切る」

 

 その一言の重みに女エージェントは瞠目する。

 

「……どうしてそんな……。貴方だけは正しいはずなのでは」

 

「正しさを突き詰めた末の結果だ。俺はこの正しさを貫き通す」

 

 女エージェントはしばらく言葉もなかったようであったが、やがてその拳をぎゅっと握り締めた。

 

「……その判断を後悔する。ジャックジェネラル」

 

「そうかな。俺は後悔しないためにこれを決断したまでだ」

 

 女エージェントが後退し、エイジを睨んだ。

 

「ジガルデコアの宿主、エイジ……。そしてスペードスートのジガルデコア。私は、お前らを恨む」

 

 怨嗟の声を放った女エージェントはエンニュートを繰り出して逃げ去っていた。

 

 恐らく、これまで以上に過酷な戦いが待っているのだろう。それだけは確かであった。

 

「……すまない、主殿。俺の因縁まで背負わせている」

 

「いえ、いいんです。……それよりも、その呼び名だと外じゃ……」

 

「ああ、まずいな。……では外ではエイジ君、と呼ばせてもらうよ」

 

「……平常時もその呼び名でいいんですけれど……」

 

 困惑していると、不意に背中に声がかかった。

 

 駆け込んできたリッカがレオンを認めるなり、射竦められたように足を止める。

 

「……まさか。ジャックジェネラル、レオン・ガルムハートがどうしてこんなところに……」

 

「説明が必要かな。お嬢さん。いや、俺は別にいいのだが」

 

 その眼差しが細められる。何かを関知したのだろう。ダムドがその答えを言ってのける。

 

(……メスガキ、またセルが増えてやがるな。何があった?)

 

「そっちが先に言って。あたしだって混乱中なんだから。……ってかメスガキって言うな」

 

 お互いに状況を整理しなければならないだろう。そのためにはジャックジェネラルであるレオンはいささか目立つ。

 

 彼は頭を振っていた。

 

「……少々、長い話になりそうだ」

 



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第五十五話 コアの刺客

 

 上に呼ばれる時は大概、まともな時ではない。

 

 サガラは嘆息をついて、機械群に包まれた上層に佇んでいた。

 

 彼らが何を言いたいのか、こちらから察するところから始まる。

 

「……何かありましたか」

 

『サガラ室長。思わぬ事態が発生した。エージェントとして活動していたジャックジェネラル、レオン・ガルムハートが離反したと言う報告を今しがた、受諾した』

 

 まさか、と目を戦慄かせたサガラはその実情を問いただす。

 

「何があったので……」

 

『Z02とその宿主に敗北し、結果としてセルは奪われていないが、それでも戦力としては痛い。我々の内実を知る人間が外に出たようなものだからな』

 

『この失態は別段、室長である君だけの責任ではない。しかし、ここから先、読み合いはさらに高度になってくるであろう。それは君の処遇も含めて、だと言っている』

 

 やられた、とサガラは奥歯を噛み締める。レオンの離反はエイジをむざむざと逃した自分の責任へと翻る。畢竟、ここで査問されるべきは自分なのだ。

 

「……何がおっしゃりたいのですか」

 

『サガラ室長。最早猶予はない。トゥエルヴの即時解放さえも、我々は視野に入れている』

 

 その言葉にサガラは必死に抗弁を発する。

 

「あれは……! 奥の手ですよ」

 

『だがジガルデコアの一陣営が力を持ち過ぎれば、我らとて強硬手段に出ざるを得ない。その一手段がトゥエルヴの戦線復帰ならば、検討するのもおかしな話ではない』

 

 確かに、トゥエルヴを解放すれば、エイジとZ02を今ならば叩ける。それは間違いないはずだ。しかし、それだけは最終手段に持っていきたい。サガラは思索を巡らせる。

 

「……コア同士の戦闘は危険です」

 

『しかし、他のコアの宿主が接触せんとも限らない。この場合、消極的とも取れる』

 

 言い方一つだ。ジガルデコア同士が争い合えば、どちらかの陣営に転がった場合の抑止力がいなくなる。

 

 そうなれば、一番に困るのはこのお歴々であろうに、彼らはそれを棚上げしてでも現状のパワーバランスの偏りを是正したいらしい。

 

「……トゥエルヴは出せません」

 

『では他の作戦立案を急ぐのだな、サガラ室長。執行部のエージェントに空きがあるうちに、何としてもZ02と宿主を叩くのだ。そうでなければ読み負けるぞ』

 

 レオンの離反は純粋に読めなかった。その一面を責められればそこまでだ。

 

「善処いたします」

 

『最後の最後にゾーンの陣営を我々が手に出来ればいい。そのために努力は惜しまない。無論、注げる人材もな』

 

『レオン・ガルムハートの影響力ははかり知れない。ある意味では最も厄介な敵を作ったも同じだぞ』

 

 この地方を席巻するジャックジェネラル。その一角が一個人に屈したとなれば、情勢は一変する。

 

「……早急なる陣営の構築。そしてセルの奪取を」

 

『君の手腕にかかっている。セルとコアさえこちらのものになれば、後はどうだっていい。最終的な勝利者さえ覆らなければ』

 

 最終的な勝利者。その条件に当て嵌まるのが自分達だと、彼らは信じ込んでいるのだ。

 

「戦いは、ですが分かりませんよ」

 

『サガラ室長。分からぬを操作可能な領域まで押し上げるのが君の役目だ。操作出来ない事象は必要ない』

 

 事ここに至って、彼らも焦っている。こちらにあるコアの宿主は一人のみ。他二体は捕捉さえも出来ていないのだ。

 

 少なくともスペードスートのジガルデを手に入れたと思い込んでいた連中からしてみれば、レオンの離反による悪影響は大きいはず。

 

 自分達の思いも寄らぬ方向に戦いが進めば、それだけ不利に転がるであろう。

 

「……レオン・ガルムハートの抹殺と、そしてジガルデコアの早期接収。我々の目指すべき場所は変わりません」

 

『言葉で言うは容易いがな。君に出来るのかね』

 

「やらなければ、この世は終わりへと向かいます。全てのジガルデコアに宿主が生まれる前に、この戦いをコントロールするのが元よりの目論見であった」

 

『左様。終焉へと向かうこの世界を、繋ぎ止めるのは我々の責務である』

 

 どこまでも、虚飾に満ちた言葉繰りだ。サガラは応じていた。

 

「ザイレムこそ、明日の秩序を取り戻すに相応しい。そして裏切りには死を」

 

『分かっているではないか。サガラ室長、エージェントを指揮し、レオン・ガルムハートの即時抹殺と、そしてジガルデコアを一刻も早く我らの手に』

 

『そうでなければ我々としても不都合な策を取らざるを得ない』

 

 それが誰にとっての不都合なのか。問いただすまでもないだろう。

 

 サガラは表層のみで、その言葉に返していた。

 

「……了解いたしました。まずはレオンの抹殺を。彼は知り過ぎている」

 

 しかし言うほど容易くないのは分かり切っている。

 

 ジャックジェネラルの暗殺など、可能ならば今の今まで誰も果たさなかった事のほうが謎であろう。

 

 厄介な種が出来たものだ、とサガラは胸中に毒づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、やっぱり、エイジさんの事は……ノノも好きなんだよね?」

 

 問いかけたのは愚かであっただろうか。それでも、旅を再開するのにわだかまりは少ないほうがいいだろうと言う判断であった。

 

「うん? ネネは好きじゃないっすか? ノノは好きっすよ。どこかうぶなところも含めて」

 

 快活に笑って見せた半身にやはりこの決断は間違っていなかった、と再確認する。

 

「……ノノ。世界中が敵になっても、きっとエイジさんだけは、味方だよね?」

 

「当たり前じゃないっすか! エイジさんのためなら、ノノ達も頑張るっすよ。それが、恩義に報いるって奴っす!」

 

 この真っ直ぐさの過ぎる姉にネネが笑いかけようとしたその時であった。

 

「――ほのぼの、そこまで」

 

 かかった声に反応した刹那、氷柱が降り注ぐ。それらの攻撃の意思が周囲を固めていた。凍結領域に一瞬で落とし込まれた道沿いで、一人の少女がこちらを見据える。

 

 ピンクの髪色をした少女であった。どこか浮世離れした佇まいと、そしてへそを出した挑発的なファッションをしている。背丈は高くはないのだが、褐色肌という事はこのランセの出ではないのだろうか。

 

「……何者っすか」

 

 警戒心を走らせたノノに、相手は手を振るう。

 

「いや、だってさ。アタシの中のあれがこいつ! って告げているんだよね。だから、抑えさせてもらうよ。アンタ達の身柄!」

 

 前線を行くのは氷柱そのものに足が生えたかのようなポケモンであった。黄色く濁った眼窩がこちらを狙う。自身の頭部に当たる氷柱を伸長させ、そこから四方八方に放ったのは一つ一つに攻撃性能の宿った「こおりのキバ」である。それを「こごえるかぜ」との連鎖攻撃で包囲陣を敷こうとしているのだ。

 

「ネネ! 全力で戦うっす! 下手に手を緩めるとやられるっすよ!」

 

 プラスルとマイナンを繰り出し、瞬時に電撃のフィールドを形作った。だが、そこまで強固ではない。

 

 その間、ネネは相手のポケモンに視線を注いでいた。

 

「……あれはカチコール、進化前ポケモン……。でも、それなのにここまで高精度の使い手なんて」

 

「あれ? なぁーんか、誤解してない? アタシ、カチコールの使い手じゃないんですけれど」

 

「じゃあ、何。まさか、ギンガ団の……!」

 

 緊張を走らせると少女は手を叩いて笑った。心底可笑しいとでも言うように。

 

「アンタら、マジィ? ……そっかぁ、見込み違いだったかな。でも確かに気配はするんだよね? 〝カルト〟」

 

 その名と共に少女の身体からしみ出したのは緑色のゲル状物質であった。それらが螺旋を描いて構築し、一匹の獣を生成する。

 

 息を呑んだノノに比してネネはその姿に見覚えがあった。

 

「……エイジさんと同じ……」

 

「へぇ、エイジって言うんだ? 残留しているって言うのかな。そいつの気配、まだ近くにありそうなんだけれど、アンタ達、知らない?」

 

 尋ねられて、ノノは首を横に振った。

 

「知らないっす!」

 

「そっかぁ……。だったら、どうしよっかなぁ……」

 

(餌にするにしても、この二人でかかるかどうか。旨味はないねぇ)

 

 耳朶を打った声ではない。これは脳内に直接残響する声だ。しかし、ノノには聞こえていない様子である。

 

「だよねぇ。じゃあさ! ここでゲーム! アタシに勝ったら、何でも教えてあげる! 条件はこのカチコール一体でいいよ。プラスルとマイナン、両方で来れば?」

 

 あまりに嘗め切った条件に頭に来たのか、ノノは声に怒気を滲ませていた。

 

「……いくらなんでも、後悔するっすよ。プラスル! エレキボール!」

 

 尻尾を振るい上げ、充填されていく電気エネルギーが渦を成して直後、光球として放たれていた。カチコールに突き刺さる直前、風圧が変位する。

 

「凍える風。エレキボールが着弾する前に、その電磁位相を変えてやればいい」

 

 何を言って、とノノが声にしたその時、「エレキボール」は内側からシャボン玉のように弾けていた。何が起こったのか、解する前にカチコールの繰り出す牙と烈風の乱舞に、ノノとネネは早くも追いつめられていた。

 

「……何が起こったっすか。エレキボールを、当たる前に弾けさせた?」

 

「攻撃だとか、防御じゃない? 何かが電気エネルギーを奪ったとしか……」

 

 その視野の中に映ったのは少女の傍らに侍る獣型のポケモンだ。否、ポケモンと呼んでいいのかさえも不明だが、それでも状況を変えるとすればあれしかない。

 

 額にピンクのハート型の文様を持ち、四つ足の獣の痩躯をノノは睨んでいた。

 

「ネネ。あれをやるっすよ。見たところ素早そうっすけれど、こっちには秘策があるっす」

 

 秘策。それはプラスルとマイナンのみが持ち得る、切り札であった。だがそれを露見させれば全てがお終い。慎重を期して相手と交戦する必要性がある。

 

「何するか知らないけれど、アタシに勝てるの?」

 

「勝つっすよ……。だってまだノノ達の旅は、始まってすらいないんすから!」

 

 マイナンがその電気袋に電圧を溜め込む。するとプラスルとの間に発生したのは渦を巻く電流の流れであった。

 

 電流が嵐の勢いを灯らせたのは即座に、である。

 

 プラスルとマイナンを中心軸として周囲に生じた電撃網が青いスパークを散らせ、膨れ上がる。

 

 ノノが手を払い、ネネが姿勢を取る。

 

 伝授させられし、究極の電気技――Zの極点、その神髄は……。

 

「カチコール、氷柱針」

 

 カチコールの展開した無数の氷柱が幾何学の機動を描いてノノとネネへと突き進む。二人は同時に声にしていた。

 

「「究極のZ技! スパーキングギガボルト! ×2!」」

 

 腕にはめたリングの鉱石が輝き、爆発的に巻き上がった電流の暴風がカチコールを捉えていた。

 

 カチコールの発生させた技の残滓が掻き消え、膨大なる電撃の熱がその表皮を融かしていく。

 

 しかし、プラスルとマイナンは共に不完全なポケモンだ。

 

 一方だけでは成り立たない不均衡な関係のポケモンであるがゆえに、この時使用した「スパーキングギガボルト」は完全な技の発生に至らなかった。

 

 爆発力だけが暴走し、カチコールを融かしたまでは想定内であったが、やはりと言うべきか、操る自分達にまでしっぺ返しが来る。

 

 息を切らしたノノとネネはこれ以上の連続使用は不可能であった。

 

 それでも……。

 

「カチコールは……倒した……」

 

 その実感にノノが口にすると、相手の少女は喜色を滲ませていた。

 

「やるじゃん。ま、その辺りで捕まえた育成もまともにしていないカチコール、倒せないほうがどうかしているよね?」

 

 少女はカチコールをボールに戻さない。それはある事実を二人に突きつけていた。

 

「手持ちじゃ……ない?」

 

「ここでカチコール程度なら破棄するわ。それに……興味もわいた。これくらいの実力なら、いい感じに餌になってくれそうじゃない?」

 

(そうね、エイジとやらをどうにかしておびき出すのには使えそうだ)

 

「また……声……」

 

 ネネが耳に手をやる。それを怪訝そうに見やったノノは直後、少女がホルスターより外したボールに息を詰まらせていた。

 

「じゃあ、ちょっとだけホンキ出すから。まぁ、死なないでよ。じゃ、行って」

 

 ボールが割れ、中から飛び出したのは――。

 

「……何なんすか……これ」

 

 絶句したのも無理からぬ事。

 

 現れたのはまるでポケモンとは思えない、鋼鉄の存在であった。

 

 鋼タイプの分類に照らし合わせるにしろ、破格だ。

 

 そのイレギュラーが屹立し、両腕と思しき砲身を突きつける。

 

「アタシはまぁ、個人的には平和主義なのよ? だから死なないでくれたらラッキー! みたいな。そのエイジって人も、まぁ死なない程度に抵抗してくれるんだと、助かるなぁ」

 

 少女のへその辺りにハート形の文様が浮かび上がる。漆黒の獣と一体化し、妖艶なる笑みで手を振っていた。

 

「じゃあね。一発で死んじゃわないでよ」

 

 ひらひらと振るわれた手を消失点の向こう側に焼き付けて、鋼鉄の巨大ポケモンは白銀の放射で二人の視野を満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

第四章 了

 



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第五章 暗幕戦姫
第五十六話 戦域の支配者


 

「こっちに逃げたぞ! 反応がある!」

 

 ポケモンレンジャーが大地を駆け抜け、その手に携えたレーダーを確認していた。索敵反応に三人組はそれぞれに眼差しを交わす。首肯した三人は間違いなくエキスパートであった。

 

「……訓練通りなら」

 

「ああ、五分後にここで落ち合おう」

 

 その一声で三人が散り散りになる。彼らならば恐らくは一分の狂いもなく、同じ座標に同じ場所で合流するだろう。

 

 それぞれの実績を持って。

 

 ゆえにこそ、ここで潰す必要性があった。

 

 ピンクの髪を払った少女はふんと腕を組む。

 

「気に入らないわね、連中。まだ追ってくるんだ?」

 

(それも同然だねぇ。わっち達を追い詰めるまでとことんのはずさ)

 

 耳朶を打った妖艶な声に少女は舌打ちを混じらせる。

 

「面白くない……。いいや、ここからが、面白い、か。さて、放ったはずの餌はどうなるかなぁ」

 

 ハートの文様がへそを中心にして光を帯びる。

 

 その瞬間、一人のポケモンレンジャーが屹立した影に息を呑んでいた。

 

「……少女……?」

 

 困惑するポケモンレンジャーは双子の片割れである一人が放ったモンスターボールに警戒を注ぐ。だが放たれたのがただのプラスルと見るや、自分の認識を疑ったらしい。

 

「……プラスル……。報告にあった適合者じゃない?」

 

「プラスル、エレキボール」

 

 その当惑を踏み潰し、電撃の球体が草むらを疾走した。放たれた「エレキボール」の明らかなる殺意にポケモンレンジャーは姿勢を崩しざまにボールを投擲していた。

 

「行け!」

 

 現れた錨を模したかのような巨大なポケモンが電撃の球体を霧散させた。藻の絡んだ揺れる錨のポケモンが静かなる鳴き声を上げる。

 

「あれ、何ぃ? 見た事ない」

 

(ダダリンだね。珍しいポケモンだ。確か、ゴースト・草タイプ)

 

「あっは! じゃあ、アタシの手駒のほうが有利じゃん! やっちゃえ! ――ノノ」

 

 その言葉に導かれるように少女――ノノはプラスルを疾駆させる。その小柄な体躯がダダリンの巨躯を上回り、速度で圧倒しようとする。

 

 だが、張られたのは水の皮膜であった。圧倒的な防御膜の堅牢さにプラスルは攻撃を断念する。少女はとどめを確信していたのか、惜しい、と口走っていた。

 

「あとちょっとだったのに!」

 

(いや、ダダリンは個体率が珍しいがゆえに読めない戦法を持つ。ポケモンレンジャークラスが使うとなればそれなりだろう。プラスルでは勝てないかもしれない)

 

「じゃ、駒二つ分」

 

 瞬間、背後に浮かび上がった影にポケモンレンジャーが大仰に驚き、後ずさっていた。

 

「……いつの間に……まるで気配が……」

 

 それだけではないのだろう。瓜二つの双子ジェネラルの登場に驚いているに違いなかった。その顔を想像するだけで笑えてくる。

 

「ビビってる、ビビってる。ホラ! 早くしなさいよ! ――ネネ!」

 

 ネネが挙動し、マイナンを引き連れ攻撃網を見舞っていた。電撃の予感にダダリンが防御皮膜を張る。

 

「めんどっちい! 何で堅いの!」

 

(プラスルとマイナンだけでは属性優位を打ち続けられないか)

 

「じゃあどうしろって? もうっ、これだから、セルで操っているだけのお人形って退屈なのよ。もっとうまく動いてってば!」

 

「――そこまでだ」

 

 地団駄を踏んでいた少女へと背後から声がかかる。据えられたのはキングドラの筒状の砲門であった。恐らく一撃で射抜ける位置にいるのだろう。

 

 ポケモンレンジャーの声音は静かであった。

 

「……お前が、特一級捕獲対象か」

 

「そんな面白味のない名前で呼ばれてるの? アタシ。なーんか、あんたらって、そういうのも含めて淡白よね? 人生一度っきりよ? 面白く生きなくっちゃ」

 

「……あの二人のジェネラルを、セルで操っているのか……」

 

 信じられないと言った論調に少女は笑い声を上げる。

 

「当たり! 当たったついでに何かしてあげよっか? 特別、な事」

 

 こちらの声音にまるで危機感がない事に相手は震撼したらしい。キングドラへと指示の声を飛ばす。

 

「キングドラ。狙いを逸らすなよ。この少女は……恐らくコアに精神を毒されて……」

 

(失礼な事を言うものだよ。わっちが一度だってリコリスの精神を侵そうなんて考えたかい?)

