Flying fortress "Gina" (AGM-123)
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Flying fortress "Gina"

 

1943年6月4日、シチリア海峡上空。

私とクルーの身体にこそ穴は開いていなかったが、愛機はもしこれ以上穴を開けられたら航空機としての価値が永久に無くなる、その寸前だった。

 

 

 

「…どうだ?調子は?」上部旋回銃手兼航空機関士に問いかけてみる。「やはりだめですね。3番4番共にやられて、おまけにタンクからガス吹いてます」

 

私ことハロルド・フィッシャー───階級は大尉───の愛機、B-17F「ポニー・スー」号は右翼のエンジン出力を2基とも失い、よろよろと地中海の上を飛んでいた。

 

イタリア領パンテッレーリア島の飛行場を空襲した私達は、滑走路への命中弾と引き換えに90mm対空砲弾の炸裂を受けていた。そのおかげで、離陸時には轟音と共に1350馬力を叩き出していたR-1820-97は右翼の2基がプロペラをフェザリングし、その役目を果たすことなく沈黙していた。

「…そうか。なら“送り狼”に気を付けないとな」私の一言に、尾部、側面の銃手が身体を引き締めたのが雰囲気で分かった。ここ地中海は、我が連合軍が優勢を保ってはいるものの、未だにルフトヴァッフェやイタリア空軍の戦闘機が、私達のような編隊から落伍した爆撃機を狩りに来るのだ。

 

エンジン2基が死んだ重爆なんか、MC.205やFw190のような高性能機でなくとも、CR.42のような複葉機にすら容易く撃墜されてしまうかもしれない。周りに友軍機もいないこの状況では、わずか数丁のM2重機関銃が私達の命綱だった。

 

 

不安な飛行を続けて10分ほど経過した時、「機長、後方に戦闘機──友軍機です!」尾部銃手が叫んだ。確かに友軍機かと私が問う前に、その戦闘機は私達をいったん追い越し、後上方についた。一瞬見えたシルエットは左右にエンジンを持つ双発機で、その間に独立した操縦席。間違いない、我がアメリカ陸軍航空軍の戦闘機、P-38ライトニングだ。

 

無線手が、インベイジョン・ストライプをまとったP-38に呼び掛けるのが聞こえる。エンジンを失ったせいか、いつもよりやや静かな機内では無線手の声と、普段はほとんど聞こえない戦闘機パイロットの声が聞こえていた。

 

「こちらはアメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団所属の「ポニー・スー」だ。エンジン2基を失っている。護衛してくれるか?」

「了解だ、ポニー・スー。マルタまで護衛してやるよ」快活そうな、やや訛った英語が無線の向こうから響く。「感謝するよ。…ところであんた、少し訛りが出てるな」無線手の言葉に、そのパイロットは「移民2世でね」と短く答えた。

太陽を背にして私達の後上部についたライトニング。枢軸の新鋭機に対しては見劣りするものの、その独特な影はずいぶん逞しく見えた。

 

 

私が前を向き、操縦に専念しようとしたときだった。

 

機体が爆発音と共に大きく振動し、一気に高度を落とし始めた。

 

何が起こった!?漏れた燃料が引火したのか、それとも被弾したエンジンが火を噴いたのか?敵機の襲撃か?

軋みを上げて高度を落としていく愛機の操縦席で、私は一瞬のうちに原因を頭の中に浮かべていた。

 

しかし、そのいずれもが、私の見たものに否定された。

 

 

信じがたいものだった。

 

 

私達を守ってくれるはずのP-38ライトニング。あの快活なパイロットを乗せた双発戦闘機が、20mm機関砲1門と12.7mm重機関銃4門全てを斉射しながら急降下してきたのだ。

 

誤射か!?私がその言葉を吐き出す前に、B-17Fの頑丈な機体は主翼のほぼ後ろから裂け、空中で真っ二つになった。

 

私にとって幸運だったのは、2基のエンジンで戦闘重量20トンを超える機体を飛ばすため、高度を低く取っていたことだった。機体が空中分解したのは高度300フィートを切るほどの低空だったので、B-17の前半分はそれほどの衝撃を受けずに海面に墜落した。

