榎本心霊調査事務所(修正版) (Amber bird)
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始まりの章
第1話から第3話


 他のサイトで公開していましたが事情によりハーメルン様の方に移ってきました。
 宜しくお願いします。
 元は250話以上有るので修正しながらの不定期連載になります。


第1話

 

僕の名前は、榎本正明。

こう見えても先祖には、函館戦争で負けた榎本武揚が居る。もともと榎本武揚は、榎本武兵衛武由の娘みつと結婚して婿養子となった男だ。

旧姓は箱田といい、現広島県福山市神辺町箱田辺りの出身だ。

どうでも良いトリビアを(読者に)話している時にデスクの電話が鳴る……事務机の上の電話機が鳴っている。

他にはノートパソコンとハードディスク、それと充電中の携帯電話が乱雑に置いてある。パソコンの画面は、今ハマッているゲームの攻略サイトを開いている。

今日は面倒くさいな、と思い受話器を見詰めているだけだったが鳴り終わった。

 

「うん。今日は自主休暇として遊びに行こうかな?」

 

良い天気だし鎌倉辺りの古刹でも眺めようか、と考えていたら携帯電話が鳴った、仕事用の方だ。

 

 折り畳み携帯を開いてディスプレイを見れば「長瀬綜合警備保障 長瀬社長」の文字が……残念、仕事かなと思いながら通話ボタンを押す。

 

「もしもし、榎本です」

 

 電話から渋い声が聞こえる……

 

「ああ、榎本君か?事務所に電話したら出なかったんで携帯にかけたんだ。今、電話大丈夫かい?」

 

「ええ、今は事務所に向っている途中ですから平気です。どうしたんですか?」

 

 取り敢えず居留守は誤魔化しておく。

 

「そうか……実はな、厄介な物件を請け負っちまったんだ。

横須賀の建設途中で施主の資金繰りが付かず建設半ばで放置しているマンションな、アレの巡回警備を請けちゃったのよ」

 

 頭の中で思い出す……確か横須賀市の山の中で、海の見える景色が良いけど不便な場所のアレか?

 

「何故、請け負ったんです?長瀬さんの会社は、建設現場の警備はしないでしょ?」

 

 マンションやテナントビル等の常駐警備が主流のはず。

 

「嫌だったんだけどねぇ……付き合いで仕方なく短期間だけ請け負ったんだ。今は坂崎が行っているんだけど……

もう一人が、嫌な物を見たって辞めちゃって困ってるんだよ。悪いけど頼まれてくれないかな」

 

 僕の仕事は、霊障の調査と出来れば解決迄だが……解決方法は、人には言えない僕の一族の業(カルマ)で処理をする。

 人には言えない為に正当な報酬も評価もされないが、それで良いと思う。人に知られたら、良くない事にしかならないだろうから。

 

「良いですよ。長瀬さんはお得意様ですから……そうすると、今晩の夜間警備から同行すれば宜しいですかね?」

 

「ああ、有難う。では事務所の方に案内図と詳細をFAXしとくから、時間は坂崎と連絡を取り合ってくれ。頼んだよ」

 

 そう言って長瀬社長は電話を切った。

 

 携帯電話を卓上充電器ホルダーに戻す。今夜は夜勤か……そうだ、結衣ちゃんに連絡しておくかな。

 

 折角再充電を始めた携帯電話を手に取り、ポチポチと彼女の携帯に送るメールを打つ。

 

「結衣ちゃん。今晩は夜勤の仕事が入ったので夕飯を食べたら出かけます。

早めに支度お願いします。           榎本」

 

 これで、彼女の手料理の夕飯を食べられる、と。

 

 結衣ちゃんは、本名 細波結衣(さざなみ ゆい)

 

 13歳のロリ美少女だ。訳有りのツルペタロリ美少女だ!大切な事だから、2回言いました。

 彼女の母親は愛知県のとある寒村の狐憑きの家系の女性で、彼女もそうだった。詳細は省くが、家族から虐待を受けていた彼女を助けたのが縁で、その後も面倒をみている。

一般的な里親制度を利用したが、オッサンが少女を引き取るには苦労した、

 

「くっくっく……ロリ美少女と同棲中だぜ!」

 

 彼女で妄想していると、ファックスが入る……一応事務所だから、リコーの複合機をレンタルしている。

 コピーもファックスも、これ一台でオーケー!

 送られてきたファックス用紙に目を通す。なる程ね……次は自分でも情報集めだ。

 ガセネタは多いが、インターネットでも結構な事が調べられる。少なくとも何の情報も無く危険なホラーハウスに突撃など出来る程、無謀でも無いからな。出来るだけの下準備はする。

 取り敢えずノートパソコンを開き、インターネットでキーワード検索……

 

「横須賀 マンション 怖い話」

 

 窪〇洋介……違うよ、アレな方の怖い話じゃないんだ。アイ・キャン・フラーイじゃない。

 日常に潜む怖い話 マンションの住人……惜しい、でもコレも生きている人間が怖い話だからな。

 心霊スポット横須賀スレ……これか?読んでいけば、横須賀の建設途中のマンションの怪……当たりだ!

 夜中に前を通ると、3階の窓の部分に人影が見える。敷地内に良く野良猫が死んでいる。浮浪者が住み着いて、小火をだした……在り来たりだな。

 他のサイトも何件か見たが、共通するのは動物や虫の屍骸と3階の人影か……次は人が死ぬような事件が有ったかの検索だ。

 

「横須賀 建設現場 マンション 殺人」

 

 自宅マンションから投身自殺……これは場所が違うな。孤独死、独居老人が死体で発見、これも遠いな。建設中のマンションに乗用車が突っ込む。

 関連が有りそうだが場所が離れているから違うか、今回は事件性は無いのかな?

 後は土地絡みの曰くだが、これは調べるのは現地に行かなければ無理だ。時計を見れば、PM1:30か……先ずは坂崎君に連絡するか。

 何度か一緒に仕事をしているから、携帯のアドレスに入っている彼の番号を探して電話をかける。

 

「…………もしもし榎本です。坂崎君?今電話で話しても平気かな?

うん、社長から聞いたよ。大変だったね……それで今晩だけど巡回は何時からだい?

20時から2時間置きか……危ないのは0時以降だろうね。分かった!

22時の巡回には間に合うようにいくから、それじゃ」

 

 彼、随分と怯えていたな……見えちゃう体質だけど自分では何も出来ないからな、辛いわ。

 

「さてと、現地に聞き込みに行きますか」

 

 愛車のスクーターの鍵を持って事務所のガレージへ向かう。最近購入したYAMAHAのビーノモルフェだ。小道具の多い僕には、収納カゴやフロントポケットの有るこのスクーターは気に入っている。

 コンセプトは街乗り用のレトロ感の有る、多分女性が好むスタイッシュなフォルムをしているスクーターだ。筋肉でゴツい僕が乗るのは似合わないと言われ続けている……

 車?持ってるけど使わない。

 停める所を探すのが大変だし駐車禁止で捕まるの腹立つし……一度駐車違反で捕まったが、罰金か減点かどちらかにして欲しいよな。

 事務所は横須賀市の中央部に有る、駅前の大通りを抜けて国道134号線を南下する。久里浜港を横目に更に南下し野比海岸をひた走る、途中アル中専門の病院が有る。

 今は解体して無いが、国立野比病院と言う怖い病院廃墟が有ったんだ……心霊現象の噂も有ったんだよね。

 医療器具やカルテが散乱していて、持ち帰ると電話が掛かってくるんだ。

 

「ウチの病院から持ち出したカルテを返して下さい!」ってね。

 

 実際に怖かったのは、所有者が頻繁にくる不法侵入を警察に相談して巡回が多かった事。それとセ〇ムのセンサーが各所に設置されていた事だ。

 廃墟ファンには堪らない物件だったね、そんな事を思い出しながらスクーターを運転する。 

 道沿いは長閑な漁港だが、結構な漁船が停泊している。何時漁にいくんだろう?金田湾を見ながら、途中で国道214号線に右折し山の方に向かう……

 海岸線から少し入れば、畑がやたらと目に付く長閑な田舎町。途中で更に枝道に入り目的のマンション前に着く。

 少し離れた路肩にスクーターを停めて、歩いて現場まで行く。平屋の民家と畑ばかりの土地に、いきなりコンクリートの建物が見えた。

 くすんだネズミ色の建物……緑の山々と畑に囲まれたこの場所には似つかわしくないかも知れない。

 まずは、2m位の高さの白いパネルで覆われた仮囲いにそってグルリと歩く……お約束のスプレーの落書きがチラホラ、しかし侵入出来そうな場所は無い。

 そして正面のパネルゲートの前に立ち、問題の建物を見上げる。外から見た分には、まだまだ手を入れれば新築物件として売り出せそうだ。

 コンクリートの躯体の損傷も見受けられない。しかし施工中には有っただろう、外部足場が無くなっている。

 まぁリース品だし、再開の見通しがつくまで解体して引上げたのかな?これは逃げる時に外部階段は使えない、中の階段しかないのか……

 退路が一箇所しか無いのは心許ないな。

 中に入る前に周りを見渡すと道沿いの少し先に、個人が経営してる懐かしい雑貨屋が見えた。板壁に屋根は鉄の波板で、いかにも古そうな造りだ。

 板壁には昔の鉄製の看板が今も貼り付けて有る。

 

「元気ハツラツ!オロナミンC」の大村崑さんの物やセクシーポーズの由美かおるさんの「アース渦巻」それにサビだらけでモデルが誰だか分らないが「ボンカレー」の看板。

 

 今では余り見掛けなくなった懐かしの看板類に溢れている……この看板類を懐かしいと思うと、歳がバレるかな?

 気を取り直して店の中の人に、話を聞こうと覗いてみれば……うほっ!

 若い女の子が店番をしているではないか!どう見ても、まだ小学生だ!

 

「いらっしゃいませ!」

 

 目が合うと、元気に挨拶をしてくれるロリッ子。

 

「こんにちは!」

 

 残念ながらイケメンでも若くもないが、出来るだけ爽やかに挨拶を返す。店に入り、商品を物色する……コンクリートの剥き出しの土間に無造作に棚が並べられ、商品が置いてある。

 トイレットペーパーから洗剤等の日用品から雑誌や食料品まで……これぞ昭和の雑貨屋だね。

 

 無難にガムとコーラを持ってレジへ。

 

「じゃコレを下さい」

 

 渡すとちゃんとレジを打っている。流石にバーコード式でなく手打ちタイプだが……

 

「お手伝い、偉いね。おウチの人は居ないの?」

 

 220円ですと言われ、千円札を渡しながら聞く。

 

「有難う御座います。おつり780円です。うん、お父さん入院中だからお母さんが世話に行ってるの」

 

 彼女の表情からは、父親の容態が重いのか軽いのか分らない。

 

「お父さん早く元気になると良いね」と言って店をでる。

 

 最近の子供は発育が良いな……もうスポーツブラを着けてそうなサイズだった。

 ニヤニヤしながらコーラを飲んで、今度は建物の付近をキョロキョロと見回しながら徘徊する……しかし、これでは通報されても仕方がない変質者っ振りだ!

 近くには交通事故のお地蔵様も無ければ、庚申塚も無い。昔の因縁も無さそうだな……元々が山村であり、戦災が有ったり歴史的な古戦場でもない。

 何処にでもある長閑な田舎で、やっと開発の手が入りつつ有る場所だ!

 最後に近くのお寺、畑に囲まれた小山の上に有る方道寺に行ってみる。こじんまりとしているが、よく手入れもされていて小奇麗な境内……

 住職と話が出来ればと思って訪ねたが、人の気配は無い、かな。お寺の住職とは意外に忙しいから、アポ無しで来ても無理か。

 

「んー原因が分からないなぁ……」

 

 昼間のウチに周辺を廻って見たが、収穫は可愛いロリッ子が一人で店番をしているだけか。

 

「ぐふふ……大収穫じゃないか!」

 

 意気揚々とスクーターを停めている場所に戻る。途中でもう一度、あのマンションの前を通ると、さっきは気が付かなかったが古い看板が目に入る。

 

「マンション建設反対、自然を守れ……か」

 

 何かの利害関係が、あのマンション建設の際に有った訳か。こんな長閑な場所でも諍いが起こる。人間ってのは業が深い生き物だよねぇ……

 その業に囚われている僕も人事じゃないんだけとさ。

 さて、帰って結衣ちゃんのご飯を食べて、結衣ちゃんでラブな妄想しながら仮眠を取ろうかな。帰り道で、お土産に銀座コージコーナーのケーキを買う。

 彼女はイチゴのショートケーキが大好きだ。女の子が物を食べる姿って、セクシーだよね?

 

 

第2話

 

 現場の調査を終えて家の前に到着、家を見れば既に部屋の電気が点いている。既に結衣ちゃんは帰って来ているのだろう……

 駐車スペースにスクーターを停めて玄関に廻り「ただいま!」と言って家に入る。

 玄関先までいい匂いが漂っている、既に結衣ちゃんが夕飯の準備をしてくれているみたいだ。

 

「おかえりなさい。正明さん」

 

 台所からエプロンで手を拭きながら出てきてくれて、少し小さめな声で迎えてくれる。彼女の両腕には手首の部分まで包帯が巻かれている。

 スカートで見えないが、右の太もも部分にも同様に包帯を巻いている。

 

「ただいま。良い匂いだね。夕飯は何かな?」

 

「今日の献立は、イカと大根の煮物にアジフライです……スーパーで特売だったんです、イカとアジが。アジはちゃんと3枚におろして揚げたんですよ」

 

 彼女の頭をポンと軽く叩いてから「凄いね!」と褒める。

 彼女は児童虐待を実の母親と、その男達に受けていた。だから扱いは慎重に、スキンシップは控えめに、優しく頼れる男を演出しなければならない。

 

「お風呂沸いてますから、先に入って下さい」

 

 仄かに頬を赤く染めて恥ずかしそうに、そう言って台所に戻って行く。本当に良く出来たお嬢さんです!

 風呂に入りサッパリしたところでキッチンに向かうと、既に料理が並んでいる。なかなか美味しそうなイカと大根の煮物にアジフライ、それと海草サラダに……ミョウガのお吸い物か!

 結衣ちゃんはお婆ちゃんから料理を習っていたらしく、多少田舎っぽい料理が得意だ。その代わり、外食をする時は洋食系が多い。

 パスタが大好物なので、洋麺屋五右衛門やジョリーパスタには良く連れて行く。彼女自体が大人し目の真面目っ子だから、兄弟か親子に間違われる事が多いのが癪だ。

 歳の差カップルでも、ロリコン野郎でも全然構わないのにね。

 

「今日はこれからお仕事ですから、お酒は駄目なんですよね?」

 

 そう言って急須からお茶を注いでくれる……何時もはビールを嗜むのだが、今日はお茶だ。

 僕はお茶は飲めれば良いのだが、結衣ちゃんはお婆ちゃんの影響か?お茶に拘りが有るのだ。

 前に誕生日プレゼントを贈りたくて「欲しい物はないの?」って聞くと、釜伸び茶とか釜炒り玉露茶とか難しいお茶を欲しがった。

 いずれ静岡とかのお茶の産地に旅行に連れて行って上げたい。湯飲み茶碗とかも好きだから、京都とか焼き物を多く扱う場所も喜ぶかな?なとど考えながら、軽くソースをかけたアジフライを口に入れる。

 

 うまい!

 

 サクサクのコロモの食感に、仄かなソース。それにジュワッとしたアジの風味が口の中に広がる……ご飯をモリモリとかっ込む。

 本当に中年の男心を鷲掴みにする料理を作る子だ。

 

「美味しいね、このアジフライ……魚を捌くなんて、結衣ちゃんは本当に料理上手だよね」

 

 そう褒めると、真っ赤になって俯いてしまう。この子には欲望に塗れてない優しさが必要だから出来る限り褒めてあげる。

 

「そんな事無いです。私は料理位しか、正明さんに恩返し出来ないから……」

 

 恩返しなら結婚してくれって叫びたいが、グッと我慢する。

 

「十分だよ。最近食生活が充実しているから、お腹周りに脂肪が付いてきてね……」

 

 すこし脂肪がついただろう腹を擦りながら言う。自虐ギャクだ……他愛無い冗談を言いながら楽しい夕食の時間が過ぎていく。

 ご飯をお代わりし、全ての料理を平らげてから「ご馳走様」と言って自室に戻る。

 

「さて、少し仮眠をとりますか……」

 

 布団にゴロリと横になる。因みに僕はベッドより布団が好きだ。満腹感の為か、横になると睡魔が……おやすみなさい……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 少しだが仮眠を取った事でスッキリした。目覚まし時計をセットしていた21時に起きて、支度を始める。先ずは装備の確認だ。

 清めの塩・数珠・強力なマグライトを2本、それとスタンガンに特殊警棒……何も敵が霊ばかりではない、時には人間が敵の場合もある。

 それと夜間に行動する為に照明器具は必須だ!

 よくテレビや映画で、懐中電灯が突然消えたりする事が有るが、強い霊だと稀に有る現象だ。だから用意するのが、発炎筒と軍用のケミカルライト!

 前者は自動車にも積んでいるので馴染みのある方も居るだろう、炎の力で光を出す。火に弱い霊達には有効だが、火なので使う方も取扱いに注意が必要だ。

 後者は良くお祭りとかで見かける、光るリングとかステッキの実用版。玩具ではなくちゃんと実用性の有る光量を持たせた物だ。

 これは、シュウ酸ジフェニルと過酸化水素との混合溶液の化学発光により蛍光を放つ。玩具から軍用で利用している物まで色々あるが、霊も化学反応は止められないみたいだ。

 それと信憑性は低いが電池式のランタン。量販店に行けば、3000円程度で買えるLED式の物だが、少し細工をして内部に愛染明王の札を仕込んである。

 これを大量に逃げ道に置いておく。多少の霊なら札の力で明かりを消せないが、有る程度の奴だと簡単に消す……これは単純に僕の札に込める霊力が弱いからか?

 一度霊に消されると不思議と二度と点かないのだが、使い捨てだし必要経費だから問題ない。

 壊れなければリース代金で壊れたら経費に乗せる契約にしている、これらを腰や足に付けたポーチに入れていく。

 ランタンは段ボール箱に詰めておく。因みに今回は長瀬総合警備保障の仕事なので、そこの制服を着てポケットの沢山付いたチョッキを羽織る。

 極力両手はフリーにしておかないと危険だから……制服着用については、外部スタッフ扱いだから問題ない。

 靴は編み上げのアーミーブーツ、コレが結構使い勝手が良い。

 スニーカーは防御力が低いし、安全靴は滑り易いのでコーディネイトとしては合わないが何時もコレだ。

 それに手袋だが……本来ならば手袋をして手を守りたい。しかし、何故か手袋をしたままで愛染明王の印を結ぶと効果が薄いのだ。

 只でさえ威力が低いのに、これは致命的……なので取り敢えず軍手は持っているが、霊絡みの仕事中は使えない。

 

 最後に、結界を張った祭壇に祭ってある「箱」を見る。結界とは勿論、他の人をこの「箱」に触らせない為の結界。

 実際には、この「箱」をどうこう出来る奴など居ないだろう……忌々しい程の力を持った「箱」。

 本来なら触りたく無い箱を手に取る。

 箱根細工の様に組み上がった、ルービックキューブよりも少し小さい「箱」……

 コレが僕らの物語の、始まりの「箱」。

 呪われた一族の生き残りの僕が面倒を見なければならない「箱」を無造作にポケットに突っ込む。

 2階建ての我が家の2階部分は全て僕の私室と倉庫と、祭壇だ。

 掃除は自分でするからと言って、結衣ちゃんにも祭壇には近付けさせていない。さてと、準備が出来たし出掛けるかな。

 階段を降りて、結衣ちゃんの部屋をノックし出掛ける事を伝える。直ぐにドアを開けて顔を見せてくれる……

 どうやら勉強中だったらしい、机の上にノートやら教科書が見える。来年は受験生なんだよね……

 勉強が終ったら直ぐに寝るのだろう、Tシャツにホットパンツ姿だ。服から覗く華奢な手足が艶かしい……

 仕事の前に、彼女の部屋にこもる甘ったるい匂いを堪能する。

 

 仄かにミルクの香り!所謂「くんかくんか」状態だ!

 

 そんな変態行為に気が付かず、彼女は玄関までお見送りをしてくれた。戸締りをしっかりと言い聞かせ出掛ける。

 ちゃんと扉の鍵をロックする音を聞くまでは、扉から離れないけどね。

 今度はスクーターでなく、愛車のキューブで現場に向かう。田舎だけに、夜の9時を過ぎれば交通量は疎らだ……20分程で現場に到着した。

 一旦現場の前に停めて、ランタンの入った段ボール箱を降ろす。

 それから昼間の内に調べておいたパーキングに移動し、後ろに積んである折り畳み自転車で再度現場まで……

 霊障なのか、電子機器やら自動車・バイクは時として使えない場合が有る。何故かエンジンが掛からない!

 

「うわぁ、ヤバいよ懐中電灯の灯りが消えたよー!」とか「電話が圏外だ!助けを呼べないじゃんか!」とかね。

 

 だから人力駆動の自転車、これ最強!

 僕の強靭な足腰を動力として走る自転車は、今迄に逃げ切れなかった事は無い。まぁ捕まったら只では済まないし、最悪は死ぬ……軽快に自転車を漕いで現場の前へ!

 見上げると、コンクリート製の建物は昼間とは違った雰囲気を醸し出している。確かに何かが居る気配がする……

 仮設のパネルゲートを入って直ぐに自転車を停める。勿論直ぐに逃げ出せる様に鍵は掛けない。

 

「お早う御座います、榎本さん!」

 

 元気に名前を呼ばれたかと思えば、缶コーヒーを飲みながら坂崎君が近付いて来る。しかし微妙に恐怖で腰が引けているのがわかるんだ……

 せわしなく視線を動かすし、懐中電灯やらランタンが置いてあるし。彼なりに色々準備したんだろう。

 

「現場の挨拶って夜でも「おはよう」だよね」業界用語なのか?

 

「榎本さんが出張って来るって事は、やっぱりコレ絡みなんですか?」

 

 両手を前でダラリと下げてお化けの真似をする……

 

「まだこれから調べるんだよ!それより、今回もヤバくなったら逃げるから自転車の準備をしといてね。坂崎君の安全は契約外なんだよ」

 

 命有っての物ダネだからね!

 

「うわっ!前回みたいにアル中みたいな浮浪者に、出刃包丁を持って追い掛けられる可能性有り?」

 

 廃墟に棲み付くのは、何も幽霊だけじゃない。人間の方が多い位なんだよね。

 

「うん。可能性は有るよね。でも今回は浮浪者が住み着いた様子も無いし、ヤクザ絡みの物件でも無い。

周りの神社やお寺。庚申塚や曰く有りそうな地蔵も石碑も無いし……ここで事件が起こった事も調べられなかった」

 

 どうやら建物の中に入りたくないのか、外に折り畳み椅子を置いて休憩スペースを作っていた。寒いし雨降ったらどうするんだい?

 しかし正解だ!ゴーストハウスの場合、建物の外には効果を及ぼさない場合が多い。

 

「それで、一緒に夜間巡回ですか?」

 

 マグライトと特殊警棒を取り出して笑いかける。

 

「僕ら肉体労働者はさ、自分の足で調べるしかないんだよ。さぁ22時の巡回に行こうか?」

 

 ここまで調べて分らなければ、直接乗込むしかない。正規な手順を踏むなら夜に建物の中に入るのは愚行だ。

 周りからカメラや温度センサーとかで、先ずはじっくりと異変を調べるのがリスクが少なく確実だ。

 海外ではゴーストハウスは割りとポピュラーなジャンルで、調査方法もそれなりに確立している。しかし我々には、時間も金も無いから体を張るしかない。

 

「じゃ行こうか……先ずは建物の外周をぐるっと歩こうか……その後に、何時もの巡回ルートで案内をお願い。

それと歩きながらで良いから、知ってる事を教えてくれる?」

 

 先ずは建物を時計回りで一周する……不法投棄だろう車のバッテリーやブラウン管テレビ、それにエロ本を見つけた。

 そう言えば子供の頃は、何故か廃屋探検する度にエロ本を見つけて読み耽ったものだ……誰が持ち込むんだろう?

 噂にあった動物の屍骸は無かったな。しかし膝まで雑草が茂り、バッタだか分らない虫が飛び回っている。

 動物の屍骸については、猫とか死期を悟ると人目に付かない場所に行くらしいが……

 なにか関係が有るのかな?さて建物外周には、手掛かりはなかった。

 もはや内部に侵入するしか有るまい……

 

「坂崎君、外部に異常は見当たらない。覚悟を決めて中に入ろう」

 

 既にビビリまくりの彼に声を掛けて先導させる……そして曰く付きマンションの捜索が始まった。

 

第3話

 

 地元で有名な心霊マンション……噂ばかりだったが、警備員の一人が怪奇現象を目撃し、逃げ出す様に辞めてしまった。

 お世話になっている永瀬社長の頼みだからと請けた仕事だが、どうやら当りみたいだ。

 

「坂崎君、外部に異常は見当たらない。覚悟を決めて中に入ろう」

 

 既にビビリまくりの彼に声を掛けて先導させる……

 坂崎君の後について、先ずは1階のエントランスホールに入る。この辺は、地元のヤンキーとかも探検に来たんだろう……

 スプレーの落書きにBB弾か?サバイバルゲームでもしたのか?

 こんな田舎とはいえ、それなりに人目の有る場所で?

 建物の入口は、内部に何も光源が無い為か、ぽっかりと闇が口を開けている様に感じる。ゴクリと生唾を飲み込む……何時までたっても怖い事に慣れる訳でも無いから怖い物は怖い。

 しかし仕事だからと割り切って建物の中に入る事にする。

 1階はエントランスホールに管理人室、ELVホール・集会所・郵便ポストスペースと共用部分が多い。もっとも仕上も未だだし、機材も置いてないから、剥き出しのコンクリートの小部屋ばかりだ。特に変化は無い。

 気になると言えば、床に水溜りの跡がある事や、ジメジメしている事だ。それに微妙だが空気の流れを感じる……

 妙に土臭く、そしてカビ臭い。

 普通コンクリートの建物の中に入ると、ヒンヤリするが、この建物は最近雨が降ってないのに湿気の程度が酷い。

 

「榎本さん……1階と2階は問題無いんですよね。同僚が見たのは3階の東側の部屋らしいです……

血相を変えて飛び出して来て、それっきり辞めちゃいました。3階ってのも同行して巡回した時に、その部屋に入って……

僕は見てないんだけど、彼がいきなり叫びだして走って逃げたから自分も逃げ出したんです。

後は、彼が恐ろしい物を3階で見たって……それで、そのまま帰ったっきり仕事には来なくなりました」

 

 話を聞きながら、2階に内部階段で登る。思った以上に内部は暗い……

 階段室には窓が無い為に、外の光が何も入ってこないからだ。途中でランタンに灯りを付けて、階段に5段おき位に置いて行く。

 足元が暗いと逃げ出す時にスピードが出ないし、危ないからね。

 

「その彼は、どんな恐ろしい物を見たのかな?それについては何か言ってた?」

 

 質問をしながら2階に到着する。2階のフロアからは居住区画で、均等にコンクリートの壁で部屋割りがされている。

 1フロアが8部屋で仕切られているが、ここも仕上がされてないのでコンクリートの剥き出しの壁のままだ。

 このフロアも落書きが多いな……卑猥な言葉や意味不明なサイン?

 あとはお決まりの「この場所は呪われている」とかね……

 

「少し待ってくれるかな?」

 

 どんどん進む坂崎君を止める。じっくりと周りを見渡す……通常、経験でいくと霊が現われる時は温度変化が、具体的には温度が下る。

 身の毛もよだつとかは、物理的に温度が下るからかも知れない。しかし、物音もしなければ温度の変化も感じられない。

 深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、再度気配を探るが僕の霊感には何も反応しない。まぁ大した霊感も霊力も無いんだけどさ……

 

「このフロアは問題なさそうだよ。でも心霊現象ってのは、特にゴーストハウス系はね……

知らない人が来ると一旦おさまるんだ。そこからの揺り返しが恐ろしいんだけどね」

 

 坂崎君は、ブルブルっと身震いして左右を見渡す。

 

「じゃ問題の3階に行こう。先に僕が歩くから、逃げろって合図したら振り返らずに走って逃げるんだ。

僕に構うなよ、僕も君には構わないから。それとヤバイと思ったら2階からなら飛び降りるんだ。

最初に外周を廻ったけど、落下してもぶつかって怪我をする物は無かったし、どかしておいた。自縛霊ならば、建物から出れば平気な場合が多い」

 

「ひでぇ……最悪だよ!」

 

「肉体派だろ、僕らは!大丈夫だよ、社長も労災申請位はしてくれるさ」

 

 ゆっくりと階段を登り、問題の3階のフロアに到着する……この階段入口部分は、ランタンを3個置いておく。

 最悪の場合、此処だけが脱出ルートだから目印代わりだ。

 念の為に清めの塩をランタンの周りに、大き目の円を描く様に撒く。本当に気休めだが塩は魔を払う効果が有り、一応祭壇に祭り清めた塩だ。

 ただ大量に持ち歩いて、しかも大量に使うので質より量的な感じを受けるのだが……これで最悪の時の脱出ルートの目印は出来た。

 流石に鍛えている僕らでも、3階から落ちれば最悪は死者の仲間入りだからね。退路を確保してから、周囲を確認する。

 

 ……ヤバイな。ライトに照らされた周りを見て思う。

 

 このフロアには、思った以上に落書きが少ない。普通は話題になったフロアには人が結構来るんだ。度胸試しとかで……

 だから証拠に落書きを残して行く。しかし1階や2階よりも、明らかに落書きが少ない……

 

「こりゃ当りかな?坂崎君、ちょっとマジになろうか……」

 

 依頼されている以上は確認をしないと帰れない。覚悟をきめて、手前の部屋から覗いていく……

 問題の部屋は一番突き当たりだが、本当に其処にだけ現われるとは限らない。

 ライトを持つ手首に数珠をして、特殊警棒をしまい清めの塩を持つ。念のため、坂崎君にも清めの塩を渡す。

 

「榎本さん、何か異様に静かですよ……耳がキーンって鳴るんだけど、これってヤバイのかな?」

 

 彼も緊張しているみたいだ。コッチも緊張で喉がカラカラだよ。

 

 2部屋目に入る。

 

 ここは一時期浮浪者か誰かが住んでいたのか、コンビニ弁当のゴミや新聞紙が散乱している。どこか腐った臭いがする。

 しかし異常とは言えないか……新聞の日付を見ると3ヶ月程前だな。

 少なくともその頃は、怪奇現象は無くて此処まで人が登って来ていたんだ。

 

 続いて3部屋目に入る。

 

 ここは……綺麗に何も無い部屋だ。3部屋目を見終わって一息つく……

 持っていたペットボトルの水を少し飲む。

 僕が立ち止まっている間中、彼はライトで周りを忙しなく照らしている。

 

「落ち着いて。さぁ、行こうか」

 

 4部屋目……

 

 5部屋目……

 

 6部屋目……

 

 なんの異常も無い。共用廊下部分にもランタンを設置するが手持ちが尽きた……じっくりと逃げの準備をしているが、また異常は見当たらない。

 少し拍子抜けだ……もしかして、初日は反応しないのか?

 そんな楽天的な思考が頭を掠めた状態で、7部屋目の前に立つ。問題の部屋の隣だが、ここで始めて異常に気付く。

 ライトを当てた室内に、小さな白い物が飛んでいる。

 

「ジジジジジジ……」

 

 突然、耳元で羽虫の音が聞こえた。暗がりに灯りを持って歩いているんだ、虫くらい寄ってくるだろう。

 しかし、この部屋だけにしか虫は飛んでいなかった。用心しながら部屋の中に入ると、足にジャリジャリと違和感が……

 右足を上げて見ると、床一面に黒い塊が?

 ライトで照らすと、うぞうぞと動き回る虫・虫・虫の屍骸と生きている虫達。

 

「虫?とその屍骸か……こんなにか……」

 

 見ればその部屋には黒い絨毯と見間違う程の、大量の虫と虫の屍骸が有る。ハエやゴキブリ、カナブンやら色んな虫が積み重なって死んでいる……

 毛虫や芋虫みたいな物は、うぞうぞ動いているし。虫の屍骸?動物じゃなくてか?

 パソコンの書き込み情報と違う、初めてだろう怪異に立ち止まって考え込んでしまう。

 

 ひょいって脇から室内を覗いた坂崎君が呻く様に「うわっ昨日は無かったですよ。こんな虫の屍骸なんて……」そう呟いた。

 

 彼の心臓は既にバクバクだろう、震えているのが掠れた言葉でも分る……調査初日から、反応してくれるとは嬉しくないなぁ。

 

「どうやら我々は歓迎されているみたいだな」

 

 隣の部屋からも微かだが、物音が聞こえ始めた。

 

 ウォ……カチッ……カチッ……アグゥ……カチッ……

 

 耳を澄ませば、なにやら呻き声の様なものと何かを叩く音だ。2人に緊張が走る。

 

「榎本さん、なにか音がしませんか?隣から……見に行くの嫌ですよ僕は……」

 

 今までは静まり返っていた建物の中で、突然僅かだか異様な音が聞こえ始めた。

 坂崎君も聞こえているなら間違いないのだろう。

 

「これが僕らのお仕事でしょ?我々は体を張らねばならない肉体系労働者だからね。ここからは僕が先に行きます。

逃げろと言ったら、何があっても建物の外には最低でも出て下さいね。後は自己責任でお願いします」

 

 そう言ったら、情けない顔になった彼の肩を叩いて気合を入れる。問題の部屋に入る前に、退路を確認する。

 途中に設置したランタンは正常にボヤけているが灯りを放っているし、階段の3台も心強い光を放っている……

 しかし、念の為に頭の中でシミュレートする……最悪の場合、用意した照明が消されて真っ暗になったら。

 先ずは照明の確保だが、発炎筒にしよう。

 火はそれだけで、魔を退ける力となるし、光量も大きい。

 念のために部屋の前にケミカルライトを一つ取り出して、くの字に曲げて中の液体を化学反応させてから床に落とす。

 この光の左側が階段だ。

 坂崎君を見れば、僕の後ろ3m位の所に立っている。両手には懐中電灯と清めの塩をそれぞれ持っている。

 無言で頷き合うと、問題の部屋に向かった……

 

 入口から正面に開口が有り、外の夜景が見れる。

 東京湾を一望し、遠く千葉県の木更津工場地帯の灯りが見える絶景のビュースポット……入口から中を覗いても何も居ない。

 覚悟を決めて室内に一歩踏み出す……何も居ないな。

 

 もう一歩中に入って中を伺う。

 

 喉がカラカラだ……

 

 フッと壁際に目をやると、居たっ!

 

 こちらに背を向けて立っている、多分40歳位の中肉中背の中年の男が……

 

 青白ストライプのバジャマを着て何かを呟いている。ウォ……カチッ……カチッ……アグゥ……カチッ……

 左手の人差し指で壁の一部分を叩いている。

 

「うっうわぁ……榎本さん!アレっ、アレって本物ですよね?向こう側の壁が透けて見えて……あがががっ」

 

 坂崎君がパニックに成り掛けて騒ぎ出した!

 

「ちょ坂崎君、静かにしないと……」

 

 ほんの一瞬だけ目を離し、坂崎君に注意して再び中年の男を見ると……今まで呻きながら人差し指で壁を叩いていたのを止めている。

 少しずつ、本当に少しずつ体を此方に向け始めた……

 

「あっひゃ榎本さん、どうするんですか?はっ早く逃げましょうよ」

 

 坂崎君はもう無理か?

 

「坂崎君、先に逃げろっ!僕は一撃与えて様子をみるからっ」

 

 そう言うと、腰を抜かしながらも廊下に這って行く坂崎君……その緩慢な動作に、少しは時間稼ぎが必要だと理解する!

 愛染明王の印を組み真言を唱える……

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 真言を唱え、裂帛の気合を奴にぶつける!

 

 渾身の霊力を乗せた愛染明王の真言を受けて、奴は……流石の奴も………アレ?奴は………その霊体を僅かに揺らしただけで、此方を向いた。

 

 精気の無い表情で、しかし此方を睨んでいる。

 

「やべぇ!効いてない?」

 

 手順に間違いはなく、霊力も乗っていた真言をモノともしないのか?奴の落ち窪んだ暗い眼窩を見てしまった。

 

「あがっ……あががっ……」

 

 奴は手を伸ばしながら、ゆっくりと近付いてくる。

 

「これは、戦略的撤退だ!」

 

 僕は奴から目を離さずに、ゆっくりと出口まで下がり始めた……

 

 



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第4話から第6話

第4話

 

 横須賀に有る、施主が資金繰りに困って建設中止になっているマンション。こんなご時世なら良くある話だ。

 しかし再開の目処が有るのか?債権者が事業を受け継ぐのか警備を開始した。

 何時も世話になっている長瀬総合警備保障の社長から、その物件での怪奇現象について相談が有った。

 何でもバイトが一人辞めてしまったので調査をしてくれ!そう頼まれて、早速下調べをしてから乗込んだ。

 

 現在その怪奇現象を起こした本人(霊体?)を確認。先制攻撃とばかりに、愛染明王の真言をぶつけてみたが……

 全く効果が無く、現在見詰め合っています。

 

「あがっ……あががっ……」

 

 奴は右腕を此方に伸ばしながら、ゆっくりと歩き出している。ちゃんと全身を現し、足を使い律儀に歩いて……

 

「これは、戦略的撤退!」

 

 駄目元で清めの塩をばら撒き、振り向いて逃げる。出入口に落としておいた、ケミカルライトを目印に部屋を出て左通路を見る。

 通路沿いに置いたランタンも正常に点いている。

 ダッシュで階段迄走り、後ろを振り向くと……奴が、丁度部屋から出て此方を向いて歩き出すのが見える。

 

「坂崎くん!奴が追ってくる。取り敢えず現場からも離れるぞ!」

 

 先に逃がした彼に檄を飛ばし、階段を駆け下りる。一階まで到着、後ろを振り返らずに一気に外まで出た所で、坂崎君に追いついた。

 肩に手を置いたら「ひぃぃ」とか騒いだが、僕を確認すると走りだす。

 2人で仮設ゲートの前まで到着し、少しだけ気が落ち着いたので後ろの建物を振りかって見れば……真っ暗な建物の3階部分だけ、僕が設置したランタンの灯りが窓から漏れている。

 その窓からユラユラとした人影が3階の角部屋に見えた。

 

「彼はあの部屋に御執心みたいだな。自縛霊かと思ったが、愛染明王の真言が全く効かなかった。まるで何も無い空間に飛ばしたみたいに……

坂崎君、明るくなるまで中には入れない。夜が明ける迄は此処で待機だよ」

 

 本当は、昼間でも心霊現象は起こる。別に連中は夜型ばかりじゃないって事なんだ。

 でも、態々怖い思いをさせるわけにも行かないから、日が出たら再度一緒に行こうと誘う。

 朝の八時になれば、交代要員が現場に来る。その前に再度、現場を確認し装備を回収する。

 今も、問題の3階を見詰めながら話しているが、彼はまだユラユラと窓際に立ち竦んでいる。

 まるで此方を見ている様に……取り敢えずは落ち着く為に、清めの塩を使い円陣を書く。その中に坂崎君が休憩用に持ち出していたパイプ椅子を置いて座る。

 危険を感じたら、直ぐに自転車で逃走出来る準備もしてある。 

 しかし夜通しあんな影が窓から見えていると、噂になるな間違いなく……

 へたり込んでいる坂崎君に、なにか暖かい飲み物を買ってきてくれと千円札を渡しお願いする。彼は少し現場から離した方が良い。

 僕から受け取った千円札を手に、フラフラと外へ出て行った……最悪、彼が戻って来なくても良い。こんな経験をして、戻って来る方が異常だろう。

 清めの塩で簡易な結界を張ったが、一応愛染明王の印を組んで置く。

 

 そして考える……今も3階でフラフラしているアレ……只の霊体じゃない。

 

 乏しい経験から導き出したのは、「生霊」だ!パジャマ姿と言う事は、こんな時間だし本体も就寝中なんだろう。

 無意識に寝ている時に生霊を飛ばしている可能性も有る。顔は酷くやつれて落ち窪んだ眼窩をしていたから、本体の顔を特定するのは無理だろう。

 本体もあんななら、それは酷い状態だ!しかし、入院中って線も……

 

「あっ熱っ……ああ、坂崎君か。脅かさないでよ」

 

 熱々の缶を頬に当てられ驚いて現実に引き戻される。

 

「アイツ……まだ居ますね」

 

 坂崎君は此方を見ずにポツリと零した。アレだけ怖い目に合ったのに戻って来るとは、大した奴だ。

 

「ああ、どうやらあの部屋に問題が有るんだろうね」

 

 熱い缶のプルトップを空けて一口飲む。

 

「んっ?坂崎君、なにコレ?カレーリゾット?はぁこれ何なの?

カレーは飲み物とか大食いタレントが言ってたけど、まさかダイドードリンコって、ええ?」

 

 ショート缶だから、てっきりコーヒーかと思えばカレー?缶をマジマジと見れば、ダイドードリンコの「とろとろ煮込んだカレーリゾット」だと!

 ツブツブのコンニャクの食感がまた空腹を促すのか?流石はダイドードリンコ!

 ネタで仕込むには最高のドリンクだよ……

 そんな彼の手には、伊藤園の「なめこ・ワカメ・ネギ入りみそ汁」を持っている。

 

「伊藤園さん……ダイドードリンコさん……企業的にアリな戦略商品なんですかコレ?」

 

 そのまま椅子に座り込み、残りを飲む……薄口のサラサラしたカレー味で飲みやすいかな?

 インパクトはデカかったが、味は基本を抑えていたので飲み干した。驚かされたが、まぁ美味しいと言って良い商品だった。

 しかしカレー臭が少し口に残るかな……

 

「何処で売ってたの?このキワ物商品、初めてみたよ」

 

 坂崎君もみそ汁を飲み干して

 

「ああ、その先の懐かしい雑貨屋みたいな商店の自動販売機に有りましたよ」

 

 雑貨屋?昼間来た時に入った、ロリッ子が店番していたアレか!流石に外の自販機の商品まではチェックしてなかったな。

 結衣ちゃんの為に、今度ネタで買っておくか……

 そんな馬鹿話をしながら時間を潰していると、午前3時半過ぎに問題の影は消えた。明け方、周りが明るくなってから再度建物に突入する。

 

「坂崎君、怖いなら外で待っていてくれても良いよ。今日は資材を回収したら引き上げだから。長瀬社長には、僕から連絡をいれるから」

 

 建物の入口に少し入り、外に居る彼に話し掛ける。大分怖い思いをしたんだから……

 

「榎本さん……僕、今晩も警備のシフトに入ってるんですよ。今晩はどうしたら良いのか」

 

 そう良いながら、建物の中に入って来る。結構肝は据わっているんだろう。

 初めてじゃない心霊体験だが、普通なら怖くて仕方ない筈なのに、なんの対抗手段も持ってないのに。

 

「いや、今晩は建物の外部からの警戒にしよう。僕も、もう少し調べてみるから……危険な奴が、本物の心霊現象が発生したのは確かだ。

でも、公表すると面白がってくる奴とか興味本位でくる馬鹿が必ず居るから。君はそいつ等を建物に侵入させない事が仕事だよ」

 

 溜め息をつきながら、これからの事を考える。

 

「交代の連中は7時半に来ますが……彼らは昼間は建物内に入っても平気ですかね?」

 

「昼間の連中も中には入れない方が良いよね。理由は……教えないほうが良いかな。

また辞めちゃう奴が出るかも知れないし。7時を過ぎたら、長瀬社長に報告をするから交代要員に指示して貰おう」

 

 階段を登り、3階のフロアまで登ってきた。室内の窓から朝日が差し込み、廊下の部分を照らしている。

 朝もやの中に、幾つもの光のラインが走っている……幻想的だけど、奴はもう居なくなったのかな?

 問題の部屋の前に来る。気休めだが、数珠と清めの塩を構えてから中に入る……

 何も無い、誰も居ない室内。夕べ奴が立っていた、叩いていた壁の部分を見る。

 特に問題は無さそうな……

 

「アレ?これ何ですかね。何か壁に書いてありますよ……ローマ字に数字かな?でも掠れて……何て書いてあるんだろ」

 

 彼の見ている部分を覗くと

 

「ん……FL+1.000か。これは仕上りのフロアレベルから1m上の高さを示しているんだよ」

 

 関係無さそうだな。

 

 もう一度、周辺の床や壁を見たけど気になる部分は何も無い。叩いていた壁には窓用の開口が有り、外の景色が良く見える……

 角部屋だと2方向が外部に面しており、採光が取り易くそして値段も高くなる。

 この室内の広さと最上階の角部屋と言う立地を考えると、相場でも4000万円台かな。正面の大きな開口は海を一望出来る作りになっており、此方の窓は山側……

 丁度、ロリッ子商店の通りが見渡せる。

 ああ、アレが妖しい商品を売っている自販機か。丁度ロリッ子が店から出てきて、母親かな?

 女性と2人でタクシーに乗込んで行った……平日の早朝にか?

 

「榎本さん?とうしました?ボーっと窓の外を見て……何か有りましたか?」

 

 坂崎君が不審な顔で此方を見ている。

 

「ああ……さっき君から貰った、妖しい缶ジュース?アレはあの自販機で買ったんだね?」

 

 窓の外を見ながら聞くと、ヒョイッと覗きながら

 

「そうですよ。昼間は良く買い物に行くんですよ。結構な美人の奥さんが店番してるんですよね、えへへへ」

 

 彼は、年上のお姉様属性で、多分M男君だと僕は予測している。時代の最先端はロリなのに、流行に逆らうから彼女が出来ないんだぞ……

 

 全く、ロリは正義!

 

 日本の未来を背負うのはロリと、それを尊重する紳士だけなのだ。育ちすぎた女性は、出産率の低下やシングル率も高いのだよ。

 昔エロい人が言ったではないか。

 

 人は石垣、人は城。生めよ育てよ、と……もっと若い段階で結婚を奨励した方が良いのだよ。

 

「榎本さん……言葉が駄々漏れしていますよ。そして間違っています。

女性とは熟成してこそ、その美に磨きが掛かるのです。ダイヤの原石とか言いますが、磨かなければタダの屑石と変わらないのです。

昔エロい人が言いました。

肉も果物も女性も、腐り掛けが一番美味しいと……発酵食品を見てください。納豆・チーズ・ヨーグルトいやケフィアです。

全て美味しい物では有りませんか!

青い果実など、苦くてしょっぱくて食べれませんね」

 

 こっコイツ……腐ってやがる、年上お姉様趣味かと思えば……

 更に高みに登りやがった。

 熟女だと……無理、無理だよ僕には……

 

「食わず嫌いと思われても、僕はフレッシュな?もぎたての果実が食べたいんだ」

 

 話は平行線に突入したまま、全ての機材を収集に建物を出る。時計を確認すれば、午前7時少し前……では長瀬社長に電話を掛けるかな。

 内ポケットから携帯を取り出し、登録している番号を検索して彼の携帯に連絡する。

 何度目かの呼出音の後に繋がった

 

「……おはよう、榎本君。昨夜はご苦労様だったね。で、どうだった?」

 

「昨夜、坂崎君も確認しましたが……居ましたよ、痩せこけた中年の男が。しかし霊体かと思いましたが、愛染明王の真言が通じなかった……

僕は生霊かと思います。ええ、お払いは出来ませんでした。これは、調査が必要なので警備については建物の廻りだけで」

 

「……君から見て危険かい?」

 

 危険か、危険でないか……

 

 心霊現象など危険以外の何者でもないと思うけどね。

 

「危険だと思います。残念ながら、僕の通常の技では効果が無い。ならば、原因を探って対策を講じるか……」

 

「……より強い霊能力者をぶつけるか、かい?」

 

「そうですね。しかし強さと金額が比例するとは限らないこの業界ですから……」

 

 無論、本物は居る。しかし彼らは総じて高い除霊料金を請求する。

 己の命を賭けて挑む事と、自身の技術に自信が有るから……

 

「榎本君で何とかならないかな?日数は掛かっても構わない。とは言え、うちの警備期間は今月中だから……正味3週間だけどね」

 

 3週間か……生霊の人物の特定と、その怨嗟の根本を探し出すにはギリギリかな。

 

「やるだけの事はしてみますが……見通しが立つまでは、警備を外周のみに限定して下さい。

多分、昨夜一晩中3階のフロアに徘徊する影が居ましたから……興味本位な連中が来る可能性が高いですよ」

 

「それで構わない……出来れば原因を突き止めて欲しい。駄目なら、次の警備会社に申し送りをするまでだが……」

 

 そう言って電話を切った。

 

「さて、調査しますかね……」

 

 

第5話

 

 長瀬総合警備保障㈱

 

 主に商業ビルの巡回警備を請けている警備会社だ。社員60人の中小企業に分類されるが、社員教育が充実していて商品を扱うテナントを擁するビルオーナーからも信頼は厚い。

 

「榎本君にして、難しいか……」

 

 長い付き合いの中で、彼に頼んで解決出来なかった物件は無い。

 逆に他で調べて貰って問題有り・解決出来ない、と言われた案件も霊障が無くなったと報告を受けた事が有る。

 つまり彼が何もしていない・調べても何も無いと報告を受けた。確かに、その後に霊障は治まっている……

 どんな案件でも、彼が関われば治まっている。もし自身が解決したならば、正規に報酬を要求するし此方も払う用意が有る。

 他で危険と判断された物件を解決したのだ。

 個人事務所としても、随分な宣伝になるだろう……彼は個人経営だからと経費は掛からないと、相場よりも安いし明朗会計だ。

 ちゃんと必要経費や使った機材の項目を記載した見積書を出してくる。あやふやな表現も無いし、労務費だって実働日で換算している。

 心霊を抜かして調査事務所として一般会計に廻せる内容なんだが、彼は有名になる事・注目を集める事を極端に嫌がる。

 良く居る自称霊能力者の一式幾らで、成功したら報酬を吊り上げたりもしない。

 

「何故なんだろうねぇ……危険な仕事なのに商売っ気が無いのは、気になるんだけどね。

生霊か……たしか生霊や死霊を得意とする霊能力者が居て、仕事を紹介して欲しいって言っていたな……

梓巫女の桜岡霞か、お試しで使ってみるか。

偉い美人さんらしいし、榎本君も殺伐とした霊障現場が華やぐから嬉しいだろう」

 

 そう言って彼女に連絡を入れる事にした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜勤明けで自宅に戻ると、台所に朝食が用意してあった。 

 結衣ちゃんが、オニギリを3個と甘めの卵焼きを作ってテーブルに用意しておいてくれたんだ。

 急須と湯飲みもセットされている。彼女は既に学校に行ったんだろう。大人しく自己主張の無い彼女は、昔から苛められていた事が多かったらしい。

 最近のガキは不良でなくても、苛める側に廻るのなんて普通だ。少しでも他と違えば、イジメに発展する。

 しかも陰湿ときていやがる。

 先生達も事なかれ主義でイジメを絶対認めないし、有ったとしても知らなかったとか平気でほざく。

 だから筋肉同盟の友人や、その筋の仕事関係者を集めて運動会に参加したんだ。

 自慢じゃないがイケメンでも何でも無いオッサン集団だが、厳つい顔と肉体には自信が有る連中だ。

 結衣ちゃんを苛めたら、筋肉馬鹿の集団が何をするか分らないからな?

 まぁロリッ子を囲む肉体派の連中の輪をみて、彼女をどうこうしようとは思うまい。逆に彼女が孤立してしまうかと心配もしたんだが、何人かの友達もできたみたいだ。

 もし苛める奴がいたら、構わず相手に呪いを掛けるけど。

 結衣ちゃんは実の母親とその交際相手の男達に、家庭内暴力を受けていた過去があるから……

 嫌な過去を思い出させる様な奴には、死ぬほど後悔させてやる。

 

 急須のフタを開けると、ほうじ茶の茶葉が入っている。ほうじ茶を美味しく淹れる方法は、沸騰したお湯を一気に入れる事で香ばしい香りが引き立つ事。

 多めにお湯を急須に入れて茶葉が開くのを待つ。

 茶葉が開くまで暫く待ち、その間に電子レンジでオニギリを暖める。

 30秒程待って湯飲みにお茶を注ぐ。

 

 良い香りだ……

 

 オッサンはお酒とお茶が大好きだからね。電子レンジからオニギリを出して一つを齧る。

 具は梅干か。彼女は必ず複数の具を用意するから、他の2つは違う具材だろう。

 立ったままで一つ目のオニギリを食べ終え、残りと湯呑みをお盆にのせて応接セットに向かう。

 ソファーに座り、ボンヤリと先程の調査について考える……

 

 生霊……

 

 箱が反応しなかったのは、大した相手ではないのか食指が動かなかったかのどちらかだ。つまり、アレによる強制終了は無い。

 有っても生霊とは、文字通り生きている相手がいるのだから後味が悪いから……情報を整理しよう。

 先ずは奴の服装だが、青白ストライプのパジャマだ。これで特定は難しい。

 病院のお仕着せのパジャマだったら直ぐに特定できるが、良く有る市販品らしいパジャマでは……

 それこそ付近の病院の入院患者を虱潰しで探すしかないし、毎日同じ柄を着ているとも限らない。

 表情だが、見たのは落ち窪んだ暗い眼窩の顔で有り、これも特定は難しい。

 生霊の表情は千差万別で、酷い顔をしていたり怖い顔をしていたり……逆に普通だったりもする。

 つまりは、見た目では個人の特定は出来ない。

 

 次は、奴の行動だ。

 3階の角部屋に固執する意味が分からない。あの部屋の中で、何か心残りな出来事が有ったのか?

 工事中の建屋の中での事だと、工事関係者と考えられる。建設に携わった連中で、長期療養中の奴が居るか?

 この建物は、内装が手付かずだ……それにあの部屋に入れる工事関係者も絞られる。

 具体的には現場監督・型枠大工・鉄筋工・鳶土工・墨出工、後は埋設配管を行う電気・設備工の連中だ。

 これは、当時の現場監督を探し出し金を握らせて調べさせるのが一番だ。

 当時の作業日報や作業員名簿とかも有るだろうから、名前が分かれば調査はし易い。

 最悪は資料だけ貰って、別枠で興信所を使っても良いか長瀬さんに相談してみるか……

 

 あと考えられるのは、窓の外の景色だけど。これも特定は難しいな。

 見える景色全てを調べてたら3週間じゃ終わらないよ。

 考えに耽っていたら、全てオニギリを完食していた!

 折角、結衣ちゃんが作ってくれたのに味わう間も無く完食って?温くなったほうじ茶を飲み干してから、食器を洗い乾燥器の中に入れておく。

 さて、風呂に入ってから仮眠をとるかな。寝不足では、考えも纏まらないだろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 携帯電話の目覚まし機能の電子音で目が覚めた。時刻は、午後3時……

 そろそろ結衣ちゃんも帰ってくるだろうから、グウグウ寝ている訳にはいかない。ベットから起き上がり、部屋着に着替えて簡単な身嗜みをする。

 イケメンでない分、清潔感は持たなければ!

 窓の外を見ると、雨雲が広がっており今にも雨が降り出しそうだ。テレビを付けて、天気予報がやっているかを調べる。

 ケーブルテレビのお天気専門チャンネルを見れば、神奈川県東部三浦半島は……雨だ。

 明日の午前中まで、降水確率は80%を越えている。

 

「やれやれ、坂崎君も大変だな。雨なのに外で一晩中警備をするのか。途中で様子を見に行こうかな……」

 

 昨日の今日で、一人で心霊現場に夜間警備じゃ可愛そうだからね。差し入れ位はしてあげましょう。

 結衣ちゃんにお帰りを言う為に、1階の居間に移動しようとしたら、携帯が鳴り出した。

 ディスプレイを確認すれば「長瀬総合警備保障㈱長瀬社長」となっている。

 

 何か有ったのかな?

 

「もしもし?榎本です」

 

「ああ、榎本くんか。今、電話は大丈夫かい?」

 

「ええ、仮眠から起きたところです。何か有りましたか?」

 

「ふふふふ、榎本君に良い知らせだよ。生霊に詳しい専門家をそちらに送るよ」

 

「それでは今回の件は、その人に引継ぎをして完了で良いですか?」

 

 生霊の専門家なら、お任せして平気だろう。長瀬社長が頼む位だから、裏は取れてる本物なんだろう。

 

「いや、今回は彼女と協力して当たって欲しい。梓巫女の桜岡霞君だ。本物だったら、今後もお付き合いを願いたい相手なんだ。宜しく頼むよ」

 

 桜岡霞?「本当に有った怖い○○」とか「信じるか信じないかは貴方次第です」とかに出てくる霊能者じゃないか!

 

「長瀬さん?そんな大物なら僕は要らないですよね?面倒くさいから嫌ですよ」

 

 僕自身が脛に傷を持つ身なんだ。お茶の間の有名美人霊能力者なんかと一緒だったら、悪目立ちしてしょうがないぞ。

 

「そこを何とか頼むよ。彼女はかなりの美人らしいし、恩を売るのは良い事だと思うぞ?」

 

 彼女のプロフィールを思い出す。

 巫女さん……日本美人……巨乳……性格はドS……お姉さん属性……却下だ!

 僕はロリっ子が大好きなんだ!でも坂崎君にはご馳走だね。

 

「霊能力者同士は共闘は難しいんです。お互いに、同業者には秘密にしたい事が有りますから。

どうしてもと言うなら、今回は僕が辞退しますが……申し訳有りません」

 

 そう電話越しだが、頭を下げる。

 

「そうか……では仕方ないな。僕は榎本君の方を信用しているから、残念だが彼女の方を断るよ。引き続き調査を頼むよ」

 

 そう言って電話を切られた……申し訳ないけど力有る霊能力者と共闘すれば、箱の秘密がバレるかも知れない。

 危険は犯したくないんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 やれやれ、まさか辞退する程に嫌がるとはね……今、売り出し中の美人霊能力者を遠ざける意味が分からない。

 業界の先輩として、榎本君は本当の霊能力を持ち安くて堅実で有名なんだ。

 彼は自分では思っていないだろうけど、この業界では「困ったら榎本心霊調査事務所へ」って言われてるんだよ。

 大手各社は専属の霊能力者を抱えているから触手は伸ばさないが、機会が有れば紹介して欲しいと依頼も有る。

 彼が嫌がるなら、彼女を断るのは構わないのだが……

 

「電話で話した感じでも、かなり気の強い女性だった。先任者から協力体制は嫌だからなんて言っても、引き下がるかどうか……」

 

 気が重いが、仕方ないか。デスクに貼ってある付箋に、彼女の携帯電話と事務所の電話番号が書いてある。

 

「先ずは、事務所から掛けるかな……」

 

 気が重いためか、指はかなりゆっくりとボタンを押していく。仕事を頼んで直ぐにキャンセルだからな……

 

 

 

 結果だが金は要らないが、この件には関わると強く押し切られた!

 

 

 

 すまない、榎本君。君は、その、かなり恨まれてしまったよ。先程の彼女の剣幕を考えても、実力不足で断られたと思ったんだろう……

 

「俺の仕事に口出しするな!」

 

 それ位、言われたと受け取っているぞ。あれなら今晩にでも、現場に押しかけるな。

 さてどうするか……もう一度、榎本君にあやまりの電話をかけるのも億劫だし。なるようになれば良いかな?

 僕は、桜岡君の依頼は取り下げた。だから彼女が、その後にどう動くかは彼女の自由だな。

 

 うん、そうだ!

 

 もう良い大人の男女なんだし、あとは彼らの問題だ。なにか有れば、榎本君も連絡してくるだろう。

 彼らの事を頭の隅に追いやり、次の仕事の事に頭を切り替える。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「結衣ちゃん、おかわり!」

 

 元気よく茶碗を彼女に差し出す。

 

「はい、どうぞ。たくさん食べて下さいね」

 

 ご飯を大盛りによそった茶碗を渡してくれる。

 今夜のメニューは、八宝菜・揚げだし豆腐・ホウレン草の御浸し、それと卵焼きに油揚げとジャガイモの味噌汁だ。

 昨夜は揚げ物だったから、色々と飽きない様にメニューを考えてくれる。

 この八宝菜も、豚肉・チンゲン菜・椎茸・人参・竹ノ子と具沢山だ!野菜をちゃんと食べる様に考えているのだろう。

 オッサンに配慮したメニューが多い。

 勿論、僕は彼女の手料理は何でも残さず食べるけどね。

 

「そうだ!今晩も様子見だけだけど、昨日の現場に行ってくるよ」

 

 坂崎君の様子見と、適当なホカ弁でも買って差し入れよう。

 

「大変なんですね。体に気を付けて下さいね。何か残り物で、お夜食を作っておきますから」

 

 はにかみながら、仰って下さいました!ええ子やなー、結衣ちゃんは……

 やはり家庭的なロリっ子ってサイコー!

 彼女との幸せな同棲生活?を守る為にも、変に目立たない様に気を付けなければ駄目だね。

 

 

第6話

 

 長瀬社長からの電話を切ってから、デスクの椅子に深々と座り考える……外を見れば、暗い雲が立ち込めてきたわね。

 今夜は雨かしら?

 先程の話を噛み砕いて考えてみる……この私に一度仕事を依頼して、直ぐにキャンセルするなんて……

 先方は理由を濁したけれど、先約の霊能力者が私との仕事を嫌がったのだろう。

 

 榎本心霊調査事務所……

 

 調べてみても、大した事も無い弱小の部類でしかない。本人一人だけの個人事務所でしかないし、大手企業と専属契約を結んでいる訳でもない。

 ただ数少ない本物の霊能力者である事は確からしい。しかも、この業界では珍しく明朗会計と言う変な事務所らしい。

 何が有るか分からない、命懸けの仕事をテンプレートみたいな価格設定で行っているとは、欲が無いのか馬鹿なのか?

 

 しかし……

 

 長瀬社長は、私よりも相手を取った。私の実績は知っている筈だし、彼が調査して霊障は生霊が原因だと報告し生霊の対処は不得意と知りながらあえて私の方を断った。

 何か彼に有るのだろうか?安いから?長年の付き合いから?私が女だから?

 何か、私では勝てない要素が有るのかしら……

 私だって厳しい修行に耐えて、この力を手に入れたの。霊障で苦しんでいる人達を助ける為に!

 それでお金が貰えるなら一石二鳥だしね。

 でもついカッとなってしまい、お金は要らないけど、この件には関わると言ってしまったが……

 

「後悔させてあげるわよ。この私を袖にしたんですからね。おーっほっほっほー!」

 

 桜岡除霊事務所内で響き渡る高笑い……

 所長室の隣で待機していた電話番のバイト薊 菊里(あざみ きくり)と田鶴 更紗(たずる さらさ)の2人は頭を抱えていた。

 

「また霞さんの高笑いが始まったわね」

 

「うん。今日は一段と切れが良いわ……よっぽど良い事が有ったのかしらね?」

 

 実はテレビにも出ている桜岡霞は有名人だ。しかも美人だし巫女服だし、胡散臭い霊能力者だし……

 だから引切り無しに電話やメールが届く。

 仕事の依頼だけでなく、冷やかし・嫌がらせ等の迷惑な問い合わせが殆どだ。

 中には、他の(自称)霊能力者からの果たし状?や見た目に騙されたのか結婚の申し込みとか……

 サインと実印を押した結婚届が送られてきた時にはドン引きした。

 添えられた写真は……本人の名誉の為にも伏せなければならない人物だったとだけ、言っておく。

 あと馬鹿に出来ないのが、郵便物と小包だ。これも封を開けると、言葉に出来ない不思議な物が多々有る。

 流石に爆発物とかは無かったが、嫌がらせの剃刀やゴミなどは当たり前。怪しい人形や、どう見ても危険な手作りの何かも送られてくる。

 これらは金属探知機に掛けて、知ってる人以外で送られてきた食べ物は殆ど捨てる。

 人形やら呪術的な品物は、霞さんに見て貰い相手に返す。相手が分からなければ、お払いするか……捨てる。

 一寸した貴金属やブランド物などは勿体無いと思ったが、呪術の中には一寸した金品に呪いが掛かっており、知らずに受け取ると呪いが発動するとか……

 しかも、その呪いは持ち主に富を与えるが代償を求められる。

 その代償を知らずに携帯すると、呪いが発動するという巧妙さだ。なんて嫌な世界なんでしょう……

 でも大抵の物には、そんな物は掛かってないので内緒でリサイクルショップに引き取って貰っている。

 結構な金額になっていて、良い臨時収入です。等と考えていたら、霞さんが所長室から出てきて

 

「今夜は仕事で出掛けるから、私は先に帰って仮眠するわ。貴女達も定時になったらお帰りなさいな」

 

 そう言って、事務所を出て行った。

 

「今夜はテレビ関係の仕事も無かったわよね?」

 

「そうね……予定表にも、除霊現場の仕事は無いわ。急に何か有ったのかしらね?」

 

 私達は顔を見合わせながら考えたが、特に問題ないと思った。

 私達は、あくまでも電話番のバイトであり霊障現場には同行しないのだから……

 

「更紗ちん、今日帰りに上大岡のタカノフルーツパーラーに寄っていかない?」

 

「いいわよ。特製パフェを二人で食べましょう!」

 

 3000円もする巨大なフルーツてんこ盛りなパフェを思い浮かべながら、残りの手紙のチェックをする手を早めた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼女達に指示を出し、地下駐車場に停めてある愛車に向かう。

 スカイラインR34-GTターボ!

 AT仕様だが何ちゃってスポーツカーが気に入っている。

 この手の車でAT仕様なのは何だかなーって思うけど、マニュアルはかったるいし別に走りに拘りが有る訳でもない。

 駐車場を出て、のんびりと国道を自宅へと走る……15分ほど走るとフロントガラスにポツポツと水滴が付きだした。

 

「ああ、降り出したわね。雨って嫌いなのよね、濡れると髪が重くなるし服は透けるし……」

 

 前にテレビの除霊現場で豪雨に合い、只の自然現象だったのに霊障とか騒ぎ出して……びしょ濡れのままで撮影を続けたのよね。

 

 あのエロディレクター!ジロジロと私を視姦しやがって!

 

 今、思い出しても腹が煮え繰り返すわね。

 その回の視聴率が高かったのは、除霊の内容でなく私の透けた巫女服だとか言いやがって!

 あれからよね、変な手紙やメールが来る様になったのは……

 

「梓巫女霞・濡れ濡れ除霊スペシャル」ってどんなエロビデオのタイトルなのよ!

 

 ゴールデンタイムで、こんな特番を放映するから大変なんだからね。

 TV局の役員を軒並み下痢にさせたら謝罪会見をしたけど、世間に定着した私のイメージはガタ落ちだわ!

 しかし正式な除霊には、決められた手順が必要だし精神集中にも欠かせないので仕方ないのよ。

 しかも今夜は、同業者に宣戦布告みたいな事をしなければならないのだから……

 バッチリ正装で行かなければならないわね。今夜の対策を考えていたら自宅に着いた。

 新興住宅街に有る低層マンションが私の家。

 巫女が神社でなくて、近代的なマンションに住むなんて変だと思うかも知れないけどね。

 

 私は巫女と言っても、神社で奉仕する緋袴の巫女とは違う。現代の巫女は神職ではなく神社に奉職する女性の総称だ。

 梓巫女とは古来より特定の神社に所属せず、各地を渡り歩いて人々を助けた女性達だ。

 吉兆の占い・厄落とし・口寄せを行う先代の梓巫女に師事し、適正があった厄落としと口寄せが免許皆伝となった。

 誰も居ない一人暮らしは気楽な物だ。玄関を開けて、セコムを解除しベッドにダイブする。

 今夜は仕事だから、このまま眠ってしまいたいが……化粧を落としてお肌の手入れをしなければ大変な事になる。

 只でさえ不規則で有りストレスの多い仕事なんだから、お手入れを怠ると大変なのよ。

 菊里や更紗みたいにピチピチして水を弾く肌でなく、私はしっとり肌なんですからね!

 疲れた体に鞭を打ち、バスルームに向かう。

 夕食?勿論デリバリーよ!手作り?ナニを女性に幻想を抱いているのかしら?

 最近は蕎麦屋か中華屋やピザやデリバリーガスト等、色々有るから迷っちゃうわ。

 あと欠かさないのは焼酎ね!百年の孤独や森伊蔵が最近のお気に入りよ。

 

 ワイン?シャンパン?カクテル?なにそれ?かったるい飲み物ね!

 

 今夜はピザのカレーモントレーのMサイズに焼酎の抹茶割りで決まりね!

 残念ながら、彼女は見た目は美人だが中身はオッサンだった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 愛車のR34-GTターボで問題の建物の前の仮設ゲート前に横付けする。シトシトと降る雨の中、問題の建物を見上げれば……

 確かに禍々しい何かを感じるわね。

 特に3階の角部屋が怪しいと言っていたが、残念だが私には其処まで特定出来る力は無い。

 見ただけで場所や原因が特定出来るなら苦労はないのだけど……そんな万能な霊能力者など歴史上の有名人物くらいだろう。

 ボーっと見上げていたら、ゲートのくぐり戸から誰か出てきたわ。

 彼が、あの榎本……じゃないわね。

 警備員の服装だから、彼は長瀬総合警備保障の社員かしら?

 

「あのー?ここは私有地で立入禁止なので車の移動を……って、あれ?お姉さんもしかして桜岡霞さんですか?」

 

 馬鹿ヅラ下げて私を凝視する彼は、私の事を知っているのね。まぁ悪い気はしないわね、私の知名度も大した物だわ。

 

「ええ、そうよ。この建物で問題があるとお宅の社長から聞いたのよ。だから調べにきたの」

 

 にっこりと笑顔のサービスをしてあげるわ。

 勿論、仕事は断られたけど話を聞いたのは本当だから嘘はついていないの。

 

「ああ、そうでしたか。そろそろ榎本さんも来るので、共同で除霊するんですか?」

 

 アイツ、そろそろ来るのね。そうね、直接対決の前に情報を仕入れておこうかしら……

 

「共同戦線を張るのは相談次第かしら?それで榎本さんって、どんな人なのかしら?どんな力を持っているのか教えて欲しいわ」

 

 胸を強調する様にお願いする。案の定、鼻の下を伸ばして私の胸元を見つめているわ……

 全く男って奴は、みんなスケベで下品で最低だわ。

 

「榎本さんですか?そうですね……筋肉質の短毛種で、愛染明王の力を借りて除霊をするそうですよ」

 

 愛染明王って事は、真言系仏教宗派ね。泉涌寺派かしら?

 

「個人の除霊事務所を構えていると聞いたけど、お坊さんなのかしら?」

 

 どこかの寺に所属しているなら、調べようは色々有るわね。ただ正式に何処かのお寺に所属しているのに、単独の事務所を構えるのは問題が有る筈よ。

 

「在家僧侶って言ってましたよ……ここは濡れるので、中に入って下さい。榎本さんから建物の中に入るのは禁止されてますが、テントを用意してありますから。

ささ、どうぞどうぞ此方へ……」

 

 見ればアウトドアで使う様なテントが設置され、椅子が幾つか置いてあるわね。

 こんなシトシト雨の降る吹き曝しの場所で、立ち話もなんだわね。車のエンジンを切って中に入ろうとすると、微妙な顔をされたわ?

 

「どうかしました?この場所に駐車するのは邪魔かしら?」

 

 一応警備員だし、職場の前に不法駐車は問題だったのかしら?

 

「いえ、榎本さんは退路の確保を重視していて……車やバイクは霊障で動かなくなる場合が有るから、現場近くに車を停めて自転車できますから」

 

 ああ、なる程ね……確かに霊障で、電子機器が壊れるのは聞くわ。

 車だって電装品がイカれればエンジンが掛からないわ。

 

「確かに慎重な方なのね。でも何故自転車なのかしら?」

 

 私は自転車は乗れないの!悪いけど、運動神経は良くないの!

 

「自分の肉体のポテンシャルだけで最高40km位のスピード出せますし、何も危険は霊だけでないから?」

 

 何故、疑問系なの?

 

「霊だけでない?」

 

「いや、ヤクザや不法侵入者・キチガイや浮浪者とか危険は人間の方が多いって。だから、逃走手段は十分に用意するそうです。

でも結構な武闘派だから、一人二人位なら肉体言語でKO出来る人ですよ?」

 

 筋肉馬鹿の武闘派って……確実に脳ミソ筋肉君じゃない!そんなのと共同戦線なんて嫌だわ!

 只でさえ人気の無い所ばかり行くのよ。私の美貌にクラクラっときたら?か弱い私では抵抗も出来ないのよ!

 

「結構危険な人なのね……私、怖いわ……」

 

 貞操の危機だわ!私を監禁して陵辱するかも知れないわ……

 

「大丈夫ですよ!あれで紳士だし、女性には優しい人ですから……噂をすれば来たみたいですよ」

 

 彼の目線を追えば、折り畳み自転車をゲートの中に入れている男を見た。

 なんて言うか……見た目は普通のオッサンだわ。

 

 



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第7話から第9話

第7話

 

 坂崎君が、現場に女性を連れ込んでる?何という事だ!

 童帝(わらべのみかど)の癖に、深夜に巫女さんの彼女を連れ込むだと……

 巫女さん……巫女?こんな心霊物件に、夜遅く巫女さん?よくよく見れば、テレビで見た事が有るぞ……

 

 梓巫女の桜岡霞だっけ?

 

 たしか透け透けだか濡れ濡れだかで有名な……今回の件は彼女に手を引いて貰った筈だけど、何故ここに?

 

「今晩は、坂崎君。職場に彼女を連れ込むなんて、やり手だね」

 

 もしかしたら坂崎君の本当の彼女の……筈は無いな!大方、自分が断られた訳を知りに来たか、若しくは宣戦布告か……

 この業界の連中は自信過剰気味なのが多いからなー。

 

「お馬鹿さんな事を言わないで下さらない?私を袖にしてまで依頼した貴方の事を調べに来たのよ」

 

 ああ、やっぱりプライドを傷付けた報復か……胸を反らせて高笑いしそうな表情だし、典型的なタカビーさんかな?

 

「榎本さんスゲー!売れっ子美人霊能力者から、そんなに警戒されるなんてスゲー!」

 

 美人の件(くだり)で顔がニヤけてるとは、おだてに弱いのか?

 

「あっ……えっまあ、それ程美人でも……」

 

 良し、追撃だ!

 

「いやいや僕もこの物件は遠慮したんですよね。生霊と判断したんですが、専門外だったから……でも専門の桜岡さんが出張ってくれたなら安心だ!

それで、何時調査を受けたんですか?」

 

「いえ、その私は……ボランティア、そうボランティアよ!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何故か、その場の勢いでボランティアとか言ってしまったわ。だって素直に美人霊能力者とか言うから……

 最近は、スケスケ巫女とかヌレヌレ巫女とかAV女優扱いをされてたのよ。あの榎本って男も下手に出てるし、私の素晴らしさを分かっているのね?

 そうなのね?美しさは、罪……私は罪深い女……

 

「では僕はこれで……いや良かった良かった。本職の美人巫女さんが来てくれて……ではお願いします」

 

 なに、ここに居ると厄介事に巻き込まれる事間違い無しみたいな顔は?さっさと撤収しようと、その場でユーターンした所でガッチリ掴む。

 

「お待ちになって、榎本さん。逃がさないわよ」

 

 誤魔化せる程、私は甘くないですわよ。ガッチリ掴んだ肩は、中々の筋肉を纏っているわね。

 随分と硬いわ……

 

「何でしょう、桜岡さん?貴女が居れば、事件は解決したも同然じゃないですか?」

 

 やんわりと肩を掴んでいる私の掌に、彼が掌を添えて肩から外す。掴まれた掌をニギニギとされた。やっぱりコイツもエロい屑野郎か?

 私は嫌そうな顔で彼の掌を払うと「ふざけてないで手伝いなさいな!」そう言ってやった。

 

「手伝いとは?」とか真面目な顔で言ってきたから「良いから現場を案内しなさいな」そう言って顎で建物を示す。

 

「取り合えず、昨日の進入で危険と判断した物件に入れと?本気で言っていますか?

一度撤退した相手なら、対抗手段を用意しないと問題があるんですよ!

ましてや生霊だ……僕が出来る事は少ない」

 

 なる程、自分が一度調査したから生霊の部分には自信があるのね。しかし生霊ならば私も一度確認しておきたいし、彼の能力も知っておきたいわね。

 

「生霊に関しては、私の得意分野。大船に乗った心算でいなさい」

 

 そう言ってズンズンと中に入ろうとする私を止めて、なにやら装備を取りに行くとか出て行ったわ。

 警備員の彼が言うには、照明器具とか自衛の武器とか色々有るみたい。

 除霊道具か……私は梓弓と少量の清めの塩くらいだわ。

 最近は小型のLEDライトを持っているけど、除霊道具とか聞かれると違うわね。同業者の除霊道具か、凄い興味が有るわ!

 しつこく話しかけてくる警備員に、適当に相槌を打っていたら段ボールを二つも抱えて来たわね。

 ベースにしているテントの中に段ボールを置くと、色々と荷物を並べ始めたわ。

 

先ずは……

市販のランタンかしら?幾つも出して点灯確認をしてるわね。

 

「お店でも始める位にランタンばかり……これが貴方の商売道具なのかしら?」

 

 ランタンをチェックする手を止めて、なにやら蓋を開け始めたわ。何かしら?中に、御札が折り畳んで入っているわ。

 

「これは?なにやら梵字が書いて有るけど、御札で良いのかしら?」

 

 ランタンの中に仕込むなんて……まっまさか、このランタンが武器なの?これを投げつけるの?なんて巧妙な……

 

「これはGENTOS製のエクスプローラー・プロEX-777XPって言うランタンさ。別にメーカーに拘りは無いけど、火事を起こさない電池式で長持ちで明るいLED製が良いね。

消耗品だから安価で構わない。愛染明王の御札を入れるのは、耐霊障措置だよ。良く除霊現場では、電子機器が使えなくなったりするでしょ?」

 

 確かに携帯電話やカメラが使えなくなったり、照明器具も消えたりするわ。

 

「でも御札だけで対抗出来るの?」

 

 車のエンジンを掛からなくする様な、強い霊障も聞くわよ。

 

「気休めにはなるよ。確かに御札で防ぎ切れない事も有ったよ。だからこれも用意している」

 

 次に箱から取り出したものは……

 

 発炎筒と、なにかしら?この液体の入った棒は?

 

「何かしら?発炎筒は分かるけど、この薬品の入った棒は……」

 

「これは普通の発炎筒じゃないよ。船舶用の発炎筒さ。車に積んでいる発炎筒は、燃焼時間は5分程度で160カンデラ以上の照度が有る。

しかし船舶用は400カンデラ以上の照度が有るんだ。でも1分しか持たないけどね。火は、それだけで魔を払うから有効だよ」

 

 そう言って、その船舶用の発炎筒を私に差し出してきた。

 

「車の発炎筒と基本は同じだよ。しかし着火したら、自分に火の粉が被らない様に手を水平にして持つんだ。こんな感じで」

 

 試しに水平にして持って見せたら「そうそう、でも火災だけは気を付けるんだよ。それはあげるからね」まるで子供扱いをされたわ。

 

「この棒は何?」

 

 親切にしてくれたのは嬉しいわ。でも恥ずかしいから、テレ隠しでへんな棒を持って振って見せた。

 

「それはケミカルライトだよ。折ってごらん」

 

「ケミカルライト?」

 

 言われた通りに、中ほどでくの字に曲げてみたら……棒自体が黄色く発光したわ。

 

「綺麗……これ何なの?」

 

 黄色に発光する棒を振り回して聞いてみる。何よ、その見守るような温かい目線は……

 

「シュウ酸ジフェニルと過酸化水素を折る事で混合し、科学反応により発光させるオモチャだよ。夜店やコンサート会場でも売っているよ。

霊障も流石に化学反応までは止められないのか、これは消された事はないよ。ただ、吹き飛ばされた事はあるけど」

 

 これも何本か差し出してきた。受け取ったのは、面白そうだからよ!

 

「あとはコレさ!1200ルーメンの明るさが有るし、遠くまで光が届くから便利だよ。あと、暴漢がいたら棍棒代わりに使えるし」

 

 軍用みたいな厳ついマグライトを2本、箱から取り出して見せてくれる。私のLEDライトがオモチャみたいで恥ずかしいわ。

 確かに、あの腕の太さで鉄の棒みたいなマグライトで叩かれたら……グロい事になるわ。

 チッ、流石は現役の先輩だわ。

 小道具一つでも考えているのね……

 

「でも同業者に教えて良いの?真似されたりしたら、嫌じゃないの?」

 

 私なら人に教えないわ。しかし彼は、表情を変えずに

 

「秘密にする程、大した事じゃないからね。同業者だってライバルだって、生存率が少しでも上がるなら積極的に真似するべきだよ」

 

 そう言って、また段ボールを漁り出した。

 

「今度は何が出るの?」

 

 もっと面白い発想の物が見たい。もっと現場で役立つ物が見たい。もっと同業者の秘密が知りたい。

 

「特殊警棒にスタンガン、編み上げのアーミーブーツに多機能チョッキ。数珠に御札に清めの塩だよ」

 

「清めの塩って、5kg位有るわよ?」

 

 ドサッと紙袋にパンパンの塩を置かれても……清めの塩って、少量で有り難味の有る物じゃないの?

 

「自分の祭壇で祭ってるからね。効果が弱ければ量で補うのは有効だよ」

 

 そう言って小さなケース……昔良く見た円柱型のフィルムケースに詰めていく。

 はいって3本程、手渡されたけど。

 

「こっちは相手にぶつける用だよ。蓋を取ってぶちまければ良いから。

こっちは結界用……円を描く様に地面に撒けば簡易結界だ……でも逃げ道が無いから、朝まで篭城用かな」

 

 やはり真言系仏教を修めているから、清めの塩も御札も自作出来るのね。ただただ関心するしか無かったわ。

 

「桜岡さんの準備は良いかい?良ければ、そろそろ行こうか……あまり遅くなると、奴らが活発に動き出すかも知れないからね」

 

 ランタンの入った段ボールを警備員に持たせて、私の準備を待っているわ。

 自分の装備って言うか、持ち物を確認する。貰った発炎筒とケミカルライトを帯に差す。清めの塩は小袖の部分に入れて、梓弓を右手に持つ。

 貸してくれた軍用のマグライトを左手に持ち、持参のLEDライトは清めの塩を入れた小袖の反対側に入れる。

 

 たったコレだけの装備とも言えない持ち物……

 

 彼は霊力が弱いから小道具に頼るとか言っていたけど、私ももっと自分に出来る事を考えないと駄目だわ。

 

「準備は出来たわ。では案内して下さいな……」

 

 彼を先頭に私、そして警備員が一列に並んで建物に入って行く。昨夜と同じ手順なのだろうか?

