蛸の見た夢 (藤猫)
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憧れに目を焼かれる

リゾットと成り代わったらしい人


「・・・・・久しぶりだね。」

 

リゾットは、とあるホテルの一室にて、一人の女と向き合っていた。

まるで、幽鬼のような女だった。

日に当たっていないが故の青白い肌。欝々とした印象を受ける腰まである長い髪。女にしては明らかに凹凸に乏しい体は、ひょろりと高かった。明らかに肉が足りていなかった。その身に纏う真っ黒なスーツはまるで喪服のように重々しい。

白と黒で構成されたかのようなその中で、唯一、その瞳にだけ夕日のような赤が色として宿っていた。

その容姿は女というよりは、中性的な男にも見えた。

 

「・・・ああ、久しぶりだ。前に会った時よりは、顔色がいいな。」

 

お世辞かと言われれば、少し悩む台詞であるが一応は口数の少ないリゾットからすれば十分であった。

ポルポはそれに、苦笑する。

 

「そうかい、ありがとう。久しぶりと言っても、どれぐらいぶりかな?」

 

そう言った女は、けして醜いというわけではないが、どこか疲労を感じるというのだろうか、淀んだ空気のためかひどく疲れた様な笑みを浮かべていた。

 

「・・・・ああ、そうなる。」

 

女の前にいた男、リゾットは平淡な印象を受ける声音で肯定の言葉を吐いた。女は、それに頷き、向かい合ったテーブルの向こうで、怯える様に腕を撫でた。

 

「そうか。それで、君が呼び出されたことについて話そうか。」

 

 

リゾットは、目の前の女に無表情で見返した。

女、ポルポは賭博の利権等を握る幹部だ。年齢は、確かリゾットと同い年ほどであったはずだ。

年若く、気弱そうで、おまけに女であるポルポが組織内でそこまでの地位を築けたのは、そのスタンド能力と古参であることが大きい。

ポルポのスタンドは、スタンド能力を発現させるもの、らしい。

らしいと語尾に着くのは、そうであるという確信が置けないことと、リゾット自身がポルポによってスタンドを発現させられたからだ。

リゾットにとって、女は、ひどく不思議な印象を持っていた。

今でも、時折、女と初めて会った時のことを夢であったんじゃないかと思うことがある。

それほどまでに、女は、どこか現実味を欠いている時があった。

ただ、それでも、何故か女はよくよくリゾットを気遣っている節があった。

事実、それによってリゾットや彼の身内が助けられたことは多々あった。ただ、なぜ、そんなことをするのかリゾットには分からなかったが。

それでも、リゾットは、女を信用していた。信頼、していた。

女は、リゾットに言ったからだ。

その言葉を思い出す前に、ポルポの言葉がそれを遮った。

 

「・・・・・君たち、暗殺者チームは、私の部下になることになった。」

「は?」

「分かるね?」

「あ、ああ。」

 

それにポルポは満足したように笑った。

リゾットはそれに疑問符は抱いても、納得の姿勢を取る。目の前の存在は、腐っても幹部なのだから。ただ、意外だったのだ。

ポルポは、組織の人事というのだろうか、パッショーネに入るための試験官を担当している。そんな彼女と自分たち暗殺チームは、あまり関係がないはずだ。

 

「うちのチームは、確かに規模は広いんだが、少々スタンド能力を持つ人が少なくてね。まあ、武闘派が少ないんだよ。もちろん、君たちには今まで通り暗殺稼業はしてもらうけれど。私の護衛等もしてもらうと思っていればいい。」

 

話はそれだけだよ。

 

リゾットは、それに困惑を抱きながら頷いた。それ以外の選択肢などないのだから。リゾットは、それに素早くメンバーにこのことを伝えておかなくてはいけないと考えた。

黙り込んだリゾットに、ポルポはぼんやりとしたような目で囁いた。

 

「・・・・・リゾット。」

「ああ。」

 

ポルポとの会話は、いつも、静かでぼんやりと終わる。ポルポ自身、聞けば答えはすれど、さほどおしゃべりではないリゾットとの会話はお世辞にも弾むとは言えない。

ただ、リゾットは、その女との簡潔で静かな会話は嫌いではなかった。

 

「そこは、居心地がいいかい?」

 

リゾットは、その言葉の意味を正しく理解した。そうして、小さく頷いた。

 

「ええ。」

 

女は、それに心の底から嬉しそうな微笑みを浮かべた。それは、曇り空から注ぐ日の光に似ていた。

その笑みも又、リゾットは気に入っていた。

 

 

リゾットは、そのまま自分たちのアジトへと歩みを進めた。

今日、ポルポに呼び出されたことはチームの皆には伝えてある。ポルポの傘下に入ることはすでに伝えてあり、詳細は帰ってからであると伝えてある。

 

安心して。報酬はたっぷり払うから。

 

最後に言ったその言葉は、おそらく真実だ。信頼できる。

帰り道を行ながら、彼は、スタンド使いになってから、中々に長い付き合いになった女との出会いを思い出していた。

 

 

リゾットは復讐を遂げた後、ギャングの下っ端として生活していた。そんな折、上から潮時だとある場所へ使いに出された。

今思えば、あれはいなくなっても支障のない存在を価値あるものにするための選別であったのだろうと考える。

指示された場所は、とある建物の一室で、中には二人の女がいた。

一人は、金髪の美しい女であり、そうしてもう一人がポルポであった。

ポルポという名前は知っていた。珍しい名前であったし、年若くして人員関係の部署を任されているということは聞いていたのだ。

ただ、その様子は、はっきり言って裏の世界に生きている人間にしては、あまりにも平凡であった。それこそ、彼が退いた表の世界にこそ、相応しいと言えるような、そんな凡俗さが彼女にはあった。

ポルポは、椅子に所在なさそうに座り、じっとリゾットを見ていた。

何故、自分がここに来たのか、分からないことは多くあったが上からの指示にリゾットは従うことにした。

金髪の女が、自分の体を検査しようとすると、何故かポルポはそれを止めた。

 

「カラマーロ、すいません、彼をこちらに」

「ですが・・・」

「いいんです。それよりも、君、こっちに。」

 

ポルポはそう言って、自分と向かい合わせの形で置かれた椅子を指さした。

何故か、その声は焦りとも言える様な声音でリゾットたちをせかした。

カラマーロと呼ばれた女は、ひどく不機嫌そうな顔をしたものの、ポルポの指示に従い、リゾットから離れた。

示された椅子に座ると、女はじっとリゾットを凝視した。

顔色の悪い女というのが、最初の印象だろうか。思わず、飯を食って寝ろとまで思ってしまったのだから、あの時の顔色はそれほどに酷かった。

 

「名前は?」

 

リゾット・ネエロ。

 

簡潔な返答に、やはりポルポは動揺を見せた。何故、そんな反応したのか分からなかった。ただ、彼女はすぐにその動揺を引っ込めて、リゾットに問うた。

 

「・・・・同い年だし、リゾットと呼ぼうか。君は、ここで何があるのか聞いているのかな?敬語は結構ですので。」

「・・・・いや、聞いてはいない。ただ、時期が来たからと言われた。」

「そうか。」

 

ポルポは疲れた様にため息を吐き、そうして、ゆっくりと顔を上げた。

そうして、くるりと指先を振った。

 

「ここに、君の見えない何かがいるんだ。」

 

リゾットはそれに顔をしかめた。何を言っているんだということが、正直な感想であった。その様子を察したのか、ポルポは苦笑した。

 

「信じられないだろうね。けど、皮肉なことに事実なんだ。君は、これから今見えないこれを見える様に試練を受けなければいけないんだけど。生き残るか、どうかは分からない。」

 

生き残るか、という単語でリゾットは己に背負わされたリスクを察した。ポルポは、少しの間迷うようなそぶりを見せた後に、囁くように言った。

 

「君さえ良ければ、逃がしてあげようか?」

「ポルポ!?」

 

ポルポの発言にカラマーロが叫んだ。ポルポは、気にした風も無くリゾットを見つめた。青白い顔で、淡く微笑んだ女にリゾットは向かい合う。

黙り込んだリゾットに、ポルポは言葉を続ける。

 

「今なら、試験に失敗したことにして逃がしてあげられる。もちろん、イタリアは無理だけど、ほかの場所なら、働き口とか用意してあげられる。整形もおまけしてあげようか。堅気に戻してあげられるよ。」

 

女は、何故か、試すようだとか、騙すようだとか、狡猾だとか、そんなものではなく、何故か夢を見る様な目でリゾットを見た。

気味が悪いとは思わなかったけれど、ただ、何故という単語が頭を占めた。

それをして、女にどんな利益があるというのか。

試されているのか。そんなことが頭をよぎっていると、カラマーロと呼ばれた女がポルポに詰め寄った。

 

「ポルポ、あなたは何を言っているのですか!?そんなことがばれれば、どうなるか分かってるんですか!?」

 

それにポルポは無言のまま、リゾットを見つめた。

 

「君は、あまりここには似合わないから。だから、表に帰るといい。君は、何にも悪くないんだから。」

 

その言葉に、リゾットは目の前の存在が自分の復讐を知っていることに思い至った。

それは、不快ではなかった。

リゾットがしたことを愚かという人間は多い。悪くないなんて、言う人間はいないだろう。

だからこそ、その肯定の言葉が嫌ではなかった。

子どもなりにした覚悟、怒り、理不尽。

それを肯定されたことは嫌ではなかった。

リゾットは、困惑したままであったが、それでも素直な感情を口にした。それが正解であるのかもわからないまま、そう答えるしかないのだからと。

そうして、女に対して、せめてもの真摯さを見せたかったのかもしれない。

 

「・・・・俺は、ここに来た理由がある。それ相応の。だからこそ、俺はここで生きていくだけだ。」

 

今更、帰る資格などないのだから。

 

それに、ポルポは悲しそうに微笑んだ。そうして、諦めた様に首を振った。けれど、その眼には何故か仄かな憧れがあった。

 

「そうか、じゃあ。試験を始めようか。きっと、君なら、大丈夫だろう。」

 

そう言って、ポルポはリゾットに手を伸ばした。

 

「・・・私は、君に救いは与えられないけど。せいぜい、地獄で一緒に頑張ろうじゃないか。」

「そうか。それは、心強いな。」

 

ポルポが手を伸ばす直前に、リゾットはそう言った。なぜ、そんなことを言ったのか。ただ、慰めてやりたかったのかもしれない。

まだ、甘さの残る青年が抱いた、微かな憐れみだった。

 

リゾットは、今でも、彼女が己に与えた言葉を信じている。女が、己にした夢を見る様な、願う様な目が、彼の持っていた懐かしい柔らかな何かを少しだけ思い出させる。

ポルポは、何故かリゾットを信頼に満ちた目で見る。何故か、少しだけ気安い言葉をかける。

重い目だと思う。それこそ、裏の人間がするには、あんまりにも重い目だ。

けれど、その眼はリゾットが己のなしたことを後悔しなくていいのだと思わせた。

まるで、溺れる様な女が、息継ぎをするようにリゾットの前で体の力を抜くさまを見ていると、少しだけ死んでしまった幼子を思い出した。

リゾットにとって、ポルポとは、そんなものだった。

表の匂いを残したまま、裏で生きる彼女とは、まさしく郷愁の証だった。

 

ポルポの言葉を伝えた時の仲間の半信半疑の様子を見ても、彼女への信頼は揺らがなかった。

事実、次にきた任務の報酬の欄にあった、まさしく桁の違う額を見て、リゾットは呆れ半分に笑った。

その信頼の意味が分からずとも、ただ、長く積み上げた信頼に、いつか殺される日が来るかもしれないと分かりながらも、その素直な瞳を疑うことをリゾットはしなかった。

 

 

ポルポ、という単語を見て、何を思い出すだろうか。

イタリア語で蛸を意味する単語であるが、なぜ子どもにこんな名前を付けたのか、親を問い詰めたいものだ。

 

(・・・・まあ、もう、会う機会はないんだろうけど。)

 

ポルポは、締め切った部屋の中で、己のスタンドであるブラック・サバスを見た。いちいち、家具やらなんやらを考えるのが面倒な為、気に入ったという理由で適当なブランドで揃えた部屋だ。

幹部になっても、金を使う気は起きない。それよりも、堅気に戻してほしい。

 

(・・・・ああ、でも、今まで貯め込んだお金。原作が始まった時のための貯金は置いといて。これからは、リゾットたちに貢ぐことになるのか。)

 

ジョジョの奇妙な冒険というものを知っているだろうか。あの、非常に、色々な角度で有名な漫画である。

独特な擬音だとか、立ち姿だとかで有名なあれである。

生まれ変わって、己の生まれた世界がそれであると知ったのは、目の前のスタンドのおかげであった。

ポルポは、記憶の上では、たしかに平凡な人間であったはずだ。それこそ、会社にだって通っていた、一般人であったはずだ。

けれど、その記憶は途中でぶつりと途切れて、気づけばどう見ても白人種の外国人になっていたのだから、意味が分からない。

死んだ記憶は、微かにあった。確か、事故に巻き込まれたはずだ。

意味が分からなかった。そんなことを言おうと思えるほどの図太さも無く、ただ、生まれた場所で生きることを彼女は選んだ。

だって、どうしようもない。どうにかすることも出来ない。

生まれた場所は、少なくともそこそこ裕福な家だったため、生活に困ることはなかった。

ともかくは、ここで生きて行こう。そうして、いつか、日本に行こう。

そうすれば、色々と曖昧になったが自分の家族のことも、少しはわかるかもしれない。

幸いなのか、二度目の親はあまり子どもに興味がないようで、気楽であるとも言えた。

そうして、生きていて、何故か矢に貫かれた。

痛みに震える中で、彼女は生き残り、目覚めると病院の上で小柄な青年と対面した。

 

ドッピオであった。まごうことなく、あの、漫画で見たドッピオであった。

馬鹿じゃねえのと思った。

そりゃあ、スピードワゴン財団なんて単語を見て、察してなかったわけじゃなかったが。それでも、なんであえて最初に会う原作の人間がドッピオなのか。

叫ばなかった自分を褒めたいとポルポは思う。

そうして、冷や汗を垂らすポルポに、ドッピオ、というかボスが言った。

 

曰く、ポルポを矢で貫いたのは本当に偶然で矢での実験に巻き込まれたのだという。そうして、ポルポはスタンドに目覚めた様だった。そうして、そのスタンドが何故か、矢をとりこんでしまった、らしい。

取り返したいが、スタンドの能力が分からなければ、下手に殺すことも出来ないからとポルポは生かされた様だった。

そうして、ポルポのスタンド能力は、ざっくり言えばスタンド能力を発現させる、ものらしいことが分かった。

ざっくりしすぎているが、本当にそれだけなのだ。

ポルポは、そのままパッショーネに取り込まれることになった。

殺して、矢が帰って来るかもわからないのだから、そのままの方がいいとディアボロは判断したらしい。

ボスは、わざわざポルポのためにスタンド使いについての部署まで設けて、彼女に高額な報酬を与えた。

そこで、ようやく、ポルポは思い出したのだ。

ポルポって、初期に死ぬデブじゃね、と。

 

(地獄だ。)

 

まさしく、それからのポルポの生活は地獄であると言えた。

慣れないギャングとしての在り方はもちろん、少しずつ迫る死がぎりぎりとポルポを締め付ける。

自分の死を知っているとは、どんな気分か分かるだろうか。病気であるわけでもない、他殺という死に方が、回避できないかという幻想を見させる。

ポルポのジョジョの奇妙な冒険への知識はそこまでない。ポルポが出て来た、たしかジョルノという存在が出て来た五部への知識なんてざっくりとしたあらすじ程度しか覚えていない。

 

(・・・・私が気に入ってたの、一部と三部だったんだけどなあ。)

 

一番の推し、というか気になるキャラクターがディオだったのだ。といっても好きというよりは、一部を読んだ時にこのキャラクターはどんな末路を辿るんだろうかという好奇心で長い漫画を読んでいた部分もある。

シリーズは一通り読んだものの、そこまでの読み込みはなかったため、忘れていることは忘れている。

ポルポは、必死に生きた。

原作がいつ始まるか分からないのだから、いつだって尻に火を噴くような感覚で生き続けた。ただ、臆病に、びくびくしながら生きた。

その臆病ぶりが、ボスに彼女の安全度を示し、信用を得る理由であったのかもしれない。

カラマーロという、少女を助けて、腹心になるなんてこともあった。

彼女は、金髪のスタイルの良い美女であるが、物質を砂に変えるというスタンドを持っていて、ポルポの出した死体を処理するのにちょうどいい。

彼女もまた、ポルポが発現させたスタンド使いだ。頭がよく、よくよく助けてくれている。

といっても、今日も又、リゾットに甘すぎると怒られたばかりだが。

 

(・・・・仕方がないじゃないか。)

 

リゾットは、ポルポにとって夢だったのだ。

ポルポは、ギャングになり、多くの死体の上で立ちながら、昔の生き方を忘れられない。

殺すことに潔癖でありながら、死にたくないから死体を積み上げ続けた己に嫌気がさした。

いつだって、死ぬことを考えた、殺したことの報いを想像して震えていた。

そんな中、リゾットは、正直ポルポの中で二番目の原作の存在に会って、彼は、ポルポにとって理想的な潔癖さを見せてくれた。

汚れたのだから、表にはいかない。けれど、ここで生きていく。地獄で、生きていく。

いつか、彼は、誰よりも死に近い殺し屋になる。けれど、それでも彼は生きていくのだという。

その在り方は、ポルポにとって、なんて眩しく見えたのだろうか。

正直な話、疲れ切っていたというのもある。

何時か来る死に、怯え続ける生活は、正直な話疲れるには十分だった。

自分が、生きたいのか、いっそのこと死にたいのかも分からなかった。

心強いなんて、そんなことを言われて、嬉しくならなかったわけではない。たとえ、それが戯れでも。

表に帰ればいいという言葉に、疑いもあったとはいえ、ここで生きていくという覚悟にどうしようもなく憧れた。

彼は、生きて行こうとしていたのだ。

ポルポは、怠くて、息がしづらくて、このまま目覚めなければいいという諦観的な死を願ったまま、それでもこうやって息をし続ける。

リゾットに会うと、ほっとした。その覚悟を前にすると、少しだけ自分がその覚悟を持てる気がした。

リゾットは、愛想はなかったが、その静けさに安堵した。

ポルポは、仕事のことを頭の中で並べる。

誰を殺して、誰を生かすかなんて考える自分が嫌になる。

原作通り幹部になった自分には、嫌になるほどの利権が持たされた。

 

(・・・・・運用して、原作通り、金を用意して。ああ、いくら貯めればいいんだろうか。あと、リゾットたちへのお金も用意しておこう。)

 

ポルポは、死にたくないと思っていた。それでも、どうしても原作通りに話が進むことを疑ってもいなかった。自分が、死ぬことをぼんやりと考えていた。

はやく、その死が来ればいいと思っている自分がいた。

裏の世界で生きるには、ポルポはあまりにも前世を捨てきれなかった。

死んでしまう未来を、いつ来るかも分からずに、ぎりぎりと痛めつけられた精神が悲鳴を上げていた。

もう、いっそ、殺してほしかった。

逃げるのにさえ、疲れていた。

それでも、暗殺者チームのことを優遇したのは、少しだけ希望とそうした願いがあったからかもしれない。

彼らが、反旗を翻さなければ原作とはずいぶんかけ離れたことになるだろう。

けれど、それでも、ポルポは彼らに価値を感じたのだ。こんな地獄で生きていかねばならぬのなら、少しぐらいは好きにしていいじゃないかと思ってしまったのだ。

その結果、どうなるかなんて考えてはいなかった。

その先に自分がいないと、ポルポは無意識に思っていた。

 

(・・・・・その時は、ジョルノに殺されるのかな。どうやって、死ぬんだっけ。確か、拳銃で殺されるんだっけ。嫌だな、痛そう。)

 

死ぬならば、いっそ、プロシュートか、ギアッチョに殺されるのが一番楽かもしれない。凍死と老化ならば、すこしだけ楽に死ねるかもしれない。

 

(・・・・ああ、でもいっそ、それなら、リゾットに殺されるのもいいかもなあ。)

 

メタリカは痛そうではあるけれど、憧れに殺されるのなら、中々に満足できそうな死かもしれない。

ポルポは怯える様に体を丸めて、ちらりとブラック・サバスを見た。

もしも、スタンドとは、精神の象徴なのだとしたら、原作と同じスタンドのこれは何なのだろうか。

あのポルポと、自分は違う。ならば、ここにいるポルポとは何なのだろうか。

自分は、どこに行けばいいのだろうか、

そんなポルポを、ブラック・サバスは見つめた。

彼女と同じ赤い瞳は、なんだか、少しだけ寂しそうだった。

 



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人殺しの価値

ギアッチョとお金しかない人


護衛の方の任務は、お前たちに行ってもらう。

 

そんなことを言われたときのギアッチョとメローネは互いに思いっきり顔をしかめた。

もちろん、任務を拒絶する気はない。任務は任務なのだから。

丁度、手の空いているのが二人しかいなかったということもある。

リゾットは、明らかに不服そうなギアッチョとメローネにため息を吐きたくなる。

リゾット自身、この任務には、二人はあまりにも似つかわしくないのはわかっていた。本来ならば、護衛対象とある程度親しいリゾット自身か、それともある程度対人関係を築けるホルマジオをつけたいのだが。

どう足掻いても、二人の予定が空きそうにないのだ。

リゾットは、護衛を迎えに来る勝気な少女を思い出し、朝一での喧嘩を想像してため息を吐いた。

一方では、ギアッチョもメローネも、任務を受けはしても不満がないわけではなかった。二人は、一方的に護衛対象を知っていたし、おまけに借りまであったのだ。

 

ギアッチョは、生まれながらのスタンド使いであった。

出身国も、親の顔も覚えてはいなかったけれど、その力だけが彼を肯定した。その力は、ギアッチョを守る盾であり、矛であったけれど、それと同時に彼を縛る鎖であった。

人を簡単に害することのできる力を持った幼子の人生なんて、想像に容易いだろう。

誰も信用できなかった、誰も信頼できなかった。

ギアッチョという存在は、どこまでも一人だった。

凍てつく地獄で、ただ一人。

彼は、利用され続ける自分のことが大嫌いで、ある程度の歳になれば一匹狼を気取って一人で生活していた。

そうして、パッショーネの傘下に入った。

ギアッチョは確かに強かったが、その短気な性格が災いして事あるごとに問題を起こした。最終的に、処分する手前まで行ったのだ。

けれど、彼は処分されることはなかった。それよりも先に、彼は暗殺チームに拾われたのだ。

今でも、ギアッチョは律儀と言える記憶力で、そのことを覚えている。

 

お前を救うことは出来ないが、地獄で一緒に生きてやろう。

 

その時の言葉も、ボロボロで連れてこられた古びたアジトのことも、簡素であるが温かい食事のことも、全て覚えている。

それは、確かに、救いではなかったけれど。

それでも、確かに、ギアッチョにとってその言葉は慈悲であったのだ。

ギアッチョは、柔らかな日差しの中で生きてはいけない。

仮に、それを彼が望んでいたとしても、それを多くのことが赦さなかったろう。

地獄でしか、生きていけない者は確かにいる。

地獄で共に生きて行こうと言った、リゾット・ネエロをよく覚えている。

彼だけが、少なくとも、ギアッチョを利用するわけでも、道具にしようとしたわけでも、都合よく扱おうとしたのでもなく。

共に行こうと言ったのだ。

だから、ギアッチョは、リゾットという存在に従っている。

ギアッチョ本人は、あまり考えることも、認めることも無いが、彼はリゾットという存在を慕っているのだ。

一応は。

だからこそ彼は、ポルポという存在が気に食わないのだ。

暗殺者らしい、非情で、静謐な彼がポルポに関して甘さを出すことが赦せないのだ。

けれど、ギアッチョは、ポルポに借りがあった。

元々、ギアッチョの存在をリゾットに伝え、暗殺チームに推薦したのはポルポであったのだ。

彼女がいなければ、リゾットはギアッチョの存在を知ることも無かったのかもしれない。

そう言った意味で、彼女は ギアッチョの命の恩人とも言える。無駄に、律儀で素直な部分があるために、ひどく複雑な気分になるのだ。

 

その護衛というのが、どうも久しぶりのポルポの休暇のためであるらしかった。

二人の護衛の話を聞いたメンバーたちは、けらけらと笑っていた。

変人ポルポの護衛とは、運がないと。

メンバーの中で、ホルマジオとプロシュートだけがポルポに実際に会ったことがあるらしいのだが。

結局、二人に会うことはなかったため、実際どんな人間であるか分からなかった。

リゾットからは、部下の女が迎えに来るとは聞いていたが。

 

「メローネよお。」

「何だ?」

「お前、ポルポってのがどんな奴なのか知ってるか?」

「・・・・・変人。その一言に尽きるかな。」

 

メローネは、そう言って肩を竦めた。

ギアッチョも、ポルポという存在の噂は幾つか知っていた。

曰く。

態々大金の手に入る麻薬の取引を最小限にしているだとか、それにしてはあまり己に金を使うことないくせに部下への報酬はたっぷり支払うだとか、あまり人付き合いを好んでいないだとか、女であるというのに男に見えるだとか。

あまり、表向きな情報が出回っていなかった。

 

二人は丁度、待ち合わせ場所である人気のない道にいた。

そうして、道の先から車がやって来る。二人の前につけられた車の運転席の窓が開いた。そこから、美しい金髪の女が顔を出した。

 

「・・・・・あなたたちが?」

「カラマーロか?」

「ええ、そうよ。」

「え、あの、カラマーロ?」

 

確認を取ったカラマーロの後ろから、困惑した女の声がした。カラマーロは、それを気にした風も無く、二人に車に乗るようにと指示を出した。後部座席からはまだ困惑したような声が聞こえて来た。

二人は、ともかくと車に乗り込むことにした。

メローネは助手席の、ギアッチョは後部座席のドアを開けた。

後部座席には、ラフな、それこそジーンズなどの簡素な格好をした女が困惑したような顔で座っていた。

 

「あ、あの、カラマーロさーん?」

「では、出します。」

 

カラマーロは、女の声を無視して車を出した。

車の中に、カラマーロの声が響く。

 

「今回は、後部座席にいる方の護衛を頼みます。私は、用があって同行できませんが。」

「彼女が、ポルポ?」

「ええ、あなた方の上司に当たります。失礼のないように。」

「ちょ、カラマーロ!?今回の休暇、君は来ないの!?」

 

後部座席から、女の頭が顔を出した。困り果てたような顔で、カラマーロに詰め寄った。

 

「こ、今回は、君が護衛して、好きにやっていいっていうから!だから、わざわざいいホテルも取ったのに!」

「今回、私は急用が出来たので同行は出来ません。」

「そ、そんな!じゃあ、今回のは、やめに・・・」

「駄目です。」

 

言い返されたポルポは明らかにしょげた顔をする。上下関係がひっくり返っている様を、ギアッチョとメローネは無言で眺める。それが、触れていいものなのか分からなかったためだ。

 

「あなたの私生活は地味過ぎるんです。もっと、お金を使ってください。」

「・・・・お金なら、下の人の報酬に使ってくれれば。」

「だから、駄目なんですよ。下にやるにも限界はありますし、上納金にも限界があります。大体、私生活の方にも金を使わないと、他の幹部に舐められるんですよ。」

「別に舐められても・・・」

「私が嫌なんです。」

「・・・・はい。」

 

渋々席に座る女を横目に、ギアッチョは何か、とんでもない人間の下に己たちのリーダーが着いたことを察した。

それでも、騒がなかったのは、彼も己の立場位は分かっていたためだ。

 

 

「・・・・いいですか、今回、あなたたちに護衛を任せたのは、この機にあの人を狙ってくる存在を、全て出来るだけ、むごったらしく始末してほしいからです。」

「・・・ふん、やっぱし、そういうことかよ。」

 

ギアッチョとカラマーロは、メローネにポルポを任せて、二人で車で話をしていた。

 

「つーか、いいのかよ。それだと、あの女、囮になるんじゃねえのか?」

「・・・・せめて敬称をつけなさい。あの人は、あなたちの上司に当たるんですよ?あの人は気にしませんが、それでも一応つけておいてください。」

 

ギアッチョは、それに苦々しく舌打ちをした。高圧的な女のことは気に入らないが、それでも仕事なのだからと彼女に意識を向けた。

 

「あの人は、良くも悪くも温いんです。報酬は出す人ですから下には人気はありますが。他の幹部たちに舐められている。あなたたちが傘下に入って、ちょうどよかった。見せしめに、幾人かはやってくるでしょうから。」

 

ギアッチョは、それを当然として頷いた。それは、どこまでも彼らにあった仕事であった。了承として、頷いた彼に、カラマーロは、幾つかの紙を差し出した。

それは、今回襲ってくるかもしれない派閥の情報だった。

 

「頭に入れておいてください。ギアッチョ、あなたたちを信用しているわ。」

「・・・・皮肉か?」

 

思わず飛び出たギアッチョの言葉に、カラマーロはため息を吐いた。

 

「そこまで暇ではないわ。あなたたちが、報酬分の仕事はする方たちだと思っているだけよ。仕事は、きっちりすることを要求するわ。あと、あの人に何かあったら、分かってるでしょう?」

 

最後の台詞にだけ、爛々とした目を向けた女に、ギアッチョは睨み付ける。

 

「仕事は、こなす。なめんじゃねえぞ?」

「期待してるわ。」

 

そう言って睨んだ女を前に、ギアッチョは苛々とした脳裏に、ポルポについてを考えた。あの女がどんな人間であるか、ギアッチョは未だに分からなかった。

 

 

二人は、自分たちの目の前に積まれたブランド物の服を前に白目をむきそうになる。

そうして、そんな彼らの横で、おろおろとするポルポの姿があった。

 

「あ。あの、どうかしましたか。二人とも?」

「・・・・いや、俺たちも調子に乗ってたんだが。」

「お前、馬鹿じゃねえの?」

 

己の上司と言えど、すっかり遠慮のなくなったギアッチョは、ぼそりと呟いた。

ギアッチョとカラマーロがいない間、二人はなぜかメローネの好きなブランドで、大量の服を買っていた。なぜか、ポルポがメローネの服を買っていた。

合流したギアッチョは意味が分からなかったし、メローネも意味が分かっていなかった。

その後は、ギアッチョが好きな服を何故かポルポが大量に買った。プレゼントされた。

まさか、暗殺チームの自分たちが欲しがったからといって、値段も気にせずに、ボーナスですからと大量の服を買い与える女の意図が分からなかった。

 

(・・・・・完全に、ポルポが上司になる前の俺らの取り分超えたよな。)

 

メローネは、思い返した服の値段を考えて寒気を覚えていた。

確かに、二人がいない間にショッピングでもと提案したのは自分だ。それに付き合うぐらいの気はあった。

だというのに、いつの間にか自分の好きなブランドの話になり、何故か、それを贈られる話になっていた。

 

(・・・・・私に使うんじゃなくて、二人に使うなら。とか言ってたけど。)

 

何故か、彼女は嬉々として二人への贈り物を大量に買っていた。

その隣で、ギアッチョがちらりと隣の女を見た。

女は、びくびくと肩を震わせ、メローネとギアッチョを見上げていた。けれど、その眼には、確かに期待があった、

二人が、喜んでくれたのかという期待があった、

それに、ギアッチョはため息を吐きたくなった。

その眼は、平凡であった。

まるで、友人へのプレゼントを不安げに見送る人間のような、そんな眼。

それに、ギアッチョは、ああと思う。

なるほど、確かに、この女は変人である。

異端の中で、平凡を孕んだこの女は、きっと、誰よりも異端であるのだと。

ギアッチョは、素直にそう思った。

 

 

短い休暇だというのに、女は確かに質の高いホテルに泊まりはしても、外に出ることはなくぼんやりと外を眺めていた。

一応は、バカンスのための地域と分類されている場所である。

ポルポの話を断片的に聞くと、どうも、さほど休暇先にこだわりはなかったらしい。ただ、カラマーロに少しは外に出ろと促され、海が見える場所ということだけで選んだそうだ。拘った通り、ホテルから見える海を、女は飽きもせずに眺めつづけていた。

まるで、そこに、楽園が見えるかのように。何か、理想的なものが見えると思っているかのように。

無茶をすることのないポルポの護衛は楽であったが、ホテルの中はいささか退屈であった。

それに気づいたらしいポルポは、何故か二人に観光を勧めて来た。

ギアッチョはそれに、素直に馬鹿じゃないのかと思った。

護衛でやって来たギアッチョたちと離れてどうするんだと言えば、彼女は漸く二人の言いたいことに気づいたのか、慌てて出かける準備して、何を思ったのか二人に行きたい場所がないかと聞いて来た。

それに、ギアッチョはため息を吐きたくなる。

この女は、何故、そんなにも自分たちを優先しようとするのかと。

呆れるような中で、ポルポは静かなままだ。ただ、ぼんやりと遠巻きに世界を眺めていた。

 

(私生活が地味っつうのも分かるな。)

 

ポルポが休暇先で金を使ったのは食事と、あとはギアッチョたちに服を買い与えた時だけだ。

何となしに、何かが、ギャングとして何かが決定的に欠けていた。

見栄を切って、己の強さを辺りに見せつけてこそのギャングの世界で、女は静けさを好んでいた。

ポルポは、ギアッチョたちに食事をさせるのが好きな様だった。

それは、まるで親戚の育ち盛りの子どもに食事をさせたがるお節介の様だった。

そんなものの存在を、ギアッチョは知らなかったけれど、そんなものでないだろうかと想像がつくような振る舞いだった。

己から、一番に高い料理やワインを頼んでいく様を見ていると、何かを企んでいるんじゃないかと思うのだが。

何を企んでいるのかもわからない。

事実、彼女は、そんなことをせずとも、ギアッチョたちの命を握ったも同然なのだ。

態々、機嫌を取る必要もない。

ただ飯も、悪くない。

ただ、ひどく、居心地が悪い気分になる。

その、穏やかな空気も、暖かな食事も、そうして己が食事をとる様を、まるで慈しむように見る女がやけに居心地を悪くさせた。

 

 

たらふく、旨い飯を食わされた夜は、ギアッチョたちにも取られた豪奢なホテルに泊まった。護衛であるため警戒はしたものの、ふかふかとしたベッドで寝かされた。

その穏やかさが、ひどく、居心地が悪くて仕方がなかった。

 

 

そう言えばと、ギアッチョは自分が昨日からあまり怒鳴ったことがないことを思い出す。

その理由は簡単で、ギアッチョが護衛として目立ってはいけないというプロ意識から来るものと、そうして怒る理由がさほどなかったためだ。

ホテルで一度切れはしても、ポルポはあまり動揺していなかった。ぼんやりとした目で、ギアッチョの怒りが通りすぎるのを眺めるだけだ。

ギアッチョは、外に出たいというポルポについていた。

彼女は、海の見える小高い場所に置かれたベンチに座り、遠くを眺めていた。

ポルポは、静かだ。

時折、人形じゃないかと見まごうほどに、静かでぼんやりとしている。

その静けさは嫌いではなかった。煩い女は余り好きではない。

ただ、その静けさは、時折自分の生きる世界を忘れそうになる。

ポルポは、何も望まない。

決定的に何かを望むという姿勢が欠如している。まるで、何もかも満足しているかのような、そんな安寧を彼女は持っていた。

 

ギアッチョは、その女の清廉さじみたそれに、妙な違和感を感じて落ち着かなくなる。

この女は、何を持って、自分たちを贔屓するのか、あの日、ギアッチョを生かしたのか。

女は、手を差し出しても、何かを決定的に望むことがない。

だからこそ、ギアッチョは、ポルポを信用できていなかった。

ポルポは、平凡な女の様で、結局のところ裏で生きている。

それは、例えば、今、メローネがいないこと、そうして時折冷気を纏ってどこかにいくギアッチョを当たり前のようにお疲れ様と声を掛けることで察せられる。

それでも、女の微笑みは優しいのだ。

どうしようもなく、ただ、穏やかで優しい。

その、ちぐはぐさが、たまらなく居心地を悪くさせる。女が、今までのボスのようにいつか自分たちを切り捨てるのだと分かっているのならいい。

けれど、リゾットはポルポを信頼していた。

いつか、リゾットを、ポルポが裏切るかもしれない可能性が赦せないのだ。

それを、何が事実なのか、分かっていなければたまらなくなるのだ。

遠い、あの日、ギアッチョを対等に扱ったのは、リゾットだけだ。だからこそ、リゾットをそうして自分たちを裏切るものを彼は赦さない。

 

「・・・・・あの、ギアッチョ。」

「何だ?」

 

初めて、自分に話しかけてきたポルポを警戒してギアッチョは返事をした。

 

「いやね、少し、聞きたいことがあって。」

「何だよ。」

「いや、あの、お金、足りてるかい?」

 

早くしろと苛々していたギアッチョは、次の言葉で目を見開いた。

 

(・・・・金?)

 

ギアッチョは、確か、前の報酬で等分にしても一人五千ほどになる報酬を貰っていたはずだ。そうして、この護衛でもメローネとそれぞれで三千ほどの報酬が出ることになっている。

 

(・・・この女、まさかまだ出す気なのか?)

 

無言になったギアッチョを勘違いしたのか、ポルポがオロオロしながら言った。

 

「も、もしかして、足りなかったかい?じゃあ、出してたのより倍ぐらいかな?」

 

さらに金額が跳ねあがったことで、ギアッチョは女を頭がおかしいものを見るような目で見た。その眼を勘違いしたのか、より慌てたようにオロオロとする。

 

「ご、ごめん。もしかして、ぜんぜんだめかな?えっと、その、カラマーロと相談してみるから・・・」

「まて、ごら。誰が、今より倍つった?」

 

流石にその怯え具合を哀れに思ったのか、ギアッチョが止めに入る。ギアッチョの言葉に、ポルポは小さくなり、ギアッチョを伺った。

ギアッチョは少し、頭を抱えたくなる。

何処の世界に使い捨ての暗殺者に、九千も払う奴がいるのか、おまけに自分たちの場合九人分だ。

 

(・・・信頼できるってえのはこういうことなのか?)

 

意味が分からない。

 

「・・・・どんだけ払う気なんだ?」

 

言外に、自分たちになぜそこまで金を使うのか問うてみた。

ざーと、海の音が聞こえた。潮風の香る、けれど、日が陰っているせいか妙に海が遠いように聞こえた。

人気のない公園で、ベンチに座って、まるで彼らは休日の学生のように、隣りあっていた。それは、まるで、何ら後ろめたさのない、平凡な毎日のようで。

けれど、ギアッチョの目にあるのは、疑いと、そうして冷たい覚悟に満ちていた。

ポルポは、それを不思議そうに見返した。ポルポが、己の問いを正確に把握していないことを何となしに察して、ギアッチョはため息を吐きたくなる。

ポルポは、少し考えた後に、恐る恐るという体で、言った。

 

「えっと、君たちが、望むぐらいは払う、気です。」

「はあ!?」

「ひい!す、すいません。」

 

ギアッチョの力みに、怯えた様に体を震わせたポルポを彼はねめつける。

 

「あ、あの。その、一応、お金だけはあるというか、というか、お金しかないので。報酬だけでも、払おうかと、思っていて。」

「俺たちに、そこまでの価値があるのか。」

 

そんなことが思わず口から出たのは、彼が今まで感じ続けた劣等感が為だった。認められることも無く、実力だけはあるという自負はありはすれど、劣悪に甘んじる日々が彼にとっては当たり前だった。

 

「あると、私は思っているよ。」

 

細やかな声と共に、ポルポは呟いた。

 

「砂漠で生きるものと、森で生きるものにとっての水の価値が違うように。私は君たちに価値を感じた。事実、君たちが私の傘下に入ってから、あからさまな嫌がらせはなくなったからね。それに、見せしめは、組織の実力を示すうえで重要だ。おかげで、だいぶ仕事だってやりやすい。君たちは、リスクを負っている。ならば、私もまた、何かを差し出さなくてはいけない。」

 

君たちの実力分は、そうして成した仕事分は報酬を払おうと決めた。情けないけど、私は、君たちの上司だからね。

 

そう言った後、ポルポは心の底から申し訳なさそうな顔をした。

 

「ごめんなあ。リゾットみたいにかっこいい人じゃなくて。私には、覚悟も、何も無くて。お金しかないから。」

「・・・くだらねえこと気にしてんじゃねえよ。だいたいよお、てめえはリーダーじゃねんだ。雇い主だ。金を払うぐらいで十分なんだよ。俺たちに代価を払うって決意も、確かに覚悟だろうが。」

「・・・・君は、私が上司でいいのかい?」

「・・・・俺が口を出せることじゃねえだろう。」

 

静かな言葉は、少なくともポルポには肯定の言葉のように聞こえた。それに、ポルポは青白い顔に、まるで晴れた日のような笑みを浮かべた。

そうして、立ち上がった。ギアッチョに、彼女は微笑む。

 

「ギアッチョ。」

「何だよ。」

「君がそれでいいというなら、私は頑張って、君たちに対価を払い続けるよ。私が思う、価値のとおりに。」

 

女は、微笑む。まるで、太陽のような、輝くような笑みを浮かべて。

ギアッチョは思わず、眩しいものを見るかのように目を細めた。

 

「・・・・あの日、君を暗殺チームに推薦した日。私は、君に価値を感じた。死ぬには、あまりにも勿体ないと思ったから。ごめんね。私は、君に救いを与えることは出来ないけれど。でも、地獄で生きていくための手伝いぐらいはしていくよ。」

 

その言葉に、ギアッチョは目を見開いた。ポルポは、それに気づいていないのか、ホテルに帰ろうかと伸びをした。

ギアッチョは、その、既視感を覚える台詞に、何となしに理解した気がした。

 

あの日、リゾットがギアッチョにかけた言葉は、ポルポの言葉であったのだ。

きっと、その女が、リゾットへと差し出して、ギアッチョに繋がった誓いの言葉だったのだ。ギアッチョは、リゾットが何故、ポルポを信用しているのか。分かった気がした。

女は、ギアッチョたちを、使うのではなく、雇っているわけでもなく、ただ、共に生きて行こうとしているからだ。

ギアッチョたちは、死を思う。いつか、当たり前のようにやってくるそれを、考えないことはない。けれど、目の前の女は、それでも生きていこうとしているのだ。当たり前のように、ギアッチョたちにも求めているのだ。

華やかさなどなく、スリルなどなく、ただ、静かに日常をポルポは生きて行こうとしているのだ。

裏の人間としては、それは狂っている。

けれど、だ。

ギアッチョは、女を信用しようと思った。信頼をする気を少しだけ持った。

ポルポは、少なくとも、ギアッチョに対価を支払うことで、対等であろうとしていたから。

昔、死ぬことしか、転げ落ちることしか出来なかったギアッチョへ初めて、手を差し伸ばした誰かへの借りをようやくギアッチョは返すことができるのだ。

 




時々、オムニバス形式で続けていく、かもしれません。
ギアッチョをあんまり切れさせられなかったのが後悔。


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善良さという壊れ方

メローネと、壊れてる人


母体には適さない凡庸な女。

それが、メローネの一番初めのポルポへの印象だった。

 

メローネは、ホテルの窓辺に椅子を置き、ぼんやりと海を見つめる女を眺めていた。豪奢な一室に似合う同じような豪奢な椅子に膝を抱えて座っていた。

ギアッチョは、おびき寄せられた敵の始末に向かっている。

丁度食事を終えた後の何とも眠い独特の空気にメローネは欠伸を噛み殺した。

退屈だ。

その一言に尽きる。

メローネは肘をつき、ただひたすら海を眺めつづける女を見つめた。

 

(・・・・期待はずれだなあ。)

 

本音を言えば、幹部にまで上り詰めたという女に期待していたのだ。

 

変人ポルポという名詞は、パッショーネの中では中々に有名だった。

曰く、ボスと親しいだとか、喪服のように黒をいつも身に纏っているだとか、妙に暗い女だとか、人付き合いをあまりしないだとか、稼げるはずの麻薬から手を引いているだとか、稼いだ金を慈善事業に回しているだとか、いつも男装をしているだとか。

ただ、パッショーネに入るための試験という重大な部門を任されているのに加え、そうしてあまり人付き合いをしないことから独り歩きした噂であるのだろうとメローネも予想していたものもある。

確かに、女は変人であった。

ただ、それはギャングとしてはという話であって、表の世界ではそこらへんに転がっていそうな女だった。

 

つまらない。

 

メローネの心境はそれに尽きる。

幹部にまでのし上がったというのだから、さぞかし母体にぴったりな女であると思っていた。もちろん、母体にすることはそうそう出来ないだろうが。それでも観察対象として、どんな女であるのか気になっていたのだ。

けれど、蓋を開ければ女は殺意も薄く、怒りも細やかで、どこか穏やかな目をしてメローネを見つめていた。

怒らせてみるという選択肢も無いわけではないが、それで仕事を干されるだとか、チームに迷惑をかけてまでする気は起きなかったのだ。

 

(・・・・ギアッチョは、なんかこの女が気に入ったみたいだけど。)

 

メローネが出払っている間に、ギアッチョは女に対して妙に世話を焼く様になっていた。ギアッチョにわけを聞いても簡潔に死なれちゃ困るから、としか返ってこなかった。

メローネは、それが不服だった。

確かにポルポのおかげでチームの中は大分改善されていたが、だからと言ってそこまで過保護にする意味が分からなかった。

メローネは、女の価値を思う。

どうせ、この女も、そこらにいる人間とそう変わらないだろうに。

そこでふと、メローネは女の影に視線がいった。

うぞりと、影が動いた。

 

(スタンド!?)

 

メローネが警戒のために立ち上がりかけるが、それよりも先にポルポが囁いた。

 

「ブラック・サバス?」

 

声と共に、ポルポの陰からスタンドが姿を現した。

女と同じように黒を纏ったスタンドだった。独特な帽子のような頭部のせいか、道化師に似ていた。

ブラック・サバスはポルポを見下ろす形で背後に立ち、彼女はそれに体をのけぞらせるように顔を合わせた。

 

「・・・・・海を見るならば、遠くではなく、近づけばいい。」

「なんだい、外に出たいのか?」

「影の中であればどうとでも。」

「出かけようか。」

 

メローネは、それにようやくそのスタンドがポルポのものであることを察した。

そうして、信じられないものを見た気分であった。

スタンドは、基本的に本体と地続きになった、あくまで当人の能力だ。

だというのに、ポルポのブラック・サバスは完璧な自意識を持っているようだった。

メローネは、好奇心でブラック・サバスをじっと見た。

ポルポはおもむろに立ち上がり、メローネを振り返った。

 

「すいません、メローネ。少し、出かけたいんですが、よろしいですか?」

「あ。ああ。構わないが。」

「それじゃあ、行こうか。ブラック・サバス。」

「それを、お前が望むならば。」

「・・・・君が外に出たいんじゃないのかい。」

 

ポルポは呆れたように、ブラック・サバスに言った。その様は、己自身というよりもまるで長年連れ添った相棒のようにポルポに寄り添っていた。

 

 

 

「はい。」

「は?」

 

メローネは、己に差し出されたジェラートを見た。

ポルポが道端で見つけたジェラート屋で買い物をするのを見ていたメローネは、差し出されたそれに困惑する。

そうして、困惑するメローネに同じようにポルポが困ったような顔をしていた。

 

「えっと、すまない。その、さすがに、メロン味は安直すぎたかい?」

「・・・ああ、いや。」

 

メローネは差し出されたそれを受け取った。

ポルポは少しの間不安そうにメローネを見ていたが、拒絶する様子が見られないのに安堵したのか自分の分も店員に頼み始める。

メローネは、自分の手にあるメロン味のジェラートを見た。

 

何故、自分はジェラートを渡されたのか。

いや、分かっている。

 

(・・・・大方、自分だけ食べるのが忍びないとか。もしくは、何も考えていないとか。その程度だろうな。)

 

普通だ。本当に、普通だ。

メローネは、おもむろにジェラートを口にした。

警戒心はなかった。ポルポが己を殺す意味はないと判断できただけだ。

まあ、そこそこ旨い。

 

ポルポに恩があったのは、事実だ。

メローネもまた、暗殺者チームへの推薦を受けたために生き残った口だ。

メローネは、ただ単にそれだって自分に暗殺者チームへの適性があるためだと考えていたが。

今、目の前の存在を見ていると本質は別にあるんじゃないかという気持ちになる。

知りたいと思う。その女の本質というものを。

けれど、踏み込めば踏み込むほどに、女の在り方はあまりにも平凡で、退屈で。

欠伸がしたくなるほどに、メローネの琴線には触れない。

だからこそ、女の護衛なんてギアッチョに適当に任せようかと思っていた。ちょうど、何故か過保護にもなっていたし、それでいいだろう。

メローネが情熱を費やすほどの価値を、ポルポには感じられなかった。

 

「なんで二つ?」

 

メローネは、ポルポの持っていた二つのジェラートを見て疑問符を上げる。それに、ポルポはいたずらっ子のようににやりと、珍しく笑った。そうして少しだけ人目を避けた路地の方に入り込む。

メローネは何が起こるのかとポルポの行動を見ていると、また影からブラック・サバスが現れた。

ポルポは徐に、そのジェラートをブラック・サバスに渡した。

 

「は?」

 

メローネは、それに信じられないものを見るような目をする。渡されたジェラートをブラック・サバスは、丸のみするかのような形で口に放り込んだ。

 

「君、もう少し味わって食べられないのか?」

「美味。」

「おいしかったのならいいんだけど。」

「・・・な。」

 

もごもごとするブラック・サバスの口をメローネは凝視した後、叫んだ。

 

「なんてことだ!!」

 

それに、ブラック・サバスとポルポが驚いて身を寄せ合った。

 

「どういうことだ!?スタンドが食事をする?スタンド、精神エネルギー!実体はあってないようなものだ!だいたい、食事をとる必要だってないはず!だというのに、君のスタンドは食事をした!だいたい、食事をしたとして、消化はどうなっているんだ!?排泄だって、どうなってるんだ!?」

「え、えっと、さあ?」

「知らないのか!?自分のスタンドだろう!?もっと、こう、興味を持った方がいい!」

「まあ、この子も自由だし。」

「ああ、興味深い、どうなっているんだ?体の中は?臓器は?いっそ、脳は!?ねえ、舐めてもいいかな!?」

 

ディ・モールト!!

メローネはそう叫んで、ブラック・サバスを見つめる。少なくとも、ポルポに興味をそそられるものはなさそうだが、スタンドには大変興味を引かれた。

興奮気味のメローネに、ブラック・サバスは無言で影の中に消えた。

 

 

「・・・・あー、その。」

「なんだい?」

「えっと、プロシュートは、元気にしているかい?」

 

ブラック・サバスが消えた後、メローネは興奮気味にポルポに詰め寄ったが出て来ることはなかった。

なんとかメローネを落ち着かせたポルポは、必死に話題を変えるために口を開いた。

メローネは、ブラック・サバスの内臓について考えていたが突然聞こえて来た男の名前に意識を向けた。

 

「プロシュート?」

「ああ、その、元気にしているかい?」

「別に怪我をしたなんてことは聞いていないが。どうして聞くんだ?」

 

そう言いながら、プロシュートがポルポと面識があったことを思い出す。

 

「ああ、あのな。プロシュートは元々カラマーロが拾ってきた子なんだよ。カラマーロ、分かる?」

「迎えに来た女だろ?」

「そうそう。懐かしいなあ。プロシュートのことは殆どカラマーロが世話してたけど。私も、文字を教えるとかしてたんだよ。まあ、結局、発現したスタンドが強力だからってほかのところに回されちゃって。暗殺者チームへ行きついたんだけど。」

 

元気にしてるんだねえ。

 

そう言って、ポルポは心の底から嬉しそうに微笑んだ。メローネは、それを眺める。

今度、ご飯に誘おうかあ。迷惑かなあ、良いお酒を贈るだけにしようかあ。ああ、でも、私のおごりだって言えば来てくれるかなあ。そうかあ、元気にしているなら、それだけで。

そんな独り言をBGMにして、メローネは女の変人たる所以を見た気がした。

 

(リゾットが気に入るのも、分かるなあ。)

 

女からは、陽だまりの匂いがした。

優しくて、穏やかで、親しいものの幸福を願う、そんな清潔そうな匂いがした。

メローネは、リゾットが表側の出身であることを知っていた。

妙な、懐かしさでも感じているのだろう。

 

(・・・・それに、別に、高嶺の花ってわけでもない。)

 

もちろん、相手は幹部なのだから、高嶺の花といえばそうだが。

巻き込むことも、汚す心配もない。なんたって、ポルポはすでに巻き込まれているし、汚れているのだ。

リゾットと繋がりがあっても、なんの障害だってない。

けれど、女からは相変わらず陽だまりの匂いがする。陽の下で笑っている様な錯覚がある。

リゾットが、ポルポにどんな感情を抱いているかなんてメローネは知らない。きっと、理解も出来ないだろう。

蓮の花のよう、というのは少しロマンチストが過ぎるだろう。

けれど、メローネはそれを忌々しく思いなおし、舌打ちをしたくなる。

汚れているくせに。

きっと、メローネと同じぐらいに醜く汚れているくせに、女はまるで綺麗なもののように笑うから。

ずるい。

別に、羨ましいなんて思わないのに。

そんなことを考えてしまう。羨ましいというよりは、何とも言えない腹立たしさと言えるだろうか。

上品そうに笑う女の化けの皮を剥いでやりたくなる。

 

「・・・・そういえば、君は、私の血液型とか気にしないの?」

「何言ってるんだ?」

「いや、君のスタンドからすれば、気になるんじゃないかって。」

 

メローネはそれに信じられないものを見るかのような目をする。

ポルポが、メローネの能力を把握しているのは分かる。なんといっても自分たちを管理する側なのだから。

けれど、だ。

この女は、まるで血液型を聞いて来いと言っているようにしか聞こえない。

 

「ああ、私は、母体には不向きかなあ。お世辞にも、健康的とは言えないし。」

「・・・・まるで、母体になりたいって言ってるみたいだ。」

 

上司と部下だとか、相手が幹部だとか、そんなことは頭からすっぽ抜けた。口から出た言葉は、あからさまに女の正気を疑っていた。

 

「え、ああ、いや。そう言うわけじゃなくて。死にたくは、ないし。でも、それぐらいしか、私は君の役に立てることはなさそうだから。」

 

少しだけ、情けなくて。

 

ポルポは、そう言って笑った。申し訳なさそうに、眉を下げてポルポは己の腕を抱きしめる様に摩った。

 

「君は、お金にはあまり興味はないようだし。でも、私に出せるものは、それぐらいしかないから。私は、君の働きに差し出せるものが、役に立てるようなことが思い浮かばなくて。」

 

そんなことを言う。

壊れている、メローネは女を前にそう思う。

だって、そうだろう。この女は、まるでメローネのためになら命など惜しくないと言っている様ではないか。

 

「人殺しの、ために死ぬのかよ、あんた。」

 

メローネは、強烈な違和感と言えるそれに吐き捨てるように言った。それに、ポルポはあの陽だまりの匂いのする穏やかな微笑みをした。

 

「人殺しの道具だと思えないから、こうやって話をしているんだよ。」

 

その眼は、人を見ている目だった。

まるで、侮蔑するべきものでも、憐れむべきものでも、気持ちの悪いものでもなく、ただ、人を見ている目だった。

それが、たまらなく、居心地が悪くなる。

 

「・・・・私は、当たり前のように、君に生きてほしいと思う。君や、リゾットたちに生きてほしいと思う。知らない誰かよりも、言葉を交わした君たちの方がずっと大事だ。」

 

酷い話だけれどね。

 

その顔しか浮かべることを知らないというように、女は笑う。

それは、あまりにもあけすけな、当たり前すぎる親しみの言葉だった。

下心も、欲望もなく。チームの皆のような、分かりにくい共同体としての意思も無く、ただ、交わした一度きりの親しみのための言葉だった。

 

あまりにも、それは平凡で、普通で。

 

どんな言葉を返していいかわからずに、メローネは口を噤む。そこで、思い出したかのような空気でポルポが口を開いた。

 

「ああ、でも。君の、スタンドは痛いのかなあ。」

 

痛いのは嫌だなあ。

 

まるで注射を嫌がる幼子のような、今の状況には不似合いすぎる台詞にメローネは、ああと思う。

 

この女は、凡庸なままに壊れてしまったのだと。

女は、当たり前のことをする。

己が世話した男を気遣い、部下への世話をし、友人を思いやり、親しい誰かに己のものを分け与える。ただ、一度きりの会話で簡単に親しみを覚え、そうして細やかな好意を示す。

誰かのために、何かをしたいと思っている。

それは、善良さだった。

けれど、メローネは、知っている。

その女の手は、ずっと、赤く汚れているのだと。

誰かを殺した手で、誰かを殺せという口で、誰かの死を見た目で、それでもポルポはどこか、未だに陽だまりの気配を感じる。

それは、やることが少々極端を行き過ぎているが、なんとも普通だった。

近しいものの幸福を願い、けれど遠い不幸には無関心を示す。

女の中にある当たり前の美徳と悪徳を行う様は、確かに極端さを抜けば、どこまでも普通だった。

 

(ポルポは、どうやって死ぬんだろうか。)

 

メローネは、女の思考回路を理解しきれずに疲れた頭に浮かんだ疑問に目を向けた。

この女は、どうやって死ぬのだろうか。

血に濡れながら、なおも穏やかに笑う女は、どんなふうに死ぬのだろうか。

そんなふうに、人殺しの己を案じる人殺しは、どうやって死ぬのだろうか。

メローネの中に、強烈な興味が生まれた。

命乞いをするのだろうか、罵るのだろうか、怨むのだろうか、怒るのだろうか、足掻くのだろうか、憎むの、だろうか。

その女が、最期にどんなふうに行動するのか、知りたい。

 

(・・・いいや。それよりも、ポルポが母親に相応しい女になる瞬間のほうが興味が出て来た!)

 

この、壊れた女が、善良さを持ったまま狂った女が醜悪に落ちていく様に興味が湧いた。もっと、壊れていく様を、みたいと思った。

そうして出来たベイビーは、どれほどのスタンドになるのだろうか。

いや、メローネが己で大事にしていた女を母にするとき、どんなベイビーが生まれるのだろうか。

そもそも、スタンドを持った存在を母にする機会なんて今までなかったのだ。

メローネの、己の中に生まれた好奇心とも言えるものが擡げた。

メローネは、ポルポに微笑んだ。

ポルポは、沈んだ顔をしていたがその微笑みに不思議そうな顔をした。

メローネは己の顔が整っているという自覚はあったが、その微笑みにポルポの中に何かが動く様子はない。

相変らず、ぼんやりとした夢を見る様な目をした。

 

「あんた、母体になるにはもう少し太らなくちゃいけないな。」

 

メローネは、目の前の女がそんなことを言っても怒りもしないことを察していた。ポルポは、戸惑う様な顔をしたが、困ったように微笑んだ。

 

「・・・・もう少し、食べろとは言われてるんだけどねえ。」

「じゃあ今度何か食べやすいものでも作ってやるよ。」

「どうしたんだ?急に優しいなあ。」

「あんたに死なれると、金づるがいなくなって困るだろう?安心してくれ、あんたが死ぬまでは守ってやるよ。」

 

もっともらしいことを言えば、ポルポは納得して頷いた。

その、素直な信頼に、メローネはぞくりと背筋を震わせた。妙に湧き上がる嗜虐心のようなそれを鎮めていると、ポルポがメローネの頭を撫でた。

あまり、覚えのない感覚に、メローネは体を固めた。見上げれば、ポルポが中腰になって自分を見下ろした。

 

「メローネ。ありがとう。君は優しいねえ。」

 

赤い瞳が、朝焼けのようなそれが、じっとメローネを柔らかに見つめていた。

 

(・・・・ああ。)

 

この女は、どうやって死ぬんだろうか。

何故か、その様がどうしたって想像できなかった。

 

 

 

(・・・・メール。)

 

ホテルの寝室にて、ポルポは持って来ていたパソコンを開いた。カラマーロからの何かしらの一通でも入っていないかと目を向ける。

そうして、新着のメールが一件。

それは、短く、簡潔な、ボスからのメールだ。

 

可愛いポルポ。

お前の欲しがった猟犬たちは従順か?

 

(・・・・どんな顔で、可愛いポルポなんて打ってるんだろうか。)

 

もうとっくに慣れたメールの書き出しに重いため息を吐きながら、ポルポは返信を書き始めた。

 

 

 

 




えー、ちょこちょことある方の作品と似ているのではということが来ていますが、全くの無関係になります。
もしも、そういった声が多い場合は、どうにかします。ただ、こういった声を受けるのが初めてなのでどうすればいいかわからないのであまり気になるなら意見を下されば幸いです。

メローネの気持ち悪さが足りないと思いながら、初対面の上司にあの態度をとる彼が想像できなかったためです。


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歪な幸福

プロシュートと歪な人


 

世の中には、どうしたって出たくない電話というものが存在する。

例に漏れず、プロシュートの前で鳴り響く着信も又、そのたぐいのものだった。暗殺者チームのメンバーは、全員が携帯電話を持たされている。

不測の事態にも対応するためのものだ。

 

(くそ!)

 

プロシュートは、電話を取った。

取らなければ数倍も面倒なことになると分かっていたためだ。

 

「・・・・何だ?」

「ずいぶんと遅いわね。プロシュート。」

 

その女の声に、プロシュートは思いっきり顔をしかめた。ただ、とある事情でプロシュートは、非常に電話の先の女に逆らうのが苦手であった。

 

「・・・・何か用か、カラマーロ。」

「あんた、本当に可愛くなくなったわね。昔は、姐さん姐さんって人の後ろを付いて回ってたのに。」

「・・・・忘れろ。それよりも、要件はなんだ?」

「プロシュート、あんた、もうご飯食べた?」

 

丁度、電話をしている現在は日暮れ時。早めの夕食を取る者もいる時間だ。プロシュートは、その台詞に全てを覚った。

 

「またポルポの発作か。」

「その、発作って言い方嫌なんだけど。まあ、似たようなものかしらね。ともかくリゾットも招集したから、急いできて頂戴。良いワインも飲ませてあげるから。」

 

ただ酒というものには惹かれた。ポルポが用意するならば、相当に上等なものだろう。けれど、プロシュートの中には葛藤がある。その誘いに乗るか迷っていると電話の向こうから心配そうな声がした。

 

「どうしたの、プロシュート。あんたがただ酒に飛びつかないなんて。気分でも悪いの?それなら、今日は来なくてもいいけど。何か、食べやすいものでも持って行こうかしら?」

 

それに、プロシュートは舌打ちをしたくなる。その言葉はわざとではなく、心の底から心配して言っているのだと分かるのだ。

ギャングのくせに甘い態度を取るなと言いたくなるが、カラマーロの態度はけして弱みではない。プロシュートになら、そう言った態度を取っても構わないという信頼の為だ。

 

「・・・これから向かう。場所は、いつもの場所か?」

 

結局のところ、自分が折れるしかないということをプロシュートはよくよく知っている。

 

 

 

プロシュートが向かうのは、ファミリー向けの賃貸がある比較的治安の良い地域だ。そこに、ポルポが生活拠点として借りている家がある。

幸いなことにそこまで遠くない場所にいたおかげでさほどの時間をかけることなくやって来れた。

歩く道のどこからか、子どものはしゃいだ声や何かしらの料理の匂いがした。

それに、ノスタルジックな感覚を覚える様な人生はしていないけれど。それもまた、誰かの安寧なのだろうとプロシュートは煙草をふかした。

そうして彼は聞きなれた声がどこからかしていることに気づいた。どうやら、歌っているようだった。どうも母国語ではないようだった。

きょろきょろと辺りを見ると、少し先に、何か荷物を持った見慣れた黒髪がよろよろと歩いていた。それにプロシュートは呆れたようにため息を吐き、速足でそれに近づいた。

 

「おい、何してんだ!?」

「あれ。プロシュート。着いたのかい?」

「着いたのかじゃねえよ。何で一人で出歩いてるんだ!?」

「ああ、買い忘れたものがあってね。カラマーロとリゾットがまだ、着いてなくて。」

「だからって一人で・・・・」

 

プロシュートの怒鳴り声の前に、ポルポの後ろから人影がにゅるりと躍り出た。プロシュートは体に叩き込まれた順応力で身構えたが、それがブラック・サバスだと分かるとああ、と頷いた。

 

「あー、一人じゃねえってか?」

「我は、これ。これは、我。」

「何かあっても、この子が何とかしてくれますから。」

「・・・だからって。まあ、今更ギャースカ言ったとして仕方がねえか。」

 

プロシュートはそう言うと、ポルポの持っていた買ったものを攫うように手に取った。

 

「あ・・・・」

「おい、あのババアが帰ってくる前にさっさと行くぞ。」

「プロシュートは、いい子だねえ。」

 

さっさと歩いて行くプロシュートの後を、ポルポは軽い足音でそれについて行く。

淡く微笑みを浮かべた、柔らかな視線をプロシュートは無視した。生温いセリフも、聞こえないふりをした。

 

「そういや、さっき何歌ってたんだよ。違う言葉だったがよ。」

「ああ、とある国の歌でね。涙がこぼれるから上を向こうって歌だよ。」

 

ゆるゆると、ぼんやりとした瞳でポルポは微笑んだ。

プロシュートは世間話の範囲であったためふーんと言いながら歩いていると、いつの間にか遥か後ろにポルポがいることに気づいた。自分が歩く速さを思い出し、慌てて後ろに下がった。

 

「ああ、ごめん。遅いね。」

 

困ったように微笑んだポルポにプロシュートはため息を吐き、そうしてその手をおもむろに取った。

 

「さっさと帰るぞ。」

 

引きずられる形になったポルポは、申し訳なさそうに微笑んだ。それを横目に、プロシュートはその手を握った。

あまり体温が高いとは言えない、冷たい手だった。

冷えた、手だ。

 

(・・・・つめてえ。きっと、こいつは、中々老いねえんだろうなあ。)

 

 

 

「・・・・こりゃあ、また作ったな。」

「あ、ははははは。」

 

着いた家に入れば、なんとも腹の空く良い匂いがした。

そうして、玄関から進めば、台所やテーブルの上に料理の乗った皿や鍋が大量に乗っていた。

 

ポルポには唯一と言える趣味がある。

それというのも、料理だ。

家で出来ること、実益があることなどを含めてやるようになったものだ。

ちなみに、腕はそこそこよかったりする。

元より、作業的なことをするのが苦ではない性質だ。料理を作ることも含めて、片付けも中々に好きであったりする。ただ、多くの料理をレシピ通りに数年間延々と作り続ければある意味嫌でも上手くなる部分もあるだろうが。

そんなポルポは、一つ、悪い癖がある。

それが嫌なことやストレスを感じると大量の料理を作るのだ。その量というのも、まだ四、五人分ほどならいいのだが際限というものもなく十数人分を延々と作るのだ。ちなみに、ポルポ自体小食な為に役に立たない。

そのため、料理は昔なじみのカラマーロとリゾット、そうしてプロシュートに最近ではホルマジオが胃袋に収めている。

量が多いと言っても、基本的に味はいいのだ。それと同時に、ポルポも自分のストレスの結果を食べさせるのは気が引けるらしく良いワインも出て来るのだ。

本音を言えば、プロシュートを含んだ皆にとって、このストレスの爆発は楽しみにしている部分がある。

もしも食べられない場合、以前は金欠状態だった男たちの冷蔵庫に行くことになる。

ちなみに、ギアッチョがアジトに初めて来たときにリゾットが出した料理もこのあまりであるのだが。それをギアッチョは未だに知らない。

 

「リゾットもカラマーロももうすぐ来るはずだから、座って待っておいて。」

 

大量の料理に苦笑しながら、ポルポは台所へと進んでいく。プロシュートは言われるがままに、適当な椅子に座った。

椅子に座って、何気なく目を閉じれば、料理の匂いと食器の擦れ合う音、そうして、女の鼻歌。

眠たくなるような、空気だった。

プロシュートは、薄目を開けて部屋を見回した。

ポルポは、微かな子守唄を歌うように何かを口ずさんでいた。それを見て、プロシュートはぼんやりと思う。

 

(・・・・このまま殺してやれば、この人は幸せだろうか。)

 

 

 

プロシュートと名乗っている男には、元より戸籍がなかった。戸籍も無ければ、名も無かった。

しいてあるなら、髪の色から金色なんて風にあだ名があるぐらいだった。

野良犬のように、生きていた。

それがどうあるわけではない。

そんな生活しか知らないのなら、それが普通であった。つるむ存在はいたが、別に親しいわけでもない。

独りであることが、当たり前だった。

けれど、プロシュートはその生活に満足していたわけではない。

いつか、成りあがってやる。こんな場所から抜け出してやる。このままで、終わってたまるものか。

ある時、焼きが回ったのか、プロシュートの整った顔立ちのせいなのか数人に襲われたことがあった。

腕っぷしの強かった彼は、その数人をものの見事に伸してしまった。そこまでは、よかったのだ。

その伸した男たちがギャングであったことが、何よりも運が悪かった。

拉致されたプロシュートが、ボロボロで、その美しい顔立ちも腫れて無残になった中で、死を予想したとき、男たちが一瞬で砂に変わった。

見上げた先に、女がいた。

いや、まだ、少女と女の両方に足を掛けた、危うさを兼ねた年頃の女だった。

燃える様な、金の髪。凍り付くような、アイスブルーの瞳。

女は、ボロボロのプロシュートを前に、面倒くさそうにため息を吐いた。プロシュートは、その眼が何であるか、察していた。

それは、興味のないものを見る目だ。それは、嫌なものを見る目だ。それは、無関心の目だ。

女の手が、ゆっくりと自分に近づく。

砂になるのだと、とっさに判断できた。

プロシュートは、とっさに立ち上がり、力を振り絞って女に殴り掛かった。

女は、そういった殴り合いには慣れていなかったのか、避けはしても返しては来なかった。

けれど、すぐに体勢を整えて、プロシュートと向き合った。

プロシュートはがくがくと震える足に力を入れて、叫んだ。

 

「死んでたまるか!!こん、な、とこで、死んでたまるか!こんな、底で、死んでたまるかよ!!!」

 

それは、己を奮い立たせるための叫びだった。意図さえ見ない、ぐちゃぐちゃの言葉だった。それでも、プロシュートは叫ぶしか出来なかった。

こんなところで死にたくなかった、こんな無意味に、ごみのように死にたくなかった。

けれど、プロシュートの体は惨めに崩れ落ちた。無駄に動いたせいか、体は重く、意識もぼやけていた。

 

(・・・・しにたくねえ、うえに、おれは。)

 

沈んでいく思考の中で、幼さの残る声がした。

 

「・・・・ねえ、あんた。いきたいの?」

「いき、てえ。しにたく、ねえ。なにも、つかめてねえんだ。」

 

掠れた、小さな声で、とっさに返事をした。それと同時に、意識はぶつりと途切れた。

 

 

次に、プロシュートが目を覚ましたのは、荷物の少ない殺風景な部屋だった。

プロシュートは、何故、自分が生きているのかと疑問に思った。体は包帯だらけで、手当はされていた。

その疑問も、すぐに解かれた。

ベッドの脇には、あの、美しい金髪の女がいた。

 

「なん、で、だ。」

 

掠れた声に、女は無表情で言った。

 

「・・・・・あんた、生きたかったんじゃないの?」

 

だから、生かしたの。

 

意味が分からなかった。生きたいから、生かしたなんて。頭がいかれてるんじゃないのだろうか。プロシュートが見たのは、おそらく絶対に見せてはいけないものだったはずだ。だというのに、女は自分を生かしたのだ。

生かしたとして、どんな得があるというのだろうか。

 

「そん、な、りゆう、あるかよ・・・・」

 

ひねり出すような、かすれ声に女は目を伏せた。少しだけ、後ろめたいことがあるというように。

 

「似てた、から。」

 

そんなことを言われても、やはり意味も分からなくて。けれど、その言葉の裏に何か女にとってひどく神聖なものがあるような気がして。

プロシュートは、思わず黙り込んでしまった。

 

 

その後、プロシュートは怪我が完治するまでその部屋で過ごした。部屋を訪れるのは、薬や食料を持った女だけだ。

女の名前は、カラマーロといった。

怪我が完治すると、プロシュートはとある建物に連れていかれた。

そうして、ある一室に通された。

 

「入ります。」

 

プロシュートは、何も聞かされていなかった。今更、殺されることは考えにくかったが、それでも身を固くした。

扉の奥には、暗闇が広がっていた。

完全な闇というわけではない。カーテンが閉め切られているせいで、暗いと言っても完璧な闇というわけではない。

 

「・・・・ああ、カラマーロ。その子が、ええっと、話をしていた子かな?」

 

暗がりの中から、声がした。女にしては低く、男にしては高い声。

よくよく目を凝らせば、部屋の奥に誰かがいた。それは、椅子に座っているらしく、立ち上がりプロシュートたちに近づいた。

 

「・・・・こんにちは。」

 

そう言って、中性的な男のようにも、背が高すぎる女のようにも見えるそれは、あんまりにも普通の挨拶と、そうしてギャングらしからぬ柔らかな微笑みを浮かべた。

薄闇の中で、一人立つ凡人からプロシュートは目が離せなかった。

 

 

 

プロシュートは、カラマーロの部下になることが決まった。今にも倒れるんじゃないかと思う様な顔色の悪い女は、カラマーロの上司であるらしかった。

一先ず、自分が確かなギャングになったことは分かったが、それを実感する暇はプロシュートにはなかった。

上司であるというポルポにあった次の日から地獄の教育が待っていた。

まず、立ち居振る舞い、銃の撃ち方、組織の内部図、簡単な仕事内容。

一番に苦痛だったのが、文字についてだった。

仕方がないとはいえ、学校にもろくに通っていないため教材は本当に簡単な絵本になる。その屈辱と言えるそれに、プロシュートは早々と切れた。

 

「やってられねえ!!」

「・・・・ああ。」

「なんで、オレが!こんな、餓鬼の!」

 

現在、プロシュートとポルポがいるのは彼女の仕事部屋だ。ポルポの仕事机の前に置かれたローテーブルでプロシュートが絵本を放り投げた。

ポルポは、宙を舞った絵本をぼんやりと眺めた。プロシュートは、叫んだ後に慌ててポルポを見た。

臆病な性質の彼女が怯えはしないかと伺うが、彼女は変わらずぼんやりとした目をして床に転がった絵本を見ていた。

 

(・・・・なんだか、こいつは。)

 

プロシュートは、目の前の女に一応は従って少し経つが、なぜこれがギャングなんてものになったのか皆目見当がつかない。

そう思うほどに、女は普通だ。もちろん、変わった部分は多々ある。部屋を閉め切っていることや滅多に外に出ないだとか、男のような格好しているだとか。

けれど、その眼は、どこまでも普通だ。

女からは、プロシュートの知らない匂いがした。知らない、けれど、ひどく清潔な匂いがした。

プロシュートはその女が自分と同じところにいることが信じられなくなる。それほどまでに、女は穏やかで平穏の中にいるように見えた。

正直な話、女に従うことにプロシュートは納得していない。けれど、カラマーロは絶対的な忠誠をポルポに捧げている。

だからこそ、プロシュートはポルポに従っている。

カラマーロが仕事で外に行くときは、基本的にポルポの世話をしていた。世話と言っても、食事を食べる様に促すだとか、カラマーロからの連絡を受け取るだとかその程度だ。

それと同時進行で、ポルポから文字を教えられている。

 

ポルポは、穏やかな女だった。

プロシュートが知るはずのない、表の女というのはこういう存在なのだろう。

空気が、違うのだ。

プロシュートは、その暗闇の中で女の穏やかな空気に触れていると、スラムで生きた張りつめた何かを忘れそうになる。

それが、やけに苛々した。

女は、当たり前のようにプロシュートに微笑む。

ご飯を食べよう、眠っているかい、何か嫌なことがないか、カラマーロは優しいか。

その声は、まるで赤ん坊をあやすかのようで。

けれど、それを何故か振り払えないことが、プロシュートの中ですっきりしないのだ。

それにしては、どこか臆病さというか、何かを恐れている様な挙動をする。

ポルポには、ギャングとしての、人の上に立つカリスマ性と言えるものが著しく欠けていた。プロシュートは、自分の放り投げた絵本を拾うポルポを見た。

 

(・・・・なんで、カラマーロの姐さんはこんなやつに従ってるんだ?)

