【書籍化&コミカライズ決定】この日、『偽りの勇者』である俺は『真の勇者』である彼をパーティから追放した (髭男爵)
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プロローグ
幼い頃に見た夢


令和記念に投稿を始めました。
この作品は作者が過去「小説家になろう」で日刊2位になった短編の連載版です。
短編は下記のURLを参照ください
https://ncode.syosetu.com/n7940fb/

尚、「小説家になろう」でも並行投稿をしております。


 そこの名も無い平凡な村だった。

 世界では魔王と呼ばれる存在が人々を脅かし、悲しみと苦しみに満ちている国がある中、そんなものとは無縁なほど、長閑で穏やかな村だった。

 

 

 村のはずれにある、少しばかり小高い丘。そこで二人の子どもが木の棒で戦っていた。

 

「ていっ!」

「あっ!」

 

 赤い髪の子どもが、黒髪の子どもの持つ木の棒を己が持つ木の棒で弾き飛ばす。

 

「へへっ、おれの勝ちだな! ユウ!」

「うぅ…!」

 

 勝ち誇る赤い髪の男の子ーーフォイル・オースティンは同い年で俯くユウ・プロターゴニストに得意げな顔をする。

 

「これで99戦99勝だな! 全くユウはよわっちぃなぁ」

「えぐ…またまけた…」

「こらー! フィーくん!」

「げっ、め、メイちゃん!?」

 

 可愛らしいピンクのワンピースを着、手に人形を抱えた一人の桃髪の女の子ーーメイ・ヘルディンがぷくっと頬を膨らませてフォイルに詰め寄る。

 

「もうっ、またユウくんをいじめて! いじわるしたらめっ! なんだからね!」

「い、いじめてないよ。これは修行だよ、しゅぎょー」

「ユーくんは余りけんかが強くないし、フィーくんみたいに運動が得意じゃないんだから。ユーくんだいじょうぶ?」

「ぐすっ、だいじょうぶだよ。メイちゃん」

 

 メイにハンカチを渡されて涙を拭くユウ。

 それを見たフォイルが面白くなさそうな顔をする。その様子にさっきまでの勝った高揚感はない。

 

「へっ、なんだよ。ユウが泣き虫なのがわるいんだ。おれはわるくねーもん」

「もう! そうやってすぐ不貞腐れるんだから! あやまって! ユーくんにあやまって! めっ、なんだから!」

「ううん、メイちゃん。ぼくが、ぐすっ、泣き虫なのは事実だもん…。でも、まけたら悔しい…! フォイルくん、もういっかいだ!」

「まだやるのか? ユウじゃ、おれに勝てねぇよ」

「いやだっ!」

「あきらめが悪いな。まったく。だけど、へへっ。それでこそユウだ!」

「もう! 二人ともケガしちゃだめなんだからねー!」

 

 子どもながらの嫉妬で語った言葉も、直ぐに忘れ再び棒で競い合う。

 そうして彼らは直ぐに仲直りするのだ。

 

 

 

「うぅぅ…結局一度もかてなかった…」

「はぁ…はぁ…へへっ。ユウがおれに勝つなんて十年早ぇよ!」

「フォイルくんはこの村で一番強いもんね…」

 

 地面に倒れ、悔しげながらもユウは同時に憧れの目でフォイルを見ていた。

 とは言えフォイルもギリギリでかなり息が上がっている。ユウの諦めの悪さは半端じゃないのだ。

 だが今日はもう修行はおしまいだ。流石に体がもたない。

 

「しゅぎょーは終わったし、今日はこれから何をしようか?」

「はいはーい! わたし、お花畑にいって花冠作りたい! それかおままごとがいい!」

「おままごと…メイちゃんの作る設定ってかなりこまかいんだよね…」

「言うな、ユウ。おれもそう思ってる。…メイちゃん、メイちゃん。おれたちちょっとしゅぎょーで疲れたし、それよりもさ、絵本読もうぜ。これ持ってきたんだ。じゃーん!」

「またそれぇ?」

「わぁっ」

 

 メイは呆れた目で、ユウは目を輝かす。

 フォイルはへへっと鼻をさすってそれを出す。

 

「『勇者の物語』。やっぱ読書といったらこれだよな!」

「フォイルくんのおじいちゃんが買ってくれた奴だよね! ぼくも欲しいけど、うちはお金があんまりなくて…ねぇねぇ、早く読もうよ!」

「あせるなユウ! 此処はじっくりと落ち着いて座ってだな」

「もうしかたないなぁ。わたしも見る! フィーくんもうちょっとそっちによって」

「これ以上はむりだ。ユウ、そっちに寄れないか?」

「えぇ、ぼくもこれ以上はなれたら良く見えないよ」

 

 結局三人はフォイルを中心にぎゅうぎゅうにくっつき、絵本を読み始める。

 

 

 

 内容は単純だ。

 魔王という悪しき存在に対し、聖剣を持ちし勇者が様々な所を仲間と旅し、時には困難を、時には魔王からの刺客を撃ち破り、ついには魔王を倒し世界に平和をもたらしたというもの。

 それだけだ。

 子ども向けだから難しい言葉も使われず、挿絵が付いただけのもの。

 

 

 だが、子どものフォイルたちにとってそれだけで心を躍らせるのには十分だった。

 

「くぅ〜、やっぱかっこいいよなー、ゆうしゃ! 俺もゆうしゃになって悪いやつを倒して人を救いたいぜ!」

「フィーくん、いっつも同じこと言ってる。でも、わたしもなれるなら魔法使いになりたいなぁ。そしてステキな魔法をたーくさん使うの!ねぇ、ユウくんはどうなの?」

「えっ、ぼ、ぼく?」

「うん、ユウくんは何になりたい?」

「お、それはおれも気になるな」

 

 二人に見つめられユウはあたふたとしながら、モジモジと手の先を突っつき合わせて答えた。

 

「わ、笑わないでよ? …ぼくは勇者になりたい」

 

 恥ずかしそうにユウが言った。

 二人はきょとんとした顔になる。そして真っ先にフォイルが笑い出した。

 

「あっはっは! 泣き虫弱虫のユウがか!? 無理だむりむり。お前は最初に出てくる敵のアングレシャスにも勝てねぇよ」

「あら、わかんないよ?」

「なっ、おれがユウに劣っているっていうのか?」

「ちがうよ、ユウくんは優しいもの。ゆうしゃになるには強いだけじゃだめなんだよ。誰よりも優しい心を持ってなきゃ」

「む、ぐぐぐ…。ならユウ、おれとお前はライバルだ!」

「えっ!」

「勇者になれるのは一人だけ。だからおれとユウどちらかだけしかなれない。先ずは剣の腕で勝負だ!」

「えぇ、また!?」

「だからそうやってすぐに力で結論を出そうとするのがダメなんだってばー、フィーくん」

「う、うるさいなっ。いくぞ、ユウ! かまえろ!」

「えぇー!?」

 

 メイに良い所をみせようと躍起になったフォイルは再びユウと競い合うことにした。

 結局体力が持たず二人ともくたくたで倒れ込んだのをメイは呆れた目で見ていたのだった。

 

 

 夜。

 村の住人が寝静まった頃。

 そんな中フォイルとユウ、そして数人の子どもたちは親に黙って家を抜け、近くの森の入り口に集まっていた。

 内容は、森に奉られている女神の祠に行くというものだ。

 

「ねぇ…本当にいくの?」

「何だよ、ユウ。ビビってんのか」

「違いないな! ユウは泣き虫だからな!」

「そ、そんなことないよ! ただ夜の森は危険だって大人たちが…」

「そんな事にびびってたら勇者にはなれないぜ」

「うっ」

 

 勇者になれないと言う言葉にユウの言葉が詰まる。

 

「お、なんだなんだ。ユウは勇者になるつもりなのか?」

「ほんとかよ。あの泣き虫に無理に決まってるだろ。なー?」

「あっはっはっは!」

「うぅ…」

 

 他のみんなはユウの夢を笑う。口々に無理だと言う。

 だがフォイルだけはジッとユウの事を見続けた。

 

「どうするんだ、ユウ?」

「…やるよ! ぼくも行く!」

「おいおい、無理すんなよー」

「そうだそうだー」

「無理なんかしていない! ぼくも行くんだ!」

 

 意地か矜持か、それとも子どもながらの反抗心か。

 ユウは来ると言って聞かなかった。

 

「へっ、流石だなユウ。きまりだ、みんなで行くぞ。勿論先頭はおれだ」

 

 フォイルはユウが来ると信じていた。

 そしてその上で先に女神の祠に行き、自らの勇敢さを主張しようとした。

 

(そうだ、そうすればメイちゃんもおれの方が良い男だってことに気づくはずだ!)

 

 探究心と…たった1つの淡い想い。

 フォイルはぐっと拳を握る。

 

「では、勇士諸君! 探検に出発だー!」

「「「おー!」」」

「お、おー…」

 

 拳を振り上げ、子ども達は森の中へ向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 初めて入った夜の森は薄暗く、それでいて恐ろしかった。いつも入る昼とは違い生命の気配が希薄で、それでいて不気味に騒めく森は不安を掻き立てる。

 フォイルは知らずにごくりと唾を飲み込んだ。

 

「うひぃっ!」

「ひゃっ! へ、変な声出すなよユウ!」

「だ、だだだって今足下を細長い何かが…!」

「や、やめろよそんな事言うの」

「そうだっそうだっ。おいら達をビビらせたいだけだろっ」

「待てって、ちょっとカンテラ照らしてみる」

 

 俺がユウの足元を照らすとそこには細長い蛇がシュルシュルと居ただけだった。

 

「何だ蛇か。しかも子どもじゃん。こんなのに怯えるなんてやっぱユウはお子ちゃまだな!」

「そんなこと言ったって怖いものは怖いよ」

「だめだな、勇者を目指すからにはおびえてちゃだめなんだぜ。みろよこのおれの勇気を!」

 

 タッタッタと走り、ユウよりも先に俺は進む。友達も俺の後を追ってくる。

 

「まっ、まってよフォイル! そんなに先行ったら危ないよ」

「おいおい、泣き虫びびってるのかー?」

「そーだそーだ、早くしないと置いて行くぞー」

「見ろユウ! おれはお前より先にいるぞ! へへっ」

「…!? まって今、何か音が…」

「あん? また蛇か? ふふんっ、ならこのフォイル・オースティンが成敗してやるぞ!」

 

 音の元へフォイルはカンテラを照らす。

 

 

 

 カンテラで照らした先にいたのは蛇ではなかった。

 黒い体毛に鋭利な爪、フォイルの3倍以上はある体長。それは熊に似た魔獣であった。

 初めて見た魔獣は巨大で、凶暴で、凶悪だった。

 

「あ、あ」

「ひぃぃぃぃ!! ば、ばけものだぁ!」

「うわぁぁあぁぁ!」

「ま、まて! 勝手に動いたら!」

<グォォオォォンッ!!>

「いぎっ」

 

 怯える仲間の中で真っ先に逃げ出した友達のシューが魔獣の爪で切り裂かれた。

 

「シュ、シューくんが…!」

 

 魔獣に突き飛ばされて木にぶつかったせいか、シューはピクリとも動かなかった。ダクダクと赤い血が流れている。

 ユウもその様子に顔を青褪める。

 そしてフォイルもカンテラを落としてへこたれていた。

 

 なんだこれは。

 怖い。

 怖い。

 こわいこわいこわい!! 手に持つ木の棒が酷く頼りない。さっきまでの自信も既にない。

 

 

 初めての恐怖にフォイルは呑まれていた。

 幸いにも奴の視線はシューに向けられていた。

「ユウ! 逃げるぞ! あんなの勝てるはずがない! 大人を呼ばないと!」

「い、いやだ!」

「はぁっ!? おまえなにいって」

「シューくんはまだ生きている。だったら助けないと!」

「おまっ、そんな訳っ…!」

「ひぃぃ!」

「うわぁぁぁ!!」

 

 他の仲間も逃げ出す中、ユウは足を震わせながらも逃げ出さない。棒を構え一歩一歩魔獣に近寄る。

 

 

 向こうも此方に気付いたのか、顔を向けた。

 魔獣の、恐ろしい目。

 

「あ、あ…。う、うわぁぁあぁぁぁぁ!!!」

 

 気付けばフォイルは逃げ出していた。

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 気力を振り絞り、背後も確認せずに走り続ける。恐怖に駆られて無茶苦茶な走りをするフォイルの体力はもう限界に近かった。

 

 「あぐっ!」

 

 木の根っこに引っかかりコケる。すぐさま立とうとするも足がガクガクと震え立つことが出来ない。

 

 怖い、恐ろしい。

 がくがくと足が震える。

 早く逃げなきゃと思うのに体が言う事を聞かない。

 

 それでも背後から咆哮が聞こえてこない事に気付いた。

 逃げ切れた。そう思って気付く。

 

「ユウッ…!」

 

 幼馴染は側にいない。

 すぐさままだあの場に居るのだと分かった。

 ユウは自分より弱い。

 だから助けなきゃいけない。

 だけど。

 

「おれは…おれは……!」

 

 足が震える、息が荒くなる、目の前が暗くなる。

 

 またアレに立ち向かうのか?

 いやだ、こわい、だれかたすけて。

 あんなのに勝てるはずがない。あの場所に戻りたくない。

 

 だけど。

 

 だけれども。

 

 ユウがあそこに残っている。

 おれより弱いあいつが。

 心が挫けそうになるほど、恐怖を味わったはずなのにユウは立ち向かっている。

 

「おれは……!」

 

 ガツンと頰を殴り、無理やり震える体に喝を入れ、木の棒片手にフォイルはユウの元に戻っていった。

 

 

 

 こうして現場に戻ったフォイル。

 そこで見たのは大人の兵士によって倒された魔獣。

 

 メイが泣きながら抱きしめていたのは、傷だらけになったユウだった。

 

 ユウは全身傷だらけになりながら最後まで棒を手放していなかった。

 

 

 

 

 それを遠目で見たフォイルは、そのままズルズルと木を背に力なく凭れた。

 

 ユウはあの恐ろしい魔獣に真正面から立ち向かった。だがおれは?ユウより強いおれはどうした?

 おれは…逃げた。

 

「おれは…自分が恥ずかしいっ…!」

 

 木の陰で一人、誰にも見られる事なく。フォイルは悔し涙を流した。

 

 



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『偽りの勇者』

 

 あの事件から一年が経った。

 子ども達だけで夜の森に行ったこと。

 こっぴどく怒られたけど、ユウもそしてシューも命に別状はなく、より厳重に子ども達が馬鹿な事をしでかさないか監視が厳しくなった以外変わらなかった。

 そしてあの事件も月日が経つにつれ皆忘れていった。

 

 だけどおれはただ一人、あの出来事を忘れなかった。否、忘れることはできなかった。

 あの日からおれはより一層稽古に励んだ。体を鍛え、村の兵士にも剣術を教えてもらうようになった。メイちゃんは怪我をするおれを心配していたけど、おれはそんなのを気にする余裕もないくらいがむしゃらに頑張った。

 

 全てはもう二度と逃げ出さないように。

 

 

 

 

 

 この日、村中の9歳になった子ども達が村にある唯一の教会に集まっていた。

 おれは早めに来たがおれよりも先に来ていた、見慣れた姿を見て話しかける。

 

「よぉ、ユウ。まだ時間じゃないっていうのに随分と早い到着だな?」

「フォイルくん。まぁね。ドキドキしてつい早く来ちゃったんだ」

「まぁ、わかるけどさ。とうとうこの日が来たな」

「うん、『神託』の日だ」

 

『神託』

 神官と呼ばれる女神オリンピアに仕える人が、女神の声を聞きその人に適した職業(ジョブ)を授けられる。そしてこれからの人生をその職業で左右される、正に人生の岐路と言ってもいい。

 中には特別な『称号』と呼ばれるものもあるらしい。歴史上称号を授かったものは名を残す事が確定するほど名誉な事だ。だけどそう言ったものは王都や有名な街ばかりに現れ、間違ってもこんな田舎の村で称号を授かったという話は聞いたことがない。

 

「何になるんだろうな、おれたち」

「うーん、わかんないや。『神託』は女神様がその人に適した職業を与えられるっていうし、もしかしたら全然予想もしなかった職業を授かるかもしれない」

「確かにおれは『魔法使い』の職業なんか似合わないのに与えられても困るな」

「フォイルくん、細かいことは苦手だからね」

「なにぃ? なまいきだぞこらっ」

「あはは、ごめんごめん」

「へっ、全く」

 

 俺たちは互いに笑い合う。

 

「それでフォイルくんは何になりたいの?」

「ふっ! それは勿論目指すは勇者だ!」

 

 今も変わらない子どもの夢。

 今も絵本で読んだあの英雄譚が目に焼き付いている。

 

「まーだ、そんな事言ってるのフィーくん。本当に子どもね」

「あっ」

「メイちゃん」

 

 いつの間にか、メイちゃんが後ろにいた。

 彼女はこの日の為にお洒落な服とヘアピンをつけていた。その姿が凄く綺麗でおれは顔が赤くなるのを誤魔化すように咳払いする。

 

「わたしは『魔法使い』になりたいな。そして色んな魔法で人々を喜ばせるの! 他には『治癒師』でも良いかな。だってフィーくんもユウくんも良く怪我するんだもん」

「うっ、うるさいなっ。次からは気をつけるよ」

「どうだかね〜。ねぇねぇ、ユウくんは? 」

「ぼく? ぼくは…『勇者』になりたいなぁ。それでも駄目なら『魔導技師』が良いな」

「『勇者』はともかく『魔導技師』か。確かにユウは手先が器用だからなぁ」

「そうよね、あの秘密基地を作るときもユウくん大活躍だったもん!」

「確かにな! あの秘密基地今だに大人に見つかっていないんだぜ。ユウのお陰だな」

「そ、そんなことないよっ! 二人の協力がなきゃできなかったことだったし」

「謙遜すんなよ」

「そうだよユウくん。もっと自信を持って」

「うぅ...恥ずかしい」

 

 そんな風に三人で談笑していると『神託』の時間を知らせる教会の鐘が鳴る。

 

「いよいよだな。行こうか」

「そうだね」

「うん」

 

 おれたちは三人揃って教会の中に入っていった。

 

 

 

 

 

 

「おぉ、おぉぉぉ!! これは正しく勇者の称号!」

 

 熱狂し、涙を流して歓喜に震える老齢の『神官(プリースト)』。

 彼の目はおれに向けられていた。

 彼の言葉に集まっていた村のみんなが騒めき始める。

 

「勇者? 勇者ってあの?」

「まさか、この村で伝説の存在が生まれるなんて」

「伝説は本当だったのか!」

「勇者だ…! 勇者フォイル・オースティン!」

「フォイル・オースティン万歳!」

「フォイル!」

「フォイル!」

「フォイル!」「フォイル!」「フォイル!」「フォイル!」「フォイル!」「フォイル!」

 

 

 喝采が上がる。

 皆が皆おれを讃える。

 

『勇者』その意味がもたらすものをおれは一番よくわかっている。

 勿論夢であった。なりたいと、目指す目標として努力を続けてきた。

 称号は、『神託』を受ければ自分だけに分かるようになる。そこに記されていたのは

 

 フォイル・オースティン。

 称号ーー『偽りの勇者』

 

 偽り? 偽りとは何だ?

 ぐるぐると答えの出ない思考の渦に呑まれている間にメイちゃんの職業を見ていた別の神官がまた声をあげた。

 

「メイ・ヘルヴィン…これは何と『大魔法使い』! 『魔法使い』をも超える素晴らしい職業だ! 更には『水の大魔法使い』の称号もある! まさかこの村で二人も称号を授かるだなんて!」

「えっ? えっ? 何、どういうこと? わたし『魔法使い』になれるの!? やったぁ! 」

 

 メイちゃんは『魔法使い』の職業につけたみたいだった。それも水に特化した『大魔法使い』の称号もあり、もはや大成するのは確実みたいなものだ。

 

「次、ユウ・プロターゴニスト」

「は、はい!」

 

 その最中別の神官に呼び出されていたユウが緊張で身体がカチコチになりながらも神官の前に立つのが見えた。おれも、そしてメイちゃんも称号を授かった。

 ならユウも…。

 だがそれは次の瞬間裏切られた。

 

「む、これは…」

 

 神官の表情が曇り、何度も水晶とユウの顔を見比べる。そしてそれが間違いでないと悟ると神官は心底落胆した顔で告げた。

 

「ユウ・プロターゴニスト。君には…職業がない」

 

 シンと喝采が止んだ。

 

「僕に…職業が…ない?」

 

 俺の時の熱狂とは違う、異常な静寂。周囲に満ちるのは期待外れという冷ややかな眼差しと職業なしに対する侮蔑の色。

 それはつまりーー女神に見放されたということに等しかった。

 

「職業も称号もない。つまり君は『名無し』なのだ。残念ながら」

「そん…な…ッ」

「ユウくん!」

 

 耐えきれなくなったのか、ユウはその場から逃げ出した。

 その後をメイちゃんが追いかけていった。

 

 

 そんな中俺は一人ユウを視界に捉えた瞬間、わかってしまった。気付いてしまった。

 

 なぜ分かったと論理的になんて説明出来ない。

 だが分かるのだ。

 

ーー本当の勇者はユウであることを。

 

 それは天啓とも言えるし直感とも言えるし、超常的なものとも言えるかもしれない。

 それでもショックをうけて飛び出す二人を追おうと俺は駆け出そうとする。

 

「ユ…!」

「さてさて、フォイル…いや、フォイル様。一度、教会の奥に来てくだされ。王都にもお知らせせねば」

 

 俺も二人を追いかけたかったが神官たちが俺を取り囲む。

 村人が俺の前に壁を作る。分厚い壁を。

 

 

 

 俺は二人を追うことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 二人に会えたのは次の日だった。あの後俺は神官たちに無理矢理神殿に留められた。

 その間俺はずっと二人を心配していた。

 王都に直々に国王と会う事になったり、勇者としての使命を語られたりしたのだがおれには何処か上の空だった。

 

 家族も教会に来た。

 俺の両親は既に亡くなっていたが、育ててくれた祖父母は大いに喜んでくれた。

 その事は嬉しかった。だけどおれは称号について打ち明ける事が出来なかった。結局おれは嘘をつくしかなかった。

 

 

 

「ユウ! メイちゃん!」

 

 色々な準備やら何やらから無理矢理教会から抜け出した俺はユウとメイちゃんを見つけることが出来た。

 二人はいつもの小高い丘の木下にいた。

 

「フィーくん!」

「あっ…フォイル…様」

「はっ? 様ってお前…」

 

 ユウは何時ものように呼んでくれず、どこか他人行儀な挨拶をした。

 酷く戸惑い、そして悲しくなった。

 するとメイちゃんが「めっ! 」とユウを叱る。

 

「ユウくん! ダメだよいきなり様だなんて他人行儀にしちゃ! そんなことフィーくんも望んでなんかないよ!」

「あっ、あぁ…そうだね。ユウ、別におれに敬語は必要ない」

「で、でも...」

「でもも何ももないよ! 二人は親友なんだから! ほら!」

 

 メイちゃんが俺とユウの手を引っ張って握手させる。

 些か強引だったけどそのおかげで俺たちは落ち着きを取り戻した。

 

「ごめんね、フォイルくん。ぼくは...」

「気にすんな。おれも気にしてはいない」

「うんうん、やっぱり二人はこうでなくっちゃ」

「メイちゃんもごめん。そしてありがとう。ぼくを励ましてくれて」

「ふぇっ? あはは、もう。ユウくんたら」

 

 久しぶりに会った二人は前よりも仲が良くなったように見えた。

 その事に少しばかり心がざわついたけれども、それよりもおれは頼みたいことがあった。

 

「二人に、頼みがあるんだ。おれと一緒に王都に来てくれないか」

「えっ、王都ってこの国王都だよね? そんなどうしてぼくたちまで」

「おれは国王様に会わなきゃいけないらしい。それに女神教の総本山にも。だからおれは…。そうだな...正直一人じゃ心細い」

「フィーくん...。わかった、わたしもいくよ! ユウくんも行くでしょ?」

「メイちゃん。でも…名無しの僕なんて…」

「心配するな! 誰にも文句なんて言わせない。お前はお前でいろ。おれが守ってやる」

 

 おれは胸を張って宣言する。

 本当の勇者はユウだ。だからこそおれは少しでもその存在を知らしめようとしていた。

 おれは真っ直ぐに彼の瞳を見た。

 

「頼むユウ。お前が(・・・)必要なんだ」

「フォイルくん…。う、うんわかった。僕にできる事ならなんでもやるよ」

 

 自信なさげながらも笑うユウにおれはホッとひと息をついた。

 

 

 

 ーーこの時の俺は甘かったんだ。

 世間がユウをどう思うかを考えもせず。彼を連れ出した。

 そして俺自身も、何処か楽観視していた。

 ユウが俺をどう思うのかなんて考えもせず。

 

 ユウの為になる、そうとしか考えられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 御伽噺がある。

『勇者』は『魔王』と呼ばれる世界に仇す敵が現れる時に現れると。

今回の魔王は今より10年ほど前に現れたと言う。そして最近になって侵攻を開始したと。だからこそ、『勇者』が誕生したのだと。

 

 

 街を覆いつくそうとする魔物の群れ。

 それを撃退する五人の影があった。

 

「魔物如きが! 俺に傷を付けられると思うな! 【烈爪風崩斬】」

 

 剣を奮い、魔物を一刀両断する『剣士』の男。

 

「痴れ者が。わたくしの身体に傷一つつけられぬものと知りなさい【燃え盛る豪炎】」

 

 過多に装飾された杖を持ってして全てを焼き尽くす『魔法使い』の女。

 

「お願い、人々を守る為の魔法を! 【守りの雨天壁】」

 

 人々に向かおうとする魔物を巨大な水の壁で防ぐメイ・ヘルディン。

 

 彼らによってみるみる魔物は数を減らしていく。

 

 不利を悟ったのか魔物が逃げ出そうとするも先にユウが張っていた罠に嵌り、その場から動けなくなる。

 

「フォイルくん! 」

「あぁ! 【聖光顕現】」

 

 手に握られているのは、白く輝く聖剣。

 聖剣の一撃によって魔物は全て消滅する。

 

「あ、貴方たちは…」

「あぁ」

 

 生き残った市民が顔を見上げる。

 聖剣を携える赤い髪の青年は強い意志を持った目でこう言った。

 

()は勇者フォイル・オースティンだ! 」

 

 

 

神託より十年。

フォイルは19歳になっていた。

 



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"今の"俺は勇者だから

 あの運命の日から10年、俺を取り巻く周りの環境は大きく変化した。

 村には帰らず、王都に住むようになり修行に明け暮れるようになったのだ。

 

 背は高くなったし、髪も伸び、声変わりもした。

 棒ではなく、剣を振るうようになってからは身体もがっしりとするようになった。自慢じゃないけどそれなりに動きには自信がある。こういうとメイちゃんに笑われるけど。

 

 一人称も変えた。俺なんて言葉ではなく、僕になった。口調も王様や貴族に会う時は敬語で礼儀作法も身につけた。

 正直本来の自分を隠しているみたいで嫌だったが、世間はそれを許さない。今の俺は対外的には『勇者』なのだ。ならばそれに相応しい対応が必要だ。

 

 

 あの日、王様に直談判して仲間にしたユウとメイちゃん以外にも二人、仲間が増えた。

 

 

 グラディウス。

 元は流浪の剣士だが、太陽国ソレイユの主催される『獅子王祭』で最後まで勝ち抜いた一流の『剣士』だ。その腕は近衛騎士団長に匹敵するとも言われている。

 実際剣の腕じゃ彼は俺よりも上だろう。

 けど、女癖が悪いのと力が無いものを蔑む傾向がある。

 

 メアリー・スー。

 太陽国ソレイユの貴族の娘で、メイちゃんと同じく『魔法使い』の職業を持って『炎の大魔法使い』の称号も持っている。

 彼女の魔法はまさに苛烈で、洗練された炎は魔物や魔族を寄せ付けることなく全てを燃やし尽くした。

 ただ…あまり言いたくないが選民思想が強い。特に生産職の人々を見下していて民を自分達の為だけに存在していると憚らない。

 

 

 この二人を加えて俺たちは魔王軍の脅威から人々を守っていた。

 戦力としては悪くない。だけどチームとしては少し良くないかもしれない。

 理由はすぐに分かる。

 彼らは根っからの職業主義者なのだ。

 

 

 

 ある日、俺はとある建物の一角で彼らと話し合っていた。

 

「さて、皆分かっていると思うけどこれから戦うのは魔王軍の中でも最も強いと呼ばれる八戦将の一人だ」

 

 魔王軍八戦将が一人『爆風』のダストバード・ドンピンが町の人々を人質に立てこもっているという。

 俺は自身で名を口にしながらゴクリと生唾を飲み込んだ。

 八戦将…あの魔王軍の幹部と言われる八人の魔族。その強さはこれまでとは比べ物にならないはずだ。

 

「奴は今まで戦って来た魔族とは比べ物にならない程に強い。それは認識しておいてもらいたい。だからその上で奴に勝つにはどうしたら良いのか皆の意見を聞きたい」

「簡単ですわ、相手は街に陣取っているのでしょう? ならばその街を周囲から包囲し、殲滅すれば良いのです。向こうから立て籠もってくれてるならば、それはつまり袋の鼠と変わりないですわ」

「だがその方法じゃ、民に被害が出る。街の中には囚われた人々がいて僕たちを待っている。それは望むところじゃない」

「あら、平民なんていくら死んでもよろしくなくて?」

 

 蟻でも踏み潰すかの如く気楽にメアリーがそう述べた。

 

「あなたっ…!」

 

 身を乗り出してメイちゃんが怒鳴ろうとする。

 メイちゃんも変わった。桃色の髪は長くなって

 だけど今のその顔は怒りに眉を潜めている。

 激昂したメイちゃんがメアリーに掴みかかろうとするのを、手で制する。

 

「ダメだ。僕達は国から街を奪還することを命じられている。だから例え犠牲が出るとしてもそれを限りなく減らす事こそ、僕たちがすべき事で、勇者パーティである僕たちにしかできない事だ」

「あら、残念。しかし、犠牲無くして街の解放は不可能と思いますわ」

「全くだ。弱い者が死んだ所で何の問題もないだろうに。何も出来ずに人質になるなど足手纏いも良いところだ。全ては奴らに力がなかったって事だ」

「彼らは普段の生活を魔王軍に踏み躙られた被害者。僕達は勇者パーティだ。なればこそ、僕たちは彼らを助け出す必要がある。そこに仕方ないで多くの犠牲を出す戦法を容認することは出来ない」

「しかし、他に何か方法がありまして?」

「それは…」

「あの、だったらこうしたら良いんじゃないかな?」

 

 恐る恐る手をあげるユウ。

 彼もまた子どもの頃と比べて背が高くなったし、身体も俺ほどじゃないけどしっかりするようになった。好青年と言って良いのだろうか。けど何時ものおっとりした争いを好まない顔は変わっていない。

 ユウはしっかりと俺たちを目で見据え、己の策を語り出した。

 

 

 

 ユウの語る内容は正に完璧だった。被害を抑えられ、なおかつ奴らに奇襲をも出来るという、正に最善の策だ。

 

 だがその作戦にグラディウスとメアリーの協力が必要不可欠だった。彼らはユウに対して良い感情を抱いていない。

 それはユウが『名無し』だから。

 不承不満でありながら従ったのは俺がユウの意見の採用を決定したからだ。

 

「平民風情が、貴族である私に指図するなんて…」

「力無き者が、多少小賢しい知恵が回るようだな…」

 

 二人は最後にそれだけ言って作戦の準備に入った。そこにあったのは軽蔑、蔑みだった。

 

「私、あの二人好きじゃないわ」

 

 ポツリとメイちゃんが呟いた。

 俺も同じだった。だがそれを口に出すのは勇者として相応しくない。そもそも彼らの意見にも正論の部分がある。そして彼らの力もまた必要なのだ。だからただ曖昧に、少し困ったように眉を顰めた。

 

「ユウ」

「何? フォイルくん?」

「この作戦は必ず成功させる。…だから勝つぞ」

「! う、うん。もちろんさ!」

 

 拳を差し出すとユウもそれに倣って俺に拳をぶつけてくる。

 

「なになに、二人だけして。私もする!」

 

 そこにメイちゃんが乗っかり、俺たちの手の上に手の平を重ねてくる。

 俺たちは顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 

「いくぞ! 人々を魔王軍から救いだす!」

「「おぉー!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、全てはユウの作戦通りに進んだ。

 八戦将も、皆の力を合わせ倒すことが出来た。

 被害も街こそ崩壊寸前にまでなったが犠牲者は少なく抑えることが出来た。悔しいと思う反面、流石はユウだと誇らしく思った。そしてこの功績があれば周囲はユウを認めるようになると思っていた。

 ユウは職業(ジョブ)がない。『名無し』と呼ばれる状態だ。それは差別の対象になる。だが今回の功績はそれを差し引いても余りあるものだ。これでやっとユウは周囲の差別の目から解放される。そう信じていた。

 

 だから、そう。

 俺は本当にそう思っていたんだ。

 ユウが俺に全ての手柄を譲ったと気付くまでは。

 

「ユウ! 何故君が立てた計画全てが僕のものになっている!? あれはお前が立てた作戦だろう!?」

 街が解放され、八戦将が倒された事を祝う最中に俺は周囲から言われたのだ。俺が立てた作戦で(・・・・・・・・)八戦将を倒すだなんて流石は勇者だと。

 

 それを聞いた俺は愕然とした。

 違う。作戦を立てたのはユウだ。だが周りは皆俺の成果だと言って憚らない。

 

 だから俺はその場から動いて、会場から少し離れた位置にある庭園にいたユウへ怒鳴り込んだ。

「あ、フォイルくん。どうしたの? 今は授与式の最中じゃ?」

「そんなもの、無理矢理抜けて来た! それよりも、どういう事だ。何故、お前の功績が僕のものになっている!?」

「えっと、メアリーさんがさ。何もしていない臆病者が功績を受け取るなんて相応しくない。辞退しろって」

「お前はそれに納得したのか!?」

「うん。だって僕は殆ど戦闘じゃ役に立たなかったからね。悔しいけどさ」

「だからといってーー」

「それにしてもおめでとうフォイルくん! また勲章が増えたんだってね。やっぱ、フォイルくんはすごいや!」

「っ!」

 

 気づいた。

 気づいてしまった。

 

 ユウの目は、周りが俺を見る目と同じ色をしていた。即ち尊敬と崇拝。

 あの時と同じ、勇者だと分かった時の友達の、村人の、神官の、周囲の目線。

 俺とは距離を置いた人達の姿。

 

 近いはずの幼馴染が酷く遠くに見えた。

 

「やめろ…お前まで()をそんな目で見ないでくれ……」

 

 え? とユウが首を傾げるも俺はその場から逃げ出した。

 

 

 

 

 逃げるように自室に戻った俺は、勇者の為にと用意された自室の最高級のベットに倒れ込み、頭を抱える。

 

 どうする。

 どうする。

 どうする。

 どうするどうするどうするどうするどうするどうにかしなければどうにかしないとどうやればどうしたら良い!?

 

 俺は十年間ユウを側で見続け、待ち続けた。いつか勇者として覚醒して、その時に聖剣を渡せば良いと思っていた。

 だが、現実は非情でユウが勇者として目覚めることはない。

 このままではダメだ。ズルズルと引き伸ばし続けてはユウはこの立場に甘んじ、勇者として目覚めることがない。直感だがそう確信した。

 ユウは俺が勇者だと信じている。俺こそが世界を救うと。だが世界を救うのはユウ、お前なんだ。

 俺では…だめなんだ。無理なんだよ。

 

「だがどうする? 俺が真実を言ったところででユウは信じないだろう。そもそも歴史上勇者が二人もいるなんてこと、初めてだ。誰も信じない」

 

 過去の記録を漁っても勇者は必ず一人であり、他の勇者が現れたという記録はない。だから対処方法もわからない。

 わからない。どうすれば良い。どうしたら。

 出口のない思考の回路に迷い込む。

 何度も繰り返された答えのない迷路。何時も結局答えが出ずになぁなぁで過ごして来たが今何とかしなければならない。

 だけどどうしたら。

 

 

 しかし今回は一筋の光が差し込まれた。

 

 パタンと机から落ちたのは一冊の本。

 大人になってからもずっと大切に持っていた子どもの時から持っていた絵本。

 

「『勇者の物語』…」

 

 落ちた拍子に開かれたページは、丁度幼い頃嫌いと言っていた勇者の敵アングレシャス。

 

 彼は主人公の敵として何度も立ちはだかり、その度に邪魔者となっては敗北する。何度も何度も傷付きながらも勇者の邪魔ばかりした。

 最後は魔王との戦いの前に勇者によって倒される。

 そのしつこさから子ども達には嫌われていた。

 

 

 けどその後改訂版で彼の裏事情が明かされたのだ。彼は、生き別れた主人公の兄であった。彼は弟の過酷な運命を嘆き、それを止める為、あきらめさせるために、その都度邪魔をしていたのだ。

 全ては弟の為に。兄は勇者となっただけで戦場に送られる弟を止めるために邪魔をしたのだ。

 最期は自らの弟の手によって命を落とす。悪役として、決して弟には事情を明かさずに。そして皮肉な事に幾度にも渡る彼との戦いで勇者は力を身につけていった。

 

「そうか…初めからそうすれば良かったんだ」

 

 ポツリと呟く。

 これは荒療治だ。もっと良い方法があるかもしれない。だが俺にはこれしか思いつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、フィーくん」

 

 ドアを開けると丁度ノックしようとしていたのかドレスで着飾ったメイちゃんが居た。

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

「何で会場からいなくなったの? 途中で会ったユウくんも心配してたよ、いきなり飛び出して行ったって」

「あぁ…いや、ちょっと調子が悪くてね」

「本当? ちょっと屈んでくれる?」

 言われたまま少し屈むとメイちゃんは俺と額をくっつけた。

「メ、メイちゃん!?」

「動かないで。…んー、熱はないかな。でも調子が悪いって事は疲れかな? また何か内緒で人助けしたの? ちゃんと教えてよね。フィーくんは一人で抱え込もうとする癖があるんだから」

「そんなこと…ないさ」

「なら良いけど。でも無理したらめっ! なんだからね」

 

 子どもの時と何も変わらない仕草でメイちゃんが叱る。

 その姿はユウの事で傷付いていた俺の心を癒してくれた。

 

「メイちゃん」

「ん? 何?」

 

 メイちゃんが笑う。子どもの時と変わらない綺麗な笑顔だ。

 

 

 …いやだ。

 怖い。こわいこわいこわい。

 彼女の笑顔を奪うのが怖い。彼女に嫌われるのが怖い。彼女から軽蔑されるのが怖い。

 

 

 そして何よりも二人を傷付けるのが怖い。

 

 

 だが、決めたんだ。俺は決めた。

 俺はユウを追い出す。そうして彼の中にある俺という勇者の幻影を打ち砕く。

 その為にならどんな事でもする。

 ユウとメイと一緒にいた、陽だまりの空間を壊そうとも。

 

「…ぁ」

 

 その時気付いた。甘えていたのは俺も同じだったんだ。そうだ俺はこの空間を維持したくて、ずっと前に進めなかったんだ。

 

 酷い奴だ。

 無辜の民が傷つく中、自分のことばかり考えていたなんて。

 グラディウスとメアリーを自分本意と思っていながら自分勝手なのは俺もだったんだ。

 こんな奴にもう救いはいらない。

 ならばもう、覚悟は決まった。

 

「? フィーくん本当に大丈夫?」

「…いや、なんでもないよ。それよりもさ、お願いがあるんだけどーー」

 

 頼んだのは適当な願い事。

 メイちゃんは少しばかり訝しげにしながらも了承してくれた。

 

 これで良い。これで一先ずはメイちゃんはこの場からいなくなる。あとはユウを呼び出すだけだ。

 

 

 

 

「どうしたんだい、フォイルくん。突然呼び出して…あれ、二人も」

 

 部屋に訪れたユウは俺を見、そして二人を見て顔が翳る。

 先に内容を伝えたグラディウスとメアリーはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。

 何がおかしいのか、ユウは疑問に満ちた顔で俺を見た。俺は無表情に、蔑むような目でユウを見る。

 

 ユウ、恨むなら恨め。憎むなら憎め。

 こんな酷い友人を。

 こんな事でしか…お前を大切に想えない俺を。

 

「ユウ、お前をこのパーティから追放する」



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決別

「え…? フォ、フォイルくんどうして…?」

「すまない、これは前々から決めていた事なんだ。お前をこのパーティから追放する。二人も私の案に賛成してくれた。役に立たない仲間なんて必要ない」

「でも、僕だってパーティのために色々としてきた。なのにそんな」

「笑わせるぜ、木偶の坊。剣の取り柄もない、力もないお前がこのパーティにいるのが烏滸がましい」

「本当ですわ。魔法も使えず、役にも立たない貴方が栄えある勇者の仲間なんて何かの間違いですわ。『称号』を持たない人間が身の程をわきまえなさい」

 同じ部屋にいたグラディウスとメアリーが侮蔑を含んだ目でユウを見ている。

 二人は俺の話した内容に反論しなかった。寧ろ嬉々として頷いた。その姿に思う所はあれど今は好都合だった。

「仲間だった好よしみだ。退職金は出してやる。だから、さっさと出て行くといい」

「まっ…てくれよ、フォイルくん。そんな一方的に…! さっきまで普通に話していたじゃないか!」

「そうだ。それで気付いたんだよ。確かにメアリーの言う通り、お前みたいな奴が勇者パーティにいるのは相応しくないってね」

「当然ですわ。ワタクシ達には使命が、そしてそれを為すために選ばれた存在ですのよ? それなのに、貴方のように何にも取り柄のない人がいるだなんて不愉快ですわ」

「そりゃ、僕がこのパーティに相応しくないことはわかっていたさ。でも僕だって僕なりに皆の役に立とうと一生懸命色んなことを」

「そんなの。お前でなくても出来るんだよ。なぁ…分かってくれ、ユウ。この世界では、職業が…称号が全てなんだ」

「っ!」

 

 ユウの顔が絶望に、悲痛に、悲観に歪む。

 違う。俺は本当はそんなことは…!

 いや、駄目だ。撤回するな。俺は決めたんだ。

 

「お前のような『名無し(・・・)』と付き合ってられないんだよ、プロターゴニスト」

 

 決定的な別れの言葉。

 その言葉に耐えきれなかったのか、金も受け取らずにユウはこの場から去っていった。それを見て笑う仲間達。

 そんな中俺は去ったユウの背中をじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィーくん! どういうことよ!?」

 

 あの後宿からユウが荷物を持って居なくなったと女将に聞いた俺は石橋の上で佇んでいると怒鳴り声が飛んできた。

 誰だか振り向かなくても分かる。

 俺は振り返った。

 

「あぁ、君か。メイちゃん。何の話だ?」

「何だも何もユウくんを追い出したってどういうこと!?」

「どういうこともなにも言葉通りだ。アイツはこのパーティに相応しくない。だから追い出した。それだけさ」

「なんで!? 意味わからない! ユウくんが私達の為にどれだけの事をしてくれたか忘れたの!? フィーくんも知ってたじゃない!」

「そんな事関係ない。それはユウでなくてもできる事だ」

 

 嘘だ。どれだけユウが自分達の事を想い、索敵や警戒といった行為をしてくれスムーズにことを運べたのかを知っている。ユウ以上の奴などいない。

 だけど俺は嘘を塗り固める。

 メイちゃんは凄く怒っていたけど俺の言葉に段々と声も小さくなって、俯いた。

 

「ねぇ…なんで? 昨日まで三人一緒に仲良くしてきてたじゃない。わかんない、わかんないよ。フィーくん、お願い何があったの教えてよ。ねぇ、どうして…。フィーくんはそんな人じゃ」

「いいや、今も昔も変わらない。僕達は魔王を倒し、人々を救う使命がある。そんな中に彼の様なーー」

 

 そこで一度言葉を切る。

 これを言えばもう取り返しはつかない。

 バクバクと心臓が鳴る。言え。言え。言うんだ…!

 

役立たず(・・・・)は必要ない」

 

 言ってしまった。もう取り返しはつかない。

 

 パァンと高い音が鳴った。メイちゃんが俺の頬を叩いたのだ。その目には悲しいのか、悔しいのか涙を携えている。

 思わずその涙を拭いてやりたい衝動に駆られるが、自分が彼女を泣かせたのだ。その資格はないとギュッと拳を握り締める。

 

「貴方は変わったわ、フィーくん。昔の貴方はそんなんじゃなかった。誰もを思いやって引っ張っていく優しい人だった」

「いつまでも子どものままじゃいられないんだよ、メイちゃん。それに僕は変わっていないさ」

「ーー嘘つき(・・・・)

 

 メイは哀しみを目に溜め、軽蔑を含んだ声色で言った。

 

「私はユウくんを追うわ。あの人を一人にしておけないもの」

「そうか」

「パーティからも抜ける。元々他の二人とはソリが合わなかったもの。ユウくんがいなくなって、貴方までそんな風に変わってしまったのなら、私はあそこにはいれない。いたくない」

「…そうか」

 

 メイちゃんならそうすると思っていた。

 俺は俯く。

 

「さよなら、フォイル(・・・・)。私は貴方のこと大切な幼馴染みだと思ってたわ」

 

 決定的な別れの言葉。そのまま自分の横を通り過ぎようとした時にポツリと呟く。

 

「メイちゃん、ユウを頼んだ」

 

 驚いた様に振り返ったメイから逃げるように俺はその場から立ち去った。

 

(…あぁ、初恋は実らないのでっていうけどこれは辛いな)

 

 走りながら、叩かれた頬よりも心の方がズキズキと痛かった。

 

 

 人気のない路地で一人座り込む。

 

「はぁ…はぁ…ふふ、ははは。ははは…ぅ、ぅぁっ…あぁぁ…」

 

 泣き声はあげない。

 これは自ら選択した事だ。だから

 ユウの事はメイちゃんが一緒なら大丈夫だ。支えとなってきっと道を照らしてくれる。

 

 俺も…大丈夫だ。

 俺は大丈夫。

 だいじょうぶ。

 

 だから泣くのはこれが最後だ。後は最後まで己の役割を全うするだけなのだからーー

 

 

 

 

 ユウに続きメイまで辞めたことへのグラディウスとメアリーの反応は簡素なものだった。

 

「何も出来ない木偶の坊がこのパーティに相応しくないのは分かる。強さこそが正義だ。そんな弱い奴に着いて行くあの女も所詮その程度のアバズレだったということだ」

「元々平民風情が栄えあるわたくし達勇者パーティと肩を並べる事がおかしかったのですわ。特にあの貧民の女は、私と同じ魔法使いでしたから目障りでしたわ。あ、勿論フォイル様は別ですわ! 貴方は魔王を倒す人類の希望、勇者様なのですから!」

 

 強さのみを全てとし、弱者を歯牙にも掛けないグラディウス。

 貴族として、新たなステータスを得る為だけにこのパーティに参加したメアリー。

 

 彼ら二人は自分たちこそが魔王を打ち砕く勇者パーティであるという愉悦に浸り、民を見下している。ユウの事も裏で虐めていた。だからそんな彼らが世界を救うと驕っていることに吐き気が出る。

 だが、それは俺も同じだ。俺も勇者という名を偽っている。それでも()の俺は勇者なんだ。だからこそ演じる必要がある。

 

「そうだな、人々の為に弱い者は必要ない。僕たちが世界を救わないと」

 

 本心を隠して俺は笑う。

 偽りの笑顔を貼り付けて。偽りの心で蓋をして。偽りの力で。

 

 彼らと共に俺は旅を続けていく。その先に破滅があると知っていても。

 

 最後まで俺は演じ続ける。



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運命の分かれ道

 それは雲一つない月明かりが綺麗な夜だった。

 

 

 

 勇者の招待パーティを体調が悪いという名目で途中で抜け出し、俺は一人城の背後にある森の中で鍛錬していた。

 此処には煩わしい雑音がない。人の騒めき、媚びる視線、言葉、権力その一切から解放される。

 深い森の中からは一際明るい王城が目に見える。民が明日を暮らしも分からない中、あの中では途方も無いほど豪華な催しがされているのだろう。

 

「ふっ!」

 

 聖剣を振るう。ここには自分以外誰もいない。だから見られる恐れはない。俺は自分の放った剣戟を確かめ、溜息を吐く。

 

「ああ、また重くなって来た」

 

 聖剣は本来勇者しか扱うことができない。それを俺が扱えるのはひとえに俺が『偽りの勇者』という称号を持っているからだ。

 

 偽であろうと勇者と名がつく以上最低限聖剣を扱えなければならないのだろう。最初の頃はそれこそ聖剣の名に相応しい切れ味と威力を持っていたが最近は段々と(なまくら)のように斬れ味が悪くなってきた。

 

「【斬撃】…これもダメか。自分にはその力は過ぎたものだってことか? ったく、酷い話だな」

 

 それに加えて、なんとこの頃の俺は技能(スキル)の殆どが使えなくなってきた。

 それを何とか手数と技術でカバーしてきたがそれもキツくなってきた。

 聖剣自体の光も段々と弱まってきている。それはつまり、本来の持ち主がそれに相応しい成長を遂げているということ。…ユウが強くなってきているということ。

 

 

 きっとその時は近い。

 

 

「いやぁあぁぁぁっ!!」

 

 そんなことを考えている時、遠くから悲鳴が聞こえた。すぐさま鈍い身体に鞭を打ちその場に向かう。

 闇夜を駆け抜け、その先にいたのは鋭く大きな爪を持った狼のようなもの。だがそれを生物だと言うには余りにも異様な雰囲気。

 

「魔物!!?」

 

 魔王の手先である魔物。

 はぐれか、それとも倒し零した奴か。

 一人の少女が今にも魔物に切り裂かれようとしているところだった。

 

 その姿があの時のユウと重なった。

 気付けば身体はもう動いていた。

 

「間に合えッ!!」

<グォオォォッッ!!>

 

 少女に向かって振り下ろされた爪を聖剣で受け止める。

 聖剣の切れ味が鈍い。身体の動きが重い。技能(スキル)も使えない。だが…!

 ちらりと背後の女の子を見る。彼女は怯えていた。俺が倒れたらこの子に危害が及ぶ。

 ここで引くわけにはいかない。

 見捨てるわけにはいかない…!

 

「ず、オォォオォォォォォッっ!!」

 

 声を張り出し、力を込める。聖剣で魔物の爪を押し返し、そのまま態勢を崩した魔物の心臓を聖剣で無理矢理押し込み、力技で破壊する。

 魔物は短い苦悶の声を出して倒れた。

 

「はぁ…! はぁ…! 昔なら簡単に首を刎ねられたのにな…」

 

 技能(スキル)のない俺では魔物一匹にも必死だ。

 うまくいかない身体に鞭を打ち悲鳴をあげた少女に振り返る。

 

 …驚いたな。

 助けた少女はエルフだった。月光を反射しキラキラと光る金髪に、作り物めいた美しさ、そして何より目立つ長い耳。どれもが美しい。

 ぽかんと俺のことを見ていた彼女は、助かったのだとわかるとお礼を言い始めた。

 

「た、助けてくれてありがとうございます! あの聖なる光を放つ剣、もしかして貴方は勇者様なのですか?」

 彼女の視線は聖剣へと向けられている。聖剣を持つ存在といえば一つしかないだろう。だが、疲れから俺はつい言ってしまった。

 

「いいや、俺は只の偽物さ。決して本物になれない」

「え?」

 

 ハッとする。しまった本音を漏らしてしまった。直ぐに誤魔化すように笑みを浮かべる。

 

「何でもないよ。そうさ、僕が勇者フォイル・オースティンだ。無事で良かった。君の名は?」

「えっと、私はアイリスと言うのです。この森の奥にある里に住んでいるエルフで、薬草を取っていたらつい迷ってしまって…そしてあの魔物に…」

「そうか…ならすぐに里に戻った方が良い。さっきの魔物も危険だが、この国はそれ以上に欲深い獣がいる。君みたいに可愛らしい女の子にこの場所は危険だ」

「か、かわっ…うぅぅ」

 

 アイリスちゃんは顔を真っ赤にして俯く。その様子が可愛らしくてつい俺は笑ってしまった。そうするとアイリスちゃんはむっと頰を膨らませてそっぽを向いてしまう。

 

 可愛らしく素直な子だ。

 

「里まで送って行こう。立てるかい?」

「あ、はい。でも、エルフの里は人を入れてはいけないと長老が」

「なら里の前までにしよう。君を一人にしてまた何かあったら大変だからね」

「むぅ、子供扱いしないで欲しいのです! わたしは貴方よりもお姉さんですよ!」

「そうかそうか。所で飴いるかい?」

「はい! …あっ」

 

 ハッとし、耳まで赤くするアイリスちゃん。俺は笑いながら飴をあげて一緒に並んで歩く。

 

「全く全く。歳上を揶揄うなんて罰当たりなのです。でもこの甘い飴に免じて許してあげます」

「そうか、ありがとう。流石はお姉さんだ、心に余裕があるね」

「当然です! わたしはそう! お姉さんなんですから! …あの、フォイル様って勇者なんですよね?」

「様って言われるとちょっと恥ずかしいね。別に呼び捨てでも良いよ」

「それは流石に…なら、フォイルさんって呼びます。あの、さっきを言いましたが、わたしを助けてくれてありがとうございます」

 

 改めてアイリスちゃんは頭を下げる。

 良いっていってるのに本当にしっかりしている子だ。けど、そこまで言われると俺もちょっと恥ずかしくなってくる。

 

「本当に気にしなくて良いよ。無力の人々を魔物から守るのは『勇者』である俺の使命だから」

「だけどあんな恐ろしい魔物、わたしは見ただけで腰が抜けてしまいました。人々を守るためとは言え、あんなのに立ち向かえるだなんて…フォイルさんは怖くないんですか?」

 

 怖い。怖い…か。

 今尚覚えている、幼い頃に魔獣に襲われた記憶。あれは今だに俺の心に焼き付いている。魔獣も魔物も、恐ろしい。だけども

 

「そうだね、怖いさ。でも誰かがやらなきゃならない事なんだ。誰かがやらなきゃ…」

 

 そうだ、称号が全てなのだから(・・・・・・・・・・・・・・・)これはやらなきゃいけ(・・・・・・・・・・・・・・・)ないんだ(・・・・)

 だから俺の『偽りの勇者』としての役割も、俺自身がやらねばならない。

 

「それに戦う力があるのなら、誰かを救うために使おうと思うのは当然じゃないかい?」

「…そんなこと考えもしませんでした。力があっても自身の身を守るためにしか使おうとしか思いませんでした」 

「勿論、それも悪い事じゃ無い。けど、どうしても戦えない人がいてその人を助けることが出来る力があるのならば、俺はその人を助ける為に使いたいんだ。ははっ、ごめんよ。偉そうに語ってしまって」

「いえ、その…凄く立派な事だと思います」

「…そうか。ありがとう」

 

 彼女の言葉に俺は照れたのを誤魔化すように頰を掻いた。

 

「あの、お聞きしたいんですけど…。あっ、もし失礼ならお答えしなくて良いですっ」

「良いよ。なんだい?」

「えっと、その森の外ってどんな所なんですか? わたし、森の外に出たことなくて…それで、本当は薬草を採取していたんじゃなくて外の世界を見てみたいなってこっそり森の外に出たら魔獣に襲われちゃったんですけど…」

 

 徐々に言葉が小さくなり、ショボンとする。

 成る程。あんな所にいたのはそれが理由だったのか。

 

「ははっ、そうかそうか。それは確かに軽率が過ぎたかも知れないね」

「むぅ。確かにフォイルさんからすればお馬鹿な事をしたと思えるのでしょうけど…」

「いや、わかるよ。()も昔、若気の至りで夜に村の外に出てしまったことがある。そこで魔獣と遭遇した事とがあった」

「えっ、大丈夫だったんですか!?」

「あぁ、騒ぎを聞きつけた大人達が来てくれてね。あの後かなり怒られたよ」

 

 今となっては懐かしい思い出だ。

 あの日から俺は…自分が恥ずかしいと思ったんだ。

 口だけじゃなくて、本当に勇者になろうと思った。

 まぁ、実際は…っといけない、自虐が過ぎたか。

 

 アイリスちゃんに気付かれていないかと確認すると彼女は俺の顔を見ていた。

 

「あの、先程俺って…」

「あっ。しまったな、普段は僕とか私とか言っているけどこっちが俺の素なんだよ。けど、それじゃ権力者の方々と会う時に少しね。秘密にしてくれるかな? その代わり、俺が知る限り外の事を教えるよ」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 

 

 

 それから俺は出来うる限りの事をアイリスちゃんに話した。アイリスちゃんは俺の話に頷き、そして時折目を輝かせた。その反応は見ている俺も楽しかった。

 そんな風に会話しながら話して、気付けばあっという間にだった。

 

「もう着いちゃいました…」

「そうか」

 

 俺からは見えないが、もう此処はエルフの里の近くらしい。幻術か、それとも別の力か。俺には同じ森にしか見えないが、アイリスちゃんにはわかるらしい。

 

「それじゃあ、此処でお別れだね。もう不用意に里の外に一人で出てきたらダメだよ」

「はい、その、ご迷惑をおかけしました」

「気にしなくて良いさ。短い間だったけど話せて楽しかったよ」

 ニコリと笑うとアイリスちゃんは、ポーとした顔で俺を見た後ワタワタと何かを探すような動作をした。そして何やら髪を触る。

「あ。あの! これ!」

「ん?」

 アイリスちゃんの手には一輪の花があった。

 

「わたしの髪につけていたものです。あの、よく考えたらお礼だけでわたし貴方に何もお返ししていないって思って。でも、その、わたし里の里に出た事がありませんからお金とかは」

「ありがとう、十分だ。君だと思って大切にするよ」

 

 無くなった花飾りの部分の頭を軽く撫でる。サラサラとした心地よい感触だった。アイリスちゃんは気持ちよさそうに身を委ねてくれる。

 

「それじゃ、元気でね」

 

 名残惜しげに髪から手を離す。

 これ以上一緒にいると情が湧いてしまう。

 別れを告げ、立ち去ろうとする。

 

「あ、あの!」

 

 だけど俺の思いとは裏腹に再び呼び止められる。

 

「わたしまた貴方に会いたいです! だから絶対に会いに行きます(・・・・・・・・・・・)から(・・)!」

 

 大声でまた会いたいと叫ぶ彼女。だけど、ごめん。俺はもうここには訪れないし、恐らくその頃には俺はもう…。

 だから俺は顔を見られないよう振り返らず、手だけを振ってその場を立ち去った。

 

 

 

 アイリスはそんなフォイルの背中をずっとじっと見つめていた。



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悪行

 ユウとメイちゃんが勇者パーティを抜けて早いもので一ヶ月が経った。その間も俺たちの旅は続く。

 だがユウとメイちゃんが抜けたことでグラディウスとメアリーの行動に歯止めが掛からなくなった。

 これはそんな彼らの行動のほんの一部だ――

 

 

 

 

 とある街に訪れた際、その街の権力者達から歓待を受けた。世間的には俺たちは勇者パーティということになっている。そんな俺たちとお近付きになりたい者は多いし、魔王を倒してくれという意味でもこの歓迎会は何処でも欠かさずに催された。

 俺は正直これが苦手だ。当たり障りないように娘を紹介する権力者に断りを入れ、少し夜風に当たることにした。

 

 そこに珍しくメアリーがバルコニーにいた。

 

「メアリー、何を見ているんだい?」

「あら、勇者様。見てください、この城の下に見える平民たちを」

 視線の先にいたのは貧民街の一角。歓迎会を開かれているこの屋敷は高い所にあるので貧民街をも見通すことができる。

「あぁ、実に汚らしい。格好も、ゴミを漁る様もまるで蛆虫のようですわ」

「…彼らは魔王軍の侵略によって親を失ったりした孤児達だ。生きていくためにはあぁするしかない。寧ろ、そう言った彼らを救うことが国の、僕たち勇者としてのーー」

「勇者様、彼らを庇う必要はありませんわ。私達は高貴な身分、向こうは掃いて捨てるほどいる下賎な身分、暮らしている世界が違うんですもの」

 

 彼女の言葉には疑問も浮かんでいなかった。

 メアリーは飢えたことがないのだろう。彼女は生まれた時から約束された地位で、恵まれた環境で育って来た。

 だからこそ、明日をも知れない人達のことがわからない。だって自身はそんな思いをしたことがないから。

 

「さて、あんなものもう見る気にもなりませんわ。わたくしは会場に戻ります。フォイル様は?」

「いや、僕はもう少しここにいるよ」

「そうですか、それでは失礼いたしますわ。…ふふ、この機会にもっと多くの有権者達とお近付きにならねば」

 

 貴族としてより一層名を高める為に会場に向かうメアリー。

 俺はもう一度貧民街を見る。

 

「…同じ人なのに、どうしてこう違うのだろうか」

 

 暗くてボロボロの建物に住む人たち。

 彼らはいかなる思いか、この城を見上げていた。

 

 

 

 別の町、俺はその日グラディウスに少し聞きたいことがあり彼の部屋を訪れた。

 

「あぁ、グラディウス。明日の事で話が…」

「誰だ…ってあぁ、勇者様かよ。なんだ? 」

「あぁ、いや。明日の魔族のいると思われる場所へと討伐作戦について少し…」

 ふとグラディウスのベッドの布から青黒い痣のある足が見えた。

「グラディウス…その子はどうした? 」

グラディウスのベッドには女性が一人。さっき訪れた時にはいなかったはずだ。グラディウスはあぁ、と頭を掻きながら答える。

 

「町の酒場にいた娘だ。面が良かったんで連れてきたんだが、暴れてたんでな。2〜3発殴って言う事を聞かせた」

「なっ、無理矢理連れてきたのか!?」

「良いだろう、別に」

「良い訳がないだろう! 人としての道に反するといいたいんだ! 彼女にも家族がいる! 恋人だっているかもしれない。それを力で無理矢理なんて」

「ちっ。何だよお固いな。まぁ、良いさ。やることはやった(・・・・・・・・)んだ。後は帰ってもかまわねぇよ」

 

 ドンっと押し付けるように女性を突き飛ばしてくる。俺は女性が壁にぶつからないように庇った。

 

「勇者様よー、正義ぶるのは結構だがそんなんじゃ損だぜ。強いんなら俺みたいに振る舞う方がお得だと思うぜ? なんたって強さこそが正義だからな。ははははっ!」

 

 彼は嗤いながら扉を閉めた。

 俺は何か言葉を返すよりもまず、女性の怪我の方を心配した。

 

「大丈夫かい?」

「ひぃっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。大人しくしていますから打たないで叩かないでください…!」

 

 女性は何度も謝る。俺はそれを見ていたたまれない気持ちになった。

 その後も女性の家に送るまで彼女は何度も何度も謝罪と暴力を振るわないように懇願していた。

 勇者なら魔物を倒すことで命は救える。だけど、人に傷付けられた心を俺は救う事が出来なかった。

 

 

 

 

 ばきぃと頬を殴られた。そのままの勢いで俺は雨が降る外へと飛び出される。

 

「あの子は、部屋から出てこない。何があったのか語ろうもしない。だけど分かる。俺は父親だからな」

「…」

「町救ってくれたのはこの町の市民として感謝している。だが、父親としてあんたたちが許せない。…だからなるべく早く出て行ってくれ」

 

 冷たく扉が閉められる。

 俺はヨロヨロと立ち上がり頭を下げた後、金を置いてその場から立ち去った。

 

 たった一人の心も救えなかった。

 その事が打たれた頰よりも痛かった。

 

 

 

 

 とある町。その町は魔王軍によって襲われている最中だった。

 

「きゃあぁぁぁ!」

「魔王軍だ! こんな所にまで来るなんて!」

 

 現れた魔物で構成された魔王軍はその町のスラムから出現した。すぐさま俺たちは現場に向かい、人を襲う魔物を斬り捨てる。

 

「はぁっ!」

<ゴボバァッ>

 

 俺は襲いくる魔物を聖剣で一閃する。

 今の俺でも倒せるほど弱いが、数が多い。これでは守りきれない。俺は声を張り上げた。

 

「このまま教会の方に向かうんだ! そこならば防御を固めていてそれに魔物もいない!」

「は、はいっ」

「グラディウス! メアリー! 直ぐに人を襲う魔物を倒すんだ!」

「はんっ、まぁこの程度なら問題ないな」

「やれやれですわ。わたくしの可憐で華麗な魔法で全て燃やし尽くしてあげます」

「行くぞ、勇者としての使命を果たす!!」

 

 

 

 

 ドォッと魔物が血を吹き出して倒れる。

 此処を襲っていた魔物はこれで最後だ。周りに魔物がいない事を確認して俺は息を整える。

 

「住民はこれで殆ど避難出来たかな…?」

「フォイル様」

「あぁ、メアリーか。そっちはどうだった?」

「えぇ、まぁこの程度の相手わたくしの相手ではございませんわ。グラディウスも別の所で暴れています。本当に野蛮人ですわね」

「そうか。ならーー」

「うわぁぁぁん!! ママァァ、たすけてぇっ!!」

 

 悲鳴が上がる。

 見れば子どもが魔物に側にいた。隠れていた所を別の魔物に見つかったらしい。

 俺はその子を助けようと駆け出ーー

 

「【燃えよ、その苛烈で鮮烈な炎を持って汚らわしい輩を燃やせ、炎の竜牙】

 

 突然隣から迸った炎が魔獣を燃やし尽くした。

 子どもごと(・・・・・)

 

「なっ、メアリー何故撃った!? 子どもがいたのが見えなかったのか!?」

「? だって汚らわしいではありませんか。所詮スラムに住む人間などゴミに過ぎません。焼き払って何の問題が?」

「ぐっ! 君はわかっているのか!? 人一人の命を奪ったんだぞ!?」

「良いではありませんか。どうせ大した職業もない子どもでしょうし」

「君はっ」

「あぁぁぁぁぁっ!! 嘘ようそぉぉっ!! ミリアッ、ミリアァァァァッ!!」

 

 言い争う俺らの隣を一人の女性が駆け抜ける。

 女性、いや母親がもはや焦げた死体となった子どもに火傷も恐れずに抱きしめた。そして息がないことを確認しそのまま泣き崩れる。

 

「あぁ、巻き込まれたんですの。まぁ、平民ですから何の問題もないでしょう」

「メアリー、君は…! はっ」

 その言葉に嘆いていた母親が近くにあったナイフを片手に立ち上がる。

「娘の仇ぃぃ!!」

 

 母親はそのままメアリーに向かって走ってくる。

その様子にメアリーが杖を構える。まさか燃やすつもりか!?

 俺はその前に前に出て、女性から武器を手放させ拘束する。

 

「あら、勇者様。私を守ってくれたんですの? さすがは勇者様ですわ、素敵!」

 

 メアリーは無邪気に喜ぶ。一方母親の方は憎しみに満ちた目で俺を見上げてきた。

 

「なんでっ、勇者様なのにぃ!! 勇者なら私の娘をっ、ミリアを返して。返してよぉ…!」

「それ…は…」

 

 違うんだ。俺は勇者ではない。俺は…偽物なんだ。その後も喚く母親の騒動を聞きつけたのか騎士達がこちらに訪れた。

 

「勇者様、何事ですか?」

「あら貴方達良いところに。この不届き者が無礼にも私に対して反旗を翻し、害そうとしましたわ。直ぐに処罰しなさい(・・・・・・・・・)

「はっ。勇者様。それをこちらに」

「待ってくれ、彼女は娘を失った事で錯乱している。だから落ち着く場所で療養を…」

 

 そう思った俺が見たのは騎士が女性の首を切り落とした所だった。

 

「ば…かなっ、何故殺した!?」

「? 何を言ってますの。良いですか、フォイル様。この世では平民が貴族に逆らうなんて許されない事ですわ」

「そうです、勇者様。たかだか一人の平民の命などその不敬を考えればとるにも足りません。我々は【騎士】なのですから有象無象の職業の奴らと比べても、天と地ほどの差があります。」

「だからって…!」

 

 殺すまでのことか。

 だが騎士とメアリーの目には何の罪悪感もない。寧ろ怪訝そうにこちらを見てみる。

 なんだこれは。

 なんなんだこれは!? 

 勇者、騎士とは民を守る為にあるのだろう。それがこんな。

 彼女らは親子を殺したことに何も疑問を抱いていなかった。

 

 はっとして周りを見る。

 民たちは俺たちのことを、魔物以上に恐怖と怒りの目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 別の国。

 戦場と化した街の中。俺は街に侵入したまた別の魔族と戦っていた。

 

「ふっ! 」

「ガァァァッ! オノレェ…勇者メェ…!」

 

 狼に似た魔族を聖剣で斬り裂く。奴は恨み言を言いながら息絶えた。

 

「これでこっち側にいた魔族は全て…。後はあそこか」

 

 視線の先にはまだ多くの魔族と魔物がいる。

 体が少しずつ思い通りに動かなくなってきた今の俺には少し荷が重そうだ。

 

「ん? あれは…グラディウスか? それに一緒にいるのは…っ!」

 

 見ればグラディウスが率いているのは槍を持っただけの平民達だった。

 馬鹿な、彼らはここから退避したはず。何故ここにいる!? 

 

「お、お待ち下さい! 民達は最早疲労困憊です。このままでは魔族と戦うことなど不可能です!」

「喧しい!」

「ぎゃぁぁ!」

「弱いんなら黙ってオレに従え! 弱い者は搾取されるのが道理だろうが! 続け! お前らは囮となって魔獣を引き付けろ! 行かないならば俺が殺してやる!」

「う、うぅぅ…! うわぁぁぁぁ!!!」

 

 沢山の平民達が魔物へ突撃する。

 当然勝てる訳がなく、沢山の命が散っていった。

 だがその代わり魔族の網に穴が空いた。

 

「はははははっ! やれば出来るではないか! 行くぞ、敵の強い奴を倒す。手柄は俺がもらう!」

 

 そのまま平民達を放置し、グラディウスは率いる騎士らと共に突撃する。平民達を歯牙にも掛けず。

 

 俺は民に群がり死体を食らおうとする魔物を聖剣で斬り倒した。殆どがもう息をしていない。だけど辛うじて息のある人が一人いた。

 

「無事か!? 今すぐ人をっ」

「あぁ…あなたは勇者様…。教えてください…我々の死に、何か意味はあったのでしょうか…」

「それは」

「我々は………何のために………エミー…アレス…」

「待て! 逝くなっ! おい! 」

 

 誰かの名を呟き、がくりと目の前の男の力が抜ける。何度も呼びかけるも二度と彼の目が開かれることはない。

 

「何が…勇者だ……()は何一つも……!」

 

 

 

 

 

 魔王軍の侵攻は退けた。だが代わりにまたも瓦礫の山となった都市の上で俺は一人佇む。

 

 

 俺は見てきた。

 人の素晴らしさと光の強さを。

 俺は見てきた。

 人の愚かさと闇の濃さを。

 

 俺は見てきた。

 俺は見過ごしてきた(・・・・・・・)

 

 魔王軍は人類にとって不倶戴天の敵であるのに変わりはない。

 だけどもその()()を傷つけもしている。

 俺は『偽りの勇者』。魔王と戦うこともできず、人を救うこともできないただの偽物。

 

 俺は何の為に戦っている。

 俺は誰の為に戦っている。

 

 わからない。わからない。

 悲鳴が聞こえる。憎しみが聞こえる。悲しみが聞こえる。恨みが聞こえる。

 

 砕けそうなほどの心が軋み、悲鳴をあげる。いっそのこと狂ってしまえばどれほど楽だろうか。

 全ての景色がもはや灰色に見えてきた。

 

 いっそこのまま…

 

 

 そんな時、あのエルフ…アイリスちゃんから貰った花が胸ポケットから落ちて、聖剣の上に落ちた。

 

「聖剣…そうか」

 

 ユウとメイ。

 何よりも大切な俺の幼馴染。彼らは今『真の勇者』としての道のりを順調に歩んでいる。伝聞も何もないが次第に黒くなってきた聖剣がそれを証明している。

 君たちは絶対に来てくれる。君たちなら俺を…

 

 だったら大丈夫だ。

 俺はまだ演じれる。

 

 花を拾いあげる。幾つもの戦場を渡り歩いてきたが、花は返り血の一つも浴びずに綺麗に咲いたままだった。それがあの時助けたアイリスちゃんの笑顔を思い出し、少しだけ心が軽くなった。

 

 

 

 俺は魔王軍によって壊滅した都市を眺める。

 民は悲しみに満ちている。当たり前だ、生きていく希望がないのだから。彼らには明日への希望がない。

 

 彼らには希望が必要だ。

 生きる為の原動力となるものが。

 俺では彼らに希望は与えられない。

 絶望は魔王軍が与えた。

 ならば俺は彼らに怒りを植え付けよう。憎しみによって彼らに生きる力を与えるのだ。

 

「聞け! この街に住む民達よ!」

 民達が俺を見上げる。

「今回の魔王軍の侵攻は防ぐことが出来た。その代わり多くの民の死者が出たが何故なら彼らの犠牲は仕方がなかった! 何故ならこの世は称号が全てであり、上位の称号を持つ者に下位の称号を持つ者は踏み台として切り捨てられる運命(さだめ)だからだ!」

 

 彼らは家族を、友を、恋人を殺された。

 それが仕方がなかったの一言で済まされるだなんて到底受け入れられない。此処にはもう魔王軍はいない。だから代わりに俺が憎しみの的となろう。

 

 彼らの空虚な瞳に炎が宿る。

 怒りと憎しみという名の炎が。

 

 そうだそれでいい。

 俺の名を覚えろ! 

 俺の事を忘れるな!

 そして俺を憎むんだ!

 それでこそ希望(ユウ)はより輝くのだから!

 

「何故なら、僕が勇者フォイル・オースティンだからだ! 魔王は僕が滅ぼそう。だから安心して君達は世界の、僕たちの為に死んでくれ!」

 

 グラディウスが頷く。

 メアリーが笑う。

 俺も何処までも愉快そうに演じた。

 

 真の勇者に倒される偽りの勇者として、俺は最期まで悪役(アングレシャス)を演じよう。

 

 

 

 だからユウ、その時は俺をちゃんとーー殺してくれ。



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悪夢

「勇者様! 何故父と母を救ってくれなかったのですか!?」

 

「勇者様、どうして私の家を焼いたのですか!?」

 

「勇者様、助けてくれるのではなかったのですか!」

 

「勇者様、俺の故郷を何故見捨てたんですか!?」

 

「勇者様」

「勇者様」

「ユウシャサマ」

「勇者っ」

「ゆーしゃさま」

 

「勇者様」「なんで」「嘘だったのか」「助けてくれるって言ったのに」「どうして」「なんで」「勇者なのに」「見捨てないで」「やめて」「娘を連れて行かないでくれ」「息子を助けて下さい」「いやだ」「許して」助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「勇者なのに」「勇者だろ」「勇者なら」「勇者であるならば」「勇者だったら」

 

 

 

『嘘つき』

 

 

 

 

 

 

「っ…! 」

 

 飛び起きた俺はガタガタ揺れる車内に、此処が馬車であることを思い出す。冷や汗が止まらず、動悸も荒い。

 俺は落ちつくように手の平で顔を覆った。

 

 …夢、か。

 

「どうしたんですの?」

「あぁ、いや。馬車の振動で起きてしまっただけさ」

「確かにこの場所の質は悪いですわね。貴族たるわたくしが乗る物ではありませんわ」

「はんっ、お貴族様が言うことは違うな」

「黙りなさい野蛮人」

「んだとごらぁ!?」

 

 二人は喧嘩を始める。

 これもまた何時ものことだった。

 ユウとメイちゃんが居た頃はなかったけどお互いにお互いの事が気に入らなかったみたいだ。二人がいなくなったことでその不満が互いに向けられるようになったのだ。

 

「…野蛮人は放っておくとしてフォイル様、そろそろ調子を戻してもらわないと困りますわ。最近では少しばかり弛んでいるのではなくて。前の戦闘でも少しばかり他の方々から苦言を頂きましてよ」

「それは…すまない。最近少し疲れていてね」

「まぁ、確かに魔物の襲撃が多いのは確かですわ。わたくし達もかなり駆り出されていますし。あぁ、嫌ですわ。またお肌の手入れに時間がかけれないのですもの」

「クソが、調子こきやがって。戦う力もない奴らが、数と態度だけはデカい」

「そのことに関しては不敬として2〜3人見せしめとして首を刎ねさせておいたのですから良いでしょう。平民は平民らしく我々貴族の為だけに存在しとけば良いのですわ。本当でしたらワタクシこの依頼を受けることに不服なんですけど…」

「仕方ないさ。立ち向かった騎士団も誰も勝てなかったんだから」

 

 俺たちが向かう先は魔獣に襲われているという村だ。

 普通なら魔物ではなく魔獣相手に、勇者は駆り出されないのだけど、その魔獣とやらが余りに強くまたいくつもの村が滅ぼされているので、訪れた国が直々に頼んで来たのだ。

 俺は頭の痛みを抑えながらも村が無事だといいなと思っていた。

 

 

 

 

 だが俺たちの予想は外れた。

 そこに居たのは魔獣ではなく、三人の魔族だった。

 

 一人は黄色の髪をした、バチバチと体の至る所から放電する、長い獣の尾をもつ白銀の男。

 一人は身体中をゆったりとした黒い黒衣で身に包み、男か女かも分からない体躯をした青白い氷の花に乗る者。

 一人は、見るだけで分かるほど鍛え抜かれた巨躯にコートを羽織い、天を貫かんばかりに聳える角。

 

「『迅雷』のトルデォン・ロイドだ」

「『氷霧』のスウェイ・カ・センコ」

「…『豪傑』のベシュトレーベン。我ら、八戦将」

 

 ーー魔王様の命により、貴様たちを抹殺する。

 

 

 

 

 

「ヌゥン!」

「ぐぅっ…!」

 

 ベシュトレーベンと名乗った八戦将が放つ剛腕の一撃を避けきれず、俺は聖剣の側面で受け止める。それでも耐え切れず何度も地面に転がる。

 なんて重い一撃だ…! 自ら攻撃に合わせて飛ばなきゃ腕をへし折られていた。

 

脆弱(ぜいじゃく)軟弱(なんじゃく)貧弱(ひんじゃく)。此度の勇者がまさかここまで弱いとは。見るが良い。貴様らの仲間も、もはや死に体だ。勝ち目などなし」

 

 ベシュトレーベンと名乗った鬼を彷彿とさせる魔族は地面に這いつくばる俺とは対照的にしっかりと大地に立ちながら言った。

 ちらりと二人の様子を見る。

 グラディウスは『迅雷』と呼ばれたトルデォンの手から放つ【雷撃剣】に片方の腕を斬られていた。

 メアリーは得意の炎魔法を、氷に全て防がれている。有利なはずの火が負けているのだ。酷く喚く声がこっちにも聞こえる。

 どちらも自分に有利な土俵なはずなのに、負けている。余りにもレベルが違い過ぎる。

 

「それになんだ貴様のその腑抜けた剣筋は、本当に『勇者(・・)』なのか? …こんな奴に『爆風』は負けたというのか。つまらん、つまらんぞ。脆弱な」

 

 失望したとばかりにベシュトレーベンは溜息を吐く。

 そうだろう。奴から見れば俺の動きは殆ど止まって見えるだろうよ。

 けどよ、こっちもいっぱいいっぱいなんだよ…! 身体は思い通りに動かないし、スキルは使えないし、聖剣は重い。おまけに悪夢を見続けるせいかまともに体力も回復しない。

 文句の一つでも言ってやりたいがそんなことを言っても負け犬の遠吠えにしかならないだろう。

 

「もはや興醒めだ。これ以上闘う価値もない。消えろ愚物」

 

 ベシュトレーベンがもはや興味を失せたと肥大化した拳を振り上げる。先程よりも重く、早い一撃。

 さっきのダメージのせいで躱しても間に合わない。

 

 

 死ぬ。

 

 

「いや、まだだ!!」

 

 ーー負けられない。俺はまだ死ねない!

 勝てなくても良い。怪我をしても良い。それでも一撃だけあの時のように動いてくれ…!

 

 俺は走り、相手に向かって聖剣が振るわれる。正真正銘命を振り絞った剣戟、ベシュトレーベンの拳より早いその一撃は、見事に奴の頬を切りつけた。

 

「ぬ…これは血か?」

 

 ベシュトレーベンは自らの頰から流れる青い血を触れる。そこには驚嘆があった。

 だが代償に俺は今までの比ではないほど体に負荷がかかる。

 

「はぁ…! はぁ…! ぐはっ、ごほっごほっ!」

「もはや聖剣を振るうことすらままならぬか。これは最後の命を燃やした一撃か。ならば見事。傷をつけられたのは久々だ」

「ははっ…褒めてもらえて嬉しいよ」

「我は先程貴様を脆弱と侮った。訂正しよう。貴様は強き者だ。強い意志を持つ者(・・・・・・・・)よ。故に敬意を表し全力で貴様を殺す」

 

 ベシュトレーベンからとてつもない覇気が放たれる。背筋に冷たい汗が流れて本能が警鐘を鳴らす。

 あれで本気でなかったとか、本当に化け物だな…!

 

「我が一撃、受け止めて見せろ! 咆王崩壊拳(ほうおうほうかいけん)鏖塵(おうじん)

 

 今までの比ではない、強力な一撃。風を吹き飛ばし、地を破壊する拳。

 当たれば確実に死ぬ。

 俺はそれに向かって駆け出した。ベシュトレーベンから見ればひどく遅い動きだろう。

 

 奴は俺が攻撃を受け止めると思っているだろう。だけど残念だったね。

 駆け向かった俺だが、突然体を伏せてそれを全力で避ける! 

 

 俺の元いた位置にベシュトレーベンの拳が放たれる。

 山を穿ち、地を裂き、厚い雲を割った。

 余りの衝撃にビリビリと腹の底にまで轟く感覚がする。後少しでも遅かったら俺は身体すら残らず吹き飛んでいた。

 

「ははっ…あっぶねー」

「貴様…我を愚弄するか!」

「する訳ないじゃないか。俺にとってもアンタは強い。出来れば万全な状態で戦いたかった。でも悪いね、俺はアンタには倒される訳にはいかないんだ…! 俺を倒すのはアンタじゃないんだ」

 

 そうだ。俺を倒すのはベシュトレーベンじゃない。ユウだ。

 

「ベシュトレーベン、アンタは強い。だからこそその強さを利用させてもらう!」

「何の…むっ!?」

 

 ズズズと大きな音が鳴る。それは次第に音が大きくなっていく。ベシュトレーベンは驚いたように目を見開いた。

 ベシュトレーベンの目には津波のような土が雪崩れ込んでいるのが見えた。

 

 これが俺の狙い。土砂崩れを起こすこと。

 この辺りの地盤は酷く脆い。だから俺はあえて強力な攻撃を放つように挑発し続けた。ベシュトレーベンにはそれだけの力があったからだ。結果奴は自らの最強の一撃を放ち、山は崩れ、大地は崩壊する。

 

「グラディウス! メアリー! 退くぞ!」

 

 俺は煙玉をその場で撒いた。瞬く間に白い煙が辺りを包む込んだ後、すぐさまその場から逃げ出す。

 

 俺たちが居た位置には大質量の土砂崩れが襲いかかったーー

 

 

 

 

 

「あぁ、不粋。不粋ね。まさか『勇者』とでもあろうお方が逃げ出すなんて。期待外れ」

 

 暫くし、土砂崩れが収まった頃。

 三人は『氷霧』のスウェイが形成した氷によって土砂崩れから身を守っていた。

 ガラガラと盾になった氷が崩れる。

 スウェイとトルディオが砂埃を払う中、ベシュトレーベンは一人佇み、先程の言葉を考えていた。

 

『俺を倒すのはアンタじゃないんだ』

 

(あの言葉…)

「はっ、あんな負傷した身で逃げ出しても遠くにはいけねぇだろう。今すぐ追いかけて」

「もういい」

「はぁっ?」

「興が削がれた」

 

 それだけ言ってベシュトレーベンはその場から立ち去る。

 

「ばっ、魔王様からの命令に逆らうのかよ!?」

「なら此方も帰ろうかしら。何も得るものがないもの。彼らからは何も妬ましくない(・・・・・・・・)

「ばっ、ちょっ、くそがぁ! 待ちやがれ!!」

 

 トルデォンは去っていく二人に舌打ちしながら追いかけて行った。

 

 

 

 

 

 追ってこない。その事に俺は安堵した。流石にもう奴らと戦えるだけの気力も体力もない。まさにギリギリだった。

 それにしてもまさか魔王が八戦将を三人も差し向けてくるなんて思いもしなかった。どうやら思った以上に向こうにとっては自分達が目障りらしい。偽物相手に随分と躍起になってることだ。

 

「…腕が………俺の……腕が………」

「ありえないありえないありえないありえない。こんな無様な結果、ワタクシに相応しくない。相応しくない。相応しくない…」

 

 二人は先程から似たような事をブツブツと何度も繰り返している。完全に心が折れたのだろう。

 もう勇者パーティとして動くのも無理かもしれない。

 

「そうよそう、何故あんな所に魔王軍の幹部がいるのよ。あの平民の兵士がっ、キチンと偵察しなさいよっ。帰ったら必ず処罰してやりますわ」

「くそ、クソクソクソクソクソ!!! 何故俺がこんな目に会わなければならない! 俺は国一番の『剣士』だぞ!?」

「そうよグラディウス! 何ですのあの様は! 国一番の剣士だなんて貴方には過ぎた称号でしたわね! 精々二流が良いところですわ!」

「何だと!? 貴様とてあの魔法使い相手に手も足も出ていなかっただろうが! 例のアバズレ女の方がまだマシだった!」

「私をあんな平民と同じにしないでくださいまし! 穢らわしい! やはり、貴方も所詮剣の腕で成り上がっただけの平民ですわね!」

「なんだと貴様!」

 

 二人は責任を押し付けあっている。彼らは認めない、認めたくないのだろう。高いプライドが敗北という事実を認められないのだ。

 俺は二人の喧嘩する声を聞きながら、痛む体を抑えて歩いていった。

 

 

 

 数日かけて歩いて街に帰ると騎士達が武装(・・)した状態で出迎えてくれた。

 先頭には、この街の騎士団の騎士団長がいた。

 

「おかえりなさいませ、勇者様。村はどうでしたか?」

「あぁ、すまない。村は既に壊滅していた。更には魔王軍の八戦将がいてそれに不覚をとった。直ぐに報告してくれ」

「八戦将が? それはなんと。すぐに上層部に報告しなければ」

「あぁ。奴らが何を企んでいるかは分からないがろくなことではないだろうから」

「えぇ、勿論です」

「それよりも貴方達、さっさとワタクシたちを中に入れなさい! それと偵察に出した輩を出しなさい。そいつらのせいでワタクシたちは負けたのよ!」

「…」

 

 騎士団長はメアリーの言葉に耳を貸す様子がない。おかしい。町を出る前はそんなこと無かったはずだ。

 待て…何か妙だ。

 

「それで勇者様、貴方は我々に言うことはありませんか?」

「あぁ、八戦将を倒せなくてすまない」

「いえいえ、そのようなことではございません」

「? 質問の意味がわからないのだが…」

「わからないですか、ならばこう言いましょうか。ーーよくも騙してくれたな偽物の勇者!」

 

 一斉に騎士達が得物を向ける。

 

「な、何のつもりだ貴様ら!」

「勇者パーティであるワタクシ達にこのような暴挙、有るまじき無礼よ!」

 

 グラディウスとソーサーが困惑する。周囲の騎士たちは憎しみのこもった目で見ていた。

 その中で俺は一人安堵していた。彼の言った偽物(・・)という言葉に。それはつまり

 

「教会より【神託】が降りた。『真の勇者』が現れたと。その名はユウ・プロターゴニスト! 貴様が追い出した男の名だ! そして、フォイル・オースティン! 貴様が偽物だということもな!」

 

 ーーやっとこの時が来た(死ねる)



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彼の舞台は幕を閉じる

 時が流れる。

 辛くもあの場から逃げ出した俺だがあの後、各国を挙げての俺の捜索と討伐(・・)が発令された。

 

 追っ手として迫る騎士と兵士達。

 更にそこで勇者という名目で虐げてきた民達から復讐を受けたのだ。憎しみと怒りを宿した民に追われる俺たち。

 

 グラディウスとメアリーとは途中で散り散りになった。彼女らの最後の言葉は「嘘つきめ!」だった。

 

 

 

 

 彼らの末路は風の噂で聞いたが酷いものだった。

 

 グラディウスは魔王の八戦将との戦いで片手を失い、本来の力を発揮できないまま数の暴力で拘束され、最期には彼自身よりも弱い人々に殺された。その多くが彼によって家族を奪われたものの恨みだった。

 

 メアリーは、貴族ということで一時期は保護されたが、尚も民を顧みない生活に民への蔑みを隠そうともせず、更には貧しい親子が馬車に轢かれた際に言った一言で民衆からの怒りを買い、反乱。流石に庇いきれず彼女の家は取り潰し、彼女自身断頭台に送られ、処された。

 

 まぁ、そんなものだろう。勇者パーティは人々の希望。

 民からの支持を失えば、瓦解する。そんな単純な事にあの二人は気付かなかったのだ。俺も結局あの二人の価値観を変えることが出来なかった。それだけが心残りだ。

 

 元々段々と聖剣の力を失いつつあった俺はただの魔獣ですら苦戦するようになり、国や民からの信頼が失われつつあった。

 だがそれでも自分達の横暴が許されていたのはひとえに勇者パーティという肩書きがあったからだ。だがそれももはや過去のこと。

 

 今回の『偽りの勇者』であるという暴露で完全に俺たちの評判は地に堕ちた。だからこの結果は当然なことなのだ。そしてその報いは俺にも必ず来る。

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…、ははは。堕ちる所まで落ちたね、これは」

 

 もはや真っ黒に黒ずんだ聖剣を片手に、追っ手の兵士を誰一人殺さずに撃退した俺は膝をつきたい衝動駆られながらも必死に立つ。

 どれだけ戦い続けただろうか? 半月? 一ヶ月? もはや時間の認識が曖昧だ。

 俺はずっと戦い続けた。教会からの刺客を。国からの追っ手を。聖剣を狙う魔族を(・・・・・・・・)。その全てを撃退した。

 だがそれももう限界だ。倒れそうになる俺だがそれを見た時、止まった。

 

「あぁ、やっと来たのかよ。ったくおせぇんだよ。全くな。…はは」

 

 膝をつかない理由は遠くからこちらに向かう影が見えたからだ。

 最もフォイル自身が望んだ人物ーーユウが。

 

「…ユウ」

「…フォイルくん」

 

 一年ぶりの幼馴染みとの再会。後ろには一年前よりも綺麗になったメイと自分も知らない数人の男女がいた。恐らくユウの仲間だろう。

 本来なら会えたことを喜びたかった。だが互いに大きく状況が変わってしまった。そのせいか名前を呼んだだけで暫し、無言になってしまう。

 

「…驚いた、会わない間に随分と立派になったじゃないか。衣装も、筋肉のつき方も、雰囲気も見違えるように立派になった」

「そう、だね。あれから色々あったよ。フォイルくんからパーティを追い出された後、引きこもったりもした。だけどメイちゃんが檄を飛ばしてくれて、クリスティナちゃんが僕を勇者だって言ってくれて、仲間が僕を支えてくれた。僕一人だったらあの後村に帰っていたと思う」

 

 笑うユウには昔の面影はあるが、その目からは強い意志が見られた。

 

「フォイルくん、僕は勇者らしいんだ。僕は、人々を救わなければいけない。だから聖剣を渡してくれないか? そうすれば、君を倒さなきゃならない理由がなくなる」

 

 その事に俺は驚いた。ユウは返せ、ではなく渡してくれと、対話で解決しようとしているのだ。

 

「確かに君の仲間…グラディウスさんとメアリーさんは残念だった。僕でもどうしようもなかった。でもフォイルくん。君の悪い噂はあまりないんだ。だからこそ、投降してくれ。僕からも神殿に懇願する。決して悪いようにはしない! だからっ、だから…!」

「………はは、変わらないな君は」

「え? 」

 

 ポツリと呟いた言葉はユウには聞こえていないようだった。

 ユウは全く変わらないあの頃と同じ優しい男のままだ。

 だがそれじゃだめなのだ。

 ユウには、実力で聖剣を取り返してもらわなければならない。

 そうだ、俺は悪役(アングレシャス)。勇者の前に立ち塞がる敵だ。敵は倒されねばならない。

 さぁ、最後の芝居だ。

 

「ははは! 断る。何故なら僕が勇者だ! 何故お前みたいな雑魚に聖剣を渡さなければならない。女神から選ばれたのは誰でもないこの僕さ!」

「何を言っていますの! 真の勇者はユウさんです! 貴方みたいな偽物とは違います!」

「へぇ、何故ユウが勇者だって言われているのか気になっていたのだけど…君か」

 

 睨みつけると神官の女の子はか細い悲鳴をあげる。そんな彼女の前に立つのはメイちゃんだった。

 

「クリスちゃんを傷つけようとするのは許さないわ、フォイル」

「あぁ、メイちゃんか。一年前と比べてまた一段と綺麗になったな」

「お世辞は結構。それよりも早く聖剣をユウくんに渡しなさい。それはユウくんの物よ」

「断る。だがどうしても言うのなら、ユウ、一騎打ちだ。お前と僕との。どちらが勇者に相応しいかこれで決めようじゃないか」

 

 黒ずんだ聖剣を向け、一方的な宣言。受ける必要性など皆無。だが必ずユウは乗ると確信していた。

 

「わかった」

「ユウさん!」

「ユウくん!」

「ゆうにぃ!」

「旦那っ!」

 

 ユウの仲間達が一斉に心配する声を上げる。

 思わず笑みを浮かべそうになる。

 良い仲間に恵まれたみたいじゃないか。俺と違って。少しばかり羨ましい。

 

 ユウは仲間たちに大丈夫と言った後、視線をこちらに向ける。準備は万端ということか。

 

 俺とユウは互いに距離を取り、構え、そして激突する。

 スピード、力、技術。ユウは依然と比べ物にならないほど成長していた。

 

「懐かしいなぁ! 昔もこうやって木の棒で撃ち合ったよな!」

「そう…だね!」

「覚えているか!? お前は何時も僕には勝てずに負けていたよな? その度に泣いてはメイちゃんに慰めてられていたな!」

「そうだよ…! 僕は一度たりともフォイルくんに勝てなかった…!」

「だったら、大人しく敗北しろ! そして、勇者などという名を撤回しろ!」

「いやだ!!」

 

 ユウが俺の聖剣の一撃を弾き返す。

 自分でも分かるほどに今の聖剣を振るう自分はかつての精錬さがないほどに衰えている。疲労も酷く、実の所ユウの姿もぼやけている。しかしユウは追撃をしてこない。

 ここに来て俺を斬ることにまだ迷っているのだ。

 

「っ! ふざけるな!」

「なっ!? ぐはっ!」

 

 接近し、持てる限りの力で聖剣を振るう。それを寸前で受け止めたユウだが大きく態勢を崩した。そこへ腹に向かって蹴りをする。

 

「が、がはっ」

「全く。甘いんだよ、お前は」

 

 そうさユウ。お前は優しいさ。

 だがその甘さはこれから魔王と戦う勇者としては不合格だ。俺を本気で倒せないようで、魔王なんかが倒せるはずがない。魔族の恐ろしさは俺が誰より知っている。

 だからこそ、ユウには非情になることも覚えて欲しい。だけど、同時にそれが難しいことも付き合いの長い俺にはわかった。ユウは優しい、優し過ぎるんだ。それがユウの良さだと俺もわかっている。

 しかしこのままじゃ…。そう思った俺はユウを勇者だと分かった神官を見つける。これだ。俺は発破をかける。

 

「所でユウ、お前が勇者だと分かったのはもしかしてあの神官のお陰か?」

「なに?」

「クリスティナとか言ったっけな。あの若さで神託を任せられるなんて大した者だ。つまりそれだけの発言力もあるということ。だからさぁ、僕が貰ってあげるよ! そうすれば僕の名声も取り戻すことが出来るしなぁッ!」

「フォイルッ! お前…!」

「怒るか? 怒ったか? ならば来いッ! ()にその怒りをぶつけてみせろォッ!」

 ユウの目に明確な怒りが宿る。

 ユウは俺目掛けて剣を振るった。

 その速さは今までで一番であった。それでもユウ自身はそれを俺が受け止めると思っているのだろう。

 

 

 だからこそ俺はーー

 

 

「な、んで。笑って…フォイルくん…」

「かふっ」

 

 聖剣で受けること無く、その身に受けた。

 その事にユウは唖然とし、メイちゃんが悲鳴の如く声を上げる。

 

「フォイルくん!」

「あぁ…強くなったよな、ユウ。本当にさ」

「い、今すぐ傷を!」

「やめろ! これは報いだ。全てを偽って来た俺自身の」

「い、偽った? 何の話だよ、わかんないよ。ク、クリスティナ。お願いだっ。フォイルくんを、たすけてっ」

「これは…傷が深すぎますっ。『聖女』でもない私では」

「そ、そんなっ。フォイルくん、フォイルくんっ」

 

 ユウの声が遠くに聞こえる。何度も俺を呼ぶ声が。

 俺はもう助からない。人々を偽り続けた罪を背負い此処で死ぬ。

 

 …ならもう良いよな?

 女神様とやらよ。地獄に落ちるとしても最期くらい…幼馴染に偽ら(うそなんてつか)なくてよいよな?

 

「……ユウ。泣くな。これはもう決まっていたことなんだ」

「決まっていた事…? 」

「そうだ。()の称号は『偽りの勇者』…そして、俺の役割は、『真の勇者』の誕生の踏み台になること」

「踏み…台?」

 呆然とするユウに説明する。

「全ては真の勇者が現れる為の布石。真の勇者は、自らに自覚がなく、自信がない。その為に勇者が過去を乗り越え、克服し、次なる進化ステップに進む為の必要な措置。それが俺の役割だ」

「嘘だ…! そんな事フォイルくんがそんなことする必要なんて!」

「言ったじゃないか、ユウ。この世界は(・・・・・)称号が全てだって(・・・・・・・・)

 

 女神の言葉は絶対であり、不変の(ことわり)だ。

 だからこそ、俺は真の勇者の踏み台となる。

 それが俺の役割(さだめ)

 

「何で言ってくれなかったんだよっ。なんで」

「言った所で誰も信じやしないさ。ユウ…お前が気に病むことはない。これは俺自身が決めて行ったことだ。そしてこれは報いさ。人々の希望を偽ってきた俺自身の。だから女神様を恨むなよ。理由はわからねぇけど、あの方がそう定め、俺自身が自らの意思でしたことだからな。…これからはお前がみんなを導くんだ。だろ? 勇者様」

「無理だよっ…、僕は、君みたいにはなれない」

「なれるさ。覚えているか? 小さい頃、探検と称して村の子どもたちと森の奥に大人に内緒で行ったこと」

 ユウは涙目になりながらも頷く。

「あの時、森から魔獣が現れたよな。そして友の一人が切り裂かれた。…その時、俺は逃げたんだ。もう死んでるって思って。助かりたくて。大人を呼ぶという名義でその場から逃げ出したんだ。だけどユウ。お前は違った。お前は木の棒片手に立ち向かったんだ」

 

 結局、事態に気付いたメイちゃんが先に呼んで来てくれた兵士達によって魔獣は倒された。切り裂かれた子どもも助かった。

 

 思えばその時にもう本質は現れていたのかもしれない。

 

「ユウ、お前は立ち向かい(・・・・・・・・)俺は逃げた(・・・・・)。それだけだ」

 

 ユウの仲間達も俺の話す内容に聞き入っていた。誰もが二人を凝視し、沈黙する。

 

 そんな中で膝をつく音が聞こえる。メイちゃんだ。彼女は身体を震わせていた。

 

「あぁ、そんなっ。嘘よ、うそっ。こんなのって。ごめんなさい、フォイル…フィーくん。貴方は…っ、何も変わっていなかった…!」

 

 メイが涙を流す。別れを告げたあの時と同じ。拭ってやりたいが距離が遠いし、そんな力もない。その事が少しだけ残念だった。

 最後にやるべきことをやる。

 

「ユウ、これはお前のだ」

 

 ドンっと聖剣をユウの胸に押し付ける。ユウは俺と聖剣を何度も見比べた後、聖剣を握った。

 瞬間、今までに無いほど、聖剣が輝きだした。俺の時はそんなに輝かなかっただろ。…すこし妬ける。

 だが同時に確信した。今、この場で『真の勇者』が誕生したと。これで人類は大丈夫だと。

 

「へへっ、これでやっと肩の荷が下りた」

 

 ユウを突き放しヨロヨロと力なく後ろに下がる。背後にはあるのは…崖。

 空は澄んでいる。風が気持ち良い。心も軽く感じる。

 

「フォイルくん!」

「フィーくん!」

「来るな!」

 

 自分の怒号に二人は動きを止める。

 

 それでいい。

 真の勇者の前に、偽の勇者は不要。

 役割を終えた悪役(アングレシャス)は速やかに舞台を去るのみ。

 

 最後の最後にユウには辛い真実を伝えちまったかな。許してくれ。君たちだけには嘘をつきたくなかったんだ。でも、メイちゃんがいるなら大丈夫だろ。

 だからさ、二人ともそんな悲しい顔をしないでくれよ。

 ユウはまた泣き虫に戻っちまって...今のお前は勇者だぞ? ちゃんとしろよな。

 メイちゃんもいつもみたいに笑っていてくれよ。俺が惚れたときみたいにさ。

 

 

 

 

 あぁ、でも。

 それでも。

 できることなら。

 

 

 

「俺はユウ...メイちゃん…君達二人と並び立つ仲間になりたかったよ…」

 

 ユウとメイちゃんのこちらを呼ぶ声を遠くに聞こえながら、俺はそのまま意識を失い崖から落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 ー。

 

 ーー。

 

 ーーー。

 

 

「………絶対に死なせないのです」



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そして舞台は終わり

「おかしいなぁ」

「何がですか?」

「俺って死んだはずだよね? 何で生きてるの? 」

「死んでませんよ、勝手に満足げな顔して気絶しただけです」

「本当に!? やばい、めちゃくちゃ恥ずかしい…」

 

 顔を抑え悶えていると呆れたような溜息を吐いてくる。そのことにより一層悶える。

 

 その様子を一人の女の子が呆れた目で見ていた。

 

 崖から落ちた俺は助けられた。そして助けたのはなんとーーあの時助けたエルフのアイリスちゃんだ。

 伸びた髪以外あの頃と何も変わっていない。彼女は身を隠すためか緑を基調としたワンピースに似たエルフの民族衣装の上に、フードを身につけていた。

 

 パサリとアイリスちゃんは町から買った新聞を開く。

「この記事では世間的には貴方は死んでいる事になっているのです。聖剣も『真の勇者』とやらの元に戻りましたと書かれています」

「そりゃあな。てか聖剣はともかく実際致命傷だったでしょ俺? なんで生きてるの?」

「簡単です。わたしが治したのです」

「え、ちょっと待ってくれないか。治したってどういう風に?」

「? こう。手のひらにぱわぁを貯めて、なおれー、なおれーって念じたら治ったのです」

 

 その答えに覚えがある俺は驚く。

 人を治すことは『治癒師』や『神官』でも出来る。でも明らかに致命傷な傷を治すことは出来ない。これらは人の生命力を利用して治すのだ。例えば心臓が止まったり血を失い過ぎれば当然治す事は出来ない。

 それが可能な存在はただ1つ。

 

「…君はもしかして癒しの『聖女』じゃないか!?」

 

 勇者と並ぶもう一つの人類の切り札。あらゆるものを癒し、魔の瘴気を封ずることの出来る力を持つ女性。全てにおいて『神官』を上回る『勇者』と並び立つ、唯一の女性しか賜る事が出来ない称号だ。

 あの時のユウの仲間は神官や戦士のような格好の人たちで、そのような人物がいなかった気がする。

 

 俺の驚きとは対照的にアイリスちゃんの反応は淡々としていた。

 

「あぁ、そんなのがあるのですか。確かに貴方を助けようとした時にそんな風な神託…? 天啓でしたっけ? その力を世界の為にどうたらこうたら聴こえたのでそうかもしれませんね。でもそんな事どうでも良いです」

「いや、どうでもよくないんだけど」

「どうでも良いのです。例えわたしが癒しの『聖女』であろうとなかろうと貴方を助けようと行動したのには変わりありませんから」

「それは、こっちとしては嬉しいんだけど…」

 

 その力は自分ではなく、勇者達(ユウ)に必要な力だ。聖女はその力で傷を癒し、魔王軍の魔の力を封じる。これからユウは果てしない戦いに身を投じることになる。そんな時、聖女の力はなくてはならないものとなる。

 俺は佇まいを直し、アイリスちゃんに向けて真剣な表情になる。

「アイリスちゃん。君の力は女神から与えられた『聖女』という可能性が高い。その力は人々の為に使われるべきだ。だからあいつの…ユウとメイちゃんの力になってくれないか?」

「いやなのです」

「はぇ?」

 

 断固拒否をするアイリスに変な声を出してしまう。

 え、なんで。

 そこは使命感に燃えて「はいわかりました!」って返事する所じゃない?

 

「な、なんで?」

「何で『聖女』だとしたら人の為に魔王なんて恐ろしいものに立ち向かわなきゃいけないのですか。相手は人類を滅ぼそうとしている怖い連中なんですからそんなのと関わり合いになりたくないのです。それに勇者の方はフォイルさんを斬ったのです! わたしはこの曇りなき目で見ました! 絶対、ぜーったいに許さないのです! それにフォイルさんに靡くあの女も気に入らないのです! なんですか、あのわがままボディは! わたしへの当てつけですか!」

 

 プリプリと怒るアイリスちゃんは助けた時と変わらずに平坦な身体だ。メイちゃんの体に嫉妬しているらしい。

 俺はしばしポカンとし、結局彼女が怒っているのがユウが俺を傷つけたからだということに苦笑する。

 

「アイリスちゃん、君は優しいんだね」

「なっ! な、何ですか突然。褒めたって何もでないのです。…えへへ」

「だけどねアイリスちゃん。君が僕に好意を持って接してくれるのは僕が君を助けたからだろう。君が抱いた幻想はただの偽りだ。俺はただのペテン師で、詐欺師で、どうしようもない屑人間なんだよ。仲間の狼藉を咎めることもせず、偽善で自己満足する愚か者なんだ。そしてその偽善を押し通す力すら聖剣に頼っていた弱い人間なんだ。だからそんな奴に気を使う必要はないんだよ」

 

 そうだ、俺は人々を騙していた。

 例え称号がそうだったとしてもその事実は変わらない。

 手を痛いほどに握り締める。この手はもう血で溢れている。(ゆる)されることはない。

 

 アイリスちゃんは何も言わない。

 あぁ、これはまた罵られるなと覚悟した時

 

「いいえ、そんなことないのです」

 

 そんな俺にアイリスは優しく微笑んだ。

 

「確かに貴方は人々にとっての『勇者』ではなかったかもしれません。世間では貴方のことを悪し様に罵っています。でも。あの時、わたしの声を聞いて助け出してくれたのは貴方です。他の誰でもない、貴方(・・)わたし(・・・)を助けてくれたんです」

 

 そっと柔らかい両手でアイリスちゃんが俺の手を優しく包み込む。驚いて声も出ない俺に、どこまでも純粋に澄んだ顔で微笑んだ。

 

「誰が何を言おうと、わたしにとって(・・・・・・・)の勇者は貴方(・・・・・・)なのです。ありがとう、あの時わたしを助けてくれて」

 

 ーー。

 

「………そ、うか。ははは、()が…()が勇者か。もう聖剣もなくなったのに、そう言われるなんてね。本当に皮肉というかなんというか…あぁ、でもそんな風にお礼を言われたのっていつ以来だっけな…ふ、ぅっ……!」

 

 感極まって思わず顔を手で覆い泣いてしまった。今まで押さえつけていた感情が溢れ出し、何か言おうとしてもそれは言葉にならず、嗚咽と吃逆(しゃっくり)になってしまう。

 

 アイリスちゃんは何も言わずに、そのままよしよしと頭を撫でてきた。

 

 

 

 

 勇者になりたかった。

 誰かを導けるような人になりたかった。

 だけど自分の役割は勇者の踏み台で、その為に道化を演じてきた。

 その為に人々から憎しみ(アングレシャス)を買ってきた。

 人々から希望(勇者)を奪ってきた。

 救いたい人を救わず見捨ててきた。

 その罪は決して消えない。

 だけども、目の前の少女は自分に感謝をしてくれた。

 なら、自分がしてきたことは無駄ではなかった。例え千人に恨まれようと一人に感謝されただけでも無駄ではなかったのだ。

 

 

 俺は赦されない。だけど確かに報われたんだ。

 

 

 

 暫くして治った自分は冷静になってくると女の子の胸で泣いていたということに恥を感じた。

 

「恥ずかしいところを見せちゃったね」

「全然構わないのです。寧ろどんどん見せてください。わたしは貴方よりも年上なのですからおとなのみりょくで受け止めてあげます」

「ははは、それは難しいかな。メイちゃんくらいに豊満な女性だったらこちらとしても嬉しいんだけど」

「む! 女性と二人きりの時に違う女の名前を出さないでください!」

「いたいっ」

 

 ツンツンと傷口を突く。『聖女』としての力の覚醒はまだまだでアイリスちゃんの力では傷を塞ぐので精一杯だ。俺が痛がったせいか慌てて「大丈夫ですか!?」と泣きそうな顔になるアイリスちゃんに、俺のせいだからと慰める。

 

「う〜ん、けど生きているなら生きているでこれからどうしようかな。世間的には俺はもう死んでいるって事になってるし」

「もし生きているのがバレたら袋叩きになるのです」

「そうなんだよね。なら人目につかないよう森で暮らすしかないかな」

「わたしとしては一緒に森に暮らすには大歓迎ですが…貴方は本当は何をしたいのですか?」

 じっと透き通るような目でアイリスちゃんが俺を見る。

 …まいったな。見透かされているみたいだ。

 

「俺は…人助けをしたい。でも、俺はもう『勇者』ではないし…」

 

 実は俺の中にある何かがゴッソリと抜け落ちた感覚がある。軽く技能(スキル)を使えないか試して見るがなんの力も湧かない。

 『偽りの勇者』としての役割はもう果たしたということだろう。それによって称号も職業も効力を失ったということだろう。こればっかりは教会で見ないとわからないが多分そうなんだろうと俺は確信している。だけども、同時に自分が何者でもないという不安に襲われる。

 職業がないだけでこんなにも心細いなんて。

 

 これが『名無し』。

 ユウも、こんな気持ちだったのだろうか。

 

「確かに聖剣を失った貴方はもう勇者とは言えません。けど、例え勇者にはなれなくても誰かを救う救世主(ヒーロー)にはなれますよ」

救世主(ヒーロー)か…、うん。良いね」

 

 その言葉は正に俺にとって天啓だった。

 勇者ではなくとも、人々を救う者。

 悪くない。

 そうさ何者でもないなら(・・・・・・・・)何者にでもなれる(・・・・・・・・)。なら好きな事をしよう。

 カチリと心にハマったような気がした。不安はもうない。

 

「よし! 善は急げだな。早速町に向かうとしよう」

「えっ! もう向かうのですか?」

「勿論さ、こうしている間にも魔王軍に怯える人々がいるんだ。なら休んでいる暇はないさ」

「それはそうなのですが…。まだ貴方の傷は治っていません。それに物事にはなにか言うことはないのですか?」

 

 チラチラとこちら伺う姿は初めて会った時と何も変わらない。彼女が何を求めているのか、わからない訳がない。

 苦笑し、膝をつきながら手を差し伸べた。

 

「どうか、俺と一緒に世界を救う旅に付き合ってくれないか?」

「ーーはい! 行きましょう、わたしの勇者様(・・・・・・・)!」

 

 アイリスは笑顔でその手を取った。

 

 

 

 

 

 『偽りの勇者』の物語はここで終わり。

 ここから始まるは『救世主』としての道を歩むただ一人の男の物語である。



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第1章 新たなる一歩
改名


予めここで言っておきます。
感想やメールに対しての返答は遅れますが必ず行いますのでお待ち下さい。
失礼しました。


「よし、これでもう大丈夫かな」

 

 ぐっぐっ、と何度もストレッチを行う。コキコキと固くなった関節から音が鳴り、身体が(ほぐ)される。

 あれから心機一転、他の村に向かおうとした俺だが、少し歩くだけで傷口が疼き痛くなったので元の洞窟にとんぼ返りした。

 その後アイリスちゃんが『聖女』の力で癒してくれたり、ご飯を用意してくれたりしてくれた。「身体もわたしが洗ってあげます!」と布を用意して鼻息を荒くしていたけど、それは流石に拒否した。だって…ねぇ?

 そんなこんなで大事を取って安静にしていたら、もう三日は経っていた。

 今ではこの洞窟の天井もすっかり見慣れたものだ。

 

「フォイルさん、もう動いて大丈夫なんですか?」

 

 洞窟の入り口から、きのみと蓮の葉に蜜を汲んだアイリスちゃんがやってくる。

 

「あぁ、だいぶ良くなったよ。これなら初日みたいにいきなり傷口が開くみたいなことはないと思う」

「あの時はびっくりしました…もしわたしが治さなきゃ死んでいましたよ」

「あはは、ごめんね」

「全く…ふふ、きのみを取ってきたので食べましょう」

 

 ここ数日はアイリスちゃんが外から取ってきてくれたきのみや魚を食べていた。時にはキノコも取ってきた。アイリスちゃんは森に住むエルフなので、そういった果実や毒の有無については詳しいらしい。

 

 取ってくれた食べ物はどれもこれも栄養満点で、俺は順調に体力を回復することができた。本当にアイリスちゃんには感謝しかない。

 

 魚が焼けるのを待つまでの間話していると、一つの話に俺は首を傾げた。

 

名前(・・)?」

「はいなのです。フォイルさんの名をそのまま使うのは、可能性は低いとはいえ正体がバレる恐れがあります。そうでなくとも、もし変なイチャモンをつけられたら面倒なのです」

 

 確かにアイリスちゃんの言うことにも一理ある。

 手配書に髪色と名前まで一致した人物がいたら、人は何かしら疑問を抱くだろう。それが有名人ならなおさらだ。

 

 『偽りの勇者』フォイルは死んだのだ。ならばその名は使わない方が良いだろう。

 

 …勿論、思う所がない訳ではない。親から貰った名だ。出来るなら大事にしたい。しかし背に腹はかえられないだろう。俺のワガママでユウ達に、そしてアイリスちゃんに迷惑をかけられない。

 

「確かにその通りだ。だけど、改めて名前を考えるとなるとすぐには思いつかないな…」

「はい、ですのでわたしの方で少し考えたのですがアヤメ(・・・)って言うのはどうでしょう? 」

アヤメ(・・・)?」

「はい。わたし達エルフの名は基本的に花にあやかってつけられています。わたしのアイリスもそうですし、母様と父様も金蓮花(キンレンカ)射干(シャガ)といった花の名前です。花にはそれぞれ言葉があるのですが、アヤメは『希望』という意味なので、これから沢山の人を助けようとしているならピッタリなのです」

「なるほど、アヤメか…。うん、いいね。ぴったりだ。これから俺はアヤメと名乗ることにしよう」

 

 別にフォイルの名を捨てる訳ではないが、恐らくもう名乗ることもないだろう。俺は新しい名であるアヤメを何度も何度も口にして覚える。

 アヤメ…悪くない。

 まぁ、『希望』を奪っていた俺がその意味を持つ名を持つというのは何というか皮肉(・・)な気もするけども、アイリスちゃんはきっと必死になって考えてくれたのだろう。その気持ちを無下にはしたくない。

 

「やった。やった。これでフォイルさんとわたしは親しい仲であると公言できたも同然です。他のエルフならその事に気付くかもしれませんが、エルフは引きこもり。だからこの事を知ってるのは私だけ。えへ、えへへ」

 

 ーー因みに、アヤメは植物分類上アイリスと非常に近しい存在となっている。それ故に、他のエルフに対して自分と彼はこれだけ深い仲なのだと主張できるのだ。

 仮に人間の女でアヤメと仲良くなる女性がいれば、さりげなくその事を伝えて牽制する気満々である。勿論アヤメには教えない。だって恥ずかしいから。

 自分と近しい名前ということでアイリスは笑みを堪えきれなかった。

 いつの時代も恋する乙女は計算深い。

 

「アイリスちゃん、何をボソボソと言っているんだい?」

「な、なんでもないのです!」

「そうか? ならいいけど…あとは顔かな。髪型はある程度変えられても顔が指名手配としてばら撒かれているだろうから、死んだとなっているとは言え気付く人がいないとは限らない。何処かでフード付きの服を買う必要が出てくるな」

「あ、任せるのです! こうなるだろうと思って沢山の木の仮面を夜なべ(・・・)して作ったのです!」

「えっ、そうなの? エルフってそんな事もするんだ…」

 

 マフラーみたいな物かなと思っていると、アイリスちゃんはドバドバと背負ったリュックから中身を取り出す。

 多い多い! 君は仮面屋さんか何かか!?

 

「先ずはこれです。これはもう会心の出来です。"芳香千年樹"と呼ばれるわたし達の間でも病気から身を守ってくれると言われている樹から作りました。実際何かぱわぁを感じませんか? 先進的なデザインもわたしが考えて作りました。どうでしょうか?」

 

 アイリスちゃんが自信満々に仮面を手に取る。

 一言で言うと、怖い。

 仮面はまるで鳥の嘴(ペストマスク)のように尖っていて、黒い模様は見るものを不安にさせる。

 俺はヒクつきそうになる顔を何とか抑えながら、やんわりと断る。

 

「い、いやぁ。それは俺には少し勿体無いと言うかなんというか…」

「そうですか…ならこれはどうですか? とある地方の儀式に使われるものを模倣してみた、椰子の実で作った魔除けのお面です!」

「悪魔召喚の儀式にでも使うものかい? 悪目立ちしちゃうよ」

「ならばこれ! はんにゃ!」

「寧ろ魔王軍の一員として討伐されそうだね」

「これはどうですか? 目元が完全にかくれてしまいますが、醸し出す騎士道精神は隠れきれません。例えるならばミスター・ブシドー!」

「何だか都度誰かの邪魔しそうだね」

「ならこれはどうでしょう? 私の里にあった”黒精樹”と呼ばれる精霊が宿るとも言われる木から作ったものです。名付けてラジュムの仮面です」

「すごく、呪われそう」

 

 その後も色々な仮面を被ってはこれじゃないあれじゃないと試行錯誤を繰り返す。

 しかしアイリスちゃんは幾つ仮面を作ったのやら。楽しそうだから良いけども。

 

 

 

 

「まぁ、これが一番無難かな」

 

 何度か試した後、俺は一つの仮面で落ち着いた。

 仮面は顔の右側を隠すくらいの大きさで簡素な花の模様が印された物だ。完全に隠すとそれはそれで怪しいが、これなら傷を負ったからといった理由で誤魔化せる。

 そういえば、髪色は元の赤のままで良いのかな。とはいえ今すぐ染めるとかは出来ないのだけど。

 

「むぅ、でもそれじゃアヤメさんの凛々しい顔が殆ど見えないのです」

「いやいや、他の奴は奇抜(きばつ)だったり寧ろ目立っちゃうから。アイリスちゃんには悪いけど」

 

 どうやらアイリスちゃん的には不満らしい。

 というか、顔の露出度なら最初の仮面の方が全くないと思うのだけど。

 それに余りに変な仮面だと直ぐに拘束される可能性が高い。これくらいが丁度良い。

 後は髪色は無理だけど、髪型は変えておこう。大丈夫、髪を弄るのは(・・・・・・)慣れている(・・・・・)

 

「そうですか…あとは、ハイどうぞ。エルフ直伝の特製マントです。軽い切り傷なら防ぐ程度の強度がありますよ。これも私が夜なべして作りました」

「え、そっちがあるんなら仮面はいらなかったんじゃ…」

「……」

「あぁ、ごめんよ! 別にこれがいらないってわけじゃないから! うれしいなぁ、大切にさせてもらうよ」

 

 しゅんとするアイリスちゃんに罪悪感が湧き、慌てて喜ぶ。少し大げさに喜びながらマントを着る。

 

「ありがとうアイリスちゃん。どれもこれも嬉しいよ」

「いえ、そんなっ。わたしも作っていて楽しかったですから」

 アイリスちゃんはそれを見て嬉しそうにした。何だかんだ言って、これら全てはアイリスちゃんが俺の為に用意してくれたのだ。

 ならばお礼を言わないのは失礼だ。

 

「本当にありがとう」

「あ、あぅあぅ…」

 

 顔を赤くして頭を抱え出すアイリスちゃんを見ながら俺は仕度(したく)を済ませる。

 

「さて、と。それじゃ心機一転、早速救世主としての旅に出るとしよう!」

「おー! なら任せてください。近くに村があってそこで食料や新聞を調達して来たのです。まずはそこを通って街に向かいましょう」

「そうだね。早速向かうとしよう」

 

 アイリスちゃんの提案で俺は近くの村、オーロ村に向かうことにした。

 

 

 ザッと洞窟の入り口に向かうと強い光が差し込んできた。空は晴れ模様、風も吹いて気持ち良い。

 まるでそう、詩人じゃないけど祝福してくれてるみたいだ。

 旅立ちには良い日だ。

 

 これからは勇者の時に救えなかった人々を救う。たとえそれがどんなに困難な道であろうとも。

 そんな気持ちを胸にして俺は洞窟の外へ踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 …と意気込んだ俺だが、オーロ村に入った際に早速拘束された。

 初となる救世主(ヒーロー)としての第一歩、俺は不審人物として拘束所で拘束されることになったのだった。

 

 これからは勇者の時に救えなかった人々を救う。たとえそれがどんなに困難な道であろうとも。

 そんな気持ちを胸にして俺は洞窟の外へ踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 …と意気込んだ俺だがオーロ村に入った際に早速拘束された。

 初となる救世主(ヒーロー)としての第一歩、俺は不審人物として拘束所で拘束されることになったのであった。




 フォイル改め此処からはアヤメになります。以下アヤメの解説(wikiより拝借)
 アイリスはアヤメ科アヤメ属の属称らしい。花は両性で、1個または多数の花を総状につける。花被片は6個で、3個の外花被片と3個の内花被片の形が異なる。
 因みにアヤメは日本、作中のアイリスはジャーマンアイリスを由来としており、ドイツに生えているらしいです。実はジャーマンアイリス、葉っぱがアヤメとはかなり異なります。

 因みにアヤメが咲くのは五月から。今の時期ですね。


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冷静に考えれば分かることだろうに

 『偽りの勇者』としての役割を終え、『救世主』としての道を歩み出した俺こと、アヤメ。

 現在兵士が詰め寄る詰所で事情聴取を受けていた。

 

「それで、お前はこの村に入って何をしようと企んでいたんだ? 」

「いや、待ってくれ。何でもう何かする前提なのかな? 本当に怪しいものじゃないんだ」

「何を言うか、怪しい仮面を被ってこんな辺境…自分で言うのも何だが、そんな村に冒険者でもないお前が入って来ようだなんて不審人物以外の何者でもないじゃないか」

 

 目の前の真面目そうな青年…いや、少年か? とりあえず俺よりは年下の男の子を前に、俺は弁解を続ける。

 

「本当に俺は怪しい者じゃないんだ。俺は旅人でね、身元もあのエルフ…アイリスちゃんが保障してくれる。それに俺はこれでも腕に自信がある。魔獣なら何匹も倒した事もあるんだ」

「ほー、ならその魔獣殺しさんは丸腰なのにどうするつもりだったのだ?」

 

 ぐぅの音も出ない。

 『偽りの勇者』だった俺は元々聖剣しか所持していなかった。それを失えば丸腰なのはわかりきった事だった。

 何故なら勇者と言えば聖剣の所持が必須だ。そこに他の剣を持っても聖剣には劣る。だから、聖剣以外を持っても意味がないから嵩張るのを防ぐ為にその他の武器を持たなかった。

 小さいナイフくらいならあったが、それも戦いの最中に失われた。

 

 丸腰に仮面をつけた男。少し考えれば余りにも不審者過ぎると分かっただろうに。

 救世主になろうと浮かれていたのかもしれない。知能指数が著しく低下している気がする。もう20になったというのに恥ずかしいばかりだ。そう言えばメイちゃんにはよく勝手に突っ込む癖があるとも言われていたっけな。反省しよう。

 

「なぁ、お前は何者なんだ?」

「俺か? 俺は『救世主(ヒーロー)』だよ。といってもつい最近目指し始めたんだけどね」

「…やっぱお前怪しい奴だろ」

「ちょっ!? そんな目で俺を見ないでくれるかな!? いや確かに俺の言葉はすぐ信用出来るものじゃないと思うけどさ!」

 

 どうやら完全に疑われているらしい。このままでは本当に逮捕されかねない。

 とりあえず目の前にいる青年をどう説得しようか頭を悩ませていると、詰所の扉が開かれた。

 

「やれやれ。真面目過ぎるぜ、ラティ坊(・・・・)

ラティオ(・・・・)だ! いい加減その呼び方はやめてくれ! 俺はもう『兵士』なんだから」

「おーおー、一ヶ月前になったばかりの新人がもう一人前気取りか? だからお前はラティ坊なんだよ」

 

 かっかっと笑う男性の顔は赤い。それにこの臭い…もしかして酒を飲んでいるのか? 

 彼は散々目の前の青年(ラティオというらしい)をからかった後、俺に向き直る。

 

「それであんた、確かアヤメって言ったっけか? 釈放だ、村に入って構わねぇよ」

「えっ?」

「なっ、こんな不審者を村に入れるのか!?」

「まぁ、落ち着けや。どうやらこの青年は山で死にかけていた所をあの嬢ちゃんに拾われたって話だ。その後一緒にいるってな」

 

 死にかけてたのは本当だし、拾われたのも嘘ではない。ただしだいぶ内容が脚色されているけど。

 アイリスちゃんが俺の為に作り話を話したのだろう。

 

「エルフが信頼する人種なんてそれこそ数える程だ。なら、別に入れても良いだろ。エルフの不興を買う程、お前も頭が回らない訳ないだろ?」

「それは…そうだが」

「わかったなら鍵を渡せ、ほれ」

 

 渋々ラティオくんが鍵を渡すと、中年の兵士は俺の腕にかけられた手錠を外してくれた。

 

「ありがとう、正直中々に落ちつかなかったんだ」

「まぁ、お前は犯罪者かその疑いがありますって言われてるようなものだしな。ま、こうして村に入れるんだから気にすんなよ」

「うぐぐ…」

 

 話していると突然、ラティオくんが立ち上がって俺を指指してきた。

 

「…僕は認めた訳じゃないからな! 何か起こしたら真っ先にお前を捕まえてやる!」

「責任感が強いんだね。大丈夫だよ、俺はこの村に害を及ぼす気はない」

「その言葉信じるぞっと。ほれ、お前さんの荷物だ」

「あぁ、ありがとう。それじゃお世話になりました」

「絶対! 認めてないからな!」

 

 男性から荷物を受け取り、ラティオくんの言葉を背に受けながら俺は詰所から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、やっと来たのです」

「ごめん、待たせた」

 

 詰所から出た後、木の幹に背を預けていたアイリスちゃんが俺を見つけて近寄って来る。

 

「アヤメさん、災難でしたね」

「全くだよ。まぁ、今回のは俺の不注意から生じたことから彼らを恨むことはないんだけどね」

 

 彼らは自らの職務を(まっと)うしただけだ。そこを責めるつもりなんて毛頭ない。寧ろよく解放してくれたもんだと思う。

 

「そうだアイリスちゃん、あの男性が俺を解放してくれたんだけど何をしたんだい? 正直あの話だけで疑いが晴れるとは思えないんだけど」

「それでしたら素直に事情を話したのと、薬をあげたら釈放してくれたのです」

「薬? 袖の下を通したって事かい?」

「正当な取引なのです。彼は二日酔いに悩んでいたらしいので。決していかがわしいことではないのです」

 

 それを袖の下を通したっていうんだけだなぁ。だけどここでごちゃごちゃ言っても折角助けてくれたアイリスちゃんに悪いし、それに助かったのも事実だ。素直にありがとうと言っておく。

 

「しかし、武器かぁ」

「どうしたのですか?」

「いや詰所の兵士…ラティオくんだっけ? 彼に武器も無いのに何をするつもりだったんだって指摘されてね。確かに今の俺は丸腰なんだよ。元々は聖剣以外にも小さなナイフとかは持っていたけど、その殆どをユウが来るまでの戦いで消費してしまったんだ。だから何か武器になる物が欲しいんだけど、そもそもお金が無いんだよね」

「大丈夫です。この日の為に色んな街町村を渡り歩いて、薬草と交換でお金は稼いできたのです。剣の一本や二本くらい私が買ってあげるのです!」

 

 アイリスちゃんが自信満々に胸を張る。

 俺の傷もアイリスちゃんが塞いでくれたし、さっきの牢から解放されたのもアイリスちゃんのお陰だ。

 

 …あれ、これ俺アイリスちゃんのヒモじゃないか? 

 やめよう、考えたら悲しくなってきた。

 というか、逆にアイリスちゃんが逞しすぎる。どれだけ前から計画していたのだろうか。

 

「とりあえずあの酔っ払いのおじさんから聞き出したこの村の情報で、唯一の鍛冶屋に行くのです。そこでアヤメさんの武器を見繕いましょう」

「お手数かけるね…」

「えへへ、もっとわたしを頼って良いのですよ?」

「この借りは必ず返すよ」

「むぅ、そこはわたしに抱きついて甘える所ですよ」

 

 見た目少女の子に甘えるのは何というか気恥ずかしい。俺はあいまいに笑っておいた。

 

 

 

 村唯一の鍛冶屋は、鍛冶屋らしい無骨な感じの建物だった。何度か叩き立て付けの悪い扉を開ける。

 中は閑散としているけど様々な武具があった。何本かの剣が棚に飾らせているが、その剣も埃が被っている。中には乱雑に樽の中に入れられているのもあった。

 王都で見た武具に比べると大きく劣る。しかしそれは比べる対象が悪すぎるだろう。

「余り質が良さそうとは思えないのです」

「こらこら、そういうのは口に出してはいけないよ。それより店主が見当たらないな…何処にいるんだろう?」

 

 店内を見回すも、それらしき人物は見当たらない。

 大声で呼びかけると店内の奥からゴソゴソと物音がした。

 

「何だ? 客か? ったく、こっちは寝てたってのに」

 

 欠伸をし、腹をかきながら来たのは頭にタオルを巻いた髭の濃い男性だった。

 

「こんばんは、お邪魔させてもらっているよ」

「客か? こんな所にくるなんて珍しいな。ようこそ村一番の鍛冶屋へっと」

「村一番って此処しか鍛冶屋がないからじゃないですか」

「おうよ、だから俺が一番なのさ…って、ん? 耳が長い…まさか、エルフか!?」

「そうです! わかったら恐れおののき、わたしに剣を献上するのです!」

「こらこら。すまないね、連れがこんな事を言って」

「いや、子どもの戯言だ。かまわねぇよ。しかし、まさかこんな辺鄙な所でエルフにお目にかかれるとはなぁ。人生何があるかわからんもんだな」

 しげしげと男性はアイリスちゃんを観察する。

「やはり、わたしたちエルフを見るのは珍しいですか? 」

「そりゃそうさ、このオーロ村は辺境に位置する村だからな。訪れる人も少ないし、ましてやエルフなんぞに会えるとは思わねぇよ」

「辺境…だから余り質が良さそうじゃないのですね」

「こら、アイリスちゃん」

「いいってことよ。事実だしな。この村じゃ当然手に入る素材も限られる。その素材だって行商人も最近はあまり来ない(・・・・・・・・・)から手に入らん。お陰で、鍛冶屋とは名ばかりで村中の包丁を研いでるのが俺の現状だ」

「それはまた…失礼だとは思うけど研ぎ師に改名した方が良いんじゃないか?」

「全くだ。名乗ってなかったな。俺はファッブロだ。宜しく頼むぜ(あん)ちゃん」

「よろしく。俺はアヤメ。こっちはアイリスちゃんだ」

 

 差し出された手を握り返すとファッブロは頷く。

 ファッブロの手は職人らしいゴツゴツした手だった。

 

「さっき行商人しか来ないって言ってたけど、他に旅人とかも来ないのかい?」

「旅人もなぁ。こんな村に来るくらいなら他の町を通って国の方に向かうさ。国の役人も年に一度に税の回収くらいにしか来ないし、付近には俺たちの村しかないからなぁ。あ、でもこの間珍しく役人と兵士が来たな」

「それは?」

「あぁ、この前何でも『勇者』の名を騙る奴が現れたとかの手配で国からの使者が来た。まぁ、こんな所に来ないだろうとだれも深く見なかったけどな。どうやら捕まったらしいが、その後どうなったかは知らん」

 

 すいません、それ俺のことです。

 アイリスちゃんもじっと気まずそうに俺を見てくる。

 

「話が逸れたな。とりあえず客だって言うんなら見繕ってやる。それで何か希望はあるか?」

「そうだね…なら剣を見させてくれないか?」

「ん? 鎧とかはいらねぇのか。見た所兄ちゃんにはその手の防具がないように見えるが」

「手甲とかあれば欲しいけど、とりあえず今は武器が欲しいんだ。見ての通り丸腰でね。剣は持っていたけど諸事情で失ってしまったんだ」

「破損か紛失かは知らないが、まぁそう言うことなら仕方ないな。ちっと待ってな」

 

 ファッブロはガサガサと樽の中にあった剣をいくつか取り出して並べる。短剣から始まりバスタードソード、ロングソード、クレイモア、レイピア、中には大剣(グレートソード)もあった。

 

「剣を所望って事は兄ちゃんは『剣士』なんだろ? 兄ちゃんの体格で使えそうなもんを選んでみたがどうだ? 」

「そうだね…うん、これが良いかな」

 

 俺は無骨な、装飾品の無い剣を取る。

 大きさは1メートル40センチほどのロングソードだ。

 質という点ではもう少し良いのがあったが、これが一番形と重みが聖剣とほぼ同じだ。これなら違和感なく扱える。

 

「アヤメさんそれにするんですか?」

「うん、出来ればそうしたいんだけど…。一応切れ味を見たいんだけど、何か試し切りとかは出来るかな?」

「それならそこの机に乗ってる木なら切っても構わねぇよ。切れた木は(まき)にするからな」

「はははっ、次いでにこっちを働かせようとは(したた)かだね。というかそんな所に置いていいのか? もし机まで斬れてしまったらどうするんだ?」

「安心しろ。その剣は頑丈さに重きを置いてつくっていたから余程の腕前じゃなきゃ、薪斬る途中で途中で止まるからよ」

「む、アヤメさんは凄いんですよ! 今まで色んな魔獣を倒して来たんですから!」

「あー、わかったわかった。それじゃ、兄ちゃんよ。さっさと試してみてくれよ。あ、言っとくが技能(スキル)は使うなよ」

「あぁ、わかった」

 

 技能(スキル)を使うなって忠告にそもそも使えないんだけどね、と内心苦笑しながら俺は剣を両手に構えた。

 

 

 

 

 瞬間、アヤメの空気が変わる(・・・・・・・・・・)

 

(こいつ…雰囲気が)

 

 ファッブロも雰囲気の変化に気づく。ファッブロはアヤメが真っ直ぐ研ぎ澄まれた綺麗な刀のように思えた。

 

 

 

 

 俺は手の平にある柄の感覚を繊細に感じながら目を閉じた。

 

 勇者の象徴である聖剣。

 人の与えられる『職業』。

 誰しもが持つ技能(スキル)

 …そして『称号』。

 

 俺はそのいずれも失った。

 勇者専用の【聖剣顕現】【加速】から始まり『剣士』や『戦士』の技能(スキル)も一切使用できなくなった。

 

 これが俺が『偽りの勇者』でなくなったとき以来の初めて振るう剣だ。

 正真正銘の俺の実力を示す最初の一振り。技能(スキル)に頼らない俺自身の一振りだ。

 だから少しばかり本気で俺は剣を振るった。

 

 ーー瞬間薪どころか机まで真っ二つになり意図も容易く地面まで斬り込んだ。

 

「いっ!? 」

「すごいですアヤメさん! 」

「…おいおいマジか」

 

 ありえない結果に俺は思わず目を見開いた。

 

「馬鹿な、こんな風になったことなんて一度も」

 

 唖然と剣と握る手を見比べる。

 剣は変わらず鈍い光を発するだけだ。

 

 

 

 

 

 ーー確かにアヤメは『偽りの勇者』として女神より与えられた役割を果たした。

 それを終えた今、全ての技能(スキル)も使う事は出来なくなった。

 

 だが一つ思い出して貰いたい。

 彼は実力の低下した状態で八戦将の三人と戦い、敗北すれども生き残ったのだ。それ以前に魔物や魔族とも苦戦をすれど、全て討伐してきたのだ。

 それは謂わば『農民』が木の棒片手に魔獣に挑むなどに近い。そしていずれも討伐に成功しているのだ。

 そんな事を出来る人が果たして他にいるだろうか?

 

 アヤメは聖剣が鈍く重くなるにつれ、技術でそれをカバーするようになっていった。それはスキル(・・・)ではなく、アヤメ自らが生み出した()だ。勿論聖剣所持時の最盛期には劣るも、勇者としての強さの格を保つ程度には充分な強さだった。

 

 アヤメは確かに勇者足り得る力を持っていたのだ。

 しかしそれでも、それは聖剣という()を嵌められた状態での話だ。今のアヤメには聖剣がない。しかし聖剣があれば強くなるということでもない。

 

 アヤメは聖剣を喪った。

 結果、アヤメは呪縛(しゅくふく)から解き放たれ自身の力を遺憾なく発揮出来るようになった。

 

 幾多の強敵の死闘。

 ままならない身体に鞭を打ち、それでも勝利してきた技量。

 磨かれてきた卓越した技術。

 それらの経験は決して無くなることはなく、彼の身体に染み付いている。

 

 そう、既に(アヤメ)は技能のない剣士としての強さが最高峰と言って良いほどに成長していたのだ!

 

 

 

 

 余りにもアッサリと切れた事で唖然としていた俺だが、ハッとしてすぐさま頭を下げた。

 

「すまない! まさか薪どころか机も真っ二つにしてしまうなんて! 更には余波で店内にも被害が出てしまった」

「あぁ、いや。試し斬りして良いといったのはこっちだからな…」

「だとしてもだ。加減出来ずに店をめちゃくちゃにしたのは明らかにこちらの失態だ。弁償の金…は今はないが必ず返済する」

「アヤメさん、お金ならわたしが」

「アイリスちゃん、これは俺の過失(・・・・)だ。だから俺自身が償わなければならない。他の人の手を借りては駄目なんだ」

 

 自らの過失なのにアイリスちゃんがそれを払うのはお門違いだ。筋は通さねばならない。

 ファッブロは少し見直したように俺を見る。

 

「成る程な。初めは女に金をたかる怪しい奴だと思ったが、なかなかどうして怪しいがまともらしいな。怪しいが」

「あはは…二度も言わなくていいだろ? 」

 

 苦笑いで肩をすくめる。

 ファッブロは違いないと豪快に笑う。

 

「兄ちゃんよ、その剣も机の事も金はいらねぇ。その代わり、一つ頼まれごとを聞いちゃくれないか」

 

 不敵に悪うファッブロは、その人相に似合う悪人顔だった。

 



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森の金白狼を討伐せよ

 ザッザッと森林特有の落ち葉を踏みしめながら俺たちは歩く。森を歩くのは既に慣れたもので、その足取りに迷いはない。

 

「森から出たと思ったらまた森にとんぼ返りなんてつくづく森に縁があるらしい」

 

 あの後ファッブロから頼まれた内容は人里に現れる魔獣の討伐。

 ファッブロが語っていた「行商人があまり来ない」…それはどうやらこの森に住むとある魔獣の所為らしい。行商人が襲われ、命からがら逃げ出したものの馬と私財を失ってしまった。そんな噂が広がったせいで唯でさえ来ないのにより訪れる人が減ってしまったらしい。

 

 それが起きるようになったのは最近で、前に国からの使者が来た後なので村の方でも新たに要請こそしているが死人が出ているという訳でないので緊急性が低いと言うことで後回しになっているらしい。

 

「確かに折角村に来たのにこれでは意味がありませんね。嫌なら断ればよかったのでは?」

「いいや、そんな訳にはいかない。村の人達はこの森に住む例の魔獣の所為で外からの物資がなくて困っている。これも人を救う為さ」

「借金を返す為なのでは?」

「それは言わないでくれるかな…」

 

 痛い所をグリグリと突いてくるアイリスちゃん。この子、意外と容赦ないな。

 

「真面目にしろよ。遠足じゃないんだぞ」

 

 そんな様子に苦言をする声が後ろから聞こえた。

 誰であろう、そうあの詰所で俺を事情聴取したラティオくんだ。

 

「いや、あまり気を張り詰め過ぎてもね。それよりなんで君はついて来たの?」

「決まっている。お前の監視だ。何か村に対して害を及ぼさないかのな」

「ファッブロさんから頼まれたって言っただろう?」

「だとしてもだ! お前が怪しいのに変わりない! だから見張る。それだけだ」

 

 肩をすくめて語るもラティオくんは警戒を解かない。

 閉鎖した所では余所者に対して厳しいというが彼の場合村を守るという意識が強過ぎるのだろう。

 それ自体は好ましいけど、ずっと見張られるというのも中々落ち着かないな。

 

「そんなに言うなら貴方が行けば良いのです。そもそも貴方の村の問題なのです。貴方も村を守る『兵士』ならそれくらい出来るのでは?」

「…そうしようと思ったけど他の兵士達に止められた。お前じゃ無理だって」

「あぁ〜」

「あぁ〜、とはなんだ!」

「まぁまぁ、落ちついて。あんまり騒ぐと他の魔獣が寄ってくるかもしれない」

 

  アイリスちゃんの納得したような頷きに憤るラティオくんを宥める。魔獣と聞いてラティオくんの顔が強張る。

 何だかんだ言っても魔獣は怖いのだろう。話を聞くに『兵士』になったのも最近らしいし。

 そんな風に思いながら歩いているとふと、俺は思った。

 

「しかし魔獣(・・)か…」

「どうしました? 」

「いや、昔君に会った時を思い出してね。魔獣(・・)魔物(・・)も、どちらも人を襲うのには変わりないが魔物の時とは違って直ぐに国でも人が派遣されないから、こうも対応が違うのかと思ってね」

 

 魔獣も魔物もどちらも人を襲う。

 しかし魔物は直ぐに国が動くのに対して魔獣はそうではない。確かに村や町が無くなるような強力な魔獣や魔獣の侵攻(パレード)の時には動くけど、それくらいだ。

 いや、確か魔獣に対しては確かお金を払えば討伐してくれる組織(・・)があったような気がする。なんと言ったかな…。

 

「確かにそうですね。でもそれには理由があるのです。そもそも人の一部は魔獣も魔王軍の手先だなんて言いますが全く違うのです」

「そうなのかい? あぁ、でもそこら辺は習ったな。体の構造から違うって」

「はいなのです。魔獣はそもそもが生きる獣(・・・・)魔力(・・)を持って変質したもの。だからこそ、魔物と違い明確に人を襲う意図があるとは言えません。彼らも生きる為に襲うのですから、彼らからすれば悪意(・・)から襲うわけではないのです。そこが魔物とは異なるのです。勿論直接的に被害が出たらその限りではありませんけど」

「へぇ…人の生活を害するからと魔獣を倒してきた俺には耳が痛い話だよ」

「エルフは長生きですから、魔族が生まれる前の事も知っているのです。更にわたしは博識なのです。里でもよくそんな事知ってるねと近所のお兄さんに褒められました!」

「そういえば、流石の魔王軍もエルフのいる地域はなるべく避けているって聞いたね。なるほど、向こうもエルフの強さを身をもって知っている訳なんだね」

「ふっふっふー、わたしにかかれば例のはっせんしょー(・・・・・・・)だがなんだか知りませんが魔王軍の幹部なんてお茶の子さいさいです」

「それはどうだろうか」

 

 確かにエルフは多彩だ。アイリスちゃんを見てるとそう思う。更にはエルフには様々な逸話がある。曰く一晩で街を生命の宿らない砂漠に変え、逆に何もない荒野を緑溢れる土地にしたとか。内容だけでも真逆だがそれだけのことをなせるのがエルフだ。

 だがそれを上回る能力を持っているのが魔王軍である魔物ひいては魔族だ。

 魔王軍の中で特にやばいのがあのベシュトレーベンだ。奴は山を拳一つで消し飛ばすほどの力を持っていた。もしあれが人の密集地で使われれば一体どれほどの被害が出てしまうだろうか。

 

 他の八戦将も俺の知る限り人類に被害を与えている。

 結局俺は『爆風』しか倒せず、他の八戦将については余り知らない。ベシュトレーベンと『氷霧』と『迅雷』、あとは名を知っているのは『獄炎』だけだ。八戦将の半分くらいは未だ不明なのだ。

 俺にもっと力があれば、あの時三人の内一人を討ち取れただろうか。

 

(いや…)

 

 やめよう、魔王軍と戦う事ばかりを考えてしまうのは『偽りの勇者』だった頃の悪い癖だ。今の俺はもう勇者ではないんだ。後のことはユウとメイちゃんに任せよう。俺は二人とは別の道で人を救う。

 

「さっきから話ばかりしていて真面目に探索する気あるのか?」

「あるよ、すごいある。まぁ、そんなに目くじら立てなくてもちゃんとするさ」

「どうだかな…。さっきの魔物を倒したとかのも嘘なんだろ?」

「嘘とはなんですか! アヤメさんは本当にむぐっ」

「はい、アイリスちゃん。俺の為に怒ってくれるのは嬉しいけど少し静かにしておこうか? 話が進まないからね?」

 

 このままではまた喧嘩になりそうだと思った俺はアイリスちゃんの口を塞ぐ。

 ふぅ、これで先に進めそうだ。

 

「おい、なんかその娘嬉しそうだぞ」

「えっ」

「むふふ〜」

 

 

 

 

 

 その後、予定の場所に着き周囲を探索する俺たち。

 やはりというべきか目的の痕跡(・・)はあった。

 

「アヤメさん此処にもありましたよ」

「本当だ。さっきのと同じ足跡だね」

「乾き具合からここを通ったのは最近です。それに足跡の多さから頻繁に訪れているのは間違いありません」

「そうか…」

 

 アイリスちゃんの話を聞いて俺は決めた。

 

「うん、ここで良いかな」

「なんだ? やっと魔獣を探しをするのか?」

「いや、そうじゃないさ。今日はここで野宿する」

「…は?」

 

 ラティオくんが初めて少年らしいあどけない表情をした。

 

 

 

 

「アイリスちゃん、胡椒あるかな」

「ありますよ、はいどうぞ」

「ありがとう。焼いただけじゃ味気ないからね」

 

 俺は焚き火から焼けたウサギ肉に胡椒をかけてかぶりつく。うん、味はあっさりしているけどその分胡椒の味によって引き立てられて、とても美味しい。

 潤んだ兎の瞳に若干罪悪感が宿った俺だけど、横からアイリスちゃんが短剣で首を鮮やかに掻っ切った。

 曰く『森の中で何度も狩ったことがあるので何も思わない』とのこと。エルフって怖い。そしてアイリスちゃんほんとに容赦ない。

 

「…なぁ、こんな悠長に飯食っててよいのかよ」

「なんだい、ラティオくんもお腹が空いたか? ほら、此処とか美味しそうだよ食べてみるかい?」

「い、いらねぇよ! 僕には保存食があるからな!」

「保存食なんかよりも焼き立ての方が美味しいと思うけどなぁ」

 

 兎肉は癖がないからこそ、サクサク食べられる。狸とかはちょっと癖が強くて俺は苦手だ。

 

 不意に風の音に紛れてガサリと静寂の中で微かに音が聞こえた。

 …来たか。

 

「ふんっ、魔獣を倒すとかいってこんな所で飯を食べて…結局倒す気はないのかよ」

「別にサボっている訳じゃないさ」

「何だと?」

「相手は魔獣。前に行商人が襲われた途中にあった足跡。それと同じ足跡が此処には沢山あったんだ。足跡が新しいのと古いのがあるから此処はそいつが頻繁に訪れる場所。俺たちは今、縄張りに入っている可能性が極めて高い。つまりこんな夜に焚き火を焚いて、かつ肉を焼いている俺らは格好の的という訳さ」

 

 言うや否や暗闇の茂みから闇からの気配を消した一撃がラティオくんに向かって穿たれる。俺はすぐさま動き、彼をかっ切ろうとした相手の爪を剣で防いだ。

 

「ま、こんな風に」

「ひぃっ!? わ、たたたた」

「下がって。アイリスちゃんも」

 

 そう告げる俺だがラティオくんは腰が抜けたのか動きが遅い。それを見たアイリスちゃんがやれやれとため息を吐く。

 

「やれやれ、世話がやけるのです…【森の母よ、森の同胞よ、森の精霊よ。私たちをその手で、心で、思いで守ってください、樹木の護り(プロテクトツリー)】」

 

 ザワザワと足元から木の根っこが現れ、根っこと枝が二人を包み込むように纏まっていく。

 何だあれは? 魔法か? いや、今はそんなこと気にしている暇はないな。

 

「アヤメさん、こっちの生意気坊主はわたしが守っておくので安心してください」

「わかった。…なるほど、納得の大きさだよ。それだけあれば馬も殺せるだろうな」

<グォオォォォン…! >

 

 炎で照らされて姿が露わになったのは黒い体毛に金と白の模様が入った狼。

 大きい。7メートルはあるだろうか。

 どうやら身体中に最近できた()ある。縄張り争いにでも敗れたのだろう。

 それ抜きにしても立派な体躯の魔獣は、金白狼とも言える程に美しくて強力な狼だった。

 

 ずっと剣で抑え込んでいる今も尋常でない力で押し込んでくる。

 俺は渾身の力を込めて爪を弾き飛ばし斬ろうとするも、金狼は容易くそれをかわした。今も不用意に近づこうとせず此方を睨んで伺っている。

 

「なるほど、不用意に近づかないという訳か。…念の為やってみるかな!」

 

 試しに()き火を蹴って火のついた薪を当ててみる。

 予想はしていたけど全く火を怖がっていない。まぁ、これは予想出来ていたことだ。

 ()き火を挟むように俺と金白狼は対峙する。

 

<ガルゥゥガッ!!>

「おっと」

 

 激昂したのか焚き火を乗り越え凄まじい速さで爪を立てる金白狼。それを俺は見切り背後に跳んで躱すと、次はその鋭利な牙が並ぶ大口を開けて喰らおうとしてきた。

 今だ!

 

「そらっ!」

<キャゥンッ!? が、ガァッガァッ!>

 

 鼻の間近でアイリスちゃんから貰った胡椒をばら撒く。勿論俺は嗅がないように気をつける。嗅いでしまった金白狼は大きくクシャミをする。

 その隙を俺は見逃さない。すぐさま剣を振るい、首を掻っ切る。

 

<ガァッ! グ、ググォン……クォォ………ン…>

 

 金白狼は避けようとしたが足の怪我(・・・・)が原因で避けれなかった。

 最後に何かを案じるような、か細い声をあげて金白狼は倒れた。

 

「あんな化け物を一瞬で…」

「アヤメさん! 胡椒をそんな勿体ない使い方しないでください! 勿体ないです!」

 

 驚くラティオくんに、怒るアイリスちゃん。

 俺はごめんとアイリスちゃんに謝る。

 

「奴の隙をつくにはこれしかなかったんだ。下手に手負いで逃してしまうとまた被害が出てしまう可能性があったから。一瞬で仕留める必要があった。でもこれで頼まれた事は達成できたかな…。……」

「どうしたのですか?」

「いや…さっきの動きから、どうにもこの個体は予め傷を負っていたんだよね。額の傷も、脚の怪我も。特に足の怪我のせいで俺の剣を躱すことができなかったようだし」

「こ、こんな化け物に傷を負わせる奴がいるのかよ」

「いや、あくまでも主観だよ。ただの縄張り争いか、不注意で怪我をしたのか。それ以前の古傷が痛んだ可能性もあるし。だがそれよりも、この狼、何か別の事に気を取られていたというか…」

<カァァァウッッ!!>

 

 別の鳴き声が聞こえ、すぐに俺は声の元に剣を向ける。だが現れたのが予想と違い困惑する。

 

「っ! 子ども…か?」

 

 そう、子どもだった。

 あの金白狼と大きさは比較するまでもない子どもだったのだ。目の前の子ども…子狼は俺を睨んでいたけど親の姿を見て一目散に駆け寄り悲痛な声をあげる。

 あぁ、わかるとも。子狼は俺が殺した金白狼の子どもだ。俺は一歩近づく。

 

「君の親は俺が殺した。その事実は変わらないし、その事に対して俺は謝罪しないよ」

<ガウゥゥ…!>

「君を逃せば恨みから人を襲うかもしれない。だから、遺恨を残さないために君を殺す」

 

 これは必要な処置だった。兎とは違い、狼は村を襲う。この子狼がこの後成長出来るとは限らないが、成長したら必ずあの村の脅威となるだろう。

 だからこそ後顧の憂いを断つ必要があった。懸命に睨む子狼に、せめて苦しまないようにしようと剣を握りしめると

 

「アヤメさん、待ってください」

 

 俺の袖をアイリスちゃんが掴んだ。

 

「アイリスちゃん?」

「確かにこの親狼は人に危害を加えました。それは人の世で生きていくならば許されないことです。でもあの子は違います。まだ大丈夫です。やり直せるのです」

「だが此処で放っておいても恨みを抱くだけじゃないかい?」

「そうならないようにわたしが育てます。それにあれは良いもふもふになるのです」

「…もふもふ?」

「はい、もっふもふです」

 

 キラキラした目でこちらを見上げる。

 いや、そんなこと言われても。

 

「アイリスちゃん、確かに今はこの子狼が人を傷つけないと思っても成長すれば人への恨みから傷つけない保障はないんだよ?」

「大丈夫です、ちゃんと育てますから」

「そんな犬猫じゃないんだから」

「犬ですよ。ですよね、ジャママちゃん」

「もう名前もつけちゃってるよ」

 

 物怖じせずに近付くアイリスちゃんに子狼は唸りを上げる。俺は一応いつでも剣を抜ける態勢を整えておく。

 

「貴方が親を喪って悲しいのはわかります。不安なのですよね。でも、大丈夫ですよ。貴方は一人じゃないです。これからはわたしが一緒に居てあげます。貴方の親を奪ってしまった事についてはわたしは謝る事はできません。彼女もまた生きるために人に危害を加えたのですから。だけど、貴方はまだ大丈夫です。貴方がちゃんと立派な大人になれるまでわたしが面倒を見ます。親を殺した相手の言うことなんて信じられないかもしれません。けど、信じてくれませんか?」

 

 真摯と慈愛の表情で構うアイリスちゃんにジャママと名付けられた子狼は困惑しながらもそれを受け入れていった。

 

 …仕方ないか。

 その様子を見て俺は剣を下ろす。

 まぁ、仕方ないかと思う俺はやっぱり甘いのだろうか。

 

「ま、待てよ! そ、そんな危険な魔獣の子ども。村に入れられる訳ないだろ! 誰か死んだらどうするんだ!」

「あなたこんなちっちゃい子が人一人殺せると思っているのですか?」

「そ、それは…だがっ!」

<ガァウッ!>

「ひいっ! へぶっ、あがっ!」

「あっ」

 

 ジャママに吠えられ後ずさったラティオくんが足元の根っこに引っかかって後頭部から頭を直撃した。

 

「あらら、完全に気絶しているよ」

「情けないです。さっきも腰を抜かしていましたし」

「辛辣だね…」

「事実なのです」

 

 この後俺は気を失ったラティオくんを背負い、一度村へと戻りラティオくんとアイリスちゃんを戻した後再びあの金白狼の死体を取りに戻った。

 血抜きをしても尚、金白狼は正直かなり重くてもっと体を鍛えようと決意した。

 



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サービス回と不穏な影

 

「まさか本当に討伐するとは…」

 

 開口一番ファッブロはあんぐりと口を開けて目の前に横たわる金白狼を見ていた。

 あの後俺は討伐した金白狼を見せるため寝ていたファッブロを叩き起こして、裏手にある解体場に案内した。ファッブロは文句言ってたが放置する訳にもいかないから許して欲しい。

 そしてその際の一言がこれだ。

 

「いや、頼んでおいてそれはないだろう? 」

「確かに兄ちゃんの腕ならもしかしてとは思ったさ。だがこうも容易く討伐するとは…」

「容易くは無かったさ。もしこの個体が万全の状態なら今の俺の武器じゃちょっと厳しかった。倒せたのは隙をつけたのと、予めこの個体が弱っていたおかげだ」

「…確かに色んなところに傷があるな。首の傷は兄ちゃんの剣だと分かるがそれ以外のこれは剣じゃなくて、鉤爪(・・)のようなものの傷痕だ」

 そっと毛皮に触れるファッブロは一体何で傷ついていたかわかるようだった。

「流石に何の魔獣によって傷つけられたかは知らんが、まぁ大方縄張り争いか何かがあったのだろう」

「俺もそう思うよ。それとその狼だが、実は子どもがいたんだ。今はアイリスちゃんが一緒にいてどうも飼うって聞かなくてね…」

「何? 危険性はないのか?」

「今は子どもだからね。人の幼子ならキケンだが、大人なら殺されることはないだろう」

「そうかもしれんが…」

「それにもしジャママが人を襲うように成長したら…俺が殺す」

 

 そこだけは譲れない。

 もし仮に見逃して逃げ出したあの狼が人を襲うようになれば無関係の人が傷つく事になる。

 同じ惨劇を繰り返す気はないから。

 

「ま、そこまで言うなら俺はもう何も言わねぇよ。そもそも魔獣を討伐した後の権利はお前さんにあるしな」

「信じてくれるのか?」

「男が自らのケツをぬぐうって語ってんだ。なら余計な事を言うのはヤボってものよ」

「すまない、感謝するよ」

「気にすんな。それでコイツだがどうする? なんなら、防具も作ってやるぞ?」

「それは有難い。けど、遠慮するよ。ジャママの親の素材で作った防具を俺が着ていたらきっとジャママは親の事を思い出してつらい思いをすると思うから」

「あぁ、そうだな。そうかもしれない。こっちも少しばかり無神経なこと言っちまったな。すまねぇ、兄ちゃん」

「こっちこそ、折角の好意をすまない」

「良いってことよ。なら明日にでも村長に話して金にでも変えておこう」

「良いのか? 元々ファッブロの店を滅茶苦茶にしてしまった詫びのつもりだったんだが」

「この魔獣には村全体が悩まされていた。なら兄ちゃんは俺たちの村の恩人さ。金だって出るだろう。最もあんまりこの村にはないんだけどな…」

「そんな大金を求める気もないよ。それじゃ俺は一旦宿に戻るよ。もしもはないと思うけどアイリスちゃんも心配だ」

「へーへー、本当にお(にい)ちゃんだな」

「ははっ、揶揄(からか)わないでくれ。それじゃまた明日」

 

 それだけ行って俺はファッブロと別れた。

 この村唯一の宿に戻ると朝用の料理を仕込んでいた女将さんが挨拶してくれる。

 

「お帰り、あんたの連れなら二階の奥の部屋だよ」

「あぁ、ありがとう女将さん」

 

 女将さんに言われ上がっていくと廊下の奥からドタドタと何やら走る音が聞こえてきた。

「待って〜! 待つです!」

「あぁ、アイリスちゃ…いっ!?」

 

 とてとてと走ってくるアイリスちゃん。

 一糸纏わぬ姿から見える肌は瑞々しく、張りがある。

 少し濡れた髪は年不相応な色気と艶があった。

 

 

 そんなアイリスちゃんは全裸。そう全裸なのだ。

 

「捕まえたです! もー、勝手に逃げ出して!」

<キャゥンッキャゥンッ>

「いやがっちゃ駄目です。ジャママは汚れていますから綺麗にしなきゃいけないのです。エルフ秘伝の樹脂石鹸! これを使えばお肌ツルツル、髪の毛しっとりになるのです! …あれ、アヤメさん?」

 

 アイリスちゃんがこちらに気付く。

 まずい。一度だけメイちゃんの裸を見たことあるがその時は叫ばれ、部屋に閉じこもってしまった。その後、罰として顎に一撃食らわされて朝まで気絶していた。ユウが介抱してくれなかったら俺は情けない姿を路地に晒していただろう。

 女子にとって裸を見られるというのはそれだけ嫌ということなのだ。

 案の定、アイリスちゃんもそのままとことこと(・・・・・)近寄って(・・・・)…いや、待て!?