 警備員が手馴れた感じで、カンテラを床に置いていく。なる程、退路の照明を確保しているのね。でも灯かりが消されたらどうするのかしら?

 奴らが襲って来たら?建物内に入って初めて分かったけど、階段室って真っ暗よ。

 私は、そんなに早く階段を下りられないわよ。

 

「ねえ?もしも、もしもよ?逃げる時に一斉に灯かりが消されたらどうするの?

外は生憎の雨で月明かりは無いし、人工の灯かりも建物内には届かないわよ」

 

 前を歩く彼の袖を引っ張って聞いてみた。

 

 彼はニヤリと笑いながら

 

「方向はケミカルライトを床に落としておくから、灯かりの右側が階段だよ。しかし階段は暗い、ノロノロと下りるしかないよね。

だから2階まで下りたら、近くの窓から外に飛び出すんだ!」

 

「2階から?飛び降りるの?無理よ無理、私は運動は苦手だし、普通女の子に2階から飛べって言う?」

 

「建物の周りに危険な物が無いのは確認済みだから、最悪でも足を骨折する位だから平気だって。逃げ切れないと死ぬかも知れないんだよ?」

 

 物凄く真面目な顔で、トンでもない事を言いやがって!

 

「貴方が私をお姫様抱っこして飛び降りなさい!」

 

 アホ面晒して驚いている彼に、指を差して命令する。全く少しは見直したと思えば、女の子に無茶振りするなんて……

 私をこの桜岡霞をお姫様抱っこ出来るんだから、気張りなさいよね!

 

 

第8話

 

 勢いとプライドだけで来てしまった、心霊物件マンション。

 当初は私を仕事から降ろした相手に文句を言う為に来た訳だけど……榎本心霊調査事務所って零細企業相手に、現在好評売出し中の私が大人気ないと思ったわ。

 しかし実際は実績有る業界の先輩で有り、色々と学ぶ事も有ったのだが……彼は脳も筋肉の馬鹿だった。

 確かに霊に反撃されたり、または能力が効かずに逃げ出す事は有るわ。その為の退路確保が重要なのは、理解したわ。

 あれだけの準備をする霊能力者は珍しい。

 逃げる事を準備するのは恥ずかしい事だと思っていたけど、考えを改めさせられたわ。確かに、命有っての物ダネだわよね。

 彼はその辺の準備に抜かりは無いと思っていたの。

 

 しかし……しかしよ。

 

 最後の最後で「追いつかれそうなら、2階の窓から外に飛び降りるんだ!」って女の子に何言ってるのよ。

 

 しかもガチで本気だったわ……反論したら、何を言っているの的な顔してたの。

 信じられる?勿論、私は自分の力を信じているし、生霊の対応には自信があるわ。でも最悪……そう!

 最悪の場合は失敗するかもしれないから。その場合は、彼に抱っこして貰い飛び降りるわ。

 ちょっとご褒美が過ぎるかも知れないけど、一応は命の恩人になるのだから……

 私に触れる事を許してあげるわ。この穢れなき清純な私をね!彼も私程の美人を抱っこ出来るのだから、嬉しそうな顔をしていたわ。

 いえ、している筈よね?私に気付かれない様に、警備員と押し付けあってるのは……聞こえないったら聞こえない。

 あのインポ野郎共め!もしかして、おホモな連中なのかしら?

 

 でも……「榎本さん、確かに彼女は美人だけど熟女じゃない!だから命を懸けて迄は、守れない!」とか「あのなぁ坂崎君!僕だって仕事と割り切っているけどさ。ロリじゃないから無理!」

 とか、あまつさえ「「やっぱ微妙な年齢じゃ萌えないよなー」」とか、酷すぎるわ!

 今まさに女盛りの25歳の私としては……私の硝子のハートは粉々に砕けたわ!

 この変態異常性欲者野郎共め!何かやったら、即通報してやる!社会的制裁を受けるが良いわ。

 でも結局は警備員が私を背負って逃げて、彼が殿で防ぐ事になったらしいわ。取り敢えずは、体を張って守る気持ちは有るのね?

 

 信じるわよ!私、信じるからね!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お馬鹿なじゃれ合いをしている内に、問題の3階に到着した。本来、窓が有る空間は只のポッカリとした暗黒の開口になっている。

 外は生憎の雨模様……月明かりも星の煌きも無い。

 ドンヨリとした雲に覆われているので自然の明かりは殆ど無い。彼から貰った軍用マグライトと、床に置いたランタンだけが頼りね……

 

「ねぇ?問題の部屋は一番奥なのよね?」

 

 無言で頷く彼は、それでも周囲を警戒しているのが分かる……問題の部屋以外も、一応は警戒するのね。

 階段を登りながら聞いた話では、最奥の部屋とその手前の部屋に異常が有ったって。

 虫を敷き詰めた黒い絨毯ね……心霊現象で虫を操るなんて初めて聞いたわ。

 標準的な女の子で有る私も、当然虫が苦手よ。昨夜は一部屋ずつ確認したらしいが、今回は問題の虫の部屋まで進んで行く。

 彼がゆっくりと虫の絨毯の部屋に入って行く……私も彼について室内に入り、彼の背中越しに中の様子を伺う。

 マグライトで照らした床一面に蠢く虫・虫・虫……思わず漏れる悲鳴を飲み込む為に口を手で塞ぐ。

 

 ききき、気持ち悪いわ。ウゾウゾと蠢く、波打つ黒い絨毯……

 

「昨夜と変わらないな……いや、少し増えているのか?」

 

 靴の先で、虫の……多分だが、甲虫だろう死骸を軽く蹴りながらボソッと話す。

 

「異変は継続しているって事?」

 

 私の問いに頷く……

 

「この部屋の虫の実害は?この虫って、気持ち悪い以外に何か害が有るの?」

 

 女の子的には物凄い被害が有るのだけど、霊障としては弱いと思う。虫なんてウザいだけだ。

 彼は、ふっと考える様に顎に手をあてて……

 

「本当に昆虫を自由に操れるなら、厄介だ……僕らじゃ瞬殺だな」

 

 両の手の平を上に向けて、おどけた感じで敗北宣言をしたわよ!

 

「瞬殺?たかが昆虫でしょ?それは毒虫だったら危険かもしれないけど、そんな虫は日本には少ないわよ」

 

 踏めば死ぬ様な虫だし、どちらかと言うと不快感が強い生き物だ。瞬殺されるとは思えないんだけど?

 

「虫と侮ると危険だよ。人間の生活圏に居る昆虫だけだって危険なんだよ。例えばミツバチだって、弱いけど毒針を持っているよね。

それらが一斉に頚動脈を集中的に刺したら?カメムシが鼻や喉に大量に詰まったら?蛾や蝶の燐粉が眼に入ったら?

小さくて弱くても、数が半端無い生き物なんだよ。死兵として群がったら、何処にも逃げ場なんてないでしょ?」

 

 なっ?なんて気持ち悪い想像をする男なんだろう……

 

「リアルに嫌な想像をしたわ……全くレディを怖がらせるなんて、紳士じゃないわよ」

 

 両手で自分を抱き締める様にして、体の震えを抑える。想像するだけでも、吐きそうだわ……

 彼が部屋の外に出る素振りをしたので、道を空けるように部屋の外に出る。

 

「前に山の中で、虫を操る敵と戦った事がある。戦うなんて格好良くなくて、全力で逃げたんだけどね……」

 

 はははって笑ってるけど、流石は現役って事ね。私よりも遥かに戦闘経験が有るのね。

 あら?警備員があんなに後ろに下がって……まぁ仕方ないわね、彼は素人さんなんだし。

 

「じゃ問題の部屋に行きましょう」

 

 そう言って彼の背中を軽く押す。凄く嫌そうな顔をして、私を見たわ。こんな美人がスキンシップをしたのに、何が嫌なのよ……

 無言で前を歩く彼にムカついたので、軽くお尻の辺りを蹴りつけた!

 

 チクショウ!ケツも筋肉質で固くて、コッチの足が痛いわ!

 

「イタいじゃないか!」って怒ったから「もっと私を労りなさい!」と言ってやったわ。

 

 一瞬ビックリして、次に苦笑したわね。

 

「すまん、悪かったよ」

 

 そう頭を掻きながら謝ったから、許してあげるわ!再び歩き出した彼の後ろについて、問題の部屋の前へ。

 そこで例のケミカルライトを曲げて落としたわ。淡い蛍光色を放つケミカルライト……

 確かに霊障が、化学反応に干渉するなんて聞いた事がないわね。

 これで最悪の場合の、逃げ出す準備は完了なのね?

 

「桜岡さん、最悪明かりが全て消えたり対処が出来ない場合は……この明かりを目印に左側が階段だよ。

2階に降りたら、近くの窓から外に飛ぶんだ。間違っても頭から飛ばずに、足を下だよ。

最悪でも両足骨折ですむから……」

 

 やはり彼は、私を抱っこして飛ぶつもりはないのね……

 

「貴方が私を抱っこして飛ぶんでしょ!」

 

 私は飛び降りるなんて無理よって言ったら……

 

「僕は最悪の場合は時間稼ぎをするから、一緒には逃げられないよ。じゃ、問題の部屋に入るよ」

 

 そう言って、問題の角部屋の中に入って行った。でもそれって、私の為に体を張って時間稼ぎをしてくれるの?

 まっまぁ、それならそれで構わないけどね。少しだけ、本当に少しだけだけど嬉しいわね。

 

 ふふふっ!誰かが守ってくれるなんてね。

 

 そして遂に問題の部屋に入る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その空間は異様だった……空気が纏わり付くと言うか、どんよりとした池に落ちたと言うか。

 たかが一歩踏み入れただけなのに、日常と違う空間に入ったのが分かる。

 息をするのにも、強く吸わないと駄目なくらいに……空気が粘性を帯びたみたいなのよ。

 先を歩く彼が止まり、片手でオイデオイデをする。どうやら、問題の生霊がいるみたいね。

 

「どう、居るの?」

 

 彼の肩越しに前を見ると……指差す先に、問題の生霊が居た!

 落ち窪んだ眼窩に、痩せこけた頬。服は確かにパジャマだが薄汚れている……

 この様な無残な外観の生霊は、本人自体も衰弱してる場合が多い。

 念が強く本体もピンピンしている場合は、もっと攻撃的な姿形をしてる場合が多いわ。

 彼は多分衰弱しているか、恨みより悲しみが先立っていると思う……彼が体をズラしたので、奴の全体が見えた。

 やはり生霊ね、間違いないわ。

 

「私に任せて……やってみるわ」

 

 彼の前に立ち、梓弓を構える。そして弦を弾きながら、祝詞を口ずさむ。

 

 大祓祝詞……本来は大祓式にて、各々が犯した罪や穢れを祓うために唱えられる祝詞よ。

 

 でも私は、この祝詞に力を加え梓弓の弦の振動を了解して相手に叩き付ける事が出来る!

 

 

 

「高の天原に神が留り坐す、皇族神漏岐に神の漏美なる命を以て……」

 

 梓弓の弦の振動に合わせて、祝詞に乗せた霊力を相手にぶつける。

 

「我が皇の御孫命は、豊き葦原の瑞穂の国を……」

 

 問題の生霊が、此方に気付いたわ!此方を振り返り、ゆっくりと右手を上げて……一歩、私達の方に近づいて来た。

 ゆっくりと、ゆっくりと……まだ私の力は奴に届いていないのか?

 

「天の磐座を放ち、天の重なる叢雲を伊頭の千別きに千別きて……」

 

 まだ、まだよ!更に霊力を乗せた祝詞を唱える。奴の歩みが……緩くなったわ!良いわ、効いている。

 

「ぐっ……ぐげげ……ぐっ……」

 

 それでも奴は……先程よりは緩慢としているが、歩みを止めないわ。

 

「おいっ!大丈夫か?」

 

 彼が心配して声を掛けてくれた。でもね、手応えは有るから……まだまだイケるわ!

 

「皇の御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて、天の御蔭・日の御蔭へと隠り坐して、安らぎ国へと平けく……」

 

 更に霊力を練り、それを乗せて梓弓を弾く!

 

「ぐっ……げげげっ……がぁ……ゆ、ゆり……さ……ゆり……」

 

 完全に動きを止めて、何やら呻きだした……ゆり?さゆり?誰かしら?でも、もう一息だわ!

 更に奴に霊力をぶつけようと……

 

「ぐっ……ぐがぁ……」

 

 呻くように叫ぶと、突然消えてしまった……手応えは有ったのに、でも最後は違ったわ。まるで……

 

「流石は巷で噂の桜岡霞さんだ。奴は祓えたのかい?」

 

 未だに周りを警戒しながらだけど、彼が労りの言葉を掛けてくれた。彼は、最後に何か感じなかったのだろうか……

 私も梓弓から手を放さずに、周りを警戒しながら応える。

 

「終わったのかは……分からないわ。でも手応えは有ったの。

最後が呆気なすぎて……普段なら、もっとこう……最後は、弾ける様に霧散したりするのに……」

 

「今回は、忽然と消えた……と?」

 

 そう、忽然と消えた……

 

「しかし、僕の見ていた分でも奴は弱っていたからね。効果は有ったんだよ。後はアフターで何とかするしかないか……」

 

 彼も私の祝詞が効果有ったのは分かるのね。でもアフターって?

 

「アフターって何?」

 

 気がつけば片付けを始めている彼に尋ねる。まさか、この後に飲みに行くとかかしら?

 ランタンをチェックしながら、下階に降りる彼に声を掛ける。飲むなら付き合うけど、私は車なのよ……

 

「ああ、手掛けた仕事は一応解決してもね。一週間は様子を見るんだ」

 

 一階まで降りて、仮設テントに置いていた段ボールに道具をしまいながら応えてくれた。

 

「一週間?そんなに私の仕事が信用出来ないの?」

 

 彼は困った顔をして

 

「霊障は簡単には収まらないし、原因の霊が一体じゃない場合も有るからね。一週間は様子を見るんだ」

 

 経験からくるのか、なる程と思わされてばっかりね……ちょっとだけ悔しくて空を見上げたら、先程迄の雨が止み雨雲の隙間から月明かりが私達に降り注いでいた。

 最後の最後まで教えられっぱなしだわ……

 

「私……私も最後迄付き合うわよ」

 

 私にだって、意地が有りますからね!

 

 

第9話

 

 桜岡霞……

 

 TVで見た感じだと高飛車なお姉さまキャラだったが……実際に会って見れば、やはり高飛車だが素直で責任感は有りそうだ。

 しかしプライドが高く、実践慣れはしていない感じがする。多分だが、TVスタッフをゾロゾロ連れて除霊現場に行くのが多かったんだろう。

 この手の物件は除霊1体で即解決とは行かない場合が多いし、1体目を除霊したら本体が出てきたとかザラだ。

 本来なら其処まで説明する必要も無いのだが……長瀬さん絡みだし、生霊の対処は僕では出来ないからね。

 何とか桜岡さんを正規に仕事に巻き込まないと面倒臭いよね、主に僕が……そんな思惑を持って、彼女を誘ってみた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 坂崎君の用意してくれたテントでランタンを整備しながら考えたが、やはり彼女を巻き込む事にした。何故か彼女も帰らずに、僕の道具整備をずっと見ているし……

 

「ねぇ?毎回一々道具を回収したら整備するの、その場で?」

 

 どうやら彼女は、今回の件で同業者の仕事運びを調べるつもりかな?

 

「それはね……物に憑く霊も居るし、使い捨て出来ない道具は自宅に持ち帰る前に調べないと危険だよ。

僕は自宅の他に道具置き場も持っているから、ソッチで調べる時も有るけどね。序に作動確認を怠ると、肝心な時に使えない事も有る。

僕らは労災保険は適用外だからね……自衛はやり過ぎる事は無いでしょ?」

 

「確かに……霊が憑依した物を家に持ち帰るのは嫌ね……自宅以外に倉庫?作業場?も有るのね。でも他の霊能力者も、そんなに用心深いのかしら?」

 

 最後のランタンを調べ終わり、段ボール箱にしまう。

 

「ヨシ、お終い……何だか分からない物を相手に命を懸けるんだ。用心にこした事はないと思うよ。さて、桜岡さんはこれから予定有る?」

 

 アレ?何だろう、ニヤリと笑ったけど?

 

「どうしよっかなー?こんな時間に女性を誘うなんて、深読みしちゃうわよ?」

 

 ニヤニヤと笑われると、なんかムカつく。

 

「そんなつもりじゃ……」

 

「榎本さんズルイっすよ!僕は朝まで居残りなのに、彼女を誘ってお楽しみなんて、結衣ちゃんに言い付けてやる!」

 

 坂崎君が、クダラナイ食い付きをしやがった。桜岡さんも自分の両手で体を抱きしめながら、後ずさりするし……

 

「私の肉体を狙っていたのね……このケダモノ!」

 

「ロリコンだったと思ったのに、お姉さんも喰えるんっすねー!長瀬社長にも言い触らしてやる」

 

「えっ?彼ってロリコンなの?じゃ結衣ちゃんって小学生?それとも幼稚園生?」

 

「結衣ちゃんはロリロリな中学生っすよ。榎本さんが囲ってるんす。コイツは男の敵なんすよ!」

 

 妙に息の合った漫才を繰り広げる二人……なんか疲れたから放置したくなってきた。

 

「桜岡さん?」

 

「よらないで変態!ロリコンはお断りよ!」

 

 どうしようか、本気で危険視してる目をしてるけど……

 

「いや真面目な話で、今後の対策と長瀬社長への連絡をどうするかの相談がしたかったんですけど……もう面倒臭くなったから、後は桜岡さんに全てをお任せして良いですよね?」

 

 段ボール箱を持って立ち上がる。癒しの結衣ちゃんの下へ帰ろう……だからスレた年増は嫌なんだよ。

 その点、結衣ちゃんはピュアだから、エヘエヘ……薄ら笑いを浮かべた僕をどう思ったかは知らないが、坂崎君は土下座し桜岡さんは僕の肩を掴んだ。

 

「その……からかい過ぎた事は謝るわ。今後の話をしましょうね?ね?」

 

 言葉使いは優しいが、肩を掴む力は強かった……

 

「ではファミレスにでも行きましょうか……この近くだと三浦海岸通りのジョナサンが近いし空いてるかな。

場所は海岸線に出て久里浜方面へ、セブンイレブンを過ぎてスシローの少し先に有るから。駐車場で待ち合せしようか?

では坂崎君、後は独りで宜しく!」

 

 そう言って現場を出て行く……ゲートの前でスカイラインに乗り込む桜岡さんに

 

「じゃあとでね」

 

 と言って、自分のキューブを停めてある有料駐車場まで向かう。

 しかし……面倒臭い事は間違いないな。長瀬社長には彼女と正式に契約を結んで貰い、僕は適当な所で終了かな。

 例えば、事前調査を行い今夜引継ぎを兼ねて現場を案内したら生霊と遭遇。そして彼女の力で一旦は退けた……んで現在は要観察中かな。

 うん、このストーリーで行こう。

 これなら切り良く彼女に引き継げる筈だ。今回は箱も反応しなかったから、アレに喰わせて解決とはいかないからね。

 ある意味、桜岡さんの介入は良かったのかもしれない……車を停めてあった駐車場には、僕の車しか無かった。

 こんな田舎のこんな時間だ……結界が反応しなかった事に安心して、車の荷台に段ボール箱をしまい運転席に乗り込む。

 結界が反応していたら、僕か荷物のどれかに霊が憑依している事だからね。

 もっともショボイ自作結界だから、強い力を持つ相手には効かないけど……エンジンを掛けてゆっくりとキューブを発進させる。

 時計を確認すれば、すでに0時を回っていた……暗い農道をゆっくりと走りながら、県道に合流する。

 ここまでくれば外灯が有り、明るく他の車もチラホラと走っている。

 

「さて、240gのビッグハンバーグセットでも食べるかな……」

 

 どうやら緊張が解けた為か、空腹感が我慢できないレベルになっている。暫く走ると、待ち合せ場所に到着した。先に停まっているスカイラインの一つ空けた隣に停める。

 車から外に出ると、彼女もスカイラインから出てきた……しまった、彼女はまんま巫女装束のままだぞ!

 

「あの……桜岡さん、着替えは持って無いのかな?」

 

 深夜のファミレスで、巫女さんと差し向かいで食事って、ナンダカナー……ネタ以外の何物でもないよね?

 

 彼女はムッとしながら「私の仕事着に文句が有るの?」と怒っていますが……

 

「いや……その……深夜のファミレスに巫女さん。これって周りはどう思うかな?」

 

「嬉しいんじゃない?」素で返してきましたよ。

 

 速攻タイムラグ無く脊髄反射みたいな速度で……

 

「そうですね……では、入りましょうか」

 

 諦めて、店内に入る。

 オートドアが開き、店内に入ると「いらっしゃいませ、ジョナサンへようこそ!お二人さ……ま、ですか?」

 僕の後ろに居る巫女さんを見て、バイトだろう店員が固まった。

 

「……ああ、禁煙席で頼みます」

 

 多分、バックヤードに戻ったら彼女の話題で盛り上がるだろう。

 最悪、有名人のヌレヌレ梓巫女の桜岡さんが深夜の密会とかゴシップになりそうで嫌だ……

 席に案内されて、メニューを開く。もう自棄食いでも良いよね?

 

「240gハンバーグセットに……」

 

「タラコと貝柱のスパゲティとジャンボベイクドポテトのチリビーンズ、それに温泉卵のシーザーサラダにガーリックトーストあと、ビールは無理だからドリンクバーね」

 

 僕のセリフに被せて、大量に注文しやがった。

 なんだと……こいつフードファイターか?

 

「自分は240gハンバーグセットにズワイ蟹のクリーミードリア、それとヤリイカの空揚げにドリングバーで」

 

 二人でニヤリと見詰め合う……この女、見た目の派手さと奇抜さで誤魔化されたが中身はオヤジだ!

 

「なかなかのチョイスね……でもマダマダ甘いわ、ハンバーグなんてド定番を頼むなんて」

 

「いやいや、物事は基本が大切なんですよ。貴女も一見バランスが取れているみたいだが、パスタもポテトもトーストも全て炭水化物……

シーザーサラダは免罪符ですか?」

 

「あらあら?ハンバーグにドリアと空揚げなんて、お子様の王道ね。おほほほほ……」

 

 しばし無言で睨み合い、ドリンクバーコーナーに出撃する。彼女を見れば、メロンソーダのカルピス割りだと!

 

「オリジナルブレンドか……やるな!しかし僕はコッチだ!」

 

「なっ?オレンジをカルピスソーダで割った……配合は3:7ね、やるわね」

 

 互いのオリジナルブレンドを披露しつつ、席に戻る。ドリンクバーでは、1回で2種類の飲み物を持ってくるのは常識。

 僕はジンジャーエールを彼女は梅昆布茶をチョイス。クッ……完敗だ。

 あそこで梅昆布茶に手を出せるとは……僕は最後の口直しで頼むのだが、初回から逝くとは。

 ドリンクバーで盛り上がった為か、大分距離感が縮まった気がする……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 馬鹿な遊びで時間を潰した為か、元々お客が少なく調理が早かったのか……

 直ぐに頼んだ料理がテーブルに並べられる。2人で頼むには異常な量だが。

 

「先ずは食事を楽しもう……面倒臭い話は、その後で」

 

 そう言ってハンバーグを切り分けていると、僕のヤリイカに手を出しやがる。

 

「ふふん!まぁまぁの味ね」

 

 人の頼んだ物を食べながらニヤリとしやがる!仕返しをしたいが、奴の陣営は……

 単体で手を出せるのはガーリックトーストだが、警戒してかテーブルの最奥に置いてある。

 

「僕のヤリイカの報復は……ガーリックトーストと見せかけて、コッチだ!」

 

 フォークで温泉卵のシーザーサラダの温泉卵を掬い取る!

 

「あっ?貴方、それは反則じゃなくて?既にそのサラダは……死んだわ。責任を取りなさい!」

 

 モグモグと温泉卵を頬張る僕にナイフを突きつける。

 

「先に手を出したのは貴女だ……やって良いのは、やられる覚悟の有る奴のみだ」

 

 ギャーギャーと楽しく食事が進んだ。

 結衣ちゃんとの食事は静かに食材に感謝しながら食べるのだが、こんな賑やかな食事も楽しいだろう……

 食後のコーラを飲みながら、今後の話を進める。

 

「さて……落ち着いた所で、今回の件について相談しますか?」

 

 彼女はナプキンで口を拭いながら真面目な顔になった。

 

「いいわ。それで、奴は完全に倒したかは確認出来ていないわね。それで、調べると言っても……」

 

 俄かに店内が煩くなってきたけど?入口を見れば、2〜3人の若者が入って来たぞ。

 

「twitterに載っていた店って此処だろ?」

 

「ああ、ヌレヌレ梓巫女の霞たんが居るお」

 

「スゲー、芸能人に会うのって、俺初めてだよ」

 

 クソっ、誰かバラしやがったな?客か店員か……インターネットで個人のプライバシーを考え無しに公開するのは犯罪なんだぞ!

 

「桜岡さん、僕が先に行って会計を済ますから……タイミングを見計らって車で逃げるんだ。コレ、僕の名刺だから、落ち着いたら電話してくれる。

それと目立つから、これを羽織って」

 

 そう言って名刺と上着を彼女に渡すと、レシートを持ってレジに向かう。今、まさに騒いでいる連中に向かって上半身ムキムキのオッサンが睨みながら歩いて行く……

 

「おっおい、何かヤバいオヤジが近付いて来るぞ……」

 

「何がヤバいってムキムキだし、この時期にTシャツ一丁だぞ……」

 

「キモいムキムキが来るお」

 

 そんな野次馬の群れの真ん中に突入する。

 

「邪魔だよ、貧弱ボーイズ!ちょっとどいてくれるかい?」

 

「「「はっはい、どうぞ……」」」

 

 彼らがどいた脇を、僕の上着を羽織った桜岡さんがすり抜けて行く……

 

「あっ?霞たん?」

 

 騒ぎ出そうとしたオタク風の若者の頭を握る。

 

「何だ?たんって?ああ?お前、俺を馬鹿にしてるのか?」

 

 三角筋と上腕二頭筋をムキムキにさせて恫喝する!伊達に肉体を鍛えてはいないんだよ。

 俺のマッスルなバディを見やがれ!

 視界の隅で駐車場からスカイラインが走り出すのを確認し、お釣りと領収書を受け取って店を出る。

 この店には仲間のムキムキズを伴いて、再度来なければなるまい。

 客のプライバシーを流した奴をお仕置きする意味で……

 

 



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第10話から第12話

第10話

 

 個人情報を安易に公開する馬鹿がいて困る……特に桜岡さんは、今話題の美人霊能力者だからゴシップになりやすいし。

 深夜のファミレスで巫女姿で男と密会なんて、ネタとして最高だろう。

 幸いな事は、twitterで広まったが直接店に来たのは3人だけだ……店員の証言を取っても、僕と特定するのは難しい。

 彼女の周りを調べれば最近接触した関係でバレるが、ソッチ方面からバレたなら仕事帰りの食事で他意は無いでOK。

 只の密会じゃなければ、理由が有れば良いのだ。

 ファミレスから車で移動する際に、連中の車のナンバープレートを撮影しておく。なにか有れば、調べられる様に……

 相手を特定出来れば最悪話題になっても、連中にガセだと証言させれば鎮火も早いだろうし。

 勿論、平和的に証言を求めるつもりは全く無い。色々やり方は有るのだから。

 ドロドロと暗い思考をしていると、携帯から電子音が……僕の着信音は黒電話だ。

 仕事用だから着メロとかは不適切だからね。

 前に坂崎君が打合せの時に、AKB48のヒット曲を鳴り響かせた時は……同席の長瀬社長が、顔を顰めていた。

 最低限の社会人として、また社員として守るマナーが有るからね。

 ディスプレイに表示される番号に見覚えはないが、多分彼女と思い通話ボタンを押す。

 

「もしもし、榎本です……」

 

 ハザードを点けて、車を路肩に寄せる。

 

「桜岡です、先程は有難う御座いました。ウザい連中に捕まらなくて良かったわ」

 

 どうやら彼女も無事に逃げたらしい……

 

「それで打合せは今夜は、もう遅いし無理でしょうね?こんな状況だし、深夜に会うのは疑がわれ易いし……

明日ってもう今日だけど、長瀬社長に説明に行こうと思うんだけど……一緒に行ける?」

 

「私が?何故に?」

 

 一度社長に断られて僕に突っ掛かってきた手前、社長には会い辛いのかな?

 

「桜岡さんも仕事をした訳だし、僕から長瀬社長に正式に君が除霊した方が有効だと説明するよ。

ボランティアって事には出来ないでしょ?だから正式に長瀬社長と契約を結ばないと……勿論、僕も引継ぎをするし継続調査の手伝いはするよ。

責任問題だから、此処は明確にしておかないと僕らが不利だからね」

 

「契約とか不利とかって……貴方って本当に霊能力者っぽくないわ。何て言うか、ジャーマネ?」

 

 ジャーマネって……芸能界に毒されてないかい?彼女の中の霊能力者って、どんなイメージなんだろう?

 

「君の霊能力者のイメージについて、小一時間討論したいね……僕らは仕事を請負うんだよ。そこは最低限でも最初に契約を取り決めないと負けなんだ。

じゃないとズルズルと仕事や責任が追加されるだけだし、請負とは読んで字の如く請けると負けるんだ。だから条件を明確化するのが必要なの!」

 

 別に経営学について講釈を垂れるつもりはないが、仕事を貰う側は立場が弱い。それを逆手にとる連中が多いのは事実。

 長瀬社長は良い人だが、会社の存続に発展した場合は責任を追及されるかもしれない。

 除霊で高額な物を壊したり人的被害を及ぼしたり、弁償や賠償は勘弁して欲しい。ウチみたいな零細企業は一発で倒産だよ。

 だから契約内容はちゃんとしないと駄目なんだ。

 

 ふっと窓の外を見れば、野比海岸が見える。夜の海は暗く、その先に見えるのは千葉の明かりだ……

 木更津辺りの工場群だろうか、人工の明かりはやけに輝いて見えた。

 

「ねえ、聞いてる?長瀬社長に会うのは良いけど、どこで待ち合わせするの?」

 

 朝イチで長瀬社長にアポを取ってから、事前に彼女と打合せをして訪ねるか……

 

「先方の予定が分からないからね。朝イチで連絡して時間を決めるから……そっちは午前午後どっちでも平気かい?

出来れば長瀬社長に会う前に、下打ち合わせをしてから訪ねたいんだけど……」

 

 口裏を合わせないとボロが出そうだし。彼女はウッカリ属性が有りそうだし。

 

「良いわ。じゃこの携帯に連絡してくれる?」

 

 それじゃ連絡するよと言って、通話を切る。さて、面倒臭くなってきたな。

 箱が興味の無い生霊だと、彼女頼みで対処するしかないんだが……電話を切ってから暫しボーっとする……

 朝イチだから9時には電話しないとならないが、長瀬綜合警備保障は横浜のスカイビルに有るからね。

 彼女との事前打合せを考えれば、午後にしないと無理かな?昼イチだと、また昼食をご一緒にとかの流れは好ましくないだろう。

 流石に横浜駅周辺だと、彼女の知名度を考えれば大騒ぎだ!

 これは打合せには私服で来いって説得しないと駄目かね?両手で頬を叩いて眠気を飛ばし、車の運転を再開する。

 家に着くのは1時を過ぎるかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ガレージに車をとめて家に入ると、居間の電気が点いてる?

 

「ただいま……あれ?結衣ちゃん?」

 

 ソファーで居眠りをしている彼女を見つけた。テーブルにはのり塩味のポテチと、急須と湯呑みが置いてありTVはついていた。

 本当に日本茶党なんだね。そして何を観ていたんだろうか?

 風邪をひかせない為にも、ベッドに移動させないと駄目だね。

 

「結衣ちゃん、起きて、ほら……ほら、結衣ちゃん」

 

 声を掛けるが、全然反応してくれない。

 

「うにゅ……うゆにゅにゅ……うにゅ……」

 

 本当に可愛い寝言を連発している……彼女は実の父親を早くに亡くし実の母親と、その男達に幼い頃から虐待を受けていた。

 その為に常に周りを気にして、自分の意見を抑える大人しい娘に育ってしまった。

 それでも非行に走らなかった優しい娘だ……あの獣憑きのクソ母親と情夫は箱が喰ってしまったが、後悔はしていない。

 最後の肉親で有る祖母が亡くなったのを切欠に、僕が引き取った。

 

 一般的な里親制度だ。

 

 本来は市町村の福祉課に申請し講習や審査が必要だけど、在家だが僧侶である僕は何とかクリアした。これでも宗教関係者だからね!

 お役所関係には、宗教法人は強いんですよ……

 風邪をひかせない為にもベッドに連れて行きたいけど、彼女は異性からの接触を恐れるんだ。

 きっと母親の情夫から、性的な欲望の目に晒されてきた為に過剰に反応するんだろう。

 正しきロリとは、双方合意の上で行為に及ぶものだ!押し付けや強引なのはNGですよ。

 仕方ないので毛布を持ってきて彼女に掛けて、更にエアコンのスイッチも入れる。

 乾燥対策に濡れタオルを吊るせば完璧だね!

 超過保護とは思うが、これ位なら紳士として普通だろう。

 

 一旦居間を出て台所に向かう……思った通り、台所の机の上には夜食が用意して有った。

 チキンクリームシチューに、最近彼女がハマッている酵母パンだ!電子レンジでシチューを温めて、缶ビールを2本持って居間に戻る。

 ソファーを見れば、結衣ちゃんは毛布に包まり本格的にオネム体制だ!

 僕は向かいに座り、彼女の寝顔を見ながらシチューを食べる。

 彼女の作るクリームシチューは最後の味の調整で僕の分には胡椒を多めに入れて、すこしピリリとした味付けにしてくれる。

 鶏肉も余分な脂身は取ってあり、野菜類も人参・ブロッコリー・ジャガイモ・マッシュルームと彩り良く具沢山だ。

 肥満になりがちなオッサンの体に気を使ってくれる。だから僕も、彼女には最大限の配慮をするんだ!

 もし、もしも彼女に彼氏が出来て紹介されたら……

 

 笑ってソイツを速攻で呪い殺す自信が有る。僕はそんな欲に塗れた、只の俗物だからね。

 

 用意した食事を粗方食べ終わった辺りで、彼女が「うにゅにゅ……」と言って目を擦りながら起き上がった。

 

「うにゅ……あれ?まさあき……さん?」

 

「おはよう、結衣ちゃん。ベッドに行かないと風邪ひくよ……」

 

 半覚醒の彼女は「ふぁーい、おやすみなさい」と自室へと向かった。

 ズルズルと引き摺る毛布を受け取ると畳んで自室に持ち帰る……今夜は結衣ちゃんの残り香に包まれて寝ようかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 心優しいロリっ娘の匂いに包まれて、爽やかに目が覚めた……携帯を開いて時刻を確認すると……朝の7時16分か。

 シャワーを浴びて寝たのが2時過ぎだから、5時間位は寝れたのか。半覚醒の頭をシャッキリさせる為に顔を洗いに下に降りる。

 結衣ちゃんが朝食の用意をしているのだろう、台所の方から良い匂いが漂ってくる……今朝のメニューは何だろうか?

 遅くに夜食を食べたのに空腹感を覚えた。

 洗面所で顔を洗い身嗜みを簡単に整えてからキッチンに向かう。

 

「おはよう、結衣ちゃん。お腹がすいたけど、今日は何かな?」

 

 調理台で何かを調理している結衣ちゃんの後姿を見ながら声を掛ける。

 制服にエプロン……結衣ちゃん、君はスバラシイ!

 

「あっ、お早う御座います正明さん。今朝のメニューは……納豆オムレツにガーリックソーセージを焼いてみました」

 

「うん。美味しそうだね」

 

 彼女と向かい合ってテーブルに座る。彼女が炊飯器から、ご飯をよそっている間に、急須に茶葉を淹れてお湯を注ぐ……

 茶葉が開ききるまで待ってから湯呑みへ。日本茶好きな彼女の為に学んだ手順だ……

 

 朝食の用意が全て整ったら「「いただきます!」」と言ってから食べ始める。

 

 彼女は食材に感謝して食べなければならないと、祖母から躾けられたそうだ。それには同意する。

 しかもロリっ娘の手料理なのだ!

 敬愛する愛染明王様に最大限の感謝をしつつ、料理を味わう。

 因みにウチは毎回ご飯は2合を炊く……お米は国産でブランドや産地は拘らないが、10kgで4000円前後の物を選ぶ。

 その代わり炊飯器は拘っている、勿論彼女がだ……折角だから美味しいお米が炊ける物を買おう!

 そう言ったら、色々と調べてアレコレと説明してくれた。

 

 彼女のお勧めは「お米が踊る!踊り炊き!圧力IH炊飯ジャーが良いです!」そう力説し、今の炊飯器を買う事に決めた。

 

 普段は消極的だが、好きな事はちゃんと自己主張してくれるのは嬉しい。最初の頃は、警戒されてたからなー。

 まぁ確かにオッサンが里親なんて、普通に考えたら良からぬ事を考えていると勘繰るよね……

 彼女の信頼を勝ち取ったのは最近なんだ。

 朝の時間帯は忙しい……モグモグと食べていると、少食な彼女が先に食べ終わり

 

「ご馳走様でした、今日は日直で早いので行って来ますね」

 

 そう言って自分の食器をシンクに運ぶ。食器洗いは僕の仕事だ。

 とは言え、洗濯や掃除くらいしか家事は手伝えないから……

 ほら、ロリっ娘に料理を作ってもらったりアイロンを掛けて貰うんだから、それ位は当然だよね。

 自室に戻りカバンを持って来たのだろうか、キッチンに顔をだして「では、正明さん。いってきます」と行儀良く頭を下げる彼女に手を上げて応えて送り出す。

 さて、もう少ししたら長瀬社長に連絡を入れるか……思考を切り替えて仕事に専念しますかね。

 

 

第11話

 

 心優しいロリっ娘を見送ってから、暫し自室のパソコンに向かいメールをチェックする。このアドレスを知るものは友人と仕事関係、それに通販関係くらいだ。

 2件ほど、受信が有る。

 

 1件は……

 

 旨い物ドットコムの定期カタログだ。震災関連商品が充実している……

 非常食や飲料水、防災グッズ等マウスをクリックしながら内容をチェック。今回は特に欲しい物は無い。

 

 もう1件は、此方もお得意様である山崎不動産の山崎社長から。

 

 こちらは仕事の依頼ではなく、遊びのお誘いだ。

 山崎社長は風俗の世界では有名な性豪で、横浜のヘルス・川崎のソープでは知る人ぞ知る有名人。僕の師匠であり、お得意様でも有る。

 彼の愛人で社員でもある飯島女史は、巨乳でエロいお姉さまだが色情霊が憑いている気がする。

 だから余り近付かないし、向こうもムキムキなオッサンである僕には興味が無いらしい……金持ちとイケメンが大好物と言っていた。

 嫌われてはいないが、お誘いも無い関係だからちょうど良い。

 

 さて、と……一旦自分の事務所に向かい、それから長瀬社長に連絡を入れるかな。ここは僕の結衣ちゃんの愛の巣だから、仕事は極力持ち込まないのだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 榎本心霊調査事務所は、神奈川県の横須賀市に有る京急電鉄の主要駅の近くのマンションの一室を借りている。

 デカデカと心霊調査事務所と看板を掲げるのは、ご近所付合い的な意味で不可だ。心霊など、胡散臭い事この上ない業種?だ。

 

 だから登録は (有)E・P・R としている。

 Enomoto Psychic Research (エノモト サイキック リサーチ)略してE・P・Rだ。

 

 郵便局への登録も同様の名前で申し込んでいるので普通に郵便も届く。

 何故、有限会社にしたかと言えば……責任が有限だから。資本金は300万円でOKだし、社員無しの1人で起業出来る。

 役員の任期も無いし、取締役会も開く必要が無い。

 デメリットとしては、社員数が50人以下だし、銀行から出資保管証明書も貰わなければ成らない。銀行への登録手数料や、登録免許税とか兎に角お金が掛かる。

 銀行の問題は、自分の口座に両親から受け継いだ遺産や生命保険が有るから信用は有る。

 僕は在家だが僧侶の資格も持っているので、社会的な信用は高い。

 有限会社って弱小企業なイメージだけど、商売そのものが目的で無いので除霊で失敗し莫大な負債を抱えても……根こそぎ自己資産を取られる事も無い。

 なので、一応社長業をやれる訳です。

 なんたって大切な扶養家族が居ますから……

 

 電車通勤にて、自分の借りているマンションに到着。直ぐにポストを確認し、郵便物をチェックする。

 水道料金や電気料金のお知らせの他には、宅配ピザのチラシだけ、か……公共料金は、銀行からの引き落としだから問題は無い。

 それらを保管しているファイルに差込む。保管しておかないと確定申告の時に大変だから。

 必要経費は、しっかり計上しないと国に税金をふんだくられるからね。

 ピザのチラシは玄関の電話台の上に置く。たまには出前を取るし、チラシには期間限定のサービス券も付いているからお得だ!

 

 FAXには、特に受信した用紙は無い。

 それらを確認してから冷蔵庫に向かい、中から缶コーヒーを取り出し自分の仕事用デスクに座る。

 備え付けの時計を見れば、午前9時32分だ……長瀬綜合警備保障へ電話をかける。

 3回目のコール音の後に、受付の女性が出たので社長への取次ぎをお願いする。声で分かるが、彼女とも顔見知りだ。

 

「もしもし、長瀬です」

 

 相変わらず渋い声が聞こえた……

 

「お早う御座います、長瀬社長。実は昨夜、現場に桜岡さんが来まして……ええ、どうやら仕事を断られた事が納得出来なかったみたいで……」

 

 暫くの沈黙の後

 

「それで、彼女は問題を起こしたのかい?」

 

 若干だが、彼女が問題を起こしそうな事を予測していた?

 

「いえ……彼女は……そうですね。何ていうか素直?いやオダテに弱い?兎に角、昨夜は一緒に現場に向かい生霊と対面。

その霊力は本物でしたが、彼女が言うには完全に除霊は出来なかったみたいなんです」

 

 突然、気配が消えたと言っていたし……最悪は、逃げられたか?

 

「失敗、では無いんだな?それで、榎本君が態々電話してきたのは何故だい?」

 

 いえ、責任の区分をハッキリさせときたくて……

 

「いえ、彼女は有能ですし僕より生霊の対応には慣れています。なので、当初の通りに彼女メインで除霊をさせた方が効果的かと……

勿論、僕も引継ぎや手伝いはしますが、ちゃんと長瀬社長と仕事の契約を結んで欲しいのです」

 

「つまり無責任に介入せずに、ちゃんと最後まで仕事をさせろ、と?」

 

 流石に長瀬さんは話が早い。それと箱の興味が無い生霊なんて、僕には関わる意味が薄いんだ。

 最悪の場合、箱に頼れずに自分で対応して死亡とか嫌過ぎる。

 

「そうです。彼女の能力は本物ですし、この後に仕事を依頼する場合も考えれば悪くないと思います。

勿論、僕への報酬は調査のみの分で構いません。残りの除霊費用は彼女に渡して下さい」

 

 成功すれば、ですけどね。彼女も自信が有りそうだったし、難しい除霊ではなさそうな感じだった。

 

「榎本君が、そう言うなら問題無いだろう。わかった。それで、今後の動きはどうするんだい?」

 

「今日の午後に時間が有れば、彼女を伴い昨夜の説明と今後の話をしたいのですが……そうですね。

2時過ぎに時間は有りますか?」

 

 パラパラと手帳を捲っているのか、暫く無言で待たされた後に

 

「今日は3時半から5時までは開いているよ。その後は、お得意様との飲み会が有ってね。都内まで行かなくてはならないんだ」

 

 話すだけなら、2時間も有れば大丈夫かな……桜岡さんとの契約については、僕は立ち会う必要は無い筈だし。

 

「分かりました。3時半に、そちらにお邪魔します。では、宜しくお願いします」

 

 そう言って、電話を切った……これで引継ぎは問題ないな。

 この仕事が今後長瀬社長から仕事が貰えるかの、彼女への試金石になるだろう。

 でもタレントの仕事でも食べて行けそうだよね、彼女なら。勿論、実力は本物だけど色物だからな……

 怪談の季節の夏は忙しく冬は暇?いやビデオ制作会社と繋がれば、乱立するホラー物に出演出来るか……

 勿論、彼女は霊能力者として働きたいなら芸能界からは離れて堅実に企業との結び付きが必要だ。

 だから、この手の曰く物件に関連する不動産関係や警備関係の会社は重要な役割を果たす。

 個人からの依頼なんて、よほどの信用がないと来ないんですよ。

 

 暇つぶしにインターネットで彼女の名前を入力して検索すれば、出るわ出るわ!色々なサイトがHITした。

 その数、32000件以上だ……

 殆どが、ヌレヌレだかスケスケだかの単語が入っているが注目度は高い。彼女の場合、タレント霊能力者の方が大成しそうな感じがする。

 除霊仕事も立派なビジネスだから、海千山千の連中に立ち向かえるのか?

 まぁ僕が心配する必要はないから、関係ないね!

 

 長瀬社長のアポが取れたので、彼女の方にも連絡をしなければならない。温くなった缶コーヒーを一気飲みして、喉を潤してから携帯の着歴から電話を掛ける。

 名刺を渡したから、この事務所の電話番号も分かっているとは思うけど。折り返し通話の方が、向こうも分かり易いからね!

 こちらは8回目のコールの後に繋がった……繋がった後に少し間が空いてから

 

「もしもし……」

 

 何だろう?随分と不機嫌な声だけど……

 

「あの、榎本ですけど桜岡さん?」

 

 ガサガサと音が聞こえた後に

 

「あっああ……えーと。おはよう。榎本さん、早いわね?」

 

 えーと……まだ寝てたな、コイツ……

 

「もしかして、寝てました?」

 

「いえ、ちゃんと起きてましたよ。ええ、起きてましたから大丈夫です」

 

 慌てて否定してるけど、寝てたんだろう……年頃の娘さんが、朝寝坊とは頂けないですよ。

 結衣ちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませた方が良いだろうか?

 

「……長瀬社長と連絡が取れまして、先方に3時半に向かいます。だから1時間前には合流して打合せをしたいんだけど、どうかな?」

 

 「んー2時半に横浜ね。待合わせ場所はどうするの?」

 

 横浜東口だと、待合わせの定番は……横浜そごうの大時計の下とかだけど、彼女の知名度を考えると面倒臭い事態になりそうだ。

 あまり人目に付かないで、それでいて怪しくない場所と言うと……地下街ポルタ内の丸善BOOKSの中で時間を潰していようかな。

 

「じゃ、地下街ポルタの中の本屋知ってる?そこの店内に居てくれれば、こちらから声を掛けるよ。

合流したら、近くの喫茶店で打合せしよう」

 

 本屋なら最悪、少し待たせても苦にならないだろう……

 

「分かったわ。じゃ2時半に本屋に居れば良いのね?」

 

 後一つ、大切な事を言わなければならない。

 

「桜岡さん……」

 

「なっ何よ、改まって?」

 

「服装だけど、巫女服は駄目だよ。それとサングラスかマスクで変装してね。僕は見分けが付くと思うし、分からなければ携帯に電話するから」

 

 逆に凝った変装は注目され易くバレ易い。しかしサングラスやマスクならば、花粉症の時期だけに結構同じ格好の連中が居る。

 僕が分からなければ、大した変装能力だし分からなくても携帯に連絡すれば店内なら気付くだろう……

 

「わっ私だって何時も巫女服は着てません!昨夜は仕事現場に行くから着てたの!」

 

 怒鳴られてしまった……でも昨夜の様子だと、彼女にはウッカリな属性が垣間見えるんだよなー!

 

「そうなの?じゃ私服姿を楽しみにしてるからね!」

 

 そう言って携帯を切る。あれだけ言えば、それなりな服装で来るだろう。プライドが高そうだから、ブランドスーツで決めてくるかもね!楽しみだ。

 僕は、量販店の吊しスーツで十分だけど……男って、こう言う場合は凄く楽だ!

 何たって背広とネクタイと革靴が有れば、大体オーケーだからね!

 

 

第12話

 

 今日は午後から桜岡さんと待ち合わせをしてから、長瀬綜合警備保障に行く。先に待ち合わせの彼女とは横浜で二時半だから……事務所を一時半過ぎに出ても間に合う。

 一応、女性との待ち合わせだから先に着いてなくては紳士を名乗れないだろう。勿論、頭に「変態と言う名の」が付くけどね……

 まだ暫く時間が有るので、今後の流れを考える。

 

 生霊……

 

 つまり生きて生活している相手が居るんだ。執念か怨念かは知らないが、奴はマンションに固執している。

 桜岡さんは準備とか調査とか段取りには無縁な霊能力者だと思う……

 多分だが、番組が探してきたり直接依頼があったりした案件しか対応した事が無いのか。または出たとこ勝負で解決してきた力と自信が有るのか。

 少ししか一緒に行動してないけど、プライドが高いけど素直で乗せられ易い性格だと思う。

 根っこは善人で優しい娘さんで、本当に人を助けたいと思っているタイプだ。つまり自分の霊能力で人助けをしたい、稀有な人材だ。

 僕は自分の宿痾を解決する為に箱に縛られて、この仕事を続けている。他には詐欺紛いの金儲けをする連中も多い。

 そして胡散臭く偽物が多い業種だ!

 だから僕には彼女が眩しく見えるし、変にスレたり潰れて欲しくない……しかし自分に最悪の秘密が有るから、同業者として馴れ合いは危険なんだ。

 あの他者を巻き込む箱の呪いを考えたら、同罪として粛清されても文句は言えないのだから……

 今回の件は、彼女に引き継ぎをして手伝う。その考えは変わらない。

 

 後は……どれだけ踏み込んで手伝うかだ。

 彼女は生霊と直接対決しか出来ない。つまり生きている相手を探し出す事は難しい。

 相手の生霊を生み出す程の悩みを解決する事も難しい。普通の人間の事を調べる事は、僕だって難しい。

 だから普通なら興信所を使うんだが……彼らだって具体的な事を指示しないと無理だ。

 何か切欠か調べる方向は、僕らが探し出さないと駄目なんだよね……

 

 それと予算!コレ大切!

 

 長瀬社長は、あのマンションのオーナーじゃない。なら何故、僕に依頼が来たかと言えば……

 長瀬社長は、マンションのオーナーと当然ながら面識が有るんだ。曰く付きの物件を解決すれば、高値で販売出来る。

 ならば、長瀬社長は自分の手配で解決しマンションのオーナーに交渉を持ち掛ける筈だ。

 幸い?かは分からないが、僕は除霊自体が目的だから費用は安い。だから立替え払いでも、先行で僕に依頼した。

 解決すれば何割か増しで請求するのだろう……この業界で曰く付き物件を抱えている人は多い。

 長瀬社長程の人脈が有れば、今後も僕に除霊仕事が舞い込むから持ちつ持たれつの関係だ。

 

 さて今回の件は……

 

 そう考えると興信所への依頼は、長瀬社長の独断では許可出来ないだろう。

 興信所とは調査日数が掛かれば費用も莫大だ!

 それにボランティアと言っていたが、責任区分を明確にする為にも桜岡さんには長瀬綜合警備保障と契約を結んで欲しい。

 彼女の為でも有るから。しかし契約には支払いが発生する。

 僕は調査込み実質2日間だし、解決してないから20万円位だ。

 しかし彼女の依頼料は分からないし、同業者が聞く事はマナー違反だろう。ここは長瀬社長に、本来のマンションオーナーと話し合いをして貰うしかない。

 もし費用が見込めなければ、または見合った金額でなければ手を引けば良い。

 

 ヨシ!方針が決まった所で時計を見れば、既に12時前だ……

 

 随分と考え込んでいたんだな。昼飯は外食かコンビニにしている。

 結衣ちゃんが「良かったら、お弁当を作りましょうか?」と言ってくれたが、彼女の負担を増やす訳にはいかない。

 それに私立の中学に通う彼女は、給食が出るので僕の為だけに早起きしてお弁当を作るのは大変だから……

 何故、お金の掛かる私立に通わせているかと言えば。ぶっちゃけ彼女は虐められっ子体質だ!

 大人しく引っ込み思案で、天涯孤独だ。しかも、彼女自身に人に大っぴらに話せない秘密が有る。

 公立の学校の教師は、基本的に虐め対策は消極的だ。相談しても、なんの解決にもならない連中が多い。

 しかし私立は違う。

 常に生徒達を観察し何か有れば……例えば喧嘩でもすれば、直ぐに連絡が入り学校に呼ばれて当事者と担任、それと各々の親を交えた話し合いをする。

 そして解決するまで、学校は責任を負って行動する。

 学校と言えども、高い金を払うだけ有り生徒はお客様なのだ。偏差値の高い私立は、この辺が凄い。

 幸い彼女は真面目な性格故に、頭は良かった!

 更に僕のメインバンクの支店長に紹介して貰い、編入試験を受けたんだ。

 見事合格したのは結衣ちゃんの実力だし、僕はロリっ娘の足長おじさんを気取れただけでも良い。

 最大の理由は、かの学校の制服が可愛かった事。体操服がスパッツだった事。

 そして美少女が多くて有名な女子中学校であり、体育祭や文化祭は親族関係者しか行けない厳しいセキュリティーで有名だった事。

 なんと新体操部とか水泳部とか有るんだぜ!

 初めて文化祭に招待された時は、思わず感動の涙を流したね。レオタードに上着を着ただけの少女達が、普通に廊下を歩いていたんだぜ!

 結衣ちゃんには、是非エスカレーター式で付属高校にも行って貰いたい。

 なんて妄想から我に帰ると、何故か行き着けの鰻屋のカウンターに座っていた……

 

「へい、うなぎの蒲焼き大盛り!それと骨せんべいお待ち!」

 

 顔見知りの板前さんが、ドンっと大盛りの丼を置いてくれた。

 

「あれ?もう頼んでたんだっけ?」

 

 板前さんは、少し呆れた顔で「お客さん。ニヤニヤしながら入って来て、何時もの大盛りね!って言いましたよ」

 

「骨せんべいも?」

 

「へい!ちょうど骨せんべいが揚がりやしたよ!って言ったらソレもって……」

 

 うん……妄想癖は注意しないと、ただの変態として通報されそうだ!

 

「有難う!頂くよ……」

 

 一口食べれば、脂がのって旨い!この店は天然物を浜名湖から取り寄せている。

 所謂くだり鰻だ!鰻は水温が10℃以下になると泥の中に潜り、冬眠みたいにじっとしている。

 寒い冬を越す為に沢山餌を食べて脂ののった秋から冬が、最も鰻の旨い時期だと個人的に思う。

 モグモグと美味しく食べて、板前さんに声を掛けて店を出る。因みにお値段は、一人前大盛りで3800円だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 妄想癖の改善を今後の課題として、待ち合わせ場所に向かう為に京急電鉄の快速特急に乗る。

 平日の昼間だけあり混んでない為か、進行方向を向いた二列シートに座れた!ゆったりと座り窓の外を見れば……海の方から暗い雲が此方に向かってくるのが見える。

 この時期は雨が多いが、最近は寒くても雪にはならないな。

 鞄の中に折り畳み傘を入れて有る事を思い出し、自分の準備の良さに少し嬉しくなった……快速特急で約30分、京急横浜駅に到着。

 ホームの先端にLEDが埋め込まれ、電車の到着と共に点滅をする珍しい設備の有る駅だ!

 改札口は地下街に直結している為に、エスカレーターで下に降りる。改札を抜けると、右がダイヤモンド地下街。

 左が地下街ポルタだ。

 待ち合わせはポルタの中の丸善booksだから、左側に歩いて行く。直ぐにポルタの入口の大階段に到着。

 総ガラス張りの大屋根を見上げれば、ポツポツと雨の水滴が見えた。

 

「あちゃー降ってきたか……」

 

「そうね……天気予報通りだけど、雨は嫌だわ」

 

 ボケっと立ち止まり見上げていたら、急に声を掛けられた。

 慌てて振り向けば……昨夜の巫女服とは、随分印象の違う彼女が立っていた。

 シックなグレーのスーツにポンチョ?マント?を羽織りベレー帽をチョコンと乗せている彼女は、間違い無く美人だ!だが、惜しい!

 僕はロリコンだから、感動は半減だ!

 

「こんにちは、榎本さん。どう?」

 

 その場でクルッと回る彼女を通りすがりの野郎共が振り返って見ている。

 

「良く似合ってますよ。一瞬誰だか分からなかったし……」

 

 褒められたのが嬉しかったのか、中々の笑顔を浮かべてくれました。

 

「じゃ打ち合わせをするから、取り敢えず喫茶店に行きましょう。マイアミガーデンって言って、何時も空いてる店が有るんですよ」

 

「なに、その基準?普通はケーキが美味しいとか雰囲気が良い店を知ってるとかじゃないの?」

 

 ちょっとビックリした顔をしたが、素直に付いて来る。

 生霊とか除霊とか、怪しい単語が多い話をするから混んでたり周りの客席が近いのは良くないから……

 その点、この店は味も値段もそれなりで何時も空いているから密談に利用している。やはりお昼過ぎなのに空いている店内の、一番奥の席に座る。

 

「なんか……店内は妙に明るいのに、余りお客が居ないのね……」

 

 女性同伴だし、薄暗い店はNGですから。店員さんにアイスコーヒーを2つ頼む。ケーキ位はと勧めたが、要らないと言われた。

 うん、メニューの写真で見てもどうしても食べたいケーキでは無いかな?

 注文した品物が届くまでは談笑し、店員が下がってから本題に入る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 私の事務所は京急電鉄の上大岡駅の近くの商業ビルの中に有る。

 昨夜は遅かったから少し朝寝坊してしまったけど、まさか榎本さんから電話を貰う迄熟睡するとは思わなかったわ。

 んー寝酒の焼酎のお湯割り三杯が、思ったより効いたのかしら?目覚ましは掛けていたのに不思議だわ……あの後、二度寝してしまい気が付いたらお昼過ぎ!

 ビックリして起きて、買い置きのカップ焼きそばを食べて……永遠の定番焼きそばの、ペヤングソース焼きそばよ!

 そして歯を磨き、シャワーを浴びて事務所に向かった。

 流石に青海苔が歯に付いていたなんて、女性として終わった感が有るし。

 直接待ち合わせ場所に行きたくても、仕事関係の資料や名刺とか自宅に置いてなかったから……

 一応、大人の女性として恥ずかしくない化粧と服装に気を使ったわ。

 これでもファッションセンスは中々らしく、テレビ局の衣装さんからも私服のコーディネートは褒められた事も有るの。

 事務所に付いたら直ぐに荷物を纏めて待ち合わせ場所に……少し余裕を持って着くと思えば、目の前に大屋根?を見上げている彼を発見。

 何やら天気を気にしていたから、声を掛けたわ。

 

 一瞬、私を見てビックリしていた!

 

 ザマァ!私だってお洒落すれば中々の美人なのよ。

 ほら、笑顔でクルッと回ってあげれば道行く男子が注目してるわ!こんな私を連れて歩けるなんて幸せでしょ?早くエスコートしなさいな。

 連れて来られたのは、妙に店内が明るく客も疎らな喫茶店……ケーキを勧められてメニューを見たけど。

 写真に写っているケーキは、どれも食指が動かない微妙な物……確かに密談には持って来いかも知れないけど、女性同伴としてはどうかしら?

 男として、どうなのよ?それについて、小一時間問い詰めたいわね……全く!



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第13話から第15話

第13話

 

 客も疎らな喫茶店にて、これからの相談をする男女。一人は筋肉ムキムキなオッサン。一人は妙齢の美女。

 凸凹カップルにも見えなくは無い。

 周りに居る僅かながらな男性客も、羨望の眼差しをオッサンに向けていた。畜生、美女と野獣を気取ってんじゃねーよ、と……

 だがしかし、残念ながら男の方はロリコンだった!折角の美女も、攻略対象外では仕方ない。

 

「それで……私はどうしたら良いのかしら?契約とかの交渉事は苦手と言うか……今回が初めてなのよ。

何時もは先方から提示されたり、お礼として渡されたから」

 

 あれ?そこそこの数を担当してなかったっけ、この梓巫女シリーズはTVで何度か見た記憶が有るけど……

 

「もしかして……桜岡さんって、凄いお嬢様だったりする?」

 

 お金に無頓着なのは、金持ちかボランティア精神が旺盛な一寸アレな人しか居ない。

 勿論、彼女は善人だとは思うが、そこまで博愛精神が豊かでもあるまい。つまり金持ちなんだろう。

 

「えっ?まぁパパは社長だし、お嬢様と言えばお嬢様かしら?でもそんなにお金持ちでも無いわよ。別荘は有るけど、クルーザーは持ってないし」

 

 いや別荘の維持費とクルーザーの維持費ってどっちが高いの?家と船じゃ家じゃね?

 と言う事は、結構安く使われているのかプライドに見合う金額ならそれで良いのか?

 行儀良くアイスコーヒーを飲む彼女を見れば、確かにマナーが良く美貌を伴って上流階級のお嬢様に見えなくも無い。

 深窓の……と言われるとお淑やかでないのがネックか?

 

「失礼だけど、長瀬社長との話し合いには桜岡さんの報酬の件も含まれる。報酬は……

同業者の僕は聞かない事にするけど、相場というか自分の設定価格って用意してる?」

 

 料金表までとは言わないが、何日かかってレベル別の生霊の価格位は金額が弾けるよね?しかし彼女は頬を少し赤く染めて俯くばかり……

 

「えっと……大体一回で100万円?」

 

 駄目だこの女……絶対周りから騙されている。

 

「えっと、それって経費込みで何日掛かっても同じ金額じゃないよね?」

 

 黙って頷いたよ!腕時計を見て残りの時間を確認する……

 大体あと30分後には店を出ないと、待ち合わせ時間には間に合わない。でも、このまま行かせたら多分だけど……

 あっさり「じゃ100万円で!」「分かりましたわ、おほほほほー!」とか言って納得されそうだ。

 

 1件100万円は悪い金額じゃない。

 でも諸々の条件をつけて、安かろうが高かろうが納得させられる根拠と、万が一の場合の保険をかける事を知るべきだ。

 僕は、こう言うお節介なキャラじゃないんだけど……溜め息をついてから話し出す。

 

「桜岡さん……」

 

「なっ……なによ?」

 

「世間を知ろうか!先ずは、どんな内容でも同額は駄目だよ。仕事の規模や難易度によって料金を変えるのは当たり前だ!

この仕事は事後清算が多い……何日かかるか分からない物件も多いし、命の危険は千差万別だから同一で考えちゃ駄目だ。

それこそ危険で難易度の高い物件を優先的に回されるよ」

 

 彼女はグッと息を飲み込んだ。当然、言いたい事や反論もあるんだろう。

 

「先ずは話を聞いて欲しい。君の力は本物、それは分かる。

この業界はインチキや偽者も多いから、本物の霊能力者が一括の安値で仕事を請けると言えば殺到するだろう。

しかし、相手もリスクを正直に教えるとは限らない。もしかしたら最悪の条件かもしれないし霊以外の危険も有るかもしれない。

例えば不良債権でヤクザ絡みとか、良くない連中の溜まり場とか……

自分を守る為にも最初に条件を付ける事、危険に見合った金額を請求する事が大事だよ。

あと、あまり言いたくないけど……同業者に恨み妬みを買う。力有る連中に恨まれるのは、危険だ……」

 

 実際に呪いを掛けられたり邪魔されたりする可能性は捨てきれない。欲に塗れた人間ほど、怖いモノは無いんだ。

 

「霊障に困った人々を助ける為に梓巫女になったのよ……それを妨害が有るからって止める事は出来ないわ。私は……」

 

 信念有る善人ほど扱い辛いモノは居ない……なんたって正論だし、何を言っても障害を跳ね除ける意志が有る。

 ただ、その障害を跳ね除ける力が足りなかったり無闇に要らない敵を作ったりするんだ。

 だがら志半ばで挫折する……大抵が、最悪の裏切りかなにかでね。

 

「桜岡さん……先ずは今回の物件を解決する事を考えよう。それには、長瀬社長に正式に君が除霊する内容で契約を結ぶ。

費用については長瀬社長と相談が必要だ。何故なら彼はマンションのオーナーじゃない。

僕は比較的安価だから先行投資で仕事を依頼した。多分少し上乗せして、マンションオーナーに請求するつもりだったんだと思う。

しかし、蓋を開ければ僕だけじゃ対応出来ないから君を巻き込んだ……これ以上の費用負担は難しい。

だから長瀬社長にマンションオーナーと協議して貰い、僕らが引き続き仕事をして良いか決めて貰う。じゃないと無料奉仕になるし、最悪はこの仕事を外されるからね」

 

 そう言っても彼女は未だ不満顔だ……だから「取れる所からは、ちゃんと取らないと駄目だよ。その分、お金が無く本当に困っている人を助ければ良い……」と言って、取り敢えずこの話は先送りにした。

 イマイチ納得はしないけど了解はする、みたいな……もう一悶着有るかもね?

 でも先ずは、この仕事をどうするか決める。その後の話は、ゆっくり考えれば良いから……ここでタイムリミットが来た!

 

「さぁ、長瀬社長に会いに行こう。そろそろ出掛けないと間に合わないよ」

 

 レシートを持ってレジに向かう。当然、此処は僕の奢りだ!

 流石にロリコンの僕だが、世間的にこれだけの美人と同伴でコーヒー代を折半とか奢られるのは勘弁して欲しい。

 甲斐性無しかヒモに見られて、男として終わった感じがするから……

 彼女も何も言わないのは、奢られ馴れているんだろうな。会計を済ませて店を出る。

 

「すみません、御馳走様でした」そう言ってくれるのは、育ちの良さが伺える。

 

「いえいえ……」そう言って並んで、スカイビルの方に歩いて行く。

 

 流石は商業テナントの多い飲食店舗や物販店舗を抱える地下街だけあり、通行人は多い。客層も幅が広い。

 そんな中でも、周りから注目を集める2人だ。

 

「あれ見て!お嬢様と番犬かしら?」

 

「ガードドッグ?いやボディーガードかしらね」

 

「おい!似合わないスーツのゴリラが美女を連れてるぜ」

 

「どうせ暴力で従わせてるんじゃねーの?」

 

 本当に凸凹コンビなのか、容赦ない批評が聞こえてきます。女性なら聞き流し、野郎ならキツい視線を送る……

 

「榎本さん、ほら威嚇しない。こうやって腕を組めば、カップルに見えるわ」

 

 そう言って腕を絡めて来るが、丁寧にお断りを入れる。

 きっと恋愛感情は無く、周りの暴言に対して哀れに思い腕を組んでくれたのだろう……しかし知り合いの多い場所では逆効果だ!

 しかも彼女は色物の有名人……スポニチの紙面を飾れる怪しさだよね?

 

 長瀬綜合警備保障はスカイビルの18階。シースルーエレベーターに乗り暫し外の景色を楽しむ。

 遠くにランドマークタワーが見える……チン!と言う電子音が鳴りエレベーターは目的の18階に到着。

 彼女を伴い、長瀬綜合警備保障の受付に向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「こんにちは、榎本さん。社長から連絡は入っています。どうぞ……」

 

 顔見知りの受付嬢に声を掛けると、直ぐに少会議室に通される。

 すたすたと社内を進んで行くと「随分と手慣れているのね……」と言われた。勝手に他人の会社の中を進んで行く事に疑問を持ったようだ。

 

「僕は長瀬さんから良く仕事を貰う。それは、この会社が警備を請け負った建物が多いからね。

長瀬綜合警備保障の外部スタッフになってるんだ。その方が便利だよ。

例えば不法侵入にならないよね、警備を受け持つ会社の社員なら。仕事先のビルの入館手続きとか話が通り易いし」

 

「なる程……確かにそうね。所属会社や訪問先、訪問内容とか書かされるわね。受付でビルの警備員さんに」

 

 この辺の理解が早いのは、何処かで苦労した事が有るのだろう……大抵の心霊現象は深夜。

 管理された建物に入るには入館手続きが要る。

 

 そこで『所属 霊能事務所 訪問先 霊障の有る場所 目的 除霊』うん、怪しい怪し過ぎる。

 しかも立ち会いを頼むと大抵は断られる。被害にあってる方々が夜中なんかに来たくない。

 自分の家なら兎も角、わざわざ立ち会いなんか来ない。だから警備員に連絡だけ入れておく。

 その時に不審者や異常を確かめる為に「身元の確かな警備会社から調査・警備の為に派遣された」僕ならば、割とすんなり通してくれる。

 じゃないと胡散臭さ過ぎる肩書きだから……

 

「色々と考えているのね……でも私は女性だから、その手は無理だわ」

 

 これは警備員向きなムキムキの僕だから可能だ。流石に女性では無理が有るよね。

 そんな話をしながら少会議室で待っていると長瀬社長が入ってきた……

 何時もスーツで決めたダンディーな紳士だ。話す声も渋い。

 

「わざわざご足労すまないね。で、今回は複雑らしいね。桜岡さんとは会うのは初めてか。どうも、長瀬です」

 

 にこやかに名刺を差し出す。驚いた事に彼女は名刺を持っていた。

 

「はい、榎本さんにも……office SAKURAOKA 代表、桜岡霞です。宜しくお願いします」

 

 手渡された名刺を見れば、確かにoffice SAKURAOKA 代表桜岡霞となっていた。

 

「わざわざどうも。榎本心霊調査事務所の榎本です。名刺は以前渡しましたね」

 

 そう言って頭を下げる。端から見れば普通の商談の開始風景だ……

 

「それじゃ話を聞こうか……」

 

 僕達は打ち合わせの通りに、長瀬社長に現在の状況を報告した。

 

「生霊……か。それで、今後の方針は?」

 

「生霊の対応は、僕は不得意ですから桜岡さんに手伝って欲しいのですが……

多分、長期になる可能性も有るし場合によっては興信所に依頼をする可能性が有ります。

相手は生霊……つまり生きている人間を相手にしなければならない。でも探偵じゃない我々が探しても見付ける事は難しい。

長瀬社長が言っていた、あのマンションの警備委託期間内に解決出来るかは……」

 

 流石に彼も渋い顔になる。一時的に警備を任されたマンション。

 期間は決まっているので、長期対応は想定外だろう。

 

「確かに私が警備を請け負った期間は短い。それで見通しはどうなんだい?それなりに勝機は有りそうかい?」

 

「見通しは……正直難しいです。相手を特定出来れば、対処も有りますが待ちで除霊は厳しいです。

毎日出るかも分からないから、出来れば原因を突き止めた方が良いですよ」

 

「私は、やりたいわ!乗り掛かった船ですからね。このまま知らぬ存ぜぬは出来ないわ」

 

 ああ、やっぱり説得出来てなかった訳だ……こっちからやりたいと言えば、いや予算が……なら幾らでも良いわ!的な流れかい?

 少し困った顔で長瀬社長を見詰める……彼も視線を感じたのか、こちらを一瞥してから溜め息をついた。

 お互いの腹の探り合いだけど、彼も僕も持ちつ持たれつの関係だし。落としどころを探らないと駄目かな……

 

 

第14話

 

 この見た目に騙されがちな、美女だけど中身がオッサンで善人の為に苦労している……せめて外見がロリなら頑張りも報われるのだが。

 どこをどう見ても育ち過ぎている。どうにも食指が動かないんだが……

 

「長瀬社長。取り敢えず、マンションオーナーと話し合いをして貰えませんか?

今のままだと、警備の連中の危険は取り払えてないんですよね。アレは生霊だから、地縛霊と違い移動出来ます。

建物周りだけを巡回させても、かなり話題になっている。警備の目を盗んで侵入する馬鹿は居るでしょうね……」

 

 深夜にランタンの灯りに照らされた、蠢く人影の目撃者は居る筈だ。インターネットに書き込まれたら、人が集まってくる。

 多分だが、その中には質の悪い連中が居る。

 度胸試しや興味本位で侵入し……怪我を負ったり、最悪は死ぬ。誰が、この阿呆の責任を取るのか?

 不条理だが、警備を任されていた会社と建物の持ち主だ。

 不法侵入なのに、安全上・警備上に問題は無かったのか?防げた事故じゃないのか?お前らが、ちゃんと警備をして持ち主が立入禁止の措置をしておけば……助かった命だろう!

 だから謝罪と保障をして欲しい。そう言う逆ギレをする遺族が居るんだ……その点を匂わせてみた。案の定、腕を組んで悩み始めた。

 

「本当に、又出るかね?」

 

 大分揺らいできたかな?少なくとも長瀬綜合警備保障の警備中に、そんな不祥事はお断りしたい。

 だからと言って警備員の人数を増やして警備体制を強化するのと、僕達に頼む為にマンションオーナーと交渉する手間を天秤に掛けている。

 最悪の場合、マンションオーナーが除霊を断れば等しくリスクを背負わされるから……

 長瀬社長も何とかマンションオーナーと交渉して、除霊の件と料金を認めさせたい。そして自分と、社員の安全を確保したい筈だ。

 

「僕でも除霊後に一週間は様子を見ますからね。今回の件は、桜岡さんは除霊が成功して奴が成仏したかの確証は無いと言った……

つまり相手は手負いですからね。

完治するまで出ないか、怒って周りに八つ当たりをするかは分かりませんね……桜岡さんも、そう思うよね?」

 

「えっ?ええ、そうね。そうかも知れないわね……」

 

 妙に慌てて相槌を打つけど、まさか寝てた?

 罰が悪そうに此方を見る彼女は、僕と長瀬社長の会話を聞き流していたのだろうか……暫し沈黙が流れる。

 僕が駄目押しをして、彼女が肯定した……これで長瀬社長は追い込まれた筈だ。

 後は彼の判断を待てば良い、僕は用意されたコーヒーを飲む。うん、すっかり温くなっちゃったな……

 砂糖とミルクが無いと飲みにくいんだよね。

 

「分かった。マンションのオーナーと掛け合ってみよう。継続で君達に任せるか、新しい連中を呼ぶかは向こう次第だからね」

 

 釘を刺されたな……最悪、長瀬社長は手を引く事も視野に入れている。

 それが向こうが手配した霊能力者の場合を持ち出したんだ。先方がゴネれば、僕達を切り離して話を進めるのだろう。

 悪い条件なら、僕達を紹介した分のリスクを負うかもしれないから……もしかしたら、この物件は放置かもしれないな……

 

「今日のところは長瀬社長の連絡待ちですね。宜しくお願いします。さぁ桜岡さん、お暇しようか?」

 

 今後については、そのマンションオーナーとの交渉次第。又は交渉の場に同席させられるかも知れない……

 

「えっ?もう良いのね、分かったわ。では長瀬さん、失礼しますわ」

 

 桜岡さんは、イマイチ状況を理解してないのでは?面識の無いマンションオーナーとの交渉には、彼女は連れて行かない方が良いね。

 後で釘を刺しておこう。

 長瀬社長からマンションオーナーとの交渉に、意見が聞きたいから同席して欲しいって頼まれたら……ホイホイ付いて行きそうだから怖いな。

 笑顔で長瀬社長に別れの挨拶をする彼女を見て、見えない様に溜め息をつく……嗚呼、溜め息の分だけ幸せが逃げるとは良く聞く。

 しかし今回は、溜め息の分だけ苦労しそうだ……主に僕が!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡さんと連れ立って横浜駅に向かう。確か彼女のofficeは、京急上大岡駅の近くだった。

 だから途中迄は同じ電車だ……アレ?

 

「桜岡さん、何で来たの?電車?車?」

 

「電車よ。待ち合わせの場合、時間が読めない車は使わないわよ。それに横浜駅周辺は渋滞するし……」

 

 一般的な常識は凄く持っているんだよな。

 

「そう。じゃ途中まで一緒だね。僕は京急横須賀中央駅までだから」

 

 丁度ホームに入ってきた快速特急に乗り込む。行きと違いソコソコに混んでいる為、並んで吊革に掴まる。

 電車が走り出し案内のアナウンス放送が終わると……

 

「えっ?今後の話をしないの?」

 

 って唐突に話し出した。って今後の話?だって長瀬社長からの返事待ちでしょ?

 

「えっと……長瀬社長が先方と話し合いをして、結果で僕らは動く話になったよね。それは理解してるよね?」

 

「でも……待ってるだけじゃなくて、何か出来る事が有るんじゃなくて?」

 

「無い!ちゃんと契約する迄は、オーナーさんとの話が纏まる迄は何かしちゃ駄目だ。それは長瀬社長にも迷惑をかけるの!」

 

 ブーって頬を膨らませる……それはロリっ娘がやると嬉しいが、貴女がやっても子供っぽいだけだ。

 子供っぽいと言っても、絶対子供にはなれない。

 だから僕には……無駄無駄無駄ムダァー!

 

「結果は2〜3日中には分かる筈だよ。だから、結果を聞いてから行動するの!」

 

「でも……」

 

「でもじゃないでしょ?ちゃんと契約してから仕事をするって約束でしょ。もし契約前に桜岡さんが怪我でもしたら……

長瀬社長が困るんだよ」

 

 またブーって頬を膨らませる……ここは話し掛けない方が良いだろう。

 暫し無言で並んで窓の外の景色を見る……行きに降り出していた雨は、今は本降りだ。

 長瀬綜合警備保障から横浜駅までは、屋根付きの通路を歩いて来たがら余計に雨足の強さを感じる。

 冬の雨には、嫌な記憶しかない。

 爺ちゃんが亡くなったのも、親父が亡くなったのも……こんな冬の雨の日だった。

 

「何よ!そんな怖い顔して。分かりましたわ。大人しくしています。でも連絡が入ったら動き出すわよ」

 

 ん?どうやら思い出していた時に、怖い顔になっていたらしい……それで僕が怒っていると誤解したんだな。

 

「いやゴメン。死んだ爺ちゃんと親父を思い出してね。アレも、こんな寒い雨の日だった……」

 

 爺ちゃんの亡骸を抱えて泣いたのも、親父の亡骸に対面したのも。どちらも寒い冬の雨の日だった……

 そして、僕が箱に。あの箱に居る奴に初めて会ったのも……

 

「そう……お祖父様とお父様が……」

 

 お祖父様?お父様?糞ジジイと糞オヤジだったよ!様付けなんて……背中が痒くなるよ!

 

「いや、気にしないで……それより長瀬社長からマンションオーナーに説明したいから同席を頼まれても、1人でホイホイ行かないように。

必ず僕に連絡して欲しい」

 

 コレは念の為にも言っておかないと。最悪、長瀬社長が桜岡さん1人に押し付けて縁を切るとか……

 又はマンションオーナー側から不利な条件を押し付けてくるか……人の良い彼女じゃ、コロっと騙されるよね。

 

クスクス笑いながら「なにそれ?榎本さんって私の保護者なの?」って返してきたけど、そんな気がしてきたよ。

 

「そんなモンかな……少なくとも、この件が解決する迄はね」

 

 じゃないと直接被害を受けるのは、僕だし……

 

「クスクス……可笑しいわね。本当にボディガードみたいよ!」

 

 何故か嬉しそう?プライドの高い彼女なら、私に任せられないの?って怒るかと思ったんだけど……電車は弘明寺駅を通過した。

 後3分位で京急上大岡駅に到着するだろう。

 

「そろそろ着くね。じゃ連絡を待ってるから、そっちも大人しくしてる様にね」

 

「あら?ウチ(office)に寄っていかないの?」

 

 何故に?そして周りの乗客も、何故コッチを伺うんだ?

 

「それは連絡が着てからでしょ?内容によっては事前に話し合う必要が有るかも知れないからね」

 

 そう言うと車内アナウンスが流れて駅に到着した。

 

「あら残念ね。では榎本さん、ご機嫌よう」

 

 そう笑顔で言って、颯爽と電車を降りて行った……

 

「ヤレヤレ……お嬢様のお守りは大変だ」

 

 誰に言うともなくボソリと漏らすと、周りからの視線がキツくなった?周りを見渡せば、男性陣が睨んで居る。

 

「ああっ?」

 

 そいつ等に視線を合わせてやると、殆どが目を逸らすが……何人かは睨み返して来やがった!

 

 アレか?まさか嫉妬か?結衣ちゃんの時は親子ですか?微笑ましい的な反応の癖に、何で桜岡さんだとシット団なんだよ!

 ドッと押し寄せる疲労感に耐えながら、早く事務所に帰ろうと思った。今日は早仕舞いして、早く結衣ちゃんに癒やされよう……

 大人しく微笑む彼女の顔を妄想しながら、周りの視線を無視した。

 端から見たらニヤニヤしたオッサンは、さぞかしキモかっただろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 僕は夢を見ているのだろう……桜岡さんと別れてから事務所に戻り早めに自宅に帰った。

 結衣ちゃんと楽しく夕飯を食べて、風呂に入って直ぐに布団に潜り込んだ筈だ……しかし意識が覚醒してるのに、周りは真っ暗だし体も動かせない。

 また、あの夢なのか……

 

「そうだよ……お前の父親達が苦しみ悶えている。早くお前も、コッチに来いとな……」

 

 耳元でアイツが囁く……くっ……動け動くんだ!手足に力を入れてもビクともしない。

 無駄に足掻いていると正面の暗闇から、爺ちゃんと親父が現れた……見る度に奴に魂を浸食されているんだろう。

 最初は会話も成り立った。しかし今では苦しみからか、罵声しか聞こえない。

 

「まさ……あき……何故、お前だけ……無事なんじゃ……」

 

「ちち……が……苦しんで……いるのに……お前が……何をして……るんだ……」

 

 タールを流し込んだ様な沼地から、這う様に此方に手を伸ばして……恨み言を話す爺ちゃんと親父……くそっくそっ糞ッタレがぁー!