 

同い年ではあるが、自分よりも先にこの世界に入った女をそう呼んでいた。

プロシュートは、カラマーロに恩を感じている。彼女は、少なくとも青年を殺さず、仕事を与え、何よりも教育を施してくれる。

それを許可したのはポルポであるとはいえ、プロシュートのような荒っぽい彼が彼女に従うのには少し理由が足りなさ過ぎた。

 

「・・・・投げないでよ。」

「うるせーよ。」

 

むすりとしたプロシュートに、ポルポは苦笑した。

会った当初はびくびくとした態度であったが、慣れていくにつれて大分落ち着いた。プロシュートは、薄明かりの中で見えるポルポの顔色に、今日も青白いなとそんな感想を思う。

ポルポは絵本をそっと差し出した。

 

「ほら、今日はこれを読めるようになるのが目標だろう。」

「・・・・だからって、絵本なんて。」

「そう言わないで。みんなここからスタートするんだ。別に、君のことを馬鹿にしてるわけじゃない。私は、君のことをすごいと思っているんだよ。」

 

プロシュートは、何を、とポルポを見上げた。ポルポは、幼子を見るかのような甘ったるい目で彼に微笑んでいた。

 

「・・・・君は、決死の覚悟でカラマーロに抵抗した。抵抗し、そうして、君は生を勝ち取った。私には、きっとできないことだ。君には覚悟がある。進み続ける覚悟がある。きっと、君はもっと良き方向に進める。進める様に成長だって出来るだろう。」

 

期待しているよ。

 

ポルポの言葉に、プロシュートは黙り込んだ。

その言葉は、前にカラマーロが言った言葉とよく似ていた。

 

カラマーロは言った。

あんたには期待しているのだと。

 

あんたは私を前に生きたいと抵抗した。それを願って立ち向かった。あんたを拾ったのは、覚悟があると思ったからよ。

歩み続けるという覚悟がね。

あんたは成長できるわ。いつか、もっと先にと願い続けるならばね。立ち上がりなさい、足掻きなさい、手を伸ばすことを続けなさい。

あんたには期待してるのよ。

 

その二つの期待は、あまりにも色が違って聞こえたけれど。

その二つの声は、まるで、プロシュートの頭を撫でる様な声音だった。

プロシュートは、カラマーロに恩を感じている。尊敬も、少しはしている。なんといっても、彼女はプロシュートを拾ってくれた、利用するのではなく人として扱ってくれた、生きていくための術を教えてくれた、生かすのではなく生きていく方法を教えてくれた。

恩がある。

いつか、それを返したかった。与えられた何かを、いつか、少しでも返したいと願っていた。いや、返すのだ。必ずに。

彼女だけが、ごみ溜めのプロシュートに価値を見出した。

けれど、ポルポは違った。

ポルポにだって恩があった。けれど、どうしても、その女と向かい合う気にはなれなかった。女が差し出すものは、いつだってプロシュートには理解できないものだった。確かに、カラマーロと同じ言葉であるはずなのに、まったく違うものに聞こえる。

だから、ほとほと困ってしまうのだ。

その女を、どう扱えばいいのか、分からないままだ。

 

 

プロシュートは、ポルポをどう扱えばいいのか分からなかったけれど。

それでも好きだと思うことがあった。

それは、ポルポの護衛として外に出ている時に、囁くような声。

 

「プロシュート、今日のご飯は何がいい?」

 

夕暮れの中、足の遅いポルポの手を引いて、柔らかな微笑みで、そんな言葉を聞くのが好きだった。

手を引かねば、どんどん置いて行ってしまうのだからしょうがないのだ。

ポルポを置いて行った日には、カラマーロからのキツイゲンコツが振り下ろされるのだ。

プロシュートは、カラマーロに弱い。

散々受けた教育の賜物と言えるかもしれないが、何だかんだで彼女が己を生かしているのだということはしっかりと理解できた。

それは、プロシュートにとって安寧の言葉だった。

それは、居場所があるという象徴だった、今日も食事にありつけるという合図だった、それはここにいていいという証だった。

その温度の低い手を持って、夕方の中を歩くのが好きだった。

そうしていると、ようやく理解できた。

その女からした、清潔そうな匂い。それは、安寧の匂いだった。日常の、表側の匂いだった。裏で生きながら、そうやって表の匂いをさせる女のことは好きではなかったけれど。

それでも、その女をカラマーロは大事にしていた。

だから、それでいいと思った。好きではなくとも、それだけでポルポを守る価値があると思った。

ただ、その安寧の中で息をすることが心地いいことには目を逸らして。

 

 

 

「・・・・あんたが試験を受けることが決まった。」

 

その言葉を、プロシュートはすでに完璧に把握していた。

何故か、呼び出されたカラマーロの部屋でプロシュートは食事をしていた。もちろん、ポルポが作ったものの余りだ。向かい合うような形で椅子に座っていた。

 

「よし!とうとうか!」

 

明らかにはしゃいだ声のプロシュートに、カラマーロは大きくため息を吐いた。

 

「・・・・あんたは。」

 

カラマーロはテーブルに肘をつき、額に手を添えた。

 

「・・・・通り名を決めろと言ったら目の前にあったプロシュートにした時から思ってたけど。あんたは思いきりがよすぎるわ。」

「ああ?いいだろ、名前なんぞ所詮は記号だ。それが俺を意味するってわかりゃあいいんだ。それによお、お前だってカラマーロって名乗ってんだから似たり寄ったりだろ?」

「私は、別よ。」

 

項垂れるカラマーロをしり目に、プロシュートは弾んだ気持ちになっていた。

何といっても、試験というのはカラマーロのような特別な能力を得ることができるかどうかというものだ。

プロシュートは、己がその試験に受かることを疑っていなかった。

当たり前のように自分がその試験に合格すると確信さえしていた。頭痛を堪える様に頭を抱えた彼女に、プロシュートは改めて向き直った。

 

「安心しろ。カラマーロの姐さん。どんな能力だろうがあんたの期待通りの仕事をしてやる。借りは返すぜ。」

 

背筋を伸ばした青年の言葉に、カラマーロは伏せていた顔を上げて、なぜかゆっくりと首を振った。

 

「いいわ。私になんて返さなくても。」

「は?」

 

予想外の言葉に、プロシュートは目を見開いた。カラマーロはその顔を見て、ゆっくりと首を振った。

 

「・・・・もしも、あんたが私に何かを貰ったとか、そう思うなら、いつかあんたが見つけた地べたをはいずってる誰かに返してやりなさい。あんたは、いつか、託したいと思う相手に、私がしたことを返してやりなさい。」

 

私はもう、十分に貰ったから。

 

そう言って、カラマーロは、その美しい顔に笑みを浮かべた。

それに、プロシュートは目を見開く。

そうして、喉の奥でせき止めた言葉を飲み込んだ。

 

あんたは、恩を返せなかったのか。

 

それは、聞いてはいけない気がして。プロシュートは黙り込むことしか出来なかった。

 

 

目を覚ましたその時に、己を見下ろす朝焼け色と目が合った。

真っ黒な髪をさらりと流して、ポルポは微笑んだ。

 

「やあ、お帰り。」

「・・・・帰って来るのが分かってたみてえな顔してんな。」

「そんなことないよ。ただ、君はきっと帰って来るとは確かに思っていたけど。」

 

変わらず顔色が悪い。疲れた様に微笑んだ様は、こちらが心配になってしまう。

 

「・・・・試験には、合格したって事だよな?」

「そうだね。君は、これでスタンド使いだ。」

 

スタンドというのが、カラマーロのものを砂にする力のことだとは知っていた。そうして、自分をスタンド使いにしたのがポルポの力だとも知っていた。

 

「俺の力!」

 

プロシュートががばりと立ち上がれば、いつの間にか自分の横たわっていたソファの足もとに何かがいた。

それは、全身に目があり、おまけに下半身がない何かがいた。

それは、自分のスタンドであると何となしに察した。

 

(・・・こいつが、俺の、スタンド。)

 

俺の力、俺が何かを掴むための、力。栄光への力。

どうすれば、その力が分かるのだろうか。そう思っていると、その何かから噴き出した。

目の前の女が、どんどん老いて、小さくなっていくのをプロシュートは茫然と見つめた。止める方法も分からずに、プロシュートは固まってしまった。

その時、己を殴り飛ばすものがいた。そうして、叩きつけられた衝撃で彼の意識はぶつりと切れた。

ただ、覚えているのは、老いて行こうとも変わらない、穏やかな赤い瞳。

 

 

目を覚ましたプロシュートが最初に見たのは、ぐずぐずに泣いているカラマーロだった。まあ、結果はお察しで、一発殴られたのだが。

プロシュートの力は解除されたため、ポルポは無事であった。

 

彼女は、ソファに横たわっていた。

最初に目を覚ました時、プロシュートはどんな罰だって覚悟していた。上司を殺しかけたのだ。それ相応の何かがあるはずだった。

けれど、そんなものはなかった。

ただ、プロシュートは、その時の一言で、ポルポの全てが見当違いであったことを悟ったのだ。

赤い瞳が、プロシュートを見て。そうして、自分の元のままの手を見つめた。

女は、変わることない、穏やかな瞳でプロシュートを見た。

 

プロシュートの死は、優しいねえ。

 

その言葉を、理解することが出来なかった。

殺されかけたのに、死にかけたのに、どうしてお前はそんなにも穏やかに笑うんだ。

隣りで、カラマーロがまるで痛みをこらえるかのような顔をしていた。それに、ああとプロシュートは思う。

分かっていたことだ。

カラマーロが恩を返すことが出来なかったのは、ポルポで。そうして、どうして何も返すことが出来なかったのか、理解できた。

 

(・・・・こいつは、何も願っていないからだ。未来を、見てねえんだ。)

 

カラマーロの返したかった、栄光も、夢も、何もかもポルポは望んでいなかった。ポルポは、プロシュートを優しいものを見るような目で眺めていた。

死を、それ以上の安寧はないように見ていた。老いて行く中で、動揺も焦りも見えない、ただ、自分を穏やかな目で見つめる朝焼けを覚えている。

カラマーロが、飲み物を取って来ると逃げるように出ていく。

プロシュートは、茫然とポルポを見つめる。

プロシュートは、ポルポの穏やかな目を覚悟しているが故のものだと思っていた、甘さが抜けていないせいだと思っていた。

違うのだ。

この女は、ただ、何もかもを受け入れているだけなのだ。全てを、何が起こっても、そう言うものかという唯の諦めの結果なのだ。

二人っきりの部屋に、ポルポのあの、穏やかな声が響いた。

 

「プロシュート。気にしなくていい。君の力は強力だ。きっと、組織の中で評価されるよ。ただ、自分でコントロール出来る様にならないとだけれど。」

「・・・・あんたは。どう、思ったんだ?」

 

掠れた声に、ポルポは目を伏せて、ふわりと笑った。

 

「・・・・とても、優しいと思ったよ。ひどく、眠たくなって、沈んでいく様で。安寧の中にいるようだった。」

 

その言外に、そのままでも構わなかったと言っているように聞こえた。

プロシュートは、己の瞳からぼろりと何かがこみ上げてきた。

頬を流れる生暖かい何かにポルポが慌てたように、彼に手を伸ばした。

 

「ああ、すまない。あの、私は、何かしてしまったかな?」

 

違うのだと、そう言いたかった気がした。そうだと、言いたかった気がした。プロシュートは、思わず、縋りつく様に膝をつき、ポルポの膝ですすり泣いた。

 

それは、ひどく。

教養など殆どないプロシュートには、上手く言葉が見つからなかったけれど。その、胸に突き上げる何かを、人は何というのだろうか。

悲しいでも、寂しいでも、そんな言葉で理解されたくない。

ただ、まるでマンモーニのようにプロシュートは泣きじゃくった。

 

あんたにだって、恩が返したかったんだ。あんたと、カラマーロだけが、ただのチンピラでしかなかったプロシュートに価値を見出し、拾い上げてくれたから。だから恩が返したかった。

好きじゃなかった。一人だけ、自分とは違う所にいる女のことが好きじゃなかった。

けれど、その安寧の匂いのする女と、その幸福を願う女のために、静かな暗がりを守りたかった。

何が守れるのだろうか、死でさえも、何かも受け入れ切ってしまった壊れ切った女に何を返してやれるのだろうか。

涙で濡れた。もう、昔過ぎて、覚えていないほどの久しぶりの涙の中で、彼の頭を誰かが撫でた。

 

「大丈夫だよ。きっと、君なら力だって制御できるよ。怖がらなくたっていい。」

 

そんなことを思っていたんじゃないのに。頓珍漢な言葉がして。

そんなことを思っていたんじゃないんだ。

ただ、プロシュートは、哀れな女のことで泣いていたのだ。

好きだった、それでも、女に夕飯のリクエストをするのが、夕焼けの中を手を繋いで帰るのは好きだった。

その瞬間だけが、唯一、プロシュートの理解できる安寧だった。

プロシュートは、ポルポの顔を見上げた。

何時だって変わらない、水面のような穏やかな朝焼けの瞳を見返した。

 

(・・・・いつか、俺が、こいつを。)

 

 

 

 

「プロシュート。」

 

けして、大きくない声がプロシュートの耳に響いた。

ゆっくりと目を開ければ、見慣れた美しい金髪の女がいた。

 

「・・・・・寝てたか?」

「ぐっすりとね。あんた、眠れてるの?」

 

起き上がった体を起こして、固まった体をほぐした。そうすると、テーブルの向こう側でさっさと食事をするリゾットと、その配膳をするポルポの姿があった。

 

「・・・・旨い。」

「今日はお肉料理が多めだったけど。気に入ってもらえてよかったよ。おかわりは?」

「くれ。」

「君はたくさん食べてくれるから嬉しいねえ。」

「あんたの飯は旨いから相伴にあずかれるならありがたいがな。」

「相変らず、すげえ食うな。」

 

リゾットは、暗殺者チームで随一の大食いだ。元より、体格の良さと運動量がダントツであるのだ。

 

「リゾットが来てくれるようになってよかったわ。前は、あんたと一緒にひーひー言いながら食べてたもの。美味しいけど、量がねえ。」

「まあな。旨いけどよお。」

 

というよりも、ポルポの料理のレパートリーが増えたのもプロシュートのリクエストが原因であるのだが。

 

「そう言えば、あんたも食べなさいよ。良い酒持って来たけど飲んでばかりじゃなくてご飯もしっかり食べなさいね?」

「へーへー。」

「まったく、睡眠もそうだけど食事もしっかりしてるの?」

「体が資本なんだ。体調管理ぐれえしてる。」

「・・・・本当に可愛げがなくなって。」

 

カラマーロはそう言って、プロシュートの頭をぐりぐり撫でた。プロシュートは、それにイラッとするが、無視をした。

抵抗する方が怖い。

そうしていると、軽い足音がした。

 

「二人もご飯を食べよう。今日は、良いお肉が入ったんだ。」

 

そう言って、ポルポはプロシュートに手を伸ばした。プロシュートは、その手を取って立ち上がる。

相変わらず、冷たい手だ。

低い温度に、プロシュートは息を吐いた。

きっと、この体温なら、老いるのは遅いだろう。

 

(・・・・いつか、俺がこいつを殺してやろう。)

 

あの時のように、死を前にしても穏やかな瞳を眺める日をプロシュートは考える。

彼女の、死を願う日をプロシュートは立ち会うことを夢見ている。

ポルポの願う、優しい死を与えてやることが、唯一の女への恩返しだ。

いつか、女の何かが壊れ切って、死んでしまう時をプロシュートは待っている。その時こそ、ポルポを殺してやるのだ。

けれど、そんな日が来ることなく、ポルポが生に安寧を望むことを彼は静かに願っていた。

 




プロシュートの兄貴が女々しくなった。申し訳ない。過去の模造がありますが、イメージでない人はすみません。
ただ、プロシュートの兄貴はめちゃくちゃスラム育ちで、文盲のイメージでギャングになってから教育を受けた感じがします。

姐さんって働いている人かの意味なんですが、なんか任侠臭がするので呼ばせてます。


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神様の偽物

カラマーロと神様みたいな人。

ほとんどオリキャラの過去話になります。


もしも、悪魔というものがあるのなら人はきっと、絶対的な美貌の人を思い浮かべるだろう。ならば、天使はどうだろうか。きっと、多くの人が美しい存在を思い浮かべるのだろう。

けれど、神様はどうだろうか。

きっと、神様だって完璧な人を思い浮かべるかもしれない。

けれど、彼女は神様は、案外普通なのかもしれないと思っている。普通で、どこにでもいそうで。

当たり前のように、どこかにいる様な姿をしているんじゃないかとそう、思っている。

何故なら、あの日、彼女に手を差し出した神様は、人目を引くところなんてない、ただ朝焼けのような瞳だけが印象的な姿をしていたからだ。

 

 

 

 

 

その少女の人生は、お世辞にも幸福なんてものとは関係のないものだった。

とある大きなギャングの家に生まれはしたが、お世辞にも優遇されているという立場ではなかった。

彼女は母親と父親が一時的な関係としている時に偶然出来た子だった。捨てられてもおかしくはなかったが、幸いな事なのか少女はひどく美しい顔立ちをしていた。

おそらく、父親はそれが政略結婚にでも利用できると思ったのだろう、少女を引き取った。母親がどうなったか、少女は知らない。

どうだっていいことだ。

そう思わせる様な生活だった。

誰も、彼女を見なかった。誰も、彼女の名前を呼ばなかった。誰も、彼女という存在を気にしなかった。

別に、それでよかった。

そんなことだって気にしなかった。

ここで力を付けて、そうしていつかあんなやつらを見返すんだ。いつか、無視できないような存在になるんだ。

そう思って、少女は笑っていた。

砂のように感じる食事を食べて、彼女は生きていた。

 

 

「おい!もう一人の娘がいたぞ!」

隠れていた自室のクローゼットの中から引きずり出された少女の前には、見るからに荒んだ雰囲気の男達がいた。

 

(・・・・あの男、しくじったんだ!)

 

まだ年若いとはいえ、少女は下手すれば跡取りの長子よりもずっと家の現状を知っていた。それも少女の弛まぬ努力のたまものであるのだが。

今は、その理解が酷く怨めしい。

少女の親が属している組織に敵対する存在が現れたらしい。そこで、彼女の親がその調査を任されていたとは聞いていた。

 

(あの新しい、パッショーネってとこのボスは正体を嗅ぎまわられるの大嫌いだから気を付けろって言われてたのに!)

 

少女は、抵抗するものの明らかに腕力で勝てることはない。

手を後ろ手で掴まれ、組みふされた。じたばたと抵抗する少女の上で、身勝手な男たちの会話がした。

 

「おい、こいつどうするんだ?」

「見せしめに殺すんだろ。」

「・・・・ただで殺すのは惜しいな。」

 

その言葉で、少女は自分の身に起こることがすぐに察せられた。少女は叫んだ。

 

「くそ!放せ!下種ども!!」

「おい、あばれ・・・・・」

 

「お前らの好きになんかなるもんか!こんな所で、死ぬものか!!私には、夢があるんだ。私には、夢が・・・・・」

「うるせえ!!」

 

ダンと地面に叩きつけられた。悔しさと痛みで涙がにじんだ。

上で男たちの哄笑が聞こえる。

ああ、煩い。黙れ。その鬱陶しい声を止めろ。

そう思って、彼女に抵抗する力などない。

己の無力さを噛みしめた。幾度も、頭の中で罵倒を繰り返した。

けれど、彼女はどこまでも無力で。

己の服に手がかけられたことに歯を噛みしめた瞬間、ひどく柔らかな声がした。

 

「何をなさっているんですか?」

 

男たちは突然の闖入者に視線を向けた。

その声に少女も顔だけを何とか向けた。声がしたのは、少女の自室の出入り口であり、そこには一人の女が立っていた。

少女よりも少しだけ年かさらしい女は、正直な話をすれば一瞬男か女か分からなかった、ゆったりとした態度で部屋の中を見ていた。

真っ黒なスーツに、黒い手袋を体の前で組んでいた。やけに白い肌と黒髪のせいか、それぞれの色の互いに反発し合うような様はっきりと見えた。

ただ、その女の瞳に嵌ったルビーのような瞳だけが、はっきりとした色として存在していた。

 

「おい、あいつポルポだぜ。」

「ああ、ボスの気に入りのだろ?」

「気に入りって、ボスの女なのか?」

「おいおい、あんな貧相な奴がありえねだろ。」

「あいつ、不思議な力が使えるって話だぜ。今日、ここに入るのもあいつが手引きしたって話だしよ。」

 

上でこそこそと男たちがそんなことをしているのが聞こえた。その間に、ポルポと呼ばれた女がつかつかと歩み寄って来る。

 

「・・・・そんなことをしている暇はないはずですが。」

「はあ、じゃあ、あんたが俺らの相手をしてくれるのか?」

「はっ!そんな鶏ガラ相手にする気になんねーぜ!」

 

ゲラゲラと笑う声が響く中、女はうっすらと微笑んだ。そうして、おもむろに少女を指さした。

 

「・・・・彼女は私が処理します。」

「・・・・はあ?」

 

一気に冷たくなる雰囲気を前に、女はうっすらと微笑みを浮かべた。

 

「聞こえませんでした?これは、命令です。」

 

それに男の一人が立ち上がる。

 

「ポルポさんよお。確かに、今回のことはあんたにも協力してもらった。だがなあ、俺らに命令できんのは上の人間だけなんだよ。てめえにそんな権利ねえだろうが!!」

 

一気に響いた怒鳴り声に女は、薄く笑みを湛えたままだった。

 

「・・・残念ながらありますよ。ボスから、そういった権限を与えられています。」

 

ボス、その一言でやけに辺りが静まり返った。男たちはざわざわと騒ぎ出す。

 

「おい、ボスって。」

「はったりだろ。」

「いや、はったりでボスの名前を出すなんて。」

「てめえ、その言葉は確かか。嘘なら、死んだって知らねえぞ。」

「・・・・もしも、私の言葉に嘘があると思うならけっこうです。報告するなりすれば、私に処分が下されるでしょう。」

 

少女は目を見開いた。現状が、いったいどういう状態なのか、詳しいことはわからない。ただ分かることは一つ。

目の前の存在は、何故か、自分のために命を掛けようとしていることだけだ。

 

「ただ。あなた方は分かっていないのやもしれませんが。」

 

その瞬間、ざーと、部屋の窓をカーテンが覆った。

 

「な!」

「なんだ!?」

 

ぎー、バタン!!!

 

次に扉がひとりでに閉まった。部屋の中は、薄闇に包まれた。薄闇の中で、女だけがはっきりと、やけに堂々と佇んでいる。

男達が動揺で辺りをきょろきょろと眺める中、少女だけが暗闇に佇む女を見ていた。

女は、静かに、薄く微笑んでいた。

その瞳は、まるで大丈夫だと少女に言っているようだった。

その時、少女を押さえつけていた男が仰け反り、絶叫を発した。

男たちは、それに悲鳴を上げる。女はそれを眺めながら、淡々と言い放つ。

 

「私が命を懸けるなら、それと同時に、あなたたちも命を懸けねばならぬのだと、ちゃんとわかっているのですか?」

 

柔らかな声と同時に、男の絶叫が更に響き渡る。それと同時に、男たちが恐怖に支配されて部屋から逃げ出していく。

残ったのは、ポルポと少女だけだった。

ポルポは、ふらふらと少女に近寄った。少女は、目の前の存在がどのようなものなのか分からずに体を強張らせた。

そうして、ポルポは崩れ落ちる様に少女の前に跪いた。

よくよく見れば、幽鬼のように顔色の悪い女だった。その、憐れみさえも誘う様子に少女は少しだけ相手への警戒心を解いた。

 

「・・・・・私が、あなたに取らせてあげる選択肢は、多くありません。」

 

固まった少女に女は言った。

少女は己が何を言われているのか分からずに黙り込んだままだ。

ポルポは、明らかに息も荒く、脂汗を流して、顔を下に向けて少女に言った。

 

「逃がしてあげたいと、思います。ですが、私の権限ではそれは出来ない。ただ、あなたを生かすことが叶う選択肢が一つ、あります。」

「それは何!?」

 

少女は食いつく様に女へ叫んだ。ポルポは、胡乱な、静かな瞳で少女を見つめた。暗闇の中で、身を寄せ合うようにポルポと少女は向かい合った。

 

「・・・・良い選択肢であるとは、けして言えない。」

「それでもいいわ!私、死にたくないの、生きたいの!」

 

殴られたせいで腫れあがった痛々しい顔に、少女は決意ににじんだ瞳をしていた。歯を噛みしめて、叫んだ。

だって、嫌なのだ。こんな所で終わりたくないのだ。

目の前の女が、何を思って自分を生かそうとしているのか分からない。けれど、今、自分の前にはチャンスがある。

先に行ける可能性がある。

ならば、それにかけなくてはならない。そうでなければ、あんまりにも自分が惨めすぎるじゃないか。

だから、少女は叫んだ。

奮い立たせるように、願うように、祈る様に。

ただ、叫んだ。

 

「私には、夢がある!絶対に生きて、それで誰にも無視できないようになる!私を可哀そうだって思ってた奴らを見返すの!私、まだ何も掴んでない!」

 

空っぽのまま死ぬのは嫌!

 

ポルポは、それをまるで眩しいものを見るかのように目を細めた。

 

「生きたとしても、私の部下になるぐらいしか道はありませんよ。それでも?」

「死んだらおしまいだわ!もしも、死ぬとしても、こんな惨めなままで死にたくない!」

「・・・あなたには、試験を受けてもらう。もしも、受かることが出来れば、あなたは私たちの組織に迎えられる。」

「受けるわ。」

 

間髪入れない言葉に、ポルポは静かに言った。

 

「君には、覚悟があるかい?試験に落ちれば、死ぬことになる。」

 

それに少女は一瞬怖気づく。それを見ていたポルポは、確かめるように言った。

 

「・・・・覚悟を持ちなさい。」

「え?」

「覚悟が決まっていれば、少なくとも進み続けることが叶うから。例え、怖くても、苦しくても、悲しくても。それでも、どんなに倒れそうになったって、踏みとどまることができるから。君の願いは、それがなければひどく苦しいよ。」

 

それに少女は目を見開いた。そうして、拳を握りしめた。

 

(・・・・そうだ、覚悟を、持たないと。)

 

成りあがりたいと願いはしても、そのために自分は多くのことへの覚悟を持たなければいけない。

誰かを害すること、何かをなすことを、己のことさえ差し出すこと。

進み続けること。

 

「少しでも可能性があるなら、私はそれにかけるだけよ!」

 

叩きつけるような強い物言いに、ポルポはどこか悲しそうに微笑んだ。

そうして、そっと少女に手を伸ばす。

 

「ごめんね。私は君を地獄に落とすけど。でも、もしももう一度会えたなら、一緒に地獄を生きて行こう。」

 

柔らかな声と共に、自分の頬に手が触れた。

意識が落ちる瞬間に、ふと、思う。

ああ、そんなにも優しく己に触れた人なんて今までいたことがあるだろうか。

 

 

ざら。

少女、カラマーロは己の手の中で一部が砂になった新聞紙を見つめた。

 

(・・・・そう言えば、あの人との出会いはそんな感じだったっけ?)

 

カラマーロは、目の前のトゥモロウズ・ドリームを見た。

体中をベールで覆った、黒髪の女の姿をしていた。彼女は、ひどく寡黙で、声を発したことは少なくともカラマーロが知っているうえではなかった。

あの後、目を覚ましたカラマーロを出迎えたのは知らない天井だった。そうして、自分がポルポの保護下におかれ、そうしてスタンド能力を発現したことが分かった。

 

(・・・・触れたものが砂になる能力。なんだっけ、なんかの昔話か、神話だっけ。そんな話があったわね。)

 

その話の中では、確か欲張りな王が触れるものすべてを金にする力を得たはずだが。

己の能力は、それ以下といえるかもしれない。

 

(・・・・・あの人は、すごいって言ってたけど。)

 

その時、彼女がいたリビングの扉が開いた。そうして、扉の先からお世辞にも整えた服装とは言えない格好のポルポが出て来た。

 

「・・・・ポルポ!あなた、またパジャマで出てきて!もうお昼よ!ご飯は?」

「うーん。ごめんよお、昨日はちょっと面倒な事案が重なって。」

 

大きく欠伸をしてポルポはよろよろと歩いてくる。カラマーロはため息を吐いてキッチンに行き、牛乳をコップに注いだ。それを受け取ったポルポは一気に飲み干して、ありがとうと疲労の濃い顔に笑みを浮かべた。

 

「ご飯は、自室にあった栄養補助食品を・・・・」

「もう、そんなんじゃ食事なんて言えないわ!」

「君は?ご飯、作り置きを残しておいただろう?」

「私の心配はいいの!」

 

ぴしゃりとそう言えば、ポルポは困ったように微笑んだ。

カラマーロが現在住んでいるのは、ポルポの自宅兼アジトだ。カラマーロの実家はすでに解体され、家族も全員が死亡してる。

そんな記事を新聞の隅で見つけた時は、ふーんという感想しか思い浮かばなかったが。

そのせいで、カラマーロは所謂無一文になってしまったわけだ。

ポルポの家は、幸いな事なのか部屋が空いていたせいでカラマーロはそこに転がり込むこととなった。

ポルポの自宅は、基本的に薄暗い。それは、彼女のスタンドを見ればすぐに理解できた。

自宅は、ポルポにとって絶対的な監獄なのだろう。事実、そこまで広くない自宅に何かが忍び込んだということはない。

ポルポのスタンドは、聞くところによればそこまで遠い場所は無理だが少しの距離ならば本体と離れることは出来るそうだ。

 

共に住むようになってすぐわかったことだが、ポルポは基本的にだらしない。部屋の中は、ゴミはないものの物が乱雑に近寄っていたし、あまり小まめに掃除をするタイプではないようだった。

ただ、カラマーロが住むようになってから家の中はみるみる片付いたし、おまけにポルポは料理までするようになった。

料理の腕は、はっきり言って普通だった。レシピに忠実な、まあ食べられる旨いといえるものだった。

ただ、片付いているのはカラマーロとの共同スペースだけだし、食事だってカラマーロが食べるものだけしか作らない。

不思議に思ったカラマーロがポルポに何故かを問うても、彼女は心の底から不思議そうな顔をする。

 

「そりゃあ、あなたがいるからです。」

 

それにカラマーロが困惑した顔をしたが、ポルポもまた不思議そうな顔で首を傾げていた。

 

(・・・・変な人。)

 

カラマーロは眠たそうに瞼を擦る己の上司を見た。

カラマーロからみて、ポルポは本当に不思議な人だった。

 

まず、カラマーロの生活費は基本的にポルポの自腹になる。これは、ポルポの属している部門というのか所属の特殊性のためだ。

ポルポの部署は、彼女が所属する様になってから作られたものであるらしく、彼女以外への報酬のシステムが出来ていないそうだ。

そのため、自動的にポルポの貰った報酬からカラマーロの分が支払われている。

己の取り分を削ってまで、ポルポはカラマーロを雇っている。

 

「・・・・そう言えばさ。」

 

カラマーロは恐る恐る口を開いた。ポルポは、ん?と視線をこちらに向けた。

その瞳は、部下に向けるものとしては甘ったるくて、同い年ほどの美しい女に向けるものとしては穏やかで、そうして、知らないものがある。

その瞳を見ると、心の奥底がむずむずする。その瞳から目を逸らしたくなる。

 

「その、力の制御を覚えろって言ったでしょ?」

「ああ、言ってたけど。」

「・・・これ。」

 

カラマーロは台所に置いてあったコップをおもむろに取った

そうして、彼女の後ろに全体をベールで覆った黒髪の女が立つ。それと同時に、持っていたコップの上半分だけが砂になった。

コップと床に広がった砂を見て、カラマーロは淡々と言った。

 

「・・・・・その、一応、触れた物全体ってわけじゃなくて、砂にする部分を指定できるようになったから。」

 

カラマーロの力は、単純であるがゆえに応用できそうであった。ただ、トゥモロウズ・ドリームはどこまで砂にするかを指定できなかった。というよりも、制御が出来ていなかったのだ。

一度、壁を砂にしてしまい、リビングの壁がぶち抜かれてしまったこともあった。

カラマーロは、そこで己が部屋に砂を撒き散らしたことに気づいた。

 

(・・・・はしゃいでしまった!)

 

カラマーロは脳内に幼いころのことが頭に浮かぶ。彼女は慌てて掃除は自分がするといいかけたが、それよりも前にポルポの声がした。

 

「・・・・・すごいじゃないか!」

 

目の前にあるのは、きらきらとした、朝焼けの瞳。

ポルポは、ぎゅーっと自分のことを抱きしめた。

 

「さすがはカラマーロ。君は本当に優秀だな!」

 

その声は、裏なんて存在しないような、純粋な声音だった。

抱きしめた体を離して、自分よりも高い目線が自分を見下ろした。淡く微笑んだそれは、カラマーロが昔、どこかで見た親が子に向ける笑みに似ていた。

それを見て、カラマーロはいつだって思う。

きっと、神様は朝焼けのような赤い瞳をしているんだろうと。

 

 

カラマーロは、栄光を掴むためには成長が必要だと考えた。

それは、彼女がスタンドを得たことを成長だととらえたためだ。何かをなすためには、力がいる。力を付けていくことこそが成長で在り、前に進むことこそが成長だと言えた。

積み上げたものに嘘はないと、ポルポは言った。だから、そうなのだろうと思った。

 

ポルポは、目を覚ましたカラマーロに言ったのだ。

 

君の覚悟を称えよう。その覚悟があったからこそ君は、確かに未来に進んだのだと思うよ。私は、そう言ったものが欠けているから、憧れるよ。

 

そうだ、認められるにはいつだって理由がいる。その理由を得るために、人は成長するのだ。一歩でも前に進むために、覚悟という根を張り、上へと成長していくものなのだ。

 

カラマーロは、より一層に努力した。あの時誓った、覚悟を裏切らないために。

けれど、カラマーロは心の奥で、分かっていたのだ。

いや、本当は、それは本心であって本心ではない。

本当は、カラマーロは、どうしようもなくポルポの賞賛の言葉が好きだった。

だって、そんなにも、ただカラマーロの話を聞いてくれる人も、肯定してくれる人も、認めてくれる人も、誰だっていなかった。

ポルポは、いつだって、カラマーロに何かを与えてくれる。

住む家も、着る服も、食事だって、そうして言葉と温かい腕だってポルポはなんの戸惑いも無しに与えてくれる。

ポルポは、良いんだよと笑う。

カラマーロに、対価を望むことはなかった。

けれど、カラマーロはいつだって、スタンドの練習をしながらその対価を払う日が来ることを何となしに想像していた。

それが、どんな日だって、どんなことだってかまわなかった。

ポルポは、あの日、あの時、誰にもできなかった命を懸けてまでカラマーロを生かしたのだ。人にとって、最大のものを賭けて見せたのだ。

たった一人だけ、あの時、あの瞬間、絶望の果てにカラマーロに手を伸ばした。

それを、ポルポは地獄行きの切符を渡したに過ぎないと笑うけれど。

それでも、カラマーロは絶対的な自信を持って言える。

その手は、その切符は、確かに救いであったのだと。

もしかすれば、多くの人間はポルポのなしたことを責めるかもしれない。裏の世界に、少女を引きずり落としたのだというかもしれない。

ああ、ならば。ならばだ。

あの時、カラマーロは清いままに死んでしまえばよかったのだろうか。

煩い、煩い。

清いままに死ぬことができる環境で生きるものに、底で生きるものの気持ちなんて分からないだろう。

逃げ出すことも、抵抗することも出来ず、利用されることでしか生きることのできないものの気持ちなんて分かるものか。

ただ、輝かしく見えるだけの、本質が何かさえ分からぬ星に夢を吠えることしか誇りを保てぬものの気持ちなんて分からないだろう。

分からなくていいのだ。

分からなくていいから、訳知り顔で何かを語らないでほしい。

この、落ちることしか出来ぬ場所でも、あの日救われた、世界に一つだけ見上げたいと願う星を見つけた気持ちはカラマーロだけのものだ。

犯すことも、汚すことも、赦さない。

 

カラマーロは、何かを返したかった。

それが、どんなことでもよかった。もしも、それが命だって、カラマーロには悔いがなかった。

だって、その借りを返したその時、カラマーロはようやくポルポと対等になれるのだと信じていたから。

ポルポの夢を知りたかった。その夢を叶えることを手伝いたかった。

手を貸すというのは、対等になれて初めて叶うのだと、カラマーロはずっと思っていた。

きっと、カラマーロは、ポルポに出会わなければ知ることはなかっただろう。

誰かを愛し、夢を知り、未来を助けたいと願う気持ちを。

 

 

そうして、とある日、カラマーロはようやく借りを返すチャンスを掴んだ。

それは、カラマーロが任されている小さな地区の中で起こった麻薬取引に関しての情報だった。その主犯の正体を、彼女は協力者を得てようやくつかんだのだ。

 

褒めてもらえる!

 

ようやく、自分が拾われた意味を、対価を、返してやれる。

お前を拾ってよかったと、言ってもらえる。

急ぎ足に帰った先で、カラマーロは全ての期待を裏切られた。

 

「・・・・・君を、そんな意味で拾ったわけじゃない!」

 

漏れ出た拒絶の言葉に、カラマーロは固まった。

そうして、口から出たのは絶叫のような声。

 

「なら、どうして私を拾ったの!?何の意味も無く、私のことを拾ったっていうの!?そんな、そんなことで、どうして命をかけたのよ!」

 

絶叫のようなそれに、ポルポは顔を伏せて、額を覆った。

 

「生きたいと、夢があると、君が言ったから。」

それが、少しだけ、眩しくて。

 

その言葉に、カラマーロは、全てを悟った気がした。

この人は、死にたいのだと。未来なんてものを望んでいないのだと。

だって、生きたいという意思を、眩しいというなんてそれ以外の何であるのだというのだろうか。

ポルポの朝焼けの瞳に映る穏やかさとは、そこには日常があった、そこには優しさがあった、そこには平凡さがあった。

そうして、その穏やかさとは諦観でもあったのだ。

 

「だから、生きてほしかった。生きてくれれば、それでよかった。それだけで・・・・・」

 

(・・・・ああ、そうだったんだ。)

 

カラマーロは、全てを悟った気がした。

この人の与えるものは、無償であったのだと。

それに、ただ、絶望した。

だって、無償であるということは、神様の愛なのだ。

それを受け取るのはカラマーロでなくてもいい。ポルポが何かを与えるのに、理由なんていらないのだ。その愛は、ただ、誰だっていい。カラマーロである理由なんてない。

 

カラマーロにとって、ポルポとは、あの日神様になってしまった。

それでもよかった。けれど、いつかは神様であることを止めてほしかった。

カラマーロは、ポルポと一緒にいきたかった。

ふざけてみたかった、ショッピングをしたかった、好きな俳優の話で盛り上がりたかった、恋の話をしてみたかった。

ああ、けれど、駄目だ。

きっと、もうそれは叶わない。

だって、カラマーロの神様は、神様のままでしかいてくれない。

何も望んではくれない。与えるだけの、残酷な、ひどい神様。

対等でいることの叶わない、優しく、綺麗な、清らな神様。

カラマーロは、その時、泣いた。

与えられてばかりの、弱い己が悔しくて。何も望んではくれない、生きようとはしてくれない艦所の神様を思って。

ただ、泣いた。

ポルポは、それに困り果てたような顔をして、どうしたの、と聞くだけだった。

 

 

「おい、カラマーロ。」

 

その言葉で、カラマーロは深く沈んだ意識から浮かび上がった。そこには、己の顔を覗き込むプロシュートの顔があった。

 

「ああ、何よ。」

「何よじゃねえよ。あんたこそ大丈夫か。体調が悪いかなんぞ人に言えた義理かよ。気分が悪いなら送っていくぞ。」

 

カラマーロはそれに額に手を当てて首を振った。

 

「大丈夫よ。ただ、深酒しすぎただけだから。」

「・・・それならいいが。」

 

カラマーロが視線を向けると、もう食事会はお開きになったのかホクホク顔で綺麗になった食器を片づけるポルポと、それを手伝うリゾットの姿があった。

たらふく食べた後だというのに、すでに次回の食事会のリクエストをしているのだから、この男の胃袋はどうなっているのか。

 

「・・・・あいつもよく食うわねえ。」

「あいつ、未だに身長伸びてるらしいぞ。」

「どんだけ続くのよ、成長期。」

「そういやよ、結局残った飯どうするんだ?持って帰るか?」

「どうせならアジトの冷蔵庫に放り込んでおけば?食費が浮くってソルベが食べるんじゃないの?」

「アジトに入れとくとすぐになくなるからな。それがいいか。」

「さすがに男数人がいると、食べるわねえ。」

 

そう言った後に、ふと、カラマーロがプロシュートに聞いた。

 

「そう言えば、ホルマジオは元気?」

 

プロシュートの顔が苦いものに変わる。

 

「どうしたの?」

「・・・・・いや。あんた、やけにホルマジオに懐いてるよな。」

「そうねえ。まあ、私が甘ちゃんの頃にあの男には世話になってんのよ。」

 

カラマーロははてりと首を傾げた。プロシュートは、何故かカラマーロがホルマジオを気遣う様な調子を見せると心の底から複雑そうな顔をする。

それが何故かを考えている時、頭の上から声がした。

 

「カラマーロ。」

 

上を向けば、朝焼けの瞳をした神様がいた。

カラマーロは、それに微笑み返す。他愛も無い話をしている中、カラマーロは考える。

いつか、この人を自分が殺してやろうと。

カラマーロは、プロシュートにも、ホルマジオにも、そうしてリゾットに感謝していた。

彼らと出会ってから、ポルポは、少しだけ息をするのが楽そうだったから。そうして、明日を語ることが少しだけ多くなったから。

自分と彼らの違いが何なのか、カラマーロには分からない。ただ。別にどうだっていいのだ。ポルポの在り方を受け入れたのは、自分だけだと思っているから。

 

カラマーロは、ポルポを殺す日を願っている。夢見ている。

ポルポの唯一望んだ死を贈ることが出来たなら、自分は漸くポルポと対等になれるのだから。

それを思うと、心が痛くて、涙が出て、苦しくて、死んでしまいそうなほどに辛いけど。

それでも、ようやく自分はポルポに与えてやれる。あの日、貰ったものをようやく返すことができるから。

だから、その痛みを、カラマーロは無視する。

己の気持ちなんて無視して、その日が来ることを願っている。

 

(・・・・ポルポの体を砂にしたら、どうなるのかしら。)

 

きっと、白い、砂浜にある様な、骨を砕いたかのような真っ白な色をしているのだろう。

 

 

 

食事会のことを思い出して、ポルポは幸せな気分に浸りながらパソコンを開くとメールが一つだけ届いていた。

その宛先に、ポルポは今回爆発したストレスの原因の名前を見つける。

嫌々ながら、メールを開いた。

 

行ける日が決まりました。待ち合わせはいつもの場所で。

 

宛先に書かれたドッピオという名前に、ポルポは憂鬱そうにため息を吐いた。

 




本当は五千ぐらいにする気だったんですが、思った以上に厚くなってしまいました。
ふ、深みがあると思えば、ね?
すいません。

ちなみに、カラマーロのスタンドはブラック・サバスの曲名になります。


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置いてきぼりの憧憬

ボスとドッピオと、誰かと重なってしまう人。


 

 

 

ポルポは、自分の服装を確認した。

白いワンピースに、薄い水色の上着。

どこからどう見ても、余所行きの装いをした女に見えるはずだ。

周りを見回せば、そこそこ人でにぎわっているカフェに、ポルポはいた。

そうして、心もとない服装を撫でてため息を吐いた。

 

(・・・・慣れないなあ、こういう服装。)

 

ポルポは基本的に通常、スーツを着ている。何故かと言われれば、一番に無難な服装であるからだ。何よりも、いちいちコーディネイトを考える面倒が少ないというのが一番に良い。

ポルポは、腕時計をチラリと見た。

 

(・・・・そろそろ時間、だけど。)

 

その時、自分の隣りに誰かが歩み寄って来るのを感じた。

足音の方に視線を移すと、まず目に入ったのは大きな、真っ赤なバラの花束。それは、ポルポに差し出された。

 

「・・・・あー、ドッピオさん。」

「お久しぶりです!ポルポ、その、これ君にあげたくて。」

 

ポルポは、顔色のわるいそれに苦笑を浮かべて、その花束を受け取った。

ドッピオを見れば、そわそわと体を揺らしてポルポを見ていた。

それに、ポルポはひどく困った気分になりながら、それでも淡く笑って返事をした。

 

「ありがとうございます。とても綺麗ですね。」

「喜んで、貰えましたか?」

「はい。花を贈ってくれるなんてドッピオさんぐらいですし。」

 

そう言えば、ドッピオは不安そうにしていた顔をぱああと輝かせた。

 

「それならよかったです!」

 

その顔に、ポルポはほとほと困ったような気分になる。

目の前の存在は、すぐに己を殺すことだってできるのに。きっと、自分にとっての味方とは嘘でも言えないのに。

それでも、その純朴な表情を見ていると、どうしても親しみを持ってしまう己がいた。

そうだ、だから、あの日だって恐れよりも安堵した。この、気弱な方と話せてよかったと。

 

 

 

 

「あの、ここのドルチェ、どうですか?」

 

向かいあい、それぞれでカフェに頼んだ品物を前にしていた時のことだった。

確かに、わざわざ移動してまでやってきたカフェのドルチェは絶品だった。気疲れしている実感はあるものの、目の前の食事に罪があるわけでもない。

ポルポは、それに淡く微笑んだ。

 

「ええ、とてもおいしいです。ドッピオさんが店を選ばれたんですか?」

「え、ええと。そうです。前、あんまり量は食べられないって聞いたので、こういうのなら手軽に食べられるかなって。」

「ふふふふ、ありがとうございます。」

 

ドッピオさんは、優しいですね。

 

そういうと、ドッピオは目を見開いて、顔を伏せた。そうして、体を揺すってそんなことないですよと囁いた。

ポルポは、そうでしょうかと言いながら、不思議な気分で顔を伏せた青年を見た。

目の前の存在は、確かにボスと、ディアボロという自分の地獄の元凶と地続きで。こうやって会うのだってあまり好きではないけれど。

それでも、ポルポは目の前の純朴そうな青年のことが結構好きであったのだ。

 

 

不思議な人だと思った。

それが、ドッピオに取ってのポルポの最初の印象だった。

最初、ドッピオが女に会ったのは、矢からの試練に合格し、病院のベッドで目覚めた時だった。

ドッピオのボスは、彼女の存在を扱いかねていた。

それも簡単な話で、彼が必要としていたスタンド使いを作り出す矢は、彼女のスタンドの中にある為だった。

現れたスタンドがマントを翻すと同時に出来た影の中に、矢が沈んだのだ。

目を覚まし、スタンドを使わせたところ影の中に潜ることは出来る様だったが、ポルポ自身矢が自分の中にある自覚さえないようだった。

ただ、彼女のスタンド、ブラック・サバスには取り出した精神体に触れることでスタンド能力を発現させる能力があった。

この力によって死んだ者は、不思議と安らかな顔で目を閉じていた。

拷問することや殺すことも考えたが、それで矢がどうなるか分からない。スタンドは精神の力だ。ポルポの精神状態に下手な揺らぎを出すのは避けたかった。

出来るなら、リスクを冒したくないと考えたボスは女を組織に引き入れた。

それを、ドッピオがどう思うなんてことはない。ボスが決めたのだから、それ以上でも以下でもない。

ただ、強いて言うならば、その女はドッピオが見てきた存在とは誰とも違った。

ギャングのことも、スタンドのことも、驚きはしても女はずっと、騒ぐことも無く困り果てた様な顔をするだけで。

その表情が、ひどく、普通だなあと思った。

それだけを、その時覚えている。

 

 

そうして、次にまた、女のことで困ったことがあった。

ポルポがあまりにも、無欲であることだった。

ボスは、出来れば女の気が引ける、有利な条件というものを知りたがった。ある程度の金を相手に持たせれば欲望の先が分かると思ったが。

ポルポは金を使わなかった。

仕事をひたすらするものの、貰った報酬は生活費に充てるぐらいで下手な浪費というものも無い。

その生活費も、一般的な額の範囲でしかなかった。

ボスは困った。

確かに、無欲な事は良い。下手な欲望を持ち、反抗されても困る。ただ、無欲が過ぎれば己の元に留まる理由も無くなるのだ。

他の部下を使って焚きつける方法も考えたが、元々一般人の、おまけに女が新しい部署を任されていることを不審に思っている者も多かったせいか、ポルポは最低限の付き合いしかしていない。

いくら、待てども暮らせど、貯まっていくのはポルポの資産だけだ。

そうして、とうとうボスはとある選択をした。

ドッピオに、女がどういった人物かを探らせることにしたのだ。

もちろん、ボスの命令に逆らう理由もない。ドッピオは、女から情報を聞き出そうと気合を入れていた。

そうして会った女というのが、なんとも話を聞きにくかった。

最初は、ポルポがどんな様子かを聞きたいという話で呼びだした。一応は、一般人から特殊な事情でギャングになった身だ。スタンドのことも含めて直接話を聞くということだった。女は、最初にドッピオが会った時に比べて明らかに痩せていた。

以前も、痩せている方であったが明らかに今は痩せすぎている。おまけに顔色も悪く、今にも倒れてしまいそうだった。

 

「・・・・あの、食事は?」

「・・・・ああ。はい、この頃忙しくて。」

 

ポルポはそう言って苦笑じみた、ぎこちないそれを浮かべた。

思わず、ドッピオは女のことが心配になる。少なくとも、今の所、女には生きてもらわなければならないのだから。

 

「あの、話の前に、何か食べますか?」

「・・・・いえ、その、食べたら吐きそうなので。何か、飲むものだけいただきます。」

「あ、ああ。分かりました。」

 

ドッピオは、戸惑いを覚えた。その女は、少なくとも、こんなふうに向き合って食事をするほどの存在には、こんな存在はいなかった。

頼んだものは、炭酸だった。

さっぱりしたものが飲みたかったらしい。

それに、ドッピオは妙な懐かしさを覚えたけれど、関係ないかと無視をした。

 

 

ドッピオとポルポの会話はお世辞にも弾んでいるとはいいがたいものだった。なんといっても、ポルポの話がなさすぎる。

好きなものは聞けば、特にない。食事に興味がある節も無い。好みの異性も、悩んだ末に優しい人という始末。服装を見れば、シンプルなものを好んでいるようだがブランドのようなものに興味はなさそうだった。

 

「・・・・えー。じゃあ、どこかバカンスとかは?」

「さあ。特に、行きたいところも。」

 

それにドッピオは降参を叫びたくなった。ここで、ドッピオを舐めているだとかならばまだ救いようがあるのだが。

目の前の存在は、悪い顔色をさらに悪くして体を強張らせている。相手も心の底から申し訳なさそうな顔をしている。

目の前の存在は、本当にそれへの答えを持っていないのだろう。

 

(ああ!どうすればいいんですか、ボス!)

 

ここでもっと女慣れした男であれば、彼女からあっさり話を聞けたかもしれない。

悩むドッピオに、ふと、思い立ったようにポルポが言った。

 

「・・・・あの。」

「はい?」

「ドッピオさんなら、どこに行きたいですか?」

「え?」

 

ドッピオの言葉に、ポルポは怯えた様に体を縮こませた。

 

「す、すいません。あの、何か、他の人の話を聞けば、思い浮かぶこともあるかと思って。不快であったなら、すいません。」

 

おどおどした態度のポルポに対して、ドッピオは固まった。そうだ、何故か、彼は驚いて固まっている。

そうだ、何故か、ドッピオは女の言葉に驚いていた。ひどく、驚いてしまった。

自分でなぜそんなにも驚いているのかを考えていると、どこからか、電話の音が聞こえて来た。

ドッピオはそれに慌てて電話を取る。

 

「もしもし、ボス!」

(・・・・ドッピオか。どうだ、話は順調か?)

「・・・・すいません。順調とはいいがたいです。」

(ふむ、ポルポの様子はどうだ?)

「思いつかないから俺の、その、話を聞きたいって。」

(お前の?)

「僕の、好みとかを例えとして聞きたいと言っています。」

 

電話の奥から伝わって来る沈黙に、ドッピオは少しどきどきしてしまう。これで、下手をすればポルポの行き先が決まるのだ。

 

(・・・・・構わん。任務に関係することは無理だが。日常会話などは許可しよう。)

 

そうして電話は切られた。

ドッピオは、困惑した表情のままポルポに向き直った。

 

「・・・・えっと。僕の、話ですよね?」

 

それに、ポルポは一瞬だけ驚いたような顔をした後に、はいと微かに頷いた。

 

 

結論から言えば、二人の会話はなかなかに盛り上がったと言って良い。

元より、どちらかと言えばポルポは聞き上手な方であったし、ドッピオも話が下手というわけではない。

といっても、結局のところドッピオが話をしただけで、ポルポの何かを聞きだせたことはなかった。

そうして、話も終わり、別れる直前にポルポは言った。

 

「話す相手があなたでよかった。」

 

そう言って、穏やかな、柔らかな視線をドッピオに向けた。

 

「正直、ギャングの人と話すのは恐ろしかったので。あなたのような、穏やかな人でよかった。」

貴方と話すのは、楽しかったです。

 

何故か、その言葉が嬉しくなった。

何故か、もっと、話したいと思ってしまった。

ボスへの報告をして、ドッピオは何故、そんなことを思ってしまったのかとぼんやりと考えて、ようやく分かった。

ドッピオの話を聞きたいと言ってくれた人は、今までいなかったせいだ。

ドッピオという単体の存在に興味を持ったものは、今までいなかったせいだ。

ドッピオは、ギャングであり、そうしていい人間とは言えなかった。

本質として、そこまで悪人というわけではない。

が、いささか臆病な面やどんくさい部分がある。それは、けして悪徳というわけではないが、かといって美点というわけではない。そういった彼と己から仲良くなろうとする存在などいなかったし、彼はギャングだ。一般人と親しくなることはない。

ギャングの中でも彼は親しいと言える存在はいなかった。

ドッピオもまた特殊な立場にいる。

彼には、ボスだけだった。だからといって、それを不幸だとか、悲しいことだなんて思わなかった。

ドッピオは確かに満たされていた。

けれど、あの、言葉は、目は、確かにドッピオだけに向けられたものだった。

ボスの腹心でも、パッショーネの幹部でもなく、ドッピオに向けられたものだった。

そうだ、見たのだ。

あの女は、ドッピオを見たんだ。

ただ弱い男でも、ボスの腹心でも、ギャングでもなく。

ただ、ドッピオを見ていた。

その眼には恐れがあった。その眼には怯えがあった。

それでも、不思議とその眼には穏やかな親しみだってあった。

その、妙な無防備さが、ひどく不思議だった。

ドッピオのことを恐れているのに、その混ざる無防備さと親しみがひどく、どこにでもいる人の様で。

それは、衝撃だった、驚きだった、それはまるで、何もかもから切り離されて一人で地面に立ったかのようだった。

ドッピオの立場を知る人は、いつだってその背にボスの影を見る。それが嫌なんてことはない、ボスの威光の証明の様で嬉しくなる。

けれど、いつだって、彼らが見るのはボスのことだ。

ドッピオの立場を知る人は、彼の気弱さを利用するか蔑んだ。

それがいつだって悔しかった。

けれど、この女は何なのだろうか。

ドッピオの立場を知っても、ボスではなくドッピオに視線を向けた。ドッピオの気弱さを知っても、虫を助けるために道路に飛び出しても、優しい人だと言ってくれた。

それに、何か、ひどく、懐かしい気持ちになる。

何か、ひどく、昔に、そんなことがあった気がした。

嬉しかったことを、確かに覚えている。

 

(また、話、出来るかな。)

 

ああ、だって楽しかったのだ。

自分の好きなことを語るなんて、本当に初めてで。誰かに、己の感情を伝えるなんて、初めてで。

誰かに、己への共感を示されるのなんて、初めてで。

 

ボスから、またポルポと会うことになると伝えられた時、嬉しかったのだ。

ああ、今度会った時は、女に何を話そうかと。

 

ポルポと話していると、不思議な気分になる。

なんだか、己が、ひどく当たり前のようにどこかにいる青年のような感覚がした。

その、黒髪の、不思議な女と話すと特にそう思うことがある。

けれど、ドッピオには、それがひどく懐かしいと思うことがある。

懐かしくて、何故か妙な寂しさを感じることがある。それに、ひどく惹かれた。何故か、恋しいと思った。

その感情が何なのか、ドッピオは知らない。だからこそ、ポルポともっと話して、そうしてその感情を知りたいと思った。

ポルポは、ドッピオの話を淡く微笑んで聞いていた。

ポルポは、ドッピオがどんな失敗しても笑わないし、彼が何かに成功するとすごいですねと些細な事でも褒めてくれた。

ボス以外から褒められるという感覚には慣れなくて、むずむずしたけれど、それ以上に嬉しさが上回ってしまった。

ポルポに、ドッピオは、誰かの影を見た。

その影とポルポは重なることはないのに、何故か誰かの影を見た。

彼女に褒められると、重なった誰かに褒められたような気がした、認められた気がした。

それでも、あくまでドッピオの興味の対象は己の感情であって、ポルポはあくまでおまけであった。

 

けれど、それも変わるきっかけがあった。

ある時のこと、ようやくポルポがまともに自分についての話をしたことがあった。

それというのも、彼女が最近スタンドを発現させた、部下の事だった。

 

「・・・・実は、彼女が書類のサイン用にと、なかなか高価な万年筆をくれて。」

 

そう言って、ポルポは心の底から嬉しそうに笑った。ドッピオが、初めて見た顔だった。ドッピオが、彼女にさせられない表情だった。

いつもの薄闇のような笑みではなく、陽だまりのような温かくて、柔らかくて、優しい笑み。

ドッピオの知らない、笑み。

 

(・・・・なんだよ、僕の方がずっと長い付き合いじゃないか。)

 

自分のほうが、先に会ったのだ。だというのに、後からやってきた存在がのこのこと己が出来ていないことをやってのけるのは非常に面白くなかった。

もちろん、頭の中でポルポの弱みになるだろう部下の名前を書き加えておく。

それでも、ドッピオの中に、妙な苛立ちが現れる。

自分だけ。

 

自分は、ポルポと話すのが楽しい。彼女と話すと、自分の知らない世界を覗くような、誰かの影を追う懐古が、そうして、自分だけの何かを得た様な気になる。

自分は、笑っている。楽しいのに。

ドッピオは、むくむくと、不満と言える何かがこみ上げてくるのが分かった。

 

自分だって。

 

そんな言葉が頭を巡った。

ドッピオは、湧き上がって来る衝動に任せて贈り物を贈ることにした。

 

何といっても、自分の方がずっと長い付き合いをしているのだ。喜ばれるものぐらい、あっさりと見つかるだろう。

そんなことを思っていたわけだが。

贈り物が、全くと言っていいほど思いつかなかった。

女が喜びそうな、宝石や服などに興味があるはずも無く、異性を気にすることも無く、金などもってのほかで。

特別な趣味があるわけでもない。

ドッピオは考えた。それこそ、暇さえあれば考えた。

が、思いつくことも無く、困った末に女には花だろというやけくそまじりに、抱える様なバラの花束を贈ったのだ。

 

「その、あの、き、記念にどうぞ。」

 

意味の分からない文言を添えてしまったことに後悔した。

待ち合わせ場所に、花束を持っていけば、ポルポはあんぐりと口を開けてそれを受け取った。贈った手前、ドッピオは心の底からそれを後悔した。

 

何故、あえてバラの花束なんて贈ってしまったのか。意味が分からない。

 

頭を抱えそうな、ドッピオの耳に細やかな笑い声が飛び込んできた。

 

「ふふふふふふふふふふ・・・・・」

 

声に驚いてその方向を見ると、ポルポが口を開けて笑っていたのだ。

ドッピオは目を丸くした。

女が、そこまで笑うところなんて想像もつく前に、実物を見たのだ。

ポルポは、震えるような声で言った。

 

「す、すいません。その、君がこんなものを贈ってくれるなんて思わなくて。ドッピオさんが選んでくれたんですか?」

「え、ええ。はい、その。」

「花束を贈られたのなんて、初めてなんです。ありがとうございます、とても嬉しいです。」

 

そう言って、女は微笑んだ。

曇り空から差す日のような、転んだ時に差し延ばされる手のような、そんな笑み。

ドッピオは、そんな笑みを、昔見た気がした。

誰かに、誰もがドッピオという存在を馬鹿にして這いつくばった時に誰かがそんな笑みを向けてくれていた気がした。

美しい、ブルネットが青い空に揺れた気がした。

 

「ですが、記念なんて何かありましたか?」

「・・・・仲良く、してほしいと思って。」

 

ぽろりと出た言葉に、女はやはり驚いたような顔をした後に、ええと頷いた。

 

「ええ、どうか、仲良くしてくださいね。」

 

それは、裏の社会で生きる同士の、皮肉があるわけでも策略があるわけでもない。

ただ、幼い子どもの口約束のような、透明で無邪気な約束の様だった。

それに、まあ、いいかとドッピオは思う。

胸に抱えた、懐かしさの正体は分からないけれど。

それでも、これだけは、ドッピオのものだ。

誰のものでもない、そのバラの花を贈った礼は、笑みは、ドッピオだけのものだった。

 

ドッピオは、ポルポと会う日を楽しみにしている。

ポルポは、ドッピオの情けなさも、弱さも馬鹿にはしない。大丈夫ですか、淡い笑みと共に聞いてくる。

女の時折浮かべる、転んだ時に差し延ばされる手のような笑みが好きだった。その笑みを見ていると、なんだかひどく、懐かしく、寂しくて、そうして胸の内を撫でられるような気がした。

それが何かを思い出すことはきっとないだろうなあと、ドッピオは思っている。

それでも、ドッピオはポルポのことを覚えている。

浮かべた笑みも、言葉も、全部覚えている。

思い出せない切なさと、覚えているドッピオだけの感情を、彼は大切に抱えている。

ボス以外に、ドッピオの世界で彼だけを見た人を、大切にしたいと願っているのだ。

だから、今日も、また会った日にはなんて話そうかなんてことを、ドッピオは考えるのだ。

 

 

ポルポとは、ディアボロにとって頭痛の種であり、都合のいい存在であった。

もちろん、最初はどうするかと悩みはした。スタンド使いを増やすことは組織を大きくするうえでは非常に重要な事だったからだ。

けれど、幸いなことに、ポルポは臆病だった。それこそ、一般人らしく、死を恐れ、痛みを嫌う、どこにでもいる普通の人間だった。

そこは、非常に都合がよかった。

何といっても、ポルポは心の底からディアボロのことを恐れていて、絶対服従であったのだ。元より、矢の管理は部下に任せる予定の中で、ポルポのように臆病でディアボロに服従する予定の女は本当にちょうどよかったのだ。

それと同時に、ポルポは仕事に対して真面目であり、その臆病さが際立って慎重にことを運んだ。組織の要であるスタンド使いに関する部下が彼女であったことは本当に幸いであった。

が、女はその臆病さのせいで金というものを使おうとしなかった。ディアボロは、ポルポが裏切らぬように幾つかの楔を打っておきたかったのだが。

金の使い道は、ポルポの弱みを見つけるいい機会だと思っていた。が、待てど暮らせど女が大金を使ったという報告は来なかった。

とうとうしびれを切らしたディアボロは、女に直接会うことにした。もちろん、ドッピオという影武者を立てたうえでだ。

ポルポは、最初に会った時の通り、本当に普通だった。

ドッピオがディアボロであると知らないとはいえ、自分を裏の世界に引きずり落とした存在の直属の部下になんとも無防備に接してくる。それに、少しだけ拍子抜けして、心の隅で大丈夫なのかとも思った。

何といっても、女は矢の持ち主なのだ。騙されでもして、危険に陥られても困るというのに。

ディアボロは、今度メールでもして、女にもう少し警戒をするように言っておかなくてはいけないと考えた。

彼女に直通の連絡が出来る様にしていたのは、女の情報をすぐにでも手に入れるためだ。女の危険は、矢の危険でもあるからだ。

可愛いポルポと、そう言って書き出せば、女の怯えが手に取るように分かった。そのたびに、女が己に逆らえないことを確認した。

ディアボロは、ポルポの返信を前に、よく微笑んだ。

そうだ、ポルポ。可愛いポルポのままでいるのなら、俺は慈悲深い飼い主でいてやろう。大事に、大事に、慈しんでやろう。

その女が、傍においても支障のないことを、手の内にいることにディアボロは笑みを浮かべた。

その支配をさらに完璧にしようとしたが、ポルポという女の欲望の先が全く分からない。

リスクはおかしたくない。だが、それ以上に、ポルポの中に己の知らない何かがあり、それが裏切りを起こすことだけは避けたかった。

そのために、個人的な談話を続けることを決めた。

幸いなことに、ポルポは平凡だ。会うことで騒がれるようなことはない。強いて言うならば、友人か、カップルにでも見られるだけだろう。

 

そうして、ディアボロはようやく、ドッピオがポルポに懐いていることに気づいた。それに対して、頭を抱えた。

ドッピオはディアボロの忠実な部下だ。唯一の信頼の出来る存在だ。彼の中に、自分以外の何かが入られるのは困るのだ。

けれど、ディアボロは、ドッピオにだけは一応慈悲のような、甘さがあった。

彼の楽しみにしていることをわざわざ邪魔するのは、気が引ける。

何といってもドッピオはディアボロのためにせっせと働いてくれるのだから。

 

ただ、ドッピオのそれは、強いて言うならば憧憬と言える範囲にとどまっていたことが幸いだった。

それは、恋というにはあまりにも温く、細やかだった。

 

(・・・・そうだ、恋とは、もっと鮮烈で、熱い。)

 

ディアボロは、恋を知っている。

頭が沸騰するような、餓えのような渇望に似て、何があっても手を伸ばしたくなる衝動を知っている。

だからこそ、ディアボロはドッピオのそれを、親しみとして放っておいた。

何よりも、ポルポは良くも悪くも優秀だった。

スタンド使いにした人間も多く、拾い上げた存在は悉く優秀だった。何よりも、能力的に強いが、扱いの難しい暗殺者チームの信頼も得ている。

元より、暗殺者チームの報酬もポルポの金から出ている。ディアボロとしては、損失なしに暗殺者チームを使えるのだから得しかない。

その代り、暗殺者チームを自分の傘下に加えることが条件として挙げられたが、それも別にかまわなかった。

元より、戦えるような存在の少ない部署だったのだ。そのために、他の幹部から嫌がらせのようなこともされていたため、戦力として欲しがったのは理解できる。

何よりも、暗殺者チームのような戦力を得ても、歯向かう理由もない。

それと同時に、ポルポは商売が上手かった。

私欲がないために己に入った金をそっくりそのまま任されている地域などに投資する。そのために、金回りが異常に良くなり、収入も上がっていた。住民からの信頼も厚く、ポルポの町では仕事がしやすい。

ディアボロへ入る金も多くなっていた。

ドッピオが、ポルポにとっての弱みになれば、それだけディアボロの安心が増す。だからこそ、ディアボロはドッピオとポルポの茶会を赦していた。

 

そうして、ディアボロは、そっと気にする必要などないのだと捨て置いたけれど。

彼は、好きだったのだ。

真っ黒な、美しい髪の女と、気弱そうな赤毛の青年が、朗らかに話をしている場面を見るのが、好きだったのだ。

その場を、何故か、邪魔したくないと思ってしまった。

 

(・・・ドナテラ。)

 

ディアボロは、そう、胸の内で囁いた。無意識のうちに、そう、囁いた。

似てなんていない。

あまりにも、その穏やかなだけの平凡な女と、美しいものが好きだと笑った美しい女とでは、あまりにも似ていなかった。

あの女は、今、どうしているだろうか。

美しい女だった。

きっと適当な男と結婚でもしているのだろう。

そうだ、ディアボロには関係ない。無視すべきことだ。

気にする必要もない、過去のことだ。

けれど、どうしたって、ディアボロはその、黒髪の女と赤毛の男が笑いあう風景を邪魔することが出来なかった。

 

(・・・ああ。そうだ、ポルポ。お前が、そうやって可愛いポルポのままでいるのなら、俺はお前を慈しんでやろう。)

 

 

ポルポは、憂鬱そうにため息を吐いた。

目の前には、大きなバラの花束。

 

(・・・・別に、嫌ではないけれど。でも、ボスに関係していると思うと、ものすごい憂鬱な気分になる。)

 

かといって、捨てるのは気が引けた。ふらふらと、夕暮れ時の帰り道を歩いていると、突然に声を掛けられた。

 

「ポルポ?」

 

それに思わず顔を向けると、そこには白いシャツに黒いスラックスのリゾットがいた。リゾットは、まるで大型犬のような動作でポルポに近づいた。

 

「・・・どうした。そんなにも顔色を悪くして。」

「・・・ああ。リゾット。」

 

ポルポは、気疲れした後の身近な人間の顔に、安堵したように微笑んだ。

 

「どうした、バラの花束なんて抱えて。」

「いえ、これは、その。」

 

ポルポは、花についてどういえばいいか分からずに言葉を濁した。さすがに、ボスの関係者から毎度貰っているとは言いにくかった。

その様子に、リゾットは何を思ったか花束をおもむろに掴んだ。

その後すぐに、周りの家から、テレビが映らないだとかの声が聞こえて来る。それに、ポルポはリゾットが何をしたかを悟った。

 

「・・・・これでしゃべることも出来るか?おそらく、盗聴器の類はこれで壊れただろう。」

「リゾット、それは、いささか乱暴な気が。」

 

けれど、今更言っても仕方がないとポルポは苦笑いした。そうして、バラの花束を見つめた。

 

「いえ、ちょっと、仕事の関係で人に会って来たんだけど。その人、いつもこれをくれるんだけど。私には、少し似あわなくて気後れするんだ。捨てるのも忍びないしねえ。」

捨てるのも忍びないしねえ。

 

リゾットは少しの間バラを見た後に、頷いた。

 

「確かに、お前には似合わんな。」

 

それにポルポは軽く殴られたような感覚を覚えて、うっと呻き声を上げた。

分かっていたことだけれど、そこまで言われると物悲しい気分にもなる。

そうして、リゾットが唐突に歩き出した。そうして、少し先でポルポを振り返った。

 

「ついて来い。」

 

ポルポはそれに驚きながらも、リゾットのそう言った言葉を短くする癖を察して早歩きでついて行く。

リゾットは、手を引くだとか歩幅を合わせるということはないけれど、少し進んでは立ち止まり、少し進んでは立ち止まり、ポルポがついてくるかを確認する。

そうして、最終的に着いたのは、花屋だった。

ポルポが疑問に思っていると、何故かリゾットは花屋で白いデイジーの花を買って来た。そうして、それをポルポに渡した。そうして、代わりのようにバラの花束を手に取った。

 

「交換しよう。」

 

リゾットは、デイジーを抱えたポルポを見つめて頷いた。

 

「・・・・お前には、そういう花の方が似合うぞ。」

 

己の言葉に納得したのかリゾットは頷いてデイジーを一輪持ち、ポルポの髪に差した。

そうして、もう一度頷いた。

 

「・・・・その服装はお前に似合っている。お前にも、お前の服装にも、そちらのほうが似あうぞ。」

 

ポルポは、その言葉に唖然とした後に、細やかな笑い声を立てた。けらけらと子どものように笑った後に、笑い含んだ声を出した。

 

「リ、リゾットが、イタリアの男みたいなこと言ってる・・・・!」

 

それにリゾットは首を傾げた。

リゾットは、どこにだしても恥ずかしくないほどにイタリアの男だ。何がそんなに面白いのか。

 

「そんなにおかしいか?」

「いえ、ただ、普段無口なので。」

 

そういって、くすくすと笑う女を前にリゾットは淡く、微かに口元に笑みを浮かべた。

 

「お前は、笑っていた方がいいな。ずっと魅力的だ。」

 

微かな声はポルポに届くことはなかった。けれど、リゾットは気にしない。女の微笑みが曇ることはないんだから。

 

「ポルポ、これから予定はあるか?」

「いえ、ありませんが。」

「なら、俺の行きつけの店で食事にしよう。いつも飯を作ってもらっている礼だ。」

「リゾットの行きつけですか?」

「気になるか?」

「気になりますよ!あなたのリクエストの参考になるかもしれないし。」

 

リゾットは、ならいくかと歩き出す。それに、ポルポは慌てて追いかける。そうして、ふと、気づいた様にリゾットに聞いた。

 

「その、バラはどうするんですか?」

「・・・・プロシュートとカラマーロでも呼んでやる。誰よりも似合うぞ?」

「ふ、あははははは!似合いすぎますね!」

 

そう言って、女は、リゾットに贈られた花束を抱えて、黒髪からデイジーが覗いていて。

リゾットは徐に立ち止まり、ポルポに手を伸ばした。

ポルポは、その手が首にかかっても不思議そうに、されるがままだ。

リゾットは、その無防備さに呆れながら、それでも嬉しく思う。

女の持つ、己への信頼と無防備が、リゾットは何よりも好きだった。

遠い昔、置いてきてしまった、何かを思い出すことができるから。

 





自分、原作を読んでてずっと気になってたんですが。自分の痕跡を悉く消したがったボスが、昔の恋人の動向知らないってどういうことなんだろうと。
ドナテラという人物は、ボスにとっては触れないようにした特別なのかなと思ってます。
というか、ドナテラと恋したのは、ディアボロとドッピオどちらなのか。

すいません、ドナテラさん漫画の時は黒髪だったんですが、アニメでは茶髪だったんですね!ここでは黒髪設定でお願いします。

ボスが甘く、ドッピオが女々しくなってしまった。


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憐れみへの愛

ホルマジオと感情を抱えたままのカラマーロと、遠すぎる人

ポルポは出て来ません。カラマーロとホルマジオの過去話になります。


 

 

ホルマジオは、彼の行きつけのオステリアにいた。

オステリアとは、イタリアでいう大衆向けの食堂や居酒屋のことを指す。といっても、ホルマジオの行きつけのそこは、お世辞にもガラが良い人間が集まる様な場所ではなかった。周りにいるのは、ホルマジオに似た、少々裏に何かがありそうな男たちで溢れていた。

そこで、入り口付近がざわついた。

ホルマジオは、自分の目当ての人間がやってきたことを察して声の方に目を向けた。

そこには、その場にいた存在たちの目を掻っ攫う様な震えるほどの女がいた。

露出された肌から分かる、白く吸いつくような肌だとか。すらりとした長身だとか。豊かな胸だとか。引き締まったウエストだとか。

彼女の魅力を語るならば、尽きることなどないような女だった。

何よりも、女は、ひどく美しい容姿をしていた。

すっと通った鼻に、淡い色の唇。そうして、ややつり上がったアーモンド型の、アイスブルーの瞳が女の賢しさと強さを体現していた。

何よりも、目を引くのは、まるで金糸を束ねたかのような、髪だった。

豊かなそれを一つでまとめていた。それは、装飾品というよりは、獣の豊かな尾のようだった。けれど、その雄々しさと言えるような、不可思議な力強さが女の魅力を一層に引き立てていた。

女は己に向けられる視線など気にすることも無くまっすぐとホルマジオの元にやって来た。彼女はホルマジオに視線を向け、にかりと大味な笑みを浮かべた。

 

「お待たせ、ホルマジオ!」

 

 

「っはー!ホルマジオも飲んでね!今日は私のおごりだから。」

「へーへー分かってるよ。気遣われなくてもただ飯にゃあありがたくありつくさ。つーか、お前なんで飲みに来ると最初にビール頼むんだ?ドイツ系だっけか?」

 

向かい合うような形で席に着いたカラマーロにホルマジオが問う。彼女は、ホルマジオに得意げに、子どものような顔をする。

今日、二人がこうやって飲みに来ているのは、長くかかったとある案件が片付いたためだ。カラマーロが奢るということで、ホルマジオの行きつけの店に来ている。ガラの悪いものが多いが、良い酒を入れているのだ。

 

「ポルポがね、最初はビールが基本なんだって言ってたの。なんだっけ、トリアエズナマ、らしいわ。」

 

意気揚々と語る様は、それこそ己の父母について語る幼子のように鼻高々だ。おそらく、何故なのかはあまり気にしておらず、ただ、慕っている女とおそろいであることが嬉しいのだろう。

ホルマジオは、長い付き合いからの予想を立てた。おそらく、正解だろう。

そう思っていると、カラマーロはよほど上機嫌だったのか、ホルマジオの肩を己へと引き寄せた。驚いたホルマジオが、カラマーロへ視線を向ければ、笑みを浮かべた女が一人。

 

「にしても、今回は本当にありがとね!あんたの仕事は最高よ!」

「おうおう、いいってことよ。にしても、今日はえらくご機嫌だなあ。」

 

何がそんなに嬉しいのかと、ホルマジオはまるで幼い子どもへする様にその頭を乱雑に撫でた。四方八方から、なんとも妬まし気な視線がくるが気にしない。

カラマーロと共に居るならば、これぐらいは受け流せるような男でいなくてはいけないのだから。

ホルマジオの言葉に、カラマーロはにいいといたずらっ子のような笑みを浮かべて弾んだ声を出した。

 

「そりゃあ、そうよ!この案件、ようやく蹴りがついたんだもの。嬉しいに決まってるわ。」

 

そう言って、カラマーロはいつものクールな微笑ではなく、口を釣り上げ、歯が見える様な子供じみた笑みを浮かべる。

それを、ホルマジオは思わず、プロシュートとそっくりだと思ってしまった。

彼の男も、普段はクールというのかあまり表情を変える性質ではないのだが、嬉しいことがあるとカラマーロとよく似た笑みを浮かべる。

その笑い方を見ていると、いつもならば髪の色ぐらいしか似ている部分を感じないのだが、血の繋がりを感じることさえあるのだから不思議だ。

 

「ふふふふ、それにようやくあんたと仕事終わりに酒が飲めるような女になれたんだもの。嬉しいに決まってるわ。」

 

そういって、ぐびりとビールを味わう女に、ホルマジオは何故か、切ないような顔をした。

昔の、あの日、ホルマジオとカラマーロがあった日も、こんなふうに人のごった返す酒場にいたことを覚えている。

 

 

 

「ねえ、あんたがホルマジオ?」

 

一日の終わり、まだ、生きた日数がなんとか二十年を超えたばかりの若造だったころのこと。行きつけにしていた安い居酒屋の端で飲んでいたホルマジオに話しかける存在がいた。

声のする方に顔を上げれば、そこには、あまりにもこの場には不釣り合いなものがいた。

 

(・・・・・すげえ、天然のブロンドに、目はブルーか。)

 

大人と子どもの境に立つ、曖昧な年齢だからこその危うい魅力にあふれた美しい少女だった。

ホルマジオが感嘆するには十分と言える容姿の少女は、その可憐な容姿には不釣り合いなギラギラとした、獣のような目でホルマジオを見た。

 

「仕事を、頼みたいの。受け付けてくれる?」

 

それに、ホルマジオは勘と言える何かで、目の前の存在が面倒な存在であることを察した。

 

 

「・・・・・あのな、嬢ちゃん。仕事を負うつっても、色々と手順っつうもんがあるの。分かるか?」

 

ホルマジオがたしなめる様に言うと、少女はむすりとした表情のまま話を進めた。

 

「私は、カラマーロ。受けるの、受けてくれないの、どっち?」

 

不躾と言えるその態度に、ホルマジオもさすがに眉間に皺が寄る。すでに、ホルマジオの元にいったことで少女への興味が失われ、喧噪を取り戻した店内で彼は机から身を乗り出した。

 

「クソガキ、あんまし舐めてんじゃねえぞ?」

 

けして、大きな声ではない。けれど、威圧感に満ちた、どすの聞いた声に少女の目の中で怯えが起こる。

それに、ホルマジオは相手する必要もなかったかと、そう思った瞬間にカラマーロと名乗ったそれは怒りの表情を浮かべて、足を一歩前に進めた。

 

「・・・・・そっちこそ、舐めるな。」

 

カラマーロは、机に手をつき、そのアイスブルーの瞳をぎらぎらとさせながらホルマジオに詰め寄った。

 

「負うリスクも何もかも分かったうえでここに来てる。それで怯えて帰るなんてふざけたこと、考えてんじゃないわよ?」

 

そこには、覚悟があった。

目的を遂げるという、何を以っても引かないという、戦うという、確固たる意志があった。それに、ホルマジオは目の前の存在がどうやらただの子どもでないと理解した。

そう言って、一歩も引く様子のない少女にホルマジオは本格的にため息を吐いた。

どうも、逃げられないことを察して。

 

 

「・・・・それで、どんな用だってんだ。俺への仕事っつうのは?」

 

流石にその場での話ははばかられ、二人は場を変えることにした。二人がいるのは、適当な路地であった。

ホルマジオの言葉に、そっととある紙と写真を取り出した。

写真に写った、美しい優男の事ならばホルマジオも知っている。この頃、羽振りがいいと評判のバルトロという男だ。どこかしらに所属しているという話も聞かないというのに、その羽振りの良さについては噂になっている。

が、誰もその男に触れようとはしなかった。

何故かというと簡単で、バルトロの活動しているという地区というのが、ホルマジオの所属しているパッショーネにおいては特殊なものに入るためだ。

地区を仕切っているのは、聞いた話ではホルマジオよりも年下の女だという。女は、組織にとって一番に重要であるはずの入団の試験についてを請け負っていた。何故、女がそこまでの地位にいられるのかはホルマジオも知っていた。

女の元に行って、特殊な力を使える様になってくるという話は有名だった。そうして、帰ってこなかったという話も。

ホルマジオも、その女の恩恵を受けたわけではないが、特殊な力を持っている。

地位の理由は、それにあるのだろう。

ただ、女の力を知っているとはいえパッショーネの人間は、つい前まで一般人であった、おまけに若い女が地位を持つなど面白いわけがない。

それは、幹部になればなるほどに考えるのだろう。

そのために、パッショーネの人間は、女の担当している地区で何が起こっても無視している。おかげで、女の地区は荒れていたそうだが、この頃は優秀な番犬を飼っているらしくだいぶ落ち着いていると聞いている。

そうして、紙の方を見ると、近くのレストランの名前が書いてあった。

 

「・・・・それ、その男が出入りしてるって噂の場所よ。仕事の内容は、そのレストランにいる男の近くに私を運んでほしいの。」

「・・・・お前、俺の能力がどんなのか、分かってんのか?」

「あんたの仕事、運び屋とか残ったものの始末とかしてるんでしょう?それを考えれば、ものをある程度運ぶ必要がある。あんたの力って、物の、重さとか大きさの操作ってとこじゃないの?」

 

ホルマジオは内心で舌を巻きそうになる。もちろん、ホルマジオが請け負った仕事などを調べれば、ある程度の予想はつくだろう。

だが、ここまで若い、幼いと言える少女がそれを調べ上げ、ホルマジオとのコンタクトを取ろうとすることが驚きだった。

 

「紙の下に、報酬も書いてあるわ。」

 

その言葉に、紙の下を見て、ホルマジオは目を見開いた。

 

「お前、こんなに出せるのか?」

 

その額は、ホルマジオに払うにはいささか高額すぎるものだった。

それに、カラマーロは堂々と言った。

 

「あったりまえでしょ、今まで、ずっと貯めて来たものよ。まだ、余裕があるわ。それに、私を拾ってくれた人に、投資は惜しむなって言われてるの。信じられないなら、その半分の額、現金で持ってくるわ。」

 

ホルマジオは、それを聞きながら、頭を悩ます。ここまでの話を聞けば、なんとなく察することも出来る。

カラマーロはおそらく、地区を担当している女の部下か何かなのだろう。別に、何かまずいということはない。

何と云っても、パッショーネの地区で好き勝手しているチンピラを一掃することへの手伝いだ。何よりも、金払いだっていい。

 

(・・・けどなあ、ポルポだっけか?あの辺と関わるのがばれたら、俺の立場がなあ。)

 

「・・・・・勘違いしてるようだけど。あんたは、あくまで私を男の所まで運べばいいの。運んだあとは、私が自分で何とかするから。今日のことがばれても、断ったって言えばいい。あんたにリスクはないわ。」

「・・・・お前、バルトロの奴、五、六人はいっつも連れてるぞ。一人で行くのか?」

「私もあんたみたいに力が使えるの。心配は不要よ。」

 

淡々と言ったカラマーロに、ホルマジオは生来の世話好きと言える性のせいか、思わず叱る様に言った。

 

「お前な。どんな力なのかは知らねえが、そんな考えじゃあ命が幾つあったって足らねえぞ。あっちにスタンド使いがいるかもしれねえし。」

「命なんて、差し出したってかまわない。」

 

それに、ホルマジオは目を見開いた。

カラマーロは、ホルマジオに背を向けていたけれど、それでも少しだけ横顔を見ることが出来た。

食いしばった歯、握り込んだ拳、焼けつくような空気、逆立つように風に揺れた黄金の髪、そうして、まるで燃え盛るような、高温の青い炎のような瞳。

ホルマジオは、一瞬だけ、そこに少女の身の丈もある様な金色の獣がいるように錯覚した。

 

「あの人の役に立つなら、命ぐらいかけたってかまわない。」

 

静かな声だった。静かで、微かな、と息のような声だった。

ホルマジオは、それが遠吠えに聞こえた。

まるで、狼がたった一匹で夜空に叫ぶような、そんな寂しい遠吠えのように聞こえた。

 

 

 

その少女は、いつだって何かに追い立てられているように見えた。

ホルマジオは、その後仕事を受けることを決めた。理由なんて単純で、ホルマジオは、その何かにせかされている様な、けれど美しい獣のような少女に興味が湧いたからだ。

何よりも報酬も悪いわけではない。もしも、協力したことがばれても入った金でなにかしらのことをチームのメンバーにすれば誤魔化せるだろうという算段の為だった。

そうして、彼女は言ったのだ。ホルマジオを信じると。

 

「私は、あんたを選んだわ。だから、あんたを私は信頼する。あんたは対価にはちゃんと誠実である人物だと判断したから。」

 

その、あまりにもまっすぐな瞳に、たじろいてしまいそうだった。

知らないその、信頼と言えるそれに、ホルマジオはたじろいて、戸惑った。

信用されることはあった。

けれど、その、信頼と言える感情は、あんまりにも重たくて。けれど、その重さを心地いいと思ってしまった。

むずむずとするそれに、居心地が悪くなった。

けれど、未だに、鈍くなった心を抱えていても、甘さの残る彼には、その感情は重く、不可思議だった。

差し出された手を、ホルマジオは思わず取ってしまったのだ。

 

それから、ホルマジオとカラマーロは幾度か会うことになった。

バルトロが店にいるところを狙うと言っても、さすがに他の客がいる時は避けねばならない。

カラマーロはすでに、バルトロたちしかいない日を特定していた。

店の見取り図、もしもの時の脱出経路、バルトロの仲間について。

ホルマジオは、それを聞きながら、カラマーロにそこまでさせる存在について考えた。

カラマーロと会った後、彼女について調べることにした。

そうして、カラマーロについて知るにつれて、なぜそんなにも必死になるかを察した。

 

(・・・・命を助けられたってえのは、そんなにも重いのかねえ。)

 

それは、ホルマジオが誰にも命を救われたことがないせいなのかもしれないが。それでも、カラマーロの様子は、少々常軌を逸している気がした。

カラマーロの様子を見れば、見るほどに彼女の世界がポルポという存在を中心に回っていることが分かった。

ほんのカケラほどしかないが、雑談をするとき、カラマーロが語るのはポルポの事だけだ。

嬉しかったこと、悲しかったこと、カラマーロの語るのは、それだけで。

ポルポからの電話ならば、何があっても出る。

ホルマジオには、その感覚を、理解できない。

彼は、母一人子一人で育ち、そうして早々にギャングになった。

彼は、別段、情を知らないだとか、誰のことも好きになれないというわけではないけれど。それでも、いつだって人が優先するのは己の事だけだと思っている。

だからこそ、ホルマジオは、自分以上に誰かを大事にするという感覚を理解できなかった。

カラマーロは、時折、神様に祈るような顔をするときがあった。

祈る様な顔をするときがあった、捨てられることを恐れる子どものような顔をするときがあった、美しい星を見上げる様な顔をするときがあった。

ホルマジオには、見知らぬ感情がそこにはあった。

心底理解できないと思う時があるし、何をそこまで人を想うのだと感じる時だってあった。

 

(・・・・この世界で、そんなに感情に振り回されてたら、さっさと死ぬぞ。)

 

そんな忠告さえ浮かんでくる。

優しさも、穏やかさも、怒りに燃える心さえ、深く沈めねば足を取られて死んでしまう。ホルマジオは、知らないわけではないけれど、それを感じる心はすっかりと鈍くなってしまった自覚はあった。

だからこそ、そんな心が揺さぶられるカラマーロの瞳に、興味が湧いたのだ。

その、怒りと、悲しみに塗れた瞳に時折浮かび上がる脆く、柔らかな感情にホルマジオは目を細めたくなる。

それは、例えば、砂場で遊ぶ子供が、砂の中から青いビー玉を見つけた時のような、キラキラしたものに目を輝かせる感情に似ていた。

きっと、ホルマジオは、その瞳に魅入られてしまったのだ。

美しいと思う、その感情に。己のことなど、振り返りもしないだろう走る獣に。

けれど、それだけではなかった。それだけで、少女から目が離せなくなったわけではなかった。

ホルマジオは、ただ、最初に聞いた、あの、寂しい遠吠えのような言葉がどうしたって耳から離れなかったのだ。

 

 

「お前さあ。」

「なに?」

 

明日、計画を実行しようという時、最終的な確認をホルマジオとカラマーロは行っていた。適当に借りた車の中で、二人は隣り合わせに座っていた。それが終わり帰るころになった時、ホルマジオはふと、気になっていたことを呟いた。

 

「お前さあ、そんなにも自分のボスが大事か?」

「・・・・・ポルポのこと?」

「ああ。」

「そんなこと聞いてどうするわけ?」

「いーや、別に。ただ、お前さんがそこまで熱を上げる理由が知りたかっただけさ。」

 

お道化る様にそう言えば、カラマーロはじっとりとした目でホルマジオを睨んだ。なにか、目的がないのかと疑う様な視線に慌ててホルマジオは手を振った。

理由など、あるようで、なかった。

ただ、何となしに、彼女と己がここで終わってしまうことが分かっていたからだ。仕事が終われば、それまで。

わかっていたことだった。

それでも、その、綺麗な獣の、燃える様な青い瞳をもう少しだけ見つめていたかった。

そうして、聞いてみたかった。

少女の言葉で、その、寂しいまでに遠吠えをした誰かのことを。

カラマーロは、それに胡乱な目を向けていたが少しだけ考え込む様な顔をした。

そうして、囁くように言った。

 

「・・・・あんたさ、真っ暗な闇の中って、歩いたことある?」

「は?いや、まあ、あるけどよ。」

 