 

「おかえりなさい、アヤメさん。どうでしたか?」

「いや、待ってなんでそんなに冷静なの!?」

「何がですか?」

「だって、アイリスちゃんは、ははは裸じゃないか」

「あぁ、その事ですか。ふふふ、アヤメさんは初心ですね。わたしはアヤメさんになら見られても良いですよ。何故ならからだはぱぁふぇくと! 何処も恥じる要素などないのです! びゅぅてぃふる!」

 

 ドヤァと薄い胸を張るアイリスちゃん。その身体は確かに線が細く肌もきめ細かい。金髪も相俟って西洋人形のようだ。

 だがその姿は大人の魅力とは程遠く、身体は凹凸がなく、お腹もイカ腹と呼ばれる幼児腹だ。

 

「確かに君の容姿は可愛いかもしれないっ。誇れるだろう。けどだからといってそのままの姿でいるのは些か以上に不味いから! 世間的にも俺が犯罪者になっちゃうから」

「えぇ〜…、あ、ならアヤメさんも一緒に水浴びを」

「入らないから!」

 

 グイグイとアイリスちゃんの背中を押して部屋に入れた後バタンと扉を閉める。そのままずるずるとドアを背に座り込んだ。

 そのまま俺は片手で仮面のない方の頭を覆う。

 

「もしかしてエルフって貞操観念が低いのか…? いや、貞淑さが何より求められるって聞いた事も…ならアイリスちゃんのあれは一体…まさかそんな性癖という訳じゃ、いやしかし」

 

 真面目にアイリスちゃんの情操教育を考える俺だった。

 

 

 

 

 

 あの後「もう入って良いですよ」という言葉に若干警戒しながら入った俺だが、アイリスちゃんはキチンと寝る為の洋服に着替えていてホッとした。 

 

「ふわぁぁ、やわらか〜い」

<カゥゥ>

 

 暫くしてアイリスちゃんは恍惚とした表情で乾いたジャママの毛並みを堪能していた。

 満更でもないのかジャママも気持ちよさそうに目を細めている。

 

「むふふ、もふもふです。もっふもふのもっふもふ〜

「そんなにか?」

 

 何度も顔を埋めたり、撫で回し恍惚とした表情を浮かべるアイリスちゃんに好奇心をくすぐられ、思わず手を伸ばし触れようとする。

<ガァゥッ!>

 だが、ジャママは俺の手を自らの手で弾いた。おまけに野生全開で睨まれる。

 

「やれやれ、つれないよ」

「しょうがないのです。アヤメさんはジャママの親の直接的な仇ですから。…この子も言われた事自体は納得はしているのです。でも、言い方が悪いです」

「事実は事実だからね。俺はもう嘘をついたりする気はないから」

 

 嘘ばかりをついてきたんだ。だからもう嘘はつきたくない。

 少しばかり自嘲気味に笑う。

 

 アイリスちゃんは、そんな俺の様子をじっと見つめた後立ち上がる。

 

「しょうがないのです。ジャママは毛並みを触らせるのが嫌だと言うので代わりにわたしの髪を触らせてあげます」

「え、待って話の飛躍についていけないんだけど」

「安心してください。わたしの髪は高級な天蚕糸(てぐすいと)に勝るとも劣らないと自負しています」

「そこは絹糸とかじゃないんだ。というか、天蚕(てぐす)ってなんだい?」

(かいこ)の親戚です」

 

 いや、蚕も知らないんだけど。

 アイリスちゃんはジャママを抱えたまま、無理矢理俺の膝に座る。そして「んっ」という声とともに後頭部をぐいっと近付けてきた。

 これ以上拒否するのは失礼かと、髪に触る。サラサラとした感触だ。その感触に昔一度だけ撫でたことがあるのを思い出した。ふと俺はアイリスちゃんの髪がまだ湿っているのに気がついた。

 

「アイリスちゃん、少し髪の毛がまだ濡れているよ」

「そうですか? ジャママを乾かすのに夢中でちょっとおざなりだったかもしれません。でも、そのうち乾くのです」

「ダメだよ、折角綺麗な髪をしているんだから大切にしないと。何か、髪を梳く道具はあるかい?」

「それなら小道具入れに入っているのです」

 

 アイリスちゃんがポーチを渡す。

 そのまま中にあったタオルで水気を取りつつ、手で軽く解し、櫛で梳いていく。アイリスちゃんは気持ちよさそうに左右に軽く揺れる。

 

「アヤメさんうまいです。母様以外に梳いて貰った事はないですが、それに負けず劣らずです」

「はは、どうもありがとう。幼い頃からメイちゃんの髪(・・・・・・・)をよく解した経験があるからね。この手のことには手慣れているんだ」

「メイちゃん…?」

「あ」

 

 やばい。地雷を踏んだかも。顔は見えないが、圧を感じる。

 ダラダラと冷や汗が出る。

 

「なんですか、なんですか! わたしという女がいるにも関わらずいつまでも過去の女ばっかり! こうなったらわたしの髪で上書きします、あっぷぐれぇどです!」

「いたたたたっ! 頭を顎に押し付けないでくれ! って痛い! ジャママも噛まないでくれよ!」

<ガァゥッ!>

 

 アイリスちゃんは「ほらほらわたしの髪をよーく覚えてください」と頭を押し付けて来る。

 飼い主(アイリスちゃん)に同調したのかジャママも俺の頭を齧ってくる。

 痛い痛いっ、頭を噛むな、禿げるだろう!

 あっ、なんか良い匂いする。って、痛ぁっ!?

 

 その後騒ぐ俺たちは、うるさいって隣の部屋から怒られた。女将さんにも注意され誠心誠意謝罪した。

 いや、救世主目指してるのに人に迷惑かけてばっかりだな俺…。

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 今だに人々が眠りにつき、静かなオーロ村。

 そこに何か(・・)が小高い丘からオーロ村を見下ろしていた。

 

「にゃぴにゃぴ、見つけた見つけた見つけたのねん。人がわんさか、戦場を知らない長閑(のどか)な村なのね。態々街を避けた甲斐があったのね」

 

 顔は猫に似、尾は縞々で長く、人にはない特有の紫の瞳(・・・・・・)を持つ人ならざる者。

 それを表す言葉は一つ、魔族であった。

 

 彼は吟味するように舌で唇をなめとる。

 背後には彼と同じく紫の瞳を持つ魔族と異形の生命体…魔物が沢山いた。

 

「ハヤクコロシマショウ!」

「ソウダソウダ!」

「グルラァラァ」

「待つのねん、落ちつくのねん。今責めても夜じゃよく絶望した顔が見えないのねん。完全な朝まで待って、人達がいつもの日常を謳歌しようとした時に全て壊すのがもっと気持ち良いのねん」

 

 はやる彼らを宥めながらも、語っている彼自身も興奮したように何度も爪を研ぎ澄ます。

 

あの変な金の犬(・・・・・・・)をいじめるのにも飽きてたし、久々にこのオニュクス様が愚かな人間たちに血と絶望を与えてやるのねん」

 

 ジャキンと伸びた魔族…オニュクスの爪は鉤爪の形をしていた。

 



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疾風の爪

 北東にあるオーロ村の木材で造られた関所。

 そこに居るラティオは周囲を警戒しつつも今日何度目になるか分からない溜息を吐いた。

 

「はぁ〜…」

「おう、何を落ち込んでいるんだラティ坊」

「ラティオだ。いつまでも坊主扱いするな」

 

 いつものように自分を揶揄う中年の兵士にラティオはぶっきらぼうに言葉を返す。そしてまた溜息を吐いた。

 中年の兵士はやれやれと、酒をくびりと飲み口を開く。

 

「ま、そんなに落ち込むなよ。相手はあの『森の大狼』だったんだろ? ひよっ子のお前が気絶したって仕方ねぇよ」

 ラティオが落ち込む原因はあの金白狼、それも子ども相手に気絶してしまったからであった。元々非番だったのだが、何処からかアヤメ達が村の外に出ると聞きつけたラティオが無理矢理着いてきたのだ。

 あの後、アヤメに背負われたラティオを中年の兵士が見て驚き、理由を聞いたがアヤメは彼の名誉(プライバシー)を守る為黙秘した。が、そのあと詰所で目覚めたラティオがついポロリと言ってしまい村の兵士全員に知られてしまったのだ。

 その事を今でもラティオは悔やんでいる。今もからかわれているのだから。その為苛立ちからか素っ気ない態度を取ってしまう。

「うるさい。僕はこの村を守る為に兵士になったんだ。【神託】で職業が兵士だと分かった時から、ずっと努力してきたんだ。そして16になって成人して、それなのに一匹の魔獣、それも子ども相手に気絶するなんて…」

「相手が悪かったと思うけどなぁ」

「そういう問題じゃないんだよ…」

 項垂れているラティオの様子に他の兵士も集まり出す。

「ん、なんだなんだ。まだラティオの奴落ち込んでるのか?」

「あぁ、ったくラティ坊は真面目すぎるよな」

「全くだ、俺なんて毎日酒を飲んでるぜ」

「門番っつってもたまに来る小さな魔獣追い返すくらいだしな。あの狼の時は相手がデカすぎるっつー判断で防御だけ固めて国からの援軍を待つって感じだったし、それももう解決したしな」

「おまけにこんな村だ。滅多に観光人も旅人も商人も来るこたぁねぇ。おかげで暇で仕方ないから詰所でポーカーばっかしてるわ」

「俺も寝てばっかだ。ま、こんな辺境の村襲う奴なんていないからな。魔王軍との戦いの前線では多くの死者が出てるらしいぜ。それに比べて気楽なもんだ」

「違いない」

 

 他の兵士はがははと笑う。

 明らかにやる気のない兵士達、ラティオはそれを聞いて情けなさやら不甲斐なさやらでより一層落ち込む。

 村とはいえ魔獣が襲ってくる可能性があるのにこの体たらく。狼の時も防御を固めるだけでそれ以上は何もしない。

 緊張感も兵士としての誇りも何もない。本当に情け無い。

 

「…ん? あれはブラストじゃないか。アイツあんな所で何してるんだ?」

「本当だ。おーい。ブラスト。そんな所でなに…を……」

 

 遠くで仲間を見つけた兵士が呼びかけるも何やら様子がおかしい。一人が近付こうとして絶句する。

 ブラストと呼ばれた兵士は血だらけで、倒れた。

 

「おい!? しっかりしろブラスト!?」

「何があった!?」

「ま…ぐ………んが…」

「何だ? わからねぇよ」

「あ…あぁ…!」

「なんだラティ坊! 何処を見て」

 

 

「にゃぴ、にゃぴ、にゃぴ。人がわんさか、向こうからやって来たのね」

 

 いつのまにかそこに一人の直立不動の猫のような生物が立っていた。

 手には鋭く長い爪が生え、滴る血がそれで兵士を切り裂いたことを如実に物語る。カチカチと全員の歯が鳴らす。

 ーーこいつはやばいと。

 

「さぁさぁ、血祭りにしてあげるのねん。魔族の恐ろしさとくと味わうのねん」

「敵襲ぅぅぅぅ!!!」

 

 叫び、村に警鐘を鳴らす。

 兵士達はすぐさま魔族を取り囲んだ。

 

「ま、魔族がこんな所に何の用だ!」

「わちしの名前はオニュクスって言うのねん。何の用って、決まっているのねん。人間どもを血祭りに、切り刻むためにわちし達(・・・・)はきたのね」

「何故この村なんかに…ここには魔族が狙うようなものなんか何もないぞ!」

「だからこそ、なのねん。戦とは程遠い平和を享受する村。それを壊すのが楽しくて楽しくて仕方ないのねん」

「くっ! 全員かかれぇ!」

 

 一斉に槍を突き出す兵士達。

 だが次の瞬間穂先(ほさき)が全てオニュクスに到達する前に落ちた。

 

「ば、ばかなっ」

「にゃぴ、こんななまくら、わちしの爪以下なのね。さぁ、次はお前らなのね【微塵(みじん)切り】」

「ぎゃあぁぁぁ!!」

 

 風が吹いたと思った瞬間。

 一瞬で兵士達が切り裂かれる。

 

「いてぇ、いてぇよぉ…!」

「い、いぎ…」

「あぁぁぁ! 良い! 良い悲鳴なのね! か・い・か・ん♡ やっぱり弱者をいたぶるのは気持ちが良いのねん! 態々こんな辺境な村に来たかいがあったのねん!」

 

 オニュクスは幸福絶頂と言わんばかりに身体をくねらせる。誰一人として死んでないのは彼がワザとそうしたからだ。加虐主義とも言える、残酷な彼の性質は他の兵士達に恐怖を抱かせた。

 

「ひぃぃ! もう駄目だ!」

「魔族なんて敵うわけがねぇ!」

「逃げろ! 逃げろぉ!」

 

 士気は瓦解し、我先にと村の方へ兵士達が逃げ出す。そんな中ラティオだけが反対に、オニュクスの方向へ歩き出した。

 

「おい! 何をしてるラティ坊! 逃げるぞ!」

「いやだ」

「はぁっ!?」

「僕はこの村を守る兵士だ。兵士が逃げたら、誰が村人を守るんだ!」

「馬鹿野郎! 少しは力の差を考えろ! 死ぬぞ!」

 

 中年兵士の制止も聞かずオニュクスの元へとラティオは歩く。

 

「ん? 何、少しは骨のありそうなのがいるのねん」

 

 紫色の瞳がラティオを捉える。

 そのせいで震える身体をラティオは叱咤した。

 

 本当はラティオとて怖い。逃げて良いのなら他の兵士と同じ背中を見せて逃げ出しただろう。

 しかしそれはダメだ。

 自分は兵士だ。

 弱い人を守る為に授った職業(ジョブ)なのだ。

 16で成人となりやっと就けたのだ。

 だから逃げる訳にはいかない。

 

(それに…)

 

 ラティオの脳裏に浮かぶのは仮面の男(アヤメ)

 あの不審な男はこの村の人間じゃないのに、あの恐ろしい魔獣に立ち向かった。

 だったら村の危機に自分が立ち向かわなくてどうする? 

 

「僕は…この村を守りたいんだ!」

 

 ラティオは槍を握りしめ、制止の声にも耳を貸さず突撃した。

 

「うおぉぉおぉ!! 【刺突】」

「ニャピピッ、弱いのねん」

「ぐはっ!」

 

 突き出す槍をオニュクスは容易く爪で止め、逆の爪で肩を切り裂かる。

 焼けるほど熱い痛み。ラティオは泣きそうになりながらも立ち上がる。

 

「村に…手出しは…させない…!」

「にゃぴ、アンタみたい人間好きなのね。不屈の精神で決して諦めない、そういった輩を何度も、何度も地べたを這いずり立ち上がるたびに切り傷を増やしていく。そしていずれは心が折れるのを見るのがわちしは大大だ〜い好きなのね! さぁ! さぁさぁ! もっと足掻いてみせるのねん!」

「うわぁぁぁ!!」

 

 オニュクスに向かって突進する。またも、躱され足を切り裂かれる。

 それでもラティオは諦めず勇猛果敢に攻めていく。だが悲しきかなラティオの攻撃はオニュクスには当たらない。攻撃のたびに傷が増えていく。

 

「がはぁ!」

「にゃぴぴ…もう立つのもままならないのねん。所詮、お前ら人間は弱者なのね。わちし達魔族のオモチャとなって壊れるまでいたぶられるのがお似合いねん」

「違う…! 僕たち皆一生懸命生きているんだ。お前ら魔族なんかのオモチャなんかじゃない!」

「ふ〜ん、ま、良いねん。その気概も足でも切断すれば折れるのねん。さぁ、貴方の悲鳴を聞かせーー」

「「「うおぉぉおぉ!!」」」

 

 突然ラティオの背後から勇ましい咆哮が聞こえた。

 見れば逃げたはずの兵士達がラティオの姿を見て戻って来ていた。

 

「やってやる! この村はおれが守る!」

「あの坊主が戦ってるのに大人の俺らが逃げてたまるか!」

「妻と娘を傷つけさせやしねぇ!」

「魔族の好きにさせねぇ!」

 

 普段は飲んだくれの兵士達が、一斉に奮起し、目の前の敵に立ち向かう。

 これまでの姿からは想像もつかない、村を守る為に戦おうとしている。その姿に目が熱くなる。

 しかし

 

「無駄なあがき、ご苦労なのねん【旋風刻(せんぷうきざ)み】」

 

 圧倒的な速さの旋風に全員が切り裂かれる。決意も無駄に、力という暴力で踏み躙られた。

 

「が、がは…」

「う…ぐ…」

「雑魚が群れようと雑魚は雑魚。大魚にはなれないのねん。それにアンタたちの狙いは分かっているのね。村人が逃げるまでの時間稼ぎでしょ? けど、アンタたちが時間を稼いだ所で意味ないのねん。村の背後にはわちしの同胞が回り込んでいる頃なのねん」

「なっ…!」

 

 その言葉にカッと全員が目を見開いた。

 オニュクスはニヤニヤと意地悪く笑っている。

 

「そんなこと…嘘だ!」

「嘘じゃないのねん、今頃逃げ込んだ人間どもを血祭りにあげているのねんけどなぁ。…そう考えたらわちしも早く参加したくなってきたのねん。大丈夫、貴方たちもすぐに会えるのねん。でもその前に、刻んで、切り裂いて、みじんであげる。さぁ、悲鳴を聞かせてほしいのねん」

 

 兵士達の心に広がる絶望…。

 余りにも圧倒的な人と魔族の差を痛烈に感じた。

 人では魔族には敵わないという事実。

 両者に広がる実力の差。

 

 そんな現実の前に、ラティオは心が折れそうになる。涙を流しながら弱音を吐く。

 

「やっぱり…僕たちじゃ魔族に勝てないんだ。僕たちのやっていることなんか」

「ーー無駄なんかじゃない」

 

 暗くなる心にその声は何よりも強くはっきりと響いた。

 

「君達の稼いだ時間(・・)は、たしかに村人たちを救った(・・・)。だから胸を張れ。誇るんだ、己のことを」

 

 一人の男が村の方から歩いてくる。その歩みは力強く、そして何よりも決意に満ちていた。

 そしてそんな男に寄り添うようにいる一人の少女。

 

「君達は自分達の仕事を全うした。なら、あとは俺に任せろ」

 

 ラティオの前に立ち塞がるその背中は何よりも大きく見えた。

 



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救世主

 間に合ったか。俺は安堵の息を吐く。

 少しばかり、仕事をして(・・・・・・)此処に来たが既に魔族の侵攻は止められなかった。

 兵士達は皆酷い怪我だが死人だけは出ていないようだ。小声で隣のアイリスちゃんに話しかける。

 

「アイリスちゃん、皆を治療してやってくれ。俺は、あいつを倒してくる」

「はいなのです。アヤメさん、お気をつけて」

「大丈夫さ、俺は八戦将と戦っても生き残った男だよ」

 

 軽くウィンクするとアイリスちゃんはくすくすと「そうですね」と言いラティオくん達の治療に向かった。

 しかし、その後についていく筈の存在がおらず、足元を見るとジャママは魔族を睨んでいた。

 

<ガゥゥ…!>

「どうしたんだ、ジャママ?」

 

 視線を辿るとジャママが睨んでいるのは魔族の爪だった。兵士達の血で濡れた鉤爪。俺は察した。あれは恐らくジャママの親を傷付けていた相手だと。

 

「ジャママ。先に言っておく。アイツに君は勝つ事が出来ない」

<ガゥッ!!>

「わかっている。君にとっては許せない相手だ。だからこそ、俺に任せてくれ。アイツもだが、君の親の仇は俺だ。だから俺がアイツを倒す。そして君がいつか大人になり、その時も俺を許せないというならば俺を殺そうとして良い。そしてそれは今じゃない」

<…カウ>

「俺は今からアイツと戦う。だから君はアイリスちゃんを守ってあげてくれ」

 

 俺の言葉にジャママは項垂れる。本当はわかっているのだろう。今の自分ではあの魔族に敵わないことに。

 だがジャママは直ぐに顔を上げ、一吠えするとアイリスちゃんの後を追って行った。…賢明な子だよ、本当に。

 

 俺は目の前の魔族を睨みつける。

 

「お話は終わったのねん?」

「あぁ。…随分と好き勝手やってくれたじゃないか」

「にゃぴにゃぴ、それにしてもまた一人馬鹿がやって来たのねん。あの娘も兵士を治療しているけど無駄なのねん。娘も、兵士も、村人も、お前もこのオニュクスの爪の(あか)としてくれるのねん。ん? 爪の(さび)だっけ? まぁ、良いのねん。それに大層自信がありそうだけど、もう村を守る事はできないのねん。わちしの仲間たちが村の人間どもを血祭りにしているはずなのね」

「仲間…か」

 俺は嘲笑するように笑い、目の前で勝ち誇るオニュクスに告げる。

「全員死んだよ」

「は?」

「俺が殺した」

 

 そう。俺がこの場に遅れたのは村の後ろに回っている魔族と魔物をジャママが野生の勘から気付いた事によって、予め全て殺して回ってたからだ。だからオニュクスの言う仲間は皆死んでいる。

 だからそう告げると、目の前のオニュクスは猫みたいな顔をゆがめる。

 …驚いているのか? あれ。

 

「戯言もいい加減にするのね!」

「いいや、俺は嘘はつかない。そう誓ったんだ。嘘だと思うなら試してみると良い。連絡する手段くらいあるだろう?」

「こ、こいつ…! おい、応答するのね!」

 

 オニュクスが腕輪に声をかける。

 その声は俺のポケットから聞こえた。俺はポケットから魔族の持っていた腕輪型の通信機を態とらしく見せる。オニュクスは憎々しげに俺を睨む。

「お前…何者なのねん」

「俺か? 俺は『救世主(ヒーロー)』だ」

「救世主なんて聞いたことないのねん! デタラメ言うなのねん!」

「そりゃそうさ。今、初めてお前に名乗ったんだから」

「ならやっぱりハッタリね! もう怒った、絶対に許さない! 泣いても喚いてもお前の体を切り刻んでやるのねん! 【旋風刻(せんぷうきざ)み】」

 

 オニュクスが疾風(はやて)の速さで消える。瞬きもする暇もなかった。

 なるほど、確かに早い。これまでの相手でも上位の早さだろう。だが俺の目には奴の動きが見えていた。何故なら

 

八戦将(やつら)と比べたら遅い!」

「なにぃっ!?」

 

 背後に回って来たオニュクスを一閃する。オニュクスは自慢の爪で受け止めたみたいだが、酷く驚いた顔をしていた。それだけ自信があったのだろう。

 

 奴の動きはただただ速さに重きを置いて技としては未熟な技術。そんな奴に俺は負けない。

 

 俺は奴が態勢を立て直す前にそのまま追撃する。オニュクスは苦しげな顔をする。

 

「ぬ、ぐ。調子に乗るなのね!」

「だったら俺を倒してみろ! この猫め!」

「ふぎゃー! お前っ! 絶対に許さないのねん! 刻んで、刻んで、粉微塵にしてやるのね!」

 

 挑発するとオニュクスは目を見開き怒る。これで良い。これで兵士の方には注意が向かないはずだ。後はこのまま押し切るだけだ。

 俺はオニュクスとの戦いを続けた。

 

 

 

 

 

「あの化け物と同等に撃ち合ってる…」

 

 ラティオは唖然と呟く。自身の目には二人の剣戟が全く見えない。

 その背後でアイリスはジャママを連れながら忙しなく動き回り一人一人の兵士の傷を癒していく。

 

「傷が…これはどういう」

「エルフの秘術です」

「腕が治った!? 殆ど千切れかけてたのに」

「エルフの秘術です」

「いや、ありえな」

「秘術です」

 

 傷ついた兵士をアイリスが、包帯で治療するように見せかけては『聖女』の力で傷を癒していく。最後にトテトテとジャママを連れてラティオの方に近寄る。

 

「ほら、貴方も見せてください」

「…」

 

 ラティオは痛みも忘れ、戦闘に魅入っていた。はぁ、とため息を吐いて気付かせるため少しばかり強めに蹴る。

 

「ていっ」 

「いっ!? 痛っ〜…!!」

「さっさと傷を見せるです。貴方は随分と怪我が多いですから放っておいたら死にますよ」

「あ、あぁ…いつつ…!」

 

 ぎゅっぎゅっと強く包帯を巻かれ、ラティオは痛みに顔を歪める。その隙にアイリスは癒しの力で傷を塞いでいく。

 するといつのまにか痛みがなくなったラティオが驚いた顔をする。

 

「傷が…痛くない」

「エルフの秘術です」

「あ、そうなんだ…」

 

 有無を言わせない言葉にラティオは何も言えなくなる。暫くは治療に専念していたアイリスだがぽつりと呟く。

 

「…前に情けないと言いましたけど訂正します。ごめんなさい」

「な、なんだよ突然」

「貴方は村を守ろうと頑張りました。その事は事実です。わたしはそんな貴方に対して情けないと言ったのです。けど、そんな事はありませんでした。貴方は魔族相手に一歩も引かず勇敢に戦った。だから謝ります。本当にごめんなさい」

「良いよ、別にもう…情けなかったのは事実だからな」

 

 彼の目は再び、二人の戦いへと移る。

 

「…あいつは、何者なんだ」

「? 何を言ってるんですか、そんなの一つだけでしょう」

「え?」

「アヤメさんが何者かだなんて見れば分かりますよ」

<カウッ!>

 

 ジャママが吠える。

 見れば、もう戦闘は佳境だ。

 オニュクスはもはやアヤメの剣戟を防ぐことも出来なくなりつつある。

 戦いの優勢は明らかだった。

 

 

 

 

 オニュクスは焦った。まさか自分の早さについてくる存在がいるとは思っていなかったのだ。

 そんな存在など自らより上の八戦将しか知らなかった。

 ーー実際オニュクスは知らなかったのだ。目の前の男こそ、自らの上司である『爆風』を倒した、その人であると。

 そして技能(スキル)と聖剣を失えど、その身体能力は『爆風』を倒した当時に比較しうる(ほど)に元に戻った事も。

 

 初めから勝敗は決まっていたのだ。

 

「は、速さでわちしが負けるなんてありえないのねん!」

 オニュクスは最早余裕もなしに喚く。その隙にアヤメの剣が振るわれ、右手の爪が斬られた。

「ありえない! ありえないありえないありえない! こんな辺境の村になんでお前みたいに強い奴がいるのねん! おかしいのねん、理屈に合わないのねん! お前は何者、何奴なのね!? まさか『真の勇者』なのね!?」

「さっきも言っただろう! 俺はーー」

 

 ラティオは思い出す。アヤメと初めて会った時の言葉を。

 

『なぁ、お前は何者なんだ?』

『俺か? 俺はーー』

 

「「救世主(ヒーロー)(だ!)…」」

「ぐ、ぎゃあぁぁぁあっ!!」

 

 煌めく一閃がオニュクスを斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔族の侵攻を退けた俺は予定していた通り、次の町に向かう事にした。幸いにもこの村に被害が出たのは兵士だけ、それもアイリスちゃんの力のおかげで死人が出なかった。

 村を出ることを告げた俺に対して村の人が大挙として押し寄せた。

 

「あの、これはほんのお礼です。どうかお受け取り下さい」

「そんな、悪い…。いや、そうだね。受け取っておくよ、ありがとう」

 

 渡された食料と金を受け取る。元々金白狼の分もあるけど村を救ってくれたからと更に謝礼金も入っている。村にとって少なくない出費のはずだけど、善意を無下にするのは失礼にあたる。それに彼らに負い目を感じさせない為にこれは受け取る必要があった。

 長老が頭を下げる。

 

「貴方がいなければこの村は魔族によって滅んでいたでしょう。本当にありがとうございました」

「いいや」

 

 その言葉に俺は首を振る。

 確かに俺がいなければこの村は滅んだ可能性は高いかもしれない。だが最も努力した(・・・・・・)のは俺じゃない。俺は指を指す。

 

「この村を守ろうと一番頑張ったのは彼らだ。俺はその手助けをしたに過ぎないよ」

 

 村人達より誰よりも兵士達が驚いた顔をした。

 だが実際そうだ。彼らがオニュクスを足止めしたからこそ、俺は回り込んで来た他の魔族を倒す余裕が出来た。もしオニュクスと挟撃されたら少なくない犠牲が出ていただろう。

 俺の言葉にラティオがバツの悪そうな顔をする。

 

「いや、僕たちは結局誰一人あの魔族を止めることはできなかったし…」

「|謙遜(けんそん》するなよ。確かに君達はオニュクスには勝つ事は出来なかった。だがそれでも向かって行ったのは君達だ。君達が頑張ったからこそ俺は間に合ったんだ。だからこれは俺だけじゃない、皆の勝利だ」

 

 俺の言葉が本心だとわかったのだろう。兵士達が照れたような顔をする。するとざわつき、顔を見合わせる村人の中から、一人の子どもが彼らの前に進み出た。

 

「ありがとう、兵士さんたち!」

 

 純粋な感謝の言葉。

 子どもの言葉を皮切りに、他の村人たちも礼を言う。

「ありがとよ!」

「いつもダラけてばかりだと思ったけどやるじゃないか」

「見直したよ」

「何だかんだ言って頼りになるんだな」

「い、いや。俺たちも必死になっただけというか…」

「あぁ。ここは故郷だしな…」

「そ、そうそう当たり前っつーか何というか…」

 

 誰もが兵士達を囲んで健闘を讃え、感謝した。

 そんな村人の様子に兵士は全員が照れたり、そっぽ向いたりするも皆一様に嬉しそうにしていた。

 

「素直じゃないのです」

「そうだね、でも今回の事で彼らも少しばかりまじめに頑張ろうと思うようになるんじゃないかな」

 

 周囲が兵士達を褒める中、ファッブロが前に進み出た。手には何やらゴツゴツした何かが沢山入った皮袋がある。

「よぉ、兄ちゃん。村を救ってくれてありがとよ。これをやるよ」

「これは?」

「俺の鍛冶屋から掻き集めた短剣や研磨剤やら何やらが入っている。特に研磨剤は剣の手入れには必須だろう?」

「あぁ! そうだね、ありがとう。剣、大切にするよ」

「おうよ! 行く先々で宣伝してくれ。この剣はオーロ村のファッブロが作ったってな」

「わかったよ」

 

 笑いあいながら俺たちは別れの挨拶をする。あっさりと、それでいてさっぱりとしたものだった。

 

 ファッブロとの別れを済ますと今度はラティオくんが俺の方に向かって歩いてきた。

 

「あの」

「む! なんですか、またアヤメさんを犯罪者扱いする気ですか! わたしは謝りましたけど、それとこれは話は別ですよ!」

「ちげぇよ! そんなことするかっ。えっとだな、色々と突っかかってごめん」

 ラティオくんが頭を下げる。

「気にすることないよ。君は自分の職務を全うしようとしただけだから。それにあの時の俺は確かに怪しかったからね」

「それでも、ありがとう。アンタはこれからも旅を続けて色んな人を救うんだろ? 僕にはこの村を守るので精一杯だ。だけどアンタは『救世主(ヒーロー)』だから、その…頑張れ」

「はは、お互いにね」

 

 お互いに固い握手をする。

 最後に見た彼の顔は幾分大人びて見えた。

 

 村を去る俺たちに村人たちが手を振ってくれる。

 

「ばいばーい!」

「またなー!」

「村を救ってくれてありがとう!」

 

 純粋な感謝と暖かい声援。

 俺が守りたかったのはこれだったんだ。

 

 俺は笑って手を振りながら村を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「アヤメさんアヤメさん、次は何処に向かうのですか?」

「うん、そうだね。今度は町に向かおうか」

「町ですか、いいですね! 此処からならフィオーレという町が近いのです。そこに行ければ村では手に入らなかった調味料や日常用品を買うことができるのです。ジャママも新しい櫛や美味しい料理が食べられるのです」

<カウッ>

「そうだね、楽しみだ」

 

 これからの未来に思いを馳せながら俺は『救世主(ヒーロー)』として新たな一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 村を救った『救世主(ヒーロー)』が去って行く。

 ラティオはずっとアヤメの背を見つめていた。

 その背が見えなくなるまでずっと。

 

「…かっこよかったな」

 見えなくなり、村人達も自らの仕事をする為に村に戻って行った後にボソリと呟く。

「あぁ、確かにかっこよかった」

「こんな俺たちを、村を守るのを褒めてくれた」

「あぁ言うのを英雄っていうのかな」

「どうだろうな。…久々にちゃんと仕事するかな」

「俺も、まじめに仕事するとするかな」

「はっ、わかってないな。俺はいつだってまじめだったぜ!」

「嘘つけぇ! 何時も酒飲んでたじゃねぇか!」

「やれやれ、不真面目なお前らが彼のようになれる訳がないだろう」

「お前寝てばっかりだったろ」

「違う、精神統一をしていたのだ」

 

 ザワザワとやる気に満ちた兵士達が持ち場に戻っていく。

 ラティオにいつも飲んだくれていた中年の兵士が話しかける。

 

「おう、ラティオ(・・・・)。さっさと仕事の準備するぞ」

「だからラティオ…え?」

「あー…お前はもう坊主じゃねぇ、一人前の兵士だ。だから認めてやるよ。けどあんま気張り過ぎてぶっ倒れんなよ」

「へっ…あんたこそ酒を飲みすぎるなよ!」

 

 先に行った兵士達を追いかけラティオは駆け出す。

 いつもの日常。いつもの会話。

 だけど今日からはいつもより少しだけ頑張ろうと思えた。

 




次回、番外編。
ユウの話。乞うご期待!


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番外編1 幼子たちの慟哭

<キュルルル>

「よしよし、キュアノス。今鱗を磨いてあげるからなー」

 

 宿に併設された魔獣舎。そこから藍色飛竜のキュアノスを撫でるユウの仲間のひとりーー『魔獣使い(テイマー)』のファウパーンがいた。

 キュアノスの鱗をブラシで擦りつつもファウパーンの頭には未だに部屋に引きこもる兄貴分として慕っているユウの事が頭から離れなかった。だからだろうか、いつもより少しばかり乱雑に鱗を拭く。

 

<キュウ! キュルル!>

「っ! ご、ごめんよ。オイラちょっとぼーとしてたみたいだ」

 

 雑に拭かれ、痛かったのかキュアノスが非難じみた鳴き声を上げた。

 その事に謝りながらも丁寧に鱗を拭く。するとピクッと彼の耳が動いた。

 

「何だファウ坊、まだ起きていたのか」

 現れたのは厳つい刈り上げの『戦士』オーウェン・ローパストだった。

「…なんだ、おっちゃんか。不審者かと思ったぜ」

「嘘つけ。オメェは足音で誰かわかるだろ。なんたって獣人の血を引いてるんだからな」

「まぁ、そうだけどさ。おっちゃんは何してたんだ?」

「ん? そりゃあ、決まっているだろう。かわい娘ちゃんたちと仲良く楽しく酒を飲み交わして」

「…嘘つけよ、酒なんて飲んでないくせに」

「…なんだ? バレちまったか」

「酒の臭いがしないからな。オイラ、鼻が良いから」

 

 へへっと鼻の下を(こす)り、頭上の獣耳(・・)を動かすファウパーン。何時もの癖だが、今日のは何処か態とらしく見えた。

 

何時(いつ)もなら浴びるほど酒を飲むんだが、そんな気分じゃねぇからな。…旦那まだ部屋に閉じこもってるのか?」

「そうだよ。クリス姉がずっと話してるけど全然反応がなくて、それでついさっきメイ姉も行った。オイラは…何も出来ないからこうしてキュアノスと触れ合ってた」

「そうか。俺もそんな感じだ。何処をブラブラしても、なーんにもする気が起きなくてな。それで戻ってきたら、外にいるお前らが見えてなっと」

 

 オーウェンはどかっとファウパーンの隣に座る。

 そのまま暫し無言になる両者。飛竜のキュアノスだけがキュルルと気持ちよさそうにファウパーンの撫でる手を堪能している。

 

「ユウ兄はさ」

「おう」

 ぽつりとファウパーンが口を開いた。

「あのフォイルって奴の話しをする時、複雑そうにしながらも最後は嬉しそうに語っていたんだ。メイ姉も視線は厳しかったけど、それでもやっぱり何処かで優しく、懐かしむ目になっていた」

 

 昔一度だけどんな人物か聞いたことがあった。

 その時二人は上記の通りの反応を示した。確かにファウパーンには三人がどんな風になってしまって枝を分かつようになったのか分からない。

 フォイルがどんな人間なのかも知らない。

 だけどファウパーンにも分かる心情が一つだけあった。

 そこにあったのは親しみ。それもとても深いものだった。

 

「そうか…。なぁファウ坊」

「なんだ」

「お前は自らの『職業(ジョブ)』や『称号』について何か後悔したりしたことはあるか」

「…ないよ。少なくともオイラが『魔獣使い(テイマー)』じゃなきゃ、こうしてキュアノスと一緒にいることはなかった」

<キュルル♪>

 

 撫でると嬉しそうに手に身を委ねるキュアノス。

 オーウェンは頷く。

 

「そうだ。大抵の奴は自らの『職業(ジョブ)』に沿って人生を送ってる。誰もそこになんの疑問を抱きやしねぇ。何故だかわかるか?」

「いや、わかんない」

「俺は思う。決められた人生ってのはな。安心(・・)できるんだ。先行きの見えない未来より女神様から決められ通りに行けば間違いない、全てうまくいくって。まぁ、実際はそんな事はねぇんだがな。…大抵の人間は間違える。それでも少なくともその『職業(ジョブ)』は間違いじゃねぇ。大丈夫だって、心の支えになるんだ。だから俺も『戦士』の『職業(ジョブ)』を与えられて戦士になったことを後悔してねぇし、竜を殺して『竜殺し』の称号を授かった時も特に疑問を抱かなかった」

 

 称号は基本的に職業の後に付属されるものだ。

 それが例外なのは『勇者』と『聖女』くらいだ。或いは、元よりその才に恵まれた者(メイとメアリー)か。

 

 だがもしも。

 フォイルのあの言葉から初めから、彼はそうなるように称号で仕向けられていたとしたら。

 初めからあぁなると決まっていて。

 それに沿って生きる事を定められたというのならば。

 

 それは何て悲しく、虚しい人生なのだろうか。

 

「俺は初めて思うぜ。世の中ってのは理不尽なものだよなぁ」

 

 ポツリと噛み締めるような調子で話すオーウェン。

 脳裏には仲間で、弟のような、ユウの事を思い浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度も押し寄せる後悔に(さいな)まれる。

 無力、後悔、悲哀、虚無、絶望、悲痛、憂い。

 ありとあらゆる負の感情が心中で何度も何度もぐちゃぐちゃに沸き起こっては傷つける。

 

 ユウはあの日からずっと部屋に閉じこもっていた。

 

 

 

 コンコンと扉をノックする音が鳴る。

 

「ユウさん、宿の方から夕食を貰ってきました。食べませんか?」

 部屋の外ではパンと水を抱えたクリスティナが心配した声色でユウに話しかけた。

 だけど扉から返答はない。

 

「ユウさん、せめて水だけでも...」

 

 やはり身動ぎの音一つの反応もない。

 

「……ユウさん、失礼します」

 

 クリスティナは決意をして、扉に手をかける。

 扉に鍵はかかっていなかった。不用心なのか、それともそんなのを気にする余裕もなかったのか。

 後者だろうとクリスティナは思った。

 そしてそのまま扉をあけて中に入った。

 

 

 ユウは居た。

 暴れた様子はなく、ただベットの上に座っていた。だが身動ぎを一切しないその姿はまるで生気がなく彫刻のようだった。

 

 憔悴はしている。

 だけど生きてはいる。

 その事実にクリスティナは少しだけ安堵する。最悪の事態も想像していただけにその安堵は深かった。

 ちらりと見れば勇者の象徴である聖剣が無造作に地面に放られていた。

 

 女神からの贈り物をぞんざいに扱う事に思う事はある。『神官(プリースト)』としてなら慎めるのが正解なのだろう。

 だけどそれよりも彼女はユウが心配だった。

 

 クリスティナはすぅと空気を吸う。

 

「ユウさん、今回の結果は残念に思います。あの後私も教会の方で付近の捜索を依頼しましたけど彼の『偽ーー失礼しました。フォイル・オースティンを見つける事が出来ませんでした。…捜索も打ち切ったとのことです。ユウさんが、傷ついている事も知っています。だけどそれでも言わせて下さい。こうしている間にも、魔王軍は人々に対して危害を加えています。だからこそ、勇者であるユウさんが必要なのです。だからどうか人々を、魔王軍から救う為に旅に出ませんか…?」

「......勇者(・・)、勇者…か。はは、ははははは…」

 

 乾いた笑いだった。

 自嘲気味な、とても自信に溢れる勇者のようには思えない。

 ユウはクリスティナを見た。

 

 瞬間クリスティナは後退りそうになった。

 何時もの優しげな顔は何処にもない。

 あまりにも無気力で無色な、生気も何の色も宿さない瞳だったからだ。

 

「クリスティナちゃん…なんで、フォイルくんが『偽りの勇者』だなんて役目をしなくちゃならなかったの? 女神さまはどうしてそんな役割を押し付けたの? 彼が一体何をした? なぁ、なんで? どうして? 『神官(プリースト)』だったらわかるだろう?」

「そ、それは…ユウさ」

「お願いだよ…教えてくれよ……、僕は、幼馴染を殺してまで勇者になんか、なり、たくなかったっ……」

 

 よろよろとクリスティナに近付き、彼女の肩を掴みながらユウは膝をついた。

 最後の方は言葉にならず、嗚咽(おえつ)になっていた。

 そこにいるのはただの子どもだった。泣きじゃくる幼い子供。

 クリスティナはどうしたら良いか分からずにただただ狼狽(うろた)え、困惑する。

 

「…やっぱりこうなってたのね」

「え、あっ、メイさん」

 いつのまにか背後にメイがいた。メイはユウの顔を見、(うれ)いを帯びた瞳をするも直ぐに彼の行動を正す。

 

「ユウくん、クリスティナちゃんに詰め寄るのはやめなさい。彼女は『神官(プリースト)』だから女神の言葉は伝えられてもその心までは全て知ることはできないの。そして否定する事も出来ない。それでクリスティナちゃんに責めるのは筋違いよ」

「…」

 

 メイの言葉にユウは力なく、ゆるゆるとクリスティナの肩から手を離した。

 

「あの、メイさん」

「ごめんねクリスティナちゃん。でも大丈夫、だから今は少し二人きりにさせて」

「…はい、わかりました」

 

 クリスティナはちらりとその後ベットに戻り項垂れるユウを見、悲しそうにしながらも部屋を出て行った。

 廊下の灯りが遮られ、部屋には月光だけが差し込む。

 メイは何も言わずに隣に座りユウが喋るのを待った。

 

「…………僕はフォイルくんの事を何もわかっていなかった」

 

 どれくらいの時間が経ってからか、ユウが呟いた。

 彼の胸に沸き起こるは後悔、悲哀、絶望、喪失感。いずれもマイナスの感情だ。

 メイはその言葉を直ぐに否定した。

 

「そんな事ないと思うな。二人ほど仲が良くてわかり合っていた人はいないと思うけど。村でも一番仲が良かったじゃない」

「ううん、僕もそう思っていた。だけどそんなことなかった。あの時…フォイルくんから語られるまで僕は彼の本心に気付く事ができなかった。………本当に、彼が変わってしまったと思っちゃったんだ。そんな訳ないのに。僕は彼を信じ(・・・・・・)られなかった(・・・・・・)

 

 どうして彼を信じられなかったのか。

 他人(・・)ではなく、自分(・・)ならそれが出来ただろうに。

 その事ばかりがユウの心を締めつける。

 友達なら、親友なら、幼馴染なら彼の心情を(おもんぱか)ることが出来たはずなのに。

 

 

 

「彼はいつだって前にいてくれた」

 

『よぉ、ユウ! 何ボサってしてんだ早く行くぞ!』

 

「いつも僕に勇気を与えてくれた」

 

『失敗なんて誰でもすんだから気にすんな。だからよ、ユウ。お前はお前の早さで成長すりゃいいんだ』

 

「どんなっ…時も……ぼくを…たすけてくれた」

 

『情けないぞ。ま、お前の努力はわかっているよ。だから、後は俺に任せろ。ユウ』

 

「かれは…いつだってまえにいてくれて…」

 

『何泣いてんだよ。ったく、本当に泣き虫だな。ユウは』

 

 ポタポタと涙が滴り落ちる。

 

 

 

 

 

「………なんでこんなことになっちゃったのかなぁ」

 

 か細く、弱々しい呟きだった。

 

「僕が『真の勇者』じゃなければ、あの時の、故郷の時みたいに三人でずっと一緒にいられたのかな…。フォイルくんも、あんな、あんな…。僕の、僕のせいだ。僕が勇者になりたいだなんて思ったからこんな事になったんだ。だったら『名無し』でよかった。僕はただ三人でいたかっただけなんだ。それだけだったんだ。なのに、僕が、僕がこの手でフォイルくんを」

「ユウくん」

 

 遮るように一言だけ名前を言われ、ユウは突然メイに抱きしめられた。

 柔らかな感触と人の温かい感触がユウの体を包み込む。

 

「メイちゃん…?」

「本当、ユウくんもフィーくんも変わらないよね。二人ともいっつも自分を責める時は誰にも頼らない。フィーくんはがむしゃらに一人で解決しようとして、ユウくんはずっと一人で自分の事を責め続ける」

「…そんなことないよ」

「ううん。絶対そう。私にはわかるもん」

 

 しみじみとメイは呟く。

 その間もメイは優しくユウの頭を撫でる。

 

「二人はいっつも何処かにいっては、怪我ばっかりして帰ってくる。私が無茶しないでーって言ってもちぃっとも聞いてくれない。いつか私も二人を止めることはなくなっちゃった。でもずっと私はそれを見ていた。本当、私がどれだけ心配しているのか二人はまったく気付いてくれないんだもん」

「そうだね…怪我をした時はいつもメイちゃんが手当てをしていてくれてた」

「そうだよ? どれだけ心配していたのかわかる?」

「うっ、ご、ごめん…」

 

 メイの言葉にユウは本当に僕はみんなに迷惑をかけてばかりだと呟く。

 メイはそんなユウをもう一度大きく撫でる。

 

「ユウくん、私ね。フィーくんがユウくんを追い出す前に一度会っていたの」

「え?」

「あの時のフィーくんはまだ私たちの知る(・・・・・・・・)フィーくんだった。あの時は直ぐにユウくんを追い出したって話を聞いて怒りで気付けなかったけど今なら分かる」

 

 何処か思いつめたような顔をしていたあの時。

 最後にユウを頼むと行った時少しだけ見えた何やら泣きそうな顔をしていたあの時。

 どうしたの?ってその一言が言えたなら。

 

「わかっていなかったのは、私も同じ。だから一人でそんなに責めないで、泣かないで。抱え込まないで。だから…だか、ら、泣か、ないで」

 

 ユウは頰に落ちてくる液体に気付き顔を上げる。

 メイも泣いていた。

 ポロポロと透明な雫を流しながらも、それでもユウを元気づけようと笑っていた。

 

 ユウは己を責めた。

 自分だけが辛いと思っていたのだ。そんなわけがない。

 辛いのはメイも同じだった。

 

「ごめんっ…! メイちゃん…! ごめんっ…フォイルくん…! 僕は、ぼくはぁっ……!」

「あぁ、もうゆうくんは昔から変わらないなぁ。すぐにないちゃうんだから…。でも、今日は、今日だけは…わたしもなきむしでも、良いよね…? う、うぅぅぅ…」

「う、あ、あぁぁぁ…。うぁぁぁぁぁ……!」

「ひっく、…えぐっ、ふわぁぁぁん。うぇぇぇん、グスッ、ふぃ〜くん…ふぃ〜くん……!」

 

 

 二人揃って声を押し殺して泣く。

 そこにいたのは『真の勇者』でも、『大魔法使い』でもなく、ただただ幼馴染を喪った悲しみに嘆く子ども達だった。

 

 

 

「…メイちゃん目元真っ赤だ」

「ユウくんこそ。あーぁ、明日になったら腫れ上がってるだろうなぁ。またオーウェンさんにからかわれちゃう」

「僕も言われそうだ」

 

 二人して苦笑する。

 先程までの空気はない。空元気だが笑えるくらいには暖かい空気だ。

 それでも悲しみが無くなったわけじゃない。ある程度発散出来ただけ。今もなお胸の奥をジュクジュクと蝕むようにいたみがはしる。

 きっとこれからも一生この心の傷みは消えることはないんだろうなと、ユウは思っていた。

 

「メイちゃん」

「なぁに?」

「僕は魔王軍を倒す」

「うん」

「それだけが、僕にできる唯一の償い(・・)だから」

「………うん」

 

 ユウは置いてあった聖剣を空へ掲げる。月光に反射した聖剣の刀身が、何処か悲しげに煌めいた。

 

 

 

 

 

 

 

 かくして『真の勇者』は誕生する。

 聖剣を振りかざし、その聖なる力を持ってして世界を蝕む魔王を討ち果たさんと。

 

 しかし世界を救う勇者の奥底にある思いが果たして純粋な意思だけなのか。

 それはわからない。

 

 




真の勇者のユウ・プロターゴニスト
魔法使いのメイ・ヘルディン
神官のクリスティナ・シュビラ
戦士のオーウェン・ローパスト
魔獣使いのファウパーン
  その魔獣である藍色飛竜のキュアノス
 以上勇者パーティです。
 因みにプロターゴニストは「主役」、ヘルディンは「ヒロイン」のそれぞれ英語とドイツ語になります。
 次回は番外編2 八戦将 です。べシュトレーベンも新たな魔王軍幹部も登場致しますので是非お楽しみに!


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番外編2 八戦将

魔王城のイメージbgmとしてはスーパーペーパーマ◯オの予言の執行人ノワール伯爵です。是非とも参聴してみて下さい。
敵側の幹部が一堂に集結するのって、めっちゃ好き。



 魔王軍。

 世界に於いて悲劇を撒き散らす悪の根源とも言われる人類の天敵。

 彼らの本拠地は"魔界"と呼ばれる魔物と環境に適応した魔物が跳梁跋扈し、瘴気とも呼ばれる非常に濃度の高い魔の素が蔓延る場所にある。常に過酷な環境は過去に魔王軍幹部を討ち取り、侵攻した人間軍が三日と持たずに潰走(かいそう)した所にある。

 そこに禍々しくも何処か荘厳な雰囲気を持ち、それでいて威圧するかの如く存在を放つ歴代より魔王城と呼ばれる場所がある。

 その魔王城の一室。中央の見事な円卓のテーブルを囲う八つの席があるこの部屋は幹部しか立ち入ることが出来ない会議室である。そこに五人の人影があった。

 

 

 

 

「失態ですね」

 

『水陣』の名を待つマーキュリー・チャングロォ・ハンツォンリーはそう判断を下す。

 彼の見た目は優美かつ雅びな着物を身にまとい、本人も優男と言って良いくらいに容姿も整っている。髪も調度品のようにきめ細かく水色に透き通っている。彼そのものが一つの芸術品のような美しさだ。

 しかしその目は何処までも厳しい。

 

「ベシュトレーベンさん、スウェイさん。勇者を仕留めずに勝手に退却するとは何事ですか。折角態々策を弄して人を騙し、あそこへ誘導し、誘き出したというのにそれをふいにするとは」

「…」

「だってぇ、気が乗らなかったのだもの」

「魔王様の意は人類の滅亡。その為には勇者を倒すのは必要不可欠。魔王様の意に逆らうこと、その重さを理解しておいでですか?」

「はっ、だからオレは言ったんだ。分かったら大人しく罰を受けるんだな」

「トルデォンさん。貴方もですよ。(なぶ)る事に夢中で貴方の相手をしていた剣士を取り逃がしているではないですか。獲物を嬲り、侮るのは貴方の悪い癖ですよ」

「あぁ!? なんでオレが責められなきゃならねぇんだよ!? 逃げたのはコイツらだぜ! 罰ならコイツらにしろよ、何ならその罰オレがやってやってもいいんだぜ!?」

 

 自らに飛び火したトルデォンが文句を言う。

 トルデォンの物言いに黙っていたベシュトレーベンが言葉を話す。

 

「罰ならば受けよう。だが、それは魔王(・・)より直々の時のみだ。貴様からの処罰など受けはせん。貴様のような弱者からはな」

「テメェ…なんなら此処で戦るか?」

 

 バチバチとトルデォンから静電気が発生しベシュトレーベンからは圧倒的な威圧が広がる。

 一触触発。それを止めたのは意外にも彼らを咎めていたマーキュリー自身だった。

 

「まぁ、よろしいでしょう。あの後情報を集めた所どうやら例の勇者…フォイル・オースティンは偽物だとわかりましたので」

「ふご、偽物じゃと?」

 

 これまで黙っていた者が反応する。その姿は黒い肌にでっぷりとした腹が特徴的な魔族のオークに似ていた。

 『獄炎』の名を持つブラチョーラ・玄・バルカンである。

 

「えぇ。神殿勢力によるとどうやら『真の勇者』と呼ばれるユウ・プロターゴニストこそ、今世代の勇者であり、フォイル・オースティンは勇者の名を驕った偽物であるらしいです。なので少々手の者にも(・・・・・)民衆を煽るようにし、彼を孤立させ『真の勇者』に渡る前に聖剣の回収もしようとしましたが全て撃退されました。その後、『真の勇者』に討ち取られたそうです」

「『真の勇者』ねぇ…。それって前の偽物勇者と比べてどうなんだよ?」

「不明です。ただ、遠くより観測させていた魔物から光を見たという情報を最後に連絡が途絶えたので、恐らく弱い魔物であれば余波だけで容易く蒸発させるだけの力がありますね。そう言えば『疾爪』の部隊も消息が知れません。ダウンバーストさんが敗れて以来好き勝手に動いていましたが連絡だけはまめにしていたので、それが途切れたとなると…。もしかすれば何処かでちょっかいを出し、敗れたのかもしれませんね」

「へー、アイツ速さだけなら光るものがあったのにな。まぁ、俺様の疾さにはついてこれねぇが」

「ブホホッ、それにしても『真の勇者』。遠く離れた魔物をも容易く蒸発させるとは一体どれほどの力なのか…ふご、豚豪、豚豪豪、豚業業業業業業業業!! 燃える…燃えるゾォォォオォォ!」

「あちぃっ! テメェ、勝手に燃えるなや! この焼き達磨!」

「ブホォッ! 雷を当てても我輩には効きませぬぞぉ! 焼ける感覚が心地いいぞぉ!」

「くそっ、このどM野郎が!!」

 

 悪態吐くトルディオに対し、ブラチョーラは豪快に笑う。その身体からは業火の如く炎が上がっていた。

 

「ブラチョーラさん今は少し抑えてください。…まぁ、『真の勇者』については今はまだ未知数なので観察を続けるしかないでしょう。手を出すのは危険です。今までとはあまりにも異質です。続いてですが、太陽国ソレイユとの事についてですーー」

 

 その後、話は魔王軍のこれからの方針へと移る。

 彼らにはもはや『偽りの勇者』であったフォイルの事は忘れ、これからの己が役割が何なのか聞いていた。

 

 

 しかし、この中で二人(・・)フォイルに興味を持った者がいた。

 

「ふぅ〜ん。『偽りの勇者』ねぇ。その名の通りなら彼は決して本物にはなれなかったということ。あぁ、そこに『真の勇者』に向けてどれほどの(ねた)み、(そね)み、(ひが)み、辛み、恨みがあったのかな。だったらあそこで帰ったの、早計だったかも」

 

 一人はスウェイ。彼女は偽りという役目を押し付けられたフォイルに対し少しばかり興味を抱いた。

 

「…あれが偽物だと?」

 

 もう一人は八戦将最強の『豪傑』のベシュトレーベン。彼はフォイルが偽物だったという事に反応する。

 

 確かにベシュトレーベンからすればあの時のフォイルは脆弱、軟弱としか言えないほどの実力であった。

 だがフォイルは真っ向勝負で自らの顔に一太刀入れた。侮り(・・)はすれどそこに自らの油断(・・)はなかったのに、だ。

 

(『水陣』の話が真であれば、奴は我にあの状態でこの傷を入れたということになる。自らの職業以外の力を使おうとすればその力は著しく低下する。奴が勇者ではないとすれば聖剣を扱うだけで多大な実力低下(ハンデ)を背負っていたはず。しかしそれでも奴は我に一矢報いた。それは(・・・))

 

 

 フォイルに傷つけられた頰の傷が疼く。

 今までにない高揚と闘争が身体を駆け巡るが同時に冷めた感覚がベシュトレーベンに広がった。

 

 何故なら奴は死んだ。つまり、もう再戦はない。

「つまらぬ…」

 

 もはや口癖となった言葉を吐いて、ベシュトレーベンは会議を続ける他の八戦将を意識の外に置いた。

 マーキュリーは話を続ける。

 

「ーー現状勇者を擁し、女神の加護を受ける彼の国との戦いは膠着(こうちゃく)していると『地蝕(ちばみ)』からも連絡がありました。ですがそれはある程度予想していた事です。寧ろ向こうの戦力が前線に集中してもらうことが好都合。色々と策を講じ易くなります。しかしその負担のせいか前線の方は少しばかり魔物と魔族の消耗が激しくなって来ました。別に戦線に支障があるわけでもないですが、向こうは「魔王軍恐るるに足らず」と人間側の士気を高めようとしています。少しばかり面白くないですよね?」

「全くだ。群れると強気になるのは奴らの常套句(じょうとうく)だな」

「別に此方(こちら)にとって替えのきく魔物がいくら死のうと痛手ではないのですが…余り魔王軍を舐められるのも不愉快です」

 

 マーキュリーはテーブルに置かれた地図の一箇所を指差した。

 

「そこで奴らに少しばかり痛手を与える事にしました。此処を見てください。名は商業都市リッコ、そこは物流の要衝(ようしょう)であり様々な国の商人がそこを通ります。そして太陽国ソレイユを始めとした魔界と隣接する国々と後方の国々を結ぶ重要な都市でもあります。しかも前線ではない事からかなり油断が生じています。同時にかなり裕福な都市でもあります。『大輪祭(たいりんさい)』と呼ばれる夜空に花火を打ち上げる多大な物資を消費する祭りを開くくらいに。そこで此処を落とし、街としての機能を奪いましょう。それでその役目ですが…」

此方(こなた)がやろうか?」

「よろしいので?」

「えぇ。だって今の戦況で祭りを開催するだなんてそれだけ立地と食料に恵まれているってことじゃない。あぁ、(ねた)ましくて(ねた)ましくて、妬いてしまうわ」

 

 ひんやりと会議室空気が冷たくなる。

 スウェイはくすくすと笑いながらも、その様子からは凄まじい嫉妬が感じられた。

 

「流石は嫉妬の魔女とも言われるだけはありますね。わかりました。貴方に委ねます」

「ふふ、それじゃ此方は失礼するわ。行くとしたら色々と準備することがあるもの」

 

 スウェイは席を立ち、部屋から出て行った。マーキュリーは見送る。

 

「後方に関してはスウェイさんに任せましょう。それではトルデォンさんとブラチョーラさん、貴方達にはソドォムとゴラァムと呼ばれる国を滅ぼして貰います。これらの国々は太陽国ソレイユに物資と兵士の派遣をし、援助を行っています。これが思いのほか少しばかり鬱陶しいので。彼らの前線に戦力を集中させたのはこの為です。今この国にはあまり戦力がない。更に例の(・・)私の配下で小国に取り入った者により、既に多くの魔族が手引きにより背後に回り、身を潜めています。この両国にも既に内部には魔族の手の者を入れているので彼らの手引きの下、包囲し存分に破壊、壊滅させてください」

「いいねぇ、そういうのを待っていたんだ」

「ぶごごごご! 全て燃やし、灰燼にしてくれようぞ」

「ただ、位置からしてどちらかに勇者が現れる可能性はありますが、その場合は退却して下さいね。我々の目的は国を陥とす事にあるのですが、最悪滅びずともある程度損害を与えるだけで結構です」

「あぁ? つまんねぇな」

 

 一転してやる気が衰えたトルデォンに「命令です」と強めに念を押す。

 トルデォンは舌打ちしながらも一応了承の返事をした。相変わらずにこやかなマーキュリー。次いで最後の一人に指示を出す。

 

「ベシュトレーベンさん、貴方は今回の作戦には関与する権限を与えませんので。偽物だったとは言え逃し、聖剣を回収するチャンスを逃したのは許されないことですので」

「好きにしろ」

「えぇ、好きにします」

 

 にこりと人好きのする笑みをマーキュリーは浮かべる。

 ベシュトレーベンは心底どうでも良さげに鼻を鳴らした。

 

「それでは各自、魔王様の為に己が武を示しましょう」

 

 その言葉で今回の会議は締めくくられた。

 

 

 

 八戦将が退出した会議室。

 そこにはマーキュリーだけがいた。その背後に新たに人影が現れる。

 否、それら(・・・)四人は初めから会議室にいた。だが全員がマーキュリーの背後にある柱の陰に佇みながらも一言も喋らなかったのだ。

 

 それらは異質だった。白髪の一見して少女にも少年にも見える中性的な顔立ち。それだけなら兎も角、四人誰一人として別ではなく同じ顔、同じ体格をしていたのだから。

 

「お疲れ様です、マーキュリー様」

「…誰も折角入れた茶を飲まなかった…不愉快」

「相変わらず濃い面子なの」

「そして誰もが自分勝手(じぶんかって)。本当にまとまりがない」

「えぇ、全く困ったものです。魔王軍と銘うつからにはそれなりに軍として機能してもらいたいのですがねあの人(・・・)も召集に応じませんでしたし」

 

 マーキュリーはふぅ、と態とらしくため息を吐く。それらも主の気持ちが分かっているからか態とらしく苦笑し、同じ目でそれらはマーキュリーを見つめる。

 

「国を落とすあの二人ちゃんと命令通り動きますでしょうか?」

「ブラチョーラさんは兎も角トルデォンさんは勝手に行動するでしょうね。恐らく勇者と戦おうとするでしょう」

「でしたら止めないなの?」

「無駄でしょう。あぁ言うのはこちらが言うと不満が溜まるタイプです。ならば思う存分戦ってもらいましょう。我々はそれを遠くから見させて貰います。『真の勇者』の実力がいかなるものなのかを…ね」

「…つまり生贄」

「ふふふ、言い方が悪いですよ。これでも同じ魔王軍の仲間なのですから、一応彼の勝利を願っていますよ」

「流石はマーキュリー様。腹黒い。奸智術数(かんちじゅっすう)

 

 それぞれが同じ声色で話すにも関わらず、マーキュリーは気にした様子なくそれぞれに言葉を返す。

 その際にふっとある考えがよぎる。

 

「スウェイさんが街を落とすのは別に心配していませんがどうせまた人を追い出すくらいですかね…。殺しはしないでしょう。まだ同族意識(・・・・)でも残っているのでしょうか。全く染まるなら染まるでこっち側(・・・)になってくれたら良いものの…」

 

 まぁ、今回は別に問題にはならないかとマーキュリーは本題の方に思考を巡らせる。

 

「『真の勇者』…文献を探した所そのような名は何処にも見受けられませんでした。ですがどれほど強くとも人である以上出来ることには限り(・・)がある。八戦将にとって脅威なのは勇者のみ。なら同時多発的に八戦将が国を襲えば勇者はどれか一つしか救えない。そうやって一つずつ、国を落としていけばいいのですから」

 

 勇者と魔王の歴史は長い。だがいずれも最後には魔王が敗北している。

 そのどれもが自らの力に奢り、一人一人幹部が討ち取られた所為だ。八戦将は魔王を守る要。人の厄介さは力で劣るからこそ知恵を絞り、協力することにある。

 ならば勝ちを狙うならば複数の幹部で包囲し、殲滅すればいい。

 フォイルの時は実力を慎重に測り、それで今ならば抹殺しえると決め、三人の八戦将を送り込んだのだ。実際フォイルは敗走しているのでマーキュリーの分析は正しかった事となる。唯一の計算外はベシュトレーベンが殺さずに戻った事か。

 マーキュリーは知っている。魔王軍は強い。だからこそ過去の魔王軍は敗れたのだと。

 強いからこそ、勇者と一対一で(・・・・・・・)戦わずにはいられないのだ。

 しかし、だ。マーキュリーは思う。

 

「勇者と正面切って戦う理由が何処にあるのでしょう? 例え最後には雌雄を決するとしても、我らの目的は人を滅する事であり、勇者は別に最後(・・)でも良いのですから」

 

 勇者一人が残った所で意味はない。

 だからこそ策を(こう)じ、緩やかな滅亡に人類を向かわせる。じっくりと、大地に水が染み渡るように。

 そうして彼らの基盤を侵し、脆くする。

 

 人類が気付いた時にはもう手遅れなのだ。

 

 置いていかれたコップの水面が、マーキュリーの歪んだ笑みを映していた。

 




八戦将
 水陣のマーキュリー・チャングロォ・ハンツォンリー
 氷霧のスウェイ・カ・センコ
 獄炎のブラチョーラ・玄・バルカン
 迅雷のトルデォン・ロイド
 爆風のダウンバースト(討伐済)
 地蝕の???
 豪傑のベシュトレーベン
 ???

因みに元ネタは中国の八仙になります。
その割には力が物騒ですが。


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第2章 氷空に咲く大華
フィオーレの町


今回から新たなる章に突入します。


「はぁ!」

<ギッ!? ジィィ…>

 

 関節の隙間を狙って俺が振るった剣により、頭と胴体が二つに泣き別れになった巨大な百足は崩れ落ちた。そしてそれでも(うごめ)く頭に向かってトドメとして剣を突き刺す。

 

 これは"巨殻百足"といって体長5〜10mに育つほどの巨大な魔虫だ。食性は肉食。その大きさで獲物に絡み、大きな毒牙を使って動きを封じて(むさぼ)り食う。

 因みに今倒したのは6m程の大きさだ。"巨殻百足"はその体長も脅威だが、何より毒牙と毒尾が非常に危険な魔虫であるのだ。

 

 魔虫という種類は、頭と体を切り別れてもしばらくの間は動き回る。例によって"巨殻百足"も頭部を失っても暴れまわっていた。しかし、それはメチャクチャな軌道を描くだけで攻撃の意思はない。ない…が毒尾がついたままだともし当たれば致命傷になりかねないので、俺は予め尾を切っておいた。

 

 頭と毒尾を失った"巨殻百足"は、後は変にのたうち回る事しかできず、やがて動かなくなった。

 

「た、助かったよ。もうダメだと思っていました」

 

 馬車の後ろに隠れていた商人が護衛の一人を(ともな)って話しかけてきた。

 俺が"巨殻百足"を倒した理由、それは途中で襲われている馬車を発見したからだ。"巨殻百足"が巻き付いた馬車から遠のけ、すぐさま尾を切り飛ばした後、アイリスちゃんに負傷者を頼み、俺は"巨殻百足"と対峙した。

 

「助かったよ。俺ではあの化け物相手でも最早どうしようもなくて、クラマーさんを連れて逃げるしかなかった。あんた達、それだけの腕を持つって事は冒険者か何かか?」

「冒険者…? いや、おれはただの旅人さ。それよりも災難だったね、"巨殻百足"に襲われるなんて」

「あぁ、全くだよ。普段ならこんなところに現れる事はないんだが運が悪かったんですよ。はぁ、馬車も傷ついてしまった。馬に被害が出なかったのだけ幸いか...」

 

 商人は心底嘆くように溜息を吐いた。

 すると戦闘が終わったのを見届けたのかアイリスちゃんがトコトコとジャママを抱えて寄ってくる。

 

「"巨殻百足"も通常なら今は寝ている時期のはずなので、恐らくお腹を空かした個体が、山中から降りて来てしまったのでしょうね」

「アイリスちゃん、そっちはどうだった?」

「牙に引っ掻かれた護衛の方なら、もう大丈夫ですよ。ただ毒の方は町にいって治療しないと少し危ないかもしれません」

「十分だ。心から感謝する。職業がら仲間を失う事があり得るとは言え、実際にそうなると辛い」

 

 護衛の男性は深く頭を下げる。仲間を失う辛さは俺にもよくわかった。

 商人は一歩前に出る。

 

「本当にありがとうございました。何かお礼をしたいのですが、何か望みがあるでしょうか? ある程度なら融通させていただきますよ」

「お礼なら、よければ馬車に乗せてくれないか? ずっと歩いて来たんだけど、流石に少し疲れてね」

「それくらいで良いなら喜んで。ただ余りスペースがないので荷物と一緒になってしまうのですが」

「全然良いさ。こっちとしては座れるだけでありがたい」

 

 オーロ村からずっと俺たちは歩き続けた。

 平らな道だけでなく途中山中なども通ったのだが、険しい道のりで流石に歩きだけでは疲れた。

 そもそもオーロ村は辺境とも言われるくらい遠い地なので馬も村長宅くらいしかなく、借りることはできなかったので歩きで進むしかなかったのだ。

 許可をもらえた俺たちは商人の馬車の中のスペースに座り込む。

 

「これで次の町まで楽が出来るね」

「歩くのも好きですけど流石に常に警戒しつつは疲れますね。此処はまだ比較的馬車が通れるくらいに道が舗装(ほそう)されていますけど」

「う〜ん、次からは馬を借りた方が良いかもね。それか、ジャママが大きくなってあの親狼くらいになれば、背中に乗せて貰えたりして、だいぶ楽になるとは思うんだけども」

<ガァゥッ! ガァウガァウ>

「アヤメさんは乗せたくないって言ってるです」

「まぁ、そうだろうとは思ったけどね。残念だ」

 

 魔獣の背に乗って戦うのは何もおかしいことではない。例えば『竜騎士』や『魔獣使い(テイマー)』の職業(ジョブ)を持つ者はその名の通りに竜と魔獣に跨り、共に戦ったりする。

 アイリスちゃんは『魔獣使い』ではないけれども、何も乗れないって訳ではない。何故ならそうなると『竜騎士』や『魔獣使い(テイマー)』以外に誰も馬に乗れなくなってしまう。

 勿論特有の技能(スキル)は使えないけれど乗って移動する分には何の問題もないのだ。

 ジャママが嫌がるのは俺が親の仇であるからだろう。だからあっさりと諦める。

 

 …なんだけどやっぱり残念だなぁ。ユウ程じゃないけど、何かの背に乗って駆け抜けるのは中々にカッコいいと思う。読んだ英雄譚とかでもそういったシーンは山ほどあった。

 やっぱりそういうのに憧れがある。そう思うと残念だなぁ。

 

「あれ、ジャママ?」

「どうしたんだい? ジャママあんまり中を荒らしてはだめだよ」

<クゥン………ガゥガゥッ! >

 

 そんな風に思っていると何やらジャママが馬車内をふんふんしながら動き回る。そして一吠えする。見ればその先には植物が積まれていた。

 俺もアイリスちゃんもそれを覗き見る。至って普通の植物に見えるが…。

 騒ぎに気付いたのが商人が覗き込む。

 

「どうしました?」

「あのこれは荷物ですか?」

「あぁ、これはこの先にある男爵様宛の荷物ですね。あそこの貴族はやたらとこの植物にご執心でね。今回で3回目なんだよ。まぁ、こっちとしては代金が貰えるから悪くはないですけどね。それが何か?」

 

 商人の言葉を聞きながら、アイリスちゃんはじっと積まれた植物を見ていた。どうしたのだろうか。

 俺は「ありがとう。大丈夫です」と言うと、商人は馬車から出て行く。

 

「それでアイリスちゃん、ジャママもだけどその植物がどうかしたのかい?」

「いえ、何でもないのです。ただの観賞用なら問題ないはずです。それよりもアヤメさん、ちょっと足を開いてくれませんか?」

「うん? 良いけど」 

 

 アイリスちゃんはジャママを抱えたまま、宿で髪を梳いてあげた時みたいに俺の膝の上に座って来た。

 

「え、なんで?」

「座り心地が悪いので、アヤメさんの上に座ってるんです」

「いや、うん。アイリスちゃんは痛くないかも知れないけど俺は馬車の振動で尻が痛いままなんだけど…」

「良いじゃないですか。こんな可愛い子の椅子になれるんですから。それよりも、さっきがんばったからいい子いい子と褒めて欲しいです」

 

 アイリスちゃんは頭をぽすんと俺の胸に押し付ける。こちらを見上げる碧の瞳は凄く綺麗だ。

 

「…ま、良いか。アイリスちゃんには世話になってるしね」

「えへへ〜」

 

 アイリスちゃんの頭を撫でつつ俺は馬車の外の景色を見た。

 馬が歩き始めた際に見る景色は楽しかったが、俺の尻はやっぱり痛かった。

 

 

 

「それじゃ、本当にありがとう。もし何か入り物があったら是非ともこのアーノルド商会のクラマーにお申し付け下さい。出来うる限りの事はさせていただきます」

「あぁ、此方こそ。ありがとう」

 

 最後に握手を交わし、助けた商人とは別れた。

 俺たちはそれを見送ると改めて町中を眺めた。

 

「さてと、やっと町に着いたね」

 

 馬車に乗って約四時間、俺たちは町に着いた。意外と早く着いたのは思ったよりも歩いてきたのとやはり馬車の存在が大きい。

 

 見渡す限り、多くの建物と人が行き交っている。

 

 町ともなるとやはり活気も違う。この町…名はフィオーレだが、クラマーさんによれば町の中でも田舎の方らしい。それでも前のオーロ村に比べたら雲泥(うんでい)の差がある。

 先ずは道。村の時はほぼ全ての道が地面丸出しだったが、ここは重要施設などはきちんと石畳などで舗装されている。

 小さいながらも城壁があるが、やはり重要な施設のある所だけらしい。それ以外は町を囲うように柵が二重にある。魔獣もどうやら付近では"巨殻百足"が最大でそれ以上は強い魔獣はいないらしい。だからこんな薄い防御で大丈夫だとクラマーさんが教えてくれた。

 

「…活気もあって良い所だ。とても魔王軍との戦争中とは思えない」

「ここは前線から離れていますから」

「そうだったね」

 

 俺が思い浮かんだのは。とある場所だった。

 魔王軍との抗争地帯である"トワイライト平原"、あそこでは常に魔物が国境を超えんと蔓延る。当然それを防ぐ為に太陽国ソレイユの兵士達もいる。

 魔物が死ぬ事から瘴気も酷く、常に神官(プリースト)達が浄化に勤めていた。それでも尚、あの土地はひどい。だけど退く事は出来ない。

 なぜならもしあそこを抜けられたら太陽国ソレイユはすぐそこだ。つまり多くの市民がいるのだ。だからこそ数多くの兵士があそこで戦い、散っていく。

 

 俺もそこに派遣された事があるのでその凄惨さは身に染みてわかっている。

 俺は今尚魔王軍と戦っている兵士達がいる事にいかんともし難い感情が湧いてきた。

 俺はこんな風に平和に過ごしていて良いのだろうか、と。

 

「アヤメさん見てください! あそこで焼き鳥が売ってますよ。…? アヤメさん?」

「えっ、あ、うん、そうだね。良い匂いだ。お腹が空いてくるよ」

「そうですね。思えばそろそろお昼なのです」

「そうだったね。なら昼食を取るところを探すのも兼ねて散策しようか」

「はい! ジャママも良い匂いの店があったら教えるのですよ」

<カゥッ!>

 

 俺達は昼飯を食べるのも兼ねて町中を散策し始めた。

 

「いらっしゃい! 名物の白林檎(ホワイトアップル)はいかがかな!? 甘みがギュッと詰まって美味しいよ!」

「"白の都"と名高いソドォムから送られて来た大理石で出来た壺だ。これだけでも25金貨は堅いよ。そこの人、どうだい?」

「さぁさぁご覧下さい! 上質な魔石を嵌めて作ったこの短杖(ワンド)! 魔法使いであれば自らの魔法をより強めることが出来るよ! 今あるのだけで終わりだ。是非ともどうだ!?」

「新聞はいらないか〜! たったの20銅貨だ!」

「甘〜い生地で出来たホットケーキはいかがかな? 安くしとくよ〜」

 

 何処も彼処も元気よく人が往来している。

 皆が皆希望に満ちた顔をして楽しそうにしていた。

 

「アヤメさんすごいですね! 店が沢山ありますよ!」

「うん、そうだね」

 

 アイリスちゃんは楽しそうに周りを見回す。楽しそうなその姿を見るだけで俺も自然と楽しい気持ちになった。

 

 

 ふと思った。

 こんな風に観光みたいに町を見たのはいつ以来だろうか?

 記憶を探るも思い出せない。

 

 

 脳裏に浮かぶのは瓦礫の都市、悲観に暮れる人々、そして正体が明らかになった時の俺を罵る民達。

 そんな光景だった。今の光景とは似ても似つかない。

 

 そう思うと、何故か俺は心臓がひどく痛んできた。

 わからない。わからない…いや、本当は分かっている。怖いんだ、俺は。人の視線が。村の時は人数が多くなかったから何とも思わなかった。

 正体がバレた時、瞳の色が変わったあの時。あれがまたなるんじゃないかと思うと、酷く怖い。

 俺はスッとフードを深く被る。こうすれば少しでも誤魔化せると思って。

 

「ねぇ、あれ見て」

「っ!」

「エルフよ、エルフ。すごい初めて見た…」

 

 そんな声が喧騒の中でも聴こえてくる。婦人達が見ているのは隣を歩くアイリスちゃん。俺じゃない。

 その事に少しだけ安堵した。

 

「見てくださいアヤメさん! あそこに"極甘バナナ"売ってますよ。珍しい…アヤメさん?」

「えっ、あ、うん。そうだね」

 

 アイリスちゃんが小首を傾げている。俺は曖昧に頷いておく。

 

 更に町を散策していると目の前から二人組の兵士が歩いてきた。まずい。俺は僅かに顔を逸らす。

 

「なぁ、あんた」

 

 横を通り過ぎた後、話しかけられた。

 俺の体に緊張が走る。まさかバレたか? 

 

「エルフとは珍しい。始めて見た。それに可愛い子だな。大切にしろよ」

「…あ、あぁ。勿論さ」

 

 どうやら単に話しかけてきただけらしい。安堵の息をする。

 

「何をさっきからちょくちょく身構えているのですか?」

「いや…ははっ、情けないけど少しばかり他人の目が怖くてね」

 

 アイリスちゃんの手前嘘をつかず正直に話す。

 『偽りの勇者』であると発覚した後、それまでの周囲の目は一変した。誰もが俺を殺そうと武器を取り、不信の目で見てきた。

 

 こうなる事は分かっていたし覚悟もしていた。けれども心の奥底では自分を信じてくれる人はいないだろうかとも思っていた。自らそうなるよう演じたのに何を思っているんだとは思うけれど。

 そのせいか、少しばかり他人の目が怖い。トラウマになっているのだろうか。

 

「気にすることはないのです、貴方はアヤメさん(・・・・・)なんですから。胸を張って堂々と歩けば良いのです」

「うん、それはそうなんだけどね。心ではそう思っていてもつい体が…」

「そうですか...。なら仕方ないです。えぇ、これは仕方ないことなのです。決してわたしがしたいからとかじゃないのです。怖いならわたしが手を引いてあげますよ」

 

 アイリスちゃんは全く仕方がないという風に自然に俺の手を握ってくる。

 いや、確かに怖いとは言ったけどそんな子どもじゃないんだから…。

 けれど少しばかり気持ちが軽くなった自分がいた。我ながら単純だと呆れるほかない。

 

「アイリスちゃん、ありがとう。少し楽になったよ」

「えへへ、もっと私に頼って良いですよ? 私はお姉さんなんですから!」

 

 確かに年齢的にはアイリスちゃんのが上だけど、身体的には俺の方が上だと思うんだけど。

 ほら、側にいるおばちゃんとか微笑ましそうに此方を見ている。

 

「まぁまぁ、妹ちゃんの手を引いてあげるだなんて良いお兄ちゃんね」

「ほんとだわ、微笑ましい」

「むぅ…わたしの方がお姉さんです!」

「俺はちゃんとわかってるからさ。だからアイリスちゃんもお姉さんの余裕として軽く流してあげてくれよ」

「アヤメさんがそう言うのなら…。そうですね、わたしはおとな! ならおとなのよゆーでその程度のこと(やなぎ)に風なのです」

<カゥカゥ!>

 

 アイリスちゃんちょろいなぁ。

 とにかく心に余裕が出来た俺は先程とは違って町を見ることが出来た。

 

 その後も色々と見て回る俺たち。

 すると隣からくぅ〜とお腹の鳴る音が聞こえた。

 

「あ」

「ははっ、どうやらお腹が空いたみたいだね。俺もだよ。丁度良い、あそこのクレープ屋で小腹を満たそうか。アイリスちゃんは此処で座って待っていて。買ってくるよ。何か、好きな味はあるかい?」

「なら蜜柑(みかん)がよいのです! ジャママもそれで良いですか?」

<ガウッ>

「良いそうです。アヤメさん、お願いできます?」

「わかった」

 

 俺はクレープ屋へと歩き出した。

 



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ロクでもない奴ら

 俺はクレープ屋に並ぶ。

 人気な店なのか六人ほど並んでいたけど意外と直ぐに捌けて、俺の番になった。

 

「いらっしゃい、ウチのクレープはどれも美味しいよ。中でも苺を中にいれた奴は苺の甘さとクリームが合わさって蕩けるような味になるし、それを包む生地がまた優しいんだ」

「そうなんだ。ならそれと蜜柑の入ったヤツを貰えるかな?」

「はいよっ、2つで銅貨30枚だ」

「…意外と高いね」

「まぁ、クリームも新鮮な果実も沢山使ってるからな。その分味は保証するよ?」

「確かにそうだ。これで足りるかい?」

 

 金は魔族を撃退した時に金白狼(ジャママの親)の討伐分も含めて村の村長から貰えたものがある。だからこの程度の支出は何の痛手にならない。

 

「毎度! ほれ、ご注文の品だ」

 

 暫くして俺はクレープを受け取る。

 おっとっと。生地に対してクリームと果実が多い。溢れないよう注意しないとな。

 確かに見た感じとても美味しそうだ。早くアイリスちゃんに持って行ってあげよう。

 

 

 そんな風に考えながら戻ると何やらアイリスちゃんがいたところに人集りと揉めるような声が聞こえる。

「ちょっとすいません」

 俺は謝りながら人の群れを抜ける。

 見るとやはりと言うべきかアイリスちゃんと、やたらと豪華な服を着た男性が複数の護衛を背後に話しかけていた。

「だから私の元に来るのがお前にとっての幸せに繋がるのだ。なぜそれがわからん?」

「何度聞いてもお断りなのです。それよりもわたしは人を待ってるので早く何処かに行ってください。人が集まってこれじゃアヤメさんが戻ってくるのに邪魔になるじゃないですか」

「この、言わせておけば」

<ガルル…!>

「なんだ、獣風情が無礼だぞ!」

 

 ジャママが男性に向けて威嚇する。

 すると男性の護衛の方も剣の柄に手を当てた。

 それを見た俺はこれはマズイと思って二人の間に割り込む。

 

「失礼します」

「何だお前、仮面をつけて怪しい奴であるな」

「えぇ、私の名はアヤメと申します。その身のこなしと作法、さぞ名の知れたお方だと思いますが不遜ながら私は名を知りません。お教え貰えないでしょうか」

 

 俺は丁寧な言葉と態度で話しかける。

 勇者として王族貴族とは会うことがあった。だから礼儀作法もそれなりに身についている。本職の執事やメイドには劣るだろうが最低限の礼儀としては十分及第点だ。

 男性は横から入られた事に不愉快げにしていたが、俺の言葉に少しだけ機嫌良さげに鼻を鳴らす。

 

「ふん、私の名を知らないとはな。良いか、私はディアス・アル・ディーターである。誇り高いディーター家の当主であり、ここら一帯の平民どもを我が地に住まわせてやっている」

「つまりこの地一帯を統治する領主様であると。そのような方とお会いできて光栄です。ところで、そのお方が何の用なのでしょうか?」

「ふん、この娘が不敬にも私の誘いを断ったのだ。これから先の人生を見てやるというのに」

「つまり娶られるということですか?」

「話が早いな。そういう事だ。光栄であろう」

「…わたし別に嬉しくもなんともないんですが」

 アイリスちゃんがボソリと呟く。

 なるほど、読めてきた。

 確かにアイリスちゃんは綺麗だ。だけど自らよりも幼い見た目の彼女に対して、こんな白昼堂々と娶るとか宣言するとか…。いや、俺も昔パーティで良く貴族に娘をどうかと紹介された事があったな。

 とりあえず、この話を受けると言う選択肢はない。

「男爵様に見初められるなど、身に余る光栄であります。しかし、それは謹んでお断りさせてもらいます」

「なに!? 貴様この私が男爵家の当主と分かっているのか!?」

「私は今この子の保護者としてエルフの里の者と約束事を交わしておりまして、とある目的地まで送り届ける予定なのです。下手に手を出してエルフからの報復を考えないほど、男爵様は愚かではないしょう? 貴族位を持つ程なのですから何とぞ、冷静な判断をお願い致します」

「むぅ…!」

「ディアス様。残念ですがここは引いた方が宜しいかと。エルフから何かしら反応があった際には我々には手が余りすぎます」

「分かっておるわ!」

 

 御付きの人の言葉にディアスは怒鳴りながらも納得してくれている。

 こちらの正当性と、ほんの少しだけの脅し。

 これなら穏便に諦めてくれるだろう。

 

「要は無理矢理でなければ良いのだろう。そこの娘、改めて言おう私の側室となれ」

 全然諦めてなかった。

 そんな堂々と妾にとか、いくらなんでも女性を口説くにしては乱暴すぎるだろう。

 どうする。断るのは当たり前だが、断り方と言うものがある。ここは穏便に、相手を刺激しないように…。

 

「いやです。絶対に嫌です」

 

 なんでこの子二回言っちゃうかな。ほら、目の前のディアス男爵がピクピクとこめかみを青くしてる。

 

「こ、この…!」

「ディアス様! エルフとの間に遺恨の残せば最悪家の取り潰しの可能性もあります! それにディアス様が望む女性は別にいる(・・・・)ではありませんか。此処は潔く引くのが貴族たる者の優雅さです」

「ぐ、ぐぬっ…わかった」

「はっ、寛大なお心に感謝します」

 

 勝手に納得したようだけど、俺はこれ幸いと頭を下げておく。

 

「ふんっ、平民め」

 

 ぺっと仮面の無い方へ唾を吐きかけてディアスは去っていった。

 彼らの乗る馬車が見えなくなるまで俺は頭を下げ続けていた。

 はぁ、と溜息を吐く。

 

「やれやれ、やっと行ったか」

「アヤメさん! なんであんな奴に下手にでる必要があるのですか!? アヤメさんなら戦っても負けないのに」

「いいかい、アイリスちゃん。力を持つという事は簡単に人を害する事ができるというものだ。だからこそ、力を自制する必要がある。枷の外れた力はただの暴力だ。それではただの獣と違わない」

 

 思い浮かぶのはグラディウスの事だ。彼は自らの力を笠に好き勝手してきた。その時の恨みが彼が腕を失った際の民衆からの報復だ。

 力があるから、好き勝手にして良いと言う理屈にはならない。力があるからこそ、気を使うのだ。

 

「でも…、そんな向こうが勝手に理不尽な事を言ってきたのにそれを黙っているだなんて」

「確かに身勝手な事を甘んじて受けるのは間違いかもしれない。でも、力で物事を解決するのもまた正解とは言えないんだ」

 

 力で全てを解決するのならば世の中はもっと単純だっただろう。それこそ魔獣の世界みたいに。

 

「とは言え力でしか対抗出来ないことは確かにある。もし向こうが実力行使で来たんなら君の事は全力で守る。約束しよう。だからアイリスちゃんも出来うる限り堪えてくれないか?」

「っ! そ、そういう事なら仕方ないです。えぇ、寛大な心で許すです。けどその前にちょっと屈んで下さい。顔についた汚れをとってあげるです」

 

 アイリスちゃんは拭いたハンカチを汚いとでも言いたげにぽいっと近くのゴミ捨て場に捨てた。まぁ、他人の唾液なんて実際汚いんだろうけどさ。そこにはアイリスちゃんのディアスへの嫌悪感がありありと見て取れるね。

 

<カァゥ>

「ジャママも、わたしを守ろうとしてくれてありがとう。お礼に頭をよしよししてあげるです」

<ガァゥ! クゥ〜ン>

 

 よしよしと頭を撫でる。ジャママは嬉しそうにしっぽを振る。

 

「確かにそうだね。俺も褒めて…」

<ガァウ!>

 

 俺に撫でられるのは嫌か、そうですか。

 …へこむなぁ。

 おっといけない、忘れていた。

 

「それよりもほら、クレープだ。ちょっとクリームが溶けちゃったけど」

「この程度なら問題ないです。ありがとうございます」

 

 気分直しに噴水の前の椅子に座る。

 アイリスちゃんはクレープを受け取り、口を開けて果実と一緒に食べる。と、アイリスちゃんが青い瞳をキラキラと光らした。

 

「これすっごく美味しいです!」

「本当だ。生地もしっとりしていてそれでいてクリームも滑らかだ。流石銅貨30枚しただけはあるね」

「えっ、そんなの飲食店で普通に食事出来るくらいの値段じゃないですか。でも、これだけの味なら確かに納得出来ます」

<ガゥガゥ>

「あ、ジャママも欲しいですか? はいどうぞ」

<ガゥッ!>

 

 アイリスちゃんは指にクリームをつけてジャママにもあげていた。

 

「狼に甘いものって大丈夫なのかな?」

「余り沢山与えなければ大丈夫です。それにジャママも美味しいものは食べたいですよね?」

<ガゥッ>

「それもそうだね。さっきのことは忘れて町を散策しよう」

「そうですね! まだ宿も決まっていませんし」

 

 アイリスちゃんも機嫌が直ってきた。よかったよかった。

 

 そうだこのままさっきの事は忘れて町を散策しよう。

…そう思っていたんだけどなぁ。

 

 

 

「おらぁ! 調子に乗るな!」

「かはっ」

 

 通った路地の裏で一人の男性が複数の男に囲まれて殴られていた。

 どうやらまた厄介ごとの気配がする。どうしてこう、立て続けに物事が起きるのかな。

 だが俺は救世主(ヒーロー)なんだ。理不尽で人が傷つけられるのは見過ごせない。

 

「アイリスちゃん、俺の側から離れないでくれ」

「はい! 一生離れません!」

「いや、そこまではしなくて良いけど」

 

 さっきはアイリスちゃんを一人にしちゃったから変な奴が話しかけて来た。なら多少危険だけどアイリスちゃんには側にいて貰おう。

 むぅ、とアイリスちゃんが顔をむくれるも、今は目の前のことの方が大事だ。

 

「一人の男に寄って集って、乱暴とは穏やかじゃないよ」

「あぁ? なんだお前?」

「通りすがりの救世主(ヒーロー)だ」

 男達は変な奴を見る目でこっちを見る。…ちょっと心折れそう。今後名乗るの控えようかな。

「なんでそこの男性に暴力を振るう? 見た感じ彼が何かした感じではないのだろう。八つ当たりだったら恥を知った方が良いよ」

「テメェッ。はんっ。これを見て分からねぇか? さっさとこの場から消えな。ガキが首突っ込むんじゃねぇよ」

「これでももう二十歳なんだけどね。…ん?」

 茶髪の男が、これ見よがしにナイフを向け得意げな顔をする。周りの男達もにやにやと嘲笑うように見ている。

 あぁ、そういうことか。

 

「言っておくが俺に脅しはきかない。それに町で得物を抜くということは、勿論自分もそれを向けられても仕方ないと理解しているんだよね?」

 

 八戦将や魔獣の殺意に比べれば目の前の男達の殺意など赤子に等しい。潜ってきた修羅場が違うと断言出来る。

 戦場を渡り歩いてきた俺と町で生きるだけの男がどうして同列で語れるものか。

 だが逆上されても厄介だ。だから少しばかり本気で威圧する。案の定男達は顔色を悪くした。

 

「く、くそっ! 調子に乗るな!」

「ふっ」

「あがっ!」

 

 茶髪の男がナイフを振るう。それを軽く躱し、手首をひねり、ナイフを落とした瞬間に顎に向けて掌で殴る。茶髪の男は仰向けに気絶した。

 

「なっ、嘘だろ!?」

「引いてくれないか? これ以上は互いに無利益だ」

 

 あくまで穏便に告げると、暴漢達は慌てて逃げていった。っておいおい仲間は放置か。

 

「ちゃんと連れて行ってあげなよ、仲間だろ?」

「ひぃっ! は、早く退くぞ!」

 

 怯えながら男達は茶髪の男の足を持って運ぶ。

 いや雑。頭ゴリゴリ行ってるよ。あれは禿げるだろうなぁ…。

 

「情けないです。立派なのは体格だけですか」

「まぁ、幾ら身体を鍛えても死ぬ時は死ぬからね。死の恐怖を感じることは悪いことではないよ。生物の生存本能だから。それよりも大丈夫かい?」

「うっ、ごほごほっ。し、しまった花がっ」

 起き上がった男はこちらには目もくれずに何かをかき集めている。

 後ろからそれを覗き見てみる。彼が集めているのは花弁か?

 

「あぁ、なんて事だ。花が…」

 

 眼鏡の男の人は、暴漢達に踏み躙られた花束を見て嘆く。そしてすぐにハッとしてこちらに頭を下げて来た。

 

「す、すまない。助けて貰ったのにお礼もまだだったね。僕はロメオ・モギュー。この町で花屋を営んでいるんだ」

「俺はアヤメ。こっちはエルフのアイリスちゃんに、金白狼の子供ジャママだ」

「よろしくです!」

<カァゥッ!>

「うわっ、お、狼!?」

 

 ロメオは見るからに平凡と言って良い男だった。そして普通の人であった。現に子どもとはいえジャママを見て驚いている。

 

「大丈夫です。ジャママは無闇矢鱈に噛み付いたりしません。するとしたらアヤメさんにです」

「俺は噛まれたくないんだけど…。それより傷は大丈夫かい?」

「あぁ、一発殴られただけでそれもじきに痛みがなくなるよ」

「それなら大丈夫そうですね。でも一応後でガーゼは貼っといてあげます。それでロメオさん。何であの暴漢達に襲われていたんですか?」

「それが分からないんだ。町を歩いていたら突然因縁をつけられて…別にぶつかったとかないんだけど、肩を掴まれて路地裏に連れ込まれて、後は暴力さ。アヤメさんが直ぐに助けてくれたから大丈夫だったけど、もし誰も来なかったらと思うと…ぞっとする」

 

 つまりは向こうが勝手に因縁をつけてきてロメオに暴力を振るったということか。金の要求とかされた様子がないからカツアゲって訳でもなさそうだし、本当にただ因縁をつけられたってだけかな。

 思ったよりこの町の治安は悪いかも知れない。あの兵士とかを見てると気が良い人の方が多そうなんだけどな。

 

「そうだ、良かったらお礼をしたい。僕の家に来てくれないか?」

 

 ロメオはそう提案した。

 



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お茶会

切りどころ見失って少し長くなりました


 ロメオの家は町の外縁部にある所だった。

 本当は町の中に花屋の店はあるが、そこに飾る花をここで育てているらしい。

 

「ここが僕の家だ。少しばかり町の中央から離れているけど良い所だよ」

 

 二階建ての至って普通の家。特筆するは、周囲に咲き誇る花の多さだろう。大小色合い様々な花が、彼の庭には咲いていた。

 

「花屋の花ってここで育てたやつかい?」

「うん、そうだよ。僕の祖母からずっと続いているんだ」

「素晴らしいですね。どれもこれも生き生きとしています。これだけ生命力に溢れた花が森じゃなく町に咲いてるにしては珍しいです」

「アイリスちゃんわかるのかい?」

「分かりますよ、わたしはエルフですから。貴方が愛情を持って花を育てているのは見ればわかります」

<カウッ>

 

 アイリスちゃんが慈愛に満ちた目で花にそっと触れる。ジャママも良い匂いにご機嫌に尻尾を振っている。

 その様子は俺にはまるで一枚の絵画のように見えるほどの光景だった。

 

「そうか。『自然の調停者』として名高いエルフにそんな事を言ってもらえるなんて僕も嬉しいよ」

「そうですよ、誇って良いくらいです。それよりやけにベゴニアの花が多いのは貴方の好みなんです?」

「えっ、そ、そうだね」

「なんだい、何か理由がありそうだね。是非とも教えてくれないか?」

 

 軽く小突きながら笑うとロメオはデレデレとした顔で語り始める。おやおやこれはもしかして惚の字じゃないか?

 

「えっとだね、この町に住むジュリエさんって言う女性の方が居てね。あの、その人は貴族なんだけどすごく親切でお淑やかで見ていて凄く綺麗で優しそうな人だなって思って。前に仕事で花を届けた時に話したんだけど、本当にイメージ通りの人だったんだ。それで、その、その時にベゴニアが好きだって聞いてそれで」

「なるほど、それで彼女にベゴニアの花をあげたくて育てているって訳か」

「ひぃ〜、は、恥ずかしい〜!」

 

 ロメオは顔を覆って(うずくま)る。

 聞いたのは俺だけど途中から自分で語っていたんだけどな。アイリスちゃんもそう思っていたのか俺と目が合うと一緒に笑ってしまった。

 

 

 

 

「はい、これで大丈夫ですよ」

「あぁ、ありがとう」

 

 家に入ると先ずアイリスちゃんがロメオが殴られた箇所へ塗り薬とガーゼを貼っていた。

 『聖女』の力抜きにしてもアイリスちゃんの治療技術は頭一つ抜けている。薬も自ら作ったものだが、俺が店で見るポーションとかよりも効能が高く感じた。

 

「これなら翌日には腫れも引くと思います」

「そうか。本当にありがとう。助かったよ」

「いえ。思ったよりも怪我は酷くありませんでした。殴られたのは不幸でしたけど、傷が浅かったのは幸いでしたね」

「あはは、喜んで良いのか微妙だな…」

「そういえば、あの暴漢達技能(スキル)は使わなかったんですね。じゃなきゃ、この程度で済むとは思えないです」

「あぁ、それなら簡単だよアイリスちゃん。技能(スキル)は『兵士』や『騎士』といった治安維持部隊以外が街で使うと通常よりも罪が重くなるからね。魔獣や魔物が出てきた際はその限りではないけど」

 

 技能(スキル)は、勿論殺傷性のないものもあるが中には『魔法使い』の火魔法や炎魔法のように危ないものもある。

 もし街中で喧嘩が起き、双方が技能(スキル)を使いあって喧嘩すればその被害は当事者だけでなく、他者にも及びうる。だからこそ、街の中での技能(スキル)の使用は重罪なのだ。

 

「なるほど〜、でもならず者はそんなの関係ない! と言わんばかりで使う人もいそうですね。嘆かわしい事です」

「そうだね。世の中善人ばかりじゃないから。僕も身に染みてわかったよ。君も一人でなるべくウロつかない方が良いよ」

「大丈夫です! わたしにはアヤメさんがいますから!」

「頼りにしてくれるのは嬉しいけど、アイリスちゃんも不必要に相手を煽ったりはしちゃダメだよ?」

「えぇ〜」

 

 不満そうにするアイリスちゃん。

 いいね? と言うと「わかりました」とちょっと不満そうにしながらも頷いてくれた。

 

「二人は仲が良いんだね」

「そうです! わたしとアヤメさんはそれはもう深い仲なんです! それはもう切っても切れないくらいに運命の糸が絡み合って」

「うん。深い仲なのは認めるけど、その言い方は誤解を招きそうだからちょっと落ち着こうか?」

「えぇ〜…」

「あははっ。そうだ、何か御礼をしないとね」

「いえ、別にそんなの気にしなくて良いですよ」

「いや、それじゃ僕の気が済まない。そうだな…少し待っていて貰えるかい?」

 

 ロメオは立ち上がり、一度家から出た後幾つかの花を抱えて戻ってきた。

 

「【作成】、あとここに【固定】をして形を崩れないように…」

 

 彼は作業台に座り、花の棘を切ったり、形を整えたりする。その動きはとても手馴れていて、思わず感嘆するほどだった。アイリスちゃんもわぁ〜と興味深そうに見ている。

 ロメオは最後に花袋に花を包み込んで、花袋に巻いたテープを切る。

 

「うん。これで良いかな。はい、どうぞ。これは僕からのお礼だよ」

「わぁ、ありがとうございます!」

「よかったねアイリスちゃん」

「はい!」

<カゥカゥ>

 

 嬉しそうに花束を抱き抱えるアイリスちゃんを見ていると俺も嬉しくなる。改めて礼を言うとロメオは「本当に気にしなくて良いよ」と照れながら手を振る。

 

「凄かったよ。素晴らしい花束があっという間に出来るからビックリしたよ」

「これが僕の仕事だからね。やっぱりこうして花束を作ってお客さんにあげると喜んでくれるからやりがいを感じるんだ」

 

 ロメオは自らの仕事に誇りを持っているようだった。

 ふと時計を見たロメオが「あっ!」と立ち上がる。

 

「おっと行けない。ジュリエさんに花を届ける約束の時間が迫って来ている! 直ぐに頼まれた品を届けにいかないと。あぁ、でも本当はさっき潰された方が一番の出来だったけど…」

 

 ロメオは残念そうに目を伏せる。

 彼の手には暴漢によってぐちゃぐちゃに潰れた花束の残骸があった。

 …うん、そうだな。

 

「着いて行ってあげるよ、またあんな事がないとは限らないからさ」

「そんな、悪いよ」

「教えてくれた礼さ。それにきみがご熱心のその女性に興味も湧いた」

 

 勿論それは建前だ。本命は言った通り彼の身に危険が迫った時に守れるように側にいるためだ。本当に只の因縁なら良いけど、もし奴らの理由があった場合またロメオに危害が及ぶのを防ごうと思っている。

 

「…わかりました。本当にありがとう。今すぐ花束を作るから待っていてくれますか?」

「あぁ、わかったよ。…………ん?」

 

 ぞくっ。

 何だか背後から冷たい空気が。

 まさかと思って冷や汗を流しながら後ろを振り返ると先程とは打って変わってじっとこちらを見つめているアイリスちゃんが。

 

「アヤメさん…? 」

「はっ! 待つんだアイリスちゃん、興味が湧いたといってもそれはあくまで好奇心であり、決して恋愛的な意味ではなくてだね」

「アヤメさんの浮気者ー!」

「へぐぁ」

 

 アイリスちゃんの頭突きが俺のみぞおちに入った。

 確かにアイリスちゃんの身長じゃ、メイちゃんみたいに叩く事は出来ないけどこれはこれで痛い。

 暫く蹲った俺は、ジュリエとやらの女の人の家に行くまでアイリスちゃんの誤解を解くのに頑張ったのであった。

 

 

 

 

 ジュリエの家はロメオの家とは反対側にあった。少し町から離れた所。周囲にはあまり建物もなく、屋敷というには小さく別荘とでも言える家にジュリエという女性は住んでいるらしい。

 

「ジュリエさ〜ん! 花屋のロメオです。注文の花をお届けに参りました〜!」

「直接呼びかけるのかい?」

「あぁ、ジュリエさんの家には門番が居ないんだ。だけど僕が勝手に不法侵入するわけにもいかないから、こうして呼びかけてくれってジュリエさん本人が」

「なるほどね」

 話していると別荘の扉からではなく庭園の一角から一人の女性が現れた。

「あら、ロメオくん。今日は少し遅かったのね」

「ジュリエさん! ご、ごめんなさい。ちょっと色々ありまして…」

「もう、ジュリエでも良いって言っていますのに」

「い、い、いえ! 貴族であるジュリエさんをさん付けで呼ぶだけでも恐れ多いのに呼び捨てなど!」

 

 ロメオくんと話す女性はクスクスと口に手を当てて笑っている。

 何というか儚いって言う感じだ。

 

「綺麗ですけど…何だか生気が薄いです。里にいた老体になったエルフに似ています」

「こらこらアイリスちゃん失礼だよ」

 

 確かに存在感が希薄という点では近しいものがあるかもしれないが、流石にその言い方は失礼だ。

 だが目の前のジュリエさんは気を害した様子はなく、クスクスと微笑ましそうに笑っていた。

 

「あらあら、可愛らしい子。初めましてわたくしはジュリエと申します。…その耳、もしかしてエルフかしら?」

「そうなのです! この子はジャママで、此方にいるかっこいい人はアヤメさんです!」

<カゥ!>

「そうなの。素敵なボーイフレンドね」

「! あ、アヤメさんはあげませんよ!」

「物か何かかい俺は? 」

 

 だが悪い人じゃなさそうだ。仮面を被っている俺に対してもよろしくねと軽く微笑んでくれている。

 

「可愛らしいワンちゃんね。撫でてもよいかしら?」

<カゥ>

「ありがとう。ふふっ、賢くて可愛いわね」

 

 ジュリエさんはジャママに怯えることなく撫でる。犬ってか狼なんだけど…。結構肝の座った女性なのかもしれない。

 ていうか、俺も撫でられてないのにこんなにジャママがあっさり撫でさせているのを見ると、なんというかちょっとショック。

 

「あの」

「ごめんなさいねロメオくん。それで頼んでいたお花の方見せてもらえるかしら? わたくし楽しみにしていましたの」

「は、はい! どうぞ」

「ありがとう。あら、もしかしてこの花…?」

「あ、はい! ジュリエさんの話を聞いて、ベゴニアの花を取り寄せたんです。それで、その綺麗に咲く事が出来たので是非ともジュリエさんにと。め、迷惑だとは思ったけど」

「いいえ。ふふっ、ありがとうわたくしこの花好きなのよ。嬉しいわ」

 

 ジュリエさんはやんわりと嬉しそうに微笑んだ。それをぽーとした顔でロメオが見ている。

 

「青春だね」

「甘酸っぱいです。わたしもあんな風に…」

 

 それを微笑ましく見ていた俺たちだけど、ふとジュリエさんはロメオの顔のガーゼに気付いた。

 

「ロメオくん、その顔のガーゼはどうしたの?」

「え、あぁ。ここに来る前にちょっと襲われてね」

「えっ! だ、大丈夫なの? 」

「うん。ここにいるアヤメさんとアイリスさんに助けてもらったから」

「そう…なら良かった。ありがとう、アヤメさん。ロメオくんを助けてくれて。彼は、大切な友達だもの」

「と、友達…。友達かぁ、うん…」

 

 ロメオは友達という部分に落ち込んでいるが、ジュリエはそんなロメオを見てこれまたクスクスと楽しそうに笑っていた。だけどその目は何処か強い想いが感じ取れた。

 おや、これはもしかすると脈がありそうだな。

 

「もしよければ少しお茶しないかしら? 花を届けてくれたお礼がしたいわ。貴方達もぜひ来て欲しいの。ロメオくんを助けてくれたお礼もしたいの」

「へぁっ!? そ、そんな僕なんかが恐れ多いといいますか、なんといいますか」

「焦れったいです。女性の好意は素直に受け取るべきですよ」

「そうだよ。せっかく誘ってくれたんだからさ」

「あ、あぁ…。そ、そういうことなら…。その、不束者ですがよろしくお願い致します」

「ふふふっ、どうしたのそんな畏っちゃって。本当ロメオくんは面白いわ」

 

 ジュリエさんは楽しそうに笑いながらも「遠慮しないで」と自身の庭園に案内する。

 庭園は素人の俺でもわかるほど立派な所だった。

 案内された俺たちが座った丸型のテーブル、その上にこの庭園には似つかわしくない、謂わば派手な赤いバラが花瓶に飾らせていた。

 ジュリエさんの趣味だろうか。だがロメオには何か心当たりがあるようであった。

 

「あれ、この花…」

「えぇ、また男爵の人が持って来たの。今月で3度目ね」

「男爵…? それってあの鼻持ちならない自分は偉いぞオーラを丸出しにしている男みたいな奴のことですか?」

「ディアスだよアイリスちゃん」

「そうです、そのディアスって奴です」

「あら貴女、彼に会ったの?」

「妾になれと言われました」

「それは…大丈夫だったの?」

「はい! アヤメさんとジャママが守ってくれました」

「そうなの。良かったわ。彼には困っているのよ。今回この花を送った時にわたくしに婚約を迫りましたから」

「えっ!? そ、それをジュリエさんは受けたんですか!?」

 

 ロメオが慌てる。

 淡い片想いをしている彼にとっては聞き捨てならない事態だろう。

 

「なぁに、ロメオくんたら慌てて。ふふっ、大丈夫よ。わたくしはこの求婚受ける気はないわ」

「えっ、あ。そうですか…よかった。でも、それなら何故花を…?」

「どれだけ相手が嫌いでも、送られたものに罪はないの。粗末に扱えばそれこそわたくしも良くない人になってしまうわ。花に罪はありません。それに彼が求めているのはわたくしでは(・・・・・・)ありませんから(・・・・・・・)

「? あの、どういうことですか?」

 

 アイリスちゃんはよく分からなそうな顔をする。俺も似たような顔をする。

 

「彼はわたくしに婚約を申し込んだ時にこう行ったのです。『貴様の持つ職業(ジョブ)と知識を俺に渡せ。そうすればピュレット家も再興出来る』からって」

「失礼だけど、君の職業(ジョブ)は…」

「わたくしの職業は『薬剤師』。といってもそれ自体は珍しくはありません。ピュレット家は『薬剤師』を排出する家系で色んな植物の薬の作り方にほんの少しだけ長けているだけなのに。わたくしは別に家の再興には興味ないわ。こうやって、日がな一日緩やかに過ごして行きたいの。でも、彼からすればそんなの貴族の生活ではないのでしょうね」

 

なるほど、確かに側から見れば没落した貴族の娘を救おうとしている吟遊詩人が好きそうな話だ。

 

 でもなぁ、あの男はアイリスちゃんを妾にとか言い出した男だ。正直あまり立派な奴とは思えない。何かしら裏があるとしか考えられない俺は少しばかり考え方が捻くれているかもしれない。

 別に貴族だから全員が腐敗している訳ではない。中には自ら前線に立って魔王軍に立ち向かう貴族がいることを俺は知っているしね。だけど貴族は強い職業や称号を受け取る事が多い。だから平民を見下してしまうのもまた事実なのだ。

 そう、あのメアリーのように。

 

 そして気になるのはディアスの言葉だ。職業(ジョブ)もだが、ピュレット家の知識ってなんだ?

 

 そんな全員の気持ちが伝わったのだろう。ジュリエさんは口を開く。

 

「彼がわたくしを求める理由はわかっています。彼は我が家に伝わる秘薬を求めているのでしょう」

「秘薬?」

 

 えぇ、と頷くジュリエさん。

 

「先に言っときますけどそれがどういうものなのかわたくしは知りません。彼は信じませんけれども。でもそれがどんな効果をもたらすのかは知っています。確かあらゆる病を治せる秘薬であると」

「あらゆる病を!?」

「まぁ、そんな事はなかったのですが」

「は、え?」

「理由はわかりません。ですが、それが何かいけないものだったのでしょう。国によってわたくしの家族は皆捕らえられました。わたくしのお祖父様は死罪。お父様とお母様も貴族位を剥奪の上国外追放となりました。当時まだ幼かったわたくしは無罪とはなりましたがピュレット家は没落。もはや名だけの存在です。栄光などありません」

 

 その言葉に俺は納得した。

 ジュリエさんの家は確かに大きいが、貴族というには些か小さ過ぎる。その理由がこれだったのだ。

 

「わたくしはもう栄光なんてどうでも良いわ。癒しの秘薬もどうでもいい、そのせいで家族を失ってしまいました。こうして、日がな一日植物に囲まれて穏やかに過ごしたいだけだの。貴族(あそこ)の生活は、わたくしには窮屈すぎるわ」

 

 愛おしそうに、そして慈しむようにロメオからの花束を見るジュリエさん。

 窮屈、か。俺もよく貴族との会話やパーティに参加していたからその言葉に少しだけ俺は共感を抱いた。

 

「ごめんなさい、愚痴みたくなっちゃって」

「い、いえっ。僕はそんなに気にしていません。それに、その。ジュリエさんのことをもっと良く知れて良かったと思っています」

「そう? それならよかった」

 

 ロメオとジュリエさんはその後仲良く話す。

 ふと俺はさっきから黙っているアイリスちゃんに目を向けた。彼女は何やら考えている様子だった。

 

「………」

「アイリスちゃん?」

「は、はい! なんでしょう?」

「どうしたんだい? 黙っちゃって」

「いえ…」

 

 珍しく歯切れの悪い様子のアイリスちゃんに首をかしげる。

 何か気になることがあったのだろうか。

 するとアイリスちゃんは話しているロメオとジュリエを見た後、ちょいちょいと手を振る。

 

「ジュリエさんの話を聞くと、ちょっと気がかりなことがあったんです。男爵…つまりあの生意気貴族とクラマーさんが届けていた植物。そして病気を治す癒しの秘薬。それについて」

「何か知っているのかい?」

「はい。ただ、そのわたしの知る限り確かに一時的には効果はあるのですが、それは病気を治す秘薬ではなくて別の」

「二人ともどうしたのかしら?」

 

 ジュリエさんがこっちを見る。

 

「な、なんでもないです!」

「そう? そうだ、聞いてみたい事があったんだわ。ねぇ、アイリスちゃん、貴方から見て彼の仕事はどう思うかしら?」

「凄く丁寧です。ロメオさんが作った花は全部輝いて見えて、正直わたしの里以外でこれほど花に対して愛情を注ぐ人も、仕事に対して真摯な人初めて見ました」

「そうよね! わたくしもそう思うわ。そうだわ、ロメオくん。今度わたくし新しい花をこの庭園に植えようと思っているんだけども、良かったら色々教えてくれないかしら?」

「えっ、あ。ぼ、ぼぼぼ、僕で良ければ!」

「ふふっ、ありがとう。よろしくね」

 

 ロメオは顔が真っ赤になりながらも頷いた。彼にとってこれほど嬉しいことはないだろう。

 

「アヤメさん、また後で話します」

「うん、わかった」

 

 俺たちは純粋にこのお茶会を楽しむことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 夕方。

 

「では、僕たちは帰ります」

「えぇ。アヤメくん達もありがとう。今日は本当に楽しかったわ。またこの町から出る時は教えてくださいね」

「わかりました。本日はありがとうございました」

「わたしも楽しかったです。またお話しできたらと思います」

「えぇ、そうね。わたくしもそう願っていますわ。ワンちゃんも、またね」

<ガゥッ!>

 

 最後に別荘から出て行く時、ジュリエさんとアイリスちゃんの二人すっかり仲良くなったのだった。

 

 町を出るのはまだ先だけど、また此処に来よう。ロメオくんも一緒に四人で。俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…これはディアス様に報告する必要がありますな」

 

 その様子を物陰から仕立ての良い服を着た1人の男がのぞいていた。

 



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急変

 ピュレット家の庭園でお茶会をした次の日。

 

 町外れの自宅。

 そこで忙しなくロメオがグルグルとその場を回っていた。

 

「あぁ、どうしようどうしよう。まさかこんな事になるなんて」

 幾度となく繰り返された問答。

 だが彼は今頭を抱えていた。理由は先ほど入った仕事の依頼だ。

 

「まさか男爵様から依頼が来るなんて。断りたかったけどそんな事僕の身分の人がすれば何と言われるかわからないし…。嫌だなぁ、何事もないと良いけど…」

 

 この一帯の領主であるディアス・アル・ディーターから花束を作れとの依頼を受けたのだ。それも速やかにである。

 小心者のロメオは貴族と関わりたくない。ジュリエは特別だが、基本的に貴族というのはプライドが高い。気に入らないものを出せば逆に店を潰されかねない。

 特にディアスは、ロメオにとって淡い恋心を抱くジュリエに執心している。男としても本当は断りたい。

 

 しかし仕事は仕事だ。

 ならば完璧にやる遂げるのみ。歩き回り、ある程度趣向が決まったロメオは早速作成に入る。

 

「確か男爵様の家は100年は続く家だったな。そして確か武勇に優れた家系だったはず。なら『繁栄』の意味を持つ花を中央に、赤を周りに飾るようにして…」

 

 仕事をすれば雑念は消え、何時もの真剣な表情で製作に励む。

 暫くしてやっと納得できる花束を作ることができた。

 

「完成だ! 早速男爵様の所へ行こう」

 

 だがしかし、仕事の情熱も男爵の家に近づくにつれ冷めていくわけで。

 ロメオは、ジュリエとは対照的に派手に、大きい男爵家の館の前で胃を抑えていた。

 

「あぁ、やっぱり嫌になってきた胃が、胃が痛い…」

 

 キリキリと痛む胃を抑えながら門番に頼まれていた仕事の品を持ってきたと伝える。何故か一瞬門番は憐れむ(・・・)視線を向けた後、中に通してくれた。

 

「ふんっ、待ちかねたぞ。平民風情が貴族たる私を待たせるとは不敬にも程がある」

 

 扉を使用人に開けて貰うと何故かディアスが直接待っていた。慌てて背筋を伸ばす。

 

「も、申し訳ございません! その、こちらが依頼された品物です」

「貴様に言われずとも分かっておるわ。おい」

「はっ」

 

 ディアスの脇にいた使用人が花束を受け取り、ディアスへと差し出す。

 これで依頼は完了だ。ロメオはホッとする。

 

「こちら依頼の料金になります。どうぞお受け取り下さい」

「あ、態々すいません」

「いえ、お気になさらず」

 

 老齢の使用人から依頼料を受け取っていると

 

「なんだこの花は!?」

 

 突然ディアスの声が聞こえた。

 見れば彼は此方にロメオが納品した花束を突き出していた。

 

「貴様これはどういうことだ!?」

 

 だが一つだけ違和感があった。それは中央に差し込んだはずのない、紫色の薔薇があったことだ。

 

「これは猛毒の棘を持つ"紫荊棘薔薇"ではないか! 貴様、栄えある男爵家の当主であるこのディアス様を殺そうとしたのか! 」

「そ、そんなっ。僕はそんな花を入れていない!」

「言い訳無用! 此奴を牢に連れて行け。罪人だ」

「あがっ!」

 

 殆ど言葉も聞かずに武装した兵士がロメオを取り押さえる。嘘だ、と周りを見るも使用人たちは誰もロメオの味方をしない。ロメオの顔が絶望に歪む。

 ディアスはそれを見て意地悪く顔を笑う。

 

「そう言えば貴様、ピュレット家の令嬢に想いを寄せているらしいな」

「なっ、どうしてそれを…」

「そんなもの、私の手の者によって簡単に分かったわ。昨日も屋敷に訪れていたらしいしな。身の程を弁えろ平民。貴様みたいな下々風情が貴族に想いを寄せるなど、恐れ多いわ」

 

 事ここに至ってロメオはハメられたのだと気付いた。

 だがわかってもどうにもならない。何故なら今ここでロメオの味方は誰もいないのだから。ロメオの口が猿轡によって拘束される。

 暴れるも、戦闘職でもないロメオは使用人に敵わない。

 

「い、いったい何の騒ぎですか!?」

 

 突然驚いた声が響き渡る。

 何故か入り口にジュリエが立っていた。

 

(ジュリエさん…! )

「おや、ジュリエ嬢。来てくれたのですね」

「それは貴方が殆ど脅しの内容の手紙を送ったからでしょう。それよりもこれは何ですか!?」

「何。この私の命を狙った不届き者を捕らえただけです」

「そんなっ。彼はそんな事をする人では!」

「そんな事も何も、既に証拠品は上がっているのですよ。おい、さっさと連れて行け」

「はっ」

「んん…! んんー!!」

 

 ズルズルとロメオが引きずられ、扉の奥へ消える。

 

「やめて! 彼を離して!」

「それは出来ません。本来ならば奴は私の命を狙った犯罪人。ですが、貴方は確か奴との情があるように見えますね。ならば、ふむ。そうですね。私の頼みを引き受けてくれたら恩情を与えても良いかもしれないな」

「っ、そ、それは?」

「あぁ…」

 

 ポンとジュリエの肩に手を置き、何かを囁く。

 ディアスの語った内容にジュリエは目を見開く。

 

「勿論、受けて貰えますな?」

 

 ジュリエはその言葉を断る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。

 

「おい聞いたか! モギュー家の所の息子が捕まったらしいぞ! なんでも男爵様に"紫荊棘薔薇"って毒の花を送って暗殺を目論んだとか」

「はぁ? あの花屋の(せがれ)がそんなことできるわけないだろう」

「何かの間違いじゃないのか? 」

「本当だって! 掲示板に書いてあったんだから。それとどうやらピュレット家の令嬢がいただろ? そことの婚約も発表されて今日すぐに直ぐに結婚式を挙げるらしい」

「ピュレット家って没落して今や前の当主の一人娘しかいないあの? 」

「あぁ、あの町外れの館に住む人だ」

「って事はあいつはその為の生贄(いけにえ)か。確かあの倅、あの令嬢に随分ご熱心だったからな」

「残念だけどもう助からねぇな。あそこの所の花束は丁寧で女房や娘も喜んで受け取ってくれてたんだけどなぁ」

「仕方ないさ。平民で、役に立たない称号しかない俺らじゃ、貴族には逆らえねぇ」

 

 ザワザワと町民は町の中央にある大きな看板に張り出された記事を見てそれぞれの感想を言いあう。

 そこにあるのは諦めと同情。犠牲となる一人の若者への憐憫だった。

 

 町中を包む喧騒は当然朝食を食べていた俺たちの耳にも当然入る。

 

「アイリスちゃん、どう思う」

「十中八九、あのろくでなしが仕組んだに決まっているのです。あの方の庭には一切そのような毒の花はありませんでした」

「だろうね、俺もそう思う」

 

 もしかしたらと思ったけどやっぱりロクでもない者だったらしい。しかし、こうまで実力行使で来るとはもしかして昨日の暴漢も彼が差し向けた者だろうか? ありえるな。

 

「嫉妬か、はたまた私怨か。どちらにせよ、余り穏やかとは言えないね」

「それでどうしますかアヤメさん。聞いてる内容によるとこのままじゃ、ロメオさんは口封じされる可能性が高いですよ」

「決まってるさ。行こう。俺は苦いのは嫌いでね」

 

 そうだ、見過ごすわけにはいかない。

 俺はにっと笑い、コーヒーに砂糖を入れて飲み干した。

 

 

 

 

 

 何度目か分からない腹を打たれる衝撃にロメオは苦悶に満ちた、か細い声を出す。すでに口の中は血と唾液でぐちゃぐちゃでもはや鉄の味しか感じない。

 

「いい加減吐いたらどうだ? 自分は男爵様の暗殺を図りましたってよ」

 

 グイと髪の毛を掴んで顔を無理やりあげる『拷問官』の男。

 だが何度されても答えは同じだ。

 

「僕は………"紫荊棘薔薇"を……入れて…ない……」

「ちっ【痛殴】」

 

 またも頰を殴られる。ロメオの口から折れた歯が飛び出た。【痛殴】はより強い痛みを与えるスキルだ。戦闘職でないロメオにはそれがより一層苦痛を助長する。

 

「本当は後から間違いだったと言われたら厄介だからお前が暗殺を目論んだという、証拠を取りたかったが仕方がねぇ。お前案外頑固だからな。これ以上やっても無駄だろう。ならもう楽にしてやるよ」

「……ぼ…くは…死ぬの…か? 」

「そうさ。男爵様にとってお前は邪魔らしい。お前もあんな馬鹿当主に嫉妬されてこんなことになるなんて災難だな。ま、俺を恨まないでくれよ。こっちも仕事なんだからさ」

 

 男はかちゃと注射器を手に持った。ロメオはぼんやりとそれを見ていた。

 霞む視界、そんな時男の背中に誰かが立っているのに気づいた。

 次の瞬間、何者かが拷問官の首を背後から裸絞め(チョークスリーパー)した。

 

「っ!? ご、ごごご…!」

 

 拷問官は暴れるも裸絞めは解けない。やがて酸素が回らなくなり気絶した。

 何があったのかと目を凝らすと倒れた男の後ろから身体中をフードで覆い、黒い仮面を被った何かが立っていた。そうそれはまるで…

 

「えっ、死神?」

「いや、俺だよ俺」

 

 パカっと仮面のしたから別の仮面を被った男性が現れた。ロメオはその男を知っている。

 

「…アヤメさん…? なんで、ここに」

「ジャママに臭いを辿って貰ったけど、正解だったみたいだ。どうやらその様子だと随分と酷い目にあったみたいだね」

「あぁ…身体中が痛くて仕方ないよ」

「話せる元気があるなら大丈夫だ。心が死ねば話すこともできなくなる。君は幸運だ」

「幸運か…」

 ロメオは乾いた笑い声をあげた。

「はははっ、笑っちゃうよね。僕は母さんの跡を継いで花屋を経営していたんだ。真面目に。こつこつと。だけどこんなあっさりと人生が台無しになるなんて。やっぱり、ジュリエさんに好意を抱いたのが間違いだったのかな。ディアスにも言われたよ。貴様が貴族の娘に想いを寄せるなど身分を考えろって。はは…ははは…」

 

 悔しいやら情けないやら。ポロポロと涙を流しながらロメオは語る。それをアヤメはじっと黙って聞き、一言口を開いた。

 

「ジュリエさんがあのディアスと結婚するらしい」

「…え!? 」

「表向きには前々より婚約していた式を今日あげるかららしい。タイミング的にも明らかにおかしい。昨日見た限り、ジュリエさんの方もディアスに関しては気乗りしている様子はなかった。脅されている可能性が高いだろう。そしてその脅しとは君だろう」

「僕が?」

「あぁ。さて、正直に言おう。俺は君を助けに来た。今の内ならディアスに気付かれることなく、この町を去る手助けをすることができる。だけど、君はそれだけで良いのかい?」

 

 アヤメの言葉にロメオの脳内に一つの光景が思い浮かぶ。

 

 

 

 ロメオが作った花束を大事そうに、嬉しそうに手に取るジュリエ。

 

『ありがとう、私この花が好きなの』

 

 ふんわりと、儚げに笑った。

 その笑顔を見て僕は惹かれたんだ。

 

 

 

 

「っ…! 僕は、彼女が好きだ! 彼女の為になら全てを捨てたって構わない! 僕は! 彼女を助けたい!!」

「その言葉が聞きたかった」

 

 斬っと剣でロメオを封じる手鎖が壊された。

 ロメオは目を丸くしている。まさか鉄の手鎖をこうも容易く切れるとは思わなかったんだろう。

 

「結婚式はまだ始まっていない。今ならばまだ間に合う。俺がその為の道を切り開こう。君は花嫁を拐ってくると良い」

「ぼ、僕がか?」

「彼女が待っているのは君だ。ならば俺が拐うのは筋違いさ」

「そうか…そうだね…いつっ」

 

 ロメオは立ち上がろうとする。

 だが長時間の拘束された影響か、足元が覚束ずによろけたロメオを俺は支える。

 

「これじゃ、少しばかり厳しいか」

「アヤメさん、今戻りましたよ。結婚式場に向かっているせいか人が少なくて楽勝でした。見張りもいませんでしたし、やっぱり例のものもありました」

<ガゥッ>

 少しばかり野暮用(・・・)でアヤメのそばを離れていたアイリスが戻ってきた。

「そうか、良かった。それでアイリスちゃん。思ったよりロメオくんの消耗が激しい。お願いできるかい? 」

「んー…頭を撫でてくれて、髪を梳いてくれるならします」

「わかったわかった、してあげるから早く彼を治療してやってくれ」

「やった」

 

 アイリスちゃんが手をかざし、淡い光が手のひらから発光すると、みるみるロメオの傷が治っていく。

 こうして治療の最中をマジマジと見るのは初めてだが、明らかな顔の腫れが引いていくのはすごいな。

 

「すごいっ、傷が治った。これは一体」

「エルフの秘術です」

 

 あ、まだその設定続けるんだ。

 アヤメはそう思った。

 傷が治ったロメオは不思議そうに首を傾げた。

 

「何でここまでしてくれるんだい? 君がここまでしてくれる義理なんてないと思うのだけども」

「そうだね。一つは俺の連れに花束をくれた事。もう一つは悪を見放す事はできない事。そして何より俺は救世主(ヒーロー)だからだ」

救世主(ヒーロー)って…不法侵入に人を背後から首を締めて気絶させることが救世主(ヒーロー)のする事なのかい? 」

「うっ、それを言われるとこちらとしても反論できないな」

 

 確かに側から見ればどちらかといえば強盗みたいな立ち位置だ。非常事態だったとは言え、そのことについては反論できない。

 居心地悪そうに頭をかいているとロメオは軽く笑った後強い目でアヤメを見た。

 

「行きます、ジュリエさんを助け出します」

「そうか。ならば急ごう。確かに結婚式はまだだが時間はあまりない」



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望まぬ結婚式をぶっ潰せ

 町の外れにある教会。周りを塀で囲まれ、何処からも逃げ出す事は出来ない。まるで今の自分を囲む鳥籠みたいだとジュリエは思った。

 

 結婚式は粛々として行われ、今は最後の誓言を誓うため、神父の元へ歩く所まで進んでいた。

 そこでつい、ジュリエは口を開く。

 

「…本当に、彼は無事なんですね?」

「心配するな。結婚式が終わったのならば解放してやる」

 

 ディアスは不遜に笑う。

 どれだけ怪しくてもジュリエはその言葉を信じるしかない。

「やっとだ。ピュレット家に伝わる秘薬の秘術。それが手に入る。そうすれば、我が家はより品位を高めることが出来る」

 俯き暗い雰囲気のジュリエと対照的にディアスはこれからの明るい未来に昂揚(こうよう)していた。

 その間も結婚式は進んでいく。

 そしてとうとう神父の前に来た。

 

「新郎ディアス・アル・ディーター。貴方はジュリエ・ピュレットを妻として愛する事を、女神様の下で誓いますか?」

「誓おう」

「新婦ジュリエ・ピュレット。貴方はディアス・アル・ディーターを夫として愛する事を、女神様の下で誓いますか?」

「わたくしは…」

 

 神父の言葉に、ジュリエは口が詰まる。

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、平穏な館での日々。そしてそこに現れるロメオ。

 

『あの、貴方の為に好きな花をいれてみたんですけど、ど、どどど、どうでしょうか!?』

 

 真面目で、ちょっと頼りないけど凄く優しい人。

 今わかった。自分は彼に恋していたのだと。

 

「わたくし…は……」

 

 目尻に涙が溜まる。本当はこんなのは嫌だ。

 だけど言わねば彼の命がない。

 そう思いジュリエが言葉を紡ごうとした時

 

「その結婚式、ちょっと待ったー!」

 

 一人の男性(ロメオ)が結婚式場に乗り込んできた。

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…! 間に合った…! ジュリエさん!」

「ロメオくん!?」

「何!? 馬鹿な…家の者は何をしていたのだっ。構わん、奴をひっ捕らえよ! 神聖な結婚式を邪魔をした犯罪者だ! 」

 

 ディアスの声に結婚式場に配備されていた兵士達が殺到し、長槍を構える。

 

「あがっ!」

「ぐっ!?」

 

 そこへ素早い動きで兵士達の懐に飛び込んだ俺はロメオの前に立ちはだかる兵士達をなぎ倒した。

 

「行きなっ!」

「はいっ!」

「待てっ、行かせるな、ぐお!?」

 

 俺の言葉にロメオは駆け出す。

 追おうとする兵士達と、すぐさま俺は戦闘に入り倒していく。

 その隙にロメオは、ディアスとジュリエの前まで来た。

 

「ジュリエさん!」

「ロメオく…」

「おっと、下がってもらいますよ。ふん、どうやって抜け出したかは知らないが、貴族の結婚式に割り込むだなんて許されることではないとしれ。おい、剣を」

「はっ」

 兵士の1人がディアスへ剣を渡す。

「ふん、たかだか『花屋』の貴様が貴族であり『剣士』の職業を授かるの私…否、俺に敵うものか。俺自らの手で剣の錆にしてくれる」

「っ! ジュリエさんは返してもらう! うぉぉ!!」

「はっ! 自ら駆け出すとは馬鹿め!」

 

 ロメオは勢いそのままにディアスへ吶喊(とっかん)した。

 ディアスは余裕で剣を構える。

 普通ならロメオはディアスに勝てない。普通なら…ね!

 

 既に兵士を倒していた俺は側にあった小石をディアスの目に向けて弾いた。

 

「ぐぁっ!?」

「うぉぉぉぉ!!」

「げっはぁ!」

 

 痛みに目を瞑ったディアスの横っ面にロメオのパンチが炸裂する!

 倒れるディアス。

 

「え? あ、当たったの?」

「ロメオくん!」

「ジュリエさん!」

 

 ポカンと口を開くロメオに駆け寄るジュリエの手を取り、ロメオは意を決して自らの想いを言葉にした。

 

「今だから言います! 僕はっ、貴方を愛しています!!」

「っ! わたくしも貴方を愛しています」

 

 神父さんもオロオロと倒れたディアスと抱き合う二人を見比べる。そして一言「えっと、お幸せに?」と言った。

 やれやれ情熱的なのは良いけどここはまだ敵地真っ只中だよ? 

 

「おのれぇっ! 許さんぞ! 兵どもあいつを殺せ!」

「なっ!? お、お待ち下さい! 拘束ならともかく神聖な、女神様に誓う儀式の場でこのような血を流すようなことなど」

「やかましい! 奴は貴族である俺に恥をかかせたのだ! これ以上の侮辱があるものか! 貴様ら早くしろッ!!」

 

 頰を抑えディアスの言葉に新たな兵士達が現れ、二人に向かって走り出す。

 

「させるか!」

「ぎゃあっ!」

 

 俺は近くにあったテーブルを蹴飛ばし、兵たちもそれに巻き込まれる。その隙に二人を呼ぶ。

 

「二人とも! こっちに来るんだ!」

 

 慌ててロメオとジュリエが俺の方に寄ってくる。俺は二人を背後に庇いながら(へい)の方に追い詰められるフリをした。

 別に倒すのは問題ない。だがそれとは別の狙いが俺にはあった。

 …まだか? まだなのか?

 

 ディアスは勝ち誇った顔をする。

 

「ふん、幾ら意気がろうとこの人数に勝てるものか。もう許さん。貴様ら覚悟はできているのだろうな?」

「何をもう勝った気でいるんだい?」

「貴様こそ状況がわかっているのか? 兵士ども、花嫁も多少傷つけても構わん! さっさと制圧せよ!」

「はっ! 【突貫】」

 

 兵士の一人が槍を突き出す。

 【突貫】は槍に速度を上げて放つ技能(スキル)だ。その威力は薄い鉄板なら貫通する威力を持つ。今の俺なら、仮にまともに受けたら大怪我は免れないだろう。

 だけど

 

「当たらなければ意味はないんだよッ!」

「何!? ぐほっ!」

 

 突き出された槍を躱し、穂先と持ち手の間を切断する。驚く兵士に蹴りをかまして吹き飛ばす。

 

「怯むな! 囲めば倒せる!」

「それは悪手だな!」

 

 次に同時に槍を突き出す兵士。俺はそれをジャンプして躱す。

 同時にさっきの穂先を切った長槍を拾って置いて、柄で兵士の額を思いっきりうちつける。そこから更に横薙ぎに払うことで他の兵士達も倒した。

 

 あっという間に五人、兵士が無効化される。

 

「ッ、えぇい! 貴様ら何をしている!? たかが相手は一人、それも技能(スキル)をまだ使ってない相手に何を手間取っている!!?」

「ディアス様! 至急耳に入れなければならないことが!」

 

 喚くディアス。

 そこへ老齢の使用人が焦った顔で現れた。

 

「後にしろ! 今は忙しい! 奴らを根切りにしてくれる!」

「そ、それが我が家の税を誤魔化した事がバレているのです! 更には例の植物の本当の目的が何処からか漏れ、本邸の方にも国の衛兵が詰め寄っているとのことです!」

「な、なにぃ!?」

 

 お付きの人に報告された内容にディアスは心底驚いた。

 やってくれたか、アイリスちゃん。

 俺は一人ほくそ笑んだ。

 

 

 途中で会った商人、彼らの荷物の中には普段は無害だが、特殊な用法で乾燥させると途端に禁止指定の麻薬になる植物があるとアイリスちゃんは言っていた。

 癒しの秘薬と呼ばれたものの正体は、一時的にだが生命力は増す強心剤としての力を持つものだが、かなりの中毒性があり、それ以上に副作用の大きい、結果使うとより身体を破壊する魔薬だったのだ。

 一度使うと身体が元気になったと思った患者はより薬を求めるようになる。だがそれは嘘で後は使えば使うほど死に向かっていく。

 

 これはあの商人が度々ディアスに頼まれていたとも言っていたから分かっていて輸入させた可能性が高く、アイリスちゃんに男爵の家に侵入した時にその証拠となる資料と現物を探してもらった。結果予想通りディアスは植物を溜め込み、数多く栽培していた。後は"癒しの秘薬"としての他の貴族相手への売買予定の書類もあった。

 恐らくジュリエさんを狙ったのは彼女の家に伝わる癒しの秘薬の作り方を手に入れようとしたのだろう。それを独占する事で莫大な利益を得ようとしたのだ。

 

 どちらにせよ余りにも杜撰(ずさん)な計画だ。

 国にバレたら死は免れないし、植物もクラマーさんらに運んでもらった後、自らの領で育てていたから証拠も思いっきり残ってしまっている。

 

「おやおや、どうやら表にばれちゃヤバい事があったらしいね。駄目じゃないか。隠しておかなきゃ」

「貴様、まさかこれも…! 」

「さて、こっちの目的は果たしたから退散させてもらうとしようか」

「逃すか! 兵ども、さっさと…うごぉ!?」

 

 俺は手に持っていた特製の煙玉をディアス達に投げつけた。初めは何の痛痒も感じていないディアス達だったが直ぐに効果は現れた。

 

「うぎゃあぁぁぁぁぁあ!!」

「痛い痛い痛い痛い痛いっ!!」

「ぐはっ、いぎぃぃ」

「目がっ、鼻がぁぁぁ!」

 

 突然大声をあげて兵士達がのたうち回る。

 その様子にロメオがビックリしていた。そしてそれ以上に俺もビックリした。

 

「な、何をしたんだい!?」

「うっ、けほっけほっ」

「アイリスちゃんお得意の煙玉…なんだけどエグいな、これ」

 

 いや、本当にエグい。食らったディアスと兵士は咳き込み、涙と鼻水を流し地面をのたうちまわっている。離れている俺でさえ少しばかりピリピリする感覚があるのだから、破裂した中心地にいる彼らは正に地獄を味わっているだろう。

 

 間違えても自爆しないように気をつけようと俺は心に誓った。

 

「今のうちだ。ここから脱出するよ」

「でも、目の前は粉塵と人と塞がっているしどうやって」

「簡単さ、こうする」

 

 背後の塀に向け剣を抜き払う。石の塀はいとも簡単に切れて崩れた。

 

「言っただろう? 道は俺が切り開くって」

「あ、あはは...切り開くって、そんな物理的に…」

「ロメオくん…」

「あ。そ、そうだねっ。早くここから逃げよう!」

 

 ロメオとジュリエは手を握り、見えた森の方に駆け出す。勿論俺も。

 

「ま゛、待てっ」

「いいや、待たないさ。じゃあね」

 

 俺は最後に木を切り倒して障害物を作り、その場を後にした。

 

 

 こうして花嫁は乱入して来た闖入者に奪い取られ、花婿は一人取り残された。

 後にはメチャクチャになった結婚式場に乗り込んで来た衛兵らが麻薬密輸及び栽培の件でディアスを拘束した。

 

 

 

 

 

 

 その場から逃げた俺たちは途中でアイリスちゃんと合流する予定だった大きな木の下に訪れた。そこには既にアイリスちゃんがジャママと一緒に待っていた。

 

「お疲れ様ですアヤメさん」

「そっちこそお疲れ様。どうだった?」

「大丈夫です、アヤメさんに言われた通り様々な所に証拠と植物の現物を出してきました。植物については一番詳しいエルフであるわたしが言った事なのですぐに衛兵達も動きました。衛兵は国の組織なのであの貴族の影響も及んでいませんし、流石に男爵家であろうともはや揉み消せません」

「そっか、ありがとう。よくやってくれたね」

「えへへ〜」

 

 頭を撫でるとすごく嬉しそうにアイリスちゃんが笑う。暫く撫でた後、後ろにいるロメオとジュリエさんの方に振り返る。

 

「さて、逃げて来たわけだけど。二人ともこれからどうするつもりだい?」

「そうだね、新しい町でやり直すよ。僕はもうあの町には戻れないし」

「私も、もうあの家には家族もおりませんし、ロメオくんと一緒に生きていきます」

 

 二人は(むつ)まじそうに手を握り合っている。

 想いが通じあったからか二人の目に迷いはなかった。

 

「そうか、なら行く当てと金はあるのか?」

「ここから半日南に歩いた所に別の町があるんです。そこから馬車を借りて更に遠くにいこうと思う。お金も、国の共通銀行に預けていたからおろせるはずだよ」

「魔獣も街道がしっかりしているので現れることがありませんから、もうわたくしたちはもう大丈夫です。これ以上は貴方に迷惑はかけられません」

「…そうか。でも念の為にこれを渡しておくよ。ディアスに投げたのと同じものだ。何かあったらこれを撒いて逃げるといい」

「本当にありがとう、それじゃあ」

「ありがとうございました。アイリスちゃん、貴方も頑張ってね。ジャママちゃんも、またね」

「はい!」

<カゥッ!>

 

 二人は街道に沿って歩き、去っていた。

 それを見えなくなるまで俺は見続け、息を吐いた。

 

 

 この世界では職業と称号による身分が全てだ。

 ロメオは平民で、ジュリエは貴族。

 メアリーの言葉を借りると文字通り住む世界が違う二人だ。

 だが彼らは『身分』という壁を乗り越えた。ならばこれからの試練もきっと超えられるだろう。

 

 

 二人は去っていく時まで手を握りあっていた。そこには深い信頼と親愛があった。そのことに少しばかり俺は羨望してしまう。

 

 ふと思う。

 …もしあの時メイちゃんに告白していれば何か変わっただろうか。

 

「いや、そんなことないか」

 

 だってメイちゃんはユウの事をーー

 

「ていっ」

「いたいっ、な、何? アイリスちゃん」

「何だか昔の女を思い出しているような顔でしたので。で、その後自分で勝手に落ち込んでいる見たいな感じでした」

「いやに具体的だね」

 

 この子は読心術でも持っているんだろうかと考えているとアイリスちゃんはちょいちょいと屈んで欲しいとジェスチャーする。

 

「アヤメさんにあげたいものがあるのです。ここに来る前にロメオさんの家からちょっとばかし失敬してきたのです」

 

 アイリスちゃんは俺の頭に何かを被せてきた。良い匂いと感覚からこれは…花か? 

「これは昨日言っていたベゴニアって花だよね。そしてこれは花冠(かかん)かい?」

「そうです、待ってる間にわたしが作りました」

「へぇ、凄いね。そう言えば前に花には花言葉があるって言っていたけどこれはどんな花言葉なんだい?」

「…」

「えっ、何の花言葉なの?」

「ふふん、秘密です。ほら行きますよジャママ」

<ガァゥ>

「え、待ってすごく怖いんだけど。ちょっと、アイリスちゃん!?」

 

 鼻歌を歌うアイリスちゃんの後を慌てて追いかける。アイリスちゃんは何故かご機嫌だった。

 

 

 

 

 

 整備された街道をロメオとジュリエは歩く。

 

「大変な目にあいましたね…」

「うん。だけども僕たちは生きている」

「そうね。生きている。ふふっ、あの時の貴方本当に王子様みたいだったわ」

「えっ、そ、そんな。あの時は無我夢中だったというかなんというか。それにあの時もアヤメさん達がいなければ僕一人じゃできなかったことだしっ」

 

 ワタワタと慌てるロメオをくすくすとジュリエは笑って見ていた。からかわれたロメオは顔を赤くするも、そこから真剣な表情になる。

 

「ジュリエさん」

「はい」

「愛してます」

「えぇ、わたくしもです」

 

 二人は互いに確認し合うように手を握りなおした。

 

 

 

 

 

 アイリスが渡した花と、二人の間に咲き乱れて散る花の名はベゴニア。

 その花言葉は"片思い"、"愛の告白"、"親切"、そして"幸福な日々"。

 



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絶技

 ちちちっと小鳥の(さえず)りが聞こえる。朝が明けてきたから生物達も目を覚まし始めたのだ。

 森の中では街の喧騒はなく、野生動物の生活音以外は静寂そのものだ。

 まるで自分一人世間から弾き出されたような感覚。だけど、この感覚を俺は嫌いではなかった。

 

「はぁ!! 」

 

 今日も今日とて修行する。これは勇者の時からずっと続けて来た日課だ。

 俺はまだ自身の体がどこまでいけるのかわかっていない。

 そう思うと一度限界まで身体を酷使してみたい気になるが、その後の反動や疲れを考えるに街で武器や防具など着実な基盤を築いて、魔獣に襲われる危険性が無いところで行わなければいけない。

 少なくとも、今の魔獣の領域で行うべきではない。だから俺は旅に支障の出ない範囲で聖剣を所持していた頃の動きを思い出そうと訓練していた。

 

 暫くしてこれ以上は支障が出ると辞めた頃。

 見計らったようにアイリスちゃんがタオルを渡してくれた。

 

「精が出てますねアヤメさん。はいどうぞ」

「アイリスちゃん。ありがとう」

「やっぱり前よりは身体が動くんですよね?」

「うん。やっぱり格段に良くなっていると思う。こうして鍛錬するだけだけどね。オニュクスとの戦いも、ディアスの兵士との戦いも良い経験になったよ」

 

 どっちも相手が能力(・・)技能(スキル)を使ってきた。そんな相手との戦いは俺自身の戦い方に変化(・・)を生んだ。

 

「そういえば途中何かを思い出すように目を閉じたり、構えたりしてましたけどその時の戦いを思い出していたんですか?」

「うん、そうだよ。それ意外にもあるけどね」

「それは?」

「あぁ、見といてくれるかな? ーー"緋華(ひばな)"!」

 

 俺は剣を水平に構え、突く。

 同じ突きでも先程までとは違い、鋭利に空気を切り裂く一撃。

 アイリスちゃんもその違いがわかったのか碧い瞳を見開いていた。

 

「…アヤメさん、技能(スキル)を扱えるようになったんですか!?」

「いや、俺は技能(スキル)は使えないよ」

「えっ、でも今…」

「あぁ、それは()だよ。アイリスちゃん」

()?」

 

 元々俺は聖剣を扱えなくなるにつれて自らの技術でそれを補うようになっていた。

 色んな型、太刀筋、動き、そして技能(スキル)

 それらの集大成が先程の()だ。

 そう、俺は技能(スキル)を模倣した()を生み出そうとしていたのだ。

 

「さっきのは【突貫】を真似したんだ。だが欠点もある」

「それは…もしかして本当の技能(スキル)の威力にはほぼ遠いという訳ですか?」

「察しは良いね。その通りだよ。【突貫】は薄い鉄板すら貫ける技能(スキル)で、その威力も普通に突くよりも強化されている。だけど俺の"緋華"は俺自身の力と剣の強度…つまり、俺自身に依存している。俺が疲労すれば当然威力は落ちるだろう」

「でも充分だと思います。アヤメさんの身体能力と技術があれば、それはもう立派な技能(スキル)ですよ!」

「いや、そんな事はないさ。本職の人達からすれば俺の剣術は邪道も良いところさ」

 

 すっと、脳裏によぎったのはベシュトレーベンの一撃。

 山を崩した、咆王崩壊拳(ほうおうほうかいけん)鏖塵(おうじん)

 …俺はあれに対抗できるのだろうか? 

 どれだけ考えても、答えは否だった。

 

 その他でも聖剣を所持していた頃と比べたら威力も劣る。

 その程度のものなのだ。俺の技は。

 

「けど、少しだけ自分のこれからの方向性について歩む事が出来るようになったよ」

「アヤメさんが自分に自信が持てるようになったのは嬉しいことです。けど、なんか技ってだけじゃ味気ないですね…。! そうです! 絶技(ぜつぎ)って名前にしましょう!」

「絶技?」

技能(スキル)がないアヤメさんだからこそできる、剣の巧みと身体能力が合わさった力、それが絶技です!」

 

 絶技か。

 技能(スキル)に対して俺だけが持つ技。

 勿論、剣には剣術というものがあるけれどそれらも殆どが技能(スキル)によって構成されている。

 なら、俺のそれとは似て異なるものなのだろう。

 

「絶技か。良いね。次からはそう名乗るよ」

「はい! でも鍛錬に関しては少し自重してもらいたいですけど。ここだけ除草されたみたいになってますよ」

「…ごめん」

 

 俺の周りの草や木は剣戟によって刈られていた。

 ゴメンと頭を下げたら、別にこの程度なら問題ないのですとアイリスちゃんが何やら唱えると直ぐに元に戻っていった。

 

 …次からはもうちょい抑えよう。

 

 

 

 

 

「それで次の街は後どれくらいなんでしょう?」

「う〜ん、フィオーレの町で聞いた限りだと馬車で4日だから徒歩だと10日くらいかな。今は6日歩いているし、早くて2日かな?」

 

 俺たちは次の街を目指して歩いていた。

 当たり前だけど街と街の距離というのはかなり遠く俺たちはこうして歩くのは6日も経っていた。

 そのせいか少しばかり食料が心配になって来た。途中魔獣を狩れれば良いんだが、食べられる魔獣とは限らない。

 

「こうしてみるとやっぱり遠いですね。馬でも借りるべきでしたでしょうか?」

「運悪く馬車の便がなかったからね。それにロメオくん達の事もあったから借りていく暇がなかった」

「そうでした」

「アイリスちゃんは歩くの嫌いかい?」

「いえ嫌いではないのです。元々里以外はほぼ自然のままの環境の森で生きてきましたから。魔獣を倒すことも、木登りも得意です。木登りに至っては200メートルある木を登ったことがあります」

「200っ!? 凄いなそれは。太陽国ソレイユのユーリウス城より高いじゃないか…」

「でもわたしはいつもびりっけつでした。他の同年代と比べたらわたしは身体が貧弱な方です」

「人と比べたら充分だと思うけどなぁ」

「アヤメさんにも負けています。ですので、守ってくれますよね?」

「それは勿論」

「えへへ〜、やっぱりアヤメさんは素敵です!」

 

 こんな風に会話するのもいつもの事だ。

 それでも周囲を警戒することは怠らない。だが仮に俺が周囲を警戒しなくても大丈夫だろう。

 

 何故なら俺たちの先を歩くのはジャママだ。ジャママはやはり魔獣なのかそういった気配に対して鋭敏だ。前に夜に俺が気がつかなかった小さな蛇にも気付いた。

 それほどジャママの能力は優れている。これも、魔獣が持つ力の一つだろう。

 

 すると先頭を歩いてジャママがピクンと歩きを止めた。

 

「あれ? どうしたんですかジャママ?」

<ガウッ! ガウッガウッ! >

「わっ、本当にどうしたんですかジャママ!」

 

 突然ジャママが吠え出したかと思うと走り出し、森に消えていく。

 

「ジャママ!」

「何だかのっぴきならない事が起きてそうだ。追おう!」

「は、はい!」

 

 俺とアイリスちゃんはジャママを追って森の中に入った。

 

 

 

 山の中の道はかなり悪い。

 歩きでも泥や木の根に足を取られたり、鋭い葉っぱで皮膚が切れたりすることがあるのに走るとなるとその危険性は増す。

 しかし、走るのは俺とアイリスちゃんだ。俺は長年の戦闘経験からこの程度なら慣れているし、アイリスちゃんも森が(ホームグラウンド)のエルフ。どちらも転ぶことはない。

 

 注意すべきはジャママを見失う危険があることか。

 

 だが幸いジャママはある程度進んだ先、崖の手前で止まっていた。

 

「ジャママ、勝手に行っちゃ駄目ですよ!」

「一体どうしたんだジャママ。急に駆け出すなんて」

<カァウ。ガゥゥ!>

 

 ジャママはアイリスちゃんに抱えられるも此方に振り向かず吠える。

 一体なんだろうか? 

 俺が覗くと崖の下、そこで一団が多数の狼魔獣に襲われていた。

 

 

 

 

 

<ウォォンッ!>

「ちぃっ! いってぇなクソが!!」

 

 襲い来るハイエナが男性の足を噛み付く。幸い足鎧があるから防がれるが、隙間に歯の一部が突き刺さる。

 男性は、噛み付くハイエナにハンマーを振り落とし圧殺する。

 

「バディッシュ! どうしよう、さっき使っちゃったからあたしもうそんなに魔力の余裕がないよ!」

「僕も矢がもうそんなにないっ」

「分かっている! くそ。禿鷹どもが!」

「禿鷹じゃなくてハイエナだよっ! でもどっちにしても狙われているのに変わりないけどもっ」

「だ、大丈夫なんですかこれは!?」

「下がってなシンティラさんよ! アンタじゃ戦えねぇ!」

 

 巨大なハンマーを装備した男、バディッシュが後ろの三人に注意を促す。

 

「ミリュス! お前は俺を越えようとする奴に魔法を使え! ランカ! お前はミリュスと同じく越えようとする奴だけに矢を射て!」

「バディッシュはどうするんですか!?」

「俺まで後ろに下がったら全員ハイエナに囲まれれだろうが!」

 

 バディッシュはハンマーを握り直す。

 

「おらぁ!! 来るなら来やがれ! ただしタダでは食われてやらねぇ! お前らも道連れにしてやらぁぁ!!」

<ウォォォォッ!>

 

 猛然と、ハイエナ達がバディッシュに飛び掛かろうとした時。

 

 上空から短剣が三匹のハイエナの脳天を貫いた。

 

 

 




絶技:非常に優れた技のこと。絶妙な演技や技術。
 webblio辞書より参照


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24話

「なっ!?」

「援護する! あと少しだけ耐えていてくれ!」

 

 現れたのは赤い髪と仮面が特徴的な()

 俺は崖から飛び降り、突然仲間が倒れた事で動揺しているハイエナの一匹に狙いを定めた。

 

「貫け、緋華(ひばな)!!」

<ウォンッ!?>

 

 ハイエナの頭を貫く。

 狼魔獣は四足歩行で、人よりも低いから自由に動き回られたら中々狙い辛いのだが、動揺している最中では回避出来ずに容易く倒せた。

 

 突如として現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)に、ハイエナ達の今度こそ動きが止まる。

 

「よっしゃいまだ! 【一撃粉砕】」

<キャオォン!?>

 

 バディッシュはその隙を見逃さなかった。

 大振りにハンマーを振るいハイエナを吹き飛ばす。吹き飛ばされたハイエナは周囲のハイエナを巻き込み、更には木にぶつかって木を倒した。

 凄まじい威力だ。あれならきっと巨大な岩であっても容易く壊せるだろう。

 

 ハイエナ達は俺たちと戦うのは分が悪いと判断したのか、背後の三人に襲いかかろうとする。

 

「わっ! こっち来た!」

「くっ、【必中・一の…って、なんだこれ!?」

 

 弓の男(ランカ)が矢をつがえようとした時、突然彼らの足元からわさわさと植物の根が生えてきた。ハイエナはそれに遮られる。

 

「わわっ! なんか地面から生えてきた!?」

「お、おぉ、こんな現象はじめてみたよ!」

「シ、シンティラさん! 触れたら駄目ですよ! もしかしたら魔木の類かもしれない!」

 

 俺は木の根に捕らわれたハイエナを斬りとばす。

 

「安心してくれ、それは魔樹じゃない。君達を守ってくれる結界みたいなものだ」

「え? そ、そうなんですか。というか、貴方誰…」

「話は後にしよう! また来る!」

 

 直ぐに翻し、バディッシュと呼ばれていた男性の背後を襲おうとしていたハイエナの胴体を緋華(ひばな)で貫く。

 更には俺の隙を見て噛み付こうとしたハイエナの口の中へ鞘を思い切り突く。思ったよりも強く、それでいて向こうもこっちに向かって突進していたからか、ハイエナの脳梁までぶちまけた。

 

「へっ、助かったぜ。まぁ、まだ危機を脱したとは言えねぇが」

「お礼は後で良いよ。それよりも、確かにこの数は厄介だね」

 

 俺とバディッシュが既に十匹以上殺しているのに、ハイエナ達は退く気配がない。周囲を囲み、狡猾に隙を狙っている。

 倒せない事はないが、骨が折れそうだと思っていると崖から降りてきたジャママが俺の前に来て、唸り声をあげる。

 

<ガルル…!>

「ジャママ?」

「おぉ、何だこいつ。こいつらの親戚か?」

 

 ジャママはハイエナ達に対して威嚇する。

 その体格差は余りにも大きい上に、数も向こうのが上。

 危険だから下がれというより前にジャママが雄叫びをあげた。

 

<ガゥ! ガアァァァウッッ!!>

 

 向こうからすれば自分達よりも小さいはずの子狼。

 だがその声を聞いてぶるりとハイエナ達は身体を震わせ、顔を見合わせると去っていた。

 

<ガゥ>

「退いた…。今のはジャママに驚いたのか?」

 

 どうだ、と言わんばかりに此方を見るジャママ。

 その顔は何処か得意げだ。

 

 狼…というかハイエナもだけど両者は魔獣としての種類が比較的近い種類だ。もしかしたらジャママの金白狼としての潜在能力を見抜いたのかもしれない。

 勿論その前に俺が何匹か殺したのもあるし、背後の彼らの抵抗もあったからなのだろうけど…ってそうだ、背後の彼らは無事か!?