 

「そりゃ、ないわ。ない。だってカルトはアタシの一番のマブダチじゃん。そんな事あったら絶交だし」

 

(絶交も何も一心同体だろうに。お前さんは面白い事を言ってくれる)

 

 嘆息と脳内を震わせた声にポケモンレンジャーは片耳を塞いでいた。

 

「テレパシー……。これが、ジガルデコアの……」

 

「そういうアンタ、セルの宿主ね。でも……全然。本当につまんないの。使いこなせてやしない。もっとマシになってから、アタシを捕まえに来てよ。いつでも待ってるんだから。強いコは」

 

 ふふっと笑ってみせたこちらにポケモンレンジャーは後ずさっていた。その一歩に少女――リコリスは言いやる。

 

「……一歩でも退けば負けよ?」

 

 直後、地面を伝ったゲル状のセルがポケモンレンジャーの足をすくっていた。姿勢を崩したその一刹那。リコリスは挙動し、キングドラの放った「ハイドロポンプ」の一撃を掻い潜っていた。

 

 懐に潜り込み、手を開く。

 

「やっほー」

 

 相手が瞠目した瞬間には潜り込んだジガルデコアの思惟がセルを取り込み、自らのスートに招き入れていた。

 

(……また、クラブのスートだね)

 

「またぁ? こいつらそれしか持ってないの? ま、そんな事はどーでもいいや。ノノとネネは?」

 

(……リコリス。駒を使うと言うのなら意識を薄らいでは駄目じゃないか。お陰様で総崩れだよ)

 

 ノノとネネは硬直し、突然に止まった相手の挙動にダダリンを操るポケモンレンジャーは戸惑っているようであった。

 

「あっ、いっけね」

 

 てへ、と舌を出して再びセルに意識を通す。ノノとネネが急に挙動したのがある意味では功を奏したのか、ポケモンレンジャーは圧倒されているようであった。

 

「な、何が……」

 

「あれ? あの人……マジウケる。アタシの采配ミスが結果的によかったみたいね、カルト」

 

(……好きにおし。いずれにしたって、あの二人だけでは心もとない)

 

「まぁ、そうよねー。一人下したって言っても、連中の使う人員は無限なのかなー? どれだけ払っても払っても湧いてくるなんて」

 

 意識を失ったポケモンレンジャーの頭を足蹴にする。それを内奥からの声が咎めた。

 

(滅多な事はするもんじゃないさ。少しでも油断すれば取られるよ)

 

 忠言にリコリスは微笑む。

 

「油断? アタシがただ単に油断なんてするものですか。ノノとネネはそのままダダリンを相手に時間を稼いで。もう一人がいたわよね? そいつの出鼻を挫かないと」

 

(こいつはどうするんだい?)

 

 リコリスは草むらの陰にポケモンレンジャーを引っ張り込もうとして、大の男の重さに音を上げていた。

 

「やっぱ肉体労働ムリ。そのまんまにしとこ」

 

(……ズボラだねぇ、相変わらず)

 

「そっちこそ、小言ばっかり絶えないようね」

 

 互いに言い合って、リコリスは背の高い草むらで姿勢を沈める。

 

「……で、ダダリンを相手取っているのはいいけれど、どうしよ」

 

(先手を打たれる前に撃つのが定石だろうね)

 

「あっは! じゃあ撃っちゃえ! エレキボール、連射!」

 

 ノノとネネがそれぞれプラスルとマイナンを疾走させ、ダダリンを中心軸に電磁の光球が行き交う。相手のポケモンレンジャーはその応酬に攻撃の手を打ちかねているようであった。

 

「よっし! 墜ちちゃえ!」

 

「ダダリン、うずしお!」

 

 生み出された辻風が水を纏いつかせ、ダダリンはマイナンを絡め取る。水の渦に巻き込まれ、マイナンの動きが鈍った。その隙を突き、ダダリンは巨大なる錨を振るい上げる。

 

「パワー、ウィップ!」

 

「ヤッバ! ちょっと、水も出せるなんて反則ぅ!」

 

 錨の切っ先がマイナンを貫くかに思われたその瞬間、プラスルが前に出て電磁波を放出する。絡め取ったはずが絡め取られたダダリンの動きが急速に遅くなった。

 

「いよっし! ナイスプレイ、ノノ!」

 

 その言葉にノノは無反応だ。否、正しく言うのならば彼女はきっちりと「稼働」している。その身体に植え込んだジガルデセルは二つ分。人格制御とポケモンの性能を向上させるだけの素質を引き上げさせる。

 

 リコリスは瞳に生気のない二人を手繰り、ポケモンレンジャーを追い込んでいた。どこか不気味にさえ映る二人の攻防に完全に参っている様子だ。

 

「な、何なんだ! ハートのコアの宿主だけって話じゃ……」

 

 それでも押し黙ってダダリンへと歩み寄るノノとネネに、ポケモンレンジャーは攻撃を命じていた。ダダリンの眼窩に光が宿り、直後拡散した光がプラスルとマイナンより生命のエネルギーを吸い取っていく。

 

「メガドレイン……! なんて器用なの!」

 

(リコリス。ちょっとまずいかもしれない。あの二人はお前さんが弱らせたままだ。あまり体力は残っていない)

 

 その言葉通りに、プラスルとマイナンは急速に攻撃力を失っていく。それも当然、体力はとっくにレッドゾーンなのだ。連携が出来ているだけでも御の字である。リコリスは、あーあ、と嘆いていた。

 

「ここまでかぁー。つまんないの。いっつもそうだよね。駒ってうまく動いたためしなんかない」

 

(リコリス。もっと人間の動かし方は学んだほうがいいよ。自分の力に自信があるからってこれじゃ、ジェネラルとしては半端もいいところだ)

 

「でも、アタシ、弱くはないもんね」

 

 ホルスターに留めたモンスターボールを意識し、リコリスは草陰より割って入る。

 

「あー、ちょっとゴメンね。ここで駒二つ壊されるの、ちょっとやなの。だから、アタシ、ちょっとだけホンキ出すね」

 

「子供……。お前がハートのジガルデコアの宿主か?」

 

「あっれー? 何言っちゃってるの? 最近の子供は進んでるんだから。おじさん達、ナマイキ言っているうちに倒しちゃうよ? ま、もう一人はおねんねしているけれどね」

 

「……一人やった程度で何を。合流する。対象を発見。これより捕縛に――」

 

「おっそい。行きなさい――」

 

 緊急射出ボタンを押し込み、繰り出した巨大なる影に、ポケモンレンジャーは絶句する。

 

「何だこれは……。こんなポケモン……」

 

「――ヘビーボンバー」

 

 紡いだ言葉と共に白銀の瞬きが連鎖し、直後にはポケモンレンジャーを押し包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シグナルロスト……。室長、Z01追跡の任を帯びていたポケモンレンジャー三人のシグナルが同時に途切れました。これは恐らく……」

 

 濁すまでもない。サガラは手を払っていた。

 

「失敗だろうな。だがZ01、彼奴はこのザイレムに多くのデータと財をもたらした存在……。どうして我々に牙を剥く……?」

 

「七十年前に、最初に確認された……最初のジガルデコア……」

 

 震撼した様子で口にしたオペレーターにサガラは言いつける。

 

「継続監視を怠るな。ポケモンレンジャーの捕捉を厳とし、これより十二時間のシグナルの回復を待て。それでも返答がなければ、そこまでだ。Z01追跡へとエージェント権限が発令される事になる。……まさか二体のジガルデを相手にエージェントを散らす羽目になるとは……」

 

 これも自身の不実か。拳を握り締めたサガラにオペレーターは遠慮がちに返答していた。

 

「……室長。帰還したエージェント、レナよりあの……ジャックジェネラルの情報の開示権限を要請されております。面談の許諾と三十分以内の対応を……」

 

 どこか気圧されているのは、その事実を信じられないからか。自分とて信じられるものか。エージェントとなったはずのジャックジェネラルの裏切りだけではない。Z02にまたしても一泡吹かされた結果は不本意だと、ここに詰める全員が理解している。理解しての言葉であったのだろうが、サガラは落ち着き払って声にしていた。

 

「……応じる。エージェントとの面談を許諾。わたしは執行部のエージェントの下へと出向こう。相手の反応は」

 

「エージェント、レナはそのスケジュールで認証しています。それと……こちらを切ったジャックジェネラルの所在ですが、現在も捕捉中。カエンシティ中央部に近い場所に……」

 

「逃げも隠れもしないか。大いに結構だよ、レオン・ガルムハート」

 

 因果の名前を口走り、サガラは席を立っていた。オペレーターが尋ねる。

 

「レオンの継続監視も行いますか」

 

「手が空いているのならばな。執行部が跳ねのければそこまでにしておけ。我々に執行部をどうこうする権利はない」

 

 そう、所詮モニター権限しかない自分には、執行部の動きまで制せない。問題なのはここから先の盤面、どの陣営に優位に転がるのか読めなくなっている点だ。

 

 管制室を出たサガラは既にマーキングを施しておいたジガルデセルの宿主達の大まかな位置を把握する。自分の指紋認証と網膜認証、それに三重のセキュリティコードを必要とする特殊端末だ。無論、そこまで厳重にせずとも、室長身分の自分の端末をかすめ取ろうなどという命知らずはいないであろうが。

 

「……ジガルデセルは結果的にランセ地方全域に至ったな。北方部はジガルデとは言え、能力が抑制されるのか、中央部に数多い。これを知っているのは、組織の中でもわたしだけ……。この強みを活かさない手はない」

 

 しかし、どうするか。エレベーターに乗り込み、地下階層を上がりながらサガラは次の手を講じようとする。

 

 このままでは上層部の息一つで奥の手を出さざるを得ない結果に陥る。

 

「……トゥエルヴの即時投入案など出されては堪ったものではないな」

 

 降り立ったのは執行部権限のフロアであった。そこいらに服装の違う者達が行き交っている。彼らはエージェントの者もいれば、ただのオペレーター身分もいる。しかし、確かな事は、彼らは自分よりも権限が上であり、そして実地においての戦闘訓練を積んだ、戦いのエキスパートである点だ。

 

 戦闘面で熟知している相手とそうでない相手とでは雲泥の差。

 

 レオンが裏切ったとなれば自ずと執行部任せの仕事が増える。その場合、借りを作り続ける事になってしまうのだが……。

 

「おう、何だ不機嫌そうな顔でこのフロアをうろつくなよ」

 

 何の躊躇いもなしに手を振ったオオナギの図太さにサガラは嘆息をつく。

 

「……余計な事はここでは言えない」

 

「分かってんよ。ただな……イレギュラーにイレギュラーを重ねられて、その後で泥でも塗られたみたいな酷い顔をしている友人を見かけたら、声をかけずにはいられないだろうが」

 

「……当たらずとも遠からずだ」

 

 ため息をついたサガラにオオナギは顎をしゃくる。

 

「いくらでもエージェントの伝手はある。任せてくれりゃそれなりの戦果は出すさ」

 

「上が納得すまい」

 

「その納得を取り付けるのがエージェントの仕事。ま、お前は任せてちぃとは寝とけ。目の下のクマが酷いぞ」

 

 そうか、そう言えば最近眠れない日々を過ごしていたな、と他人事のように考えていた。

 

「……睡眠薬を処方してもらおう」

 

「それがいい。あ、それとな」

 

 立ち去り際、オオナギは硬貨を差し出していた。

 

「この間の煙草の駄賃、返しておくわ」

 

 百円硬貨をサガラはポケットに仕舞う。なるほど、考えたな、とコインをさすっていた。

 

 ――この場所では全ての行動が監視されている。

 

 今、手渡された硬貨も検閲にかけられる。だがその前に、と硬貨に擦り付けられたマイクロチップを爪の内側に入れ込んでいた。

 

 コイン一枚でさえも検閲にかけられる施設だが、それでも相手を騙し切る手はある。こうしてコインにマイクロチップを埋め込み、それを自身の生態部に挿入すれば、さすがの上役でも見逃すだろう。

 

 マイクロチップをすかさず端末に翳す。チップのID認証が行われ、もしこの後、自身の身体を何度精査されても、体内からは何も出ないはずだ。たとえ爪の間に挟まった極小のマイクロチップに相手が気づいた時には既に遅い。

 

 一度でも認証されればバイオ部品で生成されたマイクロチップはただの爪垢と大差ないものへと変容している。

 

 これがこのザイレム基地内で情報を交換する最もスマートな手段であった。

 

 それ以外では上役に気取られてしまう。サガラはオオナギが図太いようで考えていると評価を改めていた。

 

 否、最初から相手は切れ者だ。この魔物が跳梁跋扈するザイレムという組織でそれなりの地位を守るのには知恵が必要になる。ある時には愚鈍を演じる事でさえも知恵の一つだ。

 

「……しかし、嘘が下手だな。わたしは煙草は吸わないし他人のものなんて買う事もないのに」

 

 それもオオナギと言う男を分析するのには一つの要因だろう。

 

 サガラは個室へと入り、ガラス窓に隔てられた対面に座る予定の相手の情報へとアクセスする。

 

「エージェント、レナ。アローラの出身者か。有するポケモンはエンニュート。毒ポケモンの中でも特殊な立ち位置にいる、毒の粘液が武器のポケモンだ」

 

 エンニュートの三次元図にサガラは、なるほど、と納得する。

 

 これではレオンの手持ちには押し負けるな、とポケモンバトルから退いて久しい自分でも推し量れた。

 

 レオンの手持ち情報へと開示権限を使ってアクセスしようとしたところで、相手は現れていた。どこかふらりとした容貌は本当にエージェントか、と勘繰りたくなってしまう。

 

 それほどまでに、彼女はやつれていた。

 

 まるで信じるべき神を見失ったかのように。目には光がない。足取りもどこかおぼつかなかった。

 

「……要望は聞いている」

 

 そう切り出したサガラにレナはこちらをようやく認めた様子であった。

 

「……レオン様は……」

 

「随分と心酔していたようだが、彼はもう敵だ」

 



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第五十七話 セルの暗躍

 

 断じる口調にレナは何度も、そう敵、と繰り返す。

 

「敵、敵、敵……そのはず。敵のはず。だから……レオン様は私が殺す。私が、殺さなければならない……」

 

 錯乱しているようだ。それともレオンに一服盛られたか。いずれにせよ、このままでは使い物にならない。サガラは単刀直入に切り込む。

 

「前回のミッションの失敗に、何か言う事は」

 

「……ありません。私の認識ミスでした」

 

「結構」

 

 これはザイレムのエージェントならば最初に叩き込まれる洗脳の一つであった。

 

 任務失敗の際、客観的に分析し、離脱不能ならば自害も辞さない――。

 

 それこそがザイレムと言う魔窟の抱え込んだ闇の一つ。人を人とも思わない所業のほんの僅かであった。

 

「では問うが、レオン・ガルムハートは何故敗北したと?」

 

「それも、認識ミスの一つに集約されます。彼は相手の力量を見誤った」

 

 レナの端末よりその戦闘のリアルタイム映像が送られてくる。相手はルガルガンだけだと思い込んでいたが、メテノと言う謎の多いポケモンまで所有するようになったか。

 

 しかしそれだけでは敗因の決定打ではないはずだ。如何にセルのスートの侵されていたとは言え、状況判断では遥かにレオンが勝る。

 

「……何故、メテノのこの一撃を防げなかったのか」

 

「驕りもあったのかと。レオン様は何度も宿主の少年に怒りを刺激され、平常な判断力を失っていた」

 

「……Z02の少年が、レオンを上回った、か」

 

 その可能性には極めて低いという判断をしていたが、ないわけではないだろう。事実、レオンは敗北し、そしてエージェントは帰ってきた。放ったはずの爆弾が戻ってくると言う愚を犯すのはひとえに説明し切れない事象が重なったからもあるはず。

 

 サガラは一つずつ、不明点を洗い出す事こそが、Z02攻略の近道だと感じていた。

 

 今まで何度も辛酸を嘗めさせられた相手だ。そう容易く転ぶはずがないとは思っていたが、レオンならばあるいはと考えていたのもある。

 

 ある意味ではザイレムの読みの甘さを指摘される戦いでもあったのだ。

 

 ――強いジェネラルならば弱小ジェネラルに負ける道理もなし。

 

 その理屈がこうも容易く崩れ落ちるとは思いも寄らない。どうやらエイジ少年の認識を改めなければならないらしい。

 

 彼は真実の一端を知り、そしてその上で相手を否定して見せた。持ち得るポテンシャルは想定していたレベルを遥かに凌駕している。

 

「……君から見て相手の少年はどうだった?」

 

「弱いと判断していました。事実、コアの人格が明らかになってもその判定は同じで」

 

「勝てる相手とでも?」

 

 首肯したレナに嘘の痕跡はない。事実、勝てた戦局であったのだろう。だが実際にはレオンが敗れた。敗因を分析しなければまた同じ浅慮を繰り返す。

 

 次こそは勝てなければならない。何度組織のエージェントを使うと言うのだ。

 

 こちらとて突かれて痛くない横腹はあるまい。ランセ地方に深く根付いたザイレムでも、あまりに失態が過ぎれば敵の潜入を許してしまいかねないだろう。

 

「だが現実はレオンが敗走した……。ジガルデコアが特殊な攻撃をした痕跡はない……。これだけ見れば、恐るべき下剋上だよ。彼は、この地方を束ねる最強の四人の一画にまで迫ったと言う事実になる」

 

 ポケモンジェネラルならば誰しも憧れる極致に彼は至るべき可能性があるとでも言うのか。ただの気弱な少年に思えたのだが。

 

 いや、現実は常に分からない。不明な領域へと変ずる。問題なのは、その変動値をどこまで制御するか。それに尽きるだろう。

 

 ここではレナを責めるのではなく、如何にして次は勝つのかその方策を練るまでだ。

 

 ――いずれにせよ、Z02は力を得ている。

 

 レオンに与えられたスートをどこまで吸収しているのかは不明のままだが、陣地は遠からず変動するだろう。その時、上役がどのような反応を示すのかも読まなければこの組織内で読み負ける。

 

「……何でもいい。思い出せる事はあるか? 彼についてでも、彼の周辺に関してでもいい」

 

「そういえば……地下組織構成員との戦闘がありました。報告するまでもないと彼は判断したようですが」

 

「地下組織?」

 

 ザイレムではない地下組織があるとなれば、こちらに情報が来ていないはずもないのに、今さら地下組織の暗躍だと。

 

「……何者だと名乗っていた」

 

「確か……ギンガ団と」

 

 即座に検索をかける。ギンガ団はシンオウを一時期支配下に置いた地下組織の一つだ。

 

 一説には、その構成員の実力と、そして規模からカントーに潜んでいたロケット団相当と目されていた事もある。だが、三年前には離散した、という公式見解に落ち着いていた。

 

「……ギンガ団の再興……。それをランセ地方でやろうと言うのか……」

 

 だが無策もいいところだ。ザイレムが根を張っている事を知らない地下組織ならば遠からず禍根の芽は詰まれるはず。

 

「……ギンガ団の脅威判定はBに留める。問題なのは、エイジ少年を取り逃がした事、そしてレオンの離反にあるだろう。彼らを特A級対象と判定し、継続しての抹殺任務を充てる。異議は?」

 

「ありません」

 

 これもエージェントとしての礼節の一つ。上官には逆らわない。彼らはもう深層意識の底の底からザイレムに忠誠を誓っている。

 

 ある意味では恐るべきと判じたのはレオンのほうであったのだが、とサガラはサングラスのブリッジを上げていた。

 

 彼はレナの忠誠心を揺さぶった。

 

 王の素質は彼にこそ輝くのだと、自分も思い込んでいた。それが如何に節穴なのかを思い知らされるとは、考えても見ない。

 

「……分からぬものだな。王者の喰らい合いは」

 

「面談はここまででしょうか?」

 

「ああ。情報は受け取った。継続任務と、そしてザイレムの天下のために働いて欲しい」

 

「承知しました。……ああ、でも一つだけ」

 

 またしてもレオン抹殺を誓うか、と感じたサガラが視線をくれると、彼女はこの時ばかりは正気に返ったような眼差しで声にしていた。

 

「――ジガルデを、嘗め過ぎれば痛い目に遭います」

 

「それは承知しているが……」

 

 まさか、と目を見開いた刹那、一匹のジガルデセルがレナより離脱し、そのまま地表を目指して飛び出していた。

 

「……やられた。レナに潜ませていたのか……。Z02……いいや、これはレオンの仕業か……」

 

 いずれにせよ、このまま逃がすわけにはいかない。相手にはザイレム基地の全てとも言える情報が詰まっている。レオンの考えならばザイレムを駆逐するのに利用するはず。

 

 そうでもなくとも基地内部を精査されたのでは堪ったものではない。サガラは緊急時のコールサインを端末より送信していた。

 

 エマージェンシーコード07――侵入者発見の報が飛んだのは自分が在籍してから初めてである。

 

 赤色光と隔壁が降り立ち、次々とザイレム基地を防衛姿勢に移らせていく。その速度は推し量るまでもない。ネズミポケモン一匹とて逃がさない鉄壁の構えに、ジガルデセルでさえも逃走不可能に思われたが相手は遥かに速い。隔壁の隙間を縫い、降り始めた防御陣営を潜り抜けて、ジガルデセルは地上を目指していた。サガラは端末を凝視しながら、敵の逃走ルートを推測する。

 

 相手がどのルートを使ってどう逃げるのか。

 

 それを見越し、サガラは命令を下していた。

 

「三階層の隔壁を全て閉じろ! 地上を目指すのにはシステム通路を使うしかあるまい」

 

『どうするのですか』

 

 オペレーターの困惑にサガラは室長判断を迫られていた。ここで仕損じれば大きな損失となる。そうでなくともレオンを失ったのは痛い。最小限に抑えなければ、と奔らせた神経はこの時、最適解を編み出していた。

 

「……地下水脈やシステム隔壁まで気に留めていればきりがない。何よりも……このセルを遠隔稼働させているのは恐らくレオンのほうだ。Z02ではない」

 

『根拠は……って聞いている場合でもありませんね。三階層までの隔壁を全て閉鎖。ジガルデセルのマーカーは……』

 

 サガラは唾を飲み下す。

 

 レナより離脱したジガルデセルは地上を目指す前に力尽きているようであった。

 

 あと二階層上まで行っていれば、相手に情報が渡っていた危険性が高い。息をついたサガラにオペレーターが言いやる。

 

『……ジガルデセル……沈黙……。どうやらそこまでの遠隔操縦技術ではないようですね。対象から離脱するなり、地上を目指すようにだけ命令されていた、と見るべきでしょうか』

 

「今は観察の暇さえも惜しい。ジガルデセルを確保、後に分析にかける。……だが、何も出ないだろうな」

 

『了解。……どうしてそう思われるのですか』

 

「レオン・ガルムハートは食わせ者だ。自分を信奉した女からザイレムの情報を奪い取ろうとしていた。その事実から鑑みるに、容赦の一つさえも挟む気がない。……分かっていたつもりではあったのだがな」

 

 この地に立つジャックジェネラルだ。どのような獲物であっても死力を尽くすであろう。彼の辞書に、手加減の文字はない。

 

 ゆえにこそ、この事実は重く見るべきなのだ。レオンはザイレムを完全に切った上に、打てる手は全て打とうとしてくる。下手に深追いすれば、傷を負うのはこちらだ。

 

「……これは警告でもあるのだろうな。地上までジガルデセルが到達するにせよ、しないにせよ、我々に、ここまでやってみせるのだと言う、程よいデモンストレーションにはなった」

 

 相手のスタンスが明瞭化しただけでもある種の僥倖か。レオンに、こちらへの忠信を期待する手間は省けたと言うべきだろう。

 

 もう、彼は完全なる敵だ。

 

 その事実がどこまでも不利益に転がりかねない中で、サガラは監視カメラが映し出した、ジガルデセルを睨む。

 

「……またスペードスートか。貴様らは本当に、わたしをコケにするのが好みのようだな。ならばわたしも、貴様らを恨もう。この身が燃え尽きるまで……」

 

 握り締めた手の甲にはスペードの文様が浮き上がっていた。

 

 



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第五十八話 ランセを進む者達

 

「――離脱した」

 

 そう口にするレオンは落ち着き払っていて、どこまでも冷静に事態を俯瞰するジャックジェネラルの風格を崩さない。

 

 今実行している策がザイレムの内情を探るとっておきの手だと分かっていても、彼は急く事もましてや浮き足立つ事もない。

 

 ――これがジャックジェネラル……。

 

 今さらながらこのような男に打ち克ったなど少し信じられない。自分のほうがびくびくしているのはどこか滑稽で、それでいて戦闘時の高揚感は失われていた。

 

(おい、レオン。テメェ、その遠隔操縦信用出来るのかよ)

 

 ダムドの問いかけにレオンは眉根を寄せていた。

 

「失礼なジガルデコアだな。口も悪いし粗暴なのは変わらずか。俺はジガルデセルの制御には手慣れている。貴様よりかはマシに動かしているつもりだ」

 

(どうだかねぇ。エイジ、こんなヤツの策、聞いてやるまでもなかったんじゃねぇか?)

