黒崎君は助けてくれない。 (たけぽん)
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1. 黒崎君!アンケートを手伝って!

GW時間があまりに余っているため書き始めました。
GW、ちょっと暇だなあと思ったら読んでくれると嬉しいです!


 平凡とは悪いことだろうか。俺がそう聞かれたらまず「平凡」といういい方自体が平凡の価値をおとしめていると答えるね。なんだよ平凡って。特に凡って字。意味するところはなみなみとか普通とかありふれたとかあまつさえ優れていないとからしいが、いくらなんでも酷過ぎるだろ。なんだよ優れていないって。平凡という言葉の一般的な解釈としては「普通」とか「一般的」とかだろうに、凡って字のせいで一般的でいることが他より劣っているみたいになってるのが最高に腹立たしい。いいじゃん、一般的で。だって一般的を超えたらそれは異質な存在ってことだろ?人は異質なものを恐れる。なぜなら得体が知れないから。人は自分のキャパシティをこえる存在を簡単には認めない。でも、それを理解した時、自分がその存在を許容できない、狭い考えの持ち主だと知ってしまうから、だから「凄いね」とか「流石だよ」なんて浅い言葉で周囲を欺く。あくまで自分はそれを認めている、許容しているように見せたいから。まあ、別にそれが悪いことだと言っているわけじゃない。だれだって自分を大きく見せたいものだ。未成年がたばこ吸ってみたり、興味もないのにフランス語勉強してみたり、ラノベの主人公みたいな俯瞰した態度とったり。話を戻すと平凡といういい方はよろしくない。なにか別の漢字にするべきだ。例えば、兵盆とかどうだ?兵士が余暇で育てる盆栽の様に趣がある的な。うん。なかなかいいな。今度友達に自慢して見よう。

 

 

「あと10分。終わってる奴は見直しもしとけよー」

 

 俺の壮大な考察は試験監督の言葉で中断され、現実に引き戻される。

時は4月5日。私立赤羽高校では新学期早々実力テストが行われている。現在4コマ目の英語の終了時間が迫っているわけだが、生徒たちの多くは既に問題を解き終わっているようで、伸びをしたり、ペン回ししたり、机に突っ伏したりしている。そんな中、俺は黒崎裕太郎と書かれた自分の答案用紙に適当に選択した解答の番号を書いている。だって、実力テストって成績に加味されないんだもの。だが、流石の俺も全部の問題を適当にやっているわけではない。0点をとること自体はいいのだが問題はその後確実に目立ってしまう事だ。俺は何事もなく、穏便に、平和に過ごして卒業出来ればそれでいいのだから。

 

「はい、終了。後ろから答案回せ―」

 

俺が最後の問題の答えを記入したのと同時に試験は終了する。この後は昼休み。そして5コマ目に数学をやって全日程が終了となる。

 

「いいか、2年生になって最初のテストも次のコマで終了だが最後まで気を抜かないようにな」

 

試験監督のありがたい言葉を聞いている生徒は一人もおらず、各々があくびをしたり昼飯を買うための小銭を財布から取り出したり、机に突っ伏したりしている。おい最後の奴、もう試験終わってるからな。

 

「それじゃあ、日直」

「起立、礼」

 

 かくして午前の最後のコマは終了し、生徒たちは一斉に昼休みへと入った。机をかこい弁当を広げるもの、購買に走る者、昼食を後回しにし昨日のサッカーの試合の話しをする者。

俺はというと、朝コンビニで買ったサンドイッチを持ち教室を後にする。

赤羽高校の校舎は無駄に広い。無駄に長い渡り廊下、無駄に多い水飲み場、無駄に多い教室。とはいっても、別に設計者がアホだった訳ではない。この学校が創立した50年前には今の数倍の生徒や職員がいたのだから。だが少子高齢化がすすむ今日、全校生徒は300人程度、1学年3、4クラスの規模となっている。

まあ、別に将来ここが廃校になろうが知ったこっちゃ無いんだが。

そう思いながら俺はいつも使っている空き教室の扉を開ける。乱雑に積まれた椅子と机、埃っぽい床。落書きだらけの黒板。それだけでここがもう何年も使われていないことが分かる。適当に椅子をひっぱりだし、腰かけると袋からサンドイッチをとりだし包装をはがす。今日は少し奮発してカツサンドにして見たのだが、果たしてその値段に見あった味はするのだろうか。

 

「うん。普通だな」

 

 一口食べてすぐにジャッジを下す。特段まずくなければ特段美味しいわけでもない。まあ、コンビニのものだしこんなものか。

カツサンドを黙々と食べながら窓の外を見る。2階から見えるグラウンドでは既に昼食を終えたであろう男子たちが野球をしている。たまに不思議に思うんだが、昼休みの野球ってどういう基準で勝敗がつくんだ?一点先取制なのか、はたまた一打席勝負を数回やるのか。誠に謎だ。

そんな答えの出ない自問自答をしていると、唐突に教室の扉が開いた。

この時間、この教室に俺以外の来客とは珍しい。少し興味が湧いたので入口の方へ振り向いてみると、一人の女子生徒が息を切らしながら入ってきた。身長は俺より頭一個低いくらいで、スカートの丈はしっかりと校則通り、髪型は肩にかかるくらいの黒髪で、手には何か分からないがたくさんの書類を持っている。

良く分からないがそれ以上その人物に面白みを感じなかったので俺は再びカツサンドに意識を戻す。

 

「あ、あれ?」

 

後ろでその女子が何か疑問らしき声を上げている。

 

「あのーすみません」

 

問題。空き教室で昼食をとっていたら見ず知らずの女子に声をかけられました。あなたはどうしますか?

 

「……なに?」

 

答え、極力迷惑そうな表情で返事をする。これで向こうはこちらが楽しいブレイクタイム中だと察し出て行ってくれる。

 

「あれ、君、同じクラスの黒崎君じゃん」

 

おかしいな。どうやら不正解らしい。仕方ない、作戦プランBに移行しよう。

 

「ごめんなさい。ここ、使うんだったら別のところに移動します」

 

答え2、相手に自分がいることで俺がこの場を去るという苦渋の決断をしていると感じさせ、自責の念を負わせ立ち去ってもらう。

 

「黒崎君って委員会入ってたっけ?」

 

またもや不正解。クイズ番組なら完全に放送事故だ。しかもまったく会話になっていない。言葉のドッジボールが始まってしまった。

 

「他の委員の人はまだ来てないの?」

 

尚も俺にボールをぶつけてくるその女子の言葉に、俺は朝のホームルームで担任が昼休みに委員会の集まりがあると言っていたことを思い出した。

 

「多分、教室間違ってるぞ。委員会は3階の教室だ」

「え?うそ?」

 

女子生徒はメモ帳をぱらぱらとめくる。

 

「あ、ホントだ!間違ってる!」

 

そう言って彼女はバタバタと教室を出て行く。

だが、そのわずか数秒後にこれまたバタバタと戻ってきた。

 

「教えてくれてありがとう黒崎君!」

「どういたしまして」

 

女子生徒が立ち去った後、俺は開きっぱなしになっている扉を閉め、再び昼食にもどる。

 

「……あいつ、だれだっけ?」

 

この時の俺は知る由もなかった。彼女が、あんな面倒事をもってくるなんて。

 

 

***

 

 それから1週間。2年B組の教室はいつも通り賑わっている。今日の授業は終わり、残すところは帰りのホームルームのみで、担任が入ってくるのを待っている最中だ。そんななか俺はスマホにイヤホンを指し、音楽を聞いている風を装っていた。なぜそんな事をしているかと言うと、こうしていれば誰も話しかけてこないからだ。別に誰かと話すのが嫌いなわけではない。クラスの良く知らない男子と話すこともある。まあ、大抵はよく知らない芸能人の話題に相槌打ってるだけだが。だからといって、俺から誰かにどうしても聞いてほしい話があるわけでもないのに話しかけるのも特に意味が無い。それにイヤホンを耳に付けている生徒なんて教室を見渡す限り3、4人はいる。傍から見れば俺だってその一人だ。俺だってスマホの充電が切れていなければ音楽を聞いてるはずだったんだ。畜生、このポンコツ携帯め。そろそろ機種変しよう。

そんな事を考えているとだんだん眠くなってきた。いかん、流石におにぎり4つ食べた後のホームルームはきつい。明日から自粛しよう……。

 

 

「……はっ!」

 

 気付くとホームルームは終わっており、掃除当番すら教室には残っていなかった。いや、誰か起こしてくれよ。まあ、話しかけられないようにイヤホンしてたのは俺なんだけどさ。

まずいな、ひょっとしてかなり目立ってたんじゃないだろうか。今まで何事もなく過ごしてきたのにたかが居眠りで目立つなんて本末転倒だ。

……なわけよ。ホームルームで寝ている生徒なんて珍しくもなんともないだろ。少なくともホームルームで「この後カラオケ行く人募集してます!」なんて言わないかぎり目立つわけがない。

俺の席は窓側に位置しているためいつの間にか開けられた窓から心地よい風が吹いてる。その空気を思い切り吸い込み、ゆっくりと息を吐いてから席をたち、机の横に引っかかっている鞄を掴み、帰り仕度を始める。

 

 

「……ん?」

 

 ふと教室の後ろの席に目を向けると、先ほどの俺同様机に突っ伏している女子生徒がいた。その脇の机にはプリントが高く積まれている。何の気なしに近づき、プリントを一枚手に取ってみる。

 

『購買満足度調査

 

次の質問に当てはまる番号に丸を付けてください。1(大いに満足)、2(やや満足)、3(どちらとも言えない)、4、(余り満足していない)、5、(満足していない)

 

 

・購買の品ぞろえについて

・購買の店員の対応

・購買のサンドイッチの味について

・購買の商品の値段について』

 

そんなことが書いてあるプリントだった。見たところ、購買についての満足度調査の様だ。そういえば去年も同じ様なアンケートに答えた覚えがある。

 

「いや、でもこれは……」

「これは?」

 

唐突に他人の声がしたので体をびくっと震わせてしまう。落ち着いて音源を捜すと、すぐそこに答えはあった。

 

「あんたは……」

 

それは1週間前に俺のブレイクタイムに入り込んできた女子生徒だった。

 

「誰?」

「ズコー!」

 

彼女は大げさにリアクションをとっているが、俺は本当に彼女の名前をしらない。そもそもクラスメイトの名前をほとんど知らない。

 

「私だよ私!」

「詐欺師の定型文だな……」

「ええ……本当に知らないの?」

「残念ながら」

「じゃあ、自己紹介するよ」

「結構です」

「私は安城奏!よろしくね!」

 

なるほど、この安城何某さんはやはり会話のドッジボールの天才らしい。仮にオリンピックの種目にドッジボールがあったら代表間違いなしだな。

 

「まあ、よろしく」

「それで、このアンケート何だけどね」

 

もう突っ込まないぞ俺は。

 

「私が任されてる仕事で、購買の満足度調査何だけどなんか足りないなーって」

「まあ、かなり足りないな」

「え?」

「だってこれ、去年の使い回しだし、質問事項も意図がしっかりして無いし」

 

って、しまった。つい悪い癖が……。

 

「黒崎君よくこれが去年のと同じだって分かったね!」

 

安城は何故か目をキラキラさせている。

 

「て、適当に言ったら当たっただけだって」

「ひょっとして黒崎君ってこういうの詳しいの?」

「いや、別に詳しいわけじゃ……」

「でも、質問の意図がどうとかそれっぽい事言ってたじゃん!」

 

こいつ、自分はボール投げまくってキャッチする暇をくれない癖にこっちの都合の悪いボールばっかりキャッチしやがるな……。流石オリンピック出場候補だ。

 

「し、知らん。悪いけど俺も忙しいんだ」

「え?でも黒崎君部活入ってないよね?」

 

なんで俺の個人情報が漏れているんだ。まあ、部活も入ってないしさらに付け足すなら帰ったらすぐにベッドにダイブするくらい忙しくないんだけど。

 

「おねがい!これ明日までなの!手伝って!」

「いや、なんで明日までの作業を今日やってるんだよ。完全に計画ミスだろ」

 

締め切りぎりぎりに仕事とか漫画家かよ。

 

「その……他にも仕事があって……」

 

なんだそりゃ。どこの委員会か知らないけどかなりのブラックさだな。

 

「……」

 

安城は捨て猫のような視線を俺に向けてくる。そんな可愛いしぐさしても駄目なものは駄目です……って言ったらこいつどうするかな。ひょっとしたら俺がすごく冷たい奴だって言いふらされるかもしれない。それはかなり目立つな。最高に迷惑だ。

 

 

「……わかったよ。その代わりあくまで俺の個人的な考えだから最後は自分で判断してくれよ?」

「うん!ありがとう黒崎君!」

 

 

というわけで俺は安城の向かいに椅子を追いて座る。

 

「まず必要なのはこのアンケートのコンセプトとターゲットだ」

「ターゲットはわかるけどコンセプトってよくわかんない」

「コンセプトっていうのは簡単に言うと企画とかで貫くべき視点や考え方だ。このアンケートで言えば何のためにこのアンケートを実施するかってことだ」

「?それは満足度の調査じゃないの?」

「満足度の調査っていうのはあくまで実施形態にすぎない。つまり、満足度を調査してその後それをどう利用するかってことだ。このアンケートは多分購買の運営や販売形態の課題を見つけるために作られたもののはずだろ?つまりコンセプトは『購買についての課題点の発見』になる」

 

安城は俺の話に耳を傾けながらメモをとってゆく。

 

「そして次にターゲットだが、確か去年このアンケートは全校生徒を対象に行われてたよな?」

「うん」

「だが、全校生徒300人がみんなが購買を利用するわけじゃない。弁当を持ってくるやつやコンビニで買ってくるやつもいる。つまりメインターゲットは購買を利用する生徒だ。そこを意識すればもっと質問項目が具体的になるはずだ」

「なるほどなるほど」

「だからと言ってそれだけじゃ購買にとってはプラスにならない。なぜならすでに購買を利用している生徒は多少不満があるにしろ無いにしろ既に常連だ。つまりカモとして十分役割を果たしている」

「カモって……」

「つまりこの時点で『どうやったらみんなが購買を利用してくれるか』って課題がでてくる。つまり、利用者以外の人にもどんな購買だったら利用したいかを聞くことでこのアンケートの意味はさらに大きくなる」

「ターゲットを二分してそれぞれに違う質問を用意するってことだね」

「そうだ。そして次にこの解答の選択肢が問題だ」

「え?そうなの?」

「問題はこの3(どちらともいえない)ってところだ。別にこの選択肢自体が悪いわけじゃない。大事なのはこれに答えるのが学生だってところだ。大半はこのアンケートにさかれる時間を部活や勉強に使いたい訳でこのアンケートに真面目に答える生徒はほとんどいないだろうな」

「ぶっちゃけたよこの人!いや、まあそうかもしれないけど……」

「そういう意味ではこの3の選択肢は便利だ。とりあえずこれに丸をつけとけば解答したことになるし、曖昧な解答でお茶を濁せる。だからあえて3の選択肢を消すのも手だ。つまり、肯定か否定かの2択にすることで解答に責任が伴う事をほのめかす。簡単に言うと脅しだな」

「う、うん……」

「そして最後に、自由記述の欄があると尚いいだろうな。例えば「購買において欲しい品物はありますか?」とかだな」

「でも、自由記述だと書いてくれない事が多いんじゃないのかな?」

「そこは書きようだ。反映率99パーセントとか書いとけ。無茶なのが来たら1パーセントに該当したことにするとか」

「なにその果汁○パーセント以上使用みたいな詐欺……」

「後は質問の数はなるべく絞ること。いくらいい質問を用意しても問題数が多くなりすぎると解答者はだんだんいい加減に解答するからな。だから、ベストなのは何回かに分けてアンケートをとることだな」

 

そこで俺はいったん話すのをやめ、安城がメモを取り終えるのを待つ。安城はメモ帳に綺麗な字で要点をしっかりまとめてメモしている。ひょっとして頭いいのかこいつ?

 

「何回かに分けてっと」

 

安城はメモを取り終えると、再び俺のほうに視線を向ける。

 

「えっと、参考になったか?」

「うん!すごく分かりやすかったよありがとう!黒崎君って頭いいんだね!」

「いや、別に……実力テストだって真ん中くらいだったぞ俺は」

「とにかくありがとう!これで会長たちも満足してくれると思う!」

 

うきうきしている安城の言葉に、俺はひっかかるワードがあることに気付いた。

 

「おい、会長って……」

「あ、そうだ!黒崎君、良かったら……」

 

俺は背筋がゾクリとした。また同じ間違いをしてしまったと思ったからだ。

 

「生徒会に入らない?」

 

 

 

 



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2. 黒崎君!美化活動を手伝って!

 5月に入り、新しく入学してきた1年生たちも部活動に入部したり帰りにラーメンを食べに行ったりと徐々に高校生活を楽しみ始めている。2年生は部活動の後輩を暖かく迎え入れ、最初の温かさはどこへ消えたのか後輩を球拾いだの水くみだのにこき使っている。

3年生は徐々に進路に向けて準備を進めながらまるでじじばばのように下級生を見て「若いなあ」とか「今が一番楽しいんだからね」なんておせっかいな事を言ってくる。

まあ、部活にも所属せず、他学年に知り合いもおらず、ましてや進路なんてノープランな俺には一切関係ないことだが、別にそれを悲観したりはしない。何も起こらない日々をすごし、ご飯を食べあったかい布団で寝る、これ以上に幸せなことはない。

……はずなのだが、先月から俺の日常は少々おかしなことになってしまっている。

全ては安城奏という人物が原因であり、正直あの日の事を今でも後悔している。

 

「おはよう黒崎君!今日生徒会で会議があるんだけどどう?」

 

朝玄関で開口一番勧誘され

 

「こんにちは黒崎君!生徒会室でお昼でもどう?」

 

昼食をとろうといつもの空き教室にいったら先回りされ

 

「お疲れ黒崎君!放課後暇なら生徒会に見学にこない?」

 

 下校しようとしたら玄関で勧誘される。かれこれこの茶番を3週間は続けている。もちろん全部断っているのだが安城は強靭なメンタルの持ち主らしく毎日話しかけてくる。それだけならまだいいのだが、どうやら安城は男女問わずの人気者らしく、そんな人物にしょっちゅう話しかけられれば必然的に周りの視線がこちらに向く。目立つことが嫌いな俺としては本当にごめんこうむるシチュエーションだ。

そんなある日の昼休み、俺はしつこく勧誘してくる安城から逃げるために部室棟へ来ていた。ここなら基本的に放課後にならないと生徒はやってこないし、生徒会室のある区画とは対極の位置にある。俺は念のため周りを確認し、ホッと息をついて階段に腰掛けトマトサンドの包装をはがし、食べ始める。

 

「……こないだのカツサンドよりはうまいかな」

 

 今日はいつものコンビニでは無く珍しく自分で作ってみたのだが、自分の努力が分かるためひいき目に評価してしまう。コンビニのサンドイッチのほうがおいしいだろうってことは百も承知だ。早起きして作ったんだからこれくらいの自画自賛は許してもらいたいところだ。そんないつも通りのしょうもない自問自答を繰り返しながら咀嚼する。

はあ、久しぶりのゆっくりとした昼食。まさに至福の時だ。

 

「黒崎君?」

 

背後から声をかけられむせてしまう。まさか、安城の奴こんなところまで……?

恐る恐る振り返ってみるとそこにいたのは安城では無く、ショートヘアでメガネをかけた女子生徒だった。

 

「えっと……」

「久しぶり、だね」

「えっと……」

「元気だった?」

「えっと……」

 

えっと……誰だっけ?なんか俺の事知ってるらしいけど俺はぜんぜん知らんぞ。安城と違って同じクラスでも無かったはずだし、そもそもこの学校には久しぶりに会う人物なんていないはずだ。

 

「わ、私……雪里、雪里茜だよ?」

「はあ、、雪里茜……?」

「中、中学の時漫研の部長だった……」

 

そこまで言われてようやく思い出した。確かに、中学の時漫画研究会の部長をしていた女子がいた。それがこの雪里茜だった。

 

「思い出した……?」

「あ、ああ。久しぶりだな雪里」

 

俺が思いだしたことが嬉しかったらしく雪里は微笑む。

 

「えっと……何してるの?部室棟なんかで」

「自己防衛だ」

「……?」

「えっとだな、ちょっとしつこい勧誘にあっててだな……」

「ああ……安城さん……」

「やっぱり目立ってるよなあ……」

 

俺が落胆しているのを見てか、雪里は階段を下り俺についてこいと手招きしてきた。俺はサンドイッチを包んでいたラップをポケットにいれ、ついて行くことにした。

 

三つくらい教室を通りすぎた末に雪里は足を止め、ポケットから鍵をだし差し込む。ガチャンという気持ちのいい音と共に教室の扉が開かれる。

 

「どうぞ……」

「お、お邪魔します」

 

教室内には2つくっつけられた長机と、その上に乱雑おかれている原稿用紙やペン。そして壁を覆い尽くす大きな本棚には漫画や小説の類がびっしりと並んでいる。

 

「ああ、漫研なのかここ」

「うん……部員は6人」

 

雪里は中学時代からずっと漫研に所属しているわけだ。一つの事をそれだけ続けられるのは凄いことだ。世の中には4年くらい経っても新刊を出さない作家とかもいる訳だし。

 

「そっか。雪里は高校でも部長やってんの?」

「うん……」

「新入部員は入りそうか?」

「1人……入ってくれた」

「そっか。そりゃよかった」

「全部……黒崎君のおかげ」

「その話はやめてくれ。正直黒歴史なんだ」

「でも……」

 

雪里はそれ以上言葉を口にするわけでもなく、ゆっくりと隅にある冷蔵庫へ近寄り、お茶を取り出す。

 

「これ……あげる」

 

そういって差し出されたのは綾鷹とおーいお茶だったので、当然綾鷹をえらぶ。いつの時代も選ばれるのは綾鷹でした。

 

「安城さん……いいの?」

「まったくもって良くないな。あいつのせいで目立ちに目立っていい迷惑だ」

「でも、安城さんは悪い人じゃないよ……」

「安城と関わったことがあるのか?」

「うん……漫研のポスター掲示してくれたり……部会の書類とか要点をまとめてくれる……」

 

なるほど、安城は悪い奴ではない。ただおせっかいな奴なだけだな。おめでとう安城。これで昇進確定だな。

 

 

「黒崎君……変わったよね……」

 

その言葉は多分俺に伝えようとして出た言葉では無い。ただ、口からこぼれてしまった呟きにすぎないのだろう。その呟きは見事に俺の耳に入ってしまったわけだが、俺は特に反応せずに綾鷹を飲む。

 

「雪里、別にお前を信じてない訳じゃないんだが、あの時の事はあまり人にはいわないでくれないか?」

「わかった……黒崎君がそれでいいなら……」

「ありがとう。さて、そろそろ昼休みも終わるな。俺は教室に戻るよ」

「うん……また、いつでも来てね……」

 

 

 漫研の部室から出た後、ポケットに入っているラップを捨てようとゴミ箱へと向かう。

昼休みは残り10分だし、そろそろ戻っても大丈夫なはずだ。少なくとも今は。放課後はどうやって安城から逃げようか。もはや俺の日常が安城から逃げるホラーゲームになりつつある。早急に改善したところだが、もうこの日常は俺がどうこうできる問題では無い。安城が俺から興味を失うまで永遠に続くのだろう。

だんだん重くなってくる足取りのまま、ゴミ箱へたどり着く。

 

「……なんか最近不幸多くない?」

 

 たどり着いたゴミ箱はゴミであふれかえっており、周囲にもゴミが散乱している。そういえば購買の近くのゴミ箱もこんな感じだった気がする。まったく、ゴミ袋を取り換えるって文化がいつの間にか消えてしまったらしい。仕方なく俺は周辺のゴミをあつめ、無理やりゴミ箱に押し込み、ラップは持ちかえることにした。

 

 教室に戻ると案の定安城がこちらに視線を向けてくる。案の定安城って語感が良いな、流行らないかな?流行らないだろうな。

だが、俺が席に座り安城が席を立とうとした矢先にチャイムが鳴り、数学の教師が入ってくる。

 

「起立、礼」

 

 そのまま授業が開始し、数学教師は教壇に立ち何やら難しい数式を黒板に書き始める。俺は特にそれを聞くわけでもなく、ただ窓の外を眺めるだけだった。今日は1年生が体育の授業でサッカーをやるらしい。あれだよね、体育のサッカーってサッカー部がやたら調子のるよね。「マイボマイボ!」とか「ライン上げろよ!」とか「それオフサイドだろ!」とか。初心者がいきなりオフサイドなんて分かるわけなかろうに。で、そういうサッカー部の奴に限って試合じゃ補欠なんだよな。全部共感できた人は俺と友達だ。

さて、一年生男子はどうやら取りジャンをやっているらしい。取りジャンってのは分かりやすく言うとプロ野球のドラフト会議みたいなもんだ。両チームのリーダーがじゃんけんして、勝った方が一人指名してチームに加え、次に負けたほうが一人指名する。これの繰り返し。最後に一人余った文化部の男子の不遇っぷりはまじで同情する。同情するなら金をくれと言われてもひたすら同情するくらいには。

そんなことを考えボーっとしていると唐突に隣の席の女子が肩を叩いてきた。

めんどくさいので無視しようと思ったが、これで俺が私語しているなんて思わるのは迷惑極まりないので仕方なくそちらを見る。

 

「これ、安城さんから」

 

隣の女子はそう囁きながら一枚のメモを渡してくる。安城の席は窓側から数えて4列目の一番後ろで、俺の席は窓側の一番前なのでこのメモは実に10人以上の配達人から送られてきた訳だ。授業中に手紙まわすなんてレトロな遊び、まだはやってるのか。

一応中身を確認して見よう。そう思い二つ折りになっているメモを開く。

 

『今日、どうしてもお話ししたいことがあります。放課後、4時ちょうどにいつもの空き教室で待ってます』

 

 いつからあの教室は安城のいつものになったんだろうか。で、なんだって?4時に待ってるって?というか何この文章、ものすごくかしこまってるな。まるで告白の呼び出しの様だ。まあ、告白であれ何であれ俺が応じるかどうかは俺次第な訳で、当然帰らせてもらう。

そういう意味も込めた視線を安城に送ると、笑顔でピースが返ってきた。メンタル強靭すぎない?

 

 

***

 そして放課後。安城の誘いは当然スル―して玄関へ向かう。特に罪悪感とか後ろめたさは無い。安城自体が嫌いなわけではない。普通に話しかけてくれれば顔見知りくらいには接することもできる。だが、問題は安城に付随する生徒会という集団だ。この学校の生徒会のメンバーも知らなければどんな活動をしているかも知らない。だからといって生徒会を否定するわけでもない。ただ、俺が思い描く理想の日々と生徒会しかりその他集団の活動は全くと言っていいほど繋がりが無いのだ。

 

 

「げ」

 

 玄関にたどり着いた俺は自分の下駄箱の前でスマホをいじる安城を発見する。なぜあいつがここに?空き教室にいるはずでは?時計を確認して見てもまだ3時50分だ。

落ち着け、冷静にクールに対応しよう。それは流石に冷え過ぎだな。

取りあえず、安城が下駄箱を離れない限り帰ることは出来ない。つまりは、どこかで時間をつぶさなければならない。よし、図書室にでも行こう。

 

「あ、黒崎君!」

 

 俺が図書室へ向かおうとふりかえった矢先、安城は俺の存在に気付いてしまったらしい

どうしよう。流石にたくさん人のいる下駄箱周辺で無視するのは無理だ。無視すれば安城は何度も俺を呼び、俺が目立ってしまうのは必然だろう。

もはや退路は断たれた。俺は肩を落としつつも下駄箱へ向かうしかなかった。

 

「お前、教室で待ってるんじゃなかったのか?」

「あれはフェイクだよー。黒崎君はスル―してそそくさと帰るだろうなって予想できたから!」

 

やっぱりこいつ頭いいよな?期末試験の後の順位発表で確認しておこう。期末まだまだ先だけどね。

 

「取りあえず、そこどいてくれない?靴履き替えたい」

「私の話を聞いてくれたらどけてあげよう!」

「今フェイク云々聞いたぞ」

「それはどうでもいいの!本題はこれからだよ!」

「いや、もうお腹いっぱいです」

「それでね、美化活動をしたいの!」

 

出ました、会話のドッジボール。これが発動するともう俺がどう反論してもボールは返ってこない。

 

「最近校内でゴミのポイ捨てや分別のマナーが悪い状況が続いてるんだけどね」

 

 そういえば部室棟のゴミ箱付近はひどかったな。ふと下駄箱の隅のゴミ箱に視線を向けると、なるほどたしかにティッシュだのパンの袋だの発泡スチロールだのが乱雑に詰め込まれている。

 

「それで生徒会としては校内のゴミを減らすために何か美化活動したいんだけど、なかなかいい案が浮かばなくてさ」

 

 美化活動と聞いてぱっと思いつくのはゴミ拾いとかポスターで呼びかける程度だが、それで校内が綺麗になる気もしない。注意喚起なんて教師陣がいくらでもするだろうが、高校生というものは基本教師をなめ腐っているものだ。ソースは国語の教師の頭をみてザビエルと呼んでいる俺。まあとにかく、ここまでひどい環境で多少の呼びかけ程度では改善しないだろう。

 

「黒崎君?」

 

 安城の声で我に帰る。いかん、つい真面目に考えるところだった。一度要求を引き受けたら最後、残りの学生生活は安城の手伝いで埋まる可能性がある。

 

「さ、さて。話しも聞いたことだし俺は帰るからな」

「お願い!手伝ってよ黒崎君!」

「そんなものは美化委員にでも相談してくれ。俺は生徒会に奉仕するつもりは無いからな」

「……そっか!美化委員に協力してもらうのはありだね!ありがとう黒崎君!さっそく聞いてみる!」

「え、いや、別にこれはアドバイスってわけじゃ……」

 

 俺の言葉など聞かずに安城は走り去っていった。廊下は走ってはいけません。裕太郎お兄さんとの約束ですよ?

さて、帰るか。帰ってテレビを見ていたい。

 

***

 

 翌日は土曜日。待ちに待った休日、土日とつづく2連休のスタートだ。たった二日でも連休ってつければ何かそれっぽくなるところが実にいい。

そんな土曜日、俺は昼ごろに起き、朝昼兼用となった食パンと焼きそばを食べ、居間のソファに寝転がりながらテレビを見る。うちは親父が単身赴任で母はスーパーでパート、兄弟はいないのでこの時間は俺しかいない。よってテレビもソファも完全貸し切り。まさに天国だ。

 

「それでは今日は家を片付ける必殺掃除技をご紹介いたします!」

 

 ワイドショーのコーナーの一つで人気のお笑い芸人がそんな事を言っている。

そういえば、安城はあの後美化委員に話しを通せたのだろうか。通せたとして、どんな改善策を打つのだろうか。

……いかんいかん。せっかくの休日に考えることじゃないだろうに。ぶんぶんと首を振りながらリモコンでチャンネルを変える。やっていたのは昔やっていたアニメの再放送。学園物で、生徒会が風紀委員と……って何だこれは、作為的なものを疑ってしまうほどの番組編成だ。仕方なくテレビを消しゆっくりと起き上がる。ふとスマホを見ると一件のメールが来ていた。差出人は……雪里?なんでこいつ俺のメアド知ってるの?と思ったがそう言えばこのスマホは中学の時に買ったもので、同じ中学だった連中のメアドはそのまま入っているんだった。卒業後誰ともメールをしていなかったので忘れていた。そもそも近頃はラインとかツイッターが主流だし、もうだれもメールなんて使っていないのかもしれない。いや、俺もライン使ってるよ?友達登録してるの家族しかいないけど。

まあ、それはさておき雪里がわざわざ俺のメアドを探してメールしてきた用件はなんだろうか。メールのボタンをタップして内容を見る。

 

『ちょっと話したいことがあるの、駅前のミントって喫茶店で待ってる』

 

 え、何この文章。簡潔すぎて逆に怖い。まあ、雪里が急に絵文字とか使って『話したいことがあるのん♪駅前のミントって喫茶店でまってるのん♪』なんて送ってきたらそれはそれで怖いわけだが。

普通に誘われた場合はすぐに断る安定なのだが、この文面から察するに雪里はもうミントにいるのだろう。そうなるとコーヒーの一杯でも注文しているかもしれない。ここで俺がいけないとったらそのコーヒー代は完全に無駄になってしまうだろう。それに、気弱な雪里が人を呼び出すなんてよっぽどの事だ。何か不測の事態が起こっているのかもしれない。

……考えたところで想像の範疇を出ない。

俺は急いで自室に戻り着替え、身支度を秒で済ませ自転車にとびのり駅前へと向かう。

 

 休日の駅前ともなれば人が多いのは当然だ。それは駐輪場もまた同じ。ぎっしりと並ぶ自転車の間に無理やり自分の自転車を押しこみ鍵をかけ、ミントの扉を開ける。

カランコロンと涼しげな音が店内になり響く。なるほど、なかなかおしゃれな内装だ。天井ではプロペラみたいなのがくるくる回っている。いまだにあれが何のために回っているのか分からないが、それは今度ネットで調べよう。ネットには何でものってるからな。

店内を見渡すと雪里が遠慮がちに手を振っている。

 

「げ」

 

 それに小さく返事をしようとした矢先、俺は雪里の隣に座る安城の姿を見てげんなりする。

だが、既に入店してしまった以上コーヒーの一杯でも飲まないと帰りづらい雰囲気が店内に漂っている。仕方なく俺は雪里たちの向かいに座る。

 

「雪里……ハメたな」

「ご、ごめん……」

「あ、ちがうちがう!茜ちゃんは悪くないよ!メール送ったの私だし!」

「そもそも、お前らそんなに仲良かったのか?」

 

アイスコーヒーを注文しながらそんな疑問を唱える。

 

「えっと……そういうわけでは……」

「そう!生徒会で漫研の予算案とか名簿とか貰いに部室に何度か行ってね!」

 

いま雪里が否定しようとしてたように聞こえたんだが。ドッジボールプレイヤーはついに味方の投げるボールすら奪うようだ。チーム連携なんてあったもんじゃんない完全なスタンドプレイに観客もびっくりだ。

 

「それで、なんで雪里が俺のメアド持ってるって分かったんだ?」

「ん?ああ、去年の受験票の整理してたら黒崎君と茜ちゃんが同じ中学だって分かったから聞いてみたの!」

「お前、個人情報保護法って知らないのか?」

「でも苦労したよ~茜ちゃん以外黒崎君と同じ中学の人いないんだもん」

 

そもそも雪里が赤羽高校にいたことすら俺は知らなかった訳だが、逆に言えばいたのが雪里で良かったと思う。こいつは俺の事を人に言いふらしたりするような性格じゃない。メアドは簡単に教えちゃったみたいだけど、まあどうせ安城がしつこく聞いたんだろう。

 

「それで、せっかくの休日に俺をドッキリにハメて次は何があるんだ?」

「あ、うん。昨日いってた美化活動についてなんだけどね」

 

やっぱりか。昨日の今日だから大体予想は出来てたけど。

 

「お断りします」

「まだ何も言ってないし!」

 

何か言われる前だからこそ断ったんだ。やられる前にやり返すんだってばあちゃんが言ってたような言って無かったような。いや、それだと加害者はこっちになりそうだ。

 

「お願い!話だけでもいいから聞いてよ!」

「俺が話を聞いたら次はどうなるんだ?」

「手伝ってもらう!」

「他を当たってくれ」

「……黒崎君ってなんでかたくなに断るの?」

「それは……」

 

なんだか話しが俺の都合の悪い方へ向きそうだ。わらにもすがる思いで雪里に視線を向ける。

 

「えっと……黒崎君」

 

お、助け船を出してくれるのか。ありがとう雪里。この恩は忘れないぞ、取りあえず後30分くらいは忘れない。いや、人間の脳の構造だと10分くらい憶えてたらいい方らしいぞ?英単語とか九九を忘れないのは何度も反復するからだぞ?

 

「安城さん……困ってるし……」

「なん……だと……」

 

いつの間にか俺は完全アウェーに立たされてしまったらしい。おのれ雪里、お前に感謝した10秒前の俺がかわいそうだろ。

 

「ほら、茜ちゃんもそう言ってるし!」

 

 安城は机に前のめりになりがらこちらに呼びかけてくる。

……学外なら目立つこともないし、聞くだけ聞いてもいいか?