 

「そっちは大丈夫か!?」

「え、あ、はい。こっちは大丈夫です。でもこの木、魔樹ではないと言いましたが一体誰が」

「それはわたしなのです」

 

 アイリスちゃんが伸びた根っこの一部を器用に掴んで滑ってくる。そのまま着地し、木の根を解除する。

 木の根は元の土の中へ消えていった。

 

「よっと。今治療するのです。傷を見せて貰えますか?」

「えっ、あっ、耳が長い!?」

「嘘っ! エルフ!? うわぁっ、すごい! あたし初めて見た! それに凄く可愛い! お人形様みたい! 」

「本当だ! すごい!」

「おぉ、まさか本に伝承される存在に会えるとは。人生何があるのかわからないものですね!」

 

 根っこに守られていた三人がアイリスちゃんを取り囲む。

 

「……あの、集まるのは良いですけど早く傷を見せて貰えませんか?」

「あ、ごめんね…」

 

 少しだけムッとした表情に、魔法使いの少女(ミリュス)が代表して謝る。

 アイリスちゃんはそのままバッグから治療薬を取り出して、彼らの治療を始めた。

 

 それを見た俺は周囲にもう魔獣の気配もない事から、血脂を拭き取り剣をしまう。

 するとハンマーを肩に抱えたバディッシュと呼ばれた男性が話しかけてくる。

 

「悪りぃな、助かった。俺は冒険者(・・・)のバディッシュ。呼び捨てで良いぜ。よろしくな」

「こっちが好きにやったことさ。俺はアヤメだ。こちらこそよろしく」

 

 差し出された手を俺は握り返す。

 

「あれだけの数のハイエナに囲まれるなんて災難だったね」

「全くだ。本調子ならあんな魔獣どもに対して遅れは取らないんだがな。ちと、先の戦いで負傷した後でな。不覚をとった。はぁ、情けない限りだぜ」

「先の戦い?」

 

 溜息を吐くバディッシュの代わりに、三人の中で傷が浅く直ぐに治療が終わったランカと呼ばれた弓の持つ男の人が答える。

 

「実は僕たち依頼を受けていましてそれ相手に戦って負けた後に先程のハイエナに襲われたんです。それでその相手なんですが…飛竜なんです」

「飛竜」

 

 それはまた、随分な大物だね。

 飛竜は空においては他に並ぶ者がいないとされる魔獣の一種だ。

 人には出来ない飛行能力、生半可な武器では役に立たない鱗、鉄すらも焼き尽くす火炎ブレス。

 そのどれもが強力だ。

 生半可な装備では返り討ちにあうだけだ。

 

 そんな会話をしているとまた別の男性が前に出る。分厚い手袋に、焦げ茶色のエプロンと丸い黒縁メガネが特徴的な男性だった。それと何というか、焦げ臭い? 特徴的な臭いのする人でもあった。

 俺はそれを見て違和感を感じた。というのもバディッシュとランカくんと比べて目の前の人はどう見ても戦うような人に見えない。いや、そもそも武装していない。精々腰に短剣があるくらいだ。

 

「その依頼は僕がしたのです。初めまして、僕はシンティラと言います」

「初めまして、俺はアヤメだ。それでそっちのエルフの女の子がアイリスちゃんで、小さい子狼がジャママだ」

「バディッシュバディッシュ! 凄いんだよ、この娘が治してくれた跡、全然痛くない! それにこの子狼もすっごい可愛い!」

<カ、カゥゥ…>

「あの、ジャママが嫌がっているのでやめてあげてくれませんか?」

 

 ジャママを抱き締めるミリュスちゃん。

 毛並みは撫で回されたのかくしゃくしゃで、ぐてってしている。どうやら相当撫でられたらしい。

 

「それでその…バディッシュさん。依頼の方ですけど継続出来そうですかね?」

「無理だな。やっぱ飛竜相手にこの人数だと厳しいわ。かといって俺らでも無理だったなら他の冒険者が数にものを言わせて受けても同じだろう。一応俺らも街じゃそれなりの腕を持つチームだからな。数だけが取り柄のチームじゃ殆どがブレスで焼き尽くされる。やっぱ、リスクとリターンが釣り合わねぇわ」

「そんなぁ…」

「命あっての物種だ。(いさぎよ)くスパッと諦めてくれよシンティラさん」

 

 シンティラさんは、肩を落として落ち込む。

 可哀想だけど、命がかかる狩りと考えるとバディッシュの方が正しいのは俺も理解出来た。

 

「アヤメさんアヤメさん、話を聞いていましたけど飛竜程度ならアヤメさんなら狩れるんじゃないんですか?」

 

 バディッシュの治療をしながらアイリスちゃんはこんなことを言った。

 気楽に言ってくれるねアイリスちゃん。彼女の中で俺は何でもできるスーパーマンになっているんじゃないか?

 

 

 確かに飛竜を倒した事を何度もあるし、そもそも飛竜というのは幾つかの弱点がある。これは飛竜種全般に言えることだが先ずは飛竜の尾を切断すれば、著しく飛行能力が低下する。簡単に言うとバランスが取れなくなるのだ。同じく飛行能力を奪うという点の翼を切断するよりも簡単に飛行能力を奪える。

 

 そして上空からの攻撃には無警戒で非常に弱い。まぁ、これは仕方ない。そもそも上空では同じ竜種以外天敵がいないのでどうしても警戒心が薄れてしまうのだろう。

 ただこの戦法は飛竜を操る『竜騎士』くらいしか無理だろう。

 

 俺からすれば、自らを鍛え弱点を把握している魔族の方がよっぽど手強い。魔獣はその身体機能にモノを言わせたのが多く、対応さえ誤らなければ割と討伐するのは容易だ。

 とは言え一般人からすれば魔獣は脅威だし、それに同じ魔獣でも数の暴力や特殊な力で襲われるとどうしようもないが。

 

「う〜ん、そうだね…狩れないこともない…かも?」

 

 しかし今まで飛竜を倒してきたのは聖剣ありきでの話だ。正直身体の調子に関しては格段に良くなったとは言え、武具に関しては不安が残る。確かにファッブロに貰った剣は頑丈だが長い時を生きた飛竜の鱗を傷つけられるかは疑問だ。

 だから疑問形だったのだがシンティラさんは顔を輝かせ詰め寄る。いや、近いよ。

 

「本当ですか!? でしたら是非とも、是非ともお願いしたい! お金も払います!」

「い、いや。あくまで"かもしれない"ってだけで確証を持って言える訳じゃないから。それにこっちにだって狩るのに準備やら何やら必要なんだよ」

「それは…しかしそれでは『大輪祭(・・・)』に間に合わないのです」

「『大輪祭』?」

 

 何だろうと首をかしげるとランカくんが説明してくれる。

 

「大輪祭ってのはこの先の商業都市リッコ(・・・・・・・)で開かれる祭りですよ」

「凄いのよ。夜空を赤青緑黄紫って色んな色の花火が打ち上がって照らすの! その姿は見るものを魅了するほど幻想的よ」

「まぁ、音に関してはうるさいがな」

五月蝿(うるさ)いとは失礼な! あの腹に(とどろ)重厚(じゅうこう)な音、鼓膜を震わす鼓動を五月蝿いとは花火の良さを何一つ分かっていない!」

「まぁまぁ落ち着いて下さいよ、シンティラさん」

 

 憤るシンティラさんをランカくんが両手を上げて抑える。

 

「なるほど…それでその『大輪祭』とやらに何かしら飛竜の素材が必要となったって訳か。しかし、本当に飛竜に狩るとしたら人数も装備も足りてないんじゃないかい?」

「いや…俺たちも飛竜を狩れるとは思ってはいないさ」

「え? どういうことだい? 」

 バディッシュはちらり宥めているライカくんと憤るシンティラさんを見て声を潜める。

「依頼って言えば依頼だが、一つはシンティラさんが勝手に突っ込んで死なないようにする為のお目付役って所だな。あいつ熱意はあるがそれは若者特有の無鉄砲さと言っても良いからな。さすがに死なれたら目覚めが悪い。だから適当な所で引き上げるつもりだったんだが…」

「運が悪いのか良いのか、見つけちゃったんだよね」

「あぁ、それで戦闘に入ったんだが飛竜自身の強さとシンティラさんに危険が及びそうになって逃げてきたんだ。で、その帰りにさっきのハイエナどもだ。ったく、運が悪いぜ」

「言っちゃ悪いけどシンティラさんがいなかったら、もしかしたら倒せたかもしれないの。シンティラさんを襲う魔獣がいないか気を取られているところもあったから。でも、シンティラさんしか飛竜の必要な部位がわからないし、直ぐに保存しないとダメになっちゃうからって一緒に来るしかなかったんだよね」

「へぇ、面倒見が良いんだね」

「よせよ、世辞を言っても薄ら寒いだけだ」

「そんなことあるわよ、だってバディッシュ態々この依頼を受けようとした低ランクの冒険者を押しのけて、忠告したじゃない。言い方があれだったけど」

「あれは下手に低いランクの奴らが受けてそのまま全滅しないように叱ったんだよ。あいつらも意気込みだけは良いがその実実力はぺーぺーのひよっこだしな。シンティラさんも危険が大きいから本当なら連れて来たくなかったんだが…あの様子だ。素材の確認抜きにしても、隠れて無理にでもついて来ただろう。なら側にいる方が安全だと思ってな」

「若者は皆、根拠のない自身で突っ走る。悪いとは言わないけど、それを窘めるのも先輩の務めという訳か」

「まぁな。まぁ、シンティラさんには言っても無駄だったが。それでシンティラさんはああ言ってるけどどうする? 正直部外者のアンタが無理に手伝う必要はねぇぞ。少なからず命の危険があるしな」

「いや、手伝うよ。乗りかかった船だ。それに…シンティラさんの、彼の『大輪祭』に賭ける想いも本物だと感じた。なら手伝いたい」

「そうか…悪りぃな。こちらの都合に巻き込んで。だが時間もない。食糧の問題もあるし『大輪祭』の開催時期も近いんだ。正直あと三日が限度だ。俺らは運良く二日で見つけたが、またそんな奇跡が起きるとは考えられん」

「三日か…この森の規模を考えるとかなり厳しいと思うな」

「ちょっとすいません。話を聞いていて一つ思い浮かんだことがあるのです。何か、飛竜の手がかりとなるものはありませんか?」

「えっと、ねぇバディッシュ。確か鱗が一枚だけあったわよね? 戦闘中に拾った奴」

「あぁ、たしかあったな」

「ならそれを貸してください」

「良いが…何に使うんだ」

 

 その言葉にアイリスちゃんはとびっきりの笑顔をした。

 

「簡単ですよ、魔獣を狩るんですから魔獣の力を借りるんです。ねっ、ジャママ」

<ガゥ?>

 

 アイリスちゃんに視線にジャママは首を傾げた。

 

 




大輪祭=花火大会です
因みに火薬の方はファンタジー独特の魔石によって補われています。火薬の匂いもほぼ同じです。アヤメが感じた臭いはそれです。
因みにシンティラにヘイトが溜まりそうですがご安心を。彼はこの後親方にこっぴどく叱られますので。


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飛竜

 アイリスちゃんの案は、ジャママに飛竜の臭いを覚えさせて追跡するというものだった。

 

 狼の嗅覚は鋭い。確か一説には、貴族が飼う犬よりも鋭いと言われていたのを聞いた事がある。

 恐らくジャママはそれでバディッシュ達の血の臭いを嗅ぎつけたのだろう。

 なら飛竜の臭いを辿るのもそう難しくはないだろう。

 

 

 俺達はバディッシュ達に貸して貰った、戦った際に一枚だけ拾った鱗の臭いを辿って探し続けた。虱潰しよりかは格段に追跡できる。

 とは言え相手は上空を飛ぶ竜。臭いが途中で途切れたり、魔獣との不意遭遇があったり、険しい道のりを迂回(うかい)したりとしていると早くも二日経過した。

 

 バディッシュ達冒険者はともかく、シンティラさんの方が限界に近い。聞けば最初に戦った時も二日休憩を挟みつつ探し回ってようやく見つけたらしい。

 それでも「親方達の扱きに比べたら全然大丈夫です」と言っていた。どうやら根性はあるらしい。

 だがそれだけ頑張っても努力が実らない事もあるのが狩りだ。二日が経過していることもあるし、疲労の方もある。

 

 そしてそろそろ諦めようかと考えているとついに飛竜を発見した。

 

 

 

 

 場所は急勾配の坂で大小様々な岩がゴロゴロとしている場所。数少ない植物が生えるだけで、余り魔獣の住処としても適さないであろう。

 そんな中で赤い鱗の飛竜は毛繕いならぬ、鱗繕いをしていた。

 

「あの額の傷…間違いねぇ。俺が傷つけた火竜だ」

「成る程、あれが君達を襲った火竜か…あれは若い個体だね。それがこんな何もないところにいるだなんて縄張り争いにでも負けたのか…? でもこれならこの剣でも何とかなりそうだ」

 

 飛竜は年齢を重ねるごとに硬くなる。飛竜の鱗で作った鎧が、鉄の剣を弾いたという逸話からその強度が伺える。

 しかし若い個体ならば頑丈さを重きに置いたファッブロの剣でも通じるかもしれない。

 飛竜の背後も急勾配の坂。大きな岩がゴロゴロしていて隠れる場所にも、ジャンプ台にも困らない。

 

 うん、いけそうだ。

 

 余り時間をかけて飛び去られたら厄介だ。

 早速俺はバディッシュ達に近くの森に隠れてもらい行動に移した。

 

 

 

 

 気配を殺し、息を潜める。『暗殺者』の【隠密】には劣るけれど、それでも飛竜は俺に気付けていなかった。

 老齢の竜なら気付くだろうに、周囲への警戒が浅いこの竜はまだまだ若い証拠だ。老齢の竜は幾度となく繰り広げてきた戦いからあらゆる感覚が鋭敏になっている。この飛竜にはそれだけの経験がない。だからこそ、隙がある。

 手に小石を持ち、飛竜の顔の斜め前に放り投げる。

 

≪ギィウ?≫

 

 飛竜の注意がそっちに向いた。

 その隙に俺は最小の動きで岩に登り跳躍する。そしてそのままの勢いで鱗の隙間を狙って、緋華を繰り出すことで鱗の隙間、肉を切り、骨を断つ事で尻尾を切断する!

 

≪ギャオォオォォッッ!?≫

 

 突如として尻尾を切断された飛竜は悲鳴をあげる。そして俺に気付いた飛竜は爬虫類特有の目を見開く。

 

≪ギャオォォ…!≫

 

 飛竜は突進し噛み付いて来た。サイズの違いからかなりの質量を持つ、噛みつきを躱しても、体に当たればタダではすまないであろう突進を、俺は冷静に回避する。

 すれ違い様に、更に翼膜を傷つけておく。こうなればもし飛んでも上手く飛行できずに墜落する。

 

「どうしたんだい? 天下の竜が人間一人に手間取るなんて、軽率が過ぎたかな?」

≪ギ、ギィィ!! ギャガァァァァッッ!!≫

 

 俺の物言いに怒った飛竜は口内に炎を溜め、吐き出した。

 これが飛竜を最強の種としてその名を知らしめる火炎ブレスだ。

 すさまじい熱気の炎が襲いかかる。だけど俺はそれを身を低くして躱し、火竜の頭の下に滑るように走り込み、そして

 

「ブレスってのは威力は高いけど自らの視界を狭めるのが弱点だよ! 緋華(ひばな)!」

 

 顎下から剣を突き刺す。顎下は鱗に覆われていないから狙いをつける必要がない。飛竜が悲鳴をあげる。竜種の中でも飛竜は顎の力が弱い。地竜や水竜と比べればかなりの差がある。そしてこうすれば得意のブレスを撃てなくなる。

 …とは言えこれで俺は武器がなくなったわけで。

 俺は短剣を飛竜の目に投げつけると同時に、アイリスちゃん特製のあの煙玉を巻いてその場から離れる。片目を失い、傷口に染み、痛みに悶える飛竜を他所(よそ)にこちらを見ていたバディッシュらの肩を叩く。

 

「それじゃ、後は頼むよ。俺は武器が無くなっちゃったから。一応相手の攻撃と飛行手段は無くしたからあれなら君達でも狩れると思う。後、あの煙は吸わない方が良い。吸えば痛みでのたうち回る事になるからね」

「えっ!? ここまで来て投げるの!?」

「よっしゃ! いくぞお前ら! 飛べない火竜なんぞ、ただのデカイ蜥蜴だ!」

「そうだね、ブレスも撃てないなら怖いものは何もない。火傷の借りは返させてもらう!」

「バディッシュさん! ランカくん! あぁ、もうどうして男ってのはこう血の気が多いのかな! どうなっても知らないから!」

 

 駆け出す三人を尻目に俺はシンティラとアイリスちゃんの所まで戻ってきた。

 

「す、すごい。あの飛竜相手に殆ど完勝だなんて」

「お疲れ様ですアヤメさん! やっぱりアヤメさんは凄いです!」

「ん、ありがとうアイリスちゃん。でも彼らもすごいよ。焚きつけたとはいえ、人々が恐れる竜に向かってあぁも果敢に攻めにいけるなんて」

 

 飛行も、火炎も撃てなくなった飛竜など彼らにとっても造作も無い相手らしい。見事な連携で飛竜を追い詰め、遂にはバディッシュのハンマーが飛竜の頭を砕いて倒した。

 三人は武器を上に掲げて喜んでる。

 

 人ではなく、魔獣相手に戦う彼らは遠くから見て非常に洗練され協調性に優れていた。俺がお膳立てしたのもあるが、それ抜きにしても彼らの連携は卓越していた。

 

 バディッシュが言っていたけど、冒険者(・・・)か。勇者として働いていた時代は余り意識した事はないけど魔獣との戦いに関しては向こうの方が手練れかもしれない。

 俺は少しばかり冒険者というものに興味が湧いた。

 

 

 

 

 

 

「ほら、アンタの剣だ」

「ありがとう」

 

 バディッシュから剣を受け取り、血を拭き取り、暫く刃こぼれがないか確認した後、鞘に納める。

 討伐した飛竜はバディッシュからの提案で三人が解体してくれていた。シンティラさんも一緒になって手帳と内臓を見比べている。

 

「これじゃないかな?」

「いえ、それは腎臓です」

「こっちじゃないの? よくわかんないけど」

「それは膀胱らしいですね。因みに破れるととても臭いらしいです」

「えっ!? いやぁ! 手についた!!」

「ちょっ、こっちに飛ばさないでくださいよ! 臭っ。何するんですか!」

「だって! だってだってぇ!」

 途中ミティスちゃんとランカくんが喧嘩しながらも解体は進んでいく。

「ありました"爆烈炎袋"!」

 

 パァッと明るい顔でシンティラくんがそれを引きずり出す。手には一抱えはある皺々とした内臓があった。…うへぇ、こうして見るとやっぱり内臓ってのはぐろいね。

 取り出されたひと抱えはある内臓は丁寧に瓶に入れられた。

 

「火竜のブレスの源にもなっているこの器官は、中の魔力が溶け込んだ液体の成分によって、より強力になるといいます。これを花火の玉に少量加えることでより花火を大きくすることができます。更にその分花火に詰められる色を多くすることが出来、より多彩な色を引き出すことができるんです」

「へぇ。なるほどなぁ」

「あの、シンティラさん。飛竜の内臓は、もう他のはいらないのですよね?」

「ん? えぇ、そうですが…」

 

 アイリスちゃんは取り出された内臓の方に近寄る。

 

「はーい、ジャママ餌ですよ〜」

<ガウッ! >

 

 爆裂炎袋以外の内臓はシンティラさんが要らないとのことでジャママの餌となった。食べきれない部分は後で地面に埋めておく。魔獣が寄ってきても困るしね。

 

 ジャママはガツガツと内臓を美味そうに食べていた。こういう所は魔獣らしいな。普段は犬っぽいけど。

 見ればジャママは特に心臓を美味そうに食べていた。

 一応飛竜の心臓は珍味として知られているんだけど、それを好むとか中々に美食屋だね、こいつ。

 

「…なんか見てると美味そうに見えてくるな」

「ダメですよ、前に鹿の肝臓生で食べて当たったの忘れたんですか?」

「いいなぁ、いいなぁ。触りたいもふもふしたいなぁ。ね、ねぇ触っちゃダメ?」

 

 ジャママの食べっぷりに感化されたのかバディッシュが物欲しげにするのをランカが苦言する。

 そしてミリュスちゃんの手つきが怪しい。初日からジャママをアイリスちゃんの許可を取って触っていたが触り過ぎて嫌われたのだ。それから自重していたがまた触りたくなったらしい。

 

 こうしてジャママが内臓を食べ尽くす頃には解体は終わっていた。というかジャママ食べ過ぎだろ。何処にあの量の内臓が詰まったんだ…?

 

「よし、これで血抜きは完了だ。後は荷台に乗せて運ぶだけだ」

「見ていて惚れ惚れする解体の手際だったよ」

「それはまぁ、冒険者ですから。魔獣を解体する技術は必須スキルです」

「そうだな。下手に中身のあるまま持って帰ると腐ってるとか臭いが染み付いたとかで安くなっちまうしな。それでだがアヤメ、飛竜を売却した分の金の8割をアンタに渡したいと思う」

「え? 良いのかい? それだと君達の取り分が殆どないんじゃ?」

「あぁ、どのみち俺たちじゃ飛竜を倒せなかったしな。そのくらいは当然だ。だから飛竜の素材で欲しい所があったら先に言ってくれ。全部…はギルドへの報告と多分素材を売って欲しいとギルドの方で言われるから全部は無理だが優先的に渡すからよ」

 

 んー、どうしようか。飛竜の素材の武具は確かに魅力的だけども今の所どうしても欲しいと言うわけでもない。そもそも加工する事が出来る人材がいるかも不明だ。

 それよりもお金が欲しい(切実)。確かに金白狼の討伐とオニュクスの退治でオーロ村からお金は貰ったが、装備を買うとなると厳しいものがある。

 アイリスちゃんは「足りない分はわたしが払いますよ?」って言ってくれてるけど、このままアイリスちゃんのヒモとなり続けるのは色々と男としても大人としても俺のなけなしのプライドがチクチクと痛む。

 

「いや、いいよ。俺は金が貰えればそれで。君達が欲しい部位があれば予め貰っといたら良い」

「本気か? 飛竜の素材だぜ? 中々手に入るものじゃないと思うけど」

「装備を作るツテがあるわけでもないし、今の所は何か入り用なものがないからね。それよりもちょっと懐事情がね」

「そうか、ならわかった。だとよミリュス、ランカ。お前らはどうする?」

「僕は弓を打つ時にゆがけ(弓を射る際に装備するもの)としての分の鱗をもらうだけで良いよ」

「アタシもお金の方が…あ、でもでもアタシはちょっとばかし翼膜と鱗が欲しいかな。ほら、火竜の素材は炎に耐性があるし」

「んー、使える翼膜がそんななさそうだし、その辺はギルドと相談だな。俺はどうするかなぁ。まぁ、あとで考えるか。それじゃ、帰るか。シンティラさんも帰りますぜ」

「ふむふむ、やはりこの袋の粘液は他に類を見ない特殊な物であるには違いない。流石は飛竜。この中に七輪花と青色鉱石を混ぜたら一体どのような色合いの花火が出来るだろうか…」

「ダメだ聞いてねぇ」

 

 やれやれと肩をすくめるバディッシュに俺たちは皆笑った。

 



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冒険者、お断り

「あれが商業都市リッコだ」

「へぇ、あれが」

 

 遠目に見るだけでもかなり大きな街であることがわかった。何故なら視界一杯に広がる壁に門の前に並ぶ数多くの馬車…商人達の数が非常に多い。

 つまりそれだけの商人が此処を訪れるだけの価値があるというのを語っているようなものだ。

 

 実際、商業都市リッコの周りは山が多く魔獣も多く生息している。唯一此処が平らな地域で、そこに商業都市リッコが建設されて以降、太陽国ソレイユを初めとする魔界に近い国々と後方の国々を結ぶ重要な中間地点として栄え、今や殆どの商人がここを通って移動している。

 その数は一日で1000人に及ぶとも言われている。魔獣被害や魔物からの襲撃があるこの世界で、たかだか一都市にこれ程の商人が訪れることが、どれほど重要視されているかわかるだろう。

 

 俺は彼らの後ろに並ぼうとする。

 

「おいおい、並ぶのはそっちじゃないぞ?」

「ん? みんなこっちに並んでないかい?」

「そっちは商人専用だ。商人が中に入るのに馬車の中の検査とかあるからな。一般人までそっちに並んじまったら街に入る前に日が暮れちまう」

 

 なるほど、道理だ。

 俺はバディッシュ達の後ろについて行きながら、門を潜るのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 商業都市リッコに到着した俺たちは検問を抜けて街に入った。

 実は少しばかりジャママで揉めた。『魔獣使い(テイマー)』の契約魔獣ならともかく、子どもとは言え街に魔獣を入れるのは難儀を示した。

 

 けども、バディッシュの言葉と少しばかり金を渡す事で通ることが出来た。

 

 ただ鎖の紐を首輪につける事にはなった。因みに自腹だ。

 …本当に犬みたくなってきたな。ジャママも不満そう…いや。これは俺が手綱を握ってるのに不満とみた。流石にアイリスちゃんが握ると振り払われるのでは?と、門番に言われたのだ。

 

「自分は早速、親方にこれを渡そうと思います! 報酬自体はギルドに予め渡してあるので受け取ってください! もし何かあれば"ダルティス工房"に来てください! それでは!」

 

 都市に入るやそれだけ行ってシンティラくんはさっさと人混みの中に消えていった。大事そうに飛竜の内臓が入った瓶を抱えて。

 

「忙しないね、本当」

「だろ? だから誰かが手縄を握っときゃならねぇ。それよりも冒険者ギルドはこっちだ」

 

 バディッシュの案内に従い俺たちも後ろについていく。

 道中多くの人が荷馬車に引かれた飛竜(荷馬車は街に入る際に借りた。今までバディッシュが飛竜の載せた台を引いていた)に、そして荷馬車を率いる俺たちを見る。

 つまり非常に目立っているということだ。

 

 しまったな。俺もシンティラさんみたいに途中に理由をつけて離れとけば良かった。だけど今からいなくなるのは余りにも不自然だ。

 アイリスちゃんも街ではエルフは少し目立つと思ったのか、フードを被っている。俺もフードを被ってるけどやっぱり目立つようだ。

 だけど、ここで挙動不審になるのはおかしいかと、俺は胸を張ることにした。

 

「アヤメさんアヤメさん! 見てください、町で見たよりも大きな建物が沢山あります!」

「そうだね。やはり町と街では建てられる建物の規模も何もかも違う。見てみなよ。彼処に噴水があるよ。フィオーレの町のよりも大きい」

「本当ですね! 中央にある石像も立派です」

「はははっ、嬢ちゃんからすればやっぱり人の街ってのは珍しいか?」

「そうですね。わたし達は森に文明を築いてはいますけど、やっぱり人のそれとは別方向なんです。例えば、里にある家は全て木の上にありますし、それぞれを繋げる(つた)で出来た橋もあります。更には"蛍キノコ”と呼ばれる淡い青光を発行するキノコが夜であろうとわたしたちの里を照らしてくれています」

「へぇー、今すっごい貴重な話を聞けたかも。エルフって、そんな風に住んでいるんだぁ」

「基本的に絵本の中での存在ですからね。僕たちも、正直アイリスさんを見るまで存在自体には半信半疑でした。殆ど人の領域に出てくることがありませんから」

「むっ、それはわたし達が引きこもりだと言いたいんですか?」

「えっ!? そ、そんなつもりでは」

「ははは! 一本取られたなランカ!」

「バ、バディッシュさん!?」

 

 皆で笑いあう。

 その間も、色々な建物を見てはしゃぐアイリスちゃんや美味しそうな匂いに釣られそうになってるジャママを抑えながらも、目的地に向かって歩き続ける。

 

「よし、着いたぞ」

「へぇ、ここが」

 

 着いたのは、周囲の住居よりも高い建物。看板には剣と盾が重なり合っていた。

 

「ここがこの街の冒険者ギルドだ。中々に立派だろ?」

「中には酒場や売り場も併設されているんですよ。冒険者ギルドに属すれば他の店より、ほんの少しだけ割安にして貰えるので僕らも良く使っています」

「成る程。冒険者に合わせた施設も充実しているんだね」

「おうよ。あ、そうだミリュス。ちっと隣の倉庫に話つけて飛竜の方をそっちに運んで置いてくれ。流石に中には持っていけないからな」

「分かったわ。それじゃ、アヤメくんもアイリスちゃんもジャママちゃんも、また後で」

 

 ここでミリュスちゃんが一旦離れる。

 隣の冒険者ギルドが建てた魔獣や様々な商品を格納する倉庫へ荷馬車を引いて離れる。

 

「それじゃ、早速中に入ろうぜ」

 

 バディッシュの案内で、俺たちは冒険者ギルドに入った。

 

 

 

 

 入った途端、俺が感じたのは独特の雰囲気。市場や騎士団の練習場とも違う、少しピリつきながらも喧騒があった。

 

 俺は一階を見渡す。一階はギルドに依頼をしたり、冒険者が依頼を受ける受付があった。その隣に木のボードがあり、依頼書が貼り出されている。そこには複数の、バディッシュのような格好をした人達がいた。

 

 成る程、手練れが多いな。

 装備もだけど、それ以上に実践慣れした気配が漂っている。

 街の兵士達よりも強そうだ。

 

 二階の酒場で酒を飲んでいる冒険者も、一見無防備に見えても武器を手放したりしていない。

 

<カゥ…カゥゥ…>

「ジャママ、ちょっとだけ我慢してくださいね」

 

 酒場の酒の匂いでジャママが鼻先を抑えていた。

 鼻の良いジャママにはキツイらしい。だけど今は我慢してもらうしかない。アイリスちゃんも、ちょっとした雰囲気に()されたのか、すすっと俺の後ろにぴったり着く。

 

 そんな様子を知ってか知らずか、バディッシュはずんずん受付に進んでいき、女性の受付に話しかける。

 

「おーう、今帰ったぜ」

「バディッシュさんたちじゃないですか。お帰りなさい。? "ダルティス工房"のシンティラさんの姿が見えませんが、彼のお目付けだったはずじゃ?」

「まぁ、そのつもりだったんだけどな。シンティラさんは先に帰った。それでよ、実は飛竜の素材が一頭分手に入ってな。依頼料もだが、素材の買取をしてもらいてぇ」

「飛竜!? まさか…討伐出来たんですか?」

 

 話された内容に驚いた受付嬢が思わず声を出しかけるも、其処は鍛えられた仕事人、すぐに落ち着きを取り戻して声を顰める。

 

「おうよ、まぁ《三星》の俺らにかかれば飛竜なんぞ、ささっと倒せるぜ」

「バディッシュ、嘘の報告はギルドからの信頼を下げますし、ペナルティもありますよ」

「わかってるっての、ランカ。今のは冗談だ。倒したのは本当だけど、そこの二人の力を借りてな」

「二人…? 」

「こんちには。俺はアヤメ。そして」

「アイリスです。あとバディッシュさん、ジャママの事も忘れないでください。ジャママが居たからこそ貴方達に気付いたし、飛竜も追跡できたんですよ」

<ガゥ!>

「おぉ、こりゃすまないな」

 

 アイリスちゃんに抱き抱えられたジャママが一吠えする。

 受付嬢はそんなジャママよりもアイリスちゃんを見て目を見開いていた。

 

「すごい…美人…」

 

 フードを被っているがそれでも正面から見るとアイリスちゃんの顔は整っている。

 

「素敵! 成る程私の醸し出すおとなのびぼー(・・・・・・)に当てられたのですね。ふふん、もてる女は罪なのです」

 

 どや顔で誇るアイリスちゃん。確かに魅力的かもしれないけど、それが大人の魅力と言って良いのかどうか。どちらかというと完璧な人形に近い感じだ。

 受付嬢も苦笑いしていた。奥の職員達も似たり寄ったりの反応だ。ただ中には顔を赤くして息を荒げる者もいた。

 …あれはちょっと注意しといた方が良いかもしれない。

 

「あの、ボーとしている所悪いけど、俺たちは冒険者ギルドについてよく知らないんだ。詳しく聞いても良いかな?」

「あっ、はい。申し訳ありません!」

 

 受付嬢は頭を下げる。

 

「先ず初めに冒険者ギルドについてどれほどご存知でしょうか?」

「悪いけど殆ど知らないんだ。バディッシュに聞いた内容ぐらいだけど、市民からの依頼を受けて魔獣を討伐するとか」

「大体はその通りです。市民から貴族、果ては国まで様々な依頼が此処冒険者ギルドには集まります。薬草の採取、馬車の護衛、魔獣の討伐から捕獲、調査などその仕事は様々です。そしてこれが冒険者ギルドの特徴なのですが、様々な国に冒険者ギルドは存在しているんです!」

「国を跨いで存在しているのか? それはすごいね」

「はい! 過去にずっと昔にあった魔獣による被害を防ぐ為に200年前の勇者様達によって設立された機関なんです。以来人々にとって無くてはならない機関なんです!」

 

 200年前。勇者。

 

 あぁ、思い出した! 寧ろ何で忘れていたんだ!

 金白狼の時もだけど、魔獣などを専門に相手をする機関それが冒険者ギルドだ!

 先代(・・)勇者ノア・ゲオルギオスが、各地を回る中で魔物の被害だけでなく、魔獣の被害に嘆いている民を見て、積極的に魔獣を討伐し、それに感化された勇士達が国に頼るのではなく、自分達で対処するようになったんだ。そこに利をみた商人や国からの支えもあり、段々と規模が大きくなるにつれ、組織を作るようになりこうして生まれたのが冒険者ギルドだった。

 

 『勇者の物語(ブレイブストーリー)』にも、勇者によって救われた人々がその後別々の場面で活躍するってのは良くあった。

 それ程に、先代の影響は大きい。

 その一方で何故か当時の多くの国とかの歴史については殆ど記されていない。

 魔王軍の被害が余りにも大きかったかららしい。途絶えた技術も数多くあるとか。

 

「また、ギルドではランクと呼ばれる階級で、受けられる依頼を分けています。最初の《無星》から始まり、一つずつランクが上がっていきます。その際にこうして星の一角を埋めていくんです。一番上の一星、通称《光星(アストライアー)》と呼ばれるものが最高ランクです。といっても最高ランクの方はそれほど多くないんですけどね」

「依頼もランクで分けられているっていうけど、上のランクの人は下のランクの依頼を受けられないのかな?」

「いえ、そういう訳ではございません。中には特殊な技能(スキル)で薬草の採取に特化した方などもおりますので、基本的に受けては良い様になってます。ただ、実力がある方にはこちらからランクに相応しい依頼を斡旋したりします」

「基本的には、ってことは高ランクの人が低ランクの依頼を受ける人は少ないのかい?」

「えぇ、はい。先程の例は殆どおりません。そもそもあまり高ランクの人が下のランクの仕事を取り続けると低ランクの人が仕事出来なくなってしまうのです。それに何だかんだで高ランクの依頼の方が報酬も多いのです」

 

 成る程、低ランクの冒険者を守るために必要な措置だ。

 

「参考までに1チームあたり何人程いるのかな?」

「えっと…確かチームとしては構成員が最小で三人、最高で二十名程のチームがあります。とはいえ、余りにチームの人数が多すぎると一人当たりの配当するお金がどうしても少なくなるので。でも、個人で《光星(アストライアー)》を獲得している方もいます」

 

 へぇ、面白いな。

 個人で最高ランクとなるとどれほど強いのだろうか。少なくとも今の俺よりも強いのは確実だ。

 だが、グラディウスとメアリー程才能があるかどうかは分からないな…。それ程強いとなると国の方が囲ってそうだ。

 

 ふと疑問に思った。

 

「そういえばバディッシュ達はどのくらいなんだ?」

「俺か? 俺たちは《三星》だな。所謂中堅みたいな実力だ。一応この街じゃ上の方だぜ」

「すごいね、君達ギルドからの信頼も厚い実力者じゃないか」

「貴方に言われたくないですね」

「全くだ」

「背後から飛竜の尻尾を切断した男が何を言うんですか」

 

 それにあれくらいならユウも出来るだろう。飛竜も何だかんだで討伐できる者もいる。だから別に俺が特別優れている訳じゃない。

 《光星(アストライアー)》の人も倒せるはずだ。そして多分、アイリスちゃん以外のエルフにも倒せる奴はいるだろう。

 …こう考えると飛竜を倒せる人が結構いるな。

 

「あの、ここまではよろしいですか?」

「あぁ、ゴメン。大体冒険者ギルドの意義はわかったよ。それで、もし良ければ規定を書いた書類とかあるかな? 」

「ありますよ。少々お待ちください…ありました、どうぞ!」

「ありがとう」

 

 受け取った資料は使い込まれたのかしっかりとしていた。

 感謝の言葉を言って中を見る。

 

「む、むぐぐ…見えないのです」

「あぁ、ごめんよ」

 

 アイリスちゃんにも見えるように屈んで一緒に見る。

 いくつかの規則に目を止めながら、俺はパラパラと内容を読む。

 

1.冒険者は冒険者ギルドに属する代わりに、依頼を受ける義務を負う。

2.冒険者の進級はギルドが規定した試験を突破、或いはランク以上の魔獣を討伐した際、審議によって決定する。尚、偽装した場合今後永久に冒険者ギルドから追放する。

3.冒険者ギルドに属する場合、職業(ジョブ)、年齢、出身地を明らかにする。これは詐欺を防ぐ為の措置である。

4.冒険者自身が依頼を発行する事も可能である。

5.冒険者は街および国内での武器の抜刀を禁ずる。ただしやむを得ない事情がある場合はその限りではない。

6.冒険者は……

 

 結構細かく規定がされていた。

 俺は内容を理解するためにキチンと読む。こういったことは適当に読むとひどい目にあう。

 その内の一文に目が止まった。

 …なるほど。

 

「冒険者は依頼をこなす事でお金を得られ、市民は冒険者によって物事を解決してもらう。国は魔王軍との戦いだけに集中できる。正に夢のような機関だ」

「はい! それでどうでしょうか。飛竜を倒せる方となれば期待の新人です! なので、冒険者ギルドに登録を!?」

「えぇーー」

 

 俺は笑顔で言った。

 

「謹んでお断りします」

 




 書いてる身で何ですけど、冒険者ギルド程実態が不明瞭なものはありませんよね。
 稚拙では先代勇者ノア・ゲオルギオスによって発足された組織となっています。当初こそ崇高な願いによって発足された組織ですが、今の冒険者ギルドは色んな国の下部組織に当たり、それぞれ各国のギルドが相互協力しています。冒険者は国同士の争いに直接駆り出されはしませんが、魔族との戦いには駆り出されます。言っては何ですがほぼ傭兵に近いです。
 因みに太陽国ソレイユを作った勇者と冒険者ギルドを作った勇者は別々になります。太陽国ソレイユには軍の対応がしっかりしているので民への魔獣被害も少ない為、冒険者ギルドが無いのでアヤメも知りませんでした。


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女の子は、服を選ぶのが好き

 その後ギルドからの誘いを断った後、俺たちは飛竜を売却に時間がかかるとのことで後日バディッシュたちと会う約束をして冒険者ギルドから離れた。

 とりあえずとバディッシュは依頼達成の分のお金を全部俺にくれた。

 街に滞在するのにもお金がいるだろうと彼からの厚意だ。

 勿論その分は後日、飛竜を売却した値段から差し引くよう伝えている。

 

 街を歩く俺は改めて城塞都市リッコにいる人混みに驚いていた。

 何度も言うけど人の数が段違いだ。オーロ村とフィオーレの町の時も人の数が違うという感想を抱いていたけどその比じゃない。

 ここまで人が多いのは太陽国ソレイユの輝都以来だ。

 

 至る所で開かれている露店。

 そして巨大な市場。

 更には街を囲む壁。二重構造の壁は市民の暮らす住民区とこの街の行政区に分かれている。上から見れば二重丸に近い。中の方の丸は小さいけれど、そこに行政区つまりこの街の中枢がある。

 もっともここは行政の内周部とは離れた市民区なので壁は外の城壁しかこの位置では見えない。

 

「アヤメさんアヤメさん、なんで冒険者にならなかったのですか?」

「んー、色々と理由はあるけど聞きたい?」

「はいです! だってこれから色んな国を訪れるなら冒険者の通行許可証は中々に魅力的だと思うのです。それを蹴ってまで登録しなかった理由が何なのか気になるのです」

 

 アイリスちゃんは疑問に頭を傾げている。しかし、何か理由があるのだろうと目は信頼で満ちていた。その事が凄く嬉しくなる。

 

「そっかそっか、なら座って説明しようか。丁度昼食を取ろうと思っていたんだ」

 

 近くの喫茶店に入り、少しばかり遅い昼食を取ることにする。俺はいつも通りのコーヒーとこの店名物のパスタを頼む。アイリスちゃんはぬぬぬと悩んだ後、サンドイッチにしたらしい。飲み物に桃のジュースとデザートに季節の果物も頼んでいた。

 後、ジャママにはハムをそのまま出してくれるよう店員さんに頼む。残念だがジャママがいるので店内ではなく、外席になってしまったけど俺もアイリスちゃんも殆ど気にしない。

 先に出してくれたコーヒーを飲みながら俺は話をする。

 

「さて、何で冒険者にならないのかって話だけど一つは組織に属する事での俺の情報が漏洩することを恐れたんだ」

「情報ですか?」

「あぁ。例えば俺の正体がバレたとしよう。まずその瞬間から冒険者ギルドに登録されていた俺の武器、戦法、前までに居た場所が全て割れてしまう」

 

 何処かに所属すると当然自らの情報をある程度開示する必要が出てくる。特に冒険者の規則の中に職業(ジョブ)を開示する必要があるのは痛い。馬鹿正直に書く必要はないが、俺は剣士であり誤魔化しが効かないのだ。

 これが『魔法使い』や『魔術師』といったものなら、ある程度別の職業を装う事ができたけれど剣士に至ってはそんな器用な事は望めない。

 

「それに冒険者は国同士の争いに与するのも禁止している。まぁ、魔王軍という目下の危機があるのに争う国があるのかっていう疑問はあるけど、これは俺にとって凄く不都合なんだ」

「それが何か問題があるのですか?」

「あるさ。…アイリスちゃん、この際だから言うけど俺はもしこの先で誰かが不条理で不幸な目にあっていて、それをしているのが更生の余地がない奴だったら、人を殺すことも厭わない」

 

 思い出すは勇者の時に魔王軍を追い出したあの国だ。

 あの国は魔王軍が攻め入るより前から民が王より重税をかせられて苦しんでいた。

 確かに俺が魔王軍を撃退した事であの国は救われた。

 だが民の事を考えるならあそこでは国王は殺すべきだっただろう。無論、その後の統治はどうするだとか、より酷くなる可能性がある事は否定できない。

 それでも自分達が救った事で、より重い税を課された民のことを俺は忘れたことはない。国を立て直す大義名分の元に国王と貴族は自らの資金を戻すためにだけに民に圧政を敷いたのだから。

 

 人を殺したいわけではない。

 だけど、それが必要な時もいずれ来るだろう。

 だからこそ、その時に躊躇しないようにしなくてはならない。冒険者になったら、盗賊相手ならともかく本当の意味での悪がいた時、殺すことができなくなる。

 

 俺の決意に対し、アイリスちゃんの反応はあっさりしたものだった。

 

「そうなのですか。それなら仕方ないですね」

「…ぇ? あの、アイリスちゃんは人を殺す事に何か忌避感はないのかい?」

「アヤメさんのことですから何度か警告し、チャンスを与えるでしょう? それでも駄目ならばそれはもう仕方のないことです。世の中にはそれだけ欲深い獣がいると何処かの誰かさんに教えてもらったのです」

「…君は本当に俺の事をよくわかっているね」

「えへへ〜、褒めても全く嬉しくないですよ」

「顔が緩んでいるよ」

 

 変わらないアイリスちゃんの様子に呆れると同時にホッとする自分がいた。決意はしていたけれども、アイリスちゃんが拒否する事に少しばかり怯えていたらしい。

 

「でも冒険者ギルドの依頼のシステムは救世主(ヒーロー)を目指すアヤメさんにとって非常にマッチしたものだと思うのですが」

「かもしれないね。でも、救世主(ヒーロー)を目指す途中、助けが必要な時は別に依頼を介さなくても、その場で助ければ良い。もし依頼を受けた冒険者がいたら悪いけどね」

「でも、お金は必要なのです。確かお金を預ける事も冒険者ギルドの方では出来ましたよね? アヤメさんは、ロメオさんみたいに組合とかにも入ってないので、預ける事が出来ません。常に持つとなると嵩張りませんか?」

「まぁ、そうなんだけどね。確かにお金が嵩張るのは困るけど、なら貴金属に変えても良いかもしれない。そうすれば、少なくとも持ち物として減るしね。お金の方も、魔獣を狩った後に別の商人や組合に売ったら良いだろう」

 

 そう、何も素材を売れるのは冒険者ギルドだけという訳ではない。直接武器屋に交渉したり、商人に売ったり、村からの頼みごとを行うだけでもいい。

 依頼料の事は少しばかり勿体ないかなと思うが高い値段の依頼にはそれだけランクを上げる必要があり、そこまでの手間と危険を考えるとやはり現実的ではない。

 

 俺の秘密を考えると他にパーティを組むこともないからね。

 もし、仮に。俺の正体がバレたとして巻き込む訳にはいかない。アイリスちゃんは、どこまでもついていくといってるから諦めているけど、守るつもりだ。

 

 俺の言葉にふむふむとアイリスちゃんは何度も首を縦に振り、こくこくと桃ジュースを飲む。

 

「ぷはっ、爽やかで美味しいのです。…アヤメさんが決めた事ならわたしはもう何も言いません」

「そうか。でも今みたいに疑問に思ったことがあったら是非とも聞いてほしい。俺一人で全てを決めるのは、怖い。間違ってもわからないから。そうならない為に仲間の意見も欲しいんだ」

「んー、わかったのです。その時はまた質問させてもらいます」

「うん、お願いするよ」

 

 下で座っていたジャママがピクリと反応する。

 話が終わった丁度のタイミングで頼んだ品を運ぶ店員さんがやって来た。

 

「お待たせしました。赤牙豚のベーコンとほうれん草を使った濃厚カルボナーラと、当店オススメの黒烏骨鶏の卵サンドイッチにございます。此方は季節の果物盛りと同じく赤牙豚のハムにございます」

 

 胃を刺激する濃厚な匂いが漂う。

 沢山のチーズと肉、卵が使われている。物が集まる商業都市だからこそ、仕入れられる贅沢な料理だ。

 

 俺たちは食べ物に感謝して、早速頂く。

 

「美味しいのです! まろやかな卵の甘みに、シャキシャキとした春キャベツの爽やかさと瑞々しさが噛んでいて楽しいです。まさか里以外でこんな野菜に出会えるなんて」

 

 アイリスちゃんはサンドイッチを食べて感動しているようだ。

 期待が高まる。俺も一口食べる。

 

「本当だ、美味しい」

 

 濃厚かつ芳醇なパスタの熱で溶け、絡まったチーズが舌の上で踊っている。

 更には少しだけ入れられた胡椒がこれまたピリリとして良い刺激となっている。

 肉も、旨味が凝縮していて噛めば噛むほど味が染み出てくる。

 

 美味しい。

 これは大当たりだ。

 食べる手も止まらない。

 

 すると食べている俺のことを、アイリスちゃんがじっと見ていた。

 

「アヤメさんのそれも美味しそうですね」

「うん、美味しいよ。食べてみるかい?」

「はい! えっと…あーん」

 

 恥ずかしそうにしながら小さな口を開けるアイリスちゃん。俺は苦笑しながらもフォークでカルボナーラを巻き取り、食べさせる。

 優しく口からフォークを離れさせる。

 

「あふいっ」

「ごめんよ、熱かったかい!?」

「はふっ、大丈夫でふ。んくっ…、すごく濃厚でどろりとしています。その中に甘みがあって、すごく美味しいです」

 

 んんっ、なんか言い方がやらしいね。

 発言には気をつけるよう注意しておこう。首を傾げられたけど。

 

「というか、少し手慣れた感じがしたのは気のせいでしょうか?」

「キノセイダヨ」

 

 別にメイちゃんがちょくちょく俺の料理を頂戴と口を開けて、あげる事があったからという訳はない。

 断じてない。

 ないよ。

 

 アイリスちゃんは多少訝しげにしていたけど俺が喋らないと分かると、むむっとしながらもサンドイッチを食べ始めた。

 

「今回は何も聞かないであげます。無闇な詮索をしないのもおとなのみりょく(・・・・・・・・)ですから」

「はは…感謝するよ」

 

 そのままもぐもぐと食事を楽しむ。

 うん、美味しい。

 

 食事を楽しんだ後、締めのコーヒーを啜る。

 やっぱりコーヒーは良い。身体がシャキッとする。この苦味によって身体が醒めるのだ。

 

 

 料理は大満足だった。

 俺は良い気分でお会計を済ませる。

 

「合計は45銅貨になります」

「わかった。…これで良いかい? それと少し聞きたいことがあるんだけど…」

「何でしょうか? 」

「実は…」

「あぁ、それならーー」

「そうか、ありがとう」

 

 店員さんに話しを伺った後、俺は店を出た。店の前ではアイリスちゃんとジャママがいる。

 

「さて、と。それじゃあ行こうか」

「あれ? 何処か行く場所があったのですか?」

「うん、すごく大切な所さ。アイリスちゃん、君は服屋に行ったことはあるかい?」

 

 アイリスちゃんは「服屋?」と頭を傾げた。

 

 

 

 

 

「ふわぁ…!」

 

 アイリスちゃんは初めて見る服屋の店内に目を輝かせていた。

 

「これが人の街の洋服店! すごい! 見たことないものばかりです!」

 

 何故服屋に来たのか。それはアイリスちゃんの衣装を買うためだ。

 

 あの町ではロメオ関連のゴタゴタと女性服を売る店が見当たらなかったので諦めたが、こんな大都市なら必ずあると俺は踏んでいた。

 

 聞けばアイリスちゃんは俺を探す際に、本当に薬草を売ったり情報を集めるだけでこういったお店には来たことがないらしい。

 だから基本アイリスちゃんの服は普段着ているのと、寝間着の二つだけだ。俺も似たような感じだけど女の子は色んな服を持つべきだろう。

 

 メイちゃんも服には凄い拘っていた。戦闘用のローブとかは変わらないけど私服は結構持っていた記憶がある。

 

 俺とユウはあんまり拘らなかったな…いや、ユウは絵本で見るような伝説のなんたらや曰く付きのなんたらといった、やたらとそういった武具に目を輝かせていたな。「これがあれば僕も隠された力が目覚めたり…」とか。後者は俺とメイちゃんで止めたけど。今となっては懐かしい思い出だ。

 

「アヤメさんアヤメさん! キラキラです! すごいっ、どれもこれもステキなお洋服です! ほら、これも…アヤメさん?」

「あぁごめんよ。少し昔を懐かしんでいた」

 

 いけない。今は感傷に浸っている場合じゃない。女の子と買い物しているんだからちゃんとその子の事を考えておかないと。

 

「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「あぁ、俺の連れのこの娘に合う服をお願いしたい。

「えっ、アヤメさんは選んでくれないんですか?」

「俺よりも店員さんの方がこういった事に手慣れているし、センスも良いだろう?」

「それは…そうですけど…。わたしはアヤメさんに選んでもらった方が……」

 

 折角買うんだから自分で選んで見て欲しいんだけど、どうにもアイリスちゃんは俺に選んで欲しそうだった。

 あまりファッションに自信はないんだけど、やるからには可愛くしてあげるべきだ。俺は本気を出す。

 

「う〜ん、ならこれはどうかな?」

「えっ、これですか?」

「あぁ。アイリスちゃんは肌が白いから、赤や黒よりも白の衣装が似合うと思うんだ。だからこの白のワンピースが似合うと思う。あとはそうだな。日に当たりすぎて倒れてもいけないから何か帽子…あぁ、店員さん。このピクチャーハット、この娘に合うサイズありますか? ある? なら、それでお願いします」

 

 テキパキと店員さんに聞きながら、アイリスちゃんに似合う服を選んでいく。

 アイリスちゃんは服を抱えて試着室の前まで来る。

 

「アヤメさんアヤメさん、覗いても良いんですよ?」

「覗かないから、早く着替えておいで」

「むぅ」

 

 ぷくっと頰を膨らませた後、アイリスちゃんは試着室に入る。

 全く、あの娘は恥を知らないのだろうか?

 

 待っている間、俺は遠くで店員さんに撫で回されているジャママを見た。…俺には撫でさせてくれないのに。

 

 

 

 

 

 暫くして着替え終わったのかアイリスちゃんが試着室から出てくる。

 

「えと、どうですか…? 」

 

 アイリスちゃんが着た服は胸元にフリルがついた、肩を出す白いワンピースだ。

 これが俺が選んだ衣装だ。

 その様子は見るからに清楚といった感じだ。

 

 ワンピースの肩出しで今の時期なら大丈夫だと思うけど、万が一寒かったらいけないので淡い水色のガーディガンを羽織らせている。

 それがまた、アイリスちゃんの金髪の美しさをより引き立てていた。

 

 被った大きめな白のピクチャーハットは、アイリスちゃんの耳を隠すのにも好都合だった。そのピクチャーハットには、エルフであるアイリスちゃんに合わせた造花を飾らせてある。

 

 あとは靴の方も衣装に合わせて、白のサンダルにした。ちょっと慣れないからこける危険があると思うけど、そこは俺がフォローしていこうと思う。

 

 全体的に見て成功と言って良いだろう。

 店員さんも「素敵です」と言っている。

 

「うん、綺麗だよ。とっても似合ってる」

「本当ですか! やった。えへ、えへへ〜」

 

 アイリスちゃんも嬉しそうにしている。

 気に入ってくれて良かった。俺は安堵の息を吐く。

 

 

ーー実の所、アイリスはアヤメがくれた服なら何でも喜んでいたりもする。彼女にとって重要なのは、アヤメ()選んでくれた服なのだ。

 

 

 アイリスちゃんの試着を見ていると、店員さんに連れられていたジャママがこっちやってきた。

 

「こちらの狼様も威風堂々とした見た目にふさわしい首輪をご用意させて頂きました」

<カァゥ>

 

 ジャママは首にお洒落な赤い首輪をしていた。気に入ったのか何処と無く誇らしげだ。本格的に犬への道を歩んでいる。

 狼の誇りは何処にいったのだろうか。

 

 

 だがこうして並んでいるのを見ると何処かの令嬢がペット共に街にお忍びで訪れたみたいだ。

 う〜ん、絵になるな。『絵師』にでも頼んだら喜んで書いてくれるんじゃないだろうか。

 

「うん、気に入ってくれて良かった…、ん?」

 

 あれ、なんだか店員さん達の目が怪しい。

 

「さぁさぁ、お客様。貴方様も着替えてはいかがでしょう? いいえ、是非ともそうすべきです! 衣装選びは我々にお任せください!」

「あ、ちょっ、ま」

 

 確かにアイリスちゃんとジャママが衣装を変えたのだから必然的に俺もとなるのは理解できるけども! 

 遠慮する俺を店員さんは「遠慮せずに」と言ってくる。

 

 何が彼女らをそこまで駆り立たせるんだ!?

 

「いや、ほんとに、まって」

 

 さぁさぁと服を脱がした店員さんだけど固まる。

 

 それはそうだろう。俺の身体にはユウに袈裟斬りにされた傷痕が残っている。アイリスちゃんでも傷痕を無くすことが出来なかったらしい。見るからに致命傷の傷がある仮面の男。堅気ではないと思うのは必然だろう。

 

「も、ももも申し訳ございません! 

「あぁ、良いよ。寧ろ見苦しい所を見せちゃってごめんね。俺は自分で着替えるから大丈夫だよ。…そのかわり、店員さんたちが選ぶとびっきりの服を選んでくれないかな?」

 

 店員さんは真っ青な顔をしながらもこくこくと頷き、俺の言葉通りに服を探しにいった。

 あらら、悪いことしたかな。

 

「アヤメさんどんな服を着るのか楽しみです!」

 

 アイリスちゃんだけは、楽しそうにしていた。

 

 

 こうして俺も、服を着替えたのだが…。

 

「…いや、確かにとびっきりの服を選んでくれとは言ったけどさ。タキシードって…」

「わぁ、アヤメさん素敵ですよ! まるで仮面紳士です! そうなると、わたしは何処かの御令嬢ということになるのでしょうか?」

「確かに格好から見ればそうだろうけど」

「やっぱり! なら、こうやって手を組んでも不思議じゃないはずです! えへへ」

 

 アイリスちゃんは嬉しそうに俺の腕を組んだりする。

 そこまで喜んでくれるのは俺としても嬉しい。だけど

 

「これじゃ、街を気軽にあるけないよ…」

 

 舞踏会に出るわけでもないのにタキシードはない。悪目立ちが過ぎる。

 俺はため息を吐いた。

 

 

 

 結局俺は何時もの格好に戻った。アイリスちゃんは残念そうにしてたけどあれはない。

 だけどアイリスちゃんは嬉しそうに買った服を「大切にします」と言っていたのでこれだけでも来た甲斐があったというものだ。

 



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花火職人

 後日。

 俺たちは一晩1銀貨の部屋を借りて過ごし、朝になると冒険者ギルドに行ってバディッシュと会って飛竜討伐の報酬を受け取った。

 驚くことなかれ、そのお金は何と金貨78枚だ。バディッシュはかなり興奮していたけど、俺はそこまで衝撃を受けてはいなかった。

 魔族との戦いを制した後に、報奨金が支払われることもあったし、その時の報酬はこれより大きいこともあったのだ。尤も、そのお金もグラディウスとメアリーの消費で消えていったけど…。俺はある程度二人には内緒でお金を確保して被害にあった村々に配ったりした。偽善だとは思うけど、彼らの為に何かをしてあげたかったんだ。

 

 それにしても、これだけのお金を自由という意味で使えるのは初めての経験だな。

 お金というのはあっても困らないものだ。人を助けるにも、自分の装備を揃えるのにも。

 

 

 

バディッシュと別れた後、俺はアイリスちゃんと市場に行ったり、武具屋を見たりした。やはり商業都市なだけあり、その充実ぶりに色んな所を回っているとあっという間に夕方になった。

 ただその分の収穫もあった。

 

「市場を見てアヤメさんの格好も、変わりましたね」

「まぁね。これで少しはマシな格好になったかな」

 

 そう、報酬を得て俺の装備も揃える事になった。というよりも今まで剣一本と短剣だけだったのがおかしいというべきか。

 買ったのは手甲と鉄靴、あとは軽く肘や膝を守るプロテクターだ。更には服の下に鎖帷子(チェインメイル)も着込んでいる。

 鎖帷子を選んだのは全身鎧とかはオーダーメイドになる上に、俺の得意な動きで撹乱したりといった戦法が取れなくなるからだ。

 魔法がかけられた鎧なら違うのだけどそれは非常に値段が張る。それに殆どの場合サイズの問題で合わなかったりもする。今回は残念ながら縁はなかった。

 

「そしてまぁ、見事に飛竜を倒したお金がなくなったね」

「仕方ないのです。これが予想以上に高かったですから」

 

 アイリスちゃんは俺の腰にぶら下がる革袋をツンツンと続いた。

 本来なら飛竜を討伐した金がこの程度の防具でなくなる筈がない。

 それでもなくなったのはこの革袋を買ったからだ。当然これは普通の革袋じゃない。『魔法の袋(マジック・サック)』と呼ばれるそれは、袋の口の大きさならあらゆる物を入れる事ができる。

 

 過去に存在したという『錬金術師(アルケミスト)』の職業を持つ者が長い年月をかけて陣を刻み、それにより袋内部の許容空間を広げたとかなんとか。正直、職業(ジョブ)の違う俺にはそれがどのような原理かつ凄いことなのか何となくしかわからない。

 今は『錬金術師(アルケミスト)』の職業(ジョブ)を持つ人は絶えてしまった(・・・・・・・)ので手に入れるにはこうして大金を出して買うか、或いは前人未踏の迷宮で手に入れるしかない。

 

 大商人や国が持つような物には劣るけれども、それでも貴重な品には変わりない。だからこそ値段も高く、そうやすやすと手は出せない。

 

 しかし悪いことばかりではない。『魔法の袋(マジック・サック)』を持つことで物が嵩張(かさば)るのを防ぐことが出来るのだ。これは大きい。特に食料の心配が少なくなる。食べ物が劣化しなくなる訳じゃないけど中にしまえば革袋の重さしか感じないのだ。

 大金をはたいた甲斐がある。

 

「これでアヤメさんに買ってもらった服も中に入れられて汚すことなく保存出来るのです」

「そうだね。…ふと思ったけど食料と一緒に入れた服や小物はどうなって中で区分けされているんだろうね」

「えっ、あ、確かに。どうなってるんでしょう?」

「本職じゃない俺たちが考えても理解できない事なんだろうけどね」

 

 しかし一度気になるとずっと気になってしまうのは人の(さが)だろう。

 例えるなら寝る時に目が何処を見ているのか、舌はどの位置に置くのが正解なのか気になり寝れなくなるのに似ている。

 俺たちが袋の中を見て頭を悩ましていると、背後から人をかき分けてランカくんが現れた。

 

「あぁ、やっといた! アヤメさん! それにアイリスさん!」

「あれどうしたんだいランカくん? 飛竜の代金についてまだ何かあったのか? なんか間違っていたとか?」

「いや、そうではありません。丁度探していたんですよ」

「わたし達をですか?」

「はい。お二人に是非とも会いたいと言う人が居まして…」

 

 その言葉に俺とアイリスちゃんは顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 中央の商業区から離れた工房地区。此処には数多くの生活必需品を作る工房から、冒険者や兵士に必要不可欠な武器を造る鍛冶屋が存在している。

 その中で、行政区を除き唯一壁が囲まれている区間があった。

 周りが高さ5メートルくらいの壁に囲まれ、周囲からは中が見えない。更にはそれでも火を扱う事から辺りには家がない。

 此処に"ダルティス工房"、つまり花火を扱う工房があるとランカくんが説明してくれた。

 

 俺たちは、厳重な分厚い鉄で出来た門を通るとバディッシュがいた。

 

「お、ランカ見つかったのか」

「うん。ミリュスは?」

「まだ探している最中だ。後で見つけて見つかったと教えてやらないとな。それよりも。よぉ、アヤメ。さっきぶりだな。なんだ、装備が一丁前になってるじゃねぇか」

「やぁ、さっきぶりだねバディッシュ。そして…えっ、君シンティラさん?」

「はいっす…」

 

 バディッシュとランカくんが会話する横で顔面が腫れたシンティラさんがいた。

 余りにも違いすぎて一瞬気がつかなかった。

 

「え、何があったんだい?」

「聞かないで欲しいです…」

「だ、大丈夫ですかっ? わたし今治療薬があるので治しますよ」

「いえ、お気になさらず。これは僕自身にとって罰みたいなものなので…」

「罰?」

「まぁ、おイタがバレたってことだわな」

「バレた? 何がですか?」

「あぁ、ここの親方の」

「おう!! 来たのか!!」

 

 バディッシュの言葉を遮り、ドスドスと此方に近寄ってくる人。

 ずんぐりむっくり、樽型の身体にはちきれないばかりの筋肉。顔は(すす)だらけだけど、それ以上に目立つ髭もじゃの男性。

 間違いない。ドワーフだ。まさかこんな所で見るだなんて。

 

「よく来てくれた。ワシがこの"ダルティス工房"の親方、ダルティスだ。あぁ、敬称はいらんぞ。ワシはそういうのは鼻がムズムズするからな。それで、この馬鹿が迷惑をかけたようだな。先ずはそのことを謝罪させてもらおう。すまなかった」

 

 バッとその厳つい顔からは思えないほど簡単に頭を下げるダルティス。そのギャップに思わず目を彷徨わせると目があったバディッシュとランカくんが苦笑する。

 

「僕たちも謝られたんですよ」

「別に俺たちは冒険者だから依頼を受けた代わりに命をかけるのは当たり前だからよ。気にする必要はないんだけどな」

「だとしても、だ。聞けばこの阿保が勝手に突っ込もうとしたのを止めてくれて、依頼を受けてくれたそうじゃないか」

「で、でも親方。こうして飛竜は狩れたし犠牲者もいませんから」

「阿呆が! 冒険者にも迷惑かけて! オメェが想像するよりも遥かに危険な相手なんだぞ飛竜は! 焼け焦げにならなかっただけありがたいと思え!」

「いったい!」

 

 シンティラさんがまたも頭を叩かれる。ダルティスさんの方が背が低いのに、跳躍して思いっきり叩かれている。めちゃくちゃ良い音が鳴った。スバゴッ! って。あれは絶対痛い。

 

「それでそこの冒険者達に話を伺った所、アンタの名前が出てきたんだ」

「あー、確かに俺も飛竜討伐を手伝ったと言えるかな」

「やはりそうか。弟子が世話になった。改めて礼を言わせてくれ」

「いや、俺たちも偶々だから。そんな頭を下げなくて良いよっ」

「その偶々がなければコイツも、そしてこの冒険者達も命を落としていただろう。コイツは阿保だがそれでも弟子の一人だ。こんな事で死ぬのは偲びない」

 

 ダルティスの言葉には真剣さが宿っていた。

 それだけ弟子を大切にしているのか。

 

「お、親方…」

「死ぬならせめて花火で失敗して爆発四散しろ」

「親方ぁ!?」

「冗談だ。ワシの弟子になったからには、そんな事で死なせはせん」

 

 驚くシンティラさんに対し、ダルティスはがははと笑う。何というか…豪快な人だな。

 そう思っていると俺は力強く、ダルティスに手を握られた。

 

「馬鹿弟子は阿呆な事をしでかしたが、飛竜の"爆裂炎袋"が手に入った事で、恐らく過去最大級の花火が出来上がるだろう。《大輪祭》まであと一週間だが、その時は是非とも夜空に打ち上がるワシの大花火を見てくれよ!」

「あぁ。是非とも見せてもらうよ」

 

 にっと、黒い煤だらけの顔とは対照的な白い歯で笑うダルティス。

 思ったより悪い人ではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

「すっごく、暑苦しい人だったのです」

「それだけ熱意に溢れているってことさ」

「わたし熱気に押されて喋る暇ありませんでしたよ。おまけにあそこ、硝煙臭かったです。あんな所乙女のいる場所じゃないのです」

「まぁ、確かに慣れない臭いだったね。あぁ、手が煤で汚れてるし、臭うなこれは」

 握られた手からは非常に硝煙の臭いがする。

 ジャママがか細く鳴いた。

「ジャママはまだダメかい?」

「えぇ、どうやら硝煙の臭いだけでなくあそこの職人達の体臭にもやられたみたいで…。その、汗臭いから」

<カァァゥゥ……>

 

 鼻を何度も掻いて、(かぶり)をふるジャママ。冒険者ギルドの時といい、この街はジャママには苦手な場所ばかりだな。

 次あそこに訪れる時はジャママは置いていったほうが良いかもしれない。

 

 それにしても、あそこまでダルティスが胸を張って言う『大輪祭』に俺は興味が湧いた。元々からあったけど、今回のダルティスの意気込みを見てより期待が高まったというものだ。

 

「《大輪祭》か…うん。楽しみだ」

「そうですね」

 

 今まで見た事ない祭りに俺は心を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして一週間後。待ちに待った《大輪祭》が開かれた。

 



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祭り

――見ろ、あの肌を何と禍々しい

――本当だ、なんて醜い色であろうか

――我らと違いなんて穢れた色であろうか

――魔法も使えず

――精霊には嫌われている

――体力もない

――彼女は我らの一族に相応しくない

――ならどうするか

――殺しましょう

――殺してしまえ

――あの悲劇を繰り返してはならない

――だがしかしまて、このような穢れたものの血で我らの聖地を汚す訳にはいかぬ

――ならどうする?

――どうするか

――例の汚れた地で捨ててしまおう

――なるほど、それは良い

――汚らわしいものは汚らわしい所へ

――高貴な世界から下賎な世界

――捨ててしまおう

――捨ててしまいましょう

 

 

 

 

「…スウェイサマ、全員配置ニツキマシタ」

 

 浅い眠りから眼が覚める。

 魔族に成りかけの魔物(・・・・・・・・・・)の言葉はザラザラとしていて聴き取り辛い。それがまた苛立ちに拍車をかける。

 ちっと、スウェイは舌打ちした。

 

 …忌々しい記憶だ。

 思い出したくもない過去の記憶。

 

 必然スウェイの気分も悪くなる。

 

 しかし魔族達はそんなスウェイの様子に気付くことなく意気揚々(いきようよう)と、悪どい気持ちを抑えずに笑う。

 

「皆、いきり立っています。人族を殺せると士気も高揚しております。『氷霧』のスウェイ様がおられれば万が一にも敗北はあり得ません。流石は――」

「うるさい…今の此方(こなた)は機嫌が悪い。氷像になりたくなかったら、黙っていなさい」

「…はっ」

 

 不満げになりながらも頭の良い方の魔族は頭を下げる。引き際をわきまえているのだ。それで良い。そうでなきゃ、凍らせている。

 その様子を見ていたスウェイはふと、一言付け加える。

 

「それと言っておくわ。貴方達は出てくる兵士と冒険者の連中だけを相手にしなさい。逃げ出す市民なんて放っておいて」

「ナッ、何故」

 

 それ以上成りかけの魔族は言葉を続けることは出来なかった。身体を丸ごと体積以上の氷により凍らされたからだ。そのまま氷像とかした魔族は、パチンとスウェイが指を鳴らすとバラバラに砕け散った。

 

「異論は、認めない。分かったのならさっさと準備に取り掛かりなさい」

 

 他の魔族は慌てて頷き、その場から逃げ出す。それを一瞥したスウェイは改めて自らの乗る氷の薔薇の上から、街を見下ろす。

 

「…商業都市リッコ」

 

 あらゆる豊かさの象徴の街。

 遠目からでも分かる人々笑い声。

 自分にはないもの(・・・・・・・・)

 

「あぁ、妬ましい。必ずや全てを凍らせてやります」

 

 冷ややかな、それでいて燃えるような嫉妬の目。

 そよいだ風でめくれたフードから覗く顔には長い耳と褐色の肌があった。

 

 

 

 

 

 

 

 《大輪祭》当日。

 古い歴史を持つこの《大輪祭》は毎年多くの参加者が(つど)う。古今東西あらゆる所から人が集まってくるのだ。

 商機ありと立ち寄ってきた商人、単純に観光として来た人、元からこの街に住み楽しみにしていた街人。多くの人々が商業都市リッコに集まっていた。

 

 時間はまだ朝だが、既に都市の盛り上がりは相当な物であった。

 

 最も盛り上がるのは夜であるが、それでも真昼間からあらゆる所から集まった人々がお祭り用に開かれた店の食事に舌鼓みをうちながらも夜を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「凄い人の数だ。元から多かったけどそれに輪を掛けて多くなっている」

「本当ですね。あ、あそこには獣人がいます。珍しいですね」

「お? 本当だ。人の国に来るなんて。ここからじゃ獣群国プライドは遠いのに、何処かの集落から出てきたのかな?」

 

 俺はこの辺りでは珍しい獣人を視界に捉えながら、俺とアイリスちゃんは街を散策していた。

 大通り(メインストリート)ではないけれど、既に道は人で溢れている。

 《大輪祭》の主役である花火は確かに夜だ。

 だけど朝から祭りに乗っかった店が沢山開かれている。どれも良い匂いで朝食を食べたばかりなのにまたお腹が空いてきた。

 

 いけないいけない。

 祭りってのはどうしてか、雰囲気に釣られて要らないものを買ってしまったりもする。それ含めて楽しめるんだけど、余り無制限に遊ぶと直ぐに金がなくなってしまう。

 

「これだけの人が楽しみにしている《大輪祭》の花火、楽しみだね。けど、これだけの人が居るなら見るのも一苦労しそうだ」

「でもわたし達にはこれがあるのです」

 

 アイリスちゃんの手にはダルティスから貰った花火の見える施設のチケットがあった。限られた者だけが貰えるものでこの間別れる前にダルティスさんが迷惑をかけたと譲ってくれたものだ。

 

「そうだね。でも無くさないように注意しないと」

「わかっています! ちゃんと袋にいれて紐をぎゅっとしましたから。そうだアヤメさん! どうですか?」

 

 アイリスちゃんはくるりと回って

 アイリスちゃんが来ている服は俺が買ってあげた例のワンピースだ。

 ピクチャーハットを深く被ってエルフの長耳を隠したアイリスちゃんは、人にしか見えない。

 

「うん、凄く似合ってるよ」

「えへへ、ありがとうございます! あ、それでですね! アヤメさん!」

「ん?」

「ほら、あの…人も多いですし迷子になったら大変です。この多さです、合流も出来ないかもしれません。その為にですね、防止する何かが必要だと思うのです」

 

 アイリスちゃんは何かを期待するように右手を差し出してくる。何をして欲しいのか、それなりに一緒にいるから分かる。

 

「えへへ〜」

「アイリスちゃんは随分と甘えん坊だね」

「んふふ〜、こうするのはアヤメさんだけですよ?」

「それは光栄だね。ジャママも人に蹴られないように気を付けなよ」

<ガァウ! ガウガウッ!>

「わわっ、ジャママあんまり吠えちゃダメですよ! 獣舎行きになっちゃいます」

<ガゥ…クゥ〜ン……>

 

 注意されたジャママはしゅんと尾を下げる。

 本来なら獣舎か宿にいるジャママだが、一人にするのは可哀想だとアイリスちゃんが言ったのだ。

 

 俺としても、懐かれてるかは別にしてジャママだけを除け者にしたくない。

 

 勿論然るべき所に行って許可を取っている。その際またも金も取られたけどこのくらいでジャママが一緒に入れるのなら安い出費だろう。

 

「それにしても何度見ても凄い人集りですね」

「そうだね。アイリスちゃんは祭りは初めてかい?」

「そうですね…一応エルフにも精霊への祈りを捧げる《オムニス・スピリット・グラシアス=ティオ》と初めて《言の葉》を使えることを祝う《木霊との交信》がありますから祭り自体はよくあります。でもやっぱりこんなに多くの人が集まる祭りは初めてです。エルフは他の種族と比べて人は少ないですから」

「へぇ、そうなんだ…(名称が長くて殆ど頭に入らなかった…)」

「アヤメさんはどうですか…って聞くまでもないですね」

「ん〜確かに俺も色んな祭りを経験したことはあるんだけども…」

 

 どちらかと言われればされる側だった。

 一度『爆風』のダウンバーストを倒した時もそれはもう王都では盛大な祭りが開かれた。その時の中心はやはり俺で、誰もが俺を讃えていた。

 

「いや、そうだな。こうして単純に祭りに参加するのは俺も初めてかもしれない」

 

 いつも祝われる側だった。人々に希望を与える為とか、俺の戦意高揚の為とか理由は色々ある。その度に偽っている俺としては心が痛かった。

 

 祝われるのが嫌いな訳ではない。努力と功績が認められるのは誰だって嬉しいだろう。それが本当なら。

 

 祝いの席には多くの権力者達もいた。

 彼らは俺との繋がりを持とうと努力していた。

 別にそれが嫌いという訳じゃないけど、やはりこっちとしても気を使うからか、居心地の悪さは感じる訳で。

 そう考えると新鮮な気持ちになって柄にもなくわくわくしてきた。

 

「アヤメさんアヤメさん、顔が笑っていますよ」

「あ、わかる? そうだね。ちょっと楽しみになってきたんだ」

「そうですか。ふふっ、わたしもです。! アヤメさんアヤメさん! あっちから良い匂いがします! ジャママも行ってみましょう!」

<カゥ!>

 

 手を引くアイリスちゃんに連れられて俺は駆け出す。

 来たのは多くの食べ物が並んでいる通りだった。

 

「焼きたてのトウモロコシはいがですかー? 粒々の感触が美味しいですよー」

「いらっしゃいいらっしゃい! あっつあつの焼き芋が出来立てだよ! 加熱石で熱したばかりだからホカホカで美味しいよ!」

「赤林檎に飴をコーティングした林檎飴はいかがですか〜? 舐めても齧っても美味しいですよ〜!」

「林檎飴?」

「おや、お嬢ちゃん興味があるのかい? 林檎飴は、新鮮な赤林檎を、トロトロに溶かした飴につけて固まらしたものだよ。《大輪祭》ではお馴染みの名物さ」

「そうなんですか。アヤメさんアヤメさん! 食べてみましょうよ」

「そうだね、二つもらえるかい?」

「まいど! お嬢ちゃん可愛いからサービスで二人とも一番大きい奴にしてやろう」

「わーい!」

 

 店主が店で一番大きい林檎飴を俺たちに渡す。

 真っ赤な赤林檎の上に赤色の飴でコーティングした林檎飴は真っ赤っ赤でまるで宝石みたいだった。

 

「よかったね、アイリスちゃん」

「はい! そうだアヤメさん! 男女が祭りを共にして楽しむ。これはもうでぇとと言っても良いのではないのでしょうか!?」

「え? う〜ん…そうだね」

 

 一応デートの定義には当てはまるだろうか?

 世間一般的にデートとは歳の近い二人が、街の中を散策するイメージだ。

 だが俺とアイリスちゃんでは見た目からしてかなり年の差があるように見える。

 いや、この場合俺の方が年下になるんだけどね。

 

 だからデートとは違うんじゃないかと思う。だが、女の子一緒に街を散策するのだから一概に違うとも言えなくもない。非常に際どいラインだ。

 

 けどアイリスちゃんの顔を見ているとそんな事も言えなくなってつい俺は頷いてしまった。

 

「やったぁ! って、わ!?」

 

 急にドンドン! と空で音が鳴る。

 アイリスちゃんとジャママがビックリする中、俺は音が鳴った方を見る。

 

「あぁ、あれがシンティラさんが話していた号砲か。確か祭りやイベントが始まる時に鳴らすんだっけ。凄いな、結構おっきい音が鳴ったよ」

「うぅ、こっちはびっくりしました。危うく林檎飴落とす所でした」

<カゥ>

「夜にはもっと大きな花火の音が出るそうだから慣れないとね」

「慣れるのは大変そうです…」

 

 アイリスちゃんは大きな音が苦手らしい。ジャママも耳をぺたんとしていた。これはニ人(アイリスちゃんとジャママ)はそれぞれ抱きしめながら花火を見た方が恐怖も少なくなるかなと思っていると

 

「お母さんお母さん! 次あっちいきたい!」

「待ちなさい、ちゃんと前を見て…」

「わっ」

「うぉっ」

 

 いきなり背中に衝撃。

 見たら小さな女の子が俺にぶつかって、尻餅をついていた。

 

「いたぁい…」

「すいません、大丈夫ですか?」

「あぁ、ごめんなさい! こら! 前を見て走りなさいって言ったでしょ!」

「おかあさ〜ん! わたしの林檎飴が落ちた〜! わ〜ん!」

「あぁ、もうこの子は…」

 

 持っていた林檎飴を落とした女の子が泣き出す。母親はそれを宥めている。

 

「あの、よかったらこれどうぞ」

「え? しかし」

「気にしないでください。此方もちょっとぼ〜と突っ立っていたので非がありますから」

「ほんとう? 良いの?」

「こ、こら」

「うん、どうぞ」

 

 俺は持っていた林檎飴を渡す。

 母親は申し訳なさそうにしていたけど、女の子が林檎飴を受け取って嬉しそうにしているのを見て、ホッとしていた。

 お金を渡そうとしていたけど、俺の非もあるから遠慮しておいた。

 

「本当に申し訳ありませんでした」

「ばいばーい、おにいちゃ〜ん!」

「祭りを楽しんでおいで」

 

 手を振る親子を見送る。

 親子は人混みの中に消えていった。

 

「アヤメさん、優しすぎますよ」

「そうかな? 突っ立っていたのは事実だし」

「でも、アヤメさんの分がなくなってしまいましたよ」

「それはまた買えば」

「いえ、それだと二度手間です。ですから、あの、よかったら一口あげますよ。はい」

 

 アイリスちゃんは手に持つ林檎飴を俺の方に差し出す。

 

 どうしよう、これ。

 舐めるのか? いや、齧った方が良いだろう。でも、飴でコーティングした林檎を齧れるだろうか。

 大丈夫だろう…、多分。

 

 俺は礼を言って林檎飴を一口もらう。

 思ったよりも簡単に齧ることが出来た。

 

 林檎のシャキシャキとした食感と、飴のパリパリとした食感が合わさり、噛んでいて面白い。

 

「うん。美味しいね」

「なら良かったです。前にもこんな事ありましたね」

「あぁ、フィオーレの町のクレープかい? あの時は美味しかったけど、溶けかけていたから残念だったね」

「あの生意気貴族ですか。お陰で散々な目にあったのです」

「そうだね。ロメオくんたちはちゃんと新しい町に着けただろうか?」

「あの二人なら大丈夫ですよ。どんなことでも乗り越えていけます」

 

 そうだな。あの二人ならきっと大丈夫だろう。

 

 

 ふっと俺の脳裏にユウとメイちゃんが浮かんだ。

 あの二人も大丈夫だろうか。怪我してないだろうか。

 ユウは昔から時折俺以上に無茶をする事があった。その度に怪我を負っていたから俺とメイちゃんは何時も心配していた。

 俺がいなくなった後、無茶しようとした時にメイちゃんが止めてくれると良いんだが…。

 

 

「………どうしましょう、これ。食べるのは勿体無い気が、そうだ。いっそのこと精霊に頼んで保存してもらって。あぁ、でも果物ですから腐ってしまいます。うぅ、でも、でも、食べるのは勿体無い…」

 

 因みにアイリスは、アヤメの齧った林檎飴をどうするか一人悶々としていた。幼馴染を思っているアヤメが気付くことはなかったが。

 

 

 

 

 

 

「――おい? あれはなんだ?」

 

 

 

 ザワザワと元から騒がしがかった所に響く声。その声色は困惑だった。町民の一人が一点を指差す。他の人々もそれを見ると同じような言葉を発した。

 

 その様子に思考を遮った俺も、釣られて彼らの見る方向を見た。

 

 

 そこには青く澄んだ空に一輪の氷の薔薇(・・・・・・・)が空に浮いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さながら玉座のように氷の薔薇の上に座るのは全身をフードと帽子でその身を包む八戦将のスウェイ。

 

 此方(こちら)を見上げる人々を氷の薔薇の上から見下し、フードの中で唇を歪める。

 

 あぁ、楽しみ。愉しみ。

 その幸せを、豊かさを奪うことが。

 そして証明してやるのだ。『 ()』など存在しないのだと。

 

 腕を空に掲げ、魔力を練る。

 

「【我がマナに呼応し、我が命に従属し、我が望みを叶えよ。冷やし、凍らせ、永久にその形で凍結せよ。汝よ知れ、我こそは永久凍土の支配者なり、全てを制する氷の支配者なり】」

 

 本来ならばスウェイには必要ない(・・・・)詠唱。しかし、詠唱をすればより緻密に精細に扱うことが出来る。言葉で紡がれ、練られた魔力はより増幅し威力と広範囲に発揮する。

 

 天に巨大な雪の結晶をした氷が形成された。それらが数多に重なり合い、煌めく様は地上からは巨大な華に見えた。

 

 魔力は充分。

 調整も完了した。

 やがてスウェイは腕を振り下ろし

 

「【凍てつく氷の息吹(コキュートス)】」

 

 次の瞬間、巨大な華から全てを凍らせる息吹(いぶき)が街中に吹き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 人々は突然の突風に目を閉じた。

 そして再び目を開くと余りの惨状に言葉を失う。

 

「は?」

「え、ぇ?」

「何が…」

「見ろあれを!」

「家が凍ってる…!?」

「家だけじゃない! 地面もだ!」

「いや、全てが凍っている! それに、これはっ」

「つ、つめたい」

「寒いっ」

 

 建物、露店、歩道、植物、食べ物、家具、魔法具、塔、広場、花、…全てが一瞬のうちに凍った。人々はそれに困惑し、そして身も凍るような冷気に身体を震わせる。

 

 誰もが見る。

 この惨状を起こしたであろう犯人(スウェイ)を。

 

「此方は魔王軍八戦将が一人『氷霧』のスウェイ・カ・センコ。さぁさぁ、人間達よ逃げ惑いなさい」

 

 クスクスと笑うスウェイの声が静寂に響く。

 

 一人、また一人とその言葉を理解すると同時にその場から一斉に逃げ出した。

 

 街中に響く人々の悲鳴。

 街中に轟く魔族達の嘲笑。

 

 楽しいはずの祭りが、阿鼻叫喚に包まれた。



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氷霧

 街が凍った。

 比喩でも何でもなく文字通りの意味で、だ。

 

 先ほどまで喧騒轟々であった商業都市リッコはまるで時が止まったかのように静かであった。

 一瞬の静寂の後、人々は皆揃ってその場から駆け出した。

 

 騒がしくも楽しげな喧騒が、悲鳴と怒号に変わる。人々が逃げる理由。それは人類に仇なす天敵が現れたからだ。

 その天敵の名は…

 

魔王軍(・・・)だぁぁぁ!」

「イヤァァァァ!」

「助けてくれぇ!!」

「にげ、にげろぉ!!」

「ま、まて私の商品がっ」

「息子! わたしの息子はどこ!?」

「待て押すな! うわぁ!」

「どけぇ!」

 

 誰もがその場から逃げようと人を押しのけ、押しのけられながらも駆け出す。一目散にその場から逃げ出そうと。

 

 俺はそんな人々とは対照的に立ちながら、この事態を引き起こした者を睨んでいた。

 これ程の大規模な氷の魔法を扱える者。

 あれが誰だなんて嫌でもわかる。

 

「八戦将スウェイ・カ・センコ! 何故ここに……!?」

「し、知っているのですかアヤメさんっ?」

「あぁ、ちょっとね! 見たら分かると思うけどあいつは氷を操る! 俺の所にいた魔法使いの職業を持つ仲間は、有利な炎だったのに何一つあの氷に阻まれて攻撃は届かなかった!」

 

 氷という使い手が中々いない魔法を扱う者。人の職業(ジョブ)に例えるなら『魔法使い』でも更に上、称号だと『大魔法使い』は確実の相手。

 それが今この街にいる。

 

 何故ここにとは思うが、答えは簡単だ。

 目的は明らかに侵攻だ。でなければ辻褄が合わない。

 

「どうするッ……!」

 

 どうする。

 どうする!?

 相手は八戦将、魔王軍が誇る幹部の一人だ。その力を誰よりも俺はよく分かっている。『爆風』ですら聖剣の力と仲間の力があって初めて討伐出来たのだ。

 

 

 聖剣はない。

 技能(スキル)が使えない。

 仲間もいない。

 そんな相手に俺が勝てるのか?

 

「いや、迷うことはない。人に危害を加えると言うのなら俺は一人でも多くの人を救うだけだッ!」

 

 

 その為に『救世主(ヒーロー)』を目指したんだ!

 此処で逃げ出したらいつ戦うんだ!

 目の前の人を救えなくて何を救うんだ!

 

 

 決意を胸に向かおうとする俺に新たな悲鳴が飛び交う。

 

「うわぁぁぁ! 魔物だぁぁ!!」

 

 スウェイに呼応するように空から現れた魔族と魔物。彼らは人々が逃げ惑う中、凍っていない建物を破壊し始めた。

 

「いけない!」

 

 すぐさま行こうとするも今人々は無秩序に逃げ惑っている。俺なら壁や屋根を利用して突破出来る。だけど此処にはアイリスちゃんがいる。アイリスちゃんを置いていくのは危険過ぎる。

 

「アイリスちゃん失礼するよ」

「えっ? わわわっ」

<カゥ!?>

 

 アイリスちゃんをお姫様抱っこして、ジャママもアイリスちゃんのお腹の上に乗せる。露店が張ったテントで跳躍しながら屋根の上に登ると、周囲に魔物がいない事を確認して、彼女を下ろす。

 

「直ぐに戻る。少し待っていてくれ」

「えっ、あっ、もうちょっと抱えてくれても……」

 

 アイリスちゃんのぼやきは聴こえず、俺はすぐさま人を襲おうとしていた魔族の下へ走り出す。

 魔族は兵士を圧倒していた。剣を持った兵士を痛めつけ、勝ち誇っている。

 

「ぐっ、つ、強い…」

「ゲヒャヒャヒャ! 弱い人間は惨め、憐れだなぁ。恐れ慄け! 俺は魔族のカマーー」

 

 魔族が何かを喋るよりも早く、俺は背後から剣を抜いて首を切断する。死んだことの分からない魔物の頭はキョトンとしたまま地面に落下した。俺は念の為壁を蹴って跳躍し、残った身体の心臓も破壊する。

 

 魔族も魔物も、種類によってはとんでもないほどの生命力を発揮する。それを防ぐ為の措置だ。

 

 首も心臓も失った魔族は力なく倒れた。

 

 魔族を倒して着地すると対峙していた兵士がポカンとした顔で此方を見ていた。

 

「彼らを安全な所へ」

「……あ、あぁ、感謝する!」

 

 兵士は自らが苦戦した相手が速攻で倒された事に放心していたが、直ぐに自らの役割を思い出して市民の避難を開始させた。

 その際に俺は兵士の一人を捕まえて尋ねる。

 

「すまない、今の状況はどうなっている?」

「どうもこうも大混乱だ! 魔物と魔族は冒険者と我々兵士が今対処している! しかし目撃情報はあるが数が掴めず、その分殆どの戦力が分散してしまって余裕がない。例のこの街を凍らせた相手には精鋭部隊が向かっていったというが……状況が分からない!」

「そうか、わかった」

 

 礼を言って、すぐさま俺は屋根の上に跳ぶ。見渡す限り付近には魔物はいない。

 ならこの辺りは大丈夫だろう。

 

 俺はもう一度アイリスちゃんのいる位置に戻って来た。

 

「アヤメさん!」

「アイリスちゃん、今すぐこの場を離れるんだ。今なら周りにいた魔族はこいつらしかいなかったから危険が少ないだろう。だけど混乱が激しい。人に巻き込まれないように注意していくんだ」

「アヤメさんはどうするんですか!?」

「俺は……奴らと戦う。そうすれば少しでも犠牲になる人々が減るだろう」

 

 技能(スキル)のない俺では一度に広範囲の魔法も使えないから一体一体地道に倒す事になるだろう。だが、それでも倒せば被害に遭う人が減るんだ。

 ならしない手はない。

 

 ぐっと手を握る。握っている剣の感触がはっきりとわかる。

 

 

 あの時の事を思い出す。

 魔族に襲われ、瓦礫の山と化した街並み。大切な人を失い泣き崩れる人々。絶望が空気を支配していた。

 

 そんな悲劇を繰り返させる訳にはいかない。

 

「危険です! だってアヤメさんは"絶技"があるとは言え技能(スキル)はないんですよ!? 魔族は、どれもこれも強力だと聞きます。先程みたいにうまくいくとは思えません!」

「危険は承知の上だ。それに同じく兵士達も人を守る為に魔物と戦っている。危険なのは彼らも俺も変わらない」

「だったらわたしも!」

「ダメだ。…正直アイリスちゃんを守りながら戦えるか自信がない。だから安全な所にいて欲しい。そうだな…ダルティス工房の近くが良いと思う。今門から外に出ようとすると人混みに押しつぶされそうだ。あそこは街の中では、重要区画としての壁がある所だからね。防御力も高い」

「でも…アヤメさんに何かあればわたし…」

 

 ジワリと大きな瞳に涙を浮かべる。

 分かっている。

 彼女は俺の事が心配なんだってことを。

 

 分かっている。

 これは俺のわがまま(・・・・)なんだってことを。

 

「安心しなよ。これでも俺は腕には自信があるんだ。それにあんな八戦将のうち三人とも戦って生き延びたんだ。なら今回も生き残る。絶対にさ」

 

 それが気休めに過ぎない思いながらも、俺は態とらしく胸を張った。

 

 生き残る保証なんてない。

 勝てる確証もない。

 

 だけど俺は向かうんだ。

 何故なら俺は救世主(ヒーロー)だから。

 そうありたいと、あの日この娘の前で、俺自身が誓ったのだから。

 

 

「ぐすっ……きっと何を言っても貴方は止まらないのですね。わかっています、でも心配なんです。あの時は間に合いましたけど、今度は間に合わないかもしれない。そう考えると胸の奥がぎゅーと、ぎゅ〜って痛くなるんです」

「アイリスちゃん…」

「だから約束してください」

 

 くっとアイリスちゃんが顔を上げる。

 涙を堪えつつも、懸命に笑おうとしていた。

 彼女は小指を立てる。

 

「ゆびきりです。お互いが約束する時に誓う儀式なんですよ。知ってますか? エルフの約束を破ったら、わたしが死ぬまで祟りますよ」

「それはまた、物騒だね」

「はい、物騒です。だから、わたしに貴方を怨ませないでください。わたしに、貴方を嫌わせないでください。どうか、生きて帰ってきてください。……約束ですよ」

 

 俺は頷き、彼女の小指と指を合わせた。

 

 

ーーゆびきりげんまん、うそついたら針千本の〜ます。ゆびきった

 

 

 詠うような、そんな口調で俺はアイリスちゃんと約束した。

 必ず生きて帰ると。

 

「わたしは今からアヤメさんに言われた通り"ダルティス工房"に向かいます。何かあったらこれで連絡してください。例の猫みたいな魔族から奪った通信機なら会話出来るのです」

「あぁ。アイリスちゃんも何かあったら連絡してくれ」

「はい。えっと…お気をつけて」

「うん」

 

 俺は頷いた後、一緒にいるジャママに屈んで視線を合わせる。

 

「ジャママ、君が頼りだ。アイリスちゃんに何かあったら助けてやって欲しい」

<カゥ…。………ガゥッ!>

「良い子だ」

 

 勇ましく吠えるジャママに俺は笑みを浮かべた。

 これでアイリスちゃんは大丈夫だろう。ジャママなら魔物がいる位置を避けて、工房まで着くことが出来るはずだ。

 

「アヤメさん! 信じています! だから、負けないでください!」

「あぁ!」

 

 アイリスちゃんの声援を背に受けながら、俺は戦場へと飛び込んでいった。

 

 

 

<ゴバボボボォォォォ>

 

 気持ちの悪い魚のような魔物が周囲の建物を破壊しながら人々を追いかけ回す。魚のような見た目とは裏腹に四足歩行で、硬い鱗を持っているのか建物を破壊しながらもビクともしていなかった。

 

 

 魔族と違い理性を感じさせない瞳。

 魔獣にはない、人を害する。その目的のみで行動している。

 

 魔物は、魔王が創りし(・・・・・・)人類を滅ぼす尖兵だ。

 魔族と違い、魔物には瘴気と呼ばれるこの世を汚染する物質を放つ。奴らが出した瘴気はいずれこの土地を汚染し、生命の気配のない土地へと変貌させるだろう。

 こうしてジワジワと人類の領域を侵していく。

 

 普通であれば怖い。心が折れ、身がすくむだろう。

 

 だが俺には一切そんな感情は浮かばなかった。あるのは冷静な怒り。

 罪のない人々に対して危害を加えようとする魔物への純粋な怒りだった。

 

 

 恐怖なんてなかった。

 聖剣がないだとか、技能(スキル)がないだなんてもうどうでも良い。

 

 

 だって望んだ場所にいるのだ。

 自らそこを身を投じたのだ。

 ならば何を恐れる必要がある! 何故(おく)するだろうか!

 

「"緋華《ひばな》"」

<ゴバボボボォォッ!!?>

 

 俺は上空から魔物の頭目掛けて突き穿つ。

 だが、魔物の硬い鱗のせいか上空から落下を加えて尚、剣は半分程しか入らなかった。

 

 けど、半分とはいえ入ったのだ。

 

<ゴボボボッ!!>

「ぐっ!」

 

 魔物が暴れる。左右に大きく揺れて俺を吹き飛ばそうとした。

 俺は剣の柄をきっちり握り振り落とされないように踏ん張った。

 

 硬い鱗を持つ? 確かにそうだろう。

 だが、内部(・・)までもそうだとは言っていない。

 

「暴れるのもそこまでだ。ーー"月凛花"」

 

 ぐるん、と。

 剣を持ち直し、横薙ぎに一閃する。

 魔物は、肉を裂き、骨を断たれた事で生命活動を停止した(死んだ)

 

 『剣士』の上位技能(スキル)、【皇一閃】。

 その威力は空気を裂き、鉄を斬り、断絶させる。この技能(スキル)を防ぐ事が出来る人間も、魔族もそんな多くない。一説には空間をも刈り取る事が出来る技能(スキル)とも言われる。

 

 それを模倣した俺の"絶技"。

 勿論、【皇一閃】の威力と比べたら差があるのは百も承知。

 硬い鱗の上からなら弾かれただろうが、"緋華"で剣が入ったのならば、肉を斬り裂く事が出来る。

 

 ズゥンと倒れ伏した魔物から離れて降り立つ。魔物はまだまだいる。

 

<ブィィィンゴォォン!>

<ギュゴゴォォン>

「そうだ、俺に来いッ! 俺を見ろッ!」

 

 魔物達は俺を脅威と見なしたのか、殺到する。

 

 それで良い。

 そうすれば奴等から市民達が逃げる時間を稼ぐ事が出来る。

 だからこそ、こんな派手に現れたんだ。

 

 剣を構え、俺は襲って来る魔物を一刀両断する。

 

「来いッ! もう誰にも被害は出させない!」

 

 誓いを胸に、俺は戦場を駆け巡る。

 




スキル【皇一閃】
 所謂、物凄い剣の横薙ぎ。因みに扱えたのはグラディウス。彼はこの技で片っ端から魔物を斬り刻みました。
"月凛花"は硬い相手だと突破できませんが、【皇一閃】はそんなの関係ねぇと、今回の硬い鱗の魔物も真っ二つに出来ます。強いな、グラディウス。


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対峙

 アヤメが魔物相手に善戦している頃、他の戦いの場も激戦の一途を辿っていた。兵士が魔物を抑えつつ市民を逃し、そこへ冒険者も加わり魔族に対しての攻勢が繰り広げられている。

 初めこそ魔王軍の数が不明だったが次第に情報が共有され、魔物と魔族の数が少ないことがわかった。無論、魔族はもとより魔物も脅威であるのは分かっている。魔物一体倒すのに戦闘職十人の負傷者が出ているくらいだ。

 だが商業都市リッコは、冒険者が充実しているのだ。《2星》クラスが連携して対処し、魔物を倒す。その中にはバディッシュ達の姿もあった。

 

 

 冒険者によって魔物は抑えられている。

 ならばと、この都市の兵士達は事の元凶を討ち取るべく動き出した。

 

 

 

 スウェイは上空から周囲を見渡しつつ、魔族と魔物を監視(・・)する。思ったよりも苦戦している。余り意識していなかったが、冒険者の存在が思いの外厄介だったらしい。

 だが、冒険者相手には魔族をあてることで対処する。魔族は能力からして人間の遥か上だ。多少連携された所で、いとも簡単にはねのけることが出来るだろう。

 

 スウェイ自身は散発的に、氷の魔法を扱い教会や塔を破壊する。これには都市の制圧以外にも、お前らは自身には敵わないという威圧の意味も含まれていた。

 

 するとふと自らの周りに集まってくる兵士達を見つけた。

 

「ふぅん、そうくるんだ。やるべき事は他にもあるでしょうに」

 

 フワリと浮遊する氷の薔薇から態々降り立ったスウェイは、その冷たい瞳で自らを囲む兵士達を見渡した。

 

「囲め! 囲め! 例え幹部と言えど敵は一人! ならば勝機はある!」

「槍を前へ! 魔族であろうと生きているのならば心臓を穿てば倒せないはずがない!」

「あらあら、良いの? 魔物は放って置いて」

「抜かせ! お前を倒せば終わりだ! 【突槍】」

 

 一人、腕に覚えにある兵士がスウェイに向かって槍を突き立てた。ドスッと鈍い音が鳴る。

 にやりと、兵士は笑みを浮かべる。だが次の瞬間違和感にきづく。

 スウェイには傷ひとつない。

 槍も途中で何かに阻まれたように止まっている。

 

 それは氷の壁であった。いつ唱えたのか、兵士とスウェイの間には氷の壁が出現していたのだ。

 一旦槍を引こうとして、気付く。腕の感覚がない。

 

「お、俺の腕がぁぁ!」

 槍ごと腕が凍りついていた。その様子に兵士達に動揺が広がる。全く魔法を唱えた動きが見えなかったのだ。

 

「下がれ! 接近戦を仕掛けるな! 我々魔法使いが相手をする! 【我がマナを糧にし、その大いなる力を持って相手を燃やせ、炎球(ファイヤーボール)】」

「【炎の矢(ファイヤーアロー)】」

「【熱風(フレイム)】」

 

 魔法使いが放った炎球や熱風が、スウェイを包み込んだ。集中された炎の熱が、兵士に伝わる。

 

「やったか!?」

 

 あんなのを食らって生きているはずがない。

 その様子に手応えを感じ、周りから歓声が上がる。

 

 しかし炎と土埃が消えた瞬間その歓声は鳴りを潜めた。『魔法使い』の放った炎魔法、その悉くが氷に阻まれ、表面すら溶けていない。

 

「なっ! 炎を受けても溶けないだなんて!」

「つまらない、【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】」

「ぎゃあぁ!!」

 

 氷の壁から発生した巨大な氷の槍が魔法使いの体を貫いた。死んではいないようだが、身体の一部……特に喉が凍りつきこれではもう戦えない。

 兵士達は尚も自らの武器を構えるが余りの力の差にガチガチと歯を鳴らす。

 

「無駄よ、無駄無駄。貴方達では此方に敵わない。諦めてこの都市を放棄なさい。今ならまだ命は取らないであげる」

「ふざけっ…ぐぁぁぁあ!!」

「うがっ」

 

 歯向かおうとした兵士が氷による攻撃を受ける。

 ゆらりとスウェイの背後に数十の氷槍が形成される。そしてそれらが彼女を囲む兵士一人一人の肩や足(・・・)を貫く。

 

「うぉぉぉ!!」

「邪魔、【氷塊(アイスブロック)】」

「ぐっはぁぁっ!」

 

 屋根から飛びかかり、斬ろうとした兵士に氷の塊をぶつける。彼の剣が砕け地面に転がった。

 

 今この場にいる兵士は商業都市の精鋭だ。

 冒険者の戦闘能力に表すと《2星》や《3星》クラスはある手練れもいた。

 その誰もがスウェイには敵わない。

 

 パキパキと氷が広がる。

 ジワジワと、侵蝕するように大地が凍っていく。

 

「氷は全てを凍らせる。身体も、魂も、大地も、全て。此方は八戦将にして『氷霧』の名を持つもの。分かったのならば身の程をわき弁えてひれ伏し、こうべを垂れ、命を惜しみなさい」

「ひ、ひぃぃ!」

「くそっ、もうダメだぁっ!」

「逃げろ! 逃げろぉ!!」

「都市は放棄する! 撤退だ! 撤退しろぉ!!」

「あ、ぐ。置いてかないでくれぇ!」

 

 最初の気概は何処へ、兵士らは誰一人残らずその場から逃げ出した。残ったのは折られた槍や剣の残骸のみ。

 この都市を守るはずの兵士達は屈し、その役割を放棄した。

 

「ふん…守るだなんて大層な事言ってもこれが人の本性よ」

 

 何処と無く吐き捨てるようにそう呟くスウェイ。そのまま他の兵士がいるであろう所へ向かおうとすると一人の女の子が泣きながら路地裏から現れた。

 

「お母さ〜ん! ひぐっ、どこぉ〜!」

 

 その子はアヤメとぶつかった女の子だった。

 

 彼女は迷子だった。

 スウェイから逃げ出す人々に押し流され母親から離されてしまったのだ。

 

「おかあさ〜ん! えぐ、おか、おかあさ〜ん」

「無駄よ、貴方のお母様は来ないわ」

「ひっ、だ、だれ?」

「さぁ、誰だって良いじゃない」

 

 少女は突然現れたスウェイに怯える。

 スウェイは先ほどの言葉、そしてこの様子から女の子が親と逸れたのだと推測(・・)する。

 

「可哀想に、貴方は見捨てられたの」

「ひっく…、みすてられた…?」

「そう。人は所詮自分の命が大事。貴方の母親も貴方のことを見捨て逃げ出した。だから迎えは来ない。貴方はずっと一人よ」

「そんな……うそ、うそぉ……うぐ、ひっく。うわぁぁあぁぁぁん!! おか、おかあさっ、おかあさ〜ん!!」

 

 耐えきれなくなったのか少女はわんわんと泣き出した。

 

「あぁ、本当に哀れで可哀想な子。…。…………」

 

 

 

 

 

 

ーーおかあさ〜ん! どこにいるの〜!? ごめん、ごめんなさいっ、ひっく◾️◾️■◾️を一人にしないで〜! 

 

 

 

 

 何処か何かを思い出すような遠い目をするスウェイ。

 

 

 その隙を突くように、ヒュンと何かがスウェイの前に投げられ、爆発し煙が生じた。

 

「何ッ!」

 

 突然の煙にスウェイは驚く。敵かと思い、追撃を防ぐ為に自身の周りに氷の壁を作る。

 しかし、思ったはずの攻撃は来ず。

 気付けば側にいたはずの女の子もおらず。

 何処へ、と視線を巡らせると離れた所で女の子を抱えた赤い髪のやたらと丈夫そうなフード付きの外套を着た、仮面の男が居た。

 

「大丈夫かい?」

「ふぇっ、あ、あの時のお兄ちゃん」

 

 泣いていた女の子はアヤメ()の顔を見て驚く。

 その姿を見て目は腫れているけど、怪我がないことに安堵した。

 

 ある程度の魔物を倒した俺は、逃げ出す兵士達を見てまた魔物が現れたのかと思い、現場に急行した。

 

 そこに居たのは女の子の側にいたスウェイだった。

 スウェイが何か手を出そうと(・・・・・・・・)していた(・・・・)と思った俺は、すぐさま女の子をスウェイから離れさする為、煙玉をまいた。

 

 女の子は俺の姿を見て安堵しているようだった。

 

 その一方でスウェイは不快げな雰囲気を醸す。

 

「何者? 邪魔をするなんて不粋よ。極めて不愉快だわ」

「そっちこそ、幼気な子供を泣かせるだなんて酷いことをするじゃないか」

「事実を言ったまでよ」

「この状況を生み出した本人が言うだなんてタチが悪いね」

「皮肉のつもり?」

「真実だろ?」

「ふ〜ん、中々口が回るのね? でも貴方もどうせ変わらないわ【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】」

 

 『兵士』の【突槍】とは比べ物にならないスピードで氷の槍が射出される。

 だが見切れない程じゃない。

 これなら『疾風』のオニュクスの方が早いくらいだ。

 俺は女の子を抱えてその全てを躱す。

 

「躱された? 技能(スキル)?」

「お、お兄ちゃんっ」

「下がって、何処かに隠れているんだ。……スウェイ! 狙いは俺だろう!? なら俺の相手をしろ!!」

「言われずとも。ならばこれでどう、【蠢く氷河(グレイシャー)】」

 

 パキパキの波のような氷が地面を伝って鋭利な棘となって迫り来る。

 

 俺は剣を構え、その波に向かって走り出した。

 

 自らの足に氷が到達しようとした瞬間、跳躍し、途中の家の壁を走ることで接近しスウェイに対して剣を振りかぶる。

 

「"緋華(ひばな)"!」

「近づけさせるとお思いで? 【氷壁(アイスウォール)】」

 

 割って入るように地面から氷の壁に俺の攻撃は阻まれる。跳躍と一点に集中した"緋華"で、氷に切れ込みは入るが貫通には至らない。

 予想はしていたがやはりそんな甘くない……か。

 

 氷が剣を侵食するより前に氷壁を蹴ってその場から離れる。

 

「ふ〜ん、判断は悪くないかな。あの兵士みたいにずっと此方の氷に触れようとはしなかったもの。だけど、まだまだ甘いわ。自ら逃げ場の無いところに行くなんて。終わりよ、【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】」

 

 先程と同じ、しかしより数を増した氷の槍。

 

 俺は空中。回避する場所はない。

 

 ーーだがそれがどうした?

 回避できないのなら

 

「迎撃するだけだッ!! "沙水雨(さみだれ)"!」

 

 剣を構え、迫り来る氷の槍に向かって俺は剣を振った。

 

 

 

 幾ら絶技を磨こうとも、その技術は技能(スキル)には及ばない。

 しかし、アヤメはその技で既に数多の魔族と魔物を倒した。それは彼自身の経験と身体能力によるものだ。

 

 『大魔法使い』クラスのスウェイと、剣士のアヤメ。普通なら両者の力関係には深い溝がある。

 

アヤメが勝るものーーそれは観察眼と身体能力。アヤメは己に向かって穿たれた氷の槍の脆い部分、その全てを見切り、見極め、剣を振って精緻に、精密に全てを迎撃する。

 沙水雨《さみだれ》とは、その為の"絶技"である。

 

 元々は、聖剣を扱えていた頃、技能(スキル)に頼らずとも戦えるようになる為に訓練してきた動きを元にしている。

 その動きは、降り注ぐ雨全てを剣によって一滴一滴弾く為に来る日も来る日も雨が降った日は剣を振ってきた。

 

 それは聖剣が重くなった日にも続けてきたほどだ。

 

 

 

 

 迫り来る氷の槍を、斬り、砕き、逸らし、割る。

 

 技能(スキル)がなくなろうと剣を振り続けた。来る日も来る日も降って来た。

 その日々は決して無駄ではなかった。無駄じゃ、なかった……!

 

 俺の絶技によって氷の槍は全て砕け散った。

 

 

 

「…全部砕かれた?」

 

 驚いたと言わんばかりのスウェイ。しかしそれよりも俺はあることに気付いた。

 

「しまった!?」

 

 アヤメの技術は卓越しても、装備もそれに追いついていなかった。ファッブロの剣は頑丈さに重きを置いたのでその分斬れ味が良くない。

 だからか、氷を迎撃した時割る(・・)になり、その破片は大きかったのだ。

 

 大きく砕け散った氷の破片が当たり、飛び散った家の瓦礫が女の子に向かって降りかかる。まずい! 間に合え!

 俺は壁を思い切り蹴って加速し、女の子を抱える。

 

「きゃあっ」

「くっ!」

 

 女の子を抱えてその場から離れる事には成功する。

 だが同時に砕けた破片の一つが当たり仮面が外れてしまった。

 

「…? …! 貴方、もしかして」

 

 スウェイは何度か瞬きのような動作をした後、何か気付いたように身体を震わせた。

 

「あはっ、あははははっ! あー、そう。そういうことなの。まさか生きているとは思わなかったわ。成る程成る程、此方の氷を撃ち砕く技量も納得いくわ。この街を落とすことよりも貴方の方に興味が湧いたわ。ねぇ、偽物さん(・・・・)? 」

 

 やはりスウェイは俺に気付いた。まいったな。これが他の幹部なら良かったがアイツはベシュトレーベンとトルデォンと同じで俺の面を知っている。俺はあくまで落ち着いたように振る舞おうとする。

 

 すると突然足元から揺れた。

 

 地面を砕いて現れた蛇に手がついた魔族が女の子を捕まえた。

 

『スウェイ様! 捕マエマシタ、コンナヤツ俺ガ頭カラ食ベテヤリマス』

「ひぃっ!」

「なっ、その子を離」

「【瞬間凍結(フローズン)】」

 

 俺が剣を振るうよりも早く、スウェイの手から放たれた超低温の魔法が、女の子を握る手を除いて魔族の体が全て凍らせる。

 

「貴方達は兵士の相手をしてれば良いの。此方(こなた)の邪魔をするな」

 

 凍った魔物が割れ、女の子が落下するのを俺は慌ててキャッチした。

 

 スウェイは一瞥するも動かない。

 仲間割れか? いや、どちらかと言えばスウェイが一方的にしたように見えたが。一先ず俺は改めて女の子を庇うように立つ。

 それでも尚、スウェイは動かない。

 

「ねぇ、偽物さん。どうして貴方は生きているの? てっきり死んだと思っていたのだけれど」

「素直に答えると思うかい?」

「いいえ、思ってないわ。だから、そうこれが終わったら尋問してあげる。身体中を氷漬けにして……ね」

「それは遠慮したいかな」

 

 スウェイは完全にこちらに狙いを定めた。

 その事に関しては嬉しいが、同時に感じる重圧に背筋が冷たくなる。さっきから放たれる氷の冷気も合わさって身体の芯から凍りそうだ。

 だがそれよりも心配なことがあった。

 

「ひっ」

「大丈夫だよ」

 

 後ろの女の子が心配だ。

 さっき魔物に襲われたからか、一人で逃げ出すことに対して恐怖に駆られている。この子を庇って戦うのは……厳しい。だけど見捨てることも出来ない。

 

 どうするかと対峙する俺たちに、誰かを呼ぶ声が聞こえた。

 

「ラーミア! 何処にいるのラーミア!!」

「あっ! おかあさん!」

 

 現れたのは、この娘の母親だった。

 魔物が蔓延る中、娘を探しに来たのだ。

 女の子は俺から離れて母親の元に抱きつく。

 

「おかあさん! ひっぐ、えぐ、うわぁぁぁん、こわ、こわかったよぉ〜!!」

「ラーミア! ごめんね…! 一人にしちゃってごめんねっ!!」

 

 お互いに泣きながら抱きしめあう親子。

 そこにあったのは深い愛情。

 

「どうやら当てが外れたみたいだね。君が思うほど親子の絆は脆くないよ……ん?」

 

 何故だかスウェイの様子がおかしい。ブツブツと親子の方を見ては何かを呟いている。

 

 

 

「迎えに来た…? なんで、死ぬかもしれないのに。おかしい、おかしい、おかしい。親子の絆なんて脆いもの、あってはいけないもの。なのに、なんで、なんで、なんで」

 

ーー汚らわしい

 

「なんで…」

 

ーー出来損ないめ

 

「なんで……此方(こなた)だけ……」

「? 」

 

ーー捨ててしまいましょう

 

 パキパキとスウェイの周りに氷が形成される。初めの一撃で凍らせて置いた氷も集まり、次第に最初に乗っていたよりも巨大な華がスウェイの足元に形成される。更には底冷えするほどの寒さが辺りを包み込む。

 

「あぁ、あぁ。うるさいうるさいうるさい。妬ましい嫉ましい。どいつもこいつも此方に見せつけて(・・・・・)。うるさい不快不愉快。全て、総て、凡てを破壊してあげる」

 

 ヒュュュウと不気味な風切り音と冷気がスウェイの元に集まりだす。

 

 上空からはスウェイの乗っていた氷の華が。

 家からは凍らせていた氷の塊が。

 大地からは凍結していた氷が。

 

 それら全てを包む、スウェイの足元の巨大な氷の華。

 

 異様な空気。異様な気配。

 

 否応無しに俺は警戒する。

 これはやばいとーー

 

 

 そしてスウェイは一言

 

「【動く氷巨像(ヨトゥム)】」

 

 氷の華を中心に巨大な氷の巨人が出現した。



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氷の巨人

 魔王軍の幹部は桁外れの力を持つ。それはたった一人に対し国の軍隊が敗北したという逸話があることから分かる通り、その力は圧倒的だ。

 例えば『爆風』の名を持ったダウンバースト。奴は戦いの最中6つの竜巻を周囲に発生させた。その威力は凄まじく避難させた民には被害が出なかったが歴史ある建物は全て破壊された。『魔法使い』であっても精々竜巻を1つ作れるのが山だ。それほどまでに人と魔族には隔絶とした差がある。

 だから氷を操るスウェイの事もそれに匹敵する程の実力者だとは思っていた。

 思ってはいたが。

 

「さすがにこれは予想外だろ!?」

 

 周りの家々より高い氷の巨人に俺は叫ぶ。

 【動く氷巨像(ヨトゥム)】とスウェイが呼んでいた頭のみ華の形をした氷の巨人は、その圧倒的質量を持ってして都市を破壊しようとしていた。最早注意を引く所じゃない。都市全体が危機に晒されている。

 

 決して甘く見積もったつもりはなかった。

 最大限の警戒もしていた。

 だが、今の状況は俺の考えが浅かった事に他ならなかった。

 

「早くこの場から離れるんだ!」

「は。はい!」

「お、おにいちゃん!」

「こっちは大丈夫だ! 行け!」

 

 走り出す親子。

 それを見届けて前を向くとスウェイは俺に向かってパンチを繰り出した。

 質量が増した事により、とても早く感じる。

 俺はそれを躱す。

 

 轟音。

 地面は簡単に粉砕された。

 

 更に陥没した元いた箇所が瞬く間に凍ったのを目にした。

 

「くっ、やっぱり攻撃した箇所も凍るのか!」

 

 捕まれば、俺もさっきの魔族と同じ結末だ。

 体の上を少し走るだけなら大丈夫そうだが長時間触れ合うのも危険だろう。

 

『【突き穿つ氷の槍】』

 

 凄まじい数の氷の槍が巨人の腕の表面から発射される。

 

「ちぃっ!!」

 

 俺はそれを走る事で躱すも当たった地面や家が凍りついた。

 

『やっぱり貴方、中々にやるわ。ベシュトレーベン(アレ)相手に生き延びた事もある。でも、いつまでそれが続くかしら? 【氷柱(アイスクル)】」

 

 頭上より出現した3メートルはあろう氷柱が降り注ぐ。その強度は高く、地面に突き刺さる程だ。

 幸い攻撃の精度は高くない。だから躱すのは大丈夫だ。だが道を塞がれ、更には落ちた箇所から氷が広がり俺の行動範囲を狭めていく。

 

 それはつまりスウェイの領域が広がると言うこと。

 

 まずい。

 本当にまずい!

 

 この状態が続く限り、いずれ躱せないタイミングで攻撃をしてくる事は目に見えている。だが、こっちの攻撃も通じない。

 一方的だ。

 焦燥に駆られるも良い手が思い浮かばない。

 

 聖剣さえあればと脳裏で叫ぶ自身がいる。

 違うだろう! 聖剣に頼ってどうするというんだ!

 

 しかし、現状は最悪だ。

 手の打ちようもない。

 

 

 理性が言う、一度退けと。

 本能が言う、勝てるはずがないだろうと。

 

 

「また、見捨てるのかッ…!?」

 

 俺は見てきた筈だ。

 魔王軍によって蹂躙された人々を。俺が助けられなかった人々を。

 あんな光景を見たくないと誓ったはずだ。

 

「諦めて…たまるかァッ!!」

『…ふ〜ん、あの兵士達と違って根性あるわね。でも、それもいつまで続くかしら? さぁ、このまま追い詰めて…っ』

 

 突然『氷の巨人』に巨大なバリスタの矢(・・・・・・)が突き刺さった。

 

「攻撃? 何処から…」

 

 言って俺は気付いた。

 恐らくは街を囲う防壁の上からだと。

 

 

 

 元々商業都市リッコは、その好条件な立地からかつては色んな国が此処を落とそうと躍起になった。それを防ぐ為に厳重な城壁の上にかなりの数のバリスタが設置されていた。これにより、多くの侵攻する軍隊を撃退することが出来た。

 

 城壁にいる兵士達は魔王軍に襲われていることに気づいていた。

 初めこそ、街中にいる魔物に撃つべきとの声もあったがそれでは市民にも当たると却下された。

 破壊されていく街を指を咥えて見ることしか出来なかった兵士達。

 

 すると突然巨大な氷の巨人が現れた。巨人は街を蹂躙していた。

 しかしこちらからすれば格好の的であった。あれだけの巨体なのだ。外す訳がないと許可された。

 城塞都市を囲む壁に固定されたバリスタから矢が放たれる。確かにあれだけの巨体なら外さないだろう。だが、魔獣すら貫くそのバリスタも氷の巨人の前には余りにもちっぽけだった。

 

 

 

 城壁から放たれる極太の矢の雨。

 鉄で出来たバリスタは浅くではあるが【動く氷巨像(ヨトゥム)】にも突き刺さり、効果があった。

 

 いける、倒せるとバリスタを撃つ兵士達の士気があがる。

 だが、裏腹にスウェイは全くと言って良いほどバリスタの攻撃を問題視していなかった。

 

『こんなただ少しばかり大きな矢で此方(こなた)を倒せるとでも? 【凍結する空間(フロスト・エスパース)】」

 

 【動く氷巨像(ヨトゥム)】の周囲に発生する極低温の空間。

 バリスタの矢がスウェイに到達する前に凍っていく。そして氷の巨人にぶつかるといとも簡単に砕けた。無論、氷の巨人に傷はない。

 それでも尚撃ってくるバリスタにスウェイは鬱陶しく感じた。

 

『小賢しい』

 

 スウェイは巨人の腕をバリスタの方へ向ける。そして指先から放たれた【瞬間凍結(フローズン)】がバリスタ本体に当たる。

 そのまま薙ぎ払うように全てのバリスタを凍らせていく。

 そして破壊されたバリスタは辛くも犠牲者は出ないも全て沈黙する。

 

「ッ! くそ!」

 

 俺は自らの不甲斐なさに歯ぎしりする。

 止めることが出来なかった。

 

 【動く氷巨像(ヨトゥム)】は悠々とその場にあり続けた。

 スウェイは巨人から辺りを見渡し、逃げ惑う人々をその目に捉える。彼らは先程の攻防を見ており、バリスタが破壊された事でより一層混乱に拍車をかけていた。

 

『……馬鹿ね、愚かね。敵うはずもないというのに。さぁ、さぁ、さぁ。自らの無力を痛感して逃げなさい(・・・・・)

 

 何処までも不遜(ふそん)に、傲慢(ごうまん)に見下しながらスウェイは街中に声を響かせる。

 人々はその言葉に街を脱出しようと誰もが門を目指した。

 

 そしてスウェイは俺の方に向き直る。

 

『さぁさぁ、戦いましょう? 貴方にはまだまだ付き合ってもらうわ』

 

 ズズッと巨人の手を振りかぶる。

 

 何を、と思ったらスウェイは近くにあった家々を薙ぎ払った。

 倒壊した家々の煉瓦が雨あられの如く俺に襲いかかる。それはまるで石の散弾だ。

 

 避け、駄目だ、数が多過ぎる!

 

「"沙水雨(さみだれ)"ぇ!!!」

 

 雨粒すら跳ね除ける絶技で迎撃する。

 周囲に人がいないから、どこに弾いても良いので迎撃には集中出来た。

 だが、態々スウェイがそんな隙を見逃す訳がなかった。

 

『【瞬間凍結(フローズン)】』

 

 ヒュンと魔族の身体を凍結させた魔法が放たれた。

 俺は迎撃を中断して、その場から飛び跳ねる。その際に一際大きな石が頭を掠った。

 どろりと流れでる血。

 

 だがそんなのに構うよりも俺は先程のスウェイの攻撃の意図を図り損ねていた。

 何故ならスウェイは巨人の五指から放たれた【瞬間凍結(フローズン)】のうち、明らかに別の方向に放ったものがあったからだ。

 

 なら何が。

 そう思った俺は、突然俺の左腕に衝撃が走り凍り始めたのを見た。

 

「しまった!?」

 

 背後の【氷柱(アイスクル)】が、変化していた。さながら鏡になった氷によって【瞬間凍結(フローズン)】が反射されたのだ。

 当たった左腕が徐々に凍り始める。

 

『【氷面鏡(スペクルム)】……ありとあらゆるものを反射する鏡よ。残念ね。貴方はよくやったわ。でも、もうお終いよ。安心すると良いわ。殺しはしない。ただ……』

 

 スウェイの言葉など聞こえない。

 今はこの状況を脱する為の手段を探すのが先決だ。

 

 俺は壁に凍りつく腕を叩きつける。意味がない。

 凍っている箇所を剣で剥ぐか? いや、今も侵食しているのにそんな悠長な時間はない。

 

 ならどうする!? 

 このままでは俺の身体が凍りつく。

 何な、何か手段は。

 

 そうして周りを見てふと此処に見覚えがあるのを思い出した。スウェイと戦闘している内にアイリスちゃんと祭りを歩いていた位置まで戻っていたのだ。

 

「なら、もしかして」

 

 俺は辺りを見渡す。そして探していたものを見つけた。

 あれなら……!

 

 俺はそれを目指して走り出した。

 

『逃げるつもり? 逃がさないわ。いえ、一体何処を目指して……?』

 

 見つけたのは《大輪祭》の時、林檎飴を売っていた店の隣にあった焼き芋屋。

 そこには当然、焼き芋を作るために熱した石、加熱石(・・・)がある。

 店主はいない。逃げたのだろう。

 だけど好都合だ。俺は熱く熱された加熱石の前に立つ。

 

「ぬ、ぐぁぁあぁぁぁッ!!」

 

 凍った腕を溶かすために俺は躊躇なく加熱石の中に左腕を突っ込んだ。

 声が上がる。

 痛い。痛い。焼ける。灼ける。焦げる。

 

 十分に熱せられ、氷が溶けたと判断した俺は左手を取り出す。酷い有様だった。皮膚が爛れ、筋肉が焼かれている。指先の感覚も酷く鈍い。明らかに重度の火傷だ。

 

 握るだけでも痛む。だが、痛むだけだ。まだ動く。まだ戦える。ならば大丈夫だ。

 俺は笑みを浮かべた。

 

『……貴方馬鹿なの? いかれているの? あんな焼き石の中に手を突っ込むとかマトモじゃないわ』

「はっ! 八戦将と戦っているんだ。まともな方法で勝てるだなんて思っていないし、無傷で済むだなんても思っていない。それよりも残念だったね、俺を凍らせられなくて」

『ふんっ、次はそんな風に解凍する暇もなく瞬時に凍らせれば良いだけよ』

 

 再び、【動く氷巨像(ヨトゥム)】の腕をこちらに向けるスウェイ。

 俺はそれを見て、歯を食いしばりながらも次の攻撃を見逃すものかと覚悟を決めた。

 

 

 

『ん?』

 不意に氷の巨人の肩に矢が刺さった。

 【凍結する空間(フロスト・エスパース)】を解除したから凍らずに到達し、しかしスウェイには何の痛痒の与えない矢だったが、視線を逸らすのには充分だった。

 

「うぉぉおぉぉぉ! 【一撃粉砕】」

 

 建物の影から現れたバディッシュがその身の丈と同じ大きさのハンマーを振るい、氷の巨人へ直撃した。

 重量級、それも飛竜の頭を粉砕できた一撃を足に受けるも氷の巨人は倒れるどころか姿勢を崩しもしない。

 

「はぁっ! やっぱり膝を攻撃しても意味ないか!」

「そりゃ、生物じゃないしね! ゴーレムみたいなものよ!」

「あの様子では溶かしても壊してもすぐに再生します。正に打つ手なしとはこういうことですね」

「おいおい、感心している場合かい!」

 

 騒がしくも現れたのは見覚えのある三人。間違いない。

 

「バディッシュ! それにランカくんにミリュスちゃん! どうしてここに」

「街にいた魔物と魔族なら全て倒した! 兵士と冒険者の協力もあったし、思ったより数も(・・・・・・・)いなかった(・・・・・)! それに人間を人質にするような奴もいなかったしな。ん? なんだお前そんな顔していたのか。それよりもなんだあれ!」

「奴は八戦将のスウェイ・カ・センコだ!」

「八戦将!!? おいおい、やべー奴とは思っていたがなんでそんな魔王軍の大物がこんな街にいるんだよ!!」

「うそ!? そんなの敵うわけないじゃない! うわぁぁ、逃げよう! 今すぐ逃げようよ!」

「いや、無理ですよ。攻撃したせいか明らかにこっちに目が向いてます」

「へっ、ケツ叩いたのが随分とおかんむりのようだな。お前ら逃げても良いぞ」

「そうですね。…...逃げはしないですよ。此処、僕の故郷なんですよ?」

「うぅ…...バディッシュの無茶振りは今に始まったことじゃないものね。わかったわ、アタシも腹をくくるわ」

「お前ら…...へっ、良いか。絶対に死ぬんじゃねぇぞ! おうよ、アヤメ! こっから先は俺たちも付きあってやんよ!」

 

 無謀だ、馬鹿な事を、なんて事を俺は言わなかった。

 それは俺も同じだ。

 彼らはそれを分かってなお此処に来た。死ぬかもしれない場所に。

 街の人を、故郷を守る為に。

 その心意気を感じ、無下にする事など出来るはずがない。

 

 

 だからこそ俺が言うのは一言だけだった。

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 三人はにっと笑った。



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激闘

『また……! なんでよ、なんでみんなして此方(こなた)()()()()()()()! 潰れてしまえ! 【巨氷の天雹(ヘイル)】」

 

 苛立ちか、怒りからかスウェイは声を荒げる。

 だけど、何故だろうか。

 戦闘中だというのに、どうしてか俺には()()()()()()駄々(だだ)をこねているように見えた。

 

 スウェイが(とな)えると同時に上空に膨大な数の氷が形成される。【氷柱(アイスクル)】と違って一つ一つは鋭利に尖っていない。だが数が多い。

 局地的に俺たちに向かって降り注ぐボールほどの大きさの(ひょう)

 

「大丈夫です! それなら自分が撃ち落とせます、【必中一矢・連射】」

 

 弓矢を(たずさ)え、瞬く間に迎撃するランカくん。

 放たれた多数の矢は瞬く間に雹を砕く。一矢足りとも、ランカくんの弓矢は外れない。迎撃に漏れた雹によって、周囲に被害は出るも俺たちには一つも雹は当たらなかった。

 

『邪魔よ、【大氷塊(グラン・アイスブロック)】」

 

 しかし、次には雹が集まってまるで岩の如く巨大な氷の塊が形成された。

 

「あ、それは無理」

「来るぞ! 散開!」

 

 バディッシュの掛け声に全員その場から逃げ出す。

 彼らが元いた場所の付近にあった家を簡単に粉砕する。(とどろ)轟音(ごうおん)

 バディッシュは【動く氷巨像(ヨトゥム)】に近づきハンマーを振るう。

 

「オラオラァッ! 不恰好な銅像作りやがって! もっと精巧(せいこう)に作りやがれ!」

『うるさい、そっちこそその程度のハンマーで此方(こなた)の【動く氷巨像(ヨトゥム)】を破壊出来ると思っているの? そんなんじゃ『鍛冶屋』とすら名乗れないわ』

「うるせぇっ! 俺は『鍛冶屋』じゃねぇよ!」

「【圧縮された風よ、相手を切り裂け、鋭利に、深くに、速く! 風の鎌(カマイタチ)】」

『只の()()()、『爆風』に全く及ばない風で何が出来るというの?』

「やっぱり効いてないぃ!! もう嫌ぁぁ!!」

「俺もだ! あぁ、くそったれ! 攻撃が来るぞ、さっさと走れ走れ走れぇ!! 凍ったらどっかの貴族様に飾られる氷像になるぞ!!」

「それもいやぁぁ!!」

 

 逃げるバディッシュ達を追うスウェイ。

 その巨人の右手に強大な魔力を練っている隙を突く!

 

「彼らに気を取られ過ぎだ! "緋華(ひばな)"!」

 

 建物を登って背後から飛び出し、【動く氷巨像(ヨトゥム)】の背中を攻撃する。

 スウェイの隙を突いた、渾身(こんしん)の突きだ。だがーー

 

 ギィンッと、到底氷を斬ったとは思えない音が鳴った。

 

 魔法によって形成された属性は、術者によって差異が出ると言われている。只の氷なのに鋼鉄並みの硬度を誇るスウェイの技量は、やはり卓越(たくえつ)しているのだろう。

 

「うっ、ぐぅッ……!」

 

 固い氷に剣を叩きつけた反動で火傷した右手が痛む。皮膚も裂け、出血する。だが、諦めずにもう一度、剣を振るう。

 再び、硬質な音が鳴る。

 やはり手応えはない。

 

 だが、だからといって諦めてたまるか!!

 

 確かに【動く氷巨像(ヨトゥム)】は硬い。だが、巨像が人型(・・)である以上必ず構造的に(もろ)い部分がある。

 肘、膝、股、首、目ーー何処でも良い。それを探すだけだ。

 

 俺は【動く氷巨像(ヨトゥム)】の上を走って、出来うる限り連撃を至る箇所(かしょ)に加える。止まる事は出来ない。止まれば足元から凍っていく。

 ならば最小の動きで、最大の距離を稼ぎ攻撃を加える。

 

 背を駆け上がる俺に気付いたスウェイが上空に【氷柱(アイスクル)】を出現させて、【動く氷巨像(ヨトゥム)】に突き刺さしていく。

 

 俺は、何とかそれを躱す。

 更には水平方向に【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】が形成され、射出される。

 (おびただ)しい数の氷の槍を"沙水雨(さみだれ)"で迎撃する。

 常に走りながらの迎撃だ。時にはかわしきれずに、身体に当たってしまう箇所もあった。

 俺はそれを凍る前に、短剣で肉ごと削り落とす。

 痛さなど感じない。もしかしたら冷たさで痛覚が麻痺しているのかもしれないが、この時は好都合だった。

 

 次第にスウェイがいる氷の華の部分までに近付いた。

 

『【魂まで凍えよ天閃氷華(アンテノーラ)】』

 

 四方八方から氷の華が現れ、高速で回転し冷気を放ち、氷花弁で攻撃してくることで俺を凍らせようとする。

 左右前後に躱せる所は、ない。

 いや、一箇所だけある!

 

『これで……何!?』

 

 俺は思い切り上に跳躍する。

 避けて、氷の華を足蹴にして一気にスウェイのいる頭部の華へ近づいた。

 

「"月凛花"」

 

 上空からの着地と同時に横に一閃。何処でも良い、何処か俺の攻撃が通用する場所を探す為に使った絶技は。

 

 

ーーパキィン

 

 

 微かだが、氷が割れた。

 

「今のは、うぉ!?」

 

 小賢しいと思ったのか、スウェイは巨人の腕で俺を叩き落とそうとしてきた。間一髪避けるも、俺は体勢すらまともにとれておらず、しかも空中だ。もしこの状態で【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】を撃たれたら終わる。

 

 俺はその時、目くらましとして全ての煙玉を投げた。

 

『っ、煙?』

 

 氷に包まれたスウェイにダメージはないがそれでも目くらましにはなる。

 実際に相手はこちらを見失った。俺はその好きに体勢を整えて屋根に着地して、家々の陰に隠れる。

 

 わかっていたことだが。

 俺の攻撃は殆どがスウェイには通用しなかった。それどころか、俺は凍った箇所を短剣で肉ごと抉り取ったせいか至る所から出血している。このまま長期戦にもつれこめば俺のが不利になるだろう。

 

 だが無理をした収穫はあった。奴の【動く氷巨像(ヨトゥム)】について、ある程度の事は分かった。

 

 バディッシュの時と違い、俺の攻撃した箇所でほんの少し(ひび)が入った所がある。

 背後からだったが頭に当たる氷の華、そこだけが脆い。内部にいるスウェイ本人には届かなかったが、少なくとも氷が割れたのだ。

 

 ならその事を彼らに伝える必要がある。

 俺は路地裏へと身を(ひそ)めた。

 

『む、どこにいったの?』

 

 後には煙が晴れ、俺達を見失ったスウェイだけが取り残された。

 

 

 

 途中合流したバディッシュ達と路地裏で息を整えていた。その際に軽く出血した箇所を手持ちの包帯でぐるぐる巻きにしておく。

 

「はぁ……はぁ……よぉ、そっちはどうだ」

「無理よ無理……そろそろ魔力つきそう……」

「僕もこれ以上は余り矢がありません」

 

 バディッシュもかなり疲弊していた。

 無理もないだろう。あれだけの大物相手に今だ生きていることが幸運だ。

 

 

 状況は宜しくない。

 無理もなかった。こっちの攻撃は通じず、向こうばかりが一方的に攻撃出来るのだ。無駄と知りつつも攻撃しなければならないことは肉体的だけでなく、精神的にも疲労が出る。

 

 それに魔力の差も大きい。あれだけの力を行使しても、全くスウェイは疲れた様子を微塵(みじん)も見せなかった。同じ『魔法使い』のミリュスちゃんは疲弊しているのにも関わらずである。

 

「……やはりそう簡単にはいかないか」

 

 元より覚悟はしていたが、余りにも悪い状況に眉をひそめる。

 魔物と魔族はバディッシュの話だともういないが、スウェイがいる限りこの都市は陥落(かんらく)したも同然だ。

 だからこそ、スウェイを倒す必要があるのだがその手段が思い浮かばない。

 

「それでこれからどうするよ? やっこさん、俺らが何処にいるのかは気付いていねぇみたいだが」

「巨体ゆえに死角は多いですからね。しかし、氷のせいで隠れる場所も限定されますね……」

「あちこち凍って、まるで氷土(ひょうど)みたいよ」

「普通なら珍しい光景を見たって言いたいどころだが命の危険があるとなりゃ、呑気(のんき)に喜んでいないわな」

「それにあんまり隠れてもいられない。もし標的を俺たちから市民に変えたら大変だ」

「しかし無策では勝てませんよ」

 

 ランカくんの言葉は真実だ。

 だから俺は先程の戦闘で気付いた事を彼らに告げる。

 

「いや、一つだけ分かったことがあるんだ。【動く氷巨像(ヨトゥム)】の頭部である()。スウェイが内部にいるところだけど、彼処(あそこ)だけが他と比べて脆い」

「なに? 本当かよそれは?」

「あぁ、間違いない。攻撃した時、僅かだが氷が砕けたんだ。(ひび)もね。他の場所ではビクともしなかったのに」

 

 スウェイの慢心か、それとも魔法の弱点かわからないが少なくとも技能(スキル)ではない、俺の絶技でも()()()()には攻撃が通じたのだ。

 ならそこを攻撃すれば良い。

 理屈ではわかっているのだが……

 

「しかし、弱点がどうしようもありませんよ。僕らでは彼処に近付くのも困難ですし、唯一狙えそうな壁のバリスタは先程ので全滅。僕の矢も、貫けるとは思えない」

「あたしも、魔法をただのそよ風扱いされた……。多分、あたしの魔法じゃ何やっても通用しないと思う」

「俺の【一撃粉砕】なら、って言いたいところだがあんな所まで行けるとは思えねぇ」

 

 問題はそれであった。

 弱点らしきものは見つかった。だが、そこを攻撃する為の手段がない。スウェイも馬鹿ではない。今のままもう一度俺が攻撃しようとしたら全力で迎撃してくるのは目に見えていた。

 

 全くと言って良いほどあの【動く氷巨像(ヨトゥム)】の攻略法が思い浮かばない。

 

(こんな時、ユウがいれば……いや! 何を考えているんだ俺は!!)

 

 暗くなる雰囲気に、つい弱気になる。

 いない幼馴染を思い浮かべてしまうほどに。ユウならばこの状況を打破出来る策を考えられるのではないかと。

 ダウンバーストを倒した時みたいに。

 

 だがいない人を頼っては何も事態は好転しない。

 俺は自らを叱責(しっせき)する。

 その際、凍えるような寒さに身を震わせた。

 

「はぁっ……寒いね、ここは」

 

 俺たちは今、体温を奪われている。

 スウェイが攻撃した後の場所は凍りつき、冷気を放っている。お陰でこの場一帯の気温が下がっている。さながら冬のようだ。

 

 やはりスウェイを倒すには、【動く氷巨像(ヨトゥム)】の頭部を攻撃するしかない。

 だがそれを破壊するには俺の力と、剣の力が余りにも不足している。せめて『爆風』を倒した時ぐらいの聖剣の()()があれば……

 

「待てよ、火力(・・)?」

 

 火力、つまりは()

 頭の中で自分の位置ととある場所の位置を浮かび上がらせる。

 氷。冷たいもの。ならば奴の弱点は……!

 

「どうしたアヤメ?」

「何か妙案でも?」

「あぁ、いや。…そうだな、聞いてくれるか?」

 

 俺は自分の考えた作戦を打ち明けた。

 その時脳裏に浮かんでいたのはユウだった。

 あいつもこんな風に作戦を考えては、俺達に話していた。

 

 俺はユウみたいにはなれない。

 だけど、側で見続けてきた。その真似事なら出来るはずだ。

 俺は自らの考えた作戦を彼らに打ち明けた。

 

 俺の語った内容に彼らは驚きながらも、確信したように頷く。

 

「……いけるぞ、それ。幾ら俺の攻撃やバリスタが通じないあの巨人だが、元を辿(たど)れば氷だ。なら通じない訳がない」

「あぁ。俺もそう思ったんだ。だが……それだと彼らを危険に晒す。戦闘職でもない彼らを巻き込みたくない。それに、そもそも避難している可能性が」

「いや、いるだろう、あそこの頑固(がんこ)さは筋金入(すじがねい)りだ。危険と言われて、はいそうですかと退避する輩じゃねぇ」

「昔、あの工房を取り込もうとした他の都市の大商人の話も蹴ったくらいですよ」

「凄く頑固(がんこ)なんだよね。技も見て覚えろって全然教えてくれないってシンティラくんもよく言ってたよ」

「……だが少なからず危険はあるんだ。スウェイも馬鹿じゃない。きっと撃ってきたとわかったら(ほうむ)ろうとする。そうなれば、きっと彼らは」

「アヤメ。この街はな、俺もだがあそこの工房の連中にとっても故郷なんだ。ならその街を守る為には何だってしたいんだ。お前が思ってるのは杞憂(きゆう)だ。お前が思うほど()()()()()()()()()。それによ、他に手段はねぇんだろ?」

「それは」

 

 わかっている。

 今の俺一人じゃ、八戦将は倒せない。

 俺の力じゃ、スウェイに届かない。

 

 彼らの力を借りたら勝機はあるかもしれない。

 だが、彼らを命が()かった戦いに巻き込むというのが、俺はどうしても納得できなかった。

 でも同時にそれが最良だと、唯一の光明になるともわかっていた。

 

 酷いやつだ。

 自分で考えておきながら。彼らを巻き込もうとしているのは自分なのに。

 俺はまだ迷っている。

 

 そんな俺の気持ちを分かったのか、バディッシュが無事な俺の右肩を叩く。

 

「それに、あの爺さん達。お前が言わなくても、俺らがやられて工房を襲われそうになったら死なば諸共(もろとも)で撃ち出すぞ。なら、その前に今の作戦を告げた方が勝率が高い。そうすれば、全員生き残れる」

「彼らはあたし達が守ってあげたら良いしね」

「僕も。……やらずに後悔するよりもやって後悔する方が良いです」

 

 彼らは既に覚悟を決めていた。

 ……なら、俺も覚悟を決めよう。

 もし仮に、それでバディッシュ達と彼らが死んだらそれは全て俺の責任だ。その罪は俺が死ぬまで背負っていく。

 

 顔を上げる。

 決めたのなら時間が惜しい。

 今すぐにでも頼まないといけない。

 

「わかった。彼らに頼もう」

「おうよ。まぁ、ないとは思うが万が一断られたら俺らは終わるな。それで誰が伝えに行く?」

「あぁ、待ってくれ。俺は通信出来る魔法具を持っているんだ。それでまずアイリスちゃんに伝えるよ」

「通信出来る魔法具? よくそんなのを持っていましたね。国や軍でもなければ普通持っていませんよ」

「あはは……、ちょっとした掘り出し物でね」

 

 嘘は言ってない。

 実際オニュクスが持っていたのを拝借しただけだ。

 俺は腕輪のスイッチを押し、アイリスちゃんに繋がるのを待つ。一呼吸する暇もなく、アイリスちゃんは出た。

 

「アイリスちゃん聞こえるかい?」

『アヤメさん!? 大丈夫ですか!?』<カウカゥッ>

「あぁ、大丈夫だよ」

「そうですか……良かったです。それにしても、なんですかあれは! 頭だけ花なんてすっごくバランスの悪いのです』

「つっこむのそこなんだ……。それよりもお願いがあるんだ。君の近くにあるダルティス工房にいってダルティスさんに伝えてくれ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 



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布石

 スウェイは【動く氷巨像(ヨトゥム)】の上から辺りを見渡す。

 

『何処に行ったの……』

 

 睨みながら探すも見つからない。

 巨人は大きいが、肝心の目となるのはスウェイ自身だ。ならば視界には限りがある。

 

 商業都市リッコはその成り立ちから様々な形状の家々が乱立していて、裏路地も含めると一度逃げられたら再度見つけ出すのは例えこの都市の兵士でも難しかった。いかに高さというアドバンテージを得ても隠れた人間を探すのは難しい。

 

 スウェイは思考する。

 いっそのこともう一度コキュートスで炙り出すか。それか全方位に【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】を放って街中を無差別に破壊するか。

 いや、とスウェイは首を振る。

 

 そんな事をする気も起きない。

 今の奴にそんな事をすれば死んでしまう可能性があった。

 

(だけど、だからといって足元を掬われる気はないわ)

 

 スウェイは最早フォイル(・・・・)を侮ってはいなかった。

 理由はわからないが、最後に会った時より明らかに身体能力が増している。

 

 正確には、ダウンバースト討伐時の時の時と同等に戻っているが正しいのだが、スウェイが知るフォイルはベシュトレーベンに敗れた時の姿のみなのでその事を知るよしはない。

 

 スウェイは冷静に自らが生身であればその剣が届く可能性があることを把握していた。

 しかし、それは()()()()()だ。

 今のフォイルには聖剣がない。つまり、【動く氷巨像(ヨトゥム)】を貫くほどの力を持っていない。奴の攻撃はもう、自身には届かない。先程は接近されたがそんな(てつ)を二度踏むほど愚かではなかった。

 

 ならばこそ、今此処で奴を()()してやろうと躍起になっていた。

 此処で逃走を許せば後々厄介になるのが分かっているからこそ。

 

 カンッと己の【動く氷巨像(ヨトゥム)】に矢が刺さる。

 

 スウェイは矢の飛んで来た方向へ視線を向けると、フードの下の唇を左右にあげた。

 こちらに向かって矢を撃って来たランカ()()()()、街中に作り上げた【氷面鏡(スペクリム)】に映ったフォイルを見つけたからだ。スウェイはすぐさまその箇所に向けて【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】を放つ。

 

 フォイルは不意打ちにも関わらず、避ける。そしてまたもこちらに剣を構えて向かって来た。

 それで良い。逃げられなければ良いのだ。

 

『はっ! 逃げなかったのね、それだけは褒めてあげる!』

 

 奴は自らの氷を破ることは出来ない。

 必ず捕獲してやる。

 そして真意を問いただすのだ。

 

 そうすれば、()()()()()()

 

 スウェイはある期待を胸に秘めながらも戦闘を継続するのだった。

 

 

 

 

 

 

 戦いは激化を辿った。

 アイリスがダルティス達から了承を得たと聞いた後、アヤメ達は再びスウェイの前に姿を現した。

 最早殆どの場所が凍りつき、無事な所を探すのが難しい。

 此方に対して向こうは攻撃すればするだけ此方に干渉できる場所が増えるのだ。

 

 まだだ。

 まだ、()()が整っていない。

 

 だからこそ時間が必要だ。

 その為には隠れていては、いつ周囲に向かって無差別に攻撃するかわからなかったアヤメ達は姿を現したのだ。

 

 だが、スウェイはそんな時間を稼ぐ事も許さなかった。

 

「あぐぅっ、あ、足が」

 

 戦いの最中、氷の槍を避けたミリュスだが躱した先にあった凍らされた地面に足を取られた。氷はパキパキと生き物のようにミリュスの足をつたり、動きを止める。

 

「ミリュスちゃん!」

『行かせるとお思いで?』

「なっ、くっ」

 

 アヤメの進路先に巨大な【氷柱(アイスクル)】が降り注いで道を塞ぐ。

 周囲の建物も凍っていて迂回できず、これでは通ることができなかった

 

『他は雑魚だけど、貴方が一番厄介。だから(わずら)わしい雑魚を倒した後、貴方を集中して潰すわ。まずは一人目……!』

「ひっ!」

「ミリュスゥゥ!!」

「ダメだ、射線がッ。避けてください!!」

 

 バディッシュが叫び、ランカが逃げるように吠える。

 それがどれだけ無茶か、二人にもわかっていた。だけどそうせずにはいられなかった。

 

 ミリュスは【風弾(ウィンドバレット)】を唱えて撃ち出すもバディッシュのハンマーすら防いだ【動く氷巨像(ヨトゥム)】には通じない。

 

 攻撃は通じない。

 避けろという声も意味はない。

 もはやミリュスが掴まれるという所で

 

 

 その手がミリュスを掴む前に突如として()()()()

 爆発した時の余波の熱でミリュスを捕らえていた氷も溶け、ミリュスは爆風で転がり回る。

 

「う、きゃうぅぅ!」

「ミリュス!」

「ミリュスさん!」

「わぁぁ! 生きてる!? 私生きてるよね!!?」

「生きてますよ」

「まぁ、格好は酷いがな」

「えっ? きゃあぁぁぁ!!」

 

 ミリュスは転げ回った事でボロボロの衣服になったことに気付き、慌てて隠す。気心の知れた仲間とはいえ、下着類を見せるのは乙女として恥ずかしかったのだ。

 

「今のは……!」

 

 アヤメは撃ってきたであろう方向に目を向ける。

 そして捉えた、空中を飛翔(ひしょう)する複数の()

 

 それがスウェイに辺り、再度複数の爆発音。

 

『くぅっ、一体なに!?』

 

 氷の手は砕けはしなかったがスウェイは襲ってきた熱に驚いた声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「親方、一発外れました!」

「馬鹿野郎、もっとちゃんとして狙え!」

「痛いっ!」

 

 叩かれるシンティラ。ズバゴッとおおよそ人の頭を叩いたとは思えないほど重い音が鳴る。

 ダルティスはその間も次の玉を用意するように声を張り上げる。

 

「ほら次の玉早くしろ! 玉遊びならガキの頃やったことあるだろうが! 今更母親の手を必要とする訳じゃねぇだろ!」

「わかってるわ!」

「うるせぇ、次はもっと正確に当ててやる!」

「さっさと点火しやがれ!」

「よーし、良い心意気だ! ほら急げ急げ!」

 

 ダルティス工房は、街の中でも少し小高い位置にある。周りを防壁で囲まれているが、資材自体は外に持ち出す事も出来る。

 こうして花火を打つ為の筒を並べた後、本来上に向かって打つ花火なので筒の角度の調整に難儀したが、設置した後は片っ端から打ち続けた。何せ目標はでかいのだ。外す訳が無い。

 

 慌しく動く花火師達。

 側にはアイリスとジャママもいた。

 アイリスは繰り返し轟く音に、ビクッとしながらもそれに負けないくらいに声を張り上げる。

 

「あの! アヤメさん達には当てないでくださいよ!」

「分かっておるわ! 何年この仕事やってると思っている、そんなヘマなんぞするか!」

 アイリスの言葉に吼えるように答えるダルティス。そこにシンティラの泣き言が入る。

「親方ぁ! なんでこんな頼み引き受けたんですかぁ! 逃げましょうよぉ! というか僕逃げる準備の最中だったんですよ!」

「馬鹿言うな! 此処は儂ら故郷だ! そして長い歴史のある大輪祭、それを担うワシら工房が真っ先に逃げ出すなんてありえん! そうだろ馬鹿野郎ども!」

「「「おうよ!!」」」

 

 シンティラ以外の花火師達は誰一人として怯えていなかった。

 ここにいる花火師たちは全てを見てきた。

 街が凍るのを見た。魔族に襲われるのも見た。故郷が蹂躙されるのを見た。

 

 だからこそ、この街が終わる時は自分らもと腹をくくっており誰一人として工房から逃げ出していなかったのだ。最も、今回はそれが幸いしてアイリスが伝えるとすぐに準備に取り掛かれたのだが。

 バディッシュの言う通り、此処の職人達は頑固だったのだ。そして同時に郷土愛の(かたまり)だった。

 

 バリスタが破壊されたのも見たのに、彼らはそれにひるむ事なくアヤメからの頼みを引き受けた。

 恐怖はない。

 寧ろ高揚(こうよう)すらしていた。自分達は故郷の為に何か出来ると。奴に一矢報いられるのだと。

 花火師達は全員笑っていた。

 

 下手をすれば死ぬ可能性があるにも関わらず、彼らは兵士達以上に勇猛果敢(ゆうもうかかん)だったのだ。

 

「ふんっ、まさかこれを()()()()()んじゃなくて人に向かって撃つ(・・)ことになるとはな。だが、しのごの言ってる場合ではないか。お前ら、角度を修正しろ!」

 

 そんな中一人だけ何処か複雑そうな表情を浮かべるも、ダルティスは直ぐにそれを振り払い砲撃を開始する。

 大きな破裂音とともに次々と花火が咲いたーー

 

 

 

 

 次々と打ち込まれる花火。破裂する衝撃と熱が『魔法使い』の炎を食らっても解けなかった氷を、僅かではあるが氷の巨人を溶かし始めた。

 

『煩わしい、素直に逃げ出せば良いものを……!』

 

 スウェイは苛立ちを隠さない声色で睨む。

 そのままズズズと氷の巨人が動き出す。

 どうやら直接その手で工房を潰すつもりらしい。だがそれはさせない。

 

「どうした!? お前の狙いは俺じゃなかったのか!?」

『っ! この偽物め!』

 

 巨大な氷の腕が振るわれる。

 乱雑な動きの(それ)は、大きさこそデカイがそれだけだ。家の屋根を破壊する攻撃をアヤメは難なく躱す。

 

「そんな雑な攻撃で俺を仕留める気か!? 八戦将ともあろう奴が聞いて呆れるね!」

『うっとおしいうるさいうざい! 邪魔ばかりして!』

 

 スウェイはアヤメを仕留めようと躍起になっていた。だが、お陰でターゲットが向こうからこちらに移った。

 これでいい。スウェイを誘導できている。

 ならば懸念することは1つ。タイミングだけだ。それを成し遂げるにはーー

 

(頼んだよ、バディッシュ、ミリュスちゃん、ランカくん……!)

