テクスチャの少女 (明神阿良也のオタク)
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狂人が生まれた日

久しぶりの一次連載。よろしくお願いします。


 とある休日の昼下がり。市村紅里(いちむらあかり)は、小学校の友人達と遊びに出かけていた。小学五年生の彼女にとっては休日に友人と遊ぶことが何よりの楽しみであり、その日も両親から設けられた門限の直前まで校区内を巡って遊び回った。

 

「紅里ちゃん、またね!」

「うん、じゃあね、また明日!」

 

 普段通りの日常。少女にとってかけがえのない時間だ。名残を惜しむように一度だけ振り返って、紅里は足を自らの家へと向けた。

 

 門限の五時前。部屋の明かりを付けるほど暗くはないが、それにしてもやけに人の気配が感じられないような気がして、紅里は家に入る時に僅かな違和感を覚える。

 

「ただいまー!」

 

 玄関で靴を脱ぎながら鍵を閉めて、リビングの方へ声を張り上げた。それでも足音や返事が聞こえないことに疑問を覚えて、もしかして出かけてしまったのかと少し寂しさを覚えながらリビングのドアを押し開ける。

 

 気がつくべきだったのだ。何故家族が少女に何も言わずに消えてしまったのか。この家に立ち込める鉄臭さは何から立っているのか。

 しかしそれを小学五年生の少女に求めるのも無理な話。結局紅里の運命がこの日に歪むことは決定づけられていた。

 

「やあ、おかえり」

 

 少女を迎えたのは温かい家族の言葉ではなく。歪んだ笑みを浮かべる長身の男だった。紅里にそこまで気を回す余裕はなかったが、男は至って普通の服装をしていた。街に紛れ込んでいたら、あるいは道ですれ違っても違和感を覚えることもないだろ平凡な服装。

 

 そしてその足元には血塗れの少女の家族()()()()()が転がっていた。

 

「ひっ、あ、だ、だれ!? あ、ああ、お母さん、お父さん! 康太も!」

 

 一瞬で叩きつけられた情報量に思わず脳内の動揺を口走りながら、紅里は近くに倒れていた母親に駆け寄った。その身体には何度も刃物を突き立てられた穴が空いており、今も大量に血を流している。既に命の灯火は掻き消えていた。

 

「キミのお母さんはもう死んだよ。みんな私が殺してしまったからね」

「ひっ!?」

 

 駆け寄ったはいいが母親にどうすることもできず、現実を受け止められないままオロオロとしていた紅里に、男が笑いかける。

 

「ど、どうして」

「どうしてって……そりゃあ……どうしてだったかな。きっと楽しいからだ」

 

 手に持ったナイフを弄びながら、紅里に気づかせぬよう男が退路を塞ぐ。殺人犯だけあって、用意は周到だった。

 

「趣味みたいなものさ。人が絶望する顔とか、恐怖する顔とかそういった表情が好きなんだ。サスペンスじゃあ満たされないから、仕方がない」

 

 そう言って男がナイフを振り被る。しかし、鋭利な刃が突き立ったのは致命傷には遠く及ばない紅里の太腿だった。鮮血が噴き出し、滴り落ちる。

 額に滲んだ脂汗が、前髪を張り付かせた。

 

「あっ!? うぐぅ……」

「ほら、その顔だよ。叫ぶのを我慢できて偉いねぇ。そのぶん痛そうだけど」

 

 痛みに顔を歪める紅里を見て恍惚とした表情で殺人鬼は嗤う。逃げなければ、とようやく紅里が退路を探し始めた時には、殺人鬼は既に道を塞いでいた。

 子供に極限下で判断を求めるのは酷ではあるが、紅里は些か油断し過ぎた。親を殺した人間から逃げるどころか剰え会話をするなど、どう考えても異常行為だ。男があまりにも自然体だったという理由も、あるにはあるが。

 

「うん、そうだね……それなら、チャンスをあげよう」

「…………」

「三つ数えるから、それまでに外に逃げ切れたらキミの勝ちだ」

 

 殺人鬼はまたも嗤った。彼は楽しくて仕方がなかったのだ。小さい子供を護る両親を嬲り殺しにして随分と満たされてはいたが、その後に現れたのはやけに冷静な子供。彼にとって食後のデザートのような少女は、彼を昂らせるに足るものだった。

 

「さん」

 

 有無を言わさず数え始める。痺れて動かない左足を引きずって、紅里が玄関へと足を進める。男の脇をすり抜け、血を滴らせながら、廊下へと倒れるように駆け込んだ。

 

「にい」

 

 だが、思うようには進まない。使えない片足が訴える痛みは、想像以上に紅里の足を鈍らせた。震える手で壁を押して支えながら、つとめて痛みを意識しないようにする。それでも、小学生の身には重すぎる負荷だった。

 

「いーち」

 

 玄関のドアへあと少しで手が掛かる、という所で、リミットを告げる男の声が聞こえた。

 

「ゼロ」

「い、嫌っ……!」

「はい、ざんねん」

 

 思わず振り返ってしまった彼女が目にしたのは、血の着いたナイフを振りかぶって楽しそうに笑う男。それが、市村紅里が最後に見た光景だった。

 

 

 

 


 

 

「……また、この夢か」

 

 春が近づくとよくこの夢を見るようになる。私の人生が明確に狂ってしまったあの日。

 どうしてこうなってしまったのだと悔やんでも、過去は変えられない。結局、私はこの境遇を受け入れるしかないのだった。

 

 寝汗を吸ってしまった布団から起き出して、寝巻き着を着替える。布団に消臭剤を吹き掛けて、後で祖母に干しておくように頼まなければと思いながら学校へ行く準備をする。すっかり馴染んだ高校のセーラー服を着て、時間割の確認をしながらサッとカバンの中身を改めた。

 忘れ物がないかの確認をしてから、自室を出る。目覚めは良くなかったが、色々やっているうちに眠気と気だるさはマシになっていた。

 

「おはよう、紅里」

「うん、おはよう」

「ご飯はできてるよ。お弁当も置いてあるからね」

「ありがとう。あ、あと布団を干しておいてくれる?」

「はいはい、今日は晴れみたいだからちょうどいいわね」

 

 居間に入ると、ちょうど祖母が朝食をテーブルに並べ終えたところだった。ご飯と味噌汁、卵焼きと半身の焼鮭とほうれん草のおひたし。品数はそれなりだけど、一品毎の量は少ないから食の細いあっさりと食べられる。低血圧とかでもなく朝から食欲はある方だし。

 作ってもらった弁当も忘れない内にカバンに仕舞って、布団のことも頼んだ。歯を磨いて顔を洗って、特に跳ねてもいなかったけど少しボサっとしていた髪を梳けば、起きてから30分程で支度が完了する。女子にしては早い方だろうとは思っているが、特に聞いたことはないので分からない。

 

「じゃあ、いってきます」

「気を付けるのよ」

「わかってる」

 

 本気で心配のこもった声を背中に受けながら、歩きづらい革靴の調子を調えつつ歩き出した。

 

 

 市村紅里の家族が一人の男によって惨殺されてから、もう五年が経とうとしている。

 結局あの日、私は死ななかった。一家惨殺が成る目前で意識を失った私が目を覚ましたのは、総てが終わってしまってからだった。

 

 殺人鬼は最後の一人を殺す直前に謎の心臓発作で死亡し、音沙汰のない家を不審に思った近所の人が警察に通報した頃には既に家の中の生者は私だけになっていたのだという。警官が到着した時、さぞ困惑したことだろう。

 私が祖母に引き取られて日常生活を送れるようになってからも、市村家を襲った男は世間を騒がせていた。当時警察が(こぞ)って捜索していた連続殺人犯で、今でも平成最悪の殺人事件の一つとして私達の記憶に焼き付いている。

 

 最低でも27人。付近の行方不明者、関連事件とされるものを合わせると50人近くを殺しているのではないかと言われている。優秀な日本の警察がこれほどまで後手に回ることは普通に考えてありえないことであり、平成のジャック・ザ・リッパーとまで呼ばれているそうだ。私も本を買って読んでみたことがある。中身はくだらない憶測ばかりだったが。自称有識者達の的外れな弁論に買ったことを後悔して、売るのも面倒くさくて本棚の奥の方にしまいこんである本を私が開くことは二度とないだろう。

 

 

 過去に思いを馳せている内に学校が見えてくる。この時期はよく五年前へと思考が飛ぶ。左太腿の刺傷が疼く度に、血の匂いが立ち込めるあの部屋を、身体にぞわりと震えるような感触を刻むナイフを思い出してしまう。

 

 学校名が刻まれた校門を横切り、少し時間が早い為に人も少ない下足ロッカーを通って教室へ。朝練習に向かった生徒のものか、荷物は幾つか置いてあったが教室には誰もいない。

 

 学生らしく自習をしようにも課題は終わらせてあったから、担任が生徒の為にと持ち込んである本棚の中から適当なミステリを抜き取って読むことにした。

 

 気が向けば読む程度のものだが、読書は好きだ。特にミステリジャンルが。だが、例えば名探偵少年のマンガのようなトリックを目立たせる形式よりも、もっとドロドロとした憎悪と陰謀が渦巻くようなヒューマンドラマを好むので、同年代の読書家とは大概趣味が合わない。それ以外も勿論読むけど。

 よく考えれば、私のような境遇の子どもがこういった作品に拒否反応を示さないのもおかしいのではないかと思う。表立って嗜好をひけらかすことがないからどんな反応をされるか分からないが。

 

 それに、二丘山殺人事件と名付けられたあの事件のことを知っている人間はこの学校には恐らく居ない。もしかしたら、祖母が教師には話してるかもしれないけど。それも過去の騒動を考えればきっとないだろう。

 

 

 ちらほらと教室に入ってくるクラスメイトをスルーしながら本を読んで20分程。挨拶くらいは返すが、高校生活は始まったばかり。クラスの雰囲気が馴染んでいるとは言い難い。そんな私にも、仲の良い友人はいる。

 

「紅里ー! おはよっ!」

「うん、おはよう陽菜」

 

 声をかけてきたのは間宮陽菜(まみやはるな)。中学の頃に知り合ったから、多分付き合いは3年ほどになる。初めはあまり話が合わなかったが、明るい性格で引っ張り回してくるので自然と付き合いが良くなってしまった。私自身はクラスメイトと話すことも少ないのだが、誰にでも気さくに接する陽菜が近くにいるおかげで気を使わなくてもクラスで浮かないので大変助かっている。

 もう一人、よく話す相手はいるけれど、そっちは別枠だ。友人と呼べるかも怪しい関係な上に、随分と歪な関係になってしまったから、私もどう形容すればいいのか分からない。

 

 

 登校時間の五分前に教室に入ってきた陽菜に返事を返して、読んでいた小説に栞を挟んで閉じた。

 

「紅里はいつも早いねー。早起きしんどくないの?」

「朝は強い方だからね。どうせ部活やってるわけでもないし」

 

