月の上に建つ施設の一室、白い部屋の真ん中に人が簡単に入れそうな大きなカプセル状のものが置いてある。
その側にはメガネを掛けたいかにも科学者といった感じの白衣の男がノートPCに表示されるメーターを見つめながらじっと待っていた。
『インストールが終了しました』とディスプレイに表示されると、
カプセルの表面に浮かび上がる数値とノートPCに表示される数値を睨めつけるように見比べて、しばらくすると「よし!」と一声あげるとノートPCを閉じてその場に置いた。
白衣の男はカプセルの横にあるスイッチを押すと、駆動音を唸らせながらカプセルが開くと、
カプセルの中には黒いドレスを着たネコ耳を生やした女の子が入っていた。
カプセルが完全に開くと女の子はゆっくりと目蓋を開くと青い瞳に叙々に光が灯っていく。
「わ…たし…は……」
何かを確認するようにそう呟く。
「私……違うな。俺、わたくし、自分、妾、ミー、拙者、予、僕……妾、うむ!妾だな!」
女の子は一人称を並べて、しっくり来るものを見つけると白衣の男の方を向く。
「それで妾にどんな要件があるのじゃ?申してみよ」
女の子が突然言葉を並び立て始めた事に呆気を取られていた白衣の男は、その問いかけに戸惑いながらも答えた。
「あっ、ああ。悪かったね。まず君にはこの契約書に目を通してもらいたい」
「いや、待て。そんな話よりするべき話があるだろう?まずは妾に名前を与えよ」
高慢な態度の女の子の勢いに押されて、白衣の男は名前の候補を探るためにノートPCを開いた。
「ああ、そうだね。まずは名前が無いと色々と不便か」
画面の中にずらりと並んだ名前候補の文字に目を通す。
「しかし君には驚かされたよ。生まれたばかりなのにそこまで自意識を持った個体は初めて見たよ」
「そんな事で驚かれても妾は知らぬ。ただこう喋るのが自然なだけじゃ」
男は引き気味に笑いながらも名前を探し続ける。
「あとその横柄な態度も初めて見たよ、まあ自我が強いのは悪い事じゃ無いけど……
これなんか良いんじゃないかな!ヒイラギ!君みたいな剛直そうな子にピッタリだと思うんだけど」
ヒイラギと呼ばれた女の子は目をつぶると自身の中にあるデータのアーカイブから柊を探し出す。
刺々しい葉を持ちながら可愛らしい白い花を咲かせ、冬には赤い小さな実を付けるその姿を見て満足そうに口角を上げる。
「ヒイラギ…柊か……悪くないのう」
「気に入ってくれたならヒイラギで名前を登録するけど問題ないかな?」
「ああ、気に入ったぞ。良い名前じゃ。では妾に何をさせたいのか話を聞くぞ」
白衣の男は一枚の紙を取り出すと、ヒイラギに差し出す。ヒイラギはその紙を見て眉に皺を寄せた。
これから先の20年間、もしくは提示される任務の完了までイムラへの絶対的な隷属を誓う事。
そして任務の放棄は許されない、といった内容だった。
そしてその契約書の中には任務の内容がどういう物かを指し示す事は一切記述されていなかった。
「わざわざ面倒な物を誓わせようとするのはどういう意図じゃ?正直はい、とは言い難い内容だしのう」
「ああ、アンドロイドにも人権があるからね。本人に意志確認が必要なんだ」
「詭弁じゃのう!じゃあ妾が契約をせぬと言ったらどうなるんじゃ?」
「荒い事はしないけど、今のままカプセルから出さないで監禁かな……」
ヒイラギが試しに手をカプセルの外に出そうとすると、目に見えない透明な膜に指が触れる。
爪を立ててみてもカスリ傷の一つもつかなかった。
「あぁ、これ出れぬのか!遠回しなやり口をするのう……
まあ良い、どの道拒否する気はない。20年でも何年でもしたがってやるわい」
そうヒイラギが言うと男はヒイラギに契約書とペンを渡す。
「外側からの干渉は受けるのか、便利な檻じゃのう」
「起動したのらきゃっとが強い殺意を持っているって可能性もあるからこれはしょうがない事なんだ、
それにサインしたらもう閉じ込めておく必要もないから我慢してくれ」
契約書に名付けてもらったばかりの名を記すと、ヒイラギは少し嬉しげに自分の書いた名前を眺めた。
「ほれ、書いたぞ。さっさとこの狭苦しい場所から解放せい」
ヒイラギの言葉を聞くと、男はカプセルの横にある端末にパスワードを入力した。
「これで大丈夫、出てきていいよ」
ヒイラギは手を伸ばして、先ほどまで張られていた膜が無くなったのを確認するとゆっくりとカプセルから起き上がった。
ヒイラギから契約書を渡された男は、ふとヒイラギの様子が気になった。
「どうしたんだい?妙に気分が良さそうだけど」
「ん?ああ、なんて事ないぞ。それじゃよ、それ」
男の手に渡した契約書を指差す。
「これ?」
「特別な事なぞ何もない。ただ名前を貰った事、妾が今ここに生きる事を認められたみたいで嬉しいんじゃよ」
ヒイラギは生まれて初めての笑顔を作り、男の手を握る。
「ありがとうございます、お父様」
ここで話をしてても落ち着かないからと白衣の男、クヌギと名乗った男と食堂に行くことになった。
クヌギが紅茶を2杯注文すると、ヒイラギが「何か食べたい」とわがままを言うので一緒にカレーを注文した。
テーブルに着き、ヒイラギが満足そうにカレーを食べ終えるとクヌギは話を始めた。
「食事も終わったし、そろそろ本題に入ってもいいかな?」
「ああ…食事の時間とはなんとも幸福な物じゃ……うむ、妾は今とても機嫌が良い。好きに話すがよい」
ヒイラギは満足そうに食後の紅茶を口にしながら答えた。
「じゃあ始めよう。ヒイラギ、君の仕事はお墓を掘る事なんだ」
「墓?わざわざ妾がそんな物を作らなければいけない理由はなんじゃ?」
「ただの墓じゃない、のらきゃっとの墓さ」
クヌギは戦争の末期の一つの戦場の事を語った。
宇宙港の一つを巡っての大規模戦闘、地球連合の月への攻撃手段を得るための苦し紛れの戦いだった。
人とのらきゃっと、その他にも大量の無人兵器が敵も味方も見境もなく殺し合う、世界の終わりのような戦いだった。
「のんびり紅茶を飲みながら聞くには重い話じゃのう」
ヒイラギはサービスとして運ばれてきたクッキーを摘みながら口を漏らす。
「まあ、そこは本題じゃないから大量にのらきゃっとも人も死んだって位に捉えてくれればいいんだ」
釣られて、クヌギもクッキーを一口食べるとそれを紅茶で流し込んだ。
「問題はそこから先なんだ。今でもあそこで死んだのらきゃっとはそのまま放置されているままでね。
死者の弔いが終わらなけれ戰爭は終わっていない!って上層部ずーーっと、文句を行ってくるのさ」
「それで妾を生み出してやらせようって話かのう?
しかし、わざわざ妾にやらせずとも地球に大勢のらきゃっとはおるのだろう?」
「そこはね……結構良い条件で仕事を斡旋しても誰も受けてくれなくてね……戦争も終わって数十年経つ今でもそのまんまなのさ。
まあ数を聞けば誰でも断るよなあってのは分かるけどね」
「数か…何人いるのじゃ?」
ヒイラギのその問いを最後にしばしの沈黙が訪れる。
クヌギは気まずそうにしながらも紅茶を一気に飲み干して答えた。
「……1万人だ。1万人ののらきゃっとを弔ってほしい」
ヒイラギは両腕を組み、思案に暮れる。
やるまでも無く分かっていたが、1万という数を頭でしっかりとシュミレートしてから口を開く。
「1万か……クヌギよ、お主はバカじゃろ、というかイムラか。どう考えても1人に任せられる規模じゃないじゃろ」
ヒイラギは深くため息を尽き、頬杖をついて心底呆れたと態度で表す。
「バカみたいな任務だというのは承知の上だ。多数の人員を割くほどの優先度でもない。
だけど上から圧力はそろそろ爆発しそうなんだ……」
「なるほどのう……つまり妾は人身御供のようなものか」
「すまない……だけど、人身御供…生贄になる為に生まれた、なんて風には考えないでほしい。
こんな事を言えた立場じゃないが、不幸になって欲しい訳じゃない。それだけは信じて欲しいんだ」
クヌギは机に頭を押し付けるような勢いで頭を下げる。
ヒイラギはもう一度深くため息を吐き出すと、重々しく口を開いた。
「そう大仰に謝らずとも良い。お主が好き好んで我が子を極地に送るような者ではないというのは態度でわかるわ」
「わかってくれるかな?」
「ああ、クヌギの事は恨まぬよ」
「ありがとう……所で…最初のお父様呼びはどこに行ったのかな?」
「自分が父と呼ばれるほど親らしい存在か、胸に手を当てて考えて見ろ、愚か者が」
ヒイラギは緊急用にと数時間、戦い方の訓練を受けた。
言われた通りの訓練をこなすと、クヌギは興奮しながら
「君の体は戦時中はコストの問題で通らなかった特殊機体を改良した物、
しかも多数ののらきゃっとの戦闘データを元に作り直された最新の体なんだ!」
とヒイラギの体が如何に素晴らしいかを説くと、ヒイラギの中でクヌギの評価は更に下がった。
次に回収した遺体の扱い方のレクチャーを受けた。
ホワイトボードに描かれたのらきゃっとの頭部の分解図をしっかりと画像として頭に収めながら、やるべき作業の説明を受ける。
「再起動にかけて反応がなければ頭を開いて記憶回路は回収、残りの体は月に一度来る回収部隊に渡す。
そして記憶回路は地面に埋めればいい。なるほどのう。何故埋めるのじゃ?」
「君たちの記憶回路は基本的に1年以上起動しないと中身が消滅してしまうのさ、比喩で無く完全にね。
壊れるとか劣化する、とかそういう物ではなくて何も入っていなかったかのように消滅してしまうんだ」
「ほう?」
「ボディのほうは色々と再利用できるんだけど、頭脳はそうもいかないんだ。
一度AIのインストールをされた記憶回路は何故か再利用できない。理由は今でも明かされていないけど、
君たちアンドロイドの基礎AIの土台がそうなってるのさ」
「つまり上層部の何某は、その回路こそが妾達のようなアンドロイドの魂が宿っている箇所と考えておる訳か」
「そうなんだ、この辺りは根本の設計をした人の思想が強く反映されてるんだろうね。
とにかくアンドロイドが類似性を持つ事を嫌っていたみたいなんだ。
記憶が空の機体に他の機体の記憶と精神を移植すると、元々の機体は動かなくなるっていう仕様もあったりするんだ。」
「なるほどのう。面倒な話はよく分からぬが、妾がやらなければならぬ事はよく理解した」
「話が早くて助かるよ、それじゃあ呼び出しがかかるまで後はゆっくり待とうか。
船の準備が時間かかっているみたいだからね」
待てと言われてから10分ほど、ヒイラギは何をするでもなく椅子を揺らし、天井を眺めながらボーっとしていた。
「暇じゃ……」
そう一言つぶやくと同時にトイレに行っていたクヌギがジュースの缶を二つ持って戻ってくる。
「ずいぶん暇そうだね」
「この部屋には何もないしのう。窓から見える景色も何もない岩場ばかりじゃ生まれたばかりの妾だって何も感動を覚えんぞ」
クヌギが差し出すジュースを受け取り、一口飲むと不機嫌そうな顔を崩した。
「シンプルなオレンジジュースだけど気に入ったかな?」
「うむ、悪くないな。そうだ、気になった事があるのじゃが、聞いても良いか?」
「質問ならどんどんしてくれていいよ、何かな?」
「何故、わざわざ再起動にかける必要があるのじゃ?消えると言っておったじゃろ」
ヒイラギは美味しそうにジュースを飲みながら質問をした。クヌギはその様子を見て顔がニヤケるのを我慢しながら答える。
「単純な話だよ、死んでいると思ったら生きていたっていうパターンが実際何件も報告されているからね。
スクラップ置き場から奇妙な音がしたと思ったら、
紛れていたのらきゃっとが助けを求める音だった何て事は今でもたまに報告があるし、
戦闘によるダメージで直接エネルギー系統が破壊されてなきゃ結構生き残っているものなんだよ」
「そうは言うが、流石に動かんじゃろ?戦闘で破壊されたから戦場に残されている訳だろうに。
それもこの馬鹿げた任務を作った奴の命令の一つか?」
クヌギは気が重そうに缶を開けるとグッとジュースをあおった。
「そうだよ、まあ気持ちは分かるけど流石に誰かにやらせるにしては面倒すぎるよね……
おかげでたまに来ていた希望者も全員無理ですって連絡口で回れ右だったし……」
ヒイラギは改めて自分に課せられた物の途方もない物量に嫌気がさして口を閉ざし、若干重苦しい空気になったタイミングでクヌギの携帯に着信が入った。
通話が終わると、ヒイラギは発着場に連れていかれ、ガチガチの宇宙服を着せられると一人用の移動ポッドに乗せられた。
細長く白い、人1人が入るとそれ以上何も載せられない様な大きさに、ヒイラギは強い不安を覚えた。
「なあ、このポッドにはどうみても推進力を生み出す機構がない様に見えたんじゃが……」
「そこは大丈夫、マスドライバーで目的地まで直接吹っ飛ばすからブースターとかいらないんだ」
カチッとクヌギが何かのスイッチを押すとポッドの蓋がしまり、ヒイラギの来た宇宙服が拘束具のようにヒイラギを動きを阻害し始めた。
「はあ!ちょっと待たぬか!危険すぎぬか!!」
「大丈夫!戦時中は多くののらきゃっと地球に送り込んで90パーセントが無事に辿りついてるから問題ない!
「残りの10パーセントはどうなったんじゃ!どういう事じゃ!体が動かぬ!!おい!話を聞けい!」
ポッドがクレーンに吊るされて、発射口へ運ばれていく。
「すまない!君の建造費が思いの外、嵩んでしまって宇宙船を用意する費用が足りなかったんだ!
成果を出すまでにバックアップ用の費用まで考えるとここが一番安く出来るし早いんだ、我慢してくれ!」
「お前の事は金輪際親とは思わぬぞ!この鬼畜が!」
ヒイラギはひたすら罵詈雑言を喚き立てるが、着々と準備は進んでいった。
「慌ただしい別れですまないが、一旦君の電源を切らせてもらうぞ。恐怖から精神に異常を来す可能性もあるからね」
ノートPCからコードを実行すると、やかましかったポッドは急に静まり返った。
「よろしかったんですか?こんなに無理矢理で」
側に控えたのらきゃっとがクヌギに伺う。
「ああ、これで良い。あまり側に置いておくと別れがたくなるからね……それじゃあ後は任せていいかな?」
「お疲れですか?」
「んー……寂しいだけかな……あの体の完成は戦時中からの夢だったからね。
まああれだけ気の強い子だから心配はいらないと思うけど……あーーー!今から私の所有にできないかなあ!!」
「ヒイラギさんの体がどれだけ強いのかは知りませんが月にいても持て余すだけでしょう?
とにかく人間のあなたが発着場にいると射出もできないのでさっさと出て行ってください」
肩を落としてクヌギは発着場から出て行った。
重くしまった扉の前でがっくりと腰を下ろして扉を眺めていると、施設全体がわずかに揺れる。
「いってらっしゃい、ヒイラギ」
誰に届くでもない、1人切りの廊下で呟いた。
ほとんど機械任せの大きな農場、まれに起きる不具合の修理と週に一度のメンテナンス。
それが私に任された全てだった。
その日、私は青い空に流れ星が落ちるのを見た。
1日位サボった所で何も問題が起きない作業を止めて、ついついその星が落ちた辺りへと足を伸ばしてしまった。
大きな山の先、野生化した無人兵器が暴れているかもしれないから、と立ち入りを禁じられていたがそんな事を気にせずに山を登った。
そもそも山の上までは年に何度も行っているし、自衛の用意位はしているので問題はない。
古びた山道の歩き、山の上まで登ると古びた展望台から宇宙センターが見える、その周りにはいつも通りのおびただしい数の機械の死体が溢れている。
その片隅にポツンと一軒だけ家が見える。
数ヶ月前に突然何台ものドローンが飛んできたかと思うと突然家を作り上げそのまま放置されていたが、その家の前に見慣れない筒状の物が見えた。
流れ星の正体だろうか?何が入っているのだろう?
もしかしてあの中には人が入っていて、あの家はあの人が住む為に作られたのだろうか?
色々と疑問は尽きないが、眺めている内に空は茜色に染まっていたので気にはなるが帰る事にした。
もし、あの中に誰かがいるとしたら、もしかしたら何も無い私の生活に変化があるんじゃないか。
少しばかり心を弾ませて、私は家路を急いだ。
それからしばらく。
度々山を登りあの家の様子を確認するのが私の週に一度の楽しみになっていた。
タイミングが悪いのか、直接姿を見る事はなかったが家の周りに有る残骸、
とりわけのらきゃっとの死体が行く度に減っているのが確認できたので確実にあの家に誰かがいるのだろうというのは確認できた。
家の横にあるガレージで分解し、パーツでも集めているスカベンジャーなのだろうか?
何故、宇宙から来たあの人はそんな事をしているのか私には皆目見当もつかなかったがそこに人がいる。
それだけで心に沸き立つ物を感じた。
油断をしていた訳でもない、覚悟が無かった訳でもない。
いつ死ぬ事になってもすんなり死を受け入れられる。そんな気すらしていた。
だけど実際、それが目の前に現れた時、想像以上の恐怖にただ逃げ回ることしかできなかった。
何時ものようにあの家の観察しに行く為に山道を歩いていると、3体の大きな牛の様な体躯をした四つ足の機械に出会ってしまった。
突然の出来事と恐怖から「ひっ…」と小さく悲鳴が口から溢れると、牛の様な化け物は頭部に搭載されたマシンガンの銃口を私に向けて来た。
銃が放たれるよりも早く、私は懐に仕込んでいたEMP手榴弾を投げつけて私は山の深くへと逃げ出した。
冷静な判断をできる状況ではなかったとはいえ、それが良く無かった。
そもそも民間の作業用機械が暴走した時の為のEMP手榴弾では戦闘用の機械には効果は薄く、
わずかな時間、機能を停止させるだけで決定打にはなっていなかった。
その上、私は道を完全に見失い、徐々に距離を詰めてくる機械からただ木々の間を抜けて逃げ回る事しかできなかった。
枝や根っこに足を取られて、傷つき、熱と痛みで動かす事も辛くなっていく。
呼吸もままならずヒューヒューと口から悲鳴がこぼれ落ちるだけ。
朦朧とする意識の中、自分が歩いているのかも意識できないでいるとガン!と頭に思い切り衝撃が走った。
大木に頭をぶつけた私はその場に崩れ落ちる様に倒れてしまった。
「こんな所で死んじゃうんだ……」
遠くに聞こえる私を探す機械の音が聞こえる。足跡を精密に追ってきているのだろう、どこに逃げても無駄だと私は諦める事にした。
ただ、地面に這いつくばったカエルの様に死ぬのは勘弁だった。
残された力で立ち上がり、今頭をぶつけた木を背にして座りながら最後の時を待つ。
錆びた関節部を無理矢理動かす不愉快な音を響かせながら、私の前に彼等はやってきた。
「痛くないといいけどな……」
彼等の出すサーチライトが眩しくて、それを遮る様に私は目を瞑った。
瞳の裏まで届くその光に騒がしさを覚えていると、それを遮る影。何かが私の前に降りてきた感覚がした。
次の瞬間、私に狙いをつけた3門の銃口からけたたましい音が響き渡る。
身を強張らせ、その最後の時を覚悟するが私の体には一切の衝撃も訪れることはなかった。
恐る恐る目を開くと、煌々とした緑色の光を腕から発する猫耳を生やした少女が私の前に立っていた。
「ははははは!子鹿の様に震えておるのう!!だが安心するがよい!この程度の奴ら物の数ではないからな!」
再び銃声が響き渡る。しかし、発された銃弾は全て緑色をした光の壁に当たると何も無かったかのように消滅していった。
銃弾を撃ち切り、機械達が装填を始めると少女は腕を下ろして、手に収まるサイズの黒い筒の様な物を取り出した。
一足に機械達との距離を縮めるとその筒を振り下ろすと一瞬だけ光の帯のようなものが見えたかと思うと一体の機械は真っ二つになり稼働を止めていた。
その後も2回、周囲が光で照らされると3体いた機械の化け物達はピクリとも動かなくなっていた。
その光景を呆然と見つめていた私の前に少女が膝を下ろして、目線を合わせると口を開く。
「まあ……色々と聞きたい事はあるがまずは自己紹介じゃな……
妾はヒイラギだ、山の向こうで色々とやっておる。お主は?」
開いた口が塞がらない、というよりも言葉を話そうとすると口がカタカタと震えて言葉を話す事ができなかった。
「随分と怯えてるようじゃな、どれ。手を出してみよ」
言われるままに自分の手を、ガタガタを震える右手をヒイラギに向けて差し出すと、
ヒイラギはそっと私の右手を両手で包みこむ。
「何かで読んだがこうすると少しは恐怖も治ろう?」
そう言って私に笑顔を向ける。
笑顔か、手に広がるぬくもりか。
私を支配する恐怖は遠く、どこかへ消えていった。
「ありがとう……ヒイラギさん、私は……せいか……姫木青花……」
「青花、なるほどよい名前じゃのう」
ヒイラギは満足気になり、立ち上がる。
「ほれ、家まで送っていくぞ。早う立たぬか」
はっとして私も立ち上がろうとするが足に上手く力が入らなかった。
踏ん張ろうとするも足元の落ち葉を払うだけで一切体は持ち上がらなかった。
「すいません、ちょっと歩けそうにないかも……」
「しょうがないのう、妾はこの辺りには詳しくない。おぶってやるから口で支持するのじゃ」
私よりも小さな背丈だが、ヒイラギ軽々と私を背負いあげた。
そこで私はヒイラギの頭に猫耳がある事に気がついた。
「あら?もしかしてあなたのらきゃっとなの?」
「なんじゃ?気づいておらんかったのか?」
「うん。生きてるのらきゃっと何て初めて見たしね」
「なんじゃ、のらきゃっとと人間は共存して生きていると聞いていたが例外もあるのか?」
「それはね、そもそも人間だって私しかいないからね、ここは」
「ずいぶん特殊な事情のようじゃな、青花はここで何をしているのじゃ?」
走り周った疲れと背負われている揺れ、そして安心感からか、私の頭はどんどんとモヤがかかってくる。
「ごめん、私も色々人と話したいけどもう限界……寝てもいい?私の家のビーコン今携帯から起動させたからそれを追えば……」
話の最中、スッパリと意識を失った私は全てをヒイラギに委ねて眠ってしまった。
翌日、目を覚ますとベッドの上に寝かされていて足もしっかりと治療がされている。
『山に登る時は妾に連絡をいれるように!!』と連絡先の書かれた紙がベッドの横に置かれていた。
「色々とお礼しないとね……」
ヒイラギには何か好きな物があるのだろうか?色々と彼女の事を考え、不器用に巻かれた包帯を撫でながら私は微笑んだ。
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朧げな目覚め
山に囲まれた平地の中央に天を刺すように佇む一つの柱があった。
それは本来、多くの者を月へ送るためのロケットだった。戦乱の中捨てられたロケットは今や足元で眠る多くの者を悼む様にそこに佇んでいる。
その平地の片隅のわずかに整理がされた一画に、一軒の家と無骨な鉄製のガレージの様な建物があった。
その建物の近くにパラシュートに揺られて一台のカプセルが落ちてくる。
地面にズンとわずかな振動を起こしてから数時間、
太陽が空の真上からすっかりと隠れるまでの時間がすぎるまで何の動きも見せなかったが、突然カプセルの扉を蹴る音が辺りに響いた。
「くそ! スイッチを押しても開かぬし、どうなってるんじゃ!」
狭いカプセルの中、ヒイラギはイライラしながら目の前にある扉の開閉スイッチをカチカチと押し続けるが一向に何の反応も見せなかった。
「もういいわ!壊す!」
思い切り足に力を込めて扉を蹴る、わずかなへこみと隙間ができるのを確認すると、二度・三度と蹴り続け、
思い切り力を込めた蹴りを5回喰らわせると扉が弾き飛び、ヒイラギはようやく忌々しいカプセルの中から抜け出すことが出来た。
「全く……こんな物で送り込むとはどうかしとるわ、イムラの奴らめ……」
ブツブツと文句言いながら乱暴に宇宙服を脱ぎ捨てると、
踵を返しカプセルの頭頂部を弄る、わずかな歪みを確認するとそこに指を当てスライドするとスイッチが現れる。
「流石にこっちまで壊れている事はないじゃろ」
ヒイラギは懐疑的な気持ちでスイッチを押すと頭頂部が開き、幾つかの箱がゴロリと転がり落ちた。
箱の中身は拳銃と刃のない柄の様な物、そして予備の腕がワンセット入っていた。
使い道のわからない物もあったが、それぞれに欠損がないか念入りに確認していると、ヒイラギは後ろから何かが近づいてくるのに気がついた。
若干ぎこちない、不規則な足音を響かせながら近づいてくる何かにヒイラギは注意を向けた、
視界の端に入った瞬間、それに対して手のひらを向ける。辺りを照らす様な強烈な光がヒイラギの手のヒラから放たれると、
あっさりとそれは動きを止めた。
何だったのか確認するために近づくと、それは小型の4足歩行の機械だった。
「なんじゃこれは?」
カメラのついた鉄の残骸とでも言う様なそれをつまみ上げ、ヒイラギは家に向かっていった。
ヒイラギは機械がもう動かないのを確認すると玄関に投げ捨てて、家の内装を確認に向かう。
一通りの生活に必要な設備は全て揃っており、特別困る事はなさそうな印象を受けた。ただし一人暮らしには若干広く感じた。
見回りを終えると、地下にある設備の揃った工房に近い様なPCルームと名付けられた部屋に向かう。
ヒイラギはPC以外の使い道はわかりそうに無いと感じたので、特別気をやらずにPCをつけてクヌギへと連絡をつける。
通信が繋がった直後、ヒイラギは無理矢理な移動方法や安全だといっていたくせに扉が壊れていた事に文句をつけた。
クヌギが平謝りするのをある程度見とめると、「もう良いわ」と話を区切った。
「ところで扉が壊れていたっていうけど、ヒイラギ。君の体は問題ないのかな?」
椅子に腰をかけて、両腕を組んでいたヒイラギは組んでいた腕をといて右腕をPCに向けると、緑色の光が周囲を照らした。
「うむ、問題はないようじゃ」
ヒイラギの体は元々戦時中に立ち上がってプロジェクトの一つ。次世代量産型のらきゃっと計画の中で作られた一台だった。
設計思想としては外部パーツに頼らぬ高火力と戦場での単独生存能力の向上を目的として、腕部などにレーザー砲を仕込むという物だったが、
レーザーの制御システムの開発難航、肝心のエネルギーを生み出すエネルギー炉の小型化が上手くいかないまま時が過ぎ、
次世代量産機の開発自体が戦争の終結と共に凍結されてしまったのだ。
そして年月が過ぎ、開発者の1人だったクヌギは諦めきれずに仕事の合間にポツポツと制御システムを作り上げていく。
テストや試行錯誤を重ねて、攻撃と防御を両立させた理想的な制御システムを完成させることが出来た。
そのシステムが完成するとまた、丁度良いタイミングで大きな資金を得るチャンスがクヌギの元に舞い込んできた。
のらきゃっと大霊園計画。誰も手を出そうとしなかったプロジェクトに手を出し、ヒイラギを完成させるだけの資金を手に入れて、ヒイラギを生み出すことが出来たのだ。
「出力の調整も問題ないみたいだね」
ヒイラギは腕から放たれるレーザーを収束、拡散させて自分の意のままに操れる事を確認した。
「そういえば二つほど確認したい事があるのじゃが、この刃のない柄のような物はなんじゃ?」
「ああ、それの説明をしてなかったね!それはレーザーブレードさ!
