やはり私の先生は間違っているようで間違っていない。 (黒霧Rose)
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1話 初代奉仕部部長と二代目奉仕部部長

 「雪ノ下、こいつが新しい顧問の比企谷先生だ」

 

 高校2年生になってから初めての部活動の日、平塚先生から新たな顧問を紹介された。

 

 「えぇー、知っているとは思うが比企谷八幡です。担当教科は国語、平塚先生からの命でこの『奉仕部』の新顧問となりました。よろしくお願いします」

 

 知っている。私はこの先生のことを知っている。

 

 それにしても、随分と礼儀の正しい先生ね。

 

 「私は2年J組の雪ノ下雪乃です。奉仕部の部長です。よろしくお願いします」

 

 そう自己紹介をし終えると、比企谷先生は平塚先生を見る。

 

 「どうだ、比企谷」

 

 「懐かしい呼び方ですね。ここも含めて何も変わっていないようで、なんだか安心しました」

 

 どうやら平塚先生と比企谷先生は旧知の間柄のようだ。もしかして、元教え子だったりするのかしら?

 

 それに、『ここ』が何も変わっていない?

 

 その言い方はまるで

 

 「ああそうだ雪ノ下、比企谷先生は『奉仕部』の初代部長だ」

 

 「え?」

 

 この部活は確かに私が1年の頃からあった。彼は確か新採用と紹介されていた。ということは少なくとも5年以上はこの部活があるということなの?

 

 「比企谷、雪ノ下は二代目の部長だ」

 

 「へぇー。俺とは違って真面目そうなやつですね」

 

 「まぁそうだな。君とは違うタイプの人間だ、まぁそれはそれだ。とりあえず私は職員室に戻っているから比企谷は雪ノ下と話していなさい」

 

 「はーい」

 

 そう言い残すと、平塚先生は職員室に戻っていった。

 それにしても驚いたわ。まさか初代部長が目の前に居るだなんて。

 

 「そこの席、昔は俺が座っていたんだよ。そこに座っているとなにかが見えてきそうになるだろ」

 

 「え、ええ。なんだか、落ち着く・・・というよりここに居るべき、みたいな感じになります」

 

 それは1年前、私が平塚先生に連れられこの部室に来た時だ。この奉仕部を紹介され、自分が部長だと命じられた後、なぜだかこの窓際の位置にある椅子に腰をかけたのだ。普段なら自分で椅子を持ってくるはずなのに、その時は置いてあった椅子に座った。

 

 「そうか・・・ああ、部活中は敬語はいらん。基本的に敬われるようなやつじゃないからな、俺は」

 

 それは教師としてはどうなのだろうか。

 

 「まぁ、先生がそう言うなら」

 

 「おう」

 

 

 そうだ、あの時の話をしなければいけない。私の入学式の日のことを。

 

 「先生、1年前の4月、事故に遭われましたよね?」

 

 「・・・なんでそれを」

 

 やはりこの先生だったか。

 

 「あの時、車に乗っていたのが私だからです。謝罪が遅れてしまったことも重ねてお詫びします」

 

 私は彼がどこの人なのか、名前と顔以外の全てを知らなかった。正確には知らされていなかった。だから謝罪が1年も遅れてしまったこと謝らなければいけない。

 

 「ああ、そうだったのか。いいよ、俺が勝手に犬助けようとして飛び出しただけだし。気にすんな」

 

 「けれど」

 

 「お前は乗っていただけだろ?そんなことは正直な話を言うと、どうでもいいんだよ。俺は生きていて、犬は助かった。それでいいじゃねぇか」

 

 絶句だった。この世に本当にこんな人がいるのか?いや、実際に目の前に居るのだ。驚きのあまり、信じられなかった。

 

 「なぁ雪ノ下、お前さ『悪』ってなんだと思う?」

 

 そんなことを考えているといきなり先生が問いかけてくる。一体どうしてこんな話をするのだろうか?分からなかったが、訊かれた手前答えることにする。

 

 「そうですね、やはり『法律』や『倫理観』などに則っていないものや誰かを傷付けること・・・ね」

 

 私は私の考えを言う。

 

 「そうだな。でも俺は違う」

 

 「聞かせてくれないかしら」

 

 私の考える『悪』と違うとは一体どういうことだろうか?一般的に考えれば私の考えが正真正銘の『悪』のはずなのに。

 

 「俺の思う『悪』ってのは

 

 

 

 

 

 自分を『善』だと、『正義』だと思うことだ」

 

 

 

 

 

 「ど、どういうことかしら?」

 

 全くの予想外だった返答が来てしまい、たまらず聞き返す。

 

 「自分は正しい、自分は善行を積んでるだの思うこと、この思い込みが俺の考える『悪』だ。結局そんなのは偽善だ。自分に酔っているだけの自己陶酔の果てに過ぎない」

 

 だから、と彼は続ける。

 

 

 

 「俺が気にしないと言っているんだから、もう謝罪をするのは止めろ。お前は一体『誰』に許されたいんだ?」

 

 

 

 私は理解した。彼という人間が一体どういう思想を持っているのか。

 

 そして、今私がしていることもまた醜い自己満足に似たなにかだということに。

 

 「わ、分かったわ」

 

 「分かってもらえてよかったよ。まぁ、『善行』も程々にしなきゃいけないってことだ。『行き過ぎた善行は人を窒息させる』よく覚えとけ」

 

 私は彼の言うことを理解はできる。けれどどうも違和感が拭えないのだ。何かが分からない、何かが引っかかる、なにかおかしい、どこか破綻していると、そう思ってしまう。

 

 「分からない、私はあなたのことが分からない。あなたは一体今までどんな風に生きてきたの?」

 

 気付けば、声に出ていた。私は無意識に声に出していた。脳から喉へ信号が送られ、声帯を震わせ空気を振動させ彼の鼓膜を振動させていた。

 

 

 

 

 「『最善』と思い込んだ『欲』にまみれた生き方だ」

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 「早いな」

 

 翌日の放課後、比企谷先生が私より少し後に部室に来た。

 

 昨日からは激動の連続だった。それも彼と出会ったことが全ての始まりだった。初代奉仕部部長。この肩書きだけで大きな驚きなのに、彼の思想、思考がなによりも私を驚かせた。

 

 本当に彼は何者なのかしら?それに、最後のあの言葉・・・。

 

 「雪ノ下、今日は依頼人が来る予定だ」

 

 コンコン

 

 「お、いいタイミングだな」

 

 「失礼しまーす」

 

 入って来たのは、ピンクの髪でそれをお団子にまとめた女子生徒、由比ヶ浜結衣さんだった。

 

 「ひ、比企谷先生の紹介で来ました。ここって生徒のお願い聞いてくれるんでしょ?」

 

 残念ながらそれは違う。ここはあくまで手助けをする部活、故にお願いを聞くところではない。

 

 「いいえ違うわ。ここの活動理念は『魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える』よ。つまり、手助けをするだけで実際に結果に繋がるかどうかはあなた次第よ」

 

 「へ、へぇー。なんか凄そうだね!」

 

 あ、これ理解できてないやつね。

 

 「ほぉ〜。俺の時と活動理念が変わってるんだな」

 

 え?そうだったの?私はてっきり初めからこれなのかと思っていたわ。

 

 「俺の時の活動理念は『魚の居場所を教えて、どの魚にするかどう利用するかは任せる』だったぞ」

 

 「随分と曖昧なのね」

 

 適当だと思ってしまった。その言葉の通り、それは完全に手放し状態ということじゃない。

 

 「そう、曖昧でいいんだよ。教えてもらった魚の取り方1つだけじゃ世の中生きていけない。どれを選ぶか、どう取るかは自分で決めなければいけないんだよ」

 

 「っ!」

 

 「お前も、生きていけば分かるようになるさ」

 

 言われてみれば、そうかもしれない。私が教えた取り方に固執してしまえばそれは『甘え』になって『依存』となるのではなのか。どうして今までそれに気付かなかったのか。

 

 「あ、あのぉー」

 

 「おっと、わりぃな由比ヶ浜。とりあえず俺は一旦職員室に戻るから。何かあったら電話くれ。雪ノ下は俺の番号知ってるだろ?」

 

 「え、ええ」

 

 昨日、顧問と連絡はとれるようにと番号を受け取っておいたのだ。早速使うかもしれなくなるとは。

 

 *

 

 「で、早速呼び出されたわけだが・・・どうした?」

 

 私は家庭科室に比企谷先生を呼び出した。やはり早速使ってしまったわね。

 

 「これは一体なんだ?」

 

 そう言いながら比企谷先生は『あるもの』を手に取る。

 

 「それは由比ヶ浜さんが作ったクッキーよ」

 

 「炭じゃねぇかよ」

 

 黒々としていて、原型を留めていないそれは確かにクッキーと呼べるものではなかった。

 

 「まぁいい、それで雪ノ下。今回の依頼内容は?」

 

 「お世話になった男性が居るらしく、クッキーを渡したいそうよ」

 

 それが由比ヶ浜さんの依頼だった。

 

 「それでクッキー作りというわけか」

 

 「ええ」

 

 今は依頼完遂のため、由比ヶ浜さんにクッキー作りを教えているところだ。しかし結果はご覧通りとなっており、何かいい方法はないかと先生を呼んだというわけだ。

 

 「・・・雪ノ下、どうして美味しいクッキーにこだわる?」

 

 「え?」

 

 何を言われたか分からなかった、正確には『理解』できなかった。手作りクッキーを渡すのだから当然美味しい方がいいに決まっている。それなのにどうしてそんなことを訊くのか、それが理解できなかった。

 

 

 

 

 

 「お前は『目的』と『手段』を履き違えている。これが今回俺が教える魚の居場所だ。後は自分で考えろ、教師ができるのはここまでだ」

 

 

 

 

 

 じゃあな、と言うと先生は職員室に帰ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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2話 二代目は考える

 

『手段と目的を履き違えている』

 

 その言葉の意味を考える。そのためには今回の依頼をもう一度思い出す必要がある。

 

『お世話になった男性に手作りクッキーを渡す』

 

 この場合における『目的』とはなに?なら結論からアプローチをすればいい。

 

『手作りクッキーを渡す』

 

 ・・・そう、そういうことね。今回の依頼における『目的』はあくまで手作りクッキーを渡すことであって、美味しいクッキーを作るわけではない。

 

 そうだと言うならクッキーは?そう、『手段』だ。お世話になったということは感謝、または好意のようなものを抱いているということ。つまり、今回におけるクッキーの役割はあくまでそれらを伝えるための『手段』でしかない。

 

 

 だから先生は私に『手段と目的を履き違えている』と言ったのか。

 

 

 そうね、今回は私のミスだわ。

 

 

 *

 

 「由比ヶ浜さん」

 

 私は今考えたことを伝える。

 

 「な、なに?」

 

 「あなたは美味しいクッキーを作りたいの?」

 

 当たり前と言われれば当たり前の質問かもしれない。けれど今回のようなケースでは目的が多方面に向かっているため、最終目的地というもの、つまり優先度を確かめなければならない。これはそのための確認だ。

 

 「やっぱりあげるなら美味しい方がいいと思うんだ」

 

 「・・・そうね。ではもう一度やってみましょう」

 

 

 

 結論から言うと、クッキーもどきができただけだった。

 

 このまま努力をし続けて、依頼は、目的は達成できるのか?私の思考はそっちに切り替わっていた。こういう時、どうすればいいのかしら。もう一度、先生を呼ぶ?いえ、きっと彼は来ない。彼はあの時『教師にできるのはここまでだ』そう言った。だから来る確率は低いと考えていい。

 ならどうする?一度受けてしまった手前、今更断ることなんてできない。

 

 

 いや、待って。どうして私は彼の言葉をそのまま飲み込んだ?彼の発言にはもっとなにか別のことが隠されているはず。仮にも奉仕部の初代部長、それだけを伝えて帰るような人には思えない。

 

 考えなさい雪乃。彼の言葉を、その全てを網羅しなさい。

 

 

『お前は『目的』と『手段』を履き違えている。これが今回俺が教える魚の居場所だ。後は自分で考えろ、教師ができるのはここまでだ』

 

 

 なにか、なにかあるはずよ。今回の依頼におけるヒントが。

 

 ・・・なにかおかしい、この言葉のなにかが引っかかる。そう、そうよ。この言葉を魚の居場所とした場合それは少し合わない。完全に『魚の取り方を教えている』のよ。

 

 だとするなら彼の言う『魚の居場所』とはなに?思い出しなさい、彼が言った言葉を。

 

『なぜ美味しいクッキーにこだわる?』

 

 っ!!なるほどそういうことだったのね。

 

 

 「由比ヶ浜さん、思ったのだけれど無理に美味しいクッキーである必要はないわ」

 

 「え?どういうこと?」

 

 「さっき、比企谷先生は美味しいクッキーにこだわる理由を訊いた。それは裏を返せば美味しいクッキーである必要はないということではない?」

 

 「・・・あ」

 

 そう、彼は『なぜ美味しいクッキーにこだわる?』そう訊いた。つまり裏を返せば『美味しいクッキーである必要なくね?』そう言っているのとほぼ同義なのだ。だとするのなら、由比ヶ浜さんが作ったクッキーという残ったこの部分が大切ということになる。そう考えることができる。

 

 「先生に直接訊いてみましょう」

 

 そう言い、電話をかける。

 

『もしもし比企谷です。雪ノ下か?』

 

 「ええ、少し質問があるのだけれどいいかしら?」

 

『・・・ああ』

 

 「人から、それも異性からクッキーを貰う時に先生は味にこだわるかしら?」

 

『ようやくか・・・いや、人からの贈り物って部分が大切だから別に味はそこまで気にしない。食えればそれでいい』

 

 ようやくか・・・ね。

 

 「そう、ありがとう。由比ヶ浜さんに伝えておくわ」

 

『ん。じゃあな』

 

 そう言い先生は電話を切った。

 

 「由比ヶ浜さん、先生は味は気にしないらしいわ。人からの贈り物って部分が大切だからと言っていたわ」

 

 さっき先生から聞いたことを由比ヶ浜さんにも伝える。

 

 「そっか・・・ありがと雪ノ下さん。あたし、自分のやり方でやってみるね!」

 

 そう言った後、私と由比ヶ浜さんは家庭科室の片付けに入った。

 

 

 *

 

 翌日、私は部室で比企谷先生が来るのを待っていた。そう、昨日のことを確認するためだ。

 

 「うーす」

 

 「待っていたわ、昨日のことで訊きたいことがあるの」

 

 「そうくると思ってたよ」

 

 どうやら先生も私から質問されるのは予想済みだったらしい。

 

 「昨日のあなたの発言、どこまで計算通りだったの?」

 

 「全部だ」

 

 迷いなく彼はそう言った。つまり最初から私が気付くと信じて疑わなかったのだ。

 

 「俺は国語の教師だ。国語の問題の答えは全て本文に載っている、お前ならそれに気付くと思った。生徒に答えと解き方を教えるのが仕事なんでね」

 

 まさに教師らしい。ここで言うところの本文とは彼の発言全て。出題者は先生で解答者は私。私はまんまと彼に乗せられた、いえ期待されたのだ。

 

 「まぁでも、よくあのヒントだけで答えに辿り着いたと思うよ。どこで気付いた?」

 

 「最初に違和感を抱いたのは私自身についてかしら。あなたに言われた通り私は『目的』と『手段』を履き違えていた。そう言ったあなたの言葉をそのまま鵜呑みにした。そこが始まりね。そして次にあなたの発言の違和感、『魚の居場所を教えた』そう言ったのにあなたは『魚の取り方』を教えた。だから『魚の居場所』は別のところにあると、そう考えたわ。そしてあなたの『なぜ美味しいクッキーにこだわる?』という発言に辿り着いた。そこからはあなたの思ってる通りよ」

 

 「ブラボー、よくやった。ほとんどこっちの想定通りだ。これでようやくお前を二代目奉仕部部長と認めることができるな」

 

 「ど、どういうことかしら?」

 

 「あれに気付かなければ俺はお前を退部にしてたと言っている。依頼を達成できないやつは『奉仕部』にはいらない。そうだろ?」

 

 あ、危なかったわ。あの時の違和感を無視していたら私は今ここに居なかったのね。

 

 「ま、よくやったよホント」

 

 

 コンコン

 

 先生がそう言うと、部室のドアがノックされた。

 

 「失礼しまーす!ゆきのんと比企谷先生に昨日のお礼としてクッキーを持ってきました!」

 

 高めのテンションで現れたのは由比ヶ浜さんだった。

 

 「ごめんなさい、私いま食欲が」

 

 正直に言うと、昨日のあれを見てしまったが故に少々怯えてしまう。あれは決して人が食べるものではなかった。

 

 「お、由比ヶ浜か。俺にも?なんで?」

 

 「いやぁ〜、だって先生のおかげってとこもありましたし」

 

 「ま、そういうことなら受け取っておくよ」

 

 「う、うん。あ、ねぇゆきのんさ今どこでご飯食べてるの?お昼とか一緒に食べない!?」

 

 「私は部室で1人で食べるのが好きだから・・・というかゆきのんって?」

 

 「料理って楽しいんだね!あたしハマっちゃったよー」

 

 ダメよ。もっと上達してからハマりなさい。

 

 「・・・ふっ」

 

 え?比企谷先生が笑った?授業中や休み時間でも笑った姿を見たことがないとまで言われているあの先生が?

 

 「あ、先生が笑った!」

 

 「おいおい、俺だって笑う時は笑うよ」

 

 「私もてっきり笑わない人かと・・・」

 

 

 比企谷先生の笑顔・・・悪くないわね。なんだか優しい笑みだと、そう感じたわ。

 

 

 *

 

 比企谷先生が所用で席を外した後、平塚先生が来た。

 

 「失礼するよ」

 

 「どうかしたのですか?」

 

 そう尋ねると壁にもたれかかって私の方を見てくる。

 

 「君から見て、比企谷はどう映る?」

 

 正直、その質問が来るのではないかと思ってはいた。

 

 「そうですね、よく分からない思想や価値観を持っていてそれでいてなんだか食えない人、そう思います」

 

 「ふっ、教師を食えない人扱いするんじゃないよ。まぁ確かにその認識は間違ってはいない」

 

 けれど、と私は付け加える。

 

 「本当は優しい人なのでないか・・・そうも思えます」

 

 そう言うと、平塚先生は少し驚いたような顔をした。

 

 「どうしてそう思うのかね」

 

 「今日、先生の笑顔を見たんです。それがなんだか優しい笑みだったので」

 

 平塚先生はさっきよりも目を見開き、もたれかかっていた壁を離れて体ごとこちらに向いた。

 

 「比企谷が・・・笑った?そうか、珍しいな。私も二度しか見たことがないんだよ、彼が笑ったところは」

 

 「え?」

 

 「お察しの通り、彼は私の元教え子だ。一度目の笑顔はある生徒の問題を解決した時、二度目は卒業式の日だ」

 

 先生が二度しか見た事がない?あまりにもそれは少なすぎるのではないか?

 

 「そうだな。彼が優しいという認識は合っているよ。けれど世界が彼には優しくなかった、だから彼は誤解されやすい。まさか比企谷が笑うとは、君と会わせて本当によかったよ」

 

 平塚先生はきっと、卒業してからも比企谷先生のことが心配だったのだろう。そしてその心配が今、本当に少しだけ杞憂になったのだ。

 

 「・・・先生、気になることがあるのですが、いいですか?」

 

 さっきの先生の話を聞いて、私には気になるところがあった。

 

 「答えられる範囲なら」

 

 そう、それは

 

 「彼の一度目の笑顔、それは誰からの依頼を解決したときですか?」

 

 だった。平塚先生が二度しか見たことのない笑顔、その最初。私はそれが一体誰からの依頼だったのか、それが気になる。どうして依頼を解決して彼が笑うのか、どうしてそれが彼の笑顔に繋がったのか、それが知りたかった。

 

 「どんな内容かは言えないが、誰からは特別に教えてやろう。その時はまだ比企谷の後輩だった」

 

 そこで平塚先生は私をじっと見て、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「君の姉、雪ノ下陽乃だよ」

 

 

 

 

 



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3話 二代目には初代と違って部員ができる

カタカタカタ

 

キーボードを叩く無機質な音がするこの部室。

 

「あの、何してるの?」

 

「あ?仕事」

 

私の問いかけに答えるのはもちろん比企谷先生。

 

「どうして職員室でやらないのかしら」

 

「いやだよ、他の先生から仕事押し付けられるし」

 

それは社会人としてはどうなのかしら。仕事は職員室でやればいいのに。

 

「機材も職員室の方が揃っているのではなくて?」

 

「最近のタブレットはすげぇんだよ。専用のキーボードカバー付ければPCにもなるし性能も高い、しかも元がタブレットだから楽に操作できるし軽いしでマジ最高。更に専用のペンを使えば直接書き込めるときたものだ。こっちで入力して頃合を見計らって職員室のPCにデータぶち込んで完了だ」

 

彼はそう言った。何故最近のタブレット褒めちぎり大会になっているのかしら?確かに様々な電子機器が進歩しているというのは認めるけれど・・・。

彼が使っているのは背面にリンゴのマークが付いた海外の会社のタブレットだ。私の周りでも使っている人を多く見かける。

 

「はぁ。まぁいいわ」

 

「おう、わりぃな。ここの居心地がいいってのもあるんだよ」

 

確かにこの部室の居心地の良さは私も思うところがある。彼に至っては4、5年振りでしょうからきっと懐かしさも相まって尚のこと居心地がいいのでしょう。

 

昔、そうね。あの話をしてみましょう。

 

「ねぇ先生」

 

「なんだよ、職員室には戻んねえぞ?」

 

「そうではなくて、あの、私の姉の雪ノ下陽乃って知っているかしら?」

 

姉さんの話。昨日平塚先生から聞いたことだ。

 

「あぁー、あのアホ後輩か。懐かしいな」

 

あ、アホ後輩?あの姉さんをアホ呼ばわりですって?

 

「ね、姉さんのことなのだけれど」

 

 

「やっはろー!」

 

話を続けようとしたところで由比ヶ浜さんが部室に入って来た。

 

「・・・こんにちは」

 

「・・・ふっ」

 

先生は由比ヶ浜さんを見て、また笑みを浮かべた。ど、どうして?

 

「あ!先生、なんで笑うんですか!」

 

「いや、その挨拶を久しぶりに聞いたからな。思い出し笑いだよ」

 

きっと、姉さんのことね。姉さんは外では『ひゃっはろー』なんて挨拶をしていた。それを思い出したのだろう。

 

 

あなたと姉さんの間にはなにがあったの?

 

 

 

「で、由比ヶ浜はどうしたんだ?」

 

先生が由比ヶ浜さんに尋ねる。

 

「そうだ、今日は依頼人を連れてきたんです!」

 

「由比ヶ浜さん」

 

「いやぁなんていうの?やっぱり奉仕部員としてっていうか?」

 

「由比ヶ浜さん」

 

「お礼とか大丈夫だよ!」

 

「由比ヶ浜、お前は部員じゃないぞ」

 

「え!?」

 

私が言おうとしたことを先生が代弁する。

 

「ああ。顧問である俺のところに話もないし、入部届けももらってないからな」

 

そうね。私もその事を指摘しようとしていたのよ。

 

「書くよー書くからー。仲間に入れてよぉー」

 

「・・・まぁいいだろう」

 

どうやら由比ヶ浜さんの入部が決まったようね。

 

「で、依頼人ってのは?」

 

「ぼ、ぼくです」

 

見た目が可愛らしい生徒が入ってきた。

 

「戸塚だな。今はテニス部の活動時間じゃないのか?」

 

「え、えっと奉仕部にお願いしたいことがあって」

 

戸塚・・・さん?くん?男子の着るジャージを着用しているし、彼は男子でいいのかしら?それにしては可愛らしい顔をしているわね。

 

「それで、依頼の内容は?」

 

今度は私が話を切り出す。

 

「あのね、うちのテニス部を助けて欲しいんだ」

 

「え、ええと」

 

それは一体どうすればいいのかしら。『奉仕部』の活動理念的にも、どう手を貸してあげればいいのか・・・。

 

「理由を聞こうか」

 

先生が戸塚くんに理由を訊いた。

 

「先生は知ってると思うんですけど、うちのテニス部さ、弱いんです。それで僕が上手くなればみんなも付いてきてくれるかなって」

 

「要するにあなたのテニス技術を向上させればいいのね」

 

「で、できるかな?」

 

難しい話だと思う。私たちに一体何ができるのだろうか。

 

「ほぉ〜。しかして『奉仕部』に何をしてほしいのかね。今この部の活動理念は『魚の取り方を教える』だそうだ。直接結果には介入できない。そのうえで訊こうか、こいつらは何をすればいい?」

 

「僕の練習を手伝ってほしいんだ。それはダメかな?」

 

「だそうだ二代目。さてどうする?」

 

私は、私は・・・。

 

「ゆきのーん、お願い」

 

「依頼を受けるわ」

 

受けよう。そういうことならこの依頼を受けることができる。

 

ふと先生の方を見てみると、目を瞑って何かを考えているようだ。

 

「雪ノ下」

 

そのまま私を呼びかける。

 

「なにかしら?」

 

 

 

 

 

 

「今回、『魚の居場所』はどうやらお前のところにはないらしいな」

 

 

 

 

 

 

 

翌日の昼休みから戸塚くんの特訓が始まった。

 

けれど、私が気にしているのは特訓のことではない。

 

『今回、魚の居場所はどうやらお前のところにはないらしいな』

 

そんな彼の言葉だ。私のところには『魚の居場所』がない?どういうこと?前回のことと同様に考えてみてもさっぱり意味が分からない。彼の発言を思い出してもそれらしいものは無かった。

これは国語の問題と同じ、なら考え方を変えてみましょう。前の分からではなく、あとの文から答えを探す。けれどそう言い残して彼は帰ってしまった。だとするなら何?

 

私の疑問に反して、答えが出ることは無かった。

 

 

「いたっ」

 

そんな折、戸塚くんが怪我をしてしまった。

 

「まだやるの?」

 

彼の本心が聞きたくて、彼に問いかける。

 

「う、うん。まだやるよ」

 

「そう」

 

なら私が今やるべきなのは、彼の怪我を治療できるように救急箱を持ってくることだ。

 

そう考えて、私は保健室に向かった。

 

 

 

 

 

その光景を見て、私は絶句した。そこにあったのは、葉山くんと三浦さん、そして由比ヶ浜さんと戸塚くんがテニスをしているところだった。

 

「これは、なに?」

 

私はたまらず、由比ヶ浜さんに訊く。

 

「ごめん、ゆきのん」

 

話を聞くと、三浦さんと葉山くんがテニスをしているところを見つけ、帰ってもらおうとしたところ、勝負することになってしまったそうだ。

 

「仕方ないわね。切り札を切るわ」

 

そう言い、ある人物に電話をかける。

 

「もしもし、雪ノ下よ。テニスコートに来てちょうだい」

 

 

 

 

 

 

「・・・で、こりゃなんだ」

 

比企谷先生が登場した。そう、私が呼び出したのは比企谷先生だ。こういった時、先生を呼ぶのが早い。

 

「さて、葉山と三浦に尋ねようか。お前たちはテニスコートの使用許可をとったのか?」

 

「「そ、それは」」

 

その問いに2人は答えられない。

 

「はぁ、その反応で分かったよ。ったく、こいつらは全員許可取ってるんだよ。だから取り敢えずやるなら許可取ってくれよ。それから戸塚と奉仕部、お前たちもダメなものはダメだと伝えろ。怪我人が出てないからいいものを」

 

「「「「す、すみません」」」」

 

私はその時、ここには居なかったのだから謝らなかった。

 

「雪ノ下、お前はどうしていた?」

 

質問の矛先がこちらに来る。

 

「怪我をした戸塚くんのために救急箱を取りに行っていたわ」

 

事実を伝える。私は虚言を吐かないもの。

 

「お前は奉仕部の部長で責任者の一人なんだから現場を離れるなよ。そういうのは由比ヶ浜に任せろ、いいな?」

 

「・・・分かったわ」

 

彼の言うことは正しい。私は部長、つまり立場ある人間というわけだ。その人間が現場を離れてしまったら、もしもの時の対応ができない。確かに、浅はかだったわね。

 

「今回は見逃してやるから、全員とっとと教室戻れ。奉仕部の特訓は放課後から再開。これは顧問命令だ」

 

彼のその言葉で全員その場を去る。

 

「ねぇ先生、昨日の『あの言葉』はどういうことかしら」

 

私は一人テニスコートに残り、先生に尋ねる。

 

「・・・お前はどうやってこの依頼を達成しようとした?」

 

比企谷先生はこちらを向かずに私に問いかけてくる。そんなものは決まっている。ひたすらに努力を重ねさせるだけだ。

 

「死ぬまで努力、かしら」

 

「だろうな。だからお前の所には『魚の居場所』がない。向こうの利害と一致してないんだよ」

 

「ど、どういうことかしら?」

 

意味が分からない。私は確かに戸塚くんが『テニス技術の向上をお願いする』とそう言ったのを聞いた。あの場には先生も居たはずだ。だから先生がそう言う意味が理解できなかった。

 

 

 

 

 

「今回のお前の戸塚にとっての『立場』それをよく考えろ。じゃあな、俺は授業の準備がある」

 

 

 

 

そう言うと、彼は職員室に戻ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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4話 二代目は自分だと気付く

『戸塚にとってのお前の立場を考えろ』

 

彼の言葉の意味をずっと考えていて、私は授業にあまり集中ができなかった。

 

今回の言葉は彼の前回の言葉とセットとして考えていい。だとするなら、その戸塚くんにとっての私の『立場』こそ、私が『魚の居場所』ではない理由になる。

一度、私の立場というものを考え直してみましょう。

『奉仕部部長』『依頼を解決する人間』

・・・待って、そう考えるのなら戸塚くんの立場は?

『依頼者』ということになる。その前提を踏まえた上での私の立場は簡単に言えば『頼られた側』ということになる。ここから、ここから考えを発展させた先に彼の言葉の本当の意味があるはず。

 

なのに、どうしてそこから先に思考がシフトしないのかしら。

 

 

 

放課後、私たちはテニスの特訓の続きをする。

 

今、戸塚くんはウォーミングアップということで軽くランニングをしている。由比ヶ浜さんはボールを出したりと準備を進めていた。

 

そして私は、また考え事をしていた。当然彼の言った言葉についてだ。昼休み、正確には昨日からずっと考えているが、これといった答えが見えてこない。なにかが見えそうなところまでは行くがそこから先に思考が進まないのだ。

 

「じゃあ雪ノ下さん、ラリーの相手をしてくれるかな?」

 

ランニングを終えた戸塚くんが私にそう言った。そうね、このまま考えごとをしているだけではダメね。今私は依頼を受けている身なのだから。

 

「分かったわ」

 

今回も戸塚くんはしっかりと私の打つ球に反応をしてくれる。

 

「やっぱり、雪ノ下さんテニス上手いね」

 

「あ、ありがとう」

 

ラリーをしながらいきなり褒められたので少々反応が遅れてしまった。

 

「雪ノ下さんとテニスができて良かったよ。由比ヶ浜さんに奉仕部を紹介された甲斐があった」

 

・・・っ!!

 

戸塚くんの言ったことで、ある事が思い浮かび動きが止まってしまった。

 

「あれ?雪ノ下さん大丈夫?」

 

「え、ええ。考え事をしてしまって、ごめんなさい。少し休んでもいいかしら?」

 

「うん、大丈夫だよ。由比ヶ浜さんと特訓してるね」

 

そう戸塚くんに言い、私はベンチに座る。

 

『雪ノ下さんとテニスができて良かった』

 

彼はきっと何気なくそんなことを言ったのだろう。けれど、私にとってはまさに棚からぼたもちだった。

 

そう、つまり戸塚くんに必要だったのは必死な練習なんかではなかったのだ。思い返せば、戸塚くんが言ったのは『僕の練習を手伝ってほしい』ということだった。だとするのなら、彼が必要としていたのは『練習相手』ということになるのではないかしら。

 

そう考えれば先生の言葉の意味が段々と分かってくる。

 

『戸塚にとってのお前の立場を考えろ』

 

この言葉に隠された本当の意味は『お前は戸塚にとっては練習相手だ。指導したりするのがメインであって、練習メニューや練習の方向を決めるわけではない』ということだ。私が自ら『必死に努力』というメニューを課せる必要はなかった、より正確に言うならそれは戸塚くんの必要としていることではなかった。

 

そして『今回、魚の居場所はどうやらお前のところにはないらしいな』

 

この言葉の本当の意味は、『私=魚』というわけだ。『魚の居場所』ではなく、私そのものが『魚』だったのだ。そして、私と特訓をするという形で戸塚くんは『魚を取った』更に言うなら今回における魚の居場所、それは『奉仕部』そのもの。私のところにはない、由比ヶ浜さんが加わったことで『私たち』のところとなった。だから先生はあんな遠回しな言い方をしたのだ。

 

ここまでのことが、また計算通りなの?あんな言葉に一体どれだけの意味を仕込んでいたというの?

 

これが、これが『初代奉仕部部長』の格なの?

 

 

これが私との格の違いなの?

 

 

 

 

「先生、お話があります」

 

戸塚くんとの特訓が終わった後、私は鍵を返しに職員室に寄った。鍵を返すのはあくまで『ついで』私の本命は比企谷先生と話をすること。

 

「・・・なにか見えたようだな。隣の会議室に行こう」

 

「はい」

 

 

 

「それで雪ノ下、話・・・はなんとなく分かってる。おおかた俺の言葉の意味を理解したんだろう」

 

向かいに座った先生はそう話を切り出す。

 

「ええ、ようやく分かりました」

 

「ここは俺たちしかいないし、敬語はいいぞ」

 

先生はそう促す。きっと、先生なりの配慮なのだろう。これからする話のための。

 

「分かったわ。では、私の辿り着いた解答を言うわね」

 

「ああ、聞かせてくれ」

 

「まず、今回戸塚くんが私たちに求めていたのは『必死な努力』ではなかった。彼が奉仕部の部室で言ったのは『練習を手伝ってほしい』だった。それを考慮すると、彼が求めていたのはあくまで『練習相手』だった。次に私の『立場』きっと戸塚くんにとって私はその練習相手だったのではないか、そう考えることができるわ。だから私が練習メニューを考えたりなどは本来する必要がなかった。そして先生の言葉の意味、これは『私そのものが魚』だった。そして『魚の居場所』とは奉仕部。奉仕部は由比ヶ浜さんが入ったことにより『私の』ではなく、『私たちの』になった。故に、私のところにはない、そういうことではないのかしら?これが私の辿り着いた解答よ」

 

辿り着いた解答の全てを先生に話す。そうすると先生はどこか安堵したような笑みを浮かべた。

 

「よくやった。正解だ」

 

「・・・ここまでが全て計算通りなの?」

 

正解だと言った彼に訊いてしまう。

 

「ああ、そうだ。お前が答えに辿り着くことも含めてな」

 

・・・何も言えなかった。本当に計算通りだったのだ。それも私が解答を導き出すことも含めて、全て計算通りだったのだ。

 

「今回の本文は俺ではなく、戸塚だ。出題者は戸塚で、解答者はお前。筆者の考えを答える問題、国語の基本だ」

 

筆者の考えを答える問題、彼はそう言った。そう、最初に私の考えが及ばなかったのは『誰が本文か』ここを間違えていたからである。私は先生が出題者で、先生の言葉が本文だと前回と同じように考えてしまったのだ。だから考えが及ばなかった。本当の出題者は戸塚くんだった、本当にそれだけの話だったのだ。

 

「まぁそれでも、ホントに凄いよ。よく辿り着いたな」

 

「・・・私でなければ解けないと思うのだけれど」

 

つい彼に悪態をついてしまう。こんな意地悪な問題をしてきたのだ、これくらいは仕方ないだろう。

 

「ああ、だからお前に出題した。解いてくれると思ったからな」

 

「そ、そう」

 

なんだかやり返されてしまった気分だ。けれどどうしてだろうか、不思議と心地好い。これが本当の意味での『期待』というものなのかしら。

 

「ま、これからも時間がある時は戸塚の練習相手してやれよ。俺も偶になら付き合うから」

 

「あなた、テニスできるの?」

 

まさかの協力宣言に少し驚いしてしまう。

 

「高校時代にアホな後輩に付き合わされてな」

 

「それって」

 

私の予想通りなら、きっとそれは

 

「ああ、お前の姉だよ。アイツ、自分の得意なテニスで勝負挑んできやがって・・・まったく、恥ずかしくねぇのかよ」

 

やはり姉さんだった。本当にあなたと姉さんの間には一体なにがあったというの?

 

「あなたと姉さんって」

 

「その内話してやるよ。お前の姉と俺との間になにがあったのか。平塚先生にでも、昔関わりがあったってことは聞いたんだろ?」

 

「え、ええ」

 

気付かれていたのね。まぁ、彼ならそれくらい当然なのかもしれない。

 

「んじゃ、気を付けて帰れよ」

 

そうして、私たちは会議室を出ていった。

 

 

*八幡side

 

「久しぶりだな、アホ後輩」

 

仕事中、アイツから電話がかかってきた。

 

『久しぶり、八幡先輩。今は先生かな?』

 

相変わらず楽しそうに話すやつだな。

 

「お前の先生ではねぇよ。お前の妹の先生ではあるけど」

 

『雪乃ちゃんの先生か。どう、雪乃ちゃんは』

 

「優秀なやつだとは思うよ。でもどこか・・・」

 

『どこか?』

 

「どこか寂しそうだ。前のお前を見てるようだよ」

 

『前の』それは、俺がまだ部長だった奉仕部に来たばかりの頃だ。

 

『・・・そっか。さすが八幡先輩だね。雪乃ちゃんのことよろしくね』

 

どこか優しげに、それでいて悲しみを含めたような声でそう言ってくる。

 

「ああ、俺は先生だからな」

 

『うん、任せたよ。じゃあね』

 

そう言うと、アイツは電話を切った。

 

 

 

 

 

ああ、任されたよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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5話 二代目は思いの外考えが及ばない

「あ、あの!総武高校の方ですか!?」

 

どうして私たちが中学生くらいの男子に話かけられているのか。一度状況を整理してみましょう。ここはファミリーレストラン、私と由比ヶ浜さんはここに勉強をしに来ていた。そこを彼に話しかけられたというわけだ。うん、考え直してもよく分からないわ。

 

「そ、そうだけれど、あなたは?」

 

「えっと、自分は川崎大志っす。総武高校の2年生に川崎沙希って人がいると思うんですけど、その人の弟っす」

 

川崎沙希・・・私は知らないわね。

 

「あー川崎さんね。あたしのクラスの女子だ。なんか目付き悪くて近寄り難い人でしょ?」

 

どうやら由比ヶ浜さんは知っているようだ。

 

「そ、そうです。それがねえちゃんっす」

 

「それで、その弟さんが私たちに何か用かしら?」

 

「ねえちゃんのことで、お、お願いがあるんです!」

 

私たちにお願い?今初めて会ったばかりの私たちにお願いをする?正直、正気の沙汰とは思えないわね。私たちが世に言う悪い人間だったらどうするつもりだったのかしら。

 

それとも、何振り構っていられないほどに追い詰められている?

 

「ゆきのん、川崎さんのことだしさ聞いてみようよ」

 

由比ヶ浜さんの言うことも一理ある。川崎さんは私たちの学校の生徒。ということは私たち『奉仕部』の活動の範囲と言ってもいい。

 

「そうね、そういうことなら話を聞かせてちょうだい」

 

川崎くんは姉のことについて語りだした。

 

 

 

 

 

「さて、どうしたものかしら」

 

翌日の放課後、1人部室で考えに耽ける。

 

川崎さんは最近帰りが遅いらしく、朝方になる日もあるそうだ。両親も仕事にかかりきりで、どうしようもないらしい。

考えられるのは、夜遊び、またはバイトね。けれど、川崎くんは昨日の話で『総武高校に行くくらいでしたから、ねえちゃんは真面目な人なんす』と言っていた。ならば夜遊びについては切ってもいい、ということはバイトの可能性が高くなるわけだけれども。

なら理由は?朝方までバイトをしていると仮定して、そこまでする理由はなに?そもそも18歳未満は22時以降は働くことができない。だとするなら、考えられるのは『年齢詐称』ね。・・・どうしてそこまでするのかが見えてこないわ。

 

考え込んでいると、先生が部室に入ってきた。

 

「よう、相変わらず早いな」

 

「え、ええ。今日もここでお仕事を?」

 

最近、先生がこの部室で仕事をすることが多くなった。

 

「いや、今日は特にやることないし休憩と顧問として来た」

 

どうやら今日は仕事をするわけではないらしい。いえ、顧問としてきたのならそれもまた仕事ということになるわね。

 

「なにか依頼のことで悩んでいる、そんな顔をしてるな」

 

先生からの不意の一言に驚いてしまう。

 

「わ、分かるのね」

 

「ああ。俺がまだ部長だった時と同じ顔してるからな。俺に話せる内容か?」

 

先生はそう訊いてくるが、難しい話だ。最近、うちの生徒が朝帰りをしていてその原因が年齢詐称によるバイトかもしれない、なんて教師に言えるわけがない。そんなことを言ってしまえば川崎さんに迷惑をかけ・・・そう、そうよ!

迷惑をかける、それはつまり彼女の内申に傷を付けることになる。内申が必要になるのは主に進学の時、何故私は進学という可能性を無視していた?もしも彼女のバイトが自身の進学の費用のためだとしたら、それで話が見えてくる。

 

「なにか思いついた顔になったな」

 

「そうね。分からなかったことに、ある程度動機づけができた・・・というところかしら」

 

「そうか。ま、なにかあったら俺を呼べ。お前たちの後ろ盾くらいにはなってやるよ」

 

そう言うと、先生は椅子に座り、持参した国語の教科書を読み始めた。

 

 

なぜ、私はあなたの言葉に安心感を覚えているのかしら。

 

 

 

 

「ゆきのん、どうする?」

 

昨日と同じファミリーレストランで由比ヶ浜さん、川崎くんと会議をする。

 

「私、川崎さんのバイトの理由は進学用の資金調達が理由だと思うの」

 

先程の思考で見えてきたことを話す。

 

「ど、どういうことっすか?」

 

川崎くんが訊いてくる。

 

「総武高校は知っての通り、県内でも有数の進学校よ。つまるところ、少なくとも川崎さんは大学進学を考えてると思っていい。そして、朝帰りをしている。だとするならその資金調達のために深夜までバイトをしている。そう考えると辻褄が合うと思わない?」

 

「・・・ねえちゃん」

 

「すごいよゆきのん!!多分そうだよ!」

 

けれど、それが分かったからといって私たちになにができるというの?正論で説き伏せてバイトを辞めさせることはできる。それをしてしまったら、彼女の進学はどうなる?その後はどうする?