 

「オイ、箱!出てきやがれ。何故だ!僕はお前に贄を差し出している。なのに何故、爺ちゃんや親父が苦しんでいるんだ!出て来て説明しやがれ!」

 

 幾ら叫んでもヤツは姿を表さない。口以外に動かせない僕の耳元で高笑いをするばかり……

 

 ヒャハハハハハー!

 

 お前らの魂は、私が握っているんだよ。足掻け、足掻くんだー!恨み言を言いながら這ってくる爺ちゃんに足首を掴まれた時点で……

 体の自由を取り戻し、起き上がった。

 

「くっ糞ッタレが!」

 

 全身汗だくで疲労感が凄い……ノロノロと起き上がり、部屋に有るミニ冷蔵庫からコーラのペットボトルを取り出し一気飲みをする。

 

「くっゲホッ……ゲフー」

 

 激しく咽せたが、今はそれが丁度良い。少しでも気が紛れれば……僕はペットボトルに残るコーラもがぶ飲みし、そのまま布団に倒れ込んだ。

 疲労感からか、襲ってきた睡魔に身を任せる……

 

「爺ちゃん、親父……まだ苦しんでいるのか……」

 

 張り裂けそうな胸の苦しみも、眠ってしまえば一時は忘れられるから。

 

 

第15話

 

 嫌な夢を見た……体は疲労感で一杯で汗だくだ。あれから気を失う様に眠りについてから、3時間位は寝れただろうか?

 少し体力が回復し、体のベタベタが気になり始めた……一度気になりだすと中々寝付けないものだ。

 時計を見れば5時55分か……冬の朝は未だ日の出前。部屋の中も真っ暗闇だ。

 

「風呂で汗を流すか……今日は長瀬社長の返事が来るまでは、自主的な休みでも良いかな……」

 

 クローゼットを漁り、着替えとバスタオルを持ってバスルームへ行く。一階の結衣ちゃんの部屋の前を通るが、未だ彼女は夢の中だろう。

 扉から漏れる灯りは常夜灯の淡い光だけだ。彼女を起こさない様に静かに移動する。

 ウチの風呂は家庭用の濾過機能の付いた24時間風呂だ!だから何時でも設定温度の42℃のお風呂に入れる。

 夏は39℃に設定するが……

 結衣ちゃんは良く出来た娘さんだから、オッサンである僕の下着を含めた洗濯物も一緒に洗ってくれるし、お風呂のお湯も入れ替えたりしない。

 年頃の娘を持った父親の悲劇は……回避しています。

 体を簡単に洗い流し、浴槽に浸かる……

 

「ふぃー……風呂は命の洗濯と、逃げちゃ駄目な子供が言っていたな……」

 

 タオルを絞り両目の上に乗せる。じんわりと疲労感が溶けて行くのが分かる……15分位だろうか?

 体の芯まで暖まったので上がる事にする。そろそろ日の出が近いのだろうか?

 外で雀がチュンチュン鳴き出したし、仄かに明るくなり始めた……浴室を出ると脱衣場で体を拭く。

 部屋の灯りは敢えて点けなかったが、窓から太陽の光が少しずつ入って……

 

「きゃ!正明さん、ごめんなさい」

 

 どうやら洗面所を使いたかった結衣ちゃんに、僕の全裸を見られたか?窓を向いていたから息子はセーフだが、尻エクボはバッチリ見られたかな?

 

「ああ……結衣ちゃん、直ぐ出るからね」

 

 彼女に声を掛けてから、急いで身支度を整える。普段は7時に起きて朝の支度を始める筈だが、今朝は早出なのかな?

 髪の毛をガシガシと拭きながらキッチンに向かえば、結衣ちゃんが朝食の準備をしていた……

 

「おはよう、結衣ちゃん。今朝は早いね。未だ6時半前だよ?」

 

 まな板で何かを切っている彼女に声を掛ける。

 

「はにゃ?ごっごめんなさい、正明さん。まさかお風呂に入っていたなんて……」

 

 真っ赤になりながらワタワタする彼女。せかせかと手を動かしながら謝る姿は、小動物みたいで可愛い。

 

「ごめんね、僕も電気を点けておけば良かった。気にしないでね」

 

 そう言って冷蔵庫を開けてパックの牛乳を取り出す。コップに注いで一口……火照った体に冷たい牛乳は鉄板だ!

 珈琲牛乳?フルーツ牛乳?男ならシンプル且つ基本の白牛乳だろう!

 コップの残りを左手を腰に当てて、仰け反る様にゴクゴク一気飲みだ!余りに全裸を見られた僕が気にしないので、彼女も溜め息をつきながら調理を始めた……

 アレ?溜め息をつかれた?結衣ちゃんが料理をする姿を後ろから舐める様に凝視する……

 左右に動きながら手際良く調理する彼女のフリフリと動くお尻の辺りを。うん、美少女の手料理を食べれるなんて幸せだ!

 美少女と言うか店番をしていた美幼女にも、また会いたいな。

 あの仕事は僕も気になるから、もう一度昼間に周辺を調べながら店に顔を出そうかな……目の前の極上ロリっ娘を見ながら、他のロリに思いを馳せるとは!

 

 なんて贅沢な環境。

 

 しかも結衣ちゃんが早起きをしたのは、学校の給食室の什器が故障した為に3日間は弁当持参だそうだ。だから僕の分まで作ってくれた!

 

「では、行ってきます!」

 

 元気良く……ではないが、行儀よく挨拶をして出て行く彼女を見送る。折角、彼女がお弁当を作ってくれたんだ。

 休もうと思ってたけど、事務所に向かう事にする……

 

「さて、お仕事頑張りますかね!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから支度をして、事務所には8時45分に着いた。基本的に営業時間は9時から5時迄だ!

 紹介が殆どの僕の事務所には、一見さんとかは殆ど来ない。広告も出してないし、タウンページにも記載されていない。

 完全に舐めた商売形態だが、長瀬綜合警備保障や山崎不動産からの紹介が結構有るので、そこそこ毎日仕事が有る。

 何時もの様に郵便物とメール・FAXをチェックする……そして仕事の依頼は何も無い。

 だから長瀬社長からの連絡が来る迄は仕事が無い。

 

「さて……ネットサーフィンでもするかな……」

 

 冷蔵庫からコーラを取り出し、カチャカチャとネットで遊ぶ。最近ハマっているゲームの攻略サイトを梯子し、ネット小説の更新状況をチェックすると……

 もうお昼だ!

 

「時の経つのが早過ぎる……さて、結衣ちゃんのお手製弁当を食べようかな!」

 

 至福の時が訪れた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お弁当のメニューは定番中の定番だ。ミニハンバーグ・甘い卵焼き・インゲンとベーコンの炒め物それに煮豆だ。

 煮豆は販売品だが、その他は彼女の手作り。

 両手を合わせて「いただきます!」と言った所で携帯が鳴った……

 

 誰だよ?と思い携帯を開くと「桜岡霞 携帯」と表示されていた……

 

 卵焼きをモグモグと食べながら通話ボタンを押す。

 

「はい、榎本です。只今食事中です……」

 

「あら、こんにちは。桜岡です。まだお昼には少し早く有りません?」

 

 時計を見れば11時52分……ほんの少し早いのか?

 

「それが自由業の素晴らしさですよ。それで、何か有りましたか?」

 

 インゲンを一本づつ摘んで口に入れる。うん、コショウが適度に効いていて旨いな。

 

「うーん……何かって言われると、長瀬さんから連絡が無いから榎本さんの方はどうかなって?」

 

 ズズーっとお茶を飲む。

 

「無い!てか、昨日の今日で話が纏まるとも思えないよ。2〜3日は掛かるんじゃないかな?」

 

 白米を口に入れて咀嚼する……やはりお米ってサイコー!日本人なら米を食べなくちゃ。

 

「呑気なのね……私は気になって仕方無いのよ。何とかしなさいな」

 

 また無茶振りを……ミニハンバーグを一口でパクリ。おっ、中にチーズが入っていたよー!

 

「ねぇ?聞いてるの、榎本さん?」

 

「うん、チーズinハンバーグって良いよね?」

 

「……そうね。榎本さんって、ハンバーグとか子供っぽい料理が大好きですよね?」

 

 まだファミレスのフードバトルの件を根に持っているのかな?

 

「待つのも大切な仕事だよ。無為に動き回ると周りに迷惑を掛ける事も有る。その辺はテレビの仕事もしている桜岡さんなら詳しいでしょ?」

 

 あの業界もマイナールールとかしきたりとか煩そうな……最後の卵焼きを食べて完食する!

 美少女の手作り弁当を美女と会話しながら食べる。

 

 ある意味では……何て贅沢な環境?

 

「それは分かってるわ。でも……」

 

「桜岡さんも暇じゃないでしょ?何かやる事は無いの?」

 

 僕はネットで遊んでたけどね。

 

「無いわ!悪い?そうだ、榎本さん私に付き合いなさいな」

 

「無理、忙しい」

 

「脊髄反射みたいに即答ね……忙しいって除霊の仕事かしら?」

 

 ちげーよ、遊びだよ。ゲームの攻略を実践したいのよ!

 

「……単純作業の地道なレベル上げさ」

 

 敵キャラ無限増殖でレベルをガンガン上げたいんだ!

 

「流石ね……仕事の無い時は、自分を鍛えているのね?確かに凄い筋肉ですもの。日々の努力の賜物なのかしら……」

 

 ピュアな回答をされると、オジサンの毛の生えた心臓もピクピクしてしまう。

 

「まっまぁね……じゃ長瀬社長から連絡が来たら、お互い連絡する事。それで良いね?じゃ!」

 

 ブツリと通話を切る……桜岡さんって友達が少ないのかねぇ?

 こんなオッサンに絡んでくるとは……しかし、言われると確かに気になる事も有るな。

 もう一度、現場周辺を当たってみるか。生霊の関係者のヒントくらい掴めれば、興信所に頼めば早く見付かるかも知れないし……

 駄目なら調査のみで打ち切りだ!

 外を見れば、どんより冬の曇り空。午後からノンビリと電車と徒歩で、現場の周りを調べてみようか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横須賀中央駅からノンビリと三崎口行き特急電車に乗る。客は疎らであり、シートに座りボーっと景色を見る。

 手荷物は折り畳みの傘だけ……暫くして目的地の駅に到着。

 その後、バスに乗り問題のマンション迄辿り着いた。

 

「こう……アレの存在を知ってるのに昼間は普通に見える……」

 

 見上げる建物は午後2時を過ぎたばかりだが、夜と違う顔を見せている。

 

「でも前に昼間来た時とは違う雰囲気だ……何故かな?」

 

 2〜3日前に昼間来た時よりも、感じる雰囲気が明らかに違う。何かヤツに変化が有ったのか?

 手負いになり、なりを潜めているのか?それとも除霊は成功していた?後は何か他に原因が有るのか……

 しかし今は建物には関わらす、周りを調べ直す事にしよう。

 先ずはロリっ娘店番の雑貨屋に……

 

「アレ?休み……か?」

 

 シャッターが閉まっているが、お知らせの貼り紙はとくに無い。

 

「父親が病気で入院中、母親はその見舞い。娘が1人で店を切り盛り……怪しいかな?」

 

 しかしロリっ娘なら今は学校に行ってるか微妙な時間だし。店を開けられなくても不思議じゃないか。

 

「あら?榎本さんも来ていたの?私の誘いを断ったのに現場に来るなんて……やはり気になってたのね」

 

 閉まっているシャッターを睨みながら考え事をしていたら、桜岡さんが隣に居た……彼女は昨日と違い少しラフな格好だ。

 皮のジャケットにパンツスタイルだ!

 僕の知らない海外ブランドだろう高級感が素人でも分かる……ちっ、お嬢様め!

 

「あら?このコーディネートは気に入らない?現場には動き易い方が良いと思ったの」

 

 自分の服装を確認する様に、左右に首を振る。

 

「いや……悔しいが似合っている。流石はブルジョアめ!」

 

 僕は重度の真性ロリコンだが、攻略対象外の女性だからといって無意味に差別をしたりしない。

 ただ、興味が無い・縁が無いと言うだけだから……

 

「……?それ、ほめ言葉じゃないわよ。まぁ良いわ。それで何か分かったのかしら?」

 

 彼女のセンスは確かなのだろう……悔しいが結衣ちゃんへのプレゼントを選んで貰うのも良いかも知れない。

 悔しいが、僕に美的センスは無い……折角だから利用させて貰おうか!

 

「ふははははー!桜岡霞よ。僕の為に役立つが良いわ!」

 

「いえ、私の為に役立って貰うわよ榎本さん!」

 

 見詰め合いながら、互いにニヤリとする……

 

「「ふははははー!(おほほほほー!)」」

 

 実は気が合う2人だった!

 

「さて、周りから不審者扱いされる前に移動しよう」

 

「そうね……私は兎も角、榎本さんはマンマ性犯罪者に見えるわ」

 

 結構毒を吐くお嬢様だ……並んで歩きながら、一旦ロリっ娘の店の前から離れる。

 

「さて、僕はもう一度周りから調べてみるけど……桜岡さんって何時もはどうしてるの?」

 

「えっ……その、その辺も一緒に回って教えて欲しいなーって……ダメ?」

 

 可愛くシナを作り言っているつもりなのだろう。彼女程の美女にお願いされたら、一般男性なら墜ちたかもしれない……

 しかし何度もいうが僕はロリコンだから、無駄無駄無駄ムダー!

 

 



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第16話から第18話

第16話

 

 梓巫女の桜岡霞……本物の霊能力を持つ25歳の美人さんだ。

 彼女はテレビの心霊番組で良く見掛ける、今一番知名度の高い霊能力者だろう。しかし出たとこ勝負の一発屋的な除霊スタイルと大雑把な料金スタイルを持つ、世間知らずなお嬢様だ。

 だが、自分の力で人を助けようと行動する善人でもある。

 このままでは利用されたり騙されたりして大怪我をする前に、何とか業界の先輩としてその辺の立ち回りを教えておきたい。別にお節介な筈じゃなかった僕だが、今隣に居る彼女に自分の仕事の手順を教えているから不思議だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「だから最初に調べられるだけの事を調べるんだ。ネットでキーワード検索をしたり図書館で昔の新聞記事を調べたり……霊障って事は、誰かが死んだ訳だからね」

 

「ネット?あの某巨大掲示板の書き込みとかを?信用出来る内容とは思えないわ」

 

 僕らは問題のマンションの周辺300m圏内をゆっくりと調べながら歩いている。田舎だから周囲の県道や市道、又は農道や私道とか限られるけどね。

 

「煙の無い所には噂は広まらない。確かに人聞き、人伝だから真実とかけ離れている場合も多いよ」

 

 余り当てにはならないけど参考位にはなるからね、と笑いながら言う。

 

「例えば今回の件はどうだったの?」

 

「ん?そうだね……「心霊スポット横須賀スレ」って書き込みが有ってね。

読んでいけば、横須賀の建設途中のマンションの怪についてだった。夜中に前を通ると、3階の窓の部分に人影が見える。

敷地内に良く野良猫が死んでいる。浮浪者が住み着いて、小火をだした。

他には動物や虫の屍骸と3階の人影を見たとかね」

 

「人影ってあの建物の中は真っ暗だったわ。外から人影なんて見えたのかしら?

虫は大量に居たわね。でもあの警備員と話した時は前日に初めて虫の死骸を大量に見たって。

小火は……実際に有ったかは分からないけど、火事が有ったから警備が厳しくなったのかしら?」

 

 確かに言われてみれば、その通りだ。ランタンの灯りに照らされて、ユラユラ動き回る影が確認出来たんだ。

 真っ暗の中で人影なんて見えないな……

 

「確かにそうだ……多分だけど、誰か勇気の有る馬鹿が中に入って目撃したんだろう。

それを読んで、さも自分も侵入した様に書き込んで内容が変化していったか……実際に建物の中を調べた時は、2階迄は落書きが酷かったでしょ?

でも3階は殆ど無かった。

普通は肝試しなら、証拠に問題の3階迄侵入して落書きしたりするのに。だから逆に噂は本物だと判断した。

3階には立ち入れない何かが有るって……真偽が分かれば警戒も上げられる。

嘘か本当か迷うよりは余程良いからね」

 

 彼女は首を傾げながら

 

「そうやってネットの情報と実際に見た状況を摺り合わせて考えるのね?榎本さんって脳筋かと思ったけど、ちゃんと考えているのね……

凄いわ、チョットだけ尊敬しちゃった」

 

 笑顔で誉めて?くれた?

 でも……このアマ、人の事を脳筋とか言いやがったな!態度を見れば本人には悪気は無いのだろう……

 その分ムカついたぞ!

 

 ムッとした表情を出してしまった為か「怒ったの?ごめんなさいね。ほら、機嫌を直して……」そう言って腕を絡めてくる。

 

 毎回思うが、彼女はこの辺の警戒心が足りな過ぎる。もし僕がロリコンじゃなかったら、誤解されて大変な事になるぞ!

 

「そう言うのは誤解されるから止めなさい。それは彼氏にしてやると喜ぶけど、それ以外だと誤解されるから……」

 

 スルリと腕を離すと「榎本さんって固いわね!クスクス、お父さんと話しているみたいだわ」此方を見ながら後ろ向きに歩いて、嬉しそうにクスクス笑っている。

 

「僕はまだ30代だ!君みたいな大きな娘は居ないぞ」

 

「はいはい。お父さんは心配性なんですね!」

 

 チクショウ、全然反省してないや。

 

「それで……この歩き回る事の意味はなにかしら?」

 

 散歩じゃないんだぞ!

 

「現場の周りにお地蔵様や庚申塚。墓地とか曰くの有りそうな物が有るかを探しているんだ。

神社やお寺も怪しい場合も有るし……こんな看板も、何かしらのトラブルの原因が有るかも知れない」

 

 そう言って古びた看板を指差す。

 

「マンション建設反対……自然を守れ。これって、あのマンションの事なの?」

 

「つまり反対運動が有ったんだね。純粋に自然保護か利権問題か……少なくとも対立する人間は居たんだよ。

この辺が、ヤツの生霊に関係してるかもしれない。反対運動をしていた連中や、利権絡みの関係者。

工事関係者だって怪しいかもしれない。この辺の調査は、本職の興信所じゃないと我々では難しい。

だから長瀬社長に予算の件を相談したの!」

 

 ビックリした顔で此方を見ている?

 

「予算とか契約とかヘンテコな人だと思ったら、こう言う訳も有ったのね!確かに探偵紛いな事は、私には無理ですわ……

それに今の話だけでも、何十人って規模だし。でも、興信所の人達は生霊の相手を判断出来るのかしら?」

 

「いや、報告書を読めば絞り込めるでしょ?最近、調子が悪そうだ!とか入院中だとか……」

 

 パジャマ姿の生霊なら、入院中の線が濃厚なんだけどな。

 

「確かにそうね……あの後、出没してるのかしら?警備員の人達は危険じゃないの?」

 

「彼らには建物内部に入る事を禁止して貰ったよ。ゴーストハウスは、案外建物の外には影響が無い場合が多い。

でも今回は生霊だから微妙だけどね。長瀬社長が請け負った警備期間は短期だ。

だから採算は合わなくても、2人体制に警備を変える様に頼んだ。1人だと魅入られて誘い込まれる危険が有る。

事情を知ってる連中なら、相方がフラフラ中に入り込もうとしても、ぶん殴って止めれるからね」

 

 やっぱり脳筋じゃない!力任せは良くないわ。とかクスクス笑って楽しそうなお嬢様に溜め息が出る。

 彼女の中では、僕や坂崎君は脳筋のひと括りなんだろうな……

 

「いい加減に脳筋から離れなさい。この業界は調査・準備が9割以上なんだよ。実際に効果が有ると判断しないと、直接対決なんか出来ない。

僕に言わせれば、出たとこ勝負な桜岡さんの方が脳筋に見えるけどね!」

 

「ひっ酷いわ、レディに脳筋なんて!榎本さんって意地悪だわ」

 

 凄いショックを受けた顔をして、此方を睨んでいる……言わないが、黙ってればレディと認めてやっても良いけどね。

 

「でも桜岡さんの除霊スタイルは考えた方が良いよ。初対面の霊と戦うのが基本って、霊能力者としてはどうかと思う。

テレビ的には、こんな地味な調査なんてせずにズバッと戦った方が良いんだろうけど……テレビ以外の仕事をする考えが有るなら、尚更だ!

普通の顧客は値段と解決率が全てだよ」

 

 最近良く見せる、ブーって頬を膨らませて此方を睨む……本当に子供っぽいお嬢様だ。

 

「テレビの仕事は、止めた方が良いのかしら?有名には成れたのは確かよ。でも……」

 

 色モノ芸人と変わらない扱いだからか?

 

「それは一概には言えないね。僕は余り周りに知られたくないんだ。元々在家僧侶として資格を持ってるから、派手に仕事をするのも問題が有るからね。

桜岡さんも、ソコんところヨロシク!」

 

 釘を刺しておかないと、テレビ関係者に話されでもしたら大変だからね。

 

「分かったわ。あの……榎本さんってお祖父様とお父様を亡くされているじゃない。

実家のお寺は、ご兄弟の方が継いでいるのかしら?」

 

「……故郷はダムに沈んだよ。家も寺も何もかも。親兄弟、親戚も既に他界してる。天涯孤独の身の上さ」

 

 ハッと息を飲まれた……少し言い方が悪かったな。反省しなければ。

 

「気を悪くしたらゴメンね。檀家衆も村がダム湖に沈んだ時に、同じ宗派のお寺に引き継いで貰ったんだ。

継ぐ寺が無いから在家僧侶なんだよ。だから、余り除霊とかしてるのは広めたく無いんだ」

 

 だから内緒だよ!って笑って言えた。暫く無言で並んで歩く……この辺は、まだまだ開発の手は伸びていない。

 周りには畑が沢山有り、昔ながらの住宅が密集している。木塀の家も多く、鉄製の看板も沢山有る。

 「これが有名なオロナミンCの昔の看板だよ」とか「これはボンカレー、あれはオリエンタルカレー!昔はルーが粉末だったんだよ」とか、昭和のトリビアを話ながら散策を楽しんだ。

 2時間位歩いただろうか?漸くゴールのマンションが見えて来た。

 冬の夕暮れは早い……既に遠くに見える水平線には、沈みゆく太陽が半分掛かっている。

 

「綺麗……でも、もう夕暮れね。結局何も見つからなかったわ」

 

 暫し並んで夕日を見ていたが彼女が、ポツリと言った。確かに確認の意味での散策だから、真新しい事実は見つからなかった……

 

「連絡次第だけど、次は付近のお寺や神社に聞き込みをするよ。田舎では神社仏閣には住民の情報が集まるからね。住職や神主さんの話は貴重だ」

 

「今日行かなかったのは、何故?」

 

「正式な依頼を請けていれば、あのマンションのオーナーから頼まれて調べています!って言えるでしょ?

プライバシーに絡む話は、中々聞き出せないよ。

興味本位や取材なんかより、ちゃんと依頼を請けてる方が相手も話し易いでしょ?」

 

 お寺なら伝手が有るから、最悪は総本山からの紹介とかも使えるからね……そう言って考えなしにお寺や神社に突撃しない様に釘を刺す。

 それにどちらも聖職者だし、ペラペラと話してくれる内容でもないからね。

 人の生き死にに関する情報なんて……

 

「榎本さんが寺社、私が神社を担当すれば良いコンビじゃないかしら?」

 

「はははははっ!桜岡さんは、どの流派に属しているんだい?

さて、最後に長瀬綜合警備保障の連中の待機場所に簡易結界を張っておしまいだ!流石に彼らを放置じゃ危険過ぎるからね」

 

 知った顔も多いし、彼女曰く脳筋仲間だから!無用な度胸で突撃する奴も居るんだよ。

 

「俺は、幽霊なんて信じないっすよ!だから平気っす」とか「自分は非科学的な事は信じてないから大丈夫です!」とか、気の良い奴でも否定派は少なくない。

 

 逆に深夜のビルとかを巡回する連中は、それ位じゃないと務まらない。一々怖がっていたら仕事にならないからね……

 長瀬社長も昼間はそんな連中を夜は霊障の実体験を持っていても辞めない連中でシフトを組んでいる筈。

 危険は圧倒的に夜の連中だ……だから彼らを守るのも僕の仕事の内なんだよ。

 

「ふーん、結界ね。それって私も見ていて良いかしら?」

 

「別に構わないけど……そんなに楽しい事じゃないよ」

 

 今日は、このお嬢様に付き合いっぱなしだね。マンションに向かえば、例の雑貨屋のシャッターが開いていた。

 

「桜岡さん、ちょっと店に寄るね」

 

 彼女に断りを入れてから店に入る……店内には蛍光灯は点いているが、少し薄暗い。

 店番は……居ないな。商品を物色する様に、ゆっくりと中に入る。

 

「いらっしゃいませ……」

 

 店の奥から、30代半ばと思われる女性が出て来た。髪をキチンとセットし、薄く化粧もしている。

 その表情には旦那さんが入院中で苦労している感じは無いか……まぁ調べなければ、あの娘の母親とも限らないけどね。

 前回同様、ガムとコーラを手に取りレジへ。

 

「これを下さい……前に来た時は、娘さんですか?店番をしてましたね。偉いなぁ、まだ小学生位ですか?ウチの子にも見習わせたい」

 

 子供なんて居ないが、話のネタ振りで嘘を言う。彼女が僕と後ろの桜岡さんを交互に見てるけど?

 

「わっ私達の子供じゃ未だ違いますからね!」

 

 桜岡さんが慌ててるけど、旦那さんの事を聞きたくて話し掛けてるのに。騒いだら話の切欠が途切れるでしょ!邪魔しないで下さい。

 見れば彼女は、淡々と商品をレジ袋に入れている。

 怪しいのは怪しいのだけど……

 

 

第17話

 

 働くロリっ娘を見にくれば、彼女の母親と思しき女性が出て来た……30代半ば、身嗜みに気を配った女性だ。

 とても旦那さんが入院中で苦労している様には見えない。淡々と商品をレジ袋に入れている彼女に話し掛けても反応は薄い。

 

「220円になります……其方はご夫婦では?」

 

 小銭入れからピッタリの金額を探して渡す。

 

「僕達ですか?僕達は仕事の同僚ですよ。あのマンション……競売に掛けるらしくて下見がてら来ました。

周りの生活環境によっても入札金額が変わりますからね」

 

 競売と聞いた時に、僅かに反応した……あのマンション絡みで何か有るのか?

 

「そうなんですか……知りませんでした。そう、工事が再開されるのですか?」

 

 少し食い付いて来たかな?

 

「でも、調べてみたら良い噂を聞かないんですよね。何か周りも口を濁すと言うか……幽霊が出るとか言われた時は笑いましたよ。

この平成の時代に幽霊ですからね。奥さんは何か聞いてます?」

 

 それとなく探りを入れてみるが……

 

「いえ……でも工事が中止になってから、変な人達が夜に訪れたりして騒がしくって……」

 

 困ります、と言ってくれたが……この辺が潮時かな?

 

「ああ、肝試しとか?大変ですね、では!」

 

 そう言って店を出る。暫くは振り返らずに真っ直ぐ歩く……

 

「榎本さん!子供が居るなんて聞いてませんよ!離婚したんですか?子供には両親が必要なんですよ!てか、さっき天涯孤独って……」

 

「落ち着いて下さい。嘘ですよ、彼女との話の切欠作りです。それより、怪しいと思わなかった?

彼女の旦那さんは入院中だ。娘に店番をさせて見舞いに行っている。そんな環境で身嗜みを必要以上に整えるかな?」

 

 状況は辛い筈だ……一家の働き手が入院中。幼い娘に店番をさせる程、困ってるのに化粧?

 それともスナックとかバーとか、夜の店に働きに行ってるのか?

 

「なっ?嘘?駄目ですよ、騙すなんて!子供が居るなんてビックリしましたわ」

 

 違う!君じゃなくて彼女が怪しいか聞いたのに……

 

「でも入院中の旦那が生霊として、何故マンションの3階なんだ?それとも彼女絡みでは無いのかな……」

 

 場所に憑く生霊は、僕は聞いた事が無い。生霊は人に憑き纏う物だと思っていたけど……

 

「んー普通の生霊は、怨みや執着している相手に憑きますわ。前にストーカーの生霊を祓った事が有ります」

 

「えっ?ストーカー被害って、ついに心霊現場まで発展してるの?でも、歪んだ思いの結果なら有り得るのか……」

 

 話しながら歩いていると、マンションを囲う仮設ゲートの手前まで来た。さり気なく手前の角を曲がる時に後ろを確認すると、例の彼女が此方を伺っている。

 

「桜岡さん、彼女が見てるから曲がるよ。後ろを振り向いちゃ駄目だからね……」

 

 道を曲がり僕達の姿が見えなくなってから一息つく。やはり、彼女は何かしら今回の件に関係してる。

 携帯カメラを録画モードにして、角から突き出し確認する……少しだけ突き出しているから、向こうからは確認出来ないだろう。

 画面を見ればジッと此方を伺っていたが、一分程で店の中に戻って行った。

 

「怪しいな……でも不用意に会ってしまったな。向こうも警戒しちゃったし……さて、どうしようか?」

 

「えっ?直接問い詰めないの?」

 

 携帯をしまいながら聞いたら、脳筋な回答来ました!

 

 オイオイ……いきなり聞ける訳ないでしょ!塀にもたれ掛かり溜め息をつく……

 

「えっと……馬鹿にされてるか、呆れられてる気がしますわ」

 

 ブーっと頬を膨らませて「私怒ってます!」的な表情の桜岡さん。

 

「直接問い詰めるのは下策でしょ!先ずは調べないと……いきなり、貴女の身の回りの誰かが生き霊となりマンションに出没してます!

どうしてくれるんですか?って、警察を呼ばれたら僕達が不審者で捕まるよ」

 

 こっから先は、長瀬社長次第だな。興信所に依頼出来れば、結構解決は早いかも……

 

「不審者?私が?」

 

 何を驚いているんだか?心霊話をいきなり始めたら、結構不審者ですよ……

 

「桜岡さん。彼女が警戒してるかも知れないから、正面ゲートからは入れない。僕は塀をよじ登って中に入るから、君は迂回して今日は帰った方が良いよ。

そろそろ暗くなるから危険だしね」

 

 そう言って電柱を利用して、工事用のパネルに手を掛ける。

 

「えっ?」

 

 彼女が驚いている間に、パネルの上に登り「後で電話するから……じゃ今日は解散で!くれぐれも彼女に見付からない様に帰るんだよ」と言って、中に飛び降りた!

 

「えっ?榎本さん、私を放置プレイしないでー!」

 

 ……何か騒いでいたが、気にしない事にする。ここはマンションの裏側だ。

 建物の外周をゆっくりと歩いて正面に回る。入り口付近のテントに、長瀬綜合警備保障の警備員が詰めていた……

 良かった、知った顔だ!

 

「お疲れ様!」

 

 漫画を読んでいた彼に話し掛ける。確か心霊現象の肯定派の人だ。

 

「うわっ?なんだ、榎本さんですか!脅かさないで下さいよ。社長から聞いてます。

だからいきなり声を掛けられたからビックリしたじゃないですか!」

 

 本気でビビってたね!大丈夫かな?

 

「ゴメンゴメン……長瀬社長から聞いているなら問題無いね。このテントに簡易結界を張るから……

それと御守りのお札ね。あと、建物の中には絶対に入らない事。

少し噂になってるから、肝試しとかで変な奴らも来るかもしれない。でも基本的には中には入らないで欲しい。

もし入るなら3階には立ち入らせないで、その前に連れ出して欲しいんだ……」

 

 テントの四隅に盛り塩をして、鉄製のポールにお札を貼り付ける。後は護身用の札を何枚かと、フィルムケースに入れた塩を渡す。

 

「交代要員は?」

 

「22時にもう1人来ます。それまでは僕だけです」

 

 深夜警備だけを増やしたのか……まぁ仕方ないか。

 

「テント内に居れば、一応結界が有る。ヤバいと思ったらダッシュで逃げろ。お札は一枚を肌身はなさず持っていてね。

残りは他の人に渡して。塩は最後の手段だからね。もし襲って来たら……撒いて逃げる。

基本的には逃げの方向で」

 

 彼に一通り簡単な説明をしておく。

 

「それと……僕が除霊で来ている事は誰にも内緒でね。今回は生霊の可能性が高い。

つまり相手は生きている人間だ。どんな奴かも分からない。男か女かも分からない。下手に話すと君も危険だからね……」

 

 そう言って口止めをしてから、入って来たのと同じ様に裏の塀から外に出る。

 成り行きとは言え、手持ちの除霊道具の殆どを渡してしまった。

 残りは数珠だけか……見渡せば、すっかり辺りは暗くなってしまった。

 時刻は、6時48分か……シマッタ、結衣ちゃんに連絡入れるのを忘れた。迂回しながら駅の方へ歩きだす……

 途中で携帯電話から自宅へ電話をする。

 コール音が聞こえ、4回目で結衣ちゃんが出てくれた……

 

「はい、榎本です」

 

 くーっ、はい榎本ですって新婚さんみたいだよね?

 

「もしもし、結衣ちゃん?ゴメンね。これから帰るから、あと1時間くらいかな?」

 

「分かりました。では夕飯は食べずにまってます。今夜は鍋にしたんです」

 

「おお、鍋!寒い時期には最高だよね。何かデザートを買って帰るよ。何か良い?」

 

「すみません。今日は調理実習でシュークリームを作ったんです。良ければ正明さんに食べて欲しくて……」

 

 ナンダッテ?ロリっ娘の手作りスイーツだと!

 

「勿論、そっちを頂くよ。じゃ戸締まりはちゃんと確認してね。

真っ裸で……いやマッハで帰るから」

 

 何てこったい愛染明王様よ!こんなご褒美が待ってるなんて。

 足取りも軽く、通り掛りのタクシーを捕まえて最寄り駅まで……一分一秒を惜しんで帰宅しました!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 タクシー・電車・タクシーの三連コンボで、予定時間を大幅に短縮して帰宅した。

 途中で、桜岡さんにも電話をして経緯は報告。後は本当に連絡が来ないと何も出来ないと念押し。

 2〜3日だから大人しくしていなさいと説得。

 漸く本日のご褒美……ロリっ娘の手料理の海鮮チゲ鍋を食べています。

 普段はキッチンで食べるけど、鍋と言う事で居間の炬燵に運んでテレビを見ながら食べています。

 最近結衣ちゃんがハマっているクイズ番組だ。

 僕が遅れたので、付き合わせて見れないじゃ申し訳ないからね!

 

「和食党の結衣ちゃんが韓国料理とは珍しいね!辛いの苦手でしょ。大丈夫かい?」

 

 余り辛い物が食べられない結衣ちゃん。序でに猫舌でもある。フーフーと取り分けた野菜に息を吹きかけている。

 嗚呼、僕にもフーフー+「アーンして下さい!」のコンボを決めて欲しい。

 

「えっと……冷凍庫の整理をしてたら、海老とかイカとか少量ずつ残ってて。一度に食べれるのは鍋が最適かなって。

それに私だって辛い料理だって食べられます。正明さん、過保護です」

 

 あからさまに怒ったり拗ねたりはしないが、こんな風に拗ねられるのは最高だ!

 

「ゴメンゴメン!じゃ今度は少しだけお酒の効いたケーキとか買ってくるからね」

 

 結衣ちゃんの食べる仕草は可愛い。特に大好物のケーキは、本当に幸せそうに食べる。

 でも日本茶党だから、ケーキにもお茶なんだよね……

 

「……ケーキの時点で子供扱いです。でも洋酒が効き過ぎだからと言って食べさせてくれなかった、パティスリー雪の下のロイヤルフルーツケーキなら許してあげます」

 

ああ、鎌倉のアレか……普通は加熱するからアルコール成分は飛んでいるんだけど、アレは結構な量がかかっていたし風味も残ってて危ないと思ったんだ。

 

「じゃ今度の休みにでも、2人で鎌倉散策に行こうか?」

 

「……良いですよ」

 

 グフフッ……結衣ちゃんを合法的にデートに連れ出せたぞ!週末は楽しみだなぁ……

 鎌倉だけじゃなくて、江ノ島まで足を延ばして江ノ島水族館にでも行ってみるかな。

 

「そうだ!序でに江ノ島まで足を延ばして江ノ島水族館に行ってみようか?」

 

「そうですね!お魚大好きですから行きたいです」

 

 結衣ちゃんは水族館や動物園が結構好きなんだ。ズーラシアやシーパラダイスには良く連れて行った事が有る。

 そう言えば池袋のサンシャイン水族館も改装中だし、次は其処に誘おうかな!デートプランも固まったので、料理に専念する。

 海鮮チゲ鍋は、海老・イカ・ホタテ・白身魚の切り身、それにほうれん草・白菜・大根と栄養のバランスも取れた逸品でした。

 最後にうどんを入れて溶き卵で辛味をまろやかに……

 デザートのシュークリームは、膨らみが少し歪だったけど美味しく頂きました!

 

「御馳走様でした。結衣ちゃん!」

 

 

第18話

 

 榎本が結衣ちゃんとイチャイチャしてた頃、問題のマンションでも変化が有った……

 久し振りに夜空に雲も無く、満月に近い月明かりに照らされて敷地全体がボンヤリと見渡せる明るさだ。

 仮設のテントの中でボーっと待機するだけでは隙を持て余す。しかし巡回は2時間おきだし、建物の中には入らない様に言われている。

 つまり敷地に巡らされた仮囲いの周りを定期巡回するだけ。大して動かないから寒さが堪える……

 屋根は有っても壁は無い。缶コーヒーを買っても直ぐに冷えてしまう。

 

「うー寒みーなー!それに暇だし……ビル警備なら暖房が効いてるしテレビも有るのにな」

 

「全くだよ。でも幾ら寒くても、アレの中には入りたく無いな……今回は本物らしいからな」

 

 社長からも念を押されている。

 

「入るな危険!第三者が侵入しても2階で何とか取り押さえろ」

 

 しかし仮囲いには正面しかゲートはないが、一旦中に侵入してしまえば建物内には何カ所か入り口が有る。

 気付かれずに入る事は可能だ。だから外周は30分おきに回っている。不審者や不審車両のチェックの為に……

 週末のせいか、それともネットで噂が広まったせいか何組かの若者が見に来ている。

 

 外から「これが噂の廃マンションかー!」「怖えーよ!マジでヤバくね?」とか、怖いもの見たさで騒いでいる分には良い。

 

 近くに行って懐中電灯で照らしてやれば、笑いながら帰って行く。問題は、気合いの入った心霊マニアだ!

 奴らは、単独又は少人数で静かに侵入しやがる。

 

 警備が居ても「取り壊される前に見たかった!」「折角の貴重な建物なんだ!記録映像を撮らせてよ」とか言ってくる。

 

 直ぐに警察に通報するのが、会社のマニュアルだ!勿論、現行犯で確保もするし証拠の写真も撮る。

 不法侵入は立派な犯罪だから……

 

「昼間に榎本さんが来たんすよ。あの人、今回は難しいって言ってましたよ」

 

「あー、結構信用してんだよ、あの人は。俺らと同じに現場回ってくれっし、肉体派だしな」

 

「「それに下ネタが好きっすからね」」

 

 全く風俗にハマって、横浜ヘルス街と川崎ソープ街じゃ有名な人に師事してるとか言われてるぜ!全くエロ坊主じゃね?

 猥談で盛り上がる彼らを一瞬で現実に引き戻す事態が発生した!

 

「オイ!2階で一瞬、FLASHが光らなかったか?」

 

「俺も見たっす!最近はナイトビジョンでの撮影が多いけど、今のはFLASHだ!誰か侵入しやがった」

 

 警棒とマグライトを掴んで、建物にダッシュする。幾ら怖いと言っても、仕事だから仕方ない。

 建物の入り口で、一瞬だけ躊躇したが侵入する。

 

「誰か居るのか?居るなら出てこい!」

 

「出口は塞いだぞ!2階から飛び降りる気か?」

 

 1階内部を探索し、声を掛ける。どうやら黙りを決め込むつもりか?

 

「階段は此処だけだ……2人で行こう」

 

 警棒を構え、マグライトで周囲を確認しながら階段を登って行く。直ぐに2階に行かないのは、すれ違いや思わぬ反撃を警戒してだ。

 奴らも犯罪行為は理解している。逃げ出す為に反撃する奴も居るんだ。

 

「オラッ!出て来いやー!」

 

 威嚇の為に警棒でコンクリートの壁を叩く。静かな建物内に響き渡る打撃音……ゆっくりと手前の部屋から調べ始める。

 

「居るなら今の内に出て来い。見付かってからじゃ洒落にならないぞ」

 

 荒事専門、肉体派の2人は顧客には礼儀正しいが不法侵入者には厳しい。何度か彼らを捕まえて、警察からも表彰を受けた事も有る猛者だ。

 

「ひっひぃー……畜生、覚えてやがれ!」

 

 突然、外から叫び声が聞こえた!窓に顔を出して確認すれば、小太りの男と背の高い男が走り去って行くのが見えた……

 

「ほぅ……2階から飛び降りたか。まぁまぁ気合いが入っているじゃんか」

 

「今から追っ掛けても捕まらないか……」

 

 取り敢えずは任務完了だ。ふっと張り詰めていた気が緩んだ瞬間「ふっ……」耳元で誰かの息遣いが聞こえた!

 

「オイッ!」

 

「誰だ?」

 

 2人が振り向くと、部屋の入り口にパジャマを来た奴が居た……頬が痩け眼窩の落ち窪んだ暗い穴の様な両目を此方に向けて、ただ立っていた。

 

「……出やがった」

 

「かっかか体が、動かない……」

 

 懐中電灯を向けたままの姿勢で体が固まって動かない。

 

「おい!塩、塩だ!持ってるか……」

 

「有る……けど、ポケットの中だ……体が動かねえ」

 

 奴から目が離せない。体が動かせない。気持ちは焦るが、対処出来る物を持ってるのに行動出来ない……

 

「やっヤバいぞ。近付いて来やがる」

 

「たっ助けて……いや、嫌だ……」

 

 ガタガタと震える体に力を入れるが、全く言う事を聞かない。ゆっくりと近付いてくる奴をただ見ているだげた……

 後、2mで触れる位に近付いてしまう。何故か奴の呻き声や布ずれの音までが、ハッキリと聞こえる……

 後、1m。もう吐く息さえ感じられそうだ。

 

「動け、動けよ……」

 

「くっ来るな!来ないでくれ……頼む……」

 

 直立不動で動けない彼らの一歩手前まで近付いた。

 

「がっ……あがが……」

 

 唸る声、吐き出す息遣いまで感じられる距離。願いも虚しく目の前まで近付いて来た。

 

「ぐがっ……さっ……ゆ……ゆり……」

 

 枯れ枝の様に細く痩せた手を彼らに延ばしてきた。

 

「「うわぁー!」」

 

 彼らの悲鳴が深夜のマンションに響き渡った!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 突然の電子音で目が覚めた……電話?携帯?枕元に置いてある携帯電話に手をのばす。

 ディスプレイには「長瀬綜合警備保障 長瀬社長」の文字が。

 同じくディスプレイの右上には現在時刻が表示されている。4時18分……何か有ったのか?

 

「もしもし……榎本です」

 

 電話に出ながら起き上がり、机に向かいメモれる様にする。

 

「早朝にすまん。榎本君、先程警察から連絡が有った。例のマンションの警備の連中が入院した。

状況は分からんが、見てしまったらしい。付近の住民が悲鳴を聞いて警察に連絡。

駆け付けた警察官が2階で倒れている彼らを見付けて病院まで搬送してくれた……」

 

「2階でですか?3階でなくて?」

 

 まさかヤツは移動出来るのか?

 

「そうだ2階だ……幸い怪我は無く見つけ出した時に目覚めたが、錯乱していたので念の為に入院だ。

それと検査をされている。心理的なショックも有るが、薬物使用の有無を確かめられてるんだろうな」

 

 麻薬をキメて幻覚を見たとか疑われたのか?と、言う事は警察も彼らが幽霊を見た!

 そう聞いてしまったんだろう……

 

「それはご愁傷様でした……しかし命に別状が無くて良かった。でも警察に知られたのは不味かったですね。僕の事は話しても構いませんが、桜岡さんの事は……」

 

 お茶の間の人気梓巫女である彼女は、格好のネタだ!「梓巫女・桜岡霞、除霊に失敗!遂に被害者が出る」とか五月蝿そうだぞ!

 

「警察に呼ばれているよ。朝9時に所轄の刑事課へ……警備会社は警察ともコネが有る。

君達の事は伏せておくよ。幸い君に言われてマンションのオーナーに調査を頼んだのが良かった。

警察には、何か怪しい物が見えると社員から報告が有り警備体制を増員していた。向こうの調査待ちだった!そう言えるからね」

 

「坂崎君にも口裏を合わせないと……でも僕は無理ですよ。昨日、彼らに会ってお札と清めの塩を渡したんです。

調べればバレるし、もしかしたら彼らが話しているかもしれないし……」

 

 対策を講じていたのに、全く効果が無かった。まるで無能だ……

 

「分かった。君への依頼はちゃんと報告する。そして危ないと報告されて、警備体制を強化。

マンションオーナーに問い合わせている最中だった!この線で行こう」

 

 後は幾つかの決め事をしてから電話を切った……最悪の流れだ。騒ぎが大きくなった。しかも警察沙汰だし救急車まで呼んだんだ。

 騒ぎは広がるばかりだろう……時刻を見れば、6時7分か……少し早いけど、桜岡さんにも釘を刺すか。

 彼女なら知らなければ、騒ぎの中に突っ込んで行きそうで怖い……携帯からコールするが、出ない。

 まだ寝てるのか?10回鳴らして諦めた。所轄だと横須賀警察署か……刑事課には知り合いの刑事さんが何人か居る。

 最も友達じゃなくて、職務質問とかされた仲だ。

 彼らからすれば、僕らの業界は詐欺師の集まりだからね。でも比較的、人の死に近い警察も心霊絡みは……実は結構有る。

 でも彼らは表立っては認めないけどね。

 僕は在家僧侶だし、料金も破格に安いから問題は少ない。坊主が依頼を請けて死者の魂を極楽浄土へ導く……別にどこも悪く無い。

 しかも警察から何回か依頼も請けているし、遺族にさり気なく紹介してる節も有るんだ……だって広告出してないのに、事務所に来るんだよ。

 何処からの紹介かを聞いても答えないし、でも警察絡みの事件の関係者だから……少し早めに事務所で待機していれば、案の定警察から任意同行と言うか……

 お話を聞かせて欲しいと連絡が有った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 僕の事務所から横須賀警察署までは、歩いても10分と掛からない。9時30分にと言われたのは、長瀬社長と時間差で質問し粗を探すつもりか?

 結局、桜岡さんからの電話は無く事務所の留守電に用件を録音しといた。

 大切な話が有るから、午後は体を空けておいてくれと……勝手知ったる刑事課に顔を出す。

 

「お早う御座います。榎本と申しますが、刑事課の佐々木さんに呼ばれまして……」

 

 この警察署の刑事課は、20畳ほどの別室になっており扉は1つしか無い。だから入ると一斉に厳つい刑事さん達が注目する。

 

 ちょっと怖い……

 

「ああ、榎本さん。わざわざ済みませんね。ちょっと聞きたい事が有りましてね」

 

「長瀬さんから聞いてます。何でも昨夜の騒ぎについてだろうって……」

 

 ナチュラルに話しながら、応接室に通される。何も犯罪はしてないから、警察も取調室には案内しない。大抵は会議室か応接室だ。

 緑茶を淹れてくれて対面で座る。

 

「で、どうなの?」

 

「あのマンションは本物だと思います。先日、夜に立ち会いで調査しましたが……僕も見ました。

だから真偽をマンションオーナーに問い質して、取り敢えず警備を強化しろって長瀬社長に言ったんですよ……」

 

 朝の打ち合わせ通りの内容を話す。僕は在家だが僧侶。僧侶が霊の話をしても、なんの不思議も無い。

 幽霊なんて居ない!魂なんて無いんだ!なんて言ったら、警察と言えども仏教界に喧嘩を売った様なものだ。

 

「やはり同じ事を言うんだな。まぁアンタは坊さんだ。霊を信じてるのは職業上当たり前だよな。

分かった、ご苦労様でした。でも、あのマンションどうするんだ?」

 

 これだけの騒ぎだ。沈静化するのに何ヶ月掛かる事か……

 

「あとは長瀬さんとマンションのオーナーさんとの話し合いでしょうね。正直、依頼も無く動き回る訳にも……」

 

 廊下まで案内してくれた佐々木刑事に頭を下げて警察署を出る。長瀬社長の携帯にコールするが、直ぐに留守電に切り替わった。

 此方の取り調べは終わった旨を録音する。僕と違い長瀬社長には、聞かれる事が沢山有るんだろうな。

 何たって社員が入院したんだからね……

 

「長瀬社長……頑張って下さい」

 

 僕は、まだ取り調べの最中だろう長瀬さんにエールを送った。



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第19話から第21話

第19話

 

 警備員がヤツに襲われた……幸いにして怪我も無く、多少の精神的なダメージを負っていたが、タフが売りな連中だ。

 2〜3日の休養で現場復帰出来るそうだ。しかし、警察沙汰になった為に現場は一時閉鎖されるだろう。

 問題は……長瀬さんは、責任をマンションオーナーに振った。タイミング的にも、それは良かった。

 先方の受け取り方次第では、揉めるだろう。

 一連の説明と今後の対応について、僕は桜岡さんと話し合わないと駄目?

 

「駄目でしょう!榎本さんも、ほらほら呑んでー」

 

 いやいやいや……ナレーションに突っ込み入れないで!

 

「いや、僕は手酌で……ビールに継ぎ足しは駄目だから」

 

 僕は本当はホッピー派なんですよ。横須賀はホッピー発祥の地。冬でも三冷が当たり前なんです!

 因みに三冷とは、ホッピー・焼酎・ジョッキの三つをキンキンに冷やしておく事。四冷は氷を足す事。

 焼酎の量を調整する事で、好きな濃さを楽しめる逸品だ!

 

「ほら!瓶を持つ手が重いわ……早くグラスを空けなさいな」

 

 それって、何処の体育会系なコンパだよ?笑顔を絶やさず上品に……しかしやる事はオッサンだぞ、この女は!

 

「いや、そろそろホッピーに変えようかなって……」

 

 ビールも好きだけど、横須賀で飲むならホッピーだ!

 

「ホッピー?何なんですか、それ?カクテルか何かかしら?」

 

 こんなサラリーマンが実用で呑む赤提灯に、カクテルなんかねーよ!大衆酒場だぞ、ここは。

 

「えっ?桜岡さん、知らないの?横須賀はホッピー発祥の地なんだよ。代用ビールとして生まれた……」

 

「知らないわ!それよりボトルいれて、ボトル。芋は臭いから麦の焼酎、何かないかしら?」

 

 折角説明しているのに、バッサリ切りやがったぞ!しかも飲み物のメニューを持って見てるんだし、ボトル無いの分かりますよね?

 

「いや、この店にはボトルキープなんてないから……

女将さーん!麦の焼酎、何かあるー?」

 

 カウンター内で忙しく動き回る女将さんに声を掛ける。正直、焼酎の銘柄は良く分からない。大抵はサワーで頼むから……

 

「今日は、ばっかいか白水が有るわよ。何で割る?」

 

 ばっかい?白水?有名なのかな?まぁ本人に選んで貰えば良いか……隣で上品にしめ鯖を食べている彼女に聞いてみる。

 

「桜岡さん。麦焼酎なら、ばっかいか白水だって!何で割るの?」

 

 可愛らしく首を傾げて「あら白水が有るの?じゃお湯割りを貰うわ」と、オヤジなチョイスを宣った!

 普通は女性ってカクテルとかサワーとかじゃない?

 初っ端から瓶ビール、次が焼酎のお湯割りって!見た目だけは上品で美人なのに、何か勿体無い感じが……

 

「女将さーん!白水をお湯割りでー!序でにホッピーの黒、三冷でお願いします」

 

 そうは言っても、この酒乱に付き合わないとならないのか……どうして、こうなった?誰か教えてくれ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 警察署で事情を聞かれてから、一旦事務所に戻る。長瀬社長や桜岡さんには留守電を入れてあるから、今日は連絡が取れる体制にしておこう。

 携帯電話は、常に出れる様にしておくか……事務所に戻り、今までの経緯を報告書に打ち込んで行く。

 後で長瀬社長に請求する時の添付資料だ!カタカタとパソコンで打ち込んで行く……

 今までの経緯を粗方打ち込み終わると、丁度昼飯の時間だ。

 デスクワークで凝り固まった体をラジオ体操第一で解していく。ゴキゴキ鳴る体は、年のせいじゃないよね?

 外食だと携帯電話はマナー違反だから、コンビニか出来合いの惣菜でもデパ地下で探そうかな?

 取り敢えず、財布と携帯電話を持ち上着を羽織って外に出る。エアコンの効いた室内から外に出ると、思わず寒さでゾクゾクっときた!

 

「うわっ!寒いなー、こりゃ雨が降れば雪になるかも……」

 

 お弁当にカップラーメンでも買ってこよう。ポケットに両手を突っ込み、前屈みで駅前商店街に向かった……

 寒さに負けて手近なコンビニでオニギリとカップラーメンを買い事務所に戻った。因みにオニギリはツナマヨと明太子だ!

 カップラーメンは、天麩羅ソバ。テレビを見ながらモソモソと食べる……

 今朝はバタバタして折角、結衣ちゃんがお弁当を作ってくれるのを早出だからと断ったんだ。

 残念だが、彼女を早起きさせて作らせる訳には、ね。流石に昨夜の件はニュースにもなってないな。

 新聞も確認したけど、横須賀版にも載ってなかった。それはそれで良かった。

 変に知られると、対処が面倒臭いからね。食後のお茶を飲んでいると、漸く桜岡さんから電話が有った……

 ああ、長瀬社長からは連絡が有った。特に社会的責任云々も無く、警察からも入院中の2人から薬物反応も出なかった為、無罪放免だそうだ。

 後はマンションオーナーさんとの協議だけか。

 そんな事を考えながら、桜岡さんからの電話に出る。

 

「もしもし、榎本です」

 

「こんにちは、榎本さん。今、電話大丈夫かしら?」

 

「ええ、今は事務所ですから大丈夫ですよ」

 

「すみません、電話頂いたのに連絡が遅れて……実はテレビ局で打合せ中だったんです」

 

 テレビ局?打合せ?結構早くからやるんだな……

 

「構いませんよ。桜岡さんには昨夜の連絡が行ってますか?」

 

「昨夜……ですか?いえ、あれから事務所の娘達と食事して今朝は電車で都内に行ってましたから」

 

 電車の中だからマナーモードか。彼女って一般常識とか、真面目さんなんだよね。きっと電車内で携帯電話は弄らないんだろう……

 

「そうですか……例のヤツだけど、動きが有ったんだ。警備の連中が襲われた。

怪我は無かったが、騒ぎを通報されて警察沙汰になってね。午前中は長瀬社長と共に、警察署で事情聴取だったんだよ」

 

「そっそんな事に?どうしようかしら……実はテレビ局からオファーが有って、榎本さんに相談と言うか助言を貰いたくて……

でも今の話も良く聞きたいわ。そうだ!榎本さんの事務所に行って良いかしら?」

 

「ウチに?何故に?」

 

「だって警察沙汰なお話を普通の喫茶店とかで話すのは良くないわよ。私の相談も、余り人には聞かれたくないの。

私のオフィスに来て貰うよりは、其方に伺った方が良くなくて?」

 

 んー別に来て貰っても問題は無いか……仮にも事務所だし、変な事をする気も無いし。

 

「そうだね。場所は名刺に書いて有るから分かるよね。何時位にこれるかな?」

 

 一応は片付いている部屋を見回しながら応える。時間が有るなら掃除した方が良いかな……

 

「今から向かいますから、3時には着くわ」

 

 二時間半後か……何とかなるかな。

 

「分かったよ。んじゃ3時に待ってる。その前に例の2人の見舞いに行ってくるよ。話せるならば、昨夜の件を聞いてみる」

 

 そう言って電話を切った……さて、お見舞いには何を持っていこうかな?

 怪我は無いようだし、簡単に食べれる物でも持っていくか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼らの入院している病院は警察署からも僕の事務所からも近い。まぁ横須賀市の中心地区だし大抵の施設は揃っているから。

 病院の受付でお見舞いの旨を申告し、名簿に記載してバッヂを貰う。

 病室はA棟のかな4階、403号室か……床に書かれた案内に従い病室に向かう。

 軽くノックをしてから中に入る。

 

「こんちは!元気してるか?」

 

 なるべく明るく声を掛ける。2人はベッドの上に……いやしねぇ。治療か?それとも診察か?

 

「あれ?榎本さん、どうしたんす?こんな所で?」

 

 声を掛けられ振り向けば、新聞やお菓子を持った2人が立っていた。

 

「見舞いだよ!てか、大人しく病室に居ろよな」

 

「昼間っから寝てばかりいられないって」

 

 全くだ、と笑い合ってから談話室に移動する。見舞いの品々をテーブルに並べる。ジュースにスナック菓子だ……ひとしきり食べてから昨夜の事を聞く。

 

「で、お前らでも気を失う事を聞かせてくれ。昨夜何があったんだ?」

 

 2人とも黙り込んだが、意を決したのか話し出した……

 

「昨夜、警備中に建物内に侵入したヤツが居た。FLASHの光が2階で見えたんっすよ」

 

「社長から話は聞いていたけどさ。行かない訳にゃならんから直ぐに建物に入った。3階には行くなって言われてたからな」

 

 そこで一旦話を止めて缶コーヒーを一気に飲んだ。

 

「3階には行かなかったんだな。じゃ何処で?」

 

「見たのは2階の一番手前の部屋だ。俺達は、1階から威嚇し調べながら2階に上った。侵入者は俺達の威嚇にビビったんだろう。

窓から飛び降りて逃げ出した。俺達は騒ぎながら逃げるヤツをその部屋から見ていたんだ。

2人組の侵入者を……そして気がつけば、ヤツが居た」

 

「後ろから気配を感じて、振り向いたらヤツが入り口に居たんだよ」

 

 2階の廊下だと?確かにヤツは3階の部屋から僕を追って来た。でも建物から逃げ出した時は、3階を徘徊していた。

 2階へ降りて来なかったのに、何がヤツを変えたんだ?

 

「どんな感じだった?」

 

「痩せこけた男だった。パジャマを着ていたな……見た瞬間に恐怖で体が固まったんだ」

 

「折角貰った塩を撒こうにも体が動かねえ。ヤツはゆっくりと近付いて、俺に触った。干からびてミイラみたいな腕だったぜ……」

 

「息づかいも感じられる近さだった……俺もアレが近付いてくるのに目が離せなかった。そしてアレに触られた後の記憶が無い。

恥ずかしいが悲鳴を上げたらしいな……だから誰かが救急車を呼んでくれたんだ」

 

 全く情けないぜ。荒事専門の俺達が幽霊にビビって気を失うなんてな。

 そう締めくくって、何とも言えない顔をした。かなり悔しいんだろう……いや、心霊現象を体験して悔しいって感覚が凄いんだが。

 このタフさが、スゲーよ。

 

「うん、有難う。良かったよ、元気そうで……」

 

 2人と別れたが怪我も無く精神的にも大丈夫そうで安心した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ざっと事務所の片付けをする。一応は女性を迎え入れる訳ですから……

 掃除機をかけて机を拭いてゴミを出したら終わりだ。

 寒いけど窓を開けて空気を入れ替えた時にチャイムがなった!

 

「いらっしゃい!」

 

 事務所とは言え、マンションの一室なので普通の家の玄関と変わらない。扉を開けて彼女を中に招き入れる。

 

「お邪魔しますわ。あら、少し寒いかしら?」

 

 彼女は今日もお洒落さんだ……本気で結衣ちゃんのプレゼントを選んで欲しい。

 

「すいません、換気中でした……」

 

 応接室に通して換気していた窓を閉める。エアコンを強にしてからお茶の用意をする。

 

「では、先ずは僕の方から……」

 

 昨夜の件、長瀬社長との話・警察での話・見舞いの結果を順を追って話す。

 

「私に配慮してくれるのは嬉しいわ。でも、それじゃ榎本さんに迷惑ばかり……

そうだ!私がご馳走しますから、何処か飲みに行きませんか?」

 

 パンと両手を胸の前で合わせて、名案だわ!って感じですか……

 

「いや、そんな気を使わなくても……」

 

 結衣ちゃんとマイホームで夕飯食べたいんだよ!

 

「気になさらずに。相談事も有るから、丁度良いですわ」

 

 強引に推し進められて、仕方無く結衣ちゃんお勧めのフレンチレストランに連れて行こうと出掛けたが……途中で大衆酒場に行った事が無いから、連れて行って欲しいとせがまれた。

 ガチガチの労働者が行く店でなく、普通のOLや会社員が実用で飲みに行く店に連れて行ったけど……

 彼女が酒を呑むと、化けるのは聞いてなかったんだ。

 

 

第20話

 

 相談事を持ちかけられて……誘われるままに居酒屋で飲み始めた。

 見た目はお嬢様な桜岡さんは、中身はオヤジだったのは誤算だ。にこやかに絡むし、お酒を強引に勧めるし。

 しかも自身はお酒好きだけど弱いときてる……僅か5杯で出来上がってますよ?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼女の頼みで本当ならフレンチレストランに行く予定が、所謂居酒屋に来る事になった。

 見た目がお嬢様な彼女は浮くかと思ったが、すっかり馴染んでいやがる。何故だ?

 上品に焼き鳥を食べ、しめ鯖を摘む姿に違和感を感じないのは……内面がオヤジだからか?

 

「それで、相談事ってなんだい?」

 

 上品にマグロのやまかけを食べてる彼女に話し掛ける。不思議だ……妙に店にマッチしている。

 

「ん……初めて来たお店なのに馴染むわ」

 

「そう、来慣れている感じがするけど?」

 

 モツ煮込みを箸で器用に食べている……食べ過ぎじゃないかと思ったが、ファミレスでフードバトルをしたんだった。

 

「そのね……夏用の番組で心霊特集を組むの。それでね、私のコーナーを作ってくれるって。

桜岡霞の除霊コーナーね。そして対象は、八王子山中の廃屋よ。かなり前から噂の絶えない曰く付きらしいの。

私は其処に若い女性タレントを連れて行って戻ってくるだけ……もし怪異が有ったら対応するの。どうしたら良いのかしら?」

 

 良くある夏の心霊番組か……除霊の仕事じゃない見せ物番組だろう。しかし名前は売れる。

 

「それは、良く有る夏の特番だね。知らなかった、この時期から仕込むんだ……有名人にはなれる。

霊能力者としては微妙だけどさ……でも名前を売る事は大切だ。仕事の依頼は増えると思うよ」

 

 但しお茶の間霊能力者としての名前が……彼女が望む人助けからは、ちょっと距離が有るかな。

 

「榎本さんって見た目が脳筋なのに一般的な意見を返してくるわよね。不思議だわ……逆に、私がテレビに出るのってどう思うかしら?」

 

 まだ脳筋ネタから離れないのか!ちょっとイラッとしながら、丁度注文していたシシャモが来たので一本かじる。

 あっ私も!と言うので皿ごと彼女の方にズラす。

 マヨネーズと一味唐辛子を付けて上品に食べる。頭から丸かじりの僕とは大違いだな……

 

「君が言った人助けがしたいって言うのには、ちょっと遠いかな?テレビには視聴率が有るから、思った通りには除霊出来ない。

お茶の間霊能力者を本心から信頼して頼む依頼者が多いかな?勿論、テレビに出る霊能力者にも本物は居るから一概に同じとは言えない」

 

 立て続けにシシャモを食べる彼女から皿を奪う。チクショウ、五匹の内三匹も食べられた!

 

「そうなのよ。確かに売り出し中の私には、テレビに出るのは効果が有ると思ったの。

でも実情はヌレヌレだかスケスケだか変なあだ名を付けられたの。酷いと思いません?」

 

 ちゃんと考えているじゃないか!彼女が頼んだモツ煮込みを奪って摘みながら思う……

 多分、自分の中では正解は出てるんだ。それで後押しが欲しい。踏み出す一歩を……

 

「君は人助けをしたいと言った。心霊現象で悩んでいる人は、テレビのバラエティーに出てる人に心底縋ろうと思うかな?

特番の心霊番組の常連者も同じだと思うんだ。

ある程度は名前が売れたなら、後は実績を積んで行くのが遠い様で近道だと思うよ」

 

 箸を止めて、此方を真剣に見詰める桜岡さん。口の脇にシシャモの焦げたカスが付いてますよ……

 

「分かっていたわ。その通り、テレビの出演者に本気で縋ったりはしないわ。分かったのは最近よ。

貴方と仕事をして本物を知ったのよ。今のやり方では絶対に無理な事もね。

でもテレビのお仕事は好きだわ……だから年に何度かの特番は出たいと思うわ。でもちゃんとした物語にしたいの」

 

 話し終えて、どう?って顔のお嬢様の口元を指差す……

 

「……?バカっ、意地悪ね」

 

 ハンカチで口元を拭うと、ニッコリと笑った。

 

「それは良い事だと思うぞ。でも番組的にどうなんだ?地味な調査や逃亡の準備なんて番組にはならんでしょ?

テレビには派手な除霊や霊現象そのものが喜ばれる」

 

 僕のやり方に影響されたのは良いけど、そのまま実践されちゃ無理だろ。

 あの番組は、梓巫女・桜岡霞のヌレヌレで持っている様な物らしい。美人な巫女さんが活躍するから視聴率が稼げるんだよね?

 

「でも本物の霊現象の起こる現場に素人を連れて行く危険は理解したわ。私達本職が2人居た時も、警備員さんの時もヤツにやられたでしょ。

だから撮影の時に榎本さんが一緒なら心強いと思うの。お願い」

 

 可愛く拝む様に頼まれたが……「却下!」

 

「即答ね、脊髄反射なみに早かったわよ!」

 

 落ち着け……ホッピーを一気飲みする。

 

「桜岡さん、僕は目立つ事はしたくない。前にも言った筈だ!」

 

 ちょっとだけ語気を強くして話す!

 

「分かりましたわ。この話は此処までにしましょう。榎本さんってシャイなのね……

ムキムキなのにシャイ?ふふふ、変な人」

 

 そう言ってメニューを見始めた。まだ食べるつもりか?

 ならば張り合わねばなるまい……あんな細い腰の女に負ける訳にはいかない。

 手を上げて女将が近くに来るのを待って

 

「先ずは串焼きの盛り合わせだな。後はじゃがバター、それに小えびの唐揚げを……」

 

「やるわね。なら私は……」

 

 ファミレスに続き、第二次フードファイト勃発!僕の胃袋と財布はボロボロだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 流石に奢ってくれるって話だったが、支払いは僕がした。居酒屋で2人で18000円って結構な金額だ!

 まぁ楽しかったから良いし、彼女のお願いも断ったんだから僕が払うのは当然だろう。

 何より行き着けの居酒屋だ。

 

「榎本さんが、この間美人さんと一緒に来られまして奢って貰ってましたよ」とか言われたら、余り嬉しくない。

 

 見栄っ張りだとは思うのだが……オッサンがお嬢様にたかるみたいで嫌だ!

 そのお嬢様と言えば……

 

「榎本さん……ぎぼぢわるいわ……」

 

 絶賛悪酔い中です。居酒屋を出てから酔い醒ましを兼ねて、駅ビル内のプロントでお茶をしている。

 彼女は、机に突っ伏してダウン中……僕はホットコーヒーをチビチビ飲みながら、彼女が回復するのに付き合っている。

 回復したら適当なタクシーに放り込んで帰そう。

 それが、大人の対応だ!

 

 間違っても「少し休んで行こうか?エヘエヘ!」ではない。

 

 15分位だろうか……大分顔色が良くなってきた。

 

「桜岡さん、タクシー呼ぶけど自宅は何処らへん?」

 

 お冷やを飲んでいる彼女に聞く。余りに遠いならビジネスホテルに放り込もう。

 

「んー家は金沢区よ……」

 

 金沢区?近いな。此処からなら一万円で足りるか。

 

「立てる様になったらタクシー乗り場に行こうか……まだ休んでいて良いよ。この店は22時まで開いているからね」

 

 携帯電話で現在時刻を確認すれば、まだ20時半だ。居酒屋に2時間と少し居た計算か……

 

「ねぇ……やっぱり私の手伝いは嫌なのかしら?テレビに出なくても、相談には乗って欲しいの……

私の周りには、相談出来る本物の霊能力者なんて居ないし、お師匠様は亡くなってしまったし」

 

 随分と懐かれた物だ……確かに、この業界の連中は癖の有る奴ばっかりだ。

 こんなお嬢様は珍しいし、自分の力や除霊方法は隠すのが普通だからな。駆け出しの彼女にとって、業界の先輩の僕に頼りたいのは当たり前か……

 

「桜岡さん……僕は目立つ事はしたくないんだ。だから個人的な相談としてなら受けるけど、テレビの仕事絡みは駄目だよ」

 

 テレビ出演とかは危険だし、撮しませんとか言っても分かったもんじゃない。

 彼女はテーブルに伏せったまま「ふふふ……個人的な相談って。榎本さん優しいのね。それとも下心アリアリ?でもロリコンだから安心なのかしら」クスクス笑っているのを見ると大分回復したのかな?

 

「あのね、君が危なっかしいから心配なの。それに結衣ちゃんのプレゼントを見立てて欲しいんだ。オッサンの僕に若い娘のファッションは難しい」

 

 余り物を欲しがらず、お洒落に興味が無さそうな彼女を着飾らせてあげたい。年頃の女の子として、普通の幸せを感じて欲しいんだ。

 

「結衣ちゃん?ああ、中学生なんでしょ?榎本さんが囲っている。嫌ね、光源氏計画?」

 

 起き上がって、正面を見ながら結構キツい事を言われたよ。

 でも光源氏計画か……心惹かれるぜ!

 

「結衣ちゃんは……母親と母親が連れ込んだ男達に虐待されていた。まだ小学生の時にだ!

しかし母親が霊障で亡くなり、唯一の親族だった祖母も亡くした……彼女の一族は、獣憑きの血筋なんだ。

普通の孤児院では対処が出来ないし、獣憑きなんて信じやしないだろ。だから僕が、里親になったんだ……」

 

 それにあれだけのロリっ娘が不幸になるのを分かってて、変態と言う名の紳士たる僕が黙ってろ?

 無理無理、そんな事出来る訳が無い!一応、下心を隠して真摯な表情で教えた。

 変に勘ぐられて、行政にチクられたら同棲生活の破綻だ!

 

「……そうなんだ。榎本さんって凄いのね。見直したわ。分かりましたわ。結衣ちゃんを連れ出してお洒落させるのね?

確かに年頃の女の子だから、父親代わりがムキムキの脳筋じゃ相談事も出来ないわね……」

 

 フムフムと頷いている……騙せたみたいだな。でも何気に酷いぞ。いい加減、脳筋から離れろ!

 確かに男親には話せない相談事か……あっアレか?

 昔、小学生の時に女子だけ別の教室で何やら教えられていた。確かに僕じゃ子作りは教えられても、それは難しい。

 

「そうだね……今度、結衣ちゃんと会って欲しいんだ。大人しく引っ込み思案だから、少しお洒落と言うか……その辺の相談に乗ってあげてくれる?」

 

「分かりましたわ!お姉さんが教えてあげるわ。任せて下さいな」

 

 笑顔で承諾してくれた。彼女は基本的に善人だし、本物のお嬢様!結衣ちゃんの為に頑張ってくれる筈だ……

 それに桜岡さんは高飛車でケバいかと思ったけど、実際は印象が全然違う。

 彼女なら結衣ちゃんを任せても大丈夫。僕の未来の花嫁を任せたよ。

 思わずニヤニヤしてしまう……

 

「榎本さん、何かしら?気持ち悪いわ。そのニヤニヤは……結衣ちゃんの前で、その笑いをしたら嫌われるわよ。

とってもイヤラシイから!」

 

 おっと、結衣ちゃんとの新婚生活を妄想してしまったか……

 

「えっと……結衣ちゃんと桜岡さんの買い物シーンを考えたら、美人姉妹だなーって。

HAHAHAHA!兎に角宜しく頼むよ」

 

 ヤバい、言葉使いが変になってないか?

 

「ふーん……美人姉妹ね。結衣ちゃんて、どんな娘なのかしら?」

 

 僕は携帯電話の画像フォルダーから、彼女の制服姿の一枚を見せる。これは去年、夏服に変わった時に撮らせて貰った僕の宝物だ!

 

「あら、随分と大人しそうだけど可愛い娘ね。なる程、榎本さんが親バカになるのも分かるわ」

 

 そうです!親バカです!もし結衣ちゃんが彼氏を連れて来たら、速攻で笑いながら呪殺する位に……

 

「榎本さん、怖い顔をしているわ。でも呪殺は駄目ですからね!」

 

 真剣な表情で、桜岡さんにダメ出しされました!

 

 アレ?だだ漏れだったかな?

 

 

第21話

 

 タクシーに乗り家に帰る途中で、先程までの事を考える……まだ会ってから一週間も経ってないに、随分と彼に甘え過ぎだわ。

 夜の街を後部座席の窓から見ながら考える。

 ネオンが綺麗……海岸通りの134号線を横浜方面に向かっている。

 右に見えるのは横須賀米軍基地……その先はダイエーね。

 トンネルを抜ければ田浦、その先は追浜……自宅はその先。15分もすれば到着するだろう。

 運転手には134号線から脇道に入る時に指示をすれば良い。座席に深く座り、深く息を吐く……飲み過ぎたかしら?

 何時もは自制して3杯以上は呑まないのに。お酒は好きだけど弱いのは、十分理解していた。

 以前にテレビの打ち上げで酔わされて、ホテルに連れ込まれそうになった事が有ってから、異性と外で呑む時は警戒していたのに……

 

「それだけ、安心して甘えているのかしら?」

 

 確かに業界の先輩であり、霊能力も本物。体も鍛え抜かれている。頼りになるのは確かね。

 交渉に長けて、契約とか料金とかに細かい人。女性に優しく何だかんだ言って支払いもスマートに払ってくれる……

 そして話していて楽しい人。大食いな私に張り合える、やはり沢山食べる人。料理の取り合いなんて初めての経験だったわ。

 家族とだって、そんな事はしなかったのにナチュラルに私が手を付けた料理を食べるし……やだ、考え出したら顔が熱いわ。

 

「不思議な人……私をイヤラシイ目で見ない。何故?僧侶だから?それとも私って魅力が無いのかしら……」

 

 独身なのに善意から子供を引き取れる程の人だもの……邪な目で私を見ていないのね。

 

 アレ?でも確か……初めて会った日に、あの警備員と私を押し付け合った時に……「僕だって仕事と割り切っているけどさ。ロリじゃないから無理!」とか言っていたわよね?

 

 聞き間違いよね?榎本さんを信じて大丈夫よね?結衣ちゃんって、本当に安全なのかしら……幸い明日は土曜日だし、早めに結衣ちゃんに会って真偽を確かめないと!

 まさか本当に光源氏計画を実行していたら……

 

「結衣ちゃんの為にも、榎本さんのナニをモギ取らないといけないわ……」

 

「お客さん……怖い台詞が駄々漏れだけど、彼氏の浮気の制裁に息子をモギるのはやり過ぎだぜ!アンタの子供も作れなくなるんだぜ」

 

 はぁ?私と榎本さんとの子供?

 

「なっななななな……」

 

「あんた美人なんだから、浮気って本当かい?彼氏と良く話し合った方が良いんじゃないかな。案外、勘違いとか多いぜ」

 

 ギャハハハ!ちゃんと首輪してガッチリ捕まえておけよ!とか言いやがったぞ、この運転手!

 

 首輪?犬、かしら?犬ね、それ良いかも……確かに番犬には、うってつけな人材ですわね。

 

「そうね。首輪……良いですわ。クスクスクス」

 

 桜岡霞に、不思議な性癖が開花したかも知れない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「長瀬君、君の所に任せているのに今回の不祥事は何故かな?」

 

「いや、曰わく有りとは聞いていたが実害が有るとは聞いていませんでしたよ」

 

「だからと言って、警察沙汰は御免だ!私も呼ばれたんだぞ。建物の持ち主としての責任を問われた。

君の所の従業員の保証もだ。労災は利かないそうだよ……心霊現象では無理だろうな。

だから、此方で面倒をみよう。それと忌々しいが、あのマンションも曰わく付きとして広まってしまった……

霊能力者も此方で手配するぞ。もう君には任せられん!」

 

「では、警備の契約は明日の昼勤務で終了とさせて頂きます。そちらの霊能力者は何時からですか?」

 

「……明日の夜になろう。まぁ君が手配した連中よりは確かだよ。生霊?ふん、どうだかな」

 

「では請求は今日付にて送らせて頂きます。なに、こちらの霊能力者の支払いは請求しませんよ。彼らにも手を引かせますので……」

 

 相手から無言で切られた。全く、榎本君が難しいと言ったんだぞ。

 どの程度の連中が対処するか楽しみだな。まぁ義理で請けた仕事だ。

 喧嘩別れでも構わんか……榎本君の請求も、報告書込みで20万円位か。

 桜岡君には悪かったが、まぁ彼に説得させれば良いだろう……この件は、これで終わりだ。

 仕事用のデスクに座っていたが、体が凝って固くなってしまったな……椅子から立ち上がり、社長室の隅に設えた応接セットに首を回しながら歩いて行く。

 ゴキゴキなるのは年齢のせいだろうか?ソファーに深く座り目頭を揉む……

 

 そうだ!

 

 坂崎君に撤収の準備をさせなければ。それと榎本君にも連絡だな。桜岡君は……榎本君経由で押し付けよう。

 ああ、最近妻と娘と過ごす時間が無かったか……明日は週末だし、前からお願いされていたディズニーランドに連れて行くか。

 時計を見れば、既に21時を少し回っている。全く面倒事は今日中にすますとするか。

 胸ポケットに入れてある携帯電話を取り出し、榎本君の番号を検索する。

 ヤレヤレだな。数回のコールの後に榎本君に繋がった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡さんをタクシーに放り込み、自分は電車で自宅に帰える。時刻は20時30分……タクシーで帰るには勿体無いからね。

 横須賀中央駅のホームで、電車を街ながらボーっと週末の予定を考える。土日のどちらかで結衣ちゃんと鎌倉に遊びに行こう。

 久し振りに彼女と2人きりでお出掛けだ!長瀬さんの方も1日や2日では進展しないだろう……

 多分だが、揉めると思う。警察沙汰になったし。

 マンションオーナーも、頭を抱えてるだろうな。労災申請しても状況が状況だからな。

 ただ、あの2人は頑丈だから数日の休業補償と医療費だけだから……実費負担は20万円程度かな?

 丁度、快速特急が来たので乗り込む。平日だからか、結構な乗客が居るな。結構な酔客の数だ……

 まぁ週末だし、10分位だから立っていても良いか。車窓から外を見れば、遠く千葉県の内房の辺りが見える……

 木更津辺りの工場の煙突群が見える。横須賀から千葉は、結構近いんだ。

 東京湾フェリーで50分位で、久里浜から浜金谷迄行けるからね……つらつらと考え事をしていたら、駅に付いた。

 コンビニで結衣ちゃんへのお土産を買って行こう。何が良いかな?

 女の子だから、スィーツ!結衣ちゃんも甘党だから、ケーキかプリンか……

 結局コンビニで、コーヒーゼリーを2つ買った。夜遅かった為か、品揃えが良くなかったのだ……

 

 そう言えば、最近は桜岡さんとばかり外食してたな。ファミレス・喫茶店・居酒屋……このラインナップは倦怠期のカップルか?

 まぁお仕事だから仕方無いよね。結衣ちゃんとお買い物に行って貰う時には、誤解の無い様にしないと。

「桜岡さんって榎本さんと付き合ってるの?」とか言われたら悶死しそうだよ。

 確かに美人で話してて面白いんだけど、年喰ってるからなー!おっと、携帯が……

 電車に乗る為にバイブモードにしていたので、ポケット内でブルブルと。

 

「もしもし、榎本です」

 

「ああ、榎本君。夜分にすまないね、長瀬です」

 

 時刻は9時過ぎ……長瀬社長からって、何か進展したのか?

 

「大丈夫ですよ。丁度、家に帰る途中ですから……何か進展したんですか?」

 

「例のマンションの件だけど……ウチは手を引く事になったよ。明日で終わりにする」

 

 手を引く?やはり警察で責任は建物の所有者に押し付けたのがマズかったかな……

 

「そうですか……残念ですが、仕方無いですね。では私の請求は昨日迄の分を報告書と共に送りますが、宜しいですか?」

 

 調査だけだが、まぁ仕方無いか……「箱」も乗り気じゃなかったし。

 

「勿論構わないよ。それと……桜岡君には、君から説明してくれ。仕事を依頼しようにも、先方から断られたからな。仕方無いが、次に何か有れば頼むからと」

 

 えっ?僕は桜岡さんのマネージャーじゃ無いっすよ!

 

「ちょ、それは……」

 

「頼むよ。君から持ち掛けた話しだろ?彼女の件は……そうそう!明日の夜から、先方の霊能力者が対応するそうだ。じゃ頼むよ!」

 

 そう言って、一方的に電話を切られた。

 おいおい……彼女は、あの件に介入する気が満々だぞ!

 しかし、マンションオーナーから断られ、他の霊能力者が派遣されるなら……未解決にはならないから、何とか説得出来るかな?

 

「明日電話すれば良いかな……夜に女性に電話するのも何だし」

 

 それに、今夜は結衣ちゃん成分を補給しなきゃならないからね!丁度、自宅に付いたので玄関の鍵を開けて「ただいま!」と言って中に入る。

 

「お帰りなさい、正明さん」

 

 直ぐに応えてくれたのは、居間に居た為か……コンビニ袋を渡しながら「はい、お土産。今から食べる?明日にするかい?」と言うと

 

「何ですか?あっコーヒーゼリーですね。じゃお茶淹れますね」そう言ってキッチンに行った。

 

 確かにコーヒーゼリーを食べながら、コーヒーや紅茶は飲まないかな?それとも日本茶好きな結衣ちゃんだからか?