 

しかし、その幸運を享受できたのは、10人のクルーの中では私だけだった。

 

海面に墜落したB-17の機首から辛くも脱出できた私は、クルー達の名を呼んだ。

副操縦士、航空機関士、爆撃手、側方、尾部、下部の銃座手、航法士、無線手。私以外の9人の名前を、波に呷られながら叫ぶ。しかし、私の声は虚しく消えていくだけだった。

私は近くに流れてきた何かの欠片に掴まり、上空を見上げる。

 

私達を撃墜したP-38は、機体を翻して飛び去っていった。

脱出のときにあちこちを強打した私は意識を失おうとしていた。私が最後に見たものは、背を向けて去って行く、その独特なシルエットだった。

 

 

 

 

 

「──大丈夫だ軍曹、生きてるよ」

「おーい、大丈夫かー!えーっと…大尉!」

私を呼ぶ聞き慣れない声。その声に重い瞼を上げると、私は船の甲板の上らしき場所で、見知らぬ男達に囲まれていた。

 

その男達に現在位置を問うと、私達が墜落したところからあまり離れていない海域で、この船はアメリカ海軍所属の魚雷艇「PT007」だという。哨戒任務中だった彼らは、偶然海面に漂流していた航空燃料や破片を見つけ、その中で漂っていた私を見つけ、拾い上げてくれたのだ。

 

疲弊しきっている私に、眼鏡をかけた艇長が、「心配しないで。マルタまで送ってあげるから」と笑いかけた。

 

数時間後、マルタ島の港の一つ、バレッタ港に付いた私は迎えに来た車に乗り込み、飛行場に併設された病院へと搬送された。機体ごと海面に叩き付けられた上、海水と航空燃料を呑んでしまった私は入院を余儀なくされた。

 

 

 

 

病院のベッドで、私は墜落時の聴取を受けた。聞き込みに来た情報部の佐官達に「P-38に撃たれた」と告げると、彼は怪訝な顔をして聞き直した。私はもう一度同じ内容を繰り返した。誤射ではないかともう1人の佐官が問い詰めてくるも、あれは誤射ではないと私は確信していた。顔を見合わせて話し込んでいた佐官達が私の方を向き、「実は…」と重要な情報を教えてくれた。

件のパンテッレーリア島空襲に参加したB-17のうち数機が私達と同じく落伍した後消息を絶ち、クルーも発見されていないという。

そしてそのうちの1機が墜落する間際、「味方が…!」という悲痛な無線を残したという。

 

なぜP-38が友軍を撃墜したのか、それは分からない。もしかしたら、反乱を起こしたパイロットかも知れないと言い残し、情報部員は去って行った。

 

 

 

入院して2日後、漸く退院の許可が出た私は、基地内のバーへと足を運んだ。飲んだガソリンや海水はそれほど多くなく、それ以外の怪我も全身の打ち身、擦り傷を除けば右足の骨折だけだった。

バーに行く目的は、顔なじみの爆撃機クルーと会うことだ。正体不明のP-38の事も含め、いろいろと聞きたいこともある。

 

松葉杖を突きつつバーの扉を開けると、室内はいつもと違い、どことなく暗い雰囲気だった。

 

室内の奥の方に座る何人かのパイロットが、私をじろりと睨んだ。

私は彼らの視線を気にしつつカウンターに座り、バーテンにビールを頼んだ。

 

そのとき、私の両脇に男達が座った。いやに機嫌が悪そうだ。1人が私の肩に手を掛けてくる。「なあ、あんたがP-38に撃墜されたとか抜かしやがるハロルド大尉殿か?」酒臭い息を吐く男に、「そうだが?」と答えると、その反対に座っていた男が、「ふざけやがって!!俺達がどんな思いでマカロニ野郎共とやり合ってると思ってんだ!!」と、椅子を蹴倒して立ち上がる。