ダメね、手詰まりだわ。

 

prprpr

 

「あ、すみません。俺のっす」

 

いきなりなった電話を川崎くんが出る。

 

 

 

「ねえちゃんのバイト先からだと思います。シフトがどうちゃらって言ってたっす」

 

電話を終えた川崎くんが言った。

 

「どうしてあなたのところに電話がくるのかしら?」

 

「バイト先っていうか、正確には家からっす。両親がそんな話があったって」

 

なるほど・・・。

 

「なんか、エンジェルラダーってバーかららしいっす」

 

バー・・・ね。お酒も関わってくるとなると、それはそれで少し危険ね。

 

「ゆきのん、どうする?そのバイト先に行ってみる?」

 

「いいえ由比ヶ浜さん。私たちが行ったところで何もできないわ」

 

「えー、でも」

 

駄目ね。こういう問題は感情で動いてはいけないのよ。どうする?由比ヶ浜さんを抑えられて、それでいて川崎さんを助けるには・・・。

 

『何かあったら言えよ。後ろ盾くらいにはなってやるよ』

 

そうね、私には『切り札』があったわね。

 

 

 

「さて、今日は仕事があんまないからいいものを・・・で、お前は?」

 

私の『切り札』そう、比企谷先生だ。本当はこんなことを教師に伝えてはいけないのかもしれないけれど、もう打つ手がない。

 

「あ、川崎大志っていいます。川崎沙希の弟っす」

 

「川崎・・・ああF組の。その弟がどうして奉仕部と?」

 

「それは私から説明します」

 

そう言って、私は川崎さんのこと、私が考えたことを先生に話した。

 

「・・・ホントは生徒指導の対象なんだがな。まったく、川崎もアホだな」

 

呆れたような顔をする先生。

 

「どうするの?」

 

「明日の放課後、川崎を部室に呼ぶ。それで話をしよう」

 

「・・・どんな話を」

 

そう訊くと先生はまっすぐにこちらを見つめ

 

 

 

 

 

 

「決まってんだろ、『魚の居場所』を教えんだよ。お前らに見せてやる『初代奉仕部部長』のやり方ってのをな」

 

 

そう言った。

 

 

 

 

 

 

「さて川崎、朝帰りについての言い訳を話してもらおうかね」

 

私たちは翌日の放課後、部室にて川崎さんと話をすることになった。

 

「比企谷先生・・・そっかバレちまったか。それでどうするの?あたしを停学にでもするんですか?」

 

「いや、反省文3枚で許してやる。それでだ、お前は進学資金の調達でバイトをしていた。それでいいな?」

 

「・・・そうです」

 

「はぁ。とりあえずお前の読みは当たったよ、雪ノ下」

 

「そのようね」

 

どうやら私の読みは当たっていたようだ。けれど、当たっているとなると問題解決が更に厄介になる。こちらが川崎さんを説き伏せても、後がないということだ。

 

「川崎、お前は予備校には通ってるか?」

 

いきなり先生はそんなことを訪ねる。

 

「通ってますけど・・・」

 

「なら、予備校の講師に『進学に必要な資金で困っているんですがどうすればいいですか』と言え。必ずそれがお前を救ってくれる」

 

予備校・・・そうか、あの制度ね。なるほど、確かにそれなら利用できる可能性が高い。

 

「いいか川崎。分からないことはまず自分で考える。それがダメだったら、人に訊く。たったそれだけでお前の悩みは解決できたことなんだ。お説教は終わりだ。バイトは辞めるんだぞ」

 

 

後日、川崎さんからバイトは辞めたという話を聞いた。彼女は予備校の『スカラシップ』を利用することに決めたらしい。

 

 

「先生、あなた」

 

「あいつは自分で『魚の取り方』を実行した。ならどうして『魚』が取れないか。答えはその池に『魚』が居ないからだ。だから『魚の居場所』を教えた。結局、臨機応変でなければ達成できないこともある。彼女の問題は応用編、読み手の考えを答える問題だ。解くのは基本を極めてからでいい。じゃあな」

 

 

 

そう言って先生は職員室に戻っていった。

 

 

 



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番外編 初代の授業

「じゃ、今日は夏目漱石の『こころ』をやるぞ。教科書開けー」

 

ここは2年J組の教室で、今は現代文の時間だ。本来、現代文の担当は平塚先生なのだが今日は出張ということで代わりに比企谷先生が来た。

 

 

「比企谷先生だー」

「クールな感じだよね」

「私ちょっとタイプかも」

 

 

授業中だというのに少し私語が目立つ。私はそう感じていた。私は放課後、部室で話しているからあまり新鮮味はないが、やはり他の生徒は比企谷先生との関わりがあまりないからか浮き足立っているようだ。

 

「・・・雪ノ下、三段落目を読め」

 

「はい」

 

どうやらいきなりご指名が入ったようだ。

 

どうしてかしら?いつもと違って少し緊張してしまうわ。

そんなことを考えつつも、私はしっかりと音読をした。

 

「サンキュ、次は」

 

偶に先生が生徒を指名して、本文を読ませていく。そんな感じで授業は進んでいった。

 

「さて、正直な話をすると平塚先生からは教科書の全文を読ませておけとしか言われてないから、終わっちまうとなにしたらいいか迷うんだよなぁ。勝手に進めて文句言われるのもやだし」

 

どーすっかなー、と顎に指を置いて考える先生。確かに、ここの担当は平塚先生であるため勝手に進めてしまうと都合がつかなくなってしまう。

 

「んー、ああそうだ。この『こころ』を読んで考えたことを先生に教えてくれ。なんか適当な紙持ってくるから、少し待ってろ」

 

そう言い残して先生は職員室に紙を取りに行った。

 

 

 

 

「さてさて、どんな考えがあるのかね」

 

生徒から回収した紙を見ている比企谷先生。

 

「これにするか。『Kも先生も幸せになったのだろうか』なるほどいい指摘だ。2人とも最後は自ら死を選んだ。愛に生きたと言えば聞こえはいいが、どうなんだろな」

 

少し楽しそうに話しているところを見ると、この先生はどうやらこうやって人の考えを知るのが好きなようだ。

 

「次は『お嬢さんが全てを知ったら同様に死を選ぶのだろうか』ほぉ、先生とKではなく、お嬢さん目線でのことを考えたか。そうだなぁ俺は選ぶと思うな。全ては私が・・・とか言いながら」

 

「んで次は『人のこころというものはどこか醜いと思った』そうだな、人の『こころ』ってのは醜くて、弱くて小さい。だからそれをより良くしようと人と人は関わろうとするのかもな」

 

一つ一つ丁寧にコメントをする。見ると、他の生徒も先生がどんなコメントをしてくれるのか、少し楽しみにしているようだ。

 

「最後はこれにするか。『私は比企谷先生の意見が知りたいです』へぇ。俺の考えに興味があるのか。いいだろう」

 

その意見は覚えがある。だって、私が書いたのだから。

 

「先生が『こころ』を読んで考えたのは、まず『愛』についてだ。人ってのはこの『愛』を求めようとして人と関わり、人を理解しようとする。けれど、所詮は他人だ。本当に理解することなんてできないし、理解し合うなんてそれこそ夢のまた夢だ。でも、それでも、それを知っていたとしても、誰かが自分のことを想ってくれる、考えてくれる、理解しようとしてくれる、歩み寄ってくれるってのは『幸せ』なことだと思う。」

 

その言葉に、私を含めた全ての生徒が耳を傾けていた。聞き逃すまいと、全神経を集中させ、先生が紡ぐ言葉を聞いていた。

 

「もう1つは『善悪』についてだ。先生はこの話の中に『悪人』ってのは居ないと思ってる。誰もが自分の理想を遂げようと必死になった、『K』は愛したお嬢さんを愛し抜こうとした。『先生』はそんな『K』にどこか危機感を覚えつつも、愛したお嬢さんを取られまいと想いを告げた。そんな2人の結末は皮肉にも同じ『自殺』というものになってしまった。それは弱さでも、悪さでも、罰でもない、それが『こころ』だった。誰もが『最善』を尽くそうとし、誰もが自分の『こころ』を偽ろうとした。それが最後の最後で両名ともに正直になった、先生はそう感じたよ」

 

そして、比企谷先生はまっすぐに生徒たちを見て

 

 

 

「だから、みんなにはどうか『偽り』のない本当の自分ってやつで誰かと関わりをもってほしい、俺は身勝手にもそう願ってるよ」

 

 

 

そう言って、授業終了のチャイムが鳴った。

 

 

 



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6話 二代目と初代と笑顔の彼女

「で、なんで俺は折角の休日をコイツの荷物持ちに消費しているのだろうか」

 

「あら、私の荷物持ちだなんて世の男子なら喜びまくりのはずなのだけれど」

 

「残念ながら俺はもう男子じゃねぇ・・・もう大人なんだよ、なんで大人になっちまったんだよ」

 

「勝手に悲しまれるとこちらとしてもなんて返したらいいのか分からないわ」

 

本日は土曜日。私は後日控えているであろう由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを選びに、比企谷先生を連れてららぽーとへやって来た。

もちろん比企谷先生は荷物持ちだ。

 

他意はないわよ?ホントよ、私は虚言は・・・吐かないと思うわ!

 

「まぁ観念するよ。でもあんまり目立たないようにな、仮にも生徒と教師なんだから」

 

ごもっともな指摘をする先生。

 

「・・・私、可愛いから」

 

「文脈めちゃくちゃなのに頷けるのなんでだろ」

 

こういうのもなんだが、私は自他共に認める『美少女』なのだ。故にこうして外にいるだけで、あらゆる人間のあらゆる視線を浴びることになる。

 

 

「あの子めっちゃ可愛くね?」

「うわ、マジじゃん」

「隣にいるの彼氏?」

「分かんねーけど彼氏じゃなきゃいいなー」

 

 

ほら、早速始まってしまったわ。結局こうなるのね。

 

「ちっ。しゃーねーな、眼鏡でもかけるか」

 

そう言って先生は上着の胸ポケットから眼鏡を取り出してかける。

 

・・・え?先生って意外と・・・

 

 

「見てあの人、カッコよくない!?」

「ヤバい!!声かけちゃおっかなー」

「いやーでも隣の子もヤバいよ?」

「うわー、あれには勝てないわ」

 

 

「は?なんか女性の視線が増えてんだけど・・・なぁ雪ノ下、今日は帰っていいかな?仕事が」

 

「ダメよ。荷物持ちが主を置いて帰らないでちょうだい」

 

先生が眼鏡をかけ、女性の視線が更に増えた。先生、自分から目立とうとしてどうするのよ。

 

「ったく、分かったからとっとと買ってすぐ帰ろう」

 

この人、プライベートだとこんな感じなのね。先が思いやられるわ。

 

 

 

 

 

 

「ふふっ、パンさん」

 

パンさんとは千葉県にあるディスティニーランドのマスコットキャラクターだ。私はそのパンさんがとても好きで好きでたまらない。今、その人形を彼に取ってもらい私は至極ご満悦だ。

 

「俺の英世が・・・」

 

隣で財布の中身を気にしている眼鏡先生。

 

なんだか部室のような心地好さね。このままこの時間が続けば

 

 

「あれ?八幡せんぱーい!!」

 

 

よかったのにね。本当に。

 

 

 

「八幡先輩!!久しぶりだね!」

 

「先週だか先々週くらいの電話ぶりだな、アホ後輩」

 

私の姉、雪ノ下陽乃が私たちのところにやって来た。それだけでもう嫌な気分だわ。

 

「またアホ後輩って言う!いつもみたいに、は・る・のって呼んでくれてもいいんだよ?」

 

姉さんが楽しそうに話す。姉さんって人にこんな顔をして話す人だったかしら?

 

「あ?いつもみたいが、アホ後輩だろうが」

 

「もう!照れちゃって」

 

「うーぜぇー」

 

なんだか仲間外れにされているようで少し居心地が悪い。

 

「あ、あの、姉さん」

 

私は自分から姉さんに話しかける。

 

「およ?雪乃ちゃんじゃん!なに?八幡先輩とデート?」

 

姉さんは疑問です、みたいな顔をして首を傾げる。

 

「ち、違うわ。彼は私の荷物持ちよ」

 

「あ、そうなんだ。じゃあ八幡先輩のこと借りていっていい?」

 

「ダメよ!」

 

つい大声を出してしまった。どうして今私は全力で拒否をしたの?

 

「ご、ごめんなさい」

 

「・・・そう、そういうことね。雪乃ちゃん、私絶対に負けないから」

 

「え?」

 

訳の分からないことをいきなり言われた。一体私と姉さんはなにを争っているの?私には分からないのだけれど。

 

「分からないならいいや。それでさ」

 

 

「陽乃」

 

 

聞き覚えのある声がまた聞こえた。間違いない、この声は、私の全身が冷え切っていくようなこの声は

 

母さんだ。

 

 

「あ、お母さん」

 

「あら、雪乃も居たのね。隣にいるのは」

 

姉さんの隣に並んだ母さんが先生のことを見る。マズイ、このままだといらぬ誤解を招いてしまう。

 

「お久しぶりですね、雪ノ下さん。俺の大学卒業以来ですから、3ヶ月ぶりくらいですか」

 

 

え?

 

「やっぱり比企谷さんだったのね。今は総武高校で先生をされているのですよね、雪乃がお世話になっています」

 

あ、れ?

 

「いえいえ、私はまだまだですよ」

 

「あら、そんなことは無いですよ。あなたなら雪乃を任せられますもの」

 

えっ、と・・・

 

「恐縮です」

 

どうして先生と母さんがこんなにも親しげな感じで話しているのかしら?

 

「先生と母さんって」

 

「ん?ああ、雪ノ下さんとはちょっと昔、な。そのよしみで俺の大学の卒業式にも来てくれたんだよ」

 

「それは陽乃がどうしてもって言う」

 

「わ、わぁお母さん!それは言わないでよ!」

 

「あらごめんなさい」

 

姉さんと母さんってこんなに仲が良かったかしら?おかしい、少なくともこんな風に冗談を交えて笑いながら会話できるような間柄ではなかったはず。それなのに、どうして・・・ま、まさか。

 

「比企谷さんはいつ陽乃を迎えに来るのかしら?」

 

「は?いえ、えっと・・・は?」

 

先生、言い直せていないわよって、は?今、母さんはなんと?

 

「お、お母さん!それはいいよ!も、もう行こう。じゃあね、雪乃ちゃんと八幡先輩」

 

「お、おお。じゃあなアホ後輩、それから雪ノ下さんも、また」

 

「ふふっ。ええそれではまた」

 

そうして2人はららぽーとの人混みに消えていった。

 

「・・・ねぇ、どういうことなの?」

 

私はもう疑問だらけでとりあえず先生に訊いてみる。

 

「まぁ、全部ちゃんと話してやる。でもそれは今じゃない」

 

「そ、そう。絶対にいつか話してね」

 

「ああ」

 

 

結局、何も聞けずじまいだった。

 

 

 

 

「由比ヶ浜さん、お誕生日おめでとう」

 

「由比ヶ浜、おめでと」

 

月曜日の放課後、奉仕部の部室で由比ヶ浜さんをお祝いする。

 

「え?・・・ええ!!うそ!ありがと!」

 

笑顔で感謝を述べる由比ヶ浜さん。よかった、喜んでもらえたようね。

 

「私からはこれを、エプロンよ」

 

土曜日に、比企谷先生と買ってきたプレゼントを渡す。

 

「ありがと!ゆきのーん」

 

だ、抱きつかれると少し暑苦しいわね。でも、そうね、悪くないわ。

 

「俺からはこれ、シャーペンだ。お前の名前が彫ってある、高いんだから無くすなよ?あと俺から貰ったってのも人に言うなよ」

 

先生が渡したのは、由比ヶ浜さんの名前がはいったシャープペンシルだ。見るからに高そうね。

 

「先生からも!?ありがとうございます!」

 

「おう」

 

ふふっ。本当に良かったわ。こういうことはやってみるものね。

 

「ケーキも焼いてきたから、食べましょう」

 

「うん!」

 

 

 

私はその日、初めて『友人』の誕生日を祝った。

 

 

 

*八幡side

 

「ああいうのが『青春』ってものなのかね」

 

職員室で1人呟いてしまう。今日の由比ヶ浜と雪ノ下は楽しそうだったな。

 

「由比ヶ浜は雪ノ下のことをしっかりと見て、それでいて踏み込んでくれる。雪ノ下はそんな由比ヶ浜のことを想っていて、ちゃんと受け入れている。ちゃんとやってるんだな」

 

俺にも、あんなことができたかもしれないのかね。分からない。俺はいつも1人だったしな。教室も、部室も、いつも1人で色褪せた世界を見ているだけだった。

 

「そのうち、雪ノ下に教えてやらねぇとな。まぁもっとも、それはまだ先の話になるけどな」

 

 

 

 

それは、俺が平塚先生から聞いた『奉仕部の存在理由』だ。

 

 

あの『奉仕部』とは、本来誰を救う場所なのか。それをいつか二代目にも伝えないとな。

 

 

 

 

 

 

俺が唯一救うことのできなかった『その人』のことをな。

 

 

 



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7話 二代目は千葉村で過去を見る

 

千葉村。小学生の頃、林間学校として夏休みに合宿などが行われる場所だ。なぜこんな話をしているのかというと、私たち奉仕部は夏休みにその林間学校のボランティアとして訪れているからだ。

 

「さて、着いたぞ」

 

車の運転をしてくれた先生が言う。ちなみに助手席に乗っているのは私だったりする。

 

「あ、後から有志のやつらが来るから」

 

先生はそう言って、車から荷物を出す。

 

周りの景色を見ていると、1台の車が停まった。

 

「やぁ雪ノ下さん、結衣」

 

「隼人くん!?って優美子たちもいるじゃん!」

 

降りてきたのは葉山グループの方々だった。

 

最悪ね。どうして夏休みまで彼の顔を拝まなければならないのかしら。先が思いやられるわ・・・この感想、確か先生にも抱いたような?まぁいいわ。

 

「葉山たちも着いたことだし、挨拶に行くぞ」

 

私たちは、目的であるボランティアのために小学生と挨拶をしに行った。

 

 

「俺は葉山隼人です。みんなのお手伝いをします、楽しい思い出にしましょう。よろしくお願いします」

 

そう葉山くんが挨拶を終えると、小学生たちからは黄色い歓声が発せられた。あんな薄っぺらな彼の顔に騙されるだなんて、憐れな小学生ね。

 

「さて、とりあえずお前たちの今回の仕事を教える。簡単に言えば、小学生が安全に今回の林間学校を行えるようにサポートをしてほしい。以上」

 

本当に簡単な説明しかしないのね。けれど伝わったからそれでいいわ。

 

「んじゃ、とりあえずウォークラリーの見張りよろしく。俺は向こうの先生たちに挨拶して、予定とか話してくるから」

 

そう言って、先生は行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「ただのアオダイショウだよ」

 

「おにーさんすごーい!」

 

葉山くんは現れたヘビを退治しに小学生のもとに向かった。

 

そうしていると、1人の女子を見つけたようだ。

 

「チェックポイントは見つかった?」

 

「・・・うんうん」

 

・・・なるほど。そういうことね。

 

「なら、みんなで探そう」

 

そう言うと、その子をグループに押し込んだ。

 

アウトね。恐らくあの子は、悪意の対象になっている。そういう子は進んで距離をとるもの、つまりそれは悪手よ。

 

本当に、なにも成長していないわね。

 

 

 

 

 

ウォークラリーも終わり、今は全員でカレーを作る時間だ。私は特にやることもないので離れた所にいる。

 

「・・・なにか考えごとかね」

 

「比企谷先生・・・」

 

気付くと隣に比企谷先生が立っていた。

 

「カレー好き?」

 

葉山くんの声が聞こえてきた。そちらの方向を見てみると、先程の小学生に話しかけているようだった。

 

「・・・はぁ」

 

思わず溜息が出てしまう。

 

「なるほど、そういうことか」

 

先生もなにか分かったらしい。

 

「・・・別に興味ない」

 

いい判断ね。とりあえずその場を一旦離れる。そのまま居てしまっては周りの子たちの悪意に晒されてしまうもの。

 

「あ、あはは・・・なにか隠し味とか入れよっか。入れたいものがある人いるかな?」

 

「はい!桃とか!」

 

「あいつはバカか」

 

私も比企谷先生同様に呆れてしまう。由比ヶ浜さん、絶対にカレーに近付かないでね。

 

「ホント、バカばっか」

 

声のした方を見てみると、例の小学生がこちらに来ていた。

 

「世の中そんなもんだ。早く気付いてよかったな」

 

「そうね。どこもそのようなものよ」

 

「・・・名前」

 

「俺は教師の比企谷八幡だ。人に名前を尋ねる時は自分から名乗る、覚えておけ」

 

「う、うん。私は鶴見留美です」

 

「私は雪ノ下雪乃よ」

 

「んで、今こっちに来たのが由比ヶ浜結衣だ」

 

どうやら由比ヶ浜さんもこちらに来たようね。

 

「やっはろー。留美ちゃんだよね?」

 

「う、うん。なんか、そっちの2人と違う気がする」

 

鶴見さんは私と比企谷先生のことを見て言う。

 

「残念だな鶴見。俺も雪ノ下も別種だ、根本からな。だからみんな違う」

 

「あ、あはは。それで、留美ちゃんはどうしちゃったのかな?」

 

由比ヶ浜さんも気付いていたようね。確かに、空気を読んだり、人の感情に敏感だもの。考えてみれば当然ね。

 

「・・・最初はただの遊びだったんだ。誰かが誰かをハブってそれで気付いたらまた元通りになっていて、そんな感じだったんだ。でも私はみんなのこと、見捨てちゃったんだ。だからもう戻れないや。中学行ってもこのままなのかな?」

 

「そうね。中学へ行っても変わらないわ。あなたを攻撃する人と他校の人が一緒になるだけよ」

 

ここで慰めを言ったところでなんにもならない。だとするなら現実というものを教えるしかない。

 

「だろうな。環境は変わらないし、現状も変わらないし、世界だって変わりはしない。けれどこの世界には自分の意志だけで変えられるものがある。なにか分かるか?」

 

「・・・分かんない」

 

「答えは自分だ。お前が変わりたいと思えば少なからずなにか起きる。世界が変わらないというのなら、世界の見方を変えるしかない。そして創るしかない、お前の『世界』ってやつを」

 

・・・そうね。あなたが変わろうとすれば、なにかは変わる。決して大きなものではないけれど、それでもあなたにとっては必ずなにか起こる。

 

「雪ノ下」

 

「なにかしら」

 

「自分の『世界』を創るときに一番必要なのはなにか。これが今回の『魚の居場所』だ。よく考えておくように。俺は昼食作りの見回りに行ってくる」

 

私に問題を出し、先生は生徒たちの方へ行ってしまった。

 

 

 

 

 

「大丈夫かな・・・あの子」

 

夕食の時間、葉山くんがふと呟いた。

 

「鶴見ってやつのことだな、葉山」

 

その発言に比企谷先生が反応する。

 

「はい、なんだか1人になってしまっているようで」

 

「・・・それで?」

 

「可能なら助けたいと思っています」

 

「無理ね。あなたには無理、そうだったでしょう?」

 

私が口を挟む。昼間の彼の行動、そして昔の彼、それら全ても鑑みても彼にはできない。

 

「どうかな、今と昔は違う」

 

「いいえ、違わないわ。昼間のあなたの行動が何よりの証拠よ」

 

「ちょっと雪ノ下さんさぁ、そういうのやめてくんない?」

 

三浦さんね。

 

「お前ら、少し黙れ。雪ノ下、お前は動くのか?」

 

比企谷先生が私にそう訊く。

 

「彼女が助けを求めるのなら、奉仕部として動きたいと思っています」

 

けれど現状、彼女からは助けを求められてない。だとするなら私は動くことができない。

 

「・・・そうか。なら聞こうか、まず葉山」

 

「は、はい」

 

「お前はどうやって鶴見を助けるつもりだ?」

 

「俺の思う最終目標はみんなと仲良くすることです。だから鶴見さんとみんなで話を合いをさせようと思います」

 

本当に変わらない。それでは問題が更に大きくなるだけよ。どうして分からないの?

 

「なるほどみんなと仲良く・・・ねぇ。そこは確かに間違っちゃいない。正しくて善意でそれでいて理想だ」

 

え?

 

「なら」

 

「だがお前が間違っている」

 

「ど、どういうことですか?」

 

「お前の言う目標は確かに正しい。だがお前はあまりにも無責任すぎる、故にお前自身が間違っているんだよ」

 

「ちょっと比企谷先生、どういうことだし!?」

 

三浦さんが比企谷先生に突っかかる。

 

「葉山の言うようにみんなで話し合いをする、ならその話し合いに誰が鶴見を参加させるんだ?」

 

そう、そういうことね。

 

「それは俺たちが」

 

「それが無責任なんだよ。そうなった場合、鶴見の周りからの印象は『高校生に助けてもらった悲劇のヒロイン気取り』ということになる。それでなくても、高校生に助けてもらって調子こいてる、くらいには思われる。更に言うなら、今後話し合いの場を作ったとしてその時お前たちはいないんだ。その時はどうする、まさか鶴見のために学校を休むんじゃないだろうな」

 

「・・・」

 

絶句していた。無理もない、私も同じような気持ちだ。彼の言ったことは推測の域を出ないが、可能性の高い話だ。それでなくても、昼間の彼の行動で鶴見さんは更に悪意に晒されていた、それを踏まえれば更に可能性は高くなる。

 

「雪ノ下、お前はどうしたい?」

 

「・・・私はみんなと仲良くさせようとは思わないわ。私はそういった結果ではなく、過程として『鶴見さん』自身に介入しようと思っているわ」

 

「ほう」

 

「彼女がなにを求めているかは分からない、だから彼女の話を聞き、彼女が私たちにどうしてほしいのか、それを聞いてから行動に移そうと思うわ」

 

「・・・悪くない。だが雪ノ下、その行動もまたある種の理想だ。だとするなら」

 

比企谷先生は少し鋭い目つきになり

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分を『救う側』だと、そういう思いは全て消せ。でなければお前はただの自意識過剰だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8話 二代目は答えになる

『世界を創るのに必要なものはなにか』

 

私はその言葉の意味をずっと考えていた。もし彼の言葉をそのまま飲み込んでいいのなら、この言葉は『魚の居場所』ということになる。つまり、この言葉から私が考えを広げなければいけないというわけだ。

 

それにしても、先ほどの三浦さんには少しやりすぎたかしら?まさか泣かせてしまうだなんて。

 

私は三浦さんを論破し泣かせてしまったため、今は夜の森を歩いているところだ。

 

 

そうして歩いていると、誰かが星空を見上げているのところを見つけた。

 

あれは、比企谷先生?

 

なんだか少し幻想的だわ。

 

「・・・ん?雪ノ下か」

 

こっちに気付いた比企谷先生が私の方に顔を向ける。

 

「ええ、邪魔してしまったかしら?」

 

「いや、構わねぇよ」

 

そう言って、また星空を見上げた。

 

「・・・私、どうしたらいいか分からないの」

 

気付けば、先生に弱音を吐いていた。

 

「迷うってのは大切なことだ。それはお前が自ら進んでいるなによりの証拠だろ。今は迷い、悩み、そして自分の決めた道を進め。歩いてきた道を振り返るのはいつだってできるんだから、今くらいは前向いてろよ」

 

どう、して、どうしてあなたはそんなにも私に優しくするの?こんな弱音を吐いてしまう私に、どうして慰めを言うの?

 

「進む道が見えないと言うならヒントだ。『1人の人間が欲しているものはいつも決まっている』それだけだ。部屋に戻りにくいって言うならもう少し居ろ、せめて俺の目が届くところにな」

 

そう言って、私と先生は2人で星を見ていた。

 

 

 

 

 

翌日の朝、私は1人で考えに耽った。

 

『1人の人間が欲しているものはいつも決まっている』

 

この言葉を前回の言葉に重ねていいのなら、彼女の世界を創るために必要なものがその欲しているものということになる。だとすればそれはなに?

考えなさい雪乃。あなたが1人の時、欲していたものはなに?一人の時間?いえ、そんなものでは世界は創れない。平穏?違う、そんなことを望んだところでなにも解決はしなかった。

 

思い出せ、思い出すのよ。あなたが、私が、心から望んだものを。欲して止まなかったもの。

 

 

・・・っ!!そう、そうね。どれだけ強がりをしたところで私が欲しかったものはいつも『それ』だったわね。

 

 

けれど、この気持ちが分かるということは

 

 

先生、あなたも『独り』だったということなの?

 

 

 

 

*八幡side

 

「お前は、鶴見か」

 

2日目の自由時間、木陰で休んでいると鶴見がやって来た。

 

「鶴見はいや。留美って呼んで」

 

「いや、ほら。立場ってのが」

 

立場上、それは難しい。

 

「いいから!」

 

「はぁ。分かったよ。それで留美、お前どうしてここに?」

 

年下の女子からは弱いという俺の特性が発揮されてしまった。よく考えてみると、年齢問わず男からは弱いし、なんなら女なんて俺の弱点そのものだから俺は最弱まである。

 

「起きたら誰も居なくなってた」

 

「最近の小学生はひでぇな」

 

まぁ俺もやられたことあるけど。

 

「私、このまま惨めな思いをし続けるのかな」

 

その言葉は独り言のように発せられた。答えなんて求めていなくて、欲しかったのは同情や共感なのかもしれなかった。

やはり、こいつの求めているものも『それ』だったか。

 

「なぁ、留美は自分も同じことをしたって言ってたよな」

 

「・・・うん」

 

「それを今はどう思ってる?」

 

この確認は必要なことだ。

 

「バカなことしちゃった、て思う」

 

「そうか。なら、まずは謝ることから始めねぇとな」

 

「え?」

 

「この世界には『救われていい人間』ってのが居る。それは自分の非を認めることができるやつだ。お前はその資格を得た、なら行動しなきゃな」

 

そう、自分は悪くない、自分は正しい、自分は善行を積んでいる。そうやって考えるやつは『救われていい人間』などではない。醜くて、弱くて、小さい、ただのエゴの塊だ。

 

「許してくれるかな?」

 

留美は不安そうな声で言う。

 

「その認識を改めなくてはならない。許されるために謝るのと、反省したから謝るのではわけが違う。お前はどっちなんだ?」

 

「・・・わ、たしは、は、んせい、したか、ら・・・謝る」

 

「そうか。いい思い出ができるといいな」

 

答えは得た。なら俺は雪ノ下に託すだけだ。彼女を救うことができるのは、お前なんだから。

 

 

 

*sideout

 

 

「鶴見さん、あなたに紹介したい場所があるの」

 

私は肝試しが始まる少し前、鶴見さんを『ある場所』へ誘った。

 

「もう少しで肝試しだけど」

 

「これは私のお願い、望みみたいなものよ。けれど、後悔はさせないと誓うわ」

 

私は本気だ。けれど、それでダメならそれまで、という気持ちはある。

 

「分かった。連れてって」

 

鶴見さんは私の誘いに乗ってくれた。

 

 

 

 

 

 

「ここって、森?」

 

「上を見てご覧なさい」

 

そう言って、私と鶴見さんは上を見る。

 

「・・・綺麗」

 

「そうでしょう、ここは昨日私とある人が一緒に星を見たところよ」

 

そう、ここは昨日の夜に私と比企谷先生が星を見た場所だ。

 

「私はここで、ある人に弱音を吐いていたの」

 

私は自分の話をする。これから彼女に言うことがあるから。

 

「その人は私に優しい言葉をかけてくれた。それで私の心は満たされて、救われたわ。いいえ、いつもその人の言葉には救われているわ。私に道を示してくれて、大切な友人にも会わせてくれた」

 

ここで話を切って、鶴見さんを見る。

 

 

 

「ねぇ、私と『友達』にならないかしら?」

 

 

*留美side

 

「ねぇ、私と『友達』にならないかしら?」

 

どうして雪乃がそんなことを言うのか、私には分からない。

 

「ど、どうして?」

 

「あなたは『味方』がほしいのではなくて?」

 

「・・・」

 

図星だった。いつも私は1人で、いつも周りは1人じゃなくて。そんなことを羨ましく思っていた。どれだけ強がっても1人は惨めだと思ってしまう。そんな自分が、嫌になってしまう。

 

「私にも、あなたと同じ経験があるの。色んな女子から嫌われて、たくさんのイジめを経験したわ。だから、あなたの欲しているものが分かるの。『味方が欲しい。1人は嫌』という気持ちが」

 

「・・・あ」

 

わたし・・・は。

 

「でも、これだけは覚えていて。私は同情や憐れみであなたと友達になろうと言ったのではないわ。そうね、言うなら『私のため』かしら」

 

「雪乃の・・・ため?」

 

意味が分からない。私と友達になることが雪乃のためになるの?

 

「私、自慢ではないけれど友達が1人しか居ないのよ。だから、その、と、友達が欲しい・・・のよ」

 

・・・そっか。雪乃は優しいんだ。だからこんな遠回しな言い方をするんだ。

 

「うん。私、雪乃の『友達』になる。よろしくね」

 

なら、私も素直になろう。彼女の優しさに応えよう。なにより、私が応えたいんだ。

 

「ふふっ。よろしくね、留美さん」

 

雪乃さんは優しく微笑んでくれる。

 

「うん!」

 

そっか、そうなんだね。これが、人の『暖かさ』なんだね。

 

「ねぇ、雪乃の言う『ある人』って八幡先生のことでしょ?」

 

少し意地悪をしてしまう。

 

「っ!そ、そうかもしれない・・・わね」

 

月明かりに照らされた雪乃の顔が少し赤くなっていたのは、きっと勘違いなどではないだろう。

けれど、それを指摘しないのも

 

 

『友達への優しさだよね』

 

 

 

*sideout

 

 

「「「「鶴見さん!」」」」

 

私と留美さんが森から戻ると、多くの小学生がやって来た。

 

「「「「ごめんなさい!」」」」

 

そう、あなた達も気付いたのね。なら留美さん、今度はあなたの番よ。

 

「私も、ごめんなさい。また、みんなと仲良くしたいです」

 

そう言った留美さんは少し涙目だったけれど、憑き物が落ちたようだった。

 

「雪乃、私、行ってくるね。雪乃から、八幡先生からたくさん勇気もらったから」

 

「そうね、行ってらっしゃい」

 

私は留美さんを送り出す。友達の覚悟を応援してあげるのは当然だものね。

 

 

 

留美さんが行ってから、比企谷先生がこっちにやって来た。

 

「どうやら、上手くいったみたいだな」

 

そう言った比企谷先生の顔は少し笑みが浮かんでいた。

 

「あなたの言った言葉の本当の意味、それは『味方』の存在ではないかしら。それが私のたどり着いた解答よ」

 

比企谷先生に私の解答を言う。もはや恒例となっている答え合わせの時間だ。

 

「正解だ。1人のやつってのはどう強がっても心のどこかで『味方』を欲している。由比ヶ浜という味方を得たお前なら必ず解答に至ると思ったよ」

 

「つまり、本文を読んだ『自分の考え』を答える問題だったということね」

 

本文とは『私と鶴見留美さんの心』そして私の考えを留美さんに示してあげる問題だったというわけだ。

 

「そうだな。お前はどうやって留美を立ち直らせた?」

 

先生が私にそう訊いてくる。

 

「留美さんと『友達』になったのよ」

 

私はさっきあったことを先生に話す。

 

「そうか。いい解答だな」

 

そう言って私の頭を撫でる。

 

「っと、すまねぇ。妹に昔しててつい、な」

 

先生が頭を撫でるのを止めてしまい、どこか寂しくなった。

 

どうして私はこんな気持ちに?

 

「ねぇ先生、あなたも『独り』だったの?」

 

ずっと気になっていた事だ。私や彼女のことについての解答を持っていたということはそうだった時期があるということだ。

 

「ああ、まぁな。けれど、1人は好きだったし別に・・・な」

 

「嘘ね。そんなことを言う人が、留美さんの欲しているものを分かるはずがないわ」

 

嘘だとすぐに分かった。先生がそう言った時、先生が目を逸らしたのを私は見逃していなかった。

 

「・・・かもな。お前が俺の高校時代に居たら、なにかが変わっていたんだろうな」

 

先生はそんなことを言い出す。

 

「そして、俺がかつて求めた『もの』を見い出せたのかもな」

 

「それって・・・」

 

 

 

 

 

 

 

「いつだか求めた『もの』は夢物語にしか存在しない、『本物』だ」

 

 

 

私には彼の欲した『本物』が胸に突き刺さった。

 

 



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9話 二代目は実行委員

夏休みも過ぎ、二学期が始まったある日、私は『文化祭実行委員』に抜擢された。

 

 

ここで私には2つ、不安なことがある。

 

1つ、F組の相模さんが実行委員長になったことだ。立候補の際、『自身の成長ができたらと思います』と言っていたけれどその後に周囲の人と『ノリでなっちゃったー』と話していたので、とても不安だ。

 

 

2つ、比企谷先生が居ないことだ。比企谷先生は文化祭の1週間前くらいまで長期出張ということで栃木県に行ってしまっている。なんでも、向こうの高校の授業を見学したり、同じ国語科教員と話し合いをすると言っていた。

 

正直になろう。比企谷先生が居ないと、私は少し寂しく感じてしまう。学校の廊下を歩いてもすれ違うことはなく、職員室に行ってもアホ毛を生やした後ろ姿を見ることができない。なんと言っても部室が居心地が悪いとまではいかないにしても、なんだか満たされないような気持ちになる。

 

本来なら、奉仕部への窓口は比企谷先生が担当してくれているのだが、比企谷先生が居ない今、代わりに平塚先生がその窓口を担当してくれている。

 

 

「ねぇゆきのん、文化祭期間中の部活はどうする?」

 

隣に座っている由比ヶ浜さんが話しかけてくる。彼女が居なかったら、本当に部室の居心地が悪くなっていたところだったわ。

 

「そうね、比企谷先生も居ないのだし・・・」

 

気付けばまた比企谷先生の名前を出している。

 

本当に私はどうしてしまったのかしら?

 

「じゃあやっぱり」

 

 

コンコン

 

 

由比ヶ浜さんがなにか言おうとしたところで部室のドアがノックされた。

 

「しつれーしまーす」

 

入ってきたのは件の相模さんだった。

 

「なにか用かしら?」

 

「あのさ、雪ノ下さんは知っていると思うけど私、委員長になってさ。それで失敗とかしたら怖いし、私のサポートとかお願いできない?」

 

やはりね。ここにあなたが来た瞬間からそうくると思ったわ。

 

「私は実行委員なのだから、あなたのサポートになると思うのだけれど」

 

「それなんだけどさ、副委員長になってくんないかなーって。そうすればよりサポートできる、みたいな」

 

・・・どうしようかしら。確かにそれは活動理念に反してはいない。

 

「・・・分かったわ。そういうことなら依頼を受けましょう」

 

「ホント?やった。じゃ、よろしくね」

 

そう言って、相模さんは部室から出て行ってしまった。

 

「ねぇゆきのん、部活は中止にするって話だったじゃん!」

 

由比ヶ浜さんがそう言いたくなる気持ちは分かる。けれどもう受けると言ってしまったのだから仕方ないのよ。

 

「私は実行委員なのだから、ね」

 

「それでも、なんかおかしいよ」

 

由比ヶ浜さんはそう言った。

 

 

 

ねぇ比企谷先生、私の判断は間違っているのかしら。

 

 

 

 

 

結論から言おう、相模さんは実行委員長には相応しくない人だった。会議に遅刻してくる、仕事も甘い、指示もあまり的確ではない。

 

それを見かねた私は、自分が率先して指示出しをしていた。正直、活動理念に反してしまっていると思う。けれど、文化祭を実行できないのは一人の生徒として容認できないと、自分に言い訳をしていた。

 

 

「ひゃっはろー!」

 

そんな中、私の姉である雪ノ下陽乃が文化祭実行委員に現れた。

 

最悪ね。

 

「どうして姉さんがここに?」

 

「あ、雪ノ下さんごめんね。偶然会ってさ、私が有志で出てくれないかってお願いしたんだ」

 

生徒会長の城廻先輩がそう言う。きっと姉さんのことだから、計算していたんだわ。こうなるように。

 

「およ?雪乃ちゃんじゃん!てことは八幡先輩も居るのかな?」

 

そう言って周囲を見渡す姉さん。

 

「比企谷先生なら栃木に出張に行ったわ。帰ってくるのは来週辺りかしら」

 

「なんだ、つまんないの」

 

本当にガッカリした表情をする姉さん。どうして彼のことになるといつもの『仮面』は無くなってしまうのかしら?

 

「それで、雪乃ちゃんは委員長やってるの?」

 

「いいえ、違うわ」

 

実行委員長なら、と伝えようとしたところで会議室の扉が開いた。

 

「遅れてすみませーん」

 

登場したのは相模さんだった。

 

「あ、はるさん。この子が委員長の相模さんです」

 

城廻会長は相模さんを姉さんに紹介する。

 

「・・・へぇ」

 

久しぶりにそのモードの姉さんを見たわ。最近は比企谷先生と居るからかその『仮面』は見ていなかったのだけれど、こう見ると本当に恐ろしいわね。

 

「あ、あの、えっと・・・」

 

なんだか嫌な予感がするわね。

 

「・・・うん!そうだね!やっぱり実行委員長たるものクラスの方含めて文化祭を楽しまなきゃね!」

 

あら?そこまで警戒しなくてよかったのかしら?

 

「あ、はい!」

 

元気づけられた様子の相模さん。

 

「それで、有志の件だけどいいかな?」

 

「はるさんはね、あの伝説の文化祭の実行委員長だったんだよ!」

 

城廻会長がそう付け加える。これはもう確定かしらね。

 

「そういうことでしたらお願いします!」

 

ほら、こうなるでしょう?

 

 

相模さんはいきなり会議室を見渡し、

 

 

 

「みなさん!思ったんですけど実行委員のペースを少し落として、クラスの方にも参加していいというのはどうでしょうか!?」

 

 

 

これはマズイわね。早急に取り下げてもらわなければ取り返しのつかないことになる。

 

「相模さん、今このペースを維持するべきだわ。これからなにがあっても対策を取れるように」

 

「いいじゃん、仕事の方だって回ってるんだしさ」

 

私が全部を言う前に遮られてしまう。

 

「そうだね!実行委員の人たちもクラスの方も楽しみたいもんね!」

 

姉さん、余計なことを・・・。

 

 

 

 

そうして翌日から、会議室は全体の3分の1ほどの出席しか居なくなってしまった。

 

 

 

 

 

「比企谷先生、どうすればいいの」

 

どうしようもなくなってしまった私は彼に電話をかけていた。

 

『・・・あのアホ後輩が。はぁ〜、なんでこう俺が居ない時に面倒なことばっかり起きるのかね』

 

比企谷先生は呆れたような口調で文句を言う。文句を言いたいのは私も同じよ。

 

「このままでは、確実に文化祭は潰れるわ」

 

もはや可能性の話ではない。このままあの状態が続けばそれは確定事項になる。

 

『だろうな』

 

「・・・」

 

なにもできない。

 

『雪ノ下、文化祭実行委員の出席名簿を作っておけ』

 

「え?」

 

『これはもう活動理念がなんだとか言っている場合じゃない。それは分かるな?』

 

「え、ええ。私もそう思うわ」

 

『だからもう仕方ない、俺が動く』

 

この言葉は私が聞いてきたどの言葉よりも安心感があった。彼なら、彼にならとそう思ってしまう。それくらい心強い言葉だった。

 

『とりあえず、火曜日の夜にはそっち着くと思う。くれぐれも無理はしないように』

 

「そうすることにするわ」

 

『じゃ、頼んだぞ』

 

「ええ、ありがとう」

 

そう言うと、電話は切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の週の火曜日、私は過労で倒れたのだった。

 



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10話 二代目は初代を見る

午後5時過ぎ・・・放課後ね。このまま家で休んでいては、仕事が進まなくなる。せめて、比企谷先生が戻ってくるまで繋いでいないと。

 

水曜日、私は過労が原因とされる熱で学校を休んでいた。

 

けれど、体が熱くて集中ができない。

 

 

ピーンポーン

 

 

家のインターホンが鳴った。こんな時に一体誰?

 

ヨロヨロになりながら、カメラを見に行く。

 

 

そこに居たのは、眼鏡姿の比企谷先生だった。

 

 

 

 

 

「さて雪ノ下、学校を休んだ言い訳を・・・なんて言ってる場合じゃねぇな。おおかた、無理して体調崩したんだろ。ったく、無理すんなって言ったじゃねぇか」

 

比企谷先生は寝室のドアの前に立って私と話している。寝室に入ってこない辺り、やはり気遣いができるのね。

 

「まぁ、過ぎたことを言っても仕方ねぇか。それで、頼んでたものは?」

 

「ええ、一応」

 

先生に頼まれていたもの、『文化祭実行委員の出席簿』だ。今日は学校へ行けなかったからできなかったが、昨日までのものなら完成させている。

 

「そうか、サンキュ。さて、見舞いの品は置いていったし、確認も取れたことだから俺は帰るとするよ」

 

「待って!」

 

気付けば私は、大声を出して比企谷先生を呼び止めていた。

 

「・・・もう少し、居てほしいの」

 

きっと私は熱でおかしくなっているのだ。だからこんなことを言ってしまったのだ。

 

「いいか雪ノ下、俺は教師でお前は生徒。そしてお前は女で一人暮らしだ。なにもする気はないが、それでもこうして俺がここに来ているのは特例なんだ」

 

彼の言うことはもっともだ。正論でいて、正しい。けれど私の『感情』が帰らないでと言っている。

 

「・・・お願い」

 

もう泣いてしまいそうな声だった。

 

いつから私はこんなに『弱く』なってしまったの?

 

 

「・・・はぁ。いいか、9時だ。それまでは居てやる。だがそれ以上はない」

 

先生は観念したかのように言う。

 

「あり、がとう」

 

 

私は、自分が『弱く』なっているのを感じた。

 

 

 

*八幡side

 

 

「おい、アホ後輩。お前マジなにしてくれてんだよ」

 

俺は雪ノ下の家のリビングで件のアホ後輩に電話をかけた。

 

『も、もう耳に入ってたんだね』

 

「もうこっちに帰ってきてる。話は雪ノ下から電話で聞いたんだよ」

 

『そ、そっか・・・なんかごめんね。まさかああなるとは』

 

本当に申し訳ないといった声で話すアホ後輩。

 

「はぁ、まぁ過ぎたことはいい」

 

『うん』

 

実際過ぎたことを言っても仕方がない。こいつも反省したようだから、これからのことについて話そう。

 

「それで、だ。お前に頼みたいことがある」

 

『八幡先輩の頼みならなんでも聞いちゃうよ!エッチなことかな?おすすめはエッチなことだね!』

 

「黙れアホ後輩」

 

残念ながら俺はそんなことを頼みたいわけではない。というか男にそんなこと言わないの。

 

「お前に頼みたいのは『黙っていること』それだけだ」

 

『えっと・・・え?』

 

理解できなかったのか、聞き返してくる。

 

「今後、文化祭実行委員に関して口出しをしないこと。そういう事だ」

 

『そ、そんなんでいいの?』

 

「それが大切なんだよ」

 

『八幡先輩がそう言うなら・・・』

 

「よろしくな」

 

 

なぜ俺がアホ後輩にこんな頼みをするのか、答えは簡単だ。アホ後輩は文化祭実行委員の中で、大きすぎるほどの発言権と影響力がある。彼女がなにかを言った場合、それが十中八九という確率で確定してしまう。だからこその『黙っている』だ。脅威となるのがその発言権と影響力ならば、何も言わせなければいい。たったそれだけでアホ後輩の『力』というものは大半を失うのだ。

 

ま、そこに居るだけでも影響力あるのがあのアホ後輩なんだがな。

 

 

・・・クソッタレ。

 

 

 

*sideout

 

 

翌日、私は体調も良くなり、放課後にあるスローガン決めの会議に出席をしていた。

 

「雪ノ下さん」

 

それにしても、一体比企谷先生はあの出席簿をどう使うつもりなのかしら。データとして保存しても大した意味を持つとは思えないし。

 

「雪ノ下さん」

 

「は、はい」

 

相模さんに呼びかけられていた。

 

「全員揃ったけど」

 

そうね、今は珍しく文化祭実行委員が全員揃ったのだし、会議を始めてもいい頃合いね。

 

「では」

 

 

「悪いな、その会議に俺も参加させてもらう」

 

 

そう言って会議室に現れたのは比企谷先生だった。

 

「ん?比企谷先生、一体どうしたのかね」

 

この文化祭実行委員の顧問である平塚先生がそう尋ねた。

 

「まぁ、こっちにも事情があるんでね。気にせず進めてください」

 

そう言って、先生は窓際の方へと行き、壁にもたれかかった。

 

「では気を取り直して、文化祭のスローガン決めをします」

 

私の言葉で、会議室が一気に騒がしくなる。

 

 

 

 

そうして、ホワイトボードには様々な意見が書かれていった。

 

「じゃあ、最後に私から」

 

そう言って立ち上がったのは相模さんだ。

 

『絆 〜ともに助け合う文化祭〜』

 

「どうかな?」

 

あら、あなたからそんなスローガンが出てくるとは思わなかったわ。それに、あなたにそんなことを言える資格なんてないのではなくて?