 部活には入っていない。同好会としてたまに活動しているテニス部に所属してはいるが、たまの活動にもほとんど顔を出さない予定でいる幽霊部員状態だ。日常生活で著しく体力を消耗することは少ないし、疲れが原因で起きられないということもまた滅多になかった。

 陽菜はと言えば、県内でもそれなりに上位にくいこむ女子バドミントン部のエースだ。一年生にも関わらず、一番強いらしい。自称だから本当かどうかは知らないが、彼女の性格からして無用な嘘はつかないだろうからきっとそうなんだろう。

 

「あたしは朝弱いからなー。羨ましいや」

「体質はどうしようもないからね」

 

 低血圧の人は特にだが、誰だって朝は気だるいし眠たい。陽菜が感じるしんどさがどれほどのものなのかは分からないけど、私自身何とか朝は気合を入れて起き出している現状、根性とか気力で乗り切る以上の有効策は考えられなかった。

 

「ほんと辛い……もう慣れたけどね。ああそう言えば、今日の放課後空いてる?」

「まあ、空いてるけど。どうしたの?」

「ほら、桜並木のところで屋台出てるでしょ? 行ってみたいなーって」

「うん、それならじゃあ、行こうか」

 

 近くを流れる川の堤防に、二キロほどの桜並木がある。そこの堤防を一段降りた場所は車で走れるほどに広い幅が取られていて、毎年桜が満開になると屋台が出て花見祭りが行われるのだ。

 屋台とは言っても大したものではなく、私も今まで行ったことはなかったが、せっかくなので行ってみるのも悪くないだろうと誘いに乗る。

 

 親友と、少なくとも険悪でないクラスメイト。

 今度の高校生活は、悪くなさそうだった。



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桜の樹の下には

 教師が話しながら黒板に書いていく文字を追って、罫線の引かれたノートに文字を写し取る。合間に軽く教室を見回してみれば、昼食後の五時間目の授業ということもあって寝ている生徒がちらほら見られた。ちなみに陽菜はどうかと言えば──もちろん眠っている。テスト前にノートを貸し出すことになりそうだ。

 

 

 

 

「ふッ──ふッ──ふぅッ──はぁ、しんどいっ」

 

 グラウンドを踏みしめて、また次の一歩を踏み出す。ひたすらにそれを繰り返す。あと200メートル、グラウンド一周で終わりだと考えながら、思わず弱音が口をついて出た。

 

 六時間目の体育なんて大っ嫌いだ。

 

 体力測定、なんてものがある。握力やら持久力やらを測る、運動嫌いの生徒にとってはつまらない上にしんどい地獄のようなイベントだ。

 運動が苦手でない私も、ストイックに上位の成績を残そうとか自分の記録を伸ばそうとかそういった向上心が全くない為、この手のイベントは大っ嫌いだった。

 

 それも、測定の一番初めに来たのがグラウンドでの1000メートル走。何を隠そう、私は長距離走が一番嫌いだった。得意不得意で言えば得意な方ではあるのだが、嫌いなのだ。マラソンなんてものは辛くて、苦しくて、ひたすらに自分と向き合う競技だ。私には向いていない。

 

 踏み込む足が痛くて、荒くなった呼吸で喉が変な音を出す。少しいがらっぽい。自分の足音ではない──少し後ろから迫ってくる足音にイライラして、少しペースを上げた。

 

 ──3分36秒

 

 2クラス合同の中ではトップだった。これが高校生の基準でどれほどなのかはイマイチ分からないが、少なくとも陸上部でトップを張れるような速さではないだろう。全体ではかなり上位だと思うけど。

 10秒ほど遅れて陽菜がゴールする。後ろから着いてきていたのは彼女だったらしい。

 

「あ゛ー、疲れた。二度と走らない……」

「それは無理でしょ。まあでも、陽菜に負けなくて良かった」

「50メートルはあたしが勝つから!」

「ん、また明日ね」

 

 ゆっくり歩きながら呼吸のペースを調えて、若干込み上げる吐き気を飲み込みながら体操着をはためかせて熱を冷ます。座り込んでいる陽菜の横に立っていると、私の陰に陽菜が移動した。

 

「……変わんない」

「そりゃそうでしょ。私を日陰にしたって涼めるわけないじゃん」

 

 校舎側のスペースに置いておいた水筒から水を飲めば、とりあえずある程度体力は戻る。疲れはそのままだが、息切れも止まっているしひとまず落ち着いた。

 

「ねー、お茶忘れたから紅里のちょーだい」

「……まあいいけど。陽菜が気にしないならね」

「今更じゃない? こんなこと何回かあった気がするけど」

「そうだっけ」

 

 飲みかけの水筒を座り込んだままの陽菜に手渡す。水を嚥下する様子に、なぜだか一瞬目を奪われた。

 

「全部飲んじゃっていいよ。もう授業ないし」

「ん、ありがとー」

 

 少し茶色がかった髪をかきあげて陽菜が笑う。相変わらず懐っこい笑みだなと、少し昔を思い出した。昔と全然変わらない。

 

 

 

「んじゃー、行きましょー!」

「あ、直接行くの?」

「もっちろん! どうせ荷物もないんだし、帰るの面倒でしょ?」

 

 陽菜の提案で、学校帰りの制服のまま花見に繰り出すことになった。学校から暫く歩くと、同じく花見に向かっているのだろう家族連れなどによく出会う。同じ学校の生徒もちらほらと見受けられた。

 

「流石に人多そうだねぇ……」

「そりゃそうでしょ。春休みだったらもっと酷かっただろうね」

 

 例年の満開は春休みの最後に掛かるくらいだったような気がするが、今年はどうやら少し遅かったらしい。最近テレビのニュースなんてとんと観ないので、開花情報など気にしていなかった。

 

「……カップル多いね」

「イベントだからね」

 

 陽菜の言葉を聞いて改めて周囲を見渡すと、確かにカップルが多い。しかしそれも当然のことで、花見に祭りとなれば真っ当なカップルの多くは食いつくだろう。特に女子ははしゃぐのが好きだ。

 だが、私達のように同性の友人同士で来ている人も相当数いるので浮くようなことはない。

 

「紅里は」

「うん?」

「紅里は、誰か一緒に来たい人とか居ないの?」

 

 突然そんな話をされる。ぱっと思い返しても、私がこんなことに付き合う相手は陽菜くらいだ。強いて言うならもう一人いるが、彼女はこんなイベントに私を誘ったりはしない。

 

「いないよ、別に。人付き合い良いほうじゃないし」

「……そっか。ごめんね? なんか変な話しちゃって」

「気にしないって」

 

 何で突然、そんなことを聞いてきたんだろう。考えても、当たり前のように答えは出ない。

 私から見た陽菜は、明るい性格をした普通の女子高生だ。髪は茶色がかっていて、顔立ちもいいから中学の頃は結構モテていた。分け隔てなく、と言うと大袈裟かもしれないが、誰にでも明るく話しかけている印象がある。

 少なくとも、平静であってそんな自己を低く見るような不用意な発言をするタイプの人間ではない。だから、彼女にはなにか思うところがあったのだろう。悩みを抱えているのかもしれない。

 

 だからと言ってその問題に首を突っ込むかといえば、否だ。私の一番の友人は間違いなく彼女だが、彼女の一番の友人はきっと私じゃない。仲がいい方だとは思っているけど。何でもかんでも突っついて許されるような関係じゃないのだ、私達は。あまりにそういった予兆が重なるのなら訊きもするが、今は時期尚早だろう。

 

 

 少し会話のペースが落ちる。人の流れに沿って少し歩くと、直ぐに桜並木が見えてきた。川沿いを彩る薄桃色の下に、多くの人が歩き回っていた。

 時折ヒラヒラと舞ってくる花弁を目で追ったりしながら、並木の下へと足を進める。

 

「おお、やっぱり綺麗だね」

「人は多いけどね」

「それはしょーがないよ。あ、紅里、一緒に写真撮ろ」

 

 さっきの暗さはなりを潜め、また楽しそうに笑った陽菜に手を引かれて並木の下まで歩いていく。灯篭、と言うのだろうか、時代劇の祭りに出てくるようなそれを模した灯りが木に括りつけてあった。もう少し暗くなったら灯るのだろう。

 

「私写真映るの下手なんだけど」

「盛るから大丈夫大丈夫」

「それはそれで複雑……」

 

 写真を撮られるのはあまり好きじゃなかった。写真映りが悪いのもそうだけど、何より自分の姿があとに残るというのが何となく気持ちが悪い。

 

「はい、チーズ!」

「そこは捻りとかないんだ」

「もう! いいじゃん別に!」

 

 一つため息を吐いた。それから笑顔を作って、陽菜の隣で笑う。

 ああ、魂が吸われる。これは、ただの迷信だけれど。

 

 陽菜が見せてきたスマホの画面。桜の下で陽菜と紅里が笑っていた。紅里の表情が、歪んだような気がして──

 そのままLINEに送られてきた画像を、私は消去した。

 

 

 風が吹く度に舞落ちてくる花弁の中を屋台の方へと降りる。

 小規模だとは言っても、屋台の種類は豊富だった。王道のたこ焼きやら焼き鳥焼きそば、クレープやスーパーボール掬いなんかも。この歳になって射的だとかスマートボールとかに興じるほど気分が乗っているわけじゃなかったけど、雰囲気だけでもとたこ焼きと人形焼きを買って、焼き鳥を買いに行った陽菜と合流する。

 

「何処で食べる?」

「あっちの段差でいいんじゃない。座れそうだし」

「そうだね。あと、ほら。クレープ!」

「焼き鳥買いに行ったんじゃなかったっけ」

「たまたま空いてたからね」

 

 オーソドックスなバナナとチョコレートのクレープを手渡されて尋ねれば、たまたま空いてたのだと返ってくる。クレープだったら回転率も低そうだし人気もありそうだから混みそうな気がするが……

 

 丁度いい感じのスペースに腰を落ち着けてたこ焼きを口に放り込む。少し冷めてしまったが、そのおかげで適温になっていた。

 それと、手渡されたクレープ。先にこっちから食べるべきだったかと思って少し後悔しながら、たこ焼きを飲み込んでそちらにかぶりついた。

 

「うわ、二つ一緒に食べるの?」

「……失敗した」

「あー……」

 

 同時に食べるわけじゃないからさほどでもなかったが、それでも食べ合わせは悪い。ひとまずたこ焼きのパックを閉じて、ビニール袋の中にしまう。唇の端に僅かについたクリームを指で拭って舌で舐めとる。行儀が悪いと言われそうだが、ここには陽菜しかいない。

 

「さっき私に他の人と来たかったんじゃないかって聞いたけどさ、陽菜は私を誘ってよかったの? そっちこそ友達多いじゃない」

「あたしは紅里と来たかったから……」

「なら、いいけど」

「でも、紅里はこういうのあんまり好きじゃなさそうだし……悪いことしちゃったかなって」

 

 クレープとたこ焼きを食べ終えて立ち上がる。人形焼は祖母へのお土産にすることにした。ビニール袋を閉じて、人形焼の袋ごとカバンに入れる。

 