 

 ダムドとレオンはどうやら犬猿の仲らしい。二人の仲立ちをするのが自分の役目だ。

 

「でも、エージェントにセルを取り憑かせてそこから逆探知するなんて、僕らじゃ思いつかない。いや、思いついたってやらないだろうし……」

 

「俺の持つスートとセルの所有数は我が主を上回っている。その一点で勝負をするのならば、この作戦がちょうどいい」

 

 レオンはこめかみに指を当てながら遠隔操作をしているらしい。ずっと、一点を注視している。

 

 そんな彼に、声を潜ませたのはリッカだった。

 

「……ねぇ、いいの? エイジ。ここ、ジェネラルレベル10以上の人間しか入れないセーフルームよ? カエンシティでも一等地の……」

 

 自分達がいるのはカエンシティを一望する高級建築の最上階であった。

 

 赤レンガ造りの建築物は特別財を凝らしてある事はないが、それでも裏通りを知ってしまった身からしてみると、少しばかり委縮する。それほどまでに豪奢であった。

 

 白亜のテーブルが中央に置かれ、ジャックジェネラル御用達の一室は人間一人が泊まるのには手広過ぎるほどだ。いい機会だと、レオンよりポケモンの遊泳を促されており、エイジはルガルガンとメテノを放っていた。

 

 リッカはまだ信用ならないのか、ポケモンを放つ事までは行わないものの、隣り合った椅子の上でじっとレオンの様子を観察している。

 

 その瞳には、ジャックジェネラルへの憧憬よりも、疑心があった。

 

 そもそも、何故レオンが自分と戦ったのか。そして如何にしてその実力を打ち破ったのか……全てが不明のまま、目立つとよくないと言う理由だけで招かれたセーフハウスに彼女は身を縮こまらせている。

 

(エイジ。メスガキに説明するんなら今のうちじゃねぇか? レオンは操縦に集中している)

 

「あ、うん……そうだね」

 

 じっとリッカはこちらを窺っていた。その眼差しに少しだけ気圧されてしまう。

 

「いつから?」

 

 有無を言わさぬ口調にエイジは素直に返答していた。

 

「……昨日、レオンさんから接触されて……」

 

「我が主。さん付けなど不要です。レオン、とお呼びください」

 

 遠隔操縦しながらこっちの会話に耳を傾けているのか。その精神力に圧倒されつつ、エイジは言葉を選び直す。

 

「あ、はい……。えっと、レオン……さんはジガルデセルを複数持った宿主だったんだ。ザイレムのエージェントとして、僕らに真剣勝負を挑んできた」

 

 やはり呼び捨てには出来ず、妥協したエイジにダムドが呆れ返る。

 

(さんなんて付けてやるこたぁねぇ。あいつの落ち度なんだからよ)

 

「でも……長い間憧れていた人を呼び捨てには出来ないよ……」

 

 当惑するエイジにリッカは額を押さえていた。

 

「……で? どうしてだかジャックジェネラルがザイレムのエージェントで、なおかつジガルデセルの媒介者? それであんたは一対一で決闘? ……胡散臭いって言うか、何で一言も言ってくれなかったの?」

 

 やはりそう来るか。エイジは頬を掻きながら言い訳を練ろうとして、ダムドの声に遮られる。

 

(テメェに言ったって事態は好転しねぇ。それくらい分かんだろ)

 

「……まぁ、その通りだったんだろうけれどさ。それでも一言は欲しかったって話」

 

 いつになくリッカも殊勝である。それは先に聞いていたシティリーダーがジガルデセルの媒介者であったのも所以しているのだろう。

 

 ――既にジガルデはこの地方に根強く巣食っている。

 

 そんなものを陣取るこの大勝負、自分に出来る事など露ほどにもないと言われているようで、エイジは言葉を失っていた。

 

「……途切れた」

 

 舌打ちを漏らすレオンにダムドが早々に言葉を投げる。

 

(ホラな? 人間の分際でセルの自走なんて無理だろ)

 

「黙っていろ、ジガルデコア。貴様とて持っているセルの数は少ない。この作戦を実行出来たのは俺だけだ」

 

(おーっ、それはそれは。御大層なこって。……つーか、エイジは敬うクセにオレにはそんな口調かよ)

 

「俺はエイジ君に従うのをよしとしただけであって、貴様の下につく気はないのでね。ジガルデコア、俺は貴様を信用しない」

 

(そいつぁ結構だな。だが言わせてもらうんなら、オレもテメェを信用してねぇ。ザイレムに尻尾を振ったお高いジャックジェネラルなんざ、信用なるかよ)

 

 互いに譲らない舌戦に、エイジはあわあわと割り入っていた。

 

「まぁまぁ……。そんな剣呑にならずに。僕は……レオンさんのこの行動力、称賛に値すると思う」

 

「もったいなきお言葉」

 

 傅いたレオンにエイジはぎょっとする。ジャックジェネラルに頭を下げさせるわけにはいかない。

 

「こ、困りますって! 僕はそんな器じゃない……」

 

「いいえ。身を粉にして君に尽くすと決めた。ならばこの意地、通させて欲しい」

 

 どうにも意固地なのはこちらも同じの様子である。どうして一回言ったら聞かないのばかり自分の周りにいるのだろう、と軽い頭痛を覚えた。

 

「あの……でもあんまりかしこまらないでください。僕はつい数日前まで最底辺のジェネラルレベルだったんだし……」

 

(謙遜するだけ無駄だぜ? エイジ。こいつを体よく利用させてもらって、オレ達は高みの見物としゃれ込もうじゃねぇか。そのほうがセルの集まりもいいかもしれねぇ)

 

「気取るな、ジガルデコア。俺は貴様に仕える気はさらさらないのだからな」

 

 厳しい論調が飛んできてエイジはびくつく。それをリッカが肘で突いて諌めた。

 

「馬鹿……あんたがそんなでどうするのよ」

 

「そんな事言われたって……」

 

 どうにも慣れない空気だ。レオンはこめかみを再び突き、やはりと口にしていた。

 

「……遠隔操縦には無理があったか。だがそれでも有益な情報を得られた。我が主、情報共有をしても構わないだろうか」

 

「あ、うん……。それは必要だけれど……」

 

 こんな大それた部屋まで必要か、と返したかったが呑み込んでおく。

 

「まず一つ。ザイレムの基地はあの場所のみだ。他の支部は存在しない」

 

「でもそれって……追尾したエージェントの身体感覚から得た情報ですよね? それが全てとは限らない……」

 

「だが君達が事前に言っていた位置情報と符合する。他に小さな基地があるとしても、エージェントの帰還する基地はあの場所なのだろう。俺はレナに目隠しされて連れて行かれたが、ちょうどこの辺りか」

 

 レオンが地図を広げ、指差したのはランセ地方の南西部であった。

 

 カエンシティ郊外に前回は出たのだ。その付近には違いないとは確信していたが……。

 

「……範囲がこんなにも広い……」

 

 カエンシティの北方にあるコブシシティ、さらには海に面する地域まで捕捉範囲に入っており、相手の出方や規模の巨大さをより見せつけられた形だ。

 

(要はランセ地方の南は相手の領域ってこったろ?)

 

「簡単に言うけれど……南西が相手の領域って分かった以上、僕らがこの辺りで騒ぎでも起こせば……」

 

「即座に捕捉されるだろう。いや、もうされているかもしれない。彼らはジガルデセルの信号を受信する術があるようだ。俺は誰にも、セルの媒介者になった事は他言していなかったが、彼らには筒抜けのようであった」

 

 レオンの言う事だ。それは間違いないのだろう。彼は本当に、他の誰にもセルの事を言っていない。信じる信じないではなく、この男ならばやりかねないの一事で理解出来る。

 

 戦ってみせたのがある意味では大きい。

 

 彼のスタンスが明らかになった上に、信じるべきものも、その胸の内もある程度は把握出来た。彼の振るう正義が自分達を容易く屈服させかねないほど、強いと言う事実も。

 

(……オレも何度も行方をくらましたのに追われた。連中、オレや他のコアの居場所くらいならたちどころに分かっちまうのか?)

 

「そう考えたほうがいいでしょうね。セルを使った無暗な遠隔操作は逆効果かも知れない」

 

 口にしたリッカにエイジは問い返していた。

 

「それは、……何で?」

 

 尋ねた愚にリッカはほとほと呆れたようであった。ため息交じりに彼女は説明する。

 

「あのね……あんたが最初にあのクジラって言うエージェントに捕まった時だって、ジガルデコアを顕現させたからでしょ? そして今回の件もそう。相手にはジガルデの行動がある程度予見出来る何かがあるのよ。あるいは統計かもね。相手からしてみれば、とっくの昔に試した事を、あたし達は繰り返しているだけかもしれない」

 

「今の追跡行為も、か。軽率だった。すまない、リトルガール」

 

「……リトルガール?」

 

 レオンの口から出た言葉にリッカは呆気に取られる。

 

「主君の連れ添いだが、俺は仕えると決めた相手以外にはあまり忠義は尽くせない。ゆえにリトルガールと呼ばせてもらう」

 

「あたしは! ……連れ添いじゃありません。むしろエイジがあたしの連れ添いで……」

 

 抗弁を発しかけて相手がジャックジェネラルである事を意識したのか、後半は尻すぼみであった。それでもリッカなりの健闘であったのだろう。どこか彼女はレオン相手に困惑を隠せないようだ。

 

「……俺達はあまり軽率には動けないな。本来ならばこのカエンシティに留まる事も下策かもしれない。俺は相手を追い詰めたつもりだったが、これは奴らの逆鱗に触れた可能性がある。カエンシティに多数のエージェントでも送り込まれれば完全にこちらの詰みだ。ならば手は早めに打ったほうがいい」

 

 面を上げたレオンの相貌にエイジがえっ、と困惑する。リッカへと視線を逃がすと彼女もこちらを見据えていた。

 

「あの……何か?」

 

(バカ野郎、エイジ。ここでのボスはテメェだろうが。テメェが判断を下せ)

 

 思わぬ無茶振りにエイジは声を跳ねさせる。

 

「む、無茶言わないでよ! 僕はカエンシティより向こうには行った事ないだからさ!」

 

「……地の利を得るのには北だ。北に向かえば彼らも追いづらいはず」

 

 レオンの提言にリッカも応じていた。

 

「……必然的にジェネラルレベルの高い場所に、か……。これは厳しい戦いになりそうね」

 

 北方の地。そこに向かおうとすれば競合ジェネラルは自然とレベルの高い人間になってくる。だが、エイジはどこか楽観視していた。

 

 こちらには無敗のジャックジェネラルがついている。ならば、彼を信用して判断を任せればいいのではないかと。

 

 その考えが愚策だと、ダムドが直後には声にしていた。

 

(……エイジ、言っておくがレオンの言う通りには動くなよ)

 

「……何で? だってジャックジェネラルだよ? レオンさんのほうが僕よりもランセ地方をよく知って――」

 

(そういう問題じゃねぇんだ。いいか? 今回の場合、敵に回したのは他でもない、この地方を牛耳る組織そのものなんだぜ? オレ達はだが、ここからすぐにじゃあ離脱するなんて器用な真似が出来るほどの実力者でもねぇ。何よりも、気ぃつけなきゃいけねぇのはこれからなんだ。敵を本気にさせた。その代償はデケェと思え)

 

「敵を……本気に……」

 

「悔しいが、俺もその意見には同意だ。追跡を行った時点で……いや、もっと言えば俺を下した時点で、主とは言え下策の道を踏んでいる事になる。本来ならもっと隠れ潜みながら旅をするべきであった。……こればっかりはハッキリ言う。我が主、君は目立ち過ぎている。組織が追うまでもなく、だ。昨日だってギンガ団相手に立ち回ってみせた。あれは、ともすれば敵対組織を増やす事になりかねない」

 

「……僕は、そんなつもりで……」

 

 そうだ、ネネを助けるだけの、ただの自衛のつもりだった。しかし、二人は事態を重く見ている。

 

「……そのつもりがなくっても、泥を塗られたと思った相手は思っているよりも執念深い。慎重に事を進める必要があるだろう」

 

 レオンの苦言となれば自分は相当に下手を打ったのだと認識させられる。今さらに恥じ入るように面を伏せていた。

 

「その……すいません……」

 

「いや、謝る事はない。君の中に燃え滾る正義への探究がなければ、俺には勝てていないはずだ。それも含めて、俺は君を買っている」

 

(デケェ口叩くじゃねぇの。負け戦を繰り広げたくせによ)

 

「黙れ、ジガルデコア。今すぐに口を縫い付けてやりたい気分だが、主君の中にいるとなればどうしようもない。運がよかったな」

 

(そいつぁどうも。テメェこそ、エイジが敵意を剥き出しにしてオレを出さなくてよかったな。そのよく回る舌共々、噛み殺していたところだぜ)

 

 二人の言葉は相変わらず胡乱だ。それでも、エイジは事実を照合しなければ、と努めていた。

 

「えっと、つまり……。ここにいても下策だし、かといって逃げようにも僕らにはそれほどの足もない」

 

「情けない話かもしれないが、ジャックジェネラル身分でも航空機まではチャーター出来なくてね。それに、この盤面から降りる気は、俺もない。ザイレムから聞かされた限りでは、四つのスートに一つずつのコアがいる。その宿主も」

 

 そうだ。自分はまだ見ぬ三人のコアの宿主と相見えなければならない。相手がどのような人間なのかも分からないのに。

 

「……いい人達だったら、いいんですけれど……」

 

(それはねぇぜ、エイジ。セルならまだしも、コアの誘惑だ。それを振り切るなんて事、そうそう出来ねぇさ)

 

 ダムドの言葉が重く沈殿する。コアの誘惑に自分も負けそうになった事がある。いや、ダムドにその気がないだけで本気を出されればすぐさまコアに負けてしまう程度の精神かもしれない。ゆえにこそ、コアの宿主とは戦う運命にあると思ったほうがいいだろう。

 

「……でも平和的解決は、無理なのかな……」

 



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第五十九話 蠢動する敵意

 

「俺の経験則から言わせてもらえば、ジガルデの闘争本能への刺激は相当なものだ。酩酊感に近いと言うのだろうか。自分であって自分でない感覚。それがジガルデセルに寄生されている状態だろう。彼らに道徳心や、あるいは倫理観は通用しないと思ったほうがいい」

 

 その言葉にはリッカも同意のようで首肯していた。

 

「……シティリーダーが完全に闘争本能に呑まれていた。エイジ、ジガルデセルはあたし達の思っているより、多分ずっと危険」

 

 二人分の意見を前に自分のイレギュラーを前に出すわけにもいかない。エイジは自ずと覚悟を決めざるを得なかった。

 

「……コアと対峙すれば、戦うしかない……」

 

「それも相手がどのような条件、どのような能力を持っているのかも不明なままで、か。……詳細を聞かなかった俺の愚かさが悔やまれる。ザイレムからありったけの情報を得ていればまだ言えるのだが、教えられたのは君達のこれまでと、そしてスペードのジガルデコアの能力のみ。他のコアに関しては秘匿されたままであった」

 

 彼の困惑ももっともだ。今まで自分達は運よく勝ち進んできただけ。レオンのような相手が何人も出て来れば、容易く陥落してしまう。

 

 思ったよりも追い詰められていると考えたほうがいいのが実情。

 

「……でも、僕は希望があると思ってるんです」

 

 口にしたエイジに、ダムドが問い返す。

 

(希望ってのは、こういう状況を指して言ってるのか?)

 

 首肯し、エイジは二人を見渡す。

 

「リッカもレオンさんも、僕の味方になってくれた。これって結構難しくって、それでいて苦難の道だとは思う。でも、二人は決断してくれた。そしてこうして僕と一緒に、これからを考えてくれている。それって、多分、希望なんじゃないかって。絶望を振り翳すのは簡単だけれど、希望を見据えるのは、人間、そうそう出来るもんじゃない」

 

「希望……か。俺も貴殿ではなければ思いも寄らなかっただろう。ジガルデコアも、そしてセルも等しく破滅への遠因、人間を堕落させる邪悪の存在と信じて疑わなかった。だが、主とジガルデコアの在り方はまるで違う……それこそ俺の眼からすれば理想像に映る。俺の中に介在するセルは力をくれるが、励ましたり、自分を鼓舞してくれたりはくれない。そう、ジガルデセルは力への求心力と勘違いは生むが、二人のような関係性までは生まないんだ。それは結局……何の要因なのか……俺はまだ分からない」

 

 レオンは渋い顔で頭を振る。きっと、自分達もまだ分かっていないのだろう。どうして、自分は世界を敵に回す決断が出来たのか。この世にとってはないほうがいい存在をこうして容認出来るのかは、未だに不明瞭な点が多い。

 

 ダムドはケッと毒づく。

 

(そいつぁ、セルの力の欲望に溺れちまってるからだ。所詮はテメェもまだまだってこったろうさ)

 

「言っていろ、ジガルデコア。俺は主とこれからの話をしている。割り込むのならばもう少し口調を改める努力をするんだな」

 

(言うじゃねぇの。ガキが)

 

 舌戦が繰り広げられれば止める術はない。二人の間に流れた胡乱な空気を変えたのはリッカだった。

 

「でも……どっちにしたって、このカエンシティを北上するのに、戦力が足りていないわ。もし、ザイレムが検問でも張っていれば真っ先に捕らえられてしまう。あたしのメガプテラとレオンさんのゼラオラを使ったってそれでも難しいと思う。カエンシティを出ようとするのなら、少しは策を練らないと不可能よ」

 

「ただ闇雲に北を目指すのなら、それは愚か、か。どうする? 我が主。このままではカエンシティに縫い止められた形だが……」

 

 濁したレオンにも妙案は浮かばないようであった。彼はそもそも、もう自分に従うと言ってくれている。そんな彼の期待を裏切るような真似は出来ない。ここは如何に弱小のジェネラルとは言え、策を搾り出すべきだ。それこそ、己に賭けられるべき全てを。

 

(エイジ。検問があるかどうかは定かじゃねぇが、敵が動き始めるのはそうそう遅くはねぇ。エージェントが離反し、そいつがそれなりの使い手だって言うんなら、取り戻しに来たっておかしくはねぇはずだ。ここはセルを使ってでも、この街を強行突破する必要があると思うぜ)

 

 数少ないセルを使ってでも、か。エイジは熟考を浮かべたが、それでも今、この場で答えを出せと言うのは難しかった。

 

「……一両日、考えても……」

 

「ああ、構わない。ここはそういうためのセーフハウスだからね。安全は保障しよう。ただ、その代わり、意思を確認させて欲しい。主殿。あなたは俺達と共に、前に進む気があるのかないのか」

 

 これは答え次第でレオンの立ち位置も変わってくるであろう。エイジはリッカへと視線を流す。彼女はしっかりと頷いていた。

 