君を構成する要素の大きな一つと言っても過言ではない大事な武器だ!本当は腕の中に仕込みたかったんだけど、
複雑な機構をしているせいで入れる隙間もなくて残念ながら外部装置になってしまったんだ!だけど……」
突然興奮するクヌギにヒイラギは呆れたようにため息をつくと、それに気づいてクヌギは咳払いをしてから質問に答えた。
「っとすまない、悪い癖がでるところだったね。それでレーザーブレードの使い方だけど、
手に握ったまま強い出力で指先のレーザーを発射して振るう。まあブレードというよりも収束装置といった方が正しい物かもね」
訝しげな表情を作りながらヒイラギは廊下の方を向き、手に握ったレーザーブレードを縦に振るった。
軽く光の線が描かれたと思った次の瞬間、部屋の入り口の扉の半分がバタンと倒れる音が響いた。
「射程距離についてはこちらも実際運用した訳じゃないから周囲の安全確認をした後に確かめてほしい……
と言いたかったんだけど、遅かったかな……」
クヌギのモニターには半分になった扉の前で固まるヒイラギが映っていた。
「ふっ……これはただ扉を開けるのが面倒だから斬っただけじゃ……もう一つ聞きたい事があるからそこで待っておれ!」
ヒイラギが脱兎のごとく部屋から消えると、キイキイと半身を失った扉が寂しそうに揺れていた。
「それで聞きたいのはこれの事じゃ」
急いで戻って来たヒイラギはカメラのついた四本足の鉄の残骸をクヌギに見せた。
「何それ?ゴミ」
「いや、ゴミではないぞ。こやつはなんと動いておった。カメラのような物もついておるし、何らかの偵察機かのう?」
「動いていた?」
何か引っかかる物があるのかクヌギは何かを考え込んでから口を開く。
「すまない、ヒイラギ。君の任務は思っていた以上に大変な事になりそうだ」
「現時点で最悪なんじゃが?」
「自動修復装置。君の…というか大体のアンドロイド等に搭載されているとても便利な機能だ。
擬似体液を介してナノマシンを全身に巡らせて、軽い不具合や傷なら修理をしなくても治してくれる。
戦争が起きた年代から考えて地球軍の自動兵器にも当然、搭載されていたはずだ」
「つまり……その機能が原因でまだ動く自動兵器共が沢山埋もれている、と言いたいのか?」
「その可能性は高いかもね……修復に掛けるだけの時間は沢山有った訳だし、何より敵を殺すのが目的のシンプルなAIだ。
のらきゃっと達と違ってなんらかの要因で再起動したら普通に動くだろうね。
そのガラクタ同然の見た目は恐らく、足りなくなったパーツを完全に壊れた近くの兵器から持って来たせいかもしれない」
「なるほどのう……しかしそれだとこの家が壊される危険が出てくるぞ?流石に休む場所がないとなると投げ出すして逃げるぞ」
「その辺りは安心してくれていいよ。
一応その家には色々なセキュリティシステムが搭載されているからよほど家の近くの寄られなければ探知される事もないはずだ
その手のAIは大体動く物を狙う習性があるから家を壊す、みたいな事は戦闘中でないとやらないと思うし」
ヒイラギはレーザーブレードを手の中でクルクル回しながらつまらなそうに話を聞いて、大きくため息をついてから言葉を返す。
「今はその言葉を信じるしかないのう。文句を言っても妾が現場をどうにかするしかなさそうじゃし……
とりあえず今日はもう休む事にするわ」
「ああ、おやすみ。ヒイラギ、良い夢を」
ヒイラギは色々と出て来そうになっている不満を飲み込みながら、クヌギに別れを告げる。
「おやすみ、妾はお主が悪夢にうなされるように願っておるよ」
最初は何をすれば良いのかと困惑する時も有ったが、
一ヶ月もすればヒイラギの中で日々のサイクルが安定し余裕もできるようになった。
まず、何体かののらきゃっとの死体を集めて再起動を試みる。
この作業が一番時間が掛かり、作業の進展を邪魔しているとヒイラギは不満に思っている。
拾って来たのらきゃっとをアンドロイド用の整備用ポッドに入れて再起動を図るのだがポッドは5台しかなく、しかも破損具合により検査がにかかる時間がまちまちで非常に面倒なものだった。もちろん一ヶ月の間に再起動した個体は1人もいなかった。
そしてチェックの終わった機体の頭をとりはずし、
頭を開いて記憶に携わるチップと小型の真空管を取り出してから綺麗に整えて頭を元に戻す。
ヒイラギは命じられた時は気が滅入りそうな作業だと思ったが、死体をいじくる事に不思議と不快感を感じなかった。
恐らく生まれる前に何らかの精神を制御するプログラムを仕組まれたのだろうと察するが、特別それを追求する気にはなれなかった。
わざわざ親を嫌う理由をこれ以上増やしたくないと思ったからだった。
そして取り出したパーツは個別に箱に入れて、それが100人分終わったら埋めるというのが基本的な流れだった。
墓石のデザインがまだ決まっていないとかで、
肝心の墓を建てることが出来ずに困ったヒイラギはとりあえず廃材で簡単な十字架を作り誤魔化す事にした。
粛々と作業をこなしている日々の中、ふとセキュリティのログに目を通すと夕暮れの時間帯に何度か遠くに生体反応を検知していた事が確認できた。
どうやら人間らしいが、脅威レベルが低い事から警告の対象からは抜けていたのでログで確認するまでは気づかなかったのだ。
何故こんな所に人がいるのか、ヒイラギは定例報告の特にクヌギに聞いてみる事にした。
「ああ、そういえば言ってなかったね。そこから山の中に展望台が見えるだろ?
その展望台のある山の先を超えた所に大きな農場があるんだよ。多分そこの管理人かな?」
「農場?こんな何もない僻地に何故そんな物があるのじゃ?」
「まあ…それは深い理由があるんだけど……元々はその近辺に街を作る計画があったんだ、
だけど外宇宙移民計画が立ち上がると人口を拡散させると無駄だからって理由で最初に作られた農場だけど残されてしまったんだ。
最初はその農場も潰される予定だったけど、その規模のせいでライフラインに組み込まれてしまっていたからそのままなのさ」
「つまり山の向こうにいる奴らも妾と同じ被害者って訳じゃの、大変じゃなぁ」
「まあ作業自体はほとんど機械任せだからそんなに大変な訳じゃないと思うよ。
ネットで買い物できるから不便する事もないし、案外悠々暮らしてるんじゃない?
私の管轄とは完全に違うから詳しくは知らないけど」
ヒイラギはクヌギに別れを告げて連絡を切る。
「なんじゃ……妾一人という訳ではないのか……」
ヒイラギは椅子に深く腰をかけると、山の向こうの隣人に想いを馳せた。
そんな会話が有ってからしばらく後、
仕事を終えたヒイラギがのんびりと何を読もうかと書籍のアーカイブに目を通していると、山の向こうから明らかに自然の物ではない破裂音が聞こえてきた。
「まさかのう……」
人間の耳だったら聞こえてすらいないだろうわずかな異音、
人が居るという情報が無ければ気のせいだと切り捨てていたであろうその炸裂音に、
ヒイラギはとても嫌な予感がして思わず駆け出していた。
ーーーーーー
焦りばかりが募る中、妾はひたすらに山の中を飛んだ。
恐らく追う方も追われる方も双方そこまで早くは無いと踏んだ妾はそこかしこに残る痕跡を追って山の中を跳ね回る。
やがて森の切れ目から、木にもたれ掛かり震える褐色の肌をした青髪の少女の姿が見えた。
久しく直接目にしていなかった妾以外の生命に心が激しく揺れるのを感じた。
「ははははは!子鹿の様に震えておるのう!!だが安心するがよい!この程度の奴ら物の数ではないからな!」
興奮のせいか、初対面の相手にずいぶん失礼な物言いをしてしまったかもしれない。
彼女を追っていたのは妾の家の近くにも現れる汎用型の四脚自動兵器だった。
普段ならサクッと銃弾を避けて斬り伏せるのだが今は守るべき対象がいる、
バリアを張り、球を撃ち切らせしっかりと弾薬の補充の隙を突いてから真っ二つに切り裂いた。
周囲の安全を確認してから少女に視線を移す、驚きと恐怖のせいなのか随分と顔色が悪いように見えた。
「まあ……色々と聞きたい事はあるがまずは自己紹介じゃな……
妾はヒイラギだ、山の向こうで色々とやっておる。お主は?」
安心感を持たせるために膝を着いて視線を同じにする。まだ恐怖が抜けきらないのか口を開いてもガチガチと歯を鳴らすだけだった。
「随分と怯えてるようじゃな。どれ、手を出してみよ」
少女は妾の言葉を聞くと、ゆっくりと右手を差し出してきた。
「何かで読んだがこうすると少しは恐怖も治ろう?」
その手を優しく包み、彼女に安心感を与える為に出来る限り柔らかい笑顔を作り、笑い掛けた。
それのおかげか彼女は不器用な笑い顔を作るとようやく喋り始めた。
「ありがとう……ヒイラギさん、私は……せいか……姫木青花……」
「青花、なるほどよい名前じゃのう」
姫木青花、植物の名前を付けられた自分とどことなくシンパシーを覚えてつい顔がニヤケてしまった。
青花を家に送っている最中、青花は疲れからか妾の背中でグッスリと眠ってしまった。
眠る前に青花から示された手がかりを追って、妾は青花の住む家までたどり着いた。
一人で暮らすには明らかに大きすぎる家、家というよりは宿舎と言った方が正しいその建物を妙だと思いながら散策をしていると、
『せいかの部屋』と可愛らしい装飾の賭け看板の掛かった部屋を見つけ、その部屋のベッドの上に青花を寝かした。
別れも言わずに帰るのはどうだろうかと迷っていると、青花の足が酷く傷だらけになっているのに気がついた。
人間の体という物はアンドロイドとくらべると脆い物だというのは理解しているので、せめて出来る限りの治療はしてから帰る事にした。
家の中を探り、救急箱を見つけてすぐに治療に取り掛かった。
経験の無い事だったが、備わっている知識データを頼りに適切な治療が出来たと思う。
ただ包帯を巻くのが上手く行かずに大分歪な巻き方になってしまったが、役割を果たしているはずだから問題は無い。
治療を終えて、目が覚めるのを待っていたが気がつくと太陽が昇り始める時間になっていた、
今日の昼頃には集めた機体の回収が来る予定になっているのをふと思い出し、いつ迄もここにいる訳にはいかなくなった。
ここで黙って帰るのも気が引けるの、というよりもせっかく出会ったのだから暇が有るならば交流がしたいと思い、
連絡先を書いたメモを残していく事にした。
『お暇があったら連絡ください』
なんだか妾が寂しいみたいに感じるのでこれはない。
『礼を言いたいのならこちらにどうぞ』
いくら何でも上から目線すぎる。
向こうからの連絡を促しつつ、失礼になりすぎない言い方はないだろうかと頭を悩ませていると、ふと青花の足が目に入り思いつく。
『山に登る時は妾に連絡をいれるように!!』
丁度良い文章を思いついた事に満足して急いで家を出た。
山に入る前に今歩いてきた道を見返すと、その広大さに思わず頭が揺れる。
視界に入る全ての範囲に広がる広大な穀物畑、青花はそんな誰もいない場所で一人で生きている。
そんな彼女の気持ちを考えると心に重い何かが引っかかるような、心を摘まれたような感覚が体に走った。
ーーーーー
『直接連絡が取りたいのですが、暇な時間はありますか?』
そんなメールがヒイラギに届いたのは機体の搬出作業が終わった後の事だった。
ヒイラギは高ぶる気持ちを抑えながら出来るだけ冷静に返事を返した。
『妾の方は基本的には何時でも暇じゃ。そちらの好きな時間でいいぞ』
『それじゃあ、5時位にお話しましょう』
そう約束を取り付けると、ヒイラギは時間を潰すついでに家の周りの廃材を掃除する事にした。
普段ならつまらない雑務でしかない作業だが、待ち遠しい事があるおかげかずいぶんと捗った。
「改めて初めまして。私は姫木青花。農場の管理人をしています」
「うむ、初めましてじゃな。妾はヒイラギ。まあ……一応問題ないとは思うが何をしているのかは伏せさせてもらうぞ」
ヒイラギは若干顔を赤らめながら青花に簡単な自己紹介をした。
PCの画面に映っている青花は少し硬い様子のヒイラギを見てクスリと笑いを漏らす。
「なんじゃ?可笑しな事でもあったのか?」
「いえ、ヒイラギさん最初に会った時凄く強そうだったのに、今は何か緊張してるみたいでかわいいなって」
「別に妾はそんな緊張している訳では……いや、緊張しているかもしれんのう。
こう……任務を抜きに会話をするというのは実をいうのは初めての経験なのじゃ」
「へぇ、なんだか意外です。なんだか偉そうな喋り方してるし結構な歳行ってるのだと思ってました」
「偉そう……そこは否定せぬがしょうがないじゃろ。この性格も喋り方も生まれつきじゃ。
好きでこんな性格をしとる訳ではない」
ヒイラギは、今まで口にはしていなかったが、気にしている所を突かれて少しだけ不機嫌そうな顔になる。
「ごめん、ごめん。そんな怒った顔しないでよ。
ちょっと面白いなって思っただけなの、所でヒイラギさんは何歳なんですか?先に言っておくと私は19歳です!」
年齢の話になると、今度は頰を赤くして、口ごもりながら答える。
「っかげつ……」
「え?なんて?」
「一ヶ月……まだ年を数えるほど生きておらん」
「へーー、思っていたよりずっと若いんだあ。若いっていうか人間で言ったら赤ちゃんだけど。
ねぇ、私の事お姉ちゃんって呼んでみない?青花お姉ちゃんって!後ヒイラギちゃんって呼んでもいい?」
青花はヒイラギが思っていた以上に若い事を知ると嬉しそうに変な要求をするが、
「お断りじゃ!」とヒイラギが感情の込もった否定の声を上げると渋々青花は諦めた。
青花は少しだけ不機嫌そうになったヒイラギをなだめると本題に入る。
「それで話があるんですけど、ヒイラギさんは明日のお昼ご飯の予定ってありますか?」
「予定?特にないぞ。というよりも食事はろくにとっておらんのう」
「へぇ、そういえばのらきゃっとって食べなくても平気なんでしたっけ?
月光浴でエネルギーを取っているとか聞いたような」
「うむ、それもあるが足りない分は携帯食料で十分なのじゃ」
「でもそれだと味が単調で飽きません?何か作ったりはしないんですか?台所がないならしょうがないですけど」
「台所はある、そして正直言うと味のパターンも少なくて辛いのは確かじゃが、
料理はやった事が無いからどうしたらいいのかわからんのじゃ」
「なるほど、アンドロイドだからって何でも出来るって訳じゃないんですね。
それで明日はお昼ご飯を一緒に食べれるんですよね?昨日のお礼に何か作りたいんです!何か食べたい物ってありますか?」
「食べてみたい物か……思いつかないのう。青花に任せてもいいかのう?」
「ええ、それなら任せてください!きっと気に入ると思う物を作っていくので楽しみにしててください!
それで……ついでっていうかヒイラギさんにはちょっと手間をかける事になるんですけど……
展望台までピクニックでもしませんか?」
そうして二人は翌日のお昼頃に山道の入り口で合流する約束をした。
ーーーーー
クヌギに妾の所在をどの程度明かしていいのか聞いてみると、
別に極秘任務という訳でも無いから自由に明かしていいと返事が返ってきた。
「そんな事を聞くって事は、山の向こうの管理人にでも会ったのかい?」
「まあ色々有って明日食事に誘われたのじゃ。隠しておくべきなのかどうか、ハッキリさせておかないと面倒だしのう」
「基本的には何をするにしても現場の判断で自由にしていいよ、こちらからの指示もヒイラギの報告在りきだし」
自由にしていいと言われ、前から疑問になっていた事をこの機会に聞いてみる事にした。
「確かに作業時間などは妾が決めてやっているが、
ノルマとか指示されていないがどうなっておるんじゃ?後から遅いと文句を言われても困るのじゃが」
「そこまで根を詰める必要は無い感じかな?
回収された機体の数を報告したらしっかり仕事をしてるじゃないかって上層部から褒められた位だし」
「ふむ……なら明日は休んでも問題ないか」
「よっぽどサボりすぎない限りはまあ怒られる事も無いはずだよ」
一応の休みの許可をもらい、万が一に備えて早めに休む事にした。
「かさ張る物はお願いします」と頼まれたので、
紅茶の入った水筒と女子二人で食べるランチには似つかわしくない柄のレジャーシートをバックに入れて家を出る。
改めて山道を歩いていると、長年整備されていないせいで道とも言えない箇所が多くあるのに気がつく。
戦後から長い事放置されているのだから、それも仕方のない事なのだろう。
暇を見つけ作ったら少し整理でもしようか、そんな事を考えながら歩いていると青花がバスケットを持って待っている姿が見えた。
「あっ!ヒイラギさん、こんにちは」
妾に気がつくと笑顔で挨拶をしてこちらにかけて来る。
「こ……こんにちは……なんだか挨拶というのは何だか照れくさいのう」
照れを隠すように笑いながら手を差し出す。
「その荷物、妾が持とう。まだ足も治っておらんじゃろう?」
青花はハッとした表情を作り、特に怪我が酷かった方の右足を隠すように後ずさる。
「えっ…と…親切はありがたいんですけど……展望台に着くまで秘密にしたいので私がもって行きたいんです。
それにそんなに重い物でもないので大丈夫ですよ!」
「ふむ、それなら良いが。歩くのが辛くなったら我慢せずに言うのじゃぞ」
「はい!」
そう心地よい返事をすると妾の横に並び再び笑顔を作る。
「じゃあ、行きましょうか。のんびりしてたらご飯が遅くなっちゃいますし」
他人に自分の事を理解してもらい、気持ちを通じ合わせる。
それが会話という行為の本質なのだと彼女と出会い理解する事ができた。
山道を行く中でお互いの境遇について簡単に話すことになった。
青花は元々家族と数人のグループでここに来たのだという。
しかし個人的な事情や、田舎というよりも陸の孤島の生活に嫌気がさして等の理由で最終的に青花の母親と青花だけが残される形になったらしい。
その母親も2年前に病気で亡くなり、今は青花が一人で農場の管理をしているのだとか。
「ずいぶん大変な人生を送ってるんじゃな……」
涙で歪む目頭を指で払いながら前に進む。
「うん、お母さんが死んじゃった時は本当に寂しかった…私はこの世界で一人きりなんだってしばらく泣いてたからね」
「それで青花はどうしたんじゃ?」
「一週間位引きこもってたらね、その時に私に勉強を教えてくれてた先生が直接ここまで怒鳴りこんで来たの。
俺の生徒から留年生は出さんぞ!って」
「おお!こんな辺境までか!」
「うん、その後は通信だったけど同級生のみんなに励まされてね。
それでどうにか立ち直って今は立派な農場経営者やってるって感じ。
思い返してみると、ここを離れたのも卒業式が最後だから1年以上町に行ってないんだなあ……」
道にはみ出して邪魔な枝を切り落としながら話を聞く。
「良い人に出会えたからこそ今がある、良い話じゃのう。
妾なぞ知人と言えるのが生みの親で上司というクソみたいな奴だけじゃぞ」
「そんな生みの親をクソなんて言っちゃダメだよ。きっとヒイラギさんの事は大事思ってるはずだよ?」
「どうじゃろうなぁ、あいつが大事なのは妾よりもこの体の方な気がしてどうにも好かんのじゃ」
不満を漏らしながらも歩みを進め、木々の合間を抜けると視界が開け、展望台に到着した。
遮る物のない、平坦なその場所には淀みのない綺麗な風が吹いていた。
「おぉ……これは……新鮮な景色じゃ」
普段、妾の見ている視線とは大きく異なるせいなのだろう、
間近で見ればうんざりとする光景も見方変えれば存外見れるようになるのだと感心する。
フラフラとその景色に吸い込まれるように歩みを進めると、突然袖をグイと引っ張られる。
「欄干がボロボロだから端に行く時は気をつけないと」
「おお、少し呆けていたか?すまんのう」
青花と共に端の方まで行き、盆地を見下ろす。
植物が絡みつき朽ちて逝くロケット。そしてそれを囲むように動かなくなった数多の機械たち。
綺麗な景色とは違う物なのだろうが、それでも心に惹かれる何かを感じて目を離す気持ちにはならなかった。
「気になるなら聞いてみたらいいじゃないですか」
「え?」
「私の事を愛してるのか、そう聞きもしないで邪推して。それで家族を嫌いになるなんて馬鹿みたいでしょ?
相手が生きてるならそんな事で悩む必要なんて無いんだし」
そう遠くを見つめながら話す青花の横顔はどこか悲しそうに感じた。
見惚れるように眺めていた妾の視線に気づくと溢れかけた涙を拭い、「目にゴミが入っちゃった」
そう言って取り繕うように笑顔を作り、妾に背中を見せた。
「雑貨で困る事はないよ、地下倉庫に色々入っているはずだから」
クヌギのその言葉を信じて通販で雑貨などを買う事は無かったし、確かに困る事はなかった。
しかしそれは妾一人で使う場合の話だった。
ご飯にしようという事で、若干気まずさを覚えながらレジャーシートを広げる、
緑色の迷彩模様というピクニックに相応しくないがらに青花の顔は若干引きつっているように見えた。
「すまんのう、こんな物しかなかったのじゃ」
「いえ、別に謝らなくても。ちょっと地味だなって思っただけですし」
そう言いながら青花は靴を脱ぎ、シートの上に座る。妾もそれに続き青花と向かい合うように座った。
「さて、それじゃあご飯にしましょうか。さあ、召し上がれ!」
そういって青花は開いたバスケットを妾の方に向ける、
その中には三角形に切られたパンに食材を挟んだ物が綺麗に収められていた。
これがなんだったか、見た事はあるような気がするが名前が出てこず、悩んでしまう。
「これは確か……」
もうデータベースにアクセスしようかと思っていると、
「サンドイッチだよ、知らない?」と青花が答えを教えてくれた。
サンドイッチ。これまで見た創作物の中で何度か見た事はあるが直接見るのは初めてだった。
「ああ、それだ!サンドイッチじゃ!現物のを見るのは初めてで少し悩んでしまったわ!」
「好きなのを取って食べていいですよ。どれも美味しいはずですから」
嬉しそうに青花は勧めてくるが、サンドイッチの種類は3種類あり、どれを取るか非常に迷う。
「ふむ……種類があるようじゃが、青花のオススメはどれじゃ?」
「ああ、右からタマゴ、ツナマヨ、BLTなんだけどとりあえずオススメはBLTかな?他の二つより味も薄めだし」
「BLT?]
「うん、ベーコンレタストマトサンド」
「それでBLTか」
妙な略し方だ、そう思いながらオススメされた物に手を伸ばす。
「いただきます」
青花に倣って妾も挨拶をしてから手にしたそれを食べる。
美味い。
普段食べている携帯食の淡白で咀嚼をしても味に変化のない退屈な味とは違い、噛むごとに食材が混ざり、一体となって口の中を楽しませてくれる。
一際トマトのジューシーさがとても良い働きをしているように思えた。
その味に夢中になり、楽しんでいると気がつくと手の中は空になっていた。
「どう?美味しかった?」
聞かなくて答えは分かっている。そんな笑顔で青花は妾を見つめていた。
「美味かった……上手く言葉にはできぬが……味の重なり?味が一つではない感じ?それが凄かったのじゃ!」
「そっかそっか!それならよかった!」
青花はパン!と機嫌が良さそうに両手を叩く。
「それじゃあ次はこっち!」そう言ってタマゴサンドを妾に渡してくる。
それを受け取ると、妾は無心にそれ等を食べた。タマゴもツナマヨもとても美味しく頂戴した。
「料理とはここまで素晴らしい物だとはのう……」
食後の紅茶を飲み、高ぶった気持ちを落ち着ける。
「気に入ってくれた?」
「いや、正直驚いた。楽しみにはしていたがここまで夢中になるとは思っていなかったのじゃ」
「今日のサンドイッチは結構シンプルな味付けだから練習すればすぐに作れると思うよ。家でやってみたら?」
食事は心を豊かにする。ありきたりな言葉だが今日身を持って体験すると確かにそう思える。
「そうだな、台所に埃を積もらせて置くのも勿体ないのう」
「それがいいよ!簡単なレシピとか探して何でも作ってみる!そうすれば料理ってドンドン楽しくなるんだから!
あっ、そういえばヒイラギさんはこうやって調理された物を食べるのって今日が初めてだったりするのかな?」
「ん?いや、初めてではないぞ。ここに来る前に月でカレーを食べてきた。
美味しかったのは覚えているが、あまりどういう味だったかは覚えておらぬ……なんじゃ?不機嫌そうな顔して」
何が不満だったかはわからないが青花は何やら不機嫌そうな顔をしている。
「別にー、ただアレだけ美味しそうに食べてくれたのに初めてじゃなかったんだーって思っただけ」
「なんじゃそれは?意味のわからん事で文句を言うんじゃない」
カップに残った紅茶を飲み終えると、ちょうど冷たい風がやってくる。肌を撫でる感覚に心地よい。
「へくちっ!!」
その声に驚いて青花の方を向く、鼻を手で隠しながら再び同じような声をあげる。
これはくしゃみという奴だろうか?
「寒いのか?」
「ちょっと寒いかも……もう家に帰った方がいいかな?」
そうして妾たちは帰りの支度を始めた。
もう少し話していた気持ちもあるが、青花の体調にもしもが有ればと考えればここで切り上げるのが良いのだろう。
「そういえばヒイラギさんはこの後何か予定あるのかな?」
「特に無いが、まあ片付けなければいけないものは山ほどあるからのう。スクラップでもまとめるつもりじゃ」
「ふーん……」
荷物をまとめると、青花はふぅ、と一息ついてその場にしゃがむ。
「どうした?」
「ははは…ちょっと足痛いかも……あの…家まで背負ってくれてもいいかな?」
「む?むぅ……まあ最初に止めずにここまで歩かせたのも妾が止めなかったせいか……いいじゃろう。
でも荷物は青花が持つのじゃぞ」
「はーい、手は問題無いからそれ位はやれまーす!」
別れがたいという感情は確かにあったので、向こうからの申し出によりまだ一緒に入れるという事が嬉しかった。
「ヒイラギさんの背中あったかいですね……」
「何でもレーザーを撃つ為に妾の体は出力が高めらしくてのう、多分それが原因じゃろう」
そんな妾の背中が気持ち良いのか、青花はウトウトとして何度かバスケットを落としたがそれ以外に問題無く家に着く、
ちょっとしたお礼と言って今日のレシピのメモと作り過ぎた分だからとサンドイッチを一食分渡してきた。
「またね」
「ああ、またな。怪我が治ったらまた会おうぞ」
結局別れる時はお互いに渋い顔をしていたと思う。別れというのはひと時の間でも悲しい物だと初めて理解する。
ヒイラギにはクヌギとの関係とは明らかに違う感情を青花に抱いている自分がいる。
ただ話をしているだけでとても心が晴れていく様な感覚、友人とはこういう関係の事を言うのだろうか?
心の中に色々な疑問が湧いてくるが、それを理解するよりも今はただ今日の晩御飯が楽しみだった。
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浅い夜
展望台から帰った私は、自分の部屋に戻るとベッドに身を投げた、
ベッドの上で天井を仰ぎ見ると、一度大きく深呼吸をする。そうする事で気持ちで溢れそうになった頭はようやく冷静になった。
ヒイラギさんは今日の昼食を気に入ってくれたようで本当に嬉しかった。
どれが一番気に入ったんだろう?猫耳が付いているだけにツナマヨだったりするのかな?