なるほど、彼らは護衛機のパイロットか。死線を彷徨って戦ったあげく、味方撃ちの汚名まで着せられたら、烈火のように怒るのも無理がない。

だが、わたしは「私は嘘やでたらめを言った覚えはない。ただ事実を情報部に伝えただけだ」と返した。するとまた別のパイロットが、「どうせあんたらドン亀乗りにゃ、ユンカースとライトニングの区別も付きゃしないだろうよ」と下品な笑い声を上げる。

 

「おい!!さっきから黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって…!!」怒鳴りつつ立ち上がったのは爆撃隊隊長機の「プリズン・レディ」号の航空機関士、ドイツ系アメリカ人のアドルフ・ゼンハイザー中尉だ。「こっちだってふざけた報告は出してねえ。ハリーだって見たモン全部報告しただけだろうが!」といきり立つ。

「黙りやがれドイツ野郎!」今度は店の奥、戦闘機パイロットからの野次だ。「上等だてめえ…!」売り言葉に買い言葉、さらに爆撃隊の何人かが立ち上がる。仲間意識が強い彼らは、仲間が罵倒されるのをことさらに嫌う。にらみ合う何人かの中には手に酒瓶を持っている者もいる。「おい止めてくれ!店での中で乱闘は御免だ!」とバーテンが悲痛な叫びを上げるも、誰1人として聞いていない。

「嘘つき野郎の肩を持つのか、クラウツ。とっとと総統閣下の所に帰ったらどうだ」

 

戦闘機パイロットの挑発に、アドルフが一歩踏み出す。

「やめんか、フューラー!!」店内に響いた怒声は、「プリズン・レディ」号の機長、この基地で最も長いキャリアを持つスタンレー大尉だった。

 

その怒声に、乱闘寸前だった空気が霧散していく。スタンレーが立ち上がり、集団の間に分け入る。「……P-38がB-17を、誤射かどうか分からんが撃っちまったのは確からしいんだ。だが、別にあんたら護衛機が悪いって言ってんじゃない。そこは分かってくれ」

ベテラン機長の言葉に、戦闘機隊の隊員達は毒気を抜かれたように席に戻っていく。

 

スタンレーは私に近づき、「今は微妙な状況なんだ。お前も話す内容については気をつけてくれ、ハリー」と囁いた。

 

私は一言「分かった」とスタンレーに返し、店を後にした。背中に、戦闘機パイロットの鋭い視線を感じながら。

 

 

 

 

 

それからの数週間、基地内の雰囲気は最悪を通り越していた。

 

 

 

あるB-17の銃座手が「地中海上空でマスタングに撃たれた。彼奴はナチのスパイに違いない」と主張し、その日出撃した護衛機のパイロット全てが取り調べられると言う事態が発生した。勿論そんな事実はなく、ただ敵機を追撃中にたまたま機銃を撃ちながら爆撃機の側を通り過ぎただけだった。

 

その数日後にはエンジンに被弾したP-47のパイロットが辛くも帰投し、「B-17に撃たれた。流れ弾なんかじゃない、確実に俺を狙っていた」と騒ぎ立てた。実際にエンジンを破壊したのはB-17の撃った12.7mm弾だった。しかし、B-17の銃座手らに聴取を行った結果、1人が「Fw190のような戦闘機を迎撃したが、もしかしたら味方機だったかも知れない」と証言し、彼とP-47のパイロットが記憶をすりあわせたところ、まさしくそのタイミングでの誤射だったと判明した。

 

 

爆撃隊も戦闘機隊もお互いが疑心暗鬼になり、基地では言い争い、小競り合い、ガセネタの密告が相次いだ。反乱やスパイの噂が立つ度に情報部員がやってきて、聞き込みをし、問題なしという結果を手に入れて帰って行く。

 

いつの間にやら、私はその情報部員らと顔なじみになっていた。彼らは来るたびに私に話を聞きに来ていた。何分私は、確実に正体不明の戦闘機に撃墜されて生き残ったただ一人の人間だったからだ。

 

 