 リッカもジガルデセルの戦いがこれまで以上に苛烈となる事は予見している。実際、セルの媒介者と相対したのだ。これから先の旅がただジェネラルとしての質を上げるだけの旅に終始しないのは分かり切っている。

 

 ゆえにこそ、決断が必要だ。どのような暗雲にも負けない、本当の意味での決断が。

 

 これから先、何が待ち受けていようとも。これだけは譲れない「絶対」がなければ、勝ち進む事は出来ないであろう。

 

「……何があっても、どのような障壁があったとしても。僕はもう、後ろを振り返る事はない。僕は絶対を突きつけた。あの日から、もう、前進以外の道は絶たれたんだ。だから、約束は出来ないけれど、誓います。――二人に、違う景色を見せたい。それが勝利者の景色か敗北者の景色かは分からないけれど、でも僕は……勝ち取りたいから、選んだ。それだけなんだ」

 

 そう、勝ち取り勝ち進むために前を行く。その心根さえあれば、何も変わらないはずだ。

 

「……勝ち取る、か。久しく聞いていなかった言葉だ」

 

 レオンはそう結び、自分の瞳に応じていた。

 

「主殿。俺は君が何を選ぼうとも、その隣にいよう。それだけは、当方も誓わせてもらう」

 

 忠義の言葉を今は茶化せなかった。彼はジャックジェネラルとしての安寧ではなく、その先にある羅刹の道を選ぼうとしている。自分だけではない。王者は、誰かを孤独にする。

 

 そんな事さえも分からずに世界と契約した自分の弱さと直面する前に、リッカは立ち上がっていた。

 

「……あんただけで、立派なジェネラルになれないでしょ。あたしもその時には、トップジェネラルになってやるんだから」

 

 その強気な言葉が今はありがたかった。自分と共に歩んでくれるのだと、一人でも言ってくれる事が。

 

 涙ぐみかけて、内奥のダムドの声に制止される。

 

(まだ早いぜ、エイジ。感情を揺さぶられるにはな)

 

「二人とも……。それに、ダムドも……」

 

「悔しいがジガルデコアの言う通り。戦うのならば徹底するべきだ。俺は逃げる気はない」

 

「あたしも。そりゃ、昨日今日でジャックジェネラルが味方ってのは面食らうけれど、それでもあんたならやってのけるでしょ? ここまで無茶してきたんだから」

 

 どこかやけっぱちにも聞こえる声音だが、それでも信を置いてくれているのは分かる。エイジは感謝の言葉を紡ごうとして、電気の落ちた部屋にハッと息を呑んでいた。

 

 三人分の困惑が降り立ち、レオンが瞬時に戦闘形態に移る。

 

「……停電……いや、これは人為的だな」

 

「……まさか、もう仕掛けて来たって? 速過ぎじゃないの?」

 

「あり得るが……リトルガールの言うようにタイミングが良過ぎる。こんな絶好の機会を狙えるのならばそもそも俺の放ったジガルデセルに気づくはず。おかしい……何かが、ちぐはぐだ」

 

 当惑しながらも二人は戦闘時の警戒を巡らせていた。ゼラオラが音もなく飛び出し、リッカはフローゼルを繰り出している。

 

 エイジは遅れながらにルガルガンを待機させていた。

 

「……敵、かな」

 

(不用意な事は聞くもんでもねぇぜ。だが……確かにこの感じ、妙だ。セルの媒介者がやる作戦にしてはあまりにも無鉄砲が過ぎるし、連中がやるにしては迅速だな。逆探知したってオレらの位置を把握なんてそうそう出来やしねぇはず。まだ一時間も経ってねぇんだぞ……)

 

「じゃあ、これはザイレムの手の者じゃないって?」

 

(可能性の話だ。しかもこりゃ……分の悪い可能性だな。ザイレムじゃねぇってんなら、誰だってこったが……)

 

 構えた二人にレオンは端末を取り出していた。そこに浮かび上がったカウントにエイジは疑問符を返す。

 

「それは……」

 

「あと少しだ。三、二、一……」

 

 途端、電気設備が回復する。一体なんだったのだ、と困惑したエイジは直後のレオンの判断の声音に封殺される。

 

「事故や……あるいは他のシステムエラーの場合の停電なら、もう十秒かかるはず。これは人為的な、なおかつ電気設備を麻痺させた……ポケモンによる攻撃だ」

 

 断じた声音にエイジは絶句する。

 

(論拠は?)

 

「俺は何重にもセキュリティをかけている。そのセキュリティに相手がはまった。間違いなく、これは人間のする動きだ」

 

(確証あるんだろうな……。にしたってエイジ、ここで敵が仕掛けてくるってなら)

 

「ああ、覚悟を決める」

 

 誰が攻めてくるにせよ、ここでの迎撃は絶対任務であった。

 

(……それを聞いて安心したぜ。だが、間違えんな。何も足がつくような真似をするこたぁねぇ。やり過ごすのも手さ)

 

「……意外ね。あんたがそんな風なんて」

 

(今のエイジの手持ちじゃ襲撃者をどうにか出来るとも思えねぇからな。オレもオレで連戦は辛い。ここは最小限度で済ます手もあるって言いてぇのさ)

 

 ダムドにしては消極的とも言えるが彼のスタンスである「負けない」という一点において、撤退はそれ即ち敗北ではないのだろう。

 

 戦略的に見れば撤退も一つの策だ。彼もそれを学びつつある。

 

「いずれにせよ。俺に仕掛けてくるとは命知らずだ。迎撃に出よう。主殿とリトルガールはここにいるといい。ジガルデコア。主殿を危険に晒すなよ」

 

 ケッとダムドは毒づく。

 

(そっちこそ、仕損じてこっちに敵を回してくるんじゃねぇぞ)

 

 売り言葉に買い言葉の二人に、エイジは冷や冷やしつつも駆け出したレオンの背中を見据えていた。

 

 彼は自分のために命を張ってくれている。それがどこか不本意でもあり、そしてこのような事態を招いてしまった事そのものに申し訳なさを感じている。

 

「……エイジ。レオンさんなら心配ないでしょう。ジャックジェネラルだもの」

 

 リッカの信用はもっともだが、あまりに力を過信し過ぎれば手痛いしっぺ返しを食らう。

 

「分かっているけれど……こっちは相手の基地に潜入まで仕掛けた。だから、あまり油断は出来ない」

 

(同感だが、あのレオンがそう容易く負けるとも思えないだろ。何よりも、オレらが苦戦した相手だ。簡単に負けてもらっちゃつまんねぇからな)

 

 ダムドなりの気遣いか。どちらにせよ、レオンを信じてここは待つしかないだろう。

 

「ジャックジェネラル。……その実力を信じるしか……」

 

 拳を握り締める。今は、待つしか出来ない己が心憎かった。

 

 



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第六十話 叛逆少女

 

 ゼラオラの回復は既に済ませてある。問題なのは仕掛けてくる相手の種別だ。

 

「……ジガルデセルか、それともコアの宿主か……。いずれにせよ、俺に手加減の文字はない。相手を……駆逐する」

 

 そうと心に決めたレオンはホルスターに携えたボールに手をかけていた。侵入者へと駆け寄り、そして声を張り上げる。

 

「何者か! ここに、レオン・ガルムハートはいる!」

 

 その一声で相手がこちらへと振り返る。目が合った瞬間、体内に介在するジガルデセルが共振現象を引き起こした。身体の内側から震える感覚。間違いない、これはジガルデセルの媒介者の気配であった。

 

「……セルの媒介者……。ならばこそ、問おう。何故、ここに仕掛けた? 君らにとって賢しいのは俺達を追わない事だ」

 

 勧告に相手は歩み寄ってくる。月明りが窓から差し込み、敵の姿を露にしていた。

 

 その相貌にレオンは息を呑む。

 

「……確か、ギンガ団に襲われていた、少女……」

 

 カエンシティにてエイジが相手取ったギンガ団に囚われたはずの少女そのものが、バイザーで瞳を覆い隠して歩み寄ってくる。

 

 傍らに佇むマイナンに、レオンは警告する。

 

「それより前に進むのならば、宣戦布告と判断する」

 

 それでも、相手は止まらない。駆け出した少女とマイナンにレオンは舌打ちを滲ませた。

 

「……警告はしたとも。行け、ゼラオラ!」

 

 飛び出したゼラオラがその勢いを殺さず、マイナンへと肉薄し、下段より拳を突き上げていた。

 

 拡散した「プラズマフィスト」の一撃がマイナンを照らし出す。レベル差は歴然。それでもマイナンは尻尾を振るい、光球を練る。

 

 レオンはゼラオラと共に後退していた。

 

 電気の球体が空間を奔り抜け、レオンのすぐそばを掠める。

 

「エレキボールか。だが、どうしてだ。攻撃は受けた。そのレベル差も、分かり切っているはずなのに……」

 

 レオンの疑念は一つ。

 

 ――何故止まらない?

 

 少女はマイナンで壁を蹴り上げさせてガラス戸を叩きのめしていた。電気の網に捉えられたガラス片を展開し、マイナンはそれぞれを幾何学の軌道を描かせて射出する。

 

 レオンはゼラオラに高圧電流の壁を構築させていた。

 

 巨大なる雷撃の壁はマイナンの攻撃を容易く防御するが、マイナンそのものはその矮躯を活かしてレオンの傍を抜けようとする。

 

 それを看過するほど、自分は生易しくはない。

 

「ゼラオラ、拡散させた壁の電力を回してマイナンへと十万ボルト。……致し方なし」

 

 手加減をしていれば突破を許してしまう。ここでは全力で潰すべきだろう。それが騎士道精神にもとるものだとしても。

 

 ゼラオラの放った電流が壁を伝いマイナンを絡め取る。このまま、ジェネラルを狙えば、と思った瞬間、少女は腕を掲げていた。

 

 その手首にはめられたバングルには「Z」の意匠を施された石が輝く。

 

 まずい、と判じた直後には、マイナンが身体の内側より青い巨大電圧を放っていた。膨れ上がった光の瀑布にレオンは覚えず視界を守る。

 

「――スパーキング、ギガボルト」

 

 紡ぎ出されたZ技の呼称に、レオンは息を呑んでいた。破壊と爆裂の電撃にレオンはゼラオラを一時的に後退させる。

 

 その隙を逃す相手ではない。

 

 マイナンが跳躍し、レオンとゼラオラの守りを突破していた。

 

 だが、と憶測する。思った通り、マイナンは自らの身を焼きかねない己の電撃の熱量で参ってしまっていた。

 

「Z技は、過ぎれば己への過負荷となる。それを理解しないジェネラルはいない……」

 

 毒を理解せずして用いないように、Z技も然りであった。身一つとなった少女に、レオンは歩み寄る。少女は跳ね上がったと思うと、その手にナイフを携えていた。もしもの時の格闘戦術か。ナイフの銀閃が空間を掻っ切るが、レオンとて護身術を心得ていないはずもない。その手を引っ掴み、そのまま背筋に力を込めた。相手が体重差でよろめいて倒れてくれるのを期待しての攻防であったが、相手は倒れるどころか床をのた打ち回る。

 

 その膂力は少女のものとは思えなかった。

 

「……ジガルデセルの作用か。この力、思ったよりも……。だが、ゼラオラ!」

 

 ゼラオラの放った「でんじは」が少女へと流し込まれる。痙攣した少女が静まり返った後に、レオンは手を翳し、ジガルデセルを精査する。

 

 背中に潜り込んでいたジガルデセルは全部で三つ。

 

「……これで無理やり人体を動かしていたのか。だが、しかし、奇妙だ。たった一人で仕掛けるにしては、あまりに杜撰……。まさか……!」

 

 思い至った考えにレオンが面を上げる前に高圧電流がその身に流し込まれていた。レオンが幾度も痙攣し、電流の放つ熱量に筋肉を焼かれていく。

 

 その電撃が収まった頃には、レオンは地に這いつくばっていた。

 

 組み伏した少女とほとんど同じ顔を持つ少女がプラスルを引き連れ、自分を見据えている。

 

「バッカよねー。切り札は二重に使うに決まってるじゃない。囮って分かったのはさすがジャックジェネラルって感じだけれど」

 

 甘い声音にレオンは身を起こそうとするが、全身を切り裂いた容赦のない電流だ。回復するまでには時間がかかる。

 

 しかし、それは通常の話だ。

 

 ここで自分が倒れれば、エイジ達に危害が及ぶ。それだけは避けなければならない。

 

 何故ならば――自分はジャックジェネラル。強きをくじき、弱きを助ける存在でなければならないはずなのだ。

 

 ゆえにこそ、レオンはこの時、体内に介在するセルの欲求を開放していた。

 

 急速に体組織が修復され、焼け爛れた筋繊維が戻っていく。手をついて立ち上がったレオンに相手が瞠目したのが伝わった。

 

「ウソ? 全くの容赦なしの電撃だったのに? ちょっと、ノノ! 手加減したんじゃないでしょうね?」

 

「手加減は……していません……」

 

 応じたノノと呼ばれた少女の声音にはどこか放心したようなものがある。加えて先ほどから昂揚するジガルデセルの感覚にレオンは覚えがあった。

 

「……貴様、コアの宿主、だな」

 

 喉を無理やり震わせ、相手を睨む。少女そのものの相手はピンクの髪を払い、あら? とわざとらしく声にしていた。

 

「分かるんだ? さすがね、レオン・ガルムハート。騙し討ち程度じゃ、死なないか。それとも、こう言ったほうがいい? ジガルデセルのお陰で死なずに済んだ、とでも」

 

「貴様……!」

 

 主の殺気に、ゼラオラが呼応して跳ね上がる。ノノと呼ばれた少女がプラスルを前に出して電撃の網を展開したが、ゼラオラはさらに速い。

 

 網を掻い潜り、その矮躯へと雷撃の拳を叩き込んでいた。浮いた刹那には、ノノをその身から帯電する青の稲光で圧倒し、ジガルデコアの宿主へと肉薄している。

 

 自分の想定通りの動きにコアの宿主たる少女は、ふぅんと興味深そうであった。

 

「その深手でも、ポケモンをここまで高度に操れるんだ? よっぽど欲しくなっちゃったけれど、アタシ、男には興味ないのよねぇ……。女の子だったら萌えてたんだけれど、ゴメンね? むさい男には床に這いつくばるのがお似合いよ。ノノ!」

 

 ノノがゼラオラを完全に無視し、プラスルと共にレオンへと駆け抜ける。

 

「……ジェネラル狙いか……」

 

「ずるいとか、言わないものよねぇ! だってこれ、分の悪い勝負ですもの!」

 

 プラスルの電撃は正確無比に自分の心臓を射抜くであろう。その時にゼラオラは宿主の少女を殺せているか、否か――。

 

 ほとんど秒の勝負にレオンは賭けていた。

 

「ゼラオラ! 迷うんじゃない! プラズマフィストで敵を討て!」

 

 これは正しい判断のはず。そう断じたレオンはプラスルの電流の槍を心臓に受けていた。さしものジガルデセルの守りも打ち砕き、高圧電流が心臓を破裂寸前まで追い込む。青い光が明滅しレオンは意識の狭間を彷徨っていた。

 

 だが、攻撃は完遂されたはず――。

 

 そう信じて前を向いたその時、少女より染み出した漆黒の獣がゼラオラの進路を塞いでいた。

 

(仕方ないねぇ……。わっちがこうして出るのは特別なんだから)

 

「ゴメンね、カルト。ここは出てもらわないと負けちゃうわ。アタシと一緒に心中は嫌でしょ?」

 

(もしもの時にはプライドなんてなく、わっちの力も最大限に使う……。そういうところが、お前さんを宿主に選んだ理由でもあるんだけれどねぇ。ま、いいだろう。サウザンアロー)

 

 茶褐色の光が練り上がり、ゼラオラに向けて殺到する。無数の茶色の矢がゼラオラの攻撃を中断させていた。

 

 平時ならばその程度、の些末なる誤差だがこの時には決定的であった。

 

 レオンは倒れ伏し、薄れていく精神の表層で少女の声を聞いていた。

 

「あっ、殺しちゃった? ま、いいでしょ。どうせジャックジェネラルは邪魔だし、それにめっちゃセル持ってるじゃない。ここはボーナスステージ、っと」

 

 さすがに心臓を貫かれたのだ。容易く戦線復帰が出来るはずもない。何よりも、この時のレオンにとって致命的であったのは、相手への一拍の迷いであった。

 

 殺すと決めればもっと非情になれたはずなのに、ここでは逡巡を浮かべてしまった。それが決定的となり、レオンは薄らいでいく意識の中で必死の抵抗を試みていた。

 

「……ただでは、やられん……」

 

 その言葉にジガルデセルが呼応し、体内に溜め込んでいたセルがゲル状の生命体となって跳ねていた。

 

 廊下を疾走し、エイジ達の下へと向かわせる。少しでも力になれるように。今は、生命維持でさえも下策であった。

 

 少女が舌打ちを滲ませる。

 

「……逃がしちゃった。まー、でも、考えられる戦いのリスクは避けられたか。それにしたって、ここで死んじゃう? ジャックジェネラル」

 

 問いかけられても答えられない。もう答えるほどの力も体内には残されていなかった。

 

(どうするんだい? 操り人形にするにしては、この男、自我が強過ぎる。これじゃ、不完全な駒にさえならない)

 

「じゃ、見殺しにしちゃおうか。どうせ男だし、アタシのストライクゾーンじゃないのよね……。ま、運がなかったって事で。じゃ、安心して死んでね。ジャックジェネラル」

 

 その言葉を潮にして、意識は靄に包まれて消えて行った。

 

 



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第六十一話 災厄転輪

 

(……何だ。この嫌な感覚は)

 

 ダムドの発した声音にエイジは問い返していた。

 

「どうした? まさか、レオンさんが?」

 

 あり得ない、という響きにダムドは否定する。

 

(案外、ジャックジェネラルの看板も大した事ねぇってのかもな。オレ達が過信するほど、あいつも強くなかったのか)

 

「レオンさんは強いわよ。あたし達よりかは」

 

(言ってろ、メスガキ。いずれにしたって……ざわざわする……。何だこの感覚……気味悪ぃ……)

 

 ダムドがここまで嫌悪感を露にするのは初めてかもしれない。それだけ異常事態が起こっていると言う事実なのか。エイジはメテノのボールに手をかけていた。

 

「……メテノで探る」

 

(よせよ、こっちの居場所教えるみたいなもんだ。相手はまだ……確証を得てないんだと思うぜ。ここでじっと息を殺していれば、もしかすると、かもな)

 

 それはレオンの作ってくれた隙に甘えろと言うのか。だが、自分は――とエイジは自問自答する。

 

 ――誓うべき答えは得た。無論、従うべき「絶対」も。だが、一度交わした友情を無下にしていいのか。彼は自分に忠誠を誓うと言ってくれたのだぞ。

 

 ならば、報いるのもまた自分の役目だ。

 

「……ダムド。僕はレオンさんの厚意に唾を吐くような真似はしたくない」

 

「行くって言うの? でも、敵が何なのかも分からないのに……」

 

(……一つ聞くぜ、エイジ。それはテメェの絶対に従った結果か?)

 

 問い質す声音にエイジは応じていた。

 

「ああ、僕の中の絶対……そしてレオンさんに誓っただろう? 友情を、無駄には出来ないよ」

 

 その言葉にダムドは哄笑を上げていた。リッカが慌てて制する。

 

「馬鹿! 大声出すんじゃ……」

 

(いや、すまねぇな、メスガキ。エイジがあまりにも可笑しな事を言うもんで、つい笑っちまった。そうか、エイジ。テメェはテメェの駒の事を、友情って括りにするかよ)

 

「いけないか?」

 

 ダムドならばノーを突きつけるかもしれない。そう思われた質問に、いいや、と声が返ってくる。

 

(無茶無策、愚策ってんなら一笑に付したがよ、面白ぇ、ってのは大事だぜ、エイジ。面白ぇってんなら、オレは従ってやる。それがどんだけ馬鹿馬鹿しく、人間臭くってもよ。それが面白ぇんなら、オレは言葉を差し挟まねぇ)

 

「……何よ。結局はジガルデコアの気紛れってわけ?」

 

(どうとでも取りな。エイジ。それならなおの事、ここでじっとするってのは性に合わねぇよな?)

 

 首肯し、エイジは策を巡らせていた。

 

「ルガルガンは温存しておきたい。メテノで相手の出方を見る。それ次第で、リッカ」

 

 リッカは頷き、メガプテラのボールに指をかけていた。

 

「このセーフハウスごと、相手を巻き込む、ね。……ジャックジェネラルの家を壊すのは気が引けるけれど」

 

(どうせ、街ごとに家を持ってんだろ? 一個や二個くらい世話ぁねぇさ)

 

「あんたの考える価値と人間の価値観は違うのよ。……でも、停電が続いているって事は……」

 

 最悪の想定を浮かべる。レオンが敗退し、そして今もまた自分達は狙われているという可能性。

 

「……分からない。でも、レオンさんばかりに頼ってもいられない。メテノ、敵を発見次第リミットブレイクでこちらへと戻ってくるように」

 

 命令し、メテノを放つ。ふわふわと浮かんでいくメテノにダムドは言いやっていた。

 

(何かと便利だったろ?)