 僕は着替える為に、自室へと向かった。

 結衣ちゃんの、物を食べる口元が好きなんだよね。

 エヘエヘ……桜岡さんは上品に食べるけど、結衣ちゃんは少しずつ口に運ぶ食べ方なんだよ。

 性格的な物かも知れないけど、控え目な感じが大和撫子なんだよなー。

 部屋着に着替えてから居間に戻る。丁度、結衣ちゃんが湯呑みをコタツに置いた所だ。

 寒い時期にはコタツが良いよね。うっかり足と足が触れ合ったりもするし……

 

 いや事故ですよ、故意じゃないから!向かい合って座り「「いただきます」」と言って食べ始める。

 

 結衣ちゃんは、スプーンで少しずつ崩して食べ始めた……うんうん、良いですぞ!

 

「……?正明さん、何か私の顔に付いてますか?」

 

 ヤバい、ガン見してたのがバレたか?

 

「いや、美味しそうに食べるなって……そうだ!結衣ちゃんは、梓巫女の桜岡霞さんって知ってる?

長瀬綜合警備保障の長瀬社長から紹介されてね。今、仕事を一緒にしてるんだ」

 

 彼女は少し驚いた顔をして「あの心霊番組で良く見るお姉さんですよね?少しエッチな……」と言って、顔を少し赤くした。

 

 やはりヌレヌレだかスケスケだかで有名なんだ!テレビの仕事は、辞めさせた方が良いかも。

 特に女性の尊厳的な意味で……

 

「本人は至って真面目なお嬢様だよ。あれはテレビ的な演出で、本人も嫌がってた……」

 

「そうなんですか……分かりました。それで、桜岡さんがどうかしたんですか?」

 

 流石は結衣ちゃん!物分かりが良いな……

 

「いや、結衣ちゃんの話しをしたら一度会いたいって事になってね。嫌じゃなければ、会ってみるかい?

彼女はかなりお洒落さんだから、結衣ちゃんのコーディネートを頼もうかと思ってさ!」

 

「わっ私のコーディネートですか?恥ずかしいですし、これ以上正明さんに迷惑は……」

 

 やっぱり遠慮するか……もう少しワガママを言って欲しいんだけどな。

 コーヒーゼリーを食べ終わり、日本茶を啜ってから結衣ちゃんの説得に掛かるかな……

 結衣ちゃんには、人並み以上の幸せになって欲しいからね。

 

 



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第22話から第24話

第22話

 

 結衣ちゃんと2人、コタツに入って寛いでいる。日本茶とコーヒーゼリーと言う、不思議なコラボレーションは結衣ちゃんのお薦めだ。

 コーヒーゼリーを食べ終わり、コタツでまったりとテレビのニュースを見ている……プロ野球の結果や天気予報をぼんやりと見る。

 週末は天気みたいだ……今日は金曜日の夜。明日、明後日はお休みだ!

 結衣ちゃんと鎌倉に遊びに行く約束を果たすのと、桜岡さんに頼んだコーディネートの件を話す。

 しかし、結衣ちゃんは持ち前の謙虚さと遠慮深さから、この申し出には難色を示した……僕はお洒落をした結衣ちゃんを見たいのだが。

 CMに入った所で、再度その話題を振る。

 

「正明さん、そんな迷惑は……今でも全て正明さんのお世話になってるのに」

 

 俯き加減で話す彼女だが、それでも初めて会った時よりは大分会話も繋がっている。昔は一言二言で下を向いて黙ってしまったからな。

 

「いや遠慮は要らないよ。桜岡さんも乗り気なんだ。断るのは、かえって悪いと思うし……

それに家事全般やってくれる結衣ちゃんに、お礼がしたいんだ」

 

 ねっ!と強めに頼むと、引っ込み思案な彼女は頷いた。

 ヨシ!これでお洒落な結衣ちゃんも見れるぞ。

 桜岡さんのファッションセンスは、流行に無頓着な僕でも格好良い・可愛いと思ったんだ。

 素材が良ければ、更に素晴らしいだろう。楽しみだなー!

 明日は鎌倉に行くので、大体の予定を決めてからお開きになった。

 

「僕は……まだ仕事が有るから!」

 

 そう言って、先に彼女にお風呂を勧めた。

 

「大変なんですね……では先にお風呂に入りますから」

 

 そう快諾してくれたが、何時も結衣ちゃんに先に入って貰う。何故なら、結衣ちゃんエキスが浴槽内に……ゲヘゲへ!

 美少女の残り湯なんて最高だぜ!僕の邪な気持ちには気が付いてないのだろう。

 何時も申し訳無さそうに、先にお風呂に入る結衣ちゃん……コッチからお願いしてるんだから、気にしないでね!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 変態的行動を取るが、覗きはしない。それは合意の上でのプレイだ!

 自室に戻ると携帯が着信有り、の点滅をしている。見れば桜岡さんからだ。

 着信時間は21時58分か……今は既に22時17分、女性に電話をするには遅い時間だ。

 明日でも大丈夫かな?それとも緊急か?取り敢えず、折り返しで電話をかける。3回目のコール前に繋がった。

 

 はやっ!これは待っていたか?

 

「こんばんは、榎本です。夜分にすいません。着信に気が付かなくて……」

 

 一応、夜に女性に電話する訳だから一言謝っておく。

 

「榎本さん?夜遅くご免なさい。ちょっと気になってしまって……」

 

 気になる?何だろう……除霊の件かな?

 

「何だい?改まって……」

 

 暫し無言だけど……

 

「結衣ちゃんの事ですけど……」

 

「ああ、有難う御座います。先ほど彼女に話しましたが、喜んでました」

 

「……そうですか。でも早い方が良いと思うんです。ええ、本当に切実に!例えば、明日とか……」

 

 何だろう?鬼気迫る迫力を感じるんだけど……

 

「明日は予定が有りまして……明後日以降なら結衣ちゃんと相談しますが」

 

「今、話せますか?結衣ちゃんと……」

 

 何で、こんなに急ぐんだろうか?アレかな……テレビ収録で忙しくなるのかな?

 

「今はお風呂に入ってます。もう遅いですし……迷惑でなければ明日、此方からかけ直しますが」

 

 流石に一面識も無い桜岡さんと、いきなり電話で話すのは結衣ちゃんには大変だ……人見知りなんだし。

 

「風呂ですって!」

 

「はい、僕の帰りを待っていてくれたので。お土産のコーヒーゼリーを一緒に食べて、今から寝るところです」

 

「寝るですって!」

 

 桜岡さんは、何を興奮してるんだ?一々怒鳴るけど……

 

「もう夜も遅いですし、中学生に夜更かしは……それに桜岡さんにも少し話しましたが、彼女は虐待を受けていたせいで極度の人見知りです。

いきなり電話で話すのは無理ですよ。ちゃんと僕が同伴で、紹介しないと……」

 

 根っこが優しくてお嬢様な桜岡さんなら、結衣ちゃんも懐く筈だけどね。

 

「そうでしたわね……でも、彼女の為にも早めに確認した方が、傷は少ない筈ですわ」

 

 傷?トラウマ?心の傷かな?桜岡さんって、其処まで結衣ちゃんの事を考えてくれていたのか!

 

「買い物は明日以降になりますが、明日時間が有るなら結衣ちゃんを交えてお茶でもしませんか?鎌倉まで散策に行きますから、良ければ一緒に……」

 

 早い段階で桜岡さんと引き合わせた方が、結衣ちゃんにプラスになるかな。

 

「鎌倉ですか……そうですわね。いきなり買い物に行きましょうじゃ無理ですね。

分かりました。明日、一緒に鎌倉に行きますわ」

 

 鎌倉には女性の喜びそうな喫茶店やレストランが多いし、お礼を兼ねてご招待しますか……

 

「ではJR鎌倉駅の改札付近で11時で良いですか?」

 

「分かりましたわ。では明日……キリキリ白状して貰いますからね」

 

 そう言って電話を切った。キリキリ?白状?何の事だろう?でも明日は賑やかになるだろうな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 古都鎌倉……

 1192年源頼朝が征夷大将軍に任命され、武家政権の鎌倉幕府を作った。実際はもう少し前の1185年には幕府としての機能を持っていたそうだ……

 「良い国(1192)作ろう鎌倉幕府」 って語呂で覚えたんだけど、今は違うらしい。

 武家政権発祥の地も、今では世界的に有名な観光地で有りデートスポットだ!そう、今日は結衣ちゃんとデート。

 おまけで桜岡さんも来るけどね……自宅から京急電鉄で汐入駅まで行き、JR横須賀線に乗り換える。

 ローカル色豊かな横須賀線のボックスシートに結衣ちゃんと向かい合って座る。

 この車両には8人しか乗っていない……ガタゴトとのんびり走る電車は、如何にも旅行に行きます的な感じだ。

 

「結衣ちゃん、急に桜岡さんと一緒でゴメンね。一度一緒の時に顔合わせしないと駄目だと思って……」

 

 昨夜、桜岡さんとの電話の後、結衣ちゃんに鎌倉で合流すると話した。急な展開で、少しびっくりしていたが……

 元々素直な優しい娘だから、反対はされなかった。

 僕的には「正明さんと2人きりのデートなのに嫌です!」とか言って欲しかったのは秘密だ……

 

「急でびっくりしましたが……テレビで活躍してる人と会うって、不思議な気持ちです」

 

 そう微笑む彼女は、前に自分がプレゼントしたワンピースを着ている。勿論、女性のファッションセンスなど皆無だから適当に高そうな店に入り店員さんに写真を見せて見立てて貰った。

 パステル調のフェミニン風?なワンピースだが、彼女は気に入ってくれたらしい。実際似合ってると思う。

 

「見た目はお嬢様だけど、話すと気さくな感じだよ……」

 

 性格はオッサンだけどね。

 

「そうなんですか?話し易い人なんですね」

 

 等と話していると、JR鎌倉駅に到着した……流石に観光地だから、ホームはごった返している。

 はぐれない様に手を繋ぎならが改札へ向かいたいが……引っ込み思案な彼女は、そんな事はしない。

 自分の真後ろを付いて歩いている。

 僕は防波堤だね……改札を抜けると、駅前はパスターミナルになっていて、数台のパスとタクシーが並んでいた。

 左側が小町通り、右側が江ノ島電、鉄通称江ノ電だ。

 周りを見渡すと……居た!桜岡さんだ。今日は遠目でも気合いが入っている服装だ。

 結衣ちゃんの性格は話してある為か派手さはないが、これぞお嬢様な服装だ……

 しかもナンパかな?若い男2人連れと話しているけど、にこやかに手を振って断ってるな。

 

 あっコッチに気が付いたぞ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 全く気合いを入れてお洒落したのは、結衣ちゃんの為でお前らを楽しませる訳じゃないんですのよ。

 断っても諦めず食い下がってくるチャラ男め、ウザいわ。似合わない髭に冬なのに胸元全開のシャツ。

 妙に日焼けした肌に、下品な香りの香水。チャラチャラしたアクセサリー。

 これが両脇から絡んでくるなんて。

 地を出しても良いのだけれど、もし結衣ちゃんに見られたら……彼女が怖がると思って我慢しているのよ!

 

「いえ、ですから待ち合わせをしてますので……」

 

「ナニナニ友達?俺らも2人だし丁度良くね?」

 

「そうだよ。俺ら車有るから、ドライブしよーぜ!そうだ、それが良いぜ」

 

 行きませんわよ!お前達とドライブなんて、何処に連れ込まれるか分かりませんわ!

 

「いえ、待ち合わせは男性ですから……」

 

 それと同伴の引っ込み思案な少女なのよ。早く追い払わないと……

 

「いやいや、女性を待たす男なんて碌な奴じゃないって!」

 

「そうだよ!俺らと行こうぜ、な!」

 

 遂に手を握って引っ張り出したわ……

 

「嫌です!」

 

 振り払おうにも2人掛かりで両手を握られては……ちょ、本当に嫌なんですって!

 その時、視界の隅に最近見慣れた筋肉が居たの……

 

「オラオラ!優しく言ってる内に行こうぜ。裏通りに車停めてんだよ」

 

「ぎゃはは!江ノ島行こうぜ、江ノ島にさ……ちょ、おい痛た、痛いよ」

 

 榎本さんは、チャラ男の髪の毛を掴み捻り上げたわ!毛髪って体を浮かせる程、強いのね……

 

「おい、止めろコラ!」

 

「禿げる、禿げるじゃねーか!」

 

 チャラ男が騒いでいるが、ビクともしないわ!あっ抜け落ちた……ゴッソリと両手にチャラ男の髪の毛を掴みながら、初めて見る怖い顔をしている。

 

「なぁ誘拐犯。知ってるか?現行犯なら、警察官じゃなくても逮捕出来るんだぜ?」

 

「何だとテメェ!」

 

「ああ、コッチは2人だぞ!おっ?後ろに可愛い娘が居るじゃ……」

 

 問答無用で急所を蹴ったわ!崩れ落ちる様にしゃがみ込んで……

 

「おまっ?人としてヒデェよ。って、あぐっ……」

 

 危険を察してか、残ったチャラ男が股関をガードしたけど……ガード越しに蹴り上げたわ!しかも爪先で……アレは指と急所が、大変な事に。

 でも榎本さんは、怖い顔のまま……ちょっとヤバいかしら?

 

「なぁ誘拐犯?2人も攫う気か……これは他に危害を加えない内にモギルか」

 

 白目を向いて悶絶するチャラ男達には、聞こえてないですわよ!

 

 彼の腕にしがみついて「もう許してあげなさいな。反省はしないでしょうが、罰は受けたわ。ほら、人が騒ぎ出す前に離れましょう」私がナンパされてる時は遠巻きで見ていた連中が騒ぎ出したわ。

 警察とか呼ばれたら面倒よ……

 

「さぁさぁ、こちらへ」

 

 腕を掴んだまま、路地の方へ誘導する。

 

「貴女が結衣ちゃん?さぁ榎本さんをコッチに……」

 

「はっはい」

 

 あまりの出来事に固まっていた?彼女に声を掛けて2人掛かりで榎本さんを路地に引っ張る……私達の力では動かない筈だけど、素直に移動してくれた。

 野次馬から引き離したら、タクシーで移動しましょう。全く番犬には丁度良いと思ったけど、結構気の荒い性格なのね。

 助けてくれたのは嬉しいのだけど……幾つかの路地を曲がり大通りに出てから、タクシーに乗り込んだ。

 後部座席に3人は狭いけど、私も結衣ちゃんも小柄だから何とか座れた。この乱暴者の手を離すと暴れそうだから……

 ずっと腕を組んでいたのに気が付いたのは、タクシーに乗り込む時だったわ。

 

 

第23話

 

 JR鎌倉駅前で酷いナンパに有っていた時に助けてくれた。でも、あんなに怖い顔は初めてだったわ。

 確か坂崎さんと言う警備員が、彼は武闘派で肉体言語が得意だから1〜2人なら負けないって言ってたわね……

 でも容赦の無い急所攻撃は、荒事に慣れている感じがしたの。命の遣り取りをする仕事なんですもの。

 私が甘過ぎるのね……タクシーの後部座席で、私と結衣ちゃんとで左右の腕を抱き締めているのを理解したのか、真っ赤だわ。

 

「すまない……つい、カッとなった。後悔はしていないが、反省もしていない。腐れナンパ野郎は悉く滅べ!

幸い頭髪は確保した。呪おう……」

 

 ちょ、髪の毛を掴んだのって、そんな思惑が?表情は未だに真っ赤だけど、目は真剣よ!

 

「榎本さん。程々にしないと、私も怒るわよ。でも助けてくれたのは……嬉しかったわ」

 

 あのまま後5分も遅ければ、あの連中に拉致られたかも知れない……そう思うと、急に怖くなりギュッと彼の腕をかき抱いた。

 やはり、この番犬は良いかもしれないわ。頼りになるし、基本的に私を何時も守ってくれているもの……

 もっ勿論、仕事のパートナーとしてだけどね?

 

「結衣ちゃんも落ち着いたかしら?いきなり怖い思いをさせてごめんなさいね。

でも、私だけだったら対処出来なかったわ。有難う御座いました、榎本さん」

 

 そう言って頭を下げる。腕を抱いていたので、その固い胸板に頭をコツンと当てる感じだったけど……

 ただ「無事で良かったよ」とだけ言ってくれたわ。暫くは沈黙が続いた。

 ただ空気を読んでくれたタクシーの運転手さんは、気まずそうに咳払いをしていたわね。

 確かに真ん中に座るオッサンが、両脇に美女と美少女を侍らせれば、ね……取り敢えず目的地は横浜ランドマークにしたわ。

 お洒落なお店も多いし、何より私の行き着けの店が有るわ。

 横浜ジャックモール・赤レンガ倉庫・クイーンズイースト・ワールドポーターズとか、お洒落なお店が多いし美味しいレストランも何件か知ってるし……

 何故かしら、デートコースよね。

 

 ふふふ……でも、私が着れなくなった服をあげても良いわね。妹が出来るって、こんな感じかしら?

 でも榎本さんと結婚すると、娘に?イヤイヤイヤ、それは飛躍し過ぎだわ……

 

 そう言えば、ちゃんとした自己紹介が未だだった事を思い出し改めて結衣ちゃんと名乗りあった。

 あんな事が有った後だからだろうか……人見知りと聞いていた彼女だが、それなりに会話が弾んだ。

 榎本さん越しにって、変な位置取りだったけどね!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 女性の買い物に同行するのは、精神的にキツい。歴代のエロい人は言った……

 

「諦めろ……そして何でも似合ってると言え。後は財布が被害を引き継いでくれる、と……」

 

 良く分からないが、桜岡さんと結衣ちゃんは意気投合している。何故だろう?

 僕は既に両手一杯の衣装を持っている。しかし彼女等は、まだ衣装選びをしている。

 つまり、この手に持つ衣装は全て買うのか?それとも候補なのかは、怖くて聞けない。

 

「結衣ちゃん、これも着てみましょうか?デザインだけでなく機能的なのも選ばないと」

 

「はい。でも少しスカートが短くないですか?」

 

「これ位は普通よ。それにこれより長いと動き回る時に不便よ。さぁさぁ試着室に行きましょう」

 

 長くなりそうだ……彼女等を見詰めながら、財布の中身とカードの限度額を思い浮かべる。

 財布には20万円、カードは今月使ってないな……限度額上限40万円だな。

 結衣ちゃんのコーディネートを頼んだ以上、桜岡さんにもお礼をしなければ駄目だろう。

 今月は節約しなければ……にこやかに此方を見詰める店員の笑顔が「良いカモがキター!」と、喜んでいる様に見えた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 問題のマンション……昼間の警備で長瀬綜合警備保障の警備員は撤退した。

 建物の外周しか点検してないので、入り口には警察が張った立入禁止の黄色いテープがそのままだ。

 此処に2人の男が建物を見上げている。時刻は既に日付が変更された辺り……

 今夜は久々に月が顔を出し、建物と敷地をほんのりと照らしている。

 しかし窓ガラスや玄関扉の無い建設途中の建物は、暗い口がポッカリと開いている……禍々しい口に見える。

 

「さて、やりますかね」

 

「そうだな。現れて脅かすだけの相手なら、楽勝だぜ」

 

 1人はスーツを着崩した感じの20代後半、痩せ型で神経質そうな男。もう1人はジャンパーにGパン、小太りな中年男。

 此方は体型故か、人当たりの良さそうな感じだ。しかし口調はどちらも悪い……

 無言で頷き合い、建物の中に入っていく。

 

「確か初期調査だと3階の角部屋にしか現れないのが、除霊後は2階に現れたんだよな」

 

「そうだ……失敗したのか、初めから建物全体に憑いてるか?まぁどっちでも構わないけどよ」

 

 懐中電灯で確認しながら、1階を探索する……今夜は雲は多いが月が出ている。

 窓部分の開口からも、仄かな月明かりが差し込み暗くは無い……

 

「さて2階に上がるか……」

 

「特に何も感じないな。ああ、2階に行こう」

 

 痩せ型が前、小太りが後の順で2階に上がって行く……階段を登りきると、8箇所の入り口を見通せる廊下に出た。

 慎重に辺りを見回し、己の霊能力を集中させるが気配一つ無い……

 

「やれやれ……奴め、今夜は様子を見る気かよ?」

 

「初日から出るのは少ないからな。面倒臭いが、何日か張らないと駄目かもしれん」

 

 軽口を叩き合うが、警戒は怠らすに各部屋を回る。しかし8部屋全て回ったが、何も異変は無い……

 角部屋の中を見回り、何もないのに安心したのか。窓際の壁に寄りかかり煙草を吸いだす……

 

「おっ、一本くれよ!」

 

 小太りが差し出す煙草は、SevenStars。痩せ型がくわえると火のついたライターを差し出す……暫し喫煙タイム。

 

「なぁ、何でこの仕事請けだんだ?」

 

「ん?ああ、金の為だな……他に理由は無いだろ?」

 

 痩せ型の問いに、何言ってんだ?と聞き返す。

 

「まぁ確かにな。俺もそうだけどよ……短期で終わらせろとか、無茶言われたからな」

 

 あの糞ジジィが!と毒づき乱暴に煙草を壁に擦り付けた。

 

 ピン!っと窓の外へ吸い終わった煙草を指で弾きながら

 

「さて、と……じゃ3階に行くか?」

 

 一服も終わり部屋を出ようとした時、空気が変わるのを感じた……粘つく感じの生暖かい空気が体全体を包む。

 

「ヤベェ!来るか?」

 

「はっ!初日からご登場とはな」

 

 背中合わせになり、周りを警戒する……成人男子の生霊だ!近くに居れば、直ぐに分かる筈。

 しかし、体に纏わり付く粘着質な空気は密度を増すが本体は現れない。

 

「おい!撤退するか?」

 

「駄目だ……見ろ……入口を……」

 

 絞り出す様な小太りの言葉に目をやれば……天井から逆さまに降りてくる頭が見えた。

 逆立った髪の毛がだらしなく垂れている。そして徐々にオデコから目迄がハッキリてしてきた……

 既に口元まで現れている奴は、奴の目には……明らかな殺意が有る。

 顎が見え首が現れ始めたが、異様に首が長い……まるで首を吊って暫く放置した遺体の様に。

 そして30センチは有ろうかと思える首の後に、漸く剥き出しの肩が見えた。

 

「やるぞ!」

 

「ああ、ビビってんじゃねーぞ!」

 

 暫し見詰め合っていたが全身が現れると危険だ!と本能が訴えた……既に痩せこけて肋骨の浮いた体が見えている。

 

「おん ばさら うんけん まゆきら てい そばか かん」

 

「おん ぎゃーてー あーてー ゆーてー まーてー」

 

 共に力ある言葉を紡ぐ!

 

「「はっ!」」

 

 己の霊能力を乗せた言霊をぶつけられ、奴を壁までぶっ飛ばした!

 

「ヨッシャー!効いてんぜ、アレはよー」

 

「バカやろう!奴の全身が……くっ、アレは生霊じゃねえよ。怨霊だ……」

 

 確かに霊能力で吹き飛ばした!しかしヤツの体は天井から抜け出し壁に張り付いていたが、そのまま床に崩れ落ちる。

 べちゃり、そんな擬音が聞こえそうな感じだ……

 

「あ……ががっ……あがが……」

 

 ヤツが床に体をめり込ませた瞬間、彼らの足首が何かに掴まれた!

 

「ヤベェ……霊体が物質化してるぞ」

 

「バカ!塩だ、清めの塩を撒くんだ……」

 

 2人の足首にめり込む様に握り締める手に、思わず唸ってしまう。ヤバい、ヤツは実体化している!これはかなり強いヤツだ。

 しかも壁や床を抜けてくるのか……準備不足だぞ、どうする?

 掴まれた足に清めの塩を撒き散らし一旦距離をとる。ヤツは床に沈み込んだ……

 

「一旦逃げるぞ!何処から現れるか分からん。建物内は危険だ」

 

「はぁはぁ……聞いた話と違うぜ。分かった、うわっ?」

 

 べちゃりと、天井から落ちてきたヤツが、痩せ型にしがみつく!

 

「ひっひ、ひぃ……たっ助けて」

 

 のし掛かる様にして動きを止めると、だらしなく開いていた口から涎を垂らしながら「げっげげ……うげ……」と呻きながら痩せ型の顔に実体化した涎が降り注ぐ……

 

「げふっ!おい、ヤメロ……ヤメてくれ……ガハッ……」

 

 気が付けば、小太りは逃げ出していた。腐乱死体の様な怨霊は、涎を垂らしながら痩せ型の首を絞める。

 息をしたくとも首を絞められ、口には涎が大量に垂らされていく……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お風呂に入り、缶ビール片手に自室に戻る。簡単に髪の毛を乾かして、床に座り込んでビールを飲む。

 今日は疲れた……女三人集まれば姦しいと言われるが、桜岡さん独りでも騒がしかった。

 何件も店を梯子し、結衣ちゃんの服を購入……8着目までは数えたが、後は分からない。

 しかも後半は桜岡さんのカードで支払っていたのも有るみたいだ。ちゃんと返すか、何か同額以上の物を贈らなければならないな……

 でも彼女の楽しそうな顔は久し振りに見たんだ。

 桜岡さんには感謝しなきゃ……飲み干したビールの缶をクシャリと潰して、ゴミ箱に投棄!

 壁に当たりゴミ箱には入らなかったが、起きて捨てに行くのも怠い。

 

 ああ、眠いな。今日は、疲れた……よ……そのまま布団に横になった。勿論、万年床じゃないぞ……

 

 

 

「……まさ……あき。おい、まさあき……起きろ……」

 

 誰だ?気持ちの良い眠りを妨げるのは……

 

「起きろ……アヤツが変化したぞ。ただ恨むだけから、誰彼構わず怨むになりおった……だから起きんか……」

 

 アヤツ?恨む?怨む?何を言ってるんだ?半分覚醒し、寝たまま周囲を確認する。

 眠くてスタンドを点けっぱなしだったのか、仄かな灯りが部屋を照らしている……テレビ・衣装棚・パソコンラックにゴミ箱。

 寝る前と寸分も変わらない部屋に奴が居た。

 

 そう!我が一族を悉く取り憑き殺している奴が。真っ黒な髪を足首まで伸ばし、ほっそりとした体には何も纏っていない。

 顔は影になっているが、真っ赤な唇と。両目だけが真っ赤に光っている幼女が、僕を見下ろしている。

 箱の中身、呪いの元凶は僕の好みを反映させて現れる。

 

「ああ起きたか?アヤツが変化したぞ。今、人を独り喰い殺したな……もう1人も……ああ、ヤラレタぞ。

あれは良い怨みを纏っているな。正明よ、アレが喰いたい。行くぞ、支度をしろ」

 

 真っ裸な幼女に上から目線で命令される。しかし、これは仮の姿……本性を知る僕が、逆らえる訳がない。

 頷くと、幼女は消えて「箱」だけが転がっている。

 この忌々しい「箱」を握り締めて、飲酒をしたが車を運転しなければならない事を思い付く。

 

「クソッ!バレずに現場まで行けるのか?」

 

 僕は着替えを始める。箱の機嫌が悪くならない内に、出掛けねばならないから……

 

 

第24話

 

 足首まで伸びた、濡れている様な艶やかな黒髪。透き通る様なきめ細やかな陶磁器を思わせる白い肌。

 蠱惑的な真っ赤な唇。それに前髪に隠れているが、紅く光る瞳……真っ裸の幼女にこき使われているのが僕だ。

 アレは人の欲望を忠実に再現する。つまり僕の理想は日本人形みたいな幼女、そして真っ裸なのか。

 

 爺さんは早くに祖母を無くしていたので、若い頃の祖母だったらしい。

 親父は……派手で露出度の高い巨乳のネーチャン。つまり飲み屋のネーチャンか、理想の浮気相手だったのか?

 榎本家の直系男子にのみ、ヤツは取り憑く……見た目に騙されて、ヤツの機嫌を損ねれば問答無用で取り込まれる。

 魂がヤツから逃げられず、未来永劫絶えず苦しむんだ!夢でしか会えないが、最初の頃は爺さんとも親父とも会話が成立した。

 

 しかし今は……既に僕を認識してるかも分からず、辛い責め苦に耐えているだけだ。そして恨み辛みを切々と訴え縋りつく……

 アレに、「箱」に魂を捕らわれると未来永劫苦しみ続けるのだろう……祭壇に祭り結界を張っても簡単に抜け出してくる。

 布団の上に転がっている「箱」を掴むとポケットにいれた。

 時計を見れば0時29分……今から行けば、朝迄には帰れるだろう。結衣ちゃんにはバレずに行わなければならないが……

 部屋で着替えてからバイク……ビーノモルフェのキーを持って一階へ降りる。

 結衣ちゃんの部屋の前を通ったが、電気も消えているし寝ているみたいだ。音を立てずに外に出て、玄関の施錠を確認。

 ビーノモルフェを50m程押して自宅から離れてエンジンを掛ける。深呼吸を数回し、酔いがそんなに強くない事を確認してから走り出す。

 

 自宅から国道134号線を南下する。久里浜港を横目に更に南下し野比海岸をひた走る。

 途中の道沿いは長閑な漁港が有る。夜に漁があるのか、灯りを灯した漁船が停泊し慌ただしく人が動いている。

 何が捕れるんだろう?金田湾を見ながら、途中で国道214号線に右折し山の方に向かう……

 海岸線から少し入れば、畑がやたらと目に付く長閑な田舎町。途中で更に枝道に入り目的のマンション前に着く。

 少し離れた路肩にスクーターを停めて、歩いて現場まで行く。この時間になれば、人通りや車の通行は皆無だ。

 民間さえも雨戸を閉めて室内の灯りが漏れない。疎らな街灯の灯りを頼りに、現場の近く迄歩いていく。

 

 後50m程だろうか?問題のマンションが見える。前に車が停まってるな……

 

 アレが「箱」が教えてくれた連中のか?慎重に周りを確認し、建物の裏手に回る。仮囲いの前まで到着。

 左右を確認し、電信柱を利用して仮囲いを登り中に侵入する。飛び降りてから、姿勢を低くしたままで周囲を警戒……

 物音も無く、人の気配も感じられない。警戒しながら建物に近付き、正面の入口から中に入る……

 幸い今夜は雲が無く月明かりが仄かに建物内を照らしている。

 ここで不用心に灯りを点けたら侵入がバレるから、暗闇からくる恐怖にじっと耐えるしかない。暫く入口で留まってみたが、反応は無い。

 

 「箱」を取り出し、話し掛ける。

 

「おい、着いたぞ!どうするんだ?」

 

 持っていた「箱」からタールの様な黒い粘性の液体が床にこぼれ出す……直接持つ手に触れるが、凍える様に冷たく不気味だ。

 小さな箱から溢れんばかりに漏れ出した液体は、床に溜まり……そしてボコボコと盛り上がると、人の形を成してゆく。

 そう、真っ裸な幼女に……

 本性を知っていながら、暗闇に浮き出す病的に青白い裸体に目が行ってしまう。

 その不躾な視線に気付いたのだろうか?

 

「なんだ?妾に欲情したのか?くっくっく……相手をしてやっても構わんぞ?」

 

 振り向いて、右腕で長い髪をかき上げる仕草は見た目の幼さに反比例する淫靡さだ。

 

「いや……遠慮するよ。で、どうするんだ?」

 

 首を傾げる仕草は愛らしいのに、背筋には冷や汗が垂れ流れている。

 

「……二階に死体が有るな。それなりの霊能力者だな。先ずはソレを頂くか」

 

 天井を見上げながら、とんでもない事をサラリと言うと歩き出す。その後を三歩離れた位置で着いて行く。

 彼女自体が仄かに発光している為に、見失う事は無い。二階に上がると、廊下に小太りな中年が倒れている。

 彼がマンションオーナーから頼まれた同業者か?恐怖に顔を歪ませて絶命している。

 口の周りに黒いヘドロの様な汚れが……首を掻き毟っていて、まるで溺れた様な?

 陸で?まさかな……

 

「ほう……そこそこ力が有るな。まぁ良い、喰らうか……」

 

 呆然と立ち尽くし、考えに耽っていると彼は闇に溶け込む様に床に沈んで行った。

 

「うむ。恐怖に捕らわれて死んだ人間の魂は旨いな。さて、次は部屋の中か……行くぞ」

 

 まるで散歩に誘う様な気楽さで、先を促す。

 

「今のは……溺れている様な死に様だが?」

 

「ん?ああ、多分実体化したヤツの体内に取り込まれたかしたんだな。多分ヤツは水死してるな。

しかも汚い川か沼で……だからヘドロ塗れなのだろう。ほら、ヤツもそうだぞ」

 

 「箱」が指差した男は奇妙だった……痩せこけた男はくの字に体を折り曲げ、舌を極限に伸ばし死んでいた。

 コッチも溺死みたいに口の周りがヘドロだらけだが、首が折れて曲がっている。失禁したのか股間の辺りが濡れているし……

 

「ふふふふ。コレも旨そうだ。では頂こうか」

 

 あんなに汚れている者が旨そう?彼も体を包む様に黒い液体で取り込んだ。

 

「さて、前菜は終わりだ。主菜と行くか。ん?ヤツの気配が消えておるな……ほぅ、アレが求めた者か。

くたびれた中年女性に固執した結果か。色欲に塗れた人間の末路は哀れよの。正明、ヤツは外に出ているぞ。行くぞ」

 

 独り言を言ってスタスタと歩き出す。

 

「ちょちょっと待てって!何を言ってるんだ」

 

 慌て後を追う。建物から出てゲートに向かい律儀に潜り戸を開けて外に出る。

 風が吹いているのにアレの長い髪はなびかない。そして左右を見ると、またスタスタと歩き出す。

 コッチはバレない様に細心の注意をしてるのに、真っ裸で外を歩くな!

 潜り戸から左右を見て、人が居ない事を確認する。アレはロリな少女が手伝う雑貨屋の前に立っていた……

 

「人目を考えてくれ。真っ裸で彷徨くなんて!」

 

 深夜に真っ裸な幼女と一緒の所を見られたら、言い訳出来ないんだぞ!って、中で何か騒がしいな。

 ガタガタ騒いで……お店の正面はシャッターしかないが、右脇には木製の扉が有る。此方が玄関扱いなんだろう。

 其処から女性が飛び出して来た!

 

「たっ助けて……中に、中に娘が……残ってます」

 

 息も絶え絶えに転がり出て来た中年女性。確か昼間にレジに居た女性だ。そして玄関扉から室内を覗けば……

 

 ヤツが居た!

 

 初めて見た時よりも酷い有様だが。首が異様に伸びてダランと右側に傾き、口と胸の辺りをヘドロの様な物でベッタリと汚している。

 しかも「箱」が教えてくれた様に、怨霊化してるのか?咄嗟に愛染明王の印を組み、真言を唱える!

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 真言を唱え、裂帛の気合を奴にぶつける!今回は効いた?前は揺らめくだけだが、今回はぶっ飛ばせた!

 しかし、直ぐに立ち上がってくるから……大して効果は無い、か。

 

「逃げろ!ここは食い止める」

 

 しゃがみ込んでいた女は、僕が怒鳴るとヨタヨタと遠ざかって行く……おぃおぃ娘を残してか?

 しかし「箱」である真っ裸な幼女は見ていない。近付いてくるヤツに再度、愛染明王の真言を叩き付ける為に……

 叩き付ける前に真っ裸な幼女が動く!その魅惑的な唇が、愛らしい顔が顎から後頭部までベロンと捲れ上がる。

 当然、顔の皮膚が捲れ上がれば筋肉と骸骨だ!

 

「ウケケケケェー!」

 

 雄叫びを上げてヤツに貪りついた。後は捕食するだけ……人の体をしたモノが、人の成れの果てを貪る。

 玄関先で粘着音を響かせ喰らう「箱」を外から見せない為に玄関扉を閉めて施錠する。

 既に頭部は喰われ胸の辺りを喰っているのだろう……右手を突っ込み心臓を取り出して笑っている。

 

 トラウマになりそうだ……食事を楽しむ「箱」を迂回して室内に入る。

 裕福では無いのだろう。質素で昭和の匂いが漂うインテリア。玄関を入り直ぐ左側が台所、右側が居間でその先は……

 おそらく店に繋がっているのだろう。暖簾越しに商品棚が見えた。

 多分突き当たりの左側がバス・トイレで右側が寝室かな……取り残されたロリっ娘を探そうと奥へと進む。

 

「お邪魔します……」

 

 一応断りを入れておく。大人のマナーだ。居間には居ない。台所にも居ない。トイレも風呂場も電気は点いていない。

 

「寝室かな……誰か居るかい?」

 

 声を掛けながらドアノブを捻ると、中からガチャガチャと押さえて

 

「誰!誰なの?お母さん、助けて……」

 

 ロリっ娘の悲痛な叫びが……

 

「大丈夫だよ。僕はお母さんに頼まれて助けに来たんだ。一応、お坊さんだよ。安心して開けてくれないかな?」

 

 背後をチラリと見れば、大腸だか小腸だかを引っ張り出している最中。これは見せられないよ。

 

「本当に?怖いのいないの?」

 

「ああ、お兄さんが追い払ったよ。それに僕は前にお店で買い物をしたんだ。覚えてるかい?ガムとコーラを買ったんだけど」

 

 安心させる為に、更に優しい声で話し掛ける。すると、そっと扉が少し開き中から小さな瞳が覗いている。

 

「あっ!オジサンだ、オジサン助けて!」

 

 そう言って飛び出して来たロリっ娘をガッシリと正面から抱き締める。顔を胸に埋めて、後頭部を押さえ後ろは見えない様に……

 現在の食事状況は、両足を振り回している最中だ。もう暫く掛かるだろう、完食までは。

 

「もう大丈夫だよ。お兄さんが助けに来たから平気だ」

 

 ポンポンと背中を叩いて安心させる……

 

「怖いオジチャン居ない?汚いオジチャン居ない?」

 

 どうやらヤツは汚いオジチャンと認識したらしい。お化けよりマシか?

 

「勿論追い払ったよ。もう大丈夫だよ……」

 

 背後から盛大なゲップが聞こえた。つまり完食だな。彼女を抱き締めながら振り返れば、捲れ上がった顔を下ろしている最中だ……

 何時見てもキモい。「箱」は満足したのだろう。またドロドロに溶けて僕のポケットに流れてくる。

 黒いタールみたいな液体が、足元からポケットまでせり上がってくる。

 身の毛もよだつ感触を残して「箱」は元に戻った……しかし、今はロリっ娘のケアが大事だ。

 彼女を下ろして台所の椅子に座らせる。母親が誰か助けを呼びに出て行った筈だからな。

 助けが来る前に退散したいが、怖がっている彼女を放置出来ない。

 冷蔵庫を開けると、パック牛乳を見つけた。適当に鍋を漁りガスコンロにかける。

 砂糖は……流し台の上の棚に調味料boxが有り、塩・砂糖・薄力粉かな?

 砂糖を大さじで二杯入れて甘めなホットミルクを作る。

 

「オジサン、コップこれだよ!」

 

 ロリっ娘も大分落ち着いたのか、コーヒーカップを出してくれた。

 

「はい、熱いから気を付けて飲むんだよ」

 

 鍋から直接カップにホットミルクを注ぐ……湯気をたてたホットミルクは、甘くて美味しそうだ。出来ればブランデーを数滴垂らしたい。

 

「オジサン有難う!」

 

「お兄ちゃんだよ、オニイチャン!」

 

 フウフウ息を吹きかけるロリっ娘は聞いていなかった……30代はオジサンか?ガックリとうなだれてしまう。さて、この後どうするかな?



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第25話から第26話

第25話

 

 建設途中で中止となったマンションの怪異。当初は生霊だったヤツが怨霊化した。

 「箱」が言うには生霊だったヤツが溺死して怨霊化したそうだ。

 3階の角部屋にしか現れなかったのに途中から他の階にも現れ、あまつさえロリっ娘の家にも現れた。

 

 何故だ?ヤツはロリっ娘の母親に固執していたのだろう……確かに3階の角部屋からは、ロリっ娘の家が見えた。

 霊的ストーカー?しかし、それなら直接この家に現れるんじゃないか?

 何故、あのマンションだったんだ?何故、あの部屋だったんだ?

 

「オジサン、絵梨眠くなっちゃった。お母さん、何処に行ったのかな?」

 

 不安げに此方を見るロリっ娘。母親が居なくて知らないお兄さんが居る状況だ。

 不安になるのも仕方ないよね。そうか、彼女はエリちゃんか……

 

「お母さん、外に人を呼びに行ったからね。そろそろ戻って来るんじゃないかな?」

 

 あの中年女性にヤツは襲いかかったのだろう。怖くて娘を置いて逃げ出したからな……

 まぁ僕が何とかするって言ったけどさ。そろそろ誰か連れて来るなり、様子を見に来るよね。

 

「エリちゃんは、あの汚い人に見覚え有るのかな?」

 

「うーん……いきなり台所に居たの。お母さんが、何か話し掛けてたけど。お母さんに襲い掛かって。私は怖くて奥の部屋に行っちゃって……」

 

 話し掛けた?アレの見分けがついたのか、それとも全く分からず普通に不審者として扱ったのか……

 暫くはホットミルクを啜る音だけが響いた。玄関から人の気配がして、扉をそっと開ける音が……

 

「絵梨?絵梨居るの?」

 

 おっかなびっくりな様子で玄関扉を開けて、中を伺う中年女性。僕が台所を出ると目があった……

 

「あっ貴方……絵梨は?娘は無事なの?アイツは?」

 

 両手を胸の前で拝むようにして、それでも中には入ってこない。

 

「あっお母さん!このオジサンが追い払ってくれたんだよ」

 

 子供にとって母親は絶大だ!眠そうだったエリちゃんが、椅子から飛び降りて母親に駆け寄る。

 

「嗚呼、絵梨……ごめんなさい」

 

 暫し母娘の感動の抱擁を見詰める。母親に抱き締められて安心したのだろう。

 エリちゃんは眠ってしまった……彼女の髪を優しく撫でている母親は、とても娘を残して逃げ出した様には見えないな。

 エリちゃんを奥の寝室の布団に降ろして寝かせている。

 

「では、僕はこれで……」

 

 どうやら人は呼ばずに戻って来たみたいだ。

 

「確かにお化けがウチに出た、助けて!」は、田舎な近所付き合いをしていては難しい。

 直ぐに変な噂になるだろう……下手したら村八分だ!

 

「あっあの?待って下さい……アレは、アレはどうなったのですか?」

 

 有耶無耶にするには衝撃的な事件だ。真相を知りたいのか?逆にコッチが知りたいんだけど……

 

「申し遅れました。僕は真言宗の僧侶をしています。

あのマンションを警備している会社から、怪奇現象の調査を依頼されています。しかし、あの者は此方のお宅に現れた……

何故でしょうか?ああ、彼は極楽浄土にお送りしました。死して尚苦しまれていましたから、私が祓いました」

 

 ヤツは極楽浄土なんかには行っていない。「箱」に喰われたんだ。

 未来永劫苦しむだろう……

 

「お坊様……極楽浄土、祓った……」

 

 へなへなと廊下に座り込んでしまったよ。アレが居なくなって安心したからか?でも誰なんだろう……

 彼女の旦那か?それにしては扱いが酷いな……

 

「もう夜も遅いですね。それでは僕は失礼します」

 

「あっあの……待って下さい。私達は、これからどうすれば良いのですか?私は……」

 

 後悔だか恐怖だか分からない表情で縋ってくる。

 

「少し、お話を聞かせて下さい」

 

 これも御仏に仕える義務だろう。彼女の話を聞き、気持ちを楽にさせる事にする……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 台所で母親と向かい合わせに座る。少し前はエリちゃんと向かい合ってたのに……

 ロリじゃない年増と向かい合ってもテンションは上がらない。さっきはホットミルクを飲んだが、今は日本茶だ。

 銘柄は分からないが、余り良い茶葉ではない。その代わりお茶請けの菓子が出てきた。

 ザラメ煎餅にチーズ鱈だ。お店の商品を直接持ってきましたよ!

 

「貴女は、かの者が誰か……ご存知のようですね?」

 

 社交辞令で、お茶を一口啜り聞いてみる。多分、旦那だろう……

 

「彼は……彼は、私の浮気相手だと思います。見た目は変わり果てていましたが、私には分かりました」

 

 アレ?旦那じゃない?旦那は入院してた。だからパジャマだし、病気だから痩せこけていたんじゃ?

 

「旦那さんは見当たりませんが……別居なさっているので?」

 

 入院中なのはエリちゃんから聞いているけどね。彼女は言い澱んでいる……浮気を告白したのに?

 

「主人は、三浦市民病院に入院しています。元々、体が弱く入退院を繰り返してました……

娘と2人、この店を守り暮らしていましたが。生活が苦しく駅前のスナックに私は働きに出ました……」

 

 寂しさと生活の苦しさで浮気に走る……有りがちだが、説得力は有るな。

 

「そこで、彼と知り合ったのですか?」

 

 ホステスと客が不倫したのか……

 

「はい……彼は、マンションの建設会社の社員。昼間、良くお店を利用してくれて……

それでスナックにいらした時に意気投合しまして、ズルズルと。でも建設が中止となり、暫くは会っていませんでした……」

 

 久し振りに会ったら霊的ストーカーに変貌かよ。でも切欠はなんだ?

 

「久し振りに再会して、また関係を持ったと?」

 

 坊主が下世話な話をするのはどうかと思うが……彼女も直接的な表現に頬を染めてるけど。

 

「はい。こんな田舎ですし周りに見られない様に、あのマンションの3階で会っていました……」

 

 アレが3階に固執したのは、逢瀬の場所だからか……

 

「彼は貴女に執着していました。最初は生霊として、あのマンションの3階に現れていました。

しかし……多分、入水自殺をなさったのでしょうか。死して尚、貴女の元に現れた。今度は怨霊として……」

 

 実際「箱」が喰ったが、アレは2人も殺している。

 

「あのマンションが建設中止となり、彼もリストラに遭ったそうです。暫くたってから教えて貰いました。

当然お金が無く私にたかる日々……私も生活が苦しくてスナックに働きに行ってますから。別れ話になりました」

 

 浮気相手がヒモへ?元々生活が苦しいのに、一時の浮気相手の面倒までは見れないわな……

 

「何時から会ってないのですか?」

 

 異変が現れたのは、確か今年に入ってからか?もう少し前だろうか……チーズ鱈を一本食べる。お酒が欲しくなるよね。

 

「昨年末には別れ話を……その後は直接会ってませんが、電話やメールのやり取りは少し……不摂生で体調を崩し入院したと聞きました。

暫くして主人も定期検査のレントゲンで肺に影が移り入院して……それで忙しくて、最後の電話がかかってきた時に……」

 

 そう言って俯いた。顔は見えないから表情は分からないが、小刻みに震えているのは泣いてるのか……

 

「何か決定的な事を話したのですか?」

 

 彼女は俯いたままだ。

 

「は……い……主人を裏切れない。もう電話もメールもしないでって……それから少し言い合いになり……

貴方なんか嫌いだ、死んでしまえ、と……」

 

 ちょおま、それで入水自殺したんだぞ!アレは浮気相手に本気になり、そして振られたのか。

 しかも「死んでしまえ」とか言われたら……病気で気落ちしてる時に、好きな相手からトドメを刺されたのかよ。

 

「そうですか……エリちゃんの為にも、夫婦仲良くしてあげて下さい。

子供には両親が必要です。彼女は貴女を心配していましたよ。良く出来た娘さんではないですか。

彼は残念な結果でしたが、死して安寧になれたのです。それを忘れずに、成仏を祈ってあげて下さい」

 

 これで事件は、僕的には解決だ。後は社会的に纏める事なんだけど……

 

「彼の魂は救われました……しかし入水自殺をされている筈です。もしかしたら遺書が有るかもしれません。

しかし……思い人にこっぴどく振られた上に怨霊になった。などと広まれば、彼は成仏し切れないでしょう。

僕が祓った事、この家に現れた事は秘密にしてあげて下さい。私も警備会社の方には、何も無かったと報告します」

 

 社会的醜聞は避けたいだろうし、折角旦那と寄りを戻したんだ。今更浮気相手の事など知られたくないだろう……

 何度も頭を下げる彼女に「それでは、失礼します」と言って、今度こそ帰らしてもらう。

 後味の悪い事件だった。浮気相手は自殺、マンションオーナーが頼んだ霊能力者は行方不明。

 死体は「箱」が食ったから、殺人としての立件は不可能だ。ゲートの前の車は、不法車両として問題になるだろう。

 依頼者としてマンションオーナーは事情聴取か?僕もバレない様に帰らなければならない。

 既に時刻は4時ちょっと前……幾ら田舎の朝は早いとは言え、まだ周りは寝ている時間帯。

 なるべく県道を通らず、コンビニ等のカメラの有る場所は避けて帰らなければ……幸いバイクだし、農道を通って遠回りして帰ろう。

 帰宅ルートを予測しながらバイクのキーを回した……

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから一週間……警察からの問い合わせは無い。

 結果を知るのは僕だけだが、対外的にアフターをしているのを理由に現地に向かっている。

 出来ればロリっ娘に会いたいが、何か言い触らされたら厄介だから会わない。

 ノンビリと電車とバスを乗り継いで、問題のマンションに到着した。ゲートの前に立ち建物を見上げるが、相変わらずくすんだコンクリートの外壁。

 剥がれた立入禁止の黄色いテープ。

 唯一変わっているのは張り紙がしてある事だ。

 解体計画のお知らせ……もはや曰く付きの物件は、更地にしてから計画し直しなのか?

 一応現場を一周し付近を確認するが、警備員が居なくなった一週間で落書きが増えたくらいか……遠目で例の雑貨屋を見れば、中年の男性が店の前を掃き清めている。

 旦那さん、退院したんだな……さて、これから長瀬社長に報告と請求書を提出しに行くかな。

 大した結果を残さなかったから、請求額は15万円。実質昼間の調査1日、夜間巡回が2日だからね。

 途中、桜岡さんと合流する予定だ。一応、彼女も1日夜間にヤツと戦ったから……

 もうヤツは居ないから、この先怪異が収束すれば彼女の活躍でも構わないだろう。

 

「なに、黄昏てるのよ?」

 

「うわっ!脅かすなよ、桜岡さん」

 

 いきなり声を掛けて背中を叩いた本人が笑っていた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 アフターで一週間。特にあの晩から連絡も問題も無いみたいだわ。

 今日、長瀬社長に報告と請求書を渡しに行くのに同行する約束をした。でも、その前に一応現場を確認しておくって……

 1人で行くって言ったけど気になるわ。だから先回りして現地を確認したの。

 待ち合わせの時間から逆算すれば、何時に現場に行くのか大体分かるから……彼が来る予定時刻より一時間は早く現地に来て、建物周辺を見回る。

 長瀬綜合警備保障は、もう警備をしていないから中には入れない。

 それに榎本さんからも単独行動を止められているし……お父様みたいに過保護な人。

 前に来た時に寄った雑貨屋さんが営業しているわね。

 一応聞いてみようかしら?

 

「こんにちは……あら、お手伝いかしら?」

 

 前に来た時は母親?かしら中年の女性だったのに、今日は可愛い店員さんね。

 

「いらっしゃいませ」

 

 ハキハキと笑顔で応えてくれたわ。何か良い事が有ったのかしらね?

 

 

第26話

 

 榎本さんの事だから、また独りで何かしてそうだから早めに現場に来る事にしたわ。待ち合わせの時間から逆算すれば、現地を確認しに来る時間も分かるから。

 少し早めに来て周りを見回り、あの雑貨屋に入った。前は中年の女性だったけれど、今回は可愛い店員さんだった。

 小学生くらいだけど、何か知っているか聞いているかもしれない。えーと、榎本さん曰わく会話を繋げるには……

 何でも良いから何か買って、会話を繋げるって言ったわね。でも雑貨屋さんなんて、私来たの2回目よ。

 何を買って良いのか……商品棚を見渡せば、洗剤やら鍋やら食品やら。

 統一感が無いから雑貨なのね……暫く店内を見回してから、結局はキシリトールガムとポケットティッシュを持ってレジへ。

 商品をレジ台へ置く。

 

「ありがとうございます!」

 

 彼女は商品を手に取ると、今時珍しい手打ちのレジを器用に操作して「380円です」と言われたので、カードは使えないでしょうから百円玉で4枚手渡す。

 

「400円のあずかり……20円のお返しです」

 

 テキパキとお釣りを渡し、レジ袋へ商品を入れようとしているから「そのままで良いわ」そう言って、そのまま商品を受け取る。

 彼女に聞いても分からないかもしれないけど、一応ね。

 

「ねぇ?最近、何か変わった事はなかったかしら?」

 

 少し屈んで、目線を近付けて話し掛ける。勿論、笑顔でよ。

 

「んー、お母さん元気になった!お父さんも退院したの。汚くて変なオジチャンをおっきいオジサンがはらってくれたんだって。

お母さんが言ってた。あっ!内緒って言われてたんだ。お姉ちゃん、お願い。今のは内緒ね」

 

 エヘヘって舌を出して笑ってるけど……汚くて変なオジチャン?おっきいオジサン?

 最近見たフレーズよね……

 あの生霊と筋肉馬鹿な男の顔を思い浮かべる。

 

「分かったわ。内緒ね!でも、もう少し教えて。おっきいオジサンって誰かしら?」

 

 んーっと悩む格好をしたが、所詮は子供。誰にも言わないわって約束したら、教えてくれたわ。

 

「あのね。夜に台所に、いきなり汚くて変なオジチャンが居たの。お母さんに襲いかかって、私は部屋に逃げ出したんだ。

そうしたら、おっきいオジサンが助けてくれたの。

後からお母さんに聞いたら、汚くて変なオジチャンを成仏させてくれたから安心なんだって!

お母さん、喜んでた。あのおっきいオジサンはお坊さんだって」

 

 成仏?それって霊障なの?

 

「あっいらっしゃいませ」

 

 新しいお客が来たのを機に会話が途絶えた。入って来たのは3人連れの主婦連中。

 私をチラ見するけど、特に反応も無く騒がしく商品を見ている……私はレジから少し離れて、商品を見る振りをしながら考える。

 心霊現象の起こるマンションの近くの雑貨屋で、こちらも心霊現象?こんな子供が成仏なんて言葉は分からないわよね?

 だから母親から聞いた事を覚えている……どう言う事かしら?

 それにお坊さんって?おっきいオジサンでお坊さんって、彼しか居ないじゃない。

 あの野郎、私には単独行動はするなとか言っておいて……自分はヤツを何とかしたって事なのかしら?

 もう少し情報が欲しいわ。暫く考え事をしていると、店内が騒がしいのに気が付いたのか母親が現れた。

 

「いらっしゃいませ。あら……」

 

 私に気付き会釈をして、後から来た主婦達の商品を処理していく。五月蝿い主婦達が帰った後、今度は母親に話し掛ける。

 

「こんにちは」

 

 前に見た時は化粧をして見栄えを気にしていたみたいだったのに、今日はスッピンね。でも表情が軟らかくなっているわ。

 

「いらっしゃいませ。今日はお連れの方はいらしてないのですか?改めてお礼を言いたいのですが……」

 

 お礼?ビンゴだ!あの脳筋野郎、独りで解決したんだわ。カマを掛けてみましょう。

 

「今日は彼に頼まれて、貴女方の様子を見に来ましたわ。何かお変わりはないですか?」

 

 私も知ってます的に話し掛ける。彼女は、娘を気にしたのか

 

「絵梨、お店の番はもう良いわ。中で休んでなさい」

 

「はーい!お姉さん、バイバイ」

 

 元気に中に走って行く……そんな娘を優しく見詰めている。母親の顔だわ。

 

「お坊様の言われた通り、あの人は自殺していました。鎌倉湖で……共通の知人に確認しましたので、間違いありません。

でも私を怨み自殺をしたのに、成仏させて頂き気持ちの整理もつきました。主人と娘の為に、これからは生きていきます……」

 

 そう深々と頭を下げられた。自殺?恨み?成仏?それに、これからは主人と娘の為に生きていきますって……

 端から見ても、コレって万事解決ですわよね。

 

「分かりました。伝えておきますわ」

 

 もう裏も取れたから、ここに居る必要は無いわ。あの脳筋野郎を捕まえて、キリキリ白状させるだけなの……会釈をして店を出る。

 見渡しても、まだ来てないわね……あの電柱の影で暫く待とうかしら?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 暫く待つと、独自な体型の男が左右を見ながら歩いて来る。来たわね!

 マンションの外周を見回り、雑貨屋を気にしているわね。あら、ご主人かしら?店の前を掃除してらっしゃるのは……

 そう言えば、退院したって言ってたわね。雑貨屋に行くのかと思ったら、マンションを見上げながら黄昏てるわ!

 攻めるなら今よね……音を立てない様に彼に近付いて、私の苛立ちを込めながらバシンと肩を叩く!

 私の手が痛いわ、この筋肉ゴリラ!

 

「なに、黄昏てるのよ?」

 

「うわっ!脅かすなよ、桜岡さん」

 

 榎本さんは笑顔で振り向いた。そうよね。貴方が独りで解決したんですもの、笑顔も零れますわよね!

 そして、どうやら叩いたダメージは無いのね……

 

「それで、見回ってどうでした?何か問題が有りましたかしら?」

 

 ニッコリ笑顔で聞いてあげるわ。私、実情は知ってるのよ?彼は暫く考えてから

 

「特に変化無しだね……あの後、霊障も収まってるみたいだし。でも警備員の連中も見たから、まだ居るかもね。

しかし建物の取り壊しは決まったみたいだ。取り憑く建物が無くなれば、収まるかも知れないね……」

 

 なに自分は何もしてませんってシラをきるの?貴方が解決したのに……

 

「ふーん、ふーん、ふーん……」

 

 彼の周りをクルクルと回る。

 

「なっなんだい?」

 

 私の挙動不審さに、引き気味ね。ならばヒントを上げますわ。

 

「あの生霊……怨霊化したわよね?そして雑貨屋さんに現れた……何故、成仏させたのに秘密にするのかしら?」

 

 流石にビックリした表情をしたわ!何時もの保護者面じゃないのが、快感ね……

 

「何故、おっきいオジサンが助けたのかしら?ねぇ、オジサン」

 

 かなり慌てているわね!もう状況証拠もバッチリだわ。

 

「その辺を少し話し合いましょうか?長瀬さんに会う前に。

此処じゃなんですから、駅前に戻って喫茶店にでも入りましょう……」

 

 彼の太い腕をガッシリと掴んで、そう脅した。

 

「なっ?分かった、分かりました!だから手を離して……」

 

 見た目と違いウブなのよね、この筋肉ゴリラは。

 

「逃げるから駄目よ!捕まえてなくちゃ……さぁキリキリと歩きなさいな」

 

 端から見れば年の差カップルかしら?でも榎本さん30前半らしいし、私が25歳だから普通よね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 京急三浦海岸駅。駅名の如く、海水浴場の三浦海岸に近い駅。

 駅前には海の家みたいなお店が並んでいたり、コンビニや本屋が有ったりと混在した感じの商店街ね。

 今回の件で初めて利用した駅……駅前バスターミナルの外れに、場違いな本格的珈琲を飲ませてくれる喫茶店が有る。

 常時300種類の珈琲豆が有るのが自慢らしい。

 しかし、店名はポエム……似合わないわよね?

 

 店内に入りボックス席に案内される。実は珈琲って苦手。だって酸味と苦味が……

 あら、でもケーキは美味しそうね。桜と小豆のシフォンケーキか……

 

「私はオリジナルブレンド珈琲と、この桜と小豆のシフォンケーキにするわ」

 

「僕はアイスコーヒー。甘さは普通で」

 

 かしこまりました、と店員さんがカウンターの中に入って行く。

 

「ねぇ?アイスコーヒーだけ甘さを言ってたけど何故?」

 

 ガムシロップ無いのかしら?

 

「ああ、この店はね。珈琲に拘りが有るから、客が勝手にガムシロップで薄めない様に店側で入れるんだよ」

 

 なんて、常連振りね。似合わないわよ、貴方に珈琲は……どちらかと言えば、日本酒や焼酎よね。

 

「良く来るの?」

 

「いや、最近初めて来てね。同じ事を言われた。ここの珈琲は変な酸味が無くて飲みやすい。

もっとも珈琲通じゃないから、良く分からないけどさ」

 

 頭を掻いて笑ってると、クマさんね……何て会話をしていると先に私の珈琲とケーキが来た。

 暫くして彼のアイスコーヒーも来たわ。

 

「いただきます……このシフォンケーキ、美味しいわ。少し食べるかしら?」

 

 少しならあげても良いわよ。

 

「いえ、ご遠慮致します」

 

 即答したわね……

 

「そう?じゃ話して下さらない?私に内緒の行動を……」

 

 少し語尾がキツくなるのは仕方ないわよね。だって黙って独りで解決したのですから。

 

「うん……何て言うか気になったんで、夜に再度来たんだ。暫く様子を見てたら、あの雑貨屋の女性が玄関から飛び出して来た。

慌てて行けば、最初に見たヤツと分からない程に変貌したヤツが居た。いや最初は別物かと思ったよ。

でもパジャマは一緒だし、痩せこけた顔も似ていたんだ……」

 

 ふーん、何故夜中に独りで?

 

「それで、怨霊化したのが分かったのは何故かしら?見た目だけじゃ分からない筈よ……」

 

 ストローを使わずにアイスコーヒーを飲むのね。手の平が大きいからかしら、グラスが小さく見える。

 

「咄嗟に唱えた愛染明王の真言が効いたんだよ。だから生霊では無いと思ったんだ。

死者は、その直前の姿形で現れる事が有る。溺死体の様に舌をダランとして体をヘドロで汚していたんだよ」

 

 なる程ね……見た目の変化と真言の効き具合で判断した。そして即、除霊出来る能力が有るのね。

 やはり経験が段違い、か……

 

「分かりましたわ。じゃ最後の質問よ。何故、自分が祓ったって言わないの?これは大変な事の筈よね。何故、秘密にするの?」

 

 何故かしら?凄く苦悩した表情を……嫌だわ、何でそんなに辛い顔をするの?

 

「今回の件は、調査で打ち切り。長瀬社長とは契約していない。そして、あの雑貨屋の人達からも頼まれてないんだ。

全くの偶然だからね。そして除霊後に話を聞いたんだ……」

 

 つまり、この事件の原因の事よね。それが、そんなに辛いの?

 

「それは、この件の真相ですわよね?」

 

「そうだよ。ヤツは、あの奥さんの浮気相手だ。旦那が病弱、お店は繁盛せず彼女は夜にスナックで働いていた。

魔が差したんだろう。客で有るヤツと不倫。しかしヤツは……金に困り、彼女にたかり始めたので破局。

ヤツは不摂生が祟り入院……この時点が生霊だ。

そして逢瀬の場所だった、マンションの3階の角部屋に現れていた」

 

 だから、あの時は3階にしか現れなかったのね。

 

「だが、彼女は余りに粘着質なヤツに決定的な言葉を吐いた……ヤツは絶望し自殺した。

そして固執していた彼女の元へ。これが真相だよ」

 

「そうだったの……でも、それなら彼女にも責任が……」

 

 手を振って私の言葉を遮る。

 

「それを騒いでも誰も幸せになれない。浮気がバレて、相手は自殺。旦那が退院してこれからって時に、波風を立てる必要は無いんだ」

 

 それっきり、辛い表情のまま黙ってしまったわ。人を世間知らずとか散々言うのに、自分は底抜けの善人じゃない!

 自分の実績や手柄よりも、あの家庭の幸せを壊したく無いのね……全く、顔に似合わない事しかしないんだから。

 それが良い所よ……

 

「でも、貴方の実績や手柄でしょ?せめて長瀬社長には、お話したらどうかしら?」

 

 首を振って否定か……

 

「いや、それも出来ない。噂なんて、どこから漏れるか分からない。だから内緒にして欲しい」

 

 こっこんな所で頭を下げたら駄目よ。目立ってる、目立ってるわよ私達!

 

「あら見て!彼氏の浮気を問い詰める彼女かしら?」

 

「修羅場か!ざまぁ筋肉ゴリラが美人を捕まえるからだ」

 

「あらやだわ。男に頭を下げさせるなんて……何処の女王様かしら?」

 

 結構人気の喫茶店なのだろう。席を八割ほど埋めているお客が、此方をみながらヒソヒソと囁きだした……

 

「分かりましたわ。分かりましたから!頭を上げて下さいな。私も内緒にしますから……」

 

 漸く頭を上げてくれたけど、周りのお客様さんは盛り上がってるわよ。

 

「ぷっ浮気がバレたのを黙ってるってさ!」

 

「何だよ、惚気かよ。人前で良くやるな」

 

 もう恥ずかしくて、お店に居られない。

 

「でも、貸し一つ。もうお店を出ますわよ。ここは払いますから、貸し二つですからね!」

 

 こんなに恥ずかしい思いをさせたんですから、貸しですからね。伝票を持って立ち上がる私を慌てて追い掛けてきたわ。

 この貸し二つ……何で返して貰おうかしら?とっても楽しみね!




 これにて始まりの章は終了です。次は幕間話を挟んで桜岡霞の章になります。
 修正が終わりましたら順次掲載します、暫くお待ち下さい。


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幕間第1話から第2話

幕間1

 

 呪われた「箱」

 

 僕の生家は、本州の山間部の小さな集落に有った。有ったと言うのは、今は人造湖に沈んでいる。

 ダム建設の際に、3つの村と1つの町が対象となり移転させられた。

 ウチの寺が有った村も例外でなく、檀家衆が居なくなれば経営は成り立たない。

 国が用意してくれた場所に墓所を移し寺を建てた……僕の家系は呪われていると言うか、百年単位で一族の男子を残し早死にすると言い伝えがある。

 遡れば江戸初期まで記録が有るのだが、確かに直系の男子以外が10人単位で一年以内に亡くなった事が2回も有る。

 病気・事故・自殺・他殺……兎に角、何らかの理由でバタバタと一族が減り、そして増えると死んでゆく。

 理由は分からなかった。爺さんも親父も知らなかった。

 そして前回から約百年が経っていた。僕の世代で悲劇が起こるのかとも考えたが、予兆も前触れも何も無い。

 僕自身も家族も、特に気にしてはいなかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「爺さん!檀家衆からも言われたけど、寺の移築に反対なのか?でも町長が許可しちゃったし、檀家衆も引っ越すんだろ?」

 

 小さな山間部の村に降って湧いたダム建設の話。都市部の水瓶として目を付けられたのが、此処だ。

 

「ああ、正明か……儂は反対だな。

ご先祖様から祭ってあるお社は、言い伝えで決して開けてはならないと言われている。移築など問題外だろう」

 

 呑気に和室でお茶など飲んでる現榎本家当主で、この寺の住職たる爺さん。もう70歳を越えているが、元気はつらつな糞ジジィだ。

 

「父さん。町長からも言われたが、もう無理だ。国の方針としてのダム建設、町長も認めちまった。

保障も十分だし、檀家衆も引っ越すんだ。新しい土地でやり直すしかあるまい。それに移転先の寺は既に建設中なんだぞ」

 

 補助金やら補償金やらが高額だった為か、とんとん拍子に移転計画は進んでいる。今更ゴネるのは厳しい状況だった。

 

「そうですよ、お父さん。此処に残るのは無理ですわ。新しい土地で頑張りましょう」

 

 僕の両親も爺さんの説得をする。両親はダム建設に賛成だ。こんな山間部の田舎よりも代替地に指定された場所は、遥かに便が良く都市部に近い。

 特に結婚してから此処に来た母さんにとって、都会に近付くダム建設は嬉しかったのだろう。

 寺に嫁ぐと言う事は寺に尽くす意味で、嫁は大黒様と呼ばれ大変忙しい。

 元はOLで有り都会育ちの母親にとって、田舎独特の因習とか馴染むのに大変だった。

 気晴らしに出掛けたくても、こんな便の悪い山間部の田舎では出掛けるだけでも大変だ。

 しかし新しく寺を建てる場所は、バスで一時間で都心部に出れる。内緒だが、母さんは凄く楽しみにしていた。

 

「しかし……お前達も知ってるだろう?我が家の曰わくを……アレには、お社が関係してると思うんだ。

昔は気にしてなかった。しかし、ダム建設の話が出てから特に思うようになったんだが……」

 

 一族が直系跡継ぎを残して死に絶える。そんな馬鹿な話はないだろう……ダム建設開始まで2ヶ月と少し。

 引っ越しまでは1ヶ月と少ししかない。爺さんの説得には時間が掛かるだろう。

 心の隅では心配し過ぎだ。科学が発達した現代で、連綿と続く呪いなんてナンセンスだと思っていたんだ……

 しかし、問題の呪いは発動した。ウチの直系は爺さん・両親と僕だけ……

 その晩、母さんが突然息を引き取った。

 

 原因は不明。

 

 朝、親父が隣で寝ている母親を起こそうとしたら死んでいた。死に顔は、凄く怯え歪んでいたんだ。

 隣で寝ていた親父が気が付かないのが不思議な位、首を掻き毟り苦しんでいた。

 状況が状況だ……不審死として警察が司法解剖をしたが、原因は全く分からなかった。

 薬物反応もアレルギー反応も無いし持病も無い。突然、首を掻き毟り苦しんで死ぬ。

 そんな病状だって聞いた事もないのだから……

 母親の葬儀はしめやかに執り行われ、母さんの墓は移転先の墓地に埋葬された……原因不明の母さんの死。

 でも僕らは未だコレが一族に掛かっている呪いとは思わなかった。

 いや思いたく無かった。

 

 しかし……

 

 母さんの葬儀が終わり暫くしてから、今度は父さんの様子が変わってきた。何時もは普段と変わらないが、少しずつ痩せて……

 いや窶(やつ)れてきたのだ。

 食事は僕が作り同じ物を三食を一緒に食べている。寺の仕事は大変だ……朝早く起きて掃除とお勤め・昼間は寺の仕事・夜も掃除とお勤め。

 大体が掃除に費やしているが、窶(やつ)れる程の過酷さではない。朝が早い分、寝るのも早いから健康的は筈なんだ。

 病気かと思い、無理矢理都市部の大病院で精密検査をしたけど……特に問題は無かった。

 

 精神的なものでは?とも疑ったが、毎日接している僕達が気が付かない筈もないだろう……

 しかし検査結果の中で気になるのは、内分泌系や免疫機能の低下だ。いわゆる腎虚の症状なのだが、気を付けなければならない程でもない。

 年齢からくる老化現象と言われる範疇だ。

 打つ手も無く日々を過ごしていたが、母さんが亡くなって丁度1ヶ月後。何の前触れも無く、親父が亡くなった……

 冷たい雨が降る冬の朝、社の鍵が開いており中で亡くなっていた。親父は半裸の状態で、母さんと同じ様に恐怖に顔を歪にしていた。

 両の目を見開き、社の奥を向いて壁に寄りかかっていた。

 発見したのは爺さんだが僕も呼ばれ、初めて社の中に入った。

 驚いた事に社の中にはもう一つ社が有り、それは厳重に御札で護られている。

 周りには昔から置いて有るのか、木箱やら訳の分からない祭事具などが乱雑に積まれていた……

 爺さんと二人で親父を外に運び出し、救急車を呼んだ。救急車が来ても、既に死んでいたので警察も呼ばれた。

 1ヶ月おきに二人も亡くなったのだ。噂が広まるのは止められないだろう……

 

 親父の死因は不明。

 

 心臓発作と思われるが司法解剖の結果も曖昧だったが、自殺も他殺も考えられず事故死扱いとなった。流石に立て続けに夫婦が同じ日に亡くなったのだ。

 色んな酷い噂が、村中を飛び交った。次は僕か爺さんだろう……直系の跡継ぎが残ると言うが、次期当主の親父は死んだんだ。

 次は僕が死なないとは限らない。

 親父の葬儀の後、急に怖くなった僕は爺さんの書斎に入り浸り昔の記録や資料を漁った。

 しかし今まで歴代の祖先も調べたんだろう。大した事は分からなかった……後は、あの社しか調べる物は無い。

 爺さんの目を盗み、社の中を調べる事にした。

 あの中には色々な物が乱雑に置いてあったが、木箱の中には書籍の様な物も有った筈だから……その晩、爺さんが眠った頃を見計らい社に向かう。

 扉の鍵は、親父が侵入する時に壊したのだろう。多少の音は立てたが、すんなりと中に入れた。

 懐中電灯を照らし、中を見回す。不気味な社の中に有る、もう一つの社。

 これが本命で周りは人除けに作られたのだろうか?幾ら爺さんの目を盗むとはいえ、深夜に中に独りで居るのは怖い。

 しかし死ぬよりはマシだ!

 周りを調べると二つの木箱が有り、片方には書籍が入っている。もう片方は、何やら着物の様な布切れが……

 書籍の束を漁ると、全く古文みたいで読めない物ばかりだ。

 諦めかけていた時に、一冊の本が見付かった!開かずの社の筈だが、他の本と比べると最近の……

 多分、前回の生き残りのご先祖様の書いたらしき本が見付かった。

 その中で興味深い記録を見つけ出した。

 

 記録と言うが日記だ。榎本朝吉と言う、前回の惨劇の生き残りのご先祖様だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今朝、我妻が見事に喉を突き通し本懐を遂げる。これで我が一族の生き残りは私ただ一人。

 息子は二人居たが先に長男が服毒自殺を遂げ、次いで次男が割腹自殺を遂げた。

 我が一族にかけられた呪いは、直系跡継ぎ一人を残し全て死に絶える。本来なら長男が残るべきだが、あれは最初に長男に取り憑いた。

 耐えきれずに自殺。

 続いて次男に取り憑き、やはり自殺に追い込んだ。あれは、自身の願望を反映した姿形で現れる。

 そして取り殺すのだ。我が妻は直系の血を継ぎ、私は分家筋だった。

 だから私を生き残す為に、自らの命を絶ったのだ。榎本家最後の1人となった私の前に、あれは現れた……

 我が妻の姿形を真似て、私の前に現れた。

 

「お前達一族の義務を果たせ……」

 

 たった一言……そう言い残し、私の前から消えた。その意味は未だ解らず、この呪いを子孫に継承する事が心残りである。

 ……つまり呪いの原因は不明だが、あれなる何かに取り殺されるらしい。

 しかも回避するには、義務を果たさねばならない。しかしご先祖も、その義務が何だか分からない、

 直接聞くにも、あれが現れるのは最後の1人になってからだ……生き残りは、僕と爺さんの2人だけ。

 結局、最後の希望に縋る様に社に侵入したが……何も分からないと同じ事だった。

 簡単に片付けをして母屋に戻ると、縁側に爺さんが灯りも点けずに座っていた……

 

「爺さん……何で……」

 

 思わず話し掛ける。

 

「正明、馬鹿孫が!社には立ち入るなと言った筈だぞ」

 

「しかし、親父も母さんも死んだんだぞ!生き残りは僕と爺さんの二人きりだ。何か、何か原因が分かればと思って」

 

 この数日間の焦りや恐怖をぶつける様に、爺さんに詰め寄る。もう呪いが確実に我が一族に降り掛かっているのは間違い無いんだ。

 残された時間は、もう少ない……

 

「正明……まぁ座れ。あれ、な……儂の所に現れたよ。若い頃の婆さんの姿形でな……夢枕に立ちおった」

 

 爺さんは静かに語り始めた……

 

「アレって?まさか……」

 

「我が一族に取り憑いたアレは強力だぞ。儂の法力が全く効かんかった……だが、僅かな遣り取りで分かった事が有る。

アレは我が一族を根絶やしには出来ない。我々に何かをさせないと、アレは困るんだろうな。

だが、我々はそれが何か知らない。だから……罰のつもりで一族を殺すんだ!」

 

 なっ!そんな傲慢な考えで、僕らは虐殺されてきたのか?

 

「それで……爺さんは聞いたのか?アレが求める何かを!僕らに何をさせたいかを!」

 

 爺さんは、力なく首を振った……

 

「いや……聞いたが、薄ら笑いをして消えおったよ。儂にも全く分からん。

だが1人は残るのは確かだな。正明、お前が生き残れ!」

 

 そう言って、自室へと戻って行った。その後姿は寂しげで、僕は声を掛けられなかったんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝から僕の生活は激変した!爺さんから厳しい修行を受ける事になったのだ。

 今までの読経と違い、霊を祓う仕方をだ。

 普段唱えるお経とは全然違う、死者を安らかに極楽浄土を送る為でなく、魔を祓う真言を教えられた。

 親父と違い僕には霊能力と言う物が有るらしい……爺さんは自分が死ぬ前に、僕に何らかの自衛策を持たせたかったんだろう。

 その気持ちが伝わったからこそ、短期で厳しい修行に耐える事が出来た。

 僅か一週間だったが、基礎としてなら合格点だそうだ……

 

「良く頑張ったな正明。これで霊能力の基礎は身についただろう。明日からは応用編だ」

 

 修行中は厳しく誉め言葉など聞いた事は無かったから、この一言は嬉しかった……

 

 

幕間2

 

 榎本一族に代々伝わる呪い……直系後継ぎを残して、一族が死に絶える呪いだ!

 この平成の時代に何を馬鹿な事をと思った。しかし呪いは実在し、僕は両親を失った……

 残された肉親は爺さんただ一人。その爺さんも呪いの元凶に遭遇したそうだ。

 あれと呼称される社に封印されている何か……あれは人の記憶を読み、一番望む姿形で現れるそうだ。

 爺さんには、死んだ婆さんの若い頃のだったそうだ。最愛の人の姿形を借りて取り憑くとは、何て嫌らしいヤツなんだ。

 両親は1ヶ月おきに殺された。次の予定日迄は、あと10日程残っている。

 少しでも抵抗出来る様にと、爺さんがスパルタで除霊を仕込んでくれた。

 所謂霊能力ってヤツだ!素質は有ったらしく一週間で基礎だけは学べた。

 しかし残りは僅か10日だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「良く頑張ったな正明。これで霊能力の基礎は身についただろう。明日からは応用編だ」

 

 毎日庭で修行を受けていたが、終わると何時も反省点や駄目出しばかりだった。

 修行中は厳しく、誉め言葉など聞いた事が無かったから……この一言は嬉しかった。

 

「爺さん、有難う。でも除霊なんて映画とか漫画の世界の出来事だと思ってたよ」

 

 エクソシストとかGS美神とか……まさか田舎の和尚さんが行えるとは思わなかった。

 

「高僧が悪鬼を祓ったりするのは聞いた事が有るだろ?何も陰陽道だけが出来る訳じゃない。死者と密接な関係は仏教の方だろうが。

正明も法力を高める術を学べば、まだまだ強くなれるぞ」

 

 確かに歴史では、高僧が悪鬼を退治する話は良く有る。てっきり孔雀王みたいに高野山で修行しないと駄目だと思ってたよ。

 

「何となく自分の中に有る力を引き出す事は分かったけど……まるで実感が無いな。霊能力なんて……」

 

 体の中に有る力を真言に乗せて放出する。言うのは簡単だが、実際はどの程度なのか全く分からない。

 

「ふむ……しかし実践させるには、まだ早いからな。後は反復して体に覚え込ませるしか有るまい。今日はこれまでだ」

 

 そう言って母屋に戻って行く爺さんは、とても70歳とは思えない。疲れを感じさせない足運びだ。

 僕の方は、縁側にヨタヨタと歩いてベタっと横になり深く深呼吸をする……

 

「すーはーすーはー」

 

 汗をかいた体には、冬の風も心地よい。鼻から入る冷たい空気も、熱くなった体にもだ。

 暫く休んでいたが、これ以上体を冷やすと風邪をひきそうだ……重い体に鞭を打ち、シャワーを浴びる為に風呂場へ向かう。

 ベタベタと貼り付く法衣は気持ち悪い。

 こんな田舎でも電気の力で直ぐにシャワーを浴びる事が出来る。母さんが母屋をオール家電化したせいだが、今は感謝している。

 何たって家事は大変なんだ!

 それは両親が亡くなり、爺さんと二人になって身にしみた。亡くしてから分かる親の有り難みか……

 シャワーを浴びてサッパリしたら、夕飯の準備だ。

 体を洗いながら冷蔵庫の中身を思い浮かべ、献立を組み立てる。今夜は野菜炒めとアジの干物、それに板ワサかな……

 まんま旅館の朝食だが、男所帯の食事など似たようなものだろう。

 早朝の修行に備えて、今夜は早く寝なくては……既に9時過ぎには布団に入り5時には起きる予定を組み立てる。

 

「はぁ……青春真っ盛りなのに、田舎で修行三昧かよ」

 

 思わず零した愚痴は、誰にも聞かれなかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 この数日間の孫への修行を考える。確かに素質は有った。

 あれの父親には全く霊能力は無かったが、幸い孫の正明にはそれなりに有ったのが救いだ。

 上手く指導すれば、並み程度の力は得られるだろう……

 

 しかし、あくまでも並みだ!