「今更そんなこと気にする間柄でもないでしょ。私は誘われて嬉しかったよ? まあ確かに、あんまりこういう所には来ないけど……陽菜といるのは楽しいし」

 

 少しだけ、柄にもないことを言った。本心ではあるけれど、普段の私じゃ絶対に言わないようなことを。この時期になって、精神が揺らぎでもしているのか。本当に、柄じゃない。

 陽菜のことは好ましく思っているし、あくまで私の定義上だが、親友と呼んでいいくらいには仲がいいと思っている。だから一緒にいるだけで楽しいし、普段好まないような場所でも楽しめた。

 

「……それなら良かった。ちょっと心配だったんだ」

「大丈夫だよ」

 

 焼き鳥の串を近くのゴミ袋に放り込んで、陽菜が伸びをした。表情は先ほどと一転して明るく。

 

 

 あー、良かった。なんかちょっと不安だったから。私が受動的な付き合いばかりしかしてこなかったから、余計な心労を追わせてしまったらしい。少し、改めよう。

 

「それじゃあ、次はどうする?」

「桜だけ見て帰るってのも味気ないもんねー。んー、でも、屋台もそんなにないしー」

「特にこの辺、遊ぶものもないけどね」

「そうなんだよねー。ご飯でも食べに行く?」

「まあ、それくらいしかないか。お金大丈夫なら、食べに行こう」

「やったー! 何食べるー?」

「陽菜に任せる」

「うん、まかせてー!」

 

 

 

 

 ♦

 

 

 陽菜と食事をして、少し話をしたあと。時間が時間だからと解散することになって店を出た私は、街灯だけを頼りに新月の道を歩いていた。まだ流石に早いのか、カエルの声も聞こえない静かな道。すぐそばを通る車の音だけが静寂を壊す。

 

 なぁーお。

 文字にすればそんな風に聴こえる猫の鳴き声が近くからした。声が高いから、もしかすると子猫だろうか。

 

 声のした方に目をやって、暗闇に目を凝らすこと少し。こちらを見詰める翠の瞳と目が合った。黒猫だ。黒猫と言えば目が黄色のイメージがあるが、綺麗な翠をしている。

 懐っこい猫だ。人に怯える様子も警戒する様子もなく呑気に近づいてきて、私の匂いを嗅ぎ始めた。

 

「ノラとは思えないほど懐っこいな……でも首輪もないし」

「なぁーご」

 

 喉を撫でればゴロゴロと音を鳴らして目を細める。まるで飼い猫のようだ。少なくともこれでは、悪意ある人間からは逃げられない。動物はそういうものに敏感だが、人間の悪意というものは底抜けに深いものだ。

 

「私なんかに気を許さなければ、可愛がって貰えたろうに」

「ミ゛ャッ──!?」

 

 懐にしまってあった悪意を振りかざした。反射的に逃げようとした猫を掴んで逃さない。手の甲に少し爪がくい込んだがどうでもよかった。

 

 ナイフが食い込む感覚。

 

 抱いた温もりが熱を失っていく。紅い滴が生命と一緒に流れていった。

 だんだんと冷たくなる猫の身体に這わせた指が、悦楽に疼いた。

 



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やがて手折らるるとも

まさかまともにお気に入りが付くとは思わず……びっくりしているというのが本音でございます。ありがたいことです……


 

 父が蒸発した。

 私は母と二人きりで取り残された。

 ドアを蹴る音と怒鳴り声が恐怖の象徴だった。

 父は借金を残していったんだそうだ。

 当時の私には借金なんてよく分かっていなかったけど、父のせいで私がこんな目に遭っているのだということは分かった。

 取立ての男に怒鳴りつけられる日も、珍しくなかった。

 

 唯一残った肉親の母は、私に優しさを見せなかった。

 まともに食事も与えられず、励ましも慰めの言葉も投げかけられることはない。

 ヒステリックな叫びと八つ当たりの暴言。それと取立ての男に媚びる声が、私の知り得る母の声だった。

 

 そんな身でも、何故か学校へは通わされた。

 身なりも良くなくて、ボロっちくて。

 まともな愛情も受け取ってこなかった私は、やっぱり学校にも馴染めなかった。

 後ろ盾も立場もない私は、さぞ虐めやすい対象だっただろう。

 

 何度も死にたいと思った。

 でも何故か死ねなかった。

 

 あんなのでも母のことは好きだった。

 自分の身は可愛かった。

 

 死にたくて、死にたくて、逃げて、逃げて。それでも逃げきれなかった。

 

 

「大丈夫? 馬鹿だね、イジメなんて」

 

 たまたま差し伸べられた手のひら。声の主を見上げれば、逆光が目を焼いた。

 

「ほら、立って。私が護ってあげる」

 

 その日、彼女は私のカミサマになった。

 

 


 

 

 いつも通りの朝を迎えていつも通りに学校へ来る。少し前に陽菜と放課後に出掛けた以外は、ほとんど毎日同じような生活を送っていた。

 趣味と言えるものもほとんどなく、本を読んだり早寝したりと気ままに過ごしている。

 自堕落だねぇ、なんて陽菜に言われたりもするが、ある意味では最も賢い生き方をしてるんじゃないかと思う。たまに同好会にも顔を出しているし、気が向けば走ったりもしているから運動不足ということもない。

 

 休み時間には陽菜と話したり、話に混ざってくるクラスメイトと親睦を深めたりもして、つまらない授業を受ける。習うのは目新しさのない内容ばかりで、写し取るノートも無駄手間に思えてしまう。

 大して時間のない昼休みも、大概は教室で話している陽菜の一団にまじって端っこでぼうっとしていた。

 

 しかし、今日は陽菜が弁当を忘れて購買に買いに行くらしいのでそれに付き合うことにした。教室から少し離れたところにある購買は、既に昼食を買いに来た生徒でごった返していた。

 

「……少し離れたところで待ってるね」

「う、うん。うわー、これやだなぁ……」

「自業自得でしょ」

 

 流石に人混みに呑まれるのは嫌だったので、人が少ない辺りで待っていることにする。嫌そうな表情で人混みの中に陽菜が消えていくのを見送って、暇つぶしにとスマホの画面に目を落とした。

 

 

「あ、紅里ちゃん!」

 

 

 騒がしい雑踏を切り裂いて、私を呼ぶ声が聞こえた。知らない人間の声ではない。むしろ、馴染み深い声だった。

 

「瑞乃。ちょっと久しぶりかな。クラス同じにならなかったもんね」

「うぅ……残念です……紅里ちゃんと一緒が良かったのに」

 

 彼女の名前は朝丘瑞乃(あさおか みずの)。陽菜ともう一人、高校以前からの付き合いでよく話す相手がいると言ったが、それが彼女だ。とある一件から私によく懐いてくれているので、陽菜に次いで仲良くしている。

 

「一緒になれなかったのは残念だけど。どう? クラスで馴染めてる?」

「はい! 友達もできましたよ!」

「なら良かった。ちょっと心配だったから」

 

 高校新生活となって少しだけ瑞乃のことは心配していたが、どうやら普通に馴染めているらしい。少し親心というか、姉心というか、庇護欲をくすぐられるタイプの人間だから、何となく気にかけてしまう。

 特に私は彼女の境遇を知っているということもあって、余計にその傾向が強いらしい。そういうことになっている。

 

「今のところは大丈夫みたいです。本当に、紅里ちゃんには感謝しても──」

「ああ、そういうのはもう大丈夫だって。十分感謝は伝わってるし、私はそんな大したことしてないから」

 

 私が瑞乃を助けたのは、自分の楽しみの為でもある。だから感謝するような事でもないと言うのだが、彼女はそうは思わないようで、会う度にお礼を言ってくる。今ではもうそちらの方が都合がいいかと流してしまうことにした。

 

「それより、買ってこなくていいの? ここに来たってことは昼食買いに来たんでしょ?」

「あ、そうでした。それじゃあ、またお話しましょう」

「うん。今度遊びにでも行こうか」

「はい、是非」

 

 話もそこそこに、瑞乃は陽菜と同じように人混みに呑み込まれていった。特になんとも思っていなさそうだったのを鑑みるに、普段からこの購買で昼食を買っているのだろう。彼女の事情からして、自炊できる環境にいるとは思えない。

 

「誰と話してたのー?」

「お、買えたんだ」

「うん。ちょっと時間かかったけどね。それで、誰と話してたの? 同じクラスじゃないよね?」

「友達、かな。多分。陽菜も仲良くしてあげて欲しい」

「……本当に珍しいね、紅里がそんなこと言うの」

 

 私は滅多に他人との仲を取り持つようなことはしない。そういう立ち位置にいないからだ。だから珍しいと言われるのにはまあ納得だが、どうして陽菜が少し寂しそうな表情でいるのか分からなかった。

 

「そろそろ戻ろう。私もまだ食べてないし」

「……うん」

 

 

 

 

 5年前のあの日、市村紅里は狂ってしまった。ああ、そうだ。元からの異常者に、狂うという言葉は使わない。なればこそ、市村紅里を表するのに「狂者」という言葉は最も相応しいに違いなかった。

 

 他人の不幸を、絶望をこそ愉しみとする人間を、健常者とは言えないだろう。

 

 私は紛れもない狂人である。

 

 では、サイコパスかと考える。だが、それもまた否。多少当てはまる要素があっても、私は彼らほどズレてはいない。ただ歪んでいるだけだ。少なくとも私はそう思っている。私にも良心はあるし、共感性もある。他者を顧みる心を持ち合わせているつもりだ。ただ楽しみにするものが人とは違うだけで。

 

 

 離れた学区の中学校に入学して、退屈極まりない生活を送っていた三年前のことだ。他人の不幸を啜る私は、お誂え向きの獲物を見つけた。

 

 たまたま、イジメというモノを目にしただけだった。標的になっていたのは、さっき話していた瑞乃。どうやらクラスぐるみのイジメらしく、この分だと部活動なんかにも波及していそうな程の規模だった。主ないじめ役は四人ほど。瑞乃がまともに抵抗できるはずもなく、絶望に塗れた生活を送っているらしかった。

 

 そして、ふと思いついた。これは私の愉しみに使えるんじゃないかと。自身の風評をさほど落とすことなく、大義を得て人を痛めつけられる絶好のチャンス。

 

 しかし、どちらに与するべきか。安全なのは、虐める側に加担することだ。もしバレたとしても教師の説教が入るくらいで、相手が自殺でもしない限りはこちらに被害は及ばない。だが──

 

 それじゃあつまらない。大勢の一部となってイジメに加担したところで、それは私の渇きを満たすに足るのか。

 

 

「大丈夫? 馬鹿だね、イジメなんて」

 

 結局、私は虐められた側、つまり瑞乃の味方をしてみることにした。()()()()()()()()()()

 イジメをしている人間は、自分が逆襲されることなんて考えてもいないに違いない。そういう人間はえてして脆いもので、きっと面白い反応をしてくれるはずだと、そう思った。

 

「ほら、立って。私が護ってあげる」

 