まずい、ピンチの時に現れるマインドBが不穏な事言いだした。こういう時、マインドBに従って手痛い思いをしたことがあるのは俺だけではないだろう。

 

「黒崎君……」

 

 雪里も俺に訴えかけるような視線を向けてくる。安城はどうでもいいが、雪里は半ば被害者だしこのまま見離すのは後味が悪い。さっきから雪里に感謝したりヘイトためたり心配したり、俺の属性はコウモリか何かかよ。

 

「……わかった。取りあえず聞くよ。その代わりこれ以上生徒会に勧誘するのはやめてくれ」

 

妥協に妥協を重ね、落とし所を提案する。

 

「うん!ありがとう黒崎君!」

 

こいつ絶対後半の発言聞いてなかっただろ。やっぱり帰ろうかな……。

 

「それでね、美化委員の代表に掛け合ったんだけど」

 

あ、話始まっちゃいましたか、そうですか。

 

「流石に週末だったからすぐには対応できないって言われて、来週の月曜に話しあうことになったの」

「……それなら俺いらなくない?」

 

美化委員と話し合えば案は出てきそうなもんだが。

 

「ううん。なんか生徒会長がこっちから案を提示する形にしちゃって」

 

なんだその会長、よっぽど他人思いなのか、それとも単にマウントとって話しあいたいのかよくわからんがどっちにしろ効率が悪いことこの上ない判断だな。

 

「生徒会では話あったのか?」

「えっと、金曜日は会長以外帰っちゃってて、会長は他の仕事やってて」

 

赤羽高校生徒会はそんなに多忙なのか。そりゃ安城が俺をしつこく勧誘するわけだ。そもそもの話だが美化活動なんかより生徒会の活動方針の改善の方が優先すべきだろ。

 

「それで、取りあえず案を考えようと思って、黒崎君を呼んだの!」

「自分では考えたのか?」

「もちろん!でもなかなかまとまらなくて」

「いきなり一つにまとめようとするからだ。最初はブレインストーミング形式のほうが効率がいい」

「ブレイン……ウォシング?」

「ストーミングだ。誰を洗脳するつもりだお前は」

 

安城がまだ首をかしげているので俺は言葉を続ける。

 

「ブレインストーミングって名前がわかりづらいなら案出しとでも思ってくれ」

「案出し?それならもうやってるよ?」

「お前、今時点で何個案が出た?」

「えっと、二つ!」

 

 安城は俺にメモ帳を見せてくる。目を通してみると、ページのほとんどがポスターの作成についてで埋まっていた。その下にゴミ拾いについて書き始められている。

 

「お前の案出しは質を重視しすぎだ。それ自体は悪いことではないが、今回の目的は美化委員への提案だろ?まずは意見の量を重視するべきだ。ブレインストーミングってのはとにかく思いつく限り案を出す。可能か不可能かは後回しだ」

「ふむふむ」

「雪里、お前も協力してくれるか?」

「うん……やってみる」

 

雪里は小さく頷く。

 

「それじゃあ議題『校内の美化活動として出来ること』について意見を出していこう」

「ゴミ拾い!」

「えっと……ポスターで宣伝」

「全校集会で先生に話してもらう!」

「ゴミ箱の設置個所を増やす……」

「ゴミ箱を大きくする!」

 

俺は次々に出てくる意見をスマホのメモアプリに打ち込む。

 

「清掃をしてくれた人にご褒美を上げる!」

「掃除強化月間を作る……」

 

それから10分ほどブレインストーミングは続き、メモアプリには『これ以上打ち込めません』と表示が出るほどに意見は出た。

 

「よし、案出しとしてはこれでいいだろ」

「それで次は?」

「一端この意見たちはおいといて、次は『なぜ校内が散らかるか』について話そう。原因が究明できればさっきの意見たちの中で有用なものそうでないものに分けることができる」

「なるほどなるほど」

「そうだな、ここは5w1hのフレームで考えよう。いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、だ。まず、「いつ」からゴミが多くなったのか」

「そういえば、去年はそんなにひどくなかったかも」

「つまりは今年から、だな。次、どこで」

「ゴミ箱の付近だよね?」

「一応聞いておくが廊下とかはどうんなんだ?」

「廊下は、そこまでひどくないよ」

「じゃあ次、誰が」

「先生がって可能性は薄いから生徒達、だね」

「何を」

「ゴミ箱付近を汚す」

「なぜ……これはいったん飛ばそう。それが分かれば苦労はないからな。どのように」

「ゴミがはみ出るくらいにゴミ箱に詰めたり、入らなかったゴミをそこに放置したり」

 

俺はいったんアイスコーヒーで口の渇きをとる。安城はその間に今言ったことをメモしている。雪里は何をするでもなく、俺たちの次のアクションを待っている。

 

 

「さて、今の話から考えるに重要なのは「なぜ」散らかし、それを主に「だれが」行っているかだ」

「え?他のところは?」

「他の項目はある程度具体的だが、この二つは抽象的だったり範囲が広すぎる。例えば「誰が」に関してだが流石に全校生徒みんながみんな散らかしてるとは考えにくい。現に俺たちはやってないし美化委員も解決に協力的なところからしてやってないだろう」

「そっか、やってるのは一部の人かもしれないんだ」

「次に「なぜ」の部分だが、考えられるのは教師たちヘの反抗とか単にポイ捨てがカッコイイと思っているとか、そもそもゴミが多すぎて処理に困っているとかだな」

「どれもありそうだね……」

 

俺もそこまで話して考えてみる。確かに、ポイ捨てというのはいつの時代も誰かしらしている行為だ。だが、ゴミ箱付近だけというのが少々引っかかる。先にあげた教師への反抗とかならもっとところ構わずゴミが散乱しているはずだ。では、ゴミが多すぎるから?いや、学校で日常生活をおくるだけでそんなにゴミが出るだろうか。せいぜい消しカスとか購買の商品の包み紙程度だろう。

 

「どうやったら去年みたいに綺麗な学校になるのかな~」

「……」

 

去年?そうか去年はそこまでひどくは無かったはずだ。つまりこの件の要因は去年はなくて今年はあるものだ。

 

「そうか、新入生だ」

「え?」

「去年までそこそこ綺麗だったという事は去年までは原因は無かったはずだ。今年になってから増えたものとすればそれは新入生だ」

「仮にそうだとして、「なぜ」の答えは?」

「それは……」

 

教師への反抗の線はさっき消えた。そうなると新入生がこぞって散らかす理由は何だ?

 

「多分……分からないんだと思う」

 

そこで意見を発したのは雪里だった。

 

「わからない?」

「うん……部室棟とかは……回収用の大きいゴミ捨て場がないから」

 

そういえば、以前俺はゴミ袋を取り換えない事に文句を言った気がする。赤羽高校ではゴミを回収する業者が毎週水曜に来ることになっており、そのために校舎裏のゴミ捨て場にゴミを集めることになっている。そして厄介なのは校舎裏という立地の悪さ。無駄に敷地のでかいうちの学校で新入生がすぐにゴミ捨て場の場所を把握するのは難しい。かてて加えて上級生はゴミ捨て場の場所を当たり前に知っているから下級生にわざわざ教えたりもしない。だから1年生はゴミ捨て場の場所を知らず、結果近くのゴミ箱に詰め込む以外対処法が無く、結果ゴミは溢れだす。

 

「当たり前のことを当たり前だと思ってることが原因ってことか」

「そうだと……思う」

 

日本人は謙虚だとよく言われるが、謙虚すぎるために分からない事を聞くということに遠慮が生まれる。謙虚すぎるために他の人がそれを知らないなんて思わない。謙虚さゆえの傲慢さが今回の件の一端だったわけだ。

 

「となると、必要なのはゴミ捨て場の位置を分かりやすくするためのポスターや案内板の作成、後は意識改革のための呼びかけだな」

 

まさか最初に切り捨てた選択肢が正解だったとは。難しい議題にかぎって解決法はシンプルなことが多いんだな。

 

「うわ……忙しくなりそう」

 

安城はげんなりする。

 

「そんなことないだろ。既に美化委員は強力を約束してくれてるんだからそいつらをこき使いまくればいい。向こうも本職がこなせて願ったりかなったりだ」

「うわー黒崎君鬼~」

「やかましい。とにかく、これでこの話は終わりだ」

「うん。ありがとう!案出しだけのはずがまさか解決までしちゃうなんて、やっぱり黒崎君は凄いね!」

 

「黒崎君はすごい」。その言葉は俺の心に強く響いた。決していい意味で響いたわけじゃない。騒音が部屋中に反響するかのような気分の悪さ。当然安城がそういう意図で言ったわけじゃないことは分かっている。

 

「黒崎君?どうしたの?」

「……なんでもない。それじゃあ俺は帰るから」

 

アイスコーヒーの代金を財布から取り出し、テーブルの上に置く。そしてそのまま店をでる。再びカランコロンと店内に音が鳴り響くが、もうそれに何かを感じることもない。

 

 

「黒崎君!」

 

駐輪場で自転車の鍵を差し込んだところで、俺を呼ぶ声がした。

 

「雪里……」

 

走って追いかけてきたのか雪里は肩で息をしている。それに、雪里がこんなに声を張ったのを初めて聞いた気がする。

 

「黒崎君……ごめんなさい」

「別に、お前が悪いわけじゃない。安城もお前も、悪くないんだ」

 

むしろ安城の様に自分のできないことを理解し他者に素直に物事を聞けるところは評価すべ点だし、雪里の様に誰かの助けになろうと勇気を振り絞れるところだってみんなが出来ることじゃない。

悪いのは、それを素直に見ることが出来ない俺自身なのだから。

 

「それじゃあ、俺、帰るな」

 

サドルにまたがりペダルに足をかける。

 

「黒崎君……私、今日は嬉しかったよ」

「……」

「黒崎君は……やっぱり黒崎君で……私のヒーローだから」

 

俺はそれに返事をするわけでもなく小さく会釈して自転車をこぎ始める。

 

その日の空は俺の心に反して青く澄み渡り、じきにやってくる夏を感じさせるものだった。

 



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3. 黒崎君!練習場所を取り戻して!(前篇)

 6月某日、天気、雨。雨である。俺は雨が嫌いじゃない。雨の日は体育もクーラーの聞いた室内で行われるし、授業中、窓から眺める雨は趣があり、暇なときは窓にかかる水滴の数を数えるほどだ。それは流石に暇すぎ。暇すぎて逆に神経使うな。

美化活動の一件は俺のアドバイスが功を奏したの改善され、ゴミ箱は綺麗に使われるようになった。だが、肝心の勧誘に関しての俺の提案などまるでなかったかのように安城は勧誘しまくってくるのだ。どうやら俺の投じた渾身の一球は簡単に叩き落とされてしまったらしい。叩き落としたらそれはドッジボール的にアウトな気もするが、もはやそんな常識は通用しない高みに安城はいるらしい。

 

「はい、ランニング終わり~つぎ二人一組でストレッチな~」

 

 体育教師の声に体育館を周回していた生徒たちは足を止め、息を切らしながら体育館の中央に集まる。そう、先ほど言ったように雨の日の体育は体育館で行われるのだ。ちなみに晴れていた場合は長距離走とかいう地獄だった。いやあれほんと地獄でしょ。そもそもなんで男女で距離違うの?男子は1500メートルで大丈夫とかその自信どっから来るの?

そんな事を考えていると周りでは徐々に二人一組が出来始めている。よし、俺も誰か探そう。

 

「黒崎君、良かったら俺と組まない?」

 

そう言って微笑むのは……だれだっけこいつ?たしかクラスの人気者でバスケ部でリア充な越前だっけか。全部知ってんじゃねーか俺。なんで知らないふりしたの?

 

「いいけど……」

 

 別に誰と組もうとただストレッチをするだけで特に変わりは無いのだが、疑問なのは越前が急に俺を誘ってきたことだ。こいつに限ってあぶれるなんてことはまずないだろうし、俺以外にもまだ組ができていない奴もちらほらいる。その中で俺を選ぶ理由があるのか?それとも俺が自意識過剰なだけ?

疑問に思いながらもストレッチを進行する。

 

「次、俺が押す番だね」

 

 名前は分からないが足を前にのばしてそのまま上体を前に倒すアレをやる。先ほどやってみたが越前はあり得ないくらい前に倒れていた。正直骨を折ってしまったかと不安になるほどだった。

 

「それじゃあ押すよ~。1、2……」

 

越前に押されるまま俺は上体を倒す。

 

「あれ、黒崎君結構柔らかいんだね?中学では運動とかしてたの?」

 

 あれだよね、リア充ってやたら中学の事聞いてくるよね。中学の時の部活とか中学の時の成績とか中学の時の恋の話とか。リア充たちはそうやって高度な情報戦を行い、その結果グループが形成される。いつのまにか戦って無かった連中もそれに感化されてグループを作る。そうして俗に言う1軍、2軍、3軍とカーストが決められていく。中には全てのグループを渡り歩く八方美人もいるらしいが、それはまだお目にかかったことが無い。

 

「……」

 

 そんな情報戦をする気は無いのでストレッチに集中している風を装う。最悪文句言われても「え?なんだって?他の人の声がまざって良く聞こえなかったよ」とでも言っておけば誤魔化せるだろう。

そうしているうちにストレッチは終わり、授業が始まる。今日の種目はバスケットだ。授業でイキリまくるサッカー部とは対照にバスケ部というのは温厚な生き物だ。レギュラー補欠問わずにミスしたら『ドンマイ』、いいプレーをしたら『ナイス』と声を掛け合う。なんだろうか、サッカー部にもいい人はいるのだがどうしてもサッカー部の悪いイメージが払拭できない。あれだな、こないだサッカー部の3年生と思われる奴らが給水所で水掛け合って遊んでたの見たからかな。お可愛いこと。

 

「黒崎!パス!」

「え?」

 

 ボーっとしていたら急にとんできたボールが俺の顔面にクリーンヒットする。ボーっとしている奴に急にパスするなんてひどい。いや、試合中にボーっとしてる奴の方がひどいな。

俺はそのまま床に倒れる。ちゃんと尻から倒れたおかげで頭は無事。転び方にも上手い下手があるわけよ。

 

「黒崎!大丈夫か?」

 

 体育教師が俺のもとに駆け寄ってくる。大丈夫な奴がパス取り損ねて顔面ブロックすると思いますか?全部自己責任だけどさ。俺はゆっくりと起き上がり、頭を振ってみる。特に痛くはないな。

 

「あ、はい。大丈夫みたいです」

「一応保健室で見てもらってこい。だれか黒崎についてやってくれ~!」

 

 おいバカやめろ。公開処刑じゃないか。これであと1時間くらいは『顔面ブロックの黒崎』の話でもちきりになっちゃうだろ。

 

「あ、じゃあ俺行きます」

 

 名乗り出たのは越前だった。越前は俺に手を差し伸べ引っ張りおこす。そのまま俺たちは体育館を出る。

 

「越前、俺になにか用か?」

 

渡り廊下を半分進んだところで俺は越前の肩から手を離す。

 

「……やっぱりばれてたか」

「当たり前だろ。今までまったく喋ったことのない奴が急に親しくしてくれば誰でも不思議に思う」

 

越前は苦笑いしながら首を触る。なんでイケメンってみんな首痛めてんの?ちゃんと治療してもらえよ。

 

「実はさ、黒崎君にお願いが合ってさ」

「断る」

「いや、せめて話だけでも」

 

なんだか猛烈なデジャヴを感じる。お願いがある、話だけでも。このセリフを今年に入ってから何度も聞いている。

 

「お前、安城になんか言われたか?」

「すごいな君は。まるでエスパーだ」

「余計な勘が働くもんでな」

「え?」

「……なんでもない。それで、安城はなんて?」

「黒崎君がいろいろ助言してくれるって。最近校内がきれいなのも君の助言のおかげだって」

 

案の定安城が余計な事を言ってまわっているらしい。雪里とは大違いのお喋りだな。とにかくこのまま広まる前にくぎを刺しておかなければ。

 

 

「言っておくが俺は好きこのんで安城に助言したわけじゃない。あいつは毎回俺の話を聞かずに外堀から埋めてくるんだ」

「でも、安城さんは黒崎君を高く評価してるし、君の話は分かりやすくて参考になるって」

「問題は助言するかどうかじゃない。安城を手伝う事で俺が悪目立ちするところなんだよ」

「別に悪目立ちはしてないと思うよ。むしろ君は感謝されてるじゃないか」

 

駄目だ、このわからんちんリア充は俺が話を聞くまで折れてくれそうにない。さっきはあんなにしなやかにストレッチしてたのにいまじゃ鉄骨のごとき堅さだ。

 

「感謝されようがなんだろうが俺は平穏に穏便に過ごしていたいんだよ」

 

自分でもだんだん口調にとげがでていることが分かる。なんというかこいつの発言は不愉快だ。

 

「わかった。それじゃあ取引しよう」

「取引?」

「俺のお願いを聞いてくれたら安城さんに君を勧誘するのをやめるように説得する。これでウィンウィンだろ?」

「どこがウィンウィンだ。俺がお前のお願いとやらを仮に完遂したとしても、お前の説得が上手くいく保証がないだろ」

 

さんざん働いた後で約束自体を無かったことにされても困る。そもそもこういう場合、先に行動した方が痛い目を見るのが世の常だ。

 

「君はどうして安城さんが君を勧誘するか知ってるかい?」

「それは……俺が使えると判断したからだろ」

 

なんか自分で言うの凄く恥ずかしいな。帰ったらベッドでバタバタしそう。

「まあ、それも正解なんだけど、彼女が君を誘うのは生徒会の今後の為でもあるんだ」

「生徒会の今後?」

「そもそも君が優秀だったとしても、生徒会がちゃんと機能していれば安城さんの行動は必要ないだろ?」

「それは、生徒会が機能してないってことか?」

 

 そういえば、アンケートの一件も、美化活動の一件も、安城以外の生徒会メンバーがそれに関わっているという話は聞かない。毎回安城が俺に協力を求めるのは、仕事の量が安城のキャパシティを超えているからということだろうか。

 

「安城さんは持ち前の明るさでみんなから人気があるし勉強も出来る。それに困っている人を放っておけない性格だと俺は思う。だからこそ、生徒会は安城さんありきの体勢になっているんだ」

 

生徒会は安城に頼り、安城は俺に頼っているわけだ。

 

「……そんな運営でよく生徒会って形を保てるな。会長とかは批判されないのか?」

「んー。会長は言っちゃ悪いけど結構変人というか、思想が偏っているというか」

「ポンコツな訳だ」

「まあ、そう捉えてくれて構わないよ」

「それで?安城が生徒会でこき使われてる話がどうかしたのか?」

「ああ、ごめん、話題が逸れちゃったね。つまり安城さんは次の生徒会のメンバーとして君を勧誘してるわけであって、要はちゃんと働いてくれる人がいればそれで問題解決な訳だよ。だから、君が俺の頼みをきいてくれたら、俺が生徒会に入るよ」

 

 確かに、イケメンリア充の越前が生徒会に入れば自然と次の生徒会メンバーは越前の親しい人物で固まるだろう。そこで越前が仕事を分担すれば俺なんて必要なくなるだろう。

ただ、ひとつ問題がある。

 

「お前、バスケ部はどうするんだ?キャプテンとしての仕事と生徒会、両立できると思ってるのか?」

「もちろん、そこは上手くやるよ」

 

上手くやる、だと?

 

「簡単に言うが、生徒会の仕事は一筋縄ではいかないぞ。予算の計算、捻出、管理。各部活動および委員会の活動費用、名簿の管理、仕分け。委員会会議や部会の書記およびその書類の管理、イベント事では企画、進行、運営。その他備品整理や設備点検、よその学校との交流、雑務。その全てを各々が自主性をもって取り組まなければ回らない。よく知らんがバスケ部だって大事な大会や試合があるんだろ?それを生徒会と同時並行で出来る能力が一般的な高校生にあるとは到底思わない」

 

 俺が急に長々と語ったことに驚いたのかドン引きしたのか、越前は唖然としていた。が、すぐに落ち着いたようで口をひらく。

 

 

「すごいな、良くそんなに生徒会について知ってるな」

 

 ……越前の発言に対してはスルーしよう。これ以上、興味を持たれても困る。このまま話を続けたところで何にもならんしな。仮に越前が生徒会に入ったところで改善するとは考えられない。時間の無駄だ。

それにそもそも俺にはどちらも関係ないわけで、知らぬ存ぜぬを通せば俺の望む平穏な生活は保たれるのだから。

 

だが、それでいいのか?二人とも時間をかけ考えた上で俺を頼っているのではないのか?

それに対し俺は考えることを放棄し、自分の為だけに断っていいのか?

 

……そんな呟きが、どこからか聞こえてくる。その声の正体については考えるまでもない。

その声に従う気は無い。従えばきっと、“また間違える”

だけど本当にそれでいいのか?間違えるのが嫌だから、俺はその声を無視するのか?

 

……理由があったはずだ。俺が安城を二度も助け、今、越前の言葉に思考を巡らせる理由が。

 

……分からない。

 

でも、俺はその理由を分からないままで生きて行きたくない。知らないことはひどく恐ろしいのだ。

 

それなら――

 

 

「わかった。お前の用件を聞いてやる」

 

気付いたら、俺はそんな言葉を発していた。

 

「え?それじゃあ俺の提案でいいのか?」

「安城を説得する必要は無い。単に俺が引き受けるだけでいい」

「え?」

「お前に半端な気持で生徒会をやられるくらいならそんな条件はいらない。取りあえず、放課後部活が終わったら正門に来い」

「あ、ああ。ありがとう。助かるよ」

 

俺はそのまま越前を放置し渡り廊下を進む。しばらく歩くと、廊下の途中のトイレから安城がでてくるのが見えたので俺は足を止める。

 

「あれ?黒崎君?」

「ちょうど良かった。お前に言っておくことがある」

「え、な、なに?」

「俺がお前に助言したとか手伝ったとか他人には絶対に言うな。迷惑だから」

「あ、う、うん。ごめん……」

「その代わり、なにか面倒なことがあったら話くらいは聞いてやる」

「え?」

 

俺はそのまま安城の横を通り過ぎる。別に安城に同情したとか、越前の態度がきにくわなかったからこんなことを言った訳じゃない。

ただ、あの二人を見ていると、嫌気がさしたのだ。

 

あの二人は、俺と同じ道をたどろうとしているから。

今は、それが理由でいい。本当の理由を見つけるための仮初めの理由。

俺は、その答えを探すために、越前の話をきくのだから。

 

 

 

 

***

 

 

  放課後、忘れていたが今日は職員会議のため部活動はすべて休みの日だったらしい。それゆえ越前はすぐに正門へとやってきた。

取りあえず落ち着いて話を出来る場所に移動しようと提案すると、越前はいい店があると言ってきた。別に話が出来れば店のよしあしなんてどうでもいいのだが、越前が余計な気をまわしてくれているのでそれに乗っかることにした。

既に雨は上がり、空はからっと晴れ渡っている。道行く小学生は傘でちゃんばらをしたり意味もなく傘をさかさまにしてくるくる回したりしている。また、水たまりからは太陽の光が反射し、ときどき目がちかちかする。

 

「黒崎君は普段何してるんだい?」

「寝てる」

「えっと……習い事とかは」

「してない」

「好きな食べ物は?」

「サンドイッチ」

「へ、へえサンドイッチか。意外だね」

「お前サンドイッチなめんなよ。食パンさえあれば中身は体調や気分にあわせて自由に

調整可能、さらに火も包丁も使わずに作ることもでき片手で食べながら作業できる偉大な食べ物なんだぞ」

「う、うん。そうだね」

 

 絶対こいつ『こいつ熱くなるとすぐ早口になるよな』って思っただろ。言っておくがこれでもかなり端折って伝えてるんだぞ。俺が本気を出せばサンドイッチについてで小一時間語り続けられるほどなんだぞ。

 

その後も越前の長ったらしいアイスブレイクに対しドライアイス並みに低温の答えを返しながら俺たちは駅前へとやってきた。この流れはマックかモスだな。間違いない。

が、越前は何を思ったか路地裏へと入っていく。

 

「お、おい。どこいくんだよ」

「いいから、こっちこっち」

 

仕方なく越前の後を追って路地裏にはいると、何やら外国語で書かれた看板が見えてきた。全く読めん。やっぱりアメリカ語は難しいね。

 

「ここ、俺のバスケットの知り合いがやってる店なんだ。この時間はほとんど客はいないから」

 

むしろこの時間が一番客引きすべき時間なのではないだろうか。まあチェーン店と自営業だと違うのかも知れんが。

 

木製の扉を開く越前に続いて入店する。店内は茶色を基調とした壁紙に、小さな円卓が間隔をあけて3つ、さらにカウンターに丸椅子が4つくらい並んでいる。そして客はいない。

 

「おお、和人じゃねえか。久しぶりだな」

 

カウンターでコップを吹いていたスキンヘッドのおっさんが越前の来店に反応する。

 

「こんにちは響さん。客足は相変わらず見たいだね」

「ほっとけ。そっちのは?」

「ああ、彼は学校で同じクラスの黒崎君。ちょっと長話になるけどいいかな?」

「別に構わんぜ。あ、でも飲み物くらいは注文しろよ」

「オーケーオーケー」

 

越前は適当な席に座ると、俺に向かいを促してくる。俺はそれに従い席に着く。

 

「ちょっとお腹へったね。なんか食べようか」

 

 そう言って越前はメニュー表を俺に向けてくる。

看板が英語だったからメニューも英語かと思ったが、ちゃんと日本語で書かれていた。

ピザにチャーハン、お好み焼きに、焼き魚定食……ここ何の店なんだ?こんなに統一性なかったらそりゃあ客も困るだろうに。取り合えずメニューを全部見てみる。ついでに右下には『ベアトリーチェ』とポップな日本語で書いてあった。おそらくこれが店の名前なのだろう。

 

「それじゃあ、パンケーキ」

 

全部見た結果、一番軽そうなメニューを注文する。これから長丁場になるのにラーメンとか食べたら寝落ちする自信しかないからな。

 

「それじゃあ、俺はボンゴレ」

「あいよ、飲み物はどうする?」

「俺はミルクにするけど、黒崎君はどうする?」

「同じものでいい」

 

響と呼ばれていた男は先にコップにミルクをつぎ、俺たちのテーブルに運んでくる。

 

「料理はあと10分くらい待ってくれ。それじゃあごゆっくり」

 

響が厨房で調理を始めると同時に越前は口火を切る。

 

「それで、相談の内容なんだけど。一言でいうと体育館の取り合いをやめさせてほしいんだ」

「……ちょっと良く分からないんだが」

 

体育館の取り合い?そんな話聞いたことないぞ?そもそも誰が取り合ってるんだ?昼休みのバドミントンのコートでも取り合ってるのかね。

 

「えっと、黒崎君も知ってるだろうけど俺の所属するバスケ部や他にもバドミントン部、バレー部、ハンドボール部は普段体育館で練習してるんだ」

「そうだろうな」

「うん。それでいつもは部長どうしで話し合って半コートずつ、一日に2つの部がつかうことになってるんだ」

 

俺は黙って続きを促す。

 

「でも最近、雨の日が多いだろ?それで外で練習してるサッカー部と野球部が勝手に体育館で練習しだすんだ。それで他の部もそれに反発して、もう練習どころじゃないんだよ」

 

確かに、雨が降ったら外で練習は無理だな。

 

「というか、サッカー部と野球部の顧問に文句言えば何とかしてくれるんじゃね?」

「それが、サッカー部顧問の松岡先生はユースチームの指導員として北海道に遠征中で、野球部顧問の茂野先生は育児休暇をとってて、二人とも来月までいないんだ」

「……それじゃあ他の先生は」

「実は、サッカー部のキャプテンの相馬君の親御さんは学校に多額の寄付をしてて、先生たちもなかなか注意しずらいみたいなんだ」

 

なるほどバカ息子の機嫌を損ねるとバカ親の機嫌まで損ねかねないと。つまりは教師陣は当てにせず、生徒たちで解決するしかないと。

 

「確認なんだが、体育館を使う部活はさっき言った4つだけか?」

「そうだね」

「そこに野球部とサッカー部……6つ巴になってるわけだ」

 

6つの勢力が一つの体育館を取り合う。体育館を使えるのは1日に二つの部だけ。サッカー部と野球部は本来体育館を使う部活ではない。状況としてはこんなものか。

 

「体育館を使わない日はどんな練習をするんだ?」

「基本的に廊下練か部活そのものを休みにしてるかな」

「参考までに、バスケ部の廊下練のメニューを教えてくれ」

「えっと、一階の廊下を40周、その後筋トレ、休憩をはさんで階段でダッシュ、休憩してストレッチ、解散かな」

「廊下練の時、他の部と使用場所がかぶることはあるか?」

「いや、基本的には部同士でメニューを上手く組んでるから場所がかぶることはないよ」

「なるほど、あとは……」

 

 

それから1時間くらいで情報は出尽くし、俺たちは店を出た。ちなみにパンケーキはめちゃくちゃ美味しかった。また来よう。今度は一人でゆっくりと味わいたい。

 

「それじゃあ、俺はこの後本屋に行くから」

 

越前は俺に小さく手を振る。

 

「そうだ、今回の件、いつまでに終わらせるのがベストだ?」

「そう……だね。バド部が来月の頭に試合があるって言ってたから練習時間も考慮して来週半ばくらいには」

 

今日が火曜ということは一週間ちょいか。あんまり時間がないな……。

 

「とりあえず了解した。もしかしたらまた何か聞くかもしれない」

「オーケー。俺も手を貸すから困ったら言ってくれ」

 

困るのはお前が持ってきた相談ごとのせいだけどな。

 

 

 

 

***

 

 

 翌日。結局昨日は体育館の件についてずっと考えていたためほとんど寝れていない。

そんな俺に対し朝の教室はにぎやかに……というかうるさいくらいに賑わっている。おかげで寝れないのだが、寝ないのなら少しやることがある。

 

「そんでさー実はあそこの裏に隠しダンジョンがあってさ、もうボスが鬼つよなんだよ~だからさ、今日の夜狩りにいかね?」

 

あいつは確か……上原だったか。所属はバスケ部。こないだの数学の小テストのランキングで上位にいたっけか。性格は明るく、ムードメーカーってところか。

 

「まじかよ!ぜってーレア素材あんだろ!いこうぜ!」

 

その隣、猿渡。所属はバド部。よく遅刻してくる遅刻常習犯だが、よく面白い言い訳をしてクラスを賑わせているお茶らけ担当。

 

「なあなあ、和人もやろうぜ!今日の11時に部屋つくるから!」

「あ、ああうん。いいね。俺もレア素材欲しいな~」

「えー?和人くん明日塾の模試だって言って無かった~?」

 

水野。クラスでもトップクラスの美少女で、女子の中でカーストもトップ彼女をねらう男子も多いが何分高飛車な性格で全員撃沈している。

 

「あ、ああうん。大丈夫だよ。毎日勉強してるし、前日に詰め込んだって悪あがきだよ」

 

そしてグループのリーダー、越前。見た目よし、性格よし、成績も学年でトップクラス。クラスでも中心的な存在である。

 

 何故俺が興味もないクラスメイトの観察をしているかと言うと全ては体育館の件を解決するためだ。安城を手伝った時のアンケートやゴミの問題は誰かに悪意があって起きたものでは無かった。だが、今回はサッカー部と野球部の傍若無人な行いから問題が起きている。人の感情や行いが火種な以上、人物の関係や周りの状況を見て解決策を考えるほかない。

 クラスで特に親しい友人もコミュニティのない俺が出来ることは人間観察程度だ。

だが、今朝の教室をみて分かったことがある。それは今回の件で個人同士の繋がりは切れていないということだ。例えば上原と猿渡は今回の問題の渦中にいるバスケ部とバド部の所属だが、今日も親しげに話している。クラス内には当然サッカー部や野球部の部員もいるが、彼らが言い争う様子もない。つまり争っているのはあくまで部という単位であり、個人個人がいがみ合っているわけではないのだ。

そうなると、そろそろ解決の方針を決めなければいけない。

 

方針1、野球部とサッカー部に出て行ってもらう。

 

これは越前をふくめ各部活動が望むところだろう。そもそも彼らの勝手な言い分で体育館に入ってきたのだから至極真っ当な方針である。問題点としては、彼らを説得、あるいは言い負かす文句が必要なこと。

 

方針2、体育館を譲り合う。

 

 これは要するにサッカー部と野球部にも体育館を使う権利を与えること。その代わり、当初越前達がやっていたように交代制で半コートずつでの使用になる。雨の時期が終われば彼らは再び外で練習するだろうし少し我慢して妥協しようという方針だ。問題点としては他の部がそれで納得するかどうかだ。もともと自分たちに与えられていた権利や時間をなぜサッカー部たちに訳与えなければならないのか。争いが白熱しているこの状況で妥協してくれる部なんてないだろう。

 

 このどちらかの方針をとるのがベストだろう。だが、どっちにしても俺一人でどうこう出来る規模ではない。現在俺が動かせるのは俺自身と越前だけ。流石にコマが足りなさすぎる。となると必要になってくるのは協力者。それも今回の件の渦中にいて俺が考えた方針のどちらかに賛同してくれる人物だ。

……そんな人脈ないじゃん。

落ち着け、ダイレクトに目的の人物にアクセスしようとするから駄目なんだ。こういうときは身近な人物から徐々にネットワークを広げるべきだ。

雪里……は文化部だし、こんな争いに巻き込むのも申し訳ない。後俺の知り合いと言えば……。

消去法、というほど選択肢があるわけでは無いので必然的に答えは出てしまう。

 

 

 



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4. 黒崎君!練習場所を取り戻して!(中篇)

「という訳なんだが」

 

昼休み彼女が一人になったところを見計らって時間をもらい、以前の空き教室で事情を話す。

 

「なるほど……」

 

安城は俺の話を聞き終えると一端食べていたおにぎりを膝の上に置く。もちろん、越前から聞いた生徒会の内情についてのことは話していない。それを言えば、俺が今回の件に関わっている理由から何から話さなければならなくなるからだ。

 

「初めてだよね、黒崎君から私に相談してくるのって」

 

安城はすこしニヤニヤしながら上半身をを左右に揺らす。

 

「まあ、普段ならお前に用事なんて全く無いからな」

「ひどっ!」

「それより、どうだ?該当する人物はいるか?」

「うーんと、バスケ部の千鶴ちゃん、バド部の葉月ちゃん、バレー部の類ちゃんと、後は――」

「ちょっとまて、男子はいないのか?」

「え?なんで?」

「今回の問題の引き金はサッカー部と野球部だ。男子しかいない部活だから、出来ればその辺と密接な関係のある奴が好ましい。そうなると男子の方が都合がいい。後は」

「後は?」

「最悪お前に泣き落としてもらう」

「古典的っ!てかなにナチュラルに私を売ろうとしてるのさ!」

「これまで散々俺に頼みごとをしてきたのによくそんな態度がとれるな」

「ひっ!ご、ごめんなさい……」

「冗談だ。別にお前を売るつもりは無い」

「よ、よかった……ていうか黒崎君かなりSだね……」

「とにかく、できるだけ男子で絞ってくれ」

「はーい」

 

安城はスマホをとりだし、画面を操作しだす。え、なに?ひょっとしてこいつみんなの連絡先知ってるの?なにそのコミュ力、営業行かせたらめっちゃ契約取ってこれそうなエリート感半端無いんだけど。

 

「そうだな~。サッカー部の福田くんか野球部の川俣くんかな~」

「いきなり発端そのものに当たるのか……」

「やっぱ駄目かな?」

「……いや。ちょうどいいかもな」

「どういうこと?」

「正直、俺は越前から話を聞いた時、サッカー部と野球部が悪だと考えた。勝手に体育館を使いだしたわけだからな。だが、今朝教室の雰囲気を見て、両部の全員が体育館を横領しようとしてるわけじゃないんだと思った。それがただしければサッカー部と野球部に味方を作れる可能性がある」

「そっか!、確かに!」

「安城、悪いけどそいつらに会えるようにセッティングしてくれないか?越前の名前で呼んでくれればいい」

「それはいいけど……」

 

安城はなにか煮え切らない様子だ。

 

「けど、なんだ?」

「黒崎君、なんでそんなやる気なの?こないだも急に面倒事があったら話し聞いてくれるとか言いだしたし」

「……別に、しつこく勧誘されて目立つくらいなら多少手を貸したほうが結果的に目立たないと思っただけだ」

「そうなの?」

「なんだ、まだなんかあるのか?」

「なんか黒崎君、最初に話した時と違うなって」

「ちがう?」

「うん。最初にアンケートのことで助言してくれた時の黒崎君は暗い感じで、話してても私の方を見てなかったっていうか。でも今は、発言や態度こそ前と変わらないけど、普通にクラスの中心にいてもおかしくないって感じ」

「……抽象的で良く分からんな」

 

俺が本心から分からないと言ってるなんて、安城も思ってないだろう。

俺だって分かっている。自分が変化しかけていることくらい。いや、変化という言葉は適切ではないかもしれない。俺に頼みごとをし続けてきた安城は一番近いところで俺の言動を見てきた訳で、そんな安城と接しているうちにいつかの自分が外に出ようと暴れ出してくるのだ。そのたびに、その自分に全部委ねてしまおうかと思ってしまう。でも、そうさせないのは、俺自身がその行く末を知っているるからに他ならない。

だから、あの時の自分では無く、そして今の自分でもない、新しい自分として、少しだけ踏み出してもいいのかもしれない。

 

**

放課後、再び空き教室。俺がひっぱりだし、雑巾がけし、教室の真ん中に置いた長机で俺の向かいに座るのは野球部の川俣。野球部と言うだけあってやはり坊主頭、そして着なれたであろう練習着。そしてなにより特筆すべきところは、顔が怖い。坊主頭でなければもうすこし中和されるのだろうが、スーツを着せて繁華街にほうりだせばとてもカタギさんには見えないだろう。そんな川俣は無愛想な表情で俺の言葉を待っている。

 

「えーと。来てくれてありがとう。川俣……くん」

 

自分でも違和感ありありの口調とスマイルで謝辞を述べる。

 

「俺、越前から大事な話があるって言われてきたんだけど。お前だれ?」

 

ひ、ひええ。声もかなり渋くてロックな感じだ。いや、これで甲高い声とかだったら絶対に噴き出してただろうけど。

 

「越前は、その……顧問に呼び出されたみたいで、俺は代理人みたいなもんだ。ほ、ほら、ちゃんとあいつから話の要点をまとめたメモも貰ってる」

 

俺はポケットから白紙のメモを取り出し、あたかもそれを確認しているようなそぶりを見せる。

 

「まあ、それならいいや。そんで、越前の話ってのは体育館のことだよな?」

 

話が早くて助かるな。いや、そもそも越前が今野球部と接触を図るってのはつまりそういうことだって予想できるか。

 