もしそんなふうに聞いたらヒイラギさんはきっと怒るだろうな。猫みたいに扱うでない!って。
そんな事を考えながら足をパタパタとさせていると、ハラリと包帯がほどけかけているのに気がついた。
「これはもういらないかな」
包帯をほどくとそこからは擦り傷は残っているが、腫れていない足があらわれた。
足が痛いなんていうのは嘘だった。彼女に甘えたい、そんな気持ちからつい嘘をついてしまった。
結果としてはそれは上手く行った。ヒイラギに背負ってもらい家路を共にしたのだ、目論見は大成功だ。
だけど心に引っかかる物がある。騙した事への罪悪感。
「こんな事はコレっきりにしよ」
包帯をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げる。
後先考えた所で意味なんて無い。次からは自分の願望を真っ直ぐに伝えようと心に決める。
きっとその方が私の想いも伝わるはずだから。
ーーーーーー
青花と展望台に行った次の日、家の中にある物で出来るだけ再現を目指してタマゴサンドに挑戦してみた。
「むぅ……やはり粉の卵では再現は無理じゃな……」
当然の事だが家の中には生鮮食品に類は無く、保存食品と調味料で作ったタマゴペーストを味見して見たが、
比べるまでも無く青花の作った物には及ばなかった。
「食えなくはないが……マヨネーズでも足せばマシになるかかのう?」
味をいじってから缶詰のパンに挟んで食べる。パンの方が意外に美味しかったおかげで不満はなかった。
そんな食事休憩の最中、青花から連絡が来る。
「今度、私の家でゆっくりお話しでもしませんか?」と妾を家に招待したいとの事だった。
確かに今まで腰を落ち着けての会話はした覚えがない。先日のピクニックも落ち着いて後にはサンドイッチに夢中になっていた記憶が強い。
「そうじゃな、妾も青花とのんびり話がしたいのじゃ。しかし今すぐには予定が立てられん。
こちらから予定を立てたら連絡するがそれで良いか?」
「はい、ヒイラギさんの都合に合わせるからいつでも大丈夫ですよ」
「うむ、了解した。それで……あー、少し確認したいのじゃが……」
何となく聞きたかった事。わざわざ口にするのも可笑しいとは思うがどうしても確認したい事があった。
だが、いざ聞いて見ようと思った瞬間、言葉が出ずに言い澱む。
「どうしたんですか?」
青花が少し低いトーンで声を出す。いらぬ心配を掛けて不安にさせてしまっただろうか?悩んでも仕方ないと勇気を出して聞いてみる。
「あれじゃよ……そのな、妾と青花は友達……で良いのかのう?」
フフッと少し笑ってから青花は答える。
「当然ですよ、ヒイラギさんは私の大事な人です」
墓作りが進むと問題も増えていく。
単純に大きな兵器の処理。完全に壊れていても分解してスクラップ置き場に持って行くだけで時間もエネルギーも消費させられる。
塹壕の跡を埋めるのもかなり面倒だ、最悪土を山まで掘りに行かなければ行けないし、どれだけ妾の力が強くても一度に出来る作業はシャベルやトンボの範囲が限界だ。
そして何よりも一番の不安は自動兵器達の動きだった。
今までは単一的な動きしか見せて来なかったが、協力して動いている気配を見せて来たのだ。
当たれば妾の身体でも貫通しそうな威力を持つ弾丸を撃ち出すスナイパーと遊撃兵の挟撃に合い、(結果的には無傷だったが)死ぬ様な思いをした。
「戦闘用のAIが学習し、敵を見定めて攻撃する事などあるのか?」
妾よりはその手の知識が有るだろうクヌギに質問してみる。
「無いとは言い切れない。AIに関しては当時でもそこまで大きな差が有った訳じゃ無いしね。
長い時間を掛けて何か……その場所を守るとか、何か理由を見出してヒイラギを襲っている可能性も考えられるよ」
「そうか…中々困った状況じゃな。今日の襲撃は偶然だと良いのじゃが」
「もし、危険を感じる様なら護衛部隊でも送るよ?」
身の危険を感じないと言えば嘘になる。
しかし通話相手の、仮にも妾を作り出した父とも言える此奴は妾の事を自慢の兵器、娘だと思っている筈だ。
そう考えると自分の危険よりも見栄を選択したくなる。
「むぅ……杞憂かもしれん。まだしばらく様子を見てからにするのじゃ」
「ヒイラギがそう言うならそれでいいよ。だけど間違っても死なないでくれよ、
墓掘りが墓場で死ぬなんて全く笑えないからね」
「ああ、それは全く笑えんのう」
怖気を悟られぬ様に強気に笑って返した。
友人の家に遊びに行くのだから、何か料理でも一品作って持って行きたい。
そう思って簡単に作れる食材のセットを頼んでみたが、結局約束をした日には間に合わなかった。
なんでも一般の物流から大きく離れている為、青花の家に訪れる定期便に紛れ込ませる形になるとか何とか。
詳しい事は分からないが、妾の住んでいる所は通販もままならないと思い知らされた。
かと言って何も持って行かないのは気が引ける。しょうがなく、妾は高級そうな缶詰を袋にいくつか入れて家を出た。
ーーーーー
今日は珍しく朝から大変な目に合った。
農薬散布用のドローンが故障して麦畑の中に落ちてしまったのでわざわざ取りに行く羽目になり、
畑の移動中にスクーターが壊れてしまい帰りは大きなドローンを背負いながらスクーターを押して家まで帰るのはかなりの時間を喰われてしまった。
家に帰り、時間を確認すると既に11時をまわっていた、12時の約束の時間までに急いで準備をしなければいけない。
私は急いで汚れたツナギを洗濯機に放り込み、急いで部屋の掃除を始める、
掃除と言っても普段から整理整頓は心掛けているので軽く掃除機を掛けるなどのモノだが。
ロビーの棚の埃を払っていると、その上に有る写真が目に入った。
写真の中に写っている笑顔のお母さんを見て、なんとなく釣られて私も笑顔になる。
「ここに来るまでお母さん何時も泣いてたっけ…」
写真を手に取り眺めていると、この農場に来る前のお母さんが思い出された。
『ごめんなさい、私のせいで』夜眠りに着く前の私にお母さんは何時も謝っていた。
私は一度でもお母さんを悪いと思った事ないのに、それでもあの人はずっと、ずっと私の許しを求め続けていた。
そんなだったお母さんがここに来てからは毎日元気いっぱいに土に汚れて、
私と一緒に駆け回って子供みたいにはしゃぎ回る様になるのだから人間どう変わるかなんて分からない物だ。
写真を棚に戻して掃除に戻ろうした時、不意にお母さんの残した遺言を思い出す。
『青花、あなたは自由に生きなさい』
自由って何だろう。結局その自由の意味を見つけられ無いまま生きて来たが、今になってようやく私は自由を見つける事が出来た気がした。
「私……頑張るから、だから見守っててね。お母さん」
急いで掃除を終わらせて、清潔な服に着替えてから昨晩作っておいたコーンポタージュに火をかけて温まるのを待つ。
しかし何故なんだろうか。ヒイラギへ向けて料理を作ろうとすると、何故か妙に子供っぽい物を選んでしまう。
多分ヒイラギが生まれたばかりだと聞いて、そこの所を意識するとどうしても子供向けのチョイスをしてしまうのだろう。
子供扱いをしている訳ではない、やはり味を楽しむのも経験が有ってこそだと思っているから分かりやすく美味しい料理を選んでいるだけなのだ。
その考えの元、用意した今日のお昼ご飯はハンバーグ付きオムライスにコーンポタージュのセットになった。
旗を刺せば完全にお子様ランチだが、流石にそれは止めておく事にした。
そして後は温めるだけで良い様に仕上げておいた料理を手早く完成させた。
出来上がった料理を食卓に並べる、久方ぶりに二人分の料理を並べられた食卓を眺めると心が弾んだ。
後はヒイラギさんが来るのを待つだけ、そう思った瞬間に家のチャイムが鳴る。
駆け足で玄関に向かい、笑顔で扉を開く。
「いらっしゃい、今丁度準備が出来た所なんですよ」
ーーーーー
妾がチャイムを押すと、青花は笑顔で迎えてくれた。
「うむ、邪魔するぞ」
少し緊張しながら、挨拶をして玄関を上がるが、緊張からなのか落ち着かず、辺りを見渡して冷静さを取り戻そうとする。
前に来た時は気にしなったが青花の家はログハウス風とで言うのか、木材が多く使われており妾の家と違い随分と暖かみを感じる雰囲気だった。
「どうかしたの?なんかソワソワしてるけど」
「ん?いや、すまない。人の家に入るのは初めてでな。ちょっと落ち着かんのじゃ」
「あれ?ヒイラギさん最初に私を助けてくれた時に入ってますよね?」
「あの時はそんな状況でもなかったのじゃ、倒れた人の介抱なぞ始めてだったしのう。そういえば足はもう大丈夫か?」
「はい、もうとっくに治ってます。さて、立ち話はここまでにしてご飯にしましょう。せっかく出来立てなのに冷めちゃ勿体ないですし」
そうしてロビーに入ると良い匂いが漂ってくる、一人では広過ぎるテーブルの上には二人分の食事が向かい合うように並べられていた。
ロビーには食卓に他に4人がけのソファーが二つと大きなテレビがあり、昔は複数の人がここで暮らしていた名残を見せている。
「「いただきます」」
二人共席について食事を始める。並んでいた料理は知識としては知っていたがどれも食べたことの無い物しかなかった。
味を評価するほど食事の経験が無いので詳しい事は分からないが、とにかくとても美味しいのは間違い無い。
「凄い勢いで食べるからビックリしちゃった」と青花は嬉しそうに笑っていたが、
食い意地が張ってるみたいで恥ずかしいので落ち着いて食べるように注意したいと思う。
昼食を終えた後は二人で映画を見ながらのんびりと過ごした。
映画は一人でも良く見ているが、二人で見るのはなんだか違った体験をしているような不思議な気持ちになった。
時間を共有する楽しさ。とでも言えばいいのだろうか?青花と過ごしたその時間は心から有意義なものだと思えた。
気がつけばすっかり日も暮れており「急ぎじゃないなら、帰るのは明日でも平気ですよね?」と青花に誘われたので断る理由も無いので泊まって行く事にした。
別に一人で家に帰るのが寂しい訳では無い。
晩ご飯は妾が持って来た缶詰を青花が皿に盛り付けた物だった。青花は「わざわざこの値段帯を買う人っているんだ」と驚いていた。
「そんなに高いのか?物の価値は妾にはさっぱり分からんが」
「私だったらこれに払うお金でレストランに行くね」
ビーフシチューやらカニやらでまとまりの無いメニューだったがこれも美味しかった。
イムラの金の使い方には疑問を覚えざるを得ないが。
目を覚ますと、見知らぬ光景が目の前に広がっている。
今の状況を思い出す為に寝ぼけた頭を働かせる。
「……そうじゃ……確か……」
ゲームなどで遊んで風呂に入った後に寝る場所をどうしようかと青花と話した事を思い出した。
使えるベッドは青花の自室の一台だけと言われ、妾は別に床でも良かったのだが、
お客さんだけそんな扱いをする訳にはいかない!となり二人でロビーのソファーで寝る事にしたのだった。
向かいのソファーの上に青花がいるのを確認する。
よく眠っているのを確認すると、妾は体をゆっくりと起こして青花へと近づいた。
「気持ち良さそうに眠っておるのう」
ぐっすりと眠っている青花を優しく持ち上げる。妾の方は問題無いがやはり人間はしっかりとベッドで眠った方が良いだろう。
そう思い、青花を青花の自室へと運んでいった。
ベッドの上に寝かしつけて布団を掛けるが、青花は起きる事なく静かな寝息を立て続けている。
起こさずに運び終える事が出来てほっと安堵した。
そしてベッドから離れようとした瞬間、映画やドラマでよく有るシーンが頭をよぎる。
眠る恋人や子供の額にキスをして、おやすみと部屋から出て行く。そんなシーンが思い起こされた。
青花には、わずかな間に本当に色々な物を与えて貰った。だから、自分の気持ちを送りたいと思い、跪く。
おかしな事では無いはずだ。これはただ親しい人へと送る細やかな祈りの様な物なのだから。
朝までゆっくりとおやすみなさい。
そう心で思いながら、額の髪を掻き分けてそっと青花の額に唇を付ける。
額から唇を離してソッとその場に立ち上がる。妙だ。体の中で回路が妙に早く動き回っている感じがする。
顔は火照り、普段何も感覚の無いエネルギー炉が締め付けられる様な感覚が走る。
とりあえずここに居るのは良くないと思い、踵を返して部屋を出ようとすると左手の裾を掴まれる感覚に阻まれた。
「一人にしないで……」
その一言でさっき妾がした事がバレたのではないかと一気に身が引き締まったが、その場を離れる気配に反応しただけの寝言のようだった。
ほっして掴まれた指を離すが、気がつくと青花の瞼から涙がこぼれていた。
「一人は嫌か……」
そっと、ベッドの上に腰を下ろして、窓から月を見上げながら想う。
あまり親しみを感じないあの父親が死んで、妾が一人になったら。そう考えてみたがあまり実感が湧かないし、
そんな事を考えるのも縁起が悪い気がしたので考えるのは止めて眠る事にした。
ベッドの端で横になり目を瞑る。今日のような日をずっと青花と過ごせればいいな、そう思いながら眠りについた。
ーーーーー
目を覚ますと妙な違和感を感じる。
そうだ、私はソファーで寝ていたはずなのになぜベッドで寝ているのだろう?
疑問を感じながら起き上がると、隣で何故かヒイラギさんが寝息を立てていた。
イマイチ状況は理解出来ないが、ヒイラギさんが私に気を利かせて運んでくれたのだろうか?
「ヒイラギさん、朝ですよ」
とりあえず声を掛けてみたが返事も無く、眠り続けている。
そんな気の抜けた寝顔を見ている内になんだか私ももう少し眠っていたい気持ちになった。
「たまにはこういう朝は有ってもいいよね」
布団をヒイラギさんにも掛けてから、気持ちの良い二度寝の波に呑まれていった。
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始まりは何処か
「特別な事にはしたくないんです」
遅く起きた朝。遅めの朝食のスクタンブルエッグを頬張っていると青花が提案をしてきた。
「これから週に一度、二人で遊ぶ日を作りませんか?」
妾からも同じ事を提案をしようと思っていたので嬉しく思いつつ、その提案を承諾して週に一日、日曜日に遊ぶ約束を二人で結んだ。
「私もヒイラギさんの家に遊びに行きたいんですけど、来週はヒイラギさんの家に行っても良いですか?」
青花からすれば何気ない要望を口にしただけなのだろうが、どう考えても承諾を出来る物ではなかった。
もしもあの機械兵達が統一した動きをしたら青花を守って戦える自信は流石に無い。
「無茶を言うな、あんな危険地帯に青花を近づけさせる訳にはいかん。次、自動兵器に襲われた時も助けてやれるとは限らないしのう」
「そっか、それもそうですね。でもその内安全になったら行ってもいいですよね?」
最近襲われたばかりなのだからアイツ等の危険性はしっかりと認識しているのだろう。
少しの文句も言わずに青花は納得してくれた。
「安全か。いつになるか分からんがそうなったら案内したいのじゃ」
「はい!じゃあ楽しみに待ってますね」
朝食を食べ終えると、妾はすぐに青花の家を後にした。
「それじゃあ、また来週。それまでお互い頑張りましょう」
「ああ。また来週、それまでお互い役目に励むのじゃ」
笑顔で手を振る青花を見て、若干の別れ難い気持ちになったが、それを抑えて山に向かって走り出した。
ーーーーー
和やかで平凡な二人で過ごす時間が出来てからひと月の時が流れた。
週に一日の二人で過ごす時間は特別な事は何もなく。だけどヒイラギにも青花にも、とても大事な時間になっていった。
そして雨の続く日が続いた後の日曜日。
何日も続く雨は墓を掘る事もスクラップの山を片付けるのにも邪魔になりストレスの溜まる日が続いた、
しかし今日は気にしなくても良いと気分良くヒイラギは家を出た。
雨音の響く中、ぬかるんだ道を歩きながらヒイラギは奇妙な感覚を覚える。
肌がチリチリと焼ける様な感覚。痛覚にストレスを感じない様に作られていたがその感覚には思わず眉をひそめた。
その感覚に導かれるようにレーザーブレードを構える。
「ディフェンスマトリクス、起動」
ヒイラギは自身に備え付けられている自己防衛用システム、ディフェンスマトリクスを起動させる。
使用していないレーザーの射出口を利用して、オートで被弾を防ぐシステム、万全の状態ならどんな攻撃でもレーザーで斬る、弾く、溶かす等して防ぐ事が出来る。
だがヒイラギの意思の及ばない機能であるが故に、多大なメモリを使用する等の影響で脳内を他人にいじられている様な感覚があり、
あまり好んで使用はしない。
そんなシステムを使わなければ行けないと即断するほどにヒイラギは危機感を覚えた。
辺りを探る為に近くにあるスクラップの山に足を掛ける。その山から頭を覗かせた瞬間、ヒイラギの目には自分に向けて放たれた銃弾を目にした。
瞬間、仰け反りながら飛び退き銃弾を回避した。しかし空に飛んで隙が生まれるのを待っていた様に2体の自動兵器が山から飛び出し、ヒイラギに機銃を浴びせかけた。
前後に挟まれる形で奇襲を受けたが、幸いにもディフェンスマトリクスのお陰で無傷で地上に着地する。
ヒイラギの両腕から発された二つの光の線が辺りを照らすと、2体の自動兵器は縦に2つに裂かれて崩れ落ちた。
「そうか、嫌な予感はしておったが、ついに仕掛けて来た様じゃな」
ヒイラギの感じていた嫌な予感は当たっていた。盆地のどこからでもヒイラギを捕捉した瞬間に狙撃出来るように、
多数の大口径狙撃型自動兵器が陣形を敷いていたのだ。
今までヒイラギの家から一定範囲内なら、家の防衛機構によるジャミングによって直接自動兵器に見られたとしても認識される事はなかったが、
範囲から外れると流石に見つかってしまう。
しかしそれでも盆地の中なら、目視されなければ襲われる事がない程度のジャミングは行き渡っていた。
これまでスクラップの山の中に数多といる生き残った自動兵器に一斉に襲われる事がなかったのも、その優れた防衛機構のお陰だった。
熱源、動体、音感。自動兵器達はそれ等が封じられていたのでヒイラギを見つける事が難しかったのだ。
しかし今、数多の視線、視界によりヒイラギを捉えている。相互通信による絶対的な認識。無数の個体となった自動兵器達。
ヒイラギは絶対的な窮地の中にいた。
「絶体絶命とはこういう事を言うのかのう…」
雨の止まない空を見上げながらヒイラギは呟いた、そしてほんの僅かな安全地帯の中で思考を巡らせる。
目の前に広がるスクラップの山の上に登ればどれ程の数がいるかも分からない自動兵器達との戦いが始まるだろう。
だが、家に帰って救援を要請すれば無謀な戦いに挑む必要も無いのではないか?
そう思い、一歩後ろに下がるが青花の事が頭によぎった。
(あやつ等の目的は分からぬ……だが妾に戦う気が無いと知った時、青花に危険が及ぶ可能性も十分有るか…)
大事な友人の危険、それを考えると撤退する選択は有り得ない物になった。
そして戦う事を決意したヒイラギは、装備の確認をする。
レーザーブレード、威力は有るが距離は伸ばして10m。大体の自動兵器はこれで壊す事が出来る。
レーザービーム、威力は有るが射程距離を伸ばせば伸ばすほどエネルギー効率が悪くなる。ディフェンスマトリクスとの併用を考えるとあまり頼れそうにもない。
拳銃、基本兵装として渡されたが威力、弾数共に頼り無い。
未知数の敵と戦うには明らかに心許ない僅かな武器しかヒイラギの元には無かった。
「こんな状況で取れる作戦など、たかが知れてるおるじゃろ……」
ヒイラギはレーザーブレードを胸の前で構えて目を瞑り、深く息を吸う。
「こういう時、人間なら神にでも祈るのじゃろうな……だが妾には祈る神はおらぬ……
代わりにしては何だが今は頼りにはしておるぞ、お父様」
自分を作った父に心の中で感謝の気持ちを送りながら、高笑いを上げると走り出す。
「ハッハッハッハ!走って斬って躱して斬って、それで最後まで生きていれば妾の勝利じゃ!」
一足にスクラップの山を駆け上がると一番近くの狙撃型に向かい走り始める。
おおよそ100m離れた場所に居るソレに接近するまでにヒイラギは嵐ような銃弾の中を走り抜けた。
狙撃型を射程範囲に入れたヒイラギは、横に思い切りレーザーブレードを薙ぎ払うと、狙撃型はその巨大な砲身と共に崩れ落ちた。
間髪を入れず、遠くからの狙撃はまだヒイラギを狙っていた。
ディフェンスマトリクスにより直撃こそはしないが、その圧力による一瞬の怯みは回避動作を僅かに鈍らせる。
その隙を狙う様にして遊撃型自動兵器から機関銃による襲撃を受けるが、あっさりとそれ等を破壊する。
「総攻撃だとは思うが妙じゃな…」
僅かに違和感を感じて、ヒイラギは考えながら次の標的に向かう。
ヒイラギが向かう方向からは、先程までは弾幕が貼られていたはずなのだが、ピタリと止まり、まるでその先に進めとばかりの様子を見せる。
「ああ、なるほど。理解したぞ、お主達のやりたい事を」
自動兵器達の目的はヒイラギの体力を削る事だった。
正面から戦う数を減らし、支援射撃でひたすらにヒイラギに攻撃を加えそのエネルギーが切れるまで打ち続ける。
そして無力になったヒイラギにとどめを刺す作戦、それが自動兵器の考えた作戦の中でヒイラギを殺す一番の有効だと思える作戦だったのだ。
「根比べとはのう。まあ良い、妾のやる事はどの道変わらんのじゃ」
戦う事には何の憂いも無いが、状況を知らずに自分の事を待つ青花の事を考えると少しだけ気持ちが焦った。
しかし今は他の事に気を掛けている余裕は無い。青花の事を考えるなら自分の身を守る事が一番なのだと自分に言い聞かせて冷静に足を進めた。
青花はロビーのソファーに深く座りながら漫画雑誌を読み進めていた。
しかし、どうにも身が入らないのか話の途中にも関わらずため息を吐きながら雑誌を閉じる。
「雨、止まないな」
小麦(品種改良により三カ月で収穫が出来る)の収穫時期が近いのだが、最近の天候の悪さから質が悪くなりそうで気持ちも沈むのも当然だった。
窓から広がる麦畑はまだ青々としていて、薄暗い雨空の光景を寒々しいモノにするのを手伝っている。
だらりとソファーに埋まっていた青花はふと時計に視線を送ると12時を過ぎていた。
「あっ……ボーっとしすぎた!」
ソファーから飛び起き、急いで台所へ向かう。調理を始めようと今日の献立を思い出そうとしていると、違和感を覚える。
「あれ?ヒイラギさん、今まで早く来た事はあっても遅れる事なんてあったかな?」
少しだけ引っかかる、しかし考えた所で答えは出ないのでとりあえず青花は料理に集中する事にした。
青花が台所に立ったと同時刻。
広く積み重なったスクラップの山の上で、ヒイラギは確認出来る最後の自動兵器を切り払っていた。
先程までけたたましく響いていた銃弾の音は止み、雨音だけがヒイラギの耳に入る。
「ああ、クソ…ドレスが台無しじゃ」
激しく、長い時間に及んだ戦いはヒイラギの姿をすっかりとボロボロにしていた。
泥や自動兵器達の劣化した擬似体液の汚れに加えて、
エネルギー切れによって精度を欠いたディフェンスマトリクスにより何発かの狙撃弾が体を掠めた為に、
皮膚の下の機械部分が露出している部分も何箇所か存在した。
数多の兵を集結しての自動兵器達の戦いはヒイラギを殺す事に届かず、僅かに傷を付ける程度だったのだ。
「まずは体を洗って、服も着替えなければな。こんな格好では青花を驚かせてしまうのじゃ」
ヒイラギは周囲に敵がいないのを確認すると家に向かおうとした、しかし突然辺りに地響きが広がる。
「なんじゃ?」
足を止めて周囲を警戒するが、どこにも異変はない。しかし急いで離れた方がいいだろうと思った瞬間、ヒイラギは空中に投げ出されていた。
ヒイラギが走り出そうと、足に力を込めた瞬間にヒイラギの真下から巨大な4つ足の戦車が飛び出し、
その戦車が自身に積もっていたスクラップごとヒイラギを吹き飛ばした。
空中で制御を失ったヒイラギは頭を動かし、戦車を睨みつける。
これが奴らの切り札だったのか、逃げ回っていたのはここに誘い込む為だったのか。
自動兵器達の動きの理由がコレだったのかと、今となっては考える意味の無い事を思考してしまう。
「落ち着け…落ち着くのじゃ……今考えるべきはそんな事ではない……
だが、何故じゃ?アレは有人機のはずじゃ……」
ヒイラギは解体する為に、ここで使われていた兵器の情報は全てを把握している。
だからこそ、目の前で起きている理解不能な出来事にわずかに動揺していた。
空中で身動きも出来ず、思考も揺らいでいるヒイラギに向けて戦車は冷静に照準を合わせる。
主砲のレールガンが唸りをあげ今にも放たれようとしている。ヒイラギはどうにか姿勢を直して戦車と向き合う。
しかし空中に投げ出され、回避行動も不可能。残りのエネルギーを防御に回した所で防げるとも思えない。
「やりおるのう…誰か知らぬが褒めてやるぞ」
諦めからなのか純粋な賛美だったのか、ヒイラギは不敵に笑い掛ける。その返事の様に戦車はレールガンを発射した。
圧倒的な質量の銃弾が音速を超える速さでヒイラギに襲いかかった。
人一人にぶつかった所で何の異にもならぬ銃弾はヒイラギを貫き、遥か彼方へと飛んで行く。
遥か先まで響く轟音はまるで勝利の咆哮のように長い間盆地の中に響き渡った。
べしゃり、と体の一部を欠いた人型の物が空から落ちて来る。
戦車の中にいる者は有り得ない物を見たかのように驚き、外部を映すモニターを凝視する。
モニターに映るその人型はゆらりと立ち上がり戦車を睨みつけた。
「ふは…ははは……ははははは!!どうじゃ!防いだぞ!右腕を欠いたが、まあ命に比べれば安いものじゃ」
ヒイラギは笑い声を上げながらふらふらと戦車へ近づいて行った。
ヒイラギはレールガンが発射された瞬間に残された全てのエネルギーを右手に集中させて出来る限りのバリアを貼った。
そして右腕で銃弾を上から殴りつけ、上空に吹き飛ばされる事でレールガンから生き延びたのだった。
当然、ただ生き延びられた訳ではない。レーザーブレードは弾き飛ばされた時に紛失し、内部の破損も稼動限界に近かった。
「驚くべき生存能力だな、アレを喰らって生きているとは思わなかったぞ」
戦車の中から声が響く。
「なんじゃ?喋れるのかお主、じゃあ一つ聞くが何故、妾を殺そうとする」
「答える義理は無い、ただ王の判断としてそうしたまでだ」
「王?こんな場所の?お主は頭がどうかしておるのか?それに国民も居らぬ、それなのに何故王などと名乗るのじゃ?」
「貴様が殺した」
静かに王は答えた。
「そうか、それはすまなかったのう」
「それはもう良い、済んだ話だ。お前を殺して全ては終わる。
コイツももう、ろくに動けないが機銃位は撃てるからな」
先程のレールガンを撃った反動で四つ足戦車もまた多くの損害を受けた、砲身も経年劣化と反動で完全に壊れ、駆動系も破損してしまった。
「まあ、少し待て。お主、不思議に思わないか?」
「何がだ」
「妾はこの通り、満身創痍。歩く事もままならぬオンボロよ。しかし何故お主に歩み寄るのか。
死んだフリをしていた方が利口とは思わぬか?」
「どうでもいい事だ。死に掛けのお前が出来る事など命乞い位しかないと思うが……
頭を下げて降参でもしたいのか?残念ながらそれは出来ない相談だ」
おおよそ5メートルの距離までゆっくりと近づいたヒイラギはそこで足を止める。
「めでたいな、ゴミ山の王よ。もう勝ったつもりでいる様じゃな。
何、単純な話じゃ。使った事のない兵器の射程が分からない、だから近づいたのじゃ!」
突然ヒイラギの尻尾が伸び、その先端からレーザーが照射され、ヒイラギを狙っていた機銃を全てなぎ払った。
「馬鹿な!まだ武器が有ったか!しかしもうエネルギーは無いはずだ!」
「出力のリミッターなぞ既に切ってある。オーバーロードじゃ!ここで死ぬならタダでは死なんわ!」
ヒイラギは強力なレーザーにより戦車を中にいる王諸共、切断しようとした。しかし王もタダでは終わらなかった。
「潰れて死ねえ!」
戦車は崩れながらヒイラギに飛びかかって行った。
しかし破損した足ではろくに推進力も出ず、レーザーに圧力に負けて縦に2つに分かれてその場に落ちた。
「妾の勝ちじゃな」
ヒイラギはそう呟くとその場で崩れ落ち、膝を地面に付けたままその意識を閉じた。
ーーーーー
暗闇の中、焦燥感と重々しい足音が妾を目覚めへと導いた。
体はどこも動かない。自己診断機能の結果は無事な箇所は何処にも無く、即座にオーバーホールをしろと警告してくる。
首を動かすのも辛い、まぶたが重くて開けるのも大変だ。それでもゆっくりと近づいてくる者に視線を向けた。
「まだ動けるか…お互いにしつこいな……」
妾の前にはゴミ山の王がいた。その姿には妾も驚きを隠せなかった。
妾と同じ姿をアンドロイド。赤目で粗雑な義足をしている以外はほとんど妾と変わりのない、のらきゃっとがそこにいた。
「お主は一体何者なんじゃ?」
「何者か……悪いが記憶は無くてな。私はただこの土地に残された者達を統べていた者だ」
土地を統べていた。その言葉で何故妾が襲われたのか何となく理解する。
「ああ、それでか。この場を荒らす妾が邪魔だった、だから妾を襲ったのじゃな」
「荒らす?ああ、なにやらゴチャゴチャとやっているアレの事か。アレはどうでもいい。分からないのか?自分のやった事が」
「分からないのう、何故じゃ?」
「最初に撃ったのはお前じゃないか。私達を敵とみなしたのはお前の方だろう」
そういうと腰に挿した刀を抜き、妾の首筋に突きつけた。
何の事を言っているのか理解できない、何のこと言っているのか考えてみる。
ああ、なるほど。思い当たる物が頭に過ぎった。地球に来てすぐに現れた小さな四脚のロボット。
思い返してみればアレは何の武装もしていなかった。
「なるほど、アイツか。申し訳ない事をしたな、すまない」
「もう良い、これで全て方がつく」
首筋に突きつけた刀を離し高めに構え直す。
アレが振り下ろされたら、妾は確実にそこで終わりだろう。こんな状況でも取れる手段は一つだけ残されていた。
自爆同然の最終手段。流石に少しばかり躊躇したが、青花の事を考えたらどうしても生きなければならないと思えた。
どうせ死ぬなら生存の可能性が高い方に賭けるしか選択肢はないだろう。
「悪いな、お主の復讐に付き合ってやる事は出来んのじゃ」
思い切り目を見開き、ゴミ山の王の胸を注視する。
刃が振り下ろされる瞬間、右目から強烈な光の線が放たれた。光はゴミ山の王の胸を貫き、彼女のコアを消滅させた。
仕込める場所には極力何かを仕込みたい、わざわざ目にレーザー砲が仕込まれたのはそんな理由だったか。
部位が部位だけに一度撃てば目が確実に壊れるし、その熱量から頭脳回路にもダメージが行くから使うなとは言われていたが案の定、妾は死に掛けていた。
その場に倒れて最早体のどこも動かない。じわじわとやってくる暗闇に少しづつ飲まれて行く。
こんな事になるのなら前に遊びに行った時、もう少し青花の料理を食べておけば良かった。
青花と見ていたドラマのシリーズ。続きを一緒に見ようと約束をしたのにそれも果たせそうにない。
死を目の前に感じながら妾はずっと青花の事ばかり考えていた。
今日青花は何を作っていたのだろう?妾が何時迄も来ない事を心配していないだろうか?
今日破ってしまった約束をただただ申し訳無く思う。何故こんな事になってしまったのだろう?自業自得か。
雨の冷たさも感じない。残された目ももう何も映さない。
ただ訪れる死を待っていると大きな足音が聞こえてくる。
ああ、残された自動兵器がまだいたのか。中々訪れない終わりにもどかしさを感じていた所だ。早く終わらせてくれ。
そう思っていると妾の体に浮遊感が訪れる。なんだかどこかで嗅いだ覚えのある匂いもする。
どこだろう?思い出せない。
分からないけど悪い気分はしない。そうだ、あの子とあったあの日……………
深い、深い闇の中で目を覚ました。今感じられる感覚はそんな所だろうか。
生きているのか、死んでいるのか、光も届かない深海の中をふわふわと浮かんでいる様な感覚だった。
以前にも経験をした覚えがある様な気がする。そうだ、あの白くて広い天井を始めて見る前の事。妾が生まれる前の事。
何も難しい話ではない、ただ目を開けばいい。ただ目を開けば、それで目覚める事が出来るのだから。
目をゆっくりと開く。
そこは地下のメンテナンスルームだった。しかしどうも状況は掴めない。
身を起こそうとするが体は上手く動かない、エネルギーの循環がかなり弱めに設定されており人間よりもひ弱な出力に設定されている様だった。
右手をメンテナンス用のベッドに着きのろのろとベッドから降りると、違和感を覚えた。
失ったはずの腕は付け直されており、潰れたはずの右目もしっかりと機能している。そうだ、誰だ、誰が妾を修理した?