 私が声をかけた瑞乃は、救われたような、疑うような、泣きそうで嬉しそうな表情をした。哀れで憐れで……少しだけ唆られる。

 差し伸べた手をおずおずと握った彼女を引っ張り上げてやれば、堰を切ったように彼女の蒼い瞳から涙が零れた。

 

「あれ……? なんで、辛くなんてなかったのに……」

「気が抜けたんでしょ。今日はもう帰っちゃおう」

 

 どうせ部活前の時間だ。彼女も部活動とかをやっているのかもしれないが、すっぽかしていいだろうとカバンを持った瑞乃の手を引いて学校の外に連れ出したのを覚えている。

 

「話、聞いても大丈夫?」

 

 こくりと頷きが返ってくる。場所をどうしたものかと考えて、いっその事家に呼んでしまう事にした。祖母に連絡を入れておいて、瑞乃の手を引いたまま家の方へ連れていく。

 

「家に来なよ。外で話すよりはいいでしょ」

「あ、でも……」

「何かあった?」

「迷惑は……かけたくないんです」

「……今日はそういうの気にしないでいいから」

 

 少しだけ渋った彼女の手を離すことなく再び歩き出した。握られたままの手のひらは落ち着かない様子で私の手を握り返したり力を緩めたりを繰り返していたが、やがてしっかりと握り返したままちゃんと着いてくるようになった。

 歩いている最中、自己紹介もしていなかったことに思い至って名前を交わしあった。ぽつりぽつりとぎこちなくはあったけど少し会話をして、相手の緊張が解れてきたのを感じる。

 

「ここですか?」

「うん。ちょっと旧いけど、まあ気にしないで」

 

 ウチの様相は古民家のようになっているからそこそこ旧い家なのだろうが、内装はリフォームされているからか和風ながらそこそこ新しい。彼女も見かけとの差に驚いたようで、意外そうな声を上げていた。案外図太いのかもしれないと思ったのだが、今思えば必死に気を紛らわそうとしていたのだろう。緊張とかも。

 

 気を使ってくれたのか、祖母と鉢合わせることなく私の自室に着いた。それから飲み物を取りにキッチンへ一度出て、やっと腰を落ち着ける。お茶を出されたあとも彼女は緊張した様子でこちらを見つめていた。

 

「それで、私は別の学区から来たからイマイチ分かんないんだけどさ」

「はい」

「その、イジメってのは何が原因なのか分かってるの? あ、言いたくないなら言わなくていいよ。そんなことで意見が変わったりはしないから」

 

 いきなり核心を突くように踏み込む。私がじっと眼を見つめると、彼女の蒼眼が揺らいだ。

 彼女が言いたくないというのなら、仕方ないから自分で調べるしかない。都合がいいことに、小学校の人間関係がそのまま繰り上がる中学校において別の学区から来た私は転校生のような扱いだから、情報には事欠かないだろう。簡単に教えて貰えるはずだ。

 

「えっと……その…………」

「無理はしないでいいんだよ?」

「いえ、言います。だけど、ちょっと、言葉に纏められなくて……」

「うん。それなら、私が少し話をしようか。説法みたいになっちゃうかもしれないけれど」

「はい?」

 

 話す気はあるらしい。時間がかかるというのなら、一旦彼女が話す内容を自分の中で整理する時間を置く為にも、すこし別の話をしてみるのもいいだろう。

 

「虐められない方法って、実はとても単純なんだよ。でも、それは幸せな人には簡単なことだけど、不幸な人には難しいことだ」

 

 貴方は、不幸せでしょう? 

 

 

 彼女の表情が、またくしゃりと歪んだ。泣きそうな笑み。

 



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踊れ踊れよ讒謗に鳥は嘲笑う

お気に入り・評価ありがとうございます。感謝。
まだストーリーまともに始められていませんが……


「幸せな人ほどイジメに遭いにくいってのは、割りと有り得る話だと思ってるんだ。正確には、恵まれた人間ほど、かな」

 

 こんな抽象的な言葉でも内容を理解できたのか、彼女の表情が歪んだ。自身がどういう理由で虐められているのか、彼女も朧気ながら理解していたのだろう。でなければ、こんな分かりにくい言葉に表情を変えることは無い。

 

「人間っていうのは、群れる生き物だ。その群れの中でも優位性を保つために自分の下の立場のものを作ろうとするのは当然のこと。仕方がないことなんだ」

 

 高圧的にならないように、かと言って諭すような口調でもなく、ただの純然たる事実として述べる。私自身はイジメに肯定的だ。人間の本能として社会から無くなることは有り得ないだろうし、そもそも資本主義とはそういうものだ。弱者は蹴落とされるようにできている。

 一人一人が偏見を無くしイジメを撲滅しようと考えればイジメなんてものは一瞬で無くなるというのに、それが口で言うよりもずっと難しいのは人間が理性よりも本能に突き動かされやすい生物だからだ。

 

「標的になるのは、弱いもの。外れているもの。まあ、当然だよね。自分より強いものを蹴落とそうとするよりもよっぽど楽だもの。運動神経がいいものはそれだけでステータスになる。頭がいいものはそれだけで一目置かれる。顔がいいものは言わずもがな。人当たりがよく敵が少なければ嫌われることもないし、そうでなくても大衆から外れたことをしなければ狙われることは少ない」

 

 だが、それは()()()()()()()()

 

「だけど、それだけじゃないよね。そう単純に事が成るわけじゃあない。だって、全員がそう在れるわけじゃないもの」

 

 口を挟みたそうにしていた瑞乃が、唇を固く結んだ。何も分かっていないと、そう言いたかったのだろう。だけど、舐めてもらっちゃ困る。決して口先だけなんかではなく、私は()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「病弱。これはどうしようもない。だけどその代わりひどい迫害を受けることも無い。障碍。これは親が悪い。世間体を気にして子供を普通の学校に入れた親の責任だ」

 

 瑞乃は恐らくこの2つには当てはまらない。私から見た彼女は正常で健常だ。だけど、話していて分かったことがある。

 彼女は人と関係を持つことに怯えていて、そして模範を知らない。

 

「瑞乃。貴方は正常だよ。そして、私と同じだ。()()()()()()()()()()()()()()。そうでしょ?」

 

 親から愛を注いで貰えなかった子どもには、他者との接し方が分からない。友情も愛情も正しく受け取れない子どもが、コミュニティの中でまともに立場を築けるはずもない。

 幼稚園や保育園? 通えるはずもないだろう。小学校でも早々に孤立するに違いない。それでも低学年の頃は教師がまともであればなんとでもなる。ただ、それ以上はどうにもならない。

 

 確実に孤立して、そしてイジメに遭う。それからの対応は個人によって変わるのだろうが、ほとんどは瑞乃のように何もできず耐え忍ぶことになるのだろう。

 

 私が瑞乃をこのタイプだと断定したのは、人付き合いの下手さからだ。少し話しただけでも──言葉にして説明するには感覚的過ぎるものだが──多くの違和感があった。普通の同級生には感じないような、会話の齟齬のようなものが瑞乃からは感じられたのだ。

 

「心配しなくていいよ。言ったでしょ? 助けてあげるって。人との付き合い方も教えてあげる」

「……はい」

 

 ここまで矢継ぎ早に話して、彼女がその内容を飲み込むのを待ってから手を取った。相手の目をしっかりと見つめる。真摯さを伝えるのにこれ程手軽で使いやすいものはない。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。

 

「だから、溜め込むよりは話してみて欲しい。私は秘密は守るし、貴方の力になりたいから」

 

 決して嫌味にならないように微笑を浮かべ、彼女に信用と信頼を植え付ける。特に、信用。信頼はあとから築くものだが、信用が得られなければここで終わりだ。やりたいことができなくなるわけではないが、出だしで躓くのは避けたい。先程は話すと言ったのだから問題ないだろうが、より深いところまで突かねばならぬ可能性も考えて、信用を得ておくことは重要だった。

 

「……話し、ます」

「ありがとう。私を信用してくれるんだね」

「……はい。あんまり、ちゃんと喋れないかもしれないですけど」

「うん。それでも大丈夫」

 

 ひとまず、信用を刷り込むことには成功したようだった。瑞乃の表情に滲むのは、己をさらけ出すことへの緊張と、理解者となり得る存在への期待だ。

 存外、易いものだというのが私の感想だった。そういうものだと理解していても、人心を操ることは難しい。詐欺師の常套手段のようなある程度完成された手法はあるものの、それですら高等な技術を要するのだ。しかし、所詮は中学生。それも、心が弱っている相手となれば逃げ道を作るだけで懐かれる。

 

「初めは、明るい家庭だったんです。でも、借金があったらしくて。……どんな理由で借金を背負ったのかは分からないんですけど、とにかく大きな額で、ある日お父さんがいなくなりました」

 

 借金に、父親の失踪。となれば残された母親と彼女はさぞ苦しむはずだ。フィクションでよく見るような、典型的な不幸。

 

「お母さんは豹変してしまって、私と目を合わせなくなりました。取り立ての人に愛想良く話しかけるようになって、家にはほとんど帰ってこなくなりました」

 

 母親も壊れたということか。育児放棄という認識で合っているだろう。借金を背負った状態で、それも母子家庭となれば心も壊れるというものだ。自己破産という手段があるように思うが、何か事情があったのかもしれない。

 

「それでも、学校には行かせてもらえました。給食を食べさせるためかも知れませんけど。……給食費、払ってなかったみたいですし」

 

 それで、と瑞乃が続けた。

 

「私は虐められるようになりました。理由は、私がみんなと違うからです。ランドセルは中古のボロボロなものでした。服も古着をまともに直してもらえず、小汚い格好でした。同い年の子と話したことがほとんどなかったから、どう接すればいいのかも分かってませんでした。人との接し方がわからない私は、それでも仲良くしてくれようとして話しかけてくれた子とも、上手く付き合えませんでした。今でこそまともに話せていると思いたいですが、今更当時の印象も覆せません」

 

 ある程度予想通り。フィクションでもノンフィクションでも腐るほど見てきた、ある種のテンプレとも言えるような不幸。それが彼女の心に潜む病の原因だった。

 

「私は何も悪いことなんてしていません。でも、物が無くなれば疑われて、乞食みたいだとからかわれて──」

「うん、うん。瑞乃は悪くないと、私も思うよ。貴方にはなんの非もない。ただ幸せになれなかっただけで、貴方が自分を卑下することも、何かを諦める必要もないんだ」

「だけど私は上手く人とコミュニケーションが取れないし……」

「今こうして話せてるんだから、十分でしょ? それでもまだ不安なら、私と友達になろう」

 

 友達になろうというこの言葉が、彼女にどれほど刺さるのだろう。施しだと、哀れみだと躊躇するのだろうか。天上より差し伸べられた手のように思うのだろうか。

 果たして、彼女は不安げな表情で私の手を取った。友人なんて言葉に道具として以上の価値などないと、私は知っている。友人という括りにさえ入れてしまえば、人は相手に寛容になり、そして信頼を抱く。これほどに使い勝手のいい言葉はなかった。