 

 花火が止み、再び対峙する両者。

 そんな中、スウェイも気付かずにいつのまにか三人は姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 アヤメが立てた、ダルティス工房の花火を使ってスウェイを砲撃する作戦。それには続きがあった。

 それは花火を撃ち込んでも尚、スウェイが健在である可能性だ。

 【動く氷巨像(ヨトゥム)】は巨大だ。通常の砲台でも破壊出来ない可能性がある。花火を当てても短期で破壊しなければ即座に再生してしまう。それどころか【凍結する空間(フロスト・エスパース)】を使われると花火が炸裂する前に全て無効化される危険性があった。

 

 だからこそ、【凍結する空間(フロスト・エスパース)】を使わせずに速攻で沈める必要があった。

 

 

 スウェイがアヤメに目標を定めたその隙に、バディッシュは物陰に潜みながらも対峙する両者を眺めていた。

 

「あの攻撃の中まだ生きてるとかどんな身体能力してんだアイツ……」

 

 アヤメは建物を盾に、時には足場に、ロープを使って飛び移ったり、露店の天井を利用して大ジャンプしたりと縦横無尽に駆け回っている。

 しかも自身に向かってくるスウェイの攻撃を迎撃もしている。左腕の火傷や全身負傷しているのに信じられない。

 少なくともバディッシュにはあそこまでの動きは出来ない。

 

「まぁ良い。俺は俺の頼まれたことをするだけだ。だから、ランカ、ミリュスお前達も気張れよ」

 

 バディッシュは同じく、スウェイを倒すために頑張っている仲間に激励の言葉をかけた。

 

 

 

 

 

 

 アヤメを追って氷の巨人が動く。その動きは苛烈で、氷による攻撃が常に放たれ、時には家ごと粉砕されている。

 瓦礫(がれき)と粉塵で周囲を覆う中、ヒュンッと【動く氷巨像(ヨトゥム)】の背に矢が刺さる。

 

「次は肩……!」

 

 ランカは移動するスウェイを追いかけながらも、確実に狙った所に矢を放ち続けていた。

 繰り返し放たれるその矢には、()()()()(くく)り付けられていた。

 

『ランカくんにはこれを矢につけて撃ってほしい』

『これは?』

炸裂(さくれつ)の実だ。アイリスちゃんに貰ったいくつかの実の一種だけど……一つだとそんなに威力はないけど纏めると岩にヒビを入れるくらいの威力にはなる。これをともかく至る所に撃って欲しいんだ。花火の衝撃に誘発して奴の氷にヒビを入れる為にも』

 

 元々スウェイに対して矢は効果が薄かった。精々が気をそらす程度でしかない。

 その度にランカは口を食いしばった。自らの弓の腕も何の意味がなかった。

 そこで頼まれたアヤメからの頼みごと。

 死の危険があるにも関わらず、少しでも勝率を上げるため、アヤメの策に乗った。

 つまり、命をかけたのだ。

 

「どの道僕の弓では先ほどのバリスタにも及ばない、届かない。なら貴方の策にかけますよ!!」

 

 ヒュンヒュンと突き刺さる矢。

 始めの頃は気付いたスウェイも全く己に効いていない事、今やアヤメに注意を取られている事からその攻撃を放置した。

 

 そう、彼女は(いず)れ発動する()に、気付いていなかった。

 

 

 

 

 アヤメはスウェイからの猛攻を避け続けながらある場所を目指していた。

 目指した場所は市場。商業都市リッコ最大のバザールが開かれる場所であった。様々な物が売られていた市場は、魔族襲来による人々の混乱のせいか誰一人としておらず、周囲には物が錯乱していた。

 

「はっ、はっ、ふぅぅ……」

 

 走り続けたアヤメはある露店の柱に背を預け、息を整える。

 吐き出す息は白い。これはスウェイが魔法を使う事で街全体の温度が低下しているせいである。

 呼吸するたびに冷たい空気が、肺を蝕む。

 

 左腕が火傷で燃えるように熱い。ジュクジュクと痛む。

 右腕の指がかじかんでいる。多分、凍傷にもなっている。

 それ以外の身体の感覚についても酷く曖昧(あいまい)だ。

 

 アヤメはもはや満身創痍であった。

 

『あはぁ、追い詰めたわ。此処ならもう隠れる場所なんてないわね!』

 

 ()()()()()()()()、スウェイが勝ち誇る。

 スウェイから見れば隠れる場所もないこの市場は、最早アヤメにとって袋の鼠に見えた。

 

『さぁ、凍りつきなさい! 【瞬間……なっ!?』

 

 アヤメに対して凍らせようと腕を構えたところ途轍もない風が起こった。

 そしてそれによって巻き上げられた大量の塵、粉、物によってスウェイはアヤメを見失う。

 

 それらを巻き上げる不自然な風、それを行使しているのはミリュスであった。

 

「もぉぉ!! 後であたしに請求とか来ないよね!?」

 

 此処には沢山の小麦粉が売っていた。小麦粉は《大輪祭》で食べ物の調理に使う店専用に売る為に大量に此処に置かれていた。

 更には鍛冶屋が自慢の製品を売るために出店を開き、その際に砥石によって武器の研磨や、使用者の要望に合わせてその場で武器を加工することもあった。

 その際に大量の金属粉も此処にはあった。

 

 小麦粉と金属粉、これにはある共通点があった。

 どちらも大量にあると、火種によって()()()を起こす。

 小麦粉は粉塵爆発を。

 金属粉は金属爆発を。

 

 【塵旋風(ダストデビル)】というあらゆるものを巻き上げる旋風を引き起こす技能(スキル)で粉を風で巻き上げ、視界を封じると同時に、凡ゆる市場の小麦粉と金属粉をスウェイへと巻き上げる。

 

『ミティスちゃんには風を使って奴の視界を塞いで欲しい。損傷は与えられないけど、妨害はすることが出来るから』

 

 わかっていた。

 自分の攻撃じゃ何一つ相手に通用しないって。

 でも、だからといってこんな風に使われるなんて思ってもいなかった。

 

「もし請求されたら絶対にアヤメくんにも引き受けてもらうんだから!」

 

 ミリュスは持てる魔力の限りを尽くして、風を巻き上げる。

 スウェイはそれをそよ風といった。

 悔しかった。泣きそうになるくらい悔しかった。

 

 だけど今は違う。

 この風はスウェイを倒す事に繋がる立派な()()だった。

 

「今に見てなさい! すぐにあんたの度肝を抜いてやるんだし!!」

 

 旋風は【動く氷巨像(ヨトゥム)】すら覆い尽くす巨大な風となっていた。

 

 

 

 

『くっ、此方の氷すら砕けないただのそよ風の分際で……!』

 

 スウェイは唸り声を上げる。損傷はない。

 だが、舞い上がる粉で視界を封じられたスウェイは苛立ちを隠さない。【動く氷巨像】の腕を構えるも、何故か魔法を唱えることもしない。

 まるで何か(殺してしまう)を躊躇しているように。

 

 そんなスウェイが躊躇している足下で。

 【動く氷巨像(ヨトゥム)】が手を置く家の側にバディッシュが現れた。

 

「よぉ、さっきは良くも俺を『鍛冶屋』にすらなれないとか馬鹿にしてくれたな」

 

 バディッシュは不敵な笑みを浮かべる。両手には自身の持つハンマーが握られていた。

 

『奴は俺が誘導する。だからバディッシュさんには奴が何処かに手を掛けた瞬間、家を破壊して欲しい』

 

 ランカ、ミリュスと続き、それがアヤメから伝えられたバディッシュの役割であった。

 

 バディッシュはそのことを思い出しながらも、ふっと笑う。

 成る程、認めよう。

 今の自分では氷の巨人(あれ)を砕けない。

 

「たしかに俺じゃあ、テメェの氷を崩せねぇ。だがな氷は壊せなくとも……」

 

 デニィッシュの肩が大きく膨張する。いつもよりもより大きく、より力を込める。

 全ては一撃(・・)で決める為に。

 

「建物なら壊せるんだよ!! 食らいやがれ!【一撃粉砕】」

 

 バディッシュの渾身の一撃。

 それは石で出来た家を簡単に崩落させた。

 

『あがぁっ! 今度は一体何よ!?』

 

 家の屋根に自重をかけていた【動く氷巨像(ヨトゥム)】はその体勢を崩す。

 無論、氷には傷一つない。

 だが、すぐには体勢は整えられない。

 

 それはつまり()()()()()()()()()()()

 

 スウェイの(ちから)を崩す為の策。

 その為の布石は全て打った。

 後はそう、決定的な一撃を入れるだけ。

 

「アイリスちゃん今だッ!」

 

 アヤメは通信機で合図を送った。

 

ーーーー

 

「アヤメさんから連絡です! 下準備は出来たと!」

「そうか! 野郎共! 例の奴の準備だ!!」

「「「おうさ!!」」」

 

 アイリスの言葉にダルティスが花火師達に吼え、一際大きな筒が現れた。

 途中から花火を打ち出すのを辞めて、彼らは合図を待っていたのだ。

 

 現れた大きな筒。

 それは本来ならば『大輪祭』の締めの一発に使われる花火を入れる為の筒で中には既に花火玉が入っていた。その大きさは周囲の筒と比べても歴然とするほど大きい。

 

 方向も、角度もあっている。

 奴自身体勢を崩しかわせるはずはない。

 後は撃つだけ。それだけなのだが……。

 

「……? 何故筒から撃たれねぇ?」

 

 しかし着火役であるはずのシンティラがしゃがんだまま動かない。ダルティスは吼えるように声を荒げる。

 

「何をしているシンティラ! 奴らが命張って作った隙を台無しにする気か!!」

「ひっ! だ、だってこれだけ工房の皆が撃ってるのに、あの氷の巨人全く崩れる気配がなくてっ。あれを見てたら本当に通用するのかって……」

 

 シンティラは萎縮していた。

 無理もなかった。元々飛竜討伐に着いてくるくらいには無謀というか蛮勇のシンティラも街で暴れまわる氷の巨人を見て、次第に悪い方向に思考がそれていった。

 

 恐怖。

 

 人間が持つ強者に対しての根源的な感情であった。

 

 ダルティスはシンティラのその感情が手に取るように分かった。

 そう分かった上で笑い飛ばした。

 

「フハハハハッ! 貴様の悩みなど杞憂(きゆう)だ! 馬鹿なお前が馬鹿な事をして、そしてそれを馬鹿なお人好し達が手を貸してくれて得たもので出来た、馬鹿な職人どもが丹精込めて出来た花火だ! 胸を張れ!! 間違いなく最高の逸品だとな!」

「親方……」

「さぁ、分かったら火をつけろ! 奴にあれを食らわせてやれ!」

「はい!」

 

 ダルティスの言葉で立ち直り、シンティラがマッチに火を点ける。

 

「ふん、随分と余裕だったじゃねぇか。魔族さんよ。だがな、今から撃つこれは飛竜の"爆裂炎袋"にしこたま爆裂の種と調合した火薬、純度の高い魔石を詰め込んだその名は"4尺玉"。その威力、大きさ、轟く轟音もこれまでの比じゃないわい!」

 

 導火線に火が着く。

 ジリジリと導火線を火が伝る。

 筒が唸りをあげた。

 

「放てェッ!!!」

 

 途轍(とてつ)もない爆音が鳴った。

 花火師達の渾身の出来である"4尺玉"が今、放たれた。



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氷空に咲く大華

 (つんざ)くような発射音の後、"4尺玉"が遂に撃ち出された。

 

 その大きさはこれまでの花火の玉が小さく思えるほどに巨大であった。

 普通の花火ですら、【動く氷巨像】を崩壊まではいかずとも溶けかけさせるまでいったのだ。

 更にはミリュスによって発火性の粉や金属粉がスウェイの周りを覆っているのだ。ランカによる"炸裂の実"も至る所にある。

 

 そこに先ほどよりも強力で、火種となる花火が炸裂(さくれつ)する。

 どうなるか?

 

 答えは火を見るよりも明らかだった。

 

 【塵旋風(ダストデビル)】 により周囲が見えないスウェイに対し、4尺玉がぶつかった。

 

 ()()()()()()()()

 【動く氷巨像(ヨトゥム)】すら上回る巨大な炎の華。

 更には(ほとばし)る火花が小麦粉と金属粉の着火し、猛烈な焔と爆炎をあげる。

 

 今までの比ではない大爆発であった。

 飛竜の火炎ブレスを生成する特殊な粘液がある"爆裂炎袋"によって従来の4尺玉よりも強化された花火。更にはミリュスが視界封じの為に巻き上げた粉も加わり、炎の温度を上げた。

 瞬間襲いかかる熱風、烈風、爆風、衝撃。

 

『く、あぁぁぁぁぁっ!!!!』

 

 これまでとは比べ物にならない熱と衝撃の嵐。

 初めてスウェイは悲鳴をあげた。

 ジュゥ〜と初めて氷が氷らしく溶け始める。

 更にはシンティラが埋め込んだ"爆裂の実"。強い衝撃により、これらが連鎖的に破裂した。

 至る所から亀裂が入り始めるのにスウェイは気付くも、余りの威力にどうしようもない。

 ついに全身が融解し、ヒビが入り始める。余りの熱に再生も間に合わない。

 炸裂の実による破裂が、深い亀裂をあらゆる所に切れ込まれる。

 

 だがそれでも。

 まだ【動く氷巨像(ヨトゥム)】は倒れない。

 ボロボロになりながらも倒壊しない。

 

 確かに先程の花火は強力だった。

 粉塵爆発と金属爆発も、身体中至る所から氷の体に亀裂を入れる炸裂の実もだってそうだ。

 

 だけど、それだけ。

 融解しかけながらも【動く氷巨像(ヨトゥム)】は健在。

 

 これに耐えれば、後はすぐさま再生すればいい。

 たかだか焔と衝撃、それで倒れる程魔王軍八戦将は弱くない。

 

『ま、だっ。此方(こなた)はっ』

「悪いけど」

 

 ーーだからこそ、トドメの一撃がいるのだ。

 

 屋根から飛び上がった俺がスウェイのいる氷の薔薇の目前の空中で、剣を構える。

 氷の薔薇の中にいたスウェイが、爆炎の中現れた俺にフード越しに初めて驚いたような気配を感じた。

 

「これで終わりだよ! "落花狼藉"」

 

 両の手で柄を握り締め剣を突き刺し、重い一撃が氷の薔薇に入った。

 【城破刺突】を模倣し、落下する威力と一点にのみ力を集中させた。"緋華"以上に、錐揉み回転(スピン)させながら突く事により、()()のでなく相手を穿つ(・・)

 

そんな俺なりに改良を加えた絶技ーー"落花狼藉"

 

 左腕が痛む。焼けた皮膚が裂けた。

 右腕が軋む。凍った皮膚が砕けた。

 更には全身の骨と傷口の至る所が悲鳴をあげる。

 

 

 でも、だからどうした?

 より深く、より強く、より重い一撃を!

 

 ここまで来るのに色んな人の助けを借りた。

 バディッシュ、ランカくん、ミリュスちゃん、ダルティス達工房のみんな。

 

 今此処で奴を倒さないと被害が出る。みんなが死ぬ。

 だからこれで決める。

 終わらせる!

 

「ウオォォォオォッ!!!」

 

 届け。

 届けーー!!

 

 

 

 ピシリ。

 パッキャン。

 

 

 

 今度こそ【動く氷巨像(ヨトゥム)】は頭部の華が割れたことで、伝染するように全身へより大きな(ひび)が入り、割れた(・・・)。俺はそれを確認してすぐさまそこを離れる。

 そこに再度、多数の花火が撃ち込まれた。

 

 花火の爆音。この熱と衝撃に、もう【動く氷巨像(ヨトゥム)は耐えられない。

 

 終結はあっという間。

 轟音をあげて今度こそ【動く氷巨像(ヨトゥム)】は崩壊した。

 

 

 【動く氷巨像(ヨトゥム)が砂埃をあげて崩れ落ちる。

 花火の煌めきと壊れた氷が空にキラキラ光り、幻想的な光景が広がる。

 それはまるで勝利を祝福しているように見えた。

 

 俺はそれを見ながら息を整えつつ、油断せず【動く氷巨像(ヨトゥム)】の崩壊跡を眺める。

 

 「はぁ……はぁ……倒したか……?」

 

 俺はまだ警戒していた。

 確かに【動く氷巨像(ヨトゥム)は倒れた。

 だが剣の感覚からして()()()()()()()()()()()()()()()。氷は倒壊したが。本体が無事であるならば本当の倒してはいないだろう。

 

 だからこそ俺はまだ剣を構える。

 動く姿があればすぐさま、トドメを刺す為に。

 だけど氷が再生する様子もない。

 

 どれだけたっただろうか。

 幾らたっても氷は再生しなかった。 

 油断させてという訳でもなさそうだが……

 

「本当に倒したのか……?」

 やはり実感がない。

 と、そこへ

 

「やったな! ついにあの野郎くたばりやがったぜ!」

「まさか本当に倒せるだなんて……」

「は、ははは、震えが止まりません。僕たちでやっといて何だが信じられませんね」

 

 俺に近寄って来るバディッシュ達。

 だが俺は未だに、喜ぶ彼らとは対照的にスウェイが倒れた方向を睨んでいた。

 

「ん?どうしたんだ? 険しい顔しやがって、まだ左腕が痛むのか?」

「いや、奴がもしかしたらまだ生きているんじゃないかと思って」

「おいおい、あの砲撃……じゃねぇや、花火を見ただろ? でっけぇ花火も炎も上がった。生きてるはずがねぇよ」

「そうだろうか……」

 

 どうしても俺には疑惑が晴れなかった。確かに巨人は倒したがそれがスウェイを倒したことに繋がるとは思えなかった。

 しかしいつまでだっても再生する気配も何か動く気配もない。

 ……本当に杞憂(きゆう)だったのか?

 

「はぁ〜、それにしても働いた働いた。最近じゃ一番働いたぞ」

「本当ですよ……飛竜といいうここ最近死ぬような目にあってばかりです」

「あたしも、あの手に掴まれそうな時ダメかと思った……」

「だが俺たちは生きている。それだけじゃねぇ! あの魔王軍の八戦将も倒した! ならギルドの方で昇進は間違いないぞ! 4つ星……いや《光星(アストライヤー)》も夢じゃねぇ! そうなれば俺たちはこの街初めての《光星(アストライヤー)》冒険者だ!」

「待ってくださいよ。魔王軍を倒せたのはアヤメさんと、あとダルティス工房の皆様が居たからですよ」

「おぉ、そうだったな。おいアヤメェッ! お前も喜べよ! あの勇者様以外で初めて、別の奴が魔王軍幹部を討ち取ったんだぜ!」

「え? あぁ、うん。そうだね」

 

 ふと、周りを見る。周囲の建物は倒壊している。街としての傷は浅くはないだろう。

 

 だけどそれ以上に救われた命があった。

 俺が救いたかった命が。

 

「俺は……救世主(ヒーロー)になれたのかな?」

「あ? 当たり前だろ。お前はこの街を救ったんだからよ」

 

 バディッシュはそんな俺の疑問に笑顔を持って答えてくれた。

 

「……そうか。なら、よかった。本当に」

 

 俺はかじかんだ右手を見ながら、グッと握り締める。

 今度こそ俺は、この手で守りたい人達を守れたんだ。

 

 

 

 

 

 

「……? 何やら騒がしくなってきましたね」

「どうやらあれを見ていた兵士達が今になってやってきたらしいな」

「へへーん、今更来てももうあたし達が倒したのにね」

「そうか。……あ、やばい」

 

 会話を聴きながら重大な事に気付く。

 今の俺は()()()()()

 一応アイリスちゃんお手製の外套があるが、そのフードだけじゃ限界がある。

 

 どちらにせよ不特定多数の人に素顔を見られるのは不味すぎる。(アヤメ)(フォイル)だと、気付かない人がいないとは限らない。

 

「それじゃ、あとはよろしく!」

「はっ!?」

「えっ、ちょ、アヤメくん!?」

「ここで逃げるとか嘘でしょう!?」

 

 判断はすぐだった。

 俺はその場から逃げるように立ち去った。

 後ろから三人の声が聞こえるけど俺はそれを振り払って直ぐにその場から逃げ出した。

 

 ごめん、だけどもし俺の正体がバレたら君達にも迷惑がかかってしまう。

 だから俺は振り返る事なく、途中で落とした仮面を回収して、その場を去っていった。

 

 裏路地を走り、フードを被りながら俺は腕輪にある通信魔法具でアイリスちゃんに告げる。

 

「アイリスちゃん、終わったよ。今からそっちに行くから合流しよう。あと、ダルティス工房の皆には御礼を言っといてくれ」

『はい、わかりました。あとアヤメさん』

「ん?』

『かっこよかったですよ』

「……はは、ありがとう」

 

 戦いで冷えて体だったけどその言葉だけで胸の辺りが暖かくなるのだから俺は案外単純なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バァンと花火が夜空に上がる。

 キラキラと人工の華が空を鮮やかに(いろど)る。

 

 商業都市リッコは魔王軍の侵攻にあった。

 街の被害は確かに出た。その被害は決して少なくはない。

 

 だが奇跡的に死傷(・・・・・・)者はいなかった(・・・・・・・)

 人々はこれを女神のご加護と考え、行われるはずだった《大輪祭》、その名物の花火を予定打ち上げることにしたのだ。延期しようとする行政を押しのけて。

 ダルティス工房には幾ら【動く氷巨像】を倒すのに使ったとは言えまだまだ花火はある。玉には困らなかった。

 

 夜空に輝く、大小様々で赤から黄、緑、オレンジ、青、紫の色とりどりの人工の()

 

 人々はそれを見て、生きていることに感謝し、助かった事に涙を流した。

 勿論街に被害はある。だけどそれは明日から復興すれば良い。今はこの幸運を噛み締めよう。

 商業都市リッコでは何時迄(いつまで)も音が鳴り、花火は上がり続けた。

 

 

 

 

 

「やぁ」

「……お前か」

 

 ダルティスさんは花火のよく見える工房より少し離れた位置で花火を眺めていた。

 俺はその姿を見てやっと見つけたと安堵する。

 

「てっきりダルティスさんもあの花火の下で打ち上げていると思ったんだけど」

「ふん、ワシは確かにあそこの工房長だが、教えるべきことは大体教えていたんだ。ならば口を挟まずにどかっと構えて後は奴らの仕事ぶりを見ておくのがワシの役目ってもんよ」

「そうなんですか」

 

 俺にはわからないが彼にとってはそうらしい。

 改めて礼を申し上げようとして、ダルティスの言葉に固まった。

 

「ワシはもう花火師を()()()

「え、それは一体」

「花火師の花火ってのは()()()()()()()()()()()()だ。違っても人に向かって()()()()じゃない。あれを指示した時点でワシは既に花火師としての手を汚しちまったんだよ」

「それは……」

 

 俺のせいじゃないか。

 確かにスウェイを倒すのに彼らの力は必要不可欠だった。もし彼らがいなかったら氷を突破する事は出来なかっただろう。

 だがその代わり俺はダルティスさんの花火師としての道を閉ざしてしまった。後悔が沸き起こる。顔が苦痛で歪む。俺はとんでもないことをしてしまった。

 

「おい」

「なに……痛ぁっ!!」

 

 ガンッと助走も含めてジャンプしたダルティスさんのゲンコツが俺の頭に落とされる。

 痛い、本当にめっちゃ痛い!! シンティラくんは毎回これを受けていたのか!!?

 

「言っとくがお前のせいではないからな。ワシはお前のこと恨んでおらん」

「痛っっ……えっ、なんで?」

「お前のおかげでワシは街を守れたんだ。感謝こそすれども恨みはねぇよ」

「だがその代わり俺はダルティスさんの花火の道を」

「どの道ワシはもう歳だったんだ。誤魔化してはいたが、最近花火を作る時に手が震えてな。いつ事故を起こすのか、正直気が気でなかった。だからこれは良い機会だったんだ」

 

 ダルティスさんは自らの両手を見つめる。

 老い。人が逃れる事の出来ない宿命。

 いつまでも現役ではいられない事を、俺も理解している。そしてそれはダルティスさんも同じだった。彼は自らの老いと戦いながらも花火師を続けてきたのだ。

 

「これからは後進の育成に力を入れる。シンティラも一皮向けたとは言えまだまだだからな! わはははっ! さぁて、まだまだやる事はあるぞ! あの氷が壊れた時に新たな花火も思い浮かんだんだ。それの設計図も描かねばな! わははははっ、楽しみだ!」

 

 ダルティスさんは豪快に笑う。

 そこには新しい夢が見つかって笑顔が輝いていた。

 

 俺はそれを見てほっとした。

 彼の人生の目標が新たに見つかってよかったと安堵していた。

 

「ダルティスさん」

「あん? なんだ」

「ありがとうございました。貴方のおかげでスウェイを倒す事が出来ました。"ダルティス工房"の皆にも感謝を申し上げます」

「こっちこそ、街を守ってくれてありがとよ」

 

 俺達はお互いに笑い合い、グッと握手した。

 

 

 

<ガゥ……>

「あれジャママ。どうしたんだ? 君はアイリスちゃんと……」

 

 俺とダルティスさんが握手していると、そこへジャママが現れた。彼は工房近くの臭いが嫌で、少し離れた所でアイリスちゃんと待機していたはずだ。

 悔しげに唸るジャママ。

 そしていないアイリスちゃん。

 

 嫌な予感がした。

 ドクドクと心臓が鳴り、身体が冷えてくる。

 

 ドタッと倒れるジャママ。

 慌てて駆け寄り、抱き上げるとその首輪に付いていた氷で固定されたメモにはーー

 

『貴方の大切な彼女、攫わせて貰ったわよ? ねぇ、()()()()?』

 

 そう記されていた。



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晴れ渡る

 最初に感じたのは冷たい感触だった。

 アイリスは手足に感じる冷たさで目が()めた。

 

「う……ここは、そっか。わたし背後から攻撃されて気絶して……」

「あら、目覚めたのね」

 

 朧げに目を覚ますアイリスの目の前にいたのは漆黒の外套に身を包んだ甲高い女の声。

 遠目からしか見なかったがそれでもその声の持ち主が誰だか分かる。

 

「スウェイ・カ・センコ」

「えぇ、そうよ。くすくすくす、此方の名前は彼から聞いたのかしら」

「……あの時倒された風を装っていたのはワザとですか」

「そうよ、そう。でも、あそこまで追い詰められたのは初めてだったわ。まぁ、兵士達が押し寄せたお陰で彼がいなくなったから逃げる隙が出来たのだけれども。それにしても、その後街に潜伏していて気付いたわ。彼にとって大切な人なんでしょう? 貴方。だからこうして(さら)わせて貰ったわ。貴方のワンちゃんに偽物さんへの言伝を頼んで……ね」

 

 アイリスはアヤメがダルティスに礼を言いたいと言って工房に行くも、あの臭いをまた近くで嗅ぐのは嫌だと首を振るジャママと一緒に近くで待っていた。すると急に霧が出たと思ったら背後からの攻撃で気絶したのだ。

 何故スウェイがアイリスを確保したのか。その理由は簡単にわかる。

 

()()のつもりですか? 魔王軍の名に恥じぬ卑怯振りですね」

「あら人質なら貴方達も取るじゃない? 別に此方が初めてという訳ではないわ」

「けれども卑怯なのには変わりないのです。それに人質を取るという事は貴方が勝てないと認めているようなものじゃないですか」

「……言ってくれるわね」

 

 アイリスの表情には怯えはなかった。ここで怯えをみせたら向こうは必ずその隙をついてこようとする。だからそうさせない為にもアイリスは努めて恐怖の心を押し殺していた。

 ちらりと、話しながら周囲を確認する。

 周りの木々を操ろうにも距離が遠いし、そして何より目の前の相手がそんな隙を出来るのは思えなかった。きゅっとアイリスは唇を結ぶ。

 

 大丈夫、怖くない。

 人質というならすぐに殺される可能性は低い。

 今の自分に必要なのは時間稼ぎと情報を得る事。

 

 そう思い顔を上げるとすぐ近くにスウェイがいた。

 その時フードの奥から瞳が見えた。赤く、忌々しげに此方を見る瞳。

 思わず息を呑む。

 

 スウェイはスッとアイリスの髪に添えられた花に手を触れる。

 

「エルフの身につける花は親から与えられる自らの名の()()。そして咲き誇る花の美しさは、愛に比例する。これだけ綺麗に咲いているということはよっぽど愛されたのね……あぁ、嫉ましい」

 

 パキィッと頭の花が凍り、パラパラと砕け散る。

 親から貰った花をそのようにさせられ、アイリスはついカッとなった。

 

「何をするんですか!!」

「喧しいわ、キンキン騒ぐんじゃないわ。次はその生意気な喉でも凍らせてあげようかしら?」

「あぐっ」

 

 細いアイリスの首が掴まれる。

 ひんやりと冷たい手が僅かに力を込めて締められるも直ぐに離される。

 

「うっ、けほっ。けほっ」

「……。……冗談よ。喉を凍らせたら死んでしまうもの」

 

 アイリスは息を吸い、そしてスウェイを睨みつけた。

 

「こほっこほっ。……本当の目的は何ですか?」

「……ねぇ、貴方はどうして彼と一緒にいるのかしら?」

 質問を質問で返されるも意図が分からずアイリスは首をかしげる。

「どういうことですか?」

「何? もしかして知らないの? あはは、哀れね。いい事? 彼はかつて『勇者』と呼ばれ、そしてその名さえ嘘であり世界中の人を騙した言わば()()()なのよ!」

 

 スウェイは嬉々として語る。

 スウェイはアイリスがフォイルの正体を知らないと思っているのだ。

 

「貴方は彼に随分と入れ込んでるようだけどきっと彼は貴方を見捨てる。なぜならあれは偽物だもの。そうよ、そう。そんな奴が助けに来るはずなんてない。そうじゃなきゃいけないわ。そして貴方もそんな彼を許すはずがない。世界が彼の敵になったように! さぁ、さぁ。怯えなさい。泣きなさい。誰も助けてくれない中一人でーー」

「偽物じゃないです」

「何?」

「偽物じゃないと言ったのです。だってアヤメさん。いえ、フォイルさんは」

 

 アイリスの目を見るスウェイ。

 瞬間、一歩後ずさった。

 そこには怯えはなく、そして途轍もない信頼の色が見えた。

 

「なぜ、なぜそんな目で彼を信じられるの……っ!?」

 

 次の瞬間スウェイはバッと森の方を向いた。

 数少ない街の外に待機させておいた魔物が倒された音が聞こえたのだ。

 その事に驚くスウェイに対し、アイリスは動じずに言った。

 

「正真正銘の救世主(ヒーロー)ですから」

 

 アイリスの言葉と共にアヤメが二人の前に着地した。

 

 

 

 

 

 

 

 魔物を薙ぎ倒し、着地した俺はすぐさまアイリスちゃんとスウェイを視界に捉えた。

 スウェイはやっぱり生きていた。少しばかりスウェイの服装が破れているくらいで俺の予感は間違いではなかった。

 

 ぎりっと歯を食い縛る。もっとあそこで生死を確認しておくべきだった。

 そうなるとアイリスちゃんから離れたのは、俺の落ち度だ。

 

 俺は剣を構える。

 アイリスちゃんを救う。スウェイは倒す。もう油断はしない。

 そう決心する。

 

 ジャママは危ないからと一度置いてきた。着いてきたそうだったけど、説得した。

 魔物も、周囲にはもういない。

 後はスウェイを倒すだけだ。

 

「やぁ、また会ったね。悪いけどアイリスちゃんを返してもらうよ」

「っ。本当に来るだなんて、愚か、馬鹿ね」

「おや、折角誘いがあったから来たのに何故苦虫を噛み潰したような顔をしているんだい? 」

「減らず口をっ……! ……?(傷が治ってる? 何故? この後ろの娘の所為? 『治癒師』だったの? いえ、それは()()()()()())」

 

 何故か来た事に憤るスウェイは落ち着くように息を吐くといつもの人を小馬鹿にするような笑い方をした。

 

「ふふっ、でもそうね。確かにあのお手紙を送ったのは此方(こなた)なのだから来るのは当たり前だったわね」

「君が生きていたことに驚きはしないよ。あの時斬った感触がなかったからね」

「生憎と此方(こなた)はそう簡単には死なないわ。貴方こそ馬鹿なの? 貴方の周りにもう仲間はいない、あの時の勝利も他者からの協力によるもの。貴方一人で此方に勝てるつもりなのかしら? 」

「そうだね……正直言って、割と勝ち目が無いと思っている」

「あははっ! わかっていたのに此処に来たの? なんて愚か、馬鹿ね!」

「それでも! 俺を信じてくれる人がいるのなら俺は何度だって立ち向かうさ」

「アヤメさん……」

 

 アイリスちゃんが泣きそうな目で俺を見る。

 見れば、彼女の頭の花は無くなっていた。誰が何をしたか、一目でわかる。

 俺は怒りと憤りが沸くのを抑え、冷静にスウェイと対峙する。

 怒りは剣を鈍らせる。憤りは攻撃を雑にする。彼女を救う為に、俺は感情を押さえつけた(コントロールする)

 

「決着をつけよう。スウェイ・カ・センコ。俺は、俺の守りたい人の為にこの剣で君の(やぼう)を打ち砕く」

「っ! いちいち(しゃく)に触る……! ならばお望み通り全て氷尽くしてしまえ! 【幻夢氷霧波(ファンタズム・ホワイト・アウト)】」

 

 スウェイが叫ぶとともに猛烈な吹雪が俺を襲って来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けるとそこは白銀の世界だった。

 1メートルの先も見えないほどの真っ白な空間。先ほどまでの景色は何処にもない。周囲を見渡しても途方も無い、白、白、白。

 

 てっきり直接的な攻撃を使うと思っていただけに、このような視界を塞ぐ搦め手を使ってきた事に少なからず動揺する。

 

『ここに映るのは()()()()()。貴方はそれに抗えない』

 

 スウェイの言葉が辺りに響く。

 俺はすぐさま周囲を警戒する。

 しかしスウェイの姿はどこにも見えない。此処にはいないのか? だが先程までそんなに距離は離れていなかったはず。

 様々な思考を巡らせる俺だが、それよりも重大な事があった。

 

()()……ッ!」

 

 絶え間なく白い雪と冷気が俺の命を蝕んでいく。

 体の芯から冷える感覚。

 まるで凍ったかのようだ。いや、これは事実凍っているのかもしれない。服は吹雪による雪が付着し、薄氷が出来始めている。かじかんだ体は震え、うまく動かない。

 

 このままでは不味い。すぐさまスウェイを見つけ、倒さないと。

 だが周りは白い景色。方向も場所も当てはない。

 

 それでも動かなければ凍死だ。

 俺は歩き出すことにした。

 

 

 

 

 

 ヒュウゥゥゥゥと風の音が鳴り続ける。

 

 俺はその下で、ザブザブと雪によって悪い足下を歩く。

 しかし幾ら歩いても景色は変わらない。通ってきた足跡もすぐさま吹雪で搔き消える。

「……おかしい」

 スウェイとの距離はそんなに離れていなかったはずだ。

 なのに歩いても歩いても辿り着かない。

 いや、そもそも本当に俺は歩いているのか? 振り返ってみるも歩んだはずの足跡は吹雪によってすぐ辺り一面銀色に元に戻っていて確認できない。

 ならば、やはり進むしかない。

 けど一体いつまでだ……?

 

「やっぱりこれは幻術か? くそっ、風景に変化がない。襲ってくる幻覚ならともかくこれじゃ脱出の手掛かりがない」

 

 スウェイの魔法、幻術に関しては俺も多少知識もある。【黒の魔術師】や『水の魔法使い』なら、そういった類似する魔法があるからだ。

 そして、それに対処するのは難しい。幻術は精神に直接かけてくる為、予め防御の為に技能(・・・)を発動させるか、幻術を構成している物或いは者を倒さなければならない。

 俺は技能(スキル)がないから前者は無理だ。

 

 かといって後者もまた厳しい。スウェイの姿が見えないので倒すこともできない。

 

 視界は一面銀世界。

 変わらない風景に精神的にも疲労が出てくる。人は、変わらない風景を目にし続けると次第に五感が麻痺して、やがて心も停滞するらしい。

 しかも俺は吹雪という冷気が常に身体を襲ってくるから、既に身体中の感覚が麻痺してきている。

 

「はぁ……はぁ……ぐっ」

 

 やがて体温と体力が限界になった俺は膝をついた。ガチガチと歯が鳴る。

 寒い。さむい。サムイ。

 身体中から熱が無くなっていく。

 

「まだ……だ。……俺は……まだ、……アイリスちゃんを、たす…ける……」

 

 限界の身体でそれでも歩こうとして、俺はうつ伏せに倒れた。

 立ち上がろうとするも、出来ない。最早手足の感覚がなかった。

 

 それでも身体を動かして足掻こうとする。

 しかし、次第にそれもできなくなった。

 

 ヒュウゥゥゥと風は鳴り続ける。

 

 俺の上に雪が積もる。

 もう、身体が動かない。頭がボーとする。息も、しているのかわからない。

 

 俺は、このまま死ぬのか……? 何一つとしてやり遂げることも出来ずに。

 すると不意に頭に急に何かが流れてきた。

 

『へへ、ユーはよわっちぃな!』

「うぅ、また負けた……』

 

 木の棒片手に競い合って、ユウ相手に勝ち誇る幼い頃のフォイル()

 

 これは……俺の記憶か?

 その後も俺の記憶は流れる。

 

 ユウとメイちゃんと一緒に遊んでいた時のこと。

 あの俺が逃げ出した夜のこと。

 教会で称号を授かった時のこと。

 勇者として鍛錬を積んできたこと。

 

 その全てが俺の記憶だ。

 

 こんな時なのに、俺はユウとメイちゃんが一緒にいる記憶に笑みを浮かべていた。

 懐かしいな。あんな風にバカやったりもしたっけ。

 

 不意にまた場面が変わる。

 そこにいるのは、腰掛けた俺とグラディウスとメアリー。その対面に状況がわからないのか困惑しているユウ。

 一気に肝が冷えた。

 

「やめ……ろ」

『ユウ、お前をこのパーティから追放する』

「やめてくれ……!」

『わかってくれ、ユウ。この世界では職業が……称号が全てなんだ』

「やめーー」

『お前のような『名無し』と付き合ってられないんだよ、ユウ・プロターゴニスト』

 

 ユウの傷ついた表情が見えた。

 俺は愕然と、絶望が支配する。

 違う、俺はお前のためを思って。

 俺は、お前を傷つけたいとは思っていなくて。

 

 またも場面が変わった。

 そこは橋の上。居るのは俺とメイちゃん。

 

 メイちゃんは俺に向かって悲しげに涙を目に溜め、軽蔑を含んだ声で行った。

 

『嘘つき』

 

 その言葉と共に俺は心が砕けそうになった。

 

 

 

 

 

 

「はは、ははは……」

 

 乾いた笑いと涙が流れていく。涙もまた、吹雪によって瞬時に凍り散っていく。

 もはや立つ気力すらない。このまま雪に埋もれて消えてしまいたかった。

 

 すると、またも別の景色が映る。

 これ以上、まだあるのか……?

 だがそれは、明らかに別の情景と舌足らずな幼い声が俺の目に映った。

 

『まって、すてないで』

 

 一人の幼子が誰かに向けて手を伸ばしていた。

 酷く悲しい感情が俺の心に吹き込まれる。

 

 ……今のは……。

 そんな俺の前に人影が現れる。俯せで、もはや朧気な視線を向ける。誰か見ないでも分かる。スウェイだ。

 

『彼、『真の勇者』なんだってね。彼のせいで貴方は『偽物』なんてレッテルを貼られたのね』

「だから……なんだ……」

『別に? ただ貴方が哀れで憐れで仕方ないわ。幾ら努力しようとも決して貴方は偽物でしかない。それが憐れで仕方ないの』

 

 あぁ。そうだ。

 真の勇者はユウで、それは変わることのない事実で。

 

 俺はずっと見てきた。ユウとメイちゃんが一緒にいるのを遠くから。

 俺はずっと見てきた。ユウが次第に成長するのを。二人が仲良さげに一緒にいるのを。

 俺はずっと……

 

 

ーー俺の方が強い。なら俺の方が勇者に相応しい。

 いや、待て俺は何を考えている? ユウは幼馴染で親友だ。

ーーけど奴がいるから俺は勇者になれなかった。

 違う。そうじゃない。

ーーだが、それは事実だ。

 違う! 

 

 

 思考がバラける。気持ちがぐちゃぐちゃだ。

 何を考えて、いやそもそも俺は考えているのか?

 スウェイに思考を誘導されているんじゃ。

 だが、この気持ちが嘘だとは。

 いや。

 だが。

 それでも。

 

 いつの日か、夢を語る俺がそこにいた。

 

『ふっ、それは勿論目指すは勇者だ!』

 神託のあの日、そう胸を張る幼い俺。

 

 勇者。

 あぁ、そう勇者だ。

 俺が目指して、俺が努力してた、俺の夢。

 

 だけども、俺は『偽りの勇者』、決して本物にはなれない紛い物(フォイル)

 俺は決して(まこと)にはなれない。俺の全ては『真の勇者(ユウ)』を生み出すための物。

 誰からも顧みられず、誰からも望まれず、誰からも認められない。

 

 それが俺の人生。

 これが俺の役割(さだめ)

 

 何か、どろりとした感情が俺の心に沸き起こる。それは汚泥のように俺に纏わりつき、蝕もうとする。

 だめだ、だめだ。

 この感情に飲まれたらもう這い上がれなくなる。

 大切な何かが、折れて無くなってしまう。

 

 だけど、どうしてか惹かれる。

 心のどこかでそれを受け入れようとする俺がいる。

 だめだ、ダメだ。

 これを受け入れたら俺はーー

 

『そう貴方は本物にはなれなかった。憐れで、悲しくて仕方ない人。だったらーー殺せば良いのよ』

 

 そんな俺の背を後押しするように。

 甘い毒が耳元で(ささ)いた。

 

『勇者の称号は一人だけ。ならば彼を殺せば貴方は唯一の勇者となれる。貴方こそが勇者になれる』

「そう……なのか?」

『えぇ、そうよ』

「そうか……そうだね」

『くすくす、分かったのならば剣を持ちなさい。そしてその命を奪うの。貴方だって彼が憎い(・・)でしょう?」

「ーー憎い(・・)?」

 

 その言葉にスウェイは頷く。

 

『えぇ、そうよ。彼がいたから貴女は本物になれなかった。それが憎い以外何があるのかしら? だから剣を取りなさい。そしてその切っ先で勇者を殺すの。そうすれば本当に意味で貴方こそが勇者になれるのだから!』

 

 何処か芸者の如く語るスウェイ。

 スラリと俺の剣を抜き、目の前に突き刺す。

 

『さぁ、その剣を持って成りかわるのよ。貴方が本物になるために!』

「……あぁ、そうだね」

 

 剣を握る。

 立ち上がる。

 それをみて嗤うスウェイ。

 

 その言葉に俺はきっぱりと告げた。

 

 

 

 

 

断る(・・)

 

 簡潔に告げた、完全な拒絶。

 

 初めて囁く声が困惑に揺らぐのを感じた。

 

『何故? 何故? 貴方は彼が憎くないの?』

「悪いね、俺はユウを憎んだことは一度もない」

 

 そうだ。俺はユウを憎んだことはない。

 自らの称号を嘆いたことはあった。境遇を悲観したこともあった。

 

 俺が救えない(・・・・)人々を救える(・・・)であろうユウを羨むこともあった。

 

 だが、それだけだ。俺は一度たりともユウを憎んだことなんてない。

 

 夢だったんだ。

 人を救う『勇者』になりたいって。

 

 確かに俺は『勇者』にはなれなかった。

 なることは出来なかった。

 

 それは事実だろう。

 

 

 俺は周りが敵だらけで、信じてくれる人が居なくてもそれでもなお、戦い続けた。

 

 何故なら夢だったんだ。

 勇者みたいになりたいって。その為には剣を取った。間違って二人を傷つける為にじゃない。

 そうだ、あの時から俺が戦い続けたのは決して自暴自棄なんかじゃない。俺自身が、みっともなくとも、カッコ悪くても、誰からも求められていなくても、そうしたかったから戦い続けたんだ。

 

 俺が戦ったのは誰かを救いたいという想いと勇者になりたいという憧憬。

 そして何よりも二人が大切だという至極簡単な結論だった。

 

 そうだ。俺は二人が大切だ。

 勇者を目指したのだって世界を救う前に二人を守りたかったからだ。

 

 だからその想いは偽り(・・)なんかじゃない。

 この想いは(ほんとう)だ。

 

 誰にも、この想いは否定させなんてしない!!

 これは俺自身が決めたことだ!!

 

「それにアイツは今も世界を救う為に戦っている。ならさ、親友の俺が折れる訳にはいかないだろ?」

 

 軽くウィンクする。

 胸を張って言える親友が今なお世界を救うために戦っているのだ。そんな中、勝手に折れて勝手に逆恨みするだなんて。

 かっこ悪いし、したくない。

 

『そんな……ありえないっ! わからないっ! 理解できないわ!』

「別に理解してもらえなくても構わないさ。スウェイ、アンタの相手が俺で良かったよ。ユウが相手だとあの泣き虫、俺への後悔であんたの甘言に乗ってしまったかもしれない。ま、メイちゃんが側にいるなら大丈夫だとは思うけどな」

『くっ、偽物風情が』

「偽物? いいや違うね」

 

 いつのまにか吹雪は止んでいた。

 冷えたはずの体が温かい。心もだ。

 

 もう迷いはない。

 こんな俺に、勇者ではなくなった俺に手を差し伸べてくれた女の子がいた。

 その子の為にも俺は負けられない。

 

 そう、道はすでに見えた。

 ならば、胸を張って言おう。

 

「俺は救世主(ヒーロー)だ」

 

 (よどみ)みなく、清々(すがすが)しい気持ちで俺は剣を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺が斬ったのはどうやらスウェイ本人だったらしい。悲鳴をあげ、スウェイは地面へと倒れ込んだ。

 

 スウェイが倒れた事で白一色だった視界も晴れる。

 再び元に戻る暗い夜の森。積もったはずの雪もどこにもない。

 

 どうやら俺はあの場から一歩も動いていなかったらしい。

 そうなるとやはりあれは幻覚だったのだ。

 

 視界が晴れると同時にアイリスちゃんを拘束していた氷も砕け、すぐさま俺の胸にアイリスちゃんが飛び込んでくる。

 

「アヤメさん!」

「ゴメンねアイリスちゃん、心配をかけた」

「本当ですっ……! 途中で倒れて、スウェイが近づいて、あのまま、氷漬けになって死んじゃうかと……! 良かった、心臓が動いてる……。生き、てる……!」

「……うん、俺は生きてるよ」

 

 痛い程抱きしめ俺の心臓の音を聴くアイリスちゃんの頭を撫でる。彼女はより、背中に手を回し強く抱きついた。

 

 アイリスちゃんには心配をかけちゃった。

 でも、俺はもう大丈夫だ。

 より抱きついてくるアイリスちゃんを俺もまたより強く抱きしめた。

 

「く……ぁ……」

 

 うめき声。

 アイリスちゃんの胸に抱きながら俺は剣を構える。スウェイは未だに生きていた。斬った時にフードが破け、スウェイの正体が露わになっている。

 するとアイリスちゃんは何やらスウェイの正体に驚いていた。

 

「あれは……まさか()()()()()()?」

()()()()()()?」

 アイリスちゃんが驚いたように目を見開く。聞き慣れない言葉だった。

「アイリスちゃん、エルフって事は君と同じ種族なんだよね。何が知っているのかい?」

「それは……」

「頼む、()()()()()()()()()()()()()()

 アイリスちゃんは俺の言葉に、少し考え込むような動作をしつつも、言葉を紡ぎ始めた。

 

「アヤメさんは知っていますよね? わたしたちエルフは『魔法使い』のように体内のマナを消費せずとも、周囲のオドを利用し、精霊に呼びかけることで人間でいう火・土・風・水の4元素を操ることができます。わたしたちエルフには、()()()()()()()()()()。『称号』も、与えられることはありません。でも、『職業(ジョブ)』がなくても、先程行った魔法は扱えるのです。それを私たちは精霊魔法とも言いますけど、他にもアヤメさんに見せた植物を操るのもエルフの固有の能力です。とにかく、我々エルフと精霊は切っても切れない関係なのです。それで、その……」

 

 アイリスちゃんは言いづらそうに、憐憫(れいびん)と複雑な色を瞳に浮かべながら言った。

 

「ダークエルフとは、わたし達の中ではタブーとされた生まれながらに()()()()()()()()()()です」



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雪解け

スウェイ視点です


 寒い。

 冷たい。

 痛い。

 苦しい。

 

 様々な苦痛が100年振りに此方(こなた)を襲ってくる。

 斬られた所を凍らせたけれども痛みは消えない。いや、それ以上に心の方が混乱して、痛い。

 

 何であの男は此方(こなた)の技を打ち破れたの?

 勇者が憎いんじゃなかったの?

 なんで?

 なんで?

 どうして『真の勇者』について語る時あんなに嬉しそうに、誇らしげにしていたの?

 わかんない。

 わからない。

 

 あぁ、思考が定まらない。ぐちゃぐちゃ。めちゃくちゃ。なんでうまくいかないの。なんで? 此方と一緒じゃなかったの? なんで? いつもこんなんばっかり。わからない。どうして? わかんない。嫌だ。わかんない。

 

 定まらない思考。

 錯乱する心。

 そんな中、此方(こなた)の前には200年前のあの日のことが目の前に浮かんできた。

 

 

ーー貴様は出来損ないだ。まさか精霊を操ることができぬとは。

 

 蔑んだ目で父親が見る。

 

ーー穢らわしい。どうして、私の娘がこんな。

 

 母は忌々しげに自分を睨んだ。

 

ーー瘴気に汚染されて居るとは。我らエルフの恥さらしめ。

 

 同族であるはずのエルフ達は目の敵のようにこちらを睨んだ。

 

ーーお前は

ーー貴方は

ーー貴様は

 

 父が母が姉が皆が皆口を揃えてこう言う。

 

ーー生まれるべきではなかった

 

 じゃりっと砂を噛み締めながらも這いずる。

 

「まだ……よ」

此方(こなた)を認めて』

「まだ……此方(こなた)は負けてない」

『もっと頑張るから』

「負けたら……すべてなくなる。いなくなる。努力する。頑張るから」

『だから』

「だから……だからぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

『「…………おいてかないでぇ」』

 

 

 

 

 

 

 

 ザッと近付く音がなる。

 此方(こなた)はもはや諦めたような顔で見上げる。

 案の定、剣を片手に男は立っていた。

 あぁ、本当に忌々しい。

 目の前に立つのは燃えるような赤い髪に、強い意志を携えた赤い目。こんな時なのに、諦めを知らないその瞳が、どうしてかとても羨ましくみえた。

 

「アイリスちゃんから聞いたよ、君はエルフの中でもダークエルフと呼ばれる者であると」

「だから何……笑いに来たの?」

「いいや。ダークエルフはエルフが使えるはずの精霊魔法も使えない存在と聞いた。それは事実だろうか?」

「そうよ…… 此方(こなた)は精霊魔法は使えなかった。だからこそ、此方(こなた)は追い出された」

「だが君は氷を扱える。それは魔王に与えられた力か?」

「はっ、違うわよ。これは此方(こなた)が自らが編み出した力。魔王から与えられたものなんてない」

 

 捨てられたあの日。

 血の滲むような努力の果てに此方は氷を生み出した。この世界では、魔法を人間は【職業(ジョブ)】だなんてよく分からない力で、技能(スキル)を得て初めて行使出来るようになるけどエルフならば関係ない。

 エルフは先天的に精霊魔法を扱える。

 此方(こなた)はそれを扱えなかった。精霊からは全く受け付けられなかった。だけどエルフ特有の膨大な魔力ならある。

 

 だからこそ、その魔力を鍛え、扱き、圧し、変質させた。血の滲むような努力と願い、想い。それらが此方の魔力を具現化させ、全てを凍らせる氷を発現させた。

 元々氷を生み出そうと思っていたわけではない。だけど、氷であったということはあの日、此方(こなた)の心が凍ってしまったからだというのはわかった。魔法は、その人の心象によって幾らでも変化するのだから。

 

 こうして、此方(こなた)は普通のエルフなら不可能な氷という魔法を扱えるに至った。

 

「そうか……ならなんで魔王軍に?」

「それを貴方に必要があるの?」

「……いや、ない。けど、知りたいんだ」

「知りたい……?」

 

 変な奴だと思った。

 敵である此方(こなた)のことを知りたいだなんて。

 同時にバカな奴とも思った。

 

「良いわ。なら教えてあげる。此方はねぇ……全てを壊したかったのよ! 人の営みも、自然も、世界も、全てねぇ! 魔王軍に入ったのはそこの幹部(・・)にスカウトされたからよ。世界の全てを破壊しようって。此方(こなた)はその手を取った。それが全てよ!」

 

 捨てられたあの日。此方(こなた)は理解した。

 この世は不条理だと。世界は不公平だと。

 誰もが語る優しい世界だなんて存在しない。

 

 だったら此方(こなた)も奪う側に立ってやろうと思った。この世では強さこそが正しい。強くなければ、何も得られない。

 

 そう、だからこそ。

 親子の情も。

 仲間の絆も。

 人々の平穏も。

 

 何もかも、いらない! 知らない! 必要なんてない!

 だから奪う!

 そんなものが存在するだなんて認めない! 認めたくない!

 

 だって、それを認めたら此方(こなた)はーー

 

「軽蔑した? 侮蔑した? 怒った? 義憤にでも駆られたかしら? なら、その剣で此方を殺しなさい。どうせ、貴方も同じよ。誰も此方(こなた)のことをわからないんだから」

「いいや。俺はアンタを賞賛するよ。素直にすごいと思った。理由も、過程もどうあれ。あれだけの魔法を扱えるまでに()()した君を」

「ーーえ?」

 

 男の口から語られた言葉に。

 此方(こなた)はポカンと口を開いた。

 

「アヤメさん!? 相手は魔王軍ですよ!?」

「そうだ。だけど努力だけは人も魔族も関係なく、賞賛に値する。何故ならそれはその人の人生の証だからだ。俺は努力した人を馬鹿にすることはできない。それがたとえ、誰であろうと」

 

 それは自分が最も欲しかった言葉。

 掛け値ない、()()()()()()()()()()()

 

 だが自分には喜びよりも困惑が先に来た。

 

「何よそれ……今更認めた認めないなど関係ないわ。此方と貴方は敵同士。どの道、殺しあうしかない間柄よ」

「あぁ、そうだ。君は魔王軍八戦将『氷霧』のスウェイ・カ・センコだ」

「えぇ。だからこそ、たとえ認めようとも此方(こなた)と貴方は分かり合えないわ」

「そうだ。敵同士であるからだ。だからこそ、そこで提案だ。魔王軍から抜け出す気はないか?」

「は?」

「アヤメさん!?」

 

 信じられないという調子で叫ぶエルフの声に、目の前の男は振り返ることなくじっと此方を見つめる。

 

「俺は君を助けたいんだ」

「助けっ……!?」

 

 かっと頭に血がのぼる。

 何をっ、と言いたかった。

 馬鹿じゃないのっ、と叫びたかった。

 

「言ったでしょう! 此方は魔王軍が八戦将『氷霧(ひょうむ)』よ! 人も沢山殺したわ! 助ける理由なんてないわ! 頭おかしいんじゃないの!?」

「いいや。俺は救世主(ヒーロー)だから、助けを求める人を見捨てられないんだ」

「はっ、此方(こなた)は助けなど求めていないわ」

「いいや。確かに聞こえたさ」

 

 男はじっとこちらを見てくる。その目には敵意なんて欠片もない。こんな目、此方(こなた)は知らない。見たことない。

 

 なんなの。

 一体何なの!?

 何でそんな目で此方を見るの!?

 今まで向けられた軽蔑とも憎しみとも違う瞳。わかんないわかんないわかんない! 

 

「それにね、君は人を殺したと言っているが俺だってそうさ。俺は人々を騙し、希望を奪った」

 

 グッと目の前の男は自らの心臓がある辺りを抑えた。

 その表情は苦しげで、痛そうで、それでいて哀しげだった。

 

「気にするなとは言えない。命を奪うのは等しく悪だから。その十字架は一生背負う必要がある。けれども、それでも。君は本当の意味で魔王軍側に染まっていない。ギリギリで踏み止まっていた。確かに君は確かに街は落とそうとした。だけど、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ドクンと心臓が跳ねた。

 なんで、と言葉が喉まで出かかった。そんなそぶり見せてないはずなのに。

 

「初めに使った大技。街の一角を全て凍らせるほどの力でありながら、誰一人として氷になった人はいなかった。建物は全て凍っていたのに」

「それ、は。そう、逃げ惑い絶望する人間を見たかっただけで」

「その後もそうだ。君は連れてきた魔族に兵士の邪魔をするように命じたけど、市民には誰一人手を出させようとはせず、子どもを食べようとした魔族を凍らせた。あれはもしかしなくても助けたんだよね?」

「違う、勝手な行動をした魔族を処罰しただけよ!」

「氷の巨人の時も、壊したのは建物だけ。人的被害はどこにも出ていない。……ちぐはぐなんだよ、君は。全てが妬む、嫉むと言いながら何度もチャンスを与えたりどこか期待している(ふし)も見られた。建物は壊すのに、人は狙わなかった。精々が力を見せつけて、勝てないと分からせた上で逃した。そう、君は(ねた)ましかったんじゃない。君はーー」

「やめろ! それ以上……それ以外何も言うなっ……!」

 

 いやいやと首を振り、拒絶するも男は止めなかった。

 

(うらや)ましかったんだろう?」

 

 ピシリと(こころ)にヒビが入る。

 

「幸せに暮らす人々が、自分では手に入らなかった光景が羨ましかった」

「……違う」

「誰からも認められず、孤立している中、温かなそんな世界にいる人々が羨ましかった」

「……ちがう! ちがっ、ちがう!!」

「人々をわざと親子連れを狙ったのは、親子愛など存在しないと確かめ、それで自分を慰めるため」

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 此方はちがう! 此方は一人でも生きていける!! その為の力だってある!! 何も知らないくせに知ったような口を開くなぁ!」

 

 嫌々と首を振って魔法を放とうとする手を、男は掴む。

 揺れる此方(こなた)の瞳とは違う、じっとこちらを見据える強い意志を携える赤い瞳。

 

「何も知らない。そう、だからこそ俺は君を知らなきゃいけない」

「なに、を……」

「冷たい氷だ。まるで全てを拒絶するように。だけど俺にはわかった。その奥にある想いを」

「だめよ……だめ。やめて……言わ、ないで……」

 それを口にされたら自分はもう保てなくなる。

 ◼︎◼︎◼︎◼︎がスウェイでいられなくなる。

 

 だけど男は口を開き

 

「君はただーー()()()()()()()()()()()

 パキンと(こころ)が割れた。

 

「ふっ……ぐ、あ、あぁぁぁ」

 

 もうだめだった。

 一度溶け出した氷はもう元には戻らない。

 此方(こなた)はグズグズと力なくへたり込み、溢れ出る涙を手で受け止めることなく、何度も地面を力なく叩きつける。

 

「すてないでっ、ほしかった」

「そうか」

「いっしょにいてくれるだけでよかったのに。ままも、ぱぱも、みんなみんないなくなっちゃった」

「……うん」 

「こなたが、ふつうのエルフにうまれたらすてないでくれた? おいてかないでくれた? わかんない、わかんないよぉ。なんで、かってにいなくなったの? なんで、わかんないよぉ。どうして、どうしてぇ…… だれもいなくて、だれもこたえてくれない。みんな、言ってた。こなたはできそこないだって。だからつよくないといけないとおもってどりょくしたのに。つよくなってもだれもいなくて。こなたよりよわいのにしあわせそうなひとがいて、つらくて、うらやましくて、すべてこおっちゃえばいいっておもって……」

 

 どうして自分には当たり前の愛がないのか。

 そのことがずっと此方(こなた)の心を(むしば)んでいた。

 

 だからこそ、普通の家庭の幸せを持っている人が羨ましくて、妬ましくて仕方なかった。

 自分がその普通の幸せを持てないから。知らないから。

 惨めなのがわかってしまうからこそ、妬ましくて嫉ましくて……どうしようもなく悲しかった。

 

 だから八つ当たりした。

 その幸せを壊してやろうと思った。

 だけどもその度にそれ以上に虚しくて悲しくなった。あの街で親子の再会を見た時にそれはもっと強くなった。当たり前の親子の愛情が羨ましくてしかたなかった。

 

 本当はわかっていた。

 こんな事しても何の意味もない。

 自分の孤独が癒えることもないって。

 わかっていて、そうするしかなかった。そうじゃないと、もう自分を保てなかった。

 

 魔王軍の目的なんてどうでも良い。

 八つ当たりなだけで人を傷つけるのも別に好きじゃない。

 だけど、そうじゃないと誰も此方を見てくれない。

 仮初めの居場所として入った場所だけれど、それでもまた孤独に戻るのは嫌だった。一人は嫌だった。

 

 だけど結局強くなろうと、魔王軍にいようと何も変わらなかった。

 向こうもまた此方(こなた)の力を利用するだけで、此方(こなた)を見てくれなかった。

 

「いやだよぉ……もうひとりはいやだよぉ……」

「そうだね、一人は寂しくて苦しくて辛い。誰には理解してもらえない痛みはよくわかる。だけど、これからは俺が居る。楽しい思い出をたくさん作ろう。美味しいものもいっぱい食べよう。過去の罪は消えない。だから、君が傷つけた人々を超える人々を救おう」

「ひっく……、救う? そんなの本当に此方(こなた)でもなれる……?」

「なれるさ、俺もたった一人の信じてくれる女の子の言葉で救われた。だから俺が君を信じよう。ーーもう君はひとりぼっちじゃないよ」

「ふ、ふあぁぁぁぁ。うわぁぁぁぁぁぁぁん」

 

 この日、初めて嫉妬の魔女と言われた此方の心の氷が解けた。

 

 

 

 

 

 

 俺は泣き疲れて俺の膝で眠ってしまったスウェイの頭を優しく撫でる。

 そんな横で、アイリスちゃんは屈んで俺の方を見ていた。

 

「アヤメさん、どうしてスウェイに手を伸ばしたのですか? それに、何やら彼女の過去についても知ってそうな感じですだけど……」

「あぁ。彼女の放った【幻夢(ファンタズム・)氷霧(ホワイト・)(アウト)】。俺はその中で様々な記憶を見た。あれは確かに俺の過去の記憶もあったけど、同時に少しだけ彼女の記憶も紛れてきたんだ。それを彼女を過去と言っていたけど、どちらかと言うとやっぱり幻術に近いかな。人に見せるタイプの。そして多分、無意識に自らの記憶も混じっちゃったんだろうね」

 

 別に俺は彼女の全ての記憶が見れた訳ではない。

 だがそれでも哀しい、寂しいという感情は痛い程伝わった。

 涙を流したまま眠る様子はあどけない。普通の女性だ。

 

 きっと今まで一度もあの想いを口にした事はないのだろう。

 強い子だ。けれども悲しい子だ。

 

「世間から見て魔王軍は悪です。それを助けようだなんて()()のすることではないのです」

「確かに()()ではないだろうね。でも、今の俺は救世主(ヒーロー)だから」

 

 助けを求める声が聞こえた。

 幼い子どもの声が。

 そんな声が聞こえたら、俺は助けられずにはいられなかった。

 

「助けを求める人がいた。なら救世主(ヒーロー)が助ける理由なんてそれだけで良いじゃないか。……とは言え、彼女は人類の敵である魔王軍の幹部だ。今ならば容易く殺せる。人類にとってもその方が良いのだろう」

 

 チャキっと剣を持つ。

 今無防備なスウェイの首を斬る事は簡単だ。

 その方が正しいのも理解している。

 

「だけど……俺には出来ない。スウェイの過去を、あんな寂しげで悲しい慟哭(どうこく)を聴いてしまったから。わかっているさ。俺の方が間違っているって。それでも俺は、彼女を助けたくなった。辛い過去に、心を閉ざした彼女を救いたいと思ってしまった。こんな甘いことを言っている俺に幻滅したかい?」

「……いいえ、アヤメさんらしいと思うのです」

 

 アイリスちゃんはいつものように笑いながら俺の側にいた。

 純粋に俺を信じてくれること。

 それがどれだけ嬉しくて、俺の支えになっているのかこの娘は分かっているだろうか。

 

「あれ?」

 急にふらりと体勢を崩す。

 慌ててぽすんとアイリスちゃんの胸に頭が当たった。

「アヤメさん!?」

「ははは。ずっと休む暇がなくて……さすがにげんか……い……」

 

 朝から続く激闘に俺の体力はとっくに尽きていた。寒さのせいか、体力の消耗も激しかった。

 (まぶた)が重くなる。眠くなる。それに抗うことはできなかった。

 

「お疲れ様です、わたしの勇者様」

 

 眠る前にアイリスちゃんの(ねぎら)う声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 遠くでは花火が上がる。

 人々がその下で、祭りを謳歌する。楽しげな声が聴こえてくる。

 

 その遠く離れた場所。

 花火の照らされない森の中で、本当の意味で戦いは終わった。





 勇者と救世主の違いとは一体何か。
 それは例え敵であろうと手を差し伸べられるかではないでしょうか。

 ユウに甘さを捨てろと言いつつも自らも甘さを捨てられない。そんなフォイルです。
 勿論スウェイによって被害にあった人はいます。死ななくとも家を失った人もいます。今回の街の被害も含め、その罪も決して消えません。ただそれでもほんの少し救いがあってもよいのではないでしょうか。勿論その後に、自らの罪と向き合いましょう。

 様々な意見があるでしょうが、彼は彼女を救う道を選びました。もし仮にスウェイが別の魔法を使った時は彼女の過去を知ることなく、フォイルはスウェイの首を刎ねました。
 正に紙一重です。

一先ず、第2章はこれにて終了。
 次回、真の勇者の物語《雷鳴轟く『迅雷』の脅威。》
 ユウ視点での話になります。


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真の勇者の物語《雷鳴轟く『迅雷』の脅威》
とある勇者の追憶


今回からユウ視点での話となります
大体一週間ほどで終わります


 昔から英雄譚が好きだった。

 

 人々を脅かす魔獣を倒す冒険者。

 幾多の戦争を駆け抜ける伝説の騎士。

 海の上で巨大な魔物と戦う海の戦士。

 

 旅の途中に、彼らの周りには仲間が集っていく。

 困難な道、強い強敵、巨大な悪。

 それら相手に様々な英雄達が仲間と共に力を合わせ倒していく。

 

 それを見るたびに心がときめいた。

 すごいすごいと何度も口に出していた。

 

 

 その中でも勇者に憧れていた。

 弱い人を守り、悪党を退治し、国を救う。正に理想のヒーローだ。

 

 

 ぼくもそんな人になりたいと思っていた。

 

 

 だけどぼくは臆病だった。喧嘩も好きじゃないし、力も弱い。そして何より泣き虫だった。そんなぼくがなれるはずがない。

 

 それにぼくは勇者に相応しい人を知っていた。

 

 

 フォイルくん。

 ぼくの幼馴染で、そして何より憧れの人。

 

 

 彼は誰よりも勇気があって、それでいて優しかった。

 

 だから彼が『勇者』だと知った時はやっぱりの気持ちが強かった。

 

ーーやっぱり彼は英雄なんだ!!

 

 ぼくはそう信じていた。

 勿論勇者になれなかった事に対して悔しさもあったけど、それ以上に彼が勇者だと知って納得の気持ちの方が強かった。

 

 

 ……その後ぼくが『名無し』だと判明した時の事はよく覚えていない。

 その場から逃げ出して、泣いて、泣いて、泣いた記憶しかない。三人で作った秘密基地で、一人泣き続けた。

 もしメイちゃんが追ってくれなかったら僕はずっとそのまま泣いていたままだっただろう。

 

 メイちゃんはぼくが『名無し』でも、ユウくんはユウくんと言ってくれた。お父さんもお母さんは、ぼくが『名無し』と聞いて驚いたけど受け入れてくれた。

 そのことはとても嬉しかった。

 それからフォイルくんに会いに行こうと言うメイちゃんに対してぼくは渋った。

 

 彼に蔑んだ目で見られると思うと怖かった。彼に見切られるのが怖かった。

 メイちゃんは大丈夫だって励ましてくれたけど、臆病なぼくは勇気がなかった。無理やり連れて行かれなかったら多分彼が村を出るまで会わなかったと思う。

 

 だけどそんなぼくの心配は杞憂だった。

 

 フォイルくんは態度を変えなかった。

 大切な幼馴染だって言ってくれた。

 ……嬉しかった。そしてまた泣いちゃった。あはは……

 

 その後フォイルくんに一緒に来て欲しいと言われた時、ぼくは彼の役に立ちたいと思った。どんなことでもしても彼についていきたいと。

 

 そう誓ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから10年。

 ()は青年になった。

 身体つきも立派になったし、顔立ちも大人っぽくなった。泣き虫なのはあんまり治らなかったけど……。

 対照的にフォイルくんは勇者に相応しい貫禄になっていた。剣の腕もすごくなっていた。誰がどう見ても立派な勇者だった。

 

 僕はまだ剣を振っている。

 殆どが一人で修行しているだけだけど、フォイルくんや騎士団の人が稽古をつけてくれたりもしたけど技能(スキル)もない僕には着いていくだけで精一杯だった。

 

 だけど僕は諦めなかった。

 だって、諦めたらもうあの背に追いつけない。届かない。

 そんなのは嫌だった。

 

 だから努力した。グラディウスさんからは無駄な努力と言われ、メアリーさんからは無様と罵られたけれど、それでも剣を振り続けた。

 そして何より、周囲をよく見て考えるように頑張った。

 僕には技能(スキル)がない。だからこそ、考えるのをやめなかった。

 

 

 これまでで最大の敵が現れた。『爆風』の呼ばれる魔王軍の幹部。奴は民を人質に都市に立て籠もっているらしい。フォイルくんは民に被害を出したくないらしい。それは僕も同じだった。無関係な人々が傷つくのは見たくないし、許せない。

 そこで僕は一つの作戦を立てた。だけどその為には全員の力を借りることが必要不可欠だった。

 僕が語った作戦を、彼は信じてくれた。不満そうなグラディウスさんとメアリーさんを説得してくれた。

 それがどれだけ嬉しかったか、フォイルくんは知っているんだろうか? いや、きっと知らないだろう。

 彼はいつだって僕の前に居て、僕を導いてくれる。

 

 そして遂に『爆風』を倒せた時、僕はこれ以上ないくらい嬉しかった。

 フォイルくんの役に立てたことが嬉しかったんだ。

 きっとこのまま行けば魔王軍も倒すことが出来る。そう信じていた。

 

 

 

 

 

 

 ……そんな彼から僕は追放された。

 役立たずは必要ないって。『名無し』であるからと、僕は彼に冷徹な目で告げられた。

 

 あの時はもう茫然自失で、勢いで宿を出た。

 何処をどう歩いたのか。全く覚えていなかった。

 

 気付いたら、街の外に出ていた。

 

 街道を出て、森の中で一心不乱に剣を振った。

 目に付く木々や草を刈っていった。八つ当たりだった。自暴自棄だった。

 

 ふと気付けば魔獣が集まっていた。

 魔獣達は、一人の僕を容易く食べられると踏んだのか周囲を囲んでいたんだ。

 

「アァァァアァァァァァァッッ!!」

 

 叫んだ。

 今のぐちゃぐちゃなった心は少しでも発散して、落ち着かせる為に僕は叫び続けた。

 

 僕は思い切り剣を振った。

 魔獣は胴体が真っ二つになり、血と臓物が辺りに広がる。僕自身にも血がかかった。

 

 魔獣はそれでもまだ襲って来る。僕は次第に押されていく。足を噛みつかれ、肩を爪で引っ掛かれる。

 その度に激痛が走る。

 だがそれ以上に実感したことがあった。

 

 僕は弱い。

 弱い!

 弱い!!

 

 弱いから僕は彼に見切られた。

 そんなことはわかっていた。そんなことは知っていた。

 僕は技能(スキル)のない、『名無し』だ。何者にもなれない、ただの()()()()だ。

 

 弱い自分が嫌だ。悔しかった。

 その為には戦わなければならない。そうだ。戦うんだ。

 もう、逃げてはいられない。

 

 

 そう、僕は()()()()()。戦いから逃げていたんだ。フォイルくんが勇者だから、強いから、心の何処かで彼がいれば何とでもなると思っていた。おいて行かれないようにするだけで、追いつこうとはしなかった。そんな思いを抱きながら振った剣になんて心がこもるはずがない。

 そんな事に僕は今まで気付かなかった。

 馬鹿だ。僕は大馬鹿だ。

 

 

 グラディウスさんとメアリーさんの言っていた事は事実だった。

 僕は、いつしか本気(・・)で強くなろうとする事をしなくなっていた。

 そんな僕を、きっとフォイルくんは見抜いたんだ。

 

 

 だからもう逃げない。逃げたくない。

 此処で逃げたらそれこそ僕は本当に臆病者になる。彼ともう一度会う権利が無くなってしまう。

 

 

 

 僕はそんな不安を振り払うように魔獣の群れと戦い続けた。

 

 

 

 気付けば周囲は魔獣の死骸によって埋め尽くされていた。血溜まりが周囲に広がる中、その中心で僕は満身創痍になっていた。全身傷だらけで、無茶苦茶に斬った剣は凹凸が出来、血と脂で濡れたぎっていた。

 立つこともままならないから、剣の柄を支えに息を整えていた。汗は止まらず、足は震えていた。

 

 そんな時ガサリと、音が鳴った。

 ズシンと振動した。

 

 現れたのはあの日、幼い頃に見た魔獣と似たような魔獣だった。それも比べ物にならないくらい凄い大きな。

 血の臭いに誘われたのか、魔獣は大きな口を開けて獰猛な目で僕を見ていた。

 

 トラウマが蘇る。

 ガクガクと疲れではない、恐怖で足が竦む。震える。

 

 だけどダメだ。僕は逃げない。

 そう誓ったんだ。

 

 魔獣が走る。大きな口で僕を喰らおうとする。

 僕の反応出来ない速度でその牙が突き立てられそうになった時ーー

 

「【マナを(かて)に、目の前に立ちはだかる障害を打ち砕き給え、放出水破砲(ウォーター・ピストル)】」

 

 突然隣から凄まじい勢いの水が魔獣を蹴散らした。

 この魔法が誰なのか、わからないはずがなかった。

 

 現れたのはやっぱりメイちゃんだった。

 今の僕では倒せないであろう魔獣を、メイちゃんはいとも簡単に倒した。

 

 そう。一撃でだ。あまりにも歴然とした差だ。

 技能(スキル)の有無はこれほどまでに差をつける。それが、すごく悔しかった。

 

 メイちゃんがこっち来る。その目は心配と焦りが浮かんでいた。きっと血塗れの僕を見て驚いているんだろう。

 来てくれたんだという安堵があった。

 だけど、それ以上に悔しかった。不甲斐なかった。あのまま戦っても勝てないとわかっているからこそ、そこまで強くなろうとしなかった自分に腹が立った。

 

 

 僕は、あの魔獣に木の棒片手に挑んで負けた日から何にも変わっていなかったんだ。

 

 

「ユウくん、大丈夫!? こんな、傷だらけじゃないっ。今治療薬を出すから」

「メイ……ちゃん……僕は、僕は」

「喋っちゃダメだよ。ほら、これを飲んーー」

「僕はっ……う、ぐ……強くなりたい!」

 

 流れる涙と嗚咽を隠そうとせず、僕はそう告げた。

 『名無し』だから技能(スキル)がないからだなんて、何の免罪符にもならない。大切なのは強くなろうとする心だ。その心をいつしか僕は失っていた。

 

 彼と対等(・・)に立つ為の強さが僕は欲しかった。

 

 自らの思いを叫んだ後、僕は気絶した。

 

 

 

 気がついたらベッドの上で目が覚めた。

 メイちゃんは、僕が起きたのに気付くと泣きながら抱きしめてくれた。死んじゃったと思ったと言われた時、ごめんと謝ることしかできなかった。

 

 その後メイちゃんは、あの後勇者パーティから抜けたと聞いた。

 それを聞いた時、思わず「どうして!?」と叫んだ。

 

「だって、ユウくんが心配なんだもの」

 

 メイちゃんはそう言ってくれた。

 そう言われた時、とても嬉しかった。

 一人じゃないというのが、こんなにも心強いだなんて思いもしなかった。

 でも、僕にはきになることがあった。

 

「だけど、フォイルくんはどうしたの? 彼だって心配じゃないの?」

「……」

「メイちゃん?」

「知ら……ない。幼馴染を簡単に捨てるフォイル(・・・・)がこれからどうするのかなんて、知らない……」

 

 フィーくんと呼んでいた愛称が変わっていた。

 何があったのかは聞けなかった。

 それは踏み込んではいけない領域だったから。

 それに、何より知らないと語るメイちゃんがすごく辛そうだったから。

 後には重い沈黙だけがあった。

 

 

 

 数日後、僕とメイちゃんは街から離れて、その後は冒険者の真似事みたいなのをしていた。

 メイちゃん程じゃないけど僕も戦う事は出来る。その術を僕はフォイルくんとルヴィンさんに教えてもらっていた。だから、余程の差がなければ魔獣相手に、少なくとも一方的にはならない。

 

 だけど弱いのには変わりない。

 だから僕はこれまで以上に考えて動くようになった。

 

 どうすれば相手の先を読めるのか。

 どうやったら自身の動きが良くなるのか。

 なにをすれば相手を出し抜けるのか。

 

 常に考えて行動してきた。

 その甲斐あってか、前よりも強くなっていった。まぁ、フォイルくんと比べたら微々たるくらいではあるんだけど……。

 

 

 

 そうして何ヶ月かが過ぎていった。

 いつしか僕たちは辺境の村々では《民の味方(パルティザン)》と呼ばれるようになった。

 

 なんでも魔獣被害に困っていれば、何処からともなく現れて助けてくれるかららしい。

 なんだか小っ恥ずかしかった。そんな崇高な行為だと思われていることに。

 勿論、困っている人がいれば助けたいのは本当なんだけど、殆どがメイちゃんのお陰のようなものだ。

 僕は未だ、メイちゃんと彼と比べたら弱い。

 

 その日も、訪れた村で何やら山の方で不穏な空気が流れているのを聞いた。僕たちをそれを調査する為に村に滞在することにした。

 

 クリスティナさんと会ったのはそんな時だった。

 彼女はとある村の『神官』だった。何でも女神教の方では素晴らしい功績を挙げたにも関わらず、そのまま街にいるのでは無く、こうした恵まれない人々や辺境に住む人達の力になりたいから、色んな村を回っていたらしい。

 

 正直、凄い立派な人だと思った。僕たちよりも若いのに。

 

 その村を()()が襲った。

 明らかな急襲だった。こんな所に魔物が現れる事なんて無かったはずだ。

 

 村人達は逃げ惑った。そして教会に立て篭もった。村の兵士たちじゃ魔物に手も足も出なかった。

 僕とメイちゃんは教会を襲おうとする魔物を正面で迎え撃っていた。だけど魔物の数は多かった。このままでは抜かれてしまう。

 

 その時不思議なことが起こった。

 身体中に力がみなぎったと思うと、これまで感じた事のない高揚感が心に吹き込み、いつの間にか手に持つ剣で魔物を一閃していた。その力は正面にいる魔物を全て一撃で殺した。

 メイちゃんが驚いていた。今のはきっと技能(スキル)だと。

 僕は信じられないように、手のひらを見ていた。

 

 

 魔物襲撃から後日。

 クリスティナさんに教会に来て欲しいと言われた。

 そこでクリスティナさんが言ったのだ。

 先程私に【天啓】が降りたと。【天啓】とは【神託】とは違いある日突然『神官』に得られるものらしい。

 そして、その【神託】の内容によれば本当の勇者……『真の勇者』は僕であると。魔物を倒せた一撃は勇者のみに伝来する【聖輝剣波斬(シャイニング・ウェーブ)】だという。

 

 まさかと思った。

 信じられなかった。

 わからなかった。

 理解出来なかった。

 

 だって僕にとって勇者とはフォイルくんのことで、勇者なんて雲の上の、物語の存在だったからだ。

 

 だから『真の勇者』と彼女が言っても僕は殆どその事を信じていなかった。

 クリスティナさんは僕たちについて来た。なんでも女神から僕たちをサポートして欲しいと頼まれたからだって言ってた。

 けど僕はその時になっても、彼女の言葉をあまり本気に捉えていなかった。

 

 けれどそれから僕に変化が訪れた。

 段々と動きが良くなったり、相手の動きが良く見えるようになった。

 更には技能(スキル)を、それも勇者に伝来するものが沢山使えるようになった。

 

 此処まで来ると僕もクリスティナさんの話を段々と信じるようになってきた。

 

 言いようのない感情が僕の心に沸いた。

 僕が、本当に勇者なんだという。

 それは非常に甘美で、抗い難い感情だった。

 

 

 

 そうしてその後も旅を続けていく内に、オーウェンさんと出会い、ファウバーンとキュアノスとも出会った。

 大切な仲間との出会いだった。彼らは僕を認めてくれて、一緒に旅をしてくれた。

 

 励まされた、褒められた、期待された。

 初めて感じるそれらを心地良く感じていた。

 

 あぁ、そうだ。

 僕は浮かれていたんだ。

 勇者……そう、『真の勇者』だ。

 その名の重さも何も考えずに、ただただ何の職業も称号もない『名無し』じゃないと、浮かれていたんだ。

 

 

 そしてその代償として僕は掛け替えのない幼馴染を失うことになった。

 

 

 

 

 フォイルくんが『偽りの勇者』と【神託】により発覚した時、色んな人が彼を悪し様に罵り、殺そうとした。僕達が抜けた後の勇者パーティの悪評は知っていた。だけど、フォイルくん自身の悪評はそんなにない。だけど、皆が彼を勇者を騙った大罪人として裁こうとする。

 

 それを知った僕は、誰よりも早く彼の元に行こうとした。

 僕は驕っていた。彼を救ってみせると思い上がっていたんだ。

 それがどんだけ傲慢な事か、僕は理解していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 僕は彼を斬った。

 斬ってしまった。

 

 唖然と困惑と呆然と混乱する僕に、フォイルくんが語りかけてきた。

 それは、あの時僕を追放した時みたいな冷徹な目じゃなくて何時もの彼の優しい瞳だった。

 だから僕は混乱しながらも彼の言葉を聞いた。

 

 

 嘘だ、といった。

 なんで彼がと叫んだ。

 心が、理解することを拒否していた。

 

 

 だけど彼が嘘を語るはずがないとわかっていた。

 フォイルくんは、ただただいつもの赤い瞳で僕を見る。僕はその目を揺れて見ることしかできなかった。

 彼は言う。これは決まっていたことなんだと。

 

 

 違う。

 こんなの望んでいなかった。

 僕はただ、君と()()でいたかっただけなんだ。

 昔みたいに肩を並べたかっただけなんだ。

 それがこんな。

 こんな。

 

 

 だけどそんな思いを僕は口には出来なかった。

 

 フォイルくんは何時ものように笑みを浮かべると、僕の胸に聖剣を渡して来た。

 『真の勇者』として、人々を導いてやってくれって。

 

 

 初めて持った聖剣アリアンロッド。

 清らかで神聖な見た目と違いその剣はとても重かった。

 

『俺はユウ……メイちゃん……君達二人と並び立つ仲間になりたかったよ……」

 

  聖剣を手に入れたあの日。

 『真の勇者』として担ぎ上げられたあの日。

 

 

 

 

 僕は今でも幼馴染を斬った感触が手に残っている。



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太陽国ソレイユ

 太陽国ソレイユ。

 初代(・・)勇者ファンダシオン・スールヤ・ソレイユが建国した国であり、人間界では最も繁栄すると同時に魔界に距離が近い国である。

 今より500年前、世界は魔王率いる魔物により世界は闇に覆われる寸前まで追い詰められた。その時、とある一人の青年が立ち上がった。

 その青年こそがファンダシオンであった。

 

 ファンダシオンは女神より聖剣を授けられ、その力を持ってして魔物を駆逐し、魔族を倒し、魔王を打倒し魔界へ押し戻した。人類はギリギリまで追い詰められたが一先ず勝利出来たのだ。

 

 その際に彼と彼の仲間達によって、太陽国ソレイユは建国された。

 

 ファンダシオンは言った。

 『いずれ魔王はまた現れる。我々はその為に準備しなければならない。人類の防波堤として、此処で魔界を監視し、奴等の侵攻を食い止めねばならない。いずれまた現れる『勇者』を我々は待ち続ける。また太陽が昇るその日を』

 

 その言葉の通り、魔王は五十年の年月の後またも現れた。元々ファンダシオンは魔王を追い詰めこそしたが倒し切る事は出来なかった。魔界にいけるだけの余力も人材も無かったのだ。

 だからこそ、魔王を撃退して出来た猶予で太陽国ソレイユを建国したのだ。魔王が復活した、その時には既にファンダシオンは亡くなっていたが彼の意思を継いだ人々が魔王軍との戦いに明け暮れた。

 太陽国ソレイユはそれに対し備えをして来たのだ。

 

 だが、それだけのことをしてもまたも人類は追い詰められようとしていた。『勇者』によって一度は追い詰められた魔王は2代目『勇者』の力を持ってしても打ち破ることができなかった。魔王は対策し、自らの力を分け与えた幹部を生み出していたのだ。

 勇者は魔王本人だけでなく、幹部とも戦うことを強いられ、太陽国ソレイユも次第に疲弊していった。

 そこに魔物と魔族を封じる力を持つ存在が現れた。『聖女』の誕生であった。

 『勇者』と『聖女』により、今度こそ魔王は討ち取られ魔物と魔族は『聖女』の力により魔界に封じ込められ、魔王もいない今魔王軍は大規模な攻勢を仕掛けることが出来なくなった。

 魔界と人間界の境界、そこはトワイライト平原と呼ばれ両界にとって最前線の場所となっていた。

 

 太陽国ソレイユはこうして建国された歴史を持つ。

 その為この国の人々は、自らを人類の守護者であると自負しており、使命感があり、全員誇り高かった。

 兵士、騎士、竜騎士、魔法使い、魔術師……全ての戦闘職の人材は魔王軍との戦いに備えて日夜訓練を行い、魔王が現れれば戦場に身を投じた。

 

 魔王が現れ、その度に戦火を交える。

 その数、既に4回(・・)。今回の魔王軍による侵攻を含めたら五度目だ。

 しかし、その全てを太陽国ソレイユはトワイライト平原にて防いだ。

 勿論、魔王側も馬鹿ではない。時には裏をかかれ別の国を滅ぼされたり、多大な被害を受けたこともあった。『勇者』が各国を回って魔族や魔物を倒すのもこうして別の場所から現れた魔王軍を倒す為である。

 だが、魔王軍の本隊である膨大な魔物と魔族をトワイライト平原で押し留め続けたのは『勇者』に劣らぬ功績であろう。

 

 そして今回200年ぶりに現れた魔王軍に対し、太陽国ソレイユは国家緊急事態の報をかけた。軍民問わず一丸となって魔王軍と対峙する。

 

 それこそが太陽国ソレイユの存在意義なのだから。

 

 太陽国ソレイユは膨大な数の魔物をトワイライト平原にて迎え撃っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都ハルマキス。そこは、世界最大にして並ぶものはいない大国の首都であり、最も繁栄した都と言われている。

 昼間はこの国の人々と他国から訪れた商人が行き交い、活発な声がなくなる事はない。

 更にはこの王都ハルマキスは太陽の名の通り、夜になっても魔石を使った"永続する街灯(ルーチェランプ)"が王都を照らすことから人々の往来が絶えない。

 

 更にこの王都、500年続く国であるから常に改良が加えられ続け拡大の一途を辿ってきた。立ち並ぶ家も昔ながらの石の家から最新技術を使った建造物まであり、新旧の技術の家が立ち並ぶ様からは、太陽国ソレイユの紡いできた歴史を感じられる。

 今やこの王都を囲む城壁は五重になっており、更には用水路も地下で作り、水を確保するだけでなく、防御用の水堀としても利用している。

 更には目には見えないが魔法技術による結界まで施されている。

 

 魔界に程近いというのにこれ程までに人で賑わうのは、太陽国ソレイユが大国であるという象徴(・・)であり、堅牢な城壁への信頼(・・)であり、そして何より『勇者』の存在(・・)があるからだった。

 

 

 

 

 

 剣と剣が撃ち合う鈍い音が聞こえる。

 

 王族の棲むユーリウス城のとある広場で二人の男が戦っていた。

 身の丈程の大剣を背負った鍛え抜かれた体に角刈りの男、オーウェン・ローバストは剛剣を振るい、攻めてくる剣戟をいとも容易く受け流し、逆に攻める。

 それに食い下がるは『真の勇者』と名高いユウ・プロターゴニスト。彼は額に汗を掻きながら必死にオーウェンに攻撃していた。

 

「【大巌砕き】」

「くっ、【見切り】そして【速斬撃】」

「おおっと危ねぇな。だが、まだまだァッ!」

「うわぁ!?」

 

 オーウェンは簡単に【速斬撃】という【高斬撃】より威力が落ちるもその分速さが勝る技能(スキル)をユウのように【見切り】を使わずにいとも簡単に避ける。

 そして明らかに超重量級の大剣を小枝のように振るい、ユウの動きを阻害する。

 それはさながら嵐のような攻防で容易には近づけない程激しいものだった。

 その後も食らいついたがまさかの焦るあまり突撃しすぎ、オーウェンに足を引っ掛けられ転んだ所に頭上に大剣を突きつけられた所で修行は終了した。

 

「ま、負けた……」

「ひゅー、さっすが勇者様だな。もう俺についてくるなんてよ」

 

 疲労なんて感じさせない軽い口調でオーウェンが口笛を吹きながら評価を下す。

 ユウはその言葉に首を横に振る。

 

「いいや、まだまだだよ。僕なんて一流の戦士のオーウェンや近衛騎士団長ルヴィンさんには遠く及ばない」

「そう謙遜する必要はないと思うけどな。ま、技術に関しては確かに年季が違うとも言えるな。だがよ、旦那はまだ聖剣を手に入れたばっかりだろ? それにあの力だって使ってないじゃねぇか」

「あれは確かに勇者だけの強力な技能(スキル)だよ。だけどそれで勝っても意味がない。僕の力は聖剣によるものが大きい。勇者の技能(スキル)に頼って、勝利したとしても、それじゃ本当の意味で実力を身につけることは出来ない。……そう結局僕は、本当の意味でフォイルくんには勝てなかった」

「旦那」

 

 オーウェンはユウとフォイルが幼馴染であったことを知っている。

 あれ以来ユウはのめり込む様に強さを求めるようになった。それは確かに必要な事だがオーウェンにはそれが無理をしているように感じた。だが、それでも彼が強さを求めるならとこうして稽古に付き合っているのだ。

 暗くなった雰囲気を変えようと、オーウェンはユウの肩に腕を回す。

 

「ところでよ、旦那。実はこれから行く俺の行きつけの店にかわいこちゃんがわんさかいるんだけど、一緒にどうだ? 勿論お触りもおーけーだ」

「え!? い、いや僕そんな店は」

「そんなに狼狽えるなよ。初心じゃあるまいし。旦那だってもう20に近いだろ? なら、綺麗なお姉ちゃんたちと少しくらい楽しい思いをしてもバチは当たらないと思うぜ」

「で、でも僕は勇者だしそんな店に行って何か噂とかたったら……」

「勇者どうこうの前に旦那は一人の男だろ? なら、一発これヤッて一人前の男になろうぜ?」

 

 まだ固辞するユウを肩を組んでさぁ行くぞーとオーウェンが無理に連れて行こうとする。

 

「こ〜ら〜、何ユウくんを誑かしてるのかな?」

「ふ、ふふふ不潔です!」

 

 それを遮るように立つ二人の人影。

 メイ・ヘルヴィンとクリスティナ・シビュラだ。

 メイは軽く咎めるように目を少し細く。

 クリスティナは錫杖をギュッと胸元に持ち、顔を赤くしながら睨んでいた。

 

「オーウェンさん、あんまりユウくんを困らせないであげて。ユウくんは純情なんだから直ぐに騙されたりしちゃうわ」

「そうです! ユウさんは勇者なんですよ! そんな、い、いいい……いかがわしい場所に連れて行くなんて女神様が許しません!」

「やっべ、勇者さんの保護者が来ちまった。これは旗色が悪い。俺は逃げさせてもらうぜ」

「誰が保護者ですか!」

 

 スタコラサッサとユウから手を離し逃げ出したオーウェンを、建物の陰から現れた青い鱗の飛竜が首根っこを掴み上げ宙ぶらりんにした。

 

<キュルルッ♪>

「うご!?」

「くりす姉! メイ姉! 捕まえたぞ!」

「げっ、ファウ坊おまえ裏切るのか!」

 

 青い鱗の飛竜のキュアノスと獣人と呼ばれる種族と人間とのハーフのファウパーンだ。

 キュアノスはオーウェンを咥えながら嬉しそうにブラブラと左右に首を振る。

 

「ぐぇっ、し、絞まるっ。や、やめろー! 俺はただ旦那を一丁前の男にしてやろうと思っただけだ! 何が悪いんだ!」

「ユウさんは勇者なんですよ! そんな不純な所、連れて行って良い訳ないじゃないですか!」

「勇者の前に一人の男だろ! なんで束縛されなきゃなんねぇんだ! これは人権侵害だ! 断固として扱いの改善を要求する! そして不当な人質の解放を請求するぞ!」

「結局自分が逃げたいだけじゃないですか! ファウパーンくん絶対に離しちゃだめですよ! 今日という今日はその心を正してあげます!」

「それは洗脳だろ!?」

「矯正です! 貴方が真人間になるための!」

「だからそれが、が、ぐ、ま、まてくびがっ」

 

 嬉しそうにキュアノスが左右に首を振ることでオーウェンの首が締まり顔色が悪くなる。

 

「キュアノス、そろそろオーウェンさんの顔色が悪くなってきたから離してあげて」

<キュ? キュルキュル>

「おげぇっ」

「きゃ、くすぐったいわ。ふふっ」

 乱雑にオーウェンを放り投げた後、キュアノスはメイの方に近寄り首を擦り付ける。子が母に甘えるような動作だった。

 ユウは慌てて息も絶え絶えなオーウェンに近づく。

 

「大丈夫かい? オーウェン」

「旦那、流石に死ぬかと思ったぜ……。やいファウ坊! キチンとキュアノスを躾けておけよな、仲間に殺されるとか勘弁だぜ!」

「ご、ごめん。けどキュアノスからすればあれでも戯れるくらいの感覚だから」

「魔獣にとっての遊びと人間にとっての遊びはかなり違うからね……そういえばキュアノスはメイちゃんにも懐いてるよね」

「あ、そう? キューちゃん可愛いもんね!」

<キュル♪ キューキュー♪ >

「へっ、やっぱり母性が違うんだな。ちんちくりんとは心も体も違ぇ」

「オーウェンさん? 神の顔も一度までですよ?」

「へーへーそれはすまな……ん!? 待てよ、心狭すぎるだろ!?」

「当然です! 私は女神様ほど優しくありません、間違った人にはビシバシ指導していきますよ!!」

「おい? 何錫杖(しゃくじょう)振りかぶってんだ? 何を唱えてるんだ!? や、やめろ仲間に対して奇跡を使おうだなんて何考えてるんだこのあほっ!」

「あほじゃないですから! ……じゃなかった、あほじゃありません!」

「だ、ダメだよ二人とも喧嘩しちゃっ」

「ユウ兄、オイラ知ってるよ。あぁ言うのを痴話喧嘩って言うんだろ?」

「「何言ってやがる(いってますか)、ファウパーン!!」」

「ひぃっ!?」

 

 怒鳴るオーウェンとクリスティナ。

 

 そんな彼らに近付く、騎士の一団があった。

 その中で最も豪華なマントを羽織って、オーウェン以上の大剣を背に携える巨躯の騎士。黄昏を彷彿とさせる髪色に、百戦錬磨の雰囲気を漂わせる年嵩(としかさ)の男性。

 

「此処にいらっしゃいましたか、勇者様」

「っ、ル、ルヴィンさん。お恥ずかしいところをっ!」

 

 ルヴィン・オールマイティ・ルーキフェル。

 太陽国ソレイユの誇るコロナズマ近衛騎士団の近衛騎士団長。その腕は一流でオーウェンすら彼に剣技では敵わない。それはつまり、勇者伝来の技能(スキル)を抜きにすれば、ユウですら彼には敵わないということだ。

 彼と拮抗出来たのはフォイルとグラディウスだけである。

 あれ程争っていたクリスティナとオーウェンも慌てて背筋を伸ばす。

 

「畏まらないで下さい。私はただ伝言をお伝えにやって来ただけです」

「えっ、伝言ですか?」

「はい。メイ殿。テュランノス国王陛下からの召集命令です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 荘厳な、それこそ限られた者しか訪れる事の出来ないユーリエル城。

 元々は王都を一望出来るよう高い岩山に築いた城であり、この国では城壁を除けば最も高い建造物である。太陽国ソレイユを訪れた人々は何よりも、王都に入れば見えるこの城を見て簡単な息を吐く。

 

 そんなユーリウス城の内部。

 玉座へと至る所に座る一人の男性。

 右に掲げられるは太陽国ソレイユの誇りを示す、まさしく太陽を模倣し、そこに剣が聳えている旗。左に掲げられるは同じく太陽を模倣し、剣の代わりに錫杖がある旗。

 玉座の背後にあるのは初代勇者ファンダシオンが掲げし聖剣と魔を払う聖女、そして魔王が倒される場面の絵であった。

 

「ユウ・プロターゴニスト。国王様の命令に馳せ参じました」

 

 ユウが頭を下げると同時にメイ達も頭を下げ、膝をつく。

 その先にいる一人の男性。偉丈夫な身体に赤を基調とした豪華絢爛な衣装に、王冠を被った男性。

 その相手こそ太陽国ソレイユの()国王テュランノス・ディグニティ・オルグレン・ソレイユ。

 ファンダシオンの子孫であり、大国である太陽国ソレイユを治める王である。

 そんな彼は、ユウが頭を下げるのを見ると慌てて立ち上がった。

 

「頭をあげてくれ勇者殿! 貴方様は世界の希望、それに対し儂はあくまで一国の王に過ぎない。本来であれば逆の立場であるのだ。儂は貴方に世界を救ってくれと懇願することしかできない」

「いいえ。僕はただ聖剣を扱える一個人でしかありません。民を、国を導ける国王陛下と比べたらその偉大さも歩んできた道も、重みも、何もかもが違います」

 

 ユウは本心からそう思っていた。

 国を導くという点でおいて、若造の自分が叶うはずがないと。人間性でも自身よりも上の先駆者である。だからこそ、頭を下げるのは当たり前のことなのだ。

 

 しかし、テュランノスからすればこの対応は非常に困る。何故ならユウは『真の勇者』であり、世界を救う聖剣アリアンロッドの担い手だ。そんな彼にこのような態度を取らせるのは国王として、そして個人として余り好ましくなかった。

 何故ならこっちは頼む事しかできない立場なのだ。

 しかしそれが彼の性質(たち)であるとも理解しているテュランノスは彼の幼馴染に目を向けた。

 

「ヘルディン殿、プロターゴニスト殿は昔からこうなのか?」

「はい、ユウくんは昔からこうです」

「メ、メイちゃんっ!?」

「はっはっはっ! やはり勇者殿は几帳面すぎるらしいな! 今も、慣れない所作にぎこちないのがわかるぞ?」

 

 メイにまで同調され、そこでユウは初めて年相応の顔を見せる。テュランノスに笑われ、ユウは顔を赤らめる。

 勇者であろうと肩肘を張っているのをテュランノスに見抜かれた。

 

「この場では格式ばった表現など不要だ。儂は腹を割って話し合いたい。そもそも人類を守る者という括りでは儂らは同士だ。ならばこそ、同士に格式張った対応など不要。寧ろ邪魔でしかない。違うかな?」

「……そう、ですね。わかりました。でも、僕は昔からこのような話し方なので国王様の望むような対話は出来ないと思います」

「いや、そんなことはない。今、儂は御主の目を初めて真正面から見た。良い目をしている。志を共にする者同士、儂は御主と友になりたい。……ユウ殿、儂と友となってくれないか?」

 

 テュランノスは真っ直ぐにユウを見た。その目はどこまでも真摯である。

 ユウは彼の真摯な心に押されて、頷いてしまう。それを嬉しそうにするテュランノス。

 

 ーーフォイルの時の国王とは、正に器が違っていた。

 

「良かった。それでは勇者殿幾つか聞きたいことがある。聖剣の力の方は如何かな?」

「今は問題なく扱えます。オーウェンにも修行をつけてもらっていますし、技能(スキル)についても発動には問題ありません。まだ完全に慣れたとは言えませんけど……」

「ならば良かった。技能(スキル)が使えるようになっても慣れるまでは時間がかかるからな。これも女神オリンピアの導きがあってこそだろう」

「……」

 

 女神オリンピア。

 人々を導き、職業(ジョブ)を授ける神様。

 

 人は女神の【神託】によって『職業』を得て、技能(スキル)を習得できる。そうすることで魔王軍に対しても対抗できる。

 人に力を与え、導いてくれるその御業(みわざ)は正に神の名に相応しい人類の守護者だ。

 

 ただ……ユウにとっては複雑な気持ちである。

 何故なら女神は『偽りの勇者』としての役割をフォイルに押し付けた張本人。対話も出来ない以上、その心も何も分からず、ただただ幼馴染をあんな目に合わせたとあれば必然印象も悪いと言うもの。

 

 ユウからは見えないがメイも、そっと視線を下げた。何も思っているのか、ユウからは見えないしわからない。

 

 それでもユウが女神を恨んでいないのは、元の彼の優しい性格と何よりフォイルの遺言(死んでない)だからだ。

 

「……すまん、今のは聴かなかった事にしてくれ。少しばかり無遠慮過ぎた」

「いえ。国王様の立場も理解していますから」

「そうか……感謝する。それでな実は今日勇者様達に来てもらったのはそれだけではない。ルヴィン」

「はっ」

 

 案内の後、テュランノスの側に控えるように直立不動していたルヴィンが一歩前に進み出る。王を守る剣であるルヴィン。彼の手には上質な紙で何かが記された手紙があった。

 

「此処に一通の手紙があります。各国に派遣させた諜報員からですが、ソドォムにて魔王軍の怪しい動きがあるとの情報がありました」

「魔王軍……!」

 

 人類に仇す諸悪の根源。或いは元凶。

 フォイルによって『爆風』のダウンバーストが討ち取られて以来、大きな動きがなかったが最近になってまた活動を始めたらしい。

 

「知っての通りソドォムは我が国と協約を結ぶ大切な国だ。しかし、ソドォムだけでは魔王軍に対抗出来ない。だが我が国も戦力を例のトワイライト平原に割かれている以上あまり余裕もない。『真の勇者』である貴公の力が必要だ。だが……勇者殿は聖剣アリアンロッドを手に入れて日が浅い。まだ戦えぬというのならば此方の方で何とか戦力を抽出して」

「行きます」

 

 ユウは即答した。

 これから行くのは戦場だ。

 今までの魔獣退治や盗賊退治、悪党とは違う。

 相手は魔族。人類の天敵。

 フォイルに着いて行く日々だったが分かる。

 奴らは一変の容赦なく人を害する。悪意と殺意と害意を持ってして。

 正直言って怖い。恐ろしい。

 

 

 だけど。

 だけれども。

 

 

僕は勇者なんだ(・・・・・・・)。だから戦います」

 

 王と周りの大臣達が感嘆する。流石は勇者だと。

 

「そうか、行ってくれるか! いや、良かった。実の所余りこちらも余裕があるとは言えなかったのだ。何か欲しいものがあれば言ってくれ。用意しよう。それくらいしか出来ぬのが歯痒いのだが……」

「わかっています。国王様にはこの国を守る義務があることを。この国がトワイライト平原で大多数の魔王軍の魔物を押し留めてくれているからこそ、僕達はトワイライト平原を突破してきた強力な魔族と魔物のみに注力することが出来ます。奴らは僕達が倒しますから安心してください」

「ユウさん、私も行きます。女神様より授かった奇跡で、力になりますから!」

「ま、旦那が行くんなら俺も行くしかないわな」

「オイラも行くよ!」

「皆……そうだね。行こう」

 

 皆を元気づけるように笑うユウ。

 だけど、その姿は何処か無理をしているように見えて。

 

「ユウくん……」

 

 メイだけが少しだけ心配そうに見ていた。

 

 




 太陽国ソレイユについてですが、モデルがあります。
 それはルクセンブルクという要塞群です。そこは小国ながらも古い町並みと要塞群が世界遺産に登録されるほどです。
 是非ともご覧下さい。そうすれば筆者のイメージしている太陽国ソレイユの街並みが少しでも伝わると思います。昔の街並みと現代の建造物が共存する国の容姿は正に世界遺産に相応しいと思います。


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純白を蝕む黒い荊

 太陽国ソレイユから北東にいった所に、ソドォムと呼ばれる国がある。ソドォムは数多くの魔石を発掘出来る鉱山を有しており、鉱山から発掘された高濃度の魔石は太陽国ソレイユにとっても貴重な魔石供給源となっていた。

 更には魔石の加工技術も卓越しており、様々な高品質な武器も造ることが出来た。

 その技術は、太陽国ソレイユの最高技術にこそ劣るが、兵士などに配給される武器の一般品質については他の追随を許さないほどだった。

 

 そして、そんな国を魔王軍が放っておく訳がなかった。

 

 

 

 

 

 

 ソドォムの王都は小さいながらも白色の伝統ある建物が至る所に並ぶ。その様は太陽国ソレイユとは違った意味で見るものを感嘆させる程に清廉(せいれん)で美しい。

 実際他国からは"白の(みやこ)"とも呼ばれ、数多(あまた)の絵の題材にもなったりもした。

 

 そんな汚れを知らない白い王都。

 そこにまるで根のように(いびつ)な黒い荊が張り巡らされていた。

 

「痛いぃぃ」

「あぁぁぁ! やめてぇぇぇ!!」

「ひゅー……ひゅー……」

「ママー! 痛いよぉ!!」

「お願い、息子は。息子だけは……」

「ふむ、ふむ。やはり人の血は良い栄養となる。儂の荊棘も血を吸うて喜んでおるわ」

 

 張り巡らせた荊の中心部。

 全身黒い枯れ木のような身体をし、更には黒い荊を何重にも自身に巻きつけた気味の悪い魔族が、老若男女区別なく人々に巻き付けた黒い荊を少しずつ動かし、棘で傷つけていく。その度に人を絶叫をあげる。

 

「安心せよ。主らの命は儂の可愛い荊の栄養の一部となる。その事に深く感謝したまえ。家畜である人間どもにはそれくらいしか役に立たないのでな」

 

 ギチギチと荊を締めながら、(したたり)り落ちる血を黒い荊は歓喜するように蠢く。当然また荊は人々を締め付ける。またもあがる絶叫、悲鳴、うめき声。

 その中で唯一、一人だけ愉悦を感じている魔族。

 

「故に、貴様らの血も我が荊の(かて)となれ」

「いぎぃぃぃぃ!!」

「あぁぁぁぁぁ!!」

「誰がぁぁぁ! だずげでぇぇぇ!」

 

 絶叫。その悲鳴にふるりと魔族は愉快げに体を震わして更にギチギチギコギコと荊を動かしていった。当然棘により新たに傷つけられた人の体から血が流れる。

 彼が人々が嬲っていると背後から血濡れになった魔族の一人が姿を現した。魔族は一度(いた)ぶるのを中断する。

 

「おや? どうしましたか?」

「に、にんげ……」

「人間? しかし、この王都の兵士らは皆屈服させた筈。まだ抵抗するものがいたと? ふむ、ふむ。それとも他からの援軍……? この辺りの都市は既にトルデォン様によって焼け野原と化しているはずであるが……陸路? 別の国による援軍? いや、それにしては対応が早い……おい、もっと詳しく話しなさい」

「……」

「ちっ、使えないものだ。だが何者かが我らの邪魔をしているのは間違いないか」

 

 思考に(ふけ)る魔族。

 すると突然別の一角の荊が燃え上がった。

 

「何!? 一体何処から!? ん?」

 空を見上げると一匹の飛竜が飛んでいた。

「飛竜……? なぜこんな所に。我らは飛竜など連れてはいなかったはず。ならばあれは人間の『竜騎士』か? 」

 

 視線が空に向けられた瞬間、屋根から飛び出したオーウェンが斬りかかる。

 

「【大巌砕き】」

 

 屋根の上からの落下速度と渾身の力を入れての縦切りが魔族を襲おうとする。

 【大巌砕き】は言葉通り、巨大な岩をも砕く事の出来る一撃だ。

 しかしその攻撃は黒い荊の束に防がれる。

 

「ちっ、見た目より頑丈だな」

「何者? 何奴? あの飛竜といい、お主何処から来た?」

「答えるかよ! 【連斬撃】」

「【黒荊の防壁(ブライァー・ウォール)】」

 

 ワサワサと荊が動き、オーウェンの大剣による素早い一撃を防ぐ。ユウが使った聖剣アリアンロッドよりも、大剣でありながら速かったにも関わらず魔族は対応してみせた。複雑に絡み合った荊はとんでもない強度を誇る。半ばまで斬る事は出来たものの、魔族に届かなかった事にオーウェンは舌打ちする。

 

 次いで魔族の背後、家の一角から飛び出すのはユウ。

 

(間に合わなかった……!)

 

 彼の視線の先には、黒荊に絡め取られた人々を目に止めギリッと歯を噛み締める。

 

 当初馬車でソドォムを目指したユウ達は王都に近付くにつれ黒い荊が王都中を覆っているのが見えた。

 その事で既に魔族による襲撃を受けている事に気づいたのだ。

 

 (はや)るクリスティナを(なだ)めユウは作戦を考えた。

 戦闘らしい音が全く聞こえないことから既に王都は陥落したと見て良い。

 人質を前面に押し出されたら、此方の動きが阻害されてしまう。そこで作戦ではオーウェンが囮となり彼は先に人質を解放しようとした。途中会った魔物と魔族はオーウェンに気を取られた後すぐにメイが水魔法で口を覆い、更にはクリスティナの【遮断結界】で音をも封じることでユウがすぐさま斬ることで暗殺者の如く確実に数を削いでいった。その際に人質を解放し、最後にここに訪れたのだ。

 しかし予想よりも人質の状態は悪かった。直ぐには命に別状はないが失血が多く全員が力無く呻いている。

 

 わかってはいたが、それを見てユウは悔やむ。もっと早く行動すべきだったと。

 

「考えるのは後だ。先ずは人質を解放しないと……! 【真空波斬(しんくうはざん)】」

 

 聖剣が輝き、真空の刃が放たれた。刃は人を傷つけることなく荊だけをズタズタに引き裂き、人質を解放する。

 

「【我がマナを糧にして、優しく受け止めなさい、水粘液(アクア・ジェル)】!」

 

 落とされた市民は同じく物陰に隠れていたメイの放つ、粘り気のある水で受け止められた。

 

「メイちゃん、人質をお願い!」

「うん、わかってる!」

「クリスティナさん、【結界】で防御を張ってメイちゃんと一緒に市民達を安全なところへ!」

「はい!」

 

 そのまま水によって回収された市民をメイとクリスティナに任せ、ユウは魔族の前に立ちふさがる。隣では同じくオーウェンが剣を構える。

 それを見た魔族が不快げに声を発した。

 

「何奴? 我が可愛い荊を傷つけるなど恥を知れ」

「君こそ罪の無い人々を傷付けるだなんて恥を知れ!」

「ぬかしよる。我が荊を傷つけた代償は貴様らの血で償ってもらうとしよう」

 

 わさわさと黒い荊が蠢きだす。オドロの堪え難い屈辱に黒い荊が共鳴しているように見えた。

 

「【地棘荊(エピヌ・スピーナ)】」

 

 地の中からユウとオーウェンを囲むように黒い荊が現れた。どうやらそのまま囲み殺すらしい。

 

「【聖空斬(せいくうざん)】」

 

 聖剣が光り輝き、回転して薙ぎ払う。

 オーウェンの一撃すら防いだ黒い荊はいとも簡単に一掃された。

 魔族はざわり、と身体を震わす。

 

「その剣。まさか聖剣アリアンロッド! ならば貴様が『真の勇者』か!」

「だからどうした!?」

「いや、いや、いや。勇者の血とは、良い養分となりそうだ。魔王軍『迅雷』の配下が一人『荊棘(けいきょく)』のオドロ。貴様の血を根こそぎ吸い尽くしてやる」

 

 うねうねと周囲の荊が蠢き始める。

 白い建物を傷つけ、破壊しながらオドロの周囲に集まっていく。

 

「【鉄塊(アイアン・)(ラディーチェ)】」

 

 一際大きな荊の(かたまり)がユウの頭上から押しつぶさんと降りかかってくる。

 

「うらぁぁぁ! させるかよ【竜断衝斬】」

 

 横合いからオーウェンがかつて竜を縦に押し潰した一撃の技で、巨大な荊の塊を弾き飛ばした。

 その隙にユウはオドロに接近する。

 

「ふんっ、【穿て、射貫け、貫け、(ブラック・)穿(スピア・)(スピーナ)】」

「【見切り】」

 

 周囲の黒い荊が蠢き、ユウを貫こうとする。

 ユウは襲いくる黒い荊に対して【見切り】を使う。

 黒い荊の動きを読み、避け、躱し、オドロへと接近する。

 

「甘い。【黒棘の庭園(ブライァー・ガーデン)】」

 

 オドロの前に地面から(おびただ)しい数の黒い棘が出現する。そのどれもが触れただけで切り刻む程の鋭利な棘を有している。そのまま飛び込めば絡め取られるのは必死だ。

 

「聖剣よ、どうか僕に力をーー【聖輝剣波斬(シャイニング・ウェーブ)】」

 

 聖剣より放たれた聖なる波動。

 【真空波斬】は空気を切り裂く一撃。『剣士』が習得できる上級技能(スキル)でもある。

 【聖輝剣シャイニング】は魔族にとって天敵の聖気が、聖剣に纏われ、魔族・魔物の持つ魔穢(オーラ)を浄化し、瘴気を払い、消滅させる勇者固有の技能(スキル)だ。そしてこの技能(スキル)、フォイルは使うことができなかった勇者の伝承の中にある技能(スキル)であった。

 振るわれた剣は白い軌跡(きせき)(えが)き、それが波動となり、黒い棘ごとオドロを寸断した。

 

「まさか全て斬られるとは……聖剣の切れ味をなめ……て……いましたか…………」

 

 ドサリと倒れたオドロが黒ずみ、(ちり)となり風に消えていく。

 オドロが倒れたのに伴い、王都中に張り巡らされていた黒い荊がパラパラと消滅していく。

 

「旦那! やったな!」

「うん。オーウェンもお疲れ様。これでこの国を襲った魔王軍は全てか……?」

「わからねぇ、だが一番強かったのはアイツで間違いねぇだろう。言葉遣いも流暢(りゅうちょう)だったしな」

 

 魔族の中でも言葉が達者なものほど階級と強さが高い。先程のオドロは、見た目は兎も角人間と言って良いほど言葉遣いが流暢(りゅうちょう)であった。

 そして、離れていたメイとクリスティナが市民を避難させたい後戻って来た。

 

「ユウさん! ご無事ですか?」

「ユウくん、オーウェンさん。こっちの怪我人は大丈夫よ。そっちは怪我してない?」

「うん、服は少し裂かれたけど怪我はしていないよ」

「はっはっは。嬢ちゃん俺の心配はしてくれねぇのか?」

「貴方は谷に転がり落ちても、崖から落ちても死ななかったくらい図太い人です。唾でもつけとけば治ります」

「手厳しいな。ったくよぉ。この心の傷は綺麗なおっぱいの大きい姉ちゃん達に慰めてもらおうかね」

「そーゆー所が図太いって言ってるんです」

 

 じとりと見るクリスティナの視線を、オーウェンは豪快に笑う。

 

「メイちゃん、怪我人は無事らしいけど本当?」

「ひとまずはすぐに命の危機に瀕している人はいないかな。相手がじわじわと(なぶ)るようにしていたから。それが良かったとは思えないけど、そのおかげで助かったの。今生き残った兵隊の人達を呼んだから、直ぐに治療施設へ連れて行ってもらえるはずよ」

 

 メイの言葉の通り、あの後数少ない生き残った兵士に負傷者達を任せて、その場から離脱してもらった。

 オドロがいたこの場にいるのは危険だから離れてもらったのだ。

 ユウはそれを聞いて安堵した表情で頷く。

 

「ファウパーン、そっちはどう?」

『ユウ兄、空から見た感じもうこの王都を襲ってる奴はいなさそうだよ』

 

 ユウは耳元のイヤリングに話しかけるとファウパーンからの返事が聞こえてきた。

 魔法具"二対の耳飾り(ピア・イヤリング)"。

 二対で効果を発動する、所謂通信機のようなものだ。

 

 

 ユウ達は王都が襲われているのを見た後、馬車からキュアノスによって運ばれ、オドロが気づくよりも早く上空から王都内に侵入し魔族と魔物を倒すことが出来たのだ。その後、遥か上空からこれまた獣人の血を引くファウパーンはその並外れた視力で魔族のいる位置を常に伝え、誘導してきた。

 

「そうか……ならこの王都はもう大丈夫だね。直ぐに別の都市にも向かおう。此処だけとは限らない」

「それには反対しないけどよ。流石にキュアノスを酷使し過ぎだろ。それにちったぁこの国の救出部隊の再編とかしなければその後の救助活動も覚束ねぇぞ」

「けど待っていたらそれだけ犠牲者の数が増えます! 無辜の民が傷つくのは女神オリンピアにとってどれだけ嘆かわしいことか……」

「そりゃ犠牲は少ないに越したこたぁねぇよ。けどよ、少しは軍のことも考えておけって。俺らが市民を解放してもその後守る奴がいないと別の街を救いに行った時に市民を守れねぇぞ」

「それは……そうだけど」

「でもユウくん、オーウェンさんの言うことも一理あるわ。焦らないで先ずは王都の人々を助けてから」

 

 

 

 

 

 

「やるじゃねぇか。まさか『荊棘』を倒すとはな」

 

 

 

 

 

 

 一斉に皆が身構える。

 

遠くから(・・・・)力を感じてつい来ちまったよ。あいつからは戦わずに退けって言われたが……こんな上物、逃す方がおかしいじゃねぇか」

 

 声の元をたどる。

 女神を(はい)する教会の頂上、女神を(つかさど)る像を不敵(ふてき)不遜(ふそん)傲慢(ごうまん)に足蹴に破壊しながら立つ一人の長い尾の白銀の魔族。魔族の周りには不自然な静電気が発生し、弾ける。

 

「会うのは初めてだな? オレ様は八戦将が一人トルデォン・ロイド。だがそんなのはどうでもいい。さぁ、()ろうじゃねぇか『真の勇者』さんとやらよぉ!」

 

 ゴロゴロと曇天が鳴る。

 バチバチと雷鳴が轟く。

 ピカッと空が光った。

 

 魔王軍八戦将が今、目の前に現れた。

 




マーキュリー「真の勇者とは戦わないでくださいね」 トルデォン「やだ」 ちなみにスウェイの時はオドロ並みに強い魔族は存在しませんでした。魔族は強くなればその闘争心と残虐性が増すのでスウェイは連れて行きませんでした。


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迸る雷

トルデォン戦です。
参考bgmとしては「マリオアンドルイージRPG2 ゲドンコ姫第一形態」です。
一応URLを貼っときます。興味ある方は聴いてみて下さい。
https://m.youtube.com/watch?v=FOSpWMEfRtE


 八戦将。

 魔王軍の誇る絶対な力を持つと言われている八人の魔族。魔王直属の配下であり、魔族を容易に上回る戦闘能力を有する彼らは一人一人が歴戦の猛者でありその力は一国を容易く滅ぼすとも言われている。事実、此度の八戦将によって滅ぼされた街は三十以上、国に至っては小国だが7つ滅んでいる。

 

 そのうちの一人トルデォン・ロイド。

 『獄炎』と並び悪名高い、雷を操りし強大な幹部は上記の内、2つの国を己が雷で焼き尽くした。焼き尽くされた国は今尚雷が不規則に降り注ぐ土地と化し、誰も近づけないでいる。

 トルデォンは王都とは別の街にいたにも関わらず、遠い所から聖剣の力を感じ、『迅雷』の名に恥じぬ凄まじいスピードでこの王都へと現れた。

 

 その最中に他の都市を落雷で焼きながら。

 降り注ぐ雷は、歴史ある建物も、人の命も根こそぎ奪い去った。

 

 既にソドォムは王都以外の街は壊滅状態に陥っていた。

 

 

 

 

 

 

 目の前に現れた存在にユウ達は武器を構えたまま動かなかった。

 明らかにこれまでの相手とは画する存在。先程のオドロよりも禍々しく、それでいて強力な気配。

 

 魔王軍幹部、八戦将。

 

 ユウとメイは八戦将を見たのはこれが初めてではない。フォイルと共に『爆風』と呼ばれた八戦将を倒した事がある。その時は正に死闘と呼ぶのに相応しい戦いであった。

 常に飛び、上空から異名の爆風と呼ばれる力を使って辺り一面を吹き飛ばしてきた。その余波は石造りの家をも容易く吹き飛ばし、地面も余りの威力に大きく亀裂が入った程だ。更には追い詰められたダウンバーストは7つの竜巻を発生させ、何もかも吹き飛ばしにきた。

 それほどの相手なのだ、八戦将は。

 だからこそ目の前の相手に対して迂闊(うかつ)に動くことはできない。下手に動けばこちらが死ぬからだ。

 

「来ないのか? ならこっちから行くぞ! 【雷電砲(クーゲルブリッツ)】」

 

 いつまで経っても動かないユウ達に痺れを切らしたのかトルデォンが先に動いた。

 バチバチとトルデォンの腕から球型の青白い光が(ほとばし)り、収束するとユウ達に向かい放たれる。

 

「下がってください! 【我らが女神様、その力をお貸しして、あらゆる災害から私達をお守りください。結界】」

 

 神官のクリスティナは、祈りを捧げる事で女神の力を一部その身に宿し、奇跡とも祈祷とも言われる力を行使することができる。

 【結界】はあらゆる攻撃から身を守る奇跡である。それは魔物の一撃を防ぐほど強力である。

 だがそんな奇跡がガラスが割れるように容易く破壊された。

 

「そんな、防ぎきれ……!」

「ふっ! 【聖空斬】」

 

 ユウがすかさず前に入り、聖剣で迎撃する。

 二つに割れた【雷電砲(クーゲルブリッツ)】は背後の家にぶつかり、炎上する。

 

「ほぉ! さっきのは女神の力か? だが防ぎきれなかったみたいだな」

「クリスちゃん大丈夫!?」

「は、はい……」

 

 間近に迫った死にクリスティナは腰を抜かした。心配そうにメイが駆け寄る。ユウも未だにしびれる手の感触にどれほど強力な攻撃だったか悟る。

 

「やれやれ、ほんの小手調べ程度の攻撃を防ぎきれないとは程度が知れるな。こんなんじゃ……あん?」

 

 呆れたトルデォンの背後で炎が上がる。

 何処から、とトルデォンは上を見上げる。

 

「ユウにぃ! 無事か!?」

<ギャオッ!>

 

 キュアノスに乗ったファウパーンが異変を感じ、駆けつけたのだ。キュアノスの口元からは青い炎が立ち昇っている。

 

「キュアノス! 【魔獣威力向上】……【火炎ブレス】だ!」

<キュルルルル!!!>

 

 『魔獣使い(テイマー)』の力により威力が増幅した連射された火炎ブレスがトルデォンとその周囲に着弾する。

 しかしトルデォンに効いた様子はない。

 

「な、ななな……! ファウパーン! 貴方女神様を奉る教会になんてことするんです!」

「今はそんな状況じゃないだろクリス姉!? そもそも教会既に半壊してたぞ!?」

「なんだと思えばお前、半獣かよ。半端もんが邪魔するんじゃねぇよ、【雷鳥(サンダーバード)】」

「っ! 【魔獣速度強化】避けるんだキュアノス!」

<キュー!! キュルルルッ!>

 

 トルデォンより放たれた雷の鳥がファウパーンを追って飛び立つ。辛くも避けるもそのまま追い掛ける雷鳥にファウパーン達はその場から離脱せざるを得なかった。

 

「ちっ、これじゃあ此処にはもう立てないか」

 

 トルデォンは燃え盛る教会から降り立った。剣を構えるオーウェン。ニヤリと挑発する笑みを浮かべる。

「油断したな。八戦将とやら。ファウ坊に一本取られるだなんて」

「油断? ははは! 面白いことを言うじゃないか。人間が。いいか油断ってのは」

 

 瞬きすらしていないのに突如としてトルデォンが消え

 

「ーーこういうのを言うんだよ」

 

 いつのまにかユウの目の前にトルデォンがいた。

 

「【雷脚(らいきゃく)】抜刀【雷撃剣(らいげきけん)】」

「っ、はや、あぐぅ!」

 

 トルデォンの手からジグザグな(いかづち)を模様した剣が雷を伴い、薙ぎ払った。ユウは聖剣で防ぐも大きく飛ばされる。そのまま煉瓦の家にぶつかり瓦礫(がれき)砂塵(さじん)が舞った。

 とてつもない威力であった。

 だがその結果にトルデォンは不服そうにする。

 

「ユウくん!!」

「俺の【雷撃剣(らいげきけん)】を受けても感電しないとは、やはり聖剣は特別性らしいな。やれやれ、忌々しい。『地蝕』がいればその聖剣の素材となったものが分かったかもしれねぇが、まぁ居ないから仕方ねぇな。お前を殺した後にゆっくりと調査するとしよう」

「旦那っ! 【大巌砕(おおいわくだ)き】」

 

 直ぐに事態を把握したオーウェンが先ずは後援の二人(メイとクリスティナ)から離させようと横薙ぎで大剣を振るう。

 トルデォンはそれを剣を持ってない片手で受け止めた。

 

「ずぉっ!? やるじゃねぇか、予想より重くてビックリしたぜ」

「アンタこそ、オレの一撃を受けて潰れないとかどんな身体してんだッ……!」

「人如きの脆弱な体と同じにするな。それに甘いぜ? 【感電(エレクト・ショック)】」

「な!? ぐあぁぁあ!!」

 

 トルデォンの身体が発光する。

 トルデォンの身体中から放電する【感電(エレクト・ショック)】を大剣を(つた)って受けたオーウェンが身体から白煙を出して地に()せる。

 

「オーウェンさん!? くっ、【マナを糧に、目の前に立ちはだかる障害を打ち砕き給え、放出水破砲(ウォーター・ピストル)】」

「おーおー、水使いか。だがな、あいつ(・・・)に及ばないただの水鉄砲でオレを倒せるはずがないだろぉ!! 【雷電砲(クーゲルブリッツ)】」

「きゃあぁ!」

 

 メイの水魔法をトルデォンは雷で容易く弾く。

 更にはそのままの勢いで【雷電砲(クーゲルブリッツ)】が彼女へと当たる。

 瞬間メイには身体を焼かれる痛みと全身を針で刺されたような痛みが襲って来た。

 対魔法攻撃に強い衣服でなければそのまま雷で全身を焼かれていただろう。

 辛うじて息はあるが、今も痺れて動けなかった。

 

「メイちゃん! 【聖輝剣ーー」

「おぉ、勇者様よぉ。そこはちと危ないぜ? 【感電(エレクト・ショック)】」

「あ、ぐぁぁぁぁぁ!!」

「ユウさん!? そんなどうして!」

 

 メイの放った水で濡らした大地に向かいトルデォンは電気を放った。その瞬間離れているユウに電気が伝わる。その事にクリスティナは驚いた。

 

()()()()()()()()()()。まぁ、雷を扱う者が滅多にいねぇから知らねぇとは思っていたがこうもあっさり引っかかるとは「【主よ、我が前に立ち塞がりし敵を祈りを聞き届けて打ち払い給え、聖弾(ホーリーブレット)】あん?」

 

 聖剣ほどではないが、魔に対してダメージを与える『神官』による奇跡。

 しかし女神の力を借りた聖なる攻撃はトルデォンに何の痛痒(つうよう)も与えていなかった。

 

「くっ、これでもダメなんですか……!」

「自力が違うんだよ、小娘が。人間如きが舐めくさってんじゃねぇぞ!」

「がはっ!」

 

 トルデォンがクリスティナを蹴飛ばす。

 華奢(きゃしゃ)な身体のクリスティナは何度も転げ回った。『神官』の清楚な白い服が破れ、出血した箇所によって赤く染まる。

 

「クリス……ティナさん……!」

「テメェもだ、真の勇者さんよぉっ! 無様に地面に這いつくばってないでもっと足掻いてみせろよ。【紫電針(しでんばり)】」

 

 トルデォンはしなやかな長い獣の尾を振る。尾からは雷を帯電した針が多数放たれた。もし仮に当たれば蓄電されている雷によって動けなくなる。ユウは膨大な数の【紫電針(しでんばり)】を躱すも、途中【雷電砲(クーゲルブリッツ)】を放って来たりして邪魔をする。ユウはなんとかそれを躱すも、トルデォンは笑いながら中指を立てた。

 

「逝っちまいなぁ? 【地爆雷(グローム・マイン)】」

 

 【紫電針(しでんばり)】の帯電した雷が、地面を通じて一箇所に集まり、ユウの足下で放電される。全てはトルデォンの罠であった。

 【雷電砲(クーゲルブリッツ)】を避けたユウは空中でそれを避けられない。

 地面が光る。

 

 雷鳴が王都に轟いた。



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雷光

 雷鳴(らいめい)(とどろ)いた。

 【紫電針(しでんばり)】内部に帯電(たいでん)した雷は、地面の中で一箇所に収束し、ユウの着地しようとした地面を割って発生した。

 

 それは世にも珍しい()()()()()()()()()であった。

 

 余りの威力に大地は割れ、中の水分も一気に蒸発して(かわ)いた土と化した。パラパラと散った砂塵(さじん)が舞う。

 トルデォンは目を細めた。砂塵(さじん)の中に人影を発見したからだ。

 

「あ、ぐぅぅ……ッ!」

「……へぇ、咄嗟に避けたか。足一本奪い取ってやろうと思ったんだがな」

 

 ユウは生きていた。

 咄嗟に聖剣アリアンロッドの【|聖輝剣波斬《シャイニング・ウェーブ】を地面に放ち、立ち上る雷の威力を相殺したのだ。

 しかし、聖気では魔族の力は相殺出来ても雷によって生じた石飛礫(いしつぶて)から身は守れなかった。

 結果、ユウは身体の至る所から出血していた。更には咄嗟だったので聖剣の力を行使するのも不十分だったので、完全には相殺出来ず今も身体が(しび)れている。頭からも血を流しながらも、その目からは闘志(とうし)は消えていない。

 

「僕は……諦めないッ!」

 

 トルデォンはその姿から、面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

「【雷脚(らいきゃく)】……ムカつくんだよ! その闘志(とうし)は折れないって様は! 何も出来ない癖に一丁前に勇者ぶってんじゃねぇ!」

「がはっ!?」

 

 【雷脚】で凄まじいスピードでユウの背中に回り蹴飛ばす。

 

「どいつもこいつもオレを苛立だせやがる。おいおいこんなものかよ、天下の勇者パーティ様よぉ!? もっとオレを楽しませろよ【畝り迸る蛇雷鞭(ブリューナク)】」

「あ、ぐ。皆っ、下がるんだ!」

 

 (しび)れる体に(むち)を打ち、ユウは仲間へと警告する。

 のたうち回る蛇のように雷が走り、周囲の建物や木を焦がし燃やす。更にはそれは消えることなく被害を広げ続けた。

 

「まずい、あの方向は!」

 

 蛇が向かうのは助けた避難民のいる方向だった。

 彼方には防備を固めた兵士と避難民らの人がいる。際限(さいげん)なくあれが暴れれば甚大(じんだい)被害(ひがい)が広がってしまう。

 

「けほっげほっ。う、ぐ。【主よ、全てを災いからその慈愛を持ってして不浄なる輩を封じたまえ。聖障結界(せいしょうけっかい)】」

 

 錫杖(しゃくじょう)を握り締め、再び唱えるクリスティナ。

 【結界】の更に上の奇跡である【聖障結界(せいしょうけっかい)】。それでもトルデォンの雷を止めることが出来ず結界にヒビが入る。

 だからクリスティナはそれを三重、つまりは三回唱えた。当然それだけ力を消費する。

 やっとの思いで結界で閉じ込めた時にはクリスティナは立つのもやっとのほど消耗していた。

 

「はぁ……はぁ……!」

「はん。【畝り迸る蛇雷鞭(ブリューナク)】を封じ込めるか。流石は『神官』、『聖女』っつー奴といい何かを封じたりするのには()けているな。だがもはや他の奇跡を起こすだけの力は無いみたいだな」

「くぅ……」

 

 クリスティナは悔しげに顔を伏せる。

 オドロとは比較にならない圧倒的な戦闘能力。これが魔王軍八戦将の力。

 トルデォンは周囲を見渡し、誰も立ってない事を見ると溜息を吐いた。

 

「んだよ、『真の勇者』だなんて大層な名の割にこんなもんかよ。やれやれ思い出すぜ。あの時もそうやってあの勇者共(・・・・・)は地面に()いつくばっていたな」

 

 トルデォンの言葉に、とりわけユウとメイが反応した。

 

 

 

「勇者……?」

「それって……」

「ん? あぁ、確か『偽りの勇者』だっけか? はっはっはっ! あの時は傑作だった。奴ら俺たちに手も足も出ずに敗北したからな!」

「フォイルくんが……負けた」

「そうさ、奴は無様(ぶざま)に負けた! ベシュトレーベンの野郎に鎧袖一触(がいしゅういっしょく)であしらわれてよぉ! 剣士の野郎も随分と自信があったようだが俺に簡単に腕を斬られて絶望し、魔法使いもスウェイの奴にいとも容易く負けて(わめ)いていやがった。初めはなんでこんな弱っちぃ奴らが勇者なんて名乗っていたのか不思議だったが今なら納得だ! 結局の所奴は偽物(・・)に過ぎなかったんだからな!」

 

 トルデォンが嗤う。

 何処までも悪意に満ちた哄笑が響く。

 

 ユウはその中でトルデォンの言葉を反芻していた。

 

 

 偽物。

 ニセモノ。

 

 

 そんな訳はない。

 彼はいつだってーー

 

『大丈夫か? ユウ』

 

 いつも見ていた背中と声が聞こえた。

 

 

 

「だ……まれ……」

「……はん?」

「お前にフォイルくんの何が分かるんだ……お前にっ!! 何をっ!!」

「良いねぇ、良い怒りだ。だが貴様如きの速さではオレに着いてくることはーー」

「【加速(アクセル)】」

 

 聖剣を扱う勇者のスキルの一つ【加速】。

 自身の身体能力の段階をあげる勇者の奥義。フォイルの時はもはや使えなかったその技能(スキル)をトルデォンは初めて見た。

 

 ユウが消える。その速度は音すら置き去りにした。

 ユウは首を寸断する勢いで聖剣を振るうも、トルデォンは歴戦の戦士。何か来ると直感し、それを(かわ)す。だが完全には(かわ)しきれず肩を大きく斬られた。

 直ぐにその場から退避したトルデォンは斬られた肩を眺める。聖剣で斬られた所は簡単には再生しない。白銀の体から青い血がダクダクとながれていた。

 ユウの身体は淡く白く光り、聖剣もそれ以上に輝いていた。

 

「くっ! 外した……!」

「……へぇ、まさかオレに傷をつけるとはな。それにこのオレに匹敵する速度。間違いない、貴様は脅威になる。だから此処(ここ)で確実に殺す」

 

 雰囲気が変わる。

 先程までのおちゃらけた、遊びの雰囲気ではなく明確な殺意を持って殺しにかかる。

 トルデォンの殺意に共鳴するように空気中に静電気が発生する。バチバチと右手に電気を溜めながらユウに近付くトルデォンの背後で、のそりと大きな影が動いた。

 

「まだ……俺も終わってねぇぞ!」

「ふんっ、死に損ない目が! 今度は(なぶ)ろうとは考えん、焼き焦げて死にやがれ! 【雷撃剣(らいげきけん)】」

 

 背後から切りかかったにも関わらずトルデォンは容易(たやす)くオーウェンの大剣を(かわ)す。

 そのままオーウェンは【雷撃剣(らいげきけん)】を受けて感電……することなく、トルデォンの剣が振るわれるより先にそのまま頰を殴る。

 

「ふん! 【殴打(ヒット)】」

「がっ、テメェ!」

「悪いが俺は『()()』であって『()()』ではないからな! だから殴ったり蹴ったりもするぜ! どうした、まさかお上品に剣だけで対抗すると思ったのかぁ!?」

「図に乗るな! 雷電……ちっ」

「【聖空斬(せいくうざん)】!!」

 

 横からのユウの聖剣にトルデォンを攻撃をやめ、(かわ)す。

 流石に聖剣の一撃はトルデォンも警戒しているのか、最初のように受け止める事はしなかった。

 

「オーウェン! 大丈夫!? でも、あまり無茶をしないでくれ。心配なんだよ!」

「はっはっはっ! 若造が一丁前に俺を心配する暇があったらもっと自分の事を考えろ! それになぁ、前衛が無茶せずに後衛が守れるか! 旦那っ! 良いか、奴に反撃の隙を与えるな! 奴の攻撃には()()がある。それを潰すぞ!」

「うん、わかってる!」

「あぁ!? テメェらがオレに勝つつもりか!? 調子に乗るなよクソどもが!!」

 

 トルデォンの速さにユウがついていき、止まった所にオーウェンが強力な一撃を叩き込もうとする。聖剣の力も、オーウェンの一撃もまともに食らえばどちらも厄介だ。

 必然的にトルデォンは後手に回る。しかしそれでも決定打を与えるには至らない。何かあれば容易(たやす)く逆転する程度の薄皮程(うすかわほど)の有利だ。

 

 激突する三人。

 その間に、痺れが抜けてきたメイが倒れ込むクリスティナに近づく。

「クリスティナちゃん……大丈夫?」

「は、はい……こほっこほっ」

「血が出てるわ! 早く手当てしないと!」

「大丈夫です! このくらい……人々が受けた痛みに比べたらなんでもありません。それよりも、ユウさん達を援護しないと……あぅ」

 

 立ち上がろうとするも倒れそうになるクリスティナをメイは慌てて支える。

 クリスティナはもう限界だ。奇跡を行使する為に精神力を限界まで振り絞ってしまっている。

 

 だからこそクリスティナと違い人為的魔力(マナ)の方は余裕があるメイは二人を援護しようとするのだが

 

「動きが速すぎて援護の隙が……!」

 

 目まぐるしく変わる動きにメイは魔法を放てないでいた。下手に放つと巻き込み、向こうにチャンスを与えかねない。更にはトルデォンの言う水は雷を通しやすいという言葉がある以上二人を巻き込むのは絶対にダメだ。

 その事に歯噛(はが)みしている中、クリスティナは冷静に戦う様を分析していた。

 

(何故トルデォンは最初にオーウェンさんを倒した時みたいに放電しないのでしょうか?)

 

 クリスティナは思考する。初めに使ったあの【感電(エレクト・ショック)】を使えば今の状況を簡単に打破出来る。少なくともオーウェンは倒せる。なのに使わない。

 オーウェンの言うような溜めとは違う。何か別の理由があるように感じた。

 その時気付いた。派手に、豪快に雷を扱うことトルデォンが意図的に電気を扱うのを避けている箇所があることを。

 

「もしかして……」

「どうしたのクリスちゃん?」

「ユウさんの作った()。あれのせいでトルデォンは身体全体から雷を放てなくなったのかもしれません。血は所謂水に近い物質、奴は先程メイさんの水を伝ってユウさんを倒しました。ならば自らの血も電気を流してしまう媒体となります。トルデォンは確かに強力な雷を使いますがもしかして自分にもリスクがある能力である可能性があります」

 

 例えば炎。『魔法使い』の魔法の中には【炎灼帝(えんしゃくてい)(ころも)】と呼ばれる最上級魔法がある。あれは(あら)ゆるものを寄せ付けない強力な攻防一体の魔法であるが、技術が不足していると自らを焼く自滅の技となる。

 それと同じように今のトルデォンは全身から雷を放つと傷口から自らに感電してしまうのでは、と。

 メイもその指摘を受けて確かにと思う。しかしそれには疑問もある。

 

「でも……アイツ自身の体から雷を扱うんだから、雷を食らったら逆に元気になる可能性はないの?」

「だとしたらあの【雷脚(らいきゃく)】みたいに脚だけなく全身を強化して良いはずです。相手が八戦将ならそれもできるはずです。しかし、トルデォンは明らかに負傷した箇所に雷が帯電(たいでん)するのを避けています」

「何か不都合な事がなきゃ、態々躊躇する理由がないってことね……」

 

 メイは暫く考え込んだ後、ふと【聖障結界】に封じ込められた【畝り迸る蛇雷鞭(ブリューナク)】を見た。

 

「クリスちゃん、あの結界に封じ込められた雷ってそのままなのよね?」

「あ、はい。でもごめんなさい。本来なら封じ込められた魔法は時間をかけるにつれ弱まるのですけどトルデォンの力が強すぎて今の私じゃ消すことは……」

「違うの。あの結界って解放することは出来る?」

「え? 確かに出来ますけど」

「なら……」

 

 メイの語った内容にクリスティナは驚いたが「可能性はあります」と同意してくれた。

 メイはそれを聞いて、実行に移すことを決めた。



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決着

 クリスティナの同意を得たメイは魔法杖(ワンド)を構えた。

 

「【天から降り注ぐ恵み、それを一点に集約させ全ての流れ、濁流(だくりゅう)貫流(かんりゅう)奔流(ほんりゅう)還流(かんりゅう)を持ってして全てを流せ】」

 

 一言一句魔力を込めて唱えながらメイは心の中でトルデォンの言葉に(いきどお)っていた。

 

 

 フィーくんは死んだ。

 ユウくんに聖剣を渡して、崖から落ちた。遺体すら残らなかった。

 私は知らなかった。

 彼が背負ってきた使命を。

 それ以上にフィーくんが辛い思いをしていたことも、フィーくんがユウくんと私をどれだけ想っていてくれていたのかも。

 全部知らなかった。

 

 なんで言ってくれなかったのと悲しみがある。

 気付けなかった自分に腹が立つ。

 何よりも彼を嘘つきと言った自分に怒りを感じる。

 

 後悔したことだって数えきれない。

 泣いたのだって数えきれない。

 

 彼は私にとってかけがいのない幼馴染だった。

 謝ることももう出来ないし、もう一度フィーくんと話すことも出来ない。あの声を、もう聞くことが……できない。

 

 そのフィーくんをトルデォンは馬鹿にした。偽物だと。愚かだと。

 だからこそ、許せない。

 彼の覚悟を馬鹿にしたアイツを。彼を偽物といったアイツを! 絶対に!!

 私は許さない!!!

 

 

 メイは詠唱し、体内のマナを消費して魔法の行使の一歩手前までして止める。そして()()()()()()()()()()()()、注意を(うなが)す。

 

「ユウくん! オーウェンさん! 下がって!」

 

 二人は少し驚いたような顔をするが、にやりと笑うメイに何かあると感じ、その場から離れる。

 

「(相手は八戦将。生半可な魔法じゃ通じないし、【雷脚】を使われたら避けられちゃう。だったら……!)貴方なんかに(・・・・・・)受け止められるかな!? 【水激竜の白滝(ナーガ・ストリーム・フォール)】」

 

 トルデォン頭上に巨大な水の塊が出現する。

 メイが放てる最上級の水魔法。滝のような質量の竜の形をした水が空より降り、トルデォンに襲いかかる。

 

「舐めてくれるな女ぁ! 【大雷撃砲(グラース・クーゲルブリッツ)】」

 

 最初に放った時よりも大きな雷球が上空に放たれた。

 余りの威力にいとも容易く水は弾け、バチャバチャと周囲に撒き散らされた。

 

「はっ、随分と自信があったようだがやはり水鉄砲。所詮……」

 

 トルデォンは始末しようと動く時に違和感に気付いた。僅かばかりの脚にひっつく水。

 そして気付く。あれだけの水の量が自分の周りにしかないこと。更には頭上にいつのまにか移動した『神官』に封じられた自らの雷があることを。

 トルデォンは顔色を変えた。

 

「テメェッまさかっ!?」

「貴方の雷、返します!」

 

【二重詠唱】という『大魔法使い』でも使える者があまりいない技能(スキル)をメイは持っていたのだ。それは予め詠唱を唱え、魔法を発動寸前で止め、別の詠唱をした後同時に行使する。

 

 メイはワザとトルデォンを挑発し、【水激竜の白滝】を迎え撃つように仕向けた。打ち消されるのも承知で、その後の周囲に撒き散らされた飛沫(しぶき)に生じ詠唱しておいた【水粘液(アクア・ジェル)】を発動させ、トルデォンの足を封じた。

 

 無論そんなものはトルデォンにとって数秒あれば振り払えるもの。だがその数秒が命運を分ける。

 

 クリスティナが封じ込めた【畝り迸る蛇雷鞭(ブリューナク)】を、メイが撒いた水へと落とす。水を伝って、トルデォンに襲いかかる雷流。

 

「アギギギギギィィィィガァァァァ!!」

 

 トルデォンの口から呂律(ろれつ)の回らない言葉が噴き出す。それは傷の血液から内部の特別な発電回路にも電気が周り、壊れる(ショート)。都市を焼いた雷の力がそのまま自分へと跳ね返る。

 とんでもない熱量に、トルデォンの白銀の身体が黒く焦げていく。肉の焼ける嫌な臭いも漂ってくる。

 

「な……めやがっでぇぇぇ!!!」

 

 しかしトルデォンは八戦将。そのタフさも他の魔族を凌駕する。【雷脚(らいきゃく)】を使ったトルデォンが、メイとクリスティナを殺す為に接近する。あまりの速度に二人は反応出来ない。

 あと少しというところで二人の目の前に立ち塞がる影現れた。聖剣を構えたユウだ。

 

「二人には手を出させない!」

「真の勇者ァッ! だがだが聖剣に選ばれだ人間如ぎがぁっ!」

 

 苛立ち、自らに跳ね返るのも承知で【雷撃剣(らいげきけん)】で襲いかかる。ユウは押されるも聖剣で受け止める。バチバチと両者の間で火花が散る。

 魔を浄化する聖の力と全てを汚染する魔の力がぶつかり合う。

 常人には見えない速度で剣戟(けんげき)が繰り広げられる。傍目には時折弾ける火花が二人が剣を交わしていると判断出来るくらいだ。

 通常、人間であればトルデォンの速さについて行くことが出来ない。グラディウスのように、剣を(かわ)されるのがオチだ。

 

 だがユウには【加速(アクセル)】がある。

 これにより両者の差が縮まり、拮抗(きっこう)していた。

 

 大きく二人は剣をぶつけ、そのまま互いに押し付け合う。

 トルデォンは更に雷の出力を上げようとする。目は血走り、身体中から静電気が発生する。

 必ず、何がなんでも殺すと。

 そう、苛立ちのあまりトルデォンはユウしか(・・・・)見ていなかった。

 

「やっと隙を見せたな! 【大裂斬(だいれんざん)】」

 

 背後からオーウェンの強力無比な大剣が振りかざされた。

 それにより両脚が膝下から切断される。彼のスピードが死んだ。トルデォンが体勢を崩す。当然それを見逃すユウじゃない。

 

「ぐ、ぐぞ……オレがごんなどごろで……!」

「終わりだ! 【聖光顕現(せいこうけんげん)】」

 

 トルデォンももはや焦げ焦げになりながらも【雷撃剣(らいげきけん)】で受け止めようとする。

 【聖光顕現(せいこうけんげん)】は勇者のみが扱える魔を滅する奥義。その力に呼応するかの如く聖剣は白く輝き始める。

 周囲を(おお)()くすほどの光が満ち、そして

 

 

 

 ーー(トルデォン)一閃(いっせん)した。

 

 

 

 

「このオレが……ば……か…………な……」

 

 それだけを残しトルデォンは倒れた。

 

「やった……のか? 」

「あー! もう無理だぁ! 俺ぁ、もう動けねぇぞ」

 

 ドサリと大の字になってオーウェンが寝っ転がる。ユウも聖剣を支えに膝をついた。警戒するがトルデォンはピクリとも動かない。

 聖剣の一撃を受けて、完全に死んでいた。

 

 そこにメイの肩を借りたクリスティナがやってくる。

 

「ユウさん! やりましたね! 流石は『真の勇者』ですね!」

「いや、ギリギリの戦いだった……。みんなの助けがなければ負けていたよ」

 

 本当にギリギリだった。

 もし仮に後少しでもトルデォンが冷静で、その速さで各個撃破されたら負けたのは此方(こちら)だっただろう。それほどの強さだったのだ。

 

「ユウ兄!」

「ファウパーン! 大丈夫だった?」

「あぁ! あの雷の鳥に追いつかれそうになった時はオイラもう駄目だと思ったけど突然かっ消えたんだ。だからわかったんだ、ユウ兄が倒したって!」

<キュルキュル>

 

 空から戻って来たファウパーンがキラキラとした目をユウには向ける。

 

「ファウパーン、無事でよかったです。……けど、それはそれとしてさっきの行いは神官として断じて! 断じて許すわけにはいきません。後で女神様に懺悔してもらうから。キューちゃん! 貴方もですよ!」

「えぇー!?」

<キュオォ!?>

「あっはっはっは! 可哀想になファウ坊。嬢ちゃんは頭が固いからな」

「オーウェンさん、貴方も追加します」

「ちょっ!!? やめろ、俺ぁ何も悪いことしてねぇぞ!」

「ははっ。あはは……。…………」

 

 皆が笑いあう中ユウは黙り込む。

 

『結局の所奴は偽物(・・)に過ぎなかったんだからな!』

「フォイルくん……」

 

 トルデォンの語った内容にユウは一瞬怒りで我を忘れた。それこそ、勇者に似つかわしくない憎しみ(・・・)に駆られそうになるほどに。

 

 自らの聖剣を握る手が震え出す。トルデォンを切った時に聖剣に付いた血。それがフォイルの姿と重なって見えた。

 三人が話す中、ユウだけが深い心に影を差そうとする。

 

「ていっ」

「あいたっ」

「なーにぼっーとしているのかな?」

「メ、メイちゃん」

 デコピンしたメイがユウの顔を覗き込むように屈みながら見ていた。

「折角勝ったのにその主役がそんな陰気臭い顔をしちゃ、皆んな心配しちゃうでしょ?」

「え?」

 

 ユウは顔を上げる。

 

「俺たちは助かったのか……?」

「あの雷が止んだんだ、そうだろう」

「なら王都は解放されたんだ」

「勇者だ。勇者様たちが助けてくれたんだ」

「なら魔王軍はもう退けられたのか?」

 

 見れば聖剣の輝きを見た市民たちが戦闘が終わったのかと集まり出していた。誰もが倒れたトルデォンとユウを見比べている。

 

「話なら、後で私が聞いてあげる(・・・・・・・・・・)。だから今は皆を安心させてあげて」

「……うん」

 

 メイに励まされ、ユウは疲労困憊(ひろうこんぱい)の体に鞭を打ち民の前に立った。そして聖剣を掲げ、叫ぶ。街中に響かんと、大きな声で。

 

「魔王軍八戦将の一人『迅雷』はこのユウ・プロターニストが討ち取った!!」

「「「おぉぉおぉぉぉぉおぉぉぉぉぉ!!!!」」」

 

 殆どの建物が廃墟(はいきょ)と化した王都。負傷者は山程死者も勿論いる。それでも、生き残った人々のいつまでも勇者を(たた)える声が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、ゴラァム。

 

「いやだぁぁぁ!!」

「助けてぇぇ!!」

「ぎゃあぁぁぁぁぁ!!」

「痛い痛い熱い熱いぃぃぃぃ!」

「誰かお父さんを、お母さんを助けてっ!」

「熱い……熱過ぎる……」

「ゴホッゴホッ、煙がっ、何処に逃げたら良い!?」

「向こうで爆発が起きたぞ! あがっ」

「地面がドロドロに溶けてっ、あ、あぁぁ巻き込まれたっ! アチィィィ! 置いてかないでくれぇっ!」

「兵士はどうした!?」

「騎士達は!?」

「勇者っ、勇者は来ないのか!?」

 

「豚業業業!! 燃えよ、もっともっと燃えよ。人達よ! その身を炎の(かて)として、(いさぎよ)灰燼(かいじん)()すと良い。豚業業業業!!」

 

 

 人々を焼き尽くす炎の中心で最も燃える魔族……八戦将『獄炎』のブラチョーラ・玄・バルカン。

 彼と彼に率いられし魔王軍は圧倒的炎という暴力(わざわい)を持ってしてその全てを焼き尽くす。

 歴史ある街並みも、新しい建物も、未来ある若者も、老い先短い老人も、全て。

 人々は願う。誰か救い手がーー勇者が現れてほしいと。だがそこに勇者は現れることはない。

 彼らの願いは悲鳴となり、悲鳴は炎の中に消えていく。

 

 

 この日、ゴラァムは陥落した。周囲の国が救助に来た時には王都に残ったのは炭とかした人らしきものと焼け焦げた廃墟だけ。他の街でも同様であり、更には細かな村々に至っても全ての人間が姿を消した。ゴラァムは事実上亡国となる。

 

 

 生存者……なし。




 『氷霧』戦、死人なし。街の被害のみ。
 『迅雷』戦、死人はいるも生存者多数。ただし王都はほぼ壊滅。王都以外の街も壊滅。村、町には被害なし。
 『獄炎』戦、生存者なし。国が滅亡。

 勇者も救世主もいなかった国はこんな感じというのを描きたかった。
 トルデォンも強いんですが舐めプした結果最大の攻撃である雷を全力で放てなくなるなど迂闊が過ぎました。獲物を嬲り、侮る悪癖はマーキュリーに指摘されていたのですが全く彼は反省していませんでした。だからこそ、倒せたのかもしれませんが。
 さりげなく魔王軍『氷霧』と『迅雷』を失うという大損害。
 マーキュリーの胃が痛くなりますね。

 もし仮に今回の八戦将の戦う相手を変えれば普通にフォイル、ユウが死んでいました。
 この中の力関係はブラチョーラ>トルデォン=スウェイ
 トルデォンのように侮らず、スウェイのように甘くない彼はこの中では頭一つ抜けています。ベシュトレーベンには劣りますが。
 因みにユウが今の状況で『獄炎』と戦っても勝てません。スウェイには確定で勝てます。その場合スウェイは死にますが。
 フォイルはスウェイ以外の二人と戦ったらその時点でこの物語は終わりました。幾らトルデォンが舐めプしても彼の速度に追いつけません。グラディウスと同じく敗れます。


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第3章 ヴァルドニアの動乱
巡らせる者たち


「まぁ、予想通りでしょう」

 

 魔王城の一室。

 数多ある部屋の中でもマーキュリー専用の個室があった。

 飾られた水槽には巨大な魚が悠々自適と泳いでいる。

 自らの配下からの報告を受けたマーキュリーの言葉はそう零した。

 マーキュリーの予想通りトルデォンは『真の勇者』に挑み、敗北した。

 

「それで? ソドォムに展開していた魔族はどうしましたか?」

「ソドォム王都の魔族と魔物は壊滅しましたが、その他の地域の魔族は、トルデォン様の敗北後速やかに撤退させました。その為損害は軽微です」

「結構。八戦将が敗れる『真の勇者』が現れた時点で劣る魔族では勝てやしませんからね。我々が直接統率すればまた別でしょうが。その分の力をまた戦線にでも投入するとしましょう。あぁ、それとトルデォンさんの亡骸の回収は?」

「既に完了済みです。勇者が去った後の復興の最中に回収しました。女神教が来る前でしたので簡単でした。我々によるものと思わせないよう火事で焼失したように見せかけています」

「宜しい。では例の場所(・・・・)に運んでおいてください」

「わかりました」

 

 それらの一人からの報告を受けたマーキュリーは満足そうに頷き、別のそれらに顔を向ける。

 

「それで? 観測させていた魔族からの情報はどうなんですか?」

「……こちらに」

 渡された書類を確認する。

「ふむ。……成る程、『真の勇者』の仲間は四名。元より存在が確認されていた『魔法使い』に加え、『神官』『戦士』そして『魔獣使い(テイマー)』ですか。それで飛竜を所持していると。道理で予想よりも移動速度が速いわけです」

「飛竜となると、少し厄介です。こちらにも居りますが『魔獣使い(テイマー)』と契約した飛竜となると強化されていると思います」

「確かに脅威ですが、たかだか一匹の飛竜。此方がそれ以上の数を動員すれば容易く落とせるでしょう。数の暴力の前に個など

「なるほど、確かにそうですね」

 

 思わず頷くそれらの内の一人。

 その様子を見ていたマーキュリーだが、ふと顎に手を当てる。

 

「……いえ、訂正します。侮るのは危険です。仮にも勇者パーティに選ばれる程なのです。何か他の特別な力があっても不思議ではありません。それこそ、『竜騎士』に匹敵するほどに」

「それは……杞憂(きゆう)なのでは?」

「飛竜に乗る勇者など脅威以外の何者でもありませんよ。勇者からの攻撃でこちら側の飛竜は容易く撃墜されるでしょう。そう考えると、これから勇者の現れるであろう場所に飛竜を使うのは控えた方が良いでしょうか……? 上空支援は街を陥とすのに必須と言っても良いのですが。しかし、無駄に落とされるのも此方としては痛手ですし。かといって全くの航空戦力なしも……まぁ、こちらはまた後で検証しましょう」

 

 マーキュリーは今後の課題として飛竜の運用を考えておくことを決意する。

 

「そして何より『真の勇者』の実力。此方は予想以上に成長速度が早いですね。まだ聖剣が渡って二ヶ月しか経たないというのに、八戦将を討ち取るとは。勿論、仲間の機転によるものが大きいですが」

 

 報告では、トルデォンは勇者に斬られた後自らの雷を利用され、逆に大ダメージを負ったと記されている。

 最初から本気を出せば、勇者の仲間くらいなら簡単に仕留められたものを。結果足元を(すく)われている。又も侮ったのかとマーキュリーは溜息を吐きそうになる。

 

「ダウンバーストさんがやられた時とは随分と違う。向こうは『偽りの勇者』の時は鍛える期間があったとは言え、10年かかってやっと此方(こちら)の一人倒せたというのに……。真の勇者はまだ現れて二ヶ月も経っていない。なのにもう八戦将を討ち取れるとは。ん? そう言えば、『偽りの勇者』とはいえ此方(こちら)の八戦将が討ち取られた……。これは、どういうことでしょうか?」

 

 マーキュリーは今代の勇者はユウ・プロターゴニストだと思っている。

 だがフォイル・オースティンによって一人八戦将が討ち取られている。それはおかしい。八戦将に対抗出来る存在は少ない。

 ならば、もしかしてフォイルも勇者であったのか?