「そうだ。越前は今回の体育館の取り合いに対しては穏便に争いを終わらせる方針で考えている」

「その方針ってのは?」

「サッカー部や野球部が雨で練習できないという現状は理解してる。だからといって好き勝手に体育館を使われたんじゃ他の部もたまったもんじゃない。特にバド部は来月に大事な試合があるから体育館を使える日はとても貴重なんだ。だから、両者が納得のいく落とし所として、そっちが体育館利用のルールに従ってくれるなら譲り合って使おうという方針だ」

 

俺が言っているのは方針2だ。実のところを言うとまだ方針は定まっていない。もしかしたら方針1をとる可能性もあるが、最初から方針1を提示すれば反発されるのは間違いない。そういう意味で、無難な方を仮決定として話を進めることにしたのだ。

 

「そんな提案しなくても、俺たちを無理やり追い出せば解決じゃないのか?」

「言っただろ、野球部とサッカー部の事情を考慮しての落とし所だって。でもこの方針で進めるにあたって、まずはそっちの内部事情を把握しておきたいんだ」

「内部事情?」

「そうだ。まず聞きたいのは今回の体育館使用の発案者は誰なんだ?」

「それを聞いてどうするんだ?」

「単純な話だ。発案者に直接今の話を持ちかける」

「なるほど……」

「ちなみに川俣……くんのプライバシーは尊守する。都合が悪くなったら越前の名前を出してくれても構わない」

 

川俣は少し沈黙した後、口を開いた。

 

「発案者はサッカー部キャプテンの相馬だ」

 

やっぱりか。

 

「ありがとう。それじゃあ次の質問。野球部はなんで相馬の考えに同調してるんだ?相馬と同じ考えの人がいるのか?」

「それは……その……」

「オーケー、言えないなら言わなくていい」

 

この反応からして相馬に同調するのは野球部の本意ではないのだろう。

 

「それじゃあ、川俣君含め野球部は方向としては越前の案に賛同しても構わないってことでいいか?」

「……そうなるな」

「よし、大体分かった。貴重な時間を割いてくれてありがとう。これ、越前の連絡先だから他に提供してくれる情報があったらここに送ってくれ」

「ああ、わかった」

 

川俣はのそりと席を立ち教室から出て行く。

 

「……ふう」

 

疲れてる場合じゃない。次はいよいよサッカー部の部員の登場だ。今のうちに聞いたことをまとめておこう。

 

1、今回の事の発案者は相馬

2、野球部は何らかの理由で不本意ながら相馬に同調している

3、野球部は方針2の障害にはならない

 

こんなところか。後はサッカー部の福田に話を聞いてからだな。

 

待つこと10分、再び教室の扉が開く。その陰からサッカー部の福田が姿をみせる。身長は高めで長髪。いかにもサッカー部って感じだ。俺は立ちあがってかるく会釈し、自分の向かい、さっき川俣が座っていた席に誘導する。福田はそれに従い席に着く。

 

「きてくれてありがとう。俺は越前の代理の黒崎」

「体育館の話か?」

 

越前の名前で呼び出された時点で大方察してくれたらしい。説明の手間が省けあたて良かった。

 

「えっと、それじゃあいくつか質問させてもらう。福田……くんのプライバシーは尊守するからその点は心配無用だ」

 

福田はだまって俺の言葉を待つ。

 

「まず最初に、君は相馬君の事をどう思う?」

「……うざい。調子こいててマジむかつく」

 

思った以上にストレートだ。

 

「サッカー部の中でもそう思ってる人は多い?」

「半々って感じ。あいつを崇拝してる奴もいれば俺と同じ考えの奴もいる」

「なるほど、それじゃあ体育館を占領してるのもその一部の人間で福田……くん達は反対してるのか?」

「そうしてえよ。俺たちは好きでサッカーやってるけど、それで他の部の邪魔したらスポーツマン失格だろ……。でも、無理なんだよ」

「無理ってのは?」

「お前知らないのか?相馬の親はこの学校に多額の寄付をしていて、校長すら頭が上がんねえんだ」

「それは知ってるが……もしかして」

「そうだよ、相馬の親は学校だけじゃなくサッカー部にも寄付してるんだ。ユニホームやシューズ、遠征のバスだって全部そのおかげで使えるんだ。だから、あいつに逆らえばサッカーそのものができなくなるんだ」

 

思っていた以上に相馬ってやつはバカ息子らしい。

 

「それじゃあ次の質問。サッカー部、いや相馬は野球部になにか脅しをかけてたりしないか?」

「それは……」

「頼む。それが分かるかどうかで今回の件は大きく変わるんだ」

「……野球部の顧問が育休とってるだろ?でも相馬の親はそういう休暇をあまり良く思っていないんだ。だから、野球部の連中に顧問がクビになるのが嫌なら従うように言ったんだ」

 

まあ、金でゴリ押しすれば顧問をクビにすることも不可能じゃない。その場合いろいろ面倒な事態がついてくるだろうから相馬の親もいくらなんでもそんなことはしないだろう。

だが、それは俺含め野球部のやつらも常識的に考えてたどり着く答えだろう。だが、可能性が全く0な訳じゃない。万が一、億が一でもそうなってしまった場合、野球部の顧問の人生は崩壊する。重要なのは相馬の親がそれをするかどうかでは無い、それが可能であるかどうかだ。

 

「じゃあ、最後の質問。越前は体育館を譲り合って使う方針なんだが、サッカー部の、福田君たちはそれに賛同したいって気持ちはあると思っていいか?」

 

福田は無言で頷く。

 

「そっか。今日は貴重な時間を割いてくれてありがとう」

 

定型文を述べた後に先ほど同様越前の連絡先を渡す。

 

「……ふう」

 

取りあえず状況は前よりずっと明確になった。

サッカー部ではキャプテン相馬の独裁政治がおこなわれており、歯向かうものは金で屈服させる。野球部は体育館横領の兵士として顧問を人質にされ抵抗不可能。

つまりは相馬の説得に成功すれば万事解決だが、問題なのは相馬の親の存在だ。今までの話からして結構なバカ親だと想像できる。誰かが相馬に異議を唱えれば野球部の様に脅されることは間違いないだろう。つまり、必要なのは説得では無く、相馬本人に自主的に引いてもらう事だ。相馬の意志で方針2を受け入れてくれれば被害者はゼロ、全ての部活が体育館を使用できる。目指すべきところはそこだ。

そのために必要なピースを少なくとも今週中に揃えなければいけない。

 

「……」

 

なにが必要だ?相馬自身の意識改革を目標に設定した以上、こちらからアクションを起こしていることを悟られてはいけない。

そうなると相馬という人物についても少し情報が欲しいところだ。

時計を見ると、4時50分をさしていた。時間的に、部活動は始まっているはずだ。

俺は重い腰を上げ、長机を窓側に寄せ空き教室を後にする。

 

***

 

 

 

「へいパス!パス!」

「プレッシャーかけろ!そこ!」

 

体育館には練習するサッカー部の声と、床とシューズのそこがすれる音が響いている。どうやら体育館一面を使ってミニゲーム形式の練習をしているらしい。その端では野球部が筋トレをしている。だが野球部の面々の表情には生気がない。中には恨めしそうにサッカー部の練習を見ている者もいる。入口付近のホワイトボードには体育館の利用表が貼ってあり、今日の欄にはバドミントン部と書かれているが、もはやこの表は全く機能していないようだ。

俺はこっそりとゴールの後ろのステージに上がり、少しの間ミニゲームを観戦することにした。

当然だが2チームに分かれているようで、緑のゼッケンをつけているものと赤のゼッケンをつけているチームがボールを追いかけている。

スコアボードを見ると、緑チームが大差をつけて勝っている。かなりの差に驚いたが、その理由はすぐに分かった。どうやら緑チームは2年生の部員で編成されており、赤チームはほとんどが1年生、それもあまり上手くない選手で編成されているようだ。

力の差は歴然。像とアリの戦いと言えるくらいの理不尽なゲームだ。

俺が観察していると、デジタルタイマーの数字がゼロになり、同時にそれを伝えるための音が響く。

 

「ちっ、もう終わりか……。おい!さっさとコート出て休憩しろ!」

 

大きな舌打ちをしたロン毛の人物は荒い口調で全員をコートから出す。そんな中、赤チームの一人がコートの中で動けずに足を抑えている。どうやら足をつってしまったらしい。

 

「おい、お前!早くコートから出ろ!」

 

ロン毛は尚も荒い言葉をかける。

 

「す、すみません相馬さん、足つっちゃって……」

「はあ!?つったくらいでなさけねえ声出してんじゃねえよ!お前が休憩しないせいで練習時間が無駄になるだろ!チームの足ひっぱってんじゃねえよ!」

「す、すみません!」

 

赤ゼッケンは無理やり立ちあがり、足をかばいながらコートを出ようとする。

そしてどうやらあのロン毛が相馬らしい。なんというか、予想してた通りの外見だな。

 

「あーもう!さっさと歩け!」

 

相馬は怒鳴りながらボールを足元に置き、赤ゼッケンに向けてそれを蹴った。サッカー部のキャプテンだけあって見事なコントロールでボールは赤ゼッケンの腹に直撃する。

 

「かはっ!」

 

倒れ伏す赤ゼッケンに対して、他の部員たちは助けに行くわけでもなく、心配した様子もなく、普通にドリンクを飲み、汗を拭きながら喋っている。その異質な光景に、俺はしばらく唖然とすることしかできなかった。

 

「お、おい相馬!やりすぎだろ!怪我でもさせたらどうするつもりだ!」

 

そんな傍若無人な相馬に対して異議を唱えたのは筋トレをしていた野球部の部員だった。

彼含め野球部の面々はこの状況が異質だと認識出来ているようだ。

 

「ああ?うっせ―んだよ!そいつがやめてくれって言ったのか!?」

 

相馬は赤ゼッケンを指差す。

 

「やめてほしいに決まってるだろ!お前のやってることはサッカーじゃない!ただの暴力だ!」

「暴力?何言ってんだ、俺はただ厳しく指導してるだけだ!なあ?」

「そうだ!相馬さんの指導のおかげで俺たちの技術は向上してるんだ!」

 

休憩していたサッカー部の部員たちが口々に言う。

 

「おい!君!君はそれでいいのか!」

 

野球部員は赤ゼッケンに声をかける。彼はやっと足の痛みが引いたのか、ゆっくりと立ち上がる。

 

「だ、大丈夫っす。すみません相馬さん!次からは足を引っ張ったりしません!」

「よーし良く言った。さっさと休憩しとけ!」

「はい!」

 

これは……やばいな。確かに相馬や何人かの部員のプレーはかなり上手かった。相馬が他の選手の技術を向上させているのは事実なんだろう。だからこそここにいるサッカー部は相馬を崇拝し従っているのだ。相馬の暴力的な行為も厳しい指導の一環だと認識してしまうほど、相馬に毒されている。相馬に従えば技術も上がって試合にも出れる。試合で活躍すればスポーツ推薦なんかもあるんだろう。

 

「おい三隅!」

 

相馬は先ほどの野球部員に呼びかける。

 

「今回は見逃してやるが、あんまり練習の邪魔するんなら、お前らの監督がどうなるか分かってんだろうな?」

「ぐ……」

 

三隅と呼ばれた野球部員は悔しそうに体育館の端にもどっていく。

 

「ひどい有様だろ」

 

俺の後ろから小声で話しかけてきたのは越前だった。

 

「越前か。バスケ部は今日は休みか?」

「一応廊下練で走ってるよ。俺は体育館の様子を見に来ただけさ」

 

越前は俺の横に腰をおろし、手に持っていたスポーツドリンクをぐびぐびと飲む。

 

 

「呼び出した彼らからはいい情報を聞けたかい?」

「まあ、発案者は相馬で野球部は顧問を人質に協力させられてるって事くらいだな」

「そんな内部事情まで話してもらえたのかい?」

「まあ、向こうのプライバシーの尊守を条件にな」

「なるほど……流石だな。……それで、何か解決案はあるのか?」

「相馬をつぶせば一発解決だろうな」

「お、おい……」

「冗談だ。外部からあいつに働きかければこちら側がつぶされるのは話を聞いて分かった。だから相馬を説得するのは諦めた」

 

さっきまでの言動を見るに、たとえ越前や他の部長たちが束になって説得しようとしても聞く耳を持ってはくれないだろう。

 

「つまり君は相馬君自身の意志で引いてもらおうって方針なわけか」

「そうなるな」

「できるのかい?そんなこと」

「正直ノープランだ。放置しても相馬は変わらない。だが外部から働きかけるのも不可能。八方ふさがりってのが現状だ」

 

俺は肩をすくめて見せる。越前は歯がゆい表情で空になったペットボトルを握りつぶす。

 

「俺が……なにか出来ればいいんだけど」

 

越前だって本当は相馬に言いたいことが山ほどあるのだろう。だが、その場合被害をこうむるのは越前だけじゃない。バスケ部のメンバーや仲のいい友人たちにも被害が及ぶかもしれない。それは越前だけでなくみんなが思っている事なのだろう。だから相馬の暴挙は成り立っている。

 

「最悪俺が言ってやるよ。どうせ俺には被害を受けるような深い知り合いはいないからな」

 

クラスでも校内でも目立たない俺なら失うものはない。ただ、自分がつぶされるだけだ。

 

「本当にそう思うのか?」

「事実そうだろ」

「安城さんは君の友達じゃないのかい?」

「……たとえ友達だとしてもそれが表面上露見してなければ傍からは他人だ。相馬もそこまで知ることは出来ないだろうよ」

「……君は、どうしてそうなんだい?いろんなことができるのにそれをひけらかすこともせず、誰かからの評価を求める訳でもない、それで君は何を得られるんだよ」

 

越前の真剣な表情に、俺は沈黙する。

 

「なんとか言ったらどうだ……」

「誰かを助けて、誰かに感謝されることが、みんなにとっていいことだとは限らないだろ」

「どういうことだい?」

 

俺はそれには答えずに立ちあがり、ステージの横の階段を下りる。

 

「お、おい黒崎君!」

「心配するな。お前の用件を投げたりはしない。取りあえずお前は各部の部長に体育館を譲り合う方針を伝えて納得させといてくれ。そうしないと相馬が引こうが根本的に解決しないからな」

 

越前の答えを待たずに俺は体育館を後にする。

 

 

***

 

 

 

時計は午後7時を回り、窓の外に見える道路からせわしなく行きかう車のライトの光がちかちかと俺の網膜に刺激を与えてくる。それに何を感じる訳でもなく、俺は注文したハンバーガーをかじる。駅前に最近できたこのハンバーガー屋がどんなものか興味があったのが、店には閑古鳥が鳴いている。駅前なんて激戦区に店をだせばこうなるのも必然か。

俺は再びハンバーガーをかじる。構造的にはハンバーガーもサンドイッチも対して変わらないのだが、やはり俺はサンドイッチ派だな。

 

「はあ……」

 

越前にはあんな事言ったが、本当にどうしたらいいか分からない。相馬の意識改革という解は出ているが肝心の式が穴だらけだ。答えが見つからないという思考が、他の思考をすべてつぶしてしまい、結局何も考えられないという負の連鎖に陥ってしまった。

 

 

「うーん……」

「あれ?ゆーたろー?」

 

珍しく下の名前で呼ばれたので思わず声の方に振り向く。そこに立っていたのは茶髪で着崩した制服、短いスカート。俗に言うギャルだった。だれだ、こいつ。家族以外で俺の事を下の名前で呼ぶ知り合いはいない。ってことは俺の家族……なわけないだろ。いかん疲れててまともな思考がどっかいった。

 

「えー超久しぶりじゃん!なになに、こんなところで何してんのー?」

 

この超やかましい口調をどこかで聞いたことがある。いつも俺に話しかけ、くだらない話題を矢継ぎ早に出してくる女子。

 

「……矢作?」

「あー今絶対忘れてたでしょー!マジショックなんですけど!」

 

そうだ、矢作恭子。中学の時席が隣だったのを思い出した。

 

「……」

「なに黙ってんのさ?あ、もしかして照れてんの~?」

 

やかましいテンションで何故か俺の向かいに座る矢作。鞄から携帯をとりだし、何故か俺に向けてシャッターを切る。

 

「……いきなりなんだよ」

「え?いや~久しぶりに会ったからツイッターに投稿すんの」

「今すぐやめろ。訴えるぞ」

「だいじょーぶだって、ちゃんと加工して目線に線入れとくからさ」

「俺はなにかの被告人か」

 

俺の質問には答えず、矢作はスマホをいじっている。これ、訴えたら確実に勝てそうだな。

 

「でもほんとびっくり、ゆーたろーって今どこの高校通ってんの?」

「……赤羽」

「は?赤羽?ゆーたろーの家からめっちゃ遠いじゃん。どうりで誰もゆーたろーの消息しらないわけだ。え、なんで赤羽なん?あそこって頭いいっけ?」

「普通だな」

「えーもったいな!ゆーたろー中学の時めっちゃ頭良かったじゃん!毎回上位5位以内には入ってたよね?」

「……まあ、そんなこともあったな」

 

俺がそう答えると矢作は不思議そうな顔をする。が、すぐになにか思いついたのか俺のおでこに手を当てる。

ひんやりとした感触が伝わってくる。

 

「……なにしてんの?」

「いや、なんかゆーたろーテンション低いからさ。熱あんのかなって」

「熱があるならハンバーガー屋なんて来ないだろ」

「ほらーやっぱり。なんか暗くない?中学の時はもっと元気だったじゃん?」

「……なんか注文したらどうだ?冷やかしだと思われて出禁にされるぞ」

「んーなんかハンバーガーって気分じゃないかな」

「ハンバーガー屋に入ってきた奴の言葉とは思えないな」

「そだ!ゲーセン行かない?」

「行かない」

「えー?あれだよ?わたしめっちゃ練習したから鬼つよだよ?もう昔みたいなワンサイドゲームにはならないって!」

「……今忙しいんだ」

「ただハンバーガーたべてボーっとしてただけじゃん」

「……」

「はー、わかった。なんかゆーたろー調子悪いみたいだし。また今度でいいや」

 

そういって矢作は俺のレシートを手に取るとペンをとりだしさらさらと走らせる。

 

「これ、私のラインのIDとツイッターのアカウント。登録しといて」

「……は?なんで」

「そんじゃね!後でライン送っといて!」

 

矢作はそう告げると足早に店を出て行った。

 

「……あいつ、元気にしてたんだな」

 

ぽつりとでた呟きは今の俺には似つかわしくないそんな言葉だった。

適当にスマホを取り出し、矢作の書いて行ったツイッターのアカウントを検索する。

すぐに『アカツキ@緑川高校2年』というアカウントがでてきた。一瞬まちがったかと思ったがそう言えばツイッターやラインなどのSNSは本名でアカウントを作る必要はないんだった。両親含め自分も本名でラインをやっているから忘れていた。それにしたって、せっかくアカツキというハンドルネーム使ってんのに所属してる高校の名前を書いたら無味じゃないのか?まあ、たしか緑川高校は赤羽と同じくらい生徒がいたはずだし簡単に特定はされないんだろう。匿名って便利だな。ツイートをたどると先ほどの俺の写真が載っていた。『久々におなちゅうと再会!』と短くまとめられたツイートにはすでにいいねが13件もついていた。一応、俺の顔には犬のスタンプがかぶせられている。

 

『ゆーたろーって犬感あるよね!』

 

遠い記憶の中の彼女がそんなことを言っていたかもしれない。そんな矢作と一緒にいた時の俺は、今よりずっと上手く笑っていたのかもしれない。

 

 

 

 



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5. 黒崎君!練習場所を取り戻して!(後篇)

翌日、木曜日は天気予報通りの雨だった。この分だとまた相馬による体育館横領が起るのだろう。越前から提示された期限は来週半ば。もうあまり時間は無い。アクションを起こしたいのはやまやまだが、結局どうアプローチするのか何も思いつかない。

そんな今日の天気同様もやっとした気持ちのまま、放課後はやってくる。昨日までで得られそうな情報は全部得たし、学校にいても特に進展はしないだろう。ネットカフェでもいってゆっくり考えよう。

 

「く、黒崎君!」

 

靴を履き替え下駄箱を閉めたのと同時に俺を呼ぶ声がした。

 

「……どうした、安城」

 

安城に話しかけられると条件反射で身構えてしまう。だが、安城はそんな俺の感情など全く気付いていないようだ。

 

「えっとさ……あの……」

「ああ、昨日は助かった。おかげで多少進展した」

「う、うん」

 

なんだ?昨日の川俣達との会話が上手くいったか聞きたかったんじゃないのか?

 

「何か言いたいことがあるならさっさとしてくれ。これからネカフェに行くんだ」

「……黒崎君、昨日駅前のハンバーガー屋で……」

 

安城が何か言いかけた矢先、急に辺りが騒がしくなった。

 

「お、おいあれ誰だよ?」

「めっちゃ可愛い……どトライクだ!」

「あの制服、緑川高校じゃないか?」

 

ざわめく男子達の間を誰かがかいくぐって玄関に入ってくる。その人物は真っすぐこちらへ向かってくる。

 

「あ、この人……!」

「ちょっとゆーたろー!どういう事!?」

 

俺に詰め寄り、肩をゆするのは昨日再会した矢作だった。何か分からないがそうとうお怒りの様子で、ものすごい剣幕だ。

 

「お、落ち着け矢作……あと、肩をゆするな、脱臼でもしたらどうしてくれるんだ」

 

矢作は少し落ち着いてくれたよう肩から手を離してくれる。俺は乱れた襟元を正す。

 

「で、何しに来たんだよ。お前の学校この近くじゃないだろ」

「何しにじゃないっての!ライン!登録してないでしょ!」

「……あ」

 

そういえば昨日ラインのIDを渡されてたな。ツイッターのアカウントだけ見て満足してたが矢作は後でラインするように言っていた気もする。

 

「ちょっと、聞いてんのゆーたろー!」

「あ、ああ聞いてるって」

 

まずい、このままでは完全に見せ物だ。しかも名前を連呼されてるせいでめっちゃ目立ってるし。

 

「と、取りあえず場所を変えよう。ここで騒ぐと他の人に迷惑だから」

 

 

―――そして

 

「で、なんで安城まできたんだ?」

 

場所は変わってここは駅前のコーヒーショップ。意識高そうな人たちがノーパソやスマホを操作しながらコーヒーを飲んでいる。なんか良く分からないけどこういう人たちってものすごく長い時間居座るけど本当にずっと作業してるのか?こっそりニコ生とか見てたりしない?

それはさておき、この状況はなんだ。ボックス席に座る俺の隣には矢作、その向かいには何故か安城が座っている。

 

「黒崎君、昨日駅前のハンバーガー屋でこの人と話してたよね」

「え?お前あの時いたの?」

「うん、ちょっと集中してたから黒崎くんに気付いたのはこの人が来てからだけど」

 

だそうですよ矢作さん?矢作の方を見てみると安城の話など全く聞かずにスマホをいじっている。

 

「ちょっと!人が話してるのに聞かないでスマホいじるとか失礼だよ!」

 

言ってることは正しいけどお前が言っても説得力皆無だろ……。それはひょっとしてギャグで言ってるのか?

 

「んー?あ~ごめん。ちょっとバズってるツイートあったからリプしてた~」

 

え、なに?バズライトイヤー?無限の彼方にいくの?それはそうとトイストーリーはマジで名作だからみんなみてくれよな。

 

「ってかゆーたろーマジでライン忘れてたの?超ショックなんですけど!」

「そもそも俺はラインするなんて一言も言ってないぞ。というかお前は俺のメアド知ってるだろ」

「は?メール?ゆーたろーまだメールなんて使ってんの?おっくれてるーマジばくわら~」

「ちょ、ちょっと!私を無視しないで!」

 

流石に安城が不憫になってきた。面倒だがちゃっと紹介して話を終わらせてネカフェに行こう。

 

「こいつは矢作。俺の……昔の知り合いだ」

「昔?」

 

なるべくすらっと言ったつもりだったのだが安城は食いついてしまった。

 

「まあ、中学の時の」

「へえ、じゃあ茜ちゃんとも同じ中学なんだ」

「茜って誰?」

 

矢作は訝しげに聞いてくる。その表情と聞き方だとなんか修羅場ってるように感じるからやめてほしいんですけどね。

 

「あー、ほら、中学の時漫研で部長してたやつ」

「あーあの子ね~。あの時は大変だったよねマジで。ゆーたろーなんてさ――」

「こっちは安城だ。同じクラス」

 

矢作の声を遮るように安城を紹介する。

 

「え、なに?付き合ってるん?」

「は?」

 

矢作がとんでもないことを言った気がする。気のせいか?

 

 

「ち、ち、違います!私と黒崎君はただの友達!」

 

なんか今日の安城、いつもと違くないか?矢作のペースに乗せられてるだけだろうか。

 

「ふーんそうなんだ~。でも、ゆーたろーって結構もてるでしょ?」

「え?黒崎君が?」

「え?違うの?委員会とか部活とかで話題になったりしない?」

「だって黒崎君委員会も部活もやってないし……」

「え?」

「え?」

 

なんだこのすれ違いコントは。まあ、すれ違ってくれてる方がいいかもしれないけど。

 

「とりあえず、後でラインは追加しとくから今日はもういだろ。矢作も暗くなる前に帰れ」

「てかさーなんで名字なん?ふつーに恭子って呼べばいいのに」

「ええ!?」

 

安城が素っ頓狂な声をあげる。

 

「中学の時は普通に恭子って呼んでたじゃん」

 

もうこいつは喋るたびに爆弾投下しやがって……むしろこいつ自身が爆弾だ。喋る爆弾。

 

「矢作さんと黒崎君って付き合ってたの!?」

「それはないだろ」

「それは無いわ~」

 

俺と矢作の声は見事にシンクロする、中学の時こいつと親しくしていたのは事実だがそこに恋愛感情なんて一切無かった。ちょっと仲のいい男女。それが俺たちの関係だったのだから。

 

「ほんとに~?」

 

安城はジトーっとした視線をこちらに向けてくるが、俺は気付かないふりをした。

 

「ま、取りあえずお開きにしよっか。ゆーたろー、帰ったらちゃんとラインしてよ?」

「わかったわかった」

「わ、私も!」

「……はい?」

 

安城は何に対して緊急同調してきたのだろうか。今の会話の流れで「わたしも」って言う部分あったか?超難問すぎる。センター試験の国語大問3でもおかしくない。

 

「私にもライン教えて!」

「だそうだぞ矢作」

「違うよ!黒崎君のライン!」

「は?なんでそうなる?俺のラインなんて持っててもつまようじの柄の部分ほども役に立たないぞ?」

 

でも実はつまようじの柄で耳かきすると結構気持ち良かったりする。

 

「ほ、ほら!黒崎君を生徒会に入れるためだよ!」

「まだ諦めてなかったのか……」

「と、とにかく教えて!」

 

困ったので矢作の方を見ると既にレジで会計をしている。しかも店員となんか楽しそうに話してるんだけど、あれって営業妨害じゃないのか?

 

「……わかったよ」

「うん!」

 

安城は満面の笑みでスマホを取り出す。はあ、これから毎日生徒会勧誘のラインが来ることも覚悟しといたほうがよさそうだな……。

 

 

***

それからネカフェに行き、家についたのは9時を回ったころだった。先に帰っていた母がさっさと風呂に入れと言うので風呂に入り、さっさと飯を食えと言うので飯を食い、さっさと肩を揉めというので揉み、さっさとテレビの録画の仕方を教えろと言うのでダビングの仕方まで教えておいた。……後半ただこき使われてただけな気もするが、きっと気のせいだ。

 

「っああ~」

 

間抜けな声を上げながら自室のベッドで横になる。一年のころは学校が終わったら即帰宅即ベッドだったというのに、そんなルーティンはもはや跡形もない。

枕元からスマホを取り出し、待ち受けを開く。

 

「そういえば、ライン……」

 

一度ベッドから起き上がり、ハンガーにかかっている制服のズボンからあの時のレシート絵を取り出し、再びベッドにダイブ。この間わずか7秒である。

ラインの画面を開くと、先ほど電車の中で送った安城とのラインが表示される。ラインを教えたが最後生徒会への勧誘を連呼されると覚悟していたのだが、安城からのラインは「よろしくね!」という言葉とウサギのスタンプだけだった。

それはさておいてから友達追加のボタンを押し、矢作のIDを入力する。すぐに『きょーこ』というアカウントが表示された。流石にツイッターとは違って自分の名前で登録しているようだ。矢作のアカウントを友達追加し、安城の様に「よろしく」と送った。満足して画面を閉じようとするともう返事が返ってきた。

 

『よろしく~!突然だけど、今度の土曜暇?』

 

本当に突然だ。開口一番予定確認とかコミュ力が高いのか低いのか判断に困るところだ。

 

『暇じゃない』

 

すぐに既読がつき、返信が来る。

 

『えー、中学の時の友達も来るからゆーたろーも来てよ~』

 

面倒なのでそれ以上返信はせずにスマホを枕元に放る。

 

さて、残された時間も少ない以上無理にでも行動しないといけない。そのためにネカフェで方針はいくつか考えてみた。

 

方針1、相馬より権威が高い人物に呼びかける。

 

これは要するに部長に課長を叱ってもらう方針だ。相馬含めその親でさえ頭が上がらない存在にコンタクトを取り、圧力をかけてもらう。相馬の親も権力には逆らえないだろう。だが問題点はそんな人物とコンタクトをとるつてがないことと、どうやってもその人物にコンタクトをとった人物の存在に気付かれてしまうこと、そして当初かかげた相馬の意識改革は果たせないことだ。

 

方針2、相馬批判運動をほのめかす。

これは矢作のツイッターを見て思いついた案だ。ツイッターは匿名でたくさんの人と関わることができ、複数のアカウントを持つこともできる。それを利用して相馬を批判する架空の集団を作り、わざと相馬にその存在を教え、その集団に相馬に対し実力行使にでるという旨のツイートをさせ、相馬に恐怖心を与えることで自粛してもらうという方針だ。

匿名だから金で脅すことは不可能、さらにアカウントごと消してしまえば証拠も一切の故らない。

問題点は相馬がそれをまったく気にしなければ成り立たないことだ。方針1と比べて確実性にかける。

 

そして、この二つの方針の最大の問題点が今回の一件の根本的な解決にならないことだ。

のど元過ぎれば熱さ忘れるという言葉もあるように、一時的に相馬の行動を止めることはできるが、再発する可能性が十分にあるという事が問題なのだ。2回目の機会を与えてしまえば、俺の考えた方針はどちらも対策され通用しなくなる恐れがある。そうなったときはもう諦めるしか無くなってしまう。

 

 

駄目だ。どっちも実行できない。どうすればいいんだ……。何となく再びスマホを手に取る。スマホ依存症って怖い。

特に考えもなく矢作のツイッターをひらく。今日もたくさんのツイートがされており、良いねもたくさんついている。

そういえば、矢作のアカウントには100人以上のフォロワーがいる、気になったてフォロワー一覧を見てみる。

矢作のフォロワーは半分くらいが緑川高校の生徒、次いで公式アカウントや非公式の名言bot,そして中学の友人らしき人物だった。ツイッターっていろんな人がやってるんだな。何をそんなにツイートすることがあるのやら……。

 

「……ん?」

 

まてよ、それなら……。俺はいそいで検索画面を開き関連しそうなキーワードを入れてみる。

が、目当てのものにはたどり着かなかった。

 

「やっぱり駄目か……?」

 

だが、方向性は悪くないはずだ。なにか、なにかヒントは……。

ふと、本棚の上段にある中学の卒業アルバムが目に入る。それが俺にヒントを与えてくれた。

俺はツイッターを閉じ、先ほど閉じたラインを開き、矢作のトーク画面から通話ボタンを押す。

2コールほどで画面は通話画面になった。

 

「もしもし、俺だ。矢作、お前に聞きたいことが……」

 

なんだこの音?風?

 

「あーもしもしゆーたろー?ごめん、今ドライヤーかけててさー」

「あ、悪い。かけ直すわ」

「あ、大丈夫~。なに?土曜暇になった?」

「違う話だ。聞きたいんだが中学のとき、サッカー部の神田っていたよな?」

「え?ああ、神田ね、いたいた」

「お前、そいつと連絡先交換してたりするか?」

「え、ああうん。高校は違うけど」

「そいつに聞いてほしいことがあるんだ」

「えー、めんどー。連絡先教えるからゆーたろーが自分で聞けばー?」

「……いや、俺はちょっと」

「んー。それじゃあ今度ゲーセン付き合ってくれない?欲しいフィギュアあるんだけど、確かゆーたろークレーンゲーム得意だったじゃん?」

「わかった。それでいい」

「じゃあ、用件をどうぞ!」

 

それから10分後、矢作からラインが送られてきた。文面は、『サッカー部』、『強く』、存在意義』という3つの単語だった。早速そのワードをツイッターの画面で検索する。

すると、『えいと☆サッカー垢』というアカウントがヒットした。

そう、これはあの相馬のアカウントだ。中学の時、サッカー部だった神田はアンダー12の選手としてプレイしていたため、もしかしたら別の中学のサッカー部であった相馬のアカウントを知っているんじゃないかと思ったのだ。相馬のツイッターを見れば、なにかヒントがあるかもしれないという根拠のない考えだが、今はこれに賭けるしかない。

 

「……え?」

 

そうそう思いツイートを確認して見たが、なんと相馬のツイートは3年前で止まっていた。つまるところ、もうこのアカウントは使われていないのだ。

 

「万事休す……か」

 

落胆しつつも一応ツイートに目を通す。内容は相馬が中学の時のサッカー日記だった。試合で勝ったとか、リフティングが何回できたとか、ごく普通のツイートしかない。

と思ったが、ちらほらと良く分からないツイートが見つかった。

 

『俺は必要ないのかな』

 

『俺の存在意義っってなんだろう』

 

『所詮劣化版なんだ』

 

『もっと強くならなきゃ』

 

『強く……』

 

『俺は弱い……』

 

これらのツイートだけ、他のと何か違う。そう思い俺は相馬の通っていた中学のホームページを開いた。

 

 

「……これは」

 

そこで俺は、自分が大きな勘違いをしていたことに気付いた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

金曜日は特に進展無く過ぎ去り土曜日がやってきた。いつもなら崇高なる2連休に心躍らせる俺だが、今週はそんな気分にはなれそうにない。相馬について新い情報を得ることはできたし、解決する手段も導き出すことはできた。だが、それは俺には、いや俺だけじゃなくたとえ安城や越前でも実行することはできない方法な訳でその手段がとれない以上別の方法を考えるしかないのだ。

だが、俺が絞り出した2つの方針はどちらも重大な欠点があるため実行できない。

ならばどうするか、一番簡単なのは投げることだ。当然越前や安城の期待や信頼は消え去るだろうが、そもそも無所属の俺が勝手にしゃしゃり出てやっていることなのだからここで投げてもでしゃばりが前言撤回するだけだ。それに、まだ被害者は出ていない。このまま相馬のやりたいようにやらせておけば誰も傷つくことは無いのだ。

 

でも、それは駄目だ。間違っている人間には間違っていると教えなければならない。間違ったまま進めば取り返しのつかないことになる。間違っている本人は間違っている事に気付けない。それは誰よりも、俺が一番わかってることだ。だから俺はこの一件を引きうけたのだ。安城奏にも越前和人にも、誰にも間違ってほしくないから。

間違うかどうかはその本人の選択ゆえの結果だ。それに干渉しようなんてのは本当におこがましくて、勝手で、傲慢だ。でも、それでも、それを知っているからこそ、ここで投げるのは欺瞞だ。

 

「104番でお待ちの黒崎さーん」

 

神妙な顔をしている俺に対し、窓口の受付は無機質な声で呼びかける。俺は席から立ち上がり、受付に向かう。

 

「こちら本日の明細と処方箋になります。支払いはあちらの機械でお願いします」

「はい。どうも……」

「お大事に」

 

軽く会釈をし、精算機で支払いを済ませる。処方箋を見てみると、聞いたことのないような薬の名前が並んでいた。

 

「中年ってのも大変だな」

 

近所の病院のロビーの椅子に腰かけながらそんな感想をつぶやく。別に俺がなにか患っているわけでは無く、母の腰痛の薬をもらいに来ただけだ。本人が来ればいいのだが、今日はご近所さんとの食事の約束があるらしく、代わりに俺がきたのだ。

 

さて、後は病院内に併設されている薬局に処方箋をだして薬をもらえばミッションコンプリートだが、少しのどが渇いたな。

 

椅子から腰を上げ、自販機の前で小銭入れを出す。

 

「綾鷹でいいか」

 

そう思い100円玉を取り出そうとしたら、急にわりこんできたロン毛が先に小銭をいれ、綾鷹のボタンを押した。ガタンという音と共に綾鷹が落ちてくる。ロン毛は自販機から綾鷹を取り出し、俺の方をちらりと見る。それと同時に俺もそいつの顔を見る。

何とこの割り込みロン毛は今一番熱い……かは知らんが騒動の渦中にいる相馬だった。

わりこんできたことに文句を言いたいところだが、よくよく考えると相馬は俺の事を知らない。なんやかんやで俺が一方的に知っているだけなのだ。なので相馬は特に何を言うでもなく綾鷹を持ってロビーを立ち去って行った。後に残された俺が自販機の方をみると綾鷹のボタンには売り切れという表示が出ていた。

綾鷹は諦めきれないが、それよりも相馬は何故病院にいるんだ?外見だとどこか患っているようには見えないが、実はとんでもない大病なのだろうか。

何も知らなければ俺の発想は飛躍しすぎに聞こえるだろうが、知っていれば相馬が大病を患っているという考えは現実味を帯びている。

俺は相馬が廊下の角を曲がったのを確認すると、ストーキング……ではなくスニーキングを開始した。

 