 

「……まぁね。ルガルガンだけじゃ、こんな状況に置かれたらどうしようもなかった」

 

 メテノが一撃で沈む事はないだろうが、それでももしもの備えはしておくべきだろう。構えたエイジに、直後音が響き渡っていた。

 

 つかつかと、足音が近づいてくる。

 

 ダムドが読み取って声にしていた。

 

(一人、か。随分と嘗めた真似を……)

 

「メテノの関知に反応していない? どうして……」

 

 メテノには敵を発見すれば攻撃するようには出来ているはず。それはメテノに潜り込ませたダムドのセルを使えば可能な技術であった。

 

 応戦さえもしないという事は、明確なエラーであろうか。それとも、と考えを巡らせたエイジはリッカへと言葉を振る。

 

「リッカ! 全力で!」

 

「分かってる! メガプテラ!」

 

 繰り出された翼竜のポケモンは黒い鉱石の表皮を煌めかせ、敵を睨み据える。無数の岩の散弾が相手へと殺到していた。

 

 敵はそれをかわすべく、電流の網を張る。その攻撃の時点で、相手の手持ちがはっきりと露見していた。

 

「プラスル……。まさか……まさか!」

 

 あり得ない、と否定するも光に照り返された相手の相貌にリッカが震撼していた。

 

「ノノ……ちゃん?」

 

 どうして、と息を呑んだこちらを他所にノノは疾駆し、プラスルと共に駆け出した。このままでは相手の射程である。しかし容易に反撃する気にはなれなかった。

 

 どうしてノノが? という疑念で雁字搦めになった自分とリッカにダムドが叱責の声を浴びせる。

 

(何棒立ちになってんだ! テメェら! 敵は待っちゃくれねぇ。やんぞ!)

 

 ハッと意識を張り直したエイジであったが、それでもノノが敵と言うのは容易には呑み込めなかった。敵対する理由を一生懸命探すが、やはりと言うべきか、その一端も分からない。

 

 プラスルが躍り上がり、電流の光弾を発生させる。無数の光球がメガプテラへと降り注いでいた。

 

 舌打ちが響き渡り、自分の意識は埋没する。

 

「ルガルガン! 岩の壁でメガプテラを援護しろ!」

 

 飛び出したルガルガンが即座に岩の壁を構築し、「エレキボール」の攻撃網を弾かせる。ルガルガンが睨んだ先にいるノノは果敢なる特攻を仕掛けていた。

 

 携えたナイフがリッカの首にかかろうとする。その瞬きを身体を乗っ取ったダムドが制していた。

 

「敵わないってんならジェネラルを狙う……なるほど、定石だ。レオンはこれでやられたか? いずれにしろ、オレには通用しないぜ」

 

 腕をひねり上げたダムドがそのままノノの身体を床に叩きつける。明らかにセルの膂力に任せた力の加減を知らぬ一撃にエイジは戸惑っていた。

 

(ダムド! ノノちゃんが死んでしまう!)

 

「何言ってんだ、エイジ……。手加減なんてしたらこっちが殺されるぞ。感じるだろう? この感覚は――セルの媒介者だ」

 

 まさか、とダムドの感覚に任せてノノを探る。自身のスートと呼応するざわりとした悪寒にエイジは息を呑んでいた。

 

(でもまさか……そんな……)

 

「セルに取り憑かれたか。あるいは別の何かか。いずれにしたって、ここに陣取るのはまずいぞ。暗がりの中で、相手に対しては防戦一方だ。メスガキ! メガプテラで逃げ場を作る! 破壊光線で壁をぶち破って出るぞ!」

 

「そんな力技……」

 

「迷ってる暇ぁ、ねぇ! こいつを押さえるのも……限界に近ぇんだよ」

 

 セルの力を得たノノはすぐさま起き上がり、プラスルと共に電流を浴びせかかる。その瞳から光は失せ、ただの戦闘マシーンとしての従順なる動きに、エイジは絶句していた。

 

(ノノちゃん、本当に……)

 

「だから言ったろうが。下手打つわけにもいかねぇ。早くこっから離脱するぞ!」

 

「レオンさんは……」

 

「諦めろ! 他人の世話まで焼いている暇はねぇ!」

 

 ダムドの声にリッカはメガプテラに壁を狙わせていた。口腔内に充填されていくオレンジ色の高エネルギーにダムドは咄嗟に飛び退る。

 

 直後、放たれた「はかいこうせん」の光軸がセーフハウスの頑強なる壁を粉砕し、大穴を開けていた。

 

「出るぞ! 暗闇で奇襲されるよかマシなはずだ!」

 

 跳躍したダムドとメガプテラに掴まったリッカはセーフハウスの二階より飛び立っていた。ノノが追撃の「エレキボール」をいくつか生み出すが、それらは空を掻っ切っていく。

 

(……嘘だろう。本当に、ノノちゃんが、セルの媒介者……)

 

「嘘も何もねぇ。エイジ、あいつから感じたのはマジもんの殺気だ。迷いがねぇ。セルの衝動に襲われたってあそこまでの自我の消失は中々ねぇはずだ」

 

(それってどういう――)

 

 問いかける前に屹立した影をダムド達は見据えていた。

 

 同じ相貌の少女がマイナンを引き連れ、こちらの進路を塞ぐ。

 

(……ネネちゃん……。まさか君まで……)

 

「姉妹揃って、セルの奴隷か。だが、いずれにしたって関係ねぇ。ここでぶちのめす――!」

 

 ルガルガンがその手を掲げ、窓より飛び出したメテノを手にする。メテノが高速回転し、その岩の甲殻を弾き出しながらルガルガンの補助に入っていた。

 

「生み出した岩の散弾は、全部オレのもんだ! ルガルガン、ストーンエッジ! 全力掃射!」

 

 浮き上がった岩の欠片を足と手を駆使して弾き出し、ルガルガンはネネに向けて「ストーンエッジ」を実行する。岩石の散弾を前にしてネネはただ引き裂かれるかに思われたが、彼女はマイナンの放った電圧の壁を構築し、自らに命中する部分を弾いていた。

 

「正確無比な、電流の実行……。やっぱ、テメェ、セルの力を使いこなしてやがるな」

 

(ダムド! マイナンにもセルがついているって言うのか?)

 

「そうとしか考えられねぇだろうが。通常のポケモンの能力を遥かに底上げされている。……追い込まれたのはこっちかもな。どちらかを戦闘不能にすべきだったか」

 

 その言葉を解する前に、背後に降り立ったノノをエイジは知覚していた。

 

(挟み撃ちに……!)

 

「ああ、こいつぁ、ちとまずいか。いくらプラスルとマイナンって言っても、セルの能力の向上と、そして連携攻撃の前にゃ、オレ達だって分が悪い。ここは勝機を見出すために……」

 

 ダムドがリッカへと目線を配る。その意味を彼女は理解したらしい。うろたえ気味に声にしていた。

 

「……戦力の分散。どっちかが引き受けなきゃいけないわけよね……」

 

「ああ、固まってちゃいずれにせよジリ貧だ。メスガキ、ここはダメージのあるほうをオレらが担当する。テメェは前にいるマイナンのほうを担当してくれ。まだメガプテラとフローゼルには余裕があっだろ?」

 

「そりゃ、まだ勝機はあるけれど……。あんたらはどうするの?」

 

 至極当然な問いかけにダムドは逡巡さえも挟まない。

 

「――考えはある。だが……ここで言うわけにはいかねぇ」

 

(ダムド? リッカを信じてないのか?)

 

「信じる信じねぇの問題じゃねぇよ、エイジ。セルの媒介者が二人。それも一個や二個じゃねぇ。二人合わせりゃ十個分ほどか。それくらいのセルを持った相手だ。……オレの考えが正しけりゃ、この局面、ただ闇雲に戦えばいいってもんじゃない」

 

 ダムドの読み通りならば、この戦いは単なるセルの暴走ではないという事か。しかし、エイジからしてみればどちらに転んでも戦う事になる展開は避けたい。

 

(……ダムド。でもだからって僕は二人を害せない)

 

「んなこたぁ分かってんよ。だからこそ、ここは二手に分かれる。レオンがどうなったのかはあえてここでは無視するぜ。そうじゃねぇと読み負ける」

 

 ダムドとリッカは目線を交わし、直後にはメガプテラはマイナンと対峙していた。

 

「ここは引き受ける!」

 

「任せたぜ、メスガキ。さぁ、エイジ。こっから先は、相手の出方次第だ。オレらが勝つか、それとも連中が勝つか、レートに上げようじゃねぇの」

 

 駆け出したダムドはメテノを握り締めるルガルガンを前に出させていた。ルガルガンがメテノを振りかぶり、そのまま投擲する。プラスルの電流がメテノを絡め取ろうとするが、その前に不可視の岩石の糸によってメテノは手の中に戻されていく。

 

 まるでヨーヨーを操るかのように。

 

 メテノを駆使し、ルガルガンがプラスルへと肉薄する。岩石を手の中に溜める代わりにメテノを握り締め、そのまま打ち下ろしていた。

 

「ストーンエッジ!」

 

 その一撃が深く食い込む前に、プラスルの発した電流が拡散し、ダムドはリッカとはまるで反対方向に駆けていく。離れていくリッカとメガプテラにエイジは不安を発していた。

 

(……リッカ。どうか無事でいてくれ)

 



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第六十二話 「絶対」への

「そう簡単には死なねぇよ。あいつも、オレとたった二人でテメェを助け出したんだぜ? 少しは信用してやれ」

 

 信用。その言葉を発するのにはしかし、不確定要素が大き過ぎる。敵はなにせ、味方だと思い込んでいたノノ達なのだ。相手は説得の隙も見せず、電圧の壁を張ってルガルガンを遠ざけようとする。

 

 ルガルガンはその壁を殴りつけ、引っぺがそうとするが、上方に噴き出すように放たれた高圧電流が攻撃の契機を与えてくれない。

 

「……プラスルのスペックを超えてやがる。セルで無理やり引き上げてんのか……」

 

(ダムド! 助け出す方法を!)

 

「いや……案外、そこまで思案するほどでもないのかもな」

 

 放たれた言葉の意味が分からず、エイジは問い返す。

 

(どういう……)

 

 その言葉が明瞭な意味を結ぶ前に、ノノがふっと糸が切れたかのように倒れ伏す。

 

 まさか、致命傷を与えてしまったか、と疑心に駆られたエイジにダムドは言いやっていた。

 

「安心しろ、エイジ。死ぬような傷はくれてやってないさ。ただ……ジガルデセルで操る必要性が薄くなっただけだろ」

 

(セルで操る? どういう事なんだ? ノノちゃん達は、セルの闘争本能に負けたんじゃ……)

 

「よく考えてみろ。セルの闘争本能に負けたのに、何でレオンの館に仕掛けるなんて計算ずくの真似が出来るよ? オレがさっきからずっと疑問なのは、こいつら場当たり的な動きのクセに、やってる事はまるで他人が、遠隔で動かすそれに近いってこった」

 

(遠隔で……。ジガルデセルを、操っている誰かがいる?)

 

「そう考えるのが妥当だろうな。さて、ここで命題だが、そこまでしてオレらに仕掛けて意味のある勢力を予想する」

 

 倒れたノノに代わり、気配が生じる。周囲を見渡せばカエンシティの裏手であり、人目はほとんどない。

 

「あーあ、何だ。ばれてたんだ? 案外、脳筋なスートじゃないのね。スペードって」

 

 知らない声だ、と感じたエイジはダムドが警戒心を強くしたのを感じていた。

 

「……気ぃつけろ、エイジ。こいつは……」

 

 殺気立ったダムドに相手は声を振り向ける。

 

「なぁーんか、煮え切らない感じ。アンタって、そういうタイプのジガルデコアなんだ? えっとぉー、Z02だっけ?」

 

 その名で呼ぶ相手は――とエイジも緊張感を張り巡らせる。

 

(まさか、ザイレム……)

 

「いや、違ぇな、テメェ。ザイレムにしちゃ、使い勝手が悪過ぎる。あんな使い方をして、もしセルがオレらに回ったらただの駒にしたってやり口が悪い。効率的じゃねぇのさ。それなのに、実行した。その時点で、ザイレムの線は捨てている」

 

(じゃあ何者……)

 

「へぇ、アンタ、馬鹿正直に宿主を見出しただけのスートって読みはハズレかもね。思ったより慎重なんだ?」

 

 煙る霧の向こう側から、ピンクの髪を持つ少女が歩み出てくる。扇情的な薄い衣服に身を包み、僅かに皮膚は褐色を帯びている。出会った事のない相手のはず。そう、そのはずなのに。

 

(……何なんだ。似たような相手に、会った気がする)

 

「それもそうだろうさ。ここまで近づいて、命があると思ってんのかよ。――コアの宿主」

 

 ダムドの発した声にエイジは息を呑む。相手は小首を傾げていた。

 

「だってアタシは負けないし、近づいたのは駒が正常に稼働しなくなったからかな。遠隔って苦手なのよね。距離が近くても齟齬が発生するし。でもまぁ、一番危ないと思っていたジャックジェネラルは潰せたからいっか」

 

(レオンさんを……。彼女が?)

 

 信じ難い、という響きにダムドはケッと毒づく。

 

「案外、ジャックジェネラルも当てにならねぇな。ま、最初から期待もしていなかったけれどよ。……で? コアの宿主直々に、何の用だよ?」

 

 張り詰めた呼気には相手への警戒が窺える。それも当然だ。コアの宿主と会うのは初めて。それも相手の擁するジガルデセルの量も不明な以上、少しでも気を緩める事は許されない。そのはずであったのだが、少女はぺこり、と頭を下げていた。

 

「はじめまして。アタシの名前はリコリス。そして宿ったコアのスートは、ハートのジガルデコア。名前をカルト。ま、Z01って言ったほうが早いかもだけれど」

 

 リコリスと名乗った少女の指先を伝い、緑色のコアが染み出てくる。内奥に桃色のコアを宿したジガルデコアは妖艶な声で応じていた。

 

(わっちと会うのは初めてかねぇ。お前さん達の事は一方的に知っているけれど。ザイレムが追っていた、最後のコア)

 

(僕らの事を……)

 

「ああ、知ってるって事は、ザイレムとも繋がってんのか?」

 

「誤解しないで。あんな野蛮な相手とはこっちから願い下げ。それに……カルトは奴らから逃げて来たのよ? あいつらの情報を知っているのはそのためなんだから」

 

「逃げて来た? ……連中がコアを逃がすとは思えねぇが」

 

(わっちは随分と昔にザイレムから逃亡した。その時点からザイレムの情報網はランセ地方でほとんど構築されつつあったから、そこから進歩していないのなら今の動きを察知する事は出来る)

 

 カルトの言い分にダムドはふんと鼻を鳴らす。

 

「要は古巣って事かよ。んじゃあ、何か? オレらを追い込んだのも、ザイレムの手のものじゃねぇのか?」

 

「だから、分かんないのかな……ザイレムとアタシ達は無関係。って言うか、むしろ追われているんだから。アンタ達と同じようにね」

 

(ダムド。追われているって言うのなら、相手に敵意はないんじゃ……)

 

「いや、気を許すな、エイジ。じゃあ何で、レオンを害した? オレ達に敵意がないって言うんなら、そこんところが解せねぇ」

 

「だーかーら! 安全にアンタ達と話をするのには彼は邪魔じゃない。実力者だし、これまでの経験の累積もある。そういう相手と一対一で話して、じゃあ分かってもらえる自信はないもの」

 

「オレらならまだ与せると思っている言葉振りだな」

 

「半分正解かな? どう? Z02とその宿主クン。――アタシと手を組んでみる気はない?」

 

 思わぬ提案にエイジは面食らう。

 

(組むだって? それは言葉通りの意味だって言うのか……?)

 

「もちろん、言葉通りよ。だってぇ、今のままじゃお互いに不安要素の強い戦いでしょ? ザイレムの戦力がどこまでなのかも分からず、それにレオンみたいな強豪ジェネラルでさえも相手にせざるを得ないのは辛いはず。なら、組んじゃえばいいのよ。アタシ達、ジガルデコアの宿主同士が」

 

「どういう風の吹き回しだ? それとも、裏があるんだって言いたいのか?」

 

 ダムドの疑念もよく分かる。コア同士は敵対する運命のはずだ。それなのに、組むなど理解が出来ない。相手もそれは心得ているのか、うんうんと頷く。

 

「分かる分かる。だって、周りは全部敵って不安だもんね。でも、こうは考えられない? アタシ達コアの結束が強くなれば、それこそ無敵。実際、セルの媒介者を二人も連れていても、コアのアタシ一人にアンタは陥落させられた。それって結局は、コアの数が戦力の絶対指標って証明したようなものじゃない」

 

「……この戦いそのものが自分を売り込むためのプレゼンかよ」

 

 相手は指を弾き、声に張りを持たせる。

 

「エクセレント! 分かってるじゃない。そう、セルがどれだけいたって、結局はコア一体に劣る。なら、コア同士で密約を交わしたほうが、この先戦いやすいとは思わない?」

 

 リコリスの言葉は表層では理解出来る。確かにセルだけをいたずらに集めたとしても、それはたった一体のコアの力一つで容易に覆されてしまう。それが、延々と説明されるよりも、結果論で示されてしまった。

 

 ――セルの仲間は不要。居たところで役に立たない。

 

 全て結果論だ。しかし結果論だからこそ強い。結果と言う抗えない一に対し、自分達の持ち得るものは人間同士の繋がりと言ういつ瓦解してもおかしくないもの。

 

 ならば、ここは太く短く……。そう考えが帰結してもおかしくはないのだ。

 

「……何てこたぁねぇ。自分達で仕掛けるのが不都合だから、味方が欲しいってワケかよ」

 

「どう捉えてもらっても結構。でも、よく分かったはずよ。身に染みて、ね。こうしてセルで操ってしまえば、アンタ達は簡単に倒せない相手に直面する。そういうのって弱点って言うんじゃないの?」

 

 確かに自分にはノノとネネを倒せない。ダムドの助けがなければ全滅していただろう。

 

 ――だが、それは……。

 

「……分かってねぇな、ハートのコア。言ってやる。それはオレ達の絶対じゃねぇんだよ」

 

 ハッと意識の内側でエイジは面を上げる。ダムドはそのままリコリスを指差していた。

 

「オレとエイジの交わした絶対は、そんな損得勘定で動くほどに脆くはねぇ。それ理解してねぇ時点で、テメェの交渉条件は下策なのさ。オレ達に、許してはいけない一線を踏ませた。そのツケぇ、払ってもらうぜ」

 

 敵対の言葉を発したダムドに対し、自分だけではない。リコリス達も驚いているようであった。

 

「手を……組まないんだ? そう捉えても?」

 

「勝手にしな。オレ達に交渉突きつけるって言うんなら、そもそもこの双子を駒にすべきでもなかったな。その時点で――オレとエイジの誓った絶対に、テメェは唾を吐いたんだよ」

 

 ダムドの言葉は自分以上に――自分をよく知った言葉であった。損得に流されるのならばここでリコリスと組むのは何も悪ではない。だが、彼は自分の「絶対」の線に入った相手を許さないと断じた。その時点で相手は敵なのだと。

 

「絶対に唾、ね。そんなにこの子達が大事? だって、ちょっと記憶を覗いたけれど、知り合いレベルなんでしょ? そんなのに流されてここで決断を踏み誤るよりかは、最終的な勝利者にこだわったほうがいいと思うけれど?」

 

「ああ、確かに……エイジと会わなけりゃ、こいつに、何度も命を預けなけりゃ、そう思っていただろうよ。でもな、今回ばかりは違うはずだぜ。エイジもこう言うはずだ。テメェはオレ達を、マジにキレさせた」

 



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第六十三話 究極絶姫

 

 怒りの宿った瞳が相手を睨み据える。意識の内奥にいるエイジは、ダムドがそこまで自分を理解してくれている事に驚愕していた。

 

 彼ならば共謀の道に走っても何らおかしくない。それなのに、自分からそれはないと言い捨てた。

 

 ダムドも変わろうとしているのか。自分と同じように――。

 

 感慨にふけったのも一瞬。リコリスはノノを踏みつけていた。

 

「こんなののどこがいいの? セルの宿った人間はただの駒。人形以外の何物でもないじゃない。そんなのにいちいち足を取られて、何が出来るって言うの? アタシ達の相手はザイレムだけじゃない。もう二人のコアの宿主だっている。それなのに、こんなところで足踏みする? アタシの提案を蹴って、じゃあ何があるって言うの」

 

(ノノちゃんから……その汚い足を退けろ)

 

 怒りに滲んだ声音にリコリスはふぅんと検分する。

 

「アンタって、本当につまんないわね。ちょっと考えれば分かるでしょ? 手を組んだほうが得だって。どうしてそんな簡単な帰結に落ち着かないの? バッカみたい」

 

「うるせぇな。馬鹿だろうと何だろうと、オレにとっちゃエイジの絶対に比べりゃ、テメェの理論ってのは薄っぺらいんだよ。エイジはオレに、不利だって分かっていても何回も絶対を突きつけた。それに比べりゃ、ハナクソ以下だ。テメェの理屈も、理論も、その理由付けも、全部な。どれもこれも、つまんねぇのはテメェのほうだろうが」

 

(聞き捨てならないねぇ、スペードのコア。お前さん達は理屈では動かないって言うのかい? そのほうが自分達の流儀に合っているとでも? 問い質すようだが、これは生存競争。ジガルデコアの誰が生き残るかの、ね。それなのに、むざむざ戦力が増える機会を逃して、それで敵対する? 随分と……愚かしく思えるねぇ)

 

「どうとでも言え。オレだって……実際はよく分かんねぇんだよ、この感情の意味ってのはな。だが、エイジなら跳ね除ける。それを無視して、この身体の権利を言えるほど、図太くもねぇんでね」

 

 ダムドの言葉振りはどれも意想外であった。これまでの彼ならば得に回る事なら意義やそこにプライドなんて差し挟まないはず。それがここまで変わったのは、やはり自分と一緒にいるからだろうか。

 

 彼もまた、人間を学んだのだろうか。

 

 それを解する前に、殺気の波がリコリスより注がれた。

 

「そう。敵対するんなら、仕方ないよねェッ!」

 

 ノノを足蹴にしたリコリスにエイジの敵意が言葉となって迸る。

 

(許せない! ダムド!)