 

「私は別にいい人じゃない。放っておけなかったという、自分本位な理由で貴方に声をかけた。だから、練習台にでも何でもしてくれればいい」

「そんな……市村さんは、自分勝手なんかじゃないです。そんな人が、私の事なんて助けてくれるわけない」

「そう言ってくれると嬉しいけど。……うん、じゃあ、よろしくね」

 

 

 

 ♦

 

 瑞乃と初めて出会った日の記憶。今覚えば、私も随分と拙い交渉をしていたものだ。衝動的にここまでやるなんて、むしろ私らしくなかった。それほどまでに私が自分の案に酔っていたということなのだろうけど。

 

 そして、イジメ自体は残念ながらすぐに片付いてしまった。私がクラスである程度の位置に立って、何も知らない振りをして瑞乃をつつき回していればいつの間にか鎮火してしまったというのが正しいか。単に私の影響力が強いわけではなく、たまたまそういう環境ができあがっていただけだろう。しかしそれもつまらないから、次の被害者にはイジメの主犯者達を推薦しておいた。

 SNSによって逃げ場のなくなったコミュニティはなかなか私にとって過ごしやすく、万引きやら浮気やら陰口やら、ばらまけるものをばらまいてしまえば勝手に彼女たちは堕落していく。

 

 だがそれでも、手間に比べて報酬が少な過ぎた。これからの為の仕込みとして割り切ったが、如何せん落ちぶれた四人の絶望に染まる顔が見られなかったのが痛かった。

 だから、少しリスクを背負って遊んでみることにしたのだ。これだけは、今でも鮮明に覚えている。

 

「虐める側から転落して、今どんな気持ち? わざわざクラスの風潮を歪めるのはとっても難しかったんだから」

「ッ……!? まさか、アンタが……?」

「その通り! ふふ、ふひひひっ、いいよその表情。とっても興奮しちゃう」

 

 悪魔め。

 

 嗚呼、なんて甘美。淫蕩に咽びそうだった。

 一人一人の表情を脳裏に刻んだ。怯えと怒り、悲しみと後悔を同時に湛えた瞳。投げかけられる侮蔑を孕んだ負け惜しみ。そのどれもが私の胸を高鳴らせた。

 

 こういうのも、凄くいい。

 今まで勿体ないことをしてきたと、後悔した。そしてそれに気付かせてくれた瑞乃に、お礼をしなければならないだろうと喜悦に踊る心で考えた。

 

 

 ♦

 

 

 当時の日記を読み返していた手を止める。

 回想に浸っていた脳を現実に引き戻し、それでもなお余韻として残る甘さを、部屋を換気することで吹き飛ばした。

 

「そろそろ、頃合いかな」

 

 



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五年目の産声

お気に入り・評価ありがとうございます……


 友情なんていうものを、確信したことが無い。

 友達、と検索すれば、「勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人」と出てくる。私よりも遥かに賢い人間が考えた定義だ。恐らく、間違いではないのだろう。志、つまり目的を共にする対等な仲間を、友人と呼ぶのだ。

 

 では、友情は? 友達の定義に当て嵌めるのならば、私にとっての友達とは陽菜、瑞乃を含めた学校内でよく話す人間だということになる。しかし、私と彼女らの間に友情など存在しない。私は自分以外の誰かを信用はしても信頼することはないし、特に陽菜を除いてしまえばあとは完全に打算の付き合いだ。学校での立場を保つ為、面倒事を避ける為、個人的な愉しみの為。理由は様々だが、仲間意識すら持っているか怪しいレベルにしか思っていない。

 その陽菜にしたって、友情があるかと言われれば間違いなく否であり、打算以上の関係を築いているような気もするが、そこに利害関係が大いに働いていることは間違いない。

 

 ……どうして、陽菜だけ例外なのか。付き合いで言えば瑞乃とさほど変わらないし、最初期は間違いなく陽菜も有象無象の“友人”の一人だった。次の日に死んでもなんとも思わないような、そんなレベルだったはずなのに。私は暫定的に彼女を親友としてある種友人とは別物に考えているが、それは果たしていつからだったか。

 

 

 今日も今日とて朝日が身に染みる。昨日はいつになく昂っていたせいで眠りにつくのに苦労した。おかげで若干寝不足気味だ。

 

「今日は墓参りだからね、なるべく早く帰ってくるのよ」

「ん、わかってる」

「じゃあ、行ってらっしゃい」

「いってきます」

 

 朝から祖母に言われて思い出した。今日で丁度五年か。今年もまたあの事件についてドキュメンタリー番組が組まれたりするのだろうか。テレビの取材やらを全て断ってくれている祖母には感謝を──

 

「すみません、○○テレビの者ですが」

「はぁ」

「市村紅里さんでお間違いないでしょうか」

「そうですけど」

 

 まさか直接来るとは。アポイントメントもなしに平然と話しかけてくることに呆れさせられるが、私の表情を気にした様子もなしに男は名刺を差し出してくる。受け取って中身を見るが、特段名前を覚える必要もなさそうだ。忘却の彼方へと追いやって、名刺をポケットに入れた。五年も経って風化した事件を追わされているこの中年の男は、出世コースから落とされでもした下っ端だろうとあたりを付ける。だからといって何かがあるわけでもないが。

 

「五年前のお話をお聞きしたいのですが、お時間頂けますか?」

「……今から学校なのですが」

 

 ……バカなのかこいつは。思わず口をついて出そうになった。マイクを持った男も、その後ろのカメラマンや音声も、まさかこの時間に取材に来て受け入れられると思ったのだろうか。

 

「そこをなんとか、お時間頂けませんか?」

「はぁ。遅刻はしたくないのですが、何故この時間に来たのですか?」

「ええと、今日の夜の番組にこの映像を使いたいと──」

 

 つまり、舐められてるわけだ。祖母は取材拒否だし、所詮取材対象は子供。直接突撃してしまえばどうにでもなるだろうと考えたと、そういうことだろう。

 

 ちょっとだけムカついた。

 

「……少し待っていただけますか」

 

 視線を外して、スマホに目を落とす。相手は遅刻の連絡を学校に入れることを期待しているようだが、御生憎様。テレビに舞い上がるような女子高生ではないのだ、私は。

 

「もしもし?」

『どうしたの? 何かあった?』

「あのさ、○○テレビの人が直接取材に来たんだけどさ。断ったって言ってたよね」

『断わったわよ。……それでも来たのね。なら、無視して学校に行きなさい。抗議文を出すわ』

「はーい。じゃあ切るね」

 

 祖母に電話をかけた。一応確認したところ、取材を断ってはいたらしい。となれば向こうに非があることは確実で、受けたストレスの分くらいは反撃しても構わないだろう。テレビで観たことがあるようなアナウンサーでもなんでもない中年男性のリポーター。名前も覚えていない彼に向き直って、淡々と告げる。

 

「確認取りましたけど、取材は断ったはずですよね。私が未成年だからとかそういうことを考えているのなら、その認識は改めた方がいいですよ。貴方がどうだったかは知りませんが、高校生はそれなりに社会というものを知っていますから。それに今どき、未成年に絡む方が面倒臭いんじゃないですか?」

「このっ──」

「は、このくらいでキレるとか、相当堪え性がないんですね。それだからこんな取材をやらされてるんじゃないですか? ──ああ、それと。きっと私を取材したところで貴方達の撮りたい図は撮れないと思いますよ」

 

 それだけ一方的に言い放って、小娘に良いように言われて怒りを露わにする男に背を向けて学校へ向かう。遅刻する恐れはなさそうだが、いつもよりも遅くなってしまいそうだ。

 子供だと思って下に見ていた相手に言い返されて、彼らは相当堪えたのではないだろうか。単純に考えて目の前で家族を惨殺され、自分も殺されかけるという体験は相当なトラウマを刻むはずだから、モラルを弁えず無理に取材をしようとしてきたあちらに全面的な非があることは間違いない。それでネットで炎上でもしたらどうするのかと呆れてしまうが、身に迫ったものとしてそれらを意識していないのだろう。

 憤慨する表情に溜飲を下げ、彼らをどうでもいいものとしながら通学路を歩く。流石にもう追いかけては来ないらしい。

 

 

 教室に入ると、既に何人か生徒が来ていた。そして珍しいことに、その中には陽菜も含まれている。

 

「紅里ー! おはよっ」

「……おはよう」

「元気ないね? 何かあった?」

「ちょっと面倒臭いのに絡まれてね」

 

 心配の声に答えながら、そう言えば名刺をあとから祖母が使うかもしれないからと誤って捨てないようにとポケットから取り出した。

 

「この人? うわ、○○テレビってほんと?」

「本当なんじゃない」

 

 名刺の名前を見て驚く陽菜。彼女には五年前のことなんて教えていないから、私が何故そんな人に話しかけられるのか分からず、余計に驚いているのだろう。名刺をファイルに綴じてカバンに仕舞う。

 五年前のことを陽菜に隠しているわけではないが、逆に態々広めるような事でもない。聞かれない限り答えるつもりはなかった。

 

「でもどうして? スカウトでもされたとか」

「そんなわけないでしょ。まあ、私に関わることではあるけど」

「えー、気になるなぁ」

「案外調べれば出てきたりしてね」

 

 二丘山殺人事件、と調べればすぐに出てくる。被害者として市村家の名前も出てくるし、とある事情から私の名前を検索しただけでその事件に行き当たるようになっている。二丘山の付近で起きた連続殺人だからとこんな名前を付けられているが、市村一家殺人事件とも呼ばれることがあるのだから勘が良ければ気づく者もいるだろう。

 

「……陽菜は、友達が自分に隠し事をしてたらどう思う?」

「んー、別に気にしないと思うなぁ。何かを抱え込んでるなら相談して欲しかったって思うけど、隠し事くらい普通でしょ?」

「まあ、そうだよね」

 

 昨夜微睡みの中で考えたことを思い出した。どうして陽菜だけが、私にとって打算抜きで付き合っている相手であるのか。友情は否定する。だが、それに準ずる感情を彼女に抱いてしまっているのかもしれなかった。

 それが良い事なのか悪い事なのかも私には判断がつかない。

 

 私は破綻者だ。いつ陽菜にも私の凶手が向かうとも知れない以上、彼女を想うならばすぐさま距離を取るべきだろう。しかしそんな気は起こらず、その上で確かに陽菜を好ましく思う自分がいる。

 彼女だけが何故特別なのか。どうしてもそこに気持ち悪さを覚える。私の根底が揺るがされているような、市村紅里の歪みを正されているような、そんな気分。

 

「紅里、大丈夫?」

「……うん、大丈夫。それより、来週テストだよね。陽菜こそ大丈夫なの?」

「あ、ヤバいかも……また勉強教えて貰っていいですか……?」

「まあいいけど、陽菜も成績悪いわけじゃないんだからそんな熱心にやらなくても……」

「寝ちゃってた部分がですね……」

 

 思わず顔に出そうになって、話題を逸らした。今までこんなことはなかったのに、今日に限ってやけに心が揺らぐ。

 