 

スニーキングと言ってもゲームの様に段ボールに隠れる訳でも変装するわけでもない。普通に後をついて行くだけ。病院内にはたくさん人がいるし、なにしろ相馬は俺が同じ学校の生徒だとは知らないので、存在が認知されても不審がられる事は無い。今まで目立たないように過ごしてきたのがこんな形で役に立つとは正直予想していなかった。

さて、相馬はというと特に目立った事をするわけでもなく廊下を進み、階段を上がり。看護師や医者に会釈しながら外科の病棟に向かっていく。相馬が人に会釈しているところなんて野球部やサッカー部の連中も見たことはないだろう。だが、それはけしておかしいことではない。

これが「相馬」という人間なのだろう。

 

外科病棟の病室をいくつか通り過ぎた後、相馬は一つの個室に入って行った。俺は陰から病室の様子を伺う。

開かれた窓からは涼しげな風が病室内に吹き込み、カーテンを揺らしている。無機質な内装の室内には一人の青年が車いすから外を眺めている。相馬はその人物に近づいて行く。

 

「……栄八か、今日はお前一人か?」

 

青年が呼ぶ栄八とは相馬のことだろう。そういえばツイッターのアカウントには『えいと』

と書いてあった。栄八の八からとったハンドルネームなのだろう。

 

「親父たちは忙しいからな。兄貴は調子どう?」

「普通に元気だよ」

「普通なのか元気なのかどっちだよまったく」

 

ここからだと表情は分からないが、相馬の口調はとても柔らかいものだった。

 

「練習はどうだ?今度の大会は強敵ぞろいらしいじゃないか」

「ちゃんとやってるよ。チームの奴らも上達すんのはえーし」

「そっか。お前は昔から練習熱心すぎて無茶やってるかと心配になるんだ」

「いくつの頃の話だよ。俺はもうガキじゃねーって」

「栄八、本当に無理してないか?」

「……してねーよ」

「そっか」

「……わりい、そろそろ帰る。自主練したいし。兄貴も風邪とかには気をつけろよ」

 

相馬はそう言い残すと出口へ向かってくる。俺はとっさにスマホを耳に当て、電話しているように見せかける。

相馬は特に俺を意に介せずにそのまま病棟を出て行った。俺の演技が良かったらしい。来年はハリウッドでも目指すか。

くだらない冗談を心の中で投げとばし、俺は病室に入る。

車いすの青年は俺の足音に気付いたらしく、車いすをこちらに向ける。

 

「君は?」

「こんにちは、俺は赤羽高校の黒崎と言います」

「赤羽?栄八の知り合いかい?」

「知り合いでは無いです。でも栄八君がサッカー部のキャプテンだってことは知ってます」

「なにか俺に用があるみたいだね。そこ、座りなよ」

 

青年は近くにおいてある丸椅子を俺に進める。

 

「実は、栄八君のことで相談がありまして」

 

丸椅子に座った俺は、これまでの事を青年……相馬栄太に話した。

 

 

***

 

 

 

「栄八がそんなことを……」

 

相馬栄太は俺の話を聞き終えるとそんな呟きをこぼす。

 

「あんまり驚いてませんね」

「まあ……ね。最近あいつの様子がおかしかったから」

「そうですか」

「でも、勘違いしないんでほしいんだ。栄八は本当はそんな奴じゃない。全部……俺のせいなんだ」

「と言うと?」

 

俺の問いに相馬栄太はゆっくりと話しだす。

 

「俺は見ての通り足を患っているけど、こうなる前は栄八と一緒にサッカーをやっていたんだ」

「中学の時、ユースチームに所属していたってホームページで見ました」

「うん。自慢に聞こえるかもしれないけど俺はサッカーが上手い方だった。そんな俺のサッカーを小さいころから見えいた栄八はサッカーを始めたんだ」

「そうですか」

「あいつはあまり才能がある方じゃなかった。でも、人よりたくさんの努力をして実力を伸ばしてきたんだ。周りが10やるならあいつは100の練習をしてた」

 

その努力のおかげで相馬はサッカー部のキャプテンをやるまでの実力をつけたわけだ。

 

「でも、俺たちの両親は栄八の事を見ていなかった。古臭い家庭でね、長男の俺に期待を寄せていたんだと思う」

「……それで?」

「そんなある日、俺は試合で大けがをして、サッカーができなくなってしまった。医者にもサッカーは諦めろと言われたくらいでね。そんな俺の惨状をみてから、両親は栄八にはそんな辛い思いをさせたくないと思ったんだろうね。それからは栄八の要求は出来るだけ叶えてあげるようになったんだ」

 

相馬の両親が学校やサッカー部に寄付しているのはそれが背景にあったわけだ。

 

「でも、栄八はそれを素直に受取れなかった。両親が優しくしてくれてるのは兄である俺の代わりだからだと受け取ってしまったんだ。それ以来あいつはサッカーで結果を出すことに対して病的なほどにこだわるようになったんだ」

 

サッカーはチームプレイのスポーツだ。それゆえ相馬だけが上手くても勝てない。だから相馬は暴力的な指導をしている。それにより上達する部員がいることにより相馬自身もそれが正しいと思いこんでしまっているのが今回の事の原因なのだろう。チームを強くするには練習しないといけない、でも雨でグラウンドは使えない。練習しなければ両親の期待には答えられない。だから体育館を無理やり奪ってでも練習する。それがサッカーができなくなった兄の代わりである自分の役割だから。

 

「だから、栄八を責めないでやってくれ……って言ってもやっぱり納得できないよね」

 

相馬栄太は自嘲気味な笑みを浮かべる。

 

「ひとつ、俺に考えがあります。そのためにはあなたの協力が必要です」

「考え?」

 

俺はやっと埋まった数式を相馬栄太にゆっくりと告げる。

 

***

そして俺の貴重な二連休は幕を閉じ、ふたたび月曜がやってくる。空を見上げれば灰色の雲がそこらじゅうを覆い尽くしている。おそらく今日も雨だろう。まったく、先週からずっと雨なのはなんの嫌がらせなんでしょうか。結局晴れたのは日曜日だけだったが、その日曜は今日の為に丸つぶれになってしまった。

既に授業は終わり、放課後となっている。廊下を歩けばバスケ部やバド部が掛け声を出しながら周回しているのが目にはいる。だがその掛け声にはほとんど生気がない。そりゃかれこれ二週間以上体育館で練習できていないのだから鬱憤もたまるだろう。

そんな彼らを横目に俺はのっそりと目的の場所へ歩いて行く。

正直、俺のとる方法は確実じゃない。もしかしたら事態を悪化させるだけかもしれない。そうなった時、俺は責任を取らなければいけないだろう。ハイリスクな方法だが、玉砕する覚悟はもうできている。

 

「黒崎君!」

 

そんな俺の背後から俺を呼ぶのは安城だった。

 

「どうした安城?」

「越前君から聞いて……本当に大丈夫なのかなって」

「まあ、失敗したら俺は消されるかもな」

「消されるって……黒崎君はそれでいいの?それで納得できるの?」

「別に、俺はこの学校で成し遂げたい事もこの学校にこだわる理由もない。それならそれで別の人生もあるだろうよ」

 

俺が言い終わる前に、俺のほほに強い衝撃と痛みが走った。

 

「いてえ……」

「黒崎君は何も分かってないよ!」

 

平手打ちを喰らわしてきた安城は涙目になりながらも俺に怒りを向けてくる。

 

「黒崎君が成し遂げたいことが無くても、この学校にこだわる理由が無くても、それで納得できるのは黒崎君だけじゃん!」

「安城……?」

「黒崎君は凄いんだよ!いつも私を助けてくれて、私が思いつかなかった方法で物事を解決して、それなのにその見返りを求めたりしない、人の為に頑張れる凄い人なんだよ!」

「……そんなこと」

「そんな黒崎君が、誰かの為に頑張れる人が、誰かのために犠牲なるなんて間違ってるよ!だから、いなくならないでよ!またいつもみたいに私を助けてよ!」

 

助ける。俺が四月からやってきたことは安城やその周りの人間のかかえる問題を解決し、助けることに他ならない。困ってる人を助けたいなんてことは大なり小なり誰もが思うことだろう。でも、面倒事だと分かって、それでも人を助けるのには理由が必要になってくる。その人が大切だとか自分の株を上げたいとか人によってさまざまだが理由なく人を助けようとする人間なんていない。でも、俺はその理由を一度失った。俺のかかげた理由はただの偽善で、そんな偽善で人を助けても、そんなことに意味は無くて、それが逆に誰かを傷つけることもある。だから俺は、人を助けるのをやめた。いや、出来なくなったのだ。俺がそうする理由が偽りだと知ってしまったから、俺には誰も救えないと思ってしまったから。

じゃあ、俺が安城を助けた理由はなんだ?

仕方なくとか成り行きでとか外堀を埋められたかとか言うのは言い訳だ。そんなのは俺の理由にはならない。そんな理由で助ければ、また間違ってしまうと俺は知っているのだから。

だからこそ俺は行動した。その理由を知るためという紛い物の、使い捨ての理由で。越前から今回の件を依頼された時、俺には理由が無かったから。でも、そんなのは全部建前で、答えはずっと俺の中にあったのかもしれない。俺が人を助ける本当の理由が。

 

きっと、俺は――

 

俺は誰かを助けることで自分が助かりたかったのだ。

 

俺が助け、そんな俺を救ってくれる。そんな相手を俺はずっと探していたんだろう。そして安城奏という人物は、そんな俺の理想に一番近い存在だった。

あの日、あの空き教室に安城が入ってきたのは、偶然じゃなかったのかもしれない。いつの間にか俺は、「助けてくれ」と叫んでいたのかもしれない。安城にはそれが聞こえたのかもしれない。だから俺は安城を助けたのだろう。

 

「……そうだな。お前はポンコツだからな」

「はあ!?なにそれ!」

「だから、これからもお前を助けてやらないとな」

「え……」

「安城、俺は消えない。俺が行くのは俺自身が助かるためだ。そのために、今回の件は必ず解決する」

「黒崎君……!」

「それじゃあ、行ってくる」

 

俺はひりひりとするほほを軽く撫でると、さっきより幾分か背筋を伸ばして歩き出す。

 

 

***

 

 

 

場所は校舎裏のゴミ捨て場。ここはゴミがぬれないように小さな屋根がついているので雨が降っても安心な上にこの時間やってくる生徒もいない。俺にはうってつけの場所だ。

ゴミ捨て場にはしっかりと分別され、容量に適したゴミが入ったゴミ袋が積まれている。五月に安城から美化活動の相談をされたのがもはや懐かしい。

 

 

「お前、だれだ?」

 

そんな感傷に浸っている時間は俺には与えてくれないらしく、目的の人物、相馬はやってきた。学校の指定ジャージの上下を若干着崩し、膝のあたりにはほつれが見える。

 

「俺は、黒崎裕太郎。お前を呼んだのは俺だ」

「お前か、こんなふざけた手紙を下駄箱に入れたのは」

 

相馬はポケットから一枚の紙をとりだす。そこには赤いペンで『放課後一人でゴミ捨て場に来い、劣化コピー』と書かれていた。

 

「ふざけてなんかないさ。この場所はお前にぴったりだろ?ゴミための劣化コピーさんよ」

「てめえ……誰から聞いた……」

「聞かなくても有名だろ、天才サッカー少年相馬栄太とその出来の悪い弟は」

「なんで……兄貴のことまで……」

「他にもいろいろ知ってるぜ?お前の兄さんが怪我で二度と表舞台に立てないことも、お前が兄へのコンプレックスのせいでアホみたいな練習してることとかな」

 

相馬は怒りに燃えた瞳で俺を睨みつける。だが、俺に殴りかかってきたりはしない。

いや、出来ないのだ。出来ない理由がそこにはある。

 

「お前には同情するぜ。優れた兄貴のせいでどんなに頑張っても兄貴と比較される。両親もひでえよなあ、兄貴が使えないと思ったら即お前に乗り換えるんだから」

「違う!俺が自分から兄貴の代わりになることを選んだんだ!」

「兄貴の代わり?うぬぼれたこと言ってんじゃねえよ。お前は両親が兄貴から自分に乗り換えた時、嬉しかったんだろ?これで自分を認めてもらえるって」

「違う……違う違う!」

「何が違うんだよ?お前は自分の事しか考えてない。だから他の部員に暴力的な指導をする。いや、あんなものは指導とは言えない。ただの自己満足だ。お前は人を傷つけて自分の存在を誇示したい、狂った独裁者だ」

「違う……違うんだ……俺は強くならなきゃいけないんだ……」

「誰もお前が強いなんて思っちゃいない。体育館をうばわれ練習できない連中はお前を憎み、顧問を人質に取られた野球部は怒りに燃えている。お前に従ってる部員だって本当はお前を慕ってなんていない。ただ、強くなるためにお前を利用しているだけだ。あいつらが満足したらお前は捨てられる。また昔みたいに一人ぼっちになるんだ」

「それでも……俺は俺の存在を証明しなきゃいけないんだ!お前なんかに何が分かる!」

「存在の証明?今お前が証明しているのは自分の醜さだけだじゃないか」

「くっ……」

「お前が本当にしたいことは、兄貴の代わりになることでも、親のためでも、チームを強くすることでもない。お前はただ、自分を認めてもらいたかっただけの、ちっぽけな存在なんだ」

「……」

 

ここで相馬が折れてしまえば、ただ俺が相馬を傷つけたことになる。

でも、違うだろ相馬?ここで必要なのは俺を消すことでもお前が折れることでもない。

お前が俺を殴らない理由がちゃんとあるんじゃないのか?

 

「そうだよ!俺はずっと、誰かに認めてほしかった!相馬家の二男でも、相馬栄太の弟でもない、相馬栄八としての俺を見てほしかったんだ!兄貴が怪我した時も、どこかで嬉しく思ったし、チームメイトを傷つけることで優越感に浸ったりもした!俺は強くなんかなくて、よわっちい人間なんだ!でも、それの何が悪い!誰かに認めてもらいたいって気持ちは悪いことなのかよ!」

 

そうだ、俺が聞きたかったのはその言葉なんだ。

 

「だ、そうですよ?」

 

俺は校舎の陰にいる人物に呼びかける。その人物はゆっくりと姿を現す。長身で、ガタイのいい白髪の男性と、それについてくる小柄な女性。

 

「と、父さん!母さん!?」

 

相馬は彼らの登場に驚きを隠せないようだ。それもそうだ、たった今自分の本音も、自分の弱さも全て叫び、それを聞かれてしまったのだから。

 

「ち、違うんだ父さん、母さん!」

「もういいんだ、栄八」

 

相馬の父は悲しげな声色で話し始める。

 

「私たちが悪かったんだ。栄太にばかり期待して、お前の努力を見なかった私たちが……」

「そうよ……別にあなたをないがしろにしたかったんじゃないの……私たちは……ただ、あなたにも栄太みたいになってほしくて……栄太を目標にしてほしくて……」

 

相馬の母も涙を流しながら呼びかける。

 

「でも、お前は、ずっと我慢してたんだな……本当は自分を認めてほしかったのに……それでも栄太のために……」

「俺は……」

「もういいんだ。お前は栄太の代わりなんかじゃない。人一倍努力家で、他人を思いやれる。私たちの自慢の息子だ」

「だから、サッカーにこだわらなくていいのよ?あなたはあなたのやりたいことを……」

「違う!」

 

相馬は声を振り絞ってそう告げる。

 

「俺がサッカーをやってるのは、兄貴の為でも父さんたちの為でもない!俺は……本当にサッカーが好きなんだ!それだけは嘘なんかじゃないんだ!」

 

そうだ、だからお前はどんなに怒っても俺を殴らなかった。サッカー選手として、人を殴るなんて事は出来なかったんだ。

 

「だから、今度から……いや、今からでも、俺を見てくれ!俺のサッカーで、俺のプレイで笑ってくれよ!」

「栄八……」

 

……俺は、そろそろお役御免だな。

俺はそっとその場を立ち去り、校舎へと入る。

そして、スマホを取り出し電話をかける。

 

「もしもし、栄太さんですか。黒崎です。はい、協力してくれてありがとうございました。栄八君はちゃんと言う事ができました。……はい。いえ、お礼なんてとんでもない。それじゃあ、これで」

 

手短に用件を済ませ、俺はスマホを耳から離す。そして、相馬栄太の連絡先を消去した。

 

「……疲れた」

 

そんな俺の呟きは、いつの間にかすっかり晴れ渡った空へと流れて行った。

 

 



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6. 黒崎君!体育祭実行委員会に参加して!

雨ばかりだった6月は終わり、7月に入ると太陽は自己主張を強め光り輝く。6月に雨の文句を言っていた連中は今度はうだるような熱さに文句を言う。あれだよね、『暑いって言ったら罰金ゲーム』が始まって、『はいざんねーん。お前今ゲーム名で暑いって言ってるからアウトでーす』って言う奴がいて『いや、今お前も暑いっていたぞ』ってつっこまれて『あ!お前も暑いって言った―!』という連鎖が起きそうだよね。

まあ、俺も暑いのは得意ではない。ついでに言うと寒いのも得意じゃない。そして春と秋は花粉がとぶので得意じゃない。もうあれだな、どっかに移住するか。オーストラリアとかどうだろうか。

夏服に衣替えし教室内ではしゃぐ生徒たちのかわす話題は2つ。一つは来月からの夏休み。既に夏祭りやプールの約束をしているものや、沖縄旅行を計画しているようなものもいる。夏に沖縄って、それは飛んで火にいる夏の虫みたいな計画だな。いや、むしろそのものか。

もう一つは10月に行われる体育祭だ。この学校では2年に1度、どっかの学校と合同で体育祭をやるらしい。どこの学校だったかは忘れた。とにかく、体育祭に向けて今から筋トレやランニングに励む者もいたり、クラスTシャツのデザインをしている者もいる。まあ、俺は体育祭でもいつもどおり、目立たず平穏に過ごすだけだが。

 

「はい、それじゃあ今日のホームルームは終わり。日直」

「起立、礼」

 

今日のカリキュラム終了。生徒たちは足早に教室を飛び出していく。俺は部活も委員会もないのでその波を横目にゆっくりと鞄に教科書をしまう。今日は珍しく安城もさっさと教室を出たらしいので生徒会への勧誘はない。少し物足りないとか思ったりはしてない。断じて。

ゆっくりと席を立ち、教室を出る。一階に下りるとバスケ部が廊下を周回しているのが目に入った。俺は邪魔にならないように廊下の脇によって歩く。

 

「あれ、黒崎君?」

 

バスケ部の列から離脱して俺に話しかけてくるのは越前だった。

 

「……なんか用か?」

「いや、用ってわけじゃないよ。たまたま見かけたから」

 

なんでイケメンって理由もなく人に話しかけられるの?無視されるかもとか思わないの?いや、逆にイケメンと言う立場が返事することを強要しているのかもしれない。国はイケメン脅迫罪という罪状を作るべきだ。

 

「もう7月だね。室内だとクーラー効いてるけど外のサッカー部や野球部は暑くて大変だろうね」

「そうだな」

「そういえば、黒崎君は夏休みなにかするのかい?」

「いや、夏休みは寝てる予定だ」

「へ、へえ」

 

越前はドン引きしているが夏休みは休みという言葉の通り休む期間だろ。つまり寝て過ごすというのは夏休みを存分に謳歌しているという証明じゃないか。

 

「そういえば、安城さんはクラスの友達と夏祭りに行くらしいよ」

「ふーん」

「は、反応薄いね」

 

いや、むしろどんな反応が正解なんだよ。

 

「ま、まあ夏休みまでの時間をお互い有意義に過ごせるといいね。それじゃあ!」

 

越前はそう言い残し周回へ戻っていった。俺はそれを見送るわけでもなく玄関に直行し、靴を履き替え外に出る。

 

「行ったぞ!レフトー!」

 

金属バットの乾いた音と共にそんな声が響く。野球部はこんな暑さでもノックをしているようだ。

 

「よーし良いぞ!ナイッシュー!」

 

隣のスペースを使うサッカー部はどうやらシュート練習をしている。6月の体育館騒動も既に過去の出来事らしくそれぞれの部活動がいつも通りの日常を送っているみたいだ。相馬もあれ以来無茶な練習や他者への暴力的な言動はやめ、今では本当に楽しそうにサッカーをやっている。

さて、今日は帰ったら久しぶりにベッドにダイブだな。いや、冷蔵庫のアイスを食べてからにしよう。たしかスイカバーがあったはずだ。あの種の部分の歯ごたえがめちゃくちゃいいよね。夏はスイカバーに限る。

 

「あ……黒崎君」

 

物静かな声で俺を呼んだのは校門近くでそわそわしていたらしい雪里だった。

 

「……待ち伏せ?」

「ち……ちがう……偶然……」

 

いや、絶対待ち伏せだろ。じゃなきゃ校門前でただ突っ立ってるわけないし、俺を見つけた瞬間嬉しそうな顔とかしないでしょ。

まあ、俺の放課後は速効帰宅というワンパターン方式だから校門を通る時間とかも大体予想出来るだろうけど。

 

「どっか寄ってくか?」

「……!う、うん」

 

雪里はいつもより2段階くらい大きな声で返事をする。

 

 

***

 

やってきたのは駅前の喫茶店、『ミント』。以前雪里に……というよりは安城に呼び出された店だ。あの後一人で何度か来てみたが、この店のバナナパフェがこれまた絶品で、俺は一回で虜になってしまった。

なので、当然バナナパフェを注文した。雪里は小食らしく、コーヒーだけしか頼まなかったが、ここで食べすぎても晩御飯が入らなくなるだろうし妥当な判断だよな。『外で済ましてきたから』って言った時の母親のため息はもはや凶器レベルだ。いや、悪いのは全面的にこっちなんだが。

 

「ご注文の品はおそろいでしょうか?」

 

ウエイトレスの問いに、俺たちは頷く。

 

「それではごゆっくりどうぞ」

 

ウエイトレスが去っていってすぐに俺はスプーンをもち、パフェを食べ始める。

ああ、このひんやりとしたクリームとバナナ、もはや芸術だ。そしてこの下にはさらにひんやりとしたチョコアイスが眠っているわけで、この構造を最初に思いついた人物は天才だとしか言いようがない。

 

「……おいしい?」

 

雪里はコーヒーに手をつける訳でもなく、パフェを食べる俺に語りかける。

 

「ああ、おいしい。雪里も一口食べるか?」

 

俺はパフェとスプーンを雪里へ近づける。

 

「……!え、えっと……」

「あれ、お前甘いの苦手だったっけ?」

「そういう……わけじゃ……」

「なら食ってみろって。この店に来てるのにこの味を知らないのははっきり言って敗北だぞ」

「あ……う、うん」

 

雪里はゆっくりとスプーンを手に取る。なんか顔が赤いように見えるが、クーラーはしっかり作動しているわけで。まったく、暑がりならホットじゃなくてアイスコーヒーにすれば良かったのに。

 

「いただき……ます」

 

雪里はスプーンでクリームをすくい、ゆっくりと口にいれる。

 

「な?うまいだろ?」

「う、うん」

 

雪里は大きく頷きながらパフェを俺の方に返す。あの雪里がこんなに大きな反応をするなんて、よっぽど気に入ってくれたみたいだな。

 

「か……間接……キ……」

「え?なに?」

「な、なんでも……ない」

「そうか?ならいいけど」

 

俺は尚もクリームを食べ進める。雪里もゆっくりとコーヒーを飲み始めた。

 

「それで?俺になんか用事だったんじゃないのか?」

 

クリームを食べ終え、チョコアイスに突入したところで俺はそう尋ねる。

 

「え……えっと……」

 

雪里は何やら鞄を開けがさごごそとやっている。

が、すぐにA4くらいの茶封筒を俺に差し出してくる。

 

「……履歴書?」

「ち、ちがう……その……見てほしい……」

 

良く分からないが中身を開けてもいいということだろうか。俺は封筒から中身を取り出す。

 

「……これは」

 

でてきたのは30枚くらいの束になった用紙。一枚目には制服を着た高校生らしき女子と、メガネをかけた同じ学校と思われる男子のイラストが描いてあった。

 

「漫画?」

 

雪里はこくりとうなずく。そういえば、昔も雪里の書いた漫画を読ませてもらったことがある。漫研を続けているのだからそりゃ漫画も続けてるわけだ。

 

「今度……賞に応募するから……感想が……欲しい」

「へえ、応募用か。雪里先生になる日も遠くないかもな」

「そ……そんなことは……」

「わかった。帰ったら読ませてもらうよ。いつまでに感想言えばいいんだ?」

「そんなに……すぐじゃなくて……大丈夫」

「そっか。了解」

 

俺は原稿を封筒に戻し、自分の鞄にそっと入れる。

 

「く……黒崎君」

「どうした?パフェもう一口食べたくなったか?」

「ち、違う……。そ、その……ライン……」

「ライン?」

「読み終わったら……連絡……してほしい……」

「え、でもお前俺のメアド知ってるじゃん」

「……」

 

え、なにこの沈黙?俺なんかおかしいこと言った?

……そういえば以前矢作と同じような会話をしたような気がする。あの時矢作はメールは時代遅れだみたいなことを言っていたっけか。てっきり矢作の勝手な価値観だと思っていたが、どうやら女子の間では共通認識らしい。

 

「……分かったよ。」

 

俺はポケットからスマホを取り出し、自分のQRコードを表示する。

 

「……!」

 

雪里はすぐにスマホを取り出しそれを読みとる。すぐに俺の方にも雪里のアカウントが表示される。『雪里茜』とフルネームで登録されており、アイコンには雪里が自分で書いたであろうキャラクターが映っている。

 

「あ……ありがとう……」

「おう。それじゃあ読み終わったらラインするわ」

 

その後は特に内容の無い世間話をしながらパフェを完食し、レジで会計を済ませ、俺たちはミントを出た。

 

「ふう、食った食った」

「黒崎君……」

「ん?どうした?」

「えっと……ううん……なんでもない」

「……?まあ、取りあえず帰り道気をつけてな」

「うん……またね」

 

雪里は小さく手をふると、ゆっくりと駅の方へと歩いて行った。

俺はというと、少し胃が重いので周辺を歩いてから帰ることにした。

 

空はまだ明るい。夏は始まったばかりで、俺の1学期ももう少しだけ続いていく。

まあ、今日みたいにのんびりとした毎日がおくれれば満足かな。

 

 

 

***

 

 

 

 

「黒崎君!お願いがあるの!」

 

翌日。どうやら神は俺のささやかな望みなど聞き入れてくれなかったようで、案の定安城がいつも通りの面倒事を持ってきた。

 

「安城……昼休みは休むためにあるんだ。俺に休息をくれ」

 

昼休み、いつもの空き教室で今朝コンビニで買ったチーズサンドを食べながら俺は異議を唱える。

 

「黒崎君はいっつも休息取ってるじゃん!授業中なんてずっと窓の外見てぼけーっとしてるくせに!」

「え……なんお前俺の授業中そんなに詳しいの?」

 

安城の席から俺の席は視界に入るだろうが、俺が外を見ているのを発見できるほどの距離では無い。

 

「べ、別に!黒崎君の事を見てたわけじゃないんだから!ただ、掃除当番の表を見てただけ!」

「一日中掃除当番確認してたのか?」

「うぐ……。と、とにかくお願いがあるの!」

 

ゴリ押ししてきやがった。さすがドッジボール選手、ラフプレイもお手の物だ。……ドッジボールにラフプレイなんてあるのか?

 

「……その話、昼休み中に片付く用件か?」

「ううん!結構大きな話!」

「……それじゃあ尚の事放課後にしてくれ。俺はいま真剣にチーズサンドを食べているんだ」

「放課後じゃ間に合わないの!今聞いてもらって放課後に手伝ってほしいの!」

「そんな話を当日にもってくるなよ……」

「とにかく聞いて!」

 

ああ、これはもう駄目だ。安城が一度言いだしたらもう俺の運命は安城のしいたレールの上だ。

 

「……取りあえず、言ってみろよ」

「ありがとう黒崎君!」

 

安城は目を輝かせる。

 

「10月に体育祭があるのは知ってるよね?」

「そりゃあ、去年も同じ時期にやったし」

「それじゃあ今年は他校と合同って言うのは」

「それも知ってる」

「じゃあ話は早いね!今日の放課後、区民センターに来て!」

「……はい?」

 

来て、と言われても概要がさっぱりなんだが。

 

「だから、区民センターで相手の学校の生徒会と体育祭の会議があるの!黒崎君にも参加してほしいってこと!」

 

そういえば区民センターには大きな会議室があって、予約すれば使えるんだったか。で、なに?体育祭に向けての会議だって?

 

「それ、俺いらなくない?」

 

両校の生徒会が話しあうのだから、役者はそろってるわけで俺が言ってもせいぜいエキストラくらいしかできないだろう。

 

「それが、その……ちょっと会議が煮詰ってて」

「なにか問題が起きてるのか?」

「うん。近年の少子化で生徒数が昔より格段に減ってるでしょ?」

「そうだな」

 

この空き教室もその証拠だ。

 

「それで、合同で体育祭をやるってなると、予算的にも人員的にも厳しくて」

「それなら合同なんてやめとけよ……」

「でも、合同体育祭は昔からの伝統で……」

「伝統だろうがなんだろうが無理なことは無理だろ」

「そうなんだけど、両校の生徒会長がどうしてもやるって言ってて」

「ええ……」

 

そういえば以前越前がうちの学校の生徒会長はポンコツだと言っていた。話を聞く限り相手側の生徒会長も同じ世界の人間なのだろう。

 

「それで?俺はその無謀な会議に参加して何をすればいいんだよ?」

「会長達をなんとかしてほしいの!」

「無理だ」

「即答!?」

「部外者の俺が無謀だからやめろって言って向こうが聞いてくれると思うか?それならお前が言えばいいだろ」

「うーん……それはそうなんだけど……」

 

安城は表情を曇らせる。安城は生徒会でもかなり尽力しているんだから発言力もあるのかと思ったんだが、ポンコツ会長には通用しないってことなのか?

4月の俺なら、このままグダグダと御託を並べて断り続けるのだろう。

でも、あの時の俺には無かったものが今の俺にはある。

 

「わかったよ。放課後に区民センターな」

 

だからだろうか、そんな言葉が自然に出た。

 

「ありがとう黒崎君!」

「言っとくが、力になれるかは分からんぞ?」

「大丈夫大丈夫!それじゃあ後でね!」

 

安城はスキップしながら教室を出て行く。それを視線で見送った後、俺は再びチーズサンドをかじる。

まあ、安城を助けるのは別に良いんだけど、問題は生徒会の面々がどんな奴らかってことだよな……。

 

 

***

 

 

 

放課後、昨日と同じように教室を出て、昨日と同じように周回する部活の脇を通り抜け

昨日と同じように練習するサッカー部たちを横目に校門を出た俺は昼休み安城に言われた通りに区民センターへ来ていた。区民センターは赤羽高校の生徒がつかう最寄駅とは逆方向にあるため、訪れる者は少ない。俺も今日初めて来た。自動ドアをくぐるとホールが広がっており、その真ん中に受付がある。他にもへんてこな形をしたオブジェが壁側に展示されていたり、近所の小学校の生徒が書いた習字が展示されていたりする。

俺は特にそれらを見る訳でもなくエレベーターに乗る。会議室は3階なので、階段よりエレベーターのほうが楽なのは誰にでもわかることだろう。

それにしても、赤羽高校に入学してもう2年目だが生徒会と実際に関わるのは今日が初めてだ。とはいっても1年の時に生徒会役員選挙はあったわけで、俺も投票したはずなのだが、会長の名前も顔も全く知らない。そういえば若者の選挙離れは最近問題になりつつあり、選挙に行かないもの、行っても適当に選んだり白紙で投じる者も結構多いらしい。俺も正直選挙に関心は無いが、適当に選んでその議員がめちゃくちゃな事したら困るので選挙権を得たらしっかり投票しようとは思っている。今のところはだけど。

その練習として今年の生徒会選挙は多少真面目に投票してみるか。

 

「失礼しまーす」

 

間延びした声で会議室の扉を開ける。室内にはコの字に並べられた机、その席に一人分ずつおかれた飲料水のペットボトルに企画書と思われる書類、そして前の方には何も書かれていないホワイトボードがおかれており、その周辺で会議に参加するであろう生徒たちがにぎやかに話している。

 

「あ、黒崎君!」

 

話していた輪の中から安城が俺に手招きする。それと同時に他の生徒たちもこちらを向く。

うわあ、目立ってるな……おのれ安城、お前には遅刻してきて授業中の教室にこっそりはいってくるような奴への情は無いのか。

なんて文句を言ったら火に油なので、俺は会釈して安城の方へ行く。

 

「会長、彼が黒崎君です。今日は手伝いに来てもらいました」

 

安城が俺を紹介する。それに反応する会長とやらはメガネをかけ、長身のかなり頭のよさそうなイケメンだった。

 

「そうか、君が黒崎君だね。安城から話は聞いてるよ」

 

俺は安城を睨む。余計なことは言うなとあれほど言っていたのに。安城はわざとらしく目をそらし口笛でエーデルワイスを吹いている。 

 

「どうも、よろしくおねがいします」

「よろしく。俺は仲谷明治。赤羽高校生徒会会長だ」

 

にっこりと笑う仲谷会長は見たところさわやかな高青年に見えるが、越前の言う通りなら思想の偏ったポンコツらしい。本当か?

 

「そしてこっちは副会長の光定だ」

「み、光定明日人です。よ、よろしく」

 

副会長は若干詰まらせながら挨拶してくる。俺もそれに対し浅く礼をする。

見たところ後の人物は特に役職の決まっていない生徒会メンバーらしい。俺は彼らにも挨拶をしてからなるべく端の席に座り、飲料水のふたを開け、のどを潤す。相手先の高校もまだ来ていないようなので、企画書らしきものに目を通してみる。伝統について長ったらしく書いてある序文は無視して、予算案や種目、必要な役割なんかに目を通す。

が、ふと目をひく部分があった。それは相手先の高校の紹介文。それを見て俺は背筋がゾクリとするのを感じた。それと同時俺の後ろの扉が勢いよく開かれた。

 

「失礼します。遅くなりました、緑川高校生徒会長、一星誠也です」

 

 

その声、抑揚、身だしなみ、髪型、顔。そのすべてに見覚えがあり、それに見覚えがあることに対し、俺の心の中でなにかがざわつく。とっさにその人物から目をそらそうとする。いや、本当に目をそらしたかったのはその人物からではなく、こちらに気付いたその人物の目にうつる、俺自身の姿からだったのだ。

 

 

 



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7. 黒崎君!体育祭実行委員会に参加して!(会議編)

「……お前、なんでこんなところにいる」

 

一星誠也はまるで害虫をみるかのような目つきで俺を睨み、尋ねてくる。だが周りの面々はその理由なんて知らないわけで、不思議そうに俺の方を見てくる。俺はそれに対し言葉が出ないでいた。

 

「やあ、一星君。そして緑川高校生徒会の諸君。今日はわざわざ遠いところありがとう。取りあえず、まだ時間があるから企画書に目を通しておいてくれ」

 

仲谷は笑顔で彼らを迎える。が、一星はそんなことには反応せず、俺の方をまだ睨んでいる。

 

「仲谷君。彼は、何故ここに?」

「ん?ああ、彼は黒崎君。うちの書記の安城からの紹介で今回手伝ってもらうことになった」

「手伝う……ねえ」

「ひょっとして黒崎君とは知り合いかい?」

「いや、知らないな」

 

一星はまるで本当に初対面だと言わんばかりの口調で告げる。そして俺の脇を通り自分の席へ向かう。それに続いて他の連中も席に着く。

 

「あれ、ゆーたろーじゃん!」

 

やかましい声で俺を呼ぶのは矢作だった。一瞬こいつがいる理由が分からなかったが、そう言えばこいつは緑川の生徒だった。

 

「やっぱ来てたんだ~」

「お前、生徒会だったのか?」

「ううん?でも赤羽と合同って聞いてゆーたろーも来るかなって思ってさ」

「手伝いってことか。俺と同じだな」

「え?ゆーたろー生徒会に入ったんじゃないの?」

「なんでそうなる」

「だってあの安城って子が前に生徒会に勧誘がーとか言ってたじゃん」

 

急に指さされた安城には俺たちの会話は聞こえてなかったらしく、『え、なに?』といったジェスチャーをしてくる。

 

「……生徒会に入ってはいないし入るつもりもない。本当にただの手伝いだ」

「ふーん。ま、いいや。そんじゃ今日はヨロシク!」

 

矢作はひらひらと手を振り自分の席へ向かっていく。どうやらコの字の入り口側が赤羽で窓側が緑川の位置らしい。

 

 

「さて、それじゃあ会議を始めよう。今日はよろしく」

 

ホワイトボードの前に座る仲谷と一星が一礼し、参加者たちもそれに続き一礼する。

 

「それじゃあ今日の議題は種目決めと実行委員会の設立について。取りあえず案出しからしていこう」

 

え?もうそんなに進んでるの?人員とか予算の都合で体育祭そのものが危ういんじゃないの?

 

「合同でやるならやっぱり両校混合のリレーなどはどうでしょう」

「あーその発想はいいね。両校混合はいいコンセプトだ」

「両校混合なら騎馬戦なんかかなりチームワークが大事になってくるので、両校の交流にもってこいだと思います」

「いいね、騎馬戦。普段触れ合うことの無い他校の生徒との交流はその後の学校生活もより豊かにしてくれる」

 

え、ちょ、ちょっとどういうことなんだ?ものすごい勢いでブレストしてるけど根本の問題はどうなったの?企画書にも課題だって書いてるんだけど?