 だがそれだと『偽り』というのが矛盾する。道理が合わない。

 

「……消すべき、いや。そもそも彼は『真の勇者』に討ち取られていましたか。ふーむ、聖剣を奪うのではなくこちら側に誘うべきでしたね」

「マーキュリー様、既に一度その策は実行したの。そして実行した魔族はあえなく死んだの」

「おや、バレてしまいましたか。流石は私のものですね」

「光栄なの!」

 

 嬉しそうにするそれらのうちの一人。

 他のそれらはその一人に若干の嫉妬の目を向ける。

 

「次にいきましょう。ブラチョーラさんからの報告はどうでしたか?」

「問題なしなの。ゴラァムの守備隊は全滅。街も、そして首都ももう焼け野原、人っ子一人の気配もないなの。細々とした村も魔物が追い込んで全部皆殺しにしたの。抜かりはないの。それと副次作用でゴラァムに一杯人間のアンデットが沸いたの。それだけの苦痛、悲哀だったのね。だから、人間側はその対処に追われているの。ゴラァムを復興するのはもう不可能なの!」

「成る程。流石はブラチョーラさんですね」

「けど、魔王城に帰った後もうるさいの。「もっと身体も心も熱くなる戦いを!」って騒いでるのなの。おかげで途中の廊下が焦げたの。すっごい焦げ臭いの」

「……まぁ、その程度の被害には目を瞑りましょう」

 

 ブラチョーラは身も心も焼く魔族だ。

 こちらが言った程度で鎮火するはずもない。トルデォンと比べればやることはキッチリとやるのでその程度の損害ならば目を瞑る。さっさと地下の溶岩地帯にでも行かせておこう。

 

「それで、スウェイさんの方はどうでしたか?」

「音信不通。今だに反応なし」

「あぁ、またですか。なら同行している私の配下の魔族カマディスクに連絡しなさい」

「同じく音信不通」

「……何ですって?」

 

 ここで初めてこれまで余裕綽々(よゆうたんたん)としていたマーキュリーの表情が崩れた。

 

「どういうことです? 詳しく状況を説明してください」

「スウェイ様率いる魔族は一月前にこの魔王城から出発、その後、報告しないスウェイ様に代わってマーキュリー様の入り込ませた魔族と連絡を取ってました。最後の報告は、商業都市リッコに近付いたという報告だけ。それ以来何の反応もなし。予想だにしていなかった。まさに青天霹靂(せいてんのへきれき)

 

 報告を受けたマーキュリーは、ここで初めて考え込む仕草をした。

 

「完了の報告がないということはスウェイさんが商業都市リッコを落としていない…? 確かにソドォムとゴラァムと比べれば距離がありますから、その分も含めれば多少の誤差は仕方ないはず。しかし、近くに行けたのなら一日どころか半日でも制圧できるはず。しかし音信不通……? 前よりそういった事自体はありましたが、カマディスクとの交信もないとなると……」

 

 地図を持って来なさいと、マーキュリーはそれらの一人に命じる。広げられた地図ーー人間の持つものよりも精巧なものーーを見ながらマーキュリーは指示を下す。

 

「位置的に近いのは()()()()()()()()()()()()ですね。貴方は、彼にも念の為情報がないか集めるように指示しなさい」

「……了解。……けどあの国は今マーキュリー様の指示通り結構国内が荒れています……そんな中、情報が集まるでしょうか……?」

「今のシュテルングの地位を利用すればさして難しいことはないでしょう。彼のおかげで大量の魔物と魔族も太陽国ソレイユより背後の国々へも潜ませることが出来たのですから。それよりも、もし仮にですがスウェイさんが何かしらに敗れたとすればそちらのが大問題です。彼処には勇者がいません。それでももし仮に敗れたとすれば……」

 

 マーキュリーは扇子を口元に持っていく。

 

「女神教の例の実行部隊か……? しかし、戦線に出張っているから此処に現れるとは考え辛い……。ならば冒険者。先代の勇者の遺物の組織(・・・・・)に邪魔されたと考えるのだが妥当ですか? 確か、此処より後ろの国々の殆どに存在していたはず。しかし、幾ら最上位の冒険者であろうと八戦将が遅れを取るとは……」

 

 明晰な頭脳はあらゆる可能性を考える。

 しかしその全てが答えは否、とでる。

 

 八戦将は、魔王軍の要。

 いくらスウェイは魔王より加護を受けていないとはいえ、その力は八戦将として認められたほどなのだ。

 

 しかし、スウェイの正体について思考を巡らすとある一つの答えが浮かび上がる。

 

「まさかエルフですか。それならまだ、納得がいく。彼女の正体からも粛清と考えるのが妥当でしょうか? それにしてはエルフ側の動きがない。"ミュルクヴィズ大森林"を監視させているもの達からも連絡はない。元より森に籠る隠匿者であり、本当の意味で魔法を扱う種族。そうそう動きを読めるものではありませんが……」

 

 元々魔王軍にスウェイを誘ったのはマーキュリーだ。当時魔界の一角を吹雪地帯にまで行き、言葉巧みに誘った。

 その後八戦将としての交流はあったので、ある程度の事は把握している。

 だからこそ、他の八戦将と違ってエルフが動き出してもおかしくはない。

 

 だが、幾らエルフであろうと今のスウェイの力は増している。少数のエルフ相手に負けることはないほどに。

 

 ならば大規模かというと、それは先述の通り"ミュルクヴィズ大森林"に動きがない事から考えづらい。

 

 ふとマーキュリーはそれらが心配そうにこちらを見ているのに気付く。

 

「……まだ決まった訳でもないのに考え込むのは私の悪い癖ですね。とにかく、情報を集めるのを先決しなさい」

「「「「はっ」」」」

 

 それらは、マーキュリーの言葉に従い部屋を後にする。

 

 誰も居なくなった部屋でマーキュリーは地図を商業都市リッコがある箇所を睨んでいた。

 

 杞憂(きゆう)なら良い。

 偶々スウェイの通信機が故障し、カマディスクも街を襲った際に死んでしまったのなら問題はない。

 だが、もし仮に。

 何者かに倒されたとするならば。

 

「例え誰であろうと、私の策を邪魔する者は許しませんよ。人……いえ、こう呼ぶべきでしょうか。"不透明な者(イレギュラー)"」




カマディスク
《氷霧》の話で名乗ろうとしたらアヤメに斬られた魔族。マーキュリーが潜り込ませた配下。以上。


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貴方は私を救ってくれた

お知らせですが、今後の投稿は土日にしようと思います。
忙しくなったので更新頻度を下げます。申し訳ありません。



「…………きて………ぇ、おき…………」

 

 誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。

 ゆさゆさ、ゆさゆさと。

 体を()すっている。

 恐らくはアイリスちゃんだろう。けど俺はまだちょっと眠い。身体もまだ起きたくないと言っている。

 だから(うめ)きながらもまだ起きない。

 

「起きてってば。じゃないと、冷たい冷気を首筋に流し込むわよ」

「う〜ん、それは勘弁してほしいかなぁ…………冷気?」

 何やら不穏(ふおん)な単語に俺の目もパッチリ、開眼(かいがん)する。

 目の前にはサラリとした少し青みかかった綺麗な銀髪の綺麗な褐色の肌のコントラストが綺麗な驚く程の美人さんが俺の身体にしなだれながらこちらをその紅眼で見つめていた。

 どうやら膝枕(ひざまくら)されているらしい……って

 

「ん……、んっ!? え、何これ!?」

「あ、起きた。おはよう」

「え、あ、お、おはよう?」

「あー! 貴方何やってるんですか!」

 

 突然叫ぶ声が聞こえてそっちを向くと、きのみを抱えたアイリスちゃんが天敵を見る目でこっちを見ていた。

 

「何って起こしてるの。わかるでしょ?」

「起こすのはわたしの役目です! それをわたしがきのみを集めに行った隙をつくなんて! どうやってあの縄から抜けたんですか、どろぼうねこ!」

「あの程度凍らせたら簡単に砕けるし生憎(あいにく)此方(こなた)は猫じゃないわ、ちみっ娘」

「ちみっ……し、しつれいですよ!」

 

 ばっと胸を押さえて顔を赤らめるアイリスちゃん。

 その間に俺は起きたばかりの頭を総動員する。確か俺が倒れるように眠る前に対峙(たいじ)していた相手……そうだ、この銀髪見覚えがある。 何より目立つのはピンと、それでいて少しだけ下方向に向いた長い耳。

 そうだこの女性の名は

 

「まさかスウェイ……か? 」

「えぇ、そうよ。まさか忘れたの?」

「あぁ、いや。ちょっと記憶の中の君と比べて余りに違っていて混乱しているというか……」

「それはそうよ。だってあの時の貴方と此方(こなた)は敵同士だったもの。でも今は違う。貴方は此方(こなた)の敵じゃない。そうでしょう?」

 

 確かに俺は彼女を救おうと手を差し伸べた。

 けど、まさかここまで性格が変化するとは思っていなかった。というか、戦っていた時の面影(おもかげ)がどこにもない。(いと)しげにこっちを見ている。

 俺の混乱を他所(よそ)にスウェイは何やら思案した顔になる。

 

「何? まだ目が覚めないの? しょうがないわね。確か……本で読んだけどこうすれば良いんだっけ?」

「わぷっ!?」

 

 突然俺は彼女の胸に頭を抱き抱えられた!

 えっ、なに!? どうなっているの!? あ、柔らかくて温かい……なんか安心する。

 そう、昔死んだ母さんに遊び疲れた時にこうやってして貰っていたっけ……。

 

「ちょっと! アヤメさんを誘惑するのはやめてください!」

「ふふん、持つ者と持たざる者の差ね」

「調子に乗らないでください! わたしだってあと数百年あれば……あれば…………、うぅ、母様はあそこまで胸は大きくありませんでした……」

 

 何やら悔しそうに(うつむ)くアイリスちゃん。

 っと、見ている場合じゃない! 

 

「あの、起こしてくれたのはありがたいけどそろそろ離して欲しいんだけど」

「あら、貴方はこういったことは嫌い?」

「いや、嫌いかどうかと聞かれたら……好きです。はい」

「アヤメさん! そこははっきりと否定して下さいよ! 貧乳こそが最高だと! ぱぁふぇくとだと!」

「見苦しいわ。敗者は大人しくしていなさい」

「むぎゅう〜……!」

 

 歯軋(はぎし)りしてスウェイを半泣きで睨むアイリスちゃん。

 その様子を見ていた俺だけどよくよく考えたら今の俺完全にアウトじゃないか!?

 

「ま、待ってくれ! 年頃の女の子が軽々しくこんな風にしちゃいけないよっ!」

「あっ……」

 

 バッと離れるとスウェイは捨てられた犬みたいな顔になる。

 

「ふふ……そうよね。此方(こなた)となんか一緒にいても全然嬉しくないわよね……。当たり前よね、だから此方(こなた)は捨てられたんだもの……ふふ、ふふふ…………」

「えっ!? ちょっと待ってくれないかな!? 俺はそんなつもりで払った訳じゃなくてだね! だからスウェイもそんな風に傷付く必要はなくてだね。いや、そんなのは言い訳か。すまないっ」

 

 あぁもう(あわ)てすぎて考慮(こうりょ)に欠けていた。しかし一度起こした行動はもう取り返しがつかない。

 俺は頭を下げるもスウェイは何やら別の事を考え込んでいた。

 

「スウェイ……スウェイ、か」

「ん?」

 

 スウェイは何やら少し逡巡(しゅんじゅん)するように視線を彷徨(さまよ)わせると決心したのかきゅっと唇を締めてこう言った。

 

「聞いて、此方(こなた)の本当の名前はキキョウ(・・・・)って言うの」

「本当の? スウェイは違うのか?」

「それは魔王軍はいたときにこれまでの自分を捨て去ってやろうと思って作った偽名だから。だからそれ以上の意味はないわ。けど、貴方には此方(こなた)の本当の名前を知っていて欲しかったから……」

 

 スウェイ、いやキキョウちゃんはそういってこっちを見る。その目を見て、俺は逸らすことなどできなかった。

 

「キキョウ……キキョウか。そっか、良い名だね」

「キ、キキョウだなんてそんな! キキョウにはソライロキキョウアヤメって花があるじゃないですか。あぁぉぁぁ、わた、わたしの完璧な計画が、アヤメさんとの未来がぁぁ……」

 

 何やらこの世の終わりみたいな顔をするアイリスちゃん。

 そうなんだ、ソライロキキョウアヤメなんて花があるんだね。

 けど別に名前が近しいからと言って何か不都合なことがあるのだろうか? よくわからないがあるのかもしれない。

 

「アイリスちゃん、何をそんなにうちひしがれているんだ? 偶々名前が同じなだけじゃないか」

「それは! ……あ、あう。だめです言えません……」

「何よ、変な子ね」

「っ、貴方がそれを言いますか! って、あれ? ……もしかして気付いていないのですか?」

「? 何が?」

 

 ここでアイリスはキキョウの様子から何も知らないのだと予測する。

 普通近しい名ならその意味を知るエルフなら喜ぶなどをするがキキョウにその様子はない。

 ならまだ大丈夫。問題ない。彼女に知られなければ、あとは他のエルフにさえ気を付ければ問題ない。キキョウが名前の意味さえ知らなければこれ以上調子に乗らせることもない。

 

「別になんでもないのです。ふふ〜ん」

「え、なに。今度はご機嫌になって……変な子」

「なんとでも言うが良いです。わたしはおとなのよゆーで柳に風です」

「…………変な子」

「ちょっと、(あわ)れむのはやめるのです。なんだが胸がむかむかします」

 

 (あわ)れむ視線にアイリスちゃんがむっとした所で俺はまぁまぁと仲裁する。

 

「二人ともそんなに喧嘩腰にならなくても……」

「アヤメさんは甘すぎるのです! わたしはまだ彼女を認めていません! だってだって! 彼女はアヤメさんにあんな酷い仕打ちをしたんですよ!」

「それは……確かに此方(こなた)が悪いのは認めるわ。でも、それとこれは別よ。それに此方(こなた)は別に貴方に認めて貰おうとも思ってないわ。自意識過剰(じいしきかじょう)なんじゃないの?」

「むぎぃ〜! むかつくのです!」

「ちょっと二人とも。喧嘩はその辺に」

 

<ガウッ!>

 

 腹減ったと言わんばかりにジャママが吠える。それに俺たちはようやく頭を冷やした。

 

「……とりあえず朝食にしようか」

 

 俺の言葉に二人は頷いた。

 

 

 

 アイリスちゃんが作った朝食を俺たちは食べた。

 

 因みにちゃっかりアイリスちゃんは俺の隣に座っている。なんか「ここは譲れません。き〜ぷです」と言っていた。

 今も隣に座りながらキキョウちゃんを睨んでいる。睨んでもそれはまるで子猫のようで全く怖くはない。現にキキョウちゃんも特に気にした様子はない。

 

「アヤメさんアヤメさん、今日のごはんはどうでしたか?」

「うん、いつも通り美味しかったよ。ありがとう」

「えへへ〜。張り切って作った甲斐がありました! それで、そっちはどうでしたか?」

「……不服だけども美味しかったわ」

「ふふ〜ん、貴方お料理出来なそうですものね」

「貴方魔界にまともな食材があると思っているの?」

「……………ごめんなさい」

「同情なんてされたくないわ……。それにあまり向こうの食材を食べると()()()しどの道食べなかったわ……」

「んんっ、ほら二人ともそんな暗い顔にならないでさ! こんなに空も明るいし!」

 

 何やらどんよりした空気に成りかけた俺は態とらしく咳をして話題を変える。

 するとジャママがキキョウちゃんに向かって唸っていた。

 

<ガルル……>

「あら、何よ?」

「あぁ、恐らくジャママはキキョウちゃんが、アイリスちゃんを攫ったから敵意を向けているんだと思う」

「ふふん! わたしのジャママはとっても優しくて、とってもかっこいいのです。わたしをさらった貴方に懐くことなんてありません! ふふーん!」

「ここが良いの? へぇ、中々顔も良いし、毛並みも良いじゃない。此方(こなた)には敵わなかったとはいえ、ちみっ娘を守ろうとした姿勢(しせい)賞賛(しょうさん)(あたい)するわ。やるじゃない、小さな騎士さん」

<ガウガウ!>

「ジャママァッ!!?」

 

 アイリスちゃんがキキョウちゃんに撫で回されるジャママを見てショックを受けたように叫ぶ。

 嘘だろ……俺ですらまだジャママに触れたことなんてないんだぞ。

 

「そんな……ジャママがこんなに簡単に……、幾らエルフは魔獣との対話が出来るとは言えこんな……これが、噂の寝取りって奴ですか……。このままじゃ、アヤメさんも寝取られる……」

「何を言ってるんだアイリスちゃん」

 

 ぶつぶつと膝を抱えて、(うつ)ろな目で呟く。

 なんとかしてあげたいけど、これはちょっとほっといた方が良さそうだ。

 

「えっと、お取り込み中悪いけどキキョウちゃんに聞きたいことがあるんだ。魔王軍はこれからどういう作戦で人間界に攻め入るつもりなんだい?」

「え? 此方(こなた)は魔王軍はどういう風に動くのか知らないわ」

「え?」

 

 あれ?

 

「だってキキョウちゃんは八戦将なんだよね?」

「そうだけど、別に八戦将だから全て知ってるって訳じゃないもの。人だって役職が偉い人が経営内容を全て知ってるはずないでしょ? 王様が農民の作物の作り方を知らないように。それと同じよ」

「それはそうだけど……。せめてこう、他の八戦将の動向とか……」

「知らないわ。だって興味がなかったし。今回の作戦も『水陣』が作戦を立てて此方(こなた)はそれに従っただけだもの。その後すぐに会議室から出たからその後の動向も知らないわ」

 

 あっけらかんと知らないと言うキキョウちゃん。

 八戦将って魔王軍の幹部なんだよな? それが自らの組織の方向性や作戦を知らないってどういうことなんだ……。意外と魔王軍は仲が悪いのだろうか? 職場環境改善した方が良いんじゃないか、見たことない魔王様とやら。

 その言葉を聞いて落ち込んでいたアイリスちゃんが復活したのかゆらりと立ち上がる。その顔はにやぁと悪意に満ちた笑顔をしていた。いや、人がして良い顔じゃないよ。

 

「はぁ〜……何の役にも立ちませんね、このぼっち」

「な、何よ! 何か文句ある訳!?」

「役に立ってないからこう言っているのですよ。わかっているのですか、このぼっち。にーと。ひきこもり」

「ふわぁ、ふぐ……えぐ、う、うわぁぁぁんアヤメぇぇ!! 」

「あー、よしよし」

「あっ、ずるいですよ!」

 

 俺の胸に泣きつくキキョウちゃんの頭を(なだ)めるように撫でてあげる。

 何というか、大人の女性の頭を気安く触れるのは(いささ)か抵抗があるけどキキョウちゃんの過去を(かえり)みるにこうした風に少しでも人のぬくもりが必要だと俺は感じた。

 

「アイリスちゃんも、そんなキツく当たらなくても」

「だって……だってぇ……折角のアヤメさんとの二人旅だったのに……わたしよりも胸もお尻も大きいですし……」

 

 アイリスちゃんもあと十年……いやエルフだから100年? 200年? ともかくそれくらいすれば同じくらい立派になるだろうに。

 そんな直ぐに気にするほどじゃないよ。

 

 それよりも、だ。

 キキョウちゃんが余り魔王軍の情報を知らないのは想定外だった。何か情報があれば、今回キキョウちゃんが態々後方の国や都市を襲うより先回りして被害を防ごうと考えていたんだが……。

 ただ魔王軍の『水陣(・・)』とやらが作戦を立てているらしい。キキョウちゃんがあの街を襲ったのもそいつの指示だかららしい。確かにあそこを失えば太陽国ソレイユをはじめとした魔界に近い国々は交通の要衝を失うこととなり、前線にも影響が出るだろう。中々に厄介な奴だ。頭が良い奴はそれだけでも厄介なのに八戦将ということは強さも段違いだろう。

 

 実際今胸で泣いているキキョウちゃんも八戦将の名に恥じないほどの力を持っているのだ。街一つを凍らせるほどの力、再生する氷の巨人を作る、彼女が本気で人々を殺しにかかったら多くの人が氷で命を失ったのは間違いない。

 正直もし今彼女が俺を凍らせようとしたら成すすべなく俺は氷像になるだろう。

 グズグズと泣いてる姿を見るとそうは思えないけど。

 

「まぁでも確かに無知な子をいじめてるみたいで少しばかり大人げなかったです。ごめんなさい」

「そうよ、このちみっ娘! 胸だけじゃなくて心も貧相ね! 此方(こなた)の方が歳上なんだからもっと敬意を示すべきよ! わかったら此方(こなた)のことをお姉様といいなさい!」

「うるさいですよ、調子乗らないでくださいこのぼっち」

「ぴぃっ!」

「こらこら。キキョウちゃんも、あんまり喧嘩腰に話すのは良くないよ」

「うぅ……」

 

 キキョウちゃんは俺の後ろに隠れる。流石に人のコンプレックスに触れたから今のはキキョウちゃんが悪い。

 それにしても、アイリスちゃん、キキョウちゃんに対しての言葉が本当に容赦ないな。いや、俺が甘いのか?

 

「アヤメ、このちみっ娘此方なんかよりよっぽど凍てついた心を持っているわ……」

「いや、そんなことないよ。アイリスちゃんは優しい心を持った女の子だよ」

「うそよ! うそ! 見てよ、あの目。此方(こなた)をまるで養豚場の家畜か、汚物を見る目だわ。なんて恐ろしい……」

「いやそれは多分……」

 

 俺の腕をキキョウちゃんが握りしめているからだと思う。ずっと見てるし。

 あっ、俺の顔見てムスッとした。「なんで離さないんですか」と顔にありありと書いてある。……後でフォローしておこう。

 

「それで、貴方魔王軍を裏切ることについて何か思うことはないんですか?」

「ないわ。此方(こなた)はただ何処か()(どころ)が欲しくてそれが偶々魔王軍だっただけだもの。そこも、本当の意味で居場所にはならなかったわ。でも今はある。ここが此方(こなた)の居場所。アヤメがいてくれるなら彼処(あそこ)未練(みれん)なんてない」

「そこ! 手を繋ごうとしないでください! あー、もう! アヤメさん! そんな年増(としま)なんかよりわたしを見てください!」

年増(としま)!? 失礼ね、貴方だってアヤメと比べたらお(ばあ)さ」

「年齢のこと言うなんて卑怯(ひきょう)ですよ!」

「先に言ったのはそっちでしょ!」

「ちょっと二人とも落ち着いて……うわっ」

 

 グイッとキキョウちゃんが俺の手を引く。

 それを見たアイリスちゃんももう片方の俺の手を握る。

 

「アヤメさんが痛がっています! その手を離してください!」

「嫌よ、貴女が離しなさい」

「いっ!? ちょっと二人とも力込めすぎ……! 痛たたっ、冷たっ!?」

 

 方やぎゅーとアイリスちゃんが力一杯引っ張る痛み、方や無意識か冷気を発するキキョウちゃんの冷たさ。どちらも甲乙つけがたい痛みが俺を襲う。どちらも引く気がないから始末(しまつ)に負えない!

 

「は〜な〜せ〜!」

「絶対に、い・や・よ」

「あ、待って待って。本当に痛いから、あ、アァーッ!」

<クォ〜ン>

 

 森の中に俺の悲鳴が響き渡る。

 因みにジャママは我関せずと呑気(のんき)日向(ひなた)ごっこしていた。

 こいつが一番神経が図太いんじゃないか、そう俺は思った。



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吉報

今後アヤメのキキョウへの呼び方を「キキョウちゃん→キキョウ」に変更します。
前話の方も後に修正しておきます。


「ごめんなさいアヤメさん」

「ごめんアヤメ」

「あぁ、いや。大丈夫だよ。うん。ただ次からはもう少し俺の体を考慮してくれたら嬉しいかな……」

 

 あの後二人を何とか(なだ)めた俺だけどその頃には服は片方が伸びて、片方が凍ってしまった。

 お陰で別の服を着るはめになった。次の街に着いたらもう少し服を買っておこう。

 二人は反省しているのか、姉妹のようにシュンと頭を下げている。その後、とりあえず俺の服が犠牲になるような事はなくなった。

 

 

 俺たちは次の町を目指して歩き始めた。

 道のり自体は好調に進めている。

 問題があるとしたらちょこちょこ二人は揉めるのだけれど、初日の俺の服を台無しにした負い目からか、そこまで大ゲンカにはなっていない。

 

「……だから何でアヤメさんに寄りかかろうとしているんですか!」

「別に貴方の許可なんて必要ないわ」

「わたしの方がアヤメさんと先に居たんですよ!?」

「想いの強さに、時間の差なんて関係ないわ。寧ろそんな事でしか優位に立てないなんて貴方、哀れね」

「むぎぎぃぃ……!」

<クォォ〜ン>

 

 てか揉める内容が俺に関してばっかりなのだけど。

 この場合どうするのが正解なんだ? どっちに肩入れしても後が怖いから俺は両方を(なだ)めるしかない。

 

 本当なら仲良くしてもらいたい所だが、アイリスちゃんがキキョウに当たりが強いのが俺を傷付けたのが許せないって言っていた。

 俺はもう気にしていないのだが、実際俺の傷を癒したアイリスちゃんからすれば、また違うのだろう。

 いつか、本当の意味で二人が仲良くなれれば良いんだが。

 

 それにしても夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、ジャママはもはや気にしていない。というか当事者でないからか全く気にせずにアクビしてる。

 

 気ままで良いなぁ、こいつ。

 

「……そういえば、ジャママ少し大きくなってないか?」

 

 先を歩くジャママは以前より少しばかり大きく見えた。

 

 

 

 

 

 

 やっと着いた所は《レイク》という所だ。

 この町はヴァルドニアと呼ばれる山岳地帯に周囲を囲まれた国の国境付近に存在する町だ。国境近くだから、ここを通っていく商人がいるのでそれなりに人の往来(おうらい)は多い。

 ……うん、まぁ。それだけなんだけど。規模もこの前のフィオーレの町の三分の一くらいで、町と呼ばれるのも商人達が休憩できるように宿泊できる場所としての機能を持たせるようにし、人が集まって形成されたからだ。

 なので《レイク》は宿泊街として有名だ。

 後は近くにあるという湖から取れる魚が名産であるというくらいか。

 

 《レイク》に入ろうとする俺たちだが、ふと気付いた。

 

「キキョウ、君はそのままで入って大丈夫なのか?」

「ん? 大丈夫よ。此方(こなた)は他の面々と違って顔が割れてないし。今まで他人不信で全身外套(がいとう)で隠してたのが(こう)(そう)したわね」

「そんなどや顔で言われてもこっちとしてはその言葉に心が痛いんだが……。でも可能性は低いと思うがアイリスちゃん以外のエルフに見つかるとかは大丈夫なのか?」

「そうですよ、なんならわたしの仮面貸してあげますよ。はい」

「……え、何これ」

「はんにゃです。要らないですか?」

「いらないわよ! 貴方達は心配しているけど、それも大丈夫よ。ねぇ、何か此方(こなた)を見て気付いた事はない?」

「え?」

「あっ、わたしみたいに耳が尖ってませんよ! さっきまでは尖ってたのに!」

「あっ、確かに」

 

 どや顔のキキョウの耳は、普通の人みたく丸くなっていた。

 

「ふふ〜ん、それはこれのおかげね」

 

 キキョウは雪の結晶の形をした耳飾りに触れる。それを外すと元のピンとした耳が露わになる。

 

「まさか魔法具なのか?」

「正解よアヤメ。"幻影の耳飾り(ミラージュイヤリング)"と言って装着するとこうしてある程度自ら姿を変えることが出来るの。今までは使う機会がなかったけど、持っていて良かったわ。まぁ、僅かとはいえ常に魔力を消費するから寝る時は外すけど」

「へぇ、まるで『水の魔法使い』の【幻の虚像(イリュージョン)】みたいだね」

「そっちとは違って使い勝手は良くわないわ。装着した部位にしか効果は発生しないし、そもそもこれは耳飾りだから最初から耳ぐらいにしか効果がないわ」

「そうなのか」

 

 意外と範囲は狭いんだな。

 

 もしかしたら俺も顔を変えることも出来るかもと思ったんだが。そうすれば、より正体がバレる可能性が低くなると思ったけど、世の中そううまくはいかないか。そもそも、魔法具もないしな。

 

 キキョウの正体バレという懸念も無くなり、検問(けんもん)を突破した俺たちだけど、その町並みを見てやっぱり宿泊施設が多いという印象を受けた。それ以外はフィオーレの町と特に変わった所はない。

 

「ふ〜ん。……良くも悪くも普通の町ね。見所がない、って言うのかしら」

「この町について一言がそれですか。失礼なのです」

「ならちみっ娘ならなんて言うのよ」

「……長閑(のどか)で毎日がほのぼのしていそうな町です。さぞ、お昼寝したら気持ち良さそうです」

迂遠(うえん)に田舎って言ってないかしら」

「むぎゅっ、し、しつれいなっ。そんなことはない……はずです?」

<カァウ?>

「なんで疑問系なんだい?」

 

 そんな会話をしながら俺たちは町を歩く。

 やはりと言うべきかこの町は宿泊施設が多くあり、商人の馬車或いは鳥車が、宿泊施設に併設された馬車置きに沢山あった。

 商人が集まるだけあって町の方も賑やかだ。だが、何かそれだけではないように感じる。

 

「何だか町が騒がしいね」

「規模が小さいとは言え、町が騒がしいのはいつものことじゃないですか? 特に今は朝なので動く人が多いからそう感じるんだと思いますよ」

「いや、そういった騒がしさじゃなくてだね……。そうだな、この間の《大輪祭》前日の様子に似ている」

「そう言われれば確かに……でも何かあったってあの門番の人言ってませんでしたよ?」

「ねぇ、ちょっと二人とも。あそこを見て。人集りが出来ているわ」

 

 キキョウが指し示す場所には、突貫工事で立てたのかやたらと大きい掲示板の周りに多くの人々が集まっていた。

 俺たちもそれを見ようとして近づく。だが人混みが多過ぎて掲示板の内容が見える所まで近付けない。

 俺とキキョウですらそれなのだ。アイリスちゃんは身長が足りないので、ぴょんぴょんとジャンプしているけど見えなくてしょんぼりしている。

 ジャママに至っては望むべくもない。多分人の足しか見えていない。

 諦めて人に聞く事にする。

 

「一体なんの騒ぎなんですか?」

「何だアンタら知らないのか!?」

「俺たち今この町に来たばっかりなんだよ」

「そうか……実は魔王軍の幹部の一人が討ち取られたらしい!」

「えっ」

 

 もうあの話が町にまで広がったのかと思って若干驚くと同時に背後のキキョウから少しだけ息を飲むのが聞こえた。

 俺は少し体を動かしてキキョウを隠すようにしながら話を訊く。

 

「最近暗い事ばかりだったから、皆湧いているんだ。だからこれだけの人が集まっているんだ!」

「ごめんね、ちょっと道に迷ってさっき山から降りたからそういう情報には(うと)いんだ。だから何があったのかもっと教えてくれないか?」

「なんだそうなのか? なら教えてやるよ。ーー倒したのは『真の勇者』のユウ・プロターゴニストだって話だ!! 彼はソドォムを襲う魔王軍を退治して『迅雷』と呼ばれる八戦将を討ち取ったんだ!」

 

 てっきり、形は違えど商業都市リッコの事だと思っていただけにその言葉を驚きを持って俺に衝撃を与えた。

 『真の勇者』ーーつまりユウが。

 俺もグラディウスも勝てなかった『迅雷』のトルデォンを討ち取ったらしい。

 

「へぇ。そうか……ははっ、そうか!」

 

 やるじゃないか、ユウ。『真の勇者』としての資質は完全に目覚めたらしいな。俺は思わず口元が緩む。やばい、嬉しくてたまらない。

 俺はお礼を言ってその場から離れた。そして近くの新聞を売っている少年にお金を払って新聞を貰い、ベンチに座って中身を見る。

 見ると確かに見出しに『勇者ユウ・プロターゴニスト、ソドォムの窮地(きゅうち)を救い魔王軍幹部を討ち取る!』とでかでかと書いてあった。そこにはあの時と変わらないユウが聖剣を掲げた姿があった。その隣にはメイちゃんもいた。傷ついているけど、元気そうでよかった。

 写真を撮れる魔法具なんてそういくつもないのにそれを利用してまで喧伝するとはそれだけ人類にとっては朗報であるということだ。

 

「アヤメさん嬉しそうですね」

「わかるかい?」

「はい、ずっとにこにこしています。……その笑顔を浮かべる理由がわたしじゃないのは不満ですけど」

 

 ニマニマとしていた俺はアイリスちゃんの言葉を聞き流す。

 そうか、そんなに俺はわかりやすかったのか。

 

 因みに商業都市リッコの事はまだ記事にはなっていなかった。多分直ぐに記事になるけどそれまでに多少離れていれば大丈夫だろう。

 

此方(こなた)の事じゃなかったのね……」

「なんですか、ビビってたのですか?」

「ビビってなんかないわよ!!」

 

 ホッとするキキョウにアイリスちゃんが煽る。キキョウもムキになって否定する。

 

「でも、確かに位置からしたら商業都市リッコの方が近いからそっちの方だと思っても仕方ないよ。実際『迅雷』が討伐されたのは三週間前だ。情報が届くのに時間がかかったんだろう」

「なるほど、確かにそうですね」

「それにしても討伐されたっていうトルディオ……もといあの生意気なばちばち線香花火ね。意外ね。一応あれでも八戦将じゃ強かったと思うんだけど」

(むし)ろ弱い八戦将っているのかい?」

「どうかな。幹部の中には『地蝕』っていう研究肌の変わり者で殆ど自分で戦わない奴もいるし。『水陣』も戦ってるの見たことないわ」

 

 聞けば聞くほどキキョウは他の八戦将に興味がないんだね。というか八戦将達ももしやそれぞれに対して興味が薄いのだろうか。組織人としてそれはどうなんだろうか。

 

「中でもそうね、『獄炎』はダメ。此方(こなた)と相性が悪いもの」

「相性?」

「だってあいつ炎を体で燃やすんだもの。氷の此方とは相性最悪」

「炎か……」

 

 確かに氷を扱うキキョウとそれを溶かす炎とでは相性が悪いだろう。『獄炎』の名は確かに俺も聞いたことがある。全てを焼き尽くし、数刻で都市一つを焦土と帰せる程の化け物だと。

 俺が知っていた八戦将は『爆風』『迅雷』『氷霧』『豪傑』。そして噂だけの『獄炎』と『砦壁』。

 『水陣』と『地蝕』は初めて聞いたな。

 そう言えば八戦将の中で一人気になる人物がいた。

 

「ベシュトレーベンは? あいつはどうなんだい?」

「……どうかな。『獄炎』と同じく戦いたくない奴ツートップなんだけども。此方(こなた)が会った中では間違いなく最強と言えるくらいの力を持ってるのは間違いないんだけど、正直それがどれくらいか此方(こなた)には分からないの。だってアイツーー」

 

 ふとキキョウは俺の顔を眺める。そしてジロジロと観察し始めた。え、まだ俺ニヤついてる? 少し口元を拭って見るけど口元はニヤついていない。よかった。

 

「今思ったけどすこしアヤメに似てるかも」

「え〝っ。いや、俺は彼みたいな力こそ正義! 見たいな感じじゃないと思うんだけども……」

「そうですよ! そのべしゅとれ〜べんとやらがどんなのかわかりませんけどアヤメさんなんかと同列にしないでください! 失礼です」

「貴方それ彼に聞かれたら頭かち割られるわよ……」

 

 プンプンするアイリスちゃんをキキョウが恐れを抱いた目で見る。

 確かに鋼のような巨躯(きょく)にあの豪腕なら片手で卵を割るが如く頭なんて割りそうだ。

 

「まぁ、良いわ。とにかくベシュトレーベンに関しては出会ったら即、死を覚悟することね。此方(こなた)でも敵わないもの」

 その言葉は俺にとっても驚きだった。

「同じ八戦将なのにか?」

「甘いわアヤメ。同じ幹部だからといって力まで同じ訳じゃないもの。人間だって例え同じ『職業(ジョブ)』でも能力まで同じじゃないでしょ?」

「それは、そうだね」

此方(こなた)は魔王から権能を授かってないからその差はあるわ。他の連中は殆ど受けているはずだし。トルデォンの雷も、魔王から授かったトルデォン自身の権能よ。だからこそ、奴との戦い関しては逃げ出すしかないわ。それ以外の手段はない。この間もトルデォンと揉めて一触即発までに(おちい)ってたんだから。あそこで戦ったら魔王城が半壊したわ。えぇ、きっと。主に加減なんかしないあの脳筋のせいで」

「君も中々に口悪いね、頭かち割られるんじゃなかったのかい?」

「だ、大丈夫よ。あいつはここにいないんだし。……いないわよね?」

 

 キョロキョロと辺りを見回すキキョウ。その様子がおかしくて軽く笑うとキキョウはむっとした顔でこっちを見てきた。

 するとキキョウ以上にむくれたアイリスちゃんが声を上げる。

 

「むぅ……二人だけで会話しないでください!」

「あぁ、ごめんね。それにしても魔王軍幹部が倒されたということはこれから魔王軍がどうでるのか未知数だね」

「そうね。だって『爆風』に続いて『迅雷』、此方(こなた)も合わせたら三人も敗れたんだもの。半数近くやられたんもの。『水陣』が次に何を考えるのかは此方(こなた)も分からないわ」

「たとえその『水陣』が何か考えてもアヤメさんなら容易く陰謀(いんぼう)なんて打ち砕けます!」

「いいや、アイリスちゃん。それは俺の役目じゃない。ユウの役目さ」

 

 世界を救うのは『勇者』だ。

 決して俺ではない。だからこの事に関しては静観するつもりだ。『氷霧』ことキキョウの時は偶々彼女が街を襲っている所に鉢合わせたからだ。

 

 本来なら戦うことすら想定していなかった。

 勿論、また別の所で魔王軍が人々を襲っていたら迷わず戦う覚悟はある。

 

 するとキキョウが真面目な顔になって、俺の顔を見てくる。

 

「……ねぇアヤメ、此方(こなた)は貴方に救われたわ。だけどそれまでに沢山の人々を傷付けて来た。だからいずれその『真の勇者』とやらに殺されても仕方ないと思っているわ」

「それは」

「貴方は此方(こなた)の事を知ってくれた。でも『勇者』は知らない。知る気もないでしょう? 何故なら魔王軍と勇者は相反する者同士、話し合うことは出来てもわかり合うことは出来ないわ。だけど安心して。その時は此方(こなた)は貴方達に迷惑をかけないわ。此方(こなた)自身が決着をつけるから」

「ぼっち……」

 

 確かにキキョウは八戦将として多くの人々を傷つけてきた。死人こそでなくとも国を、街を、故郷を追い出された人はどれほどいるだろうか。そしてそれによって人生を狂わされた人もいるだろう。

 

 もしかしたら、その復讐に現れる人もいるかもしれない。

 

 その時、俺はどうする?

 彼女は八戦将として人に危害を加えた。それは変わりない。だが、その過去については同情の余地がある。勿論、だからと言って危害を加えた事に関しては擁護は出来ない。

 

 もし仮に正体がバレた時、庇うのが正解なのだろうか?

 だがそれはユウと……そして無辜(むこ)の民に対して裏切る事になる。

 

 けど、だからといってキキョウを見捨てるのが正義か?

 

 そんな訳がない。

 

 俺は、そんな事の為に彼女に手を伸ばしたんじゃない。

 

 確かにキキョウの考えは間違っていない。

 しかし、それは最悪の事態の時だ。

 

「俺が側にいる。君を死なせなんてしない。何故なら、『氷霧』のスウェイはあの場で死んだ。今ここにいるのは、ただのキキョウだ」

 

 俺はアイリスちゃんに救われた。

 俺は本来なら勇者を(かた)った罪人として死ぬはずだった。

 

 俺も、キキョウも、罪がある。

 どちらも罪を犯したというのに、どちらか一方は許されないなんてそれこそ不公平、不条理だ。

 

 俺の心が伝わったのかキキョウは俯いていた顔をこちらに向ける。俺は揺れているキキョウの瞳を真っ直ぐと見つめた。

 

「馬鹿よ。ばか。アヤメは大馬鹿よ。こんなどうしようもない八つ当たりで人々を不幸にした女にそんな事を言うなんて」

「馬鹿とはひどいなぁ」

 「……でもそんなアヤメだから此方(こなた)は救われたわ。アヤメ、此方(こなた)も貴方みたいになりたい。此方(こなた)が不幸にした人以上に、人を救ってみたいと思ってる」

「そうか。なら、一緒に頑張ろうか。辛く、長い道のりだろうとキキョウなら出来るさ」

「うん。信じてくれるアヤメの為にもがんばる」

 

 キキョウの瞳はもう揺れていなかった。

 彼女は己の罪と向き合い、これからどうするか決めた。

 なら俺はそんな彼女を見守っていこう。そう思った。

 

 

 

 

 

 

「ぬぎぎき……油断ならない相手です……!」

<ガ、ガウガウ……>

 

 見つめ合う両者の隣で一人、アイリスはおおよそ乙女(ヒロイン)が出さない歯軋り音を鳴らしていた。その様子にジャママも怯える。

 キキョウの境遇を考えるにやめろとは言えず見ていた。ただ良い女は広い心を持つものだと慰めつつだが。

 

 アヤメの内心はつゆ知らず、アイリスは嫉妬(しっと)するのだった。

 

 

ーーゴラァムが滅びた事は高度な政治情勢により今だに人々には伝えられなかった。彼らにとって勇者という希望を照らすのが重要であり、不安を招く事を公表するには時期が悪かった。

 ただ一部の国や商人はその事を知っていたがやはり、広めることはせず、アヤメも知る(よし)もなかった。




キキョウが嫉妬の魔女でなくなったと思ったら、アイリスが嫉妬の魔女になったの巻。


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湖の大食漢

貼り付けミスで、二重に本文を投稿していました。
ご指摘して下さった方々には感謝を申し上げます。


 その後、俺たちはこの町で宿を取る事にした。宿泊町として名高い《レイク》は、宿泊先に事欠かない。

 その際に選んだ宿である話を聞いた。

 

 この町の名産品である魚介類を取る湖に、最近とある巨大な魔魚が住み着いたらしい。そのせいで魚が一切取れなくなったという。

 

 冒険者はどうかと聞いたらどうやらこの町には冒険者ギルドは存在せず、前に来た流れの冒険者も自身の手に余ると依頼を受けずに立ち去ったらしい。

 

 なら国はどうしたのか。幾ら魔物の被害でないとは言え、町一つに影響を及ぼすほどの魔獣が現れたなら何かしら対処すると思うんだが。

 

 その事を聞いたらどうにも歯切れの悪くなり詳しい事情を得られなかった。

 

 どちらにせよ、国があてにならないなら町で何とかしようとなったらしいが、何故かわからないが今は湖に回す戦力がないという。

 変な話だ。町には兵士がいるのを俺はこの目で見たんだが……。その事にキナ臭さを感じなかった訳じゃないけれど、実際に困っている人がいる。

 

 なら俺が動くには十分だった。

 

 

 

 

 

「此処がルガールタ湖か。うん、広いな。それに凄いな。見る角度によって湖の色合いが変わるのは幻想的だ」

 

 大雑把な地図で記された場所と一致する巨大な湖を見て俺はそう零《こぼ》す。

 ヴァルドニアで三番目に大きいこのルガールタ湖は、澄んだ青色から緑色、黄色、エメラルド色、オレンジ色……とにかく様々な色合いが鮮やかに混じり合い、感嘆する程の美しい風景を映し出している。

 

「季節と天候によっても変わるらしいですね。恐らく湖に存在する"万色藻(まりも)"もせいかもしれませんね。あれはほんの僅《わず》かな水温や餌によっても色合いを変えますから」

「へぇ。やっぱり、植物ってのは凄いな」

「そうですよ! 植物は偉大です。今度故郷を見せてあげます。木々から木々へ蔦の橋があって、常に"提燈(ちょうちん)の灯実《とうか》"で照らされて凄く綺麗なんですよ!」

「あぁ、楽しみにしてるよ」

 

 そんな会話をしながら、俺は人々に迷惑をかける魔魚がいるであろうルガールタ湖を睨みつける。

 

「さて、来たは良いがどうやって例の住み着いた魚を探そうか」

「ん? だってあの町ここの魚を名産品にしてるんでしょ? なら船があるんじゃないの?」

「船もなぁ。例の巨大魚に破壊されたらしいし、小舟程度じゃ簡単に転覆させられてしまうだろう。確か10メートルぐらいあるって言っていたな」

「10メートルはデカイわね。それじゃ、海に出るぐらいの船じゃなきゃ転覆されるのも無理はないわ」

「ふっふっふー、わたし良い案が浮かんじゃいました!」

「アイリスちゃん?」

「ちみっ娘?」

<カァウ?>

「良いですか、二人とも。魚なんですから釣り上げれば良いのです」

 

 アイリスちゃんは背後の森に向かって歩き、その内の一つの木に手を触れる。

 

「【植物よ、わたしは願いを聞いて、分かって、手伝って下さい。ーー我は森の守り手、汝の同胞なり。永遠に結ばれし契《ちぎ》りは、決して破られる事なく、我らに根付いている。ーーだから、お願いします】」

 

 アイリスちゃんの詠《うた》うような詠唱に、森が騒《ざわ》めき出す。

 やがて木々や植物が絡まり合って一つの巨大な竿が出来上がった。この魔法を俺は知っている。

 

「何度見ても凄いね。エルフの固有能力(・・・・)である【木霊との交信(ことのは)】前にラティオ君を守っていた時にも使っていたね」

「ふふん。詠唱と違って【木霊との交信(ことのは)】ら常に詠《うた》わなきゃ意味がないですけど、その分唱えている最中は自由に動かせるので応用が利くのです。どうですか、ぼっ……あっ」

 

 【木霊との交信(ことのは)】を使えないキキョウに気付いたのかアイリスちゃんがしまったという顔になる。なんだかんだいってアイリスちゃんもキキョウの事を配慮(はいりょ)しようとしている。

 しかしキキョウはそんな事をどこ吹く風と気にした顔をしていなかった。

 

「何、その顔。別に此方(こなた)は気にしていないわ。別にそれが使えなくても此方(こなた)は氷を扱えるもの。別に此方(こなた)に負い目とか感じる必要はないわよ、ちみっ娘」

「むぐっ、……ちょっと悪い事言ったかなって思ったわたしが馬鹿でした」

「へぇ、貴方にも罪悪感とかあるのね。なら此方(こなた)にアヤメを譲りなさい。そうしたら許してあげるわ!」

「いやです! 渡しません!」

「いやだから俺は物じゃないんだけど」

 

 またも喧嘩する二人を宥《なだ》めつつ、早速アイリスちゃんが作った竿に餌をつけることにした。

 餌は途中で狩った鹿だ。因みにジャママが臭いで追いかけ、キキョウが仕留めた。元は昼飯として食べる予定だったけど丁度良かった。

 どうもこの湖の主はかなりの大食漢(たいしょくかん)で魚もだけど湖に水を飲みに来た生き物までも飲み込む姿が確認されているらしい。

 どの道餌となるだけの魚は用意出来ないから陸の生き物でも食べるというのはありがたかった。

 

「それでこの鹿を先につければ良いんだね?」

「はい。今わたしが【木霊との交信(ことのは)】で絡《から》めておきます。けど、これだけの大きさの鹿を丸呑み出来るとは、10メートルとは聞いていますけどそれ以上かも知れません。普通だったら魚が食べるとして虫ぐらいですよ」

「まぁ、もし仮に主食がミミズとかだったらそれはそれで困るんだけどね」

「本当ですよ。釣り針につけるのに一体何匹必要になるか分かったものじゃないのです」

此方(こなた)はあのうねうね苦手よ……触りたくもないわ」

 

 そうして餌をつけて糸を垂らして数分。

 未だに釣り糸に反応なし。

 

「……釣れないね」

「釣りは魚との勝負なのです。隙を見せたらあっという間に持っていかれますよ」

「何か詳しいわねちみっ娘」

「当然です。わたしも森では時たま魚を取って居ましたから」

「え、エルフって魚食べるのかい?」

「そうですよ? 他にも野菜とか木の実とかを食べます。魔獣の肉も、まぁ食べないことはないです。滅多に食べませんけど。基本的に全てを自然の恵みとして頂いています。その代わりわたし達もまた自然の一員として無駄な雑草を排除したり土地を豊かにしたりと還元(かんげん)しているのです」

「ふ〜ん、そうなんだ。此方(こなた)はそんなの気にした事はないわ。だって弱いものが強いものに食われるのは当たり前じゃない」

「それもそうですけど……自然への感謝を忘れたらいつかしっぺ返しが来ますよ」

「はんっ! 向こうから追い出したくせになんで感謝しなくちゃならないのよ! いーだっ! 此方(こなた)はぜぇったいに感謝なんてしないわ!」

 

 頑《かたく》なに拒《こば》むキキョウ。

 彼女の過去を思えばそれも無理もない。だからなのか、アイリスちゃんもそれ以上追求しなかった。

 俺は空気を変えようと話題を変える。

 

「そういえばジャママの毛、ちょっと伸びたね。そして僅かだけど大きくなった?」

「確かにそうですね。魔獣は種類によっては成長速度が速いと言います。そろそろジャママ用の櫛《くし》……ブラシですけど買った方が良いかもしれません。撫でてると結構毛が取れるんですよ」

<カゥ?>

「そんなの手で毟《むし》りとれば良いじゃない」

<ガゥッ!?>

剥製(はくせい)にでもする気ですか、貴方は……」

 

 なんで? とコテンと首をかしげるキキョウ。

 とりあえず、話題を逸らすことには成功したようだ。

 

 

 

 そんな雑談を交しているとピクピクと竿を反応があった。

 

「ん? 引いてないか?」

 

 そう俺が言った瞬間、鹿がいた位置にとてつもない大きな水飛沫(みずしぶき)があがる。

 お陰で視界が遮られ殆ど姿は見えなかったが余程デカイのはわかった。

 釣り糸はピーンと凄まじく張っている。

 

「えっ? あ、本当です! 引いてますよ!」

「嘘っ、あんな大きな鹿をあんな瞬時に食べれるくらいに!? 話には聞いてたけど、どんだけデカイのよ!」

「どちらにせよチャンスだ。アイリスちゃん、【木霊との交信(ことのは)】で竿を引けるか?」

「えっとちょっと待ってください。一度竿に触れないと……」

 

 アイリスちゃんが木で出来た釣竿に触れる。

 だが次の瞬間俺は一気に地面ごと竿が引かれそうになったのを目で見た。

 

「しまった! アイリスちゃん手を離すんだ!!」

「えっ? わっ!?」

 

 複雑に絡み合った蔦に腕を取られたアイリスちゃんが一緒に湖に持っていかれそうになる。

 すぐさま短剣で切ることで、竿と一緒に湖に引きずり込まれるのを阻止できた。危なかったな……。

 

「それにしても、姿全く見えなかったなぁ。それどころかあの大きさの竿へし折ったよ」

「何という馬鹿力ね。すごいわ、素直に賞賛するわ」

「あ、危なかったです。それにしても大物でしたね。魚拓を取ったらさぞ立派だと思うのです」

<カァウ>

「しかし、これじゃあ地上に引き上げるっていうのが無理だね。竿が耐えきれない」

 

 頭を悩ませる。

 釣ったところを仕留めるって作戦だったけどこれは修正が必要だ。

 

「ここは此方(こなた)の出番ね!」

 

 そんな中、意気揚々(いきようよう)とキキョウが躍《おど》り出た。その顔は自信にあふれていた。

 

「何か手があるのか?」

「ふふーん、甘いわアヤメ。此方があの町に現れた時に使った魔法をお忘れ?」

「魔法……まさか」

「そうよそのまさかよ! 【凍える氷の息吹(コキュートス)】」

 

 次の瞬間湖沼が一気に凍った。弱って言ってるから威力は弱くはしているんだと思うけど見渡す限りの湖沼の上部分が全て氷で覆われていた。

 改めて感じる八戦将としてのキキョウの力。もしかして商業都市リッコでこれを放った時も手加減していたのだろうか? ……建物は凍ったけどあの魔法で死人や負傷者自体は出ていなかったからその可能性は極めて高い気がする。

 どうだ、みたいなどや顔でこちらを見てくる。

 

「どう? これで湖の上も渡って魚を探すことできるでしょ!」

「いや、うん。そうなんだけど……」

「馬鹿ですか貴方。湖で蓋《ふた》をしてしまったら中にいる魔魚を倒せないじゃないですか」

「…………え?」

 

 パチクリと目を瞬《まばた》かせるキキョウ。

 そうなんだよね。これって湖沼を氷で(ふた)しただけだから結局中にいる魔魚に一切手を出せないんだよ。

 

「え、あ……。そ、そんなこと気付いていたし! ほら、氷の上から相手を探して見つけたらそこを溶かして倒せば良いじゃない!」

「だったら貴方の氷で船作れば良いだけの話です。或いは凍らせるのも途中までで良いのに態々(わざわざ)湖全体を凍らせる必要があったのですか?」

「あ、あぅぅ。あやめぇ」

「まぁまぁ、アイリスちゃん。足場を作るという意味ではキキョウの作戦はかなり有効だから」

「アヤメさんは甘すぎです! しっかりと躾《しつけ》なきゃいずれ手を噛みますよこのぼっちは!」

「いや(ジャママ)じゃないんだから」

 

 どうにもアイリスちゃんはキキョウに厳しい。別に毛嫌いしている訳ではなさそうだが、何か原因だろうか。……やっぱり俺かなぁ。

 

「とにかく折角キキョウが凍らせてくれたから少し探索してみようかっ……おっと」

<カウ……ガァァウ?>

 

 氷の上に乗る俺をしっかりと氷は割れる事なく支える。凄いな、流石だ。

 ジャママもふんふんと臭《にお》いを嗅《か》いで氷の上に乗って見ると余りの冷たさに驚いている。

 

「思ったよりも滑《すべ》りやすそうだ。滑らないように注意しないと」

「本当ですか? あっ、本当だ……靴の裏にスパイクか何かがあればよかったんですが。そうすればジャママみたいに爪で脚を止めることができたのに」

<ガァゥガァゥ>

 

 ジャママは四足歩行かつ足の爪で俺たちほど恐る恐る氷の上に乗っていない。鋭利な爪が引っかかって滑るのを防いでくれるのだ。

 反対に俺たちはそんな機能を持った靴でないので、滑りやすい。気をつけなくては。

 

「ふふーん、此方(こなた)はそんな無様な様なんてしないもの! 見てアヤメ! 此方(こなた)のこの華麗(かれい)な滑り! すごいでしょ!」

 

 恐る恐る氷の上を歩く俺たちとは対照的に、可憐に滑るキキョウちゃんは華麗で、少しも動きにぎこちなさがない。正しく氷上(ひょうじょう)を制《せい》するって感じだ。

 

「すごいね、流石だ」

「む、わたしだってあのくらい……きゃっ」

「大丈夫? アイリスちゃん」

「あ。はい。ごめんなさいアヤメさん」

「仕方ないよ。氷の上を歩くなんて事中々ないからね。立てるか? ほら」

「えっと、はい。あっ手……えへへ」

 

 アイリスちゃんは嬉しそうに俺の手を取る。

 実の所余り俺も余裕がないから支えるのも必死なんだけどね。足震えてないよな? もししてたらダサい。

 ふと気付くとさっきまでの得意げな表情は何処へやら、キキョウが面白くなさそうにこちらを見ていた。

 

「む、むぅぅ〜! なんかすごく負けた気になるのだけど…!」

「ふふん。『氷霧』ともあろうお方が嫉妬なんて見苦しいですよ。貴方は一人で滑っているが良いのです! 大丈夫なんですから!」

「何よ! 調子に乗らないでよちみっ娘! 生まれたての子鹿みたいにプルプルと足を震わせて!」

「う、うるさいですよ! むふふっ、負け犬らしく吠えてるが良いです!」

<ガゥッ!? >

「あ、ジャママじゃないですよ!?」

 

 負け犬という言葉にジャママが反応する。いや比喩だから。というか、君は狼だろうに。

 

「二人とも喧嘩はその辺に……」

<! ガァウ!!!>

 

 何か忠告するようにジャママが吠えた。

 瞬間俺は足元が急に暗くなり、悪寒(おかん)が走った。直ぐにその場から退避する。

 次の瞬間、俺の居た位置の氷が割れ、湖から何か巨大なものが飛び出た。

 

「アヤメさん!?」

「アヤメ!?」

「大丈夫だ! ……さっき見たのはこいつか! この湖の生物を食い荒らした魔魚って奴は!」

 

 さっきは殆ど姿が見えなかったがこうして体を現してくれたからよくわかる。

 

 銀色の鱗に覆われた巨大な身体。

 更には頭にはツノらしき物もある。これであの氷を容易く砕いたのだろう。よく見れば螺旋状になっていて穿ち砕くのに特化した形になっていた。

 その姿は例えるなら一本の矢のようだった。しかも鏃《やじり》の部分は鋭い。

 

「あれは大角カジキ! その硬い角であらゆる魚や蟹を突き砕いて捕食する大型の魔魚です! 普通は海にいるのに、こんな湖の環境にも適応できるなんて!」

「確かあの宿の話では、この湖は海にも繋がっていると言っていたね。逆流して上がってきたのか!」

 

 驚く間も無く大角カジキはそのツノで氷を砕いて湖の中に戻る。その余波で俺達の足元まで罅《ひび》が入って退避を余儀なくされた。

 

「わたたっ、くっ!」

 

 滑る足場を剣を刺して動きを止めるとそこに大角カジキがつっこんでくる。

 それを辛くも躱すも、やはり氷に足を取られそうになる。

 

 地面と違う氷面は砂や砂利のような摩擦熱を発する事なく、相手も自慢のツノで容易く砕きながらこちらに向かってくる。

 しかし氷を消したら足場が無くなる。

 

「アヤメ! こうなったら湖丸ごと全て凍らせて」

「馬鹿ですか貴方は!? そんなことしたら湖の生物皆死んで依頼を受けた意味がなくなるでしょう! 本当にぽんこつなんですから!」

「ぽ、ぽんこつじゃないもん!」

 

 若干泣き声でキキョウが反論する。

 だが凍らせること自体は悪くない。問題はあの巨体を凍らせるほどの魔法を水中にいる中で使えば湖まで凍ってしまうことだ。

 

「なら水中から追い出せば良い」

 

 単純明快。そうすれば良い。

 

 思い出せ、グラディウスの動きを。

 彼は性格は兎も角『剣士』としての動きは一流だった。ならば彼は自分の先を行く。それを学ぶことの何が悪い。

 

 俺は彼の剣の腕を尊敬していた。

 

 どれを真似れば良い?

 【突貫】を模倣した"緋花(ひばな)"か? ダメだ、あの角相手ではこちらの剣が折れる。

 【皇一閃】を真似た"月凛花(げつりんか)"か? いや、横合いならともかくこの足場では横から攻撃するのは難しい。

 

 その他色々な技を思い浮かべるも、どれもこれも決定打にはならない。

 

 そんな中、俺は一つの技能(スキル)を思い出した。

 

「これなら……!」

 

 だがその為には足場が余りにも不安定だ。

 

「キキョウ。今すぐ俺の足を凍らせてくれ!」

「えっ!? で、でも」

「良いから! 氷の上じゃ、足に力が入りづらいから固定させて欲しいんだ!」

「わ、わかったわ。【瞬間冷凍(フローズン)】」

 

 俺の足がパキパキと凍りつく。冷たい!

 だがこれで滑ることはなくなった。

 

 大角カジキが迫る。

 これに失敗すれば俺は押し潰されるか、その角で貫かれるだろう。そうしたら死は避けられない。

 

「すぅぅ……遡竜咆(げきりん)ノ構《かま》エ!!」

 

 俺は左手で右手首を掴み、剣を水平に構えてそう叫んだ。

 

 グラディウスの技能(スキル)、【遡竜咆(げきりん)ノ構《かま》エ】。

 これは直接グラディウスから聞いた話だが、グラディウスは竜の中でも地竜に属する竜の土のブレスをこの技で、完全に逸らしたらしい。

 実際に俺も魔族との戦いでこの構えを見たことがあった。彼は明らかにサイズ差がある巨人クラスの魔族の攻撃をこれで完全に逸らし、その首を掻っ切った。

 名前を叫ぶも俺はその技能(スキル)を使える訳じゃない。だけど模倣することは出来る。

 大角カジキはそのツノでぶつかってくる。俺はそれを剣で受け止めた。

 

 重い。

 硬い。

 強い。

 

 筋肉が軋《きし》みをあげる。骨が悲鳴をあげる。10メートルに近い体格から繰り出される突きは城の門すら粉砕出来るだろう。

 だからこそ! まともに受けずに斜めに逸らす。

 俺の背後の氷が衝撃のあまりヒビが入る。

 この攻撃を逸らす要《かなめ》は右手の手首だ。だからこそ、左手は柄ではなく右手を補強するために抑えている。

 

 大角カジキの角の威力が更に増す。

 

「うち、あがれぇぇぇぇ!!」

 

 だが俺はそれに屈することなく、そのままの力を利用して大角カジキを空中へとかちあげた。

 空中へと体を投げ出された大角カジキ。

 

「キキョウ!!」

「わかってる! 【氷の牢獄(アイス・キューブ・プリズン)】」

 

 空に打ち上げた大角カジキを【瞬間冷凍(フローズン)】以上の大きさの氷で多方向から覆《おお》う【氷の牢獄《アイス・キューブ・プリズン》】によって一気に凍らせる。

 これにより冷凍された大角カジキが湖の氷を割り、そのまま氷像となってプカプカと浮かび上がった。

 

「ふぅ、討伐完了だ」

「アヤメさん! やりましたね!」

「あぁ、アイリスちゃ……ちょっと待って今抱きつかれたら足元の氷が……あっ」

 

 感極まったアイリスちゃんが俺の胸に飛び込んで来る。

 途端に足元に罅《ひび》が入る。

 氷が割れて俺とアイリスちゃんはそのまま湖に落ちた。

 

 

 

 

 

「何してるのよ。折角濡れないように凍らせた意味がないじゃない」

「う、うぅぅ……ぼっちに指摘されるなんて……へくちっ」

「は、ははは……氷のせいか冷たさに拍車(はくしゃ)がかかってたね……へくしゅ」

 

 お互いにくしゃみをしながら俺たちは魔法袋から取り出したタオルで水気を取る。そのまま枯れ木を集めて火を焚き、暖《だん》をとる。

 

 【遡竜咆(げきりん)ノ構《かま》エ】が成功してよかった。

 いや、【遡竜咆(げきりん)ノ構《かま》エ】という名は変か。俺は技能(スキル)が使えないから全く同質のものではないはずだ。

 ならあの大角カジキの矢の鏃《やじり》のような姿を見立てて技名をつけるなら……

 

「名付けるなら"桃孤棘矢(とうこきょくし)"って所かな」

「何がですか?」

「いや、こっちの話だよ」

「? そうですか……しかしこれどうしましょう?」

 

 ドンと湖の側に横たわる様はまるで冷凍カジキマグロようだ。その身体はとてつもなく大きい。

 

「普通に考えたらあの町の人と協議してだろうけど……」

「これ食べられますかね?」

「どうだろうか」

「泥抜きしてないから絶対に臭いと此方(こなた)は思うわ」

<ガウッ>

 

 依頼完了と共に俺はこれをどうするのか頭を悩ませるのだった。



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エルフの"花"について

 その後、大角カジキを倒した事を《レイク》の人々に告げた。

 人々は最初は信じていなかったが、氷漬けになった大角カジキ(キキョウに斜面を凍らせて貰って滑らせて運んだ)を見て大いに喜んだ。

 

 結果、始まったのは祭りだ。

 その主役となったのは俺達が狩った大角カジキだ。実は大角カジキは美味しかった。キキョウが心配した泥抜きをしなくても、その身は非常に濃厚で何にしても美味しかった。

 その後、飲んだり食べたりして騒いで俺達は宿に戻った。

 

 

 

 

 その日の夜。

 宿に泊まった一室で酔いを醒ます為に筋トレをしていた俺の部屋に扉を叩く音が聞こえた。

 

「アヤメさん、ぼっちについて相談があります」

 

 扉を開けるとアイリスちゃんがそこに居た。

 前に二人旅(ジャママ含め)の時は、俺たちは同じ部屋で寝ていた。だが、キキョウが仲間になってからは俺はアイリスちゃんにキキョウと一緒の部屋の方が良いんじゃないかと提案した。

 それは女性同士の方が気が楽だと思ったからだ。それになし崩しになっていたとは言え、男女が同じ部屋はマズイだろう。その気はなくても何かしら勘繰(かんぐ)られる。特に貞操観念(ていそうかんねん)が強いと伝承では言われているエルフなら、可能性は低いがもし他のエルフに見られたら何かしらアイリスちゃんに言われなき誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)が言わるかもしれない。

 

 それは嫌だった。

 だから別部屋にしたのだ。

 

 アイリスちゃんはかなり渋ったけど、俺は何とか言いくるめて二人を同じ部屋にした。以来ずっと二人は同じ部屋だ。

 日課になりつつある髪を梳《す》いて欲しいと風呂上がりの時はちょこちょこ来るけど、そうでもないのにこうしてくるのは珍しい。

 

「アイリスちゃん? 珍しいね、どうしたんだい? キキョウは?」

「今はジャママと一緒に、お風呂に入って貰ってます。大角カジキを倒した礼として無料で入れるように好意でして貰えましたから。それで、中に入って良いですか?」

「あぁ、そうだね。どうぞ」

 

 アイリスちゃんを中に入れる。

 彼女の服装は、いつものではなくゆったりとした水色の寝間着だ。これもまた最初の町でアイリスちゃんが選んで買ったものだ。以来、気に入っているらしい。

 

「それで、来た理由はなんだ? さっき、キキョウについて相談があると言ってたけど、また喧嘩しちゃったのか?」

「違いますよ! いえ、ちょこちょこ揉めるのは否定しませんけど……そうではなくてですね、その……」

「?」

 

 アイリスちゃんは何故か、唇を噛むようにして俯く。何か言いたくないのだろうか。やがて決心したのか顔を上げた。

 

「アヤメさん、お願いがあります。明日はぼっちと二人で買い物に出かけて貰えませんか?」

「ん? どういうことだ?」

 

 話が読めない。

 

「そうですね、まず順を追って説明します。アヤメさん、エルフにとって自然は密接な関係があるのはご存知ですよね」

「それはね。伝承でも有名だし、前にロメオくんが言っていた『自然の調停者』という俗称も、事実であると認めているし、アイリスちゃんを直接見てもわかるよ」

「あわわっ、そんな真っ直ぐこっちを見ないで下さい。て、照れます。……ごほん、その通りです。エルフと自然は切っては切れない仲。ですが、ぼっちには花がありません」

 

 俺は無言で頷く。

 アイリスちゃんは話を続けた。

 

「正直に言います。エルフにとって花とはかなり重要な意味があります。それは、子を身篭(みごも)った親が身篭(みごも)ると同時に名となる花の種に祈りを捧げ続け、生まれると同時に授けられます。人間風に言うと洗礼みたいなものでしょうか? とにかく、それによってわたし達は自然の一部であると強く意識するようになるのです。つまり花とは自己の象徴であり、存在証明であり……こうしてエルフは生涯、由来となった花を身体の一部に身につけ続けて生きていきます。それはつまり、自らの半身と言っても差し支えないのです。ですが、その。ぼっちはダークエルフであり、恐らく名前こそ花のキキョウでありますが、花そのもののキキョウの方は授けられなかったのだと思います。恐らくは親が破棄(はき)したのでしょう」

 

 俺はその言葉になるほどと頷いた。

 確かにキキョウはアイリスちゃんと違い身体のどこかに花をつけていない。

 だが、俺はそれをもう一つの理由のせいだと思っていた。

 

「キキョウは自らの体質の所為(せい)か、植物を身体の何処かにつけると次第に凍り始めて無理だって聞いたのだけれど」

「はい、わたしもそれは知っています。ですが、何も生きてる花である必要はないのです」

「どういうことだ?」

「造花ならば、身につけることが出来るはずです」

 

 造花。

 人工的に造られた花。

 

「なるほど、つまりアイリスちゃんは」

「はい。此処は国境に近く旅人や色んな商人が訪れる町。そんな彼ら相手に物を売るお店もたくさんあります。僅かですが町を見て回って色んなお土産があるのを見ました。その中には金属で出来た花飾りもありました。だから、それであればぼっちも身につけることが出来ると思うんです」

「なるほど、それは良いアイデアだ」

 

 それならばキキョウも身につける事が出来るだろう。

 

「だけどアイリスちゃん、どうしてそれを俺に? それなら明日町を歩く時に皆で行って選んだら良いと思うんだが」

 

 その言葉にアイリスちゃんはふるふると首を振る。

 

「わたしはアヤメさんと違い、ぼっちの過去を詳しくは知りません。聞きましたけど……。アヤメさんほど、あの人を強く信じることも出来ません。でも、わかるのです。200年ずっと一人だった孤独がどれほどかを。わたしは、親が居ました。親からの愛情も、友達との友情もありました。でも、ぼっちには何一つありませんでした。だから、繋がりを持つ事に強い憧れがあるとわたしは今まで一緒に居てわかりました。だから、アヤメさんにどうか目に見える形でぼっちに……キキョウさんに繋がり(・・・)を与えてあげてください」

「一つ良いだろうか? アイリスちゃんがあげようとは思わなかったのか?」

「無理です。わたしからあげても同情と思われるか、悪ければ侮辱(ぶじょく)と捉えられる可能性もあるかもしれません。……普段の態度を見てるとその可能性は低いですけど。それに、わたしとはその、ライバルですから」

「ライバル?」

「な、なんでもありません! それでアヤメさん、お願いできますか?」

 

 アイリスちゃんの言葉はどこまでも真摯だった。だとしたら俺が断る理由はない。

 キキョウについても、それが彼女にとっての心の支えとなるならば、これ以上良いことはない。

 

「分かったよ、なら明日キキョウと一緒にデートに行ってくるよ。ここまでアイリスちゃんがお膳立てしてくれたんだ。必ず花飾りをプレゼントしないとね」

「でぇとじゃありません」

「え? いや、だって」

「でぇとじゃないです」

「アイリ」

「ないです」

 

 有無を言わせない口調に俺は頷くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 後日、俺とキキョウは《レイク》の町に繰り出していた。

 

「それでちみっ娘は大丈夫なの? 本当に?」

「あぁ、寝ておくから大丈夫だって。何かあればジャママが吠えて宿の人を呼ぶ。キキョウも聞いただろう?」

「それはそうだけど……」

 

 若干心配そうにするキキョウ。やはり根は良い子なのだろう。

 

 ここにいるのは俺とキキョウだけでアイリスちゃんはいない。普通に考えてアイリスちゃんがいない事をキキョウが訝《いぶか》しまない訳がない。

 

 そこでアイリスちゃんは一計を(あん)じた。

 

 どうもあの日(・・・)という手でかなりゴリ押しだ。

 詳しくは俺も語らない。だって、女の人には誰にもあることだから。

 

 話を戻して俺たちは町の市場に向かっている。

 部屋にいるアイリスちゃんの代わり、必要な食料や道具を予《あらかじ》め用意しておくという理由で一緒に外に出た。

 正直かなり無理があるのではと思ったのだが、それで押し切れた。

 

「ふぅ〜ん、まぁ、良いわ。ちみっ娘が出来ないことをしておいてあげようじゃない。帰りに赤林檎の一つや二つ買ってあげましょう。アヤメが剥いても良いし、此方(こなた)が凍らせてシャーベットにしても良いわ。そうすればちみっ娘も泣いて喜んで此方(こなた)の事を小馬鹿にしないはずよ。この前も、ぽんこつとか言って。失礼だわ」

「そうだね。きっとアイリスちゃんも喜ぶね。キキョウは、何だかんだアイリスちゃんを気にかけているね」

「なっ、そ、そんなんじゃないわ。此方(こなた)とちみっ娘はライバルよ。そんな普通の人みたいな友情なんて無いわ」

 

 ライバルか。アイリスちゃんも言っていたが何のことだろうか。

 ……いや、本当はわかっているさ。だけど、俺はそれを自分から言うことはない。

 

「……それに、あの事(・・・)もまだ謝っていないし」

「キキョウ?」

「なんでもない。行こ、アヤメ」

「あぁ」

 

 今はただキキョウが楽しめる事を考えよう。

 勿論花飾りも忘れずに。俺は目的を達成する為にどうするか昨日考えていた内容を思い出しつつ彼女の隣に並んだ。

 



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髪飾り

 

 アヤメとキキョウが買い物に出かけている頃。

 

 一方の《啄木鳥の宿》で待機中のアイリス。

 彼女はアヤメとキキョウが出かけてからずっとベットの上で枕を抱きながらゴロゴロと唸り声をあげて転がっていた。

 

「うーうーうーうー」

<ガゥゥ、ガゥガゥ>

「ふがー!」

<キャインッ!?>

 

 突然枕に埋《うず》めていた顔を上げる。

 いきなりの行動に辺りをうろうろしていたジャママは飛び上がって驚く。

 

「やっぱり気になります! こんなんじゃ寝れません! かといって後をつけるのはダメです! そもそもあの二人だと気付かれちゃいます!」

 

 アイリスは今頃二人が一緒にいると思うと胸がもやもやするのだ。それは嫉妬だ。同時に自身でもこんなにも嫉妬しやすいのかとアイリスは愕然としていた。

 

 だからこそ、今二人きりという事実に心ではともかく身体がついて行かず、先程から珍妙な行動を繰り返している。

 

 アヤメとキキョウ。どちらも戦闘の達人でアイリス如きの追跡ではすぐにバレるだろう。

 

 幾らアイリスがエルフ同年代の中では身体能力が低いとはいえ、その隠密能力は魔獣もまける程なので普通の人ならば気付かないのだが、この場合相手が悪かった。

 

「言い出したのはわたしですけれど! でも! でもでもでも! 胸がもやもやします……! はっ、まさかあのぼっち調子に乗ってアヤメさんにちゅ、ちゅちゅちゅちゅ、ちゅーしたりしないでしょうね!? あー! やっぱり二人きりにすべきでは……でも、でも、わたしも一緒に行ったらぼっちも楽しめないでしょうし……うー」

<ガゥゥ>

「うぅ、わたしの味方はジャママだけですよー……」

 

 ギュッとジャママを抱きしめ、寝っ転がるアイリス。ジャママの柔らかい体毛を触ると幾分心が癒される。

 だが、それでも完全に解消という訳にはいかない。

 

「はぁ、ずっと部屋にいるのもよくないです。ちょっと空気を入れ替えるために下に行って飲み物でも飲んで来ましょう……、行きましょうジャママ」

<ガゥッ!>

 

 ジャママを連れて部屋から出る。

 この宿にはミルクが売ってある。キキョウと比べて成長が遅いアイリスだが、少しでもグラマーな体型に近付く為、町にいる時は毎日欠かさず飲んでいた。

 

 廊下を歩く。途中何やら焦った様子の男性がアイリスの横を通り、アイリスとキキョウの部屋の隣201号室の扉を開けて何やら話し合う。

 

「情報だ。王様とあの方の対立がかなり本格的になってきたらしい」

「本当か? ついにか。ということは」

 「あぁ、恐らく来る可能性が高い。念の為準備の方を忘れるな」

「わかっている。その為に戦力を温存していたからな。町の人には悪いことしたが……。それにこっちは平民ばかりだからな。いくら兵士にも賛同してくれる人が居るとは言え、分が悪いのは確かだ」

「あぁ」

(……? 何の話でしょうか?)

 

 途中、妙な会話を聴きながらも盗み聞きはよくないとアイリスはそのまま一階に降りていった。

 

 

 

 

 

 

「これくらいかしら?」

「あぁ、とりあえず必要な物は揃ったかな」

 

 その後、俺たちは順調に買い出しを進められた。

 買った物は、俺の魔法袋に入れられるから嵩張(かさば)ることがない。

 

「そう、ならもう帰りましょう」

「あっ、ちょっと待ってくれ。実はあと一つだけ買わなきゃいけないものがあるんだ」

 

 しかし俺は今だ目的を達成することが出来ていなかった。アイリスちゃんからの頼まれごと、キキョウへの花飾りが買えていないのだ。

 

 ちょくちょく造花の花飾りを売っているところを覗いてみたが、残念ながら俺が求めるものはない。

 

 けどさっきやっとあったのだ。

 だから一旦キキョウにはここで待っていて欲しかった。

 

「そうなの? なら此方(こなた)も」

「いや、すぐに終わるからキキョウはここで待っていてくれ。歩き回ったし疲れただろう?」

「別にそんな疲れてはないんだけど……。けど、アヤメがそう言うなら此方(こなた)も少し休憩しておくわ。早く戻って来てね?」

「あぁ」

 

 キキョウから離れ、一度角を曲がった後キキョウの位置から見えないように態々遠回りして俺は目的の花飾りを売っている露店に辿り着く。

 

「いらっしゃい。何をお求めで?」

「花飾りが欲しいんだ。キキョウという花の飾りはあるか?」

「ありますよ。これでどうですか?」

 

 幾つかあるキキョウの花飾りの中で、見せられたのは八重咲きの紫色の大きなのと白色の小さなキキョウが一緒の花飾りだ。茎の部分などは金で出来ている。

 これならキキョウの銀髪にもよく似合うだろう。

 

 俺は迷わずそれを購入した。精巧(せいこう)に作られているだけにやはり結構な値段がした。

 

 だがこれでキキョウに花飾りをプレゼントすることが出来る事に安堵する。

 

 代金を払ってキキョウの花飾りを受け取る俺だが売られている花飾りの横で、首にかける部分は簡素な紐に括られつつ、色んな造花の中央にどんぐりのような宝石がはめ込まれた首飾りに目を取られる。

 

「これは?」

「お、お兄さんお目が高いね。これは今日入荷したばかりの商品さ。ここだけの話、これは魔法具でもあるんだ」

「魔法具だって?」

「おう。といっても、握って魔力を込めるだけで一瞬とてつもない光を発する、ってだけなんだけどな。それでも暴漢や魔獣に襲われた時に目を眩ませる事が出来るから女性にオススメなんだ。最も効果がそれだけでも魔法具だからな。少し値段が張る。アンタの買ったのと同じくらいだよ」

 

 その言葉に俺は少し考える。

 

 奇襲ならともかく、これは俺やキキョウでは特段買う意味はない。

 

 だけどアイリスちゃんなら話は別だ。

 アイリスちゃんが精霊魔法を使えるのは知っているけど、何かあった時に直ぐに使うことは出来ないだろう。【木霊との交信(ことのは)】も同じだ。

 

 なら、僅かでも自衛の手段を持つのは悪いことではない。

 

 人間は視覚に頼っているから、目くらましに使えるこれは実用性はある。それに首飾りにしても珍しく全体が金属製ではなく、アイリスちゃん達、エルフが身に付けるような伝統工芸の品だから違和感がない。

 

 財布を見る。食料と花飾りを買ったが、ギリギリ足りそうだ。

 宿で待つアイリスちゃんにお土産を買ってない事を思い出し、俺は買うことにした。ジャママは買った食料をあげたら喜ぶだろう。

 

「すいません、それも貰えますか?」

「良いのかい? ありがとうよ!」

 

 これで綺麗に俺のお金はすっからかんだ。旅の費用としての共通費用はまだあるが俺個人としての金はもうない。

 

 だけど後悔はない。

 

 キキョウへのプレゼントとアイリスちゃんへのお土産を買った俺は早く、キキョウを待たせている場所に戻ろうとする。

 

「喜んでくれるだろうか」

 

 自信はあるが、気にいらなかったらどうしようと考えつつ、キキョウの待たせている場所に行く。

 

 だが、その途中で泣いている子どもがいた。

 

「迷子か? ん? キキョウ?」

 

 見ればスタスタとキキョウが迷子に近付いていた。何やら話している。俺は遠くからそれを見る。

 泣き止まない子どもへ、屈んだと思うと手のひらからパキパキと氷細工の華が出来上がった。

 

「わぁ、すごーい!」

「町で魔法を使ったバレたら此方(こなた)が起こられちゃうから、内緒よ?」

「うん!」

 

 子どもはすぐに泣き止んだ。その後、すぐに親が現れて親子は去って行った。

 キキョウはそれを見送る。

 

 俺は、良い光景を見たと頬を緩《ゆる》ませながら近く。

 

「優しいね」

「アヤメ。見てたの?」

「あぁ」

「……えっち」

「え!?」

「嘘よ。ふふっ。……前に、商業都市リッコ(あの街)での出来事を思い出したの。あの時、此方(こなた)あの娘(ラーミア)に酷いことをしてしまったわ。ううん、あの娘だけじゃない。今まで襲った人々、全員に」

 

 キキョウは後悔の入り混じった瞳で親子の去っていった背中を見つめる。

 

 俺はその気持ちが痛いほどわかった。

 

 彼女もまた自らの行いに自責の念に駆られている。

 

「けど、君はあの子を笑顔にした。それは事実だ」

「……けど」

「キキョウ。過去は変わらない。変えられない。だからこそ、これからに目を向けていくんだ。そうしてば、きっといつか自分を許せる日も来るはずだ。これは、その為のプレゼントだ」

 

 俺はさっきの店で買った花飾りをキキョウの手を握ってその上に渡す。

 キキョウはそれを受け取るとぽかんとした顔になり、俺と髪飾りを交互に見る。

 

「……え? な、何これ?」

「髪飾りだ。君は髪につけていないだろ? だからプレゼントしようと思ってね」

「それは……、ちみっ娘の入れ知恵ね。アヤメは知らないもの」

「勿論アイリスちゃんに頼まれたのもある。だが、俺はキキョウに何かしてあげたいという気持ちもあった。だから、今日誘ったんだ。良かったよ。君の新しい一面も見る事が出来たからね」

 

 俺は少し茶目っ気に笑う。

 するとキキョウもつられてか、くすくすと笑ってくれた。

 

「ねぇ、アヤメ。良かったらこれ、つけてくれないかしら?」

「喜んで」

 

 何処にする? と聞くとキキョウは、アヤメの好きにしてと言った。なら俺は、キキョウは大人っぽいので後ろ髪に似合うようにする為、髪を結《ゆ》っても良いかと聞くとキキョウの許可をもらえたので、ベンチに座って彼女の銀髪を触り始めた。

 

 メイちゃんやアイリスちゃんと違う感触の髪だが嫌いではなかった。

 

 俺はキキョウの後ろ髪をハーフアップにし、その中心の髪飾りをつけた。

 

 キキョウはそれを手のひらサイズの【氷面鏡(スペクリム)】で確認する。

 

「ありがとう、凄く……すごく、嬉しい」

 

 はにかむ彼女は本当に嬉しそうで。とても素敵だった。

 

 いつか彼女にアイリスちゃんが『聖女』であると話せる時が来るだろうか。

 

 来るといいな。俺はそう願った。

 

 

 

 

 

「お帰りなさい! 二人とも!」

<ガゥッ>

 

 宿に帰ると何故か中に併設されている食事場にアイリスちゃんとジャママがいた。その顔は若干むくれている。

 

「ちみっ娘、口に牛乳で白ひげが出来ているわよ」

「えっ!? あわわ」

 

 ぐしぐしとハンカチで口元を拭うアイリスちゃん。

 その後再びおかえりなさいと言う。頰が赤いのは、きっと恥ずかしかったからだろう。

 

「ただいま、アイリスちゃん」

「ちみっ娘、気を使わせたわね。もう体調が悪い演技なんてしなくて結構よ。最も、もう隠す気なんてないんだろうけど」

「むむっ、バレちゃいましたか。でも、その様子だと良かったみたいですね」

「えぇ、そうよ。見てみなさいこの髪飾り! 良いでしょ!」

 

 クルクルと花飾りを主張するように回るキキョウ。

 その様子にアイリスちゃんは呆れつつも、よかったですねと褒める。

 

「やれやれ、子どもなんですから」

「あははっ、あそこまで喜んで貰えると俺も嬉しいよ。そうだ、アイリスちゃんにもプレゼントがあるんだ。はい」

「え?」

 

 俺は、同じ露店で買った首飾りが入った袋をアイリスちゃんに渡す。

 アイリスちゃんも、受け取った袋から首飾りを取り出すと目を見開いた。

 

「アヤメさんがわたしにプレゼント……」

「それは魔法具でね。握りしめて魔力を込めるだけで強烈な光を発することが出来るんだ。咄嗟の時に使えば、目くらましになると思ってね。それで」

「アヤメさんがわたしの為に……アヤメさんが! わたしの為に!!」

「あの、俺の話聞いてくれてる?」

「ふっ、あんな程度で喜ぶだなんて……子どもね」

 

 アイリスちゃんはいつまでも嬉しそうに叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ〜ん」

 

宿のお風呂に入ってアイリスがジャママの毛を梳いていると、キキョウがランプの光に照らしながら貰った髪飾りを手に持って鼻歌を歌っていた。

 

「いつまで歌ってるんですか? 何時もなら寝てるのによっぽどご機嫌なんですね」

「えぇ、よっぽどご機嫌よ」

 

 何時もなら皮肉を返してくるが、それすらもしない。

 言葉通りよっぽどご機嫌らしい。

 

「ちみっ娘」

「なんですか」

「……悪かったわね」

 

 アイリスはジャママを毛繕いする手を止めてキキョウを見る。

 今、何と言った?

 

此方(こなた)は貴女を攫《さら》った際に、貴方の花を凍らせて砕いたわ。それは嫉妬よ。醜くも、此方(こなた)は貴方に嫉妬したの。その事は事実よ」

 

 自分の持っていないものを持つアイリスを(ねた)んだ。嫉《や》いた。

 その時のことをキキョウは気にしていた。してはいたが、謝る機会がなかった。

 

「だから、謝るわ。ごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げる様は、昨日までなら見られなかっただろう。それだけ今日の出来事はキキョウに変化を与えたのだ。

 

「でも、それはそれとして見てよこれ! アヤメがくれたのよ! ちみっ娘はこんなの貰ってないでしょうね。ふふーん」

 

 しかし、それはそれ。

 キキョウはやはりアイリスに対して張り合おうとする。

 

「む、わ、わたしだってアヤメさんからこの首飾りを」

「それは護身用の側面が強いでしょ? 此方(こなた)は違うわ! アヤメが自ら選んでくれたもの! 羨ましい? でも、あげない。此方(こなた)のだもん」

 

 そういってまた緩んだ顔で髪飾りを撫でるキキョウ。

 

 それはまるで宝物を自慢する子どものようで。だから、アイリスもこれ以上張り合う事はせず、素直に優しい気持ちで良かったですねと褒めるのだった。

 

 今までキキョウとは張り合ってばかりだった。それは敵の時にアヤメを傷付けたというのもあるし、単純にキキョウへの警戒もある。

 

 だけどこうして貰ったものを自慢したり、喜んだりする一目を見て同じ人なんだと改めて強く理解する事が出来た。

 

 これからは少しは信じられる。

 

 そうアイリスは思ったのだった。

 



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忍び寄る気配

そろそろ夏本番ですね。とは言え雨が降って涼しい時もあるので皆様体調に気をつけてください。
因みに私は前日お腹壊しました。


 

 後日、俺たちは《レイク》を後にすることにした。

 

 念の為、大角カジキを討伐した湖を確認した後に次の町を目指したので、出た時は早い時間だったのだが思ったより進む事は出来なかった。

 

「此処で泊まりましょう。周囲の木々が良い具合に陰になっています。匂いを誤魔化す種も辺りに撒いておくので大丈夫なはずです」

「そうだね」

 

 俺たちは周囲を木に囲まれ、背後に大きな岩がある所で野宿の準備を始めた。

 

「あまり進めませんでしたね。これなら宿で泊まってた方が良かったかもしれません」

「そうだね。けど今から戻っても深夜になるだろうから町の門も閉まっているだろう。仕方ないさ」

「せめて馬車があれば……」

「ケチよね。あの湖を助けたのは此方(こなた)達なのに、馬車は貸せないって」

「仕方ないさ。先に予約をしていたのは商人達の方だ。まぁ、ヴァルドニアの中心に向かう馬車が一個もないとは思わなかったけど……」

 

 何故かわからないが殆どの商人が別の国に行くという。

 別に商人が街から街、国から国を跨いでいくのは変じゃないが、それでも一つくらいは王都に向かっていくのがあっても良いはずなのだが。

 特に《レイク》はその成り立ちから、いるはずなのだが何か妙だった。

 

 ふと、脳裏をよぎる。

 俺は似たような状況を知っていなかったか。

 

 民の要請に応えない軍。

 逃げるように国から離れていく商人。

 

 魔王軍が攻めてきた訳でもないのに、不自然なことばかりだ。

 

(思い過ごしなら良いが)

 

 そんな風に考えていた俺だが、突然森に響き渡る鳴き声が聞こえた。

 

「遠吠えか。近くに狩りをしている魔獣でも居るのかな」

「狼……ではないですね。変な鳴き声でした」

「魔獣なんて全部変な鳴き声よ」

 

 そんな中、ジャママが突如として唸り声を上げ始めた。

 

<グルル……!>

「ジャママ?」

「……キキョウ」

「えぇ」

 

 ジャママがこうして唸り声を上げる時は何かよからぬ事が起きる時だ。

 俺とキキョウは周囲を警戒する。

 

 すると草木をかき分ける音と足音が次第に近付いてくる。

 警戒する俺たち。

 

<ヒヒィィンッ>

 

 現れたのは一匹の馬だった。背中には鎧を着た人が乗っている。

 

 俺も構えるも様子がおかしい。乗る人もだが、馬からも出血している!

 

 馬は力尽きたのか、そのまま倒れ、上に乗った男性も放り投げられる。

 

「何だ!?」

「アヤメさん! あれを!」

 

 倒れ伏した馬を追って、火の光で姿が見えたが灰色の四足歩行の2メートル程の蜥蜴(とかげ)が5匹程現れた。

 

 これは俺も知っている! 灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)という、一度獲物を見つけたらどこまでも執念深く追いかけて来る魔蜥蜴だ。

 

 その執念深さから、特に商人達からは恐れられている。商人が護衛を雇うのは盗賊対策なのもあるが、灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)を警戒しているからといっても良いくらいだ。

 そのくらい犠牲になる人が多いのだ。

 

<ジャアァァッ>

 

 灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)は馬と倒れた人に向かって殺到しようとする。

 人に嚙みつこうとした口に向かって俺は体勢を低くして"緋花"を繰り出して、頭を突き穿つ。

 更には剣を横薙ぎに一閃して、もう一匹の上顎から上を寸断する。

 

<ジャアァッ!>

<ガルゥゥ!!>

「ジャママ!?」

 

 仲間がやられたのか怒った一頭の灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)が襲おうとしてきた所を横合いから跳躍したジャママが比較的柔らかい首に向かって噛み付いた。

 

 揉み合いになる灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)とジャママ。

 

 だがサイズの差は如何ともし難く、今のジャママの力では灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)の分厚い首の皮を食い破る事も出来なかった。

 

 頭を抑えられ、動けなくなったジャママを喰らおうとした灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)の背中に剣を突き刺す。心臓がある位置を狙ったのだがうまくいったらしい。灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)は倒れ臥す。

 

「大丈夫か? 助けてくれたのは感謝するけど、その後無茶をし過ぎだ。相手はジャママ、君より格上の魔獣だぞ」

<……ガゥゥ>

 

 プイッとそっぽを向く。

 やれやれ、素直じゃない。助けてくれた事は嬉しいんだが。

 

 それよりも残った二頭の灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)だ。

 奴らは怖気ついたのか、逃げる素振りをしだした。だがその目は憎々しげにこちらを睨んでいる。

 まずい!

 

「キキョウ! 逃しては駄目だ! 奴らは執念深い上に、憎しみを覚える! 逃したら延々と虎視眈々(こしたんたん)と俺たちを着けてくる!」

「わかってるわ。【氷の壁(アイス・ウォール)】そして、【蠢く氷河(グレイシャー)】」

 

 キキョウによって、作らされた氷の壁によって逃げ道を塞いだ後、奴らの足元を凍らせてもらう。

 

「いいぞ! "月凛花"」

 

 四肢を氷によって塞がれ動けなくなり、無防備な首に向かって一閃。

 血を流して、灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)はだらんと倒れ臥す。

 これで全ての灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)は討伐された。

 

「これで灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)は全てか。それよりも……!」

 

 俺は投げ出された人を抱え起す。あちこちから出血していて顔色も悪い。特に右足には灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)に噛まれた跡があった。

 灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)の唾液には毒がある。

 

「大丈夫か!? 今治療を。アイリスちゃん!」

「はい!」

「待っで! ぐだざ、い……」

 

 男の人は俺の手を掴む。

 息は荒く、手も震え、俺も見ている目も焦点が合ってない。

 

「私は奴に噛まれたせいで、毒でもう駄目です……! だがっ、ら、頼みがあります……! どう、か。この手紙を……『啄木鳥の宿』の………201号室…………そ、こに、は……のなか……ま……」

「がんばってくださいっ! 必ず、助けますからっ」

 

 男性は何かを伝えようとしている。

 その間にアイリスちゃんも『聖女』の力を懸命に使っているが、傷が治っても一向に顔色は良くならない。

 

「私は……斥候、もう、すぐ仲間がこっちに……あのお方こそ、我々の希望……なのです。どうか……どうか……」

 

 理由はわからない。だけど彼は俺たちに託そうとしている。

 

 残り少ない命を燃やして。

 

 そのまま彼の手が力無く落ちようとした所を、俺は彼の手を強く握る。

 

「あぁ、承った。だから安心すると良い。君は自らの使命を全うしたんだ。誇ると良い」

「かん、しゃを……」

 

 最期に笑い、そのまま彼は体の力が抜けた。

 アイリスちゃんを見るけど、彼女は悲しそうにしながらふるふると首を振った。

 

「……だめ、か」

「私の力では失ってしまった血までは癒す事は……。それに、既に先程の蜥蜴による毒も……。アヤメさんの時は直ぐだったのでギリギリ大丈夫でしたけど、この方は最後の力を振り絞って今のを告げたかったみたいです」

「わかっている。傍目から見ても彼はもうダメだった。だから、そんなに気負う必要はないよ。アイリスちゃん」

 

 項垂れるアイリスちゃんに向かって言葉を投げかける。気休めだとはわかっている。

 

 元々一目見ても男性が助からないのはわかった。

 それでも『聖女』の力ならと思ってしまうのは、きっと傲慢だろう。

 『聖女』であろうと出来ない事は当然ある。人を生き返らせることが出来ない。

 聖女の力は癒し(・・)であり、生き返らせる(・・・・・・)ことではないのだ。

 

 俺はガサリと手に持つ手紙を見る。彼が渡した手紙は皺くちゃで、血がつきながらもこれだけは死守しようとしたのが窺《うかが》えた。

 

「どうするのアヤメ? この武装、恐らく『騎士(ナイト)』だった者。その彼がこんな状態で、状況的に逃げて来たのだと考えるのなら、明らかに厄介ごとよ。態々首をつっこむの?」

「わかっている。だが、俺は彼に頼まれた。そして、それに対して任せろと言ったんだ。なら、それに応えなければならない」

 

 彼が何故ここまで来たのかわからない。知らない。本来なら町の兵士等に任せるべきだろう。

 

 だが時間もない。

 彼は仲間が来ると言った。

 

 ならその仲間も何かしらに追われている可能性が高い。幸いかはわからないが、彼の流してきた血を辿れば通ってきた道がわかる。それを遡れば自ずとわかるだろう。

 それに馬が通れる場所というのもこの辺りじゃそう多くない。血の跡と合わさってすぐに何処から来るのか判断出来るだろう。

 

「問題はこの手紙を届ける間にこちらに来るという人が何かに追われていて、殺されてしまう可能性があることか。だが、仲間だという人に届けないわけにも……」

「それならわたしに任せて下さい!」

「だけど、アイリスちゃん」

「大丈夫です! 『啄木鳥の宿』はわたし達が泊まっていた所ですし、ここから《レイク》までそんなに距離が離れていませんし! それにジャママもいますから。そしてなにより、わたしじゃ足が遅くて、二人について行けません」

 

 アイリスちゃんの目は決意に満ちていた。

 

「あの方をわたしは救えませんでした。だからわたしはあの方の遺志(・・)を仲間の方に届けたいと思います。大丈夫です! 【木霊との交信(ことのは)】を使えば遅くとも二時間くらいであの町に戻る事が出来ますから!」

「……わかった。くれぐれも気をつけて」

「はい! あとぼっち、アヤメさんに迷惑をかけるんじゃないですよ」

「何で迷惑かける前提なのよ!?」

「今までの事を振り返ってみると良いです。あわや湖を完璧に凍らせてしまおうとしたのは誰でしたか?」

「うぐぐ……」

 

 心当たりがあるのだろう。

 キキョウは反論しなかった。

 

「なら急ごう。こうしている間にも、こちらに向かってくる人は命を狙われているかもしれない」

「はい! でも、その前に……【植物よ、私の願いを聴いて下さい。この方に安らぎを。誰にも荒らされることのない眠りを】」

 

 亡くなった男性と馬を覆い尽くすように周囲の木々が集まりだす。やがて繭みたいに木によって包まれた。

 

「後ですぐに回収しに来ますから」

 

 当然だが、彼の亡骸を連れて行くのはアイリスちゃんには出来ない。

 俺が連れていければ良いが、一刻を争うとの事なのでその暇がない。

 だからここに置いて行くしかない。だが、幾ら【木霊との交信(ことのは)】でも、魔獣達が木を切り裂かないとは限らない。

 

「【氷の壁(アイス・ウォール)】」

 

 突然、木全体を囲むように氷の壁が出現した。

 

「キキョウ」

「これならもっと安心出来るでしょ」

「ぼっち」

「勘違いしないで。ちみっ娘のだけじゃ頼りなかったからよ」

「……はぁ、もう。素直じゃないですね」

「別に本当のことだし! ……何よ、その目! 本当なんだから! 此方(こなた)を暖かい目で見るのやめなさいよ!」

 

 その様子にちょっとだけ笑った俺だけどすぐに気を引き締める。

 

「それじゃ、俺たちは向かってみる。アイリスちゃんも、後からジャママに匂いを辿って貰って来てくれ」

「はい! お二人も気をつけて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタガタと馬に引かれ走る馬車を中心に20人余りの武装された兵士が馬に乗って道を走る。道が悪いのか馬車は時より大きく上下に揺れていた。

 一様に全員が顔に焦燥を浮かべ、しきりに背後を気にしていた。

 

「追っ手は!?」

「まだ着いてきてる! もっと早く出来ないのか!?」

「無理だこの夜の道でこれ以上速度を出せば転倒しかねない! そもそも街道とは言え、塗装されている訳じゃないんだぞ!」

「奴らが確実に距離を縮めているのはやはり練度の差と馬の品種か!」

「くそ、こっちは馬車だってのに!」

 

 兵士の悪態吐いていると突然馬車を引いていた馬が悲鳴を当てて倒れ伏す。当然馬車もそのままの勢いで倒れてしまう。

 

「なっ!? 何が起こった!?」

「馬がやられた!」

「横からだと!? いつのまに!」

「弓だ! くそっ、こんな夜の中当てて来やがったのか!」

「そんなことはどうでも良い! ピエール様は無事か!?」

 

 倒れた馬車に近寄り、多少歪んだ扉を力ずくに開ける。

 

「ピエール様! ご無事ですか!?」

「あぁ……頭を打たなくて助かったわい」

 

 中からは一人の白い髭の老人が体を抑えつつ現れた。

 大きな怪我もないようで青髪の兵士は安心した。

 

「よかったです。急いで我々の馬に……」

「矢が来るぞ!!」

 

 一人の兵士が叫ぶ。

 馬車が止まった所に矢の雨が降り注いできた。

 

「ぐぅっ」

「ピエール様!?」

「ピエール様に矢が!!」

 

 負傷する兵士と一緒に、老人の胸に一本の矢が突き刺さった。

 

「ぐぁぁっ、あ、足に矢がぁぁ」

「味方にも被害が!」

「それよりも、早くこの場から逃げないと。このままでは」

「駄目だ、左右にも敵がっ」

「扉を閉めろ! 次矢が来たら今度こそピエール様の御身が危ない!」

「わ、わかった!」

 

 馬車の扉が閉められると同時に矢が来た方向から、馬に騎乗する重厚な鎧に包まれた騎士達が現れた。

 

「全員、対象の確保を優先しろ! ただし、抵抗が激しければ最悪殺しても構わない! ……躊躇するな、我らの力を見せる時だ! 抜刀!」

「いかん、ピエール様をお守りするんだ! 突撃!」

 

 比較的軽傷な兵士達が現れた騎士達に攻撃する。

 だが、その力の差は明らかで数だけでなく練度でも負けていた。

 

「はやく馬車を立て直せ! 時間を稼ぐからピエール様だけでも」

「ぐぁぁあぁぁぁ!!」

 

 戦っていた仲間の一人が大きく吹き飛ばされ木にぶつかり気絶する。

 

「何だ、何がおこっ」

「ピエールを確認。直ちに捕縛します」

 

 騎士達が左右に道を譲る。

 その中心から一際大きな馬に乗り、真顔とも能面とも言える無表情の顔をした紫色の髪をした端麗の男が、巨大な盾と業物であろう槍を構えて現れた。



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鉄壁の騎士

 

 突如現れた男に兵士達は恐れ震え出す。

 それが誰だか、この国で知らぬ者はいなかった。

 

「『鉄壁』のエドワードだ!」

「そんな、なんでこんな所にっ」

「奴を動かすなんて王は本気か!!?」

「ひぃっ、そんな。勝てる訳がない!」

 

 現れた男に騒めき、浮き足立つ兵士達。

 

 その隙を男は……エドワードは見逃さなかった。馬で駆け、瞬く間に接近し防御陣を敷いた兵士を薙ぎ払う。大の大人が宙を舞う様は演劇か何かのように現実味のない光景だ。

 

 単純に片腕で槍を振り回し、身体を覆い隠せるほどの盾をも持てる膂力も凄まじいが、それ以上に技量が卓越されていた。

 エドワードは的確に、戦闘能力のみを削いでいく。武器を槍で弾き、戦意をなくさせているのだ。

 

「エドワード団長!」

「総員、堅牢包囲陣の構え。敵は『兵士』のみ。我ら『騎士』の相手ではありません。防御を固めつつ、確実に各個撃破しなさい」

「了解!」

 

 騎士の動きが変わる。さながら水を得た魚のように円滑に包囲し、兵士達を押していく。

 

「押し返せ!! ここであの方が捕らえられたら……今度こそ、この国は終わりだぞ!」

 

 『騎士』を二人相手取る青い髪の兵士が懸命に声を張り上げる。

 だがどの兵士も騎士に敵う様子はない。

 もはや彼らが負けるのは時間の問題であった。

 

 

 

 

 

 

「見つけた。だが」

 

 戦闘を見て呟く。

 既に三時間経過していて、俺はやっと見つけることが出来た。皮肉な事だが、追っ手側が松明を持っているおかげで遠目から火の光で発見する事ができたのだ。

 

「これは……彼らじゃ勝ち目がないな」

 

 相手側の職業は恐らく『騎士』、それもかなりの技量の持ち主だ。それに対して追われている側は装備と動きを見るに『兵士』で構成されている。

 『騎士』と『兵士』では職業(ジョブ)でもかなり差があった。

 

「特に、アイツがやばい」

 

 暗闇で、遠目にも分かる全身を鎧で覆った男。エドワードと言われていた騎士の強さは卓越していた。

 その技術も他の囲む騎士と比べて突出している。『騎士(ナイト)』を越える職業(ジョブ)、『上位騎士(ガーディアン)』である可能性が高い。

 

 更には称号もあるかもしれない。

 

 称号は時には、その人のみの固有技能が与えられることがある。俺が『勇者』だった頃の【加速(アクセル)】とかが良い例だ。

 

 だがそれよりも俺は解せない事があった。

 

「何故人同士で争っている? 盗賊とかならまだしもあの装備、恐らくはこの国の騎士だ。それが何故、彼らを襲う?」

「アヤメ、不味いわ。彼ら、押されているわよ」

 

 エドワードが現れてから動きが変わった騎士達に、兵士達は瞬く間に戦闘能力が削がれていった。

 

 これ以上、見ていたら取り返しがつかなくなる。

 

 だが、俺には懸念があった。もしこれが騎士側に大義があった時俺がする事は犯罪となる。

 そうなれば俺はアイリスちゃんとキキョウを巻き込む事になる。

 

 けど、そうじゃない可能性もある。

 手紙を渡した彼の事がある。彼は希望と言った。あの倒れた馬車の中にいるであろう人物が希望なのだろう。

 

 もしあの騎士達が、何らかの口封じ、或いは自らの私欲の為に消そうとしているのなら助けないことは俺の意義に反する。

 

「キキョウ、君は」

「アヤメ。言っておくけど此方(こなた)は絶対着いていくから。自分一人でやろうだなんて言わないで」

 

 俺は覚悟を決めてあの戦闘に突っ込む事にした。

 考えてもどっちが正解だなんてわからないんだ。ならば俺は俺の信じた方に着く。この世に万全の正義などないのだから。

 

 だけど、キキョウを巻き込むのは後ろめたくて遠ざけようとしたが彼女はまっすぐと俺を見ていた。

 ……本当に良い女だよ、君は。

 

「俺が先に行く。キキョウは全体を見渡せる位置で戦況を見ていてくれ。何かあったら頼む」

「わかったわ。……怪我、しないでね」

「あぁ」

 

 俺は闇夜に紛れて接近する。

 騎士達は包囲を狭め、外部からの攻撃を予期していない。

 

「ソルベ、突出し過ぎです。下がりなさい。バーバラスト、ゴルール、貴方達は前面に出て左右を分断しなさい。そうすれば、相手は分断され連携を取る事が出来なくなります」

 

 エドワードもだが、向こうは指揮に集中していて此方に気付いていない。ならいける。

 

 古来から混乱を生むには、頭から倒すのが有効だ。

 

 俺は懐からアイリスちゃん特製の煙玉を投げつけた。

 

 暗闇に乗じたものだが、エドワードは正確に投擲された物に気付き、槍で貫いた。瞬間、広がる粉状の煙。エドワードの視界が塞がれる。

 

「ぬっ、これは煙玉……?」

<ヒヒィンッ!>

「マネラ!?」

 

 その隙に彼らが争っていた最中に落ちていた槍を拾い、投げたことによって馬は喉を貫かれ倒れた。

 馬を殺されたエドワードは馬が倒れる前にも飛び降りる。

 

「エドワード様!」

「問題ありません。貴方達は確保に集中しなさい」

「は、はっ!」

 

 駆け寄ろうとする騎士に命令を下し、エドワードは俺の隠れていた木を槍で示す。

 

「そこにいるのは分かっています。出て来てもらいましょうか」

「なんだ、やっぱりバレていたか」

「当然です。……私の馬を良くも殺してくれましたね」

「機動力から奪うのは戦いの基本じゃないか?」

「成る程、確かに道理です。……貴方は何者ですか、明らかに他の反乱に加わった者とは違います」

 

 エドワードもまた構える。その目には警戒があった。

 同時に俺も彼の言葉を反芻していた。

 反乱……彼らは何か騎士たちに反乱しているのか? なら彼らはそれを鎮圧しようとしている? だったら大義は向こうもあるのか?

 

 だが、そもそも何の反乱だ?

 本当は大義なんてないんじゃないのか?

 

 くそっ、情報が足りない。

 だが、こうして出てきた以上後戻りも出来ない。

 

 ならば突き進むだけだ。

 

「さてね。俺が何者か言ったら君は退いてくれるのか?」

「そのような訳はないでしょう。邪魔をするというのならば、貴方も反乱軍の一員と見なします」

 

 エドワードは盾を前面に押し出し此方に接近する。

 このまま盾でぶつかるつもりか? だったら避けるだけだ。

 そう思った俺だが突如盾が斜めに変わり、空いた下の隙間から槍が飛び出す。

 

「【突撃槍(ストレートホーク)】」

「下か!?」

 

 身体を逸らして躱す。

 

 …………危ない、危うく串刺しになるとこだった。

 逸らした身体の勢いで剣をエドワードの胴体へ振るう。

 

「【盾撃(バッシュ)】」

 

 俺の剣戟に合わせ盾を動かし、容易く弾かれる俺の剣。

 再度突こうとする槍を躱す為、俺は大きく後退した。

 

 離れた俺をエドワードは追ってこない。

 確かに移動速度は遅い。だがそのかわり佇《たたず》まいを見ても堅牢な守りを誇っていて全く隙がない。

 

「エドワード様! 彼らに動きが! この隙に逃げ出そうとしています!」

「第2騎兵隊はビルドを中心に彼らの道を塞ぐ隊列に移行しなさい。アーラスはギルバードとジャルメルの班を率いてあの青い髪の兵士を倒しなさい。彼を倒せば戦局は傾きます。向こうの(アヤメ)の相手は私がします」

「了解!」

 

 更には戦況を的確に読む冷静さ。

 奴だけでも厄介なのに、戦闘能力の高い『騎士』が更に厄介になる。

 不味い。俺は大丈夫でも他の兵士が防ぎきれない。てっきり俺を倒すのを優先すると思ったが思ったより目の前の男は冷静だった。

 

「一人で大丈夫なのか? 何なら複数でも構わないよ」

「挑発ですか。その手には乗りません。先程の動きを見るに貴方は強いようですが、他はそうでもないようです。私が貴方を抑えれば後は時間の問題。もはや天秤は此方に傾《かたむ》きましーー」

「【氷の槍(アイス・スピア)】」

 

 突然エドワードの横の間合いから【氷の槍(アイス・スピア)】が穿たれる。

 だが俺に集中していたエドワードは防ぐ事も出来ず、他の騎士と同様にキキョウの魔法をモロに受けた。

 

「大丈夫?」

「キキョウ。援護は嬉しいけど流石にあそこまでする必要は」

「問題ないわ。【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】よりも威力の低いのを使って加減したもの。でも…………相手も相当やるらしいわね」

「なっ」

 

 【氷の槍(アイス・スピア)】が割れて、白い霧の中から現れたのは、何の痛痒も感じていなさそうなエドワードだった。

 

 まさかあれを受けて無傷だって!? 手加減したとは言えキキョウちゃんは八戦将の一人で、その魔法の威力だぞ!? 

 

 他の騎士が食らって戦闘不能になったのに、一人平然としているとかどんな出鱈目だ!?

 

「驚きました。まさか向こうに『魔法使い』がいるとは。私の部下もやられたようですね。しかし、それでも私の防御を貫くことは出来ません」

 

 尚も健在のエドワードが頭鎧の下から、凍てつくような目で此方を見据える。

 

 不味い。じりじりと他の騎士たちも包囲を狭めている。俺は大丈夫でも、他の皆が耐えきれない。

 キキョウもこんなに目撃者がいる場所では全力を出したら正体がバレる可能性がある。

 

 先程の槍の鋭さもだが、ここまでの『騎士』は俺も会った事がない。太陽国ソレイユのルヴィンさんに匹敵する…………いや、槍術と防御力に関しては越えているか? 

 

 単純に技能(スキル)の差ではルヴィンさんに分があるけど技術だったら匹敵する。

 

 何故こんな所にこんなに強い人がいるんだと愚痴りたくなる。

 

「アヤメ、どうするの?」

「一点を狙って突破する……って言いたいところだけどそれも無理そうだッ!」

 

 こっちに魔法使いがいると分かったのかエドワードは近付かず、部下に弓を構えるよう指示した。俺はキキョウに向かって放たれた矢を剣で撃ち落とす。

 

 目標はここからの離脱だが、包囲下の状態では厳しかった。

 

「撃ち落とされましたか。だが牽制にはなる。続けなさい、周囲を包囲し彼らを釘付けにするのです。マルセイ、ガリア、ラーヴィス。貴方方は弓の前に立ち盾となりなさい。あの氷の槍を防ぐのです」

「「「はっ」」」

 

 更には盾持ちの騎士を前面に押し出し、此方に攻勢を仕掛けることがなくなった。

 

「このまま手をこまねいていたらラチが明かないかッ」

「アヤメ、何なら此方(こなた)が」

「駄目だ。確かにそれをすれば容易く状況を打破出来る。だがそれは君の正体の露呈してしまう!」

「大丈夫よ。別に自分のしてきたことは分かってるから。だから、例えバレても貴方達には迷惑はかけない。報いなら此方(こなた)一人で受けるから」

 

 今この場でキキョウが本気を出せば周りの騎士達も全員倒す事は容易いだろう。

 

 けど、それは彼女の正体が露呈する可能性が高くなる。ただでさえ、氷の魔法使いは数が少ないのに一瞬で多数の騎士を倒せる存在など『氷霧』しかいないとバレるだろう。

 

 だが、正体がバレるのを恐れて本気を出さなければ、それこそ愚か者のする事だ。

 

 重要人物だけ連れて逃げるか? だめだ、恐らくあの馬車の中にいる。救出するだけの時間がない。

 

 どちらを選ぶ?

 いや、そもそも俺のワガママにキキョウを巻き込んだんだ。

 だが、彼女の力がなければ今この状況を打破できない。

 

 全ては俺のせいだ。

 俺が弱いから。俺に力がないから。

 

「俺は……」

「うおぉぉおぉぉ! 突撃ぃぃ!!」

 

 突然鳴り響く、雄叫び。

 それは包囲の外部からだった。

 

「援軍? 馬に乗って来たのか。そして先頭にいるのは……アイリスちゃんか! 手紙は届けられたのか。だけどあれは……」

 

 見れば奥の森から多数の馬に乗った人が此方に向かって武器を構えて迫ってくる。

 

 先頭に乗る人の後ろに乗ってアイリスちゃんが手を振ってるのが見えた。

 

 援軍に、包囲されていた兵士達の戦意があがる。だが俺は一目でそれは間違いだとわかった。

 

 俺は馬に跨る人の多くが、戦闘に慣れていない人だとわかった。

 

 確かにそれなりの装備……『兵士』であろう人もいるが殆どは武装も体も貧相で見るからに戦闘職でない人ばかりだ。

 

 無理だ。あれでは勝てない。

 鍛え抜かれた騎士を倒す事が出来ない。

 

 後に起きるのは戦闘ではない一方的な虐殺だ。

 

 これは本気(殺す気)で戦うしかないかと覚悟を決めるとエドワードは急に構えを解き、背を向けた。

 

「引きましょう、これ以上は数も負けています」

 

 エドワードは端的にそれだけを言って退却の指示を出す。他の騎士たちも少し驚いた顔をしながらも指示に従い引いていった。

 

「退いた……? 何故」

 

 確かに数は向こうが負けているがそれは決定打とはならない。特に向こうは騎士の集団なのだからこちらを容易く蹴散らす事が出来るはずなのに。

 

 何が理由なんだ。

 一体何が彼を引かせた?

 

 その事を疑問に思っているとワッとその場にいた兵士達が喝采をあげた。

 

「退いた! あのユサール騎士団が退いたぞ!」

「あのエドワードを追い返すなんてあんた何者だ!?」

「すげぇ! もうダメかと思った!」

 

 歓喜に叫ぶ兵士達。

 その様子に一先ずは俺も安堵する。

 

「アヤメ、なんとかなったみたいね」

「キキョウ。だが、余りに妙だ。あれだけの強さを誇る騎士なのに、戦いもせずに退却するだなんて」

「アヤメが苦戦するなんてそれだけアイツは強かったの?」

「強いよ。あの動き相当な手練れだ。技能(スキル)抜きにして相当の鍛錬を積んできたんだろうね。悔しいけど今の俺じゃあの盾槍を突破する方法が思いつかない」

 

 武具の性能差があるだなんて言い訳にもならない。

 あの守りを突破するのには、相当な努力が必要だろう。

 

「それに……」

「それに?」

「向こうも本気(・・)じゃなかった」

 

 理由は分からないが、殺意が無かった。

 

 悔しいがそれに救われた。向こうも本気なら俺とキキョウはともかく他は守りきれなかっただろう。

 

 そして俺と彼が殺す気でぶつかれば…………どっちかが死ぬ。その確証もあった。

 

 悔しさに握り拳を作る中、馬から降りたアイリスちゃんが近寄ってきた。

 

「アヤメさん! それとついでにぼっちも無事でしたか?」

「ついでって……。まぁ、良いわ。無事よ。当たり前じゃない」

「アイリスちゃん。ありがとう助かったよ。随分と早く来れたね」

「手紙を渡すと直ぐに出立し始めましたから。それにジャママのおかげで二人の後を追いかけるのは簡単でした」

<ガゥッ>

 

 抱えられたジャママが吠える。

 危機を脱したのか、周囲には弛緩(しかん)した空気が広がる。アイリスちゃんと一緒に来た人々も、兵士達と話している。

 するとそこへ

 

「ピエール様!」

 

 焦燥に駆られた声があがる。

 見れば馬車から血塗れの老人が、胸に矢が刺さった状態で出されていた。

 

「しまった、これは肺が傷ついてしまっている。そのせいで血が入り込み呼吸がっ……!」

「矢は抜けないのか!?」

「ダメだ、抜いたら更に大出血が起きる。そうなればもう助からない!」

「だがっ、このままでは」

「ちょっと良いですか?」

 

 アイリスちゃんが矢の刺さった老人の様子を見る。

 

「何だ! 子どもが何を」

「すまない。少しで良い。彼女に診察させてやってくれ」

「ぐっ」

 

 エドワードを撃退した俺に強く言えないのか、兵士が黙る。その間にアイリスちゃんが触診している。

 

「……まだ大丈夫です。弱々しいけど生きようとする鼓動が聞こえます。血も、これくらいなら」

 

 アイリスちゃんはパッと顔を上げた。

 

「矢を抜いて貰えますか?」

「なんだと!? そんな事をすればっ」

「大丈夫です。わたしはエルフです。人にはない、治療方法もあります。だから信じてください」

「ほ、本当に助かるのか?」

()()()()

 

 力強い言葉に青い髪の兵士は何も言わずに引いた。他の兵士も此方を見守っている。

 俺はアイリスちゃんを見る。彼女は頷いた。俺は、老人に刺さった矢を抜いた。

 

「……あの人は助けられませんでした。ならせめてこの人だけでも……!」

 

 アイリスちゃんの掌が淡く光る。するとみるみると矢で貫かれた傷が塞がっていった。

 

 その後もテキパキと調合した薬草を塗って、包帯を巻く。老人は呼吸も安定していた。

 その様子に兵士達は唖然としていた。

 

「あ、貴方は何者なんですか……?」

「えっと、わたしは『治癒師』なのでこういったことは得意なのです。この方は普通の人より魔力が多かったみたいで治せました。後はエルフの秘伝の薬を使いました」

 

 さらっと嘘をつくアイリスちゃん。だがここで『聖女』と露呈したら面倒ごとになりかねないのでその判断は正しいだろう。

 

 老人が目を覚ます。

 

「おぉ、ピエール様!」

「立ち上がられては……!」

「問題ない。痛みもほとんど無いし、傷も塞がっている。少し頭がボヤけとるがこの程度ならば大丈夫じゃ。どうやら余程の腕の『治癒師』か『薬剤師』に治してもらったようじゃの」

「はっ、この方が治して下さいました。更にはこちらの二人にもユサール騎士団に追われている所を助けてもらいました」

「ユサール騎士団をだと!? なんと……」

 

 老人は此方を向く。

 

「命を救って貰って、かたじけない。こんな姿で無作法だが、許してくだされ」

「いえ、気にしないでください。俺はアヤメと言います。此方はアイリスにキキョウ、そして狼のジャママです。失礼ですが、周りの兵士と呼称…………貴方は何者なんでしょうか」

 

 俺は問いかける。

 周り様子と、騎士が追ってきた事から位の高い人物なのは間違いないと思うんだが……。

 

「そうですのう、名乗らねば失礼と言うもの。……儂の名はピエール。この国、ヴァルドニアの大臣であったものです」

 

 思ったより大物に俺は若干頰を引きつらせた。



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ヴァルドニアの闇

 

 馬車の中に案内された俺達はそこでピエール様に頭を下げられた。

 

「改めて礼を申し上げる。もう一度名を名乗りましょう。ワシの名はピエール・ブニ・コールマン。このヴァルドニアにて右大臣の役職に就いていたものです」

「此方こそ、この国の大臣にあたるピエール様にお会いできて、身に余る光栄でございます」

 

 俺は姿勢を正し、慇懃(いんぎん)に礼をした。ピエール様が本当にこの国の大臣なのかは疑っていない。矢が刺さって血がついている服ではあるけれどその服は庶民が着るとは思えないほどに品格のあるからだ。

 

 そして何より身に纏う気迫が違う。

 

 幾人もの国を動かす人物に勇者の時に会った俺には分かる国を背負う人だけが纏える気というものがピエール様にはあった。

 ただ気になるのは外側の服はそうなのだがその他の身につけている装飾品が一切ない。

 

「やめてくだされ。命の恩人にそのような態度は取られたくはない。それに右大臣の肩書きももはや過去のもの。今の儂はただの老人に過ぎんよ」

「いえそういう訳には」

「ふむぅ、真面目じゃのう。のう、エルフの嬢ちゃんや。彼はいつもこんな感じなのか?」

「そうなのです。アヤメさんは堅苦しいのです

「ふむぅ、それはいけませんの。人生は長い。少しは肩の力を抜かんと長続きせんぞ?」

「そうですよアヤメさん。少しぐらい傲慢でいても良いと思うのです。

「ほっほっほ! お嬢ちゃんは優しいのう。

「本当ですか!? え、えへへ〜」

 

 二人揃って笑いあう。

 

 あれ、なんか気にしてるの俺だけ?

 

 アイリスちゃんとピエール様はもう殆ど気にしていない。というかピエール様が好々爺(こうこうや)みたくなっている。てか実際そうなんだろうけど。

 心配になってくるとキキョウがこっそりと耳打ちしてくる。

 

「アヤメアヤメ、此方(こなた)なんでちみっ娘があんなにあっさりと仲良くなってるの? 相手は一国の大臣でしょ? そんな軽々しく触れ合って良い人なの? それとも此方がおかしいの?」

「い、いや……そんなことは無いと思う」

「はっはっは。右大臣以前に儂とて一人の人間。なればこそ、好ましい相手には堅苦しくなく胸襟(きょうきん)(ひら)いて話すのです。勿論仮に此処が公の場では困りますが此処には儂らしかおりませんから問題ないでしょうぞ」

 

 茶目っ気たっぷりにウィンクするピエール様に流石の俺も毒気を抜かれ、肩の力を抜く。

 

「……分かりました。なら少し砕けて話させて貰おうと思います」

「ふむ、是非にそうしてくだされ。様もいりませぬぞ?」

「それは、いえわかった。なら、ピエールさんと呼ばせて貰うよ」

「うむ」

「実は率直に質問したいことがいくつかあります。構わないかな?」

「構いませんとも。命の恩人なのですから出来うる限りの事は答えます」

 

 口調を崩してもピエールさんは全く気にした様子がない。本当に良いらしい。

 俺は息を整えて気になっていた事を語りかけた。

 

「ピエールさんは右大臣と聞いた。何でそんな国の重鎮が、この国の騎士に追われていたんだ?」

「それは私が王に対し反旗を翻したからでしょう」

 

 つまり反逆。

 余りにもサラッと答えられたから一瞬変な声が出そうになった。

 頼まれたとはいえ助けたのは迂闊だったかと少しばかり脳をかすめる。

 

「勘違いして貰っては困るが別にピエール様は悪事に手を染め追われたのではない。その逆だ」

「君は?」

「パラシータだ。ピエール様の護衛として此処にいる」

「彼は良い兵士じゃ。王城から逃げる時騎士団相手にも奮戦して儂を守ってくれた。主らが会ったリドルも儂に賛同してくれたんじゃが……そうじゃ、リドルはどうした?」

「彼は、途中灰鱗大蜥蜴(サンドルレザール)に追われて、負傷した毒によって命を落としました。最期まで貴方が希望であると言っていました」

「そうか。リドル……」

 

 俺の説明にピエールは上を向き目を瞑る。黙祷しているのだろう。

 その様子を沈痛そうに青髪の兵士(パラシータ)が見ている。

 

 そういえばエドワードが唯一他の騎士に連携して倒すよう命じた兵士がいた。彼のことか。

 パラシータは俺が見ているのに気付くとフンっと顔を背ける。どうやら彼の心象を悪くしてしまったみたいだ。

 

「話を戻したい。その逆とはどういうことなんだ? 」

「そうですな……アヤメ殿、貴方はこのヴァルドニアに来てどう感じましたか?」

「通ったのはたった一つの町、それも《レイク》だ。ただ、そうだね。町の人が湖に魔魚が出て困っているにも関わらず、国からは何もしてくれないと困ってた」

「それすらも今は表面上に過ぎませぬ。酷いところでは餓死者すら出ています」

「餓死って、今は作物の収穫期だから食べ物も豊富だろう?」

「理由は簡単。王が巻き上げたのです。税として」

 

 食うのに困る程に税をあげる。

 民がいなければ国は成り立たないのに明らかに異常だ。

 

「儂は王に諫言しました。しかし、王は民を顧みる事なく部屋にこもり指令を出すばかりでした。だからこそ、儂は決心したのです。民の為、叛旗を翻そうと。元よりあった反乱軍に打診し、逃亡しました。王はそれを読んでいたのか、騎士団を差し向けてきましたが……。貴方方がおらねば、儂は死んでいたじゃろう。もう一度、お礼申し上げる」

「いや、そんな。俺はあの騎士……リドルさんに頼まれたやっただけだ」

「そうなのですか。……恥を承知でまた頼みがあります。貴方の力を貸してもらいたい。今の我々は人数こそ多いが殆どが戦闘をまともにした事のない者ばかりです。これでは勝てるはずもない。貴族の中にも不満を持つ者がいますが、戦況がどうなるかまで静観するでしょう。だからこそ、儂は貴方の力を貸して欲しいのです。あのエドワード卿を退けた貴方方に。勿論、金は望むだけ用意致します。民のためにどうか」

 

 ピエールさんが頭を下げる。

 

 口調を素にして良いと言ったのは親しみやすさを感じさせて、これから頼む事を頼みやすくしようとする狙いがある事に気付いた。

 

 人は好意を向けられる人物からの頼み事は拒否しにくい。中々の狡猾さだ。流石はこの国の大臣という職に就く方だ。

 

 だが、それとこれは別だ。

 

 魔王軍との戦いと違い、これは人間同士の争いだ。だから慎重になる必要がある。本当なら、受けるべきではないのだろう。嘘を言っている可能性だってある。

 だけど俺は……。

 

「金はいらない」

「は? それは一体」

「勘違いしないで欲しいです。別に断るとかじゃない。俺は虐げられる人がいたら救いたいと思っている。だけど、その時戦うのが()だったら、俺は正義の為とかじゃなく、自らの信念に従って行動する。魔王軍と違って、人同士の戦いはどちらが正しいとは中々見極められないからだ。だけど、俺は今の話を聞いて少なくともピエールさんが本当に民の事を思っていると感じた。だから、力を貸したいと思っている」

「おぉ、ありがとうございまする」

「ただし! 一つ聞きたいことがある。良いか?」

「何なりと」

「本当にこの国の王が暴虐の限りを尽くしているのか? さっきも言ったけど何かしら理由があるとかではないのか?」

「ふむぅ……それは難しいですな。国というのは大なり小なり何かしらの物事の為に後ろめたいことをするでしょう。今回の事もそうだと言われれば儂は完璧に否定することは出来ませぬ。しかし、今の王の所業は余りにも目に余る。民を顧みず重税をかせ、自らは酒宴に耽る。それが真に国の為の措置であるならば儂も苦渋ではありますが納得したでしょう。それで民に重責をかしてしまうとしても最後まで手を汚す覚悟がありまする」

 

 ピエールさんの目はどこまでの真摯だった。

 俺は暝目して、判断する。

 

「わかった。今は貴方に従います。けど条件がある。俺は貴方達に協力すると言ったがもし貴方達の言った内容に偽りがあると感じた時は俺は、いや俺たちは抜けさせてもらう。場合によっては責任として貴方を向こうに突き出す。構わないだろうか?」

「……えぇ。構いません。そも、偽りはないので何も恐れることがありませぬから」

 

 ピエールは俺の視線から逃れる事なくジッと見つめた。

 

 あぁ、わかってしまうさ。

 彼の目を見れば嘘なんてないことを。

 

 くそ。

 俺は過去に国を魔王軍から救った。

 だけど、その国は民にとって悪政を行う国だったのだ。国が残っても彼らの生活は何も変わらなかった。

 

 その時の事が今も心にへばりついている。

 

 あの時の俺は勇者で、魔王軍と戦う以上の事は出来なかった。それ以上の権限がなかった。

 

 もうあんな思いはしたくない。

 だから見逃せないし、見過ごせない。

 

 もし本当にこの国の王が例の国のように民に対して理不尽な虐げをしていると分かった時は。

 そしてそれが通常の方法ではもはや取り除くことがが出来ない領域であった時は。

 

 

 その時は。

 

 

「アヤメさん」

 

 アイリスちゃんがそっと、俺の手に自らの小さな手のひらを重ねた。

 

「難しいことは実際に見てから考えましょう。とにかく今は体を休めるのが先決です。今日はずっととばしてきたのですから

「……あぁ。そうだね」

 

 アイリスちゃんは何も言わずに俺に寄り添ってくれる。

 参ったな、どうやら見透かされているっぽい。本当に、この子には敵わない。

 

「そうだ、追っ手と言えば一つ聞きたいのだけれどあの槍を扱っていた騎士、彼は何者だ? 尋常じゃない程の硬さと技術を持っていたのだけれども」

「エドワード卿の事ですかの? ふむ、そうですな。確かに説明する必要があります」

 

 ピエールは佇まいを直し、真面目な顔になる。

 

「エドワード・ジェラルド。王直属の騎士にして、エドワード卿が率いるはユサール遊撃騎士団。建国当時から存在する近衛騎士によるヘタイロイ近衛騎士団とは対を成す組織であり、王都から動く事のない近衛騎士団とは違い数多の戦場に現れる事で有名です。前騎士長がエドワード卿を後任として以来、その武勇は留まるところを知りません。一糸乱れず動くその様はまさに鉄壁堅牢。彼がその職に就いてからは一度たりとも王都に反乱軍や反旗を翻そうとした貴族の兵が近づけたらことはありませぬ」

「あの戦い方を見ればわかる。あれは長く培われた技術と洗練された動きだ。あれを突破するのは並の軍では不可能だ」

「左様。彼らの護りを突破出来た者はおりませぬ」

「なら無敵ってこと?」

 

 これまでずっと黙って聞いていたキキョウが質問する。

 

「いえ、無敵ではありませぬ。こっちがその10倍の兵力を動員し、犠牲覚悟で城へ突撃するか、飢え殺しすれば勝ち目はありますの。因みに今の反乱軍の数は城内兵士の半分にも満ちませぬ。食糧もいっぱいいっぱいじゃ」

「……ねぇそれ実質的に無理だって風に此方(こなた)には聞こえるんだけど」

「実質、勝てるかどうかかなり際どいのです。一応こちらの反乱に乗じて城からも呼応するように、反乱する兵士とも確約はしたのですが、タイミングを間違えば瞬く間に制圧されるじゃろう……」

「前の団長であれば、まだ手が打てましたのですが……」

「うむ……」

 

 パラシータの言葉に、ピエールさんが眉を潜めて溜息を吐く。

 それよりも俺は気にかかった言葉があった。

 

「前の? ということはエドワードが団長になったのは最近なのか?」

「いえ、既に三年は経過していますが、そうですな。エドワード卿は騎士団の騎士ではありませんでした。元は辞表を出して辞めるところを王が止め、前団長が話し、彼がなったのはとある理由があってのことです」

「辞表? それにとある理由って?」

 

 何やら理由がありそうで俺はつい聞いてしまう。

 

「彼は元は王族に使える従騎士、元はアメリア・エル・ヴァルドニア様に仕えていたのです」

「アメリア・エル・ヴァルドニア……ですか?」

<ガゥ?>

 

 アイリスちゃんが復唱する。同じくジャママも首をかしげる。

 

「待ってくれ、ヴァルドニアの姓を持つという事は」

「えぇ。彼女は国王様の娘です。彼女はとても良い王女様でした。右大臣の儂からしても鮮明なお方で正にこの国を背負っていける方でした」

「でした、って言う事はもしかしてその王女様は」

「……亡くなりました。謎の病に侵され身体中の水分が殆ど根こそぎ無くなり、いくら水を飲まそうともその体が元に戻ることなく最後はミイラのようになって……」

 

 キキョウの言葉にピエールさんは沈痛そうな顔をして目を翳る。その様は至って普通の老人のように弱々しいものだった。

 

「思えばそれからだったのかもしれませぬ。儂と同じ職の左大臣もその後亡くなり、腹心と娘をも失った国王様は消沈していました。それでも私は王ならば立ち直ってくれると思っていたのですが、王が玉座の間に現れた時には」

「豹変したと」

「そういうことになりますな……」

 

 何処か遠くを見る目つきになるピエール。

 その目にはどんな情景が、思い出が映っているのだろうか。

 

「ピエール様」

「あぁ、すまないのパラシータ。……理由は幾らかあるのでしょう。恐らく娘がなくなった事が直接的な原因かもしれません。とにかく、それで主人を失い辞職するエドワード殿を引き止めたのもまた国王様じゃ。その後、国王様は自らの直属の騎士としてあらゆる戦場に彼を投入しました。その腕前を見て、当時のユサール遊撃騎士団の団長が後任として彼を指名し、その類い稀なる指揮と強さを示して、今に至ります」

 

 ピエールさんの言葉を引き継ぐように、パラシータが話す。

 

「『鉄壁』のエドワード。初めこそ敬意で呼ばれたその名も今や恐怖の象徴としての呼び名として根付いている。奴は実質的な国王の実行部隊だから凡ゆる場所に現れてはその悉くを制圧した」

「……税が重いと嘆く民に対しても例外ではありませんでした。その年は不作で、種もみを持っていかれそうになった民が反乱を起こしたこともありました」

「それだけ聞くとよっぽどそのエドワードって奴は冷酷なのね」

「いえ、そうではありません。寧ろ、恐らく心の内は儂と同じでしょう。民の事を第一に考えております」

「は?」

 

 おかしい。説明に合わない。

 ならばなぜ彼は敵としてピエールさんを追ってきたんだ」

 

「彼は確かに反乱を抑え、数多くの民を捕えました。殆どを殺さずに。ただ……」

「ただ?」

「エドワード卿は真面目過ぎるのです」

 

 その言葉の意味を計りかねる俺だがピエールは咳払いをして理由を教えてくれた。

 

「真面目が故に国王の命令に対して異議を唱えられない。主に対して仕えるのが騎士の本文であると。よほど、アメリア様を守れなかったのが彼の中で深い楔となったのであろうな。しかし彼自身は今の使命に疑問を抱いているようでした。彼は捕らえた者に対しては温情をかけるように王に進言しております。ただ、王はその要求すら却下してしまうのですが……必然的に民の間ではエドワード卿が悪の象徴であるとされております。エドワード卿が民を殺していると」

「ピエール様、そのような話は私もお聞きした事がありません」

「それはそうじゃ。あの場には限られた者しか居らず、公になることなどなかったのだから。だが、これで儂はもうわかった。もはや王に民を思う気持ちはない。このままでは来年……いや、今年中にも重い税のせいでより多くの餓死者が出る。なればこそ、儂は反乱軍に身を寄せることを決意したのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、アヤメ。ちみっ娘」

「何だいキキョウ」

「何ですかぼっち」

 

 馬車が止まり、川で休憩している間に俺たちは少しばかり離れた所で休憩していた。

 

 この後ピエール達は本格的に別の反乱軍に合流するらしい。《レイク》で補給した後、別の町に向かうと。

 

 俺たちは一度こっちで話し合いたいと、彼らから離れた所にいた。

 

 そんな時、キキョウが話しかけてきた。

 

此方(こなた)は見たわ。ちみっ娘が死にかけていたお爺さんを治すのを。あのお爺さんは『治癒師』としての力が卓越しているとか言っていたけどそんな訳ない。だってあのお爺さん、魔力が殆どないもの。……アイリス(・・・・)、貴方は何者なの?」

 

 キキョウは赤い瞳でこちらをじっと見ていた。

 



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己の心に従って

 

 キキョウがアイリスちゃんの力に気付いた。

 

 その目はアイリスちゃんに注がれている。アイリスちゃんが息を飲むのがわかった。

 

 嘘は……つけない。

 

 大丈夫だ。キキョウはそんな人ではない。

 俺はアイリスちゃんを見る。彼女もまた、俺の方を見て頷き返した。

 

「実はーー」

 

 

 

「今代の『聖女』ねぇ。へぇ、このちみっ娘が」

 

 俺はキキョウにアイリスちゃんが『聖女』であることを伝えたい。

 その内容に対し、キキョウの反応はこんなものだった。

 

「女神とやらも案外抜けているのね。こんなお子さまを『聖女』にするなんて」

「ちょっと、どういう意味ですか!」

「そのままの意味よ。『聖女』ってのは確か人類の希望なんでしょう? 此方(こなた)は歴代の『聖女』は知らないけど、それでも伝え聞く限り包容力のある女性らしいじゃない。ちみっ娘にはとてもとても……体も貧相だし」

「こ、これからなるかもしれないじゃないですか!」

「その頃には多分今回の魔王軍と人類の戦い終わってるわよ。エルフの寿命何年あると思っているのよ?」

「むぐぐ……」

 

 悔しげに唸るアイリスちゃん。

 俺はと言うとハラハラしながら二人の様子を見守っている。

 

「でもこれで納得がいったわ。あの時のアヤメの傷をその力で治したのね」

「あの時?」

此方(こなた)がちみっ娘を人質にした時よ。傷が治ってたじゃない。とにかく疑問が解けたわ。それで? なんでちみっ娘は此処にいるの? 貴女の居場所ってあっちの本物勇者なんじゃないの?」

「へーん! そんなのこっちからお断りです!」

「なんでよ?」

「だってあの人アヤメさんの事斬ったんですよ!? わたしがいなきゃアヤメさんは死んじゃってましたよ!」

「は? なにそれ聞いてない。ちょっとその本物勇者氷漬けにしてくるわ」

「珍しく意見が一致しましたね。そうしましょう」

「えぇ、そうね」

「ちょっと待ってくれないかな!!?」

 

 二人の話を聞いていた俺だが聞き逃せない言葉に割って入る。

 

「あれは俺がそうなるように仕向けて、俺自身それを罰として受け入れるつもりだった。だからユウには責任はなくてだねっ!?」

「だとしてもアヤメさんの事を信じきれずに、あまつさえ不可抗力とは言え、殺しかけるだなんて酷いのです! 少し

「そうよアヤメ。殺さないにしても指の一本や二本くらい凍らせて壊死させても良いはずだわ」

「良くないよ!? 何一つ良くないから!」

 

 えぇーと二人揃って不満そうな顔をする。なんてこんな時に仲良くなっているんだ!?

 落ち着け。

 俺は息を整える。

 

「とにかくだ。俺はユウに斬られた事を気にしていないし、二人にも物騒な事を考えて欲しくない。俺は君達も、二人も大切なんだ。俺の為とはいえ、いがみ合ったり、罵っているのを見たくない」

「あ……。そう、ですよね。アヤメさんにとってもあの二人は大切な人ですもんね。ごめんなさい」

「そうよね……。ごめん、アヤメ」

「気にしないでくれ。二人こそ、俺の為に憤ってくれてありがとう。その心は嬉しいよ」

 

 お礼を言うと二人は照れたように俯いたり、そっぽを向いたりした。その姿が可愛らしくて、俺はつい笑ってしまう。

 

「アヤメがそう言うならひとまずは保留にしておくわ。それでちみっ娘、貴方はどうするのよ?」

「どうするとは?」

「だって魔王軍との戦いには『聖女』の力が必須なんでしょ? 此方(こなた)は魔王に会った事は一度しかないからわからないけど、その力は本物だと理解できるわ。『勇者』だけでは勝てないわ。たとえ『真の勇者』だとしても、先代達と比べてもその力に今の所差があるとは思えないわ。『迅雷』を倒したとしてもね」

「それは……」

 

 それはあえて避けていた問題だった。

 

 アイリスちゃんが『聖女』なら、本来はユウの側にいなければならない。いつだって魔王を倒すのは『勇者』と『聖女』だ。

 俺は……『勇者』としては偽物でなれなかった。

 だから、彼女の居場所はここではない。だけど、アイリスちゃんは俺の側にいるし、俺もその事について何か言ったことはない。

 

 いや、わかってる。

 俺はユウ達とアイリスちゃん両方を大事に思っている。どちらも両天秤にかけて、結局どちらも選ぶことが出来ずに答えを先延ばしにしていたのだ。

 

 民を救うのに『聖女』の力が必要と知りながら、魔王軍との戦いに不可欠と分かりながら。

 

 きっと俺が何を言おうと偽善で、愚かなのには変わりないのだ。

 だから、責められるべきは俺なのだ。

 

 俺が何か言おうとするより先にアイリスちゃんが口を開いた。

 

 

「わたしは、アヤメさんと居たいんです。これはわたしの意志です。他の誰に言われようとこれは変わりません」

 

 

 彼女は、既に自分の考えで此処にいた。

 立派だった。

 女々しく、自己欺瞞で答えを避けていた俺なんかよりも。ずっと。

 

「ふぅ〜ん、まぁ良いんじゃないの? 好きにしたら」

「責めたりはしないのですか?」

「何が?」

「だから、その『聖女』なんだからその力は世界を救う為に使えって……」

「アイリスちゃん……」

<クゥゥ〜ン>

 

 それでも思う所があるのか、俯くアイリスちゃんに、俺は心配そうな顔をする。ジャママも彼女に慰めるように擦り寄る。

 その様子を見ていたキキョウは呆れたように溜息を吐く。

 

「なんで此方(こなた)が責めないといけないの?」

「え? だって……」

「そんなこと言ったら元だけど魔王軍の八戦将の此方が此処にいるのもおかしいわよ。魔王軍ってのは人類を滅ぼす為に力を振るうべきなのに此方(こなた)の知ってる奴の中には鉱石の為だけに魔王軍に与する奴もいるもの。更には自らの体を焼く変態もいると来たわ。だから力はともかくその使い方はその人次第よ。何の為に使うか、誰の為に使いたいかなんて自分で考えなさい」

 

 ……驚いた。キキョウが凄くまともな事を言っている。

 そういえばこの中じゃ、一番年長者なんだったキキョウは。だからこうしてアドバイスしてくれる。

 

「どの道、八戦将を何人か倒さなきゃ魔界へ行っても返り討ちにあうだけだし、結界も破れていないなら今すぐ本物勇者の所に行く必要はないでしょ。『迅雷』を倒せるなら問題ないはずよ。それにね。別に此方(こなた)はちみっ娘の事軽蔑はしていないわ。寧ろその選択をした貴方にほんのちょっと感心したくらいよ」

「感心……ですか?」

「そうよ。女神なんて見る事をできないものから与えられた使命よりも、自分で判断した事にね。それってね。難しい事なのよ。特にこの世界じゃ。だけど、ちみっ娘は自分でついていく人を見極めた。そのことは認めざるを得ないわ。それにね此方(こなた)もそうよ。此方(こなた)は此方の信じた方につくわ。だから此方(こなた)は此処にいるの。そしてその事に後悔なんてしていないわ。ちみっ娘も、後悔してないでしょ?」

「当たり前ですよ!」

「ならば、悩む必要なんてないじゃない。自分で選んだ行動よ。胸を張りなさい。それに」

 

 キキョウはアイリスに近付き耳元でボソリと呟く。

 

「好きな人の側にいたいのは分かるわ」

「ふぁっ!! な、ななな何のことなのかさっぱり……」

「あら違ったのかしら? ……ならアヤメは此方が貰おうかしら」

「それはだめです!」

「いっ!? いきなり大声出してどうしたんだ? 」

「そ、それはっ」

 

 喧嘩でもしたのかと心配してアイリスちゃんを見ると彼女は顔を赤くしてすぐさま俯いてしまう。

 

「あ、あうあう……(ぼっちが好きな人とか言ったせいで変に意識してしまってアヤメさんの顔が見れません……)」

「ふふん、やっぱりお子さまね。この程度のことで動揺するなんて。ほら、何が言ってみなさいよ。ほら。ほらほら」

「ぬぐぎぎぎ……誰のせいだと……」

 

 何故だかわからないがアイリスちゃんはキキョウを睨んでいる。キキョウはどこ吹く風だ。

 

「けど、変ね。そもそも、エルフには称号なんて与えられないはずだし、そもそも歴代の『聖女』にエルフが選ばれたことなんてないはずだけも」

「えっへん! それだけわたしが優れている証明なのです!」

「そんなものかしら……?」

 

 何処か納得いかないような表情をキキョウが浮かべるもそれ以上突き詰める事はしなかった。

 

 

 

 

「それで、アヤメ。あの話はどうするの? 」

 

 アイリスちゃんの秘密についての話が終わり、話題が変わる。

 何が、とは言わない。

 

 あの後俺はピエールに共に戦ってくれないかと誘われた。

 そして俺はそれに対して条件付きとは言え頷いた。

 人同士の争いに、首を突っ込む事にした。

 

 それはもしかしたら、救世主(ヒーロー)の道からは外れる行為かもしれない。

 

 

 わかっている。

 ピエールはきっと嘘をついていない。

 わかっているさ。

 これは俺のワガママだってこと。

 

 

 全部わかっている……!

 

 

 だけど俺は決めたのだ。

 不当な暴力に、権力に抑圧されている人を助けると。

 

 それこそが俺に出来る、あの時助けられなかった人々への償いになる。

 

 

 だから俺は自分自身の目で確かめたい。

 この国の闇を。

 

 

「今はとりあえず彼らと共に行動する。そして見極める。何がこの国にとって最も良いのかを」

「そう。まぁ、此方(こなた)はそれでも良いけど。ちみっ娘はどうなのよ?」

「わたしもご一緒にしますよ! 当たり前じゃないですか」

<ガゥっ!>

「ジャママも一緒と言っています!」

 

 二人はどこまでも俺についてきてくれようとする。

 だが俺は心苦しかった。何故なら二人を人同士の血みどろの争いに巻き込んでしまうかもしれないからだ。

 

「そうか……ごめん二人とも。俺の都合に巻き込んで」

「何言ってるんですか」

「何言ってるのよ」

 

 二人は揃って声を合わせる。

 

「わたし達はそうしたいと思ったから、一緒に行くんです。だからアヤメさんが謝る必要はありませんよ」

「そうよ。アヤメはアヤメのしたいことをしなさい。此方らも、自分達がしたいことをしているだけなんだから」

 

 そう語る二人の目は何処までも俺の事を信じてくれていた。

 

「そうか……、ありがとう二人とも」

 

 あぁ、全く。

 俺には勿体ないくらい良い仲間だ。

 

 俺は嬉しくて笑みを浮かべる。

 二人も、つられるように笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い闇の中、月光を頼りに走りぬける集団があった。

 誰を隠そう、例のユサール遊撃騎士団である。

 

「エドワード様、私の馬をお使い下さい。私はマルセイの馬に一緒に乗せてもらいます」

「感謝します。まさか愛馬(マネラ)を失う事となるとは。速度を重視し、馬用の鎧をつけてこなかった私のミスです」

 

 配下の馬を借り、エドワードは騎乗する。その後、怪我人はいないか確認するがどうやら数人氷の魔法使いにやられたのか腕に凍傷を患っていた。すぐさま水を掛け、タオルで包んで解熱するよう指示しておく。

 

 帰り道の道中、騎士の一人が質問する。

 

「エドワード様、何故退いたのですか? あのまま行けばピエール殿を」

「あのまま戦えば此方にも、そして向こうにも被害が出たでしょう。我々の目的はあくまでピエールの捕縛であり、民を殺すことではありません。それに立ち塞がったあの男。彼からは並々ならぬ覚悟と技量を感じました。あのまま戦えば私でも勝てたかどうか……それにどうやら向こうには『魔法使い』もいたようですから此方が不利なのは変わりません。私はともかく貴方達では彼の方相手では荷が重い。その点ではピエール殿にしてやられました。まさか『魔法使い』も雇っていたとは。こちらも連れて来るべきでしたね」

「急な指令だったとは言え、事前情報ではそんな内容はありませんでした」

「それにあの魔法も見た事ないほど大きかった。何者でしょうか? 氷など、雪山に住む隠遁した『魔法使い』の末裔か何かでしょうか?」

「わかりません。しかし、あの時点でピエール殿を捕らえるのは不可能になりました。人手が足りませんから」

 

 『魔法使い』相手には『魔法使い』で対抗するか遠距離で仕留めるしかない。だが、弓ではあの『魔法使い』を仕留めるのは難しかった。あの仮面の男(アヤメ)がカバーするように弓矢を叩き落とすので届かないのだ。こちらは『騎士』であり『弓手』でない以上、あれ以上の威力の弓矢は撃てないので届かない。

 

 それでも時間をかければ他の騎士がピエールを捕らえることが出来ただろうが、あの増援でそれも無理になった。

 

 あとは不毛(ふもう)な乱戦による命の落とし合いだ。いや、装備と練度の差からして虐殺か。それは望むべくことではない。

 

「これからどうなるでしょうか」

「ピエール殿を捕らえる事が出来なかった以上、国王様の叱責は免れないでしょう。責任は全て私にあります」

「そんな! エドワード様は何も悪くありません!」

「事前に捕縛できなかった我々に罪があります!」

「……けどまさかピエール殿まで反乱軍に身を費やすなんて。ピエール殿は俺が『騎士』になるより前からいた大臣だった。そんな人が離反するなんて。ならこの国はもう……」

「おい、滅多な事言うな!」

「いいえ。長くこの国に仕えたピエール殿が離反した以上、他の者も続くのが通りでしょう。彼は前王より仕える忠臣。彼がこの国を見切ったのならば……それはつまりそういうことです」

 

 エドワードは否定しなかった。

 部下達の顔に翳りが出来る。

 誰もが沈黙する中付き合いの長い副長が意を決して語った。

 

「エドワード様、民を思うならば我々も選択(・・)するべきではないでしょうか」

 

 暗に裏切りを仄《ほの》めかす部下に、エドワードはそれでも首を振る。

 

「いいえ、それは出来ません」

「エドワード様! もう民は限界です! 幾ら貴方様が見逃そうとも肝心の国王様が態度を改めない以上何の解決にもなりません!」

「確かにヴェルメ国王陛下の横暴には目を覆うものごあります。しかしそれでも私はあのお方に……アメリア様に誓ったのです。国王様を、ヴァルドニアを守ると。だからこそ、どうして私がその剣を国に向けることが出来るでしょうか」

「エドワード様……」

 

 その言葉に騎士達は皆悲痛そうに顔を臥せる。エドワードはそっと胸鎧の中にある護符を取り出し、握りしめると再びしまう。

 

「ですが、貴方達は違う。もしもの時は」

「いえ、我々も最後までお伴します」

「……感謝致します」

 

 闇夜を走る騎士達の姿。傷一つない鎧に武勇を誇る剣。どちらも彼らの輝かしい戦績を表している。

 しかし彼らの心は闇のように陰っていた。

 



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王城

 ヴァルドニアという国は国土の殆どが山に覆われた国である。平地が少なく作物が育て辛い環境、更には山に潜む魔獣の脅威が常にあった。

 だがその代わり、国を守る騎士団は魔獣相手に常に研鑽を積むことで強力無比であり、狩られた魔獣もまたヴァルドニアにとって貴重な収入源であった。

 

 鍛え抜かれた騎士団と魔獣素材による強力な武具、更には山に覆われた地帯故に他国から攻め辛い上に旨味も少ない。

 ヴァルドニアはそのお陰で建国以来一度たりとも滅びたことがなかった。

 

 そんなヴァルドニアの城、モンターニャ城は、王城としての象徴だけでなく同時に城砦としての機能も兼ね備えており、背後は峻険な崖に阻まれ、外敵からの侵入を防ぐ堅牢な城として国内外に知られていた。

 

 目下には城下町が広がり、そこもまた巨大な城壁によって囲まれ、難攻不落とまで称されるこの王都は未だに陥落したことのない鉄壁の守りを誇る。

 

 そんなモンターニャ城、最上階。

 

「ユサール騎士団長エドワード・ジェラルド。御身の前に」

 

 床には赤いカーペットが引かれた王の間。

 そこでエドワードは膝をついていた。

 

「エドワード・ジェラルド。おむおめと返ってくるとはのう」

 

 心底呆れたと視線を向ける老齢の男性こそこの国の王、ヴェルメ・エル・ヴァルドニアである。

 エドワードはそんなヴェルメの言葉を受け、より深く頭を下げる。

 

「その事に関しては私の不手際の致すところでございます。ピエール殿は『魔法使い』を雇っており、手練れの者もおりました。情報と違い、速度と確保を重視した私は『魔法使い』を連れていませんでした。全ては私の責任であり、部下は」

「情報の差異などどうでも良い。結果が全てだ。貴様は取り逃がした事に変わりはない。違うか?」

「違いません」

 

 言い訳一つせずに頷くエドワードにヴェルメは態とらしく溜息を吐いた。

 

「……やれ、王国の誇り高きユサール遊撃騎士団の団長が下手人一人捕らえられぬとは。更には前の反乱軍に関しても一部の主導者を捕らえてはいるが組した民の大部分には逃げられているではないか。その事について何が申し開きはあるのか?」

「返す言葉もございません。しかし、主導者を捕らえた所で反乱軍は予想よりも数を増しています。更にはピエール殿が離反した噂が広がり、城下町の民にも動揺が広がっています。ヴェルメ様、此処は一つ反乱軍と話し合いの場を設けるべきかと思います」

「講和? 貴様余が臣民のために考慮しろというのか!? 余はこのヴァルドニアの国王であり、臣民は余の為にあるのだぞ!?」

 

 激昂(げっこう)し、手に持つ杯を投げつける。

 エドワードの頭にぶつかり中の液体がぶちまけられるも彼は微塵(みじん)も動かない。

 周囲からも批判の声が上がる。この場にいるのはもはやヴェルメを恐れ、肯定するだけの人形達だ。

 

 エドワードは金茶色の瞳で王を見上げる。

 

「ヴェルメ様、貴方様が国王であるのは間違いございません。しかし、国とは民があってこそ。守るべき民を蔑ろにすれば国は立ち行かなくなります。何卒、ご考慮を」

「ふんっ、上手いこと言って結局は世が臣民に為に考慮しろと言うではないか。国とは民あってのものだと? 否! 断じて否! 王とは国そのものであり、民はそのための道具である!」

「ヴェルメ様! ……人は一人では生きてはいけません。人は身を寄せ合い、助け合ってこそその力を発揮出来るのです。そして、それを導く者が必要です。ですが、その導く者が彼らを省みなければ、やがて崩壊するのが必定。どうかご再考を」

「お主がなんと言おうとこれが真理だ。何故ならば余は例の女神より『王』の称号を承りし者なのだから! 余の意向こそ、天の意向よ! わかったら発言を控えろ、愚か者」

 

 ギリッと歯をくいしばる。

 称号は絶対だ。だからこそエドワードもその事に関して否定することはできない。

 

 

 ーー本来であれば、ここに女神教の『神官』がいてもおかしくないのだが、この城からは追い出されていた。ある日、突然王が追い出したのだ。

 

 

「お前があんまりにも無能だから余自身が命令し、一つカンディアーニ爵の領を攻め入らせておいた。即刻元カンディアーニの党首も、一族郎党斬首した」

「……? ……!?」

 

 初めこそ言葉の意味を理解出来なかったエドワードだが、その内容を理解すると下げていた頭を上げた。

 

「お待ちを! それは真でしょうか? 何故そのような事を!?」

「あそこの伯爵はやたらと余に対して意見をしてきたしな。更には余の態度を窘めようともした。恐らく民たちと繋がり自らが王になろうとしたのだろう」

 

 エドワードはこの場で初めて表情を唖然(あぜん)と崩した。

 

 馬鹿な、と零す。

 

 カンディアーニ伯爵は温和かつ民に優しい貴族として有名だった。それを殺したとなると沈黙を保っていた他の貴族も腹をくくり、王政を討ち倒さんとする可能性が高い。

 

(何ということだ。このままではヴァルドニアが……)

 

 エドワードは想像以上に悪い雲行きに頭を抱えたくなる。

 しかし彼は愚直なまでに騎士であり、例え元凶である国王を嗜める事以上が出来ないのだ。

 

「余に対する不敬な提案と、任務の失敗の責。よって貴様を牢に入れることとする。連れて行け」

「はっ。し、しかし」

「余に逆らうつもりか?」

「い、いえ。……ジュラルド様。失礼します」

 

 王に命令された近衛騎士がエドワードを拘束する。エドワードは抵抗する事なく、武具を外され連行されていく。

 

「国王様! どうかお話を」

「連れて行け」

 

 もう一度願いを込めて呼ぶも王は一瞥もしない。

 エドワードは項垂れた。

 

 

 

 

 

 

 途中何故かエドワードの配下の一人が呼び出されたがきっとロクなことではないだろう。

 

「はん、ざまぁないなジェラルド」

「……ジャコモ殿」

 

 牢に連れていく為、玉座に繋がる長い廊下を歩く途中柱の影から一人の男が現れた。

 

 その顔は不遜に自信に溢れ、エドワードの鎧とは真逆に見るからに金をかけたであろう機能性より装飾美を重視した鎧に身を包む男。

 

 ヴァルドニアの国王を守るヘタイロイ近衛騎士団、その団長ジャコモ・ヴィタリアーノであった。

 

「お前がもたもたしていたから俺がカンディアーニ爵を討ち取ってやったぜ。感謝するんだな」

「っ! 貴方方が実行したのですか」

「そうさ。命令だったからな。それよりも老いぼれた爺一人捕らえられないとは。貴様も堕ちたものだな。ま、後はこの俺に任せな。あんな余命幾ばくもない爺に引導を渡してやるよ」

「ピエール殿はこの国の右大臣であったお方、更には城下町での民衆の支持も高いお方です。余りに酷い対処をすれば動揺が広がります」

「はっ! だったら尚更だ。奴が反乱を起こせば愚かな民衆どもがそれに呼応する可能性がある。いや、正にそうなろうとしている。だから殺す。わかるだろ?」

 

 ジャコモの言葉にエドワードは口を開くも言葉は出ない。どの道自らが取り逃がさせた時点でこの展開は決まっていたのだ。

 

「お前は牢屋で俺の華々しい戦果を待っているといい。一先ずはピエールが逃げたと思われる付近にあるエルヴィスの町を攻め入ることにする」

「!? 何故です!?」

「奴らの町は反乱軍がいるとされる場所と近く、食糧支援などの援助している疑いがある。疑わしきは罰する。簡単なことだ。そうやってカンディアーニ家は滅んだのだからな」

「待ちなさい! 本当にその町は反乱軍と繋がっているのですか!? そのような事をすればどうなるか本当にわからないのですか!? ジャコモ! ジャコモ・ヴィタリアーノ!!」

「お、大人しくしろ!」

 

 左右の騎士から槍で抑えられたエドワードの叫び虚しく、ジャコモは高笑いしながらその場を後にした。

 

 

 

 

 此方を呼ぶ声が遠のいた所でジャコモの元へ配下の騎士が報告にやってくる。

 

「ジャコモ団長、他の団員の準備が整いました。五十騎余りですが、殆ど兵士のいない《エルヴィス》を陥とすのには問題ないかと思います」

「御苦労。ふん、俺の戦果を飾るには少々兵が少ないが仕方ないか。カンディアーニ爵の時は、家に押し入る際に奴の子飼いの兵士と斬り合いにあって多少負傷者が出てしまった。忌々しいことにな。王城の防衛もある以上流石に全ての近衛騎士を動かすことはできん」

 

 ジャコモは二つある騎士団の内の片方の団長ではあるが、その実態は近衛騎士の団長である。

 

 役割は王都の防衛。しかし今まではエドワードが優秀すぎた故に王都まで敵が侵入した事はない。

 

 その為お飾りとも揶揄されていた。ある意味最も重要な役割なのだが当然プライド高いジャコモはその評価を甘んじて受け入れられず、エドワードに嫉妬していた。

 

 そこに今回の降って湧いた王からの指令にジャコモは大いに歓喜した。

 

 何事かと驚くカンディアーニ爵の顔は見ものだった。だが一つ不満があるとすれば爵の家の私財があまりなかった事だ。

 

 どうやら貧困に呻く民に配っていたらしい。馬鹿な奴だ。

 民など搾取されるだけの存在なのに。『騎士』の職業を持つ自身とただの生産職ばかりの民では生れながら身分が違う。

 

「そうだ、奴の配下の者たちはどうだ? 少しはこっちに着く気になったか?」

 

 ジャコモの言葉はエドワード配下のユサール遊撃騎士団を指す。エドワードは気に入らないがその部下達の練度をジャコモは買っていた。

 

「それが……すべて断られました」

「ちっ、時流を読めない頭の固い者達め。もはやアイツの栄光は過去のものだと分からないのか」

「ジャコモ団長」

 

 ジャコモは苛立つ。

 確かにエドワードは強い。認めよう。だが奴は優柔不断だ。エドワードは民に犠牲が出ることを恐れ、強行的な策をあまり取らない。現に王に対しても何度も民の助命を進言している。

 

 自分は違う。逆らう者は全て根絶やす。禍根(かこん)など残さない。甘い態度をとるから民はつけあがるのだ。

 それに平民等、幾ら死のうが問題ない。所詮大した職業(ジョブ)を授けられないのだから。

 

「まぁ良い。今回の作戦が成功すれば奴らもどちらがこれからのヴァルドニアの騎士団を率いるに相応しいかわかるだろう」

 

 エドワードが出来なかったピエールをとらえ、更にはこの反乱軍を自らが掃討すればその評価は確固たるものとなる。

 

 

 ようやくだ。

 ようやく自分は奴の日陰者ではなくなるのだと。

 

 

「奴ではなく、俺こそがヴァルドニア一の騎士だと証明してやる!」

 

 剣を掲《かか》げ、ジャコモは自らの未来を掴むため烈火のごとく意思を燃やした。



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燃え盛る火の手

 あれから2週間が経った。

 

 その間に色んなことがあった。

 

 先ずは放棄された山の砦で反乱軍の首脳陣と合流した。全員がピエールさんを歓迎していた。俺はその時、反乱軍に参加している人達を見たけど、誰も彼も武装しただけの一般人だった。

 

 兵士も居たけど数は多くない。これで本格的に反乱を起こしても、騎士団を突破することが出来ない。ピエールさんが俺に依頼を持ち込んだのには、やはり戦力的な面もあるのだろう。

 

 それともう一つ。

 道中幾つかの村を見たが何処も彼処も貧困に嘆いていた。

 それを見て俺は、ピエールさんの言うことがあながち間違いではないんじゃないかと思い始めていた。今はまだ、確信はしていないけど。

 

 

 そんな中、俺たちは食糧の買い出しをして欲しいと頼まれた。これから本格的に行動を起こすのに必要だという。

 

 そんな訳で、俺は今パラシータ達を含んだ三十人ばかしの反乱軍の人達と町に向かっていた。場所は《エルヴィス》という町らしい。

 

「パラシータ、君もこっちに来て良かったのか?」

「ピエール様は今、これからの針路について反乱軍の首脳連中と話し合っている。他の護衛が付いているから問題ない。それよりもこっちも重要度が高いからな。自分が回された。それに自分は《エルヴィス》出身だからあの町の事は詳しい」

「そういえば、村を見たがどこもかしこも余裕があるとは言えない。その《エルヴィス》という町は食糧に余裕があるほどに安定しているのかい?」

「そうだ。《エルヴィス》の町は今時珍しく治安が安定している所だ。そこで一度補給をして再度別の拠点の反乱軍へと合流する。本当ならば(レイク《あそこ)》で一度身を潜める予定だったが、騎士団の追撃で殆ど物資を持って来ることが出来なかった。元々反乱軍にもそれほど余裕がない。だから補給が必要だ」

「あの数の反乱軍を養えるだけの食糧もないのか……」

「そうだ。国境に近い《レイク》や《エルヴィス》のような町は稀な方だ」

 

 なら、他の町も今まで見てきた村のような状況である可能性が高いのか。それを王は騎士団の武力で押さえ込んでいる。民を大切にしないと、国なんて運営出来るはずがないのに。

 

「《エルヴィス》の町を治める奴は、国王に対して不満があると聞く。今までは反乱軍が話しても首を縦にしなかったが、ピエール様が合流した今、話せば必ず力になってくれるだろう」

 

 そう語るパラシータ。

 そして、もうすぐ《エルヴィス》に着くという。

 だが、遠目から見えた異変に俺は気付いた。

 

「……? 待て、あの町火があがってーー」

 

 《エルヴィス》の町からありえないはずの灰色の煙が上がっていた。

 

 

 

 その日は普通の一日となるはずだった。

 いつも通りに起きて、働いて、食事をして、寝る。

 家に帰れば家族が待っていて今日やった仕事を笑いながら語って食事を取る、そんなたわいの無い日常。

 

 だがそれは唐突に崩された。

 

「おやめください! それは今年の冬を越すための備蓄です! それがなければ民は冬を越せなくなる!!」

「やかましい! これは反乱軍に渡す為の物資であったんだろう。全く、とんだ反民を国は抱えた事だ。エドワードめ。やはり奴は甘い。こんな輩を見過ごすほどに」

 

 必死に抵抗するのはこの町を代表する貴族だった。

 現れたのはこの国の騎士だった。

 瞬く間にこの町の兵士を制圧すると、溜め込んでいた食糧と武器を民家に至るまで奪い始めた。

 

 ジャコモは練りつく貴族を蹴り飛ばす。

 周囲で悲鳴があがる。

 

「何故我々を……我々が貴方様たちに一体何をしたと言うのですか!」

「分かってないな。貴様ら平民は国家の所有物(・・・)。そんなヤツに反乱の疑いがあるというだけで罪なのだ」

 

 ジャコモは剣を抜く。

 

「な、何をなさるつもりですか?」

「知れたこと。国の騎士団に逆らったのだ。反逆罪で貴様を処分する。それに反乱軍との関わりがあるという情報もある。当然の報いであろう」

「そんな。どうか、どうか他の町民だけにはご慈悲を……!」

「関係ない。反乱とみなした者は全て消す。後に残るは愚かな民だけだ。放っておけば飢え死にする。下手に騒がれては厄介だからな」

 

 その言葉に貴族は目を見開く。

 ジャコモは剣を貴族に突き刺そうとした時、横合いから飛び出した男性が貴族を抱えてその場から退避した。

 

「あん?」

「あ、貴方は……」

「いけっ! 向こうに仲間がいる!」

「は、はい!」

 

 貴族は駆けて逃げ出していった。

 (アヤメ)はそれを見届けて目の前の鎧の男に剣を構える。

 

「貴様何者だ。邪魔をしてただですむとは思っていないだろうな?」

「俺が何者であるかなんてどうでも良い。そっちこそ、名乗りもしないのだからな」

「はんっ! さては貴様俺を知らないな? ヴァルドニア一の騎士であり、ヘタイロイ近衛騎士団団長ジャコモ様だ! 」

 

 『騎士』という名に俺はすぐさま身構えた。脳裏に浮かぶはエドワード。彼も同じ『騎士』であり、目の前の相手が国一番と言う以上油断は出来ない。

 更にはヘタイロイ近衛騎士団。ピエールの話に出たエドワード直下のユサール遊撃騎士団と並ぶこの国を守る為の盾だ。

 

 だけど……。

 

 俺は周りを見る。

 周囲に広がる火の手、悲鳴、瓦礫。

 こんな光景をつくるのが、この国の騎士だと。……ふざけるな。

 

「何故国を守るはずの騎士団が町人を襲っている? これは明らかな虐殺だ!」

「それはこの町が反乱軍と通じているとの通報があったからだ。やはりこの町は反乱軍と繋がっていたらしいな。全て根絶やしだな」

 

 ……実際には違う。ここに来たのは食糧を買うためだし、偶々だ。だけど状況的にそうとられても仕方ない。過去に関わりがあったのは確かだし、俺たちも叛意させようという気持ちがあったのは確かだろう。

 

 だけど、それはまだしていない。

 

 今それを弁明した所で意味はない。ならばやる事はひとつだ。

 

「そんな横暴を許す訳にはいかない。それに君達がやっている事はただの略奪だ。看過する訳にはいかない」

「貴様に許す、許されるの道理はない。構えろ! コイツを殺せ!」

「「「ハッ! 」」」

 

 離れていた他の騎士が俺を囲む。

 そのうちの1人が背中から襲いかかってきた。

 

「【斬撃】」

「くっ!」

 

 『騎士』の技能(スキル)によって強化された一撃を剣で受け止める。

 

  強く、重い一撃だ。

  だが、色々と甘い!