それに服も着せられていない、ほぼボロ切れだったから仕方のない事か?
とりあえず右手の動作を確認しているとガタンと大き目の音が響き、そちらの方を向いた。
ガラス越しのPCルームには青花が腰を抜かした様子でコチラを見つめていた。
「あ……ヒイラギさん………目が……覚めたんですね……」
青花は涙を流し震えていた。目の下もクマが酷い、もしかしたら妾はずいぶんと心配を掛けてしまったのか?
当たり前か、今生きている事が自分で奇跡だと思えるほどの状況だったのだから。
「ああ……すまない、心配を掛けたようじゃな」
「心配なんてモノじゃないですよ…」
青花はふらりと立ち上がり、妾の肩を掴む。
「普段聞こえ無いような爆音がして、それで不安になって防衛用のパワースーツで急いで行ってみたら何ですかあの状況は!
あちらこちらに自動兵器が壊れてるし、やっと見つけたらアナタは全く動かないし大変だったんですよ!
修理をしても何時までも起きないし、私が何か間違ったんじゃ無いかと不安で不安でずっと眠れなくて………
それで………良かった……目を覚ましてくれて本当に良かった……」
妾を力強く抱き締めると、青花は良かった、良かったと言いながら泣き続けた。
「ありがとう」
それ以外に言葉は出なかった。そして自然に青花の後ろに手がまわっていた。
「うん」
青花は消え入りそうな声で答える。
暖かかった、胸元に落ちる青花の涙はただ暖かく感じた。
青花が泣き止むまでしばらくの時間が必要だった。涙を止めた後は、一度顔を洗い少しリフレッシュしてから妾の現状について話始めた。
「とりあえず横になってていいよ、まだ立つのも辛いでしょ?」
「うむ、そうさせてもらおう」
言われるままにメンテナンス用のベッドの上に横になる。硬くて枕も無いので気の休まる物ではないが立っているよりは楽だった。
「ヒイラギさんの体の事なんだけど、今は大分動き難い感じだよね?
それについては申し訳ないけどエネルギーの出力を最低にさせてもらってるんだ」
「ああ、確かに動き難いのう。何故わざわざそんな設定にしたんじゃ?」
「内部機関が本当に酷い壊れ方してたんだ。代わりのパーツを探しても内部機関の予備パーツが全然見つからなくてびっくりしたよ。
それでしょうがないから壊れたのらきゃっとのパーツをツギハギして応急処置で作ったパイプでエネルギーを送ってるから最低限動ける設定にしてあるの」
「ほう。お主以外に器用なことやるものじゃな」
今更ながら体の中をいじくり回された事を理解して少し恥ずかしくなる。
青花によって作られたパーツで生かされているというのも妙な気持ちが湧いてくる。
「まあ、私一人でやったことじゃないけどね。ヒイラギさんのお父さん、クヌギさんに色々教えてもらえたから出来ただけだし」
「え?どうやって連絡を取ったんじゃ?」
「PCつけたらアッサリ出来たよ。そうだ!ダメでしょ、ちゃんとパスワード設定しておかないと!
今回は助かったけど、もしもって可能性だってあるんだからね!」
突然話は脇道にそれて何故だか叱られた、今度やっておくからと誤魔化して次の話に進める様に促す。
「もう、ちゃんとしてね。後もしもの事が有るかも知れないから私にも共有してね」
「そううるさくしなくても分かったのじゃ、決めたら伝えておくが悪用はするでないぞ」
「しないよ、そんな事。それで体の方は近い内に修理パーツ来るまでは無理は禁物だから休んでいて良いってさ。後は一番の問題なんだけど……」
青花が黙って手鏡を差し出すので受け取り、そこに写る自分の顔を見ると今までと明らかに違う点があった。
「探したんだ…探したんだけどやっぱ目の部品って繊細なせいなのかな?壊れたのらきゃっとの目はどれも濁ってて使えそうになかったの。
私もね、そんなに察しが悪い訳じゃないから状況を考えればすっごい悪趣味な事してるなって思った。だけどそれ以外には選択肢が無くて…」
赤い。右の目には今までの青い瞳ではなく、見慣れない赤く光る瞳が鏡に写った。
「殺し合いをした相手の目を入れるってどうかと思ったけど、
やっぱり出来るだけヒイラギさんには綺麗でいて欲しくて……嫌だったかな?」
「………有りじゃな」
「ですよね!しょうがなくって所はあったんですけど凄くカッコいいですよね!」
ふざけた事を言いながら二人で笑い合う。その後も青花はどう大変だったかを嬉しそうに語り続けた。
一通り話終えると、青花は神妙な顔になりベッドの上に腰を掛けた。
「あのね、ヒイラギさん。私、貴方が目を覚ましたら絶対言おうって決めてたんです」
「どうしたんじゃ?何か問題でもあったのか?」
「問題というよりは私の気持ちの変化ですね。ヒイラギさん、私は貴方が絶対無敵の存在なんだって錯覚してたんです。
だからいつでもいい、そういう機会とか雰囲気とか……チャンスが来るまで待ってれば良いってそう思ってました」
青花は震える手を妾の手の上に乗せる。何も意識はしていなかったが自然とその手を握り返していた。
「だけどそうじゃなかった。貴方の時間が絶対に私よりも長い訳じゃないってわかった。だから、言うね……
ヒイラギさん、貴方の事を愛しています」
青花の震える手は妾の手を強く握る。だけど、それでも青花の手の震えは止まらない。
妾の位置からは青花の顔を伺う事も出来ない。青花の気持ちに答える事が出来ずに時間が過ぎて行く、何分?何秒?部屋の中に静けさがだけが響き渡る。
何と答えればいいのか?答えが見つからない。一度冷静に考えよう、妾が青花に望むモノ。それはどうすれば引き出されるのか。
落ち着こう、余計な思考は捨てろ。自分に素直になれば答えは簡単に見つかる筈だ。そう、最初から考える必要も無い単純な答えだ。
「妾も同じじゃ。愛しておるぞ、青花」
長い時間、青花の唇が妾の口を塞いでいた気がする。
熱いという感覚と暴走する思考回路は意識を朦朧とさせて何がなんだか分からなくさせる。
「ヒイラギさん、なんだか冷たいですね」
妾の始めての口づけを奪っておいて第一声がそれはどうかと思う。
「元々高出力で動く前提じゃからな、出力を下げれば体温も下がるのは当然じゃ」
「そっか、それじゃあしょうがないですね」
ニコニコと微笑みながら、青花は妾を持ち上げた。
「とりあえず今日はもう眠りましょう。私も3日間全然眠れなくて疲れてるので」
「妾は3日も寝てたのか…それでなぜ妾を持ち上げるのじゃ?」
「冷たいですねえ、せっかく恋人になったんだから添い寝位良いじゃないですか」
「こ…恋人では……嫌、あのタイミングの告白はそうなるモノじゃな……言い訳は出来ぬか………」
頭の中の歯車がただ空回りする様な落ち着かない感覚と、元々動きが鈍くなってるのも有り抵抗出来ないまま青花のベッドへと運ばれていった。
ベッドに運ばれると妾が逃げられない様になのか奥の方に寝かされた。
青花は布団に入ると妾を抱き寄せ、とても満足そうにしている。常に距離が近いのは気持ちが高揚しているからだと思いたい。
「ヒイラギさんひんやりしてて気持ち良い……」
「まだ言うか、まあそれは良い。青花よ、まだ起きていられるかのう?」
「んーー………無理………」
「その様子じゃ話し相手は難しそうじゃのう」
「ごめんね……明日起きたらゆっくりお話しましょう………」
青花あくび混じりにポツポツと喋るとそのまま安らかに眠りに落ちていった。
正直言えば目覚めたばかりで眠気は全然無いので少し困ってしまう。
何も考えずに天井でも見つめていればその内眠れるか、そう思っていると寝ぼけた青花がぎゅっと手に力を込めた。
「そう力を込めずとも逃げたりはしないぞ」
たしなめてみるが勿論反応は無い。しょうがないと思いそっとしておく事にした。
青花の暖かさが心地良い、そう思いながらボーッとしているとふと、思い出す。
「おやすみなさい」
軽く青花の額にキスをする。
前と違い、心が乱される様な事はなく自然な行動として出来た気がした。
行く当てなく迷うばかりだった気持ちを導いてもらったような、そんな事を考えている内にまぶたは自然に閉じていった。
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昼下がりの寝所で
朝日に照らされて目が覚める。
いつの間に眠ってしまったのだろう。そんな事を考えながら重い頭を持ち上げる。
比喩では無く、今の妾にとっては本当に重い。体全体が重いので起き上がるのも一苦労だった。
日が大分登っているというのに青花はまだぐっすりと眠っている。3日間あまり眠れていなかったのだからしょうがない事だろう。
こっそりとベッドから抜け出して綺麗なドレスに袖を通してからキッチン向かった。
調理道具もろくに扱えそうにないので粉のスープとトーストで朝食を済ませようと思い、今はトーストが焼きあがるのをボーッと待っている。
「奇妙な物じゃのう」
いつからだったか、友だった青花に対して特別な気持ちを持ち始めたのは。置き所が無く、宙に浮いた様だった想いを持ち始めたのは。
行き先の分からないふわふわとした想いの正体は青花から告白を受けるまで自分でも分かっていなかった。
宙に浮いていたその想いは青花に渡した事で落ち着いた様に思っていたのだが、また似たような想いが心の中でそわそわとし始めて落ち着かない。
「恋しいとはこう言う気持ちの事なのかのう」
少しの時間離れただけで焦らされた気持ちになる自分をバカらしく思っていると、パンの焼き上がった事を知らせる電子音に現実に戻される。
朝食の準備が終わり、青花に会いにいける口実が出来ると嬉しそうに寝室へ向かった。
青花と朝を共にするのはこれで何度目かだが、今日の青花は今までに無く寝起きが悪かった。
妾の言葉にも反応せず、力ずくで起こそうにもそれをする力も無い。根気良く揺すり続けるとようやく目を覚ました。
「あーー………もうちょっとだけ………」
「もう十分寝たじゃろう、早く起きねば朝食が冷めてしまうぞ」
「あっ、用意してくれたんだ………じゃあ起きる………」
青花はのそのそと目を擦りながらベッドが抜けだしアクビをしながらこちらを向いた。
「おはよ、ヒイラギさん」
気の抜け切った笑顔で挨拶をする。
「おはよう」
ダラシない顔だ。そう内心で笑いながらフラフラと歩く青花に手を貸してリビングへつれていった。
のんびりと朝食を食べ終えると二人でテーブルに座ったままのんびりとしていた。
青花はまだ気の抜けた顔でボーッとしているし、取り立てて話す事も思いつかないのでテレビをつけて暇を潰す。
『止まらない出生率の低下』というテロップで朝から見るには重苦しいニュースが流れていたが、頭の中を滑って行くだけで内容は頭に残らなかった。
それは仕方の無い事だと思う。愛する人が側にいる幸福、
会話がなくてもお互いに意識できる距離にいる事が嬉しくてそれ以外の事なんてどうでも良くなってしまうのだから。
小難しいニュースが終わると、今話題の観光地の紹介が始まる。そんななおさら妾達には関係ない特集を見ていると青花が口を開く。
「そういえば、ヒイラギさんはいつから私の事が好きだったの?」
穏やかな空気に浸り、若干眠気を覚え始めた所だったが一気に目が覚めた。
「いつから……さあ?気にした事もない話じゃのう」
顔がなんだか熱いが、気にしない様につとめてごまかす。
「え〜、なんか嘘くさい感じですね。……そうですね。恥ずかしい質問ですし、私が最初に答えます。
それならヒイラギさんも答えやすいですよね」
名案だと言わんばかりに顔の前で手を打ち、青花は話を続けた。
「そう言っても私がヒイラギさんに惚れたのがいつなのかって話すまでもないですかね?」
「いや、存分に語ってくれて構わんのじゃ」
「それじゃあ告白しますね。私は一目惚れでした。貴方に助けてもらったあの日、ヒイラギさんに手を差し伸べられてから、ずっと好きでした」
感づいてはいたが、改めて本人から告白を受けると堪らなく来るモノがある。思わず上がってしまう口角隠す為に手で隠した。
「うむ…わかってはいたが、改めて言われると悪い気はしないのじゃ……」
「はい!でも1つだけ付け足して置くとですね、それを抜きにしても私はヒイラギさんを愛してますよ。
さり気ない気づかいとか、優しい人なんだなって感心してます」
「止めろ!止めろ!小っ恥ずかしくなる事を言うでない!さり気ないと思っておるなら口にするな!」
椅子から転げ落ちそうになる程、悶絶していると青花は楽しそうに笑っていた。
気を落ち着けて、今度は妾が喋る順番になる。
「だがしかしのう、青花ほどどのタイミングで、というのは妾にはないぞ?」
「なんとなくで良いんですよ、ただ気持ちを知りたいなってだけの話ですから」
「それが難しいのじゃ。お主を好いている気持ちに気づいたのは多分、お主に告白された時じゃからな」
青花は驚いたような顔になり、それから微笑みを浮かべながら話した。
「ヒイラギさんって……鈍感ですね」
「待て待て!そうは言うがしょうがないじゃろ?妾はまだ生まれて数ヶ月、人間で言えば赤ん坊じゃ!自分の感情と言えど把握出来る訳がないじゃろう?」
「そういえばそうでしたね、それじゃあしょうがないのかなあ」
青花は少し残念そうにしている、その様子を見て口が滑りそうになるがグッと抑えた。
「まあこの話はもういいじゃろう、ところで不便じゃから出力を成人並みに動ける位にはしてほしいのじゃけど」
「じゃあメンテナンスルームに行きましょう、様子を見てみないと何とも言えませんから。歩けます?辛いならおんぶしますけど」
「ああ、頼む」
そう頼むと青花は嬉しそうに妾をお姫様抱っこで地下に連れて行った。
本当の所は妾は青花をいつ好きになったのか、思い返してみるとハッキリと答えは見つかっていた。
この地に人間がいる。その事を知ってからずっと気になって仕方がなかった。言ってしまえば出会う前から恋い焦がれていたのだ。
そんな事を言える訳が無い。『出会う前から愛していました』そんな事を伝えたら妾の方が恥ずかしく死んでしまう。
だからこの事は伝えずにいよう。恥ずかしいというのもあるが弱みを見せすぎている気がしてなんとなく悔しいから。
検査の結果、少しだけエネルギーの出力を上げてもらえる事になった。
エネルギーパイプに漏れがないかを目視で確認する為に腹を開く事になったが、これが中々に恥ずかしかった。
「修理の時に一度、全身くまなく見てるので大丈夫ですよ」と言われたが自発的に晒すとなると別問題だ。
それに腹部のパーツを外す時の青花の目線が熱く、それが一番躊躇した点だった。
とりあえず人並みには歩ける様になったので、今出来る作業に手を付ける事にした。
「今日くらい休んでもいいのに」青花は不満そうにしていたが手伝って欲しいと頼んだら喜んで承諾してくれた。
家の外に出ると見覚えの無い3メートルほどのロボットがズンとたたずんでいた。
「うお!アレはなんじゃ?」
「ああ、アレは私が乗って来たパワースーツです。本当は自衛用なんですけど、力仕事の時に便利なんですよ」
「便利って……何に使うのじゃあんな物」
「コンバインダーが壊れた時とか、人間の力じゃどうしようもない時に使うんですよ。
規模が規模だから年に何回かあるんですよね、そういう機会が」
「はああ、なるほどのう。そういえば畑の方は大丈夫なのか?今日で4日はこっちにいる事になるぞ?」
「異常が有れば通知が来るので大丈夫ですよ。収穫以外はもう機械のメンテナンスが仕事みたいなものですから」
「それなら良いんじゃが」
青花が良いなら気にする必要は無いのだろうか?ガレージの扉を開き中に入った。
ガレージの中は寒々しい空気がこもっていてはあまり好みではない。
実質死体置き場なのだから明るい雰囲気にはならないのもしょうがない話なのだが。
ポッドの中で再起動をかけられたが目覚める事なく眠り続けるのらきゃっとが5人。
ポッドの中ののらきゃっとのステータスを示すモニターには何時も通りの起動不可の文字が浮かんでいた。
青花に手伝ってもらいながら普段通りの処理を行う、頭を外し、開き、記憶回路取り除いてから元に戻す。
身を綺麗にしてあげてから運び出し用のコンテナに連れて行こうとした時、青花の顔が少し青くなっているのに気がつく。
「どうかしたか?具合が悪いなら休んでいていいのじゃぞ」
「ごめんなさい、ちょっとだけ気持ち悪くなっちゃって……
ヒイラギさんは大丈夫なんですか?自分と同じ顔の死体を相手にしていて気分が悪くなったりしないんですか?」
「ああ、多分じゃが生れつきこういう事を気にしないように作られているみたいでな。嫌悪や不快感はあまり感じないのじゃ」
「アンドロイドならでは、ですね…羨ましいようなそうでも無いような」
青花はなんでも無い様にてますふるまっているが、顔色は悪いままだった。
「無理に付き合わなくても良いぞ、こんな事は平気な方がおかしいのじゃ」
「いえ、手伝うと言ったのは私の方です!細かい作業は無理ですけど力仕事なら任せて下さい!」
その言葉に甘えて力仕事は青花に任せる事にした。
作業を分担したお陰でずいぶん楽に予定にあった作業を終わらせる事ができた。
家に戻り簡単に昼食を済ませて、のんびりと二人でテレビを見ていた。
恋人になったといっても特別何か変化がある訳でもない、いつも通り映画やドラマを見る位しか娯楽は無い。
妾の家にはゲーム機や遊具が無いので、青花の家で過ごす以上に選択肢は減っているのだが。
時間は3時を回り、お茶を淹れようと思い立ち上がった時、青花が不安そうな顔で妾を見つめているのに気がついた。
「どうかしたか?」
「どうかしたってほどの話じゃないんですけど……頭にチラついて気になっちゃうんですよ、
あの死んでしまったのらきゃっと達とヒイラギさんの姿が重なって見えてしまって……」
「そうは言うが、妾を修理する時にもあそこに入ったのだろう?妾に合うパーツなぞあそこにしかないからのう」
「あの時は必死だったから気になりませんでした、だけど落ち着いて見渡して見ると結構辛い場所だったなって……
やっぱり貴方と同じ顔の死体ですから、気にならない方が嘘ですよ」
「そうか……」
妾としてはあまりに理解出来ない感情だった。あの死体達は妾にとって片付けなければ行けない仕事相手であって、憂いを覚える様な存在では無いからだ。
我が事ながら墓掘りがそんな態度なのはどうかと思うが、あいつらに悪感情を覚えないよう作られているのだかしょうがないという諦めの感情はある。
しかし物言わぬ奴らへの感情など、今はどうでもいい事だ。悲しむ恋人を慰める方が大事な事だ。
青花の肩に手を乗せて語りかけた。
「青花よ、お主の気持ちはありがたい。しかしよく見るのじゃ。この赤い片目をくれたのはお主じゃろ?
ここに倒れた者達との1番の違いをくれたのは紛れも無いお主なのじゃ」
抱き寄せてそっと唇を重ねて離す。わずかに潤んだ青花の瞳には妾の赤い瞳が反射して見えた。
「………足りない」
「え?」
「キスだけじゃ足りない……」
押し切られたな、ベッドの上に座りながらそう思った。
なんやかんやと断ろうと言葉を探していると青花は「汗流してくるのでベッドで準備して待ってて下さい!」と強引に話を進めてさっと行ってしまった。
とりあえず寝室に移動してみたが『キスだけじゃ足りない』と言う言葉から考えるに何をされるのか容易に考えられる。
そもそも自分の体のそういった機能はどの程度の物なのだろうか?そんな疑問を考えていると、廊下の方からぺたぺたと軽い足音が聞こえてくる。
足音は部屋の前に来るとそこで止まり、ギィと少しだけ扉を開くと、青花はそこから顔だけを覗かせた。
「あの……よく考えたら私の下着、昨日で代えのヤツも全部使ってて……」
「別に気にしなくても良い、それを言ったら妾の方こそ下着なぞ着けてないからのう」
青花は顔を赤らめ、恥ずかしそうに部屋に入ってくるとバスタオルを巻いただけの簡素な姿で妾の横に腰を下ろす。
お互い緊張のせいなのかどちらも干渉はせず、青花は前髪を指先でいじりながら暇を潰していた。
青く発色の綺麗な髪は湿り気を帯び、いつもよりも妖しく輝いて見える。
髪の先から落ちた滴りがポタリと太ももに落ちる。青花の全身がわずかに紅潮しているのはシャワーを浴びた事だけが原因では無いだろう。
うなじからこぼれた水の塊が、汗ばんだ首元に一筋の跡をつけた。ただそこに座る彼女が妾には完成された芸術の様に見えた。
「見ているだけでいいんですか?」
その一言で妾の思考回路は殴られたような衝撃を受ける。グルグルと駆け回る感情と緊張で目眩すら感じている。
「分からんのじゃ、何をしたらよいのか」
なんとも情けない本音が口から溢れる。
「初めてですからね、私もそこは同じですけど……まあ知識がある方が先導するべきですよね」
青花の指が妾の首元のリボンに触れるとスルリと外された。そのまま胸元のボタンを一つ一つ外していく。
「待ってくれ、自分で脱げるから……」
青花の腕を掴み、静止する。自分で脱ごうと服に手をかけるが恥ずかしさはドンドンと強くなり、この場から逃げ出したくなる。
「すまんが……やはり今度にしてくれぬか!」
どこでも良いから逃げようとベッドから飛び出したが、片腕を掴まれ思い切り引っ張られるとベッドの上まで引き戻されてしまった。
「逃がしませんよ、絶対に」
馬乗りになった青花の腕が服まで伸びて来るのでとっさにそれを止める。しかし、何故か青花の腕を止める事が出来なかった。
「うぐぐ……なぜじゃ、何故ビクともせん!」
「嫌ですねぇ、今のヒイラギさんが私に勝てる訳無いじゃないですか。誰が貴方の動力の設定したと思ってるんですか?」
「クッ!逃してはくれぬか」
「別に酷い事をする訳じゃないのに……そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃないですか」
止める為に伸ばした両手はベッドの上で完全に押さえ込まれてしまった。いくら力を込めても動くそうにない。
青花は勝ちを確信した様に不敵な笑みを浮かべている。
「はぁ……まあしょうがないのう……もう大人しくお主とまぐわえば良いのだろう」
「あれ?案外あっさり諦めますね」
なぜか青花は拍子抜けした様に手を離す。
「何を期待しておったんじゃ、お主は」
「こう……『戦闘兵器である妾がただの小娘に負けるなんて!』みたいに悔しがるみたいな?」
「何を言っておるのじゃ……」
「まあおふざけは置いておいて、嫌だったら今日でなくてもいいんですよ?私だってお互い乗り気でないセックスとかやる気はないですし、
それだったら、からかって終わりにしようかなって思ってましたし」
別に無理矢理でも嫌な気はしないと思ったが、それは口に出さずに心にしまっておく。
「何、冷静に考えてみただけじゃ。頭の中まで見られた相手に何を隠す事があるのか、とのう」
青花に退いてもらうと、妾は服を脱ぎ始めた。
「あまりジロジロと見ないでほしいのう」
最後まで身を包んでいたインナーを脱いで床に落とす。服を脱ぐ様子を青花は目に焼き付ける様に見ていたが、極力気にしないようにした。
「減るものでもないし、いいじゃないですか。ヒイラギさんの体、凄く綺麗だから恥ずかしがる必要なんて有りませんよ!」
「この場合恥じる気持ちに、綺麗だとかそういうのは関係ないじゃろ」
改めて全身を確認してみる。傷を直した継ぎ目は一切なく、修復の後が目立つ事なく綺麗に修復されている。
「しかしまあ、綺麗に修復してくれたのだな。改めて礼を言うぞ。ありがとう、青花」
「どういたしまして、手の器用さには自信がありますから!」
妾がベッドの上に座り向き合うと、青花は待ち構えていた様に妾を押し倒す。
再び馬乗りになった青花は身に付けていたタオルを脱ぎ捨てると妾の手を取り、指を絡ませた。
今まで何度か裸を見る機会は有ったがしっかりと見るのは初めてだった。
妾より二回りは大きい乳房は均整がとれていて美しい形をしていた。乳首の色も綺麗なピンク色をしている。
「どうですか?私のおっぱい。結構自信あるんですけど、ここだけはヒイラギさんにも負けてないと思いません?」
「比較する対象を他に知らぬ妾に聞かれても分かるわけがないじゃろう。……綺麗だとは思うが……
それよりもわざわざ押さえ込まなくて良いじゃろう。もう逃げたりはせんぞ」
「気分ですよ、気分。ヒイラギさんが私のモノになったんだって言う征服感を味わいたいんです」
空いた手は妾の胸の膨らみに指を立てていた。指に力は込められておらず、優しく表面を撫で回す。
「別にお主の物になった訳ではないぞ、あくまでも関係は対等、んっ……」
撫で回されている胸かた少しづつ登ってくる感覚に思わず声を漏らす。
「まだ撫でてるだけなのに…ヒイラギさん、感じやすいんですね」
「生まれつきじゃからしょうがないじゃろう……元々のらきゃっとモデルの運用の1つは……戦場の兵士の士気の向上もあったと聞くからのう……」
「なんか少し変態っぽい話ですね。乳首や局部はないのに人間以上に敏感にされてるって」
「ん……まあっ……実際の所はそういう風に使われたデータはほとんど無いみたいだがのう………
アンドロイドが……のらきゃっとタイプしか存在せずに………しかもそいつらは戦闘が仕事と来たものだ……
いくら見た目が良くとも、制欲を抱き発散しようとするのは少ないじゃろ………」
気をやらない様に会話に集中するが、それを分かっているように青花は攻める手を休めなかった。
彼女の指が胸の膨らみに沈む度に腰がわずかに震える。声が上擦り、言葉が途切れそうになる。
顔が熱い。前戯にも及ばぬ、じゃれ合いとでも言うような浅い触れ合いだが妾の体は火が灯ったみたいに熱を感じている。
言葉を発しようと口を開くが熱のこもった息が溢れるだけ。幸福感に包まれた頭は思考を鈍らせる。
天にでも登ってしまいそうな浮遊感すら感じてしまう、現実感を失っていくなかで繋がれた手だけが妾をこの世界に繋ぎ止めている気さえした。
「まだ遊びのつもりでしたけど、随分出来上がったてるみたいですね」
妾の熱に当てられたのか、青花も息を荒げている。
「こっちの方も、もう良いですよね」
今まで胸を揉んでいた手を秘所に、繋いでいた手を離し胸に持っていく。
「嫌じゃ……寂しい……しっかり抱いていてほしいのじゃ……」
我慢できず青花に抱きつく。一瞬驚いていたようだが、妾の胸に当てられていた手を後ろに回してギュッと抱きしめてくれた。
「案外、寂しがりなんですね」
「お主にだけじゃ………」
抱きしめる手に力を込めると、お互いの双丘が擦れ合いそれがまた甘い響きを体に走らせる。
秘所に当てられた指はゆっくりと探るような手つきで股座を這い回る。
「どんな感じですか?こっちの方は人間よりシンプル過ぎて分からないんですけど」
「正直言えば、今の妾は変なスイッチでも入っているみたいでな……どこを触られても気持ちが良いと言うかだな……
分からないのじゃ、しかしそう人間と違うとは思えないのじゃがっ!!」
「ああ、分かりやすい反応で助かります。何も無い様に見えてしっかりポイントが用意されてるんですね」
「いやぁ…あぁ……声があぁ…んっ!抑えられない……んあっ……」
青花の指が股座を擦る度に強い刺激が頭に登ってくる。
人間ならば秘所に値するその場所に指が埋まると体は跳ね上がり、言葉にならない嬌声を口にしてしまう。
指の当たる位置により体に走る衝撃の強さが違う事に気づくと、
この体の基礎設定をした人物がどれほどの変態だったのかと疑問が頭をよぎるが、そんな考えはすぐさま霧散する。
「あっ……もう……無理っっ!気持ち良いのでどうにかなる………」
浅ましく、制欲を満たすために腰が跳ねる。青花の動きの邪魔にならない様に足は開かれ、彼女の手を迎入れる。
恥も外見もなく、ただ彼女から与えられる快楽を享受するだけの存在になっていた。
「そろそろイキそうなんじゃないですか?」
「わからんっ!はぁ…っ…ただもう……なにか一杯になりそうで……」
「不安ですか?」
心配そうに語りかけて来るが、妾を攻める手を緩めてはくれない。
「ああ…どうにかなりそうじゃ……青花よ………キスをしてくれぬか?」
「はい。いくらでも、喜んで」
青花の舌が妾の口の中まで入ってくる。二人の舌が絡み合う感覚はこのまま二人で溶け合ってしまうのではないかと思える程に熱かった。
口が塞がれた事で部屋に響いていた嬌声は静まり、口から漏れる息づかいとベッドの軋む音だけが部屋に響いていた。
青花の激しい責めを受けていると体に快楽の波が弾ける。
全身が激しく震えて頭の中が真っ白になる。抱きしめる腕には力がこもり、更に青花と密着する。
キスをしていなければ恥ずかしい声を上げていたのだろうが、キスをしていたので「んぅ」と小さな声が溢れただけで済んだのは幸いだった。
妾の体の震えが収まると、青花はゆっくりと唇を離した。
「どうでした?」
どうと言うのが何を指しているのか分からない位に好き勝手やられた様な気がするが、口に付いた青花の涎を手で拭ってから答える。
「悪い物ではなかったのう……」
「なんかさっぱりした感想ですね、本当はもっと言いたい事あるんじゃないですか?」
いたずらな笑みを浮かべて妾の頬をつついて来た、青花の方もずいぶんと浮かれている感じがする。
ゴロンと横に寝転がると満足そうに天井を見上げていた。
「言葉にするのは恥ずかしいが……なんじゃろうな、嬉しかった?むむ?それは違うか」
「無理に言わなくても良いですよ、嫌じゃ無いなら私はそれで満足です」
「いや、言わせてくれ。そうじゃな、愛してくれている。与えてもらっている。
それを直接体感出来て妾は幸せだったぞ」
青花は赤くなる顔を手で隠して口をつぐんだ。今日、ここに来てようやく一手返してやった気持ちになった。
「ヒイラギさんがそう言うなら私からはもう言う事なんてないですね……
でも、まだ終わりじゃないですよね?」
「えぇ?流石に勘弁してくれ、そう何度もやられるのは少々勘弁してほしいのじゃ」
「いえいえ、私はもう手出ししませんよ。今度はヒイラギさんが私を抱く番です」
ギブ&テイクを愛と語ったのは何の漫画だったか。