 

 

「えーっと、黒崎君。君はどうかな?やっぱり初参加の人のアイデアが聞きたいな」

 

仲谷は唐突に俺に振ってくる。それと同時に会議室全体の意識が俺に向く。

 

「え、えーっと質問なんですけど、予算や人員の都合ってもう解決したんですか?」

「予算や人員に関する問題は種目等を確定させた後に決める予定だ。必要な備品や役割が分かればおのずと答えは見つかる」

 

それに答える一星は得意気だ。

 

「い、いやでもそんな見切り発車だと結局予算案や実行委員での役割振りも不確定で全体が何していいか分からなくなりませんか?」

 

仮に規模が大きくなりすぎて後から予算に合わせて削ったらかなりしょぼい内容になる可能性もあるわけだし、先に予算から逆算するべきではないのだろうか。そう思っての発言だったのだが、仲谷も一星も不思議そうな顔をする。

 

「黒崎君。たしかに予算は大事だ。でもまず優先すべきは俺達生徒の自主性と両校の伝統を守ることだろう?」

「い、いや……そうなんですか?」

 

俺の発言は的外れだったか?だが仲谷は自信満々だ。ま、まああまり会議に水を差しても仕方ないか。俺は取りあえず発言をやめる。

 

「一星会長。発言良いですか」

「ん……なんだ木場」

 

一星が木場と呼ぶ人物は立ちあがる。

 

「えー、緑川高校生徒会会計の木場神威と言います。会議には今日から参加なので皆さんよろしくお願いします」

「で、なんだ木場」

 

一星は少し眉をしかめながら木場の発言を促す。

 

 

「先ほどの、黒……河君でしたっけ。彼の意見に対してです」

 

だれが黒河だ。あれか、こいつもポンコツ次元か?

 

「彼の意見は最もです。せめて先に大体の予算の検討をつけてくれないと会計としても学校に申請できませんし、正直前回の合同体育祭の予算案を見る限り、同じ予算はでないと思います」

 

おお、こいつはかなりまともな事を言ってる。俺の名前を間違えたこと以外はしっかりしてるんじゃないか?

 

「だから、それは内容を決めた後に決めると言っているだろう」

「いや、それだと……」

「木場君。君が会計としての責任感が強いことは分かったよ。でも体育祭は10月だ。まだ慌てるような時間じゃないよ」

 

仲谷は笑顔を絶やさない。周りの連中もそれに異議すら唱えない。

ま、まずくないこれ?安城から煮詰まっていると聞いたが彼らの中ではもう煮詰め過ぎて缶詰が完成してしまっているようだ。

わらにもすがる思いで安城の方を見る。なんとかしろ安城。

が、安城はさっきからパソコンに何かを打ち込んだりホワイトボードに出た意見を書いたりと大忙しだ。見た感じ記録と書記を同時並行で行っているようだ。これでは会議に参加どころではないだろう。

 

「それで、どこまで話したっけ……そうだそうだ、混合競技についてだったね」

 

そんなわけで俺や木場の意見は無かったことの様にされ、競技内容についての話し合いが進んで行った。

 

***

 

 

 

「ふう……」

 

ロビーの一角で自販機で買った綾鷹を一口飲む。それと同時にどっと疲れが湧いてきた。

正直、仲谷たちの進め方が悪いとは思わない。概要を決めてから予算を計算する方式も赤羽単独なら成り立つかもしれない。

だが、問題なのは今回の体育祭が緑川との合同であること。2校で連携する以上、予算も両校から出る訳だし、人員も両校で作られた実行委員で行われる。一見人員も予算も2倍でいろんなことができそうだが、重要なのは人員が2倍という点だ。ここでいう人員というのは運営に携わる者だけでなく体育祭に参加する他の生徒も含まれている。人数が多いという事は必然的に規模が大きくなる。例えば、前回は市のおおきな陸上競技場を借りて行ったらしいし、来場する生徒や保護者にカラー印刷のパンフレットを配ったらしい。それらにも当然かなりの予算が必要だ。つまり、種目決めよりも先に体育祭そのものの規模を確定させ、実行自体を可能にしなければならないのだ。

だが、両校の生徒会は自主性と伝統を守ることにウェイトをおきすぎている。おそらくは自分の代で伝統を途切れさせたくないのだろう。それは十分理解できる。だが、それだと体育祭は上手くいかないのではないだろうか。

 

「こりゃまた随分面倒な……」

 

再び綾鷹を口にする俺の視界には、先ほど仲谷と共に会議を取りまとめていた一星の姿が入ってきた。一星も俺が視界に入ったらしく、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてきた。

 

「……」

 

俺は特に何を言うでもなく一星の方を見る。

 

「久しぶり……なんて言葉を交わすような仲でも無かったな」

 

一星はほくそ笑みながら俺に語りかける。

 

「まあ……そっすね」

「変わったなお前は。みんなの為に頑張る黒崎裕太郎はもういないのか?」

「……」

「お前の事だから高校でも生徒会に入っているものだとばかり思っていたぞ」

「理由知ってんのにそれを言うんですか」

「今日お前が会議室にいたのは少々驚いたな」

「まあ、俺もびっくりでしたよ。一星先輩とこんなところで会うなんて」

「もう会長とは呼ばないのか?」

「……」

「まあいい、一つだけ言っておくぞ黒崎」

 

一星は俺に背を向け、ゆっくりと次の言葉を吐きだす。

 

「お前は……目ざわりだ。あの時も、今も」

 

そう言い残して去っていく一星の背中を俺はじっと見送る。それと同時に、一星言うところのあの時について思いだしていた。俺が今も4月の時のまま生活していればあいつに会う事なんて恐らく二度となかっただろう。そのために俺は赤羽を選んだのだから。だが、運命はこうしてまた俺とあいつを引き合わせた。正直うんざりだ。一星がじゃない、その目に映っているあの時の俺自身に対して、本当に嫌気しかしない。

 

「黒崎くん?」

 

そんな俺の横にいつのまにか座っていたのは安城だった。

 

「安城……。記録作業は終わったか?」

「うん。一応。黒崎君は帰らないの?」

「ちょっと休憩してた。これ飲み終わったら帰る」

 

俺は手に持っていた綾鷹を指し示す。

 

「参加して見て、どうだった」

「もう二度と来たくないな」

「……だよね」

 

ここでいつもなら『諦め早っ!』みたいなツッコミが入るのだが、それをしないのは安城も分かっているからだろう。この会議の問題が。

 

「お前も分かってるなら発言しろよ……記録作業なら1年生にでも任せればいいだろ」

「だって……会長たちは自分たちの信念とかプライドをもって話してるでしょ?私がそれを壊したら、生徒会自体が危ういじゃん」

「まあ、仲谷会長がポンコツだってのは前評判の通りだ」

「後、一星さんは目が怖いし……」

「あれはもとからだしなぁ……」

「もとから?」

 

げ。やばい、つい余計なことを……!

 

「黒崎君、一星さんと知り合いなの?」

 

案の定安城はそこに食いついてくる。

 

「い、いやそういうわけじゃ……」

「でも今、もとからって」

「そ、それは……」

 

俺は今まであの時の話題をずっと避けてきた。雪里とあった時も、矢作と会った時も。あいつらが知っていた俺はもうどこにもいなくて、ここにいるのはものぐさで、目立たず、俯瞰した態度をとるだけの抜け殻なのだ。いまさらあの時の俺の話をしてもその抜け殻になにか影響するわけじゃない。無意味。そう思ったから俺はあの時の話はしなかった。でも、そんな俺に新しい自分と言う可能性をくれたのが安城だった。素直で、明るくて、おせっかいなその姿に俺はあの時の俺を重ねていたのかもしれない。

 

なら、こいつには話してもいいんじゃないだろうか。

こいつはきっと、俺の過去を聞いてもいつも通りの安城でいてくれるんじゃないのか?

 

「安城、俺は……」

 

自然と言葉がでてくる。それは今まで出そうとは思いもしなかった言葉だが、そんな心の壁をすり抜けるように俺は次の言葉を発しようとしていた。

 

『みなさん、本日は区民センターをご利用いただき、誠にありがとうございます。まもなく閉館時間となります。帰り道、お気を付けください』

 

が、俺の言葉は館内放送によって見事に遮られてしまった。

 

「えっと……黒崎君?」

 

安城はそれでも俺の次の言葉を待ってくれているようだ。

だが、タイミングを逃したことで出そうとした言葉は奥に引っ込んでしまい、俺は言葉に詰まってしまった。

 

「……すまん。なんでもない。閉館するらしいから帰るわ」

「え?ちょ、ちょっと?」

 

俺は疑問を募らせる安城から逃げるようにロビーを出た。

 

区民センターを出ると、空はもう真っ黒でぽつりぽつりと街灯が道を照らしている。俺はその道をのろのろと歩く。もしかしたら安城が追いかけてくることを期待しているのかもしれない。追いかけてきて、さっきの話の続きを聞いてほしいのかもしれない。

でも、振り返っても安城は追いかけてこない。

 

今まで一人で帰ることなんてざらだったし、なんなら誰かと帰ったことなんて無いに等しい。だからそれに違和感もなかったし、それに孤独を感じることも無かった。

 

 

でも、今日の俺は誰かと一緒にいたいと、そう思っていた。

 

 

***

 

「それじゃあ会議を始めよう。今日もよろしく」

 

俺が会議に参加してから1週間。その間に会議は2回行われ、今日は生徒会が募集した体育祭実行委員会のメンバー区民センターに集まっている。赤羽と緑川あわせて30人はいるだろうか、俺はそんな生徒とたちの中にまるでモブキャラの様にまぎれ座っていた。

 

「本来なら実行委員長や他の役職を決めるところだけど、例年合同体育祭は生徒会がその役割を担うことになってる。だから実行委員長は俺と一星君。書記はうちの生徒会の安城、会計は緑川の木場君に努めてもらう。賛同の方は拍手してほしい」

 

仲谷の言葉に、一瞬にして拍手が巻き起こる。

 

「みんなありがとう。それじゃあこれまで生徒会で出した案をみんなで共有していこう」

 

仲谷は安城にアイコンタクトをとり、安城はこれまで出た案をホワイトボードに記していく。

 

種目案

 

・赤緑混合リレー

・赤緑混合騎馬戦

・赤緑混合玉入れ

・赤緑混合玉ころがし

・赤緑混合棒倒し

・赤緑混合綱引き

・応援合戦

・100メートル走

・200メートル走

・800メートル走

・1500メートル走

・父母生徒混合リレー

・教師生徒混合リレー

 

その他

・地域のダンスサークルによるパフォーマンス

・地域の吹奏楽団による応援ソング

・地域の小学生による応援

・地域のお弁当業者からの昼食提供

・選手宣誓

 

                              』

 

生徒たちは案の多さに感嘆の声を上げる。そりゃあこれだけ案があれば実行委員の会議もスムーズに進むだろうし当然の反応だ。

 

「今回のコンセプトは『両校の生徒によるふれあい、協力、コミュニケーション。また両校の伝統と今後の発展を願って』と言うところです」

 

一星の言葉に再び感嘆の声があがる。まあ、実際間違った事を言っているわけではない。種目案もその他の案も両校の生徒やその関係者までまきこんだ文字通り大きなイベントにはもってこいだ。だが、この案の中には実行不可能だと思われる物もいくつかある。例えば父母生徒混合リレーや地域の吹奏楽団による応援ソングといった学校外の人物に委託するものがそれに該当する。父母混合リレーの父母はどれくらい来場するのか分からない。だから実行するには当日来場する父母のリストを作り、宣伝し、欠員が出た場合の代案を考えなければならず、それをやっても結局どれだけ集まるかが不確定だ。吹奏楽団の応援ソングはアポをとるところから始まり、曲選や練習時間、リハーサルなどの用意をこちらがすること、そして当然要請するにあたって費用がかかる。それらをうまく行うには結局のところ予算案と規模の確定が先決なのだ。

 

「それじゃあ、ここから絞っていこう。……多数決でいいかな。ひとり3つ選んで挙手してくれ」

 

しょ、しょっぱなから多数決だと?

 

「ちょ、ちょっといいですか」

「なんだい?黒崎君」

「まずはこれらの案が可能か不可能か。そして不可能ならどう改善するかについてみんなから意見をきいて、そのうえで多数決にしたほうがいいと思うんですが」

 

仲谷は俺の発言に対し、一星に視線を向ける。一星はと言うと、心底嫌そうな顔をしてからゆっくりと立ち上がる。

 

「黒崎君、君は一週間我々と一緒に会議に参加していたはずだ。なにか不満があったのならその時に言うべきだったのでは?」

「い、いや、俺は不満を言っているわけじゃ……」

「そうかい?君は最初に参加した時も仲谷君の『伝統と生徒の主体性』を重んじる方針に異議を述べていたと思うが?われわれはディベート大会をやっているんじゃなくて、一つのプロジェクトをみんなで達成するために会議をしているんだ。方向性が気に入らないからと言って独りよがりな発言はやめてほしい」

「……」

 

一星の言葉に周りの生徒も俺に対し敵意の視線をむけてくる。俺はそれに反論することもなく、ただ座るしかなかった。

 

「それじゃあ多数決でいいね?みんな、3分間とるからその間に3つ選んでね」

 

俺の発言など無かったように会議は再開する。別に多数決という方式が悪いわけじゃない。ただ、生徒会が用意した案について特に意見も聞かずに多数決をとるという事は実行委員会の存在意義がほとんどないことを意味している。ただ多数決をとるだけなら全校生徒へのアンケートでも変わらないのだから。そう言った意味での発言だったのだが、一星達には伝わらなかったらしい。

 

そのまま会議は進行し、種目やその他の催し物については全てが多数決で決まってしまった。そして予算の話しは先送りにされている。

 

「それじゃあ、今日の会議はここまで。また明日、よろしく」

 

仲谷の言葉に実行委員たちは浅く礼をし、解散した。会議室を出るものの中には、俺に対し舌打ちをする者、鋭い視線を向ける者、憐れむような目を向ける者、とにかく俺の存在を疎ましく思うものばかりだった。

どうやら俺は一人勝手に生徒会に文句をつける反抗的な生徒だと思われてしまったらしい。

なぜこうなったか、その理由は単純だ。俺が異質だから。両校の生徒会は予算問題はおいといて数多くの意見を実行委員会発足前に用意し、さらにはコンセプトまで提示した。本来なら実行委員会で吟味するはずの内容も多数決と言う形で決定させた。以前安城にアンケートの選択肢の内、『どちらでもない』という選択肢は解答者の判断を鈍らせるという旨の話をしたが、今回の場合実行委員への選択肢は『とてもそう思う』、『そう思う』で埋まってしまっている。人と言うのは楽をしたがる生き物だ、というよりは苦を嫌う生き物と言った方が正しいだろうか。つまり実行委員たちは生徒会と言う指導者が敷いたレールを進む方が苦がないと判断してしまったのだ。そしてそれを数十人という集団で許容してしまった。集団と言うのは数が増えれば増えるほど個人としての意志が薄くなっていく性質がある。『チームワーク』と言えば聞こえはいいが『チームワーク』とは本来それぞれの信念をぶつけ合い、それを互いが認め、そのうえで深まっていくもののはずだ。だが今の状況は単に考えることを放棄し、より数の多い勢力に同調しているに他ならない。そんな中、少数派である俺は異質な『反乱分子』と捉えられても何ら不思議はない。

 

俺は仲谷たちと談笑している一星の方へ視線を向ける。

そうだ、一星誠也とはそういう人間だった。自分が属するコミュニティの中で勝手にヒエラルキーを作り出し、自分は頂点にいなければ気が済まない。しかし本人はそれを自覚せず、みんなが自分についてきてくれていると認識しているから性質が悪い。

だから、一星は俺を……。

 

「一星会長!さっきのは無いと思います!」

 

会議室いっぱいに広がる声で一星に訴えかけるのは安城だった。その声に、会議室から去ろうとする生徒たちは振りかえり、安城に注目する。その中には矢作の姿もあった。

 

「ど、どうしたんだい安城?一星君がなにかしたかい?」

「仲谷会長は黙っててください!」

「な、なんだと?黙って聞いていれば先輩に向かってなんて無礼な!」

「まあ、まて仲谷君」

 

不穏な空気になりつつある両者を仲裁したのは安城の呼びかけた一星だった。

 

「し、しかし一星君……」

「安城君には何か意見があるようだし、それを聞こうじゃないか。何も聞かずに事を荒立たせるのはか生徒会長ともあろうものがしていいことじゃない」

 

一星の最もらしい言葉に諭されたのか、仲谷は無言で安城に発言を促す。

 

「では安城君。話を聞こうか」

「さっきの黒崎君への発言は酷いと思います!頭ごなしに彼の意見を否定して、その上彼を孤立させるような発言までして!」

「安城君、君は何か勘違いしていないかい?さっきも言ったように黒崎君はわれわれと一週間共に会議に参加していたんだ。仮にわれわれの進め方が間違っていたとして、それなら彼はもっと早く言うべきだったんじゃないのかい?私が問題視しているのは彼の意識の低さだよ。生徒会の協力者として呼ばれたことへの自覚や責任感がまるで感じられない」

「……一星会長は黒崎君と同じ中学出身ですよね?」

「なに?」

 

そこで一星は今までの余裕のある表情を崩した。まさか安城の奴、また勝手に調べたのか?

 

「それがなにか?」

 

一星はもとの表情へ戻り安城に尋ねる。

 

「黒崎君は、あなたと同じ生徒会のメンバーだったんじゃないんですか?」

「なぜそう思う?」

「あなたと同じ中学だった人から聞きました」

「ほう。誰だねそれは」

「それは……言えません」

「そんな不確定なソースでは話にならないな」

「逃げるんですか?」

「なに?」

「私はあなたと黒崎君が同じ生徒会だったというところまでしか知りません。でも、あなたがさっき黒崎君を否定したのは、中学の時なにかあったからじゃないんですか?」

 

 

よせ、安城。それ以上言うな。やめてくれ……。

俺のその思いは言葉として俺の口から出ることはできなかった。くそ、なにビビってんだ。ここでやめさせないと取り返しのつかないことに……。

 

「……はあ、安城君。君は他人のテリトリーに勝手に踏み込むことに罪悪感は無いのかね?」

「……」

「まあ、このままだとここにいる実行委員のみんなも気になって次の会議に支障をきたすかもしれない。君の質問に答えよう」

 

一星の言葉に、実行委員たちも話を聞く姿勢になる。俺はまだ動けないまま、席に座ったままだ。

 

「君の言うとおり、私と黒崎は同じ中学の出身だ。当時私は生徒会長、黒崎は副会長だった」

 

やめろ、一星……。

 

「当時のうちの生徒会のメンバーは私たちをあわせ5人だった。役員たちは自分たちの仕事に誇りと責任感をもって取り組んでいた。黒崎も最初はそんなメンバーの一人だった。今の彼からは想像もつかないだろうが、明るく、気さくで、友人も多く、かなりの人気者だった」

「黒崎君が……」

「だが、彼はいつからか自分の力量を過信し、他の生徒会役員たちの仕事を自分でやり出した。最初こそ助言程度だったが、日を重ねるごとにその干渉は度を過ぎて行き、いつの間にか、生徒会役員の仕事全てを彼がやっていた。他の役員たちは私に何度も相談してきたよ。『自分たちの存在意義を黒崎に奪われた』『もう自分たちは必要ないんじゃないか』と。中にはそれで不登校になった役員もいた」

 

周囲の俺への敵意がさら増していくのを感じる。

 

「だが黒崎は、自分が他人の存在を貶めていることなど気付かず、ついには予算の都合で廃部になるはずの部活動の存続を学校側に認可させてしまった。教師陣も渋い顔をしていたが、生徒会副会長の提案を受け入れざるを得なかった」

 

一星は言葉を続ける。

 

「黒崎裕太郎という人間は、自分の勝手な正義で人の誇りを踏みにじり、それに自分で気づこうともしない、そんな偽善だらけの男なのだよ。先ほどの私の発言は、彼が以前と同じ過ちを犯そうといているからこその言葉だった。なにか気に障ったなら詫びよう。すまなかった」

「黒崎君……」

 

安城はまるで機械の様にぎこちなく俺の方を向く。その表情は、いつもの明るく元気な彼女からは想像もできないほどひきつっていた。

 

「さて諸君。余計な時間をとらせてしまったな。今日はもう解散だ。明日もよろしく」

 

一星の言葉に生徒たちは会議室を出て行く。仲谷たちも鞄に書類をしまい、会議室の出口へと歩く。

 

「黒崎君、正直君には失望した。明日からの会議にはこないでほしい」

 

仲谷がそんな言葉をかけてきたような気がするが、俺はそれを最後まではっきりと聞きとる事ができなかった。

 

 

―――ほらな、やっぱりこうなるんだ。

 

俺は結局あの時の俺のままだった。安城を助けようなんて、おこがましい俺のエゴだったのだ。俺は誰かに助けてほしいから人を助けるなんてそんな映画の主人公の様な理想を安城に押しつけていただけだったのだ。

 

 

――――誰かを助けようなんて、思わなければよかった。

 

 

 



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8. 黒崎君!体育祭実行委員会に参加して!(雪里茜篇)

 俺が実行委員を追放されてから1週間が過ぎた。一星の話した俺の過去はまたたくまに校内に広がり、廊下を歩くたび、教室を出入りするたび、周囲からの訝しげな視線を感じる。人と言うのは残酷だ。今まで興味もなく、もしかしたら存在すら認識していなかった人物に対してここまで奇異の眼差しを向けられるのだから。いや、むしろ興味のなかった人物だからこそ攻撃対象になるともいえる。興味が無かったという事はつまり知らなかったという事で、そんな得体のしれない人物から急に悪評がでれば、大なり小なり警戒するのが当然の反応ともいえる。

授業を聞きながら俺は気付かれないように安城のほうを見る。あの日以来、安城は俺に関わることは無くなった。あれだけしつこく行っていた生徒会への勧誘も、すでに遠い過去の出来事と言わんばかりに風化してしまっている。

安城と話さなくなったので、今現在実行委員がどうなっているか俺には知るすべがない。予算の話は進んだのだろうか。地域の団体へのアポ取りはできているのか。

会議に参加していた時よりもずっとそれが気になるのはどうしてだろうか。気にしたって俺にはどうする事も出来ないのに。

 

――俺があの時、誤魔化さずに安城に話していたらこうはならなかったか?

 

ばかばかしい考えだ。いくら考えたってやり直せるわけじゃない、中学の事だって、とりつくろって、隠し続けていても結局俺の中には後悔しか無くて、そんな虚しい感情から目をそむけるために知り合いのいない赤羽を受験して、平穏だなんだと理由をつくって逃げ続けてきた。

結局、犯した罪はいつか精算しなければいけなかったのだ。それがたまたまあの時だっただけで、あの時うまく回避していたとしても、俺はそれに向き合う運命だった。

 

――向き合うって、なんだよ?

 

一体どうやったら俺は過去に向きあえて、どうやったらそれは清算されるのだろうか。中学時代、俺が他人の尊厳を踏みにじって自分に酔っていたことは変わらない事実だし、一星に懺悔しようが土下座しようが、それで俺が変わるか?一星が俺を許すか?多分答えはノーだ。俺は一生あの時の自分を責めつづけて行くしかない。そしてそのうち、年齢を重ねて行くうちに、ついには罪悪感も後悔も時の彼方へ消えて行く。風化。それを待つしかないのだ。

 

俺がそんな不毛な自問自答をしている間にも時間は流れ、今日の授業は終わり放課後がやってきた。帰り支度を済ませ教室を出て行く生徒たち。当然その中には安城の姿もある。今日も実行委員会があるのだろう、安城はすぐに生徒たちの波の中へと消えて行く。

 

「帰らないのかい?」

 

それを見送る俺の独りでいたいという気持ちも露知らず声をかけてきたのは越前だった。

 

「……」

 

俺は無言で、心底迷惑そうな表情で越前を見る。

 

「帰らないなら、少しいいかい?」

「よくない。微塵もよくない」

「……じゃあ、この場で話してもいいのかい?」

「話すこと自体がよくないって言ってんだよ。揚げ足とんな」

 

強い口調になっているのは自分でもわかる。別に越前だからじゃない。誰が話しかけてこようと、俺はきっと苛立つのだろう。

 

「……悪い、言いすぎた」

「いや、いいんだよ。今の君の状況なら当然の反応だ」

「話ってのは俺の悪評についてか?」

 

俺は既に誰もいなくなったことを確認してから問いかける。

越前は申し訳なさそうに頷く。

 

「正直、少し予想はしてたんだ。黒崎君が安城さんのお眼鏡にかなうほどの実力があることや、生徒会活動にくわしいことから考えるとね」

「……」

「それで、君はどうするんだい?」

「は?どうするって何を?」

「体育祭実行委員」

「お前、流石にその冗談は笑えないからな」

 

まあ、俺が越前の言葉で笑ったことなんて一度もないが。

 

「……いいのかい?ここでやめても」

「いいも何も会長直々に出禁言い渡されてんだぞ」

「それは表面的な事実でしかない。俺が聞いてるのは君個人がそれでいいかどうかだよ」

 

俺は……どうしたいのだろうか。人間は苦を嫌う生き物だと、以前実行委員会の面々をそう卑下したが、今の俺もそう言われる存在だ。正直、もう一星に会うのも安城に会うのも会議に参加するのも嫌だ。全員が敵なのにそんな中ひとりで特攻してもハチの巣にされるだけ、向こうも俺も嫌な気分になるだけだ。

 

「今、君は『俺が行っても互いにマイナスしかない』と思ったかい?」

「なに、お前エスパーなの?」

「余計な勘が働くんだよ」

「聞いたセリフだな」

「確かに君が行ってもみんな嫌な顔をするだろうけど、君は体育館の取り合いの時、みんなの敵だった相馬君の暴挙をとめ、彼自身も救ってくれた。君があの時の相馬君と同じ状況なのだとしたら、誰かに救ってもらうしかない」

 

誰かに救ってもらう。それは俺が見つけた人を助ける理由だった。それはきっと、俺の善意が生んだものだ。だが、純粋な善意なんてものは存在しない。それは越前や相馬、俺がこれまで出会ってきた人物たち全員に言えることだ。だれだって苦しみ、葛藤し、悩み、そのうえで行動している。だから、俺が特別不純な善意を持っていた訳じゃない。善意の裏には、その人のエゴがある。俺はそのエゴが基準より大きすぎたのだ。自分は誰かの助けになれる、凄い人だと信じて疑わなかった。

だから、それは崩壊したのだ。

でも安城は、そんなエゴをこれっぽっちも持ち合わせていない。それが俺にはまぶしすぎて、だからあいつを遠ざけようとしていた。

だが、安城は俺を助けてくれる唯一の人物でもある。あいつの持ってくる面倒事を解決するうちに俺の世界は変わっていった。

それがあの時見つけた、俺の安城を助ける理由なのだ。誰かを助けることで自分が助かりたい。それが今の俺のエゴなのだ。

そして、それも崩壊した。

 

 

「助けなんていらない。助けてもらったら、きっと俺はまた助けようとする」

「でも、君が今まで助けてきた人は、君を助けたいと思ってるはずだよ」

「無限ループだな……」

 

助けたから助けてもらう。情けは人のためならずなんて言ったりもするが、その考えだと一度助けたら永遠に抜け出せないループに突入する。最初は助けることに自分なりの意味を持ち、他人が喜べば自分も嬉しい。だが、ループを続ければだんだん境界線が見えなくなってくる。どこまでが助けるという範囲でどこからが余計なお世話になるか。それが自尊心を膨れ上がらせ、互いの関係を壊していく。ループから抜け出すという事は、それらの関係が全て終わることを意味する。

俺はそれを壊してしまった。一度ならず二度も。二度あることは三度あり、仏の顔は三度までなわけで、俺はもうループに戻ることはできないのだ。

ループから抜け出したことを喜ぶか悲しむかは本人次第だが、俺はどちらだろうか。

 

「あの時、君が俺の生徒会への加入をよしとしなかったのは、俺や安城さんが過去の君の様に失敗すると思ったからじゃないのかい?」

 

あの時、俺が越前の頼みを引き受けず、越前が生徒会に入っていたら、バスケ部との両立ができずどちらの活動にも支障をきたしていただろう。真面目な越前はなんとかしようと躍起になり、結果他人の役割を中途半端に奪う事になっていたかもしれない。

そうなれば安城も生徒会の立て直しに躍起になるだろう。間違っている本人は間違っている事に気付けない。だから俺は二人が間違えないようにと手を打った。だが、それは俺が本当の理由を見つけるために設定した理由であり、俺の本心とはどこかちがっていた。あの時、俺は真剣に考えて答えを出したはずだった。考えずに放棄するのは、安城のやっていることを侮辱する行為だと思ったから。

結局、考えて出した俺の人を助ける理由も幻想だったと一星の一件で分かってしまった。

 

――あの時、俺は俺自身の本当の理由を見つけなればいけなかったんだ。

 

でも、その理由はもう永遠に分からないのかもしれない。

 

「黒崎君、君は周りをもっと見るべきだよ。ほんの数人かもしれない。でも、君を思い、君の為に行動している人がそこにはいるんだ」

「……いねえよ。そんなの」

 

安城はあれ以来、俺とのかかわりを断ち切っているのだから。

 

「……君の問題だ。決めるのは君自身だよ」

 

越前は俺の背中を軽くたたくと教室を出て行った。

 

「……俺も、帰るか」

 

 

鞄を持ち俺は教室を出る。

 

「あ……」

 

扉を開けたすぐそこに立っていたのは、雪里だった。

 

「また待ち伏せか?」

「……うん。待ってた」

 

前回と違い、雪里は否定しなかった。それはつまり、越前と似たような用事ということだろう。

 

「悪い、今度にしてくれ」

 

俺は雪里から逃げるように去ろうとする。

 

「待って!」

 

そんな俺の右手を雪里は必死に掴んでくる。

 

「……離してくれ」

「離さない……離したら……黒崎君は……壊れちゃう」

 

雪里の表情は真剣そのものだ。唇をかみしめ。メガネの奥の瞳にはいつもの何倍もの生気が宿っている。そんな表情をされたら、無理やり振りきることはできない。

 

「……わかったよ。どうすればいいんだ?」

「ついて……来て」

 

 

 

***

 

 

 

雪里に連れられてきたのは部室棟。そういえば雪里と再会したのもこの場所だった。あの時はまさか中学の知り合いがこの学校にいるなんて思わなくて、雪里の名前すらすぐに思いだせなかったっけか。

 

「はいって……」

 

雪里は漫研の部室の中に俺をひっぱり込む。ここまでずっと俺の右手は雪里に掴まれている。

 

「お邪魔します」

 

漫研の部室に入ったのはこれで二度目だが、以前より机の上が散らかっているように見える。なにか作業をした後なのだろうか。

 

「昨日……新しく二人入った」

「新入部員か?」

「うん……」

「それでこんなに散らかってるのか?」

「みんな……説明したかったみたい。漫画の魅力を……」

 

漫研の部員と会ったことは無いが、きっと雪里の様に漫画を心から愛する人たちなのだろう。それは雪里が嬉しそうに話しているのを見れば感じ取れる。

 

「よかったな。いい仲間に会えて」

「黒崎君の……おかげ……」

「違う、確かに中学の時廃部寸前の漫研を存続はさせた。でも、高校でのことは全部お前が頑張ったからだ。それに俺のやったことなんて……」

 

『無駄だった』

 

「違う!」

 

 

その声は、いつもの雪里からは想像もできないほど感情的で、きれいで、透き通った声だった。俺はこの声を聞いたことがある。駅前の『ミント』から帰る時、俺を追いかけてきた雪里は、今と同じくらい頑張って声を張り上げていた。

 

「雪里?」

「違う!違うよ……黒崎君のしてくれたことは無駄なんかじゃない!」

 

雪里は目に涙を浮かべながら、尚言葉を続ける。

 

「中学の時、友達もほとんどいなかった私にとって、漫研は立ったひとつの居場所だったの!漫画の話ができる部員が、私の漫画をよんで意見してくれる仲間がそこにはいたから!……でも、先生や他の人たちから見たら何の成果もあげない、無駄な部活だったんだと思う……」 

 

当時、一星も言っていた。『いくら本人たちが満足していても、他人から見て無価値ならそれは無価値としか判断されない』と。

 

「廃部を言い渡されたあの時、息が詰まったよ、悪い夢でも見てるんじゃないかって、目が覚めたらいつもみたいにみんなと漫画の話をしてるはずだって……でも、それは紛れもない事実で、私の居場所は無くなりかけた……でも、それを黒崎君は助けてくれたんだよ!」

 

助けた。表面上の事実だけを見れば、確かに俺は漫研を助けた。予算案を何度も見直し、改善案を打診し、顧問に何度も頭を下げ、それでやっと2年間の猶予をもらえた。思えばあの一件が、俺と周囲の溝を広げる最大の要因だったのかもしれない。

俺はあの時、なんで漫研を、雪里を助けたんだ?自分の力量を過信し、自分に酔っていたというのは確かだ。でも、それだけで俺はあんなに面倒で大変な事を自分からやったのか?

 

「黒崎君はずっとずっと……私のヒーローなんだよ!だから、負けるところなんて見せないでよ!負けそうなら私を頼ってよ!一緒に戦えなくても、それくらいさせてよ!」

「雪里……」

 

雪里は肩で息をしている。あれだけ大きな声で話したのだから、当然か。

 

 

「黒崎君……私の漫画……読んだ?」

「あ、いや……まだ」

「今……持ってる?」

「鞄の中に」

「じゃあ……読んで……今」

 

雪里の言葉に俺は返せる言葉が無く、手は自然に鞄を開け、封筒に入った原稿用紙を取り出す。

一枚目は以前も見た女子高生とメガネをかけた男子生徒のイラスト。

ページをめくると、女子生徒は委員会の仕事をこなし、部活でも大活躍し、周囲の人間とも良好な関係を築き、毎日を楽しそうに過ごしている。

男子生徒は、それと反対に毎日をつまらなさそうに過ごしている。朝、学校に来て、授業を聞いて、放課後になると一人、文芸部の狭い部室で本を読み、日が暮れると帰る。そんな彼はいつも女子生徒を見ていた。自分とは全く反対の充実した生活を送る彼女を見ながら、彼は思う。彼女のいる世界は、どんな色をしているのだろうと。

そんな中、彼の所属する文芸部は廃部を言い渡される。自分の居場所を失った彼は一人、夕暮れの校庭で自作小説を読んでいた。だが、そんな彼に声をかける人物がいた。それが彼女だった。『その小説、よんでもいい?』屈託の無い笑みでそう尋ねてくる彼女に、彼は自作小説を見せ、文芸部が廃止になることを告げる。彼女はそれを熱心に聞いてくれた後、文芸部の存続に協力してくれると言ってくれた。彼が理由を尋ねると彼女は言った。

『その小説、面白かったから。それだけ』

そのあっさりとした言葉に彼は気付いた。自分の小説は、彼女の心を動かすだけの力があり、彼女は動いた心を素直に伝えられる。たったそれだけのことが嬉しくてうれしくて、彼は今まで一度も見せなかった笑顔を彼女に見せた。

そして、彼女は言葉通り文芸部の存続を学校に承認させた。

だが、無理な要求を無理やりとおした彼女は周囲から非難され、孤立していった。そんな彼女に彼は尋ねた。

『僕を助けたこと、後悔していませんか?』

 

彼女はそれに対し口を開く。

 

――そこで、原稿は途切れていた。

 

この漫画は男子生徒を雪里に、女子生徒を俺に例えたものだった。確かに俺は雪里の漫画を読んで、この女子の様な発言をした気がする。だが、気になるのはラストであろうページが無いこと。

この作品は未完なのだ。

 

 

「これ、彼女は最後なんて言うんだ?」

「黒崎君なら……なんて言う?」

「……わからない」

「じゃあ、分かったら……教えて」

「なんじゃそりゃ、お前は最後のセリフ考えてないのか?」

 

雪里は頷く。

 

「最後は……黒崎君がたどり着いた言葉にする」

 

窓から差し込む夕日に照らされる部室。そのなかで雪里茜は、本当に綺麗な笑みを浮かべていた。

 

 



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9. 黒崎君!体育祭実行委員会に参加して!(矢作恭子編)

いつもより短いです


時刻は8時を過ぎ、辺りはすっかりと暗くなっていた。俺はその様子を自室の窓から眺めていた。別に綺麗な星空が広がっているわけでも彗星が見えるわけでもない。それでも、空を見ていた。

 

『最後は……黒崎君がたどり着いた言葉にする』

 

 

漫研の部室で雪里が俺に告げた言葉を何度も反復する。あの時、いや、あの漫画を描いた時から雪里は俺が答えを出せると確信していたのか?