唐突なそれに、ホルマジオは困惑混じりに答えた。それに、カラマーロは珍しく淡くではあるが、微笑みを浮かべた。

ホルマジオは、それに驚いて、目を見開いた。

 

「あの人はね、太陽じゃないの。せいぜい、灯りなの。それも、足元を照らしてくれるぐらいの。」

 

でもね、真っ暗な中で、迷って、心細くて、寂しくて、悲しくて。どこにも行けないと分かっていた時に、差し出されたその灯りは、太陽よりも眩しかった。

 

「それだけ。」

 

少女は、そう言って、一瞬だけ微笑んだ。

それは、花が開く瞬間のような、風に花びらが散る様な、眠りについた獣が目覚める様な、そんな、笑みだった。

ホルマジオは、それを、美しいと思った。狂おしいほどに、美しいと思った。

それは、これから人を殺す人間が浮かべるには、あまりにも清らかで、穏やかで、美しすぎる笑みだった。

ああ、なぜ、そんな笑みを浮かべられる。

ああ、なぜ、そんなにも、燃える様な激情を持ちながら、柔らかな感情を抱えているのだ。

燃える様な、青い瞳が、柔らかな青空に変わる。

分からない、分からない、けれど、それが美しいものだと、ホルマジオには分かった。

カラマーロは、そう言ったきり、車から降りた。そうして、ホルマジオを振り返った。

カラマーロは、いつも通りのぎらぎらとした怒りを湛えた瞳をしていた。

 

「・・・明日、時間通りにね。」

 

そう言って、カラマーロはさっさと帰っていった。

未練などもないように、何も思っていないかのように。

それに、ホルマジオは、たまらなくなる。

ホルマジオの頭の中には、炎のような青い瞳と、空のような蒼い瞳がまるで星のように瞬いていた。

 

(・・・・ずっりいよお。)

 

きっと、彼女はすぐにホルマジオのことを忘れてしまうだろう。だって、彼女には彼女だけの星がある。それのために生きていく神様がいる。

どれほど、ホルマジオがあの瞳を覚えていても、きっと彼女に取って自分は取るに足らないだろう。

けれど、きっと、ホルマジオは、あの美しい瞳を一生忘れられないだろう。

きっと、彼女が忘れても。きっと、彼女が死んでしまっても。

 

 

そうして、作戦実行の日。

ホルマジオは店の人間として潜り込んでいた。なんでも、その日はリーダーであるバルトロの誕生日であったらしく彼らだけの貸し切りになっていた。

ホルマジオはにこやかに笑いながら、小さくしたカラマーロを彼らの近くに置いた。そうして、ついでに少しだけ細工をして、時間を待った。

 

(・・・・時間だ。)

 

時計を確認したホルマジオは、それに合わせて能力を解除した。

 

 

最初に聞こえたのは、動揺の声だ。

当たり前だろう。

楽しく酒に酔っている最中に、いきなり、見知らぬ人間が気配も感じさせずに現れたのだから。

 

「カ、カラマーロ・・・・・!」

 

その声に、女の正体はいちおう知っていたようだと分かった。ホルマジオは、それを静観する。戦うことは契約に含まれていない。

本来なら、ホルマジオはこのまま外でカラマーロの仕事が終わるまで待っている算段になっているのだが。

どうしてもそれが出来ずに、ホルマジオはホールを伺っていた。

カラマーロは、己の名を呼んだ、バルトロにゆっくりと微笑んだ。

まるで、親しい友に向ける様な、笑みだった。こつり、靴音と共に、カラマーロは近くにあった机を触った。

その瞬間、机もろとも上に会ったグラスたちもが、ざらりと砂に変わる。

 

「やあ、バルトロ。落とし前、着ける覚悟はあるわよね?」

 

その言葉と共に、辺りはパニックに包まれる。数人が銃を取り出すが、それよりも先にカラマーロは地面に手を付く。

それと同時にカラマーロを中心に円をかく様に床が砂に変わってゆく。

銃を構えていた男たちは、それにつんのめる様にバランスを崩した。カラマーロはその崩れたと同時に男たちに触る。

ざら、ざら、ざら。

人であったそれは、砂の山に変わる。

残ったのは、腰を抜かしたバルトロだけだった。

あっという間の出来事に、彼はがたがたと震えながらカラマーロを見上げた。

 

「わ、悪かった!」

 

カラマーロは無言のまま、砂の上に立ち、バルトロを見下ろした。

 

「確かに、あんたのとこでやってた商売の上納金を払ってなかった!今度からは、六、いや、八はわた・・・・」

「違う。」

「え?」

「あんたが死ぬのは、私があんたを殺すのは、金を払わなかったからじゃない。麻薬を売って、他人の人生をまぜっかえしたからじゃない。あんたの好き勝手で貶められた面子でもない。」

 

お前は、あの人を侮辱した。

 

それに、ホルマジオは見たのだ。

ああ、あの、あの、美しい、高温の炎が如く燃え盛る、怒りに輝く、青い瞳を。

ホルマジオは知っている。

カラマーロの、清らさを、穏やかさを、静かさを。

けれど、そこにいるのは、確かに血に飢えた獣だった。

 

(・・・・すぐに死にそうな、戦い方をするよな。本当に。)

 

感情のままに叫び、感情のままに吠えて。

己の持つ激情に振り回されるカラマーロを見ていると、ホルマジオはいつか死んでしまうのだろうなあと、妙に冷静に思うのだ。

けれど、だからこそ、その激情に吠える様から目が離せない。

 

カラマーロは、バルトロの首を掴み、叫ぶように言った。

 

「あんたに分かるか!?住民に麻薬のことを相談されて、悲しそうに、苦しそうにしているあの人の気持ちが!無力に嘆くあの人の心が!それをどうにもできない私の気持ちが!ああ、逃げ回りやがってよお!こんなとこまで逃げやがって。どれだけ苦労したと思う?他の奴らは、嫌がらせにあんたを捨て置く奴だっている。だからさあ!必死にさあ、諦めたふりして、囲い込んで、ここを安全だと思わせて、ようやくよ!」

 

ようやく、長い狩りが終わった。

 

そこには、怒れる獣がいた。

ぐるぐると唸り声をあげる、一匹の獣がいた。哀れな、ちっぽけな獲物は醜い命乞いを上げる。

それに、女が叫んだ。

 

「ああああああああああ!!なんでなの!?なんで、あの人を苦しめてるのが、あんたみたいな、ちっぽけな奴なの!?あんた、麻薬売ってたんでしょ?他人の人生、めちゃくちゃにした自覚あったでしょ?なのに、なんで死ぬのを怖がってんの?なんで、痛いのを拒否すんの?なんであんたみたいな地獄に行くことを怖がってる奴が、あの人の敵なんだ!?」

 

ぎりぎりと、カラマーロの指がバルトロの首を食い込む。

 

「なんで、覚悟も無い奴が、あの人を馬鹿にしてる?どうして、自分のやってることの本質も理解してない奴が、あの人を侮辱できる?この世でもっともしてはいけないのは、侮辱することだ!それを贖うためになら、命を差し出すことだって、赦されるわ。」

 

それに、男は自分の行く末を、砂の山に見出したのだろう。

とっさの行動だったのだろう、バルトロは隠し持っていたらしいナイフを振り上げた。カラマーロは怒りのあまり警戒が緩んでいたせいか、それから体を庇い、仰け反る様に避けた。

バルトロは、それに懐から隠していた銃を取り出した。

ホルマジオは、それに予感していたことが起こったために、スタンド能力を解除した。

バルトロは、腹を抑えて苦しみだした後、腹から自転車を突き出して死んだ。

残ったのは血にまみれ、きょとりと珍しい間抜けな顔をしたカラマーロだけ。

それに、ホルマジオは初めて見た顔に、笑い声をあげた。

 

 

ホルマジオは、ちらりと助手席に目を向ければ、そこには膝を抱えた少女が一人。

あの後、店内に残った武器も、死体も、血でさえも砂に変わり果てた。騒ぎに怯えていた店員も、残った砂に困惑していた。

 

(・・・後始末は、任せろっつってたから放って来たが。)

 

店内には、殺しの証拠など一つとして残ってはいないだろう。

警察だってお手上げだ。

ホルマジオは、店から無理矢理連れ出したカラマーロに視線を向けた。

 

「なあ・・・・・」

「・・・・どうして助けた?」

「は?」

「どうして、私を助けた!?」

 

カラマーロは俯かせていた頭を起こし、ホルマジオを睨んだ。ホルマジオは、それに困惑した。当たり前だ。

何を、そんなに怒るのか分からなかったためだ。

 

「あんたに頼んだのは、運ぶことだけだった!なのに、どうして助けたの!?あれぐらい、なんとかなった。私だけでもやれた!助けなんていらなかった!なのに・・・・」

「いい加減にしろ!何そんなにキレてんだ!」

 

流石にホルマジオもあきれ果てて叱る様に鋭い声を出せば、カラマーロは今までの怒りを湛えたそれを引っ込め、まるで子どものような顔をした。

まるで、ひどい失敗をした、子どものような顔だ。

 

「だって・・・・・!」

 

まるで、堰が切れたかのように少女は、泣きじゃくるような声を出した。

 

「それじゃあ、あんたと対等であれないじゃない!」

 

ホルマジオは、それの意味が分からなくて、困惑したように顔をしかめた。

 

「だって、あんた、私のこと心配してくれたじゃない。ただ、仕事相手の私のこと、心配してくれたじゃない。」

 

嬉しかったの。

 

そう言って、カラマーロはホルマジオを見上げた。

高温の炎のような瞳は、その時だけ、まるで深い水底のようにゆらゆらと揺れていた。

 

「だから、対等でありたかった。等しい、もので、せめてありたかったの。弱くちゃ、駄目だから。だから、せめて、仕事の上では対等でありたいのに。」

 

ああ、どうしてだろうか。どうして、いつだって、自分には一人で満足になにかを成すことも出来ないのだろうか。

強くならないといけないのに。弱いままでは、成長できないままでは、何も成すことは出来ないのに。

どうして、自分は、こんなにも弱いままなのだろうか。

 

カラマーロは、今日、この作戦を決行するために張りつめていた意識が緩んでいくことを理解した。

弱みを見せてはいけないと、分かっていたのに。

それでも、言葉を止めることが出来なかった。

だって、本当にどうすればいいのか分からなかった。

 

一人で、やらなくてはいけないと思っていた。誰にも、借りを作りたくなかったのだ。これ以上、誰かに何かを与えられたくなかった。

カラマーロは、もう、神様がいる。

だから、カラマーロの全ては神様のものだ。ポルポのものだ。

ホルマジオに、返すことの出来るものなんてあるのだろうか。

それほどまでに、カラマーロにとって、命を救われることは重かった。

命だけが、彼女の原初と言える記憶の中で、唯一彼女が持っていたものだから。人形のように生きていた幼いころの中で、唯一、生きていることが全てであったから。

何よりも、どうしても、どうしようもなく、嬉しかったから。

ただ、何の見返りもない心配がどうしようもなく嬉しかったから。

カラマーロが死んだってホルマジオに報酬が支払われるようになっている。それは、ホルマジオだって知っている。

二人目だった。

ただの、良心ともいえる何かを、カラマーロにくれたのはホルマジオが二人目だった。

これは甘えだ。

ホルマジオという男の持つ、己への甘さへの、甘えだ。

ホルマジオは良い人だった。

自分のような、虚勢を張る子どもを気遣ってくれた。

バルトロの持っていた影で男を操っていた者への連絡先も手に入れた。

帰ればいい。

あの人の所に、帰ればいい。

そうしたら、ようやく、価値を示すことだって出来るのに。

カラマーロは、ポルポにとって何者でもない。

書類上では部下と上司でも、そこに確かなつながりがあるわけではない。

カラマーロは、ポルポが好きだ。

それは、恩だとか、報いだとか、嬉しさだとか、喜びだとか、複雑に言おうと思えば幾らでも言える。

けれど、カラマーロは、ポルポにとって何者でもない。

ポルポは、カラマーロの親でも、姉でも、師でも、友でさえない。

カラマーロはちゃんとポルポと自分の在り方を知っていた。その繋がりが、どれほどまでにあっさりと終わってしまうか分かっていた。

だから、せめて、部下でありたかった。

優秀な、部下でありたかった。

あの人にとって、その関係性だけが、カラマーロが己からなれるものだったから。

どうして、自分は、こんな所でへたりこんでいるのだろうか。

分かっているのに。

また、背負ってしまった借りをどうすればいいのか分からない。

最初に、どうしたって返したいと願う借りでさえ返せていないのに。

 

 

ホルマジオは己の目の前で泣く少女が、哀れで、可哀そうだった。

何をそこまで背負い込む。何を、そこまで駆り立てられる。

ホルマジオから見て、少女は、大人になればそれこそ誰をも魅了する様な女性になることが察せられるほどの才と容姿をしていた。

せっかく生まれてきたのだから、生き残ったのだから、もっと生きることを楽しめばいいのにと、そう思わずにはいられなかった。

もっと、楽に生きればいい、もっと、楽に生きられる道を探せばいい。

けれど、少女はそれを望まない。

それが、なんだかホルマジオはやるせなくなってしまう。

笑えばいいと思うのだ。

なんたって、少女は、とびっきりの美人なのだから。

だから、笑えばいいと思うのだ。

それは、どれほどに、美しいだろうか。

ホルマジオは、その時、少女の瞳が、どんな色になるかを夢想する。

それでも、ホルマジオは彼女を笑わせる術など持っていないから。

捨て去ってしまえばいいのだ。

そんなにも振り回されるぐらいならば、いっそのこと、全部放ってしまえばいい。

何にも震えない心を持つことは、ひどく空虚ではあるけれど、そこには安寧がある。

けれど、そうはできないのだろう。

たった一度の恩に生きているからこそ、少女はひどく美しいのだ。

急きたてられるような、どこかに駆けていく様な、そんな走り去る様な在り方を。こちらのことなど見もせずに、ただ、星を追いかけていく様なつれなさよ。

その少女の持つ感情は、ただ、甘さを捨てきれないだけと斬り捨てるには余りにも苛烈で、鮮烈でありすぎた。

ホルマジオは、息をつめて。そうして、その肩を撫でてやった。

 

「なら、お前が一人じゃ無理な時は、俺を頼ればいい。仕事の依頼なら、いっくらでも引き受けてやるさ。」

「そんな義理、あんたにはないだろう。」

「お前さあ、酒飲める?」

「え?」

「酒。」

「あんまり・・・・」

「じゃあよお、お前が酒を旨く飲めるようになったらよ。一杯、行こうぜ?あ、お前のおごりでな。」

 

それにカラマーロの目が、何故、と心の底から不思議そうな顔をした。それに、ホルマジオは、お道化た様に笑って見せた。

 

「将来有望そうな美人へ予約するんだぜ?いや、命を救った価値もあるさ!あと、これからもごひいきにな?」

 

それに、カラマーロは、狐につままれたような顔をした後に、くしゃりと泣き笑いのように微笑んだ。

 

ホルマジオ、あんたは良い人だ。

 

そんなことはないのだ。

ホルマジオは、ただ、その美しい何かに魅入られて、もっと見たいと思ってしまっているだけで。

本当に、カラマーロを気遣っているわけでない。

打算だってある。

金払いのいい彼女とはできれば近しくありたいと、そう思っている部分もある。

それでも、自分のことを、いい人だという少女を前にすると、ホルマジオは嘘でもいいからいい人でありたいなんて願ってしまう。

きっと、カラマーロは放っておけば、あっさりと死ぬだろう。

その激情を抱えて生きていくというのはそういうことだ。

愚かだと思う、馬鹿だと思う。

そんな風にしか生きられないカラマーロに心の底から呆れそうになる。

けれど、その生き方のままに、カラマーロでいてほしいと思うのだ。

その生きづらさを抱えても、それでも生きて行こうとする、愚かなまでに正しくて、真っ直ぐな生き方は、ホルマジオにとってあまりに遠くて。それでも、どうか、そのままでと祈りたくなった。

ホルマジオは、目を細める。

この少女は、どんな大人になるのだろう。どれほどまでに、美しい女になるのだろう。

ホルマジオは、しょうがないと思うのだ。

あの時、初めて、ホルマジオを信じると言った少女のそれに報いたくなってしまった。

悪くない気分であったのだ。

誰かの未来に夢を見るなんて、甘すぎる感情は、悪くない気分であったのだ。

 

 

 

 

「あははははははは!ほーるまーじお!」

「あーあ。見事に酔ったな。」

 

酔えば笑い上戸になるカラマーロは、ホルマジオに殆どおぶさる様な形で運ばれていく。ホルマジオは、彼女を送っていくためにセーブしていたおかげで意識ははっきりしていた。もとより、そこまで酒に酔うということはあまりないが。

 

「ふっふっふ!私のおごりは美味しかったか!?」

「あーはいはい。美味しかったぞ。」

「そうだろう、そうだろう!」

 

ご機嫌な声に耳を傾けて、ホルマジオは苦笑する。

ホルマジオとカラマーロが会ってから、だいぶ時間が経った。

その間に、カラマーロは大分息の吸い方というのを覚えたように思う。

例えば、今のように羽目を外すということを覚えた。

あの時、激情に振り回されて、散々泣いた少女は、美しい女になった。それは、ホルマジオでさえも見惚れてしまいそうな女だ。

けれど、中身はてんで変わっていない。

変わらずに、女はその身に幼いころに抱え込んだ激情が燃えている。

酒の味が分かる様になっても、美しい女と言えるほどになっても。

彼女は相変わらず、たった一人の神様を見つめている。

ホルマジオは、ポルポに初めて会って、何故、カラマーロがそこまで入れ込むのかが分かった。

なんの対価も望まないということの残酷さを、ポルポは理解していなかった。

カラマーロの息苦しさの理由を、ホルマジオは嫌いにはなれなかった。

ポルポは、ホルマジオと一緒だった。

激情を抱え、未来に吠える彼女を美しいと思ったのは、互いに同じであったから。

裏の世界で、対価を望まないという在り方は異質で。ホルマジオは何を甘いことをと思ってしまう時もあるけれど。

ホルマジオは、ポルポだからこそ、カラマーロを生かし、そうしてそんなにも激情を孕ませることが出来たのだと知っている。

その優しさと、穏やかさが、カラマーロの神様たる理由なのだと知っている。

ホルマジオは、柔らかな体をそっと抱きしめた。

そんなにも大きくなっても、カラマーロはポルポにとって何者でない。

姉妹でも、親子でも、友人でもない。

ただ、部下と言えば、部下と言えるような曖昧な関係のままここまで来た。

それでも、ホルマジオは、彼女らが必死に二人で生きてきたのを知っている。その間に、金色の可愛くない野良犬を拾って、自分に唸り声をあげるようになったのも懐かしいものだ。

その、歪なまま、あまりにも温い関係が心地よくて、壊したくないと思ってしまった。

暗がりの中、初めて手にした灯を手放したくなかった。

 

「ホルマジオ!」

「あー、何だよ?」

「私さあ、美人になった?」

「おーおー、そりゃあ、震えるほど美人になったぞ。」

 

そう返せば、カラマーロは微かに吐息を溢した。

 

「よかったあ。」

 

そう言って、カラマーロは、心の底から安堵したように笑った。

 

「私、あんたには、返せてるんだ。」

 

よかった。

 

そう、安堵したように言ったカラマーロに、ホルマジオは変わらないなあと微笑んだ。

カラマーロは、ホルマジオを信頼している。

きっと、誰よりも、ホルマジオはカラマーロからの信頼を勝ち得ているだろう。

それでも、彼女の一番は、ポルポだ。

ホルマジオは、それでいいと思っている。

己につれない猫こそが、彼は一番好きなのだから。

 





なんか、二人の関係性に悩んで無駄に長くなってしまいました。ものすごい、難産で下。とっちらかったかな。

逆ハ―タグはつけません。理由は、活動報告にて上げます。ちなみに、理由はめちゃくちゃ個人的なめんどくさいこだわりが理由なので、そういうのが苦手な人は読まないことを勧めます。




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理不尽な未来を想う

コカキと未来を受け入れている人


 

何故、こんな凡庸な女が。

それがヴラディミール・コカキが最初に抱いた感想だった。

 

その日、コカキが一応はボスと定めている存在の命により、とある幹部と顔を合わせることとなった。

コカキは基本的にボスと直接的な連絡のためのルートは持っている。ただ、メッセンジャーを介することもあり、その幹部であるという女もその役割をこなすかもしれないということだった。

コカキは、それにどんな毒蛇がやって来るのかと思っていた。

コカキは、ボスを知っている。彼は、お世辞にも信念がある人物とは言えず、誰のことも信頼はしていない。

そんな彼が、目を掛けていると有名な女のことは知っていた。

コカキは、己の老いた手を見つめた。

自分に宿る力に、スタンドという名前が着いたのはいかほど前のことか。

 

(・・・・スタンド能力を目覚めさせる、か。)

 

その触れ込みが真ならば、そんな力を持った女というのはいったいいかほどの者か。

コカキは、己が指定したシチリアの会合場所にて静かに女、ポルポを待っていた。

 

 

「・・・・・こんにちは。」

 

コカキは、最初に挨拶をした女を凝視した。

もとより、突然ボスの元に現れたポルポという女についての情報はあまりなかった。滅多に人付き合いをしないせいか、噂としては数多く在りはすれど、どれもが信憑性に欠けた。

曰く、気の強い美女だとか、ギャングとしてはあまりにかけ離れた弱者であるとか。拾って来た噂だけでは数が知れない。

情報を集める時間は圧倒的に足りなかったため、分かったことは少ない

ボスからは、珍しく会えば分かるという素っ気ない返事が来る程度だった。分かっているのは、女の部下を常に連れているということと、賭博の利権などのおかげで成功していることや、近頃組織内で疎まれていた暗殺者チームを傘下に加えたことぐらいだろう。

そうして、変人。

それが、女について唯一集まった情報だった。

コカキが知る限り、暗殺者チームと言えば能力的には優秀でもアクが強く、管理が難しい存在だ。そんな彼らを、少なくとも制御できているのだ。コカキは、ポルポという存在が相当のやり手であると予想した。

彼の部下に当たる存在が部屋に通したのは、三人の男女だった。

コカキは、まず、最初に入って来た銀髪の男に目をやった。

堂々とした体躯に隙の無い身のこなし。何よりも、静かな赤い瞳には、コカキにとって好ましいと言える筋の入った意思があった。

コカキは、その男がやってくるというポルポの腹心であると予想する。そうして、次にやってきたのは背筋の伸びた、美しい女だった。

コカキを睨み付けるように見る瞳には、絶対的な、何か、固い意思が見える。

それに、コカキはその女がポルポであると確信した。

そうして、席に座る様に促そうとしたとき、女の後ろから黒い影が現れた。

その女は、あまりにもギャングというには凡庸であった。

黒い髪に青白い肌。女にしては高い背。どこかで仕立てたらしい上等なスーツを着、そうして同じように上等なコートを肩にかけていた。が、体に合っていてもあまりにも華奢すぎる体躯のせいかお世辞にも貫禄があるとは言えない。

そうして、その、女の雰囲気と言えるだろうか。あまりにも、穏やかだった。

その感覚を、例えるならば、安直すぎるがギャングの会合に一般人が入り込んだかのような違和感だった。

狼の中に、羊が入り込んだかのような、強烈な違和感。それにコカキが気を取られていると、ふと、静かな声がした。

 

「・・・・ヴラディミール・コカキでいらっしゃいますか?」

「・・・・ああ。」

 

女の口から滑り出たのは、男にしては高く、女にしては低い声だった。最初に、話し始めたことで、コカキは目の前の存在が何であるかを覚った。

 

「・・・・今日、会う約束をしたポルポです。どうぞ、よろしくおねがいします。」

 

静かな声に、コカキは彼にしては珍しく、どんな反応をしていいか分からなかった。

 

 

コカキは、目の前に慎ましく座った女を見た後に、その背後に立つ男女を見た。少し話をしたが、ポルポはおよそコカキの期待したような人物像からは遠かった。

伏せがちな目や膝で組まれた手を見るに、どこか控えめな印象を受ける。それこそ、どこかの学生であると言われた方がまだ納得が出来た。

コカキは、ちらりと後ろの男女に視線を向ける。正直な話をすれば、その二人の方がよほど幹部としての器があると言えた。

話の内容も、ボスから託されたらしい確認事項について話をするだけで、今はそれも終わりコカキがもてなしをしていた。

目の前には、せっかくだからと用意させた上等な酒だ。コカキは、それを前にポルポを観察する。

観察する。

その女を見ていると、なんというか、視界がぶれるのだ。あくまで、感覚的な話のことではあるが。

その女は、確かに幹部であるのだろう。後ろの二人の、従順な態度は本物であるし、この場での影武者を立てることの意味が分からない。

コカキに対してそこまで信頼を削ぐようなことをボスがするとは思えなかったためだ。

だというのに、女はあまりにも平凡であった。どこまでも、凡人であった。

その、事実と印象の間にある落差が、コカキの中でポルポについてぶれが生じるのだ。

見極めようとすればするほどに、何か、ひどい策略に嵌っていく様な感覚がした。

これはなんだ?

そんな言葉が浮かんでくる。

確かに、ポルポという存在を見ているというのにまったく違う何かを前にしている様な違和感。

己を前にして、弱々しく、穏やかに微笑む女を前にすると、コカキの中で何かががたがたと揺れ動く。

それが何か分からずに、コカキは己の中におこる引っ掻き傷を見つけそうになる。

苛々とした。

その眼を見ていると、奇妙な苛立ちを覚えた。

 

「・・・・コカキさん?」

 

その、柔らかな声にはっとコカキは意識を取り戻す。目の前には、向かい側に座っていたポルポが心配そうな顔をしていた。

 

「あの、どこかご加減でも悪いのでしょうか?ならば、私たちはそろそろお暇しますが。」

 

その眼も、表情も、仕草も、そうして声音まで、コカキにはポルポは心から己を気遣っていることが分かった。

コカキは、それがどこまで演技かを考える。けれど、どこまでもそこには裏がない。裏がないことさえも、裏があるように見えて来る。

だが、目の前のそれはまるで愛すべき隣人が如く、何もない。

 

「いや、何もない。気にすることはない。」

「そうですか。それならば、いいですが。」

 

心細そうにポルポはコカキを見る。それが、コカキの何かをざわつかせる。コカキは、それを無視して息を整えた。

 

「・・・・にしても、ポルポがここまでお若いとは意外だ。」

「そうですか?二十にならずに幹部になる例もありますし。私ぐらいの若輩もありえないことではないかと。まあ、確かに威厳に欠けるのは自覚していますが。」

 

コカキは、その台詞に女がやはり変わり者であることを自覚する。

ポルポの言葉には、ギャング特有の、同業者への見栄というものがない。舐められない様にというこわばりがない。どこまでも自然体であった。

 

「いや、君のことはかねがね聞いていたのでね。なにかと、君は特殊だ。突然現れ、突然高い地位に就いた。私としても興味があった。」

「はははは。確かにそうかもしれませんねえ。私は、色々と特殊だ。」

 

それに、女は特別な感情を潜ませることも無く、ぼんやりとした目をコカキに向けた。そこには、敵意も無く、動揺も無い。

まるで顔見知りと天気の話をするかのように暢気なものだ。

 

「頼りないかもしれませんが。どうぞ、よろしくおねがいします。」

 

静かな、声だ。

穏やかで、静謐な、そんな声だ。その声の中にも、やはりコカキの好む覚悟と言える何かはなかった。そこには、弱者のような目があるだけだった。困ったような、苦笑じみたものが含まれていた。

けれど、その眼の中に動揺と言えるものはなかった。落ち着いて、穏やかな、覚悟を持つ者の瞳に似ていた。

 

 

「・・・・あの、すいません。このワイン、好きにしてもかまいませんか?」

「ああ、どうぞ。」

 

ポルポは、コカキと二人っきりになってもさほどの動揺を見せなかった。そんな中、コカキは目の前の存在と二人きりになったことが正解だったのか己に問うた。

現在、部屋の中にはコカキとポルポが、向かい合わせに座っているだけだ。互いの部下は、隣りの部屋に控えている。

コカキが、二人だけで話すことを提案したとき、ポルポは不思議そうな顔をしたがあっさりとそれを承諾した。護衛であるらしい二人はそれに反対したが、ポルポの説得と彼女のスタンドであるらしい存在に何か、納得したのか二人を残して部屋に戻っていった。

そうして、コカキもまた部下を下がらせた。

 

コカキは、知らなければいけないと思った。

その女が、何故己の元に送られてきたのか。

ポルポという存在は、あまりにも矛盾に満ちていた。

死のやり取りをする世界でのし上がったというのに、その目にあるのはあまりにも平凡な穏やかさだった。それは、いつだって、当たり前のように明日が来るのだと疑っていない眼だった。

苛々とした。無性に、その瞳を見ていると、奇妙な苛立ちが生じた。

コカキは、その女が何のためにやって来たのかを知りたかった。

二人きりで部屋に残れば、まだ、本質というものを知れるのではないかと思ったのだ。

コカキは、ポルポの様子を見ていると、彼女はワインの入ったグラスを何故か己のスタンドに渡した。

 

(・・・飲んだ?)

 

スタンドは、まるで味わうようにワインを飲みほした。

 

「・・・中々の味だ。」

 

そんな感想まで言って見せた。そうして、そのワインの種類や何年物かまで当てて見せたのだ。食事をするだけでなく、味まで理解しているらしいスタンドにコカキは驚いたような顔をした。

それに、ポルポはああ、と頷いた。

 

「いえ、食事ができるのが珍しくて、色々あげていたらすっかり美食家になってしまって。コカキさんのスタンドは食事はされないんですか?」

「・・・・残念ながら。」

「そうですか。まあ、食事をしない方が食費がかからなくていいんでしょうねえ。」

 

コカキは、じっとワインを飲むスタンドを見た。スタンドは、どうも影の中だけでしか動けないらしくポルポはわざわざ大きなコートで影を作ってワインを飲ませていた。

それに、コカキは何故か、特別な言葉を発することも出来ずに、そのぼんやりとしたポルポの目を見ていた。

女とスタンドの在り方は、あまりにも気安く親しみに満ちていた。それが余計に、女の特異さと異質さを強調した。

 

(・・・・どこかで、見た気がする。)

 

そんな、覚悟も無く、けれど揺らぎを見せない穏やかな目をどこかで見た気がした。

そうだ、確かに、そんな目をどこかで見た気がした。

けれど、それは、コカキにとってあまりにも遠くて。老いた彼には、あまりにも遠いどこかにあって。

くん、と甘く、そうして香ばしいような匂いがした。それに、引きずられるような気がした。引きずられるように、何かを想い出しそうになった。

 

「・・・・コカキさん。」

 

その声に、コカキは沈んでいた意識を浮かび上がらせた。そうして、視線を向けた女は苦笑交じりになんでもないように言った。

 

「私があなたに会いに来たことには、何の意味もないですよ。」

「それは。」

 

ことも無く、女はコカキに思考のそれを言い捨てた。コカキは思わず顔をしかめた。それを見て、ポルポはぼんやりと影の中でコカキを見るスタンドの頭を撫でた。

 

「・・・・強いて言うなら、ボスには確かにあなたがどんな人物か、報告するようには言われていますが。私が特殊だというなら、あなただって十分に特殊ですよ。今回のこれも、言われたこと以上のものはありませんからご安心ください。」

「あっさりと、ばらすのだね。」

「別に、隠す必要もないので。それに、私もあなたのことを知っていることもありますし。」

「ほう、例えば?」

「・・・・あなたのスタンド能力とか、でしょうか?」

 

それにコカキはさほどの動揺はなかった。

コカキがスタンドを発現させたのは、若い時のことだ。そうして、彼がスタンドを使うようになってから長い時間が経っている。何よりも、彼女の裏にはコカキのボスに当たる存在があるのだ。

自分の能力を知っていても不思議ではない。

 

「それならば、私も御相子だね。私も又、君の能力の詳細を知っている。何とも、変わった力だが。その力のおかげか、君はひどく高い地位を得たようだね。あまりにも、不釣り合いな。」

 

語尾に皮肉を混ぜたそれに、ポルポは心底同意するというように頷いた。

 

「そうですねえ。私も、正直な話をすれば、不釣り合いだと心底思います。」

「・・・・・ならば。なぜ、君はここにいるんだね?」

「なりゆき、でしょうかね。」

 

 

そんなことを、他愛も無く女は言った。それに、コカキは目の前の存在に強烈な失望をした。

 

この女には、覚悟というものがない。何かを成し遂げるという意思に決定的に欠けている。コカキは、目の前の存在が理不尽を知らないと断じた。

何故ならば、ポルポには決定的に、生きるという意思に欠けていた。

生きるとは、進み続けるという意思だ。けれど、ポルポの中にあるのは、まさしくあるがままに流されるままに、ある種の何もかもへの放棄に等しいそれだった。

もちろん、表側にいたという闘争心というものが欠けた女にとってギャングとして生きるというのは、まさしく理不尽であるかもしれない。

けれど、目の前の存在はそれに耐え忍ぶという意思さえない。

ただ、ぼんやりと過ぎていくのを待つような怠惰さを感じた。

 

コカキは、口を開こうとした。目の前の存在に価値なしと斬り捨てるために。

けれど、それよりも前に、女ののんびりとした声がした。

 

「・・・・いつか、私が殺される日も、そんなふうに当たり前の様にやって来るんでしょうね。」

 

その言葉の意味が分からずに、コカキは動きを止めた。どんな意味かとポルポに視線を向けると、彼女はまるで、爽やかな朝日の中で微笑むかのような表情をしていた。

それは、暗い夜の中に差し込む、朝日に似ていた。

くんと、微かに、甘く、香ばしい匂いがした。

それに、コカキは、茫然とした。その匂いに感じる感情、それは。

 

(・・・・懐かしい、などと。)

 

視界の端で、ポルポのコートのポケットの中から彼女のスタンドが小さな紙袋を引っ張り出していた。そうして、紙袋からは、狐色の焼き菓子が少しだけ見えた。

 

よく似ていた。

その、朝日のような、その笑みは、よく似ていたのだ。

コカキが、最後に見た、幻想の中で死んでいった満ち足りた死へと進む妹の笑みに、本当に、よく似ていた。

 

 

「・・・・どういう意味かね。」

 

コカキはそう言いながら、己の中にある妙な懐かしさと苛立ちの正体を察した。

その妙な懐かしさは、ポルポから香る、香ばしい良い匂いのためだ。

それは、彼が、ただの子どもであったころ待ちわびたおやつの匂いであり、そうして平穏の匂いだった。

いつだって、穏やかな笑みと共に、己を迎え入れた母と妹をその匂いは連想させた。

もちろん、そんな匂いは今まで生きていれば幾らでも嗅いだことはある。だというのに、何故、その女の匂いにだけ嫌な懐かしさを覚えたのか。

そうだ、そうなのだ。

その、女のまなざし。

妹が、最期に浮かべた、満ち足りた終わりを迎えた時の、感情。

そうだ、あの時も、食事の用意の手伝いをしていた彼女からは、そんな良い匂いが微かにしたのだ。

その感情を湛えた瞳と匂いが混ざり合い、奇妙な懐かしさをコカキに思い出させる。

その後にやって来るのは、吐き捨てたいほどの怒りだった。

なぜ、お前がそんなものを抱えているのだ。

なぜ、そんなにも満ち足りた、終わりを受け入れた様な目をしているのだ。

それは、生き抜いたものだけが、浮かべることを赦されたものだ。たとえ、一瞬のものでも、妹のように夢幻の中でも、生き延びたものだけが赦される平穏のはずだ。

 

ああ、そうだ。

女からは、平穏の匂いがした。

コカキにとって平穏の証であった、微かな食事の残り香。

当たり前のように、自分を待っていてくれる匂い。

けれど、女は、あまりにも生きるという意思に欠けている気がした。

そうやって、コカキの前で冷静に、ぼんやりと振る舞っているのは所詮は、警戒する気がないせいだ。ギャングでありながら、その在り方は、あまりにも生きるということを放棄しているように見えた。

生きるということを放棄した人間が、なぜ、あの子と同じ目をしている。生きている人間が、なぜそんなにも穏やかな目をしていられる?

 

 

コカキは、苛立っていた。

生きるという意思に欠けているというのに、生き抜いたものの目をした女が心底気に入らなかった。

そうだ、コカキは思ってしまったのだ。

その、女の言葉は、まるで死ぬのを心底心待ちにしているように聞こえてしまったのだ。

それが、心底気持ち悪かった。

まるで幽霊を前にしている時のような、けれど、その平穏の匂いはどうしようもなく懐かしかった。

 

「ポルポ、君は、まるで死ぬことを待ちわびているように聞こえるが。」

 

それに、ポルポはやはり苦笑交じりに言った。

 

「・・・・ええ、私には、ギャングとして生きることは、恐ろしいことばかりで。死ぬことで、ようやく私は、解放される。」

「ならば、さっさと死んでしまえばいい。」

 

とっさに出て来た、その感情はあまりにもストレートだった。それは、あまりにもコカキらしくない。

嘘と策略に塗れたギャングというもののなかで、そんなにもストレートな感情を爆発させるのはあまりにも危険だった。

けれど、その、死を受け入れたが故の平穏を前にすると。あまりにも、生者として間違った在り方を見ていると、そう思わずにはいられなかった。

止めろ、その眼を、止めろ。

コカキの中には、罪悪感はない。アメリアの末路を否定する気はない。

アメリアは、笑っていたから。

けれど、その目が自分に向けれられることに奇妙な苛立ちが湧いてくる。

 

「・・・・・私の死は、始まりなので。」

 

意味が分からなかった。その言葉の意味を、はっきりと理解できなかった。

ただ、妙な諦観だけがはっきりと浮かんでいた。その諦観にさえ、妙な既視感を覚える。

 

「君は、まるで己の運命を知っているかのような言動だ。」

「・・・・どうでしょうねえ。ただ、私は、どう足掻いてもヒトゴロシで。それに、いつか、結果は返ってきます。私は、それから早く逃げ出したい。コカキさんは、どうですか?」

 

あなたは、幸福でしたか?

 

それは、何気ない声音だった。まるで、相手の体調を気遣う様な声音だった。

けれど、その声音に、その言葉に、コカキはようやく己の中にある奇妙な苛立ちの正体を知った。

 

コカキは、妹の死への罪悪感はない。コカキは、運命に対して抗議する気はない。

けれど、たった一つだけ、ずっと疑問に思っていることがあった。

家族は、妹は、己の進んだ未来をどう思うだろうか。

コカキは、ギャングだ。それは、持ってしまった能力や保護者のいない子どもが生きていくためには必要な事だった。

けれど、けれど、それでも、コカキはゆっくりと闇の中に沈むことを選んだ時に、思ったのだ。

両親と妹は、いつかの理不尽のように、時には弱者へと力を振るうようになる裏の人間になったことを、どう思うだろうか。

それは、後悔であり、罪悪感だった。

妹の死という、強烈な記憶に覆い隠され、心の奥に沈めた疑問だった。

微かにある、両親への後ろめたさ。あの日、自分たちに理不尽をしいた者たちと同じように、誰かに理不尽を強いる己。

コカキは、ボスの狙いをなんとなく察した。

その女は、遠い昔に放り捨てた、柔らかい何かをほじくり返す。

コカキは、目の前の存在の幸福を少しだけ願ってしまった。

彼女への苛立ちも、死んでしまえという言葉も、結局のところ今更動揺している自分への苛立ちであり、ポルポへの八つ当たりだ。

コカキは、感じてしまっている。

遠い昔の、残り香を、懐かしさを。

女の浮かべる、穏やかで、己の終わりを受け入れた静けさに。

コカキは、それに、震える声で返事をした。

 

「・・・・・後悔は、きっとない。」

 

それは、本当であり、嘘だった。コカキは、女からのとある一言を強烈に望んでいた。たった一言を、望んでいた。そうして、コカキはそれが女から返って来ることを何となしに察していた。

 

「・・・・そうですか。それは、よかった。」

 

心の底から安堵に満ちた声に、コカキは手を組んで祈りを捧げたくなった。

その言葉は、ある種、コカキにとって妹からの言葉だった。あの時死んだ、妹からの、そうして両親からのコカキの人生の肯定だった。

コカキは、泣きたくなった。

涙も出ないというのに、泣きたくなった。

死んでくれるなと思った。

その女の目には、覚悟はなくとも。その女には、進み続けるという意思はなくとも。けれど、その女は、己の運命を、理不尽を受け入れていた。

女は、それから逃げることなく、ただ、耐え忍んでいた。

そこに希望は感じなくとも、女はいつかやって来る死という安らぎを願っていた。

コカキは、願うのだ。

その女がいつか、本当の意味で人生を生きることを。アメリアと同じように、満ち足りた人生を生きることを。

コカキは、捕らわれてしまった。

思ってしまった。懐かしさを、安らぎを、そうして、赦しを。

その奇妙な憧憬を、コカキは胸に抱えた。

それは、確かに、救いだった。

コカキは、分かっていたのだ。

自分が、己の人生を確かに生きたのか。自分を救うように、幸福になる様に生きたかどうかを。

生きるとは、未来に進み続けることだ。けれどコカキの人生の軸とは、過去だった。あの時の、アメリアが死んだときこそがコカキの中心だった。

コカキは、そう言った意味では、生きたとは言えない。コカキは、永遠に、あの瞬間の、アメリアの人生を守るということに捕らわれている。

己の幸福とは、何だったろうか。

分からない。ただ、生きたから。

けれど、その赦しに確かに救われた。安らぎを覚えた。

憐れなのだ。どうしてだと思うのだ。

何故、生きることができる目の前の存在が、終わりに対して安らぎを覚えるのか。それは、生き抜いたものの特権のはずだ。

コカキは、願う。

自分が、懐かしさを覚えた彼女が、死ではなく生に希望を見出すことを。

 

 

 

 

 

コカキは、会談の後に帰っていくポルポたちを見送った。

コカキの胸の中にあるのは、疑問だった。

自分があんなにも感じた、奇妙な安らぎがスタンド能力ではなかったかと。けれど、それをコカキは首を振る。

ポルポのスタンド能力は、スタンド使いを生み出す力。

ならば、相手への精神的な干渉まで能力の範疇ではないだろう。

 

くんと、コカキは甘く、香ばしい残り香に淡く笑った。机の上に置かれた、スタンドからの置き土産をコカキは口に放り込んだ。

 

(・・・・母さんや妹の食事は、どんな味だったか。)

 

その味に懐かしさは感じなかったが、奇妙な安らぎだけは静かにそこにあった。

 

 

 

 

 

 

「ごっしゅじん!!!!」

 

ぴょーんと、部屋の中に飛び込んできた存在に、ポルポは苦笑した。丁度今、カラマーロがいないのだから目の前の存在が叱責されることはないだろう。

 

「クララ、ご苦労様。首尾は?」

「成功ですよ、ご主人!」

 

クララと呼ばれたのは、黒髪の少女だった。

大振りのキャスケットを被り、どこか少年のような格好をしたそれは、ニコニコと笑って女にアタッシュケースを差し出した。

 

「ご主人がコカキとの会談の途中に道なんかは色々と調べましたし。透明になれるリゾットの兄さんもいましたからそこまで難しくはなかったですよ。でも、どうするんですか。そんな石の仮面。」

 

ポルポが開けたアタッシュケースの中には、ことりと奇妙な石で出来た仮面が置かれていた。

 

「・・・・いえ、カラマーロに壊してもらうんです。」

「?そんなに危険なものなんですか?」

 

疑問符のようなそれに、ポルポは微笑んだ。

 

「・・・・私がただ、怖がっているだけだよ。」

 

そういって、ポルポはやっぱり微笑んだ。

 





久しぶりに、恥パを読んだ記念に。

オリキャラみたいなのが少し増えてます。

コカキさんの力は、妹さんの為であり、コカキさんに忘れさせないための者のように感じます。


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死にたがりの生きぞこない

リゾットと生かされた人と、生きぞこなっている人


その日、リゾットは久方ぶりの休暇だった。

と言っても、特別に用があるわけではない。強いて言うなら、夕方からポルポの所に食事に行くが。

といってもリゾットの休暇に特にバリエーションがあるわけでもない。例えば、チームの人間と食事にいくだとか、ポルポと出かけることがあるだとか。

けれど、その日は珍しく、何の予定も入っていなかった。

元より、怠惰な生活とは無縁のせいか、いつも通りの時間に起きたリゾットは暇を持て余し、町をぶらぶらと歩いていた。

そうして、人の賑わう広場まで辿り着き、ぼんやりと広場の隅に置かれたベンチにて行きかう人間を眺めていた。なんてことはない光景だ。

リゾットは、ふと、己の上に差した影に気づく。そうして、丁度、その影と人が行きかう日向の境を足先でなぞった。その口元には、淡く笑みの形を作っていた。

「あー!!」

 

その時、頭上から聞こえてきたのは少女のような高い声。リゾットは、それに頭を上げた。そこには、印象的な、空色のキャスケットが見えた。

 

「リゾットの兄さんだ!どーしたの、こんなとこで。」

 

どこか弾んだ声を出したのは、リゾットにとって顔なじみになっている少女のクララだった。

 

リゾットが最初にその少女のことを聞いたのはイルーゾォからだった。その日、イルーゾォはポルポの護衛をしていた。

珍しく他の幹部との会合があり、顔色を悪くして出かけて行ったのを覚えていた。会合自体は無事に終えはしたものの、帰りに何人かに襲われた。

もちろん、護衛として付いていたカラマーロとイルーゾォ、そしてホルマジオのおかげで無事に終わった。

が、その戦闘を一般人に見られたのだ。その一般人というのが、クララという少女だった。もちろん、彼女は口止めとして殺されるはずだったのだが。

何故か、その折、ブラック・サバスが彼女に触れ、めでたくスタンド使いになったという経緯を持っている。

イルーゾォが甘すぎると罵っていたのを覚えている。

そうして、スタンド使いになった彼女は、ひとまずはポルポの元に留まることとなった。スタンド使いになった経緯も経緯なために妥当な判断だった。

そうして、結局のところクララはポルポの元で運び屋のようなことをしている。

 

「リゾットの兄さん、今日はお休みですか?」

 

そう言って、クララは何の気なしにリゾットの隣に座った。

真っ黒な、大きな目がにこやかな笑みを持って向けられる。

真っ黒な髪は首までしかなく、涼しそうに揺れている。特別際立った容姿ではないが、その仕草には人懐っこい大型犬のような愛嬌があった。

何よりも、特徴的なのはその服装だろうか。

シャツとベスト、おまけに蝶ネクタイをしている。膝程のズボンにショートブーツをはいている。それこそ、一昔前の少年探偵のような服のようだ。

深く被ったキャスケット帽のためにどこかその性別を曖昧にしている。

 

「ああ、そうだが。お前は?」

「自分ですか?仕事終わりですよ。」

 

そう言うと同時に、クララの横に影が生まれる。リゾットはそれに特別驚くことはない。その影はよくよく見ると、人が乗っても支障がないほどに大きな狼だった。狼と言ってもただの狼ではない。

体は機械仕掛けであり、顔だけが生身であった。

 

「今日もお使い三昧ですよー。いやあ、ハウリン・ウルフも頑張ってくれました。」

 

 

そういって撫でて来る己の主人に対して、ハウリン・ウルフは甘えた様な声を出した。

リゾットはじっとその狼型のスタンドを見た。

今は何ともほのぼのした光景だ。けれど、このスタンドはなかなかに強力なのだ。

遠吠えを衝撃波として打ち出すことが出来、単なるパワーだけでいうならばリゾットが知る中でもダントツである。

ただ、遠吠えと共に力を使うため、非常に煩い。けれど、このスタンドは主人を乗せて狼並みの移動能力を兼ね備えていた。おまけに戦闘力も高いということで彼女はメッセンジャー兼運び屋として重宝されている。

 

「でも、リゾットの兄さんが一人でぼんやりなんて珍しいですね。いっつもなら、何かしら予定があるんじゃないんですか?」

「俺も特別何もない日もある。が、何故、俺の予定をそんなにも知っている?」

「そりゃあチームの拠点にもよく立ち寄りますし。忠犬として、ご主人の予定は把握してますよ。」

「今日は、夕方から予定があるだけだ。」

 

簡素な返事をしながら、リゾットはクララを見た。

リゾットは不思議な気分でそれを見た。

クララは、ポルポの下につく様になってから見るにその姿勢はだいぶん従順だ。表から裏に回ってきたにしては、クララという少女はだいぶあっさりしていた。

 

まあ、命あっての物種ですし。生きてるだけで丸儲けですね!

 

言いたいことが分からないわけではなかった。ただ、あまりにもあっさりしすぎている気がした。

リゾットは、時折クララがする目が気になっていた。

それはプロシュートやカラマーロが浮かべる目、神に祈る時のような、けれど全く違う様な目だった。リゾット自身、クララが彼女にどんな感情を持っていようが構わなかった。

ポルポがそれのせいで傷つくことさえなければどうだっていいことだ。

そんなことを考えていると、ハウリン・ウルフとじゃれ合っていたクララがわざとらしく大きな声を出した。

 

「いやあ、にしても今日は仕事が立て込んで大変でしたねえ。こんな時、おいしいジェラートでも奢ってくれる人がいたらなあ。」

 

そう言って、クララはちらりとリゾットと、広場で売られているジェラートを見た。リゾットはそれにクララの方を見るが、彼女はすました顔でハウリン・ウルフを撫でている。

リゾットはふうとため息を吐いた後に広場に足を向けた。

 

「暑いな。冷たいものでも食うか?」

「やった!ごちになりまーす!」

 

はしゃいだ足取りでリゾットの後を追う彼女は確かに年相応であった。

それに、リゾットはクララが時折する何かを問う様な目が嘘ではないのかと思うのだ。

 

(・・・・・あまり年下に甘いと、ホルマジオが煩いんだが。)

 

 

 

「・・・・お前は、ポルポのことが憎いか?」

 

リゾットから二つジェラートをせしめたクララは、その内一つを自分で、もう一方をハウリン・ウルフに放り投げた。ばくりと、宙でそれがハウリン・ウルフの口に入ったのを見て、リゾットは何気なく言った。

クララは、それに無言でリゾットをじっと見た。

もしも、その時クララが不審な動きをしたのならば、それ相応のことをする気だった。クララは少なくとも、経歴としても調べた上では白だった。ただ、もしかすれば、そのポルポへの目が何かしらの意味があるのならばリゾットはその少女を排除しなくてはいけない。

クララの嘘を見逃す可能性は低かった。リゾットの経験から言ってその程度は読み取れないことはないと考えた。

クララは、じっと、リゾットを推し量るような目をした。そうして、平然とジェラートを一口齧った。

 

「大好きで、ときおり憎らしくてたまらなくなる。」

 

にこやかに、クララはなんだか、どうしようもない目で笑った。リゾットはそれにはてりと首を傾げた。

なんとも矛盾し、相反する感情をさらけ出されてリゾットは困惑した。

 

「どっちだ?」

「どっちもですよ。」

 

そう言って、クララは穏やかな目をした。それは、どこか、腹が決まった人間のような目だった。

 

「・・・・嘘言ってもしょうがないので言いますけどね。私は、ギャングになりたかったかと聞かれればノーですし。というか、選択肢があるならば絶対になりたくはなかったですよ。」

 

命あっての物種だって、本音ですし。でも、こんなふうに生きていたくはない。

 

それは、確かに恨みのような台詞なのに、クララの瞳は穏やかで、そうしてその口調は静かだった。

クララは急にリゾットの方に顔を向けた。その時には、すでにどこか陽気そうな表情に戻っていた。けらけらと、笑い声が聞こえてきそうな顔だった。

 

「いや、怨んでるわけじゃないんですよ?この国で、ああいう場面に出くわすのなんて、山の中で狼に出くわすようなもんですし。」

「人と獣の在り方は違うんじゃないのか?」

「さあ?でも、死ぬって結果は同じようなものですし。妹は、人間を嫌ってましたけどねえ。でも、まあ、所詮は状況と結果ですよ。それでも、私は死ぬことなく、生きる可能性を掴めた。ご主人に会えたことは、私にとって確かに僥倖でした。」

 

クララは、確かにポルポのことを恨んではいなかった。確かに、彼女はクララを生かしてくれた。

 

恨むなんて、考えてなかった。あの人は、私に出来る限りのことをしてくれた。人を出来る限り殺さないところに配置してくれましたし。おまけに、妹へ仕送りするために、保険金の会社を偽造までしてくれた。

感謝している、ありがとうと思っている。

ええ、それこそ、犬のように頭を垂れて、あの人をご主人と呼んで忠義を尽くしましょう。

 

「でも、それでも、あの人の死にたがりの目を見ると、ふざけるなと思うんですよ。」

 

ぼたりと、溶けかけたジェラートが地面に垂れた。クララは、どこか胡乱な目でそのジェラートを宙に放った。そうすれば、今までクララの足もとにいたハウリン・ウルフがばくりとそれを食べた。

リゾットは、それを見て、スタンド使いでない者にはどんなふうに見えているのだろうかと考えた。

 

「私は、生き残れたことに感謝しています。出来るだけ、便宜を図ってくれることもありがたいと思っていますよ。でも、私は、ここに居たかったかと言われれば違います。私は、ここで生きてます。でも、二度と、妹と会えません。」

 

広場の喧騒が、何故かひどく遠く聞こえる。少女は、その喧騒の中に、何か見たいものがあるかのように目を細めていた。

 

「様子を知ることは出来るでしょう。でも、会って、私が生きているのだと知らせることは出来ません。まあ、それを望んだのは私です。あの子に危険がないように。まあ、不安はないですよ。あの子は賢い。お金さえあれば、一人で生きていけるという確信もあります。でも、私は、あの子の側にいない。」

 

寂しい声がした。とても、寂しい声だった。

それは、後悔に似て、けれどぼんやりとした納得と諦めが混ざった声だった。

 

「まあ、理性では納得してますよ。でも、父さんと母さんが死んだとき、あの子を守るって誓ったんですよ。だから、一人、あの子を残したことを後悔してしまう。私は、ずっと考えていますよ。ここで、生きていることは正しかったのか。」

 

もちろん、それを人生の命題になるだとか、死んだほうがよかったのだとかとまで考えてはいない。

命あっての物種は、真実、クララにとって事実だ。

けれど、その考えは彼女に取って喉に刺さった小骨のようにちくりと気になるものであった。

クララは、恩義には報いるべきだと思っている。

けれど、ふと、気づいてしまうのだ。

その人は、何も望んでいないのだと。

そんな時、クララはポルポの瞳の中に浮かんだ諦観が、猫がいなくなる前の目に似ていることに気づいた。

それは、死を待つ目だった。それは、終わりを前にした目だった。

ふざけるなと思った。

あんたが生かしたんだろう、あんたがこの地獄に引きずり込んだのだろう。あんたが、私の前に希望を置いたんだろう。

だというのに、どうして、死を願う。

ああ、寂しい。寂しい。

クララは、ふざけるなと、そう思って。けれど、どうしてもポルポという存在が好きだった。

 

彼女は、生きたいかという問いを覚えている。

 

生かしてくれた。クララの幸せを祈ってくれた。だから、クララもポルポの幸せを祈りたかった。

だというのに、ポルポは死を願う。

なあ、あなたは不幸だった?なあ、あなたにとって、そんなにもこの世界は苦しいのか?

なら、どうして、私をこの世界で生かしたんだ。死を願う様な世界に、どうして生かしたんだ。

生きたいかと、そう問うたあなたが、死を望むのか。

その矛盾が、酷く嫌だった。

それが、歯がゆくて、幸せになってほしくて。

クララは、カラマーロに言ったのだ。

ポルポの幸せは何だろうと。

それに、カラマーロは淡く笑って。いつもの苛烈さなど忘れた様な、穏やかで、悲しそうな目をして。

 

いつか、休める日が来るときに。

 

その休みとは、永遠の休息であると何となしに察した。

 

「嫌だと思いました。死んでほしくないと思いました。私が、こうして生きているのに、生かしたのに。例え、ここが地獄でも、私はここで生きている。自分だけがこの地獄から逃げるなんて赦さない。」

 

そこにどろどろとした、どす黒いものはなかった。

ただ、母を呼ぶ幼子のような、そんな泣き声に聞こえた。

 

「・・・・どうして、みんな、ポルポが死ぬことが、幸せだと思ってる。どうして?生きてれば、それ相応に幸せな事はあるでしょう。死んだら、ご飯を食べることだって、買い物に行くことだって、頭を撫でてもらうことだってできないのに。だから、誰だっていいから私と同じ人がいないかと思ったんです。誰でもいいから、生かそうとする人がいないかと。」

 

どうして、生きることが楽しいことだって、幸せにしてあげようと思わないのか。

 

リゾットは、それにクララの目が何を探っていたのかを何となしに察した。その少女は、大事な人に死んでほしくないと、同じ願いを持った誰かを探していたのだ。

 

「・・・・・ここは、地獄だよ。私は、いつか、人を殺すことだって平気になるだろうし。誰かの大切な人を奪うわ。でも、それでも、生きてほしいと願ってしまう。それは、間違ってるの?」

 

子どものような声だった。

それは、誰にも聞けなかったクララの疑問だった。

他人の幸福は、人によって異なる。それは、当たり前だ。

クララのように妹の幸せを己の幸せだと思うように。人には人の幸福がある。

それと同様に、誰だって己なりの地獄を持っていて。己だけしか理解できない痛みを持っている。

クララは、ポルポが疲れ果てているのを知っていた。

クララは、そこそこ自分がシビアで身内が無事ならばそれでいいという身勝手な思いを持っていることを知っている。だから、罪悪感がないわけではないがこの地獄で生きていくことを受け入れている。

だって、良い人だ。

少なくとも、クララにとって、しょせんはヒトゴロシのはずの彼らは優しかったから。

クララは、結局のところ正義やら悪というのは個人の範囲では好ましいか嫌うかで決まると思っている。

それを言うならば、例え裏の人間でも、自分に優しくしてくれる彼女は、クララにとって正義なのだ。

良い人には、生きてほしい。それは、当たり前のような帰結だった。

それでも、優しいあの人が、時折疲れ果てた様な目をすることを知っていた。

ここで生きていくことを苦しく思っているのを知っている。

クララは、ポルポに生きてほしい。

クララは、ずっと、一人で妹の生活を背負っていた。それを苦痛に思うことはなかったけれど。それでも、不安であったし、助けてほしいと願わなかったわけではない。

 

もういいよ。君は、まだ、子どもだよ。だから、大人に少しは頼っていいよ。

 

それは、例え、自分を地獄に引きずり落とした女の言葉でも。

それでも、どうしようもなく嬉しかった。

子ども扱いしてくれることが嬉しかった、助けてくれるその人のことが好きだった。

生きてほしい。生きてほしい。生きてほしい。

生きて、笑っていてほしい。

クララは、死の冷たさを知っている。死の、寂しさを知っている。

クララは、身勝手だ。

あの、寂しさも、悲しさも、心細さも味わいたくないからポルポに生きてほしいと思っている。それは、身勝手で、どこまでもエゴイスティックな願いだ。

それが分かっているから、誰にも言えなかった。それを理解しているから、黙り込むことしか出来なかった。

クララは、ぶらんと足を振った。それに、ハウリン・ウルフがじゃれ付く様に体を擦り付けた。

 

「・・・・・間違ってはいないだろう。」

 

今まで黙り込んでいたリゾットがいつも通り平淡な印象の声音を出した。クララが力なくリゾットを見上げた。

 

「所詮、痛みはそいつだけのものだ。俺たちから見たポルポの幸福は色眼鏡を通してみたものにすぎん。終わりを願うことが、本当にあいつの幸福に繋がるかなんてその時にならなければ分かりはしない。それにだ、あいつは、お前の前で笑うだろう?」

「それは、まあ。」

 

クララは目の前の存在が何を言いたいか分からずに困惑しながら頷いた。

 

「この地獄をあいつは望んではないだろう。だがな。この地獄で、そうやって笑って、幸福を感じる瞬間があることも事実だ。幸福な時だけなことも、苦痛が永遠であることも無い。生きるとは、そういうことだ。そうして。お前がポルポに生きてほしいと願うことは間違っていない。俺も、あいつに生きてほしいと願っている。」

 

置いて行かれるのは、寂しいからな。

 

その、最後の言葉が、吐息のようなそれがクララにはなんだか泣き声のように聞こえた。

 

「死にたいと願うことと生きてほしいと願うことは、所詮は相反する。だからこそ、身勝手を互いにぶつけあっていくことしか出来んのだ。エゴイストになれ。俺たちは所詮、そういう生き物だ。」

 

クララは、なんだか、その言葉に安堵した。

寂しいよ、悲しいよ。

置いて行かないでほしいんだ。いなくならないでほしいんだ。

けれど、それが、大好きな誰かを苦しめるだけのものでしかないのなら。

それを諦めるしかないのかと思っていた。

よかった。そう思う。

クララは、その時、初めて赦されたように思えた。

身勝手でしかないこの願いを。

置いて行かないで、一緒に生きてという願いを抱え続けていくことを赦された気がした。

それが、例えどれだけ身勝手でも。

 

死なないで。

生きて。

 

例え、それが、どんな地獄でも。一緒に行くから。どうか、赦して。

 

 

リゾットは夕方の道を音も無く歩いていた。クララとはすでに別れた後で、ポルポとの食事の約束のために道を急いでいた。

 

(・・・・・子どもに、ああいう目をさせるのはだめだな。)

 

そんなことをリゾットは思う。

 

リゾットも、カラマーロやプロシュートが時折する目を知っていた。

それを見るたびに、少しだけ呆れた様な感覚を持っていた。

ポルポは神様ではないし、自分たちは神の僕でもない。

自分たちは、醜く生きる人間だ。

 

(・・・・あいつらに、ポルポは殺せんだろう。)

 

それがリゾットの予想だった。

というよりも、自分にとって大事な誰かを殺すことに覚悟を持つこと自体がしょせんはまやかしなのだ。

カラマーロとプロシュートは、何も失ったことがないから安易にそんなことに覚悟を持つことができるのだ。二人は、何も持っていなかったから。

 

有象無象を殺すことと、己の救いを殺すことは違う。手にかける瞬間、彼らはきっと自分たちのすることの意味を知るだろう。

その、本当の意味を知った時、彼らは何もできなくなるだろう。

リゾットは、知っている。

本当に大事なものが己の手から滑り落ちる瞬間を。

ポルポは、神様でも、天使でもない。

確かにポルポは、誰かの命を救い、歩む道を与えただろう。けれど、彼女は所詮は裏の人間で、裏の世界で生きる道しか与えてはくれない。

ギャングとは確かに権力を持つことも出来る。けれど、自分たちは所詮沈んでいくだけで、そうして滅びに向かう道しか与えてはやれない。その在り方はある種、悪魔に似ていた。

リゾットは、ポルポはただの弱い人間であることを知っている。

そうして、リゾットに対して救いを見出していることも知っている。

何か、時折、ポルポはリゾットに対して祈るような目をすることを知っていた。縋る様に笑う時がある。

リゾットは、その女が自分にどんな救いを見出しているかは知らない。けれど、救いを見出しているならばそれでいいと思う。

ポルポが昔言っていた。

人というのは、所詮、勝手に救われるものであるらしい。

誰かの救おうとした手に救われないこともある。

救われたという感覚は、個の受け取り方でしかないのだと。

リゾットは自分の何かでポルポが救われ、そうして生きる意味を見出すならばそれでいい。

 

リゾットは、ポルポの自宅へとたどり着いた。そうして、そのチャイムを鳴らした。

きいと、開いたドアからひょっこりと女が顔を出した。

 

「・・・・やあ、よく来たね。リゾット。」

 

そう言って控えめに笑ったポルポにリゾットは無言で頷いた。

 

リゾットは、当たり前のようにいつも座っている席に着き、食事に通い続けるうちに置くようになった専用の食器を使う。

テーブルの上には、リゾットの贈ったデイジーが置かれていた。

 

「・・・案外持つんだな。」

「まあ、水のやり方とかでなんとかなってます。」

「そうか。まあ、世話をこれからもよろしく頼む。」

 

リゾットの言葉に、ポルポの瞳が薄くではあるが揺らいだ。それにリゾットは気づいたが、無視をした。

ポルポは、己でもその瞳の揺らぎに気づいていない様に、淡く微笑んだ。

 

「・・・ええ。あなたがくれた花ですから。」

 

その笑みを見ながら、リゾットはひどく不思議に思うのだ。

どうして、カラマーロやプロシュートは生きてほしいと願わないのだろうかと。

生きてほしいから生かそうと、しないのだろうかと。生きてほしいならば、生きてと言えばいい。

例え、それがポルポにとって苦痛でも。別に、ポルポの不幸を願っているわけではないのだ。ならば自分の望みを叶えればいい。

生きてほしい、置いて行かないでほしい、いなくならないでほしい、笑ってほしい、幸せになってほしい。

ポルポは、リゾットの神様ではない。

何故なら、リゾットはポルポから与えられたものは何一つないのだ。

リゾットは、ポルポに生きてほしいと思う。

それは、深い意味などない。ただ、生きてほしいから生かそうとしているに過ぎない。

それに名前を付けろと言われると、リゾットとしては困ってしまう。

自分たちを評価している上司として死なれては困るということも、長い付き合いの人間がいなくなることが寂しいということも、愛していると言えばそうであるし、遠い昔亡くした幼い誰かの影法師を追いかけ続けているというのも事実だった。

ポルポは、優しく、穏やかで、そうして臆病だ。

裏の世界で生きることにここまで不向きでありながら、それでも生き続けてしまう彼女は哀れかもしれない。

それでも、ポルポは笑うのだ。幸福そうに、確かな安寧をここで感じている。

リゾットは、ポルポと食事の約束をし、贈り物をして、彼女に手を差し出すのだ。

それは、ポルポを生かすのには未来を約束するのが一番だと気づいているからだ。ポルポは律儀だ。

彼女は、約束を必ず守ろうとするだろう。

だからこそ、リゾットは明日を約束する。彼女は、どんなにひどい状況でも、リゾットとの約束を違えないために必死に生き延びるだろう。

リゾットと食事を共にするために、リゾットの贈った花を枯らさないために、リゾットとの言葉を裏切らない様に。

けれど、勘違いしないでほしいのは、それを願ったのはリゾットではないのだ。

共に生きようと言ったのは、ポルポが先だった。だから、リゾットはポルポを生かす。生きてもらおうとするのだ。

共に生きようと言ったあの言葉は、全てを喪った男には、ひどく優しくて、安寧に満ちていた。

ポルポ、リゾットの郷愁の証、柔らかで愛おしかった誰かの影を纏う女。

赦さない。

リゾット・ネエロはポルポが死ぬことを赦さない。

共に生きようとお前が言ったのだから。それを先に願ったのはお前だから。

それは、ただの執着なのかもしれない。

ただ、思うのは、たった一つ。

 

もう二度と、けして、自分の手の中から滑り落ちることのないように。

 

弱くて、柔くて、そうして安寧に満ちたそれがもう二度と、自分からいなくなることがないように。

リゾットは、ポルポの無防備さが好きだった。自分が手を伸ばしてもなんの恐れも抱かない愚かしさが好きだった。

それは、日常の在り方で、リゾットが昔失ったものだから。

赦さない。

自分から、その安寧を奪うことをリゾットは赦さない。

陽だまりの匂いを感じるたびに、リゾットはあの幼子が遠いどこかで生きているように思えた。

リゾット・ネエロは、それが例え地獄でも、共に生きていくことを免罪符にポルポにまたいつかという呪いをかけるのだ。

 

 

 

 

 





うーん、スタンドだけと言えクロスオーバーのタグは付けた方がいいんですかね。
クララさんが誰か分かったから入るんでしょうか。ほとんど人物描写はされていなかったですが、何となく人間嫌いな妹さんに対して、けっこうざっくりとした性格のイメージを持ってます。

リゾット、アニメとか背景を見る限りはけっこう真面そうですが、あの人何気に群体型なんですよね。精神面の欠陥がどこらへんか想像ですが。

ポルポを嫌いそうな人は何人かいますが、そこまで辿り着けるかな。ジェラートとソルベにイルーゾォとペッシの話が先になると思います。

ちなみにハウリン・ウルフは書き手が一番最初に使っていたスタンドで、お気に入りです。


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さよならの準備

さよならを願う人


五部の前に四部の話になります。一応、こちらに投稿しますがもしかしたらシリーズで分けるかもです。


 

 

 

 

「・・・・・理由って、あんまりいらないよね。」

 

誰もが、その少女に視線を向けていた。

服装自体は簡素な、ズボンにパーカーを着ており、特別な特徴も無い。唯一、目が覚める様な空色のキャスケットだけが印象に残る。

いや、それ以上に部屋の中、虹村邸の二階にいる人間の目を引いたのはその足元にある狼だった。

いや、狼の形をしたスタンドだった。

部屋にいる人間、虹村兄弟の父親以外が二つのことを考えていた。

この女は誰の味方で、そうしてどんな能力を持っているのか。

少女と言っていいのか少しだけ東方仗助には自信がなかった。

それは、偏に声音が少女特有の高い声であったことと、そのキャスケットから垣間見えた顔立ちが女に見えたためだった。

 

「なんだ、てめえ!?」

 

それに、レッド・ホット・チリ・ペッパーは虹村形兆越しにその女を怒鳴りつけた。けれど、その少女はまるでレッド・ホット・チリ・ペッパーのことなど見えていないかのようだった。ただ、彼女は形兆のことをじっと見ていた。

 

「君さ、うん、確かに善人ではないね。でも、いい人だね。」

 

誰もが混乱していた。突然現れた闖入者の目的を考える。思考が停止したかのように皆が、固まっている中少女は唯形兆のことを見つめていた。

 

「君、今、弟のこと庇ったよね?だから、私にとって君はいい人だ。それに、他の用もあるし、助けるよ。」

 

その言葉と同時に、少女の足もとにいた狼が吠えた。誰もがそれに己の身を守ろうと体を固める。けれど、それより先に体に衝撃が走った。

部屋の中に、四方八方から襲う衝撃に仗助は思わず周りを見回そうとする。けれど、目を開けることは出来ない。

顔に叩きつける衝撃と、そうして耳元で唸る様な音に仗助は狼の力が何なのか気づく。

 

(・・・・そうか、この女、風を操ってるのか!)

 

狭い部屋の中で起こった竜巻がレッド・ホット・チリ・ペッパーを、正確にはそのスタンドの進入口であるコンセントに繋がった線を襲った。

ばちりと、電気が走ったような音と共に壁が吹っ飛ばされた。そうして、それと同時にレッド・ホット・チリ・ペッパーが形兆を放した。風にあおられて吹っ飛んでいく形兆を、狼型のスタンドが掴まえた。そうして、狼は壁を蹴り、少女の元にまで形兆を運んだ。

風が止み、目を見開いた仗助たちの前には虫の息の形兆が横たわっていた。

 

「君、治せるんでしょう。治したげて。」

「兄貴!!!」

 

そんな声が聞こえる中で、少女は何かを想い出したかのように呟いた。

 

「おっと、弓と矢も忘れずに・・・・」

 

その言葉と同時に、少女が天窓に向けて飛んだ。がしゃんという音と共に、形兆が起き上がる。

 

「・・・・・どーいうことだ?」

 

茫然としたように仗助が呟いた。

 

 

 

「・・・・おい、あいつ、何者だ?」

 

壁に空いた大穴の前で顎に手を当て考え込む女に、仗助が言った。それに、康一はもちろん、虹村兄弟も口を噤んだ。

それに、仗助はその女が誰とも無関係であることを察する。何かを呟いているようだったが、声が遠いことに加えて日本語を話していないようで分からない。

そこで、ふと気づいたかのように少女が振り向いた。目が覚める様な青空と、空いた穴から見えた空が妙に眩しく感じる。少女が仗助たちに近づいてくる。

 

「あ、傷治ったのかい?」

 

無遠慮とも言える様な、気楽な足取りで彼女は座り込んだ形兆の前に立つ。そうして、屈みこんで形兆の、穴が開いていたはずの胸を触った。

 

「うわあ。ほんとに治ってる。医者もびっくりの奇跡だ。」

 

素直な感嘆に満ちたそれに、皆がぱちくりと瞬きをした。そうして、そんなことも気にすることなく、女は立ち上がり背を向けた。

 

「それじゃあ、まあ。君の怪我も治ったし。私はいくよ。壁のことを赦してね。命あっての物種だしね。」

 

そう言って、彼女はあっさりと四人に背を向けてその場を去ろうとする。

 

「お、おい、待てよ!」

「何だい?」

 

女は特別な動揺も無く、のんびりと振り返った。それに、一足先に正気を戻した仗助が叫ぶ。

 

「て、てめえ、何者だ?」

 

それに女は、黙り込んではてりと首を傾げた。仗助たちには緊張が走る。まず、女の目的が分からないのだ。

敵対するのか、それとも味方であるのか。

助けられたのは事実だ。けれど、確かに女の口から矢と弓の話が出ていたのだ。女は、それにまるで宝物を隠し持っているかのように得意げにふむと頷いた。

 

「そうだな。まあ、確かに私が何なのかは気になるかあ。」

 

苦笑しながらクララはうーんと言った。

 

「まあ、私が何者かは言えないけれど。でも、どうしてここに来たのかは教えますよ。あなたたちと敵対したいわけじゃないし。」

「弓と矢が目的か?」

 

よろりと起き上がった形兆に彼女は苦笑した。

 

「あー。まあ、正解だよ。正確には、弓と矢を壊したかったんだけどね。でも、それもさっきの変なのに取られちゃったみたいだし。一応、追う努力はしたけど無理だったし。どうしたものかな。」

「ならよお、あんたは、その、敵なのか?」

「あははははは。まあ、敵対理由の弓と矢もなくなりましたし。第一、弓と矢も交渉でなんとかする気だったんだよ。一応、虹村形兆君、君の願いも叶う可能性があったしね。」

「何だと!?」

 

食いつく様に言った形兆に苦笑気味にクララは頷いた。

 

「・・・・君のお父さんを殺す方法。可能性があったんだけどね。でも、矢と弓もないし。今日はいったん帰るよ。」

「何だと、待ちやがれ!」

 

形兆は、やっと掴めそうな方法に食いつく様にスタンドを出す。が、それよりも先に女の力が発動した。

突然起こった突風によって、バッド・カンパニーは簡単に煽られ、そうして吹っ飛ばされる。

いかんせん、二人のスタンド能力は相性が良くない。

バッド・カンパニーは確かに強力ではあるが、いかんせん軽いのだ。人にとってはそこまでではなくとも、彼らにはまさしく竜巻に等しい。そんな風の中では、彼らの銃弾も届かない。

突発的な風に、皆は思わず目を閉じた。そうして、目を開けたその時にはすでに女の姿はなかった。

 

 

 

 

(・・・・・やってしまった。)

 

ポルポの中にあるのは強烈な後悔だった。

彼女がいるのは杜王グランドホテルのスイートルームだ。一応、護衛としてつけられた三人の内二人には席を外してもらっている。

 

「・・・・どうして、助けてしまったんだろうか。」

 

カーテンを閉め切った暗い部屋の中で、掠れた声が響いた。ポルポは広々としたベッドの上で丸くなり、ひたすらに後悔のため息を吐いた。

クララが仗助たちの元に出ている間、実はポルポも虹村邸にいたのだ。ポルポとクララが虹村邸に潜入できたのも、ブラック・サバスの能力によるものが大きい。

ブラック・サバスは、影の中に潜むことができるが、それはスタンドの本体である彼女にも可能である。それ相応に条件はあるが潜入するには便利な力だ。

 

(・・・・あのまま、どうなっていくか傍観する予定だったんだけどなあ。)

 

それでも、どうしても、無理だった。自分にとって、殺す理由がない存在が死ぬ瞬間というものが彼女に取ってはたまらなく恐ろしかった。

それを、弱さというならばそれでいい。

それが、ポルポが捨てられぬまま抱えてしまったものだ。

そうしていると、するりと己の頭を撫でる存在があった。それに、ゆるりと目を開けると己の分身である、道化師のような姿をした存在が一つ。

それは、まるで子どもを慰める様に頭を撫でていた。

 

(・・・・暗いのはいいなあ。)

 

ほっとする。どうしようもなくほっとして、そうしてこれからどうするかをまたポルポは考え始めた。

 

 

 

証拠が欲しかったのだと思う。

どうしても、何か、全てが予定調和のように当たり前のように過ぎていく証拠が。

ポルポは時折ではあったものの日本を訪れていた。それは、偏に、彼女が前世と言える何かの中での記憶として、それが本当であったのか。

いや、本当を言えばただの懐古であったのかは分からないけれど、自分の記憶の中にある故郷を訪ねて回ったのだ。

はっきり言えば、彼女が記憶していた実家だとか学校だとか、そんなものは存在することはなかった。

それでも、その事実にほっとした。

前世と今世というものが隔絶されたものであることにほっとした。

逃げ道がないことにほっとしたのだ。

ああ、大丈夫だ。自分は、ここで生きていくしかないのだと。

逃げ出したいと思う自分を、己の中に見つけるたびに死にたくなる。いや、死ぬよりもずっと惨めな気分になる。

ポルポの手は、血まみれで、汚れきっていて。それでもなお、未だにその地獄で生きていく覚悟を持てていないことに失望する。

だから、ほっとするのだ。

逃げ場がないということは、いつか、どんなに恐怖に塗れてもポルポが逃げるという選択肢を選ぶことは一生ないということだから。

その、臆病さを誰にも知られることはないのだと思うとほっとする。

それと同時に、ポルポは頑なに、俗に言う原作の存在たちがいそうな場所に近寄ることはなかった。

それは、恐怖の様であり、同時にその行為に意味を見いだせなかったというのもある。

もしも、仮に、出会えたとしてどうするのだろうか。

正しい誰かからすればポルポは結局悪役で。悪徳に沈んだ誰かからすれば、ポルポの願いは生温い。

結局のところ、ポルポはどちらにもなれないし中途半端なのだ。

敵対したいとも思わないが、味方にだってなれないのだと分かり切っている。ならば、関わる意味もないだろう。

 

けれど、どんどん、ポルポからすれば原作と言えるものが開始する時期が近づくにつれてとある考えが浮かんだのだ。

 

この世界に、運命と言える筋書は存在するのだろうか。

 

ポルポは弱い。

誰かが不幸になることも、死ぬことだって、目を逸らしてしまうほどに弱い。

だから、手を差し延ばしてしまう。

逃がして、生かして、背を押して。

ただ、生きろ生きろと、呟いて目を逸らす。

ポルポは、卑怯だ。生かしたいと願う存在の責任さえ自分だけでは背負えずに、誰かに縋って生かすのだ。

カラマーロにも、プロシュートにも、リゾットさえも巻き込んで、死なないでくれと身勝手に面倒事を引き起こす。

それでも、死なないでほしいと願ってしまう。

クララを見ていると、死にたくなる。

いつかに拾った、父を救うためにギャングに入った少年を見ていると死にたくなる。

彼らの、健やかで、軽やかな、尊敬と、好意と言える感情を向けられるたびに死にたくなる。

 

ねえ、君たちを引きずり落としたのは、私なんだよ。

 

その、好意も、尊敬も、親しみも、向けられるほどに息苦しくなる。

思うのだ。

彼らは、落ちる必要などなかっただろうと。どうして、自分は、彼らを光の中に返してやる力がなかったのだろうかと。

その無垢な好意を向けられると、たまらなく死にたくなる。

それが、苦痛であるのだと自分で分かっていても、地獄に落ちると分かっていても、生かし続けるのを止められなかった。

目を、逸らし続けていても、分かっているのだ。

自分は、筋書と言えるものにだいぶ反した動きをしているのだと。きっと、筋書き通りに進むなんて夢みたいなものだと。

分かっていて。それでもなお、手を差し延ばすことを止められなかった。

己の前世を捨て去ることは出来なかった。

夢見ることを止められなかった。

いつか、美しく、正しい星に、罰せられるという夢を。星の手によって、断罪が下される日を。

願い続けることを止められなかった。

 

証拠が欲しかったのだ。

定まった筋書は、変わることなく、順調に進み続けているのだと。

それは、彼がやってくる時期が近づけば近づくほどにその思いは強くなる。

 

だからこそ、ポルポは日本にやってきたのだ。

四番目の星に会うために。

 

 

幸いなのかは分からないが、ポルポは四番目の物語が始まる時期を覚えていた。

ほんの少しだけ、ほんの少しだけ。

何もかもが覆らないという事実が欲しかったのだ

もう、記憶も曖昧で、何が起こるかも、討ち果たされるべき悪の名も忘れていた。それでも、金剛石を背負った星が、悪を打ち滅ぼすという予定調和を見たかった。

いつか、己にやって来る未来の糧になるという終わりを待ち続けていたかった。

そうして、一つだけ保険をかけておきたかったのだ。

 

こんこんと、ノックの音が聞こえた。それにポルポは全てを察して目を開いた。暗闇を作る為に己を包んでいたシーツから顔を覗かせれば、ブラック・サバスが扉を開いているところだった。

それに甲斐甲斐しいなと、ポルポは笑う。

ひょっこりと顔をのぞかせたのは、カラマーロにつけられた護衛であるリゾットだった。

 

「・・・・クララのやつが帰ってきているぞ。」

「ああ。そうかあ。リゾットが迎えに行ってくれたのかい?」

「ああ。そうだ。」

「分かりました。すぐに行きます。」

「了解した。」

 

簡潔なやり取りに、ポルポはほっとする。静かなのは好きだ。騒がしくても別段に平気ではあるが、静寂というのはポルポにとって一番に気楽だ。

そう言った意味で、リゾットは何よりも気楽な存在だった。

ポルポは、ほっと息を吐く。

 

「先に行っておいて。」

 

その言葉にリゾットは軽く頷いてその場を後にした。

 

そうだ、大丈夫。

自分はきっと、目的を遂げられる。

ポルポは、軽やかにベッドから立ち上がった。

そうして、開けた扉から差す光から逃げる様に己の隣りに立つブラック・サバスを見る。

その視線に察したのか、ブラック・サバスは己の口の中に手を突っ込んだ。すると、ぬるりと、石でできた仮面が出て来る。

ポルポはそれを受け取り、撫でた。

 

「・・・・もうすぐだ。だから、ちゃんと準備をしないと。何もかもが、滞りなくすむように。」

「おまえの望みこそ、我が望み。」

 

脈絡のないような返事に、ポルポは笑う。返事が返って来るのはいいことだ。一人でないように幻覚を見ていられる。

 

(・・・・これは、少なくとも餌にはなるかな。)

 

空条承太郎とコンタクトを取る。

それは、ポルポが己が起こした矛盾への保険だった。

 

 

ポルポが知る原作にて、護衛チームといえるブチャラティたちが勝利を得ることが出来たのは、共に困難に打ち勝ったという信頼と、そうして経験があったためだ。

だが、今の現状では、彼らにその困難を与えることは出来ない。

今のところ、暗殺者チームの謀反の理由であるソルベとジェラートが死ぬということも無い。待遇だって、ポルポがそれ相応にしてるため不穏なところなどない。

自分が死んだ後も、隠し財産と言えるものは用意したし、何かあれば後釜にカラマーロが入れるようにお膳立てもする気だ。

ポルポは、己がなしたことを後悔していない。

自分にとって価値ある者を肯定したことを、後悔はしてない。

けれどだ。

彼らは、ボスに勝てるだろうか。

ポルポは、ボスが恐ろしい。

この世の中で、誰よりも、ボスのことが恐ろしい。

自分を殺す、ジョルノ・ジョバァーナよりもはるかに恐ろしかった。

その理由を、ポルポは上手く言い表すことは出来なかった。ただ、彼女の中の、逆らってはいけないという意識だけが強烈にこびり付いていた。

きっと、自分は彼に逆らうという選択肢を選ぶことは出来ないだろう。

だから、未来を託して死にたかった。

けれど、ブチャラティたちがボスに勝つという予想も出来なかった。だからこそ、せめての保険として強力な助っ人を用意しておきたかった。

自分が、それに協力すればいいのかもしれない。けれど、ポルポにはそれが出来なかった。ボスのことは、恐ろしい。消えてくれるなら消えてほしい。

けれど、それを思うと、気弱な青年とバラの匂いを思い出す。

見たくなかったのかもしれない。

恐ろしくて、苦手で。それでも、あの静かなお茶会の青年が死ぬところを見たくなかった。

弱さというならば、それでいい。それが己だとポルポは諦めている。

 