 

「ああ、オレも気に食わねぇと、思っていたところさ、エイジ! ルガルガン、行くぞ!」

 

 ルガルガンがメテノを握り締めそのまま躍り上がる。メテノの飛行能力を得た高空よりの「ストーンエッジ」。実行されれば相当な防御力を持っていない限りは回避も受け流しも不可能と思われたそれを、リコリスはホルスターより投げたボールで対応していた。

 

「――行きなさい。テッカグヤ」

 

 刹那、割れたボールから放たれた光の巨体が空間を鳴動させていた。ルガルガンの岩の刃が突き刺さるも、敵は円筒型の腕を払うだけで押し退ける。

 

 その膂力、そして巨躯にダムドは目を見開いていた。意識の内奥のエイジも絶句する。

 

「……何なんだ、こりゃあ……」

 

(こんなポケモン……いや、ポケモンなのか……)

 

 薄緑色の配色に、鋼鉄の巨体。三本の円筒型の身体を持ち、二脚に支えられたそのシルエットは巨大なるジェット機に等しい。まるでポケモンのデザインからかけ離れている相手にエイジは分析を自分の中で浮かべようとして、敵の動きに瞠目していた。

 

 想定よりも素早く、敵ポケモンはルガルガンを突き飛ばす。ルガルガンはメテノを足場にして最低限にダメージを留めたが、追撃の踏みつけが襲いかかっていた。

 

 ルガルガンの腹腔を押し潰した一撃にダムドも言葉を失う。

 

「何なんだ、そのポケモンは……」

 

「テッカグヤ。アタシのエースポケモン。本当なら、この子で蹂躙してやってもいいんだけれどね。目立つのよ、色々と。だから最終手段でもあったんだけれど、でも仕方ないわよね? だってアンタ達、アタシとカルトを馬鹿にしたんだもの。だったら! 死んでも文句は、言えないわよねぇ!」

 

 テッカグヤと呼称されたポケモンが飛翔する。噴煙を棚引かせたその飛翔はまさしく、急速浮上するロケットのようであった。その勢いをそのままに白銀の巨体が降り立つ。

 

 ダムドはその姿を視界に大写しにしておきながら次の行動への言葉を紡げなかった。相手のその威容に圧倒されたのもあるが、それ以上に、内奥のエイジが分析を弾き出せなかった。

 

 その結論に、彼は言葉を失っていたに違いない。

 

 これまで幾度となく、新種のポケモンや伝承のポケモンにも出会ってきたが、そのどれでもない。

 

 ――これは、何だ?

 

 ポケモンでも、ましてや他の何かでもない。別種の何かだ。

 

 その強大なる存在感にリコリスはふふっと含み笑いを漏らす。

 

「分かんないでしょ? このコ、アタシのお気に入りだもの。テッカグヤ、この世の理とは異なる次元のポケモン……ウルトラビースト」

 

 ウルトラビースト。その言葉を咀嚼する前に、急降下したテッカグヤの放つ白銀の焔が、景色を満たしていた。

 

 



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第六十四話 悪の道への

 

 膨大なる爆発の熱量がカエンシティ中央にほど近い場所で押し広がり、リッカは沈黙していた。

 

「……何が」

 

 ネネは行動が鈍っている。今までと違う、と判じたリッカはフローゼルを疾走させていた。

 

「フローゼル! アクアジェットで推進して背後に肉薄! 首裏を叩いて昏倒させる!」

 

 その目論見に対し、ネネは完全に反応が遅れていた。マイナンで対応したその時には、既にフローゼルの溜めた鈍器のような水流が鋭い手刀となってネネの首裏に命中する。

 

 ネネから闘争の勢いが失せ、そのまま倒れ伏していた。

 

 リッカは駆け寄って手を翳す。

 

 感知したセルの数にリッカは目を見開いていた。

 

「セルが……十個近く? こんなの……無茶苦茶じゃない」

 

 完全にネネの身体耐久力を無視した寄生だ。こんな状態になるまでセルの媒介を許してしまった事も恥ならば、ここまでの寄生に晒されて何故、自分たちを襲ったのかも不明だ。

 

「……とにかく……助け出さないと。エイジ……」

 

 エイジとダムドが行った側から、先の爆発は発していた。その莫大なる威力は尋常なるものではないだろう。

 

「二人とも無事なのか分からない。急がないと――」

 

「おっと。そこまでですよ、お嬢さん」

 

 放たれた声と包囲陣にリッカは足を止める。周囲に展開していたのは水色のかつらを被った銀色の服飾の者達であった。彼らの立ち姿にリッカは奥歯を噛み締める。

 

「……ギンガ団」

 

「ご存知でしたか。それにしたところで、いいポケモンを持っている。メガプテラとは、興味深い。しかも遺伝子に損傷のある個体ですか」

 

 声を振り向けた男はギンガ団の服装の上に白衣を纏っており、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってくるその立ち振る舞いに、迷いはない。

 

「……あんたは」

 

「お初にお目にかかります。わたしはギンガ団幹部、プルート」

 

 恭しく頭を垂れた紫の髪の紳士に、リッカは警戒心を浮かべていた。

 

「……突破するしかないってわけ」

 

「急かないでもらいましょうか。わたし達は何も、敵対しているわけではないはず。それは、既に回収したレオン・ガルムハートの身柄からも明らか」

 

 まさか、とリッカは息を呑む。

 

「……レオンさんを、確保したのはあんた達? じゃあ、今回の襲撃も……」

 

「おっと、そこは短絡的に結び付けられないよう。わたし達は今回、交渉に来たのですよ。そこに邪魔が入ったのはお互い様と言うべきか」

 

 白衣の男はどこか神経質にリッカの手持ちを観察する。周辺展開する敵の数は十名以上。ここでメガプテラを最大限に有効活用すれば、突破も不可能ではない。

 

 ――だが。

 

 ネネの身柄を一人のギンガ団員が確保する。ネネを人質に取られればこちらも動きにくくなる。

 

 歯噛みしたリッカにプルートはわざとらしく応じていた。

 

「おやおや。どうにも気に食わないと言うお顔をしていらっしゃる。なに、あなた方に害意をもたらす気はございません。むしろ、歓迎しようと言っているのです。あなた達を、我がギンガ団へと」

 

「勧誘ってわけ? どういう風の吹き回しで……」

 

「誤魔化したって無駄ですよ。あなた方が謎の組織、ザイレムより追われている事は自明の理。それに……我がギンガ団のボスも随分とご執心でね。アカギはあなた方に会いたいと思っている。それも対等な条件で。……まったく、どういう心持ちだと言うのか。ギンガ団のボスだという事を少しは自覚してもらいたいものです……」

 

 一家言ありそうな相手にリッカは問いかけていた。

 

「ギンガ団に……下れって言うの」

 

「下るのではありません。平和的に言うのならば、保護したい。とりわけあなた達、ジガルデセルの媒介者を」

 

「平和的、ね。反吐が出るわ。あんた達がここで何をしてきたのか、知らないわけじゃないのよ」

 

「おっと、それは失敬。言う事を聞かない下っ端が多くって困る。ですが、これだけは分かってもらいたい。我々はあくまでも、このランセ地方を傘下に加える……そう、新たなる礎としてね。そこに大いなる宣戦はあっても、他の野心はないのだから。ザイレムをどうにかしてこのランセ地方の独占状態から解き放つ。それがわたし達の宿縁なのですから」

 

「宿縁? 地下組織でしょうに」

 

「これも誤解。今のギンガ団を地下組織だと、断じるのは結構ですが、いずれ法となる組織です。そこに与する事に、変な疑問を挟んで欲しくない。何なら強硬策を取ってでも」

 

 下っ端がネネの首筋に刃を当てる。自分を同行させるのは絶対条件らしい。

 

「……平和的が聞いて呆れるわ」

 

「どうとでも。文句はアカギと会ってからにしてもらいたい」

 

 畢竟、ここでの選択肢は限られる。エイジ達との合流は出来なさそうだ。

 

「……連れて行きなさい。話はそれからよ」

 

「賢い子供で助かる。我らとしてもね」

 

 その賢い子供の一判断で、大局を見失うかもしれない。それでも、今はレオン救出が先決だろう。

 

 きっと、ダムドとエイジでもそう判断するはずだ。自分を納得させるのにはそれで十分なはずなのに、リッカはこの時冷徹に成り切れなかった。

 

「……駄目ね、あたしも。本当の意味で、冷静じゃないのかもしれない」

 

 空に現れたのは飛行船である。闇夜を裂き、巨大な飛行船がカエンシティ上空に屹立していた。

 

「ではご同行願おう。我らギンガ団に」

 

 ここで噛み付くだけの器量も持たぬ自分が、今はただ憎々しいだけであった。

 

 



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第六十五話 無敵要塞

 

(何が起こった!)

 

 ダムドの声にエイジはハッと目を開く。実体化したダムドが獣の四つ足形態になり、自分を保護している。青い防御皮膜が今の一撃から自分を守った事を知ったエイジが声を発する前に、哄笑が耳朶を打っていた。

 

「あっは! 死んでないんだ? 丈夫なのはいい事よ。だってぇ、すぐ死んだらつまんないもの!」

 

 リコリスの声にエイジは身を起こそうとして周囲の状況に絶句していた。

 

 爆発に巻き込まれた周辺は焦土と化しており、噴煙がそこいらで燻っている。灰色の塵芥に還った裏路地にエイジは視線を巡らせていた。

 

「こんな……こんな威力って……」

 

(ああ、あり得ねぇってほどじゃねぇが、それでも言わせてもらう。……あり得ねぇ、こんなの単体のポケモンの火力じゃねぇ)

 

 ダムドが震撼するほどだ。それほどまでに眼前に佇む巨体は悠然と、自分達を睥睨する。

 

 緑と白銀に彩られしポケモン――テッカグヤ。そんなポケモンの情報は田舎町でポケモン図鑑を漁っていた自分の脳内にはなかった。まったくの想定外に、エイジは奥歯を噛み締める。

 

「……ポケモン図鑑には、載ってない。あんなのは知らない……」

 

(エイジ、テメェが言うんならよっぽどだな。いずれにせよ、今の一撃から、ルガルガンは何とか逃げおおせたが……この煙の中だ。正確無比な指示は難しい)

 

「ルガルガンは?」

 

(オレのセルで操って自律行動をさせているが……それでももって数十秒だ。あんまり期待すんなよ。どっちにしたって眼前のデカブツが脅威なのには変わらないんだからよ)

 

「どれだけ策を練ったってぇ、アタシとテッカグヤには敵わない! だってこのコ、最強のポケモンだもの!」

 

(……だとよ、エイジ。テメェの見識からしてみれば、あれはどう映る?)

 

 意見を求められエイジはテッカグヤを振り仰いだ。天を衝く巨体、それに鋼鉄の威容。どれをとっても規格外の一言に尽きる。

 

「……少なくとも、そこいらの伝承のポケモンでさえもない。あれは、別種だ」

 

 先に耳についたウルトラビーストと言う呼称を思い返す。もし、あれがこの世の理ではない、という言説を信じるのならば、通常の属性攻撃さえも効くかどうかは不明である。

 

「ふぅん、コアの宿主、ポケモン博士? テッカグヤを分析しようとしているみたいだけれど、無駄よ? このコだけは、絶対に攻略法がない。そうだ! じゃあためしに、どこへなりと仕掛けてらっしゃい。テッカグヤは絶対に墜ちない」

 

 その言葉の現れのようにテッカグヤが二脚を開き、無防備になる。その隙にダムドとエイジは思案を浮かべていた。

 

(……どうする。エイジ)

 

「どうもこうもない。少しでも情報と確証が欲しい。ダムド、仕掛けるぞ。こちらの関知範囲にルガルガンとメテノを」

 

(あいよ。……ったく、無茶無策を通り越して、巨大怪獣とバトルかよ。やってらんねぇ、なッ!)

 

 ルガルガンが跳ね上がり、その手に溜めた岩石を一斉掃射する。

 

 岩の散弾「ストーンエッジ」。だが実行されたはずの攻撃網はテッカグヤに命中した途端、全てが霧散する。否、これは相手の攻撃だ。

 

「これは……小規模だがラスターカノンだ。表面に白銀の光を乱反射させて攻撃を防いでいる」

 

 分析の手を休ませるわけにはいかない。ルガルガンがメテノを掴んで距離を稼ぎ、そのまま地面を手で叩いていた。

 

 鳴動した空間振動波が地面を伝い、テッカグヤの直下へと襲いかかる。

 

「じならし」による地面攻撃。これで鋼タイプならば手痛い一撃のはず。そう判じていたエイジは、一瞬だけ傾いだテッカグヤが脚部を駆使して持ち直したのを目にする。

 

(効いてねぇ……)

 

「あのさー、もっと派手な技で来れば? 地味な技ばっかりじゃ、せっかくのボーナスタイムも台無しよ?」

 

(……エイジ。相手の口車に乗るわけじゃねぇが、せっかくの好機だ。持てる力を出し渋っている場合じゃ……)

 

「分かっている。でも、不確定要素が多過ぎるんだ。今は、一手でも確定にする! そのために! メテノ! ボディパージ!」

 

 メテノが岩石の甲殻を破り、身軽になる。剥がれた岩をルガルガンが掴み取り、細分化させてテッカグヤへと下段より振り払っていた。分散した岩の棘がテッカグヤに命中するも、全くダメージになった様子はない。

 

 ルガルガンはしかし、その時間を無駄にはしない。そのまま疾走して駆け上がり、テッカグヤの頭上に至っていた。巨大なポケモンほど、直上は想定していないはず。頭頂部に弱点があるのならば、これで落とせるか、とその手に岩を溜め込ませる。

 

 放たれた岩の刃がテッカグヤの頭部を揺さぶっていた。

 

 打撃攻撃としてもかなりの威力を誇るはずの一打である。これで少しは効いたか、と推測したエイジは、直後にテッカグヤの隠れた瞳が赤く輝いたのを目にしていた。

 

 まずい、と動物的直観が働き、ルガルガンを退かせようとする。

 

「ルガルガン! 相手を蹴って離脱! 距離を――!」

 

「遅い。テッカグヤ、溜め込んだ光を放つ。ラスターカノン」

 

 テッカグヤの全身が照り輝き、一点に寄り集まった光が放射された。

 

 ルガルガンの肩口を貫いた一撃にエイジは声を上げる。

 

「ルガルガン!」

 

 完全に手痛い一打を受けたのは自分達のほうだ。自由落下に陥るルガルガンにダムドが声を飛ばす。

 

(させるか! メテノに取り憑かせたセルを使って、足場を作れ! 光の壁!)

 

 メテノが眼窩から光を拡散させ、ルガルガンの足場を作り出す。足跡の足場はこの時、テッカグヤの光の拡散銃を受け止めるのに最適であった。

 

 それでもダメージは拭い去れず、エイジは歯噛みする。

 

「……一手間違えた」

 

「だから言ったでしょう? 無敵だって」

 

 本当にそうなのか。エイジは自問する。この世に本当に全くの無敵で、全くの想定外のポケモンなど存在するのか。

 

 持ち直したルガルガンを視野に入れ、エイジは策を巡らせる。「ストーンエッジ」はまるで通用しない。他の攻撃でも恐らくは大したダメージにはなっていない。

 

 足場崩しは、と目を凝らすが相手の足場は二脚で支えられており、その支持率は並大抵ではないだろう。それにカウンターも痛い。もし、格闘タイプが有効であっても、相手の射程に潜り込むそれ自体が下策。だが遠距離では攻撃の意味さえも存在し得ない。

 

 まさしく無敵の要塞。砦と呼ばれ得るポケモンがあるとすればこれの事を言うのだろう。

 

(だが……無敵の要塞でも突破口の一つや二つはあるはずだ。それがないポケモンなんていねぇ)

 

 考えている事は同じか。ダムドも必死にこの状況での打開点を考え出そうとしている。

 

 それなのに、自分が投げていいはずもない。ここは最後の最後まで考え抜くのだ。

 

 ――考えろ。考えるんだ……。

 

 敵はどこに弱点がある? 否、弱点はなくてはならない。弱点のないポケモンも、弱点のないジェネラルもいないはず。

 

 ――考えを投げるな。ただひたすらに思考しろ。

 

 相手の巨躯を改めて見渡す。竹に見える部位は全て鋼鉄。ゆえに小手先は通用しない。

 

 ならばどうする? ルガルガンの突破力では装甲を貫く事はまるで出来ない。そんな状況下でどうやって戦うのか。

 

 このまま闇雲に攻撃を繰り広げても全てが無為。ならば、この戦局、ここまでだと判じるのもまたジェネラルの裁量か。

 

 だが、ここで投げてはいけないのだと、自分の内奥が告げている。自分の中で「絶対」があったはずだ。ダムドの魂さえも揺さぶった「絶対」がまだ自分の中にあるのならば、それを信じろ。それを貫き、そして守れ――。

 

 誰が裏切ってもいい、自分だけは、自分を信じ抜く。それでしか贖えない。それでしか抗えない。それでしか……自分の魂に報いる事は出来ない。

 

 テッカグヤを攻略するのに、現状では不確定要素が大き過ぎる。どれだけ仔細に観察しても、やはり無理か、という一事に集約される。

 

 翳った意識を見過ごしたようにリコリスは声に喜色を滲ませた。

 

「あっは! やっぱり無理よねぇ! だったら、ここで散っちゃいなさい! テッカグヤ! それにカルトも。ゾーンを展開するわ!」

 

(しまった……! ここでかよ……!)

 

 瞬く間に景色は縮小し、茫漠と広がったのは青白い宇宙空間――かに思われたが、違う。景色は集約し、そして拡散したのは、竹林を思わせる痩せた土壌に、そこいらにクレーターの見え隠れする地平であった。

 

 これは、とエイジは息を呑む。

 

「これこそがコアの持つゾーン。コアの宿主はセルの媒介者と違って、己のポケモンの好きな心象風景を描く事が出来る。この場所は、ウルトラビーストであるテッカグヤの最も得意とする場所なのよ。ここでは! テッカグヤの動力源である揮発性の高い燃料が三倍も空気中に溶け込んでいる! この状況下で、アンタ達に戦う術なんてない。これで終わりなさいよ!」

 

 テッカグヤが二脚をもってこちらを踏みしだこうとする。その威容にダムドはたじろいでいた。

 

(……ここまでなのか。エイジ、最悪の想定だが、オレなら一時的にせよ、あのデカブツをどうにか出来る。苦肉の策だが仕方ねぇ。お互いに生き延びるためだ。何よりも、ここで死ねば全てが水の泡には違いねぇ。……エイジ、最悪オレとテメェでリンクが外れる。それでもいいってんなら――)

 

「いや、ダムド。そんな事を僕らは選択しないでいいんだ。この局面、ハッキリ言う。――勝ちの目が見えた」

 



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第六十六話 刹那の攻防

 

 思わぬ言葉であったのだろう。ダムドだけではない。リコリスと相手のジガルデコアも驚嘆しているようであった。

 

「……狂ったの? アタシは! ジガルデコアの特殊能力であるゾーンと! そしてウルトラビーストの固有能力を掛け合わせた最強の力で! アンタ達を押し潰そうと、そうしているはずよね? まさか、現状判断も間に合わないほど、落ちぶれた?」

 

「いいや。落ちぶれたわけでも、狂ったわけでもない。この局面なら、見えている。勝ち筋が、絶対的に」

 

 こちらの声音があまりに自信に満ち溢れていたからだろう。リコリスだけではなくダムドまで疑ってかかっていた。

 

(おい、エイジ。ここでイカサマ振るっても、相手の特記戦力を落とせるなんて思えねぇ。生き恥なら……)

 

「それは、ダムド。僕らがここで諦める事こそ、生き恥じゃないのか。僕らは、今まで諦めと、そして絶対に不可能を踏み越えてきた。ならばこそ、ここで背中は向けられない。絶対に! そうだとも、背中を向けちゃ、いけないんだ!」

 

「吼えるのは身勝手! でも、勝てないのに勝てるって言うのはイカサマ師のする事なのよ! テッカグヤを轟沈させる方法なんて思いつく? 無理よ、不可能。アンタ達には策の一つだってない」

 

「それは考えが及んでいないだけだ。僕は見えた」

 

 その言葉はリコリスの自尊心を傷つけるのには充分であったらしい。眉を跳ねさせたリコリスは手を払っていた。

 

「……いいわ。殺してからゆっくりと、コアとセルをいただいてあげる。アタシの切り札を前に無謀に死んだ、愚か者としてね!」

 

 テッカグヤが二脚にエネルギーを充填する。

 

 このゾーンはテッカグヤのために張られた特別製。レオンの張った何もない無重力空間とは違う。

 

(エイジ……。悪いが分の悪い勝負師に堕ちるほどじゃねぇ。オレだって守りたい一線が……)

 

「なら、信じてくれ、ダムド。……僕らは負けない」

 

 この言葉に乗るか否か。それで自分達の進路は問い質される。

 

 ダムドは一拍の逡巡を挟んだ後、フッと笑みを浮かべていた。

 

(……今さら無茶無策に付き合っているワケでもねぇ、か。いいぜ。オレはだが、本当にヤバくなったらテメェを見離す。それくらい、現状芳しくねぇんだ。ルガルガンの攻撃は全て弾かれる上に、メテノじゃダメージにもならねぇ。この局面、どう勝ちに行くよ?)