違う、雪里は分かっていたんじゃない、願っていたのだ。どんな道のりでどんな選択をしようと、俺が中学の時の様な笑顔を取り戻すことをずっと。

俺があの時の事を必死に振り切ろうとしていた時に、雪里はあの時の事に向き合っていたのだ。本来なら俺が向き合わなければならなかった事に、その代わりを務めていてくれたんだ。

でも、雪里は俺じゃないし、俺は雪里じゃない。いくら考えても雪里は俺がたどり着くであろう答えを見つけられなかった。だから、あの漫画を描いたのだ。俺に道を示すために。

中学の時、クラスでも目立たず、他人と関わらず、いつも誰かの陰にいた彼女はもういなくて、誰かに道を示せるほどに強くなっていた。それはあの時俺が漫研を存続させたことももちろん要因なのだろう。だが、それ以上に雪里の、『自分の居場所を失いたくない』という願いがあったからに他ならない。

一星の言葉通り、他者から見て無価値なものはそれ以上の評価を得ることは無い。でも、重要なのは他者がどう思うかではなく、本人たちがそれにどれほどの価値を見いだせるかだ。生徒会も、クラスも、確かに居心地のいい場所ではあった。誰もが俺を頼り、必要としてくれていたから。でも、俺はその場所を『失いたくない』と、『何があっても守りたい』と思ったことは無かった。だからこそ俺は失ってもその場所に戻りたいと願わなかった。それが知り合いのいない赤羽を受験する事に繋がった。

でも、中学の校庭で雪里の漫画を読み、漫研を失いたくないと強く願う彼女を見て、雪里が漫研という居場所をどれだけ大切にしていたのか、それを分かりたいと心の底から思ったのだ。俺にはそんな場所は無かったから。

 

――俺は誰かを助けることで、自分の居場所を見つけたかったのだ。

 

それは以前俺が考えた理由より遥かに傲慢で、希薄で、エゴの塊だと言える。でも、今までの出来事を思い出せば、かなりしっくりくる言葉だった。

人は異質なものを恐れる。分からないと分かってしまった時、自分がひどく惨めだと感じてしまうから。でも、それを認めることができればそれは『分かりたい、知りたい』という欲求に変わる。他人にとってその欲求が醜悪だろうが無価値だろうが、自分が望んだ物の価値に判断を下すのは自分自身だ。

俺は安城や雪里といっしょにいることが心地よかったのだ。あいつらと過ごした時間や場所は、俺にとって初めてできた『居場所』だったから。

 

――安城を助けないと。

 

越前和人は言った。『君が今まで助けてきた人は、君を助けたいと思ってるはずだ』と。

 

雪里茜は言った。『負けそうなら頼ってほしい』と。そしてその指針を示してくれた。

 

そして安城奏は俺を助けてくれようとした。俺の為に他者に意見してくれた。

 

あったんだ。俺の居場所はすぐそこに。

 

それなら、その居場所を守ることが、俺の本心だ。

 

俺は窓を閉め、ゆっくりと立ちあがり大きく息を吸い、はいた。そして上着を羽織り外へ出た。

 

***

 

 

 

「で、何なん?こんな時間に呼び出して」

 

時刻は午後9時。矢作恭子は寝むたげな瞳で俺を見る。

場所は俺たちが通っていた中学の近くにある公園。こんな時間に遊びにくる子どもなどいる訳もなく、いるのは俺たち二人だけ。

 

「まず確認だが、安城に俺と一星の関係を教えたのはお前だな?」

「あー、ばれた?」

「ばれないと思ってたのか?」

「ううん。ゆーたろーならすぐに気付くと思ってた」

 

矢作はからからと笑う。だが、すぐに真剣な面持ちになる。

 

「ごめん、ゆーたろー。私、ゆーたろーが生徒会をやめた理由、知らなくて……」

「話してないんだから当然だろ。謝ることじゃない」

「ううん。謝るよ。だって、ゆーたろーが辛い思いをしてたのに、近くにいたのにそれに気付けなかったんだもん」

 

矢作は頭を下げ、俺に謝罪してきた。それが彼女のけじめなのだろう。

 

「いいんだ。あの時悪かったのは一星でもお前でもない。俺なんだから」

「そんなこと……」

「もうこの話は終わりだ。そんな過ぎ去った時間を思い出すためにお前を呼んだ訳じゃない」

 

俺はゆっくりと息を吸い、吐きだす。

 

「今、実行委員はどうなってる?」

 

矢作は俺の質問が意外だったのか、唖然としていた。だが、すぐに口を開いた。

 

「私はバカだから、今の状況がいいのか悪いのか分からない。だから、ありのままを伝える。それでいい?」

 

俺は無言で頷く。

 

「今決まってるのは、種目案とその他の余興について。種目は、この前多数決で決まった通り。余興に関しては、来週アポを取る予定」

「……全然進んでなくないか?」

「競技の内容とかルールの話でヒートアップしてた」

 

まあ、それも大事ではあるんだが、一週間あったにしては進行が遅い。

 

「予算案はどうなってる?」

「安城さんと木場がやってる」

「二人だけでか?」

「うん」

 

もしかして、いやもしかしなくとも一星たちは予算案について安城達に押し付けたのだろう。

安城はこの前、俺の事で一星に意見していたし、木場も最初に俺の案に賛同していた。一星の的になる条件は満たしてしまっているわけだ。

かてて加えて二人が生徒会役員なのが問題だ。生徒会役員がやっているという事実に他の連中は安心しきってしまっているだろうし、二人とも一星の反感を買っている事実が助力しようとする考えを消し去ってしまっているのだ。

 

「……つまり、全然進んでないわけだ」

「分かんないけど、ゆーたろーがそう思うってことはそうなんだろーね」

「矢作、お前明日はひまか?」

「明日はゲーセン行く予定なんだけど」

「オーケー、暇だな。それじゃあ頼みがある」

「まって、ゆーたろーは実行委員会に戻るつもりなん?」

「方針的にはそうなる」

「なんで?多分行ってもみんなに嫌な事言われるよ?」

「それでも、俺は行く。安城を助ける」

「……おっけ。わかった。ゆーたろーがそう言うなら、きっとそれが正しいんだろーし」

 

矢作は夜空を見上げる。

 

「私さ、ゆーたろーのことが好きだったよ」

「え?」

 

突然の言葉に俺の思考は停止する。だが矢作はお構いなしに話し続ける。

 

「中学の時、みんなに頼られて、それにしっかり答えて、人気者だったゆーたろーをカッコイイって思ってた。ほら、私って昔からこんな感じじゃん?校則違反ぎりぎりの服装したり、毎日遅刻して来たり、授業中に携帯いじったり。正直、浮いてたよね」

 

まあ、矢作の外見や行動だけを見たら、大抵の人間は深く関わろうとはしないかもしれない。

 

「でも、お前普通に友達いたろ?」

「そうだね。友達はいたし、なんなら今でも遊ぶような友達もいるよ。でも、その人たちが見てるのは私の外側だけだった。ヘアアレンジしたら『可愛い』とか『教えて』とか言ってくれるし、みんないい人なんだと思う。でも、ゆーたろーはそういう人たちとは違った」

「そんなこと……」

「あるんだって。あの時のゆーたろーは、私が息苦しそうに生活してるのに気付いてた。だから、私の話を聞いてくれて、ゲーセンに一緒に行ったりしてくれたんでしょ?」

 

確かに、クラスの中で友達と話していた時の矢作はどこか無理をしているように感じた。けして友人たちを疎ましく思っていたわけではないだろうが、矢作は、『矢作恭子』であることを義務付けられていた。周囲が矢作に期待しすぎていたのだ。矢作ならみんなを笑わせてくれる、矢作ならどんな話でも笑って聞いてくれる。

そんな彼女が窮屈そうに見えたから、俺は矢作をゲーセンに誘い、いろんなゲームで遊んだ。実は矢作は手先がものすごく不器用で、格闘ゲームをやらせればパンチを空打ちし、シューティングゲームをやらせれば自爆し、レースゲームをやらせればクラッシュしていた。そんな矢作に俺は聞いたことがある。『そんなに不器用で、よくヘアアレンジとか出来るな』とそれに対する矢作の答えは『だって、みんながそれを見て楽しい気持ちになってくれるでしょ』と。

今思えば矢作は今俺が持っている人を助ける理由に近いものを持っていたのかもしれない。『居場所が欲しい』。きっと矢作も俺や雪里と同じだった。クラスにある自分の居場所を守りたかった。違うのは、雪里はそれを俺に話し、助けを求められたこと。矢作は、ずっと一人でその場所を守り続けていたのだ。誰にも頼らず、寄る辺を必要とせず、みんなを楽しませることに尽力していた。その努力が、矢作を今の居場所に導いたのだ。おしゃべりができる友人、一緒にゲーセンに行く友人。そのすべてが矢作が守りたいと思うものなのだろう。

 

「初めて私の内面を見てくれた人、それがゆーたろーだったんだよ」

「……」

「いつからか私はゆーたろーを見てた。授業中も、一緒にゲーセンに行った時も。でも、私はゆーたろーの内面を見てなかった。だからあの時、ゆーたろーが困っているのにきづけなかった。私が助けなきゃいけなかったのに。だから、ごめん」

「……いいんだよ。たとえあの時気付けなくても、お前は今ちゃんと俺の事をみてくれてるじゃないか。それだけで、十分だ」

「……そう、かな?」

 

 

矢作は普段からは想像もできないほどのぎこちない笑みを浮かべる。それを見て、俺は笑いをこらえられなかった。

 

「ちょ、ちょっと何笑ってんの!は~マジショックなんですけど!」

「わ、悪い、でもちょっと……」

 

1分くらい笑ってから、俺は矢作の方へ向き直る。

 

「……うん。やっぱり変わってないね。その笑顔」

「そういえば、久しぶりに笑った気がする」

「そういうゆーたろーが好きだったんだよ」

 

矢作はにっこり笑うが、すぐに顔を赤くする。自分が俺に2度も告白したという事実にやっと気付いたらしい。

 

「い、言っとくけど、昔の話だから!あくまで中学の時の話だから!」

「わかってるよ。そんなおっかない顔すんなよ」

「あー!女子に顔の事言うとかサイテー!」

 

 

 

 

それからほどなくして、俺たちは公園を後にし、矢作を家の近くまで送った。

 

「じゃあ、明日は頼む」

「おけ~」

「じゃあな、恭子」

「……!うん、また明日!」

 

笑顔で手を振る恭子を背に、俺は帰路ついたのだった。

 

その足どりは自然と踏みしめていた。

 



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10. 黒崎君!みんなで協力しよう!

翌日は土曜日。俺は以前越前と訪れた謎の店『ベアトリーチェ』に来ていた。事前に越前に話を通してもらい、2時間だけ貸し切りにしてもらう事ができた。まあ、貸し切りにしなくてもどうせ客は来ない気もするが……なんて言ったら店主の響にシメられそうなので黙っておこう。

俺が今日ここに呼んだ人物たちはまだ来ていない。だから俺は以前食べて気に入ったパンケーキを注文しゆっくりと頂いていた。うん、美味い。もうパンケーキ一本で売り出せば客増えるんじゃね?と思うくらいだがやっぱり黙っておこう。

俺が最後の一枚にフォークを刺したところで店の扉が開いた。

 

「いらっしゃい」

「はあ、どうも……」

 

響の声に答えるのは緑川高校生徒会会計、木場神威。ジーンズに、『世界最弱』と書かれたTシャツ、首にはヘッドフォンをひっかけるという完全な休日スタイル。そのTシャツどこで売ってるの?というかなんで買ったの?

木場は俺の姿を見つけると軽く会釈し近づいてくる。

 

「今日は呼び出して悪かったな」

 

何故木場を呼んだかというと最初の会議の時に俺の意見に肯定的だったこと、そして今現在安城と予算案作成に取り掛かっていることから、俺と同じ方針を目指す人物だと考えたからだ。当然俺は木場の連絡先は知らなかったので連絡は恭子を介して行われた。

 

「いえ、全然。僕もどうにかしないといけないと思っていたので。……えっと、黒柳君?」

「人の名前を日本でのテレビ誕生と同時に生まれたテレビタレントの先駆けとして、長年に亘り第一線で活躍し、現在に至るまで唯一テレビ番組のレギュラーを継続して持ち続ける、テレビ放送史を代表する芸能人と間違えるな。俺は黒崎だ」

「失礼しました。黒崎君」

 

こいつ、10分後には黒澤とか言ってきそうだな……俺は世界に誇れる映画監督じゃないからな?

 

「とりあえず、他のやつらが来るまで適当にしててくれ、あ、ちなみにおススメはパンケーキだ」

「はあ、それじゃあ焼き魚定食で」

 

こいつ、人の話し聞いてんのか?というかがっつりいくな~。今3時なんだけどお昼食べてないの?そんなハードスケジュールなの?俺邪魔しちゃった?

 

 

 

 

「ほい、焼き魚定食」

「おお……」

 

10分後、響が持ってきた焼き魚定食に感嘆の声を漏らす木場。

それと同時に再び店の扉が開いた。

 

「おっまたせー!」

 

恭子が元気よく登場する。いや、ほんと待ったわ。おかげで10分間、木場と気まずい空気シェアしちゃって今ではすっかり気まトモだよ。

 

「く、黒崎君……」

 

恭子の後ろから顔を出すのは安城だった。先日の事もあり、いつもの元気は無い。正直俺も身構えてしまうが、そんな場合でもない。

 

「よう。取りあえず座ってくれ」

 

なんとか声を振り絞り、二人を席に誘導する。

これで、メンツは揃った。俺の向かいに座る木場。俺の左に座る恭子。そして俺の右に座る安城。

 

「……ポジショニングおかしくない?」

 

俺は左右の二人に問いかける。なんか木場が嫌われてるみたいになってんだけど……。あ、ほら木場がすごく恨めしそうな目でこっち見てる。お、俺は悪くないから、そんな目で見るな。

 

「さ、ゆーたろー、話始めちゃおうよ」

 

え、スル―?この配置で話始まるの?安城に目線を向けるが、どうやら俺の言葉を待っているようで、この状況への改善案は無いようだ。

仕方ない。このまま始めよう。

俺は大きく咳払いし、話を始める。

 

「あー、今日集まってもらったのは他でもなく体育祭実行委員会について話したかったからだ」

 

てっきり安城から何か言われるかと思ったが、安城は真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける。どうやら恭子が何か言ってくれたらしい。

 

 

「聞いた話だと、実行委員会の進行度はあまり芳しくないらしいな」

 

全員が頷く。

 

「そして肝心の予算案は安城と木場にまかせっきりになっている」

「そうですね」

「ちなみに予算案はどうなってる?」

 

俺の問いに木場は鞄からパソコンを取り出し、画面を俺に向けて開く。

ざっと内容に目を通してみる。

 

「……一応、やれるだけのことはやってるんですが」

 

木場の言うとおり、各競技に必要な備品についての予算はだいたい決まっている。だが、地域団体が行う余興に関してはまだ白紙のままだ。

 

「いや、二人で、それも1週間でやったなら凄いことだ」

「それは、どうも」

「だが、各競技に必要な備品も今後の会議によっては変更される可能性もあるな」

 

昨日聞いた話だと今会議で焦点になっているのは各競技のルールと内容らしい。先に予算を決めずに始まっているため、木場たちが作った予算案通りに話が進む可能性はゼロに近い。むしろオーバーするとみたほうがいいだろう。

そして、地域団体の余興にかかる費用も未定。来週の水曜にアポを取りに行く予定らしいが、予算案が未定のまま行っても向こうが首を縦に振るとは思えない。

 

「つまり、予算案をしっかり決めるところが会議全体の質を上げるのに最も重要なことは変わらない訳だ」

「でも、一星会長達にそれを言っても聞いてくれなくて」

 

安城は申し訳なさそうに言う。予算案に限った話では無く、今後一星たちが間違った進行をした場合にも、あいつらがこちらの意見を聞いてくれなければ破綻するのは目に見えている。

 

「一応、方法はある」

「え?ゆーたろーなんか思いついたん?」

「ああ」

「聞かせてください、黒崎君」

「黒崎君」

 

安城達は真剣に俺の目をみる。

 

「正直、一星たちにまともに取り合ってもらえる可能性はほとんどない。だから、必要なのはあいつら以外の実行委員を味方につけることだ」

「そんなんできんの?」

「五分五分だ。他の実行委員は一星たちの敷いたレールの上を走っている。どうしてかと言うと、その理由は2つある」

「2つ?」

「1つは、一星たちが実行委員長という立場にあること。どんな集団でもそうだが、先陣を切って物事を進めてくれるリーダー的存在に対し他のメンバーは依存しやすい。反論しても、じゃあ自分がみんなを納得させる意見を言えるかと聞かれるとうんとは言えない。リーダーという肩書がフィルターになり、それに異議を唱えるという思考そのものを潰してくるんだ」

 

それは中学の時、周囲が俺を頼ってきたことにも言えることだ。彼らは俺の生徒会副会長という肩書に依存していた。副会長なら他の人が思いつかなかった答えを出してくれると過度な期待をしていたのだ。

 

「そしてもう一つは、一星たちに実績があること」

「といいますと?」

「今回の実行委員より前から両校の生徒会は活動している。その中であいつらは学校をよくするための政策を労している。生徒会だから当然ともいえる行為だが、結果的に実績に繋がっている」

 

緑川については俺の想像でしかないが、赤羽の生徒会は俺が安城に助言したこともあり、いくつか実績を残している。安城がやったことだが、大抵の生徒はそれを『生徒会という集団』が成し遂げたこととして認識する。ましてや仲谷のような容姿の整った会長が取り仕切る団体だ。以前俺は越前の問いに誰もが返事するのは、越前の外見的特徴が解答しないという考えを潰していると考えたことがある。あの時は冗談半分で考えたことだったが、実際問題、人の印象は7,8割方見た目で決まる。たとえ仲谷という人間を対して知らなくても、他より外見が良ければ大なり小なり評価はあがるだろう。

話を戻すと、赤羽高校生徒会には安城を介しての『実績』がある。それが彼らへの理由の薄い信頼につながっているのだ。

中学の時、周りが俺を頼ったもう一つの理由は、俺が人を助けたという『実績』があったからに他ならない。俺の事を大して知らなくても俺が残した結果を見ればなんとなく信頼して見ようと思えたのだ。

 

「それだと五分もないんじゃ……」

 

木場の問いに俺は首を横にふる。

 

「いや、ある。この場合で必要なのは、リーダーという肩書と生徒会活動という実績だ。それがある人物なら、一星たちに異議を唱えても周りの反感を買ったりしない」

「でも、実行委員長は一星先輩たちじゃん。他にリーダーなんて」

「いや、実行委員長である必要は無い。そこに近い肩書があればいい。つまり……」

「副会長!そうでしょ!?」

 

安城が俺の答えにたどり着いてくれた。

 

「そうだ。副会長の光定。あいつを使う」

「でも、あの副会長会議じゃ何も言って無いじゃん。それでみんな納得するん?」

 

たしかに俺が会議に参加していた短い間、光定という人物は全く発言せず、仲谷たちの近くで俯いていただけだった。だが、うつむくという仕草自体から、彼が会議に対しなにか思うところがあると予想できる。

 

 

「する、というよりはさせる。要は生徒会としての実績以外の実績を光定に持たせればいいんだ」

「そんなの……あるんですか?」

「そのための予算案だ。俺たちで完璧な予算案を作り、それを光定に渡す」

「あの副会長に手がらを渡すってわけ?」

「そうだ。予算案が決まらないと一星たちの決めた種目や余興は実行できない。今は種目内容についてヒートアップしているが、少し冷静になればあいつらもそれに気付く。だが、気付いた時にはすでに手遅れになる。それを事前に防いだという実績を光定に持たせるんだ」

 

そうなれば他の実行委員たちにとって光定は一星たちに匹敵するほどの存在になる。その後は光定を介して俺たちの意見を提示すればいい。

 

「でも、光定副会長がそれに応じるかどうかはわからなくないですか?」

 

確かにそうだ。光定がNOと言えばこの策は水泡に帰す。それが五分五分と言った理由だ。でも、現状打てる手はこれしかない。

 

「光定先輩なら、聞いてくれるかも」

 

安城がぽつりとつぶやく。

 

「どうして、そう思うんですか?」

「光定先輩って、会議とかでは発言しないけど、私の書いた議事録とかの確認してくれるし、それに実行委員会の後もあんまり目立たないけど雑務とかしてくれてるし、生徒会のことを大事にしてるんだと思う。」

 

安城がそこまで言うという事は、光定は少なくとも仲谷や一星とは違ったタイプの人間なのだろう。

 

 

「でも、誰がその副会長を説得すんの?」

「俺が説得する」

 

恭子の疑問に俺は即答する。

 

「ええ!黒崎君が!?」

 

安城は相当驚いたのか椅子から立ち上がる。

 

「……発案者がやるのが筋ってもんだろ」

「そうだけど……黒崎君は……」

「確かに俺は他の実行委員から良くは思われていない。でもそれは実行委員全体としての考えだ。人が人を攻撃するうえで最も強力な武器は数だ。タイマンだと反撃されかねないからな。つまり、一人でいるところを狙えばいい」

「でも……」

 

安城は尚も不安そうな表情を見せる。

 

「大丈夫だ。俺はもう壊れたりしない。過去の自分も今の自分も受け入れる。俺には居場所があるから」

「黒崎君……!」

 

その言葉を聞いた安城は笑みを浮かべた。きっと俺の言葉の意味は伝わっていないだろう。それでも安城は俺が前に進もうとしていることに気付いてくれたんだろう。

 

「そういうわけで、これから予算案を詰める。ここは後1時間くらいしか使えないが、終わらなければ持って帰ってでもやる。期限はアポ取りに行く前の会議、たしか月曜だったな。そこまでだ」

「今日いれてたったの3日ですか……やれますかね?」

 

木場は不安げに尋ねる。

 

「やるしかない。幸い木場は会計の役職だし、俺も中学の時に予算案を作ったことがある。経験者が二人もいれば見込みはある」

「ゆーたろー、わたしたちは?」

「安城は今日まで木場と予算案を作ってきた中でノウハウは分かったはずだ。恭子は予算案を作る上で、上手く一星たちを納得させるような文体を考えてくれ」

「おけ!りょーかい!」

「うん、やろう!みんなで!」

 

安城の言葉に全員が頷き、俺たちの予算案政策は始まった。

 

 

***

 

そして日曜日。昨日の予算案政策は思った以上に円滑に進み、後は個人でもちかえり、今日の夜にグループラインで共有し木場がまとめることになっている。仕事を進める上で際立ったのは木場の能力の高さだった。ブランクのある俺や初めて予算案に触れる安城達にも分かりやすく説明してくれた上に割り振った仕事を他のメンバーより何倍も速いスピードでこなしていた。緑川高校生徒会が実績を残しているのは木場の貢献あってこそなのだろう。

さて、そんな日曜に俺がわざわざ学校に来たのは、当然昨日言った光定の説得のためだ。

安城聞いたところ、土日の光定は図書室で受験勉強をしているらしい。まだ7月なのに、受験生ってのは想像以上に大変らしい。

そんなことを考えながら俺は図書室の扉を開く。休日なだけあって図書室ないはガランとしている。『ベアトリーチェ』といい勝負だ。俺は貸し出しカウンターを横切り、並んでいる本棚の間を通りすぎる。その先のスペースには円卓と椅子があり、そこで一人勉強している光定の姿を見つけるのは容易だった。

ゆっくりと近づき背後から肩を叩くと光定はびくりとしながら振り返った。

 

「こんにちは、光定先輩」

「き、君は……?」

「2年の黒崎です。ほら、こないだ実行委員会を追い出された」

 

自分でも言ってて悲しくなるが、俺の事を思い出してもらうにはこれが一番早いだろう。

 

「あ、ああ……うん、黒崎君……」

 

予想通り光定は俺の事を思い出してくれたらしい。

 

「向かい、座ってもいいですか?」

「え、ああ、うん」

 

向かいの椅子を引き、ゆっくりと腰をおろす。

 

「勉強中なのに邪魔してすみません」

 

俺はちらっと光定の手元を見る。受験対策の赤本には、このへんでも有名な大学の名前が書かれている。たしかかなり人気の大学で、倍率もものすごく高いところだったはずだ。

 

「手短に用件を伝えます。あ、別に実行委員会を追い出されたことについてではないのでそんなに身構えないでください」

「う、うん、なにかな?」

「先輩は今の実行委員の進行状況で思うところはありませんか?」

「……!う、うん」

「それはどんなところですか?」

「……予算案、かな。多分種目内容より重要だとは、思うんだけど……」

 

どうやら光定は俺たちと近い意見の様だ。ここで無いと言われたらいちから説明しなければいけなかったが、これなら話が早い。

 

 

「俺も、いえ生徒会の安城と木場も同じ意見です。このままだと結局予算とアイデアのギャップが原因で体育祭は失敗する、と」

「やっぱり、そうだよね」

「光定先輩は何故それを言わないんですか?」

「だ、だって仲谷君は生徒会長だし、勉強もできるし、僕なんかが意見しても、聞いてくれないだろ?」

 

俺の主観で言えば光定の方が仲谷より優秀だとは思う。現に予算案の事を問題視しているわけだし。だが、光定は自分を仲谷よりずっと下の存在だと思っている。だから自分が間違っていると思う事を発信出来ないでいる。

要するに、自信がないのだ。自分の力を信じきれない。なぜなら、自分は今回、なにも出来ていないから。

それなら、好都合だ。

 

「実は、安城達は昨日から予算案を徹夜して作っています。これを見てください」

 

俺は鞄から、昨日できた分の予算案を光定に渡す。光定はそれを手に取り、熱心に見始めた。

 

「す、すごい!とても、良く作られてる!」

「それはありがとうございます。あいつらに伝えておきます」

 

俺は一呼吸して、再び話し出す。

 

「月曜までにはこれよりさらに完成度の高い予算案が出来上がります。それで、それを先輩の方から会長達に提示していただけないでしょうか」

「え、ええ!僕が?」

「はい、先輩が」

「で、でも安城さん達が作ったなら彼女たちの方が上手く説明できるんじゃ?」

「それでは駄目なんです。……言い方は悪いんですが、先輩の副会長という立場を利用したいんです」

 

本当に悪い言い方だが、濁して言っても伝わらないだろう。

 

「今の委員会の体制では体育祭は実行できない。俺たちが求めるのはその体制の改革です。そのためには会長達に意見できる人物が必要なんです。それが先輩なんです」

「ぼ、僕が予算案を作ったことにするってこと?」

「まあ、作ったでは無くとも安城達に指示したという事にしてくれれば」

「む、無理だよ!だって僕、予算案の説明なんて……」

「そこは問題ありません。説明文はこちらで用意しているので、先輩はそれを最もらしく読んでいただくだけで結構です」

 

外堀は全て埋めた。そして光定もこの提案には利得がある。とどめの一撃にそれを説明しよう。

 

「さっき言ったように、このまま続ければ体育祭は失敗します。そうなれば生徒会や赤羽の信用は下がります。それは今後赤羽に入ってる新入生にも影響してしまいます。今、光定先輩が一歩踏み出してくれればそれを回避できるんです」」

 

安城の前情報や、今話してみた感じからして、光定明日人という人物は生徒会という集団の事をしっかり考えている。ただ、その気持ちにもとづいて行動できる環境整っていなかったのだ。だからこそ、この揺さぶりは彼の善意を刺激するだろう。

 

「……わ、わかったよ。やってみる……上手くできるかは分からないけど」

「ありがとうございます。こちらも全力でサポートしますのでよろしくお願いします」

 

 

 

 



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11. 黒崎君!笑って!

そして流れるように月曜日はやってきた。予算案は無事まとまり、木場が送ってくれたデータは既に光定に渡してある。それと一緒に恭子が作った意見書も渡したので、準備は全て終わった。

『準備は』と言う言葉は文字通り準備が終わったことを指し、もっと言えば準備しか終わってないことを言う。何が言いたいかと言うと、光定が一星たちに予算案を提示するということは、彼が上手く事を進めないと結局実績にはならず俺たちの計画はそこで詰むという事なのだ。

そうならないように安城達がサポートすることにはなっているが、果たして上手くいくのかどうか。

いや、上手くいってもらわないと困る。安城は俺の居場所を作ってくれた。そして俺はその居場所を守りたいと思った。居場所を守ることは安城を守ることと同義で、それはつまり安城の所属する生徒会を守ることで、生徒会を守るという事は今回の体育祭を完遂することだ。正直回りくどすぎる理由だが、今の俺は理由が無いと行動できない人間なわけで、それでも理由も分からずに誰かを助けようと粋がっていた俺よりは何万倍もましなのだから、それでいいんだ。

 

放課後、チャイムと同時に生徒たちは教室を出る。チャイムと同時に出るって絶対ホームルームの内容聞いてなかったよね?まあ俺なんてチャイムの1分後に出たけど聞いてないわけだが。

そんないつも通りのアホくさい自問自答ができてるだけ落ち着いてる証拠だろう。

廊下に出ると、後ろの入り口から出てきたであろう安城と目が合う。いつもなら俺を見かければやかましく話しかけてくる安城だが、今日はいつになく真剣な表情で俺に会釈すると玄関へと歩を進め出した。

それを何を言うわけでもなく見送った後、俺は携帯を取り出し、この前連絡先を交換した知り合いに簡潔なラインを送り、玄関口とは逆の方に歩を進める。

今日の会議、俺は参加しない。俺が行けば一星は予算案政策の中心に俺がいることに感づいてしまう。そうなると光定がいかに上手く喋ろうが、安城達が策を弄しようが、俺が携わったという事実が先入観となり、まともに取り合っては貰えないだろう。

まあそもそも出禁を喰らっているわけなので、会議室に入ることすら認めてもらえないだろうし。

 

そんなわけで俺は区民センターには行かず、部室棟へやってきた。運動部の部室が密集するエリアは汗臭さを誤魔化すためか芳香剤と消臭剤がばらまかれたような匂いがする。芳香剤まいて消臭剤まいたら打ち消し合って効力ゼロになりそうなんだが、そこのところどうなんだろうか。

運動部の部室の前を横切り、隅にあるサッカー部の部室で曲がり、階段を上る。階段の壁に設置された掲示板には部活動勧誘のポスターが所狭しと掲示されている。

囲碁部、スポーツチャンバラ部、鉄道研究会、柔道部、茶道部、ラーメン研究会などなど……ラーメン研究会ってなんだよ。ラーメンのレビューとかすんの?

ラーメン研究会への興味も階段を上り切る頃には消え去っていた。2階は文化部のエリア。当然漫研の部室もあるわけで、俺がここに来た理由もそこにある。

漫研の部室からは蛍光灯の明かりがもれているが話声は聞こえない。それだけで中の状況は大体分かるが、礼儀として扉を3回ノックする。

 

「……どうぞ」

 

すぐに中から小さな声が聞こえてくる。本当に小さくて、慣れていないと聞こえないほどだ。

 

「お邪魔します」

 

ゆっくりと扉を開け、中にいる人物に声をかける。

 

「うん……ようこそ」

 

雪里茜は部室の隅のパイプ椅子に座りながら俺の声に答える。手には漫画の単行本を持っており、それにしおりを挟むと立ちあがり、俺の方へと歩いてきた。

 

「今日は他の部員はいないのか?」

「うん……今日は……休み」

「というか、俺他の部員に会ったことなかったわ」

「今度……紹介する」

「おう、よろしく頼む」

 

他愛もない世間話はそこで終わり、雪里は俺を部室内に招き入れる。いつもと同じ、程よく散らかった机に、漫画本がぎっしり並んでいる本棚。換気の為か窓が少し空いており、時折ふくそよ風に机の上の原稿用紙がなびく。

 

「これ……どうぞ」

 

雪里は冷蔵庫からお茶を取り出し、俺に渡してくる。それはこの学校で彼女と再会した時と同じ、綾鷹茶。別に銘柄に意味があるわけじゃない。ただ、これを俺に渡すことに意味があるのだろう。それはきっと、あの時とくらべ前に進めたかどうかという俺への問いかけなのだ。

 

「毎回悪いな。有難くもらうよ」

 

綾鷹を受け取り、キャップを開け一口飲む。夏の暑さに乾ききったのどが一気に潤う。

 

「もうすっかり夏だな」

「そう……だね」

「夏休みはやっぱり漫画描くのか?」

「うん……部員みんなで合作」

「へえ、そりゃ大作だな」

「黒崎君は……なにするの?」

「寝る」

「それは……干からびそう」

 

そんな冗談をいう雪里の表情はとても柔らかい笑みで、そんな彼女につられ俺も頬が緩んでしまう。

 

「黒崎君が……笑った」

「そりゃあ、俺も人間だからな」

「ずっと……その笑顔が見たかった」

「雪里のおかげだよ、俺がまたこうして笑えるのは」

「え……?」

「俺が赤羽高校を受験したのは、中学の時の連中がいないからだった。たぶん、誰かが一緒だとあの時のことをずっと引きずらないといけないと思ったから」

「……」

「でも、犯した過ちは身を持って精算するしかない。それが小さな事だろうと、背負ったまま生きれるほど人間は強くできていないんだ。でも、あの時俺はお前と再び巡り合った」

「うん……」

「俺は別に運命論者じゃないけど、少なくとも安城やお前に会ったことは無意味なことじゃないって思う。事実、俺はこうして前みたいに笑っているんだし」

 

雪里は黙って俺の言葉を待つ。その様子を見て思う。俺が再会した人物が雪里茜で良かったと。あの時、彼女が守ろうとした居場所、それを守れたことが心の底から嬉しかったと今なら言える。そのおかげで俺は大切な友達を作れたのだから。

 

「だから、後悔なんてしてない。俺は大切なものを守っただけだから」

「それが……答え?」

「ああ……お前が採用してくれるならな」

「する……採用する!」

 

雪里は今までで一番嬉しそうな表情をする。目には涙が浮かんでいるが、そんなことに気付きもせず俺の手を握りかるく飛び跳ねる。

 

「なあ、雪里」

「……何?」

「夏休み、暇なときでいいからまた『ミント』行こう。新作のパフェが出るらしいんだ」

「うん……行きたい」

「それじゃあ決まりな」

 

***

 

漫研の部室を出た俺は、玄関で靴を履き替え、正門をくぐる。真っ青な空の上で太陽が自己主張を強める中、不意に携帯の着信音が鳴った。

ポケットから取り出した携帯の画面には恭子の名前が表示されていた。

 

「もしもし?」

「あ、ゆーたろー!ちょっとヤバい感じなの!まじでヤバい!」

「落ち着け。何がヤバいか内容を教えてくれ」

「あ、ああごめん。実はさっき予算案を提示したんだけど……」

「けど?」

「はじかれたんだって!」

 

はじかれた。それはつまり一星たちは予算案を認めなかったということだろう。

 

「何が原因だ?」

「それが……ゆーたろーが関わってるってばれちゃって」

「どうしてそうなった?」

「一星会長が、一発で見抜いちゃって……」

「そうか」

「そうかじゃないっての!どーすんのこれ!」

「大丈夫だ。一応手は打ってある」

「え?なにそれ?そんなの土曜は言って無かったじゃん!」

「土曜の時点ではまだ確約がとれてなかったんだよ」

「え?意味わかんないんだけど?」

「とにかく、いまからそっちへ行くから、一星たちを引きとめておいてくれ」

「え?会長たちならもう区民センター出ちゃったよ?」

 

なん……だと。

 

「ゆーたろー?」

「……会議が終わってから何分立ってる?」

「今終わったばっかだから5分くらいかな」

「わかった」

「え、ゆーたろー?どういうこと?」

 

俺は恭子の言葉を最後まで聞かずに通話を切り、一本電話をしてから大きく地面をけって走り出した。

 

***

 

「はあ……はあ……」

 

しんどい。めちゃくちゃしんどい。もともと俺は運動能力に秀でている方ではない。学年で走らせれば真ん中ぐらいをのたりと走るくらいの俗に言う平均的な方だ。そして高校に入学してからは下校、帰宅、ベッドというルーティーンだったため全く持って運動していない。そんな人物が急に全力疾走したらどうなるか、答えは言わなくても分かる。

区民センターまでそんなに距離があるわけではないが、主張の激しい太陽のせいで汗はだらだらと出てくる。

それでも、ここで走るのをやめるという選択肢は無かった。

一星は予算案に俺が関わっていることを見抜いた。それは裏を返せば予算案自体にはしっかり目を通しているということだ。

それなら、なんとなかる。

なんとかなるのだが、それも俺が間に合わなければなんともならないに変わってしまう。

だから、全力で地面を蹴り、腕を振り、足を動かす。

 

しばらく走ると、区民センターが見えてきた。

 

 

「あ、黒崎君!」

 

区民センターの入り口で俺を呼ぶ安城の声がする。そこには木場と恭子も一緒にいた。だが、ここで足を止める訳にもいかない。

 

「悪い!後で!」

 

俺はそのまま安城達を素通りして走り続ける。すると、一星たちの姿が見えてきた。だが、喜んだのもつかの間、信号が赤になり、一星たちのいる歩道の前でストップをかけられてしまった。その間に後ろからは安城達が俺を追いかけ走ってきた。

 

「はあ……はあ……」

 

膝に手をおいて息をゼーゼーと吐く安城。その横にはもう今にも死にそうな顔色で必死に酸素を吸い込む、木場、軽く息を切らしているだけの恭子もいた。ちなみに俺は木場の気持ちが良く分かるくらい疲れている。

 

「く、黒崎君……策って?」

 

恭子から聞いたのだろう、安城が質問を投げかけてくる。その間に赤信号の残り時間を示す目盛りは半分まで減っていた。

 

「お前たちに黙っていたのは悪かったが、正直俺は7割方却下されると思ってたんだ」

「は、はあ!?ちょっとどういう事さゆーたろー!」

 

恭子が俺の肩を掴み揺すってくる。

 

「落ち着け、始めから却下前提だって言ったらお前たちのモチベーションが下がると思ったんだよ」

「それじゃあ、そんな予算案を僕らに作らせた理由は何なんですか?」

 

ようやく息の整った木場が訝しげにこちらを見る。

 

「別に、お前らに作らせた予算案が手抜きだった訳じゃない。光定に実績を持たせるって話も最初から捨て案だったわけでもない。ただ、少し細工を施したんだ」

「細工?」

「そうだ、一星と俺が中学で一緒に生徒会活動をしていたことはもう知ってるだろうが、その中で一星は俺の作った書類に共通の癖があることを指摘していたんだ。その癖をわざと入れておいた」