 

 しかも修行を始めたのも遅く、未だに一週間と短い。儂が生きている内に教えられるのは……もう殆ど無いだろう。

 後は知り合いの寺に預け、修行させるしか無い。しかし我が一族には、残された時間が殆ど無い。

 修行は自己鍛錬に任せ、今は相続の手続きをしなければなるまい。

 幸い田舎の住職とは、檀家からの相談も受け付けている。つまり相続関係には詳しい。

 まぁ誰かが亡くなって起こる問題など、相続以外は少ないからな。

 孫に少しでも遺産を残し、尚且つ修行の道筋を考えておかねば、独り残される正明は自棄になるやもしれん。

 あれは儂では歯が立たんだろう……せめて正明の為に、やれる事だけはやろう。

 幸いな事に息子夫婦の生命保険や、土地建物それに移転の補償金を含めればかなりの額だ。

 貯蓄もかなり有るし、儂自身の生命保険も合わせれば、正明だけなら一生遊んで暮らせる筈だ。

 宗教法人だし相続税などタカが知れている。正明に金の心配だけは、させずに済むだろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから更に一週間が過ぎた……残り3日。僕か爺さんが死ぬ日までだ。

 爺さんは僕に生きろと言ったが、あれがどちらを選ぶかは分からない……修行は基本を認めてもらい応用編に移ったが、やっている事は反復練習だけだ。

 

 爺さんは……この三日間、忙しく外出したり税理士やら弁護士やらと打合せをしている。

 

 両親の相続とか土地の売買とか、確かにリアル事情が有るからだけど……生き死にの掛かった残り大事な日にちなのだが。

 その晩、夕飯の後に爺さんの部屋に呼ばれた。和室で卓袱台に向かい合って座る。爺さんの部屋には、基本的に暖房器具が無い。

 だから寒い。仕方無くお茶を二人分用意する。

 

「何だよ爺さん。改まって……」

 

 良く分からないが、爺さんの前には封筒が山積みだ。提携してる銀行や農協、それに地方自治体のロゴが見える。

 

「ああ、正明に相続関係の書類をな。儂が死んでからでは分からない事も多いだろう。

先ずは……銀行預金の名義変更からだ……」

 

 そう言うと幾つか輪ゴムで纏めていた封筒の上から順に、書類を出し始めた。

 暫くは名前を書かされたり判を押したり……分かり易く付箋や鉛筆で下書きがしてある上から記入していく。

 一時間以上掛かっただろうか、最後の書類に記入して終わりとなった。

 相続欄には僕しか記入しない為、比較的簡単らしい。そう言えば僕の親戚って少ないな。

 母さんの方は既に爺さん婆さんは他界し、一人っ子だから兄弟も居ない。

 親戚は居るが、両親の葬儀に来てくれた人数は10人以下……これも呪いの影響か。

 

「疲れたか?これ位で疲れては、卒塔婆書きが堪えるぞ。何せ年間に1000本は書かねばならんからな」

 

 書類を確認し、封筒に入れ直し老眼鏡を外す爺さん。確かに盆の時期は、檀家衆に呼ばれる爺さん以外は毎日親父と卒塔婆を書いていた。

 今度は最悪1人で行わなければならない……

 

「うへぇ……確かに大変だな」

 

 疲れた利き腕をブラブラ振りながら応える。

 

「これで儂が死んだら、榎本家は全てお前の物だ。金庫の開け方や、檀家衆や得意先のリストの場所は分かるな?

引っ越しも順調だが、儂の葬儀は此処で行え。この寺の最後の葬儀は儂だ……お前が取り仕切れよ」

 

 縁起でも無い事を言う。

 

「爺さん、何を……」

 

「まぁ良いじゃないか。明日も早い、もう寝ろ」

 

 そう言われて爺さんの部屋を出された。あれから何度か新しい寺に荷物を移動したので、部屋がガランとしている。

 後は両親の私物整理と僕や爺さんの身の回りの物位だ。

 人間、何年も住めば色々と荷物が増える。この機に不要品は大分処分した。

 

 だけど両親の荷物は……中々捨てられない。きっと殆ど箱詰めして新居に送ると思う。

 広々として底冷えする寒さと併せて、急に寂しくなった。2ヶ月前は家族4人揃っていた。

 だが3日後には、また1人亡くなってしまう。そう思うと涙が出て来た。

 拭いても拭いても涙は止まらない。悲しみと悔しさで、止めどなく流れる涙……

 声を押し殺し涙が止まる迄、泣き続けた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝、爺さんは昨夜の書類を持って外出した。最近手抜きで朝飯はパンにしているが、僕は1枚だが爺さんは3枚だ。

 6枚切りの食パンをだよ。目玉焼きにソーセージを焼くのは、せめて手抜きをしない為だ。

 

「正明の手料理を食べれるのも僅かだな。お前、本当に上達しないな……」

 

 中途半端に半熟な目玉焼きを突つきながら、爺さんが愚痴を零す。因みに爺さんは半熟が好きで、僕は完全に火が通っている方が好きだ。

 

「嫌なら爺さんが作れよ。俺より旨いんだから……」

 

 早くに婆さんを亡くした爺さんは、男手一つで親父を育てた。だから僕より格段に料理は上手だ。

 でも中々作ってくれないんだよな。

 

「まぁ良いか……晩飯は久し振りに作ってやるよ」

 

 爺さんは家庭的な和食がメインだが、手間を掛けるので旨い。これは夕飯が楽しみだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 最後の晩餐では無いが、夕飯は大変美味しかった。冬野菜の煮物・山菜の天麩羅・出汁巻き卵に豚汁。

 御飯は、鯛を丸々一匹使い土鍋で炊いている。

 それに何とデザートに白玉団子まで有った!

 

「爺さん、気張ったな。久し振りだよね。こんなに僕の好きな物だけを作ってくれたのは……」

 

 殆ど全てが僕の好きな物だ。

 

「まぁたまにはな……まぁ冷める前に食え」

 

 男二人の食卓は殆ど会話は無いが、それでも楽しい夕飯だった。

食後のデザートの白玉団子を食べ、くだらない話をしていたら直ぐに寝る時間だ……

 

「爺さん、そろそろ寝る時間だぞ」

 

「ん?もう寝る時間か……もう少し付き合え。寝酒に飲もう」

 

 そう言って秘蔵の久保田の万寿と、ぐい飲みを二つ取り出した。

 

「何だよ、普段は飲ませないくせに。じゃ少しだけ付き合うよ」

 

 白菜の漬け物を切って摘みにする……どちらともなく昔の話をして盛り上がる。

 いや、僕の昔の恥ずかしい話を掘り返されるだけだ。幼児の頃のお漏らし迄遡り漸くお開きとなった……

 

「零歳児なんだし、爺さんの背中で大小合わせて漏らしたって良いじゃないか!」

 

 全く黒歴史だぜ……しかし、これが最後の晩餐だったんだ!その夜、爺さんは社に向かい……

 あれに戦いを挑んだのだろうか?それは、今となっては誰にも分からない。

 爺さんは僧衣を纏い社の中で冷たくなっていた。その顔は、両親とは違い満足げで数珠を握り締め大の字に寝転がっていたんだ……

 

 その日も寒い雨の降る日だったよ。

 

 親父も爺さんも、冬の寒い雨の日に亡くなった。

 

 爺さんを発見した時、僕は半狂乱だった!

 

 まだ2日……2日有ったのに何故、爺さんはあれに挑んだんだ?

 

 それでも救急車を呼び、既に死亡していた為に警察が呼ばれ色々調べられた……やはり両親と同じで原因が不明。

 病死として死因は心不全として処理された……田舎故に、周りが色々と気遣いフォローしてくれたので泣いているだけで夜になり独りだけの家に帰ってきた。

 もう誰も居ない我が家。

 

 来週には立ち退く我が家。自室の布団に倒れ込む様に横になると、泣き疲れだろうか?

 

 そのまま睡魔に負けて、寝てしまった……深い深い闇の中、夢か現か分からない。

 

 しかし、あれは僕の前に現れたんだ!

 

「最後の生き残り正明よ。義務を果たせ」

 

 それは幼女だった!闇の様に暗い髪の毛を足首迄伸ばし、髪と対比してか肌は病的に青白い。

 前髪で隠れている両面は、紅く輝いている。真っ裸の異様な雰囲気の幼女……

 

「お前が一族を殺しているあれか?ああ!何故、家族を殺したんだよ?何故なんだよ!」

 

 僕の叫びに「ギャハハハハハハ……」と、ただ大笑いするだけだ。

 

 それが闇に溶け込む様に消えてから、両親と爺さんの苦しむ姿が見える。黒いタールの様な沼の中で、苦しみ足掻いている姿が……

 アレが魂を捕らわれた末路なんだ!

 

「正明……来るな、こっちに来るな……巻き込まれるぞ」

 

「正明、助けてくれ。苦しい、苦しいんだ……」

 

「ま……まさ……あき。た……すけ、て……」

 

 爺さん・親父・母さんの順に話し掛けられるが、母さんは2ヶ月近く捕らわれていた為か?既に限界を超えた様に呻くだけだ……

 これが、あれに捕らわれた末路なんだ。

 あれの望みを叶えれば、爺さんと両親は解放されるのだろうか?



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桜岡霞の章
第27話から第29話


第27話

 

 office SAKURAOKAの事務所のソファーに深く座り、桜岡霞は悩んでいた。今はバイトの娘達は学校に通っている時間だから居ない。

 事務所には独りだけ。机の上にはテレビ局から送られてきた企画書と契約書が置いてある。

 今まで熟読していた。それこそ初めて最初から最後まで読んだ。

 

 内容はテレビ局からの依頼で、夏の特番の仕込みについてだ。「貴方の近くにあった本当に怖かった話2011」この特番の1コーナーの企画についてだ。

 

 都内近郊のとある曰く付きの廃屋に、そこそこ売れ始めたアイドルやモデルの女の子を同行させて探検。

 彼女達に何かあれば、その場で対応するのが依頼内容だ……これは夏に視聴率が取れる心霊関係に、売り出し中の彼女達の人気上昇を狙っての事だ。

 勿論、桜岡霞本人が登場する事による彼女のファンによる視聴率アップも盛り込んでいた。

 

 しかし……

 

 桜岡霞は最近知り合った先輩霊能力者の影響で、準備なく現場に乗り込む事。素人を同行させる危険。

 曰く付きとは言え理由が有って霊となった者の事を考えると、簡単に視聴率アップの為だけに仕事を請けて良いか悩んでいた。

 

「以前なら即請けたわ……名前も売れるしお金も入る。根拠の無い自信も有ったから。

でも、今は……この企画内容では、請けてはいけないと感じている。あの筋肉馬鹿の影響かしらね」

 

 出来るならば……事前に曰く付きの廃屋の調査から始めたい。

 そして何故、心霊物件になったかの原因を突き止めてから除霊したい。面白半分に素人を引き連れて曰く付きの廃屋に入って、出たとこ勝負で除霊する……

 なる程、テレビ局には美味しいネタだ!何か有れば、リアルな心霊現象を得られる。

 その“ナニ”かの対応に失敗した時の保険が私。つまり失敗した責任を負わなければならない。

 今までは余りテレビ局の契約書なんて読まず、内容も確認しなかったけれど……

 

「請負とは請け負った時点で負けなんだよ!だから内容を確認し、責任の所在を明らかにしておくんだ」と、教えてくれた彼を思う……

 

 契約書に先にサインをさせてから仕事を始める。確かに気を付けないと撮影中の事故責任の殆どが私になっている。

 良く今まで無事故でいられたものだ……何か有れば賠償金や霊症のケアで大変だったわ。

 

 あの糞ディレクターめ!スケスケだかヌレヌレだか訳の分からないアダナだけでは物足りず、責任まで私に押し付けるつもりだったのね……

 でも、でも私では契約書の内容変更の交渉なんて難しいわ。出来なくはないと思う。

 でも海千山千のテレビ局関係者に、太刀打ち出来る自信は無い。何か抜け道的な事をされそうな気がするの……

 随分と考え込んでしまったのだろう。

 

 気がつけば時間は11時30分。

 出勤後、直ぐに書類を読み始めてから3時間近く考え込んでいた計算だ。

 

「やはり榎本さんに相談しましょう。貸しが2つも有るから無下には断れないでしょうし、丁度お昼時だし昼食をご一緒しながら相談すれば良いわ!」

 

 前回の件で、抜け駆け的に事件を解決し……被害者の母娘の為に、その成果を秘密にしている優しい人だもの。

 私のお願いくらいは聞いてくれるはずよね?

 デスクに移動して固定電話のボタンをプッシュする。勿論、短縮ダイヤルに登録済み。

 暫く呼び出し音が鳴り響いた後に、あの聞き慣れた声が聞こえたわ……

 

「もしもし?榎本です……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 事務所のデスクに座り、最近有った出来事を考える……片手に持った缶コーヒーを弄びながら。

 横須賀の心霊マンションの件を「箱」が強制終了させた……生霊かと思えば、まさかの怨霊化したストーカーだった。

 まぁロリっ娘が一人幸せになれたのだから、良かったのだろう。

 うん、多分良かった筈だ!良かったよね?二人程、同業者がお亡くなりになったのが残念だが……

 僕が行く前に殺されてたから、関係無いと割り切る。

 マンションオーナーだって死亡者二人の物件なんて嫌だろうし、同業者だって返り討ちに合うのは覚悟しているだろう。

 この商売は、死者と命の遣り取りをするのだから……思考がダーク寄りになったのをパソコンのインコサイトの掲載写真を見て癒やす。

 

 ロリっ娘は大好きだが、鳥類も大好きだ!特にキエリクロボタンインコとかオカメインコとか……

 癒やされるなー。暫しパソコンの画面に見入っていたが、卓上ホルダーで充電中の携帯が鳴りだした。

 持ち上げて画面を見れば「桜岡 霞」の文字が……何故かお嬢様な彼女に懐かれている気がする。

 彼女は美人だし、話していて楽しいしフードファイター仲間だが……ロリじゃないから仲間止まりだ!育ち過ぎだから、無理だ!

 

 大切だから二回言いました。何て心の中で思っていても、おくびにも出さずに通話ボタンを押す。

 

「もしもし?榎本です……」

 

「こんにちは、榎本さん。ご機嫌はどうかしら?」

 

 オッサンにご機嫌?いや、機嫌は良いですよ。流石はお嬢様だ。社交辞令も普通じゃないぞ。

 

「機嫌と言うか……まぁボチボチでんなー、ですかね?」

 

「何故疑問系なの?それに関西弁なのかしら?」

 

 クスクスとオヤジギャグに反応してくれる。意外にノリは良いんだよね。

 

「それで?何か用ですか?」

 

 お互い経営者だし、そんなに暇な訳でもない。僕も山崎不動産の社長から、手が空いたら連絡が欲しいと言われている。

 長瀬綜合警備保障の仕事が一段落したから、そろそろ連絡を入れないとダメなんだが……

 

「えっと……お願いが有るのよ。出来れば相談に乗って欲しいの……お願いしますわ」

 

 相談?お願い?嫌な予感がするんだけど?まさかテレビ局の件かな?

 

「えっと……忙しくなりそうな予感だから、無理かなーって。駄目かな?」

 

「駄目です。例の貸しを返して頂きたいの。勿論、お礼はしますわ」

 

 結構強引に話を進めて来たな。まぁ話位なら聞いても良いか……

 

「うーん、じゃ話だけでも聞こうかな……それで、電話で事足りる内容かな?」

 

 話が複雑なら、一度会って話し合った方が良いだろう。

 

「有難う御座います。これから横須賀中央に向かいますから、昼食でもご一緒して話を聞いて下さらない?」

 

 昼食だと!桜岡霞、また懲りずにフードファイトを挑むのか?

 

「分かった!その挑戦を受けよう。場所は京浜急行線の汐入駅に有るダイエー前のセンターグリルだ。

米軍仕込みのネイビーバーガーやステーキ各種が質・量共に豊富に有る。

勝負だ、桜岡霞よ。12時半に汐入駅改札前で待つ!」

 

「えっ?ちょ……何を……」

 

 彼女は何かを言い掛けたが、構わずに電話を切る。奴との対戦までに一時間も無い。

 体調を整えなくては……ベストなコンディションで挑む為に、トイレの個室に向かった。

 出す物を出して、胃と腸にスペースを作らねば!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 京浜急行線汐入駅は米軍基地の有る、比較的に外国人の多い街だ。それ故にドブ板通りと言う米兵相手の商売をする店が連なった商店街が有る。

 昔は治安も悪く怪しい飲み屋が多かったが、今は観光地化して歩き易い。

 最近はご当地グルメとして、横須賀海軍カレー・ネイビーバーガー等の食べ物や軍港クルージングとして海上自衛隊横須賀基地と米軍基地に停泊している軍艦を間近で見れるツアーも有る。

 榎本からフードファイトを挑まれ、比較的お腹周りの緩い服に着替えて直ぐに事務所を出た。

 京浜急行線は10分間隔で快速特急が運行しているので、約束の12時半よりも早く着いた。

 改札を出て周りを見渡せば……向かって右手側がバスロータリーになっていて、その近くの自販機の前に筋肉が立っていた。

 

 不思議……体格の良い外国人が多く通っている中で、あの筋肉は存在感が負けてない。

 

 何と言う筋肉!

 

 ジーパンに革ジャン、インナーはラガーシャツかしら?悪くないコーディネートだが、色合いがカジュアル過ぎるきらいも有る。

 あの体格なら、もっと……あっ、私を見付けたらしく手を振ってくれたわ。

 笑顔を浮かべ小走りで彼に近付く。

 

「こんにちは、榎本さん。カジュアルな服装は初めてね」

 

 彼は自分の服装を見回し

 

「いや、客先に出向く時は背広だし現場には長瀬綜合警備保障の制服か動き易く目立たない服装にするからね。今日はフードファイトを挑まれたから、普段着だ」

 

 やはり脳筋グマめ!彼の胸板を遠慮無く叩く。

 バシッと良い音が鳴り響いて周りの人達が、私達に注意を向ける。

 

「違うわよ!フードファイトじゃなくて、相談に乗って欲しいの!」

 

 全く衆人環視の中で目立ってますわよ。毎回思うけど、叩いた私の手が痛いわ。

 本気で叩いたのに平然としてるし……

 

「ん?分かった分かった。勝負に勝ったら相談に乗るから。さぁ行くよ。予約入れてあるから待たさないからさ」

 

 何時の間にか「相談に乗って下さい」が「勝負に勝てば相談に乗ろう」になってるわよ?

 

「お待ちなさいな。コラ、勝手に話を進めないで……」

 

 スタスタと歩き出す彼の左腕に抱き付く。丸太みたいに太い腕だ。

 

「ちょ、おま、くっ付かないで」

 

 この脳筋グマは、見た目と違い照れ屋さん。だからスキンシップに過剰な反応をするの。

 躾(しつけ)的な意味で、スキンシップをする様になったわ。反応が面白いのよね。

 

「早くお店に案内しなさいな」

 

 見上げる様にして催促する。渋々と彼は歩き出す。きっと優しいから女性に強く言えないのだろう。

 バスロータリーを横切り134号線を渡ると直ぐにダイエーだ。

 

「あら、ダイエーの中なの?」

 

「いや……ダイエーじゃなくて、アレだよ」

 

 榎本さんが指差した先には、ダイエーの敷地内だけれど独立した建物が見える。

 

「センターグリル……あら、お店の前に客車が有るわ」

 

 古風な電車が一両隣接している。本物かしら?

 

「センターは駅を表してるんだ。だから店内も電車に因んだ内装になっている。ほら、行くよ」

 

 腕に絡んでいるからか、歩き出す時は声を掛けてくれる。きっと引っ張ったりするのが嫌なのね。

 ちょっとした優しさが嬉しい。オートドアを潜り店内に入ると、80年代のアメリカがテーマみたいね。

 いや、開拓時代かしら?イマイチ統一感が無いわね……

 窓際のソファー席に案内されたけど、流石に窓側を譲ってくれたわ。でも店員さんとの遣り取りは馴れた感じだわ。

 つまり彼のホームであり、私にはアウェーか……メニューを差し出す彼に対して、沸々と闘志が湧いてきたわ!

 

 どれどれ……なる程、ステーキ屋さんだけは有り種類は豊富ね。

 パスタ系も有るわ。悩むわね……

 

 彼が手を上げて店員を呼んだわ。私は未だ決めかねているのに?

 

「何時もの奴に、バーベキューチキンとコーンサラダ。それに生を一つ……いや、桜岡さんも飲む?」

 

 こっコイツ、素面で相談乗る気無いわね?

 

「勿論頂くわ。それと彼と同じ物をお願いします」

 

 フードファイトなら、同じ物を食べないと勝ち負けがハッキリしないからね。

 

「えっ?此方のお客様の何時ものとは……750グラムのフィレステーキですが!大丈夫なのですか?」

 

 ウェイターさんが、私のお腹周りを見て不思議そうに聞いてくるけど。

 

「構いませんわ。オーダーは以上よ。但しメニューは一つ置いていって下さいな」

 

 びっくりした顔で、お辞儀をして下がっていく。たかだか750グラムのステーキでビビるなんて!

 彼を見れば、何を当たり前な事を的な顔ね。やっぱり大食い仲間って良いわ。

 普通だと不思議な生き物を見る様な目で見るのよ。私達は珍獣じゃなくてよ!

 

 

第28話

 

 四人掛けのソファー席に山のように並べられた料理!周りのお客さんも注目の中、普通に食事を始める。

 やはり750グラムのステーキは大きいわ。成人男性の握り拳位の大きさが有るわね……

 

「「いただきます!」」

 

 ナイフとフォークで切り分けながら食べ始める。うん、美味しいわ。

 付け合わせのマッシュポテトも野球ボール位のボリュームが有るけど、味はクリーミーね。多分、ジャガイモを裏ごしして生クリームを混ぜていると思う。

 榎本さんを見れば、食べる前に全てを切り分けているわ。大きな手にナイフとフォークを持って、器用に切り分ける姿は……

 躾の行き届いたクマさんみたいね。暫くは無言で食べる。

 ステーキを完食したタイミングは、計った様に同時だわ。

 

「やりますわね。この私のスピードについてこれるのは榎本さんくらいよ」

 

「ふん。体の容積は半分以下の桜岡さんが良く言う。勝負はバーベキューチキンだな」

 

 鶏の半身を使い焼き上げたボリューム満点のチキン。

 此方の付け合わせは、ブロッコリーにインゲン・ニンニクスライス・人参と野菜が盛り沢山ね。

 

「まだまだ余裕よ。では、いただきますわ」

 

 上品にチキンを切り分ける。榎本さんも器用にチキンを切り分けているわね。

 野趣溢れる手掴みじゃないのは嬉しいわ。ウチも一応は上流階級だし、旦那様のマナーには五月蠅いか、ら?

 

 いえいえ、違うわよ。落ち着いて、霞。落ち着くのよ。

 

 ほんの少し動揺した間に、既にチキンを切り分け終えて食べ始めてるわ。私も負けられないの!

 ビーフステーキを完食し、チキンのバーベキューは顎的にキツい。残りはコーンサラダだけだわ。

 お腹は余裕綽々だけど顎が痛いの……食べる手を止めた私を心配そうに見るわね。

 

「食べ過ぎて、ぽんぽん痛いの?」

 

 ちょ、ぽんぽんって子供じゃなくてよ。

 

「顎が、痛いの。流石に咀嚼する力は普通の女の子なのよ。この勝負は負けね……」

 

 顎が回復するのを待つのは勝負ではアウト。私の負けね……ナイフとフォークをテーブルに置いてギブアップ。

 

「お腹は平気なんだ。じゃゆっくりデザート食べますか?此処のお勧めはラズベリーチーズケーキだよ。あっコーンサラダは貰うよ」

 

 そう言うなり、私の分のコーンサラダに手を伸ばす。サラダ自体の量は少ないけど、やはり肉はクマさんの得意分野な訳ね?

 次はお寿司かスィーツで挑めば、何とかなるかしら……見る間にコーンサラダを完食し、生ビールを飲み干す彼を見てリベンジに燃える!

 コーンサラダを完食してから、ウェイターを呼びラズベリーチーズケーキと紅茶を二つ注文。

 確か珈琲は余り好きじゃないのを覚えてくれていたのかしら?負けたからには、相談は出来ない。

 

 当たり障りの無い雑談で時間が流れて行く。

 

 次こそは負けないわよ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今回の勝負はハンデを考えなかった僕に非がある。つまりは引き分けだ。

 そのつもりで彼女のコーンサラダを取り上げ、変わりにデザートを注文した。

 デザートを食べながらの会話は、当たり障りの無い雑談だ。一向に相談を話してこないけど……

 ケーキを食べ終わり、紅茶を飲み干せば店を出なければならない。レシートを持ち席を立つ。

 

「そろそろ出ようか?忘れ物の無い様にね」

 

 何か言っている彼女を抑えて、会計を済ます。結構楽しい食事だったな……

 

「で?喫茶店に入る?それとも事務所に来るかい?」

 

「えっ?」

 

 おぃおぃ、本題の相談を忘れてないよね?何時までも話さない桜岡さんに水を向けてみる……

 

「相談だよ、相談。勝負はハンデを見込まなかった僕の負けだ。何か相談が有るんだろ?

この辺の喫茶店は相談をする場所としては不適切かな……」

 

 汐入駅の周辺の喫茶店は……メルキュールホテルのラウンジしか思い浮かばない。でもホテルは対外的にマズいだろうな。

 彼女は「お茶の間の巫女さん」だから、知名度が高い。

 

「私の負けでしょ?同情は要らないわ……」

 

 結構頑なだな。

 

「完食のタイミングは一緒でしょ?次は顎の疲れないメニューを選ぼう。

僕の場合は生トマトは苦手だから、これが入っていた時点で負けを認めるけどね」

 

 数少ない食べられない物。生トマト……ケチャップやトマトジュース、それに煮込んだりすれば平気だが生は無理だ。

 小学校の頃、当時の給食は今よりグレードが低かった。トマトなど今の品種では考えられない程、固く青臭かった。

 好き嫌いを認めない担任から「正明ちゃんがトマトを食べないと、他のお友達がお昼休みを遊べないんだよ?」とか今なら裁判沙汰な強要をされ、同時も嫌いだったトマトを一口で食べて牛乳で流し込んだ……

 

 そして「ウエッ!ゲロゲロゲロ……」その担任の顔に向かい吐き出したんだ。

 

 当然、担任は激怒。親を呼び出された。当時は学校の先生も体罰が容認された時代。

 悪い事をすれば、当たり前に拳骨!それは教育の範疇なら、素晴らしい事なんだが……

 質の悪い教師なんて、何時の時代も居る。放課後に呼び出された爺さんが、担任に対して説教を始めた。

 

 ただ「貴方の息子さんは好き嫌いが激しい。ご家庭でも指導して下さい」とでも言いたかったのだろう。

 

 しかし説法を生業としている住職に、根拠も無い話が通じる訳が無い。結局一旦帰ったが、その後に校長が頭を下げにきたらしい。

 田舎で檀家衆を抱える住職に、転勤で来た校長や担任が適う訳が無い。

 

「何を黄昏ているのかしら?」

 

「いや、子供の頃に嫌いなトマトを強要した担任の顔に吐いたのを思い出したんだ……それ位トラウマなんだよ」

 

 呆れた顔の彼女と、取り敢えず僕の事務所の方に歩いて行く……相談事なら周りに聞かれたくないだろう。

 だから事務所が一番良いかな?彼女を伴いドブ板通りを歩いて行く。

 最近は観光地化したが、同時の面影を残す店も有る。ワッペンや刺繍の大将・肖像画の武谷・スカジャンの大熊、名前は知らないが米軍放出品を扱う怪しい店など、アメリカと日本のコラボレーションな商店街だ。

 勿論アメリカスタイルのバーも有るが、昼間は閉まっている。

 暫くドブ板通りを歩いていると、彼女には珍しいのだろう……キョロキョロと左右を見回している。

 

「ねぇ?大通りは綺麗だけど、脇道は怪しいわね。何か怖いわ」

 

 こらっ!腕を絡めるな、腕を……此処は僕のホームなんだよ。

 

「ゲームのシェンムーでも舞台になったけど、まだまだ夜は治安が良くないね。勿論昔に比べたら各段に良いけど、ちょっとしたスラム街な雰囲気でしょ?」

 

 本当は脇道や怪しい店に入らなければ殆ど安全な商店街になっている。これも地元のイメージアップ戦略と商店街の努力だと思うけどね……

 

「ふーん……あっ、あれ!凄いわね、あれがスカジャンなのね?」

 

 店頭に吊された竜や風神雷神、それに鷹?鷲?の刺繍を凝視している。

 

「通称スカジャン。本当は横須賀ジャンパーまたは空飛ぶ東洋の竜が人気だったから……スカイドラゴンジャンパーの略とか言われてるね」

 

 横須賀では当たり前な事だが、それは地元だからの知識だ。随分と感心している。

 

「兄ちゃん、美人な彼女に買ってやれよ。この揚羽蝶とか女性でも喜ぶぜ」

 

 立ち話を聞いていたのだろう。商売のチャンスと、すかさず商品を勧めるが……

 紫のベースに金糸銀糸で揚羽蝶の刺繍を施したスカジャンは、彼女には似合わないだろう。

 見れば桜岡さんも笑顔が固いし……

 

「いや、また今度考えるよ?」

 

 お断りの決まり文句を言って立ち去る。その後は此処がネイビーバーガーで有名なハニービーだとか、ドブ板で一軒だけの行き着けの鰻屋だとか紹介しながら横須賀中央駅まで到着。

 駅前広場を通り過ぎて坂を少し登った先に、僕の事務所が有る。ゆっくり歩いても20分位の距離だ。

 二度目となる事務所来訪だが、特に問題は無いだろう……事務所に戻り応接セットに通してからお茶を用意する。

 とは言え普通の日本茶だが、寒い時期には有り難い。

 エアコンの暖房を入れたが、暖かくなるのに時間が掛かるからね。

 でも石油ストーブは面倒臭いからなぁ……

 

「粗茶ですが……」

 

 湯呑みを彼女の前に置いて、向かいのソファーに座る。

 

「あら、ご丁寧に有難う御座いますわ」

 

 チクショウ、やはり見てくればお嬢様だな。湯呑みを持つ動作も、何か上品だ。

 

「……ん?何かしら?」

 

「いや、何でもない。それで相談事とは何だい?」

 

 彼女の顔を凝視していた事を誤魔化す様に質問を被せる。桜岡さんは、鞄から何やら書類を取り出して僕に差し出してきた。

 A4サイズの紙の束だが、結構な枚数が有るな……受け取って表紙を見ればタイトルに

 

 「貴方の近くにあった本当に怖かった話2011」と有り、例の梓巫女シリーズの企画書だ。

 中を流し読みすれば、有りがちな女性タレントと心霊スポットを巡る内容だ……しかも事前準備無く、いきなり現地に乗り込みだよ。

 普通、その建物の所有者なり管理者に許可を得る筈だけど……敢えて書類には書いて無いのか、それとも他に意味が有るのか?

 

 場所は八王子市の山中か……企画書なのに場所の特定も曖昧だし、廃墟の資料や写真も無い。

 でもホテル名は書いてあるな。これなら調べる事は可能だろう。

 しかし企画書自体は数枚だ……これは企画書じゃないな。

 その後ろには、何だ?契約書?やたら約款が多いし字も小さいな……ポケットから眼鏡を取り出す。

 こんなExcelなら文字の大きさが4位な文字なんか見えるか!

 

「榎本さん、まさか老眼なのかしら?」

 

「違います!近眼なの、コンタクトは体質的にダメなの。でも運転免許はギリギリで眼鏡無しで平気だよ」

 

 失礼な物言いの彼女を軽く睨んでから、契約書の約款を読み始める……うん、見事な程に責任の区分を明確にしている。

 これ、僕も参考にコピーさせて貰おうかな。余りの文字数の多さに10分近く読んでいただろうか?

 じっと僕の様子を伺う彼女に聞いてみる。

 

「桜岡さんは、ちゃんと読んだかい?」

 

「ええ、読みましたわ。初めて契約書を隅から隅まで読んだわ。見事に責任が私に有る事になるわよね……」

 

 良かった。ちゃんと学んでくれたんだな。契約書のサインをする前に、ちゃんと読んだのか。

 

「そうだね……少し桜岡さんに不利な内容だ。特に現場での責任者になってるよ。

これは君の企画だから、責任の殆どは仕方ないと相手は言ってるね。

でもペラペラの企画書には、君が主体で進める内容じゃないし。

どちらかと言えば、テレビ局が企画から準備・進行・現場での権限が有る。

この辺の一文に……現場撮影の進行について乙(桜岡霞)は甲(テレビ局)に最大限の配慮をするって有るよね。

実際は現場の責任者は桜岡さんだけど、テレビ局の立会者が何か言ったら配慮してね!

でも最終的に判断し許可したのは君だから、責任は君持ちだよ。って意味だよ。

何か有った場合の保障の殆どは桜岡さんだし、事故の損害も相手は請求出来る内容だね。どうするの?」

 

 契約書は大切だ。しかし、これは少し酷いと思う……

 

「……だから悩んでいるのよ。逆に企画を持ち掛けるか、それとも契約内容を変更して貰うか。

どちらも私だけでは難しいの……何か良いアイデアは無いかしら?」

 

 縋る様に此方を拝む彼女を見て考える。下手に強気に出れば、企画自体無くなるか他のタレント霊能力者に替えられるだけだろう。

 さて、どうするか……

 

 

第29話

 

 フードファイトを挑んで来たと思えば、テレビ局の仕事内容の相談だった……早く言えば良いのに?

 いや、相談を持ち掛けられたけどフードファイトになった?何故だっけ?

 向かいに座る、困った顔をして此方を見詰めるお嬢様を見て思う。

 確かにこの内容では、何か有った時に彼女の人生が被害者の補償で終わる内容だ。幾らお嬢様とは言え、個人で負担するのは辛い。

 てか、安全管理の殆どを彼女に押し付ける内容は酷いだろう。普通に考えて、交渉内容は幾つか思い浮かぶ……

 

 一つ目は、この契約内容をバラすぞって脅す。勿論、グレーゾーンな部分を法的に指摘する。

 発注者の責任の部分をだ。まぁ、なら結構ですで終わりだな。他にも売れる為ならと無理をする奴は居るから……

 彼女の望む進展は、ちゃんとした除霊のプロセスを踏む事だと思う。

 

 だから2つ目は、逆企画を提案する事だ。でもテレビ局的に地味な調査とか平気か?

 何か彼らを惹き付けるネタが必要だけど……本物の心霊物件でも宛がってやろうか?

 でもテレビ局的に本物はヤバいので、放送ではダミーを混ぜてるって聞いたな。

 衝撃映像など半分以上は偽物だとか……曰く付きの映像の取り扱いが難しいと言う事か?

 確かに除霊もしてない写真や動画を無闇やたらと電波に流すのは考え物だ。

 

「難しいね……これを不当と突っぱねる事は簡単だ。けど、なら企画自体を他の方にとか言われて終わり。

桜岡さん的には、除霊のプロセスを踏んだ流れにしたいんだろ?

でも地味な調査はテレビ局的には受け入れ難い。彼らは視聴率を求めるからな……」

 

「そうなのよね……でも出来れば曰く付きと言われてしまった霊の真相を調べて成仏して欲しいの。

これじゃ自宅に土足で踏み込んで喧嘩を売る内容じゃない?」

 

 ちょっと驚いた。暫く見ない内に、いや結構会ってるけど……そんな考え方を持ってるなんて!

 出来れば彼女の望む展開にしてあげたい。んーどうするか?

 気持ちを切り替える為に、温くなったお茶を一気飲みする……うん、渋くなってる。

 

 新しいお茶をいれる為に一旦席を立つ。急須に新しい茶葉を入れお湯を注ぐ。

 お茶請けに買っておいた坂倉本舗の豆大福を奮発するか。

 

「はい、熱いよ。それと地元の老舗和菓子屋の豆大福だよ」

 

 湯呑みと豆大福を渡して、自分も豆大福をパクリ。うん、上手い。この甘さを控えた上品なこし餡が良いんだ。

 

「んで提案だけどテレビでは映さないが、事前に桜岡さんが現地入りをして心霊物件の調査と準備をする。

これは契約書にも……

 

乙(桜岡霞)は甲(テレビ局)の関係者の安全に最大限の配慮をする。

 

って有るから、逆手に取って事前準備をしないと危険だからと説得させよう。責任を桜岡さんに押し付ける為の一文だから、向こうも危険と言われれば断れない」

 

 これで行き当たりばったりの出たとこ勝負は回避出来るだろう。

 

「でも……それってテレビでは放送されないかもしれない部分ですわよね?」

 

「確かに編集でカットかダイジェストで少し使うだけかもね。でも桜岡さんのやりたいプロセスは踏める。

テレビ局は視聴率が重要だ。だから妥協が必要だよ。それに君がやりたい事は出来る筈だ」

 

 曰く付きと言われてる原因の霊を助けたい。なら過程は割り切りも必要だろう。

 気がつけば10個有った豆大福が残り4個だ。

 

 あれ?僕はまだ2個しか食べてないよ……

 

 彼女を見ても特に口をモグモグさせてないし、僕の倍も食べた様には思えないし。

 

「ん?どうかしましたか?」と微笑む彼女の口元は、豆大福の粉が少し付いている。

 

 つまり僕が気付かない内に4個も食べれたのか?凄いテクニックだ……

 

「いえ、何でもないよ。さて事前の調査や準備は出来る可能性は見えた。

後は責任区分だけど……これは難しいね。精々が現場では桜岡さんの指示に従う事くらいしかない。

本来危険だから素人は同行させたくない。

しかし番組の企画上、彼女達を同行させないと意味は無いんだよね……同行する彼女達にも一筆念書をとるか」

 

 彼女達も危険を承知で、この企画を請けた筈だ!若しくは心霊現象なんて信じていないか……

 でも危険な場所に行くからには、幾つかの基本的な身の振り方と桜岡さんの指示に絶対従う事。

 何か怪我や霊障が出ても、自己責任の範疇で。これ位なら、テレビ局側も交渉に応じるかな?

 誰だって自分の危険はお断りの筈だ。ましてや他人の怪我等に気を使うのは難しい。

 責任をテレビ局側に余りいかない様にすれば、或いは責任区分も緩和されるかも知れない。

 これで駄目なら、桜岡さんの方を止めるしかないだろう……何もテレビ以外が仕事では無い筈だ。

 

「参加するアイドル達にも、自己責任にするの?可愛そうじゃないかしら」

 

「僕には、これ以上は桜岡さんの責任を軽くする方法は考えつかないよ。アイドル達も売れる為に無理をするんだから……

それで辞退するなら、それまでだよ。因みに、これ以上の妥協案で仕事を請けようとするなら僕が桜岡さんを止めるから……」

 

 知り合いが不幸になるのを知っていて止めない訳にはいかない。

 文句を言うなら物理的に監禁か、呪術的に腹下しでもして動けなくするだけだ。

 

「なによ、保護者みたいな事を。でも、どうやって止めるつもりかしら?」

 

 そう言って、彼女は挑発的に微笑む。

 

「具体的に?物理的には監禁。呪術的には下痢。兎に角、動けなくして止めるよ」

 

「なっ?何を言ってるのよ!それに監禁や下痢って犯罪じゃない」

 

 僕も無言で微笑む。でもイケメンじゃないから、微笑むが恫喝の笑みになるから困る。ほら、桜岡さんもドン引きだし……

 

「それだけ無茶苦茶な契約と仕事の内容って事だよ。どうする?交渉するなら同行するよ。

もう乗りかかった船だし、目立ちたく無いけど君だけじゃ交渉は無理だ!」

 

 本当はテレビ局など関わりたくもない。でも……このお嬢様一人じゃ無理だし、交渉だけなら……甘い考え方だな。

 「箱」に関わってから地味に生きてきたが、ここで心変わりするなんて。

 自然と口元が緩む……

 

「何よ、怖い顔をしたと思ったら微笑んで。本当にお父様みたい。良いわ。その条件で交渉しますわ」

 

 桜岡さんの説得は一応の成功か?彼女はテレビ局への交渉には同行する旨を伝えたら、帰っていった。

 日時を決めて連絡をくれるそうだ……彼女を玄関から送り出して考える。

 時刻は既にオヤツの時間を大分過ぎていた。随分話し込んだものだ。

 湯呑みや豆大福のお皿を片付けて、自分のデスクに座る。桜岡さんには話していないが、交渉は揉める。

 問題は霊的な被害の補償と、普通の労災との区分けが今回の交渉のキモだ!

 どの道、除霊の危険を話しても……そのハプニングもテレビ局的には美味しい。

 だから先程の内容では纏まらない。ならば、どうするか?

 

 簡単な事だ。現地に先入りして準備・調査。

 

 これを何としても約束させる。最悪はテレビ局には関係無く調べても良い。それと責任区分を普通の労災と霊的な傷害に分ける。

 これは霊能力者だから、霊障は引き受けるが一般的な怪我等はテレビ局側の責任者に取らせる。

 少し大変だが、難しくは無い筈だ。彼らだって普段行っている事だから……

 それさえ契約書に明記してしまえば、コッチのモノだ!後は調査・準備の時に除霊迄終わらせてしまう。

 これなら(過去に)曰く付きだった廃墟に、単純に肝試しに行くだけだ。

 これで僕達の手に負えない奴が居たら、その時は強い力を持つ霊が居る。

 廃墟に近付けば、僕達では対処出来ない。どうするんだ?的にして、責任を相手に委ねれば良い。

 もし強引に進めれば、その時の責任は全て向こう持ちだと約束させ一筆とるか上司に連絡させる。

 

 彼女の負担は減るだろう……僕の負担は増えるけど。彼女に内緒の方向性は決まった!

 後は裏付けと交渉を有利に進める準備だ。僕は携帯のアドレス帳から、爺さんの代からお世話になっている松尾法律相談所を探す。

 相続の時にお世話になった個人弁護士だが、本来は企業相手の相談が主な仕事内容だ。

 だから仕事の契約の時に同席して貰い、アドバイスをしてもらう。

 大抵は弁護士を同席するとビビる!

 これはグレーゾーンな契約内容を理解して結ぼうとしている相手には覿面(てきめん)だ!

 松尾先生は同郷で爺さんの後輩だ。御年73歳だが現役で働いている。小柄で頭髪は真っ白、短く刈り込んだ髪型に鋭い眼差しの老紳士だ。

 和服を好み、ちょっと目にはヤクザな大親分な感じがする。

 僕を子供の頃から知っていて、やれオシメを替えたとか恥ずかしいネタを知っているんだよね。

 数回のコールの後、電話が繋がった。

 

「はい、松尾です」

 

「松尾先生、ご無沙汰してます。榎本です」

 

 強面だが、話し方は丁寧で優しいんだ。だから電話で話した後に会うと、みんな驚く。

 

「ああ、正明君か。久し振りだね。急に電話をするなんて、何か有ったかな?

それともやっと嫁さんを見付けて、紹介してくれると嬉しいのだが……」

 

 松尾先生は死ぬ前に僕の嫁さんと子供を見たいと煩く言うのだ。だから頻繁には連絡をしないんだけど……

 

「いえ……少し仕事の契約について問題が有りまして。出来れば交渉の場に同席をお願いしたいのです」

 

 出来ればテレビ局に呼ばれたら、その場で話を纏めてしまいたい。即断・即決を出来る準備をしておきたいんだ。

 

「ほぅ!厳しく教えた筈の正明君から、そんなお願いとは。余程の事かな?詳しく聞こうか」

 

「実は知り合いがテレビ局と契約をするのですが……」

 

 松尾先生が同席してくれれば、問題は無いだろう。後はコピーした、この企画書の物件を調べられるだけ調べよう。

 上手くすれば、交渉の必要の無いガセネタの廃墟かも知れないから……そんな淡い期待は直ぐに霧散した。

 コレは、厄介な建物かも知れないぞ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 帰りの電車の中で吊革に掴まりながら、先程の相談事を考える。最初は渋った癖に、結局は最後まで面倒を見てくれそうな感じ。

 あれだけ目立つ事を嫌がっていたのに、テレビ局まで一緒に行ってくれるって……榎本さんにとって、私の位置って何なのかしら?

 

 同業者?大食い仲間?それとも友達?少なくても恋人ではないわよね。告白してないし……

 

 いや、その、えっと、告白って私は何を考えているのかしら?真っ赤になって首を激しく振ってしまった為に、周りの注目を集めてしまったわ……

 でも本当に、彼は私の事をどう思っているのかしら?

 奇態を晒し恥ずかしくなったので、次に停車した駅で降りた。

 

 金沢文庫駅……駅自体は普通だが、ホームの反対側に車両を待機させる引き込み線が何本も有る鉄道マニアでなくとも楽しめる場所。

 普通の電車だけでなく、モーターカーと呼ばれる工事用の黄色い作業車はレール削成車?

 青色の独特な形の電車も有る。アレは走りながらレールの傷を測定し研磨するらしいわ……暫く眺めていると次の快速特急が来たので乗り込む。

 やはり適度に混んでいて座席には座れないが、どうせ次で降りるのだから扉脇の手摺に捕まり外を眺める。

 ボーッと眺めていると、やがて電車は京急上大岡駅に到着した。さて、事務所に帰ったらテレビ局に連絡して日程調整ね。

 榎本さんも今週中なら午前・午後開いてるけど、一応何日か候補をあげてくれって言ってたし……

 これから忙しくなるわ。

 



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第30話から第32話

第30話

 

 東京都港区高輪に有るテレビ局本社。

 

 例の企画書と契約書の件で打ち合わせのアポを取り、現在は榎本さんと待ち合わせ中。

 京急品川駅を降りるとJR品川駅と改札が隣接していて、その構内に有るユニオンの前で待ち合わせ。

 今日の私は仕事の打ち合わせと言う事も有りビシネススーツを着込んでいる。黒のタイトなスカートにジャケットをチョイス。

 首に巻いたスカーフがアクセントよ。コートはバーバリーの新作にした。

 確認の為、左右を見ても可笑しくはないわ。暫く待っていると京急の改札を見慣れた筋肉の塊が?

 

 あれ?あれれ?

 

 見慣れてない法衣を着込んだ榎本さんと、小柄ながら着物を着たご老人が近付いて……あの着物の柄は江戸小紋染めかしら?

 慣れた感じで着物を着こなした眼光鋭いご老人だわ。誰かしら?

 

「こんにちは、桜岡さん。此方は僕がお世話になってる弁護士の松尾先生だよ。先生とは子供の頃からの付き合いだから、安心して信用して欲しい」

 

 いきなり弁護士のお爺様を連れてくるなんて!聞いてませんわよ。

 

「あっ、えっと……初めまして、桜岡霞と申します」

 

 取り敢えず、お辞儀をする。榎本さんの子供の頃からの知り合いって?家族的な付き合いが有るって事なのかしら?

 お爺様は失礼に感じない程度の視線で私を見ると、突然榎本さんの脇腹に肘鉄を喰らわせた!

 流石の筋肉バカな榎本さんも顔をしかめたわ。でも、あれで顔をしかめるだけなの?ガスっとか、結構良い音がしたわよ。

 

「なんだ正明君。こんな綺麗なお嬢さんを紹介するとは、コレか?

都会に出てから体ばかり鍛えて筋肉ばかり付いたが、ちゃんと彼女を捕まえたのか」

 

 カッカッカ、と高笑いをするお爺様。コレ?彼女?私って榎本さんの中では、そういう位置付けなの?

 

「いえ、お爺様。私達はそんな関係では……」

 

「爺さん、彼女が困ってるだろ。ごめんね、桜岡さん。テレビ局との交渉だけど難航しそうだからね。

本職の弁護士を呼んだんだ。

あと企画書の廃墟だけど色々調べたら、かなりヤバいんだ。だから僕も僧侶として、いち霊能力者として助言をするよ」

 

 私と彼のやり取りを楽しそうに見ているお爺様。周りの通行人も私達を注目し始めたわ。

 

「えっと、テレビ局にはタクシーで行きます。此方ですから……」

 

 品川駅のバスロータリーの一角に有るタクシー乗り場に案内する。私も「お茶の間の霊能力者」として有名だし、彼は法衣を纏っている。

 ムキムキの短髪筋肉和尚様状態だわ。しかも、ただ者でない感じのお爺様も居る。目立つ事は確実だわ。

 助手席に私が乗り込み、後部座席に彼らを押し込む。運転手さんに行き先を告げると、タクシーはゆっくりと走り出した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 関東近郊の八王子市の山中に有る廃墟。

 

 地元では有名だ。日本中の経済が麻痺したバブル末期に完成し、バブル崩壊と共に破綻し廃墟となったホテル。

 これを管理する会社が倒産し、競売にかけられた物件だ。しかも立地も悪く近くに観光スポットも無い。

 序でに温泉も出ない。これでは観光客も寄り付かないだろう。

 このホテルの売りは何だったんだろうか?

 競売後も買い手が付かず、管理会社も交通の便の悪いこのホテルを半ば放置している。

 買い手もままならない建物に金を掛けて警備はしない。入口を閉鎖した程度で、絶賛放置中……だから、この建物及び周辺での事故・事件は多い。

 先ずは何時もの様にパソコンで検索する。

 

 キーワードは「八王子 山中 廃墟 ホテル」を入力。

 

 これだけで出るわ出るわ。ヒット件数は3万をこえる……この中で代表的な物を幾つかピックアップする。

 真偽は別としても、ホテルで自殺が2件。これは営業中と廃墟化してから1件づつだ。

 近くで遭難・行方不明者が3件。誘拐殺人の現場の山荘や、死体遺棄の場所も近い。

 

 んー、曰く付きだけなら曰く付き捲りだ……次はグーグルマップを開き、周辺の神社仏閣や史蹟・古戦場の有無を調べる。

 近くには神社のマークが有るが、名前は分からないな。

 こんな山中の神社だし、実際に行かないと無理かもしれない。神主さんも常駐してるかも不明だ。

 関係は無さそうだが、面白いのは運行を中止したロープウェイの廃墟が有る。

 これだけでも横須賀のマンションよりも調べる事は多いな……

 

 次は廃墟としての検索だ。

 

 キーワードは「八王子 廃墟 ホテル 探検 画像」を入力。

 

 廃墟探訪や廃墟探検、または廃墟マニアのブログに写真付きで探検記録が載っている。

 何件かのサイトには、かなり詳細に探検した様子が書かれていた。エントランスから客室、大広間に厨房。

 それに大浴場に機械室や屋上までを探索している。

 パンフレットや顧客名簿、それに備品類まで残されていた。

 夜逃げに近い状況だな……流石に立地の関係で浮浪者等は居ないし、悪戯に来る連中も少ないのだろう。

 さほど中は荒らされていない。

 もっとも公開は5年も前だから、現在は不明だ。

 気になるのは2006年の冬を最後に、何処のサイトにも写真や探検記録が無いんだ。

 この手の廃墟は年数が余り経ってなくて、マニアの間では評価が低い。

 しかし掲載された写真を見る限りでは、落書きや破壊活動は少なく保存状態は良好そうだ。

 中には客室の家具や厨房の機器類も残されたままだし、機械室等も手付かずで残っている。こういう物件を好んで探検する連中も居るのに……

 これは判断が難しい。

 

 訳有り曰く付きで廃墟マニアが寄り付かないのか、単純に廃墟として魅力が足りないのか。

 

 最後は本命の心霊スポットとしての検索だ。

 

 キーワードは「八王子 ホテル名 心霊 スポット」を入力。

 

 此方もヒット件数は8000件をこえた……中でも古参の心霊スポットサイトに、興味深い記述が有った。

 

「深夜このホテルの客室から呻き声が聞こえる」「地下の機械室で自殺した男の霊がホテルを徘徊している」「ここの大広間で写真を撮ると必ず霊が写る」

「深夜2階の廊下を赤ん坊がハイハイしていた」「実はホテルの敷地内に有るお稲荷様がヤバい」

「ホテルの物を持ち帰ると携帯に電話が有る。曰わく持ち帰った物を返してくれ、と」

 

 最後のは良く有る作り話だな。携帯電話が使えなくなったり、妙なノイズや画面の乱れは有る。

 しかし通話は聞いた事が無い。それを除いても多彩な心霊現象だ!

 

 男と赤ん坊の霊。

 

 呻き声は上記のどちらかと関係が有りそうだ。大広間の心霊写真は、それ以外の霊も引き寄せられているのか?

 

 最後のお稲荷は危険だ。

 

 伏見稲荷大社を総本社とする稲荷神を祀るお稲荷様は日本古来の神様だ。赤い鳥居に白い狐のお稲荷様は、誰でも一度は見た事が有る筈だ。

 全国に6万を越えるお稲荷様は、企業やホテルが屋敷神として祀る事が多い。これを倒産後に放置していたら大変だ!

 稲荷神は真言密教ではインドの女神ダーキニーと習合させて広めた。

 つまり羅刹や刹那の如く災いの神・祟り神の一面も持つ。しかも勧請の方法が簡易な申請書だけで出来るんだ。

 逆に言えば強力な稲荷神が住まう事は殆ど無い。厄介なのは信仰あつく祀られると神格が上がる。

 その後で無碍に扱えば、途端に祟り神だ!

 これを真っ向勝負は負けるだけだろう。仮に神格の低い動物霊とか他の良くない霊が社に入り込んだとしても強力だ。

 出来れば現地で先に調べたいが時間が無い。

 明日の午後に桜岡さんと待ち合わせをして、テレビ局で打ち合わせだ。

 

 嫌な予感がする……霊感か第六感か知らないが、この件に関わるのが凄く嫌な予感がするんだ。

 

 何故だろう?仕事的な意味でなくプライベート的な意味で、嫌な予感がするんだ。

 しかし乗り掛かった船だし、桜岡さんを放っておく訳にもいかないからな。頑張るしかないか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 初めてくるテレビ局!芸能人に会えるかと見回すが、特に知った顔は居ない……

 

「ちょっと、榎本さん。落ち着いて下さいな」そう窘(たしな)められてしまった……

 

 まぁ隣にお茶の間の霊能力者、桜岡霞が居るけど見慣れてしまったし。

 アポを取っていた為か、桜岡さんも認知度が高いのか受付で彼女が記帳しただけで中に入れた。

 受付から連絡を受けた私服姿の若者が案内をしてくれて、第8会議室と書かれた部屋に案内された。

 6畳程度の広さで、小会議室といった所か?8人掛けの会議テーブルが用意されていた。

 暫く待っていると、先程の若者がペットボトルのお茶を配りに来て、また待たされる……

 

「なぁ、桜岡さん。何時も待たされるのかい?」

 

 パイプ椅子に座り、お茶を飲むのも飽きたので彼女に話題を振ってみた。

 

「すみません。わざわざ同行して貰いましたのに……普段は此処まで待たされた事は無いのですが」

 

 既に15分以上は待たされているが、此方も5分前には来ているからな。

 

「正明君。落ち着きが無いぞ。慌てる乞食は貰いが少ない。果報は寝て待て、だ。なに直ぐに来るだろうよ」

 

 いや爺さん、ペットボトルをベコベコ鳴らせて言う台詞じゃないぜ。結構苛ついてるだろ?

 

「爺さんもな。その原型を留めてないペットボトルを良く見ろよ」

 

 意外に短気なんだよな。本人は認めないが、一般的な基準では短気だよ。

 

「ん、ああ。儂を待たせた奴を思ってな。ほら、こうじゃ」

 

 勢い良くペットボトルを潰す。

 

「榎本さんの筋肉なら、もっと潰れないかしら?」

 

 桜岡さんも悪乗りしてきたか?仕方無く渾身の力を込めてペットボトルをねじ切る……結構簡単に潰れたな。

 哀れペットボトルよ、昇天しておくれ……こんな漫才を繰り返していると、漸く担当ディレクターが現れた。

 かれこれ20分程待たされた計算だ!

 

「霞ちゃーん、お待たせー。前の打ち合わせ延びちゃってさー。あら、此方の2人は?」

 

 多分40代前半だろうか?細身で170センチ程度の身長。赤いポロシャツに白のチノパン。

 首から社員証をぶら下げた七三分けの男だ。微妙に茶髪だし、全体的に軽い感じがする。

 語尾を伸ばす変な話し方のディレクターが、此方を値踏みする様に見詰める。パイプ椅子から立ち上がり、見下ろす様にして自己紹介をする。

 

「僕は桜岡さんの知人で、真言宗の僧侶をしています。此方は松尾先生です。個人で法律事務所をやっています」

 

 ディレクターも流石に驚いた様だ。

 

「ほぅ!霞ちゃーん、凄いね。格闘家みたいな坊さんに、ヤクザの親分みたいな弁護士さんですか?

で、彼らが同行した目的はなんだい?」

 

 中々大した物だ。威嚇を含めた自己紹介をかわし、的確な表現で僕らを表す。

 これがテレビ局のディレクターか……

 

「えっ、と……その、企画書の内容と契約書の件で」

 

 途中で彼女の言葉を遮る。

 

「ああ、桜岡さんから相談を受けまして。八王子市山中の廃墟を撮影するとか?あの廃墟を何故、舞台に選んだか聞かせて頂きたい」

 

 チンピラにガンをくれる様にディレクターの目を見詰めながら質問する。彼は、テレビ局は何処まで知ってるのだろうか?

 

 ディレクターは「ああ、自己紹介が遅れまして。西川と申します。お坊様は、あの廃墟をご存知で?」少しだけ動揺したようだ……でも落ち着いているな。

 

「ええ、ある程度は。なので何故、あの廃墟を撮影したいのかお聞きしたい」

 

 重ねて質問する。

 

「えー、我々は毎年の様に心霊スポットを紹介する番組をしてまして……その中で、視聴者からのリクエストみたいな葉書や手紙が来るんですよ。

中でも、あの廃墟が凄いとか怖いとかが多くて。ならば、今売り出し中のアイドルとお茶の間の梓巫女桜岡霞をコラボすれば売れるんじゃね?

と思ったんですよ」

 

 なんと、原因は視聴者からのリクエスト?そんな偶然が有り得るのか……

 

 

第31話

 

 桜岡さんにテレビ局から仕事のオファーが来た。ネットで調べただけでも、ヤバい感じだ。

 僕の霊感も第六感も危険だと訴えている。そもそも仕事の契約自体が不利な内容だ……

 これを何とかする為に、松尾の爺さん迄引っ張り出したのだが。ディレクターは視聴者からの葉書か手紙で安易に決めたと言う。

 これは本当の話なのか?兎に角、情報が少ないんだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 テレビ局の会議室で、桜岡さん・僕・松尾の爺さんと向かい合わせに座るディレクター。

 名前は西川と言ったか……

 

「なる程、視聴者からの手紙で廃墟の存在を知ったのですか……しかし少々不用心ではないですか?企画書には、準備・調査の無いスケジュールですよ」

 

 予算が無いから適当に!では済まされないのだが……

 

「えっ?事前に調査ですか?何も無い様にするのが、其方さんの仕事では?」

 

 惚けているのか?それとも本気なのか?

 

「失礼ながら西川さんは霊の存在について、どうお考えですか?」

 

 基本的な質問をする。肯定派か否定派か?それだけ分かれば対応は幾らでも有る。

 

「えっ私ですか?えーっと、お坊さんの前でアレですが居るんですかね?」

 

 そう言い放った表情は、否定派な感じだ。なる程、危険性を信じてないから普通のロケみたいな感覚なのか……

 僕は盛大に溜め息をついた。

 

「ふーっ……僧籍に身をおく僕が居ないなどと言えましょうか?我々は死者の魂を極楽浄土に送るのが仕事。

居ないと言うのは、仏教界全体を否定なさる訳ですな」

 

 大体、人が死んで魂を極楽か地獄に送らないと現世は魂で溢れ出してるって!

 

「いえいえ。そんなつもりは無いですよ。ただ見た事無いのに信じろってのは、乱暴じゃないですかね?」

 

 見れば信じる、か……内心は僕らを馬鹿にしているんだろう。

 でも……こんな奴が、例え見間違いでも霊を見たってなると盲信的な肯定派になるんだよな。

 何でもかんでも心霊現象に結び付けるから、余計に怪しくなるんだ。肯定派だからって、僕らの味方にはならない場合が多い。

 逆に邪魔なんだよね。

 

「話を契約内容に戻しましょう。西川さんは心霊スポットに行く事を前提に企画を練られた。

つまり霊が居るかも知れない場所にアイドル達を送り込むから、保険で桜岡さんに仕事を依頼した。で、良いですよね?」

 

 幽霊の居る・居ないは、話が荒れるだけだ。政治・野球と同じく交わる事がない平行線の不毛な言い合いだから。

 だから「居るかも」と言い換える。素直に頷いたな。

 

「そして、この契約書には桜岡さんはテレビ局のスタッフやアイドル達を守る事に全力を尽くさなければならない。

ならば彼らの危険を減らす為に、事前に調査・準備は契約内容に則った事。これを不当に止めさせるのは、契約違反ですよね?」

 

 どんな仕事でも準備は必要だ。まして安全が掛かってるんだぞ!

 

「いや、でも準備って?何をするんです?」

 

 僕は桜岡さんに視線を送る。これは彼女が言わなくては駄目な内容だ。僕と目が合うと、小さく頷いて話し出す。

 

「先ずは今回の廃墟について、出来る限り調べます。何故、ホテルを廃業しなければならなかったのか?

それから周辺を隈無く調べます。お寺や神社、庚申塚やお地蔵様。霊が出ると言う事は、何か原因が有る筈なんです。

それを調べてから、実際に廃墟に入って調査します」

 

 うん、良い手順だ。僕もネットで調べただけだが、幾つか彼女の知らない情報が有る。

 

「霊とは、悪霊と言い換えても構いませんが誰かに縋りたいのです。恨みの元凶に復讐に……

とか考えがちですが、実際は波長が合えば彼らは誰でも良いんですよ。だから、今回の心霊スポット巡りは危険なのです。

テレビ局のスタッフやアイドル達を守る為にも、桜岡さんは事前調査を要求したんですよ。

勿論、現地に居る人だけが危険じゃない。彼らに理屈は通用しませんから、貴方も危険かもしれません。

もっとも僕らは現地の人達は守りますが、他は知りませんよ」

 

 卑怯な言い方だが、責任範囲外の連中を守る必要は(契約上は)無い。

 

「いや、それは……」

 

 霊を信じていなくても、自分に被害が及ぶと聞けば弱気になる。これって霊感商法の手口だ。

 

「いや別に脅かすつもりはありません。安心して下さい。現地スタッフは必ず守ってみせましょう」

 

 そしてお前以外は守ってみせると言う。一人だけ仲間外れの心理だ。

 

「ちょ、お坊さん!私の安全は?」

 

 そして駄目押し!

 

「僕が一番心配しているのは、この廃墟が……まだ現役のホテルとして営業していた時に勧請した稲荷神社の事です。

バブル当時は賑わっていた高級ホテルだ。さぞ、稲荷神も手厚く祀られていたでしょう。

しかしホテルは倒産……廃墟と化したホテルに残された稲荷神は、最悪の場合。

良くないモノに変化してるかもしれない。霊獣白狐、扱いを間違えれば祟り神になります。

僕は……これらを事前調査しないなら、桜岡さんをどんな手を使っても必ず止めますよ。誰か他の人にやらせれば良い」

 

 本命の稲荷神の話題を振る……正直な所、僕も関わりたくないからな。

 この交渉が拗れても、最悪は構わないんだ。

 

「正明君、彼を追い詰めるな。君、実はこの仕事が危険だから先方から断らせるつもりか?

なぁ西川さん。

幾ら霊を信じていないと言っても、この会社にも屋上に稲荷神を祀っているじゃろ?

あれを不当に扱うのと同じ危険が有るんじゃよ。霊獣白狐、神として崇められた存在を敵に回すんだ。

多分、まともな霊能力者なら断るぞ。正明君も桜岡さんが危険だから同行したんだ」

 

 爺さん、ナイスフォロー!桜岡さん、僕を感激した顔で見ない!西川、僕を複雑な顔で見るな!

 

「榎本さん……私の為に、そこまで考えていたのですか?」

 

「全く若いもんは老人をヤキモキさせおって。幸せになれ正明君。と、言う訳じゃ。西川さんとやら……今回の件はキャンセルじゃな。

若い二人を祝福してくれたまえ」

 

 カッカッカッカ!とか高笑いして、水戸黄門裁きみたくまとめるなー!

 

「爺さん、水戸黄門じゃないんだ。話をまとめるな!桜岡さんも、まっ良いか的な顔しない。貴女の仕事でしょ?」

 

 流石は弁護士だ。危うく納得する所だったぜ!いや、仕事は断れるから良いのか?

 でも流れ的に、桜岡さんとお付き合いが始まる感じだぞ?取り敢えず咳払いをコホンとひとつ……

 

「僕達はちょっと調べただけでも危険な廃墟に、準備無く行こうとするのを止めたいのです。

テレビ的に地味な調査ですが、他のロケでも下見とかするのと同じですよ。それと現在の管理者には撮影の許可を貰ってるのですか?」

 

 複雑な顔で黙り込む西川さんに話し掛ける。

 

「ん……勿論、撮影の許可は取ってますよ。実は管理者の方から手紙を貰ったんですよ。

何でも地元でも有名なお化け廃墟だから、一度取材に来て欲しいって。普通は管理者や所有者と揉めるじゃないすか?

それが向こうから提案してきたんだ。だから渡りに船ってね」

 

 管理者?所有者じゃなくて?自分の管理する物件の資産価値が落ちる……

 いや、価値なんて無いから話題作り?でも何かが引っ掛かるな。何故、所有者じゃなくて管理者……

 

 わざわざ廃墟に呼ぶ意味。ギャラだって大した額じゃないだろう。

 

「さて、西川さん。どうします?桜岡さんに仕事を依頼するなら、事前の調査と準備の費用と日数は必要だ。

それと心霊絡み以外の保障は責任区分から外して下さい。それは一般的な部分だから、発注者側の責任だ。

あとは……現場の最終的な決定権。

例えば危険と判断して、中止に出来るのは誰か決めて頂きたい。

勿論、その人が責任者だから責任取るんですよ。それはテレビ局側から出して頂かないとね」

 

 桜岡さんに仕事をさせるなら、この条件を飲め!そう言う意味を込めた。

 

「うーん、私じゃ即決は出来ませんね。お預かりして、後日に返事をさせて下さい」

 

 うん、その通りだよね。

 

「確かに、そうですよね。松尾先生から、何か有りませんか?」

 

「いや、儂の出番は返事次第じゃな。で?どれ位で返事を貰えるかな?」

 

「一週間以内には、多分平気かと……」

 

 まぁ妥当な線だよね。

 

「桜岡さんは?他に何かないかな?」

 

「私は……私が言う事は無くなったから平気ですわ」

 

 では長居する必要も無くなったかな?

 

「では西川さん。宜しくお願いします」

 

 そう言って、今回の話し合いは終了した。色々と問題は有るが、初回だからこんな物かな?

 受付で貰ったバッヂを返却し、テレビ局を出る。

 行きと同様にエントランスに待機していたタクシーに乗り込む。

 暫くは誰も無言で、ただタクシーの運転手の振る話題に一言二言、僕が応えるだけだ……

 品川駅に近付いた辺りで爺さんが「運転手さん、駅前で喫茶店は有るかな?静かな雰囲気が良いんだが……」とか言い出した。

 

「そうですね。国道沿いに有るルノアールなら、広くて静かですよ」

 

「桜岡さんも良いじゃろ?少し話してから解散しようか」

 

「はい、お祖父様」

 

 お祖父様?これだからお嬢様は困るんだ。コレがお祖父様だって?文句を言っても鉄拳制裁だから黙っておく。

 

 ルノアールは駅から2分もしない好立地だ。店内は広くて、基本的にソファーだ……

 黒い革張りのソファーに深々と座りこむ。何故か隣には桜岡さん。

 向かいが松尾の爺さん。店員が来て、水とオシボリを配っている。

 

「えーアイスコーヒーと……爺さんと桜岡さんは?」

 

「儂はホットだな」

 

「私はカフェモカを」

 

 暫くは、水を飲んだりオシボリで顔を拭いたりしてオーダーが来るのを待つ。ひと通り品物が来てから、爺さんが話し始める。

 

「さて、正明君。どうなんだい?」

 

 また漠然とした質問だなぁ……ガムシロップと格闘している僕に質問を振る。

 

「どうって?アレは無知故に危険を考えられないタイプだな。大体、管理者からの手紙って怪しいだろ?

どうして所有してる物件を曰く付きにしたいんだろう?普通は変な噂が立つのを嫌がる筈だよね」

 

 僕的には、その管理者が怪しいと思う……

 

「榎本さんが危険と思う程なの?危険なら、今回の仕事は諦めても……」

 

「おやおや、この筋肉馬鹿が心配か?全く体ばかり頑丈で困った馬鹿息子みたいな物なんだが、心配している娘がいるとはな。

桜岡さん、この筋肉馬鹿をお願いしますぞ」

 

 変な話をして頭を下げる爺さん。おぃおぃ……

 

「心配なのは桜岡さんだろ?あの契約じゃ仕事は無理だろ。でも、あの感じじゃ上手くいくとは限らないな……」

 

 腕を組んで悩む僕を見て、クスクス笑う彼女。

 

「何だよ、笑ってさ」

 

「いえ、喫茶店に法衣を纏った榎本さんは浮いてますわよ。周りの方もチラチラ見てますし……

まるで初めて会った帰りに寄ったファミレスの時と逆ね。あの時は私が巫女装束だったけど、今思えば確かに浮いてたわね」

 

 嬉しそうに笑う桜岡さん……そう言えば、前は巫女装束の彼女と深夜のファミレスでファーストバトルをしたっけ……あの時も引き分け。

 居酒屋も引き分け。ステーショングリルも引き分け。次はフルーツパーラータカノ辺りで勝負を……

 

「なんじゃお前さん達は、そんなプレイをする仲なんかいな?もう結婚しちゃえYO−!」

 

 親指立てて嬉しそうにホザきやがった!無駄に若者言葉にアンテナを張ってる爺さんの、場違いな発言にドッと疲れたんだ……

 

「本当に、もう嫌だよ……疲れたんだ……」

 

 

第32話

 

 ちくしょう、舐めやがって……

 今回のはヌレヌレのスケスケしか能がないお色気巫女と、売り出し中のイマイチな二線級の女達を集めた低予算な企画なんだぞ! 

 それを弁護士やら筋肉坊主を連れて来やがって……準備・調査だと?

 パッと行ってパッと撮影しろってんだ。全くイライラするぜ。

 

 デスクの上には吸い殻で山盛りの灰皿。そこに無理矢理くわえていた煙草を押し込む……

 飲みかけの缶コーヒーを飲み干して、また煙草に火を付けた。イライラを解消する為に、深々と煙草の煙を吸い込む……

 

「ふーっ!」

 

 少しだけ気持ちが落ち着いた時にADが駆け寄って来た。お前も少し落ち着けよな。

 

「西川さん、分かりましたよ。あの坊さんは警備会社や不動産屋のお抱えの拝み屋ですよ。坊さん+筋肉で有名です!

直ぐに分かりました。榎本心霊調査事務所を開業してます。

爺さんの方は個人で弁護士事務所を開業してます。松尾弁護士事務所。こちらの専門は企業間の契約トラブルですね」

 

 メモ書きを差し出しながら、興奮気味に説明する。渡されたメモを見ながら説明を聞いているが……

 

 ほう!

 

 それなりに有名なんだな。しかも本物の霊能力者に契約専門の弁護士か。やり難いなぁ、全くよ。

 

「で、例の廃墟も調べたのか?何かヤバいらしいぞ?全く、ちゃんと調べろよ」

 

 くそADめ!私に呪いだか祟りだかが降りかかるのは、お断りなんだよ。

 

「えっと……手紙をくれた管理者の方とは連絡が取れないっす。でも留守電は入れてありますから。

ネットで調べたんですが、霊の目撃情報は多いですね。坊さんの言うお稲荷様の情報も確かに有りました。

どうします?」

 

 あの筋肉坊主、マジで仕事を断られても構わない話運びだったな。相手も厄介と思ってるのか?

 つまり本物の心霊現象を捕らえる事が出来るのか?

 

「よし!特番のコメンテーターを何人か切って予算を浮かせるぞ。ひな壇芸人とか要らんだろ?浮いた金で事前調査をさせよう。だが、その様子も全て撮影しろ」

 

 本物の拝み屋の手順だ。何かに使えるだろう……

 後は責任区分だが、心霊関係以外なら何時もの事だからな。会社の一括労災の契約範疇で何とかなるか……

 

「ADちゃん。この企画練り直すから関係者集めて!今回は面白くなるぞ」

 

 本職坊主にエロチック巫女、売り出し中の女達ならお色気を出させても嫌とは言えないだろ。元々モデルと言っても下着メーカーとかにも所属してる連中だ。

 パンツ位は見せ慣れてるだろ?でもゴールデンだから、微エロで止めないとな。

 チラチラで終わりか?テレビ放送で視聴率が取れたら、特別編集してビデオ販売するか?

 なら過度なお色気は、そっちで見せれば売れるだろ?何たってホラーにはエロチックはセット販売だ。

 大抵映画での最初の被害者は、イチャイチャしてるカップルだしな……

 

 よし!新しい企画の基本方針は決まりだ。

 

 一時はイライラしたが、次善の策としては悪くないぞ……

 

「西川さーん!関係者集まりましたよー」

 

「さて、ヌレヌレ梓巫女・桜岡霞の最新作はテレビとビデオの二本立てで行くぜ!」

 

 要らん所で要らん企画は進行し始めた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから榎本さん達とは喫茶店の前で別れて、今は一人で電車で帰宅途中。午後の3時過ぎとは言え電車内は、それなりに混んでいる。

 扉部分の手摺りに捕まり窓の外をボーっと見ながら、先程の事を考える。

 

 彼は番犬……いえ番クマとして、本当に頼りになるわ。

 

 まさか弁護士のお爺様まで連れて来てくれるとは……それに事前にホテルの事も調べていてくれた。

 契約内容を変更しなければ、私を止めるって……何故、そこまでしてくれるのかしら?

 

 私が大切だから?すっすすす、好きだから?

 

 いえいえいえ、あの見た目クマさんは妙に優しいからもしかしたら心配してくれただけ……今回の件をもし請けるならば、少し行動してみましょう。

 でもでも……こんなに心配してくれるのだから、少しは期待しても良いわよね?

 結構な美人が電車内でクネクネしながら赤面してる姿は、車内の人達の注目を集めていた。

 

「嗚呼、美人なのに残念な娘なんだなー」「妄想癖が有るのか?」「でも赤面する美人は良いものだ……」

 

 乗客の心の突っ込みは、意見がかなり割れていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 此方は桜岡さんと品川駅で別れたオッサンと爺さん。松尾弁護士事務所は東京都大田区平和島に有る。

 行きは事務所で合流し電車で品川駅に向かったが、帰りはタクシーを利用している。やはり筋肉坊主は悪目立ちをするから……

 

「正明君、桜岡さんだったか。なかなかの美人でお嬢様な感じだな。アレは育ちが良いぞ」

 

 流石は弁護士!人を観察する目が有るな。

 

「そうですね。父親は社長とか言ってましたよ。普通に金持ちのお嬢様でしょう」

 

 黙っていれば完璧なお嬢様なんだが、中身はオッサンなんだよな……

 

「ふむ……で、どうなんだ?」

 

 ああ、ニヤニヤ始めたぞ。この爺さんは他人の色恋沙汰が好きだからな……全く面倒臭い。

 

「どう、とは?僕らは仕事仲間ですから、それ以上でも以下でもないですよ」

 

 キッパリ断らないと、この爺さんは暴走するから大変なんだ。

 

「何だ、つまらんな。でも結衣ちゃんだったか?女子中学生よりは余程健全だ。彼女も悪い娘ではないが、お前には桜岡さんみたいなタイプが似合うと思うぞ……」

 

 なっ?マイエンジェルよりも中身オッサンを選ぶとは!

 

「爺さん、人を見る目が無いぞ!結衣ちゃんの方が良いだろ?」

 

「このロリコンが!お前がサッサと結婚しないと、儂がアイツに顔向け出来んだろ。早く結婚しろ、早くだ!

儂が……儂がアイツにあの世で会う前にだぞ」

 

 松尾先生は俺の爺さんと懇意にしてくれてたからな。もう年だし、焦っているのか?

 でも結衣ちゃんと結婚するなら、あと四年は待たないと……幾ら法的には16歳で結婚出来るとはいえ、せめて高校は卒業しないと。

 指折り数えていた僕をぶん殴る!何てフリーダムな爺さんだ。

 

「何を数えているんだ?桜岡さんなら直ぐだろ?」

 

「彼女じゃねーよ!結衣ちゃんとだよ!」

 

「お客さん、目的地に着きましたぜ……」

 

 運転手さんが目的地に着いて話し掛けるまで、不毛な会話は続いた。第三者の前で延々と痴態をさらす榎本と桜岡……とっても似た者同士だった。

 

 お前ら、もう付き合っちゃえYO−!

 

 その翌日、西川氏から連絡が有りほぼ此方の希望通りの責任区分での契約となった。費用の方は事前調査は出来高清算とし日数及び内容にて積算するが、それは榎本が日常で行う事なので問題は無い。

 ただ、あくまでも元請けはoffice sakuraoka であり榎本は二次下請けとして契約した。これはテレビ局と直接契約をして縛られるのを防ぐ為だ。

 発注者は二次以降の下請けに直接命令は出来ない。必ず元請けを通すしかなく、請ける仕事の内容も桜岡さんと決められるから。

 揉め事回避の為の契約形態となった。

 

 そして、いよいよ現地に乗り込む日となった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何処までも抜ける様な青い空……絶好のドライブ日和!

 そして八王子市という目的地故に日帰りは厳しいのだが、我が愛の巣に結衣ちゃんを独りきりにする訳にはいかず日帰りです。

 今日は初日と言う事で現地に9時に集合。渋滞を避ける為に、余裕を持って朝6時前に自宅を出る。

 結衣ちゃんには桜岡さんと仕事をする事を説明した。凄く喜んでいたが、何が嬉しいのだろうか?

 早出をするので起こさない様に静かに支度をしていたが、ちゃんと起きていて送り出してくれた……

 

 相棒のキューブは好調だ!

 

 自宅を出て一番近い高速道路、横浜横須賀高速道路。通称「ヨコヨコ」に佐原インターから乗り込み、軽快に目的地に向かう。

 山間部を縫う様に道路が有り、暫し緑を堪能しながらのドライブ。途中の自販機で購入した、午後ティーを啜りながらの安全運転。

 80キロで巡行!途中一般道の国道16号線に降りた時は渋滞に捕まったが、八王子バイパスに乗って目的地へ。

 現場は山の中の為、一旦麓のファミレスの駐車場で合流した。所要時間は1時間45分。まずまずのタイムだ!

 

 既に駐車場には、見慣れたスカイラインが停まっている。R34GTターボ、なんちゃってスポーツカーのAT車だ。

 スカイラインの横に停車すると、直ぐに桜岡さんが降りて来た。

 

「お早う、榎本さん。早いわね。まだ8時前よ」

 

 今日の服装は、薄いピンクのジャンパーにチェック柄のキュロットスカート。足元は歩き易そうなスニーカー。

 小さなリュックを背負っている。毎回思うが、お洒落度では完敗だ。

 僕はと言えば、調査が目的だし依頼人は桜岡さんだから普通の服装だ。山登りを考えて撥水加工を施したジャンパーにカーゴパンツ。

 足元はアーミーブーツで固めて、腰にポーチとリュックを背負っている。軽い登山並の装備だ。腕時計を見ながら現在時刻を確認する。

 僕もΩのSspeed masterを見るが、少し早かったか……

 

「お早う、桜岡さん。でも一時間後に出たなら、この時間には着かないよ」

 

 渋滞を避ける為に早出したんだ。7時に家を出たなら、まだ保土ヶ谷辺りを走っている筈だよ。

 

「ふふふ、私もちょっと前に着いたのよ。他の人達は、まだみたいね。でも凄い装備!相変わらず準備に手抜かりはないのね。

もしかしたら遭難しても平気な位かしら?」

 

 勿論、一泊位なら二人は楽勝な装備だ。しかし田舎故に広大な駐車場。如何にも登山します的な服装の男女。

 そして僕らを含めても5台しか停まってない駐車場。つまりお店から丸見えな訳です……

 

「先に店に入ってようか?まだ待合せ時間までは余裕有るし、それに店から丸見えだからね」

 

 彼女を伴い店内へ。待ち構えていた様に店員さんが案内してくれる……きっと待っていたんだろうな。

 店内は統一されたチェーン店の筈だが、微妙に地方色が溢れている。昔の農工具がオブジェの様に展示してあったりとか……

 それにお土産コーナーが、やたらとデカい。

 

「何かしら?億貯まる貯金箱……これじゃ100万円も無理じゃないかしら?それに、コレ蝮を乾燥させた物なの!」

 

 ああ、地方の駄洒落商品か……

 

「桜岡さん。それは億貯まるで奥多摩って駄洒落だよ。場所は全然離れてるのに不思議だね。

蝮は本物だけど、一匹で3000円は安いのか高いのか判断が微妙だ……まぁ席に座ろうよ」

 

 他にも田舎観光地ならではの定番のペナントやマグカップ、提灯にお饅頭と色々だ。暫くお土産コーナーで時間を潰せた……

 取り敢えずドリンクバーと軽食を頼む。軽食と言っても僕はトーストセット、彼女はホットケーキ。それに山盛りポテトだ!

 机に料理が並び、各々好きなドリンクを用意してから打合せを始める。

 

「さて、調査初日。テレビ局関係者も来るけど、何から始めようか?」

 

 他の連中が来る前に、簡単な打合せをしておくべきだろう。

 

「ん?ホットケーキ食べます?」

 

 僕は真面目な話をしているのだが……上品にホットケーキを切り分けてたのに、フォークに刺して一切れ口の前に寄越してきやがった。

 

「いえ、要らないです」

 

 アーンな感じですよ?嫌ですねぇ、全く相変わらずガードが緩いぞ!食べ物を前にして彼女に真面目な話は無理なんだ。

 食べ終わるのを待とう。そう思い、自分の分のトーストにジャムを塗り始めた。

 



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第33話から第35話

第33話

 

 鄙びたファミレスチェーン店で朝食……周りには殆ど客は居ないから、嫌でも目立つ美女と筋肉。

 凄い目立つ凸凹カップルだ。

 最近思ったが、梓巫女の装束を着ていないと桜岡さんが有名人とはバレない。微妙に髪型とか衣装とかを変えている為か、バレたのは三浦海岸のファミレスだけだな。

 まぁあの時はまんま巫女装束だったし、バレない方が不思議だろう……本当に何でも上品に美味しそうに食べる。

 

 普通にお嬢様な彼女が、ヌレヌレだのスケスケだのの変なアダナになったのが不思議だ。これがテレビの怖さなのだろう。

 真実が歪曲されて広まってしまう。僕も奴らとの付合い方には気を付けないとダメだ。

 ただでさえ後ろ暗い、過去と秘密を持っているのだから……料理を完食したので、漸く真面目に仕事の話をする事が出来る。

 

「「御馳走様でした!」」

 

 僕らは食材への感謝の思いを忘れない。

 

「さて、漸く仕事の話が出来るね。余り時間は無いから簡単に……テレビ局側は何人来るのかな?」

 

 余り大所帯だと、行動に制限が掛かる。今日は様子見だが、何が有るか分からないから……

 

「ADさんにカメラさん、音声さんにマネージャーの四人よ」

 

 マネージャー?居たんだっけ?この間のテレビ局との打合せには来なかったよね。

 

「桜岡さんのマネージャーなんだ?居たんだ、ならテレビ局との打合せに……」

 

「マネージャーと言っても専属じゃないのよ。私も一応、芸能プロダクションに登録してるの。

だから複数のタレントの面倒を見ている人だから、仕事の契約をした時だけお世話になるの。でも今回は、特別に同行するのよ。

なんたって怖いのが嫌いな人なんだけど、契約とかの話をしたら一度榎本さんに会いたいからって……」

 

 僕に?変な地雷を踏んだか、フラグを立てたのか?