 

 

「なぁ、そのスローガンって教師である俺も案出していいの?」

 

沈黙を貫いていた比企谷先生が相模さんに尋ねる。

 

「先生からもあるんですか?いいですよ」

 

「そうか、なら俺が案を出すならこうだな」

 

そう言って先生がホワイトボードに書いたのは

 

 

 

 

『残念ながら今回の文化祭はありません』

 

 

 

 

だった。

 

 

は?あなた何を書いているのかしら?

 

「えっと・・・比企谷先生、これはどういうことですか?」

 

相模さんは怒りを込めたような表情で比企谷先生に訊く。

 

「どうもこうもない。とりあえずこの資料を全員に配る、いいか?隅々まで目を通せ」

 

先生が配った資料は先生が私に頼んでいた『文化祭実行委員の出席簿』だった。

 

 

「これって」

 

実行委員の誰かがそう呟いた。

 

「そう、この文化祭実行委員の出席簿だ。これを踏まえて尋ねようか」

 

 

 

「お前たちに文化祭を開催させる気はあるのか?」

 

 

 

「そ、そんなのあるに決まってるじゃないですか!」

 

相模さんが叫んだ。

 

「そうか、なら委員長に質問だ。何故お前の名前のところにチェックが付いていない?」

 

「そ、それは」

 

答えられるはずがない。彼女は恐らくサボりをしていたのだから。

 

「仮にお前が外回りやクラスの見回りをしていたとしよう。しかしそれでも、書類の提出、実行委員への報告、現状確認などこちらに顔を出さなければいけないはずだ。それすらもないとは一体どういう了見だ?」

 

「・・・」

 

何も答えられない相模さんに興味が無くなったのか、今度は実行委員全体を見る。

 

「そしてここにチェックのないやつらにも同じ質問をしようか。お前らはなにをしていた?」

 

その質問に会議室は静まる。

 

「答えられないということは人に言えないこと、つまりサボりか。さて、出席簿にチェックの付いている生徒代表として副委員長の雪ノ下、このまま現状が続いたとして、文化祭開催日までにどれだけの割合が終わる?当然、誰もが与えられた仕事のみで、無理はしないという前提のもとだ」

 

比企谷先生からの質問に私は正直に答える。

 

「そうね、見積もって7割程でしょうか」

 

「残りの3割は何に当たる?」

 

「エンディングセレモニー、外部からの有志数件・・・当たりです」

 

私のその言葉に、文化祭実行委員全員の顔が青ざめていく。これらの仕事が追いつかないことの意味をようやく理解したのだ。

 

「お前らが知っての通り、総武高校の文化祭は地域一体として行われる。そして向こうの人達は、地域賞などを楽しみにしている。この地域賞の発表及び受賞が行われるのはエンディングセレモニーだ。もう分かるな?」

 

そう、つまりそれは総武高校の信用問題に関わる。それに当たる仕事が不完全ということは文化祭、それも今後の文化祭開催にとても大きなダメージを与えるということなのだ。

 

「で、これらを踏まえた上でもう一度訊こうか、お前らは文化祭を開催させる気はあるか?」

 

その言葉に、相模さんを含めた全員が黙り込んだ。

 

「・・・じゃあ次にいこうか」

 

「比企谷先生、まだあるのかね?」

 

比企谷先生の発言に平塚先生が尋ねた。

 

「ありますよ。文化祭実行委員でも、教師でもない、それでいてここにいる者たち、そう『生徒会』がまだですから」

 

「っ!?」

 

その発言に城廻会長の顔が歪む。

 

「さて城廻、どうしてこの状況になるまで放置をしていた?お前たちは文化祭実行委員のサポートが役目のはずだ」

 

「それは、私たち生徒会はあくまで最低限のサポートのみ、ということですから」

 

その質問に城廻会長が答える。私もその話は聞いていた、だからここで生徒会まで糾弾される理由が・・・いえ、『最低限』と言ったわね。そう、そういうこと。

 

「それはもちろん知っている。しかして城廻よ、何をもって『最低限』とするんだ?」

 

「え?」

 

「分からない、と言うよりも答えられないのなら俺が教えてやる。この場合における『最低限』とは『文化祭開催』だ。それで、雪ノ下からの現状報告を聞いて、果たして生徒会は『最低限のサポート』をしてると言えるのか?」

 

「それは・・・言えません」

 

悔しそうな顔をしながら城廻会長は答える。

 

「だろうな。『最低限』という言葉は、決して自分が行動しないための免罪符などではない。それをよく覚えておけ」

 

「・・・はい」

 

 

 

「さて雪ノ下、文化祭実行委員及び生徒会が仕事をこなしていけば、文化祭当日までには間に合うか?」

 

 

「ええ。そうなれば、だけれども」

 

 

「比企谷先生、もういいだろう。こいつらも反省している、そこまでにしておけ。実行委員も生徒会もこれからは真面目に仕事に取り組むように」

 

平塚先生がそう締めくくる。

 

「だそうだ。今回のこの件からお前たちが何を感じ、何を考えるのかはどうでもいいが、これだけは言わせてもらおうか」

 

 

そこで言葉を切り、比企谷先生は扉の前に立ちこちらを見ずに言った。

 

 

 

 

 

 

 

「今回、お前らの無責任さが、ある1人の生徒が倒れるという状況を作りあげた。お前たちは『最低限』どころか『最低』だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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11話 二代目は信じられている

文化祭当日を迎えた。文化祭実行委員及び生徒会は先日の比企谷先生からの言葉により、無事文化祭を迎えられる状態となった。

 

会議室がキーボードを叩く音と、書類の擦れる音のみが聞こえるようになったということは言うまでもない。言うなれば完全な『お通夜ムード』だった。

 

そんなことになりつつも文化祭を無事迎えられたことはどうやら、文化祭実行委員も生徒会も思うところがあったらしく、顔に達成感が出ていた。

 

 

「比企谷先生、1日目はどうするの?」

 

総武高校の文化祭は2日間に渡って開催される。1日目は生徒のみが参加することができ、2日目から外部の人も参加することができる。

 

「見回りの仕事」

 

なんとも教師らしい発言だ。

 

「そう。私も同じね」

 

私は副委員長ということで2日間どちらも見回りの仕事がある。

 

「ま、楽しめよ。文化祭はお前たちも楽しんでいいんだから」

 

「そうね」

 

 

い、言い出せないわ。2日目の姉さんのステージを一緒に見たいと言えないわ。言いなさい雪乃。

 

 

「さて、俺は朝の職員会議があるから」

 

そう言って比企谷先生は職員室に行ってしまった。

 

 

・・・残念だわ。

 

 

 

 

 

1日目は特に問題はなく、文化祭は本番である2日目に入った。

 

いえ、問題と言えば問題だったことがひとつあるわね。

 

それは相模さんが、開会式の挨拶を何度か失敗していたことだ。マイクと声の調子が合わず、スピーカーから甲高い音が鳴り、挨拶の下書きが書いてある紙を舞台の上で落としてしまうなどそんなことがあった。

 

 

「お、雪ノ下か。また見回りか?」

 

廊下を歩いていると、比企谷先生に会った。

 

「ええ。先生もかしら?」

 

「まぁ、そんなとこ。はぁ、めんどくせ」

 

いくら相手が私だとしても、流石に生徒の前でその発言はどうなのかしら。本当に困った人だわ。

 

「ねぇ、先生」

 

昨日言えなかったことを言おう。

 

「あ?」

 

「姉さんの」

 

 

「はっちまっんせっんぱーい!!」

 

 

そこまで言ったところで比企谷先生を呼ぶ声がした。先生のことをそう呼ぶのは私が知る限りでは一人しか居ない。

 

そう、姉さんだ。

 

「どうしたアホ後輩」

 

「今日さ、1時から私の有志の発表があるじゃん?」

 

「ああーそんなのもあったな」

 

「もう!ちゃんと覚えていてよ!」

 

「はいはい。それで?」

 

姉さんは顔をとびきりの笑顔にして

 

「絶対見に来てよね!!」

 

そう言った。

 

 

羨ましい。素直にそうやって自分の気持ちを言えるのは、とても羨ましい。どうして私にはそれができないの?

 

 

「はぁ。分かったよ」

 

「うん!」

 

私がその表情をしたかったわ。

 

 

「雪ノ下も行くだろ?」

 

いきなり話の矛先が私に向かった。

 

「え、ええ」

 

「じゃ、一緒に行くか。お前と居た方がなんかあった時対応しやすいし」

 

嬉しかった。どんな理由であれ、私のことを誘ってくれたことが嬉しかった。

 

「雪乃ちゃんも来てくれるんだね!よぉし、お姉ちゃん頑張っちゃうから!」

 

そう言うと、姉さんはステージの準備に向かってしまった。

 

 

 

私の中にあるこの暖かい気持ちは、なんて言うの?

 

 

 

 

 

午後1時、姉さんのステージの時間だ。私は今、体育館の後ろで比企谷先生と一緒に見ている。

 

ステージの内容はオーケストラ。指揮者は当然、姉さんだ。

 

本当に凄い。見ていて圧倒されるとはこのことを言うのね。会場全体も姉さんに圧倒され、見入っている。というよりも姉さんに魅入っている。

 

「流石だわ」

 

気付けば、そんなことを言っていた。

 

「ああ。流石アホ後輩だ、人に見られるということが分かっている」

 

そんな返しをしてくる比企谷先生。

 

「やはり、姉さんの『仮面』には気付いていたのね」

 

『人に見られるということが分かっている』つまりそれは、姉さんの外面であるところの『仮面』に気付いているからこそのセリフだ。やはり比企谷先生は分かっていたのね。

 

「当然だ、一目見て分かった。だからアイツは『アホ後輩』なんだよ」

 

「え?」

 

どうしてその『仮面』があなたの言う、『アホ後輩』に繋がるのかしら?

 

「アイツは『自分』ってのを見せるのが怖かったんだよ。人が怖くて、自分を見せることを恐れていた、だから自分というものをあの『仮面』の下に隠した。な?アホなヤツだろ。それも、『強いアホ』だ」

 

「あなたくらいよ、姉さんにそんな感情を抱くのは」

 

「ま、みんなの中でも独りなのが俺だからな」

 

あなたの言葉はどこか強くて、それでいて悲しく、哀しい。そんなことを言うのもまた強がりだと、そう感じるわ。

 

「お前も俺にとっては『アホなヤツ』だよ」

 

「あら、そんなことを言われたことはないのだけれど」

 

姉さんばかりではなく、私までアホ扱いするだなんて。

 

「だろうな。お前は賢くて、聡明で、それでいて寂しがり屋の優しいヤツだ。それを隠そうと1人でいることを選ぼうとした。な?アホなヤツだろ。けれど、それもまた『強いアホ』だ。そして今のお前には『味方』が居る。お前にしかないものが、既にあるんだよ」

 

「・・・あなた、は」

 

本当にこの男は、どうしてそう・・・。

 

「お前が『アホ』である限り、俺はお前を見続けるよ。だから今は『アホ』で居続けてもいいんだぞ。少しくらい手のかかる生徒の方が、不思議と嬉しいもんなんだよ」

 

「そう。なら、私をしっかりと見続けることね」

 

「そのつもりだよ、『アホ生徒』」

 

 

彼が言った『アホ生徒』は心地好く、それでいて彼の想いが詰まった、優しい言葉のように聞こえた。

 

 

 

「私の晴れ舞台、どうだった?」

 

演奏を終えた姉さんが私と比企谷先生のところにやって来た。

 

「流石だと思ったよ」

 

「ええ、私も同感ね」

 

実際、凄いと思った。私にはきっとできない、そう思った。昔はそんな姉さんを羨ましく思い、それでいて嫉妬をし、コンプレックスのように思っていただろう。けれど、今の私はそうではなかった。ただ純粋に、姉さんを褒める気持ちでいっぱいだった。

 

「・・・そっか。うん、ありがと」

 

姉さんは私の顔を見て、どこか納得したような表情になった。姉さんの事だから、私の心情の変化に気付いたのだろう。

 

「アホ後輩はこれからどうすんの?」

 

「そうだね〜、とりあえず他の有志の発表を見てようかな」

 

「そうか。なら、俺と雪ノ下は見回りに戻るとするよ。お疲れさん」

 

そう言って、私と先生は体育館を後にした。

 

 

 

 

 

「雪乃ちゃんも、ようやく見つけてもらえたんだね。やっぱり、先輩には敵わないや」

 

 

 

 

そう言った姉さんの言葉が私の耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

緊急事態が起きた。文化祭2日目のエンディングセレモニー直前、私たちはある一つの問題と直面していた。

 

「それで、携帯の方には?」

 

「ダメです、繋がりません」

 

そう、エンディングセレモニーを直前にして、実行委員長の相模さんが行方をくらましたのだ。

 

彼女が居なければ、地域賞の発表ができない。地域賞の結果を知っているのは、委員長である相模さんだけなのだ。そして、それが記載されている紙を持って消えてしまった今、私たちは大慌てをしている。

 

 

「なにかあったのかい?」

 

騒ぎを聞きつけたのか、葉山くんがやって来た。

 

「それが、相模さんがいなくなってしまったのよ」

 

時間もないので、事情を話すことにする。

 

「そうか・・・俺たちで時間を稼ぐ。けれど15分が限界だ。優美子、またいけるかい?」

 

「あーし、疲れてるし・・・」

 

少々無茶な言葉に三浦さんは珍しく、反論する。

 

「お願いだ、優美子」

 

「・・・分かったし。雪ノ下さん達には前、テニスコートで迷惑かけちゃったし、これでチャラね」

 

「ありがとう」

 

三浦さん、私はあなたのことを少し誤解していたようね。

 

「ありがとう、三浦さん」

 

15分。葉山くんたちが稼いでくれるのは15分だけだ。非常にありがたいが、やはり足りない。せめてあと10分は欲しい。

 

「・・・由比ヶ浜」

 

比企谷先生は由比ヶ浜さんのことを呼ぶ。

 

「どうしたんですか?」

 

「このCDを体育館の放送室に届けてくれ。その後、雪ノ下を助けてやれ」

 

そう言って、1枚のCDを由比ヶ浜さんに渡す。

 

「これって・・・分かりました。絶対にゆきのんを助けます」

 

「よし」

 

由比ヶ浜さんは、そのCDを届けに体育館の放送室へと向かった。

 

 

「アホ後輩、いけるな?」

 

その場に居た姉さんに、話を振る。一体何をするつもりなの?

 

「・・・なるほどね。久しぶりだね、八幡先輩とデュエットするなんて!」

 

「前にお前に連行されたカラオケ以来だな」

 

そう言って、平塚先生の方を見る。

 

「平塚先生、力を貸してください。文化祭実行委員に相模捜索の指示をお願いします。葉山達の時間稼ぎで足りなかった場合、俺とアホ後輩で更に10分時間を稼ぎます。よろしいですか?」

 

「・・・比企谷、待っていたよ。あの時からずっと、ずっと君がそう言ってくれるのを、待っていたよ。分かった、比企谷と陽乃はもしもの時の時間稼ぎの準備を頼む。文化祭実行委員及び生徒会は相模を捜索する。他の教師たち、来賓については私に任せてくれ」

 

 

「「「「はい!」」」」

 

平塚先生のその一言で、この場が一つになった。

 

「雪ノ下、これが俺から出す、今回の問題だ」

 

比企谷先生が私にそう言ってくる。

 

「今回の問題はお前が解けなかった応用編、『読み手の考えを答える』問題だ。俺の出してきた問題に答えてきたお前なら絶対に解ける。任せたぞ」

 

そう、川崎さんの時に私は答えることができなかった。だからこそ、私は絶対に解いてみせる。彼の、彼女の、相模さんの問題を。

 

「ええ。絶対に解いてみせるわ」

 

あらゆる覚悟を決め、私は比企谷先生にそう返す。

 

「ああ。信じてる」

 

 

 

 

 

 

 

 

彼に『信じてる』と言われた。なら、私にはもう『解けない理由』がないわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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12話 二代目は初代を知る

『今までの問題を解いてきたお前なら解ける』

 

その言葉の通り、私は彼が今までに出した問題を思い出した。

 

『本文から読み取る問題』

 

考えなさい。この問題文で私が気付いたこと、それはなに?

そう、まずは『手段』と『目的』についてだ。私はこれを履き違えていた。この解答を今回に当てはめて考えてみよう。

 

つまり、相模さんにとっては行方をくらますことは『目的』ではなく『手段』ということになる。

 

次の問題は『筆者の考えを答える問題』

 

この場合における筆者とは、言うなれば文化祭や文化祭実行委員会で起きた問題そのもの。そこから導き出せる考えとは簡単に言えば、『自身の失敗』だ。

 

つまり、その『自身の失敗』が彼女の必要とする何かと結びつくものなのだ。

 

 

次の問題は『自分の考えを答える問題』

 

この問題で私が気付いたこと、それは『1人の人間が欲しているのは味方』だということ。これを相模さんに当てはめて考えるとするなら、彼女の欲しているものは『味方』ということになる。

 

つまり、今の相模さんは1人であり、その『味方』を心の底で求めているというわけだ。

 

 

これらの考えを統合すれば、

 

『相模さんは自身の失敗に気付いてしまったがために、味方を求める目的として行方をくらますことを手段とした』

 

となる。

 

 

そして今回は『読み手の考えを答える問題』だ。更に思考を深める必要がある。

 

彼がこの問題で言ったことはなに?

 

『ならどうして魚が取れないか、答えはその池に魚が居ないからだ。だから魚の居場所を教えた』

 

そう言った。つまり、相模さんは『魚の取り方』を実行したが、『魚』は取れなかったというわけだ。

 

そう、そうだ。ならこの場合における魚は?

 

目的となる『味方』の存在ということになる。

 

いえ、違う。それでは問題と解答が合っていない。ということは、私はまだ何かを見落としている?

 

考えろ、考えなさい雪乃。

 

 

そうか、私は『筆者としての相模さん』を無視していた。

 

彼女が筆者として求めたものはなんだ?彼女の言ったことを、その全てを網羅しなさい。

 

『自身の成長に繋がる』『失敗したら怖い』

 

・・・っ!!そう、そういうこと。

 

今回における全ての解答の統合としては

 

『相模さんは自身の成長を望んでいるが、失敗をしてしまった。そして、失敗を怖がったが故に逃げ出すことを手段として、味方を求めた』

 

ということになる。

 

なら、彼女が居るのは人目に付かず、それで居て探し当てることができる場所。

彼女の思考を、女子の思考をトレースしなさい。こういった時、どういう場所へ行く?

そう、『仲間内で共有している場所』だ。つまり、彼女の友人ならそれが分かるかもしれない。

 

そう思い、由比ヶ浜さんに電話をかける。

 

「もしもし、雪ノ下よ。由比ヶ浜さん、あなたにやってもらいたいことがあるの」

 

 

 

 

 

「やっぱり、ここに居たのね」

 

「ゆ、きの、した、さん」

 

ここは特別棟の屋上。あの時、由比ヶ浜さんにお願いしたのは、相模さんの友人に自分たちの秘密の場所のようなものはないか、訊いてもらうことだった。そしてここを教えてもらい、案の定それが当たったというわけだ。

 

「相模さん、もうエンディングセレモニーが始まるわ。さぁ戻りましょう」

 

「・・・どうせ、私じゃなくてこの地域賞の結果が欲しいんでしょ?ならさっさとこれを持ってけばいいじゃん」

 

やはりそうくるわよね。

 

「いいえ、それではダメよ。私はあなたを連れ戻してくると多くの人と約束をしたのだから」

 

「そんなの、雪ノ下さんの都合じゃん!」

 

「ええそうよ。けれど、わたしはこの誓いを絶対に破らないと決めたの」

 

そうだ。どれだけ言われても私は私であることを貫く。

 

「・・・雪ノ下さんだって、ホントは私が委員長に向いてないってそう思ってんでしょ」

 

「確かに、そう思ってるわ」

 

私は虚言を吐かない。

 

「だったら!」

 

「けれど、委員長に『なれない』とは思ってないわ」

 

「は?」

 

「あなたは委員長に立候補した時、こう言ったわ。『自身の成長に繋げたい。自身を成長させたい』と。あの時の言葉は嘘なの?」

 

「そ、それは・・・」

 

「あなたは委員長として、責任者として間違ったことをしてしまった。けれど、それはやり直せるわ」

 

「な、にいって、んの」

 

「ある人が私に教えてくれたわ。『今は迷い、悩み、自分の決めた道を進め。後ろを振り返るのなんていつだってできるんだから』そう言った」

 

比企谷先生が私を救ってくれた言葉を借りる。

 

「そんなの、綺麗事だよ!」

 

「そうよ、綺麗事だわ。でも、それでも、私のことを想って言ってくれたという事実に変わりはない。だからこそ、この言葉は『優しさ』として受け入れることができるの」

 

「い、み、わかんない」

 

もうここしかない。ここで彼女の求めていたものを、『魚の居場所』を教えよう。

 

「相模さん、あなたが今欲しいのは『味方』ではなくて?」

 

「っ!!あんたに、あんたに私の何が分かる!?みんなから白い目で見られ、委員長失格と言われ、開会式でも失敗してみんなに笑われた私の何が分かる!?」

 

「分かるわよ」

 

「は?」

 

「私ね、昔イジめられていたの。だから惨めな気持ちは分かるわ。けれど、それは逃げ出していい理由にはならないの。あなたには、あなたには居るじゃない。あなたを探してくれる『味方』が、あなたを想ってくれる『味方』が」

 

私がそう言い終えると、屋上のドアから2人の女子が現れた。

 

「は、るか・・・ゆっこ」

 

「探したよ南」

 

「そうだよ」

 

そう、由比ヶ浜さんにお願いしたのは、あれだけではない。この2人をここに連れてきてもらうことだ。

 

「私が友人にお願いして、ここに来てもらうように言ったの」

 

「・・・」

 

「ほら、戻ろう」

 

「今、比企谷先生と雪ノ下さんのお姉さんが時間を稼いでくれてるんだよ」

 

彼女には『味方』が居ないわけではない。彼女がその『味方』を忘れていた、意識できていなかった。ただそれだけの話だったのだ。

 

「私はあなたを委員長に向いてないと言った。けれど、委員長になれないとは思ってないと言った。それはね、あなたがあの場で立候補をした。それだけでもう、あなたは少しずつ成長していると、そう思ったからよ」

 

相模さんは友人2人に抱きしめられ、泣いている。

 

「相模さん、あなたには『味方』が居るわ。なら、その『味方』と創りましょう、あなたの『世界』を」

 

「うち、うちは」

 

ようやく、あなたの本当の顔になったようね。

 

「相模さん」

 

「な、に?」

 

 

 

 

「あなたからの依頼を私はまだ達成できていなかったわ。だからここにもう一度あなたの依頼を受けると宣言するわ。『あなたのサポート』をすると」

 

 

 

 

 

 

 

「よくやったな、雪ノ下」

 

相模さんを体育館に連れ戻し、一番後ろで平塚先生と話をしている。

 

「ええ。彼が『信じてる』と、そう言ってくれましたから」

 

「・・・変わったな。お前も、比企谷も」

 

そう言うと、舞台の上に居る比企谷先生を見た。

 

 

 

「次の曲は俺がソロで歌います。独りを選び、そして誰かを求めた哀しく、強い想いの歌。聞いてください」

 

 

 

「THE OVER」

 

 

 

 

そう言って、先生は1人で歌い始めた。

 

 

「雪ノ下、よく聞いておけ。あの歌は比企谷の十八番で、アイツの心だ」

 

 

 

『嘘をついてまで1人になろうとする。私にはその言葉が深く刺さった』

 

 

 

歌い出し、その短い歌詞で私は彼の本当の想いを理解した。

 

「あの歌はな、本来は愛する人に向けて歌う愛の歌なんだ。だが比企谷はその想いすら自分に向けて、ただ1人で歌うんだよ」

 

 

 

 

『どんなことをしても、諦めてしまった人生の前では虚しいだけだ。誰よりも愛されたかった自分が、一人になるのは大切なあなたのため』

 

 

 

 

「自分にはそんな人は居ないと、それなのに、そんな人を求め続ける。いつだかアイツの言った『本物』というものに向けて」

 

 

 

 

 

 

『そんな自分を誰だって変えることが出来る』

 

 

 

 

「アイツはいつも独りで、そしてそうであることを良しとしていた。そんな自分に言っていたのさ、『自分を善とすることは悪だ。だから俺は、悪人そのものですよ』って」

 

 

 

 

私は比企谷先生のことを何も知らない。私の思う比企谷先生はいつも強く、自分というものがあり、道を示してくれる、優しい人だと思っていた。

けれど、本当は心にある弱さを隠し、それに甘えもせず、けれどそんな自分を好きになれない、そんな哀しい人だった。

 

 

「頃合いだろう。雪ノ下、君に少しだけだが比企谷八幡という男がどのようにして依頼を達成してきたのか、それを話そう」

 

平塚先生は歌が終わった後、私に話をした。

 

「言った通り、アイツはいつも独りだった。だから、どんな状況でさえ、真っ先に『自分』という手札を切った。どれだけヘイトを向けられようと、どれだけ悪意に晒されようと、アイツは自分一人が傷付くならそれでいいと、そういう考えを持っていた」

 

そ、そんなの、ただの

 

「『自己犠牲』じゃないですか」

 

人のために自分を真っ先に切る。そんなのはただの自己犠牲だ。

 

「そう言ったら、アイツは『これが最善で効率的なんですよ。だから自己犠牲だなんて呼ばせはしない』そう言ったよ」

 

それは前、私と彼が初めてあった日のことだ。彼は『最善だと思い込んだ欲にまみれた生き方だ』そう言った。その言葉の意味がようやく分かった。

 

「前に君は『比企谷は本当は優しい人なのでは』そう言ったな。ああそうさ、アイツは誰かのために自分を犠牲にできる、心の底から優しいヤツなんだよ。けれど、世界が彼には優しくないからな」

 

前に平塚先生と話したことだ。そういうことだったのね。

 

「昔話はここまでだ。さぁ君は持ち場に行きたまえ、ここからは君の仕事だろう」

 

「・・・はい」

 

 

 

 

 

 

文化祭終了後、私は1人で部室に居た。

 

『自分を真っ先に切っていたんだ』

 

もし私が、目の前でそれをしているところを見せられたら、きっと耐えられない。私の大切な人が傷付く姿なんて、見ていられない。

 

『自分一人が傷付くならそれでいいと思っていた』

 

そんなの、私が嫌。あなたが傷付くのを見て、傷付く人が居ることをあなたは知るべきだわ。

 

 

『アイツは独りだった』

 

 

ねぇ先生、私ではダメ?あなたの『味方』に私ではなれないの?

 

 

「やっぱりここに居たな」

 

部室に入ってきたのは、比企谷先生だった。

 

「比企谷、先生・・・」

 

「どうやら、お前は解答を導き出せたようだな。それを褒めに来たんだよ。よくやったな」

 

その言葉が嬉しかった。嬉しいのに、嬉しいはずなのに、どこか寂しさを感じてしまう。どこか、哀しさを思っていまう。

 

「ねぇ、比企谷先生」

 

「なんだ?」

 

 

 

 

 

 

「私ではあなたの『本物』にはなれないの?」

 

 

 

 

 

その時の先生の顔を私は、一生忘れないだろう。

 

 

 

 



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13話 二代目は部員に弱い

 

「人の気持ち、もっと考えてよ!」

 

冷たい風が吹き、竹林が揺れる。

 

そこに響く声は、彼女が信頼をしていた『味方であり友人』である女性のもの。

 

 

 

 

私は、間違ってしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

ねぇ先生、『本物』って一体なんなの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化祭も終了し、2年生のクラスでは修学旅行が話題の中心となっていた。けれど、私の関心はそこにはなかった。

 

そう、私の関心は『比企谷先生の本物』にある。文化祭が終わった後、私は先生に『あなたの本物にはなれないか』そう尋ねた。それは私の本音であり、願望だった。

 

その時の先生の答えはこうだった。

 

 

『俺にだって、未だに本物がなんなのかは分からない。けれど、もしかしたらお前となら見つかるのかもな』

 

 

そう言った、そう言ってくれた。たったそれだけの会話をしただけなのに、その返事をもらっただけなのにそれがとても嬉しかった。

 

 

「雪ノ下さんは、私たちと同じグループでいいかな?」

 

J組のクラスメイトが話をしてくる。修学旅行で盛り上がっているのは、どうやら私のクラスでも変わらないらしい。

 

「え、ええ。よろしくお願いするわ」

 

こういったグループを作るというものは、昔苦労させられたものね。けれど、高校生になってからは誰かが誘ってくれるのでその苦労は無くなっていた。

 

「雪ノ下さんは、ここに行ってみたいっていうのはある?」

 

「私は、あなたたちに合わせることにするわ。けれどそうね、龍安寺には行きたいかしら」

 

『龍安寺』縁側から見る石庭が様々な動物を模しているということで有名だ。その一つに、虎の姿を模したものがあるという話を聞いたので、是非とも見てみたいのだ。同じネコ科だものね。

 

「分かった。ありがと」

 

どうやら私はあまり話し合いに参加しなくて良さそうね。

 

 

修学旅行2日目の自由行動は、由比ヶ浜さんとまわることになりそうね。

 

 

 

なんだかんだで、私も修学旅行が楽しみだった。

 

 

 

 

 

「ねぇねぇゆきのん、2日目、どこまわる?」

 

放課後、由比ヶ浜さんと部室で話をしている。

 

「そうね・・・名所巡りはクラスの方でやるだろうから、食べ歩きをしながら、京都を散策する。なんてのはどうかしら?」

 

「それいい!楽しみだなぁ〜」

 

「ええ、そうね」

 

ここ最近、私は変われていると思う。少しずつだけれど、素直になれている。今までは、少し態度が固かったが、由比ヶ浜さん相手ならこうして『私』というものを見せることができる。

 

比企谷先生、あなたが私を変えてくれたのよ。

 

 

コンコン

 

 

そんなことを考えていると、部室のドアがノックされた。

 

「どうぞ」

 

「失礼するよ」

 

そう言って入ってきたのは、葉山くんと戸部くんだった。

 

 

 

 

 

「俺さ、最近、海老名さんのこと、いいかなって思ってんだ」

 

「そ、それって」

 

由比ヶ浜さんが少し身を乗り出す。

 

「今回の修学旅行で、告白しようかなって、思ってんだ」

 

「ま、マジ!?」

 

由比ヶ浜さんの目がキラキラしてるわね。

 

「それで、その話を私たちにしてどうするの?」

 

話がサッパリ見えてこないので、こちらから話を切り出す。

 

「やっぱ、フラれるとか結構キツイわけ。だから、そのサポートをしてもらいたい、てきな」

 

それは・・・。

 

「正直、私たちには難しい話だわ。サポートと言っても、何をしたらいいのか分からないし・・・」

 

そう、自慢ではないが私には恋愛経験というものが無い。告白された経験ならあるが、私が誰かに恋をしたという経験がない。故に、今回の依頼は難しい話なのだ。

 

「やってあげようよ、ゆきのーん!」

 

「・・・」

 

どうしましょう。由比ヶ浜さんにお願いされると、なんだか断りづらいわ。

 

「お願い」

 

「お願いします、雪ノ下さん」

 

戸部くんも頭を下げてくる。

 

「・・・はぁ。分かったわ、依頼を受けましょう」

 

折れたのは私だった。

 

 

 

 

 

 

 

比企谷先生、これで合っているのよね?

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下、お前、最近なにか依頼を受けたな?」

 

依頼の話の後、私は鍵を返しに職員室へ寄った。その時、比企谷先生に話しかけられた。

 

「え、ええ。どうして分かったのかしら?」

 

「あまり俺をナメるな。顔を見れば大体のことは分かる」

 

な、なんだか恥ずかしいわね。

 

「雪ノ下、会議室に行くぞ」

 

そう言われ、私と比企谷先生は会議室へと向かった。

 

 

 

「まず話しておこう。誰からの依頼かは知らないが、今回俺という窓口は通っていない」

 

「・・・え?」

 

てっきり彼らは比企谷先生を通したのかと思ったわ。

 

「それを踏まえた上で訊こうか、どんな依頼だった?」

 

それから、私は今回受けた依頼について話をした。

 

「そいつは・・・やっちまったな」

 

「やはり、断るべきだったのね」

 

それを聞いた比企谷先生の顔は不安を物語っていた。

 

「ほぼ達成不可能と言える」

 

「・・・」

 

あそこで折れてしまったことがいけなかったわ。

 

「まぁやっちまったことはもういい。とりあえず必死で考えろ」

 

「え、ええ。そうするわ」

 

それしかない。

 

 

 

 

 

その日、少しばかりの後悔と大きすぎる無力感を私は味わったのだった。

 

 

 

 

 

コンコン

 

翌日の放課後、またしても部室のドアがノックされた。

 

「はろはろー」

 

入ってきたのは、海老名・・・さん?

 

「ひ、姫菜!?」

 

由比ヶ浜さん、そう大慌てでは向こうに不審がられてしまうわ。

 

「そ、それで、どうしたのかしら?」

 

まさか、彼女からもなにか依頼があるの?

 

「それがさ、最近」

 

「さ、最近?」

 

「最近、隼人くんが戸部っちのことばかり構うから、大岡くんと大和くんが寂しそうなの!まさか、まさかお預けなの!?放置プレイなの!?それに、最近私の中で比企谷先生もいいかなって思っていてさ、はやはちなの!?いや、とべはち!?それとも総受け!?キマシタワー!!!」

 

こ、これはひどいわね。最初から何を言っているのかサッパリ分からなかったわ。とりあえず、比企谷先生を巻き込むのは止めなさい。それは私と姉さんが黙ってないわよ。

 

「え、えっと・・・それで、それがどうかしたの?」

 

「まぁさ、なんか最近変わってきてるんだよね。私は今が好きかなーって。それを言いに来ただけ、お邪魔してゴメンね」

 

そう言うと、海老名さんは部室を出て行った。

 

「な、なんだったんだろうね」

 

「・・・」

 

 

比企谷先生から鍛えてもらってきた私の『国語脳』が何かを告げている。そう、そうだ。読み解け、そう言っている。

 

海老名さんの話を要約すると、彼女が言っていたように

 

『最近変わってきてる』『今が好き』

 

その前に彼女はなんの話をしていた?

 

そう、そうだ。葉山くんや戸部くんを含む男子の話をしていた。

 

それを視野に入れて話をまとめると『男子達が変わってきてる。私は今が好きなんだ』ど、どういうこと?

 

 

いえ、違う。そうではない、それではないんだ。なにか、なにか他の可能性を見落としている。

 

 

なら男子が変わった理由はなに?

 

考えろ、考えなさい雪乃。

 

人を変えるもの、それも大きく変えるものはなに?

 

 

・・・っ!!そう、そういうこと。

 

 

海老名さん、あなたまさか『そのこと』を伝えに来たというの?

 

「由比ヶ浜さん、私、少し出るわ」

 

「う、うん」

 

まだ、まだ近くに居るはずよ。

 

「海老名さん!」

 

ようやくその後ろ姿を見つけ、名前を叫ぶ。

 

「雪ノ下さん?どうしたの?」

 

私の声に海老名さんが反応する。

 

「あまり私をナメない事ね。厳しい先生から『国語脳』を鍛えられているのよ、あれだけの言葉だけどあなたが何を伝えたかったのか、それが多分見えたわ」

 

「・・・」

 

 

「あなたが本当に伝えたかった、いえ、違うわね。依頼したかったのは『戸部くんの告白の阻止』違うかしら?」

 

私はさっき至った答えを海老名さんに話す。

 

人が変わるとき、それは『恋』をしたときだと聞いたことがある。もしも海老名さんが戸部くんの想いに気付いていたら?そう考えればすぐに分かったわ。

 

要するに『戸部くんに告白されそう。私がどんな答えを返そうと、グループはこのままではいられない。私は今が好きなの、だからどうにかして』そういうことになる。

 

 

 

 

「流石だね、雪ノ下さん。そうだよ、私からの依頼は『戸部っちの告白の阻止と現状維持』だよ」

 

 

 

 

 

これはもう、本当に厄介なことになったわね。



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14話 二代目は自分の手札を確認する

『告白を成功させたい』

 

という依頼を戸部くんからされた。相手は同じグループの海老名さん。

 

そしてその海老名さんからは

 

『告白を阻止してほしい』

 

という依頼をされた。

 

矛盾している2つの依頼、それら2つを同時に解決するなんて不可能だと言えよう。

 

なにより問題なのは、海老名さんに告白をしたその時点で今回はゲームオーバーなのだ。告白すらもさせない、そういう結末でなければ海老名さんが本当に望むところの『現状維持』にはならない。

 

 

ここで私の方の状況を整理しよう。今は修学旅行1日目で、F組とは別行動になっている。海老名さんからの依頼を知らない由比ヶ浜さんが余計なことをしていなければいいのだけれど・・・まぁ難しいわよね。

次に私の手札ね。私には最強の切り札が1枚あるが、それは今回使えそうにない。正確に言うなら、使ったところで意味が無い。由比ヶ浜さんは海老名さんと同じグループの人、手札として使うのは論外だ。

 

ダメね、手詰まりだわ。ただでさえ、戸部くんからの依頼だけでもほぼ達成不可能とまで言われているのに、それと矛盾する依頼の達成など本当に不可能だ。

 

 

 

 

1日目の夜、私は1人でホテルの売店コーナーに居た。ホテルにチェックインした際、ここに京都限定モデルのパンさんが居たことを確認したからだ。

 

誰も居ないわよね?よし、さぁ買いましょう。ようこそパンさん。

 

「目当てのものは買えたそうだな」

 

「っ!?・・・比企谷先生」

 

売店から出てきた瞬間、男の人に話しかけられたと思ったら比企谷先生だった。比企谷先生で良かったわ。

 

「さて雪ノ下、俺と共犯者にならないか?」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

「それで平塚先生、これはどういうことですか?」

 

今私はタクシーに乗っている。助手席に比企谷先生、後ろに私と平塚先生という形で、だ。

 

「いやぁ、どうしてもこっちのラーメンが食べたくなってね」

 

悪びれもせず堂々と言う平塚先生。

 

「それは教師、というか大人としては如何なものかと」

 

「仕方ないさ。大人と言えど所詮は人間だ。自分の欲くらいたまには正直になるものさ。それに、だから君と比企谷には私が奢るという形で手を打つつもりだ」

 

どうしてだろうか。前半はなんだかいいことを言っていたはずなのに、後にいくにつれ、ダメな大人の見本みたいな発言になっていったのは。

 

「まったく、俺は最初から確定だった辺りがホントにセコいですね」

 

比企谷先生が呆れて言う。

 

「いいじゃないか。こうして君とラーメンを食べるのなんて、君の大学時代が最後だったのだから」

 

「そう言われると、不思議と悪い気はしなくなりますね」

 

なんだかんだでこの2人は仲がいい。教師と元生徒、そして今は教師と教師だ。それなのに、どこか背中合わせのような、そんなふうに見える。なんだか羨ましい。

 

 

そういう相手が居ることになのか、それとも相手が比企谷先生ということになのか、その答えは案外すぐに分かった。

 

 

ラーメンの感想を言おうと思う。

 

『凶暴な旨みだった』

 

 

 

 

「私はこれから酒を買いに行くが、どうする?」

 

タクシーに戻り、平塚先生が尋ねてくる。

 

「俺がホテルまで雪ノ下を送ります。それでいいか?」

 

「そうね。お願いするわ」

 

このまま外に居続けるのはあまりよろしくない。それに、比企谷先生と居れるならそれでいいわ。

 

 

 

 

 

比企谷先生と2人でホテルまで歩く。

 

「依頼はどうだ?」

 

「ダメね。それにクラスが違うから、なにもできないわ」

 

クラスが違うため、私と彼らは会うことがなかった。

 

「まぁ、元々がほぼ達成不可能な依頼だからな・・・」

 

「ええ、身をもって思い知らされたわ」

 

それに加え、海老名さんからの依頼もある。本当にどうすればいいのかしら。

 

「ま、最悪の場合は『切り札』を切るんだな」

 

こちらをまっすぐに見て言う。

 

「あなた、気付いていたのね」

 

「俺をナメるなと言ってるだろうが。俺がお前の手札になってることくらい知ってる」

 

比企谷先生は私が先生を『切り札』扱いしていることを知っていたらしい。

 

「けれど、今回は『切り札』を切っても難しいわ」

 

「それはお前が『切り札』をそれ単体で考えているからだ」

 

「え?」

 

「カードゲームにおいて『切り札』ってのはコンボを組んで初めて輝くんだよ」

 

コンボ・・・なるほど、『切り札』を別の手札と組み合わせて使うのね。確かにその発想はなかったわ。

 

「そうすれば、それは『切り札』ではなく、必殺の『鬼札』となる」

 

「・・・そうね。肝に銘じておくわ」

 

「そうか。ほれ、もう少し早く歩くぞ」

 

そう言って、ペースをあげる先生。

 

 

 

 

 

私の手札をもう一度考え直す必要があるわね。

 

 

 

 

部屋に戻ると、同室の女子に比企谷先生と一緒に歩いているところを目撃されてしまっていたようで、質問攻めにあった。と言うよりも、あっている。

 

「雪ノ下さん、まさか比企谷先生が好きとか?」

 

ニヤニヤしながら質問してくる。

 

「そ、そんなことは・・・」

 

「照れてる雪ノ下さん、可愛い!」

 

なんだか恥ずかしくなってしまう。

 

「えー、じゃあ比企谷先生のことはどう思ってるの?」

 

「え、ええと」

 

私が比企谷先生をどう思っているか・・・ねぇ。

 

「あ、ちなみに比企谷先生って意外と人気あるんだよ」

 

「そ、そうなの?」

 

突然の事実に聞き返してしまう。

 

「クールだし、授業は分かりやすいって他のクラスや後輩の子達が言ってたよ。あんまり笑わないからミステリアスでいい!って言う子もいたかな」

 

お、驚きだわ。まさか私の知らないところでそんなことになっているなんて。

 

「それで、雪ノ下さんはどう思ってるの?」

 

そ、そうだったわ。今は私が比企谷先生をどう思っているのかという話だったわ。

 

目を閉じ、熟考してから答える。

 

「そうね、一緒に居ると心地好くて、頼りになって、それでいて優しい人。かしら」

 

「「「雪ノ下さん、顔が恋する乙女だよ!!」」」

 

「え?」

 

確かに、彼のことを考えていると顔が熱くなってきて、不思議と笑がこぼれてしまうけれど・・・。

 

「そっかぁ〜あの雪ノ下さんがねぇ・・・まさか比企谷先生だとは」

 

「うんうん、青春だね!」

 

そ、そう言えば、どうして私はこんなことを?

 

「あ、あの、このことは」

 

「分かってるよ!私たちの心の中にしまっておくよ」

 

「え、ええ。そうしてくれると助かるわ」

 

それにしても、笑顔をあまり見せないからミステリアス・・・ね。

 

「・・・比企谷先生はちゃんと笑う人よ。それも優しくね」

 

まるで、それを知っていることを誇りであるかのように、私は付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

「「「雪ノ下さん、超可愛い」」」

 

 

 

 

 

 

 

私は寝る前、外を見ながら自身の手札について考える。

 

私の持ちうる『切り札』は比企谷先生だ。

 

由比ヶ浜さんはやはりダメだ。彼女がグループに居づらくなってしまう。

 

比企谷先生は『切り札』は組み合わせることによって『鬼札』になると言っていた。けれど、私にはあまりにも手札が少なすぎる。どうすれば、どうすればいいの?

 

 

『あいつは真っ先に自分を切っていた』

 

 

 

ふと、平塚先生の言葉を思い出した。

 

そう、そういうこと。確かに、私にはもう1枚手札があったわ。他の誰にもない、私だけが持ちうるもう1枚の『切り札』

 

 

比企谷先生、あなたがどんな気持ちで『自分を切っていた』のかは分からない。

 

 

 

 

だから、私も同じ『景色』を見ることにするわ。



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15話 二代目は初代の片鱗を見せる

修学旅行2日目、由比ヶ浜さんと私は京都の街を散策していた。

 

そして、嵐山の竹林にやって来た。

 

「ここで告白とか、ロマンチックだよね」

 

「・・・そうね」

 

近くにあった案内板によると、夜になると道に置いてあるライトが竹を照らし、幻想的な世界ができあがるらしい。

 

確かに、告白にはうってつけの場所であり仕掛けだ。

 

けれど、今回は事情が事情なのでもしかしたら由比ヶ浜さんの、戸部くんの思い描く光景にはならないかもしれない。

 

 

「こんなところで、告白とかされたいな」

 

由比ヶ浜さんが呟く。

 

「ええ、とても共感できるわね」

 

そこで、イメージに出てきたのが誰であるかはこの際、言う必要はないだろう。

 

 

 

 

 

 

その後も、由比ヶ浜さんと2人で歩き回った。

 

「はいゆきのん!肉まん買ってきたよ!半分こしよ」

 

「ええ。ありがとう」

 

2人で1つのものを分け合う。分け合って食べる食事もいいものね。

 

 

 

「見て見てゆきのん!着物着てるよ!」

 

「綺麗ね」

 

着物を着る機会は何回かあったが、こうして京都で着ているところを見ると、街の雰囲気とあっており、とても絵になっていた。

 

 

 

 

 

「こうして来ると、京都っていいところなんだね」

 

「ええ、本当にそうね。とても、とても楽しいわ」

 

本心を言える。ただそれだけが、そんな普通のことが私には喜びであり、幸せだった。

 

「また来よっか」

 

「ええ。必ず」

 

 

 

 

 

だからどうか、この幸せが続きますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下さん」

 

ホテルに着いたとき、葉山くんに呼び止められた。

 

「なにかしら」

 

「少し話がある。来てくれないか?」

 

その顔はなにか、大切な話だと言っているようだった。

 

「・・・分かったわ」

 

 

 

 

 

 

「こんなことを本当は君に頼むべきではないんだろう。だがもう、俺にはどうしようもない」

 

ホテル近くの河川敷で葉山くんは話を始めた。

 

その口振り、あなたまさか!?