「な、なんでそんなことをしたの?それじゃあ一星さんが気付くのも訳ないじゃん!」

 

安城は疑問をぶつけてくる。

 

「おそらく、ただ光定が提示しただけの予算案を一星は受理しない、仲谷はともかく一星からしたら全く知らないうえにロクに発言もしない人物だぞ?まともに見てくれるかも怪しいところだ」

「それは……そうかもだけど」

「だから俺は一星が絶対に予算案に目を通すように目立つ所に俺の癖を入れておいた。俺に対しヘイトをためてる一星なら予算案の一枚目を見ただけで気付いただろうな」

「それじゃあ、いったい黒崎君は何がしたかったの?」

「俺の目的は、一星に予算案を読んでもらうことだったんだ」

 

そこで、信号は青へと変わった。それと同時に俺は再び走り出す。

 

「ちょ、ちょっと黒崎君!待ってよ!」

 

同時に安城達も俺の後ろについてくる。

一星たちが信号を渡ってから1分程度しかたっていない。まだ近くにいるはずだ。

俺は無我夢中で地面をけった。

 

 

***

 

「一星!」

 

息も絶え絶え、俺が発したか発していないか分からないような声に、前方を歩く一星は足をとめた。どうやらちゃんと声になっていたらしい。

 

「……なんのようだ黒崎」

 

一星の低い声に他の緑川生徒会のメンバーもこちらに振り替える。

俺は疲れて前かがみになっている体を無理やり起こし、据える限りの空気を吸い込み、大きく吐きだす。正直もうその場に倒れたいほどの疲労感だがここで倒れたら無意味にマラソンしただけになってしまうので、俺は口を開いた。

 

「予算案は……読んでくれましたか?」

「白々しいな。そこにいる連中から状況を聞いたからここまで走ってきたんじゃないのか?」

「つまり……読んだって事ですね?」

「しつこいなお前は。読んだとも。そのうえで却下した」

「その理由は?」

「お前の作った予算案は会議で決まった余興の案を全くと言っていいほど考慮していない。そんな今までの話しあいを水泡に帰す案を採用できる訳が無いだろう」

「でも、そのかわり競技についてはほぼ会議の内容どおりじゃないですか!全部予定通りに実行するのは不可能だと判断したんです!」

 

我慢できなくなったのか安城が異議を唱える。

 

「安城、君は生徒会でいったい何を学んできたんだ?不可能なら、それをどう可能にするか考え、解決するのが我々の役目だろう?」

「……無理なものは無理って判断するのも僕らの仕事なんじゃないんですか?」

 

木場も一星に異を唱えるが、一星の表情は揺らがない。

 

「木場、お前にはがっかりだ。緑川高校生徒会会計でありながら他者と協力までしてもあんな予算案しか作れないとは。最初から無理と断定するのは実に非生産的だ。トップにたつ集団は自分たちの発言に責任を持つべきなのだ」

「なにそれ、ちょーむかつく!あんた中学の時だって、本当はゆーたろーが羨ましかったんじゃないの?」

 

恭子の言葉に一星の顔が引きつる。

 

「何を言っている、矢作」

「いつも誰かの為に頑張れて、みんなから凄いって言われて、時にはだれも見向きもしない相手にだって手を差し伸べられるゆーたろーに嫉妬してただけなんじゃないの!?」

「黙れ!前にも言っただろう、黒崎が誰かを助けるという行動に依存した結果、我が生徒会は崩壊しかけたんだぞ!そんな奴を羨ましがる理由がどこにある!」

「じゃあなんで、黒崎君が間違ってると思った時、一星さんは彼を助けなかったんですか?」

 

安城がふたたび発した言葉に、一星は沈黙した。

 

「黒崎君なら、誰かが間違った時、絶対にその人を助けようとします、やり方はどうであれ、彼は絶対に誰かを見捨てたりしません。それは彼自身が過去の過ちに向き合っているからです!もし中学の時、生徒会の誰かが黒崎君を救おうとしていれば、彼はもっと楽しい人生を送れたはずなのに、一星さんは、そんな彼をただ排除した、それはあなたに無いものを黒崎君が持っていると思ったからじゃないんですか!」

「くだらん。そんなものは君たちの想像だ。それに君たちの話は論点がずれている。結局予算案についてなんら話は進んでいない。全く、不毛な時間だった。私は次の用事があるんだ、君たちもさっさと帰りたまえ」

 

一星は再び前を向き、歩き出そうとする。周囲の生徒会たちも、困惑しながらもそれに続こうとする。

 

「一星……会長。余興案についての不足部分は分かりましたが、それでは競技案の方はどうでしたか?」

 

俺の言葉に一星は背中を向けたまま答える。

 

「しつこいぞ黒崎、競技案が完璧であろうとも全体として不完全ならそんなものに意味は無い」

「つまり、余興案さえ改善すれば俺たちの予算案は完璧という事ですね?」

「……何が言いたい?」

 

一星はこちらへ振り向く。

 

「―――つまりは、その余興って奴の金を用意すりゃいいんだろ?」

 

突然俺たちの背後から聞こえた声に俺以外の全員が振り向く。そこに立っていたのは、茶髪にロン毛、Tシャツにハーフパンツ、足元には赤いソックスが目立つ人物だった。

 

「誰だ、お前は?」

「どうも、会長さん。俺は赤羽高校サッカー部キャプテン、相馬栄八って言うんで、今後ともヨロシク」

 

一星は俺にこの状況の説明を求めると言いたげな視線を送ってくる。

 

「悪いな相馬、結構距離あっただろ?」

「はっ、サッカー部なめんなよ。あのくらい90分走り続けるのに比べりゃ朝飯前だぜ」

「そうかい、そりゃあすごいな」

「けっ、相変わらず人をむかつかせるのが上手い奴だな」

「おい黒崎、こいつはなんなんだ?」

 

一星は苛立ちを隠せない様子だ。

 

「えっと、こいつは相馬栄八。サッカー界では結構名が知れてるんですが、まあ、それはいいでしょう。じつはこいつの家は結構な名家でして、赤羽高校にも寄付をしているんですよ」

「ま、まさかお前は……」

「余興案についての予算はこいつの親が出してくれます。そして不足するようなら、サッカー部キャプテンの相馬が各部活に募金活動の呼びかけをしてくれることになっています。これで、余興案の問題点は解決です。たしか、競技案については先ほど完璧とのお言葉をいただいていたような気がしますがどうでしょう?」

 

俺の言葉に一星はただ表情をゆがませるだけで、何も言い返してくることは無かった。

 

 

 

***

 

「それじゃあ、予算案完成を祝して!」

「かんぱーい!」

 

大きくコップをぶつける安城と恭子の勢いにのまれ、俺は小さくコップを持った手を上げる。

時刻は4時。場所はいつぞやのハンバーガー屋。当初閑古鳥が鳴いていたこの店も、新商品が上手いこと軌道に乗ったらしくすっかり賑わっている。

そんな店の一角で、俺たちはアホみたいな量のハンバーガーとポテトを前に打ち上げらしきものを始めた。

 

「これ、本当に全部食えるのか?」

「むっ、ゆーたろーテンション低い!今日の主役なんだからもっとアゲてよ!」

 

向かいに座る恭子がこちらへ乗り出し、コップを差し出してくるので一応乾杯をしておく。

 

 

「それにしても見た?あの一星の表情!ちょーすっきりしたわ~」

「そうだね、正直私も今すっきりしてるかな~」

 

安城と恭子がキャッキャしているのを横目に俺は隣に座る木場のに尋ねる。

 

「木場、成り行きとはいえお前も相当一星の反感を買う事になってしまったが、大丈夫か?」

 

 

正直自分で巻き込んでおいてどの口がという感じもするが、今回の事をきっかけに木場の立場が悪くなったりすることも考えられる。

 

「大丈夫じゃないすかね?」

「え?」

 

それに対しての木場の返答はシンプルなものだった。

 

「今回の件、あの場にいた生徒会メンバー全員の記憶に残ると思うんですよ。なにせポッと出のさえない生徒に生徒会長が言い負かされたんですから」

「おい、誰がポッと出のさえない生徒だ」

 

文句を言う俺を意に介せず木場はこの場にいる全員に向けて話し続ける。

 

「光定副会長もそうでしたが、生徒会の中にも一星会長の方針や態度に疑問を持っていた人物は少なからずいたはずです。でも彼らはそれを口には出さなかった。と言うよりは出せなかった。誰でもそうですが、自分から人の間違いを指摘するのって結構度胸いるじゃないですか」

「ん?んん?つまり木場は何が言いたいん?」

 

恭子がわけわからんという表情をする。

 

「つまりですね、今回の僕たちの行動はトップに立つ人間が『絶対』じゃないって教訓になったのではないかと」

「そうだね。今回の一件であの場にいた人たちは誰かの間違いを指摘することの大事さを分かってくれたんじゃないかな」

 

安城も木場の言葉に首を縦に振る。

そうだ、間違っている人間は間違っていることに気付けない。俺がずっと自分に言い続けてきた言葉だ。

 

「だから、これからの緑川高校の生徒会活動にとって良い方向へ向くことは確かだと思います。だから、ありがとうございます。黒崎君」

 

木場は俺に右手を差し出してくる。

 

「ようやく名前を憶えてくれたようで良かったよ」

 

俺はその手を力強く握る。

 

「それに、あの会長は今年で卒業ですしね」

「うっわー木場君、今の言葉で雰囲気ぶち壊しだよ~」

 

安城がものすごくがっかりした表情をする。

 

 

「え、僕が悪いんですか!?」

「ほんとほんと、結構いいこと言っててカッコイイと思ったのに最後のでプラマイゼロだわ~」

「ひ、ひどい……」

 

木場はがっくりとうなだれ、やけになったのか一番でかいハンバーガーをがつがつと食べだした。

 

「それにしても、まさか黒崎君の秘密兵器が相馬君だったなんてね」

 

安城はそれまで一言も発せず、一番端の席でポテトを食べる相馬に視線を向ける。

 

「ま、こいつには借りがあったからな」

 

仏頂面のまま相馬が言った言葉の意味を理解できるのは俺と安城だけだが、恭子たちは特に何も聞いてこない。

 

「でも連絡先まで交換するほど仲良くなってるなんて知らなかったよ~?じつはまんざらでもないんじゃないの~?」

「なっ!てめ、安城!」

 

勢いよく立ち上がる相馬に、安城は心の底から面白そうに笑う。

 

「言っとくが、俺が手を貸すのは今回だけだからな!分かってんのか黒崎!」

「分かってるよ。ありがとな、相馬」

「礼とかいうなって!気持ち悪いだろーが!」

 

相馬はそのままテーブルに千円札を叩きつける。

 

「もう行くのか?」

「無駄にカロリー取っちまったからな。走って消費すんだよ」

「そうか、じゃあな」

「あばよ」

 

店を出て行く相馬を視線で見送り、俺はチーズバーガーを手に取る。

 

「あのロン毛俗に言うツンデレってやつ?」

「だと思う」

「でも男同士の友情?みたいなの感じたわ~。あいつ絶対ゆーたろーにお礼言われて嬉しいって思ってたよね~」

 

にぎやかな雰囲気に対して、俺はずっと気になっていた事を口にする。

 

「お前ら、怒ってないの?」

「え?」

「は?」

「んぐ?」

 

え?なにその『お前何言ってんの?』的な返答。

 

「黒崎君何言ってるの?」

 

やばい、俺今安城の発言予知してたわ。そのうち運命操れそうで自分の可能性が怖い。

 

「いや、お前らに黙って相馬に根回ししてたこととか、いろいろ勝手にやっちゃったし」

「なんだ、そんなこと?」

「そんなことって」

「黒崎君。私、嬉しかったんだよ?」

 

え、なに?会話成り立ってないんだけど?またドッジボールなの?

 

「今まで黒崎君はずっと一人で何とかしてきたでしょ?私のお願い事も、中学の時の事も」

「ま、まあ、そうなるな」

「でも、今回初めて黒崎君の役に立てた。今までも少し関わることはあったけど、それって黒崎君がその気になればなんとかなることだったでしょ?」

 

確かに、相馬の一件の時に安城を頼ったことはあったが、それも俺自身でどうにかできないわけではないことだった。ただ効率を考えての行動だった気がする。

でも、今回は安城達の協力が無ければどうにもならない問題だった。今までの俺のやり方とは打って変わったチームでの作業だった。

 

 

「黒崎君が、一人じゃないって気付いてくれたことが、凄くうれしかったの」

 

安城の言葉に恭子も、いつの間にかハンバーガーを完食した木場も、笑顔で首を縦に振った。

 

――そっか。これが俺の欲しかったものなんだ。

 

「く、黒崎君が……」

「笑って、ますね」

 

そう言えば、安城と木場の前でほほを緩ませた事なんて一度もなかったか。

むしろ、ここ最近で笑ったのは恭子と公園で話した時と雪里と部室で話した時ぐらいなものだった。

 

「……さて、新商品のアボカドバーガーでも食べるか」

「え~!黒崎君、もっかい笑ってよ!もっかいだけでいいから!」

「仮に笑ったらどうするんだ?」

「写真に撮る!」

「お断りだ」

 

その後も笑え笑えと言ってくる安城の要求には答えず、俺はハンバーガーを食べ続けた。ハンバーガーなんて食べなれたものだと思っていたが、今日のハンバーガーはいつもの数倍美味しく感じた。

 

 

 



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最終回. 黒崎君は助けてくれない

「ふあああああ、眠い……」

 

大きなあくびをしながら、俺は校門をくぐり下駄箱で靴をはきかえる。以前の事もあり、周囲の俺を見る目は刺々しい。ま、人のうわさもなんとやら、いつかはまたいつもの平凡な日常に戻るだろう。

 

「あ……」

 

廊下を歩いていると、ちょうど職員室から出てくる雪里と出くわす。

 

「おはよう、雪里」

「お、おはよう……黒崎君」

「職員室で説教されてたのか?」

「ち、違う……その……顧問の先生と夏休みの打ち合わせ……」

「そっか、俺も近いうちに部室に行くよ」

「うん……!」

「それじゃあな」

 

「黒崎君!」

 

そのまま手を振ってすれ違ったと思ったら雪里から声をかけてきた。

 

「なんだ?」

「ら、来週の土曜……」

「分かってるよ。『ミント』のイチゴムースパフェは絶対に食べような」

「うん!」

 

雪里とはそこで別れ、再び歩くと2階への階段の踊り場で何やら箱を持った集団がいた。

 

「体育祭の実行に当たって募金活動をしていまーす!あなたの小さな優しさがみんなの笑顔に!よろしくお願いしまーす!」

 

「「キャー!越前くーん!」」

 

そんなモテモテ野郎に特に何も言わず俺はその前を横切る。

 

階段を昇り切ると携帯が鳴る。画面を見てみるとそれは恭子からのラインだった。

 

『ゆーたろー!明日の約束忘れてないよね!?』

 

『放課後に駅前のゲーセンだろ、分かってるよ』

 

恭子の送ってくるウサギのスタンプを確認し、携帯をポケットにしまう。

 

 

教室に入り、自分の席に着くと俺は大きく息を吐く。

 

 

 

――あれ、平凡な日常ってこんなんだっけ?

 

 

 

 

「黒崎君!」

 

そんな俺の机の前に急いで走ってくる人物は一人しかいない。

 

 

 

 

思えばいつもそうだった。出会った時からずっと、彼女はこんな風に元気いっぱいに俺に話しかけてきた。

最初はそれをどこか疎ましく思っていて、次々と振りかかってくる出来事に気乗りはしなかった。

それは俺が過去に犯した過ちが原因で、本当に疎ましかったのはそこから目を背け続けてきた自分自身だった。

 

 

でもあの日、俺は出会ってしまった。

 

 

 

 

最初はアンケートの作成を手伝った。あの時はまさか生徒会活動に加担しているなんて思っていなくて、その場限りの出来事だと信じて疑わなかった。

だが、その後も彼女との関係は切れることは無かった。それと同時に俺の周りは騒がしくなっていった。中学の時の友人たちとの再会、関わる気もなかったバスケ部の部長と知り合い、サッカー部の部長の暴走を止めたりもした。

そして運命はめぐり、忘れたかった過去と向き合うことになった。それはすごく辛くて、途中で投げ出そうともした。でも、それをしなかったのは過去の俺にはなくて、今の俺にはあるものの存在だった。

そのきっかけを作ってくれたのはやはり彼女で、そんな彼女だから俺は助けたいと思ったのかもしれない。

 

 

 

そんないつも通りの彼女の襲来に俺はゆっくりと顔を上げる。

 

 

 

「……なんだよ安城」

「それがちょっと困ってることがあって!」

「悪い、ちょっと寝不足なんだ。その話は後で……」

「夏休みの地域のパトロールについてなんだけど!」

 

 

ああ、もう駄目だ。安城が言い出したらもう誰にも止められない。そりゃこんなのがいたら平凡な日常なんて夢のまた夢じゃないか。

 

――でも、不思議とそんな日常も悪くないと思い始めている自分がいる

 

「分かったよ。今回は何が問題なんだ?」

「えっとね!まずはこの資料を見てほしいんだけど――」

 

俺が平凡な日常に至るのは、この分だとずっと先らしい。

 

でも、それでいいのかもしれない。

 

 

 

誰だって、一人でできることには限界がある。それでも自分にできることを頑張ろうとすることは悪いことじゃない。でも、一人で進み続けた時、きっとどこかで間違ってしまう時がある。

間違っている人間は間違っていることに気付けない。

だからこそ、誰かを頼り、頼られ、互いに助け合っていくことが必要なんだ。

 

そこには独りよがりの小さな世界より、ずっとずっと素晴らしい居場所があるのだから。

 

だから俺は、後悔なんてしていない。

 

 

 

 

 

 

だってこれは、俺が望んで得た日常なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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後日談 黒崎君の放課後

来週からは夏休み。夏休みと言えばやれ花火大会だのやれ海水浴だの、炎天下の中文字通り飛んで火にいる夏の虫になりたがる連中であふれるわけで、出かけようと電車に乗ればその連中とおしくらまんじゅうし、エアコンの効くショッピングモールへ行けば人の熱気で体感温度はプラマイゼロ、何と恐ろしいことだろうか。

とはいっても、俺はそれらを否定したい訳ではない。夏休みに限らず、自分の人生をどう生きようがその個人の自由であり、他人がどうこう言う事では無い。

俺だって花火大会で打ちあがる花火に素直に感心したり、海水浴に行って経営難な海の家の店主と仲良くなってイカ焼きをただでごちそうになり店の赤字率を上げたこともある。

まあ、それも中学の時の話で、今年の俺には特にそういう予定もない。せいぜい雪里とパフェを食べに行く程度。後の時間は全てだらだらとすることに投資する事に決めている。完璧な夏休みの計画だ。完璧すぎて自分のスケジューリング能力の高さに震えるぜ。

 

そんないつも通りのくだらない思考を巡らせる俺は、最寄駅構内の変な形のオブジェの前で携帯をいじっている。夏休み前だけあって周囲を横切る中高生たちはもうテンションマックスで夏休みの予定を話し合っている。

形がどうであれ、夏休みというのはやはり学生の特権であり、それを上手く行使することに試行錯誤するのもまた学生の特権である。

そんな放課後、時間は4時半。俺は鞄の中から綾鷹を取り出しのどを潤す。何故俺が帰宅してベッドにダイブといういつものルーティーンを破ってまで我慢大会に勤しんでいるかというと……。

 

 

「あ!ゆーたろー!」

 

改札の向こうから元気よく手をふるのは矢作恭子、俺の中学からの知人である。今日も第二ボタンまで開けたシャツ、短く折ったスカートと、制服を華麗に着崩している。緑川高校の生徒指導は一体何をやっているんだ。

 

「お待たせ―!待った?」

「待った。まじで待った。この炎天下の中30分だぞ?軽い拷問だ」

 

改札を抜け、俺の元まで駆け寄ってきた恭子に対し、俺は開口一番文句を口にする。

 

「ごめんってー。ちょっとめんどくさい先生に呼びとめられてー」

「俺よりそのめんどくさい先生との用件を優先したと」

「うっわ。ゆーたろーめんどくさっ!」

 

大げさなリアクションをする恭子のすがたにため息を吐きつつも、俺は話を進めることにした。

 

「そんで?今日はどこのゲーセン行くんだ?」

「そうそう!私ちゃんと調べてきたんだよねー」

 

恭子は鞄からA4サイズのコピー用紙をとりだし見くらべる。

そう、今日の放課後の予定はこの矢作恭子とのゲーセン巡りで埋まっているのだ。事の始まりは数か月前、体育館の取り合い問題の解決に奔走していた時にさかのぼる。

あの時俺は当時のクラスメイトからとある情報を聞き出すために代理人として恭子に協力を仰いだ。その時こいつが出した条件が、『ゲーセンに行く』という旨の事で、俺はすっかり忘れていたのだが、先日その話を蒸し返され、今に至る。

 

「えーっとね、まずは駅前のビルに入ってるとこ!そこに新しいクレーンゲームがあるんだって!」

「クレーンか……」

「えーなに、テンション低くない?」

「お前がクレーンに誘う時は大抵欲しいフィギュアがある時だろ?つまり俺の取り分はゼロなんだ」

 

中学の時も、こいつが欲しがっていた景品をとってやったらそれからしばらくは毎日のようにクレーンに誘われ、俺の百円玉はいつのまにか底をついていた。

 

「心配しなくても、クレーンのお金はちゃんと出すからさー」

「何お前、実はお金持ちの生まれなの?」

「ちがうちがう、バイトで貯まったお金」

 

ほう、まさか恭子がバイトとは。こいつを扱いきれる企業なんてあるのか。

 

「何のバイトしてるんだ?」

「メイド喫茶」

「め、メイド!?」

 

つい声を荒げてしまう。こいつが、メイド?『おかえりなさいませ、ご主人様(はあと)』とかやっちゃうの?それは……人気出るだろうな。こいつ普通に見た目いいし。

 

「あ、いまゆーたろー妄想してたでしょ?」

「妄想じゃない。想像だ」

「こんどゆーたろーも来なよ?友達割りしたげる」

「どのくらい割り引かれるんだ?」

「2割くらい?」

 

す、すくねえ……。せめて友達割りなら3割以上4割未満は引いてほしいもんだ。ただでさえメイド喫茶というところはぼったくりの聖地なのに。具体的に言うと入国料とかチャージとかいう制度のせいで。

そんな恭子のメイド話をしながら、ビルにはいりエスカレーターを上がる。正直、俺はどんな規模のゲーセンなのか全く知らないが、昇ってきた階層の規模からして結構大きいのは確かだろう。

 

「あ、ついたついた!」

 

4階で恭子はエスカレーターを降りる。

 

「おお……」

 

広がっている風景はまさにザ・ゲーセン。ガンガンとなり響くゲーム音に、横並びに構えるクレーンゲームの島。メダルゲームの区画からはジャラジャラとメダルが吐かれたり座れたりする音が木霊し、音ゲーのコーナーでは舌打ちが聞こえる。みんなはクソ譜面とか言わずにプレイしような!

 

「ゆーたろー!こっちこっち!」

 

恭子に手を引かれ、問題のクレーンゲームの前までやってくる。どうやら最近アニメ化した作品のヒロインのフィギュアのクレーンらしく、その箱の傾きからこれまで挑戦し断念していった連中の努力が伺える。

 

「これか?」

「そう、これ!このアニメ、すごくつまんなくて、ネットじゃ叩かれまくってんの!」

「……それ、欲しいのか?」

「ばかだなーゆーたろー。評価の低いアニメだからこそ、このフィギュアはすぐに市場から枯渇するでしょ?そこを狙ってフリマアプリにぶち込むの!」

「転売目的で、しかも人に取らせる。お前にプライドはないのか」

「い、いーじゃん!売上金半分上げるから!」

 

それはいい条件だ。夏休みの自堕落生活に向けて資金は欲しいところだったしな。これで夏休みはひたすらスイカバーでエンジョイできるぜ。

 

「それじゃ、店員に位置を戻される前にやっちまうか」

 

俺は恭子に右手を差し出す。恭子は一瞬ポカンとしていたが、すぐに財布から100円玉を取り出し俺に渡してくる。それを受け取り、俺は投入口へ流れるように手を動かす。チャリン、という音と共にクレーンを動かすパネルに明かりが灯る。俺は右手でレバーを握り、臨戦態勢に入る。

 

「……よし。行くぞ!」

 

 

***

 

完。

 

 

 

嘘である。非常に大胆な嘘であった。俺は『ナントカミルクフラペチーノ』でのどを潤しながら嘘をついてみた。

美味い、非常に美味いぞこの『ナントカミルクカントカ』は難点があるとすればやたら名前が覚えにくいところだけだ。正直致命的な難点な気もするが、このカフェの盛況具合からしてそれは俺の勘違いらしい。

 

「いやー、大漁大漁!」

 

向かいの席でフィギュアの箱を並べて写メをとる恭子は満足気だ。時刻は6時。最初のクレーンゲームに挑んでから実に1時間ちょっと経過しており、その間俺たちが何をしていたかというと、それは以下の通りだ。

 

1. クレーンゲームを始める

 

2. 俺が2,3回のコンテニューしつつフィギュアをとる。

 

3. 恭子が調子に乗り他のクレーンに乗り換える。

 

4. あらかたフィギュアをとった後、別のゲーセンに移動

 

5. 1にもどる

 

 

これを5回くらい繰り返した後、今居る意識高い系御用達カフェに移動し、長ったらしい名前の『ナントカカントカソントカ』を注文し、今に至る。

 

 

「いやーやっぱゆーたろー凄いね!この辺の店のフィギュアあらかた取りつくしたんじゃない?」

「そのせいで俺は店員に白い目を向けられてたけどな」

 

俺は『ナントカ……』もうミルクでいいか。ミルクをストローですする。

 

「ごめん、ゆーたろー」

「……どうした、急に」

「いや、今日つまんなかったのかなって」

「なんでそうなる」

「だって、ゆーたろー一回も笑わなかったし」

 

俺は自分の頬を触ってみる。そういえば、今日ここの筋肉は対して働いていなかった気がする。

 

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって……」

「恭子。別に俺は今日つまらなかったとは感じていない。お前とゲーセンにこれて楽しかったと思ってる。……ただ、昔ほど笑っていないのは事実だ」

「やっぱり、まだ気にしてる……?」

 

気にしているかと聞かれて『全く』と答えるのは難しいかもしれない。中学の時に俺がやったことはけして消えない事実だし、そのせいでたくさんのものを失ってきたのも事実だから。いくら時間がたとうとも、いくら俺の生活が充実しようとも、それを忘れることは許されない。

でも、それはけして――。

 

「それはけして辛いことじゃない」

「……え?」

「あの時の事をすっぽり記憶から消すことはできないし、消すつもりもない。だって、あの時のことがあったから、お前は俺を理解してくれようとした。それはあの時俺がなんとなくで積み上げた薄っぺらい人間関係とは全く違うから」

 

あの時の事からずっと逃げているままだったら、恭子との関係も、他の人との関係も、薄くて、脆くて、いつかは消えてしまうものだったのだろう。でも、俺は今の恭子や安城、雪里達との関係をそうは感じない。たとえこれからの人生で違う道を選んでも、距離が遠くなっても、俺たちの関係は途切れない。勝手な願望かもしれないが、俺はそう信じている。それが、俺の目指した『居場所』だから。

 

「それはやっぱり、安城さんと出会ったから?」

「なんで安城の話になるんだよ?」

「だって、安城さんラインでもゆーたろーの話しかしないし」

「え、どんな話し?」

「それは教えないけど」

 

なんだ、安城のやつ俺が生徒会勧誘に応じなかったことをまだ根に持っているのか?

そういえば昨日だったか夏休みの地域パトロールに関しての計画書を渡されて目を通しとくように言われてたっけ……危ない、完全に忘れてたな。

 

「あ、今ゆーたろー笑った」

「え?」

 

返事をした時には既に俺の表情はいつも通りで、果たして笑ったかを確かめる術もなかった。

 

「いや、笑ってないと思うが」

「絶対笑ったって!今なんか面白いこと考えてたの?」

「いや、全然」

「うそつかない!」

 

恭子は俺の頬をつねってくる。

 

「わ、わかったからやめてくれ!」

「じゃあ、何考えてたか言って」

「……夏休みのこと」

「夏休みになにすること?」

 

やっぱり逃がしてくれないか。

 

「……地域パトロールの計画案の修正」

「誰に頼まれて?」

「……安城」

「やーっぱりね」

 

恭子は大きくため息をつくが、その表情は俺に対し怒っているわけでもなさそうだった。

 

「うん。やっぱりゆーたろーは変わんないね」

「何の話だよ?」

「教えなーい」

 

恭子はにっこり笑って、俺のミルクを奪って飲み干す。

 

「お、おい!それ俺の……」

「さ、そんじゃ帰ろっか!」

「ええ……」

 

強引に話を終了させる恭子に文句も言えず、俺たちはカフェを後にした。

 

***

 

夏は日が長いのは日本人なら共通認識だろうが、6時を過ぎても太陽と共存しなければならない世界の理はそろそろ変わってくれやしないだろうか。

 

駅の改札をくぐり、ホームにたったところで俺の思考はそんなどうしようもない話まで到達していた。まあ、いつもの考えてることがどうしようもあるかというと話は別だが。

隣に立つ恭子の方を見てみると、いつも通り携帯をいじっている。どうせまたツイッターの更新でもしているのだろう。

俺も携帯を取り出し、適当にニュース記事を眺める。

すると不意に、ラインの通知音が鳴る。画面表示を見ると、恭子がなにかしら画像を送ってきたようだ。

 

「なんだよ?」

「……」

 

返事は無い。

 

「なんか用があるからラインしたんじゃないの?」

「……」

 

またしても返事は無い。どうやら画像を確認しろという事らしい。仕方なくラインを開くと、それはいつぞやの予算案完成祝勝会の時のハンバーガー屋での写真。写っているのはハンバーガーを食べ終えた木場と、その横で笑っている俺、そしてそれを見て驚いた顔をしている安城の姿だった。

 

「お、おい!」

 

それはアングル的にも恭子しか取ることができない写真だった。あんな一瞬で、誰にも気づかれずに写真撮るとか何そのスキル。

 

「なんで笑ったのか、次会う時までに考えといて」

 

屈託のない笑みをうかべる恭子に文句を言おうとした矢先、列車がホームに入ってきた。

 

 



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後日談2 黒崎君の夏休み

夏休み3日目。本日は晴天……というより毎日晴天すぎて外に出る気力が一向にわかない、そんな土曜日。俺は朝6時に起きてラジオ体操をし、母親の手伝いとして皿洗いをし、1時間程度宿題をこなし、その後ジョギングするという当初の予定を丸ごと無視して居間のソファでテレビを見ていた。そもそも先に挙げた予定というのは担任への提出用として立てた嘘っぱちな訳で、俺に限らず中高生というのは最初に立てた予定を律義に守ったりはしない。仮にそれを指摘されたとしても『イレギュラーに対応した結果です』とでも言っておけば誰も反論はできない。何が言いたいかというと、予定というのは大なり小なり変更になることを前提に立てるべきだという事だ。

そんなだれにむけてか分からない演説を心の中でしながら、ふと時計を見ると正午を少し回ったところだった。朝起きたのが10時半だったから、俺の今日の実働時間はまだ1時間半、さらにそのまま昼休憩という超ホワイトな自宅警備の仕事である。

とはいえ、それは昨日一昨日の業務であり、先ほど述べたように予定というのは変更されるものである。今日の俺には自宅警備よりよっぽど楽しみな予定があるわけで、そのためなら自己主張の激しい太陽との共存も甘んじて受け入れよう。

禿げたパーソナリティーが進行するワイドショーからチャンネルを変え、データ放送を確認する。今日の気温は29度。降水確率は0パーセント。半袖で事足りるだろう。

俺は自室に戻り、クローゼットから短パンとTシャツをとりだし着替える。この青いTシャツは一体いつ買ったのだろう、未だにぴんぴんしているところからして俺の物持ちのよさが伺える。

自室を出てから居間に戻り、壁に掛けてあるコルクボードから自転車の鍵をとり、玄関へ向かう。そのついでに掃除機をかける母に昼食がいらない事を伝えて家を出る。

俺の家は5階建てのアパートの503号室。エレベーターで降りようと思ったら点検中の張り紙がしてあったのでため息を吐きながら階段で一階まで降りる。

外に出てみるとデータ放送の通りむわっとした暑さに襲われた。正直この気温の中自転車を必死に漕ぐのは遠慮したいが、今日の予定は外すわけにはいかない。意を決して自転車にまたがり、俺は駅前へとペダルを漕いだ。

 

***

 

 

10分ほどのサイクリングを楽しむと、駅前の広場に設置されている噴水が見えてくる。自転車を押しながらその周辺を歩いているとこちらにまで水しぶきが飛んでくるが、今はそれが天からの恵みの様に感じる。

ほぼ満杯の駐輪場でなんとかスペースを確保し自転車の鍵を閉め、再び広場に戻り、ベンチに腰掛ける。周りを見渡すと、噴水の周りで水を浴びる修業に挑む小学生やジョギングの休憩中と思われるおっさん、この暑い中べったりとくっついて幸せを満喫するカップルと、各々が自分流の夏を過ごしているようだ。

携帯を取り出し時刻を確認する。どうやら約束より10分ほど早く着いてしまったようだ。

何か暇をつぶそうと携帯をいじっていると、先日の恭子とのラインを思い出す。あの時、駅のホームで恭子が言った『なぜ笑ったか』という問いへの答えを考えてみたものの、やはり答えは出ない。別に俺は笑わないわけじゃない。今年の春からの一連の出来事の中でも数えるほどではあるが笑う事はあった。だが、その要因が何かと聞かれれば首をひねる事になる。そもそも笑うという仕草にいちいち理由づけしてる人なんてのがいるのか知らないが。

人が笑う一番の要因は、面白いことがあった時だろう。テレビで芸人のコントを見てとか、粒あんぱんを買ったと思ったら中身がかぼちゃあんぱんだったとか、普段は見ないイレギュラーな事態に人はクスリと笑うのだろう。

それなら俺だって面白くて笑ったんじゃないだろうか。ただ、恭子の問いの意図はそういう事では無い気もする。だが、それがわからない。

頭を使いすぎてボーっとしてきたところで、俺の肩を叩く人物がいた。

 

「おう、雪里か。おはよう」

「おはよう……黒崎君」

 

果たしておはようという挨拶が適切な時間かは怪しいところではあるが、俺たちは挨拶を交わす。

雪里は白いワンピースに身を包み、まさに夏全開と言った感じだが、俺は何か違和感を感じた。それを確かめるために雪里を凝視する。

 

「く、黒崎君……あんまり見られると……恥ずかしい」

 

雪里は顔を赤くして前髪をいじる。そこで俺は違和感の正体に気付いた。

 

「今日はメガネじゃないんだな」

「……!う、うん……コンタクト」

「メガネ壊れたのか?」

「ち、違う……。そ、その……、黒崎君と出かけるから……」

 

最後の方が小声すぎて聞き取れなかったが、メガネでない雪里を見るのは初めてで、結構新鮮な感じがした。

 

「まあ、そういう雪里もいいと思うぞ」

「そ、そう……?」

「ああ」

「やった……」

 

雪里は後ろを向いて何やら呟いているが、それをいちいち詮索するのも野暮だろう。

 

「ま、それじゃあ行くか」

 

ベンチから腰を上げ、額の汗を軽く拭い歩き出す。雪里はそんな俺の右隣について歩く。

目的地まではそれほど遠くは無いが、黙って歩くのもなんなので俺は適当な話題を振る。

 

「夏休みは漫研で合作を作るって言ってたよな?なんかアイデアとかあんのか?」

「うん……。学園物」

「なるほど、確かにそれなら自分たちの実体験から想像が膨らみそうだし完成度も高くなりそうだな」

「黒崎君も……楽しみ?」

「ああ、もちろん」

 

その答えに雪里は小さく笑う。

 

「じゃあ……完成したら読者一号に……」

「え?いいのか?」

「うん……黒崎君なら……」

 

そんな話をしながら歩いていると、目的地はすぐに見えてきた。

 

「この時間だと混んでるかもな」

「でも……イチゴムースパフェを諦めたくない……」

「その通りだ」

 

意を決して俺は扉を開く。それと同時にカランコロンと軽快な音が駅前のカフェ、『ミント』の店内に鳴り響く。

 

「いらっしゃいませ、何名様ですか?」

 

笑顔で迎え入れてくるウエイトレスの後ろに見える座席は予想通りほとんど埋まっているようだ。

 

「えっと、2名なんですけど、空いてますか?」

「申し訳ありません、二人掛けの席は埋まってまして……」

「まじですか……」

 

落胆する俺を見て、何故かウエイトレスはにっこり笑う。

 

「ですが!ここでいいニュースがありますよお兄さん」

「いいニュース?」

「一般の二人掛け席は埋まっていますが、今夏限定のカップル専用席なら一つ空いています!」

 

ウエイトレスが指し示す方にはピンク色のテーブルとイスが用意されており、周囲にはそれを利用するカップルと思わしき男女が2組ほどいる。

 

「いや、でも俺たちはカップルじゃ……」

 

いや、待ってくれ。この状況であの席を選ばなければ今日イチゴムースパフェを食べるという俺たちの夢が台なしではないか。雪里だってそのためにわざわざ予定を開けてくれたんだし、ここで引くという選択肢は無いんじゃないのか?