 

「まぁ良いや。先ずは今日の行動だけど、基本的には廃墟には入らないよ。出来れば依頼人の管理者にも下調べが済む迄は会いたくない。

ちょっと気になるし、怪しいんだよね……」

 

 あれ?不思議そうな顔だぞ。

 

「凄い慎重なのね。でも依頼者に会わないのは何故かしら?色々と話を聞ける筈でしょ?それこそ当事者だからこその、確かな情報よ」

 

 僕は管理者の癖に、心霊とかお化けとか建物に悪いイメージが広まる事をやろうとするのが分からない。

 普通は隠すか、話が広まるのを嫌がる筈だ。なのにテレビ局に手紙を出してまで呼び寄せるのは何故だ?

 

「普通は管理している建物に、悪い噂が立つのは嫌だろ?わざわざ手紙を出してまで呼び寄せるのは何故だ?

考えられるのは、本物の心霊物件だから無料で解決して欲しい。ならば僕らに不利な情報は話したくない。

無理だと帰られては困るからね。それを調べる前に廃墟に入らされる危険も有る。だから下調べをしてから接触するべきだね」

 

「うーん……考え過ぎじゃないかしら?本当に困って連絡してきたかも知れないし」

 

 まだまだ甘いと言うか、優し過ぎるんだ。僕が歪んでしまっただけかも知れないけどね。人は本当に困ると、他人を巻き込んでも何とかしたい連中が多い。

 まだ情報が全く無いのに、そんな不用心な真似は出来ないんだ。

 

「用心にこした事は無いからね。さて、これからテレビ局の連中が来るけど……僕の立場は桜岡さんに雇われた同業者。

だから何か有っても僕に安易に判断を委ねちゃダメだよ。彼らが君を甘く見るから……あくまでも責任者は桜岡さんだからね」

 

 最悪、本物のホラーハウスの場合にだ。頼り無い姿を見せていたら統制が取れない。勝手に逃げ出したり、勝手な事をするかも知れない。

 だから桜岡さんの近くに居れば、彼女の言う事を聞けば安全と思わせないとね。

 ただでさえ本番では、僕はテレビに映りたくないから距離を置くし……

 

「分かってます。私がしっかりしないとダメだから……私の企画ですもんね!」

 

 笑顔で答える彼女は、本当に眩しい。人助けをする事に迷いがないから……命が惜しくて「箱」に贄を差し出している僕とは根本が違うんだ。

 だから、だから出来るだけの事はしよう。

 

 ある程度、話し終わった頃に彼女の携帯が鳴った。駐車場を見ればワゴン車と軽自動車が新たに停まっていて、四人の男女が佇んでいる。

 どうやら全員集合のようだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、皆で軽く朝食を採ってミーティングをした。勿論、僕らも二回目の朝食だが軽い物だ。

 今回の参加者だが……AD君は前回テレビ局で案内してくれた彼だ。20代後半、今風な若者。

 カメラさんは40代だろうか、無口なマッチョメンだ。彼とは気が合いそうだ。

 逆に音声君は金髪ロングのチャラチャラした30代で、苦手なタイプ。

 マネージャーはといえば、20代後半かな?黒髪ショートの極々普通のOLさんで、幼い感じの女性だ。

 ロリじゃないが、20代前半でも通用するかな?程度のロリ道を歩む僕としては中途半端な感じだ……

 現地調査だから他の男性陣は動き易い格好だが、彼女はハイヒールでした。いや、山道どうするの?

 微妙に先行きが不安な六人組だ……

 

 因みにマネージャーさんの名前は、石川恵理子さん。男達は、どうでも良いので役職名で通します。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目的地の廃墟の有る山の入り口まで到着した。見上げる山々は、濃い緑色をした葉を茂らせている。

 鬱蒼として暗い感じで、とても観光地とは思えない。人の手が最低限しか入ってない原始の森だ。

 先ずは周辺の調査を行うのだが……

 

「榎本さん、先方に連絡して有るんですよ。本当に会わないんすか?」

 

「相手を信用する根拠が無いのに、いきなり会うんですか?此方が問題の廃ホテルです!

って案内されて予備知識無しでホラーハウスに突入?はははは!僕も桜岡さんも君の安全は保証しないよ」

 

 このAD君は馬鹿なの?事前に今日の予定は打合せしてあるのに、何故訪ねないと言ってある先方にアポを取ってるんだ?

 

「でも僕、連絡しちゃったし……困りますよ」

 

「調査が難航して其方まで伺えない。とか、色々と理由は付けられるでしょ?桜岡さんからも言われてますが、初日だし慎重に進めますから……」

 

 未だにブツクサ言うAD君を放置して、桜岡さんの元へ。マネージャーさんと話していたが、此方に気が付くと笑いかけてくれる。

 

「榎本さん。先ずは車で徐行しながら、周りを確認してみましょう。それで気になる物が有ればチェックして調べる。

特に庚申塚やお地蔵様、神社やお寺は要チェックですね」

 

 うん、上出来です。

 

「そうですね。車は四台ですが、我々は六人。二台に分乗するか、ワゴン車に全員乗るか……僕の車には道具一式乗せてるから二台が良いです」

 

 出来れば一台まとめて移動が制御し易いが、機材が無いのは心許ない。それに万が一の為に、お神酒と油揚げを用意している。

 神様相手だから、下手に出ないとアッサリ死ぬから……

 

「では榎本さんの車と局のワゴン車で。私と石川さんの車は置いて行きましょう。では私達は榎本さんの車に乗りましょう」

 

 僕と桜岡さんは別れて乗り込んだ方が良くない?

 

「僕らが一緒より分かれた方が対処し易くない?」

 

「んー、それも考えたけど調査だし一緒の方が直ぐに意見交換が出来るから。それに今日は調査だけですから、平気でしょ?」

 

 責任者で有る桜岡さんに、拝む様に言われては立場的に断れないか。それにムサい男共より、ロリじゃなくても女性の方が万倍マシだ!

 

「分かりました。AD君来てー!一応これ、渡しておくから。それと携帯の番号を交換しておこう」

 

 AD君を呼んで、お札と清めの塩を渡す。

 

「お札は各自で懐にでも入れておいて。塩は何か有ればバンバン撒くんだよ。量は有るから気にせず使ってね」

 

 取り敢えず、お札を三枚と清めの塩を1キロ。

 

「重っ?こんなに清めの塩?相撲みたいっすね?てか、これで何十万とか請求されるんすか!」

 

 量が有ると有り難みは薄れる筈だが、何十万ってボリ過ぎだろ。

 

「チマチマ撒くよりドバッと撒いた方が効くよ。ちゃんと僕が祭壇で清めた塩だから、効果は保証するし。勿論、何十万もしないよ」

 

 おっかなびっくりと塩を持つAD君から取り上げで、コンビニのビニール袋に小分けして、各々に配る。余計に有り難みが薄れた……

 

「何か榎本さんって、僕の知ってる霊能者と違うっすね!お札とか清めの塩とか、貰った事ないっすよ。こういうのって僕らでも使えるんすか?」

 

 AD君が、お札を珍しそうに眺めながら聞いてくる。カメラさんも音声君も同様だ。

 

「別に特別な力が必要な訳じゃないよ。勿論、作り出すには霊力を込めるし使用効果も一般人より高いけどね」

 

 お札やお守りなどは、元々は普通の人でも使える様に出来ている。

 

「でも高額っすよね?」

 

 値段に拘る奴だな……他の連中も、僕の顔を伺ってるし。使ったらお金を取られるとでも思ってるのかな?

 ならば、その心配を解消しないとダメだな。

 

「坊主に法事とかで読経させると、相場は一回で三万から五万。例えば一回に1キロの塩ならば、1グラムで30円だよね。でも10キロなら1グラム当たり3円だ。

だから、それだけ使い切っても3000円。まぁお金は取らないから安心してよ」

 

 霊感商法じゃないんだから、ボッタクリみたいな真似はしないよ!

 

「榎本さん。私にも、その塩を売って下さい」

 

「えっ?桜岡さんも必要なの?何時もはどうしてるの?」

 

 確か前は持ってたけど、まさか何処かから買ってるのか?

 

「えっと、知り合いの神社から清めた塩を買ってるんです……」

 

 偉く恥ずかしそうに、申し訳無さそうに言っているのは……多分高いんだろう。

 

「1月に1回、1キロ迄ですよ。友情割引で1万円で良いです」

 

 別にボッタくる気もないし、1回で大体3キロは清めるから平気だろう。ニコニコしている桜岡さんを促して車に乗せる。

 いよいよ調査に出発だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 車を走らせて数分、幸い他に車は見掛けないので30キロ程度のスピードで走る。

 山の中をクネクネと曲がりくねっている道は、雑草が生え落ち葉が吹き溜まり荒れかけている。

 標識やガードレールもサビが浮いているし……

 

「んー、相当痛んでるし手入れをしていない。生活道路として使っている感じもしない。あっ!落石が道の端に、そのまま有るな……」

 

「それは仕方ないんじゃ?バブル崩壊から10年以上過ぎてるわ」

 

 マネージャーの石川さんが、外を見ながらポツリと言う。ソワソワしている様に感じるのは気のせいかな?

 もしかしてトイレ……か?

 

「地図で見ると付近に古い集落が有るんだ。彼らが道路を使っていたら、もう少し手入れをすると思う。

ほら!ガードレールが無くても、何も養生してない。人が使っていれば、ロープを張るとか何かしらするよね。

特に都会でなく田舎の人達は、そういう事には細かいんだよ」

 

 他人に無関心な都会と違い、田舎は横の繋がりが強い。この手の仕事は共同で迅速に行う筈だ。

 放置する程、人手が無いか他に道が有るか……営業中のホテルと集落の連中は、上手く関係を築いていたのかな?

 少し走ると大きな錆だらけの看板を見つけた!縦2m横6mは有る大きな看板だ。車を降りて確認する。

 錆だらけで良く分からない部分も有るが、この山全体の簡易な地図とホテル迄のルート。

 それに付近の景勝地が分かる。近くに川が有り、小さな滝と池が有るのか……

 

「観光出来る場所が滝と池だけ?これは廃れるよ。でも水場には霊が集まり易い。行ってみるか……」

 

 現在地から一番近い池迄は、車なら5分と掛からない場所だった。

 

 

第34話

 

 大きな錆だらけの看板。これはホテルが開業の時に立てた案内看板だろう。

 デフォルメしたホテルと、その付近の情報が簡単だが読み取れる。山頂近くに有るホテルからクネクネと道が麓まで続いている。

 しかし観光出来る景勝地は滝と池だけだ……取り敢えず水場には霊が集まりやすいし、一番近くの池に行ってみるか。

 気が付けばカメラさんが看板を舐める様に撮影している。

 

「寂れた感が漂って良い感じだな。これは使えるだろう」

 

 独り言の様な渋い意見に、返事を返してみる。

 

「編集して番組で使うのかい?」

 

 カメラを止めて、此方を見る。やはり彼は中々の筋肉だ!

 

「ああ、使えるかもしれない物は撮る。しかし……良い筋肉だな」

 

「ああ、アンタも中々鍛えてるな。良い筋肉だ」

 

 お互いニヤリと笑うと、看板から離れる。

 

「周りの景色も撮っておくんだ。こんな寂れた場所は中々ないぜ。他の番組でも使えるかもしれん」

 

 ああ、この映像を転用するのか……でも何もないコレが使える番組が有るのか?

 

「田舎に泊まろうか?くらいしか使えないだろ?」

 

 こんな山の中の寂れた映像なんて、他の使い道が有るのが信じられん。

 

「結構あるんだ。バラの映像を組み合わせたり、最近の編集機能は凄いからな。例えばドラマや映画、安っぽい奴は大抵色んな映像を繋ぎ合わせるんだ。

例えばウチが企画した和製ホラーはよ。人気の無い森の中って設定だが、役者と撮るのは都内の森でよ。他は行った事も無い癖に、こんな映像を使うんだぜ……」

 

 そして簡単な最近の画像編集の技術を教えて貰った。そんな技術が有れば、簡単に低予算なB級特撮番組が出来るよなー……

 いや技術が凄いと言い換えれば良いのかな?カメラさんと友好を深めていると、視界の隅にAD君がせかせか動いているのに気付いた。

 何やら桜岡さんに看板の前で何かコメントを言って欲しいと頼み込んでいる。

 

 君は演出も兼ねてるのか?

 

 要望に応えて桜岡さんが、看板をバックに何かを話そうと……あれ?僕を手招きしてる?仕方無く近付いて聞いてみる。

 

「どうしたの?」トコトコと近付いて来て「看板だけ見て何かコメントって……何を言えば良いのか分からないわ」そりゃそうだな。

 

 もう一度、看板を見て考える。

 

「んー、看板だけ見ての情報だと……先ずは基本的な情報のおさらいかな。何故、廃業に追い込まれたのか分かる?」

 

 事前情報では知っているが、実際に目で見て判断出来る事も有る。

 

「業績不振でしょ?んー、そんな単純な質問はしないわよね……そうね、周りに見る所が滝と池だけ。それに交通も不便だわ」

 

 良く出来ました。

 

「何よ、ニコニコして?気持ち悪いわよ」

 

 そう言って胸板をバシンと叩く。音は凄いが痛くはない。逆に彼女の手の平の方が心配だ……

 

「酷い言われ様だな。この看板を見る限り、何にも無いのが魅力か?でもリピーターは来ないよね。

典型的な抱え込み型の観光ホテルだ。でも観光無い温泉無いじゃ余程、料理が美味いかサービスが良いかじゃないと……わざわざ来ないよね」

 

 潰れる為に建てたホテルだな……

 

「そうよね。他に良い所が一杯有るし、一度来れば二度目は無いわよね」

 

 手の平にフーフー息を吹きかけながら応える。痛いなら叩かなきゃ良いのに……

 

「いや、ホテルの経営方針とか営業戦略じゃなくて、霊能者としてです。何か分からないっすか?」

 

 AD君が割り込んで来た。調査・準備で来たのに、もう撮影の方に比重が傾いてるな。

 音声君もカメラさんも煙草を吸って手持ち無沙汰だし、少し長く話し過ぎたか……

 

「そうだね。水場には霊が集まりやすい。後は錆びてて見難いが、鳥居のマークが有る。

滝・池・神社は調べるべきだな。後は気が付いたと思うが、今走っている道路はホテル専用だと思う。

生活感や手入れをしてる気配が無い。付近に集落も有るのに利用してないのは何故だ?

集落もホテルとの関係を調べるべきだね。後は……」

 

「あー榎本さん。それカメラに向かい桜岡さんに喋って欲しいです。貴方はテレビに映りたく無いんですよね」

 

 どうやら桜岡さんの仕事を奪ってしまったようだ。

 

「すまない、桜岡さん。君も気付いた事をペラペラと……じゃオッサンは下がるから、撮影を始めて」

 

 そう言うと看板から少し離れた場所に移動する。丁度、適当な樹木が有ったので寄りかかる。看板の周りにはベンチも有るが、痛んでるから僕が座ると壊れそうだし……

 桜岡さんは、さっきの話を上手く纏めて説明している。この後は池を調べて次は滝かな……

 その後に付近の集落まで行ければ今日は十分だろう。池も滝も昼間見ただけでは何も分からないけど、鬱蒼と茂った森の中に澱んだ池が!

 とか透き通った池が!とかテレビ的な画像は撮れるだろう……カメラさんは喜びそうだ。

 

「榎本さんって、霞ちゃんとの関係って?もしかして付き合ってたりする?」

 

 隣りにマネージャーが立っていた。てか気が付かなかったよ……

 

「ねぇねぇ、付き合ってるんでしょ?」

 

 人が今後の展開を考えてたのに、ニヤニヤと色恋話を振ってきやがった!この中途半端なロリ顔め。

 

「まさか!あんなお嬢様とオッサンがか?笑えない冗談だな」

 

 この辺はキッパリ言わないと歪曲して広がるからな……

 

「年の差・身分の差カップルなんですか!凄いロマンティック……」

 

「アンタ、バカァ?んな訳無いだろ。てか人の話を聞けよ……」

 

「おっ?しかもアニオタ?霞ちゃんの梓巫女服に萌えちゃう感じ?いやー榎本さんて、エロオヤジなんだね。私も気を付けなくちゃ!」

 

 この娘は典型的な色事大好きなトラブルメーカーっぽいな。勘違いや思い込みも酷いし……

 気を付けないと大変だぞ。適当に話を濁して撮影が終わった桜岡さんに近付く。

 

 後ろから「ヒューヒュー熱いねぇ!」とか野次が聞こえるが無視だ!

 

「ご苦労様。さて移動しますか?」

 

 幸い桜岡さんは、マネージャーの暴走に気が付いてないみたいだ。

 

「そうですわね。でも池を見るだけで何か分かるかしら?」

 

 そんなに劇的な事は分からないだろう。そんな意味も含むて両の手の平を上に向けて肩を竦める。

 

「行ってみないと分からないけど、大した事は……先ずは虱潰しに調査だからね」

 

 看板一つで30分以上も使ったよ。少し急がないと今日のノルマが達成出来るか微妙だな。大体のタイムスケジュールを思い浮かべる。

 4時過ぎには帰らないと、結衣ちゃんと一緒にご飯が食べれないからね。現在10時前だから、残り6時間って事だ。

 車に乗り込み先ずは池へと向かった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 のんびりと走りながら周りに目を配るが、何も無い。本当に荒れ果てた道路だ……

 街灯なんて無いから、夜は普通に怖いだろう。闇を怖がると言うか、鬱蒼とした森は原初の恐怖が有る。

 風や動物の立てた音だって怖いと感じるしね。看板から10分程度で池に着いた。

 ほぼ円形で直径は100m程だろうか?水辺にはバーベキュー場が有り、キャンプも出来ただろうスペースが有る。

 

 管理事務所だろう。

 

 原型を留めたプレハブ小屋、それと貸しボートも陸上げされて残ってる。まだ使えそうだ……

 池の周りも遊歩道だったのか、今は草がボウボウだが歩道の名残りも有る。

 

「これは……結構本格的に金を掛けて整備したんだな。貸しボートにバーベキュー場、それに遊歩道まで有るよ」

 

 池の辺で全体を見回しながら感想を言う。

 

「でも肝心な池は……澱んでるわよ。滝が有るのに川に繋がってはいないのね」

 

 確かに滝から川へ川から池へと流れれば、水は綺麗な筈だ。しかし、この池は澱んでいる。

 つまり滝とは別の水源なんだな。足元に落ちていた大きめの石を広い、力一杯投げてみた。

 大きな放物線を描き20m位の離れた場所にボチャンと水音を立てた。

 

「ボートが有る位だから、水深1m以上は有りそうだな。でも濁っていて底が見えないから分からない」

 

 緑色と言うのは、藻とかが生い茂っているんだ。溺れたら体に絡んで大変だろう。

 

「ボート出してみる?」

 

「危険だな……放置したボートでかい?沈没したら大変だぞ。藻が絡むし、もしかしたら沼みたく泥に足を取られるかもしれない。

それより遊歩道を歩いてみよう。何か見付かるかも?さぁリーダー、皆を呼ぼうか」

 

 周辺を好き勝手に探索していた連中に声をかける。

 

「おーい、桜岡さんが話が有るから集合!さて、桜岡さん。この後の方針を宜しく」

 

 リーダーたる彼女が、皆に説明しないとダメだからね。バラバラと集まって来る連中を見ながら、今回の立場って難しいと思った……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「さて皆さん、この池を調べますが……管理事務所は鍵が掛かっていましたから中には入れません。

管理者の方に会う時に鍵を借りましょう。バーベキュー場は何も有りませんでした。なので遊歩道を一周してみましょう。

あとボートは放置されて長そうですから危険です。今回は乗りませんわよ」

 

 彼女の説明は中々分かりやすい。しかし草ボウボウの遊歩道を歩くのは大変だ。なので車から道具を取り出して来た。

 愛車cubeの弱点はトランクスペースが小さいんだ。だから必要最小限の荷物しか積めなかった。

 今回は必要な物が多くて選別が大変だったよ。

 

 先ずは草を切り裂くブッシュナイフ!普段は安い海外製を使うんだけど、今日はお気に入りの山刀を持ってきた。

 「蕨手(わらびて)山刀」土佐の名工、秋友義彦先生謹製の8寸5分の両刃だ!刀身から一体構造の共鉄柄の狩猟刀。この刃渡り255mmの前には、軟弱な草木など……

 あとは軍手に虫除けスプレー、それにロープとタオルだ。タオルは頭に巻くのだが、蜘蛛の巣とか色んな物から守ってくれる優れもの。

 ロープは10mだが、意外と色々な事に使える。

 彼女の説明が終わった所で、参加者に軍手とタオルを渡す。

 

「えー補足ですが、軍手は分かりますよね。タオルは頭に巻いて下さい。

蜘蛛の巣とかヒルとか居るかも知れないから。後、僕が先頭で道を作りますから一列で進みましょう。

僕・桜岡さん・マネージャー・AD君・音声君・カメラさんの順番で。カメラさんは撮る時に僕が邪魔なら声を掛けて下さい、どきますから。

では行きましょう」

 

 皆が準備を終わるのを待つ。マネージャーが虫イヤー!とか虫除けスプレーを盛大に体中に掛けているが……

 夏場じゃないから肌も露出してないし、そんなに掛けなくても平気だぞ。

 

「では、行きますか!」

 

 スラリと蕨手刀を抜いて、手前の草木を切り裂いて行く。うん、素晴らしい切れ味だ……ブルトーザーの様に掻き分けて進めるぜ!

 

「榎本さん、馴れてますわね。しかも、その刀……」

 

 草木を切り裂くのに集中し過ぎて話し掛けられたのが分からなかったぞ。危ない危ない。

 これじゃ刃物キチガイじゃないか……

 

「ん?ああ、コレかい。僕の田舎はね。今はダム湖の底だけど、此処に負けない位に山奥だったんだ。だから山歩きは馴れてるんだよ」

 

 子供の頃は山の中が遊び場だった。小さな山刀を持って、走り回ったんだ。山刀で竹トンボを作ったり、山菜やウサギとかも捕まえた。

 魚を釣って山刀で捌き、火をおこして焼いて食べたりもしたな。今の過保護な親達には発狂する子供時代だったぜ。

 

「本当に頼りになるわ。この番クマは。あとは、もう少し躾(しつけ)れば大丈夫ね……」

 

 何か桜岡さんが不穏な言葉をブツブツ言っているが、危険だからスルーした……バンクマってなんだ?躾って誰をだ?

 彼女は何を企んでいるんだ……

 

 

第35話

 

 やはり刃物とは男心を擽る何かが有る!蕨手山刀を手に、バッサバッサと草木を切れば……

 そのまま50mは進んだだろうか?何やら開けた空間に出た。

 

「ふぅ……ちょっと待って!何か開けた空間に出たから、調べてみよう」

 

 後ろの連中に声を掛ける。問題の空間は円形で直径10m位だが、確かに人の手が入った跡が有るんだ。

 最初は池の辺の休憩所とも思ったが、遊歩道を挟んで池の反対側が開けている。普通は池側に休憩所を作るだろう。

 観光地として数少ない、景勝地で有る池を見せるんだから……

 

「あら、何かしら?榎本さん、祠みたいだわ」

 

 桜岡さんが何か見付けたみたいだ……隣に並んで見れば、立派な楠木の下に小さな祠が有った。

 その周りは雑草が刈られ、綺麗に掃除が行き届いている。

 

「清められて、お供え物も有るね。つまり信仰している人が居るのか……」

 

 祠の前にはお酒と団子が供えられている。団子は卵を模しているから、蛇神かも知れない。

 御神体は、石かな?石には文字がうっすらと書かれているが、殆ど読めない。

 

「大蛇……姫……領主……殆ど読めないから多分たけど、水神を祀ってるね。御神体も古そうだし、調べれば伝説が伝わってるかも知れないな」

 

 リュックからワンカップを出して供える。大蛇、もしかしたら龍かもしれないが、そんな大物が相手じゃヤバい。

 伝説の龍なんて、天候を自在に変えたりするんだぞ!そんな天変地異な連中が、おいそれと居る訳が無いんだけどね。

 

「何時もお酒を持ち歩いてるのかしら?飲み過ぎは体に悪いわよ」

 

 ねぇ大丈夫?依存してない?私、アルコール中毒は嫌だからね。とか失礼な質問を続けざまに聞いてくる。

 僕はアル中じゃないぞ!全く酷い誤解だ。

 

「当初は稲荷神だと思って、お酒と油揚げを用意したんだよ。でも信仰の生きている祠だから、お祀りしなければ大変だからね。

でも、此処に来るルートは遊歩道以外は……」

 

 周りを見回すと、祠の後ろに草木を踏み固めた獣道が有る。曲がりくねっているので先を見通せないが、集落に繋がっている予感がする……

 

「道が有りますね……」

 

「行ってみようぜ?」

 

「何処に繋がってんだろう?」

 

 AD君・音声君・カメラさんが獣道の先に行きたがっているが……

 

「先に池を調べよう。まだ集落とホテルの関係も分からないし、田舎の集落は排他的な場合が有る。余計なトラブルは避けよう。桜岡さんも良いかい?」

 

 田舎って牧歌的で日本人の心の故郷みたいな感じがあるが、実は村八分とか陰湿な面も有るんだ。特に生活環境が厳しい所は顕著だ。

 映画の楢山節孝でも有名だが、姥捨山や子供の間引きも有った。山で暮らす木地師達は、間引いた子供の為にコケシを作った。

 コケシは「子消し」から来てるなんて云われも有るし……現代では笑い話だが、明治の初期頃までは実際に行われていたんだ。心配し過ぎかも知れない。

 でも、いきなり訪ねるよりは下調べをするべきだよ。

 

「分かりましたわ。皆さん先に遊歩道を調べましょう。榎本さん、行きましょう」

 

「少し待ってくれ。撮影するから……」

 

 カメラさんが、祠と周辺を撮影する。

 

「桜岡さんも看板と同じくコメント宜しく!」

 

 AD君に言われ、祠を前に簡単な水神についての説明をする。流石は梓巫女だけあり、蛇神とか龍神とかの知識は僕より豊富だ。

 簡単な事例と比較して説明している。これは面白い企画になるか、稲荷神・水神・廃墟と手を出し過ぎて纏まらなくなるか……

 撮影が終わり、リーダーの一声で残りの遊歩道を調べる事にする。

 

 しかし……散々遊歩道の草木を伐採し、祠に供え物もした。僕らが来た事を先方は知るだろう。

 

 水神伝説か……全国各地に似たような伝説が有る。夜叉ヶ池の次女伝説・阿池姫伝説、大沼の黒姫伝説とか……

 大抵は大蛇か龍が娘を見初めて連れ去る話だが、実は日照りや飢饉の時に生贄を水神に捧げた場合も有る。

 あの池に生贄の娘達が沈んでいる事も考えられるんだ。稲荷神より危険かも知れないな……遊歩道は途中で休憩用の東屋が有った位で、特に目新しい発見は無かった。

 鬱蒼と繁った草木に阻まれて、見落としが有るかもしれない。しかし6人掛かりで探したんだから大丈夫かな?

 草木を切り分けて歩いたので想像以上に時間が掛かり、バーベキュー場に付いた時には太陽が真上に来ていた。

 

 つまりお昼だ……

 

「ふーっ!流石に少し疲れたな。桜岡さん、休憩にしようか?」

 

 流石に一時間以上も山刀を振り回していれば疲れる。バーベキュー場に備え付けられたベンチに座り、一息つく……

 このバーベキュー場は机やベンチが有り、屋根も付いている。樹液でベトベトになった蕨手山刀をウェットティッシュで丁寧に拭き取り、油を染み込ませた布に包んでしまう。

 刃物は手入れが大切だ。帰ったら本格的に手入れをするが、今はこれで良い。

 序でに軽く汗をかいたので、顔や手をウェットティッシュで綺麗にする。何たって水道が無いから、ウェットティッシュは必需品だ!

 

「皆、昼飯にしよう。用意してあるかい?」

 

 僕の声にAD君がワゴン車から弁当とペットボトルのお茶を運んで来た。

 

「これが噂のロケ弁か?」

 

 何て事は無い仕出し弁当だが、美味しそうだ。

 

「一応6個有ります。種類はバラバラですが、お好きなのを……あっ僕は唐揚げ弁当っすから」

 

 見れば、幕ノ内・唐揚げ・ハンバーグ・カレー・オムライス、それにカツ丼か……でもカレーとか冷めてるとマズくないか?

 AD君が説明すると音声君やカメラさん、それにマネージャーが我先に選んでいる。

 

「あれ?桜岡さんは、選ばないの?」

 

 ボーっと見ている彼女に聞いてみる。フードファイターな彼女が、ご飯に興味が無いなんて事が有り得るのか?

 

「うーん、あの手のお弁当って冷めてると美味しくないじゃない?だから私はパンを買って来たのよ」

 

 そう言ってリュックから惣菜パンの山を机に広げた……その数10個!

 卵やハムのサンドイッチ各種・懐かしの菓子パン等々、バラエティーに富んでいるな。何気に1リットルのコーヒー牛乳も有るし。

 何処にしまっていたんだよ?

 

 AD君なんて「桜岡さんって、そんなに食べるんすか?太りますよ絶対!」とか騒いでいるが宿敵としては、そうは思わない。

 

「桜岡さんにしては控え目だね。僕は結衣ちゃん手作りのオニギリ弁当だけど、半分交換しても良いよ」

 

 そう言って重箱をドンっと机に置く。本当は皆で食べて下さいと渡されたんだが、勿論一人で食べ切る自信は有る。

 蓋を開ければ、上段はオカズ、下段にオニギリが12個だ。

 オカズはミニハンバーグ・玉子焼き・唐揚げ・エノキのベーコン巻き・インゲンと卵の炒め物、それにデザートだ。オニギリは梅・昆布・鮭・焼きタラコ!

 

「くっ……相変わらずの食事に対する拘りですわ。でもパンとオニギリだけの交換では、オカズが食べれませんわ!

レートが高すぎます。せめてオカズとオニギリを半分づつ……」

 

 流石は僕が認めるフードファイター桜岡霞。さっそく交渉に入ってきたか……

 

「いやいや。お金で買えない価値が有る!だから市販のパンじゃ無理だよ」

 

 ロリの手料理を市販品の惣菜パンと交換してあげるだけでも、大幅譲歩なんだぜ。

 

「ゆっ結衣ちゃんだったら、私と半分づつって言った筈ですわ!確認の電話を……あら、圏外だわ」

 

 予想以上に落ち込んでいるな。そろそろ勘弁してやるか……

 

「はいはい。パンとお弁当は半分こですからね。食べ過ぎはダメだよ」

 

 割り箸を渡して、半分食べる事を許可する。

 

「有難う御座いますわ……」

 

 良い年をした女性が、泣きながら割り箸を割るなよ。パキンと良い音がして、綺麗にニ本に別れた割り箸を構える。

 

「「では、いただきます!」」

 

 彼女は上品な癖に速い!それは、この間の大福でも知ってた筈だ。早食いなら僕の倍は食べれるんだ。

 

 しかし何だ?このスピードは?

 

「ちょ、おま……少しは遠慮しろよ。それは僕の大好物のミニハンバーグなんだぞ!あっ、玉子焼きは甘い砂糖と醤油味の二種類だから、甘い方だけ食べない」

 

「おほほほほ!悔しければ、止めてご覧なさいな。ほら、喋ってないで咀嚼しないと負けますわよ」

 

 僕も桜岡さんが買ってきた惣菜パンそっちのけで、凄いスピードで結衣ちゃんの弁当を食べ始めた。途中、狙ったオカズが一緒で互いの割り箸がガシガシ当たったが、気にせず完食。

 

「「ごちそうさまでした!」」

 

 チクショウ、結局6割は喰われた……

 

「あれだけ半分こって言ったのに……ミニハンバーグ6個の内4個も食べたな!」

 

 どれも美味しいが、その中でもお気に入りのオカズを選んで食べられた。

 

「中にチーズが入っていて美味しかったわ。今度の食事は私が奢りますから、それで良いでしょ?」

 

「市販品では、この心の痛みは癒されない……」

 

 お金で買えないロリの愛が詰まってたんだぞ!

 

「私は、手料理は無理だから。はい、これを食べなさいな」

 

 手を付けなかった惣菜パンの山を押し出してきた。心持ち足りなかったので、二人で惣菜パンを食べ始める……

 悔しいから、コーヒー牛乳を半分強奪した。

 

 間接キス?なにそれ、美味しいの?

 

 しかし、この大量のパンはローソンで買ったんだな。パンにはシールが貼って有り、30枚でリラックマ皿と交換出来るみたいだ。

 一応シールを剥がしておく。

 

「「「「あんたら、まだ食べるんかい?」」」」

 

 他のメンバーからの突っ込みはスルーした。僕らにとっては、これ位は普通なんだよ。

 

「しかし……同じだけ食べても体型が変わらないって凄いよな」

 

 自分のパンパンのお腹を叩き、桜岡さんの細いお腹の辺りを見て思う。女体の神秘を……

 

「榎本さん?目つきがイヤらしいですわよ。でも美味しかったわ。有難う御座いました」

 

 この辺が良い所のお嬢様なんだよな。お礼を言われては仕方ない。

 次は……あのフルーツのタカノの巨大パフェを奢って貰ってチャラだな。

 

「少し休んだら、今度は滝に行ってみよう。あとはホテルの近くまで行ってみようか?」

 

 お昼休みを考えても、4時迄には3時間しかない。初日だし、そんなに根詰めて調べなくても良いから。

 

「そうね。でも色々と調べる事が増えたわ。周辺の集落・ホテルとの関係・祠の事。まだまだ有りそうね」

 

 僕らが話してると皆が集まってきたので、簡単なミーティングをする。

 

「なになに?やっぱホテルまで行くんすか?」

 

 AD君が勝手な想像を言うが、何度も言うが調べるまでは接触しないよ!

 

「いや、ホテルの近く迄だよ。この後は滝も調べるし道の周りも調べる。ホテルの近くまで行くのは立地や周辺の確認をする為だよ。

AD君だってロケの事前調査するだろ?それと同じだよ」

 

 なんかムッとした顔だな。まだ管理者に会わない事を根に持ってるのか?

 

「なんか地味っすね。もっと、こう……何て言うか。ゲームのダンジョン攻略みたいに」

 

「問題の廃墟を攻略しろってか?僕らは自分の身を守る術を持ってるよ。でも君達の安全を考えて行動してる。

君の言うゲームだって、レベル1で魔王の城に突撃しないだろ?それと同じだよ」

 

 命張ってる仕事なんだ。自分の力(霊能力)に見合った進め方をしないと危険なんだよ。

 

「あの廃ホテルって、そんなに危険なんすか?でもネットに書き込みが有るって事は、素人さんも入ってるんすよね?」

 

 ああ、ネットの情報を全て信じちゃうんだ。

 

「確かにネットでは情報が溢れてる。でも廃墟探検系では何年も前から画像はアップされてない。廃墟マニアには魅力的なアレがだよ」

 

 それでもAD君は納得してない顔だ……

 




懐かしい方々からの感想有難う御座います、感激です。
諸事情有り返信は控えさせて頂いてますが感想は全て読んでいます。
これからも宜しくお願いします。


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第36話から第38話

第36話

 

 初日から、どうしても廃墟に行かせたいAD君。何度説明しても納得しない。いや、どうしても僕らを廃墟に行かせたい感じがするんだ……

 勝手に先方にアポを取ったりしてるし。テレビ局的な都合で、早く廃墟に行かせたいのか?それとも何か他に考えがあるのか?

 彼の行動には注意が必要だ……

 AD君かテレビ局が、何を考えているか分からないけどね。何にしても、面倒臭い事には変わりないな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「貴方の近くにあった本当に怖かった話2011」

 

 それの企画変更会議。桜岡霞の除霊コーナーを設けた夏の心霊特集だったが、梓巫女の桜岡霞がゴネやがった。

 ディレクター西川が集めた関係者は自分の他にAD(アシスタントディレクター)君。TD(テクニカルディレクター)君。それと脚本担当・演出担当・宣伝担当だ。

 自分より上に報告する為の根拠を作らねば、番組の変更は難しい。小会議室に全員が集まっている。

 煙草と灰皿、それに新しい缶コーヒーを持って現れた西川。

 

 パイプ椅子に浅く座り、周りを見渡すと「聞いてると思うけど、今さっき霞ちゃんが来たのよ。弁護士と筋肉質な坊さん連れてさ」と切り出した。

 

 梓巫女の桜岡霞が、同業者の坊さんは分かるが何故に弁護士を呼んだのか?

 

「何か番組で揉め事ですか?企画を変えるなら急がないと!今からなら脚本も書き換えれるけど……」

 

「そうですよ。桜岡霞と差し替えるとなると……見た目のランク落ちますよ。ヌレヌレ・スケスケな彼女には固定ファンが付いているし。

他の(霊能者の)連中も夏は忙しい。早めに押さえないと」

 

「そうだな。今から演出を変えるとなると、目玉が欲しいな。西川さん、どうするよ?」

 

 各担当が、自分の仕事に影響が出そうな事を理解して西川に詰め寄る。

 

「落ち着けって。霞ちゃんが連れてきた弁護士は、契約内容についてだよ。契約に疎かった彼女には、負担が多いからね。誰か入れ知恵しやがったんだ」

 

 責任の殆どを彼女に押し付けたから、見る奴が見れば此方が不利とは言わないが公表されると困る。

 

「AD君に聞いたが、その筋肉坊主が例の廃墟ホテルがヤバいって騒いでるんだろ?本物の坊主らしいし、業界的に本物の心霊現象を流すのはヤバいぜ。

程度によるが……稲荷神とかは、将門の首塚や四谷怪談のお岩さん級に厄介なら問題だぞ」

 

 テレビ業界で噂になっている、将門の首塚と四谷怪談のお岩さんは度々映画やドラマになる。だが出演者や関係者が参拝を怠ると、確実に呪いを受ける事で有名だ。

 それは現場スタッフだけでなく、関係者にも降りかかる。つまり我々も危険なんだ。

 

「その筋肉質な坊さんは何て言ってるんだ。事前調査くらい、やらせれば良いだろ?」

 

「放送は7月だから半年有るんだ。製作期間に余裕は有るが、予算をふっかけられてるのか?どうなんだ、西川さんよ」

 

 我が身可愛い連中は、危険が回避出来るなら言う事聞いてやれよと騒ぐ。

 

「ん、まぁ本番のコメンテーターの雛壇芸人を2人も切れば平気だな。でもバーターで来てる連中は無理か……誰だっけ?セットで来る奴は?」

 

 バーター……業界用語で「束」の逆読みで、同じ事務所から抱き合わせで、格下か知名度を上げたい新人とかを出演させる事。

 意外と人気芸能人には、バーター出演の新人がセットで付いてくる。

 

「今回は……大物は呼ばないからバーターは平気だが。あの団体女性ユニットを呼ぶからな。16人は来るぜ」

 

 今人気上昇中の48人ユニットアイドルだ。その1/3を呼ぶとなると結構な出費だ。その分、現場に行く女は格下モデル達だからギャラは安い。

 逆に露出度は高い。

 

「そうだな。各々ファンが居るし、誰々が出ないとなるとクレームが酷いよな」

 

 コアなファンは、彼女達が出演する番組をチェックしている。それで贔屓のメンバーが出ないと文句を言うんだ。

 

「何で○○ちゃんを呼ばないんだよ!」

 

「○○呼んで○○ちゃん呼ばないって何でだよ?総選挙の順位知ってる?バカなの?」

 

 言いたい放題言いやがって!フザケンナ!48人も呼べる訳ないだろ?

 

「彼女達は視聴率が取れるからな。外せないか……本番のスタジオで霞ちゃんと掛け合わせたいしな。

じゃコーナー1つ切るか?心霊写真の診断コーナー切れば、あのババァのギャラが無くなるだろ?その分の予算を回そう」

 

 毎年夏近くになると、番組で鑑定して欲しい心霊写真と思われる物が沢山来る。その殆どが光の加減や影、自然の造形物が人の顔に見える程度だが……稀に本物が混じっている。

 それらを番組で紹介し鑑定・除霊するコーナーを受け持つのは、小太りな中年女性だ。

 

「この写真に写り込んだ霊は、写真の男の子の縁者です。心配で見に来たんでしょう」

 

「これは、この写真のグループが楽しそうなので惹かれて来たのでしょう。特に問題は有りません」

 

「この写真の霊は危険だ。番組で責任を持って供養します」

 

 お決まりの台詞で写真を鑑定し、護摩壇で御焚き上げ供養をして貰った。だが今回は仕方が無い。ヤバそうなのは返却するか、纏めて焼却処分すれば良い。

 または保管庫行きだな……曰く付きの品々を纏めて保管してる倉庫が有るから、其処へ突っ込めば平気だろ?

 

「そうだな。この筋肉坊主は、不動産や警備会社のお抱えだ!だからアイツは本物なんだよ。しかも、この企画をやりたくなさそうだった」

 

「つまり、出来ればやりたくない?裏を返せば本物の心霊物件で、しかも相手は強力か?」

 

 全員に沈黙が降りる。本物の霊能力者が避けたい物件だ。でも逆に番組的には、本物の心霊物件を引き当てた事になる。

 当たればデカいし、ヤバそうならオリジナルビデオ化しても良い。

 

 番組内の宣伝で〈驚愕の真実!地上波では放映出来ない内容をオリジナルビデオにまとめました。近日中に販売します〉的に煽れば、売上は伸びるだろう……

 ついでにゴールデンでは放映出来ないお色気を絡ませれば?

 

 〈あの梓巫女の桜岡霞が?次々と女性陣に降りかかる色情霊とは?〉とか煽りを入れる。

 

 序でに際どいカットを幾つか1秒単位で差し込めば、それだけで食い付く奴は居るよ、絶対に!ヨシ、上司の説明は固まったじゃん。

 

「予算については一考しよう。我々の安全が第一だからな。じゃ解散で!ああ、AD君だけ残ってくれ。少し話が有る」

 

 AD君を残し、他は小会議室から出て行く。皆が出て行ってから暫く無言で向かい合う二人……

 

「西川さん、なんすか?」

 

 沈黙に耐えられずに話し掛ける。

 

「君、霞ちゃんの事前調査に同行するんだろ?カメラと音声連れてけよ。それと……あの筋肉坊主を番組に巻き込んじゃえ」

 

「えっ?巻き込むって出演させるんすか?さっき予算が足りないって言ってたじゃないすか!出演者を増やすのは……」

 

「違うよ。筋肉坊主なんて視聴者は喜ばないって!見てて気持ち悪いだろ?あの坊主、この企画に反対な感じだった。

つまり嫌な物件なんだよ。実績有る本物の拝み屋がだぞ。だから企画から離れられない様に巻き込め。やり方は任せるけど、手紙を送ってきた管理者に合わせるとか。

とっとと廃墟に連れ込むとか、色々有るじゃんか!

上手く行けば霞ちゃんとセットで使えるよ。番組の華は霞ちゃんで、裏方に実績有る筋肉坊主。美女と下僕みたいで受けるかもな」

 

「成る程……でも自信無いっす」

 

「そこはADちゃんの頑張り次第だよ。上手く行けば希望してた番組の担当にしてやるよ。好きなんだろ?あのアイドルがさ」

 

 筋肉坊主は保険だよ。どうにも霞ちゃんに惚れてる感じ?だった。霞ちゃんも話し合いの途中途中で目線を送ってたし。

 少なくとも良い関係なんだろうな。だから霞ちゃんを巻き込めば、あの筋肉坊主も確実に付いて来る。

 

「西川さん、本当っすか?約束っすよ!」

 

「ああ約束するよ。だから上手くやるんだぞ」

 

 ご機嫌で小会議室を飛び出して行くAD君を見て思う。安っすい奴だな……あんな、マルマルがモリモリとか言ってる小学生が好きなんてよ。

 ロリペドの変態小僧が!女はもっと、こう……バインバインなボッキュボンだろ?その点、霞ちゃんは合格だよな。

 あのロケットみたいなオッパイはスゲーよな。今回もロケ中に雨降んないかな……あの透けた巫女服は……ハァハァ堪らんのよねぇ!

 

 西川の妄想は続く……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 渋るAD君をいなし次の目的地である滝を目指す。錆びた看板には桃源の滝と書いて有ったが、本来の名前では無いだろう。

 ホテル側が勝手に付けたんじゃないのか?車で徐行して進むが、本当に荒れている。途中で避けられるが落石や倒木も有った。

 カーブの吹き溜まりには落ち葉が堆積してるし、普通のスピードで走っても事故りそうだな……

 もし廃墟で何か有った場合に逃走ルートは、この道か未だ見ぬ集落が使っている道しかない。原生林に近い山の中に逃げ込むのは危険だ。

 本来の遭難の心配の他に、街に住み慣れた連中が山に住んでる連中に勝てる訳が無いからだ。

 心霊現象だけでなく、普通の人間が信用出来ない場合も有るしな。

 最悪の場合は、この道は捨てて山を降る事も考えておくか……助手席に座り、ニコニコしている桜岡さんの様子を伺う。

 満腹のせいか機嫌は良さそうだね。

 

「ん?何かしら?」

 

 僕の視線に気付いた彼女が聞いてくる。

 

「いや……上に行く程、荒れ果ててるよね。また落石だ。倒木も有ったし、夜に走るのは危険だね……」

 

 また1つ落石を避けて進む。二車線だから良いが、対向車が来たら大変だな。池から進む事10分。

 

「あっ!榎本さん、看板が有りますわ」

 

 彼女が指を指す方を見れば、問題の滝の入り口を示す看板が見えた。道路の脇に待避スペース程度の、車3台が止まれる場所が有る。

 そこに生い茂った木々に隠れる様に「この先50m桃源の滝」と書いてある看板が見えた。

 通り過ぎてしまった為にハザードを点けて後続車を止めて、更にバックで車を移動し待避場に縦列駐車した。

 

 車を降りて、看板の指す方向を見る。道?らしき草木が少なく真っ直ぐ延びている空間が有るが……

 

「ここも池の遊歩道と同じ様に草ボウボウだな……」

 

 やれやれ、またジャングル体験か。

 

「しかも獣道みたいだわ。地面も舗装されてないし、自然石を並べただけね……」

 

 妙に近くに居る桜岡さんが、又なの私は嫌よ!的なオーラを醸し出している。女性陣には辛いロケーションだが、これも仕事だ。

 しかし先程の遊歩道より確実に草木の生い茂る量は多いな。桃源の滝なる場所へは、この険しい獣道を進まないと駄目そうだね。

 

「やれやれ……じゃ準備しますか」

 

 前回と同じ様に「蕨手山刀」を取り出し腰に差す。それと今回は予備で持ってきていたコンバットマシェットナイフを取り出す。

 此方はアーミーショップに行けば良く売っているブッシュナイフだ。

 イスラエルのUZI社製の刃渡り585mmのステンレス製。グリップはゴムでケースはプラスチック。一万円以内のお手頃ナイフだが、使い勝手は良い。

 安いから乱暴に使えるから気楽だ。

 AD君達もタオルでほっかむりをしたり、虫除けスプレーを吹いたりして準備オーケーみたいだ。

 

「じゃ行きますよ。順番はさっきと同じで」

 

 そう言ってコンバットマシェットナイフを振りかぶった。明日は筋肉痛かも知れない……そんな考えが頭の隅をよぎったのは内緒だ。

 

 

第37話

 

 原生林には程遠く、雑木林としては草木が密集している。普通は太陽の光が届かない部分には草木は生えず、苔や光を余り必要としない背の低い草がチョボチョボ生える程度なのだが……

 鬱蒼とした木々を縫って歩道を造った為に日の光が入り、腰の近く迄草が生えている。それをブッシュナイフで水平に薙いで行く。

 当然屈んだ状態じゃないと低い位置からは切れない。格好は稲刈りに近い。

 

 つまり腰が……腰が痛いんだ。

 

「榎本さん、大丈夫ですか?仰け反って腰を叩く姿がお爺さんみたいですよ」

 

 僕が薙いだ草木を踏み固めながら後ろに付いて来る桜岡さんから、失礼な意見が来ました。

 

「んー、結構辛くなって来たな。AD君代わってよ。ほら、ブッシュナイフ」

 

 中列を歩く彼にブッシュナイフを渡す。カメラさんと音声君は機材を持っているし、女性陣は論外だ。手ぶらでウザい彼に頼む事にする。

 

「えっ、僕っすか?うわぁ!凄いナイフっすね。ロープレのショートソードみたいだ」

 

 無邪気にはしゃぐ彼を見て、ああ彼もゲーム世代なんだなと思う。

 

「グリップの紐を手首に巻いて固定するんだ。振り回すから、すっぽ抜ける場合が有るからね。それと細い竹や枝を斜めに切ると、切り口が刺さって危ないから水平にね」

 

 簡単なレクチャーをして列の二番目に移動し念の為、彼から2m程後ろに離れる。嬉しそうにブッシュナイフを振り回しているが、アレでは20m位でギブアップか?

 距離的には丁度滝に着くから良いか……でも力の入れ過ぎだよ。刃が欠けるかもしれないが、必要経費で落とすから気にしない。

 元々使い捨てのつもりだし。

 腰に差した蕨手山刀はオーダーメイドの逸品で、10万円以上もする趣味の物だから経費には乗せられない。

 

 でも……あの調子だと、もう一本位必要だったかな?

 

 楽しそうに振り回すAD君を見て、細い癖に結構体力が有るんだと少しだけ見直した。

 

「ねぇ、榎本さん。気が付いてます?」

 

 肩と腰のコリを揉み解してしると、後ろを歩いていた桜岡さんが無理やり横に並んで話し掛けてきた。

 

「ん、何を?」

 

 道幅は1mも無いから、殆ど密着状態だ。毎回思うが、この辺のガードが甘いんだよな。

 普通なら「俺に気が有るんじゃね?」とか勘違いする態度だぞ!

 

「私達、滝に向かってますわよね?看板にも有りましたが距離は50m。でも私達は既に30m以上は歩いてますわよ」

 

 確かに看板の距離を信じれば、半分以上は来たな。そろそろ滝が見えても……

 

「あれ?そうだね、気付かなかったよ。滝なのに水音がしないぞ。滝なら川も有る筈なのに……」

 

 AD君が草木を薙いでいる音以外聞こえない。

 

「幾ら何でも、そろそろ水音が聞こえても良く有りません?」

 

 立ち止まって耳を澄ましても、水音なんて聞こえない。風も無いから草木が揺れる音もしない。

 幾らAD君が頑張っても、川のせせらぎや滝の音に勝てるとも思えない。振り返って音声君に聞いてみる?

 

「音声君、マイクで水音拾ってない?」

 

 彼はマイクを前方に向け、ヘッドフォンに意識を集中しているが……やがて首を横に振った。

 本職でも水音が拾えないって、どういう事だ?

 

「道を間違えるにも、道らしき物は此処しか無かった……川が枯れている?渇水時じゃないし、最近雨も降ったよな」

 

「川の水が枯れるなら、周りの木々も元気が無い筈でしょ?でも青々としてるし、土も適度な湿り気が有りますわ……」

 

 立ち止まって話ていると、AD君が何かを見つけたみたいだ。

 

「桜岡さーん!榎本さーん!何かショボい溝みたいな物が有るっすよー」

 

 8m位先まで道を作った彼が、手招きをしている。近付いて見れば……綺麗な窪みの溝が出来ていた。

 地面がU字型に窪んでいて、表面には細かい土か砂が表れている。これは水が地面を削って出来た跡みたいだ。

 しかし水が流れていたとしても、川幅?は1m程度で深さは20cmも無い。溝の土を触ってみたが、僅かに湿っている程度。

 

「これが川?じゃ滝って何処だ?」

 

 周囲を見回すと10m位先の上流部分に、2m位の段差が有るけど……

 

「まさかアレ?みたいですわね……」

 

 滝と言われれば否定出来ない程度の落差だ。

 

「滝?桃源?何処が?」

 

 良く有るガッカリ観光地より酷いぞ。何か納得出来ない。一応デジカメで撮影する。

 さっきの池は撮るのを忘れたが、カメラさんからデータを貰える事になった。車にノートパソコンを積んでるから、SDカードを借りてデータを貰おう。

 

「しかし酷いな。滝って言うけど、水量が多くても滝とは……」

 

「看板のデフォルメした滝の絵だと、10m以上有りそうでしたよ」

 

「詐欺だろ?訴えられたら負けるぞ。最も訴える相手も居ないけどな」

 

 皆さん酷い感想を言って、折角頑張って切り開いた道を戻る。今度は僕が最後尾だ……桜岡さんと次の予定を考える。

 まだ2時間程、時間的余裕は有るから。

 

「池も滝も観光地としてはショボい。でも池は収穫が有ったね。後は……地図に載っていた鳥居のマークが気になるよね」

 

「この調子ですと期待は出来ないと思います。でも逆に荒れ果てた神社でしたら危険だわ」

 

 祠には石の御神体が有り、丁寧に祀られていた。しかし鳥居って事は神社のマークだ。

 荒れ果てた神社……確かに良くないな。

 

「看板によれば、ホテルへの道なりに池・滝・鳥居だった。つまり道路に戻り少し登れば鳥居の場所だね」

 

「行ってみましょう。巫女としても、もし神社が荒れ果てていたら何かしない訳にはいかないわ」

 

 梓巫女として正式に修行を修めた彼女としては、神社が荒れ果てていたら我慢出来ないのだろうな……車に戻り更に坂を登る。

 すると1分位で神社らしき建物が現れた。今までの池と滝と違い、道沿いに建っている為に直ぐに見付けられた。

 ハザードを点けて車を前に停める。道路から苔むした大谷石の階段を8段ほど登れば境内だ……

 境内はそこそこ広い。大体20m四方は有るだろうか?階段を登り切った所に鳥居が一つだけ有り、正面に建物で右側に倉庫。

 左側には石積みの台の様な物が有る。

 

「アレは……寺の鐘つき堂に似ているな。此処は神社より寺の配置に近い」

 

「そうですわ。入り口の鳥居も、山門の跡に無理矢理取り付けたみたいですわ」

 

 廃仏毀釈……そんな文字が頭をよぎる。

 

 現代では宗教戦争など日本で無かったと思われているが、それに近い物は有った。明治維新の後に公布された大政官布告。

 幕府と強い結び付きが有り、独自の権力の強かった寺社・神社の締め付けがそれだ。それまで寺社・神社が所有していた権利や敷地外の土地を没収。

 極めつけは寺院法度で決められていた坊主の妻帯と食肉の禁止を「妻帯肉食勝手に候」と言って認めた。

 

 新政府お抱えの国学者達が外から入ってきた仏教を締め出し、既存の宗教たる神道を強め様とした。神仏習合を廃し、坊主の神職への転向を求めたり。

 色々他に考えは有っただろうが、仏教界としては迷惑な行為だ!しかも実情は生活の基盤たる土地を没収された多くの寺社は生活に困窮。

 寺は焼かれ仏像・仏具は壊された。

 有名な所では千葉県の鋸山に有った五百羅漢は全て破壊されたし、奈良県の興福寺の食堂は焼かれた。

 民衆は領内の寺を焼き払い神社を建て、明治政府からの補助を求めた……僕の実家は田舎故に、檀家衆との結び付きが強く難を逃れたらしい。

 

「この神社は、大政官布告による廃仏毀釈で寺から神社に建て替えられたみたいだね。でも誰か定期的に手入れはしているみたいだ。そんなに荒れてない」

 

 周りを見回す限りでも、それなりに手入れはされている感じだ。

 

「だからかしら?鳥居が伊勢鳥居なのよ。ほら、笠木が珍しい五角形でしょ?

新明鳥居の派生系だけど、伊勢神宮でしか使えない筈なの。獅子と狛犬が無いのも考えらんないわ。何もかも中途半端……」

 

 鳥居が宗派により色々有るのは知っているが、ドレがナニかは僕には分からない。流石は本物の巫女さんだ。

 

「神殿は閉められてるから、確認のしようは無いな……いや伊勢神宮に問い合わせれば、分かるかな?」

 

 この神社の管理者が分かれば、調べようは有る。けれど……

 

「桜岡さん、この神社から力を感じる?神域内に居るのに、僕には何の力も感じ取れないんだ……」

 

 彼女はハッとなり、目を閉じて神経を集中する……そのまま1分位だろうか?

 

「駄目だわ。何の力も感じないわ。そもそも御神体は何なのかしら?云われの説明も無いし、本当に伊勢神宮派なのかも分からないわ……」

 

 二人して、ウンウンと悩む。

 

「単に神様が居ない偽物神社っすか?なら心配する事無いですよね?」

 

 AD君に言われて気付いた!

 

「そうだね。別に問題が有る訳じゃないな。さて、時間に余裕が出来たから問題の廃墟を確認しよう。此処からなら5分とかからずに見れる筈だ」

 

 看板の地図によれば、直ぐ近くにホテルは書かれていた。此処まで来たら、見るだけは見てみよう。

 

「あっ!じゃ先方に連絡するっすよ。ヤダなぁ榎本さん。行かないかと思いましたよ」

 

 いそいそと携帯を取り出すAD君を止める。落ち着けって!

 

「遠くから確認するだけだよ。会ったりする時間も少ないからね。様子だけ見たいんだ」

 

 時刻は3時前。タイムリミットは後1時間かな。

 

「えー、折角来たんだから挨拶だけでもしましょーよ」

 

 ウザいAD君を無視して車に戻る。来た道を再度見上げても……アンバランスな神社だな。御神体を祀っていないのか?

 でも境内は悪い感じはしなかった。つまり神域としての結界は張られてるのかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 車で5分も走らない内に、問題の廃墟……潰れたホテルが見えた。

 鉄筋コンクリート、8階建で本館の他に低層棟やコテージ風の別棟も有る。庭は荒れ果てて草ボウボウ。

 テニスコートやプールらしき施設も見える。入り口には簡易的にチェーンが張られ、破れた警告の貼り紙が有るだけだ。

 

「想像よりデカい……しかも禍々しいぞ。本気で此処に居たくないんだ」

 

「本当だわ……物凄く嫌な感じ。誰かに見られている様な、ザワザワした感じね」

 

 近年稀に見る敵意を外に放っている建物だ。こりゃヤバいぞ。彼女も危険さが分かるのだろう。僕の腕にしがみ付いて……ん、しがみ付く?

 

「あら?やっぱり榎本さんって霞ちゃんの彼氏じゃん!ヒューヒューアツいねぇ?」

 

 マネージャーの目線を追うと、僕の腕にしがみ付く桜岡さんが……一瞬彼女と目が合うが、慌てて腕を振り払う!

 ヤバい対応だ。これじゃ初々しい中学生カップルだよ。

 今まで借りてきた猫の様に大人しかったマネージャーが、獲物を見付けた牝豹に変貌。ウザい位に囃し立てる!

 

「やっぱ付き合ってるじゃん!嫌だなー秘密にしちゃってバレバレだよ?」

 

 性懲りもなく桜岡さんが腕にしがみ付いて……そしてズルズルとしゃがみ込んでしまった。

 

「どうした、桜岡さん?大丈夫か!」

 

 顔を真っ青にしてしゃがみ込む彼女。本能が、この場所はヤバいと感じる。彼女をお姫様抱っこして車に戻り、急いで山を降りる。

 

「ナニかに見られているの……」

 

 腕の中で震えながら呟いた一言が、重くのし掛かる。僕は気が付かなかったけど、ナニかは彼女に害をなしたんた……

 助手席のシートを倒して寝かせている彼女を横目で見ながら、安全ギリギリのスピードで車を走しらせる事しか僕には出来なかった。

 

「あの廃墟に、ナニが居るんだ?」

 

 

第38話

 

 突然倒れた桜岡さん。彼女を車に乗せて、麓まで一気に車を走らせた!

 山を降りてから彼女は徐々に回復したが……顔は未だに真っ青だ。これは演技では出来ない。

 本物の「ナニか」に襲われたんだろう……麓まで降りてから、一旦車を路肩に停める。

 田舎道の路肩だから、一般車に影響は無い。今までにすれ違った車も無いのだから。

 山あいの直線道路を見渡しても、右も左も野原と点在する住宅だけ。長閑な田舎町だ……

 桜岡さんを抱っこして車から降ろし、皆にも降りて貰う。彼女は僕の車に積んでいたクーラーボックスに座らせる。大分辛そうだな。

 

 二台並んで停めたのを確認し荷台から清めた塩を出して、先ずは車にバンバンかける!車体の屋根と四方、タイヤ周りまで念入りに塩で清める。

 本当は錆を誘発するから嫌なんだけど仕方ない。その後にマネージャー・AD君・音声君そしてカメラさんにも塩を掛けて清める。

 最後に桜岡さんを念入りに塩をかけて清めた。

 

「有難う御座いますわ。大分楽に……」

 

 少しだけ顔の色が良くなったみたいだが、まだ立てない様だ。駄目押しに御神酒を少し口に含ませ、彼女の周囲にも撒く。

 御神酒は同様に車の四方にも撒く。周囲に芳醇な日本酒の匂いが立ち込める。用意した酒は松竹梅。

 祭壇に丸一日祀って清めた物だ!其処までして漸く自分も一息ついた……

 

「ヤバい物件だな。建物の敷地外の彼女に影響を及ぼすなんて……」

 

 残った酒を煽りたいが、飲酒運転は絶対駄目だ!

 

「あの時、視線を感じて廃墟を見たの……どことなくよ。なのに視線が合った気がしたら、力が入らなくなってしまって……」

 

 キューブの助手席に再度座らせて、その時の様子を聞く。場所の特定は出来ないが、あの廃墟が問題なのは間違い。

 

「なぁ榎本さんよ……これを見て欲しいんだ」

 

「あとコレも……聞いて欲しい」

 

 カメラさんと音声君が、機材を広げている。しかし様子が少し変だ。差し出されたのはカメラのモニター。

 

「ここ……建物を撮っていたけど、桜岡さんが倒れたんでカメラを回した……ほら、ここだ!」

 

 言われた通りにモニターを見れば、廃墟を右から左へ順番に撮している。そして画面が急に右側に動いて、僕に縋りつく桜岡さんを捉えた。

 画面には僕と桜岡さんだけだが……彼女の肩に白い手がのっている。男女どちらかは分からないが、青白く華奢な手だ。

 

「手が……一瞬後には、何も写ってないな」

 

「枯れ枝みたいな手だな……信じらんない位に青白いし」

 

 思わず撮れた心霊画像に、覗き込んで見ていた他の連中も息を呑む。青白く血管の浮き出た細い腕。首の後ろから肩に手を回している……

 

「あとコレ。コレも聞いてくれ。ほら……俺ら以外には居なかったのに、変な話し声が聞こえるだろ?」

 

 差し出されたイヤホンを耳に付けて聞いてみれば……イヤホンから聞こえる声は、マネージャーさんが僕らをからかう声。

 それに掠れた囁く様な声で「……あー……あ……うー……げっ……の……」耳元で聞き取り難い話し声?が聞こえた。

 

 もう一度巻き戻して貰い、神経を集中して良く聞いてみる。

 

「……お……前……のせ……我ら……つ……ら……殺し……や……」

 

 これは、恨み言だ。殆ど聞き取れないが、呪詛の類だろう。イヤホンを外し、ふーっと息を吐く。

 廃墟に居る「ナニか」は、確実に桜岡さんに恨み辛みを伝えてきている。僕や他の皆ではなく、彼女にピンポイントで来たのは何故だ?

 

 女だから?いやマネージャーと二人いるし、どちらも若い女性だ。霊能力者だから?

 僕もそうだからイマイチ違う気がする。美女とオッサンなら美女が良い?いや「ヤツら」は容姿で選り好みとかしない。

 縋れるなら誰でも構わない連中が殆どだ。逆に特定の条件で選べる連中は、それだけ強力なんだよな。

 

「カメラさんと音声君は機材に、このお札を貼って。カメラさんは画像データをコピーさせて下さい。音声君のデータってコピー出来るかな?」

 

 こんなヤバい物件は放置したい。でも桜岡さんが魅入られていた場合は危険だ。彼女を追ってくる可能性も有る。

 

「microSDだからパソコンにインストール出来る。でもヤバいのか?俺らが持っていて平気か?」

 

 気持ち悪いデータだ。こんな物を持っているのは、誰でも嫌だろう……荷台からノートパソコンを取り出し、借りたmicroSDからデータをコピーする。

 カメラさんからはデジカメのデータも貰う。全てをコピーしてからパソコンを閉じてお札を貼る。

 

「なぁ、何故いちいちお札を貼るんだ?」

 

 腰のポーチに入れている、ゴムで束ねたお札を見ながら質問する音声君。

 

「ん?ああ、地縛霊じゃないと憑いて来る事が有るんだ。彷徨う霊とは救いを求めている場合が殆どだ。

桜岡さんは彼らと波長が合ったのか、別の理由かは分からないけど狙われた。一応出来る手立ては行った。けど、相手が僕より強ければ……」

 

 それでも彼女に憑いてくるかも知れない。

 

「今日は解散しよう。出来るだけ安全運転で帰るんだ。僕はもう少し結界を張り、痕跡を消してから彼女を送って行くから」

 

 もし先に帰した彼らを追って行けば、此処で結界を張っている僕が感知出来るかも知れないし。どちらにしても、彼女を一人には出来ない。

 最悪、憑かれていたら今夜が山場だ!

 

「撮影はどうするっす?中途半端っすよ!」

 

「バカヤロウ!逃げるのが先だろ?これを見せるか聞かせるかすれば、西川さんだって……」

 

「あの人、自分に害がなきゃ続けろって言うぜ。ヤレヤレだぜ」

 

 プロ根性なのか、一応撮影の続行・中断を心配している。

 

「様子を見よう。兎に角、一旦離れた方が良いだろう。準備調査だけで、この有り様なんだ。半端に挑めば、取り返しがつかないからね。

西川さんには、此方から連絡するよ。桜岡さん次第だから、今夜が山場なんだ。何もなければ、明日にでも今後の相談しよう」

 

 そう!彼女に憑いているか、いないかは今夜がヤマなんだ。撮影の心配は、明日を迎えてからだよ。

 

 心配そうにしている彼らを送り出す。何か有れば携帯で連絡を取り合う為に、名刺を交換して別れた。見送る彼らを追っていく気配は感じられない。

 走り去るライトバンが見えなくなるまで神経を集中して感知したが、大丈夫そうだな。

 残りの日本酒を再度車の周りに撒いてから、空き瓶を車に積んで出発だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 キューブを安全運転で走らせ、彼女の車を停めている場所まで向かう。先発の連中より10分程遅れて出発したから、既に彼らは居ないだろう。

 

「ごめんなさい、榎本さん。私……迷惑をかけてばかり」

 

 弱々しく謝るのは良くない兆候だ。意識をしっかり持たないと、彼らに対抗出来ない。

 

「謝るのは無しだ!今日はウチに泊まるんだ。結界を張って出来る限りの防御をする。心配し過ぎかも知れないが、ヤルだけの事をする。

今晩何もなければ、取り敢えずは安心出来る。後は対応を考えれは良い。弱気は禁物だよ」

 

 この車は結界を張ってパーキングにでも置いて、彼女の車で今日は帰る。勿論、僕が運転する。

 幾つか用意している家の中でも、防衛に優れた家に泊まって貰う。そこで祭壇の部屋に、結界を高めて泊まって貰うしかないな。

 元々可能な限りの結界を張ってある。勿論、防衛の為と何か有った時に逃げ込む為だ!

 自宅には結衣ちゃんが居るから、憑れて帰る訳にはいかないからね。

 

「泊まる?ヤルだけヤル?いえ、まだ早いですわ……その、ヤルなんて下品ですわよ。心の準備とムードを考えて下さいな……」

 

 真っ赤に俯く彼女を見て、何か悪い物でも食べたのか?と思ったが空気を読んで沈黙する……桜岡さんもアレから話さないし、やはりお腹が痛いのかもしれない。

 トイレ休憩を挟まないと駄目かもな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 途中、高速道路のインターで休憩をとらせる。走りっぱなしは疲れるし危険だ。しかも桜岡さんの車はスカイライン。

 スポーツカーはハンドル硬いし車高は低いし、慣れない車の運転は疲労も倍増だ。

 だからインターの駐車場に車を停めたら、外に出て屈伸運動をする。彼女も外に出て伸びをしているが、早くトイレに行かなくて平気か?

 

「此処を出たら隠れ家までノンストップだよ。トイレは済ませてね」

 

 きっとトイレに行くのは恥ずかしいのだろうから、話題を振る。

 

「もう!子供扱いしないで下さい」

 

 プリプリ怒っているが、トイレには直行した。やはり我慢してたんだな……栄養補給に何か食べようと思い、売店を見る。

 二店舗有る売店のメニューは……右側が、たこ焼き・焼きそば・お好み焼き・フランクフルト・フライドポテトと揚げ物中心。

 左側が、ソフトクリーム・各種ジュース・チェロキー・揚げパン・アメリカンドッグ・かき氷とデザート中心だ。

 兎に角、疲れを取るには糖分だ!

 先ずは右側の店で、たこ焼きと焼きそばを二つ買い、左側の店でソフトクリームを買う。三浦名物メロンソフトと普通のミルクのダブルをチョイス!

 これは一人で食べるのだ。

 備え付けのイートインのテーブルに陣取り、トイレから出てくる彼女を待ちながらソフトクリームを食べる。濃厚なミルクと安っぽい無果汁なメロン味のバランスが絶妙だ。

 直ぐに食べ終えてしまったが、丁度彼女が出て来たので手を振る。

 

「あら?たこ焼きと焼きそばですか?此処で食べるなら、何か飲み物でも買ってきますわ」

 

 そう言って売店に向かった。既に買ってあるたこ焼きとかを見て、遠慮して飲み物位は私が……みたいな事だろう。

 相変わらず育ちの良いお嬢様だ。ボーっと彼女を見てると、コーラ二つにソフトクリームだと?

 トレイにソフトクリームスタンドにのせたコーラと、バニラ&巨峰・バニラ&抹茶を運んでくる。

 

「どうぞ。榎本さんはコーラ大好きですものね。あと、疲れには甘い物が良いですわ」

 

 差し出されたソフトクリームを見て思う。本日二本目だが、どちらが僕用だ?

 

「美味しそうだね。で?どっちが僕のかな?」

 

 違った方に口を付けたら大変だから聞いてみる。

 

「えっ?半分こでも良いですわ。私、両方食べたいですし」

 

 おぃおぃおぃ……間接キスより厄介だぞ!見れば周りに居る客達も、こっちを伺ってやがる。見せ物じゃないんだぞ。

 しかし、相変わらず男女間のガードが緩いぞ。周りからは嫉妬オーラが滲み出してきやがった。

 

「はっはっは!それは駄目だよ、だからミルク&抹茶を頂こう。はい、たこ焼きと焼きそば。食べたら出発だ」

 

 どの道、運転手たる僕は車では食べれないからね。衆人環視の中でも、此処で食べていくしかない。

 

「いただきます!」

 

 二本目のソフトクリームだが、出来る限りの速さで食べる。「あっ?」とか言われたが、30秒で完食だ!

 

 お陰で頭の後ろに鈍痛が……

 

「もう!私も食べたかったのに……」

 

 少し機嫌が悪くなった桜岡さんも、上品にソフトクリームを食べ始めた。やっぱりミルク&抹茶も食べたかったのか!

 僕は隠れ家にストックしている食料品を思い出したが、何処かで買い出しをしないと駄目だな。

 まぁ、これだけ元気になれば、取り敢えずは一安心だね。

 



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第39話から第41話

第39話

 

 神奈川県三浦市。

 

 都内近郊で有数な海水浴場、三浦海岸を有する田舎町だ。駅周辺や海岸線沿いは、それなりに開けている。

 しかし一歩山側に入れば、延々と畑・畑・畑。自然豊かな場所が多い。

 そんなご近所さんが近くに居ない場所に、僕の隠れ家と言うか仕事場は有る。元々は農家だったが、息子夫婦の元へ引き取られた知り合いの爺さんから安く借りた物件だ。

 トタン張りの古民家と言うか、古い家だ。その代わり、壁の中とか庭とかに色々仕込んでも構わないとお墨付きを貰っている。

 なので庭・家・祭壇の有る部屋と、三重の結界を張ってある。そんな周りが畑だらけ、古い家の前に車を止めた時の桜岡さんの驚きと言ったら……

 口を開けて、ポカンと眺めてたからな。

 

「こっこっこっこ……」

 

「コケコッコー?いやコカ・コーラ?」

 

「こっこんな汚い……いえ、手入れの行き届いてない家が隠れ家なんですか?」

 

 震えながら指差している、僕の仕事場。そんなに嫌かな?

 外見は良くないけど、中は知り合いの不動産屋さんに綺麗にして貰ったんだけどね。

 

「中はリフォームしてるから綺麗だよ。それに周りを気にしなくても良いし、結界は厳重に張ってあるから」

 

 そう言って庭石をひっくり返して、中に仕込んだ結界札を見せる。パウチで防水加工した逸品だ。

 

「まぁ!でもお札をパウチっこするなんて……」

 

 驚いているのか、感心しているのか?うんうん考えている彼女を脇目に車を入れる。ガレージと言う、ただ広いだけの庭に。

 当然、舗装も無い剥き出しの地面だ。車を停めたら、清めた塩で周りに円を描く。

 車をグルリと塩の円で囲ってから、四方にお札を裏側に仕込んだカラーコーンを立てる。

 

 これで車を目印に追跡は出来ない筈だ。

 

 更に桜岡さんと自分も念入りに塩をかけてから、漸く玄関の中に入った。ギィっと建て付けの悪い木製の玄関扉を開けて、玄関に入る。

 電気を付けると2畳程の玄関部分が、パッと明るくなる。電球をLEDに替えたので4000kの明るさだ。

 古い家だから玄関は広い……無駄に広い玄関には、本棚みたいな下駄箱に大きな姿見。

 それにドレッサーが置いてある。ドレッサーには仕込みがしてあり、扉を開くとお札と清めた塩が飛び出す様にしてある。

 玄関から逃げ出す時、または玄関から侵入されそうな時の対策だ。後は窓とか裏口とか出入り出来る所には全てだ。

 因みに普通の泥棒には、全く効果は無い!一度空き巣に入られたが、お札や祭壇とかを見て気持ち悪くなったのか何も取られなかった……

 尤も金目の物なんて無いけどね。でも僕以外の白髪染めをしていた毛髪が落ちてたので、軽い呪いをかけた。

 

 一日中トイレに篭もらねばならぬ呪いをね。

 

 取り敢えずお客様を通せる場所と言えば、居間しかない。八畳和室、コタツも完備された冬ならば日本人垂涎の部屋だ!

 

「上着はハンガーに掛けて。何が飲みたい?珈琲・紅茶・昆布茶・日本茶、それとコーラにジンジャーエールが有るよ」

 

 玄関口で立ち尽くす彼女に、冷蔵庫をガチャガチャと探しながら話し掛ける。途中、コンビニで買い出しはしてきた。食料品は山盛りだ。

 

「えっ、と……では紅茶を頂きますわ」

 

 漸く再起動出来たのか、スリッパを履いて中に入ってくれた。紅茶か……先ずはお湯を沸かさないと駄目か。

 備え付けのガス台にケトルを乗せて火をつける。自分はジンジャーエールの缶を持ってコタツへ向かう。

 

「さて、今晩をどう乗り切るかがヤマだね。取り敢えずヤルだけの事はヤッたから、追跡される事は無いと思いたい。

でも目が合ったのが心配なんだ。もしかしたら僕の防ぎきれてない印が有るかも知れないからね」

 

 コタツの向かい側に入って話し掛けてから思う。

 

「もしかして自前の結界を施した場所有った?なら無理矢理連れてきて悪かったかな?」

 

 仮にも霊能力者なんだ。それ位の用心は……アレ?真っ赤になって俯いたぞ。またアレか?恥いってるのか……

 

「その……そう言った技能は無くて……何時も何時も言われて気が付いて、恥ずかしい……です……」

 

 この娘の師匠は、彼女に何を教えていたのだろうか?この業界は、防衛手段こそが大切なのに……

 僕が教えようにも宗派が違うから無理だし、いや僕が道具を用意すれば可能か?

 

「得手不得手は誰でも有るよ。僕は防衛と道具作成が主だからね。別に恥いる事は無い。

簡単な方法なら宗派は違えど効果は発揮する筈だし」

 

 全く、随分と優しくなったものだな。最初の物件で距離を置くつもりが、こっちから関わりを持とうとするなんて。

 まぁ桜岡さんは結衣ちゃんとも仲が良いし、手助けは仕方ないだろう。

 

「何故?何故、榎本さんは私に……」

 

 ピーっと言う甲高い音が鳴り響き、ケトルが沸騰した事を知らせてくれた。

 

「お湯が沸いたようだね。ちょっと待っててね」

 

 この家には大した茶葉は置いてないんだよね……確かリプトンしか無かった筈だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 もう!肝心な時に邪魔が入るなんて。流石に此処まで親切にしてくれるのは……期待して良いですわよね?

 でっでもでも、私……今日は着替えを用意してないわ。

 それに初めてが、こんな古い家では嫌だわ。せめてお気に入りの……

 

「はい。レモン無いから、砂糖とクリープね」

 

 考え事をしていたら、目の前に紅茶が。とても大きなマグカップね。

 

「頂きますわ」

 

 熱い紅茶を砂糖を二つ入れて頂く。ふぅ、少し落ち着いたわ。別に焦って結ばれる必要は無いわね。

 幸い彼の周囲には女の影は無いわ。精々が結衣ちゃん位だし……

 榎本さんを見ればジンジャーエールをチビチビ飲んでいるわね。本当にお世話になりっぱなしだわ。頼りになるクマさんね。

 

「それで……この後、は?私、今日は準備が……その……」

 

 いきなりお泊まりなんて用意してませんわ!

 

「ああ。色々と考えたけどヤバい物件だったね、あの廃ホテルは」

 

 今思い出しても恐ろしいわ。全く力が入らないなんて、アレは何だったのかしら?

 

「確かに準備無くいきなり行ったら大変な事になったわ。でも不思議ね。管理人の人は、あの怖い建物に入っているのかしら?」

 

 私達だけじゃないはずよね。アレだけの力有る「ナニかか」が与える影響は……

 

「確かに管理人は……怪しいんだ。それに今回の件はホテルだけが原因じゃないと思う。

池の祠だけど、云われを調べる必要が有るかな。蛇神か龍神か、はたまた人柱の線も有るし。

格式を守らない神社。有るだろう稲荷神社。何もかもが怪しくて仕方無いよね」

 

 徐(おもむろ)にポテトチップを勧めてくる。のり塩味ね。私も大好きだわ!

 のり塩>コンソメ>フレンチの順番よ。

 

「あの神社ですけど、境内は清々しい感じがしましたわ。格式を守ってないのに何故かしら?」

 

 手順を守ってこそ、効果が有るのよ。あんなインチキしたら、効果は発揮されないわ。

 

「僕は……感じとしては、見た目は神社だけど寺としての結界が生きていると思う。アレは廃仏毀釈で建物は壊されたけど、未だに寺としての機能は保ってるんだ」

 

 廃仏毀釈ね……我々宗教関係者には忌まわしい記憶でしかないわ。

 

「榎本さんは今回の件は歴史的な事件も関係有ると思うの?」

 

 難しい顔をしたわね。判断はし辛いのかしら?

 

「ただホテルが潰れたにしては強力だ。勿論、稲荷神の線も捨ててないさ。兎に角、情報が少ない……

正直、この件を続けるか続けないかも微妙だよ。勝てない相手に挑むのは、自殺志願者と変わらないからね……

さて、一息ついたら結界を強化するよ。手順を教えるから覚えるんだ。なに、材料さえ揃えば簡単さ」

 

 どうやら結界の張り方を教えてくれるみたいだわ。さり気なく大切にして貰ってる感が嬉しい。

 

「分かりました。教えて下さい」

 

 深々と頭を下げる。この感じなら下心は無いみたいだわ。やはりムードは大切にして欲しいから良かった。

 さて、真面目に教えてもらいましょう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「先ずは知ってる結界方法を教えて」

 

 コタツに向かい合って座っているが、真面目な顔で……いえ、カールのチーズ味を頬張りながら聞いてくる。

 既にポテトチップのり塩味は完食したわ。知らなかった……電子レンジで20秒ほど温めると、出来立て風味になるなんて。

 サクサク感が増して美味しいわね!

 

「簡単な盛り塩。小皿に粗塩を盛って四隅に置く結界。それと古神道の招福折符かしら……」

 

「招福折符って?神折符の一種だっけ?」

 

 カール争奪戦を繰り広げながら聞いてくる。流石の榎本さんも、招福折符は詳しくないのね。

 デッカい掌でお皿を隠すけど、隙間からカールを取り出す。アッという間にカールも完食。

 次は何が出て来るのかしら?一旦榎本さんがコタツから立ち上がりキッチンに向かう。

 冷蔵庫からお代わりのジンジャーエールと……本命の湯煎していた缶詰シリーズを出してきたわね。

 

 名取の焼き鳥、おでん。それに鯨の大和煮に鯖味噌缶。お酒が欲しくなるわね。

 

「そうね。神折符とも言われるわ。それの厄祓符と祓い包みを少し……」

 

 あっ!お皿に分けてよそったわね。榎本さんの分を強奪する楽しみが無くなってしまったわ。

 

「ふーん。商売繁盛・家内安全・厄除け祈願とかは見た事有るけど、祓い用の符も有るんだ」

 

 安心しておでんの大根を食べてるわ。玉子と大根は狙っていたのに……

 ワキワキと箸を動かしていたら、お皿を左手で隠されたわ。

 

「ちょっと酷く有りませんか?私、そんなに榎本さんの分を狙ってませんわ!」

 

 彼の指差す先には……既に完食した空のお皿が有りますわね。私の……ですわね。

 

「おほほほほー!とてもインスタントとは思えない味よ」

 

 肩肘張らない関係が、こんなに楽しいなんて。見た目は筋肉で決して美男子でないクマさんだけど、一緒に居て楽しいのが大切なのは良く分かるわ……

 見た目だけの男を追うのは愚かよね。ちゃんと大根と玉子を箸で半分に切って渡してくれたし。餌付けされた訳じゃないわよ。

 私が差し出されたおでんを食べていると、チーカマを出してきたわ。

 

「私、それも好きですわ」

 

 剥いていたチーカマを途端に口に放り込まなくても、良くありません?全く失礼だわ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 楽しい夜食が終わり、結界を張った祭壇の間に布団を敷かれて独り。大人しく布団の上に座っているわ。

 あの後、朝まで此処に籠もるからトイレを済ませろ!とか水と食料を用意したから、外に食べに出るな!