 

 確かに単純な技能(スキル)を使っての力なら目の前の騎士の方が上だろう。

 

 だが、それだけだ。

 技術(・・)なら俺の方が上だ!

 

 俺は瞬時に左手を柄から離すと同時に相手の騎士の懐に飛び込む。騎士はいきなり近付いてきた俺に面を食らっていた。

 剣での拮抗を保ちつつ、瞬時に左手を相手の上から両手の隙間に通して自らの右手を掴んだ。

 

 これで騎士は俺に拘束されたもの同然だ。ここから逃げようにもその為には剣を離さなければならない。騎士にとって剣は命。それは不可能だ。

 

 俺はそのまま騎士の右足の後ろに踏み込んで腰を捻り、上越しに地面へと投げつけた。

 

「ごはっ!?」

 

 例え身体を鎧で覆っていても中身は生の人間だ。当然衝撃は貫通して、相手に損傷を与える。

 

「何だと!?」

「馬鹿な!」

「怯むな! 我々は『騎士』である! たかだか『剣士』に負けるはずがーー」

「それは驕《おご》りが過ぎる!」

 

 上段から剣を振りかざす俺に気付き、防御しようとする。だが、剣を振りかざすのはフェイントだ。俺は剣の軌道を変え、騎士の出来た空間に向けて横薙ぎをする。目指すは相手の剣の(グリップ)。急な剣の動きについていけずに、騎士は簡単に剣を弾き飛ばされた。

 

 そのまま俺は一度剣を仕舞って、相手の腕を掴んで後ろへと捻りあげる。

 

「いつっ……!」

「こいつ!」

「ま、待てッ、俺を斬るな!」

「なっ、ぐあっ!」

 

 躊躇した騎士に、盾とした騎士を蹴りつけ二人まとめてぶつけさせる。鎧は重い。いきなりぶつかれば強い衝撃が走り、立てなくなる。

 

「マルク! ギール! がっ」

 

 仲間に呼びかけ、余所見した騎士の顔に膝蹴りを食らわせる。当たりどころが悪かったのか気絶する。

 これで四人。

 

「くそ! 何なんだこいつ! 我々がこんな一人相手に簡単に!」

「一人だからこそ、だ!」

 

 人が一人に対して相手出来るのは4〜5人が限界だ。それはそれ以上の人数で囲むと同士討ちの危険性が出てくるからだ。

 

 それこそ、エドワードの時みたいに盾を前面に押し出して、長槍で此方を突くか遠距離からの攻撃をすれば俺も簡単に相手に踏み込むことはできなかっただろう。

 

「落ちつけ! 予想よりもこいつは強い。だが、所詮は軽装な男だ。一撃与えればすぐさま死ぬ。ヘタイロス近衛騎士団の戦術を見せてやれ! 旋風刃の陣!」

「「「りょ、了解!」」」

 

 ジャコモの指示に従い、残った騎士達が俺から少し離れると包囲したまま周囲を回り始める。この陣形、一人に狙いを絞らせない為にか!

 

 だが、次の瞬間矢の雨が騎士達を襲い掛かってきた。

 

「ふん!」

「な!? 何だと!?」

「アヤメ、こっちは我々に任せておけ」

「このような横暴……許すものか!」

「一人で戦うなよ! 奴らは腐っても『騎士』だ! 手強いぞ!」

「おのれぇ! 下民風情が!」

 

 パシラータと彼に率いられた反乱軍の兵士達が騎士達と戦闘状態になる。その中にはキキョウも居た。なら、少なくとも大丈夫だ。

 

 その隙に俺は指示を出していたジャコモと対峙する。

 

「ちっ、どいつもこいつも逆らいやがって」

「当たり前だ。こんな非道を行いを黙って見過ごせる訳がない」

「国が行う事に悪などあるものか。これは国家を揺らかす反逆の芽を摘む正義だ。お前が誰だか知らんがここで俺に逆らうとは選択を誤ったな【二段刺突(ダブル・スピット)】」

 

 ジャコモは素早く二度突きを行う技能(スキル)を発動させる。

 喉と心臓を狙った剣筋は鋭い。だけど、その動きは酷く単調に見え、俺は難なく躱すことが出来た。

 

「見切っただと!? ちっ、だがこれで終わりだ、【高斬撃】」

「ぐっ!」

 

 上段から振りかぶる【高斬撃】を俺は剣で受け止める。生半可な鉄すら割いてしまう技能(スキル)の一撃は防げたけど比べ物にならないほど、重かった。

 

「はん! これは防げなかったようだがぁっ!?」

 

 俺は身体を捻って思いっきりジャコモの顎を脚で蹴り飛ばした。予想外の一撃だったのかゴロゴロと転がるジャコモに俺は追撃するも彼は寸での所で横薙ぎを払って来たので俺は動きを止めざるを得なかった。

 だが今のでわかったことがある。

 

「はぁはぁ……ぐっ、き、貴様っ。このジャコモ様の顔を蹴り飛ばすなど」

「いや……本当に君がヴァルドニアで一番の騎士なのか?」

 

 確かにジャコモは強い。【高斬撃】という【斬撃】よりも上の技能(スキル)を所持していることからそれは分かる。だが、とても国一番とは思えない。他の騎士達もエドワードが指揮したみたいな洗練された動きと比べてギクシャクしている。

 言うなれば練度不足、実践慣れしていない動きだった。

 

「これならエドワードの方が厄介だったかな」

「エドワード? エドワード・ジェラルド……! 貴様! 俺があんな腑抜けに劣ると言うのか! あんな何も決められず、()()()()()()奴に!」

 

 エドワードの名を出した途端にジャコモが激昂する。

 そこには並々ならぬ敵意があった。何か気に触る事があるのか? 

 

「【高斬撃】」

 

 ジャコモは怒りに身を任せ剣を振るった。先程よりも剣筋は荒い。しかし、鋭い一撃だ。

 

 とはいえどの攻撃もまともに当たれば今の俺の装備を貫ける程の威力だ。剣で受け止め続けるのも耐久面が心配だ。当たらないよう回避する。

 

「小賢しく躱しやがって! 逃げることしか能がないのか!」

「逃げるのも立派な戦術さ!」

 

 なおも剣を振るうジャコモから回避しながら懐からアイリスちゃん特製のあの煙玉を投げる。

 

「ぐ、ごほっ痛っ。あ、が。煙玉だと!? だがこんな姑息な手段で俺を倒せると思うなよ、【回転斬り】」

 

 ズバァッ! と空気を切り裂く一撃が繰り出される。ジャコモはこれで俺を仕留めたかと思っていたがそれはただの木の棒だ。本当の俺はジャコモの懐にいる! 

 

「なんだと!?」

「守る為でなく、奪う為の剣なんて軽い!」

 

 俺は剣の柄で思い切りジャコモの喉笛を打った。彼は慢心してから、頭や喉を守る為の頭鎧をつけていなかった。一度ならず二度も顎を打たれた彼はよろける。

 

 俺は更に彼の腕を掴み、右足をジャコモの足の後ろに駆け込み、そのまま腰を捻って巴投げの要領で叩きつけた。最初に騎士を倒した時とほぼ同じ手法だ。

 

 受け身を取れず、頭からぶつかったジャコモは脳震盪を起こし気絶する。

 

「かはっ……!」

「お前には剣で倒す価値もないよ」

 

 そのまま倒れたジャコモを俺は一瞥する。彼は気絶したらしく、動く事はなかった。

 

「ジャコモ団長!?」

「そんな!」

「今だ! 皆の内に取り囲み制圧する!」

 

 動揺した騎士らに、一斉に反乱軍の兵士が攻勢に出る。

 

「ぐあっ!」

「き、貴様ら!」

「くそっ、退け! 退けぇ!!」

 

 騎士よりも数で此方(こちら)が勝っている。それでも『騎士』一人倒すのに通常は十人以上の『兵士』が必要なはずなのだが、練度不足と動揺しているからか本来の力を発揮できずに徐々に制圧されていく。俺もジャコモを奪還しようと襲ってきた6人ばかりの『騎士』を無力化しておいた。

 

 やがて《エルヴィス》を襲った騎士達は半壊状態になりながら、退却していった。

 

 俺は一息つく。とりあえず、虐殺は止まった。

 

「無事か?」

「あぁ、そっちも大丈夫だったみたいだね」

 

 戦闘を終えたパラシータがこっちに近寄ってくる。

 

「驚いた。まさかあのジャコモを倒すとは」

「エドワードと同等だと苦戦したかも知れないけど彼は自分の技に驕っていたからね。その隙をつけた。そっちは騎士らの方はどうだった?」

「負傷者が何名も。死人はいない。しかし、何人か取り逃がしましたな」

「そうか……」

「それなら心配ないかしら」

 

 見れば姿を消していたキキョウがズリズリと十人はいる騎士達を引きずって来た。全員足や腕、口が凍りついている。

 え、なんか風貌から生贄を運ぶ魔女にしか見えないんだけど。ほら、そこの兵士とかドン引きしてるよ。

 

「逃げようとしたのはこれで全部よ。馬の脚を凍らせたら簡単にコケて捕まえられたわ」

「そうなんだ。あの、一つ聞きたいんだけどキキョウって力強いのか?」

「ん? アヤメからは見えないと思うけどこの騎士達と地面の間に氷を作ってるから引きずりやすいだけだよ。それよりも! 何か言うことないかな?」

「あぁ、よくやってくれた。ありがとう」

「ふふーん、これくらい此方ならお茶の子さいさいよ。もっと褒めても良いのよ? 」

 

 誇らしげに胸を張るキキョウちゃんに褒めちぎる。彼女は機嫌良さそうにフードの上から少しわかるくらい耳が震えていた。

 

「ぼっち、アヤメさんと戯れるのもそこまでです」

<ガゥガゥ>

「アイリスちゃん」

 

 戦いが終わったのを見たのかアイリスちゃんも来た。

 

「なによ、此方(こなた)だって頑張ったんだからこのくらい」

「それよりも襲われていた人々の救出が先なのです! 褒められるのは後でも出来ます! そんな事もわからないのですか!」

「あ、あう……わ、わるかったわよ……」

 

 アイリスちゃんに一喝されたキキョウが勢いを失い、しょぼくれる。

 

 そうだ俺もこんな事をしている場合じゃなかった。

 襲われていた人々を助けなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 騎士達を拘束し終えた反乱軍は被害にあった《エルヴィス》の町の救助に努めた。

 すぐに使いを出して、離れた所にいたピエールの反乱軍本隊も合流するように促し、その間に人々の救助する。

 

 でも数が多い。だから俺も手伝う。キキョウも火傷を負った人に氷で冷やしていく。ジャママもその持ち前の嗅覚で人知れず傷つき倒れた人を見つけたりした。

 

 中でも忙しく動き回っていたのはアイリスちゃんだった。彼女は自らの持つ『聖女』の力で、薬草で傷を治すのを装い多くの人を癒した。結果怪我人は多くいたが死傷者はいなかった。

 

「ふぅ……死人が出なかったのは幸いかな。早い段階でこの町に着いたからジャコモ達が本格的に虐殺を始める前に防げた」

「アヤメ殿」

「これは、ピエールさん」

 

 本来なら隠れ家にいるピエールさんも、この《エルヴィス》の惨状を聞き、この場に現れた。その事に町の人も騒めく。

 

「まさかヘタイロイ近衛騎士団までもがこのような蛮行を行うとは思ってもおりませんでした。彼らは本来であれば我が国を守る為の騎士なのに。今でも信じられません」

「だが泣いている人が沢山いる。彼らの日常が壊されてしまったから。それも本来なら国を守る騎士らの手で」

「そうですな……。恐らくこの事は瞬く間にヴァルドニアに激震となって広がるでしょう。……言い方は悪いですが、これにより他の領も決起する可能性が高まりました」

 

 後半の声は俺にだけ聞こえる小さな声だった。

 ピエールさんは先を見据えて今回の事を、盛大に喧伝するらしい。国を守る騎士団が、町を襲ったと。

 

 確かにピエールさんとしてはその方が勝率が上がって良い事だろう。しかしその言い方はやはり不謹慎に聞こえた。

 

「失礼。この場で話すことではありませんでしたな。アヤメ殿らが捕らえたヘタイロイ近衛騎士団ですが、今は拘束しています。武器の方も手に入りました。もし宜しければ後で確認くだされ」

 

 ピエールはすぐさま、町の中心人物達の方に向かった。これからどうするか話し合うらしい。

 

 俺は辺りを見回す。

 アイリスちゃんが傷を負った子どもを治しているのが見えた。

 

「アイリスちゃん」

「あっ……アヤメさん」

「あぁ、立ち上がらなくて良いよ」

 

 立ち上がろうとするアイリスちゃんを制して、水を渡す。

 

「反乱軍の医療の人も合流した。アイリスちゃんも、少し休んだ方が良い。ずっと働き詰めだっただろう」

「そう……ですか。そうですね……。ほんのすこし、だけ。やすませてもらいます……」

「……アイリスちゃん、本当に大丈夫か? 顔色が」

「大丈夫です……。怪我人は出たけれど、誰も死ななくて……本当に……よかっ…た……」

「アイリスちゃん? ……アイリスちゃん!? アイリス!!」

 

 アイリスちゃんはそのまま倒れてしまう。

 何度も呼びかけるもアイリスちゃんからの返答はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 倒れたアイリスと呼びかけるアヤメ。

 

「あの力……やはり……」

 

 アイリスが人々を治す際の様子をどろりと濁り澱んだ目で見ていたパラシータが呟いた。



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決意

 今だに騒がしい町中とは切り離された宿の一室。そこを借りて、俺はアイリスちゃんを寝かしつけていた。

 

 アイリスちゃんは沢山汗をかいている。

 俺はそれを何度もタオルで拭う。

 

 倒れてからそれなりの時間が経つが余り良くなったとは言えない。それでも薬を飲ませたからか、最初よりはマシだ。

 

 アイリスちゃんはまたも汗をかいて、息も荒い。

 ジャママも心配そうにアイリスちゃんを顔を覗いている。

 

 

 ガチャッとドアの開く音がする。

 現れたのはキキョウだ。

 

「アヤメ、ちみっ娘の様子はどう? 」

「……今は大丈夫。倒れた時はびっくりしたけど、寝かして薬を飲ませたら少し落ちついた」

「そう。ならこれも頭に乗せてあげて。此方(こなた)特製の氷を布で包んだだけだけど、水で冷やすよりかは効果があるはずよ」

 

 キキョウは態々替えのタオルも含めてピエールさんに話して貰って来てくれた。ピエールさんも怪我人が沢山いるのに清潔なタオルを態々くれた。その事には感謝しかない。

 俺はキキョウから受け取った布で包んだ氷を乗せる。

 

 少しばかりアイリスちゃんの顔が和らいだ気がする。

 

「ありがとうキキョウ」

「これくらい気にもすることのほどではないわ」

 

 その会話の後少し無言。俺はキキョウ以外聴く人がいないからか、ポツリと呟く。

 

「アイリスちゃんは何でいきなり倒れたんだろう」

 

 キキョウは「あら」と意外そうな声をする。

 

「アヤメなら分かるでしょう? 『魔法使い』は自らの体にある人為的魔力(マナ)を使って魔法を行使している。此方もそれは変わらない。そして当然魔法を使えば人為的魔力(マナ)は減る。人為的魔力(マナ)を失った『魔法使い』は、殆ど立つことも出来ずに、酷ければ気絶するわ。今回の症状とそれに近いものでしょう。……最もちみっ娘の『聖女』としての力が此方(こなた)らと同じかっていうとそれはわからないけど、それでも他人に癒し(・・)という魔法をかけているのならば、『治癒士』のように当事者本人の人為的魔力(マナ)を使った治癒力に依存するのではなく、ちみっ娘に負担がかかったと考えるのならそう間違いではないはずよ」

「だけど、アイリスちゃんはそんな事一度も……」

 

 語るキキョウは凄くお姉さんという感じがした。それに対して俺は自身のあまりにも不甲斐なさに唇を噛みしめる。

 

「確かにそうね。でも予想はつくわ」

 

 キキョウは近づき、アイリスちゃんの首元の汗をタオルで拭う。

 

「この子の事よ、どうせアヤメの迷惑になると思って黙っていたんでしょうね。ほんとうに、ばかな子」

 

 その声は小馬鹿にしながらも、何処か優しさを与える声色だった。

 

 

 俺は自分が情けなかった。

 少し考えれば分かることだろう。『聖女』はその力であらゆる傷を癒す。

 だが聖女自身は?

 傷を負った聖女を誰が癒してくれる?

 俺はそんな事にも気付かずアイリスちゃんの力に頼り、結果的にこうなるまで気付かなかった。

 

 何が救世主だ。

 側にいるひとりの人も守れずに烏滸がましい。

 

 情けなくて、自分に怒りが湧いてくる。

 

 

「アヤメ、あまり自分を責めるのはやめなさい」

「でも」

「どうせこの娘のことよ。アヤメのお願い抜きにしても助けられるのなら助けたいと勝手に癒していたでしょうね。本当に、そんな所はアヤメそっくり」

 

 俺は思い出した。

 アイリスちゃんと初めて会ったときのことだ。俺は力があるならその力で誰かを助けたいと言った。それと同じでアイリスちゃんも自らに癒す力があるのならば癒したいと思ったのだろうか。『聖女』なんて関係ないと言いながらも。それで助かる命があるならと。

 

 さて、とキキョウは立ち上がる。

 

「またあの騎士達みたいなのが来ないとも限らないし、此方(こなた)が外に居といてあげるわ。だからアヤメはちみっ娘の近くにいてあげて」

「すまないキキョウ。悪いけどそうさせてもらうよ。この借りは絶対に返す」

「ふふ〜ん、お礼は今度また一日お買い物に付き合ってくれたら良いわ」

「あぁ、必ず」

「やった。それじゃ、ちみっ娘のことよろしくね」

 

 パタンとキキョウは出て行く。

 後には俺とアイリスちゃん、ジャママしかいない。

 話していたのはキキョウちゃんだから居なくなれば必然的に部屋は沈黙に満ちる。

 

「………ほ、んと…こんなときにおねえさんぶってむかつく、です……」

「っ! アイリスちゃん!?」

<カァウッ!>

「そんなおおごえださなくてもわかりますよ……あやめさん、じゃまま……」

 

 辛いだろうにアイリスちゃんは心配そうにしていたジャママの頭を撫でて安心させる。そしてそのままよろよろと起き上がる。

 

「もう、だいじょうぶです。しんぱいおかけしました」

「だめだよ。まだこんなに熱があるじゃないか!」

「これくらい、なんともない、です。それよりも、ほかにきずついたひとがいたら……治さないと……」

 

 向こうとするのを俺は毅然とした態度で止める。

 

「アイリスちゃん、君のおかげで今すぐに命に関わる程の重症な人はいないだから大丈夫だ」

「だけど、まだ怪我した人は……」

「だめだ、アイリスちゃん。君は寝ているんだ」

「でも……」

「さっきも言ったろ? 幸い死傷者は出ていない。怪我した人も後から来てくれた反乱軍の人達が今治療してくれている。そして今、優先して休まなきゃいけないのは君だ。だから、寝ているんだ」

 

 強引だが俺はアイリスちゃんの肩を掴んで寝かす。

 これ以上無理はさせられなかった。

 

「そう……ですか。そうですね……」

 

 口では納得した風を装っていてもやはり気がかりなのが目に取れた。だから俺は頭を撫でてやった。優しく、諭すように。

 するとアイリスちゃんは、弱い笑顔を浮かべながらベットに寝る。

 

「あやめさん……ひとつおねがいしてよいですか?」

「なんだい?」

「てを、にぎってほしいのです」

 

 彼女は、ベットから手を取り出す。

 

「すこしだけこころぼそいので……」

 

 そんな事ならと、俺はアイリスちゃんの手を握る。…俺よりもずっと小さく、それでいて多くの人を癒した手だ。

 アイリスちゃんは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 

「ふふ……こうしててをにぎってくれるのはフィオーレのまちいらいですね」

「そうだね。あの時はアイリスちゃんが握ってくれて随分と心が軽くなったよ」

「あやめさんからにぎってくれたのははじめてです。ふだんは、わたしがねているあやめさんのてをにぎってあげているのに、これでははんたいですね……」

「えっ、そうだったの?」

 

 全然知らなかったんだけど。これもしかしたら聞いちゃいけなかったものじゃ……。アイリスちゃんは頭がぼーとしているのか自分の話した内容に気付いていないようだ。

 

「ほんとうに……おおきいて……」

 

 にぎにぎと指を絡めるように

 俺の手なんて剣を握ってきて角ばって豆があるだけの手だ。

 なんだか、少しこっぱずかしい。

 

「じゃままも、ありがとう。よかったら、あやめさんといっしょにわたしのそばにいてくれますか?」

<ガァウ!>

「ありがとう」

 

 少しばかりこっぱずかしく、それでいて何か出来ることないかと頭を働かせ、ふとアイリスちゃんと初めてあった時の事を思い出した。

 

 俺は結局自分が眠気で寝てしまうまでアイリスちゃんの頭を撫で続けた。

 

 

 

 

 後日。

 アイリスちゃんの体調は良くなった。それ聞いて俺は安堵した。ジャママも嬉しそうだし、キキョウも口では「もう治ったの?大した事なかったんじゃない」と言いつつも安堵した様子だった。

 

 それと同時にピエールさんが一度別の反乱軍の場所に移動すると言ってきた。俺はアイリスちゃんの容態が心配だったが彼女も行くと言ったから一緒に行くこととした。

 

「あの、アヤメさん」

「なんだいアイリスちゃん」

「えと、あの。確かにまたあの様な事がないとは限らないっていうアヤメさんの心配もわかります。ですがこれは些か恥ずかしいのですが……」

 

 アイリスちゃんが大丈夫といっても心配だった俺は一計を案じた。

 彼女を背負っていくことにしたのだ。

 アイリスちゃんが落ちないようにロープでも繋いだ完璧な布陣だ。

 

「アヤメって過保護ね。ま、ちみっ娘も素直に受けといたらいいじゃない。じゃないと貴方また無理するでしょうし、こっちとしてもそんな状態で動き回られたら気が気でないわ」

「ぼっち……」

「此方としたら、赤ん坊をあやしてるみたいで面白いし。ぷーくすくす」

「なぁぁぁ! ちょっとだけ見直したわたしの気持ち返してください!!」

「あ、アイリスちゃん。そんな暴れたら危ないよっ」

<ガゥッ!>

 

 ジタバタと背後で暴れるアイリスちゃんを宥める。

 けど、俺としてもまた倒れると思ったら気が気でなかったからお願いするとアイリスちゃんもやっと頷いてくれた。

 

「うぅ、嬉しいのと恥ずかしいの。複雑な気持ちです……」

 

 

 

 

 それから数日。俺たちは別の反乱軍の基地に着いた。そこに着くとアイリスちゃんはもう背負わなくても良いと強く言われたので渋々ながら俺はアイリスちゃんを下ろした。

 

「アンタってさ、絶対子どもできて怪我でもしたら大騒ぎするタイプだろ。俺にはわかるね」

「いや、そんなことはない…と思うけど……」

 

 どうだろうか。なんだか自信がなくなってきた。

 誤魔化すように咳をして辺りを見回すとある事に気付いた。

 

「何かここも隠れ場所にしては人数が足りなくないか?」

「あぁ、それは今各地に《エルヴィス》の町を事を伝える為にバラけている。だから数が少なく見えるんだろう」

「……そうか」

 

 それもまたこの戦いに勝つのに必要なことなのだろう。

 ふと俺はパラシータの顔色が少しだけ悪くなったように感じた。

 

「ん? 何か、やつれたか?」

「……そうだな、最近色んな所でピエール様の指示で動いているのでそれだろう」

「そうかい、無理はしないようにな」

「あぁ」

 

 俺は別れを告げてアイリスちゃん達の方へ向かう。

 

 

 

 アヤメを見送るようでパラシータの目は、アイリスへと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 数日後、事態は動いた。

 

「戦争か……」

 

 ポツリと呟く。

 先程、ピエールさんから直接教えられた。どうやら《エルヴィス》の町のこと聞いて打診していた貴族達からも遂に快諾を得られたらしい。

 

 反面、俺の気持ちは複雑だった。

 もはやこの国の腐敗は否定出来ないほどに俺は見てきた。民を虐げている事はもう疑っていない。だが、戦争となると多くの人が死ぬ。

 

 敵味方問わずに多くの人が。

 その事が嫌だった。

 

 魔王軍ではなく、人の手で争うというのも俺の心に重くしていた。

 勿論、この戦いに参加するとした以上、こうなることはわかっていた。

 

 ピエールさん曰く、反乱軍は貴族も含めもはや向こうの軍よりも多いらしい。普通に考えて負ける要素はない。

 

 反乱の元となっているのは例のこの国の王ヴェルメだ。既に民心が離れ、傍若無人の限りを尽くしている。王が王たる責務を放棄したのなら、その座に居座る権利はない。

 

 ……例え、女神オリンピアに選ばれたとしても。

 

 数はこちらが上、士気も高い。貴族の援軍もあるからそれなりの練度も期待出来る。

 

 不確定要素があるとしたら、ただ一つ。

 

 あのエドワード・ジェラルドだ。

 

 彼は数少ない国王自身に忠誠を誓った存在。

 更には彼の配下には名高きユサール遊撃騎士団と城の兵士もいる。

 

 特にこの国で彼の戦闘能力は頭一つ抜けている。頭も悪くない。彼は不利を悟るとすぐさま退く冷静さを持っている。そしてその分の力を次に注ぎ込む。それだけの判断が出来る奴がいるだなんて悪夢だ。

 

 更には籠城戦となると話が違ってくる。攻める側より守る側の方が有利だ。そこに彼の指揮系統が加わると犠牲は計り知れない。彼ならば迂闊に攻勢に出ず、守りを固めることで城を落とさないようにする。

 

 ならば包囲し続ければ良いじゃないかとのことだが更に悪い情報だ。今だに反乱側に付かない貴族もいるので、もしそういった者達に背後を取られ、城からもエドワード指揮下で攻勢に出られたら容易に瓦解し得る可能性があるらしい。所詮は戦いに向かない職業(ジョブ)が大半の反乱軍、勝ち目がないと悟ると逃げ出してしまうとはピエールさんの談だ。

 

 更に他国の事もある。つけ入る隙を与えずに迅速に決着をつけたいらしい。

 

 エドワードとしても王を守る為に全力で指揮を取るはず。

 だから、何としてもエドワードは倒さねばならない。それも、比較的素早く。それが無理なら王を素早く確保する必要がある。

 

 だが王を護る騎士の存在も考えると、反乱軍の練度では厳しい。

 

「……もう一度話して見るか」

 

 俺は決意を決め、ピエールさんに自分の意見を話しに行った。

 

「ん?これは」

 

 途中、立て掛けられた剣が目に入る。確か、ジャコモが使っていた剣だ。武器に余裕がある訳でもないので回収した武器は積極的に使うと聞いていた。

 

 俺はジャコモの剣をすらりと鞘から抜いてみる。深い蒼色の良い剣だ。

 

「……彼の守りを突破する方法。これなら」

 

 勇者の頃は考えもしなかった。だが、 技能(スキル)ない俺は試せることは全て試さなければ。

 この事も含めてピエールさんに、そしてもし大丈夫ならキキョウに付き合って貰う必要があった。

 

 俺はジャコモの剣を持って、ピエールさんと話をする為に向かっていった。



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譲れぬ思い

 夢を見ていた。

 未だに忘れる事は出来ないあの日の事を。

 

『アメリア様。このエドワード・ジェラルド。貴方様の騎士として、その名に恥じぬよう尽力する所存であります。私は貴方様の盾として、如何なる災厄より御守り致すことをここに誓います』

 

 無表情で淡々と騎士の誓いを立てるエドワード。

 著しい功績と実績を積んだ事で王より一人娘であるアメリア・ヴァルドニアの騎士となることを賜われたのだ。

 

 しかし、周囲はこれを讃えはしなかった。寧ろ左遷とまで言われた。

 それは何故か。理由は王女であるアメリアにあった。アメリアの職業(ジョブ)は『呪術師』であった。『呪術師』はその通り呪いをかけるなど外聞が良くなかった。王妃が亡くなって唯一の王女ではあったが、貴族の中にはあからさまに陰口を叩く人もいた。

 

 だがそれはエドワードとて同じ。愛想笑いすらしないエドワードは、人形とも揶揄された。

 

 誠の意味で祝福するのは国王と騎士団のみ。

 

 周りの貴族もただただ簡素な祝福の声を上げるだけのまるでつまらない演劇のような中、当人であるアメリアは気にすることなくエドワードの前に立ち

 

『これからよろしくね! エド!』

 

 そう、とびきりの笑顔を見せた。

 

 

 アメリア様は良くも悪くもお転婆であった。

 王女であるにも関わらず、自ら『呪術師』としての素材を取りに行こうとしたり、難しい調合をしようとして失敗したりした。

 

 エドワードも彼女を慎めつつも無理に止めず、危険があれば予め排除した。

 

 そのせいか主従揃って変わり者とも言われた。

 

 そんな中、一度強力な魔獣が国を脅かした。その際騎士団は元より腕の立つエドワードも出陣した。結果、魔獣は討伐出来たがエドワード自身大怪我した。

 

 それを城へ帰って来た時見たアメリアは顔を青く染めた。

 

『エド! 怪我したの!?』

『お恥ずかしながら、此度の魔獣は中々に強力でした。不覚をとり、盾も駄目にしてしまいました』

『盾なんてどうでも良いよ!それよりもエドが怪我をしたのが心配なの!』

『これも民を守る為。我々は国を守る盾であり、国民を守る矛であります。その為に果てるというのならば、騎士として本望であります』

『っ、ばか!!』

『アメリア様?』

『死ぬだなんて簡単に言わないでよ! 死んだらおしまいなんだよ!? もう会えないんだよ!? 残された側の気持ちも考えてよ!』

 

 泣きそうになりながら叫ぶアメリアにエドワードは呆気にとられた。そして彼女を悲しませた事に心を痛めた。

 申し訳ありません、と繰り返し謝罪することしか出来なかった。

 やがて落ち着いたアメリアが何かポケットを探り出した。

 

『そうだ! 良い事思いついた!』

『アメリア様?』

『エド、ちょっとだけ屈んでくれる?』

 

 怪訝に思いつつ屈むと首に護符がかけられていた。

 

『これは?』

『これは御守りよ! わたくしが作ったの。エドが必ず帰って来られるように、怪我しないように厄災を跳ね除けて下さいって。だから、これからはそんな大怪我しないでね。約束だよ!』

 

 アメリアが笑う。

 あの時、エドワードは改めて誓ったのだ。必ずこのお方を守ると。

 

 あの日以来、エドワードは大怪我を負うことはなくなった。あらゆる敵を殆ど怪我をせずに打ち負かした。いつのまにか『鉄壁』ともまで呼ばれる程になっていた。

 

 全てはアメリアを守る為に。

 彼女に迫る全ての敵意から守る"盾"として、己を鍛え続けた。

 

 その頃にはアメリアも『呪術師』として、一定の成果を出して周囲から認められ始めていた。これからもうまくいく。そう思っていた。

 

 

 

 

 

 だから、あんな病で死ぬだなんて思ってもいなかった。艶やかで美しかったアメリア様は、最後は衰弱して骨と皮だけの老婆のようになってしまった。

 

『エド……側にいる……?』

『はっ、側におります』

『ごめんなさいね……わたくし、もう目も殆ど見えないの……貴方の顔も、もうわからないわ……』

『謝らないでください。必ず……必ず良くなりますから』

『ふふっ……わかるの。わたくしは、ここまでだって。わたくしは、不孝者よね。お父様を悲しませて、国民にも何も出来ずに死ぬなんて、ほんとうに』

『そのようなことは!!』

『エドの大声、初めて聞いたなぁ。ねぇ、エド……お父様と国を守ってあげて。それ……と……ーー』

『……アメリア様?』

 

 答えは返ってこなかった。アメリアは微笑みながら亡くなった。

 

 鍛え抜いた武はなんら意味を成さず。

 誓いを果たすことも出来なかった。

 

『ッ……! アメ、リア……様……!』

 

 守る者を守れず、失った。

 唯一の彼女の願いも、今となっては果たして守れているのかどうか。

 

 

 我が盾は一体何を守る為にあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い地下牢。

 そこは罪人と城に侵入した暗殺者などを捕らえるための牢であった。当然空気も悪く、居住性も最悪だ。

 

 そこに、本来ならば似つかわしくない、居るはずのない男が捕らえられていた。

 鎖に繋がれながらもエドワードはその場でじっと佇んでいた。

 

「エドワード様! エドワード様!」

 

 地下牢に相応しくない甲高い声を発しながら一人の騎士が石造りの階段から降りて来る。

 

「エドワード様ッ!」

「どうしましたか。私は国王様の命により謹慎の身。私に接触すれば貴方もどうなるか分かりませんよ」

「それどころではありません! 反乱軍がこの王都に近付いています!」

 

 その報告はエドワードをして驚嘆の内容だった。だがそれは反乱軍に対してではない。

 

「速すぎる。一体何が起こったのですか? ジャモコ殿はどうしましたか。私の指揮権もジャコモ殿が継承したはずですが」

「それがジャコモ様は反乱軍に敗北、捕らわれましたとの連絡が先程。それでその、フィオーレの町での所業が反乱軍によって手広く知れ渡ってしまいました。そのせいで我慢の限界に達した各地で反乱が起こり、貴族らもそれに続き王の招集に従わず、それどころか反乱軍に加わり王都に目指しているそうです」

 

 エドワードはほんの僅かに目を見開いた。

 ジャコモは強いとは言えないがそれでも『騎士』だ。更には王を守る近衛騎士だ。反乱軍に負ける、そのことを譲っても逃げる事は可能だと思っていた。それが配下含め誰も帰って来てない。

 

 だがエドワードには一人心当たりがあった。

 

(貴方とでもいうのですか?)

 

 脳裏に赤毛の仮面を付けた男が浮かぶ。

 エドワードは確信していた。彼がジャコモを倒したと。

 

「城下町の兵士達はどうしたのですか? 幾ら反乱とは言え無関係な民が住む城下町でなら彼らも戦闘を望まないはずですが」

「それが城下町の市民、兵士も多数が反乱に加わり、一緒になってこの城へと進軍しています。理由は例の町を襲った事が城下街にも反乱軍の密偵により広められたせいかと。そして何より、今の王よりも信の厚いピエール殿が反乱軍にいるからでは……と」

「……やはり無関係な町を襲ったのが仇となりましたか」

 

 温和で善良な貴族のカンディアーニの処刑。これだけならまだ何とかなったかも知れない。所詮は他の領での話。民も決起する事はなかっただろう。

 

 だがジャモコ達は関係ない町をも襲った。

 

 明日は我が身。そう考えた貴族と民が王を打倒しようと考えるのは何らおかしくない。

 

「状況は最悪です。我が軍にも姿の見えない兵士が何人かいます。恐らく逃げたか元より向こうの手の者かと。残った者達も士気に関しては著しくはありません。現状を打破するにはエドワード様の力が必要です。実の所、王より許可を受けています。今、牢を開けます」

 

 配下の騎士はかちゃかちゃと牢屋の鍵を開けた後、エドワードを拘束していた鎖も外す。数日間繋がれていた手足は青く変色し、痛みがあるがこの程度なら支障はない。

 

 そのまま階段で地下牢から廊下へと出る。

 すると見慣れた部下達が近寄って来る。

 

「エドワード様! よくぞご無事で」

「エドワード様、先程反乱軍の中に多数の『魔法使い』もいたとの情報が」

「我々はどのようにして迎え撃つべきでしょうか」

「落ち着きなさい。先ずは情報を精細に教えなさい」

 

 此方に詰め寄り指示を仰ぐ部下を窘めながら、情報を聞く。

 話を聞くにつれ余り状況がよろしくないことを確認しながら速やかに指示を出す。

 

 そんな中、部下達が自らの装備を持ってきた。エドワードは鎧を身に纏う。

 

「エドワード様、こちらを」

 

 部下の一人がエドワードの装備を渡そうとする。

 

「……」

 

 最後に差し出されたのは、槍。

 

 この国を守るように王より授かった至宝の品。だが、その槍が振るわれるのは同じ国の民だ。

 

 自らが槍を振るえばそれだけ人が死ぬ。

 正義がどちらかなど考えるまでもない。

 だが……

 

『エド……お父様と国を守ってあげて』

 

 護符を握り締める。

 

 私は騎士、この国を守りし守護者なり。この国に属するのならば、国を乱す輩を排除するのが我が役目。それがたとえ自国民であろうと。

 

 迷いを振り払い、槍を手にする。

 

 カンッ! と槍の柄を地面に叩きつけ、音を鳴らす。

 

「只今よりこの城の兵を集めなさい、城門前で防御陣を張り迎え撃つと。それと『もし城門が破られた際には、各自己が判断で投降せよ』と」

「しかしそれは」

「もはや敵の方が数は上。『魔法使い』も今の天気では力を発揮し辛いでしょう。それと、兵の一部をこことここに配置しておきなさい。裏切り者、或いは手引きされた者がいるとしてもここを守れば対処出来ます」

「しかしそれでは城門が手薄に」

「問題ありません。数が多くとも一度に攻められる人数は決まっています。それに私自身も城門で」

「エドワード様! 国王陛下より命令です! ……その、国王陛下が己の護衛に回れと」

 

 新たに伝令に現れた騎士のその言葉に騎士達は絶句した。この状況でエドワードを欠く事は統制も、士気にも影響が出る。にも関わらず、自身を守れというのだ。

 

 エドワードも数瞬止まり、やがて頭を振って動き出す。

 

「分かりました。すぐに向かいましょう。……指揮はエラルド、貴方に委ねます」

「……エドワード様、我々は貴方様の元であったこと誇りに思います」

「死ぬな、とは言いませんし言えません。ただ全力で使命を果たしなさい。その後はもう好きにしなさい」

「はっ!」

 

 死地に向かう部下達をエドワードは憂いを帯びた目で見る。

 

 その後、無理矢理に未練を断ち切り王の元へと向かった。

 



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いざ尋常に勝負

 

 

 

 月が雲で見えなくなり、小雨が降る夜。

 夜にも関わらず普段の静けさはなく、喧騒と怒鳴り声、剣戟の音が絶え間無く響いていた。

 

 城門前。

 多くの反乱軍と城を守る者達による攻防が繰り広げられていた。

 

 その様子を遠くから見つめる反乱軍本部。

 その中にはピエールもいた。

 

「抵抗が激しい。やはり王が腐っても最後まで国と共にあろうとした者たち。その練度は侮れませんな」

「はっ。我が軍にも多数の被害者が出ています。特に騎士団の抵抗が激しく中々突破出来ません」

「しかし本来予想していたよりではない。向こうの動きも、何やらぎこちなく見える。……もしや。エドワード卿の姿は見つからないのじゃろうか?」

「はい。戦闘区域の何処にも見当たらないということです」

「この局面でいない。恐らく自らの護衛につけましたかの。だからこそ付け入る隙がある。しかし……もはやあの勇姿はないのですね、王よ……」

 

 ピエールはかつての主君に思いを馳せた。

 

 

 

 

 ピエールが思いを馳せる頃、戦場では戦局が動こうとしていた。

 

「もう一度だ! もう一度城門に向けて破城槌をぶつけるんだ!」

「おぉ!!」

 

 何度目か分からない破城槌が城門に打ち込まれる。

 城門側は耐えようとするも絶え間ない破城槌の猛攻についに城門が破られた。

 

「城門を突破した!」

「突撃! 突撃ぃッ!!」

 

 一斉に内部に侵入しようとする反乱軍。

 と、そこへ。

 

「【高斬撃】」

「【突破槍】」

「【断裂・破槍】」

「ぎゃあぁぁ!!」

「うわぁ!!」

「ぐはぁッ」

 

 剣が、槍が突き出され、勢いよく突撃した反乱軍が押し返された。

 幸いにも致命傷になった者はいない。だが全員が戦場から離脱せざるを得ない怪我であった。

 

「我らユサール遊撃騎士団、ヴァルドニアを守りし守護者であり、栄えあるエドワード様配下の騎士なり!」

 

 剣を掲げるは洗練された動きで巧みに二人の兵士を斬り伏せし騎士。彼は武器を破壊し、無効化させる。

 勢を挫かれた反乱軍を騎士が盾で吹き飛ばす。

 

「此処は我らの領域なり! 容易く突破出来ぬと知れ!」

「我らユサール騎士団、忠節と勝利を!」

「騎士団万歳! 国を蝕む敵を打ち倒さん!」

「もはや我らに大義(・・)あれど正義(・・)はなし! されど最後まで我々は戦い続ける! 全ては我が身に誓いし剣にかけて!!」

 

 隙がなく、盾を構えて道を塞ぐエドワード配下の騎士ら。反乱軍はその防御を突破することができないでいた。

 更には進出し過ぎた反乱軍を囲うように騎士らが両翼より長槍の騎士が突いてくる。

 

「【我が声に応え唸り、纏い、旋風となりて裁きを与えよ、風の鋭刃(ウィンド・ラーマ)】」

「【母なる大地よ、城を守る壁となって侵入者を阻み我らを護りたまえ、硬土の城壁(アース・モエニア)】」

「ぐあぁぁぁ!」

「『魔法使い』だ! ダメだ、下がれ下がれぇっ!!」

 

 更には騎士達の後方にいる魔法使いから魔法が詠唱される。

 

 風の刃が切り裂き、土が体勢を崩しさせる。更には矢が飛んできた。

 

 反乱軍は『兵士』が居るとはいえそのほとんどが平民という戦いに向かない職業(ジョブ)を持つ人々だ。

 圧倒的なまでに離れた戦闘力の差に抗うことが出来ない。

 

「くっ、まだ耐えるんだ。そうすれば」

「城より湧き出た反乱軍の者は既に制圧した。挟撃など、出来ると思わないことだ!」

「!? こちらの作戦がバレてるだと!?」

 

 崩れた所へ長槍や弓を持つ騎士達からの攻撃で武器を破壊されたりと無効化され、どんどん味方がやられていく。

 

「いかん、このままじゃジリ貧だ! 突入態勢! 一点突破で奴らの陣を崩す!」

「盾を前へ! 奴らは突撃する気だ。押し留めさえすれば魔法使いの攻撃でどうとでもなる!」

 

 練度で劣る反乱軍は強行突破を狙うも、副隊長(エラルド)の指示する騎士らがそれを阻む。

 数は反乱軍が上だが『騎士』である彼らを突破出来るだけの力を持つ者が反乱軍にいない。

 このままでは全滅も時間の問題だった。

 

「退くな! 退いたら負けるぞ!! 突撃ぃぃ!!」

「愚かなッ……【吹き込む風よ、我の……んっ、ぐっ!? ……! ……!?」

「なんだ!? どうした!?… …なにっ? 俺の足っ……。動かない……!? しまっ、がはっ」

「な、なんだ? 簡単に倒せたぞ?」

「いける! いけるぞ!」

「俺たちでも騎士を倒せるぞ!」

 

 突如として弱体化した騎士が倒されたことで反乱軍の士気が上がる。

 何故いきなり騎士たちが負けたのか。

 

「エラルド副隊長! ジュールとアイクがやられました!」

「くっ、一体何が起こってるんだ!?」

「構えを解くな! 奴らを王城に入れる訳にはいかん! エドワード様に顔向けできない!」

「は、はっ! しかし、誰がこんなことを!?」

(ふっふーん、それは全部此方(こなた)のおかげよ)

 

 盾を構える騎士の足元を凍らせ、踏ん張りがきかないようにし、魔法使いは詠唱する前に喉を凍らせて声を出なくさせた。

 

 何故なら今は雨。ピエールは相手の魔法使いが炎を使えなくなると踏んで城攻めを強行したがこれはキキョウにとっても有利に働いた。降り注ぐ雨に自らの氷も合わせて【雨氷霧】を発生させ、あたり一帯を薄い霧で覆ったのだ。

 もはや雨が降る所は全てキキョウの攻撃の射程範囲だ。

 

 凍らせた所もすぐに解除するので夜で視覚が効かないこともあり、バレることもない。

 

 中には勢いの余り騎士の人を殺そうとした人も居たが、そういった人間も転ばせたりして殺害を防いだ。

 

此方(こなた)の影響がある限り、無駄な殺生はさせないわ。もっともっと頑張ってアヤメに褒めてもらうんだから! そうすれば、あんなちみっ娘なんて目じゃないかしら!」

 

 あくまで主役は反乱軍。キキョウはアヤメに言われた通り目立たないようにしながら確実に反乱軍に有利になるよう実力者を倒していった。

 

 

 

 

 

「むぅ……」

 

 アイリスはジャママを側に戦場から離れた本陣にいた。近くにはピエールらのいる本陣もある。

 

「……確かにわたしを危険に晒したくないっていうのはわかります。それだけ大事に思われているのは嬉しいです。だけどこうして見ているだけってのはそれはそれで納得出来ないのです……」

 

 複雑な乙女心。

 大切に思われるのは嬉しい。だけど、ただただ守られる対処なのは嫌だ。自分は彼の足手まといなんかではない。

 

 けれどもアヤメが自身を心配している事にアイリスは勿論気付いている。

 だからこそ、無理に自らも付いて行こうとはしなかった。

 

「アヤメさんも、ぼっちもあそこの戦場にいるのですね……」

 

 あの場で行われているのは命の凌ぎ合いだ。

 そういう点ではアヤメと肩を並べられるキキョウが羨ましかった。

 確かに戦場は危険だ。

 怖いことも沢山あるだろう。

 でももし戦いでアヤメが傷を負ったなら。

 アイリスはそっちの方が怖かった。

 

「力があれば、わたしだって」

<カァウ?>

 

 不安をやわらげるためあぎゅっと抱き抱えたジャママを強く抱く。ジャママもそんな自らの主人(アイリス)に気付いたのかペロペロと頰を舐める。

 

 アイリスは戦場にいるであろうアヤメ(ついでにキキョウも)の無事を願っていた。

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 城門が破られる前。

 アヤメは城内の一角にいた。

 

「ここか。確かこれをこう動かすと……」

 

 一緒に居た兵士が煉瓦の壁の一部を取り出すとガコッと土が盛り上がる。その下には空間があり、土を被せて隠していたが秘密の通路だったらしい。

 

「成る程茂みが深くて煉瓦を動かさせば連動して道が開く仕掛けがあるとはわからないな」

 

 城に突入する精鋭による強襲。その中に俺は居た。

 

 俺の実力はピエールも知っている。犠牲が少なくなるのならと彼も了承してくれた。

 王さえ捕らえればこの無駄な戦いも終わる。

 

「それでは我々は城門に向かいます。このまま挟撃し、城門を完全に解放します。先に別働隊が王の元へ向かっていると思いますがお気をつけて」

「あぁ、君達も気をつけて。武運を祈る」

 

 一緒に居た兵士達が城門に向かって駆け出す。それを見届けて俺もすべき事のために駆け出す。

 

 俺は王様へと続く道の最中を警戒しながら進む。ある程度の道のりはピエールから聞いている。だから迷うことなく道を進めた。

 

 付近には誰一人として警護している兵士はいなかった。もしかすると全ての兵力を城門に集中しているのかもしれない。

 

 そして王へと続く廊下へと着く。その際、武器を破壊され気絶している先遣隊を見た。全員が倒されている。

 王へと至る道はここだけだとピエールに聞いた。なら、先遣隊を打ち倒すほどの実力を持つのは……。

 

 駆け抜ける俺だがその歩みを止めた。

 それはたった一人の人影を見つけたからだ。

 

「やぁ、また会ったね」

「私としましては会いたくはなかったですが」

 

 エドワードだ。いつもの様に盾と槍を構え、無表情でこちらの前に立ち塞がる。その姿に隙はない。外では反乱軍の雄叫びが聞こえた。

 

「……この様子だと我々は劣勢ですか。我が軍の精鋭でしたが、流石に数が多い。城門を突破されれば此方の地の利も失う。やはりそれだけ民の心が離れてしまったのですね」

「それだけじゃないさ。兵士の中にも反乱軍に加わったものがいただろ? 彼らが城の内部の情報も教えてくれたんだ。あの町を襲ったのがきっかけでね」

「でしょうね。アレは民たちの反乱を決定付けましたから」

 

 カンディアーニの当主斬首は貴族達の反乱を決心させた。

 ジャモコの無関係なエルヴィスの町の虐殺は民からの心を離した。

 

 皮肉る様子もなく淡々と事実を確認するようにエドワードは頷いた。

 

「それで、貴方の目的も国王様の首ですか?」

「それもあるけど俺の目的はアンタだよ。反乱軍に身を潜めていたけどあの中に君に敵う奴はいないと断言出来る。アンタと反乱軍が戦えば甚大な被害が出る」

「だから私を討ち取ると?」

「いいや、アンタを説得しにきた」

 

 理解出来ないとエドワードが眉を潜めた。初めて人間らしい態度を見たなと俺は苦笑する。

 

「何故です? 私は王の剣。謂わば直接的には民を虐《しい》げた者といっても差し支えないでしょうに」

「いいや、君は民を救おうとしていた。あの時、援軍に来た者達は殆どが平民で戦闘経験のない者ばっかりだった。君なら容易く蹴散らせたはずだ。なのに命を奪わず、武器だけを奪った。それだけで君が戦いに不本意であったことがわかる」

「なるほど、確かに。そうですね。私が殺そうと思えばあの時ピエール大臣を捕らえるのではなく殺すことも出来たでしょう。どれほどの犠牲が出るかは分かりませんが。配下からも私の対応を甘いと言われ、その事に関しては私も認めましょう。私自身犠牲は少ない方が良いと思っていました」

「なら」

「だとしても私には騎士としての誉れ……否、誓い(・・)があるのです。もはやこうなった以上、例えただ一人になろうとも国王様を守る。それが私の決意です」

「君はやはり……」

 

 だがこの国の将来の為にもヴェルメ王の暴走を止めねばならない。俺は頭を振り、エドワードを真っ直ぐに見つめた。

 

「だったら悪いけどそこを退いてもらう。君を無効化して国王を捕らえる」

「退きません」

 

 簡素な、それでいて決意に満ちた一言。

 もはや言葉では止まれない。

 俺たちは剣を構えた。

 

「そうか、なら力づくで通してもらう」

「元よりそのつもりでここまで来たのでしょう? ……名乗りましょう。ヴァルドニア、ユサール騎士団団長エドワード・ジェラルド」

救世主(ヒーロー)を目指す者、アヤメ」

「「いざ尋常に参る!」」

 



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決闘

 激しくなる戦況。

 

 次第に増える負傷者に、アイリスも手伝って治療を施していた。

 

 重傷な人のみに、『聖女』の力も利用しつつ癒す。それ以外は自前の医療技術だ。

 

 無理はしない。ここでまた倒れたら迷惑がかかる。だから危なそうな人だけに限定して『聖女』の力で癒し、それ以外の人は自前の治療薬で直していった。

 

「ふぅ、これで大丈夫ですよ」

「あぁ、ありがとうお嬢ちゃん」

「お気になさらずに。今は安静にしてください。……新しい水が必要ですね。行きましょう、ジャママ」

<ガゥッ!>

 

 布を洗う桶の水が汚れたので変えようと立ち上がる。

 

「アイリス殿」

「あれ、パラシータさん、どうしましたか?」

 

 その時パラシータが話しかけてきた。

 

「はっ、実はお話が。実は貴方を呼ぶようにあの方より頼まれたのです」

「あの方? もしかしてアヤメさんですか!?」

「えぇ、()()()殿()()()()()()()()()。どうやら城内に無実の罪で捕らえられた人がいて衰弱が激しいので是非とも来て欲しいと。貴方の力が必要であると」

 

 パラシータの言葉にアイリスは喜色の色を顔に浮かべる。

 一方でジャママは唸り声をあげ始めるもアイリスは気付かない。

 

「本当ですか! わかりました、すぐに行きます! あっ、でも今は城内に行くにはあの城門を……それに、こっちにも怪我人が」

「俺が護衛しましょう。それに他にも治療が得意な者がおります。とにかく、アヤメ殿が使った秘密の抜け道を案内します。こちらへ」

 

 この時点で大きな矛盾があった。

 突入したアヤメがいつパラシータにコンタクトを取ったのか。彼はエドワードと戦っていて、その暇がない。それが不明なのだ。

 

 だけど、自らの無力さを痛感していたアイリスは人一倍アヤメの役に立ちたいという思いがあってその事を見落とした。

 ジャママも警戒しているとどうしようもない。

 

 こうしてアイリスは本陣から離れる。

 戦場にいるキキョウは、死者が出ないように掛り切りで気付かない。

 

 裏で二人が姿を消した事に気付く者は誰一人いなかった。

 

 

 

 

 

 『騎士』という職業を持つ者は、絶え間ない訓練と鍛錬に身を費やし、その果てにそれに相応しい実力を持つ事が出来る。

 その力は正に一騎当千。同じ『兵士』の職業(ジョブ)を持つ者でも『騎士』に勝つにはその十倍以上の人数が必要とされている。

 更に上の職業(ジョブ)ーーこれは『騎士』の中でも更に才能と技術を持つものが得ることが出来るのだがーー『竜騎士』に至っては一人討ち取るのに500人の兵士と10人の魔法使いが必要だとされている。それほどまでに差は広い。

 

 現に城門ではキキョウの援護があって尚、反乱軍は優勢なれど今だにユサール遊撃騎士団を突破出来ないでいた。

 

 それは余りにも騎士団と反乱軍の練度がかけ離れていたからだ。貴族の兵もいるも、相手はこの国最強の騎士団。精兵である。

 マトモにうちあっては勝ち目がない。苦戦は必至だった。

 

 

 そしてもう一つ。

 アヤメの方も苦戦を免れずにいた。

 

 

 

 

 

 風切り音が鳴る。見なくてもわかる。俺の頭のすぐそばをエドワードの槍が掠めたのだ。

 やはりと言っていいかジャコモとは比べ物にならない強さに俺は苦戦を強いられた。

 

「【盾撃(バッシュ)】」

「くっ」

「【突撃槍(ストライク・ホーン)】」

 

 【盾撃(バッシュ)】で俺の剣を弾き、体勢を崩した所に俺を貫かんとエドワードの持つ槍が光る。

 

 俺は無理に体勢を直そうとすれば食らうと直感し、寧ろ足の力を抜いて一気にその場にしゃがんだ。瞬間俺のいた位置に穿たれる槍。柱に半分くらい埋没していた。

 その隙にすぐさまその場を離れる。

 

「大理石で出来た柱を貫くとかマジか…」

 

 ガコッと綺麗に円状にくり抜かれた柱から槍を引き抜く。槍は一切曲がらず鋭利な光を放っていた。

 

「残念です。貴方の心臓を一突きするつもりでしたが」

「おいおい冗談にしてはタチが悪いよ」

 

 僅かに冷や汗を垂らしながら俺はどうエドワードを攻略するか思考する。

 

 やはりエドワードは強い。魔法使いのような派手な威力の魔法こそないが培われた経験と装備がもたらす堅牢さは非常に厄介だ。魔王軍の魔族や魔物とはまた別種の積み重ねられてきた強さだ。

 

 その堅牢を破るには並大抵の戦法では無理だ。技能(スキル)もない俺では槍を防ぐのも精一杯だ。

 

 ……このまま城門から援軍を待つという手もあるがそれでは犠牲が出るし何より俺が先行した意味を失う。

 

(なら、奴の槍の鋭さを利用する)

 

 エドワードが槍を構えて迫る。

 俺は左手で右手首を掴み、剣を水平に構える。

 

「"桃孤棘矢(とうこきょくし)"」

 

 大角カジキすらうちあげた俺の絶技によって槍を打ち上げる。これが俺の狙いだった。

 

 だがエドワードは対応して見せた。

 槍が飛ばされそうになるや否や、自ら態と俺の受け流しを跳躍して自らも飛ばされる事で槍から手を離さなかった。

 俺は驚くも着地で体勢を崩したのを見逃さなかった。

 

「"緋華(ひばな)"」

 

 俺は勝負を決めようと一息で剣を突き出す。

 エドワードは盾を構えた。防御のつもりか。だが、そのまま突いて態勢を崩させて決めるーー

 

「なっ!?」

 

 硬質な音が鳴ったと思ったら、いつのまにか俺は剣ごとそのままエドワードの背後にいた。

 

 弾かれた?いや違う!流された!!

 エドワードは盾を斜めにして受けるのではなく、逸らす(・・・)。それはさながら俺の"桃孤棘矢(とうこきょくし)"のように。

 俺は勢いのまま、そのまま盾で背後に流されたんだ。その隙をエドワードは見逃さない。

 

 槍が突き出る。

 俺を貫こうと。

 

 俺は咄嗟に鞘《さや》を思い切り、かちあげた。

 槍は俺に当たる前に、鞘によって上方向に軌道を変えられ、外す。

 

 俺はそのまま回転して、エドワードの頭に回し蹴りを叩き込んだ。

 

 頭の鎧が外れ、よろけるエドワード。だがその目は死んでいない。

 

「【盾撃(バッシュ)】」

「ぐはっ!」

 

 だが次の瞬間、思い切り盾をぶつけていた。

 モロに受けた俺は吹き飛ばされるも、転がりながら衝撃を和らげ態勢を立て直す。

 

 転げ回った俺とは対照的に悠然とエドワードは槍を構えている。

 

「意趣返しする気でしたが、やはり貴方はお強い。だが、それまでです。幾ら足掻こうとも私の盾を突破出来るとは思わないことですね」

「言ってくれるね……!」

 

 エドワードは頭から、俺は口から血を流す。

 骨は折れていない。だが痛みを訴えている。酷い鈍痛だ。

 

(それにしても、何て手堅さと堅牢さだ。元々キキョウの魔法すら防ぐ程の防御を持つとは思っていたが、これは些か異常だろ)

 

 長い間戦っているが、エドワードは傷らしい傷を負っていない。それもこれも彼の堅牢な武術と盾を使っての技能(スキル)が強いからだ。

 

 俺の戦法は通用はしている。数多くの絶技も試した。だが有効打は未だに与えられていない。そもそもの話、俺は彼の防御系統の技能(スキル)を突破出来るほどの威力の絶技を繰り出せずにいた。

 

 規格外までの堅さが彼自身を守っていた。

 

「……このままじゃジリ貧なのは確かか。ならこっちも奥の手を使うとするかな」

 

 すらりと俺はジャモコから拝借したもう一つの腰に携えた()を抜いた。ピエールさんに話して譲って貰ったジャコモの剣だ。

 エドワードの秀麗(しゅうれい)な眉がピクリと動く。

 

「何のつもりです?」

「俺の攻撃はどんなに強くてもアンタの盾に塞がれてしまう。なら手数を増やそうとでも思ってね」

 

 戯けるように言うと不愉快そうにエドワードの眉が寄った。

 

「剣を二本持てば手数も威力も二倍と? 何やら装備が変わっているとは思っていましたが……あまり舐めないで頂きたい。手数は増えても片手であればその剣自体の威力は落ちるというもの。そんなので私の盾を貫く事はできません」

 

 再度エドワードが盾を前面に此方に突撃してくる。

 

「それはどうだろうな!?」

 

 それを躱し、側面に向けてそれぞれ別方向の関節に向けて剣を振るう。

 

「くっ」

 

 初めてエドワードから苦悶の声が上がった。片方は槍で防がれたけど膝を狙った方は鎧に弾かれたが初めてまともに当たった。

 

 その後も俺は変幻自在に二つの剣を振るう。俺は戦いまでの日、キキョウに頼み彼女に相手をして貰っていた。だからそれなりに二刀流には慣れていた。元々聖剣が黒くなって来た頃、使い捨てたがあらゆる武器を利用した事がある経験も大きかった。

 

 いける。このまま奴に隙を与えない。如何に堅牢な鎧とて同じ箇所を多数攻撃すれば壊れる。

 俺は柄を強く握り、鼓舞するように叫んだ。

 

「いくぞ! 俺は君を越えていく!」

「我が誓いにかけて、私は貴方を此処で降します」



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その壁を越えろ

 二本の剣により猛撃。

 エドワードは先程とは違い防戦一方になった。勿論、未だに盾は突破出来ていないが、それでも僅かだが攻撃が通るようになった。

 

「どうした!? その盾は飾りか!?」

「言ってくれますね。なるほど、二本の剣による剣術もただの思いつきではなさそうですね。しかも同じ箇所ばかり攻撃して……無理矢理突破する気ですか」

 

 エドワードが不愉快そうに眉をひそめている。

 

「ならば盾を前面に、このまま押し潰してくれましょう。【大盾潰し(シールドバッシュ)】」

 

 エドワードの盾が光り、先程とは比べものにならない速度でこちらに迫り来る。

 

 来たか。

 

 俺は内心ほくそ笑む。

 【大盾潰し(シールドバッシュ)】はエドワードなら必ず持つスキルだろうと思っていた。

 

 俺はワザと柱に追い込まれたと見せかける。来い! 

 盾が俺に当たるより少し前でエドワードに向かって煙玉を繰り出す。

 

「この程度! 何の障害にもなりません!」

 

 盾で煙玉を受けようともそのまま直進。

 次の瞬間柱にぶつかった大きな音が鳴った。柱にヒビすら入る強力な一撃。柱と盾に挟まれたのならば絶命すら免れないであろう技能(スキル)

 

 だけど、残念だったね。

 そこに俺はいない!!

 

 エドワードは盾で押し潰そうとした俺がいないことに気付いた。

 

「なにっ、どこに……っ! 上か!?」

「はぁっ! "飛花落葉(ひからくよう)"!」

 

 元より【大盾潰し(シールドバッシュ)】は盾を前面に押し出す為視界が限られる。エドワードは煙玉で視界が悪いまま直進し、柱にぶつかって初めて俺がいない事に気付いたんだ。

 

 柱を垂直に駆け上がり、一気に剣を構え落下する。

 俺を見失ったエドワードが直ぐに気付くも遅い。

 狙うは槍ーーではなく盾《・》!

 俺は盾のベルト部分を切り裂いた。その衝撃は手甲越しにエドワードへ強い衝撃を与えたようで、握っていた盾を離してしまう。

 

「ぐっ、盾が」

 

 その隙を見逃さず、俺は落ちた盾を蹴り遠くへと追いやった。

 

「……成る程、狙って?」

「あぁ、君のその絶対的な防御はあの大盾あってこそだからね」

 

 彼の厄介さは盾による防御だ。【盾撃(バッシュ)】も【大盾潰し(シールドプレス)】も盾が無ければその効力を失う。それがなくなれば格段に攻撃も通るようになる。絶え間無く攻めることで彼に勝負を急かすように仕向けたがうまくいった。

 

「何をやり遂げたように笑っているのですか? 盾を失ったのは確かに痛手です。しかしそれで勝利したと考えるのは些か楽観的過ぎるでしょう」

 

 ダンッと、槍を構えエドワードは先程とは違う俊敏さで接近する。

 盾がない分、身軽になって速さが増しているのか! 体を隠せる程の大きさだからかなりの重量だとは思っていたけれど、ないだけでこれだけ違うとは。だがこれは想定内だ。

 

 俺は頭を狙った槍を首を捻って躱す。瞬間エドワード槍を薙ぎ払うもこれも剣の側面で受け流す事で躱す。そのまま背後に跳ぶ。

 

 だがエドワードは俺から離れない。俺の剣を受け、鎧が凹んでも尚接近する。防御を捨て、全身全霊で此方に向かって来ていた。彼の槍の先が光る。

 俺の背筋に冷たい汗が流れた。

 

「【散撃槍(ショットスピア)】」

「ぐ、おぉぉぉ、"沙水雨(さみだれ)"ぇ!!」

 

 槍を何度も高速で突くという単純だが強力な技能(スキル)をエドワードは使う。狙ってくるのは肩、脇腹、太ももどれも食らえばタダではすまない。

 

 高速で放たれる槍の連撃。

 

 俺はそれを二本の剣で受け流し、弾き、迎撃する。だが、それぞれが重い一撃は両手で剣を扱うせいか、筋力が劣って一本で持つより完全に迎撃することが出来ない。

 

 ちっと、皮が切れる。

 ジュズっと筋肉が削がれる。

 

 それでもキキョウの【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】すら迎撃できた"沙水雨(さみだれ)"は、エドワードの槍から致命的な一撃な一撃を防いだ。

 

 だが、次第に速さと鋭さ増す槍に捌くのは難しくなり負傷箇所が増えていく。

 

「ふっ!」

「ぐぅっ!」

 

 肩を狙われた槍を二本の剣で挟み、大きく弾いた。その隙に、エドワードの胸を蹴り飛ばす。彼は無理に体制を整えようとはせず、一度転がることで即、体勢を元に戻した。

 

 距離を置いた俺たちだが、奇しくも次の一撃で決着をつけようと駆け出していた。

 

「【突撃槍(ストライク・ホーン)】」

「"柳緑花紅(りゅうりょくかこう)"」

 

 二本の剣を一度に複数回交錯させる"柳緑花紅(りゅうりょくかこう)"。

 

 エドワードの技能(スキル)と俺の絶技(・・)がぶつかり合い甲高い音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

「……私の負け、ですね」

 

 エドワードの槍が、仮面のない方の俺の頰を切り裂く。だが、槍の穂先が俺の顔横へあるのに対し、俺の剣先はエドワードの首元へ突きつけられている。

 

「参考までに、何故敗れたのか聞いてみても良いでしょうか?」

「【突撃槍(ストライク・ホーン)】は槍を扱う【騎士】なら持つことのあるスキルだ。だからある程度軌跡が決まっているんだよ。特に君は俺の心臓を穿つ事に執着していたからね。他の技能(スキル)より軌道が読みやすかった」

「なるほど、技能(スキル)に頼り過ぎたという訳ですか」

 

 エドワードは降参とばかりに槍を落とす。俺はそれを見て喉元から剣を離した。

 

「……なぜ殺さないのですか」

「殺さない。アンタは惜しい。民を思い、国を憂うアンタなら、必ず新しく生まれ変わる国の助けになる。ピエールも、恐らくは君が生きることを望んでいる」

「私に生きろと?」

「そうだ」

 

 エドワードは無言になる。

 俺はかねてから抱いていた疑問を聞いた。

 

「何故アンタは民を思いつつもこの国に殉じようとしたんだ? この国の王の横暴は知っている。あの時、ワザと民を見逃したアンタなら分かっていたはずだ。アンタだって、もうこの国が終わりだって事に気付いていただろ?」

 

 国とは民あってのもの。そんな事に気付かないほど目の前の男が愚かだとは思えなかった。

 エドワードは顔こそ変わらないが自嘲気味に笑う。

 

「約束ですよ。ただ一人忠誠を誓った方のために、私はヴァルドニアを……例え仮初めであろうと、平和を維持しようと国王様に従ってきました。最も、結局今日の国の破滅を止める事は出来ませんでしたが」

「先ほどの誓いといい、それは亡くなったといわれているアメリア・ヴァルドニアが関わっているのか?」

「さぁ、どうでしょうか」

 

 そっと目を翳るエドワード。その事で彼がどんな思いだったのかがわかった。

 彼もまた苦しんでいたのだろう。狭間で。

 その苦悩は俺では計り知れない。

 俺は彼に何と声をかけようか考えていると

 

 

 

「やれやれ。まさかたった一人に敗れるとは。貴様も落ちたものよのう」

 

 

 

 場違いな、何処か揶揄(なぶ)る声が広間に響いた。

 見れば、エドワードの背後の王の間に続く階段からコツコツと音を鳴らし、豪華な服を着た男が降りてきた。

 

「国王様!」

「成る程、あれがヴァルドニアの国王ヴェルメか」

 

 ヴェルメは顎に手を当て余裕の態度を崩さない。ここまで攻め込まれているのにその自信の態度は少しばかり不気味に思えた。

 

「降伏しなよ。もはやこの城は落ちたも同然だ。供回りもなく脱出も出来ないだろう?」

「……国王様。もはやこの国はここまでです。僭越ながら私も最期までお供いたします」

 

 俺の降伏勧告と、エドワードからの諫言。

 ヴェルメは俯き、震え出す。

 恐怖か、屈辱か。

 

 そのどちらかだと思っていたが

 

「ふふふ、ふはははは! 国王、ヴェルメ様と。先程から貴様らは誰の事を言っている(・・・・・・・・・)?」

 

 何を言ってる? 

 そう思った俺だが、次の瞬間目を見開いた。

 

 王の目玉が落ちた。

 そして、うじゅるうじゅると王の穴から粘液が噴き出し、どろりと黒い粘液が溢れ出したのだ。

 その様は余りにも悍まし過ぎる。身体中から粘液を出し、ぐりんぐりんと身体があちこちに揺れる様は、明らかに正常ではない。

 なんだこれは? 粘液をドロドロと出しながらヴェルメの口が動く。

 

「ざ〜んねんでしたねぇ? 私はヴェルメではありません。名乗りましょう、私は魔王軍『分裂』のシュテルングと申します」

「魔王軍だと!?」

 

 何故、魔王軍がこんな場所に!?

 驚く俺の隣で、エドワードが落とした槍を持ち、速攻でシュテルングの黒い粘液を穿とうとした。

 

「おやおや、危ない危ない」

 

 シュテルングはそれを避ける。

 声は国王のまま、シュテルングは態とらしく悲しそうにする。

 

「長年使えた主君を殺そうとは。不忠の配下を持ったものだ。嘆かわしい」

「黙りなさい、その身体は国王様のもの! 貴方が魔王軍だと言うのならばその粘液を穿ち、返してもらいます」

「残念ながら我々の本体はアメーバでしてねぇ。この宿主の脳は既に溶かしてしまったので、我々を追い出そうが何の意味もありませんよ。そう、五年前からねぇ?」

「なっ。ば……かな、では私は何の為に……」

 

 エドワードは事実に打ちのめされている。無理もない。それは王が死んでいたということに他ならなかった。

 

「当時は別の大臣に寄生していましたが、中々に()()()()()が一人いたのでね。排除しました。いやはや。始末出来たことでうちひがれる王に接近し、寄生するのは楽勝でしたよ」

「そんな……まさか……」

「この体に寄生して五年。国を守れず、民を守れず、姫も守れず、最後の姫との約束も守れない。ははは! 何一つ守れやしない貴方は実に滑稽でしたよ」

 

 黒い濁流をエドワードはもはや防ごうともせずにその身に受けた。そのまま柱にぶつかり動かない。息はありそうだが、気力がないのだろう。

 

「さてさて、あの男は愚かでしたがそれなりに優秀な駒でした。それを打ち破った貴方は何者なんでしょうかねぇ?」

「黙れ外道。試してみるか?」

「いいえ、いえいえ。寄生するこの身体は余りにも貧弱でしてね。我々自身もあの男が生きてるように、本体そのものの力も脆弱です。あの男は愚かでしたがその強さには光るものがありました。それを降した貴方には勝てない。だからこういう手を使わせてもらいました」

「何を言って」

「アヤメさん! 愛しのアイリスが来ましたよ!」

 

 突然ジャママを抱えたアイリスちゃんが俺が通った道から訪れた。

 

「アイリスちゃん!? なんでここに!?」

「えっ、アヤメさんが呼んでいるって」

「えぇ、呼びましたよ。このシュテルングが、ですが」

「え? きゃあっ!」

<カウッ!?>

「大人しくしてもらおう」

 

 アイリスちゃんの後ろにいたパラシータが同じく身体中の穴から黒い粘液を出し、ジャママごとアイリスちゃんを捕らえた。

 

「なっ、パラシータ。お前!」

「見ていましたよ、彼女が持つ力。まさか死にかけていた大臣が立ち直るほどとは。その後もジャコモに襲われた町で数多くの町民を救う。『治癒師』とも違うその力。もしやと思ったが、まさかこんな所に居たとはな『聖女』よ」

「全く全く。あの方の指令をこなしつつも長きに渡り『勇者』の存在は公《おおやけ》になっても、『聖女』だけは何処にいるのかわからなくて苦労した」

「だけどこうして我々の手に落ちた」

「これで魔王軍の脅威は勇者のみ」

「あの方の指令による、裏切り者(スウェイ)の所在も明らかになった」

「「ならば最早、この国に価値はない」」

 

 国王とパラシータ、二人で交互に話す様は不気味だ。

 それよりも俺は、最悪な事実に気付く。

 

「まさか、最初から反乱も全て把握していたのか?」

「えぇ、それは勿論。我々は寄生する為に生み出された者。人程度ならば宿るのも容易い。まぁ、最低限の大きさというものもありますので情報を連絡していた為、この国ではもうこの二人にしか寄生していませんが。さて、こうして話している間に他に人が来られても厄介です。この国ももう興味がないので、さっさと反乱軍に滅ぼして貰いましょう。中々に楽しませてもらえましたよ。後の罪はこの身体の持ち主に被ってもらって、我々は悠々と空から(・・・)退散させてもらいますよ」

「なっ、待て!」

 

 奴は懐からガス状の何かを発布する。瞬く間にガスが満ちる。

 何だか分からないが吸ったらマズイ!

 俺はすぐさま隣の窓を割り、空気の流れを変える。煙が晴れた後には、シュテルングもアイリスちゃんも、そしてジャママすら居なくなっていた。俺と、柱に背もたれるエドワード、中身のなくなったパラシータの死体だけだ。

 

「くそっ! まさか魔王軍が噛んでいるなんて。……エドワード! 奴は空から逃げるといった。誰にも見つからずに、ここから逃げ出せるような場所が何処かあるかい!?」

「……」

「エドワード!」

「ははは…私は国を守ろうと戦ってきました。それがこのざま…ふふふ…もはや…私には戦う理由など…」

 

 エドワードは虚ろな目で呟いている。

 俺はギリっと歯を食いしばり彼の胸元を掴んだ。

 

「っ! 立て! 騙されていたとは言え自分が魔族の策略に加担していた自覚があるのなら、その清算をつけろ! そして今度こそ守るものの為に立ち上がれ!」

「……」

 

 駄目かと掴んだ胸元を離そうとした時エドワードがボソリと呟く。

 

「此処より南に行った所に古いが塔があります。普段は使われることはない場所ですが、最も高い建造…物でありますから人知れず飛行手段で逃げるとしたらそこしかないでしょう」

「そうか…ありがとう」

 

 俺はエドワードに背を向ける。彼はいまだに俯いたままだ。

 彼に構う時間もない。だが、少しだけ言葉を投げかけることにした。

 

「俺は行く。そのままずっと項垂れているならそうすればいい。だけど、忘れないでくれ。君が忠誠を誓ったお姫様は、そんな姿を望んでいたのかってことを」

 

 彼の心情は俺如きでは計り知れない。

 この言葉は只の詭弁だ。

 立ち直るかも彼次第だ。

 

 しかしこれ以上、彼に時間をかけられない。

 俺はエドワードに言われた塔を目指し、目の前へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 去っていく足音を感じながらエドワードは柱にずるずると力なく凭《もた》れかかる。

 

 エドワードにはもはや立つ気力がなかった。

 国を守る為にとしたことが全て魔王軍が手のひらの上だった事。その事に対して怒りを抱くよりも先に、喪失感の方が優った。

 

 自責、後悔、虚無。様々な負の感情が彼の心を蝕む。

 

 何の為に戦っていたのか。

 何のためにこれまで生きてきたのか。

 私のしてきた事に意味など最初からなかったのだ。

 

 国王様を救えなかった。

 民をいたずらに傷つけた。

 

 あの方の願いすら、自身は守れなかった。

 

 ならもう良いでしょう。このまま果てたい。

 そう思い暗く深い底に心を沈めようとした時、胸元が暖かく感じた。

 

 取り出されるは一つの護符。

 その護符を作った人物。

 

 誓いを誓った人物。

 アメリア様。

 

『中々に勘の鋭い娘が一人いたのでね。排除しました。いやはや。始末出来たことでうちひがれる王に接近し、寄生するのは楽勝でしたよ』

 

 あの魔王軍の手の者は排除したと言った。なら、あの病はシュテルングによるもの。

 

 つまりはーーアメリア様の仇だ。

 もはやこの身に正義はない。魔王軍の手先となり民を虐げた。自身は全てにおいて悪と人々は言うだろう。自身も地獄に堕ちるだろう。

 

 だがそれでも。

 かの者がアメリア様の、国王様の仇だと言うのならば。

 

「アメリア様……私は……!」

 

 ぐっとエドワードは槍を握りしめた。



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暗い夜に朝日は登る

 縦に長い塔の螺旋状の階段を国王の体に寄生するシュテルングと無理矢理引っ張られるアイリスが上がっていた。

 

「は、はなすです! 触らないで、えっち、へんたい!」

「いやいや、それは困ります。貴方様には我々と共に魔王城に来てもらいます。良いですよ、魔王城は。魔と瘴気で満ちて、ジメジメしていて心地良い。きっと気に入ります」

「それで喜ぶとかカビか何かですかわたしは!?」

 

 ギャーギャー言いながら抵抗するも、大人の男性に宿ったシュテルングの力は強い。戦闘能力という訳でなくそれは単純に大人と子どもの力の差だ。アイリスでは到底振りほどけない。一度、【木霊との交信(ことのは)】を扱おうとしたが植物の種が入った袋を塔の外に捨てられてしまっていた。

 

 そのまま遂に階段を登りきり屋上についてしまう。

 

<ギャオォォ!!>

「り、竜」

 

 そこにいたのは飛竜だった。

 過去にアヤメが倒したものより大きく、また凶暴そうだ。見るだけで身震いする。実際この飛竜は魔界に適応した種類であり、その実力は人間界の飛竜を上回る。

 

 余りの剣幕に身体が強張る。

 

 そのアイリスをグイッと痛いくらいの力で引っ張る。

 

「さぁ、行きましょう」

「いや、いやぁっ!!」

<ガルゥッ!>

 

 ジャママが背後からシュテルングの足に噛みつき、邪魔をする。

 

<グルゥッ、グルゥゥゥッ……!>

 

 アイリスと一緒に捕らえられたジャママだが途中で乱雑にシュテルングに捨てられた。だがジャママはずっと歩くシュテルングに追いすがり、足止めをし続けていた。

 

 今アヤメはいない。ならアイリスを守れるのは自分だけだ。

 

 そんな想いがあるからこそジャママはアイリスを助けるため全身全霊で足止めをする。何度蹴飛ばされ、階段を転がり落ちようとも、何度も、何度も。既に小さな体はボロボロだが、それでも諦めなかった。

 

「ジャ、ジャママ!」

「おや? まだ死んでいなかったのですか?」

<ガルゥゥッ!!>

「ふむ。本体は我々なのでこんな借り物の肉体を噛んだ所で別に痛くもなんともないのですが、不愉快です」

<キャインッ>

 

 シュテルングが蹴り飛ばし、ジャママが壁にぶつかる。そのままジュルルと黒い粘液が息も絶え絶えなジャママの首根っこを掴んだ。

 

<カ、カゥゥ……ガゥゥッ!>

「あぁ、全く。五月蝿い犬です。おい、食べてしまいなさい」

「ジャママー!」

 

 ぽいっとシュテルングが飛竜に向かって投げられる。

 飛竜は大口を開けてジャママを飲み込もうとした。

 

<ギャギィッ!?>

 

 次の瞬間、アイリス達が通って来た道から投げ飛ばされた剣が飛竜の口内を突き刺さし、貫通した。

 飛竜が倒れ伏す。

 振り返るとそこに居たのはアヤメだった。

 

「間に合ったか……!」

「アヤメさん!」

 

 歓喜な表情でアイリスが振り向いた。

 アヤメはちらりとジャママを見る。

 

「良く頑張った。後は俺に任せろ」

<……カァウ>

 

 その言葉を聞いてジャママは気絶した。

 アヤメは怒りを目に宿しシュテルングを真っ直ぐに目で捉える。

 

「むぅ、あの犬の邪魔と貴方が暴れるから追いつかれてしまったではありませんか」

「追いついたよ。それに君の逃走手段も潰した。さぁ、アイリスちゃんを返してもらう」

「忘れてませんかぁ? 我々はこの粘液こそ本体。別に彼女の体に乗り移っても構わないのですよ?」

「ひっ」

 

 グイッとシュテルングは国王の体から黒い粘液を出しながらアイリスを引き寄せる。

 

 顔のすぐそばで黒い粘液が蠢く様はおどろおどろしい。アヤメはもう一つの剣を投げつけることも考えるがもしアイリスを盾にされたらと二の足を踏む。

 

「分かったのなら武器を捨てなさい。先にあの狼を助けたのは失策でましたな。やれやれ。無駄な努力ご苦労様。貴方も、あの男(エドワード)と同じ愚か者ですな。何も守れやしない」

「アヤメさんを馬鹿にしないで!」

「何を言うんですか? 貴方こそ本当に大馬鹿者ですよ。甘い言葉に誘われて、力も無く、ただただ彼を危機に陥れている。あのスウェイ(裏切り者)と違い、何の役にも立てていない。ただ足手まといなだけ」

「それはっ……」

 

 それはアイリスが薄々感じていたことだった。

 キキョウはその力でアヤメを助けている。それに対してアイリスが出来るのは傷を治すことだけ。

 

 それはつまり、二人が戦うところを見ている事しかできないということだ。

木霊との交信(ことのは)】を使おうとも、二人には及ばない。

 

 アイリスは守られるだけ。

 

(そんなの嫌です! わたしはっ、二人と一緒に戦いたい!)

 

 足手纏いはいやなのだ。守られるだけで、何もできない。そんなことがしたくてついてきたんじゃない。

 

 アイリスは必死に状況を打開する方法を考える。

 

 【木霊との交信(ことのは)】、だめ途中で邪魔される。

 ならば、精霊魔法。無理、精霊に意思を伝える暇がない。そもそもアイリスはまだ精霊意思を伝えるのがまだ得意でない。

 

(このままじゃ……、これは?)

 

 どうしたらと思うアイリスが目に留まったのは、アヤメに貰ったペンダント。確かこのペンダントはーー

 

(アヤメさんから貰ったペンダント、これなら!)

 

 アイリスは強い目でアヤメを見つめ返した。その様子にアヤメは何をする気か悟る。

 

「やい! このどろどろ陰険粘液! 貴方なんて怖くないのです!」

「なんですと?」

「こっちを見ましたね!? 光よ!」

 

 言葉に反応したシュテルングに向けて叫ぶ。

 首飾りに込められていた魔法が発動し、強烈な光が辺りを包み込んだ。

 

「な、なんだ!?」

 

 不用心に本体を身体の外に出していたシュテルングは突然の光に手を翳し、更には本体の液体を引っ込めた。

 その隙にアヤメはは疾走し、アイリスを掴む手を斬り飛ばす。

 

「が、にぃ!?」

「落ちろ。外道」

 

 胴体を蹴り飛ばし、国王に寄生するシュテルングごと塔から落とす。

 

 そのままアイリスを抱えたまま反動そのままの勢いで尻餅をつく。

 

 ーーめっちゃ痛い! だけどしっかりとアイリスちゃんはここにいる!

 

「アイリスちゃん、大丈夫か!?」

「ア、アヤメさん!? あの、その、あわわわわっ。アヤメさんのたくましい胸板が側に。あわ、あわわ、きゅぅぅ……」

「良かった大丈夫そうだね」

 

 しっかり抱き抱えるとより一層アイリスは赤くなる。

 アヤメの体温と匂いを堪能していたアイリスだが、鉄の臭いがしてアヤメが怪我していることに気付く。

 

「アヤメさん! 怪我をしてるじゃないですか!」

「あぁ。だけどこれくらいなら大丈夫だよ。それよりもジャママを癒してあげてくれ」

「そうだ、ジャママ!」

 

 アイリスはすぐさま立ち上がり、ジャママの側に寄る。

 

「お願い、治って……!」

 

 淡い光が手のひらから発現し、至る所を負傷していたジャママの体が治っていく。

 

<……カゥ?>

「ジャママァッ! よかったぁ!」

<ガゥガゥッ!>

 

 元気になったジャママを抱き抱え、涙を流すアイリスの頬をペロペロとジャママは舐める。

 その時、側にアヤメがいることに気付いた。彼は優しげな瞳で此方を見ている。

 

「無茶をする。けど、君のおかげで間に合った。お手柄だよ」

<……ガゥ>

 

 ジャママはプイッとそっぽを向く。しかしその尻尾は機嫌良さげに軽く揺れていた。

 

 

 弛緩した空気。

 だからこそ、アヤメも油断した。

 

 

『オノレェェ!! 手ニ入ラヌノナラバ命ダケデモッ!』

 

 死んだはずの飛竜が喋り、突如として動き出し、口から火炎ブレスを吐き出す。見れば飛竜の目からはあの黒い粘液が垂れていた。

 明らかに死んでいたのに動くことも、喋った事もアヤメは驚いた。

 

ーーまさか人以外にも移れるのか!? 

 

 事実シュテルングは落ちる最中塔に本体を同じく顔を外に項垂れていた火竜に移した。もはや捕獲は不可能と断じ『『聖女』』の抹殺を図ったのだ。

 

 回避は間に合わない。

 ならばアイリスだけでも庇おうとその身で壁をつくる。アヤメさんっと腕に抱くアイリスの声が聞こえる。アヤメは来るであろう痛みに歯を食いしばった。

 

 業火がアヤメ達を包み込む。

 

「あれ……?」

 

 予想していたはずの痛みが来ない。

 その事に何故と思って目を開けると、アヤメ達の前に立ち塞がる背中が見えた。

 

「君はっ!」

「ぬぅぅぅ……!」

 

 エドワードがそこにいた。

 ベルト部分がなくなり、腕の力だけで飛竜のブレスを防いでいる。ジリジリと後退するエドワードだが、突如として彼の体が光る。

 

『バカメッ! コノママ焼キ尽クシテクレル!!」

「ーー【我は主を守りし最上(アキレウス)の盾】!!」

 

 『上位騎士(ガーディアン)』が扱える上位技能。

 あらゆる魔法攻撃から身を守れる通称アキレウスの盾。

 

 それはエドワードがアメリアを護ると誓ったあの日、新たに習得した技能(スキル)だった。

 

 アイリスの首飾りの光以上の光が盾より発せられる。それでも飛竜のブレスは消えない。

 

 しかし、次にエドワードの胸元が青く輝いた。それは全身へと伝導し、強力な青い光によって飛竜の火炎は霧散した。

 

『ナンダト!?』

「【投擲槍(スロウ・ホーン)】」

 

 投げた槍が夜空を切り裂く一閃となり、シュテルングの宿る飛竜の頭を貫いた。

 

『ソンナ……『聖女』モ殺セズ、裏切リ者ノ情報モ……コノヨウナ失態………申シ訳……アリ、マセン。マーキュリー(・・・・・・)……サマ……』

 

 誰にも聞こえないか細い声でシュテルングは誰かに謝罪する。

 グラリと体勢を崩し、 飛竜に寄生したままのシュテルングはそのまま落ちていった。

 

 ズゥンと落ちたシュテルングの揺れがここまで伝わる。塔の下ではべちゃりと潰れたシュテルングの中身があった。

 

「エドワード……来てくれたのか」

「勘違いしないで下さい。私はただ、奴にケリをつけただけです」

 

 すまし顔で語るエドワードは、こっちのことなんて気にもしてないという風にそっぽを向いている。だが、それなら自身達を庇う必要はないはずだ。

 

「ありがとう。助かったよ」

「……私こそ礼を言います。貴方の言葉で何をすべきかがわかりました。そのおかげで私はアメリア様の……国王様の仇を取ることが出来ました」

「そうか……。しかし、まさか竜の一撃も防ぐなんてね」

 

 竜の火炎ブレスは鉄ですら簡単に溶解させる。だから俺も飛竜を狩る時に最大の攻撃であるブレスを撃たせないようにしたのに、それを受け止めた所か、打ち消すだなんてとてもじゃないが普通じゃない。

 

「確かにちょっと異常ですね。技能(スキル)にしても、装備にしても飛竜のブレスを防げるものだとは思えませんし……もしかして」

 

 エドワードの周りをうろちょろ観察していたアイリスちゃんだが突然鎧の下に無造作に手を突っ込み漁り始めた。

 

(ちょっとアイリスちゃん!?  君はいつからそんな大胆な子に……いや、元からか。すっぽんぽんで廊下に出てくるし)

 

 アイリスは【木霊との交信(ことのは)】をエドワードにかけたりもする。

 

「【植物よ、わたしの願いを聞いて、叶えて、不埒な輩に裁きの効能を、苦悩の花弁】……弾かれましたか。やっぱり。エドワードさん、貴方には『呪術師』の魔法がかかっています」

「『呪術師』?」

「それは(のろ)いって事かいアイリスちゃん?」

 

 いいえとアイリスは首を振る。

 

「『呪術師』って言うのは、(のろ)いをかけるだけが生業(なりわい)ではありません。古来は悪霊などといった類や戦争に行く夫を案じたりするためにかけるものがあるんです。祈祷師に似ていますが、異なるもの。それが『呪術師』にはあります」

 

 アイリスちゃんは息を整え、真っ直ぐにエドワードを見る。

 

「それは(まじな)い。()()()()()()()呪術(・・)です。エドワードさん。何か、()()()()が込められたものを持っていませんか? 」

 

 エドワードはハッとし胸元にある護符を取り出す。そして一つのことを思い出した。

 

 

 それはアメリアが死の間際にエドワードに護符を渡した時の会話。

 

『エド……お父様と国を守ってあげて』

 

 死にゆくアメリアがベッドの上で彼に託した内容。だが、会話はそれだけじゃなかったのだ。

 

『でも、それよりも何よりも貴方自身を守って。これはその為のまじない。私が貴方に出来る唯一のお護り。お願い貴方は生きて。それがわたしの望みだから……』

 

「あぁ……あぁぁぁぁ………っ! 私は……わたしは……なぜ、こんな大切なことを……アメリア様……!」

 

 アメリアの本当の願い。

 それは自分自身を守ること。なのに自分はそんなことに気付かず戦い続けた。

 

 何と愚かなのだろうか。彼女の願いすら、自分は気付いていなかった。

 エドワードは哀しみと彼女の本当の想いを思い出して膝をついた。

 

「よく気付いたね、アイリスちゃん」

「理由はぼっちの氷を防いだって話を聞いた時から考えていました。いくら『騎士』の称号を持つといっても相手はあの八戦将だったぼっちですよ。ちょっと頭が弱そうだからと言ってもその力は正に最高峰、それをほぼ無傷で防ぐだなんておかしいですし、何か外部の力が働いてるんじゃないかって。それで思い出したんです。母様からそういった魔法に対して強く対抗出来る術があるって。確信したのはあの火竜のブレスを防いだ時ですけど」

「成る程ね。しかし、火炎ブレスも防ぐだなんてどれだけ強い想いを込めたんだろうか」

「知らないんですか? 女性が男性に送る想いなんて一つだけじゃないですか」

「それは?」

「愛ですよ」

「……なるほど、それはどんな攻撃も通じない訳だ」

 

 エドワードは無表情だった顔を歪め、護符を握りしめ泣いた。

 

 

 

 

 朝日が昇る。暗く悲しみに満ちていたヴァルドニアに新たな光が差し込み始めた。



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道は違えども

 ピエールは遂に城を落とし宴をしている反乱軍を置いて僅かな護衛を連れ、とある地点を目指していた。

 

 全てはアヤメからの報告を聞いて、自らの目で確かめる為にである。

 

 やがて木々が少なくなった広場で一台の馬車が止めてあった。

 

 この馬車は王族用の豪華絢爛な物である。それに相応しい造形美も装飾あるが、王族を守る為にあらゆる魔法もかけられている。

 そしてそれは同時に檻としても利用できた。

 

 兵士が周囲を警戒し、馬車の中をノックすると中から「どうぞ」と落ち着いた声が聞こえた。

 

「開けておくれ」

「はっ」

 

 兵士に命じて扉を開ける。

 中に居たのはエドワードであった。

 

 拘束具を身につけたエドワードは、逃げることも抵抗もせず悠然と座っていた。

 そしてその顔は少しだけ吹っ切れたような顔をしていた。

 

「……こうして会うのも、久しぶりじゃのう。エドワード卿」

「ピエール殿。相変わらず息災(そくさい)で何よりです」

「ははっ、ぬかせ。御主の部下の矢で、腹に穴が空いたわ。最も、こうして生きているがな」

「その度の事は申し訳ありませんでした」

 

 態とらしく穴が空いた胸の位置を叩く。アイリスによって傷口は塞がり、違和感はないが刺さった時の痛みはいまだに覚えている。

 頭を下げるエドワードからは往来の真面目さが見られ、変わらないなと目を細めた。

 

「ピエール様」

「此処はもう良い。主らは周囲を警戒してくれ」

「はっ」

 

 ピエールは自らの兵士を下げる。

 そのままピエールは扉を閉めるとエドワードの対面へと座った。

 

「さて……大体の話は彼の証言と実際に国王様の死体と与り知らぬ飛竜の死骸も反乱軍の一員によって確認した。例の黒い粘液についても確認後、何があるか分からぬから燃やした。ここまでは知っておる。おる…が、ワシは御主の口から直接聞きたい。ヴェルメ様は……魔族に乗っ取られていたのか……?」

 

 苦悩を滲《にじ》ませた声で問いかけるピエールに対し、エドワードは目を逸らさずはっきりと告げた。

 

「はい。国王様……ヴェルメ様はとうの昔に亡くなられておりました。我々が主人としていたのは只の亡霊、魔王軍の操り人形でした」

「……そうか。彼から聞いたがワシの信頼していたパラシータもそうじゃった。しかしだとすれば何ということだ……我々は魔王軍に踊らされていたということじゃ……」

「信じるのですか?  私は元は貴方の敵でもあるのですよ?」

「信じるとも。ワシはこれでも人を見る目はありまする。そして、何よりエドワード卿貴方は嘘をつく方ではない。勿論、こうして会うまでは半信半疑ではあったがの」

 

 重い息を吐いた後、ピエールは顔を上にあげた。

 歯を食いしばり、後悔と痛悔をかみしめていた。

 

「ワシは愚か者じゃ。忠誠を誓った国王様の変化に気付けなんだ。そのくせ、長い間奴等の手先となり、やがてはついてはいけぬと反乱を企てた。更にはそれも筒抜けで悪戯に被害を広めてしまった」

「ピエール殿。貴方様の行動は民を思ってした事です。その事は誇ってよろしいかと。私は、民を思いつつも何もできない……いえ、何もしませんでした」

「そんなの免罪符にもなりはせぬ。同じじゃよ。ワシも、御主もどちらも大罪人じゃ。誰にも国王陛下を、ヴェルメ様を罵る事も、謝る事も出来ぬ。そんな資格などありはせぬ」

 

「エドワード卿、形はどうあれ国王様は討たれた。その事実は変わりない。大多数の人はこれでヴァルドニアが変わると信じておる」

「えぇ。そうでしょうね。国が変わる。どの道行き詰まった

 

「此度の戦、対外的にもヴァルドニアは生まれ変わったと広めなければならぬ。その為には不本意じゃが、かつての王族の武の象徴としての御主の存在は居てはならない。それはわかるな?」

「えぇ」

 

 全てを受け入れているエドワードに、ピエールは告げた。

 

「ユサール遊撃騎士団団長エドワード・ジュラルド。王の剣となり民を率先して傷つけたその罪は許されるものではない。よって御主を国外追放とする。以上を持って御主への罰にする」

「……!?  お待ちを!  何故私を殺さないのですか!?」

 

 ピエールの言葉はエドワードをして驚愕の内容だった。

 いくらヴェルメが魔王軍によって乗っ取られていて指令を下したとしても、実行犯はエドワードなのだ。

 

 つまり、その手で守るべき民を傷つけた。

 その罪は赦されて良いものではない。だから最期まで民の怒りを、罪をその身に受けて死ぬと覚悟していた。

 

「元大臣のピエールであれば本来ならば殺すべきであろう」

「でしたら」

「しかしワシという個人からすれば別じゃ。民を見殺した。兵を戦で殺した。支えようと誓った主を失った。ワシはこれ以上誰一人として死んでほしくないんじゃ。数少ない真相を知る同士である御主をどうして殺せようか。幸いあの場には飛竜が居た。御主の亡骸は火炎ブレスによってチリ一つ残されなかった事にしよう」

「しかし……!  私は許されざる罪を犯しました。そんな私がのうのうと生きるなど、私は……殺した民にも、死を命じた部下にも、忠義を貫けなかった国王様にも、そして何より!  アメリア様にも顔向け出来ない……!」

「なればこそ、じゃ。エドワード卿御主は生きねばならん。生きて罪と向き合わねばならん」

「……酷な事を言うのですね。生きて、生き恥を晒し続けよと?  罪なき命を奪い、守るべきものを守れなかった苦痛に苛《さいな》まれ続けよと?」

「そうじゃ、晒し続けよ。何れ死ぬその時まで、晒し続け、最後まで後悔して死ぬのじゃ。それが御主の罰じゃ。そしてワシもまた、死ぬその時までこの身を民に捧げよう。この老骨が果て、いずれ死する時まで命を燃やしつけよう。全てはこの国の為に」

 

 エドワードは無言になる。

 その悔恨は痛いほどわかった。ピエールもそうだった。事実をアヤメから聞き、エドワードの口からも確認が取れた後覚悟を決めた。

 

「エドワード卿、もう良いじゃろう。言い方は悪いが御主を縛る鎖は何処にもない。だからこそ、好きに生きよ。奪った命と向き合い、己の犯した罪と向き合わねばならん。これは御主にしか出来んのだ。御主自身が、その手を汚したのだから。御主自身が立ち上がらねばならん」

「……似たような事を彼に言われましたよ」

「おや?  それはどのようにじゃ?」

「己が起こした行動に精算をつけろと叱責(しっせき)されましたよ。自らより若い者に怒られるのは中々どうして堪えました。ですが、そのお陰で私は大切な事にも気付けました」

「それは……」

 

 懐から護符を取り出し、見つめる。

 暫し愛しげに撫でた後、決意した表情になり、護符をしまった。

 

「ピエール殿、一つ気掛かりな……いえ、やりたい事が出来ました」

「なんじゃ?」

「アヤメ殿の事です。彼はまさしく此度の戦においては英雄と言っても過言ないでしょう。ですが、何処か危うくもあります」

「危うく?」

「彼は、類稀なる技量を持っています。私も敗れました。強さに対しては疑うべくもなく、その志も非常に個人的には好ましく思います。しかし、同時に自らの命を軽く見ている。そのように感じるのです」

 

 本来であればアヤメはこの反乱に何ら関係がない。

 なのに、彼は戦乱に加わった。更には最も危険度の高い戦いにも志願した。

 

 それはあり得ない。

 少なくとも命がかかった戦いだ。何かしら、報酬を望むものであるはずだ。

 

 金でもない。

 名誉でもない。

 強さを求めるでもない。

 

 彼は、少しでも人を救いたい一心のみで戦ってきた。

 

 成る程、崇高な願いだ。

 

 その姿はまるで

 

(そう、勇者のように)

 

 だがだが、同時に余りにも純粋過ぎる。それにその道も険し過ぎる。

 勇者が勇者足れるのはそれに相応しい実力があってこそ。

 

 アヤメは強いが、勇者に匹敵する程ではない。

 

 普通であれば、折れる。

 人というのは誰もが理想を抱くも、その過程で現実を知り、やがては現実と己に区切りをつけ身の丈にあった願いへと変わっていく。

 

 理解者入れども、自分一人だけが戦い続けるほど人は強くない。

 見た所、アヤメは強いがそれはあくまでも一個人としてだ。

 

 それだけでは全てを救えない。

 

 

 いずれ彼の手に余る事態が起きる。

 それでも彼は進むだろう。己の身を顧みず。

 誰が、ブレーキとなる人がいなければ何れ死ぬだろう。

 

 そう彼は何処か、ネジが外れている。

 傷を負う事を、死を恐れていない。

 

 ただひたすらに修羅の道をがむしゃらにひた走っている。

 

 その事はピエールも感じていた。頼んだのはピエールだが、彼はヴァルドニアの闇が本当だと気付くと、一切の躊躇なく戦に参加すると告げた。

 義憤も、義侠心もあるだろう。だがそれ以上に使()()()にのみ急かされているように見えた。

 

「私は彼の行く末を見届けたく思います」

「そうか。それはまた、険しい道のりになりそうじゃな」

「えぇ、恐らくは」

 

 お互いに苦笑する。

 

「おや、エドワード卿が微かとはいえ笑っているのは初めて見たの」

「私こそ、貴方がそこまで高らかに笑うのを初めて見ましたよ」

「なるほど、お互い初めて見たという訳じゃ。やはり、人生とは知らぬことだらけじゃな」

 

 そうしてまた笑う両者だが、少しエドワードの笑いには翳りがあった。その様子を見てピエールはまだエドワードには気になる事がある事に気付いた。

 

「御主の部下の事は安心せい。恩赦(おんしゃ)を与えるつもりじゃ。彼らもまた、国王様の異変に気付かずに力を振るわざるを得なかった被害者じゃからな。もしよければ、そのまま新たに生まれ変わるこの国に仕えないか交渉しよう。勿論罰もあるが、命を奪う事はせぬ。その事も気掛かりだったのじゃろう?」

「っ、バレていましたか」

「無論。御主が気にする事といえば後は民か部下の事じゃからの」

「なるほど、全てお見通しという訳ですか。……ピエール殿」

「ん?」

「どうか、私の部下達をよろしくお願いします」

「無論じゃ。彼奴ら、結局此方の兵士を押し返すくらいで怪我こそさせたが、誰一人として殺さなんだ。全く何処の誰に似たのだろうな」

「さぁ、誰にでしょうね。ですがこれだけは言えます。彼らは私にとって誇らしい仲間です」

 

 かかっと笑う。

 その言葉にエドワードは安堵し、胸を撫で下ろした。

 

「アヤメ殿達は、南の方に向かうらしい。報酬も受け取らずに、止める暇もなかった。どうやら合流出来なかった『魔法使い』の女性を待つらしい。今すぐ行けば追いつけるであろう。ーーではな。エドワード卿。もう会う事はないだろう。武運を祈っておるよ」

此方(こちら)こそ、ピエール殿。新たなヴァルドニアが民に優しくある事を願っております」

 

 国を守ると誓った者同士。

 国を失い、道を違え、二度と交差することはなくとも。

 

 その心は同じ方向を向いていた。

 



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エピローグ

 

「長く続いた夜だったけど、ようやく夜が明けたね」

「はい。まさか魔王軍が乗り移っていたとは思いもしませんでしたけど……だけど、きっとあの国はこれから良くなります」

「つーん」

「そうだね。きっと良くなる」

「はい」

「つーん」

「あー……」

「全く、いつまでそういじけているんですか」

「っ! だって!! だってぇ!!!」

 

 わかりやすくそっぽを向いていたキキョウが、アイリスちゃんの言葉にわっと泣き出す。流石にそこまでなるとは思っていなかったから俺もアイリスちゃんもビックリする。

 

「もう! もうもうもうもう!! なんで此方(こなた)を置いていくのかな! 頑張ったのに! すごくがんばったのに! バレないように相手の足元を氷で凍らせて足止めしたり、扉が開かないように塞いだり、『魔法使い』の魔法を封じたり、頑張ったのに! な、なんで置いていくのかな! 寂しかった、かなしかった、ふ、ふわぁぁぁぁん!!」

「う、本当にごめんキキョウ」

 

 あの後、俺たちはすぐさまその場から離れた。このまま兵士に討たれようとするエドワードを連れて。

 というのもあの後反乱軍の人々が塔の上に押し寄せる可能性があった為すぐさまその場を離れる必要があったのだ。

 

 だけど結局、エドワードは自らを拘束して欲しいと願い出た。

 自らには、たとえ魔王軍の策略によるものだとしても起こした全ての事に対して責務があると。……エドワードは、もう自身が取るべき責任について受け入れていた。

 

 そして頼みとして出来るならピエールさんと話が最期にしたいと言った。その願いを俺は無下にはできなかった。

 

 一度反乱軍の本拠地に戻り、ピエールさんを探した俺だが丁度城を落とした事で勝利の喝采や王は何処に行ったのかやら何やらでワタワタしているところにピエールさんを見つけて、全ての事情を話した。

 

 だが、その話をする為には人が多すぎたので離れた所で告げる必要があったのだ。

 

 その為、途中でキキョウを回収することができなかった。隙を見てジャママに頼んで集合場所を記した手紙を渡す事に成功したけれど。キキョウ自身は戦が終わったのに現れない俺たちに途方に暮れていたらしい。

 

 だから甘んじて叩かれる(ポカポカと全然痛くない)のを受け入れている。

 捨てられる、置いていかれることに対して強い恐怖心を抱いているキキョウにとって俺たちがいなくなったのはどれほどの孤独を味わったのだろうか。

 

 アイリスちゃんもその事を分かっているのかバツの悪そうな顔をして何も言わない。けど、せめてもの抵抗か俺の服の裾を強く握っている。服伸びちゃうんだけど……俺の服これしかないんだよ。

 

 やがては叩く力も更に弱まり、キキョウは俺の胸に練りついてスンスンと嗚咽を堪えている。その姿を見て俺は仕方がなかったとはいえ酷いことをしてしまった。

 

 優しく背中をトントンと叩いてあげながらキキョウの銀色の髪を撫でる。

 

 余り女性の髪……キキョウは大人だから特に撫でるのは褒められた事じゃないけれど、落ち着かせる為にもこれは必要な事だった。

 

 それが功を奏《そう》したのか、やがてキキョウは落ち着きを取り戻した。

 

「落ち着いた?」

「……うん。でも、次は置いて行ったりしないで欲しいかしら」

「あぁ。俺は君を一人で置いて行ったりしないよ」

「……あっ、待って。それはダメ。なんか、すごく顔が熱くなる。でも、胸がホワホワして嫌いじゃない。ね、ねぇ、今の言葉もう一回」

「ちょっと待って下さい! アヤメさんの言葉を否定しませんけども、それ以上はダメです。……なんというか、ダメです! わたしも一緒にいてあげますから、そろそろ離れて下さい!」

「別にちみっ娘が一緒にいても……なんかこう、うるさそうだし。小姑みたい」

「なんですってぇー!? もう許さないのです! アヤメさん、すぐにその手を離してやってください!」

「あっ、やめてよ! 無理に離そうとしないでよ! というか、貴方も早くアヤメから手を離しなさいよ!」

「いーやーでーすぅー!」

「あの、二人とも。喧嘩しないで……」

 

 俺の両手を左右からグイグイ引っ張る。一応、過去に俺の服を破ったからか手加減はしてるけど、遠慮がない。

 

<……ケッ>

 

 あ、今ジャママが汚物を見るような目で俺を見た。

 ……不味いな、側から見たら俺は完全に女性を侍らす屑野郎だ。何故かグラディウスの顔が思い浮かんだ。すぐに消した。

 

 

 

 やがて落ち着いた所で話を戻す。

 

「さて、もうこの国は大丈夫だろう。今更俺の出る幕もない。後はこの国の人々が決めることだ。次は何処に向かうとするか」

「ーーでしたらラルフォール公国がオススメかと。彼処は此処とは違い温和な君主が統治していて希少な魔獣が多種多様に生息し、冒険者から商人までよく訪れ様々な情報も集めやすいとの話を聞いたことがあります」

「そうか。確かにそれは良いね。なら……ん!!?」

「えっ!?」

<ガァウ!?>

「なんでアンタがいるの!?」

 

 答えたのは男性の声。

 背後には盾と槍を携《たずさ》えたエドワードがいた。

 てっきりあのままヴァルドニアに残ると思っていたのだが何故だかこの場にいた。

 

「出るタイミングを伺っていました。驚かせてしまったのなら、謝罪しましょう」

「あ、いや。ちょっと待ってくれ。もしかしてずっと見てた?」

「何の事でしょうか。私は空気の読める方なので、貴方の言葉の真意を理解出来ていませんよ」

「いや、それもう答え言ってるようなものじゃないか。あぁぁ、恥ずかしい……」

「アヤメさんアヤメさん! 何も恥じる事はありませんよ!」

「そうよ、アヤメ! だから立ち上がって!」

 

 二人して励ましてくるけど、さっきのを見られたとなったら恥ずかしい。

 

 だけど、この場にいる彼には聞きたいことがある。その為に恥じらいで熱い頰を軽く叩いてエドワードを見る。

 

「どうして君がここにいる? あの馬車に残ると言っていたじゃないか」

 

 彼は俺に拘束されて馬車の中でピエールさんを待っていたはずだ。それがなんでここに居る?

 まさか逃げて来た? いや、彼の実直な性格からそんな事は思えない。

 

 そんな俺の様子を理解したのかエドワードが理由を教えてくれた。

 

「ご心配なさらずとも、私がここに居るのは他ならぬピエール殿の指示です。私を国外追放にすると」

「追放、ですか?」

「えぇ。処刑でなく、です。変ですよね、エルフの令嬢様」

「あ、いえ。そんな風に思ったんじゃなくてっ」

「否定なさらずに。私はそれだけの事をしてきましたよ。寧ろ、恩情だとしても余りにも寛大(かんだい)な処置でしょう」

 

 自嘲するように軽く笑ってエドワードは語る。

 

 その話を聞いて俺はピエールさんの気持ちもわかった。勿論、民に対しては裏切りなのかもしれないけど、()としてピエールさんの判断を間違いだとは思えなかった。

 

「私の配下の騎士達も全員投降しました。その事も話し合ったのですが、王が魔王軍に操られていたことが分かり、今まで彼に従っていた者達も騙されていたということで恩赦が与えられ、そのまま働かないかと交渉することに決めたのです」

「本当か? それは良かった。だったら尚のこと君も偽名などを使ってそうすれば」

「いえ、私はそうはいきません。騙されていたとは言え、魔族の片棒を担いだ事には変わりありません。彼の手先として民を虐《しいた》げました。ですからあそこに戻る訳にはいきません。それにあの国は生まれ変わる。そこに王の力の象徴であった私が居ては色々と不都合でしょう。だからこそ、国外追放です。……それに、あまり私自身の評判もよくありませんから」

 

 確かにエドワードは国王の暴虐の証としてその名を響かしてしまった。

 だが彼はそれでも国の為に仕え、民も捕縛できたはずなのにワザと見逃したりと、王と国の板挟みの中限りなく仮初めの平和を維持しつつ、民の命を奪っていたが民の命も救っていた。

 

 しかしエドワードにとってはそれは何の贖罪(しょくざい)にもならないのだろう。起こした事は取り返しのつかないことは俺もよく知っている。

 

「それに、私が生きていると知られても不都合しかない(・・・・・・・)。その事を、貴方もわかるでしょう?」

「それは……」

「……」

 

 その言葉を俺は直ぐに痛いほど理解出来た。『偽りの勇者』としての俺が生きている事がバレても人に、そしてユウ達に迷惑がかかるのがわかっていたからだ。

 キキョウもまた思う所があるのか沈黙する。

 

 それをどう捉えたのか不明だが、エドワードは話を続けた。

 

「ですが本当であればやはり自害するのが責任の取り方として正しいのです。人知れず森の中にでも、腹を切るべきでしょう。……しかし私には自ら死ぬことも出来ません。アメリア様の願い、私自身を守れと。何も守れなかった私ですがこれだけは守りたいのです」

 

 エドワードはそっと護符を取り出し、見つめる。

 その瞳には、様々な感情が蠢《うごめ》いていた。やがて彼は護符をしまう。

 

「私はもはやこの国へ帰る事も出来ません。魔王軍の手先となり民を苦しめた私がどの面下げて国に戻れましょうか。無論悔《く》いはあります。私の部下の事、国の事、様々な事が。しかし、それを見届けることは出来ません。自害するということも、逃げであると判断しました。永遠に贖罪の為に生き恥を晒すこと。それが私への罰でしょう。……それで今の私は失業し、所謂無職という奴です。ですが同時に色々なしがらみから解放されてもいます。なので私もアメリア様の願いを守りつつ好きに生きてみようかと思いまして」

「なんだい……ってちょっと」

「我が名はエドワード・ジェラルド。今は亡きアメリア様の専属騎士にして、元ヴァルドニア国のユサール遊撃騎士団の長なり。今ここに貴方の盾となることを誓う。死に損ない、名声も無し、生き恥を晒すだけのなまくらな盾ですがこの命尽き、盾としての役割を終えるその時まで貴方を守りましょう」

 

 膝をつき、恭《うやうや》しく頭を下げる姿はまるで騎士の就任式。

 驚く俺たちを他所にエドワードは逸らすことなくこちらを見据える。

 

「いや、誓うって……」

「はい、この命果てる時まで貴方の行く末を見届けさせて下さい。あの時『救世主(ヒーロー)』を目指すといった貴方の言葉、真《まこと》であるならば私にもその助力をさせてください。それともこう言った方が宜しいでしょうか? 主殿と。ですが、私にとっての永遠の主君はアメリア様であり、口では言っても心までは」

「主殿って……あぁ、もうやめてくれやめてくれ。俺はそんな大層な人間じゃないんだ。アンタ程の人間に敬られるほど、立派な奴でもない。そう言われるのはこう、なんというか……むずむずする」

「ならばアヤメ殿」

「殿呼びはやめないんだ」

「そこは譲れません」

 

 エドワードの目は強い決意に満ちていた。表情は相変わらず無表情だけど。だけどきっとその内面は誰よりも熱い男なのかもしれない。

 俺はこれは説得は無理そうだと頭をかく。

 

「……わかったよ。君の思いを尊重しよう。けどね、俺にも秘密があるんだ。というのも、俺はみてくれから怪しいだろう?」

「えぇ。正直、当初はサーカスか何かの愉快犯かと思いました」

「……うん、まぁ。そうなんだけど……」

 

 バッサリと言われてちょっと傷付く。

 

「だから正直君がついてくるのはオススメできないんだよ。勿論、エドワードの決意を卑下することだからしないんだけども」

「構いません。どちらにせよ、私も罪人。お互いに秘密があっても然程変わらないでしょう。そちらの御二方も何やら訳ありに見えますし」

「訳ありって何ですか。そんなマイナスな厄介ごとを背負ってるのはそこのぼっちだけです」

「ちょっと! それじゃ此方(こなた)が重い女みたいじゃない!」

「そう言ってるのですが? ふっふっふっー、何せ、わたしは清らかですから! どやぁ!」

「むきぃー! な、なまいき!」

「なら何か否定してみると良いです。ほら言って見てくださいよ!」

「もう怒った! 今日という今日は言い負かしてあげる!」

「ふっ、わたしに勝てると思うのですか? 今日こそその生意気な身体に上下関係を叩き込んであげます!!」

「勝手に育ったんだから知らないわよ!」

「今すっごくわたし傷付きました! すっごく!! もう許しません!」

 

 またも喧嘩(じゃれあい)を始める二人。ジャママも何時もの事なのか全く気にしてない。

 

「……とにかく、私の志《こころざ》しは折れませんよ。アヤメ殿」

 

 表情は変わらないけど目で分かる。彼の決意は固い。

 ならばこれ以上の言葉は野暮ってものだ。

 だけど俺にはどうしても一つだけお願いがあった。

 

「さっき俺を主にしようとしていたけどさ。主従とかじゃなくてさ、仲間として俺の事を助けてくれないかな?」

「それが貴方の望みならば」

「堅いなぁ」

 

 眉一つ動かさない鉄仮面ぶり。

 だけどそれが彼の持ち味でもあるんだろう。

 俺は改めて手を伸ばす。

 

「そうか。ならよろしくエドワード」

「よろしくお願いしますアヤメ殿」

 

 俺たちは硬い握手を交わした。

 

「くぅ、また仲間が増えたのです……わたしとアヤメさんの二人旅が……」

<クゥゥン>

「ひっく、えぐぅっ……あやめぇ! ちみっ娘がぁ! ちみっ娘がいじめるぅ! 駄肉って! 駄肉って言ったぁ! ねぇ、此方(こなた)はまだ拗ねてるんだからもっとかまってよ! 慰めてよ!」

「えっ!? ちょっ、ちょっとまってくれ。すぐそっちに行く!」

「……やれやれ、中々騒がしい旅になりそうですね」

 

 とりあえず、二人の機嫌を直すのに俺は駆け出す。

 

 その様子を呆れたようにエドワードは見つめていた。

 

(……アメリア様、貴方様の願いを取り違え踏み滲めた、愚かな騎士ですがいずれこの命尽きるまで私は奪った民の数だけ、彼らと共に他の人を守ろうと思います。もし、やがて磨耗し、果てたその時はまた貴方様の側に使えることを許して頂けるでしょうか?)

 

 高く澄んだ青空を見た後、エドワードは先に行った三人を追いかける。

 その想いに反応するように胸元の護符が一瞬だけ暖かく光った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つの国が生まれ変わったこの日、俺にとっても新たな仲間が増えた。



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番外編3の1 メイの追想

 

 わたしが産まれた村は至って平凡な所だった。周りを森に囲まれて、広い牧場があるだけの、平和な村。

 

 その中でわたしは至って普通の家庭で育った。

 

 余り大きな村じゃないから同世代の子は何人か居たけど、多いとは言えなかった。そんな中、わたしが最も仲が良いのは二人の男の子だった。

 

 

 

 ある日、村を歩いていたわたしは何かの打ち合う音が聞こえた。木こりが斧を使って薪を作るのとも違う、何か硬い物同士がぶつかる音。

 

 つい気になってお気に入りの人形を抱えつつ、音のなる場所へ向かう。

 

 そこには男の子が二人いた。

 二人とも木の棒を持って互いに何度も何度も激突する。

 

 その姿にわたしは初め驚いた。だって二人とも拙いけれど、まるで本物の兵士みたいな動きだったから。

 

 そして、初めは怖かった。わたしは誰かが傷つくのも傷つけるのも好きじゃなかったし、実際に戦いなんて見たことない子どもだったから。

 

 やがて片方の赤い髪の男の子が、もう片方の青い髪の男の子の木の棒を飛ばしてその子が泣き出した時、わたしの体は自然と動いていた。

 

『こらぁー! 何をしているの!? いじめちゃダメだよ!』

『うぉっ!? だれ!?』

『……えっ!?』

 

 突然飛び出してわたしに二人はびっくりしていた。

 けれどわたしは青い髪の男の子を庇うように赤い髪の男の子の前に立っていた。

 

 

 よく聞けば二人は幼馴染で、何でもしゅぎょーをしていたらしい。いじめてた訳じゃないって。泣いた男の子も、悔しさから泣いただけだったらしい。二人は笑いながらそう教えてくれた。

 

 つまり、わたしの勘違い。

 恥ずかしい。あの日は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 

 そんなわたしを二人は慰めてくれた。

 

 赤い髪の男の子はフォイル・オースティン。

 青い髪の男の子はユウ・プロターゴニスト。

 

 わたしは二人をそれぞれをフィーくんとユウくんと呼ぶ事にした。

 

 二人はいつもこの場所でしゅぎょーをしているらしいの。わたしは、怖かったけど二人は真剣に強くなろうとしていたから何も言えず、ずっと見ていた。

 

 そしてしゅぎょーが終われば二人は本来の子どもらしく遊ぶんだ。

 それに付き合っているうちにいつのまにか、わたしは二人と一緒に遊ぶのが日常になっていた。

 

『ユウ、あの場所まで競争しようぜ! 勝った方がより勇者に相応しいってことな! よーい、ドンッ!!』

『えっ!? いきなり!? ま、まってよフォイルくんっ!』

『もー、二人とも転んでケガしないでよー』

 

 

 フィーくんが先に行き、ユウくんがちょっとだけ遅れながらもその後に続く。フィーくんは力強く、ユウくんは途中コケこうになりながらも彼を追いかける。

 

 これが何時もの日常。

 二人は色んなことをしては、怪我をして、それでも楽しそうにしていた。

 

 わたしはいつも、そんな先に行く彼らを見ていた。

 

 

 

 

 この日常がずっと続く。

 そう思っていた。そう……願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は〜ここまで来たらあと一週間で王都に着くな」

 

 宿に入ってやれやれと態とらしく肩を凝ったとするのはオーウェンさん。でも実際にここに来るまでに苦労した。

 

 私達は一度魔王軍との前線である通称"トワイライト平原"で魔王軍を相手に戦っていた。前にソドムを襲撃した後の混乱の隙に魔王軍の攻勢が始まった。

 

 トワイライト平原は人間界と魔族の本拠地通称魔界を繋ぐ巨大な平原。そこは闇と光の狭間であって常に黄昏(トワイライト)が特徴な平原。

 

 本当にそれだけ。

 草は生えているけど、それ以外何にもない。

 そこで多くの人と魔物が命を凌ぎあっている。命が掻き消えていく。

 

 個々が強い魔族と体の大きい魔物、それに"トワイライト平原"に常に張り付く八戦将の『砦壁』のせいで多大な被害を受けてしまった。

 

 勇者のユウくんが来たことで向こうの攻勢を跳ね返したことで一時的に余裕が出来た。向こうは魔界と呼ばれる領域に戻ったけどこっちも攻めいる余裕がないから暫くは立て直しに専念している。

 一旦の魔王軍の脅威が去ったから、私たちは王都に戻るための中間点にある都市モーダに立ち寄る事になった。

 

「そうだね。此処の所ずっと戦闘ばっかりだったからこうして少しばかり羽を休められるのは嬉しいよ」

「ほんとだぜ。旦那もちったぁ気を抜けよ。戦場じゃ常に戦い続けてきたんだからよ」

「それは、僕は勇者として」

「だとしても、だ。休息は必要だ。肝心な時にぶっ倒れて使い物にならないんじゃ困るぜ」

 

 オーウェンさんの言葉に確かにと私も頷く。

 

「ユウくん、私もそう思うよ。最近のユウくんは、ずっと戦ってるか、僅かな休憩の時間も鍛錬してばかりだもん。流石に心配だよ」

「うっ、そ、そうかなぁ。自分ではそんなつもりないんだけど……」

「だーめ! とにかく今日は休息! これは決定事項! 無理したらめっ、なんだから」

「メイちゃんがそう言うなら……」

 

 渋々といった感じでやっと了承するユウくん。

 その姿に私はホッとする。だって、"トワイライト平原"で戦っていたユウくんは鬼気迫るような、自身を追い詰めるような感じだったから。

 この街で休むことで少しでも疲れがとれるといいな。

 

「それじゃこれから自由行動を取ろうと思うんだけど、みんなは何か反対意見はあるかな?」

「私はないよ」

「あの、わたしもありません」

「ねぇな」

「ないぞ、ユウ兄」

 

 勇者パーティといっても四六時中一緒にいる訳でもない。やっぱりプライベートの時間は必要だし、それぞれも自由に行動したい時もある。

 ただ、何かあったらいけないからある程度何処に行くとか、自由時間の最中に重大な事があったら後でみんなに話したりもする。じゃないと男女混合のパーティなんてうまくいかないもん。

 

 反対意見もない事で、一旦この街で自由時間を取ることにした。

 

「そんじゃ俺はこの街の鍛冶屋でも見て回るわ。ついでにちょっと酒場巡りだ。何、心配するな。帰んのは明日だ」

「おいらもこの街には魔獣使い向けの店があるって聞いたんだ! だからちょっと見てくるよ!」

「ファウくん、一人で大丈夫?」

「大丈夫だよメイ姉! 心配しなくても怪しい店とかにはいかないから」

 

 ファウくんは昔危うく騙されて低品質なのに高額な魔法具を買わされそうになったことがある。

 だから注意したんだけど自信満々に言うから、私はそっかと笑っておいた。

 

「それじゃ行ってくる!!」

 

 ファウくんはそれだけ言うと元気いっぱいに人混みに紛れていった。

 

「そんじゃ俺も行くとするかな」

「あっ。待ってくれよオーウェン、僕も……」

「旦那、悪りぃな! 俺は女性と酒盛り(これ)も行こうと思ってるから旦那が付いてくると旦那の保護者二人がうるせぇんだ! だから勘弁な!」

 

 付いて行こうとするユウくんをオーウェンさんが断る。というか保護者って。失礼しちゃうな。確かにユウくんは色々心配だけど私はそんなに老けてないもん。

 

 そうして去っていったファウくんに続いてオーウェンさんも人混みに消えていく。

 

 残ったのはユウくん、クリスちゃん、そして私。

 

「……」

「えっと……」

 

 ユウくんとクリスちゃん二人は互いの顔を見てはどちらも目をそらす。

 これは仕方がないこと。ユウくんはあの時、クリスちゃんにフィーくんのことで詰め寄った負い目を感じて、クリスちゃんも幼馴染を失った私たちに対して神官として女神が与えた役割について負い目を感じている。

 

 だから二人とも何処か距離がある。それはあの日、思い出すのも辛いフィーくんを失ってユウくんが一時期引きこもっていた時から。

 

 今はもう戦闘の時は大丈夫だけど、日常がこれじゃそれもいずれ影響が出る可能性が高いかなって私は思っている。

 

 ……本当はね。私も、少しばかり思う所はある。

 でもそれはクリスちゃんに対してじゃない。フィーくんの事を気付けなかった自分自身の不甲斐なさと、もっとユウくんを支えなきゃということ。

 

 ユウくんとクリスちゃんは、仲が悪い訳じゃない。

 ユウくんも女神教とはいえクリスちゃんに責任自体はないとわかっているんだろうけどきっかけが掴めないのかな。

 

 ……もー、しかたないなぁ。

 

「ほら、二人とも行こうよ! 私この町のお洋服見てみたかったんだ! だから付き合って!」

「えっ、メイちゃん?」

「わ、わわ」

 

 二人の手を引き、駆け出す。

 こういう時手を引っ張るのは私だ。何度かフィーくんとユウくんが喧嘩しちゃった時も私がこうやって手を引いてきっかけを作ってあげた。

 

 だから私は今回もこうやって二人の手を引くんだ。



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番外編3の2 おしゃれ

 

 

 訪れたのは商店街の一角だった。

 そこには数多くの服屋さんが並んでいる。

 

「よっし、着いたー! わぁー、やっぱり流石"服の都"とも言われる都市モーダだわ! ここにある店全部が服屋さんだなんて!」

 

 一般人が着るような服からちょっとお高い貴族様の着るような服が沢山並んでいた。他にもリボンや帽子とかアクセサリーとかの装飾品もたぁーくさんある。

 

 良い。良い! すごい可愛い! どれもこれもすごいすごい! 他には見られないような貴重な物もいっぱい。

 

 私はすごくテンションが上がる。

 反対にユウくんは少しばかり居心地が悪そうだった。

 

「だ、大丈夫かな? 場違いじゃないかな僕」

「大丈夫だってユウくん。ほら見てよあそことか親子で来ている人もいるでしょ? だから男性がいても不思議じゃないよ」

「それなら僕は外で待っといた方が……」

「だめよ! 男の人の意見も欲しいんだから。だから戻るのは禁止! 禁止でーす!」

「そんなぁ」

 

 ユウくんがへにゃりと情けない顔をする。そんなことしてもだめ!なんだから。このまま外で待たせると何かと理由をつけてその場からいなくなっちゃう可能性がある。

 

「あ、あの」

「あ、ごめんねクリスちゃん手引っ張っちゃって」

「いえ、その事は全く気にしていません。けど、あの私は……」

 

 クリスちゃんは女神教の神官であり、服装は定められたモノを着ている。

 だからって休日とかに他の服も着てはいけないって訳じゃないけど、クリスちゃんは頑なにずっと定められた服を来ている。それじゃ年頃の女の子として悲しすぎる。

 だから年上の私がリードしなきゃ!

 

「それもそうだけど今回はクリスちゃんの服も探すんだよ? ほらクリスちゃん一緒に服を探そっ」

「えぇ!? わた、わたしもですか!?」

「当然! クリスティナちゃんも女の子何だから着飾なきゃ。お姉さんにどーんと任せて。ほら、ユウくんも来て! ちゃんと選んだ服がどうなのか教えてね!」

 

 でもそれはそれ。二人の仲を取り持つのも大事だけど私自身も楽しまなくっちゃ!

 

 ふっふ〜ん! こういえて私はファッションには自信があるのです。クリスティナちゃんは普段は神官だからか基本的にあまり肌を出さないゆったりと、それでいて質素な格好をしている。別にそれが悪いとは思わないけどやっぱり女の子は着飾ってこそよね。あっ! でもエッチなのは駄目。恥ずかしいもん。ファッションとしてならいいと思うけど流石にそっち系の奴は私も着る勇気がない。

 

 そう思うと【踊り子】の人達とかすごいなぁ。よくあんな下着と変わらないものが着れるなぁ。

 

 とにかく私はお店に入って早速服を選ぶ。

 

「これなんてどうかな?」

「え、え。こ、これお腹見えちゃうじゃないですかっ。は、はれんちですっ」

「そうかなぁ? このくらいなら許容範囲だと思うけど。でもクリスちゃんのその服も結構スリットが入っていて大胆だと思うけど」

「これは女神様に使える者が粗暴ではいけないので、敢えてこうすることで清廉さと清楚さを身につけるって言う事なのでそういった見せつける為のじゃありません!」

「う、う〜ん、そうなんだ……。でも、恥ずかしくないの? 」

「……実は結構恥ずかしいです」

 

 かぁぁと顔をうつむかせて耳まで真っ赤にするクリスちゃんは小動物みたいでとっても可愛かった。

 思わず私は頭をよしよししてあげた。

 

「うん、わかった! ならクリスちゃんの服は露出の少ない服とかに決定ね! クリスちゃんは髪の毛は綺麗で長いからやっぱり白色のが似合うと思うの。あまり派手な感じじゃなくて、清楚な感じにしないと。あとは髪飾りだけど……ユウくんユウくん。こっちとこっちのリボンどっちがクリスティナちゃんに似合うと思う?」

「えっ、ぼ、僕が選ぶの?」

「うん、男の子の意見も取り入れたいもん」

「う〜ん……僕はその。青色の方が似合うと……思う」

「青かぁ。……うん、そうね! 黒も良いかなって思ったけど青の方が断然良いわ! ありがとユウくん!」

 

 私が笑うとユウくんが顔を赤くして俯いた。あ、さっきのクリスちゃんにそっくり。二人は似た者同士なのかな。

 

 

 服を選んだ私はクリスちゃんと一緒に試着する為にカーテンの中に入る。

 

「本当に着るんですか?」

「当然! 着替えなきゃここから出さないわよぉ〜?」

「わ、わかりましたからその手をワキワキするのやめてください! なんだか邪な気配を感じます」

「あら、ごめんね」

 

 怒られちゃった。

 だけど渋々と言った感じだけどクリスちゃんも着替え始めてる。

 

 見てないで私も着替えよっと。

 ……む、ちょっとこの服キツいかも。太った?いや、でもデザートとか最近は食べてないし……。

 

「はわぁ〜……」

「ん? 何?」

「い、いえなんでもないですっ」

「……むっふっふ〜、お姉さんわかってるわよ? クリスちゃん、私の胸を見てたわね。クリスちゃん、むっつりねすけべねぇ」

「むっ、むっつり!?」

「心配しなくても大丈夫! クリスちゃんも大きくなるわ!」

「わぁぁ〜! 鷲掴まないでください〜!」

 

 そんな一幕がありつつも私達はようやく着替える事が出来た。

 

 よし、着れたことだしユウくんに見てもらおっと!

 

「じゃーん! ねぇねぇ、ユウくんどう?」

「あ、メイちゃん。終わった……の……」

 

 私はカーテンの中で試着した衣装をユウくんに見せる。

 

「ふふーん、今回はそれなりに自信があるの。どうかな?」

「あっ、えっと。メイちゃん、その、すごく……にあってるよ…」

「やったぁ、ありがとね」

 

 私の服は白い無地のトップスの上に爽やかな薄い黄緑色のガーディガンを羽織ってる。首元には星型のネックレスを付けてる。

 スカートの方もレース素材で出来たタイトスカートを履いて、靴の方も白いヒールを選んだ。

 

 編んでいた髪も解いでゆるく内側に巻くようにして、多分今の私は町娘って感じの衣装で整ってると思う。

 

「ほら、クリスちゃんも恥ずかしがってないで」

「うぅ、で、ですけど……」

「良いから良いから! ほら!」

 

 カーテンの陰に隠れているクリスちゃんを手を引く。

 

「あ、あわわ」

 

 クリスちゃんの衣装は、私と同じ白い生地のVネックでフリルがついてるもの。更には植物みたいな刺繍もあるのが私的にもお気に入り!

 スカートは水色の生地に裾に黄色の刺繍があるフロントボタンスカートを選んだ。どっちの服も、クリスちゃんの金髪が映えるようにしている。

 

 そしてユウくんが選んでくれた青いリボンでクリアちゃんの金髪をツインテールにした。

 

 クリスちゃんの衣装は全体的に露出は少なくした。

 

「どう? ユウくん可愛いでしょ?」

「うん。クリスティナさん、凄く似合っているよ。普段と違くて思わず一瞬目を見開いちゃった」

「本当ですか? こういうのを着るの初めてなんですけど……そう言って頂けると嬉しいです」

 

 やんわりと柔らかい笑みを浮かべる。

 うん、これでちょっとは二人の空気も解《ほぐ》れたかな?

 

「でもなぁ。私はまだ納得いってないんだよね。この服に合う頭の飾りとかがなかったからそれだけが残念かなぁ」

「そう言えばメイさん髪飾り何にもしていませんね」

「そう! 今回の衣装に合うやつがなくって。それだけが心残りかな」

 

 ちょっと残念だけど、まだ他の店を見ようと思ってるから大丈夫かな。

 そ・れ・よ・り・も〜。

 

「さぁ、次はユウくんの番だよ!」

「えっ、僕も!?」

「勿論。此処は天下の洋服街。男性用のもたぁーくさんあるのよ! 折角何だから選ばなきゃ損よ!」

「い、いや。僕は……」

「良いから良いから、ほら行くよー!」

 

 グイグイと彼の手を引っ張る。

 これで少しでもユウくんも疲労が取れて、楽しめると良いな。私はそう思った。

 

 

 

「え、この服こんなにするの? ……人一人分の防具一式買えるくらいなんだけど」

 

 僕が服の代金を払うよといったユウくんが、色んな服を見て買った時何処か唖然とした呟きが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

「はー、いっぱい買ったわ」

「す、すごい量です」

「これくらいは普通よ。ね、ユウくん」

「え? あぁ、そうだね。(メイちゃんにとっては)普通だね……」

 

 何処か遠い目をしながらユウくんが頷く。

 クリスティナちゃんも何だかんだ袋に入った服を見て嬉しそうだった。

 うんうん、やっぱり女の子なんだから色んな服を着てみたいよね。

 

「けどまたこんなに買って大丈夫なの? 幾ら魔法袋があるからといっても許容範囲があるから何でもかんでもという訳にはいかないと思うんだけど」

「大丈夫よ。着れなくなった服とか中古として売ったりしてるし、長い間着なかったのも同じように処理してるから」

「あ、そうなんだ。そういう所見た事ないから知らなかったよ」

「そりゃ女の子の服なんだから売る場所には気を配ってるもん。見せるものでもないからチャチャっと皆が知らない時に売っちゃってるよ」

「メイさんって結構サッパリしてますね」

「そうだね」

 

 二人の雰囲気は少しだけ砕けている。今なら大丈夫かな? 私はよっと席を立つ。

 

「私喉が渇いたからちょっと飲み物買ってくるね」

「あっ、僕が行くよ」

「大丈夫よ。あ、ユウくん。そっちの袋くれる?」

「え? うん」

 

 そのまますっと小声で話しかける。

 

「ユウくん、逃げるのはだめだよ。ちゃんとクリスちゃんと話し合わなきゃ」

「え? メイちゃ」

「じゃあ、ちょっと買ってくるね! 二人は待ってて!」

 

 そのまま私は飲み物買いにその場を離れた。

 

 

 

 …様に見せかけて実はユウくんたちの後ろにいた。大丈夫、噴水があるからそっちからは見えない。けど一応念のために噴水の水の流れをちょこちょこっと変化させて私の姿を見えない様にする。更にはこっそり買った黒いサングラスと外套を着る。

 

 あ、なんか探偵みたいでちょっとカッコいいかも……だめだめ! 今はちゃんと集中しなきゃ。

 

 さぁ、ここからが二人にとって

 ユウくんとクリスちゃん。二人の中にある蟠《わだかま》りがなくなると良いんだけど……。



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番外編3の3 仲直り

 

 二人はどうやら会話しているようだった。

 私は聴き耳を立てる。

 

「メイさんって凄いですね。あんなに色んなーーー」

「そうだね。クリスティナは疲れた?」

「はい、少し。でも、こんなに楽しかったのは久しぶりでしたからこの疲れも心地良い疲れです」

 

 笑みを浮かべて嬉しそうに買った服の入った袋を抱き締めるクリスちゃん。

 その様子を見ていたユウくんだけど、少し考え込むように下を向いた。

 

 ……頑張れ。

 

 やがてユウくんはクリスちゃんに頭を下げた。

 

「クリスティナちゃん、ごめん」

「え? ユウさん?」

「僕はあの時、君に対して酷い態度を取ってしまった。彼を失ったあの日、慰めようとしてしてくれたのに。メイちゃんにも言われたけど、君に八つ当たりしても仕方ないのに」

「それは……」

 

 クリスちゃんも何を言ってるのかわかったのだろう。無言になる。

 そして、次にはクリスちゃんも頭を下げた。

 

「私も……ごめんなさい。私は神官として女神様に与えられた役割を真っ当しようと思っていました。確かに、ユウさんに早く立ち直って欲しいと思っていました。力になりたいとも。だけど、それに対して私の言葉は配慮に欠けていたと思います。大切な友達を失って何より辛いのはユウさんのはずなのに。本当に、ごめんなさい」

 

 クリスちゃんは繰り返し謝罪を続ける。

 

「そして、何より貴方の大切な友達を侮辱するような言葉を……『偽りの勇者』などと言ってごめんなさい」

「クリスティナさん、それは」

「女神教としてこんな事を言ってはいけない、ですか? 確かに女神オリンピア様が定めたであろう役割に疑問を抱くのは、『神官(プリースト)』としては間違っているでしょう。でも、わたしは自らの目で見たことを信じたいのです。ユウさんとメイさんが信じるのであれば、わたしも彼を信じてみたいのです。それが、わたしが彼に投げた言葉への贖罪になるとは思いません。だけど、それでも」

 

 ……そっか。

 クリスちゃんも悩んでいたんだ。

 

 『神官』としての信仰心と、自らが見た事どちらを信じるかずっと。

 ばかだなぁ、私。私はそんななクリスちゃんの悩みを全然気付けてなかった。

 

(こんな時、フィーくんなら気付いたのかな?)

 

 感傷が胸を痛める。

 もう会えないフィーくんの顔を思い出して泣きそうになるのを堪える。

 

 その間も二人の会話は続く。

 

「ユウさん、お願いがあるんです」

「何?」

「あの人の……フォイルさんの事もっと教えてくれませんか?」

「え?」

「勿論、わたしもある程度は知っていますけどそれは噂話からです。わたしは彼にも酷い言葉をかけてしまった。わたしは貴方の口から聞いてみたいです」

「うん、良いよ。彼はーー」

 

 その言葉を聞いて私は確信した。

 

 これなら、もう二人は大丈夫かな。

 

 元々クリスちゃんは最初期からの仲間だから、二人の仲自体も悪くなかった。

 ただ仲直りのきっかけがなかっただけで。

 

 でも、これで二人はもう大丈夫。私はそう確信して笑みをこぼした。

 

「ちょっとこの辺に怪しい格好の者がいると報告があったのですが……貴方じゃないですよね? 念の為、職業をお伺っても?」

 

 ちらりと見れば前に居たのは、不審者を見る目の衛兵さん。

 私は今サングラスに外套を着た、オマケにバレてないけど街中で魔法を使ってる。

 ……。

 

「あっ、まて!」

「ご、ごめんなさ〜い!!」

 

 私は衛兵から逃げ出した!

 

 

 

 

 

「わたた! 話聞くのに集中し過ぎて飲み物買ってなかった! 早く戻らないと怪しまれちゃう!」

 

 話を聞くのと、衛兵さんを撒くのに逃げ回った所為で結構時間が経っちゃってた!

 早く戻らないと心配されちゃう。

 

 私はすぐに近くの店で果実のジュースを買ってユウくん達のいる噴水を目指して走っていた。

 

 そんな時、ふわりと良い匂いが鼻をくすぐる。

 ちらりと覗くと色とりどりの花がたっくさん咲いてた。私は少しだけ見るつもりが思わず足を止めて見てしまう。

 

 凄い、こんなに沢山花を売ってる花屋さん初めて見た。

 

「何か気にいるのがありましたか?」

「え? あ、ごめんなさい。ちょっと見ていただけです」

 

 花屋の店主さん……存外に若い眼鏡をかけた男性が話しかけてきた。

 

「いえ、そうやって足を止めて見てもらうだけでも僕にとっては嬉しいんです。この花々は僕が育てたものですから」

「えっ、そうなんですか?」

「そうですよ。苦労したんですけど、どれもこれも綺麗に咲いてくれたんです。特に、そっちな花は仕入れるのも苦労しましたが、どうしても咲かせたくて……」

 

 店主さんが指差した一角の花。

 その中で私が一番目を引かれたのは赤い花。名前はちょっとわからない。

 その様子に気付いたのか、店主さんがにっこりと笑って教えてくれた。

 

「それはアヤメの花です」

「アヤメ?」

「はい。……僕たちを救ってくれた人がその名前だったんです。そちらのアイリスの花も一緒に居た方の名前がそうだったので、育てました」

 

 大切そうに二つの花を触れる店主さん。

 私が話に聞き入っているとお店の奥から少し幸の薄そうな、それでいて美人な女性が中から出てきた。

 

「あなた、バルザーサさん家の方の配達に向かわなきゃ」

「あ、そうだった。ごめんね。すいません、僕は配達に行くのでこれで失礼します」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

 花束を抱えて去っていく店主さんを見送る。

 後ろから儚い笑みを浮かべた女性が私に話しかけてきた。

 

「うちの主人がごめんなさいね。あの人、お花の事になると饒舌になるから。これは付き合わせたお詫びよ」

「そんな、受け取れませんよ!」

「良いのよ。貴方だってこの花を見ていたでしょう?」

 

 それはそうなんだけど……。

 女の人は、はい。とアヤメとアイリスの花をこちらに手渡ししてくれる。ここまでされて断るのは申し訳ないから私はそれを受け取った。

 

「あの、ありがとうございました! 大切にします。えっと、失礼でなければなんですがお名前は……?」

「あら、そう言えば名乗っていませんでしたね。わたくしの名前はーー」

 

 

 

 

 

「たっだいま〜! ごめんね遅くなって!」

 

 私が帰ってくると二人はほっとしたような表情を浮かべた。

 本当にもうすっかり仲直りしたみたい。

 

「良かった。あんまり遅いから探しに行こうかと思ってたんだよ」

「ごめんねっ。ついつい見入って」

「そうなんだ……あれ? メイちゃん、それって」

「あ、わかる? 実は見入ったお店がお花屋さんでね、そこの人に貰ったの」

 

 私は髪の上に付けたアヤメの花を見せる。

 

「わぁ、とってもメイさんに似合っていますね!」

「ふふっ、ありがとクリスちゃん。そんな良い娘にはお姉さんご褒美をあげましょう。ほらこっちはクリスちゃんに」

「えっ? 良いんですか?」

「うん」

「わぁ、ありがとうございます」

 

 クリスちゃんには同じく貰ったアイリスの花の方をあげる。

 私と同じように髪の毛につけてあげると、クリスちゃんの金髪に青いアイリスは映えてよく似合った。

 

「二人とも、似合ってるよ」

「ありがと、ユウくん。あっ、でもユウくんには似合いそうな花が無かったんだ。ごめんね?」

「あぁ、大丈夫だよ。僕は二人みたいに花は似合わないから」

「そう? でも意外と似合うかもだよ?」

「えぇ!? でも、僕は男だよ」

「でもユウくん裁縫とか得意だし、可愛い物好きだし。趣味が女の子っぽいもの」

「えっ、そうなんですか。ふふっ、可愛らしいですね」

「た、確かにそうだけど……クリスティナも笑わないでよ! 良いじゃないか! ウサギとかも可愛らしいし、触りたくなるだろう?」

「確かにそうだけど……で、も〜流石に今だに昔の本を抱いて寝てたりはしないかなぁ〜」

「え?」

「あぁー! ひ、ひどいよメイちゃん! 言わないって約束だったのに!」

「え〜? 私あの時子どもだったから覚えてないな〜」

 

 態とらしく顎に手を当てて惚ける。

 ユウくんの顔が、へにゃりと情けなくなる。

 

「ぷっ、あはっ、あはははっ」

「クリスティナさん!?」

「い、いえ決して馬鹿にしているんじゃなくて。ユウさんにもそんな一面があるんだなって。あははっ」

「か、揶揄わないでくれっ。お願いだから、その事はオーウェンとファウバーンには言わないでよ!?」

「えー、どうしましょう?」

「クリスティナさん!?」

 

 私と同じように、クリスちゃんは揶揄う。

 ユウくんも驚いてはいるが怒ってはいない。

 

 二人の間にはもうあの蟠《わだかま》りはなさそうだ。

 

 これならもう大丈夫かな。

 まったく……

 

「ほんと、世話がやけるなー。も〜」

 

 風がそよいで、髪につけたアヤメの花がサラサラと揺らいだ。

 



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番外編4 熾烈な戦場《上》

 

 トワイライト平原。

 人間界と魔界の中心に位置するこの平原では、いつも互いに命を削り合う戦いが繰り広げられていた。

 だが、今回に限ってはいつも以上に熾烈に戦いあっていた。

 それは魔王軍による攻勢が始まったからであった。

 

「うぉおぉぉぉ!!!」

<グオォォオォォッ!!>

「ぐっ!!」

 

 戦い合う両者。

 しかし、人間側に対して魔物側は一体一体が強力であった。複数で囲んでやっと倒せるのに、魔物と人間の数が同等となれば、人間側は不利でしかなかった。

 

「被害拡大っ、これ以上は持ち堪えられませんっ!」

「誰かっ、衛生兵を!」

「このままではっ……!」

「退くな! 我々が退けば退くほど背後にいる人々を危険に晒すこととなる!」

 

 指揮官が声を張り上げて叫ぶも、本当は誰よりもこの状況を打破することが出来ないことがわかっていた。

 

「ぐっ、魔王軍め。最近大人しいと思ったらこの時のために力を蓄えていたのかっ!」

 

 魔物の侵攻はここだけでない。

 このトワイライト平原全てで同時に行われている。策を弄して数を減らそうとも、躊躇せず味方の屍を踏み越えて魔物は侵攻してくる。

 

 それに対して此方は退けない。

 先程も言ったが背後には傷を負った仲間が、民がいる。越えられる訳にはいかない。

 だが、現実は非情でもはや崩壊は時間の問題だった。

 

「ここまでか……んっ!?」

 

 諦めかけた、その時。

 突然巨大な光が光ったと思うと、背後から白い斬撃が魔物のみを斬り裂いた。

 

「今の攻撃は……」

「勇者だ! 勇者様からの援護だ!」

 

 一人が叫ぶ。

 

 見れば、遠くにいるが聖なる光を放つ剣を掲げし一つの影があった。

 兵士は叫ぶ。兵士は呼ぶ。

 その名前を。

 

「『真の勇者』のユウ・プロターゴニストだ!!」

 

 

 

 

 

 

「感謝します、勇者殿。このまま行けばなんとか食い止められそうです」

「いえ、これが僕の責務ですから」

 

 騎士からの礼をユウは聖剣を仕舞いつつ受け止める。

 ユウは前線ではなく、後方に近い所にいた。

 

 魔物に有効な聖なる力。

 『神官』でしか使えないこの力を、聖剣アリアンロッドを持つユウであれば扱う事が出来る。

 

 だからこそ、ユウは前線ではなく後方から戦局を見極めることにした。

 

 確かにフォイルのように前線に突っ込んで圧倒的力で魔物を突破するのも手だが、此度は魔物が広く全体的に侵攻しているので一点だけを守っても意味はない。別の場所を突破されればそれだけで瓦解しうる。

 

 だからこそ、危険な所に向かって援護として聖剣の力を使っていった。

 聖剣の力は正に魔物にとっての滅びの光。その隙をついて人間側が攻勢に出る。

 

 本当ならば全ての領域を援護したい。前線にいるオーウェンやファウパーンのように。

 だけど、ユウにはそれが出来ない理由もあった。

 

「……だけど、前線の兵士達も心配です。彼らが前線で戦っているのに、勇者の僕が後方に居るだなんてと思う所もあります。だから、いざという時は僕も前線に出ます」

「大丈夫です、勇者殿。我々とて生半可な覚悟でこの場にはおりません。貴方様がこの場にいて、その存在を示してくださる限り、我らが志しが折れることはありません」

 

 胸を張る騎士。

 確かにこれまでの時代も魔王軍が裏から回り込んでも"トワイライト平原"が突破されることはなかった。

 だが、だからといって楽観してはいけないとユウは思っていた。

 

「っ! 危ない!!」

「なっ!?」

 

 殺気を感じて騎士の前に立ち、降り注いできた攻撃を防ぐ。飛来した攻撃の数は多い。それら全てを迎撃する。

 辺りには夥しい数の針が突き刺さっていた。

 

「何者だ!?」

「見つけたぞ、貴様が勇者だな?」

 

 盛り上がった丘からこちらを見下す3つの影。

 

「我が名は『針刺』のナデル!」

「同じく『泥寧』のモータモア」

「『粘糸』のシュピンネ。御主を『真の勇者』であると認識する。我々の主であった『迅雷』のトルデォン様の仇を取らせてもらいましょうぞ」

 

 襲い掛かる三人の魔族。

 『針刺』は全身がハリネズミのような、『泥寧』は人間の身体が全て泥で出来ており、『粘糸』は直立不動の蜘蛛みたいな魔族であった。

 

 『迅雷』のトルデォンが破れた際に他の都市を襲っていた魔族はマーキュリー指示のもと全て退却した。

 しかし、中にはトルデォンを崇めていた者もおりそういった手合いをマーキュリーは前線に投入していた。

 

「おら、行くぞ【針百本(ハンドレッドニードル)】」

 

 人間の指ほどの針が、ナデルの身体から放たれる。一本一本が太く、鎧も貫通するほどの威力の針をユウは躱す。

 

「勇者様! 我々も……!」

「下がって! 今、ファウパーンから連絡があった! 一斉に魔物が攻勢に出た! 君達は他の人達の援護を!」

「しかしっ、いえ、わかりました。御武運を」

 

 食い下がろうとした騎士だが、自らの本分を思い出しす。

 足手まといにしかならないという気持ちを抑えて戦うユウに対して勝利を祈ってその場を後にした。

 魔族は去っていく騎士達に目もくれずユウだけを狙って来る。それも複数で囲むように。

 

(この魔族、他と違って連携を取って来ている……)

 

 つまり、自分相手に連携を練習したということだ。異能を持つ魔族相手にこのまま手をこまねくのは危険だ。

 

「だったら、一人ずつ相手をするだけだ!」

 

 そう思って攻勢に出ようとしたユウの前に兵士が立ちふさがる。

 

「どうした? 早く避難を……っ!」

 

 いきなり斬りかかった兵士の攻撃を避ける。

 

「どうしたんだ!?」

「ファファファ、其奴らは儂らに負けた哀れな敗者じゃ。だから、どうせなら最期まで使ってやろうと思ってな」

「勇者様……も、うしわけ……あり、ません」

 

 涙を流しながら剣を振るう兵士。

 他にも多くの兵士がユウに向かって攻撃してきた。その全てをユウは躱すも、このままでは魔族を倒すことが出来なかった。

 

「勇者様、我々に構わず……斬って……ください」

「っ! いいや、僕は見捨てやしない!」

「意気込みはよし。だが、それだけでは勝てませぬぞ。ほれ、トドメを刺すが良い」

 

 兵士達が一斉に槍と剣を突き出す。

 ユウはジャンプしてそれを躱すと同時に

 

「【真空波斬】」

 

 回転して真空の斬撃を兵士の頭上に放つ。

 操る糸を切ると、兵士達はその場に崩れ落ちた。

 

「ぬぅ、儂の糸をこうも容易く斬るとは。ただの技能(スキル)でもこうも違うとは。やはり聖剣侮りがたし」

「やはり、一対一じゃ無謀だね。そんじゃ、ナデル。例の技行くよ!」

「おうさ!」

 

 ナデルとモータモアが攻めて来る。

 ユウはモータモアを斬るも手応えがない。

 

「あはははっ、アタイの身体は特殊でね! そんなんじゃ倒せないよ!」

「だったら、次はより多くの面積をえぐりとる技を、くっ!?」

 

 モータモアの身体を貫通し、ナデルの【針百本《ハンドレッドニードル》】が炸裂する。

 不意をついた、モータモアを盾とした視覚外からの攻撃に流石のユウも捌くのが遅れて数本針が刺さった。

 

「ちっ、確実にいけたと思ったのに当たったの数本だけかよ」

「味方ごと攻撃するなんて」

「あーら、アタイの心配? だけど、問題ないし。ほれ見ろ、アタイの身体は泥で出来てるからこの針なんて痛くも痒くも無いのさ」

 

 穴が空いた部分が元に戻っていく。

 

「味方の特性を把握しておくのは当たり前だろ? まさか魔族が出来ると思わなかったとは言わねぇよな?」

「そうだね……。油断していたのは僕の方かもしれない。だから、一撃で決める!」

 

 聖剣アリアンロッドが輝き始める。

 それを見た二人がその場から離れた。

 

「おっと、あぶねぇ! 流石にトルデォン様が敗れたその技を食らっちゃあ、耐えきれねぇからな!」

「!?」

 

 確かに【聖光顕現】は聖剣を持つ『勇者』の必殺技だ。だがそれを見た魔族は少ない。何故なら、見た魔族はその殆どが討ち取られている。

 

 なのに、ナデルは知っていた。それはかつてフォイルの時に見て生き残ったからなのか。

 何者(マーキュリー)かによってユウの勇者の力を伝えられているのか。

 

「隙ありぃ!」

 

 モータモアが身体を流動的に動かしてユウの足元を覆い尽くす。

 絡みつくように離さず、ズブズブと沈んでいく。

 

「ぬぷぷぷ! アタイの異能の【底無し沼】だ! 貴様はもう動けまい!」

「ファファファ、更には【完全拘束の蜘蛛巣《ラニャテーラ】」

 

 ユウの身体を糸が絡め取ろうと襲い掛かる。

 ユウは殆どを迎撃したが一本だけ左腕について拘束した。

 

「よっしゃあ!! これで終わりだ【針千本(サウザンドニードル)】!!」

(迎撃……ん?)