 

「戸部を止めてくれ」

 

「・・・海老名さんのこと、知っていたのね」

 

「・・・・・・ああ」

 

やはりそうだったのね。けれどどうして今更それを?それに海老名さんのことを知っているのなら、あなたが戸部くんを止めればいいじゃない。

 

しかし、それはこの男にはできないだろう。それも知っている。『みんなの葉山隼人』である限りそれはできない。

 

「そんなことで延命したとしても、それは上辺だけの偽物よ」

 

そうだ。そんな本心を隠し、ただみんなで居続けるだなんて、『偽物』でしかない。

 

「俺は、俺は今が楽しいんだ。守りたい関係があるんだ」

 

『守りたい関係がある』その言葉には私も思うところがある。私にも『守りたい関係がある』

 

「・・・貸しということにしとくわ」

 

「済まない」

 

「いいわ。けれど、必ず返してもらうわ」

 

「ああ」

 

 

 

 

もし、この依頼を達成できないということになってしまえば、『奉仕部』に必ず悪影響が出る。そうなると、私の守りたいものも守れない。

 

もうなりふり構ってはいられない。

 

私が今やるべきなのは『解決』でも『達成』でもない。

 

『解消』だ。

 

 

 

 

だからここで『鬼札』を切る。

 

 

 

 

「もしもし、雪ノ下よ。今日の夜、嵐山の竹林に来てもらえないかしら」

 

 

 

 

 

『私』という名の『鬼札』を。

 

 

 

 

 

夜、嵐山の竹林にみんなが集まる。それを私と由比ヶ浜さんは遠くから見ていた。

 

「大丈夫かな」

 

「・・・策ならあるわ。任せてもらえないかしら」

 

「う、うん」

 

言質は取ったわ。

 

 

戸部くんと海老名さんが、ライトアップされた竹林の真ん中を歩く。

 

始まるのね。

 

 

 

 

「お、おれ、え」

 

 

そこで私は歩きだし、叫んだ。

 

 

「比企谷先生!!居るなら出てきてちょうだい!!」

 

 

「「え?」」

 

戸部くんと海老名さんが不思議そうにこちらを見る。

 

 

「大声で名前を呼ぶなよ。それで、なんだこの状況」

 

 

比企谷先生が少し離れた所から出てきた。

 

「それより比企谷先生、話があるの」

 

もう、やるしかない。これしかない。

 

「なんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたのことが好きです。私が卒業したら、お付き合いしてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。私は比企谷先生に告白をした。今、この状況、このタイミング、この瞬間、この時に。私は全身全霊をもって比企谷先生に想いを打ち明けた。

 

 

「・・・この際、告白の真偽はどうでもいい。だが雪ノ下、俺は教師でお前は生徒だ。だから俺はその告白に返事はできない。もしそれでも今返事が欲しいって言うなら、答えはノーだ」

 

やはり、振られちゃうわよね。けれど、今はこれでいい、これでいい・・・はず、なの、よ。

 

「そう、ね。私の想い、聞いてくれて、ありがとう」

 

「用件はそれだけらしいな。俺はホテルに戻る、お前らも集合時間には遅れるなよ」

 

そう言って、比企谷先生は元来た道を戻って行ってしまった。

 

 

私は海老名さんを見る。どうか、どうか気付いて。お願いだから!!

 

 

「あ、それでさ」

 

「凄かったね、さっきの雪ノ下さん。私、今は誰とも付き合うつもりは無いし、恋をするつもりもないから、なんか、綺麗だと思っちゃったな」

 

どうやら私の意図に気付いてくれたようだ。

 

「そ、そうだ、な」

 

「私はホテルに戻るから。また明日」

 

そう言って、海老名さんも戻っていってしまった。

 

「雪ノ下さん」

 

私に話しかけてきたのは、葉山くんだった。

 

「・・・なにかしら」

 

「まさか、君があんな行動に出るなんて、な。済まなかった」

 

頭を下げる葉山くん。

 

「謝罪なんていらないわ、私に失礼よ。それから、きちんと借りは返してもらう。忘れないで」

 

「・・・ああ」

 

 

 

 

 

 

 

「由比ヶ浜さん、とりあえず」

 

私はあのグループが全員居なくなるのを確認し、由比ヶ浜さんのところへ戻る。

 

「なんでゆきのん、あんなことしたの?」

 

「そ、それは」

 

言えるわけがない。言ってしまえば、当然海老名さんのことも話さなければならなくなる。そうなると、由比ヶ浜さんがグループに居づらくなってしまう。

 

「・・・そっか、言えないんだね」

 

「・・・」

 

悲しそうな顔をする由比ヶ浜さん。

 

「ゆきのんはさ、今まで色々な人を救って、スゴくカッコイイって思ってた。でもさ、でもさ、これは違うじゃん」

 

「ゆ、い、がは、ま、さん?」

 

 

 

 

「もっと、人の気持ち考えてよ!」

 

 

 

 

由比ヶ浜さんが涙ながらに叫んだその言葉は、明確な『拒絶』だった。

 

 

 

 

 

どう、して?私は、私の守りたいもののために、そのために。

 

 

 

 

「あ、あああ・・・あああああああああ!!!」

 

 

 

1人になってしまった私は、泣き出した。もう、もう抑えることができなかった。

 

 

「う、ううっ、ど、う、して、なの・・・どうしてなの、ゆい、が、はま、さん。う、ううう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、雪ノ下。奇遇だな」

 

私を呼ぶ声がした。その声は私が知っている、私の好きな人の、好きな声だった。

 

「どう、して、ひき、がや、せん、せい。もどった、はず、じゃ」

 

「どう考えても、あんな状況でお前が俺に告白するなんておかしいだろうが。となるとお前には、ああするしかない、いや、せざるを得ない状況にあったというわけだ」

 

本当に、どうして分かるのだろう。

 

「お前から戸部の依頼については聞いていた。だとすれば・・・海老名辺りなら何か言われたな。例えば『告白の阻止』や『現状維持』などか」

 

「そう、よ」

 

何もかも先生にはお見通しのようだった。

 

「だが、結果さえ見ればお前はその2つの依頼をどうにかしたと言える。ならどうして泣いている」

 

「そ、それは・・・ううっ」

 

さっきの由比ヶ浜さんのことを思い出してしまい、また涙が出てきた。

 

「・・・ここに居ない由比ヶ浜、だな」

 

「あ、あああ・・・」

 

「はぁ、なにがあったのか、どうしてこうなったのか、全部話せ。これは顧問命令だ」

 

 

そう言われ、私は嗚咽を漏らしながらも、戸部くんと海老名さんの依頼のこと話した。葉山くんから言われたことを話した。自身の手札が、『私』と『比企谷先生』だと気付いたことを話した。

 

 

由比ヶ浜さんのことを、話した。

 

 

「・・・雪ノ下」

 

拒絶されてしまうのだろうか。私は、好きな人にすらも拒絶されてしまうのだろうか。そう思うと、また涙が出てきた。

 

 

「よくやったな」

 

「・・・え?」

 

思っていた言葉とは違う言葉が聞こえた。

 

 

「確かにお前のやったことは『最善』なんかじゃない。けれど、それでも『最適』ではあった」

 

 

「う、ううっぅぅぅ」

 

私を認めてくれたことが嬉しくて、更に涙が出てきた。

 

「今は泣いておけ。あの告白が嘘か真かは知らねぇけど、自分を好きだと言ってくれた女の、それも生徒の涙くらい受け止めてやるよ」

 

「あ、あ・・・あああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

「もしもし、比企谷です。今、嵐山の竹林に雪ノ下といます。奉仕部絡みのことで、雪ノ下は今、精神の状態が不安定です。もう少しこちらに居る予定なので、お願いできますか?」

 

『・・・奉仕部絡み、か。分かった、集合時間に遅れても大丈夫なように他の先生方に話をしておく。君なら安心だ』

 

「すみません、平塚先生。お願いします」

 

『ああ。雪ノ下を、任せたぞ』

 

「ええ。もちろん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねぇ先生、『本物』ってなんなの?




この依頼の『解消』方法は『マジ告白による横槍』でした。


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番外編 二代目の最近の日常

本編早くしろよ。

と思うのは分かりますが、とりあえず箸休め。

シリアスばかりだと心がもたない。

・・・主に私の。


 

朝起きて、最初にするのは布団を直すことだ。学校から帰ってきてぐちゃぐちゃの布団を見ると、なんだかすべてのやる気がなくなる。それは私のプライドが許さないので、まずはそれを絶対にする。

次にするのは、歯磨き、洗顔、髪の毛を直すことだ。乱れきったままの私で学校へ登校するなど、これまた私のプライドが許さない。

 

一体どれほど私のプライドは高いのだろうか?

 

話を戻そう。次にするのは朝食の準備だ。多くは昨夜の残り物をそのまま出す。こうすると、時間短縮に繋がり、身支度に時間を割くことができるのだ。昨日の夕食と大して変わらないというのは、些か面白みに欠けるが背に腹はかえられない。

そして、そのままお弁当作りにシフトする。余分に作り、これまた朝食に回す。改めて考えると、朝食を1から作るというのはなんだかんだで面倒なことだと気付かされる。

朝食も終わり、制服に着替える。制服のまま料理をすると、万が一の時、みっともない姿で学校へ行くことになる。やはり私のプライドは高い。

カバンの中身を整理し、姿鏡で自分を確認する。

 

「今日も問題なく美少女ね」

 

容姿端麗なのは自他ともに認めているので、自分で言う。事実とは、言うだけなら別に問題などない。ただの確認のようなものだ。

 

「それにしても、いくら生徒とはいえこんな美少女に揺れ動かないなんて、先生には困ったものね」

 

私は1年生の頃から、教師の目線すら奪っていた。それは男性のであり、女性のでもある。相手は生徒だというのに、そんな色欲にまみれた目線を向けるのは如何なものかしら。

けれど、比企谷先生にはそんな目で見て欲しいと思っている自分は、一体どれだけワガママなのだろうか。

 

「ワガママでプライドが高いだなんて・・・正直最悪ね」

 

自分で言ってて少し悲しくなる。

 

一体全体どうしたというのだろうか。文化祭が過ぎてからというもの、朝起きても、授業を受けていても、廊下を歩いていても、家に帰っても、寝る前も、気付けば比企谷先生のことばかりを考えている。1番ひどいのは部活の時間だ。比企谷先生が来ればそれだけでなんだか心が喜ぶし、来なければ日常が少しずつ色褪せていく。

 

いえ、本当は分かっている。文化祭の後に言われた、もらった彼からの返事が事の発端だということぐらい。それぐらいに私は嬉しかったのだ。たったそれだけのことで、なんでもなかったことに少しずつだが、意味を見出すことができる。それだけで、自分の人生が素晴らしく感じてしまうものなのだ。

 

しかし、こんなことを考えていても仕方がない。それに、学校に遅れてしまう。

 

「・・・いってきます」

 

返事なんてない。一人暮らしなのだから当然のことだ。それなのに、どうしてか、比企谷先生からの『いってらっしゃい』が欲しくて、もう意味が分からなくなっていく。

 

 

 

ねぇ比企谷先生、今日は部活に来てくれるわよね?

 

 

 

そんな淡い想いを抱きながら、今日も私は登校をする。

 

 

 

 

 

休み時間、最近の私は用もないのに廊下を歩くようになった。正確に言うなら『用がない』のではなく『目的がある』のだ。

答えなど単純明快、比企谷先生と会うことだ。彼はこの学校の先生であり、どこかのクラスで授業をしているはずだ。ならば、こうして廊下を歩いていればいつかは会えるのではないかと、そういう魂胆がある。

 

なんだか卑しいわね。

 

少し自己嫌悪に陥りつつも、目的の人物が見えただけでそんな思考は吹っ飛ぶ。

 

 

「・・・こんにちは」

 

廊下で教師とすれ違う時は、挨拶をする。当然のことをしているだけなのに、相手が比企谷先生なだけでなんだか特別なことをしているような気分になる。

 

挨拶は素晴らしいわね。

 

「おう」

 

 

短い返事。けれども、それだけで私の心は満たされる。単純なのは私の心の方らしい。挨拶を返すこともまた当然のことのはずなのに、期待してしまう。

 

 

「あ、そうだ。雪ノ下、5限目の現代文だが、急遽俺が出ることになったらしい。クラスの方に伝えといてくれ」

 

 

朗報。この言葉の使い方はこうだ。

 

「ええ、分かりました」

 

周りにも生徒がおり、今は部活中ではない。故に私は敬語で話すことにする。なんだか教師と生徒っぽいわね。

 

教師と生徒だったわ。

 

自分でも混乱してしまうくらいには、舞い上がっているのだろう。けれど、それは仕方のないことだ。望んだもの、望んだことがこうして実現する。

 

実現することだからこそ、それは現実なのだ。だってそうでしょう?『実現』と『現実』という漢字は、同じなのだから。

 

「ああ。よろしく頼む」

 

 

 

 

 

 

 

偶には、期待してみるものね。

 

 

 

 

 

 

 

ハッキリ言おう。今の私は優越感と、ちょっとした不機嫌の狭間に居る。

 

何故こうなったのかと問われれば、私はこう答える。

 

『比企谷先生が悪い』と。

 

 

あれは比企谷先生が5限目の時間、J組に現れた時のことだった。

 

「雪ノ下から連絡は行ってると思うが、5限目は俺が出ることになった。そういうわけで、よろしく」

 

黒板の前に立ってそう言っのだ、眼鏡姿で。そう、眼鏡姿で・・・だ。

 

彼がそう言った瞬間、クラスの雰囲気が弾けた。正確に言うなら、クラスの女子たちがはっちゃけた。

 

 

「眼鏡ちょー似合ってる!!」

「うわ、かっこよ」

「できる男って感じでたまらない」

「優しく指導されたら、私・・・」

 

 

そう言い始めたのだ。私は何度か見ているので、あまり新鮮味はないのだが、どうやら他の女子たちにはそれが衝撃的だったようだ。

 

「先生!どうして今日は眼鏡なんですか?」

 

クラスの中でも、比較的明るい子が質問をしたのだ。

 

「視力悪いから。今日は曇りだから暗くて、後ろの方とかあんまり見えなくてな」

 

そう返した。なんともそれらしい返事である。言われてみれば、比企谷先生は夜になると眼鏡をかけている気がする。職員室に鍵を返しに行った時も、眼鏡をかけながら仕事をしていた。更に言うなら、以前私の家に来た時も、眼鏡をかけていた。彼の返答通りなら、夜道がとても暗く、危険だと判断したのだろう。

 

「似合ってますよ!」

 

また例の子が先生に言葉をかける。どうして大勢の前でそんなことが言えるのだろうか?疑問とともに、少しばかり羨望を向けてしまう。

 

「そりゃどうも」

 

 

それからというもの、いつもの授業とは考えられないくらい、授業中の挙手が目立った。それも女子、女子、女子である。比企谷先生も挙手をしてくれるのが、反応をしてくれるのが嬉しいのか、少しばかり笑みを浮かべていた。それを見ていた女子たちの反応は凄かった。

 

 

「わ、笑った!」

「やばい、超いい!」

「優しそうだなぁ」

「あんな優しい笑みで指導されたら、私・・・」

 

 

後半の方に、先ほどとあまり変わっていないことを言った生徒がいた気がするが、気にしてはいけない。というよりも、是非ともその先を言わないでいただきたい。

 

もっとも、私は比企谷先生の笑みを何度か見ている。確かに笑う回数は少ないが、それでも見てきた、見ていた。けれど、それを知っているのは、このクラスでは私だけだというアドバンテージが無くなってしまった。

 

しかも、周りの生徒を相手するばかりでこちらを向いてもくれない。私は指名をされなければ、基本的には発言をしないので確かに仕方がないと言えよう。それでも、納得できないというのが私のプライドの面倒なところだ。

 

 

いえ、どちらかと言うとワガママ・・・かしら。

 

 

本当に厄介な女だ。

 

 

「・・・雪ノ下、お前は本文を読んでどう思った?」

 

 

 

「え、ええ、私は少しばかり筆者は言いすぎだと思います」

 

突然の指名が来る。それが嬉しい。比企谷先生でなければ、面倒だとか、またか、と思っていただろう。それなのに、比企谷先生が私を指名してくれたことが、今は何よりも誇らしかった。

 

 

 

 

 

だってそうでしょう?私だけが、唯一比企谷先生の方から指名されたのだから。

 

 

 

 

 

私の不機嫌なんて、これだけで吹っ飛ぶのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談だが、放課後の部活に先生が現れた時、いつもより紅茶が美味しく感じたのは気のせいではないと思う。



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16話 それは初代の・・・

*八幡side

 

「来たか」

 

修学旅行最終日、俺はある人と駅で話すことにした。

 

「どうしたんですか、比企谷先生」

 

「さて海老名、雪ノ下に『告白の阻止及び現状維持』の依頼をしたのは事実だな?」

 

「・・・はい」

 

まぁ今さら嘘をつくこともできまい。事情は全て雪ノ下から聞いている。

 

「能書きは面倒だからいいな、結論から入ろう。雪ノ下と由比ヶ浜の仲が壊れた」

 

俺は事実を述べる。淡々と事実のみを話す。

 

「そ・・・んな」

 

海老名は驚いた顔をしていた。

 

「昨日、お前からの依頼と戸部からの依頼を解消するために雪ノ下は俺に告白をするという行動に出た。その結果、雪ノ下は由比ヶ浜から拒絶をされた。あの後、竹林でずっと泣き続けていたよ」

 

「わ、たしは、取り返しのつかないことを・・・」

 

それは一体『なに』に向けられた後悔の念なのだろうか。いや、もしかしたらそれもただの自己満足、自己陶酔の果てなのだろうか。

 

「本来、教師はこういうことを言ってはいけないんだろうが、言わせてもらう」

 

俺は海老名をまっすぐに見る。

 

 

 

「今回の雪ノ下と由比ヶ浜の件については関わるな。干渉するな、関係しようとするな、関係を持とうとするな、そして『なにもするな』」

 

 

 

「そ、そんな」

 

さっきから驚きしかしていないが、どうしてなのだろうか。どう考えても、人の顔色や空気、感情というものに機敏な由比ヶ浜が雪ノ下のとったあの行動を受け入れてやることができないなど、分かりきっていたことだろうが。

 

「話はそれだけだ。じゃあな」

 

 

 

 

 

 

『ねぇ、どうして?どうしてなの?どうして○○○○はいつも、いつも自分を犠牲にするの!?』

 

『犠牲なんかじゃない。これが、これが最善なんだ。これしか・・・なかったんだ』

 

『嫌だよ。言ったよ、私言ったよ?絶対に自分のことは切らないでって。そう・・・言った、じゃん』

 

『・・・』

 

『もう嫌だよ。○○○○がそうやって傷付くの、見たくなんてないの!!私が、私がこんなことで救われたと思ってるの!?バカにしないで・・・バカにしないで、よ』

 

『ゴメン、ゴメンな』

 

 

 

 

 

 

懐かしい夢を見た。まだ、俺が部長だった頃の記憶。

 

「雪ノ下が、あのやり方をしたからか?」

 

帰りの新幹線の中、俺は眠っていた。昨日は雪ノ下を見て、その後のことを考えていて眠れなかったのだ。

 

「あれは俺のやり方だろうが・・・」

 

どうであれ、人の告白を自分の告白で邪魔をしたのだ。そんなことをすれば、少なからず悪意を向けられ、ヘイトが集まってしまう。それは、それは俺のやり方だ。いや、俺のやり方『だった』ものだ。

 

もし、俺が雪ノ下と同じ立場だったら同じことをしていただろう。もっとも、告白の対象は海老名だっただろうが。

 

文化祭で平塚先生から、俺が部長としてどうしていたのかを雪ノ下は聞いた。そしてそこから、『自分を手札にする』というある種1つの結論に至った。

 

「君が傷付くのを見て、傷付く者が居るんだ・・・か」

 

いつだか、平塚先生とアイツに言われた言葉だ。その時の2人の顔を忘れたことは無い。哀しみ、哀れみ、同情、そんな生ぬるい感情ではなかった。

 

そこにあったのは、純粋な、ただの一縷の狂いもない『優しさ』だった。

 

それでも、俺はそんな2人の想いに、優しさに応えてやることはできなかった。応えてやりたかった、応えられるものなら心の底からそうありたいと願った。

 

けれど、俺にできたのは精々自分を切ることだけだった。

 

今の俺は、過去の自分を肯定してやれるのだろうか?肯定しているのだろうか?肯定して、いいのだろうか?そんな終わることのない自問が始まった。

 

 

「なぁ、俺は間違っているのかな」

 

 

誰にも向けていない、それでも答えを求めている。誰かが答えてくれることを待っている。

 

 

「雪ノ下。俺は、お前が傷付くのを見るのが、なんだか・・・」

 

 

 

 

 

 

それから先を言うことは、なかった。

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

家に帰ってきた。と言っても、今は一人暮らしをしているので返事はない。

 

「おかえり!」

 

と思っていたのだが、どうやら思い違いだったらしい。

 

奥から出てきたのは、可愛らしい顔立ちに、少し鋭い八重歯を覗かせ、俺と同じアホ毛を立たせた

 

「久しぶりだね、お兄ちゃん!」

 

 

我が妹、比企谷小町だった。

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、どうしたんだ?」

 

最後に会ったのは、俺の大学卒業の日だったかな。え、そうなると雪ノ下さんと同じくらいのペースってこと?なんなら、雪ノ下さんの方が再会が早かったから雪ノ下さんの方が勝ってるまである。

 

 

いや、ない・・・と思いたい。

 

 

「お兄ちゃんが修学旅行から帰ってくるの、今日って聞いたから・・・来ちゃった」

 

一体なんなのだろうかこのあざとくも可愛い妹は。誰の妹だ?俺の妹だった。

 

「なるほどな。ほい、お土産」

 

そう言って、あるものを渡す。

 

「これって、お酒?」

 

「今年、成人だろ」

 

そう、妹の小町は大学2年生なのだ。つまり、今年で20歳。立派な大人になるというわけだ。

 

「そ、そうだけど。まだ誕生日来てないよ?」

 

そう、小町の誕生日は3月3日だから正確には来年になるのだ。

 

「まぁ、誕生日が来たら飲もうぜ。それとは別に、八つ橋とかあるから」

 

そう言って、京都の和菓子を小町には渡した。

 

「こんなに買ってきてくれるなんて・・・お兄ちゃん、愛してるよ!!あ、今の小町的にポイント高い!」

 

相変わらずのポイント制である。上限があるのだろうか、それ。というか、今何ポイント貯まっているのか覚えているのだろうか?

 

「はいはい。こっちは2人に渡しといてくれ」

 

「はいはーい」

 

もちろん、両親の分も買ってある。

 

 

 

「それで、お兄ちゃん、修学旅行はどうだった?」

 

なんとも言えないところを突いてくる。楽しくなかったと言えば、そうでもない気がするが、如何せんどうしようもない事が起きたからなぁ。

 

「まぁ、ぼちぼちかな」

 

「・・・なんか、あったんだね」

 

流石は俺の妹である。どうやらバレてしまってるらしい。

 

「小町はさ、俺が部長だった頃の俺のやり方って覚えてるか?」

 

「そりゃあ、ね」

 

どこか気まずそうに答える。それも仕方の無い話だ。

 

「二代目の部長がよ、俺と同じようなやり方をしたんだ。それで、信じてたやつから拒絶されちまった」

 

前に、依頼の件で小町に隠し事をしたところ、怒られて喧嘩になったことがある。それ以来、俺はある程度は話すことにした。小町なら、そう思ってもいいと言われたからである。

 

「二代目の部長・・・確か、陽乃さんの妹だったよね」

 

「ああ」

 

「そっか。お兄ちゃんのやり方を使っちゃったか」

 

呆れたように微笑む小町。

 

「・・・もう少し、詳しく教えて」

 

 

そう言われ、俺は話せる所だけを話した。雪ノ下が受けた、達成不可能な2つの依頼のことを、雪ノ下がとった行動を、それでどうなったのかを。

 

 

「お兄ちゃんも雪乃さんも、しょうがない人だね」

 

「ああ。だが、最適だったと俺は思う」

 

「そうだね。普通に考えて無理だもん」

 

矛盾している2つの依頼。解決などできるわけがない。

 

「お兄ちゃんは、どうするの?」

 

俺は、どうする・・・か。いや、俺はどうしたい?どうなって欲しいのか、どうであって欲しいのか、どうにかしたのか?

 

「・・・分からない」

 

「そっか。まぁ、今はどうしようもないよね」

 

今回、俺は動くべきなのか?動いてなにかできるのか?俺にできることはなんだ?

 

「お兄ちゃんはさ、雪乃さんのことが心配なの?」

 

「いきなり、なにを」

 

「だってさ、そんなに難しそうな顔して」

 

そんな顔を俺はしていたのか。

 

「・・・そう、かも、な」

 

「お兄ちゃん、ようやく見つかったんじゃないの?」

 

ようやく見つけたもの。それは多分、俺が長年求めていた『あれ』なのだろう。確かに、考えてみればその兆候はあったのかもしれない。

 

「・・・どうなんだろうな」

 

恋人としてではなく、『本物』としてなら。それなら今の俺の『立場』でも通用するのか?それなら、俺は求めても、求め続けてもいいのか?望んでも、期待しても、許されるのか?

 

「お兄ちゃん。お兄ちゃんが決めたことなら、小町は応援するよ」

 

「・・・そっか。ありがとうな」

 

 

妹に元気づけられるとは情けない兄もいたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、これでようやく俺が動く理由ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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17話 それでも二代目のもとには依頼が来る

修学旅行が終わり、2週間以上が過ぎた。

 

ハッキリ言うと、奉仕部の雰囲気は最悪だ。居心地が悪く、以前のような暖かさは消え、今では冷たい空気が張り詰めるだけの場所となってしまった。

 

由比ヶ浜さんは、変わらず放課後は顔を出してくれる。けれど、私たちの間に会話はほとんどない。最初の挨拶程度の会話しか交わさない。というよりも、これは会話とも呼べないだろう。

 

比企谷先生は変わらずそのままだが、由比ヶ浜さんと先生が話をしていると、私はそこに入れなくなってしまった。

 

どうしてこうなってしまったのだろうか?答えなんて知っている。

 

 

それは、私が原因だ。

 

 

修学旅行で、私は戸部くんの告白を遮り、比企谷先生へ告白をした。

 

 

 

私は・・・どこで間違えてしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

ガラガラ

 

 

不意に、部室のドアが開いた。

 

そこに居たのは、平塚先生と城廻会長、それから見たことのない女子生徒だった。

 

「なにか?」

 

私はつい、そう訊いてしまう。正直なところ、今はあまり依頼をこなせそうにない。

 

「君たちに依頼があるんだ。城廻、一色、話しなさい」

 

そう平塚先生に言われ、城廻会長と一色と呼ばれた子は依頼の内容を話した。

 

 

 

 

 

 

 

二人の話をまとめると、『嫌がらせで生徒会長に立候補させられたのでどうにかしてくれ』だった。

 

しかし、それは普通なら学校側が対応しなければならないのでは?私たち生徒が何かするよりも、何倍も効果がある。

 

けれど、彼女の担任が自分のクラスから生徒会長が生まれ・・・という脳内お花畑みたいな感じであり、生徒会選挙の原則から外れることになるため、実質不可能らしい。

 

 

 

一体どうすればいいの?私には何が出来る?何をしてあげられる?

 

 

 

 

 

 

 

 

いえ、私が何かをしてもいいの?

 

 

 

 

 

 

翌日、比企谷先生が部室に現れた。

 

「依頼の件は聞いた。雪ノ下に由比ヶ浜、お前達はどう動く?」

 

昨日の依頼の話を始めた。確かに、今の奉仕部の顧問は彼だ。だからこそ、その質問をしたのだろう。

 

「あたしは・・・あたしが代わりにせい」

 

 

 

「お前達のどちらかが生徒会長に立候補するというのは今回無しだ」

 

 

 

「ど、どうしてですか!?」

 

由比ヶ浜さんは声を高らかに質問する。私も、同じような気分だ。どう考えてもそれしかこの依頼を達成することはできない。

 

 

 

「活動理念に反するだろうが」

 

 

 

 

全くもってその通りだった。『魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える』それがこの部活の活動理念だ。私たちのどちらかが生徒会長に立候補すれば、それは魚を与えたことと同義だ。否、魚を与えることそのものだ。

 

 

「まぁいい。俺は少し一色いろはと話をしてくる」

 

 

そう言い、彼は部室を出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

*八幡side

 

「さて、お前が一色いろはだな」

 

俺は、学生時代によく使っていたベストプレイスに彼女を呼び出した。

 

「はい、そうです!まさか、比企谷先生からご指名いただけるなんて・・・嬉しいです!」

 

なるほど。可愛らしくてプリティーで実に

 

 

 

腹が立つ。

 

 

 

これはあれだ、アホ後輩と同じだ。まぁアホ後輩の方がすげぇからこれだと下位互換アホ後輩というわけだ。

 

「そのあざとい態度いらないぞ」

 

だからそれはここで止めさせる。

 

「・・・気付かれてましたか」

 

降参です、と言い無表情になる一色。

 

「お前のなんかよりもよっぽど腹立つあざとさ知ってるからな。そいつに比べれば児戯にも等しい」

 

アホ後輩のあれはもはやあざとさと言うよりは『もう1人の自分』というレベルだ。こんな猫かぶりじゃあ俺は騙されんぞ。

 

「さて一色、本題に入ろうか」

 

「本題って、生徒会選挙のことですよね?」

 

よく分かっている。

 

「ああ。お前が会長になった時のメリットとデメリット。会長にならなかった時のメリットとデメリットの話をしよう」

 

 

あの二人では代わりに生徒会長に立候補するという案しか浮かばないだろう。しかし、それではいけない。俺は曲がりなりにも『奉仕部』が好きだから。

 

 

だから俺が『魚の居場所』を教える。

 

 

 

 

 

「生徒会長になって、私にメリットなんてあるんですか?」

 

一色は不思議そうに訊いてくる。

 

「ある。まずはならなかった時のメリットとデメリットから話そう」

 

一色の顔は変わらないが、構ってはいられない。

 

「まずはメリットから言おう。面倒な仕事はせずに済み、時間もこうして作れる。サッカー部のマネージャーに時間も使える。つまりはほぼいつも通りだ」

 

「それは分かってますよ。私だってそれを望んでるんですから」

 

だろうな。生徒会長になってしまったらそれがなくなる、できなくなる。だが、デメリットが存在する。もう、『いつも通り』ではいられない。

 

「次にデメリットだ。お前は無理矢理、つまるところ悪意によって立候補させられた。ということはお前はそいつらから良いように思われてはいない。それを踏まえた上で訊こう、お前が選挙で負けたらそいつらはどう思うだろうな」

 

「・・・ざまぁみろ」

 

「そう。間違いなくお前に対する悪意が加速する。結局、なろうがなるまいがどっちもそいつらにとってはどうでもいいんだよ。どっちにしろ成功してるみたいなもんなんだから」

 

「そんな・・・」

 

この問題の最たる点は『どっちに転んでも成功してる』ということだ。一色いろはが生徒会長になれば、彼女の時間をうばえる。労力を奪える。ならなくても、周りからはざまぁみろと、惨めな気分にさせられる。立候補が成立した時点で、そいつらはもう完了しているのだ。

 

「だからこそ、会長になった時のメリットの話をしよう」

 

「・・・聞かせてください」

 

一色の顔が真剣なものになった。どうやら自分の立場がようやく分かったらしい。

 

「まず、純粋に内申点がもらえる。次に『一色いろは』というブランドが立ち上がる」

 

「ど、どういうことですか?」

 

「考えてもみろ、一年生なのに、生徒会長になる。しかも初めは嫌がらせによる立候補だった。それなのに、それすらも自らの糧として、チャンスとして立ち向かう。こんなの、応援しないわけがない」

 

立ち向かう姿と、逃げ出す姿。どちらが周囲の目を惹き付けるか、そんなのは決まっている。嫌がらせにも立ち向かい、一年生ながらに生徒会長をやるという意志を見せる。魅せられない人間などいない。誰だって応援したくもなる。

 

「そして生まれる3つ目のメリット。それはお前を嵌めたやつを見返せるという点だ。本当は嫌がらせのつもりだったのに、気付けば『一色いろは』というブランド力が上がり、『一色いろは』に力を与えていた。そんな姿を見せつけられた奴らは、どう思うかね」

 

最大のメリットはそこにある。もし彼女が生徒会長として成功すれば、そのきっかけを作ってしまったというわけになる。本当は嫌がらせだったのに彼女にチャンスを与えてしまった。プライドが傷付くなどというレベルなどではない、完全に立つ瀬がなくなる。

 

「まぁもちろん、その分仕事はすることになる。時間も割くことになる。労力もかかる。これがデメリットだ。お前はどちらを選ぶ?」

 

俺は両方の損得を教えた、つまり『魚の居場所』を教えた。俺にできるのはここまでだ。ここからは一色が自分で選び、自分で進んでいかなければならない。

 

「・・・分かりました。先生に乗せられてあげます」

 

「・・・そうか」

 

一色は生徒会長になる気になった。これで俺の役目は終了だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、先生がよければ生徒会の顧問になってくれませんか?」

 

 

 

これは予想外だぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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18話 初代は彼女と語り、二代目は理解する

「それで、その話を八幡先輩は受けたの?」

 

カフェテリアで、目の前に座る女性が訊いてくる。まぁアホ後輩だけど。

 

「いや、受けてねぇよ」

 

「そっか。まぁ、そうだと思ったけど」

 

『その話』

 

それは、昨日に遡る。

 

 

 

 

 

「それで、先生がよければ生徒会の顧問になってくれませんか?」

 

一色は俺にそう言った。

 

「・・・なんでだ?」

 

意味が分からない。いや、正確に言うならその質問に、そのお願いに意味があるのかが分からない。

 

「比企谷先生なら。そう思ったからです」

 

解答になっていない。だがまぁ言いたいことは分かる。要するに、俺に期待しているのだ。

 

「すまないが、それは不可能だ。俺は奉仕部の顧問で生徒会の顧問は平塚先生と決まっている。俺ではその決定を覆すことはできない」

 

配属が決まってから、そもそも採用されてから1年目の俺にはそんな力はない。

 

「本当に、それだけが理由ですか?」

 

一色はどこか疑うような視線を向けてくる。

 

流石だ。人を騙す側の人として、こちらの本当の気持ち、心の底にあるものは『違う』のだと勘づいている。

 

「確かにそれだけが理由じゃない。俺は、俺にはやらなければいけないことがある。その為にも、俺は奉仕部の顧問として居続けなきゃならない。だからその話には乗れない」

 

そう、俺にはやらなければいけないことがある。教師として、俺として、比企谷八幡として、そして、俺の『立場』として。

 

「・・・分かりました。無茶を言ってすみません。けれど、私は」

 

そこまで言い、一色は最大級のあざとさを発揮し

 

 

「絶対に先生に責任、とってもらいますからね」

 

 

そう言った。

 

 

 

 

「まぁ、奉仕部への依頼の内容を変えれば、もれなく俺が付いてくるかもな」

 

 

 

その顔が、その表情が、その声音が、その雰囲気が、そのあざとさが、アイツに似ていた。アイツと重なってしまった。アイツに重ねてしまった。

 

 

だから、俺は彼女を甘やかしてしまったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

せめてもの、『贖罪』として。

 

 

 

 

 

 

 

「八幡先輩はさ、奉仕部が大切?」

 

アホ後輩は俺に問いかけてくる。

 

「当然だ。俺にとっての最初で最後の居場所みたいなもんだからな」

 

今ならそう言える。こんなことを言うのも、こんなことを思うのも、実に俺らしくないがそう言える。そう言ってもいい、そんな気がする。

 

 

 

 

 

「・・・本当は、雪乃ちゃんが大切なんじゃないの?」

 

 

 

 

 

なんと言ったのだろうか。今、目の前に居るこの女はなんと言ったのか?

 

『雪乃ちゃんが大切?』

 

自分に響かせるかのように、その問いかけは何度も頭の中で再生される。

 

「・・・」

 

答えられない、応えられない。その質問に答えるだけの言葉を持ち合わせていない。その質問に応えるだけの想いを持ち合わせているのかが分からない。

 

「八幡先輩は、『奉仕部が大切』っていう気持ちがいつの間にか『雪ノ下雪乃が大切』っていう気持ちに変わっていってるんじゃないの?」

 

そう、なのだろうか?前に妹とそんな話をした気がするが、あの時俺はなんと答えただろうか?

 

「きっとそう。八幡先輩は雪乃ちゃんを見て、雪乃ちゃんを育て、雪乃ちゃんの決断を理解しようとして、いつの間にか雪乃ちゃんが大切だと思い始めた。思い始めていた」

 

「・・・」

 

 

 

「そして、比企谷八幡先輩が求めた『本物』という可能性を雪乃ちゃんに見出すようになってしまっていた。違う?」

 

 

 

 

その通りだ。持ち合わせていないなんて、そんなのは目を逸らしていただけだ。俺は、本当の意味で『雪ノ下雪乃』という少女にその可能性を、その存在を期待していたのだ。

 

 

「図星って顔してるね」

 

「・・・あ、ああ」

 

コイツのこんなにも真面目な顔を見たのはいつ以来だろうか?

 

「そして、その想いは『あの依頼』にも帰属している」

 

「っ!!!」

 

突然の言葉に驚きを隠せなかった。

 

「やっぱりね。あの時の『依頼』を八幡先輩は達成したけど、解決は出来なかった。そのことも含め、雪乃ちゃんに期待をしてしまった」

 

コイツの発する言葉の全てが突き刺さる。胸に、心に、自分に、なにか大切な場所に突き刺さる。

 

「そんなの、私も雪乃ちゃんも望んでないよ。そんなのが、『本物』なわけないじゃん。八幡先輩は、まだそこが変わってないんだね」

 

『変わってない』

 

そう、だ。俺はまだ『そこ』が変わっていない。本当に変わらない、変われない、変わることができない、出来なかった。

 

「八幡先輩」

 

「なん、だ?」

 

 

 

 

 

 

「『立場』を忘れないでね。そして、その上で、『私』と『雪乃ちゃん』を見て。そうじゃなきゃ、意味がなくなっちゃうよ」

 

 

 

 

 

 

 

この日、俺は『雪ノ下陽乃』という1人の後輩に、現実を突き付けられた。

 

 

 

 

 

*sideout

 

 

「生徒会長になりたいと思い、1年生では不安なのでそのお手伝いをしてください。お願いします」

 

翌日、奉仕部の部室に来た一色さんは開口一番、そう言った。

 

つまり、依頼の変更。

 

「あなたは、生徒会長になりたくなかったのでは?」

 

「そうなんですけど、ある人の話に乗せられたんですよ」

 

『ある人』そんなのが誰かなんて分かりきっている。一色さんの思いを変え、一色さんを説得し、まるで『魚の居場所』を教えたかのようにこの結論へ導ける人物。

 

 

 

間違いなく、比企谷先生だ。

 

 

 

「・・・そう。分かったわ。依頼の変更を了承します」

 

私にはそう答えるしかない。だって、分かってしまったから。理解してしまったから。彼の意図に、彼の考えに、彼が何を想い、こうしたのか。

 

 

 

それは、私の、私たちの『居場所』を守るためだと。

 

 

 

もし、私が由比ヶ浜さんのどちらか、もしくは両方が生徒会選挙に出て当選をしてしまえば、実質的にこの『奉仕部』は無くなる。私たちのどちらかが欠けるというのは、今の私にとってはそれと同義だ。

 

それを知って、先生は守ってくれたのだ。そして、時間をくれたのだ。

 

 

「まぁ、私としては比企谷先生にお願いをしたいんですけどねー」

 

一色さんはそう言う。きっと、彼の持つ人柄が彼女の意識を少しずつだが変えたのだろう。

 

 

『教わった取り方1つじゃ、生きていけない。どうするかは自分で決めるんだよ』

 

 

彼の活動理念だ。その言葉の本当の意味が少し、分かった。

 

 

「いろはちゃんがそれでいいなら、あたしもそれでいいよ。これからよろしくね」

 

 

由比ヶ浜さんはそう答えた。

 

「はい!よろしくです!」

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう、比企谷先生。必ず、取り戻してみせるから。

 

 

 

 

*???side

 

 

『それで、どうですか?』

 

「彼女は確かに変わりました。けれど、最近部員と仲違いを起こしてしまいました」

 

『・・・そう。それで、あなたはどうするおつもりですか?』

 

「俺としては、必ずどうにかしたいと思ってます」

 

『そうね。それがあの日交わした、あなたとの条件ですから』

 

「はい。分かっています」

 

『・・・ふふっ。あなたが陽乃を迎えに来るのはいつになるのかしらね?期限の日になってしまうのかしら?』

 

「そうならないようにします。必ず、彼女を救います」

 

『ええ。よろしく頼みます。あなたならと信じて、雪乃を任せたのですから』

 

「ええ」

 

『あなたの立場を忘れないでくださいね。それでは、また』

 

「失礼します」

 



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19話 二代目は会長のために動く

『クリスマス』

 

最近はどこもかしこもその話題で持ち切りだ。

 

やれ恋人が、やれ記念日が、やれパーティーが。そんな感じで周りの話は聞こえてくる。

 

私からしてみれば、イエス・キリストの誕生日という程度の認識でしかないのでさほど興味はない。

 

いや、なかった。

 

なぜ過去形なのか?そう問われれば私はこう答えよう。

 

 

『一色会長がクリスマスイベントを手伝って欲しいと依頼してきたから』

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

あの後、一色さんは生徒会長になることが決定した。そして、私たち奉仕部は『生徒会長、一色いろはのサポートをする』という依頼を承った。

 

そして、今回持ってこられた依頼はクリスマスイベントを手伝って欲しいというものだった。

 

今日、由比ヶ浜さんは三浦さんたちの方に行っている。

 

 

 

「それでぇー、やばいんですよぉ〜。比企谷先生、助けてくださぁい」

 

猫なで声とはこういう声のことを言うのだろう・・・猫。

 

「うーぜぇー。そーいうのはまず自分でやれ。んで、手伝いを頼むのなら奉仕部にしてくれ。俺はあくまでおまけだ。」

 

訂正、正確には一色さんは『比企谷先生』に依頼をしている。と言うよりも、お願いをしている。

 

「・・・いやぁ、その、自分でやってみようとはしたんですよ?ただ、ちょっと・・・」

 

どこか歯切れの悪い一色さん。

 

「一色さん。とりあえず、話してみてはくれないかしら?」

 

彼女の様子に疑問を抱き、私は一色さんの話を聞いてみることにする。

 

「まぁ、なんというか、このイベントってそもそも海浜総合高校と合同でやるんですよ。それで、向こうの生徒会との会議が上手くいかず・・・」

 

会議が上手くいかない。それはつまり、コミュニケーション不足ということかしら?

 

いえ、その結論を出すには早すぎるわね。一色さんの性格を、正確に、精確に考えてみれば、彼女がコミュニケーションを取れない側の人間とは考えられない。

 

そうなると、一色さんの方になにかがあるのではなく、向こう側にこそ問題の重点があるということ?

 

「向こう側になにか問題があるのかしら?」

 

「は、はい。カタカナばっかりで何を言ってるのか分からないんです」

 

カタカナ?つまりは横文字ということよね。

 

「横文字くらい、理解出来てるのではなくて?」

 

「違うんですよ。なんというか、ビジネス用語?みたいなのを延々と、というか永遠と話してるんですよ」

 

どこか疲れたような顔をしながら言う。

 

「俺たちがギブアンドテイクの関係を結び、そこからシナジー効果を生み出したうえで、ディスカッションを進めていこう。アウトソーシングも視野に入れ、ビジョンを広げていこうか。・・・こんな感じか?」

 

「うわぁ。比企谷先生キモ・・・はい、そんな感じです。ていうかそのものです。見てたんですか?・・・ハッ!?まさか私のことはずっと見ているから安心して仕事をしてくれという遠回しな告白ですか!?卒業してから清い交際をしたいのでもう少し待っていてくださいごめんなさい」

 

「長ぇよ。てかなんで俺は振られてんだよ。あと、キモいとか言うなよ」

 

あの、比企谷先生?どちらかと言うとさっきのは振られているというより、遠回しにオーケーをされているような気がするのですが?

 

 

 

 

わた、私だって比企谷先生に告白をしたというのに・・・

 

 

 

 

「まぁいいわ。とりあえず、その会議に私も参加させてくれないかしら?」

 

このままごちゃごちゃ考えても仕方のないことなので話を進めることにする。

現場の現状を知らないことには、手伝いようがない。ということで、私はその会議とやらに参加することを決めた。

 

 

 

 

 

由比ヶ浜さんには、話さなかった。

 

 

 

 

 

 

結論から言おう、酷かった。

 

もう酷すぎて嫌になってしまった。あれは会議という名の遊び。

 

そう、『お遊戯』でしかない。

 

覚えたての言葉を使って、自分たちがやっているのだという自己陶酔に果てているだけ。自己満足という言葉ですら生ぬるいほどのぬるま湯だ。

 

 

不愉快で仕方がない。

 

 

しかし、あの場で私が直接口を挟むのは一色さんのためにならない。それでは活動理念から外れてしまう。

 

 

 

 

「雪ノ下先輩。私、どうしたらいいんですか?」

 

会議後、帰り道で一色さんが私に訊いてくる。不安なのだろう。会議が、イベントが、自分の状況が、なにより自分自身のことが。

 

「・・・分からないわ。私はどうすればいいのかしら」

 

分からない。どう動くのが正解なのか。

 

「私もですよ。はぁ」

 

 

夜だからだろうか?自分の気分も暗くなっていく。一色さんの気分も暗くなっていく。

 

こういう時、私はどうしていた?何を、考えていた?