 

「わかりました。その席でお願いします」

「……!く、黒崎君……?」

「かしこまりました!それではご案内いたします!」

 

 

そのまま案内に従い、俺たちはカップル席に腰掛け、目的のイチゴムースパフェを注文し、その間お冷でのどを潤す。

 

「いやー楽しみだな。イチゴムースパフェ」

「う、うん……」

 

な、何だ?雪里のテンションがやたら低いぞ。まあ、いつもハイテンションな訳ではないが、店に入る前より明らかんに口数が少ない。

 

 

「雪里?どうした?」

「そ、その……。誰かに見られたら……」

「あ、悪い。そうだよな、俺とカップル席に座ってるの知り合いに見られでもしたら迷惑だよな」

 

雪里だって年頃の女の子だ。俺みたいなやつと変な噂が立ったりしたら恥ずかしいに決まってる。

 

 

「そ、そうじゃなくて……。黒崎君が……困るかなって」

「え?俺は別に困らないぞ?」

 

俺の場合噂がたっても秒で消えそうだし。

 

「え……そ、そ、それは……どうして?」

「どうしてって、そもそも俺の目的はパフェを食べることだし」

 

 

何故か雪里はそれに対し微妙な顔をする。

 

「えーっと……」

「お待たせいたしました!こちらイチゴムースパフェになります!」

 

なんとか雪里のテンションを取り戻そうとしたところで、ウエイトレスがパフェを運んできた。しかし、それは俺が想像していた物とは大分異なっていた。具体的に言うと、俺たちが頼んだのはイチゴムースパフェ二人分。だが、目の前にあるのは大きな器に入った得持りのパフェが一つ。どういうわけなのかウエイトレスに説明を求める視線を送る。

 

「では、二人で楽しく召し上がってくださいね♪」

 

だが、ウエイトレスはそう言い残し去って行ってしまった。

 

「どういう……ことだ?」

 

首をひねって考えるが、答えは一つしか浮かばなかった。

 

「これ、一皿で二人分ってことか」

「そう……みたい」

 

 

なるほど、周りのカップル席でも二人で一つのパフェを食べさせあっている。つまるところ、これがデフォルトなのだろう。

 

「ど、どうするの……?」

「ここまで来て引く選択肢はないだろ」

 

俺は皿の上のスプーンを手に取り、パフェのクリーム部分をすくい口にする。

 

「……!」

「ど、どうかした……?」

「う」

「う?」

「美味いぞこれ!流石話題の新商品って感じだ!」

 

思わず子どもの様にはしゃいでしまう。だが、本当に美味い。一口でこれだけ心に訴えかけてくるのなら、完食した際には天に召されてもおかしくないほどだ。

 

「雪里も食べてみろって、ほら」

 

俺はスプーンですくったクリームを雪里に向ける。

 

「く、黒崎君……それは……その、恥ずかしい」

「え?あ、ああ。そうだな。自分で食べれるよな」

 

俺はスプーンを置こうとするが、なぜか雪里は意を決したようにスプーンに喰らいついた。

 

「お、美味しい……」

「お、おう。だろ?」

「黒崎君の……味がする……」

「え?」

「……な、なんでもない!」

 

なんだか雪里がとんでもないことを言った気がしたんだが、どうやら聞き間違いだったらしい。

 

「雪里、顔真っ赤だぞ?暑いのか?」

「だ、大丈夫……大丈夫」

 

 

もはや顔から湯気が出そうなほど赤いが、本人が大丈夫と言っている以上無理にここを立ち去ろうと提案するのも申し訳ない。

 

「そういえば、こないだの漫画はもう賞に出したのか?」

 

パフェのてっぺんのイチゴを手づかみしながらそんな話題を振る。

 

「う、うん……。来月の雑誌で入賞者の発表がある……」

「そっか、それは楽しみだな」

「入賞するかは……わからないよ?」

「そうか?でも俺は入賞してほしいって思ってるぞ?」

「そ、そう……なの?」

「だって、雪里が今まで頑張ってきたのは知ってるしさ」

 

中学の時から、雪里は漫画に情熱を注いでいた。その情熱に惹かれたからこそ、俺は彼女の居場所である漫研を救いたいと思ったのだから。それに俺自身、雪里の漫画のおかげで前に進めた。あの時、最後のシーンのセリフを俺に委ねてくれたことを、俺は絶対忘れない。

 

「あ、ありがとう……」

「まあ、俺が願っても大した効力は無いかもだけど」

「ううん……。自身が湧いてきた……」

 

雪里は嬉しそうにパフェを食べ進める。

 

「そういえば……黒崎君……夏休みは……なにするの?」

「睡眠と休憩、そして休息だ」

「それは……不健康……」

「まあ、どの道夏休み中盤は地域のパトロールで埋まってるから今休めるだけ休んどくんだよ」

「地域……パトロール?」

「ああ。夏休みってみんなハメ外すだろ?そうなると非行に走る奴とか、こわい兄ちゃんに絡まれる奴とか、とにかく厄介な事が起きるのが夏休みの定番な訳だ。そんで、生徒会を中心にパトロールを行うんだと」

「そう……なんだ」

「それで、案の場安城がパトロールの計画書をみてくれって言ってきてさ。取りあえず修正して渡しといたんだけど、頭数たらないみたいで、俺も借りだされることになった」

 

もう俺は安城という存在から逃げることは出来ないわけで、生徒会に片足突っ込んでる状況だ。それでも、それが嫌な訳ではない。それは、以前の俺には無いものが今の俺にはあるからに他ならない。だからこそ、夏休み前日まで計画書を吟味していたのだし。

 

「黒崎君……楽しそう」

「え?そうか?ぶっちゃけパトロールだるいんだけどな」

「でも……笑ってるし……」

 

その言葉に以前同様自分の顔を触ってみるが、やはり表情筋の変化は感じられない。

 

「俺、笑ってる実感ないんだけど」

「それはきっと……自然に笑ってる……からじゃないかな?」

 

自然に……笑う?それはつまり、面白いことがあったからとかそういう理由づけをする前に頬が緩んでいるという事だろうか。

ひょっとして、恭子の問いもそれが大きく作用しているのかもしれない。だが、やはり俺には分からない。普通に笑うのと自然に笑う事の違いとはなんだ?

 

「黒崎君……聞いてもいい……?」

「え?な、なんだよ急に?まあ、答えられる範囲ならいいけど……」

「黒崎君は……安城さんのこと……どう思ってるの?」

 

雪里の問いに、俺は答えることができなかった。

 

 

 

 

 



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後日談3 黒崎君の夏祭り

暑い。いや、暑いという言葉が適切なのかもはや判断しかねる。それほどまでに今の状況はイレギュラーで、どうしてこうなったのかさっきまでの自分を小一時間問い正したいほどだ。暗闇の中、すこし体を動かすと、自分では無いもう一人の熱を肌で感じる。

 

「く、黒崎君!動かないで……」

「そうはいっても……さすがに狭いしキツイんだよ」

「だ、だからって……ひゃあ!そんなとこ触らないで!」

 

ぴたりとくっつく安城が艶めかしい声を上げる。

 

「あんまり俺を刺激するような言動はやめてくれ……。もう暑過ぎて意識が飛びそうなんだ」

 

本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 

***

 

「――それで?僕にそんなのろけ話をして一体どうしたいんですか?」

 

夏休みが始まって1週間が経過した。だが、俺はそんな大型連休を人並みに楽しめてはいなかった。それはあの時、雪里が投げかけてきた問いに答えられなかったから。

 

『安城さんの事、どう思ってるの?』

 

たったそれだけの簡潔な文章に、俺はここ1週間ずっと頭を捻っているのだ。それはきっと、恭子が言った俺が笑った理由ともリンクしているはずで、そこまで情報が出そろっているのに、俺は解を得られていなかった。

 

だがしかし、そのまま夏休みを全てそれに費やすのは本意ではない。それゆえ、俺は他者に相談し意見を求めることにした。とはいえ、俺の人脈というのはそう広くは無く、それでいてこんな話を出来る相手なんて限られていた。

そんな中、俺が相談相手に選んだのは、緑川高校生徒会会計である木場神威だった。

夏休み前の体育祭実行委員会の件が終わった後も、俺と木場の繋がりは切れることなく、連絡先も交換している。とはいえ俺たちの性格上頻繁に連絡を取るわけでもないが。

時刻は12時過ぎ、場所は駅前のハンバーガー屋。木場は俺の向かいの席でメロンソーダをストローで吸い上げながら仏頂面を絶やさない。

 

「いや、別にのろけ話じゃないだろ」

「夏休み前に矢作さんとゲーセンにいって、そのあと雪里さんでしたっけ?その子とパフェを食べに行き、そして安城さんとの関係性に悩んでいる状況がのろけじゃないなら何なんですか?」

 

なぜ木場はこんなに不機嫌なのだろうか。昨日ラインでハンバーガーを驕ると伝えた時にはめずらしく人気アニメのキャラクターのスタンプまで送ってきたというのに。

 

「のろけって言うのは恋人とかの自慢話みたいなもんだろ?全く該当して無いじゃないか」

「うわあ……。黒崎君、その発言は全国の一人身男子を敵に回しますよ。家の前でデモ行進されても文句言えませんよ?」

 

木場はドン引きしている。

 

「何で俺がデモ行進されるんだ」

「黒崎君。世の中には女子と出かけたりしたくても出来ない男子がたくさんいるんですよ?」

 

そんなご飯を食べたくても食べられない恵まれない子供たちみたいな言い方をするほどの事なんだろうか。

 

「わかった。俺が恭子や雪里と楽しく出かけてたことは事実だ。それを否定する気は無いよ」

「どんどんヘイト溜まってきますね。リア充爆発しろ」

 

話が一向に前に進まない……。

 

「まあ、それはそれとして、本題は安城の事なんだよ」

「ナチュラルに三股できる黒崎君に脱帽しますよほんと」

 

木場が何か小声で言っていたが、俺には全く聞き取れなかった。木場も特にそれを俺に伝えることはせずに、ようやく真面目な顔で会話に臨んでくれるらしい。

 

 

「えっと、安城さんをどう思ってるか、でしたっけ?」

「そうだ」

「とりあえず、黒崎君が今まで考えた末の解答を教えてください。まとまって無くても、思いついてる事で」

 

最初に思いついた意見を並べる。ブレインストーミングに近いな。

 

「どう思ってるかって問いが抽象的だから、これまで安城に対して感じた事を羅列して行こう。一つ目、生徒会勧誘がしつこい」

「あれだけ断られてまだ折れてないんですねあの人」

「二つ目、会話のドッジボールの名人」

「それは僕もたまに思います」

「三つ目、遠慮が無い」

「それがあの人の長所でもありますけどね」

「そんなところか」

 

いろいろ端折ってはいるが、安城奏という人物を思い浮かべるとこの3要素が大きく占めている気がする。

 

「それで?」

「それでってなんだよ?」

「今のは客観的事実を述べただけでしょ、結局黒崎君はそれに対しプラスかマイナス、どちらを強く感じているんですか?」

 

プラスかマイナス。そんな単純なフレームに当てはめて考えて良い問題なのだろうか。いや、あえてシンプルな枠で考えることも解を導くには重要か。

 

「出会った時は正直マイナスだったよ。まあ、俺が生徒会って単語に嫌な思い出があったからだけど」

 

当時の安城の行動はたとえるならピーマンが嫌いな子供の口に笑顔でピーマンを突っ込む様なものだ。ただ、それは別に俺に嫌がらせをしたい訳じゃなくて、あいつが生徒会活動に真剣に打ちこんでいた事の現れだった。だからこそそんな安城に昔の自分を重ねて、俺はあいつの手助けをした。

 

 

「でも、今は特にマイナスなイメージは無い。安城自体は別に悪い奴じゃないし、俺自身そんな日々を悪くないと思ってる」

「つまりプラスだと」

「そうだな」

 

木場はそこでメロンソーダを一気に飲み干し、カップのふたを開け氷を指でつつく。

 

「……黒崎君って彼女いたことあります?」

「は?彼女?」

 

彼女とはつまるところ恋人の事だろう。これまでの人生を振り返ってみると、小学校中学校と勉強や委員会、そして生徒会活動に明け暮れていたわけで、恋人がどうとか考えたことすらなかった。つまりアンサーは……

 

「ないな」

「じゃあ、告白されたことは?」

「おい、それ今までの話と関係あるのか?」

「あります。ないなら聞くわけないでしょ」

 

それもそうか。

 

「告白……は無いな。後になって好きだったって言われたことはあるけど」

「え、誰?僕も知ってる人ですか?」

「……恭子だ」

 

あまり人にベラベラ言う事でもないが、木場いわく必要な情報らしいし、こいつがそれを言いふらすメリットもないだろう。

 

「矢作さん……?マジすか……。すげー……」

 

木場は数秒の間虚空を見つめていたが、すぐに話を再開する。

 

「えー、黒崎君は矢作さんに好意を向けられていたという事実は気付いてたんですか?」

「いや、全然。ただの仲の良いクラスメイトだと思ってた」

「……なるほど。つまり黒崎君はそういう人なんですね」

 

国語の教科書に載ってそうな言い回しで木場は肩をすくめる。

 

「何かわかったのか?」

「わかりましたよ。わかりましたけど、それを言っても黒崎君が納得するかは知りません」

「勿体付けずに教えてくれよ」

「……多分黒崎君は安城さんの事が好きなんですよ」

 

木場の放った一言は簡潔で、単純で、それはもう小学生にだってわかるほどストレートな言い回しだった。だが、意味を理解したつもりで彼の言葉を頭の中で反芻しても、結局俺にはその意味が理解できていなかったのだ。

 

「え?」

 

だから、俺の第一声は疑問と困惑が混じったような一言だった。

 

「やっぱり納得できなかったか~……」

「いや、言ってる言葉の意味は分かるぞ」

「でも内容理解は出来てないと」

「この場合の好きというのは流れから察するに恋愛感情だよな?」

「はい」

「誰が?」

「黒崎君が」

「誰に対して?」

「安城さんに対して」

「……え?」

 

落ち着け、落ちついてもう一度木場の言葉を咀嚼しよう。『俺』が『安城』の事が『好き』。

これが木場の言った言葉。もう少し解りやすく言うと、『黒崎裕太郎』は『安城奏』に『恋愛感情』を向けている。

これが意味するのは、読んで字のごとく、つまりそういうことである。

 

「いや、待て。それは早計じゃないのか?」

「その心は?」

「だって俺と安城は今年知り合ったばかりだぞ?互いに情報不足じゃないか」

「うわー、なんですかその鈍感主人公みたいなアンサー。今時少年漫画だってもうちょいましな表現しますよ?」

 

再びドン引きする木場。

 

「いや、だがそれは何故俺が笑ったかという答えに繋がらない。よって棄却される」

「黒崎君。君は確かに生徒会活動やその他学校行事の運営に関しては類まれなる才能を持ってる凄い人です」

 

なぜか急にほめちぎってくる木場に対し俺は困惑する。

 

「ですが、恋愛という観点で言えば君は小学生以下です」

「なん……だと……」

 

あげて落とす。完璧な話術すぎて木場の才能が怖い。

 

「圧倒的に経験が不足している上にそれに対し興味関心がない。近頃の小学生の方がよっぽどお盛んですよ!」

「お、落ち着け。そんな大声で言う事じゃないだろ」

 

周囲の女子中学生からの好奇の視線が痛すぎるので俺は木場をなだめる。

 

「ごほん。わかりました。僕が恋愛の基礎を叩きこんであげます」

「すごい自信だな。木場は彼女いるのか?」

「ぐはあっ!」

 

急に木場が胸を押さえテーブルに突っ伏す。

 

「お、おい。どうした」

「あ、危ない……。黒崎君の事を知らなかったら即死だった……」

「おーい」

「ぼ、僕に彼女がいるかどうかは置いといて、取りあえず、次に安城さんと会うのはいつですか?」

「来週の地域パトロール」

「へえ、赤羽は生徒がやるんですか。それで、巡回するのはどの辺ですか?」

「学校の近くの神社でやる夏祭りの担当だ」

「へぶう!」

 

再び木場が机につっぷす。こいつ、こんなキャラだったっけ?

 

「な、なんですかそのラブコメ展開……。羨ましすぎる……」

「それで、安城と会う日がどうかしたのか?」

「え?あ、そうそう。安城さんへの好意が納得できないのなら、その日に確かめるのが一番いいかと」

 

なるほど、確かに。やっぱり木場は頼れるな。こいつに相談して正解だった。

 

「それじゃあ、これから恋愛の基礎を叩き込むので覚悟してください」

「お、おい木場?なんか目が怖いんだが……」

「メモの準備はよろしいですか?」

「は、はーい……」

 

そこから閉店間際まで、俺は木場のレクチャーを受けることになったのだった。

 

 

***

 

そして、一週間が過ぎ、地域パトロールの日がやってきた。俺は事前に安城から指定された通り、神社の狛犬の前で彼女の到着を待っていた。

神社の境内には所狭しと露店が並んでいる。焼きそばにたこ焼き、りんご飴に型抜き、お化け屋敷に射的、エトセトラ。夏祭りなんてしばらく縁が無かったが、やはり夏の定番はこういったイベントだろう。

 

 

「安城は、浴衣とか着るのかな」

 

浴衣を着てはしゃぎまわる小中学生を見てそんなことを呟く。いや、別に期待しているとかそういうわけでは無く、単に安城が浴衣を着たらどんな感じだろうと思っただけである。うん、ばっちり期待してるな。

 

「いや、地域パトロールに浴衣で来るわけないか――」

「黒崎くーん!おまたせー!」

 

俺の独り言は、こちらへ駆け寄ってくる安城の声によって夏の空へと消え去っていった。なぜなら、彼女が浴衣を着ていたから。白をベースにオレンジの金魚の刺繍が入ったいかにも夏祭りといった感じのもので、俺はその姿に言葉を失ってしまう。

 

「あ、あれ?おーい黒崎君」

「え?あ、ああ。よう安城。終業式以来だな」

「ほんとだよ、黒崎君全然ラインくれないんだもん」

「いつからラインは義務化されたんだよ……」

「まあ、別に黒崎君のことだからいいけどさ……」

 

なぜか安城は言い淀み、前髪をいじる。そうだ、こんな時こそ木場先生の恋愛講座の出番だ。確か、待ち合わせして向こうが普段と違う服装やおしゃれをしていた場合の解答は……。

 

「いいな、それ」

「え?」

「その浴衣、凄くいいと思う」

 

なんだろう、こんなセリフを言ったのは今が初めてな気がする。それゆえに、何となく恥ずかしい。

 

 

「あ、ありがとう!」

 

だが安城は嬉しそうに笑っている。なるほど、この定型文は汎用性も高そうだししっかりと憶えておこう。ありがとう、木場。

 

「ま、それじゃあ行くか」

「そうだね!」

 

俺たちは横に並んで鳥居をくぐり、境内へと足を踏み入れる。

 

「黒崎君は夏休み何してたの?」

「え?えーと、特に何も」

「ふーん」

 

事実しか言っていないというのに何故か安城はすこし不満げな反応をする。さっきの笑顔はどこ行ったんだ。

 

 

「お、おい安城?」

「茜ちゃんとのデートは楽しかったの?」

「えっ」

 

安城の冷ややかな視線に俺の背筋は凍りつく。普段とのギャップのせいだろうか、3割増しくらいで怖い。そもそもなんで安城が俺と雪里が出かけたことを知っているのだろうか。

 

「茜ちゃん、すごくうれしそうにラインしてきたよ」

 

おのれ雪里……。いや、ここで雪里を恨むのは違うか。

 

「い、いや、デートじゃないし」

「夏休みの前は矢作さんとも出かけたんだって?」

「ぎくっ」

 

そういえば安城と恭子はラインのやり取りを頻繁にしているとこの前聞いた。恭子の奴、余計なことを……。まあ、それは中学の時から変わらんか。

というか雪里にしろ恭子にしろ何故よりによって安城に報告するんだ……。

 

「それなのに私にはまったく連絡してこないんだ」

「お、怒ってる?」

「べっつにー?ただ、私の優先順位ってそんなに低いんだなーって」

 

その問題はさっき解決したんじゃなかったんですね、そうですね。

 

「別にそんなことないぞ。お前は大切な存在だ」

「へあ!?」

 

唐突に間抜けな声をあげる安城は心なしか顔を赤くしているように見える。

 

「く、黒崎君、それってどういう……意味?」

「どうもこうも、お前は大切な友達だってことだよ。まあ、生徒会勧誘はいい加減やめてほしいけどな」

 

ダイレクトに友達というのが少し恥ずかしくてそっぽを向きながらそう告げると、何故か安城の足音が消える。

 

「おい、なんで立ち止まるんだよ」

「黒崎君のバカ……」

「理不尽極まりないぞ……」

「うるさい!ほら、さっさとパトロールするよ!」

 

俺の背中にチョップを喰らわせ、安城は再び歩き出す。俺は背中をさすりながらその後に続く。

 

「そ、そういえば安城は夏休み何してたんだよ?」

 

焼きそば屋の前を通り過ぎたところで、なんとか安城の機嫌を取り戻そうと俺は無難な話題を持ちかける。先ほど俺に同じ事を尋ねてきた訳だし、特に問題ない話題のはずだ。

 

「友達と遊んで、あとはプールに行ったよ」

 

プールという単語に何故か水着の安城を想像してしまい、あわててその邪な念を消し去る。どうにもこうにも、木場の言っていた事が先行して俺の思考をおかしくしているようだ。

 

「黒崎君?」

「な、なんでもない。というかその言い方だとプールは友達と行ったんじゃないのか?」

「うん、まあね」

 

その反応に俺の心はざわついた。プールに一緒に行くような関係で友達以外の人物とは誰だろうか。それが凄く気になってしまう。

 

「誰と行ったんだ?」

「別に、黒崎君には関係ないでしょ」

「……彼氏、とか?」

 

しまった。気になりすぎて凄く具体的な問いかけをしてしまった。流石にこんな質問をしたら安城も不審に思ってしまうんじゃないだろうか。

 

「違うよー。家族と行ったの」

「それ、濁す意味あったか?」

「高校生にもなって家族とプールとかはずいじゃん」

「そうですか……」

 

俺は自然と息をつく。

 

「珍しいね、黒崎君が恋愛系の質問してくるなんて」

「べ、別に、可能性としてあり得る問いをしただけだって」

「私、彼氏いたことないけどね」

「……」

 

つい、無言になってしまう。安城に恋人がいたことが無い。ただそれだけの事実に何故か俺の心は再びざわつく。これが、木場の言う俺の恋愛感情なのだろうか。

いや、そもそもこういう系統の話をしたことが無かったのだから、今のこの瞬間だけを切り取って好意だと断定するのは焦りすぎだ。

よし、一端この話題は打ちきってパトロールに関連した話しにシフトチェンジしよう、そうしよう。

 

「好きな奴とかはいるのか?」

 

何言ってんだ俺。直前の思考はどこへ置いてきた。恐る恐る安城の表情を伺う、さすがに安城も不快に思ったのではないだろうか。

そんな不安に煽られていると唐突に、額にひんやりとした何かを感じた。

その正体は、安城の手のひらだった。安城は左手を俺の額にあて、もう片方の手で自分の額を押さえている。

 

「うーん……。熱は無いみたいだね」

「ね、熱があるならパトロール前に連絡するだろ普通……」

 

俺はあわててのけぞり、安城から少し距離をとる。だが、彼女の左手の冷たさ、そのすべすべとした感触はすぐには消えてくれなかった。

 

「でも、なんかいつもと違うよ、黒崎君?」

 

きょとんと首をかしげる安城の仕草に、何故か心が苦しくなる。

 

「別に、いつもとなにも変わったことはないぞ?」

「そのセリフを吐く人は何か変わったことがあった可能性ちょう高いと思うけど」

「うぐ……」

「もしかして黒崎君……」

 

心臓が鼓動する。安城の次の言葉を恐れている。何故?何故恐れる?俺は一体安城がなにを言うと思っているんだ?何を言ってほしいんだ?

そんな考えをよそにひたすら鼓動は早くなり、安城が次の言葉を口にする。

 

「好きな子が出来たの?」

「え?」

 

安城の発言は俺の危惧していたような核心を突くものでは無く、会話の流れとして至極真っ当な問いかけだった。でも、それでもその言葉は俺の心臓を跳ねあがらせた。この問いに俺は何と答えるべきなんだ?

 

好きな女子、ときかれてぱっと思いつく人物はまだ俺にはいない。だが、今現在安城の言動に大きく動揺しているのは確かだ。恋愛感情だと断言はできないが、先日の木場との会話によって必要以上に安城に意識を向けていることは確かだった。だが、それを本人に伝えても場が凍りつくだけだろう。

 

「……別に、そういうんじゃない」

 

だから、俺が出せたのはそんな逃げのセリフだった。

 

「なーんだ、てっきりそうだと思ったのに」

「ご期待に添えなくて悪かったな」

「ううん。別にそんな期待して無かったから」

「それはそれで傷つくな……」

「そういう、意味じゃないけど……」

 

安城の最後の言葉は、周りの音にまぎれて俺の耳には届かなかった。

 

***

 

それから1時間ほど祭り会場を巡回したが、特に問題も困っている人もいなかったため、俺たちは会場である神社の境内に腰掛けて屋台で買った焼きそばを食べていた。

とはいってもけしてサボっているわけではない。境内からなら祭り会場全体を見渡せるし、なによりシフト通りなら後10分もすれば交代の時間だ。

 

「うまいな、この焼きそば……」

 

パックにぎっしり詰まった焼きそばを咀嚼しながらそんな事を呟く。

 

「あ、それわかる!やっぱりお祭りの焼きそばは美味しいよね!」

 

隣で焼きそばを食す安城も俺の言葉に賛同する。

 

「まあ、実際のところ地域団体のおっさんたちが市販の麺とソース使ってるだけだから、俺たちが自宅で作るのとそう差は無いだろうけどな」

 

そこまで言って俺はマズイと感じた。いや、焼きそばの味についてではなく、会話の流れについて。どうも俺の思考の行きつく先はつまらないようで、せっかく安城が俺の言葉を拾って会話を広げてくれたのにこれじゃあこの会話は墓場へ直行だ。

 

 

「そうだね、私も何もない時に食べたらそんなに美味しいと感じないかも」

 

だが、安城は尚も会話を続けてくれる。しかし、この会話をこれ以上どうふくらませばいいんだ?俺がだんまり考え込んでいると、安城は焼きそばのパックを手元に置き、空を見あげる。

 

「多分、美味しいって感じるのは黒崎君と一緒に食べてるからだと思う」

「え……?」

 

安城の言っている意味が良く分からなかったから、俺は何となく彼女と同じように空を見上げてみる。だが、夏の星空は俺の疑問に応える訳もなく、俺は安城の次の言葉を待つ。

 

「黒崎君と知り合ってから、まだ一年も、半年さえも経ってないんだよね」

「まあ、そうだな」

「でも、そんな短い時間でも、私にとっては特別な時間になった。黒崎君と出会って、生徒会活動を手伝ってもらったりしてさ」

「半分くらいはお前が勝手に手伝わせてた気もするけどな」

「あはは、そうだね。私って昔から真っすぐすぎるっていうか、猪突猛進なところあるからさ」

「自覚あったんだな」

 

皮肉めいた事を言っているはずなのに、俺は自分の頬が緩んでいることに気付いた。

別に今、安城がおもしろいことを言った訳ではないし、俺が面白いことを思いついたわけでもない。それなのに、俺は笑っていた。

 

「ねえ、黒崎君」

「なんだ?」

「これからも、私を助けてくれる?」

 

その言葉に無意識に首が動き、俺の視線は安城へと戻る。星や月の明りに照らされている安城の姿が、俺には綺麗なガラス細工のように感じた。

何故だろう。今まで俺が見てきた安城奏はガラス細工なんて比喩表現とは程遠い存在だったはず。むしろガラス細工と例えるなら雪里の方が似つかわしい気がするし、俺自身誰かをガラス細工などと例えたことは一度もなかった。中学の時仲が良かった恭子やその周辺の女子の誰にもそんな印象は持たなかった。

なのに、俺は今この瞬間、安城奏から眼を離せずにいた。

 

「……ああ。俺はお前を助けたい」

 

だからだろうか、そんな言葉が口からこぼれていた。

 

「そっか、ありがとう。黒崎君」

 

こちらに視線を合わせる安城の姿に、俺の鼓動は高鳴っていた。もう、周りの音も聞こえない、そして何故か俺の右手は安城の頬へと伸びて行く。

 

――そうか。これが……。

 

 

「おつかれさまでーす!交代に来ました~!」

「「……!」」

 

突然響いた声に俺たちはビクッとしてその場に固まる。石の様に堅い首を動かしそちらを見ると、オレンジの腕章をつけたパトロール隊員2人の姿があった。

 

「あ……!」

 

とっさに俺は後ろへ飛びのく。安城も俺との距離が異様に近くなっていたことに気付いたようで身体を小さく丸めるように背を向ける。

 

「え、えーと?」

 

交代の隊員が困惑しているので、俺はなんとか火照った身体を動かし、境内から立ち上がる。

 

「お、おう。お疲れ様。特に異常は無かった。後よろしく」

「りょ、了解でーす」

「あ、安城。行くぞ」

「え!?う、うん!そ、そうだね!」

 

なんとか現実へと帰還したらしい安城が俺の後ろについてくるが、俺にはその顔をまともに見ることができなかった。

 

「あ、そうだ。安城先輩。私間違って生徒会室の鍵持ってきちゃって、これ職員室に返しといてもらえませんか?」

「う、うん!了解!この安城奏に任せなさい!」

 

キャラが崩壊したアニメのキャラクターの様な喋り方で安城は隊員から鍵を受け取る。隊員たちはそのまま巡回に向かってしまったので、再び俺と安城は二人になってしまった。

 

「えっと……」

 

こういう時は男が先に喋るべきだと木場先生は言っていた。どういう統計のもとの発言なのかは知らないが、とにかくこのまま沈黙をつらぬくのは耐えきれない。

 

「か」

「か?」

「鍵、学校に返しに行くんだろ?俺も一緒に行くよ」

「え、でも、悪いよ。パトロールも無理にお願いしちゃったし、これ以上は」

「いいって。その……女の子一人で夜道は危険……だろ?」

 

これ以上喋っているとまた変なムードになってしまう。

俺はそれ以上何も言わずに学校への道を歩き出す。

 

「女の子……か。えへへ……」

 

後ろをついてくる安城が何か呟いていたかもしれない。

 

***

 

前にも言った通り、赤羽高校は無駄に校舎がでかい。それゆえ夜空のもとにそびえたつその外観は無駄に仰々しい感じがした。

ともあれ、目的は職員室へ鍵を返すことであり、夜の校舎で肝試しをする気は一切ない。真っ暗な玄関で来客用のスリッパに履き替え、職員室のドアの前までの長い廊下をそそくさと進み、無人の職員室の扉をご丁寧に3回ノックしてから入り、壁にかかっているコルクボードに鍵を戻し、職員室を出る。これでミッションコンプリート。完走した感想は、特にありません。

 

 

「ねえ、黒崎君」

「なんだ?」

「せっかくだし、教室見てから帰らない?」

「断る」

「即答!?い、いいじゃん、夜の教室なんて滅多にお目にかかれないんだからさ~!」

「……わかったよ。それじゃあさっさと行こうぜ」

 

いつも使っている東階段を昇り、2年生の教室が並ぶフロアへと足を進める。廊下の窓に張ってある体育祭の告知ポスターの前を横切ると、俺たちのクラスの教室のドアがまるで俺たちを待っているかのように開けっぱなしになっていた。

 

 

「うわー!すごい!なんかすごいよ黒崎君!」

 

教室へと飛び込んだ安城はすぐに窓際まで走り、中身のない感想を口にする。俺もそれに続きゆっくりと教室へはいる。

窓から差し込む月明かり。誰も座っていない椅子と机。黒板は夏休み前の大掃除で綺麗に掃除されており、この暗さでもその光沢が認識できる。黒板の横の掃除当番表は当然ながら動いていない。

全てが止まった空間。ここに居るのは俺と安城だけ。この景色、空気、静けさ、そのすべてを安城と共有している。

 

だからだろうか。俺の口は勝手に動いていた。

 

「なあ、安城」

「ん?なに?」

「俺は……安城の事が……」

 

俺の言葉が確信めいた事を伝えようとしたその矢先、どこかから小さな爆発音のようなものが聞こえ、教室の中に鮮やかな色どりの光が舞い込んできた。

 

「わあ!黒崎君!花火だよ花火!」

 

勢いよく窓を開ける安城の瞳には遠くで打ちあがっている花火の光が写っている。

今日だけで何度安城に心を揺さぶられているのだろう。でも、その揺れの中に答えがあった。俺が笑った理由がはっきりと。

 

でも、今すぐにその答えを伝えるのはよそう。臆病風に吹かれたか、それとも他に理由があるのかは分からないが、一度途切れた言葉を再び紡ごうとは思わなかった。

 

 

「すごいねー花火!」

「そうだな……。凄く綺麗だ」

「うん!それじゃあ、いいものも見れたしそろそろ帰ろっか!」

「ああ……。っておい!」

「え?……きゃあ!」

 

 

安城が悲鳴を上げた時にはもう遅かった。窓に寄り掛かった時に浴衣の帯がどこかに引っかかってしまったらしく、しゅるしゅると音を立てて浴衣が崩れて行く。

 

「きゃああああああ!く、黒崎君!見ないでええええ!」

「は、はい!」

 

 

俺は勢いよく後ろへ振り向く。と、同時にこちらへ向かってくる足音が聞こえた。それはおそらく校内を巡回している警備員のものだろう。

 

 

――ま、まずい

 

学校に入ったこと自体は職員室に鍵を返すためという正当な理由があるから問題ない。だが、今、俺の後ろであられもないことになっている安城の姿を見られたら非常にまずい。

 

俺は周囲を見渡す。どこか、隠れられる場所は……。

 

「安城!こっちだ!」

「え?ちょ、ちょっと黒崎君!」

 

 

それから2分が経過しただろうか。警備員はわずかに俺たちの騒いでいた声が聞こえていたようで、真偽を確かめるように訝しげに教室内を見回っている。

俺たちはといえば、現在教室の後ろの掃除用具箱の中だ。とっさに身を隠せる場所がここしかなかったとはいえ、この状況はさっきとは違う意味でまずい。

 

「く、黒崎君……」

 

俺と向かい合う形で密着している安城は小声で俺を呼ぶ。その顔はこの暗さでもわかるくらい赤くなっている。

 

「後でいくらでも殴っていいから静かにしてくれ……」

「で、でも……」

 

安城がもぞもぞと身体を動かす。それと同時に俺の上半身に密着する女の子らしいやらわらかいふくらみがさらに押し付けられる。

さらに問題なのは、俺の右手の位置。あわてて狭い用具箱に隠れたため、その手は安城の尻に触れてしまっている。もちろんその手は一ミリ足りとも動かしていないのだが、それでも安城の熱がしっかり伝わってしまっている。

 

むわんとした空気の中、俺は外の様子を伺う。いつの間にか警備員の姿は無く、その足音は遠くなっていった。

とはいえ、もう少し様子を見ないと、いつ戻ってくるかわからない。

 

「く、黒崎君!動かないで……」

「そうはいっても……さすがに狭いしキツイんだよ」

「だ、だからって……ひゃあ!そんなとこ触らないで!」

 

ぴたりとくっつく安城が艶めかしい声を上げる。

 

「あんまり俺を刺激するような言動はやめてくれ……。もう暑過ぎて意識が飛びそうなんだ」

「そ、そんなの私も同じだし!」

 

 

さらにそれから2分後、俺たちはようやく用具箱から出た。

 

「ぜえ……ぜえ……」

「はあ……はあ……」

 

互いに息を切らしながらも、もう俺たちは背中合わせのまま振り向くことができなかった。

 

「と、とりあえず……。浴衣、直せそうか?」

「む、無理……これお母さんにやってもらったから……」

「まじかよ……」

 

浴衣が直せない以上、このまま外に出ることはできない。ならば必要なのは安城の着られるもの。保健室へ行けばあるかもしれないが、この場に安城だけ置いて行くのは不安だ。となるとこの教室の中で見つくろうしかない。

なにか、ないか……?

 

 

***

 

「はあ……酷い目にあったな……」

 

校舎を後にし、街灯に照らされる夜道を歩きながら俺はため息を吐く。

 

「そ、それはこっちのセリフだから!」

 

隣を歩く安城は顔を真っ赤にして憤慨する。その身には、学校指定のジャージを纏っており、手には浴衣一式がぶら下がっている。

 

「それにしても、俺の置きジャージが役に立って良かった」

「う、うん。それは、ありがと……。ちゃんと洗濯して返します……」

 

ぶかぶかのジャージの袖をながめながら安城はか細い声で答える。

 

「あ、私の家ここ曲がったらすぐだから」

「そうか、それじゃあここで解散だな」

「うん。パトロールお疲れ様」

「ああ、お疲れ様」

 

俺は小さく手を振り通りを曲がっていく安城の姿を見送る。

が、なぜかすぐに安城がこちらへ戻ってきた。

 

 

「黒崎君……」

「な、なんだ?」

「さっき、教室で何か言おうとしてなかった?」

「……別に、大したことじゃないさ」

「そっか。それじゃあ、2学期もよろしくね」

「ああ」

「あ、あともう一つ……」

「ん?なんだ?」

「そ、その……今日の事誰かに言いふらしたら、責任とってもらうからね……!」

 

その時の安城の表情を何度も思い出した俺が3日間不眠症に陥ったのは別の話し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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