「じゃあ今週末にでも勉強会しようか」

 

 友達を作るのは「普通」のことだ。だから私は友達を作ったし、自分の動きを制限されないような立ち位置をずっとキープしてきた。そこに打算以外のものはなく、陽菜を選んだのもよく話しかけてくる相手だったからというだけの理由だったはずだ。

 

「でも何処で?」

「適当にファミレスでいいんじゃないの。どっちかの家でもいいけど」

「……そう言えばあたし、紅里の家行ったことないや」

「そうだっけ。じゃあ家来る? 別に面白いものはないけど」

 

 ……忘れよう。生きるのに支障があるわけでもなし、狂者にだって情はあるかもしれない。少なくとも、情を抱いてはダメだということは無いのだから。

 思考が振れている。市村紅里が私である限り、私は狂ったままだというのに。

 

 

 

 ♦

 

 

 夕暮れの墓地。夕陽に染められた墓地には墓石によってビル影のような暗所ができ、まだ明るいながらも死の隣にあるような暗さを漂わせていた。

 

 墓石を磨き、花を差し、線香に火をつける。手を合わせるが、生憎、両親に掛ける言葉など持ち合わせてはいない。祖母の隣、無心で目を瞑った。

 

「さて、もういいのかい?」

「……うん」

 

 祖母が立ち上がった気配を感じて目を開く。市村家と刻まれた墓石は他と比べてもそれなりに大きい。昔は裕福だったのだろうか。今の暮らしも金に困っている気配はないし。

 

「……ねえ」

「ん?」

「先に帰っててもらっていい?」

「どこか行くのかい?」

「……少し、寄りたいところがあって。そんなに遅くならないからさ」

「はいはい、それじゃあ気を付けるのよ。完全に暗くなったら危ないからね」

「うん、ごめんね」

 

 用は済んだものの少し名残惜しげに墓地を見ていた祖母にそう告げて、別れる。

 向かう先は、学校からさほど距離のない山に繋がる緑道公園。自然が豊富で、雨風を凌げるような屋根も多くあり、その癖人気も少ないという子供たちにとっても大人にとっても微妙な場所だ。精々老人のハイキングコースになるくらいだろうか。少なくとも今の時間、ほぼ人は居ないはずだ。

 居るとすれば、そこを根城にするホームレスくらい。

 

 

 歩きながら、一度首を振って思考をリセットする。

 陽菜のことも、両親達のことも、今は関係ない。

 

 ポケットに銀の刃を隠して、溢れる嘲りを呑み込む。

 

 

 

「おじさん、ちょっと付き合ってよ。お金上げるからさ」

 

 ピラピラと指の間で揺らした千円札は、誘蛾灯のように男の目を引き寄せていた。

 

 人と違うことに葛藤や苦しみなど抱いていない。

 むしろ、人生において明確に幸せ、愉悦を理解し享受できているのだから、そこらの日々惰性で生きているような人間よりもよっぽど幸福に生きているに違いないとすら思っている。

 但し私の“趣味”はこの国じゃやりづらい。将来は海外に出るのも悪くないかもしれないと、血溜まりに沈む男を見てぼんやりと考えた。

 

 揺れていた思考が元に戻ってゆく。私は今、どんな表情をしているだろう。血の付いていない左手で頬を撫でると、口角が上がっていた。



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Who am I ?

ようやくストーリー進められそう……? でもこの調子でいくような気もする。


 屍の山の上に立っていた。足蹴にする屍は、確かに私が殺した人間で。ゴミ山のように死肉が積み上げられた私の足元にはカラスとゴミムシが群がっていた。

 後ろを見れば、赤い血の池がしばらく離れたところに見える。道は人骨をセメントで無理やりで固めたようになっていて、アバラや足の骨がそこいらから突き出ていた。

 

 これが地獄だとでも言うのだろうか。貴様が味わうべき苦しみなのだと。

 

 もしそうだとしたら──些か温すぎる。死後の世界を信じてはいないが、もしそれが実在したとして、これが地獄と言うのなら。私の方がもっと人間に苦しみを味わせている。否、これではまるで私が──獄卒のようではないか。

 

 

 狂人はいつかどこぞで朽ち果てるのだと相場が決まっている。きっと畳の上で死ぬことなんてありえないんだろうなと思いながら、ベッドの上で寝返りをうった。

 左太腿の刺傷を撫でる。あの日ナイフを突き立てられたことでできた傷は、しっかりと痕になってしまっている。今の私を作るきっかけになったあの日は、今でも色褪せず私の脳裏に刻みつけられていた。

 

 私は今、この五年間で一番と言っていいほどに昂っていた。熱に浮かされていると言ってもいい。

 

 この手で人を殺した。ホームレスとはいえ、紛れもない人間を。血が付いたモノは既に燃えるゴミとしてゴミに出してしまったから、もう灰になっているだろう。監視カメラなどの証拠となり得るモノも全て調べて回避してあるし、私のミスがなければ私が捕まることはないはずだ。

 

 通り魔的犯罪は検挙が難しいと言われているが、今回は輪をかけて証拠が少ない。これで私まで辿り着けるのであれば、二丘山殺人事件は起きなかっただろう。

 

 まあ、捕まったら捕まったで構わないが。

 

 荒くなった息を吐く。あの男の首筋にナイフを突き立てた感触は、今もこの右手に残っていた。肉を裂き突き立つ刃。噴き出す血液に、だんだんと色を褪せる瞳。うわ言のように呟かれる人生への後悔と、温くなっていく身体。全て鮮明に脳裏に焼き付いている。

 後先を考えないで良いのであれば、死にゆく様を身体に触れながら眺めたかった。生憎、証拠隠滅に手間がかかるため悠長にはしていられなかったが。

 

 いや、今捕まったらきっと後悔するな。まだまだやりたいことがある。あと一年くらいは自由でいたい。

 

 右手を身体の中心で抱き締め、ぎゅっと丸く身体を折り曲げた。じくじくと熱を孕んだ右手が脳を淫蕩に酔わせる。一昨日少し悩んでいたことが馬鹿みたいだ。何事もなかったように二丘山殺人事件のドキュメンタリー番組を冷やかしながら己の本領に立ち戻った感覚を思い出す。

 

 この手で人を殺した。もう後戻りはできず、私は私の道を歩くしかなくなった。否、帰る道を失ったのではなく、私を縛っていたしがらみを振り払ったのだ。

 

 今日は陽菜が来る日だというのに、熱が治まらない。昨日からずっとだ。

 

 くちゅり。水音が鳴った。抱きすくめられた右手が、下半身へと伸びていた。もぞもぞと擦り合わせた太腿がさらに熱を帯びる。

 

「ん、く……っ」

 

 生命を奪った感触が。唖然とした表情が。痛みに悶える声が。私を捕らえて離さない。殺せと、そう急かすように欲望が心を焦がす。

 込み上げる快楽が、一昨日の夜の行為と重なる。鮮明にあの瞬間を再現した脳内は、一先ずの満足を認めた。

 

 後始末をして部屋を出る。シャワーを浴びて着替え、陽菜を迎えに行くために手ぶらで家を出た。

 外は五月の陽気に満ち、街路樹の周りを蝶が飛び回っていた。陽菜に連絡を取りつつ待ち合わせ場所へ向かうと、彼女も丁度到着したところらしかった。

 

 ハーフパンツで涼し気に脚を露出した格好。私服としてもあまり見ない格好だ。彼女の嗜好を把握しているわけではないが、知っている限り彼女はもっと清楚な服装を好んでいたように思う。

 

「珍しいね、陽菜がそういう服装なの」

「うん、今日は室内で勉強会だから楽な服装の方がいいかなって」

 

 ふぅん、と生返事を返した。やることは勉強だというのに陽菜はとてもテンションが高く、ともすれば今から遊びに行くのと勘違いしているのではと思ったくらいだ。高校受験の時に勉強を見てあげたくらいではあるのだけど、それでも真面目な勉強会はさほど楽しいものでもないと分かっているはずだろうに。

 

「紅里の家に行くのは初めてだから、凄く楽しみ」

「別に、普通の家なんだけどね」

「それでもだよ」

 

 まあ確かに、他人の部屋が気になるという気持ちは分からなくもない。部屋の模様にはその人の内面が顕れるという。ズボラな人の部屋には物が散らかっているだろうし、几帳面な人の部屋は物が少なく整頓されているだろうし、本好きの人は本多く、映画好きの人はスピーカーやスクリーンにお金を掛けていたりするだろう。

 生活の場にその人の内面が出るのは当然と言えば当然のことだ。

 

「あ、そう言えば昨日ね、朝丘さんを見たよ」

「瑞乃を? 学校で?」

「ううん、放課後に駅でお父さんっぽい人と話してた」

「へぇ。瑞乃のお父さんは私も見たことないな」

 

 陽菜から瑞乃の話題が出たことに驚いた。少し前に顔合わせとも言えないくらいの僅かな対面をしただけの陽菜が瑞乃のことをしっかりと認識し、顔を覚えていた事もそうだが、この二人の接点はないだろうと考えていたからでもある。彼女なりに瑞乃のことを考えていたりするのだろうか。陽菜の悪癖のことを考えると二人を接触させたのは失敗だったかもしれない。

 私からすると、陽菜は少し偽善に走り過ぎるきらいがあった。過干渉は私の望むところでは無いため、迂闊に過ぎたかと反省する。

 

「なんか、少し緊張してるみたいだったかな。あんまり仲良くはないのかも」

 

 瑞乃の父親は随分前に姿をくらましている。

 仮に出会ったとして、まともな会話はきっと成り立たないだろう。

 

 まあそれはさておいて、あちらが上手くいっているのは良いことだ。

 

「あんまり家庭の事情には踏み込めないからね。分かってるだろうけど、陽菜も下手に瑞乃の噂なんて立てないようにね」

「もちろん、分かってるよ」

「一応、だよ。陽菜のことは信用してるし」

 

 陽菜には一応の線を引いておく。牽制と言うにはあまりにも弱いが、仕方ないだろう。これは二人を引き合わせた私のミスだ。

 

「ん、じゃあ、早めに家行こうか。駄弁っていても仕方ないし」

「うん。楽しみだなぁ」

 

 頭の中では瑞乃のことを考えながら、陽菜の隣、半歩先を歩く。彼女が話しかけてくる度に思考を中断しながらも、あまり悪い気はしていなかった。

 ポケットに手を伸ばしかけて、今は完全に手ぶらであることを思い出す。心を私のあるべき姿に戻してくれる銀色の刃の冷たさは、部屋にあるカバンの中だ。

 

 仕方が無いから、一度そちらのことは忘れる。私の中で陽菜との会話を楽しめることに賛同する部分は割かし大きいようで、ナイフを手にできない今、私の心は自分がまるで善良な市民であるかのように振る舞っていた。

 

「わ、おっきい」

「みんなそれ言うよね。意外とそうでもないんだけど」

 

 陽菜を案内しながら家に戻っての第一声がそれだった。確かにそこそこ古い家である分ほかの民家よりは多少大きいことは事実なので、否定するわけではないのだが。

 