(・・・・・リゾットたちもそうだけど、他に助っ人がほしい。)

 

そこで思い至ったのだ。そうだ、一人いるじゃないか。

きっと、ジョジョという存在の中で最強である存在が。

 

この、杜王町での出来事は唯一、空条承太郎と難なく接触できる機会であった。

交渉の材料として、石仮面を用意した。

 

(・・・・もしもこれでだめなら。ディオの息子たちの情報を流すのもいい。)

 

空条承太郎は恐ろしくなかった。

ボスよりもずっと、恐ろしくはなかった。

彼は、きっと正しいから。

きっと、ポルポから、理不尽に何かを奪うことはないのだと信じていたからだ。

 

(・・・・大丈夫だよ。)

 

大丈夫、大丈夫だから。

きっと、自分がいなくなったって。何もかもが変わることなく回っていけるように。ちゃんと、準備をしていくから。

そうしたら、安堵しながら終われるだろうか。もう大丈夫だと、耳を塞いで、目を背けられるだろうか。

さようならと、言えるだろうか。

 

 

「いちおー、形兆君に匂わせて帰ってきました。」

「そうか。ありがとうね。」

 

スイートルームにて、自分の向かいに座ったクララにポルポは微笑んだ。

 

「・・・・少ししたら、また彼に接触をしてほしい。私もついて行くから。」

 

形兆を助けたのは偶然である。ただ、これなら丁度良かったのかもしれない。矢と弓、そうしてディオの部下であった父親がいた彼に、クララのような存在が接触していると知れば彼は自ら自分たちに近づいて来ようとするだろう。

さすがに、ポルポたちのことを調べられ、彼がパッショーネに関わってこようとすれば、面倒なことになる。

だからこそ、メッセンジャーとしてクララに任せたのだ。

承太郎の時を止める能力は厄介だが、そこまで連続して止められるわけではないだろう。ならば、逃げるだけの時間は稼げるだろう。

おそらく、虹村兄弟の父親を、ポルポは殺すことができる。

ポルポのスタンドであるブラック・サバスは、肉体ではなく魂に対して直接攻撃することが出来る。おそらく、それならば殺すことができるだろう。もしも、それがだめならばプロシュートの能力でも可能かもしれない。

 

(・・・・きっと、それがいい。プロシュートの力は優しいから。きっと、苦しくないだろうから。)

 

羨ましいと、そう胸の中で嘆息した。

虹村形兆が味方になれば、その弟である億奏もこちらがわに引っ張れるだろう。

 

「おい。それについてだが。」

 

その言葉にポルポは不貞腐れたような顔で腕を組むプロシュートの姿を見つけた。

クララの座るソファの背凭れに腰かけていた。

 

「・・・・どうして、護衛の俺たちがついていけねえんだ。」

「そりゃあ、イタリアならまだいいですけど。この国でプロシュートの兄さんは目立ちすぎますよ。」

 

それにポルポは思わず頷いた。

おそらく、カラマーロ自体、スタンドの強力さでポルポの護衛を選んだのだろう。ポルポも付き合いの長い二人ならばと同行を許可したが、日本についてからしみじみと後悔した。

はっきり言おう、慣れ過ぎて感覚がマヒしていたというのもあるのだが、二人とも非常に目立つのだ。

あまり他の国の人間を見かけない国柄に加えて、平均身長が低いこともある為二人とも非常に目立っていた。

何よりも、ポルポはあまり意識していないが、プロシュートは顔がいい。

おかげで視線を一身に集めている。

正直、そんな二人と共に歩いていると自分まで視線が来るため、一緒に歩きたくないというのも本音である。

 

クララの言葉にプロシュートは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。自分があまり行動を共にできない理由に関してはちゃんと理解しているのだ。

ただ、この頃はペッシの教育などであまり機会のなかったポルポの護衛に抜擢されたため、内心では張り切っていたというのにホテルに籠りっぱなしという現状に苛々していた。

 

「安心しろ。護衛ならば、俺もついている。」

「・・・・・うるせえ!この万年成長期!!」

 

腹が減ったと頼んだルームサービスを黙々と食べていたリゾットの言葉に、プロシュートがキレながら殴りかかる。リゾットはそれにやすやすと対応した。

自分の頭上で起こるそれを、ポルポは慣れた調子でぼんやりと眺める。

 

「・・・・・そんなにリゾットの兄さんて伸びてるんですか?」

「うーん、聞いた話だと、去年よりも三センチは伸びてるらしいけど。」

「二メートルいきますかね。」

 

クララはそう言いながら、プロシュートが一方的に罵り合っている喧嘩を見上げた。ちなみに、形兆に会いに行く折は姿を消すことができるリゾットも同伴することになっていた。

 

「君も食べるかい?」

 

ポルポがそう言って、リゾットが食べていたサンドイッチを差し出すと、クララは少し考えた後にそれに齧り付いた。

クララはそれを咀嚼したのち、何となしに言った。

 

「これいいけど。ご主人が作ったアクアパッツァが食べたいです。」

「・・・・それじゃあ、帰ったら作りましょうか。」

「本当ですか?」

 

クララのはしゃいだ声を聞きながら、ポルポはゆっくりと目を細めた。

 

死にたいというならば、死ねばいい。きっと、自分が思っているよりも簡単で、原作なんて気にせずにさっさと死のうと思えば死ねるのだ。

けれど明日があると思うと、死ねなかった。

ああ、そうだ、あの子と出かける約束が、料理を作る約束が、そんな、幾度も重ねた明日を思い出すと、目の前に置いた縄も銃も刃物も、電車も。

全部、使うことは出来なかった。

 

(・・・・・この、またねが終わったら。)

 

そうしたら、今度こそ、終わろうと。そんなことを思いながら、またねと重ねて行ってしまう己が、ポルポは心から醜く思えて嫌いで仕方がなかった。

 

 

 

「・・・・・なあ。」

「どうした?」

 

夜が更けてしばらくして、ポルポとクララが眠った今、起きているのはプロシュートとリゾットだけだった。

そんな時、プロシュートが囁くように言った。

 

「クウジョウジョウタロウっていうのは、そんなにつええと思うか?」

 

リゾットはそれにふむと頷いた。

今回、日本にやってきたのは表向きは休暇である。ポルポがよく、観光として日本に行っているのは周知の事実だ。

ただ、リゾットは裏の目的を知っている。

この杜王町にあるという、スタンド能力を発現させる矢と弓の回収、そうしてやって来るというクウジョウジョウタロウという人物との接触だ。

どんな理由かは分からない。ただ、そう言った何故ということが知らされないのはよくあることなので気にしていなかった。

それよりも気になることは一つ、ポルポから絶対に守れと言われたことがあった。

何があってもクウジョウジョウタロウとの交戦は禁止すること。

何故かと言うと、ポルポはあっさりと言った。

きっと、私たちでは勝てないから。

 

その言葉は、確かに衝撃だった。

これでも、リゾットは戦闘面においてはポルポに信頼されていると思っていた。

それに加えて、プロシュートやクララまでいながら、彼女はあっさりと勝てないと確信していた。

さほどそう言った強さというものに関して、義務は感じていても、気にはしていなかったリゾットもそのジョウタロウという存在に興味は湧いた。

どれほどまでに、その男は強いのだろうか。

 

「・・・・あいつが嘘を言うとは思わないが。お前も何故、そこまで気にする?最強であるという自負などないだろう。」

 

そうだ、リゾットもプロシュートも任務を成功させることと強くあることがイコールではないことは分かっているはずだ。だというのに、プロシュートは何をそこまで気にするのだろうか。

 

「・・・・分からねえ。ただ、俺の勘が言ってるんだよ。クウジョウジョウタロウってやろうとポルポを会わせるとろくなことにならねえって。」

 

そう言いながら、プロシュートは苛々と足を叩いた。

プロシュートとしては、言いたくもなかったが、何となしにポルポがもうすぐいなくなるような感覚がしていた。

殺してやるのだと、誓っていた。

ずっと、いつか、安らかな終わりを迎えさせてやるのだと誓っていた。

プロシュートは、生きることの残酷さを知っている。生きていく上での栄光も、幸福も知っている。

それでもだ。

ポルポの生が、息苦しさと苦痛に塗れていることを知っている。

プロシュートは、己の力に名を付けた時、願いを込めて祈ったのだ。

いつか、いつか、死する時だけは安寧の中にある様にと。眠る様な、終わりがあるようにと。

溺れる様な、息苦しさに飲まれた彼女の終わりが安らかである様にと。

それだけが救いだ。それだけが、唯一の恩返しだ。

けれどだ。

今のポルポは、まるで何もかもが夢であったかのように、ふっと消えてしまいそうだった。

頼むから、死んでもいいから、いなくなってもいいから。

己の前で死んでくれ。

そうしたら、ちゃんと殺してやるから。弔いだってしてやるから。

だから、あんたの死ぬ理由を教えてくれ。あんたが死ぬ前に思ったことを教えてくれ。

何も知らないままに、置いて行かれるのは、たまらなく寂しいことだから。

何も望んでくれないのを知っていた。死ぬことに焦がれていることを知っていた。

共に生きてくれないのなら、死ぬ瞬間だけをどうか預けてほしかった。

大丈夫だ。覚えている。

あの夕焼けも、くんと匂う料理も。

プロシュートが、初めて与えられた無償の何かも、全部覚えている。

だから、大丈夫だ。

あなたがいなくとも、生きていける。一人でも。あの、泣き虫な女が泣きじゃくって、歩けなくなっても自分が背負って、引きずっていく。

だから、だから、一人ぼっちで死なないでくれ。

唯一の、貰った何かを返せる瞬間を、自分から奪わないでくれ。

終わりだけが、あなたに贈れる栄光だった。

ただ、プロシュートはぞわりと、ジョウタロウという人間が自分にとって好ましい結果を生むような気がするのだ。

それを聞いていたリゾットは、プロシュートに対して淡々と言った。

 

「・・・・・プロシュート。お前の力は確かに暗殺向きではない。ただ、お前は一人ではないはずだ。お前もペッシによく言っているはずだ。」

「何がだ?」

「一人で完璧に全てを終えることなどできない。だからこそ、俺たちはチームだ。お前が出来ないことを俺がやる。俺が出来ないことをお前がやる。」

 

リゾットは、そう言って息を吐いた。

 

「・・・ポルポが、そのジョウタロウにどうして俺たちが勝てないと判断したかは分からん。ただ、その理由を知れば、対処法を考えることも出来る。一人だけで戦う様な顔をするな。」

 

それにプロシュートは、虚を突かれたような顔をして、ああと頷いた。

 

「すまねえ。下らねえことを言った。」

 

リゾットは、少しだけ肩の力を抜いたようなプロシュートの様子にひらりと手を振った。

 






申し訳ない、この前にイルーゾォとソルベとジェラートとペッシの話を書きたかったんですがどうしても思いつかなくてこちらの話を先に書くことにしました。
ただ、お恥ずかしい話、書き手は戦闘などを書くのがからっきし苦手なので書きたい部分だけ書いて行くと思いますので、ご了承ください。

また、話の区切りが分かりやすいように整理していきます。


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間違えた救済に喝采を

虹村形兆と、クララと、喝采を送りたい人




 

「沈んだ顔をしているね。」

 

それは、彼がこの数日間ずっと望んでいた声だった。

 

弓と矢が奪われた後、虹村形兆は空条承太郎、というよりはスピードワゴン財団の監視下に入ることとなった。

虹村形兆が人を殺したのは事実であるが、いかんせん凶器が件の弓と矢である。唯一の証拠であると言っても、それを警察に提出することも出来ない。

そのために、警察に引き渡すことも出来ず、暫定的な処分として決まったことだった。

結局のところ、形兆をふくめた虹村の一家は杜王町に腰を落ち着けることとなり、仗助たちと同じ学校に通うこととなった。

けれど、今となっては形兆にはすべてがどうだっていいことだった。

彼の今の関心は、唯一の願いの手がかりである少女の事だけだった。

承太郎に聞いても、知らないらしく情報も無い。今すぐにでも探し回りたい気分であったが、監視の目がありそれも難しかった。

そうして、ぶどうヶ丘高等学校に通うようになってから数日が過ぎた。といっても、高校で友達が出来るような玉でもなく、望んでもいないために傍から見れば静かな生活を形兆は営んでいた。

 

その日も、家に帰るための家路を急いでいた。

形兆自身がスタンド使いにした人物に関してはすでに承太郎に伝えてある。彼らもまた、監視下に入っている。

といっても、形兆自身、顔しか知らないという存在もあり、全てに監視が行っているのかまでは知らないが。

形兆もまた、レッド・ホット・チリ・ペッパーの本体である音石明をおびき寄せるための囮であるのだろう。

といっても、音石も馬鹿ではない。この罠にやすやすとかかる気はないようだった。

 

苛々としていた。今すぐにでも、なりふり構わずに探し回りたい気分だった。そんな時、唐突にかけられた、聞き覚えのあるそれに形兆は固まった。

何の思考もなく、形兆は振り返る。

そうして、そこにいたのは、目が覚める様な空色のキャスケットを被った少女。

 

「何か、嫌な事でもあったのかい?」

「てめえ!!」

 

形兆は、感情のままに己のスタンドを出現させた。そうして、ふーふーと獣の唸り声のような息を吐く。

ぐちゃぐちゃな感情の中で、必死に形兆はそれを抑える。戦うべきではない。目の前の存在がどんなものか分からないなら、今の所は少なくとも友好関係を築いておくべきだろう。

そうなのだろう。

けれど、自分でも処理しきれない感情ががちがちとその理性を壊そうとする。

 

(・・・忘れるな。俺のスタンドとこいつのスタンドは相性がわりいんだ。)

 

空色のキャスケットを被った女は、己の前に並んだ小さな軍隊を前にのんびりとしている。そうして、何を思ったのか持っていた茶色の紙袋を差し出した。

 

「話したいこと、少なくとも君にはあるんでしょう?ちょっと、そこで話さない?君の話もちゃんと聞くからさ。」

 

にっこりと、そう言って。まるで親しい友人に話しかける様な仕草で言った。

形兆は、自らに差し出された手に、ごくりと喉を鳴らした。

ついて行っていいのか?

 

目の前の存在は本当に父親を殺す方法を知っているのか?

自分に何を望んでいるのか?

監視がある状態で行っていいのか?

 

他にも幾つもの、疑念が頭をよぎる。けれど、それよりも、形兆自身の中にやけっぱちと言えるものが芽生えていた。

 

弓と矢も奪われた。取り返せるかもわからない。

ならば、今、ここで確かに存在する希望にかけてみようと、そう思って。

彼は、ゆっくりとそれに手を伸ばした。

 

 

 

「はい。」

 

形兆が連れてこられたのは、彼も知らなかった奥まった場所にある小さな公園だった。木が茂っているせいか、やたらと影が差していた。その公園にちょこりと置かれた小さなベンチに二人で隣り合って座る。

公園は、なんでも人払いが施されており、監視もまた気絶させていると言われた。

そうして、何を思ったのか、その紙袋から出てきたのはタイ焼きだった。

形兆は茫然として、思わずそれを受け取る。

そうして、どこから取り出したのかペットボトルの緑茶を二本取り出した。

 

「はい、これも。」

 

それもまた、形兆は固まりながら受け取る。己の手の中にある温かいタイ焼きと、緑茶を見て形兆の中には疑問が溢れる。

 

「いやあ、日本の食べ物って美味しいですよねえ。私は、特にこちらの和菓子が好きで。タイ焼きも、形が愛らしくていいですよね。あ、どうぞ食べてください。」

 

そう言って、少女、クララと先ほど名乗ったそれは持っていた自分の分を頬ばった。形兆は、ふざけるなという言葉が出る前に、自分の周りで起こるふわふわとした空気に混乱の方が先んじてタイ焼きを頬張った。

タイ焼きは、なるほど、餡子がしっかりと詰まっており確かに美味だ。

何故、自分はこんな所でタイ焼きを片手に謎の人間との交渉をしようとしているのだろうか。

何かしら、相手に言おうと思うのだが、疲れ切った精神と怒涛のようにやって来る意味不明な現状になんだか思考がうまくまとまらない。

 

「それでね。君の願いの話だけど。」

 

唐突に始まった話に、形兆はまた固まって勢いよくクララの方を見た。クララは、すでに一つを食べ終え、二個目のタイ焼きを頬張っていた。

 

「君さ、お父さんを殺すため何でもするの?」

 

何のためらいも無く、平然と言われたそれに形兆は瞬時に頷いた。

 

「・・・ああ、何でもだ。」

 

おそらく、それに対して望まれるのは彼らの目的である矢と弓を取り返すことだろう。音石は、形兆を殺し損ねたために現在逃げ回っている。

もしかすれば、杜王町から逃げ出している可能性もある。

もしも、そうだとするならば、形兆はどんなに確率が低かろうと一生をかけて音石という存在を追い回すのだと決意する。

けれど、クララの口から語られたそれは、ひどくあっさりとしている。

 

「うん、まあ。条件としては三つあって。クウジョウジョウタロウに繋ぎを取ってほしいことと、私たちの情報を渡さないこと。そうして、もう一つ、半年間ほど待つことだよ。」

「そ、それだけでいいのか?」

 

掠れた声に、クララは三つ目のタイ焼きに手を伸ばす。口の端についた餡子を拭った。

 

「まあね。方法があるなら、殺すっていうのはまあ私たちからすれば低コストで行けるしね。まあ、遺体の処理を考えないといけないけど。それに、まあ、君を助けたこと云々に関しては私の我儘も入ってたし。矢と弓は、手に入ればまあいいかぐらいの感覚だから。」

「ふざけるな!」

 

形兆は苛立ったように、そう吐き捨てた。勢いよく立ち上がった彼は、見下ろす形でクララを睨む。力んだ手によって温かい何かが潰れたような感覚がした。

ぎろりと、不信感に塗れた目をしてクララを睨む。

 

「俺を助けた上に、俺の願いをかなえるための条件がそんなことで済むと本気で思ってるのか?いいか、どんなものにだって対価が必要になる。俺は、目的のために代価を支払って来たんだ!」

 

対価を言え。どんなことだって聞き入れてやる。

 

決意に満ちた、その目にクララは小さくため息を尽き、そうして足を勢いよく振って立ち上がった。

そうして、不躾とも言える仕草で、びしりと形兆を指さした。

 

「いいですか!」

 

それに形兆は体を強張らせて、やってくる本当の条件に身構えた。

 

「私があなたを助けたのは、許可が出たのもありますが。あなたのことを助けたいというエゴイスティック極まりない理由からです!だから、正直に言います!」

 

私たちの目的に、矢と弓を失ったあなたと交渉する理由は殆どありません。

 

「・・・・なら、どうして俺にそんな交渉を持ちかけた?」

 

思わずそう問いかけた形兆に、クララはなんの動揺も無く平然と言った。

 

「私が、そうして私の御主人が君を助けたいと思ったから。君は、良い人だったから。」

 

形兆にとって答えになっていない返答に思わず顔を歪めた。形兆は、その助けた理由を欲しがっていたのだ。

 

「・・・・・ふざけるな。」

 

口から飛び出た、その声は、次の瞬間、遠吠えに変わった。

 

「ふざけるな!!」

 

形兆の周りにバッド・カンパニーが現れる。戦闘態勢に入った彼らを前に、クララは変わることなくじっと形兆の言葉に耳を澄ませた。

 

「良い人だと?いい、人だと?下らねえこと言ってんじゃねえ!俺はな、ヒトゴロシなんだよ!父親、そいつをたった一人殺すためだけに、何人も殺したんだ!俺はな、地獄に落ちる覚悟をしたんだよ。いつか、どうあったって裁かれる覚悟をしたんだよ!そんな俺が良い人だと!?馬鹿にするのもたいがいにしやがれ!!」

 

それは、まるで血を吐くような声だった。血を吐くほどに、壮絶で、苦しい声だった。

 

形兆は、父親のために人を殺すと決めた時、どんなことがあっても成し遂げると誓った。

そうでなければ、成し遂げられなかった。

確かに、虹村形兆は、異常だ。

父親という存在を殺すために、十年もの間、国を渡り歩き、裏の世界に潜った。それもまた、二十にもならない少年がだ。そうして、目的を遂げるために人を殺すと誓える人間を、異常だと言わずに何だというのだろうか。

けれどだ。

形兆のその異常さというのは、彼に元より備わっていたわけではない。人にも相談できない父という怪物、そうして幼い弟と共に生きて行かねばならないという重圧が彼の歪さを作り上げた。

だからこそ、虹村形兆は当たり前のように思っていたのだ。

自分は地獄に落ちるのだと。

それが分かっていてもなお、止まることのできなかったのが彼の歪さだった。

悪であろう。

そうであっても仕方がないことをするのだから。

だからこそ、止まることは赦されない。もしも、目的を果たすことなく放棄してしまえば、虹村形兆の足もとに転がる死体とは、何だったのだろうか。

だから、いつか、自分が裁かれる側であるという自負を持つことが、何もかもを失っても目的を遂げると誓うことが彼にとって唯一の誠実さだった。

だからこそ、目の前の存在の、良い人という言葉が鼻についた。

そんな言葉で語られてたまるものか、自分という存在の何かを、そんな、そんな、あっさりと判断されてたまるものか。

虹村形兆は悪である。弱者を踏みにじる、悪である。

それだけが、彼の語れるものだったから。

 

けれど、クララはどうしてか苦笑して、形兆の頭をとんと撫でた。予想外のことに形兆がそれを振り払おうとしたが、それよりも先にその手は離れて行ってしまう。

 

「すいません。そんな途方に暮れた様な顔しないでください。」

 

向かい合ったその眼は、澄んだ青の目だった。

そうして、困ったように肩を竦めた。

 

「・・・・・私があなたを助けたいと思ったのは、まあ、あの時も言いましたけど。君がいい人だったからですよ。」

「俺は、良い人じゃねえ。」

 

ふわりと、香ったタイ焼きの甘い匂いに、なんだか夢から醒めた様な脱力感を感じる。

力のない掠れた声の反論に、クララはまるで聞き分けのない子どもを見るような目をした。

 

「だからですねえ。良い人とか、悪い人って結局のところ個人の価値観によるんですよ。」

 

クララはそう言って、くるりと己の指先を回した。

 

「善と悪って結局のところ価値観なんですよ。だから、個人によって尺度も何もかも変わって来る。犯罪者と悪人って、似ている様で違うんですよねえ。犯罪者はあくまでルール違反。悪人は判断する者にとって間違いを犯した者、だと私は思っています。ええ、もちろん、反対意見はご自由に。先ほども言いましたが、私が思っていることなので。」

 

クララは、癖なのかくるりとまた指を回した。

 

「君は確かに犯罪者であり、タブーを犯した。人が社会の中で円滑に生活していくために犯してはならないルールを破った。でもね。私は、正直そこら辺はあまり気にはしてないんだよ。何故か、それは、死んだ人間は私にとってあまりにも遠い部外者だからだよ。人は、己から遠いことを所詮は絵空事のように感じる。私にとって、その死んだ人間は、ただの数としてしか判断できていない部分がある。それよりも、私には優先させるべき価値観がある。」

 

クララは、じっと形兆をじっと見た。その瞳は、まるで海のように深く、何かを含んでいるように見えた。

その少女は、形兆の目を見て穏やかに微笑む。

 

「君は、弟を守ったね。君は、父親のことを背負い続けたね。だから、君は、良い人だ。」

 

それは、まるで空が青いと、カラスは黒いと、そんな当たり前を語るかのように揺るぎない。

 

「ねえ、形兆君。私はね、何と言うか、そんな大仰に何かを語れるような経験だとか、断固たる哲学じみたものはないけれど。それでもね、思うんだよ。君は、良い人だって。」

 

クララは申し訳なさそうに苦笑した。

 

「妹がいるんです。生きてるんですけどね。もう、二度と会えません。それでもいいから、生かしたかったし、どんなことをしてもいいと思った。形兆君。君は、確かに犯罪者だ。でも、それでも、君をいい人だと私は言う。君が、本当の意味で悪党だというならば。君は、どうして、父のことも、弟のことも見捨てなかったんだい?」

 

それに、形兆は何も言い返さなかった。

それは、確かに存在はしていたが、選択するという思考に至らなかったものだ。

 

「見捨てられたでしょう?父君の話を調べるほどのお金や能力があるなら、そうですね。海外に高飛びするだとか。いっそのこと、あなたが生きている間だけでも父君を誰にも知られない場所に閉じ込めることだって不可能じゃなかった。それでも、君は背負い続けた。それでも、君は手を握り続けた。家族を、君は助けようとした。見捨てなかった。それだけが、私にとって何よりも善だと肯定できることです。」

 

虹村形兆君。この世界の誰もが、君を悪だと言おうとも私にとって、君は肯定すべきよきひとだ。

 

意味が分からなかった。

何を言っているんだと思った。

形兆は、まるで狂人を見るかのような心境でそれを聞いた。

理解するような思考さえ、上手く回ってくれない。

クララはそっと、形兆のほうに手を伸ばした。クララは、形兆が握りつぶしてぐちゃぐちゃになったタイ焼きがある方の手を取った。

あーあ、もったいないなんて言いながらその手を叩いた。そうして、お茶が入っていたらしいビニール袋を取り出した。

 

「ほら、食べないなら捨てちゃいますから。気持ち悪いでしょう?」

 

その言葉に、鈍った思考の中で確かに手に広がる気持ちの悪さに固く握ったそれを解いた。クララは、まるで子どもにするようにその手についたタイ焼きを取り、持っていたハンカチで拭う。

まだ少しべたついていたものの、綺麗になった掌をじっと見た。

そうして、自分の手を拭った指先を見た。

それに、形兆は何となしに思った。

この、まるで何も知らない少女のような顔をした落ち着きはらった存在も、ヒトゴロシなのだろうと。

その、一件綺麗な手が、己と同じように汚れきっていることを何となく察した。

何かを言おうと思った。何か、反論を。

けれど、それよりも前に、目の前の存在は堂々と、己がそう思っているだけだと断言してしまっている。

その声は、自分の意思と同じように揺らぐことはない。

放っておけばいい。放っておいて、その条件を飲めばいい。誓ったじゃないか。

何をなしても、願いをかなえるのだと。だというのに、どうして、こんなにもざわざわとするのだろうか。

その言葉を否定しなくてはいけないと思うのだろうか。

 

「あなたはどうしますか?私たちの提案を受けますか?」

「てめえは、てめえ達は、俺に同情したからこの提案をしたのか?」

「・・・・・それは、ちょっと違いますね。」

 

その声は丁度、形兆たちが話し込んでいたベンチの向かい。つまりは、向かい合った形兆とクララの真横からした。

二人がその方向に視線を向けると、そこには、一人の女が立っていた。

いや、一瞬だけ男のようにも見えた。

 

黒いスーツに、黒い髪。肩には黒いコートを羽織り、そうして黒い手袋をしていた

形兆よりも少しだけ背が低い。太陽に当たっていないのか、不健康そうな青白い肌をしていた。

そうしてまるで夜を背負っているかのように黒い髪を長くのばしていた。

その女は、平凡だった。

確かに、その真っ黒な衣装自体は変わっていると言えた。けれど、女自体は優しそうな顔立ちと言えたが特別な何かがあるわけではない。

ああ、ただ、一つだけ、その黒と白に支配された色彩の中で唯一、はっきりとした色。

 

(赤い、瞳。)

 

まるで朝焼けのように、鮮やかな色をした目だけが人目を引くと言えば引いていた。

形兆は、とっさにバッド・カンパニーに構えを取らせる。

 

(・・・・おいおいおいおい!!俺は、確かにこの女との会話に夢中になっていた。だが、な。油断していたわけじゃねえ。)

 

だというのに、目の前の女は気配すら感じさせずに、形兆の横に立っていた。形兆は女も又スタンド使いであることを察した。

生い茂った木々の影に立つ女は、まるで影が人の形をしたかのように暗い。激しさと言える激情はなく、ただ、穏やかだった。

 

「・・・・ご主人、出てきていいんですか?」

「こういうことは、直接交渉したほうがいいかと思ったんです。それに、直接、話がしたかったというのもありますが。」

 

そう言って、女は、ゆっくりと形兆に近寄った。形兆はそれに警戒する様に構えるが、自分の肩に触れるクララの手にそれを止めた。その手が制止のものであると察したためだ。

 

自分の前に立った女から、くんと何かのにおいがした。形兆は、てっきりその女からは香水か何かのにおいがするのだと思っていた。けれど、香った匂いはまったくの別物で、その正体を理解することが出来なかった。

その匂いが何なのか考えようとするが、それよりも前に、声が割り込んだ。

 

「・・・・あなたはどうされますか?父君を殺す、それを私は叶えることが出来ます。あなたは、その条件をのみますか?」

「信用できねえんだよ。」

 

女の声は、静かで穏やかだった。

陽だまりの中に聞こえる、誰かの他愛も無い鼻歌のような、そんな声。

それに、なんだか形兆はくらくらとした。

何かを、思い出しそうになる。似たような感覚を、知っている気がした。

それを振り切る様に、形兆は言った。

 

「俺の願いっつうのは、簡単に叶っちゃいけねえんだよ。簡単に、一瞬で叶えるには、払い続けた代価が重すぎるんだよ。あんた、裏の人間だろうが。いいか、同情なんてもんで叶って良いことじゃねんだよ!?分かるか?」

 

叫ぶような、その声に、女は苦笑した。困ったような、そんな顔をする。

 

「同情なんて、ものじゃないですよ。私が、あなたを助けたのは。」

「なら、何だっていうんだよ!?」

「選択すら許されない人はいます。私の周りにいて、いつか、地獄に落ちるだろうなって子もたくさんいる。彼らを、一言に不幸な子だと憐れむ気はありません。でも、選ぶこともかなわずに、おちていく子のなんと多いことかと。」

 

女は、笑う。どうしようもないのだと、そんな諦めに満ちた目で、どこか遠い場所を見る。

 

「私は、ただ、助けてあげられなかった誰かの影をあなたに見ている。どうしようもなく、共に落ちていくことしか出来なかった誰かの影を見る。だから、あなたにはせめて、選んでほしい。私はね、助けてあげられなかった誰かを、あなたを助けることで、助けた気になって。救われたいだけですよ。」

 

女の手が、自分の方に伸ばされた。己の手をするりと握った、少しだけがさがさとしたそれ。

くんと、香る、におい。

形兆は、その匂いが何であるのか、ようやく分かった。

それは、夕焼けの匂いだった。

それに覚る。自分が感じる、それは。強烈な、懐かしさだった。

夕焼けの匂いなんてない。ただ、形兆が夕焼けを思い出すにおい。

日本人ならば、誰だって、夕方の道を歩いただろう。どんな理由か、遅くなって、もうすぐ夕飯だという時刻に家に帰ったことが。

その女からするのは、そんな匂いだった。

何故か腹がすくような、家々の中から匂う夕飯の、におい。

何となしに料理の匂いだと分かるが、具体的な料理名が浮かんでこない。ただ、どこかで嗅いだことのある、懐かしく腹の空く匂い。

形兆にも、あった。

まだ、母親が元気だったころ、自宅に帰ったその時に、急いだ家路。

腹を空かした自分を、母さんが、待って。

 

「虹村形兆君。」

 

そこで、ぶつりと思考が途切れた。それに、ようやく自分の前の前にいる存在に目が向いた。

真っ黒な髪に、柔らかな微笑み。懐かしい、におい。

形兆は、くらくらとする。何か、何かが自分の中で噛みあいそうになる。それから、目を逸らせと自分の中で何かが喚くが、女の声に意識が向く。

 

「誰もあなたを赦すことは出来ない。あなたが殺した誰かは、あなたを罵倒し、あなたによって大切な誰かを失った人はあなたに刃よりも鋭い憎しみを向けるでしょう。そうして、誰もその罪を背負ってあげることは出来ません。あなたは、これから、それを一人で背負っていく。ですが、一つだけ、忘れないでください。あなたは、確かに間違っていたかもしれない。ですが、あなたが前に進みたいと、救われたいと願ったことは間違っていなかったと、私は思います。」

 

女は、まるで、曇り空から射す太陽のように微笑んだ。

優しくて、穏やかな、そんな笑みだった。

ああ、そうだ。似ているのだと、思い出すのだ。

微かな記憶の中にある、母のことを。

 

「自分を、救うということは、進み続けるということです。ですが、それは困難だ。変わることは難しい。あなたはそれを選び続けた。辛くとも、苦しくとも、背負って歩き続けた。私は、それを素直にすごいと思います。私は、どこにも行けない人間だから。」

 

「半年間、という期間を置いたのは、ただ、考えてほしいんです。本当に、殺すことを自分が望んでいるのかを。悩んでほしいんです。選ぶことの叶わなかった私には、あなたに悩んでほしいんです。虹村形兆君、どうか、救われてください。私には、それが叶わないから。誰かが救われることで、ほんの少しだけ、救われるような気分になる。」

 

それに、形兆の中で生まれたのは、苛立ちだった。

こんなにも、あっさりと、叶っていいはずのものではないはずだ。こんな、こんな、ふうに叶うならば、自分の今までの背負って歩いた苦しさはどうなるのだろうか。

助けなんていらない、救世主なんていらない。

一人で、全てを、全うして見せる。

そうでなければ、そうでなければ、今まで殺した誰かのことも、誰にも頼れなかった幼い己があんまりにも理不尽で、惨めではないか。

 

そう思って、その手を振り払おうとする。

理性と、感情がぐちゃぐちゃに混ざり合う。

助けを求めろと声がして、一人で何とかなると叫ぶ自分がいて。

ただ、今は考える時間が欲しくて。その手を振り払いたかった。

 

けれど、それよりも前に、自分の腕に抱き付くような形で温い何かが飛びついて来た。

 

「頼ればいいじゃないですか。」

 

そう言って、肩からひょっこりと顔を出したのは見慣れた空色、青い瞳。

 

「私だって、妹のことを一人で背負い続けるのはきつかったですよ。あなたは、きっと、もっときつかったはずです。形兆君。君は、確かに頑張ったんですよ。例え、それがものすごい、間違いを招いても、だから、少しだけ、よっかかっていいと思いますよ。」

 

そう言って、にやりと、大型犬のように笑った。

 

というか、頼りなさい。命の恩人の言葉ですよ。素直になりなさい。

 

にっしっしと、そう言って笑った。

形兆は、何かが、何か、どろりとした甘い何かにむしばまれるような感覚がした。

逃げなくてはと思った。そうしなければ、いけないとそう思ったのに。

自分の肩の温度に、とんとんと叩く肩のリズムに、動けない。

心地いいと、そう思った。何故だろうか。そう思って。

自分の頬にするりと、革の肌触りがした。

 

「・・・・・形兆君。」

 

止めろ。その声を、その言葉を止めろ。止めてくれ。そう思って、母とダブる女の声に、形兆は無視できない。

 

「あなたはすごい。今まで、二人も背負っていたんですね。誰にも頼らず、ただ、一人で。でもね、もういいよ。」

 

あなたはまだ子どもだよ。だから、大人を頼っていいんだよ。

 

頭を、撫でた。真っ黒な髪の、優しそうな女が、自分の頭を撫でた。

 

(母さん。)

 

腹の減る匂いがした。懐かしい、匂いがした。

 

「よく頑張ったね。形兆君。あなたが、罪人であることは変わりはないけれど。それでも、地獄に落ちるのは一人ではないよ。」

 

ぐらりと、形兆の膝が折れた。握られた手を両手で掴み、そうして祈る様に頭を下に向けた。

 

一人で成し遂げるのだと、助けなんていらないのだと、自分一人で背負うのだと、そう思っていたのも本当だった。

けれど、弱かった、幼い子どもが形兆のどこかで泣くのだ。

きっと、ずっと言ってほしかった。きっと、心の奥で、助けてくれる人を求めていた。

それでも、弱さをさらけ出すのは怖いから。必死に、押し隠した。

だから、いつか、忘れてしまった。

どうしてだろうか。どうして、今更だというのに。

もういいよと、言ってくれる誰かに、今、出会うのだろうか。

父が魂を売った、DIOという存在を、誰かが悪の救世主と言ったそうだ。

その時、自分は、それを鼻で笑った。

悪が救いを求めた末路を知っていた。だから、嗤ってやった。

悪に救いもなにもないだろう。救いを求める資格もない。

 

(・・・・親父は、どんな気分だったんだ?)

 

DIOという存在に初めて会った時、あの男は何を思っていたのだろうか。

こんな、気分だったのだろうか。

溺れていて、必死に水面に手を伸ばした、その時に胸いっぱいの空気を吸い込んだかのような、そんな感覚。

 

己の頭と、肩を撫でるその温度に、形兆は歯を食いしばった。

 




群体型は欠けてるらしいですが、重ちーとは違って形兆は生きていく上で欠けて行ったイメージです。
原作で見るには、形兆は一応、自分がやってること自体間違ってる自覚はあるけど、それ以上に目的を遂げるとためにそれを押しのけた、理性が足りない人のイメージなんですが。

というよりも、八歳から父親があんなんになってるのを見るに、たぶん大人に頼ったことも無いんだろうと思っているんですが。誰か、助けてくれる大人がいればよかったんですかね。


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番外編:BadEnd 星の潰えた世界

ボスと、何もかもに開き直った人


分かりやすいバットエンドになります。


 

「・・・・分かるな、ポルポ。」

 

己の首に絡みつく、高い体温の、大きな掌にポルポの背筋にぞわりとした震えと、今にも倒れ込みそうなほどの圧迫感が襲った。

口から出るはずの言葉は、まるで断末魔のようにか細く、高い声が漏れ出ただけだった。

 

「お前が、今言うべきことが何なのか、分かるね。可愛い、私のポルポ。」

 

甘ったるいその、言葉に、ポルポの内で何かが砕け落ちる音が響いた。

 

 

ソルベとジェラートに伝言があるんだが。

 

その台詞が、全ての始まりだった。

 

ソルベとジェラートは、暗殺者チームにおいて諜報を担当していた。それは、彼らのスタンド能力、それぞれに他人の視界を覗き見ることが出来るということと、変身能力があったことに加えて二人の性質に理由があった。

極点的に言えば、ジェラートという男は知ることを好んでいることがあった。端的に言えば、相手の秘密にしていることを知ることを何よりも好んでいる男だった。

秘密というものが当たり前の裏の世界において、その性質は少々難があるものだったが、それを加えてもジェラートという男も、それに付き合うソルベという男も優秀であった。

そうして、それを担当しているために、メンバーもあまりどこにいるかなどを把握していなかった。

ただ、気まぐれに暇なときはアジトに顔を出すこともあり、それによって生存確認は行えていた。

その時、ポルポははてりと首を傾げた。

何故なら、ポルポはその時、ソルベとジェラートに何かしらの仕事を命じた覚えがなかったせいだ。

そうして、メンバーやカラマーロに話を聞いて、ようやく分かった。

誰も、ソルベとジェラートの行方を知らなかったのだ。

 

ポルポは、急いで暗殺者チームに二人の捜索を命じた。敵対組織から拉致という可能性を考えての事だった。

けれど、ポルポはぞくりと嫌な感覚を抑えることが出来なかった。

暗殺者チームは、存在を知られていても詳細は出回ってはいない。暗殺という性質上、顔が売れるなどということは何よりも疎うべきことだ。

そのために、暗殺者チームは表向きはポルポの私的な使い走りや護衛という立ち位置にいる。それも、護衛として連れるのは戦闘や逃走に有利なものばかりで、ソルベとジェラートは殆ど表舞台に出たことはない。

だからこそ、ポルポは嫌な予感をさせていた。

そんな彼らを攫った者がいるとすれば、その理由とは何なのか。

 

何かを調べていたのだ。彼らが、そういったものに属しているのだと、分かる瞬間に何かがあったのだ。

 

ぞわり、ぞわりと、嫌な何かが背筋を振るわせる。

 

ポルポはまるで祈る様に、仕事部屋の机に肘をつき、報告を待っていた

そうして、けたたましくなるパソコンが鳴った。それに目を走らせると、メールが来ていた。

差出人は、ボス。

メールの内容は、どこかへの地図。

それに、ポルポは嫌な予感が全て的中しそうなことを覚った。

 

 

地図の先には、とある簡素なホテルであり、地図に付随された資料によって、ポルポは部屋の中に入った。

部屋の中は薄暗く、どうもカーテンが閉め切られているようだった。

ばくばくとなる心臓を服の上から撫で、ポルポは唾をのむ。

 

大丈夫だ。

 

ただ、自分にそう言い続けた。

暗闇の中で、ブラック・サバスに勝てるスタンドはそういない。己の手に絡みつく、人のものではないそれにポルポは必死に逃げ出したいという理性を保つ。

部屋を進むと、何故か、ベッドも何もない。ただ、部屋の真ん中に、ぽつりと小さなテーブルが置かれている。

その机の上に、一つのテレビが置かれていた。テレビから漏れ出る青白い光が部屋の中を照らしていた。

ポルポは己の背筋を流れる、生温い汗を自覚する。

ゆっくりと、その画面にポルポは近づく。

見たくない、見てはいけない。

そう思うというのに、それを見なければいけないという何かを察した。

そうして、ようやくその画面に何が映し出されているのかを理解した。

 

それは、誰かが何かに横たわっている。その台の両隣には、二人の人間が立っている。

 

(・・・・なに、あれ?)

 

映っている部屋自体が薄暗いのか、全体の印象がぼやけている。映っている人物の顔立ちを見ようと、ポルポは目を凝らした。

そうすると、立っているうちの一人が、何か、刃物のようなものを振り上げた。それと同時に、その刃は横たわっている人物の左足へ振り下ろされた。

だん、と、何かが断たれるような音と共に、悲鳴と、そうして、ポルポにとって見知った存在の苦悶の表情は画面に映し出された。

 

「ソルベ!!!」

 

断末魔のような声と共に、ポルポはテレビに飛びついた。

画面には、輪切りにされたソルベの一部が転がっている。

その映像の意味を、ポルポは瞬時に理解した。

 

破ったのだ。けして、けして、破ってはいけなかった禁忌を、彼らは破ってしまってしまったのだ。

何故だ!?

理由などない、意味などない、必要がない。

だというのに、この末路がやって来た。

ポルポは、がちがちと微かになる歯の音と共に、喉の奥からせり上がって来る何かを必死に我慢した。そうして、急いで部屋を出ようとする。

けれど、その前に、背後から甘ったるい、優し気な声が聞こえて来た。

 

「・・・・躾はきちんとするべきだったな。」

 

ポルポは、その声に誰かを察して振り返らなかった。がちがちと、大きくなる歯がぶつかる音だけがやけに響いた

どこから伸びているか分からないが、己の手を掴んでくれるブラック・サバスだけが彼女の味方であった。

ポルポの首元に、するりと、手が伸ばされる。首をなぞるようにして上に滑る。自分の頬を覆う、大きく、熱い手にポルポの体はがたがたと震える。

 

「・・・・お前は、本当に賢い。なぜ、世の人間はお前のように賢く在れないのだろうなあ。知らなくてよいものを、なぜ知ろうとするのか。」

 

おそらく、振り返らなかったポルポの行動について褒めているのだろう。

ポルポは、か細い灯に縋りつく様に、ブラック・サバスの手を掴む。

 

「私のことを嗅ぎまわる者をな、捕らえたんだが。どうも、お前の飼い犬の様だったからな。処分をする前に知らせてやろうかと考えていたんだが。ん、ふむ。そんなにも、この犬が大事か?」

 

ポルポは自分の意識と言える糸が、ぶつりと途切れそうになるのを感じる。ぶつり、ぶつり、ふっと亡くなりそうなそれを必死に押しとどめて、ポルポは掠れ、震える声で答えた。

 

「は、い。」

「そうか、そうか。実はな、お前は私の部下の中でも稼ぎ頭で在り、見返りもあまり望まない。せっかくだ、ボーナスとして、この一度だけは赦してもいいかと考えている。」

 

それに、ポルポの体は明らかに震えた。今すぐにでも、振り返り、ディアボロに飛びつきたいほどだった。縋りついて、命乞いをしたかった。

 

奪わないでください、奪わないでください。

たくさんものを、奪って来た私にそんな権利はないかもしれません。それでも、彼らだけは、彼らだけは、私から奪わないでください。

それ以外ならば、何でも差し出します。

私の命さえも、全て、差し出します。私の何もかもを、誇りも、祈りも、願いも、全てほうりだしてもかまいません。

だから、かれらだけは、わたしのまどろみだけは、うばわないでください。

 

いつの間にか、ポルポは己の体の前で手を組み、祈る様に握りしめていた。けれど、そのぎりぎりと締め付けられる精神の中で、するりと自分の頭に何かが擦り寄った。

 

「ただな、少しだけ条件があるんだ。」

 

その声が、まるでと息さえも感じるほどに近いことで、その擦り寄ったものがディアボロの顔であることを覚る。

甘ったるく、囁く、その声にポルポは崩れ落ちそうになる。

 

「な、なんなり、と。なんでも、どのような、ことでも。」

 

どんな、ことでも、したがいます。

 

掠れた返答に、くすくすと耳元で笑い声がした。

 

「ああ、そんなにも緊張するな。私の可愛い、ポルポ。なに、些細な事だ。」

 

それに、ポルポは身を固くした。

どんなことでも、聞き入れるつもりだった。

 

(・・・・あと、少しなんだ。)

 

そうだ、あと少し。あと、少しで、運命がやって来る。

ポルポの望んだ、未来。ポルポが、待ち焦がれた未来。ポルポが、救済を見出した先。

ポルポはいない。それでも、確かに星が瞬く未来が、やってくる。

あと少しだ、待てばいい。それまで、持てばいい。

ポルポの生きてほしい人たちは皆優秀だ。

ポルポの星は、ポルポを殺す正しさは、賢い。きっと、彼らを上手く使ってくれる、その価値を認めてくれる。

未来は、託せばいい。

だから、ここでは、何を持っても持ちこたえなくてはいけない。

未来にいなかった彼らを、先におしあげなくてはいけない。

 

ぎりぎりと、ポルポの精神にひずみとも、亀裂とも言える何かが走った。それを自覚して、ポルポは荒い息を吐き出した。

そこに、そこに、甘くて柔らかな声がするりと滑り込んだ。

 

「・・・可愛い、ポルポ。」

 

お前は、私に隠していることがあるだろう。

 

それにポルポは体を震わせながらいつも通り、答えた。

 

「ボスに、隠し事など、して、いません。」

 

「ふむ。」

 

ポルポの長い髪の毛を、くるりとディアボロは弄ぶ。それを意識しながら、ポルポは必死に動揺を押し殺す。

大丈夫、そう、強く信じた。

 

知られることなどありはしない。

そうだ、大丈夫だ。震えだって、臆病な自分ならば不自然なことも無い。ボスには知られることはない。理解することなどない。

 

そう思っても、己の体の奥から湧き上がる恐怖と、そうして動揺は尽きることなく湧き上がる。

 

知られることなんて、あるはずがない。そうだ、大丈夫だ。だから。

 

「・・・・ポルポ、可愛い、ポルポ。」

 

崩れ落ちそうになる。いつもならば、押し込むことができる恐怖が、湧き上がって、体を震わせる。

けれど、その、起きるはずのなかった、筋書き通りの出来事にポルポの中で何かが軋みを上げる。

大丈夫だと、心の中で幾度も呟くのに。頭の中で、屈服した自分が囁く。

 

分かってるくせに。分かってるだろう。

 

ボスには、絶対に勝てないのに。

 

違うのだと、首を振る。違うのだ。

ボスは負ける。彼は、敗北する。彼は、正しさの前に敗北する。

運命なのだ。それは、自分が死ぬのと同じほどに、当たり前のように運命なのだ。

そうだ、だから、星が目覚めるその時まで。

ただ、その時まで、自分は負けなければいい。

 

その時、辺りに、二つの声が響いた。

 

「私は、全てを知っている。」

 

あああああああああああああああああああ!!!!!

 

ボスの声と、ソルベの断末魔じみた声は、何故か重なり合うことも無く、はっきりとポルポの耳に聞こえた。

 

その言葉に、ひゅっと、空気が空回る様な声がした。

ポルポは、それに、何か緊張の糸が切れた様にがくりと膝をついた。その場に、座り込んだポルポはまるで糸が切れた様な操り人形のように無言で床を眺める。

たったの、一言だった。

たったの、一言で、何故か体の全てから力が抜けた。

立ち上がれ、そう自分に言い聞かせる。立ち上がれ、でないと、疑いは深くなる。

だというのに、足に力は入らない。

 

座り込んだポルポの目に、するりと大きな掌が被さった。

 

「ポルポ、安心しなさい。私に隠し事をしていたのは、赦せざることだ。仕置きは必要だろう。ただ、お前は、いつだって正しい判断をしてきた。お前が私にとって可愛いポルポでいるならば、私はお前を赦そう。」

 

さあ、ポルポ。お前は、正しいことを選べるだろう。

 

なんてないセリフだ。それこそ、何も知りませんと言えば、済む話だ。

けれど、ポルポの中で、何かが、そうだ。

それこそ、どんな音だったかは分からなくても。

ぼきりだったかもしれない、がちゃんだったかもしれない、びきりだったかもしれない、

ただ、頭の奥、ポルポのなかで何かが壊れた音がした。

 

(・・・・・もういいや。もう、いいんだ。)

 

だって、誰も、ボスには勝てない。私は、ボスには勝てない。

 

 

 

いつも通り、薄暗い仕事部屋の中でポルポは机に向かい、そうして書類を読んでいた。

最初に読んでいたのは、ソルベとジェラートの経過観察だった。

 

(・・・・ソルベの右足の経過は順調。暗殺に戻れるかは経過しだい。よかった。悪化することはなかったみたい。)

 

それにほっとしながら、ポルポは机の上に散らばった書類の内、二組を手に取る。

そこには、任務完了の旨が記されていた。

 

「・・・やっぱり、プロシュートとリゾットは優秀だなあ。」

 

そう言って、ポルポは今回の任務対象であったジョルノ・ジョバァーナと東方仗助の写真を撫でた。

 

 

あの日、ポルポは理解したのだ。

この世には、運命と言えるものがある。それは、例えば、ブラック・サバスを持った自分がパッショーネに入るということがあったりする。

けれど、時折、人は運命といえる何かに打ち勝ってしまうのだ。

ボスのように。

だから、ポルポは諦めた。

諦めて、諦めて、彼女は悪魔に頭を垂れた。

そうだ、運命を信じても、運命を覆す存在には勝てはしないのだ。

だから、諦めて。そうして、ポルポは自分の愛しい箱庭だけを守ることを決めた。

 

ディアボロに頭を垂れて、何もかもを、捧げた。あの日、ポルポはディアボロに全てを話したわけではない。ただ、空条承太郎という人物が、ポルナレフという男と繋がっており、組織のことを、ひいてはボスのことを探っているかもしれないことを伝えた。

 

ポルポは、ゆっくりとジョルノ・ジョバァーナと東方仗助の書類を破り捨てた。

ジョルノ・ジョバァーナは簡単だった。スタンド能力だって発現していない存在なのだ。東方仗助も、真っ向からの勝負には強くとも、一人の時に不意打ちをすればそう難しくはなかった。

 

(・・・・さようなら、私を裁く、私の星。)

 

細かく、細かく、何が書かれていたかもわからないほどに細かく破いた。そうして、残りの書類、まだ開始されていない任務についての書類を手に取った。

そこには、ジョセフ・ジョースター、空条承太郎、空条徐倫の三人についての情報が書かれていた。

 

(・・・・運命には、勝てない。あなたたちは、正しい。正しいものが、勝つ。それが眩しい。それに焦がれた。でも。)

 

その美しさは、眩しさは、間違えたリゾットたちを否定する。

 

(・・・・大丈夫だ。リゾットたちは死なない。運命の通りに、いなくなったりしない。運命にさえ打ち勝てるボスの元にいる限り。)

 

自分だって、生きていける。リゾットたちと、生きていける。

 

ポルポは、そう思って、笑う。ただ、笑う。

彼女がいつだって浮かべていた、諦観と諦めに満ちた穏やかなものではない。

それは、年相応の陽気さと、これからを想う楽しさに満ちた笑みだった。

そうだ、そうなのだ。

だって、ポルポはもう、やってくる運命に怯えなくていい。

そうだ、明日がある。

また明日をたくさん言おう。どんなふうに生きていきたいかを考えていい。誰かとの未来を想って良い。

誰かのことを、好きになっても、いいのだ。

ポルポは笑う。

いつもの、優しそうで、穏やかな、そうして少しだけ陽気さの加わった、ネジのとれた笑みを浮かべた。

 

 




原作をトゥルーエンドかグッドエンドとするなら分かりやすいバッドエンドになります。

蛸 
回避できたと思っていた結末がやってきたことや、断末魔やら緊張で何もかもタガが外れてる。基本的には変わらないが、ボスにたてつく大抵の人には容赦なく潰しに行く。生きることを楽しみ始めた。
部下たち
上司に当たる恩人のネジが少しだけ外れているように感じるが死にたがりが治ったので気にしていない。ギャングにネジが外れていないものなどいないのだ。
ボス
自分を探るものが出ていたため、蛸に探りをいれるためにかまをかけた人。無意識のうちに、滅亡の運命を回避した幸運の人。


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間違えた優しさ

ブローノ・ブチャラティと優しいだけの人


 

 

 

「少年、あなたは日の下にお帰りなさい。もう、二度とこちらに来ては駄目だよ。」

 

夜が人になったようだった。それは、あまりに詩的すぎる例えであっただろう。けれど、彼にとって、その人とはそんな色を持っていた。

その声と、その微笑みを、ブローノ・ブチャラティはきっと、ずっと忘れはしないのだと思う。

 

 

父が、麻薬の取引に巻き込まれ、その口封じにやって来た者を殺した日。

ブチャラティは、組織に通じていると公然の秘密とされている場所にやってきた。

本来ならば、彼のような幼子がギャングになれるはずもない。彼は、高々十二歳の田舎の少年だったのだから。

そんな彼が何故、その忠誠と奉仕をよしとされたのか。

それは簡単な話、彼が当時は禁忌とされていた麻薬に関わっていたためだ。

ブチャラティたちの立場は非常に微妙だ。

一応は、禁忌である麻薬に手を出した者たちが悪い。だからといって部外者のブチャラティたちを野放しにはしておけない。

彼らにとっては、当事者である彼が己から自分たちの側に来てくれたのは正直な話、ありがたかったのだ。

 

「・・・・まあ、あの人に見つかるよりも先にお前が来てくれてよかった。」

「どういう意味ですか?」

 

支部の一つであるらしいそこのリーダーの男はそう言ってほっとしたように息を吐いた。二人がいるのは、奥まった場所にある部屋だ。突然、ギャングにしてほしいと言って来た少年を彼らは邪険にすることなく、ともかくはと話を聞いてくれたのだ。ブチャラティは言葉に問いかけた。それに、男は少し悩む様な仕草をした後に頷いた。

 

「お前も身内になるなら知っといてもいいかもしれねえが。ここら辺をシマにしてる人は麻薬が嫌いでな。俺らも、お前のことを知らずに死なせてた日にはどうなってたか。」

 

そういって、ぶるりと背筋を震わせるような仕草をした。それをブチャラティが訝しく思っていると、部屋のドアが乱雑に叩かれた。

 

「メ、メデューザさん!!」

「うん?どうかしたか?」

「ポ、ポル、じゃなくてポリプスさんが!」

 

それにリーダーである男、メデューザはがたんと椅子を倒しながら立ち上がった。

 

「はあ!?なんであの人がこんなとこに?」

「そ、それがメデューザさんに用があるって。」

「ポリプス?」

 

はて、とブチャラティは不思議に思う。確か、ポリプスとはラテン語で蛸という意味だったはずだ。ギャングであるのだから、おそらく偽名であるのだろう。けれど、何故、わざわざ偽名をそれにするかについては大いに気になるところだ。

といっても、それはメデューザも同じで、確かクラゲという意味であったはずだ。

 

「どうします?」

「そ、そりゃあ会うけどよ。今日は、兄貴とか、姐さんは?」

「今日は、プロシュートも、カラマーロも来てませんよ。」

「うおおおおおおおおおおお!?」

 

男たちの野太い声に混ざって聞こえてきたか細いそれに、メデューザと部下の男の体が一瞬浮いた。

そうして、腰が抜けたかのように二人は床に座り込んだ。

 

「ええっと。そんなに驚かなくても。」

 

男の部下の後ろからひょっこりと現れたのは、彼らが驚くには余りにも場違いそうなひ弱な女であった。

長身のそれは、スタイルがいいというよりはひ弱さが目立ち、白い肌は不健康そうだ。白いシャツにジーンズというシンプルすぎる出で立ちが何とも地味な印象を受ける。

腰まで伸びた髪や、その身長を差し引いても人ごみの中にいれば埋没してしまいそうなほどその女は平凡であった。

ただ、一つだけ、その瞳だけが女に色をつけていた。

 

(・・・・朝焼け。)

 

それは、海辺の町で育ったブチャラティには馴染み深いそれだ。海を赤く染める、朝焼けのような赤い瞳。それだけが、唯一、女の特徴のように見えた。

 

「ポ、ポリプスさん!?」

「こんにちは、メデューザ。久しぶりですね。」

「は、はい。お久しぶりです。ポリプスさんも、その、元気そうで何よりです。」

 

メデューザの慌てようとは反対にポリプスと呼ばれた女はにこやかに微笑んだ。おそらくは、地位の高い人間なのだろう。ブチャラティは、一先ずは沈黙を選び部屋の隅に侍っておくことを決めた。

 

「まあ、私は相変わらずですが。そう言えば、あの子は元気ですか?」

 

その時、メデューザの顔の変化にブチャラティは目を見開いた。

 

「・・・・はい。元気です。」

 

その、横顔はまるで子どもの様だった。安堵できる保護者の元にあるような、そんな安寧に満ちた顔だ。

あの子とは誰だろうか、メデューザの親しい者のことのようだが。

 

「その、ポリプスさんに医者を紹介してもらったおかげで。」

「私じゃなくて、紹介したのはポルポですよ。」

「あ、はい。そうです。本当に、ポルポさんには感謝してます!」

「いや、そんなに大声出さなくても。あの、あと、今日ここに来たのは。」

 

苦笑交じりにメデューザを宥めていたポリプスの目が、部屋の隅にいたブチャラティに向けられた。そうして、何故か、彼女の目が大きく見開かれた。

ブチャラティは己が何故、彼女の意識を引いたのか分からずに肩を震わせた。なんと挨拶をしていいかもわからずに、無難に会釈であいさつを済ませた。

そんなことなど気にすることも無く、ポリプスはじっとブチャラティを見つめた。

そうして、おもむろに口を開いた。

 

「・・・・あなたが、病院でことを起こした?」

 

それに、ブチャラティは息を飲んだ。それは、メデューザたちも同じだった。ブチャラティは恐る恐る頷いた。

 

「・・・・・今日は、その件で聞きたいことがあったんです。丁度いい。少し、私と話をしましょうか。」

「話?」

「面接のようなものです。そう、硬くならなくてもいいですよ。」

 

そう言ったポリプスの笑みには、確かに警戒するようなものはなかった。それに、メデューザたちのことを伺おうとすると、彼らは顔を真っ青にしてブチャラティに近づいて来ていた。

 

「はははははははははは!ポリプスさん!ちょーっとだけ!ほんのちょーっとだけいいですかね!?」

「ええっと?」

「ほんのちょーっとだけなんで!!」

 

そう言ってブチャラティを引きずるように部屋の隅に連れて行った。

メデューザはずいっとブチャラティに顔を近づけて、こそこそと耳打ちをする。

 

(いいか、ブチャラティ!あの人は、怒ることはまずないが。それでも、失礼な態度は絶対に取るなよ!?)

(・・・それは、分かってるけど。どうしてそんなに必死になるんだ?)

(・・・別にあの人は絶対に気にしないが。あの人はな、俺たちの上司に当たる幹部の一人の、ポルポさんの部下なんだよ。あの人が知ることは。ポルポさんにも行くんだ。くれぐれも、失礼がないようにな!?)

「あの?」

「あー、はい!ポリプスさん!用はもう終わりましたんで!」

 

どーぞどーぞとメデューザはそう言ってブチャラティをポリプスに引き渡す。彼女はメデューザの様子に不思議そうな顔をしていたが、まあいいかと納得したらしくブチャラティの肩に手を置いた。そうして、今までブチャラティたちが話し込んでいた奥の部屋に連れていかれた。

それを見送ったメデューザと部下はほっと息を吐く。

 

「・・・・あの新人、失礼な態度取らないだろうな?」

「まあ、行儀の良い奴でしたから大丈夫ですよ。つって、あの人はそーとおのことがなけりゃあ怒ることなんてないですし。」

「・・・・あの人は、相当のことがあっても怒るのか。つーか、あの人はいんだよ。」

「ああ、メデューザさん、最初に生意気な態度取ってプロシュートの兄貴にぶちのめされたんでしたっけ?」

 

メデューザの肩が分かりやすく震えた。そうして、若干青い顔で部下を睨み付けた。

 

「俺の事は良いんだよ。あー、ほんとにあの人はいんだけどなあ。後ろの人たちがなあ。」

「ポルポさんは人がいいっすよね。」

「まあな。」

 

二人はまるで、何かを想い出すような顔をしてすっと目を細めた。けれど、その後にメデューザは言い含める様に言った。

 

「・・・・今は、ポリプスさんだからな?」

「ああ、すんません。」

 

 

 

 

「改めまして、こんにちは、君の名前を教えてくれないかな?」

「・・・・ブローノ、ブチャラティ。」

「ぶろーの、ぶちゃらてぃ・・・・」

 

ブチャラティの名乗ったそれを、女はどこか噛みしめる様に口の中で幾度か呟いた。それを無言で見つめていたブチャラティに、女は弱々しく微笑んだ。

 

「・・・・そうかい。私は、聞いていると思うけれどポリプスと呼んでほしい。」

 

苦笑交じりの女は、やはり平凡の一言に尽きた。

少なくとも、幹部の直属であるらしいというのにはっきりいってそれらしさというのは皆無に等しい。

いっそのこと、町のどこかですれ違っているのではないかという幻想さえ抱きそうになる。

だからこそなのか、今まで張りつめていた精神が少しだけ緩みそうになる。

 

「ええっと。そうだね。じゃあ、結論から聞くけれど。君が、口封じに動いた彼らを殺したんだね?」

「ええ。」

 

その穏やかな声音とは多いに外れて口から飛び出たそれに、ブチャラティは是と答えた。それに、彼女もまたさほどの動揺も無く、そうなのかいと一度だけ頷いた。

それに、ブチャラティは体をそろりと少しだけ動かした。少しだけ、動揺してしまった。

あまりにも、ポリプスが平然としているためだった。

彼女は、どこまでも平凡で。当たり前のように、日常の中にいるように見えて。血のにおいなど一切することも無く。

けれど、彼女は平然と、ブチャラティのよく知らない暗闇の中に平然と立っていた。

 

「安心して。咎める気は、ないんだ。ただまあ。厄介であるのは認めざるをえないんですが。」

 

そういって柔く、顔に笑みを湛えた。

 

「・・・厄介?」

「うーん、まあ。あなたが殺した彼ら。どこの人かは分かってるんですけど。彼らの上の人が麻薬の件で指示を出したかが曖昧なんですよねえ。おかげで責任の件でちょっとごたついてて。」

「というと?」

「・・・・組織は、この辺りをシマとしている私の組織は、麻薬の取引を禁止しています。もちろん、これを破ればそれ相応の処分が下されます。ですが、今回はことを起こした人たちが口封じに走り、死亡。彼らの上司は、部下が勝手にやったことだと否定していましてね。」

 

女は深いため息を吐いた。それから感じ取れる重い疲労にブチャラティは少し気づかわしそうな顔をした。

 

「心配してくれるのかい?」

「あ、いえ。その。」

「ありがとう。」

 

それに、ブチャラティはまるで自分が悪い夢を見ていたような気分になる。

そうだ、あまりにも、あまりにも目の前のことがブチャラティにとって違和感がなくて。

自分は、ギャングの場所になどいなくて友人の元に遊びに来ているかのような、そんなちぐはぐとした気分だった。

分かってはいるのだ。

会話の内容も、しっかりと理解している。ただ、覚悟を決め、暗闇の中で生きることを考えたために疲労した精神はどこかその柔らかな空気に飲まれかけていた。

 

「だからこそ、君に会えてよかったよ。少なくとも、彼らを殺した存在が誰か分かっただけこの件が処理しやすくなるね。口封じが起こった理由もこうして聞けた。」

 

安堵したように笑うと、ポリプスはすっとドアを指さした。その意味が分からずにブチャラティが彼女の方を見ると、それは相変わらず穏やかに微笑んでいた。

 

「ブローノ・ブチャラティ。もう、家にお帰り。」

 

その声は、本当に優しい声音だった。まるで、ベッドに眠る子どもへかける母の声音の様だった。

 

「・・・・それは、面接が終わったということでしょうか?」

「面接?ああ、そうか。君は、ここに入りたいのか。いや、そうじゃない。君は組織には入らなくていいんだよ。」

「な!?」

 

それにブチャラティは慌てて立ち上がり、己が庇護を求めていることを彼女に訴える。

少なくとも、組織の人間に対して牙を向けたブチャラティに何の憂いも無いはずがないのだ。

見せしめとして、口封じがやってくるはずだ。

 

「・・・ポリプスさん。俺は、まだ子どもです。ですが、命令を遂行する覚悟をもってここにきました。俺が、この世界に入る覚悟はすでに示していると思います。」

 

暗に病院での殺しの件を口にすれば、彼女はゆっくりと瞬きをした。そうして、少しだけ悲しそうな微笑を浮かべた。

少しだけ薄暗い部屋の中、その微笑を湛えた口元がやけに印象的だった。

 

「・・・・帰りなさい。」

 

その声は、やっぱり優しい。

ポリプスはそれに立ち上がり、そうして扉を無言で開けた。すると、メデューザたちがひょっこり顔を現した。

 

「・・・あの?」

 

扉が開けられたことに驚いたのか、その顔はだいぶ不思議そうだ。それにポリプスはすっと扉の方を指さした。

 

「・・・・この子を外へ。」

「何か、不快な事でも?」

「いいえ。ですが、この子にはまだ帰る場所があります。」

 

その言葉で全てを察したのか、メデューザは無言でブチャラティを扉の方へと促した。けれど、ブチャラティはそれを振り払うように女に叫んだ。

 

「待ってくれ!俺はこの組織に入らなければ!」

 

そんなブチャラティをメデューザは無言で抱え上げた。おそらく、自分を外に連れて行く気なのだ。それを察して、ブチャラティはその腕の中で暴れた。

 

「殺したんだ!俺は、俺は!あの時、それしかなくて、どうしようもなくて!父さんが!」

 

ああ、そうだ。父さん。父さん。

不器用で、それでも優しい、父さん。俺のために仕事を増やしたりなんかしたから。

そうだ、そのためにあんなことになって。

俺の、俺のせいで。

 

その時、ふわりと己の頭の上に何かが降りた。それは、彼女の手だった。

 

「少年、その責を君が背負う必要は欠片だってないんだよ。表には表の、裏には裏の最低限のルールと線引きがある。最初にそれを越えてしまったのは私たちだ。君は、君たちは被害者に過ぎない。それは、私が背負うから。」

 

暖かな、けれど少しだけ荒れた手がブチャラティの頬に添えられた。そうして、愛おしいもののように、その目じりをするりと撫でた。

 

「帰るべき場所で、当たり前の日々の中で生きていきなさい。ここは、帰る場所がない者たちが最後に行きつく成れの果て。安心してください。全て、こちらで滞りなく進めます。誰も、君たちを傷つけることなどありはしない。」

 

穏やかな声だった。優しくて、甘やかで。何もかも、もう大丈夫なのだと安堵を誘う声だった。くんと、香ったその匂い。

それは、母が夕飯時に香らせていた、腹の空く優しい匂い。

それと同時に、メデューザがブチャラティを抱え上げたまま部屋の外に出た。

ブチャラティの視界には、薄暗い部屋の中に取り残され、微笑みを浮かべたままのポリプスの姿があった。

それに、ブチャラティは思わず手を伸ばした。一人だけ、その薄闇に取り残された女に何と言えばいいのか分からずとも、どうしても手を伸ばしてしまう。

 

「少年、あなたは日の下にお帰りなさい。もう、二度とこちらに来ては駄目だよ。」

 

耳朶に滑り込んだその台詞と共に、ポリプスは小さく決別の意味を込めて手を振った。

 

 

 

建物の外に出たメデューザは、ブチャラティを労わるように置いた。

ブチャラティは下ろされると同時に、再び建物の中へと足を向ける。けれど、それよりも先にあっさりとメデューザに止められた。

 

「放してくれ!」

「いや、放したらそっこうポリプスさんのとこ行くだろ!?なんなくていいって言われたんだからさっさと帰れよ。な?」

「帰れるわけないだろ!?」

 

やけくそのように叫べば、メデューザは少しだけため息を吐いた。

 

「だからこそ、さっさと帰れ。」

 

聞いていると、思わず動きを止める様な重い声だった。今までのどこか情けない印象とは違い、どこか威圧感あるそれにブチャラティは動きを止めた。

少しだけ怯える様なブチャラティの様子に、メデューザは困り果てた様な顔でしゃがみ込んだ。同じぐらいの目線になった男は宥めるように言った。

 

「・・・・ともかくだ。一旦は帰れ。あの人が大丈夫だっつったんだ。なら、何もかもが大丈夫だ。」

 

その声音は、まるで親を信じる従順な子どもの様だった。

それに、ブチャラティは思わずというように皮肉を口にした。

 

「ずいぶんと信頼してるんだな。」

「そりゃあな。」

 

その、穏やかな声はまるで父親と似ているように思えた。

 

「救われたからな。」

 

ブチャラティは、思わず黙り込んでしまった。

その声が、その表情が、その眼が。

あんまりにも安堵に満ちた、澄み切ったものであったから。

その、大それた台詞にブチャラティは眉をしかめた。メデューザはそれにやはり苦笑すると、ブチャラティの頭を乱雑に撫でた。

 

「ま!そーゆことだ。別段、親父さんの件がないのなら入る理由もないんだろ?だったら、お帰り。あの人は、けして言葉を違えない。何の心配もないと言ったんなら、全部手を回してんだろ。」

 

帰れ、がきんちょ。俺みたいにならぬよう。

 

男の、祈るような言葉とその表情にブチャラティはのろのろと動きだした。これ以上食い下がっても無駄だと悟ってのことだ。食い下がったとして、自分に不利益しかならぬと分かった。

少年は幾度も、幾度も振り返っては男の様子を見ていたが。

メデューザは変わることなく、穏やかな笑みを浮かべてブチャラティを見送っていた。

 

 

ブチャラティは、その日父親の病院へと向かった。病院は、変わることなくどこか騒がしく、静かな雰囲気のままであった。病院に許可を取り、父親の病室で寝ずの番をする。

けれど、その日は、いつまでたっても静かな夜が続くだけだった。

 

朝日に包まれた病室で、ブチャラティは何もやってこなかったことを実感する。

だからといって、本当に安心することも出来ない。

ブチャラティは未だに眠る父親を見て、まるで己を慰めるように腕を擦った。父親は峠を越えている。もう、意識の回復を待つだけだ。

そんな時、病室の扉を叩く音がブチャラティの耳に飛び込んできた。

彼は、それにゆっくりと立ち上がり、持っていたナイフを手にかけた。

廊下からは微かに、看護師などの声がした。

ひと気の多い時間帯に殺しの任務をすることはないだろうが、警戒心を込めて彼はゆっくりと扉に近づいた。

けれど、ブチャラティの予想に反して病室の扉は無遠慮に開かれた。そこにいたのは、父の担当の看護師と、そうして見慣れないスーツ姿の初老の男だった。

ブチャラティの姿に気づいた看護師は、後ろの男を振り返った。

 

「彼が、ブチャラティさんの息子さんです。それでは、私はこれで。」

 

せかせかとした様子で看護師はその場を去っていく。後に遺された見知らぬ男をブチャラティは凝視した。

男は、子どもにするにはあまりにも恭しくブチャラティに挨拶をした。

 

「おはよう、ブローノ・ブチャラティ君。弁護士の、ラウロです。」

 

ポリプス様から、あなたたちの今後について任されてきました。

 

その言葉で、ブチャラティは男が何者なのか全てを察した。

 

 

病室内にて、向かい合って座った彼らは沈黙に包まれた。ブチャラティは緊張したように身構えていたが、ラウロはどこか気安げに彼に書類の束を渡した。

それにちらりとブチャラティはラウロのことを見つめた。

白と黒の混ざった斑の髪をオールバックにし、銀縁の眼鏡をしている。皺の寄った顔は、確かな年月を積み重ねていると察せられた。

受けとったそれに一応目を通したものの流石にブチャラティには分からない。

 

「・・・・さすがに、君にはその書類を理解することは出来ないだろう。」

 

柔らかな声音で始まったそれに、ブチャラティは少しだけ女の柔らかな声を思い出した。

 

「今回、彼女の、君の知るあの人の依頼でやって来たんだ。簡潔に説明すると、君のお父さんは病院を移ることになる。」

「は!?」

「安心しなさい。名医の紹介状を貰っているし、お父様が働けない間の生活についても保障されております。」

 

そう言って、ラウロは書類を片手にぺらぺらと話し始める。

ブチャラティの父親は、これから病院を移る。治療代やリハビリ代などはポリプスが負担するそうだ。そうして、保護者のいなくなったブチャラティの生活も保障するとのことだった。

 

「もちろん、十二歳のあなたが一人で暮らしてはいけませんし。誰か、面倒を見てくれる親戚等はおられますか?」

「ま、待ってください!」

「はい、何か分からないことが?」

 

温和そうにラウロは微笑み、ブチャラティに問いかけた。もちろん、ブチャラティは話をしっかりと理解していた。

まるで頭痛を堪える様に、彼は頭を押さえた。

少年はただひたすら困惑していた。

 

(理解できない。)

 

確かに、後のことは任せろとは言われた。けれど、こう言った意味での言葉なのだと思っていなかった。

ブチャラティには外傷における治療費の代金など分からない。現在の治療費も、微々たる保険金と父親が溜めていた貯金で賄っているが、それだけでも馬鹿にならない金額だ。

ブチャラティがギャングになろうとしたのは、この治療費等を稼ぐためということも含まれていた。

それに加えて、あちらは自分の生活も保障するという。

ただ、麻薬に関わったとはいえ、一般人の自分への手厚さは何なのか。

分からない。その理由が分からぬゆえに、恐ろしかった。

己の前に積まれた書類をブチャラティは凝視する。

その書類に、どれだけの嘘があるのか、どれだけのまやかしがあるのか。

それを判断する術を持たない。

いや、それよりもだ。

ここで、己に拒否権があるのか。

どうすればいい?

やって来た殺し屋を追い返すなんてシンプルさはない。

自分が今、どんな状況なのか。

それが分からない。

だらりと、頬に冷や汗が流れた。

そこでラウロの穏やかな声が囁かれた。

 

「恐ろしいですか?」

 

ブチャラティはそれに弱々しく顔を上げた。そこにいたラウロは、柔らかな微笑みを浮かべていた。その笑みの意味を、ブチャラティは分からない。

それは仮面としての笑みなのか、それとも幼子を気遣ってのものなのか。

けれど、自分たちを始末する上でここまでのことをする意味があるのか。思い悩む少年に、老いた男は柔らかに言葉を掛けた。

 

「どうして、ここまでのことをされるのか。恐ろしいですか?」

 

それは、どこまでも素直な問いかけのように聞こえた。疲れ切った幼子の精神は、すでに悲鳴を上げていた。

ブチャラティはそれに、素直にこくりと頷いた。

ラウロはくすくすと幼子のように笑った。

 

「気持ちはわかりますよ。」

 

私も同じでしたから。

 

ブチャラティは困惑しながら男の顔を見つめた。その、年相応の幼い表情に頷いて、そうしてゆっくりと窓から外を見た。

 

「どういう、ことですか?」

「・・・・私も、弁護士なんかをやっていてね。ギャングに関わって死にかけてね。終わると、思った。大事なものも守れずに、消えるのだと。」

 

そんな時に、彼女に会った。

 

それはブチャラティに話しているというよりは、どこか遠い昔を思い出すような声だった。

 

「泥のように這いつくばった私に、差し伸ばされた手を覚えている。」

 

吐息のような声と共に、ラウロはブチャラティに視線を向けた。

その眼を、その目を何と言えばいいのだろうか。

何か、見たことがある目だった。どこかで、見たことのある、眼だった。

 

「私も、彼女に問いかけた。何故、助ける。どうして、対価もなくここまでする。それに、彼女は平然と答えた。悲劇を、喜劇に変えるのが趣味だと。」

 

悪徳に染まった力で、誰かが笑顔になるなんて愉快でたまらないそうだ。

 

はは、と男は軽く笑った。

 

「笑ってしまうだろう?人にとって、人生のどん底から救われる理由が、趣味だという。けれど、それでも、救われた。助けられた。日の当たる場所に返してもらった。返したいと思った。何でもいいから。けれど、彼女は何も、私に望まなかった。だから、正直な話、君のことで頼みごとをされたとき本当に嬉しかったんだよ。少しでも、望まれることが嬉しくてね。」

 

安心しなさい。彼女は、私たちに何も望まない、望んではくれない。押し付けられた救いを君も甘受するといい。それだけが、私たちに赦されたことなのだから。

 

ラウロの柔らかな声が、ブチャラティを包んだ。自分をじっと見る、静かな目にようやくブチャラティは理解した。

その眼を、どこで見たことがあるのか分かった。

いつだったか、誰だったか、教会で祈りを捧げている、信仰を胸に抱えた者の眼がそれだった。

 

 

それから、ブチャラティの生活は特別なことなどない。

父は、その後移った病院にて意識を取り戻し、リハビリも順調に始まっている。

ブチャラティは、父親の知り合いの家に間借りしながら当たり前のように学校に行っている。

変わることなく、くるりくるりと、日常が続いている。

変わることなど、あるはずがないのだ。

それを、不幸なことだとは思わない。むしろ、きっと自分は幸福なのだとブチャラティは分かっている。

それでもなお、ブチャラティは、まるで刺さった棘のようにたった一つのことを、ふと思い出す。

 

薄闇の中、日の当たる場所に帰っていく己を見送った、柔らかな女の微笑みがまるで棘のように、ブチャラティの中で消えることはなかった。

 

 

父が意識を回復した後、ラウロはまたやって来て事の顛末を語ったらしい。

父は、ギャングからの見舞金を受け取ることを嫌がったが口止め料として、区切りという意味で受け取るように促されればどうしようもなかった。

何よりも、これからの生活を考えればそれを受け取らないというのは難しいことだった。

それっきり、ラウロは姿を現すことはなかった。

もちろん、連絡先は渡されているのだから接触できないわけではない。

けれど、こちらから行かなければ、彼らは頑なに姿を現さなかった。

全てが、戻ったかのようだった。

父は、襲われたことなどなかったかのように元気になっている。周りも、不幸な目に遭ったブチャラティ親子に同情し生活の世話をしてくれる。自分も、当たり前のようないつかで生活している。

けれど、ブチャラティだけが、たった一人だけ、たった一つに捕らわれている。

ふと、思い出すのだ。

例えば、宿題をしている時だとか、買い物に行っている時だとか、知り合いの家の網を直している時だとか、父親の見舞いへ行く途中だとか。

そんな時、考えてしまうのだ。

 

あの、真っ黒な女は、あの薄闇の中でただ一人、日の当たる場所を眺めているのだろうか。

 

 

(・・・・来て、しまった。)

 

ブチャラティは、来るなと言われた例の建物を物陰から見つめた。

父親の見舞いからの帰り道、ブチャラティはまるで白昼夢のように真っ黒な女のことを思い出していた。

無意識だった、誘われるように進んだ道の先には、来てはいけないと言われた場所の近くだった。

行ってはいけないのだ。関わっては、いけないのだ。

けれど、それでも、胸の内に孕んだ棘をずっと、ブチャラティは気にしていた。

あの、真っ黒な女の微笑を、覚えていた。

 

ブチャラティは、隠れるように建物の影にしゃがみ込んだ。

関わる理由も、会う理由も、ましてやこんな所に来る理由もない。

そうだ、ブチャラティの願いはすでに叶っている。

守りたかった人は、何の不自由も無く生活している。望んだものは守られた。

裏の世界で生きることなぞ、望んでいたわけではない。

望んでいたわけでは、ない。

けれど、納得できていなかった。

あの時、あの日、ブローノ・ブチャラティは確かに覚悟を決めたのだ。それは、裏の世界の人間からすれば鼻で笑われてしまう様な覚悟でも。

あの日、ブチャラティは底に落ちていく覚悟を決めたのだ。

この幸福に、ブチャラティは何を支払ったというのか。

何故、あの女は自分を救ったのだろうか。

趣味だと、あの弁護士は言った。

その一言で、これは片づけられるのだろうか。

日の当たるこの場所にブチャラティを返したあの女は、今も薄闇の中に。

 

そこで、騒がしい声に意識が途切れた。

声の方を向くと、建物からメデューザが一人の男を伴って出てきていた。

男は、美しい金髪の男だった。

すらりとした体躯に、遠目にでも分かる整った顔立ち。何よりも、男には人目を引く格のような、何かがあった。いっそ、どこかのブランドのモデルだと言われても納得が出来た。

その男を見送りながら、メデューザは哀れなほどにがちがちになっていた。

 

「それじゃあな。」

「はい!プロシュートさんも、どうぞお気をつけて!!」

「・・・・・プロシュート?」

 

その名前には聞き覚えがあった。確か、ポリプスの側近の名前であったはずだ。

メデューザに見送られて金髪の男は悠々と歩き出した。それに、ブチャラティは後を追った。

 

 

 

「よお、餓鬼んちょ?」

 

ブチャラティはまるで猫のように襟首を掴まれ、ぶらりとぶら下がった。

ぬかったとも思うし、判断を誤ったという自覚はある。

自分をぶら下げた男は、まるでいたずらっ子を叱りつける大人のように楽しそうに笑っていた。

 

ブチャラティは、男を追わずにはいられなかった。

どうしても、もう一度でいいから、ポリプスに会いたかった。

会って、会えたとして。

どうしたいのか、よくわからなかった。ただ、もう一度でいいから、会いたかった。

ブチャラティの中には、ただ、幾度も来た道を振り返る様な気にせずにはいられない何かがあった。

ただ、暗闇に一人立つ女を忘れられなかった。

 

そうして男を追った先で、ブチャラティは間抜けなことに捕まってしまった。

 

(・・・・・路地裏に入った時、時間を置いたといってももう少し警戒すればよかった。)

 

相手もまたプロなのだ。

その時、プロシュートを見上げていたブチャラティの顔に微かな風圧のようなものを感じる。風でも吹いたのかと思っていると、プロシュートというらしい男が思案顔で呟いた。

 

「・・・・・能力者じゃ、ねえな。」

 

その言葉の意味も分からずに、ブチャラティは思わず男を見上げた。

プロシュートは少し困り果てたような顔でブチャラティを睨み付けた。

 

「・・・・武器も持ってねえ、服装も別に悪くねえ。」

 

てめえ、どこの所属だ?