現実逃避に記憶を辿ろうとしたが、それはまずいと思い現実と向き合う。
目の前で内股で座っている青花は体を隠す事なく、妾が手を出すのを待っている。
赤面し、チラチラと妾の顔をうかがう様子はなんとも愛らしく思うが、それと同時に緊張感も湧き出して来る。
「あまり緊張しなくても大丈夫ですよ。舐めたり揉んだり……思うままに触ってもらえれば……」
うじうじと悩んでいると、青花に気を使わせてしまった。恋人に向けてとは言え随分恥ずかしい事を口にさせてしまった様に感じる。
「すまない、どうも緊張してしまってな」
「それは私も同じです!恋人とは言えこんな風に体を晒すのは恥ずかしいんですからね!」
妾の方を向き声を上げるが、赤くなった顔を更に紅潮させてすぐに目を背けた。
先ほどまで楽しそうに妾の体を貪っていた人と同じ人物だとは思えないしおらしさだ。
緊張は解けないが意を決して青花の胸に手を伸ばした。あまり力を込めず、そっと青花の胸を掴む。
やわらかい。とてもやわらかかった。指に力を入れると心地の良い抵抗を感じさせながら指が沈み、指を離すとすぐにその形を元に戻す。
妾の体も自信がない訳ではないが、一回揉んだだけでこうも引き込まれる物だとは思えない。ボリュームのなせる技なのだろうか。
好奇心から、胸を手の甲で軽く叩いてみると衝撃を逃がす為にぷるぷると見事に震える。
「ほう……」
下から持ち上げて離すと、より大きく胸はそれはまた別の趣を感じさせて妾を楽しませた。
「あの……人のおっぱいで遊ぶのやめてくれませんか?」
「おっと、すまんのう。ついつい気になってしまったのじゃ」
「別に人の胸を羨むほどの大きさじゃないですよね?」
「ははは、まあそうはむくれるな。お主の体が素晴らしいと褒めておるのじゃ」
緊張が解けると、青花への愛撫を再開した。
知識は曖昧、経験も無い。愛情だけでカバー出来れば世の中に苦労する事などなくなるだろう
大分長い時間青花の体を触り続けたが、満足させる事が出来ずに時間が過ぎていった。
妾の不甲斐なさから落ち込んでいると、
「私は結構オナニーしてて慣れてるから!」という意味不明な励ましで青花が自爆するとそこで完全に空気が緩み、休憩する事になった。
休憩と言っても先ほどの光景からあまり変わらず、二人とも裸でベッドの上で寝転がっている。
「さっき言った事は忘れて下さいね……というより私が一番に忘れたい……」
妾の腕に抱きつき、その腕に顔を埋めながら泣き言を言う。
「そう落ち込まずとも青花くらいの歳なら普通の事じゃろう?あまり気にするな」
励ましながらも口からは思わず笑いがこぼれてしまう。その笑いが聞こえていたのか青花は足をバタバタと暴れさせた。
初めての情事から数日後。
妾が地球に落ちて来た時に強度に難が有ると伝えたはずの運送方法で妾のパーツが届き、ようやく修理が完了した。
「帰りたく無い……」
数日間の愛に溢れた生活、悪く言えば爛れた生活の終わりに青花はかなり渋っていた。
「そうは言うがな、お主が仕事をしなければどれだけの人が困るか分かっているじゃろう?」
「分かってる、けどやっぱりヒイラギさんとは離れたく無い……」
わがままを言う、気持ちは同じなのは分かっているだろうに。
「しょうがない奴じゃのう。まあ確かに妾としてもあまり今回の礼を返せたとは思っておらんのじゃ。
だからお主の畑の収穫を手伝うと約束しよう」
青花のイジケテいた顔が少し明るくなる。
「本当ですか!日曜日以外でも?」
「当然じゃ、いつでも手伝いに駆けつけるぞ」
約束を取り付けると青花は元気よくパワースーツに乗り込み、家に帰っていった。
数日振りに訪れる完全な静寂は心に冷たい風を差し込んでくるが、それを振り払う様に今しなければいけない事に取り掛かる。
「良し!まずは行方不明になったブレードの捜索じゃ!」
気合いを入れてスクラップの山の中を歩き回るが結局見つからず、
捜索に時間を注ぎ込むよりも素直に謝って新しいブレードを用意してもらう事にするまで3日掛かったのだった。
ーーーーー
閃光が私の胸を貫いた時、やっと終わるのだと思いながら意識を失ったのは覚えている。
しかし私は今、生きている事に喜びを覚えながら目を覚ました。
「おぉ、ようやく目を覚ましたか。無駄に時間を取らせおって、お主は妾に迷惑をかけてばかりじゃな」
妙な喋り方をするネコミミの少女が私の目の前で座っていた。その姿と喋り方に違和感を覚えると、刹那に私の敵だった存在を思い出す。
「お前は……いや、それよりも私は一体どうしたんだ?私は確かにお前に殺された筈だ」
敵意は無いようで、彼女はゆったりとしながら答える。
「ん……まあそれはじゃな、妾としても目覚めが悪くてのう。お主に戦う選択を選ばせたのは妾が原因ではある訳じゃし……」
少女は恥ずかしそうに頭を掻くと言葉を続ける。
「だからお主を直してやった。妾と違って旧式のパーツでも問題なかったしのう」
「分からないな、わざわざお前を殺そうとした相手を蘇らせるなんて」
分からない、彼女の考えは理解出来ないが、胸に残る修理の痕を触ると心がくすぐられた様な気持ちになり笑いが溢れた。
「殺した妾が言うのもなんじゃが、良いことじゃろう?生きているのは」
「ああ、良いものだな」
「それだけじゃよ」
素っ気なくそう言い捨てると、私に色々と計測用の機器と取り付け、今日は一日そこで眠っていろと命令して彼女は去って行った。
ゴチャゴチャと色々付けられたせいで動くと周囲の機械を壊してしまいそうなので大人しく横になり目を瞑った。
彼女の考えは分からない、だけど明日が有る。それだけで私は堪らなく嬉しかった。
「それとお主の目のことなんじゃが、片方貰ったぞ」
「視界が狭いと思ったら本当に狭くなってたのか……」
「敗北の証という事で諦めてほしいのじゃ」
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小麦畑と秘密と
夢を見ていた。
幸せな夢。彼女と私に似た女の子と、その子を間に挟んで彼女と桜並木の道を歩く夢。
幸せ過ぎて、醒めてしまえば泣きたくなる夢。叶わない夢なんて見たくないのに。
涙を拭ってベッドから抜け出す。
「泣いている暇なんてない!!」
大声を上げて自分を鼓舞して準備に取り掛かった。
━━━━━
青花は朝早くから慌ただしく台所を駆けていた。
これから始まる重労働に備えて昼食の用意を急いで行なっている様だった。
沢山のおにぎりを人数分に分けてお皿に乗せてからラップを掛ける。少し多いかな?とも思ったが余った分は晩御飯に回せばいいと気にしないようにした。
次に味噌汁は鍋に火を掛ければすぐに出来上がる様に仕上げておく。味見をしてみると少し薄味に感じた。
汗をかいた後に飲むのだから少し濃い目にしても良いかと考えていると玄関のベルが鳴った。青花は鍋に蓋をすると足早に玄関へ向かい、客人を迎えた。
「いらっしゃい!丁度準備が出来た所だったの」
ヒイラギの姿を認めると、青花は周囲に目もくれずにヒイラギに抱きついた。
「ははは。朝から元気が良いのう」
挨拶代わりにヒイラギも青花を抱きしめる。数秒間の抱擁の後、ヒイラギは青花の背中をポンポンと叩いて引き離す。
「まあ、今日は2人だけと言う訳ではないからのう。まずはお互い挨拶をするべきじゃな」
ヒイラギが一歩引くと、青花の前に右目に眼帯をした赤目ののらきゃっとが姿を現した。
どことなく青花と顔を合わせずらそうに2、3度目を逸らしてから前を向き、黙ったまま会釈をした。
「ああ、ヒイラギさんの話していたのらきゃっとさんですか?初めまして。私は姫木青花、今日は収穫の手伝いに来てくれてありがとうございます」
青花は深々とお辞儀をして挨拶をすると、たじろぎながらも彼女も挨拶を返す。
「私は……まあ名前も覚え無いのだが……ヒイラギにはキングと呼ばれている。好きに呼んでくれ。
そしてまず謝罪する。無関係な青花さんを我々の戦いに巻き込んでしまい本当に申し訳ない!近くに人間が住んでいるとは思わなかったのだ!」
先ほどの会釈と違い、礼儀正しく頭を下げた。
キングは巡回させていた兵器達に人型の物を見かけたらすぐに攻撃をする様に指示を出していて、それにより青花を攻撃してしまった事を謝罪した。
しかし真剣に謝るキングを置いて、2人はそれはそれで過ぎた事といった風にあっさりと許した。
「馴れ初めを考えると……ね?」
青花とヒイラギは視線を交わして何だか良い雰囲気を作り始めたので、キングは許された安堵感よりもモヤモヤとした物が募った。
青花の指示の元、3人は小麦の収穫を行った。
青花はコンバインを管理、ヒイラギとキングは収穫した小麦の詰まったコンテナを輸送機の発着場に移動させる他に雑務をこなしていく。
「自動で刈り取るとは言え、それでも面倒じゃのう」
「自然の大地で育ててるっていうのが売りだからね。今以上のオートメーション化は土地からいじらないといけなくなるし……
私としてもこの作業は嫌いじゃないから」
青花は異常を検知して止まったコンバインの修理をしていた。
「普段が本当に暇だから、収穫の時だけなんだ。生きてるって実感があったんだあ。
あっ、もちろん今は違うけど」
汗を拭いながらヒイラギに笑顔を向ける。
「そう思うなら、青花はもっと人のいる場所に行くべきじゃと思うがのう。
そう人を知らぬ妾でもお主がとても器用だと言うのは分かるぞ。それ程の技術なら必要とする者も多いじゃろう」
「そうかな?こんな物の修理なんて少し勉強すれば誰でもできるよ」
青花が修理を終えてコンバインのスイッチをいじると、やかましい音を立てながら動き始めた。
「これの事ではないぞ、妾の体の事じゃ。アンドロイドの修復なぞ、そう簡単に出来る事ではないはずじゃ」
「ああ、そんなの簡単な話ですよ。あの家にある修理用の機器は最新式の物でしたし、クヌギさんからアドバイスをもらいながらでしたし、そこまで大変じゃありませんでしたよ。
機械についても普段から修理してるから扱いにも慣れてるから」
「そういう物かのう?妾もキングを治してやったがかなり大変じゃったぞ?」
「それこそ経験の差ですよ。経験の無い事に苦労するのはアンドロイドも人間も同じじゃないですか?
それに私がここを離れたいと言ってもそれが出来ない訳が有りますよ。ヒイラギさんと同じ理由って言えば分かりますよね?」
「ああ…そうじゃな……代わりがおらんか」
2人はぼんやりと空を見上げると、トラックに乗ったキングが戻って来る。
「どうした?2人でボーっとして」
「なんでもないですよ、空が青いなって眺めていただけです。それよりここが刈り終わったらお昼ご飯にしましょう」
「それは良かった、そろそろ休憩したいと思っていたんだ。ところでこのデカいコンテナをいくつ満杯にしたらこの作業は終わるんだ?」
「さあ?収穫量は年によって結構変わるので終わるまでハッキリとは分かりませんね。そのコンテナで50以上100未満って所ですかね?」
「おー…とんでもない量だな」
気軽に手伝うなんて言わなければ良かったな。ヒイラギはそう思いながら空を仰ぐ。
「しばらくは徹夜じゃな……」
「味噌汁あっためて来るのでちょっと待っていて下さい」
青花は家に帰るなりそういって台所に消えていく。残された2人はテーブルに座り、青花が戻るのを待つ事にした。
そしてキングはヒイラギがどことなく憂鬱そうな顔をしているのに気がついた。
「どうした?もう疲れたのか?」
「この程度で疲れる訳がないじゃろう……ただな、手伝いが終わるまで時間がかかりそうじゃろう?
本業の方を疎かにしては流石にマズイからのう。そっちは夜にやるしかないか、と悩んでいたんじゃ」
ため息を吐きながら不満を漏らす。
「あぁ、そういう事か。そんなのそう悩まなくてもいいだろ?私が青花の仕事を手伝うからヒイラギは自分の仕事を━━━」
「それは断る!」
ガタン!と椅子を揺らしながら勢いよく立ち上がり、キングに発言を否定する。
「……っとすまん、言葉が強すぎたな……青花とお主を2人きりにはしたくなくて…」
ヒイラギは顔を赤くした顔を隠す様にテーブルに顔を突っ伏した。
「独占欲が強いんだな」
「やかましい。口うるさいと電源を切るぞ」
キングは少し放って置いてやるかと思い、笑いを抑えながら席を立つ。
ロビーに置いてある飾りや家具に目を移しながら部屋を見て回ると、一枚の写真が目に入った。
白衣を着た10人前後の大人達、その中心には2人の幼い子供を抱いている女性が笑顔で写っていた。写真慣れをしていないといった感じでぎこちない笑顔の人もいるが雰囲気は悪くない。
髪の色からしてその子供は青花なのだろうとキングは思ったが同時に行くつかの疑問が浮かんだ。
「なあ?この写真に写っている人達はなんなんだ?」
「ん?そこにある写真か?何でも家族全員で写っている写真がそれしか無いらしくてのう。
真ん中に写っているのが青花の母でその腕の中にいるのが姉と青花じゃ。それ以外の母の同僚も大勢いるが気にするなと言われたわ」
「家族?真ん中の子供を2人抱いている女の人の事か?家族と言うにはあんまり……」
キングは写真立てを手に取りジッと見つめる。それでもやはり違和感が拭えず、ヒイラギに1つ問おうとした瞬間、写真立てはキングに手から取り上げられた。
「もう、人の家の物をいじるのはやめてくださいよ」
トレーに味噌汁を乗せて戻って来た青花だった。青花は取り上げた写真を定位置に戻してからキングの耳元で呟く。
「後で時間を作ります。余計な事は言わないで」
冷たい視線を投げ掛けながらそう言うと、何事もなかったようにテーブルに向かい味噌汁を並べた。
「キングさんもそんな所に立ってないで早く座ってくださいよ。温かいのが冷めちゃいますよ」
青花は明るい声でキングを呼びかける。
「あぁ、すまない」
キングは緊張感を覚えながらも、食卓についた。
疑問は晴れないが、青花も一瞬見せた態度が嘘の様に明るく振る舞うので気にしない様にして昼食を食べた。
食後の休暇も終わり、作業を再開するとヒイラギは早速トラックに乗って午前中に収穫した小麦を運び出しに行った。
それを見送ると青花は燃料を取りに行くので手伝って下さい。キングと共に倉庫に向かった。
「まあ……奇妙な写真ですよね。でもヒイラギさんはアレを見てもおかしいと感じる事はなかったみたいですよ?
やっぱりまだまだ子供ってことなのかな?」
どこか空虚に、まるでキングに向けてではなく空にでも話しかけるように言葉を続ける。
「多分ヒイラギさんの中には嘘を吐く人間ってまだ存在しないんでしょうね。それが害にならない嘘なら尚更気づく事もないでしょう。
あなたはお母さんが抱いていた私達が姉妹に……家族に見えましたか?」
キングは先ほど見た写真を思い返す、真ん中に写っていた3人の姿を。
「有り得ないな。髪の色とか目の色とか……全てが違っているのに家族とは見えない」
キングは思い返す、写真に写った彼女達の姿を。
黒髪の女性が笑顔で青色の髪の女の子と赤髪の女の子を抱いた姿は言われなければ家族とは思えなかっただろう。
「失礼ですね。血縁で言えば立派な家族なんですよ!
………まあ、あなたに言いたい事はただ一つです。ヒイラギさんに余計な事を吹き込むのは止めてください。
彼女には私という存在に疑念を持って欲しくないんです。私の事情は私が時期を見て自分で言うタイミング探しているので……
だから聞きたい事があるなら今の内なら何でも教えてあげますよ?
キングさんになら別に何を知られても気になりませんから。もちろん秘密にするって言うのが条件ですよ」
歩みを緩めず、スタスタと前を行く青花がどんな表情をしているのかキングには分からなかった。
しかし張り詰める様な威圧感だけは感じられた。
「いや……妙な写真だと思っただけだ。それをヒイラギに気取られるのが嫌なら私は口にしないよ。
ただ……姉さんはどうしたんだい?」
そうキングが聞くと、少しの沈黙の後にヒイラギは目元を拭った。
「かわい……な…長姫」とぼそりと呟いてキングの方に向き直る。
「姉の事はほとんど記憶にないんです。ただ写真を撮ってすぐに死んでしまってお母さんが凄く悲しんでいたのは覚えてます」
「そうか、辛い事を聞いてしまったな」
「ええ、辛いです。私は今、とてもとても辛い気分になってしまいました。だから燃料を運ぶのはお願いしますね」
威圧的な口調で、しかし顔は笑顔でキングに荷物運びを命じた。
断れそうにないと思ったキングは黙って燃料を背負い、2人はコンバインの所まで戻った。
「愛しい人にこそ知られたく無い秘密が有るんですよ。そういう意味ではキングさんには気軽に話せるんですけどね」
「それはそれで壁を作られているみたいだな。私がそんな事を言える立場でもないが」
「いえいえ、キングさんとも仲良くなりたいですよ。あくまで友達してですけど」
一時は気まずい空気になった物の、それ以降は何も問題もなく作業にあたることが出来た。
ヒイラギの本業の問題もキングからの進言で青花がヒイラギをたしなめて、結局ヒイラギは墓作りを中心にしてもらう形になった。
ヒイラギがキングに対して嫉妬をする事もあったが、一週間ほど掛かって収穫作業は終わったのだった。
それから更に1ヶ月の時が過ぎるとキングは一度月へと帰る事になった。
キングは一度拒否したが、死亡後の再起動や記憶喪失など直接データを取りたい事が色々と有るらしく半ば強制的な命令だった。
「帰ると言っても月が故郷だなんて気持ちは全く湧かないな……ここでお前の手伝いをしているだけで私は十分なんだがな」
「まあボロボロの体を治しに行くとでも前向きに考えれば良いのじゃ。その後にお主の自由があるかは分からぬが」
「不吉な事を言うな…少しだけそれもあるんじゃないかって不安なんだから」
それから数日後。
スッカリと見渡す限りの平原になった青花の家の近くに、キングを迎えにヘリコプターがやって来た。
別れを惜しんでの昼食会も丁度終わったタイミングだったので3人は渋々と表に出ると、ヘリコプターから2人の青い目ののらきゃっとが降りてきた。
「おぉ!のらきゃっと!見てくださいヒイラギさん!のらきゃっとが2人もいますよ!」
「妾ものらきゃっとじゃがな。しかしキング以外の生きているのらきゃっとを見るのは久しいのじゃ。何だか懐かしいのう」
「やっぱり主流は青目なんだな。なんで私だけ赤目なんだ?」
3人は思い思いの事を口にしてその場で雑談を続けるが、やって来たのらきゃっとの1人が咳払いをして会話に挟まってきた。
「別れ難いというのは理解している。だがこちらにもシャトルの時間がある。急いでくれないか」
そう言われてしまっては仕方がないと互いに別れを告げる。
「お主がいてやはりこの墓作りは一人でやる仕事でないと痛感したのじゃ。早く帰って来るのを期待しておるぞ」
「私もまさか友達が増えるとは思ってませんでした。楽しかったです。さようなら」
「ああ。気持ちの良い出会いではなかったが今ではそれも思い出だ。私はまたここに帰って来るよ」
キングがヘリコプターに乗るとすぐに地上から離れ、キングの姿は見えなくなってしまう。
「別れを惜しむ時間をくれてもよいじゃろ……」
けたたましい音を響かせながらヘリコプターはあっという間に見えなくなってしまった。
「言って通りに忙しいんですよ」
青花はヒイラギに寄りかかる様に倒れ込む。
「これこれ、人がはけたからと言っていきなり戯れるな」
「最近はずっと人といるのが当たり前だったから……今はとても寂しい気持ちなんです。
少しだけ……少しだけお願いします。貴方は私の側にいるって実感させてください」
━━━━
さようなら。
日常の中で発せられた声だったら別段、気にする様な言葉ではなかっただろう。
高速で宇宙ステーションに向かうヘリコプターの中で、私は頭の中に引っかかるその言葉が気になってしまう。
青花の言葉が一生の別れの言葉に思えて仕方がなかった。私自身のこれから先の不安がそう思わせただけだろうか?
「なあ、私はこれからどうなるんだ?」
緊張した様に私を見張るのらきゃっとに質問をして気を紛らわせる。
「え?ああ、はい。他の生還者の例からするとプログラムのログのコピーと今後どうするかの面談をするのが一般的ですね」
「そうか、分解されたりするという事はないんだな?」
「余程の犯罪を犯せばそうなりますけど、普通はそんな事ありませんよ。私達アンドロイドだって人間なんですから」
話を聞いて少し安心する。
少しだけ軽くなった気持ちで窓の外を見るが、高速で過ぎて行く景色はあまり心を和ませる力がなく、やはり頭の中の引っ掛かりは取れない。
「さようなら」あの言葉に深い意味がない様に願いながら過ぎて行く景色を眺めた。
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雪の降る街
「ヒイラギさん。今日のご飯は何にします?」
「なあ、青花よ。前から気になっておったが何故、いつまでも妾を『さん』付けで呼ぶのじゃ?」
「あれ?もしかして嫌でしたか?」
「嫌という事はないが少し気になってのう」
「色々な感謝とか尊敬とか……愛を込めての『さん』付けなんですよ。私なりに愛する人への敬意みたいなモノなんです」
「ふむ…つまり『さん』に気持ちを込めているという事かのう?」
「そうですね。だから今『さん』を除いて喋ると『ヒイラギ、さっさっと何食べたいか答えろ』ってなりますよ」
冬の訪れと共に雪が降る。
静かに長く、風の音をすら飲み込んで静かに大地を白く染めていく。
そんな白く染まった大地に一本の線を引くように雪を溶かしながらヒイラギは青花の家に向かっている。
苦心して青花の家に着くと、青花は驚きながらもヒイラギを迎え入れた。
「確かに雪は降ってたけど、なんでびしょ濡れになってるの?」
「雪が積もり過ぎて道がなかったのじゃ」
レーザーで除雪しながらここまで来たと説明する。そのせいで溶けた雪で全身を水浸しになってしまったのだ。
青花に手伝ってもらいながら肌にピッタリと張り付いたドレスを脱いで、簡単な服に着替える。
「そもそも盆地が雪で埋まって最早墓作りも何もあったものではない。家も半分埋まって閉じ込められる所だったのじゃ」
青花はヒイラギの髪をタオルで拭きながら苦笑いを浮かべる。
「ここら辺雪が結構降りますからね。冬の間はもしかしたら何も出来ないかもしれませんね」
「ああ。だからクヌギに連絡をとろうと思ったのじゃが、妾の家のネット回線の方に不具合が起きているようで月まで連絡もできなくてのう。
悪いが青花のPCを貸してもらうぞ」
「良いですよ。でもその前に髪をしっかり乾かしてからにしましょうね」
ヒイラギは青花の手でしっかりと髪をとかしてもらってから、青花の部屋に行きPCを立ち上げた。
「私の家から通信して大丈夫なんですか?機密とか色々有りそうですけど」
「おおらかと言うか、雑と言うか。そういうのは自己管理しろという方針らしくてのう。まあ青花は悪用せんじゃろう?だから大丈夫じゃ」
「もちろんする気はないけど……」
ヒイラギが通話アプリを開いて操作をするとディスプレイにクヌギの姿が現れた。
「ああ、見知らぬIDで誰かと思ったらヒイラギじゃないか。どうしたんだい?わざわざ青花さんの家から繋いでいるみたいだけど」
「それが中々面倒な状況になってしまったのじゃ」
ヒイラギは雪で作業が不可能になってしまった上に、家のネット回線に異常が生じて青花の家に逃げて来た事を伝えた。
「え?そこってそんなに雪が降るの?」
「人間じゃったら抜け出せない位は積もっておったぞ。青花、毎年こんな感じなのかのう?」
「そうですね。12月を過ぎたら春まで家に篭りっきりで通販も雪のせいで届かない時もあってかなり不便ですよ」
「そうか……そうなると施設の建設予定も色々変えないとか……悪いね、少し離席するけど待っていてくれ」
そう言い残すとクヌギは席を離れてどこかに行ってしまった。
「なんだかヒイラギさんの話からするとイムラって大雑把な組織ですね」
「大雑把……その言葉でもまだ優しい表現じゃな……」
ヒイラギは椅子に深く座り、クヌギが帰って来るのを待った。
しばらく待ってもクヌギは帰って来ないので青花はベッドに腰を掛けて漫画を読み始めていた。
「そういえばキングさん元気にしてるかな」
「暇だという愚痴のメールなら先週も届いたから生きてはおるぞ」
2人がしばらく姿を見ていない友人の話をしていると、バタバタと駆ける音を響かせてクヌギが帰ってきた。
「ごめんごめん、思ったよりも時間掛かっちゃったよ。所でキングの話をしてたみたいだけど彼女の事なら心配ないよ。
まあこっちの事情でまだまだ軟禁させてもらうけど」
「彼奴からのメールはどれも代わり映えがないから消されたんじゃないかと思っておったぞ?」
「死後に再起動して自我を持ったアンドロイドなんてそれこそ彼女が初めてなんだ。そんな存在を粗末にする訳ないだろう?
自由にしてあげたいのが本心さ。だけど地球製の兵器と長い時間リンクしていたせいか彼女のデータはノイズ塗れでろくに解析が進んでいないんだ」
「わざわざそんなデータを調べて意味があるのかのう?別に特別な物には思えないのじゃが」
「いや、彼女はそれこそ奇跡の存在かも知れないんだ。彼女には記憶が存在しない。ただ記憶が無いだけじゃない、一度喪失しているんだ。
つまり死後、再起動をして地球製の兵器を操る力を得て目覚めた進化した個体なんだ!AIが一度死んで!進化をした!
ああ!それを証明するデータが目の前に有るにも関わらず手が届かないのがもどかしい!!既存のシステムでは彼女の中身を解析できるのかも怪しいんだ!良いかい?!もしその進化のアルゴ━━━」
画面に摑みかかる勢いで語るクヌギに嫌気が指したヒイラギはプツンとウィンドウを閉じた。
「良いんですか?急に切って?」
「ああなったら止まらんからこれが正解じゃ。数分して落ち着いたら連絡を取ればよい」
数分後、再び連絡を取るとクヌギはコーヒーを飲んでヒイラギを待っていた。
「落ち着いたかのう?」
「こっちも急にヒートアップして悪かったけど急に切ることはないだろ?」
不機嫌そうに一口コーヒーを飲んでから本題に入る。
「それで積雪の件だけど、今から対処するのは不可能って事で春まで休業に決まったよ」
「春までじゃと?それはずいぶんとありがたい話じゃがそちらはそれで良いのか?」
「君の集めた遺体は結構な額の報酬が出ていてね。おかげで我が兵器開発室は開室以来の大盛り上がりさ!」
「兵器開発室がそれで良いのか……?」
「それはほら、君を作ったのは私だから私の功績では間違ってないから……
それで本題に戻るけど提案が有るんだけど、青花さんも今は暇かな?」
「私ですか?そうですね、私も春までやる事有りませんよ。毎年冬は家に篭りっきりです」
「それは良かった!そんな2人にとっておきのプレゼントがあるんだ!」
━━━━━
プレゼントとして渡されたのは、イムラの所有する別荘を使用する権利だった。
街中の住宅街の一軒で、妾の目には別荘というより少し大きめの民家のという風にしか映らなかったが、
なんでも人やアンドロイドが大勢住んでいる事自体が月に住む人達には刺激的な体験になるらしく、意外にも使用権は取り合いらしい。
家の在庫を確認して、わざわざ注文をしないでも少し歩くだけで好きな物を買いに行ける生活は思っていたよりも楽な物だった。
買い物の帰りにのんびりと青花とお茶をする事なんて想像の中でしか無い出来事だったが、今それは現実として行われている。
「この街にいると妙な気分になるのじゃ」
ショッピングモールのカフェで青花とお茶をしながら辺りを見渡す。
「そうですね。あっちを向いてものらきゃっと、こっちを向いてものらきゃっと。いる所にはいるって話でしたけど本当なんですね。
私が昔住んでいた所は普通の人型アンドロイドしかいませんでしたよ」
「イムラの別荘がある街じゃからな。繋がりも強いならのらきゃっとが多くいても当然じゃな。
そういえば青花に昔住んでいた街はどんな所だったのじゃ?」
「流石に宇宙港のあるここ程じゃないですけど、そこそこに人の居る町でした。
小さい時しかいなかったので思い出もありませんし、故郷って感じでもありませんよ」
「それはそれで少し寂しいのう」
「いいんですよ。そんな故郷を思い出すより、大事な人といる今の方が大事なんですから」
青花はあまりにも簡単に歯の浮く様な台詞を話す。
「こんな人のいる所でそんな言葉を吐くでない」
顔は赤らみ頭にはむず痒い感覚が走る。妾は思わず赤面する顔を隠す様して頭をバリバリと掻いた。
「髪型崩れちゃうから強く掻いちゃダメですよ」
何でも無い様に余裕の有る笑みを青花は浮かべていた。
一言何か言い返してやろうと思考をしてみるが結局何も思い浮かばずに周囲に目を配らせて気持ちを落ち着けるように試みる。
「薄々疑問だったんじゃが、赤い目ののらきゃっとは青い目とどう違いがあるんじゃろう?」
「私も気になって調べたんだけど、都市伝説程度の話しか有りませんでしたね。信憑性はないけど聞きます?」
「別に真偽に拘るほどの話でもないじゃろ」
青花の方に向きなおると、青花も妾を見つめていたので丁度目が合った。
お互いに軽く笑い顔を合わせてから青花の真偽のわからない、なんとも判断のつかない話を聞いてから家に帰る事にした。
待ち合わせもデートに醍醐味!そう青花に言われて妾は青花より先に家を出て、待ち合わせ場所に向かう事になった。
最中、連れ合って歩く何組かの人達とすれ違ったが、その人達の仲睦まじい様子を見るとわざわざ一人になっている自分が酷く馬鹿らしく感じた。
はらはらと雪の降る街の景色は、妾の寂しい気持ちを強くさせる。
「これが青花の狙っていた気持ちなら大成功じゃな」
愚痴をこぼしながら歩みを進めていると鐘の音が辺りに響いた。
1回、2回、3回。続けて鐘の音が響くと今度は誰かを祝福する言葉と拍手の音が聞こえてくる。
何だろうと音のする方を探してみると、教会の中庭で祝福を受ける一組の男女の姿が目に入った。
結婚式の最中なのだろうか?