「私の部屋はここ。流石に勉強机は二人じゃ使えないから、テーブルで我慢してね」

「おぉ〜。なんか紅里っぽい部屋だね」

「……どこが私っぽいと思うの?」

 

 部屋に入るなり入口で立ち止まった陽菜は、部屋の全体を眺めて私らしい部屋だと言った。遊びのない、殺風景な部屋だ。ぬいぐるみのひとつでも飾ってあればギャップになったのだろうが、そんなこともない。ああ、だから私らしい部屋なのか。

 

「住めればいいやと思ってそうだなーって」

「……そう」

 

 改めて部屋を見渡す。確かに、遊びがないことは認めよう。質素というか、すごく良く言うなら質実剛健……少し意味が違うか。質実ではあるだろう。

 

「本とかはあるから、別に趣味のものがないってわけじゃないんだよ? 漫画もあるし」

「紅里も漫画読むんだよね。あんまりそんな話しないから忘れてた」

「私だって漫画くらい読むさ」

「ねぇ、ちょっと本棚覗いてもいい? どんなの読んでるのか興味ある」

「……まあ、いいけど」

 

 陽菜が私に気づいたら、なんて、そんな妄想が過ぎった。本棚の奥の段に入れてある数冊の本。それに気がついたなら、彼女はどんな反応をするのだろう。

 面倒ごとになると分かっていて、それでも私の口は彼女に早く勉強しようと告げなかった。

 

 彼女は私をどう見ているのだろう。そんな事が、今日はやけに気になる。陽菜を疎んだり好ましく思ったり、存外私は感情の振れ幅の大きい人間らしかった。

 

「気になるのがあるなら貸してあげるよ」

「ホントに? ちょっと読んでみたいのがあったんだよね」

「ただ、勉強もちゃんとするよ。あとからでもまた漁っていいから」

「ふぁーい。数学教えて……」

 

 陽菜までこちら側へ引きずり込んでしまおうと考えた自分に驚く。教えたところでなんにもならないことを、どうして私は知らせようとしたのか。陽菜の反応が見たかった、というのは間違いない。だが、今の都合のいい関係を崩してまで試すような事じゃないというのに。

 

 陽菜、陽菜、陽菜。ずっとそればかりに気を取られている。

 いつもだ。毎年この時期は、おかしくなる。あと一週間もすれば治まるのだろうが、この不安定な情緒が気に入らなかった。

 



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悪魔讃歌




 美しいものを数えた。

 

 星。まだ西の空に僅かに滲む赤紫から広がる藍色の夜空に散りばめられた宝石の様な星。

 

 空。雲を浮かばせた、蒼く澄んだ空。飛行機雲が横切るのもいい。

 

 海。濃い青色の海。飛沫が白くギャップを作る。覗き込めばそこには別世界が広がっている。

 

 野花。道端に咲いた花。名前も知らないような、コンクリートのヒビから空に向かって茎を伸ばす花の姿は。

 

 

 それらを塗りつぶす紅。斑に飛び散った鉄の臭いに酔った。絶望の表情が私の肌を朱色に染める。

 

 

 Ave satani.(嗚呼、悪魔よ)

 

 何故私にこのような祝福を与えたもうたのですか。

 窮屈で仕方がないのです。悦楽に溺れたいのです。

 その時が来るまで私は眠っています。

 擦り寄る猫に刃を振るいました。でも足りません。

 卑しく生きる浮浪者の命を刈り取りました。充足には程遠い。

 足りないのです。

 極上の贄に銀の刃を突き立て、流れ落ちる鮮血に舌を這わせて肉を噛みちぎりたい。

 

 私をねじ曲げたのは貴方でしたか? 

 生ゴミの臭いが立ち込める初夏のあの部屋で、私に囁いたのは。

 私には思いもよらないことでした。

 彼等は絶対者だったのです。

 それでも私が()()思い付いて、それを実行したのは。

 貴方が私に囁いたのではないですか? 

 

 きっと最後には、貴方が私を喰らうのでしょう。

 貴方の真似をしました。

 彼女を救い、そして最後には喰らうのです。

 その日は近付いています。もう一年もないでしょう。

 私は彼女の神になりました。そして彼女を喰らう悪魔となります。

 貴方は私の教祖でした。ですから、貴方が私を死に導くのもまた道理なのでしょう。

 

 Ave satani.(嗚呼、悪魔よ)

 

 尊ぶべきモノを見つけました。

 矮小な小娘。一度私が凶器を手にしたのなら、彼女の柔肌にはたちまち朱が走るでしょう。

 彼女が私を貴方の呪縛から解き放つのでしょうか。

 いいえ、きっと不可能なのでしょうけれど。

 引き裂きたくて仕方がないのです。彼女に刃を突き立てたのなら、一体どれほどの悦楽がこの身に刻まれるのでしょう。

 知らせたくて仕方がないのです。全てを打ち明けた時、彼女は一体何を言うのでしょう。

 

 殺してください。私を。

 他ならぬ貴方が私を刈り取るのです。

 そのぬらぬらと光る眼で私を見て。

 蛇のように私を飲み込んでください。

 私は貴方の正体を知っています。

 いえ、きっとこの世の誰もが知っている。

 葛藤の中に現れる貴方は、ひょいと理性を打ち崩し人を獣に貶す。

 

 アヴェ・サタニ。悪魔よ。

 

 私は貴方を崇めてはいない。

 だけど貴方は私を視、また私も貴方を視ている。

 未だ揺れる私は、堕ち切っていないとでも言うのですか? 

 母を殺し、父を殺し、そして私は──

 

 殺しました。絶望に歪みました。殺しました。愉悦に溺れました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました殺しました殺しました殺しました殺しました殺しました殺しました殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺───

 

 A──aaaaaaaaaa……

 

 視るのは遠い未来の話。屍の上に立った私は、気がふれていました。

 歪だなと、そう悪魔が嗤って。

 

 

 

 

 

 

 

「は、くだらない」

 

 夢見は悪いという程でもなかった。奇妙な夢だったが、私に害があったわけでもない。ただただ奇妙で、そしてくだらない妄想の中の産物。夢に意味などないというのが世間一般の常識だが、同様に私も夢が見せる未来など信じてはいない。

 オカルトの類を否定することはしない私でも、未遭遇の未知を肯定することはしないのだ。

 

 喉の奥にへばりついた乾いた唾液に不快な心地を味わわされながら、キッチンに出てコップの水を飲み干した。

 

「どうしたんだい?」

 

 同じく起き出してきたのか、後ろから祖母に声をかけられる。齢70を超えながらも未だに矍鑠とした彼女は私のことをよく気遣ってくれる。一生かけて返すくらいの恩を受けたと言っても過言ではないだろう。

 

「ちょっと目が覚めただけ。暑かったから」

「そうかい。何かあったら言うんだよ。あたしは紅里の味方だからね」

「うん、ありがとう」

 

 どうやら、本調子でないことを簡単に見抜かれるくらいには顔に出ていたらしい。暑さのせいで背中に貼り付いた汗濡れのシャツを後ろに引っ張って、体を冷ました。流石にシャワーを浴びた方がいいか。

 

 朝食の準備を始めた祖母を尻目に浴室へ向かう。

 身を清めるという行為は、日本において遥か昔から行われてきた禊に通ずる。この程度で私にこびりついた血の匂いを落とせるはずもないが、気持ちを改めることくらいは可能だった。

 

 透明な湯が肩から腕、指先を伝って流れ落ちる。

 破綻者たる自覚はある。擬態できることも知っている。

 或いは、このまま平穏に生きることだってできる。

 

 ほとんど毎朝、考えるのだ。本当に自分が幸せになるには。迷いからではなく、己を定めるために。

 真の幸いはこれであると。修羅に非ず、ただ畜生である。これこそが私の幸いだと定めてしまった。初夏のあの部屋で、初めてナイフを手に取ったあの瞬間から。

 零れ落ちる命を眺めて、虚ろに天井を見つめる底抜けに昏い瞳を直視してから。

 スっと心が軽くなった。多幸感が胸を埋め尽くして、甘美に酔った。私を押さえつけていた見えざる手が払いのけられたようにも感じられた。心を引き留めていた楔が抜けた。

 

 殺せと叫ぶでもなく、ただ己がままに在れと、そう言う心に蛇が忍び寄る。

 

 お前の愉悦が(これ)であると。

 

 修羅でもなく、ただ人を殺すだけの快楽殺人鬼。傍目から見ればなんと愚かなことだろう。しかし、後悔はなかった。生まれたその瞬間より、私がここに落ちるのはきっと決まっていたのだから。

 

 制服に着替えて、朝食を摂る。なんてことの無い食事風景で、祖母もまさか探ってくるようなことはしない。

 いい祖母だと思う。身寄りのない私を引き取り、学校にまで通わせてくれる時点でそれは明らかなのだが。

 

 諸処の始末をして、家を出る。まだ少しだけ大きいローファーはしかし、しっかりと私の足に馴染んでいた。

 五月とは思えぬ真夏日。空から照らす太陽がじわじわと露出した肌を焼こうとする。

 シオカラトンボが私の少し前の地面から飛び立って、一瞬だけ並走した。昆虫に意思は宿らない。さほどの興味もなかった。

 

 校門という境界は、私たちに明確に学校の内外を区別させ理解させるための存在である。少なくとも私は、この門を通り抜けた瞬間に意識が変わる。その内容は一日への奮起であったりめんどくさい行事への倦怠であったりと日によって異なるが。

 テストが明けた今日の気分は、テストの結果への興味と、最近感じる視線についてだった。

 

 

 今日は変則的時間割で、一日でテストの結果が全て返ってくるようになっていた。それほど熱心に勉強したわけではないが、高校一年の勉強で躓くわけもなく、それなりに高成績を残したと思っている。未だ全ての教科が返ってきたわけではないが、現時点では私がクラス一位らしかった。

 

 

「やっぱり紅里は凄いよねぇ」

「陽菜もちゃんと授業受ければもっと取れるよ」

「うーん、お昼過ぎはついウトウトしちゃって……」

 

 昼休み。課題として出されたテスト直しをさっさと片付けようと赤ペンを手にテストの解答用紙と解答を開いていた私に、陽菜が話しかけてくる。地頭は悪くないくせに成績が芳しくない陽菜は、それなりにテストの点数を気にしているらしい。とは言っても中の下には入っているはずだし、中学では調子がよければそれなりに上位に入っていることもあった。よく分からない。

 

 そのタイミングで、クラスの男子二人が近付いてくるのが見えた。あまり話したことは無いが、確かそれなりにクラス内でもやかましい二人だ。相応にクラスカーストなんかも上位なのだろう。それは私が自分の行動を変える理由にはならないが。

 誰に絡まれようとも適度に愛想良く振る舞う。無駄に視線を集める必要は無いので、ことを荒立てたりはしない。

 

「市村、クラス一位なんだって?」

「そうらしいね」

 