 とか散々注意されたので、大人しく朝までお籠もりますわ。

 

 彼曰わく

 

「良く怪談で言われているけど、誰が来ても開けない事。僕は朝まで間違っても開けてくれとは言わないから。

言ったらソレは偽物だ。結界が破られたら分かるから、それまでは大人しく寝ていて構わない。

最悪の場合は……共に最後まで足掻こう」

 

 そう言ってくれたわ。つまり最悪の場合は、共に最後まで戦ってくれる。私を残しては逃げないって事よね?

 正直嬉しい。他のどんな美辞麗句より、彼は自分の命を賭けてくれるのだから……

 これって、告白よね?でも周りから見れば既成事実を作ってしまったのよね。仕事帰りに二人でお泊まりしてしまった訳だし。

 テレビ局の人達も薄々は分かってたでしょうし。まぁ良いですわよね?

 別に私は困らないのですから……

 

 

第40話

 

 自分の仕事部屋兼寝室の布団に寝っ転がり、今までの事を考える。桜岡さんは祭壇の間に押し込んで結界を張った。

 自分の時よりも念入りで厳重な事に、少し可笑しくなった……思えば霊能力を持った者と、こんなに親しくなったのは初めてだ。

 「箱」の存在に気付かれない様に、常に彼らからは距離を置いていたからな……

 

 彼女は僕の秘密を知ったら、軽蔑するだろうか?距離を取るか?排除するか?……今は考えても仕方無いだろう。

 過剰な位の結界だ。

 

「ナニか」が干渉すれば分かるから、今は少しでも体を休めよう。

 

 時計を見れば9時を過ぎた……「ヤベェ!結衣ちゃんに連絡してねーよ」携帯電話でなく固定電話から彼女の携帯電話にかける。

 

 家の固定電話にかけないのは、ナンバーディスプレイじゃないからだ。少しでもアリバイに信憑性を……アリバイ?なんで?

 3回目のコールで繋がった。

 

「もしもし、結衣です」

 

 久し振り?に聞いたロリの声に心が躍る。

 

「結衣ちゃん。ゴメンね、仕事でドジってしまって……今、三浦の作業場の方に来て結界張ってるんだ」

 

 卑怯な言い回しだが、安全の為に此方に来ていると伝える。ナンバーディスプレイも此方の番号が表示されてる筈だから、信憑性は有る。

 

「えっ?大丈夫なんですか?」

 

 心優しい結衣ちゃんは疑わずに、腹黒く汚れた僕を心配してくれる。

 

「うん、今晩此処に籠もれば大丈夫。帰れないから戸締まりをしっかりね。明日は昼過ぎには帰れると思う。心配しないで、念の為に此方に籠もるだけだから……」

 

 それでも心配そうな彼女に「大丈夫だから!」と念を押して電話を切る。

 

 フッと思ったけど、この状況ヤバくない?霊的じゃなくて大人の男女が一つ屋根の下……まぁ心配しなくても平気だよね。

 仕事としてだし、桜岡さんの安全確保の為だから。彼女もそんな気は無いだろうし、周りに言い触らす事も無いだろうし……

 さて、少し休むか。今日は色々有って疲れたよ……倒れ込んだ布団は、暫く使ってなかったがフカフカだった。流石はマルハチ製だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「正明、起きろ……ほら正明、起きんか」

 

 横になって暫く、一時間位だろうか?耳元で囁く声と、頭を揺らす振動により意識が覚醒する。

 

「誰だ、うわぁ?」

 

 「箱」の擬態たる真っ裸なロリが小さな足で僕の頭をグリグリと押している。僕には、そんな趣味は無いが……目線は細く病的に白い足の付け根へ。

 男の性とは言え、好みを的確に擬態する「箱」の魅力に足掻けないのは悲しいぜ。

 

「何だよ!家の祭壇に祀ってあるだろう?毎回出歩くなよ」

 

 僕の布団にペタンと座り込む姿は、とても扇情的だが本性を知っているのでギャップに悩む。

 

「正明。面白い女を連れ込んだな。力有る子孫を残すには適当な女だ。アレは、ナニに憑かれたんだ?纏わり付く波動は……

くっくっく。面白い、全て話せ」

 

 「箱」が興味を持つ物件なのか?子孫ってなんだよ?

 僕は今夜を乗り切れば、彼女をあの廃ホテルから手を引かせるつもりなんだが……しかし「箱」には逆らえない。

 

「実はテレビ局からの依頼で……」

 

 真っ裸な幼女に今までの経緯を説明する。端から見れば情けない。真っ裸な幼女に頭を垂れて説明など……粗方の説明を終えて幼女を伺う。

 凄く楽しそうだ。

 

「正明、お前の予想は近くて違う。あの女に纏わりついてるのは……いやタダで教えるのは面白くないな。

あーっはっは!

足掻け正明、この件に関わるんだ。私を忘れずに持ち歩けよ」

 

「ちょ、待てよ!彼女は無事なのか?」

 

「知らんな。自分が連れ込んだ女なんだ。自分で何とかしろ」

 

 そう言って「箱」に戻った。コロンと布団の上に転がる「箱」を見て、何で不機嫌なんだよと思う。

 もっとも機嫌の良い時は、大抵は贄に喰らい付いてる時くらいだけどさ。幼女の高笑いなど、桜岡さんに聞かれてはないか?

 心配なのでテレビを付けてチャンネルを変えていく。丁度良く子役の出演しているドラマが有った。

 何か聞かれたらテレビ見てた事にするか……「箱」が言っていたが、やはり桜岡さんには「ナニか」が纏わりついている。

 しかも、この件に関われと言ってきた。「箱」が興味を持つのは大抵がロクな連中じゃない。

 だから彼女の為には、テレビ局のロケ前に片を付けなくてはならない。ロケ中に霊障に見舞われたら危険過ぎるし、責任問題を問われるだろう……

 しかし前振りで厄介な現場だと教えてしまったから、テレビ局も黙っていないよな。

 こんな危険だが視聴率が取れそうなチャンスをみすみす見逃すとも思えない。どう話を持って行くかによっては、素人を大量に同行させるか・させないか。

 

 難易度が段違いだよ。コレは難しい……いっそ断って独自で動いた方が?

 

 いや、三浦のマンションの件も有るし二度目は流石に桜岡さんも本気で怒るだろう。

 

「んー君ぃ、これは難問だよ……」某メガネ君の真似事をしながら悩む。

 

 布団の上をゴロゴロと転がるが、解決する訳じゃないから素直に寝る。少なくとも「箱」が手元に有る以上、半端な奴が来ても喰われるだけだから極論から言えば安心だ。

 

「おやすみ……「箱」少しは協力しろよ。お前に捧げた贄は少なくないだろ?」

 

 言っても無駄だが、言わずにはいられない。明日の朝、桜岡さんに何て説明しようか?悩んでいる内に、眠気が我慢出来なく……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 冬の日の出は遅い。大体6時過ぎ位だ。目覚まし時計を6時にセットしていたので、日の出前に起きる事が出来た。

 先ずは家の内側の結界札を確認する。

 

「うん、剥がれてないな……」

 

 次にテレビを付けて画面の右上の時刻を確認。部屋の壁掛け時計と同じ6時8分を示している。トイレを済ませてから顔を洗い歯を磨く。

 さて周りが明るくなってきたので、慎重に玄関を開けて外に出た。うん、冬晴れで清々しい。

 冷たい空気を胸一杯に吸い込み深呼吸する。次に車を見るが……周りの清めの塩もカラーコーンに仕込んだ札も異常は無い。

 どうやら追跡はされなかったみたいだな。

 

「さて、天照大神を天岩戸から出しますか!」

 

 朝食のメニューを頭に描きながら、祭壇の間に向かう。入口に貼った札を剥がしノックをする。

 

「桜岡さん?おはよう、朝だよ。開けて良いかい?」

 

 中の様子を伺えば、既に起きていたのだろう。

 

「開けていただいて構いませんわ」と直ぐに返事が来た。

 

「失礼します」と声を掛けてから扉を開けると、ムッとした女性の体臭が鼻についた……

 ああ、昨日は風呂に入れなかったっけ?失礼な事を考えていたが、顔に出さずに挨拶する。

 

「おはよう。どうやら無事だった様だね」

 

「おはようございますわ、榎本さん。今日はどうしますか?」

 

 目元が少し赤いが元気みたいだ。寝れなかったのかも知れないが、大丈夫そうだ。

 

「そうだね。君を自宅に送ったら、置いてきた車を取りに行くよ」

 

 居間に向かいながら、今後について話す。昨夜コンビニで朝食用にと買い込んだ品々をテーブルに並べて選別する。

 総菜パンはトースターで温めた方が美味しいだろう。後は生卵を買ったので、簡単な具なしオムレツを作る。

 飲み物は彼女の為に紅茶を用意し、自分は朝からコーラにする。瞬く間に減っていく総菜パンを見ながら思う。

 

(桜岡さん……君、料理苦手だろ?)

 

(お嫁に貰ってくれるなら、料理くらい習いますわよ)

 

「えっ?」

 

 心のボヤキに突っ込みを入れられた気がした?

 

「何ですの?」

 

「ははははは……いや、何でもないよ。食べたら送るよ」

 

 誤魔化しながらコーラを一気飲みして……吹いた!コーラを飲んだらゲップが出る程確実だ。的なセリフが頭の中を過ぎる。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 7時前に作業場を出発する。県道?農道?早朝だからか農作業の軽トラとすれ違いながら海岸線の国道に向かう。

 朝日が柔らかく照らして、寝不足気味な桜岡さんがうつらうつらしている。眠気には勝てずに居眠りを始めたよ。

 自宅の場所は大体分かっているから、直前までは寝かせてあげよう……

 

 長閑な農道を走り、これまた長閑な海岸線を走る。三浦半島は自然が豊かだ!遠く千葉まで見渡せる。

 

 更に海岸線の国道134号線を暫く走り、佐原のインターから横浜横須賀道路に乗る。なるべく振動をさせない様に気をつけるが、このスカイラインR34は半端無い振動が運転席に来る。

 サスペンションがガチガチに固いんだ。それでも80キロで走行車線を安全運転。目的地近くまで来るのに50分か。

 

 良いペースだ。

 

「桜岡さん、そろそろ起きてくれるか?ここから先は道が分からないんだ」

 

 一般道に降りて路肩に寄せてハザードを点ける。平日早朝だから車通りは少ないが、なるべくなら路駐はしたくない。

 

「うにゅ……あふぅ。ごめんなさいね。寝てしまったわ。えーと、此処からですと一つ先の信号を右折して……」

 

 彼女のナビに従い運転する。大体知っているので楽だ……自宅マンションの前に到着し、指定の駐車場に停める。

 彼女の住まいは15階建ての真新しいマンションだ。

 

「流石はお嬢様!立派なマンションだな」

 

 分譲だろうマンションは、丁度通勤時間帯なのだろう。何人もの父親ズが出勤する風景が見られる。新婚さんも多いんだな……

 

「ほら!行ってらっしゃいのキスとかしてるよ。このマンションは新婚さんが多いんだね」

 

 玄関が駐車場に向いている為に、見上げるとラブラブな出勤風景が……

 

「新築の分譲だったので、新婚さんが多いのよ。集会とかもラブラブだし……」

 

 溜め息をつくなら、彼氏でも作れば良いじゃん!空気が読めるから、口には出さない。出したら殴られそうだし……

 

「少し休んでいきませんか?これから八王子に行って、また運転でしょ?」

 

「行きの電車で寝るよ。じゃ今後の件は帰ったら連絡する。念の為に渡したお札で暫くは結界を張ってね」

 

 そう言って通勤の父親ズ&旦那ズに混ざって上大岡駅まで歩いて行く。さて、昼過ぎには帰れるかな?

 横浜駅でJRに横浜線に乗り換え、八王子駅からタクシーで車までの大体の時間を逆算して考える。

 「箱」から、この件に関われと言われた。ならば準備を整えて挑むしかない。先ずは桜岡さんと西川を丸め込まないと駄目か……やれやれだぜ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼と駐車場で別れ、自分の部屋の階までエレベーターで登る。吹き抜けの廊下から外を見れば、まだ榎本さんが歩いているのが見えた。

 あの筋肉の存在感は、離れていても目を引く。周りの旦那さん達は悪いけど貧相だわ……

 

「そうね、貧相ね。霞、暫く実家に連絡が無いと思えば朝帰りとは良い御身分ね。父さんに言い付けるわよ」

 

「ひゃ?なっなんですか、お母様。いきなり朝帰りなんて!違います。仕事で八王子迄調査に行った帰りですわ」

 

 たまに抜き打ちでウチにくるお母様は苦手だわ。本当の母親ではなくて血の繋がらない後妻だけど、悪い人じゃないの。

 私の為にとお父様と子供は作らないと言ってくれてるし……でも10歳しか離れてないから、お母様よりお姉様よね。

 実際若作りだし派手だしケバいし……このヒト苦手ですわ。

 

 

第41話

 

 まさか自宅にお母様が来てるとは思いませんでしたわ……しかも榎本さんと朝帰りとか誤解されてますし。

 確かに朝に帰宅しましたが、大変だったんです。それを……

 

「まぁ良いわ。西川さんに聞いたら、昨日の夕方にはテレビ局の連中とは別れたって言われたわよ。あの筋肉さんと今までナニしてたか言いなさい」

 

 しかもテレビ局に裏まで取ってますし。この腕を組んで胸を強調しながら詰問してくる、若い義母を見る。

 朝からキッチリお化粧をして派手なスーツを着込んでいる。この調子ですと多分昨夜辺りに訪ねてきて、そのまま泊まったわね。

 

「ナニって?えっ榎本さんは優しくて紳士だから、イヤラシい事はしないわ。脳味噌筋肉だけど、私をとても大切にしてくれるの!」

 

 もう少し私を意識しても良い位なのに……まだまだ調教が足りないのよね。

 

「脳筋?ケダモノと同義語じゃない!あんた、綺麗な体でしょうね?くんくん、少し匂うわよ」

 

 そう言えば昨日は結構な距離を歩き回ったけど、お風呂には入れなかったわ。寝る前にウエットティッシュで拭いた程度で……

 

「昨夜はお風呂に入れなかったから……玄関前で騒ぐのは御近所迷惑よ。お母様、家の中へ……」

 

 只でさえ芸能人扱いで周りから興味を持たれているんですからね。此処で男性問題なんて、榎本さんにも迷惑が……榎本さんに迷惑?

 

 責任問題?既成事実?それはそれで……良いかもしれませんわ。

 

「霞?あんた腹黒い顔してるよ。ほら、中に入るわよ」

 

 腹黒いなんて失礼な!でも状況証拠が固まってしまったら、仕方無いわよね。

 

「はいはい。最初からお話ししますわ。でもお風呂に入ってからですわよ」

 

 お母様には事実を包み隠さずお話ししますわ。それでも誤解されてしまうなら……仕方無いですわ。

 今後の事を榎本さんを交えてお話すれば良いだけの事。お父様は怒るかもしれないけど、娘の幸せが一番よね?とっても腹黒いお嬢様に成長した桜岡霞だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 体中にサブイボが?駅に向かう途中で全身を襲う寒気?悪寒?思わず立ち止まり左右を見回す。

 周りを同じ方向に歩いていた連中が、迷惑そうに避けていったか……まさかマーカーを付けられたのは、桜岡さんでなく僕だったのか?

 「箱」も僕の推理は近くて遠いとか言ってたし……用心が必要だな。警戒しながら最寄り駅に着いた。

 八王子駅までは一度JRに乗り換えなくてはならない。PASMOはJRも使えるから乗り換えは楽だ。

 八王子駅まで90分程度かかるが、今後の方針を考えれば直ぐだろう。ホームに立って電車を待ちながら考える。

 

 何から始めるか?勿論、情報収集だ。

 

 ネットは大体調べたから、最寄りの図書館でホテル倒産の前年位から今までの事を地元紙で調べる。周辺やホテル絡みの事件・事故をだ。

 変な神社について、また廃ホテル内の稲荷神社について調べる。これは桜岡さんに頼もう。

 伊勢神宮にコネは無いが、彼女なら有るかもしれないし……京都の伏見稲荷に確認が出来れば一番良いんだ。

 必ず誰が申請して歓請されたかのリストが有る。御霊を移して有れば良いのだけど、放置プレイだと危険なんだよね……

 祠については裏に伸びていた獣道を調べたいが、Google EARTHで調べきれるかな?集落の存在が別れば行ってみるか。

 

 一番怪しいのは管理人だ。どういう人物なのか?

 

 地元民やホテル関係者とかなら、何か秘密が有りそうなんだよね。全く手掛かりが無いからな……

 思考が行き詰まった時点で、電車がホームに入ってくる。背広姿の団体が乗っている車両に押し込まれた。横浜駅迄は満員だろう……

 かろうじて吊革に掴まれたが、前に立つ男のポマードがキツい。幾ら筋肉の鎧を纏おうと、嗅覚は一般人なんだ。

 辛い10分間だった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横浜でJRに乗り換える。東神奈川駅が横浜線の始発駅だ。八王子駅まで大体60分で到着するだろう。

 発車時刻を確認すれば、9時25分か……電車は停まっているので、八王子駅に到着するだろう時刻の5分前に携帯のタイマーをセット。

 寝坊して折り返し運転で東神奈川駅に逆戻りしない様にしてから、座席に座り込み少し眠る……体力を少しでも回復しないとね。

 

 胸ポケットに入れていた携帯から黒電話の音が鳴り響く……もう八王子駅に到着か。

 

 携帯を取り出し時刻を確認すると、10時20分だ。周りを見渡せば、結構な混み具合だね。

 妙に10代後半から20代前半が多いのは大学が有るからだろう。八王子キャンパスとか、車内吊りの広告が目に付く。

 ロリじゃない年齢だし、女性達も化粧とかして大人の女性っぽいからツマラナイネー……

 

 彼らと共に終着駅を降りて考える。バスかタクシーか?今回は経費で落とせるか微妙だ……最悪は請求無しのただ働きの可能性が有る。

 

 「箱」の存在を知られない為にも内緒で除霊するかも知れないんだ。右のポケットに突っ込んである悩みの元凶、「箱」を弄りながら考える。

 こんな場所で擬態たる真っ裸な幼女で現れない事を切に祈りながら……此処で擬態化したら、僕の社会的地位は地に落ちて犯罪者の烙印を押されるだろう。

 もっとも擬態が保護されても、どうせ消えるから証拠は残らないんだけどね。

 

「まぁ普通は経費削減の為にバスだよな……」

 

 どの路線か分からないので、バスの案内所を訪ねて聞きますか!見回すと、それらしいプレハブが見えた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何という便の悪さだろう?多分だが、開業当時は送迎バスが有った筈だ。しかし現状のバス路線だと乗り換える事3回。

 自家用車なら40分位の距離を迂回しながら90分もかけて漸く近くのバス停に着いた。時刻は既にお昼前……

 何にも無い田舎町のバス停を降りて周りを見回す。辛うじて国道だからチラホラ店は有るけど。

 

「此処から徒歩で10分くらいかな?車を停めた場所までは……」

 

 昨日の事だが、記憶を辿りながら道を歩く。国道から脇道に逸れてからは、本当に何も無い住宅街?

 遠くに問題のホテルの有る山が見える。昨日は気が付かなかったけど、山の中腹に廃ホテルが見えるね。

 

 グゥー……「あれだけ朝食べたのに、お腹が空いたよ?」最近フードファイター仲間が出来たせいか、お腹の自己主張が激しい。

 

 前は結衣ちゃんの普通より少し大きいサイズの弁当箱で良かったのにな。

 

「やはりロリの愛情は空腹をも満たすんだ!」

 

 改めて結衣ちゃんへの愛情を確認した。なので空腹を満たす為に食事の出来そうな場所を探す……

 真っ直ぐな田舎道を見渡すと、マイナー系のコンビニと蕎麦・うどんのノボリが見える。

 コンビニでオニギリ等を買って車で食べる。どう見ても個人営業的な食堂で食べる。悩む事2秒、食堂にする。温かいご飯が食べたいんだ。

 

「いらっしゃーい!」

 

 暖簾を潜ると威勢の良いオヤジが声をかけてきた。壁に掛けてあるメニューを見ながらカウンターに座る。

 

 こんな店でツウぶって「お薦めメニューは?」とか聞いても意味は無い。「カレーに味噌ラーメンを頼む」水を置いてくれたオヤジに注文する。

 

「へい!」

 

 手際良く麺を茹で始めたオヤジを暫く眺めながら

 

「昔、山の上のナントカってホテルに来た以来だけど、この辺も変わったね」

 

 世間話みたいに聞いてみる。野菜を刻む手を休めずに「ああ、あのホテルですか?結構前に潰れましたよ」と答えてくれた。

 

 それなりに周りも知ってるのかな?

 

「そうなんだ。会社の宴会旅行だから詳しく覚えてないけど、辺鄙だったよね。それに観光がショボい池だか滝だかしか……なる程ねぇ」

 

 先に出されたカレーを受け取る。そして冷たい水の入ったコップにスプーンが刺さった物も受け取る。

 何故、コップにスプーン入れてだすんだ?一口食べたが昔風なジャガイモ・人参・玉ねぎ・豚肉の中辛だ。

 

「ふーん。オヤジも行った事有るのかい?倒産した会社の社員旅行だったから思い出深いんだよな。暇つぶしに行ってみようかな……」

 

 何気ない様に話した。さり気なくオヤジの表情を伺ったが「止めといた方が良いですよ。変な連中が出入りしてる噂を聞いてますよ」特にビックリした表情でもないな。

 

「変?アレかい。今時の若い奴らがバカ騒ぎかい。全く困った連中だね」

 

 野菜を炒めてスープを入れ、味噌を溶いて味を調整している。茹でた麺を丼に入れてから、スープを注ぐ。

 

 中々旨そうだ……

 

「へい、お待ち。いやガキじゃなくて宗教関係みたいですよ。ほら、新興宗教?兎に角ヤバい連中みたいですよ」

 

「ふーん。じゃ止めとくよ。そんなに行きたい訳でもないしね。元々友達ん家に来た序でだったし……フーフー、うん旨いな」

 

 宗教関係者?新興宗教?ヤバいキーワードだ。やはり管理人が怪しいぞ。カレーと味噌ラーメンを平らげて店を出る。

 カレー700円・味噌ラーメン750円、合計1450円だが味噌ラーメンは十分旨かった。カレーは本当に家庭の味だったな。

 腹も満ちたので愛車の元へ向かう……平日の昼過ぎだからか、人通りは殆ど無い。

 少し歩くと駐車場に到着。早速結界を調べるが、清めた塩もお札も異常は無い。タイヤもパンクしてないし大丈夫かな……

 車に乗り込みエンジンをかけて暫くは暖気だ。シートを倒して先程の話を纏めてみる。

 

 新興宗教か……

 

 一口に新興宗教と言っても、実は年代により細分化されてるし定義もマチマチだ。1970年代前後で新宗教と新新宗教に分けるのが一般的だ。

 新宗教で代表的なのは天理教。新新宗教で代表的なのは幸福の科学や統一協会。まぁ、こんなメジャーどころは関係無いだろう。

 彼らは根本的に従来型の教義の派生型だったり、教義を引き継いだりしている。問題は一代で築いた方。

 

「私は天啓を授かった!」

 

「我が力、神なり!」

 

 ある日突然、力有る教祖が誕生する方が厄介だ。神がかり的な教祖は信者に絶大な影響力が有るから、何をするか分からない。

 詐欺紛いの偽物教団も多いが、真面目な教団も少なくはない。本物の力を得た人が、人々を救済する為に興した教団も知っている。

 だが、今回のは善意じゃなさそうだ……海外でカルト集団の話題が有り、それが国内の新宗教・新新宗教を纏めて新興宗教と思われがちだけど実際は違うんだ。

 人間絡みだと余計に面倒だな。

 

「さて最寄りの図書館に行って新聞を調べるか。結衣ちゃんが学校から帰って来るのは4時過ぎ。3時前に出れば間に合うからね……」

 

 少しでも調べておく為に、カーナビの検索で図書館を探す。割と近くに有った。

 

「八王子市立図書館か……」

 

 携帯で八王子市立図書館を検索。大抵の公共施設はホームページが有るから、規模や扱っている物が分かる。

 どうやら中々の規模らしく、地元紙のバックナンバーも扱っているみたいだ。鞄の中に眼鏡が入っているのを確認し、図書館に向けて出発する。

 

 まだ老眼じゃない!近眼なんだ!

 

 でも眼鏡を掛けた姿を結衣ちゃんに見せたら「眼鏡を掛けると知的に見えますよ」って言ってくれたんだ。

 



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第42話から第44話

第42話

 

「八王子市立図書館」

 

 鉄筋コンクリート4階建の立派な建物だ。1階は受付と市民ホール。2〜4階が図書館。

 4階にはカフェを併設している。過去の新聞等は地下1階で閲覧出来るが、これは紙ベースでなくデータ閲覧だ。

 貸出しなければカードは不要の為、そのまま地下へ行きデータ閲覧を申請。モニターで見れるとの事で、個室ブースで調べているが……それらしい事件は結構見つかった。

 

「廃業したホテルで自殺相次ぐ。八王子市内に有る廃墟となったホテルで男性が首を吊って自殺しているのを、廃墟探訪を趣味とする人が見つけ警察に通報。

遺書が有り、警察は自殺と断定」

 

「またもや廃墟ホテルで自殺?また廃業したホテルの敷地内に有るプールで女性の水死体が発見された。通報者は同ホテルの管理会社社員で、巡回中に野外プールで女性が浮いているのを発見。

警察に通報するが既に死後一週間程度が経っていた。遺書らしき物は発見出来ず。

 

 折からの雨でプールの水位が上がっており、点検し水抜きをする為に訪れて発見する」

 

「地元で有名な廃墟ホテルで住民から苦情。廃墟ブームにより都心から近いこの廃業したホテルに若者が集まり、地元住民の迷惑に……」

 

 どうやら事前にネットで調べた情報と少し違う。自殺又は自殺と思われる2人は、共にホテルが廃業後だ。

 子供の霊って話は無いが、プールで女性が死亡している。子供の方だが、此方の事件の変化だろう。

 

「行方不明の小学五年生の女児、八王子山中の池で遺体で発見される」

 

 事件・事故の両方で捜査中だが、見通しは暗い……八王子周辺には池は多い。

 発見場所はあの池とは限らないけどね。ただ水に絡んで二人も女性が死んでいる。偶然とも思うし、偶然じゃないとも思える。

 後は宗教絡みの件だが、此方はサッパリだ。きっと新聞に載る様な事件は、起こしてはいないんだろうな……

 

「もう4時前か……予定をオーバーしちゃったな。結衣ちゃんにメールして帰るか」

 

 彼女が学校に帰る前に戻る予定だったが、気が付けば3時間近く経ってしまったか。

 

「結衣ちゃんへ

八王子の図書館で調べ物が有り、思ったより時間が掛かってしまったよ。

これから帰ります。多分6時前には着くから。何かデザート買って帰るね。 榎本」

 

 メールを送信し図書館を後にする。デザートか……気の利いた店は、この辺には無かったな。

 横浜横須賀高速道路のインターで何か買うか?確か三浦メロンゼリーとか有った筈だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お風呂を沸かす時間が無かったのでシャワーで済ます。昨夜も携帯セットでメイク落としやお肌の手入れは行ったけれど、やはりお風呂に入れないのは嫌だわ。

 あの時は、其処までノンビリ出来なかったから仕方無いのだけれど。今度、温泉でも一緒に行きたいわね。

 あの件を請けるなら近くに温泉が有った筈ですし、そこのホテルか旅館をベースにすれば……手の甲でシャワーの温度を確かめてから全身の汚れをお湯で洗い流す。

 

 先ずはシャンプーね。

 

 自慢の黒髪を梳く様にお湯で洗ってからシャンプー。そしてリンスを全体に薄く塗り伸ばす。軽く纏めてタオルを巻き、リンスの成分が行き渡る間に体を洗う。

 不要な毛の処理をしてから、リンスを洗い流し体全体もシャワーで綺麗にする。

 

「ふぅ、サッパリしたわ……」

 

 体を拭いて下着を付けたらガウンを羽織り私室へ行く。途中キッチンを見れば、お母様が朝食の準備をしてくれてる。

 派手な外観の癖に家庭的な料理でお父様のハートを射止め後妻となった。お父様曰わく、ギャップ萌え?だそうだが……私の場合だと、何がギャップ萌えになるのかしら?

 知的で古風、清楚なお嬢様の私だと……雌豹の様なセクシーさかしら?それともお馬鹿なお色気とか?どちらも私には無理だわ。

 

 それに榎本さんってお色気タイプには興味が薄そうな感じがしますし……ムッツリって感じもしないのは、流石は聖職者って事よね?

 結婚しても浮気の心配は低いかしら?髪を乾かしお肌の手入れをしてからキッチンへ……

 テーブルには、肉じゃが・鯖味噌・ほうれん草のお浸し・だし巻き卵・具沢山味噌汁にご飯が盛られているわ。

 まさに男性が求めるお袋の味ね。テーブルの向かいに座る。

 

「昨夜アンタが帰ると思って用意したのよ。それを朝帰りとは……」

 

 日本茶を淹れた湯呑みを渡しながら愚痴を言われたけど、小腹も空いたので黙って頂く。

 

「ねぇ、聞いてるの?お見合い話を断ってるのも筋肉君のせいかしら?

確かに丈夫そうだけど、定職についてるんでしょうね?余りお金の稼げる職業には就けなさそうだけど?」

 

 うん、本当のお母様は料理などしなかったから、この料理がお袋の味ね。ありふれた料理なのに、暖かくて美味しいのは何故かしら?

 

「お母様、おかわりを頂けますか?」

 

「ったく、もう。アンタの大食いを相手は知ってるのかい?」

 

 お茶碗に山盛りのご飯を受け取る。

 

「ええ、榎本さんも同じ位食べますわ。最も同じと言うか一度も勝てませんでしたが……」

 

 リベンジはスィーツ!他のジャンルでは勝てそうに無いんですもの。

 

「へぇ……霞の大食いにもドン引きせずに、それ以上に食べるのかい?」

 

 ドン引き?嫌だわ、そんな表情なんてした事も無いわよ。私達にとっては当たり前な事なの!

 

「お母様、おかわりを頂けますか?二人で何度も食事をしてますが、一度も驚いたりしませんわ。寧ろ足りない?と気遣いをされます」

 

 大盛り茶碗を受け取り、残りのオカズに挑む。

 

「霞の話だけ聞いてると、筋肉君がベタぼれって感じだねぇ……色事に疎いアンタが男を手玉に取るとは思えないけどね」

 

 最後のだし巻き卵を口の中に押し込み咀嚼する。日本茶を飲んで一息。

 

「御馳走様でしたわ。では私と榎本さんの関係をお話しますわ。

アレは長瀬綜合警備保障から仕事のオファーが有った時に、初めてお会いしましたの……」

 

 私と榎本さんとの関係をお母様に説明しだした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 榎本心霊調査事務所、所長榎本正明。30代前半、筋肉質で短髪。残念ながら美男子ではないが、あの子は気にしていない。

 昔は面食いだったのに、見た目よりも中身に惹かれた感じかしら?

 嬉しそうに筋肉君の事を説明しているが、彼氏と言うか男女の関係にはなってないわね。

 

 この子は「躾の行き届いたクマさん」と表現しているけど、中々どうして喰わせ者よ。

 

 一端の経営者らしく契約を重んじるのは感心した。霊能力者って丼勘定ってイメージが有るもの。値段は有って無い様なあやふやな感じだった。

 霞もそうだったわ。そんな怪しい仕事だけど、一般的な常識を教え込んでくれた事には本当に感謝ね。

 このバカ娘の仕事スタイルを今聞いて恐ろしくなったもの……その辺を指導出来るのは筋肉君の仕事スタイルがシッカリしてるから。

 不動産屋や警備会社の専属って事は、確かな実績と能力が有る訳ね。

 

「でね、私が相談に乗って欲しいってお願いしたら、勝ったら話を聞いてやるってフードバトルを挑まれて……

でも結局負けたのに相談に乗ってくれて。テレビ局との交渉にお祖父様まで連れて来てくれたのよ」

 

「お祖父様って?さっきは天涯孤独って言わなかったっけ?」

 

 下心無しで、此処まで面倒をみるかしら?善意だけじゃないわ。何か、何か筋肉君は霞に対して考えが有る筈ね。

 それが恋愛感情かは分からないけど、聖人君子じゃ有るまいし善意の枠を越えているわ。

 

「ご家族の方は既にお亡くなりになっていますが、昔から家族ぐるみでのお付き合いの有る方なんですって。企業関係の個人弁護士事務所をなさっていて……」

 

 弁護士ですって?

 

「霞、アンタ榎本さんにちゃんとお礼したの?幾ら知り合いだからって、現役弁護士を同行させたとなれば、相応の料金が……」

 

 ハッと気付いた様な顔をしたわね。つまりお礼はしていないのか……

 

「でっでも、昨日も調査に同行して貰いましたから一連の費用は全て請求して貰いますから……その……」

 

 社会に出て紛いなりにも仕事をしているから成長したかと思えば……どこか世間知らずなお嬢様の部分が残ってるわね。

 

「筋肉君……いえ、榎本さんね。善人過ぎるでしょ?霞、何か榎本さんに求められているの?」

 

 この子の体が目当てなのか、それとも逆玉狙いか?恋愛感情無しで此処まで面倒を見るなんて、怪し過ぎるわよ。

 

「そんな事は無いわ!身寄りのない結衣ちゃんを引き取れる人だもの。とっても優しい人なのよ」

 

「結衣ちゃん?なに、榎本さんて子連れなの?アンタ、その子に会った事が有るの?」

 

 おぃおぃおぃ……身寄りのない子を引き取るって素晴らしい事だけど、ボランティア精神溢れる人と付き合うのは金銭面で苦労するのよ。

 家族へ向ける愛を周りにバラまくだけなの。愛には限りが有るのよ。

 

「榎本さんが素晴らしいのは分かりました。でも貴女は桜岡家の跡取りなのよ。軽はずみな行動は控えなさいな」

 

 恋愛に疎いこの子がズブズブにハマった男は、ボランティア精神溢れる偽善的野郎か……確かに正義感の強い霞には堪らない相手ね。

 全く厄介だわ……でも霊能力者で榎本って、私が現役の時に噂になった男じゃないわよね。

 

 荒んだ狂犬みたいな男。誰も寄せ付けない一匹狼。

 

 金に執着せず霊達に八つ当たりする様に除霊するタイプの男と記憶しているわ。とっても霞の言う躾の行き届いたクマじゃないわ。別人よね?

 

「はいはい、分かりましたわ。でも榎本さんとは別れませんわよ」

 

 アバタもエクボ、箸が転がっても可笑しい年頃。つまり今は何を言ってもダメな時期だわ。

 

「好きになさいな。また来るわ」

 

 榎本心霊調査事務所か……気になるわ。帰ったら早速興信所に調べて貰いましょう。

 

 数日後、彼女は驚愕の調査結果を知る事になる。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡本家。

 

 関西でソコソコの歴史を持つ名家で有り、事業が成功している金持ちだ。その後妻に収まったのは、商売敵から呪詛をかけられた為に雇った霊能力者だった。

 彼女も霞と同様に梓巫女として活動しており、霞の師は彼女が紹介した者だ。つまり姉妹弟子の関係。

 

「奥様、ご依頼の調査報告です」

 

 幾つか有る客間に通されたのは、馴染みの興信所所長。彼の調査能力は高い。

 

「有難う。確認させてもらうわ」

 

 分厚いファイルを受け取る。何ページか読み進めていけば、やはり記憶に有る狂犬と同一人物だ。

 

「あの狂犬が落ち着いた物ね……」

 

「はい。とある少女との出会いから急激に変わった様です」

 

 とある少女?更に報告書を読み進めると、数枚の写真が。小学校の高学年位と制服を着た中学生位の少女。

 同じ少女に思うけど……彼女の写真を見せる。

 

「報告書に有ります彼女は、細波結衣。榎本氏が引き取り現在同居してます。

性的虐待等は無いと思われます。何故なら彼女は実の母親とその男達に虐待を受けてました。幼い頃の写真がそうです」

 

 手元の写真を見る。確かに幼い頃の写真の表情は、どこか暗く不の気が纏わり付いている。

 

「ですが引き取られた後は各段に明るくなっております。近隣住民や民政員、学校にもそれとなく聞き込みましたが概ね榎本氏に友好的であり彼らの関係は良好ですね」

 

 ふーん、やっぱり丸くなったのか……あら?この資料は?

 

「この横浜と川崎の風俗で有名って何かしら?」

 

「榎本氏は中々の性豪でして、その道の有名人に師事しておりますね」

 

「何だってー!生臭坊主なの?霞とは本当に清い交際なんでしょうね?」

 

 あの子はアレで中々のスタイルだし世間知らず。知らぬ間に変態坊主に調教でもされていたら……

 

 

第43話

 

 私の娘であり妹弟子でも有る霞がズブズブにハマった男……榎本正明。

 調べてみれば、私が現役の頃に狂犬として噂になっていた男だった。何が有ったか随分と丸くなった物だが、霞とお付き合いをさせるのは反対だわ。

 あの子はお人好しで何処か抜け出るから騙されているのよ。こんな筋肉エロ坊主なんて絶対認めない!

 何なのよ、この報告書は。

 

「この横浜と川崎の風俗で有名って何かしら?」

 

 一個人が色街で有名なんて有り得ないわよ。

 

「榎本氏は中々の性豪でして、その道の有名人に師事しておりますね」

 

「何だってー!生臭坊主なの?霞とは本当に清い交際なんでしょうね?」

 

 あの子はアレで中々のスタイルだし世間知らず。知らぬ間に変態坊主に調教でもされていたら……取り返しがつかないじゃないの!

 あの人に何て説明すれば良いのよ?

 

「その心配は無用です」

 

「何が無用よ!エロ坊主が霞に手を出さない訳が無いじゃない。あの子は世間知らずなお嬢様だから、良い様に弄ばれてるわ!」

 

 エロい奴が自分に好意を持つ美人に手を出さない訳が無いわ。特に風俗にまで通って性欲処理する変態なのよ!

 下手したら淫らで変態的な調教をあの子に……

 

「落ち着いて下さい、奥様。次の資料をお読み下さい」

 

 資料?渡されたファイルを捲り報告書を読み進める。

 

 風俗レポート横浜編……ナニ、コノ報告書ハ?横浜平成女学院、チコちゃん?写真まで貼り付けてあるわね。

 ハマっ子クラブ中等部、レイナちゃん。コッチは写真と名刺まで貼ってあるわよ。

 スーパースキャンダラス、アミちゃん。ご丁寧にプレイのコースまで……

 

 次のページは風俗レポート川崎編?プレイボーイ、夏美嬢。可愛らしいバニーガール姿の女の子ね。

 夢御殿竜宮城、ヒラメちゃん?変わった名前の名刺と、浴衣姿の女の子の写真が……

 プリティーカール川崎店、紅葉嬢。まぁ下着姿じゃないの!ベビードールだっけ?

 

「これ、エロ坊主のお気に入りリストでしょ?汚らわしい!」

 

 こんなに何人もの風俗嬢と淫らな……かっ霞の貞操は無惨にも散らされたわね。あのエロ坊主、呪ってやるわ!

 

「奥様……お気付きになりませんか?」

 

「分かったわよ!あの節操無しのエロ坊主の本性が!霞を連れ戻します。今直ぐによ」

 

 何よ?ヤレヤレ的に首を振ったりして。

 触ってるのも汚らわしい感じがして、思わず机に放り投げたリストを拾い上げてページを示して?

 

「奥様、気付きませんか?榎本氏の趣味の素晴らしさを……彼を知る為に、私は榎本氏が贔屓にしている彼女達と順番にプレイしましたが……

素晴らしい選美眼です。

あの数多有る風俗店の中で、コレだけの合法ロリっ娘をチョイス出来るなんて!皆さんペッタンコでロリロリ。

性格も良く素晴らしいプレイを堪能出来ました。アレほど風俗でハズレの地雷女ばかりを引き当てる私がですよ!

私……私は……榎本氏を尊敬しています。彼にならお金を払ってでも師事して、後悔はしないでしょう」

 

 良い笑顔だけどキチガイペド野郎!こっコイツ、狂ったわね?風俗遊びをし過ぎて、性病が脳味噌に回ったのね……

 

「で、何が言いたいの?」

 

「榎本氏にとって霞お嬢様は、恋愛感情からは対極の存在!だが友人としては、一番近い位置にいらっしゃいます。だからお嬢様は安心なのです」

 

 やっぱお嬢様は育ち過ぎだよね?確認した結衣ちゃんも天使の様な美少女でしたよ。

 ロリ好きだけど犯罪に走らず、合法でこれだけの可愛い娘を探し出せるなんて……ハァハァ、早く週末にならないかな。

 いっそ神奈川県に引っ越したいぜ!ブツブツとキモい独り言を言い始めたわ。

 

「つまり、性欲旺盛だけどロリでペド野郎だから巨乳美人の霞は安全だと?」

 

 元気よく頷きやがって……

 

「そうです!残念ながらお嬢様では榎本氏の寵愛は受けれない。何故から合法ロリが居る限り、霞お嬢様に出番は有りません。ナッシングなんです」

 

 唾を飛ばしながら興奮するな!お前には二度と仕事は頼まないからね。

 

「もう良いわ……お下がりなさい」

 

 行儀良く一礼した下がる変態を見て思う。女として初恋に近い相手に恋愛対象として見られてないなんて!

 これ以上の屈辱は無いわ……

 

「しかし……しかし、あの子の安全の為には有効な相手なのよね」

 

 残された報告書を読み進めれば、エロ坊主の履歴や携わった仕事内容。友好関係から、除霊スタイルまで事細かく調べてあるわ。

 霊能力者として力は並みだけど、用心深さ・用意周到さ・成功率・施主のリストを見ても危なげない。

 資産もそれなりに有りそうだ。取引先の銀行の支店長が、引き取った娘の学校への紹介状を書く位だ。

 個人としては大口預金者なのだろう。性癖だけ目を瞑れば悪くない相手だが、女性として母親としては遠慮したい。

 

 だけど……

 

 何処かのレストランで、嬉しそうに二人で食事をする霞……此方は居酒屋だろうか?

 

 カウンターに並んで楽しそうにオデンを食べている霞……どちらも良い笑顔だわ。

 

 あの子の幸せそうな顔を見れば、大切にされているのは確かなのね。コンプレックスだった大食いを気にしない。尊敬している同業の先輩霊能力者。

 危険な、それこそ命懸けの仕事を一緒にしてくれる。体を張って危険な敵から守り、勝てなくても最後まで共に戦ってくれる。

 強引なナンパも助けてくれたらしいし……これだけ聞けば、自分に気が有ると勘違いするだろう。

しかし相手は友達としてしか見ていない。

 

「霞……私が何とかしてあげるわ。酷いペド野郎だけど、私が調教してあげる。

エロ坊主に呪いをかけて、一定の年齢以上と豊かな胸じゃないとナニが立たなくしてやるわ。

簡単よ、発情のベースをアナタで設定するから。後は外堀を埋めて既成事実をでっち上げれば完璧。

アナタのお父様も私が一服盛って、既成事実を作ったのよ。だからお母さんに任せなさいな」

 

 桜岡家には後継者が必要だから、生殖器官は残してあげる。でもロリっ娘相手には欲情もナニも反応しない様にしてやる!

 性欲旺盛なペド野郎には拷問よね。そして有り余る性欲を霞に向けて欲情する様に仕向けてあげれば……

 後は結婚まで最短距離で進めて、完全に尻に敷く様に調教する。完璧ね、男なんてチョロいわよ!

 

「アーッハッハァー!霞、お母さんに任せなさーい」

 

 榎本は男としての存在の意義を考えさせられる呪いをかけられようとしていた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その呪い対象は、久し振り?のロリ成分の補給に勤しんでいた……出来る限りの安全運転で自宅に帰れば、既に6時を大きく過ぎている。

 

「あちゃ……予定より大分遅れたな。ただいま、結衣ちゃん」

 

「お帰りなさい。正明さん……あの、大丈夫でしたか?」

 

 キッチンからエプロンで手を拭きながら出迎えてくれるのは、男の夢100の内の上位に入る仕草だ!自分的ベスト20だが、上位10位は18禁に属するから秘密だ。

 

「うん、大丈夫だよ。お腹空いたな。今晩のご飯は何だい?」

 

 昨日のお昼以来、彼女の作った物を食べてないな。キッチンから漂う匂いは、醤油ベースなんだが……

 

「今日は土鍋で鯛の炊き込み御飯に挑戦しました。後は白菜とバラ肉の煮物にカボチャのスープです」

 

「ああ、オコゲの匂いか……急いでお風呂に入ってくるね」

 

 先ずは汚れを落とさなければ……私室に向かい荷物を下ろして着替えを出す。

 一人暮らしの時は、風呂からフルチンで出歩いていたが結衣ちゃんを引き取ってから気を付けている。

 あと、忘れずに「箱」を祭壇に祀る……コイツ、何時でも何処でも現れる。しかも必ず真っ裸だ……嬉し、いや困るんだよ。

 

「さて、さっぱりしますか……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 男の入浴シーンはカットし、夕食を始める。土鍋で作った鯛の炊き込み御飯は、中々本格的だ。

 真剣な表情で鍋の中央に配された真鯛の身を箸で解している結衣ちゃん。屈み込んでいる為に胸元が見えて……ロリはペッタンコだから服の胸の部分に余裕が有るから、屈むと奥が見える。

 神秘のゾーンが!

 

「嗚呼……神様仏様、ご褒美を感謝します」

 

「……?あの、何か?」

 

 結衣ちゃんと目が合う。「うん、美味しそうだなって思ってね」本当に美味しそうです、結衣ちゃんが!

 

「あっ有難う御座います。今回は自信作なんです。鯛は一度圧力鍋で煮込んで柔らかくして、臭みを抜いた物を乗せて……」

 

 うん、柔らかそうだよね……臭み?いや結衣ちゃんは良い匂いだよ……

 変態的思考で彼女をガン見するけど、結衣ちゃんは気付いてない。僕も頬がニヤけるのをグッと我慢して、自分的に誠実そうな表情をする。

 見ているだけで幸せ。これがロリを愛でる真骨頂だ!

 身が剥がされ、頭と骨だけになった鯛を御飯に軽く混ぜて茶碗に大盛りによそってくれた。オコゲの部分も有り、非常に美味でした!

 手料理で餌付けされる男の気持ちが、今なら理解出来る。胃袋を抑えられるって食欲・性欲・睡眠欲の1/3を抑えられる事だから。

 これで性欲まで加わったら抵抗出来ないや。全てのオカズも完食する。

 

「「御馳走様でした」」

 

 洗い物をする彼女の後ろ姿を見ながらお茶を飲む。美少女が機敏に動きながら食器を洗う姿は、どんな名画より絵になる。

 しかもTシャツにホットパンツにエプロンだし……太股に巻かれた包帯を見て、イヤラシく見ていた自分を戒める。

 彼女は実の母親と、その情夫達に虐待されていた。その自傷の跡が太股の包帯なんだ。

 最初は長ズボンか丈の長いスカートしか履かなかった。最近漸く家の中だけだが、ラフな格好をしてくれる様になったんだ。

 ヤツらみたいな視線を……でもフリフリと動くお尻とホットパンツから覗くカモシカみたいな太股は……イヤイヤイヤ駄目だ!

 此処に居ると僕の中のイケないパトスが溢れてしまう。結衣ちゃんに労いの声を掛けてから私室に戻る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 少し早いけど布団を敷いてゴロリと横になる。慌ただしい一日だったが、最後にご褒美が頂けた。

 これを糧に、暫くは生きていけるだろう……天井の模様を眺めながら考える。

 これからの進め方だけど、「箱」の命令により廃ホテルの調査は進めなくてはならない。

 桜岡さんの扱いについては巻き込むしかないけど……正直テレビ局がウザい。

 放送が決まってしまうと自然に除霊のリミットが決まる。ケツの決まった仕事は、それだけ無理をする事になるからね。

 しかも素人を同行させるなんて問題が大有りだ!

 

「どうするかな……僕達の仕事が終わる迄は関わるな!そんな都合の良い交渉は無理だ。成功報酬で良いから好きにさせろ!

除霊自体しなかったろ?とか言われそうだ」

 

 どう足掻いても何度かはテレビ局を同行させないと納得しないな。

 僕だって報告書だけで実際の活動は見せないって言われたら、疑うからね……しかし連絡は入れなければなるまい。

 携帯に手を伸ばし、短縮ダイヤルから桜岡さんの携帯を検索する。通話ボタンを押すとコール音が……

 そして3コール目で繋がり、彼女の声が聞こえた。

 

「はい、桜岡ですわ。榎本さん、今晩は。何か用でしょうか?」

 

 相変わらずお嬢様言葉だが、中々馴れない。

 

「こんばんは、桜岡さん。遅くにごめんね。実は……」

 

 説明は長くなりそうだ。

 

 

第44話

 

 お母様が帰った後、私でも出来る事をしようと思いパソコンで検索したけど……

 

「ネットは情報の腐海……どれが本当なのか良く分からないのよね」

 

 焼酎の抹茶割りを片手にパソコンを弄るけど、色んな書き込みや体験談。果ては廃業探索のサイトでは中の写真が公開されているし……

 

「榎本さん、良くこの中から抜粋出来たわよね。私だと、どれが嘘か本当か分からないもの……」

 

 ノートに片っ端から書いていくが纏まりがない。廃仏毀釈を検索しても特定の物件はヒットしない。

 抹茶ハイを煽り、お代わりを作る。調べ物が一段落したら、少しお昼寝をしましょう。

 酔いと睡魔がタッグを組んで襲いかかるのを酢昆布をカジって防ぐ。

 

「すっぱーい、ですわ」

 

 検索出来るのは、歴史的に有名な所だけだ。

 

「伊勢神宮系の知り合いは居ないのよね。伏見稲荷系もそう。どちらかと言えば熊野信仰系が多いし……私って業界の横の繋がりが乏しいわ。

お母様に聞いてみれば良かったわね」

 

 試しに携帯にかけてみる。時計を見れば2時を過ぎた辺りだ。

 

「もしもし霞?何よ、さっき会ったばかりなのに電話なんて」

 

 受話器から聞こえてくる声の他に、ザワザワと繁華街から聞こえてくる様な音がするわ。まだ外なのね……

 

「今、電話平気かしら?」

 

 移動中とかマナー違反になってないわよね?

 

「平気よ。丁度大阪駅に付いたから……」

 

 どうやら寄り道せずに真っ直ぐ帰ったのだろう。新幹線で大阪駅まで着けば、あとは在来線で10分程度で自宅の最寄り駅だ。

 

「あのね……お母様は伊勢神宮系か伏見稲荷系にコネあるかしら?今回の事件は両方か片方か分からないけど、関係しそうなのよ」

 

「アンタ……なんで大事な話を直接しないのよ?伊勢神宮と伏見稲荷ね。少し時間を頂戴。伏見稲荷なら近いしなんとかなるわ」

 

 良かった。これで廃ホテル内の稲荷神社が調べられる。

 

「うん、有難う。メールで送るから、その廃ホテルにある稲荷神社を調べて欲しいの。潰れて放置されてたら大変だし……」

 

 確か全国のお稲荷様のリストが有る筈だから、場所が特定出来れば分かる筈よね。

 

「廃墟にお稲荷様が残ってるの?危険なんてモンじゃないわよ!曲がりなりにも神様として祀っていたのよ。それを……」

 

「危険な事は理解してるわ。だから調べてから挑もうと思ってる。大丈夫ですわ。榎本さんも最初から稲荷神が怪しいって予測してましたし」

 

「はいはい。兎に角、榎本さんと良く相談してから行動なさい。近々またソッチに行くから榎本さんに会わせなさいよ。良いわね?」

 

 ガチャリと電話を切られたわ。近々?会わせる?もっもう親族と引き合わせ?

 

「まだ早いですわ。せめて今回の件が片付いてから……」

 

 4杯目の抹茶ハイを飲み干しながら、両親と会わせる事をどうやって説明するか悩む。

 

「榎本さんって、照れ屋さんだから……絶対逃げ出しそうよね。松尾のお爺様に相談しましょう」

 

 確かバッグに先日貰った名刺が有ったわね。名刺を見ながら松尾のお爺様の会社に電話をする。

 

「はい、松尾法律相談所です」

 

 矍鑠(かくしゃく)とした声が聞こえた。

 

「あの……私、桜岡霞です。先日はお世話になりました」

 

「おお、桜岡さんか!どうしたんだ?正明にセクハラでもされて訴えるのかい?」

 

 カッカッカ、とか高笑いされたわ。

 

「いえ、榎本さんは必要以上に私に触れませんから……それでご相談が有りまして」

 

 あのシャイな脳筋には、スキンシップの精神が無いのです。

 

「ふむ、真面目な話かの?電話で大丈夫か?何なら直接会って話を聞いても良いぞ」

 

「いえ、その様なお手間は……実は近々私の両親と榎本さんを引き合わせたいのですが、彼は照れ屋なので素直に会ってはくれないと思うのです」

 

 お母様の事だわ。必ずお父様も連れて来る筈よ。いきなり慌てるより、準備万端で迎え撃った方が良いもの……

 

「何と!そこまで進んでいたんか、アンタらは?」

 

 進んでいた?いえ、進展がないから何とかしたいのです。

 

「あの、お母様がどうしてもお会いして話したいと……でも榎本さんには言い辛くて」

 

 絶対嫌がりますもん!

 

「儂に任せろ!日程が決まれば設定は此方でする。都内のホテルで会食形式が良いじゃろ?アイツには両親が居ないから、儂が同行するけど良いな?」

 

 ヨシ!松尾のお爺様はこちら側に引き込めましたわ。何か、漸くアイツに顔向けが出来る。とか、孫の顔が見れるのも直ぐじゃ。

 とかブツブツ言ってますが、概ねその通りですから良いですわよね?

 

「有難う御座いますわ。では日程が決まり次第、調整させて下さい」

 

 これで私の両親と榎本さんと松尾のお爺様の面会は、確実に設定出来ますわ!祝杯用に濃いめの抹茶ハイを作る。

 

「ふふふ……」

 

 心の底から嬉しさが込み上げてくる。そうだわ!結衣ちゃんだけど、私達の養子にした方が良いかしら?

 それともお母様にお願いして、私の妹として?榎本さんと結婚するなら、彼女の事も考えなければ駄目よね。

 一度会ってお話ししようかしら?あの控え目だけど優しい子となら、上手くやっていけそうだし……ヤダ、ニヤニヤが止まらないわ。

 かなり長い時間妄想の海に漂っていると、携帯電話の呼び出し音で現実に引き戻された。

 ディスプレイを見れば……榎本さんね。

 

「はい、桜岡です」

 

 何故か緊張して喉がカラカラなので、抹茶ハイを飲もうとしたら……空だわ。焼酎のボトルもピッチャーで用意した抹茶も空ね。

 あら、部屋の中が真っ暗だわ?えっ?もう夜になってるじゃない?可笑しいわね?

 

「ああ、桜岡さん。今平気かい?」

 

「ふふふ、平気ですわ」

 

 何故かしら、ニヤニヤが止まらないわ。

 

「……?何だか楽しそうだね。えっと、仕事の話だけどさ。

今日車を取りに行くがてら地元の図書館で地方紙を調べたけど、ネットと違う事件が有ったんだ」

 

 ネットと違う?じゃ私が調べたのって無駄だったのかな?

 

「確か事前情報では、二人お亡くなりになってると……ホテルの閉鎖前と後に」

 

「そうだね。でも新聞に載っていたのは閉鎖後だけだ。一人目は自殺した男性。二人目はプールで溺死した女性。

自殺とは断定出来ていない。しかも発見者は管理会社の連中だ」

 

 大分違うわね……あれ?子供の霊は?

 

「確か噂では子供の泣き声か……」

 

「うん。これはホテルの敷地外だけど、周辺の山中の池で行方不明だった子供が水死してるんだ。多分だが、あの池だと思う」

 

 子供が独りで、あんな山の中に?

 

「怪し過ぎますわね……でも半日で良く調べられましたね?」

 

 私がお母様の手料理を食べて、ネットで調べて気が付いたら夜だったのよ。それを其処まで事実を調べられるなんて……

 

「ん?大抵の事は最寄りの図書館の地方紙のバックナンバーを調べれば分かる。それでも分からなければ、周辺の老人とか郷土史研究家とか……」

 

 この辺の手際の良さは何時も関心させられますわ。

 

「祠や稲荷神社、例の変な神社の方はどうですか?私の方は伏見稲荷神社の伝手が何とかなりそうです」

 

「凄いな!流石は梓巫女だね。稲荷神社への対策がたてられるのはデカい。最悪は其方に丸投げ依頼出来るからね」

 

 そんなに誉められると恥ずかしいわ。お母様に頼んだだけですのに……

 

「榎本さん。この件について西川さんに報告するのですが……どうしましょう?」

 

「……桜岡さんはどうしたい?それによっては色々動かなきゃ駄目だし」

 

 私の希望で良いの?仕事を請けたいって言ったら、大変だけど手伝ってくれるの?私を見捨てないの?

 

「危険だからと降板しても企画自体は辞めないと思うの。他の誰かが危険に晒されるなら、私がこの仕事をやりたいの……ダメ?」

 

 私達が辞退したら、誰かにお鉢が回るだけ。その人が私より劣ってるなんて自惚れないけど、この危険な企画を押し付けるのはイヤなの……

 

「良いよ。でも色々条件を見直さないと駄目だ。それに管理人とやらにも会って、稲荷神社の件は正規手順で御霊を移す様に言わないとね。

神様を蔑ろにするのは危険だし、相手は伏見稲荷だから信用も有るだろう」

 

「……うん、有難う御座いますわ」

 

 やっぱり一緒に仕事してくれるって言ってくれた。榎本さんは私を本当に大切にしてくれているわ。

 

「まだまだ問題は有るよ。管理人自体が信用出来ないんだ。現地で会わずに何処かに呼び出して交渉だ。場合によっては管理会社から仕事料を貰わないと成り立たないよ」

 

 そしてリアルに契約とか厳しいわ……

 

「管理会社からも仕事を請けるの?」

 

「当たり前だよ。テレビ局の企画だからタダで除霊出来る訳ないじゃん。ちゃんと実費は取るし、払わなければ仕事しない位は言わないとね」

 

 しっかりしているわ。でも交渉に自信が有るのよね。幾ら貰えるかなー?とか嬉しそうな声で呟いてるし……でも本当に頼りになる番クマね!

 

「分かりました。でもテレビ局や管理会社との交渉は同席して下さいね。私独りだと心細いわ」

 

 私も契約内容や交渉のテクニックを学びたいけど、直ぐは無理だから。出来るだけ一緒に居て学ばなきゃ。

 

「ああ、松尾の爺さんも呼ぶし交渉の場に居れば学ぶ事も多い」

 

 ちゃんと私の成長も考えてくれていたのね。

 

「うん、ありがと……」

 

 これからの仕事の運びを簡単に話し合って電話を切った。明日、会って話し合おうって……明日は何を着て行こうかしら?

 まだ見せていない服が有ったかな?クローゼットの中を探さなきゃ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 明日の衣装合わせで思わぬ時間が掛かってしまったわ。時刻は既に日付が変更する少し前……

 

「いやだわ。寝不足は美容の大敵なのに」

 

 榎本さんから貰ったお札を確認し、自分が張った盛り塩を確認する。

 

「あら?今日盛った筈なのに……」

 

 小皿に盛った塩が茶色く変色し、山が溶け崩れている。

 

「マズいわ!結界の強化を……」

 

 玄関部分に施した結界が犯されている。強化するなら寝室だ!元々寝室は四隅に盛り塩、出入り口にお札で二重に結界を張った。

 これを残りのお札と清めた塩で強化し籠もるしかない。寝室に携帯電話と固定電話の子機。

 水のペットボトルや財布、車の鍵と巫女服を放り込む。駄目元で崩れた盛り塩を新しくしてから寝室の結界を強化。

 

 メールで榎本さんに「部屋に張った結界に異常が、寝室の結界を強化して籠もります」と送った。

 

 助けて欲しいとは書けなかったけど、必ず助けに来てくれますわ。さて……出来る限りの事をしたわ。

 あと忘れてはいけないのが、玄関の鍵を開けておく事。もし助けに来てくれても、物理的に室内に入れなくては駄目だから……巫女服に着替えて周りに意識を集中する。

 変えた盛り塩が何時まで保つか分からない。寝室の四隅の盛り塩は、まだ平気だ。

 

 警戒して30分ほどだろうか?

 

 寝室の隣の部屋、リビングから音が聞こえだした。気を付けてなければ分からない小さな音が、カタッカタッとし始めた……

 

「ポルターガイストかしら……何か叩く音が聞こえる」

 

 人の気配と言うか、何かしらの気配もし始めた。

 

「きゃ……なに?」

 

 突然の電子音にビックリしたが、携帯がメールの着信を知らせていた。榎本さんからだ……

 

「今向かっている。最後は渡した塩で円を書き中に居るんだ。後30分で着く」

 

 思わず涙で携帯の液晶が滲んで見えたわ。後30分なら保たせてみせる。

 携帯の着メール音で一旦止まった隣の部屋の異変だが、また音がし始めたわ。やだ、何かが這う音に変わった?

 寝室の扉の隙間から差し込む光が揺らいでいるわ……

 



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第45話から第47話

第45話

 

 あと30分もすれば榎本さんが来てくれる。私だって正規の修行を修めた梓巫女。30分くらい頑張れる。

 でも自宅の守りが甘いなんて恥ずかしい。今度、榎本さんに色々教わって強化しましょう。

 

 本当に教えて貰いっぱなしだわ……

 

 気持ちを切り替えてリビングの気配を探る。最初は小さな音だった。机を箸で叩く様な……でも今は絨毯を擦る様な音に変わったわ。

 

「私は桜岡霞。梓巫女の桜岡霞よ。こんな事には負けないわ」

 

 寝室には二重の結界を張った。部屋の四隅には盛り塩を。出入り口にはお札を。そして部屋の中央部分の床に、清めた塩で円形の結界を施した。

 部屋に侵入されたら一度攻撃を仕掛けて、駄目なら塩の結界の中で耐える。

 

「大丈夫、私はやれるわ」

 

 乾いた唇を舐める……リビングの音は次第に寝室の扉に近付いてくるわ。扉の下の隙間から差し込む光に影が!

 どうやら扉の前に居るのね。ちらりと時計を見れば、あと10分位で榎本さんが着てくれる。もう少し、もう少しよ。

 

 コンコン……

 

「なっ?ドアをノックするなんて……」

 

 コンコン……

 

 音で判断すると叩いている位置は扉の上部。床を這っていたのに次は上?

 

 コンコン……

 

「くっ……返事をしたら侵入されるとかパターンじゃないですわよね?」

 

 コンコン……

 

 コンコン……

 

 コンコン……

 

 一定の間隔でノックが続く。

 

「そうだ!祝詞を……」

 

 私ったら自分が梓巫女なのを忘れていたわ。私には立ち向かう力が有るじゃない。

 

 バン!

 

 突然、扉が強く叩かれた。四隅に貼ったお札が揺らいだわ。物理的にお札を切ろうとしてるの?落ち着いて祝詞を唱え始める。

 

「天の高原に神が留り座す……」

 

 梓弓に霊力を注ぎ込み、弦を弾いて周囲に神気を広めていく。先ずは寝室全体に行き渡る様に、次に扉の周辺に密度を高めていく。

 

 バンバンバン!

 

 なっ?祝詞が効かないの?

 

「我が皇の御孫命は、豊き芦原の瑞穂の国を……」

 

 梓弓の弦に乗せた霊力を直接扉にぶつける。

 

 バン!

 

 扉の左上に貼り付けたお札が捲れてしまったわ。

 

「くっ……祝詞が効かなければ」

 

 私の力が及ばなければ清めの塩を!それでも駄目なら結界に入って耐えてみせるわ!

 

 バン!

 

 二度目に強く叩かれた時、四隅に貼ったお札の全てが剥がれて、はらりと床に落ちた……後は物理的な施錠しか、あの扉を守るものは無い。

 暫く音が鳴り止む、緊張の為に乾いた唇を舐めて湿らせる。清めの塩を構えて待つが、中々入って来ないわ。

 

「そうだわ!榎本さんが清めた塩を扉や窓の内側に線で引けば、結界になるって……」

 

 彼から貰った清めの塩の大盤振る舞いね!お札が剥がれた扉の内側に、清めた塩で線を引く。一旦扉から離れて、部屋の中央の結界に入る。

 5分くらいかしら?それとも10分?扉を凝縮しているが、何も変化が無いわ。緊張で額に汗が滲んで来たが、頬を撫でる風が心地よいわね。

 

 夜風……風?

 

 急いで後ろを振り向くと、ベランダの窓が開いていてカーテンが揺らいでいる。部屋の中が明るいのでカーテンが透けて見えないが、不自然な膨らみが有るわね……

 

「くっ……油断しましたわ。まさかリビングが陽動でベランダが本命なんて……」

 

 それとも二手に別れてるのかしら?カーテンは不自然に蠢くのに、室内に入って来ないのは何故なの?張り詰めていた緊張を解いてくれたのは携帯の電子音。

 勿論、榎本さんのだ。

 通話ボタンを押す「もしもし、無事か?桜岡さん何号室だ!」少し慌てた彼の声が聞こえた。

 ああ、玄関の鍵は開けてあるのに、肝心な部屋番号を教えてないなんて……危機的状況なのに笑みが零れる。

 

「511号室よ。玄関は開いていますわ。今、寝室で籠城してますがリビングとベランダに何か居ますの。でも結界が効いてるのか中には入ってこないわ……」

 

 番クマの声を聞くだけで、こんなに安心するなんてね。

 

「分かった!僕がリビングの奴を何とかするまで寝室から出るなよ。これからお邪魔するから」

 

 そう言って電話が切れて直ぐに、玄関扉を開ける音がした。

 

「お邪魔するよ!桜岡さん、無事かい?」

 

 何故?涙が止まらないわ。本当に来てくれた。気持ちが緩んだ瞬間、ベランダから入ってくる風が強くなり足元の清めた塩の結界がサラサラと飛ばされていく。

 

 しまったわ。

 

 フローリングだから簡単に風で塩が!僅かながらに形を残している結界。そして風で捲れ上がったカーテンからヤツが現れた……

 

「何て事……なの……」

 

 ベランダの窓に手を掛けて、中に入ろうとするが塩の結界に阻まれる。モノクロ写真の様な、モノトーンの色をした無表情の少女がニヤリと笑う。

 舌をダランと出して、皮膚の所々が腐乱している。お腹も妙に膨らんで……

 

 そうだわ!

 

 溺死したら、丁度あんな感じでふやける様な……開いた窓から風が流れ込み、窓に張った結界の塩が飛ばされてしまった。

 

「ガボッ……アガッ……ゲバラッ……」

 

 ソレは白く濁った目で私を見ながら、何かを呟きながら這いずってきた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 それは偶然だった。普段は11時には布団に入るのだが、昼間調べた事をパソコンに打ち込む作業をしていたので直ぐに彼女のメールに気が付いた。

 

「部屋に張った結界に異常が、寝室の結界を強化して籠もります」

 

 迂闊だった!「箱」も何かが彼女に憑いていると言ったのに、一晩過ごしただけで安心してしまった。

 直ぐに仕事道具をかき集め「箱」をポケットに押し込みガレージに向かう。途中、ガタガタ音がしたからか結衣ちゃんが部屋から出てきた。

 既に寝ていたのだろうか?タブダフのスエット上下を着ている。

 

「その格好?急なお仕事ですか?」

 

 不安そうに見上げてくる彼女の頭を軽くポンポンと叩く。

 

「桜岡さんが自宅に異変が有るって連絡が有った。心配だから様子を見てくるよ。心配しなくても大丈夫だからね」

 

 結衣ちゃんに説明しながら、車かバイクか悩む。最悪、彼女を連れ出すから車だな。

 キューブのキーを掴むと「戸締まり頼んだよ」と言って車を出す。

 暫く走ってから信号待ちの時にメールの返信をする。彼女の自宅は結界が無かったから、簡易結界を教えたばかりだ。

 だから守りは弱い……一般道は安全速度ちょい上で走っていたが、高速にのってからアクセルをベタ踏みだ!

 エンジンが唸りを上げて暴力的な加速が……する訳が無いファミリーカーだが、110キロの速度で走行車線を走る。

 それでも脇から他の車に抜かされる!

 

「チクショウ!緊急用にスポーツカーが必要かな?」

 

 それでもアクセルはベタ踏みだから、120キロ位のスピードが出てきた。

 

「ヨシ!次のインターで降りれば、後は10分位だ。間に合ってくれよ……」

 

 料金所が見えてきたので減速し、一般道を60キロを切る位で走る。法廷速度は50キロだが無駄にスピードを出して捕まったら、それこそ間に合わないから……

 言い訳出来るか分からないギリギリのスピードで、彼女のマンションの駐車場に到着した。

 

 急いで部屋に……「ヤベェ!彼女の部屋がどこだか分からん」何となく違和感を感じる5階へ、階段をダッシュで登る。

 

 5階へ来たが、気配を探るが……「一番奥が嫌な感じだ……」慎重に近付きながら携帯で彼女に電話をする。

 

 数コールで繋がった。

 

「もしもし、無事か?桜岡さん何号室だ!」

 

「511号室よ。玄関は開いていますわ。今、寝室で籠城してますがリビングとベランダに何か居ますの。でも結界が効いてるのか中には入ってこないわ……」

 

 良かった、無事だ。怪奇現象は続いているみたいだが、彼女は落ち着いているな。

 

「分かった!僕がリビングの奴を何とかするまで寝室から出るなよ。これからお邪魔するから」

 

 嫌な気配のした部屋の前に立てば、511号室と「桜岡」と女性らしい筆書きの表札が……間違いなく、この部屋だ!

 周囲を確認するが、外の廊下には異変は感じない。やはり部屋の中、リビングと言っていたな。

 右手に清めた塩を入れた缶を持ち、数珠を巻いた左手で玄関扉を開ける。

 

「お邪魔するよ!桜岡さん、無事かい?」

 

 灯りの点いた室内。見える範囲は綺麗に整理整頓され、仄かに良い匂いがする。失礼を承知で土足で室内に入る。

 問題はリビングと寝室の外側の窓。玄関側からは窓は確認出来なかったのは失敗だ。反対側に廻って確認するべきだったか?

 玄関から廊下を通り突き当たりの部屋に入る。此処がリビングだろう……ソファーセットの上に有った焼酎の空き瓶とかは、思考の外側に追いやる。

 リビングを確認するが、怪奇は認められないな。

 しかし部屋の右側の扉の上部には、何かベチャベチャした物がこびり付き床が汚れている。部屋の中から、何か彼女が呟く声が……意を決して扉を開けるが?

 

「チクショウ、鍵が……桜岡さん、扉の近くから離れて。蹴破るから!」

 

 渾身の力で取っ手の下側をヤクザキックする。しっかりした建付の扉だが、所詮は木製。筋肉ヤクザキックにより蝶番から外れて、扉は倒れた……

 ……後で弁償かな?

 

「桜岡さん、無事か?なっ?コイツは……」

 

 窓から這いずりながら入って来るヤツは、まるで溺死した様にふやけて腐った感じの少女だ。窓から入る風によってザリガニが腐った様な異臭もするぞ……

 

「榎本さん!風で塩の結界が……それに祝詞が効かないの」

 

 彼女を見れば床に円状に撒いた塩が飛ばされて、そろそろヤバい状況だ。ヤツは起き上がりニタニタと笑っている……

 キャラクターのプリントされたTシャツにチェック柄のスカート。彼女が池で浮かんでいた少女か?プリントされたキャラクターは最近ブームの物だ。

 なんだっけ?プリプリキュア?いや今の問題はソコじゃない。

 僕は愛染明王の真言を唱えながら、手に持っていた清めた塩を少女にブチマケタ!

 

「ミギャァァァー」

 

 顔面に直撃した清めた塩は、腐敗していた皮膚を更に焼いた様に爛れさせた。正直残酷だと思うが追撃する。更に真言を唱え自分の霊力を乗せながら剣印を切る!

 

「ギュワワァァァ!たっだすげでぇ……」

 

 窓の外に這いずりながら出て行こうとするヤツにトドメの清めた塩をブチマケル。後ろ向きで這いずっていた為に背中一面が清めた塩により焼き爛れる。

 

「今だ!桜岡さん、一緒にヤツを成仏させるぞ」

 

 一瞬の出来事に固まっていた彼女が、僕の言葉で再起動する。

 

「わっ分かりましたわ!……天の高原に神が留り座す……」

 

 彼女は祝詞を唱え始めた。併せる様に僕も真言を唱える。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 各々の霊力を乗せた神道と仏教の力がヤツに襲い掛かる。

 

「ぐわっ……がががっ……これっ……これで、自由に……お姉ちゃん……たち……あっあり……が……と……」

 

 二人分の霊力を受けた少女は辛そうに、しかし確かにお礼を言って消えてしまった。辺りは今までの惨劇が無かった様に静かだ……開け放った窓からは、ただ風が入ってくるだけ。

 

「使役霊だったのか?彼女は自由になれたと言った……つまり黒幕が居やがる」

 

 呟く僕の腕をそっと抱きかかえる彼女。

 

「あの子、苦しんでいたわ……最後は成仏出来たのかしら?」

 

 優しい桜岡さんには耐えられないだろうな。年端もいかない少女を祓うなんて……

 

「真言と祝詞で祓ったんだ。まだ幼い感じの子だったが、ちゃんと極楽か天国に行ったさ」

 

 少女の霊を使役出来るなんて……黒幕は同業者の可能性が出てきたな。それに桜岡さんの力は発動していたのに、効果が薄かったような?

 僕の力でも払える少女霊だったが、何故彼女の霊力には抵抗出来たのかな?詮索は程々にして。これからの対策だな。

 この家に彼女を一人で居させるのは危険だ。ピンポイントで彼女を攻めてきている。絶対何か理由が有る筈だが……

 

「桜岡さん。暫くはウチに来ると良い。此処は防御力に不安が有るからね。処置を施したら移動しよう」

 

 再結界は当然だが、貴重品を持ち出したりガスや水道は元栓から締める。これは霊障で火災や漏水を防ぐ為だ。

 あとは長期旅行に行く手順と同じで管理人に挨拶や、新聞を取っているなら止めて貰う。

 固定電話の転送とか……色々有るけど、出来る事から始めるしかないか。

 

「ええ、分かりましたわ。このマンションは引き払いますわ」

 

 この一言が僕の未来を決めてしまう事を今の僕には分からなかった。まさか彼女が、あんな行動に出るなんて……

 

 

第46話

 

 「箱」は桜岡さんに憑いていると言った。アレだけ警戒し注意し対応したにも関わらず、彼女の自宅に少女の霊を送って来た。

 しかもアノ子は開放されたと言った。つまり使役霊だったんだ。

 力有る霊が、周囲に漂う浮遊霊などを取り込んだり使役したりする事は有る。大抵は取り込まれるかするのだが、稀に手足の様に操る存在も居る。

 因みに「箱」は前者であり、同類は全て食している。本来なら直ぐに撤収した方が良いのは分かっているが……

 常識に囚われる現代人には、周辺に対する配慮が必要なんだ。唯でさえ深夜に大きな音を出してしまったし。

 その後で深夜に大きな荷物を持って暫く戻りません!なんて意ったら、夜逃げか事件性がバリバリだろ?

 彼女は有名人なんだし、暫く避難するにしても左右の家と管理人には話さなければならない。東京ガスや東京電力の休止届やNTTの転送申込みだって、この家の固定電話から昼間の時間帯で話した方が良い。

 携帯電話は他の固定電話からかけるのも微妙だ。登録電話番号以外からだと、本人確認が出来ないからね……色々と悩ましいが、これが世間体ってヤツ?

 

 自分が壊した寝室の扉を片付けて、アノ子が汚した室内と窓を拭き清める。お札を貼り直し、清めた塩で結界を補強する。

 一息ついた所でソファーに座ると、桜岡さんが飲み物をだしてくれた。湯呑みから湯気が立ち上っている。

 

 日本茶かな?茶請けも浅漬けだし。

 

「お疲れ様でした。本当に助かりましたわ。でも……アノ子は何故、私を襲ったんでしょう?」

 

 向かい側に座り曇った表情でコップの中の何かを呑む。何故って恨み辛みかな?音声君の録音された怪異な声は、まさに怨み事だったからな。

 桜岡さんの何かが、ヤツ等のナニかに抵触したんだろう。血筋・見た目・職業・性別等、何だか分からないけどね。

 あの場所に行っただけなら、僕や他の連中だって沢山居たから。何を話すにしても、彼女を傷付けてしまいそうだから言葉が出ない。

 

 沈黙に耐えられず、僕もコップの中身を飲もうと……鼻腔を擽る芳醇な香りは?

 

「アレ?コレ、オ酒ダヨネ?」

 

 仄かに芋焼酎の匂いが!

 

「ええ、焼酎のお湯割りですわ。奮発して秘蔵の芋焼酎「初代黒瀬杜氏 黒瀬金次郎」なんですよ。それとも有名どころの「魔王」か「森伊蔵」、それとも「宇佐美」が良いかしら?」

 

 目線を送る棚には、色々なお酒が所狭しと並んでいるね。しかも飾る酒瓶の定番、洋酒系が全くない。全て一升瓶だぞ……

 オヤジなら夢のコレクションだな。久保田の万寿・越乃寒梅等、日本酒も有るし。確かにお酒が飲みたくなるのは分かる。

 危機を脱した後だし、危険を乗り越えて飲む酒は格別だろう。飲まなきゃ、やってられないかも知れない。

 しかも地味に高級で、中々手に入らないブランド焼酎なんだが……

 

「エイッ」

 

 オデコに割りと本気のデコピンを撃つ。パシッと乾いた打撃音が鳴り響く。ヒットした瞬間、仰け反る桜岡さん。

 

「いっ痛いわ、酷いです……」

 

 涙目でオデコを押さえながら、此方を睨む彼女。

 

「僕は車の運転が有るんだよ。今飲んだら直ぐに運転出来ないし、桜岡さんは既に飲んじゃってるから無理だし……」

 

 むー、とか言いながら頬を膨らましてるけど。

 

「疲れた時にはお酒が一番!折角の秘蔵のお酒なんですよ?」

 

 超状況を考えて欲しいです。ソファーに深く座り直してコメカミを揉む。この見た目お嬢様は、肝が据わってるし中身はオヤジだ。

 落ち込んだり恐怖により保身に走るかと思えば、余り気落ちもしてなさそうだし……

 

「ごめん、お茶か珈琲を濃い目で貰えるかな?」

 

 美味しそうに、しかも上品に焼酎のお湯割りを飲む彼女にお願いする。何となくポリポリとキュウリの浅漬けを食べてる。

 

「ん?この浅漬けは旨いね!何だろう?市販品とは思えないけど……」

 

 味は絶品。でも野菜の切り方等の見た目が家庭的なんだが……例えば千切りの大根や人参は大きさ・太さがバラバラだし。

 

「それは私のお母様が作ったんですの。昼間来ていたのですわ」

 

 ん?母親?

 

「桜岡さん、ご両親って確か関西在住じゃなかった?」

 

 関西方面で会社を経営してるとか何とか……

 

「たまに様子を見に来てくれるんです。今日は朝帰りがバレてしまいまして……」

 

 舌をチョンと出して、エヘヘっとか照れてる場合じゃないよね?