 

 全身の針をユウに向かって解き放つ。

 夥しい数の、当たれば身体中に風穴が開く針の嵐。

 

 だがナデルの針はユウに当たる前に空中で止まっていた。

 

「あぁん!? なんだそれは!?」

「【聖障結界】……メイさん!」

「【水激竜の白滝(ナーガ・ストリーム・フォール)】」

 

 【聖障結界】を張っていたのはクリスティナだった。

 彼女が呼びかけると杖を構えたメイが頭上から特大の水魔法を浴びせる。

 

「ギィッ! わ、儂の糸がぁ!!?」

「うにゃあぁぁ!!! あ、アタイの泥が清められる!! い、痛い痛い!!」

 

 水に濡れて、ラーニヨの糸はその粘着性を失っていた。

 更には泥が本体のモータモアも余波で大ダメージを受けていた。

 ナデルでさえも流された。

 

 だがその中心地にいたユウは全く濡れていなかった。

 

「な、なんでお前は無傷なんだよ!?」

「クリスティナさんの【聖障結界】のお陰だよ」

 

 ユウが迎撃する直前にクリスティナから連絡が入ったのだ。そのまま居て下さいと。

 【結界】ではなく、【聖障結界】を選んだのはその後のメイの魔法から身を守る為であった。

 

「味方の特性を把握するのは当たり前。君が言った言葉だ」

「こ、この野郎揚げ足とりやがって! おい、モータモア! さっさとコイツを沈めろ!」

「やめっ、この水が痛くてそれどころじゃないんだよ、針鼠野郎!」

「んだとぉ!?」

「【加速(アクセル)】」

 

 再び沈む前に、強力な蹴りで【底無し沼】から抜け出すと、モータモアに向かって聖剣を振りかざす。

 

「ひぃっ!? く、来るな!!」

「【聖光顕現】」

「にぎゃあぁぁぁぁぁ!!!」

 

 【聖光顕現】を喰らい、モータモアはその身を残さず爆散する。

 

「お、おのれ!  例え粘着力が無くなろうと儂の糸は丈夫! 再び捕らえてくれる! 【鋼糸の籠目(スレッド・ケージ)】」

 

 八つ目を赤く発光し、腕から糸を乱射する。

 だがユウはその全てを躱し、シュピンネの懐まで接近する。

 

「な、何故当たらぬ!?」

「【連・聖天斬】」

「ギィィッ!?」

 

 何度も斬り刻まれたシュピンネは細切れになって死んだ。

 

 あっという間に一人になったナデルは恐怖に震え出す。

 

「ば、ばかなっ。オレ達の連携は完璧だったはずだ」

「君達の連携は凄かったよ。だけど、僕にも仲間がいる。君達の連携は僕一人だけを念頭に置いたものだった。それが敗因だ」

「ちぃぃぃ!!」

 

 悔しげに、憎々しげに歯軋りをする。

 先程の【針千本《サウザンドニードル》】を放ったせいでナデルにはもう攻撃手段がなかった。

 

 聖剣を構えるユウにはもう油断もない。

 相手取る魔族に対してトドメを刺そうとした時、脳に警鐘が走った。

 

「!? この気配ッ、二人ともすぐにこの場から離れて!!」

「え?」

「ユウくん?」

 

 その言葉とほぼ同時にとてつもない熱量の何かがユウ達に襲いかかってきたーー

 

 

 

 

 

 少し前。

 前線では魔物達の侵攻が抑えられ始めていた。

 歴戦の兵士達に、卓越した指揮官。

 『真の勇者』による援護と、前線で腕を振るうオーウェンとファウパーン。

 

 これらによって人間側に僅かではあるが劣勢から優勢へと変わり始めていた。

 

 だからこそ、この傾いた天秤を再び元に……魔王軍側に戻そうとする為にそれ(・・)は現れた。

 

 大地が割れる。

 地割れが起きて、魔物も人も等しく落ちている中悠然と現れた異質な存在。

 

 バラバラに各地を襲撃する魔族達の中で唯一、"トワイライト平原"にのみ常に張り付き、魔王軍側が劣勢になると優勢になる人間側に向かって砲撃を加え込んでいく。そのせいで毎回犠牲者の数が跳ね上がる、人々からは畏怖と恐怖を向けられる存在がいた。

 

 『砦城』と人間側からは呼称される、()()()()()()()()()()()20メートルに及ぶ巨大な岩の集合体。

 

 それは正にまごうことなく重厚かつ堅牢な守りと苛烈に過剰な程に巨大な砲台を抱える巨大な城と言って過言ない程であった。

 

 この存在があるからこそ、ユウは聖剣の力を温存せざるを得なかった。前線で戦うことが出来なかった。

 これを倒すのには、聖剣の力が必要不可欠とされていたからだ。

 

 『砦城』は戦場を見渡し、戦局を把握する。

 そんな中、離れた場所にいるユウ達を発見した。

 

『ーーーーーー』

 

 大地が振動し、空気が震える。

 その巨躯に匹敵する大きさの砲台から収束焼却砲(ビーム)がユウ達に向かって放たれた。

 



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番外編4 熾烈な戦場《下》

 赤い熱線が戦場を駆ける。

 これまでにない圧倒的なエネルギーによる破壊の光がユウ達に迫ってきた。

 

「ま、待て!? まだオレは……ぐあぁぁぁ!!!!」

 

 人間と魔物をも一緒に周囲をなぎ払う一撃。

 その砲撃にナデルも巻き込まれた。

 尚も続く収束焼却砲(ビーム)はその場から避難したユウを追って来る。

 

 ユウの忠告のお陰か、クリスティナが直ぐに【聖障結界】を張り、その余波から自身とメイを守った。

 

「仲間ごと撃ち払うだなんて!」

「メイさん! 此処は危険です! 今すぐ離れないと!」

「でもっ、ユウくん!」

 

 メイが叫ぶ。

 ユウも【加速(アクセル)】を使ってその場から離れるも収束焼却砲(ビーム)はそれでも追ってくる。

 

 余りにも桁違いの威力と射程であった。

 背後に迫る収束焼却砲(ビーム)を見ながらユウは考える。

 

(このまま行けば味方に当たる……! 一か八か、【聖光顕現】で)

「ユウにい!」

 

 空から声がして、直ぐ様上に跳躍する。

 ユウが居なくなった場所を、収束焼却砲(ビーム)が通過し、やがて収まった。

 

「助かったよ、ファウパーン。キュアノス」

「へへっ、空から見えてすぐに助けに行かなきゃって思ったんだ。オイラとキュアノスならどんな奴からも逃げ切れるぞ!」

<キュルルッ>

 

 鼻を掻いて誇らしげなファウパーン。キュアノスも嬉しそうに鳴き声をあげる。

 二人がユウを救った。

 

 その様子に少し和んだユウだが、すぐに気を引き締める。

 

「ユウにぃ、あれが話していた……」

「あぁ、『砦城』だ。僕も、見るのは初めてだ」

 

 過去にフォイルと一緒にこの戦場を訪れた時も奴は現れなかった。基本的に『砦城』は勇者がいない時、人間と魔族との小競り合いの時に現れては砲撃を加えてくる。

 

 それが今、魔王軍の攻勢に伴って姿を現した。

 遠目から感じる威圧感。巨大で重厚な岩の体。一度の砲撃で大地を抉り飛ばした収束焼却砲(ビーム)の威力。

 どれをとっても通常の魔族とは比較にならない程の脅威であった。

 

 ユウは気を引き締める。

 

「だけど、チャンスでもある。奴を倒せば、このトワイライト平原での脅威は著しく下がる」

「だけどユウにい、あいつデカさが半端ないよ! 今も『竜騎士』の人達が果敢に攻撃を加えてるけど、傷らしい傷も……うわっ!?」

<キュルッ!!>

 

 『砦城』が現れると共にそれを討ち取らんと投入された『竜騎士』を相手取る隙間を縫って、収束焼却砲(ビーム)がユウ達に向けて放たれる。それをキュアノスが躱す。

 周囲の『竜騎士』も果敢に攻撃しているが、全く堪えた様子がない。

 

「ダメだ、ユウにい! あの『竜騎士』達も頑張ってるけど、全く攻撃が効いてるそぶりがないよ。カチコチだ!」

「見た目通り、かなりの強度を誇る身体らしいね……」

 

 交戦する様子をじっと見つめる。

 砲台以外にも武装しているようで全身の至る所から迎撃の為の小型砲台による砲撃が開始されているが、収束焼却砲(ビーム)は沈黙している。

 

 やはり、連射は出来ないらしい。

 

(それにあの砲台を撃つ時、『砦城』は必ず体を固定する)

 

 余りの威力に自身すらも動かなくなる。

 その際は他の武装も攻撃が止まる。

 

 再び収束焼却砲(ビーム)が放たれた時ユウは確信した。

 

 そして、その砲撃に一人の『竜騎士』が巻き込まれた。

 

(っ!! ……だめだ、落ち着くんだ。今焦ったら『砦城』に勝てない。確実に、倒すんだ)

 

 頭に考えを巡らせ、勝利の為の道筋を建てる。

 

「……よし」

「ユウにい、何か思い付いたのか?」

「あぁ、僕に考えがある」

『おぉ、なんだ旦那。何か思い付いたのか?』

 

 オーウェンからの通信が入る。

 "二対の耳飾り(ピア・イヤリング)"を改良、増産した結果ユウ達は今全員がこの通信機を持っていた。

 通信にはメイとクリスティナも割って入った。

 

『ユウくん無事!?』

『ユウさん、このままでは前線が崩壊しますっ、何か手はありますか?』

『まっ、そういうこった。俺も流石にあれを砕くのは無理そうでな。対抗する手段があるのなら教えてくれや』

「うん、うまくいけばいけば『砦城』を倒す事が出来る。最低でも大きな損傷を与えられる。だけど、その為にはみんなの力が必要なんだ。……力を貸して欲しいんだ」

 

 作戦を語ると皆から力強い返事が返って来た。

 唯一メイだけが反対したが、これしかないと言うと通信機から了承の返事が返って来た。

 これで後はうまくいけば大丈夫だ。

 

「この作戦はファウパーンとキュアノスが一番重要なんだ。頼めるかな?」

「あぁ、行くぞキュアノス! オイラ達の力を見せてやるんだ!」

<キュルルッ!!!>

 

 力強い返事が返って来た。

 頼もしいよと言葉を掛け、ユウは強い意思を携えて、『砦城』を睨む。

 

「行くぞ、僕達の力でアイツを倒す! 奴を古びた銅像へと逆戻りさせるんだ!!」

 

 

 

 

 

 

「くそぉぉぉっっ……!」

<ギュイィィッッーー>

『ーーーーーー』

 

 周囲を飛び回っていた最後の『竜騎士』を、砲撃により消し炭とする。

 これにより、全ての『竜騎士』が撃ち落とされた。『砦城』は次は太陽国軍を消し飛ばそうと砲を向けた時、此方に向かってくる生体反応に気付いた。

 

『ーーーーーー』

 

 勇者。最優先目標。

 『砦城』は直ぐ様砲台をユウ達へと向ける。

 

 他の『竜騎士』達は既に全滅した。邪魔するものはない。

 

 放たれる収束焼却砲(ビーム)。死をもたらす熱線が迫る。

 

「キュアノス! 【回避】」

<キュルルゥゥッ!!>

 

 すんでのところでキュアノスが回転して回避する。

 

 『魔獣使い』は技能(スキル)によって魔獣の力を向上させる事の出来る職業(ジョブ)である。魔獣と絆を結んだ"使い主"は、己の技能(スキル)を"使い魔"に施すことで本来の魔獣の力以上の力を持つ事が出来る。

 

 キュアノスは他の『竜騎士』とは大きさが劣るが、その分飛行能力に優れていた。乱射される砲撃を悉く躱すファウパーンとキュアノス。

 

 ならばと 収束焼却砲(ビーム)を薄く広い、広範囲攻撃へと切り替えた。

 砲身が広がり、収束し出すエネルギー。

 

「【どうか私達に、慈愛の灯火を、神のご威光(フラッシュ)】」

 

 その瞬間、強烈な光が『砦城』の前に煌めいた。光に紛れユウ達の姿が見えなくなる。

 

「【深く包み込む霧よ、を隠したまえ、霧の吐息(ミストレス)

 

 更には濃霧が発生し、視界を妨害する。

 

 だが『城砦』は一切躊躇する事なく砲撃する。収束焼却砲(ビーム)は濃霧を切り裂き、天にまで届かん程に雲を貫いた。

 

<ギュゥゥウゥッッ!>

「キュアノス!!」

 

 辛くも直撃を避けるも尾に掠ったキュアノスが悲鳴をあげる。だが、その目は真っ直ぐと前を見据えている。

 思いを受け取ったファウパーンは声を張り上げる。

 

「あぁ、行こう! 絶対にユウにいを届けるんだ! 【速度上昇】」

<キュルルルルッ!!>

 

 更に加速する藍色飛竜(キュアノス)

 

 切り開かれた濃霧の隙間からユウ達を発見した『城砦』は更に迫るユウ達を腕から迎撃の為の雨あられの銃撃を開始する。

 

「【聖空斬】」

 

 それをユウが聖剣により全て弾き落とした。

 

 再度焼き払おうと砲台にこれまで以上のエネルギーを溜める。

 その時だった。

 

『ーーーーーー』

 

 急な衝撃に『砦城』はその巨大な体の体勢を崩した。視線を向けると足元に『砦城』からすれば小さな人間がいた。

 

「よぉ、随分楽しそうに空に向かって玉遊びしてたじゃねぇか」

 

 不敵に笑う大剣を構えた男ーーオーウェン。

 

「これだけデカブツなら外しやしねぇ。もう一回行くぞ、【筋力向上】、それからの【大巌砕き】」

 

 先程の霧はユウ達を隠す為ではなく、オーウェンの姿を隠す為のものであった。前線にいた彼は、注意がユウに向いてる隙に『砦城』へと馬を走らせ接近していたのだ。

 

 意識の外から強烈な一撃を受けた『城砦』、その岩の巨躯に罅が入り、膝をつく。

 それだけでユウへと向けた標準がズレ、虚しく収束焼却砲(ビーム)は空を切る。

 

 そして遂に、ファウパーン達は『砦城』の近くまで来られた。

 

「ユウにぃ!」

「うん! ありがとう皆!」

 

 キュアノスの背中からユウが飛び出す。

 

「『城砦』! この地で君に焼き払われてきた人達の無念、この僕が晴らす! 【聖光顕現】」

 

 聖剣が呼応し、白く光り輝く。

 『砦城』もまた、迫り来るユウを何とかしようと限界を超えたエネルギーを砲台に集中させる。

 

 先に動いたのはユウだった。

 彼の狙いは初めから、『砦城』につけられた砲台であった。

 

 聖剣から放たれた一撃は、『城砦』の砲台の中へと誘われ巨大な爆発が起きた。

 

 収束焼却砲(ビーム)はその名の通り、収束するエネルギーが膨大で精緻な砲台の中へと【聖光顕現】が入った事により、エネルギーは逆流し、連鎖的な爆発が起きる。

 

「うぐっ」

「おわぁぁあぁぁ!?」

 

 余りの爆発に空中にいたユウと足元にいたオーウェンが吹き飛ばされる。

 その二人をクリスティナが爆発の熱から守る為【結界】を張り、転げる二人をメイが【水粘液(アクア・ジェル)】で受け止めた。

 

「やりましたかっ……!?」

「いや、まだだっ!!」

 

 クリスティナの声をユウは否定する。

 上がる砂煙に炎を油断せずに睨む。

 

『ーーーーーーー』

 

 『砦城』は生きていた。

 ユウは吹き飛ばされた時に、『砦城』が砲台を切り離した(パージ)、されたのを並外れた動体視力で確かに見たのだ。

 

 しかし、それでも損傷を防ぎきれなかったのだろう。『砦城』は身体の至る所が欠け、罅割れ、欠損していた。満身創痍といっても良い。

 

 だが、それでも尚健在だ。

 

 睨み合う両者。

 

 やがて『砦城』は不気味で無機質な円形の瞳だけを粉塵の隙間から覗かせながら向こうへ消えて行った。

 それに伴うように各地の魔獣も退いていった。

 

「……退いた、か」

「ユウくん」

「うん。わかっているよ、メイちゃん。深追いは駄目だ。向こうには、ここ以上に魔族と魔物がいるだろう。それに罠もあるに違いない」

「そうじゃなくて、こらっ!」

「い、いひゃいよ! 何!?」

 

 メイがユウの頬をつねる。

 

「あんな砲台の前に身を晒すような真似をして! 下手したらファウくん達も含めて消し炭になっちゃう所だったんだよ!? わかってる!?」

「わかってる……けど、あの時はあれが最善だったんだ。時間を与えたら、『砦城』は僕じゃなく、太陽国軍の方に砲撃を加えるだろう。そしたら、魔物の侵攻を抑えきれない可能性があったんだ」

「そんなの私だってわかってる。わかってるけど…………やだよ……また……失うなんて……」

「? 何て……」

「っ、なんでもない! とにかく! 次はあんな危険な事しないで!!」

 

 メイはその後もユウを叱りつける。

 

「や、やばい。メイねえ激おこだよ。キュアノス、辛いだろうけどもう少し上に居よう。な?」

<キュ、キュルル……>

 

 頭上ではファウパーン達がメイに怯えていた。

 その様子を見ていたオーウェンが、年長者らしく宥めた。

 

 その後、いなくなった『砦城』について語る。

 

「しっかし、旦那の力も化け物だが、アイツももっと化け物だな。普通、あんな大爆発が起きて生きているか?」

「魔族はどれも異形です。並外れた生命力を持つ事も不思議ではありません」

「確かに魔物もタフだしな。あとよ、身近で戦った感想だが……奴ら、()()()()()()ぜ」

「それは……確かにわたしも感じました」

 

 魔王軍の強化を肌で感じ、これまで以上の激闘をこれから繰り広げる事になると感じる一同。

 そこへユウに助けられた騎士達がやって来た。

 

「勇者様! ご無事でなによりです! 貴方方のおかげで我々は此度の魔王軍の侵攻を防ぐ事が出来ました。此処に、貴方方への感謝を申し上げます」

「いいや、僕は『砦城』を完全には倒せなかった。それに……彼らを助けられなかった」

 

 距離が遠すぎたのもあるが、それ以上に『砦城』の対空能力が高かった。もし無策で飛び込めば、ファウパーンとキュアノスとはいえ確実に撃ち落とされただろう。

 

「……あの方々もまた、国を、民を守る為にその命を懸けて戦いました。勇者様の勝利に貢献できたのならば、彼らにとってこれ以上ない誇りでしょう。貴方様は此処にいる生きている兵士全員の恩人なのです。その事を忘れないで下さい」

 

 騎士の言葉は慰めでもあったが、それ以上にユウは倒せなかった事を悔いていた。

 

「『砦城』には我々も幾度も煮え湯を食わされてきました。あれだけの傷、流石の八戦将だとしても直ぐに戻るのは不可能でしょう。……勇者殿、此度の戦貴方方によって我々は勝利する事が出来ました。今此処に最大級の感謝を申し上げます。総員、抜刀!」

「「「はっ!」」」

 

 騎士達が剣を抱《かが》けて、礼を尽くす。

 己を讃える声を聞きながら、ユウは『砦城』の消えた方向を見つめる。

 

(『砦城』……次こそ必ず仕留める。死んでいった人達の為に)

 

 ユウは新たに決意を胸に抱いた。

 

 

 

 

 

 一月後。

 

 魔界の魔王城の一室にて、偵察に赴かせていたそれらの一人から報告を受けたマーキュリーは実験していた手を止めた。

 

「負けた、と?」

「はい、トワイライト平原で戦局を見ていましたが最終的にこのような結果になりました」

「例の……あぁ、私が指示した三人組はどうなりましたか?」

「全員敗死しました」

「そうですか。やはり一般的な魔族では最早勇者を止めるのは難しいということですね」

「一応それなりには戦えていたようですが……」

「ただの魔族で倒せるのならば、八戦将という存在が勇者に対する抑止力として必要ありませんよ。八戦将は魔王様を守る要であり、対抗馬としての存在。やはり、他の魔族では勇者を討ち取るのは不可能と考えてよろしいでしょう。まぁ、これ自体は前の勇者の時から薄々感じ取っていたのでさして驚きもありませんね。ですが、予想よりも魔物の被害が大きいのはやはり『真の勇者』の戦略のせいですね」

 

 てっきり前線で思い切り暴れるかと思ったら、ユウは後方に位置しつつ劣勢になった所を聖剣の遠距離からの攻撃でこちらの戦力を削ってきた。

 

 例え遠距離攻撃は力が落ちるとしても、元々魔物に対しては過剰とまで言える聖剣の力だ。その効果は絶大だった。

 予想よりこちらの被害が大きくなってしまった。

 

「だけど、本来の目的は達成しました」

 

 今回の作戦の本命。

 それは『真の勇者』側の戦力を測る事にあった。

 

 『真の勇者』も確かに強い。『迅雷』を倒した力は驚異といっても過言では無い。だから今度は直接目の前の配下を送り込み、情報を取らせた。

 『真の勇者』の情報も集めたが、それ以上にマーキュリーは、勇者の仲間の方の情報を集めた。

 

「さてさて、大分資料が集まりましたね。『真の勇者』とやら。大方の技能(スキル)についても把握出来て来ました。やはり『偽りの勇者』の時とあまり遜色はないようですね」

「これもマーキュリー様が張り巡らせた諜報活動の賜物です。今回の攻勢も勇者側の力を確認する。その為に起こしたのですから」

「『偽りの勇者』との違いは仲間との連携を重視する方向だということですか。組ませた魔族も、一時追い詰めかけましたが、その後向こうも同じく連携し、あっという間に此方は瓦解した。やはり、勇者パーティの方も侮り難いですね」

「その通りです。……そのせいでアレ(・・)も損傷を受けました」

「ふーむ、やはり前の勇者とは色々と異なりますね。向こうは誰もが独断専行気味で、殆ど連携など組みませんでしたから。まぁ、そのかわり一個人としてはそれぞれがかなり強かったのですが」

「今の勇者パーティの方は前と比べて個々では劣りますか?」

「劣ります。ですが、後衛と前衛をキチンと分け強敵相手には有機的な連携を組んでくる。後衛も前衛もいける己を中心とした連携、ある意味理想に近いですね。今まで気付きませんでしたが聖剣は汎用性が高いのです。勇者が指揮の立場にいるだけでこうも違うとは……、そして彼らのチームは応用性がかなり高い構成です」

 

 一個人による圧倒的な武力による戦闘。全体を見通し、あくまで連携を主体とした戦闘。

 どちらも一長一短だが、今の勇者の方が厄介であるとマーキュリーは判断する。

 

「……ですが、隙はありそうですね」

「マーキュリー様?」

「見なさい。勇者が攻撃を加えた箇所を。こちらとこちら、同じ危機に陥った所でも勇者は人の数が少ない所を先に援護している。本来であれば、こちら側を先に助けるべきです。でないと、向こう側に無視出来ない陣形に穴が開くところでしたから。つまり、人が死ぬ事を恐れている。人数が少ない所の方が先に死ぬ可能性が高いから、先に助けたということです」

 

 見受けられる甘さ。

 大の為に小を切り捨てる事が余り出来ていない。アレ(・・)を相手する時は動かなかったらしいが、それとてもはや助けることが出来ないとわかっていたからだろう。

 なら、己が動けば助けられる人が多数いる場所だったら?

 

「ならば答えは簡単。次は市街地で、市民のいる所(・・・・・・)で戦闘を行えば良い。それに『真の勇者』には通常の魔族で対抗出来なかった。ですが、彼らの仲間は別です」

 

 次に向かわせる八戦将の候補は決まった。

 あとは時期と場所と魔族の組み合わせをどうするかだ。

 

「それでアレ(・・)についてはどうなさいますか?」

「そうですね、後で確認に参りますよ。『真の勇者』の攻撃によって損傷したのなら、損傷箇所から攻撃の威力、傾向、射程を大凡割る事ができますから」

「勝手に弄ったらあの人(・・・)が怒りませんでしょうか?」

「問題ないでしょう。そもそもいないのでバレませんよ」

 

 笑みを浮かべるマーキュリー。

 

「まぁ、不貞腐れるのはわかっていますが。ですが、彼は人間界での実験(・・・・・・・)で、戻るのはだいぶ先ですよ」

 

 態とらしく手を叩く。

 

「さて、話は終わりです。貴方達も帰って来た魔族から人間側に変わった事はないか情報を聞き出しなさい。それと、死体に関してはいつも通り私の実験室に運んで起きなさい」

「はっ」

 

 それらが部屋から退室する。

 マーキュリーは早くも人間側が華々しく戦果を報じる新聞に目を向ける。

 

「『城砦』を撃退……ね。今は喜んでいると良いですよ。別にアレ(・・)が壊れても我々には痛くも痒くもないのですから。八戦将ですらないモノを」

 

 手に持つ杯を新聞にぶちまける。

 

「最後に勝つのは我々です」

 

 濡れた新聞に写る勇者達の顔が黒く滲んだ。



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特別編:アイリスから見た勇者

 

 それは好奇心だった。

 

 里の年長者らには無闇に里の外へ行ってはいけないと聞かされていたのに。里には結界があって外からの攻撃は通じず、隠蔽されているから魔獣にも気付かれずにいるって。

 

 そして何より外には罪を犯した人間達(・・・・・・・・)がいるから危険だって口を酸っぱくして語っていました。

 

 その日はなかなか寝れなくて森を歩いていると遠目に一際輝いていた人間が造ったというお城。偶に見る事はあるけも今日はいつも以上に輝いていたから一体何があったんだろうと思ってついつい近くまで寄って行ってしまった。

 

 罰なのか、わたしは魔物と遭遇しました。

 

 魔獣とは違い、明確な悪意のみをもってして人を襲う化け物。

 里に戻る事も出来ず、怯えの所為で精霊魔法すら上手く扱えない。

 

 もうだめだと思ったその時

 

「大丈夫かい?」

 

 一人の男性が魔物をあっという間に倒してしまいました。

 

 月光を背に柔らかく微笑んだ赤い髪の一人の青年。声色も優しく、さっきまでの恐怖は忘れ、その笑顔に魅入ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 わたしの名はアイリス・シャガ=ナド=キンレイカ・オルレイン/オリーブ。

 

 因みにシャガとキンレイカが親の名前でオリーブが姓なんですけどここではどうでも良いです。

 わたしはこの『オルレイン大森林』で生まれたエルフです。今の歳はぴっちぴちの123歳です。

 

 それよりも語るべきはあの人、フォイルさんです!

 

 彼はわたしを魔物から助けてくれました。その姿を見たわたしは心臓が高鳴るのを感じました。

 すっごくすっごーく、かっこよかった。でもそれ以上に彼の温かみでしょうか? それを感じました。

 

 その後、彼はわたしを里まで送ってくれました。

 その際に色んなことを会話しました。

 エルフは長寿だから時間感覚も非常にゆったりしたものなんですが、この時だけは非常に早く感じました。

 

 やかて別れの時が来ました。

 わたしは自らの花を彼に渡しました。彼は喜んでそれを受け取ってくれました。

 

 そして本当に別れの時、わたしは何故かその背が酷く寂しそうに見えました。そのまま消えてしまいそうな儚さを。

 

「わたしまた貴方に会いたいです! だから絶対に会いに行きますから!」

 

 その言葉だけを口にすると、彼は手だけをこちらに振ってくれました。

 わたしは別れた後もあの人の事が頭から離れませんでした。

 

 

 

 一年後。

 何とか精霊魔法を扱えるようにもなったわたしはこっそりと彼を探し出すことにしました。

 

 何故なら人はわたし達エルフと違って歳を取るのが早い。このままのんびりしていたら出会うのは何十年も後になってしまいます。

 

 あの寂しそうな背中を見たらそんなに待てませんでした。

 

 ただフォイルさんの言った通り、欲深い獣がいるそうなのでちゃんと顔とかは隠していました。

 わたしは経験から学ぶえらい娘なんです。えっへん。

 

 外に出た時、見たのは彼が『偽りの勇者』として指名手配されている事。

 

「嘘ですっ、こんなことってっ!」

 

 わたしは思わず叫びました。

 こんなこと、何かの間違いです! でも、周囲はそれを真実だとして彼を罵っています。誰も彼も、みんな。

 

「……わたしがなんとかしないと」

 

 彼にはもう味方がいない。

 あの日の背中が記憶に浮かびました。

 

 ギュッと唇を引き締める。

 

「いかないと……」

 

 彼を一人になんてさせない。

 わたしは雑多な人混みの中、歩き出しました。

 

 

 

 

 その後、わたしは頑張りました。

 えぇ、それはもう頑張ったのです。来る日も来る日も歩き続け、馬車を乗り継ぎ、作った薬を売って日銭を稼ぎながら、フォイルさんを探しました。

 幸い最後にフォイルさんが目撃された所に向かい、その後はわたしの愛のぱわぁ(・・・・・)で何とか見つけ出しました。

 

 

 

 けれども見つけたのは本当にギリギリだった。フォイルさん、彼は『真の勇者』だとかいうユウ・プロターゴニストに斬り裂かれ、崖から落ちて川に落ちそうな所をわたしが周りの植物を魔法で作ったネットで受け止め、すぐさまその場から退散しました。

 

 あの勇者が追ってくる可能性を考慮したからです。

 距離を稼ぎ、花畑でわたしは彼の傷を確認すると声にならない悲鳴をあげました。彼からは夥しい血が流れてました。

 

「絶対に、死なせないのです……!」

 

 初めはもうその傷の深さから駄目だとも思いました。

 でも、諦めない。諦めてたまるか!

 

 幾ら傷口を治療しても血が止まらない。わたしの手は彼の血で真っ赤になりました。

 

 いやだ。いやだ。

 心臓の音が小さくなっていく。体温が冷たくなっていく。

 

「ダメっ、死なないで……っ! 死なないでぇっ!」

 

 それでも諦めようとしないわたしは唐突に頭に声が響きました。

 

『貴方に問いたい。貴方は何故彼を助けようとする?』

「!? 誰ですか!? どこにっ!?」

『質問に答えて欲しいわ。どうしてですか?』

「っ! わたしがこの人を助けたいから! それ以外に理由なんてありますか! わかったら黙っていてください!!」

 

 この時わたしは切羽詰まっていたので謎の声の持ち主に辛辣な対応をしました。

 しかし、今思えばその時声の持ち主は微笑んでいたのかもしれません。現に、その声色は柔らかくなっていました。

 

『そう。ならば今代の『聖女』は貴方に託しましょう。人ではなくエルフだから規格は違うけど、何とかなるはず。わたくしを恨んでも、憎んでも構わない。わたくしには(・・・・・・)時間がない(・・・・・)。だからどうか人類をーー』

 

 声が聞こえなくなると共に、わたしの身体に何か力が宿るような感覚がしました。

 そして、知るはずもないのに知っているかのようにその魔法を呟きました。

 

「【癒しの願い(ヒール)】」

 

 わたしの手から力が漲り、そしてフォイルさんの身体が淡く光りました。そして出血していた傷口が塞がりました。

 

「今のは……」

 

 驚くわたしでしたけど、すぐにすべき事を思い出します。

 傷は塞がりはしましたが、失った血を補う訳でなく応急処置にしか過ぎないと気付いたわたしはキチンとした治療を施す為、近くにあった洞穴へとフォイルさんを抱えて入って行きました。

 

 

 

 やがて彼が目を覚ましました。

 その日からわたしとフォイルさんの旅は始まったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………くれ………な…さい」

 

 あぁ、またです。わたしはむくりと起き上がり、ジャママを抱えたままとてとてとアヤメさんの寝るベッドに近づきます。

 

「許してくれ…おれがわるいんだ……おれでは、きみたちのきたいには……ごめん…すま………ない……」

 

 汗を掻き、毛布を強く握りしめながら何度も譫言を呟いています。眉間は皺寄り、今も苦しそうです。

 助けた時からずっと続いていることです。

 

 わたしの力では身体の傷は癒せても、心の傷は癒す事は出来ない。

 

 フォイルさん、いえ今はアヤメさんですか。

 

 アヤメさんはこうやって夜中にうなされています。それの殆どが許しと後悔と自責の言葉です。

 

 これはアヤメさんを助けた時から寝ている時にずっと続いていた事です。

 彼は自らが助けられなかった人々に対して謝罪を繰り返している。彼がわたしと出会った日、いえそれ以前からどのような気持ちで過ごしていたかは知りません。

 

 でもそれはきっと辛かった日々だと思います。

 

 アヤメさんが優しいのは知っている。だから彼が世間の言う『偽りの勇者』として行ってきた事に罪悪感を抱いているのは想像に難くないのです。きっとそうやって精神を摩耗していったのでしょう。

 

 そんな時、側にいられなかった事をわたしは今でも悔やんでいます。あの時、もっと早くに森から出ていれば……。

 

 わたしの言った事でアヤメさんは救世主になることを目指し、生き甲斐を取り戻したみたいだけど、過去の罪は消えません。こればっかりはアヤメさん本人の問題です。

 

 だけどわたしはそのままにすることが出来ず、こうやって頭を撫でながら唄を歌ってあげました。

 

 唄を歌ったのは昔怖い夢とか見たときに母様に寝かしつけて貰う際にしてもらった記憶があるからです。

 

 初めは全く効果がありませんでした。でも歌いながら頭を撫でるうちに段々とアヤメさんの顔が安らいでいきます。

 ふむふむ、やはりわたしのおとなのみりょく(・・・・・・・)は成人男性にも通用するみたいですね。

 

<ガァゥ>

「あ、しーですよジャママ。アヤメさんを起こしたらダメですから」

 

 抱きしめていたジャママがぽすぽすとアヤメさんの頭を爪を立てずに叩きます。

 不思議そうに見ているのはいつもの姿とはかけ離れた様子だからでしょう。爪を立ててないことから気を使っていることがわかります。

 

 最後に手を握ります。大きな手。けれどもその手にはどれほどのことを背負ってきたのでしょう。

 

「大丈夫ですよ。フォイルさん(・・・・・・)。わたしは貴方についていきますから」

 

 名も知らない女神。

 貴方はわたしに『聖女』の称号を与えました。

 アヤメさんをこんな風に追い込んだのは許さないけど、称号を与えた事は許してあげます。

 わたしは『聖女』、『勇者』に寄り添う者。わたしはわたしの勇者の側に寄り添うだけです。

 

 魔王軍とか知ったことではない。でも、彼がもし戦おうとするならばその時はわたしも協力するだけです。

 

「という訳でわたしはアヤメさんの隣で寝転ぶです。えぇ、これは正当な行為です。病人を一人にしておけないのですから何も責められる事はないのです」

 

 そのままもぞもぞとアヤメさんの隣に潜り込み、背中に抱きつきます。間に挟まったジャママが苦しそうな声を出しますが、それよりもアヤメさんの体温の温もりと匂いをいっぱいいっぱーい堪能するのです。

 

 彼の胸板に耳を近付けると聴こえる彼の鼓動。そして温かい彼の体温。

 

 生きてる。

 彼は此処にいる。

 

「……ちょっと匂い嗅いでも良いですよね?」

 

 すーはーすーはー。すぅ……すやぁ。

 

 本当はもっと堪能したかったけどわたしはそのまますぐに寝てしまいました……もったいない。

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝、アヤメさんに怒られました。何でも年頃の娘が男の布団に入って一緒に寝るのはうんぬんかんぬん言ってました。

 別にわたしはアヤメさんとなら一緒に寝ても良いのですが、どうやらアヤメさん的にはえぬじー(・・・・)らしいのです。

 まぁ、良いです。また貴方が悪夢を見ている時は寄り添ってあげますから。

 だからアヤメさん、独り(・・)で抱え込まないでくださいね。



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第4章 魔族の忌子
新天地を目指して


 ヴァルドニアの動乱から1週間が過ぎた。

 その間俺達はエドワードの提案したラルフォール公国を目指していた。

 

 その最中、村に寄っていた。

 そこで俺は泊めてもらった宿の人から今困っている事があると話を聞いた。

 

 二体の"粉砕熊"と呼ばれる魔獣が村に現れるようになってきたらしい。

 "粉砕熊"はその名の通り岩をも粉砕するほどの一撃を誇る熊だ。そして粉砕熊が好物なのは蜂蜜だ。よって巣が有る木をその手で粉砕し、蜂蜜を貪るのだ。

 生息する一帯は"粉砕熊"によってなぎ倒された木々が乱立するらしい。

 

 同時に"粉砕熊"はかなりの強力な魔獣としてその名を馳せている。一匹現れたら複数の村が廃村に追い込まれると言われるほどだ。

 更にタチの悪いことに"粉砕熊"は確かに蜂蜜が好物なのだが肉食でもある。人間でも"粉砕熊"に勝てる人間は限られているのだから村民程度では相手にならない。

 

 そしてそんな粉砕熊は村の家畜を襲い、さらに味を占めたらしい。冒険者に頼もうにも金が無く、このままでは村を捨てるしかないらしい。

 だからこそ俺は村で"粉砕熊"が現れたと聞いた時に倒す事を決意したのだ。

 

 

 

<ガルゥ!!>

「そっちに六匹回り込んできたのです!」

 

 木の上で周囲を見回しているアイリスちゃんと鼻で探知しているジャママから警告が飛ぶ。

 厄介な事に"粉砕熊"は"不浄な鬣犬(ハイエナ)"を連れていた。どうにも共生関係というか、粉砕熊のおこぼれを貰っているらしく、ピンチになると湧いてくるのだ。

 

「ふん、所詮は地に縛られた獣よ。此方(こなた)の前には立つ塞がることも出来ないわ【蠢く氷波(グレイシャー)】【氷槍(アイス・スピア)】」

<ギャウンッ!!>

 

 キキョウが地面を凍らし、身動きが取れなくなったところへ頭上から【氷槍】を穿った。

 やっぱり魔法は便利だ。キキョウは瞬く間に"不浄な鬣犬(ハイエナ)"を掃討する。面制圧ならキキョウはこの中で飛び抜けて高い。

 

<グォォオォッ!!>

「おっと、余所見している場合じゃなかった!」

 

 "粉砕熊"の一撃を躱す。

 俺の元居た位置は"粉砕熊"の攻撃で陥没する。

 

 やはりあの一撃は脅威だ。

 だが倒すには俺は近づくしかない。

 

「とは言え中々に毛皮が厚いんだよな、これが」

 

 当然だが毛皮と言うのは斬るのが難しい。粉砕熊はその毛皮を防具に出来るほどの柔軟性と強度、耐斬性を持っている。

 更にはその下にある筋肉だ。生半可な一撃では筋肉で止められてしまう。月凛花であっても突破出来なかった。

 これが【高斬撃】のような技能(スキル)があればまた別なんだが。

 

「なら、新しい絶技を試してみるか」

 

 脳裏に浮かぶはジャモコ。

 あの時の彼の【回転斬り】は凄まじかった。実はあの時ちょっとだけ髪の毛が掠めてたりもする。だからこそ俺はその時の情景を思い出す。

 

柄の握り方はこう。後は態勢、剣の角度、動き。

 

「見切ったッ!!」

 

 躱すと同時に跳躍し、首と胴体、それぞれへと滑るようにして筋肉と毛皮の隙間を突くようにして斬る。

 同時に二本の剣を使った回転して斬る【回転斬り】を俺なりに改良した絶技、"流水落花"。

 

 これにより粉砕熊はその場に倒れた。

 

 そしてその様子をエドワードは"粉砕熊"を抑えつつ見ていた。

 

(あの技はジャモコ殿の得意とした【回転斬り】……いや、あれは両刃剣を両手で握って放つものであり、違っても両方に剣を握ってするものではない。それに彼は別々の箇所にほぼ同時に攻撃を加えた)

<グォォォンッ!!>

「こっちも決着をつけましょう。【盾撃(バッシュ)】【大盾潰し(シールドバッシュ)】」

<グォッ!?>

 

 盾に齧り付く"粉砕熊"をエドワードは【盾撃(バッシュ)】で弾き、【大盾潰し(シールドバッシュ)】で倍以上はある体格差を諸共せず、地面に押し倒した。その後【突撃槍(ストライク・ホーン)】で心臓を穿ち、"粉砕熊"は動かなくなった。

 

「凄いね。まさか熊ほどの相手でも押しのける事が出来るだなんて」

「元より【大盾潰し】は相手を押し潰す為の技能(スキル)です。相手が魔獣であろうと潰す事には変わりませんから」

「成る程。さて、この辺りを荒らしていた魔獣はこいつらで間違いないな」

「間違い無いかと」

「アヤメさ〜ん! 受け止めてください!」

「おっと」

 

 ジャママを伴って木の上からアイリスちゃんが降りてくる。

 それを俺は受け止めた。

 

「えへへ、アヤメさんなら受け止めてくれると信じてました!」

「信じてくれるのは嬉しいけど、危ないよ。というかジャママ、頭齧らないでくれるかい? 髪の毛が痛むんだけど」

≪ガウガウ≫

 

 アイリスちゃんが嬉しそうに俺の胸に頭を擦り付ける一方ジャママはパックリと俺の頭を噛んでいる。ジャママも前と比べて大きくなってきてるからその力は強い。最も流石に本気ではないようだがーーあ、まって痛い痛い! 俺の心を読んだのか!?

 

「あっ、何やってるのよ!」

 

 キキョウもこちらの様子に気付いた。

 

「何そんな羨ましっ、……アヤメに迷惑かけてるのよ! 降りなさい!」

「へぇーん、いやです! この格好ならアヤメさんの温もりを感じるのです。わたしは出来てもぼっちは重くて無理ですね! なんたってそんな重そうな胸を……お尻も……ほんとに……大きい……。くっ」

「……何で自分で言って悔しそうにしているのよ」

「別に悔しがっていません! いーまーせーんー!」

 

 いっーだ! とアイリスちゃんは白い歯を剥き出しに威嚇する。何というか、この二人が姉妹に見えてきた。

 

「とにかく降りなさいよ!」

「い、いやなのです!」

「ちょ、アイリスちゃん苦しっ。キキョウ、あまり揺らさないでくれっ。ちょっ、ジャママ!? 力を強めないでくれ!」

 

 もはや破茶滅茶だ。

 ま、まずいこのままだと収集が……。

 

 その時、カァンッと槍を地面に叩きつける音がした。

 全員が硬直する。何時もの無表情のエドワードはこちらを見ていた。

 

「お遊びもそこまでにして早く魔獣の始末をしましょう。臭いに誘われてまた魔獣が現れたらどうするのですか? そんな事も分からない訳ないでしょう? でしたら、そのような下らぬ争いはよしなさい」

「あ、す、すまない」

「ご、ごめんなさい……」

<ガゥ……>

「むぅ、此方(こなた)は悪くないのに……」

 

  エドワードに指摘され、俺たちは揃って頭を下げる。

 何というか抗い難い何かがある。エドワードは一国の元騎士団長だからか、そういった覇気という奴がある。

 

 その後、魔獣の処理をする俺達だが俺は自ら仕留めた"粉砕熊"の前で腕を組んで悩んでいた。

 

「う〜ん……」

「魔獣の死骸なんか見てどうしたんですか?」

「いやね。さっき俺が使った"空花乱墜"だけもちょっとイメージとは違ったんだよね」

「どういうことですか?」

「あぁ、本当ならこの魔獣の首と胴体を狙ったんだけど、首を斬り落とす事が出来ていないだろう? 逆に身体の方は大きく斬り裂かれている。これだけ斬れるなら逆ならまだしも、切り取り易いはずの首が斬れず、分厚い胴体の方が斬れた事に違和感がね…」

「確かに言われてみればそうですね…」

 

 アイリスちゃんも一緒になって粉砕熊の死骸を覗き込む。

 俺はうんうん頭を唸らすもわからない。

 

「ふむ。アヤメ殿、少々武器を見させて貰っても?」

「ん? あぁ、構わないよ」

 

 剣を逆さにし、柄の方を差し出す。エドワードは俺の剣を受け取ると刀身をじっと眺める。

 

「……これはジャモコ殿の剣ですね」

「わかるのかい?」

「えぇ。式典の時に彼が装備しているのを見たので。……持って来てしまったのですか?」

「い、いやあの時君に対抗するのに必要な俺の目に敵う武器がそれしかなかったというか……。不味かったかな?」

「まぁ、構わないと思いますが。どの道負けたのならば武具を奪われる事に対して否応もないでしょう。それでアヤメ殿が少しばかり思ったようにいかないと言ったのはこの剣のせいですね」

「どういう意味だ?」

此方(こちら)のジャモコ殿の剣……銘《めい》は"刺斬剣イザイア"でしたか。こちらはどちらかと言うと突き(・・)の方を重視した剣なのです。その為、もう一方の剣と比べて横幅なども狭くなっております。勿論斬る性能もありますがやはり突きの方が優れています。胴体が切れた方は、そちらの。首を狙ったのはこちらの剣だったから魔獣の損傷に差異が出たのでしょう」

「なるほど」

 

 つまり本来の用途とは別の使い方をしていたわけだ。

 どうりでうまくいかないわけだ。

 

「やはり勝手が違うと結果も違うものだね。イメージだけじゃうまくいかないものだ」

「そこまで謙遜することはないでしょう。寧ろ、勝手の違う剣をここまで扱える貴方の腕に驚嘆します。普通なら両手で扱う剣を別々に装備して……。それにどうもアヤメ殿は『騎士』が剣を扱う上での基礎、土台といいますか。その部分が出来ている感じがします。一体どこで剣を習ったのですか?」

「えっ。あぁ〜昔退役した騎士の人にちょっとね……」

 

 正確には勇者の修行として当時の太陽国ソレイユの騎士達と手合わせした事もあったが、聖剣が徐々に扱えなくなってきてからは俺は彼らに言わせれば邪道と言って良い戦法を取るようになった。

 

 しかしそれでも『騎士』としての彼らに鍛えられた根幹としての部分が染み付いてしまっている。しかし、それを正直にエドワードに言うわけにはいかない。

 

 どう誤魔化そうかと笑いながら考える。

 するとキキョウが助け舟を出してくれた。

 

「ちょっと、話してないで早く血抜きをしてよね。じゃないと凍らせられないわ。皮や肉が傷んでも良いの? 貴方が言いだしたことでしょ?」

「……確かにそうでした。私も自ら貫いた魔獣の下処理をするとしましょう」

「今更だけど貴方解体とか出来るの?」

「騎士の下積み自体で行ったから最低限は出来ます。最も冒険者のように【解体術】の技能(スキル)を有していないので手際では劣りますが」

「そう。でも解体はお願いするわ。此方(こなた)は劣化しないよう凍らせておくから」

「つくづく魔法とは便利なものですね」

「ふふん、もっと褒めても良いのよ?」

 

 そのまま二人は倒した魔獣の解体を始めた。

 俺はホッと息を吐く。

 

「危なかった……キキョウには感謝だな」

「ぼっちもたまには役に立つのです。それでアヤメさん実際使い心地はどうなんですか?」

「悪くないよ。確かに彼に語った通り

そうと分かれば突きの方を重視するようにすれば良いだけだ。

「でも両方別々の用途の武器だなんて頭こんがらがりません? 同じ性能のを買った方が良いと思うのです」

「それもあるけど……実は俺ちょっとワクワクしているんだ」

「わくわく?」

 

 強く意識はした事はなかった。だが用途が分かったのならそれに適した技術を磨けば

 

「突きと斬り、どちらもちゃんと扱えるようになればより戦術は広がる」

 

 両手で剣を扱うようになり、俺は確かに技が増えた。

 "柳緑花紅"も"飛花落葉"も両手で扱う技だが、これは個に対しての絶技だ。"流水落花"なら別々の相手に、広範囲へと攻撃も可能となる。

 

 勿論剣そのものの威力は両手で持った方が上なので一長一短だ。技能(スキル)の俺は自らの培った技と経験で戦うしかない。ならそのための手札が増えることは大歓迎だし、何より強くなっていくことを実感出来るのは素直に嬉しい。

 

 もっともっと強くなって人々を救わないと。

 

「戦術を広げるのも良いと思いますけど、それよりもまずもう少しまともな装備を着ましょうよ。商業都市リッコで買った時から装備が変わってないのです」

「……確かにそうだ」

 

 カッコつけたつもりだけどアイリスちゃんには通じなかったらしい。

 ……しまらないなぁ。

 




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大湿原

 ラルフォール公国領の街向かう途中、俺達は広い大湿原へと辿り着いた。

 そこに広がる光景に俺は目を見開いた。

 

「これは……凄いな。見渡す限り、どこまでも湿原だ」

「本当ですね……、森のような生命力に溢れた空間とはまた違った、自然の力を感じる光景です」

<ガゥゥ>

 

 見渡す限りに、広い大湿原が広がっていた。遠目にはピンク色の鳥が飛び交う姿や、牛に似た魔獣が群れとなって疾走し、その背後を別の肉食の魔獣が追いかけている。沢山の魔獣が生き生きと存在している。

 正に大自然を体現したような光景だ。

 

「当然でしょう。この大湿原は付近において1番の広さを持つ事で有名ですから。私も若い頃アメリア様と護衛と共に此処に訪れたことがあります。……あの頃と殆ど景色は変わりませんね」

 

 語りながら懐かしむようにエドアルドが目を細める。此処に来たのはエドワードが一度此処に訪れたいと、彼は言った。俺は街に行く前にその言葉を受け入れたのだ。

 その時、俺はエドアルドの眉が動いたのを見逃さなかった。

 

「どうした? エドアルド」

「いえ。先程仰った通り、この大湿原は有名で時には貴族が観光として護衛を連れて訪れることがあります。人の姿が全く見えないのが少し気にかかっただけでございます。冒険者ぐらいなら居ても良いのですが」

「冒険者とて人よ。お金は大事でも態々危険地帯に無闇矢鱈に足を突っ込んだりはしないでしょ」

「左様ですね。失言でした」

 

 キキョウの言葉にすんなりと引き下がるエドアルド。

 でも確かに魔獣は沢山いるが人はいない。それが少し寂しい。

 

 だが同時にこの美しい光景を不粋な輩から守られている感じがした。

 

<! ガゥッ!>

 

 ジャママがピクンと耳を立てて吠える。

 俺達はその声を何度か聞いたことがある。つまり、何かしらの警告だ。

 

 人はいないかと思ったがやはりいたのか!

 

「誰かが襲われてます!」

「誰であろうと助けるまでだ!」

 

 俺は剣を抜いて、駆け出す。

 近付くと同時に跳躍して、水蜘蛛の頭部目指して"落下狼藉"を繰り出した。

 

<ヂィッ>

「避けた!?」

 

 だが、水蜘蛛は瞬時にその場に移動して俺の攻撃を避けた。

 そのまま滑るように移動して離れ、鋭い牙をカチカチと鳴らす。

 

(あの水蜘蛛、こっちを見ていないのに反応して避けた!)

 

 着地して、もう一度突撃しようとした俺だが足に纏わりつくような感触があった。

 

(この辺り一面に撒き散らされている水、微かにだが粘着力がある。まるでメイちゃんの【水粘液(アクア・ジェル)】みたいに)

 

 今はまだ動けるがこのまま踏み続ければ動けなくなるかもしれない。ならば最小の動き、最小の面積だけで移動して仕留めるだけだ。

 

 その時、水蜘蛛は俺ではなく追っていた人に向かって水のブレスを吐き出した。

 男性とブレスの間にわりこむようにしてエドワードが入り、攻撃を防ぐ。

 

「ご無事で?」

「あ、あぁっ。待て、気をつけろ! そいつの吐く液体」

「むっ!?」

 

 ズズッとエドワードの身体が引かれている。

 水蜘蛛は何かを巻き取るような動作をしていた。

 

「これしきの事で、我が盾を奪えるとでも? 【要塞(フォートレス)】」

 

 自重を数倍にして、その場に聳えあらゆる攻撃を受け止める【要塞(フォートレス)】。

 エドワードはあえてその技能(スキル)を使うことで自身が引き寄せられたり、盾を奪われるのを防いだ。

 

 俺は彼と水蜘蛛が綱引きをしている際、水蜘蛛の吐いた糸もまた透明なのに気付いた。俺の考えが確かなら、あれはここらにある水のような糸と同じ筈だ。ならば。

 

「キキョウ! 周囲一帯を軽く凍らせる事は出来るか!?」

「そのくらいなら楽勝よ。【蠢く氷波(グレイシャー)】」

 

 ピシピシと辺り一面の地面が凍っていく。

 その時やっと目で視認出来た。やはり、地面は元より、あらゆる所から見えない糸が張り巡らされていた。このまま突っ込めば俺はあれに捕らえられていたかもしれない。

 

<ギチチチチッ!>

 

 水蜘蛛は八つの目を真っ赤にして怒る。

 そのまま、エドワードから水糸を離し、俺に向けてまたも水糸を吐いて来るが、俺はそれを容易く躱す。

 エドワードの時にも見たあれは吐く時必ず正面を向く必要があるのだ。そんなわかりやすい予備動作があるのなら、食らうはずがない。

 懸念だった粘着質な足下の糸もキキョウの氷で効力を失っている。何の障害すらなく、俺は水蜘蛛へと接近する。

 

「"流水落花"」

 

 流れるように回転して水蜘蛛の右側の脚を斬り落とす。

 今回は"粉砕熊"の時とは違いファッブロの剣を両手で掴んで行った事から威力が上がっている。

 そのまま倒れた水蜘蛛の頭部に向かって、もう片方の剣"刺斬剣イザイア"で"緋華"を繰り出した。

 

 透明な液体を撒き散らして水蜘蛛は生き絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、この大湿原は立ち入り禁止なのか!?」

「あぁ」

 

 その後、傷付いた男性達をアイリスちゃんが普通の医術で治療してくれた。

 しかし何処か余所余所しいというか、警戒している男性に何故か問うてみると上記の返答がかえってきた。

 エドワードの方に顔を向ける。

 

「……知っていたか?」

「いえ、私も知りませんでした。それは何時頃からなのでしょう?」

「半月くらい前からだ。だから今、この大湿原は保護区にも指定されて入る事が出来る者が限られているだ。だからこそ、誰も居ないと思ったのだが。君達が現れた」

「あぁ、つまり俺たちが密猟者じゃないかと疑っていたのか」

「確かにそう考えるのも仕方ありませんよね」

 

 頷くアイリスちゃん。

 

「お待ちを。ならば貴方達は何故此処にいるのですか?」

 

 エドワードの疑問は最もだった。誰も入っていけないなら、目の前の彼らがいることもおかしかった。

 

「あぁ、それはこれさ」

 

 男性は胸元から銀色の紋章が刻まれた時計を出した。

 

「これはこういった保護区に入る為の許可状みたいなものだ。これがあれば殆どの保護区は自由に入れる」

「へぇ、そんなのを持つということは貴方この国でそれなりに偉い立場の人なのかしら? そうは見えないけど」

「こら、キキョウ失礼だ。すいませんら仲間がご無礼を」

「はははっ……。ちっ」

 

 ?

 今舌打ちしなかったか? やはり機嫌を悪くしたのだろうか。

 

<ピィー!>

「あれは?」

 

 ふと見れば彼らの馬車の中には真っ白な鳥が入っていた。何やら騒いでいる。興味を持ったのかジャママが少し近づいた。

 

<ガゥゥ?>

<ピィー、ピィピィ!>

「あ、こら近付くな!」

「ご、ごめんなさい。ほらジャママ! 駄目ですよ!」

 

 別の男性に怒られ、ジャママはアイリスちゃんに抱えられる。

 

「あの鳥は? どうして檻の中に入っているんだ?」

「あれは"シコウノトリ"と呼ばれる鳥でしてね。その柔らかな羽は装飾品として古くから重宝されていたんだ。だからその数を減少させてしまって。"シコウノトリ"はこの大湿原でのみ存在を確認されている。このままでは絶滅してしまうとの危機から一時的に国管理の施設にある程度の数を移すのと、この地域での保護を目的として俺たちは此処に訪れたんだよ」

 

 なるほどそういうことか。

 なら彼らがこの場にいたことも納得だ。

 尚も"シコウノトリ"は籠の中で暴れ続ける。

 

<ピィー!! ピィピィ>

<ガゥッ……ガウッ!>

「わっ」

 

 未だに"シコウノトリ"は騒いでいる。

 ジャママは何やら唸ると、アイリスちゃんの腕から抜け出しそのままててーと何処かに走って行ってしまった。

 

「あ、ジャママ! すいませんっ、少し失礼します!」

「アイリスちゃん、俺も行こうか?」

「大丈夫です、すぐに連れ戻しますから!」

 

 アイリスちゃんがジャママを追いかける。

 この辺りに危険な魔獣はあの蜘蛛以外いない。俺は見送り、目の前の男性達にこの辺りの街の情報について教えてもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

 アイリスが追いかけた先でジャママは何やら臭いを嗅いでいた。勝手に離れた事を叱ろうとしたアイリスだが、その様子に何かあるのではと考えた。

 

「ジャママ、どうしたのですか? いきなりあの場から離れて」

<クゥ、クゥ〜ン>

 

 スンスンと鼻を鳴らして歩くジャママ。

 アイリスはやはり何かあると感じ暫し彼の好きにさせる。

 

 やがて大湿原の中では珍しく生い茂った木々の林に入った。

 

「ジャママ、まだですか? これ以上は流石に危ないですよ?」

<クゥ〜ン……カゥッ>

 

 抑えた声でジャママが吠える。

 前を見てくれと言っているようであった。アイリスは茂みをかき分け、前を見る。

 

「あれは確かあの人達の馬車と同じですね。他にも仲間が居たのでしょうか?」

 

 あったのは数台の馬車であった。そこには複数の男達がいる。

 馬車の形が同じなので男性達の仲間だと思うが一体こんな離れたところで何を疑問に思うアイリスの男達の会話が耳に入る。

 

「おい、此奴はどうする?」

「あぁ、そいつはこっちに入れておいてくれ。羽根には傷付けるなよ。値が落ちるからな。あとで、あの幼鳥の方もこっちに入れる予定だ」

「あいよ」

(値段? 売る?)

 

 只ならぬ内容にアイリスは聞き耳をたてる。

 

 馬車の荷台の帆が開けられる。その時、エルフ特有の良い視力でアイリスは沢山の"シコウノトリ"が狭苦しい檻に入れられているのを見た。どれもぐったりしている。扱いが雑で、明らかに保護だなんてものじゃない。

 その時、檻の中に入れられてた"シコウノトリ"が嘴を檻に叩きつけ、鳴き声(クラッタリング)をする。

 

「黙ってろ!」

(なっ!?)

 

 一人の男がガンッと檻を叩く。

 その際檻が揺れて中の"シコウノトリ"は頭をぶつけ、そのまま気絶した。

 

(……売るという言葉、そしてあの扱い。保護なんかじゃない、彼らこそ、密猟者!)

 

 急いでアヤメ達に知らせようとするアイリス。此処では通信の魔術具も使えない。

 しかし、あの"シコウノトリ"を見たせいで動揺していたのか、アイリスは普段なら絶対しない枝を踏んで音を鳴らす失態を犯した。

 

「誰だ!?」

「しまっ」

<ガルルゥアッッ!!>

 

男達が此方に気付くと同時に、ジャママがアイリスを守る為に飛び出した。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「それでこれから貴方達はどうするのですか?」

「あぁ、我々はこのまま……ん?」

 

 俺達が話をしている最中、草むらをかき分ける音が聞こえる。もしかして魔獣かと、武器を構え警戒する。

 

 ぴょこんと、草むらから何かが現れた。

 やたらと顔のシワが多い一匹の魔犬(ブルドッグ)。身体はジャママよりも僅かに大きく寸胴型だ。しかしその顔は何だか気が抜けるような顔だった。

 警戒した俺たちだが予想外に相手に油断する。

 

「へっ、なによこいつ……ブサイクね、犬?」

「この品種……何処かで見覚えがありますね」

<……バゥン>

「やべっ、こいつはっ」

<バドオォーーンッ!!>

 

 遠吠えをあげる魔犬。

 な、なんて声量だ!? 俺たちは全員耳を塞ぐ。俺は目の前の犬に首輪がつけられているのに気付いた。あれは確か『魔獣使い』が使役する魔獣の証。なら今遠吠えは強化されたものの可能性が高い。

 

 唸り声を上げ始める魔犬。

 俺達……いや、男性達を睨んでいる?

 

「見つけましたわー!!」

 

 轟くような声と同時に新たに人が現れる。

 

「リンクルに任せた甲斐がありました! もう逃がしませんわよ!」

「お嬢様、先走り過ぎです。私のメイド服が汚れてしまったではありませんか」

「全くだなぁ。足元泥だらけだぁ。でも、いやぁ、見つかって良かったなぁ。お嬢様」

「貴方ちゃんと反省していますの!? 獣人なのに臭いも追えないなんて!」

「いやぁ〜、今日に限って鼻炎気味なんだよ。仕方ないだろ、お嬢様〜?」

 

 現れたのは三人組。

 その中でも上質な服を着た蜂蜜色のツインテールの少女は背後の男達を指差した。

 

「わたくしから許可状を奪い取った罪! 忘れませんわよ!!」

 

 ……え。

 



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出会いはいつも突然に

「え。……えっ!?」

「嘘ぉっ!?」

「ついに我々も犯罪者ですか。いえ、良く考えれば私は元からですか」

 

 やけに達観しているエドアルド以外俺たちは全員が驚愕する。

 だって犯罪者って。えっ!? うそだろ!?

 

「何を言う! 俺達は公国に正式に許可を受けた者だ! こうしてちゃんと許可の銀時計も持っている!」

「だから! それをわたくし達から奪ったと言ってるんですの!! 良くも騙してくれましたわね!」

「くっ、アンタら助けてくれ! 奴等俺たちから許可状を受け取ろうとする不届きものだ!」

「不届きものはそっちでしょう!?」

 

 言い合う両者。

 

 どっちだ? どっちが正しい?

 許可状を持っている事から普通に考えたらこっちの男性達が正しいと思う。だが、奪われたとなると、前提条件が異なる。しかし、それを見抜く術をあったばかりの俺たちにはない。

 

 一触即発の気配だ。判断するにも時間が足りない。

 

「……アヤメさん! その人達の言うことは嘘っぱちです!」

「ま、待てガキ! がぁっ、くそっ、離しやがれこの犬!」

<グルルルゥッ!!>

 

 その時、先程ジャママを追っていったアイリスちゃんが戻って来た。

 だけど、明らかに様子がおかしい。追ってくる男もジャママに足を噛まれてアイリスちゃんを捕まえる事が出来ていない。

 いや。それよりも嘘って。

 

「さっきわたしはそこの男性の仲間が沢山の"シコウノトリ"を狭い牢に乱雑に沢山捕らえているのをみました! 更には売り払う為の商品だとも!」

「何!?」

「で、デタラメだ! そんな事ない! ……ぐ!?」

 

 喚く男に俺たちは戦闘態勢を取る。

 そのうちの一人に俺は剣を突きつけた。

 

「悪いけど俺は君達よりアイリスちゃんの言うことを信じる」

「ぐ、ぐぅ」

「ちっ、ならッ!」

 

 別の男性がアイリスちゃんの方に向かって駆け出す。手にはナイフを持っていて明らかに人質としてとるつもりだった。ジャママは足に噛み付いている男に手一杯で間に合わない。

 俺はすぐさま駆け出し間に入ってナイフを蹴飛ばす。

 

「お、おいおい騙したのを怒っているの? 悪かったよ。だがよ、アンタ達にも悪い話じゃないはずだっ。分け前も多めに渡す。だからよ、一緒に大儲けしようぜ」

「違う。確かに騙されたのには憤っている。だけどそれは自身の愚かさにだ。そしてそれ以上に、俺の仲間を人質にしようとしたことに俺は怒っている」

「う、うぐ……」

 

 怒気を放つと男達は怯む。

 騙すのは良い。騙された俺が悪いから。でも仲間を傷つけようとしたのは許さない。それほどまでに俺は怒っていた。

 その隣で残った男達も逃げようと動き出す。

 

「くそっ、逃げるしかっ」

「何処に行くのかしら?」

「おいっ!? しまっ」

「騙しておいて逃げるとは、そうは問屋が下ろさないと思いませんか?」

 

 逃げようとした密猟者の二人をキキョウとエドアルドがそれぞれ捕縛する。

 対峙する残った一人の元へ俺は駆け出す。

 

「ま、まて。くそっ、こんなはずじゃっ」

「悪いが、反省は牢屋でしてくれ」

 

 最後の一人を鳩尾を鞘で殴りつけることで俺は気絶させた。

 

「……えっ、あれ? なんですのこの置いてけぼり感は」

<……バゥン>

「お嬢様、どうやら私たちの出番はなかったようですね」

「いやぁ、あれだけ決めポーズを取ったのに恥ずかしいっすなぁ。ぷっ、くひゃひゃひゃひゃ」

「笑うんじゃないですわよ!」

 

 いつのまにか事態が収集した様子を三人の男女は茫然と見つめていた。

 

 

 

 

 男性達……もとい密猟者を捕縛した後、俺達は先ほど現れた人達と自己紹介をする事になった。

 

「ごほんっ、名乗りましょう! わたくしはリンネ・ペッタン・コアストリドットと申します。この辺りを治めるバーガルド・ペッタン・コアストリドット伯爵の娘です。先程の不届き者の確保に協力して頂いたこと、感謝申し上げます」

「改めて、メイドのヒノハと申します。先程の手際お見事でした」

「どうもっ、『盗賊』のランドルフで〜す。あっ、盗賊っつっても職業の『盗賊(シーフ)』の方なんで間違えないでくれよっと」

 

 蜂蜜色の髪をした歳はほぼ見た目アイリスちゃんと同じくらいのリンネさんは優雅に一礼して名乗り。

 黒髪とメイド服が特徴的なヒノハさんは、律儀に頭を下げる。

 護衛だろうか。鉤爪型の装備を持つランドルフさんはヒラヒラと手のひらを向けて、軽薄そうに挨拶をする。

 

 挨拶一つからして性格が全く異なる三人組だったけど、俺はそれより気になることがあった。ランドルフさんにはそれぞれ立派な黒い獣耳と尻尾があった。

 

「んぉ? 何だ何だ、獣人を見るのは珍しいか?」

「いや、前に商業都市リッコを通った時に見た事がある。けどその時はランドルフさんと違って猫系の獣人の人だった」

「"さん"なんていらないぜ。へぇ〜、商業都市リッコと言えば最近魔王軍に襲われたとか何とかでてんやわんやらしいがそこにも同胞がいるだなんてな。あ、もしかしてアンタら魔王軍見れた? もし見れたらどんな奴らがいたか教えてくれよ」

「……いや、残念だけど魔王軍の者(・・・・・)は見ていないな」

 

 背後であからさまにキキョウが顔を背けた気配がする。アイリスちゃんはそんなキキョウをじーと横目で見ていた。

 ランドルフさん、いやランドルフはつまらなそうにブーたれる。

 

「ちぇっ。どんな奴か知りたかったのによー。何でも都市の壁すら上回る巨人だったって話じゃないか。どんな奴か興味がある」

「ちょっと、無駄話するんじゃありません。こほんっ、先程のを見れば貴方方が彼らとどういう関係だったかわかりますが、一応聞いておきます。貴方方は彼らの仲間じゃありませんのね」

「あぁ、勿論」

「でしたら何故この大湿原に? 此処は今立入禁止区域ですわよ」

 

 奇しくも同じ質問をされた。

 俺は此処に来た経緯と彼らに会った時の事を話す。

 

「なるほど、そういう事でしたか。他国から来たのであれば知らずとも仕方ありませんわね」

「全ては私の不徳の致すところ。処罰を受けるにしても、私だけにして頂きたい。彼らは私の意を汲んでくれたに過ぎません」

 

 エドワードが進み出る。

 彼は一人で責任を取ろうとしていた。だが彼だけに責任を負わずなんて出来ない。俺がそう言うよりも先にコアスタリドット伯爵様が微笑む。

 

「いえ、それには及びませんわ。明確な悪意あって入った訳じゃありませんし、密猟者側に協力したのも側から見れば許可状を持っている彼らの方が正しく見えるのも仕方のないことです。全ては奪われたわたくしの不甲斐なさのせいです。申し訳ありません」

 

 歳の割にしっかしとした言葉と態度で、コアストリドット伯爵様は頭を下げる。それに伴うように護衛の二人も頭を下げた。

 

「顔をあげてください。コアストリドット伯爵様。見抜けなかった此方にも非がありますから」

「リンネで結構です。偉いのはお父様であり、わたくしではありません。そこのランドルフ同様敬称など必要ありません。貴方方はわたくしの許可状を取り戻してくれた、所謂恩人でもあるのですから」

「いえ、貴族に対してそのような事恐れ多いです」

「……アヤメ殿、相手の好意は受け取るべきかと。時には受け取らぬ事が不敬になることがあります」

「そちらの方の言う通りです。不敬とは言いませんが、貴方方は先の密漁者を捕らえた功労者。その方々に感謝を述べるのは当たり前ですわ」

 

 そこまで言われたら俺としても好意を受け取らざるを得ない。

 ピエールさんもだが、最近会う地位の高い人はフランクな人が多いな。勇者だった時とは大違いだ。

 俺はコアストリドット伯爵様を、リンネさんと呼ぶ事にした。俺より年下だが地位は上なのだ。やはり呼び捨てという訳にはいかない。口調はある程度砕けて良いらしいが、敬意を忘れてはならない。

 

 俺はかねてからの疑問を尋ねる。

 

「彼らは一体何者なのだろうか?」

「何もと言われましても、彼らこそが密猟者であります」

「密漁者か。さっき騙されたと申していたけれど、一体何があったんでしょう?」

 

 俺の質問にリンネはバツの悪そうな、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「……恥を晒す事になりますが、元々わたくし達は此処の調査に赴く為に冒険者ギルドの方に依頼して護衛の方を募りましたの。見ての通り、彼らがその護衛の筈でした……が、彼らは隙をついてわたくしから許可状を奪うとそのまま失踪しましたの」

「許可状は公国からの許可が降りねばその場所に行くことが出来ない。だからこそ、それを手に入れたらあらゆる禁止区域に調査の名目として行くことが可能なのです」

 

 リンネさんの言葉をメイドのヒノハさんが引き継ぐ。

 

「まぁ、その後奪われた事を通達すればその箇所に向かう前に捕らえる事も出来なくはないですが、その手紙が届くまで期間が空きますから難しいでしょう。その間に禁止区域で"シコウノトリ"のような貴重な魔獣を密漁されるのは必然ですわ」

「だからこそ、追いかけたんだぜ。無論、追えたのは俺とパイセンのお陰だ」

<バゥン>

 

 ランドルフとリンネさんの魔犬が誇らしげに吼える。

 

「しかし、何故彼らは冒険者の地位を捨ててまで密猟者になんてなったのでしょう?」

「元々この国は多種多様の魔獣が存在します。冒険者の数もまた各国で最多。前まではこの大湿原も冒険者の狩場として栄えていた所でしたわ。ですが、そのせいか沢山の魔獣が狩られ、更には一部の部位だけを剥ぎ取り残りは放置といったことを行い、腐敗した大地になろうとしていました。このままではあの光景が無くなってしまうと考えたわたくしのお父様が一時的に保護区として上と掛け合って設定したのです」

「それは素晴らしいことです! 人間とて自然の一部、お互いに尊重し共存するのがあるべき形ですから!」

「えぇ。『自然の調停者』として名高いエルフにそのようなことを言ってもらえてわたくしも光栄……で…………」

 

 マジマジとアイリスちゃんを見た後リンネさんが思い切り後ずさった。

 

「エルフ!!? なんでこんな所に!!?」

「お嬢様、気付くのが遅いかと」

「本当だよなぁ。まったくお嬢様はおっちょこちょいだよなぁ」

「ランドルフ! 貴方口が過ぎますわよ! あ、あの、わたくしエルフに会うのは初めてでして、その、あの貴方達に褒められるような程立派なことでは、これは、あの、貴族として生まれたからには当然の役目なので、その」

「大丈夫なのです。わたしは確かにエルフですが、まだまだ若者です。だから貴方が思うほど立派じゃないのです。だから、そんなに固くならなくて良いですよ」

 

 微笑みかけるアイリスちゃん。その笑みに固まっていたリンネさんの緊張もほぐれ笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。嬉しいですわ。わたくしの事はリンネとお呼びください」

「ならわたしの事はアイリスで結構ですよ。よろしくなのです」

 

 その後も会話する二人だが段々と仲よさげになっていった。

 アイリスちゃんには近い歳の女性はいなかった。だからこそ、俺は仲良くなるアイリスちゃんを見て親みたいなほっこりした気持ちになっていった。

 

 やがて話がひと段落ついた際にエドワードがついに気になっていたことを聞く。

 

「それでですが、私達はどういう処遇になるのでしょうか? 知らぬとは言え犯罪に手を貸してしまった事になりますが」

「確かにそうだ。リンネさん、この場合俺達はどうなるのだろうか?」

 

 知らずに犯罪に加担してしまった。

 最悪の事態、"シコウノトリ"が死んでしまうことは免れたがそれでも何かしら罰則はあるだろう。

 しかしリンネさんは俺たちの言葉に首を振った。

 

「そうですわね……。確かに通常であれば無罪放免とはいきませんが最悪は免れましたから。それにどちらかと言えば貴方方に助けて貰った側面もあります。ですので、何の訴えをわたくし達はしませんわ」

「本当か? よかった……」

「……というより、そちらを裁くとなるとこっちも許可状奪われたことを話さなくてはならなくなるので、実に保身に走った内容であるとヒノハは判断します。正に悪徳貴族の典型ですね、お嬢様」

「ちょっとぉ!? 余計な事は言わなくて良いんですわよ!?」

 

 なるほどそう言う理由か。

 たしかに護衛に奪われたとなれば貴族にとっては醜聞かもしれない。

 貴族だろうが態度の変わらないキキョウが慌てるリンネさんに対して言葉を話す。

 

「別に何もそこまで慌てる必要はないじゃない。隠せる事なら隠したいと思うのが人の心情よ」

「だからこそですわ。ただですら貴族の中には貴族の役割を放棄して贅に耽る者がいますのに、これ以上何かあったらまた民に何が言われますわ。ただでさえ、今は問題があるのに(・・・・・・・・・)

 

 キキョウの言葉にリンネさんは頭を抱えてため息を吐く。貴族の御息女なだけあって大変なんだな……。

 

「どの道冒険者ギルドには抗議の連絡を入れておきます。これで煩かった態度もある程度抑制してやれますわ」

「そう言えばリンネさん達は調査と言っていたけど、何故態々リンネさんが直々に?」

「それはわたくしが"調査官"でもあるからです。ここ、ラルフォール公国は数多くの魔獣が存在します。中には未発見のものや固有の種がいますわ。そしてそれを調査し、流通などを調整するのが我々"調査員"の役割です。わたくしのお父様もまた"調査官"であり、組織のお偉い様でもありますわ」

「自ら調査に赴いたという訳ですか」

 

 やはり貴族の中でもリンネさんは貴族の役目を全うしようとしている。

 まだ俺よりも若いのに大したものだ。素直に尊敬する。

 

「ところで……その狼は」

≪ガゥ?≫

 

 そわそわとした様子でリンネはジャママを見る。

 

「ジャママの事ですか? 確かあの村の人は"金白狼"って言ってましたかな」

「"金白狼"! その名を聞いて確信しましたわ! 彼は正確には"月虹狼《セレハティ》"と呼ばれる超希少な魔獣ですわ!伝承や神話では、女神からの使いとして側に使え、支え続けると言われる逸話がある魔獣ではありませんか! こんな所で出会えるなんて!」

 

 感動するリンネさん。

 俺たちはというと、リンネさんの言葉に驚いていた。

 

「君、そんな由緒ある血統の種だったんだな」

≪ガゥン?≫

 

 どうだ? みたいな顔で振り返るジャママ。

 アイリスちゃんもジャママを褒められて機嫌が良くなる。

 

「えっへん! わたしのジャママはすごいのです!」

「確かに素晴らしいですわ! やはりエルフであるならば、そのような魔獣を手懐けるのも容易なのですわね。……ですが、ワタクシのリンクルには敵いませんね。面構えからして違いますもの」

「……はい?」

 

 気温が下がった気がした。

 ヒノハさんとランドルフは、あーぁみたいな顔になる。

 

「あら、当たり前です。ワタクシのリンクルは由緒正しい血統書付きの魔犬です。それにこの品種、ブルドックは古くから王族の愛玩動物として可愛がられ、重宝され、数多の絵画を描かれているほどですから。"月虹狼(セレハティ)"もまた逸話こそありますが、モチーフや知名度ではこちらの方が上ですわ」

「わたしのジャママだって毛並みには自信がありますよ!!」

「いえいえ、見た所その"月虹狼(セレハティ)"はまだ子ども……いえ、それにしては既に貴方と同じくらいには大きいですが、主人を守るにはまだ力不足かと。リンクルはこの国で開催された魔獣大会で優勝するほどの実力ですわ! 幼い頃からわたくしを常に守ってくれました」

「ぬぐ、ジャ、ジャママだって何度もわたしを助けてくれました! 飛竜にだって立ち向かったんです!」

「ひ、ひりゅっ!? そ、そんな訳ないですわ! 幾ら"月虹狼(セレハティ)"でもその大きさじゃ無理ですわ!」

「ふふーん、それだけわたしのジャママが優秀なんです! そちらの、相棒と違って!」

「なんですって!?」

「なんですか!?」

 

 ぐぬぬとぐににと、額を突っつき合わせてその後も二人はどれだけ自分の相棒が優秀か自慢する。

 

「二人して張り合っちゃってるなぁ」

「ちみっ娘同士の争い。ふっ、見ていて滑稽ね」

「お嬢様、はしたないですよ」

「いやぁ、こうしてみるとどちらもお子ちゃまだなぁ。突き詰めれば自分の好きなものが一番って自慢してるだけだから。見てる分には面白いな、あっはっはっ!」

 

 俺たちはそれぞれに仲間に話かける。しかしお互いに互いのパートナーが一番と譲らない。

 一方主人達の会話に感化されてか、此方でも争いが始まろうとしていた。

 

<ガルル……!>

<……バゥンッ>

<ガゥンッ!?>

「向こうも張り合おうとしてるけどジャママ全く相手にされていないな」

 

 リンクルに唸るジャママを一蹴する。

 

 体躯こそ、今のジャママとほぼ同じだがあの魔犬……強いな。

 今も顔こそそっぽ向きながら耳は此方を伺っている。場所もリンネをすぐさま庇える位置にいる。どうやら相当高い知能を持っているのは間違いない。

 

「……アヤメ殿、少しお話が」

 

 そんな時、人目を忍んで背後からエドワードが話しかけて来た。



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物事とはうまくいかないものである

 街に着いた。

 正確には城門に入る為の門の前にだけど。

 此処はコアストリドット領のエルタルという街だ。

 

 因みにリンネさん達とは城門前で此処で別れた。彼女らは、そのまま密漁者達もしょっぴいて行った。彼女は何度も礼を言っていた。いらないと言ったが報酬まで受け取ってしまった。

 言外にあの一連の事を公言しないで欲しいという理由も含まれているだろうがそれ抜きにしても、やはり礼儀正しい娘だった。

 

「あれエドワード、君の鎧は何処にいったんだ?」

 

 エドワードの格好だが身につけていたはずの鎧が消えていて、代わりにその下にあった仕立ての良さそうな衣服を露わにしていた。

 

「鎧ですか? 流石に街に入るのにあのような重武装では不可能ですよ。冒険者でもないのですから。更にはあの鎧はそれなりの業物。出所を疑われてバレたら意味がありません。なので今はこの魔法袋に入れています」

 

 エドワードは肩に背負った俺のよりも大きな魔法袋を見せる。

 

「魔法袋ってそんな重量のもの入るんですか?」

「私の持つ魔法袋はかつては王族をも使い、下賜(かし)されたものなので一般的なものと比べてかなりの物が入ります。最も鎧や武装を入れて仕舞えばそれ以上入らないのですが」

「あぁ、あの鎧と盾槍は重そうだからね」

「重そう、ではなく結構重いですよ。まぁ、魔印を刻んでいるので体感ではある程度重さが軽減されているのですが」

「え、あれって魔法具だったのか」

「わたしは知っていましたよ! あの時エドワードさんの身体を漁った時に見ましたから」

「えっ、ちみっ娘そんな事していたの? 男なら誰でも良いのね……不純だわ。ねぇ、アヤメ。あんな破廉恥娘よりも落ち着きのある大人な女性の方が良いと思わない?」

「違いますよ!! 失礼な!! あと勝手に人を痴女みたく言わないでください!」

「しかし本当に取り出せるのか?」

「見てみますか?」

 

 俺の買ったやつよりもデザインが洗練されていて紐を解くと大きく口を開く。そして中からニュッとエドワードの槍の先が出て来る。

 おぉーと皆が口を開ける。

 

「アヤメさんが大金叩いて買った魔法袋がまるで子どもみたいです」

「態々手痛い言葉をありがとう。けど鎧といい随分と豪華なものを使っているね」

「これでも元一国の騎士団を纏め上げていたものです。装備もそれなりの上等なものを下賜(かし)されていましたし、オーダーメイドで造られてもいました。流浪の身で此処までの装備を持つものはそうそういないかと」

「それならアヤメさんも元はゆもぐっ」

 

 何か言いかけたアイリスちゃんの口を塞ぐ。何を言い出すかわかったからだ。

 

「どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ」

「アヤメアヤメ、ちみっ娘が満更でもない顔をしているのがむかつくから早く離して欲しいわ」

「むふふ〜」

 

 キキョウがじとっとした目で此方を見ている。

 そんなことをしているとエドワードがこほんと一つ咳払いをした。

 

「それと一つ訂正を。今の私はエドアルド(・・・・・)です。そこの所、配慮をよろしくお願い致します」

「あぁ、そうだったね」

 

 リンネさんとアイリスちゃんが互いの相棒をいかに素晴らしいか語り合っている時、エドワードが話しかけてきた。

 

 どうやら自身の偽名について口裏を合わせて欲しいとのことだった。バレはしないと思うが、ヴァルドニアとラルフォール公国は国としては近い位置にある。ユサール遊撃騎士団についてもある程度把握しているだろうから必要な事だと。

 

 彼は今、エドワードからエドアルドに名を変更していた。

 

「エドワードとエドアルドって殆ど変化が無いように思えますが良いんですか?」

「細かな発音の違いですよ。エドアルドもエドワードも発音がなまっているかどうかその程度です。聴く分には対して変わりませんが似た名前の別人と思うでしょう」

「しかし、もっと別の名前にしても良かったんじゃ無いか?」

「あまり名前を変え過ぎても慣れるまで時間がかかります」

 

 そうかな。

 俺の時は意外とすんなりと受け入れられたが。いや、あの時は状況が状況だったか。それとも、アイリスちゃんが真摯に考えてくれたからか。

 

「? 何ですか?」

 

 何でもないと答える。

 アイリスちゃんはそうですかと言いながら笑顔を向けていた。

 

「それにしても折角街に着いたんだ。色々と買う物はあるね。食料に、衣類、何か掘り出し物の魔法具。最も魔法具は高望みし過ぎだけどね。別になくても構わない。食料とかも補充は当たり前だ」

「その物言いですと、何やら本命があるように聞こえますが?」

「そうだよ。実はこの街で馬を買えないかと思っている」

「馬」

「馬ですか?」

「馬ねぇ」

<カゥ?>

 

 馬。そう馬だ。俺たちには馬が必要だ。

 ピエールさんに伴って各地を移動した際にその思いは強くなった。

 馬は良い。

 最高だ。

 あれは良いものだ。

 

「なるほど馬ですか。良いですね。大地を踏みしめる力強い足腰。こちらの気持ちを推し量り、その通りに行動してくれる。彼らは寝食を共にし、言葉を交わさずとも寄り添ってくれる。人類とは馬と一緒に歩んで来たと言って良いでしょう」

「えっ、なんですか。いつにもなく饒舌(じょうぜつ)なのです」

「もしかしてエドアルドって馬が好きだったりするのか?」

「左様ですね。私も、長年の苦楽を共にした愛馬がいましたが、何処ぞの救世主を目指す人に殺されてしまいましたから」

「ねぇ、それ誰とかじゃなくて明らかに俺の事言ってるよね? もしかして根に持ってるのかい?」

「当然でしょうアヤメ殿。あの時は敵同士であり、生死を賭けた戦いだとは理解しています。あの時死んだ愛馬……マネラとは私が騎士になった時との付き合いですから」

 

 重いんだけど!?

 すごく罪悪感が湧くんだけど!?

 いつも通り無表情でじっと見てくるエドアルドだが心なしか批判の視線が入っている気がする。

 

「まっ……んんっ! まぁ、そうだね。エドアルドが言ってくれたけど馬は重要だ。幸い粉砕熊の皮は高く売れるとリンネさん達にお墨付きをもらった。だからこれで馬を買う資金は出来たと考えても良い」

 

 エドアルドの仕留めた"粉砕熊"だが、その事を話すとリンネさんが剥製にするとかで高く買い取られた。

 因みに俺が仕留めたのは首と胸の傷跡と流れた血で皮が余り綺麗じゃないとかでエドアルドのより安かった。世知辛い。まぁ、それでも一般的な市民と比べると結構な額が手に入ったから良いんだけど。

 

「それにヒノハさんにもこの街の馬売り場についてはある程度聞いた。だから迷う事は無いと思う」

「そうですね。久々に私の目も光ります。馬に関しては私も造詣が深く、一言ありますよ」

「頼りにしてるよ。良い馬を買えるにこしたことないからね」

「えぇ、任してください。では、早速行きましょうか」

「えっ、先ずは宿とかから……」

「良い馬というのは誰にとっても得難いものです。なればこそ、迅速に、早急に、確保する必要があると具申します」

「お、おぉ……そ、そうだね」

 

 いつになく強引なエドアルドに押される感じで俺は頷いた。

 

 

 

 

 

 

「へぇ、どれもこれも立派だね」

 

 訪れた馬小屋は、この街でも一番大きな馬を扱う店だ。

 

 俺は近くにいた馬の顔を撫でる。人懐っこいのか、撫でる手に顔をすり寄せた。

 

「わぁ。こうして改めて見ると馬って立派ですねぇ」

「ふ〜ん、そう? どいつもこいつものほほんとした顔しているしこんなのでちゃんと走れるのかしら……って、うぇっ、涎かけられた!」

「ぷっ」

「なっ、ちみっ娘笑ったわね!?」

「笑ってないですよ。ぷぷっ」

「むきぃー! 絶対笑った! 笑ったもん! うぅ、この服に臭いつかないわよね…?」

「その時は消臭としての花の調合ぐらいはしてあげますよ」

「……礼を言うわ」

 

「馬は賢いっていうからね。嫌な事を言ったら当然悲しいし嫌な気持ちになる。だから余り馬鹿にしちゃダメだよ、キキョウ」

「アヤメ……。そうね、悪かったわね」

<ヒヒィン!>

「わぷっ、な、なんでよぉぉ!! 謝ったじゃない!」

「馬にすら下に見られているのですか……」

 

 またも涎をかけられたキキョウを宥めるアイリスちゃんを見ながら俺は視線を彷徨わせる。

 

「エドアルドは……あそこか」

 

 見ればこの店のオーナーらしき人と話していた。

 

「この馬はどこで育ったのですか?」

「それは西方の方から買い取った馬ですね。良い馬でしょう?」

「なるほど。足腰が立派なのはそのせいですか。彼処から来るとなると山を通る事が多いですからね。……しかしそのせいか少々骨格が曲がったのか体勢が悪いです。しかもそれに対して処置した様子はなし。これでは早々に脚を壊してしまいますが」

「いっ。た、確かにそうかも知れませんがっ」

「それでこの値段。詐欺とされても文句はありませんよ。少し、兵士も加えて詳しくお話ししましょうか」

「か、勘弁してくだせぇ!」

 

 エドアルドは馬の体調を見抜いて、商人相手に不備を詰め寄っている。あれ怖いんだよね。真顔でこっちに近付いてくるから。

 

「エドアルド、だめだよ。それじゃ君が脅しているみたいになっているよ」

「心外です。私はただ事実を指摘しているに過ぎません」

「側から見れば、だ。君はちょっと……いやかなり馬の事になると周囲の視線が見えなくなるみたいだね。ちょっと向こうにいって頭を冷やそう」

「……そうですね

 

 俺たちはオーナーから少し離れた位置に戻る。

 同じく涎を拭き取った二人も合流する。

 

「すんすん。うぇぇ、なまぐさいよぉ……」

「結局一匹として、ぼっちには懐きませんでしたね。それでそっちはどうでしたか?」

「こっちも散々さ。俺が良いと思う馬はいたけど」

「そうですね。あの馬はともかく粒揃いではあります。私の愛馬マネラには劣りますが」

「その話やめてくれない? 心がちくちく痛むんだよ」

 

 エドアルドの言葉に若干心を痛めながら並ぶ馬たちを眺める。どれもこれも立派でよく鍛えられた体躯をしていた。これなら馬車を引くのに充分だ。

 顔の方も自身に溢れて……あれ、怯えてないか? 馬達の視線の先にいるのは…|肉食動物≪ジャママ≫。

 

<ガウン?>

「あぁ、そうか。ジャママは狼だから馬が怯えているんだね」

「今の大きさのジャママに怯えるくらいじゃわたし達を牽引するには力不足ですね。ふふん、やっぱりわたしのジャママは最強! 孤高の存在です」

<ガゥガゥッ!>

「どや顔してるけど、それじゃ馬を買っても走ってくれないってこと気付いてないの?」

「わ、わかっていますよ!」

<カゥ……>

 

 珍しくキキョウに指摘され、アイリスちゃんはバツの悪そうな顔をする。ジャママも飼い主と似たようにシュンと尻尾が垂れる。

 しかしこれは参ったな。これじゃ馬を買ってもキチンと牽引してくれるかどうか…。

 

「まぁ、これだけいるんだ。1頭くらい肝が座ったのがいるはずだ。探そう」

 

 俺は軽い気持ちでそう言った。

 

 

 

 

 甘かった。

 子どもと言えど、『森の金狼』とまで呼ばれ、恐らく森を支配していた"月虹狼(セレハティ)"の血を引くジャママに対して普通の馬じゃ恐怖に耐えられなかったのだ。

 結果は無残。全馬がジャママに怯えた。キキョウに涎をかけた図太そうな馬もダメだった。

 

「全滅か……少しくらい大丈夫な馬がいると思ったんだけど」

「仕方ありません。馬は往来臆病なもの。恐怖に耐えるよう訓練された軍馬ならともかく、普通の馬では自身の天敵である肉食獣がそばに居て落ち着くのは不可能です。唯一の望みは軍馬が何かしらの理由で売られていればでしたがそれも無理でしたから」

 

 エドアルドの言葉に俺は相槌をうつ。確かにそうだ。例え軍馬が居ても他の商人が買い取ったりしているはずだから余っているはずがない。

 

 原因が自らにあると思ったのかジャママは何時もの自信満々な態度は消え失せ、ペタンと耳を下げて尻尾も丸まっていた。

 

<ガゥゥ……>

「ジャママ、そんなに落ち込まないでください」

「そうだよ。どうしても無理なら"疾走蜥蜴"とか"疾る駝鳥(オトリュッシュ)"みたいな怯えることのない魔獣を買えば良いからね。まぁ、どちらも馬よりは速さや走行距離に劣るけれども」

「いっその事ゴーレムがあれば良かったんですけど……。そうすればジャママに怯えるなんてことありませんから」

「アイリス殿、それは"走行する魔法の鎧馬(アンヴァル)"のようなものの事でしょうか?」

「かの伝説の魔導技師の作った作品か。流石にそういうのには値が張りすぎて手が出せないね。そもそもそういうのは大抵国が管理しているだろうし、『魔導技師』の出身国、魔導国家マキナなら或いはって所か。でもどっちせよ現実的な案ではないね」

 

 魔力を糧に自動で動くゴーレムとなるとそれはもう値段が跳ね上がる。なんて言ったって生き物の馬と違い休息と食料が必要でないので日夜問わずに動き続けることができる。一応動かす動力となる魔石の問題はあるけど、それでも一度動かすと休憩の必要ない単調な作業を続けるゴーレムは魅力的だ。

 

「ゴーレム……こんな事になるんなら一体くらい『地蝕』(・・・・)からせしめとけばよかったかしら」

 

 ボソッとしゃべったキキョウの言葉を俺は聞き逃した。

 

 結局俺達はその後も様々な馬小屋を訪れては商人と交渉するも馬を買う事が出来ずに、噴水のある広場の近くにある喫茶店で休憩する。

 

「はぁー、うまくいかないものだね」

「そうですね、何処もジャママに怯えててんで使い物になりそうになりませんでした」

「俺が『魔導技師』の職業(ジョブ)であればなぁ。いや、そもそもあんまり器用な事は得意じゃなかったな。そういったのが得意だったのはユ……」

 

 エドアルドが側にいたことを思い出し、慌てて誤魔化す。

 

「んんっ、とにかくこうなった以上手詰まりだ。この街で馬を買うのは諦めた方がよいかもね」

「さようですね。そうなると、また徒歩ですか」

「それもそれで次の街に向かうまでのスピードと日数がなぁ…。魔法袋に入る食料も無限じゃないし。……あ、思ったんだけどさ、キキョウなら氷の馬を作れたりしない? なんてね、そんなわけ」

「作れるよ?」

「え?」

「だから氷の馬なら作れるって。アヤメなら分かるでしょ?」

 

そうだった。キキョウは魔王軍八戦将の『氷霧』の時、浮遊する氷の薔薇や氷の巨人を形成した。ならば馬くらい何ともないのだろう。

 

「ならそれで良いんじゃないか? 別に買わなくても」

「でも、馬に乗ることはオススメしないわ。氷だから冷たいし、下手したら凍るわよ?」

 

 ……それもそうだ。

 あの氷の巨人も近付くだけでとてつもない冷気を発していて、少しならともかく長く触れると凍ってしまった。

 馬とは乗り物。長時間跨っている間常に氷の馬から放たれる冷気に悩まされる事になるだろう。

 風邪を、いや凍傷にもなるだろう、拷問かな? 

 

「うん、悪いけど遠慮するよ」

「それが良いと思うわ。馬車に繋ぐにしても連結部分から段々と凍っていくもの」

「冷気だけ発しないようにとかできないんですか? 」

「それは炎に触って火傷しないようにしてって言うものよ。魔法は使役者自身にはある程度耐性があっても他人にも影響を及ばさないようにするとなると話が違ってくるわ。『黒の魔術師』や『白の魔術師』のように支援特化や状態異常特化じゃあるまいし。ふふん、そうなると此方の馬に乗ったらちみっ娘はお腹を壊してしまうわね」

「なんで得意げなんですか。寧ろ、冷気を抑えることが出来ない分、ぼっちはまだまだと言うことですね」

「なっ、此方の魔法が未熟だとでも言うの!?」

「そう言ってるのです! 因みにわたしはか・ん・ぺ・き・に! 元素魔法を扱う事もできるのです! どこかの身体だけいっちょ前に成長した半人前とは違うのですから」

「むきぃー! む、むかつく!」

<クゥン>

 

 先程の意趣返しか、ここぞとばかりにどや顔するアイリスちゃん。そうしていつも通りの戯れをする二人を俺たちは見つめる。

 

 あれは二人にとって軽口みたいなものだ。現に初期の頃と比べて本気でいがみ合っていない。

 あの二人も仲良くなったものだなぁ。

 

「……魔法を扱えない我々には耳が痛い話ですね」

「その分鍛錬を積んでいくしかないさ。俺たちは前衛なんだから。という訳でエドアルド、あとで軽く一戦付き合ってくれないか?」

「御所望とあらば。あの時の屈辱を晴らさせてもらいましょう」

「悪いけどまだ負ける気はないよ」

 

 俺とエドアルドは僅かに火花を散らす。

 修行は大切だが負けると悔しい。これまでも手合わせしていたがどちらも本気じゃなかった。

 エドアルドはあの時の雪辱を晴らしたいのだろうけど俺もまた負けず嫌いだから

 

「まぁ、とりあえず馬の事はまた考えよう。それよりも何か食べようか。気分も変えたいからね」

 

 俺はそう提案した。



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闇に潜む者

 

 街の一角にあるコアストリドット伯爵邸。

 そこにあるリンネ専用の部屋で何やら声が微かに聞こえていた。

 

「ほーらほら、リンクル。此処が気持ちいいんですの?」

<バゥッバウッ>

「うーん! 本当に可愛らしいですわ、私の名前!! この皺くちゃな顔も、円らな瞳もみぃーんな、可愛い!!」

 

 リンクルを胸に抱えてクルクルと回転するリンネ。

 その顔はヘニャリとだらしなく緩み、淑女らしからぬものだ。

 

 先程から何度も大声を出しながら戯れているが問題ない。この部屋は防音だ。いくら騒いでも周りには聞こえない。

 

「お嬢様」

「ふにゃあ!!? ヒ、ヒノハ!! 入る時はノックして下さいませな!」

「ノックならしてたぜ、お嬢様。リンクルに夢中で気付かなかっただけだろ? 犬が好きなら、俺の事撫でても良いぜ?」

 

 可哀想なことに防音も部屋の中居たら何の役にも立たなかった。

 音も無く現れたヒノハと、ニヤニヤと揶揄う様子のランドルフがいつのまにか側にいた。リンネは己の痴態を見られた事に頬を染めるも直ぐに立ち直り、ランドルフの言葉に冷ややかな目を向ける。

 

「嫌ですわ。貴方のむさ苦しい割れた腹筋なんて触りたくありません」

「だろうなぁ。つーかお嬢様、俺別に腹撫でろとは言ってないぜ? 尾とかのつもりだったんだが、腹からとはなぁ。お嬢様、むっつりスケベだな」

「だ、誰がむっつりスケベですって!?」

 

 キィーっと態々ハンカチを噛んで心外だと反応するリンネ。

 それを見たランドルフがケラケラと笑う。

 

「お嬢様、ランドルフ。お戯れもそこまでに。お嬢様、本日はご報告があってこの場に参りました。例の者達ですが、問いただした所いくつかの密売ルートの方が発覚致しました」

「本当ですの!? ならすぐさま衛兵を指し向けなさい! 卑劣な輩を逃すわけには行きませんわ!」

「その事で少々問題が……一度"シコウノトリ"を一箇所に集める為に根城へと運ぶ手順となっていたそうなのです。そして、彼らはとある盗賊団と協定を結んでいたのです」

「それは誰ですの?」

「"暗闇に潜む闇鯨"という盗賊団をご存知でしょうか?」

 

 その名を聞いたリンネの顔が引き締まる。

 

「確か、街道によく現れる盗賊団ですわね。全く、治安を騒がすとんだ下衆どもですわ。確かお父様とその同輩の方が冒険者ギルドの方に掃討を依頼した事があったような気がしますわ」

「……実はその事ですが、前に向かった国の軍や冒険者ギルドの《4星》相当の実力者までもが返り討ちにあっていました」

「!? そんなにやばい集団でしたの?」

 

 冒険者ギルドの《4星》はかなりの手練れだ。

 その実力は国の近衛騎士にも匹敵する。それらが敗れたとなるとその危険度は街すら脅かすかもしれない。

 

「いえ、前までは小規模かつ散発的に馬車を襲い、討伐隊が来れば蜘蛛の子を散らして逃げるような小物の集団でした。しかし、何やら最近妙に強気で商団までも襲うようになりました。そして、物資の略奪に成功しているのです。人数の規模等は変わっていないはずなんですが」

「何か、それだけの事が出来る魔法具か人材が手に入った。あるいは陽動の可能性もありますと?」

「その通りです。最も生存者がおりませんから憶測ですが」

「どっち道早い事、ケリつけた方が良いだろう。で、だ。その"暗闇に潜む闇鯨"だがその根城が割れた。だが、奴等が予定していた取引の日までの日付が近くて、もし奴らが来ないことを悟ればいなくなる可能性が高い。早急に行かなきゃならない。なんなら、俺が行ってやろうかぁ? お嬢様?」

「貴方を行かせたら隠密行動なんて出来ないでしょう。すぐにバレて逃げられてしまうに違いありませんわ」

「いやぁ、バレたか」

 

 ケラケラと笑うランドルフには微塵も悪気を感じられない。これだ。獣人のランドルフは確かに強いのだが、そのかわり細かい事が苦手で本人もそれを克服しようとは微塵も考えていない。『盗賊(シーフ)』としての職業(ジョブ)はあるのだから罠の解除等にはうってつけなのだが、その性格のせいでイマイチ仕事に信用出来ない。信頼はしているのだけど。

 

 溜息を吐く代わりにリンクルを抱きしめる。

 

<バゥン>

「……お父様に頼んでも難しいでしょうし……」

 

 リンネの親は、公国において魔獣の保護を求める派閥に属する貴族である。ある程度なら他の貴族に影響力は持つが、今はこの場にはいない。

 

 《4星》が壊滅するような相手だ。屋敷の私兵を連れても敵わないだろう。それに彼らを無駄死にさせる気はリンネにもない。だが、このまま放っておいても"暗闇に潜む闇鯨"による密猟も人的被害も止まらない。

 

「かと言って冒険者に頼むのも……」

「まぁ、一度あれで痛い目にあったからなぁ。信用出来ないよなぁ。向こうも謝罪とより強い協力を約束してるとは言え、《4星》が敗れた盗賊団が相手だ。面子を回復させようとはするが今この街には《光星(アストライアー)》もいねぇし、尻込みするだろうなぁ」

「その隙に、冒険者に扮した密猟者が捕まったことを耳に入れて逃げられたら最悪ですわ。やるなら一度で確実に包囲殲滅しませんと」

 

 だがその為の兵力が足りない。

 やはりランドルフを中心に兵を組むしかないかと思った時、ヒノハが口を開いた。

 

「1つだけ手といってか良いかわかりませんが、ありますかと」

「それは?」

「大湿原で出会った方々を覚えているでしょうか?」

 

 リンネはすぐにピンと来た。

 

「えぇ、あの旅の方々ですわね。見た目は怪しい方々でしたが、礼儀正しく好感の持てる人達でしたわ。それがどうかしましたの?」

「彼らに頼んでみてはいかがでしょうか?」

「正気ですの? 部外者に弱みを見せろと?」

「勿論正気でございます。それに部外者という括りでは冒険者も元々から部外者です。私共から許可状を奪った者から話を聞けば"透澄水蜘蛛(シースパイダー)"を彼らは意図も容易く仕留めたらしいです」

「"透澄水蜘蛛(シースパイダー)"を!? 確かに水蜘蛛を倒したとは聞いていましたが、そんなに手練れの方々でしたの? 貴方はどう感じましたか、ランドルフ」

「あぁ、あれは強いなぁ。金髪の子以外誰もが死線潜り抜けて来た猛者の臭いがしたぜ。多分、冒険者チームとすれば《光星(アストライアー)》としても不思議じゃねぇな」

「そんなにですの!?」

 

 《光星(アストライアー)》クラスの冒険者など殆ど存在しない。

 そこまでの腕なら何かしら名声や噂がありそうなものだが、生憎彼らと特徴の一致する強者の噂を聞いたことがない。

 

「いえ、確かアヤメという方は仮面をしていましたわね。もしかして、孤高の《光星(アストライアー)》、常に仮面を被り一人だけの『花騎士(フラワーナイト)』と呼ばれる者と何かしら関係が?」

「んー、どうだろうな。とにかく其奴らなら、もしかしたら"暗闇に潜む闇鯨"であろうと、何とかなるかもなぁ。全員捕まえるのは無理でも幹部くらいならひっ捕らえる事が出来ると思うぜぇ」

「いずれにせよ、決断するのはお嬢様です。旦那様も、お嬢様の頼みであればきっと聞いて頂けるかと思います」

 

 リンネは頭を働かせた。

 今大事なのは時間との勝負。なら恥だとか何とかは言ってられない。腹を決めた。

 

「話をするにも一先ず見つける必要がありますわね。ランドルフ! 早速あの四人と一匹を探してきなさい!」

「うへぇ、お嬢様マジ人使い荒いぜ。へぇーへぇー、了解ですよっと。そんじゃま、行ってきまーす」

「もう少し緊張感を持ちなさい!」

 

 部屋から出て行くランドルフをリンネは見送る。

 溜息を吐いて椅子に座る。

 

「ヒノハ、それであの件についてはどうなっていましたか?」

 

 その言葉にヒノハは声を潜めた。

 

「此処より東南のクロミアという村でまたも被害がありました。生存者はおりません」

「……そうですか」

 

 それは今リンネの父親が議題に出している人々の謎の集団失踪についてであった。

 ある日、突然人が消えるのだ。痕跡として何かの足跡が残っていることから生き物によるものなのは間違いない。

 だがそれが何なのか分からず、かといって手をこまねく訳にもいかず今リンネの父親もそれに対しての対策をする為に似た被害にあった他の貴族達と協議の為にこの場にいないのだ。

 

「やはり、魔獣……それも鳥型によるものでしょうか。或いは飛竜。空からなら人の目も、それに逃げ出す相手も容易く見つけることができますわ」

「魔獣としても明らかに民家への攻撃としており、その割には血痕が少ないのが些か気になります。それに、狙うなら村にいる馬や家畜の方が容易いのにそちらには一切被害がないそうです。だけど、人の死体は有らず(・・・・・・・)、村はがらんと廃村となっていました。僅かにある痕跡ですが『魔獣使い』の調査員も、このような足跡、爪痕の魔獣は今まで見たことないと物議を醸しているようです。少なくとも、飛竜とは違うと」

「どちらにせよ、被害は食い止める必要がありますわ。此処は我が家が治めし領土。住民を守るのは貴族たるわたくし達の役目。ヒノハ、より精細な情報を集めなさい。過去の資料と比べて何かしら新しい情報はないかを確認しなさい」

「承知致しました」

 

 礼をし、ヒノハもこの場から退席する。

 

 リンネは椅子に深くもたれかかった。

 しかし、それにしては人のみを狙うのが気になる。

 それに人の死体がないことも。

 

「……魔獣でなければ、なんなのでしょうね。魔物、とは思いたくはありませんわ」

 

 憂いを帯びた声色でリンネは呟いた。

 

 

 

 

 

 

 薄暗く、生ぬるい洞窟の中。

 松明の明かりだけが光源の中でこの男は一人佇んでいた。

 

 耳をすませば聞こえる魔獣達の苦悶に満ちた声。 そして聞こえる下卑た声。

 

「……ちっ」

 

 舌打ちする。

 

 酷く不愉快だった。

 この場に居ることも、こうなってしまった自分の所為にも。

 

 そんな時大きな音が鳴った。

 

「しまった! "硬顎土竜"が檻から逃げ出した!」

<モォグゥウゥゥゥッ!>

 

 見れば檻を破壊し、一匹の魔獣が脱走していた。周りの盗賊達も止めようとするが歯が立たない。狭い洞穴でこのまま暴れれば崩壊の危険があった。

 

「うるせェ、【嵐龍脚(らんりゅうきゃく)】」

 

 "硬顎土竜"の頭上まで飛び上がり、目にも留まらぬ蹴りを加える。

 その鋭さ、威力ともに正に暴風の如き鋭き一撃。

 それだけで鉄以上の硬度を持つと呼ばれた"硬顎土竜"の顎は、頭ごと粉砕された。

 

「おい!? 殺すなよ! 折角スポンサーから捕獲を頼まれていたっていうのに」

「うるせぇ。そもそもコイツも俺ぁが力を貸したから捕獲できたんだろうが。身の丈に合わない魔獣を捕獲するからこうなる。大人しく、元の生活に戻れば良いものを。欲をかくからだ」

「て、てめぇっ」

「ーー文句あるのか?」

 

 殺気すら込めた目に、怒鳴っていた密猟者は押し黙る。所詮は、楽な方へと流れてきた連中。男との差が余りにもありすぎる。

 

「おいおい、そこまでにしろよ」

「……お前は」

「おいおい、そんな睨むなよ。へへっ、恐ろしいな。だが、アンタは俺達に手出し出来ねぇ。どうなるかわかってるよな?」

 

 目の前の男達を殺す事など容易い。だけどそれをすればどうなるのかわからない男ではなかった。

 

「仲間からの連絡で今度別の街道を通るであろう商人を襲う事にする。その際にお前も出ろ。護衛が厚いらしいからな。そこで得た馬と、今大湿原にいる仲間を回収したら此処から魔獣達をクライアントの所に運ぶ。そうすれば兵士の目は襲われた商人の方に向くからな。くれぐれも変な気を起こすなよ」

「わかってるっつぅの。仕事はしてやる。だから」

「なら早くしろ。あのバケモノ(・・・・)をーー」

 

 密猟者の顔の横に凄まじい突きが放たれた。壁にヒビが入り、魔獣達の喧噪すら止む。それだけの威力の突きなのに、壁から手を離した男の手には傷一つない。

 

「次バケモノと言ったら殺す」

「あっ、ひぃ」

「ぐっ、ちょ、調子に乗るなよ! アレを殺されたくなかったならな!」

 

 その言葉にギリッと男は歯を食いしばった。

 言いたいことを言ったのか密猟者達は足が砕けた仲間を支えつつ、男の元から去る。

 無防備な背中を男は睨む事しか出来ない。

 

「あぁ、クソッタレが。だが、アイツを助ける為には俺ぁ誰が相手だろうと悉くを倒してやる。誰が相手だろうと容赦しねぇ。一切合切、鏖殺(おうさつ)してやる」

 

 男は揺るぎない瞳をして呟いた



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盗賊の洞窟

 

「ほれ、此処だ」

 

 ランドルフに案内されたのは森深くの岩が沢山ある場所だった。

 

 俺達が此処にいるのはリンネ・ペッタン・コアストリッドからの依頼だった。例の密猟者と繋がりがある盗賊団、"暗闇に潜む闇鯨"を討伐するのを手伝って欲しいとの事だった。

 真摯に説明して、頭を下げるリンネの姿を見て無下にすることは出来なかった。

 

「あれが密猟団の根城か……」

「これは分かりづらいですね。周りにある木々もそうですが、岩肌が立体的に重なりあっていて側からは穴がある事すら気付けません。更に、街道にもほど近い事が寧ろこんな近くに密漁者達の本拠地があるはずないという心理を逆手にとっています」

 

 俺もアイリスちゃんも巧妙に隠された隠れ家に舌を巻いた。

 洞穴を根城としているのだが、この辺りは立体的な岩が重なりあって、自然と同化して側からは気づくのは困難だ。

 

「しかし、良く此処を見つけられたな。密猟者から根城の位置が割れたとはいえ、最初は探すの大変だったろ?」

「まぁ、俺は『盗賊(シーフ)』だし『暗殺者』程じゃないが気配を消す事なんて簡単だ。更には獣人だしなぁ。身体能力の基礎はアンタらより上だね。特に臭いを辿ればこんなもんよ」

「獣人は基礎能力では普通の人を上回ってますからね。更には種族ごとに特化した五感とかもありますからその理由は分かります。特に、ランドルフ殿はジャママ殿と同じく狼であり、嗅覚に優れていたのでしたら必然かと」

 

 エドアルドの指摘は理を得ていた。

 ランドルフも頷く。

 

「おう。まぁあとは俺達は外に逃げ出す盗賊がいないか見張っておくぜ。お嬢様の指示に一人として逃すなってあるからな。流石にそろそろ真面目にやらなきゃクビなんだわ、俺」

「なら常に真面目に働けば良いじゃない」

「そんなのヒノハだけで十分だ。俺はゆったり、ブラブラと過ごしてぇ。自由気ままに生きたいのよ」

「なら、なんであの人の下についてるのですか? 矛盾しているのです」

「あー……。お嬢様には恩がある。それだけだ」

 

 何処と無く、照れた感じで頭をかくランドルフ。踏み入った話

 

「あぁ、そうそう。何か非常事態があればその鈴を鳴らしな。そしたらこっちとしても一応洞窟に入る奴決めて複数人で応援には行ってやるからよ。だから死ぬんじゃねぇぞ」

「心配してくれるのか」

「そりゃ、本来なら俺らがやらなきゃいけないことだからな。それを代わりにしてくれるアンタらには頭が下がるし、出来る限りの事はする。当たり前だろ?」

「……うん。そうか。ありがとう。じゃあ、後は任せなよ」

「おうよ。ふてぇ野郎どもをふん縛っちまいな」

 

 

「やっぱり見張りは居ないのね」

「天然の隠れ家ですから、寧ろ見張りを置けば居場所を把握される可能性があるという事でしょう。とはいえ、それはあくまで入り口までの事。恐らく内部は罠や待ち伏せといった類の物が沢山あるでしょう」

「エドアルドの言う通りだ。慎重に進もう」

 

 本来ならこういった罠を解除する為に『盗賊』の職業(ジョブ)のランドルフに着いて来て欲しいが彼にはこの場の包囲という役目がある。

 もしも、何処からか逃げ道があったのならば逃げられた密猟者を捕らえる為にランドルフみたいな手練れは必要だから無理だろう。

 

 だが最善は一人も逃すことなく盗賊団を捕まえることだ。

 だからこそ、慎重に進まなければ。

 

「アヤメさん、少し待って貰えますか?」

 

 俺の袖を引っ張ってアイリスちゃんが止める。

 どうしたんだい、と尋ねるとアイリスちゃんは指先を舐めて掲げる。

 

「……やっぱり風が流れている」

「風が?」

「はい、僅かにですが感じる事が出来ます」

 

 俺はアイリスちゃんの言いたい事がわかった。

 空気の流れがあるということはつまり、別の入り口或いは出口があるという事だ。

 

「ランドルフ殿の話では周囲を見ても他の入り口は確認出来なかったとの事ですが」

「隠し通路って奴じゃない? 幾ら見つけ辛い天然の隠れ家でも、入り口が一箇所しかなかったら火あぶりとかで攻められたら終わりじゃない」

「成る程、道理ですな」

「アイリスちゃん、どんな風に流れているかわかるか?」

「ちょっと待って下さい……【風の精霊よ、我が言霊に込められし願いを聞いてください。吹きゆく風を頼りに、地形を把握せよ、風の乙女の道筋(シルフ・ルート)】」

 

 ふわりと微かな突風が入り口から洞窟内部へ向けて吹いた。

 

「どうだい、アイリスちゃん?」

「……ちょっと、内部の構造が複雑なのと今感じた魔獣が思ったよりも多くてかき消されてたりして細かくは把握できませんでした。けど、風の精霊によると外から大きく回った所に確かに別の入り口があります。それで、アヤメさん。どうしますか?」

「どうするとは?」

「外の方々に伝えるのも手ですけど、わたしとしてはもう片方の方からも突入するのも手だと思います。恐らく、そっちからは攻めて来るだなんて考えもしないでしょうから」

 

 成る程。

 隠し通路からも攻めるということか。

 アイリスちゃんの意見にエドアルドも賛同する。

 

「アヤメ殿、アイリス殿の言う事も一つの手かと。どの道我々全員が内部に侵入しても、中は入り組んで狭い可能性があり、直接対峙出来る相手の数は絞られるでしょう。現にこの入り口でも私が前に出れば、盾と槍が災いして後方からの援護はほぼ不可能になります」

「エドアルド。……確かにそうだな。なら、ランドルフに事情を話して別の方にも人を向かわせよう。問題は俺たちがどう分けるかだが」

「あの、でしたら分け方に提案があります」

 

 アイリスちゃんが手を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

「それで、何で此方が選ばれたのかしら?」

 

 ジャママを引き連れて洞窟の外を沿って歩くアイリスの後ろには怪訝そうなキキョウがいた。

 

「だってぼっちの力は氷による魔法攻撃じゃないですか。洞窟という閉鎖空間で、しかも前衛職と一緒に戦うだなんて無理ですよ。確実に前の人が被弾します。ぼっちも、そんな繊細な事は無理ですよね?」

「何よ! 信用してないって訳!」

「ふふっ、冗談ですよ。アヤメさんも、そして不本意ですがわたしも貴方の事は信頼しています。だから、頼りにしてますよ」

「な、何よ。今度はうってちがって殊勝なこと態度。ふふふーん、任せなさい。此方が相手なら誰であろうとゴミみたいなものよ」

 

 機嫌良さげに歩くキキョウ。本当にチョロいですねという言葉をアイリスは飲み込む。

 

<ガゥッ>

「ぼっち、ジャママがこっちだと言っています。わたしも、不自然な風の流れを感じました」

「わかったわ」

 

 そのままアイリスの案内で隠し通路に辿り着いた。だが傍目からは岩の壁にしかみえない。

 

「此処ですね。微かに隙間があります」

「本当にあるの?」

「ありますよ。けど狭いですね。何処かに岩を動かせる仕掛けがあると思うのですが……」

 

 しかし探しても見つからない。どうやら巧妙に隠されているらしい。

 

「今更だけど態々中に入らないで、此方(こなた)が入り口から氷で凍らせれば盗賊なんて一網打尽じゃないかしら?」

「その場合中にいるであろう動物もアヤメさん達も一網打尽ですね」

 

 む、と眉を顰めるキキョウ。

 遅まきながらもその事に気付いたのだろう。

 

「わかってるわよ……。それで穴は見つかったけどどうやって侵入するのよ? 正面からはアヤメとあのカチコチ騎士が突入したから盗賊の目はそっちに行ったと思うけど。穴もここのは狭くてとてもじゃないけど入れないわ。仕掛けも見当たらないし。多分、中ならしか開かない仕掛けなんでしょうね」

「それなら既に考えているのです」

 

 アイリスはフードから袋を取り出し、袋の中からパラパラと何かを取り出す。

 

「何それ」

「植物の種ですよ。……ラディーチェの樹の種。これなら大丈夫そうです」

 

 そのままなるべく穴の奥に種を置くとそこに手のひらを当てる。

 

「【種に宿りし精霊よ、わたしの声を聴いて、願いて、請いて、成長してわたしたちを守る屋根となってください】」

 

 埋め込まれた種が一気に成長して、巨大な根っこが現れて洞窟の土を押しのけたのだ。結果、アヤメたちが侵入した洞窟の入り口と変わらぬ大きさの新たな入り口が出来上がった。

 

「さ、これで通れますよ」

<クゥン>

「強引ね」

「効率的と言ってください。植物の力を舐めないでください。森で種を食べた鳥が人の町で糞をしてそこから大樹が出来たなんて話もあるくらい植物は強いのです。この程度の洞穴に新たに入り口を作るのくらい造作もないのです」

「それくらい土精霊魔法でも出来るんじゃないの? てか、最初から土精霊魔法使えば態々《言の葉》貴方なら精霊魔法も使えるでしょ?」

「その二つは永続性に難がありますからね。精霊さんも貰った分だけの仕事をしているだけなので。仕事が終われば後は元通りです。後から解除されて生き埋めになるのは嫌です」

「なるほどね。ふふん、此方なら半永久的に氷をその場に留めることが出来るわけ。ちみっ娘と違って、精霊の力なんか借りずに魔力そのものを変質させて氷を作っているからね! どう? すごいでしょ?」

「あー、はいはい。スゴイデスネー」

「何よその言い方! ちょっと聞いてるの!?」

「聞いてますから静かにして下さい、気づかれちゃいます」

 

 不満を露わにしつつもキキョウも、反響する洞窟で騒ぐのは悪手だと気付いているので押し黙る。

 

 洞窟内は生温く、湿気に満ちている。天井には点々と光る目があることから多数の蝙蝠も住み着いている。

 いずれにせよ長くはいたくない。

 アイリス達は足音を立てたり滑ったりしないように慎重に進む。やがて、微かな話し声と灯りが見えた。

 

「ジャママ、どうですか?」

<カゥッ>

 

 不自然な風の流れだと気付かれる可能性がある。此処は聴覚と嗅覚に優れるジャママに任せる。ジャママは小さく吠えた。

 

「……ぼっち、ジャママによるとここから先五人くらい人が居ます。やれますか? というかやってください。その為に一緒に来たんですから」

「人使いが荒いわね……はいはいわかったわよ。【濃霧の氷息(ミスト・アイスフォッグ)】」

 

 ふっと、キキョウが息を吐き出す動作をすると白い霧が瞬く間に盗賊のいる場所に広がっていった。

 



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血を引く者

 

 

「あん? なんだ煙か? ……あがっ!?」

 

 話をしていた盗賊達の身体の表面が瞬く間に凍り始めた。

 

 霧氷(むひょう)と呼ばれるものがある。

 霧が樹木にぶつかると凍るというものだ。

 それと同じ現象が人間相手に起こっていた。彼らの身体の表面と目玉や口内に至るまで薄く凍っていく。その為身動きと酸素も僅かしか吸えなくなり意識が混濁(こんだく)していく。

 

 キキョウが息を吐くのをやめ、白い霧がなくなる頃には盗賊は全員身体中凍りつき動けなくなっていた。

 この力こそ、彼女を『氷霧』足り得る名をつけた力であった。

 

「……炎による焼死もエグいと思いますけど、氷による凍死も中々にエグいですね」

「死んでないわよ。身動き取れないようにしただけ。まぁ、ほっといたら凍傷になって指とか耳とか腐り落ちるでしょうけど」

「どっちにしろエグいのです」

 

 一思いに殺された方がまだマシだろう。

 二人は物陰から出ると凍って動けない盗賊達に近寄る。

 

「な、なんだテメェラッ!? いきなりこんな事しやがってただじゃおかねぇぞ!?」

「そんなこと言っても怖くもなんともないのです。自らの立場わかってないのですか? 頭ぱっぱらぱーなのですか?」

「なんだとぉっ!?」

 

 激昂する盗賊。だがアイリスには何ら怖くない。魔物や魔族と比べたら全くだ。寧ろ、盗賊という人を不当に傷つける者達に対して怒りを抱いていた。

 

「それよりも、不当に捕獲した魔獣の居場所を教えてください」

「……はっ、なんのことだ?」

 

 しかしアイリスのお子さまな見た目ではナメられているのか、捕まえた魔獣の事を尋ねても答えない。そんな時、手に冷気を纏わせたキキョウが盗賊の顔に触れた。

 

「冷っ、な、なにをする!」

「ねぇ、知ってるかしら? 空気にはね、見えないけれど水分があるの。そして人はそれを吸って呼吸している。……つまり、水分を体内に取り込んでいるの。此方は氷を扱うもの。空気中の水分を凍らせるのなんて容易いわ。貴方の吸った空気、体内で凍らせちゃったら……一体どうなっちゃうのかしらねぇ?」

「ひ、ひぃぃっ!」

 

 態々盗賊の耳に冷気を当てて脅すキキョウ。焚き火に照らされて浮かぶ表情は冷酷、冷徹で温かみを感じさせない。まさに氷だ。

 

 それを見たアイリスはやはりと考える。

 表情豊かで、アイリスとの口喧嘩に負けて泣き出したり、ぽんこつな所があるがキキョウの力は強いと。

 

(わたしやアヤメさんの前じゃ全然湧きませんけどやはりぼっちは魔王軍の元八戦将として相応しい力を持っています。味方ならこれ以上頼もしいことはないですね)

 

 しかし素直にそれを口に出せば調子に乗るのはわかっているのでアイリスは胸の内にしまっておく。

 人質の場所を聴き終えたキキョウは、そのまま盗賊を気絶させるとこちらに振り返る。

 

「分かったわ。このまままっすぐ行ったところに岩で隠された秘密の道、そこに集めた魔獣がいるって……なによ、その顔」

「別になんでもないのです。なんか、いつもよりも生き生きしてると思っただけです」

「え? そうかしら? ちみっ娘にからかわれるストレスを発散出来ると思ってついやり過ぎたわ」

「弱い者いじめじゃないですか。引くのです」

<クゥゥ……>

「な、なによぉ! そんな目で此方を見ないでよ! 此方悪くないもん!!」

 

 一人と一匹に引かれた目で見られたキキョウは涙目になる。

 

「まぁ、ぼっち弄りはこの辺にして早く人質を解放しに行きましょう。場所が分かったんですよね?」

「いじり? 今いじりって言った? ……うらむわ」

 

 ぶつぶつ言いながらもキキョウは素直にアイリスを守るように歩く。

 根は真面目なのだろう。アイリスは口には出さないがキキョウを認めていたし頼りにしている。

 ……絶対に口には出さないけど。アイリスはキキョウに対して素直じゃないのだ。

 

<ガゥッ!>

「居ました! 魔獣達です!」

 

 やがて捕らわれた魔獣達の保管庫が目に入った。檻の中に入れられ、抵抗させない為か餌も入っておらずどの子も弱っていた。

 

 アイリスは中でも衰弱が激しい個体に癒しをーーそれでも敵と認識しているのか睨む子を優しく言葉を掛け、落ち着かせて癒していった。アイリスからすれば当然の行動だが、キキョウからすればいつ頭を丸かじりされるかと気が気でなかった。

 

 やがて治療は終わり、アイリスは安堵の息を吐く。

 

「後でランドルフさん達に来て貰って運びだしてもらいましょう。今この場から出して暴れられたら困ります」

「そうね、さっき渡された奴でも使う?」

「あれはわたしが持ってる奴と違って通信は出来ないのでこちらの状況が伝えられません。断腸の思いですが、完全に密猟者を捕縛するまで我慢してもらいましょう。……?」

 

 その時、アイリスは足元のジャママが狭しない動きをしているのに気付いた。

 

「ジャママ?」

<クゥーン、クゥーン>

「ちょっと、この子どうしたのよ?」

「……妙な臭いがするらしいです」

「臭い? 魔獣の獣臭(けものしゅう)じゃないの?」

「いえ、それとは違うと……。とりあえず行ってみましょう」

 

 ジャママの案内の元、進む二人。

 やがて行き止まりに着いた。

 

「何よ、行き止まりじゃない」

「いえ、此処もまた妙な風があります」

 

 そう言ってあちこちを触るアイリス。

 途中妙な窪《くぼ》みがあり、念の為キキョウに注意を促して押すと壁の一部が割れ、隠し通路が現れた。

 

「隠し部屋? どんだけ入り組んでるのかしらこの洞窟」

 

 驚くと呆れを含んだ声色で溜息を吐くキキョウ。先を進むとまたも行き止まりに着く。

 

「ちょっと、また?」

「いえ、大丈夫です。風の流れはわかりますから」

 

 アイリスが隠し通路を割り出し、更に進もうとする。

 その時、壁から矢が飛び出してきた。

 

「【氷の壁(アイス・ウォール)】」

 

 それをキキョウが氷の壁を出現させ防いだ。

 

「あ、ありがとうございます」

「別にこの程度感謝されるまでもないわ。けど、この調子で罠ばっかあったらめんどくさいわね。ちみっ娘、貴方は此方(こなた)の後ろからついて来なさい。そこの狼もね」

 

 その後、めんどくさくなったのかキキョウが前に出て自らの範囲を全て【凍結する空間(フロスト・エスパース)】で凍らせ始めた。そのせいで設置された罠は作動しなくなって進みやすくなった。

 

「この厳重さ、隠す(・・)んじゃなくてどちらかといえば何かを封印(・・)している……?」

 

 明らかに洞窟の入り口よりも罠の密度が高い。ポツリと呟くアイリス。

 やがて広い空間に出た。そこには洞穴と一体化している檻が見えてきた。

 

「人!?」

 

 捕らえられていたのは人だったのだ。

 状態からしてかなり痛みつけられている。すぐさま治さなければと駆けだそうとするアイリスをキキョウが止めた。

 

「下がりなさい、ちみっ娘」

「え、なんですかぼっち。怪我をしているのだから今すぐにでも……ッ!」

「えぇ、普通の人(・・・・)だったら此方(こなた)も止めはしないわよ」

「……どういうことですか?」

 

 キキョウの言葉に引っかかるものを感じたアイリスがキキョウを見上げる。

 その時、キキョウの声に気付いたのか檻の中の存在が暴れ出した。

 

「うがぁぁあぁぁっっ!!

 

 雄叫びをあげ、アイリス達に向かって突撃しようとする。

 だが手足につけられた鎖によって途中で止まる。しかし、それすら厭《いと》わず尚も突撃しようとする。鎖のつけられた壁にミシミシと亀裂が入る。

 明らかに異常な力だ。

 

此方(こなた)にはわかるわ。この気配。だって100年間ずっと側で感じ続けてきたんだもの。何よりも紫色の目」

 

 興奮しているのか爛々と光る紫の瞳。

 確かに人の(なり)はしているが、その身から漂う気配をキキョウは知っている。

 

「出せェッ!! 此処から出せェッ!! とうちゃんを返せぇ!!」

 

 尚も吼え、暴れる目の前の少女。

 その時、着ていたボロボロのフードが外れ紫色の瞳と小さなニ対(・・)のツノ(・・・)が露わになった。

 

「この子……魔族の血を引いているわ」

 

 

 

 

 

 

「ちくしょお! 【大裂断(だいれつだん)】」

「甘い!」

「がはっ!」

「馬鹿な、アクストがあんな若造に!」

 

 俺とエドアルドは盗賊団との戦闘を行なっていた。あの後罠を警戒していたのだが、殆ど存在してなかった。恐らくはこの天然の隠れ家にあぐらをかいたのだろう。

 先にいた盗賊団も、此方に気付く事なく酒盛りをしていた。俺とエドアルドは、そこに向かって奇襲を仕掛けた。

 突然の襲撃に、混乱に陥る密猟団。あっという間に現場にいた奴らを気絶させ、今は応援に来た奴らと戦闘を行なっていた。

 

 それに洞窟という狭い場所の所為で彼らは数の理を生かせていない。

 

「くそっ! 矢だ! 矢を撃て! 当たりさえすれば……!」

「【要塞(フォートレス)】」

 

 俺の前にエドアルドが立ち塞がり、矢を防ぐ。

 

「何だアイツは!? 当たれば"甲殻陸亀(アースタートル)"の甲羅すら貫く弩を食らって平然としてやがる!」

「私を貫くのなら飛竜を貫けるほどの矢を準備しなさい。この程度「エドアルド! 肩を借りるよ!」むっ?」

 

 俺はエドアルドの肩を借りて飛び越える。

 盾として置かれた樽を超えて、その先にいる密猟者達の中心に着地する。

 

「"空華乱墜(くうからんつい)"!! 」

 

 すぐに回転して剣を振るう。

 一気に四人の盗賊を戦闘不能にした。これでこの場にいた盗賊は先程から指示を出す奴以外全員気絶した。

 背後から盾を構えたままのエドアルドがむすっとした雰囲気で近づいてくる。

 

「私を足蹴にするとは。仕方ないとはいえ抗議しますよ」

「説教なら後で山ほど聞くよ。それよりも彼で最後だ」

「ぐっ、ち、ちくしょう! 奴《・》はまだ来ないのか!?」

 

 最後の盗賊が吼える。

 だがこの程度の相手ならば数が来ようと問題ない。彼らの攻撃ではエドアルドは突破出来ないし、俺の絶技よりも下なら、直接やりやっても脅威とはならない。

 

 

 そう思っていたのは油断だったかもしれない。

 

 

 それは一瞬の事だった。

 

 松明の光に揺らいで何かが此方に接近してきた。気付いた時には既に相手はエドアルドの懐へと入っていた。

 

「【青龍発勁(せいりゅうはっけい)】」

 

 エドアルドが盾を構える時間(ひま)すらなく相手が胸鎧に手を置く。

 

 次の瞬間、エドアルドの口から血が噴き出した。

 

 



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暗闇の中の激闘

コッソリと戻ってきました。
この小説は「小説家になろう」でも掲載しております。
こちらの方が先行掲載しておりますので興味のございます方はご覧下さい。

https://ncode.syosetu.com/n9246fl/


「!? ごぼっ」

「エドアルド!!」

 

 エドアルドの胸に手を当て、何やら衝撃波らしきものを放つと同時に彼が吐血し、膝をつく。それを起こした男は何の感慨を抱くこと無く拳を構えた。

 

「悪いが、死んでくれや」

 

 直ぐに必殺の拳が振り上げられようとした。

 

 

 

 直ぐに俺が割って剣を振るうも相手は直ぐに俊敏な動きでその場から退避した。

 俺はすぐさまエドアルドを庇うように前に立つ。

 

「エドアルドッ! ()()()()()ッ!! 無事か!?」

「ご……ふ、ふぅ……何とか……」

 

 息を整えようとしているが、荒い。

 それに口から出血が酷い。もしかしなくても内蔵を損傷した可能性が高い。

 何が起きた、奴は単に胸鎧に手を置いただけだろう!?

 不味い、すぐにでもアイリスちゃんに癒して貰わなければ命に関わる……!

 

 男性は驚いたように目を見開く。

 

「あらら、心臓を壊したつもりだったのだけど、堅いね。あんた」

「来たか! さっさとその二人をぶっ殺せ!!」

「あ〜、はいはいわかったよって。ったぁく、人使い荒いねぇ。つーわけでアンタら、俺ぁを恨まないでくれよ。こっちにも事情があるんだからな」

 

 残った最後の盗賊一人が叫ぶ。

 その言葉に目の前の男性はコキコキと首を鳴らしながらこちらを向いた。

 

 青みがかったり黒い髪。切り裂くような鋭い目に、鍛えあげられた肉体。数多の傷跡から百戦錬磨の雰囲気を漂わせている。言動こそ飄々(ひょうひょう)としているが、身に纏う気配はそんな生易しいものじゃない。

 

 ……危険だ。一見隙だらけに見えるがそんな事はない。全身から漂う剥き出しの剣みたいな気配が、この男の危険さを表している。

 

「エドアルド、下がるんだ。場所といい、相手の職業(ジョブ)といい相性が悪い。それに傷が心配だ」

「……申し訳ございません」

「謝らないでくれ」

 

 エドアルドを背後に下がらせながら俺は警戒を怠らず目の前の男を見る。

 

 さて、どうするか。まず相手の正体は十中八九『武闘家』の職業(ジョブ)だ。

 

 『武闘家』は自身の体が武器そのものだから動きそのものに注意しなければならない。いきなり現れたあの動きも『武術家』の技能(スキル)だ。

 

 エドアルドの武装は盾槍だから動きそのものは鈍重だ。確かにその点では向こうに利点がある。だが防御力に関してはかなり逸脱していると言って良いほどだ。元の職業(ジョブ)もだし、何より『呪術師(アメリア)』の護符によって防御面は更に強化されている。

 

 それを易々と突破できるほどの腕に技能(スキル)

 やはりどう考えても相手はかなりの手練れだ。

 

「当たれば骨ごと……いや、無くなるのも覚悟した方が良いか」

 

 身体中を鎧で着込んだエドアルドすら一発食らってあれなのだ。

 鎖帷子(くさりかたびら)だけで、防御で劣る俺が食らえばどうなるか想像に難くない。参ったな、アイリスちゃんの言う通り装備を新調すべきだったか。

 

 全くもって嫌になる。

 

 技能(スキル)がない俺は全てを技術で補うしかない。

 だが接近戦は向こうの十八番だ。相手の土俵で戦わざるを得ない。

 

 しかし、だからと言って諦める訳にはいかない。俺は剣を構えた。

 

「さて、準備は良いか? いくぞ、【無双乱舞拳(むそうらんぶけん)】」

「"沙水雨《さみだれ》"」

 

 凄まじい速度の拳の嵐が襲ってくる。

 俺は"沙水雨(さみだれ)"で迎撃するも拳とぶつかってその重さに驚いた。

 

(この拳、一発一発が重いッ!?)

 

 鈍器で殴られるような感覚。どう考えてもただの拳とは思えない。

 それに速さも桁違いだ。一瞬でも気を抜けば剣を飛ばされてしまう。

 

「ハァッ! ついてこられるのか、ならこれはどうだ!【竜蛇拳(りゅうだけん)】」

 

 途中、一発の拳が正に蛇のような挙動で俺の横っ腹を狙って来た。それを俺はもう片方の剣"刺斬剣イザイア"を抜いて防いだ。男は微かに目を見開いた。

 

「すごいな、若造。反射神経も動きも悪くない。俺ぁの動きについてこれる奴なんてそうそういねぇぞ」

「褒めてもらって嬉しいよッ!」

 

 俺は隙を突いて相手の視覚を奪おうと剣を振るった。この時点で俺は目の前の男を生け捕るとかは考えなかった。油断すればこっちがやられる。だが剣は男の目の寸前で止まる。

 

「俺ぁの動きに付いて来れそうにないと思ったらすぐに視覚を奪おうとする判断、なるほど良い腕してるね」

「!? まさか、掴んだのか!?」

 

 男は指だけで俺の剣を抑え込んでいた。

 

「御名答。だが掴むだけじゃないんだな」

 

 ニィと男が笑う。

 

「【重砕牙(じゅうさいが)】」

 

 バキィンと。

 掴まれていた剣が砕かれた。

 

 刀身が砕ける様を俺は感傷に浸りながら見ていた。

 ファッブロに貰った、キキョウの【動く氷巨像(ヨトゥム)】との攻防でも壊れなかった剣が意図も簡単に。

 ファッブロとの約束も、存分に果たせずにこの剣は果ててしまった。

 

「残念だね、腕に自信にある若造さんよ。ま、これが経験の差ッ……!?」

 

 誇る相手に向かって、俺は刀身のなくなった剣の柄で顔を殴りつけた。

 そのまま残った"刺斬剣イザイア"で突くも、男はすぐさま俺から離れて躱す。そして頭部から血が流れているのを手で確認していた。

 

「刀身が折れたからって油断しただろ? 柄だって人に対しては立派な武器なんだよ」

「……くくっ、あーはっはっはー!!!」

 

 当然だけど柄は金属で出来ている。人の体よりも硬い。男は、殴られた跡を触ると急に高笑いし始めた。その声は愉快さに満ちた笑いだった。

 

「ははっ、まいった。これは一杯取られたねぇ。はーやだやだ、昔みたいに動く事もままならん。おじさんも、にいちゃん(・・・・・)くらいに若かったらもっと機敏に動けたんだけど」

「これ以上強くなられても困るよ。こっちも手一杯なのに」

「そんな事ないだろ? にいちゃん。アンタは俺の動きについてこれてるし、此処が洞窟じゃなきゃもっと色々な手段を取れたはずだ。こんな暗闇だらけの場所じゃ、俺ぁに有利だからな」

 

 先ほどまでと違って砕けた口調に少しばかり気が抜ける。まるで友人にでも話しかけるようだ。

 だが直ぐに気を引き締める。

 相手は口調こそ軽くなったが、その構えからは全く油断が感じられない。

 

「敵同士でなけりゃ、酒を飲み交わす未来もあったんだがなぁ」

「そうかもしれない。だけど、それは叶わなさそうな」

「そうだなぁ。だが俺もねぇ、負ける訳にはいかねぇんだわ、にいちゃん」

「俺もだ。仲間を守る為に負けるわけにいかない……!」

 

 互いに拳と剣を構える。

 これだけの手練れを相手に手加減も油断も出来ない。

 

(だからこそ、勝つ為には相手の意表を突くしかないッ!)

 

 呼吸を整え、睨む。狙いはあそこ(・・・)だ!

 俺は残った柄を投げつける。

 

「あん? そんなの当たる訳ねぇだろ」

 

 案の定、簡単に避けられる。

 

「良いや、これで良いんだッ!」

「何?」

 

 男の背後、壁に立てかけた松明に当たり落ちる。明かりを失い、一瞬だが洞窟全体が真っ暗になる。

 

 俺はその隙に跳躍して、頭上の壁に着地し、彼の背後に着地した。相手の位置は把握している。

 真正面からではなく、背後から完全なる奇襲だ。

 その隙に相手の行動を封じる為に足の筋を斬る!!

 

「まぁ、悪くないわな。()()()()()()()()()

 

 悪寒が走った。

 それは何度も味わった死の気配。

 俺はすぐに攻撃を止めようとするよりも早く相手が動く気配を感じた。

 

「【嵐龍脚《らんりゅうきゃく》】」

 

 次の瞬間、俺の横っ腹に尋常で無いほどの衝撃が走った。




帰ってきて早々になんですが、本作品『HJ2021小説大賞』に選ばれ、書籍化決定致しました!
詳しい発売日は未定ですが、これも皆様のおかげです!本当にありがとうございます!!


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覚悟

 

「グハァッ!!?」

「アヤメ殿!?」

 

 そのまま吹き飛ばされ、何度も地面を転がり身体中を打ち付ける。

 エドアルドが叫ぶがそれどころじゃない。

 

 何だ、今何が起こった……!? 状況をっ、攻撃を食らったのは間違いない。ならあとはまだ戦えるかだがっ……!?

 

「ぐぅ、ふぅーッ! ふぅーッ……!!」

 

 胸から脇に走る肉を裂く感覚と貫く痛み。

 不味い。肋骨が折れたか……!?

 

 何故だ、相手は見えていなかった筈だ……ッ!

 

 残った盗賊の一人が慌てて自らの視線を確保する為に松明を掲げた事でわかった。男は足を振り上げたまま此方を見ている。

 

 蹴りだ。

 俺は今思い切り蹴られたんだ。威力も、重さも、鋭さも全くもって異次元の蹴りが俺に襲ってきたんだ。

 

 当たる瞬間悪寒から微かに身を捩れたおかげでこれで済んだんだ。もし直撃してたら背骨が逝っていた。

 

「ぐっ、がはっ。ごほっ……ッ!」

 

 不味い、息が整えられない。肋骨が折れれば中にある肺を傷つけてしまい呼吸ができなくなる。

 口の中に血が流れてきていないから幸い肺自体には傷は付いていないが、痛みのせいで呼吸がおぼつかない。

 頭が痛みと酸素不足でくらくらする。俺は膝をついた。

 

 一撃で此処までの威力だなんて。

 ダ、ダメだ、気を失うな……ッ!

 

「殺す気で蹴ったが、殺しきれなかったみたいだな。苦しめるのは趣味じゃねぇ、さっさとトドメを」

「【投擲槍(スロウ・ホーン)】」

「おっと」

 

 男の背後から投げられた槍が容易く洞窟の壁に突き刺さる。

 まただ。またこの男は見《・》もしないで攻撃を躱した。なんなんだ、技能(スキル)なのか?

 

「……不意を打っても通用しませんか」

「暗闇や背後からの奇襲は俺ぁには何にも役には立たねぇよ。悪りぃが、気ぃ失っといてくれや。【手刀白虎(しゅとうびゃっこ)】」

「【大盾潰し(シールドバッシュ)】」

 

 全身の防御を固め、エドアルドは迫り来る男に合わせて盾を押し出し迎え撃とうとする。

 だが男は接近すると一瞬で背後に回り込み、エドアルドの首に手刀を食らわせた。

 頭鎧をしているのに、崩れ落ちるエドアルド。

 

「エドアルド……ッ!」

 

 彼は重傷な筈だ。

 それを、俺を助けるために。

 

「……やっぱり、アンタ堅いなぁ。首の骨折れなかった。こりゃ、正確に頭部を潰さねぇとならねぇか、ん?」

 

 俺はアイリスちゃんの煙玉を男へ投げた。呼吸を止め、足に力を入れて瞬く間に接近する。痛みがなんだ、エドアルドは俺を助けるために戦った。なら俺もそうすべきだろう!!

 

 "緋華《ひばな》"を繰り出す。

 

「だからよぉ、無駄だって言ってるだろぉ? 【塵旋突(じんせんつ)き】」

「ぐぅっ!!」

 

 男はやはりというべきか、煙に乗じたのに容易く躱す。それどころか、俺の右肩を指先で深くめり込ませた。

 まだ……だ! 逃げられないのはお前も同じだ!!

 俺は思い切り頭を目の前の男へとぶつけた。

 

「ずぁっ!? 頭突きてお前!」

「ぬぐあぁあぁぁッ!」

「ちぃっ」

 

 気迫に押され男は俺の肩から指を抜いて下がる。

 くそっ、仕留めきれなかった。肩まで抉られたのに。

 それでもなお俺は剣を構える。

 

「おいおい、ちったぁ自分の身体を労われよな。そんなんじゃ早死にするぞ。にいちゃんは満身創痍じゃねぇか。頭突きの所為で頭からも血ぃ流れてるぜ。そろそろ諦めろよ」

「諦めない」

 

 骨は痛むし、右肩も剣を握ると凄まじく痛む。それでも(けん)は折れていない。

 

 こんな所で負ける訳にはいかない。俺はまだ、歩みを止める訳にはいかない。

 誓ったんだ。アイリスちゃんと。

 『救世主(ヒーロー)』になると!

 

 その為には目の前の男を倒す!

 骨が折れ、肉が裂かれ、手足を失おうとも!

 

「……へぇ。良い眼をしてるなぁ。やっぱにいちゃんのこと嫌いじゃねぇわ。でも、残念だ。俺ぁは、にいちゃんの事殺さなくちゃならない」

 

 男が拳を構える。

 同時に男から()が放たれた。

 

 さっきからこの身を刺すような威圧感(・・・)、嫌な汗が流れる。人の身でここまでの気配、存在感を感じたことはない。

 

(いや、何だこの僅かな既視感……)

 

 昔、俺はこれと似たようなものを感じ取った事がある気がする。だけどそれはいつ……

 

 

 脳裏をよぎるのは、大柄で角の生えた魔族。

 威風堂々とした風貌に、極限にまで鍛えあげられた巨軀。

 名は確かーー

 

 

 思考を中断する。

 今は余計な事を考えている暇はない。今尚折れた肋骨が筋肉を傷つけている。俺が負ければ、俺だけじゃなくエドアルドも死ぬ。アイリスちゃんにキキョウも悲しむ。ジャママは……悲しんでくれるだろうか、くれると良いな。

 

 ……何を馬鹿なことを考えているんだ。俺は生きる。そうだろう!

 

「覚悟はありそうだな。そら、行くぞッ!」

 

 男は、奇妙な間を置き急接近する。

 

 またか!

 

 なんなんだこの動きは!? 洞窟だから視界が悪いとかそんな理由じゃない。

 瞬きもしていないのに、するりと、いつのまにか接近されている。俺の時も、エドアルドの時もそうだった。

 わかっているのに、認識出来ない。意識の外を抜けるように接近されている。

 それでも、迎撃する為に"絶技"を放つ。

 

「"流水落花(りゅうすいらっか)"」

 

 横に回転して剣を振るう。

 

 けれど男は身体を逸らして回避し、すかした俺の剣の腹を蹴って壁にぶつけた。

 

「これで終わりだ、【虚空無ーー!? 」

 

 追い詰められた俺は後ろの壁を蹴飛ばして、男が拳を振るうよりも前に体当たりをかました。当然俺の身体も悲鳴をあげる。骨が、肉により深く突き刺さる。だがそんなのに構うものか。

 

 まさか来ると思わなかった男はそのままモロに受ける。

 

「うっはぁ! 腹超いてぇ!!」

 

 しかしそれだけの事をしながらも直ぐにバク転して体勢を立て直す。

 隙あればそのまま追撃しようと思ったがそんな暇もなかった。それよりも、走ろうとしたせいか刺さった骨が酷く痛んだ。

 

「頭突きといい、タックルといい『剣士』の動きじゃねぇぞ。だけどその動きが俺ぁの不意をついている。本当、面白いなぁにいちゃん」

「貴様ッ、何を手間取ってる!?」

 

 残った盗賊の言葉に目の前の男は苛つく顔を見せた。

 

「うっせぇ、黙ってな。……しかしよぉ、武術家相手に何度も懐飛び込むとかにいちゃんイかれてるだろぉ? さっきももし俺が別の技してたら頭吹き飛ばされてたよ、にいちゃん」

「ふぅー……ふぅー……はは、なら賭けに勝ったということだね。俺は、まだ生きている」

「そうだなぁ、その点で言うと俺ぁ判断を間違ったな。……次は砕くんじゃなく、穿つ」

 

 目の色が変わる。

 拳がさながら槍の如く指を纏める。

 

 男の全身から殺気が放たれた。

 それはさながら牙を磨いた獣。隙を見せれば一瞬で食い破られる。

 

 俺も残った刺斬剣イザイアを両手で持って構える。

 

 油断は出来ない。

 相手は手練れ。殺す気でいく。

 例え腕や足が無くなろうとも必ずこの剣を届かせる。

 

 

 睨み合う。

 お互いに歩みを進めようとした時ーー

 

 

 

 突然。

 俺たちの間に氷の柱が出現した。

 

「この氷は……」

「この気配(・・)は、まさか」

 

 これが誰によるものか、すぐにわかった。

 思わず俺は安堵してしまった。これでエドアルドは大丈夫だ。

 

<ガウッ!!>

「な、なんだこの魔獣は!? 何処から、あがっ」

 

 盗賊の足に噛み付いてるのはジャママだった。

 ジャママはそのまま足を引っ張り、盗賊が後頭部から転けて気絶する。

 

 その後からアイリスちゃんとキキョウが現れた。

 

 「二人とも。良かった、無事だった……」

 そう思ったのも束の間、二人の間から何かが飛び出す。目で終えない影は俺を通り過ぎてそのまま男へと抱きついた。

 

「とおちゃん!」

「やっぱり! イフィゲニア!!」

「とおちゃんとおちゃんとおちゃーん!!」

 

 抱きしめ合う二人。

 男もさっきまでの殺意なんてもう微塵もない。どういうことだ? 一体何が起きたんだ?