 

それにブチャラティは自分が他の勢力か何かだと思われていることを察した。思わず、ブチャラティは口を開いた。

 

「・・・・ポ、ポリプスに会いたいんだ。」

「・・・・名前は?」

「ブローノ、ブチャラティ。」

 

それにプロシュートは、はああとため息をついた。その後に、どうして自分のことを知っているかと問われ、メデューザたちの会話で知ったと言えばプロシュートの眉間に皺が一つ増えたのは割愛すべきだろう。

大きなため息を吐いた後、プロシュートは呆れたように言い捨てた。

 

「さっさと帰れ、クソガキ。」

 

憎々しく言い捨てると、プロシュートはブチャラティを放り出し、そうして歩き出した。

放り捨てられたブチャラティは食いつく様に、その後に声を上げた。

 

「待ってくれ!ポリプスに!」

 

何か、一瞬、殴られたようなそれほどの衝撃を感じた。

ブチャラティの動きが止まった。彼の体は、がたがたと寒さに震える様に慄いていた。

 

(・・・・ヤバい。)

 

頭の中に浮かんだのはそれだけだった。それだけしか、頭に入らなかった。

プロシュートから、発せられる圧。

それが、何か理解できなかった

いや、それは恐らく、殺気だとかそう言われるものだろう。裏の世界で生きているものと、ブチャラティの違い。

 

「失せろ。」

 

短い言葉だ。けれど、それに従わなければ殺されると理解できる何かがそれにはあった。

プロシュートはさっさとそのまま路地裏に進んでいく。

もしも、もしもの話だ。

彼が、ただの臆病な子どもでそこで逃げ出してさえいればブチャラティはただの凡人であれただろう。

その、胸に抱えた暗闇への寂しさを抱えたまま。

生きることへの違和感を抱えたまま。

それでも彼は、日常の中で当たり前のように平凡に生きていけただろう。

彼が愛した日々の中で。

けれど、悲しいことに、彼は唯の子どもではなかった。

守るために斬り捨て、殺し、そうして堕ちるという覚悟を持っていた。

 

だんと、ブチャラティは足を踏みしめる様にプロシュートへ目線を向けた。

 

「ポリプスに会わせてくれ!」

 

それにプロシュートは足を止めた。

 

「失せろと、俺は言ったぞ?」

 

静かで、そうして底冷えのするような声だった。それだけで、ブチャラティの体は情けなくも震えた。

けれど、ブチャラティはけしてプロシュートから視線を逸らすことなく、口を開いた。

 

「頼む、会わせてくれ!」

 

その言葉と共に、ブチャラティの体は宙を舞っていた。それを理解した後に、地面に叩きつけられ、体中に痛みが走った。

かはりと、肺の中から空気が漏れ出る。

危険であると悟ったブチャラティは急いで起き上がるが、それよりも前に転がった彼の首に手が巻き付いた。

ぎちりと絞め付けられた首にブチャラティは苦しみに喘ぐように息を吐いた。

 

「・・・・舐めるなよ、餓鬼。」

 

目を見開いた先に、悪魔がいた。

黄金の髪がきらきらと輝き、そうして青い目がまるで焔のように揺らいでいた。

ああ、美しく、そうして怒れる悪魔がいた。

 

「助けられただけのクソガキが、喚けば叶うなんざ思っていないだろう?」

 

これ以上関わるなら、殺されても文句ねえよな?

 

それは、何の飾りも無い真実だけの言葉だった。

けれど、ブチャラティは言葉を続けた。

 

「それでも、会わなきゃいけないんだ!会って、会って、俺は!」

 

何がしたいのか、とっさにブチャラティの口から言葉が漏れ出た。

 

「助けられた理由を聞かなくちゃいけないんだ!」

 

それにプロシュートの目がゆっくりと細まった。ブチャラティはただ、喚くことしか出来なくて、口からただ噴出するように言葉を続けた。

 

「助けるのが趣味だから?そんな言葉でどうして納得なんて出来るんだ?このまま、このまま、理由の分からない生活の上でずっと生きていくのか?そんなの、そんなの、間違ってる。」

 

何故か、最後に出たのは、間違っているだった。

怖いでも、不安でもなく、何故か、間違っているという言葉が漏れ出た。

それにプロシュートは一瞬だけ、表情を緩めた。そうして、囁く様に問いかけた。

 

「何が、間違ってるっつうんだよ?」

 

何故か、その声はひどく優しいもののように聞こえた。

ブチャラティは、極度の緊張により、それには気づかなかった。ただ、その問いかけに対して素直に考えた。

 

間違ってる?そうだ、間違ってるんだ、こんなこと。

 

「・・・・お前たちは運が悪かっただけだ。このまま、こちら側に来る必要なんざないだろう。お前の探す女は、ただ、ただ、お人好しなだけだ。ただ、誰かが救われることで、少しだけ幸福な夢を見ている、気狂いだ。その、辻褄の合わねえ生き方だろが、別に生きていけねえわけじゃねえ。それが代価だ。その違和感を抱えて、生きて行けばいいだろう。」

 

それを直視することと、それを無視すること。

平凡な日々と天秤を掛けてどうしてそれに傾くのか。

 

そうだ、そうなのだ。

分かっている。そんなこと、ブチャラティにだって分かっている。

このまま、何もかも見ないふりをすればいい。何もかもを忘れて、生きていけばいい。

ギャングになどなりたいわけじゃない。

 

ブチャラティは、そうだ、自分は漁師になりたかった。

漁師に、いや、それは語弊がある。ブチャラティは、漁師にではなく、父のようになりたかったのだ。父のように、優しい人に、なりたかった。

 

(・・・・・優しい人に、なりたかった。父さんのような、優しい人に。)

 

そこで、ふと、思った。

自分を助けてくれた、彼女もまた、優しい人なのだろうかと。

それに、ブチャラティの口から言葉が漏れ出た。

ようやく、自分の中で持った違和感が何なのか理解した。

 

どうして、優しいはずの彼女だけが、暗闇の中で一人でいるのか。

 

どうしてだろうか。

そうだ、それがずっとひどい違和感だった。

助けられたのは、事実だった。

なのに、彼女は何も求めなかった。何も、求めずに一人で、幸福などこかを見るのはそれは間違いであるはずだ。

 

「間違ってる!あの人が、優しいなら、どうして一人だけ暗闇の中にいるんだよ!?間違ってる、そんなの、間違ってるじゃないか!!」

「・・・・俺たち自体が、間違ってるんだよ。」

 

その声は、何よりも、何故か泣きたくなるほど優しかった。ブチャラティの首にかかった手の力は弱まってはいなかった。

けれど、何故か、その声はひどく優しくて、そうしてなんだか泣きそうなものに聞こえた。

 

「裏の世界で、俺らは死体の上で飯を食って、糞して、生きてんだよ。あいつが暗闇の中で生きていることは正しいんだ。表の世界で生きられない奴らの成れの果てが、あの場所だ。」

 

救えねんだよ、お前らと違って俺たちは泥にまみれちまってるんだ。

 

そうだろう、確かに、そうなのかもしれない。あの場所にいる彼女は、確かに汚れているのかもしれない。

けれど、だから何だというんだろうか。

救われたという事実は、変わらない。あの人が、救ってくれたことに変わりはない。

ならば、あの人だって、救えた誰かの分は、笑っていたとしてもいいじゃないか。

対価を求めてもいいじゃないか。

一方的な救済なんてごめんだ。

それは間違っている。

家族でも、身内でもない自分を助けたのはなぜなのか。

 

「・・・・それでも、俺は、あの人に会いたい。」

「会って、どうするんだ?」

「どうして、助けてくれたか、知りたいんだ。」

「あいつの本心なんざ、俺が語った以上のものなんてねえよ。」

「それでも、会いたいんだ。」

 

会って、どうするのだろうか。助けられた理由が聞きたいのかもわからない。ただ、会いたかった。

会って、もう一度だけ話をしたかった。

薄闇の中で微笑んだ、陽だまりのような女は今、どうしているのだろうか。

 

「救われねえよ。あいつは、あの人は、お前に何も求めても、与えてもくれねえ。あの人に、救いはねんだ。たった一つの望むものでさえ、お前に何も求めちゃくれねえよ。お前は、どうしてこのまま救われることを受け入れねえ?お前は、このまま日常の中に帰っていけるだろう?」

 

ああ、それでも。

ブチャラティはプロシュートを睨み付ける様に見返した。

 

「それなら、俺だって同じだ。俺の手だって、もう、血に濡れてる。人を殺した。このまま、俺はどこにもいけない。何の代価も無しに救われたことに、捕らわれ続ける。」

 

さあ、覚悟は決まったか?

ブチャラティは己に問いかけた。

優しい人に、なりたかった。優しい人に、父のように、誰かを守れる人になりたかった。

これから、自分が彼女に会うことは、間違っているかもしれない。もう、自分は、日常に帰れなくなるかもしれない。

それでも、ブチャラティは会おうと決めた。

だって、自分たちを救ってくれたのは、確かに間違い続けた悪党であったのだから。

会わなくてはいけない。

今でも、あの人は、薄闇の中で、誰かへの救済を眺めているのだろうか。

 

会わせてくれ、そう言ったブチャラティにプロシュートは静かに目を閉じた。

 

きっと、誰も救われない。

 

それでも、その、覚悟を決めた瞳が、前へ進むのだという意識はあまりにも眩しかった。

 





四部編をあんまりにむずかしすぎて、ブチャラティの話を一旦書いてました。
承太郎さんはむずいです。
話の順番については分かりにくくなるので、また整理します。
ちょっと長くなりそうなんで、二話に分けます。


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ガラスの中の醜さ

イルーゾォと線引きをしている人。

前からだいぶ経ちました。
すいません、ブチャラティの続きも、承太郎さんの続きもまだです。行き詰ってこっちをついつい書いてました。


 

何処を見ているんだろうかと思った。

祈るように手を組み、じっと、司祭でもなく、そのありがたい教えを聞くわけでもなく。そうして、祈るわけでもなく。

ただ、女はその教会で微笑む神の息子を見つめていた。

 

イルーゾォはその日、心から己のことを不幸だと嘆いていた。

世間は天下のナターレ、つまりは生誕祭である。

だというのに、彼はマフィアという仕事柄なのか臨時の任務に駆り出されていた。

イルーゾォは隣りに座る女を見つつ、欠伸を噛み殺した。

 

(・・・・天下のナターレに、何が悲しくて教会で説教なんざ。)

 

そうは思っても断れないのが組織の人間というものなのだろうが。

 

 

 

「・・・・ポルポの護衛?」

「ああ、日にちは丁度ナターレだ。」

 

皆のたまり場のようになっている拠点において、イルーゾォは唐突に命じられた任務に顔をしかめた。それに、リゾットは淡々と告げる。

 

「ナターレのミサについていけ。数時間で終わるそうだ。」

「・・・・なんで俺なんだよ。」

 

イルーゾォにとってはそれは当然の疑問であった。

基本的にイルーゾォは今までポルポの護衛に駆り出されたことはない。ポルポ自身臆病な性のために慣れた相手をカラマーロが選出しているためだ。

基本的に彼女の護衛は戦闘力においても、相性的な部分においてもリゾットかそれともプロシュートが担当している。

お世辞にも愛想がいいわけでもなく、どこか高圧的なところのあるイルーゾォは護衛には向いていないだろう。

彼自身、そんな面倒な女の護衛なぞ御免こうむりたい。

数度だけ話したことはあるが、お世辞にもカリスマ性があるなど言えない存在であった

どこか、生気の欠いたふと街で見かけそうなほどに凡庸な女。

それについては別にいい。

何だかんだで、彼女には一応の恩は感じている。

日陰者の、影にあった自分たちに正当な評価というものを与えたのは彼女だけだ。けれど、だからといって女への忠誠というものを持っているかは別だ。

 

(・・・・ギアッチョやらメローネまで懐いたのは意外だったけどなあ。)

 

けれど、不思議と仲間たちは女を慕う存在が多かった。リゾットやプロシュート、そうしてホルマジオについてはまだ納得は出来るのだが。

その他に関しては、女に惹かれる様な理由も見当たらない。

それに何とも言えない薄気味悪さを感じずにはいられなかった。

 

(スタンド能力かって考えたが。スタンド能力を生み出すって力とそれじゃあ矛盾するしな。)

「・・・本来なら、俺かプロシュートでも回すんだが。俺や他の奴らは任務が入っていてな。お前ぐらいしか空きがないんだ。」

 

イルーゾォには断る術などない。渋々と、その任務を受け入れたのだ。

 

 

 

当日、ポルポは教会から少し離れた場所に車で送られた。そうして、少しだけ一人で歩く。暗い、少しだけ街灯に照らされた道を歩く。

そこには護衛であるはずのイルーゾォの姿は見えない。

答えは簡単な話で、彼は鏡の中でその様子を伺っている。ポルポの歩くルートはあらかじめ鏡などは設置している。

そこから見える姿を確認していく。

イルーゾォとしてはこんなふうに無防備でいいのかとも感じる。

いくら、目立たぬためとはいえもう一人は護衛を増やすべきではないのか。

 

(・・・・危険は、ないんだよなあ。)

 

くすくすと、どこかから声がする。それに、鏡の方に視線を向ける。そうすれば、街灯の光が当たらぬ暗闇。

そこに、まるで猫のような、独特な足取りのピエロのような姿をした存在がいた。それは、まるで主人にじゃれ付く様にポルポの周りを歩いている。そうしていると、するりと、闇に溶けていく。そうして、またするりと違う路地裏に現れる。

そうして、またするりと消えては違う場所に現れる。

音に反応し、それは確かめる様に闇の中を移動する。

 

「・・・・夜のあいつに何かできる奴っているのかねえ。」

 

イルーゾォはそう、ぼそりと呟いた。

 

 

ポルポは教会につくと、粛々と目立たない席に座り、つまらない聖句を聞く。

いや、聖句を聞くというよりは何か、物思いにふける様にステンドグラスを眺める。

イルーゾォからすれば欠伸の出る様な空間の中で、女は一心に祈るように手を組む。

そこにどんな祈りがあるかなんて、イルーゾォに知らぬことだ。

 

 

ミサが終わると、ポルポはやって来た時と同じように静かに立ち去る。そうして、来た道をゆっくりと歩く。

 

(・・・・退屈だ。)

 

言っては何だが、護衛をしている人間にはあるまじき感覚でイルーゾォは辺りを警戒する。もちろん、危険というものがなかったわけではない。

明らかに裕福そうな姿をしたか弱そうな女に目を付けたチンピラは確かにいたが、イルーゾォが対処する前に暗闇の中に引きずり込まれていく。

それが何処に行ったかは知らない。

ただ、ろくでもない目に遭っているのは事実だろう。

護衛の任務は、驚くほど平和に終わった。

まあ、面倒事になる前に片づける存在がいたせいなのだろうが。

ポルポは、どこか夢を見るような目で、ふらふらと暗闇を歩く。それは、下手をすれば幽鬼のようにさえ見えた。

決まっていた車の場所にたどり着けば、それで任務は終了だ。

 

(・・・・・まあ、楽な仕事だと思えばいいのか。)

 

そんなことをイルーゾォが考えていれば、ポルポが持っている手鏡を叩く音がした。それに視線をやると鏡にどうやらポルポが話しかけているようだった。

 

「・・・・すいません、ナターレにわざわざ。その、報酬は色を付けるので。お疲れ様です。」

 

以前聞いた通り、控えめな穏やかな声だった。

あっさりと帰路についたポルポにイルーゾォはため息をついて見送る。

交わした会話は、そのねぎらいの言葉一つ。

 

(・・・・まあ、おしゃべりな女よりはましか。)

 

イルーゾォにとってポルポとは金払いの良い上司であり、そうして良くも悪くも踏み込むことをしない女であった。

 

 

 

イルーゾォからすれば、今まで蚊帳の外にいた存在からすれば、その女は客観的に言わせれば善人であった。

堕ちるところまで落ちたものたちの吹き溜まりで、女の周りだけが小春日和のように暖かだった。

イルーゾォも確かに気味の悪さやら、軽視はしていたものの女がカラマーロやプロシュートなどに向ける無防備な笑みに毒気を抜かれたのは事実だ。

その女と共に居る時、ひどくぬるま湯につかっているようだった。

それには確かに呆れを感じていたものの、任務に支障をきたさねばどうでもいい話だ。

だからこそ、イルーゾォにとって女と仲間のじゃれ合いはさほど興味はなかった

 

ああ、けれど、けれど、ずっと、ずっと不思議でたまらなかった。

女の瞳には、いつだって諦観があったから。

 

ポルポという存在ははた目から見れば幸福の絶頂にいると言っていいはずだ。

組織内で確かな地位を築き、ボスのお気に入り。稼ぎ頭であり、確かな戦力を築いている。自分を慕っている部下たちもいる。

だというのに、女は、ポルポはいつだって誰にも一定の距離を保ち続けていた。

ポルポは、いつだってイルーゾォたちを気遣っていたし、眼にかけていた。それを寵愛と呼ぶならばそうだろう。

何よりも、ポルポはリゾットという存在に対して別格の感情を向けていた。

それは、いっそのこと、依存といってよかった。

この男ならば、大丈夫だという絶対的な信頼の理由はイルーゾォにも知らない。

けれど、確かにポルポはリゾットという存在に絶対的な信頼を寄せていた。

だというのに、そうだというのに。

ポルポは、己の領域に誰のことも受け入れてはいなかった。

まるでガラスの棺にいるようだった。

触れられると、そこにあるのだと、確かに近しく在るのだと。

そう思っても、けして交わることはなく。

死んだ人間を、美しい思い出の中で生かすかのような、象徴じみた在り方。

ガラスの中にいるようだと、そんなことを思った。

ガラスの中に、何があるかなんてイルーゾォには興味もない、関係もないことだ。ただ、女がガラスで覆い、濁らせ、曖昧にさせたものが何であるのかと見たことがあるものはいないということだ。

 

(・・・ロマンチストなんざ、シャレにならん。)

 

 

その感覚を、イルーゾォは正確に表現は出来ない。

ただ、女は、いつだって微笑んでいても、誰かと共にあっても、祈る様な目をしていても。本当に、女が内に秘めた何かを曝していることなぞ一度としてなかった。

何故、そんなことが分かるのかといわれても彼にも上手く表現は出来ない。ただ、彼も彼女と同じように己が領域というものを見極めている。

ポルポは、どんなに誰かに微笑んで、何かを与えても誰にも何も望んではいなかった。

イルーゾォからすれば、それは疑問であった。

女は、本当に誰かに与えることを至上としているように思えた。

ポルポの管理下にある街には、どこにも行けなかった存在たちの居場所があり、使い捨てにされるはずだった存在も拾い上げている。

そのせいか、彼女の管理下にある部下というのは彼女のために命を懸けるという覚悟を持った存在が多い。そうして、女は自分たちとの抗争などで死んだものたちの子どものために孤児院も開いていた。

組織の中でも特に金回りの良いポルポが資金源なのだ。子どもたちは最高の環境で生活をしている。

ポルポには私情や私欲というものを感じたことはなかった。ならば、ポルポはどうして誰かに与え続けているのか。

欲を満たせないというならば、どうしてギャングになんてなろうとしたのか。

女の目は重い。

確かにイルーゾォは、彼女に対してある程度の貢献はしているだろう。報酬を貰っているのだから当たり前だ。

けれど、女の目には重苦しくなるような信頼があった。

ある時、イルーゾォは自分の力を最強であると宣った。それに、ポルポはなんのためらいも無く肯定を口にした。

そこには媚があるわけでも、愛想があるわけでも、呆れがあるわけでもない。

心底、その事実を信じている目であった。

幼い子どもが、兄姉や親を絶対と信じる様な、無邪気で重い信頼だ。

イルーゾォはその信頼を心底重いと思う。

ただ、それに対して特定の感情を持ってはいなかった。

貰ったことがないそれに、どう反応すればいいのか分からなかった。

それ故に無視をした。

そんなことをイルーゾォはしらない、興味はない。

けれど、イルーゾォにとっては彼女は忠誠心も、信頼も薄くはあった。けれど、気楽な存在ではあった。

ポルポは、少なくともイルーゾォの領域に踏み込んでこようとはしなかった。

重い信頼を置いてはあれど、彼女はイルーゾォの個人的な領域に立ち入ろうとはしなかった。

都合のいい、理解の及ばない上司。

イルーゾォにとってはそれだけで十分だった。

 

 

 

「・・・・ポルポの護衛?」

「・・・・ああ。といっても、以前のミサへの護衛とは少々事情が違うんだが。」

 

拠点のソファでくつろいでいたイルーゾォにそんなことを言って来たリゾットは頭痛がするというように頭を抱えていた。そうして、その隣で不機嫌そうなプロシュートが黙り込んでいた。

それだけで面倒事だと察せられる。

 

「・・・・なんだよ。」

「今、ポルポがある街を掌握しようとしているのは知っているか?」

「ああ、確か、港町だったな。」

 

パッショーネは現在、とある港町を掌握しようとしていた。取引の拠点を置くためであり、町の規模もそう大きいものではない。さほどの時間はかからないと考えていたのだが、思わぬ伏兵がいたのだ。

町を取り仕切っていたのは、ゼットという人物で町の根強い信頼と人気を築いており掌握に時間がかかっていた。

それに抜擢されたのがポルポであった。

力づくで駄目ならば、穏健派の彼女にと任せられたのだ。

ポルポも珍しくその命に熱心に取り組んでいた。というよりも、そのゼットという人物に対して並々ならぬ情熱を注いでいた。ちらりと聞いた話では。ゼットという男は相当の美男子な為熱を上げているのだという下種な噂もあった。が、そんなことがあり得ないことなど分かり切ったことだ。

美男子という程度で熱を上げているのなら、プロシュートはどうなるのか。

が、確かにイルーゾォからみてもポルポはゼットという男に妙な好奇心を持っていた。

 

「・・・・こちらも大分譲歩はしたんだが。そのゼットという男は全くと言っていいほど傘下に入ることを拒んでな。実力行使に出ることも決まりかけていたんだが。ポルポが嫌がってな。」

「は?そりゃあ・・・・・」

 

非常に、珍しいことだ。

ポルポとてギャングの一員だ。本当に無駄だと分かり切ったのなら、実力行使にも出る

けれど、そこまで決まっておいてポルポが拒否するのか分からなかった。

イルーゾォの中で、それによってゼットという男への興味が沸き上がった。そこまで、ポルポに執着される男がどんな存在なのか。

そんなイルーゾォの考えを察したのか、プロシュートが憎々しげに舌打ちをした。

 

「・・・・それは分かったが。ポルポの護衛は何なんだ?」

「・・・・ゼットとの話し合いへの護衛だ。」

 

それにプロシュートが堰を切ったように吐き捨てた。

 

「あの野郎、顔も出さねえ奴のことは信頼できねえから一人で来いっつったんだぞ!?」

 

獣の唸り声のような声にイルーゾォは逆鱗に触れたくないと、リゾットの方に意識を向ける。

まあ、こう言った表現はなんではあるがポルポの犬のような彼にとってはそこまで求められているというのに拒絶をするゼットは相当に腹を据えかねているのだろう。

逆にリゾットは、ぐったりと疲れ切ったような顔で頭を抱えていた。

 

「・・・・こちらも一人であること、相手も一人であること。二人っきりで話し合いがしたいそうだ。ポルポ自身が一人で行くと言ってきかないんだ。」

「止めないのか?」

「・・・止めても、ブラック・サバスを使われると俺たちでは追うことは難しい。何よりも、上の命令は絶対だ。」

「珍しいな、あいつがそこまでリーダーの言うことも聞かないなんて。」

 

それにプロシュートの眉間の皺が更に深くなる。リゾットは、そのイルーゾォの発言に余計なことをと睨みつけた。

イルーゾォも余計なことを言った自覚があり、そっと視線を逸らす。

 

「相手の組織内にスタンド使いの情報はない。まあ、そのおかげでこちらが有利にことを勧めているんだが。」

「・・・・危険はないのか?」

 

それはイルーゾォの危険ではなく、ポルポの危険であることが言わずとも分かることだろう。ポルポに死なれるのは非常に困る。今のイルーゾォたちの生活は彼女によって支えられていると言っても過言ではないのだ。

 

「はっきり言って可能性は低い。だが、そこまでするような価値があの町にあるわけでもない。」

 

確かにゼットを掌握すれば、町の管理は容易になるだろう。だからといって、無理に侵略してもそこまでリスクがあるわけではない。はっきり言って、ゼットへの譲歩を抜いたほうが得ではあるのだ。

 

疲れ切ったリゾットの様子と、そうして明らかに苛立っているプロシュートの様子からしておそらく説得は失敗に終わったのだろう。

 

「・・・・日時は?」

 

全てを覚ったイルーゾォの発言に、リゾットは口を開いた。

 

 

 

しんと静まり返った通路には人っ子一人見当たらない。意図的に人払いされているのだから当たり前だ。

そんな中、ポルポはいつも通り真っ黒なスーツと、肩にかけられた黒いコート。黒づくめの恰好のせいかその青白い肌が一層に目立つ。

街灯に照らされたその姿は、どこか死神を連想させる。

 

「手鏡は持ったか?」

「はい。」

 

話し合いの場所に選ばれたのは、古びた教会だ。イルーゾォはそれにゼットがクリスチャンであるという話を思い出した。

 

(・・・・神の前では嘘はつかねえってか?)

 

下らない考えに、それを嗤う。

そこで、か細い声がイルーゾォの耳に入る。

 

「・・・・すいません。」

「・・・・なにがだよ。」

「面倒事に、巻き込んで。」

「なら、さっさとあの男を殺して全部片を付けろ。」

 

簡素な返事に、ポルポは顔を伏せて返事をしない。

イルーゾォは、それに理由を問わない。踏み込む気はない。そうして、ポルポもまた踏み込まれることを求めない。

それは、酷く面倒なようで気楽であった。少なくとも、イルーゾォにとっては。

彼女は、己の領域を間違えない。踏み越えることも、曝すことも無い。

イルーゾォにとってはどうでもいいことだ。この程度の難易度の任務はこなしてきた。任務の理由なぞ興味はない。イルーゾォにとっては、任務をこなせるかどうかが優先事項だ。

 

「・・・・時間です。」

 

そう言って歩き出したポルポの後ろ姿をイルーゾォは無言で見つめる。

そうして、気だるそうにため息を吐いた。

 

 

 

結局のところ、妥協案として出されたのは教会内に透明化したリゾットを待機させることと、イルーゾォが教会内の鏡から援護することとなった。

ポルポは最後まで渋っていたものの、罠である可能性を考慮してのことであった。

ポルポの様子がすぐに分かるようにと手鏡を持った上でだ。

 

どんなことを話されるのかを期待していた。

けれど、その期待はあっさりと覆されることとなった。

簡潔に言えば、教会内にあった鏡は全てブラック・サバスによって壊され、そうして待機していたリゾットも同じように外へと放り投げられたのだ。

 

「おいおい!どうなってんだ!?」

 

その行動が、ポルポの意思なのか、それともブラック・サバスの意思なのかは判別しかねた。ブラック・サバスはポルポの命令に絶対ではあるが、それ以外の面で自動行動をすることがままある。

まるで、もう一人のポルポのようにその意思は明確だ。

それでもイルーゾォが冷静でいられたのは偏にブラック・サバスというスタンドがポルポという女の安全を絶対としていると知っているためだ。

 

「おい、イルーゾォ!どうなってやがる!?」

「俺が知るかよ、教会の中はブラック・サバスの奴が鏡叩き割りやがって状況が分からねえんだ!」

「くそが!」

 

滅多に聞かないリゾットの罵倒にイルーゾォはじわりじわりと今の状況がどんなものかを自覚する。

頭の中に、ずらずらと現状の予想が並べられる。

ブラック・サバスが何か理由があって行動した?ポルポの意思?ブラック・サバスが壊したと見せかけられたスタンド能力?いや、最悪はブラック・サバスが操られているかもしれないということ。

イルーゾォはリゾットに援軍を任せ、ともかくはと教会内を探る。

細かく割れた鏡から漏れ聞こえる声は、ぼそぼそとして聞き取りにくい。何とか、状況を把握しなければと耳を澄ませた。

その時、絶叫がイルーゾォの耳に入り込む。

 

「なら、あなたは私と一緒に地獄に落ちてくれるんですか!?」

 

その、声に彼は思わず動きを止めた。

それはまるで死を目の前にした人間の断末魔に似ていた。

何故だろうか、その声にイルーゾォは状況も忘れて耳を塞ぎそうにさえなった。

それは、いつだって静かで穏やかな女から放たれるにはあまりにも苛烈な声であった。

聞いてはいけないと思った。

それは、ずっとずっとイルーゾォという存在を踏み荒らしも、軽視もしなかった女へはあまりにも不誠実なように思えた

柄ではないと思っても、それを聞き続けるというのはイルーゾォにとっては余りにも不躾すぎた。声の漏れ聞こえる鏡から思わず離れようとした。

けれど、その瞬間に、また絶叫がイルーゾォの耳朶に突き刺さる。

 

「誰も殺したくない・・・・!誰も、罪なんて、背負いたくない!何も、望んでなんていなかったのに!!」

 

それが、それがどうしようもない女の本音であるのだと。

イルーゾォは察してしまった。

今まで、ずっと美しいガラスで覆われていた、何が零れ落ちた。

 

「望んでなんていなかった!こんな力も、こんな立場も!あなたに何が分かる!選ぶことのできなかった私の、何が!

死に逃げることさえも、築き上げた縁が赦さぬ私の弱さが、それの何が分かる!」

 

イルーゾォは聞こえた絶叫に、口を噤んだ。

知らぬうちに見てしまった、穏やかで、優しくて、清廉な女の生々しい抜き身のような憎しみに茫然と立ちすくんでしまった。

 

 

教会のドアはあっさりと開かれた。扉を塞いでいたのはブラック・サバスであり、ポルポ自身が塞いでいたのかまでは分からない。本人も口を噤んでいた。

ただ、はっきりしているのはポルポはゼットを殺したということだけだった。

教会の中には、立ちふさがるポルポとすでに絶命したゼットを抱きくすくすと笑うブラック・サバス。

薄暗い教会の中、ろうそくの火に照らされたその二つの影にイルーゾォはざわざわと落ち着かない気分になる。

恐ろしいとは思わない、けれど近寄りたくはないとまざまざと思う。

何も言わずに教会を閉め切ったらしいポルポに激昂したリゾットが詰め寄った。けれど、珍しく、いや珍しいという言葉ではきかないかもしれない。

彼女は、イルーゾォでさえ怯えるリゾットの激昂を平然と受け入れた。

そうして、いつもの日だまりは鳴りを潜め、冬の月のような凍てつく声と、劫火の様に燃える赤い瞳をリゾットたちに向ける。

 

「カラマーロに連絡を。交渉は決裂しました。これより、武力行使を始めます。」

 

女は、いつだって優しかった。優しいなんて表現はらしくないだろう。女は、いつだって臆病で八方美人でしかなかった。けれど、ポルポから始めて感じる憎しみといえるその感情に、リゾットまでも驚きで目を見開いていた。

直も言い募ろうとするリゾットをポルポは吐き捨てるような声で遮った。

 

「命令です、リゾット。」

 

らしくない高圧的な物言いに、リゾットは今はそうすべきではないのだと察して渋々カラマーロに連絡をしていた。

 

その後、どうもすでに用意されていたらしい作戦にリゾットは入り、イルーゾォは残ったポルポを送っていくことになった。ゼットの遺体は、ブラック・サバスの本体の中に保存されている。

沈黙に包まれた車内の中で、イルーゾォはひどく居心地の悪い思いをしていた。

別段、ばれているはずはない。

あの発言をイルーゾォが聞いていたのだと知っているのは自分だけだ。けれど、ひどく気分が悪かった。

そんな時、暗い車内の中にくすくすと笑い声が響いた。

ミラーを見れば、ブラック・サバスがポルポに覆いかぶさるように擦り寄っていた。

それに、ポルポはぽつりと溢す。

 

「・・・お墓を、どこにしましょうか。」

「誰のだ?」

 

予想外の言葉に、イルーゾォがそう言えば今までの苛烈さなど嘘であるかのように、夢を見る様なぼんやりとした目をした。

 

「ゼットの、お墓を。」

「・・・・おい、あいつの死体は見せしめに使うんじゃないのか?」

 

てっきり丁寧に死体を持ち帰ったのだからそうするのだと思い込んでいた。けれど、ポルポはまるで無垢な幼子の様にあどけない仕草で首を傾げた。

 

「駄目ですよ、彼は英雄ですもの。だから、ちゃんとお墓を作らないと。」

彼は天国に行くんですから。

 

その、赤い瞳はまるで固まりかけた絵の具の様に濁っている。その瞳には確かに狂気があった。鏡越しに見た、その瞳にイルーゾォは運転のためにフロントガラスに視線を戻す。その狂気を、イルーゾォは何とも思わなかった。

狂気を持たなければ、ギャングなどやっていなかっただろう。

けれど、それをポルポが持っていることにイルーゾォは驚いていた。そうして、驚いていることに自分自身で驚いていた。

彼は、ポルポという女はどこまでも真面で、そうして平凡であるのだと思い込んでいた。イルーゾォは歯噛みする。

分かっていたことを、当たり前であったことを、理解していなかった自分に妙な苛立ちを感じる。

いや、きっとそれはイルーゾォだけではない。

ギャングである者は、少なからず狂気を持つ。けれど、ポルポはギャングであってもそんなものは持っていないと思い込んでいた。彼女の狂気は、ガラスの中でずっとそこにあったのに。

イルーゾォは、それに思わず車を止めた。そうして、彼女を振り返ることなく呟いた。

 

「俺は、お前と同じ地獄に行くぞ。」

 

掠れた様な、その声。どうして、そんなことを言ってしまったのだろうか。

何の慰めにもならないだろう、それは唯の事実でしかないのに。彼女は、気づくだろうか。自分が、あの独白を聞いていたことを。

けれど、予想に反して、返ってきたのはやっぱり緩やかな、いつもと同じ穏やかな声だった。

 

「イルーゾォは、私と同じ所には行きませんよ。」

 

その言葉に、イルーゾォは思わず振り返る。

そこには、いつもと同じ陽だまりのような女がいるだけだった。

彼女は、にこにことした笑みでイルーゾォに続けた。

 

「だって、私はあなたたちとは違いますもん。」

 

それはどんな意味かは分からなかった。分からないことだらけだ。

何が違うか。分からない。

けれど、そうだ。確かに、ポルポと自分たちは違う。それは、理由など分からなくても確かにずっと自分が無意識のうちに理解していたことだった。

分からないがただ、目の前の存在と自分たちは何かが違った。

ただ、ただ、無邪気な事実だけが横たわる。

それを残酷な事であるとあっさりと語るには、ポルポの目は穏やか過ぎた。

それでいいのだと、彼女は思っている、信じている、納得している。

それにイルーゾォは何が出来るだろう。

いや、何もする必要はない。

だって、イルーゾォにとって彼女は上司でしかない。

都合のいい、いれば便利なただの上司。

それだけの女に、イルーゾォは何が出来る。

けれど、このままではひどく不誠実である気がした。落ち着かなかった。

その女は、イルーゾォの箱庭を守り続けてくれた。

其処でしか生きていけない、不完全で、歪なイルーゾォの箱庭を。

女は、一度として、イルーゾォの世界に踏み込まなかった。けれど、イルーゾォはポルポの怒りを知ってしまった。あの時、彼女の生々しい抜き身の感情を知ってしまった。

そのままであるには、あまりにもイルーゾォには不完全でありすぎた。

だから、イルーゾォはせめてと、ただ祈る。

 

「・・・・お前が死んだら、鏡の中に埋葬してやる。そうしたら、俺が死んだとき、俺と同じところに行けるかもしれねえぞ。」

 

ポルポは、それに一拍置いてひどく静かな声で呟いた。

 

「あなたは優しいね。」

 

そんなんじゃない。そんな言葉で語られる筋合いはない。

イルーゾォはそれが、憐れみであるのか。それとも、いっそのこと憎しみであるとさえ思えた。

恩義はある、それは仕事で返している。

だからこそ、女にこれ以上の何をする必要がある?

けれど、イルーゾォは女の、内に秘めていた醜さを知った。彼にとっての禁忌である、誰かの内に入り込んでしまった。

これは、きっと詫びなのだ。そうとしか、表現が出来なかった。溢れる様な、誰もがうらやむ絶頂の中で、地獄へ微笑む女への感情をイルーゾォには言い表せない。

ただ、彼はかなうなら、彼女の墓守になりたかった。

彼女のために死ぬ気はない、殺す気はない。勝手に死ねばいいだろう。

けれど、ああ、けれど。

女を、地獄に連れて行ってやりたかった。

望まぬうちに、地獄に行くしかない望まぬ力を持った女を、せめて望む場所に堕としてやりたかった。

 

 

 

「・・・・ポルポ?」

「はい、カラマーロ。分かっていますよ。」

 

全てのことが落ち着いた後、物事は粛々と進んでいく。

ゼットの縄張りは、思った以上にあっさりと片が付いた。なにせ、ポルポの持つ戦力をフル稼働し、かつ降伏したものにはそれ以上のことをしなかった。

何よりも、彼女は上に立っていたゼットの侮蔑はしなかった。彼を強い人であったと認めたことで、そこまでのヘイトを集めなかったのは良かったのだろう。

残った古参と、新しく現れた存在とのバランスを見決めていたポルポにカラマーロが釘をさす。

 

「急な強行をしたのはすいません。ただ、ボスからも釘を刺されていたので。」

「私は、あなたが一人で交渉に行ったことを認めていないわ。」

「・・・・すいません。」

 

もう一度謝ったポルポにカラマーロはため息を吐く。

が、言っても無駄な事だ。元より、そこら辺の小言はさんざん言った後のこと。これ以上は言っても無駄だろう。

 

「・・・まあ、いいわ。ゼットの肉親のことだけど。ある町で家具職人をしていたわ。一応護衛は付けているから何かあったらすぐにわかるわ。」

「ありがとう。」

「あと、どうしてだかあの男、血縁でもない少年に色々と便宜を図っていたんだけれど。珍しく日系の子で・・・」

「そのままで。」

「え?」

「その子への便宜は、ゼットが生きていた時のまま続けてください。」

「分かったわ。」

 

カラマーロはふと、ゼットについて調べられた資料に視線を落とす。

 

(・・・・にしても、本名がツェペリって変わっているわね。ドイツから来たのかしら?)

 




ツェペリの頭文字はZなので。
なんとなく、ジョジョを助けるイタリア人は彼らのイメージです。


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悪党の理不尽

空条承太郎と、理不尽な人

難産だった。話の順番、めちゃくちゃで申し訳ない。


 

救われた者が、どんな目をするか空条承太郎は知っている。

 

かちゃんと、コーヒーのカップを置いて、承太郎は周りを視線だけで見回した。

カフェテラスから見ても、平日の昼も大分過ぎたという微妙な時間帯では人はほとんどいない。強いて言うならば、端の席に老人が一人座っていた。

さやさやと、承太郎の後ろに植えられた樹から木の葉擦れがする。

承太郎は、ちらりと嵌めていた時計に目を向けた。

 

(もうすぐ時間か。)

 

承太郎は思案する様に帽子を深くかぶり直した。

 

 

監視下に置いていた虹村形兆が消えたという報告は承太郎にすぐに上がって来た。

監視していた財団員曰く、何の気配もなかったというのに誰かに襲われたのだという。そうして、問題の形兆についてもすぐに自ら承太郎の拠点としていたホテルに現れた。

 

「空条さん。」

 

おざなりな敬語を下げて、彼はじっと承太郎を見た。

その眼は、救済を得た人間であると、承太郎は理解した。

 

救済というものを得た人間に、彼は今まで多くあって来た。

それは例えば、自身に向けられたもの、SPW財団にやって来たもの。

そう言った存在は、その瞳は、どこか澄んでいる。

肩の力が抜け、まるで穏やかな日向の中を歩くような、そんな静かな目だ。

そうだ、空条承太郎という男は、そんな目を幾度も見た。

幾度も、幾度も、見た。

そうして、最初にその瞳を見たのは、あの旅でのこと。

砂漠で邂逅した、盲目の男が己が主のことを語る時、そのめしいた目に映った静けさとこの年若い男の目は本当によく似ていた。

 

「・・・・今までどこにいた。」

 

その簡潔な問いに、形兆は少しだけ視線を落とし、口を開いた。

 

「例の矢と弓を探していた女と接触していました。」

 

それに承太郎はホテルの一室にて、どんな人間でさえも理解できるような威圧感を形兆に向ける。けれど、形兆は揺らぐことも無くじっと承太郎を見返した。

 

「向こうの要求は、あなたと交渉の場だそうです。」

「・・・お前と接触してきた奴らの特徴は?」

 

承太郎のそれに、形兆は沈黙を以って無視した。承太郎の、どんな存在でも怯えるか動揺はするだろうその威圧感を前に、形兆はひどく落ち着き払ったような、凪いだ目をする。

そうして、口を開いたかと思えば承太郎の要求とはまったく別物だ。

 

「取引の場所は、この町のカフェだそうです。」

「おい。」

「・・・・交渉に応じるのならば、石仮面についての情報を渡すそうです。」

 

石仮面、という単語に承太郎は思わず反応した。

 

「おい、てめえ・・・・」

「あの人たちについて、俺は話す気はありません。

絶対に。」

 

その眼を見て、承太郎は確信する。

その眼は、救われた者の眼だ、それは、信奉者といえるものだ。

力ずくではけして口を割らない。それを理解して、承太郎は大きくため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

承太郎が指定されたカフェにやってきたのは、さすがに放置することが得策でないことはわかっていたからだ。何よりも、石仮面という単語には反応せねばならなかった。

石仮面という存在は、祖父のジョゼフから聞いていた。

彼にとっては因縁のあるDioを吸血鬼へと変えたもの。

もちろん、それが他にも存在しているという可能性がなかったわけではない。

SPW財団でもスタンド能力の研究のほかに、石仮面の捜索も行われていたはずだ。

その捜索を逃れたものが存在していた。

何よりも、空条承太郎との交渉材料になりえる価値が石仮面にあると判断できているのだ。

 

(相手は、石仮面の使い方を理解している。)

 

そうして、石仮面とのジョースター家の関係を知っている可能性もある。

今のところ、承太郎以上のスタンド使いがいない以上、彼以外は足手まといになる。そのために、彼は一人で相手と会うことにしたのだ。

 

(ともかくは、接触してくる奴を・・・・)

 

こつり。

舗装された道を、何かが歩く音がした。承太郎は今まで気づかなかった、自分の後ろに立った存在に振り返る。

 

「・・・・こんにちは。」

 

それが、己が会うはずの存在であると承太郎が思い至るには少し時間がかかった。

 

「約束していたものなんですが・・・・」

「あんたが?」

「はい、形兆君を通じてあなたと約束させていただいたものです。」

 

目の前で話す、それはあんまりにも平凡でありすぎたからだ。

 

 

 

承太郎は、目の前の存在をじっと見る。

向かい側の席へ、ちょこんと控えめに座ったそれ、女はどこかぼんやりとした目で承太郎を見つめた。

纏っている黒いスーツは一目で上等なものであると分かる。それも、女の体を測ってわざわざ作られたものであるらしかった、けれど、何と言うのだろうか。女の貧相な体形のせいか、着せられているという感覚は否めない。

そうして、その纏った衣装以外に特徴といえる特徴も無い。

腰まで伸びた黒い髪に、あまり日に当たっていないであろう青白い肌。どこか優し気であるとしか表現の出来ない顔立ち。唯一、特徴といえるのは、その朝焼けのような赤い瞳であった。

 

(・・・・どこにでも、いそうな。)

 

それこそ、街角でふとすれ違う様な平凡さだ。

こう言っては何だが、拍子抜けではあった。承太郎は、形兆の様子に無意識にあの吸血鬼のような人物を思い浮かべていた。

もちろん、目の前の存在がただのメッセンジャーである可能性もあったが。

 

「すいません、なにか支障がなければお話をさせていただきたいんですが。」

「・・・ああ。」

 

正直な話をすれば、承太郎は反応に困っていた。

もちろん、警戒は解いていない。だが、何と言うのだろうか。

 

「ああ、そうだ。何か頼まれますか?ここのは美味しいそうで。甘いものもなかなかだそうですし。」

「結構だ。」

「そうですか。」

 

警戒を抱くには、女は平凡すぎる。

こう言っては何だが、女には隙がありすぎる。承太郎が本気になれば、ほんの数分で殺せる様な無防備さだ。

だからこそ、考えていた武力行使というものも戸惑われる。それに加えて、一応は敵といえる承太郎を前にしても女の中に警戒といえるものが一つも見えない。

どこか、小動物を前にしたような心境に至る。

いや、それ以外に承太郎には引っかかることがあった。

 

何故だろうか、その女に、奇妙な懐かしさを感じていた。

 

(何故だ?)

 

彼は脳内の記録をひっくり返す勢いで探る。けれど、女と似通った誰かなど記憶の中には存在しない。ならば、この懐かしさはなんなのか。

奇妙な、親しみ、懐かしさ。

それに承太郎の中で、ざわざわと騒ぎ立てる。

 

(・・・・まさか、スタンド能力か?)

 

女は暢気に店員にココアを頼む。

そうして、承太郎に幼子のようなあどけない笑みを向けた。

 

「・・・・ところで、今日は来ていただきありがとうございます。」

 

来ざるをえない事情を作ったのはそっちだろうに。

何だろうか、女の場違いな穏やかさが承太郎との間に決定的な食い違いを生み出している。

承太郎のそんな内心を見透かしたように、女は苦笑する。

 

「すいません。一応、名乗っておきますが。私のことは、ポリプスとお呼びください。さて、空条承太郎さん、話を始めましょうか。」

 

その言葉に承太郎は意識を集中させる。いつでもスタンドを出せる様にと身構えた。

石仮面、そんなものを持ち出してまで相手が望む交渉とは何なのか。

 

「ああ、そうだ。あなたの目当ての物を私たちが持っている証拠です。」

 

そう言ってスーツの内から取り出したのは、一枚の写真だ。差し出されたそれを承太郎は受け取り、目を通す。

 

「どうかされました?」

「いや・・・・」

 

承太郎は、思わずそんな顔をされるほど何とも形容しがたい顔をした。

受け取った写真には、確かに資料にあったとおりの石仮面が映っていた。そうして、その石仮面を持って笑う女の姿も。

 

(・・・・・なんだろうか。)

 

石仮面の危険度は知っている。それ故に、この写真の重要性は理解できた。が、一緒に写っている暢気に笑っている女の姿を見ると観光か何かでとった記念写真のように見えて来る。

その姿になんだか力が抜けそうになる。

 

「ええっと、石仮面についてはそれでよろしかったでしょうか?」

「まさか、これだけか?」

「いえ、これはあくまでこちらに石仮面があるという証拠です。もしも、こちらの条件というか、交渉に応じてくれるのならお渡ししますよ。」

「条件?」

 

さっそく振られた、その条件に承太郎はじっと女を見つめる。

 

「条件は、簡単です。二年後、私があなたに連絡したとき指定された場所に来て、指定されたことに協力していただきたいんです。」

「・・・・なんだと?」

 

それは、あまりにも不確定な部分が多すぎる。承太郎の眉間に皺が寄ったのを見て、ポリプスはまた苦笑をする。

 

「すいません。あまり、こちらの情報を渡せないのでどうしても不確定な事が多くなってしまいます。」

「それを了承しろと?」

「はい・・・・」

「無理だ。」

 

承太郎の即答に、ポリプスはそうだろうと頷いた。断られても、女の表情に変化はない。

 

「ですが、条件を飲んでいただけるのならば石仮面はお渡しします。あれが、他人の元にあるのはさすがにまずいでしょう?」

「・・・・・力ずくで、といったらどうする?」

 

承太郎は、ゆらりと後ろに己がスタンドを現した。

青い、美しい巨人。

最強と、そんな呼び名さえある彼のスタンド、スター・プラチナ。

女の視線は確かにスター・プラチナに注がれていた。

それに承太郎は目の前の女がスタンド使いであることを確認する。何かしらの行動を予想し、彼は能力の発動のために身構えた。

 

「わあ。」

 

けれど、女は承太郎の予想に反してやはり幼子のような声音を出した。女は、何の躊躇も無くスター・プラチナに手を伸ばす。手は、届かない。

それに、承太郎も、そうしてわずかにではあったがスター・プラチナさえもその動作に驚いていた。

 

「すごいなあ。」

 

ああ、その声よ。その、その、あまりにも拙い声音よ。

何故だろうか、その声に置いてきたはずの娘を思い出す。その純粋に、ヒーローを目の前にした幼子のような声に。

自分を見つめる、自分に駆け寄る、娘のことを思い出す。

承太郎は思わず、ぐらぐらとする頭を抱えそうになる。

警戒しなくてはいけない、女の目的を、どこに所属しているのか、それを探らなくてはいけない。

けれど、女を前にして、関われば関わるほどに女へ親しみを覚えていく。懐かしい、なんて、そんなことを思ってしまう。

警戒しなくてはいけないという危機感と、女へ湧いてくる奇妙な懐かしさが、女への感覚を狂わせる。

 

「すごい・・・・」

 

女は、まるで星を仰ぎ見る様にスター・プラチナを見つめる。

そこで女は自分を見る承太郎に気づいたのか、照れるように笑って手を引っ込めた。

 

「すいません、不躾でした。」

「・・・・てめえには、警戒心ってものがないのか?」

 

それは本当に素直な疑問であった。女は、それにやはりあどけない仕草で首を傾げた。

 

「だって、あなたは正しいですから。」

「は?」

「あなたは正しいから、私を、少なくとも今の所悪人ではない私を殺したり、痛いことなんてしないでしょう?」

 

何を言っているんだと思った。

まるで、この世の絶対的なルールを話すような口調であった。

もちろん、空条承太郎とは善性であるだろう。

邪悪というものを赦さず、弱者を守るだろう。

けれど、けれど、だ。

目の前の女に、そこまでの信頼を置かれる理由なぞあるのだろうか。

女は、ポリプスは確かに今の所は敵ではないだろう。けれど、それと同時に味方でもない。

承太郎は、女の違和感に何とも言えない顔をする。

判断がつかないのだと。

確かに怪しくはある。だからといって、敵対するような存在なのかといわれれば戸惑われる。

承太郎もさすがにあんまりにも平凡な女に力づくというのは躊躇われた。

 

「・・・・てめえもスタンド使いなんだな?」

「はい。」

「見せてみろ。」

「はい、どうぞ。」

 

一応とした要求に、女はニコニコと笑って了承した。

それと同時に、ふわりと彼らのいる席の近くにある木陰に人影が現れる。承太郎はそれに目を走らせた。

そこには、黒いマントで体を覆った、道化師のようなスタンドが佇んでいた。そうして、どこからかくすくすと軽やかな笑い声がする。

 

「ブラック・サバス、というんです。良い子ですよ。」

 

その口調は、まるで己のきょうだいを語るようであった。スタンドに向けられるには深すぎる親しみだ。

 

「能力は、まあああやって影の中に潜ることができるんです。便利ですよ。」

 

それが正しいかどうかはわからない。ただ、その様子からしてさほど的外れな事ではないと察する。

そうして、スタンドを出してもポリプスから動きはない。ニコニコと、彼女は笑ったまま承太郎を見つめるだけだ。

 

「・・・・・どうして俺に協力を求める?」

「あなたの力が必要だからです。」

 

簡潔で、けれどあやふやな答えに承太郎はさてと考える。

承太郎の予想として、自分にわざわざ繋ぎを求めるのならば荒事関係であった。

目の前の女は、空条承太郎がどんな存在であるかを知っているようだった。

 

「・・・・・すいません。本当ならば、誰も巻き込みたくはないんですけど。」

 

掠れた様な震え声で、ポリプスは視線を下げた。

 

「ですが、どうしても私たちだけでは無理で。せめて、あなたの力だけでも借りられないかと。」

 

女の台詞に、承太郎は口を開いた。

 

「てめえは信用できねえ。」

「はい、そうですね。」

 

女にはやはり、動揺は見えない。承太郎は視線を厳しくしながら、被っていた帽子の角度を整える。

 

「・・・・てめえは、何故虹村形兆を巻き込んだ?」

 

その言葉に初めて、ポリプスから動揺が感じられた。

承太郎はそれにようやく女がどんな存在かを知るための手がかりを掴めるかと考えた。

女が、誰の使いであるかのか、それともその後ろに誰もいないとしても、交渉の場にやって来た存在が誰か、知っておかねばならないと。

 

「てめえなら、いや俺がこの町にいると知っていたのならあいつにわざわざ伝言を託す必要はなかっただろう。てめえは、誰も巻き込みたくはないと言った。それは、あいつも含まれているはずだ。」

 

何故、あいつに疑いが向くようにことを進めた。

 

ポリプスから微笑みが消えた。視線を下に向けたまま、青白い顔色を、さらに悪くさせていた。

その顔に、明らかな罪悪感といえるものを感じて承太郎はそれ故に疑問を膨らませる。

 

「・・・・あいつは悪党だ。てめえのために他人を犠牲にした、悪人だ。だがな、どうしようもなかったやつだ。」

 

あいつは罪を背負うだろう。己が為に積み上げた、誰かの死のために。

 

「だがな、だからといっててめえの身勝手のために使っていいわけじゃねえ。」

 

淡々とした静かな声だ。承太郎は、女の罪悪感に疑問を持つ。

その女は承太郎の問いに明らかに動揺している。だからこそ、何故わざわざ形兆をメッセンジャーに選んだか分からなかった。

女の立場も分かっていない今、判断材料は少ないが形兆を巻き込む理由はなかったはずだ。石仮面という強力な交渉材料があるならばなおさらに。

承太郎は帽子を目深にかぶった。

 

「・・・・てめえにどんな意図があったにせよ、あいつを余計なことに巻き込むな。これ以上、あいつを利用して罪を重ねさせるようなことをするな。」

「そんな、ことは。」

 

動揺のにじみでる女に、承太郎は徐助たちから聞いた弓と矢を狙っていたという存在との関わりについてを考える。

 

「あいつに何を吹き込んだかは知らねえ。ただ、てめえも弓と矢を狙っているなら。あれを使って、何を企んでるのかは知らねえが。諦めろ、俺がそれを止める。」

 

断言するような、脅しのようなそれ。

 

「・・・・なら。」

 

呟くような声であったが、確かに承太郎には理解できた。

 

「なら、あなたは救ってくれますか?」

 

朝日のような、穏やかな目が。

その、ぼんやりとして色合いを放っていたそれが。

まるで、燃え盛る炎の様に揺らめいていた。

 

 

反対はされた。

何故、わざわざポルポが承太郎と直接話す必要があるのかと。

もちろん、危険ではあるのだろう。

けれど、ポルポには確信があった。危険はないと。

彼女は、空条承太郎の高潔さと誇り高さ、そうして正義漢であるという事実を知っている。

逃げるのならば得意だ。時を止められたとしても、一発殴られるぐらいはリスクとして考えていた。情報を欲しがるのならば殺されることはない。吹っ飛ばされた瞬間、ブラック・サバスに影の中に引きずり込んでもらえればそれで手出しは出来なくなる。

近くには、プロシュートやリゾットもいる。

逃げるのならばなんとかなるだろう。

何よりも、ポルポは単純に承太郎という男がポルポを傷つける理由が思い浮かばなかったということもある。

敵対する気もない、悪意を持つ気もない。

石仮面でもつれないというなら、危険な賭けではあるがジョルノ以外のDioの息子について情報を出してもいい。

 

分かっていた。

形兆をわざわざメッセンジャーにする必要はなかっただろう。彼と直接接触が取れなかったわけではなかった。

それでも、彼女が形兆と接触を取り、承太郎へのメッセンジャーに選んだのは簡単な話だ。

形兆という青年が、一時的に消える理由を作る為だ。

形兆という青年と、どうしても話がしたかった。彼にとって救いになりえる方法を教えたかった。

形兆への監視がどれほどなのかは分からない。ならば、自分たちにとっての安全圏に引き込んで話がしたかったのだ。

父親を殺すということに関して、承太郎という存在がどれほど是とするか分からないからこそその話題は知られたくなかった。

承太郎へのメッセンジャーとして使えば、少なくとも彼がいなくなった理由も出来ると。

 

承太郎という存在を刺激するつもりはなかった。そんな理由もなかった。だというのに。

 

「あなたが、あの子にいったい何をしてくれるんですか?」

 

ぐらぐらと、頭の中が燃える様に、沸騰する様に揺れていた。

 

落ち着け、落ち着くんだ。

 

「あの子を、巻き込むな。そんなの、巻き込みたくなかったに決まっている・・・・!」

 

怒りなんて向けて、どうするっていうんだ?何が出来るっていうんだ?

 

「でも、あのままじゃあ、あの子は。あの子は、どこに行けるっていうんだ?」

 

いや、その前に私は何を怒っているというんだ?不合理だ、無意味だ。こんなこと。

 

「あなたはあの子を罪人とした。ええ、そうでしょう、あの子は裁かれねばならぬでしょう。」

 

ずっと、ずっと、虹村形兆という青年に色んな誰かを重ねていた。

ギャングになるしかなかった、落ちることしか出来なかった、いつかの子どもたち。

自分が、引きずり込んだ愛しい、誰か。

そうして、落ちることしか出来なかった、あの。

 

「あなたは、あの子に何もしてはくれなかった。ただ、監視を付けて。話を聞いてもいなくて。あなたは、あの子が人を殺したという事実しか、見ていない・・・・!」

 

本当に?

必死に頭を巡らせる。冷静にならねばと、どうして、自分がこんなに怒り狂っているのかと考える。

冷静になるには、理由を見つけなくては。この感情の出所を。

空条承太郎を、求め続けた、星の一族を見る。

ずっと、会いたかった。

ずっと、話がしたかった。

ずっと、求めていた。

だって、彼らは、主人公で、たくさんの誰かを、助けて、彼らは正しさで。

悪党を、邪悪を、倒す、光で。

 

(・・・・私を、殺す。)

 

ぐらぐらと、それに揺れる頭が、言葉を吐き出す。

 

「誰が、誰が!あんなものを求めるものか!あんな、あんな力なんて、なくなってしまえばいい!どの口が、あの、矢と弓を求めてるなんて!!」

 

そうだ、弓と矢を求めたのは壊したかったからだ、木っ端みじんに、この世から消し去りたかったからだ。

あんなもの、さえ、なければ。

 

「君たちに、お前たちに、何が分かる!私たちの、何かが!」

 

だから、そんなことが言えるんだ。こんな力を求めていなかった者たちの気持ちなんて分からないから。

正義の味方である、君たちに、星の一族にそんなことを分かるはずもないだろうけれど。

それを、利用しようとする誰かなんて、そんな奴らから守ってもらえた、お前たちに。

 

揺れる、揺れる、思考が揺れる。

がたがたと、何かが揺れる音がする。

 

「堕ちる選択肢しか、与えられなかった私たちの気持ちが!」

 

ああ、そうだ。そうか、分かった。

私は、ずっと求めていた。すくってくれる(殺してくれる)、あなた達を求めていた。

彼らが、私をすくう(殺す)のは当たり前だから、正しいから。

悪を、正義が殺すのは、正しいから。

だから、だから、ずっと、私は怒っていた。

 

君たちは、悪を倒しても。悪を、救ってはくれないから。

己が選んだことだろう?

ああ、そうかもしれない。そうだろう、けれど、ねじれて、歪んだ世界の中でまともな願いなんて持てるものか。

だって、だって、私たちだって、すくわれたい!

 

君たち(ジョースター家)に、何も与えられなかった私たち(ディオ・ブランド―)の気持ちが分かるものか!」

 

ああ、なんて笑えるような八つ当たりだろうか。

 




書いてて、ポルポさんが理不尽すぎるかと不安になりつつ。
というか、ディオさんと、ポルポさんたちを同列に語っていいのだろうか。

誰にも、与えられなかった。踏み外したそれを引き起こしてくれる人は誰もいない。

次回、一応戦闘ですがめちゃくちゃ苦手なんであっさり終わらせたいです。アドバイスあれば、嬉しいです。


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影の秘密

秘密のあるらしい影と八つ当たりをする人

ひっさしぶりの投稿ですが。
すいません、最初に書いときますが、戦闘シーンは期待しないでください!
頑張るには頑張りましたが、ジョジョ特有の心理戦が難しすぎて挫折しまして。
もう、書けるだけのものを書こうと書きました。
あと、リゾットたちと承太郎の戦闘を期待してた方も吸いません。

展開もどうしようかすごい迷ってます。


憎悪と呼ぶことのできる感情が女から溢れた時、空条承太郎は戸惑いも無くスター・プラチナを出した。振りかぶった拳を、目の前の女に叩き込もうとする。けれど、それよりも先に振りかぶった拳が驚くほどの力で地面に引き倒された。

承太郎は目の前の女に神経を集中させていたとはいえ、気づかなかったそれに視線を向ける。そこには、あの木陰の中で見た道化師のようなスタンドがいた。承太郎はそれにスタンドに掴まれていない方の腕で拳を叩きこもうとする。

けれど、道化師のスタンドはスタープラチナの動きを止めることだけが目的であったらしくすぐにその場を離れ、そうして木陰の中に立つポリプスの元へ向かう。

ポリプスは自分のスタンドが自分の側に来るのと同時に、ゆっくりと地面に沈んでいった。

 

「・・・鬼ごっこをしませんか?」

 

静かな声だった。先ほどの激情など嘘のように、女は微笑んだ。

 

「DIOとかくれんぼをしたのなら、私とは鬼ごっこでもしませんか?」

 

ゆるりと微笑んだ顔だけが承太郎の目に焼き付いた。

 

(・・・・どこだ?)

 

消えた女を探して辺りを探すが、姿は見えない。承太郎は一瞬だけ迷ったのちに無言で走り出した。

同じようなカフェにいた一般人の安全、そうして自分が目的であるならば追いかけて来るうちにスタンド能力のヒントが得られることを予想してのことだった。

何よりも、承太郎は女の口にした、DIOという単語に思考を捕らわれていた。

 

 

 

 

「ポルポ!」

 

承太郎とは正反対の方向にプロシュートは静かに向かい、誰の目も無いだろう路地へと飛び込み叫んだ。それに、リゾットもまた姿を現す。

プロシュートは明らかに冷静さを失って彼女の名前を叫んだ。それにリゾットが慌ててプロシュートの腕を掴んだ。

 

「おい、騒ぐな。」

「そんなこと言ってる場合か!あの馬鹿!」

「落ち着け!そんな状態であいつを探せると思っているのか?仕事の最中だ。」

 

仕事、その単語でプロシュートは一応、表面的には落ち着きリゾットを見る。

それにリゾットは自分も喚き散らしたいという欲求を必死に抑える。聞いていた言動全てが、あまりにもらしくなかった。

ポルポは、こういっては何だが臆病だ。臆病と言うよりも、争い事と言うものを徹底的に避ける人間だ。それは、ポルポと長い付き合いであるリゾットもよく知っている。

だが、あの言動は何だ?

ポルポはあんな荒い言葉を使ったことがあったか、あんなにも吐き捨てる様に話すことがあったか?

彼女が、怒りと言えるものを吐き出したことがあるか?

リゾットは久方ぶりに感じる動揺を噛み殺す。

らしくない、らしくない、らしくない。

己自身で、危険だと言っていた空条承太郎。慎重に、すぐに逃げられるように、そう言った自分の言葉を覆して承太郎に喧嘩を売ったポルポのことが分からなくなったためだ。

 

「ともかく、ポルポを探して・・・・」

「リゾット、プロシュート。」

 

いつも通り、穏やかな印象を受ける、女にしては低く男にしては高い声がした。

リゾットとプロシュートはその声の方に視線を向ける。

建物と建物の間、その先、暗がりの中に女が一人。

リゾットとプロシュートは心の底から安堵に満ちた顔で彼女に振り返る。

そんな二人にポルポは静かに微笑んでいた。

 

「・・・・リゾット、プロシュート。ホテルに帰っていてください。もしも、仮に私が戻らなかった場合、速やかに回収をお願いします。回収も無理な場合、カラマーロに指示を仰いでください。」

「何を言っている、ポルポ!俺たちが秘密裏に動いてることを忘れたのか!?あいつの裏にはスピードワゴン財団もある。これ以上、目立つことは。」

 

ポルポは何故か、少しだけ、口元にあわく笑みを浮かべた。そうして、視線を少しだけ下げた後に、掠れた声を出す。

 

「だって。」

 

子どものような声だった。いつもの、落ち着き払った老いた声ではない。まるで、子どもの癇癪が爆発する寸前のような声だった。

 

「だって、ひどいじゃないですか。」

 

掠れた、声だった。ポルポは右手で自分の左手首を握りしめていた。そうして、左手も又ぎりぎりと強く握りしめている。震えるその様は、彼女がどれだけ力を入れているか示しているようだった。

口元が、戦慄く様に震えていた。見開かれた目が、まるでガラス玉のように光っていた。

 

「私は、ギャングです。ええ、悪徳を、罪を、地獄を、死体の山を築いてまいりました。私は、いつか地獄に落ちるでしょう。私は罰せられ、報いるべきなのでしょう。」

 

でも、それでも、それは自分が傷付け、殺し、踏みつけた、遠い何時かの誰かであるべきだ。

ああ、なのに、なのに、なのに!

唸り声のような、轟きに似た何かが彼女の中で荒れ狂っていることが手に取るように分かった。

 

「助けも、憐れみも、救いもくれなかった、正しいだけのヒーローであっていいはずがない!」

 

リゾットは、言葉を失った。いつもなら、彼女を拘束してでも動きを止めてその場から離れていただろう。

けれど、出来なかった。リゾットは、彼女の瞳に、初めて灯る憎悪と怒りの焔を魅入られるように見つめた。

ああ、劫火が燃えている。

揺蕩うような、夕焼けのようなはずの赤は、今は劫火の色に見えた。

叫び声が聞こえる、涙が落ちたように見えた、狂おしいまでののたうち回る苦痛をリゾットはそこに見る。

 

(そんな、そんな感情があったのか。)

 

いつだって、ぼんやりと、全てのことへ頭を抱えて、天災が過ぎることを待つ無力な人間のように振る舞う人。

いつだって、抵抗と言う言葉など知らず、絵空事を見つめる様に空虚な瞳をしている彼女。

優しい女だ、柔い女だ、愚かな女だ。

与えることしか知らぬ、自分の中に何があるかさえ知ろうとしない。

生きてという言葉すら、意味が分からぬ白痴のように溢して、取り溢してしまう人。

その姿に、その、抵抗すらしない徹底的な無害な在り方を愛おしいと思っていたのは事実だ。

その、自分たちとは正反対の在り方が安らぎだった。

それでも、寂しいとだって思っていた。

自分たちと、あんたは生きてくれないんだな。

生きてなんて、どれほどお笑い草の話なのか、分かっているのに。

けれどその時、初めて、リゾットは彼女が生きているのだと、生々しいまでに一人の人間であると知った気がした。

ポルポはそっと、壁に手をやった。そうすれば、まるで沈んでいくように、混ざるように壁の中に消えていく。

リゾットはそれに壁に駆け寄るが、一歩遅く、ポルポは消えていた。それに彼にしては珍しく、汚い言葉が漏れ出た。

 

「・・・・てめえは、どうする?」

「なに?」

 

リゾットはプロシュートの声に視線を向けた。プロシュートは動揺が消えたわけではないが、やけに静まり返った目をしていた。

 

「俺はポルポを追う。」

「当たり前だ、今はあの馬鹿を止めなくては。」

「いや、ポルポの援護に回るんだ。」

「プロシュート、何を言っている?」

 

リゾットがそれに声をあげるが、プロシュートはそれに背を向けた。リゾットはそこそこ、今では長い付き合いになってしまっているそれを見た。

 

「分かっているのか!?空条とは絶対に戦うなと命令されているはずだ。それは相手が強いだけではなく、背後の組織が面倒だと分かっているだろう!?」

 

仮に、仮にだ。空条承太郎を始末できたとしても、その犯人をスピードワゴン財団は追うだろう。それがどれほど面倒な事なのか。

 

「・・・その命令をしたポルポが望んでんだよ。」

「どんなことがあっても空条承太郎との戦闘は避けろと命令されている。」

「・・・関係ねえんだよ。」

 

吐き捨てる様にプロシュートはそう言って、リゾットをねめつける様に振り返った。

 

「てめえは、救われてねえから、泥の中から引き揚げられてねえから分からねえだろうよ。死にゆく人間の墓守になるしかねえ奴の気持ちなんざ。」

 

それでも、俺はあいつの望みを叶えるだけだ。あの女が望む死を、俺は捧げるだけだ。

 

その言葉と共にプロシュートは空条承太郎が走っていった方向に走り去っていく

リゾットはそれを追うか、迷う。

 

(どうする?)

 

このまま走っていった馬鹿を止めるか。それとも空条承太郎とポルポを分離するか。いっそのこと、本国に電話をしてカラマーロに指示を仰ぐか。

ぐるりと頭を駆け巡る選択肢にリゾットは歯噛みして、プロシュートの後を追った。

現状での最悪は、空条承太郎にポルポとプロシュートが敗れ、自分たちのことがばれることだ。

リゾットは走り、ポルポとプロシュートへの怒りを蓄えた。

 

(・・・分かるものか。)

ああ、そうだ知るものか。自ら死に向かっていく様な愚か者の気持ちなんて分かるはずがない。

救われたと言いながら、救ってくれたそれの死を甘受するような臆病者の気持ちなんて知るものか。

それでも、彼女の怒りに満ちた目がリゾットの脳裏にまざまざと焼き付いていた。

 

走り出す彼らを、一人の少女が見ていた。空色のキャスケットを被りなおして、隣りにいる相棒と顔を見合わせた。

 

「・・・・どうなってんのさあ!マスター!」

 

彼女はそう呟いた後、少しの間迷った後に、帰宅途中の学生たちの声がする方に向けて視線を向けた。

 

 

 

 

 

くすくすと声がする。

空条承太郎は町の中を進みながら、視界の端に、気配で、そうして音として自分を追うものがいると分かっていた。

町の中、商店街近くの家の立ち並ぶ中は未だ人影はあまりない。そんな中、ありとあらゆる影の中から気配がする、声がする。

それが相手の位置を掴みにくくしていた。

建物の路地裏、何かの物陰、かたんと動く音がする。それは、さながらどこかで見たホラー映画のように不気味だった。

承太郎の背後には青い巨人、スタープラチナがいた。それによってぐるりと辺りを警戒するが、そこらかしこにざわめきが広がっている。

(・・・・時を止めるとしても三秒。)

空条承太郎、彼の持つスタンドのスタープラチナの能力は確かに強力だ。時を止めるその瞬間、誰もが無防備になる。

それは限定的とはいえ、絶対的な守り、絶対的な攻撃に等しい。

けれど、それは敵がどこにいるかという位置把握をしてのことだ。

今、女の位置が分からなければ意味がない。

その時だ、背後を警戒していたスタープラチナが何かに反応する。承太郎はスタープラチナが捕らえたそれに目を向けた。

ひしゃげた弾丸に承太郎は一度帽子に手を添えて、目を細める。

 

「いたのか?」

 

それにスタープラチナはこくりと頷いた。

 

「スタンドだけか?」

 

それにスタープラチナは横へと首をふった。

 

「・・・・こんなもので俺が殺せると思うのか?」

 

その声に答える者はいない。ただ、四方八方から何かの笑い声と、そうして物音に気配がしてくる。

承太郎は反応がないことなど予想はしていた。が、相手の本当の意味での目的が分かっていないためにどう動くかを思案する。

 

(先ほどの動き、影の中に潜むことが力か。)

 

それ自体が能力なのか、それとも何かしらの能力からの派生なのかは分からないが厄介なことは確かだろう。影を瞬時に移動する俊敏性とどこから攻撃してくるか、予想が立てにくい。

が、承太郎がいるのは閑静な家々が建つ地域だ。ちらりと、空を見れば日は大分傾いている。辺りが暗闇に包まれたとき、それが敵にどれほど有利になるかは考えずとも分かることだ。

承太郎は軽く息を吐いた。

 

 

(・・・・承太郎さん、何か、上でしてる。)

 

ポルポは闇の中を漂いながら、ぼんやりとそんなことを考える。

ここはいつでも、不思議な所だと、ぼんやりと上を見上げた。

ポルポがいるのは、ブラック・サバスの力で作りだされたのか、元々あったのか分からないいわゆる影の中だ。

まるで宇宙空間のように、上も下も真っ暗でポルポはふわふわと浮いている。

上下の感覚も無くまるで水に浮いているようだった。

この空間は厄介なことにブラック・サバスしか自由に動くことが出来ずポルポでさえも浮くがままに漂うしかない。

 

(昔は、無尽蔵に物がしまえるなあとも思ってましたが。)

 

この空間、物を放り込んでおいたとしてもブラック・サバスを引っ込めて能力を解除してしまえば自分の近くの影に放り込んだものが出現してしまうため倉庫として活用も出来ないのだ。

無駄に広い空間はそのまま放置されている。

そうしていると、ポルポの近くで上を見上げていたブラック・サバスが彼女を見下ろした。

「望みは何だ?」

「望み・・・・」

 

ポルポは夢を見る様に囁いた。本当に、夢を見ているようだった。

何をしているんだと、今になってそう思う。

無意味だと思う、勝てないなんて分かり切っている。

それでもなお、腹の奥底でぐつぐつと沸騰する怒りが収まらなかった。

教えてほしい、誰でもいいから、教えてほしい。

例え、どれだけ、理不尽でも、悲しくても、苦しくても、正しさの前に粛々と跪く在り方を教えてほしい。

 

(・・・・無意味であることも、抵抗も赦されない生を、知らずに生きて来た君に何が分かる。)

 

空条承太郎の人生を考える。

そうだ、確かに彼は失っただろう、亡くしただろう、戦う運命を背負わされただろう。

けれど、それでも、君の人生は確かに誇りだけは守られたはずだ。

花京院典明もモハメド・アヴドゥルも、イギーさえも誇りを持って死んだだろう。その死は、確かに意味を持ってなされただろう。

知っているかい、まるでゴミのように死んでいく誰かを。知っているかい、たった一欠けらの薬に命を捧げる中毒者の末路を。知っているかい、愛しい女のために鉄砲玉になって無価値に死んでいく誰かを。知っているかい、守られることも無く大人に食い物にされる子どものことを。

知らないだろうね、知らないだろうね。

きっと、主人公の君には、脇役たちの人生なんて、知らないだろうね。

誇りを持てるほどの意義を知らず、祈りを託せるほどの輝きを見ることなく、ヒーローは現れず、愛してくれる父母は無く。

物語の微笑んではくれない、脇役たちの悪徳を。

 

人は、悪に物語を求める。

そこにはきっと不幸があって、そこにはきっと憎しみがあって、そこにはきっと悲しみがあって、そこにはきっと認められぬ誇りがあって。

笑わせる。

ポルポは、そんな期待に満ちた観客たちに嘲笑を送るだろう。

何故、悪に走るか?

単純だ、生きる為に人は悪に落ちるのだ。

ただ生きていくために、ただ死にたくない故に、窃盗を働き、春を売り、薬をちらつかせ、人は人を殺すのだ。

確かに、少数として人の苦しみを是とするものだっているだろう。豊かな何かを求めて、略奪のために悪をなすものだっている

けれど、その手足となる弱者にはただ明日を生きるための延命行為でしかないのだ。

善人が悪に落ちないのは簡潔な話で、する必要がないからだ。

富を持つ者が盗みを働くのか?体以外に財産がある者が春を売るのか?知識がある者が薬に手を出すか?

善人とは、追い詰められたことも無ければ、貧困にあえぐことがないからこそ、悪を否定できるのだ。

 

(・・・・だからこそ、赦せない、裁かれたくない、ああ、止めてくれ。なら、なら、君は、空条承太郎。ええ、ジョジョ。あなたたちは、本当に、追い詰められようと善であり続けられたんですか?)

 

殺すことなんて考えない、何をしたいかなんて自分だって上手く分かっていない。

ただ、ただ、分かってほしいのだ。知らぬままでいてほしくないのだ。

弱者の、強者として産まれたものへの憎しみを。

 

「ブラック・サバス。」

 

ポルポは、どんなことがあっても自分を裏切らない相棒に話しかけた。

 

「頼むからね?」

「・・・・それを、お前が望むなら。」

 

ブラック・サバスにポルポは微笑んだ。

ああ、そうだ。理不尽でいいじゃないか、愚かでいいじゃないか。

 

(私も、所詮は悪党だ。)

 

 

 

 

 

空条承太郎は、くすくすと笑い声の聞こえる声をひたすらに攻撃していく。椅子の影、建物の隙間、木陰の中。

ありとあらゆる暗闇の中に、それの気配があった。

承太郎が動くと同時に、その声も、気配も又移動する。そうして、随時、死角からサイレンサーでも付いているのだろう拳銃からの発砲が来る。

承太郎は無言でそのまま走り続ける。

そうして、気づくと彼は丁度陽の光の届かない脇道に立っていた。

そうすると、くすくすと、くすくすと、ひそやかな女の声がした。

 

「・・・・捕まえましたよ。」

 

穏やかな声が聞こえる。承太郎は、その声がした方向に拳を振るうが、そこには誰もいなかった。

 

承太郎はぼそりと呟いた。

 

「何が目的だ?」

 

少しの沈黙が広がる。そうして、ちょうど、背後の辺りから声がした。

 

「・・・・あなたに、苦しんでほしい。」

「恨みを受ける覚えなら、売るほどにあるんだがな。」

「・・・・そうですね。娘さんを置いて、世界を駆けまわる程度に。」

 

その言葉に、承太郎は本当に微かに、誰もが見落としそうなほど微かに動揺を現した。声は構うことなく話し始める。

 

「悪とは、きっと裁かれるべきでしょう。あなたがあの、哀れな吸血鬼を殺した時のように。」

「・・・・てめえ、DIOの関係者か?」

「いえ、知っているだけです。彼のことは調べようと思えば調べられますよ。別段、彼は誰とも関わらずに行動していたわけではないので。勘違いされているやもしれませんが、私は別に彼の信奉者と言うわけではないですよ。」

「それにしちゃあ、やけに知ってる口調で語るんだな。」

「そうですね。私は、ある意味では生きている人間の中で一番彼について知っているやもしれませんね。でも、好ましいとは思っていませんよ。私はあくまで彼を、いえ、ディオ・ブランドーを憐れんでいるので。」

 

承太郎はそんなことを話しつつ、少しだけ体を動かし、影から出ようとする。けれど、それもまた背後からの射撃によって止められる。

そうして、その声はそんなことにさえも気にも留めずに話を続けた。

 

「私は、ディオ・ブランドー側の人間です。あなたたちが正しいと知りながら、それでも悪でしかないものです。」

ああ、それでも!それでもなお!

正しいだけの貴方に、裁かれたくなんてないんです!

 

その声と同時に、承太郎の足もとからぐわりと手が躍り出た。そうして、それはまっすぐとスタープラチナの首を捕らえた。

 

「ぐっ!?」

 

承太郎は首元へかかる力に呻き声を上げた。壁に叩きつけるその力は、スタープラチナと同等と言ってよかった。

承太郎はすぐにスタープラチナを動かし、それを振りほどこうと力比べに入る。

その時だ、自分の右手側に人影を確認したのは。

女が立っていた。

善良で、平凡そうな、何故か奇妙な懐かしさを覚える女。それが構えて拳銃を向ける様は、どこかまるで意味の分からないモチーフをごちゃごちゃに描き込んだ絵画を見ている気分だった。

そうして、それと同時に、時が止まった。

 

承太郎はその女の動きを見るうちに幾つか気づいたことがあった。

まず、攻撃をするとき、スタンドと女は必ず影から外に出ていた。そうして、承太郎に攻撃を加える折り、必ずと言っていいほど拳銃であった。

 

(こいつは攻撃する時、必ず外に出てる必要がある。それに加えて、女もまた影の外に出てやがった。)

 

ならば承太郎にとって女の下手くそな誘導に乗る価値があった。影を主な経路にしているところを見れば相手は恐らくより有利な場所に自分を追いこもうとするだろう。

正直な話をすれば、スタープラチナの力は温存しておきたくはあった。女のほかにいたという、風を使う狼型のスタンドを持つ少女のほかに仲間がいる可能性もある。

だが、それも彼女の口から飛び出たdioという言葉に出し惜しみは止めた。

もしも、仮に、その女が石仮面以上の何かを知っているというならば。出来るだけ迅速に、女について手中に収めておきたかった。

 

(・・・いや、それ以上に。)

 

承太郎の中で、女への疑いや不信感は確かに存在している。だというのに、何故だろう。

空条承太郎はその女を、出来れば傷つけたくないと考えている。

そんな理由など、ないはずだ。いっそのこと、徹底的に再起不能にして口を割らせる必要がある。

けれど、何故だろうか。承太郎は、その女への奇妙な親しみを捨てきれずにいた。

くんと、香る、腹の空く匂い。ああ、そうだ、知っている、

承太郎もまた、幼いころ、夕焼けの中をそんな匂いの中で帰った。そんな匂いに出迎えられた。

 

(・・・・これは、なんだ?)

 

承太郎の中で、ふつふつと湧き上がって来る女への警戒心。自分の中で生まれる、女への感情。それが何かは分からない。スタンド能力なのか?だというならば、余計に女の能力が分からない。それとも、仲間が他に隠れているのか?この感覚はその仲間の力なのか?

あまりにも情報が足らない。

それ故に、承太郎は確実に、その女から潰すことにしたのだ。

動きの止まったスタンドからスタープラチナは抜け出すと、その女に向かっていく。

ラッシュ、とまではいかないが幾つか拳を叩き込んでおこうと思っていた。

けれど、承太郎は女を見て、それを躊躇してしまったのだ。

女の眼は、恐怖と緊張で彩られていた。それこそ、今にも崩れ落ちそうなほどに、その姿は弱々しい。

そこには、空条承太郎という正しい男が守らねばならない、ただの凡人がいた。

そうして、何よりも、女の手は確実にほどけて拳銃は今にも滑り落ちそうになっていた。

それが、承太郎の躊躇を呼んだ。その確実に己が内にあった、女への奇妙な親しみと懐かしさに引きずられ、そうして時が動き出す刹那の時間、彼の判断は確実に狂った。

一発だ、たった一発。

確かにスタープラチナから繰り出されたそれは強力であり、それによって女の体は人形のように吹っ飛び、そうして転がった。

その受け身も取らずに地面に叩きつけられる音、仕草。それに、女が確実に気絶していることが察せられた。

そうして、女を殴るためにスタープラチナを前方に出していたがゆえに無防備になった背後において、背中に何かが突きつけられる。

 

(いつのまに!?)