 

 

『今は迷ってもいい。それは前に進もうとしている証拠だ。今くらいは前向いて自分の道を進め。後ろを振り返るのなんて、いつでもできるんだから』

 

 

 

そう、ね。

 

比企谷先生がくれた言葉。私を救ってくれたあの『言葉』、彼の優しさ。忘れていた、忘れ去っていた。

 

 

 

 

 

そうだ。私は1人じゃない。

 

 

 

 

「一色さん。もう1人、協力者を呼びましょう」

 

 

 

 

 

 

「由比ヶ浜さん、お願いがあるの」

 

翌日の放課後、私は由比ヶ浜さんを頼ることにした。

 

「ゆきのん・・・なに?」

 

そう。今の私と彼女との間には溝ができてしまっている。

 

「この後、一色さんと私と一緒に来て欲しいところがあるの」

 

「どこ?」

 

「今、一色さんから依頼が来ているの」

 

そう言って、私は彼女からの依頼のこと、会議のこと、現状のこと、一色さん自身のことを話した。

 

 

「お願い、あなたの力が必要なの」

 

そう言って私は頭を下げる。

 

事実として、私には由比ヶ浜さんの力が必要だ。コミュニケーション問題となると私では至らない点が多い。そして、あの場における『空気』や『感情』それらは私では読むことができない。

 

 

 

けれど、由比ヶ浜さんならそれができる。彼女はそういったものに敏感だ。だからこそ、今回は由比ヶ浜さんの力が必要なのだ。

 

 

 

「・・・分かった。そのコミュニティセンターってとこに行けばいいんだね」

 

「え、ええ。ありがとう」

 

 

 

 

 

 

でも本当は違う。心の中で、心の奥底では『きっかけ』程度にしか考えていない。由比ヶ浜さんと話せる、由比ヶ浜さんに近づけるだけの、そんな私利私欲で今回のことを見ている。

 

 

 

 

 

そんな『弱さ』が今は、たまらなく気持ち悪かった。

 

 

 

 

「それで、どうして先生が?」

 

コミュニティセンターに着くと、比企谷先生と一色さんが居た。

 

「一色に呼ばれたんだよ。とりあえずは様子見だけしにきた」

 

「雪ノ下先輩が協力者を呼ぶと言っていたので、私も呼んできました!」

 

そう言って、ふふんと言いながら腰に手を当てる一色さん。

 

「あら、彼は私の『切り札』なのだけれど?」

 

「ええ〜。先生、私に乗り換えますかぁ?」

 

「あ?俺は俺だから知らん。あと雪ノ下、そのことについては人に言わないように」

 

「あ、あはは・・・。とりあえず、中に行こっか」

 

由比ヶ浜さんの言葉で、全員の意識が変わった。

 

「そうね」

 

「ですね」

 

 

そう言ってから、私は比企谷先生を見る。

 

そうすると、先生は

 

「・・・」

 

どこか難しい顔をして、考えごとをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下、お前が自分でやるしかないんだ。そして・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉を私が聞くことはなかった。



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20話 二代目は『本物』の在処を知る

由比ヶ浜さんと比企谷先生を連れ、会議へと臨んだ。

 

しかし、それでも何一つ変わらず、何一つ進展はなかった。

 

「あたし、駄目だったよ。ごめんね、ゆきのん」

 

そう言う由比ヶ浜さんの顔はもう見ていられないほどに歪んでいた。

 

期待をしていた。『彼女なら、由比ヶ浜さんなら』そう期待していた。身勝手にも、私は押し付けてしまっていたのだ。そんな自分が本当に嫌になる。

 

「想像以上だな」

 

比企谷先生はそう評した。

 

「もう、どうすればいいんですか?」

 

一色さんは涙目になり、顔を俯かせていた。

 

「・・・」

 

私にはもう、何も言えなかった。

 

 

 

会議が終わり、私は1人で帰り道を歩いていた。今の私に必要なのはクールダウンだと思ったからだ。

 

進展しない会議、進行しない自分に対する懐疑。自信などとうになく、自身などとうに分からなくなっていた。

 

 

「雪ノ下じゃないか」

 

 

突然名前を呼ばれ、振り向くと

 

「こんな時間にどうした?」

 

平塚先生が居た。

 

 

 

 

 

 

「ほれ、とりあえずコーヒーだ。お金はいらないさ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

平塚先生の車で、海の見えるところまでやって来た。

 

「どうかね、最近は」

 

そう訊かれる。平塚先生はなんだかんだでお世話になっており、奉仕部の元顧問だ。話してもいいだろう。

 

「駄目ですね。なにもかも一向に進む気配を感じません」

 

「ほう。それは何故だと思う?」

 

「きっと、失敗をするのが怖いんだと思います。誰かが具体案を出して、それを実行して、失敗をしたら。そんなことばかりを考えていて、誰も進ませようとしない。誰が責任者なのか、それを決めなかった時点でもう、この結果は見えていたのかもしれません」

 

考えていたことを素直に話した。

 

これは、そう。文化祭の時とほとんど同じだ。失敗を恐れるばかりで進もうとしなかった、否、進ませようとしなかった。だから人を頼り、人に甘え、人任せにしようとしてしまう。

 

「よく見ているよ。流石、比企谷に仕込まれているだけのことはある。けれど、君は人の『感情』を読めていない」

 

「恐怖という感情があると言ったはずですが?」

 

「君の言うところの恐怖とは『感情』からくるものではない、『思考』からくる『恐怖』だよ」

 

「どういうこと、ですか?」

 

意味が分からない。恐怖とは感情のはずだ。それなのに、『思考』からくるとはどういうことなのだろうか?

 

「答えは君が見つけ出すものさ。けれど、そうだな・・・もしかしたら人の『感情』なんて本当の意味で理解できる日なんて来ないのかもしれない」

 

「なら」

 

「けれど、それは『理解しようとしない理由』にはならないさ。できないと、分からないものだと知っているから何もしない。そんなことが正解のはずがないさ。君と、由比ヶ浜のことも然りだ」

 

いきなり由比ヶ浜さんの名前が出てきて、私は目を逸らしてしまう。

 

「どうして、由比ヶ浜さんが出てくるんですか?」

 

「私としては最初からそっちを訊いたつもりさ」

 

「・・・」

 

「それに、君はさっき『結果は見えていたのかもしれない』そう言ったな?」

 

「はい」

 

「その認識も違うよ。まだ結果じゃない、まだ過程の段階にいるんだよ。少なくとも君たちはそうだ。もちろん、比企谷を含めてな」

 

「比企谷先生も含めて?」

 

どうしてこのタイミングで比企谷先生が出てくるのだろうか?それに、過程の段階にいる?

 

「比企谷もまだ過程の段階にいるんだよ。彼にも『味方』が居ると、そう教えてやれなかったんだ、私は」

 

それは、私が知ったこと。

 

『1人の人間ってのは、味方を求めているものだ』

 

比企谷先生が教えてくれたことだった。

 

「本当は、あいつに歩み寄ってくれる人間は誰でもいいんだ。けれど、私はそれが雪ノ下、君だったらと思っているんだ。少なくとも、私ではなかったからな」

 

そう言って微笑む先生は、どこか悲しく、哀しく、寂しさを感じさせるものだった。

 

「・・・今の私にその資格があるのか、分かりません」

 

こんな状態の私に、彼に歩み寄る資格があるのだろうか?その権利があるというのだろうか?

 

「今が全てというわけではない。明日があり、来週があり、来月があり、来年があり、未来がある。けれど、『今しかできないこともある』今なんだ、今なんだよ雪ノ下。今の君が、やるしかないこともあるんだ」

 

「・・・」

 

「さっきも言ったが、人の感情なんて理解しきれるものではない。それができているのなら、とっくに電脳化されている。でも、それができていない。だから、理解しようとするしかないんだ。そうでなきゃ」

 

 

 

 

 

 

「『本物』ではない」

 

 

 

 

 

その言葉は、比企谷先生が言っていたあの『言葉』だった。

 

「今は迷え。迷って、彷徨って、歩き続けて、疲れ果てて、それでいいんだ。そうして君が切り拓いた道は決して君を裏切らない。だから、君だけの『本物』を、今は探しなさい」

 

私の出会った先生はどうしてこうもかっこよく、真っ直ぐで、綺麗なのだろうか。何度、私は救われるのだろうか。

 

 

 

何度、私は幸せを感じるのだろうか。

 

 

 

「ありがとうございます」

 

「何かを見つけたんだな。それでいい」

 

 

 

 

 

 

 

そうして私は『本物』を見つける決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

翌日の放課後、私はある人と話をすることにしていた。

 

「ゆきのん・・・あたし、もう」

 

「由比ヶ浜さん、話があるの」

 

そう、由比ヶ浜さんだ。

 

「私には、あなたの力が必要なの。だから、これからもお願いしたいの」

 

「もう、もう無理だよ。あたしだって、辛いよ」

 

「けれど、私たちがやらなければ何も」

 

「あたしは!!あたしは、怖いよ。またゆきのんが1人で何かしちゃうんじゃないのかって。それなのに、あたしにはなにもできなくて、力になれなくて、もう、もう嫌なんだよ!!」

 

「っ!!」

 

突然の由比ヶ浜さんの大声に驚いてしまった。

 

「修学旅行の時、どうしてゆきのんはあんなことしたの?」

 

「そ、それは」

 

言えない。言えば、由比ヶ浜さんはグループに居づらくなってしまう。

 

「あたし、ずっと考えてた。もしかしたら、何か理由があるんじゃないかって。話して、くれないの?」

 

「・・・」

 

「・・・分かった。話せないことだっていうのは分かった。でも、でも、あたし、それじゃあ・・・なんのために居るのか、分かんないじゃん」

 

「そんなわけないでしょう!!私はあなたに救われた。あなたの明るさが、あなたのその優しさが、私に教えてくれた。私に、人の暖かさを教えてくれた。だから、だから、そんなこと言わないで!」

 

「・・・ゆき、のん」

 

「由比ヶ浜さんのこと、私は何も知らない。由比ヶ浜さんのこと、なにも理解できてない。身勝手だって、自己陶酔だって分かってる・・・醜くて、おぞましいただの欲望だって分かってる。けれど、けれど、それでも、それでも私は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたと『本物』になりたいの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉は私の心からの叫びだった。

 

 

 

私の、『本物』の感情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かんない、分かんないよ!!」

 

そう言って、由比ヶ浜さんは部室から飛び出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい、かけないと。追いかけないと!!

 

 

 

そう思い、私は部室を飛び出す。

 

 

 

 

「雪ノ下先輩!」

 

途中、一色さんに声をかけられた。

 

「ごめんなさい、今あなたと」

 

「話を聞いてください!由比ヶ浜先輩なら向こうの方に行きました!」

 

「・・・ありがとう」

 

それを聞き、私は一色さんが示した方向へと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みつ、けたわ」

 

「ゆき、のん」

 

渡り廊下、そこに由比ヶ浜さんは立っていた。

 

「わたし、わたしは・・・」

 

「ごめんね。あたし、ようやく分かったんだ」

 

「え?」

 

優しい由比ヶ浜さんのその口調に力が抜けてしまう。

 

「どうしてこんなにもぐちゃぐちゃになっていたのか。それってさ、あたしが、ゆきのんを大切に想っていたからなんだって。だから、置いてけぼりにされたことが嫌で、何も知らないことが悔しくて、だからあたしがこんなんになってたんだって」

 

「・・・ゆい、がはまさん」

 

「修学旅行の時、『人の気持ち考えて』あたしは、そう言ったよね。でも、本当に考えていなかったのはあたしの方だった。ごめんね」

 

「そんなこと・・・」

 

「・・・ねぇゆきのん、『本物』ってなんだろうね」

 

その問いは、私も何度もしてきた。けれど、その答えを見つけることはできなかった。

 

「・・・分からないわ」

 

「あたしにも、分からない。だからさ、あたしと探そう。ううん、違う。あたしと、ゆきのんと、比企谷先生と、3人で探そ」

 

そう言う由比ヶ浜さんの顔は涙で濡れていて、目を赤く腫らしていて、それでいて、優しかった。

 

「・・・ええ。そうね」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日、私は『本物』の在処を知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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21話 二代目は『真実』へと歩む

「一色さん、あなたが自分の言いたいことを言わなければいけない。もう分かっているのでしょう?」

 

会議に向かう道中で、私は一色さんに言った。

 

「あなたが自分で言わなければいけないことがある。そうでなければ、あなたはこの『偽物』に縛られたままよ」

 

それは、私に、私自身にも言えたことだった。あの欺瞞に満ちた日々を過ごし、その『偽物』に甘えていた自分への言葉だった。

 

「・・・私にできるでしょうか」

 

小さく、一色さんは呟いた。不安と自信の無さがそこにはあった。

 

それでも、そうだったとしても、やらなければならないことがある。言わなければ伝わらないし、言おうとしなければ言葉にならないこともある。

 

だから

 

「できるわ。生徒会長になるという一歩を踏み出したあなたなら、きっと」

 

私は背中を押すのだ。

 

 

 

「さて、それでは今日のディスカッションを」

 

私たちが部屋に入るなり、いつものビジネス用語が並べられていく。相変わらず、相も変わらずだ。

 

「あの!!」

 

一色さんは声を出す。大きな声を、今まで聞いたことの無いような、そんな声を。

 

「ん?どうしたんだい?」

 

「なにも決まってません!なにも、決まってません。今日までの話し合いの中で、私たちはなにも『決められていません』」

 

その言葉に、総武高校の生徒会を含む全員が一色さんの方を向く。

 

「私は勘違いしてました。こうやって話し合いをしているから進んでいるのだ、なにかが決まっているのだ、私たちは踏み出せているのだ。そう思ってました。けれど、けれど、違いました。私たちは進んでなんていません。踏み出したとしてもそこで足踏みをしているだけ、何も変わらずただ『その気』になっているだけでした」

 

涙目になりながらも一色さんは言葉を紡いでいく。

 

「私は、私はそんなの嫌です!!こんなの、こんなのは『本物』じゃありません。これ以上・・・」

 

そして、伏し目がちだったその顔を上げ

 

「私の、私たちの時間を殺すようなことはやめましょう」

 

そう言った。

 

これが、これこそが、一色さんの覚悟なのだ。生徒会長が、一色いろはが自ら決めた覚悟であり、自らが決めた道なのだ。

 

 

 

 

 

自らが欲していた『本物』なのだ。

 

 

 

 

 

 

その後、会議は一色さんを中心に進んだ。大きくなり過ぎた規模を埋めるために総武高校と海浜総合高校は別々の出し物をするということで話がついた。

 

「あ、雪乃」

 

懐かしい声だ。私を呼ぶその声を私は知っている。

 

「あら、留美さんじゃない」

 

鶴見留美。千葉村で私と友達になった小学生だ。

 

「あなたも来ていたのね」

 

「うん」

 

今回、小学生が来てくださった方々にケーキを配るというイベントも企画されている。

 

「その、」

 

「大丈夫だよ、雪乃。雪乃のおかげで私はまたみんなと仲良くできてるよ。だから、心配しないで」

 

暖かな、優しい笑みでそう話してくれる。

 

よかったと、心からそう思った。

 

「そう。よかったわ」

 

だから私も、自然と笑みが浮かんだのだろう。

 

「そういえば、八幡先生は?」

 

「比企谷先生はもう少ししたら来るわよ」

 

今日は比企谷先生も来てくれる。

 

 

 

 

 

 

けれど、私は知らなかった。それが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「一色、よくやったな」

 

到着した比企谷先生が一色さんと話していた。

 

「はい!!雪ノ下・・・雪乃先輩が私の背中を押してくれたからです!!」

 

「そうか」

 

私のことを雪乃先輩と呼ぶ一色さん。なんだか嬉しい。心が暖かくなってしまう。

 

「まぁ頑張ってくれ。ちゃんと見てるからよ」

 

そう言う比企谷先生。

 

「ま、まさかそれは・・・プロポーズですか!?いやいやいやいやいやいやいやいや私はまだ高校生ですし、比企谷先生は先生ですしそんなの、まだ心の準備っていうか倫理的にっていうか、ごめんなさいできれば私が卒業してからにしてくださいごめんなさい」

 

「早口だし何言ってるか分からんし、なんでごめんなさいが2回も出てきてるんだよ。あとなんで俺は振られてるんだよ」

 

また一色さんとそれをやってるのね。もはやお家芸みたいじゃない。あと比企谷先生、振られてませんよ?

 

「と、とりあえず、行ってきます!」

 

敬礼をする一色さん。なんてあざといのかしら。

 

「おう」

 

 

 

「ちゃんと来てくれたのね」

 

1人になった比企谷先生に話をしにいく。

 

「まぁな。最後まで面倒見るのが教師の役目だからな」

 

なんだかんだ仕事をきちんとこなすのよね。

 

「その顔」

 

「?」

 

私の顔に何か付いているのかしら。

 

「由比ヶ浜と何かあったんだな。多分、いい方に」

 

「・・・分かってしまうもの、なのね」

 

「まぁな。それに、一色のやつの背中を押したんだってな」

 

「ええ」

 

「本当に、よくやった」

 

「・・・ふふ。ありがとう、比企谷先生」

 

私はお礼を言った。褒めてくれたから?違う。私を認めてくれたから?違う。私を見てくれたから?違う。

 

私に教えてくれたからだ。私に、『本物』を教えてくれたから。

 

「なんでお礼?」

 

それが分からなかったのだろう、先生が訊いてくる。

 

「なんでもよ」

 

つい笑みがこぼれてしまう。

 

 

 

 

 

 

「・・・なぁ雪ノ下」

 

「なにかしら?」

 

比企谷先生が、あの文化祭の時以来の真剣な顔で私の方を向く。

 

「今、『幸せ』か?」

 

「・・・え?」

 

唐突にそんなことを訊かれ、つい聞き返してしまう。

 

「今、雪ノ下は『幸せ』だと。そう感じるか?」

 

 

 

私は、思い返す。

 

始まりは今年の4月、比企谷先生が奉仕部の顧問となったことだ。そこから、様々なことがあった。部員が増え、友達ができ、少ないけれど人を救えるようになり、時に仲違いをしてしまうこともあったがそれも乗り越えた。後輩もできた。

 

 

 

そして、恋を知った。

 

 

 

 

『本物』を知った。

 

 

 

 

あなたを、比企谷八幡という人を知った。

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

「そう、ね。大変なことも辛いこともたくさんあった。けれど、今は、今の私ならきっとこう言える。『幸せ』だと」

 

 

 

 

それが嘘偽りのない、私の気持ち。本当の、心からの気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう・・・か。ほんとうに、よかった。ありがとう・・・そして、さようならだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の言葉はよく聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスイベントが終わり、今日も私は部室へと行く。奉仕部の部室へ行けば、由比ヶ浜さんと、何故か最近よく居るようになった一色さんと、そして比企谷先生がいる。

 

部室に着くと、中に居たのは平塚先生だけだった。

 

「平塚先生だけですか?」

 

私は平塚先生に話しかける。

 

「ああ。今日は雪ノ下、君に話があるんだ。だから由比ヶ浜の方には済まないが今日の部活は無しだと連絡をさせてもらったよ」

 

「話・・・ですか」

 

一体なんの話だろう。全く心当たりがない。クリスマスイベントのことだろうか?

 

「やはり、その様子だと知らないようだな」

 

「一体、なんのことですか?」

 

そう尋ねると、平塚先生は顔を悔しそうにしながら私の方を向いた。

 

「よく聞いてくれ、これは嘘でも、冗談でもない。本当のことだ」

 

「・・・」

 

その様子から、私はなにか嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷が、冬休み前を以て、退職することになった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その知らせは、容易に私の心を壊した。




次回より、オリジナル編です。


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オリジナル編 『最後の依頼』
22話 二代目は彼女と彼の恩師から聞く


完全オリジナル編ですのでご容赦を


「雪ノ下、私の家に来て欲しい。ある人を招いて話をしよう」

 

私はなにがなんだか分からなくなっていた。突然、比企谷先生が辞めてしまうという話を聞いて、気が動転していた。

 

 

 

 

「入ってくれ」

 

気付くと、私は平塚先生の家に来ていた。一体、これから誰を混じえて話をするのだろうか。

 

「待たせたな」

 

平塚先生が、先に居るであろうその人と話しているのが聞こえてくる。

 

「ホントだよ、全くもう。でも、無理はないか・・・雪乃ちゃんも突然聞かされたんだもんね」

 

その声を聞き、私はすぐに部屋へと向かった。

 

そう、

 

「待ってたよ。雪乃ちゃん」

 

私の姉、雪ノ下陽乃が居たからだ。

 

 

 

 

 

「さて、じゃあどこから話そうかな」

 

目の前には姉さんと平塚先生が居る。

 

「勿体ぶらないで、さっさと話してちょうだい!」

 

「まぁまぁそんなに焦らないで」

 

今の私は上手く自分をコントロールできていない。自分の感情が、今までにないくらい昂っているのを感じる。

 

「そうだね。話は、まだ私と八幡先輩が高校生だった頃まで遡るかな」

 

2人が高校生だった頃、つまり、私が知りたがっていた『二人の過去』についてだ。

 

「私が八幡先輩に『ある依頼』をしたのが全ての始まりだった」

 

そう前置きをして、姉さんは話を始めた。

 

 

 

 

 

 

*陽乃過去side

 

『つまらない』

 

私にとっては全てがつまらない。面白くもないし、楽しくもないし、興味を引かれないし、魅力的にも感じないし、心も踊らない。なにも、私の心を穿ちはしなかった。

 

高校に入学したが、結局やることは変わらない。いつも通り、私は『私』であるだけだ。それだけでいい、それだけしか許されないのだ。

 

 

「ねぇ雪ノ下さん」

 

「ん?」

 

 

そんな思考をしていると、私に1人の女子生徒が話しかけてきた。

 

「『奉仕部』って知ってる?」

 

「ううん。知らないけど、その部がどうかしたの?」

 

いつもの『笑顔』で会話する。

 

「なんかね、生徒の悩みとかを依頼として解決する部活なんだって。それで、3年の先輩が1人でやってるらしいんだけど、その先輩はいつも酷いことして依頼を有耶無耶にしちゃうらしいんだ」

 

「酷いことする先輩も居るんだね」

 

嘘。本当は興味がある。どうしてそんな人が人の悩みを解決する部活なんてやっているのだろうか。

 

そうだ。静ちゃんに訊いてみよう!

 

 

 

 

「ねぇねぇ静ちゃん」

 

放課後、職員室に行き、目当ての先生のところで話をする。

 

「静ちゃんは止めろ。それで、何の用だ?」

 

「『奉仕部』ってなに?」

 

その名前を出した途端、静ちゃんの顔が強ばった。

 

「・・・知っているのか」

 

「今日、クラスの人から教えてもらったの」

 

「・・・お前は関わらない方がいい。私からはそれだけだ」

 

「ええー。なんでよ」

 

いつもの静ちゃんと違う様子に、私もつい掘り下げてしまう。

 

「なんでもだ」

 

その時の静ちゃんは、意地でも何も言わないというスタンスを貫いた。それが私には分かった。

 

 

けれど、それが逆に私の好奇心を煽った。そして同時に、静ちゃんをここまでさせるその人に、何か別の期待をしてしまった。

 

 

 

 

 

翌日、私はその部のメールがあることを知り、匿名であることを書いた。

 

 

 

 

 

どうしてそんなことを書いたのか、私には分からなかった。今まで、誰にも打ち明けず、誰にも知られなかった、私の弱さを何故か素直に書いてしまった。

 

 

 

 

 

「雪ノ下陽乃・・・だな」

 

 

 

数日後の放課後、先輩が話しかけてきた。

 

「えっと、告白ですか?」

 

自慢だが、私はここ最近はよく告白をされている。同い年、先輩問わず、誰からも告白されている。だから、この人もそうなのではないかと、つい尋ねてしまった。

 

 

 

「『進路選択の自由が欲しい』」

 

 

 

「っ!?」

 

それは、私があの部に送ったメールの内容だった。

 

「その反応は当たりらしいな。部室に来てもらえるか?」

 

言われるがまま、私はその先輩と部室へと行った。

 

 

 

 

 

連れていかれたのは、特別棟3階の端っこの部屋。こんな所にあったのか、どうりで分からないわけだ。

 

「まずは自己紹介からだな。俺は比企谷八幡、3年で奉仕部の部長をしている」

 

「雪ノ下陽乃です」

 

軽く自己紹介をする。けれど、この人は私のことは知っているはずだ。

 

「あの」

 

「なんだ?」

 

「どうして、私が出したって分かったんですか?」

 

そう、私の最大の疑問はここなのだ。普通あんな一文で個人を特定できるわけがない。だというのに、この人はそれをやってのけた。それが不思議で仕方ない。

 

「悩みの内容からある程度の目星は付けられる」

 

「内容から・・・ですか」

 

「ああ。まず1つ、『自由が欲しい』ということは『自由がない』という現状の表れだ。そこで考えられるのが、強制力の有無だ。ならどこからの強制力か、それは教師か両親だと推測できる。その理論でいくと、期待されている立場にあるものから攻めればいい。つまり、試験などで上位に入っている奴だ。

次に、『進路選択』という言葉だ。うちの高校に来るということはほぼ進学を考えていると思っていい。と、するのならばそれは大学の学部についての話となる。なら何故、学部に対してなのか。それはつまり、ある学部を指定されているという可能性が出てくる。

そして、そもそもこの奉仕部に依頼をするということそのものだ。最後の手段としてなのか、それとも、周りに弱みを見せられない奴なのか。そこまで考えれば、あとは合わせるだけだ」

 

彼のその圧倒的なまでの思考が、答え合わせをするかのように示されていく。

 

「そういう奴を探していたら、1人だけ奇妙な奴が居た。そいつは『完璧』であり『完全』であり『完成』されていた。いや、もっと言うなら『完結』していたんだ。故にそれが『仮面』であることはすぐ分かった。更に、そいつは新入生代表も務め、そして」

 

 

「『雪ノ下』という苗字をしていた」

 

 

「これが俺の考えだ。そしてそれは当たった」

 

目の前の先輩は、そうして私の方を向いた。

 

その目は、腐っていた。そう、腐り果てて、濁っていた。

 

 

「・・・すごい、ですね」

 

「その『仮面』は止めてくれ。気持ち悪いから」

 

「やっぱりバレちゃうんだ」

 

私と直接会話したのもこれが初めてだというのに、彼はもう見破っていた。それが、なんだか嬉しかった。

 

「完璧だからこそ疑わしい。この世に完璧なんてないし、『悪意』が漏れている」

 

「あらら〜。ホントにすごいなぁ」

 

「まぁそれはいい。それで、俺はあの依頼に対して動いてもいいのか?かなりデリケートな問題と俺は見たんだが」

 

「・・・私さ、分からないんだよ。なんであんなこと書いたのか、どうして奉仕部に興味をもったのか。動いてほしいのか、それとも否か。ねぇ、」

 

 

「比企谷先輩は、どうして依頼を有耶無耶にするの?」

 

 

それは、単純な疑問。クラスの女子に聞いたこと、『酷いことをして依頼を有耶無耶にする』これがどうも私の中で引っかかっていた。

 

「・・・俺が善人じゃないからだな」

 

「嘘。じゃなきゃこんな部活には居ないなよ」

 

そんな人が生徒の悩みを解決する部活になんて居るわけがない。

 

「さぁな。俺にはそんな答えしかないから」

 

「ふーん。つまんないの」

 

誰も何も言おうとはしない。静ちゃんも目の前の先輩も、何も答えない。いや、本当の答えを言おうとはしない。

 

「とりあえず、保留ということにしておく。何かあったらまた来てくれ」

 

「はーい」

 

はぁ。この後、静ちゃんの所に行こうかな。

 

 

「ねぇ静ちゃん」

 

職員室に着くなり、私は静ちゃんの所で話を始める。

 

「だから静ちゃんは止めろ。それで、今日は何の用だ?奉仕部のことなら」

 

「比企谷八幡」

 

「っ!?」

 

その名前を出した途端に、静ちゃんの顔が今までにないくらい真剣なものになった。

 

「お前、会ったのか」

 

「うん。すごいねあの人は。あの思考力と観察力、それに、あの目。まるで世界全てに対して諦めているような・・・そんな目。だから私の『仮面』もバレちゃったのかな」

 

「・・・生徒指導室に行こう。少しだけだが話をしてやる」

 

ようやく静ちゃんがその気になったね。

 

「どんな話を聞かせてくれるの?」

 

そう聞くと、静ちゃんはこちらを振り向かず、けれど立ち止まり、どこか悔しそうな声で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優しくて、傷を知りすぎているが故にボロボロになった男の話さ」

 

 

 

 



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23話 彼女の弱さは初代の強さに及ばない

「比企谷八幡。私が顧問をしている奉仕部の部長・・・ここまでは知っているな」

 

生徒指導室で私は静ちゃんと話をしている。話題はそう、『比企谷八幡』についてである。

 

「静ちゃんが奉仕部の顧問ってとこ以外はね」

 

静ちゃんが顧問だったのか。ということは、やっぱり私のアプローチに間違いはなかったのね。

 

「まぁ、そこはいいだろう。それで・・・だ。1つ、陽乃に質問をしよう」

 

「ん?いいよ」

 

一体どんな質問なんだろう。少しワクワクしてしまう。

 

「例えば、君に一番の親友が居たとしよう。その親友が苛めを受けていると知ったら、君はどうするかね」

 

「・・・前提からぶち壊すような回答なら『私の親友にそんなことはさせない』かな。でも、そういう答えじゃないでしょ?」

 

それに、もし前提をぶち壊すというのなら、『そもそも私に親友などいない』が正解になる。

 

「当たり前だ。それは陽乃だからできることだろう。そうではない君の答えが聞きたいのだよ」

 

「じゃあ・・・多分、『止める』んだろうね。助けるかもしれない。それが私の答え」

 

「いい答えだな・・・では、どう止めるのかね」

 

「うーーん。これに関しては、やっぱり『潰す』と思うよ」

 

実際それが早い。それに、私ならそれができるのだ。利用できるものは利用しないと勿体ないではないか。

 

「まぁ、君ならそうするのだろうな」

 

静ちゃんはどこか納得したように頷く。

 

「で、この質問に何か意味があるの?」

 

「本題はここからだ。さて、さっきの例題だが、実を言うと君が入学してくる前に実際にあった問題なんだよ」

 

「生徒間の?」

 

「そう。ここまで話せば分かるだろう?」

 

なるほど、そういうことね。

 

「その問題を比企谷先輩が解決した・・・そういうこと?」

 

「おおよそ合っているが、肝心なところが違う。正確には『解消』したんだよ」

 

『解消』?人の悩みに関して、解決することはあれど『解消』をするなんて、他人ができるものなのか?

 

「これから話すこともまた、実際に比企谷がとった行動だ」

 

「うん。聞かせて」

 

そう言うと、静ちゃんの顔色はどんどんと悪くなっていき、今まで見たことがないような、どこか後悔を抱えているような、そんな顔になっていた。

 

「比企谷はな、苛めを受けている生徒に告白をしたんだよ」

 

「え?告白?」

 

いきなり予想していなかったような単語が出てしまい、つい聞き返してしまった。

 

「まぁ黙って聞け。そして、比企谷はその子に振られた。その後、『どうして俺を振るんだ?俺は一目惚れして、こんなにも君のことを好きになったのに!ふざけるな!ふざけるな!』と目の前で叫んだのさ」

 

「・・・」

 

「それからというもの、その子の苛めはピタリと止んだ。そして・・・」

 

 

 

 

「苛めの対象はいつからか、比企谷になっていたんだ」

 

 

 

 

「それって」

 

「ああ。君の思っている通り、比企谷の狙い通りの結末になった。それだけなんだよ」

 

「つまり、比企谷先輩は苛められている子に告白し、わざと彼女を責め立てるようなことをして周りの同情と、自らの異常に注目させ、苛めの対象を移したって・・・そういうことなの!?」

 

「・・・その通りなんだよ」

 

あ、ありえない。人のために、今まで知りもしない、話したことすらもない、そんな他人のために、どうしてそんなことができるの?どうしてそこまでできるの?

 

「そんなの・・・ただの」

 

「『自己犠牲』か?」

 

「・・・そう」

 

「比企谷はそれを否定する。アイツは『これが最善で効率的なんですよ。だから自己犠牲なんかではない』そう言うさ」

 

正直、私はどこか彼を嘗めていた。けれど、そうではなかった。彼は、比企谷八幡という人は、どこまでも優しく、そして、どこまでも独りなんだ。

 

「私」

 

「ん?」

 

「私、比企谷先輩と放課後の時間を過ごそうと思う」

 

「陽乃・・・お前」

 

彼を知りたい、彼のことを知らなくてはいけない。私の『仮面』を見破り、私の『本質』を垣間見ながらも、自然体でいた彼。彼なら、もしかしたら私の望む『なにか』になってくれるのかもしれない。いや、それなのかもしれない。

 

「聞かせてくれてありがとう。じゃあ、また明日ね」

 

そう言い残し、私は生徒指導室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「陽乃・・・君と比企谷は本来、交わってはいけないんだ。君の『弱さ』は比企谷の『強さ』とは相性が悪すぎる」

 

 

その静ちゃんの呟きを私が聞くことは、これから先もずっとなかった。

 

 

 

「こんにちは、比企谷先輩」

 

静ちゃんと話をした翌日の放課後、私は奉仕部の部室に来ていた。

 

「・・・雪ノ下・・・か。昨日の依頼の件か?」

 

「違うよ。ただ、比企谷先輩と話してみたいなーって思って来たの」

 

やはりまずは会話をしなければ。そうでなければ、何も分からないままなのだ。

 

「話すことなんかない」

 

比企谷先輩はそう返すだけ。

 

「えーつまんないー」

 

私はわざとらしく、そんな態度をとってみる。

 

「うーぜぇー。それ止めてくんないかね」

 

「私の素なんで分かりませーん」

 

「はぁ・・・」

 

どこか疲れた顔をする比企谷先輩。

 

「こんな美少女の後輩と放課後の時間を過ごせるんだよ?」

 

「だからなんだってんだよ・・・」

 

全く失礼してしまう。

 

「なぁ雪ノ下、お前、クラスというか学校では上の立ち位置に居るんだろう?」

 

比企谷先輩の方から話を振ってくれたと思ったら、そんなことを言ってきた。

 

「まぁ、そうかなー」

 

「だったらここに来るのは止めておけ。依頼の連絡ならまた前のようにメールで送ってくれればいい」

 

「・・・それって、比企谷先輩の噂があるから?」

 

「分かってるじゃねぇか」

 

やっぱり、比企谷先輩はそう言うんだね。

 

「優しいんだね」

 

だから、私は素直にそう言った。

 

「でも、その優しさは『自尊心』の低さからくるものだよね」

 

「・・・」

 

それもまた、私が率直に思ったことだった。

 

「自分は下で、他人は上。だから自分よりも相手を尊重してしまう。そしてそれは比企谷先輩にとってはある種『当たり前』と思っている。違う?」

 

「・・・かもな。俺は最底辺の住人だ。だから他者を優先していると言えばそうかもしれない。だが、」

 

そこまで言うと、比企谷先輩は何かを見つめるような視線で言葉を放った。

 

 

 

 

「それでも、俺がここに居るという証明くらいにはなる」

 

 

 

 

彼は、彼はきっとどこかで人との繋がりを望んでいるのだろう。けれど、彼はそれを真っ直ぐには伝えられない。あんなやり方しかできない、自分を軽く見ているが故に、他者からを求めている。それでも、彼は『俺はここに居る』と、そう伝えるために必死でもがいている。彼の目にあるのは『諦め』なんかではない、『諦めの悪さ』なんだ。だから、未だに彼の目は、

 

 

 

 

 

 

 

他人に向けられているんだ。



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24話 彼女は初代からすれば『アホ』なのだ

 

「と、いうわけで比企谷先輩。テニスをしましょう」

 

「は?てかなんでまた居るんだよ」

 

私はここ最近、よく奉仕部の部室に来ている。

 

「それはもう放っておくべきじゃない?」

 

「いや放っておかねぇから。放っておけねぇから。めんどいんだよ雪ノ下の相手すんの」

 

本当に失礼な先輩だ。他の男子なら余裕で釣れてしまうのに。

 

「あ、そういうこと言うのね。ふーん」

 

「おい待て、その『私、今企んでますよ〜』みたいな顔を止めろ」

 

「・・・」

 

「ああーーーもう。分かったよ、テニスすりゃあいいんだろう」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

実際、私は何も考えていない。けれど、比企谷先輩はこうやれば、なんだかんだで来てくれることを知っているのだ。

 

 

 

よっし、ボコボコにしてあげるわ!!

 

 

 

 

「お前、めちゃくちゃ上手いな」

 

テニスコートを借り、私と比企谷先輩はテニスしている。今日がテニス部の休みの日ということはもちろん知っていたので、借りることができた。もちろん、私という要素が絡んだからだけどね。

 

「そういう先輩も中々センスいいね!」

 

実際やってみると、先輩のテニスの腕は中々だった。

 

「まぁ体育のとき、壁当てしてるからな」

 

なんでそれでこんなレベルになるのだろうか。謎である。

 

 

 

 

 

 

「あー負けた負けた。ほんとつえーな」

 

「ふっふっふっ。当然よ!」

 

もちろん私が勝った。

 

「お前、マジで自分の得意なことで人をボコるって恥ずかしくないのかね」

 

「んーーー全然」

 

「あ、そうですか」

 

こうやって話してみると、比企谷先輩は中々話しやすい人だと思った。私の『仮面』を知っているからか、それとも『本質』を知っているからか、それは定かではないけど私を対等に扱ってくれる。それが新鮮で心地いい。

 

「・・・なぁ雪ノ下」

 

「ん?」

 

そんなことを考えると、いきなり先輩が真剣そうな声で話をしてきた。

 

「あの依頼。あれは本気のもの・・・なのか?」

 

『あの依頼』それは、私と比企谷先輩が知り合うきっかけとなったあれだ。

 

「そう・・・だね。多分、あれが私の願いの一つなんだと思う」

 

そう、あれは私の本当の願いの一つだ。誰にも語らず、悟られなかった私の望み。

 

「・・・そうか」

 

「でも、動かないでいいよ。あれは私が興味本位で書いただけだから。先輩は、何もしなくていいよ」

 

「それがいい・・・のかもな」

 

 

 

 

 

 

 

だって、誰が動いたとしても、その願いが叶うことなど私には一生訪れないのだから。

 

 

 

 

 

「ひゃっはろー!」

 

「なんつー挨拶だよ」

 

今日も今日とて相変わらず奉仕部へと顔を出す。

 

「およ?比企谷先輩はお勉強かな?」

 

「見りゃ分かるでしょ。3年なんで勉強しないと」

 

「受験か」

 

「そうだ」

 

そういえば比企谷先輩は3年生だった。つまり、大学受験を早くても今年、どれだけ遅くても年始に控えているのだ。

 

「じゃあ私も勉強しようかな」

 

そう言い、比企谷先輩の隣でノートを広げる。

 

 

 

 

 

 

一時間ほどが経ち、比企谷先輩が口を開いた。

 

「雪ノ下」

 

「ん?」

 

「もしお前が進路を選べるとしたら、どうしたい?」

 

その質問が来ることは、もしかしたら予想できていたのかもしれない。何も、驚きはなかった。

 

「・・・分からない。けれど、悩むという過程、迷うという歩み、選べるという自由にこそ価値があると思う」

 

「そう・・・だな。済まない、辛いことを訊いて」

 

申し訳なさそうに言う比企谷先輩。けれど、私は気にしていない。彼が彼なりに考えているということが伝わってきたから。

 

「いいよ」

 

 

 

 

 

それっきり、会話はまた無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、私はクラスの人々からの視線を感じていた。

 

なにかあったのだろうか?

 

 

「ねぇ、雪ノ下さん」

 

「ん?」

 

そして昼休み、女子が話しかけてきた。

 

 

「一昨日、テニスコートで一緒にテニスしてたのって、奉仕部の先輩だよね?」

 

 

その瞬間、全てを理解した。

 

そうか。私が視線を感じていた理由はこれか。比企谷先輩も、私もベクトルは違えど有名だ。そんな2人がテニスをしていれば、それは確かに興味の的になる。

 

「テニスなんてしてないよー?」

 

だから私は嘘をつく。大事にすれば、必ず比企谷先輩にも迷惑がかかる。それは避けなければならない。ようやく、なんだかんだで一緒に居られているのだ。その時間を壊すわけにはいかない。

 

「部活の先輩が見たって言ってたんだよ」

 

「だから、それは」

 

マズイ。段々とクラスの人も近くに来た。早急に話を切り上げなくてはならない。

 

「雪ノ下さんのこと、見間違うわけないって」

 

ここで自分の容姿が仇となった。

 

どう、すればいいのだろうか。素直に認める?それは無しだ。このまま嘘をつき続けるのもありだがどうも上手い嘘が出てこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。確かに一昨日、俺と雪ノ下さんはテニスをした。『無理矢理、俺が頼み込んで』な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その声は、私が知っている声だった。

 

「せん・・・ぱい」

 

「雪ノ下さんも正直に言えばよかったのに。俺がしつこく頼んできて仕方なくって」

 

突然の登場と、その発言に私の意識は動転していた。

 

「ああ、なんで俺が居るのかって?購買の帰りに寄ったら俺の話をしてたみたいだから、ついな。」

 

彼は、それが答えだと言わんばかりの態度で話を進めていく。

 

「これが事の真相だわ。それじゃ」

 

そう言い残し、彼は教室を出て行った。

 

 

 

そん、な。せっかく、せっかく、私を見つけれてくれた彼なのに。その彼との時間が・・・もう、過ごせなくなるの?