 

「誰なんだ……? とおちゃん……?」

「アヤメさん! エドアルドさん! 大丈夫ですか!?」

 

 俺の状態に気付いたアイリスちゃんが悲痛そうな顔をする。そして『聖女』の力で癒そうとしたアイリスちゃんを止める。

 

「俺は後で良い。まだ意識はある。それよりもエドアルドを頼む。恐らく、内臓をやられている」

「エドアルドさん!? いけない、直ぐに治療します!」

 

 エドアルドは内蔵と首への一撃で気を失っている。

 意識がある俺よりも、彼の方が心配だ。男も、心臓を潰すつもりで攻撃したと言っていたから。

 

 それに対して俺はまだ戦える。呼吸も足取りも覚束ないが、それでもまだ剣を振るえる。

 痛む身体に鞭を打って立ち上がろうとする。

 

「下がって」

「キキョウ」

「アヤメも重傷よ、無理はしないで。……それでこれはどういう事かしら? 貴方、此方(こなた)の仲間に何をしているのかしら?」

 

 俺の横を通り過ぎたキキョウが男を見据える。

 洞窟全体の温度が急激に下がる。この感覚はキキョウがスウェイだった時と同じだ。凍てつく、全てを凍らせる絶対零度の氷の女王。

 

 

 俺ですらぞわりとする冷たい気配。

 もしかしなくても、キキョウは怒っていた。それもかなり。

 

 

 だけど目の前の男は臆する事なく、不敵にニィと笑い。

 

 

「悪かったァッー!」

 

 そう言って土下座した。



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鬼武刀

お久しぶりです。
こちらでも投稿を再開したいと思います。
お知らせなのですが、『偽りの勇者』書籍化致しました!
興味がございましたら、是非お調べください。


 

「へ?」

 

 キキョウが間抜けだ声を出す。

 俺もまた、男の変わり身の速さに思わず口を開けてしまった。あれほどの強さ誇った男が躊躇なく土下座した事に。

 一瞬罠かと思ったが、男からはもう微塵も戦う気配が感じられない。

 

<ガゥッ!!>

 

 ジャママが吠える。

 見れば一度は頭を打って気絶した密猟者が、逃げ出そうとしていた。

 

「あ、こいつ逃げ出そうとし」

「【虚空無兇冴《こくむきょうさ》】」

 

 横から凄まじい速度で男が拳を繰り出した。

 それは密猟者の頭を割って、そのまま壁に埋没する。辺りに密猟者の血肉と目玉がぶちまけられた。

 

「う、うぇ」

 

 アイリスちゃんがエドアルドを癒しながら、口元を抑える。

 

「何を!?」

「アンタらこいつらを捕らえに来たんだろ? なら、せめてコイツは殺しておかねぇといけねぇんでなぁ。他の奴は……まぁ、そっちの姉ちゃんが殺《や》ってそうだしな」

「殺してないわよ! 凍らせただけよ!」

「何? なら、キチンと殺しとかないとなぁ。何処にいる?」

 

 剣呑な目になる男。

 俺もキキョウも戦闘態勢になる。

 

「あん? 何構えてるんだよ。やめてくれよ、俺ぁもうにいちゃん達と争う気はねぇぜ。ただコイツらに用があるんだよ。後顧(こうこ)の憂《うれ》いを絶つ為にな」

「だとしてもこれから殺人を犯そうとしているのを見過ごす訳にはいかない」

「おいおい、庇うのかにいちゃん? 奴等は犯罪者だぜ? どの道捕まれば死刑かそれでなくても無期に渡る鉱山送りで死に至る。ならば今殺そうが良いだろう」

「それを決めるのは貴方じゃない。それに今から命を奪おうとする行為を見過ごせない」

 

 俺は聖人ではない。もし盗賊を殺しざるを得なければ殺すだろう。

 だが、殺す必要がないのに命を奪おうとするのを見過ごす訳にもいかなかった。

 

 再び剣呑になる俺達。

 

「ふー! とうちゃんをいじめるな! 怪しい奴!」

 

 その時、男に抱き抱えられていた子ども、アイリスちゃんより小さい子が叫んだ。

 

「えっと、君は?」

「お前生意気だ! 大人しく父ちゃんの言うことを聞いてよ! 父ちゃんよりも弱っちぃくせに!」

「弱いって失礼ね! アヤメは強いわよ。此方(こなた)にも勝ったんだから」

「キキョウ、いい。どの道俺とエドアルドが二人掛かりでも追い詰められかけていたのは事実だ。君のお父さんは随分と強いんだね。だけど、その力でよくないことに手を貸していたのは理解できるかい?」

 

 流石に子供に対して声を荒げたりするほど俺も馬鹿ではない。とはいえ、犯罪に手を貸していたのは事実なので宥めつつそこを指摘する。

 

「そうだ! 父ちゃんは強いんだ! でも、あたしの所為であんな奴らの言う事を聞く事になったんだ……」

 

 一転してしょげるイフィゲニア。

 何か並々ならぬ事情があったのかと勘ぐる。

 

「気にするなイフィゲニア。お前が無事なら俺ぁいいんだよ。そうだ、名乗っていなかったな。俺ぁはグリゼルダ。かつては『鬼武刀』と呼ばれた男だ。宜しくな」

「何急に馴れ馴れしくなってるのよ。貴方のした事此方(こなた)は許していないわよ」

「おぉ、怖い怖い。さっきの魔法を見りゃわかる。アンタ相当に強いな。俺ぁでもこの狭所で戦いたくないわ」

「ふんっ、戦う気があればすぐに氷漬けにしてあげるのに」

「……『鬼武刀』?」

 

 威嚇しているキキョウの横で俺はある言葉に引っかかっていた。

 

 『鬼武刀』。

 何だかその名前に覚えが……

 

 

 

 鬼、鬼……。

 卓越した技術を持つ"武術家"……。

 それは俺の剣を折るほどの……。

 

 

 

 ジッと姿を見る。朧《おぼろ》げだが、昔何処かで見た事がある気がする。それはどこで……。

 

「あぁっ!?」

「ど、どうしたのよアヤメッ!?」

「あ、ごめんっ。グリゼルダ、貴方はもしやかつて《獅子王祭》での優勝者本人ではないですか?」

 

 太陽国ソレイユで四年に一度開かれる祭典。

 数多の挑戦者、歴戦の戦士、強者の剣士達が一同に集まり技を凌ぎ合う《獅子王祭》。かつてグラディウスが頭角を現した剣闘祭がこれだ。

 

 その中でも異質な逸話(・・・・・)として語られていたものがあった。

 

 

 

 最大規模の国が開く祭り。当然腕に自身がある者が参加する。

 当然数多くの名剣、逸品の武器もまた《獅子王祭》では数多く集まる。

 

 そんな人々が凌ぎ合う《獅子王祭》に参加した人間、その全ての剣が折られていた。

 

 

 拳のみで(・・・・)

 

 

 男は他者を寄せ付けず、武器を使用せずに己の武術のみで勝ち抜いた。

 

 

 その強さは正に鬼《・》の如く強く、卓越した武《・》を持ち、数多の刀《・》を折った男。

 

 

 ついたあだ名が『鬼武刀』。

 グリゼルダが名乗った名と一致する。

 

 そして実際に俺はその試合を見ていた。

 だいぶ昔の事だから朧げだったが思い出した今となっては鮮明に思い出せる。

 

「へぇ。もう十二年も前なのに知ってる奴がいるとはな。いかにも、俺ぁがそうだ」

 

 何処か誇らしげに頷く。

 

 優勝してからは当時の太陽国ソレイユから報奨金と、共に魔王軍と戦かって欲しいという打診を断り、その後行方知れず。

 優勝した年、つまり十二年前から姿が消えて、その名前も聞かなくなって死んだとされていた。

 

「……成る程、そのような経歴が。ならあの強さも納得ですな」

「エドアルドさん! まだ動いちゃダメですよ!」

 

 背後では気絶していたエドアルドがアイリスちゃんに支えられながら立ち上がっていた。

 

「エドアルド! 無事だったか!」

「お見苦しい所をお見せしました。ですが、もう大丈夫です」

「大丈夫じゃないですよ! 胸回りの筋肉が破裂していたんですよ!?」

「その程度で済んだのならば僥倖でしょう。そこの男は私の心臓を破壊するつもりだったらしいので」

「まー、悪かったって。ほら、俺の秘蔵の干物やるよ!」

「いりませっ、うごっ」

「まぁまぁ、遠慮するなって。硬いのは顔だけにしとけ、な?」

「やめなさ、こいつ何という力の強さッ!?」

 

 ぐぐっと跳ね除けようとしているのにエドアルドの口に干し肉を口に突っ込まれる。

 

「あの、彼はまだ傷が完全に塞がってないんだからそんなふうに……ん?」

 

 何やら強い視線を感じる。見れば、グリゼルダの裾を掴みながらこちらをにらんでいた。

 

「ところで、その。先程から気になっていたのですが、そちらの子は」

「あぁ、そうだな。わかっていると思うが俺ぁの娘だ。さっきも言ったがイフィゲニアだ」

「そうだ! 父ちゃんの娘だ!」

「……魔族の娘(・・・・)、か?」

 

 彼女の見た目は明らかに人とは違っていた。姿形は人間だが頭には二対のツノが生えている。そして何より、紫色の瞳。この瞳を持つのはたった一つ、すなわち魔族だ。

 

 人間と魔族が子を為すなんて信じられない。

 

「あぁ、そうだ。俺ぁ魔族の妻がいた。イフィゲニアは其奴と生まれた子だ」

 

 わかってた事だが少なくない衝撃が俺を駆け巡った。

 それは皆も同じだったようだ。

 

「あわ、あわわわわ」

「……わかってたけど。言ったの此方(こなた)だけども……魔族との子ども……え、あの姿形が奇妙奇天烈な奴らの誰かを選んだの……?」

「魔族と結婚とは、何とも命知らずが居た者ですね」

 

 アイリスちゃんは何やら顔を赤くして、キキョウは信じ難いと慄き、エドアルドは勇者を見るような目で見る。

 

「おいおい散々な評価じゃねぇか。俺ぁの妻は良い女だったぜ。気が強くて、すぐに怒って、乱雑で、細かいことは何にも出来ず、岩ぐらいも粉砕できるだけの力を持っただけの至って普通の奴さ」

「どんな化け物ですか、それは」

 

 思わず慄いたように言ってしまった。流石にグリゼルダもカチンときたような顔になる。

 

「んだよ、良いじゃないか。魔族だろうと惚れちまったんだからよ。愛にな、種族の差なんて関係ないんだよ」

「わかります! 愛に種族の差なんてないのですね!!」

「お、おぉ。なんだよ、嬢ちゃんわかってるじゃねぇか」

 

 何やらすごく納得したように頷くアイリスちゃん。

 グリゼルダはビックリするも、見所があるなと褒める。

 

「何故、そんな人がこんな密猟団なんかに?」

「それは……」

「あたしの所為なんだ! あたしが、あいつらに騙されて捕らえられて、そしたらあいつらが父ちゃんの強さを知って魔獣を密漁するのを手伝えって。父ちゃんはそれに従うしかなかったんだ! だから悪くない!」

 

 吠えるようにまくし立て、グリゼルダを庇うようにイフィゲニアが前に出る。

 彼女の言葉を信じない訳じゃないが、少しばかり疑う視線になる。そんな時、予想外の所から援護が入った。

 

「アヤメさん、彼の言葉に嘘はありませんよ。実際あの娘、イフィゲニアさんは奥深くに幽閉されていました」

「そうね。厳重に閉じ込められていたからこの密猟者達も恐れてはいたんでしょうね」

<ガウッ>

「それは……そうか、二人が彼女を連れてきたんだったね。なら、納得だ」

 

 なら彼女の語った内容に偽りはないだろう。

 とはいえ問題は何も解決していない。それはグリゼルダも同じ事を思っていたようで笑いながらーー目は全く笑っていないーー問いかけた。

 

「それでだ、にいちゃん。俺ぁをどうする? 衛兵にでも突き出すか? 無論、そうなると勿論俺は抵抗するぞ? この拳でな」

 

 緊張の一瞬。

 全員が俺を見ている。

 

 俺の答え次第で再び戦うことになるだろう。

 その問いに俺は考え、口を開いた。

 



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未だに夜は開かず

 

 

 俺はグリゼルダを衛兵には突き出さなかった。

 元々はイフィゲニアーー娘を守るために、奴等に従属していただけらしい。

 

 彼女が厳重に捕らえられていた事はアイリスちゃんとキキョウから聞いた。だから嘘ではない。

 

 だけど、グリゼルダは人を害した。本来ならば許されざる行為だ。

 でも、俺に彼を糾弾する資格など無いのだ。

 

 俺も勇者としての名を騙って多くの人を騙した。

 仲間のせいで死地へと向かわされる人々を助ける事が出来なかった。

 

 その点で言えば、俺も彼も自分の為に他人を見捨てた。どちらも罪深い。

 

 論点が違うかもしれない。

 でも、それでも俺には彼を責める事は出来なかった。

 

 グリゼルダの事情も大いに理解出来た。

 それと……もし人の手に捕まればイフィゲニアがどうなるかは考えるまでもない。

 

 魔王軍は敵だ。それは間違いない。

 だが魔族全てが敵だとは思ってはいない。それはもしかしなくてもキキョウの存在だろう。彼女とて、元は魔王軍だが今はかけがえのない仲間だ。

 

 甘いかもしれない。無責任かもしれない。

 だが俺は選んだ。

 

「……意外だなぁ」

「どうしました?」

「いんや? 俺ぁ、てっきりあのまま戦闘になると思ってたからな。だから、正直あのまま見逃してくれるとは思いもしなかった」

 

 場所は森の外。

 この場に居るのは俺と彼ら親子だけだ。だが実は上空からキキョウが俺達を監視している。

 アイリスちゃんにはまだ予断を許さないエドアルドを見てもらっていた。

 

「確かにその可能性もあった。けど、貴方の事情も分かったなら情状酌量の余地もあると思った。……最も、これは俺が判断して良いことではないんだけど。グリゼルダ、一つ頼みがある」

「おう、何だ? 投降以外だったら聞いてやるぜ」

 

 グリゼルダが真剣な顔になる。

 

「グリゼルダ、貴方が彼らに利用された事によって商売が台無しになった人がいる。そして、売られた魔獣もいる。その事に対して責任を感じてください」

「とおちゃんは悪くない! 悪いのは」

「やめろ、イフィゲニア。……あァ、そうさなぁ。確かに俺ぁは、イフィゲニアを守る為に、いやそれ以前にも腕試しから数多くのならず者も殺してきた。だが、俺ぁ自身がカタギに迷惑かけたのは違いねぇ。保護されるべき魔獣もない。わかった、それで許されるとは思ってもねぇが、肝に命じておく。同じ轍は踏まねぇ」

 

 神妙に頷くグリゼルダ。

 

「だけどにいちゃん、俺ぁもしイフィゲニアの正体がバレで誰かが襲って来た時、きっとイフィゲニアを守る為に誰であろうと叩き潰す。それが例え、善人を再び殺す事になろうと躊躇なんぞしねぇ。それも分かってるんだろ? ならばこそ、なんで俺ぁを見逃す?」

「誰かを守る為にその力を振るうことを俺は否定しません。力が無ければ守りたいものも守れない。それでも時には他者を傷つけるでしょう。けど、次からはきっとそんな事になる前に、キチンと守れるだろうと思います。それに大切な人を守りたいと思うのは誰でも同じです」

「ーーそれは、にいちゃん自身の事でもあるのか?」

 

 グリゼルダの言葉に俺は一瞬詰まった。

 

 俺の手から多くの人の命が零れ落ちた。

 それは俺が『偽りの勇者』だったから。俺が、『真の勇者』ならもっと多くの人を救えただろうか。……ユウとメイちゃんを悲しませる事なんてなかっただろうか。

 結局俺は二人を守りたいと思っていても傷つけてしまった。思い(・・)があっても、できなかった。

 

「……さぁ、どうなんでしょうかね? 俺にも、わかりません」

 

 泣き笑いみたいな表情を浮かべる。

 

「だから、俺に言えるのは次は油断せずにちゃんと貴方の娘を守ってあげてくれ。それだけだ」

「……。あぁ、承った。その約束俺ぁ守ろう」

 

 俺は踵を返す。上空に潜んでいたキキョウに対しても首に降って帰るよう促した。

 

「……やれやれ」

「とうちゃん?」

「歳下に説かれるってのは、思いの他堪えたなぁ。それにしてもあのにいちゃん……どんな人生を歩んできたんだ?」

 

 グリゼルダはイフィゲニアを撫でる。

 この温もりを手放すものかと改めて引き締めたのだった。

 

 

 

 

 

「よかったの?」

「あぁ」

「そう。アヤメが決めた事なら此方は何も言わないわ」

 

 キキョウは何も言わず、俺の横に並ぶ。

 

 帰り道のり俺はずっとある事を考えていた。

 グリゼルダの答えには、迷いがなかった。それだけイフィゲニアが大切だという事だろう。

 対して俺には一つの悩みがあった。

 

 それを考えていた。

 

「……ふぅん? それ」

 

 突然キキョウが俺の手を引くと、その豊かな双房に俺の頭を抱き抱えてきた。

 

「な、なんだ!? キキョウ!?」

「いいからいいから。暴れないの。こう見えて此方(こなた)はアヤメより歳上よ? 偶にはお姉さんとして、歳下の貴方を癒してあげようかと思ってね。ちみっ娘もいないし、文句を言われる筋合いはないわ」

「だがっ、軽々しくこんな事をするもんじゃ」

「ねぇ、アヤメ。此方(こなた)は貴方が何を悩んでいるのかは知らないわ。でも、アヤメならきっと大丈夫だって信じているから」

 

 視線をあげる。月光に照らされた銀髪が煌きながらキキョウは真っ直ぐと柔らかい瞳で俺を見ていた。

 彼女が決して軽い思いでこんな事をしているのではないとわかった。

 

「……すまない、キキョウ」

「えぇ、どう致しまして」

 

 暫く俺は彼女に頭を撫でられた。

 

 

 

 

 

 やがて宿場に着き、部屋に戻る。

 

「あ、アヤメさん! おかえりなさい! エドアルドさんですが、あれからも治療してもう完全に大丈夫ですよ。それでも安静にはしないといけませんが。それで、どうでした、あの人何か酷いことしてきませんでしたか?」

 

 ベットに横たわるエドアルドを見ていたアイリスちゃんが駆け寄ってくる。

 考えなかった。いや、意図的に考えないようにしていた。

 

 アイリスちゃんは『聖女』だ。人類を救う為に必要不可欠なの存在だ。

 

 本来なら『真の勇者』であるユウの側にこそいるべきだ。

 『聖女』がいればその力で多くの人を救える。ユウとメイちゃんだって大きな傷を負う事はなくなる。

 

 その事はわかっていた。

 

 人を救いたいと思っているのに、その多くの人を救う為に必要な彼女を俺は人々から奪ってしまっている。

 

 だけど俺は、心配そうに此方を見る彼女に離れて彼らの元へ行ってくれと告げられなかった。

 

 しかし、いつかは彼女の力が必要となる時が来るはずだ。

 それなのに。

 

(俺は、どうしようもない大馬鹿野郎だ)

 

 俺は未だ、その時どうするのか答えを出す事が出来ていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこではリンネが機嫌良さそうにランドルフからの報告を受けていた。

 

「つー訳で、一名死亡を除いて"暗闇に潜む闇鯨"どもは皆捕まったぜ。捕らえられていた魔獣達も今はきちんと保護されて追い追い自然界に返す予定だ」

「これで街道の方も安定化しますし、民達に向けても脅威がなくなったことを公表できます。あの湿原の平穏も取り戻しましたね。彼らには感謝しないと」

 

 嬉しそうにリンネが微笑む。

 

「そういえば彼らは?」

「一名が重傷らしくて、さっさと宿に戻ったぜ。あの槍使いの奴だ」

「そうなのですか!? なら後日改めて御礼と報奨金の事を話さなければ。治療費もこちらで負担しましょう。ランドルフ、貴方もお疲れ様でしたわ」

「まぁ、殆どやる事なかったけどな」

 

 ぼやくランドルフだが、それでもその後の魔獣の移送などを指示し、的確に倒された"暗闇に潜む闇鯨"団員も捕縛した。

 リンネもそれを知っているからこそ、彼を責めたりせずに労《ねぎら》う。

 

 その時、部屋がノックされヒノハが入ってきた。

 

「お嬢様、失礼致します。お客様が参られましたのでご報告に参りました」

「客人? 誰ですか?」

「はい、"第3魔獣研究所"の主任である方らしいのですが」

 

 その言葉にリンネは嫌な顔をした。

 

「"第3魔獣研究所"から? 一体何のようなのでしょう。お父様も今はいらっしゃらないのに」

 

 一人考え込む。

 理由はわからない。しかし、放置もできない。

 

「どの道待たせるのは悪いですわ。ヒノハ通して下さい」

「わかりました」

「リンクル、ランドルフ。頼みますわ」

<バゥン>

「おう、任せときな。気に入らないのは俺も同じだ。奴はどうにもきな臭い」

 

 やがてヒノハに案内され件《くだん》の男がリンネの部屋に入る。

 

「これはこれは。セルバンデス卿の御息女のリンネ様。覚えておりますでしょうか。"魔獣研究所"主任のヨゼフ・ドクテゥルでございます。一度パーティで会った事がございますよね?」

「っ。……お久しぶりでございますね、ヨゼフ・ドクテゥル様。本日はどのようなご用件で此方にお出でなさったのですか?」

 

 ヨゼフ・ドクトゥルと名乗った男は、痩せすぎの身体に鷲のように高い鼻に、モノクルを付けていた。身体には真っ白な白衣を身に纏っているが、どちらかと言えば胡散臭い部類の男であった。

 

 リンネは嫌悪を顔に表す事なく、笑みを浮かべる。

 

「おぉ、見事な礼ですな! 流石はコアストリドット卿の御息女であり、代理であります!いや、何。偶々私用で近くに来たのでご挨拶にとお伺ったまでです。此度は"暗闇に潜む闇鯨"の団員の捕縛おめでとうございます。私どもとしましても、貴重な検体(・・)を無闇矢鱈に捕獲する彼らには非常に困っていたのですよ」

(……検体ね。全く反吐が出ますわ)

 

 研究とはその名の通り、魔獣を研究する

 調査とは違い、実際に生きている魔獣を使って様々な実験をする。それこそ、命すらも。

 

 無論リンネとて必要性を理解しているが、明らかに魔獣をモノ(・・)扱いする目の前の男に辟易していた。

 

 そんなリンネの考えを感じ取ったのか、リンクルがリンネの側に寄る。

 

「おや、これはこれは"ブルドッグ"の品種の魔犬殿。いやぁ、貴方とも会うのは久々ですねぇ。撫でても?」

<バウ>

「あらら、つれませんなぁ」

 

 拒否するように顔をそっぽ向くリンクルに残念そうに肩を竦める。リンネとしては早く此処にきた理由を知りたかった。

 

「挨拶もそこそこにして、本題はなんですか?」

「つれないですねぇ。まぁ、良いですか。実の所ですが、コアストリドット様方が捕らえた"暗闇に潜む闇鯨"の搬送は我々にお任せ出来ませんかな?」

「なんですって?」

 

 不躾な申し出にリンネは眉を釣り上げた。

 何処から聞きつけたのか、この男はリンネが"暗闇に潜む闇鯨"を捕縛したのを知っていた。

 

「いや、なに。私の部下達に一度中央にこれまでの研究の報告を差せにいくのですが、その際に共に連れて行くのが都合もコストも良いかと」

「心配なさらずとも此処はわたくし達コアストリドット家が任された領土。彼らはわたくしの領土で裁きます」

「いやはや、彼らの悪行は此処のみならず広範囲にわたります。被害も同様にです。彼らは重罪人。中央で裁くのが筋かと」

「むむっ」

 

 ヨゼフの指摘には一理あった。

 "暗闇に潜む闇鯨"の噂は、中央まで届いていた。

 

「しかし、何も対価を払わずに私が連れて行くのは手柄を奪うようなもの。なら代わりに貴方方が悩んでいるという村を襲う謎の魔獣についてお話ししましょう」

「! 何か知っていますの!?」

「むぅぅん、落ち着くのですぞレディ。はしたないですぞ。こほん、村々を襲う謎の魔獣についてですが、我々とて微かな痕跡と犠牲になった僅かな家畜の状態を確認していました。そぅしてぇ!! とある事に気付いたのです!」

 

 ヨゼフが指を鳴らすと背後にいた研究員達が地図を広げる。

 

「これは襲われていた地域全体の地図です。こうして襲われた範囲を見ると、おや不思議!! 被害が螺旋を描くようにして広がっているではないですか! それも、どれも人がいる箇所です。次に現れるとすれば此処、温泉が有名なテルネ村の可能性が高いとの結果が我々"第3魔獣研究所"では判断しました!」

「それは、しかし本当にそんなことがありえるのですか?」

「魔獣は素直です! 本能のままに行動する! しからば動きにも感情が乗り、読むことは容易い! 何故なら我々は"第3魔獣研究所"であるからして、常に魔獣達と触れ合っておりますから!!!」

 

 自信満々に胸を張るヨゼフ。

 ちらりとリンネは地図を見る。地図に記された位置と村の名称は間違いなくリンネの記憶とも一致していた。他にもリンネの知らない他領の事まで書いてある。

 

「とはいえ……これはあくまで私の推論。魔獣とて生き物。違った動きをするかもしれません。この話も信用されませんでした。いやはや、仕方ないことではあります。何せ私と私の研究所とて数年前に作られたばかりの新参者。良い感情を抱かれないのは必然! なのでこの申し出を受けるかは貴方に任せます。両者にとって益のある取引を望みますよ」

 

 慇懃に礼をしてリンネを伺うヨゼフ。

 

 リンネは暫し顎に手をあて考え込む。

 

(正直言って胡散臭いですわ。しかし、既にあちらが地図を見せてまで見解を露わにしたのに断るのも体裁が悪い。ヨゼフ・ドクトゥル。やはり、好きではありませんわ)

 

 お父様がいない以上、あくまでリンネは代理。

 この地域ではともかく、中央を含めた権力でいえばヨゼフの方が上なのだ。

 

「……わかりました。貴方達に任せますわ」

 

 どの道断るのは難しかった。

 

 

 

 

 

 

 馬車に乗って屋敷を離れるヨゼフ。

 "暗闇に潜む闇鯨"が一時的に放り込まれた牢屋に対しても引き渡しを要請出来る許可状は既にもらった。

 

「ふぅ、強情な娘ですな」

「主任、お疲れ様です」

「あぁ、ありがとう。やれやれ、相変わらずとっつきにくい娘ですね。終始此方を疑っていましたし、彼女の護衛の獣達には常に威嚇されていましたよ」

 

 態とらしく手を振って疲れたアピールをするヨゼフ。

 

「聡明な彼女ならば、気付くだろう。そして手を打つはず。それならば良い。丁度私も試したかった所だ。その時は私の作品(・・)が相手となりますよ。さて、先ずは処理(・・)から始めましょうか」

 

 



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再開

 

 

 後日、やっとエドアルドの怪我はアイリスちゃんの力により殆ど治った。少なくとも、歩くのに問題はない。

 

 リンネさんからは謝礼などを払う話についてだが、何かあったのか多少時間がかかるらしい。それでも必ず払うとヒノハさんがそう言っていた。

 先ずは頭金だけを俺たちは渡された。後日改めて払いたいのでそれまで暫し滞在して欲しいとのこと。

 

 急な用事もなく、またアイリスちゃんに治して貰ったとはいえ俺もエドアルドも本調子とは言い難いので療養を兼ねつつ、街を観光していた。

 

「ふむ……」

「エドアルド、何か気になるのか?」

「気付かれてしまいましたか。実の所悩みがありまして」

「悩み?」

「私の頭鎧の事です。今まで着けていたのは、あの方によって破壊されてしまいましてね。最早使い物にならないでしょう。しかし、杜撰な造りの武具を買うのも金の無駄使いです。かと言ってオーダーメイド、それも頭のみは中々頼むのも憚られます。だからこうして何か良いのはないかと店をチラ見していました」

 

 なるほどと頷くと共に、俺は腰にある剣を触る。

 ……ファッブロの剣は最早使い物にならない。全ては技量の甘かった俺のせいだ。いずれキチンと供養したい。

 

「流石に私の顔を直に知る者もヴァルドニア以外には居ないとは思いますが、念には念をと思いまして。頭鎧であれば、武装的に顔を隠していても違和感がないので」

「つまりエドアルドさんは顔を隠したいんですか? でしたらエドアルドさんにこれあげますよ、どうぞ!」

 

 アイリスちゃんが渡したのは目の部分を隠す仮面だった。あ、あれ見たことある。最初に俺の仮面を選ぶ際に出していたやつだ。

 

「……なんですかこれは?」

「わたしが作った仮面です! ふっふっふっー、何を隠そうアヤメさんの仮面を作ったのもわたしなんですよ? それはですね、昔読んだ物語を参考に作りました。これをつけたエドアルドさんはミステリアスさと清廉さを兼ね揃えた、まさにミスター・キシドー! どうですか! 良い物でしょう」

「……」

 

 俺にはわかる。

 エドアルドはいつも通りの能面だが、視線が若干泳いでいる。もしかしなくても困っている。後ろではキキョウが笑うのを堪えていた。

 

「……お気持ちは有難く。しかし、今これをするのは適さないでしょう。同一の仲間で仮面を付けているのが二人とは、怪しんでくれと言っているようなもの。これはまた別の機会に着けさせて貰います」

「そうですか……残念です」

 

 やんわりと断りつつ、エドアルドはアイリスちゃんから渡された仮面を仕舞う。

 あの仮面をつける時はあるのだろうか? ちょっと見てみたい。

 

「貴方、ほんとにそれ付けるの?」

「出来ればそんな時が来ない事を願っております」

「まぁまぁ、アイリスちゃんも善意でくれたんだからさ。それに俺もつけてるけど居心地良いよ」

 

 そんな風に会話していると不意に俺の首に何かが寄りかかってきた。

 

「よぉ、にいちゃん! 奇遇だなッ!」

「うわっ!? グリゼルダ!?」

 

 いつのまにか背後にグリゼルダが居て、俺に肩を組んでいた。

 

 瞬間、エドアルドとキキョウが武器を抜こうとして戦闘態勢になる。

 

 俺は二人に目配せする。

 今武器を抜けば、犯罪者となるのは二人だ。だから止める必要があった。

 

「な、なぜこの街に? 此処から離れるんじゃなかったのか?」

「あー、そう思っていたがのっぴきならない事に出くわしまってな。この街に暫し滞在することにした」

「重大な事態? それは一体」

 

 深刻な表情。

 彼ほどの強さを持ってしても解決出来ないことなのかと俺も気を引き締める。

 

「んー、それがなぁ。ぶっちゃけると金がねぇんだわ」

「は? か、金?」

「そう、金だ」

 

 彼は語る。

 元々余り街に寄り付かない旅路を続けていたが、それでも途中狩った魔獣を村などに売りつけたりして路銀は稼いでいた。

 

 それが彼の娘、イフィゲニアが"暗闇に潜む闇鯨"に囚われてからは一切の金も奪われ、いいように使われていたらしい。

 

 あの後、すぐにランドルフが呼んだ応援なども来たので金を回収する暇もなかったとのことだ。

 

「別に生きていくだけなら山の中で自給自足すりゃ良いけどよ。それじゃ、本当に生きているだけだ。それは違うだろ? 人が人らしく生きるにはある程度の人らしい生活が必要だ。そして、人と関わっていかなきゃならねぇ」

 

 グリゼルダはイフィゲニアの頭に手を置く。

 

「俺ぁ、イフィゲニアにもっと広い世界を見せてやりてぇ。それが、俺ぁが死んだ後もイフィゲニアが生きていく為に必要な経験だからだ。

「別にあたしはとうちゃんがいれば良いよ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。俺ぁだってそうしてやりてぇよ。だけどな、だからと言ってお前の可能性を潰す訳にはいかねぇのよ」

「可能性?」

「いずれ分かるさ」

 

 イフィゲニアはわからないのか頭を傾げていた。

 恐る恐るアイリスちゃんが手をあげる。

 

「あの、それで結局わたし達に何の用があるのですか?」

「おぉそうだったな。頼みがあるんだが、にいちゃん。暫くの間、俺ぁ達をにいちゃん達と一緒に行動させてくれないか?」

 

 背後でキキョウとエドアルドが微かに身動ぎしたのを感じた。

 彼女達が何を考えているのかはわかる。つまり、グリゼルダが隙を見て俺達を口封じする可能性だ。

 俺も少しだがその事は考えた。だが、イフィゲニアを撫でるグリゼルダには微塵もこちらに対する敵意は感じられない。

 

「何故俺達に?」

「ある程度こちらの事情を把握しているし、頼れる奴が他にいねぇってのが理由だな。ぶっちゃけ知り合いいねぇし」

「あの、思ったんですけど。別にわたし達と一緒じゃなくとも、冒険者にでもなれば良いんじゃないですか? 貴方ほどの強さなら大抵の魔獣なら倒せると思うのです。実際村に魔獣の素材を売っていたんですよね?」

「確かにそうだ。どうなんですか?」

 

 アイリスちゃんの言葉は的を得ていた。

 グリゼルダは困ったような顔をする。

 

「あー……確かに別に冒険者になっても良いんだがなぁ。ぶっちゃけると俺ぁ強いだろ? だからランクも割と簡単に上がる。そうなると高い金の依頼も受けれるようになる。ここまではいい。だが有名になるとそれ相応に貴族やら何やらの依頼が来ることになるし、ギルドの方にも定期的にお偉いさんと顔を合わせることになる。けどなぁ、そうなるとイフィゲニアが……」

「あぁ……」

 

 可能性は低いが、彼女の正体がバレる可能性がある。

 特に冒険者同士では時には知らぬ者同士でパーティを組む事になるので、顔を明かさないのは怪しまれるだろう。

 

 それ以外に、もし正体がバレたらどうなるかわからない俺じゃない。

 

 そう思って見ていると、彼女はジッと俺の事を見上げていて、口を開いた。

 

「あたし、おまえ嫌い」

 

 真っ直ぐな拒絶の言葉に思わず苦笑いになる。

 ゴチンと硬い音がなった。

 

「っぅ〜! とうちゃん! 何するの!?」

「馬鹿野郎、お前。心ではそう思っていても口に出してはいけないことだってあるんだよ」

「でもっ!」

 

 涙目になりながらイフィゲニアは反論する。

 俺は彼女の前に立ち、屈んで彼女と目線を合わせる。

 

「君はお父さんを傷つけようとした俺の事が許せないんだよね?」

「ぅっ……、そ、そうだ! とうちゃんは強いんだ! 本当ならお前なんかに遅れを取ることなんてないの!」

「やはりそうか。俺の事、君のお父さんを傷つけようとしたから嫌いなんだよね? 信じられなくても好かなくても良い。だけど、君のお父さんが信じたっていう事は信じてあげてほしい。お願いできるかな?」

(傷つけられてたのはアヤメさんでは)

(死にかけてたわよね)

(私もですが、彼もグリゼルダ殿にこっぴどくやられていましたね)

<クゥン>

 

 相変わらずお人好しだ。

 そう思いつつを三人と一匹は黙って推移を見つめていた。

 

「うっ、うぅ」

 

 イフィゲニアは動揺した。

 このように真っ直ぐに瞳を見られた事はないからだ。やがては耐えられなくなったのかグリゼルダの背後に隠れる。

 俺は苦笑して立ち上がった。

 

「事情はわかった。俺はグリゼルダを受け入れたいと思う。皆はどうだろうか?」

「わたしはアヤメさんが言うのなら良いですけど……」

<ガゥ>

「好きにしたら良いわ。ただ、信頼はないわ」

「心理的には賛同しかねますが、かといって此処で放り出すのは後味が悪いと言うもの。貴方の決断に従いましょう」

 

 不承不満はあれど、皆は受け入れてくれた。

 その様子をグリゼルダは笑って受け止める。

 

「ま、妥当な反応だな。だけど誓うぜ。俺ぁ、アンタらに危害を加えようとは思っていない。無論ただじゃねぇ。俺ぁに出来ることならなんでもしてやるぜ」

「そんな事」

 

 しなくていいと言いかけたが俺は少し考える。

 

「……なら頼みがある」

 

 

 

 

 

 

「で、だ。俺ぁの娘を嬢ちゃんたちに任せて、俺ぁをこんな場所に誘ってどんな腹だい? 逢引にしちゃ、無骨だし俺ぁはそっちのけはねぇぞ?」

「そんな訳ないだろ!?」

「冗談だ、ジョーダン」

 

 ケラケラと手を振って笑う。俺は溜息を吐いた。

 この人と一緒にいるとペースが崩れるな。だけど俺にも目的があって此処に来たんだ。彼にペースを握られる訳にはいかない。俺は向き直り、グリゼルダの瞳を見た。

 

「グリゼルダ、いやグリゼルダさん。改めて頼みがあります。俺を鍛えてくれませんか?」

「あん?」

 

 グリゼルダさんは俺の言葉に目を細めた。



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稽古

 そう、俺はグリゼルダさんに稽古を求めた。

 彼の強さは戦ったからこそよくわかる。少なくとも、接近戦、迫撃戦において彼は俺を上回る。

 

「おいおい、どういう風の吹き回しだ?」

「言葉の通りです。俺を鍛えて欲しいんです」

「鍛えるっつてもなぁ。にいちゃん、既に結構強いだろ? それににいちゃんの職業は『剣士』だろ? なら、俺ぁに教えを請っても意味がないと思うぞ」

「いや、俺の職業は『剣士』じゃない」

「何? 冗談……じゃなさそうだなぁ」

 

 正直俺の存在についてはかなり曖昧なんだ。

 『勇者』の職業(ジョブ)も『偽りの勇者』の称号も、両方とも恐らくは消失していると思う。現に技能(スキル)は全く使えないのだから。

 ならグリゼルダさんに教えを請いても無駄なんかじゃないかというとそんな事はない。彼の動きは確実に学べれば力になる。

 

「『剣士』じゃないなら何だってんだ? はたまた『魔法剣士』とでも言う気かぁ?」

「……すまない。答えることは出来ない」

「にいちゃんわかってるのか? 他の職業の技術は基本的に覚える事は出来ないし、仮に出来たともしても殆どが本職と比べて劣化したものだ。ならば、素直に自らの職業の技能(スキル)を覚えた方が合理的だ。それを踏まえて俺に教えを請うっつーんだな?」

「あぁ」

 

 元々俺の技術なんて本職からすれば真似事が良い所だろう。でも、だからこそ俺は様々な武術を、技術を身に付けたい。

 

 それが俺自身がもっともっと強くなりたいから。

 多くの人を救うために。

 仲間を守るために。

 

 グリゼルダさんは俺の瞳をジッと見る。

 値踏みされているような、そんな感じだ。だけど俺にだって意地がある。真っ向から目を逸らさない。

 やがて彼は破顔する。

 

「あぁ、良いね。良い目じゃねぇか。一人前の男に真剣に頭下げられたんなら答えねぇとな。良いぜ。一丁前に稽古つけてやるよ。にいちゃんには借りも、恩も、後ろめたさもあるしな。それで少しでも贖罪になるというなら、幾らでも鍛えてやるよ」

「ありがとう、助かります」

「やめろやめろ、敬語なんて。殺しかけた相手に畏まられるのは背筋がぞわぞわしやがる。適当で良いぜ」

 

 左右に手を振る。

 

「それで? にいちゃんの本命は誰よ?金髪の子は見ればわかるくらいにアンタにお熱だし、銀髪の方もまぁ、惚れてるだろうなぁ。二股……はまぁ、あんまり褒められたモンじゃねぇが本人同士が納得してるなら俺ぁいいと思うぜ」

「な、何故そんなことを言う必要があるんだ!?」

「そりゃ、おめぇ。男ってのは女を守る為に強くなるに決まってるからじゃねぇか。当たり前だろ? それに今時男女混同で旅をしているってことは少なからずそういうのもある訳だろ? 違うのか?」

「それは」

 

 好きな人。

 それを聞いて一瞬だけ、メイちゃんが浮かんだけどそれはもう終わったことだ。二度と会うこともない。

 俺はかぶりを振る。

 

「好きな子はいたさ。だけどそれは過去の事だ」

「は〜ん? 失恋か? まぁ、若いんだからそういう事もあるよな。うん。それもまた経験さ。若いってのはぁ、良いよなぁ」

「えっ、その生暖かい目はやめてくれないか?」

「いいっていいって気にするな。後で一杯奢ってやる。若者の愚痴を聞くのも先達者の役目だからな」

 

 グリゼルダはうんうんと頷きながら俺の肩をポンポンと叩く。

 何で俺は慰められているんだ!?

 何かすっごい恥ずかしいんだが!? 

 

「ま、にいちゃんの恋愛事情は置いといてやるよ。ただもし何かテクニックが聴きたくなったら教えてやるぜ。俺ぁ、妻がいたからな」

 

 ぐっ、しまった。またペースを握られていた。

 グリゼルダさんはカラカラと笑った後、後ろを向く。

 

「それでそっちは何でここにいるんだ?」

「無論、貴方を監視する為です」

 

 ずっと黙っていたが、この場にはエドアルドがいた。

 

「俺が頼んだんだ。俺だって無傷で済むとは思っていない。もし気絶とかしたら介抱してくれるように」

「アイリス殿達では恐らく介入してしまうとの事で私が任されました」

「まぁ、確かに好いてる男がボコられるのは見たくないだろぉしなぁ。ついでだ、傷は残らないようにしてやるよ。おじさん、気が効くだろぉ?」

「ボコられるのは確定なのか……」

「当たり前だよなぁ? 昨日今日武術を始めたばかりの素人に俺ぁが負けるかよ。無手での闘いは俺ぁの領域、そこで負けたら『武術家』としても、『鬼武刀』としても名が泣くぜ」

「むぅ……」

 

 勝負こそ途中でつかなかったがあのまま続けても勝てたかどうか、正直自信がない。それだけグリゼルダさんの動きは卓越していた。

 接近戦では自信があっただけに何かこう……悔しいな。

 

 それが表情に出ていたのかグリゼルダさんが笑う。

 

「悔しいか? ま、その方が良いと思うぜぇ。強くなるのに必要なのは向上心だ。自らの力の無力さを知る者ほど、より強さに貪欲になる。己の強さを驕る奴は一度敗退したら、心が折れちまうからな」

 

 何処か実感のこもった言葉だった。

 もしかして何かあったのかと問いかけるよりも早くグリゼルダさんは稽古の準備を始める。

 

「とりあえず、最初は手合わせからだな。うん。あの時は途中で終わっちまったが、今回はどちらかが参ったと言うか、気絶するかで構わねぇな?」

「勿論だ」

「んじゃ、精々気ぃ踏ん張って気絶するなよッ! 行くぞッ!」

 

 俺は剣、グリゼルダさんは拳と、互いに己の武器を構え試合は開始された。

 瞬きすらしていないのに、グリゼルダさんが俺の目の前に居た。

 

 一度目はエドアルドに。

 二度目は俺自身に。

 

 そして今回で三度目、流石に少しは慣れる!

 突き出された手を俺は躱す。そのまま離れると、グリゼルダさんは面白そうに口元をにやけさせていた。

 

「最初から躱されるたぁ、やっぱにいちゃん強いな」

「その動き……見たことがあるからな。エドアルドがグリゼルダさんに初めて会った時に、瞬く間に懐に入った動きだ」

「おうよ。初手に相手の意識の外にするりと入って即決で勝負を決める俺の常套句だ。どんな生き物でも心臓を壊せば死ぬ。俺ぁはこれで数多くの敵を葬ってきたぜ。……にしてはやっくんの心臓は破壊できなかったが。どんな手品な訳? それ」

「貴方に言う必要があるとでも?」

 

 何だかエドアルドの言い方に棘がある。

 

「……おーぅ、なんかやっくん睨んでねぇか?」

「当然です。あの時の雪辱を忘れられるものですか」

「無表情なのに、心の方は割と燃え滾ってるなぁ。やれやれ、仕方ないだろ? あん時は敵同士だったんだからよォ」

「そもそもやっくんとはなんですか」

「槍使いだからやっくんだ」

「……」

 

 エドアルドは実の所意外と負けず嫌いなのを俺は知っている。

 本人はあぁして大人の余裕を装っているけれども内心はいずれやり返すと思っているだろう。

 

「まぁ、今はそんなのよりも俺ぁとにいちゃんの稽古だな。次、行くぞォッ!」

 

 嵐の如く猛攻が襲いかかってくる。

 俺はそれを冷静に、見極めて捌いていった。

 

 

 

 

 

 

 時間が経過する。

 それは10分ほどだったが俺にとっては数時間にも感じる戦いだった。

 

「……なるほどな」

 

 やがて何度か打ち合った後、ポツリとグリゼルダさんが呟いた。

 俺はというと息を荒げて、当てられて鈍痛を訴える身体を耐えながら、剣を握っていた。

 

「正直言ってにいちゃんの反射速度や神経はかなり鍛えられている。鍛えられいる……がそれが問題なんだよなぁ」

「はぁ、はぁ……それは?」

「対処法が身体に染み付いちまってんだよ。攻撃が来たらこうする。次にこっちにきたらこうする。型……じゃねぇな、にいちゃんの癖か? にいちゃんだと攻撃を喰らわないように避けるのを前提に動いているからカウンターとかそういった反撃をするのが難しくなるんだ。時には態と攻撃を受けてでもその次に繋げられるようにするのも武術の真髄(しんずい)だ。なのににいちゃん、全部回避しちまうからなぁ」

 

 つまりは、俺の戦い方は回避を念頭に置いていると。

 思えば確かにそうかもしれない。聖剣が扱え辛くなって来た時から俺は殆ど速攻を意識してきた。そうじゃないと体力が続かないからだ。

 

 聖剣をユウに託してからも、その戦法は変わらない。俺は攻撃を回避し、相手の隙を突く戦い方をしてきた。

 

 グリゼルダさんの評価にエドアルドのフォローが入る。

 

「しかし、攻撃など喰らわないに越したことがないのでは? 悪いことではないでしょう」

「そりゃ極論言っちゃえばそうだろうさ。けどなぁ、人間っつーのはどうしたって疲労しちまう生き物だしな。そんな時にただ食らうのと受け流す、或いは最低限に衝撃を和らげられる為に武術を使う使わないはかなりの差だと俺ぁ思うぜ」

 

 エドアルドの指摘にグリゼルダは言葉を返す。

 俺はなるほど、と頷いた。

 

 前に大角カジキに対して俺は"桃孤棘矢"という絶技で相手の力を利用してかち上げた。

あれもまた自ら退路を絶って行い、うまくいっただけだ。グリゼルダさんの言う、本当の意味でのカウンターとは言い辛い。

 

「まぁ、にいちゃんが追い込まれたら己の身すら厭わない奴なのはあの洞窟の戦いで知ってるから、次から少し回避じゃなくて態と攻撃を受けて、それを捌くっていうのを覚えねぇとな。つー訳でにいちゃん! これから躱すのは禁止だ! 分かったか? 分かったな! よし! それじゃもう一丁いくぞォッ!」

「えっ、ちょ!?」

 

 いきなり回避するなとか言われても!?

 グリゼルダはそんな事関係なしに、いつのまにか俺の背後に居て拳を構えていた。まずいっ、いや、ただの突きならまだッ……!

 

「【無双乱舞拳(むそうらんぶけん)】」

 

 だが襲って来たのは幾多の拳の嵐だった。

 

「なっ!? そっちは技能(スキル)を使うのか!?」

「そりゃあな! 安心しな、殺さない程度に威力は弱めているからな! おらいくぞぉ!」

「ぐっ! さ、"沙水雨"ぇッ!」

 

 両手で"刺斬剣イザイア"を握り対抗する。避けちゃ駄目なら全て捌くしかない。

 

 拳と剣、普通なら後者が勝つはずなのに拮抗している。

 どんな強度しているんだ!? 本気ではないがキキョウの【突き穿つ氷の槍(ピアス・アイス・スピア)】すら"沙水雨"は砕いたのに!

 

「はァッ! いいぜいいぜ! ゾクゾクしやがる! やっぱにいちゃんは強ぇな!」

 

 笑い方も、獣のように獰猛だ。

 グルゼルダさんは両手を前に構える。

 

「【王羅波動(おうらはどう)】」

「ぐっ!?」

「ほれ次ぃ!!」

 

 空気が振動し、衝撃のようなものが俺を襲う。遠距離用の技能(スキル)か!? だが、何かを飛ばしてきたようには見えなかった。

 剣を盾に吹き飛ばされた所に、グリゼルダさんはまたも一瞬で距離を詰めて来る。

 

 このまま受けに回っては不味い。

 勝てない。負けるッ……!

 

「当たっても恨まないでくれよ!」

「おうさ! ドンと来なぁ!」

「"柳緑花紅(りゅうりょくかこう)"」

 

 俺は本気で、殺す気で対抗する事にした。 

 そうじゃなければ対抗出来ない。防御を最小限に、勝利を目指す。

 

「へっ、当たればヤバイな。当たれば、だがな」

 

 グリゼルダさんが躱す。

 すぐに俺は翻《ひるがえ》し、精度が上がった"緋華(ひばな)"を繰り出す。

 しかしまたもグリゼルダさんは軽く身体を逸らすだけで回避した。

 

「おっと危ねぇな。こっちもいくぞ?」

「くっ」

「甘いな、あらよっと」

「んなぁっ!? 」

 

 グリゼルダさんの構えから【塵旋突(じんせんつ)き】が来ると思った俺は防御の体勢をとるがグリゼルダさんはそれを見抜いていたように脚で俺の脚を捌いて体勢を崩してきた。

 そのまま倒れそうになり、何とか態勢を立て直すと構えられた拳が目に入った。

 

 ぞくりと背筋に悪寒が走る。

 

 避け……! いや、避けては駄目だった!

 

 俺は身体を前に出して、思い切り右手を突き出す。グリゼルダさんが技を放つよりも早く拳同士がぶつかることで、本来の威力が発揮される前に相殺された。

 

 だが、とんでもない激痛が俺の拳に走る。

 まるで鉄をそのまま殴ったみたいな感触だ。どれだけ鍛えているんだグリゼルダさんは……!

 その時、何かが俺の顎に向かって放たれていたのを視界の隅に捉えた。

 

「ほぉ?」

「いっ……!」

 

 痛い。

 骨が軋む。

 

 だけど俺は負けない。

 

 勝つ。

 勝つ! 

 勝つ!!

 

 グリゼルダさんを睨み返す。

 

「意気込みは良いが、これで終わりだぜ」

 

 瞬間別の衝撃が走り、俺は目の前が暗くなっていった。

 

 そんな、攻撃は防いだはずだ。

 一体何が………。

 

 

 

 

 

「勝負ありですね」

 

 エドアルドの冷静な声が響く。

 アヤメからは分からなかったが遠くから二人の試合を見ていたエドアルドには何が起きたのかわかった。

 

 それを見たアヤメは防御の構えを取った。そこまでは良い。

 だが、同時に別の攻撃、死角となった顎の下に拳を放っていた。辛うじてアヤメは防いでいたがそれに気を取られ、グリゼルダのフリーになった左手で首に向けて放った【手刀白虎(しゅとうびゃっこ)】を喰らい気絶した。

 

「流石ですね。まさかここまで一方的だとは。私は、彼に負けたのですが」

「にいちゃんの戦い方をみりゃわかる。アンタとは相性が悪いな。にいちゃんは動きで撹乱するタイプだ。アンタみたいにどっしりと受け止めて一撃を加えるのとはちげぇしな」

「とはいえアヤメ殿に吸水石がなく、躱してはならないというのがあればまた別だったでしょうが。徐々に貴方の動きに食らいついていってましたので」

「本当だぜ、にいちゃん最後まで諦めずに食い下がってきた。俺ぁもちょっとばかり冷や汗かいたぜ」

 

 エドアルドは気絶したアヤメの様子を確かめる。

 

「……この程度でしたらアイリス殿の手を借りる必要はありませんね。手加減していたのですか?」

「んー、そうとも言えるしそうじゃないとも言えるな」

「と言いますと?」

「最初の頃はそうだったんだが、最後の手刀に関しては殺しはしねぇがマジだった。じゃねぇと、あのにいちゃんの瞳。何が何でも勝つという執念があった。それだけの気迫があった。……洞窟の時の常人なら戦意が折れる怪我しても立ち向かって来た時といい、一体どんな修羅場潜って来やがったんだ、にいちゃん」

 

 グリゼルダは若くしてここまで強くなったアヤメに対して感嘆すると同時に内心畏敬を感じていた。

 

 だが、同時に違和感も感じていた。

 何というか、使命感に駆られているような。そうしなければと、突き動かされているような。

 

「どの道、彼を放置する訳にはいかないでしょう。彼が眼を覚ますまで木陰に置いておきます」

 

 エドアルドがアヤメを抱える。

 その様子を見ていたグリゼルダはかねてから抱いていた疑問を口にした。

 

「アンタはよぉ、なんでにいちゃんと一緒に居るんだ?」

「どういう意味でしょう?」

「あー、なんつーかなぁ。アンタの礼儀作法や動きを見れば分かる。アンタは何処かに仕えていた(もん)だろ? 理由は知らねぇけど、今はフリーと見える。けどよ、それだけの腕があればまた別の所で仕えることも可能なはずだ。何にそれをしねぇ」

 

 だから、わからねぇとグリゼルダは語る。

 その言葉にエドアルドはさして気分を悪くした様子もなく、アヤメを見る。

 

「アンタはにいちゃんに何が恩義があるのか?」

「恩義ですか。確かにそうですね、私には彼に恩がある」

「やっぱりか。なら多分、アンタも気付いてるだろ? にいちゃん、今のままじゃ長く生きられねぇぞ」

 

 グリゼルダの言葉は確信に満ちていた。

 

「にいちゃんの戦い方には命を躊躇せず捨てて、僅かな勝利の可能性を引き込もうとするものだ。確かにそうじゃないと勝てないかもしれないが、たかが稽古でも躊躇せずにまるで死にたがーー」

「そこまでにしてもらいましょうか」

 

 エドアルドが有無を言わせぬ言葉で遮る。

 

「私は彼の過去は知りません。しかし知ろうとも思いません。彼が例え何者であろうと私は彼に恩義があり、そして私自身の誓ったのです。ならばこそ、私は彼を見届けると。あの場で誓ったのです。わからなくとも結構。これは私の問題ですから」

 

 ですが、と言葉を続ける。

 

「余り貴方如きが彼を己の物差しで評価しないで頂きたい。彼女ら程あからさまに感情を露わにはしませんが、不愉快です」

 

 それを見たグリゼルダはふーんと口をにやけさせる。

 

「中々どうして、良い仲間に恵まれているじゃねぇか。にいちゃん」

 



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動く心

 一方その頃。

 街の中央のある広場にてアイリス達が、フードを被り姿を隠したイフィゲニアに相手をしていた。

 

「ほらほら、イフィゲニアさん! 此処がこの街で有名な噴水ですよ!

「……」

「ねぇ、貴方。この手を見ててご覧なさい。ほら、あっという間に氷の華が出来たわ。すごいでしょ」

「……」

 

 アイリスとキキョウはイフィゲニアに話しかける。

 何の反応もないと窺えると、引きつった笑みを浮かべたまま二人揃って後ろを向く。

 

(ま、まずいですよ! どうするんですか、あの娘さっきから睨んできますよ!)

(こ、此方が知る訳ないでしょ!? 貴方こそ、自信満々に引き受けたんだから何とかしなさいよ!)

 

 コソコソと二人して話し合う。

 アヤメがグリゼルダに用があって、その間イフィゲニアを見ておいて欲しいと言う頼みをアイリスは一も二もなく頷いた。

 だが結果は見ての通り、アイリス達の提案にうんともすんとも言わずに睨んでくる。

 

(そんな事言っても、貴方だって拒否しなかったじゃないですか! わたしだけに責任を押し付けないでください!)

(うっ、そ、それはそうだけど!)

 

 その間もどうするのか騒ぐ二人を尻目にイフィゲニアは周囲を見渡した。

 

 楽しそうに歩く人々。

 笑顔の親子、遊ぶ子ども、幸せそうなカップル、散歩する老夫婦。

 

 ここは平和そのものだ。

 だが彼らもイフィゲニアの正体を知れば怯え、恐怖し、躊躇なく悪意を向けるだろう。

 

(……敵、敵。どいつも敵。なんでとうちゃんはこんな人達と一緒に行動しようとしたの? 訳わかんない)

 

 イフィゲニアにとって、信頼できるのはグリゼルダのみだった。

 とは言え彼女の特殊な事情を顧みると責めることは出来ないだろう。今までの人生、イフィゲニアには敵しかいなかったのだから。

 

 だからこそ、グリゼルダは誰か一人でも良い、自分以外の信頼できる人を作りたかった。それ故にアヤメ達と暫しの間行動しようとしたのだ。

 

 やがて平行線だと悟ったのかアイリスが、溜め息を吐く。

 

「ふぅ……仕方ありません。此処は一つ、わたしがお姉さんとしての余裕を見せてあげます」

「すっごくムカつくけど、そこまで言うのなら何か手があるのよね?」

「当然です。見ていてください」

 

 何やら考えがあるアイリスは自信満々にイフィゲニアに近付く。

 

「イフィゲニアちゃん!」

「……なに。てか、ちゃんって辞めて」

「あまり不貞腐れてはいけません。貴方はこの街に来たのは初めてですよね。

帰ってきたグリゼルダさんに伝えてあげるのです。

 

「わたしのような素晴らしい大人のれでぃ(・・・・・・)になれると言うものです」

(何を言っているのかしら、あの娘)

 

 キキョウの目が冷ややかなものになっている事にアイリスは気付かない。

 

「……大人」

 

 ボソッと呟き、イフィゲニアはアイリスの張っている胸を鷲掴んだ。

 

「……ふぁ?」

 

 何が起こったのか分からず、呆気に取られる。

 さわさわ、もみもみ。

 

「ちっさ」

 

 イフィゲニアは嘲笑する。

 そこ言葉に固まっていたアイリスが動き出す。

 

「むきゃー!!」

「ちょ、やめなさいよちみっ娘!」

「何がちいさいっですってぇ!!?」

「貴方いつもならもう気にしてなかったじゃない! 痛いっ、胸を叩かないでよっ!?」

「なんでですか! あの娘より、わた、わたしの方がと、年上なのに! お姉さんなのにっ! なんでわたしよりも大きいのですかっ! 不公平です、不平等です、不義理です!! 神は死んだぁっ!」

「ちょっ。その言葉はかなりまずいから控えなさいよ!?」

 

 かなりやけっぱちになっているアイリスはとんでもない事を口にする。

 当然ながら女神に対してそのような事を言えば周囲から咎められかねない。キキョウは口を塞ぐ。

 

 その際、イフィゲニアはというとアイリスの様子を見てオロオロしているジャママの方を見ていた。

 

「……」

<ガゥ?>

 

 思わず撫でようとした手を引っ込める。

 そしてまだキキョウに抑えられているアイリスを見て、ため息を吐いた。

 

「いいよ。別にあたしに構わなくても。だって貴方はあたしに対して怖れがあるでしょ?」

「そ、そんなことは」

「隠しても無駄だよ。あたしだってとうちゃんほどじゃないけど人がどんな風に思っているかある程度わかるもん」

 

 イフィゲニアの言葉は確信に満ちていた。

 そしてアイリスはその言葉を否定出来なかった。

 

 そう、アイリスは確かに内心イフィゲニアに対して恐れがあった。

 彼女がこれまで出会った魔族と言う存在。

 

 直近ではシュテルングによって危うくその身を連れ去られる寸前であった。

 それ以外の魔族も全て、人を傷つけてばかりであった。アヤメが大丈夫だと信じたと言っても、それでも難しかった。

 

(……無理もないわ。ちみっ娘がこれまで出会った魔族はどいつもこいつもロクでもない奴ばっかりだっただろうし)

 

 かつて八戦将として比較的統率のきく魔族を率いたキキョウでも、魔族が持つ残虐性そのものはコントロール出来なかった。明らかにやり過ぎと判断して凍り付けにした奴の数も数えきれない。

 

「どうせ、あたしの居場所場とうちゃんしかないもん。だから、あたしに無理に構うのはやめて。鬱陶しいし、嫌」

「でも、わたしは」

「あたしに同情するのも憐れむのもやめて!!」

 

 明確な拒絶の言葉。

 イフィゲニアは立ち上がり、アイリスの手を弾く。

 

 痛みに手を抑えるが、その時こちらを払ったイフィゲニアの手が微かに震えているのに気付いた。

 

(震えてる……?)

 

 なんで、と思ってすぐわかった。

 

 何のことはない。

 彼女はまだ子どもなのだ。

 

 生まれのせいで、目につく人誰もが敵に見え、信じられない。

 だから、イフィゲニアは他者を否定し、威嚇し、近寄らせない。それは怖い(・・)から。

 

 確かにあの力は魔族(・・)と言って良いのかもしれない。

 だが心はそうじゃない。イフィゲニアは年相応の人の子(・・・)なのだ。

 

 そう思うとアイリスの中の恐怖心など綺麗さっぱり無くなった。

 それと同時に彼女に対する申し訳なさも感じた。けど、イフィゲニアは同情はやめてと言った。

 

 なら、すべきことは一つだ。

 

「仕方ないですね! 此処はわたしが直々にいーっぱい人の世界を教えてあげます!」

「ちょっ、ちょっと!?」

「大丈夫ですよ! ちゃーんと手を握っててあげますから!」

 

 イフィゲニアの手を握ってアイリスは駆け出す。

 イフィゲニアは困惑しているが、アイリスがにこりと敵意なく笑顔になると俯いて大人しくなった。

 

 そのまま二人は噴水の方へと向かっていった。

 

「やれやれね。まぁ、付き合ってあげますか。子どもに付き合ってあげるのもオトナの女って言うものよ」

<カ、カゥゥ……>

 

 先程のアイリスと似たような事を言うキキョウを、ジャママはなんとも言えない表情で見ていた。

 

 

 その後、アヤメ達が戻って来る。

 何やら疲れたような顔をしており、アイリスは労わりながらアヤメ達は宿へと戻っていった。

 

 その時、グリゼルダはイフィゲニアの様子に気付く。

 

「どうした? 何か楽しそうだな」

「! そ、そんな事ないよっ!」

「そうか? ま、良いか。帰るぞ」

「う、うん」

 

 グリゼルダに撫でられ、イフィゲニアは一緒に帰路に着く。

 

『ーーイフィゲニアちゃん、わたしはもっと貴方を知りたいです。だから、友達になりましょう?』

「…………友達」

 

 最後、アイリスにかけられた事を思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 所代わり、とある森の奥地。

 街から離れ、人が訪れない所に建造されたこの施設は設置された魔法具により隠蔽されていた。

 それは全て"暗闇に潜む闇鯨"の団員達だが彼らが送られたのは監獄などではなかった。

 

「おい!? 何処だよ此処は!!? 俺達は監獄に連れていかれるんじゃなかったのか!!?」

 

 仰向けに拘束された団員の一人が吼える。衣類は全て脱がされ、全裸で拘束されていた。 隣にはバラバラにされた魔獣が沢山並んでいた。

 その内の一体、死んだ魔獣の瞳がこっちを向いていて団員は絵もいわれぬ恐怖が湧いた。嫌な予感がする。

 

「おい! 聞いてんのかテメェら! すぐに解放しやがれ!!」

「うぅむ、静かにしたまえ。此処は神聖な場所なのだよ」

 

 扉が開き、部下を引き連れ現れたのはヨゼフであった。

 

「あ、アンタは。おい! どういう事だ! 俺達はアンタの話(・・・・・)に乗って魔獣を捕獲していたのに! 捕まっても直ぐに釈放されるように掛け合ってくれるんじゃなかったのか!」

「むぅぅん? まだそんなたわ言を信じていたのかね? 嘘に決まっているじゃないか。まったく頭が悪いねぇ」

「なっ!?」

 

 呆れた様子のヨゼフに対し、"暗闇に潜む闇鯨"の団員は驚いた顔をする。

 

「君達は最早表を歩く事も出来ない。後に待つのは死刑だけだ。なら、そうなる前に君の身体を有効活用しようと思ってね。喜び給え。君達は科学の進歩の礎となれるのだよ」

「な、なにをするつもりだ?」

「実験だよ。人と魔獣を組み合わせれば、どうなるかというもののね」

「……は?」

「分からないのかね? ならば教えてあげよう!」

 

 ヨゼフは両手を天に突き上げる。

 

「魔獣とはその名の通り、()()()()()()だ! その力は我々人間とは比べ物にならない。だがしかし! しかししかししかし! 今この世で繁栄しているのは我々人だ! 強さや能力で劣る我々が繁栄出来た理由は何か? それは頭脳、つまりは知能だ。我々は知恵によって繁栄した。しからば、肉体に優れる魔獣と知能に優れる人を融合させるとどうなるのか? 私は思う! それは両方の良い所のみを受け継いだ新たな生命が誕生するのではと!! 長所と長所が融合し、昇華し、新たな新人類が生まれるのだと!!!」

 

 聞いてるだけで頭がおかしいとしか評価できない事をのたまうヨゼフ。

 指を戦慄かせ、目は血走り、感情を露わにそれがどれほどの偉業かをつらつらと語り続ける。

 

「とはいえ……未だ完璧には程遠い。やはり新たな試みにはそれなりの苦労と犠牲がいる。だからより多くの検体が必要だ。村を襲ってでもね(・・・・・・・・)。君もまたその偉大な研究の礎となれるのだ。光栄だろう? ……ふぅ、長く語り過ぎたね」

 

 一通り語った後、ヨゼフは落ち着く為に深呼吸する。そして、注射器を手に取った。

 

「さて、始めようか。皆、準備したまえ」

「ま、待て! 良い情報を持っているんだ!! 他の奴らは知らずリーダー達が存在を秘匿していたけど、俺は偶々聞いたんだ!! 俺を実験体にするなんかよりよっぽど向いてる奴がいる!!」

「うぅん、うるさいね。口を塞いでしまいたまえ」

「待て! 待ってくれ! 本当なんだ!! 裏切りやがったが俺たちの仲間の中に魔族の娘(・・・・)が居たんだ!!」

「……ほぅ?」

 

 明らかに口からでまかせとしか言えない内容。

 しかし、幸か不幸かほんの僅かに興味が湧いたヨゼフは注射器を置いた。

 

「詳しく話しなさい。紅茶でも淹れてあげよう」

 



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巧技

 

 

 幾度となる鍛錬を積み重ねても、俺はグリゼルダさん相手に勝ち星をあげることは出来なかった。

 

 幾ら向かおうと先手を取られる。

 洞窟の時みたいな奇襲を使わないと俺はグリゼルダさんに傷すら与えられない。

 

「ぐっ……ま、負けた」

 

 俺は剣を支えに膝をつく。

 今俺の腕には二本剣がある。武器屋で買ったファッブロのよりも劣る代物だが、それでも隙をつけると思っていただけに手も足も出なかったのは酷く悔しい。

 

「にいちゃんは十分強いぜ。俺ぁ相手にここまで食い下がる奴にあったのは久々だ。他の『武術家』でありゃ、勝てるだろう。だが、俺ぁ相手には

ま、今のままでも鍛える前よりかは強くなってるぜ。だから、そろそろ良いんじゃねぇか?」

「いいや。まだだ……。俺はまだまだグリゼルダさんの強さを物に出来ていない」

「おいおい、ちったぁ自分の身体を労われよ。人生長いんだ。そんな生き急ぐ必要はないはずだぜ?」

 

 そんな暇はない。

 今尚魔王軍は人々を虐げている。

 ならその時が来た時に人々を救う為に必要な強さを得るのに、休んでなんかいられない。

 

「俺は……弱い」

「そんなことぁ」

「弱いんだ……! 俺はッ!!」

 

 俺はただの力の無い人だ。無力な人間だ。

 救世主(ヒーロー)を目指すといってどれだけの命が俺の手からこぼれ落ちた?

 全ては俺が弱いせいだ。

 

「弱いのは嫌だ、悔しいんだ。守りたい人を守れない。助けたい人を助けられない。何かを失って自らの弱さを嘆くような事はしたくないッ……!」

 

 俺にはもう聖剣も、技能(スキル)もない。

 だから頑張るんだ。だから努力するんだ。

 

 後悔しないように。

 これは俺の意地だ。

 

「……護るなぁ」

 

  ポツリとグリゼルダさんが呟く。

  何か共感したような声色だった。

 

「本来なら俺ぁ、にいちゃんにコレを教えるつもりなんてなかった。だけどよぉ、にいちゃんの姿を見ていたら生半可な気持ちで付き合っていたのは俺ぁの方だと気付かされてな。だからこれは俺ぁからの謝罪と受け取ってくれ」

 

 グリゼルダさんは語り始めた。

 

「『武術家』はなぁ、他のどの職業(ジョブ)と比べて一切何の道具も使わない、自らの身体だけが武器だ。そうなると一々技能(スキル)を使ってたらどうしても追っつかねぇ部分がある。だから俺ぁはそれを無くすことにした」

「無くす? それは一体」

技能(スキル)に頼る事のない動き。これを俺ぁ"巧技(たくぎ)"と呼んでいる」

「"巧技(たくぎ)"……」

 

 俺の"絶技(ぜつぎ)"のようなものだろうか?

 

「"巧技(たくぎ)"には意識の隙間を縫って相手との距離を一瞬で詰める"無拍子(むひょうし)"独特の足捌きで死角に回り込む"陽狼《かげろう》"、身体の一部を一時的に強化して鉄くらいの強度を誇る"鉄硬(てっこう)"、相手の気配をより強固に感じる"感知"。まぁ、他にもあるがこんな所か」

 

 グリゼルダさんは四つ指を立てる。

 

「特に"感知"については、誰でもねぇにいちゃんが俺ぁに相手によくしてやられただろう? 洞窟の戦いで特に俺ぁがにいちゃんややっくんの攻撃を捌いていたからな」

「……まさか!?」

「そうさ。"感知"は相手の存在をより強く感じられる。例えば相手が自分に向けて何をしようとしているのかの気配もな。だから俺ぁには一切の不意打ちが通用しねぇ。やっくん、アンタが背後から槍を投げた時もそうさ」

 

 あの時のカラクリはそれか!

 途中途中あった俺の動きを先読みしたような動きもそれだったのか。

 

「にいちゃん。アンタ『魔法使い』についてどう思う?」

「え? それは、やはり他の職業(ジョブ)と比べて様々な事を出来るという印象だ。やはり、火、水、風、土といった万物の属性を操れるという事は汎用性に優れている」

「まぁ、その認識にゃあ間違いはねぇな」

 

 グリゼルダさんの言葉は外れでもないが当たりでもないといった感じだった。

 

「人間にやぁ、魔力(・・)がある。だが魔力を使って何か出来るのは火・風・土・水の『魔法使い』か『白の魔術師』『黒の魔術師』、魔法国ペンタグラムの規定する6つだけだな。となると、おぉ見てみろよ! 世の中の職業(ジョブ)の殆どが魔力なんて関係ないわなぁ! けど、須らくして人間っつー生き物には魔力がある。大なり小なりあるが、それでもある。だが、『魔法使い』ら以外の奴らはこの魔力を持っているだけだ。なら、その他の職業(ジョブ)、その使われない魔力はどこに行った?」

技能(スキル)で使われているんじゃないのか?」

「おいおい、だったら【魔力操作】を覚えられてなきゃおかしいだろ」

「あ……そうか」

 

 【魔力操作】は魔法使うのに前提となる技能(スキル)だ。『魔法使い』と『白の魔術師』と『黒の魔術師』しか覚えられないのなら、他の職業(ジョブ)技能(スキル)を扱えるのは矛盾することとなる。

 

「"巧技"を扱う事で重要なのは、前提として全ての生物は魔力を持っていると感じて、それを扱えるようになることだ。先程の"感知"の存在を強く感じるっつーのも言っちまえば相手の魔力を感じでるってことだ」

「なら、【魔力操作】がないにも関わらず魔力を扱えるようになるのか……。すごいな」

「因みにこれは俺ぁが開発した」

「なっ!?」

あそこ(・・・)で生き抜くにはこれらを覚えねぇとヤバかったからな。まぁ、これは重要じゃねぇ。重要なのは此処からだ。耳の穴かっぽじってよく聞けよ?」

 

 グリゼルダさんが話を続ける。

 

「"巧技(たくぎ)"と基本、土台となるもの。それが"闘気錬成(とうきれんせい)"だ。言っちまえば『魔法使い』の《魔力操作》を、技能(スキル)無しで扱うようなもんだ。身体中に満ち溢れさせ、強化する。さっき言った4つの"巧技"もその延長線上、派生したに過ぎねぇ。細かく分類なんてものは出来ず、多分型は無限になる」

「少々お待ちを。それは矛盾では? 【魔力操作】無くして魔力を練るとは」

 

 エドアルドの質問にグリゼルダさんは頭をかく。

 

「んー、ここがややこしい所でな。魔力操作を使わなくとも人間ってのは魔力を消費しているんだよ。傷を治したりする時にな。確か嬢ちゃんは『治癒師(ちゆし)』だよなぁ? あれも相手の魔力を使って細胞を活性化させて傷を塞いでいるだろ?"闘気錬成"の場合はそれを筋肉や骨に注ぐ事で活性化させ、一時的に力を上げるっつーことだ。多分、『白の魔術師』の他人にかける【能力向上(アビリティアップ)】に近い」

 

 『白の魔術師』は他者に対して向上効果を得意とする職業(ジョブ)だ。 つまり、当人の持つ魔力を解放して、強くしていると言うのか。

 

「さて、簡単に言ったが"闘気練成"は並大抵の努力じゃ身につけることはできねぇ。だが、身につければこれまでと比較にならない程に戦いやすくなる。殺気とか覇気っつー言葉があるだろ? それがより鮮明に感じやすくなり、またこちらからも威圧といったもので相手を萎縮させられる」

「威圧? それは一体」

「"闘気錬成"を極めれば相手に悟られないことも逆により存在感を肥大化させて威圧することが出来る。練られた闘気によって漏れ出す魔力は圧倒的な()となって対峙する奴に襲いくる。そうなると、まぁ弱い奴はそれだけで戦意喪失してしまうわなぁ」

「……!」

 

 その言葉に俺は思い当たる事があった。

 

 

 ベシュトレーベン。

 奴から感じた、何倍も大きく見えた異様な、異形な、圧倒的なオーラ。

 もしかしなくても奴もそれが使えていたのか?

 

 

 勿論奴のは魔瘴(ましょう)という魔族が扱う瘴気であって魔力ではないからその差異はあるだろうけど、類似性を感じずにはいられなかった。

 

「その顔、にいちゃんどうやら思い当たる節があるようだな。それにその表情……かなり強い奴と見た」

「あぁ、強い。グリゼルダさんと同じ拳を扱う武術を使ってくるけど、俺は殆どその攻撃を裁く事も出来なかった」

「ほぉ? ーー俺ぁとどっちが強い?」

 

 ずわぁと息が重くなるほどの殺意、いや、闘気か。グリゼルダさんから放たれた。

 

 木々が騒めき、空気が重くなり、周囲の森からも動物達が一斉に逃げ出している。

 

 これが、グリゼルダさんの本気か。

 もしかしたら八戦将のダウンバーストにも匹敵するかもしれない。

 だけど

 

「ーー奴の方が強い」

 

 感じた闘気は、ベシュトレーベンよりも大きかった。だけど、練られた質が異なる。禍々しさに凶悪さは奴の方が()だった。そもそもアイツが本気だったのかすら不明なんだ。

 その言葉に一瞬キョトンとした跡、グリゼルダさんは大笑いした。

 

「世の中広いなぁ。自惚れていた訳じゃないが俺も強い奴として自負してたんだが……。へへっ、成る程。まだまだ強い奴はわんさかいやがる。滾る滾る。俺ぁもにいちゃんと修行すりゃ、新たな道が拓けそうだ。つー訳でにいちゃん。

「グリゼルダさんが長年かけてやっと辿り着けた境地に俺も至るには時間がかかりますね。何せ、体験者がグリゼルダさんしかいないんですから」

「いやぁ、どうだかな。俺ぁ如きでも気付けたんだ。俺ぁが知らないだけで知っている奴はいると思うぜ」

 

 俺、勇者だったけど知らなかったんだが。

 無知で恥ずかしくなってきた。

 

「そうだなぁ。もし知っているとしたら十二年前《獅子王祭》で見たあの近衛騎士か、或いはいると言われている『剣聖』くらいか……まぁ、こっちは眉唾物だから余り宛にしない方が良いわな。一応魔力を使った身体強化という点では獣人の方が天性の感覚で使えてはいるな。あれもまた"闘気練成"っつても良いかもな。まぁ、俺だからすれば赤子も良い所だが。ありゃ、種族によって強化が点でバラバラ過ぎる」

「獣人が人よりも身体で優れているのはそんな理由があったのか……」

 

 確かにランドルフの身体能力は高かった。

 獣人が身体能力で優れているのは良く知られていることだ。それが天性のもので魔力を身体の強化に回せていたからだとは。

 

 よくよく考えたら俺は今凄いことを聞いているんじゃないか? 魔法国ペンタグラムの『魔法使い』達もその事を知ってるのだろうか。

 

「つー訳で、やっくん。これから俺ぁは更に本格的ににいちゃんを鍛える。悪いが気絶したらまた……」

 

 その時、質問の後一言も喋らなかったエドアルドは無心で何やら槍を振っていた。その動きはグリゼルダの動きを真似しようとしていたように見える。俺達が見てるのを気付いたのか、何事もなかったように佇む。

 

「なぁ……やっくん。今槍を振って」

「振ってなどおりません」

「いや、振ってただろ」

「振っておりません」

 

 振った、振ってないの問答を繰り返す二人をよそに俺は自らの手を見ながら握りこぶしをつくった。

 "闘気練成"……そしてそこから派生できる"巧技"。

 必ず身につけてみせる。技能(スキル)でないならば、俺にだって扱える可能性は充分にあるんだ。

 

 やがて押し問答が終わったグリゼルダさんが此方を向く。

 

「ま、一朝一夕で身につくものじゃねぇ。何たって俺たちにゃ、【魔力操作】の技能(スキル)がないからな。なら、感覚で覚えるしかねぇ。それは口でいうよりも難しいことだからな」

「グリゼルダさんは、どうやってそれを……?」

「死にそうになって覚えた」

「えっ」

「若い頃、魔界に一人で突入してなぁ。そこに住む魔物と魔獣にフルボッコにされた」

「魔界に!!?」

 

 いや、確かにイフィゲニアがいるのならその妻となった魔族(ひと)がいるはずだかは、何らおかしくはないけど。

 イフィゲニアの歳が10歳、確かグリゼルダさんが消息不明になった時期とも重なるが……その間ずっと魔界にいたのか!?

 ひ、非常識過ぎる……。

 

「にいちゃん、死ぬ気で来な。俺ぁも多少殺す気でやる。結局の所、"闘気練成"を扱う為にはより深く自身の身体を知るしかねぇ。だが、俺ぁの見立てじゃ兄ちゃんなら覚える事が出来ると思っている。俺ぁにここまで言わせたんだ。男なら、言わなくてもわかるだろう?」

「ッ……! 勿論! 俺も強くなりたい! その為には絶対に身につけてみせる!!」

「良い心意気だ。行くぞッ!」

 

 この後めちゃくちゃボコボコにされた。

 

 



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光明

 

「いつつ。いや、本当に容赦がない。頼んだのは俺だけどさ……」

 

 宿に戻り、俺は痛んだ身体を抑えつつ凝った身体を解していた。

 ずっと"闘気錬成"を手にする為に意識しながら修行しているが全く感覚が掴めない。

 この修行の跡も今は痛いのだが、明日の朝になると全く痛くなくなるのがグリゼルダさんの技術を如実に表していた。

 

 しかし、掴めない。

 魔力を感じろと言われても、突然今まで意識した事のないことを感じ取れと言われても困る。

 胸に手を当てようとも感じるのは己の鼓動のみ。それだけだ。

 

「時間は有限。魔王軍がいつ動くかもわからない。グリゼルダさんだってずっと付き合ってくれる訳じゃない。それまでになんでも良い。とっかかりでも掴まないと」

 

 俺は何としても"巧技(たくぎ)"を身につけると決意する。その為には"闘気錬成(とうきれんせい)"を使えるようにならなければ。

 その時、俺の部屋のドアがノックされた。

 

「アヤメさん、今大丈夫ですか?」

 

 ドアを開けるといたのはアイリスちゃんだった。

 

「アイリスちゃん、どうしたんだ? キキョウ達は?」

「ぼっちはジャママと一緒に街に行きました。なんでも小腹が空いたとかで何か買ってくるそうです。入っても?」

「あぁ、構わないよ」

 

 俺はアイリスちゃんを部屋に入れる。

 

「エドアルドさんは?」

「あぁ、彼なら今宿の風呂に入っているよ。態々沸かしてもらって」

「そうなんですか。丁度良かったかもしれません」

 

 彼女はじっと俺を見つめてくる。

 

「アヤメさん、疲れてますね」

「え? ……やっぱりわかるかい?」

「はい。ここ最近ずっとそうですから。でも、疲れの中にも爽快感といいますか、そういったものも含まれているので大丈夫かな?」

「君は本当に俺の事わかってるね」

「当然です! いつも見てますから!」

 

 胸を張って宣言する。

 そ、そうか。そう言われると少し照れるな。

 

「アヤメさんが、エドアルドさんやグリゼルダさんと何かをしているのは知っています。それが何だか、わたしは聞きません。でも、疲れているアヤメさんにわたしも何かしてあげたいのです。駄目でしょうか?」

 

 彼女お願いは俺を気遣っての事だ。断れるはずがない。

 

「そっか。ならお願いしようかな」

「はい! わたしはこう見えてマッサージ得意なんですよ! いつも胸を大きくする為に自らし……っ、ご、ごめんなさい! 今の聞かなかった事にしてください!!!」

「あ、あぁ」

 

 慌てるアイリスちゃんが何を言おうとしたか指摘せず、曖昧に笑っておく。

 そのままベットに横になるとアイリスちゃんが馬乗りになり、ぐっぐと俺の背中を押す。

 

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「あぁ〜……」

「気持ちいいですか?」

「うん、凄くね」

「ふふっ、なら良かったです。書物を読み込んだ甲斐がありました! それにこんな風にアヤメさんに触れられるだなんて、うへ、うへへ」

「あ、あのアイリスちゃん?」

 

 淑女が出してはいけないような声が聞こえたんだが。

 

「は! す、すいません! つい心の声が」

「あ、うん。気にはしてないよ、うん」

 

 驚きはしたが。……前から思っていたが、俺はアイリスちゃんの目覚めさせてはいけない性癖(何か)を目覚めさせてしまったのだろうか。

 悶々とする俺を余所にその間もアイリスちゃんは背中をマッサージし続ける。

 

「やっぱりアヤメさん凝ってますね」

「そうか? まぁ、確かに基本的に戦いばっかりだからかなぁ」

「あんまり無茶したらダメですよ。あ、ついでに『聖女』の力を使って筋肉を癒してあげます!」

「それはありがたいけど、大丈夫か?」

「大丈夫です! この程度負担にもなりませんよ! 少しぐっすりと寝れば元どおりですから」

 

 そう言ってアイリスちゃんは癒しの力を使う。

 

 先程とも違う正に天に昇るような心地よさだ。

 

 あぁ、癒される。

 じんわりと温まるのが、筋肉の繊維一つ一つが癒されていくよな感覚……

 

「はっ!?」

「わきゃっ」

 

 咄嗟に起き上がる。

 

「『聖女』の力によって確かに感じた身体の中にある暖かみ……もしかしてあれが俺自身の魔力の流れか!?」

 

 『聖女』の力は他者を癒す事だ。

 彼女の力によって伝わる暖かみは傷を癒す、つまり活性化させていると言ってもよいかもしれない。

 

 なら今のが己の身を深く感じるということか!!

 

「あの感覚をいつでも覚えて、使えるようになれば」

「ア、アヤメさん?」

「あ、ごめん! 急に驚かせてしまったね」

 

 俺の所為でベットに転げたアイリスちゃんがこっちを見ている。俺はすぐに彼女の手を取って身体を起こさせる。

 

「ありがとうアイリスちゃん。君のおかげで何とか光明が見えてきたよ」

 「なんだかよくわからないですけど、アヤメさんの役に立てたのなら良かったです」

「本当にありがとう。そうだ、何か礼をしたい。何かないかな?」

「えっと、でしたら……」

 

 髪の毛の先を弄りながら、アイリスちゃんはモジモジする。

 

「また、髪を梳いて欲しいです」

 

 上目遣いで此方にお願いする姿は庇護欲をかきたたせる。

 

 そのくらいならと俺は快く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願いしますッ!」

「おうよ。ま、あんまり気張るなよ」

 

 何度目かになるグリゼルダさんとの稽古。

 俺は剣を構え、集中する。己の身体を深く意識する。そして一息でグリゼルダさんへ近づく。

 

「ほぉ?」

 

 何か気付いたようにグリゼルダさんが目を軽く見開き、俺の剣を素手で受け止める。

 その後、数も打ち合う。やがて、グリゼルダさんが口を開いた。

 

「……驚いたな。やべぇな、にいちゃん。何があった? 昨日と今日じゃ、身体の強化具合、身に纏う雰囲気が段違いだ」

「そう言って貰えると嬉しいさ」

「最初の動きもだが、練度も低いがあれは"無拍子"だな?」

「あぁ、それを再現してみた」

 

 何故昨日の今日で俺が"闘気錬成"を少しとは言え使えるようになったのか。

 それは微かにだが気付いた事がある。

 

 "闘気練成"の事だが、あれは聖剣を用いた時の『加速(アクセル)』と同じ身体に力が漲るのを感じた。つまり、細かい所は違うだろうが俺の身体を強化するという点では同じだったのだ。

 

 無論あれは、聖剣の恩恵があってこそでありその強化具合も比べ物にはならないけれどそれでも聖剣を持っていた際に使った慣れ親しんだ技能(スキル)と同じということはこれまでわからなかった"闘気錬成"というものを俺の中では格段に理解出来た。

 

 だから俺はそれに気付くとうまく出来るようになった。『加速(アクセル)』の時の感覚を思い出し、それを再現するよう意識する。

 無論、ちょっと使うだけでとてつもない疲労が来るし、グリゼルダさんのとは遠く及ばない。彼もその事は分かっているようだった。

 

「成る程、コツを掴んだか。おめでとう、にいちゃん。アンタは一歩道を進んだ。0か1かの違いだが、それでも1進めたのならこれからは自ずと"闘気錬成"を扱えるようになるだろう」

「ありがとうございます!」

「とは言え、俺ぁからすればまだまだひよっこだ。その調子で励むんだなぁ。まだ"巧技"も練度が低く扱えていねぇんだからな」

「それは勿論。これからどんどん努力して俺はもっと強くなる」

 

 一歩進んだのだ。

 ならば後は進み続けるだけだ。

 

「俺はまだまだ強くなる。次、お願いします!」

「おうよ、ドンと来なぁ!」

 

 俺は先へ進む為、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 宿に戻ったグリゼルダ。

 やがて彼は無意識にポツリと呟いた。

 

「すげぇな、にいちゃんは」

「とうちゃん?」

「ん? 悪りぃなイフィゲニア。起こしちまったか?」

「ううん、大丈夫。それより、とうちゃん楽しそう」

 

 イフィゲニアの指摘通り、グリゼルダの口元を笑っていた。その事に気付いたグリゼルダは大きく笑う。

 

「楽しそう、か。あぁ、そうだな。若い奴の成長を見るのは楽しいぜ。特に、イフィゲニア。娘の成長を見るのほど楽しいことはないぜ。ったく、立派に成長しやがってうりうり」

「あはははっ! くす、くすぐったいよぉ!」

 

 こちょこちょと戯れ合う。

 ある程度戯れあった後イフィゲニアはむくれる。

 

「もう、とうちゃん嫌い! あたし寝る!」

「おう、おやすみ」

「……うん、おやすみ」

 

 文句を言いつつ離れないイフィゲニアの頭を撫でる。やがてイフィゲニアは寝息を立てて眠り出した。

 

「……へっ、つい熱くなっちまったよ。ったく、もうそんな歳じゃねぇって思ってたんだがなぁ」

 

 稽古の時を思い出す。

 あの時のアヤメが"闘気錬成"のコツを掴んだ事にグリゼルダは内心大きく驚いていた。無論"無拍子"も完全でないが扱えたことも。

 

(キッカケこそありゃ、それを扱えるだけの激闘、死闘を既に繰り広げていたって事だ。あの若さで)

 

 それはどれほどの死闘だったのかグリゼルダには想像もつかない。

 しかし、それらを生き延び、また己の成長の糧として来たのだろう。アヤメの姿勢には尊敬すら覚える。例え生き急いでいるにせよ、その力を求め精進する姿は好感を覚える。

 

「イフィゲニアもちったぁ笑うようになりやがって」

 

 グリゼルダがアヤメを稽古つける時は基本アイリス達に面倒を頼んでいる。

初日こそ、何で一緒にいなきゃいけないと文句を垂れていたが、今はそんなことはない。何だかんだ楽しかったのか、アイリス達と一緒に居た時の事を語っていた。グリゼルダはそれがすごく嬉しかった。

 

 自分以外の他者と過ごす楽しみというのが育まれていくことに。

 グリゼルダは己の判断が間違ってなかったと感じた。

 

 寝入ったイフィゲニアの頭を撫でつつ、夜空の月を見る。

 思い出すはアヤメの稽古の時の言葉。

 

 

 『弱いのは嫌だ、悔しいんだ。守りたい人を守れない。助けたい人を助けられない。何かを失って自らの弱さを嘆くような事はしたくないッ……!』

 

 

「強くなるためにがむしゃらに、己の身すら省みずに愚直に突き進む姿勢。ほんとに馬鹿だなぁ。けどよ、昔の俺ぁもお前からはそう見えていたのか? なぁ、リィアン(・・・・)

 

 グリゼルダの独り言は夜闇に紛れて消えた。



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過去1

 

『な、なんとぉー!! またしても一撃で決着がつきました!! 決勝相手は相手はあの『重撃』と名高い大剣使いのアドラスでしたがその象徴であり大剣を折られての敗退です! 強い、強過ぎるグリゼルダ選手!!』

 

 太陽国ソレイユ、王都ハルマキス。

 その中心部にある闘技場にて響き渡る歓声。

 誰もが闘技場でたった一人の勝利者に対して惜しみのない拍手と称賛をしている。

 

 佇む男ーー若かりし頃のグリゼルダは民衆の歓声と参加者の呻き声を聞きながら一人溜息を吐いた。

 

「全然滾らねぇ」

 

 彼の相手となった者達はどれもこれもグリゼルダに傷をつける事なく、剣を折って退場した。その事が彼の中に燻った不完全燃焼を残す。

 

 その後粛々と褒賞式が始まり、ソレイユの国王モナリヒス(・・・・・)が直々に褒美の言葉を告げる。

 

「汝は《獅子王祭》に於いて数多の参加者から勝ち抜いた事に対してこの場で称賛を讃える。次いではーー」

 

 モナリヒスの言葉を右から左に聞き流しつつ、グリゼルダはちらりと左右に整列する兵士、近衛騎士を見る。感じる気配はどれも彼をして満足させるものではない。

 

(太陽国ソレイユといっても所詮こんなものか……いや、一人)

 

 どうやら近衛騎士の一人らしいが、団長らしき人物よりも圧倒的に強いと直感でグリゼルダは感じた。

 黄昏を彷彿とさせる髪に、身の丈に及ぶ大剣を背にする近衛騎士は鋭い視線をグリゼルダに向けている。向こうもこちらからの視線に気付いていた。

 

(戦ってみてぇな……。だが、その為に犯罪者になるのはごめんだな)

 

 彼は冷静だった。

 幾ら強者との戦いを望んでいるとは言え、その為に誰これ構わずに勝負を挑む気はなかった。やがてモナリヒスの言葉が褒賞へと入る。

 

「汝には今此処に名誉と報奨金を授けよう」

「ありがとうございます」

「また、汝の武勇を称え是非とも我が国に仕えて欲しい。その力を民の為に奮って貰いたい。返答は?」

「あ、悪いんだけどそれはパスで」

「ほ?」

 

 その時の太陽国ソレイユ国王モナリヒスは今までにない呆けた顔だったグリゼルダは覚えていた。

 

 

 

 

 

 金を受け取った後、さっさとグリゼルダは太陽国ソレイユを後にした。あの場にいたら民衆に囲まれてめんどくさいからだ。何度か国に仕えないかと繰り返されたが全て断った。

 

「宮仕えとか俺ぁの柄じゃねぇしな。それに、あんな覇気のねぇ王様に使仕えるだなんてゴメンだ」

 

 彼はじっとトワイライト平原で先を見据えた。

 

「人間の世界に俺ぁに敵う奴はいなかった。なら行ってみるしかねぇか、魔界に」

 

 前人未踏、人外魔境として知られている"魔界"。

 魔族という人を凌駕する存在が住む、正に人外魔境。そこにグリゼルダは足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 グリゼルダは知っていた。

 自身が強者(・・)であると。

 

 グリゼルダは思い知った。

 それは驕り(・・)であったと。

 

 

 

 

 

 

 

 グリゼルダは一人、荒野で倒れ伏していた。

 近くには巨大な黒い蛇の魔獣が倒れていた。

 

「くそっ、情けねぇ……ッ!」

 

 別にこの魔獣の所為で彼がこうなった訳ではない。

 元々グリゼルダは弱っていた。そしてそれも魔獣の所為ではなかった。

 

 それは環境であった。

 

 赤い灼熱地獄の砂漠。

 黒く染まった森自体が移動する

 透明な、それこそ目にも見えないのに存在する水の集合体。

 

 そこで必要だったのは、環境への適応。

 彼が望むただ強者を倒すだけでは決してなかった。

 

 望むような休息を得られず、次第に疲弊したグリゼルダは自らを食そうとした魔獣を倒した後、精根尽き果ててしまった。

 立ち上がろうとするも、疲労から立てない。

 

「俺ぁ……死ぬのか」

 

 霞んだ視界で呟く。重い一撃ももらっていた。

 別に死ぬのは怖くない。

 ただどうせ死ぬなら戦いで死力を尽くして死にたかった。相打ちならともかく、自らの不注意と環境で死ぬとか恥でしかない。

 

「はぁん? 血の匂いを辿ってきてみれば、まさか人間がいるとはね。だけど死にかけときたもんだ」

 

 その声を聞いてグリゼルダは霞む視界を向けた。

 そこに居たのは人影。それを見たグリゼルダはおかしいと感じた。

 

(人間がこんな所にいる訳がねぇ。まさかっ!?)

 

 魔界で人型、それに言葉を喋れる存在など一つしかない。

 

「魔族ッ……!」

「ん? あぁ、御名答。アタシはアンタらでいう魔族の一つさ。でもな、アタシ的には魔族って呼ばれるよりも『赫鬼人(かくきじん)』と呼ばれた方が嬉しいがね」

 

 己の角を指しながら、赤い肌の女性の魔族はニヤリと笑う。

 棍棒を片手に担ぐ女性の魔族はジロジロとグリゼルダを見た。

 

「はぁん。ボロボロだね、アンタ。よくもまぁ、そんな状態で生きてるものだ」

「俺ぁを……食う気か?」

「はぁ? 人を喰う? ぷっあっはっはっ!! 人ってのは馬鹿だねぇ! そんな事する訳ないじゃないか。人ってのは賢いと聞いたけどアンタは脳みそまでその体みたいに筋肉で出来ているのかい! あっはっはっはっ!!」

 

 腹を抱えて笑う。

 何がおかしいと睨みつける。人を魔王軍が食らうのは有名な話だった。

 

「確かに魔族の中には人を喰う奴もいるが、其奴らは魔王直属に生み出された魔物の奴等さ。元の魔物(・・)から変異(・・)したからこそそういった性質を持つようになったんだろうね。ま、アタシにはそんな趣味嗜好はないしね」

「ならなんだ……拷問でもする気か? 生憎とそんな事しなくてももうじき俺ぁ死ぬぜ」

「んな加虐嗜好なんてないよ。ふむ……」

 

 女の魔族は付近に倒れている魔獣を見た。

 

「コレはアンタがやったのか?」

「けっ。そうさ。俺を食おうと襲いかかってきたからな。だがこの様だ。笑いたきゃ笑いやがれ」

 

 自嘲気味に笑うグリゼルダに対して、目の前の魔族は神妙な表情で魔獣とグリゼルダを見ている。

 その事に疑問に思いながらもやけっぱちにグリゼルダは話す。

 

「どの道逃げる体力もねぇ。好きにしな。どうせここまでの命だ。どう死のうが対して変わりねぇ。恥だしな」

「へぇ……なら好きにさせて貰うよ」

 

 その言葉に女性の魔族はにやりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 グリゼルダは生きていた。

 あの後洞窟へと連れ込まれ、例の女性の魔族に治療を受けていた。

 

「……なんで、俺ぁを助けたんだ?」

 

 人類と魔族は敵同士。

 それは歴史が証明している。なのに、グリゼルダには目の前の魔族が自らを助け出したことに疑問に思っていた。

 

「あぁ? 難しいこと言ってんだよ。あたしが助けようと思ったから助けただけ。それだけだ。なら、命が助かったことを喜びなっ!」

「いってぇ!!? おまっ、叩くなよ!?」

「あー、うるさいうるさい。ほら、これで薬は塗り終わったぞ。後は気合いで治すんだな」

 

 ヒリヒリとする背中を抑えつつグリゼルダは何とも言えぬ顔で唸る。

 実際傷はある程度治療のおかげかよくなった。それだけじゃない。なんだか、この洞窟内だとえらく呼吸がしやすいのだ。

 

 女性の魔族は目の前で料理を作っている。グリゼルダは気になっていた事を問いかけた。

 

「せめて理由を聞かせてくれ。じゃねぇと、居心地が悪くて仕方ねぇんだよ」

「はぁ。仕方ないねぇ。さっきの魔獣を覚えているか? アタシらの所じゃ"黒巌巨蛇竜(ドゥーロワーム)"って呼ばれてる奴だ」

「あぁ、俺ぁが倒したあの蛇か?」

「そうだ、アンタが倒した」

「もしかして、礼のつもりか? だったらそうと」

「ーー違うわッ!!」

 

 怒気すら込んだ声にグリゼルダはびっくりする。

 

「貴様よくもアタシより先に倒してくれたね!! アタシがどれだけ……ど、れ、だ、けッ!! コイツと戦えるのを楽しみにしていたと思っているんだッ!? あぁ、こらぁ! 欲求不満なアタシのカラダをどうしてくれる!!?」

「うげっ、お、お前怪我人に対しての扱いッ……!」

 

 胸元を掴まれグワングワンと揺らされグリゼルダは顔色が悪くなる。

 その時ある事に気付いた。

 

「まさか俺ぁを助けたのって……」

「ん? "黒巌巨蛇竜(ドゥーロワーム)"を倒したアンタを倒す事でアタシはより強くなれんじゃねぇかなって思ったから。だから死なれたら困るんだよ」

「オイィッ!!? 聞きたくなかったよそんな事! 助かったと思ったらなんでもっかい死ぬ目に遭わなくちゃいけねぇんだ!!」

「はっ! 知ったこっちゃないね! アンタはあの場で死ぬ運命だった。それをアタシが拾ってやった。つまりもうアンタはアタシの物なのさ」

「んな理不尽な!!?」

「アーハッハッハッー! 軽率に魔界にきた自分を恨むんだな」

 

 豪快に笑う女性の魔族。

 あけずけに本心を言う存在にグリゼルダは何だかんだで毒気が抜かれてしまった。

 

「……俺ぁの名前はグリゼルダだ。お前の名前は何なんだよ?」

「ん? そういや名乗ってなかったな。アタシの名はエ・リィアン。よろしく頼むぜ? グリゼルダ? 先ずは飯を奢ってやるよ」

 

 ニヤリと獰猛に笑うリィアンはお世辞にも可愛いとは言えないーーだけどどうしてかグリゼルダは彼女の笑顔に惹かれてたのだ。

 

 

 

「ぐっはぁ!!? なんだこの料理くっそまじぃ!!」

「はぁ!? お前出された料理に文句言うなよ! はっ! ならもうアタシが食うからな!! ……まっず!?」

 

 ちなみに料理はゲロマズかった



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過去2

 

 魔界には"魔瘴"とよばれるものが充満している。

 これは主に魔物なども攻撃として放つ人に害がある物質だ。

 リィアンはなるべく魔瘴のない所を選んではくれているが、それでも完全に防ぐ事は出来なかったが、それでも格段に過ごしやすかった。

 

「つまり、"魔瘴"によって自然は蝕まれ生物が生き抜くには過酷な環境になるのさ。だからこの辺りに生息する魔獣は過酷な環境を生き残ったからこそ、屈強なんだ」

「成る程な。その点でいやぁ、俺ぁ環境に負けた敗北者って訳だ」

「いやいや、アンタはやるよ。たまーに好奇心等に刺激された奴が魔界に来る奴がいるが、大抵魔瘴に侵されて死ぬからな。それとくらべたら頑張ってる方だ」

「そりゃ、俺ぁ人間界でも強者に位置していた。身体の方は頑丈だ。日頃の鍛錬の賜物だな」

 

 何処か得意げな表情を浮かべる。

 それに対してリィアンは何か考え込み、そして白い歯を見せて笑う。

 

「なら戦ってみようぜ」

「は?」

「そろそろ傷も治っただろ? アタシはアンタと戦ってみたくて身体が疼いているんだ。そいと決まったら行くぞ!」

「つぁっ、テメェこら、引っ張るんじゃねぇ!」

 

 グリゼルダはリィアンに引きづられ外に出た。

 

 

 

 

 案内された赤い土以外何もない環境で二人で戦っていた。

 

「そぉら、次だ! いくぞグリゼルダァッ!」

 

 雄叫びと共にリィアンが棍棒を横に振るう。

 グリゼルダはそれを躱す。

 

「いいぜ、いいぜ! 次だよッ! おらよぉッ!」

(こ、こいつ全く疲れながらねぇ! そして何より、この力の強さ!?)

 

 外した棍棒が地面に叩きつけられた瞬間、地面が割れて隆起する。

 明らかにおかしい。魔族が人を凌駕する力を持つとは聞いていたが、ここまでダメージがあるとは思わなかった。

 

「ナメるなよッ! 【嵐龍脚(らんりゅうきゃく)】」

「ッ! ……あっはぁっ、こんなにダメージ食らったのは久々だ。いいねいいねぇっ、ゾクゾクするよォッ! ほら、もっと……あれ?」

 

 グリゼルダの凄まじい蹴りに、喜色を浮かべるリィアンだが、グリゼルダが膝をついているのに気付いた。

 

「ぐっ、く、くそっ」

「あー、これ以上やると傷口に響くか。ま、いいか。久々に手応えのある相手とやりやえたんだし」

「お前っ、なんて力持ってやがるんだよ。俺ぁより、背が低いくせに」

「生まれてこの方力が強い事が取り柄だからなぁ。ま、生まれ持った才能の差だな。アタシは天才なのさ」

 

 ふふんっと得意げになる。

 

 それを見たグリゼルダは悔しさから歯噛みした。

 リィアンの力が圧倒的に強いのだ。それに体力もあるし、【嵐龍脚(らんりゅうきゃく)】を食らっても全く応えた様子がない。

 

 リィアンは手に持つ無骨な棍棒で全てを一振りで粉砕する。

 岩だろうが、地面だろうが、魔獣だろうが全てだ。

 

 

 元々の基礎(スペック)からして違いすぎる。

 これが人間と魔族の差だった。

 

 とは言え、グリゼルダが辛うじて食らいつけたのはひとえに彼の卓越した武術による賜物だろう。

 

 リィアンはその点攻撃は雑だった。力任せに棍棒と拳を振り回す。それだけだ。だが、それが圧倒的な暴力の戦術として君臨している。

 当たれば死は免れないがその全てを回避した。

 

「そういや、アンタもちょくちょく唯の殴りのはずなのに、なんというか腹にズンッ! ってくるのがあったな。ありゃなんだ?」

「何って武術に決まってるだろう」

「へぇ、ちょっくらアタシにも教えてくれよ」

「あぁ、別に構わないが」

 

 グリゼルダはリィアンに武術を軽く教えるもうまくいかなかった。

 

「こうして……あれ? あぁ、どうなってんだこれ! 全然アンタみたくならないじゃないか!」

「まっ、俺ぁでも磨くのに長い年月がかかった。アンタが身につけるにもそれなりの月日が必要だと思うぜ」

「……やーめた」

「はっ!? お前が言い出したことだろ!?」

「アタシは本能の赴《おもむ》くままに戦いたいんだ。武術だが何だか知らないが型に嵌った戦い方はアタシの柄じゃねぇわ」

 

 はー、ヤダヤダと興味を失ったリィアン。

 そっちから頼んでおいてその言い草は何だ、と青筋を浮かべる。

 

<グルルルッ、>

「お? 魔獣か。丁度良い、叩きのめしてやるよ!」

 

 その時現れた魔獣を憂さ晴らしとばかりにリィアンは蹂躙する。その様子をグリゼルダは複雑な表情で見ていた。

 

「『赫鬼人』つったか。なるほど、あの強さと粗暴はまさに鬼《・》だな」

 

 返り血に染まりながら浮かべる笑みは狂気的で、それは正に暴力の化身のようだった。

 まさしく鬼の名に相応しいだろう。

 

「くそっ、『鬼武刀』の名が泣くぜ。……ぜってぇ強くなってやる。その為にはただの武術じゃダメだ。もっと、別の力が……技《・》がいる。それに()も」

 

 戦うリィアンを目に収めながらメラメラと対抗心を焚いた。

 

 

 

 その後も二人の奇妙な関係は続いた。

 

 グリゼルダの傷は順調に回復し、彼はリィアンの代わりに料理をすることにした。

 

 意外や意外、グリゼルダは料理が上手かった。

 健全な体は、健康な食事からーー常に闘いに身を置くのが至上のグリゼルダにとって常に自らの体のパフォーマンスを整えておくためーーと考えていたから、妥協を許さず追求した結果だ。

 

 グリゼルダの料理をリィアンは美味そうに食べる。

 

「いやぁ、いいねいいねぇ。まさかこんな所で美味しい料理が食べられるとは思わなかった」

「そんなにか? 俺ぁとしてはまだ満足には程遠いんだがな」

「そりゃそうさ。魔界ってのはマトモな食料ないからなぁ。……アンタもあんまりこっちの食材を食べるとこっち側(・・・・)になっちまうよ」

「へっ、何だ角でも生えるってか?」

「そうさ、ある日突然角が生えたり、体の色が変わって今までの自分とは似ても似つかない姿になる。心もまた、変化する。そうしてこっち側(・・・・)に染まるのさ」

「へーへー、そりゃまた恐ろしいこった」

 

 グリゼルダはリアンの言葉を軽く流す。

 真面目に聴いてないと分かり、リィアンは肩を竦めた。

 

「ま、アンタがそれで良いならアタシはもう何も言わないさ」

「そうか。それでよ、アンタはこれからどうすんだ?」

「あん? どういう事だ?」

「こーして毎日毎日一緒に戦ってよ。俺ぁとも居て、故郷とか住処に戻らなくて良いのか? 家族とかいるだろう?」

「家族はいないよ。全員殺された」

 

 ピタリとグリゼルダが鍋を混ぜる手を止めた。

 

「アタシが狩猟に出てる時にな。帰ったら村ごと何にもなくなっちまった」

「そりゃまた……」

「あぁ、同情すんなよ? これ事態は魔界じゃよくある事さ。魔族同士の争いだってよくある事だしな」

 

 リィアンは本当に気にしていないようだが、グリゼルダはそうはいかず暫し無言になる。

 

「んだよ、気にすんなって。それよりも後でまた戦ってくれよな」

「そりゃいいが……なんで強さを求めているんだ? 別にお前は既に十分強いだろ?」

「あぁ? ……倒さないといけない奴がいる。そいつは恐ろしく強い。だから其奴を倒すためにアタシはより強くならなきゃならないんだ」

 

 暗く決意を秘めた瞳だった。

 

 それは先程故郷を滅ぼした奴と関係あるのか。

 部外者でもあるグリゼルダにはこれ以上は何も突っ込めなかった。

 

 

 更に数日経ち、朝からリィアンは無言だった。

 いつも通り、飯を食べた後珍しく棍棒を手入れしているリィアンにグリゼルダは神妙な顔をする。

 やがてリィアンは立ち上がった後、気合いを入れるように頷いた。

 

「ちょっくらアタシは出かけてくるわ」

「あん? また戦わないのか? 折角新しい技を扱えるようになったってのに」

「悪いけど、今から行く場所はアタシでも大変な場所でな。無駄に体力を使う訳には行かないのさ」

「場所? 何処に行くんだ?」

 

 尋ねるグリゼルダ。

 

「いや、ちょっくら魔王軍の施設を破壊しに」

 

 それに対してリィアンは軽く答えた。

 

 

 

 

 止めるグリゼルダを置いてリィアンは一人でやって来た。

 視線の先には明らかに人工的に作られた建物があった。

 

「強くなるには戦い以上に効率的なのはない。あいつ(グリゼルダ)との戦いは刺激的だったが、アタシにあいつの武術を手にするのは無理だな」

 

 リィアンは自らに武術の才能がないのを自覚していた。

 あの辺りにはもうリィアンに匹敵する魔獣はいない。そこでリィアンは叩きのめした魔族に聞いた秘密の魔王軍の施設を襲うことにした。

 

 そこならば強い奴がいる。生死に直結する戦闘が自分の修行になると思ってリィアンは襲う事を決めたのだ。

 

「さて行くか! 【亜羅螺鬼貫(あららぎがん)】」

 

 棍棒を振るい壁を破壊する。

 

「何の音だ!?」

「敵襲だと! 馬鹿な此処は魔界だぞ、人が入れるはずがない!」

<グゴォォォオォォッ!>

<ギャオォオォォンッ!>

 

 先に居たのは何かを研究している魔族と閉じ込められている魔物。施設と聞いたがまるで研究所だ。

 

「へぇ、魔物を研究する奴等がいるだなんてね。頭のない魔物の中には魔族にすら襲いかかる奴もいるのに酔狂なこったぁ」

「その姿、我々と同じ魔族か!? 正気か貴様、此処を魔王軍の施設と知っての狼藉か!」

「関係ないね。此処には強い魔物達がいると聞いた。なら、あたしの為にあんた達は経験値となりな!」

「ほざけ! 『水陣』様の配下の我々の強さを侮るなッ!!」

 

 魔族が襲い掛かる。

 リィアンは笑い、戦闘へと雪崩れ込んだ。

 

 

 

 

「……こりゃ。ちょっと不味いかもしれないね」

 

 リィアンの周りには魔物が沢山いた。

 魔族を殆ど殺した後、これまでと思った魔族が閉じ込めていた魔物を解放したのだ。

 

 そうして襲い掛かってきた魔物は思った以上に手強かった。

 

 元より、より強化された魔物を生み出す為に作られた施設では未だ納得する結果には実を結ばぬとはいえ、通常よりも強力な魔物が沢山存在していた。

 

<グゴオォォォオォォッ!>

「! ちぃっ!」

 

 魔物を倒していた所に、別の魔物が襲い掛かる。

 迎撃しようとするも、血に足を取られた。やがて魔物の爪が迫り、その身を貫こうとした時

 

「【虚空無兇冴(こくむきょうさ)】」

<グゴォッ!!?>

 

 現れたグリゼルダに吹き飛ばされた。

 リィアンは目を見開く。

 

「グリゼルダ!? アンタ何此処に来てんだよ!」

「ンなもの、お前を追いかけてきたに決まってんだろ?」

「馬鹿野郎! 此処は"魔瘴"に満ちているんだぞ! 人間のアンタじゃ、長く持たないぞ!」

「あぁ、そうだな」

 

 グリゼルダの身体は既に一部変色していた。痛々しいがグリゼルダは気にした様子がない。

 

「だったらさっさと此処を抜けださねぇとな。リィアン、手を貸せ」

 

 助けに来たのにあけすけに手を貸せというグリゼルダに目を見開き、やがて頭を掻いた後リィアンは立ち並ぶ。

 

「ったく、しょうがないね」

「へへっ、それでこそだ。とはいえ俺ぁよ、リィアン。お前のバカさに頭突きしてやりたいぜ。普通魔王軍の施設を襲うか?」

「はんっ、説教なら後で聞くよ。今はこの場から生き残ってからだ」

「へっ、そうだな」

 

 二人は互いに背を庇いあう。

 

「アタシの背中、アンタに任せるよ」

「そっちこそ、頼んだぜ」

<ブオオォオォォッ!>

<グゴォォオォォッ!>

 

 魔物が襲い掛かる。

 だが、二人にはこれっぽっちも負けるとは思わなかった。

 

 何故なら、お互いの背後を守る存在がいるから。

 二人は戦い続け、遂には施設の魔物を全て倒したのだった。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、何とか帰ったな」

「ふぅ、ふぅ、全くだ。死ぬかと思ったぜ」

 

 怪我を負いながらも二人は生き残った。

 互いに支え合い、住処まで戻って来れた。住処に入る前にグリゼルダが足を止めた。

 

「なんだい。早く戻ろうじゃないか?」

「あー、悪りぃがリィアン。まだ俺ぁに付き合ってもらうぜ」

「あ? なんだい」

「今日の戦い、まだやってなかったよな。それをして欲しい」

「おいおい、幾ら疲労しているからってアンタに負けるほどアタシは弱くないぞ。なら、明日で良いだろう?」

「いいや、今日じゃなきゃダメなんだ。あの日から1ヶ月経った今日、俺ぁは言うと決めてたんだ」

 

 真面目な表情で語るグリゼルダに折れたのか、リィアンは溜息を吐きながらも棍棒を担ぐ。

 

「何を言うつもりかしないが、まぁ、わかったよ。戦ってやるよ。一撃で決めてやるからな」

「こっちも直ぐに終わらせるつもりだ」

 

 互いを武器を構える。

 やがて先に動いたのは、グリゼルダだった。

 

「"無拍子"」

「はっ!?」

 

 いきなり目の前に現れたグリゼルダに動揺する。

 

「【無双乱舞拳(むそうらんぶけん)】」

「うがっ!? こ、この調子に乗るなよグリゼルダ! 【亜羅螺鬼貫(あららぎがん)】」

「"影狼"」

 

 必殺の威力の誇る一撃を容易く躱される。

 

「【阿修羅鬼戮殺(あしゅらきりくさつ)】」

「なッーー!?」

 

 6つの強力な一撃が両膝、両腕に走りリィアンは膝をつく。最後に拳がリィアンの目の前で止まった。

 

「俺ぁの勝ちだな?」

「……あぁ、くっそ! 負けたぁ!! 悔しい悔しいッ! アンタ、いつのまにかアタシと同等に打ち合い出来るまでに成長しやがった?」

「とっておきさ。お前の姿を見て思った。戦闘の最中でリィアンは自らのポテンシャルを遺憾なく発揮していた。己の生命力を余りなくその身に宿していた。俺ぁだって、種族は違うが姿形は同じだ。なら、俺ぁにだって出来るはずだって思ってな」

「はぁ? それだけでアタシと同じ事をしようと思ったのか!? 正気じゃないよ」

「正気だったら"魔界"になんて来ねぇよ」

 

 愉快そうに笑うグリゼルダ。

 

「"魔界"で過ごす内に俺ぁ体内で熱い力を感じた。そん時は不思議と調子が良くてな。それはいつでも扱えるように努力した。身体中の力を発揮する事、これを"闘気錬成"とし、それによって強化されたものを"巧技(たくぎ)"と名付けた。それでだ。俺ぁの勝ちだぜ?」

「ちぇっ、そうだな。アタシの負けだよ! 清々しいほどにな。それで言いたいことって何なんだ?」

「あぁ」

 

 グリゼルダは息を整えた。

 

「リィアン、俺ぁの妻になれ」

「……はぁ?」

「一目惚れだった。好きだ、リィアン」

 

 その言葉を言った途端、リィアンは今まで見た事ないぽかんとした顔をした。

 

「……参ったね。これはちょっと予想していなかった。まさかアタシが求婚される事があるとは思わなかった。ましてや、好いてくる男がいるだなんて思いもしなかった」

「なら、それは外れだな。俺ぁはお前の事好いてるし、愛してるぜ」

「口にして言うんじゃないよっ! あぁ、くそ。調子が狂う。顔が熱い。戦闘でもないのに、何だこれ。あー、くそ! こっち見るなよ!」

 

 顔を赤らめ、グリグリとあっち向けとグリゼルダの顔を押す。それを笑いながらグリゼルダは手を握る。

 

「それでだ。返事の方聞かせてもらってないぜ」

「……ったく、仕方ないね。まさかアタシが結婚するだなんてね。『赫鬼人』はここで途絶えると思っていたんだが。……よろしく頼むよ、旦那(・・)

 

 照れながらも笑うリィアン。

 その様は()の名が似つかわしくないほど、穏やかな笑みだった。

 

 

 

 

 魔王軍の研究施設は破壊された。中にいる魔族も、魔物も殆どが二人によって討ち取られた。

だがその際、戦いに紛れて一匹の魔物が逃げ出した事に二人は気付かなかった。

 

<ぶご……ぶごごっ、豚業業業業(・・・・・)っ!>

 

 今はまだ弱い魔物。

 この魔物が後に人類に対して大打撃を与える存在にまで成長することをリィアンも、グリゼルダも、人類も気付かなかった。

 

 

 



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過去3

 

 

「うー! うぁー!」

「頑張れリィアン! もう少しだ! 頭が見えてきた!!」

 

 痛みに強いはずのリィアンが思わず叫ぶほどの痛み。

 そう、彼女は妊娠していた。それでいてもう出産間際であった。

 

「うー! あぁー!」

「産まれた! 産まれたぞ!」

「あぁ、わかってるよ……」

 

 喜ぶグリゼルダに対して、憔悴しながらもリィアンも嬉しそうな顔をする。

 毛布にくるまった額に角のある赤ん坊を、グリゼルダはリィアンに見せた。

 

「イフィゲニア、あたし達の子だ」

 

 リィアンは予め相談しあって決めた名を呼ぶ。

 愛おしそうに、己の胸にいる赤子を撫でる。

 

「ふふっ、なんだいなんだい。こんなにも弱っちぃっていうのに自分の子だと思った途端に可愛くて仕方ないね……お?」

 

 イフィゲニアがリィアンの指を掴む。

 赤ん坊とは思えない程に強い力だ。

 

「ははっ、握る力が強いな。これは将来この子はきっと、強い益荒男になるよ」

 

 優しい目でリィアンはイフィゲニアを撫でた。

 

「……いや、この娘は女の子なんだが……」

「はっ!? はやく先に言えこの大馬鹿ッ!」

「痛ぇっ!?」

 

 グリゼルダは思い切り打たれた。

 

 

 

 

 

 

 

「……呼んだか?」

「えぇ。前に私の手掛けた魔王軍の施設が破壊されてしまいました。私はこの事に対して非常に不愉快に感じています。それを起こした者の所在が明らかになりました」

「それで?」

「人類は強い。それに対抗するに向けて、新たな幹部の補充にも我々は力を向けています。先日も、新しく山一帯を凍りつかせていた者を幹部として引き入れました。貴方も新しき魔王軍幹部として期待していますよ。まず初めに、魔王軍に楯突いた愚かな魔族でも抹殺してもらいたいのです」

 

 マーキュリーはそう新たな幹部となった()に指示を出した。

 

 

 

 

 

 

 早いものでイフィゲニアが生まれて半年が過ぎた。

 イフィゲニアはよちよちと家の中を動き回るようになった。

 

「あー、うー」

「あー、こらこらイフィゲニア。そっちにいったら危ないぞ?」

「うー……あい!」

「うおっ!?」

 

 イフィゲニアが無邪気に壁を叩く。

 すると叩かれた箇所は罅が入り、一部が崩れた。

 

「あ、危ねぇ。やっぱリィアンの力を受け継いでいるだけあるな……。力が桁違いだ」

「あう! あーう!」

 

 早く手加減を覚えさせねばとグリゼルダが戦慄しつつ考えているのとは裏腹に、イフィゲニアが抱えられた事に喜ぶ。

 

「普通逆だよな? 妻が子を育てて、夫は外で働く。なんで俺ぁが、家事をやってるんだ?」

「あー?」

 

 神妙な顔で呟くグリゼルダを見て、赤子のイフィゲニアが真似をする。

 とはいえ、リィアンに任せたら何するかわからないかと一人で納得する。

 

「お、リィアン。帰ったかーーって、どうしたその姿は!?」

 

 音が聞こえ、帰って来た妻の姿を見て声をかけたグリゼルダだが、リィアンが血塗れだと気付き直ぐに駆け寄って来た。

 

「心配するんじゃないよ。これは返り血だ。アタシの血じゃないよ」

「あ、あぁ。そうか、ならよかった……だが、何があったんだ?」

「魔族と出会って交戦した。あぁ、問題ないよ。そいつはぶっ殺しておいたから何の心配はないよ」

 

 リィアンは、真剣な顔になる。

 

「おい、グリゼルダ。今すぐ人間界に帰りな」

「はぁ?」

 

 イフィゲニアが産まれてから一度もそんな事を言ったことのない妻の言葉にグリゼルダは怪訝な顔になる。

 

「この先にある岩山を越えるんだ。魔獣が住んでいるがアンタなら相手にすらならないはずだ。アンタの足ならすぐに向こうの人間界に辿り着けるだろう」

「おい、待てよ! ちゃんと言ってくれなきゃ何もわからねぇぞ!」

 

 その言葉にリィアンは焦りを滲ませた言葉で告げる。

 

四天王(・・・)が来る」

 

 グリゼルダは息を呑んだ。

 四天王。歴史に語られし、魔王軍の中枢を担う四人の幹部。

 

 未だに誰一人として討伐されていない。

 ようやく現れた勇者(フォイル)もまだ子供で対抗出来ない事から幹部達は好き勝手に攻めている。特に小国を集中的に狙って潰している。

 勇者は太陽国ソレイユの庇護の下、鍛錬を積んでいるが未だに前線にはたてる状況ではなかった。

 

「な、なんでそんな奴等が俺ぁ達の所に」

「戦った魔族の奴が言っていた。どうやら前の施設を破壊した事が相当頭にきているらしいな。そもそも前からアタシは良い目には見られていなかったが、ついぞ直々に始末しにくるらしい。最高幹部をうごかしてまで。ったく、有名人は辛いな」

「笑ってる場合か!? お前は此処にいろ。俺ぁが出る。必ず、守ってやる」

 

 その言葉にリィアンは嬉しそうな、それでいて悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「ばっきゃろー。人間のアンタが、あんな化け物に勝てるかっつーの」

「だが!」

「黙って聞けばかたれ!! 良いか、このままじゃ二人揃って共倒れだ。アタシはそれでも良い。だが、イフィゲニアはどうなる!!?」

 

 その言葉にグリゼルダはハッとした。

 イフィゲニアはまだ生まれて一年と経ってない。まだ何もわからぬ赤子を自らの破滅に付き合わせるほど落ちぶれてはいなかった。

 

「ならお前が逃げろ! 俺ぁが残る! どうせお前に会えなきゃ潰えていた命だ、家族守って死ねるなら本望だ!」

「良いか!? 魔界にいる限り、奴等は追ってくる。それから逃げるには人間界に行くしかない。だが、アタシは無理だ。アタシは魔族だ。どうあったって、この容姿が目を引く。イフィゲニアだってアタシの血を引いているからか魔族の特徴が身体に出ている。人間界に行ったところで殺されるだけだろうがよ」

「ぐっ」

 

 人間と魔族は敵対している。

 むざむざ魔族の親子が人間界に行った所でどうなるか、嫌でも理解できた。

 

「逃げ回る生活だなんてアタシはごめんだ。なら、最期まで抗って死んでやる。戦いこそ、アタシの本業さ。安心しな、お前らの元には四天王なんぞいかしやしないよ」

「どうにも、ならないのか」

「あぁ、どうにもならない」

 

 その言葉にグリゼルダは沈黙する。

 リィアンは笑って、彼にキスをした。

 

「辛気臭い顔すんなよ。アタシはアンタと出会えて良かっ……いや、幸せだったよ。だから安心してるんだ。頼んだぜ、旦那」

「……あぁ」

「流石だ」

 

 弱々しくも頷いたグリゼルダに優しい笑みを浮かべ、リィアンはグリゼルダに抱えられたイフィゲニアに屈んで視線を合わせる。

 

「あー、あー」

「イフィゲニア、強くなれよ。この世は理不尽な事ばっかりだ。だからこそ、何モノにも屈さぬように心を強くしな。そうすりゃ、いつかきっとあんたも心から信頼できる人が出来るはずだ」

「うー?」

 

 何もわからず無邪気に手を伸ばすイフィゲニアの手を握りながら、額の角をくっつき合わせる。イフィゲニアは嬉しそうに笑った。

 

「グリゼルダ、お前には……言う事はほとんど無いな」

「んだよ、それ。愛する夫に何の言葉もなしかよ」

「うっさい。今更互いに好きな箇所でも語り合う仲か? アタシらは」

「……ちげぇねぇな」

 

 互いに笑いあう。

 

「じゃあね、イフィゲニア」

「あー! う、うあぁぁ!」

「泣くなイフィゲニア。笑って見送ってやれ」

 

 力強く握るイフィゲニアの手を離すと途端に大泣きを始めた。

 それを見たリィアンは、もう一度手を握ってやりたくなるが頭を振って住処の外に出る。

 

「あばよっ、死ぬほど愛してるぜ、お前ら」

「俺だって、愛してるぞ!」

 

 その言葉にリィアンは最後、嬉しそうに笑い、そして出て行った。

 

 

 

 

 

 

 リィアンは待った。

 彼女らの住処に来るにはこの赤い土の荒野を通る必要がある。ならば時間稼ぎをする上でも此処で戦うのが得策だった。

 

「ははっ、いやー……マジか。これが運命ってやつかねぇ?」

 

 リィアンは笑おうとするも、その笑みはぎこちなく冷や汗もでている。

 

 途中途中襲いくる魔獣を一撃で粉砕し、着実にこちらに向かってくる桁外れに強い生命力を感じる。

 

 その姿を見た時、リィアンはまさか、と呟いた。

 何故なら目の前に立つ男は紛れも無い、リィアンの故郷を滅ぼした元凶。

 

「……ベシュトレーベン」

 

 稀代の豪傑がそこに居た。

 

 数年ぶりに会う仇は、遠目に見た時よりも更に強くなっていた。

 威風堂々たる風態は見るものに恐怖を与え、振るわれる拳は襲い来る魔獣を蹂躙する。そんな彼が真っ直ぐとリィアン達の家に向かっている。

 

 やがて歩みを止める。

 

「……気配を感じる。そこにいるのはわかっている。出てくると良いッ!」

(この距離でもうか!?)

 

 まだリィアンとの距離は500メートルある。

 にも関わらずベシュトレーベンはリィアンの存在を看破した。リィアンとは比べ物にならない探知範囲だ。

 

 リィアンは姿を現した。

 途端に向けられる悍ましい程に暴力的な視線。

 

 身体が震え出す。

 恐怖か? 拒否か?

 否、違う。武者震いだ。

 

「アタシの名はエ・リィアン! お前に故郷を滅ぼされた"赫鬼族"のものだ!!」

 

 その言葉にベシュトレーベンは微かに目を見開く。

 

「懐かしき者を見た。よもや、あの一族が未だに残っていたとは。力に振りかざされ、真の強さを理解しておらなかった、あんな愚か者の生き残りがいるとはな。存在する事すら唾棄に値するから、念入りに潰したはずだが」

「はっ! 悪いがアタシら鬼はしぶといんでね。だが、アタシよりもよっぽど鬼みてぇな姿形に変わりやがったな」

「此処で過ごす内に適応したまでのこと。魔界は少々"魔障"が濃ゆ過ぎる。呼吸するのにも一苦労した。だが、それすらも己の身体を鍛える為の修行だ。こうして適応した結果、我はまた一つ己の身を鍛える事に成功した」

「そりゃ、おめでとうでも言ってやろうか」

「心にも無いことを言うな」

 

 見透かすように怜悧な瞳でベシュトレーベンはリィアンを見る。

 

「魔王の要請に従わず、築き上げた魔物と魔獣の養育場を破壊する者がいるからと『水陣』から指令があって来る時はつまらぬ事を押し付けられたと思っていたが……。中々どうして、面白そうではないか。では、死闘()ろうではないか」

 

 ベシュトレーベンが会話を切り上げ、戦闘態勢に入ろうとする。

 リィアンは手を前に出し、制止させる。

 

「待ちな。何でアンタが魔王軍なんかに。それも四天王になっている?」

「……なぬ?」

 

 昔のリィアンなら今のですぐに戦っただろう。

 だが彼女の背後には守るべきものがある。だからこそ、少しでも時間を稼ごうと、グリゼルダの真似をした。

 

「あんたが他人に従うように野郎にはこれっぽっちにも見えなかったけどね! どうやらプライドを捨てたらしい。それとも、それほどまでに魔王様とやらは魅力溢れる色男なのかい?」

「抜かせ、魔王などに心を捧げた訳がない」

「ならば何故その配下の指示に従う? 矛盾しているだろう?」

「……負けた(・・・)。それだけだ」

 

 その言葉はリィアンにこれ以上ない衝撃を与えた。

 自分ですら敵わない目の前の男に、魔王は勝った。一度たりとも会った事はないが、リィアンは魔王に対して畏怖を抱いた。

 

 ベシュトレーベンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「……あんな戦い(・・・・・)には不服であったが、それでも負けは負け。我が拳が奴に届かなかったということ。例えそれがどのような力であろうと、勝てなかった時点で我の生殺与奪は奴のもの。故に奴の要求は呑んだ」

「だから魔王軍に入ったと? 奴の手先となったのか」

「否、いずれまた再挑戦する。今はまだその時ではない。我が拳が魔王には届かない。……話が逸れたな。行くぞ、貴様との闘いによって我がより高みへ登る事を望む」

 

 ベシュトレーベンが拳を構える。

 

 リィアンはこれ以上の時間稼ぎは無理だと悟った。

 使い慣れた棍棒を手に握りしめる。

 

 相手の練られた闘気は凄まじいまでに暴力的かつ圧倒的。存在感も、昔と比べて比較にならない。見ただけで相手が己の上をゆく存在であると理解できた。

 

 それでも尚リィアンはひかない。ひけない。

 

「あぁ、見せてやるよ!! 行くぞ!!!」

 

 全ては家族を守る為に。

 リィアンは駆け出した。

 

 

 

 

 

 戦いの余波で地形は変化し、

 

「あぁ……くそッ、本当に化け者だな……!」

 

 知っていた。

 分かっていた。

 どれだけ足掻こうと目の前の男とリィアンには隔絶した力の差があると。

 

 酷い有様だった。

 脚は折れ、片手は千切れた。

 身体も肋骨がバキバキに折れて、筋肉も断裂している。息をする事すら気絶しそうな程に痛い。

 

 鬼である証である角ですら折れてしまった。

 

 幾ら魔族がタフでもこれだけの大怪我、どうしようもなかった。リィアンは死ぬ。それももうすぐに。

 

 だけど目からは闘志は消えていない。リィアンはベシュトレーベンを睨みつける。

 その時、戦いに入ってからは一言も喋らなかったベシュトレーベンが口を開いた。

 

「……何故だ?」

「何がだい?」

「何故貴様は戦う? 理想もなければ、思想もない。復讐心もなければ、怒りもない。かといって死ぬ為に戦っている訳でもない。だが、我に勝てるとも思っていない。貴様は今、何の為に生きている? 何の為に抗っている?」

「あん? なんだ哲学か? そんなの決まっている。アタシが生きたいからだ。生きることに理由なんているのか? それとも、生まれ落ちた命が抗うのに何か理由があるとでも?」

「…成る程、愚問だったな。謝罪しよう」

 

 己を恥じるように

 この男にもそんな一面があったのかと、思わず仇にも構わず少し驚いた。

 だからこそ、気になったことがあった。

 

「アンタは……」

「何だ」

「なんで、こっち側(・・・・)に染まろうとした?」

「知れたこと。ただ強くある為だけに」

 

 その言葉が全てだった。

 目の前の男はただ純粋に力のみを求めていたのだと。

 

「そうか……アタシもそうだったよ。アンタに故郷を滅ぼされてから、ガムシャラに力を求めた。己の身を顧みず、辺り周辺の生物に当り散らした。そして強くなった。それでも尚アンタには届かなかった。悔しくて堪らない」

「ーーならば何故笑っている?」

 

 リィアンは笑っていた。

 柔らかな笑みだった。それを指摘されたリィアンはべっと舌を出す。

 

「へっ、教えてやるかよ。アタシはアンタが嫌いだからね」

「……そうか」

 

 トドメをさそうと近付いてくる。

 死が迫っているのに、リィアンは穏やかな気持ちで受け入れていた。

 

(強さも本当はいらなかった。戦いを求めたのは、それだけが心の隙間を埋める手段だったからだ。戦ってたら、何も考えないで済む。戦っていたら、己の弱さ(・・)を受け入れずにすむ)

 

 だけどもう、闘争心はいらない。強さもいらない。

 

 だってもう満たされたから。

 

 リィアンが手に入れたずっとずっと暖かいもの。

 

(グリゼルダ……イフィゲニア……ありがとよ。アタシを人間(ばか)に戻してくれて)

 

 

 家族。

 己の生きた証は、繋がりは確かにあったのだ。

 

 

 リィアンは笑う。

 怯えて死ぬなんてゴメンだ。ならば笑って死んでやる。

 真っ直ぐな瞳でそう訴えていた。

 

 その瞳に何を感じたのか、ベシュトレーベンは眉間のシワが緩み、敬意を表した。

 

「見事だ。強き者よ」

 

 拳が迫る。

 死をもたらす拳が。

 

 それを見たリィアンが思ったのは恐怖ではなく、二人の安否だった。

 

(二人とも、どうかーー)

 

 トドメを刺す拳が、地面を割った。

 

 

 拳を引く。

 潰した相手の感覚を覚えるかのようにベシュトレーベンは己の拳を何度も見た。

 

 やがて考え深く、何かを瞑目し、その場から背を向ける。

 

「……覚えておこう、強き者リィアン。貴様は我が今までで一番強かった。その闘い様実に天晴れであった。その生き様に敬意を表し、逃げたらしい貴様の関係者は放っておこう」

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ。ぐっ、はぁ、はぁっ」

 

 グリゼルダは走る。

 イフィゲニアを抱えて、人間界に向かって。

 

 途中、魔獣が襲って来るも全て返り討ちにした。

 

 やがて視界の奥に黒い空と隔たるように、青い空が見え始めたその時。

 

 遠く離れた地でもその振動は聞こえた。

 次いで全く何も聞こえなくなった事でグリゼルダはリィアンが死んだ事を悟った。

 

「くそ、くそくそくそ。何が強いだ。何が敵う相手はいないだ。俺ぁは……俺ぁはっ……!」

 

 何度も拳を打ち付ける。

 皮膚が破け、骨が折れてもなお、グリゼルダは叩き続けた。目からは滂沱(ぼうだ)の如く涙が溢れる。

 

 やがて血だらけで更に打ち付けようとするグリゼルダの手に重ねられた小さな手があった。

 

「お、とうちゃ」

 

 イフィゲニアが血だらけの彼の拳を止めた。

 グリゼルダはハッとし、己の名を呼んだ娘を見た。

 

「あー! あー!」

 

 グリゼルダの目を見たのか、イフィゲニアは無邪気に喜んだ。

 

「あぁ、守ってみせるさ。約束だからな」

 

 この時決めたのだ。

 何を犠牲にしても娘を守ると。

 



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リンネからの依頼

 

 グリゼルダさんの稽古を受け、数日が経った頃ようやく時間を取れたリンネさんが俺達に会う時間を得ることができた。

 

「先ずは先日の密猟組織、"暗闇に潜む闇鯨"の捕縛に協力して頂きありがとうございました。こうしてお礼を言う機会に時間がかかった事をお詫び致しますわ」

 

 屋敷に案内された俺たちは、リンネさんは丁寧に頭を下げた。

 俺たちは皆、貴族として色々とやることがあるのだろうと気にしていないと告げる。

 

「そこで改めてお願いがあります。貴方方をわたくしの護衛として雇いたいのです」

「護衛?」

 

 どういう事だ?

 

「私は貴方方を評価しています。"暗闇に潜む闇鯨"を捕縛する事が出来た貴方方を。更にこうして接してみて信頼に値する方だと確信出来ます」

「それは、過分(かぶん)な評価痛み入ります」

 

 面と向かって言われるのって、照れるな。

 俺はお礼を言って頭を下げる。

 

「それであの、何のための護衛なんですか?」

 

 根本的な理由をアイリスちゃんが尋ねる。

 その事を尋ねられたリンネさんは、ちらりとリンクルを見る。

 

<……バゥン>

 

 問題ないと言うように一鳴きする。

 そうするとリンネさんは佇まいを直して語り始めた。

 

「最近、妙な被害が出ているのです」

「被害?」

「はい。村人全員が消えるという不可思議な現象です。ある日、突然忽然と村人全てが消えるのです」

「それはこの間の密猟団のような人間組織によるものではないのでしょうか。その手さばきからして魔獣の確率は低いでしょう」

「いいや、考え辛いな」

 

 エドアルドの指摘を否定したのはランドルフだ。

 

「オレも実際現場に行ってみたがあったのは嗅いだことのない獣《・》の臭い。それが、村人全員消えた村全てでしてるとなりゃ、魔獣に違いないはずだ」

「詳しく話せませんが、とある法則についてもある筋から得ることが出来ました。少し我が国の者と話して次に狙われる可能性が高い所を特定しました。今わたくしの手の者を先に行かせ、わたしくが向かうおふれを出しました。わたくし自身が魔獣の被害を予め抑える、或いは何かしらの兆候がないかと確認したく思っています」

 

 なるほど

 しかしそれは態々リンネさんが行く必要があるのだろうか? 部下とか他の人に頼んでも良いと思うんだけど。

 同じ事を思ったのか、アイリスちゃんも口を開く。

 

「貴方がいく必要がないのではないですか? リンネさんはこの街を治める人の娘なのですよね?」

「書類ではなく、直接目で見なければわからないことが世の中にはあります。貴族には貴族たる責務があります。領民が安心して過ごせるように最大限の努力をする。貴族が貴族たる役目(ノブレスオブリージュ)として当たり前のことです」

 

 そうか。

 彼女は本当に民のことを思っているんだな。

 

「御質問を。ならばリンネ殿がいなくなった後のこの領地の事はどうするのですか?」

「それについては心配ございません。間近な問題は"暗闇に潜む闇鯨"による密漁のみでそれが解決した今、兵の余力も治安も安定してます。差し当たってはコアストリドット家の許可が必要な事がなく、仮にあったとしてまお嬢様が居なくとも、ある程度はこの街の上層部に判断を任せています」

 

 エドアルドの質問にはヒノハさんが答える。

 

「我が家の者は優秀な者が多いので。喜ばしい事ですわ。さて、わたくしが依頼したかったものの内容はこれです。ですが、これはあくまでも貴族としての命令でもなく、ただわたくし個人のご依頼です。ですので断って貰っても構いません。どうでしょうか?」

 

 リンネさんは真っ直ぐとこちらを見る。

 答えは最初から決まっていた。

 

「わかりました、その依頼受けたいと思います」

 

 

 

 

 

 

「ふぅーん、謎の被害ねぇ」

「あぁ、だから暫く俺たちは街を離れます。それを伝えておこうと思いました」

 

 酒場で俺はグリゼルダさんに会って暫しこの街から離れる事を言った。無論、誰からの依頼かなどは伏せては置いたが。

 彼はぐびりと酒を飲む。

 

「なるほどな、確かに実際に被害が出てるんだとしたらさっさと解決したいのは統治者としての道理だな。だけどよ、今まで誰も見た事がないってのは、見た事がある奴が皆殺しされたって可能性があるんだぜ。危険だとは思わなかったのか?」

「危険は確かにあるがそれ以上に実際に被害にあった人が出ているんだ。なら俺はそれを見過ごせない」

「なるほどなぁ。まぁ、にいちゃんがそうしたいっつーなら俺ぁに止める権利も何もないわな」

 

 酒のつまみで有る骨つき肉を骨ごとかじりながらグリゼルダさんは暫し考え込んだ顔になる。

 

「……なぁ、にいちゃんそれってよ、俺ぁもついていけねぇか?」

「えっ? どういうことだ?」

「理由は3つだな」

 

 彼は3本指を立てる。

 

「一つは誰かはしらねぇがご指名のご依頼だ。ちょっと分け前を貰うだけでもこの先俺ぁの旅にも余裕が出来る。一つはその噂なら俺ぁが奴等に協力させられてた時に聞いた。最近変な魔獣がいると、もしかしたら何かの役に立てるかもしれねぇ。もう一つは、今まで姿形も露わにしねぇ奴の強さに興味がある。あとなぁ、ぶっちゃけにいちゃんが心配なんだわ」

「俺が?」

 

 首をかしげる。

 何か心配かけるような事があっただろうか。グリゼルダさんが気にするのはイフィゲニアくらいだと思うのだけれど。

 

「あぁ。俺ぁはにいちゃんに"巧技"を教えているがまだ途中だ。その不明な被害をもたらす奴が仮に物凄く強かったら、にいちゃんが起死回生の策として破れかぶれで使ったとしよう。それで生き残れたならまだ良い。問題はそのせいでにいちゃんの筋肉や骨がぐちゃぐちゃになる事だ。下手すりゃ剣を握れなくなるぜ」

「薄々思ってはいたがそんなにリスクがある技なのか?」

「そりゃそうさ。元々『戦士』らの【筋力上昇(パワーアップ)】も、訓練しなきゃ一週間剣を握れなくなるほどのリスクもある技能(スキル)なんだぜ? それを技能(スキル)に頼らず独学でやろうとしてるんだ。リスクは高いぜ」

 

 大丈夫だろうかと言うのが正直な気持ちだ。

 元々仕方がなかったとは言え、グリゼルダさんは"暗闇に潜む闇鯨"に加担していた。イフィゲニアの正体を知るリーダーらしき人物はグリゼルダさん自身が葬り去ったが他の奴等が完全に知らないとは限らない。

 そして、その事をリンネさん達が知らないとも限らない。

 

「まぁ、駄目なら駄目で構わねぇよ。仮におーけーだったとして、もし仮に正体とかバレそうになったらトンズラこくからよ」

「……とりあえず、一応話はしてみる。だがあまり期待はしないでくれ」

「おうよ」

 

 難しいとは思うが。

 俺は、もう一度リンネさんの所に行くことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

「よう、にいちゃん。どうだったよ?」

「グリゼルダさん。一応許可は貰えましたよ。かなり強引にねじ込んだ形になりましたけど。俺達が認める手練れであれば、是非とも来てほしいとの事です」

「そうか。なら久々のちゃんとした裏のない仕事だ。腕がなるな」

 

 肩を鳴らすグリゼルダさん。

 

 その横でアイリスちゃんがイフィゲニアに対して何かを教えていた。

 

「良いですか? 勝手に人を殴ろうとしてはダメですよ? わたし達から離れるのもダメです。知らない場所に一人で行くのもいけませんし、知らない人についていくのも論外です! わかりましたか?」

「な、なんでそんな事あたしに言うんだよっ。お節介だよっ」

「だーめーでーす! 貴方は色々特別なんですから警戒はしないにこしたことはないのです! ()()()もきちんと自分の心に刻んでおいてください」

「フィアって何!? あたしはイフィゲニアだもん!」

「フィアは愛称ですよ。そっちの方も良いですが、こっちの方も可愛らしい響きじゃないですか」

 

 愛称をつけられるのを嫌がっているように見えるが、本気で嫌がってはないように見える。その様子はまるで仲の良い姉妹みたいだ。

 

「見ない間にアイリスちゃんとイフィゲニアは随分と仲良くなっているな」

「見た目は歳の近い同士、色々とあったのでしょう。我々にとっても悪い事ではありませんよ」

 

 エドアルドが頷く。

 

「ふーん、なるほど。なら此方(こなた)あの子(イフィゲニア)と親しくなればお姉ちゃんとして扱ってもらえるってこと? お姉ちゃん……ふふん、いい響きね」

 

 こっちもこっちでキキョウが何やら考えていた。

 

 

 

 後日、俺たちはリンネさん達の屋敷の前に集まる。

 やがて門が開くと先に馬車とランドルフがいた。

 

「へぇ、時間より早く居るだなんてマナーがなってるな。さすがだぜ」

「このくらいはね。それよりもこちらが今回力を貸してくれるグリゼルダさんだ」

「獣人か。強そうだな。ま、よろしく頼むぜ」

「……へぇ、なるほどなるほど。感じ取れるぜ、アンタの強さが。でもそれだけじゃねぇ、血の臭いがするぜ」

 

 ランドルフの言葉に一瞬俺は息が詰まる。

 しかしグリゼルダさんはおくびも反応しない。

 

「そりゃ、俺は己の拳のみで闘ってきたからな。だから返り血を浴びちまう。それが染み付いているんだろ」

「あぁ、そりゃわかるぜ。オレも獣みたいに荒れた生活していたからな。同類の匂いがする。まぁ、別にアヤメやアイリスの方も独特な臭いがする。エドアルドの野郎は何処か、気品というか型苦しい感じの臭いだ。キキョウは……なんか、うん。嗅いだ事がねぇ臭いだな。まぁ、鼻につく臭いだ」

「ちょっと待って!? すっごい聞き捨てならない事聞いたんですけど!?」

 

 恐らくはキキョウは長い事魔界に居たので変な臭いが染み付いていたのかもしれない。

 ランドルフは尚も話を続ける。

 

「中でも一番は嬢ちゃんも妙な臭いだな。一番濃い嫌な臭いだ」

「っ!」

 

 ジッとランドルフがイフィゲニアを見据える。

 まずい、疑われてるかっ?

 

「ランドルフ! リンクル噛みつきなさい!」

<バゥンッ!>

「いってぇ!!? 何をするんだお嬢様に先輩!?」

 

 突然背後から現れたリンクルがランドルフに噛み付いた。

 

「女性に臭いの事を言うだなんてデリカシーの欠片もない不届き者ですわ! 恥を知りなさい、この駄狼ッ!」

「獣人馬鹿にすんなよな!?」

「貴方だから馬鹿にしても大丈夫だと信頼してるんですわ!」

「全く嬉しくねぇ! あだだだだっ!」

<バゥッ、バゥゥッ>

「ランドルフ。暴れて馬車にぶつからないでくださいよ。貴方雑なんですから」

「うるせぇヒノハァッ!」

 

 暴れるランドルフを放っておいてリンネさんが前に進み出る。

 

「あらためて。わたくしが此度の依頼をしましたリンネ・ペッタン・コアストリドットですわ。彼らの推薦してくれた貴方の実力、期待していますわよ」

「任せてくれよ、お嬢さん。ご期待には応えてみせるぜ」

 

 挨拶をする二人。

 とりあえず、怪しまれることはなかったようだ。俺はホッと息を吐く。

 

「ね、ねぇ? 此方(こなた)臭くないわよね? ね、ね?」

「大丈夫ですから、そんなに狼狽ないでください」

<ガゥ……>

 

 後ろでは臭いと言われてキキョウが自身の体臭を気にしていた。

 

「それでも向かうとしましょう!」

 

 リンネさんの号令で俺達は馬車に乗り込む。リンネさんは俺達用にも馬車を用意してくれていた。

 

「人々を襲う魔獣。そんなのが存在するのならば必ず止めてみせる」

 

 揺れ始めた馬車の中、俺は無辜の民を魔獣の脅威から救う為の決意を固めていた。



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事は進む

 

 出発して、2日。

 

「アヤメさんアヤメさん見えてきましたよ!」

「本当か?」

 

 アイリスちゃんの報《しら》せに、馬車から顔を出す。

 見れば確かに村が見えてきた。

 

 村に着いた俺たちの前に、先に到着し村を守護していたリンネさんの私兵達がいた。

 リンネさんが馬車から降りると、彼らは一斉に礼をとる。

 

「リンネお嬢様、お待ちしておりました」

「ご苦労様でした。貴方達は一度休憩を取りなさい。その後、この村で即応できるようにしつつ待機しておきなさい」

「はっ! しかし護衛はよろしいのですか?」

「わたくしにはリンクルがいます。それにランドルフとヒノハもいます。わたくしよりも、この村の住人を守る事を貴方達に命じます。よろしくお願いしますわ」

「了解致しました!」

 

 リンネさんの部下達は敬礼し、その場を後にする。

 

「さて、目的地に着きましたが既に夕方、今から探索しても効率が悪いでしょう。明日から本格的に調査を開始したいと思います。明日からは忙しくなりますわ。貴方達も今のうちに英気を養っておくとよろしいです」

「それならばお嬢様、温泉に入ってはいかがでしょう?」

 

 ヒノハさんが提案する。

 

「温泉? あるのそんなの?」

「温泉! 良いですね! 是非とも入りたいです!!」

 

 アイリスちゃんが目をキラキラさせる。

 

「まぁ、確かに到着するまでに日数がかかり、その間は湯に入れませんでしたからね。よろしいでしょう。ヒノハ、ランドルフ、村の長にその事も含めて話に行きますわよ。貴方達も少し待っていてください」

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁ〜、あったかくて気持ちいい〜」

<クゥ〜ン>

 

<i466992|24397>

 

 蕩けたような声を出し、へにゃっとだらしない顔をするのはアイリスだ。

 彼女は髪の毛を束ね、身体中の疲れが取れていき、じんわりと温まる感覚を味わい温泉を満喫する。

 

 ジャママも寄り添うように頭にちょこんとタオルを乗せて入っていた。

 

 一方でキキョウは岩に寄りかかりながらバテていた。

 

「熱い……熱すぎるわ……」

「えぇ? まだ入って五分も経ってませんよ?」

此方(こなた)は熱いのは苦手なのよ……あぁ、熱いぃ……」

 

 パタパタと手で扇ぐ。その姿をじっと観察するアイリス。

 キキョウの仕草は妙に色っぽい。何よりも目立つのは二つの山。温泉に浸かっている時も浮き、存在感抜群だった双丘だ。

 

「わたしだって、あれくらいに成長するはず……!」

 

 なお、エルフの成長は遅いので身を結ぶにはかなりの年月がかかる。アイリスの夢が叶うのはかなり先の話である。

 

「流石はオススメするだけの温泉ですわ。浸かれば疲労回復や美肌効果は勿論の事、恐らくは飲んでもある程度の効能はあるでしょうね」

 

 一同が温泉に入る中、リンネだけが衣服を着用したままで足だけを湯につけていた。

 

「あれ、リンネさんは入らないのですか?」

「いっ!? わ、わたくしは遠慮しますわ。貴族たるもの、例え同性であっても肌を晒すことははしたないことですわ」

「そうですか。なら仕方ないです。こんなに気持ちいいのに」

 

 疑問に思いながらも無理強いをする事はない。

 残念だなと思いながらもアイリスはそれ以上追求しなかった。

 そのまま視線をズラし、堪能しているヒノハを見る。

 

「貴方は入るんですか?」

「当然です。折角の露天風呂なのですから入らねばそんでございます。この湯には美肌効果もありますから」

「主人放っておいて良いの……って聞きたかったけど、あのぶさかわ犬も入ってるし今更よね」

 

 キキョウの言う通り、リンクルも頭にタオルを乗せながら湯に浸かっていた。

 

「やっぱり貴族って大変ですね。こうしてみんなでワイワイ温泉に入る事も出来ないだなんて。肌を見せて良いのは殿方だけってやつですか?」

「確かにそのような考えもありますが、使用人が一緒に入り髪の毛を洗う事もあるので一概に言えません。それよりも、大きな理由はお嬢様の胸は特殊(・・)ですので」

「特殊? 確かに年齢の割にはかなり大きいわね。ちみっ娘と比べて」

「それは言わなくていいじゃないですか!」

 

 憤慨(ふんがい)するアイリス。

 実は気にしていたのだ。この中で自分だけが小さいことも、見た目は同世代っぽいリンネには確かな膨らみがあるから余計に。

 

「いえ、そうではなく。中に」

「ヒノハ! 余計なことは言わなくていいのですわよ!」

 

 咎めるような声が響く。

 ヒノハは悪びれる様子も無く、肩を竦め瞳を閉じて湯を堪能する。

 

「全く……ん? あひぃっ!?」

「ど、どうしたんですか!?」

「な、なんでもないですわ!……ちょっと、どうして急に動くんですのっ? 自分達も入りたい? あとで入れてあげますから今は我慢してくださいましっ」

 

 何かボソボソと自らの胸に向かって語るリンネ。

 

 その様子に二人も追求したら不味そうな雰囲気を感じ、おし黙る。

 

(フィアも一緒に入れたらよかったんですけど)

 

 アイリスはこの場にはいないイフィゲニアの事を考えていた。彼女は一人、この場から離れて待っている。グリゼルダも残ろうとしたが、イフィゲニアは疲れを癒して欲しいと彼の事は温泉へと見送った。

 

 イフィゲニアも女の子だが、頭に生える角と紫の瞳の所為で魔族だとバレてしまう。せめて角がもっと別のであれば瞳を閉じる事で獣人であると誤魔化す事も出来たのだろうに。

 

 はぁ、と今度は堪能の息ではなく憂鬱な息を吐く。

 

「アヤメさん覗きに来てくれませんかねぇ」

「ちみっ娘、何言ってるのよ……」

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、男湯。

 

「はぁ、はぁ。やるじゃねぇか、獣人のあんちゃんよぉ」

「そっちこそ、オレに匹敵する奴なんて初めて見たぜ」

「はっはっはっ! 匹敵だと? 冗談キツイぜ、俺ぁの方が上だろ?」

「がっはっはっ! そっちこそ、嘯《うそぶ》いてるんじゃねぇ。オレの方が上だ」

「二人とも、折角の温泉なんだからもっとゆっくりつかろうじゃないか。な?」

 

 今、グリゼルダさんとランドルフは互いに睨み合っていた。

 

 始まりは単純だ。

 誰が一番筋肉があるかを比べようとグリゼルダが言ったのだ。それに乗ったのはランドルフ。アヤメもそれに巻き込まれた。

 やがては筋肉讃美から、互いに己の肉体が一番といい剣呑になったのだ。

 

「風呂とは体を、心を安らげるもの。あのように騒ぎながら入るとは風情がございませんね。ふぅ、良い月です。風情があってとてもーー」

「うわぁぁっ!?」

 

 一人ひっそりと湯に浸かりながら、注がれた酒を飲んでいたエドアルド。彼は醜い、もといしょうもない争いに参加せず悠々と温泉を堪能していた。

 

 そこへ飛ばされたアヤメが着水した。

 発生した波に全ての酒がひっくり返り、エドアルド自身も盛大に生じたお湯を頭からぶっかかる。

 

「……………………」

「ふはははっ! まだまだだなぁ、にいちゃん!! ……あん? お、おいやっくん何槍持ち出しているんだ!?」

「ちょっ!? 湯に武器を持ち込むなよ! やべぇ、あいつの逸物でオレらが貫かれる!」

「ま、待ってくれエドアルド!?」

「喧しい。この風情に相応しくない輩は叩き出します」

 

 男湯の喧騒は女湯まで聞こえ、合流した際何故か男達は尻を押さえていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日から本格的な調査が始まった。

 未だこの村は無事だが、もし襲われるとすれば何かしら兆候があるはず。森を調査する俺達だがそこで予想外の事態に陥った。

 

「最近森が騒がしいとは聞いていたが、此処まで人里近くにまで来るだなんてなッ!」

「はははははッ! 随分と熱烈歓迎だな!」

 

 俺とグリゼルダさんが襲い来る魔獣を片っ端から倒していく。

 そう、俺たちは魔獣の群れに襲われていた。それも連続でだ。

 

「我が盾を貫けると思わない事ですな」

「悪りぃが此処から先は近付けさせる訳にはいかねぇなぁ。お嬢様の前なんでな」

 

 幸いにも戦力としては此方(こちら)が上だ。

 

 元勇者の俺に、元騎士団長のエドアルド。

 『鬼武刀』と名高いグリゼルダさんに、リンネさんの護衛の獣人のランドルフ。

 

 この戦力ならば例え魔族相手でも優勢を取れるだろう。

 しかし、襲い来る魔獣に終わりは見えない。

 

<ガウッ!>

 

 ジャママが警告するように吠える。

 木々の上から新たな魔獣が降り立って来た。

 

<ウホッ、ウホホッ!>

「まさか'剛腕大猿(ごうわんゴリラ)"までもがこの場に現れるだなんてっ。……リンネさん!?」

 

 アイリスちゃんの視線の先には一人で前で進むリンネさんの姿があった。

 

<ウホホゥッ!>

「おやめなさい。貴方ではこの場にいる方々には誰にも勝てません」

<ウホッ!!>

 

 振りかざされる"剛腕大猿(ごうわんゴリラ)"の拳。

 リンネさんにぶつかると思った時、横合いから飛び出たリンクルに"剛腕大猿(ごうわんゴリラ)"は組み伏せられた。

 

「帰りなさい。此処は貴方達のいるべき場所ではありません」

<バゥゥッ>

 

 リンネさんの語りとリンクルの凄み。

 魔獣達は瞬く間にその場から逃げ出した。

 

「お嬢様、無茶し過ぎです。幾らリンクルの力を信じているとはいえ不本意に身を危険に晒すのは愚策かと」

「『魔獣使い(テイマー)』はわたくしだけです。ならばわたくしが最も説得に適していると判断したまでですわ」

 

 ヒノハさんの苦言に対してもリンネさんはもっともな言葉を返す。

 

「態々説得しなくても倒せばよかったんじゃねぇのか? あの程度なら俺ぁ達の敵でもないだろ」

「無駄に命を奪う必要などありません。特に勝敗がわかっているのが明確ならば尚更。それが魔獣であれ、命は尊重すべきです」

 

 グリゼルダさんの問いにリンネさんは毅然(きぜん)と答える。

 

「"剛腕大猿(ごうわんゴリラ)"は本来であれば森の奥地に棲む魔猿。性格も温厚で滅多に人を襲う事もない。にも関わらず、殺気だってこちらを襲ってくるだなんて」

「殺気、ていうより焦燥の感情だな。貴族の嬢ちゃん」

「焦燥?」

「グリゼルダさん、わかるんですか?」

「まぁな。俺ぁ"感知"が使えるしある程度の相手の感情はわかる。で、だ。貴族の嬢ちゃんの話を踏まえると普段襲う事のない魔獣が人を襲った。それも普段の縄張りとは異なる場所でだ。となると、見えて来ないか?」

「何か異変が起きているって事ね」

 

 キキョウが逃げ出した"剛腕大猿(ごうわんゴリラ)"の方向の森を睨む。

 アイリスちゃんが一歩進みでて木に触れた。

 

「その考え間違ってはないと思うのです。草も木も怯えています。怯えさせる何か(・・)が、この森にはいます。まだそれが何かまではまだわかりません。けど」

「けど?」

「精霊が言っているのです。アレ(・・)は歪《いびつ》だ、と」

「歪《いびつ》……」

 

 どういう事だろう。

 歪、即ちあってはならないものと言うことか?

 

「どちらにせよ、もう少し探索する必要があるでしょう。先程のような事がないとは限りません。各員警戒を怠らないで下さい」

 

 アイリスちゃんの言葉はへどろのように俺の頭にこびりついていた。

 

 

 

 

 如何に警戒していても、人である以上睡眠は必須となる。俺達は調査の為に森の中で過ごす事になった。代わりばんこに警戒する必要があった。

 

 その際今は俺が夜警の番だった。

 

「よぉ、にいちゃん」

「! グリゼルダさん」

 

 相変わらず気配を感じずに背後に迫っていた事に軽くびっくりするも、慣れたものだ。

 彼はどかっと俺の隣に座る。

 

「どうして此処に? イフィゲニアはどうしたんだ?」

「あぁ、イフィゲニアなら寝た。それに次の番は俺ぁだろ? なら少しくらい早く来ても良いと思ってな」

「グリゼルダさんこそ、無理せず休んでくださいよ。昼間数多くの魔獣相手に戦ったから疲労しているだろう?」

「いや、伝えたいことがあってな。それもあって早く来たんだ」

「伝えたいこと?」

「あー、まぁ、そうだな」

 

 グリゼルダさんが歯切れ悪そうに頰を掻く。

 俺はじっと待っていた。

 

「……ありがとな」

「どうしたんだ、急に?」

「イフィゲニアのことさ。ここ最近で随分と笑顔が増えた。どれだけ俺ぁがイフィゲニアを守ろうとしても勝てないものがある。寿命だ。どんなに足掻いてもな、俺ぁが先に死ぬ。そしたら、アイツは一人ぼっちだ」

「それは」

 

 二人を分かつものがあるとしたら寿命だ。

 恐らく、いや確実にグリゼルダさんの方が先に死ぬ。

 

「これまた偶然だが、にいちゃん所にはエルフの嬢ちゃん達がいた。なら、少なくともこの先誰か友達は出来たんだ。あいつは一人ぼっちじゃねぇ。それが俺ぁ、嬉しいんだ」

 

 それは親としては当然の感情なのだろう。

 娘が笑顔になって喜ばない親はいない。

 

「だからよ、にいちゃん達には感謝してるんだぜ? なんだかんだでイフィゲニアも楽しんでいる。勿論そんなのはおくびも出さないが。これで少しは俺ぁ以外の人の事、信用出来るようになりゃ良いんだが」

「はははっ、俺はまだ彼女に嫌われていますけどね」

「あー……それについては謝る。すまん」

「いえ、気にしてはいないんで。それに、彼女の気持ちもわかる。俺はいつか彼女が許してくれて仲良くしてくれるのを待つ事にするさ」

 

 あれくらいの娘は複雑なお年頃なのだろう。

 だから、待つ事にする。待つ事は慣れてるし、苦でもない。でもグリゼルダさんは別の意味に捉えたようで

 

「なんだなんだ、悪いがイフィゲニアはやらねぇぞ? どうしても欲しかったら、俺ぁを倒してからにしろよ? 骨をバッキバキに折ってやるからな」

「そんな事一言も言ってないんだが!?」

「はっはっは。冗談だ」

「だったらその拳下げて欲しいんだが」

 

 気迫のある笑顔のままグリゼルダさんは拳を構えていた。思わず冷や汗が流れる。

 

「……けどよ、いずれはイフィゲニアが信頼できる奴が現れて欲しいってのも事実なんだ。俺ぁが生きてるうちにな」

「……いつか現れるといいですね」

「あぁ」

 

 頷くグリゼルダさん。

 焚き火に照らされた顔は、『鬼武刀』として恐れられた男ではなく親としての顔だった。

 

「そろそろ交代だな」

「あぁ。じゃあわ後は任せます」

「おうよ。あ、そうだにいちゃん。寝る前に一度南の方向へ少し進む事を勧めるぜ。そうすりゃ、面白いものが見れる」

「なんですか、それは?」

「はははッ、まぁ直接見ればわかるさ。強さを求めるのは()だけじゃねぇってことさ」

 

 よくわからないがグリゼルダさんはこれ以上教える気はなさそうだ。

 俺は首を傾げながらも彼の言われた通り、南に歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アヤメ達に気付かれない位置でイフィゲニアは一連の会話を聴いていた。

 

 

 彼女はグリゼルダにも気付かれぬように気配を消し離れた後、ポツリと呟く。

 

「あたしは、とうちゃんの重りになんてならない。とうちゃんが安心していられる為にもっともっと強くなる」

 

 イフィゲニアにとって自らがグリゼルダにとって負担になっているのではと常々思っていた。

 今回の話を聞いたイフィゲニアはすぐにでもグリゼルダを安心させてあげたいと気持ちがはやってしまう。

 

「例の変な魔獣、それをあたしが先に倒したらとうちゃんは安心できる! 待っててね!」

 

 決意を胸に秘め誰にも知られる事なく、一人でイフィゲニアは山奥へと進んでいった。



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