「ハリー、俺はもう疲れたよ。毎日、毎日、毎日、毎日、ガセネタのオンパレードさ」バーで、ビールをあおりつつ情報部員が愚痴る。

「…すまないな」「いや、アンタの謝ることじゃない。それに、イタリア方面で何か情報があるって話なんだ」一瞬、心臓が躍った。「……いったいなんだ?」はやる気持ちを抑えた私の問いに、ビールを一口飲んで、彼は再び話し始めた。「まだ確かじゃないんだが、現地の諜報員から、イタリア軍の空軍基地に離着陸するP-38を目撃したという報告があった。しかも、米軍と同じ、インベイジョン・ストライプを塗装した、な」

 

私は、言葉も出なかった。何よりも、奴は、私のクルーの敵は確かに実在したのかという思いが強かった。「そいつの情報を教えてはくれないか?」しかしその問いに彼はかぶりを振り、「いや、だめだハリー。これ以上は私達も情報を持っていない。…まあ、もう少し待ってくれ。まともな情報は必ず持ってくるよ」そう言い残し、彼ら情報部員はいくらかの代金を置いてバーを出ていった。

 

 

 

 

 

 

その数日後、彼ら情報部員は約束を果たした。

彼らからもたらされた情報、それは基地全体に衝撃をもたらすには十分すぎるものだった。

 

まず1つ目の情報。

私達がパンテッレーリア島を空襲する数週間前、1機のP-38がサルディーニャ島に不時着し、それが鹵獲されたということ。鹵獲機の発生、ここまでならたまにある話だった。しかし、問題は2つ目の情報だった。

それはイタリア空軍基地を離陸していくP-38の写真だった。

しかし、不鮮明なその写真でも、その機体は、国籍マークに至るまで米軍機と全く同じ塗装であるとはっきり分かった。

 

そして3つ目の情報。それは、このP-38のパイロットに関する写真と補足情報だった。

 

グイド・ロッシ。階級は中尉。妻帯者。写真の中の彼は快活そうに笑っていた。隠し撮りだろうか、それもまた不鮮明な写真だったが、それでも彼が明るい性格の好人物であろうことは想像できる。

その写真に付属された情報には、要約するとこう書かれていた。

 

“グイド・ロッシ中尉はムッソリーニ元帥に直訴し、鹵獲されたP-38を米軍機と同じ塗装のまま使用する許可を得た”

 

それを見たパイロットたちが騒ぎ立てる。「…本当にいたのかよ、味方撃ちのP-38が」「しかし、塗装を変えないってのは戦時国際法違反じゃないのかね」「ああ、間違いなく違反だ。だが、ハーグ空戦規則案は討議されてなくて、草案のままのはずだ。多分、罰せないだろうな」

 

がやがやと騒ぎ立てる彼らの中で、私はただ1人静かに、“見つけた”とだけ思いつつ立っていた。ようやく、9人のクルーの敵が、確かな形で姿を現したのだ。

 

 

 

 

 

敵機であるP-38の存在が明らかになった直後から、基地の雰囲気は様変わりしていた。グイド・ロッシという共通の敵が現れた事で、一気に爆撃隊と戦闘機隊のわだかまりが解消されたのだ。

 

しかし、それでもなお落伍機の被害は止まらなかった。

ロッシ中尉はP-38の特性をよく知っているらしく、徹底して戦闘機隊との交戦は避け、決して友軍戦闘機のいる空域には現れなかった。

 

さらに、ロッシ機と見間違えて本当の友軍機を射撃してしまうということもあった。

 

 

敵の存在が明らかになったにもかかわらず、それを撃退できないことに私は苛ついていた。

 

 

それから数日後、ようやく骨折が治り、松葉杖とギプスから解放される頃、基地に奇妙な機体が配備された。

 

 

 

 

 

それは、B-17の様な大型機だった。

いや、その新型機の見た目はB-17そのものだった。

しかし、その機体の装備は、通常のものとは全く違っていた。

 

 

「班長!このB-17モドキは一体なんです?」その機の近くにいた、整備班長に話しかけてみる。「ん?ああ、ハリーか。こいつはYB-40っていうんだ。B-17を改造した編隊援護機って代物らしいぞ。」