 

 

 

 

 

 

「どういう・・・こと。どういうこと!?」

 

放課後、私は奉仕部の部室へ行き、比企谷先輩に向かって叫んだ。

 

「あ?なにが?」

 

「なにが?じゃないわよ!今日の昼休み、なんであんな嘘をついたの!?」

 

「ああやって言えば、丸く収まるし誰も損をしない。なにより効率的だったからだ」

 

当然だと、彼からはそんなことを言われているような気がした。

 

「ふざけないで!!そんな嘘で、そんな・・・うそで・・・」

 

「ゆき、のした?」

 

目の前が滲む。ああそうか、私は泣いているんだ。私の目からは涙が零れているんだ。

 

「どうして、どうしてそんなにも簡単に自分を犠牲にできるの?どうして、そんなにも自分を下に見れるの?どうして、そんな優しさを私にまで、向けるの?」

 

「・・・」

 

一度溢れた思いは止まらない。涙のように、止めることなどできない。

 

「目の前で、比企谷先輩が傷付くのを見て、私は怖くなった。なんだか嫌な気持ちになった。なんで、なんで私がこんな気持ちになるのよ・・・」

 

「・・・ありがとう、な」

 

いきなりのお礼に私は戸惑ってしまう。

 

「どう、してお礼なんかするの?」

 

「なんで、だろうな。多分、そんな気持ちを俺に向けてくれたからかもしれないな。初めてだったから、そんなことを言われたのは」

 

「・・・もう、私の前では二度としないで。それだけは約束して」

 

「そうするよ。すまなかったな」

 

 

 

 

 

数分して、私の涙は止まり、落ち着いた。

 

「なぁ雪ノ下」

 

「ん?」

 

最近はこうやって比企谷先輩の方から話を振られるのが多くなってきた。

 

「お前、『アホ』だな」

 

「・・・・・・は?」

 

この先輩は一体なんなのだろうか。人を泣かせといて、感謝したばかりだというのに、人をアホ呼ばわりするなんて。

 

「いやよ、あんな優しい奴なのに『仮面』被ってるなんてアホみたいじゃねぇか」

 

「・・・」

 

不意打ちだった。彼に『優しい』と言われ少し動揺してしまった。作った『私』ではない、ただの私を彼は『優しい』とそう言ったのだ。

 

「でも、それがお前の強さなんだろ。そういう優しさも、弱さもなにもかも『仮面』で覆う。そうして自分を律する。誰にだってできる事じゃない。しかし、『アホ』だ。アホ後輩だ」

 

「前半はなんだかちょっと嬉しかったのに、なんなの『アホ後輩』って」

 

嘘だ。ちょっとどころではない、かなり嬉しかった。私を見てくれただけじゃない、私を認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。

 

「だからってわけじゃない・・・けれど、お前のその優しさを俺は否定したくない。だから」

 

先輩の目はいつになく真剣になり、私を真っ直ぐに見て

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『あの依頼』を正式に受ける。俺が、必ずなんとかする」

 

 

 

 

そう言った。

 

 

 

それは、初めて知った『希望』だった。

 

 

 

 

 

 



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25話 彼女は初代を甘く見すぎていた

『おれがなんとかしてやる』

 

そう言ってくれた彼を思い出す。私の胸の中に『希望』が溢れたのは初めてだ。

 

彼の言った言葉には重みがあって、何故か安心をした。それが、彼の持つ優しさなのだろう。

 

 

 

 

 

けれど、きっと失敗する。『解決』も『達成』も『解消』もできない。それらは全て不可能なのだ。

 

 

 

 

だってそれが、『雪ノ下』に生まれた私の人生そのものなのだから。

 

 

 

 

「陽乃・・・本当のこと、なのか?」

 

私は、静ちゃんと話をしていた。そう、比企谷先輩が私の依頼を正式に受けたと、彼が伝えたからだ。

 

「うん。比企谷先輩から聞かされた通りだよ」

 

「・・・」

 

静ちゃんの顔は浮かない。

 

「静ちゃん?」

 

「まず、謝らなければならない。済まなかった、君の望みが分からなくて。本当に申し訳ないと思ってる」

 

静ちゃんはそう言って、頭を下げた。

 

「ううん。いいの。本当は誰にも言うつもりはなかったから。それに、気付かれてたら私が『私』に対しての自信が無くなっちゃうよ」

 

「本当に・・・済まなかった」

 

静ちゃんはこうやって、自分の責任のようにしたがる。それは、本当に自分を責めているからだ。私の『進路選択の自由が欲しい』という想いに気が付けなかったことを、本当に悔やんでいるのだ。

 

だから、私は静ちゃんが好き。本当に、綺麗な人だと思う。

 

「いいよ。でも、それだけじゃないんでしょ?多分、比企谷先輩のこと」

 

「・・・ああ」

 

分かっていた。静ちゃんは本当に比企谷先輩のことを想っている。心配しているのだ、彼がまた無茶をするのではないかと。

 

「今回の君の依頼は今までとはベクトルが違いすぎる。比企谷の手段ではどうしようもない。それに、下手に動けば」

 

「まぁ、確かにね」

 

自らを手札とし、真っ先に切る。それが比企谷先輩の常套手段だ。

 

「比企谷先輩にさ、言ったんだ。もうあのやり方は辞めてって」

 

「釘は刺したんだな」

 

「うん。でも」

 

「どこまで効果があるのか・・・だろ」

 

「・・・」

 

静ちゃんがこんなにも心配しているというのに、彼はあのやり方を辞めてはいない。それは、目の前で見た私もよく知っている。

 

「アイツは多分、どうにかして君の依頼を達成・・・或いは解消をしようとする。それがあいつの『強さ』だから、な」

 

「・・・そう、だね」

 

「本当は、私がやらなければいけないんだ。教師である私が教え、導かなければならなかったんだ。君も、比企谷も。こんなにも自分は無力なのだと痛感させられるよ。だから」

 

静ちゃんはその潤んだ瞳で、初めて見たその赤くなっている瞳で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなにも、胸が痛いんだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一筋の涙を流しながら、そう言った。

 

 

 

 

それが、『平塚先生』の優しさの全てだと、私はまたこの人を好きになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静ちゃんと話し、比企谷先輩が依頼を受けてから数ヶ月が経った。未だに、私は奉仕部に通っている。先輩はいつもと変わらず、あーだこーだ文句を言うが、なんだかんだで最後は私の相手をしてくれる。

 

 

 

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「ん?電話だ」

 

 

珍しい。私の携帯に電話がかかってくるなんて。

 

 

 

「陽乃、私です。今日の放課後、迎えの車に乗って帰って来てください。大切な話があります」

 

 

 

それは、私が恐れる、母からの電話だった。

 

 

 

 

故に、今日の放課後は奉仕部に行けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま。それでお母さん、話って?」

 

家に着くなり、私は直ぐにお母さんの元へ向かった。電話で言っていた『大切な話』それがとても気になっていた。

 

いや、正確に言うなら『嫌な予感』していた。

 

 

 

「ねぇ陽乃、あなたの正直な気持ちを教えてくれないかしら」

 

 

 

 

 

 

「・・・え?」

 

今、私のお母さんはなんと言ったのだろうか?『正直な気持ちを教えてくれないかしら』それって、それって・・・どうして?あのお母さんが、どうして?

 

 

「陽乃は、私や今のことについてどう思っているの?正直に聞かせて」

 

 

 

 

 

ふざ、けるな。ふざけるな。何を今更、どうして今更。

 

「大丈夫だよ。上手くやって」

 

だから私はいつも通り『私』でいようとする。

 

「その『顔』それだけで、分かったわ。もう、嘘をつかないで」

 

「っ!?」

 

「そんなのなしにして、聞かせて?」

 

 

 

 

 

ああ、駄目だ。もう遅い、私はもう、壊れる。『私』はもう、壊れてしまった。

 

「ふざけないで!!今更そんなこと言われてもどうしようもないよ!!いつもいつもいつもいつも私の話なんて聞かないで、聞こうともしないで勝手に何もかも決めて!今日、話があるからって言われていざ来てみたら『正直な気持ちを教えてくれないかしら?』私をなんだと思っているの!?この『仮面』だって好きで付けてるわけじゃない!!いっつも嫌だった、押し潰されそうだった!それでも、それでも、って耐えて頑張ってきたのに!それなのに、それなのに・・・なんで今更なの!?どうして今なの!?」

 

もう止められない。私の中にある全てが爆発する。

 

「辛かった、気持ち悪かった。周りの人を見て、自分は不幸だなって何回も考えた!『雪ノ下さんはいいね』そうやって言われる度に何回他人を憎んだことか!何回、人を羨んだことか・・・。私だって、私だって、『自分の道くらい、自分で決めたいよ』」

 

 

 

 

 

「ごめん・・・なさい」

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ああ、あああ」

 

 

 

 

母からのその『ごめんなさい』の一言に私の最後まであった全ての理性は、崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして、お母さんはあんな話を?」

 

落ち着いた後、私は今の私の最大の疑問をぶつけた。

 

「最近ね、ずっとある人がうちの会社を訪ねて来ていたのよ。その人と、話をしていくうちに、教えられたから、いえ、気付かされたから、かしらね」

 

「それって、」

 

『ある人』私には心当たりがある。もし、そうなら、もし、私の知っているあの人なら

 

 

 

 

「比企谷八幡と、名乗っていたわ」

 

 

 

 

その名を聞いた瞬間、私はもう一度涙を流した。だって、それは、私の知っている『彼』だったのだから。

 

 

 

「陽乃。大学は好きな所に行きなさい。それで、辛いことがあったらお母さんに相談して。私たちに足りなかったのは『愛し愛されている』という実感なのだから」

 

 

 

「いい、の?自分で決めて、いいの?」

 

「ええ。いいのよ」

 

 

 

 

私が欲した、諦めていた願いは叶った。いや、叶えてくれた。他でもない、比企谷先輩が叶えてくれた。

 

 

「でも、会社は?雪乃ちゃんがっていうなら、私が」

 

もしそれで、私の妹の雪乃ちゃんが代わりになるというなら私はそれに納得できない。この話を受けるわけにはいかない。

 

「いいえ、雪乃ではないわ。ちょうど、申し出てくれた人がいたの」

 

「え?そうなの?」

 

驚きである。しかもお母さんが認めるなんて、相当にすごい人なんだ。

 

「ええ。学業も優秀ですし、機転の利く要領の良さ。雪ノ下建設のこともとても知っていて、あなたと知り合いでもある。だから、条件付きでその話を『仮』という形で受けたのよ」

 

まっ、て。その人、その人って。駄目だ、考えてはいけない。ダメだ、私はこれ以上、話を聞いてはいけない。だめだ、それ以上、頭を回してはいけない。

 

 

 

 

「ねぇ、お母さん、その人って、もし、かして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、比企谷八幡さんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

それもまた、私の知っている『彼』だった。



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26話 彼女は涙を流し、二代目は『真実』を知る

「どう、いうことなの?どうして比企谷先輩が?」

 

お母さんから出てきた名前に、私は驚きと悲しみと、怒りが堪えられていなかった。

 

「比企谷さんは『前々から雪ノ下建設には興味があったんです。どうか、私を育ててはくれないでしょうか』そう言ったのよ」

 

それは、間違いなく彼の嘘だ。彼はそんなことを言う人ではない。

 

 

 

私を救うための、優しくて、馬鹿な嘘だ。

 

 

「彼にはこうして気付かされたことがあるものね。それに、聞くところによると彼は『奉仕部』というお悩み相談の部活の部長をしているそうね。だから、私の『依頼』を達成できたら本格的に考えると、そう答えたの」

 

「『依頼』?」

 

お母さんの言う『依頼』とはなんなのだろうか。それに、それを達成できたら比企谷先輩は?達成できなかったら?

 

「達成できなかった場合も比企谷さんにはうちの会社に来てもらうわ。そういう約束だもの」

 

 

 

 

それは、比企谷先輩の人生が決まってしまったという意味だ。

 

 

 

私の身代わりとして、彼は私の歩むはずだったレールに乗ったのだ。

 

 

 

 

「ねぇ陽乃、あなたは比企谷先輩のことをどう想っているの?」

 

「馬鹿な人」

 

それが私の今の彼に対する感想。だけど、それで嬉しくなっている自分が居るのも事実なのだ。

 

「でも、優しくて・・・どうしようもないくらい自分がどうでもよくて、それでもと懸命に真っ直ぐ歩んでいる、かっこいい先輩。私はそう想っている。」

 

「陽乃・・・あなた」

 

「それに、私の『仮面』も一発で見抜くほどだからね」

 

「やっぱり、中々の人なのね。彼は」

 

でも、そんな彼の人生を私が決めてしまった。私の身勝手な依頼のせいで彼は、これから多くのものを失うことになった。

 

 

 

 

 

「陽乃」

 

「ん?」

 

お母さんの呼びかけに答える。

 

 

 

 

 

 

「あなた、比企谷さんのことが好きなのでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

今、お母さんはなんと言ったのだろうか。

 

 

 

す、き?

 

 

 

私が、比企谷先輩を、好き?

 

 

 

 

 

 

 

わたしが

 

 

 

比企谷先輩を?

 

 

 

 

 

 

 

「そんなわけないよ」

 

無意識にそう言っていた。けれど、否定をすればするほど、心の中でそう思うほどに私の心臓の鼓動は多くなっていった。

 

 

 

 

「本当に?」

 

 

お母さんはそう尋ねてくる。

 

 

「そう思いたいだけではなく?」

 

 

それはある意味『核心』であり、確信していた。

 

「・・・一番、好意的には想っているかも、しれない」

 

 

 

 

 

そうだ。これが私の本当の想いだ。

 

 

 

「そう・・・あなたなりに頑張ってみなさい。そうすれば、結果は見えてくるわ。なんたって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたは、私の娘なのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さんは、今まで見せたことのないような優しい笑みでそう言ってくれた。

 

 

 

 

これが、『母の優しさ』なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日、お母さんから全部聞いた。ねぇ、どうして?どうしてなの?どうして比企谷先輩はいつも、いつも自分を犠牲にするの!?」

 

翌日の放課後、私は奉仕部の部活へ行き、思っていることを或いは想っていることを全て吐き出した。

 

「犠牲なんかじゃない。これが、これが最善なんだ。これしか・・・なかったんだ」

 

比企谷先輩は私の顔を見て、辛そうに言った。

 

「嫌だよ。言ったよ、私言ったよ?絶対に自分のことは切らないでって。そう・・・言った、じゃん」

 

「・・・」

 

「もう嫌だよ。比企谷先輩がそうやって傷付くの、見たくなんてないの!!私が、私がこんなことで救われたと思ってるの!?バカにしないで・・・バカにしないで、よ」

 

「ごめん、ごめんな」

 

比企谷先輩は私に謝る。けれど、私が欲しいのは謝罪なんかじゃないのだ。

 

「分かってるの?自分の人生が決まったんだよ?」

 

「・・・ああ」

 

「分かってない!!何ももう自分では決められない、道だって全部用意されているところしかない。それが、それが・・・どんなに辛いのか。分かってないよ・・・」

 

私は、今まで自分が歩んできた時の思いを言った。そんなことを言っても、もう変えることができないのは知っているのに。それなのに、私は言わずにはいられなかった。

 

「・・・やっぱり、やっぱり」

 

 

 

 

 

 

 

「辛かったんじゃねぇか」

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、雪ノ下は辛かったんだな」

 

 

 

 

 

その声は優しく、どこまでも私の心に響いた。

 

 

 

 

「もう、お前にそんな想いはさせない。お前が来ていたこの数ヶ月で、俺はお前に何かを見出そうとしていた。だから思えた、この方法を使おうと、使うしかないと」

 

 

「せん、ぱい」

 

 

「辛かったな。大変だったな。よく頑張ったな・・・お疲れさん。あとは、あとは、俺に任せろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああああ」

 

 

 

 

泣いた。私は泣いた。昨日、母の前で見せた時よりも泣いた。彼のその優しさに、彼のその覚悟に、彼のその在り方に、彼の『想い』に私は涙が止まらなかった。止められなかった。

 

 

 

 

 

 

止まらなくて、よかったとさえ思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・八幡先輩」

 

私は、彼を名前で呼ぶ。それは、私の中にある『想い』をもう隠そうとも、偽ろうともしないように生きていこうと思ったから。

 

「ありがとう。私を、私を救ってくれて」

 

だから、まずは感謝を伝えなければならない。そうでなくては、私のこの想いを私は誇れなくなる。

 

「構わねぇよ。『アホ後輩』」

 

「・・・うん」

 

 

だから、私は言う。

 

 

 

 

 

 

「今度は、私があなたを助けるから」

 

 

 

 

 

八幡先輩、私はあなたを救う。あなたが、幸せになるように私が支える。それが、私にできる最大の恩返しだ。私がこの『想い』を伝えるのは、その後だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・いつか、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつか、俺を助けて・・・・な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言った彼の顔を、私は生涯忘れることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼が、先輩が、比企谷八幡が、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて、笑ってくれたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*sideout

 

 

 

「これが、私と八幡先輩の間にあったことだよ」

 

 

姉さんの語りを聞いた。聞き終えた。

 

 

 

それなのに、私は何も言えなかった。何も、言う資格などないと、そう思った。それほどまでに、私の想像を絶するものだった。

 

 

「ねぇ雪乃ちゃん」

 

 

姉さんが語りかけてくる。

 

「なに、かしら」

 

「八幡先輩はさ、本当に馬鹿で、本当に自分がどうでもよくて、本当に人のことばっかりで、本当に優しい人なんだ」

 

知っている。そんなことは知っている。この約一年を通して、そんなことはよく知っている。

 

「そんな八幡先輩の道を、私が絶ってしまった。私が、邪魔しちゃったんだ」

 

そう言う姉さんの顔は、悲しみと後悔に溢れていた。

 

 

初めて見る、顔だった。

 

 

 

けれど、私はその言葉にどこか言いようのない感情が生まれた。

 

「そんなこと、言わないで」

 

私は、無意識に口に出していた。

 

「・・・え?」

 

「それじゃあ、それじゃあ比企谷先生の『想い』を『覚悟』を踏みにじることになるじゃない!だから、だからそんなこと言わないで!姉さんがそんなことを言わないでちょうだい!!」

 

 

その感情は『怒り』だった。私の、姉さんの発言に対する怒りだった。

 

 

「確かに、彼の道は絶たれたのかもしれない。けれど、けれど、それでも比企谷先生はそれを分かったうえでやった。なら、姉さんがそれを否定するような言い方をしてはいけないわ!」

 

「・・・そう、だね。ごめんね、雪乃ちゃん」

 

姉さんは謝る。

 

「ごめんなさい。姉さんも辛いのに、感情的になってしまって」

 

その姿に、私も少しずつだが冷静さを取り戻した。

 

「ううん。確かに、雪乃ちゃんの言う通りだったから」

 

 

 

「んん!陽乃、まだ雪ノ下に言わなければいけないことが残っているだろう」

 

 

 

お互いに黙ってしまった私と姉さんに気を取り直させるように、平塚先生が言った。

 

「そう、だったね。雪乃ちゃん、さっきの話で気になったことってない?」

 

そう姉さんに訊かれても、心当たりがありすぎる。気になったことなどほぼ全てだ。

 

 

けれど、けれどそうだ。どうしても腑に落ちない場所と何よりも気になっている場所がある。

 

 

「あるわ。それも2つ」

 

「聞かせて」

 

「どうして比企谷先生は『先生』でいられているのか。姉さんの話の通りなら、今頃比企谷先生は雪ノ下建設で働いているはず。もう1つ、」

 

 

 

 

 

 

 

 

「母さんの『依頼』」

 

 

 

 

 

 

 

そう、そこにある。雪ノ下建設での将来を約束したというのなら、今、比企谷先生が先生でいるというのはおかしな話だ。話の通りなら、雪ノ下建設の社員となって母さんに鍛えられているはずなのだ。そして、母さんが比企谷先生に出した条件、或いは『依頼』その2つが気になる。

 

 

 

「そう。その2つが雪乃ちゃんに本当に伝えなければならないこと」

 

そう言い、姉さんは顔を覚悟でいっぱいにした。

 

 

 

 

「お母さんが当時の、いや、比企谷八幡に依頼したこと。それは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪乃ちゃん。『あなたを救うこと』だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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27話 『最後の依頼』

少々語らせてもらいます。興味ないという人はどうぞ本編へ。

過去編というものはどうしてこんなにも書きやすいのでしょうか。それはきっと、現在という結果があるからなのでしょう。だから過程はこんなにも表しやすい。けれど、未来へ進ませるための話は書きにくいものです。なぜなら、未来は決まっていないから。決まっていないから面白い、決まっていないからこそ書きたくなる。道を作ってあげたいと、そう身勝手にも思ってしまうのです。

もし、未来を見ることができたとしても、私は見ないでしょう。どうしてか?だって、『そこに映る自分は今という過去を肯定してやれなかった自分』なのですから。

さて、長くなりましたが最終章です。最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。では


 

「当時のお母さんは、雪乃ちゃんに危機感を抱いていた。ううん、より正確に言うなら危機感を背負っていた。海外へ留学し、なにか新たなことを見つけてもらう・・・これがお母さんの目的だった。けれど、雪乃ちゃんが見つけてきたもの、見出してきたものは想定していたどれよりも最悪のものだった。時折来ていた連絡でお母さんはそれに気が付いていた。しかし、自分ではどうしようもなかった。小学校で起きた苛めに対して、何も行動を起こせなかった自分が今更何かをする資格はあるのか?そう思っていたから。そんな時、ある人が現れた。そう、八幡先輩よ。お母さんは、先輩に自らの娘を託した。ここまで言えばどうして八幡先輩が『比企谷先生』なのか、分かるよね」

 

「私の・・・ため?」

 

「そうだよ。八幡先輩は雪乃ちゃんを救うために自ら教師となることで雪乃ちゃんの居場所へ飛び込んだ。そうでもしなきゃ雪乃ちゃんには近付けないと思っていたから。そして流れるように奉仕部の顧問へと就いた、或いは辿り着いた。全部、全部雪乃ちゃんのため。『雪ノ下』のためだよ。これが真実」

 

全ては、比企谷先生が母さんとの約束のためにしていたことなのだ。教師になったのも、奉仕部の顧問になったのも、私を見てくれて、私を育てて、私を・・・救ってくれたのも、全部全部全部、母さんの依頼を完遂するためだったのだ。

 

 

 

なら、私のこの想いは?彼を知っていると思ったあの感情は?

 

なんなの?じゃあ、今私の中にある『これ』はなんなの?

 

 

「・・・でも、八幡先輩にも予想していなかったことが起きた。母さんも、私も予想していなかったこと・・・それは、雪乃ちゃんに対してある想いが生まれてしまったこと」

 

「・・・え?」

 

私の黒く、重くなっていった思考が一度リセットされる。

 

「八幡先輩は、雪乃ちゃんを見て、育て、理解し、歩んでいく様を見て、雪乃ちゃんに『本物』という想いを募らせてしまった。最初、私は依頼に帰属した想いだと考え、八幡先輩に釘を刺した。けれど、それこそ勘違いだった。八幡先輩は過去にあった私とお母さんの依頼を抜きにして、その上で雪乃ちゃんに対して『本物』を見出していた」

 

「あ、ああ、あ・・・」

 

姉さんからその話を聞いて、私は頭の中がいっぱいになる。思考でも、理性でもない・・・感情でいっぱいになる。感情が私の中を埋めつくし、私を満たしてしまう。

 

「八幡先輩が教師を辞めて、お母さんとの約束のために雪ノ下建設に来ることはもう決まっている。これはどうしようもない。けれど、雪乃ちゃんがどうしたいのか、八幡先輩に何を伝えるべきなのか、それはまだ間に合う。それをよく覚えといて」

 

「・・・姉さん」

 

「ん?」

 

 

 

「ありがとう。私に、話してくれて。本当にありがとう。そして、今までありがとう。私、ようやく見つけたから。もう・・・姉さんに辛い想いはさせないから。だから、だから」

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう・・・大好きよ」

 

 

 

 

 

 

偽りなどない。嘘などない。ここにあるのは欺瞞などではない。これが、私の本心、私だけの想いなのだ。

 

伝えなくてはならなかった、伝えなければならないと思った、言葉にしても伝わらないこともある。けれど、言葉にしなければ伝わらないことだってある。そして、言葉にすればそれは私の中に自然と溢れてくる。

 

 

 

「うん・・・雪乃ちゃん、こちらこそありがとう。こんな姉を好きでいてくれて、ほん、とうに、ありがとう・・・」

 

 

私の前で初めて見せた涙。

 

ああ、私と姉さんはよく似ている。だって、同じ人を好きになり、同じ恩師をもち、そして、

 

 

 

 

 

 

優しさにとても、弱いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下、私からも伝えなければならないことがある」

 

平塚先生が口を開く。

 

「一体、それは?」

 

「本来なら、卒業式の日に『奉仕部』の顧問から部長に伝えることになっているのだが・・・君は特例だ。だから教えよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『奉仕部』とは一体、なんなのかを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、私の予想していなかった言葉だった。奉仕部とはなにか?そんなことは分かっているつもりだ。生徒の悩みを聞き、それを手助けし、解決へと導く・・・そういうところだ。

 

「恐らく、君は『生徒の悩みを聞き、それを解決に導く部』おおよそこんなことを思っているだろう」

 

図星だった。本当にさっき思ったことをそのまま言われてしまった。

 

「確かにそれは間違いではない。しかし、それはあくまで副次的なものであり、本当の目的は別のところにあるんだよ」

 

「本当の・・・目的?」

 

「そう、『奉仕部』とは本来、誰を救うための場所なのか・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは、『奉仕部部長』その人なのだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奉仕部、部長・・・その人?」

 

つまり、それは私であり、比企谷先生のことだ。

 

「比企谷と雪ノ下。君たち二人に共通しているところ、それは『孤独』という点だ。しかし、君たち二人は大抵のことは一人でなんでもできてしまう。故に、他者との関わりというものを必要としてこなかった。だからこそ、君たちは『人と関わることの大切さ』を知らない、知らなかった。だから私は奉仕部という部活を作った。そうすれば、依頼人とそれを受ける側として人との関わりをもつことができる。そういう私からのお節介、またの名を余計なお世話・・・つまり私からのせめてもの『奉仕』そういう意味を込めて『奉仕部』という名前の部活ができた。まぁ、比企谷の場合、それは裏目に出てしまったがな」

 

知らなかった。私は、そんなこと知らなかった。『奉仕部』の名の由来は私たち部長、或いは部員が悩める生徒に奉仕するという意味ではなく、平塚先生から部長に対しての『奉仕』という意味だったのだ。

 

私たちに人と関わる機会をくれ、そこからあらゆる答えを学んでいく・・・それこそが『奉仕部』の在り方。だから、私が二代目で比企谷先生が初代なのだ。私と彼は、独りという点がまるっきり同じだったから。

 

「卒業式の日、比企谷にそれを伝えると『すみません。平塚先生の期待に答えられなくて。でも、あそこで過ごした時間は決して無駄ではなかった。今では一人だけですけど、大切な奴ができました。俺は先生に感謝しかありません。それだけは、それだけは忘れないでください。そして、俺を奉仕部初代部長にしてくれて・・・ありがとうございました』そう言って、笑ってくれたよ。そうだ、比企谷八幡の二度目の笑顔さ」

 

そう言って微笑む平塚先生はどこか儚くて、今にも崩れてしまいそうだった。きっと、平塚先生は後悔をしている。比企谷先生を、比企谷八幡を奉仕部の部長にしてしまったことを、自らの『奉仕』を悔いている。それをやらなければ、比企谷八幡が心に傷を負うことも彼の人生が決まってしまうこともなかったと、そう思っているから。

 

けれど、比企谷八幡は感謝をした。だから、平塚先生は今こうしてそんな笑顔ができる。だったそれだけのことが、平塚先生には嬉しかったのだ。

 

「雪ノ下、私から」

 

「違うよ、静ちゃん。私たちから・・・でしょ?」

 

姉さんが平塚先生の言葉をそう訂正した。姉さんと平塚先生から・・・?

 

「そう、だな。雪ノ下、私と陽乃からの最後の依頼だ。受けるかどうかは任せる・・・だが、受けてほしいと、そう思う」

 

私の恩師と、私の姉からの最初で最後の依頼。私には荷が重すぎる。けれど、そうだ。私が、私がやらなければならないことなのだ、私が、雪ノ下雪乃が、二代目奉仕部部長がやらなければならないのだ、この最後の依頼は。

 

「受けます。依頼の内容を聞かせてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『比企谷を救ってほしい』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、私の高校生活、最後の青春の幕開けとなった。

 

 

 

 

 

 



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28話 そして初代と恩師は

*八幡side

 

 

いつも一人だった。独りであった。

 

それを悪くないと思っていたし、間違っていないとも思っていた。

 

 

 

いつからか、他人と一緒に居ることが怖くなった。

 

他人が怖い、他人との関係が怖い、そして・・・自分自身が一番怖かった。

 

人を真っ直ぐに信頼できず、人に期待しては失望し、勝手に裏切られたかのような気持ちになる。そんな自分が堪らなく怖かった。

 

 

また誰かに傷付けられるのか、それとも、今度は自分自身が他人を傷付けてしまうのか。そんな思考の渦にハマり、俺は独りでいることを望み、受け入れた。

 

 

 

だが、あの人はそれを許してはくれなかった。

 

俺の恩師、平塚先生はそれを許してはくれなかった。

 

『奉仕部』という部活に案内され、俺はそこで高校生活の大半を過ごした。

 

一言で言うのなら、『悪くはなかった』

 

しかし、良いものとも言えない。

 

 

結局、俺は俺が分からなくなるだけだった。

 

 

 

 

 

『八幡先輩』

 

 

 

 

そう呼ぶ、アホな後輩の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

『比企谷先生』

 

 

 

 

 

そう呼ぶ、アホな生徒の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

その2人は、姉妹だ。後輩の姉と、生徒の妹。優秀で、多才で、どこまでも真っ直ぐである姉妹。そんな2人が自分のことを慕ってくれる。先輩として、教師として、俺を慕っていてくれる。

 

 

 

誇らしく、自分の自慢だ。

 

 

 

 

けれど、だからこそまたあの恐怖心が出てくる、湧き出てくる。

 

 

 

 

俺はあの2人を傷つけてしまうのではないのか、もう傷つけているのではないか。そう思えば思うほど、俺は分からなくなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『比企谷』

 

 

 

 

 

 

 

今度は恩師の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷」

 

 

 

 

 

 

 

 

また、聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷」

 

 

 

 

 

 

目の前には、一人の女性が居た。

 

 

 

 

 

 

黒い長髪、女性として優れすぎているほどのスタイル、トレンチコートをスーツの上から羽織、タバコの匂いを纏った女性。

 

 

 

 

 

 

「ここに居ると思ったよ、比企谷」

 

 

 

 

 

恩師、平塚静がそこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、ここだったか」

 

総武高校、特別棟の最上階にある教室。そう、奉仕部の部室に俺たちは居る。

 

「平塚先生、こんな時間にどうかしたんですか?」

 

時刻はとっくに午後9時を過ぎている。

 

「君がここに居ると思ってな」

 

「なら、大当たりですね」

 

「そのようだな」

 

少し微笑んでいる平塚先生。月に照らされているその姿は、まるで別の世界の住人と思うほどに綺麗だった。

 

「なぁ、比企谷」

 

その微笑みのまま、俺の名前を呼ぶ。

 

「なんですか?」

 

その呼び方で分かってしまう。その表情で、その雰囲気で、その声音で、分かってしまった。

 

 

 

今この人は、『平塚先生』なんだと。

 

 

 

「『本物』は見つかったか?」

 

 

その問いは、俺にとっての全てでもあった。俺の望みであり、願いであり、欲望。

 

 

それが、それこそが『本物』

 

 

「・・・分かりません。けれど、見つけられそうな、そんな気がするんです」

 

 

今、俺の中にある精一杯の答えを言う。拙い言葉だが、俺にはそれしかなかった。

 

 

 

「どんなものだと、感じたんだ?」

 

 

 

優しく、暖かい声音。こちらの答えを待っていてくれる、慈愛に満ちた声。

 

 

 

「感情で片付けられないものだと、思います。・・・いや、正確に言うなら感情で分かっていてもそれを言葉で片付けてはならないもの、俺はそう思いました」

 

 

 

 

だからだろうか。俺も、釣られて少しずつ優しい口調になっていく。今まであった心の冷たさが段々と無くっていくように。

 

 

 

 

「そうか・・・きっと、それで正しいのだろう。誰の近くにもあり、しかし誰もがそれに気付くわけではない。そして、仮に気付けたとしてもそれを真の意味で大切にできるものばかりでもない。自分には大き過ぎるから、自分の身には余ってしまうから、自分には相応しくないから、自分だと・・・理解できなかったから。そんな理由で手放してしまうものでもある。だからこそ、求めてしまう。そんな自分は、嫌だから」

 

 

 

「・・・そんな自分を好きになりたいと、思うから」

 

 

 

平塚先生の言葉に、俺は続けるように呟く。逃げるための理由を考えて、逃げるための道を探す。それが俺の知っている『比企谷八幡』だった。そんな自分が、たまらなく嫌いだ。自らの感情には正直でいられず、必ず誤魔化していた、必死で言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

けれど、心のどこかで自分のことを好きになりたいと思っていることに気付いた。

 

 

 

 

 

「誰しもが抱える苦悩だ。私も、君と同じように『本物』を求めた時期があった」

 

 

 

 

 

 

その言葉に、俺は耳を疑った。平塚先生が、俺と同じものを?

 

 

 

 

 

「欲しかったんだ、何にも劣らない『かけがえのないもの』が。そんなありきたりなものを、本気で求めたんだ」

 

 

 

 

 

「・・・それは、見つかったんですか?」

 

 

 

 

 

平塚先生は、窓の外にある月を眺めながら口を開き、俺に答えを聞かせてくれた。

 

 

 

 

「ああ。分かったんだよ。私にとっての『かけがえのないもの』は紛れもない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『私自身』だったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平塚先生、自身?」

 

その答えを聞き返す。

 

「そう。私自身、それこそが私にとっての『かけがえのないもの』であり『本物』だった」

 

「理由を、聞いてもいいですか?」

 

その答えの理由が、俺は知りたかった。その答えに至った理由を、知りたいと思った。

 

「・・・それは、自分で探すものさ。私と君の『本物』は違うのだから。私の理由は私だけのものだ。そして同時に、君の理由も君だけのものだ」

 

実に彼女らしい言葉だった。俺が高校生の頃からこの人は明確な答えをくれなかった。代わりに、答えよりも大切なヒントをくれる。とても大切なことを、沢山教えてくれた。

 

 

「ここで過ごした時間は君にとっての『かけがえのないもの』になれたか?」

 

 

答えなど決まっている。言うまでもないし、今更言葉にする必要も無いほどに、決まりきっている。

 

 

「ええ。もちろんです」

 

 

けれど、言葉にする。文字に起こす。それも『ここ』で教わったことだ。言葉にしても伝わらないこともあるし、伝えきれないこともある。

 

でも、それでも、それを分かっていたとしても・・・

 

 

 

 

言葉にしなければ伝わらない。伝わらないとしても、伝えきれないとしても、言葉にしなければいけない。そうやって想いを、自らを言葉にしなければ何も伝わらない。

 

 

 

 

そうでなくては、『本物』と呼べないから。

 

 

 

 

 

「それは、よかった。本当に、よかったよ」

 

 

 

 

 

 

平塚先生の瞳から、一筋の涙が零れていく。生涯において、この人の涙を見る日が来るとは思っていなかった。

 

 

 

それが今は、こうして現実のものとなった。アホ後輩から聞いたことがある。この人の涙は、今まで見てきたどんなものよりも綺麗で、美しかったと。

 

 

 

「比企谷・・・君さえよければいつでも戻ってきて」

 

 

 

「駄目ですよ、先生。それ以上は、駄目です。約束、ですから。アイツと、アイツのための・・・『依頼』ですから」

 

 

 

 

俺は『ここ』を出る。そうして、今までの俺との別れをする。

 

 

 

「最後に『ここ』で話せたのが、平塚先生・・・あなたで本当によかったです。あり、がとう・・・ござ、い、ました」

 

 

 

 

「比企谷・・・お前、『それ』」

 

 

 

 

久しく溢れたのは、涙だった。もう流れないものだとばかり思っていたのに、俺の瞳からは涙が流れていた。

 

 

 

 

 

「すみません・・・最後の最後にこんなのを見せてしまって」

 

 

 

 

拭いながらそう言うが、涙は止まることがなかった。止めることが、できなかった。

 

 

 

 

「いいよ。それで、いいんだよ。私には、とても嬉しいものなんだよ」

 

 

 

「ひら、つか、せんせい・・・本当に、ありがとう、ございました」

 

 

 

 

「・・・教師をやっていて、本当によかったよ」

 

 

 

 

頭を撫でられていた。それを振り払おうともせず、俺はただ、撫でられていた。

 

 

 

 

「俺も、先生の生徒で・・・よかっ、た、です」

 

 

 

 

 

 

かつて、優しさを嘘と言った男が居た。

 

 

 

かつて、人の優しさを信じきれなかった男が居た。

 

 

 

 

だが、今その男は、人の優しさに触れた。『本物』の優しさに、触れた。

 

 

 

 

だから、彼はもう優しさを嘘とは思わない。

 

 

 

だから、彼はもう人の優しさを信じきれないわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにあるこの『優しさ』が、偽物で紛い物なわけがない。欺瞞であるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっとこれは『かけがえのないもの』なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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29話 先輩と後輩

 

「ひゃっはろー」

 

夜、駅前を歩いているとなんともアホらしい挨拶をされた。

 

「まだそんな挨拶してんのかよ、アホ後輩」

 

そんな挨拶をしているのは由比ヶ浜とコイツしか居ないので、消去法でコイツということはすぐに分かった。

 

「もちろんだよ!八幡先輩もやる?」

 

「いやだ」

 

「即答!?」

 

やるわけねぇだろ。

 

「で、なんか用でもあんのか?」

 

先程からニヤニヤしているので真意を尋ねる。よく良く考えればコイツがニヤニヤしてんのはいつものことか。

 

「八幡先輩と話でもしようかなって」

 

「そうか。んじゃ、そこのドーナツ屋にでも入るか」

 

そう言って、交差点の向こう側にあるドーナツ屋を指差す。

 

「いいね!ごちそうさま!」

 

「・・・はぁ、しゃあねぇな」

 

まぁ、年上である以上は奢ってやるか。偶には先輩らしいこともしねぇとな。

 

 

 

 

 

「で、なんの話をしに来たんだ?」

 

ドーナツを頬張っている彼女に尋ねる。

 

「決まってるじゃん。八幡先輩のこれからだよ」

 

まぁ、そりゃそうか。俺の身の話こそが最大の話題だわな。

 

「・・・いや、その話はいいだろう」

 

「は?いやいや、それこそ」

 

アホ後輩はドーナツを頬張りながらも真面目な口調。本当に器用なやつだ。

 

「俺だって、お前の話が聞きたいこともあるんだよ」

 

「・・・え?私の話?」

 

「そう。お前の話を聞かせてくれよ。そんな暇、最近なかったからな」

 

俺の話なぞし飽きたし、いい加減聞き飽きてくるだろう。

 

「ふむ・・・しょうがないなぁ」

 

2つ目のドーナツに手を出しながらニヤニヤする。なんだお前それムカつくな。

 

ともあれ、アホ後輩の話が始まった。

 

 

*side陽乃

 

「うーーん・・・そうだ、最近大学のミスコンで優勝した」

 

「うわぁ。まぁ納得か」

 

相変わらず失礼な人だ。これでも、大学では完璧で親しみやすい美人で有名なのだ。

 

「でしょでしょ。でね、それから私に告白する人が増えた」

 

「可哀想だな・・・お前に告る奴が」

 

「それどういう意味かな?」

 

最大限の笑顔を貼り付ける。すると、八幡先輩は苦笑いを返してくる。なんだか大人の対応をされたみたいで悔しい。

 

「中身が厄介だからなぁ」

 

「もう!そんなわけないでしょ。中身も可愛い私だぞ」

 

「そーいうところだよ。で、誰かお眼鏡に適う人は居たのか?」

 

「はっはっはっ、ご冗談を」

 

そんな人は居ない。元より、私のお眼鏡に適う人なんて後にも先にもあなただけだ。私を救ってくれた、八幡先輩だけ。

 

「でも、いつかは見つかるといいな。そんな奴がよ」

 

「ほんっとそういうとこ嫌い」

 

気付いているくせに。分かっているくせに。あなたはそんなこと、とっくに知っているくせに。

 

「はいはい」

 

笑いながらコーヒーを飲む仕草はやっぱり大人びてて、彼と私の間にある壁を感じてしまう。

 

「他にはどんなことがあったんだ?」

 

彼は私の話を楽しみにしていてくれる。それが嬉しくて、でもどこか悔しくて、私の心を容易に掻き乱す。

 

「雪乃ちゃんと買い物に行ったことかな」

 

「随分仲良くなったみたいだな」

 

雪乃ちゃんの名前が出た途端に少し表情を変える。ああ、どうして私がその立場ではないのだろうか。

 

「まぁね」

 

彼との過去を話した後から、私と雪乃ちゃんの仲は昔に戻っていた。2人で笑って、遊んで、対等に意見を言い合える・・・そんな、当たり前の仲に。

 

「似た者同士だからな、お前ら。どっちもアホだし」

 

「雪乃ちゃんもアホ呼ばわりなんだ・・・」

 

彼からしてみれば、きっとそうなのだろう。今日もあなたには勝てないのだと悟る。

 

「まぁな。でも、年下がアホってのは案外良いもんなんだよ。そっちの方が頼られ甲斐があるからな」

 

「・・・ほんと、ずるい」

 

もうこれ以上、あなたに頼りたくなんてない。これ以上、あなたに迷惑なんてかけたくない。なのに、そう言われてしまうと甘えてしまいそうになる。あの日から、決めたはずなのに。

 

「ああ、俺はずるい奴だよ。大人だからな」

 

そうやって私を安心させてくれるのは、昔から変わらない。本当は変わっていてほしかった。

 

「・・・さて、じゃあそろそろ出るか」

 

「うん」

 

気付けば、私と彼のカップは空になっていた。

 

 

 

 

近くにある公園のベンチに、私たちは座った。

 

「冷え込んできたな」

 

「うん。もう、年が変わるね」

 

「・・・ああ」

 

『年が変わる』それは、彼が教師でなくなってしまうことを意味している。

 

「思えば、短い1年だったよ。教師になって、奉仕部の顧問になって・・・色んなことがあった。正直、大変なこともあった。けれど、雪ノ下とお前のことを思えばそれくらいわけのないことだった」

 

「雪乃ちゃんだけじゃなくて、私も?」

 

そこに登場するのは雪乃ちゃんだけのはずだ。彼は『雪ノ下雪乃を救う』ために教師になった。だから、そこに私が居るはずがない。

 

「当たり前だろ。お前の依頼、俺はあれを解決できなかった。もしも俺が失敗したら・・・それを考えるとお前が出てくんだよ。あの嫌な笑顔をしたお前が」

 

『嫌な笑顔』それは私の仮面のことをさしているのだろう。確かに、彼は『それ』を嫌がっていた。

 

「最初にお前を見た時、俺は気分が悪くなった」

 

「悪口かな?」

 

「ちげぇよ。お前にそんな笑顔をさせていることに、だよ。なんで俺よりも年下の女の子がそんな笑顔をしているんだ。なんでそんな取り繕わせてるんだって、世の中に思ったんだよ」

 

その言葉を聞いて、私の目頭が熱くなっていくのを感じる。ダメだ、あれ以来私の涙腺は緩みっぱなしだ。

 

「だから、そんな笑顔は二度とさせねぇって思ってまた頑張れるんだよ」

 

「・・・」

 

このままでは、零れてしまう。目から、感情が溢れてしまう。

 

 

 

 

「なぁ、『雪ノ下』。お前は、今が楽しいか?」

 

 

 

その呼び方で、分かってしまう。この人は、『八幡先輩』なんだって。私を『アホ後輩』と呼ぶ彼ではなく、あの時の『八幡先輩』そのものなんだと。

 

 

 

「うん・・・すっごく楽しいよ」

 

 

「そっか」

 

 

あの時と変わらない優しい笑み。私を救ってくれた時と、同じ笑み。

 

 

 

「ちゃんと、お前の人生を歩めてるか?」

 

 

 

 

「うん・・・八幡先輩が取り戻してくれた私の人生、ちゃんと歩んでるよ」

 

 

 

私を心配してくれているところも変わらない。慈愛に満ちた瞳。

 

 

 

「私ね、夢があるんだ。ようやく見つけた、私の夢。大切な、夢」

 

 

 

「聞かせてくれるか?」

 

 

 

なら、私は彼を安心させてあげたい。もう、心配しなくていいと、伝えよう。

 

 

 

 

 

「私ね・・・教師になりたいんだ」

 

 

 

 

 

もう、迷っていないんだって伝えたい。あなたが救った子は、もう心配いらないんだって教えたい。

 

 

 

 

「多分ね、私みたいな人って私みたいな人じゃないと分かってあげられないんだ」

 

 

 

「うん」

 

 

 

優しい声音で、私の夢を聞いてくれる。

 

 

 

 

「だから、私が今度は救う番なんだと思うの。それが、私がやりたいことであり、私のやるべきことだと思うんだ」

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

私は、あなたに救われた。今度はその私が、『私』みたいな人を救う番だって思う。それが、1つ目の恩返し。

 

 

「それでね、生徒を大切にしたいんだ」

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

八幡先輩が、雪乃ちゃんを大切しているように。

 

 

 

「それでね、担任をするようになって、クラスを大切にしたいんだ」

 

 

 

「うん」

 

 

 

八幡先輩が、奉仕部を大切にしているように。

 

 

 

「それでね、それでね」

 

 

 

段々と、目の前が霞んでボヤけていく。

 

 

「ちゃんと最後まで聞いてるよ」

 

「う、ん」

 

 

頬に、熱いものを感じる。ああ、遂に溢れてしまった。私の涙が、また溢れてしまった。

 

 

 

「それ、で、ね、『比企谷先生』に、褒め、られて、ね」

 

 

 

「うん」

 

 

 

この人の前で、私はまた涙を流してしまった。けれど、それでも彼は変わらず私の夢を聞いてくれる。

 

 

 

「それで、ね、はち、ま、んせん、ぱい、に・・・みと、めて、もらうん、だ」

 

 

 

「うん」

 

 

言葉も段々と途切れ途切れになる。でも、まだ紡ぐことを止めてはいけない。ちゃんと、彼に伝えるんだ。

 

 

「それ、で、ね・・・せい、と、から、あり、がと、う、って、いわれ、るん、だ」

 

 

「うん」

 

 

私が、八幡先輩に感謝しているのと同じように。

 

 

 

「それ、で、それ、で・・・はち、まん、せん、ぱ、い、に、もうい、っかい、ありが、と、う、って、つた、えるん、だ」

 

 

「うん」

 

 

 

 

「これ、が、わたし、の、ゆ、め」

 

 

 

 

もう涙が止まらなかった。私はもう、過去の強さをもたない。けれど、それが不思議と心地よかった。その弱さが、愛おしくて愛おしくて堪らない。

 

 

「ああ・・・なれるさ、今の『陽乃』なら」

 

 

「・・・え?」

 

 

頭を撫でられていた。そして、今、私の、名前。

 

 

「絶対に、なれる。見せてくれよ、立派な先生になってるところを」

 

 

「うん、うん・・・ぜっ、たい、なるん、だ」

 

 

「ああ。信じてるからな」

 

 

 

 

 

 

彼の手は、とても大きくて、優しかった。その暖かさは、彼の心のようで、私にもその熱が伝わってきた。

 

 

ああ、そうだ。彼はいつだって私に希望をくれる。光を見せてくれる、教えてくれる。

 

 

私が仮面を被り、その光を遮ろうとも、彼はその仮面をやさしく取ってくれる。

 

 

素顔の私を、認めてくれる、見てくれる、見つけてくれる。

 

 

弱さを与えてくれるのが、嬉しくて仕方なかった。私の弱いところを知ってなお、変わらずに接してくれるのが、嬉しかった。

 

 

『ちゃんと、お前を知っているからな』

 

 

そう言ってくれてるような気がして、安心できた。

 

 

 

そうだ。

 

 

 

そうだった。

 

 

 

 

 

 

だから、私はあなたが好きなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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30話 二代目は辿り着く

平塚先生と姉さんから『最後の依頼』を受けた。その内容は『比企谷八幡を救う』こと。

 

私にそれができるのかと問われれば、答えは『分からない』としか言えない。

 

私に、それが可能なのかが分からない。

 

 

 

そもそも、私は比企谷先生のことを何も知らない。何も知らないわけではないが、それでも彼を知っているとは言えない。

 

彼が何を思って生きているのか、何を考えているのか、私には分からないことだらけだ。

 

 

 

しかし、それでも、この依頼だけは完遂しなければならない。

 

今の私には、後ろを向いている時間はないのだ。

 

 

 

『今は迷い、悩み、自分の決めた道を進め。後ろを振り返るのなんていつだってできるんだから』

 

 

 

かつて、彼に言われたことだ。

 

 

そうだ。立ち止まって後ろ見るのなど、いつでもできる。

 

 

だから、今は前を向いて進むしかない。それが前なのかは分からない・・・けれど、それでも、私は進む。

 

 

 

そうでなくては、私は私を誇れない。

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスイベントも過ぎ、学校の雰囲気は冬さながらの寒さを醸し出していた。

 

放課後の部室、私はそこに居た。由比ヶ浜さんは冬休みに補習が入らないように先生から渡された課題をする、と言い今日は休みだ。

 

 

 

比企谷先生も姿を現さない。

 

 

 

冬休み前は忙しいのだと・・・自分に言い訳をする。

 

 

 

故に、ここには私以外は誰も居ない。

 

 

 

 

「雪乃せんぱぁい」

 

 

 

 

はずだった。

 

 

 

 

「どうして生徒会長のあなたがここに居るのかしら?」

 

 

「暇なんですよ〜」

 

 

我らが生徒会長、一色いろはが何故かここに居た。

 

 

 

 

 

「比企谷先生は今日も来ないんですね」

 

一色さんが呟く。

 

「彼だっていつもここに来る訳では無いのよ」

 

一色さんに言ったはずなのに、自分の心に突き刺さる。それはさっき自分に向けた言い訳と同じだ。

 

「・・・なんか、分かっちゃうんですよね。私」

 

「・・・え?」

 

静かに、けれどそれは熱を持って発せられた言葉だった。

 

「先生のことは分かりませんけど、雪乃先輩のこと」

 

その瞳は、私に向けられていた。私を映していて、私を見ていた。大きく見開かれているわけではない、なのにその瞳からは様々な意志を受け取れる。

 

「なにか、あったんですよね。それも、すごく大切なこと」

 

気付かれた。平静を装い、何も無かったかのようにしていたにも関わらず、悟られていた。彼女は、分かっていた。

 

「それに、暇だからここに来たわけではありません。あれ、ただの言い訳です。本当は、ここに話をしに来ました」

 

『話をしに来た』彼女はそう言った。ここで言うところの話とは、つまるところ『依頼』となる。

 

「今の雪乃先輩見てたら、言わなきゃいけないって思いました」

 

「・・・聞かせて、あなたの話」

 

覚悟が伝わってくる。その瞳、その表情、その声音、そこからは紛れもない覚悟が伝わってくる。

 

だから、それに応えよう。あの『依頼』も大切だが、それでも、目の前に居る可愛い後輩の話を聞かないわけにはいかない。聞いて、聴いて、訊いて、見つけよう。今の私を、今の雪ノ下雪乃を、もう一度見つめ直そう。

 

 

迷って、彷徨って、歩き続けて、走り続けて、恥を知っても、悔しくなっても、苦しくなっても、疲れ果てて、それでも、果てまで行こう。そう、誓ったのだから。

 

 

 

「生徒会室を整頓していた時、こんなものを見つけたんです。多分・・・いえ、絶対にこれは雪乃先輩が見なければならないと思ったので、持って来ました」

 

一色さんの手には、一冊のノートがあった。

 

 

『奉仕部活動帳』

 

 

「これ、は・・・」

 

過去の奉仕部のもの、つまり、比企谷先生が部長だった頃のものだ。

 

「それだけじゃありません。そのノートの裏を見てください」

 

そう促され、ノートをひっくり返して裏を見る。

 

そこには、綺麗な字で名前が綴られていた。

 

 

『比企谷小町』

 

 

「比企谷・・・」

 

「はい。先生と同じ苗字です」

 

名前からするに、恐らく女性で間違いないだろう。けれど、彼の他に部員が居たという話は聞いたことがない。

 

「比企谷先生の親族の方だと思います」

 

「ええ。それで合っていると思うわ」

 

ある確信があった。あれは夏休み、千葉村での合宿の日に彼が言った言葉だ。

 

 

『妹に昔しててつい、な』

 

 

彼は、私の頭を撫でながらこう言った。もし、もしこの予想が正しいのならば、小町さんという方は間違いなく比企谷先生の妹に当たる人物だ。

 

「それでですね、私も気になって、この人の名前を調べたんです」

 

一色さんが何気に優秀なことは知っている。彼女も行動が早くて本当に助かる。今必要なのは、情報だ。

 

「そしたら、名前がちゃんと残ってたんです」

 

「まぁ、卒業名簿に辿りつければ流石に見つかるわよね」

 

比企谷先生は新採用の教師、その妹だとするのなら名簿が残っていてもおかしくない。

 

「違います。そこじゃなかったんです」

 

「他のところに残っていた?つまり、この小町さんは何か名を残すようなことをしていたということ?」

 

「はい。私の前で、城廻先輩の前、こう言えば分かりますね?」

 

一色さんの前が城廻先輩、それはつまり、生徒会長・・・その前ということは、まさか。

 

「生徒会長」

 

「そうです。先々代の生徒会長です」

 

「・・・」

 

待て、待つのよ雪乃。それはつまり、姉さん以外にも頼れる人が居るということ?つまり、つまり、まだ可能性は残っているということ?