 

承太郎が一種、刹那の時間に背後を赦してしまったそれに視線を向けた。そこには、女の戦闘不能によって消えているだろう、道化師姿のスタンドがいた。

 

「消えてないだと!?」

 

 

(・・・・ああ、よかった。)

 

スタンドとは、基本的に持ち主の意思がなければ動くことも、能力を使うことも出来ない。遠距離の自動操縦型や特殊なスタンドだけで独立した存在ならば別だろうが。

だが、彼女のスタンド、ブラック・サバスは違う。

彼は徹底的に自我が確立されている。それこそ、セックスピストルズよりも確実に。

ブラック・サバスはポルポが気絶していようと行動することが出来た。

 

(ああ、昔、拉致されたときもそれで助かって。)

 

腹から広がるずきずきとした痛み、そうして腹への圧迫によって酸素が取り込めず段々と意識は薄れていく。

 

(・・・これぐらいしか、一矢報いることは出来ないもんな。)

 

ポルポの承太郎へ唯一勝るのは、彼のことをよく知っているという情報面だ。

調べた中で、承太郎という存在の能力は表立って明かされていない。調べれば、スピードワゴン財団に所属している程度のことしか出てこなかった。

空条承太郎という存在の人生を考えれば、ポルポがdioという存在への認識をさえずれば、彼は確実に自分を追ってくるだろう。どんな、下手くそな誘いであっても。そうして、確実に自分を潰すために時を止める、その最強の能力を使うはずだ。

そうして、その瞬間、自分自身を囮にして承太郎の気を引く。

穴だらけの考えだ。けれど、ポルポはかけたのだ。

拳銃を取り落とし、恐怖に震える女へ攻撃を緩めるというジョジョと言う人間への優しさに。DIOという存在への敵対心と警戒心に。

穴だらけの考えだ。けれど、ポルポは賭けたのだ。

穴だらけの作戦だ。けれど、確かにポルポはその賭けに勝った。

 

(・・・後は、ブラック・サバスに頼んである。)

 

拳銃を構えていても、それは脅しだ。

ブラック・サバスは実際の所、拳銃の腕はそこそこある。あそこまで近づけば、確実に承太郎に傷をつけることができるだろう。

分かってはくれないだろうけど。きっと、きっと、彼らはこの弱さを知ってはくれないだろうけど。

きっと、空に輝く星は、落ちる時でさえも潔く、輝かしく落ちていくのだろう。

泥のように、地面に伏せることも無く。

結局、意味なんてない、結果なんてない、価値だってない。

この承太郎との戦いは所詮、ポルポの愚かで考えなしなエゴの果てだ。

後は、ブラック・サバスに連れて逃げ出してもらうことになっている。

 

(・・・・ああ。でも。承太郎さんと、味方に。せめて、あの子たちの味方を。増やして。)

 

それっきり、ポルポの意識はぶつりと切れた。

 

 

 

承太郎は、とっさに、自分に突き付けられた拳銃の先を手で払いのけようとした。少しでも、ダメージを減らそうとしたためだ。

けれど、承太郎の予想に反して、ブラック・サバスは拳銃を放り出した。そうして、承太郎の脇をすり抜けると、何故かスタープラチナに向かっていったのだ。

承太郎はその道化師の背を目で追った。

そうして、その先の光景に目を見開いた。

ブラック・サバスは、スタープラチナに触れた瞬間、まるで溶け込むようにゆっくりと沈んでいく光景を捕らえた。そうして、ブラック・サバスはスタープラチナの中に姿を消す。

それと同時に、承太郎はスタープラチナとの間にある、繋がりと言える何かが薄れたのを感じた。

消えたわけでも、切れたわけでもない、薄れたのだ。

スタープラチナへの制御が出来なくなっていることに気づくと同時に、倒れていた女がゆっくりと起き上がった。ダメージはあったのか、腹を押さえている。

 

「残念ながら、無駄だよ。少しずつではあるが、仕込みは確実に済ませてあるのでね。」

「何しやがった。」

「おやおや、そんな怖い顔をしないでくれないか?」

 

その女は、今までの怯えが混じった、静かな笑みをかなぐり捨てた様に、にやりと笑った。

 

「君だってこの子に対して中々のことをしてくれたじゃないか?」

 

静かで控えめであった声音は、まるで承太郎を嘲笑うような冷たさと、そうして楽しみにあふれていた。猫背のように丸まった姿勢はピンと伸びて、挑発的に腰に手を当て、楽しそうに承太郎を見た。

 

「あいにくと、私はお世辞にも君を好きではないのだけれどね。だが、残念ながら、私は何としてでも君に選んでもらわなければいけない。そうだね、それには、信頼が必要だ。」

 

さあ、空条承太郎君、私と取引をしないかね?

 




次回、この話の後か、プロシュートたちの方で何があったかを書くか。
リゾット&プロシュートvs承太郎を期待してた方、すいません。

あと、できれば感想いただけると嬉しいです。


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影との取引

正しく清く強い人と、悪辣を知る肯定をする影。


空条承太郎について難しすぎる。
ああ、でもまだまだ出番が事実。


「ああ、そんな顔をしないでくれないか?理解できるが寂しくなってしまうじゃないか?」

 

朗らかな声がする。男性的な、けれど女性的ともいえる声はひどく耳に残った。

空条承太郎は、自分の隣にて棒立ちになったスタープラチナに視線を向けた。

彼にとっては、すでに相棒と言っていいほど馴染み深い青い巨人は虚空を見つめる様にぼんやりと宙を見つめていた。

 

「・・・さっきまでのは、演技か何かか?」

「ふ、あははははははは。ここまで演じ分けが出来るなら、きっと私は歴史に残るほどの名優になれていただろうね。」

「二重人格、てやつか。」

「それもまた、微妙に違うね。」

 

そういって女は抱く様に腰に手を巻き付け、反対のそれで口元を覆うようにけらけらと笑った。その仕草はどこか幼い。

違う、明らかに違う。

承太郎は先ほどまでと、今、明らかに相手の中身が違うことを理解した。

 

「私たちは分かたれてしまったわけではない。けれど、一心同体であって、そうして互いに欠けては生きてはいけないのだが。まあ、いいさ。今の所、そうして君と私の取引においてそれは関係のないことなのだから。」

 

承太郎はざわざわと、何かが心の内で騒めいていた。

愉快で、どこか親し気で、けれど何か、人でない何かを前にした時のような強烈な違和感。赤い瞳が、承太郎を見つめていた。

赤い瞳、それは彼にとって忌々しい因縁を連想させた。

 

「俺がそれを素直に聞くと思っているのか?」

「だが、実際君はある程度譲歩する必要があると考えているはずだ。君のスタンドは少なくともこちらの手の中にある。君だって、スタンドが使えないなんて状況が続くのは御免のはずだ。時を止めるなんて力はディオ・ブランドー以外に現れることはないだろう。」

 

己の力がどんなものか、その女が知っている事実に承太郎は眼を見開いた。それに、少女のように無邪気な笑い声が重なった。

 

「どこからばれた?何によって知った?自分たちは、花京院典明の死によってようやく理解したというのに、というところかな?」

 

女は顎に手をやり、妙に優雅な仕草で微笑んだ。

その、仰々しい在り方が余計に承太郎にとって悍ましいあれを連想させた。

空条承太郎の体から、怒気と言えるような圧倒的な威圧感が漏れ出る。それに、女は一瞬だけ怯える様に体を震わせたが、すぐにその瞳には好奇心が宿った。求める様に承太郎に両手を差し出した。

 

「てめえ、何故、それを知っている?」

「ああ、君は本当に興味深い。スタンドも封じられ、理解の出来ない存在を前にしてなお、その不屈なるあり方!まさしく、ヒーロー、人の希望たる星に相応しいよ!」

 

弾んだ声はまさしく、ヒーローショーを前にした子どものように楽しげで尚且つ現実味を欠いていた。

空条承太郎は頭を、それこそ底まで攫う勢いで考えを働かせる。

当時、高校生であった承太郎にも子どもが出来るほどにまで時間が経っている。当時のことを考えれば、目の前の女は恐らく子どもであったが、年もそう目立って違うことも無いはずだ。それに加えて、スピードワゴン財団にも目の前のようなスタッフはいただろうか?

承太郎も全てのスタッフについて把握しているわけではない。だが、スタンド能力に関係している部署のスタッフはある程度把握しているはずだ。

目の前にいるような女はいなかったはずだ。

 

(・・・姿を変えている可能性。)

 

だが、そうだというならば、女のスタンドの力は分からない。それとも、やはり他に仲間がいる可能性は。

 

「安心していい。この場には、少なくとも私しかいない。言ったはずだ、私たちには信頼が必要だと。」

「スタンド能力を奪ったうえでそう言うなら、笑える話だ。」

「それに関してはただの防衛行動だと理解してほしいのだけれどね。スタンドをそのままにしていればあなたは私をそれこそボコボコにするだろう?まあ、あと純粋な嫌がらせという面がないわけでは。」

 

女はそう言ってにっこりと笑った。顔立ちのせいか、人を安心させる笑みであったが、その瞳の奥にある嘲笑じみた何かが不快さを感じさせた。

そこで女は大仰に両手を軽く揚げ、掌を掲げる。そうして、ゆるりと聖女のように微笑んだ。

 

「さて、話が長くなってしまったね。取引に入ろうか? 空条承太郎君。

実は、十数年ほど先になるのだけれどね。世界が滅ぶ話をしようじゃないか?」

 

 

「いかれてんのか、てめえ。」

「酷いな。真実なのだが?」

 

女はしょんぼりと、なんて擬音が似合うように目を閉じて気だるそうに首を振った。

 

「世界なんてもの、滅びるはずがないと思い込んでいるだけで案外容易くなくなってしまうものだ。」

「その言葉を簡単に信じるほどの義理はないはずだ。何よりも、何をもってお前はそれを知ったんだ?」

「ふふふふ、私は何でも知っているわけではないが。この世界に散らばった物語の騒動と冒険の鍵になるものが何処にあるか程度は知っているんだ。何よりも、あり得ないともあなたは思っていないはずだ。世界中の、時を止める力のように限定的な条件下では星を範囲にした能力もまた存在する。応用を加えれば、ありえないわけではないと。」

 

それについては否定はできなかった。

スタンド能力は、それこそ多岐にわたる。単純に炎を扱うものから、それこそ例に上がった時を止めるという能力まで。

ありえないわけではない、それ故に承太郎は目の前のそれを無視できないのだ。

 

「だとして、何故、てめえはそれを俺に話す?俺に何をさせる気だ?」

「そんなにせかすものではないよ。やっぱり、ネタばらしは遅い方が楽しいじゃないか?まあ、それに私にはこの秘密の出所を話す資格はないからね。だが、私の話は聞く価値はあるだろう?少なくとも、聞かなければ何も終わらないよ。」

 

その言葉に承太郎は目を細めた。

女の言葉を聞くべきか?

正直な話をすれば、承太郎としてはその話を聞く価値はあると考えていた。

女の情報の出所に関してはどうしても押さえておきたい。スタンド能力の漏えいなど、戦術面では非常に痛い。

もしも、仮にその世界が滅ぶというのが事実であるとするならば、それは何によって知りえたのか?

誰かの計画を漏れ聞いたのか、ただの嘘であるのか?それとも、未来を知っている可能性もある。

ならば、それに至るための方法を、それを知りえる為のスタンドがあるというならば叶う限り掴んでおきたい。

承太郎は、それを見た。

あの女には、殺意があった。悲しいと、寂しいと、苦しいと、叫びの末にある様な殺意があった。

今、目の前にいるそれに殺意はあるか?

先ほどの、自分に拳銃を構えた女には確かな殺意はあったが、今のそれからそんなものは感じない。お世辞にも友好的ではないが、それと同時に敵対する意思もなかった。

承太郎はもう一度スタープラチナの方を見た。

それは、未だにぼんやりと宙を眺めている。干渉しようと意識を向けたが、スタープラチナは微動だにしなかった。

女は、暗がりの中、緩く笑っていた。

女は、シンプルに現状だけを見るならば、ひどく有利な状況にあった。けれど、女からは何の意思も感じられない。

彼の経験から見ての、敵対心も、好意もない。

それに承太郎はふうとため息を吐き、帽子を被りなおした。

 

「話だけは聞いてやってもいい。」

「そうか、よかったよ。といっても、取引は簡単な話だ。先ほど、この子の言っていた約二年後の騒動が終わった後に、娘さんとしっかりと向き合って仲良くしてほしいんだよ。」

「・・・・関係ねえだろ。」

 

承太郎の返事に女はまた手を上に捧げ、やれやれと首を振った。

 

「関係がないわけではないんだよ。残念ながら、少なくともね。そうだね、数年はしっかりと日本に残って娘さんと時間を過ごしてほしいんだ。私はその間に、世界が滅ぶ原因になる人間を殺そうと思っているんだが。その邪魔をしないでくれれば構わない。」

「分からねえな。最初に言った面倒事には俺を関わらせて、後者には関わるなと言う。目的が見えねんだよ。」

「それについては仕方がない。後者の場合、私たちのターゲットに君が出会うのは、非常にまずい。」

「何故だ?」

「物語が始まってしまう。」

 

どこか面倒そうに女は言った。

承太郎はそれに眉間に皺を寄せた。

女は、どこか舞台役者のように朗々と話し始める。それこそ、大振りな仕草がその印象を大きくしているのだろう。

けれど、さすがに飛び出てきたその言葉は、物語でありすぎた。

 

「意味が分からねえ。」

「私も出来ればあなたを引っ張り込みたかった。考えれば、彼とあなたを会わせるのは悪手が過ぎるんだ。なんといっても、あの騒動に関してはあなたさえいなければ起こらない事ばかりではあるし。」

 

ああ、めんどくさい。

そう呆れたように肩を竦めた後、それは承太郎に微笑んだ。

 

「まあ、私の取引と言うのはそれだけさ。これさえ守ってくれるというなら、私たちはすぐに他のごたごたを片づけた後去ろうじゃないか。ああ、そうだ、私の秘密も少しなら教えて差し上げるが?」

 

どうだい?お得だろう?

 

まるで夜中に見るお手軽なテレビショッピングのような気安い言葉で女は言った。

 

それに承太郎は頭を抱えたくなった。

ああ、何と言っても意味が分からないのだ。

それの目的はどれをとっても不明なのだ。

空条承太郎という存在を騒動に巻き込みたいという理由はわからないわけではない。

けれど、その後に虹村形兆の件であそこまで激高した理由が分からない。

女の怒り、何が分かるという言葉を覚えている。

 

(・・・・悪とは。)

 

己自身のためだけに弱者を利用し踏みつけるもののこと。

 

ならば、その言葉に目の前の女は入っているのか?

あの時、女は怒っていた。

罪人とは裁かれるべきだ。けれど、救われるべきだ。

その二つの言葉はひどく矛盾に満ちている様で、そのくせ願いに満ちていた。

女の行動には矛盾がありすぎる。いや、目の前の存在は怒り狂っていた女とはおそらく違うのだろうが。

それでも、彼らの目的と言うものが圧倒的に見えない。

 

「何を望む?」

 

思わずそんな言葉が漏れ出た。そんなことを言ってしまったのは、承太郎自身が無意識に、目の前のそれらが味方ではないが、敵でもないという確信を持ってしまったためだった。

彼にしては珍しいことに。

 

それに女は少しだけ驚いた顔をした。それは、先ほどの女とどこか似ているように思った。

女は少しだけ苦みの走る笑みを浮かべた。

 

「ハッピーエンドを!」

 

まるで誰かへの愛を叫ぶように、それは高らかだった。まるで、大団円を前にした観客のように、そう叫ばねばどうしようもないというように。

 

「悪党も、正義の味方も、そうして悪徳を否定した者も、正しさに殉じられなかったものも、運命に縛られたものも、全員が叶うなら、未来に進み続けられる優しい世界を。」

 

この子が望む、ハッピーエンドを私は望んでいる。

 

赤い目と、緑の瞳が重なった。

それは、承太郎を見る上で弾んで、笑って、楽しそうに笑う。けれど、それと同時に承太郎は、その女に瞳の奥に、いや。

その、何かさえ分からないそれの瞳の奥に、奇妙な悲しみが浮かんだのを見た。

女は、初めて、最初に会った時と同じような穏やかで優し気な、けれどひどく悲しそうな微笑みを浮かべた。

それは、永遠の少女のように純粋無垢だった。悪意など、苦しみなど、遠い映画の中でしか見たことがないように。

 

「・・・・悪党は、いつか裁かれるべきだとこの子は言うのだよ。」

「当然だ。」

「あっはははははは。いいね、素直な人は好きさ。でも、その裁きを聖人君子の、泥にまみれたことも無い奴がするのは頭にくるという話さ。」

 

人を殺さなければ、殺される誰かを、私は知っている。

 

そう言って、目を細める様はまるで毒婦のように妖しく、そのくせ清らかだった。道化師のようにけたたましい声の中には、投げやりな無関心さも混ざっている。

 

空条承太郎、君には愛おしいものがいるかい?

 

突然の言葉に承太郎は胡乱な目で女を見つめ返した。それに女は気にすることなく、歌うように続けた。

 

そうだ、例えばの話。

可愛い娘をむごたらしく犯されて殺されたとしたら?母親をずたずたに引き裂かれたら?愛しい妻の尊厳をぐちゃぐちゃに踏みにじられたら?父親の誇りをゴミのように捨てられたら?祖父の祈りを穢されたら?

君は、その相手へ復讐しないと言えるかい?この世界には悪を裁く上でのルールがある。もしも、その時、そのルールでは裁けぬものがあるのなら?

正しさだけで裁けぬものに、救われないものだっている。

君は己が世界が容易くひっくり返され、崩壊を迎える瞬間を知らないんだ。

 

女は歌うようにそう言った。そうして、困り果てた様な顔で首を傾げた。

 

「きっと、最初から何もなく、ただ踏みにじられるだけの在り方を君は知らないだろうね。相容れないのさ。何故って、生きる世界が違うから。君は、私の言いたいことが意味の分からないものに聞こえるし、私も上手くこの言葉を君に伝えられた気がしないのさ。ディオ・ブランドーの不幸と理不尽にジョナサン・ジョースターが気づかなかったように。ジョナサン・ジョースターの優しさと祈りをディオ・ブランドーが理解しなかったように。」

 

救われないがね。

正しさを持つものは、悪徳は悪徳と切り捨ててしまう。間違ってはいないのだよ。何故って、悪を赦すって事は罪なき誰かを踏みつけてきたことを無視するのと同じだから。

けれど、悪に跪いたそれだって、望んでそれをなしたものはそうそういないさ。己が正しさのために人を殺した彼、裏で生きることしか知らないあの子、守りたくて泥に沈むことを選んだ誰か。

人は、幸福になるために生きている。そのくせ、神様っていうのは不公平で最初から足掻くためのチップを勝手に振り分けてしまうんだ。

 

「例えそうだとしても、赦されないことはあるはずだ。」

「知っているよ。だからこそ、お呼びじゃないのだよ。泥にまみれた味も知らず、もっと違う選択肢があるなんてもしもを語られたって、虫唾が走る。それでも、死にたくなかったと、守りたかったと、泥にまみれた誰かを知っているならなおさらに。」

 

恵まれなかったこと、無知であったこと、愛されなかったこと、それらはきっと理由にしていいことではない。何故って、それによって行われた悪によって犠牲になった誰かには関係のないことだ。

それでも、それらを無視された瞬間、それはあまりにも理不尽ではないかと叫びたくなる。

何も与えてはくれなかったのに。何も、教えてはくれなかったのに。

 

「だから、あの子は怒ったのさ。虹村形兆を思って、怒ったのさ。救われてほしかったから。」

「あの男が、悪党であってもか?」

「悪党であってもさ。確かに彼は人を殺した。けれど、それでも、彼はまだ子どもだった。助けてくれる大人はおらず、父は彼と彼の弟に暴力を振るった。それを、よくある地獄と言えばそうなのだけれどね。だからこそ、欠片でもいいから。救われてほしいとこの子は願うんだよ。助けるべき幼子を助けもせず、全てが終わった後に裁きだけを授ける世界への報復と、そうして悪党でも救われていいという夢を見たいためにだ。」

 

悪党だって救われていいだろう?どうせ、地獄に落ちるなら。

 

その言葉。ああ、やはりだ。

虹村形兆のあの眼、それは、確かにンドゥールの盲いた目に浮かんだ、その声音の中にあった奇妙な安堵感。

それに危険だと判断した。

悪党を引き付けるカリスマ、それを排除しなくてはいけないと。

そう思うのに。

空条承太郎はどうしても、その女と敵対することを避けたいと思っていた。

排除しなくてはいけない、敵でないという態度を持っていても、その女から聞き出さなくてはいけないことがある。

けれど、そう思えば、そう思うほどにカフェで対峙した無害で、穏やかな、陽だまりの匂いのする女のことを思い出す。

くんと、鼻を擽ったのは、路地裏のすえたようなそれの中に混じる、妙に腹の空く懐かしい匂いだ。

それが、それが、空条承太郎にとって懐かしい幼いころのことを思い出させる。

女の穏やかさが妻やあの旅で亡くした友人たちを思い出させる。女の無邪気さは娘と母のことを思い出させる。

女について考えれば考えるほどに、芋づる式に、その女の中に、誰かの面影を見続ける。

スタンドの攻撃か?

けれど、本当に必要になった時、空条承太郎は戸惑いなく女を吹っ飛ばせるだろう。けれど、それと同時に自分にとってそれはどれほどまでに苦々しい記憶になるかも分かっていた。

これはなんだ?

その、女に感じる懐かしさ、穏やかな、陽だまりのようなそれ。

その体の中にどうやら二つの精神があると知れば、なおさらに女を傷つけることを忌避してしまう自分がいる。

女の叫びを思い出す。

救ってくれなんてしないのに。

そうして、その憎しみと怒りと、その奥に混ざった罪悪感を思い出す。

 

「てめえとDIOは無関係なのか?」

「知っているだけだが。そうですね、もしも二年後の騒動に力を貸してくれるなら、DIOの日記について知る、彼の友人について情報を差し上げるが?」

「知っているのか?」

「今の所は表立って動いてはいないが。それも、教えて構わない。」

 

女が自分に与える影響、DIOとの関係性。

 

(・・・・捕縛が一番か。)

 

空条承太郎は決める。やはり、その女を捕らえて口を割らせることを。何よりも、自分の中に生まれた、誰かたちへの懐かしさを引きずり出されたことに彼はひどく苛立っていた。

そんな時だ、その思考を遮るように女の声がした。

 

「まあ、気になんてしなくていい。結局の話、悪党と正義の味方は相容れないのだから。」

 

女はすっと、承太郎に手を差し出した。

 

「さてさて、ヒーロー。返答を貰いたいのだがね?時々ぐらい、ヒーローなんて放り出して、暢気に世界が救われるのを待つのだっていいものだろう?」

 

その手を、承太郎はじっと見つめる。

そうして、口を開いた。

 

「てめえと、さっき俺を殺そうとした女の目的は違うんだな?」

「ああ。彼女は私のことを認知できてはいない。知覚はできているが。本音を言うなら、今回、私は干渉する気はなかったのだよ。ただ、そうだね。今回のことで思うことが出来た。だからこそ、これは私の覚悟なのだよ。未来まで進む気がないこの子を、引きずってでも生かすというね。」

「てめえが、その世界が滅ぶことに関して真剣なのは理解できた。だが、やっぱり、俺たちの間には信頼が足りねえな?」

 

皮肉を込めた、混ぜっ返しのようなそれに女はにやりと笑った。

それが、承太郎にとって非常に、不信感を募らせる。

目の前の存在は、何を言ってもケラケラと笑う。

それは、自分が絶対的に有利であるという傲慢さでも、どうなろうと構わないという投げやりな無関心さでも、かといって承太郎に危険がないという信頼でもない。

まるで、これからのことを何もかも知っている様な。そんな余裕があるのだ。

承太郎は、その余裕の理由を知りたかった。その余裕には、何か理由があるのだという確信をもって。

 

「あはははは、確かにそうだ。私はあくまで君に選んでもらう側。そうだな、ならば。もう一つだけ、秘密を開示しようじゃないか?」

「秘密だと?なにを・・・・・」

 

その時だ。

頭の上に、解放感と言えるものを覚えた。すずしさを感じる頭に、承太郎は手をやった。

 

「ここだよ、ここ。」

 

けたけたと愉快そうな声に目を向ければ、数メートル先に承太郎の帽子を被った女がいた。まるで悪戯が成功した子どものように誇らしげに、女はやはり笑っていた。

 

(いつのまに!?)

 

承太郎はどう見ても自分の帽子であるらしいそれを凝視した。

いつのまに奪われた?

ぶわりと滅多にないほどに冷や汗が全身に纏わりつく。

初めてだ、初めて、冷静に回っていた頭の中で承太郎の中に衝撃と言えるものが走る。

気配など感じなかった。

それこそ、目の前の女が動けば自分とて気づいたはずだ。ならば、スタンドを使ったのか?

いや、そうだとしても、帽子が頭から離れる瞬間に気づいたはずだ。

それらの考えを終結させて、承太郎は必然的に一つの可能性に行きついた。

そうして、それを攫うように女は言葉を発した。

 

「いや、時を止めるって疲れるものだね。これは連発できないな。」

 

フフフと笑った後に、女は大きいせいでずれていた帽子を脱いで承太郎に投げ返した。承太郎はそれを受け取らなかった。

女は肩を竦めた。

 

「別になんにも仕掛けなんてしていないのに。」

「てめえ・・・・」

「まあ、でも証明は出来ただろう?殺すなら、今の時に君を殺せていた。私は君を殺す気はない。この子に散々な事をしたことさえ抜けば、私にとって君はとても興味深い存在ではあるからね。何よりも、どうしようもなかった誰かが救われてほしいと思うのと同じように、この子は頑張った人が報われてほしいと願っている。」

 

 

女はそう言ってため息を吐いた後に、腕を組んで諦めた様に肩を竦めた。

 

「まあ、そこまで君が取引を嫌がるっていうならここで私はお暇させてもらうよ。別に今、決めてほしいわけじゃない。そうだな、期限は。決めない方がいいか。正直言って、ここまでの騒動を起こして引き上げないようじゃあ煩いのもいるだろうね。よし、分かった。」

 

女はおそらくメールアドレスであろう言葉の羅列を言った。

 

「決まったらこれに連絡してくれればいい。もちろん、駄目なら駄目でいい。その代わり情報も教えないし、石仮面だって渡せないけれどね。さて、私はそろそろお暇するよ。そろそろ、帰らないと本当に彼らと君とで戦闘が起こるのは避けたいからね。」

「待て。」

 

足を後方に進めた女に承太郎は引き留めた。

それに女はうんと、首を傾げた。

引き留めてしまったのは時間稼ぎのためだった。それをどうするか、能力も、何の情報も引き出せていないというのにこのまま逃げられるわけにはいかない。

ある程度時間を稼げればいい。何かが起こった際に自分を追うようにスピードワゴン財団へ指示は出している。

時間さえ、稼げれば。

 

「てめえは、どうしてそこまでポリプスに従う?てめえは、お世辞にも善人とはいえねえ。俺の勘がそう言っている。何故だ?それとも、自分と同じ体に住むそれへの情か?」

 

ただの時間稼ぎだ。分かっている。けれど、それは承太郎にとって純粋な疑問であった。

確信があった。

目の前で、ポリプスというそれの皮を被ったそれは、確かに悪党であるはずだ。長年の経験からわかる、それは確かに弱者を踏み付けることに躊躇がないものだ。

けれど、あの女を思い出す。

事実だけを見るならば、あの女は敵であるのかもしれない。

けれど、どうしたって、悪党だとは思えなかった。

女の、叫ぶようなそれを覚えている。何が分かるという言葉を覚えている。

承太郎はその女の事情など知らず、八つ当たり甚だしい。

けれど、吐き気を催すような悪党であるとは思えなかった。

承太郎の中では、未だに女に感じる懐かしさを引きずっている。

ああ、そうだ。認めてしまった方が早いのだ。

承太郎は、その女をぶちのめすことにためらいは持たずとも、傷つけてしまったことに罪悪感を持ち続けてしまう確信があった。

あの女はなんなのだ?この感情こそがスタンド能力なのか?

目の前のそれに、それを聞いてみたかった。

女は少しの間、口を開けては閉めてと繰り返した後、ああと頷いた。

 

「・・・信頼が大事と言ったのは私だ。そうだね、なら、本音を話そう。単純な話だよ。この子が幸せになれないほど、世界ってものが腐っていると思いたくないだけさ。」

 

女は、胸の奥にいる誰かへ語り掛ける様に手を置いた。

 

「割り切ってしまえばよかった。自分だけ幸福になればよかった。誰のことも愛さずに、自己愛に浸って利用しつくしてしまえばよかった。虹村形兆を見捨てて、放置してしまえばよかった。けれど、彼女はそうしなかった。何故だと思う?ただの、罪悪感と当たり前の善意によって、彼女はその誘惑を振り払い続けた。己が罪人であることを自覚し続け、罰のある日を望み続けた。」

ああ、そうだ。それこそ自己満足にしかすぎないというならそうだろう。けれど、それによって救われたものだっているのだ。

 

「私は唯、この子を救って世界に夢が見たい。ああ、いいだろう?悪辣に屈せど、善性を捨てきれなかった誰かが、いつか、世界を救うのなんて。ふふふ、信念を持てる救いを見いだせた者だけの物語を、人間賛歌といった誰かへの最高の皮肉だ。」

 

女はそう言った後、少しだけ考えるような仕草をした。そうして、そっと地面に手を寄せた。そうすると、手がずぶりと壁のうちに沈んでいく。そうして、女は奇妙なデザインの仮面を引っ張り出した。

それが石仮面であることを察して、承太郎は眼を見開いた。

女はひどく無造作にそれを帽子のように投げた。

承太郎はそれに関して素直に受け取った。

それが本物かは分からない。けれど、デザイン等は確かに酷似していた。

 

「何故、今更になってこれを渡す?」

「・・・君はこの子の悪性と善性に疑問を持った。だからこそ、取引をしよう。代価はその仮面だ。この子と少しだけ話をしてみてくれ。」

「俺が、そいつから何かしら聞き出そうとするとしてもか?」

「言っただろう?信頼が私たちには必要だと。何よりも、この子は君の知りたいことに関してはさっぱり知らないさ。何があっても無駄だし。もしも、君がこの子に酷いことをするというならば、逃げ出せないわけではないからね。」

 

空条承太郎、私はヒーローたる君を信頼して、仮面を渡した。そうして、叶うなら、この子のことをあまり虐めてやらないでくれ。巻き込まれたのは、この子だって同じだ。

君の母のように。ただ、巻き込まれただけだ。

 

女がそう言うと同時に、彼女の横にあの道化師のような存在が現れる。それと同時に、薄まっていたスタープラチナとの繋がりが戻って来た。

そうして、女は脱力したようにその場に座り込む。

 

「・・・・空条承太郎、私のことは、彼女に言わないでください。ええ、ええ、あなたが彼女を傷つけることを良しとしないと、壊れてしまうことを良しとしないというならば。どうか、私のことはご内密に。ああ、私は、あなたを信頼しよう。」

「おい、待て!俺は、取引を受けるとは・・・・・」

「そうして、もう一つだけ君がこちらの情報を信じられるように、いいことを教えましょう。この町の悪意は、電気のスタンド使いが最後ではない。もう一人、この街には悪意あるものが潜んでいます。」

 

それっきり女は黙り込んでしまった。道化師のスタンドもまた消えてしまう。

聞こえてくるのは呼吸音だけで、辺りには沈黙が広がるだけだ。

承太郎は最後の最期に言いたいことだけを言って引っ込んでしまったらしい人格に困惑する。

目の前には、気絶しているらしく、何故か穏やかな顔で眠る女が一人。

承太郎は自分の持つ仮面に目を向けた。

試しにと指を切り、血を垂らせば凶悪な棘が飛び出してきた。

それに、承太郎は恐らくその仮面が本物であると確信する。

そうして、壁に凭れ掛かったまま、眠る女を見た。

すうすうと、安らかに眠る女。

承太郎はそれを見ながら、屈みこんで女のことを見つめた。

優しい、穏やかな、寝顔はそれこそここが廃れた路地裏であることを忘れてしまう。

 

信頼をしよう。

 

そんな言葉を残して消えたそれを思い出す。

その女を自分はどうすべきか。

それこそ、この女が何を知っているのか。吐かせる必要があるはずだ。

けれど、承太郎はそんなことをする気力は出てこなかった。

時を止めた能力、あれはあのスタンド自体の能力なのか、スタープラチナの能力を介してのことなのか。

情報が少なすぎる。

 

「・・・・話か。」

 

それの提案に乗ることは癪であった。

けれど、乗らなければ、やっかいな反撃をしてきそうではある。

けれど、その要求に従わなければ何も進みそうにないことを察してため息を吐いた。

そうして、心の奥底でその女を傷つけずに済むことに安堵している自分がいた。

 

「やれやれだぜ。」

 

疲れきったような口調でそう呟いた。

 




難しい、まじで難しい。
でも、もう、あそこまで書いたなら書ききってやろうかと決意して。

ちなみに、お気づきでしょうか。ここのブラック・サバスは原作通りのブラック・サバスではないです。


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どうしようもなかった誰かへ

確かに選ぶことの叶った正しき人と、選んだけれどそうではなかった人について

Zの話を書いていなかったので。


望んだものは何だったかと、ぼんやりと考えることがあった。

死んだことは確かだ、死んで、終わってしまって、それでも自分は異国で、名さえも思い出せないほどに朧げな自我の中、それでも何故か自分がここではないどこかで生きた別人であるという事実だけは抱えていた。

だからこそ、馴染めなかった、愛せなかった。

この肉体の本当の持ち主ではないのだとしたら、本当の父や母にとって自分とは何者だろうか。

どうして、私はここにいるのだろうか。

そんなことばかりを考えた。

半端に老いた精神はより一層、自分を孤独にした。周りを余計に遠ざけた。それを悲しいだとか、寂しいだとかは思わなかった。

自分自身、己が歪さを理解していた。

早く、一人で生きていたかった。ひっそりと、一人でもいいから、自分と言う存在を赦しながら生きたかった。

 

その願いは、悉く否定されることになったけれど。

 

ポルポと、彼の人は名を呼ぶ。

実際の所、名を呼ばれたことなんて一度も無いけれど、それでも、知っている声が名を呼ぶ。その声に命じられるままに、人を殺した。

人を殺した。人を、殺した。

男を殺した、女を殺した、老人を殺した、若人を殺した。子どもを、殺した。

抗うなんて考えたことも無かった、悪を討つなんて出来るはずもなかった。

死ぬのは怖かった。

人を殺したと言っても、別段、ナイフを使っただとか、銃で撃ち殺したわけではない。

全て、ブラック・サバスがしてくれた。

息絶えた誰かを前にして、茫然と、それを見つめていた。

肉に刃を突き立てる感覚など知らない、噴き出す血の温かさを知らない、首に回した手の感触を知らない、骨が砕ける固さを知らない、誰かを突き飛ばす軽さなど知らない、撃ち放たれた弾丸のトリガーの軽さなど知らない、頭に打ち付けた石の重さなど知らない。

命が途絶える感触なんてしらない。全てを、ブラック・サバスが行った。

その感触を知らない、その、温かさも、冷たさも知らない。

けれど、その罪は全てポルポのものだった。

ふっと体からなくなってしまう、21gの重さだけは、知っていた。

 

誰もが生きていれば見当だってつかない人生を歩んでいる。

行った選択が、どんな結末を招くかなんて知っている者がどれだけいるのか。

それでも、選ばなくてはいけない。停滞など、赦されない。

それでも、まだましだと信じられるような道を選びたかったのだと思う。

 

死にたくないと願った。

誰だってそうだろう。

見知らぬ誰かを守るために、人を殺したくないという善性と尊厳のために、全てを諦められる人間がどれほどいるだろう。

強者に逆らったしっぺ返しを受ける覚悟を誰が持てるだろう。

だから、人を殺した。

他人の死体を踏みつけて、その上でせめてと星に祈った。

何を祈ったかもわからずに、どうして祈ったのかもわからずに。

罪の果てに掴み取ったのは、光り輝く黄金と暗闇だった。

それはポルポを救ってはくれなかったし、それは一時の夢に浸らせてくれることも無い。

酒を飲んでも心は晴れず、美食を食べてもむなしく、美しいものと触れ合う気も起きず。

夢に逃げることもできず。

だから、溜りにたまった富を他人に分けていった。

 

孤児院を作った、病気の誰かに医者をあてがった、堕ちていく誰かを押し上げて、逃げ出す誰かの背を押した、汚れた足を洗い、望むものを手に乗せた。

報われてほしいと思った。

可能性を見たかった。

闇の中に落ちて、人を傷つけて、どうしようもない落とし穴にはまりこんで。

それでも、欠片でも、報われて、救われることだってあるのだと。

そう、信じたかった。

祈りたかったのだ。

ポルポは罪人だ。

積み上がった死体の山、聞こえて来る怨嗟の声、殺意に振り下ろされる手。

それはポルポの選んだ結末だ。

選択の末に、必ずそれに見合った報いがやって来る。

それだけで。

生きていれば選択は必ず訪れる。選択の末に、抗えない現実だけが待っている。

こんなはずではなかったのにと、幾度思っただろうか。

どうすればよかったのだろうかと、幾度のたうち回っただろうか。

こんな結末を、望んでいたことなんてなかったのに。

変わりたいと思った、逃げたいと思った。

けれど、そんな隙も無く、訪れる現実に流されぬように、耐えていくうちに、変わりたいと願っていたのに、次々と起こる現実になすすべもなく、時間だけは流れて。

気づけば、もう。どうしようもなくなっていた。

 

だから、だから、自分は死ななくてはいけないから。罰を受けなくてはいけないから。

それでも、なお、ちっぽけな偽善と尊厳と、救済のために助けを請う手を取り続けた。

私は悪党だ、私は殺人者だ、私は罪人だ、私は咎人だ。

分かっている。分かっている、それでも、どうしようもなかった何時かだってあるのだ。

幸せになりたかった、優しい人でありたかった、誰のことも傷つけたくなかった、愛されたかった、愛したかった、光の先に歩いて行きたかった。願った事はその程度だった。

それでも、どうしようもなく、その願いは叶うことはなくて。誰かを傷つけて、騙されて、利用されて、ただの純朴で真っ当な願いがどうしようもなく、醜く、利己的に落ちていくことを知っている。

いつかは、裁かれなければいけない。

たとえ、どんな理由や背景があったとしても、その行動への責任は取らなくてはいけない。

生きたいと、そう思って、人としての理から逃げ出して、獣同然に人を殺しつくしたそのくせに、ポルポは結局の話、積み上げられた罪に耐えられなくなった。

死にたいと思った。

ああ、だって、自分の積み上げた死への贖いなんてそれぐらいしか出来ないだろう。

生きることに疲れ果てた、罪を積み上げることに疲れ果てた、憎しみを背負い続けることに疲れ果てた。

 

(・・・ああ、早く。)

 

一日、一日を踏みしめるたびに、いつかやって来る自分の運命を待ちわびた。

太陽のような紳士と、夜のような吸血鬼の在り方を受け継いだ、黄昏の様に明るくて、月の様に夜闇を照らす、そんな運命を待っていた。

そんないつかを待っていた。

いつか、殺される日が来たのなら。いつか、裁かれる日が来たのなら。

そんないつかまでは、せめて、せめて、正しいものを目指していたかった。けして叶うことはないとしても、それでも、泥に落ちて沈んでも星に手を伸ばしていたかったのだ。

少しでも、星のように生きたいと願っていたのだ。

 

 

「お前は所詮は人殺しだ。」

 

言われた言葉は、真実だった。どうしようもなく、自分の醜さを自覚した。

 

ボスであるディアボロからとある町を仕切る同類から縄張りを奪えという命令があった。

珍しいことだった。

ポルポは、これでもディアボロの虎の子だ。

ディアボロの何よりも強みと言えるスタンドと言うジョーカーを生み出せる彼女は普段は滅多にそういった荒事に出ない。

ただ、その折は出来るだけ街を無傷で手に入れたかったらしく、穏健派のポルポが選ばれたのだ。

特別、断る理由も無い、何よりもボスの命令を跳ね除けることなどできるはずも無く是と頷いた。

 

まず、調べたのは相手のことだ。

構成員、そうして、幹部についてだ。

未だにスタンド使いがいないらしい。

 

(・・・私たちがいなくとも、いつか滅びていたでしょうね。)

 

所詮は、スタンド使いは日の当たる場所で生きていくことは難しい。

絶対的な少数派であり、そうして、少なくとも只人よりは強者としての力をもった人間は、結局のところ驕る者が多い。

自分こそが強者だと、どんなことをしても恐ろしくはないのだと、ばれはしないのだとそう思った瞬間、大抵の人間は小悪党に成り下がる。

特異になった瞬間、自分が物語の主人公になったような絶対感に酔いしれる。

そこから先に、転がり落ちていくのは容易い。

 

(スピードワゴン財団みたいにまともな所に所属できる方が稀ですよねえ。)

 

法的に罪を証明できないと言うだけで涎を垂らしてほしがる者は多数なのだから。

そのため、スタンド能力を使って裏の世界に所属するものは多数いた。

表だって、組織によってスタンドというものが認知されるようになって、だいぶ経った。

珍しいなとぼんやりと、そのまま調査を続けていくうちに。

ポルポは、Zという通り名の男、ツェペリの生き残りに出会ったのだ。

 

可能性がなかったわけではない。

イタリアと言う国であるならば、彼の血族に出会う可能性はあった。けれど、こんな所で出会うなんて思ってなどいなかった。

 

(・・・いや、当然か。)

 

ツェペリの血族であるというなら、悪と言う肩書を背負っても正しさのうちに、祖国のために足掻く可能性はあった。

ああ、ならば、この出会いは必然だというのだろうか?

それでも、最初は幸運だと思った。

彼の血族ならば、きっと、話し合えば分かってくれると思った。

もしも。

取り込みが上手くいけば、街をどう動かすかについてはポルポの手腕に任されていたためだ。

ポルポ自身、さほどの自覚はなくとも、感情に置いての絡め手では誰よりも上手かったせいだ。

 

が、話し合いは驚くほど難航した。いや、当たり前だ、代々大事に守って来た縄張りを新参者に渡せるはずもない。

ポルポは何とかギリギリの条件で交渉を進めたが、よい返事など帰ってこず、ディアボロに言い渡された期限は差し迫っていく。

実力行使も考えなくてはいけないと思ったその時だ、Zからの提案が出されたのだ。

二人きりで話し合いが行いたいというそれにポルポは戸惑いも無く飛びついた。

ブラック・サバスの存在もあるが、相手はツェペリであるのならばと信用があったせいもある。

ポルポは信用していた、悪党として在りながら、それでも正義をなしているのだと信じるに足るそれのことを。

 

 

リゾットやカラマーロが止めるのも聞かずに、ポルポはそれに飛びつき、護衛付という条件で話し合いの場である教会に向かった。

 

静謐な教会で、十字架を前に見目麗しい男が立っている。

ポルポの様にスーツを纏い、そうしてしゃれた中折れ帽をかぶっている。そうして、帽子から零れ落ちる髪は、それらと同じように真っ黒であった。

 

「君が、ポルポか?」

「・・・・はい。そうです。」

 

その声は、低く、落ち着いた声音だった。

ポルポはゆっくりとした足取りで男に近づいた。

丁度、男の斜め後ろ、十字架の真ん前にてポルポは立ち止まる。男は、無言で十字架を眺めていた。

 

「・・・・交渉の場を用意してくださった事、感謝しております。」

「・・・・いや、君とは話さなくてはいけないと思っていた。」

 

やはり、その声は静かで、温度のないものだった。

ポルポはそれに男の言葉を待った。

 

「君たちからの取引の条件、見させてもらったよ。正直言えば、なかなかによい条件だ。」

「はい、出来る限りの譲歩をさせていただいております。」

 

後ろを向いたままで、男の表情は見えなかった。条件についてはすでに提示してある。ボスが頷くかどうかもギリギリな、それこそ破格の条件だ。

元より、彼らに語る言葉はない。

普段ならば、もう少しビジネストークとも言える交渉をするのだが。相手はツェペリの子だ。

ならば、余計な言葉は必要ないのだと思った。

 

(・・・金髪じゃないんですね。)

 

ポルポは、敵側の中にいるというのに珍しくそんなことを考えた。

黄金色の髪は好きだ。太陽の様に、星の様に、お月様の様に、キラキラと輝く金の髪は、ポルポにとって美しいものの一つだった。

彼女は、ぼんやりとシーザー・ツェペリのことを考えていた。

そうはいっても、彼女自身シーザーという存在に対して何かしらの知識はあるわけではない。二部、ジョセフ・ジョースターの物語に関しては、あまり熱心に読んでいたわけではない。

彼女の興味を引いたのは、ジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーの物語であって彼らが出なかった二部に関しては一度原作を読んだ程度だ。

細かな事は覚えていない。ただ、なんというか典型的なイタリアーノで。

 

(自分にとって祈りを持って、最善を選んで死んでいった英雄。)

 

自分の様に悪い子で、それでも正しい方向に進み、英雄として死んだ男。

 

(私には、出来ない。)

 

確か、彼の弟妹達に関してはどうなったのか語られていないため、詳しいことはわからないが。

 

(いえ、それ以上にツェペリである彼が、ジョルノにとってのギャングスターだったことか。)

 

男がこの頃ただの一般市民の子どもに対して気にかけていることを知り、その名を見た瞬間息を飲んだ。

未だに黒髪のままの子どもと、その名前に息を飲んだ。

それでもすぐにポルポは納得した。

ジョジョが暗闇の中にいるのならば、それを導くような灯りになるのも又ツェペリの宿命なのかと。

それに、何を思っただろうか。

 

(・・・・どんな悲しいことがあっても、それでも、導いてくれる星が用意されているなんて。私は。)

 

「ポルポ。」

「はい、何でしょうか?」

 

ぼんやりとした思考の中に、男の声が入り込んでくる。やはり、凪いだその声は、何を思っているのわからないため少しだけ不安感をあおられる。

 

「今回の条件は、正直言って破格だ。君たちに比べればうちはあまりに弱い。今、台頭しているらしいジョーカーを私たちは持っていない。そんな君たちが、うちへこれだけ譲歩する理由は何だ?」

「・・・・それに就きましては簡単です。私たちは、出来るだけこの街を完璧な状態で。組織図、取引先、その他もろもろを綺麗に譲り受けたいのです。やはり、新参のものが相手ではと、取引をいやがる相手先もおられるので。場とは肉体です、資金と物資は血、人は思想。取引、そうして商売において重要なのは信頼です。この三つのどれかを欠いては信頼は成り立たないので。」

 

それはポルポの持つ信条であり、なおかつ、相手を納得させるためのフレーバーのようなものだった。

ポルポは別段、利益に関しては考えていない。

人が集まるのは、利益のためだ。相手側に、ある程度の利益さえ提示すれば、それこそなあなあで終わる。後に重要なのは監視だ。出し抜きや裏切りを行う存在への処罰さえ間違えなければ、そのまま進んでいくものだ。

時間さえかけて行けば、相手を酔わせる酒はいつか体に回り、相手の全てに手を回せる。自分たちだけで立てなくなればこちらのものだ。

ボスにとって相手への支配権の証明と利益さえ満たせば何も言うことはない。

 

(・・・・私は何もいらない、私の分をあっちに上乗せすればいい。そうしたら、相手も満足だ。抗争も起きない。)

 

ギャングたちだけの抗争ならばいいだろう。けれど、いつだってそれに巻き込まれるのは無辜成る誰かだ。

一番に死人が出ない。それは、ポルポにとっての何よりの望みだった。

ポルポはにこやかにそう返事をした。

その言葉に、初めてZは口を開いた。

 

「君の本当の目的は何だ?」

 

ポルポはそれに変わらない笑みで答えた。

 

「組織の利益です。」

 

完璧な笑みだ。にこやかで、誰もが警戒心を解いてしまいそうな、そんな笑みだ。気弱そうな女の笑みは誰もが侮り、警戒心を解くだろう。

 

「それをする理由が見えないんだ。もちろん、私の組織の持った伝手を欲しがる気持ちも分かる。だが、それでも断言できる。古参たちを排除したほうが絶対的に利益が出るはずだ。」

 

振り返った先、Zの瞳がポルポに向けられた。その瞳はああ、澄んだ緑の瞳だった。

ああ、本当に美しいまでの、緑の瞳だった。

 

「君の目的は何だ?」

 

静かな声にポルポは固まる。その問いかけに、思わず息を呑んだ。

 

「それはどういった意味でしょうか?」

 

慌てて取り繕うようにそう言えば、Zは顎に手をやった。

 

「人が人に対して何かをするのには理由が存在する。善行でも悪行だろうと、それには大なり小なりの理由がな。だが、君の行動には理由が見えない。」

この街には確かにある程度の価値はあるだろう、けれど、それはある程度といえるだけだ。目を見張る様な利益を生み出すわけではない。

 

「今回の申し出は破格だ。それこそ、そちらの利益もぎりぎりの、勝てるかもわからないこちら側にとっては破格が過ぎる。あまりにも、理由が見えない。」

 

それはけして、ポルポを責めるというわけでも、なじるというわけではない。ただ、明らかに、こちらに一歩踏み出すような声だった。

ポルポはどう答えた物かと、口をつぐむ。

理由など簡単だ。誰にも死んで欲しくないためだ。少しでも、死を回避するためだ。

けれど、それを言って信用など買えるのか?

喉の奥に張り付いて、いつものビジネストークなどどこかに行ってしまう。

ポルポはその緑の眼に魅入られた様に固まってしまう。

 

「・・・・私が今回、君との交渉の場を持とうと思ったのは偏になした行動に依るためだ。ポルポ、君ははっきり言ってギャングらしくない人のようだね。私財を削りわざわざ孤児院を建て、他の福祉施設などにも寄付を行っている。君が縄張りにしている町は医療費なども安いようだね。何よりも、治安が圧倒的にいい。ギャングたちの統率も良好だ。何故か、彼らには十分な金がいきわたり、尚且つ君へ恩が在るものが多い。なるほど、重宝されるのもうなずける結果だ。」

 

君の望みは何だ?

 

その言葉に、ポルポはまるで操られるように言葉を発した。

 

「・・・だれにも、しんでほしくないんです。」

 

ポルポはその緑の瞳を直視できず、顔を伏せて右手で左手首をぎりぎりと握りしめて囁いた。

 

「ボスは、ボスは恐ろしい人です。逆らえば皆、殺される。あなた方の利益はお約束します。だから、どうか、この交渉を受けてくださいませんか?」

 

震える声で、ポルポは祈るように言った。

少しだけの、ポルポにとっては永遠のような長い沈黙が下った後、静かな声がした。

 

「・・・・分かった。」

 

それにポルポは嬉しさで顔を上げた。見上げた先、帽子の端からでも分かる端正な顔立ちの男が、緑の瞳がポルポを見ていた。

 

「交渉は決裂だ。」

 

ポルポは自分の体からすっと血の気が引いて行く気がした。

彼女が何かを言う前に、男はすっと懐から何かを出した。それは、ビニール袋に包まれた白い粉だった。

ギャングとして、裏の世界を生きていた彼女は、それが何であるかすぐに察せられた。

 

「・・・・ある場所で流通がし始めたものだ。そうして、このあたりにも入ってくるようになった。流出先はパッショーネ。」

(・・・・どうして?だって、私はまだ彼をスタンド使いになんて。)

 

そこまで考えてポルポはひどい勘違いをしていたことを理解した。

もちろん、ポルポは彼の青年をスタンド使いにはしていない。けれど、パッショーネの流していた麻薬が、全て彼のものであったのか、ポルポは知らない。そうだ、確かに彼のスタンドが発現するまで普通の麻薬を流していた可能性はあったのだ。

どうして、分からなかったのだろう。金を圧倒的に稼げる麻薬に、ボスが手を出すまでは十分な時間が経っていると。

 

「君の辺りを調べるに、孤児院で人身売買をしているわけでも、病院や商売も真っ当だ。だからこそ、君のことは信用したいと思っていた。」

「・・・どういった意味でしょう?」

 

ポルポは本当に言葉の意味が分からずに、混乱の中で冷や汗を垂らしながらそう言った。

 

「そうか、まだしらを切るのか。この麻薬は外国製のものだ。この麻薬が、船で運ぶ物だったのだろう?」

 

知らない。

そんな言葉が喉の奥に消えていく。

いや、確かに船で取引するものについてすべてを把握しているわけではない。この街においての活動はまだできているわけではないし、人員をおいているわけでもない。

けれど、確かにボスがそう言った意図でこの街を掌握している可能性はある。

それでも、麻薬がパッショーネから流通していることについて情報が遅れたのが痛すぎる。

ポルポは確かにある程度の人徳はある。けれどそれはあくまで下からのものが多く、同等と言える幹部クラスとは非常に仲が悪いのだ。

 

(・・・・麻薬が出回っている話は聞いていた。でも、それがパッショーネから流れていたことについてはまだつかめていなかった。)

 

そう言った部門に伝手が在ればいいのだろうが、残念ながら組織内での繋がりはあまりにも弱いのだ。

ポルポは頭の中で思考を回す中、Zが立ち去ろうとしている気配を察する。そこで慌てて彼を止めた。

 

「待ってください!麻薬に関しては確かに話してはいませんが、この街での取り扱いは私が絶対に阻止します。なので、どうか、条件を飲んで・・・・・」

「君は、やはり、信用が出来ない。」

 

氷のように冷たい声、まるで色ガラスの様に無機質な眼。それが、ポルポに向けられる。

 

「私が恐れるのは、もちろん、それもある。だが、それ以上に私は怒りを向けるのは、私が愛した故郷によって、祖国が穢されていくという汚名を背負うことだ。」

 

この街だけ流出を止めてどうなるという?

麻薬がいきわたれば、この国で安寧の中で生きる人々の生活が、そうして未来が穢されていく。私は、祖父から、そうして父から、多くの血族たちから託された命の先にある。そうして、皆がこの国を揺り籠とし、そうして墓として死んだのだ。

 

「その国を穢されようとしているというのに、なぜ、黙っていられる?けして、私の故郷も国も、穢させはしない。」

 

ああ、翠の炎のような瞳が、じっとポルポを見ていた。美しい、魂がポルポを見ていた。ポルポは、無意識のうちに言葉を吐き出した。

 

「駄目です、止めてください。ボスに、ボスに逆らってはいけません。あの人は、恐ろしい人だ。止めてください、彼の人を、怒らせないでください。」

 

指先にまで馴染んだ恐怖ががたがたと揺り起こされる。逆らってはいけない、抵抗してはいけない、命令は速やかに、そうすれば守られる。

けれど、男はゆっくりと首を振った。

 

「君は、赦せるというのか?多くの未来が闇に沈む。幼い子どもが食い物にされる。それを、君は赦せるのか?」

「赦せないに決まっていますよ!子どもは、子どもだけは、幸せに、なってほしいと。」

 

とっさに吐き出した言葉だった。

ああ、当たり前だ。そんなことは望んでいない。どうか、どうか、幸福であってと願っていた。

どうしようもなかった、幼く弱い子どもたち。たとえ、闇の中に引きずり込む結果になっても、どうか、せめて生きてと願っていた。

だから、出来るだけ抗争だけは回避したかったのだ。

抗争によって親が死ねばしわ寄せがいくのは何よりも子どもなのだ。

そうだ、もう少し。もうあと、十数年だけ。

太陽がやって来る、闇を照らす、月のような、それでも眩いまでの太陽が。

それまで、それまで、せめて耐えれば。

 

「ポルポ、君はやはり信用が出来ない。なぜ、そんなことを言いながら、君はそのボスに抵抗しようとしない?」

 

残酷な、言葉だった。

思考の全てをバラバラにするような、鋭くて、痛い言葉だった。

 

「ボスには、勝てません。何があっても、勝てないんです。だったら、せめて、生きることを選択する方が、どれほど・・・・」

 

掠れた声でなんとかそれだけを返した。それ以上に何がいえるのか。

ボスは恐ろしい、ただ、ただ、ひたすらに恐ろしい。

ポルポにとって、ボスは恐怖の象徴だった。

逆らうことも、裏をかくなど考えられないような、絶対的な存在だった。

 

「抵抗なんて、どうして、するなんて・・・・・」

 

茫然と呟く女に男は憐れみと、そうして呆れの視線を遣した。

思わず黙り込んだポルポに彼は変わることなく淡々と言葉を続けた。

 

「・・・君がどれだけ彼を恐れていようと、私は戦うだけだ。私は悪党だ。だが、それでも。赦してはいけないことがある。」

「止めてください!死んでしまいます!そんな、ああ、あの方は絶対にそんなことを赦しはしません!」

「私には誇りがある。」

 

誇り、ああ、幾度聴いただろう。

受け継いできた誇り、守り続けてきたことへの誇り、穢されてはいけない誇り。

そうして、そんな言葉を口にした者全員が悉く、むごたらしく死んでいった。

 

(・・・ああ、そういって、祈りを抱いたものから死んでいく。)

 

「この世界は残酷だ。平凡でいいと、当たり前でいいと、街の片隅で家族とただ過ごしたいと思ったことでさえ悉く踏み荒らされていく。だから、私は選んだ。例え、悪党に成り下がろうと、それでも守るべきものだけは守ると誓った。」

「どうして・・・・だって、死んで、しまうかもしれないのに。」

「そうだな、きっと、君には分からないだろうな。」

 

男は憐れみのままに、言葉を放った。じっと、女を見つめるその眼は、憐憫と苦しみに満ちている。

 

「私には、どうして君ほど、野望も、足掻きも、そうして覚悟さえ持ちえない弱者がここにいるのかは分からない。ただ、私にはやらねばならないことがあり、守るべき誇りがある。私は、その善良さだけは信用しよう。ここだけは、逃がしてほしい。次に会う時は敵だろう。」

「誰も、誰も、立ち向かわずともあなたを責めるものなんていないはずだ。あなたは、良い人だ。あなたは、良き人で。」

「違う、私は悪党だ。血にまみれ、いつか、ゴミのように、獣の様に死なねばならない人間だ。そう決めた、そうなるのだと覚悟して私はここにいる。どれほどの結果的に善行をなそうとも、所詮、私は人殺しだ。」

君と同じように。

 

その言葉にポルポはまるで頭を殴られたような気がした。衝撃が走る、まるで、がたがたと頭の奥で動揺が広がっていく様だった。

 

「違う・・・」

 

思わず、そんな言葉が漏れ出た。腹の奥で喚き散らすような絶叫が、頭の中で響き渡る。

 

「あなたは、ただの、そこらへんにいる悪党じゃない。誰かを助けてる、誰かの幸福を願って。あなたは、正しい人で・・・・」

 

うわごとのようにそう呟くポルポを眺めて、男は何かを察したのかため息を吐いた。

 

「・・・・ああ、そうか。君は、そうか。俺に善性を求めるのは、自分の中の善性を信じたいためなのか。」

 

君は、悪に抵抗も出来ずそうして堕ちていったというのに悪徳から逃れたいと思っているんだね。

 

それに、ポルポは息を飲んだ。そんな彼女に、男はとどめを刺すように言葉を紡いだ。

 

「君は唯、自分が悪党であることを認めたくないのだね。誰かを助けた、誰かのために生きた。そう生きれば、赦されると思っているのか。」

いいや、違う、人を殺し、人から奪い尽くし、人の尊厳を踏みにじった私たちにいったいどんな救いがあるというのか。

 

ああ、それはまるで心臓を抉られるような気持だった。

 

「俺は、誇りを守るために悪に落ちた。そのために汚れることも、堕ちることもいとわない。君には、汚れることも気にならないほどの夢も無く、命をとして守るものもない。そこにあるのは、いったい何なのか。」

空っぽだ。

 

寂しい言葉に、ポルポはまるで駄々をこねる子どものような声を出した。

 

「なら、あなたは私と一緒に地獄に落ちてくれるんですか!?」

 

絶叫に等しい声に、ポルポは奥歯を噛みしめた。

 

「私には何もありませんよ。だって、何も、選ぶことも、何かをなすことも、出来なかった。一人で、何が出来たっていうんですか?私が抵抗して、それで、それで何が変わるんですか?ただ、周りに不信感を残して、ボスの怒りだけを煽って死んでいくだけじゃないですか?無意味だ、無価値だ、あなたのその抵抗だって、無駄でしかないのに。」

 

何が分かる、何が、分かる。

途中で、血反吐を吐くような心で、ここまでやって来た自分に、そんなことを言う資格なんてないはずだ。

どんな気持ちで、どんな思いで、助けられるものと、助けられないものの選択を続けてきた気持ちが。

分かるはずがないじゃないか。

自分は、そんな覚悟も、誇りも無い。何もないまま、ただ、死にたくないという思いだけでここまで来たのに。

 

「いいや、違う。」

 

男の声が響く。ポルポはノロノロとその声の方に視線を向けた。

 

「私たちはいつだって、選択権を与えられている。」

正しさのために戦うことも、正義に殉ずることも、選ぶことは出来た。それを、君が選ばなかっただけだ。

誇りも、夢も、信念も無くここにある君は醜いよ。

 

ああ。それに、ポルポの中で、何かがかちゃんと壊れた音がした。

 

 

自分の人生が、いつのまにか、悉く、どうしようもなくなっていたのはいつからだろうか。

ボスと出会った事?ボスが怖くて人殺しになったこと?悪党に美しいものを見出した時?生まれ変わってしまった事?

ああ、それこそ、前世で死んでしまったことが致命傷だろうか。

 

こんな生き方をして、何がしたいのだろうかと、そんなふうに嘆き続けていた。嘆き続けて、そうして結局あきらめる。

どうするのだ、嫌だからと、そんなことに抵抗して、それでいったいどうなるというのだ。

抵抗は出来ない、悪を挫くことが出来ない。

だから、せめて、助けられるものだけは、助けて、人の幸福だけは祈って生きるから。

だから、お願いです。

 

ちっぽけな美しくて、優しいものを抱えて、ほんの少しだけ、今しばらくだけ、生きることを赦してください。どうか、あの、恐ろしい人と、私を闇の中に引きずり込んだ人と、同じものではないのだと、必死に、その救いに縋りながら生きた。

それが否定されて、そうして、自分の人生が悉く、情けなくて自業自得だと返された瞬間、何かが切れた。

 

ああ、ツェペリの子よ。なあ、正義の味方の、相棒よ。

私は、確かに選んだだろう。死にたくないと、なあなあで生きただろう。

けれど、それだけでは、そうではなかったんだ。

ポルポの人生を、正しいなどとどうして肯定なんて出来るものか。

そんなもの、生きた自分が誰よりも知っている。

全ての選択は、自分が選び抜いて、どうしようもなくて、結局自分がなしたことだ。

けれど、受け入れることも、足掻くことだって出来なくて、ただ、動けなくなった闇の中、必死にせめてと星に憧れた。

そんな風に、人生を歩んだ。

 

ポルポは死ぬべきだ。

そんなことわかっている。ポルポは悪党だ、幾多の不幸と死と、死肉の上で、いつか、ゴミの様に、虫けらのように死んでいかなくてはいけない。

そんなことはわかっている、

取り繕うことも、幸福になることも赦されない。

けれど、愛さずにはいられなかった。

黄金の髪の少女が笑っている、同じように小生意気な少年が必死にペンを動かして。真っ赤な髪の青年がいたずらっ子の様に笑っていた。くるくるの、青髪の青年が不機嫌そうに顔をしかめて、金の髪の青年が楽しそうにそれを見ていた。

黒髪の青年はめんどくさそうに顔をしかめて、二人の男はくすくすと笑い合っていた。翠の髪の少年は、いつかを夢見て歩いていた。

そうして、お月さんみたいな、銀の髪の青年がじっとポルポを見ていた。

 

彼らは悪党だった。彼らは、人を殺して、だから何だと道を歩いていた。

それでも、彼らはいつか、潔く死ぬだろう。

これこそが、己が人生だと。

その生き方に憧れた。

ポルポには出来なかった。潔く、罪を償おうとしても、変わるかもしれない未来と、命を手放す瞬間が恐ろしくて、前に進むことも出来なかった。

悪に抵抗も出来ぬくせに、誰かの、悪党たちの幸福を願う自分の醜さを知っていた。

銀の髪の男に、その男に安らぎを覚えた。

男はポルポを称賛することも、罵倒することも無かった。

自分の罪も、逃げ道とした救いも、何も考えなくてよかった。男が自分に示してみせた、泥に落ちながら進むその様は美しかった。

夢を見ていたかった、夢を、せめて太陽がやってくるまで。

例え、それがどれほど深い闇の中でも、夢の中だけは優しいものに浸っていたかった。

 

太陽の元では生きられない。自分は、狭くて暗い蛸壺がちょうどいい。狭くて、暗いその中で、ただ夢を見て居られればそれでいい。

けれど、自分はいつか、白日の下に行かなければいけない。

分かっている。

自分の醜さなんて、誰よりも自分が知っている。

人殺しだと、弱くて醜い自分のことを知って、分かり切った結末を前に何もできない立ち尽くすだけの愚かさなんて、ずっとずっと知っている。

それでも、一抹だけ、欠片でも、願いを持っていた。

遠い昔に、文字を追い、絵を眺めていた、美しい人のこと知っている。

黄金色の魂を持った、星のような人たちにそれでも憧れた。

例え、悪に落ちても、正しさと星の輝きを欠片でも抱いていたかった。

Zに理想を見出した。

星の近しい位置で在りながら、ポルポと同じように闇の中で、それでも綺麗なままそこにいた。

心の奥で、何かが限界になっていたのだと思う。

何時かやって来る白日を待つには、あまりにも、たくさんのことがぎりぎりと締め上げて。

あの子の様に、正しくて、それでも闇の中で誰かを助ける人に会いたかった。

そんな人になりたかった。

そんな人になれば、もしかしたら、もう少しだけ、本当にもう少しだけ、愛していた誰かと生きていくことを、夢をもう少しだけ見ていても赦されるのではないかと。

言葉を突き付けられた時、絶望した。

人殺しである事実を突き付けられたことにではない。

人殺しと彼はそう言った、己と同じだと。

なのに、それでも彼は美しかった。

その手は自分と同じように血まみれで、その体はすっかり泥につかり、その耳は罵倒に塗れ、その眼は散々に濁り、泥に溺れているはずなのに、何故か、彼は綺麗だった。

エメラルドのような瞳が、自分を見ていた。

ああ、どうしてだろうか。

自分だって、自分だって、誰かに悪意を持ったことなんてない。誰かを傷つけたいと思ったわけではない。

なのに、どうして自分はこんなにも醜くて、君は綺麗なんだろうか。

ポルポは、ブラック・サバスによって絞殺された男を茫然と見ていた。

男の言葉にまるで爆発した怒りはそのままに男を襲い、そうして。

まるで抜け殻のように力が入らず、崩れ落ちそうだった。

けれど、取り乱すわけでも、自分の行動に絶望するわけでもない。

結局の話、交渉が決裂すればこうなることは決まっていた。

このままZを野放しにすれば人望のある彼に従うものは多いだろう。ここで彼を潰しておかねば、抗争はより一層に激しいものになる。

ブラック・サバスはまるで気に入りのぬいぐるみを抱く子どもの様にZを抱いていた。ポルポは、濁り始めた緑の瞳を覗き込む。

 

「・・・・結局、綺麗なあなたが死ぬんですね。」

 

殺した当人が何を言うのか、そんなことを思う。

そうして、そのままポルポは砕け散った心のままに事態の処理に向かった。

 

真っ暗な中で、ポルポはぼんやりと考える。空条承太郎への反抗の後、自分が夢を見ているのだと思った。暗闇の中で、自分が殺した、正しい人のことを夢に見る。

どちらが正しかったのだろうかなんて、考えたって仕方がない。

誇りのために、守りたいもののために、祈りのために、正しさのために、戦って死ぬことと、そのために周りにも被害が及ぶこと。

祈りも、誇りも、正しさもごみに捨て、誰も死なぬように、波風を立てない様に生きること。

(・・・・ああ、そうだ。誇りで、腹を満たすことも、暖かな服を用意することも、できないのに。)

それでも、彼の男のほうがずっと、美しい生き方をしていた。

あの時、殺してしまった、きっと汚れぬままに死んだ人のことを思う。ポルポが殺した、正しき人よ。

馬鹿な話、結局のところ、ポルポは結局悪人なのだ。

身勝手で、どうしようもなくて、他人よりもずっと自分のことが可愛い。

誰かを助けたいというその願いも、自分のエゴを満たすためだけの自慰行為だ。

光の先になんていけやしない。

それでも、そのくせ、断頭台に登る日を思うくせに、救いを求めてしまうのだ。

どうしようもなくなくなっていた。

自分が悪党なのだと、まざまざと理解した。

だから、沈黙をたもって、変わらぬままに生きた。

こんな生き方に絶望したって、変えられるほどの勇気も、夢も持つことだってできなかった。

何より、自分の様に、ギャングに脅かされているのに、ギャングに頼る無辜成る人たちを見て、結局正しさと悪徳の境なんて曖昧だとぼんやりと思った。

助けてくれたって、結局皆、罰を受けなくてはいけない人殺しなのだと。

それでも、仕方がない。

地獄の中にいたって、誰にもヒーローが訪れることなんてありはしないのだ。

 

 

ただ、思う。

それでも、それでも、誰か、誰かでいいから、知っていてほしい。

仕方がなかったことも自業自得であることも、全部、全部知っていてほしい。

誰かを傷つけたかったわけではない、誰かを陥れてまで望んだことはない。全てを救いたいと思ったことはなかったけれど、誰かの不幸を望んでいたことも無かった。

ああ、それは、闇の中を生きる人ではだめだった。彼らはきっと、ポルポと同じか、それとも理解も出来ない感情だろうから。

だから、ポルポは、空条承太郎に会いたかった。

知っていてほしかった。

頭の先から、足の爪の先まで、正しいだけの人に、知っていてほしかった。

ポルポの選んだけれど、選べなかった全てを知って、たった一言でもいい、たった一つの動作でもいい、憐れみでも、いい。

欠片でもいいから、肯定をしてほしかった。

そうしたら、きっと、何時か来るお別れにも、自分の存在しない終幕を微笑んで見送れると思った。

自分のいない何時かで、幸せになる大好きな人たちへの未練だって断ち切って、さようならとバスの中で微笑んでいられると思った。

 

怒りが湧いてしまったのは、きっと。

空条承太郎の言葉に、ぶちりと何かが切れてしまったのは、きっと、言葉のままに、最後のさいごに縋りついた全てに絶望したからだ。

 

虹村刑兆は悪い子だ。

人を殺し、人を踏みにじり、ポルポと同じように地獄に行くべき少年だ。けれど、彼だって、何時かの守られるべき幼子だったはずなのだ。

ヒーローは訪れず、それでも生き残って、間違いのままに進んでしまった子どもだ。

ねえ、ねえ、ヒーロー。

この願いが身勝手なのはわかっている。

あなたは唯の人で、ただ、正しさを是とするだけの人間だとしても、それでも、そんなあなたさえも救ってくれないのだとしたら、あんまりにもあの子どもは哀れじゃないか。

承太郎の眼を知っている。それは、罪人を見る目だ。ああ、そうだ、刑兆は罪人だ。けれど、救われるべき子どもであったはずだ。

 

正しき人(ジョジョ)よ、教えてほしい。

ポルポたちを罵倒する誰かよ、教えてほしい。

なら、君たちは、そこの底で、泥にまみれたことがあるか。

残飯をあさったことが、餓えのために盗みを働いたことが、自分の努力を悉く否定されて心を踏みにじられたことが、親から徹底的に尊厳を踏みつぶされたことが、死なないために誰かを殺したことが、生きる為に誰かの死体を踏みつぶしたことが。

もしも、もしも、自分と同じ立場に立っても、美しい星を見ることがなくても、あなたたちは正しさに殉じられたのか。

この思いは、それこそひどい八つ当たりだ。

知っている、知っているけれど。それでも、正しさを持てなかった愚かな弱者の心を、どうしようもなくなって、選んでも、選べなかった何時かを、正しい人に知ってほしかった。

 

(・・・・空条承太郎は、私を殺してくれるだろうか?)

 

そうなれば、少しだけ、この世界を作った神様へ皮肉を持った復讐になれないかと、ポルポはぼんやりと考えていた。

誰かが、ポルポの頭を撫でる。優しく、どこか、質量が無いようなおかしな感触の手は、まるで生まれた時から共に会った友の様に優しくて。

彼女はゆっくりと深い眠りに落ちていった。

 

 

 




ポルポが本当の意味でいい人かと言うと、書いてる人間も悩みます。
弱い人ではありますが。

感想をいただけたら嬉しいです。


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沈黙に孕んだ秘密

ブローノ・ブチャラティと、弱くて醜い人


 

 

ブローノ・ブチャラティはその日、こっそりと学校を早退した。なんだかんだで実直な彼には珍しい行動だった。

けれど、仕方がない。プロシュートの提示した約束の日は今日だった。

少しだけ列車を乗り継いだ、離れた海に面した町だった。ブチャラティは恐怖のためか、緊張のためか、鳴り響く心臓を押さえて、教えられた道を歩いた。

そうして、ついたのは開けた見晴台だ。

人気はなく。海が一望できるそこは、ベンチが数個ぽつんと置かれているだけだった。

遠くで、鳥が鳴いている。

ブチャラティはぽつんと、そのベンチに座った。予定の時刻は曖昧で、下手をすれば数時間待つかもしれないと事前に伝えられてはいた。

それでも、ブチャラティは待とうと思っていた。

何時間でも、いくらでも、彼女に会えるのならば。どんなにだろうと待つ気だった。

ぷらんと、足を投げ出して、一心に海を見た。

それぐらいしかやることもないし、何かをする気も起きなかった。

潮風がブチャラティに吹いてくる。

そのまま、時間が過ぎて、日はどんどん傾いていく。もうすぐ夕暮れになるという時間にそれでも、彼は待ち続けた。

 

「・・・・待っていたんですね。」

 

突然かけられた声にブチャラティは飛び上がるように立ち上がり、後ろを見た。ブチャラティは、確かに子供だ。それでも、警戒をしていなかったわけではない。

それでも、真後ろに立った誰かに気づかなかった自分に驚いてしまったのだ。振り向いた先、そこにはスーツをまとった女がいた。

仕立ての良さそうとスーツと、少々大きめのコートを羽織った彼女は、会ったときと同じぼんやりとした目でブチャラティを見ていた。

 

「ポリプス?」

「ええ、約束でしたから。会いに来ましたよ。少年。」

 

彼女は変ることなく、穏やかな声でブチャラティにそういった。そうして、彼女はとすりとブチャラティの隣に座った。

 

「何か、話したいことがあるんでしょう?」

「あ、ああ。」

 

ブチャラティは突然現れた彼女に固まりながら、それでもようやく巡ってきたチャンスに歯をかみしめて、ベンチに座った。

彼女は、ぼんやりと傾いていく日と海を見つめていた。

ブチャラティはそんな彼女をちらちらと見つめながら、口を開いた。

 

「聞きたいことがあるんだ。」

「君を助けたことかな?」

 

直球過ぎる話題にブチャラティは少しだけ固まったが、それでもこくりとうなずいた。

 

「どうして?」

 

ブチャラティは、ただそう聞くしかなかった。それを聞くために、危険を犯し、ここまで来たのだ。

それに、彼女はやはりブチャラティを見ることはなかった。

 

「・・・・特別な理由はありませんよ。」

「なら、特別じゃなくても良いから、その理由を教えてくれ。」

 

ブチャラティはひるむこともなく言葉を紡いだ。それにポリプスはようやくのろのろとブチャラティの方を見た。赤い瞳には、やはりぼんやりとした色しかなかった。

 

「ブチャラティ、あなたはどうしてそんなことを聞きたがるんですか?」

あなたは、今満たされているはずだ。父も無事であった、あなたは何の咎もなく望んだ生活を送っている。何を、あなたはそんなにも求めているんですか?

 

じっと、赤い瞳がブチャラティを見ている。それに、ブチャラティは視線を下に向けた。

 

「・・・・納得できない。」

 

ブチャラティはぎゅっと拳を握りしめた。

 

優しい人は、報われるべきだとブチャラティは思っている。

それは、彼にとって己の父母であり、そうして町の全うに生きている人々のことだ。父は死にかけた。

何をしていたわけでもない。己の息子の未来をできるだけ広げたいと、そんな素朴な願いのために働いていたのだ。

それだけだ。何を、とがめも、報いも受けることがあるだろう。

なのに、父は死にかけた。

それは、運が悪かったと言えるかもしれない、悲運だったからだと言えるかもしれない。

けれど、ブチャラティの中に漠然とした何故だという疑問があったのだ。

何かが悪かった訳でもない誰かが、どうして咎を追うべき誰かの業に巻き込まれなくてはいけない?

父の何が悪かったのだろうか、自分の何が悪かったのだろうか。

ブチャラティは悪党だ。

何故って、人を殺してしまったから。

それにどんな理由があろうと、人を殺したその時点でブチャラティは何かの業を背負わなくてはいけない。

そうでなければ、ブチャラティは自分の感じた理不尽を肯定してしまうことになる。それだけは嫌だった。

自分はこのまま明日を当たり前のように生きていくのだろうか。この理不尽への疑問を抱えて。

納得ができない。納得が、どうしてもできない。

自分に理不尽を強いた誰かを自分が罰したというならば、目の前の彼女が罰したというならば、自分は一体誰に罰せられるのだろうか。

 

「特別な理由なんて、結局ないんですよ。」

 

静かな声がした。それは、まるで眠気混じりに呟かれたようにけだるそうだった。

ブチャラティはそれに、横を見た。

彼女は、どこかぼんやりとした眼で、やっぱりなんの感情も見えないそれで海を見た。

 

「私はあなたを救いたかったわけではなく、いつかの、どこかの、どうしようもなかった誰かを救いたかっただけの話です。それ以上も、それ以下でもない。」

 

ポリプスはそう言って立ち上がる。

ブチャラティに背を向けて、彼のことを見もせずに立ち上がる。

 

「話はそれで終わりです。私には、それ以外にあなたに語る言葉はないのだから。」

 

ポリプスはまるで話の腰を折るようにそう言い捨てて立ち上がる。

ブチャラティはそれをすがるように声をかけた。

 

「待ってくれ!そんなことで納得なんてできない!」

 

ポリプスはブチャラティに背を向ける。顔の見えないままの彼女は、そのまま彼に話しかけた。

 

「なら、あなたのお父さんが殺されそうになったことに意味なんてあったんですか?」

 

やたら、静かな声だった。かすかな潮風にさえも浚われていきそうなほどに、その声音はかすかなものだった。真っ黒な髪が、風の中で揺れている。

 

「人の死にも、人の生にも、意味だとかそんなものはありませんよ。ただ、全てが運命に従っているだけです。世界の果てで、くそったれの神様が幾千億とシナリオを書き綴っているんですよ。まるで、毎週連載されている、雑誌に載った漫画みたいに。」

 

彼女は、立ったまま動きもせずに、ブチャラティに背を向けてそんなことをうそぶいた。黒いコートがまるでマントのように揺れていた。

 

「私は、ただ、そんなドラマに泥をつけたいだけです。ただ、無意味でも、無価値でも、ただ。くそったれたその、神様に、つばを、私は吐きたい。」

私は、ただ、夢を見たい。

 

「理不尽は理不尽だと、悪は裁かれ、正しい誰かが笑って明日を進むような、そんな夢を見たい。」

 

震える肩が、その声音の強さが、どこかその願いの切実さを表していた。

 

「あなたは私の自慰に巻き込まれただけ。それだけの、話です。それ以上でも、以下でもなく、ただ、ただ、それだけ。話せるようなことなんてないんです。もう、お帰りなさい。そうして、ご飯を食べて、お風呂に入って、歯磨きをして、そうしてベッドに潜り込んで全てを忘れてしまいなさい。」

もう、こんな悪夢なんて忘れなさい。

 

それは、きっと優しい声だった。それは、ブチャラティにとって、大人が子供へかける声音そのものだった。

守るための声だった。怖いものから目を塞いで、何も知らなくて良いと、願うような声だった。

だから、だろうか。

ブチャラティは去って行く背中に、不完全燃焼の感情のまま、叫んでいた。

 

「なら、どうしてあんたは暗闇の中に一人でいるんだよ!?」

 

それに彼女の動きが止まった。ブチャラティは自分の言葉にようやく、理解した。

自分は、納得できなかったのだ。

 

 

優しい人になりたかった。

優しいものは報われるべきだと思う。

漠然とした感情はそのままに、薄暗い部屋の中で微笑みながら自分を見送った誰かにだって向けられていた。

 

それは、きっと悪い人なのだ。ギャングとはそういうもので。彼女はきっと、自分のようなものを殺したことだってあるはずだ。

それぐらい、わかる。わかっているのだ。

けれど、ブチャラティの不幸は彼女が作り出したものではない。

誰も助けてはくれなかった。誰にも、助けられなかった。

彼女だけが、ブチャラティを助けてくれた。

この筋書きが、もしも運命というもので、そうして恨むべきも、感謝すべきも神というものであるのだろうか。

いいや、違う。そう、思ったのだ。

だって、彼女は確かにブチャラティのために怒ってくれた。

彼に訪れた不幸を、理不尽を、善人が報われるべきという願いを。

彼女は共に憎んでくれた、怒ってくれた、願ってくれた。

それは、悪い人なのかもしれない。それでも、自分にしてくれたその善意について、彼女は報われるべきだ。

ブチャラティは、思ったのだ。

彼女はいつか、罰せられるべきなのかもしれない。

けれど、暗闇に一人だけ取り残されるのは、あんまりにも報われないじゃないか。

 

「この世に、神がいて。そうして、そいつの書いたシナリオ通りが嫌なら。なら、俺だってあんたがそのまま暗闇の中で、ただ、一人きりなんて納得できない!」

 

ブチャラティはそのまま、一歩彼女に歩みを進めた。

 

「あんたたちに巻き込まれただけだ。そうだ。でも、それでも、あんただけが俺のことを助けてくれた。なあ、なら、あんたはいつ、報われるんだ。」

 

彼女は何も言わなかった、ただ、立ち尽くしてその言葉を浴びていた。

自分は裁かれるべきだ。人を殺したその瞬間、自分は境を超えてしまった。名もつけられない、けれど、どこかで境を超えてしまった。

このまま生きてはいけないのだ。だって、だって、もう、父と同じ方向には行けない。超えてしまった境を戻ることはできない。

 

「一人でそこに行かないでくれ。なあ、あんただって、俺がこちら側だっていうんなら。あんただってそうだろう。罪があっても、それでも、あんただってこっちに。」

 

自分に何ができるというのか。その女を救う術なんてわからない。けれど、それでも、ブチャラティは納得ができなかった。

たった一人で、暗闇の中に、あんたは残るのか?

自分は、ここで笑っているのに。

どうすれば良いのかなんてわからない。ただ、ただ、ブチャラティはそのまま女に手を伸ばそうとした。

その腕を掴もうとした、その瞬間。

 

「お願いです、黙ってください!」

 

叩きつけるような声に、ブチャラティは動きを止めた。思わぬそれに、ブチャラティは彼女を見上げた。

辺りは、いつのまにか暮れかけた日に染まっている。振り向いた先女はぎこちなく、笑っていた。へしゃげた口元に、こわばった顔。

ブチャラティは、無理矢理に笑みの形を取った顔で、なんとなく女が泣いている気がした。流せもしない涙を幻視した。

 

「それ以上、私に正しさを願うのはやめてください。」

どうしようもないんです。もう、私は、どうしようもないんです。あなたでは、私に何もできないんです。

 

震えるようなかすれた声で、女は自らの胸元をつかんだ。

 

「帰りなさい。もう、私の前から、消えてください。」

「俺・・・・」

「もう、やめて!」

 

その時だ、ブチャラティはすっと浮遊感に襲われた。そうして、反転した視界で自分の体が吹っ飛ばされたことを自覚した。

 

(何が?)