「YB-40?編隊援護機?性能はどんなもんなんです?」「機体自体はB-17と全く同じだな。ただ、こいつの防護機銃はすごいぞ。爆撃装備を取っ払ってM2を積めるだけ積んでるんだ。連装回転銃座が胴体上と機首下に合計3基、連装銃座が尾部、胴体左右で3基、機首左右脇に単装機銃2基、胴体下にスペリー銃座1基。合計16丁のハリネズミだ」

 

すさまじい重装備だ。今まで乗っていたB-17Fは7.62mmが機首に2丁、あとは機体各部にM2が8丁だ。防護火力に関してはほぼ倍だ。

 

「しかし、爆撃は出来ないんですか?」私の問いに、「ああ。こいつは敵機への機銃掃射専門だ。…まあ、戦闘機とやり合うんなら、普通のB-17じゃなくてこいつに乗った方が良いな…っておい、ハリー!どうしたんだ!?」

 

 

 

“戦闘機とやり合うんなら”、班長のその言葉を聞いた瞬間、私は既に基地司令室へ向かって走り出していた。

 

 

 

「司令!!」司令室のドアを蹴破るように開けつつ、私は司令に叫んだ。ノックをするといった礼儀作法は、私の頭の内から抜け落ちていた。

 

「お、おい。一体どうしたというんだフィッシャー大尉…」司令が気圧されたように私を制止するも、私は聞く耳を持たず「あのYB-40を私にください!!アレを使えばあのイタ公も落とせます!!」いきり立つ私を司令は「落ち着きたまえ大尉。順序立てて話してくれ」と制す。

 

 

 

司令の制止に漸く落ち着きを取り戻した私は、考えついた作戦を話した。

 

 

数分でその作戦概要を話し終えると、司令は一言唸り、「……なるほど。それなら確かに、うまくいくかもしれん。ただ、人員配置については私の独断では決められんから、そこは納得してくれ」といい、私を退出させた。

 

 

 

 

 

その数日後、私はYB-40に乗り込み、爆撃隊に同行していた。機体自体は馴染んだB-17と殆ど同じだったため、追加の訓練を受けることもなく飛ばすことが出来た。しかしこの機体は、16丁もの機銃とその弾薬、それに伴う補強などの重量増と空気抵抗の増加で速度が低下していた。だが、逆に低速性は私の“作戦”にぴったりだった。

 

私の作戦は、シンプルなものだった。このYB-40で爆撃隊の殿について同行し、落伍機を装ってロッシ中尉のP-38を引き寄せ、圧倒的な弾幕を持って撃墜する。シンプルだが、確実な作戦だった。P-38の機動性は低い。いきなり抵抗できないはずの敵機から銃撃を浴びせかければ、感嘆に撃墜できるだろう。

 

 

 

しかし、まあそう上手く行くものではなかった。

 

 

 

そうも都合よく、ロッシ中尉が私達の前に現れるわけもない。

 

 

その後数週間、私達はほとんど戦果を上げないまま編隊の殿についていくだけだった。

 

その間にも、何機かのB-17が撃ち落とされていった。

 

クルーたちと私がいら立ちを募らせ続ける中、情報部がもたらした情報により、一筋の光明が差し込んだ。

 

“ロッシ中尉の妻、ジーナとその息子がコンスタンティンに居住している”

 

その情報を手に入れた私はあることを思いつき、すぐさま行動をとった。

まずは手紙を書いた。宛先は、あの顔見知りとなった情報部員たちだ。

 

そして約1週間後、その手紙は役割を果たし、私が求めていたものと共に帰ってきた。

 

それは、ロッシ中尉の妻、ジーナの写真だった。

 

私はその写真を持ち、YB-40を整備している格納庫へと向かった。そして整備員に、その写真を基にノーズアートを描かせた。黒髪のラテン系美女、そして、その下には大きく、“Gina”と名前を入れさせた。もちろん、こんな事ですぐに奴がかかるとは思えない。しかし、ストレスを溜めたクルーたちにはいい士気向上になるかもしれない。

 

 

 

 

 

そしてその数日後、YB-40「ジーナ」号は、今までと同じく爆撃隊についていった。

 