 尤も、それを抜きにして──

 自分の感情だけで話をするのならば、こいつはあまり好きじゃなかった。

 

「すげーじゃん! なあ、今度俺にも勉強教えてくれよ。今回あんまり点数良くなくてさ、期末ちょっと不安なんだ」

 

 二人組のうち、背が高い方。梅田がぐいぐいと攻めてくる。こんな時、普通の高校生ならどうするだろう。実際にやるかどうかはさておき、口約束くらいはせざるを得ないのではないか。

 

「まあ、テスト期間になら構わないけど」

「マジか、やった」

 

 なんとなく、陽菜の方を見やった。彼女は少し気まずげな、嫌そうな表情でこちらを見ていた。その奥に潜む感情の色を、私は見抜けない。だけどどうやら彼女は梅田に、この男子達に好い感情を抱いていないらしい。

 

「間宮も教えてもらうんだろ?」

 

 今度は陽菜に向かって梅田が言う。すると彼女は先程までの表情を一瞬で消し去って、実に楽しみそうに笑う。

 

「うん、私も御一緒させて貰うかもっ。紅里はね、すっごく教えるの上手なんだよ」

 

 付き合いの長い私には、わざとらし過ぎるように感じられる弾んだ声。いい人趣味も大概だなと思う。瞳の奥も笑ってはいない。

 ……梅田は、使えるか? いや、どうせ大したものじゃない。ツマミにもならないだろう。流石にクラスメイトを()()()に使うのは不可能だろうから。

 

 それはそれとして、最近不審なくらいクラスで話しかけられるようになった。梅田を筆頭に男子数名と、陽菜と仲がいい女子達。クラスに馴染んできたせいで会話が増えたのだとしたら大したことでもないのだが、少し急な気もする。

 

「あんまり期待されても困るけど」

「大丈夫だって。ほぼ満点じゃねぇか」

「点が取れるのと教えられるのは別だからね」

 

 話は終わったかと、一旦区切りを付けるために席を立った。避けられない場合を除いて、あまり長く話していたい相手ではない。これは少しくらい報いてくれなければ大損じゃないかと、自販機で今しがた買った紅茶を飲みながら考えた。そう、上手くいくはずもないが。

 

 陽菜とは、話をしなければいけないだろう。彼女の趣味に口を出すのは気が進まないが、彼女のそれはいつか崩れるような気がしてならない。

 

 

「どうかしたんですか?」

「ん、ああ、瑞乃。いや、大したことじゃないんだけどね」

 

 備え付けられたベンチに腰掛けてぼうっとしていると、ちょっと通りかかった瑞乃に話しかけられる。意外とよく出会うなと、少し作為的なものを感じたが気の所為だろう。思考を中断する。

 

 こちらを少し心配そうに見つめる蒼色の瞳を見つめ返した。

 

「そう言えば、最近出かけることなかったよね。近々どこか遊びに行かない? お金がかからないところで」

「空いてる日なら大丈夫ですけど……いいんですか?」

 

 急だったかもしれないが、最近は瑞乃と接する機会が減っていた。友人(◼◼◼◼)として遊びに誘うことは何らおかしくないだろうし、瑞乃の事情も全て知っている私には彼女も気兼ねなくいられるはずだ。

 

「うん? 何が?」

「あの間宮さん? と一緒にいる時の紅里さんは、すごく楽しそうだから」

「…………そう、見えるんだ」

 

 一瞬、湧き上がった歓喜と動揺を。どうやって切り捨てればいい。



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砕け散れば皆同じ

ご指摘頂いたのですが、主人公は意図してこんな小悪党の三下キャラです。気に食わなかったらすまぬな。


 今の私が彼女、朝丘瑞乃を表するとしたら、彼女はダイヤモンドのような人間だと言うだろう。彼女の精神構造は極めて強固に再構成されており、その心を折ることは生半な手段では叶わないだろうと確信できるほどだ。しかし一方で、彼女に致命傷を与えることもさほど難しくはない。

 一度許容範囲を超える衝撃を受けてしまえば、彼女の心はあっさりと砕け散ってしまうだろうという事だ。

 

 砕け散る瞬間、宝石はどれほど輝くのだろう。飛び散った破片が陽光を跳ね返し、ああ、それこそダイヤモンドダストのような。さぞ美しい光が見られるに違いない。

 

 カラスが宝石を嘴でつまみ上げる。空に舞い上がった黒い影は、遥かな上空でその宝石を取りこぼした。砕け散るダイヤモンド。これじゃあガラス玉と大差ない。

 

 

 ♦

 

 

 友人の悩みを解消することは、実はかなり難しいことだ。解消した気にさせることは、それほど難しくもないのだが。

 人には領域がある。他人を決して踏み込ませない領域が。その中に踏み込めるのはそれこそ家族とかそういった極端に縁の太い極小数だけで、()()()友人がそこに足を踏み入れることは難しい。しかし悩みとは得てしてその領域の内側に潜むものだ。

 存在を匂わせられた時に外から慰めの言葉を掛けることはできても、内から腫瘍を切除することは不可能である。

 

 それに、家族にだって本心を明かすことは稀だ。

 家族と言ったってそのカタチは千差万別、憎み合う家族もいれば無関心の家族もいる。血縁ではないが血よりも固い絆で結ばれる家族も、無償の愛が明確に感じられる家族も、殺し合う家族だって。

 

 つまり悩みというものは殆どが自分で解決する他ないのである。あくまで、騒音被害とかストーカーとかセクハラとか、そんなものは除いてだが。○○的な悩みという○○に当てはまる言葉を私が知らないために、こんな話し方をしている。

 

「紅里ちゃんは、死にたくなったことがありますか?」

「もちろん」

 

 口火を切ったのは瑞乃の方だった。私には彼女の悩みを()()することはできないし、する気もない。少し調整して、彼女の平穏を長引かせることくらいしかやることがなかった。とは言え、それが易いことかと言うとそんなことは無いのだが。

 

「……それは、外的なものからですか?」

「そうだね。私には抗えない、()がいた。ああ、でも。きっと私のは参考にならないよ」

 

 重ねられた問いに、しかし私は期待された答えを返せない。私の中に今も深く根付く原体験は、残念ながら彼女には役に立たないものだ。

 取り巻く環境が違う。敵が違う。立場が違う。そして何より、私と彼女は違い過ぎる。

 

「それは、どうして──」

「瑞乃は私とは違うから」

 

 修羅に堕ちると言うなら別だが。しかし瑞乃は、他者を貶めたり傷付けたりすることを嫌う。彼女には無理だろう。

 

「話は聞いてあげるから。吐き出しなよ、全部受け止めるからさ」

 

 作り上げた表情は薄い微笑み。しかし軽薄さはひた隠し、浮かべる色は慈愛と憐憫。果たして数年程度の刷り込みはどれほどの効果があるのか。

 

「いえ。いつも、いつも。頼ってばかりじゃあ、少し情けなくて。紅里ちゃんは私を助けてくれたから。今度は私が紅里ちゃんを助けられるように、強くなりたいんです」

 

 幸薄く、しかし透き通った笑顔はこの世に左右無きほど美しい。死ぬ程苦しいはずだ。彼女の苦しみは知っている。全て私が仕向けているのだから。少なくとも自分一人で乗り切れるような生易しいものじゃないと分かっているはずなのに、どうしてそんな顔で笑えるのか。

 無意識に身体が震えた。何かを欲するように、手が強ばる。

 

 貶めたい。

 

 歪めたい。

 

 彼女の苦痛の源が私であると告げたら、彼女はどんな顔をするだろう。信じていた人間に裏切られた時の表情は。

 

「……そう。でも、無理しちゃダメだよ。折れる時は一瞬だからね」

 

 胸の内の情動を押さえ付けながら、結局そんなつまらない言葉だけを発して、瑞乃の顔を見る。濃い蒼色の瞳に滲むのは、涙の色ではなく決意の色。縋るのならば、それはそれできっと楽しかったのだろうけど。立ち上がるのならそれもいい。

 

 はいと、そう言ってしばらく、沈黙が横たわっていた。

 

 瑞乃を苦しめているのは、他ならぬ私自身だ。とても簡単で、単純で、それでいて効果的な苦しめ方。瑞乃には金がなく、そしてまともにバイトした所で稼げる額はたかが知れている。だから私は彼女のクラスメイトに、一つ提案を持ち掛けた。あくまで間接的に、だが。

 まずは瑞乃の家庭状況と、そして借金のこと。それが学校中にひろまり、そのせいで彼女は集団から弾かれ始め、そしてとうとう悪質な輩に目をつけられたというわけだ。

 コネクションは以前のものが残っていたため、それをまだ使うことができた。怪しまれたが、これ限りなので特に問題は無い。

 

 端的に言ってしまうのならば、いじめと、それを通した援助交際。肉体的、精神的苦痛に加えて、私を騙しているという罪悪感、もしくは私が自分のことを広めているのではないかという不信感。有り合わせの環境で彼女に最も効果的だろうと考えたのがそれだった。そして、メインはさらにその後。彼女が最後に私に縋って来た時、手を引いていたのが私だと、全てバラしてやるのだ。その時の表情を、叫びを、怒りを、苦しみを見たいがために、私は彼女を救った。

 死という安直な苦しみではなく、もっと深く根付いたそれは、私にどれほどの悦楽を刻んでくれるのか。とてつもなく楽しみだった。

 

 頼ってくるのなら、慰めながらさらに依存させればいい。頼ってこないのなら、もっと苛烈にへし折ればいい。どちらに転んでも、私は構わなかった。既に随分と依存しているだろう彼女を、どう刈り取るか。目下の関心事はそれだった。

 

「本当に、いつも紅里ちゃんには助けてばかり……」

「そんなこと、気にしなくていいのに」

「ううん、それでも気にしちゃうんです。どうして、私を助けてくれたんだろうって。紅里ちゃんは気にしなくていいって言ってくれても、私は何も返せてないから」

 

 相談事になると、いつも彼女はこんなことを言う。この言葉がどんな心境から漏れているものなのか、私はある程度察することができていた。

 

 彼女は、心配なのだ。私の庇護から抜け出すことが。自分が強くなってしまえば、私から離れられる。それは私への申し訳なさもあって彼女が望んでいることだが、同時に彼女は私の下から抜け出すことを恐れてもいた。今度こそ私を助けてくれなくなるのではないかと、怯えている。

 だからこんな言葉で、ご機嫌伺いのようなこともするし、私のことを多少疑ったとしてもそれを確信することはできない。

 

 実にわかりやすい手合いで、それだけに最後の反応がどうなるのか、予測がつきつつあるのも同時に懸念すべきことの一つだった。

 

「なんでって、友達だからに決まってるじゃん。だから気にしないでよ、むしろこっちが悲しくなる」

 

 こう言えば、彼女は露骨に嬉しそうな顔をして、そして僅かに顔を顰めた。そこにどんな感情が潜んでいるのか、想像するだけで笑みが零れそうになる。

 

「そう、だよね。紅里ちゃんは……」

 

 

 ああ、早く死んで欲しいなぁ。



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