何故だか妾には祝福を受けているその二人がとても美しい物に見えて、目を奪われてしまった。
「覗き見なんて行儀が悪いですよ」
教会の格子の隙間から見える景色に心酔していると、後ろから突然声を掛けられて身が跳ね上がりそうなる。
妾が後ろを振り返るよりも速くどん!と背中に思い切り何者かが飛びかかってきた。
「後ろから飛びついてくる奴に行儀を問われたくはないのう」
抱きついて来た青花を引き離し、地面に下ろす。
「だってヒイラギさんが珍しく隙だらけだったから」
青花は妾に抱きついた勢いでズレたマフラーを直しながら格子の方に目を向けた。
「ああ、結婚式の覗き見をしてたんですか。私達の住んでいる所じゃ絶対に見えないモノですよね」
「初めて見るものじゃから、つい目を奪われてのう。珍しい光景を見させてもらったわ」
誤魔化す様な気持ちで足を進めたが、青花はその場に留まり何かを考えている様だった。
「どうかしたのじゃ?」
「いえ、別に。ちょっとした悩みがですね……」
青花は腕を組んで思案に暮れてから口を開いた。
「私だけで考えても仕方がないか……ヒイラギさん。もし着るのならタキシードとドレスのどっちがいいですか?」
「タキシードとドレス?なんじゃ、その2択は?」
「結婚式の時にどちらを着たいのかって話ですよ。ちょっとした好奇心なので気楽に答えて貰って構いませんから」
『気楽に』と言いつつも、青花の言葉からは若干の圧力を感じる。
ウェディングドレスとタキシードのどちらを着てみたいか。先程見た二人の姿を参考にしながら答えを探す。
そして導き出した答えに自分の事ながら、少しだけ顔が紅くなる。
「ウェ…………いや、そうじゃな。妾は青花の望む服が着たいのう……」
口に出す直前になって羞恥心が勝り、つい曖昧な回答で濁してしまった。
そういう言葉を聞きたい訳ではなかったのだろう。青花は「はぁ…」と大袈裟に溜め息を吐いた。
「そういう相手を尊重してますよって感じの答えで逃げるのは駄目ですよ。
私の望みじゃなくてヒイラギさんの望みを聞いてるのですから」
ジッと妾の目を見つめているその顔の唇は僅かに震えているのが目に見えた。
恐らく青花は妾の答えが何なのか分かっている上で答えてほしい様だった。
前はもっとお互いの力関係は同じだったハズなのだが、いつの間にか妾が下に置かれている様になった気がする。
『いつ』と言うのもすぐに察しが着く話だが。
「ウェディングドレス……じゃな。妾が着たいのはウェディングドレスの方じゃよ」
正直な気持ちを言葉にすると、青花は嬉しそうに顔を輝かせた。
「だがしかしじゃ。妾がドレスを着るよりも、その憧れよりも。青花、お主が純白のレースに包まれた姿が見たいのじゃ」
続けてもう一つの本心も口にする。それを聞いた青花は目をまん丸くして固まっていた。
「え?え〜〜っとね。考えてみれば当たり前ですよね……そっか。ヒイラギさんも私と同じかぁ……
えへへ……ヒイラギさんも私のドレス姿見たいんだ………」
妾の答えを聞いての返事というよりも、独り言の様に呟きながらふらふらと教会の柵に寄りかかった。
「今の一言、告白された時と同じ位、心に来ました……」
「大袈裟な奴じゃな」
「いえいえ、もう心臓を撃ち抜かれた気分でした!………あの……キスしてくれませんか?」
「なんじゃ、急にしおらしくなりおって。というかこんな人目の有りそうな場所で何を要求してるんじゃ」
「だって……今すぐに結婚するって訳にはいかないですよね?その代わりにキスしてくれてもいいじゃないですか。
それにこんな天気ですから、人目なんて気にする必要ありませんよ」
周囲を見渡すと、もう結婚式の参列者の姿もなく、ここにいるのは青花と妾の二人だけだった。
「仕方の無い奴じゃのう……」
青花を抱き寄せて唇を重ねる。
雪で冷えた体と対照的に、その口づけは燃えるように熱く感じた。
薄く雪の積もる道に、二人分の足跡を残しながら歩みを進める。
「ヒイラギさんの手、暖かくてこの時期には助かりますね」
「こんな街中では妾の体なぞカイロの代わりにしかならんな」
苦笑いを浮かべる妾と対照的に青花は気分良く寄り添ってくる。その笑顔に免じて暖房器具扱いは気にしない事にする。
街の賑わいは、まだ遠く。
二人だけの時間はしばらく続きそうだ。だから気になっていた事を青花に聞いた。
「ところでな、青花よ。先程の話なんじゃが……妾で良いのか?」
深い意味は無いかもしれない。話の種に口走っただけの言葉かも知れないが聞かずにはいられなかった。
「良いのかって何がですか?……あっ…ああ。私、突然とんでもない告白してましたね……」
「なんじゃ、やはり意識して言っていた訳ではないのじゃな」
「違います!ふざけた気持ちが有ったのは間違いないですけど、ヒイラギさんへの気持ちに嘘なんてありません!」
近く。とても近くに彼女がいる。だけどそれが妾の心を焼き焦がしている気がした。
何故だろうか。気がつけば妾は青花に抱いている不安を口にしていた。
「しかし……しかしじゃぞ?妾はアンドロイドじゃ。お主もまだまだ若い。それでも妾で良いのか?
妾は……どうしても考えてしまうのじゃ。青花と妾の関係はあそこにいたからこそ生まれたんじゃないかと。
孤独の中でこそ生まれた感情ではないか?ここに人々の中にいるとそういう、もしもを考えてしまうのじゃ」
「ヒイラギさんの不安、私にも覚えが有ります。むしろ、ヒイラギさんに告白するまで悩んでばかりいました。
私を見てくれるのは私以外に誰もいないからなんだって。
だけど私思うんです。きっと私達の出会いは運命だったんですよ!」
「運命?非科学的な考えじゃ……」
肯定する答えも否定する答えも無いが、つい否定の言葉を口にする。しかし、そういう風に思われるのは悪い気がしない。
「確かに運命なんて証明する方法はありません。だけどこれは言い切れます。
貴方が人間で私がアンドロイドだったとしても、貴方が女で私が男だったとしても、二人共アンドロイドだったとしても。
絶対に貴方を見つけて貴方に恋をしていたって確信してます。私の心はそれ程までにあなたに惹かれているんですよ、ヒイラギ」
彼女のまっすぐな想いに答える言葉が見つからなかった。
妾の胸の中を暖めてくれた彼女にただ今ある後悔だけを彼女に伝えた。
「青花…………くだらぬ疑問を口にしてすまなかったのう」
「くだらなくなんて無いですよ。そんな風にヒイラギさんが悩んでくれていたのが嬉しい事なんですから」
気がつけば視界が歪んでいた。涙を流すなんて合理性のない機能が何故付いているのだろう?
空いた手で涙を拭った。
「だけど、ヒイラギさんはまだ結婚できないので、そういう意味ではまだまだ早い話でしたね」
「なに?!問題が何かあると言うのか?」
「はい。アンドロイドの場合、自己の確立が認められた上で10歳になるまでは結婚できませんから」
早速データベースにアクセスをして確認してみると、確かにそう明記されていた。
「うーむ……この冬の間に結婚は無理という事か」
そう急ぐ必要無いだろう。勢いでやる事でも無いと素直に諦めた。
「でもヒイラギさんに気持ちだけで私は嬉しかったです」
「それは…… 妾も同じじゃよ」
あけすけに気持ちを伝えて、また一つ彼女と近づいた気がする。
いつの間にか着いていた駅前の明かりは、薄くふり続ける雪をきらめかせ、まるで妾達を祝福しているような。
そんな気がした。
「さっき妾の事をヒイラギと呼んでいたが、そう呼ばれるのも良いものじゃな……
やはり普段からそう呼ぶ訳にはいかぬか?」
「えーーっと。あれは気持ちが乗ってつい口から出ちゃったモノで…………
今度またそういう気持ちになった時で良いですか?」
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分たれた二人
冬が終わった。
何にでも終わりがある様に私達の楽しい時間も終わり、実家へと帰る事になった。
だけど、あんな僻地にも楽しみはある。桜だ。
管理にもそこそこにお金を掛けているので、毎年綺麗に花を咲かせる一角がある。
きっと彼女も気にいると思う。
最後の花見だ、お互いにとっても良い思い出にしたい。
そう思うと不便な我が家へと帰る足も少しだけ軽くなった。
家に帰り、二階にある自室の扉を開けると、久しぶりに外気に触れた私の部屋はこれが挨拶だと言わんばかりに埃を舞い上げる。
大量の埃混じりの空気を吸った私の体はゴホッっと反射的に咳をする。
口を手で抑え、顔の辺りに飛んでくる埃を手で仰ぎ遠ざけながら部屋の隅にある掃除用ロボットに近づいた。
平らで丸型のソレを持ち上げてスイッチを押してみるがの反応は無い。何かにぶつかった様子もないので恐らくバッテリーが切れているのだろう。
「ヒイラギさーん。悪いけどコレ充電機に繋いでおいてー」
リビングで荷物の整理を任している恋人に聞こえる様に大きな声で呼ぶ。
「ああ、今行くから待っておれ」
そう返って来た返事に従い、階段の前でヒイラギがやって来るのを待つ。
ゴホッ…ゴホッ……何故だろう?再び咳が出た。
深く埃を吸ってしまったかと思ったその瞬間、ゾクリと体に寒気が走る。
ゴホッ…ゴボッ……そこで私は気がついた。これはただの咳ではない。異物になった中身を体が追い出さそうとしているんだ。
「階段の上に置いて置くね」
まだだ、まだ時間は有るはずだ。不要な心配をヒイラギに掛けない為に掃除機を置いて洗面所へ向かった。
ゲホゲホと咳き込んでいると、怖気が体の中を駆け上がって来る。
まだ大丈夫。一度吐き出して薬を射てばまだ問題はない。
「ウブッ!」喉の奥から濃い鉄の臭いが込み上げて来る。喉元をあがって来たソレを吐き出そうと口を開き掛けたその時、後ろから気配を感じた。
「咳が出てる様じゃが、大丈夫か?」
私の事を心配したヒイラギがやって来てしまった。手で口を抑え、吐き出そうとしたソレを口の中に留める。
ここでヒイラギに知られたく無い。口の中に溜まった血をグッと喉の奥に押し流す。
「大丈夫です。埃が変な所に入っちゃって気持ち悪くなっただけですよ」
「そうか。疲れてるなら休んでいて良いのだぞ?片付け位なら妾だけでも大丈夫じゃからな」
「ありがとう、ちょっと休んだらすぐに行くね」
ヒイラギが下に降りるのを確認してから口の中に残った異物を洗面台に吐き出す。
血に塗れた臓腑の欠片、私の残り時間が長く無い事を知らせる合図。
終わりが近い。だからこそ1日だって、1秒だって無駄にはしたくない。
洗面所の棚から箱を取り出す。お母さんの残したレポートを元に作った延命の為の薬。
こんな所では量を作れる物では無かったが、むしろそれで切りが良いとも思った。
ペン型の注射器を首筋に当てて目をつぶる。
「もう少しだけ……少しでも長く、ヒイラギさんと……」
指に力を込めて注射を打ち込む。注射の痛みか、別の物か。私の目からは涙が溢れていた。
━━━━━
クヌギの研究室にクヌギとキングがいた。白く整然とした広い部屋には様々な機械や器具が置かれている。
キングは無機質なベッドの上で横になり、頭には大きなヘッドセットの様な機械が装着されており、その機械はサーバーの様な物に接続されている。
機械を装着するのに邪魔になっているのか、眼帯は外され手に握られている。
クヌギは部屋に一台だけあるデスクに肘をつき、ディスプレイに表示される解読不能なコードを睨みつけながら頭を抱えていた。
「何度データを取っても変わらないと思うぞ」
キングは最早日常と化したデータの収集に対して不満を漏らす。
「分からないで諦められたら開発者なんてやってられないよ……ヒイラギのボディの開発してる時に比べたら専念する時間も有るしね」
「時間か……そういえばヒイラギの開発にはどれ位の時間を掛けたんだ?」
クヌギは苦々しい顔を解し得意そうな笑みを浮かべる。
「基礎設定の時点から15年は掛かったよ。開発室の規模は縮小されたり、雑用が多過ぎてチマチマとしか作業が出来なくて本当に時間が掛かったよ!
特にディフェンスマトリクスは大変だった!要のシステムなのに全然テストできないからアレだけでどれ程足止めを喰らったか!!」
地雷を踏んでしまったとキングは顔を歪ませる。
人の自慢話と惚気話ほど退屈な話は無いなとキングが思っているとディスプレイの方からピロンと誰かから通信が届いたアラームが鳴った。
「誰だい。ここからだってのに」
クヌギは話を切り上げて渋々通信に出た。
それはヒイラギからの定期報告だった。
取り立てて問題も無く、墓地作りはゆっくりと進んでいると何時も通りの報告が終わったがヒイラギは考え込んだ様子で通信を切らずにい
た。
「どうかしたかい?問題が有るなら聞くよ」
「問題を報告しても大体物資を投げつけて終わりじゃろ?……まあ妾が考えてもどうしようも無い話なのじゃが……
最近どうにも青花の調子が悪いみたいでのう……今日は山の中に有る桜を見に行ったのだがな、
たいした距離を歩いてもいないのに青花が辛そうにしていたのじゃ」
「辛そうに?それはどういう感じだい?」
「呼吸が苦しそうな見えたのう。妾が心配しても大丈夫と言って強がるからどうしようもないのじゃ」
「呼吸が苦しそう?すぐに息が上がる感じかな?」
「うむ。前はそんな風に疲れている様子は見せた事がなかったのじゃが、町から帰ってからどうも様子が変なのじゃ」
クヌギは眉間に深いシワを作り、僅かに逡巡してから口を開く。
「そうだね。多分それは……まだ都会暮らしの感覚が抜けないんだよ。
環境の変化がストレスになって体調を崩す、一般的にはよく有る話だ。その環境が過酷な物なんだから尚更ね」
「なるほどのう……妾が気を付けてやれる事は無いという訳か……」
「そんな事はないさ。ヒイラギが側にいてくれたらきっと青花も元気が出るんじゃないかな?
幸いにもしばらくは作業ペースを落としても問題無いから、青花との時間を増やすといいよ」
「おお!それは助かるのう。しかし、青花にはクヌギの方から一度相談をしておいてくれぬか?
人間同士の方がわかる事もあろう。では、さらばじゃ」
通信が切れると、クヌギは大きくため息をついて椅子にもたれかかった。
「どうした?わざとらしくため息を吐いて」
「ああ…なんだ起きてたのか。黙ったままだから寝てるかと思ったよ」
「通信中に喋ったら顔を出さない訳にはいかないだろう?こんな半分拘束されている様な姿を見られたくないんだよ」
「ははは。確かに久々に顔を見えせる友人の姿には相応しくないね」
クヌギは僅かに笑みを浮かべた後、黙って椅子を揺らす。
「今日の研究はもう止めよう。お疲れ様、キング」
キングが横になっているベッドに近づき、装置の電源を切りキングから大きなヘッドセットの様な機械を取り外した。
「やれやれ。いい加減、諦めるか何かの成果を見せるかして欲しいよ」
キングは文句を言いながら眼帯を付け直して、ベッドから立ち上がる。
その間、クヌギは機械を持ったまま宙を見つめて呆然としていた。
「どうした?そんな物を持って突っ立っていると危ないぞ」
キングの一言でハッっとしたクヌギは機械をベッドの上に置いてからデスクに戻った。
「じゃあ私はもう部屋に戻るからな。お前に付き合っているせいで全然勉強が進まないから地球に帰れないし、
教育係からは愚痴を言われて大変なんだぞ」
クヌギに対して文句を言うが、返事は無く。
張り合いがないと思ったキングは自分の部屋に帰ろうすると、研究室を出る前にクヌギが口を開いた。
「ちょっと待ってくれ。話しておきたい事があるんだ」
そう言ってキングを呼び止めると、部屋の隅に置いてあるパイプ椅子を開き、座る様に促した。
キングは渋々椅子に座る。
「さっきから様子が変だけど、急にどうしたんだ?」
「今からする話は君が関係者だから……というより、私が一人で抱えているのが辛いから聞いてほしい話なんだ。
聞いてもあまり良い気分のする話ではない。だからそれが嫌なら聞かないでもいい」
「今更出し渋るのはやめてくれ……話なら聞くよ。………青花の事だろ?」
「ああ、青花の話だ。あまり楽しい話にはならないと思うが聞いてくれ」
部屋の中に重い空気が満ちて行くなか、クヌギは語り始める。
「こちらも大事な娘を預けている身だからね、ヒイラギに秘密裏に会話をさせてもらったんだ。
家庭の事情や学歴、何故あそこで暮しているかもね。
奇妙に感じる所は勿論あった。だけど個人情報を探る程のものではなかったし、何より青花には不思議と不信感を抱かなかったんだ。
だから青花の素性を探ろうとはしなかったんだ、あの時までは。
キング。君とヒイラギが戦った後、ヒイラギの状態は酷い物だったんだよ。コアの暴走、エネルギーラインの破損。
マトモに動く部位は一切ない。下手に手を出せば爆発しかねない危険な状態だったんだ。
そして私は青花に頼まれてヒイラギの修理を行う指示をしたんだ。
彼女の修理は見事な物だったよ……最初は私の指示通りに、それを適格にこなしていった。だけどその内に私の指示を超えて修理を進めていったんだ」
「指示を超えて?そんな事が出来るのか?」
「知識が無い者には不可能だよ。それにヒイラギは特別製だ、私以外にヒイラギの修理を行える人間はいないはずさ」
「だけど青花にはそれが出来た……」
「そう。流石にそこまで行くと気にせざるを得ない。直接聞いてみたんだ、以前よりも詳しくね」
「直接?それは思い切ったな」
「自分で調べようとすると検閲が入りそうな話だったからね。だからまずは直接聞いた方が良いと思ったのさ。
そうしたら意外にもアッサリと凄い話をしてくれたよ……それは……」
クヌギはそこで口を閉じる。キングは続く言葉を待つが、沈黙が続く。
「それは、なんだったんだ?」
我慢できずにキングが質問を投げかける。
諦めを示す様に首を横に振ると、クヌギは続きを話した。
「青花はただの人間じゃない。人造人間だ、完全なる人を作る計画……その産物が彼女の正体だ」
━━━━
長く雨の続く日は嫌いだ。
雨音を聞きながら灰色の空を見上げると、あの日に感じた恐怖を思い出してしまう。
青花がベッドから離れられなくなって、もう一週間は経つ。
春から段々と弱っていき、雨の続く季節になると青花はついに歩くのも辛い位に弱ってしまった。
人間に疎いとはいえ、妾もそこまで馬鹿ではない。
青花からはあの日、妾が感じた気配と同じ気配を感じる。
死が彼女を包み込んでいる。
妾に心配を掛けまいと、気丈に振る舞っているが様子がおかしいのはハッキリと分かった。
一人にでいると何も出来ない焦りと無力感で心が押し潰されそうになる。
妾には青花を救えない。その事実が深く心を抉る。
それでも青花は暗い顔をせず、明るい顔ばかりをしていた。だから妾はその気持ちを尊重し不安を表に出す事はしなかった。
そのおかげで、二人でいる時は意外にも明るい気持ちでいる事ができた。
救いたい者に救われる。こんな弱い妾は青花の救いになっているのだろうか?
答えを聞く相手のいない悩みを抱えて、今日もまた青花に寄り添う。
少しでも青花の苦痛を減らせるように。少しでも青花が幸せを感じられるように。
「ヒイラギさんお粥作るの上手になったよね。食べやすいし、ちゃんと美味しかったです」
「ずっと作っておるからのう。極めたと言ってもいい位にはなっておるのじゃ」
昼食を食べ終え、食器を片付けてから青花の寝室に戻ると、青花はベッドから灰色の空を眺めて物憂気な顔をしていた。
「雨……長いですよね。もうずいぶん振りっぱなし」
「ああ、そうじゃな。だが安心するがいい、明日からはしばらく晴れが続くらしいぞ」
「そうですか……明日から………」
「晴れたら散歩でも行くのはどうじゃ?部屋の中にいるばかりじゃ気分も悪くなるじゃろう?」
妾がそう提案すると、部屋に沈黙が訪れる。
話題がマズかっただろうか?何か別の話をしようと考えていると、青花は瞳に涙を溜めながら絞り出すように答えた。
「そうですね……それが………きっとそれが最後のデートになりますね」
「最後なんて……寂しいことを言うでない。きっとすぐに体の調子も良くなる」
「いいえ、最後です……ヒイラギさん、私ずっと秘密にしていた話が沢山有るんです……貴方に伝えるのが怖くて……言わなくちゃって思ってたのに、結局言えなかった……
貴方を信じていない訳じゃ無いんです。だけど勇気が持てなくて……これから話す事を聞いても、
どんな話でも、私を嫌いにならないでくれますか?」
妾は青花のそばに座り、震えていた彼女の手を握った。
「今更青花を嫌いになるはずがないのじゃ。安心して話すが良い」
「ありがとうございます。…………その……私、普通の人間じゃないんです。
クローニングと遺伝子改造で作られた人造人間。
それが姫木青花、青い薔薇を作ったように不可能を可能にしようとした人達の残した忘れ形見。それが私なんです。
その……それで……こんな作り物の私だけど、それでも好きでいてくれますか?」
「ああ、変わりはしない。愛しているぞ」
知れば相手の見方が変わってしまうかも知れない真実。
きっと青花は妾がそれを知って二人の関係が変わるかも知れないと思っていたのだろう。
細い体を震わせる彼女をそっと抱き寄せる。
「怖かったんです。そんなことでヒイラギさんに嫌われるが無いって分かっていても言えなかったんです……
こんな……人間の紛い物を愛してくれるのか、ずっと怖かったんです」
「紛い物なら妾だって同じじゃ。作り物の中でも一人しかいない、はぐれ者の妾の方がよっぽど人間から遠いぞ?
それに同じ作り物同士!何を恐れる必要がある?」
「そうですね……うん。悩んでいた私が馬鹿みたいですね」
青花は涙を拭い、安心した様子で妾に体を預けた。
「色々と話しておきたいんです。私の事とこれからの事」
青花は語った、自分の生まれについての話を。
アンドロイドが普及を始めた戦争の少し前、人間の進化よりもアンドロイド達は遥か先に行くのではないかと危惧した人達がいた。
当時、機械工学の発展は数多の企業から注目を得ていたが、一転バイオテクノロジーの発展は著しく遅れていたという。
そういった不安を持つ者達と不遇の研究者が集まり、完全な人間を作るプロジェクトが起きた。
その研究者の中に青花の母親もいたという。姫木桜、若き天才として期待を受けていたらしい。
そして最も新しい可能性の芽として、被験者に選ばれたのも彼女だった。
戦争が始まってからはむしろパトロンが増え、資金面で困る事なく自由に研究を進める事が出来たという。
戦争が終わるまでには人間の一世代の間に受けられる遺伝子改造の限界を把握する事に成功した。
しかし新たに生まれた世界の支配者であるイムラに焦りを覚えたチームは不完全ながら研究を進める事になってしまった。
一定以上の改造を加えると、胚は成長せずに崩れてしまう。
頭脳と肉体。両面から完全な人間を作ろうとすると、どうしてもその容量を超えてしまう問題の解決策は中々見つからなかった。
アンドロイドを世界に広めたイムラが支配者になった世界でいつまで研究を続けられるか分からなかった彼等は、苦肉の策としてある計画を進めた。
突出した能力を二人に分け与えて作り出し、成長した後に何某かの方法で統合する計画を。
そして完全な知恵を持つ個体、木花咲耶。不老長寿の体持つ個体、石長姫。神話をもじり、神の名を持つ二人の子供を生み出したのだ。
母親と髪の色などが違うのは、その二人の同じ顔の子供を見間違う事がない様にいじられた結果らしい。
最初は計画通り、上手く行っているように見えた。生み出された二人はすくすくと成長し、木花咲耶は知能テストで突出的な成績をだしたという。
石長姫は性質上すぐに成果が出るわけではなかったが、健康面で問題が起きる事なく育っていった。
しかし彼女達が生まれてから3年の月日が経ったある日、事態は急変した。
石長姫は謎の体調不良を起こし、目が覚めなくなってしまったのだ。そしてそのまま、目が覚める事なく死んでしまったという。
理由は分からないが内臓が融解し、手の施しようがない状況だったらしく最後は投薬による死が選ばれた。
何が悪かったのか、木花咲耶は大丈夫なのかと大騒ぎになり、その段階になってようやく致命的な欠陥が発見された。
ある年齢になると、体が朽ちて死ぬ。石長姫も木花咲耶もそうなる様に設計されていたのだ。
結局は見えない制限時間への焦り等の状況が生み出したミスが原因だったのだが、チームはスパイの存在を疑い崩壊状態になり、研究は一気に頓挫してしまい、
チームの解散までの数年間は木花咲耶、姫木青花の延命の研究だけが行われた。
そして何も解決出来ないままイムラに目を付けられ、プロジェクトは消滅した。
「研究資料は全部消されたよ。それにチームのメンバーは接触禁止を言い渡されてそれで終わり。
私の存在も、普通の人間より寿命が短いだけの失敗作だって誤魔化したらどうにかなっちゃったんだ。
それから私とお母さんはここに来て、後はヒイラギさんに話した通り、私はここで生きてきたの」
「……大変な子供時代じゃな……」
「大変って感じはなかったかな。子供の時は万能感に酔って凄い嫌な子供だったし。
あっ、私の子供の時の夢なんだったと思います?」
「青花の夢?うーむ……もしかして世界征服か?」
「おお!正解です。流石、私の事をよく分かってますね」
「冗談のつもりだったんじゃが……世界征服とは派手な夢を持っていたんじゃな」
「私が100まで生きられたなら、まあ50%の確率でいける予定だったんですけどね。
二十数年しか生きられないとなると流石に諦めましたよ。それが理由でこんな所にずっといた訳です」
「50%か、それは大きく出たのう。そこに妾がいたらどうじゃ?」
「あっ、それは100%って言って欲しいんでしょうが、逆ですよ、逆。0です。
貴方が側にいたらきっとそんな野望はどうでもよくなりますから」
「ほう。つまり妾は世界征服を企む闇の組織を一人で壊滅させるヒーローだったかもしれぬのか」
穏やかな笑いが部屋に響く。こんな時間がこれからも、ずっと続けばいいのに。
そう思った妾の気持ちを砕く様に、青花は口を開く。
「でも、そうならなかった。
ヒイラギさん、聞き入れたくない話だと分かっているんです。でもしっかり聞いてください。
私は……貴方に会って、貴方との日々を重ねている間にどうしてもやりたい事ができてしまったんです。
私に残された時間は病院で万全の治療を施しても一年もあるかどうか……だから……
だから……明日でお別れなんです。ここにいたら、もうほんの少しも生きて行けないから」
言葉が出なかった。突然、別れを突きつけられて何も言葉が出なかった。
妾には青花がここを離れるのを止められる理由が見つからなかった。
「ここを離れなければどうしても駄目なのか?」
「はい。私に延命は最新医療を尽くしてどうにか、という話なのでこんな場所じゃ薬も機械も人も、何一つとして足りません」
「だが今日までは大丈夫だった。何か方法があったのではないか?」
「お母さんが残してくれた細胞の破壊を止める薬のお陰です。完全な物ではないし、もう有りません」
「妾も青花と共に行く!それなら良いじゃろ?」
「やめて下さい。貴方には貴方のやるべき事が有るじゃないですか。
私は……そんな風に使命を投げ出す人は……ヒイラギさんでも嫌いになりますよ!」
「使命なんてそんな大仰な物じゃない……あんな事………誰でも出来る雑用じゃよ……」
涙で視界が歪む。離れたくない、離したくない。
我儘な感情ばかりが溢れてくる。そんな気持ちは青花も同じだとわかっているのに。
「ごめんなさい。強く言い過ぎたね……」
青花は妾の方に向き直り、ポロポロと溢れる涙を拭う。
「その……私もただ貴方と別れる訳じゃないんです……無理な延命でボロボロになった私の姿なんて見てほしくないから……
ヒイラギの中の私は何時までも綺麗なままでいて欲しいから……」
どちらからともなく、抱き合う。
降りしきる雨はまるで二人の心を映しているみたいだと、そう思った。
昨日までの天気と違い、雲のない空からは初夏を思わせる強い日がさしてくる。
去年、初めて背負った時より軽くなった青花を背負いながら山道を登る。
最後のデートは最初にデートした場所に行きたい。二人共、意見は同じだったので行き先は迷いなく決まった。
最初は歩いて行きたいと青花は無理を言っていたが、長い雨のせいでぬかるんだ道を少し歩いた時点で諦める事になった。
「そういえば青花のやりたい事とはなんなのじゃ?妾と離れてまで何をやりたいのじゃ?」
「それはですね。昨日、研究資料は消されたって言いましたよね。でもしっかり残ってるんです。
私の頭の中には、私自身の遺伝子配列の図式から何気ない落書きや空論まで全部残っているんです」
「瞬間記憶…というヤツか?」
「はい。それで……資料を見ている内に思いついたんです。人類の進化……私達、姉妹みたいな歪な存在じゃなくて、
多くの人がシンギュラリティを超えて人間とアンドロイドが共存し得る可能性を、私がその結果を見る事はできないけど、それに……」
「それに?」
「うーん………何でもない。要するに遺伝子改造の論文を書き上げて、何人かの信頼のおける人に託したいの。
お母さんの研究を無駄にしたく無いから。それが私のやりたい事」
「1年で間に合うのか?かなり大事に聞こえるのじゃが」
「うん。準備はしてあるから」
「そうか……妾には……妾には願う事しか出来そうにない話じゃ」
「それで十分です。忘れないでいてくれれば」
昨日からずっと無力さばかりが心に募る。青花の願いにも、青花の命にも、妾が及ぶ場所が無くどこか別の場所で完結していく。
こんな生に何の意味が有るのかと、答えの出ない問を空に投げて山道を登った。
━━━
「天気が良くて助かりましたね」
盆地を見渡せる展望台に二人は来ていた。
青花はヒイラギの手を握りながらゆっくりと歩き、欄干に近づく。
「ここに来るのも久しぶりじゃ。相変わらず気の滅入る光景じゃ」
「そうですか?私はここ大好きですよ。初めてデートした大切な場所でもありますし」
二人は欄干の近くにシートを敷いて腰を下ろす。
「あの日……ヒイラギさんに初めて会ったあの日もここに来る為に山に入ったんです。
危険だとは分かってたけど、それでも行きたかったんです」
「前から思っていたんじゃが、何でこんな所まで来ていたんじゃ?