 

目の前にはポリプスしかいない。誰も自分の体に触れていないというのに、吹っ飛ばされた事実にブチャラティはだらりと冷や汗をながした。

自分にとって理解のできないことが起こっている。その、未知に彼は恐怖を覚えた。

その時だ、動揺をしている彼にまた、叩きつけるような声が被さった。

 

「自分の立場がどれほど幸福か、わからないんですか?選択肢を与えられている自分の身が、どれほど幸福なのか!甘ったれるな!弱いあなたじゃ誰も救えやしないんだ!私は、あなたが羨ましい。でも、もう、どうしようもないんです。あなたじゃ、終わらせられない。あなたは、私の運命じゃない!」

 

意味がわからなかった。それでも、女は赤い瞳でじっとブチャラティを見ていた。ぎらぎらと、空虚と怒りを孕んだ、赤い瞳がぎらぎらと自分を見ていた。

 

「帰りなさい!!二度と、私の前に姿を現すな!全て忘れて、そのまま弱いまま、生きて死になさい!もう、二度と、ここに来てはだめ。」

 

ブチャラティは女の剣幕と、自分に起こった事への恐怖のままに走り出した。

振り返ることもできず、そのまま来た道を走り出した。

夕焼けが、ブチャラティを追いかけるように照らしていた。もう、帰る時間だと、終わってしまう時間だと、せかしているようだった。

ブチャラティは意味もわからずにただ、走るしかない。

パニックになった思考のまま、ブチャラティは走っていたがけれど我に返って立ち止まる。

すでにそこそこの距離を走ってきてしまった。

 

(どうする?)

 

走ってきた道を振り向いた。すでに、彼女の姿は見えないほどに遠くまで走ってきた。

まだ、いるだろうか。もう、いないだろうか。

ブチャラティは走ってきてしまったことへの罪悪感が腹の中でもたげていた。一歩だけ、道を戻ったけれど立ち止まって夕日に照らされた道を見る。

人影はない。しんと静まりかえった町中は、まるでどこか知らない世界に迷い込んだかのようだった。

 

(戻って、どうする?)

 

ブチャラティは見ていた。自分に何ができるというのか。

それは、その通りだった。

たとえ、助けたいと願ったとしても何をできるというのだろうか。

どうしようもないと、そういった。それは、その通りだ。

ブチャラティは、彼女の怒りを思い出す。

帰りなさいと、そういった、そこにあった怒りは確かにブチャラティのための怒りでもあった。

二度と、来るなと。ここに来てはだめだと、そういった。

彼女はブチャラティのために、そう言ったのだ。怒っていたのだ。

その時だ、その時。

ブチャラティは自分がまるで水に沈むような感触を覚えた。そうして、その後に、自分の視界が暗闇に包まれた。

 

 

「な、なんだよ!?」

 

ブチャラティは思わずそう言った。

辺りは、空も地面もない、ただ闇が深まるそこは浮遊感もない。水の中にでもいるような感触だった。

そうして、ちょうど、ブチャラティはある方向からは光が差していることに気づく。ちょうど、海に潜った折水面から光差すようだった。

そうしていると、ブチャラティは自分の足を何かがつかむような感触を得た。そうして、すごいスピードで引っ張られる。どこに連れて行かれるのかもわからない。ただ、遠くに、引きずられる。

 

「な、なんだよ!?」

 

絶叫をブチャラティは響かせれば、ばさりと顔に何かが張り付いた。それは、何かのノートの切れ端だ。それに、沈黙という言葉が書かれていた。

 

「どういう・・・・」

 

そうして、突然足をつかんでいた力が消え、ブチャラティはある光の下に放り出された。

ブチャラティは思わずその光の中をのぞき込んだ。

そこには、ポリプスがいた。

 

「え?」

 

ブチャラティはポリプスをまるで地面の下からのぞき込むような角度で見上げていた。彼は自分がどんな状態なのか混乱する。

 

(そういえば、この光、ベンチの形をしてる・・・)

 

そこでブチャラティは、ふと、光の形がまるで木の葉のような形をしている事に気付いた。周りを見ると、光の形は何かの影のような形をしていた。

ブチャラティは自分が影の中にいるのではないかという、不可思議な考えが浮かぶ。

ブチャラティはそこまで考えて、なんとか助けてもらおうとポリプスに話しかけようした。

口を開いたその瞬間、べしりとまた顔に何かが張り付いた。

引き剥がしたそれは、やはりノートの切れ端で。

 

沈黙せよ、破れば理解はできるだろう。

 

簡素なメッセージに固まるブチャラティに、上から声が聞こえてきた。

 

「・・・サバス?ねえ、いないの?」

 

それがポリプスの声であることに気づくのに、少しだけかかった。あの声はあんまりにも幼い声だった。

ベンチに座ったポリプスがそう言っていると、彼女の肩からずり落ちていた明らかにサイズの合っていないコートが独りでに動き出す。

それは、ベンチからふわりと動き上がり、ポリプスの前で揺れていた。

滑稽な言い方ではあるがその様はまるで透明人間がコートを着ているようだった。

ふわりと、ポリプスは揺れるコートを見ていた。

 

「あの子は、帰ったでしょうか?」

 

ポリプスはぼんやりとした声で、呟いた。

 

「・・・ねえ、私、間違ってなかったですよね?だって、だって、あの子は、何も悪くないから。だから、これで良かったんですよ。たとえ、運命でも。ええ、そうだ。きっと、正しかったんです。だって、私はこれで運命を、筋書きをねじ曲げたんですから。だから、これで、きっと。」

 

夕日が、彼女を照らしていた。茜色に染まった中で、そのコートは片手を後ろで組み、そうしてもう片方の手を彼女に差し出した。

 

「踊りたいんですか?」

 

ポリプスがそう言うと、透明なそれは彼女の手を引っ張って、そうして立ち上がらせた。

そのままに彼女の腰に手を回して、そうしてそのままくるりとターンをした。

広場の中で、スーツを着た女と透明な誰かが踊り出す。

ブチャラティはそれを下から見ていた。コートと女の影の中で、それを見ていた。

それは端から見れば、できの良いパントマイムのようだったけれど。

そうではないと理解ができたのは女はくるりと踊る中で、ささやくようにずっと何かを言っていた。

 

あの子は帰れたでしょうか。

ええ、ええ、きっと帰ったはずです。だって、こんな地獄を誰が望むんでしょうか。

ねえ、サバス。私、八つ当たりをしてしまいました。

大人げないですが。でも、仕方がないじゃないですか。

だって、だって、あの子は私の望むものを持っているのに。

 

「私だって、ヒーローに訪れて欲しかったなあ。」

 

子供のように無邪気な声だった。そうして、まるで全てを諦めたかのような諦観に包まれていた。

くるり、くるりと、彼女は踊っていた。それが、何というものかはわからないけれど。それでも、彼らは本当に楽しそうに見えた。

なのに、どうしてだろうか。

 

(なんで、こんなに悲しくなるんだろうか。)

 

「ねえ、サバス。もう、あと数年ですね。あと、数年で、私の運命がやってくるんです。そうしたら、ハッピーエンドです。素敵ですね、とっても、素敵ですね。そうしたら、私はね。」

ちゃんと死ぬんですよ。

 

ブチャラティはその言葉に固まった。だって、そんなことを言うには、あんまりにも彼女は清々しく笑って、子供が遊ぶ予定を語るように弾んだ声をしていたから。

だから、ちぐはぐとしたそれに固まってしまった。

 

「ええ、ええ!大丈夫、きっと、変わる事なんてないんです。みんなが明日を生きるんです。そうしたら、やっと、私は死ねるんです。ようやく、この罪を償える。罰を与えてもらえるんです。だから、ええ、よかったんです。あの子の犯す罪ぐらい、私が背負っても変わらない。そうでしょう、サバス?」

 

子供がはしゃぐような、甲高い声が広場に広がって、ブチャラティの耳に届いた。

彼女はそのまま、透明なそれを引きずるように、でたらめに踊り出す。不格好なステップで、まるで馬鹿騒ぎのように声を立てていた。

 

そうしたら、ねえ。

あの子たちだって大丈夫。きっと、私以上に価値を認めてもらえる。

メローネは少々どぎついけれど、探究心のある優秀な子です。ギアッチョも、真面目で実直な良い子です。イルーゾォは少々自信がありすぎるけど、できる子です。ソルベとジェラートも変わってるけど、能力だって高いです。

プロシュートは、ちょっと粗暴ですが誠実な子です。ホルマジオも、あの人には助けられてばかりで。

 

つらつらと、彼女は誰かのことを語り続ける。まるで、己の子を自慢する母のように、誇らしそうに、愛おしそうに。

 

「カラマーロなんて、本当にすごい子ですよ。文武両道で、自慢です。そうして、ねえ。リゾットは。」

 

そこまで言ってから、彼女は動きを止めた。そうして、じっと、透明なそれのおそらく顔を見ていた。

 

「りぞっとには、しあわせになってほしいなあ。」

 

いい人なんです。ねえ、だって、そうでしょう。正しさのために、彼は手を汚したんです。だから、だから、ねえ。私が死んでも、幸せになって欲しいんです。

え?

ああ、そうですね。だから、私はブチャラティを助けたいと、そう。リスクを冒してまでも、そう、思ったのかもしません。

 

「私は、死にたくなくて手を汚したけれど、誰かのために、手を汚すほどの覚悟を持った誰かを、美しいと、そう思って。」

 

赤い夕日が彼女を照らしていた、真っ白な頬を赤く染めていた。そうして、そのままコート袖をつかんで下を見た。

そのせいで、ブチャラティからは彼女がどんな顔をしているのか、よく見えた。

歯を食いしばって、目を見開いて、そうして、頬にたれた滴に夕焼けが反射していた。

 

「しにたくないなあ・・・・・」

 

かすれた声を、ブチャラティだけが聞いていた。

その涙を、彼だけが見ていた。少年だけが、それが流れるのを見ていた。

 

透明なそれは、彼女のことを抱きしめた。彼女はそれに、すがりつくように抱きついた。そうして、ぐずぐずと鼻をすする音が聞こえた。

 

「しにたくない。しにたくないんです。罪が怖くて、もう、生きることだって億劫なのに。それでも、幸せだって思うと、どうしても生きていたいって、そう。」

 

彼女は、幾度も、死にたくないと繰り返した。

生きたいと、幸せになって欲しいと願った誰かの生を見ていたいと、そう言葉を吐き続ける。

 

それでも、ねえ。

私の生で、たった一つの地獄で、誰かが地獄に落ちないなら。それでも、星を見上げたまま綺麗なままであるなら、私一人が泥に沈むだけが対価ならきっと、おつりが来ますよ。それだけが、私に残された救いでしょう。そうです、そのはず、なんです。

 

「怖い、あの人が怖い。私の正しさで、決まった結果が崩れ去るのが怖い。怖い、ねえ、サバス。私、ちゃんとできていますよね。ねえ、あの運命はきっと変わりませんよね。ええ、大丈夫、役者の欠員ぐらい埋めてみせます。運命が、やってきたら。風が吹いたら、私、死ななくちゃ。そうじゃないと始まらないから。悪は栄えるから、私は、悪だから。でも、しにたくないなあ。」

 

ブチャラティは、彼女を見ていた。こぼれ続ける、涙を見ていた。

 

「・・・・ねえ、ねえ、それでもね怖くはないんです。だって、ねえ、あなた。もう一人のあなた。死ぬときだって、一緒でしょう?」

 

彼女はあらん限りの力で、その透明な何かを抱きしめた。軋むほどに強い力で、抱きしめた。

 

「ブラック・サバス。ごめんなさい。でも、ありがとう。あなたがいるから、怖くないんです。あなただけは知っている。ねえ、誰にも言わないでくださいね。だって、あんまりにも情けなくて、醜すぎるんですから。」

 

 

彼女は、ぼたぼたと涙を流していた。夕焼けが、彼女を照らしていた。赤い夕焼けが、まるで安っぽい悲劇を照らすように、輝いていた。

 

ねえ、あなただけは赦してください。私のことを、どうか、赦してください。あなただけは、知っていてください。

ブラック・サバス。

すいません、私と一緒に死んでください。あなただけは、おねがいです。

 

「最期まで、一緒にいてください。」

 

ブチャラティは、その声を聞いていた。頬を流れた涙は、ぼたぼたと、彼のそれをぬらしていた。

 

「赦してくれますよね!だって、あなたは私のものだから。あなただけは、私だけの。私を赦して、私の、味方だから。だから、知っていて。」

私の弱さと、私の愚かさを。ブラック・サバス、あなただけは。

 

ブチャラティは、ぼたぼたと涙を流していた。

泣くことしかできなかった。何を言えば良いのかもわからずに、ただ、泣くことしかできなかった。

 

ブチャラティは、女の言うことの意味なんて欠片だってわからない。

女の言う、運命も、終わりも、死ななければいけない理由も欠片だってわからない。

 

(それでも、死にたくないと、そんなことでさえも言えないのは。)

 

たった一人、虚空にだけ真実を語るしかないのは、涙さえもろくに流せないのは。

ぼんやりと、ただ、思う。

 

(それは、悲しいことのはずだ。)

 

たくさんのことがわからなくて、意味がわからなくて。

それでも、それが悲しいということはわかるのだ。それを悲しいと思わなければ、なんだかやりきれないじゃないか。

その女の孤独の上に、己の安寧があるのなら。その女の嘆きの上に、自分の幸福があるのなら。

 

ブチャラティは気づけば、自分が立ち止まった場所にぽつんと立っていた。ブチャラティは、ぼたぼたと流れる涙に反射して、まばゆいまでの光で視界が満たされる。

赤い、光で視界が潰される。

かさりといつの間にか握り込んだノートの切れ端に目を向けた。そこには、目新しくメッセージが書かれていた。

 

望まれるのは、沈黙のみ。

 

ブチャラティは、それに、なんとなしに理解した。

自分は選択肢を与えられているのだと。

このまま、あるべきところに逃げるのも。このまま、己の沈黙を保ち続けるのも。

自由だ、そうだ、自由なのだ。

先ほど聞いたこと。

それを、黙っていれば、それでいい。

夕焼けが、自分を照らしている。

帰ろうと、もうおうちに帰ろうと。

さあ、お父さんが待っている。このまま、宿題をして、温かい食事を取って。そうして、温かなベッドに潜り込んで。

帰ろう、帰ろう。誰かが、頭を撫でているようだった。

赦されている。自分は、きっと赦されている。

このまま、安寧のままに惰眠をむさぼり、そうして一生を終えることだって。

そうだ、赦されている。

 

 

本当に?

涙が流れている。ぼたぼたと、まるで幼子のように泣いている自分がいる。

弱いままに、生きて死ね。

彼女はそういった。彼女は、怒っていた。

あれは、彼女のための怒りだった。けれど、それと同時に、あれはブチャラティのための怒りでもあったはずなのだ。

彼女は、ブチャラティの幸せを願ってくれていたのだ。

ぐいっと、ブチャラティは乱雑に涙を拭った。情けなくたれた鼻水をすすった。

 

自分の身に起こったことの意味は、わからない。わかりなんてしないけれど。

それでも、沈黙だけが望まれているのなら。

彼女の血を吐くような、醜さを墓場まで持って行くことだけが望まれているのなら。

ブチャラティは赤い夕日を睨んだ。

くれていく、夕日を見た。

それは、女の赤い瞳に似ているような気がした。

 

 

「・・・・やっぱり来たのか。」

 

プロシュートは、以前彼を見つけたギャングのアジトになっている建物の前にいた。彼は、出入り口の数段だけの階段に腰をすえていた。

ブチャラティは彼の前に立った。

赤くなった、乱雑にこすった目元にプロシュートは眼を細めた。

 

「俺に、仕事をくれ。」

 

プロシュートは、それに頭をがりがり掻いた。

 

「その言葉の意味、わかってんのか?」

「わかってる。わかってるから、俺はここにいる。」

 

プロシュートは、それに少しだけ沈黙した。そうして、おもむろに口を開ける。

 

「てめえが会った、メデューザっていただろう?あいつにゃな、年の離れた妹がいるんだよ。」

 

突然の話題に、ブチャラティは思わず顔をしかめた。

 

「良いから聞けよ。そんでな、その妹ってのがそりゃあ病弱でな。つって、あいつの家自体がろくでもねえ。そんで、妹のために金を稼ごうとギャングになったんだよ。」

 

まあ、金がある程度は稼げたんだ。頭が悪いわけじゃねえ。ただ、妹の病状がよくなることもなくってよ、もっと金が必要になっちまって。挙げ句の果てにうちの荷物にまで手を出したんだよ。

あとは、わかるだろ?

殺すはずだった。死ぬはずだった。

だがな、あいつは生きている。

 

「あの馬鹿が、生かしたんだよ。」

「それで?」

「その後は、お察しだろ。忠犬兼駄犬兼、狂犬のできあがりだ。」

 

プロシュートはゆっくりと、地面の方に視線を向けた。やたらと長いまつげが日の中で揺れていた。

 

「あいつはな、妹には二度と会えない。せいぜい、手紙で近況を知るぐらいだ。俺たち側になるって事はそういうことだ。それでも、そうする理由があいつにはあった。あの馬鹿は、足を洗っても良いと言いやがった。本心からだ。」

てめえにはあるか?

 

プロシュートは、最初にあったときと違うひどく静かな声でそういった。

それに、ブチャラティはゆっくりと瞬きをする。

 

「優しい人になりたかった。父のような、優しい人に、なりたかった。」

 

プロシュートはそれを黙って聞いていた。肯定も、否定も、彼はしなかった。

 

「優しいものは報われるべきだ。安寧の中で終わるべきだ。白と黒の間には境がある。なら、踏み越えなかったあり方は尊ばれるべきだ。」

 

けれど。

ブチャラティは、女のことを思い出す。夕日の中で、人ではない何かと踊っていた女を思い出す。

 

「このまま、昔と同じように生きていくことが正しいんだ。当たり前だ。その境を越えないことこそが、正しい。」

 

ああ、けれどだ。けれど、暗闇の中で女が立っている。自分を見送る、女のことを思い出す。

 

「それでも、“正しいこと”だけが正しいと俺は思いたくない。」

 

自分を助けた彼女はきっと悪い人だ。当たり前だ。けれど、それでも、優しい人だ。彼女だけが自分を助けてくれた。彼女だけが、子供でありなさいと頭を撫でて守ろうとしてくれた。

 

神様、神様、教えて欲しい。

悪党は裁かれるべきだ。けれど、それでも、悪党のなした善行はことごとく無視されるべきなのだろうか。

あの優しい人が、地獄に落ちるとしても、笑いながら死ぬなんて。その日を、一人で待ち続けるなんて。

あんまりにも、報われないじゃないか。

この選択は間違っている。それでも、思うのだ。

優しい人になりたかった。けれど、自分の思う優しい人はきっと、あの女を一人で暗闇に残したりはしない。

いつか、いつか、地獄に落ちるとしても。惨めに死ぬしかないとしても。

 

「あの人は、俺に誠実であろうとした。何も知らない、無知なる誰かへの、その清廉さに誠実であろうとした。あの人は、俺の味方であってくれた。」

 

組織に入ることは間違っている。けれど、ブチャラティはそれ以上に思ったのだ。

どうか、どうか、あの女の幸福を守りたいと。あの日、自分の幸福を。取るに足らない誰かの幸福を守ろうとした女のそれを。

あの人の幸福をせめて守りたいという正しさを、ブチャラティは選んだのだ。

 

「だから、俺は選ぶ。選択肢を与えられたからこそ、俺は選ぶ。あの人のために働きたいと、そう願う。」

 

青い瞳が、ブチャラティを見ていた。冷たくて、炎のように燃えさかる瞳がただ、見ていた。

プロシュートは重いため息を吐いた。

 

「・・・・どうせ、俺が断ろうがほかのところに行くんだろう。」

 

それにブチャラティはうなずいた。プロシュートは頭をガリガリと掻いてため息をまた吐いた。

 

「・・・・いいか、一つだけ言っとくぞ。」

「なんだ。」

「あいつに、何かを返せるなんざ考えるな。何も、望んでなんざいねえんだよ。だから、だ。くそガキ、てめえがこのまま生き残って、誰かに何かを与えてやれるようになった時は。てめえと同じように、どこにも行けねえくそ野郎にそれを与えてやれ。」

それが、きっとあいつが一番望む結果になるだろうよ。

 

ブチャラティはそれにこくりとうなずいた。それにプロシュートは頷いて、ゆっくりと立ち上がる。

「ついてこい。てめえの世話は俺がしてやる。」

「わかった、兄貴。」

「・・・・・カラマーロの気持ちが、少しはわかるな。」

「何がだ?」

「いや、なんだ。別に、そう呼ばなくて良いからな?」

 

プロシュートはそうぶつぶつと言った後、改めてブチャラティを見た。

 

「・・・・ともあれだ、ブローノ・ブチャラティ。」

地獄へようこそ。

 

皮肉交じりのそれに、ブチャラティは悲しそうに微笑んだ。

 

「気にしないでくれ。俺の手なら、とっくに汚れてる。どうせ、地獄行きだ。」

 

肩をすくめた彼に、プロシュートは皮肉気にあざ笑った。この世は地獄だと。

そのまま、ブチャラティは彼の後を追っていく。

 

父親への別れは済ませた。彼は、悲しんで引き留めたけれど。最後はその選択に頷いてくれた。嫌な話だ、納得なんてしてはいない。けれど、それでも、無理矢理にそれを押し通してしまった。

ごめんなさいと、幾度も謝った。それでも、この選択肢をとらなければブチャラティの心は少しずつ死んでしまう。少しずつ、終わってしまう。

 

(返せるなんて、考えてない。)

 

ブチャラティは知っている。終わるだけが望みだと、夕日の中で泣いた女を、知っている。

だからこそ、彼は願うのだ。

もしも、死んでしまうと言うならば。それこそが正しいというならば。

自分だけは側にいよう。その命がつきる、瞬間まで、ただ、ただ、側にいよう。

その最期まで、寂しくないように。その女が死んでも、会いに行こう。

その女の死を看取ること。

それだけが、ブチャラティに返せる恩であるはずだ。

 

 

暗い、カーテンの閉め切られた執務室にて。

黒い髪の女が書類を見つめている。

 

「・・・・ブラック・サバス。」

 

それに、ゆるりと影の中から人影が現れる。そのスタンドは、じっとポルポを見ていた。

 

「用か、主よ。」

「いいえ、用なんてありませんよ。ただ、ああと。」

 

ポルポは執務椅子の上で膝を抱えて、諦観の混じる眼で書類を見た。

そこには、ブローノ・ブチャラティ、ある構成員の情報が書かれていた。

 

「運命が変えられたなんて、そんな夢みたいな話ですね。」

 

筋書きなんて、変わるはずがないのに。

 






すいません、丈太郎さんの方が難航しておりまして。
以前書いたブチャラティの話の続きになります。
話の順番に関しては考えます。

蛇足として、
影は案外確信犯だったり。

感想、いただけると嬉しいです。


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唐突な訪問

ギアッチョ、イルーゾォ、メローネ、そうしてペッシと世話を焼くのが好きな人。


お久しぶりです。
前の続きではないのですが、軽い話を書きたくなりまして。
ペッシを中心にした話は、また改めて書こうと思っています。


 

 

「・・・・ああ、ペッシ。すいません、これからそちらに伺いますから。」

 

アジトに唐突にかかってきた電話に、ペッシは固まった。

 

 

その日、ペッシはアジトにいた。リゾット・ネエロとプロシュート、そうしてホルマジオは任務に出かけていた。

任務がないのは、ペッシ、ギアッチョとメローネ、イルーゾォ、そうしてソルベとジェラート。が、その内、ソルベとジェラートたち以外がアジトにいた。

大抵、任務がなければそれぞれで行動している彼らだが、この頃はよく比較的若造たちはアジトに集まるようになっていた。理由というのも、アジトの設備がよいためだ。

ある意味ですぐに捨てる可能性もあるために、トイレやらシャワーやらは最低限であるが、置いてある家電についてはやたらといい。それに加えて、仮眠のためだとかに用意したソファやらベッドの質も格段にいい。

何よりも、メローネとギアッチョが冗談でポルポに頼んだテレビだとかゲームだとかの娯楽がそろっているせいもある。何よりもアジトの光熱費はポルポ持ちということもあり、暇な人間がたむろっている。

ペッシについては、リーダーであるリゾットへの緊急の連絡がある場合があり、電話番にアジトにいた。

そんなとき、電話があったのだ。特別な用のない昼下がり。

何かしら食事でもするかという時のことだった。

上司であるポルポからの電話にそこまで緊張しなかったのは、彼女の性格を知っているためであろうか。

 

(ギャングの上の人があんなにも優しくて大丈夫なんだろうか。)

 

そんなことを考えながら、ペッシは皆の集まる部屋に向かう。

どうしても必要な書類を取りに来ることと、もう一つ用があるためこちらに向かうことのことだった。

暗殺者チームに入って未だ日の浅いペッシには初めてのことで、緊急事態ではないかと内心ではドキドキとしていた。

そうして、アジトの中心、一番に広いリビングに当たる部屋に入った。

 

「なあ、ちょっといいか?」

「なんだよ、ペッシ。電話、何だったんだ?」

 

部屋の中にはコントローラーを持ったギアッチョとメローネ、そうしてイルーゾォがいた。彼らを見て、ペッシは恐る恐る言った。

 

「その、ポルポから連絡だったんだけど。」

「珍、しくねえか。あいつ、そこそこ連絡してくるしよ。」

「それで、何の用だったんだ?」

「これから用があるからアジトに来るってさ。」

「アジトになあ。」

 

のんびりとイルーゾォがそう言った後、三人は慌てて立ち上がり、ペッシを見た。

 

「これからか!?」

 

絶叫じみたそれに、ペッシは恐る恐る頷いた。

 

 

「片付けろ!!」

「どっからだよ!?」

「ともかく、やべえもんはだろう!?」

 

ばたばたと騒ぎ出した先輩たちにペッシは見守る。突然の三人のそれに動揺を隠しきれず、おろおろと慌てるペッシをギアッチョがどやす。

 

「ペッシ!てめえも手え動かせ!?」

「い、いや、何そんなに慌ててんだよ?」

 

それに大慌てで散々に散らかしていた部屋の片付けを行っていた三人は顔を見合わせた。

 

「お前、知らないのか?」

「だから、何がだよ?」

「プロシュートの奴言ってねえのか。」

 

呆れたようなメローネの言葉に、イルーゾォはペッシにずいっと近づき口を開いた。

 

「いいかあ、このチームには一つの鉄の掟があるんだよ。ポルポがアジトに来る日は、ぜってえ片付けを済ませとくんだ。」

「なんで?」

 

それに三人は黙り込む。だが、決死の覚悟という風体でギアッチョが悲壮な表情で口を開く。

 

「言うぞ。」

「おい、ギアッチョ!」

「馬鹿野郎、ここで言っとかねえと、こいつだけの時にポルポがきたらどうすんだ!?」

「あのことは。」

「・・・・いいや、言っておいたほうがいい。」

 

重苦しいメローネの言葉に、イルーゾォも黙り込む。その様子を見て、ギアッチョは改めてペッシの方を見た。

 

「・・・いいか、手短に話すからな。」

 

ギアッチョはあまりにも重苦しいという雰囲気で口を開いた。

 

それはペッシがチームに入る以前の出来事だった。

当時、チームがポルポ預かりになってすぐのことでアジトも彼女の援助によって設備がだいぶ整っていたときのことだ。

その時も、居心地の良くなったアジトに入り浸るものも多く、リゾットとプロシュート、ホルマジオ以外のメンバーがたむろしていた。

もちろん、年頃の男の、おまけにお世辞にも素行のよいもののいない状態だ。

アジトの中はそれ相応に荒れていた。

ゴミ屋敷、とまではいかないがおせじにも住み心地がいいとは言えない状態だった。

リゾットやプロシュートがいれば何かしらのことを言っただろうか、残念ながら二人は任務でいない時のことだった。

帰ってくるまでに片付ければいいだろうという算段であった。

そんな日のことだ。

リゾットの仕上げた書類を取りにポルポがやってきたのは。

 

「そん時、丁度昼飯でよ。カードで負けた奴が全部おごることになってたんだよ。」

「イルーゾォが負けてたよね。」

「今は関係ないだろ!?」

「うるせえよ!!それでだ、昼飯食いに外に出ようとしたときにポルポと玄関で出くわしてよお。」

「一人で?」

「あいつ、ちょこちょこ一人で出歩いてるぜ。」

「あのスタンドがいりゃあ逃げるのには苦労しないしな。」

 

ペッシはマフィアの幹部がそんなにも簡単に外出していいのかわからない。それよりも、幹部に対してこんなにも気軽でいいのかもわからない中、話の続きに耳を傾ける。

 

「それでだ。俺たちもあいつのこと気にすることもなく昼飯食いに出かけてな。ポルポのスタンド能力なら、俺たちがいなくても出られるだろうと思ったしよ。そんで、家に帰ったら。」

綺麗に、片付けられてた。

 

非常に言いにくそうなギアッチョのそれに、ペッシははてりと首をかしげた。

 

「・・・・・ギアッチョ、もしかして、ポルポに家の片付けさしちまったのか!?」

 

一瞬の間の後、ペッシは大慌てで叫んだ。

いっくら、ポルポが温和で優しかろうと、彼女があきれかえるほどアジトを汚していたならば、それは怒られるだろう。基本的に、理性的なリゾットとて怒ったことだろう。

ペッシは、普段怒らないリゾットのことを思い出して怯える。

が、彼の様子にメローネは首を振る。

 

「いや、そこじゃないよ。ポルポの場合、片付けをしてるのはたぶん嬉しいよ。そういう奴だし。リゾットもたぶん、ポルポが掃除したことに関しては怒んなかったんだけどさ。」

「プロシュートはくっそ怒り狂ってたけどよ。」

「そりゃあ、そうだろう。あいつ、ポルポに関しては忠誠心みたいなもんはあるし。」

「じゃあ、なんで片付けが掟になんだよ。」

 

ペッシのそれに、三人はそれぞれなんとも言えないような顔でどことも言えない方向を見た。ペッシの困惑顔に、ギアッチョがヤケクソのような表情で叫ぶ。

 

「ポルノ雑誌、あいつに片付けられたんだよ!」

 

その言葉にペッシの目が点になる。

 

片付けまでは別になんの問題もなかったのだ。ただ、そこに転がっていたものが問題だった。居間に当たるスペースは、ギアッチョたちが帰ってくる頃にはそれはそれは綺麗に片付けられていた。

埃を掃き、拭き掃除まで済ませたそれにギアッチョたちでさえも感心してポルポを褒めた。ポルポも元々家事が趣味のような人間なため、褒め言葉に機嫌がよさそうな顔をしていた。

そうだ、ギアッチョたちも感心していたのだ。申し訳程度に設置されていた本棚に、綺麗に並べられたポルノ雑誌を見るまでは。

何もなかったそこに並べられたのがそれであると理解したギアッチョたちは、何の号令もなく一斉にポルポを見た。

彼女は、ギアッチョたちの見ていた方向で何が言いたいかわかったのか、ああと頷いた。

 

「ああ、どこに置けばわからなかったので。」

捨てない方がいいですよね、あれ。

 

その時の、あの、ポルポの浮かべた生ぬるい目を、ギアッチョは一生忘れないだろう。

こみ上げてくるような、気まずさ、羞恥、言いたくなる言い訳。

ポルポはそのまま、動揺の一つも無く帰りますねえなんて言葉を返して帰って行った。

ギアッチョたちは呆然とそれを見送った後、無言で雑誌を捨てた。

三者三様に、羞恥でのたうち回った。

ただの女ならば、こんな感情を抱かなかっただろう。それこそ、目の前で読むぐらいのことはしていただろう。

だが、ギアッチョはその後、女ならんなもんさわんじゃねえよおおおおお、と。

一頻りのたうち回るほどの気まずさと羞恥に襲われた。

何がそんなにも恥ずかしいのかわからない、気まずいのかわからない。

ただ、ポルポのなんとも言えない生ぬるい目に対して、意味をなさないわめき声を叫ばずにはいられなかった。

必死に、マニアックな分類に入るだろうものがないかと調べ、どれが誰の物なのか知られていないか知りたくてしょうがない。

仮に、それが自分の物であると思われていたらどうしようか。

違う、違うのだ。

何が違うのか、いや、何も違うことはない。

自分たちはそういった雑誌を読んでいて、散らかしていた。

それをポルポが片付けた。

何のおかしいところもない、全面的に自分たちのせいだ。

だが、それでも、ギアッチョたちはばたばたとのたうち回った。今まで感じたことのない、解消しきれない感情だった。

ひたすらなまでに恥ずかしい。気まずい。

なぜ、堂々と片付けた。せめて、放っておいてくれればよいものを。

というか、散らかっていたからといって勝手に部下の部屋を片付けるな!

が、そんなことが通じないからこそ、今のところギアッチョたちを制御しているのだ。

が、そんなことなど知るよしもない彼女はいつもの雑談の中で掃除のことを話してしまった。ポルポを親のように慕い、部下として忠誠心を持ち合わせているカラマーロの反応は想像に難くないだろう。

そうして、カラマーロからその件がリゾットと、そうしてプロシュートにも伝わった末に特にアジトを散らかしていた年少組は相応の叱りを受けることとなった。

 

「ホルマジオはいいけどよ、プロシュートの奴がくっそキレやがって。自分だって置いてたんだぞ!?」

「そんなこといったらよ、ホルマジオの奴だって雑誌置いてたくせに、しれっと俺たちに押しつけたんだぞ?」

「俺、あんなにキレたリーダー、二度と会いたくない。」

「・・・・そんなことがあってなんでこんなに散らかしてんの?」

 

ペッシの素朴な疑問に三人はそっと立ち上がる。

 

「おい、さっさと片付けるぞ!」

「ともかく絶対にやばいのだけマン・イン・ザ・ミラーで鏡の中に放り込んどこうぜ。」

「ちっ、しかたがねえか。」

 

取り残されたペッシは無視されたことに愕然とするが、思えば最初から散らかさないという選択肢があれば元々こんなことにはなっていないかと思い立つ。

 

(まあ、まともな奴がここにいるわけねえのかな。)

「おい、ペッシ。箒もってこいよ。」

「わかった。」

 

きっと、今更何かを言っても無駄であろうと察して、ペッシはため息をつきながら箒を探しに部屋を出た。

 

 

 

 

がちゃがちゃと、掃除とは言えない音が部屋に響き渡る。

すでに、見られてはいけない物は鏡の中に放り込んである。

 

「ポルポの仕事場からならまだ時間があるはずだろ、その前に。」

 

ギアッチョが最後の仕上げとなれぬ動作で箒を使っているとき、ピーンポーンと音が響き渡る。

それに皆で顔を見合わせる。

部屋の中は、物をどかしただけで荒れ果てた雰囲気は変わらない。そうして、ギアッチョたちが片付けたのはあくまで居間だけで、仮眠室等は手が回っていない。

 

「ペッシ、なんとかごまかしてこい!」

「ええ!?でも、居間だけ片付ければごまかせるんじゃ。」

「馬鹿野郎!ポルポのスタンドは自我がくっそ芽生えてるから、このアジト内だったらどこでも出入りして堂々とやべえもん持ってくるぞ!?」

「ブラック・サバスは本当に興味深い。下手をしたら、普通の人間程度の自我や知性があると思うんだけど、なかなか会える機会もないしね。おまけに、ワインなんかの好みまである。食べられると言うことは、それを代謝しているということで、そのエネルギーは何に使われているのかという・・・・・」

「メローネ、ほざいてねえで手え動かせ!」

「ともかく、仕方がねえから俺がアジトを回ってやばそうなもんだけ鏡に放り込むから、お前はそれまで時間稼げ!ばれてプロシュートに叱られたくねえだろうが!」

 

そのどやしを背に、ペッシは慌てて廊下を走る。そうして、玄関に立ち、そっと外をうかがった。

そこには、白いシャツに簡素なスラックスを履いたポルポがいた。手を丁寧に組み、淡く笑う痩せた白い女はまるでいっそのこと幽鬼のように見える。

ただ、浮かべた柔らかな笑みはひどく人に対して安心感をもたらした。

ポルポであることを理解し、ペッシはどうしたものかと悩む。それでも、待たせるわけにはいかないと、玄関を開けた。

 

「・・・・えっと、すいません、開けるのが遅れて。」

「いいですよ。私もすいません、急に来ると言ってしまって。リゾットから受け取るものを、一つだけ忘れてしまっていたので。」

「お、俺がとってきましょうか?」

「すいません、ペッシ。君には見せられない書類なので。」

「あ、そうですか。」

 

引き留める方法も思いつかずに、ペッシはしおしおとしょげる。それに、ポルポはああと頷いてうつむいた彼の顔をのぞき込む。

 

「気遣ってくれたんですね。ありがとうございます。」

 

にこりと微笑んだその姿に、ペッシはほっと息をつきたくなる。

 

「それじゃあ、お邪魔させていただきますね?」

「え、えっと。あの。」

「何か、ありましたか?トラブルがあるのなら、こちらで対処しますが?」

 

心配そうなポルポの顔にペッシの中で罪悪感が膨らむ。

いや、トラブルなんて欠片だって無い。ただ、慌てて部屋の片付けをしているだけ。それだけの話なのだ。

心配そうなその表情にペッシができることもない。そっと体をずらせば、不思議そうな顔をポルポはしたもののするりと家に入り込んだ。

彼女は慣れた様子で廊下を歩く。家の中は灯りはまだともっておらず、彼女の足下に影ができる。

そうして、その影から何かが這い上がってくる。人型のそれは、ポルポの背中にへばりつくようにいた。

ペッシが驚いたように体を震わせると、それはにたりと笑った気がした。

ペッシがスタンドを手に入れたときも、確かにそれを見た。

 

(ブラック・サバス。)

 

それはくすくすと子供のような声を上げた。不気味だと、ペッシは思う。思えば。そのスタンドは言葉さえ発していた。

 

(なんか、人間みたいで。)

「どうかしましたか?」

「え!?」

 

ペッシはくるりと、ポルポが自分の方に視線を向けていることに気づく。

 

「この子が何かしましたか?」

「い、いえ。」

「そうですか。」

 

不思議そうな顔をした後、ポルポはまた前を向いた。ペッシは思い浮かんだそれを振り払うように頭を振り、そうしてその後に続いた。

 

「そういえば、今日はギアッチョたちはいないんですか?」

「あ、えっと。さっきまでいたと思うんですけど。」

「そうですか。そういえば、ここには慣れましたか?」

「はい、その、兄貴がよくしてくれてます。」

 

恐る恐るそういえば、彼女は振り返ることはなかったけれど、幾度も頷いた。幾度も、幾度も、そうですかと頷いていた。

ペッシは、そんな彼女に何を返せばいいのかわからずに黙り込んで下を向いた。

目の前にいるのは腐っても幹部だ。自分よりもずっと格上の、ボスのお気に入り。

けれど、不思議と恐ろしいとは感じない。

そのままポルポは黙って廊下を進んだ。

 

(でも、どうしようか。いや、そうはいっても方向的にリーダーの使ってる部屋に行ってるし。廊下にやばいもんは置いてないからいける。)

 

ポルポはペッシの考え通り、まっすぐにリゾットの使っている仕事部屋に向かう。そうして、彼女はドアの前に立った。

がちゃりと、慣れた様子で彼女は部屋に入った。主のいない部屋はがらんとしており、カーテンが閉まっているせいか薄暗い。

彼女は部屋にぽつんと置かれた机をあさり、そうして数枚の紙を確認した後、それを床に向けた。ペッシが何をしているのかとみていると、影から手がにょきりと生えた。

 

「お願いしますね。」

 

その数枚の紙は手に渡されて影の中に沈んでいく。薄暗い部屋の中、黒い髪に赤い瞳の女だけが残された。

ポルポはそのままペッシの方に歩いてくる

ペッシは出入り口にどいた。

 

「ありがとうございます。仕事についてもう終わりました。」

 

それにペッシはほっとする。このまま穏便に帰ってくれれば万々歳だ。そう思っていたが、彼女は何を思ったのかゆるゆると微笑んだ。

 

「はい、次は私的な件での用があるんですが。」

「え?」

 

 

 

ギアッチョたちはその後、なんとかやばい物は鏡の中に放り込み、体裁が取り繕える程度に片付けを終えた。

実際の所は、ただ単に物を移動しただけだが一時的なごまかしができればいいだけなのだから。

 

「そういや、ポルポどうなったんだ?」

「ペッシの奴も帰ってこねえし。」

「もしかして、もう帰ったのか?」

「はあ?なんだよ、片付け損じゃねえか。」

「いや、それはない。大体、ポルポはここに来るときは土産を持って顔だけは出すし。」

 

がやがやと三人が部屋から出たその時だ。

どこからか、くんと良い匂いがしてきた。それに三人は顔を見合わせる。そうして、それぞれで同じ考えに至り、どたどたとキッチンに向かった。

突っ込むような勢いで入ったキッチン。

そこには、ポルポとペッシ。

 

「ああ。三人とも。よければ、ご飯でもいかがですか。」

 

にっこりと笑った彼女は、キッチンに溢れるような鍋や皿の中心でにこにこと微笑んでいた。

いったいどんな状態かはわからずとも、それでも確かに香ってくる腹の空く匂い。

掃除をしたことに加えて昼食を食べていないため、一斉に腹が鳴った。

こくりと思わず頷けば、ポルポは嬉しそうに微笑んだ。

 

 

どういうことなのだろうか。

ギアッチョはそう思いつつも、机に並べられた食事を口に運ぶ。

料理自体は良くも悪くも統一性という物は無い。

肉料理に、魚料理。パスタもある。

家庭料理から、やたらと凝ったものまである。

 

(旨い。)

 

その料理は、そんな感想が出る程度には見事な物だった。大皿料理が多かったが、皿の上の物を平らげればすぐにおかわりが盛られる。

ポルポが一緒に持ってきた酒もまた、食事に合う。

やたらと食べ慣れていると感じる食事に既視感を覚えた。

 

「いや、待て待て待て。ちげええんだよ。なんで俺はメシ食ってんだ?」

 

ギアッチョが思わずそういえば、皆の皿におかわりを盛っていたポルポが首をかしげた。

 

「嫌いな物でもありましたか?」

「そういうことじゃねえええんだよ!ポルポ、てめえ、書類を取りに来たんだろう?」

「はい。それはそうなんですが。実は、料理を作りすぎてしまって。」

「作りすぎたってレベルか?」

 

ポルポの言葉にイルーゾォがそういった。その言葉の通り、影の中に入れてきた鍋やら器でキッチンはあふれかえっている。ギアッチョたちは、現在キッチンの隅に置かれたテーブルに座って食事をしていた。

その鍋と空腹、そうしてポルポに流されて思わず目の前の並べられた食事に手をつけたが、明らかに変だろう。

何故、自分は上司に食事を食べさせられているのか。

 

「あと、何だろ。やけに食べ慣れてる気がする。」

 

メローネの言葉にまたポルポは頷いた。

 

「はい、私の作った物は、ここの冷蔵庫に入れてもらっていたので。皆さん、食べたことがあるのかと。」

 

それにペッシが咳き込む。

 

「あれですか!?」

「あの、定期的に冷蔵庫を充ち満ちにする、あの!?」

「はい。時々、嫌なことがあると大量の食事を作りたくなって。」

「てっきりリーダーが作ってると思ってた。」

「ギアッチョの中でのリゾットはどんな奴になってんだよ。」

 

言われてみれば納得の話で、自分たちの知り合いで、おまけにリーダーがアジトに置くことを許可するほどに信頼が置ける人間は限られている。そうして、それにプラスして食事をそこまで頻繁に作るようなのはそれこそ幾人いるのか。

 

「つまりよお、書類が本命じゃなくて、メシを置きに来るのが本命だったって事か?」

「いえ、頼みのリゾットが任務ですし。ここなら、食べる方もおられないかと。」

 

ギアッチョはそれに呆れたようにため息を吐いた。それこそ、掃除をしなくてよかった可能性もあるのだ。

そう思いつつ、ギアッチョはまた料理を口に運んだ。

その料理は、当人が食べるためのものではなく、ひたすら手間をかけて味を良くすることに特化していた。

趣味で作ったらしいそれは、確かにおいしい。

 

(・・・・他人の作ったもんか。)

 

ギアッチョはふと、思い出す。

料理に舌鼓を打って、ふと周りを見回した。この中で、いったい幾人が、無償で提供される誰かの食事を食べたことがあるのだろうか。

少なくとも、ギアッチョは記憶の上でない。自分で腹を満たすために作ることはあっても、明確に食べ慣れた味なんてないだろう。

ギアッチョはまた、食事を口に運んだ。

その味は、すっかりとギアッチョになじんでいた。いつの間にか、冷蔵庫に満たされているそれを、ギアッチョはよく食べていた。それこそ、イルーゾォやメローネも相応に口にしているだろう。

その、暖かな食事は、確かにギアッチョのものだ。任務終わりに、腹が空けばこの味を食べていた。出迎えられるときのそれは、確かにギアッチョにとって何かを誘う味だった。

ああ、帰ってきたのだなあと。

それこそ、遠出をした後にその味を口にすれば、肩から力が抜ける気がした。

 

「ギアッチョ?」

 

声がする。優しくて、穏やかな、そんな声がする。遠い昔、夕方の中に子を呼ぶ母のような声がする。声のする方に目線を向ければ、黒髪の女が不思議そうな顔をしていた。

 

「おかわり、いりますか?」

「あ、ああ。」

 

そういえば、彼女は嬉しそうに暖かな食事を皿に盛った。それを口にほおばれば、ポルポはこんなにも嬉しいことはないとにこにこと笑う。

イルーゾォにも、メローネにも、ペッシにも。

同じような、ひどく嬉しそうな目で彼らが食事するのを見る。

その、生ぬるい目を見ると、そわそわと落ち着かなくなる。腹の底がむずむずとするような、そんな落ち着かない感覚だ。

 

「あんたは食わねえのか?」

「もう、家で食べてきました。だから、遠慮せずに食べてくださいね。」

 

機嫌がよさそうにポルポは言うと、またコンロの方に向かって行ってしまう。なんとなく、四人は何かを話すこともなく食事を続けた。

ポルポは椅子に座ることもなく、食事を温め直したり、空になった器を片付けたりと、忙しなく動いている。それを止めさせた方がいいのではないかと思うのだが、あまりにも機嫌のいい彼女にそんなことを言うのもはばかられた。

ギアッチョはそれぞれの顔を見た。

別に、食事がまずいわけではない。話す話題がないわけではない。

ただ、互いにその場を支配する柔らかな空気が居心地が悪いのだ。そんなことを互いに理解しても、その空気を壊そうとは思わない。

いい匂いがする。女の柔らかな鼻歌がする。

居心地が悪い。溜まらなく、居心地が悪くて、そのくせその女の鼻歌が終わらないことをどこかで願っている。

満たされた腹に、食器を机に置けばポルポは空になった器を見て、機嫌よさそうな顔をした。

そこで、ギアッチョは女がメローネに微笑みかけるのを見た。

同じように食事を終えたらしい彼にポルポはにこにことやっぱり笑う。

 

「嫌いな物は無かったですか?メローネ、魚料理、好きでしたよね?」

 

何気ない言葉であるはずなのに、メローネは目を見開いて、そうして頷いた。

子供のような、顔だった。幼い子供のような顔をしていた物だから。ギアッチョは

咄嗟に叫びそうになる。

止めろ、なんて。

何を止めたいかわからないままに叫ぼうとした。けれど、ギアッチョの方を見たポルポの顔を見ると、喉の奥に張り付いたそれが流れてしまう。

 

「どうかしましたか?」

「・・・・・なんでもねえよ。」

「そうですか。ああ、デザートもありますよ。」

 

ウキウキとした声で、彼女はギアッチョに背を向けた。イルーゾォはデザートに心が引かれたのか、ポルポの背を追う。ペッシは不思議そうな顔でギアッチョを見るが、変わることなく食事を続けた。

メローネはどこかぼんやりとした目で、ポルポの背を追う。

生ぬるい空気だ。腹の底で、もぞもぞと何かが動く。たまらなくそれが居心地が悪くなる。

けれど、その空気に浸っていたいと思う。

誰が、自分の好物を知っているだろうか。覚えていてくれるだろうか。

にこにこと笑って、温かな食事を無償で与えてくれるだろうか。

黄昏の似合う女は、ギアッチョたちに微笑んだ。鼻歌が聞こえる、女の柔らかな鼻歌だ。

それに慣れてはいけないのだろう。

ギアッチョたちは、裏の人間で。そんな優しいものを当たり前とすることも、慣れることもあってはいけないのだろう。

それでも、その味はすっかりギアッチョの舌になじんでしまっている。好物が、冷蔵庫に入っていることを望んでいる自分がいる。

それは、それは、きっと好ましくないことなのだと、ギアッチョはわかるのだ。

くすくすと、声がした。それに、ギアッチョは視線を向けると、自分の背後、丁度影になった部分にブラック・サバスが立っていた。

それは何を思ったのか、ギアッチョの頭を撫でるように手を滑らせた。そうして、とぷりと、影の中に消えてしまう。

 

「なんだよ。くそが。」

 

弱々しい声の中で、部屋の中は旨そうな匂いで満たされていた。

 




また、感想いただければ嬉しいです。


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どんな大人もいつかの子供

いつか子供だった誰かと哀れんでいる人


難産でした。ともかく、四部の続きになります。
書いてたら長くなりそうだったので、ちょっと場面をざっくりにしました。詳しい描写はもう少し小分けで書いていきます。
飛んでしまっていて済みません。

感想、いただけると嬉しいです。


 

その日、虹村億泰はそわそわと落ち着かなかった。

ちらりと学校帰り、少し先を歩く兄、虹村形兆のことをうかがった。

 

(・・・今日の兄貴、なんかおかしいんだよな。)

 

彼の悩みの種と言うのは、兄の事だった。

億泰にとって、兄の形兆は自慢の兄だった。例え、どれだけ厳しかろうと頭もよくかっこいい兄のことを億泰は慕っていた。

けれど、その兄は何故か昨日から様子がおかしい。

遅くまで帰って来ることも無く、帰って来ても自室に籠ってしまった。

それについては珍しくない。以前はもっと騒がしかったのだが、空色のキャスケットを被った存在に助けられてから形兆はどこかおかしい。

監視の目があるということもある為だろうが、それでも形兆はなんだか物思いに耽ることが多くなったように思う。

どこか、遠い場所を見るような眼だ。その眼が、億泰にはたまらなく恐ろしかった。

兄がどこかにふっと行ってしまいそうで、たまらなく恐ろしいと思った。

 

「・・・なあ、仗助。兄貴、おかしくねえか?」

 

億泰は恐る恐ると言う体で自分と同じように兄の後方を歩く東方仗助に話しかけた。

仗助はそんなことを言われて何とも言えない顔をする。

 

「俺がお前の兄貴のことそこまで知る訳ねえだろ?」

「だよなあ。でもよお、やっぱおかしいんだよ。」

 

学校からの帰り道、億泰の言葉に仗助はちらりと形兆のことを見た。仗助はさほど形兆のことを知らない。

ただ、確かに彼と最初にあったときと比べれば明らかに違うだろう。

何か、彼の内にあったギラギラとした何かが薄れているのは感じられた。もしかすれば、普段の雰囲気などこんなものかもしれない。

ただ、飢えていたような何かは消えてしまったのは事実だ。が、そうはいってもはっきりとしたことを言えるわけはない。

仗助自身、形兆という存在に何を思えばいいのかわからなかった。彼のせいで死にかけた人間がいる。

けれど、彼の尊敬する空条承太郎からはひとまずは彼のことは放っておけとも言われている。

こうやって仗助が彼らと歩いているのは、なんだかんだで億泰と気が合ったことに加えて一応の監視という名目がある。

 

(監視なんかガラじゃねえんだけどなあ。)

 

そんなことを思っているときだ。自分たちの歩く地面に大きな、何かの影が見える。それはだんと自分たちの横に降り立った。それはまるでサイボーグのような狼にまたがった少女だ。

 

「いた!!!」

 

特徴的な空色のキャスケットが視界の中に飛び込んできた。仗助は思わず身構える。その、目が覚めるような空色のキャスケットには覚えがある。

黒い髪をしたそれは、自分とさほど変わらないように見えた。

 

「東方仗助君!ごめん、ちょっとだけ一緒に来てくれないかな?」

 

狼から飛び降りた少女は仗助を見てそういった。仗助が応えるよりも前に彼女の姿を見た形兆が駆け寄った。

 

「どうした?」

「やあ、形兆君。ちょーっとってレベルじゃないほどにトラブっててさ!」

 

なかなかに親しげな二人に億泰はドキドキしながら二人を見た。お世辞にも、兄がそんなにも無防備に誰かに話しかけるなどなかったことだ。

仗助はあまりにも軽やかに話しかけられて出鼻をくじかれたようで同じように成り行きを見つめていた。

 

「トラブル?」

「・・・・・空条承太郎と主様の交渉が決裂。そのまま戦闘に入った。」

 

形兆の問いかけに迷うような仕草をした後、彼女はじっと仗助を見た。少女の言葉に、形兆はあからさまに動揺する。

仗助もまた混乱していた。彼は承太郎から何も聞かされておらず、何故そんなことになっているかわからない。元より、彼女に上の人間がいることだって知らなかったのだ。

 

「あの人が!?」

 

形兆は目を見開いて少女に詰め寄る。

 

「何があったんだ!?今、いったいどこに!?」

 

それに少女は彼を落ち着かせるようにその腹を手の甲で叩いた。

 

「だからなんとかするためにここに来たんだよ!少し黙って!」

 

ぴしゃりとそう言った後、彼女は仗助を見た。

 

「東方仗助君。君に頼みがあるんだよ。」

「・・・・てめえはあのときの、だよな。」

「はははは、そうそう。私はクララ。じっくりと自己紹介はしたいけれどそんな時間はないのでね。単刀直入に頼みを言おうか。私と来て、なんとかマスターと空条承太郎との間を取り持っていただけないでしょうか。」

「ます、たー?」

「私の上司!」

 

仗助は突然の頼みに驚いた。そうして、慌てて口を開く。

 

「んなこと俺に言われてもなあ。」

「報酬なら私が払える分ならいくらでもお支払いします。もちろん、空条承太郎への便宜も図ります。」

 

自分ににじり寄る、どこか中性的な少女の様に思わずたじろいた。仗助としてもはっきりとしたことは言えない。

彼女自身に敵意はないが、かといって承太郎と戦闘になる相手の味方をしていいのだろうか。

 

「仗助。」

 

悩んでいた仗助にしかめっ面の形兆が話しかける。

 

「何だよ。」

「・・・・頼みを聞いてくれないか?」

 

こわばっていた声に仗助は目を丸くした。だって、あの形兆なのだ。自分の中で決めたことに徹底的に従って、利己的で、己の弟さえも目的のために使う。

その男が頼み事をしてきたのだ。まるで迷子の子供のような様相で。

固まった仗助に億泰も恐る恐る話しかけてくる。

 

「なあ、仗助。」

 

それが兄の頼みを後押しすることぐらいは予想ができた。三人から向けられる視線に耐えきれなくなり、仗助はああ!と声を上げる。

元より、仗助には経験が足りない。現在、けして乗ってはいけない誘いだと理解しても。それでも、彼らの目を見ているとぐらついてしまっている。

確かに形兆たちには散々な目には遭わせられたが、敵意を向けきれていない自分がいた。

億泰は性格が性格であったし、形兆は父親への気持ちを聞いたとき、どこか優しい彼の心は傾きかけてしまっていた。

 

「・・・・なんでそんなに必死なんだよ。」

 

最後の抵抗にそう聞いた。それに、自分を青い瞳がじっと見る。

 

「助けられたから。」

 

耳を傾けずにいられないような、強い言葉でそういった。

 

「死んでしまうかもしれなくても、あの人は確かにリスクがあっても私を助けた。私は確かに地獄のような世界にいるけれど。あの人は、それでも生きたいかと言ってくれた。命には命であがなうと決めた。恩がある。ただ、それだけ。」

 

それに仗助は諸手を挙げて降参した。

ああ、そうだ。

その言葉が本音であるとわかる。

わかるのだ。命を救われたというあり方。憧れを孕んだ、誰かへの敬意。

それを出されて、抵抗なんてできるはずがないのだ。

 

「わかった、行けばいいんだろうがよお!」

「よし!それじゃあ、君は私の後ろに乗って!ぶっ飛ばしますから!!」

 

颯爽と後ろのスタンドに飛び乗った少女に押されて仗助はそれに従った。

 

「それじゃあ、二人はリゾットたちの方に行って欲しいんだけど。」

「リゾット?」

 

そんな会話を聞きながら仗助はこのまま流されていいのかと悩む。思えば自分はこの少女の名前もろくに知らない。何よりも、話を聞く上では承太郎の敵であるという存在を助けに行かねばならないらしい。

もしやすれば、罠かもしれない。

 

(情報がねえんだよ。情報が。)

 

絶対に、この後何があっても承太郎は怒りそうだなあとぼんやり考える。けれど、仗助は形兆の浮かべた、頼むと言った、その幼い顔を見てしまった。

落ち着かない、その、さほど変わらない年齢であれど、ひどく老いた目をした男の幼いそれは。

何よりも、一応は少女に助けられたこともある。敵意だって感じない。

流されてしまったという自覚はある。けれど、なんとなくでも。

 

(助けてやりたいなんざ、そんなことを。)

 

思ってしまうことは愚かなのだろうか。

 

 

 

 

 

「プロシュート、いい加減にしなければ足の一本は吹っ飛ぶことになるぞ!!」

「やれるものならやってみろ。リゾット。」

 

人気の無い路地裏、向かい合った金髪と銀髪の男は吠えるようにそう言い放った。

銀髪の男、リゾット・ネエロは苛立ち気味に金髪の男、プロシュートを睨んだ。

今まで散々に、クソガキ顔負けの鬼ごっこを繰り広げていた二人はすでに息切れの中でにらみ合っていた。

元より、二人の間に身体能力上での差は無い。プロシュートは幾度かスタンドを使いリゾットを老化させようと試みたが、元より能力はしれている。閉鎖空間ではない野外では立ち回りさえ考えればなんとかなる。

リゾットは己の姿を景色に溶け込ませながらプロシュートの後を追いかけた。プロシュート自身、辺りに無差別にガスを吐き出すという選択肢がないわけではなかった。

けれど、自分までガスを浴びれば全て老人基準になる。いち早くポルポの元に急がなくてはいけない現状ではどうしてもそれはできない。

リゾットを狙い撃ちにしようとしても本人の姿は見えない。

そのため、二人は

体力勝負の鬼ごっこを繰り広げていた。力尽くで止めるという選択肢をとらないのは、肝心のポルポに何かあったとき、互いに再起不能では笑えないとブレーキはかかっていたためだ。

そうして、さすがに全力疾走が辛くなり、プロシュートは止まったのだ。

プロシュートは己の邪魔をするリゾットを睨んだ。

それにリゾットは彼を止めるために姿を現した。

 

「いいか。今回の任務でもっとも犯しちゃならないのは、SPW財団に俺達の存在がばれることだ。ここでばれれば、組織内でのポルポの立場が危うくなる。空条承太郎と戦うことがどれほど愚かか、わからないのか!?」

「組織の事なんざかんけえねえんだ!あの女が望んだんだ。ポルポの願いを俺は叶えるだけだ!」

「立場をわきまえろ!」

「知るか!」

 

たたき付けるような声でプロシュートは言った。

 

「俺には大事なものがある!」

 

向かい合った青年にリゾットは少しだけひるんだ。

夕暮れが少しずつ近づいている。人気の無いそこでプロシュートはまるで幼い子供のように心細そうな顔をしていた。

 

「救われた。」

 

掠れた声で彼は吐き捨てた。

プロシュートは激情家に見えるが、彼ほど冷静であるメンバーはいないだろう。強力なスタンドを使い、取り乱すこともなく、己の仕事を遂行する。

元々、ポルポの右腕であるカラマーロに教育を受けたせいか、その思考は骨の髄までこちら側だ。

けれど、その時の言葉は確かにプロシュートの、心の底からの本音であると思った。どうしようもない、彼の柔い何かであると思った。

 

「くそみてえな肥だめの中で生きた。そっから引っ張り上げられたんだ。生きたいかと問うてきたあいつは、俺を生かした。善意も慈悲も俺達には存在しねえ。でもな、借りは返さなきゃならねえ。だがな、それさえもいらねえんだとよ。」

 

見開かれた青い目がリゾットを見る。

 

「わかるか?初めて、誰かに与えたいと願ったんだよ。初めて、そいつに何かしてやりたいと思ったんだよ。最悪の気分だ。そう願ったやつは結局、捧げたいと願う栄光さえもドブに捨てやがる。だから、何をしたって俺はあいつの怒りを手に入れる。引きずり倒してでも、あいつを生かして、殺さなきゃならねんだ。」

 

痛ましいと、そう一言吐けばいいのだろうか。

哀れみなど必要ない、少なくとも自分たちにとってはそうだった。けれど、けれど、それを痛ましいと思わなければそうだろう。

愛したいと願っても、それを突き放された子供がそこにいた。

けれどリゾットに哀れんでやる暇はない。そんなものは自分たちに必要ないのだろう。

そうして、彼女を早く回収しなくてはならない。

リゾットは本格的にプロシュートを戦闘不能にすることを覚悟する。その時だ。

彼らの頭の上で小さなラジコンのようなものが旋回した。

 

 

 

 

 

 

 

ぱちりと眼を覚ましたとき、自分の目の前に広がる天井にポルポはぼんやりと己のいる場所について考えた。

じっと見つめた後に、それが己の泊まっているホテルの一室であることを理解する。体を起こそうとするが、至る所に痛みが走る。一番は腹だろうか。ポルポは呻きながら起き上がり、自分がふかふかとした自分が泊まっている部屋のベッドと変わらない場所に寝かされていることを理解した。

ポルポはおもむろに自分の来ていたシャツを脱ぐ。そうして、肌着を捲れば体の至る所に、いっそグロテスクと言っていいほどの痣が浮かんでいた。

元より圧倒的に肉が足りず痣のできやすい体質だ。昔、護衛など殆ど連れられなかった立場の時は下っ端に絡まれることも多く生傷も絶えなかった。

 

(そういえば、こんな体でも襲ってきた人もいたなあ。)

 

のしかかられたときのことをぼんやりと思い出す。それも、ブラック・サバスにその象徴を潰されて泡を吹いていたが。

一瞬、リゾットたちに回収されたことも考えたが、そうはいっても気絶する前のことを考えればそれはないだろう。

成功していればとっくに日本は離れているだろうし、失敗していればここまで穏やかではないはずだ。

眠っていた自分への配慮か、部屋のカーテンは閉まっていた。

ポルポは痛む体を引きずって床に下りようとした。けれど、それよりも先にベッドの下からむくりと人影が浮かび上がってくる。

それはポルポが床に下りるのを止めるように肩に手を置いた。

 

「ブラック・サバス?」

 

掠れた声でそういえば、のっそりとしたそれが自分を見下ろしていた。彼は無機質な手でポルポを撫でた。

 

「・・・・どうなったの?」

「空条承太郎との抗戦は失敗。そのまま拘束となっている。また、リゾットとプロシュートに関してはクララ、虹村兄弟、東方と合流。お前が起きるまで待機となっている。また、石仮面も譲渡済み。」

「・・・・ああ。」

 

ポルポはブラック・サバスの報告で己の一時の激情で起こしたことに顔を伏せた。

愚かなことをした自覚はある。

空条承太郎、彼との戦闘など愚かさの極みでしかないはずだ。それでも、走り出してしまうような激情がポルポにはあった。

悪い子の末路なんて知っていて。それでもなお、叫ぶ言葉が自分にはあったのだ。

それでも愚かなことをしたという自覚はある。

 

(リゾットとプロシュート、クララは承太郎さんの手の中にある。なら・・・・)

 

思考を広げようとしたとき、こんこんとベッドルームの扉をノックする音がした。痛む体でそれを見た。誰かであることは理解して、ポルポはブラック・サバスを見る。それにブラック・サバスは察したのか頷いた。そうして、扉を開く。

 

「起きたな。」

「はい。」

 

鈍い動きで頷いたポルポの目線の先には、目が覚めるような偉丈夫がいた。

扉を開け、そうして閉じた男はゆっくりとポルポに近づいた。感情をあまり感じさせない、澄んだエメラルドグリーンの瞳がじっと自分を見ていた。

くすくすと、変わらずブラック・サバスの幼子のように甲高い笑い声が響いた。

 

「さて、話してもらうことがある。」

 

その声には怒りも、苛立ちも、焦りもない。努めて冷静なそれに、ポルポは己の敗北を理解した。

 

 

「てめえの部下は俺の手元にいる。」

「・・・・・それについては理解しています。危害を加えられていないことも。」

「わかるのか?」

「そうならば私のスタンドがもう少し騒いでいたでしょうから。」

 

伏し目がちなポルポの言葉に承太郎は影になった部屋の中をうろうろと動くスタンドを見た。

 

「・・・・ずいぶんと忠義に厚い部下がいるな。」

「それは?」

「てめえを回収した後、ひとまず医者に連れて行こうとしたんだがな。狼のようなスタンドを使っていた女が仗助を引きずって俺の前に現れた。」

 

ポルポはそれにクララが承太郎と交渉をするために唯一話の通じそうな東方仗助を引きずり込んだことを理解した。

自分の手前勝手な行動で事態を更に大きくしたことに頭を抱えたくなる。

 

「ほかの部下は?」

 

恐る恐る聞けば承太郎はまた深々とため息を吐いた。

 

「虹村兄弟が先に接触した。手がつけられなかったが。お前のスタンドの言葉で臨戦態勢は解いた。ひとまず、隣の部屋にいる。ここは俺が宿泊しているホテルだ。」

「申し訳ありません。」

 

ポルポは深々と頭を下げた。

 

「今のところ、特別なことはしていない。」

「私にあなたは何を望むのでしょうか。いえ、私が何者か、その他の情報を渡すことはできないのですが。以前、言ったとおり、二年後ならば可能です。」

 

ポルポは図々しいと理解しながらベッドサイドの椅子に座った承太郎を見た。勝手に怒り狂い、勝手に暴れ回った自覚は確かにあれど今、パッショーネに関しての情報を渡すわけにはいかない。

リゾットたちのことは気になるが、予想通り危害は加えられていないようだ。もしも、そんな予兆があればブラック・サバスが騒ぎ立てているだろう。

ポルポにできるのは彼の望みをできるだけ叶えることぐらいだろう。自分の身に対してもさほど危機感は覚えなかった。彼がもしも、自分を本当の意味で害するのならばわざわざこんな所に監禁せずにもっと適した場所や待遇というものがある。

今の自分の扱いは事実、過ぎたものだ。

 

「・・・・・いや、てめえの所属については今はいい。」

「それは?」

 

ポルポは意外なものを見るような目をした。それを察したのか、承太郎は深くため息を吐いた。

 

「聞かれたくないと言ったのはお前だろう。」

「それでも、そこまで引き下がるとは思いませんでしたので。」

 

おずおずとした彼女の態度に承太郎も同意したのかと軽く頷いた。

 

「確かに敵意を持ってきた相手の条件を素直にのむのはおかしいか?」

 

癖なのだろう、帽子を目深に被るような仕草をした。それはポルポにとって見慣れた、漫画の紙越しに見たとおりの光景だった。

 

 

 

 

 

 

「これから聞くことでお前をどうするか決める。」

 

それにポリプス、承太郎は知らないがポルポは理解したかのように頷いた。ベッドの周りをうろうろとしていたブラック・サバスは、まるで子供がじゃれつくようにポルポの腰にすり寄った。彼女は無意識のようにその頭に当たる部分を猫のように撫でた。

それをなんとなく承太郎は物珍しいものを見たような心地になる。

スタンド、それがどんなものか彼自身もわからない。けれど、ここまで自意識がはっきりとしている存在はそうそういない。

承太郎の関心ははひどく流暢に、そうして自我を持ったそれの振る舞いだ。今でさえも、己が主人の寵愛に甘んじる忠犬のように彼女の膝に頭を乗せている。

承太郎は気を取り直すように組んでいた足を組み替えた。

 

「お前とDIOとの関係を話せ。」

 

それにポルポは納得したように頷いた。そうして、申し訳なさそうな顔をした。

 

「申し訳ありません。私は、情報としてDIOという存在を知っていますが、実際に会ったことはないのです。」

「会ったことはない?」

「・・・彼の活動時、私は子供でした。彼のことを知っているのは、ひとえに調べたからです。」

 

承太郎もその言葉には一応納得する。女の容姿を見るに、さほど年かさはないようだ。姿を偽っている可能性もあるが、それはひとまず置いておく。

何よりも、己に怒りをあらわにする様はひどく、幼く、子供でありすぎた。

促すように視線を向ければポルポはぽつぽつと話し始めた。

 

「裏を探れば噂話程度は出てきました。唐突に現れた、スタンドという力。それを振るう、裏の存在。厭うて、どうにかして潰そうとしていた勢力はあったようですから。」

「それにしちゃあ、あいつに対して詳しいようだな。」

 

それにポルポは少し、迷うような仕草をした。何か、言いたげで、けれど戸惑うような仕草だ。それに承太郎は話を促すように顎をしゃくった。

それにポルポは諦めたように、視線を下に向けた。

 

「・・・・情報収集に長けたスタンド使いから情報を買いました。多くの国、人の記憶。私はそれから聞きました。その果てに、あなたたちと彼の因縁を知り。石仮面もその過程で知りました。」

 

その言葉に承太郎は納得する。DIOという存在を知っているものならばいただろう。ただ。彼女のもう一つの人格らしい存在が口にしたディオ・ブランドーという名前ならば別だ。

承太郎はそれを祖父やスピードワゴン財団にて知った。

DIOという存在が、人であったいつかの名前だ。おそらく、自分たち以外にその名前を知るものはいないだろう。

 

「スタンドという力の発現は、だいたい十数年ほど前から、それも唐突のことでした。根源がなんなのか、知りたいと思っても不思議ではないでしょう。」

「それにしちゃあ、やけにDIOに肩入れしていたな?」

 

承太郎の皮肉の混ざる言葉に女はきょとりとした。まるで、予想外の言葉を言われたかのように。そうして、困り果てたような、子供の語る奇想天外な与太話を聞いたかのような顔で彼女は笑った。

 

「ふふふふふ。いいえ、いいえ。私は、DIOにはさほど興味はありませんでした。どんな末路を辿るかは知りたかったけれど。ですが、人であることを捨てて怪物に逃げた彼に興味は無かったのです。私は、ただ。」

ディオ・ブランドーを知りたかった。

 

承太郎にはその意味がよくわからなかった。彼にとって、DIOとディオ・ブランドーとは地続きなのだ。己の先祖の体を奪った、けれど怪物に成り果てた敵だった。

ポルポは己の膝にいるブラック・サバスの腕やマントをきつく握って、見開かれた目で空虚を眺めた。そうして、承太郎が口を開く前に言葉を吐いた。

 

「同じではないんです。けして、ブランドーを捨てて、ジョースターを捨てて、ただのDIOになってしまった彼には興味は無いんです。私は、泥の中で同じように生きていたディオ・ブランドーを知りたかった。」

 

掠れた声の後、彼女はゆっくりと承太郎の方を見た。耳にかけていた髪がずれて、間から赤い瞳が見えた。その色に怪物を彷彿とさせた。けれど、ああ、やはりその瞳の中にあるのはどこまでも弱いものの色だった。

弱い、今にも崩れ落ちて、掠れて消えてしまいそうな女がそこにいるだけだった。

 

(だが、何故だ。)

 

承太郎がその女に、怪物の何かを見いだしているのもまた事実だった。

 

「てめえの何が、あいつへの興味を駆り立てる?」

「・・・・空条承太郎。あなたは、性善説と性悪説、どちらを信じていますか?」

「どちらも信じてねえな。根っからの悪党も、根っから善人も同じように存在する。どちらでもない奴もな。」

「私は、善性であるか、悪性であるかを決めるのはどう育ったかによると思っています。誰かのなした善行も、悪行もそんな存在だからなしたのだというのは、あまりにも無責任すぎる。」

 

無責任という、どこか話に合わない単語を承太郎は不思議に思った。間違い探しを音でさせられているような感覚だった。

無責任と、反復するように言葉を紡げばポルポはこくりと頷いた。

 

「だってそうじゃないですか。誰かのなした愛も、誰かのなした罪さえも、ただそれを行うだけの性質を持っていただけでしかないのなら。ただ、そんな性質を持っただけの人間に出会っただけでしかないのなら。歯を食いしばった勇気も、覚悟を持った滅びさえも、悉く無意味に思えてしまうでしょう。」

 

だから、と女は数度言葉を続けた。

 

だから、私は知りたかった。ディオ・ブランドーというそれは、もしも生まれる場所も、親も違えば、彼なりの善意を持って生きたのだろうかと。

 

見開かれた目で女はとうとうとそんなことを語った。まるで、悪魔でも憑かれたかのように、憎悪を含ませて、子供が意味のわからない歌を歌うかのようにでたらめに聞こえる。

言葉を紡いだ後、女は憑きものが取れたかのような顔をした。それに、女の膝の上で丸まっていたスタンドが起き上がり、ポルポを抱きしめる。己の頬にすり寄るスタンドのことなど気にせずにポルポは承太郎を見た。

 

「私がディオ・ブランドーに興味を持った理由は、それだけです。ただ、それだけ。怪物に成り果てた悪党も、善性がために愛しい人を置いていった紳士も、遠いいつかの子供たちだったはずだから。」

 

承太郎は、何を言えばいいのかわからなかった。

承太郎はDIOという怪物のなした悪徳を知っている。

彼の奪ったものも、積み上げた罪も、知りもしない罰さえもあったはずだ。

それ故に、承太郎はポルポの言葉を上手く咀嚼することができなかった。

不幸であったから、奪われたから、なにも持たなかったから、それでは赦されないことがあるはずだ。そんなものは、奪われた者には関係が無い。

承太郎は理解する。その女の悲しげな、赤い瞳。

かの怪物と同じ、けれどまったく違うその瞳にはディオ・ブランドーへの哀れみがあった。

理解する、目の前の女はあの化け物を哀れんでいるのだ、悲しんでいるのだ。

理解など、できなかった。

哀れみなど、向けられる理由など無いはずだ。罪を犯したのだ、散々に奪い尽くしたのだ。

承太郎の知るDIOが知ればそれは怒り狂うことだろう。

たかだか人に哀れまれることを。きっと、それはあの怪物が一番に嫌うことだろう。

笑いそうにさえなった。あの怪物は、こんなにも弱くて、暗い目をした女に哀れまれているのだから。

 

「だったらなんだ。哀れな子供だったとして、あいつのしたことに変わりはねえ。」

「そうでしょう。親に捨てられた子供を知っています。その子供は、この世の全てが敵だというように私を見ます。愛も、友情もないというように。私は、それを見ていると泣きたくて、せめて抱きしめてあげたくなる。ディオ・ブランドーはそんな彼らと同じような目をしていたのでしょう。愛も、友情も、知ったとまねごとだけをして。」

 

ポルポはゆっくりと目を瞬かせた。ゆっくりと、夢を見るようにぼんやりとした目をした。

 

「罪を犯した怪物は奪い尽くしたものを返して滅んだとしても。それでも、いつか、社会というもののしわ寄せを受けた子供への哀れみは存在してもいいでしょう。どうしようもなかった子供たちへの、哀れみぐらい。」

「弱さも、愚かさも、赦しにはならねえぞ。」

「知っています。赦して欲しいんじゃないんです。天国には行けないなんて知っていて。ただ、誰かに知って欲しいんです。理由もない悪意があったとしても、誰にも救われずに、星を知らずに、暗闇に放られた誰かがいることを。正義の味方が訪れなかった、何者で無かったものがいることを。巨悪の始まりが、どれほどつまらないか。八つ当たりなんて知っていて。それでも、誰かに。よくある不幸と不運で傷ついた、悪党に成り果てる子供の血と傷を知っていて欲しい。」

 

女は胸の前で手を組んだ。神に祈るように、けれど憤怒を握りつぶすように手を組んだ。

 

「わかっているんです。例え、汚泥の中で生きたとしても、ディオ・ブランドーではなくて、ロバート・スピードワゴンにならねばならなかったのだと。私は、星を知っていても、星を見たことはなかった。ええ、そうです。私の夜に、星はいない。だから、せめて。恵まれなかっただけの誰かが星を見つけるそれまでは、足下を照らしてあげたかった。」

 

意味がわからなかった。やはり、その女の言葉はわからなかった。

ディオ・ブランドーとスピードワゴンの名に女が何を見いだしているのか。何を、そんなにも祈るように思っているのか。

分かりはしなかった。

けれど、それでも。

その女が、例えDIOであろうと、遠いいつかの子供への哀れみに苦しむ様を見ていると。

弱い誰かの幸福を願っている様を見ていると。

何故か、母を思い出す。

空条承太郎にとって、優しい誰かを思い出す。

くんと、どこからか遠い昔に夕暮れ時に嗅いだ何かの料理の匂いが有る気がした。それはきっと錯覚だ。

けれど、承太郎は思う。それはまるで夕暮れのようだった。

朝日のように輝かしいわけではない、夜のように沈黙と暗がりもない。

それはまるで今にも終わってしまいそうな夕暮れのような人間だった。

 

(悪とは、己のために弱者を利用する人間だ。)

 

一度、自分が吐き捨てた言葉を思い出す。

わかるのだ、ああ、そうだ。

その女の言葉がどれほどまでに理解が及ばずとも、秘密をどれほどまでに孕んでいようとも。

その女は、確かに、誰かの幸せを祈っていたのだ。

承太郎にとって理解の及ばない思考だとしても、それでも女は弱い誰かの幸福を祈っていた。

悪ではないのだ。罪を背負い、いつか罰が下るのだとしても。

女は確かに悪でなかった。されども、正しくさえもない。どちらにもなれない、何物でも無い、女。

女は承太郎を見ていた。

恐れも、悲しみも何もなく。じっと、承太郎を見ていた。

 

「・・・・私が言えるのは、それだけです。ただ、それだけです。あなたにあんなにも無礼なことをしてしまったのは、なんだかたまらなくやるせなくて。例え、どんなに選択を間違えてしまっても。それを間違いだと教わらなかった、己の救い方さえも知らなかった子供の罪は、子供だけのものだろうかと。そう、やるせなくて、空しかったのです。確かに、虹村形兆は私だったので。」

「ポリプス。」

「はい。」

 

承太郎は大きくため息を吐いた。

 

「てめえの提案には乗ってやる。」

 

承太郎の言葉にポリプスは、はいと頷いた。そうして不思議そうに言った。

 

「私としてはありがたいことです。ですが、よろしいのでしょうか。」

「・・・・代価はもらっている。それに、気が変わった。」

 

承太郎は腹を決めた。その、守るべき者ではない、共に戦う友ではない、さりとて明確な敵ではない。

ただ、ただ、何かに追い立てられるように怯えるだけの女。そうして、何かを知るらしいスタンド。

不確定要素は多くある。ただ、下手に触らない方が賢明だろうという思考もあった。

女がこれ以上持っていそうな情報も欲しかった。そうして、スタンドの吐いた言葉もまた気になっていた。目の前の女に何かしたとしても、スタンドの持つらしい情報が出てくるとは思えない。

そうして、それと同時に思いもしたのだ。

きっと、この女はいつかに誰かのために死ぬのだろう。己のためではなく、ただ、ただ、彼女にとって哀れみに等しい誰かのために死ぬのだろう。

それを殺してはいけない気がした。もしも、女を殺したその時、承太郎にとって積み上げた何かが崩れる気がした。

 

「けして、約束は違えるな。失望させるなよ。」

 

そういった承太郎はもう少しだけ、それを見極めるために彼女のことをじっと見た。

 

 

 

 

 




現在、ものすごく忙しいのでまた間が開くかもしれません。


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破滅を呼ぶ女

めちゃくちゃお久しぶりになりました。
ジェラートとソルベの話です、難産でした。
オリキャラが出張っております。

また、近いうちにネタにしていた話を投稿しようと思っております。


 

 

新しく、自分たちの上司になるという女の話を聞いて、ソルベはさほど関心を持たなかった。どんな上司になろうと、結局のところ待遇などは変わらないのだろうと。

ただ、その上司というのがポルポであると知ったとき、当たりを引いたと小躍りしたくなったのも事実だ。

ポルポの金払いの良さは組織の中で有名であった。

周りの皆はあまりにも頼りない女に不満そうであったが、次の仕事の報酬の欄を見た瞬間にガッツポーズをしたくなったほどだ。

ジェラートもまた、自分たちの取り分に喜んでいたが彼としては新しく上司になったというポルポに対して興味をそそられていたようだった。

 

「なあ、どんな奴だと思う?」

「さあな。」

 

共同で借りている家の中、コーヒーを入れていたソルベにジェラートは楽しそうに話しかけてきた。

ソファでだらける彼にソルベとしてはそう言うしかなかった。自分にとっては金払いのいいことは重要であって、特別ポルポというそれがどんな存在であるか興味は無かった。

が、他人の秘密にしていることを暴くことを趣味にしているジェラートにとって、若い女で特別なスタンド能力を持っていること以外に何もわからないポルポは大変興味をそそる存在だった。

 

「あまり勝手なことはするなよ。」

「わかってるって。」

 

彼の言葉にジェラートはひらりと手を振った。

 

 

(まあ、少し探るぐらいはいいよな?)

 

ソルベに釘を刺されたからといってそれで諦めるほど単純な性格をジェラートはしていなかった。元より、確かにボスの存在を探ることは禁止されていても、幹部の存在を探ることは禁止されていなかった。何よりも、相手は自分たちの上司なのだ。

少しぐらいはいいだろうと思っていた。

が、ジェラート自ら動く前にポルポからの呼び出しがかかることとなった。

 

 

 

 

「・・・・ご足労をかけてしまいましたね。」

「いやいや、そんなことはないっすよ。わざわざ俺たちに会ってくれるなんて光栄だ。」

 

ジェラートは明るくそう言いながら、目の前の女のことを値踏みした。

女は、己たちの上司だというそれは、あまりにも威厳というものを欠いていた。

二人は現在、ポルポがよく使っているホテルの一室に呼び出されていた。二人が通されたそこは、カーテンが引かれてひどく薄暗い。薄闇の中、部屋の奥に座った女が二人を出迎えた。

仕立ての良いスーツを着ていると、金に汚いソルベは察したがはっきり言って似合っていない。

痩せ細った貧相なそれにかけられた黒いコートはまるで重しのように女の肩にのしかかっていた。

 

「それで、俺たちに頼みたいことっていうのは?」

 

ジェラートは人好きのする笑みを浮かべた。それに対してポルポは弱々しくあるものの穏やかに微笑みかえした。

なかなかよいつかみが出来たとジェラートはほくそ笑む。ジェラートとソルベはポルポとの顔合わせが遅れてしまった。

それは偏に、ポルポが彼らの上司として決まった折に彼らがある仕事を任されていたせいだ。

ポルポはそれを優先させ、暗殺者チームの中でも顔合わせが遅れてしまった。それを、ソルベは律儀が過ぎると呆れてしまいそうになった。

普通、わざわざ幹部クラスがいちいち新しく部下になった存在と顔を合わせることなど殆どない。

その理由として、彼女が暗殺人チームの人間を自分の側近として望んでいることがあげられるのだろうが。

 

(さて、それは何でだ?)