 

 

 

 

 

そしてその数時間後。

 

 

「駄目です!3番、4番停止!」「クソッ、プロペラをフェザリングさせろ!バルブも閉めろ!火を噴いたら墜ちるぞ!」「敵機、帰還していきます。……何とか生き残りましたね」

 

 

私達は2機のBf109に襲撃され、エンジン2基を失っていた。低速な大型機ではBf109の機動性の前には歯が立たず、16丁の防護機銃はその役目を十分に果たすことはなかった。

 

 

そして、28トンを超える機体を残った2基のエンジンで飛ばし続けるのは不可能だった。すでに1番、2番は油温計がレッドゾーンに突入し、いつ故障するかわからなくなっていた。

 

「…しょうがない。投棄できるものを全て投棄しろ。機銃も捨てて構わん」

 

少しでも重い機体を軽くするため、この状況下では役に立たない装備を捨てさせる。胴体左右の機銃合計4丁、さらに大量の機銃弾。低空を飛ぶため、酸素ボンベもいらないだろう。すべて捨てさせる。

 

500キロを超える重量物を投棄したおかげか、エンジンは少し落ち着いてきた。

 

しかし、不安な状態には変わりない。周りに友軍機もいないこの状況では、残った胴体上下の銃座が私達の命綱だった。

 

 

 

……まるであの日の様だった。エンジン2基が死に、単独飛行で、身を守ってくれるのはM2数丁のみ。

 

 

 

「機長!右に戦闘機……P-38です!」そのP-38は、機体を近くまで寄せると、無線でこちらに話しかけてきた。「…あのP-38からです。基地まで一緒に帰投したいと」

 

連日の空振りに疲れ切った私の脳は、そのP-38は友軍だと判断した。むしろ、この状況下では有難い仲間だ、としか思わなかった。“戦場で都合のいい偶然は信じるな”誰かが言っていたその言葉は、思い出せなかった。

 

 

 

 

「機長、P-38が妙なことを言ってます。“ジーナか。いい名だ。コンスタンティン出身かい?”と」

 

 

 

 

 

その一言に、私の全身の血は凍り付いた。

 

 

ジーナという名前と、コンスタンティンという地名。それを組み合わせるP-38乗りは、奴一人、ロッシしかいない。

 

 

私は前方機銃手と上方機銃手にあることを命じ、無線手と変わった。

 

 

「…ああ、ジーナはコンスタンティンであった女の名だよ。いい女だった。確か…ロッシとかいうマカロニ野郎の女だったと聞いたな」もちろん、口から出まかせだ。私はジーナと会ったことはないし、コンスタンティンに行ったことさえない。しかし、子供を持ち、妻を大切にしているであろうロッシが聞いたなら…

 

 

数秒の沈黙後、無線に流れたのは、

「Porco Rosso! Cadere all'inferno!」

イタリア語の罵倒だった。

 

(かかった!)私は心の中で叫び、銃手らに、「言った通りだ!奴が来るぞ!」と命じた。

 

なおもロッシは罵倒を続け、私達と正対した。B-17Fにヘッドオンで攻撃するのは、実際に正しい戦法だ。正面火力が7.62mm機銃2丁しかないので、多少の被弾を覚悟すれば簡単に落とせるのだ。

 

 

しかし、この機体は機銃掃射専門のYB-40。本来のB-17には搭載されていないものが搭載されている。

 

それは、機首下チン・ターレットだ。アゴの様な位置についた2丁が、ヘッドオンしたP-38に向かって火を噴く。そして、それに驚いたロッシはYB-40の上方に回避した。

 

私の狙い通りだった。P-38は、胴体上部、2基の連装機銃座のキルゾーンにまともに飛び込むこととなったのだ。

 

至近距離で発砲された12.7mm弾はP-38の補助翼をもぎ取り、エンジンから火を噴かせた。

 

片肺となったP-38は上方で反転し、体当たりを仕掛けようと降下してきた。しかし、そこでもYB-40の低速性がものを言った。慣れた敵機とは違う速度に目測を誤ったロッシは、私達の機体の前を通り過ぎ、そして、何とか体勢を立て直して海面に不時着水した。