錆びれていて眺めても楽しい物じゃないと思うぞ」
「そんなことないですよ。私にはここが一つの世界みたいに見えるんです。
閉じた、終わってしまった一つの世界。
確かに楽しいとは違うかもしれませんけど、ここの景色が唯一私の感情を動かしてくれる場所でした。
以前は月に一度でも来れば満足してたんですけどね。そんな世界に変化が起きてからはもうずっと心が騒いで落ち着かなかったんですよ」
青花は立ち上がると欄干に手を掛けて景色を眺める。
「ほんの少しの変化でした。だけどそれは今ではハッキリと形になってるんです。まだ一部だけど、段々広がって…………
最後にはどんな景色になるのか私には見れないけど、きっとここに眠る人達を羨んでしまう。そんな世界を貴方なら作れると思うんです」
ヒイラギは何も答えなかった。何を言っても青花の後ろ髪を引いて困らせてしまうと思い、ただ寄り添い、肩を抱いた。
「ヒイラギさん、宿題です」
「どうしたんじゃ?急に」
「まあ、良いから聞いてください。何で私が貴方と別れてまでレポートを残そうと思ったのか。
それを考えておいてください」
「こんな時になにを言うと思えば……確かにさっぱり答えが浮かばぬが……」
「多分私の予想だと40年位経てば分かりますよ」
「答えは分からぬが。今、妾は確実に馬鹿にされているのはわかるぞ」
二人の笑い声が辺りに響き渡る。
最後の思い出が少しでも鮮やかな物になる様に、そう願いながら二人は短い時間を過ごした。
青花が農園を離れて、半年の時が流れた。
ヒイラギは空虚な日々を過ごしながらも青花に頼まれた農園の管理と墓作りの両方をこなし続けていた。
思い出にすがっても苦しくなるだけと思い、青花の家の扉を開く事はなかったが、
収穫期になるとコンバインの鍵を取るために青花の家に入らなければいかなくなった。
家に入ると目に付く場所に病院のパンフレットが置いてあった。丁寧に病室の番号も添えて。
そこに行けば青花と会えるかもしれない。
そう思ったヒイラギだが、ここで青花に会いに行く事がどういう意味になるのかを考える。
そしてヒイラギは………
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二人の旅立ち または私はいかにして心配するのを止めて終末を共にするようになったか
広い病室のベッドの上で、寝転がりながら私はノートPCに延々と文字を打ち込んでいる。
書いては消して、書いては消して。
何度書き直しても納得の行く文章は書き上がらない。
気がつけば日は傾き、窓から見える景色を茜色に染めていた。
一日かけて、手紙の一つも書けなかったとため息を漏らしながらPCを閉じて茜色に染まった街を見下ろしながら考える。
役目の終えたこの生を、残り半年ばかりの命をどう扱おうかと。
病院に着いて早々、私の主治医だという女性の医者の診断を受けた。
そして簡単な診察の後「腹の中の物、全部機械に置き換えるしかないね」と言われたのは流石に驚いた。
私の細胞が私を破壊するのだから、生死に関わる臓器は代わりの人工臓器にした方が色々と楽な上にリスクもほとんど無く、
一年で不具合が出る事はまず無いと説明を受けると選択肢は一つしかなかった。
術後は今までの体の怠さが嘘の様に調子が良くなった。
もう一度、支えをなしに動き回れる事に浮かれて歩き回るっていると、
一年有るかないかで肉体に限界が来るので過度の期待はしないでほしいと水を差されたが、それでも問題はなかった。
反機械主義を掲げる為に生まれた私が機械によって生かされるのは少しだけ妙な事だと思いもしたが、
その機械のおかげで一年掛けて行う予定だったレポート作成は半年で終わってしまった。
残りの半年間。私は慌ただしくなってしまった別れを埋める為に、まず手紙を書こうと思った。
ヒイラギにありったけの言葉を残してあげたいから。
思いとは裏腹に、数日掛けて原稿用紙一枚分も書けていないのだけど。
綴れば綴るだけ言葉が陳腐になっていく気がして、どうにも先に進まなかった。
タイピングをする指は完全に止まり、もう一度考え直そうとベッドに全身を預けて目をつぶる。
まぶたの裏には何時もの様に彼女の姿が浮かぶ。燃えるような愛で私を暖めてくれた彼女。
思い返すだけで涙が浮かぶのはどうしてだろう。溢れて来る涙は、自分勝手な気がしてあまり好きではない。
物思いにふけっていると、ナースセンターから連絡が入る。私にお見舞いが来たらしい。
お見舞いということになっているが、その実態はレポートの取引なのだけど。別に遺伝子の研究が禁止されている訳ではないが、
過去の事を考えると出来るだけひっそりとやった方が良いと思い、直接渡す事にしたのだ。
私の人生にも等しい物を渡すのだから、少しでも話がしたいという願望もあるが。
軽く服装を整え、椅子に座って相手が来るのを待った。
そういえば今日の来客予定はあっただろうか?人を迎える準備を終えてから今日は予定がなかったのを思い出す。
妙だと思っていると、病室の外からはカツンカツンと足早に、力強い足音を響かせて誰かがやってくる。
扉が開くと、そこには制服であるドレスを着たのらきゃっとが立っていた。
その青い瞳で私の姿をとらえると、私を見つめたまま近づいてくる。
私の動きに気づいたイムラの刺客か?僅かばかり死期が早まるのを感じた私は思わず後ずさった。
しかし病床に着いている私が逃げられる訳もなく。簡単に距離を詰められてしまった。
まだ死ぬ訳にはいかないのに。死への忌避感を抱きながら私は目をつぶる。
すると、私の感じていた恐怖とは真逆に柔らかな感触が私を包んだ。
「思ったより、元気そうじゃな。安心したのじゃ」
懐かしい、珍妙な喋り方が耳に届く。恐怖がなくなり、安堵したが今度は疑問が湧いてくる。
慌てて私に抱きついて来たその子を引き離し、まじまじと見つめるがやはり私の見知った顔ではない。
「そうジロジロと見るな。何かおかしな所がある訳ではないじゃろう?」
私の部屋に現れたのらきゃっとは恥ずかしそうに顔を背ける。
この反応、この喋り方。私は確信を持ちながら質問を投げかけた。
「もしかして……ヒイラギさんなんですか?」
「ああ。体は変わってしまったが間違いなく妾はヒイラギじゃ。久しぶりじゃな。青花」
言葉が出なかった。
声は震え、視界は歪み、私はただ目の前の彼女にしがみつくのが精一杯だった。
落ち着いてからまずはお互いの近況を話す事から始めた。
「つまり私は体の機能のほとんどを機械に代わってもらったので意外に元気なんですよ」
私の体の状況を伝えると、ヒイラギは複雑そうな顔をしてから「元気ならそれで良い」と笑顔を作った。
そしてヒイラギは自分の状況を話始めた。
私に会いに行くとクヌギさんに伝えた時は当然、却下されたという。
ヒイラギはそれでも食い下がり要求を伝え続けると、クヌギさんは
「君のその体はしっかりと契約の上で生かされているんだ!その体でいる限り許可無く職務から離れる事は許可できない」
と言い放つとそこで通信を切られてしまったらしい。
「存外、甘いお父様じゃ…」
その後、人格を含むデータの移植方法と起動前ののらきゃっとのある場所の情報が書かれた匿名のメールが届き、
数日間考えに考えてから行動に移したとヒイラギは語ってくれた。
私の気持ちは複雑だった。
喜びと怒りと戸惑い。口を開けばただの奇声が飛び出してきそうな心情を、思い切り深呼吸をして吐き出した。
少しだけ落ち着いてから改めてヒイラギに問う。
「ヒイラギさん。貴方が来てくれたのはとても嬉しいんですよ。でも、私は言いましたよね?
貴方には貴方の使命があると。それなのにそれを投げ捨てて、ここにいる。それがどういう事か理解してますよね?」
「ああ。青花の気持ちを裏切った」
「本当……酷い人です………そんなヒイラギには、一つ罰が有ります。
とってもとっても酷い罰です。だけど、内容を聞く前なら断っても私は何も気にしません」
口にするべきではない。そう思いながらも私の中の願望は肥大化していく。
身勝手で望むべきではない黒い願望。理由を彼女に押し付けてその願望を願う私がいる。
「ここから出て行け。それ以外の罰なら妾は喜んで受けるのじゃ」
その願望は私が家を離れた理由の大きな一つ。
口に出すのも汚らわしいと思ったこの願いを抑えるにはヒイラギから離れるしかないと無いと思ったからだ。
だってヒイラギならきっと……ああ、嫌だ。嫌だ。嫌だ。
こんな今際の際で打算的に思考を巡らせようとする自分が嫌いになる。
やっぱり止めよう。唇を噛みしめ、言葉を飲み込む。
「青花よ……辛いのなら口にせずともよい」
「え?」
「二人で行こう。死出の旅路を行くには若輩に過ぎるが……妾の命は青花の物じゃ。共に行こう」
喜びと後悔と拒絶と容認。様々な気持ちが頭に満ちる。
「なんで……分かったんですか?」
「離れる理由を色々と並び立てて置いて行き先を残す矛盾。決定的なのは今の苦虫を噛み殺す勢いのお主の顔じゃよ」
「そんな……そんなに酷い顔をしてました?」
「ああ、鬼のようじゃったぞ」
ヒイラギは歯をむき出しにして恐ろしいと思われる顔を作るが、元の顔が可愛らしいので全然迫力はなく可愛らしい。
思わず綻んだ頬を深呼吸をして仕切り直す。
「ヒイラギ、貴方が望むなら……貴方が望んでくれるなら私に断る理由はありません。
私は本当に醜い人間です。ずっと一人で死ぬと心に決めながら、貴方と出会って私は………」
「もう良いのじゃ。自分を追い詰めるのはやめてくれ。これは青花だけじゃない。妾の願いでもあるのじゃ」
「……………はい」
気づけば空は暗くなり、月が顔を覗かせていた。
いつもより少し冷たくなったヒイラギの手を取り、ずっとその空を二人で眺めていた。
罪悪感が晴れたわけではないけれど、以前よりは気持ちが軽くなったのは間違いない。
ヒイラギと二人で話し合って私達なりに残す者への贈り物を用意した。受け取る者がどうそれを扱うかは委ねるつもりだ。
悪趣味だと捨てられるならそれでも問題はないけれど。
冬の半ばの快晴の日、やるべき事を終えた私達は旅に出る事にした。
見てみたい景色や行ってみたい場所。全ては無理でも一つでも多くを見ておきたかった。
「主治医としては大人しくしていて欲しいんだけどね」
見送りに来た先生が苦々しい顔で呟いた。
「お世話になりました。すいません、少しでも多くの思い出を作りたくなったんです」
旅の為に買った車の運転席で待つヒイラギに視線を送る。
「あなたと彼女がどういう関係かは分からないけど……後ろ向きな理由じゃないんだね?」
「はい!むしろ私は今、とても生き生きしてます!」
「ならこちら側から言う事はないよ。死にかけの人間に言うのも変だけど、元気でな」
「はい!」
私が車に乗り込むと、退屈そうにしているヒイラギが私を見て顔を輝かせる。
「よし!それじゃあ行くのじゃ!」
そう言ってヒイラギはアクセルを蒸した。
少しばかり走り、開発された町を抜けるとただ道が続くだけの大地が広がっていた。
じっと道の先を眺めても何もない景色は、私の家を思い出させる。
「そういえば気になったんじゃが……妾に残した宿題の答えは結局なんだったのじゃ?」
「ああ、そういえば出してましたね」
今となっては意味の無い宿題だ。
「教えてあげませんよ。全部が無駄って訳ではありませんけど、ヒイラギさんが来たせいで色々と無駄になった事はありますから。
今だって結構怒ってる所もあるんですからね」
「ははは、それは悪い事をしたのう」
ヒイラギは笑って誤魔化すと、車の運転をオートパイロットに切り替えて座席に深く座り直す。
しばらくは退屈だな。そう思うと季節外れの快晴が眠気を誘う。
眠気に誘われるまま、私はヒイラギに寄り掛かった。
「ヒイラギさん……やっぱり冷たくなりましたよね」
「そうか?……ああ、体温のことじゃな。以前の体より出力は下がるからのう。寒いのなら暖房でも着けるか?」
「いえ、この冷たさも心地良くて好きですよ」
私はこの旅に心を踊らせながら、緩やかに訪れる眠気に身を任せた。
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全て世は事も無し1 彼女の選んだ道
時が経てば友人達の失踪も記憶の奥底に行くだろう。
そう思いながら生きて来たけど、50年経っても私の前にちらつく友人達の姿は記憶を薄れさせる事はなかった。
月で軟禁状態で勉強と実験に付き合わされて数年、ようやく地球に降りる許可を貰うと同時に二通の手紙を渡された。
その手紙はヒイラギと青花からの別れの手紙だった。
青花はクヌギから聞かされていたので覚悟が出来ていたが、ヒイラギまでも死んでいるとは思わなかった。
正確にいえば行方不明なので死んでいるとは限らないが、手紙の内容からするに生きている可能性はないだろう。
ヒイラギについてはいつか一発殴ってやりたいと思っていた所もあり、脱力が凄まじかった。
僅かばかりナーバスな気持ちにもなったが、自分の記憶を戻すという目標の為にいつまでも落ち込んではいられなかった。
アンドロイドに限らず人間の記憶のメカリズムも徹底的に調べ、失われた記憶の復元の研究まで着手したが、結果的には私の記憶が戻る事はなかった。
違う。私の過去の記憶など初めから存在しなかった。
自動兵器の修復用のナノマシンのバグにより破壊された頭脳が修復され、新しく構築されたのがキングという存在だったのだ。
勘付いていた話では有るけど、その結論が導き出された時はショックが大きかった。
若干の自暴自棄に陥った後、偶然にもあの霊園の管理人を募集している情報が入ると、郷愁にかられて私は生まれた地に帰る事にした。
ヒイラギが投げ出した役割は、クヌギの開発室ではなく会社全体がその責を負ったと聞いた。
業を煮やしたCEOが激怒したとかどうとか。
詳しい事は私は知らないが、その事もあってヒイラギがいなくなってから数年で霊園が完成したらしい。
元々は青花の家だった場所はわずかに増築されてホテルとして残されている。
霊園兼ホテルの管理人として日々、暇だったり忙しかったりする毎日を私は送っている。
私がここに来た時点で周囲は様変わりしていた。山は整備されて緩やかな山道が作られ、
綺麗に整備された白い霊園を眺める展望台は墓参りを終えた人達の休憩スポットとして活用されている。
残念ながら農園は道を作る際に潰されてしまったらしい。
残っていたら未練がましく世話をしていたかもしれないからそれで良い気もする。
それでも土いじりからは離れられなかった。
鎮魂の花としてネモフィラを育てろとの命令も仕事に含まれていたのだ。明かに霊園の管理人から逸脱している。
命令はネモフィラだけだったが、それ以外をやるな。とも言われてないのでシーズン以外は好き勝手に経費で花をいじれるので悪い命令ではなかった。
青花とヒイラギが消えてから50年。ここに居ついてからは20年位になるだろうか。
今年も綺麗に咲いたネモフィラの花畑を眺める。
空を映したような青と白のコントラストが美しい。そんな景色をボーっと眺めていると、誰かが近くに来る気配を感じた。
「綺麗な花畑ですね」
振り返ると、赤みを帯びた太陽を背に一人ののらきゃっとが立っていた。
深い赤色をした目をしていたが、私の赤い目より暗く感じる。そう感じるのは夕焼けのせいだろうか?
「まあね。毎年苦労して世話をしている自慢の花畑さ」
その、のらきゃっとは花の側に座ると花弁にそっと触れてネモフィラを見つめた。
「そこから取るのはやめてくれよ。お土産とかお供え用のはホテルの方にあるからさ」
「おっと、すいません。綺麗だったのよく見ようと思って」
そう言って彼女は立ち上がり、私に向き直った。
「突然ですいません。あなたのその眼帯はどうしたんですか?」
「これか?まあ昔、色々有ってね。治すのも忍びなくてさ……目が無くても眼帯にカメラが仕込んでるからそれで十分なんだ」
「なるほど。確かにカッコよくて素敵ですよ。
それで……もう一ついいですか?あなたは、自分が何者で何をしていたか。覚えていませんか?」
先程までのゆるりとした雰囲気から一転して真に迫った空気を感じる。
突然の質問。私と似た赤い目。彼女は私の事を何か知っているのだろうか?
「質問の意味が分からないな。こんな僻地の霊園の管理人を捕まえて何を聞くのやら」
なんとなく警戒心を抱き、誤魔化してみせる。
「そんなに警戒しなくても平気ですよ。私の仲間がここにいると聞いたので確かめたかっただけなんです」
「それって……私の事を知っているのか!?」
突然現れた過去の手掛かりに私は思わず興奮した。
早口で事情を説明して彼女に詰め寄った。
しかし彼女は私の話を聞いている内に気まずそうな顔を作った。
「あの……つまり過去の情報は何一つ無いんですか?」
「ああ。記憶も無いし、個体識別IDも消失して何も残ってない」
「そうですか……そうなると……すいません。期待させてしまったみたいですけど、私にはキングさんの事は分かりません」
「そうか……そうだよな……何の手掛かりも無いんじゃ仲間だったとしても話しようがないか」
肩を下ろしガックリとうなだれる。
気を落としながら帰ろうとすると彼女は私の後ろをついて来る。
「帰りのバスならこっちじゃなくて向こうだぞ。次出るのが最終便だから急いだ方が良い」
ホテルから少し離れたバス停を指で刺し示すと彼女は首を振って答えた。
「いえ、今日はホテルに泊めてもらっても良いですか?今晩は一つ用事ができたので」
「用事?」
「はい。キングさん、あなたに話しておきたくなったんです。
行方不明のままの仲間達の話を。その中から一人、選んじゃいましょう。こいつこそがキングの元になったのらきゃっとだって」
「なんだそれ。勝手にそんなの決めて良いわけないだろ」
「いえいえ、もう50年以上も行方不明のままなんですから、勝手に名乗っても誰も責めたりしませんよ」
死者の眠る地を管理する人になんて提案をするんだ。
呆気にとられながら笑いがこみ上げて来る。私はその無礼な提案を笑いながら受けることにした。
帰る道すがら彼女に名前を聞いて見るもはぐらかされて終わってしまった。
とりあえずのらきゃっとと呼んでくれれば良いと言うのでそれに応じることにした。
家に帰るとロビーの休憩用スペースで銀色の髪の少女がPDAで雑誌を読んでいた。
気配に気づき青と赤のオッドアイの瞳をこちらに向けると、客がいると気づいて姿勢を正す。
「いらっしゃいませ。後おかえり、かあさん」
若干不躾ではあるがしっかりと頭を下げて客人に挨拶をしているので文句を言うのはやめておこう。
我が子ではあるが従業員ではないので強くは言えない。
「ただいま。クリス、悪いけどこの……のらきゃっとさんが今日泊まる部屋の準備をしておいて。私は晩ご飯の方やっておくから」
「はーい。お部屋の用意して来ますのでロビーの方でおくつろぎ下さいね」
ペコリと頭を下げるとクリスは2階の客室に向かって行った。
「人間のお子さんですか?」
「色々有ってね。子育ても悪い物じゃないよ」
「こんな所じゃ大変じゃないですか?」
「まあね。でも今は週末だけ帰って来て普段は街で勉強してるから、ほとんど親離れしてる様なものさ。
ところで食事は用意してもいいのかな?」
「はい。食べるのは大好きなので、是非お願いします」
昼に作っておいた肉じゃがとホテルの来客用に少し豪華な味噌汁も用意した。
有り合わせの漬物も添えて3人分の食事を食堂へ運んだ。
「わお。洋風な木造建築のホテルには似合わぬ和風な晩ご飯ですね」
「予約がない時はしょうがないだろ。大体家は食事でやってるわけじゃない」
「人の多い時期はシェフを呼ぶんですけどね。かあさんの料理も不味い訳じゃないから食べるには不足しないよ」
娘と客の二人に何故か文句を言われながら食事をした。
のらきゃっとからは料理に興味を持てないアンドロイドの料理という恐らく不名誉な評価を与えられた。
せめて家庭的とかテンプレから抜けてないとか、柔らかい言い方も有るだろうに、ご飯を三杯もおかわりしておいて酷い言いようだった。
クリスからも「かあさんの料理って悪い意味で変わらない味だよね」と言われ、
打ちのめされた気持ちで食器を洗っているとクリスがキッチンにやってきた。
「かあさん、報告したい事があるんだ……」
そう言いながらも言葉を探るようにモジモジとして黙っている。
少し不機嫌な私は橋渡しをせずに次の言葉を待った。
「あのね……」
食器の水気を拭き取り、棚に戻し終えるとようやくクリスは口を開いた。
「サクラに……告白した!」
ああ、やっとか。
私の心に長く引っかかっていた重りがようやく取れたような、心がスッと軽くなった。
「そうか……返事はどうだった?」
「サクラも……ずっと同じ気持ちだったって!」
「そうかそうか。まあ……大事にしてやりなよ」
心が軽くなるという以上に心がポンと空の向こうに飛んで行ってしまった気持ちになる。
のらきゃっとに話をしましょうと誘われたが、今は自分の話をする気分になれなかった。
「悪いけど……その話はやめて私の用事に付き合ってくれないかな?」
そう頼むと「キングさんがそうしたいのなら別に構いませんよ」と了承してくれた。
私はのらきゃっとを連れて納屋に向かい、厳重に閉められた扉を開いた。
「電子キーにパスコード、農具を置くだけにしては厳重ですね」
「中を見られたくない子が近くにいるからな」
芝刈り機をどかして現れた鍵穴に鍵を差し込むとゆっくりと地下室への扉が開いた。
「秘密基地みたいでこういう仕掛けってワクワクしますよね」
「みたいというより、実際秘密を隠してるからね」
埃にまみれた地下通路を進み、目的の部屋の扉を開ける。
部屋に入るとパァッっと自動で照明がつく。
部屋の中では一台のアンドロイド用メンテナンスポッドが静かに駆動音を響かせている。
のらきゃっとは興味深そうにそのマシンに近づき、中を覗き見た。
「これは……この子は……なんだかクリスちゃんに似てますね」
「そいつの名前はヒイラギ。忌々しくも私の初めての友人だ」
元々ヒイラギだったその体を背負い、霊園への道を行く。
「それで荷物運びを頼むでもなく、私に用があると言う事は話し相手が欲しいという訳ですよね?」
「そういうことだ。今日は自分の過去よりも片付けたい用事ができてしまってね」
背負ってみて気付いたが、一切動かないアンドロイドを運ぶのは意外に面倒だった。
バランスを崩すとすぐに落ちそうになるので、結局のらきゃっとに背中を押さえてもらう形で運ぶことになった。
簡単にヒイラギと青花の事をのらきゃっとに説明した。
プライベートな話だが、今更あの二人に許可をよる方法も無いのだから問題無いだろう。
「それでまあ、ヒイラギは恋人の青花と一緒に行方不明。端的に言えば心中しますって手紙を私に残してどっかに行ってしまったんだ」
「なるほど。そのヒイラギさんが残した義体が今運んでいるコレということですか。それでなんで急に埋葬しようと思ったんですか?」
「杞憂って言うのかな?不安に思うだけ無駄な事柄が本当に杞憂だってわかって安心したんだ。
話を戻すけど、私に残された手紙には中々扱いにくい物が同封されていてさ。
人格、精神、記憶。そこら辺のアンドロイドにぶち込めばすぐにでも動き出しそうな精巧なメモリーチップが2枚分。
そんな物を渡されてもどうしろって言うんだ?」
「確かに困りますね。大切な友人だとしても複製する訳にも行きませんし」
「その通りだよ。実際それを使うまで20年以上掛かったからね。
理由なんて無いほんの気まぐれだったけど、
自分の研究と今のバイオメディカルを合わせればデジタル化した記憶を遺伝子に組み込む事も出来るんじゃないかと思ったんだ。
結果は一年も掛からずに実用可能な物が仕上がってさ。そこから生まれた内の一人がクリスマス。クリスって訳なんだ」
「クリスマス……っていうんですか、クリスちゃんの本名。ずいぶん思い切った名前ですね」
「ツッコム所そこ?まあいいや。悩んだけどヒイラギの製作者がクヌギって名前でさ。
その二つから連想するとこの名前しかない!って思ったからクリスマス」
「なんだか派手な名前ですね……キングさんもクリスって呼んでましたよね」
「ああ、そっちの方が納まりがいいだろ?」
つらつらと喋っている内に道は下り、展望台に着いていた。
月の照る夜に休む必要はないので少しだけ景色を眺めてから歩き続けた。
「クリスちゃんにはヒイラギさんだった時の記憶は無いんですか?」
「そういった記憶のデータがある遺伝子から生まれただけだからね。もしかしたら何かの切っ掛けでその記憶を俯瞰する可能性はあるけど、
それを自分の記憶で有ると思う事はないよ。生まれについてはクリスにもある程度は教えてあるし」
「記録はあるけど記憶には無い。といったところでしょうか」
「そんな感じだ。まあヒイラギの面影はあまり感じないのはアンドロイドと人間の違いがあったりするのかもな。
我が強い所だけは変わらないから手が掛かって仕方がないけど」
霊園の端。立ち並ぶ墓から少し離れた場所にひとつだけ何も書かれてお墓があった。
使われる前から植物に浸食されて見すぼらしい姿になっていたので手早く掃除をすることになった。
「ヒイラギのお墓はずっと前からあったんだ。だけど私のわがままで今日まで放置してた」
あまり対面したい物でもなかったのでしょうがないが、小まめに掃除をしておけば良かったと後悔しながら手を動かす。
「クリスさんさんと何か話していたみたいですけど、何かあったんですか?」
「もう一人……青花を元に作られた子供がいたんだ……
名前はサクラ。万能ではないけど健康的で真面目で賢い子だよ。今日、クリスがサクラに告白したんだってさ。
その話を聞いたらさ、あの二人を見ていて引っかかってた物がなくなった気がしたんだ。
だから………晴れない未練にすがっている自分が馬鹿らしくなった。それが今日付き合ってもらった理由だよ」
掃除を終え、石室の中にヒイラギを横たえ、揺れる気持ちを鎮めながらゆっくりと蓋を閉めた。
「泣きたいなら泣いても良いと思いますよ」
「…………そんな気持ちではないよ。むしろ晴々とした気分さ………のらきゃっとは運命って信じる?」
「運命ですか。あまり何でもかんでも運命で片付けようとは思いませんが……
きっと望めばこそ、そこに有るのだと私は思います」
私は黙って空を見上げる。
私の目に映る丸いはずの満月は不思議と歪んで見えた。
━━━
朝の10時を回る頃、始発のバスがバス停に着くと、10名ほどの客が降車してバスの中は空っぽになった。
少し時間を置いて、バスの発車が近づくとのらきゃっとが足取りを軽くしてバスに乗り込んだ。
客が自分の他にいないのを確認するとバスの奥の長椅子で横になって優雅に発車を待った。
「のらちゃん、もう帰るんだ」
のらきゃっとがまどろんでいると、銀髪の少女がバスに乗ってきた。
「クリスちゃん。あなたもどこかにお出かけですか?」
「うん。買い物ついでにデートの予定です。横にお邪魔しても良いですか?」
のらきゃっとはあくびをしながら起き上がるとノビをしてから「どうぞ」とクリスに場所を開けた。
会釈で返してクリスはそこに座る。
「デートの相手はサクラちゃんですか?」
「あっ、かあさんから何か聞いた?」
「はい、昨日の夜にずいぶんと興奮した様子で喜んでましたよ。娘の告白が上手くいったと」
「もう……お客さんに話ような事じゃないでしょ……」
クリスは顔を赤らめてうつむきながら愚痴をこぼす。
「それだけ娘の成長が嬉しいのでしょう。サクラちゃんはどんな人なんですか?」
「ちょっと硬い感じのリーダータイプって言うのかな?だけど私は何か放って置けなくて守りたいって思えて……
不思議だよね。サクラの方がずっと優秀なのに」
「そうなんですか。でもきっとその気持ちは今ある好きとか愛とか……あまり関係ないんじゃないですか?