 

「ダムド。方策はある。僕に任せて欲しい。ただ――ほんの一個だけ。頼んでおきたい」

 

(来ると思ったよ。じゃあその一個って何だ? 教えてくれよ、エイジ)

 

 ぼそり、と聞こえない声量で呟く。その言葉にダムドは白濁の眼を見開いていたが、やがて問い質していた。

 

(……聞くまでもねぇが、マジなんだな?)

 

「ダムド。僕は嘘を言った事がない。お前に会うまでも、お前に会ってからも」

 

 ふんとダムドは鼻を鳴らし、四肢を開く。

 

(じゃあその絶対とやら、オレに示してくれよ、エイジ! 行くぜ!)

 

(小賢しい坊主達だねぇ。リコリス、テッカグヤで殺しておしまいよ)

 

「分かってるって。急かさないで。本当に一撃で沈めようと思うんなら、このフィールドの土からエネルギーを吸い上げないと。まぁでも! この土壌は特別にスペシャル! さらに言えば、空気もそう! テッカグヤの浮上とそして敵の撃沈に相応しい攻撃力を保証する! つまり! このゾーンに入った時点で、アンタ達の負けなのよ、スペードのコアに宿主さん」

 

「……そう思うんならやってみるといい。勝負はきっと、一瞬で決まる」

 

 リコリスが歯噛みし、舌打ちして手を掲げる。

 

「じゃあ生き残ってみなさいよ! アンタ達のただの悪足掻き、どれもこれも意味がないんだって教えてあげる! テッカグヤ、もう行けるわよね? ヘビーボンバーを稼働させる! 残念だったわね! テッカグヤが浮上すればその瞬間にはアタシの勝利! ルガルガンの岩の散弾で防御したって、もっと言えばジガルデの力を使って皮膜を張ったところで全て無意味なのよ! どれもこれも、テッカグヤの一撃の下に塗り潰されるわ!」

 

「そうだと思うなら、やるといい。ハッキリするはずだ」

 

 こちらがあまりにも落ち着き払っていたせいであろう。ハートのコアが警戒する。

 

(……リコリス。本当に何かあるのかもしれない。わっち達を上回る、何かが……)

 

「ブラフに決まっているでしょうに! テッカグヤ、点火! 飛翔開始!」

 

 テッカグヤが莫大なエネルギーを放出し、内奥から点火して飛び立とうとする。それをエイジは全く防ごうとも思わなかった。

 

「そんな無防備で! 死んじゃうわよ!」

 

「――いや、もう終わっている。僕の手は、既に」

 

「だから! そんな小手先で!」

 

「小手先じゃないさ。何なら間違い探しでもするか? 僕がさっきまで持っていたものと持っていないものを」

 

 その言葉にリコリスはハッとようやく気づいたようであった。

 

「……ルガルガンの手に、メテノがいない……」

 

 そう、ルガルガンの補助に回っていたはずのメテノが存在せず、さらに言えば周辺にも全く見当たらない。リコリスはジガルデコアに声を走らせていた。

 

「何が起こったの! カルト!」

 

(分からない……。この状態では、特に……)

 

「だったら! アタシと分離してもいいから、さっさと精査して! あの小さなポケモンはどこに行ったの!」

 

「上だよ」

 

 冷徹に言い放ったエイジが指差した先に、リコリスは息を呑む。

 

 その指先は――飛び立ったテッカグヤを示していたからだ。

 

「テッカグヤ……?」

 

「テッカグヤはヘビーボンバーを撃つ前に、エネルギーを充填する隙があった。その隙にメテノを飛ばし、紛れ込ませたんだ。テッカグヤの二脚のブースターに」

 

 テッカグヤが異常を来したのか、不意にその飛翔が止まる。高高度に達した相手からしてみれば、後は落ちるだけのはずだが、その自由落下に移ろうとしない。その時点で、ようやくリコリスは仕込みを疑った。

 

「……テッカグヤのブースターに……メテノを……?」

 

「メテノは多く、可燃性のガスをはらんで棲息している。それは彼らの生息域が宇宙だからとも言われているがハッキリとはしない。だが、一つだけハッキリしているのは、テッカグヤがヘビーボンバーを撃つ際、多くの酸素と、そしてあらゆる塵を吸い込む必要性がある事だ。その時にもし、異物が紛れ込めば、どうなるか」

 

「異物……。でもだからって! ちょっとしたゴミならテッカグヤの攻撃に支障はないわ!」

 

「そう、ちょっとした、ゴミならね。でも、テッカグヤが技を放つ、適切なタイミングでそのゴミがもし――膨大な可燃性物質を含んで起爆すれば? テッカグヤは内部から誘爆を起こし、その結果、莫大なエネルギーは拡散して炸裂する。そうなった時、さしもの鋼のテッカグヤとは言え、逃げ場をなくしたエネルギーをどう扱うか」

 

(攻撃を通さない鉄壁の守りであるテッカグヤの内側……! その中身を逆手に取ったって言いたいのかい)

 

 ハートのジガルデコアの声にエイジはこめかみを突く。

 

「僕は……見てきたポケモンなら弱点は大体分かる。でもテッカグヤは見た事のないポケモンだし、それに類似したデータもない。だから今回参考にしたのは、無機物、つまりは生物ではない存在だ。先ほどルガルガンで何度か殴りつけた時、ラスターカノンで表皮を保護しているとは言え、それでも手応えに違和感があった。まるで……中が空洞みたいな、コォーンって言う音を聞いたんだ。そこでピンと来た。莫大なエネルギーを誇り、爆発力を持つテッカグヤの内部は実は……巨大な洞なのじゃないかって。そして空洞の構造を持つって言うのなら、弱点はあるんだ」

 

 テッカグヤが異物を逃がそうと空中で身をよじるがその時にはどうしようもないはずだ。メテノはテッカグヤの内部深く、恐らくテッカグヤ本体でもどうしようもない位置まで達している。

 

「……空洞の弱点……」

 

「空洞なら、構造上の弱点は存在する。外からは強くても中からは脆い。その法則がもし、テッカグヤにも適応されるのならば、狙うのはその堅牢な装甲じゃない。中だ。中に入り込めればいい。だが、通常のポケモンならば中に入り込んだところで、ヘビーボンバーの準備動作だけで焼かれて、使い物にならなくなるだろう」

 

「そ、そうよ。そのはずじゃない!」

 

 調子を取り戻したリコリスであったが、一向に落下軌道に入らないテッカグヤに業を煮やしていた。

 

「何で……何で降下しないのよ! 出来るはずでしょう! テッカグヤ!」

 

「テッカグヤの神経が集中している位置は分からない。だが、今回メテノはその好位置に達したようだ。メテノの特性はリミットブレイク。自らの展開する岩石の殻を破り、コアの姿に変異する。それはつまり、ヘビーボンバーのために高熱のテッカグヤの内部に入っても排除可能な皮膚を持っている事になるはずなんだ。他のポケモンならいざ知らず、メテノならそれが出来る」

 

 テッカグヤが制御を失い、黒煙を棚引かせて明後日の方向に向かって降下軌道に入る。リコリスは覚えず叫んでいた。

 

「どこへ行くの? そっちに敵はいない!」

 

「そして、リミットブレイクで破砕した岩石は今回、幸運な事にテッカグヤのどこにあるのだかまるで窺い知れない神経の集中する箇所に到達したらしい。岩石の殻が神経系統を阻害している。この状態では命令もまともに聞けない。混乱に似た状態になるはず」

 

 まさか、と振り仰いだリコリスは直上で黒煙と共に爆発の光を乱反射させたテッカグヤを目にする。噴煙が棚引き、テッカグヤの巨躯が傾いだ。

 

「……テッカグヤが……崩れ落ちる?」

 

「メテノを取り込んだだけでは、まだ手としては不十分だ。だから僕は、非情でもこの判断を下す。メテノ――大爆発」

 



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第六十七話 戦いの連鎖で

 

 瞬間、空間を鳴動させる爆風が吹き荒れ、テッカグヤの内側より誘爆した。無数の光輪が次々に咲き乱れ、テッカグヤ自身は黒煙に包まれていく。目標を見失ったテッカグヤが半回転し、そのまま描く軌道は攻撃の落下軌道ではない。

 

 墜落の、落下軌道だ。

 

 リコリスは手を払い、ジガルデセルを身に纏う。

 

「テッカグヤが……自滅する。カルト! 防御皮膜を張って! 焼け死んでしまう!」

 

(間に合わない……。わっちの能力はそれに……攻撃には秀でていないんだ……。リコリス、お前さんを守る事を、わっちは出来ない)

 

 絶望的な宣告であったのだろう。リコリスが膝を折り、今にも落着するテッカグヤを仰いでいた。

 

「そんな……。アタシの最期は……こんなに呆気なく?」

 

 テッカグヤの墜落はこのゾーンにひずみをもたらすだろう。それほどの規模と爆発力なのはもう窺い知れている。リコリスの身体を吹き飛ばし、そのコアの残滓ですらも残す事はない。

 

 勝機を見出したのは、自分達のほうだ。

 

 確かめた感覚にエイジはダムドへと指示を飛ばす。

 

「ダムド、勝敗は見えた。分かっているな?」

 

(ああ、エイジ。癪だがな)

 

「……アタシを殺すって言うの……」

 

 無言を返していると相手は哄笑を上げた。

 

「……そりゃそうか。だって殺そうとしたんだし。殺されたって文句は言えないわよね。でも……こんなにつまんなく、後悔ばっかりの中で死ぬんなら、もっと……自分に正直になればよかったな……」

 

 テッカグヤの頭部が真っ逆さまに地上へと舞い降りる。間に合わない。リコリスはそのまま瞼を閉じ、そして死を受け入れようとしていた。

 

 ――その眼前にエイジ達が立ち現れるまでは。

 

 突然に身を翻し、直上のテッカグヤを睨んだエイジとダムドに、リコリスはうろたえる。

 

「……何をして……」

 

「君を死なせない。僕らが、全力で守る」

 

 その意図を解せなかったのか、リコリスは首を横に振っていた。

 

「何を言って……。施しなんて!」

 

「違う。僕の突きつけた絶対の中で……誰かに死んで欲しくないからだ。だからこれは僕のわがままであって君のものじゃない。僕の我を通す。それにダムドも同意してくれた」

 

(コアの宿主なんて焦土になったゾーンから拾い出すほうが効率的なんだが、こいつの絶対は格別でな。オレの言う事なんて聞きやしねぇ)

 

 嘆息をついたダムドにエイジはテッカグヤへと指差していた。

 

「ダムド! 防御皮膜を張って、僕らを守れ!」

 

(ポケモンとして命じられるのはクソほど嫌気が差すが、今回だけは従ってやるぜ、エイジ。コアパニッシャー……!)

 

 ダムドの額に位置するスペードの意匠が光り輝き、青い保護膜が展開され、直後には激震と爆撃が周囲を覆い尽くしていた。

 

 光の連鎖の中でエイジはよろめいたリコリスを抱き留める。この爆風ではどこかから飛散した破片が突き刺さってもおかしくはない。倒れていたネネも近づけさせ、三人で離れないように密集する。 

 

「離れないで……。この一撃でゾーンが壊れてしまうかもしれない」

 

 リコリスはこちらの動向に理解出来ないと言う様子で頭を振っていた。

 

「何で……。アタシを助ける道理がない……」

 

「君になくても僕にはある。……ジガルデ同士の戦いで、誰も無暗に死なせない。それが僕の――絶対だ」

 

 誓った声音にダムドが光を拡大放射させる。

 

(……すげぇ爆発だな……。こんなの受けてたら普通は死んじまうぜ。だが……オレはジガルデコアのダムド。この程度――普通のポケモンのそれだってなら、受け切ってみせるさ。行くぜ! コアパニッシャーを全開で稼働させる! オレの中に宿るセルよ! エイジとオレを守り通せ!)

 

 青い光が明滅し、直後にはその光と共に壁が霧散していた。

 

 消え去った防御壁と共に噴煙が雪崩れ込んでくる。莫大な熱量に晒された皮膚が痛みを訴えかけ、エイジはリコリスを強く抱いていた。

 

 露出の高い彼女の身体は耐えられないかもしれないからだ。

 

 だが、その爆発の演武もじきに終焉を迎えた。地表に頭部を突き刺した姿勢のまま、テッカグヤが傾ぐ。「だいばくはつ」を体内で受け止めたのだ。その神経系統が完全に狂っていてもおかしくはない。

 

 エイジは次なる攻撃を予見してルガルガンを前に出していたが、その時には赤い光がテッカグヤを絡め取っていた。

 

「……戻って、テッカグヤ」

 

 リコリスがテッカグヤをボールに戻し、強く握り締める。

 

 ゾーン内で手持ちを戻す意味を、相手も分かっていないはずがない。

 

「……僕らの、勝ちだ」

 

 勝利宣告はしかし、それほどまでにハッキリと言えたものでもなかった。テッカグヤが戻った事で空間を漂うメテノを慌ててボールに戻す。瀕死状態のはずのメテノを今は労おう。

 

「……よくやってくれた、メテノ。僕の自慢の手持ちだ」

 

 メテノでなければテッカグヤ攻略は不可能であったかもしれない。それほどまでの戦闘局面であった。エイジはルガルガンにも視線を配る。相棒のポケモンはリコリスに対して警戒を怠らない。

 

 まだ終わったわけではないと思っているのだろう。

 

 しかし、エイジはもう相手にはこのゾーンを維持するつもりも、ましてや戦闘継続の意思もない事を予感する。

 

 その証左のようにゾーンが揺らぎ始め、青く煙る無重力へと変換されていた。

 

 位相空間より実体空間へと身体が戻り、重力にエイジはようやく帰還を感じ取る。

 

「……帰って来られた……」

 

 虚脱した声音に獣形態のダムドはケッと毒づいていた。

 

(なんてこたぁねぇ。ゾーン戦にまで持ち込んだんだ。よくやったさ、エイジ。さて、問題なのはコアの宿主だが……)

 

 濁したダムドにエイジはリコリスへと視線をやっていた。彼女はジガルデを分離させる。

 

(リコリス……)

 

「カルト。アタシ達は負けちゃった。だからどんな条件でも受けなければならない。それがゾーン戦の宿命だもの」

 

 どれほど残酷なレートでも課せるだけの権利が自分にはある。

 

 だがエイジは、ここでの冷徹な判断を彷徨わせていた。

 

「……どうしてノノちゃんとネネちゃんを操ったんだ」

 

 まさかその問いかけが来るとは想定していなかったのだろう。リコリスは面を伏せて自棄になって言いやる。

 

「……アタシはテッカグヤの力に頼るしかない。でも、テッカグヤは目立ち過ぎちゃう。だから……セルでその辺りのジェネラルを操るのが手っ取り早かった」

 

(臆病者の戦術ってワケか。おい、エイジ。こいつからはもう、反抗の気力を削いだほうがいい。ゾーン戦に勝ったんだ。胸を張ってコアを吸収したっていいはずさ)

 

 そうだ。自分達は絶対的な不利から逆転勝利した。だからここでレートを最大上限に……コアの譲渡まで引き上げてもいいはず。

 

 だが、エイジの胸中には迷いがあった。

 

 この盤面、ランセ地方を舞台とした陣営において、闇雲に相手から奪うだけが、戦いであろうか。

 

 熟考の間を置いた後、エイジは首肯する。

 

「……分かった。レートに従い、リコリス、君から奪うのは……」

 

 リコリスも覚悟を決めたのだろう。瞼を閉じ、その判決を待っているようであった。

 

「……所持しているセルの全てだ」

 

 紡ぎ出した結論に、リコリスは驚愕の面持ちを上げる。ダムドもはぁ? と問い返していた。

 

(おい、情けなんて……!)

 

「情けじゃない。僕はまだ、何も知らない。ジガルデとは何なのか。ザイレムはどうしてジガルデコアを集めようとしているのか。セルが人間に及ぼす影響だってそうだ。何も知らないまま奪い合ったって、それは真実が見えないだけだと思う。だから、リコリス。僕はここで君から力を奪うが、それはコアまでには及ばない。コアは依然として君の中にある」

 

「……アタシを……許してくれるの……」

 

「いや、許さない。二人を利用した事も、こうして僕らに仕掛けた事も。だが、理由とそして意図を利かずにここで断罪すれば、それこそ一生の迷いに繋がる。僕は知った上で、進まなければならないはずなんだ。それが、ジガルデコアを宿した責任でもある」

 

 そうだ。知らなくてはいけない。どうしてジガルデコアはこのような争いを繰り広げるのか。セルは何故、人間の闘争本能を高め、他者の意のままに操れるようになるのか。

 

 知らぬままにリコリスを裁けば、それだけ真実に到達するのが遅れてしまう。

 

 ザイレムの擁する真実と、そして本当の意味に、自分はたった一人でも気づかなければならない。だがその道行きは「独り」では難しい。

 

 誰かの助けが必要なのだ。たとえそれが昨日の敵でも、自分は構わない。前に進むために、敵でも何でも自分は利用してやる。

 

 それが自分の振り翳す「絶対」だ。

 

 エイジの意志にリコリスは項垂れて毒気を抜かれたように、ははっ、と笑う。

 

「……完敗ね。でも、ちょっと清々しいかも。無敵だと思ってたのになぁ……。でも、いいわ。アタシ、今ならアンタに、預けていい気がする」

 

 その言葉と共に譲渡されたセルが身体の中に充填されていく。

 

 体内に満ちるセルの数にエイジは言葉を失っていた。

 

「こんなに膨大なセルを……」

 

「そいつが言ったでしょ? 憶病者だって。臆病だから、蓄えだけはあるのよ」

 

(これなら……エイジ、オレももう一歩先に行けそうだ。このせせこましい獣の姿もオサラバか?)