 

十数キロ先で、損傷したP-38から這いずり出たロッシが、拳を振り上げて何かを怒鳴っている。それを見たクルーが、「掃射してやりましょうよ!」と逸る。

 

しかし私は彼らを諫め、こういった。「救難隊を呼んでやれ。それが軍人としてのマナーだ」

 

 

 

 

そして基地に帰った私達を待ち構えていたのは、仲間たちの歓声だった。

 

 

 

 

こうして私達は殊勲飛行十字章と殊勲章を授与され、爆撃隊を悩ませたP-38は未来永劫現れることはなかった。

 

 

 

 

 

そして、YB-40とP-38の死闘から数年後。

 

世界情勢は大きく様変わりしていた。

 

ヴェルレーヌの「秋の歌」とともに連合軍がノルマンディーに上陸を果たし、ローマが連合軍に占領され、世界初の実用ジェット戦闘機が空を駆けた。

そして1945年4月にヒットラーが自らの命を絶ち、ヨーロッパを火の海に変えた戦いは終わった。

 

その4か月後、日本に新型爆弾が投下され、その6日後、人類史上最大の大戦争が終わりを告げた。

 

 

 

 

そして時は流れ1948年6月24日。

ソ連政府当局が西ベルリンへの陸路を完全封鎖。

自動車、鉄道といった陸運や運河を介した海運を停止。検問所にバリケードと軍隊を設置して物流・ガス・電気を完全に遮断するという暴挙に出た。

 

 

しかし、それを黙って見ているアメリカではない。

 

「我々は、ベルリンに留まる。断固としてソ連には屈しない」ハリー・S・トルーマンの言葉を皮切りに、史上最大の空輸作戦「オペレーション・ヴィットルズ」が始まったのだ。

 

 

 

200万人の腹を満たすための4500トンの積み荷を運ぶ任務は、過酷なものであった。

 

 

 

 

 

そんなベルリン空輸作戦が行われていた1948年12月、イタリアのコンスタンティン。

 

一人の男が、自宅のテラスで椅子に座り新聞を読んでいた。

 

その新聞の記事を見て、男は妻を呼んだ。彼が注目した記事はベルリンへ物資を運んでいた輸送機が墜落し、乗員が全員死亡したというものだった。

そして、その墜落した輸送機の機長の名前は、「ハロルド・フィッシャー」と記されていた。

男は妻と顔を見合わせ、こういった。「なあ、ジーナ。俺に考えがあるんだが……」

 

 

 

 

 

数日後、アメリカ、ワシントンD.C、アーリントン国立墓地。

 

任務中に命を落としたフィッシャーの葬儀が、しめやかに行われていた。参列者は、フィッシャーの両親に妻子、そして彼と運命を共にしたYB-40のクルー。彼と親交が深かった情報部員たち。そして、一度は仲たがいをした戦闘機パイロットたち。

 

しかし彼らは、葬儀が終わるころ、見慣れない参列者がいることに気が付いた。

ラテン系の快活そうな男性と、その妻子らしい女性と子供。

 

YB-40のクルーが、彼らに尋ねた。

 

「申し訳ありませんが、どなたですか?彼には、イタリア人の友人はいないはずだったので…」

 

その問いに、男は笑って答えた。「ああ、私も彼と顔を合わせて話したことはありません。ただ、浅からぬ因縁がありましてね」と。

 

 

真新しい墓に花を供え、立ち去る彼らにクルーはもう一度訪ねた。「あなたのお名前をお教え願えますか?」

 

男はにやりと笑い、人好きのする笑みで答えた。「私はロッシ。グイド・ロッシと申します。元イタリア空軍中尉。…あなた方に撃墜された鹵獲機のパイロットですよ」

 

そう言い残し、彼は、ロッシは家族を連れて去っていった。

 

 

 

 

 

〈FIN〉

 

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
(ほぼ)完全オリジナル作を作るのは初めてであったため、上手く書けているとは思いません。ご意見、ご感想お待ちしています。


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