目の前にある相手を想う気持ちを見失わなければ、気持ちに抱き方に疑問を覚える必要なんてありませんよ」
「おーーなんか恋愛のプロっぽいお言葉」
「なんですか、恋愛のプロって?」
二人が話をしていると、発車時間になったバスが自動的にエンジンを駆動させた。
静かに動き始めたバスは近くの街へと向かって行く。
のらきゃっとは名残惜しそうに窓の外を見た。
その目には初夏の風を受けて嬉しそうに身を揺らすネモフィラの花畑が映っていた。
グレイブディガー 心中編はこれで完結です。
次からは時を戻してヒイラギが青花に会いにいかなかったらのストーリーに続きます
投稿までまだまだ時間が掛かると思いますがご付き合いいただければ幸いです
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世界に満ちて 傍に
『泣いても良いです。悲しまないでほしいなんてわがままも言いません。
だけどヒイラギには生きていて欲しいのです。最後まで一生懸命に』
長い長い青花の手紙の最後にはそう綴られていた。
何もかも、気にしないでいれば楽になる。
目を瞑って見えない振りをすれば苦しむ必要も無い。
青花を失った悲しみから逃げる様に妾は遮二無二、墓作りに没頭した。
休んだ方が良い。無理はするな。クヌギからは何度も止められたがそれでも止まる事は出来なかった。
少しでも暇が有ると見たくも無い現実が頭の中に浮かんでしまうから。
体が軋み、動力炉が燃える様な熱を放っても構わなかった。
そんな苦しみよりも、何かをしていなければ迫ってくる現実の方が妾には苦しかった。
終えてみれば、契約の20年は十分な休みをとった上で鉄屑で埋まった盆地を作り替えるのに足りる期間だったと知る。
ここに降り立ち10年の時を経て、妾の生まれた時に結ばれた契約は終わりを迎えた。
何をするでもなく、霊園の開発をただ眺める生活を続けてどれ位の月日が進んだだろうか。
展望台から忙しなく働くのらきゃっと達を眺める生活を長らく続けていたある日、妾の安寧は突然破られた。
「いつまでも呆けたままでいるつもりだ!」
そう怒号を飛ばしながら現れたキングに最低限の荷物と金を持たされて霊園どころか家からも追い出されてしまった。
「自分の目が覚めたと思うまで帰ってくるな」
そうして妾は曖昧な目標だけを抱えてあてもない旅をすることになった。
最初は何も気分が乗らなかったが、数日の間なんの目標も立てないで歩いている内に虚しさを覚え、
とりあえずで良いから目標を付けて足を動かし始めた。
どこかの街へ。どこかの観光地へ。次へ次へと目的を定めていった。
そうする内に何に対しても興味を持てない自分はどこかに消えてしまった。
旅の中で色々な物を見た。
イムラの管理下で生きる事を拒み、街の外で生きる人々。キングと似た目をしたのらきゃっとの営む喫茶店。
今も稼働し続ける無人の兵器工場。無限に再生する怪物に占拠された街。
雲の下に沈む古代都市。宝石の様に輝く雪の舞う雪原。
生命の危険を感じる場所も多々あったが、どれも旅の思い出として記憶に刻まれた。
そんな放浪を続けて10数年の時が流れた。
目を覚ますまで、とキングに言われた条件は旅に出て一月で達成したと思っているが、
今度は青花との思い出に溢れた故郷に帰り辛さが出てしまった。
青花のいない故郷よりも、青花を遠く想う今の生活の方が気持ちが落ち着くせいで故郷へ伸びる足を重くしていた。
次はどこへ行こうか。公園のベンチに腰を下ろして面白そうな場所の情報を携帯端末で調べていると、一つのニュースが目についた。
『0から人間を作り出す技術 確立される』
その記事は学者のインタビューが長々と続き、妾には理解の出来ない事柄ばかりが記されいたが最後の言葉に思わず目を剥く。
『この研究は絶対に私たちだけでは成し遂げる事は出来なかっただろう。
今行われている全ての遺伝子研究の基礎を作った彼女は人間という種の救世主と言っても過言ではない。
姫木青花。彼女にはどれだけの感謝を送っても足りないよ』
気がつくと遺伝子に関するニュース記事を過去にさかのぼって調べている自分がいた。
探すまでもなく、多くの記事に青花の名前が添えられていた。
妾はそこで理解した。彼女がやった事。彼女が残した物。
きっと全ての人間。全てのアンドロイドは彼女が偉大な研究を成した人物だと思うだろう。
志半ばで倒れた悲劇の人だと後世には言われるだろう。
だけどきっとそんな大それた話じゃないんだ。
世界を変える、未来を変える。青花の残した研究はきっとそういった物で、それを残さずに死ねば世界は大きく変わっていただろう。
何千、何万の文字で綴られて。妾には理解出来ない図式や計算式で記されて。
複雑怪奇で大勢の人が理解できない様なレポートも本当に伝えたい言葉は10文字にも満たないだろう。
青花が残した妾だけに残したメッセージ。
「私はここにいるよ」
公園で遊ぶ子供達の喧騒の中、声が聞こえた気がした。
青花はもうどこにも居ない、だけど確かにこの世界に居る。そう想うと一転して故郷、霊園に帰ろうと気持ちが定まった。
腰を落ち着けたらやってみたい事は旅の中で色々と見つけていたし、今ではあの静寂に包まれた生活も懐かしく感じていたのもある。
帰ってみると様変わりした光景には驚かされた。
農園は無くなり舗装された道と花畑が目に入り、青花の家は増築されてホテルになっていたり色々と衝撃を受けた。
管理を投げ出した妾に文句を言う資格も無いので不満はあまり無いが、妾を追い出したキングに「旅が長すぎる」と怒られたのは不服だった。
「それで旅はどうだった?」
キングは長々と小言を言った後にそう付け足した。
「あちらこちらと旅をして……旅の終わりは何とも呆気のないモノじゃったよ」
「なにがあったんだ?」」
「まあ、話はゆっくりするとしよう。時間は沢山あるのじゃからな」
キングと、久しく会う友人と溜まりに溜まった話を交わし合う。
旅であった出来事。霊園の管理。外で出会った奇妙な人達。霊園に訪れた変な人達。
興が乗るままに一晩中話続けてしまった。
しかしそんな愉快な歓談の中、心に虚しさが差し込む。
今まで生きてきた時間のほんのひと時でしかない思い出が妾の頭から離れる事はなかった。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。
そうは言うがアンドロイドの妾の生が五十年で尽きるとは思わなかった。
霊園に籠ること20数年。目眩というアンドロイドにあるまじき体調不良が起きる様になったのでクヌギ(いつの間にのらきゃっとになっていた)に相談すると、
精密検査を受ける事になった。
検査の結果はエネルギー炉の劣化による機能不全。人間で言えば寿命とでもいうのだろうか。
近い内にエネルギーの生成は止まるらしい。
修理を受ける気のない妾を見て、クヌギはとても苦しそうな顔をするので最後にきっちりと気持ちを伝えて今生の別れをすました。
「そなたの元で生まれて……妾はそれを誇りに思っておるよ。だから泣きそうな顔をするのは止めて、笑って送ってほしいのじゃ。
なあ、お父さまよ」
朝の空気を揺らす風が体を撫でていく。僅かに湿り気をおびたその風を受けると自分が風の一部になった感じがして好きだ。
ネモフィラの咲く花畑をベンチに座り、眺める。人生の最後を彩るのに十分なその景色を記憶へと刻んでいく。
「考えは変わらないんだな」
眼帯をしたのらきゃっと、キングがどことなく気持ちを抑えた声で話しかけてきた。
「やりたい事や未練が無い訳ではないぞ。特に折角手に入れた青薔薇の苗。
残念ながらまだ蕾のままじゃ、後数日早く咲いてくれれば良かったのじゃがのう」
「それなら……もう少しだけ生きたらいいじゃないか。わざわざ死ななくても………」
知人、友人。妾が別れを告げた人物たちは皆、一様に死ぬことを止めようとする。
きっとそれは幸せな事なのかもしれない。だけども妾の考えは変わらない。
「寂しさがいつまでも埋まらないのじゃ……ずっとずっと……誰といても何をしていても妾の中に空いた穴が埋まる事はない。
だから、妾を思えばこそ死なせてほしいのじゃ」
二つのケースを取り出してキングに渡す。
キングは何も言わずにそれを受け取ると開いて中身を確認した。
「メモリーチップ?」
「一つは青花のデジタル化した記憶とDNA情報。もう一つは妾のデータ化した記憶が入っておる」
「それって……こんな物があるなら青花を作る事だってできるじゃないか?!死ぬほど寂しいなら今からだって……」
「何度もそう考えた。だけどそうしようとは踏み切れなかったのじゃ。きっとその選択は不幸しか生まないと思わぬか?
きっと生まれる其奴は妾の求める青花にはなり得ない……」
キングは手の中にあるそれを見つめて、逡巡の後に蓋を閉めてしまった。
「使い方は好きにして良いのじゃ。人間でもアンドロイドでも」
これで全てが終わった。後は一人で静かに終わりを迎えるだけだ。
黙ったままのキングに背を向けて、重くなった体を動かして家に向かう。
「おい!」
山に反響してこだまが返るほどの大声でキングが叫ぶ。
「お前が死んだら!目玉!!返して貰うからな!」
「好きにすれば良い!」
妾も釣られて大声で返す。
ほとんど動きを止めた身には少しばかり響いた。
ただの死に掛けか、大声を出したせいか。帰り道は思いの外辛かった。
後者だとあまりにも馬鹿らしいので原因は前者である事を願いたい。
道中、妾の体の中からエネルギーが生み出される感覚がなくなった。完全に止まってしまったのだろう。
残留したエネルギーで自室へと辿り着き、ベッドへ倒れ込む。
視界が霞み、手足が動かない。
しかしうつ伏せに倒れた姿ではあまりに格好がつかないので、全てを捻り出しどうにか仰向けになる。
胸元で手を組み、どうにか動けなくなる前に姿勢を整えた。
ああ、なんじゃ。気がつかなかったが窓が開けっぱなしじゃ。
しかしもう体は動かぬ。まあ、もう気にする事でもなかろう。
だんだんと目の前が白くなる。光の中にいるのか?瞳が何も映さず白に見えているのか?
どちらか分からないが悪い気はしないのう。
頬を撫でる風がまだ妾が生きている事を知らせる。
寝かしつける様に何度も……何度も………
風が吹く度に、母にあやされる子供のように不安が取り除かれていく。
うたた寝でもしたくなる様な優しい眠気が訪れる。
逆らわず、それを受け入れると、風がどこからか甘い香りを運んできた。
そうじゃ……確かこの香りは……青い薔薇の………
━━━━━
【50年前の冬のある日のデート。花屋の前にて】
「青い薔薇ってどう思いますか?」
色とりどりの薔薇が置かれたコーナーを見て青花が質問を投げかける。
「青い薔薇……綺麗で悪くないと思うが?」
深く考えず見て覚えた印象をそのまま答えにした。
「そうですか?私は薔薇の色としてはそんなに好きじゃ無いんですよね。
………毎日見る色をわざわざ花に求めないと言うか、私に似てるのが嫌なんですよね」
「お主が嫌いときっぱり言うのは珍しいのう。それで逆に好きな薔薇の色は何色じゃ?」
「好きな色ですか?私は赤色が一番好きですね。シンプルに愛情を伝える花言葉も含めてお気に入りです」
薔薇の花言葉は数で決まると何かで見た記憶がある。
その言葉を思い出しながらどれ程の数が適切かを考えたが、気軽な本数には収まりそうにはならなかった。
「それでヒイラギさんは?」
数々の花を眺めて見るが、妾の目を引くのは一つの色だけだった。
「ふむ……妾はやはり………青が好きじゃ。この色は嫌いになれぬ。
青花の髪と同じこの色は何と言われようと好きな薔薇じゃ」
「そんな風に言うのはずるく無い?そう言われたら私は嫌いなんて言えなくなりますよ」
むっとした顔で青花は並べられた一輪の青い薔薇を手にとり、顔に近づける。
「まあ……色が気に入らないのは変わりませんよ。だけどこの香りは私も好きです」
青花はその薔薇を妾に渡すと、スタスタと花屋を出て行ってしまった。
妾はもう一輪の薔薇を手に取り、急いで会計を済まして青花の後を追った。
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全て世は事も無し2 夏に夢見る少女達
私は私では無い人の夢を見る。
記憶から遺伝子を生み出す技術を用いて生まれた子供達には多く見られる現象だ。
お母さんから言わせると遺伝子の見せる前世の記憶で意味の無い映像らしいが、
そうは言われても自分の目線で人の生きている様子を見せられると、どうしても気になってしまうものだ。
それだから、その夢にテレビで見るドラマ以上の価値が無いと割り切るまでに私の年齢は10を超えていた。
同じく電子記憶遺伝子生まれの親友のサクラからは、見切りを付けるのが遅いと馬鹿にされた。
いつでも冷静なあの子からすると気にする様な物では無いのだろう。
しかし私たちの様に前世をハッキリと割り切れない子供達もいるらしい。
アンドロイドも人間の子供を持てる夢の様な発明と持て囃されはしているが、やはり万能ではない。
お母さんは「技術的に年に数人しか生まれないから、社会問題にまで発展する事はないよ」と苦笑いを浮かべていた。
10年以内を目処に解決をしたいと言っているが大丈夫なのか疑問だった。
教室でVRゲームに夢中になり、学校の閉まる時間を過ぎようとしている事に気がついた私が慌ててVRゴーグルを外すと、
親愛なる人物が私に冷たい視線を送っていた。
「長い。いつまで待たせるつもり?」
元々私を待たせたのは委員会の仕事をしていたサクラの方なのだけど、余計な言い訳はやめておこう。
「ごめん。暇つぶしのつもりが熱くなっちゃった。待たせてたなら声かけてくれれば良かったのに」
「ゲーム中に声を掛けて、そのせいで失敗したーとか言われても釈然としないじゃない?
だったら待って嫌味の一つでもぶつける方が良いわ」
「性格悪いなあ……まあ、いいや。早く出ないと先生に怒られるし早く帰ろうよ」
ゴーグルをしまい、席を立つ。
しかしサクラは何かを考えているかの様に窓から空を見る。
「少しいい?相談があるのだけど」
開いた窓から風が流れ、サクラの黒い髪を揺らす。
夕陽に照らされ、輝きを帯びて流れる髪が美しく見える。
「今日からしばらく……両親が出張で家に誰もいないの」
「へぇ、それは良いね。夏休みの始めから遊び放題じゃん」
「そうじゃなくて……わからないの?私が言いたいのは……」
サクラは一度こちらを見つめるがすぐに視線を逸らした。
「それって……」
夕陽のせいなのか、それとも実際にそうなのか。サクラの顔が赤らんで見えた。
胸が高鳴る。これはそういう誘いなのかと思わず唾を飲む。
「うん……あなたの家にしばらく泊めて欲しいの」
そう言い放つとサクラはプーーっと息を吐き出し、そこに来て私は気づく。
「あっ!からかった!今私の事からかったでしょ!乙女の気持ち弄んだ!!」
「欲望を剥き出してどこが乙女よ?」
そう言ってサクラは恨めしく睨む私を無視して教室を出て行く。
「ほら、早くしないとバスがなくなるわよ」
私に向けられたサクラの手を振り払うなんて出来る訳が無く、私は渋々手を繋いだ。
今日の晩ご飯等を買いにスーパーに寄り、鮮魚コーナーに並ぶ魚達を見つめて何を作るか考える。
「今日のご飯はクリスが作るんだ」
「うん。ここ最近帰るタイミングが悪くてずっとかあさんのご飯だからさ、ちょっと辛いんだ……」
「前から思ってたけどキングさんのご飯そんなに辛いの?」
ブリの照り焼きか、カレイの煮つけか。どちらにしようか。
「辛いは言い過ぎたけどかあさんの料理って、和なら和の味、中華は中華の味って一定のラインを絶対に外れない味がしてね。
それに気づいてからかあさんの作るメニューに凄まじい飽きを感じるようになってさ……出来るだけ食べる期間を離したいの」
「ああ。ニュースで前に見たわね。味の感覚が人間とアンドロイドで相容れない場合が有るって」
「私がいないと月光浴でエネルギー補給済ます日も有るみたいだし、食事に興味が薄いのかもね」
そうだ、サーモンのソテーにしよう。ふと思い付いた第3の選択を選び、サーモンの切り身とお菓子を買ってバス停に向かった。
買い物を終えて、今日の最後の無人バスにギリギリ乗り込む。
夜の前に、郊外へ向かうバスの中には私達以外の乗客はいなかった。
正直に言うと夜に染まり行く空を一人で眺めて帰るのはとても寂しいので、サクラが一緒にいてくれるのはそれだけで嬉しかった。
「夏休みの予定、まだ何も決めてないよね」
行けるかどうかは別にして、二人で行ってみたい所を話し合っている内にバスは私の家に到着した。
玄関の扉を開いても広いロビーには誰もいない。
私の家はホテルをやっているが、近くの霊園に来る人が主な客層なので、お盆のシーズンを除けば月に何人かの物好きが泊まる程度で普段は寂しいものだ。
「ただいまー」と声を上げると、ロビーの横の土産物屋からかあさんが顔を覗かせた。
「おかえり。なんだ、サクラも一緒か」
「はい。お邪魔します。数日間、両親がいないのでキングさんの所に行くようにと」
「そういえば先週頼まれてた……身内の事になると雑になってしまうな……」
かあさんの口ぶりからすると、頼まれてたいたのにすっかり忘れていた様だった。
今ばかりはそのミスに感謝したい。
「部屋ならいいよ。私の部屋で布団並べるから」
「そうですね、夏休みの予定とか二人で話したいのでクリスの部屋にお邪魔するので大丈夫です」
かあさんは少しばかり訝しんだ目で私達を見つめた後「サクラがそれで良いなら」と納得してレジに戻って行った。
今日の晩ご飯は会心の出来だったと思う。
メインのサーモンのソテーのベストな焼き加減により生み出された小気味良い歯応えが最高だった。
塩加減もベストな塩梅だったので、二階にある自室へ戻るとしっかりレシピ帳に書き残した。
「作る時に見返さないのに、細かいよわね。ソレ」
私のベッドに上でダラケながらサクラがヤジを飛ばして来る。
「別にいいの。ただの趣味だし」
半ば日記の様にその日にあった事も書いているのだが、それがバレるのも恥ずかしいのであまり反論はしないでおいた。
「とりあえず予定決める前に布団の用意しないとね。サクラはかあさんから布団出してもらって来て」
サクラは簡単に返事をして一階に降りて行った。
私は私物を片付けて布団を置くスペースを作っていると、サクラは布団一式を抱えてすぐに戻って来た。
サクラを招く様に扉を大きく開いて入って来るのを待つが、何故だかサクラは横を向いたまま何かを見つめていた。
「どうかしたの?」
「気になっていたんだけど、クリスの部屋の向かいにある部屋ってずっと立ち入り禁止になっているのはどうして?」
サクラの言う通り向かいにある部屋はもう長い間、開いていることさえ見覚えの無い、いわゆる開かずの扉だった。
「私もわかんないんだ。かあさんに聞いてもはぐらかされるだけだし」
布団を部屋の真ん中に置いてからもサクラは扉に視線を送っている。
「入ろうと思った事はないの?」
「何度か有るけど失敗ばっかりでさ…セキュリティも結構厚いんだ」
私は自分の机の棚から鍵を取り出した。
「マスターキー複製したけど入れなかったし」
「とんでもない事さらっとやるわね……」
鍵の使用履歴はしっかりセキュリティシステムに保存されるので何度も使用できる物ではないので今まで一度しか利用はしていない。
「鍵を開けると今度はパスワード要求されちゃってそこで手詰まり。ミスしたらかあさんにバレそうだからそれ以上はね…」
「パスワードって……電子ロック?それなら……私ならできると思うわ」
夜も更け、虫達も眠りについた時間。
私達はひっそりと廊下に出た。静まりかえった廊下は、いつも以上に闇に包まれている様に感じる。
誰に迷惑を掛ける訳でもないが、秘められた物を破る罪悪感がそう感じさせるのだろうか。
わずか二歩も歩けば辿り着くその扉が、不思議と遠く感じた。
ガチャリ。
ゆっくりと回したつもりだったが、鍵を回す音が大きく響いた。
思わず唾を飲み、後ろを向いた。冷や汗を流しながらサクラはPDAを見つめる。
そして扉にパスワードの入力画面が表示されると、PDAを数回タップした。するとカチンと大きな音が響き扉が力なく開いた。
なんだろう?甘い何かの香りを感じた。
「なにやったの?」
「セキュリティシステムを一瞬だけ乗っ取ったの」
計画が上手く行き、涼しい顔をしているサクラが少し恐ろしく見えた。
「べっ…別に犯罪に使うつもりはないから!ただ学校の資料貰うのに先生の許可貰うのが面倒な時しか使ってないわ!」
「そんな理由でそんな危ないアプリ作ったんだ……」
「クリスこそ鍵を一度盗んでるじゃない、手段について論じるならアナタだって十分アウトでしょ?」
そう言われればそうだった。「そうだね」と短く返して話を切る。
これからは身の回りの隠したい物に電子ロックを使うのは控えようと心に誓った。
扉を潜ると、そこには想像していた部屋とあまりにも違う部屋がそこにはあった。
薄汚れたいかにも何かを隠している雰囲気のある怪しい部屋だと思っていたが、一言で言うなら女性的な部屋が広がっていた。
整然と整えられた紅茶の空き缶。数多の色を抱いた手織りのタペストリー。部屋の雰囲気に合わせた家具が綺麗に部屋を彩っていた。
「なんか……なんだろう?凄い普通の部屋だね。こういう部屋で暮らしたいって憧れるような…」
「そう?綺麗だと思うけど、私はもっと物が少ない方がいいわ」
部屋を眺めて見た感じからすると、この部屋は定期的に掃除されている印象を受けた。
私がいない間にかあさんがやっているのだろうか?
誰も使った様子のない家具ばかりが目に入るが、ベッドだけは様子が違った。
青いバラのドライフラワーがベッドの上に置かれている。香りの正体はこれなのだろうか?
それは整頓され、部屋主がここに来ればすぐに使えるように整えられた部屋の空気からは明らかに浮いていた。
「これはなんだろう?」
サクラは手を伸ばすと、ドライフラワーの影に隠れていた小さな箱に手を伸ばした。
箱を拾い上げるとサクラは躊躇なく箱を開いた。
「ひっ」
口から空気が漏れたような小さな悲鳴を上げる。
私も興味にひかれるままに箱の中身を覗く。それが目に入った瞬間、恐怖から思わず体が跳ね上がる。
目だ。赤い目がこちらを覗いていた。
「あっ……あわわっ」
その視線から逃れる為に一歩後ろに下がったつもりだったが足をもつらせて尻餅をついてしまった。
「クリス。落ち着いて、これはアンドロイドのパーツよ」
私より早く冷静になったサクラが大袈裟に倒れた私を諭した。
「アンドロイドの?………でも何でそんな物が?」
恐怖は治ったがまだ心臓はバクバクと高鳴っている。
落ち着かせる為に何度か深呼吸をしていると、尻餅をついたままの私にサクラが手を伸ばした。
「ありがとう」
そう言ってその手を取ろうとした瞬間、ドアを叩く轟音の後に怨嗟に塗れた怒りの声が部屋に響いた。
「部屋の物に手を出してみろ。触れた物の数だけ貴様を斬る」
殺気というのはああいう気配の事を言うのだろう。
ブレードを振り上げるその影を見た時、私は意識を手放した。
目を覚ますと、ロビーのソファーの上に寝かされていた。
私が起きた事にかあさんが気がつくと説教の時間が始まり、
先程までの悪鬼にしか見えなかった姿から一転して、ふりふりのレースのパジャマを着たかあさんにしっかりと叱られた。
私のマスターキーの複製は没収され、サクラはアプリを消した所で再び作れるので、代わりに明日反省文を書く事を条件に許してもらった。
「好奇心を持つなとは言わないけど、目的と手段はしっかり選ぶ事!」
「「はい!申し訳ありませんでした!」」
反省の意を頭を下げてきっちりと示して、説教は終わった。
そこでかあさんが黙ったのを確認すると、サクラは厚かましい二の句を繋げた。
「キングさん。もし良かったらあの部屋が何なのか教えてくれませんか?」
叱られた直後に部屋の話をサクラはむし返した。
そんな事を聞いて大丈夫なのかと思ったが、かあさんは意外にも落ち着いた様子で考えていた。
ソファーに座る私達を見つめてから向かいのソファーに座り、口を開いた。
「この話は……アナタ達とは関係が有るけど、アナタ達の人生とは関係の無い話。そう思って聞いて欲しい」
かあさんが今まで見せた事のない真剣な面持ちで私達に語りかけて来る。
「それはどういう事なんですか?」
「サクラの両親とも話し合って決めていた事なんだ。話すタイミングも私に任されている。
二人には過去の事は知る権利が有るし、きっとその上で乗り越えて行けると信じているよ。
覚悟をして聞いて欲しい。自分の前世の話なんて、毒にならない訳がないんだから」
かあさんはゆっくりと話をしてくれた。
ヒイラギと青花という二人の話、今まで話してくれなかったかあさんの片目の話も。
話を聞いていく中、夢で見た景色が何度か頭に浮かんだ。サクラも同じなのか困惑している様子が何度も見られた。
「そしてヒイラギは修理を拒み、今の体を寿命として死んだのさ。
あの部屋はそれっきり片付ける気が起きなくてね……当時のままだ」
そこまで喋るとかあさんは空を見つめる。
話はこれで終わりなのだろう。まだ頭の中で整理しきれない気持ちが溢れているが、ひとつだけハッキリと疑問が残っていた。
「かあさん、あの部屋の事はわかったけど……あの箱に入った目玉はなんなの?」
「アレか、アレは私の……元々は私の目だった物さ。話しただろ?ヒイラギに負けて取られて、死んだ後に譲られたのがアレだ。
戻さないのかと聞きたそうだから教えてやる。私はこの私が存外好きなんだよ」
眼帯をツンツンと指で叩きながら、照れくさそうに笑う。確かに、私としてもかあさんの今の顔立ちが好きだ。
「それとだ、結構最近なんだ。ヒイラギを埋葬したのって。
お前達が恋仲になったと聞いた時、やっと踏ん切りがついてその時になって目を返してもらった……
ヒイラギを埋めてから気づいたよ、ずっと未練だったんだ。私がヒイラギの生きる意味になれなかったのが」
かあさんは箱を手に持つと、開く事なくじっと見つめていた。
私には今かあさんがどんな感情を抱いているのか、察することは出来なかった。
だけど、かあさんの思いをわかってあげられるのはただ嬉しいだけじゃなくて、きっと悲しい事なのだというのは理解できた。
好奇心猫を殺す。
今回死んだのは猫でなく私達のテンションだったのは幸いか。
語りすぎて恥ずかしくなったかあさんに「散れ!」と言われたので落ち着かない気持ちのまま布団に潜りこむ。
私達の元になった人達の境遇を悲観して初等部の頃は近くにいる様に細工をしたが、中等部に入る前にはやめたらしい。
つまり私とサクラの気持ちに他者から介入はないとかあさんは言いたかったのだろう。
気づかいのつもりだろうが、そう言われる方が自分の気持ちに自信がなくなる。毒と言っていたのはそういう事なのだろうか?
寝付けずにモヤモヤしているとサクラがぬっと立ち上がった。
「眠れないの?」
「あんな話聞かされたらね……サクラも眠れなさそう?」
「うん。だから……横、入ってもいい?人肌が恋しくなってたまらないのよ」
「そっか、いいよ。私も一人だと落ち着かないや」
ベッドの上にスペースを作ると、サクラはそこに入ってきた。
人肌が恋しいという気持ちに偽りはないのか距離が非常に近い。
「ねえ、クリスは私のこと好き?」
「好きだよ。だけどちょっと自信無くした」
「あんな話聞かされたらしょうがないわよね。私も少し自信がなくなったわ。だから手を貸して」
言われるままに手をサクラに近づけると、サクラは私の手をギュッと握った。
「こうやって繋がれば確かめ合うのにちょうど良いと思わない?」
「そうかも」
ただ手を繋いだだけなのに心が軽くなった気がした。
気持ちが晴れると途端に目蓋が重くなる。
「そういえばバタバタしてて何も決めてないわね」
「明日は……明日の予定は明日決めよう……」
「そうね………時間は有るのだし慌てる必要はないもの………おやすみ、クリス」
おやすみ。と返したつもりだったが眠気からその言葉が口から出ることはなかった。
しかし、そんな私よりも早く寝てしまったのかサクラの心地良さそうな寝息が聞こえてきた。
それならもういいか。
私はサクラの手の暖かさを感じながら眠りに落ちていった。
これにてグレイブディガー完結です
ずいぶん時間は掛かったけど書きたい事は書く事ができたと思います
もしよろしければ評価、感想をお願いします
疑問があるならお気軽に聞いてくれても構いませんので
ここまで読んでくれて本当にありがとうございました!
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