 

 代わりにセルを失ったリコリスのジガルデコアはコア単体の状態へと還元されていた。

 

 剥き出しのコア状態の相手がリコリスの肩に乗って会釈する。

 

(……感謝、するべきなのかねぇ。スペードスートのジガルデコアと……ジェネラルには)

 

「感謝なんて要らない。ただ……もう僕らを追い立てないで欲しい。それは約束してくれる?」

 

 質問にリコリスはどこかばつが悪そうに目を背けていた。

 

(おい、誓えよ。まさかまだ、隙を突いて襲おうだとか――)

 

「ううん! そんな事はその……思ってないわ。さすがにここまでこっぴどくやられて、そんな気にはなれないもの……」

 

 力ない声音に宿っているのは本心だろう。ならば何故、自分と目を合わせてくれないのか。エイジは窺おうとして、またしても目線を背けられる。

 

「……えっと……負けたら目も合わせたくない?」

 

「ううん……違って……その……。こんなの初めてで……。エイジ君、だっけ?」

 

「あ、うん。そうだけれど……」

 

 リコリスは頬を紅潮させ、一息に言い切っていた。

 

「その……っ! 好きになっちゃったかも! ……しれない……」

 

 尻すぼみの語尾に驚嘆したのはダムドであった。

 

(はぁ? 惚れただと? バカ言ってんじゃねぇ! エイジ、こいつ何か企んでやがるぜ。だからコアを奪えって言ったんだ。まだオレらに立ち向かう気があるってんなら、手加減なんて……)

 

(スペードスートの。この子はそういう事がやれるほど、器用じゃないんだよ。今のは本心さ。それも、今まで押し殺していた、この子の本当の本当だろう。エイジ、だったかい? 殺しに来た女を惚れさせるとは、罪な男だねぇ、お前さん)

 

 相手のジガルデコアの言葉にリコリスは照れて突き放そうとする。エイジには、今巻き起こった戦いも、そしてのその結果も、どうやら暫くは実感として、看過出来そうになかった。

 

「あの、その……、そういうの困って……」

 

 何とかかわそうとするがリコリスはどこかしおらしく、頬を赤く染めたまま自分を見つめている。

 

 その濡れた瞳にエイジは何も言えなくなってしまう。

 

(……エイジ。マジかどうかはともかく、だ。今は、メスガキ達と合流しねぇと。セルをほぼ全て奪ったんだ。双子の片割れだって洗脳が解けてるはずさ)

 

「そうだ……ノノちゃん……」

 

 リッカと対面させていたノノの事を思い出し、駆け出そうとするのをリコリスは制していた。

 

「ノノは大丈夫……のはず。それにとっくに洗脳は解けてるもの。……でも、おかしい。さっきからずっと、距離を感じる」

 

「……距離?」

 

「うん。離れていくの。ノノの気配が……」

 

 まさか、とエイジは息を呑んでいた。この局面で別の勢力の介入があったか。真っ先に浮かんだザイレムのエージェント達にエイジはルガルガンを呼び寄せていた。

 

「ルガルガン! 戦闘姿勢でリッカに追いつく! そうじゃないと……まずい!」

 

 明瞭な主語を結ばないまま、激戦の夜は更けていった。

 

 



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第六十八話 守りたいもの一つ

『捉えかねた、な。サガラ局長』

 

 査問会が開かれて二十分ほど経っただろうか。ジガルデセルによる追尾を許した責任の所在を問う査問会はしかし、直後に巻き起こった別のコアの反応に塗り潰されていた。

 

 サガラは一時的に管制室に戻り、ハートのコアがZ02と対面した事を知る。

 

 そしてその結果として、陣営が塗り替わったとも。

 

『サガラ局長。ゾーン内部にあるセルの力関係が随分と変わった。これを君はどう責任を取る?』

 

 百個あるマスのうち、スペードスートに吸収されたマスはこれまでの三倍近くに上っていた。二十分間で何が起こったのか。それを問い質す術を探ろうにも、目下調査中が関の山。ザイレムに与えられた猶予も、そして採算を取るための時間もあまりに少ない。

 

 そんな折に上役からの矢の催促。この余裕のない時に自分の責任追及をして、さっさと手札を晒させる気だろう。

 

「責任を取るも何も、Z01の処遇はザイレム上層部たるあなた方の管轄のはずですが」

 

『だがこの動きにZ02が絡んでいる。Z02の管轄は君に一任しているはずだ。まさか自分が背負ったものさえも忘れてしまったのかね?』

 

 その挑発は安いが、サガラは拳を骨が浮くほど握り締めていた。疼く手の甲のスペードの文様に彼は歯噛みする。

 

「……Z02は追い詰めます」

 

『その問答が通用するかどうかも怪しくなる。サガラ局長、ここで君を解任しないのはひとえにこれまでの実績と、そして所持しているセル媒介者の情報だ。それのみが今の君をここに縛り付ける唯一だろう』

 

 暗にそれさえ廃せばすぐにでも解任出来ると言いたいのか。サガラはナンセンスだと言うように言葉を繰っていた。

 

「……セル媒介者の情報だけでは好転はしませんよ」

 

『ならば教えてくれてもいいのではないか? 好転はしないのだろう? それとも、後生大事に持っておくかね。言っておくが、墓場まで情報を持っていったところであの世では使い物にもならない』

 

『左様。君の判断は二つに一つだ。我々に、セル媒介者の情報を教えるか、それともZ02をとっととこの基地に拘束するか……。ジガルデセルによる自走も許した。この基地内部は精査されたと言ってもいい』

 

「介在する相手がそれ相応と見ても、情報は守られているはずです。奇襲がないのがその証」

 

『だが相手がレオンであった場合、我らは相当な手札を切ったと見てもいい。客観的に考えても、不利に転がりつつある』

 

 それで自分に対して文句を垂れるために呼び出し。ほとほと、ザイレムの上役には呆れ返る。

 

「……Z01との協定条件を結んでいるのはあなた方のはずだ。ならば盤面が変わったと言うのはあなた方の怠慢に繋がるのではないか」

 

『ほう、我らを怠慢と評するか』

 

『口を慎め、サガラ局長。君とは年季が違う』

 

「ですが、コアの盤面は待ってくれませんよ。このまま、全てのスートのセルがもし、スペードコアに集まった場合、どうなるのか……。分かっていないはずがありますまい」

 

 その帰結を相手はわざとぼやかしているが、上役達は慌てふためく事もなかった。

 

 ――この切り口では駄目か。

 

 案外に落ち着き払っているところを見るに、Z02の宿主が見つかった事よりも、Z01の支配領域が移譲された事自体には大した意味がない、と推察される。

 

 むしろ、これは好機だと思っている節もある。

 

 ――この暗黒の者達は何を考えている? 何のために、Z01に対して、「猶予」を持たせた?

 

 管制室の局長権限で知れるのはせいぜい、Z01こそ、ザイレムが接触した「最初」のジガルデである事。そして、そのジガルデを、上役達は「わざと」取り逃がした、という事実である。

 

 しかし、この事実は決定的なカードに成り得ない。

 

 その程度、全てが些事とでも言うように、相手はかわす。Z01から不都合な真実は割れないと踏んでいるのか。あるいは、ライブラリに存在するZ01と、今のZ01は何か違うのか。

 

 記録は記録でしかない。

 

 現状で何が起こっているのかは憶測でしか語れない。

 

 ゆえに、サガラは読み誤ってはいけなかった。少しでも読み誤れば、この者達に隙を与えてしまう。

 

 自分は、決して隙を見せてはいけない。そうでなければ喰われてしまうだろう。

 

『サガラ局長、黙ってばかりいないで答えを言いたまえ。どうするのか』

 

『我々はあまり悠長に物事を構えてはいけないのだよ』

 

 ここで踏むべき事実は……思案した頭に浮かんだのは、セルの数であった。

 

 Z02側の持っているセルの所持数は約20個。五分の一が一つのスートに集まった事実に、誰も触れないのは何故だ。

 

 ともすれば――その程度ではジガルデには大差ないのではないのか。だからZ01追跡に関してもZ02の確保ほど躍起にはなっていなかった。ほとんど現状維持のような追跡任務ばかりであったのは、Z01になくて、Z02にはあるものを探さなければならない。

 

 Z02――スペードスートに存在するのは――サガラは自ずと手の甲をさすっていた。手袋に包まれた内側が熱く疼いている。

 

「……焦る事は、一つもないのではないですか」

 

 口火を切ったサガラに、上役は、ほうと応じる。

 

『それはセルの媒介者を教える、と言う条件かな』

 

「いえ、その必要性もないかと。まだ……ジガルデコアは目覚めてすらいない」

 

 憶測、ハッタリ、何でもいい。ここでこの上役達を一手でも上回れるとすれば、それは自分という存在そのものだ。

 

 スペードスートのZ02に対する、自分と言う名の因縁こそが、彼らに打ち克つだけの鍵だろう。

 

『目覚めてすら……その論拠はどこにある?』

 

「……分かる、と言えばどうですか?」

 

 その言葉振りに相手が震撼したのが伝わった。

 

 ――そうだ。この忌まわしき因縁の文様を、最大限まで利用させてもらおう。

 

『分かる……だと』

 

「あなた方がやった実験だ。その結果がどう結実するのかを、見届けるのも義務では?」

 

『それは我らに挑戦しているのかね』

 

「いいえ。ただ純粋なる答えですよ。言っておきましょう。……セルの媒介者の情報は渡せませんし、それに今の盤面、惜しくもないと感じているのはどちらでしょうか」

 

 強硬策に出たが果たして……とサガラは沈黙を手繰る。

 

 相手からは下手な勘繰りは出てこなかった。

 

『……よかろう。今はまだ、その身への責任追及はよしておく』

 

『だが勘違いをするな。我々は高次権限を持っているのだからね』

 

 ここはうまくかわせたか。そう息をついた、その時であった。

 

『しかし罰は与えよう。――トゥエルヴを使用する』

 

 思わぬ制裁にサガラは声を荒らげる。

 

「彼女は不完全なはずで……!」

 

『おや、随分と節操のない声音ではないか、サガラ局長。当り前であろう? 一つのスートに、セルが集まり過ぎればそれを抑止するのは』

 

「しかし……」

 

『君が案じずとも、彼女は実戦レベルまで研ぎ澄まされつつある。短慮にこの決定を下しているわけではない』

 

 それは嘘のはずだ。自分への最も手痛い採択を相手は取っている。

 

 よりにもよって、トゥエルヴを使うなど。

 

「……Z03が浸食を起こす可能性もあり得ます。コアとの接触はあまりにも危険なはず」

 

『その問題も、解消されつつあるのだよ。確かにZ03の浸食は我々に教訓を与えたがね。それとは別に、こちらにも手がある。いつまでも無知蒙昧に力を振り翳してるわけではないのだと理解はしてもらっているはずだが?』

 

 ここでのZ02との戦闘行為は避けられないか。

 

 トゥエルヴを出すな、と言ってもそれは所詮、自分の関知出来る範囲を超えている。自分はセルの媒介者の情報は出さないと決めた。その分水嶺を守る以上は、ここで口出しすれば後々の禍根を残す。

 

「……知りませんよ」

 

 そう、負け犬のように口にするのが精一杯。彼らはその一声で自分達の勝利を確信したらしい。

 

『もう戻っていい。査問会は閉廷する』

 

『命拾いしたな。サガラ局長。君はまだ、局長の椅子を追われずに済んだ』

 

「……失礼します」

 

 踵を返したサガラはエレベーターに乗り込み、己の不実を噛み締めていた。

 

「……逃れられないのか。わたしは……。大切なもの一つ守れずに、何が局長だ……!」

 

 叫び出したいほどの衝動に駆られ、サガラは呻いていた。

 

 



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第六十九話 深淵の支配者

 

 瞼を開いた時、自分の命がまだある事に驚いたほどだ。

 

 どうして、自分は死んでいないのだろう。そしてどうして――この胸に脈打つ闘争の種は取り除かれていないのだろう。

 

「気が付いたようだな」

 

 その重々しい声音の主にレオンは視線を向ける。

 

 不自然な事に後ろ手に手錠をかけられているだけで、自分の身柄のほとんどは安全圏にあった。

 

「俺は……セルの媒介者の襲撃を受けて……」

 

「君をここへと運んだのはわたしの一存だ。ある意味ではわがままと言ってもいい。あのような辺境の街にいるとは思いも寄らない。この地を統べる四人の最強の一角、ジャックジェネラルよ」

 

 相手はまるで死んだような瞳をしている。この世の全てに絶望し切った、深淵の眼だ。

 

 こけた頬に青白い髪は死者を想起させるが、どこか偉丈夫なその佇まいからは死と生の両方のイメージを伴わせる。相反する二つのテーマを抱えた男の威容にレオンはたじろいでいた。

 

「……貴様は……」

 

「お初にお目にかかる。わたしの名はアカギ。地下組織、ギンガ団の頭目をやらせてもらっている。アカギだ」

 

 その驚愕の真実にレオンは目を見開く。相手は今、何と名乗ったのか。

 

「……ギンガ団の、ボスだと……」

 

「わたしとしては、君の処遇にはちょっとばかし一家言あってね。もっと大事に扱うべきだと、団員達には言っておいた。傷は治っているようだな。マトリクサーとしての能力か」

 

「……何だ。マトリクサー……?」

 

「我々ギンガ団は宇宙の深層のエネルギーを研究している組織でね。その中にはやはり、出てくるのだよ。君達の有する――ジガルデと言う存在が」

 

 まさか、相手にはジガルデのセル媒介者である事まで看破されているのか。戦慄くレオンにアカギは手を払う。

 

「そう警戒する必要性はない。わたし以外は道楽だと割り切っているくらいだ。他の団員達は、幹部以外、ジガルデの事など一ミリも知らないし、興味もないだろう。彼らには彼らの役割がある。ヒトは、生まれた時から役割に生きる。役割を全うし、役割に死ぬ事こそが、人間の幸福だ」

 

「……それが支配への隷属でもか」

 

「支配? 可笑しな事を言うな、ジャックジェネラルたる君が。支配者は君のほうだろう。我々は所詮、おこぼれに与っているだけに過ぎんよ」

 

「俺達のランセ地方を乱すのならば、貴様は敵だ」

 

 瞬時に塗り替わった闘争心の脳内が白熱化し、内奥に宿ったセルの膂力が手錠の拘束を引き千切っていた。

 

 それをアカギは仔細に観察する。

 

「……マトリクサーとしての能力の偏在化。うまく行っているようだな。君達はジガルデセルの媒介者、と呼んでいるようだがわたしは個人的に、ジガルデセルの宿主をマトリクサーと呼ばせてもらっている。別宇宙への隷属者。力に支配された劣等種だと」

 

「黙れ! 悪を行う根源め……、ここで討ち倒す!」

 

 ホルスターよりモンスターボールを引き抜き、レオンは構えていた。アカギは超然とした様子で対峙する。

 

「……その闘争心は誰によってもたらされたものだ? 誰によって思考を観測され、誰によって自分の意思とそうでない意思の判別が行われているのか。人間である、と言うアイデンティティを崩された、愚かなる隷属種よ。君は確かに強いだろう。だが、こうも言っている。――わたしのほうが、強い」

 

 アカギがボールを構える。レオンは投擲し様に叫んでいた。

 

「行け、ゼラオラ!」

 

 飛び出したゼラオラは降り立つなり青い電撃を全身に纏う。もう、油断はすまい。相手が悪のボスとなればなおさらだ。全力で狩りにかかる。そうと決めた双眸に対して、アカギはほうと感嘆していた。

 

「志を秘めた瞳の美しさよ。だがそれは、仮初めの志だ。誰かによって決められた、誰かのために都合のいい正義だ。それを振るう事の恥を知るといい。行け、マニューラ」

 

 落とされたボールより飛び出した漆黒の矮躯にレオンは注視する。

 

「マニューラ……素早さの高いポケモンだな。だが俺のゼラオラは! その上を行く!」

 

「熱いな、ジャックジェネラルよ。その闘志、全て燃やし尽くして来るがいい。わたしは逃げも隠れもしない。ここで殺す気持ちで仕掛けなければ、喰われるのは君だぞ」

 

「油断も……ましてや手加減もするものか! ゼラオラ! 接近してプラズマフィスト! 最初から全力だ! 全力でその男を――ジャッジメントする!」

 

 主の闘争心に応えたゼラオラが跳ね上がり、青い稲光を溜めた拳でマニューラへと肉薄する。マニューラに突き刺さりかけた青白い雷撃の鉄拳はしかし、その像を射抜いてから氷の虚像に吸い込まれていく。

 

「……一瞬で残像を」

 

「マニューラ、氷のつぶて」

 

 瞬時に上方を取ったマニューラが拳より氷結の散弾を掃射する。ゼラオラはいつの間に構築されたのかも分からない相手の氷の虚像を電流の熱で融かしていた。

 

「そんな小手先で……! 十万ボルトォッ!」

 

 引き抜いた腕に充填した雷を、ゼラオラは勢いを殺さずに放出する。その電流にマニューラが瘴気を漂わせた刃を振るっていた。

 

「辻斬り」

 

 干渉し、火花が散ったのも一瞬、直後には互いに後退する結果となった。

 

「……俺のゼラオラと打ち合う?」

 

「嘗めてもらっては困ると言いたいな、ジャックジェネラル。わたしとて、ギンガ団を束ねている。君と同じ、統率者だ」

 

「悪の親玉が何を! 俺と貴様は、同じではない!」

 

 ゼラオラが跳ね上がり、プラズマを溜め込んだ鉄拳を打ち下ろしていた。マニューラが即座にその攻撃網を潜り抜け、凍てついた拳でゼラオラへと返答する。

 

 氷の一撃に舌打ちを漏らしたレオンにアカギは言いやっていた。

 

「いや、同じだとも。君もわたしも、力への求心力に頼った人間だ。だが、明確に違うとすれば、それは不確かなものを信じるか信じないか、と言う点であろう。わたしは、感情というものを否定する。そのような不確かなもの、不完全性を信じると言うのはただの盲信、ただの戯れ言だ。そんなものに頼り切った時点で、トレーナーとしては衰えている。いや、この地方ではジェネラルとして、と言ったほうが分かりやすいか」

 

「ポケモンとの絆を、否定するか」

 

 ゼラオラがマニューラとぶつかり合い、それぞれの攻撃を散らせるが、アカギは一切のてらいを浮かべなかった。迷いも、ましてや疑いようもないとでも言うように、彼は告げる。

 

「そうではないか。絆、信頼関係、心……そのような世迷言、聞くだけで吐き気がする。君は力を管理する存在だ。ゆえにそのような不確定要素に一秒でも迷わされている時間はないと思うが」

 

「不確定かどうか、この俺と! ゼラオラの戦いを見てから言え! ゼラオラ! 至近まで肉薄し、そのまま打ち上げ!」

 

 高圧電流を帯びたアッパーカットがマニューラの表皮を焼く。マニューラが僅かにたたらを踏んだその一瞬。好機の隙を逃さなかった。

 

「プラズマ、フィスト! 叩き込むように!」

 

 雷電の拳を棚引かせ、マニューラへと「プラズマフィスト」が実行されようとする。

 

 その一撃をしかし、マニューラは回避しなかった。矮躯にぶち当たった一撃に、電撃が流し込まれる。震えた躯体にもう一撃、と光を湛えた一撃が下段より振るわれようとしていた。

 

「続いて、ギガインパクト! これで終わりだ!」

 

 そう、終わり。如何に悪の組織の首領とは言え、この連撃には耐えられまい。そう断じた、その時であった。

 

「心とは、感情とは不確かかつ、それでいて人間の心に一滴の墨のように滴り落ち、判断を鈍らせる。今、君の胸に湧いた勝利の感慨それそのものが、わたしの勝機を招いた。敗因は心そのものだ」

 

「何を言っている! 俺は勝利する!」

 

 光芒を滾らせ、粉砕の勢いを灯らせた一撃にアカギは冷徹に応じる。

 

「その拳に握り締めているのは何だ?」

 

 ハッと、レオンはゼラオラが今に放とうとしている拳の中に、何かを握り締めているのを発見する。ゼラオラ自身もそれに気づき、掌を開いた瞬間、その拳が重さを増し、地面に陥没していた。

 

「これは……」

 

 真っ黒な鉄球をいつの間にかゼラオラは握らされている。だがいつから? その疑問にアカギのマニューラが爪を舐めていた。

 

「わたしのマニューラは隠し特性持ちでね。悪い手癖は本来、直接攻撃の際に相手の持ち物を奪うだけだが、熟練させたお陰で相手に物を持たせる事も可能になった。そして、これを実感するといい、レオン・ガルムハート。その重たい持ち物は黒い鉄球。所持したポケモンの素早さを下げるものだ」

 

「それが何だと言う……! ゼラオラのスピードならば……」

 

 そう、ゼラオラの速度ならばこの程度で止まりはしない。そう断じたレオンにアカギは一笑も浮かべずに断言する。

 

「……分かっていないだな。持っている持ち物を持たせたんだ。つまり、わたしのマニューラは最初から、黒い鉄球を所持した状態からのスタートであった。この意味するところ、ジャックジェネラルならば分かるはず」

 

 レオンはその言葉の赴く先に震撼していた。

 

「……わざと、遅くしていたって言うのか……」

 

 ゼラオラが吼え立て、マニューラへと空いた拳を見舞おうとするが、その時にはマニューラの姿が掻き消えていた。

 

 どこへ行ったのか、まるで読めない軌道でマニューラがゼラオラの速度を凌駕し、その爪をゼラオラの背筋へと叩き込む。

 

 浮いた一瞬の隙を突き、マニューラが黒い瘴気を漂わせた爪先で引き裂いていた。

 

 ゼラオラが浮かされたままダメージを受け、その腹腔へと一瞬にして構築された氷の氷柱が砕け散る。

 

「氷柱落とし」

 

 打ち上げられた形のゼラオラへと、マニューラの一撃が突き刺さる。ゼラオラがまるでぼろきれのように突き飛ばされ、戦闘フィールドを滑って行った。

 

「……ゼラオラ……」

 

 呼びかけても返答はない。今の、ほんの一瞬で自分達は戦闘不能に陥ったのだ。

 

 その事実に戦慄く前に、アカギはマニューラと共に歩み寄ってくる。

 

「……これが……実力差だと言うのか……」

 

「いや、比嘉実力差だと言うのならば、この局面、勝利の女神がほほ笑むのは君であろう。ここでわたしが勝ったのは、正確には君に、ではない。君の中に巣食う、ジガルデセルに、だ」

 

「俺の中の、ジガルデ……」

 

「闘争心が刺激され、本来のジャックジェネラルとしての品格が落ちている。そのせいで君は負けた。勝たなければならない、この戦いで。これから先、君は弱くなる事はあっても、強くなる事はないだろう。それはジガルデセルに寄生されている限り、必ず、だ」

 

 必然の敗北がこの先、待ち構えていると言うのか。しかも、今の勝負よりも色濃い、本当の命の駆け引きにおいて。

 

 自分の力はそこまで落ちたのか、とレオンは拳を床に叩きつけていた。

 

「俺は……守りたいたった一つすら守れないまま……」

 

「守りたければ力の使い道と、そして、その道標を知るといい。そうでなくとも、この地方の媒介者達は危険過ぎる。野放しには出来ない」

 

 アカギの悪の組織の頭目とは思えない発言にレオンは困惑していた。

 

「……お前は、何がしたいんだ……」

 

 その問いにアカギは右目をさする。拭い去ったのはコンタクトレンズだ。

 

 その瞳に浮かんだ赤いスペードの意匠にレオンは絶句していた。

 

「……エイジ君と……同じ……」

 

「同じではないさ。わたしは彼のようなマトリクサーではない。改めて、自己紹介をしよう。わたしはアカギ。ギンガ団の頭目であり――そしてこの世界からジガルデを抹殺するために遣わされた反転存在、ウルトリクスだ」

 

 ウルトリクス。

 

 その名称が意味するところを突き詰める前に、レオンは茫然自失のまま流れゆく戦いの連鎖を感じ取っていた。

 

 

 

 

 

第五章 了

 



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