 

「とするのなら、城廻先輩は」

 

「この小町さんという方を知っている可能性があります」

 

居た。私の知らない彼を知っている存在に、近い存在が。居たのだ、まだ、ここに居るのだ。

 

「・・・行くわ」

 

「雪乃先輩?」

 

ならもう、やることは決まった。今の私が歩む方向、即ち、前という方向が分かった。

 

「城廻先輩の所へ、行くわ」

 

「雪乃先輩ならそう言うと思いました」

 

「ありがとう、一色さん」

 

この情報が得られただけでも、前と全く違う。指針も、先も、正しいのかも分からなかった時とはまるで違う。

 

「やはりあなた、私の後輩ね。それも、とびきり頼れる可愛い後輩よ」

 

「あ、ありがとうござい、ます」

 

照れてしまったのか、頬に朱を差しながら呟く。いつものあざとい態度ではなく、そちらの方がより良く映るわよ。

 

「って、まだ話は終わってません」

 

「・・・ごめんなさい。焦り過ぎたわ」

 

「い、いえ。それで、ですね、これを踏まえた上で依頼があるんです」

 

ノートを掲げて真っ直ぐに見つめてくる。その頬には未だに朱が残っているがそこはご愛嬌。可愛い後輩として野暮なことは言わない。

 

「私を、この小町さんという方に会わせてほしいんです」

 

理由は・・・聞く必要はない。大体、分かっている。

 

「その依頼、受けるわ」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

一色さんからノートを受け取り、私は3年の教室へと向かった。

 

 

 

 

「城廻先輩」

 

一色さんが連絡をして、教室で待っていてもらっていたらしい。本当に頼れる後輩だ。今度、彼女の分のカップを持ってこよう。

 

「一色さんから話は聞いてるよ〜。と言っても、あんまり詳しくは聞いてないんだけどね」

 

相変わらずのふわふわしたオーラを放っている。

 

「時間、ありがとうございます」

 

「大丈夫だよ。推薦で進学先は決まってるし、時間あるから」

 

「では、単刀直入に訊きます。比企谷小町という名前に覚えはありますか?」

 

彼女の目は、見開かれた。その後、直ぐに安堵するかのような優しい笑みになった。まるで、何かを悟ったかのような、そうだ、これは姉さんがしていたものだ。何かの通りに物事が進んだ時にしていた、あの表情だ。

 

「知っているよ。私、実は生徒会長になったのが1年生の頃でね、それで小町さんによく色々と教えてもらってたから。でも、そっか・・・小町さんが言った通りになった」

 

「言った通り?」

 

その名が出て来たことに驚きはなかった。だが、問題はその後だ。『言った通りになった』つまり、小町さんは、私が城廻先輩に辿り着くことを予期していた?

 

「うん。小町さんが卒業する時にね、『雪ノ下雪乃という人が、私のことを尋ねて来たらよろしくね』って。あの時はなんの事だか分からなかったけど、こういうことだったんだ」

 

全く、なんとも恐ろしい兄妹だ。兄があれならば、妹もなのね。私がこうすることも、どこかで分かっていたのだ。必ず、兄のために自分を尋ねてくることを。

 

「それでね、ある質問をしてとも言われてる」

 

「質問、ですか」

 

「うん。その答えが小町さんの望む答えだったら、繋げてって頼まれてるの」

 

比企谷先生の妹の出す質問、それは恐らくだが全身全霊を以って答えなければいけないものだろう。なにせ、ここまで読んでいた人なのだから。

 

「じゃあ、その質問をするね」

 

「はい」

 

覚悟を決め、質問を待つ。

 

 

 

 

 

「『あなたにとって、お姉さんはどんな人?』」

 

 

 

 

 

・・・ああ、そうか。そこまで読まれてしまっていたのか。私があなたに辿り着くためにはそれこそが必要なことだったのか。あなたも兄を持つ者として、そしてその兄は、私の姉のために人生をかけた。

 

 

だから、その姉を私への試練としてぶつけたのだ。

 

 

 

『あなたには、あなたのお姉さんが分かっている?ちゃんとお姉さんのことを知っている?』

 

 

 

そう、問い質すため。あなたの兄の、誇りとして。

 

 

なら決まっている。そんなの決まっている。私の姉、雪ノ下陽乃がどんな人で、どんな思いをしていたのかなんて、分かっている。知っている。つい最近だけれど、ちゃんと、見つけたから。ちゃんと、認められるようになったから。

 

 

 

 

「決まっています。優秀で、完璧みたいな人なのに、そのくせ寂しがり屋で、結局お人好しで、シスコンで、笑顔と涙が綺麗な、自慢の姉です。私の、大好きな家族です」

 

 

 

「・・・うん。合格」

 

 

 

少し恥ずかしくなって来た。けれど、いい。後で同じくらい姉さんを恥ずかしがらせればいい話だもの。

 

 

「じゃあ・・・はい」

 

 

 

城廻先輩は、1枚のメモを渡してくれた。

 

「ありがとうございます」

 

そこには、電話番号が書かれていた。

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

「はい」

 

 

 

教室から出て、渡り廊下に立つ。

 

 

『はい、もしもし』

 

携帯に番号を打ち込み、電話をかけると相手は出た。

 

「こんにちは。雪ノ下雪乃です」

 

『・・・なるほどね。比企谷小町です。よく辿り着きました』

 

相手は小町さんで間違いないようだ。

 

「それで」

 

『これから言うところに来てください。その手にあるであろう、ノートも一緒に』

 

このノートのことも彼女の読み通りだったのか。本当に、流石だわ。

 

「はい。分かりました」

 

 

 

 

ようやく、ここから始められる。待っていなさい、比企谷先生。必ず、あなたを・・・

 

 

 

 

 



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31話 初代の始まり

「改めまして、比企谷小町です」

 

「雪ノ下雪乃です」

 

あの電話の後、私は小町さんに言われた場所・・・つまるところファミレスに来ていた。イタリアンを主とした、手頃な値段のあそこだ。

 

ちなみに、一色さんには後で会わせるということで話がついている。今は彼女と2人で話さなければならないことがあるからだ。

 

「なるほど・・・確かに、陽乃さんにそっくりですねー」

 

「姉さんのこと、どれくらい知っているんですか?あと、敬語はいらないですよ」

 

あなたの方が歳上なので、私に対して敬語を使う必要はない。

 

「言われてみればそうだね。じゃあこれでいこうかな」

 

納得していただけた様子。その方がこちらもやりやすい。

 

「陽乃さんのことなら、まぁそこそこ知ってはいるよ。陽乃さんは私の1つ上だからね、高校の先輩でもあるわけだ」

 

「なるほど・・・」

 

「仮面を被っていたところとか」

 

「っ!!」

 

その言葉に、目が見開いていくのを感じる。あの質問からそうではないのかと思ってはいたが、やはり分かっていたのか。

 

「まぁ、それはいいとして。雪乃さんが私に訊きたいことって、それじゃないよね?」

 

「・・・はい」

 

鞄の中にあるノートを取り出す。一色さんが持ってきてくれた、彼への確かな手掛かり。

 

「そうそう、これこれ。いやぁ〜久しぶりに見たなぁ」

 

ノートを手に持ち、笑いながらそれを見ている。

 

「これを書いたのは、小町さんで間違いないんですよね?」

 

「そうだよ」

 

「でも、解せないところがあるんです」

 

このノートと、先程言われた彼女の発言から私には疑問が生まれていた。

 

「言ってみて」

 

「小町さんが入学した時点で、比企谷先生はもう既に卒業していますよね?」

 

「・・・その通りだね」

 

そう、小町さんの年齢は姉さんの1つ下。つまりそれは比企谷先生とは3歳差があるということだ。そうなると、3年間で卒業となる高校では入れ違いが起きる。彼女が彼の記録を書くことはできないはずなのだ。

 

「簡単な話だよ。小町は奉仕部の話を、ひいてはお兄ちゃんの高校生活の話を大体聞いているから書けたんだよ」

 

「それって」

 

「お兄ちゃんからと、あともう2人から」

 

その2人の予想はついている。彼と関わり、彼を知っている人など、あの人達で間違いない。

 

「姉さんと、平塚先生ですね」

 

「正解」

 

ニッコリと満足そうな笑みを浮かべ頷く。その時、揺れたアホ毛が彼と重なる。本当に、2人は兄妹なんだ。

 

「あともう1つ」

 

「何故これを残したのか?でしょ」

 

「はい」

 

何故小町さんは『奉仕部活動帳』というノートを書き、それを生徒会室に置いて行ったのか。私とあなたを繋げるためだったと仮定しても、それは少し弱い。もし一色さんが見つけていなければ、私はこのノートの存在自体知らなかったのだ。

 

「それはね、誰かに知ってもらいたかったからなんだ」

 

「・・・比企谷先生のことを、ですか?」

 

「うん。お兄ちゃんがどういう人なのか、お兄ちゃんがどんなことをしたのか、それを誰かに知ってもらいたかった。『私達』のそんな願いからこのノートを残したんだ」

 

「私達?それって、姉さんですか?」

 

「違うよ」

 

「平塚先生、ですか?」

 

「そうだね」

 

平塚先生と、小町さんがその願いのためにノートを残した。それは、誰でもよかったのだ。姉さんでも、私でも、本当に誰でもよかったのだ。ただ、比企谷八幡という1人の生徒が居たというそれだけを伝えるために。

 

「けれど、それが雪乃さんだったらな。そう願ってもいた」

 

知らず知らずのうちに、私はもう1人からも期待をされていたというわけだ。それも、彼の妹から。

 

「電話で、『そのノートも一緒に』って言ったでしょ?あれも結構賭けてたんだよ。これで違かったら恥ずかしかったなぁ・・・でも、持っていてくれたからポイント高い!」

 

「え、ええ」

 

そのポイントとは一体なんなのだろうか?貯めると何かいいことでもあるのだろうか?まずいわね、なんだか混乱してきたわ。とりあえず、貯める方針でいきましょう。

 

「まぁそれはこの辺にして、これは雪乃さんが見つけたの?」

 

「いえ、後輩の生徒会長が見つけました」

 

「1年生で生徒会長、めぐりと一緒だ。へぇ・・・そっか」

 

目を細めながらノートを撫でる。な、なんだろう、少しだけ姉さんと同じような気配がした。

 

「その子、比企谷先生の助言で生徒会長になったんです」

 

「お兄ちゃんの助言?なるほど、それでか」

 

「え?」

 

後半、聞き取りにくかったので聞き返す。

 

「いえいえ、こっちの話。さて、じゃあ次は小町から話をしましょう」

 

「はい」

 

 

この時を、待っていた。比企谷先生を姉さんよりも、平塚先生よりも近くで見てきた彼女の話、それを聞くことを今日は望んで、臨んできたのだ。

 

 

「ノートを開いてみてください。そこに、全ての始まりがある。小町があなたにする話、その答えがそれだよ」

 

小町さんに促され、渡されたノートの1ページ目を開く。そこには、1枚の原稿用紙が挟まっていた。シワが多く、少しだけ色味が変わっているその用紙にはこう書かれていた。

 

 

 

『高校生活を振り返って 2年F組 比企谷八幡』

 

 

 

「その作文を平塚先生に提出したことが、奉仕部の、お兄ちゃんの高校生活が始まった瞬間」

 

2年生が始まった時、私もこれと同じものを書いたことがある。それと同じ、もの。

 

「小町がする話は、お兄ちゃんの高校生活、即ち奉仕部でのお兄ちゃんの話。だから、そのノートを持っていてくれて本当に助かった」

 

小町さんの目は先程までの笑みではなく、真剣そのものになっていた。それに倣い、私も覚悟を決める。

 

「平塚先生、陽乃さん、お兄ちゃんの話を基に限りなくお兄ちゃんの視点に近づけて話すね」

 

「お願い、します」

 

姉さんが私にしなかった、いえ、『できなかった』彼の話。『比企谷八幡先輩』でも『比企谷八幡先生』でもなく、『初代部長の比企谷八幡』としての、彼の話。

 

 

かつて、その一端を平塚先生に聞いたことがある。

 

『彼は自分を切っていた』

 

かつて、比企谷先生からその理念を聞いた。

 

『魚の居場所を教える』

 

 

その彼が辿ってきた、奉仕部の始まり。

 

 

 

 

 

*八幡(小町)過去side

 

『高校生活を振り返って 2年F組 比企谷八幡』

 

 

高校生活とは、一般的に青春の象徴として扱われることが多い。その高校生活の中で私が見つけたものと言えば、あらゆるものは欺瞞で成り立っているということだ。

生徒同士の関係を例に挙げれば、グループなどがある。誰か中心にし、その他を取り巻きとする。多くの人が居ることからまるで良いことと受け入れられそうだが、その実態はどうなのだろうか?

 

主君と従者、その関係は正に立場として成り立っていると考えられないだろうか。

 

そこにあるのは理解ではなく、憧れ。集団であり、そこに属し、則し、多勢というものに憧れる慟哭そのもののようだ。

 

 

憧れは、理解から最も遠い感情。

 

 

とある漫画であったセリフだ。それに沿っていいのならば、そのグループも所詮は理解し合えない烏合の衆でしかない。

 

それを、欺瞞と言わずしてなんと言うか。

 

 

しかし、対する私はグループに属するどころか親しい者すら居ない。その欺瞞ですらも手に入れることができない。なんとも皮肉な話だ。

 

 

いっそのこと、砕け散ればいいのに。

 

 

 

「砕け散るのは君の方だ。比企谷、私が出した課題は何だったかね?」

 

高校2年生に進級した俺は、ある日の放課後に平塚先生から呼び出されていた。

 

「『高校生活を振り返って』という題でしたね」

 

「分かっているというのに何故こうなった?」

 

「解っていなかったのでは?」

 

「文字にしなければ分からない屁理屈を言うな」

 

流石現代文の教師、これくらいの言葉遊びは通用するか。

 

「で、何故こうなった?」

 

平塚先生は作文を机に置くと、その目をこちらに向ける。

 

「最近の高校生はこんな感じですから、それを振り返ってみたんですよ」

 

群れて横暴に振る舞う者たちを見て、或いは思い出して呟く。多勢に無勢、誰もが分かりきっている言葉だからこそそれは説得力を持つ。

 

「そしてその欺瞞が君の得たもの、と?」

 

「正確には欺瞞と解ったことですかね」

 

「・・・はぁ。そういうものでもないぞ、世の中。君からすれば欺瞞に映るだけであって、当人達はそう感じていない。主観と客観というやつ・・・いや、君の主観でしかないという話だ」

 

「まぁ、結局はそういうことですね」

 

そう、それは俺の主観でしかない。俺がそう感じ、そう思い、そう受け取っているだけの話。もっと穿った言い方をすれば、俺の思い込み。

 

「文系科目の成績だけで言えば、学年トップの君だ。やろうと思えば、こんな作文よりもっと綺麗なものが書けただろう?」

 

机に置いた作文を指でトントンとつつきながら分かりきった質問をしてくる。

 

「ええ、まぁ」

 

「それに、君のことだ。私がこれを見たら君を呼び出すことくらい分かっていただろう?だからもう1回訊くぞ、何故こうなった?」

 

俺はこの人に目をつけられている。最初は文系科目の成績がトップであることから目をかけてもらっているのだと思っていたが、そうではなかった。

 

『君の目だよ。それが私が君を気にかける理由さ』

 

以前尋ねた時に、こんなことを言っていた。そこから、漫画の話をしたりラーメンを食べに行く仲になったというのは・・・また別の話か。

 

「・・・多分、何かを変えようとしてるんだと思います」

 

平塚先生の目は、大きく見開かれた。当然だ、俺は前に『変わることは逃げ』と言っていたのだから。

 

「君からその言葉が出るとはな」

 

「俺も意外です」

 

けれど、俺は何かを変えようとしている。今のままは嫌だと、おれの心が告げている。悪くても、良くてもいい、ただ別の方向に何かを変えたい。

 

「ふむ・・・なら、1つお節介をしよう」

 

「・・・はぁ」

 

「なぁに、そんな顔をするな。君が何を変えようとしているのかは分からない。だから、まずはそこから変えてみよう」

 

「『そこ』?」

 

 

先生は、その口をニヤリとすると俺の目を指さした。

 

 

 

 

 

 

「世界の見方ってやつだ」

 

 

 

 

 

 



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32話 初代になった日

平塚先生に呼び出された翌日、俺はまたしても呼び出されていた。

 

「さて、突然だが部活を作った。そこに君を部長として据えた」

 

「・・・あの、事後報告って世間では良くないことですよね」

 

簡潔に纏め過ぎていた発言に、俺は戸惑いを隠せない。簡潔過ぎて話が勝手に完結しているんだが。

 

「名を『奉仕部』と言う。生徒の悩みを聞き、それを助ける部活だ」

 

「なるほど。昨今ではケアが重要視されていますから、それを高校で予習するのはとても良いことですね・・・ってなると思ってるんですか?」

 

「はっはっはっ理解が早くて助かるよ」

 

「納得ができてないんですよね・・・」

 

話が全く通用していない。この人、めっちゃ漢らしいけどこういうとこもかよ。

 

「とりあえず、ついてきたまえ」

 

「・・・はぁ。行くだけ行ってみますか」

 

「そうそうその意気だ」

 

もう色々と諦めたので、大人しくこの人の言うことを聞く。

 

 

 

 

特別棟3階、端っこにある部屋に案内され入る。

 

「なんつーか、殺風景っすね」

 

「当然だ。空き教室だからな」

 

その部屋には、椅子が幾つかあるだけでそれ以外は何もなかった。人が使ったという形跡すら、そこにはなかった。

 

「とりあえず、座って話をしようか」

 

「ですね」

 

このまま立って話をするのは疲れる。幸い、椅子があるのだからそれを使うことにしよう。

 

平塚先生は自分で椅子を持って来て、ドアを背に座った。

 

 

俺は、窓を背にした場所に椅子を置いてそこに座った。

 

 

「陽が当たって、気持ちいいっすね。ここ」

 

「だろう?」

 

この人、それを俺に教えるためにわざとそっちに座ったのかよ。紳士的過ぎるだろうが。

 

「まぁ要するに、ここが部室だ」

 

「でしょうね」

 

この殺風景な部屋が、部室か。けれど、俺にはそれが丁度いい。飾らないこの部屋が、少しだけ好きになっていた。

 

「部活の内容としては、私が窓口を担当しよう。そして君に任せるよ」

 

「・・・それ、大丈夫なんですか?なんかあったら最悪先生の責任になりますよ?」

 

それはつまり、俺に全権を授けるということだ。もしここで何か不祥事があれば、その責任は大元である平塚先生にいってしまう。

 

「構わないよ。責任を背負うことができるのが大人の特権だ。君は精々、それができないことを指をくわえて見ているといい」

 

「カッコよすぎっすよ」

 

「カッコつけたからな」

 

そんな言われ方をされてしまっては、何も言えなくなる。人がカッコつけているところにケチをつけるのは、不粋というやつだ。

 

「とりあえず、最初の依頼を受けてみてから考えて欲しい。ここで、君が一体何を変えたいのか。きっとそれが見つかるかもしれない」

 

なるほど。この人の言っていた『お節介』とは、この部活そのものだったのか。

 

「分かりました」

 

「よろしい」

 

 

1人だけの部活が、始まった。

 

 

 

 

翌日の放課後、俺は部室で本を読んでいた。窓を開けておけば、安らかな春風に乗せて、暖かな陽光が部室を彩ってくれる。この飾らない部屋には、それが馴染んで心地よい。

 

「入るぞー」

 

開かれたドアを見ると、やはりそこには平塚先生。

 

「どうかしたんですか?」

 

「早速だが、初の依頼が来たぞ」

 

なるほど、それでさっきからニコニコしているのか。

 

「ほら、入って来なさい」

 

先生が後ろを振り返り、声をかける。そうして、入って来たのは1人の女子生徒。

 

「・・・」

 

めっちゃ緊張してます。女子とか苦手だし、勝てる気がしない。いやいや勝負するわけじゃないよな?そうだよな?

 

「え、えーっと・・・」

 

「とりあえず、私は一度職員室に戻るから、話はそいつとしなさい」

 

「は、はい」

 

そう言って、先生は部室から出て行ってしまった。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

き、気まずい。ど、どうしよう。『いいお日柄で』とかいうんだっけ?いやそれはお見合いか。てことはこれは、お見合い?いやいや、それこそ違う。

 

「あ、あの」

 

「は、はい」

 

あっぶねー。もう少しで頭下げるとこだった。

 

「えっと、奉仕部で、合ってます、よね?」

 

「え、ええ。ここが奉仕部です」

 

「・・・その、じゃあ話を聞いて、もらってもいいですか?」

 

「お、おれなんかでよければ」

 

もうやだ、おうち帰りたい。どうする?おうち帰る?うん、帰るぅ。

 

やっぱ却下。多分ここで帰ったら平塚先生に殺される。

 

「その、お菓子を、作りたくて」

 

「・・・は、はぁ」

 

オーケーわかった。待て、俺だって別にお菓子作りが得意な訳では無い。出来ないということは無いが、それでも小6レベルがいいとこだ。

 

「だから、ちょっと手伝って欲しいんです」

 

「えっと・・・友達とかは?」

 

「お菓子作りが得意な友達が居ないもので」

 

『大丈夫、安心して下さい。俺なんて、そもそも友達が居ません』なんて言える訳が無い。言ったところで引かれるのがオチだろうけどさ。

 

「ちなみに、渡す相手は?」

 

「・・・クラスの男子です。春休みに勉強を手伝ってもらったので、そのお礼をと」

 

・・・なるほど。要するに、この子は不安なのか。自分の作ったお菓子を渡してもいいのか?そもそも、お礼に値するものなのか。

 

「なら、何も気にせずに渡してもいいと思いますよ」

 

「・・・え?どういうことですか?」

 

「簡単な話ですよ。男なんて、女子から貰ったものは基本的に嬉しいものなんです。味とか、見栄えとか、そんなのは二の次なんです」

 

「・・・」

 

「だから、あなたが作ったお菓子を、そのまま渡せばいいと思います。多分、それで伝わります」

 

人が物の価値を決める時、その大半が付加価値によるものだ。例えば、友人から貰った物と、好きな人から貰った物を同列に扱うことはない。それは、『好きな人から貰った』という付加価値が付くからだ。これと同様のことがこの場合にも起きる。お礼として手作りのお菓子を女子から貰う。これだけで大体の男子はそれを受け入れる。

 

「・・・ありがとうございます。なんだか、少しスッキリしました」

 

「それは良かったです」

 

そう言うと、その子は部室を出て行った。

 

 

 

「どうやらなんとかなったみたいだな」

 

その数分後に平塚先生が入って来る。

 

「と言っても、解消をしただけですけどね。俺がやったことなんて、男子の感情という、言わば『魚の居場所』を教えただけのことです」

 

そう、結局のところ解決はしていない。男心なるものを教え、そもそも悩む必要のないことだと彼女に伝えただけだ。もっと分かりやすく言えば、論点をずらしただけ。根本となる前提から少し目を逸らさせただけに過ぎない。

 

「だが、それが彼女の求めていた答えじゃなかったとも言えんだろう?」

 

「なんとも言えませんね」

 

「それが人の感情というものだ。君は心理を見抜くことには長けているが、感情を量ることは下手だ。君の言う『魚の居場所』というやつも、他人からしてみれば雑魚の巣かもしれん」

 

「じゃあ、今回は失敗、ですかね」

 

「だから君はまだ甘い。雑魚というものをそのまま雑魚として見てしまえばそれは雑魚だ。けれど、それは雑魚に価値が無いのではなく、その雑魚に価値を見出せなかったという話なのだよ」

 

ある意味、物事の根幹を統べるような考え方。どんなものにも価値はあって、無いとしたのはその人でしかない。全てのアウトローとも言える価値観だ。

 

「それを餌にすれば、上物の魚が釣れるかもしれない。調理しようと努力すれば、料理のスキルが上達するかもしれない。利用価値という言葉を知っているかね?」

 

「なんつーか、それは暴論っすよね」

 

「そうとも言える。だがな、そうやって利用価値を見出し、藁を高価な物へと変えていった者が居ることを、君は知っているだろう?」

 

「わらしべ長者ってやつですね」

 

その話には様々なバリエーションがあるが、要はただの藁を様々なものと交換していき、最終的には幸せや裕福を掴んだ男の話。なるほど、それは確かに説得力のある話だ。

 

「その通り。つまり、どのようなものでも利用価値を見出し利用すれば、それは得になる。だから、例え雑魚の巣だったとしても、宝庫と捉えることもできるのだよ」

 

あまりにも横暴な言い分だが、説得力がある。利用価値を見出し、全ての物の捉え方を少し変えるだけで、まるで物の既成概念が変遷する。理解するのではなく、理解しようとする心。それと同じだ。

 

「君は確かに少し違った物の見方ができるが、それに囚われ過ぎている。どんなもの見方で変わり、どのような言葉も伝え方で変わる。それは君次第だが、様々な視点を持つこともまた重要だよ」

 

「・・・いい考え方ですね」

 

そして、俺はそれに賛同した。素直に、憧れた。こうやって、色んな視点を持って人は大人になって行くのだ。つまり、捻くれた考え方に囚われたままの俺は子どもということ、か。

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。なんて言ったって、そのためにこの部活を作ったのだから。言っただろう?『世界の見方を変える』って」

 

本当に、この人には一生かかっても勝てないのだろう。いつまでも、この人からしてみれば俺は生徒で子どもなのだ。そんな圧倒的な差を感じる。

 

 

だから、きっと俺は決心できたのだ。

 

 

「俺、この部活、やります。奉仕部の部長に・・・なります」

 

「いい返事だ。そう決めた以上、部活の理念も決めるのだぞ」

 

「それなら、もう決まってます」

 

「・・・ほう」

 

今日の経験と、先生の話を聞いてこの部活の理念は決まっていた。

 

「『魚の居場所を教えて、どの魚にするかどう利用するかは任せる』これで行きます」

 

「中々にエゴイスティックな考え方だな」

 

そうだ。これはエゴイスティックで、傲慢な考え方だ。こっちは教え、あとは人に任せる。傲慢で、上から目線な理念だ。

 

けれど、これでいい。

 

どうしてか?そんなの決まっている。

 

 

「だって、そもそも『奉仕』そのものが傲慢な言葉ですから」

 

 

「はぁ・・・生意気な小僧だ」

 

 

まったくです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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33話 二代目は、もう迷わないから

長い語りを、聞き終えた。比企谷先生が辿って来た高校生活。聞きたくない事も勿論あった。傷だらけになっても、彼は誰かに魚の居場所を教えようとしていた。

 

いえ、違う。

 

彼は、魚の居場所を教えようとしていたのでは無い。彼は、自らが『魚の居場所』となる事を選んだのだ。

 

 

彼は、文化祭で全校生徒を敵に回した。

 

実行委員長にその責任と、挫折と後悔を与えるために彼は彼のやり方を貫いた。

 

『誰も傷付かない世界の完成』だなんてカッコつけて、彼は誰よりも多くの傷を背負った。

 

そして、そんな彼を支えたのは他でもない・・・平塚先生だった。平塚先生、だけだった。『世界の見方を変える』と言った彼女は、最後まで彼という世界の味方だった。

 

合点がいった。

 

あの夏の合宿の日、何故彼は鶴見さんに『世界が変わらないというのなら、世界の見方を変えるしかない』と言ったのか。

 

それは、彼の経験談だったからだ。見方を変え、彼は味方が居ることを知った。だからこそ、彼はあの時にそう言ったのだ。

 

 

考えてみれば、ずっとそうだった。

 

 

どんな依頼も、全て彼が辿って来た高校生活だったのだ。故に彼は最初から答えを知っていた。故に彼は私に問題を出し続けた。

 

故に彼は、私に期待をしてくれた。

 

 

ずっと、そこに居場所があったから。

 

 

 

ずっと、彼はそこで私の『魚の居場所』になってくれていたから。

 

 

 

世界の見方が変わった彼は、私を通して自分の高校生活を見ていた。過去の彼の見方とは違う、その見方で。

 

 

「お兄ちゃんは、優しい。陽乃さんだけじゃなく、色んな人の居場所になった」

 

前を見ると、小町さんは涙を流していた。自分の兄を誇らしく語っているにも関わらず、彼女の瞳からはその雫が垂れていた。

 

「やり方は褒められたものじゃないけど、それでもお兄ちゃんはそれが最善だと信じて突き進んだ。それはきっと・・・誰よりも、人が好きだからだと思う」

 

感じていた。それを、私も感じていた。どれほど捻くれていようと、どれほど一般とはかけ離れた価値観を持っていようと、どれほど傷を負っていても、彼は人が好きなんだ。

 

誰かと話したい、誰かと関わりたい、誰かと居たい、誰かに理解されたい、誰かに納得されたい、誰かに受け止めてもらいたい、誰かに受け入れてもらいたい。

 

 

誰かに、自分を見てもらいたい。

 

 

誰かに、認めてもらいたい。

 

 

誰かに、気付いてもらいたい。

 

 

誰かに、自分がここに居ていいと証明されたい。

 

 

 

誰かが、恋しい。

 

 

 

 

『一人の奴ってのは、心のどこかで味方を求めている』

 

 

あの言葉こそ、彼の全てだった。私に問題として出し、誰かの答えになることを望んだあの言葉。それこそ、彼が求めていた答えだった。

 

なら、彼の言う『本物』とは何かが薄らと見えてくる。ぼんやりと、まだ具体的には分からないけれど、それでも分かる。

 

 

『人と人は分かり合えない』

 

 

いつの日か彼が言った言葉。

 

 

『それでも、それを知っていたとしても、誰かが自分のことを想ってくれる、考えてくれる、理解しようとしてくれる、歩み寄ってくれるってのは幸せなことだと思う』

 

 

同時に、こうも言っていた。

 

 

彼を救う。あまりにも抽象的で、漠然としていて、具体性の欠片もない事だ。でも、今なら分かる気がする。彼を救う事、その本当の意味が。私が本当に、やらなければいけないことが。

 

「雪乃さんは、答えを見つけたんだね」

 

「・・・はい。やっと、分かりました」

 

「なら良かった。行きな、雪乃さん」

 

「ありがとう、ございました」

 

流れていた涙は止まっていて、八重歯が覗く口元は明るく眩い笑顔をしていた。何処と無く、笑った彼と重ねてしまう程に、優しい笑みだった。

 

「最後に一つだけ。これはお兄ちゃんと平塚先生の受け売りなんだけどね」

 

手元にあるノートを愛おしそうに触り、目を瞑る小町さん。

 

 

 

 

「迷いは、進んでいる証拠だよ。だから、今くらいは前を向きなさい。振り返るのなんて、何時だって出来るんだから」

 

 

 

 

頭を下げると、私は席を立った。

 

 

 

 

一人、私は帰路を歩いていた。彼の話、彼女の話、そして、私の想い。きっとどれも正解で、どれも間違いで、だからこそ、とても得難い程の物だと感じることが出来る。

 

答えが正解か否かではない。

 

 

私の出した答えが、正解になるのだ。

 

 

私がやらなければいけないこと。

 

私が、彼を救うために出来ること。

 

彼のために、私がしたいこと。

 

 

 

なら、私の答えをあの人にぶつけなくてはならない。

 

向き合うことを避け、ぶつかることを拒否して来たこの17年間。もうそれに、その逃避に決着をつけよう。あの人がどういう人なのか、それは姉さんの話から大体のことは分かっている。でも、私はまだ怖いと感じている。どうしようもないほどに怖くて、どうしようもないほどに蠱惑的で、どうしようもないほどに強い。

 

でも、私は変わった。

 

もう、あの頃の強い私ではなくなったのだ。

 

愛おしい程の弱さと、慈愛に満ちた優しさをもらった、ただの女の子になったのだ。

 

 

世界が変わらないというのなら、私が変わる。何が起きるかなんて分からない・・・けれど、必ず何が起こる。

 

 

前を向け、私。

 

前を向け、雪乃。

 

前を向け、雪ノ下雪乃。

 

 

前を向きなさい、奉仕部部長。

 

 

 

あなたは、私は、雪乃は、奉仕部部長は、もう魚の居場所を手にしているのだから。

 

 

 

「・・・もしもし、母さん。話があるの」

 

 

 

 

あなたが信じる私を、私は信じる。

 

 

 

 

*小町side

 

「にしても、まさか平塚先生があれを生徒会室に置くなんて思ってませんでしたよ」

 

雪乃さんが帰った後、私は恩師に電話をしていた。

 

『まぁ、今季の生徒会長は君の兄によって導かれた者だからな。雪ノ下を君に導く存在になると思っていたよ』

 

「ホント、恐ろしい人です。でも、小町的にポイント高いです!」

 

そう、あのノート・・・『奉仕部活動帳』は生徒会室に保管されていた訳では無い。あれは、平塚先生が大切に持っていたものだ。

 

いつか、これを見せてもいいと思える人に渡せるようにと、彼女が預かっていた。

 

このタイミングでそれを生徒会室に置くなんて・・・やっぱり、それだけじゃなさそう。

 

「・・・てことは、平塚先生はそろそろ」

 

『その話は来ているよ。恐らく、これが最後の年になる』

 

そっか。平塚先生も、総武を去る時が来ちゃったんだね。

 

「じゃあ今度、兄を誘ってラーメンでも行きましょうよ」

 

『・・・いいな、それ』

 

ラーメン、お兄ちゃんも先生も好きですもんね。仕方ない、ここは小町がポイントを使っていい食事会を開いてあげましょう。

 

『なぁ、小町』

 

「なんですか?」

 

しんみりと、それでいていつも通りの優しい口調で私の名前を呼ぶ先生。なんだか懐かしい気持ちになる。

 

 

 

『私は、君も陽乃も、君の兄も大好きだよ。どうしようもないくらい、君たちを愛してしまった。だから、幸せであってくれよ』

 

 

 

 

「・・・」

 

 

馬鹿な人だと思う。結婚したいとか、幸せになりたいとか言ってる癖に、自分の幸せより生徒の幸せを優先するなんて・・・ホント、ホント・・・ポイント高過ぎるんですよ・・・静先生。

 

 

「当たり、前、ですよ・・・」

 

『なら良い。安心して、君たちから目を離すことが出来る』

 

目頭が熱くなってくる。心臓の鼓動はその数を増し、強く脈打つように揺れる。今まで、静先生と生徒会室で色々やった記憶が頭を駆け巡り暖かい気持ちでいっぱいになる。

 

 

「静先生」

 

『ん?』

 

 

「お世話に、なりました」

 

 

『・・・ああ。本当に、君たちは手がかかった。でもな小町、知っているか?手がかかる生徒っていうのは不思議と嬉しいものなんだよ』

 

 

本当に、この人は私の先生なんだ。たった一人の、恩師なんだ。

 

お兄ちゃんが憧れたのも、当然だ。こんなかっこいい人、きっとこの先も会えない。

 

 

 

雪乃さん、あなたの前に居る2人の先生は、きっと最高の先生だよ。

 

 

 

 




公式デレのん可愛すぎ。深夜なのにハイテンションで上がってしまったよ。

実際、八幡の過去をもう少し書こうと思ったのですが過去編は陽乃の話でやったし、これ以上は弛れると思ったのでカットしました。大体は原作通りのそれと思ってください。修学旅行以降の依頼がなくて、陽乃の依頼が追加された位かな。


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34話 二代目はやっと答えを出す

 

「久しぶりね、雪乃」

 

一人暮らしをしているあのマンションではなく、私は実家に帰ってきた。リビングに居るのは、母と私だけ。父はまだ職場から帰っておらず、姉さんもまだ帰宅していない。こうして二人で会話をするというのは、母の言う通り久しぶりのことだ。

 

否、会うことさえ久しぶりだと思う。最後に会ったのは夏休みだったので、もう四ヶ月ほど会っていないことになる。

 

それは、私が避けてきたからだ。なんて事はない、言い訳のしようもない程の簡単な理由。

 

「ええ、久しぶり」

 

しかし、今の私は違う。今までの私とは、もう違うのだ。

 

「それで、話とは?」

 

母さんは無駄を嫌う人だ。単刀直入で来る辺り、私達はどうしようもなく親子なんだと感じる。

 

そうだ。

 

どうして、私は今までこの人から逃げていたのだろう。目を逸らして、考えないようにして、私の中から消そうとしていた。今になって思う・・・どうして、そんなことをする必要があったのだろうか。

 

 

私達は、親子なのに。私にとって、たった一人の母親なのに。

 

 

「やっと、答えが出たの。それを、母さんに聞かせたい」

 

「・・・」

 

母さんは、私の言葉を聞くとその目を細めて眉間に指先を当てる。その眼光に、立ち竦んでしまいそうになる。

 

 

でも、そんなところでさえ私たちの関係を思わせる。

 

 

 

 

「私、父の仕事に興味があるの」

 

 

 

 

 

私のやりたい事。

 

 

私が、やりたい事。

 

 

 

私が、彼のために出来る事。

 

 

 

 

その答えは、最初から一つだった。

 

 

 

 

 

 

何故なら、それこそが私の目標だったから。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・そう。本気、なのね」

 

「ええ」

 

「でも、今のところ、後継者候補は立ててあるのよ。だから、それを今更変えるという」

 

「比企谷先生のこと?」

 

「・・・・・・知っていたのね」

 

「全部、姉さんから聞いたわ」

 

珍しく、母がその顔を崩した。一瞬のことだったが、少なくとも私の前でそのような顔を見せた事はない。それ位、意外な事だったのだろう。

 

でも、残念ね母さん。私はもう、あなたの知っている私ではないのよ。『変わった』なんて大袈裟な言い方はしない。強いていうなら、『世界の見方』が変わっただけだ。あなたが怖い、それが既存の見方だと言うのなら、私はその見方が変わった。

 

あなたを、唯の母として見る。見る事が、出来るようになった。

 

「姉さんの依頼も、母さんの依頼も、比企谷先生との約束も・・・全部、知っているわ」

 

「・・・」

 

知っている。私は、知っているのだ。姉さんに向けた、母であるあなたの事を。不器用な関わり方で私達を育て、不器用な優しさで私達を見守り・・・不器用な愛し方で私達を見てくれていた母の事を、私は知っている。

 

 

だから、もう怖い人なんかじゃない。怖い母なんかじゃない。

 

 

不器用な、優しい母さんだ。

 

 

「だから・・・ごめんなさい、母さんから逃げてしまっていて。ごめんなさい、迷惑をたくさんかけて・・・・・・でも、ありがとう。ありがとう、私を産んでくれて。ありがとう、私を育ててくれて。ありがとう、私と姉さんを出会わせてくれて。あり、が、とう・・・私に、たく、さんのものを、くれて・・・ありがとう、母さん」

 

 

私達は親子で、家族で、同じ血が流れている。不器用で、こんなやり方しかできなくて、色々拗らせて、擦れてしまった。そんなところも同じで、だから今は、それが無性に嬉しい。あなたの娘である事が、嬉しい。私の姉が陽乃である事が、嬉しい。

 

 

母さんの娘である事が、こんなにも愛おしい。誰かに自慢したいくらいの、誇りだ。

 

 

「愛してる・・・愛してる、母さん。本当に、あなたの娘で、良かった」

 

 

「・・・・・・ゆき、の。私も・・・わたしも、あなたを、愛してる。陽乃も、お父さんも、雪乃も、みんな、みんな愛してる・・・ごめんね、こんな不器用な母で」

 

 

お互いを抱きしめ合いながら、私達は泣いた。何も気にせず、私達は泣いた。

 

お互いが素直になれず、どこかで壁を作って距離を置いてしまった。

 

かつて、姉さんが母さんから言われた言葉があった。

 

 

『私達に足りなかったのは愛し愛されているという実感』

 

 

本当にその通りだと思う。私だって、姉さんの話を聞かなかったらずっと親子の仲が冷え切ったままだと思う。ずるい話だ。誰かから聞いた言葉で、初めて行動出来るなんて。でも、拗らせて自分の殻に閉じ籠ったままでいた私には、それくらいの事がなければ動けなかった。

 

 

そして、私も、姉さんも、その殻を壊せた理由を作ってくれたのは他でもない・・・比企谷八幡だった。

 

 

 

 

あの日の言葉に、本当の意味で返事が出来る。

 

 

 

私は今、幸せよ。

 

 

 

 

「けれど・・・まさか雪乃がお父さんの仕事に興味があるなんて」

 

あの後、二人して恥ずかしくなってしまったため一度休憩を挟んだ。その間、私は紅茶を淹れる事で精神統一を図った。何なら、紅茶の香りを嗅ぐだけで悟りの領域にまで達せるまであるかもしれない。

 

「では、比企谷さんには」

 

「いいえ。私は、私の力でそこに立ちたい」

 

「・・・変わったのね」

 

そんな事はない。ただ、見つけてもらえただけだ。味方がいることを、私にとっての『魚の居場所』がある事を、気付かせてもらっただけに過ぎない。小町さんの話は、それほどまでに私に勇気をくれた。彼が歩んで来た道に、私がその答えを与えたい。