 

ジェラートはにこにこと笑いながら目の前の女を見た。

ジェラートはもちろん、目の前のそれが己の上司となったことを喜んでいた。そうして、幹部直属の、おまけに側近として扱われるなんて大出世をうれしがっていた。

そうして、同時に疑ってもいた。

暗殺人チームのプロシュートが彼女の腹心であるカラマーロの子飼であったことも、リーダーであるリゾットが以前からポルポの気に入りであったことも、知っている。

けれど、だからといってポルポが自分たちを側近にまで取り立てるには弱すぎる気がする。

ジェラートとて、自分たちにそれなりの能力や実力があると自負している。けれど、わざわざ求められるような力であるかと言われれば違うだろう。

 

スタンド使いにとって、普通の人間を殺すのなんて簡単だ。

 

それ故に自分たち暗殺人チームは組織の中で下に見られていた。そんなことはスタンド使いならば大抵できることだからだ。

暗殺人チームにおいて、殆どのメンバーは人を殺す以外に能力の使い道が難しい。汎用性があるのはホルマジオぐらいだろう。

言っては何だが、武闘派の自分たちが幾人いても使い勝手というものは悪いはずだ。

全員が愚直すぎる気がある。商売人として才覚を持っているポルポにとっては有用な手駒とは言えない。

 

「いいえ。今のところは、ないんですが。ただ、あなたたちにはまだ挨拶をしていなかったので。」

 

あはははと苦笑した女は、疲労が色濃く出た顔で自分たちを見た。ジェラートはそれに初めて女の瞳をのぞき込んだ。

それに、ジェラートは吐き気がするような気持ち悪さを覚えた。

それと会ったことなんてこれが初めてだ。話したことはない、自分はただ、暗殺人チームの一人でしかない。

なのに、その瞳には、確かな信頼があった。まるで、幼い子どもが親を見つめるときのような、絶対的な信頼があった。

ジェラートはそれが、心底気持ちが悪かった。

 

 

 

「ポルポォ?」

「そうそう、ギアッチョは俺より先に会ったんだろう?」

 

ジェラートとソルベはその日、アジトに待機していた。特別用があるというわけではなかったが、アジトに行けば誰かしらがいると踏んでのことだった。

予想通り、アジトには年少組がいて、暢気にゲームをしていた。

ポルポが整えたせいか、アジトの居心地は非常によくなっている。そのために入り浸る存在は多い。

ジェラートはソファに座り、テレビの前を陣取っている年少組に問うた。

ギアッチョ、メローネ、イル-ゾォ、そうしてペッシ。

四人は、特にギアッチョはジェラートの言葉にうろんな眼をした。

 

「おい、ジェラート。てめえ、あいつに下手なちょっかいかけんなよ。」

 

ジェラートはその言葉に面をくらう。

ギアッチョは言っては何だが、チームの中でも情というものを抱えてしまう性格だ。けれど、そのために非常に警戒心は強い。リゾットに対する忠誠染みた敬意もあるためチームに入っても馴染むのには時間がかかった。

が、その懐ききった言葉にジェラートは内心で呆れた。その心情を察したのか、ギアッチョはギャンと吠えた。

 

「ちげえよ!あいつに何かあったら、プロシュートから八つ当たりが来るかもしれねえだろうが!」

「そうそう、ただでさえストレス過多なんだから。下手に倒れられたら俺たちだって困るだろ?」

「・・・・ちょっかいかけてカラマーロにどつかれるのに賭けるやついるか?」

「やめたほうが良いと思うけど。」

 

三者三様に、けれど、皆が彼女に下手なことをするなと釘を刺してきた。

それがジェラートには面白くない。互いに理解し合っているなどと、お世辞にも言えない。けれど、互いに、ただの小娘が己の上司になっていることを面白く思っていないとは思っていたのだ。

 

「へえ、お前らやけにあの女に肩入れするんだな。ベッドにでも誘われたのか?」

 

皮肉気な言葉に、近くに佇んでいたソルベは意外な気分でそれを聞いていた。人との交渉を得意とする彼にしてはひどく早計な行動のように感じた。ジェラートの言葉に、四人とも心底呆れた顔をした。

 

「あいつがんな器用なことできるかよ。」

「家に呼ばれたらお茶振る舞うのが関の山じゃない?」

「好みじゃねえ。」

「兄貴の前でそれ、絶対言わないでくれよ・・・・・」

 

四人はあまりにも考えられないことを言われて、それぞれが呆れてそう言うだけだった。

ジェラートの不満そうなそれにギアッチョは吐き捨てるように言った。

 

「おい、ジェラート。てめえがあいつのことをどう思っていようと自由だが。下手なことをするなよ。」

氷漬けになりたくなきゃあな。

 

そう言った、少年の瞳。それは、確かな怒りがあった。

ああ、それは、なんて。

ポルポが自分に向ける、信頼に満ちた眼に似ている気がして、気持ちが悪くて仕方が無かった。

 

 

 

(・・・・大丈夫か?)

 

ソルベは隣にいるジェラートを見た。その日、ポルポから呼び出しがあり、二人で向かっていた。

けれど、ソルベはジェラートの苛立ちが気になっていた。表面的にはいつも通りではあるけれど、確かな苛立ちを長い付き合いであるソルベは感じていた。

ソルベにはジェラートの苛立ちがよくわからなかった。ソルベにとって、金払いが重要で、そんなにも腹立たしいのなら関わらなければいい。

任務はリゾットから下ろされるし、武闘派では無い自分たちは護衛に選ばれることも無い。適度な距離を取ろうと思えば取れるのだ。

けれど、ジェラートはそうではなかったらしい。

ソルベは女のことを思い出した。痩せた体、弱々しい淡い笑み。気弱な性質。

気になるというならば気にはなる。こんな弱々しい生き物がどうやってこの世界で生きてきたのだろうかと。そんな疑問が浮かぶ程度の、そんな生き物。

ああ、でもと、ぼんやりと思う。

それと初めて会ったとき。

ソルベは、本当に、何となしに感じた。

ああ、これは、確かに善性足る、善き生き物である。

 

(どうでもいいか。)

 

きっと、自分たちには関係ない。何もかもが関係ない。それと自分たちはきっと、世界でもっとも遠い生き物だと思ったから。

 

 

 

 

「ご足労、ありがとうございます。」

 

以前訪れたホテルの、薄暗い一室。彼女は変わらず弱々しい笑みを浮かべていた。

くすくすと聞こえてくる声を振り切ってジェラートはにこやかに言った。

 

「いいや、あんたのためならどこへだって駆けつけるさ。」

 

朗らかなその声に、ポルポはやはり引きつるような笑みを浮かべた。けれど、その目には信頼がある。

ジェラートは、それ故に、余計にその女への苛立ちと好奇心をくすぐられる。

その女の本質とは、なんなのか。

己の本心に気づくからこそその苦笑なのか、それとも、信じているからこその瞳なのか。どちらでもあるのか。

ソルベはジェラートの様子に呆れた顔をした。何がそこまでその女への憎悪を湧かせるのか。

ソルベは目の前の女を見た。以前見た時と同じように、その女は優しげに見えた。偽りだとか、含むものなどなく、ただ、ただ、善人であるのだろうとソルベは目を細めた。

まるで、まばゆいものを見るように。

 

「申し訳ありません。今日はあなたたちにお使いを頼みたいのです。」

「お使い?」

 

それに薄暗い部屋の中でずるりとポルポの影から何かが出てきた。それは、聞いていた、ポルポのスタンドのブラック・サバスだった。

それはするりと彼らに封筒を渡した。

 

ポルポの願いは簡潔で、その封筒をとある孤児院の院長に渡すことだった。

提示された報酬は破格で、ソルベはほくほくとした。金払いが良い。それだけでソルベにとって女を気に入るには十分だった。

ジェラートはそれにいくつかのパターンを考える。それほどまでの報酬が出るというのだ。

ならば、孤児院であることを考えて子どもの売買についてだろうか、ポルポの性格からしてないかもしれない。

ポルポが自腹で孤児院を経営しているのは有名な話だ。おまけに、自分たちで殺した派閥の残った子どもをわざわざ生かしているのだから狂っているだろう。

狂っている、そうだ、そうなのだ。

普段のジェラートならばそれを気に入るはずなのだ。それ以上に楽しいものなどないと熱狂するのだ。

なのに、なぜ、自分はこんなにも醒めているのだろうか。

 

「あと、もう一つ、お願いが。」

「なんだ?」

 

それにポルポはやはり苦笑交じりに口を開いた。

 

「もしも、孤児院の子どもたちで私宛だというものがあれば、私に渡してください。」

「なんでもか?」

「ええ、どんな形、どんなものでも。」

頼みますね。

 

ポルポはそう言って、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

言われてやってきた孤児院は、言っては何だがジェラートたちの家よりもずっと上等なものだった。

豪勢な屋敷を建て直したのだろう、孤児院は庭に至るまで綺麗に整えられていた。きちんとした業者に頼んでいるのだろう、花に彩られた庭は傍目に見ても見事なものだった。

ソルベはそんなところに金をかけていることに呆れた。

孤児院の扉を叩くと、きいと扉が開いた。

 

「・・・誰?」

 

顔を出したのは、赤毛に翠の瞳をした少年だった。ただ、彼の左目は眼帯によって覆われていた。

孤児院から出てくるには物々しい様相にジェラートとソルベがいささか面を喰らう。少年は二人の姿に合点がいったのか頷いた。

 

「ポルポの使いだろ。入りなよ。」

「お前、そんな簡単に入れて良いのか?」

 

ジェラートの言葉に少年は呆れた顔をした。

 

「ここがポルポの持ち物だって知らない奴はいない。それに、知らずにここを襲いに来たのなら、抵抗するだけ無駄だろ。」

 

少年はそう吐き捨てたあと、院長の下に案内すると歩き出した。二人はそれに生意気だと感じながらついていく。

見れば、少年は怪我をしているのか所々腕に包帯を巻いていた。

入った孤児院は、感想というと上等なものだということだった。全体的に華美な家具などは置かれていなかったが、それ相応のものが置かれていた。ただ、隅の方に埃が溜まっていたりと、荒んだ空気は感じ取れた。

 

 

通された部屋で待っていた男はジェラートたちの来訪を知らなかったらしく、慌てて駆け寄ってきた。

初老の男性はいかにもというような人のよさそうな様相をしていた。

 

「ポルポ様の使いの方ですか?」

 

それに頷けば、男は赤毛の少年を睨んだ。

 

「レオナルド、お客様が来たのならすぐに伝えるようにと言っただろう!?」

「さあ、忘れた。」

 

レオナルドはそう吐き捨ててまた部屋をさっさと出て行く。

 

「生意気だねえ。」

「まあ、難しい年頃なので・・・・」

 

院長はそう言って困ったように眉をしかめた。ジェラートは男をちらりと見た。

 

「そう言えば、他の子は?」

「は?」

「さっきの奴以外、子どもを見かけないからさ。ポルポから様子を見てこいって言われてるし。」

「あ、ああ。皆、学校に行っていますよ。」

「さっきの、レオナルドは?」

「あれは、お恥ずかしい話、学校で問題を起こしてしまいまして。」

「・・・ふうん?」

 

ジェラートはそれに楽しそうに微笑んで、機嫌のよさそうな笑みを浮かべた。

 

「よかったのか?」

「なにが?」

 

ソルベはさっさと封筒を院長に渡し、屋敷の廊下を歩くジェラートに問うた。彼の事前の様子からして何かしら仕掛けると思っていたためだった。

 

「うーん、いや、それよりも気になることが・・・」

「なあ。」

 

廊下の向こうから聞こえたそれに二人は、特にジェラートは待ってましたとばかりに振り返った。そこには不機嫌そうな顔のレオナルドがいた。

 

「これ、ポルポに渡してくれ。」

 

そう言って差し出されたのは、やはり、大きめの封筒で、中身はそこそこ入っているのかなかなかに重い。

 

「報酬は?」

 

ソルベは気まぐれにそう言った。それにレオナルドは彼の方を睨んだ。

 

「ポルポにもらえよ。どうせ、こっちが本命なんだから。」

 

そういって駆けだしていく少年の後ろ姿と、その言葉にソルベはちらりとジェラートを見た。彼はそれに、楽しそうに笑っていた。

 

 

「ご苦労様でした。報酬は後日、振り込ませていただきます。」

 

ホテルにやってきた二人にポルポはそう言った。それにジェラートはにこにこ笑顔でレオナルドから渡された封筒を振ってみせた。それにブラック・サバスがふらりと現れ、受け取る。

ポルポはそれを受け取った。

部屋から出される可能性もあったが、それはないだろうとジェラートは考えていた。

案の定、ポルポはその封筒を開け、そうして読み込んだ。その後、頭痛をこらえるようにため息を吐いた。

 

「どうかしたか?」

「・・・・封筒の中身はもう見られたのでしょう?」

 

それにジェラートは笑みを深くした。

ジェラートはその封筒の中身を見て自分たちが何故、孤児院に行かされたのか理解した。

 

「院長の様子も見てきた様子ですし。」

 

ジェラートのスタンド、パラナイドは数メートルの範囲に限定されるが他人の五感を受け取ることが出来る。

帰った振りをした後、ジェラートは男の視界、そうして聴覚を介してあらかたのことは把握していた。

そうして、彼はレオナルドの渡してきた封筒の中身もすでに把握していた。

それは、院長の行っていた横領の裏帳簿の写しであった。

 

(さて、次は何をするんだ?)

 

ジェラートはこの次の行動でポルポというそれの本性がわかるのだとわくわくした。

だって、その女が本当に善性を仮に持っているというならば、わざわざジェラートたちを使わなくても良いはずだ。

レオナルド、そうして、孤児院の子どもたち。彼らの行動をまっている時点で、彼女はけして彼らを助けるだけの存在では無い。

 

ならば、あの孤児院はなんなのだろうか。

不正を行う院長の存在をポルポは知っていた。そうでなければ、何故、子どもたちからアクションがあると知っていたのか。

何よりも、レオナルドが渡してきた証拠は大人が用意したと言っても納得できるような内容だった。

 

(・・・将来、戦力になりそうな存在を育てている、とか。なら、あの子どもを連れてこい、とでも言うのか?)

 

想像できるそれらにジェラートはわくわくしていた。けれど、ポルポはゆっくりと立ちあがった。

 

「二人とも、申し訳ありません。少し、ついてきてくれますか?」

 

ポルポの予想外の言葉にジェラートは眼の端を震わせた。

 

 

以前と同じように孤児院の扉を叩いた。そうすれば、現れたのは赤毛の、生意気そうな少年。

彼はポルポの姿に驚愕の顔をした。ポルポは玄関先、その高価なスーツが汚れることも構わずに子どもに目線を合わせた。

 

「レオ。」

 

彼女は穏やかに少年の名前を呼んだ。そうして、そっと手を差し出す。少年は一瞬だけ、誘われるようにポルポの方に体を寄せた。けれど、まるで振り払うように子どもはポルポから後ずさった。

 

日の当たらない暗がりまで下がった少年はそっと院長のいるであろう方向を指さした。

 

「あんたの獲物はあっちだ。追い込みはかけたんだ。しくじるなよ。」

 

それにポルポは苦笑して、立ち上がった。

 

「そうですね。それでは、また。」

 

ポルポはそのまま院長の部屋に足を向けた。

 

 

ソルベはそのままポルポの後ろ頭を見た。自分よりも背が低いためつむじまで見える。その後ろ姿はどこまでも弱々しい。ソルベがナイフの一つでも振ってしまえば、その場に崩れ落ちるような生き物。

けれど、現状をソルベは把握できなかった。何が起こっているのか、しっかりと把握できていなかった。ちらりと、ジェラートを見る。

彼はいつも通り愛想の良い笑みを浮かべていたが、あまりしない、人を値踏みする冴え冴えとした視線でポルポを見ていた。

ソルベはどうしたものかと考える。何よりも、護衛として自分たちを選ぶことなどあり得ない。

身体的、というよりは物理的な力量で言えばソルベが確かにチームの中では上位だが、彼のイントゥ・ザ・ヴォイドの能力は変身だ。相手の遺伝子を取り込むことで姿を模倣できるそれは、お世辞にも戦闘向きでは無い。

何よりも、ソルベはここに来る前に言われた言葉を思い出す。

 

お二人とも、イカサマの準備をしておいてください。

 

 

きいと、院長室を不躾にポルポは開けた。院長は一瞬、怒りの表情を浮かべたが、ポルポの顔に顔を強ばらせた。

ポルポは、彼女の性格として珍しいことに無言で部屋に入った。そうして、部屋の真ん中に置かれた応接用のソファに座った。足を組んで、彼女は穏やかに微笑んだ。

 

「どうされましたか?」

 

ソルベはそれに驚いた顔をしそうになる。彼女が出すにはあまりにも冷酷な印象を受ける声だった。それに院長は慌てて彼女の座るソファのそばに侍った。

 

「も、申し訳ありません!突然の来訪に驚いてしまいまして・・・・」

「おや、そうですか?来訪する理由ならば両手に余るほどにあるはずでは?」

 

院長はそれに少しだけ顔を強ばらせたが、明らかに顔色を変えるなどの失態は演じなかった。

ソルベとジェラートは扉近くの壁に体を預けて事の顛末を眺める。

 

「二日前。」

「は?」

 

ポルポは気だるそうに肘を突き、淡々と何故か日付を唱えていく。それに院長は何かに気づいたのか、目を見開いた。

 

「そうです、わかっておいでですよね。あなたが、私の傘下のカジノに出入りした日付です。」

 

だん!

ポルポは目の前の机に脚をたたき付けた。ポルポは堅いショートブーツを履いていたせいか、乾いた、大きな音が部屋に響く。

ポルポはゆるりと匂い立つような艶やかな笑みを浮かべてソファに体を預けた。

 

「私、驚いているんですよ。だって、あなたには相応の支払いはしていますが。ですが、あんなにも負け越しても補完できるほどのものは与えていないんですがねえ。」

「・・・別の、カジノで勝ちまして。」

 

ばりん!!

 

部屋の窓硝子が割れた。ソルベの眼には、影に隠れたブラック・サバスの姿が見えた。院長はがたがたと震えた。それに、ポルポはゆっくりと目を細めた。

 

「スィニョーレ、賭けをしませんか?」

「は?」

 

唐突なその言葉に院長は目を見開いた。ポルポは机から脚を下ろし、そうして、いつの間にか用意したトランプを見せた。

 

「これでもカジノを任せられている身です。賭けはそこそこ好きなんです。暇つぶしにも、そうして、度胸試しにもちょうどいいでしょう?勝負はシンプルにポーカーで。ああ、二人では寂しいですねえ。ジェラート、ソルベ、付き合ってください。」

 

それに二人は素直にソファに座り、ゲームに参加する意思を見せた。指示通りの二人に、ポルポは院長にトランプを渡した。

 

「そうですね。チップは、あなたの手足で、どうですか?」

 

明らかに強ばった院長のそれにポルポは笑みを深くした。普段の、日だまりのような笑みなどそこにはなく、ただ、ただ、魔物のように妖しい笑みで院長に微笑んだ。

 

「あなたが負けたら、あとで手足を一本ずつ切り落としましょう。二人が勝てば引き分け。もしも、あなたが一度でも勝てば。今回のことは水に流して差し上げましょう。トランプは、あなたが配って構いません。」

チャンスは四回、どうでしょうか?

 

ソルベはそれに院長の考えが手に取るようにわかった。

話からして、男はこの院の金を横領か何かしていたのだろう。

ここで賭けをしても負ける可能性が高い。一対三での賭けなど八百長が良いところだ。ただ、賭けに相当のめり込んでいるのならイカサマの腕もそこそこあるはずだ。

死ぬか、生きるか。

男の選択肢など、決まっている。

 

「左足を、かけます。」

「気っぷの良い殿方は好きですよ?」

 

にっこり、女は微笑んだ。

 

 

賭けが始まれば、ソルベとジェラートは淡々と指示された通りに済ませる。少しの間、ブラック・サバスによって伝えられる院長の手札にあわせて賭けていく。

その間、ポルポはのんびりと話し続ける。

 

おや、負けてしまいましたね。

スィニョーレも振るいませんねえ。

そう言えば、以前もポーカーで負けていたそうで。

そうそう、その時、親しくされていた方がいたとか。ああ、私のことを敵視している方でしたね。

楽しそうでしたね。

何を話されていたんでしょうか?

そうだ、その方、この頃私のカジノに通われて、スタッフと仲良くされていたそうで。

私のことを聞いていかれるそうなんです。スタッフの子に言われてしまったんですよ、ボスも隅に置けないなんて。

 

なぶるような話をしながらポルポはポーカーを続ける。

ソルベはそれを横目に見た。

ポルポの今していることは、別段えげつないというわけではない。話の持っていき方も、なぶり方も普通だ。

けれど、男には十分な効果をもたらしていた。

 

ポルポは基本的に誰に対しても温和だ。未だ、そこまでの付き合いが無い二人も丁寧な態度を取られている。二人はそれに呆れていたが、現状を見るとあれも悪い手ではないのではないかと思う。

温和な、善良な人間。そのイメージが先行するからこそ、今の彼女を忌避する。

冷たい瞳、氷のような微笑み、毒を持った声音。

化けの皮が剥がれたような、それ。自分の見ていたもの、侮っていたものが正しく、悪として生きるものであったという理解。

その落差が、人に動揺と恐怖を植え付ける。

 

ソルベはちらりと彼女を見た。カジノの経営をしているというのだから、それ相応に見事なイカサマをするのかと思ったが、なんてことはない。

彼女の手札は殆ど、ブラック・サバスによって調整されている。暗闇から出るそれは瞬きの内に、彼女の手札をいじっていく。

確かに見事な手腕であるが、ソルベの期待したものではない。

そうして、院長が最後の右手を賭けたときのこと。

耳元で声がした。

 

(次の勝負は負けろ。)

 

それに従い、ソルベは自分の手札を整えた。院長はおそらく、最高の手札を用意できたのだろう。

向かいに座ったジェラートは口を動かした。その動きで、ソルベは院長の手札がフルハウスであることを理解した。

そうはいっても、ポルポにはブラック・サバスがついている。

ならば、勝つ見込みはある。が、ソルベは目を見開いた。ブラック・サバスは部屋の隅でゆらゆらとふらついているだけで、ポルポを手助けしている様子は無い。

ポルポを見れば、彼女はイカサマなどする気も無いように手を足の上で組んでいる。

基本的にイカサマをする場合、手を隠す傾向にある。けれど、彼女は視界を遮ることも、意識をそらすこともしない。

ソルベは、賭けも散々した彼は理解する。

この馬鹿は、己の運だけで勝負で出ていることに。止めるか迷うが、ジェラートの視線に促されて事の顛末を見守った。

ポルポは手札を取り、それを眺めた。

院長は自分の手札を見せた。

 

「フルハウスです。」

 

院長もポルポのそれにイカサマをしていないことを覚ったのだろう。喜びを隠しきれない笑みでそういった。

ポルポはそれににっこりと微笑んで、机の上にそれを置く。カードが均等に置かれるように手で表面を撫でるようにスライドさせた。

 

「・・・・ポーカーは役が有利に動くように、カードを捨て、新しいものに変えることができますよね?」

 

唐突なそれに院長がポルポを見た。そうして、顎に手を添えた。

 

「あなたは自分が、どうして捨て札で無いなど思われるのでしょうね?」

 

院長のそれを見て、ポルポは端のカードに指を引っかけた。それに、ドミノのようにカードはひっくり返った。

それは、スペードの絵柄の、10、J、Q、K、そうして、エースのカード。

 

「ロ、ロイヤルフラッシュ!」

 

院長の驚きの声が響いた。ジェラートとソルベもまた声は出さなかったが、目を見開いた。

ポルポはだん、と机に手を突き、黒い髪の間からギラつく赤い瞳で院長を睨んだ。

 

「私を裏切ったその時点で、運から見放されたこと。それさえも分かりゃあしねえのか、てめえはよお?」

 

ドスのきいたその声に、ソルベは目の前の男の何かが折れたことを理解した。

 

 

 

元々、院長を務める男は就任して間もなかったそうだ。というのも、この孤児院の院長は長く続いたことは無い。

なぜならば、院長を任せられるのは、ポルポに敵意のある人間ばかりであるためだ。

 

「・・・なんだよ、あんたらまだいたのか?」

「あ、レオナルドだっけ?」

 

ジェラートとソルベは孤児院の庭で、院の子どもたちと戯れているポルポを見た。普段は、護衛としてプロシュートやリゾット、そうして圧倒的にクララが多いのだが。

院長について別働隊に連れて行かせた後、子どもが帰るのを待ちたいというポルポの希望によって止まっていた。

院長のことをカラマーロを通して呼んだ人間に連れて行かせた。そうして、その後、へなへなとその場に崩れ落ちた。

曰く、精一杯の演技であるそれは気力を使うらしい。

 

「お前らさ、ここにポルポの弱みがあるって噂をまいて、自分たちで餌になってるってまじ?」

「だとしたら、なんだよ。」

「いい忠誠心だな。」

 

ソルベの言葉にレオナルドは気にしたふうも無く二人を見た。

 

この孤児院は元々、ポルポの善意によって作られた。けれど、彼女がそこまで執着する孤児院には何かがあるのではないかと噂が立ち、彼女の敵の息のかかった存在が送り込まれることとなった。

彼らは子どもたちからそれらを聞き出すために虐待をする者、そうして、私欲を満たそうとするものなど様々だ。

ポルポはそれを否とした。止めろと叫んだ。けれど、孤児院にいた子どもたち自身が嫌がったのだ。

ポルポが最初に建てた孤児院、そこは彼女に敗れたギャングの一派の子どもや手ひどい扱いを受けたものが多く住む。

彼らにとって、自分たちに情を傾ける彼女の存在は得がたく、そうして、恩義を感じていたのだろう。

いくら止めようと、彼らは囮としてのあり方を貫いた。ポルポは好き勝手なことをして危険な目にあうぐらいならと、監視の行き届いた孤児院に加わった役目を黙認することとした。

 

「は!忠誠心?そんなもののために俺たちがこんなことをしてると思ってるのかよ。」

 

憎々しげなそれにソルベが口を開いた。

 

「まあ、ここは手放すのは惜しいか。お前たちの本来を考えるなら楽園みたいなものだろうしな。」

「・・・・なあ、あんたたちはここが楽園だとか、そんなことを思ってるのか?」

 

日陰の中の自分たち、日だまりで遊ぶ同胞たち、そうして、それに微笑む弱々しい女。

花の咲く庭、暖かな日の光。

その言葉に、ジェラートはああと頷いた。ソルベはなるほどと納得した。

その光景は確かに、見るものが見たのなら、楽園のように優しく映ったことだろう。

二人の反応に、レオナルドは嘲笑うように微笑んだ。

 

木陰の下、日陰の下、三人だけが佇む薄闇の中で、翠の瞳がぎらぎらと輝いた。

 

「違うのか?」

 

ジェラートは否の答えを期待して嬉々としてそう言った。ソルベは何も言わなかったが、遮る理由も無いと腕を組んで聞く態勢に入る。

その様子にレオナルドは呆れたようにため息を吐いた後、また、日だまりの光景を見た。

そうして、おもむろに、子どもの一人を指さした。

 

「・・・あいつは娼婦の娘で、本当なら今頃どっかの変態に売られてた。」

 

また、一人、指をさす。

 

「あっちはどっかのお偉いさんの愛人の子で、ここに来た当時はがりがりの傷だらけだった。」

 

レオナルドは一人、一人、指をさしていく。

 

あっちは親が酒浸り。

あれは家族全員死んで孤児に。

あいつは、確か、ギャングの下っ端で、仕事に失敗して死にかけた。

 

淡々と、淡々と、この国ではありふれた悲劇の下に産まれた子どもたちの話をした。ジェラートはそれにつまらなさそうな顔をする。予想に反して、それはひどく、退屈だった。

それにレオナルドは笑った。

 

「そうだ、つまらない話だろう。よくある話、つまらない話、悲劇にさえならないものばかりだ。」

 

なあ、知ってるか。

レオナルドはまた、笑った。

 

「昔、チャイニーズのやつに聞いたことがある。毒を持った生き物を一つの入れ物に入れる。そうして、最後に食い合いに生き残ったそれは、最高の毒を持つんだと。」

 

ここは蠱毒の壺なのさ。

 

そう言ったレオナルドの笑みは、ジェラートとソルベから表情を一瞬だけ奪った。

それほどまでに、禍々しい笑みだった、狂ったそれの笑みだった、そして、それ以上に、それは、何よりも、誰よりも穏やかな笑みだった。

狂っているとわかるのに、おぞましいと理解できるのに、その奥に佇んだ諦観はそれの笑みを全てを諦めた聖者のような優しさで覆っていた。

 

「あいつは俺たちをここに連れてきて、優しく言うのさ。ここでは、何の心配もしなくていい。食事も、教育も、そうだ、愛でさえも与えられる。大抵の奴は、それに満足する。援助を受けて学校に行く奴、普通の家庭に貰われていく奴、いろいろさ。でもな、それで忘れてたまるかって言う奴がいる。」

 

レオナルドはぼんやりと、虚ろな翠の瞳で、女と子どもの戯れを眺める。

 

いくら傷が癒えようと、それが痛んだ記憶は刻みつけられ。

いくら病が治ろうと、それに苦しんだ思いはなくならず。

いくら腹が膨れようと、飢えた心は満たされず。

いくら柔らかな眠りに包まれようが、眠れぬほどの不安は変わること無く。

いくら愛されようと、それが永遠で無いことを自分たちは知っている。

 

この世には善と悪がある。

善とは輝かしく美しいものであり、悪とは己なりの美学と生き方を持っていたとして。

それらから生じた世界で生きていくのは結局の話は苦しいことで。

 

この世には正しく愛がある。

それがどれほどまでに尊く優しいものであるとして、それを与えられず、得る方法も、与える方法も知らなければ存在自体は無意味である。

 

「一時期の安寧と愛だけでゆらぐような憎しみも、怒りも持っちゃいねえ。その程度でゆらぎ、忘れていく奴はここからさっさといなくなる。」

 

毒気が抜けた子どもがここを抜ける。けれど、この世を恨み、憎み、絶望した子どもの語る物語を飲み込み続け、それを薄れさせない子どもは確かに存在する。

 

ソルベはそれに少年をじっと見た。

少年の言葉が正しいのならここはまさしく蠱毒の壺だ。

ゆらぐことも無く、裏の社会で生きていくことを是とする子ども。殺意と怒りをたぎらせ、目的を選ばない、賢しく、健康な子ども。

それからの忠誠を得ることができれば。

 

ジェラートはゆっくりと目を細めた。

それは、なんて良き道具たり得るのだろうか。

 

「なら、お前はなんでここにいるんだ?」

 

それにレオナルドはちらりとジェラートを見た。好奇心に塗れたそれに呆れたようにため息を吐いた。

 

「なあ、あんたは人を殺したいと思ったことはあるか?」

 

世話話のような軽やかな言葉にジェラートははてりと首を傾げた。レオナルドは返答など気にした風も無く言葉を続けた。

 

「俺があの女に初めて会ったとき、ナイフを持って斬りかかったんだよ。それが、俺の初めて、心底、誰かを殺したいと思ったときのことだった。」

 

その言葉にジェラートはレオナルドという名前に思い至ることがあった。

数年前にポルポに反抗的な一派をリゾットたちが潰したことがあった。そうして、その復讐のために子どもが一人、ポルポに襲いかかったという話を。

 

(・・・秘密裏に処理したからな。身内しか知らねえ話だぞ。)

 

その子どもはジェラートの顔に全てを察したのか、皮肉げに微笑んだ。

 

「なあ、わかるか。家族が全員死んだ。殺そうと思ったさ。事実、そうした。ナイフをもって襲いかかった。もちろん、護衛の連中に掴まって、袋だたきにでもされるはずだった。」

 

それでもそうはならなかった。

なぜって、簡単な話だ。

 

ポルポがレオナルドを助けたからだ。

 

「なあ。わかるか。殺そうとした奴が、冷静に、俺に、ナイフで人を殺すのは難しいなんて言われる気持ちが。」

 

その時、ポルポはレオナルドの持っていたナイフを躊躇も無く掴んだ。そうして、流れ落ちる血の赤さを、レオナルドは今でも覚えている。

したたるそれ、白い肌を伝う、それ。

 

ナイフで人を殺すのは難しいんです。あなたのように腕力が無い子どもならとくに。例えば、胸は肋骨が邪魔をして内臓に到達できるかわかりません。腹は、一撃で倒すことが難しい。急所の首は、背が足りません。

 

「あいつ、俺に言ったんだ!私を殺したいのなら、殺せる技術と頭と、そうして、体になってから来いってさ!」

 

ああ、ああ!

これほどまでの屈辱はあるだろうか!これほどの哀れみはあるだろうか。

あれほどの、あれほどの。

愚かな慈悲など、あるだろうか。

 

「俺は忘れない。忘れることは無い。俺は俺の毒を薄れさせる気は無い。ここから行く先が地獄であろうとどうでもいい。」

 

それは、それは、ジェラートにとっては愉快で、ソルベにとっては物珍しい生き物で。

一言で言うのなら、感服したのだ。

ジェラートはゆっくりと腰をかがめ、少年と目を合わせた。

翠の瞳をした怪物は、じっとジェラートを見返した。

 

「なあ、お前。何故、それを願うんだ?言っちゃあ何だが、お前のそれは馬鹿の選択だ。誰だって、多かれ、少なかれ、この世を憎む。でもな、その憎しみをいつしか諦観の中に放り込む。」

 

ジェラートも、ソルベも、この世がどれほどに理不尽であるかなんて事。とっくの昔に知っている。

それ相応の地獄は見た。それ相応の愚かさを見た。それ相応の、この世への絶望なんて抱えている。

ジェラートはこの世への楽しみを見いだして生きている。ソルベは金というそれへ信頼を置き。

ジェラートは別段、この世全てに絶望しているわけでは無く、例えば、救いだとか、善性だとかがあることぐらいは理解している。ただ、それは自分にとっては遠くにあり、自分にとってそれは不要であった。

だからといって、死ぬ理由にはならなかった。そんなことを考えるぐらいなら、ジェラートは生きることを考えた。

それだけの話だ、それだけの、シンプルな話。

 

「・・・・なあ、あんたは考えたことが無かったか。」

もしも、もしも、自分が神様なら、こんな世界は作らなかったって。

 

ジェラートはにたりと微笑んだ。

 

「なんだよ、お前!神の認める善性を否定するために、正義につばを吐くために、悪党に成り下がるってのか!?」

 

それは、それは、なんて愚かな考えだろうか。それは、なんて、面白い思考なのだろうか。

 

「だったら、なんだよ。くそったれ。」

 

己を見る、翠の瞳。炎をたぎらせる、その瞳。それは、なんて面白いのだろうか。

 

「レオナルドー!」

 

のぞき込んだ瞳がそらされた。日の光の中で、女が手招きをしていた。それにレオナルドは少し考えた後に、さっさとジェラートの下から立ち去る。

 

レオナルドは、女の下に走ってきた。そうして、彼女は悲しそうに微笑んだ。

 

「・・・今回も、無理をしたようで。」

「だったらなんだよ。これからこういうことをしてくんだ。」

 

それにポルポは何も言わない。ただ、悲しそうに微笑んで、レオナルドの方に手を差し出した。そうして、そっと、彼女は頭を撫でた。

 

「・・・・名前を変えるのも、顔を変えるのも、あなたには選べるんですからね。」

 

その手は、その顔は、本当に優しくて。

ああ、わかるものか。わかって、たまるものか!

 

レオナルドがナイフを振り上げたとき、それは大柄な銀髪の男に止められた。引き離されるはずだった自分にポルポは近づいて、そうしてレオナルドの持っていたナイフの刃を躊躇も無く握り込んだ。

 

白い手から、血が流れた。赤い血、流されるのを期待していた、それ。

彼女は、自分が連れて行かれるその時、あろうことか自分を抱きしめたのだ。

 

「あなたが殺しに来るのを、待っていますから。」

 

細い指、白い手、少しだけかさついた手が、己の頬をこれ以上無いほどに撫でたのを、覚えている。

その、その、誰よりも優しい、笑みを、レオナルドは永遠に忘れることは無いだろう。

 

周りにいた子どもたちがレオナルドから奪うようにポルポの周りに纏わり付いて、そうして、それぞれが勝手に甘え始める。ポルポはそれに穏やかに微笑んで、受けいれた。

 

その光景を、レオナルドは笑った。笑える話だ。本当に。

その女こそが自分たちが、毒を飲み込み続ける蟲がここに残る理由だ。何があっても、女の有利な情報を集めるのは、子どもたちにとってそれだけが無償の愛を与えてくれたからだ。

 

(忘れるものか。)

 

あの日、自分に微笑んで、そうして身勝手な希望を遺して去って行く神様をレオナルドはいつか殺すのだ。

その約束を果すために。

そっと、眼帯の上から潰れてしまった眼を撫でた。あの日、痛み、無くしたそれを戒めるように。

 

 

「ふ、あはははははははははははあははははははは!!」

 

ポルポと子どもたちがその場を去った後、ジェラートはけたたましく笑い出した。ソルベはそれを横目に見て、どうした、と問うた。

それにジェラートは愉快でたまらないと腹を抱える。

 

ああ、だって、こんなにも愉快なことは無いだろう。

ああ、そうだ、ジェラートは確かに感服したのだ。

無意識に、無意味に、あんなにも幼い子どもに凶器を持たせ、破滅を導くその女に。

 

「ソルベ、見たか。俺たちの飼い主だ! あれが! あんなにも善良そうなくせに、あんなにも善性しか持っていないってのに、あんなにも罪をかかえているってのに! 人に破滅をもたらす、運命の女(ファム・ファタール)!」

 

ああ、楽しい。

あんな生き物を見たことが無い。あんなにも真摯なのに、あんなにも人を愛しているのに、あんなにも全うなのに、あんなにも、善き人であるのに。

あんなにもポルポは完璧な悪党ではないか!

人の人生を狂わせ、人の幸福を踏み潰し、人の光への道を壊していく。

 

「なあ、ソルベ!俺はあいつにならリードも持ち手も持たせても構わねえと思ってんだよ!」

 

もちろん、噛みつかないという保証などしないが。それを頭として立てることを悪くないと思っている。それは、どんなにも面白いのだろうと考えている自分がいる。その女の本性を、真実を暴きたいと思う自分がいる。

 

それにソルベはこくりと頷いた。

別段、ソルベは彼女のことにはさほど興味は無い。けれど、けれど、ソルベは女のなした、運によってだけ、引きずり出した最高の手札に震えた。

イカサマなどしていない、小手先の技術など女は弄していない。だが、あの女は、ただ、運だけでその場を掌握してしまった。

金にがめつい自負はある。だが、あの、女がなした圧倒的な引きの良さに震えた。

 

これから、自分たちが己をチップとして賭けるときが来たのなら、勝ち馬に乗りたい。それに対して、ポルポが最高の一手を選ぶという確信が持てた。

 

「・・・金払いもいいしな。」

「そうと決まったら、さっそく行くぞ!」

 

ジェラートはにこりと微笑んで、ポルポの後を追う。それを追いながら、ソルベは考える。

自分の身内がなぜ、そんなにもポルポを贔屓するのか、少しだけ理解が出来た気がした。

優しい女だ、穏やかな女だ、哀れな女だ。

けれど、院長であった男に浮かべた、あの怒り。

あの、赤い瞳に見つめられて、死ねと言われたその時、悪くないと思ってしまう自分が確かにいた。

 




ちなみにレオナルドの眼を潰したのは、リゾットになります。


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熱暴走

体調不良の人と、影の人。

今回の話、上手く伝わったか心配です。


 

スタンドとは、精神の力だ。

そんなことは誰だって知っている。コントロールは己の心自身と、覚悟、そうして、精神状態で決まるものだ。

それ故に、時折、コントロールを失うことはないわけではない。

例えば、誰だって体調が悪いときは集中するのが難しかったり、体を動かしたくないと思うものだろう。

そうだ、リゾット・ネエロのそれもまた、体調不良によるものだった。

 

 

 

いつも通りの任務のはずだった。

ただ、その日はタイミングの悪いことに体調が悪かった。本当に珍しいことだった。

リゾット・ネエロはこれでも仕事に関しては完璧主義者であったのだ。

けれど、その日は本当にタイミングの悪いことに、非常に体調が悪かった。

そのせいで、珍しく任務の相手を逃がしてしまったのだ。

 

(・・・くそが。)

 

悪態をついてリゾットは自分の足下に転がるそれを見た。

人種的に体調が悪いというのに仕事なんて事あり得ないのだが、悲しいかな。リゾットはそう言った福利厚生からはほど遠い仕事だ。

といっても彼が所属するチームの上司からして報告すれば休む許可はもらえそうだが。

残念ながら、リゾットはそんなことをわざわざ連絡するようなタイプではなかった。

何よりも、今回の任務はポルポに帰属するカジノから金を持ち出した馬鹿への制裁だった。

 

(・・・今日は、もう、帰って。)

 

ふらふらとした思考だ、まるで茹だるように怠く、ふらふらと体でリゾットは死体を処理する人間を呼ぼうとした。けれど。

腰の辺りに、強烈な違和感を持った。それに、リゾットはああ、と。嫌な予感を持った。

 

ずるり。

 

痛み、生々しい感覚、リゾットは己の腰の辺りからスコップが飛び出したことを理解した。

 

それと同時に、リゾットはふらりとその路地に倒れ込んだ。

 

 

「・・・・どーすんだよ?」

 

ホルマジオは思わず言った。それに忌々しげにプロシュートが舌打ちをする。二人はとある建物の二階から、ある路地を眺めていた。

その路地は、赤い水たまりが広がっていた。

その水たまりに沈む、遺体が二つと、彼らのリーダーが一人。

 

「・・・あのままじゃ死ぬな。」

 

プロシュートが忌々しげにそう言った。流れ出ている血がリゾット自身のものかはわからないが、そうは言っても危険な状態だ。

けれど、二人にはリゾットに近づくことを躊躇する理由があった。

ホルマジオは自分の手を見た。手のひらの深々とした切り傷を見た。

スタンド使いには発動条件があるものがある。例えば、ホルマジオの場合、己のスタンドで切りつけることであったりだ。メローネの場合はもっと複雑だ。

けれど、発動条件自体が非常にシンプルなものがある。そういったものは、当人の精神状態で暴走することがある。

リゾットは朦朧とする意識の中で、防衛本能のように近づいたものを攻撃しているのだ。

プロシュートたちはリゾットからの連絡が遅いことをいぶかしく思い、彼を探したわけだが。

路地にて転がっているリゾットを発見した。最悪なことに、メタリカからの洗礼付きでのことだ。

プロシュートも、ホルマジオもそれに対して特別怒り狂っているわけではなかった。

プロシュートも、昔そうやって能力をコントロール出来ずにやらかした覚えがある。ホルマジオも任務に成功しているのだから何かを言う気は無かった。

 

「兄貴!!」

 

その時だ、ペッシが慌てて駆け寄ってくる。

 

「ポルポ、もうすぐこっちに来るって!」

 

それに二人はほっと息を吐いた。

 

 

 

「遅れてすみません。」

 

ぱたぱたと軽い足音を立ててポルポが近づいてくる。

ワイシャツだけで慌ててコートを引っかけてきたのか、いつものオーバサイズのそれを抱えて走ってきた。

相当慌てて走ってきたのか少しだけ息が上がっていた。

 

「リゾットは?」

「あっちだ。路地の奥。」

 

プロシュートとホルマジオは何があってもいいように路地の手前でポルポを待っていた。

 

「わかりました。人払いは終わっていますか?」

「ああ、適当な事情をでっち上げた。」

「わかりました。行ってきます。」

 

ポルポはそう言ってぱたぱたと路地の奥に走って行った。それにペッシは落ち着かないというようにプロシュートを見た。

それにホルマジオは、ああと納得したように頷いた。

 

「そういや、お前は立ち会ったことないのか?」

「立ち会い?」

「・・・・スタンドの暴走だ。」

 

ホルマジオとペッシの会話にプロシュートは忌々しげにそう吐き捨てた。

 

 

 

スタンド使いは戦力で言うのなら破格だ。たとえ、戦闘能力が低くとも能力によって使いどころは多くある。

だが、それはあくまで当人が能力をコントロール出来てこその話だ。

パッショーネにはスタンド使いが多い。それはポルポの力によるものだが、それ以上に、スタンド使いになってなお、生き残る人間が多いと言うことがあげられる。

 

「スタンドを使えたとして、その能力が、使ってる奴にも影響があることは多いんだよ。ブチャラティのとこにもいただろうが。」

「ああ、そう言えば。」

「そーいうやつはメローネみてえに発動に条件がありゃあいいんだが。能力が単純だと色々あってな。今のリゾットみてえに本人の状態で暴走するときがあんだよ。」

「で、でも、ポルポは大丈夫なのかい?」

「大丈夫だ。だから、言っただろうが。」

ポルポのところにいる人間は生き残る奴が多いってよ。

 

 

頭が痛い、体がだるい、何もかもが億劫だ。

リゾットはぼんやりと、回らない頭で己のなすべき事を考える。

遺体の処理、報告、ここから離れること。

義務を、果たさなくてはいけない。ここで生きていくのだから、なすべきことをしなくてはいけない。

そう思うのに、それ以上に何もかもが億劫で仕方が無い。

体の奥が、ざわめいている。落ち着かない、何か、押し殺したような何かが溢れてきそうだ。

ああ、嫌だ。

何も心配することはない。そうだ、仕事も終わった、後処理だけだ。なのに、頭が回らない。それが、ひどく、不安を駆り立てる。

 

ぱた、ぱたぱた。

 

足音がした。それに、リゾットは必死に頭を巡らせる。

何だろうか、目撃者だろうか。

ああ、始末をしなくてはいけない。メタリカを、無意識のように発動させようとした。

けれど、それよりも前に、リゾットの頭を何かが無理矢理に上に向かせる。

 

「・・・飼い主に噛みつくのは感心しないな。」

 

ピエロのような見た目、低い声、明らかに人ではない出で立ち。

唐突に現れたそれにリゾットの思考は正気に戻った。そこに、リゾットが体を預けた建物の影から何かが飛び出してきた。

 

「リゾット?」

 

たんとリゾットの横に立ったそれの影と、リゾットの影が重なった。それにリゾットの中で安堵が広がった。

 

「ポルポ・・・」

 

リゾットはまるで、わらを掴むように、女へと手を伸ばした。

 

 

「リゾット。大丈夫ですか?」

 

ポルポはリゾットの姿に安堵したかのような顔をした。そうして、伸ばした手を引っ張って立ち上がらせようとした。けれど、明らかに体格の違うポルポでは熱で朦朧としたリゾットを立ち上がらせることは出来ない。ずるりと、滑るようにポルポはその場に座り込んだ。

 

「起き上がれますか?」

「・・・力が入らん。」

 

ポルポはそれにどうしたものかと、ホルマジオたちがいる方を見た。リゾットはそんなポルポのことなど気が回らない。ただ、その冷たい手にすり寄った。熱の彼に、その体温の低いそれは心地が良かった。

まるで懐いた獣のような仕草でリゾットはポルポにすり寄った。

 

(ああ・・・)

 

それの傍はほっとした。今まで散々にざわつき、不安感に煽られていた思考はすっと落ち着いた。

これの傍ならば大丈夫。これだけは己のことを裏切らない。これだけは、これだけは、何があっても自分が守らなくては。

強烈な安堵感はリゾットに麻薬のように広がった。

 

「リゾット、すみませんがホルマジオたちを連れてきますから。」

 

ポルポはそう言って己の腕を掴んだリゾットの指を外していく。リゾットは外された己の手を茫然とみた。ポルポが、黒い髪が離れていく。自分の下から離れていく。

リゾットの中に生まれるのは、強烈な心細さだ。

 

どうして離れていく。どうして、置いていく。

 

力尽くで掴んだ手に、ポルポはそのまま地面にもう一度転がった。

 

「どこに行くんだ?」

 

先ほどまでの安堵感は遠く、今あるのは不安定な心細さだけだった。ポルポは驚いた顔でリゾットを見た。

 

「俺のことが面倒になったんだろう?」

 

どろどろとした、腐敗しきった声でそう言った。

ああ、そうだろう。面倒だ、こんな自分が。

茹だった頭がまともなことなど全て腐らせていく。

 

お前が最初に行こうと言ったのだ。手を差しのばしたのはお前だったはずなのに。

なのに、なのに、お前は俺を置いていく。まるで、汚れなんて知らないというような顔で、自分のことを、置いていく。

行くな、行くな、行くな。

 

ぎちりと掴んだ手が軋みを上げる音がした。リゾットはとうとう、体力の限界がやってきた。手を掴んでいることさえも億劫になり、そのままするりと力が抜けた。

もうろうとした意識はそろそろと限界を迎えそうだった。

 

「・・・どこにでも行ってしまえ。」

 

低い声は思った以上にか細かった。

自分の力が恨めしい。肉を裂く感覚、血しぶき、臓物の色。

全てが人を傷つけることに特化した、刃の力、引き裂く力。

 

「リゾット、あの・・・」

 

己の頬に突然触れた、冷たい感覚。それに、リゾットはてっきりその場を去ると思っていた、ポルポの思いがけないそれに防衛本能のようにスタンドの能力を発動させた。

 

びしゃりと、生暖かい感覚が、彼にとって馴染んだ感触が頬に広がる。短い悲鳴に、彼女の方を見た。自分に触れていたのだろう、細く、白いそれからはカミソリが飛び出していた。

その光景に、リゾットは散々に己のことが嫌になる。

ああ、どうだ、こんなものだ。

 

ナイーブな感情が、暴走する。絶望する。

自分は、こんなにも弱いものに、こんなにも哀れな生き物に、共に生きると決めた同胞にさえも、ろくな事をしていない。

そうだ、前だってそうだった。力を得たとき、まるで発作のように辺りに被害を及ぼした。

体から飛び出す刃物、死んでいく人間。

それにリゾットは己が徹底的にろくでもないものになったように思えて仕方がなかった。割り切り、蓋をし、飲み込んだ感情が、徹底的に弱った体と思考を襲う。

 

「離れろ、ポルポ、俺は・・・・」

 

ポルポはちらりと己の手を見た。溢れる血、飛び出すカミソリ、彼女はそれにさしたる動揺を見せることはなかった。

 

「リゾット、大丈夫ですよ。」

 

傷ついていない手が、リゾットの手に重なった。その冷たい手は、やはり心地が良かった。

触れて欲しくなかった、傷つけたくなかった。

その女には、恩義があった。

 

リゾット・ネエロというそれは大事にしたいと思うものは、案外ちっぽけだ。

金だとか、栄誉だとか、そんなものではなくて。

彼は自分の生きる場所さえ守ることが出来ればそれでいいと思える程度にちっぽけなものだった。

その居場所は、別段、ポルポに何かしらの心があって作られたものではない。ただの偶然、ただの効率、ただの寄せ集め。

けれど、その女がいるからこそ、守られる場所であることも知っていた。

ポルポは確かに、リゾット・ネエロにとって守るべきものだった、哀れな女だった、人殺しの己に救いを求める悲しい奴だった。

 

だからこそ、傷つけたくない。己に触れて欲しくない。傷つけるしかないと自覚しているのなら、余計にそう思ってしまう。

 

ポルポはまるで怯える子どもを抱きしめるようにリゾットのことを抱きしめた。それにリゾットは反射のようにメタリカを発動させた。

ざくりと、女の腹を、その肉を、裂いてしまったことを自覚する。暖かな命の温度が己とそれの間に広がった。

 

振りほどこうとした、けれど、それよりも先にその女はリゾットのことを強く抱きしめた。

 

「リゾット・ネエロ、大丈夫です。大丈夫ですから。私には、あなたが必要なんです。あなたのことは、私は守ってみせますから。」

 

柔らかな声がした。まるで、賛美歌のように甘い声だった。赦しではなく、さりとて、愛の言葉などでは到底ない。

それは、地獄へ誘う悪魔の声だった。けれど、リゾットは自分に与えられるのはそれだけでしかないと理解していた。

それにリゾットの体から力が抜けた。優しい声だ、包むような声だ。それは、心底、リゾットという人間への依存と、執着に満ちている。

醜いことだ、それぐらいは理解していた。

それはけして、まっとうなものではなかったし、リゾットのことなんて考えていなかった。

けれど、何かを殺すことしか出来ない自分に、一方的ではあれど、リゾットの幸福を素直に願うそれは、何よりも、彼にとっては救いだった。

温かな、血ではない、人の温度にリゾットはとうとう、張っていた気を手放した。

 

 

「・・・はあ。」

 

ポルポはリゾットが気絶したことに驚いた顔をした。そうして、痛む腹を押さえてホルマジオたちの方を見たとき、ふっと彼女は昏倒するように体を傾いだ。

けれど、そんなことなかったかのようにまぶたを開けて、バランスを取る。

そうして、それは己に寄りかかった男の体を壁に預けた。

 

「はあ、まったく。ポルポ、君は、リゾット・ネエロに執着しすぎる気があるね。」

 

それは呆れたようにそう言って、女の、己の手を切り裂いているらしいカミソリを見た。

そうして、屈み込み、男の方を見た。

その表情はどこか老成した男のように冷たく、そうして、真冬の月光のように冷たくて利己的だった。

まるで、仮面でも被り直したかのように、それは普段のポルポから乖離していた。

 

「・・・・やはり、あまり同化しすぎると内については不安定になってしまうな。」

 

スタンドの力が暴走していたためになんとか落ち着かせようとした結果ではあるが。

安堵感、依存心、執着、庇護者への親しみ、盲目的にそれを善きものとする思想。

そうして、相手の幸福を祈り、当たり前を願う善性。

 

(ポルポの思考は、少々熱っぽすぎる。鎮静剤として、いいや、悪党にはあまりにも、甘い衝動だ。)

 

困り果てたような顔をして、それは立ち上がった。そうして、ちらりと己の隣から伸びる影を見た。

それはおかしな光景だった。

本来ならば、そこには女の影と、そうしてリゾットの影が伸びていなければならない。だが、あるはずのリゾットの影はなかった。というよりも、リゾットの形をした影はなく、ポルポの足下にある影のほうに不自然に伸びていた。

それはまるでリゾットの影が、女の影と混ざり、取り込まれているように見えただろう。

が、そんなことはお構いなしに、女はリゾットのことを眺めた。

 

本音を言うならば、それにとってリゾットというそれが死のうが生きようがどうでもいい。

というよりも、本音を言うならば死んで欲しいぐらいだ。

なんといっても、文字通り、一心同体である可愛い己の子の信頼だとかをかっさらっていく存在が面白いわけがない。

もちろん、彼女に心中の約束をされている自分以上に特別な関係など無いと自負しているが、それはそれなのだ。

 

(面倒だと?当たり前だ、ジメジメ男。面倒以外の何があるというのか。)

 

けれど、死なれては困るのも事実だ。それはそっと、リゾットの頬を撫でた。

 

「お前は、泥水に映った星なのだから。」

 

リゾット・ネエロは泥ではないのだろう。彼は彼なりに生きる道を模索し、己の人生をよりよきものにしようとした。それ相応の良心があり、愛があり。けれど、結局の所は星になることは出来ない。

リゾット・ネエロは、そうして、彼の部下たちは、泥水に映った星なのだ。

汚泥ではなく、けれど、空に瞬く星ではなく。

いつかに、美しいものになり得たかもしれない、残光。

けれど、ポルポにはそれが丁度良いのだ。空に瞬く星では彼女を焼き、足下に広がった泥を彼女は拒絶する。

ポルポのことを焼かない光、ポルポが下を向いてなお、輝きを思い出させる希望。

人にとっては取るに足らないと、足蹴にされるそれこそが、それの最愛の存在にとって必要不可欠であるのだ。

 

「だからこそ、私はお前を生かすのだが」

 

それはそう言った後、立ち上がった。ホルマジオたちを呼びに行かねばと思い立ったのだ。

その時、それは、ふと、リゾットが始末したはずの死体に眼をやった。そうして、にたりと、微笑んだ。

 

 

(もう少しだ、もう少しで!)

 

その時、その男は散々に己の不運を呪っていた。簡単な仕事のはずだった。

とある地区で麻薬の販売をしてくること。

普通の販売よりも破格の報酬であったし、なによりもその地区を担当する元締めは穏健派で有名で、咎めはあまりないだろうと思っていたためだ。

けれど、予想に反して、その商売はあっさりと終わってしまった。売り物も、売上金も何もかもなくして、それでも生き延びるのだと逃げ出したが、追っ手が来た。

それも、明らかにそれは人ではなかった。

ツレはそれにやられた。

体から飛び出るカミソリ、温かな血、溢れる臓物。

 

怖い、怖い、怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわい怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわい!!!

 

なんだあれは、なんだ、あの化け物は!!

噂では聞いていた、パッショーネには悪魔のような力を持っているものがいるのだと。だが、何故、自分がそれに追われているのだ?

自分よりも、自分に仕事を頼んだものにこそそれはふさわしいのではないのか?

 

幸運だったのは、それは自分がとどめを刺されていないことに気づいていないことだった。体から飛び出た刃物は幸いなことに致命的なものは避けていた。

そうだ、隙を見て逃げるのだ。

仲間らしい女がやってきても、そうだ、一瞬の隙を突いて、人質にでも。

 

「やあ、君。惨めなことだね。」

 

己にかけられた、柔らかな声音に固まった。ばれた、それを理解して、男は体を起こして逃げ出そうとした。

けれど、何故か、体は動かない。

 

「な、なんで!?」

 

足に伝わる、何かに掴まれているような感覚。足を見ても、何もない。そうして、自分の目の前の優し気な印象の、柔らかな細身の女が一人。

 

「やあ、君、ごきげんよう。」

「な、なんだよ!お前は、よお!」

「ふむ、そうだね。私が何者か。多くの語るべき名はあるが。すまない、今日はおしゃべりをするような気分ではなくてね。ただ、君には。この子の傷を肩代わりして欲しいんだよ。」

 

女がそう言うと、そうだ、女の足下から伸びる影。それはまるで意思を持つかのように男の影まで迫り、そうして、混じり合った。

 

「な。なんなんだよ!?」

「そんなこと、簡単なことだ。今君は、少なくとも私であり、そうして、私は君である。だからこそ、この傷は、君のものでもあるんだよ。」

 

一つになった影に怯えた男は叫ぼうとした、その瞬間、彼を切り裂くような痛みが襲い、そうして、赤いしぶきを認識する前に彼の意識は消えてしまった。

 

 

(・・・・ポルポは気づくことは、あるのだろうか。)

 

それは傷一つ無い、己の腹を撫でた。メタリカによって飛び出たはずのカミソリは目の前の死体の腹に突き刺さっている。

 

そうしてそれは、息を吐く。

ポルポは自分がいることでスタンドの能力が落ち着くことになんの疑問も持っていない。

彼女はそれを矢のおかげだと考えている。実際に調べたわけではない。ただ、そうであるのだと思い込んでいる。

何故って、彼女にはそれ以外に思い当たることがないのだ。

ブラック・サバスの能力は、影に潜り込むこと、それだけであると本筋では決まっていたから。

途中退場でしかないのだからと、ポルポは目をそらすことがある。彼女は矢というものを嫌悪している。己を地獄に引きずり込んだそれのことを。

だからこそ、関係ないと、無意識のうちに目をそらしてしまっているのだろう。

別にそれで構わない。だって、ポルポが生きていれば、それは満足なのだから。

ポルポの影は男のそれから分かたれて、いつも通りお利口にそこにいる。

それはふうと息を吐いた。

混ぜすぎるというのは危険だ。境の自意識が曖昧になれば訪れるのは崩壊だ。あくまでも、一滴の波紋を呼び出すようにしなくてはいけない。

自分たちは観測者を互いに担えばいいが、他は別なのだから。

 

「さて、シャツの血は他人のものだとすればいいだろう。」

 

交代の時間だ。

それはそうつぶやき、ゆっくりとリゾットのほうに足を向けた。

 



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死が絶望などと誰が言った?

チョコラータと死を救いにしている人。

お久しぶりです、なかなか更新できずにすみません。申し訳ありません、ものすっごい間違えて誤爆しました。
諦めてあっちの名前も戻しました。

感想いただけましたらうれしいです。


 

「こんにちは。」

 

柔らかな声が、カーテンの閉め切られたホテルの一室に響く。

 

「・・・あなたが、その?」

 

ホテルの一室には、男女が三人存在していた。

一方は男、もう一方は女の二人組。

二人組の片方が部屋の中心に置かれた机に向かい合わせに座っている。もう片方は、座っている片割れの隣に侍る様に立っていた。

 

「はい、今回、お二人の試験官を務めるポルポと申します。」

 

その時のチョコラータ、現在は本来の名前ではあるが、便宜上そう呼ぶ、その顔は、彼を嫌っている人間達が爆笑するような顔だっただろう。

 

 

チョコラータという男は失敗を犯してしまった。

医療ミスだ。些細な、腕のいい医者であったそれには珍しい失敗だった。けれど、実際の所は違う。

男はわざと医療ミスをしたのだ。

失敗というのならば、そのわざとがばれてしまったことだろう。

 

「・・・・医療ミスで、病院を辞めさせられ、多額の賠償金を支払っていると言うことでよろしいでしょうか?」

「はい、ええ・・・」

「私のことはポルポとお呼びください。後ろの者はカラマーロです。」

「ポルポとカラマーロですか。」

「お気になさらず。こんな場所では名などさほど大きな意味などありませんので。」

「はい。」

「わかりました。ところで、スィニョーレ。この部屋での約定については事前に知っておられますか?」

 

それにチョコラータは頷いた。

彼に声をかけてきたのは、金の工面に苦心をしているときのことだった。明らかに、裏の世界の人間であることはわかった。

けれど、チョコラータも追い込まれていたのだ。

ならば、いっそのことそちら側に回っても良いだろう。

なによりも、だ。

チョコラータはどこまでも、人の死というものに魅了されていたからだ。

医者であれば、人の死をつぶさに観察できる。けれど、今、ここでギャングになれば人の死は遙かに近しい物になるだろう。

それはある意味で、チョコラータにとって望むべき事だった。

ただ、チョコラータ自身、そう危険な立場に置かれたいわけではない。医者であったというのはアドヴァンテージになるのか。

そんなことを考えていたときだ。チョコラータに接触してきたそれは、こう言った。

 

うちの組織に入るには、一つ、試験を受けてもらう。もしかすると死ぬかもしれないが、それでもかまわないか?

 

死ぬ?

どんな試験かはわからない。けれど、チョコラータは何のためらいもなく己が生き残ると確信できていたのだ。

 

その試験というのも、とあるホテルの一室に向かえというものだ。そうして、試験会場にて出迎えたのは、二人の女。

一方のそれは、チョコラータのことをうろんな瞳で見つめた。チョコラータはそれを警戒すべきと頭の中に書き留めた。

そのまなざし、立ち振る舞いはなめてかかるべきではないと感じた。

けれど、もう一方のその女はどうだろう。

 

(なんとも哀れになるような体つきだ。)

 

ポルポと名乗ったその女を見てみろ。

なんとも、侮ることしか出来ない女だった。

 

高価だと一目でわかるスーツに身を包んだその身は、着られているという表現がよく似合う。青白い肌は日の光に当たっていないのか不健康そうに見える。

見た目もどうだ、醜くないがけれど美しいわけでもない。貧相で、幸薄そうなそれはうつむき加減に淡く笑っている。

これが試験官なのだという、ギャングのだ。それならば、後ろに侍る女の方がまだ納得できただろう。

けれど、チョコラータとてそんな考えはそっと飲み込む程度に社会に順応している。その道からこれから外れるわけなのだが。

 

「重要事項として、この試験は高確率で死亡する可能性があります。また、成功したとしてもあなたの心身に変化が訪れます。それについてはいいですか?」

「ああ、かまわない。」

「わかりました。試験の内容は簡単です。この部屋を出て、右手に進んで一番奥の部屋に行ってください。そうして、中に置かれた机の上のライターを持ってきてください。」

「それだけ、だろうか?」

「はい、ですが、一つだけ条件があります。廊下ではけして、振り返ってはいけません。」

 

女は、日向の匂いがする、優しげな笑みと共に見送った。それにチョコラータは己の中で何かが芽生えた。

 

 

廊下には何もない。てっきり、襲われるだとかそんなことを考えたが、そんな気配はない。

けれど、確実に背後に何かがいる。

息づかいも、足音もない。

けれど、気配を感じる。ひたり、ひたりと、何かが迫ってくる。そんな感覚だった。

 

(落ち着け!)

 

後ろを振り返ってはいけない。それは絶対的なルールだ。

それ故に、チョコラータは必死に感情を押し殺した。ライターを手に取り、その時さえも後ろ向きに部屋に戻る。

 

試験をまずクリアせねばならない。

それは理解できるのだが、チョコラータの中で微かな質感を持った怒りが存在していた。

強者とは、弱者をどうしてもいいという価値観がチョコラータの中に存在していた。

それ故に、彼は先ほど自分に指示を出した女を思い出す。

自分に組織に勧誘してきた男は、チョコラータに一つの警告をした。

試験官は幹部にあたるそうだ。

 

いいか、けして試験官には手を出すなよ。傷の一つでもつけてみろ、地獄を見る。

 

チョコラータとてそんなわかりきったことを警告されても、と考える。けれど、その試験官に会って、彼の中でぐるりと腹の底で沸き立つ感覚があった。

 

すました顔をしている女だ。

見れば見るほどに、チョコラータの中に何かが芽生える感覚がした。

わかる、人というものを眺め続けたチョコラータであるからこそ、その女の持つ柔らかな安寧の匂いを嗅ぎ取った。

 

ああ、これは、こんな薄暗いところではなくて、日の光の当たる場所で淡く笑うのが似合う女だ。

表面的に取り繕っても、瞳の奥で怯え、縮こまり、虚無を抱えると理解する。見てみろ、その女は自分に怯えを持っている。恐れている。

その女は理解しているのだ、自分ではチョコラータに勝てないことを。

それにチョコラータは怒りを覚える。

なぜ、自分がこんな存在にへりくだらねばならないのか?

 

苛立つ、苛立つ、怒り。

チョコラータは、愚かだと知りながら、蔑むべき弱者であろう女のなした現状に苛立っていた。それ故に、だろうか。

ちらりと、そうだ、持っていた鏡。

それで後ろを確認してしまった。

その瞬間、何かがチョコラータを貫いた。

 

 

 

 

「……目が、覚められましたね。」

 

次に起きたとき、見上げた先にいたのは一人の女だった。

チョコラータは最初にいた部屋のソファの上に転がされていた。部屋の二人組の女は変わること無く、元の場所にいる。

 

「・・・何が?」

「スィニョーレ。あなたは、先ほど、約束を破られましたね?」

 

それにチョコラータが動きを止めた。そんなことも気にならないのか、ポルポは嬉しそうに、カラマーロは忌々しそうな顔をする。

 

「おめでとうございます。」

 

ポルポは淡く微笑んだ。それと同時に、彼女の背後、椅子の裏から、影が現れた。その影は、くすくすと楽しそうに笑う。かぱりと開いた口からはよどみなく言葉が発せられる。

 

「見るべきで無いもの、触れてはならぬもの、認識すべきで無いもの。二つの道、貴様は選んだのだ。新たなる影の誕生に祝福を!」

 

薄暗い、部屋の中、そのピエロのような影が笑っているのを見て、チョコラータは喉の奥で悲鳴をなんとか押し殺した。

 

 

この世には、スタンド能力というものがあるそうだ。

いわゆる、超能力だと、ポルポは語った。

世界の、一割に満たないそれは、確実に裏社会に、そうして、表社会にも潜んでいるのだという。

 

「それを、信じろと?」

「といわれましても。あなたは、すでにサバスのことが見えているのに。」

 

それにチョコラータは黙り込む。目の前の、影が形作る黒いピエロのようなそれはゆらりゆらりと笑いながら己のことを眺めている。

それはくすくすと、まるで少女のような笑い声を上げている。そうして、飼い主の膝の上にくつろぐ猫のような仕草で女にじゃれついている。

カラマーロは、電話をするとその場を外していた。

 

「なら、私にもそんな化け物がついていると?」

「・・・・化け物、ですか。」

 

ポルポはチョコラータを静かな眼で見つめる。その眼が、チョコラータには鼻についた。

わかる、わかるのだ。

それは弱者だ。

己に怯え、何をされても抵抗も出来ない弱者の類いであると、チョコラータには理解できる。彼が散々に磨き続けた、実験動物を選ぶ時の鼻がそう告げている。

けれど、女は平然とチョコラータを見つめる。まるで、互いが対等であるかのように。

 

それが気に入らない。それが面白くない。

だからこそ、思うのだ。

それが怯える瞬間は。

これが、死ぬ瞬間、どんな表情を浮かべるのだろうかと。

 

「スィニョーレ?」

「あ、ああ。申し訳ない。それで、私にスタンド能力があると?」

「はい。ただ、力に関して調べるのならば、別の所に行っていただきたいのです。」

「別の?」

「はい、能力は千差万別。非常に使いやすいものから、使いにくい者まで。用途は様々です。以前、力を暴走させて大変なことになった人もいましたので。そうですね、ペルソナという言葉をご存じですか?」

 

そう言って、ポルポはチョコラータにバッジを差し出した。それを受け取れば、女は変わること無く穏やかに微笑んだままだった。

 

「どうぞ、これよりあなたは我ら組織の一員です。」

 

 

 

チョコラータが、その女に会ったのはそんな試験の一幕であった。

ポルポ、という名前はなるほど、その女にはよく似合う。

暗がりの中で、怯えるように縮こまるその様は確かによく似合っていた。

 

弱い女だ。弱くて、取るに足らない女だ。

けれど、皮肉なことにその女の地位はチョコラータよりも上だ。

理由なんて簡単で、その女はなんでも金儲けだけで言うなら優秀で有り、そうして、その希少なスタンド能力のせいだろう。スタンド能力を発現させる。確かに、それだけで多くの組織が欲しがるはずだ。

 

だからなんだ?

 

チョコラータはその女のことがひどく気に入らなかった。

他の人間達への侮りとはまた違う、嫌悪と言える感情だった。なぜ、この程度の人間が自分の上にいるのか?

怯え、恐れ、いつだって護衛の後ろで控えめに笑うだけのそれ。

 

だからこそ、だ。

その日、その女に会ったとき、ただ、どんな顔をするのだと思っただけだった。ただ、それだけだったのだ。

 

 

その日、とある組織の全滅を命じられた。大量殺戮が可能であり、そうして、死体を残さないチョコラータのスタンドにはぴったりの仕事だった。

何よりも、その日、組織の人間にききたいことがあるのだとポルポがやってきていた。

それに丁度良いと思った。

 

「お久しぶりです、スィニョーレ。」

 

女は変わること無く穏やかに微笑んだ。くんと、香るのは、相変わらずまるで夕方の帰り道のような、何かの料理の匂いだ。

それにチョコラータは顔をしかめたくなる。

どんな場所にもふさわしいものがある。だというのに、それは変わること無く間抜けにしか思えなかった。

 

「・・・・おい、てめえ、何睨んでんだ。」

 

チョコラータが目を向けた先には、見目は良いが完全にチンピラにしか思えない男がいた。

 

「プロシュート。」

「っち・・・」

 

ポルポのそれにプロシュートと呼ばれた青年は不機嫌そうな顔でチョコラータを見た。知っている。ポルポの子飼いらしい青年は、自分と同じスタンド使いらしい。

わざわざ、子飼いまでポルポに持たせるボスの気が知れない。

 

(それとも、ボスの好みがこう言った貧相な女なのか。)

 

ポルポがボスの女であるという噂は以前から存在していた。実際、彼女に似た体型の女をボスに献上しようとした人間もいたそうだが。

まあ、結果はお察しなのだが。

変わることなく人のよさそうな笑みを浮かべている。

チョコラータはやはり、それが癪に障った。女の後ろで、自分に威嚇し続けている駄犬のこともそうだ。

 

「すみません、無礼を。」

「いいや、ただ、ポルポ、君は可愛らしいツバメを飼っているのだね?」

 

皮肉染みたそれにプロシュートの殺気が燃え上がる。けれど、ポルポは不思議そうな顔をした。

 

「すみません、チョコラータ。この子はロンディネではなく、プロシュートと言います。初めてお会いしますでしょうか?」

 

そのドストレートな返しに、チョコラータの顔が引きつった。プロシュートははっと笑い声を上げる。

 

「止めとけ、ポルポ。この藪医者、耳がすっかり遠くなってるんだ。」

 

それにポルポは首を傾げた。

 

「そうでしたか?ボスへの報告はしていますか?」

 

何の皮肉も効いていないその様子に、チョコラータは咳払いをした。

 

「結構だ。」

「そうですか?余計な気を遣い、すみません。」

 

そういって申し訳なさそうに顔を伏せるその様にチョコラータは苦虫を噛みつぶしたかのような顔をした。

 

 

組織の人間をとある倉庫に閉じ込め、それを上から見下ろした。

 

チョコラータは、その場に、地獄を生み出した。

人々が溶けていく、消えていく。

体さえもぐずぐずに、カビに食われていくのだ。

 

チョコラータはそれに嬉々としてポルポを見た。

どんな顔をしているのだろうか?

怯えているのだろうか?

恐怖に戦いているのだろうか?

いいや、いっそのこと、泣きわめいているのだろうか?

 

わくわくわした。

ああ、その女はどんな顔をしているのだろうか?

 

チョコラータはその女が死ぬ瞬間を見たいと思っていた。

 

安寧の匂いがする。当たり前のような日常の中に、平然と立っていそうであるのに、くんと香る柔らかな料理の匂い。

香水の匂いさえもしない、まるで真昼の人間でしかないのにこの地獄にいる女。

そのにおいがチョコラータは嫌いだ。

強烈な、甘い匂い。否応なく押しつけられる料理の匂い。

それらが不快だった。

強烈な料理の匂いは、時として、気分を悪くさせる。

チョコラータにとってポルポのにおいはそんな印象だったのだ。

 

弱者であるのに、強者を気取るその女がどんな顔をするのか、チョコラータは知りたかった。

 

「は?」

 

思わず、声が漏れ出た。

だって、そうだろう。その女は、笑っていたのだ。

それは、例えばチョコラータが浮かべるような喜びの笑みではなかった。それは、憎しみの発露のような笑みではなかった。それは、虫を引きちぎって遊ぶ子どもの笑みではなかった。

 

それは、それは、安寧の笑みを浮かべていた。

それは、教会で主から天恵でも得たかのような、笑みだった。

 

その悍ましい地獄に、女は、心底、羨ましいと微笑んでいた。

 

「どうか、されましたか?」

 

淡く微笑んだ、その女。チョコラータはなぜか、ぞわりと背筋を凍らせた。

その女には動揺はなかった。ただ、ただ、その目は、チョコラータを見るその目には、形容しがたいものが含まれていた。

固まり、近くの手すりに手をかけ、女を凝視する。

 

人が、ぐずぐずに溶けていく。絶望するような声がする。けれど、けれど、女の目には悲しみはあれど、恐怖はなく。

チョコラータはその時、初めて、女に恐怖がないことを理解した。

 

どうされた、だと?

その言葉はお前にこそふさわしいだろう。

おい、何をそんなに平然としている。おい、何をそんなに柔らかな笑みを浮かべられる。おい、何を、何を、何を。

なぜ、そんなにも焦がれるように死を、見つめているのだ?

 

「恐ろしく、ないのかね?」

 

いつもなら、もっと歪曲して、もっと、曖昧な馬鹿みたいな言葉なんて吐かなかった。なのに、その時だけは、その時だけは、素直に言葉を吐いてしまった。

 

「こんなにも死んでいるというのに、恐ろしく、ないのかね?」

 

どんな人間でも、チョコラータの能力を見れば動揺する。その絵面は確実に恐怖を見せつけるはずなのに。

なのに、女は笑っている。

女の後ろで、哀れむような目をしたプロシュートが、自分を見ている。

 

チョコラータのそれに、ポルポはきょとんとした顔をした。その後に、笑ったのだ。

声を出して、まるで、少女のように可憐にあはははははと、笑ったのだ。

 

「スィニョーレ。あなたは、案外、愛らしいのですねえ。」

「は?」

 

何を言っているのだ?

淡く笑う女、愉快そうに自分を見る女。

 

自分の背に気配がした。それに振り向けば、くすくすと笑う、影を纏ったスタンドがそこにいた。

それは、くすくすと、くすくすと、楽しそうに笑う。

 

こつりと、自分に近づく足音がした。目の前には、女がいた。それは淡く微笑んで、そうして、とんと手すりに座った。

それにプロシュートが目を見開いた。

 

「ねえ、スィニョーレ。死がもっとも苦痛なんて愛らしいことを考えておられるのでしょう?違います。生きることこそが、真の意味で地獄であるときだって、あるのですよ?」

 

女は、その言葉と同時に、ゆっくりと広がる地獄に、一階に体を委ねる。

チョコラータは、理解する。

幾度も見た、人の死。幾度も見た、人の絶望。幾度も見た、人の苦痛。

理解する、理解する。

 

この女は、死を、切望しているのだと。

 

「ポルポ!」

「グリーンデイ!」

 

プロシュートがポルポに飛びつくようにして引きずり上げた。手すりに寄りかかるポルポの腰の辺りの布を掴み、プロシュートはぜえぜえと息を吐いた。

 

「てめえ!てめえ!何してやがる!」

 

それにポルポはやはり、淡く微笑んで、プロシュートの頭を撫でた。それに、プロシュートはどうすればいいのかわからないというようにその場に座り込んだ。

 

「・・・・止めろ。止めてくれ。」

 

ポルポは己の足下に跪くプロシュートを悲しそうに見つめ、そうして、視線をチョコラータに向けた。

 

「私は、あなたの死を恐ろしいとは思いませんよ。」

 

ポルポは笑う。ああ、だってと。

あなたの死は、ひどく慈悲深い。

痛みはなく、一瞬で、そうして、醜い己を見せなくていい。

 

「あなたの死は、慈悲深いですよ。」

 

そう言って、女は微笑んだ。

 

 

チョコラータには、特別な罰はなかった。

当たり前だ、あんなもの、ポルポの起こした身勝手な狂言自殺だ。

けれど、チョコラータは知っている。

 

女は、その女は、チョコラータのもたらす死を、きっと静かに、穏やかに受け入れるのだ。

いいや、わかる。

その女が、善良であると、チョコラータの鼻は確かに嗅ぎつけている。

それ故に、だ。

ポルポはどれだけの拷問をしても、きっと、痛みに震え、苦痛の声を上げてなお。

その痛みに安堵するのだ。

ああ、己にふさわしいと。

 

悪党のギャング。ボスの犬。金の亡者。

そんなあだ名の中で、ポルポを妖婦と呼ぶ人間もいた。

その女に対する、妙な信仰。

 

(なるほどなあ、そうか!)

 

理解する。わかる。なぜ、そんなにもその女を慕う人間がいるのか。

こんな、闇の中、こんな地獄の中で、女は人に当たり前のように与えられた善性を失っていない。

 

善き者には祝福を、悪しき者には断罪を。

 

その当たり前のような在り方を後生大事に、抱え続けている。それに、悪党達は縋っている。

それ故に、ポルポは死を願っている。死を救いとしている。

己の足の裏に転がる死体を、女は忘れていないために。

 

女は、死を望んでいる。それが罪人にふさわしい末路であると理解しているが故に。

 

がんと、蹴り飛ばした家具が転がる。それに怯えるセッコが見える。

 

ああ、と思う。

 

「・・・・気色が悪い。」

 

 

 

チョコラータは医者である。

命の尊厳にも、倫理観も持ち合わせていない。けれど、死と苦痛を眺めたいが故に医者になった彼は誰よりも理解している。

 

人は、生きることを望むのだと。

 

絶望の内にやけになる人間はいる。

けれど、どんな人間も根本的に生を望むのだ。

当たり前のように明日を生き、歩みを進め、幸福に生きたいと切望している。

誰よりも死を見たいと願う故に、チョコラータは人の生への願望を知っていた。

 

ああ、あれはダメだ。

あんなものが赦されて良いはずがない。

賢しい彼は、人を救う術としての医術に興味は無かった。けれど、人の身体を知る好奇心を満たす術として医術を愛していた。

あれは冒涜だ。

何よりも、生を願うが故に発達してきた人の願望。生き続けるために人間というものが蓄えた医療というそれを、女は根本から冒涜している。

 

グリーンデイが、慈悲深い?

 

否、否否いな、いないないないないな!!

死に慈悲などがあってたまるものか!

死とは絶望であるべきなのだ、死とは拒否されるべきなのだ。死とは、死とは、死とは、どこまでも遠くにあると人が目をそらし続けるべきなのだ。

 

死を恐れ、疎み、拒否する。

生きたいと願い、あがき、手を伸ばす。

それこそが、人であるべきなのだ。

 

死にたいならば、死ねばいい。

けれど、女は自ら死ぬことはないのだろう。

 

(ポルポは熱心な、信徒らしい。)

 

教会で熱心に祈っているという噂を聞いた。ならば、自死はそれにとって何よりも耐えがたいことのはずだ。

だからこそ、ポルポは自分にとってふさわしい死を望み続ける。

 

チョコラータは嫌悪する。何よりも、死を望む生き物を、彼は嫌悪する。

 

(・・・・いいだろう。)

 

チョコラータは怒りをにじませた顔で、笑った。

死を望む女、死を救いとする女、チョコラータのそれを慈悲深いと宣ったそれ。

 

「・・・そうだ、調べるんだ。」

 

今まで、散々に人の心を壊す術を見続けてきたのだ。

ならば、人を生に執着させる方法も知ることが出来るだろう。

 

「いいだろう、ポルポ。どんなことをしても、お前にも生きたいと願わせてやる。その末に、必ず、命乞いをするお前を見てみせる。」

 

吐き捨てたその声音には、微かな憎悪が見え隠れしていた。

 

 

「・・・・ポルポ。」

「はい、何でしょうか?」

 

ポルポは仕事の合間に話しかけてきたカラマーロに微笑んだ。カラマーロはいつも通り、淡々と報告を行う。

 

「あと、幾人かから、贈り物が届いています。」

「ああ、何か便宜を図って欲しいと。」

「そうですが、一つだけ。」

「はい?」

 

カラマーロは苦虫を噛みつぶしたかのような顔をする。

 

「チョコラータから、花束が届いています。」

「ああ、そうですか。なら、部屋に飾ってくれますか?」

「ポルポ!」

 

カラマーロはずいっとポルポを見た。

 

「あんな腐れ外道から物を受け取ったりしないでください。」

「でも、もらい物ですし。無下には・・・・」

 

その言葉にカラマーロは頭を抱えた。

 

チョコラータのことはよく覚えている。一目でわかった。これは、クズだ。いいや、特上の人でなしだと。そんな男がポルポを気に入るはずもなく、明らかに下に見ていることはわかる。

それ故に、関わる事なんてあるはずもなかった。

 

だというのに、チョコラータはあるときからポルポにちょっかいをかけるようになった。

カラマーロはポルポにチョコラータと会って欲しくなかった。

いくら、振りでしかないとしても。ブラック・サバスがそれを赦すとは思わないが、それでもチョコラータと話していたポルポは死を願った。

何よりも、性格が最悪であるとわかっているために疎んで当たり前だ。

 

「わかっていますね?」

「わかっているけれど。彼は趣味が良いからね。花だけでも飾っておいてくれ。」

「・・・わかりました。」

 

それにすたすたと部屋を出て行くカラマーロを見送ったポルポに、ひょっこりとブラック・サバスが顔を出した。

 

「・・・不思議かい?」

「殺しても筋書きに支障は無い。」

「そうだね。でも、彼を消そうとしても無駄だ。ブチャラティのように結局軌道修正される。なら、これでいい。」

 

それにブラック・サバスは不思議そうに首を傾げた後、それでいいならばと部屋をうろつき始める。

それを見ながら、ポルポはぼんやりと考える。

 

(・・・・死ぬときは、チョコラータに頼みたいなあ。)

 

痛くもなく、一瞬で、そうして死体さえも残らないというのなら、それ以上のことはない。

 

(結局、彼の前でも私は死ねなかったなあ。なら、やっぱり。)

 

ポルポはチョコラータのことなどさっさと頭の中から追い出して、さっさと仕事を始めた。

 



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