 

私が、彼の答えになりたい。

 

 

私も、彼にとっての『魚の居場所』になりたい。

 

 

「だから・・・私は、彼と勝負をするわ」

 

「勝負?」

 

「ええ」

 

私は負けず嫌いだ。でも、もっと嫌いなのが勝ちを誰かから与えられること。私は私の力で勝負に勝って、私の力で私を証明したい。

 

「私と彼、どちらがその座に相応しいのか・・・それを決めるための勝負よ」

 

「・・・負けず嫌いね」

 

「だって、母さんの娘ですもの」

 

優しい笑み。今まで見てきた中で、最も暖かい表情。それを向けられた事が嬉しくて、満たされて、紅茶の味でさえ温かく甘く感じる。胸が、いっぱいになる。

 

「なら、頑張りなさい。そうすれば、必ず結果は見えてくるわ・・・なんたって」

 

 

 

鋭い眼光をしたまま、私に笑みを見せる。知っている。この先の言葉も、この表情の意味も、全部知っている。

 

 

 

 

「あなたは、私の娘なんだから」

 

 

 

 

ああ本当に、不器用な母だ。そうすることでしか、私を応援出来ない。そうすることでしか、私を励ませない。

 

 

 

だけど、それでいい。

 

 

むしろ、それがいいまである。

 

 

 

ありがとう、母さん。

 

 

 

「行ってきます」

 

 

「行ってらっしゃい」

 

 

 

 

このやりとりでさえ、愛おしい。

 

 

 

ようやく、私達は親子になれた。

 

 

 

 

理由は得た。

 

 

機会も得た。

 

 

彼と関わる理由。私が、比企谷八幡と関わり続けることが出来る理由。拙くて、不器用で、理解なんて得られるかも分からないし、納得だってされないかもしれない。

 

でも、これでいい。

 

私達は、言葉を吐き出すということをあまりにもしなさ過ぎた。伝わると勘違いし、そうでなければ失望し、諦める。そうやって生きていくことに、流され続けてしまった。

 

 

それを、平塚先生と姉さんは善しとしなかった、してくれなかった。許しては、くれなかった。

 

 

だから語ってくれた。だから、私に沢山の話をしてくれた。私の事を好きだと、伝えてくれた。それに応えたい、その答えを見せたい。

 

 

それが、それこそが、私が奉仕部で学んだこと。『人と関わる機会』という、感謝してもし切れない程の恩。私は、『奉仕部』で救われた。友人が出来、恩師が出来、優しさを知り、弱さをもらい、愛に気付かせてもらった。

 

 

最後の依頼をもって、その恩返しをしよう。

 

 

漸く、私の青春に答えが出せる。

 

 

 

 

どうか、最後の間違いに正しさを見出せますように。

 

 

 

 

 

 

 




あと2話か3話くらいで完結かな。


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35話 二代目とお姉ちゃんと初代

翌日、私は姉さんと会っていた。前までだったら、休日だからと言って合うような間柄ではなかった。しかし、今は違う。あの日を境に、私達は姉妹に戻っていた。

 

「さて雪乃ちゃん。話って何かな」

 

駅前にあるショッピングモールで買い物を済ませた私達は夕食をとるためにモール内のカフェに入った。今日の気分はパスタだったりする。

 

「彼を明日の夜、呼び出してもらいたいの」

 

「・・・私の気持ち、知ってるよね」

 

「・・・・・・ええ、分かっているわ」

 

その目的、それは比企谷先生を姉さんに呼び出してもらうこと。姉さんの気持ちは勿論知っている。

 

私と同じで、彼が好き。

 

好きという気持ちは正直なところよく分からないが、名前を付けるとするならこの感情はきっと『恋』になるのだろう。

 

「どうして、それを私に頼むの?」

 

「・・・私が呼び出しても、多分彼は来ないと思うの」

 

「ま、だろうね」

 

あのクリスマスイベントの日を境に、比企谷先生は部室に来なくなった。今までは職員室に居るのが嫌とかいう社会人としてはどうかと思うような言い訳で部室に来ていたのに、彼はその姿を現さなくなった。

 

理由は分かっている。

 

彼は、もう私と関わる理由を失ったからだ。

 

『雪ノ下雪乃を救う』それが、彼が私と関わっていた理由の全て。でも、あの日の問答を得てその理由は無くなった。達成されてしまった。

 

故に、彼は部室に、より正確に言うなら私に会う目的が無くなってしまった。

 

「・・・雪乃ちゃんは、答えを見つけたの?」

 

「ええ。昨日、母と話して来たわ」

 

「・・・・・・そっ、か」

 

前に見たものと同じような、儚げな表情。安堵と、諦めと、自虐を含めた笑み。私はその笑みを瞳に映しながら、この沈黙を続けた。これは姉さんの時間だ。私が口を挟む事ではない。

 

「・・・分かった。なら、そうするしかない、か」

 

「・・・」

 

優しい姉の表情は、昨日見た母のそれとよく似ている。私達は姉妹で、親子なのだとまた感じる。こんな当たり前の事に、漸く今気付いた。

 

「それに、雪乃ちゃんに彼を救う事を頼んだ時点で、私にもうその資格は無いから」

 

「そんなこと」

 

「あるんだよ。彼が私に向ける気持ちと、雪乃ちゃんに向ける気持ちは違う。どっちも大切にしてくれてるのは伝わる・・・でも、ベクトルが違うんだ。この前彼と話して、それに気付いちゃったから」

 

彼と姉さんがどんな話をしたのか、それは私には分からない。でも、姉さんの顔を見る限り、お互いにとってとても大切な話をして来たことだけは分かる。それだけは、伝わっている。

 

「あーあ・・・これで、お姉ちゃんするのも最後か」

 

「姉さん・・・」

 

「彼に、全部ぶつけてきなさい。私の分まで、雪ノ下雪乃をぶつけてきなさい。それでこそ、私の妹、雪ノ下雪乃でしょ」

 

「・・・・・・うん。ありがとう」

 

泣いてしまう。人前だというのに、このままでは泣いてしまう。

 

涙脆いのは、家族全員が同じなのね。まったく・・・本当に、沢山のものをもらったわ。

 

 

「それとね、よく覚えといて」

 

 

目の前にある姉さんの表情は、今まで見てきたそのどれよりも綺麗で、見蕩れてしまうような輝きを放っていた。

 

 

綺麗で優しい、姉の表情だった。

 

 

「可愛くて大切な妹が頼ってきたら、全力で応えたくなる・・・それが、お姉ちゃんってものなんだよ」

 

 

 

*陽乃side

 

 

雪乃ちゃんが帰った後、私は家でぼーっとしていた。何をするでもなく、私はただソファに座って目の前を見つめていた。

 

あの時の雪乃ちゃんの目、表情、声音、凡そ私の知る限り、全ての覚悟が決まったような顔だった。

 

本当に、答えが出たような、そんな気がした。

 

 

「陽乃、帰ってたのね」

 

「あ、うん。ただいま」

 

「おかえりなさい」

 

お母さんがリビングに入ってくる。私を見て、そのままキッチンの方へと向かった。珍しい、お母さんがこんな時間にキッチンに行くなんて。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

テーブルに置かれた紅茶。本当に、珍しい。お母さんの紅茶を飲むのは、私が大泣きしたあの日以来かもしれない。

 

それを一口飲むと、胸まで暖かくなってくる。

 

美味しい。

 

素直な感想だった。それ以外の感想がいらないほど、美味しかった。胸に沁みる様な暖かさと、心を落ち着かせる様な紅茶の味に、私は溜め込んでいたものが溢れそうになる。

 

「何か、あったんでしょう」

 

「・・・うん。雪乃ちゃんと、ちょっと、ね」

 

「・・・そう、雪乃が」

 

昨日の話は聞いている。雪乃ちゃんの夢が、父の仕事に携わりたいこと。雪乃ちゃんが、それをお母さんに語ったこと。雪乃ちゃんとお母さんが、親子になったこと。

 

全部、全部聞いた。

 

「陽乃」

 

「ん?」

 

優しい声音でわたしの名を呼ぶ母の顔を、私は見る。

 

 

「よく頑張ったわね。今は、泣いてもいいのよ」

 

 

「・・・おかあ、さん」

 

そのまま私は、母の胸に飛び込んだ。もう二十歳を超えた女性だというのに、母の胸で涙を流し始めた。

 

「うう・・・おかあさん・・・おかあさん・・・わたし、わたし、がんばったよ・・・わたし、ゆきのちゃんのまえで、なかなかったよ」

 

「ええ」

 

頭を撫でられるにつれ、私の涙は増していく。

 

「つらかったよ・・・くるしかった・・・おねえちゃんだからって、じぶんに、いいきかせて、わらうのは、つらかったよ・・・」

 

「ええ」

 

「でも・・・でも、やくそく、したから・・・いつか、ぜったいにせんぱいをたすけるって、やくそく、したから・・・だから、だから・・・」

 

「ええ、ええ。本当に、よく頑張ったわ」

 

 

約束があった。絶対に忘れられない約束が、私にはあった。

 

『いつか、俺を助けて・・・な』

 

あの日の彼の言葉と、私に初めて見せてくれた笑顔を、私は忘れない。忘れた事など、一度もない。

 

それを守るため、私は雪乃ちゃんに力を貸した。そうすることが、彼にとっての助けになると分かっていたから。その事が、当然だと考えてしまっていたから。

 

「陽乃、それがあなたの結果なら、私は尊重するわ。今は泣きなさい。じゃなきゃ、泣き方を忘れるような、哀しい子になっちゃうから」

 

「うう、あ、あぁぁぁぁ!!!」

 

止まらないとさえ思うほど、涙が出てきた。頬を垂れる雫は溢れ、私の心は私に悲しみを告げる。止まってくれないことが、救いのようにも思えた。

 

 

私は、恋をしていた。

 

全てをかけてもいいほどの恋を、彼にしていた。焦がれる想いに生きることを、私は選んだ。

 

 

 

ありがとう、お母さん。私の道を尊重してくれて。

 

 

ありがとう、雪乃ちゃん。その答えを、私に見せてくれて。

 

 

 

 

 

ありがとう、八幡先輩。

 

 

私を、見つけてくれて。私を、助けてくれて。私達を、助けてくれて。

 

 

 

私に、恋をさせてくれて。

 

 

 

 

 

そして、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

さようなら・・・私の初恋。

 

 

 

 

 

 

でも、この瞬間だけは。

 

 

 

 

 

どうかこの瞬間だけは。

 

 

 

 

 

どうかこの瞬間だけは、あなたを想って泣くことを許して下さい。

 

 

 

 

 

 

*sideout

 

 

 

「呼ばれたかと思って来てみれば・・・どうした、雪ノ下」

 

「久し振りね、比企谷先生」

 

翌日の夜、私は奉仕部の部室に彼を呼び出した。正確に言うなら、姉さんが彼を呼び出し、私と会っている。日曜の夜に学校に入れたのも、色々事情を言って開けてもらったからだ。比企谷先生は先生なので、入れる事になっていたらしい。

 

「アホ後輩に呼び出されたかと思えば、まさかお前だったなんてな」

 

「それは私がお願いしたからよ」

 

「アイツがお前のお願いを素直に聞くとは・・・ああそう言えば、仲良くなったんだって?」

 

「ええ、まぁ。姉妹に戻った、と言ったところかしら」

 

他愛もない会話。まるで、大切なことから目を逸らすような会話に、焦れったさを覚える。

 

この男、狙ってそうしている。この約一年の間で、彼がどういう人なのかは大体分かっているつもりだ。

 

 

自分の事は、何も語らない。

 

 

それが、彼を語る上で欠かせてはならないもの。

 

「聞いたわ・・・あなたが、もうすぐ退職するって」

 

「・・・平塚先生か。まぁ、ちょいと事情があって」

 

「『雪ノ下』に行くから、でしょ?」

 

私の言葉に、彼の目が見開かれる。こんな表情を見たのは、初めてだ。あの誰にも隙を見せない彼のこんな表情、見た事がない。

 

「お前、なんでそれを知っている」

 

眉間に皺を寄せた彼の顔も初めてで、私は彼の事を知らないのだと思い直す。

 

 

「姉さんと平塚先生に、全部聞いたわ。小町さんからも、あなたについてを聞いた」

 

「・・・・・・はぁ」

 

眼鏡を取ると、彼は後ろから椅子を持って来てそこに座る。窓際にある私の席から、長机を挟んで真正面のそこに彼は座った。

 

何故か、そこに居る彼は少し幼く見える。

 

まるで、こんな関係性もあったのではないかと思えるほど、自然だと思えた。

 

「・・・まぁ、そういう事だ。それが、俺と『雪ノ下』との間にあった事だ。お前が知りたがっていたことの真相は、全部それで合っている」

 

「私を救うこと、それが、あなたが教師になった理由」

 

「ああ」

 

ここからだ。

 

やっと、やっと彼が同じ所に立ってくれた。あの飄々としていて、私達を上から見ていた彼が、やっと同じ立場に立った。

 

これで、漸く私の言葉が彼に届く。

 

「そのために、俺は俺の人生を捧げた。そうする事でしか、陽乃の依頼をどうにかする事は出来ないと思ったからな」

 

「・・・」

 

言うことは決まっている。

 

私の中にある答えなんて、もう決まっている。

 

「だから、俺が俺の人生をどうにかする事はもう出来ない。とっくの昔に、あげちまったからな」

 

そうやって笑うあなたの笑顔なんて、見たくない。滅多に笑わないあなたの笑顔は、優しくて胸が暖かくなるような魅力があるからいいのだ。

 

そんな取って付けたような笑顔、私は見たくない。

 

「だから、あなたはそのままその道を行くと?」

 

「そうだ。上手くやれる保証なんてどこにもないが、まぁ何とかやってみるさ」

 

「だから、私から目を離すの?」

 

「・・・そう、だ。もう、お前に俺は必要ない」

 

「・・・」

 

言え、雪乃。言いなさい。言わなきゃ、伝わらない。それが、あなたが『ここ』で学んだことでしょう?

 

言わなくても伝わるなんて、そんなの幻想だ。

 

 

その幻想が、幻想のままで終わってもいいの?

 

 

違う。違うでしょう。

 

 

終わっていいわけ、ない。

 

 

なら、そのための一歩を踏み出しなさい。

 

 

 

それが、あなたが出来る最後の恩返しでしょう。

 

 

 

「・・・いや、嫌よ。私から、目を離さないで」

 

 

「・・・」

 

 

息を飲むような彼の視線に、私は逸らすことなく答える。

 

 

「言ったじゃない。私が『アホ』で居続ける限り、あなたは私から目を離さないって・・・言ったじゃない!」

 

「・・・お前はもう、アホじゃねぇよ。立派な、生徒になったよ」

 

「残念ながら、私はずっと『アホ』よ」

 

「いや、お前はもう大丈夫だ。だから、もうさようならだ」

 

 

席を立ち上がり、扉の方に向かって歩いて行く彼。その背中は逞しく、私よりも大きなものを背負っていると分かる。

 

 

でも、それは、私が逃げる理由にはならない。それを理由にしてはいけない。それは逃げだ。私が最も嫌う、逃げだ。

 

 

 

立ち上がり、彼の手を掴む。もうここから彼を逃がさないと、そう想いを込めて、私は彼の手を強く握る。

 

 

「ここであなたを離したら・・・もう二度と、あなたを掴めない」

 

 

彼は振り返らず、その足を止めた。その背中は、その肩は、何かをこらえるように揺れていた。

 

 

「あなたの人生はもうあなたのものでは無いと、そう言ったわね」

 

 

これしかない。

 

 

彼とこの先も関わり続けるには、これしかない。

 

 

どうしようもなく独善的で、独りよがりかな願いだったとしても構わない。

 

理解されなくても構わない。

 

納得されなくても構わない。

 

受け止められなくても構わない。

 

受け入れられなくても構わない。

 

 

 

でも、あなたには私を見て欲しい。

 

 

私と、関わり続けて欲しい。

 

 

 

あなたを離したくない。

 

 

 

だから

 

 

 

だから

 

 

 

 

「だから・・・あなたに、」

 

 

 

 

 

 

 

震える口と、揺れる心に決着をつける。

 

 

思い出すのは、私が今まで関わって来た全ての人達。

 

 

 

 

私に勇気を与え、私に優しさを与え、私に愛を与え、私に強さを与え、私に弱さを与え、私が私で在る理由を与えてくれた人達。

 

 

 

 

 

 

これが、私の答え。

 

 

 

 

 

 

 

「あなたに、私の人生を捧げます」

 

 

 

 

 

 

 



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36話 二代目と初代は

 

「・・・人生を、捧げるってお前・・・何、言ってんだ」

 

「言葉通りよ。あなたに、私の全てをあげる」

 

これから先、私はあなたから離れない。離れたくない。そのためには、もう私の全てを彼に捧げるしかない。

 

「・・・お前には、これから先がある。俺の価値の無いこれからに比べれば、お前の未来は」

 

「そう言えば、まだあなたには言ってなかったわね」

 

まぁ、母と姉以外には言っていないのだけれど。

 

「私の夢、あなたがこれから進もうとしている道と同じなの。だから、これで等価よ」

 

そう、私の夢は父の仕事に携わりたいこと。その道を彼が行くというのなら、私もそれと同じということになる。だから、比べる事なんて出来やしない。同じものを比べてところで、意味なんてない。結局のところ、『同じ』なのだから。

 

「・・・そう、なのか」

 

「ええ。何も問題は無いでしょう?」

 

「・・・い、いや、俺は教師で、お前は生徒だから」

 

「あら、あなたはもう教師では無くなるのでしょう?だから、その言い訳は通用しないわ」

 

自分で言っていた事を忘れてしまったのかしら?あなたはもう教師を辞める。あなたが教師で無くなるのならば、私が総武高の生徒であろうとなかろうと関係ない。

 

ただの、男と女になるだけ。

 

「・・・第一、なんで俺に人生を捧げるなんて言い出すんだ・・・」

 

決まり切った事を。

 

「そんなの、あなたと関わり続けたいからよ。あなたに、私を見続けて欲しいからよ。あなたと、一緒に居たいからよ」

 

恥ずかしい。こんなことを言い出すなんて、本当に恥ずかしい。あの修学旅行での告白の、数百倍恥ずかしい。今すぐ泣きたいくらい恥ずかしい。鼓動は早くなる一方で、顔は熱を帯びて真っ赤になっている。脚は震えているし、汗だっていっぱい出てくる。

 

 

「『本物』を、あなたと探したいからよ」

 

 

本音だ。本音だから、こんなにも苦しい。こんなにも痛くて、張り裂けそうで、辛くなる。

 

 

「全部、全部あげる。だから、お願い・・・私を、私だけを見て。私から離れないで・・・私の、傍に居て」

 

 

足りない。どうして、言葉を出そうとすればするほどその言葉は違うものになってしまう。どうして、私の想いを乗せるだけの言葉は見つからない。

 

 

それが、もどかしい。伝えようとすればするほど、口に出せば出すほど違っていく。本当に、言葉は不便だ。

 

 

「私は、あなたを一人にしたくない」

 

 

彼は、振り返って私を見る。その瞳は濡れていて、月の光を反射するように煌めいている。儚げで、触れてしまえばまるで幻だったかのようにそこから消えてしまいそうで、だから、それを確かめたくなる。それを確かめるために、私は彼の手をより強く握る。離れないでと、ここに居てと、どこにも行かないでと、子供のような気持ちを込めて、彼の温度を感じる。

 

 

「・・・俺は、捻くれてる」

 

「知ってるわよ。でも、あなたが優しいのも知ってる」

 

「俺は、目が腐っている」

 

「私を映してくれているのなら、どんな目でも構わない」

 

「俺は、お前を引っ張って行けるような男気はない」

 

「なら、私があなたを引っ張ってあげる」

 

「俺は、友達が居ない」

 

「そうね」

 

「・・・」

 

「・・・何か言ってよ」

 

「あ、ああ、うん」

 

それを否定しろなんて、無理な話だ。私、虚言は吐かないもの。だから、修学旅行の日に言った貴方への言葉も、本当の事なのよ。知っていたかしら?

 

「・・・あと、俺は、弱いやつだ」

 

「奇遇ね。私も弱い女の子なの。一緒に強くなりましょう」

 

「俺は、駄目なやつだ」

 

「私が矯正・・・いえ、更生してあげる」

 

いいわね、『比企谷八幡の更生』私の生涯の依頼にしようかしら?

 

「あんまり金も無い」

 

「頑張って働きなさい」

 

「俺は、めんどくさいやつだぞ」

 

「面倒な位が丁度いいわ」

 

「・・・それから」

 

「構わない。どんなあなたでも、構わない」

 

もう聞き飽きた。あなたの駄目な所なんて、聞き続けたら朝が来ちゃうじゃない。

 

「むしろ、そんなあなただからいいまであるわ」

 

「・・・なんだそれ」

 

そう。その笑みがいい。不意に出る、心の発露のような笑みがいい。その笑みを見たくて、私は歩いてきたのだから。

 

「私も面倒な女なの。父の仕事を継ぎたい・・・でも、あなたに譲ってもらうのも嫌」

 

「・・・じゃあ、奉仕部ルールしかないな」

 

「奉仕部ルール?」

 

「ああ。勝負をして、勝った方が相手に何でも言う事を聞かせられる。俺が部長だった頃からあるやつだ」

 

「・・・私も、あなたと勝負をするつもりだったの」

 

赤い顔のまま、私は頬が上がる。楽しい、楽しくてしょうがない。彼と話して、関わって、一緒に居るこの時間が、楽しくてしょうがない。

 

「長い勝負になりそうね」

 

「まぁ、そうなるな」

 

不器用だ。こうやって勝負にでもしなければ、彼と関わり続ける理由が出来ない。

 

 

そして、それに応えてくれる彼が、好きで堪らない。

 

 

これからも、ずっと一緒に居たい。

 

 

 

「ねぇ、比企谷『さん』」

 

「・・・なんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたが好きよ。ずっと、私の傍に居て」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迷いもなく放ったその言葉に、彼の顔も赤くなる。今日は彼の知らない顔をいっぱい見た。

 

 

今日のことは、生涯忘れられないだろう。

 

 

忘れたくない。絶対に、忘れない。

 

 

 

 

 

そんな顔、初めて見たもの。

 

 

 

 

真っ赤な顔で、目を細めるあなた。

 

 

真っ赤な顔で、その口元に笑みを浮かべるあなた。

 

 

照れくさそうに、でも嬉しそうに、そうやって笑う顔、初めて見たもの。

 

 

 

 

 

絶対に、忘れてなんてあげない。

 

 

 

 

 

 

「喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、なんやかんやあった週末も過ぎ学校は冬休みに入った。寒いし寒い。意味の分からない感想にため息が出る。あ、白い息が出てきた。冬の実感に、辺りを見回す。

 

振袖を来た女性があちらこちら、ここの神社は人が多い。少し離れたところに来てみたのだけれど、失敗だったかしら?あ、だめ、人混みに酔う。軽く死ねるわね。

 

まぁ要するに、明けましておめでとうございますという事だ。新年である。

 

 

「待ったか」

 

「いえ、 私も今来た・・・とこ、よ」

 

「ん?どうした」

 

横から声をかけられ、その声に喜んで振り向くとそこに居たのは比企谷『さん』だった。眼鏡をかけ、黒いチェスターコートを羽織り、首元にマフラーを巻いた彼はもう本当にかっこよかった。

 

 

「改めて、明けましておめでとう。今年もよろしくな」

 

「え、ええ、ええ。よ、よろしくお願い致します」

 

「なんでそんな焦ってんだ?」

 

「い、色々あるのよ」

 

「あ・・・そう」

 

聞いた?聞きました皆さん?あの彼が、私とさようならをしようとしていた彼が、『今年もよろしくな』だって!もう最高ね。新年バンザイだわ。

 

え、私だれ?こんなの、いつもの私と違うわ。

 

「んじゃ、初詣すっか」

 

「・・・そうね」

 

オーケー、落ち着いたわ。これでいつもの雪ノ下雪乃ね。ふふん、流石わたし。

 

「ほれ、はぐれると面倒だから掴まっとけ」

 

「・・・・・・うん」

 

「いや、うんって・・・」

 

差し出された手を掴む。は?こんなので正気を保てる訳ないじゃない。なんなのよもう。これが、初代と二代目の格の違いってやつなの?全然敵わないじゃない!なんでそんな余裕なのよ。

 

そんな思いで彼を見ると、その顔は赤くなっていた。

 

 

「あ・・・ふふっ」

 

「なんだよ」

 

「いいえ、なんでもないわ」

 

 

なんだ、私と同じだったのね。

 

そんなとこも、いいわ。

 

 

 

 

 

「マジで人多い。ホント人多い。あと人多い」

 

「『元』国語教諭とは思えない程の語彙力ね・・・」

 

 

彼は教師を退職した。終業式の日、同時に離任式が行われた。クラスの人達もショックを受けていたのを覚えている。何だかんだで人気があったから当然の事ね。

 

奉仕部でも彼の離任式を独自に行い、彼が嬉しそうにしていた。由比ヶ浜さん、彼はもう私のものなのだから笑った彼を見て顔を赤くするのは駄目よ。駄目ったら駄目なのよ。あと一色さんも。何が『不意に笑うとか反則です!は!?もしかして、普段とのギャップを見せ付けることによって女の子の大好きなギャップ萌えを発動させようとか思ってますか!?ごめんなさいギャップが凄すぎてとんでもない摩擦が起こって私の胸も熱くなって来たのでこれからは一人の女の子として接して下さいごめんなさい』よ。もう意味が分からないわそれ。結局のところ断ってないじゃない。

 

いろは節、恐るべし。な、なんだか語呂がいいわね。

 

 

「んで、お前は何を願って来たんだ?」

 

「あら、知らないの?願い事は人に言うと叶わなくなるのよ。だから内緒」

 

「ほーん」

 

「で、あなたは何を願ったの?」

 

「・・・言わねぇ」

 

それは絶対に叶えたいから、という事で納得してもいいかしら?いいわよね。よし、それでいきましょう。

 

 

私の事だったら、いいな。

 

 

 

 

 

だって私の願いは

 

 

 

 

 

『あなたとずっと一緒に居られますように』

 

 

 

 

 

だもの。

 

 

 

 

 

 

 




次回で完結ですかね


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37話 やはり私の先生は

 

出会いと別れ、新たなものに胸を躍らせては今まであったものに一抹の寂しさを覚えるこの季節。

 

私は、高校三年生になった。

 

今年からは本格的に受験が始まる。かく言う私も例外ではなく、日夜勉強に勤しんでいる。学年首席の座を誰にも渡していないことから誤解されがちだが、その結果も日々の努力によって成り立っているのだ。

 

というか、あの男の教え方が上手すぎる件について。なんなのよあの男は。理数科目以外なら大体教えられるって、どんなスペックしてるのよ。流石、母さんを一度は頷かせただけのことはあるわね。。

 

曰く『あ?本読んでれば大体のことは分かるだろ。英語の本が読みたかったから英語の勉強に力を入れたし、時代物の本が読みたかったから歴史は知識として頭に入れたし、他国の話も読みたかったから地理は覚えたし、読書はそもそも国語力必要だし。つまり読書最強』らしい。

 

いや、何言ってるのかよく分からなのだけれど。

 

どうして読書を極めるためにそこまで本気になってるのよ・・・まぁ、いいのよ。それで私としては助かっている訳だし。

 

今の彼・・・比企谷さんは母と父の下で『雪ノ下』に関することや建設についての勉強に日々精を出している。事務処理能力も高く、雪ノ下建設では俗に言う『出来る奴』という事で割と目立っているらしい(母談)。教師をやっていた頃も、嫌々ながら書類とにらめっこしていたものね・・・社畜根性旺盛なの、彼。

 

 

今の総武高には、私のよく知る二人が居なくなってしまった。

 

一人は比企谷さん。まぁ、彼の事は知っていたし、知っているからあまり気にしてはいないのだけれど。

 

 

でも、平塚先生の事は知らなかった。

 

 

彼女も、前年度をもって総武高を去ってしまった。彼女は彼の事だけは伝えておいて、自分の事は何も語らずにその日を迎えた。

 

 

 

 

 

「何泣いてるんだ、雪ノ下」

 

「・・・どうして、どうして言ってくれなかったんですか」

 

「君にもう私は必要ないだろう?」

 

「・・・そんなこと、ありません」

 

離任式が終わった後、平塚先生と私は部室に居た。由比ヶ浜さんや一色さんは別の件で部室には居なかったので、二人きりだった。こうやって彼女と二人で部室に居ると、私が高校一年生だった頃を思い出す。私をここに連れて来て、『部長になれ』と言われたあの日を。

 

「いや、君はもう十分変わったよ。それだけじゃない・・・沢山のものを君は変えた。それは人であり、物であり、感情であり、在り方もそうだ」

 

彼と同じような台詞を言われる。

 

 

否、逆だ。

 

 

彼が、平塚先生と同じようなことを言っていたのだ。

 

今までもそうだ。彼の言葉は、どこか平塚先生を感じさせるものが多かった。

 

・・・そういう事か。だから、彼と彼女が背中合わせのように感じていたのか。

 

「まぁ、君らしいと言えば君らしい」

 

「らしい?」

 

「なんだ、知らないのか?」

 

何かを含みをもった言い方に、私は彼女の言葉を繰り返す。

 

 

 

 

「『人ごと世界を変える』という、偉大な言葉を」

 

 

「・・・あ」

 

 

その言葉を、そのフレーズを、その宣言を、その恥ずかしい目標を、私は知っている。私は知り過ぎている。

 

 

部長になった時、私が平塚先生に言ったものだった。

 

 

「どうだ、雪ノ下。君は、『ここ』に居られて良かったか?」

 

「・・・勿論です。沢山のことを、ここで学びました」

 

「・・・そうか。まったく、別れというものは何回やっても慣れないものだ。比企谷と言い、陽乃と言い、小町と言い、そして君か」

 

「・・・」

 

「比企谷兄妹、雪ノ下姉妹には本当に困ったものだよ。だから、私は今ここを去ることが出来て良かったと思っている。君達を近くで見れて、本当に良かった」

 

総武高校で、この人は二組の家族を見続けた。比企谷と雪ノ下・・・そこに居る子供を、彼女は教え導いて来た。

 

 

もう、私達にとって彼女はかけがえのない存在そのものとなっていた。

 

 

「いいか雪ノ下。これから先、多くの挫折を味わう日が来る。落ち込んで、へこたれて、何もかも嫌になって、逃げ出したくなる日が必ず来る。そんな時は、これを思い出せ」

 

 

歩き出した彼女の背に、もう白衣は無い。ここでの平塚先生は、もう居ない。

 

だから、今目の前に居る彼女は、平塚静という一人の人間として私の前に立っていてくれている。

 

 

 

「見方を変えろ。どんな失敗も、どんな絶望も、どんな失望も、どんな不安も、どんな挫折も・・・君を君たらしめる本物だ。そして、そんな感情を一人の男と共有したいと思えたのなら・・・それはきっと、君だけの答えになる」

 

 

 

そう言って、彼女は『奉仕部』の扉を開けた。

 

 

 

 

「お世話に、なりました。本当に・・・本当に今まで、ありがとうございました」

 

 

 

手を挙げて、背中で返事をした彼女は間違いなく・・・私の生涯の恩師だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

三年生になっても、やることは変わらない。放課後はいつも通りあの教室に行く。

 

顧問であった彼や、平塚先生が居なくなったのに何故奉仕部が残っているのかと問われれば、それは他の人達の尽力があったからだ。

 

 

『うちのこと、サポートしてくれるんでしょ?そのために、奉仕部が無くなると困るから・・・う、うちのためであって、別に雪ノ下さんのためじゃないから!』

 

そう言って、相模さんは名前を書いてくれた。

 

 

『ま、まぁ・・・奉仕部には世話になったから』

 

そう言って、川崎さんは名前を書いてくれた。

 

 

『雪ノ下さんには助けてもらったからね』

 

そう言って、海老名さんは名前を書いてくれた。

 

 

『雪ノ下さんとのテニスのお陰で、部活が活発化してきたんだ』

 

そう言って、戸塚くんは名前を書いてくれた。

 

 

『あーし雪ノ下さんのこと別に好きじゃないけど、まぁ、結衣があんたのこと好きだから』

 

そう言って、三浦さんは名前を書いてくれた。

 

 

『雪ノ下さんには、借りがあるから。こんな事で返せるような軽いものじゃないけど・・・これが第一歩になればと思ってる』

 

そう言って、葉山くんは名前を書いてくれた。

 

 

 

 

 

『あたし、この部活が好きだから』

 

 

『ここの部活は絶対に無くさせません!』

 

 

そして、あの二人。

 

 

 

一色さんは『奉仕部存続願』という書類を作り、それを生徒会長として学校に出した。

 

 

由比ヶ浜さんは、多くの人を集めて署名をお願いしてくれた。

 

 

 

この高校生活で、私が関わって来た全ての人が奉仕部の存続を願ってくれた。

 

 

そのお陰で、この部活は守られている。

 

 

嬉しかった。今まで一人で生きて来た私に、こんなにも多くの味方が出来たことが、心の底から嬉しかった。

 

 

世界は一人じゃ変えられない。そこには、味方が必要だ。

 

 

これは、彼が私にくれた言葉。

 

 

本当に、その通りになった。

 

 

 

本当に、比企谷八幡という男は、私に多くのものをくれた。

 

 

 

 

 

 

コンコンコン

 

 

 

 

 

 

「どうぞ」

 

今はまだ一人の部室。もう少しすれば、由比ヶ浜さんと一色さんが来てくれる。

 

でも、どうやらその前に新たな依頼人が来たようだ。

 

「・・・ひゃっはろ〜」

 

「・・・姉さん」

 

 

 

そこに居たのは、姉さんだった。私にとってたった一人の姉で、大好きな家族だった。

 

 

「ここって、さ・・・教育実習生の私の依頼も聞いてくれたりする?」

 

 

そう、姉さんは教育実習生として総武高に来ていた。担当はクラスは三年J組、つまり私のクラス。あの時は本当に驚いたものだ。

 

「そうね・・・依頼の内容次第、かしら」

 

「そっか・・・じゃあ、聞いてもらえるかな」

 

首肯で返す。

 

 

春の麗らかなこの日、私は自分の通う高校で自分の姉と二人で部室に居る。その不自然さに内心苦笑しながらも、恥ずかしそうにする目の前の姉を見てやっぱり笑みが零れる。この姉も、本当に変わったものだ・・・いえ、変わったのは私もかしらね。

 

 

「実は、私には憧れの先輩って言うか、先生が居てね。でも、その人はもうこの高校には居ないんだけど、ここにその人をよく知っている人が居るの。その人は私の大切な妹でさ・・・だから、お姉ちゃんを助けてくれないかなって思ってるの・・・どうかな?」

 

 

まったく、この姉は。いつからこんなにも可愛くなってしまったのだろうか。

 

 

「・・・その依頼、受けましょう」

 

 

教育実習生の段階で生徒を頼って来るわ、この部室に足を運ぶわ・・・本当に、この人が先生になっても大丈夫なのだろうか?

 

いえ、よく考えれば、あの男も仕事が面倒臭いとか言いながらこの部室に我が物顔で居座っていたわね。今頃、会社でこき使われている頃だろうか。

 

 

 

ならきっと、大丈夫ね。

 

 

 

なんたって、あなたは私の姉なのだから。

 

 

 

 

でも、これだけは言わせてほしい。

 

 

 

 

やはりと、やはりと言わせて。

 

 

 

 

 

 

 

と言うか、言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

今、目の前に居る『先生』になろうとしている姉と、私が人生を捧げたあの元『先生』を思い浮かべると、そう言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり私の先生は間違っているようで間違っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 




一年以上にも渡ったこのシリーズも、これにて完結です。

さて、あとがきということで、ここで少し私の話をさせてください。

私は今、教師を目指している大学生です。この話を書き始め理由も、自分の中にある理想を詰め込みたかったからです。

この話に出てくる『比企谷先生』は一般的には正しくない教師なのでしょう。雪ノ下雪乃という一人の生徒に肩入れをし、彼女のために教師になった。それは、本来在るべき教師としての本分を逸脱しています。

でも、例え正しくなかったとしても、間違っていたとしても、悪い事だったとしても、認められなかったとしても、それが誰かにとっての正解ならばそれでいいのではないかと思います。無論、こんなものはただの綺麗事です。世の中はこの話のように甘くはありません。

だから、この理想を私は表したかった。私の考えを、私の価値観を、私を、表したかった。ただ誰かに知ってもらいたかった。本当に、それだけのために書き始めました。

二次創作という原作あっての話で、こんなに色々と語るのは違うとも思います。

私のこの勝手に付き合わせてしまって、本当に申し訳ありませんでした。


しかし、私が一番伝えたいことは感謝です。

感想をくれた皆様、評価を付けてくれた皆様、読んでくださった皆様、本当に、本当にこの一年以上もの間、ありがとうございました。私の勝手に付き合ってくださって、本当にありがとうございました。

とても貴重な経験が出来ました。

これからも、別の作品などを書く予定なのでそちらの方もお付き合い頂けたら幸いです。


今まで、ありがとうございました。




それと、Afterを少し考えていたりします。その時にまた、彼らを見てあげてください。






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After Story
After1 初代を巡る仁義なき幕開け


私「アフターが早過ぎんだよ!」
読者の皆様「アフターが早過ぎんだよ!」

こうなると思います。仕方ない。だって、これ書くの楽しいんだもの。一度プロット作っちゃえばもう本当に出る出る。(本当は序盤の方しか組めてないとか言えない)


そんな訳で、アフター始まるよん!


 

部室で読書をする。暖かい陽気に当てられたこの部室には穏やかな空気が流れ、その心地よさは何時までも変わらないと、身勝手にもそう思ってしまう。

 

生徒会の一部組織となる事でその存在を容認されたこの部活は、私で二代目となる。最近、その初代部長はこの学校から本当の意味で去ってしまった。今だってそう。こうやって目を瞑ると、その男がタブレットと書類を手にしながら座って仕事をしているように感じる。

 

 

『雪ノ下、最近はどうかね』

 

 

そして、頭の中で反響するもう一人の声。奉仕部の創始者にして、初代顧問。平塚先生の、私を呼びかける声を思い出す。その声に振り返ってしまったら、私が見せた答えを否定してしまいそうで、それを行ってしまったらあの背中に応える事が出来なくなりそうで、そのまま本に視線を戻した。

 

そうだ。振り返るのなんて、何時だって出来る。少なくとも、今ではない。

 

迷いながらも進み、彷徨いながらも歩んだ私の道。辿ってきた足跡を見る時は、まだ先でいい。今くらいは、前を向いていなければ示しがつかない。

 

 

 

「それでね、雪乃ちゃんったらあの時は大泣きしちゃってね」

 

「えー!?ゆきのんにもそういう時期がちゃんとあったんですね」

 

「雪乃先輩・・・それ以上属性増やしてどうするんですか」

 

さて、ここらで現実逃避を辞めよう。向き合わなくてはいけない時が来てしまったのね。ホントもう、なんなのよ・・・。

 

放課後になり、私と由比ヶ浜さんは部室でいつも通り過ごしていた。彼女は携帯を弄り、私は本を読む。少ししてから一色さんが来て、由比ヶ浜さんと会話を始める。時折私もそれに答えて、また読書に戻る。

 

そこまではいつも通りだった。

 

 

目の前に居る姉が来るまでは。

 

 

『題して、雪乃ちゃんを教えちゃおうのコーナー』とかいう巫山戯るに巫山戯た事を言い放つと、彼女は私の過去を話し始めた。それはもう酷い内容ばかり。私が姉さんに嫌がらせをされたり、意地悪を食らっていたり、そんな内容が延々と語られた。由比ヶ浜さんはそれを聞いて驚いたり笑ったり。一色さんはそれを聞いて笑ったり何故か悔しそうにしたり。

 

私は恥ずかしかったり憤ったり・・・終いには現実逃避をするレベル。

 

無理。死ぬ。軽く所ではなく、割とマジで死ぬ。もうおうちかえりたい。

 

・・・仕方ない。ここは家に帰ったら彼を呼んでサンドバッグになってもらいましょう。ちょっとの罵倒は許してね(ちょっとで終わすつもりはない)。

 

 

「・・・そう言えば、結局のところ比企谷先生?比企谷さん?・・・比企谷先生って今何してるんですか?」

 

一色さんの問いかけに、私と姉さんは少し顔を強ばらせる。離任式の時、彼は教師を退職するということでこの学校を離任すると全校生徒に説明された。その後の事は、私と姉さん、平塚先生以外知らないのだ。

 

「それあたしも思ってた」

 

一色さんの言葉に便乗する由比ヶ浜さん。

 

「ここでやった離任式の時も、それについてだけは口を割りませんでしたもんね」

 

あの時の一色さんは凄かった。それだけで伝わるでしょ?誰に言ってるのか分からないけど、まぁ・・・うん、途轍もなかったわね、彼女。

 

「あ、ゆきのんって比企谷先生の連絡先持ってたよね?」

 

「え、ええ」

 

あ、やばい。由比ヶ浜さんの前では何回も彼に電話をしていた。さ、流石は由比ヶ浜さんね・・・変な所で鋭いわ。時折、彼女は私の核心を突くような発言をする。所謂『ゆきのんキラー』というやつかしら?違う?違うわね。

 

「本当ですか?じゃあちょっと連絡入れてみてくださいよ」

 

「そ、それは、よろしくないと思うの。彼だって社会人なのだから、もし仕事中だったら迷惑になるでしょう?」

 

今、彼は雪ノ下建設で働いています。こき使われているだの、新人使いが荒いだの、おうち帰りたいだの、働きたくないまであるだの、それはもう最低最悪とも言えるメッセージが昼休みに沢山来ました。教師時代から思っていたのだけれど、そういうのを私に言うってどうなのよ・・・。

 

ま、まぁ?信頼されてるって言うか?弱音を吐ける相手って言うか?そういう風に思われてるなら、許してあげないこともないけど?

 

「大丈夫ですよ。何も電話してくださいって言ってるんじゃないですから。メッセージを入れておけば、仕事が終わった後くらいに返信が来るはずです」

 

待ちなさい。それはダメよ。絶対に無理ね。考えてもみなさい。という事は、このメッセージルームが彼女達に見られるかもしれないということなのよ?それはさっきまでやっていた姉さんの話の内容よりキツイわ。その、人には見せたく、ない、し。

 

「そ、それでも。会議中や商談中だったら」

 

「携帯の電源切ってますって。なんだかんだでそういう人じゃないですか、あの人」

 

全くもって間違っているわね。あの男、気を抜くとただの面倒くさがりのどこか抜けた男になるわよ。気を抜いていれば、の話だけど。

 

 

「はいはーい!私も彼の連絡先持ってるよ!なんたって、私は八幡先輩の後輩だからね!!」

 

 

姉さん・・・。あなた、さっき顔を強ばらせていたじゃない。どうして私が狼狽えているとそっち側に行ってしまうのよ。と言うか、教育実習生なのだから職員室で勉強しなさい。

 

「え!?はるさん先生って比企谷先生の後輩だったんですか!?」

 

「よくぞ訊いてくれたね一色生徒会長ちゃん!その通り、八幡先輩が三年生でここの部長だった頃、私もここに通っていたのだよ!」

 

「えええ!!!比企谷先生がここの部長だった事にも驚きです!!!」

 

「ふっふっふ。彼の事なら大体知ってるのがはるさん先生なのだよ」

 

確かに、一色さんは知らなかったわね。そのはるさん先生とかいうこんがらがった呼び名は姉さん公認なのか。もう少しどうにかならなかったのかしら。

 

「ちなみに、八幡先輩の淹れるコーヒーはかなり美味しい」

 

それは私も知らなかったわ。そう、そうなのね。では、今度の勉強会の時にお手並みを拝見しましょうじゃない。

 

「ま、それは置いといて。そうだねぇ・・・あ、じゃあこうしようか」

 

面白がるように笑う姉さんを一発殴った方がいいのではないだろうか。真剣にこんな事を考え始めた辺り、私がアウトなのか姉さんがアウトなのか・・・殴れば分かることよね。い、いけない。暴力はダメよ、絶対。ここはなるべく隠密に、陰湿に、表面にダメージを入れるのではなく内面から削っていけば・・・どれだけ焦ってるのよ私。

 

「私の出すクイズに正解した方と彼を繋げてあげよう」

 

なん、です・・・って?どうして彼が姉さんのものであるかのような発言をしてるのかしら?いえ、まぁ彼は『雪ノ下』に人生を捧げたのだから広義的に捉えれば姉さんのものとも言えない訳ではないのかもしれないけれど・・・でも、彼は、その・・・私の、だから。もっと言えば、私が・・・彼の、だから。

 

「ね、姉さん」

 

「うんうん。雪乃ちゃんの発言は、このはるさん先生が許しません」

 

立場を逆手に取るなんて、流石姉さん。卑怯で汚いわ。

 

「それで二人はいいかな?」

 

「はい!」

 

「オッケーです!」

 

元気よく手を挙げる由比ヶ浜さんと、あざとく敬礼をする一色さん。そして、楽しそうに、愉しそうに笑う姉さん。なるほど、これが混ぜるな危険というやつなのね。お願いだから注意書き位は最初に見せてもらいたいわ。事後報告は世間では良くない事なのよ!彼も言っていたじゃない!

 

「よぉし!じゃあクイズ!『比企谷八幡について』の開催だ!」

 

もう私の事は眼中に無いのねそうなのね。では、ステルスゆきのんでこの場を眺める事にしよう。

 

 

きっと、彼がこの場に居たらそうしていたのかもしれないわね。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、私の青春はもう少しだけ続くようだ。

 

 

 



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