 

「朝帰りって……仕事ででしょ!ちゃんと説明したの?」

 

 何だ?無言でニコニコしてるのは……

 

「あの……桜岡さん?ちゃんと説明した、よね?」

 

「勿論ですわ」

 

 凄い笑顔だ……この話題は止めよう。何か危険な気持ちになるから……気分と雰囲気を変える為に、ソファーから立ち上がって窓のカーテンを開ける。

 分厚い遮光カーテンを開くと、闇が見えた。冬の朝は遅い。外は未だ真っ暗だし、時刻は4時を回ったばかり……少なくとも9時以降だろう、各所への連絡は。

 後5時間近く有るのだが、警戒する事を考えれば外には出たくない。

 

「私の車では引っ越しには不向きですからね?」

 

 外をジッと見ている僕に桜岡さんが話し掛ける。なる程、飲酒は確信犯的な訳か……確かに2シーターのスポーツカーなんて、実用性は限りなく低い。

 でも僕のcubeも、それ程のトランクスペースは無いけどさ。

 

「桜岡さん、当座の荷物をまとめてよ。暫くはウチに居て貰って対策を練ろう。

テレビ局には……残念だけど、この企画は危険過ぎるから断念だ。これからは実費で対応するしかない。下手にスポンサーが付くと自由度が無くなるから危険でしかない」

 

 最悪の場合、他のタレントや霊能力者を連れた撮影スタッフが来ても構わない。出来れば管理者にも費用負担を求めようと思ったが、管理者自体が怪しい。

 

「難しい顔をしてるわ。大変ですわよね?榎本さんは……直接な被害を受けてないから、此処で手を引いても……」

 

「この件から手を引くつもりは無い!」

 

 思わず怒鳴る様に言ってしまった。僕は「箱」からも、この件について携わる様に言われてるんだ。手を引くなんて有り得ない。

 

「最後まで携わるよって……なっ何故泣くの?ボンボン痛いの?お腹空いたの?それとも僕が怒鳴ったから怖かった?」

 

 焼酎の湯呑みを持ちながら、両の目から涙を流している彼女を見て慌てる。女性の涙には弱いんだよ。彼女は幾ら話し掛けても下を向いて泣き止まない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 やはり榎本さんの気持ちは本物なんだわ。こんな大変な目に遭っても。見通しの立たない除霊を自腹を切ってでも。

 一緒に行ってくれるって……あんなに力強く言ってくれるんだもん。

 変ですね……嬉しくて涙が止まりませんよ。何か、何か言わないといけないのに……慌てて謝る榎本さんに、何か言わなくてはいけないのに……

 私はこんなにも弱い女じゃなかった筈なのに……頭をボンボンと軽く叩いてくれた榎本さんの、大きな胸にしがみつく。

 厚いゴムみたいな胸板だけど、こんなに安心して落ち着けるなんて……何か、何か言わなきゃ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 色々有って疲れたんだろう。大泣きして僕にしがみ付き、最後は寝てしまった。そんな彼女を腫れ物を扱う様に、ゆっくりと掴んでいる手を解く。

 やはり怖かったんだな。我慢の限界ってヤツだったんだろう。生霊専門の彼女が、あんな腐乱した少女の霊に襲われたんだ。

 僕だって本音なら遠慮したい位だからね。

 

 お姫様抱っこをして寝室……は、マズいからソファーに横にして布団だけ掛ける。

 

 少しでも寝易い様に電気を消して、エアコンを28℃設定する。自分は隣に座り、一応周りの警戒だ。同じ日に、他の使役霊が来ないとも限らないからな……窓の外は、相変わらず真っ暗だ。

 あと2時間は日が昇らないだろう……さて、どうするかな?

 此処まで積極的に襲ってくるのは、桜岡さん個人に何かが有る筈だ。プールに浮かんでいた女性。近くの池に浮かんでいた女の子。共通点は溺死・女位しかない。

 だが首吊り自殺の男性も居る。彼らの共通点を見付けるには、興信所に頼むしかないだろ。

 個人で故人の過去を調べるのは難しい。それに管理人についても調べたい。宗教団体を引き込んでいるなら、彼も関係者と考えるべきだ。

 

 ん?関係者……宗教団体の関係者がヌレヌレ梓巫女の番組に依頼……

 

 現場に桜岡さんが来るのは、AD君が連絡しちゃったから分かってる。入念に痕跡を消して来たが、桜岡さんが狙いなら住居を調べるのは簡単だ。

 個人的な怨みを晴らす為に、彼女を呼び寄せ罠に嵌めた。すると殺された連中も宗教団体絡みの可能性が高い。時計を見れば、まだ5時過ぎ。

 でも早い方が良い。対霊の防御結界は張ったけど、対人は無理だ。早く調べないと危険だ。

 携帯の短縮から馴染みの興信所の所長に電話をする。時間が時間だからか、10回目のコールで漸く繋がった。

 

「……はい、高田だ。榎本か?時間を考えろ」

 

 眠そうで不機嫌な声。探偵なんて24時間働くんだろ?

 

「朝早くから悪い。ちょっと厄介な連中に絡まれそうなんだ。調べて欲しい連中が居る」

 

「お前が慌てるなんて余程の事だな。ちょっとメモを用意するから待ってくれ」

 

 ゴソゴソと音がするのは、布団からデスクに移動してるからか……暫くして準備が出来たみたいだ。

 

「良いぞ。説明してくれ」

 

「八王子市内に有る廃業したホテルなんだが……」

 

 今までの事を詳細に説明する。特に、その出入りしている宗教団体と管理人・亡くなった人達との関係。桜岡さんが怨まれる理由。

 僕の推理だから、全く見当違いかも知れないが可能性を潰していかないと駄目だから……

 

「分かった。それで、どれだけ費用を掛けて良いんだ?それぞれを調べるなら、最低でも3人は必要だぞ」

 

 管理人・宗教団体・亡くなった人達、確かに分散して調べた方が早いな。

 

「構わない。それと悪いが結衣ちゃんの護衛を頼めるか?事が宗教団体なら、拉致・洗脳位やりそうで怖い。出来れば2人体制で24時間陰ながら張り付いて欲しい」

 

 桜岡さんとは同行して調べるから何とかするが、結衣ちゃんはフリーだ。まさか予測の段階で学校を休ませる訳にはいかない。

 

「ちょ、おま……相変わらず過保護だな。溺愛し過ぎだぞロリコン」

 

「はっ、イメクラ好きに言われたくないぜ。あれか?最近は魔法使いのお姉様コスの娘とイタすのが大好きなんだろ?聞いてるぜ、横浜で遊ぶなら気を付けるんだな」

 

「ばっ馬鹿野郎!違うぞ、俺は別に魔女っ子好きな訳では……」

 

 慌てているヤツに笑ってやる。横浜の風俗店の噂を知る事は簡単だ。何たって横浜・川崎の風俗店で神様みたいに言われている山崎さんの弟子だからな。

 

「そっそうだ。そう言えば昨夜だけど、お前の贔屓の娘とプレイしたヤツがお前の事を調べてるみたいだぞ。どうも同業者っぽいんだ、関西系の……」

 

「僕の?何だろう、分かった。そっちは僕の方で調べるよ。女の子に名刺を渡したり、お店の会員になってれば簡単なんだけど。

防犯カメラの映像を見せて貰えれば良いか。関西か……最近聞いたキーワードだな」

 

 昨日の今日でか?対応が早過ぎる気がするんだが、関西系……桜岡さんの実家が関西だが、流石にソッチの線は関係無いよな。

 だが、相手を調べるのは難しく無いだろう。常連だし、除霊絡みで経営者ともコネが有る。意外と風俗店って怪奇現象が多いんだ。

 情と欲に塗れた世界だし。後は簡単な取り決めをしてから電話を切った。

 

 しかし……僕の方にまで調査の手が伸びてるとは、侮れないかも知れないな。

 

 

第47話

 

 興信所には依頼した。結衣ちゃんのガードも本職に頼んだので安心出来るだろう。しかし桜岡さんだけでなく、僕にまで調査の手が伸びてるとは……

 一度、情報収集の為に彼女達に会わねばなるまい。すると夜は単独行動か、昼のシフトを調べて抜け出して行くか……

 一度、師匠に相談してみるかな。さて次の手配だが、先ずはテレビ局の流れとは別の調査が必要だ。

 心霊だけでなく人間も調べなくてはならない。所謂宗教団体が霊を操っているならば、同業者との争いだ。興信所の調査待ちで出来る事は……

 廃れた神社と稲荷神社だが、稲荷神社については桜岡さんのコネが有る。

 廃れた神社については、元々寺が有ったと仮定しての調査だが……古地図が有れば分かるんだよね。

 郷土史研究家を当たるか。又は日本古地図学会とかも良いかもな。会員になれば全国の古地図を閲覧出来る。

 但し17〜18世紀の手書き地図がメインだから、それ以降に建立された寺なら難しいかも知れない。明治以降となると限定されるし、城下町なら結構有るが山村地帯だから難しい。

 

 やはり郷土史研究家を当たろう。

 

 考え事をしてたら漸く辺りが明るくなってきた。窓から差し込む光は、今日は良い天気だと分かる暖かさだ。朝日を遮る雲が殆ど無いからね。

 こうして明かりが差した部屋を見回すと、何て言うかブルジョア?大型プラズマTV・何かモダンなソファーセット・ペルシャっぽい絨毯・異彩を放つ焼酎の棚。

 全体的に女性らしい感じが有り、シックで高級感に溢れている。そして何故か自分の写真……いや自分って桜岡さん自身の写真ね。

 フォトスタンドに幾つかお洒落に決めた彼女がポーズをとって此方を見詰めていた……ナルシーだったのか?

 てっきり中身オヤジと思っていたが、確かにお洒落には気を配ってたし……まぁ誰だって触れられたくない事も有るよね?

 此処はスルーしよう……さて、先ずはコンビニに買い出しだな。桜岡さんを起こして出掛けるか。

 美女と二人きりで夜を過ごしているのに、変な気持ちにならない事に己の性癖が揺らぎ無い事を確認した!

 普通なら桜岡さん程の美女なら、気持ちが揺らぐかも知れないが……まぁ気が合うし、友達としてなら良い部類だろう。

 やっぱりと言うか、布団にくるまり品良く寝ている彼女は育ちが良い。僕なら寝相が悪いしイビキもかいてそうだ。

 気を取り直し、気持ち良さそうにソファーで寝ている彼女のほっぺを突っついてみる。

 

「うにゅ、うにゅにゅ……」

 

 何だろう?結衣ちゃんと同じ寝言だ。もう一度突っつく。

 

「うにゅ……ぷぅ……」

 

 ぷぅ?寝言でぷぅ?

 

「桜岡さん、起きてくれるかな?そろそろ準備するよ」

 

 声を掛けると、ウニャウニャ言いながらソファーから起き上がる。そう言えば巫女服のままだったな。猫耳を付けたら先程の行動と良い、猫キャラとして人気が出そうだが?

 何て馬鹿な事を考えていたら覚醒したみたいだ。

 

「お早う御座いますわ。榎本さん」

 

 きっちり身嗜みを整え、ソファーに座りながらだが両手を膝の上に置いて軽く頭を下げてくれた。

 

「ああ、お早う桜岡さん。少し早いけど出掛けるよ」

 

 若干あわて気味に挨拶を返す。そして愛車のキーを指で回しながら急ぐ様に催促する。

 目を擦りながら覚醒しようとしている彼女は、実年齢より大分幼く見える。まぁ僕の守備範囲は余裕で越えているが。

 

「お出掛けですか?まだ支度も何も……」

 

 両足を揃えて行儀良く座っている桜岡さんは不審気だ。

 

「買い出しだよ。近隣挨拶のクッキー位なら、コンビニでも売ってるし朝飯も有るでしょ!荷造りはその後だし、新聞屋やガス・水道・電気も休止しなきゃ駄目だし……」

 

 やる事は沢山有るよね。目を擦りながら覚醒しようとしている彼女に、顔を洗ってスッキリしろと洗面所に送り出す。その間に結衣ちゃんにメールで報告をしておく。

 

「結衣ちゃんへ。桜岡さんは無事だが、大事をとってウチで暫く預かろうと思う。

今日は入れ替わりになるかも知れないけど、昼前には帰る予定だ。だから安心して欲しい。 榎本」

 

 これで良いだろう。不安なままで独りきりで留守番中だからね。少しは安心してくれたかな?

 そう思ってたら、直ぐに返信が来た。まさか結衣ちゃん、起きてたのかな?携帯を操作しメールの文面を読む。

 

「正明さん、安心しました。今日の夕飯は頑張りますね。帰りに買い物をしてから帰りますので、少し遅くなります。

霞さんに宜しく伝えて下さい。 ゆい」

 

 心優しい彼女らしい文面だ。

 

しかし、結衣ちゅんの手料理となると又争いになりそうだな。先に知らせておくか……

 

「結衣ちゃんへ。

桜岡さんは僕よりも大食いだから10人前位は食べるからね。カレーとか嵩まし出来る料理が良いかも。

勿論、僕も結衣ちゃんの手料理は沢山食べるから。 榎本」

 

 これで安心だ。家には寸胴も有るから20人前位なら作れる筈。心配なのは食費と結衣ちゃんの負担だけだが……

 出前や外食も考えておくか。

 

「お待たせしましたわ。はい、榎本さんも顔をお拭きになって下さいな」

 

 身支度を整えた桜岡さんが、アツアツの蒸しタオルを渡してくれた。眠気覚ましに正直嬉しい。

 先ずは両目に当てて揉み解してから顔全体を拭く。耳の後ろと首の後ろは要チェックだ。終わってから綺麗に畳み直すと、彼女が嫌がらずに受け取ってくれた。

 大丈夫、まだ加齢臭はしてないぞ!

 

「では出掛けますか……」

 

 何時の間にかTVがついており、画面で確認した時刻は丁度6時か。さてローソンにするかファミマにするか迷うな。ピザまんが無性に食べたくなってきたよ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局ローソンで、それなりの値段の缶入りクッキーを近隣と管理人挨拶用に購入。普通のお弁当を幾つかと、結構な数のオデンを購入。

 キッチンで向かい合って食べてます。

 

「榎本さん。この後ですが、どうしましょうか?」

 

 唐揚げ弁当を行儀良く食べながら桜岡さんが聞いてくる。僕はチキンカツ弁当だ。彼女が僕のチキンカツに手を伸ばしたので、変わりに唐揚げを摘む。

 

「先ずは両隣と管理人に挨拶。ガス・水道・電気・新聞屋に休止の連絡。NTTに電話の転送依頼。

後は当座の荷物と貴重品を纏める事かな。全て家主たる桜岡さんの仕事だよ」

 

 一時預かりとは言え、家を留守にするのだから。それに下手に霊を送られて火災とか洒落にならない。厳重な結界を張るのは僕の仕事だが、そもそもガスの元栓は閉める。

 電気も休止、水道だって下階に漏水被害とか困るから元栓で閉める。これで大分違う筈だ。ポルターガイストって二次災害の方が怖いから。

 実はポルターガイストって子供のESP能力の暴走とかって説も有るけどね。

 

「わっ私だけでですよね?分かりましたわ。ちゃんと関係者に引き払う報告を致しますわ」

 

 ん?引き払う?確かに引っ越し手順を全てヤレって大変だけど、これは家主以外は出来ない事だ。今日の今日で委任状とか用意出来ないし……

 

「僕は結界の強化。それと荷物運びかな」

 

 お互いの弁当を平らげ、購入したオデンを移し替えた鍋をテーブルに置く。温め直したせいか、良い匂いが漂う……

 玉子・大根・竹輪・チクワブ・ガンモ・ハンペン・ウィンナー・シラタキ・結び昆布。殆ど買い占めた具材が山のようだ。

 桜岡さんが深めの取り皿を渡してくれた。一瞬見つめ合い、勝負が始まった。

 

「玉子・玉子・玉子!玉子は譲れない」

 

「あっその団子三兄弟みたいな玉子串は卑怯ですわ!ならば、大根を根こそぎ頂くわ」

 

「ちょオデンに玉子・大根・竹輪は外せないんだ!駄目だろ、独り占めは」

 

「あら?その串に刺した玉子は何かしら?貴方の敗因は箸が玉子で封じられた事。大根の次はガンモですわー」

 

「分かった!分かりましたから僕にも残しておいて……」

 

 オデンバトルは完敗だった。何で小さな口にあんなに詰め込めるんだ?

 

「初めて榎本さんに勝ちましたわー!」

 

 最後のウィンナーを箸に刺して、高々と天に突き出す桜岡さん。チクショウ、負けた。敗因は二本の箸に6個もの玉子を刺してしまった事。

 欲張ったのが敗因か……しかし桜岡さんは猫舌じゃないんだな。結構アツアツの具材を躊躇なく口に放り込んでたし。

 

 さて午前中には出発したいから、そろそろ支度を始めるかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 クッキーを持って先ずは管理人さんの家へ。このマンションには、オーナーさんの娘さんが管理人として住んでいます。呼び鈴を鳴らすと、直ぐに管理人さんが顔を出してくれたわ。

 

「はーい、あら?桜岡さん。どうしました、こんな朝早くから?」

 

 同世代の彼女は、ヒヨコのプリントされたエプロンにオタマを持って現れた。独身なのに若奥様ルックが異様に似合う、家庭的な感じの美人さんですわ。

 

「実は……このマンションから引っ越しを計画してまして。先ずは暫く家を空けますので御挨拶に」

 

 そう言ってクッキーを差し出す。

 

「あら?お引っ越しですか?ご実家に戻られるんですか?」

 

 えっ……と、同棲しに彼氏の家へ。何て言えないわよね。

 

「まぁ!結婚の予定が有るんですか?彼氏さんの家へ……此方のマンションで同棲されても規約には引っ掛かりませんよ」

 

「えっ?いや……その……声に出てましたか?」

 

 心の声のつもりが駄々漏れでしたわ。

 

「ええ、嬉しそうに。あの先日来られた逞しい方ですか?」

 

 朝帰りの時に見られてしまったのかしら?まぁ榎本さんの家に来いって言われたのは嘘ではないかですら……

 

「ええ……ウチに来いと……申し訳有りませんが、多分このマンションは引き払う事になると思いますわ」

 

 その後、一言二言挨拶を交わし管理人さんと別れましたわ。両隣のお宅も大体同じ遣り取りが有りましたわ。

 つまり私と榎本さんは朝帰りの時点で噂になっていたんです。それを私が挨拶廻りで肯定してしまった……

 

「不可抗力……そう私は悪く有りませんわ。全ては状況が決めてしまう。それは恐ろしい事ですわね」

 

 荷造りした荷物を車に運ぶ榎本さんに、周りの方々が妙に挨拶をしたりするのも噂の確認なのですね。朝帰り→深夜に訪問→翌日引っ越し。

 一波乱有りましたが、覚悟を決めて同棲の流れ。

 

「うふ……うふふふふ……」

 

「何だい、薄ら笑いを浮かべて?荷物も積んだし、そろそろ出発するよ」

 

「はい、分かりましたわ。では榎本さんのウチに行きましょう」

 

 私達の後ろで何気なく廊下の掃き掃除をしているお隣の奥様。耳がダンボですわ。噂は真実として確定ですわね。

 トドメに軽く榎本さんの腕を組みながら歩けば……これで週刊誌の噂になれば、榎本さんの言われた人間の方の敵に対して牽制になる筈ね。

 周りの注目を集めている中では、中々チョッカイは出せないですわよね?私達自身の行動も制約されてしまうけど、テレビ局からの仕事として廃ホテルを調べてるとなれば不自然では無いですし。

 これでテレビ局側の交渉材料も出来たわ。取り敢えず無償でも良いから、私達だけで本当に危険かを調べます。

 だから暫くは様子を見て下さい。そう言えば建て前的にはOK。

 後は、このプランの穴を榎本さんや松尾のお祖父様と相談すれば良いわね。オッチョコチョイの私だから、実は穴だらけ・不確実なプランかも知れませんが動き出してしまったから……

 

 腹黒いお嬢様は微妙ながら謀略系の素養も有ったのか?我らがロリコンは籠絡されてしまうのか?

 

 オッサンの貞操の危機だ!

 



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第48話から第50話

第48話

 

 桜岡さんと彼女の荷物を乗せて自宅に向かう。時間短縮の為、最寄りのインターから高速道路に乗って80キロ巡航。

 都心と逆方向に向かっているせいか、道は空いている。これなら50分と掛からず自宅に着くだろう。FM横浜を聞きながら多少の眠気を誤魔化す為に珈琲を飲む。

 何時もはミルクと砂糖inだが、仕方無くブラックだ。チビチビと飲みながら運転していると、気遣いながら彼女が話し掛けてくる。

 

「榎本さん。本当に良いのですか?この件は既にテレビ局の依頼から逸脱してますわ。私だけが狙われていますから……」

 

 珈琲を買った時に渡した彼女の分はフルーツオレ。未だ蓋も空けてないペットボトルを握る手に力が入っているのが見て取れる。

 

「いや。君が寝ている時に馴染みの興信所に調査を依頼したんだ。その時、僕の事を調べている奴が居る事を聞いた。

既に相手は僕の事も知っているんだ。だから手を引く訳にはいかない」

 

 どの時点で目を付けられたか分からない。しかし対応が素早いのは侮り難い相手に違いない。

 

「榎本さんまで?でっては、私が榎本さんの家に行くのは却って良くは無いのでは有りませんか?それに結衣ちゃんにも危害が……」

 

 どちらにとっても対象者が一カ所に集まれば対応し易い。当事者が集中してれば、周りに被害が及ぶ可能性も有るよな。

 桜岡さんも中々考えているね。珈琲を一口飲んで唇を湿らす。

 

「結衣ちゃんにはガードを付けたよ。彼女を巻き込む訳には行かない。桜岡さんのガードは僕がするよ。

どっちにしても調査で一緒に行動するし、八王子に調査用の拠点を設けないと移動時間が勿体無いしね」

 

 ウィークリーマンションか何かを借りるかな。ホテルや旅館は夜に出入りをするには不向きだし、深夜ばかり出歩くのは不自然だからね。

 その点、部屋を借りれば自由度は増す。滞在費用を抑える為にもマンションを借りた方が安いだろう。

 ネットで相場を調べてから現地の不動産屋に行くか……防衛拠点としての立地条件も考えないと駄目だな。

 いっそのことお寺か神社に間借り出来ないかな?

 既に神域としての結界が有るから、補強すればかなりの力になる。実際にお寺に間借りするとお勤めの手伝いとかやらされるからなー。

 特に僕は僧籍持ってるし。中々考えが纏まらない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「興信所?ガード?えっ榎本さんが私を護る……そっそれって、コッコッコッ告白……」

 

 突然、携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。私の携帯電話だわ。全くタイミングが悪すぎるわ。

 表示されたディスプレイを見れば、マネージャーさんからだわ。

 

「もしもし、桜岡ですわ」

 

「おはようございます、石川です。あれから連絡が無くて心配したんですよ」

 

 いけない、忘れてしまってたわ。

 

「連絡が遅くなってごめんなさい。実は自宅にまでアレが追ってきて……今は避難中なんです」

 

 榎本さんのお家に呼ばれたんですとは、流石に言えないわ。

 

「えっ?大丈夫じゃないじゃないですか!何を呑気に」

 

「その辺は心配しないで。私も本職ですから対策は練ってます。ただ私個人を攻めてきてますから、企画の継続は要相談ですわ。

自力で……いえ、榎本さんと何とかしますから暫くは様子を見て下さい。西川さんには私から説明します」

 

 私独りでは何とも出来ないけど、私には彼が居るから心配してないの。

 

「分かりました。じゃ落ち着いたら連絡してよね。分かった?」

 

 言い含める様に言われてしまったわ。ハイハイと言って電話を切る。随分話し込んでしまったのか、周りの景色を見れば佐原インターを下りる所だわ。

 確か榎本さんの家までは、此処から一般道を10分位ね。

 

 あっ!忘れていたわ、バイトの子達の事を……

 

 今の時間帯は学校よね。一度事務所に行って彼女達と話をしないと。この件が解決する迄はお休みよね。

 私の事務所も調べれば分かるだろうし、結界も弱いから……榎本さんに相談して一度来て貰った方が良いわ。

 頼りの男を見れば欠伸を噛み殺していた……余裕が有って頼もしい。

 でも昨夜は殆ど寝てないみたいだし、榎本さんの家に着いたら仮眠をとって貰わないと駄目かしら?暫くすると二階建ての洋風な個人邸の前に停車したわ。

 ガレージの門を開けて、車を入れる。ガレージの中には、可愛い感じのスクーターに折り畳み式自転車。

 壁には幾つものスチール製の棚が並んでいる。あれらには何時も持ってくる秘密道具が入っているのかしら?興味が有るのだけれど、榎本さんはズンズン進んでしまう。

 後に着いて行けば玄関の前。鍵穴は二つ、しかもディスクシリンダーね。防犯カメラも有るし、やはり自宅の警備は一般・心霊共にしっかりしている。

 これは見習わなくてはならないわ。

 

「さぁどうぞ!狭いけど気にせずに。三浦の家よりは綺麗だからね」

 

 彼の自宅に初めて招かれた。全体的に落ち着いた色合いの洋風建築ね。お坊様なのに和風の家じゃないなんて、何か不思議だわ。

 

「お邪魔致しますわ」本当は「ただいま」なんでしょうけど、一応ね?

 

 結衣ちゃんが学校に行った為に戸締まりのされていた雨戸を榎本さんが開けて行く。玄関の脇のリビングに外の明かりが入ると……

シックで品良く纏められた空間だわ。どちらのセンスなのかしら?

 

「桜岡さん、何飲む?お酒は駄目だからね」

 

「日本茶をお願いしますわ。それと持ち込んだお酒ですが、榎本さんは晩酌はなさるのですか?」

 

 日本茶は結衣ちゃん譲りで淹れ方は本格的だ。先ずは急須・湯呑みにお湯を淹れて温める。これは玉露の茶葉は熱湯でなく50℃と低いお湯が最適な為、それ以上冷やさない様にする為だ。

 茶葉は柳川茶房の新茶の玉露を用意。大さじ一杯に約80ccのお湯を注ぐ。二分程待ってから最後の一滴まで注ぐ。

 この一滴が一番美味しいんだ。二煎目はお湯を入れたら待たずに注ぐ。一回の茶葉で三煎目までは美味しく飲める。

 

 一煎目は桜岡さんに、二煎目を自分に……

 

「はい、粗茶ですが……晩酌はするけど、結衣ちゃんとご飯を食べる時は余り飲まないよ。精々がビール一本位かな」

 

 茶道も習っているのだろう綺麗な姿勢でお茶を飲み

 

「あら?これ玉露ね……榎本さんが茶の湯に詳しいなんてビックリだわ。ちゃんと玉露の味を引き出しているし」

 

 日本人は熱々のお茶をフーフー言って飲むのが普通と思っている人が多い。温いお茶は失礼と。

 でも茶葉にはそれぞれ適温が有るんだよね。だから茶の湯の分かりそうな人にしか玉露は煎れないんだ。

 

「確かに家族でも中学生の前でお酒を飲むのは、控えた方が良いのかしら?」

 

「後は晩酌してから夕飯を食べたら時間が長くなるからね。後片付けとか大変だから、なるべく一緒に食べ終わるようにしないと」

 

 基本的に後片付けは手伝おうとするが、結衣ちゃんなりの恩返しで断られるからね。彼女が居ない時は片付けるけと、普段はお任せだ。

 

「大切にしているのね。結衣ちゃんは幸せで羨ましいわ。やはり私達の養女にした方が……でも姉妹の方がしっくりきますし……」

 

 なにやら頷きながらブツブツ言ってるが……ようじょ?幼女?養女?桜岡さんも幼女趣味なのか?彼女の向かい側のソファーに座り、今後の行動を相談する。

 

「さて、今後の事を話そうか?」

 

 玉露はお持て成し用の一杯目だけ。お代わりは普通のほうじ茶を入れた急須とポットを持ってきた。

 お茶請けはミカンと柿ピーだ。お昼前だし軽い物で。

 

「榎本さん、少し休まれた方が良く有りませんか?昨夜から仮眠をとってないですわよね?」

 

 ん?眠気は有るけど、先に話をしておかないと。ミカンを剥きながら考える。

 

「打ち合わせが終わったら、風呂に入って少し寝るよって言いたいけど……結衣ちゃんが帰ってくるまでは頑張るよ。まさかお客様を招いているのにホストが寝てるのは、ね?」

 

 流石に桜岡さんを独りにしてグーグー寝るのは問題だろう。

 

「そんなに気を使わなくても、これから一緒に暮らすんですから……」

 

 一瞬同棲みたいな言い回しにドキリとしてしまったが、桜岡さんの事だ。男女間の事に疎いから、本人も深い意味では言ってないだろう。

 

「まぁそれは置いておいて……先ずは管理人とその仲間と思われる宗教団体。これは本職に任せた。

次に稲荷神社は桜岡さんのコネで。神社については僕の方で調べてみる。古地図を当たって駄目なら郷土史研究家に聞いてみる。

彼らなら池に纏わる伝説も知ってるだろうし。これが基本方針だ」

 

「確かに問題だろう宗教団体・稲荷神社・不思議な神社に池はOKだけど……前に榎本さんが言っていた祠と近隣の集落はどうします?」

 

 そうだった!

 

 あの祠と、それを祀っているだろう集落。ホテルとの関係とかも調べるんだった。

 

「そうだったね。集落についてはGoogle EARTHで調べたんだった。でも周囲の山々にそれらしい物は分からなかった。道らしき物と平地は確認出来たけど……」

 

「大体の住所が分かれば調べようは有るわ。業務用の地図には世帯主の名前の載った物が有るそうよ」

 

 業務用の地図?アレか、宅配業者とかが持ってる奴か……

 

「個人情報の五月蝿い時代だし、素直に見せてくれるかな?いや業務用地図を出版元から買えば良いか……」

 

「それとも祠の後ろに有った獣道。その先に行ってみます?」

 

 分からなければ直接行けば良いってか?最悪は、いや一度は行かないと駄目だろう。聞き込みもしたいし……

 

「先ずは調べて駄目なら現地に行ってみるか」

 

 勿論、桜岡さんは留守番だが今は言わない。言えば駄々をコネるのは目に見えてるから。

 

「そうですわ。でも私も同行しますから。榎本さん独りでなんて駄目ですからね」

 

 睨まれたぞ!もしかして考えがバレてたのかな……

 

「それは安全が確保出来てからね。まぁ情報化時代だから調べられるさ」

 

 ミカンを食べ終わり、もう一つ食べようかと手を伸ばすと……

 

「アレ?ミカンが無いんだけど……」

 

 八個あったんだぞ。桜岡さんを見ても、上品に柿ピーを食べてるだけだが……手前にコンモリとミカンの皮の山が。ドンだけ早食いなんだ?

 

「ミカン……お代わりいるかい?」

 

「もう直ぐお昼ですわよ?」

 

 最後の柿ピーを食べながら言われてしまった。温くなったお茶を飲み干し、新しいほうじ茶を煎れる。彼女の湯呑みにも注ぐ。

 

「テレビ局だけど、明日にでも西川氏に説明するか。桜岡さん、アポ取ってくれるかな?」

 

「そうですわね。松尾のお祖父様にも同行して貰います?」

 

 爺さんか……確かに拗れそうな内容だからな。企画自体を中止にしたい位だし。

 

「そうだね。じゃ爺さんには……」

 

「打合せ時間の調整も有りますし、私から西川さんとお祖父様に連絡しますわ。でもお祖父様へのお礼は私側から出します。義母様にも言われてますから」

 

 お母様、ね。彼女の母親ならさぞかし上品なマダムなんだろう。時間調整も有るし、お願いするか。

 

「じゃテレビ局への対応は桜岡さんに頼むかな。勿論僕も行くからね」

 

 彼女が頷くのを見て、これで大体の方針が決まり明日からの行動の目処もたった。興信所の報告は一週間はかかる筈だ。

 相手を特定出来る迄は、大人しく調べ物をするしか無いな。うー眠気覚ましに風呂にでも入るかな。僕は財布と出前のお品書きを桜岡さんに渡して風呂に入る事にした。

 桜岡さんと同じ物をと頼んだから、何人前くるか楽しみだ。二人で十人前は確実だろう。

 

 

第49話

 

 桜岡さんの安全の為に自宅に招いたけど、何故に妙に馴染んでるの?仲良くキッチンに並んで立つ二人。

 

「結衣ちゃん、これ位の大きさで良いかしら?」

 

「はい、霞さん。後は水にさらして灰汁を抜きます」

 

 風呂上がりにソファーでうたた寝をしてしまい、起きたら二人で料理を始めていたんだ。今夜の料理は野菜カレーにダンドリーチキン。

 玉葱サラダにデザートは杏仁豆腐らしい。

 

「あの……何か手伝おうかな?」

 

「いえ、榎本さんは休んでいて下さいな」

 

「そうですよ。お疲れなんですから、もう少し休んでいて下さい」

 

 桜岡さんと結衣ちゃんにダブルで断られてしまった……すごすごと私室に引き篭もり不貞寝しようかな。

 その晩の夕飯は、野菜の形や大きさが不揃いだったが美味しかった。晩酌は缶ビールを1本ずつだが、カレーは5杯ずつ食べた。

 次の休みには大きな鍋を買う事になるだろう。何故ならば、我が家には10人前以上を作れる鍋が無いそうだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ソファーでだらしなく昼寝をする榎本さんを見て思うわ。昨夜から大分無理をしていたのでしょう。軽くイビキもかいていますし……

 お風呂でサッパリして出前のカツ丼・親子丼・中華丼にザル蕎麦を食べたからかしら?直ぐにうつらうつらし始めたと思ったら、パタリと倒れて寝てしまった。

 お腹一杯になったら寝ちゃうなんて、本当にクマさんよね。私が仮眠している間も起きて何やらしてたみたいですし……暫く彼の寝顔を見ていた。

 

 30過ぎのオッサンだけど、年齢差は10歳も離れてないから良いわ。

 

 でも全然手を出さないって、本当にシャイですわよね。あれだけの事をしてくれてるんですから、私の独り善がりでは無い筈だし。

 何時になったら、ちゃんと話してくれるのかしら?じゃないと先に私が手を打ちますわよ?もう時間の問題なんですよ?等と幸せに浸っていたら、結衣ちゃんが帰って来たわ。

 

 でも、あの制服は見た事が有るのよね……

 

「お帰りなさい。結衣ちゃん、久し振りですわね」

 

 玄関の鍵を開ける音が聞こえたのでお出迎えに。声を掛けた時、一瞬驚いて固まったけど直ぐに気が付いてくれたわ。

 

「霞さん、いらっしゃい。えっと、正明さんは?」

 

 スーパーの袋を二つも持っていたので受け取ると、大量の食材が入っていたわ。

 

「こんなに……休みの日に車で買い出しにはいかないの?」

 

 榎本さんも気が利かないわね。女の子に買い物を任せっきりなんて……靴を脱ぎキッチンに向かう結衣ちゃんについて行きながら話し掛ける。

 流石に持ちますと言われても、年上だからお断りしましたわ。テーブルに食材を並べ、手際良く種類別に収納していく。

 

「いえ、正明さんから霞さんがウチに来ると聞いて……食材が不足気味かなって。正明さんも霞さんも沢山食べてくれるから」

 

 ハニカミながら可愛い事を言ってくれるわね。思わず結衣ちゃんを抱き締める。やはりこの子は妹が良いわ。

 決めた!義母様に相談しましょう。

 

「かっ霞さん、苦しいです……」

 

 思わず力を入れてしまったわ。腕の力を緩めて解放する。

 

「ごめんなさいね。つい、結衣ちゃんが可愛くて抱き締めてしまったわ」

 

 真っ赤になって下を向く彼女を見て、なる程榎本さんが過保護にするのも分かる気がしましたわ。

 

「結衣ちゃん、私ね。一人っ子だったから妹が欲しかったの。結衣ちゃん、私の妹になってね」

 

「霞さん、それって?」

 

 唐突過ぎたかしら?少し不安げに此方を伺う表情だし……

 

「暫くこの家にご厄介になるんですからね。姉妹の様に接して欲しいのよ。駄目かしら?」

 

 黙って頷いてくれた結衣ちゃんをもう一度抱き締めてから「結衣ちゃん、料理得意ですわよね?お姉ちゃんに教えてくれるかしら?私、全く料理が駄目なのよ。お願い」こうして二人で夕食を作り始めたの。

 

 この子の手際良さや料理のレパートリーは義母様に似ている。一般的で少し古風な家庭料理……聞けば亡くなった祖母から料理を習ったそうですわ。

 身寄りは行方不明の母親だけの彼女を榎本さんが引き取ったのよね。結衣ちゃんは話さなかったけど、榎本さんから断片的に聞いた話では良くない類の親だったって……何人も男を引き込み、彼女を虐待していたって。

 こんなに可愛い子を虐待なんて……もしも見つかっても親権を取られない様に、松尾のお祖父様にも相談しないと駄目だわ。

 まだ接し方がぎこちないけど、凄く気を使ってくれているのが分かるわ。義母様がゴネたら私と榎本さんの養女でも良いわね。結衣ちゃんとなら上手くやっていけそうだわ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 突然夜中に飛び出して行って帰ってきたら霞さんを連れて来た。余り女性の気配が無かった榎本さんだけど、霞さんとは良く会ってる。

 仕事の付き合いと言うけど、夜中に助けに行ったりウチに呼んだりと……私、霞さんに嫉妬と憧れが有った。

 同じ異能を持ってる女性なのに、霞さんはテレビでも活躍してるのに、私は榎本さんの庇護に甘えている。

 どうしてそんなに誇らしげに力を振るえるんだろう?どうして人に力を見せる事に抵抗が無いんだろう?人と違う事を見せたら、それだけで排除されるとは思わないんだろう?

 榎本さんは、僧籍としての実績も有るし霞さんは梓巫女。

 

 私の力は……細波家は代々獣憑きの家系。

 

 お婆ちゃんは殆ど力が無かった。お母さんは獣の衝動だけを引き継いだ。だから発情期には色んな男の人を引き込んだし、乱暴で自分勝手で我が儘で気紛れで……

 欲しい物は何としても手に入れようとした。だからサラ金から限度一杯まで借りては逃げる生活。サラ金で駄目なら闇金に手を出し、最後はお金持ちのパトロンさんを探した。

 お母さんは野性的な美人だったから、何時も違う男の人と居た。足枷の私は嫌いだったと思うけど、最低限の面倒は見てくれたわ。

 

 だから私はお母さんと一緒に居た。ささやかな優しさでも嬉しかったから……

 

 私、私の力。細波家の血を濃く引いてしまった私の力。耳と尻尾が生えて、獣の身体能力を得られる。でも一緒にお母さんと同じ様な獣の習性も芽生えてしまう。

 だから、だから発情期には自傷して衝動を抑えないと、私が私でなくなるの。榎本さんと初めて会った時は、真っ裸で獸人化した時で……腕に噛みついたけど筋肉で弾かれたんだっけ。

 

「ふんっ!」とか言って力こぶを作くられたら、ガチガチで噛めなかったの。そして取り押さえられた。

 

 獣は負けた相手に服従する。人に害する獣憑きとして討伐されても仕方ないと思った。でも正明さんは優しかった。

 そのまま力を封じ込める数珠をくれて、お婆ちゃんの元へ届けてくれた。そして、お婆ちゃんが亡くなった時、葬儀から里親の手続きまでしてくれた。

 聞けば、お婆ちゃんから頼まれていたそうだけど……独身男性が、いくら里親といっても女の子を引き取るのは抵抗か下心が有ると思った。

 確かにイヤらしい目で見る時が有るけど、必死に隠すの。それに必要以上に触らない様に気を付けてるし。

 

 多分、善意だけで引き取ってくれたけど、やはり男性だからつい見てしまうのよね?だから恥ずかしいけど、家では少しだけラフな格好をしようと思ってる。

 せめてもの恩返し。でも獣の牙が通らない上腕二頭筋って、どれだけ鍛えてるんだろう?榎本さんに出逢って、この数珠を貰ってから衝動を抑える事が出来るから。

 やっと人並みの生活になったわ。

 

「結衣ちゃん、真っ赤だけどどうしたの?」

 

「えっ?いっいや、何でもないです。その、昔の事を思い出したら恥ずかしくなって……」

 

「……?刃物を使う時は意識を集中しないと危ないわよ。いくら慣れててもね」

 

 いけないいけない。つい考え込んでしまったわ。素直に謝って料理に集中する。霞さんは暫く居るそうだし、色々と教えて貰おう。

 同じ異能を持つ女性だし、色々アドバイスしてくれる筈よね。だって正明さんが付き合ってるんですもの。

 あの筋肉のお兄さん達と同じ、良い人に違いないわ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡さんを家に招いてから暫く経った。テレビ局には、桜岡さん自身が霊障に見舞われて廻りにも影響が出るかもしれない。

 だから暫くは自費で調査、出来れば除霊するので企画自体を保留にして欲しい。先方の管理者には事前調査でトラブルが有り対応中の為、暫く様子を見るからと連絡をして貰った。

 返答は「そうですか、分かりました」と、素っ気なかったそうだ。もう少しゴネるかとも思ったが、拍子抜けだな。

 西川氏は、テレビ局として携わると呪いが其方にも行くかも知れないと脅した。カメラさんと音声君の証拠映像や音声が有るから、信憑性は高かった。

 誰でも恨み辛みの声を聞けば怖くなるだろう……明日は第一回目の興信所からの報告が有る。それと関西から桜岡さんの母親も上京してくるそうだ。

 何でも稲荷神社の件で報告が有るらしい。僕らの調査については、これから郷土史研究家の佐々木氏に会う予定だ。

 Google EARTHで調べた集落は業務用の地図を購入して照らし合わせた結果、現在でも10世帯程度の住民が住んでいるのが確認出来た。名前と大体の住所が分かれば、後は簡単だ。

 最初の調査から一週間振りに、八王子駅に来ている。公共機関を利用すれば、それだけ特定は難しいし人混みに紛れるのも可能だ。

 

 それに今回は同じ八王子市内でも廃ホテルには行かないから。JR八王子駅は規模の大きい駅だ。周辺には大学のキャンパスが点在し、駅前にはそごう・西部百貨店が有る。

 駅周辺の商店街も開けているしバスターミナルも有るので賑やかだ。先方に指定された時間は10時。

 通勤時間とは外れていた為、電車内での混雑は避けられたが中途半端な時間に駅に着いてしまった為に駅中のベッカーズで時間調整中。

 小腹が空いたので軽く朝食を食べる。向かいに座った桜岡さんは、ホットミルクにバタートースト。僕は珈琲にホットドックだ。

 

「榎本さん、今日お会いする方……佐々木さんでしたか。どの様な方なのでしょうか?」

 

 彼女はポンチョやマント系の服が好きなのか?チェック柄のポンチョに、淡い桜色のブラウスとお揃いのミニスカート。黒のストッキングに編み上げのブーツ。

 今回は伊達メガネをかけて髪をお下げの様に左右に分けている。何とかって髪型なんだが、一度聞いたけど忘れた。

 学生の街でも有る八王子で大学生でも通用しそうなファッションだ。実際に席取りで一人で座ってた時、大学生と間違えられてナンパされてたし……

 

「お姉さん、大学どこ?気晴らしにサボって遊びにいかない?」

 

「後ろの彼氏が許可すれば良いわよ?」

 

「ああん?何だ、何を許可すんだよ?」

 

「はぁ?彼氏?こっこのヤクザが?申し訳有りませんでした……」

 

 僕は濃紺のスーツに黒のコート。彼女と対照的に凄く地味だ。しかし、見た目はヤクザかボディーガードか?全く失礼な餓鬼め。何て遣り取りも有った。

 

「佐々木氏かい?八王子周辺の豪族と北条氏との繋がりとか、戦国時代が専攻なんだけど。

他に適当な郷土史研究家が居なくてね。まぁ好きでやってるんだし、専攻でなくても知ってるかなって?」

 

「適当なって……でも祠の御神体には姫とか領主とか書いてありましたし、案外戦国時代かもしれませんよ」

 

 まぁ池と祠の事を聞ければ御の字か。怪しい神社の件は、僕の方で坊主ネットワークで伝手を探せばよいかな。其処まで打合せたら丁度時間だ。

 

「さて、佐々木氏の家に行きますか」

 

 手土産の横須賀カレーサブレを持って立ち上がる。何故、カレーサブレかって?それは地元横須賀が、海軍カレー発祥の地だからさ!

 

 

50話

 

 八王子の郷土史研究家、佐々木氏の家を訪ねる為にタクシーに乗って向かっている。駅前から5分も走れば田舎然とした風景が見れる。

 遠く山々が見え大きな川も有り田畑も多い。車窓から外を眺めていると、桜岡さんが話し掛けてきた。

 

「榎本さん、電車内で読んでいた本ですけど……アレは何だったのですか?」

 

 東神奈川駅から横浜線に乗り換えて一時間程の道のりだが、ずっと本を読んでいた。

 

「これから訪ねる佐々木氏の著書だよ。殆ど市場に出回らない本だったけどね。こうした本を探してくれるサービスが有るんだ。

専門書とか学術書って、定期的に発行されないし部数も少ない。だから佐々木氏の著書も、10年位前に出版された物だよ。だから手に入れるのに苦労した」

 

 鞄から件の本を取り出して見せる。

 

「そんなに貴重な本なんですか?」

 

 貴重と言うか、全く売れないから大変だったと言うか……

 

「佐々木氏は昔、大学の短期教員として招かれたかしたんだろう。その時の講義に必要な指定図書として発行したのが、この本なんだ。定価は2100円だけど、ブックオフの100円ワゴンで見つけたそうだよ」

 

 多分、当時の講義を受けた学生が売り払ったんだ。

 

「ワゴン?100円?どうやって榎本さんは手に入れたんですか?」

 

「一般の人には価値が無いけど必要な本って有るでしょ?タイトルや出版社とかの情報を掲載して希望購入額を入れるとね。

古本屋巡りの好きな人が探してくれるんだよ。因みに希望購入額は5000円だったけど、切欠作りには安いもんでしょ?」

 

 マイナーな郷土史なんて、興味を持ってると思わせれば色々と教えてくれる。基本的に彼らは、自分が調べた事を聞いて欲しいからね。

 

「そんな方法が?榎本さんって何でも知ってるんですね!見直しましたわ」

 

「桜岡さんは、僕の事を脳筋とか思ってるけどね。一応、人生の先輩だから。少しは尊敬しなさい。さて着いたみたいだよ」

 

 タクシーが個人邸の前で停まったので、話を切り上げて清算する。料金は1730円!勿論、領収書は貰いますよ。確定申告に必要だからね。

 呼び鈴を鳴らすと初老の女性が出迎えてくれた。年の頃は60歳位か?何故か嬉しそうに室内に招いてくれた。応接間に通されてソファーを勧められる。

 

「直ぐに主人を呼びますので……」そう言われて部屋を出て行った。

 

 応接間を見回すと、なるほど郷土史研究家と言うだけあり膨大な書籍に埋もれている。書斎兼用か、たんに置き場無く溢れかえっているのか凄い本の数だ。

 

「榎本さん、凄い本の数ですね」

 桜岡さんは単純に驚いている。ざっとタイトルに目を通せば時代小説から古典類、果ては料理本などジャンルはバラバラだな……

 

「うん。多方面にアンテナ張ってる人かもね。戦国時代一本って訳でも無さそうだ」

 

 そんな感想を漏らしたら「ほぅ。私が戦国時代好きとは知ってるみたいですな。榎本さんですか、初めまして」先ほど女性が出て行った扉から、車椅子の老人が現れた。

 

「初めまして、榎本です。今日は無理を言ってすみません。少しお話を聞かせて頂きたくて」

 

「こんにちは、佐々木さん。桜岡霞と申します。宜しくお願いしますわ」

 

 社交辞令の挨拶と手土産を渡す。簡単な挨拶と自己紹介が終わると、佐々木さんの奥さんがお茶を煎れてくれた。

 珈琲だがインスタントでは無い芳醇な香りがする。佐々木氏が目を細めて飲んでいるのを見れば、彼は珈琲党なんだろう。ひとしきり香りを味を楽しんでから問い掛けてきた。

 

「それで、現役を引退した私にお話を聞きたいとか?それに其方の女性はテレビに出られている、梓巫女の桜岡さんでは?」

 

 ほう?佐々木氏は心霊系しか出ていない桜岡さんを知ってるのか。

 

「はい。先ず事の始まりは、今年の夏の特番で八王子に有る廃ホテルの怪奇現象を調べる依頼が彼女に来たのです。

心霊調査とは眉唾かも知れませんが、彷徨う魂を鎮める事と思って下さい。彼女は巫女として正式に神道を修めていますし、私も真言宗の僧侶です」

 

 先ずは胡散臭い心霊関係を鎮魂の為と言い換え、僕らの身分を巫女と僧侶と重ねて説明する。そして名刺交換をする。

 今回は僧侶の方の名刺だ。自称霊能力者よりは、まだマシだろう。佐々木さんの名刺の肩書きは郷土史研究家となっている。

 

「ほう!榎本さんが僧侶ですと?僧兵の方が似合いそうですな」

 

 流石は戦国好きだな。僧兵ね……熊野系密教修験者とは言われたが、それも近いかもね。

 

「はっはっは。確かに普通の坊さんよりは鍛えてますからね。武蔵坊弁慶みたいな形(なり)ですし。

でも厳密に僧兵とは僧形の武者で有り、修行した僧侶では有りませんから。でも僕は愛染明王を信仰し修行してます。自称愛の戦士なんですよ」

 

「ぷっ!クマさんなのに、愛の戦士って変ですわ」

 

 切欠作りにおどけたのに、桜岡さんが食い付いたよ。まぁ佐々木氏も苦笑いしているが、堅苦しい雰囲気は解れたかな?

 

「それで愛の戦士殿は、桜岡さんの為に戦うと?」切り返しもイタいな。

 

 確かに彼女の為であり、「箱」から強制された僕の為でも有る。

 

「そうです。問題の廃ホテルを実際に調べましたが……かなり危険なのです。彼女一人では心配だ!

ホテル自体も放置された稲荷神社や自殺・他殺・不自然な事故も多い。周辺でも、曰わく有り気な祠や池。僕はホテル開業以前の……

それこそ歴史に絡む原因が有るのでは?と感じて、八王子の歴史に詳しい佐々木さんに助力を願おうと訪ねました」

 

 そう言って廃ホテル周辺の地図を見せた。祠と池、それに集落にはマーカーで赤く印を付けている。

 変に嘘を付くより真実を語った方が良い場合も有る。今回は祠と池、出来れば集落の情報が欲しい。

 

「ほぅ……この印の場所が問題の廃ホテルに、祠と池。この集落の印は?」

 

 あからさまに付けた印に食い付いてくれた。

 

「佐々木さんの著書には、戦国時代の悲劇や悲恋も書かれてますよね。有名な八王子城の落城など……だから、この祠や池についても知っているかな、と。

特に祠に祀ってある石碑には、掠れて読み辛かったのですが領主や姫と刻まれていました。これは何か池に伝説が有り、祠は関係する何かを鎮めた物ではと考えまして……」

 

 そう言って、佐々木氏の著書を取り出す。「八王子市の歴史と編纂」と言う、良く有りそうなタイトルだが古本故に読み返した様な跡と、幾つか付箋紙を貼り如何にも貴方の著書を読みました的に演出している。

 佐々木氏は、僕が自分の著書を取り出した時に嬉しそうな顔をしたから成功だろう。

 

「確かに私の書いた本には、八王子城の落城の悲劇とかも書いてますな。分かりました。暫くお待ち下さい。調べてみましょう」

 

 そう言うと、奥さんを呼んで応接間から出て行った。多分書斎か何かで調べるのだろう。暫く時間が掛かりそうだな。

 温くなった珈琲を一口飲む。そして無言の桜岡さんを見れば、ボーっとした顔をしている。

 

「何だい、ボーっとした顔をして?何か不審な点でもあったのかい?」

 

 珈琲を飲み干してから聞いてみる。彼女も上品に珈琲を飲んで

 

「榎本さんって見た目が脳筋でクマさんなのに、何であんなに話術が上手いんでしょうか?それに愛の戦士で私の為にって……本気なんでしょうか?」

 

 此方をウルウルした目で見詰めている。桜岡さんも女の子だからな。白馬の王子様とかに憧れてるのか?

 

「本気だよ。今更引くに引けないし」

 

「そっそっそれは、わたわた私が、すっすっすき……」

 

「珈琲のお代わりは如何ですか?」

 

 桜岡さんが何か話し掛けてきたが、佐々木氏の奥さんが新しい珈琲をトレーに載せて来た。カップが三つなのは、佐々木氏が調べている間は奥さんが対応してくれるって事かな?

 

「いただきます。美味しい珈琲ですね。豆は何を?」

 

 奥さんの為に話題を振ってみる。案の定、向かいに座りカップを差し出してくれる。

 

「主人も私も珈琲が好きでして。この豆も大磯自家焙煎珈琲店から取り寄せなんですよ。

花ブレンドと言ってお店のオリジナルブレンドですが、エチオピア産の珈琲豆をメインにしてます」

 

「ほぅ?コロンビアやブラジルは有名ですが、エチオピア産ですか!」

 

 全く珈琲豆に興味は無いが、話を合わせる為にミルクも砂糖も入れずに飲む。

 

「確かに名前通りに仄かにフレーバーな……大磯とは湘南の?」

 

「そうです。エチオピア産は香りが強い品種なんです。

このお店は最近出来たのですが、他にも鳥ブレンドと言ってアメリカンに合うサッパリした味わいのも有りますよ」

 

 花?鳥?不思議なネーミングだが楽しそうだな。

 

「大磯は良く通るんですよ。箱根の温泉が好きでして。

ああ、僕は横須賀に住んでますから逗子・鎌倉・江ノ島と海岸線をドライブしながら箱根に行きますので……」

 

「まぁ、箱根ですか!私達も主人の足の治療の為に良く箱根の温泉に行きます。最近は入浴介護の設備の整った貸切温泉も有りますので」

 

 確かに車椅子での旅行は大変だ。幾らバリアフリーとは言え、浴槽には段差が必ず有るからね。それを簡易リフトみたいに湯船に浸からせてくれる設備が有る温泉宿も有る。

 

「箱根だと天成園が確か貸切風呂に介護設備が有りますよ。まだ行かれてなければどうですか?園内に滝が二カ所有りますし、最近改装したので綺麗です」

 

 結衣ちゃんとの温泉旅行に行きたいけど、彼女は自傷の傷痕が有るから無理なんだよな。貸切にしても一緒に入れないし部屋は別々になるし……

 

「榎本さんは珈琲にも温泉にも詳しいのですね!主人と話が合いそうですわ」

 

 和やかに会話は弾む。一時間程、待っただろうか?漸く佐々木氏が応接間にやって来た。

 その間に奥さんから珈琲三杯に茶請けとして手土産の横須賀カレーサブレ、それに自家製の漬け物やらを振る舞われた。

 

「榎本さん、分かりましたぞ……おや?随分と家内と会話が弾んでいた様子ですな。折角ですし昼食も食べて行ってくだされ。

老人だけだと寂しいので、たまには若いカップルと話もしたいのでな」

 

 カッカッカ、とか水戸黄門張りに笑わないで下さい。

 

「そうですね。少しお待ち下さいね。直ぐに何か作りますから……」

 

 奥さんが遠慮する間も無く、いそいそと台所に向かってしまった。

 

「いえ、そこまでお構いなく……」

 

「この年になると息子夫婦も家に寄り付かんし、寂しいんですよ。遠慮無く食べていって下さい。さて、これが件の廃ホテルの周辺の伝説や言い伝えを纏めた物です」

 

 そう言うとA4の紙を何枚か渡してくれた。どうやらパソコンに情報を纏めているのだろう。同じ物が二部有ったので、桜岡さんにも渡して読み始める。

 最初は、あの池についての言い伝えだ……

 

「鷺沼(さぎぬま)……池でなく沼なんですね。遊女と庄屋の息子との悲恋か。でも、もう一つは疫病による人柱?この2つは関連してるのかな?」

 

 江戸初期、庄屋の息子が遊廓で傍惚れした遊女を身請けして連れ帰った。彼女の名前はお鷺。

 しかし偶然か運が悪いのか、その年に疫病が流行ってしまった。昔の人は何か原因を探さないと納得しない。本当は病気だから病原菌を調べなくてはならないのに、そんな知識も技術も無い。

 ただその年に普段と違う事が、原因と考えた。庄屋の息子が都から遊女を身請けした。ソイツが村に疫病を流行らせたんだ。

 暴徒と化した村人は庄屋宅に押し込み、遊女を連れ出して名もない沼に沈めてしまった。

 

 これが鷺沼の云われ。

 

 しかし疫病は収まらず、人々は遊女の祟りと恐れ人柱を沼に捧げる様になった、か……

 

「これが、あの池の伝説か。昔だからこそ有り得た酷い話だ……」

 

 やはりあの池には人が何人も死んでいたのか。

 



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第51話から第53話

第51話

 

 郷土史研究家の佐々木氏の自宅を訪ねた。概ね友好的で有り、知りたかった情報の一つである池についての言い伝えを教えて貰えた。

 池でなく鷺沼と言う沼だったけどね。言い伝えを要約すれば、庄屋の息子が遊女を身請けして村に連れて帰ってきた。

 その年に疫病が流行り、医学知識など無い村人は原因が遊女と思い、殺して沼に沈めた。そんな事で疫病が治まる筈もなく、今度は遊女の祟りと恐れ人柱を捧げた。

 なんと救いの無い話なんだ……桜岡さんも悲しそうな顔をしているし。

 

「佐々木さん。このコピーでは1900年代と書かれてますが、この資料の引用と言うか元ネタはなんでしょうか?それと村人と、現在の集落との関係は分かりますか?」

 

 百年前なんて、ちょっと前じゃないか。他に記録が有るかも知れないし……

 

「この話を聞いたのは、地元の古老からだよ。既に亡くなっているが、一時期街の古老に会って色々な話を聞かせて貰った事があってね。

その時の記録だ。もう10年以上前だけどね」

 

 昔語りの出来る古老は亡くなっているのか。

 

「他に話を聞かれて存命な方はいらっしゃいますか?」

 

 同世代の生き残り、つまり若い時に同じ時を歩んだのだから。横の繋がりがないかな?

 

「随分前だからね。連絡を取り合ってなければ分からないが……リストをあげるから、調べてみるかい?」

 

 個人情報の取り扱いの厳しい時代に、すんなりと教えて貰えた。暫く待って古老の一覧を頂いたが、殆ど80歳以上だ。この線は難しいかもしれない……

 

「アナタ、料理の準備が出来ましたよ」

 

 奥さんが声を掛けてくれたので、此処で一旦話を打ち切りになった。

 

「私もお手伝いしますわ」

 

 桜岡さんが奥さんを手伝いに急いで台所へ。何やら一言二言会話をしている。

 

「なぁ榎本さん。あのホテルだが、営業中から良い噂は聞かなかったんだ。オーナーはあの辺一帯の地主の一族だが、周りの住民とは上手く行ってなかったんだよ。

それに国から開発の補助金とかも貰っててな。黒い噂も絶えなかった。桜岡さんは本当にあの廃ホテルで仕事をするのかい?」

 

 新しい情報だ。地主・補助金・黒い噂。典型的な汚職パターンだが、まさか政治家絡みか?

 

「そうしない為の調査です。危険なら、そんな事に関わらせるつもりは有りませんから……」

 

「ふふふ。榎本さんは桜岡さんが大切なんですね。さて、大した物は無いですが行きましょう」

 

 流れ的に僕が車椅子を押してキッチンに向かう。テーブルの上には、ブリの照り焼き・カボチャの煮物・インゲンと卵炒め・麻婆豆腐に中華風サラダとボリュームの品揃えだ。

 小松菜と油揚げの味噌汁と白米をよそって貰う。

 

「「いただきます!」」桜岡さんと二人、遠慮無く頂いた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 食事を終えて帰る2人を見送る。

 

「アナタ、久し振りに賑やかでしたわね」

 

「そうだな。美女と野獣と思ったが、見た目に反して大食いと人当たりの良い連中だな」

 

「本当に……榎本さんと言いましたか。温泉や珈琲に詳しいし、お話も楽しかったわ」

 

「桜岡さんも、テレビでは高飛車なお嬢様かと思えば随分と優しい感じだったな」

 

 見た目に反して、大食いなお嬢様。見た目に反して、社交的で人当たりの良い筋肉。凸凹コンビが挑むのは、良くない噂の塊の廃墟ホテル……

 

「アナタ、もう少し彼らのお手伝いは出来ませんの?」

 

 子供が独立し寂しい我が家にやって来た、台風みたいな二人を見送りながら思う。もっとお手伝いは出来ないのかと?

 

「そうだな。鷺沼の伝説以外にホテルのオーナーや近隣の集落との関係も知りたがっていたな。老人会で聞き込めば、知ってる奴も居るかもな。もう少し調べてみるか……」

 

 賑やかな二人の為に少しだけ手伝おうと決めた二人だった。

 

「それとアナタ。今晩は店屋物よ。あの二人、お米を8合も食べたの。明日配達を頼まないと、米櫃にお米が無いのよ」

 

 早炊きしてお代わりを用意したのだが、8合で打ち止めだった。普段は二人で1合で足りるのに、一週間分を一食で食べ切る二人……

 

「ああ、まだ余裕が有りそうだったな。少し怖いが彼らと酒を呑んでみたいな。きっとウワバミだぞ」

 

 これっきりで縁を切るには勿体無い二人だ。ボケ防止の為にも、老人の余生には刺激が必要だから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 佐々木氏の訪問を終えて、タクシーを拾う為に大通りにでる。通過する車は疎らだ……

 

「先程のお話しですが、榎本さんの睨んだ通り管理人が怪しいですわね。それにオーナー一族も」

 

 リアル汚職事件に発展しそうな流れだ。面倒臭くなる可能性が高い。国を相手に心霊騒動は確実に負ける。

 落とし所は……実行犯を潰して手打ちにする事かな。オーナー一族と宗教団体の繋がりにもよるし。

 下手に強固だと手を出すとナンチャラ議員とかが出張ってきそうだし。

 

「明日、興信所の報告を聞いたら、その辺も調べてもらうしかないな。事が議員絡みだと面倒だ。最悪は、僕らに手を出している実行犯を潰して手打ちに出来れば御の字かな……」

 

「あら?鷺沼や宗教団体、廃ホテルの稲荷神社や怪しい神社の件はどうするの?」

 

 うーん、一度関連性を整理しないと大変だな。ある程度、桜岡さんも納得させないとダメだし。「箱」無双で怪しい奴を片っ端から喰っていく、今までの方法は無理か?

 

「敵対しなくて済む連中については考えないとダメだよ。無闇に敵を作れば、それだけ危険なんだ。グレーな相手には放置も考えないと。

明確に敵対するなら潰すよ。どうするの?的な対応かな。

もっとも相手の方が強い場合は、僕らの相手は面倒臭いって思ってくれれば成功だ。汚職絡みだと最悪の最悪は国を相手に争う事になるし。

正攻法でこられたら、幾ら巫女や僧侶の僕達でも心霊騒動を起こして国と対立じゃ100%負けるよ」

 

 丁度前を通るタクシーが捕まったので、乗り込む。

 

「JRの八王子駅まで……」

 

 そう言って後部座席に並んで座り、目を閉じて今後の件を考える。思っていたより敵は強大だ……しかし「箱」の言っていた近くて遠い意味が分からない。

 明日の報告を前にもう少し調べられないかな?

 

「運転手さん。行き先を変更して、八王子市立図書館へ行ってくれるかな」

 

 八王子駅に向かう運転手さんに指示を出し、方向を変えてもらう。八王子市立図書館は、佐々木氏の自宅から駅を挟んで対面に位置する。

 だから駅で止まらずに通過する道のりだ。

 

「榎本さん、図書館で調べものですか?一体何を……」

 

「今日、新しく聞いた情報の裏を取るんだ。八王子市の議員名簿、ホテル開発に携わった連中。

国の補助金が出てるならニュースになるだろう。関係者を洗い出して、興信所に調べなおして貰うんだ。

相手が特定出来れば、相応の対処が出来る。汚職する位なら叩けば埃の一つも出るかも知れないし……」

 

 弱みを掴めれば交渉出来るかも知れない。良くて静観してくれれば、色々楽なんだけどね。

 

「本当に心霊調査をしているのか悩む時が有りますわ。榎本さんって本当に霊能力者に見えませんわ。

脳筋も撤回します。全く何時の間にか政治事件みたいになってますし……」

 

 僕からすれば現地にいきなり乗り込み、その場対応で除霊をする連中の方が凄いと思う。力が弱いから、入念な調査と準備をしないと乗り込む勇気なんて無いからね。

 

「僕は自分が弱いのを知っている。だから万全な準備を整えてから挑むんだ。当然、退路の確保は忘れない。準備万端でも、あっさり負ける事も有るからね」

 

 本物の「箱」と言う化け物を知っているんだ。同程度の連中が居ない訳が無いじゃないか。

 

「自分の弱さを認められるのは本当の強さですわ。弱いと諦めず、それでも足掻く榎本さんは……本当に尊敬していますわ」

 

 そう言って頭を僕の肩にコテンと預けて来た。誉められるのは嬉しいが、恥ずかしい。しかし空気を読んで、暫くそのままの体勢をキープしたよ。

 振り払ったりはしません。間もなくタクシーは目的地に到着し、こちらも空気を読んで無言だった運転手さんが

 

「お客さん。目的地に着きましたよ」と言って不思議な雰囲気はお開きとなった。

 

 漸く桜岡さんは、僕が脳筋じゃないと認めてくれた訳だ。図書館に向かう迄も腕を絡めてくるが、言っても聞かないから好きにさせる。

 全くこんなオジサンに懐いてもしょうがないのにね……一度来て馴れてるから、目的の棚迄移動する。郷土史のコーナーだ。

 

「桜岡さんには此処で鷺沼について調べてくれ。僕は八王子市の議員について調べてくるから」

 

「手分けして探すのですね?分かりましたわ。では……一時間後に此処で中間報告に合流しましょう」

 

 彼女と別れて八王子市の議員について調べる。八王子市が出している書籍になら載っている筈だ。

 議員リストは簡単に見つかった。八王子市の広報が定期的に発行する会報に載っていた。市会議員だけだが、ご丁寧に住所まで掲載されている。

 まぁ地方議員は(建て前上は?)地元住民の声を吸い上げる御用聞きだから、連絡先は公開するのね。後は件のホテルの建設前から潰れた辺り迄の任期の連中をピックアップする。

 その中からある程度の年齢と実績の有る連中は……いや、沢山居るわ。

 八王子市の市会議員定数は40人だが、三割以上が何回も当選している。どちらかと言えば自民党派閥が多いな……定数40人の内に12人が自民党から推薦を受けている。

 後は公明党・共産党・民主党・無所属の順だ。こりゃ興信所に丸投げしようかな。僕じゃ政治的背景とかは理解出来ないし。図書館には有料だがコピー機が有るので、調べたページをコピーする。

 

 次は県会議員だか、これは他で調べた方が早い。此処まで纏めると丁度一時間だ。コピーの束を持ち、待ち合わせの場所に向かった。

 郷土史コーナーの手前で桜岡さんが本を抱えて立っていた。美人さんだから結構目立つ。何人かの若い男がチラチラと様子を伺ってるのが丸分かりだ。

 だって人気の無いコーナーに彼女を中心に、若い男が点在してるんだよ。近くに行くと僕に気付いた彼女が微笑んだ。軽く手を上げて応える。

 

 そして一斉に僕を見る男達……「やはり良い所のお嬢様か。ボディガードが居やがる」「何で筋肉が図書館なんて知的空間に居るんだよ」ヒソヒソと独り言が聞こえるが無視する。

 

「そっちの調べ物は有ったかい?」

 

 名前を出すと拙いと思い敢えて呼ばない。

 

「ええ、鷺沼についての伝承が少し。あと……あの神社についてですが、やはりお寺だったみたいです。この本に周辺の略図が載ってますが、卍のマークが有りました」

 

 僕の袖を引きながら机に誘導する。何故?対面でなく隣に座るんだ?周りの注目度が跳ね上がったのが分かるんだ、雰囲気で。

 

「此処なんです。ほら、榎本さん」

 

 近い、近いよ桜岡さん!腕と腕がくっ付いてますよ!

 

「あっ暑いね、何か?空調効き過ぎかな?」

 

 スーツの上着を脱ぎながら立ち上がり、少し距離を取る。序でに腕捲りをしてムキムキを周りに見せ付けながら、視線を睨み付ける様に周囲に一周させる。

 なる程、知的空間にいらっしゃる方々だけに目を合わせないか……

 

「榎本さん?ちゃんと見て下さい。ほら、この記述です」

 

 腕を掴まれて座らされる。

 

「ちっ!見せ付けやがって……」

 

 捨て台詞や悔しそうな顔をしながら散って行きやがった。何故、結衣ちゃんと一緒の時は親子か兄妹の様にホノボノで桜岡さんだと色事で見るんだよ?

 納得行かないが、年の差を考えるとそうなのか?周りが静かになったので、彼女の調べた報告を聞く為に意識を其方に向けた……

 

 

第52話

 

 八王子山中の鷺沼。1900年頃に悲劇が襲った沼だ。因みに廃仏毀釈は1870年前後だから、この沼の悲劇は怪しい神社が寺から変えられた後の事件だ。

 30年の開きは、鷺沼と神社との関連性が低いと思わせる。しかし桜岡さんの調べた資料では、神社を含む一帯の地主が件の庄屋と思わせるんだな。

 

 庄屋と坊主と神主。

 

 関連性は全く分からないが、廃仏毀釈の前の寺社は荘園と言って敷地外に土地を所有していた。つまり坊主が周辺の土地を持っていたが、廃仏毀釈で庄屋に土地を取られた可能性は有る。

 しかも寺を神社に変えられたとしたら……庄屋の一族を恨む坊主と、お飾りの神主。もし庄屋の末裔が、現代の地主だったら?

 恨み辛みも有るだろう。全くの想像だけどね……地主の過去も調べたいな。

 

 八王子市立図書館を出て、何となく徒歩でJR八王子駅に向かう。二人並んで歩道を歩く……街路樹に葉っぱは無く、冬の日差しを歩道に照らしてくれるので割と暖かい。

 今日の調査は終わり。帰ったら対象の市会議員のHPでも調べてみよう。ある程度の経歴や活動は分かる筈だ。

 

「ねぇ、榎本さん……」

 

 すっかり腕に抱き付く癖がついたのか?桜岡さんが左腕にしがみついて見上げてくる。

 

「何だい?」

 

「ふふふふ。いえ、何でも有りませんわ」

 

 妙にご機嫌だ……彼女と二人で15分も歩けば、JR八王子駅に到着。そのまま横浜まで向かう。

 横浜線は開発途中の場所を通過するので、車窓からは宅地造成の合間に長閑な田園風景が見える。牛舎とか有るんだぜ。有名な濃厚ソフトクリームを食べさせる牧場も有る。

 都会から30分で田舎なんて凄いと思う。JR東神奈川駅に到着し、乗り換えて横浜駅まで。

 帰るには一旦JRの改札を出て京急電鉄に乗り換えるのだが、結衣ちゃんから地下街ポルタに新しいパン屋が出来たのでクロワッサンが食べたいとお願いされている。

 改札を出て左側に進むと、どうやらポルタは改装工事中らしい。地下街に入るエスカレーターの周辺に仮囲いが立ち足場が組んである。

 

「前に桜岡さんと待ち合わせた時は、工事してなかったのに……何が出来るんだろう?」

 

 エスカレーターの前には、「横浜の歌」と言う陶板で出来た壁画が有ったんだが……

 

「ポルタは30周年の大改装らしいですよ。何でも有名なアーティストにモニュメントを頼んでいるらしいですわ」

 

「モニュメントねぇ?横浜に縁のあるテーマか、全く関係ないアート作品か……まぁ楽しみだね。結衣ちゃんを連れて一緒に行くかい?」

 

 無言で絡める腕に力を入れてきた。肯定って事だな。でも、確かに店舗の入れ替えも多いみたいだ……

 三國屋善五郎に東京純豆腐、それにタリーズコーヒーと新店舗が連なる。そしてメインの出入り口に新しいモニュメントね。多分クリスマス商戦の前に御披露目かな?

 などと考えながら、養生された階段を降りる。インフォメーションを左側に曲がると、リトルイタリーゾーン。

 イタリア感溢れたレストラン街に入る。クンクン、あれ?既にパンの焼ける匂いが流れてるぞ?地下街なのに厨房換気を通路に垂れ流して良いのか?

 お腹を直撃する匂いを辿ると目当てのパン屋を発見。

 

「ジャンフランソワ……これか!しかし入り口脇に堂々とオーナーの写真を飾るってどうなんだ?」

 

 レジ前の壁にA1サイズの額に外人のオッサンの腕組みをしたパネルが?

 

「いかにもなイタリアンシェフですわね。恰幅良くて……」

 

 桜岡さんの評価も微妙みたいだ。でも彼女って自分の写真を部屋に飾るんだよな。人気の店らしく何人ものお客さんが出入りしていた。

 

「イートインも有るのか……2〜3個味見してく?」

 

「勿論ですわ!」

 

 輝く笑顔で同意された。二人別々にトレイとトングを持ち、陳列コーナーへ。僕はお土産用、彼女は此処で食べてく用のパンを見繕う。

 頼まれていたクロワッサンを10個、それにミートパイとホカッチャを各10個……もうトレイに乗らないや。

 桜岡さんは2個ずつ色んなパンを乗せている。

 

 レジに並び店員さんに「会計は一緒で。こっちは持ち帰り、こっちはイートインで食べるから。あと紅茶二つホットでね」目を見張る店員が、裏から増員を呼び出し二人掛かりでパンを袋に詰める。

 

「ごっ合計が……17850円になりますが」

 

 クロワッサン一つ400円だしな。それ位になるわな。現金で支払い、先に席をキープしていた桜岡さんの元へ行く。

 直ぐに店員さんが紅茶を運んでくれた。大皿二つに山盛りのパン。周りのお客もビックリして注目しているな。まぁもう馴れたけど……

 

「「いただきます!」」

 

 先ずはナッツ類とドライフルーツを練り込んだパン。フルーツの酸味とナッツの食感が中々の逸品だ。

 次はフレッシュチーズに煮込んだ木苺のジャムを乗せたパン。チーズにベリー系は合うね。これも美味だ。

 

 次は……各自8個ずつのパンを完食。

 

 途中、頼んでないのに珈琲を持ってきてくれた。何でも大量に美味しそうに食べてくれたので、店長からのサービスだそうだ。

 ガラス張りの店内で美人とオッサンがバクバクとパンを食べれば、口コミ位にはなるかって?焼きたてのパンは、どれも美味しかった。

 桜岡さんのチョイスは中々安心出来るな。多分だが、味覚の好みが一緒なのだろう。

 佐々木氏の昼食も食べ過ぎだが、最近彼女と同行してると良く食べるんだ。今夜も筋トレが必要だな……

 最近気になりだしたお腹周りをさすりながら思う。向かいに座る彼女のお腹周りに変動が無いのが、凄く不思議なんだけど……中年太り回避の為にも運動しなくちゃ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 高田調査事務所。

 

 僕も榎本心霊調査事務所と調査事務所の所長だが、彼は純粋に人間を調べる興信所の所長だ。長身の上に痩せ気味で猫背。

 何時も黒のスーツにノーネクタイ。髪型はボサボサで表情は荒んでいる。所謂チンピラの兄貴分なんだけど、良い大学の法学部を卒業している遣り手だ。

 配下に20人の調査員と4人の事務員を持つ中堅調査事務所の所長だ。因みに調査員はバラエティーに富んでいて、主婦・ニート・サラリーマン・ガテン系職人・冴えない中年オヤジ、それにボディーガード専門の筋肉隊と逆に凄い面子なんだ。

 彼らは調査員とは思えない出で立ちだから、調査対象者が気付かない。メインは浮気調査だが、荒事もOKの頼もしい奴だ。

 知り合ったのは、彼の配下の男が異常な行動をして謎の死を遂げた。真相を調べる為に、伝手を頼りに僕に仕事を頼みに来たんだ……

 

 あれは浮気調査として依頼を受けたのだが、調査対象の旦那の様子がおかしい。何故か電気の点いてないアパートの一室に、毎週定期的に訪れては帰る。

 しかし部屋の電気を点けないらしい。その部屋に出入りしている写真と、相手の女性の写真を撮れれば調査完了。

 しかし、その部屋には人の気配が無い。電気のメーターも動いてなければ、洗濯物も無い。周りの住人に聞けば、確かに女子大生が住んでいる筈なんだが……

 業を煮やした調査員は、その部屋を直接訪ねてみた。ドアをノックしても返事が無い。

 ダメ元でドアノブを回すと……鍵が掛かっていなかったそうだ。

 扉を開くと中が薄ぼんやりと見えるが、確かに若い女性が住む様な感じの部屋だった。若い女性独特の甘い匂いが鼻腔を擽る……

 匂いに釣られ魔が差した調査員は、部屋の中に入ってしまった。ビデオカメラを構えて、せめて証拠となりそうな物を物色する。

 ワンルームのその部屋は、玄関から入ると右側にミニキッチン、左側にバス・トイレ。そして奥が8畳程の洋間になっていた。

 ミニキッチンには食器類が綺麗に片付けられている。バスルームは半透明の扉が閉まっており中は伺えない。

 電気を点けると外から侵入がバレる為に、薄暗い室内をゆっくりと観察しながら歩いて行く。

 

 時刻は17時過ぎ……そろそろ日没だ。

 

 奥の洋間を調べる。箪笥を開けると女性の下着類が綺麗に畳んで仕舞われている。思わず手に取って確認するが、派手な下着は無く大人し目な物ばかりだ。

 小物入れにも化粧品やCD等が整理整頓されている。CDはクラッシックや女性ボーカルの物が多い。とうやら彼女は几帳面で控え目な性格の様だ。

 ふっとテーブルを見ると、写真立てが有った。薄暗い中で目を凝らして見ると、両親らしき年配の男女に挟まれて写る若い女が写っていた。

 

 彼女が浮気相手か?

 

 ふっくらとしてお世辞にも可愛いとも美人とも言えないが、独特な愛嬌の有る顔立ち。次にベッドの周りを調べる。

 避妊具とかが用意してあれば浮気は濃厚なんだが、何もない。調査対象者は、一体この部屋で何をしているんだろう?

 一通り調べ終わり、ふとカーテンを開けて窓の外を見ると調査対象の夫が歩いて来ている。

 

 おぃおぃおぃ何故だよ、今日は部屋を訪れない日の筈だろ?しかも勤め先から此処に来るのも早過ぎる。

 

 動悸が激しくなり、冷や汗が全身から噴き出す。不味い不味い不味い。今から部屋を出ても鉢合わせだ!

 不法侵入なんて警察沙汰だし、浮気調査自体が失敗に終わる。とっさにバスルームに入り、扉を閉めて身を潜める。直ぐに玄関を開ける音がして、男の気配を感じた。

 鍵を掛けず、靴を脱ぎ真っ直ぐ部屋の方向へ歩いて行った。

 

「ああ、今晩は!また来たよ」

 

 誰も居ない筈なのに、何かに話し掛けている?まさか、ね。独り言の様な会話が、一方的に続く。このまま隠れていても埒があかない。

 ダッシュで逃げるしかあるまい。覚悟を決めてユックリと扉を開けて、音がしないように細心の注意をしながらバスルームを出た。

 あの男は部屋の中に居るのに、電気も点けずに何か話している。電話でもしているのか?不思議に思い声に意識を集中すると、やはり電話みたいな一方的な会話だ。

 

 シメタ!電話に夢中なら逃げ出す時に此方を気付くのが遅れる筈だ。

 

「うん、呼びに来てくれて有難う。これからは時間を気にせず来れるよ」

 

「そうだよ。ずっと一緒だ。邪魔なアイツは処分してきたから……」

 

 随分と物騒な会話だぞ!もしかして、あの男は犯罪者でこの部屋は犯罪に関係の有る連中のアジトか?

 これは急いで逃げないとヤバい。意を決してバスルームから飛び出し、靴を履かずに手に持ってから玄関扉を開けた。

 一瞬、室内の様子を伺うと……こんなに音を立ててるのに、男は後ろを向いて座ったままだ。

 まだ電話の相手と話している……電話?いや、アイツは携帯電話を持っていない。

 ただ部屋の真ん中に向かって話し掛けているだけだ。

 

「ああ、妻はさ。金鎚でブッ叩いてきたよ。もう邪魔はさせないさ。誰にもね……」

 

 嬉しそうに話し掛ける相手は、部屋の中央にボンヤリと浮かぶ「何か解らないモノ」だった。複数の女の体が溶けて混じり合ったみたいな、顔が4つ以上くっ付いている不気味なモノ……

 さっき写真で見た女の腹と右肩と左腕、それに頭にそれぞれ別の女の顔が付いている。

 

 ナンダ……アレハ?

 

「ばっ……バケモノ……」

 

 無我夢中で部屋を飛び出して気がついたら公園のベンチに座っていた。カバンもビデオカメラも無く、裸足で走ったから靴下は破けて血が滲んでいる。

 幸い靴は手に握っていた。上着のポケットに財布は有ったので、事務所までタクシーで帰ってきて所長に今見た全てを報告した。

 調査対象者はバケモノに魅入られていた、と。複数の女が交じり合った何かが、部屋の中心に浮かんでいたんだ!

 最初は笑ったそうだ。馬鹿な事を言うなって。今日は真っ直ぐ帰って酒を飲んで寝ろ。

 

 そう言って送り返したんだ……馬鹿みたいだろ?

 

 調査事務所の所長がさ、部下の言葉を信じないで調べもしなかったんだぜ。ソイツは翌日から会社に来なくなった。自宅に行っても不在。

 携帯に電話しても繋がらない。しかし数日後、警察から連絡が有った。

 彼の担当した浮気調査を依頼した奥さんが、自宅で頭を鈍器で殴られて死亡。旦那は、例のアパートで変死体で見つかったそうだ。

 そこには担当者の彼も変死体で発見された。日本の警察は優秀だ。家宅調査で浮気調査の依頼を調べ上げて連絡をしてきたらしい。

 しかも浮気相手と思われるアパートも直ぐに見つけ出した。死因は不明。高田所長は後悔した。

 

 何故、あの時もっと親身に聞いてやらなかったのか?

 

 何故、信じてやらなかったのか?

 

 真相を調べる為に僕に調査を依頼してきたんだ。それ以来の付き合いだ。だから彼は心霊を信じている心強い協力者なんだ。

 

 

第53話

 

「office sakuraoka」

 

 京急電鉄上大岡駅近くに有る桜岡さんの事務所だ。僕らが狙われているのが分かってから、バイトの子達は休ませている。

 しかし仕事をしている訳だから、何時までも不在と言う訳にはいかない。だから桜岡さんは一週間振りに出勤した。僕を同伴で……

 彼女が留守電やメール、FAXを手際良く処理している中、僕の仕事は結界を張る事。それと怪しい郵便物の処理だ。

 

「ねぇ?何で捺印済みの婚姻届とか送ってくるの?馬鹿なの?」

 

 本人らしき写真と熱烈なラブレターが同封の婚姻届が何通か……結構なイケメンからオタっぽい人とかいる。

 

「さぁ?燃やして下さい。安心してね、一度も会った事有りませんから浮気の心配は有りませんわ」

 

 会った事もないのに結婚したいの?

 

「この妙に手作り感満載のお菓子とか小物は?ヤバい気配するよ、コレ。念が籠もり過ぎてる……」

 

 何か呪詛みたいな物に昇華しそうな念だな。特に、この小物入れとか……

 

「基本的に知らない人からの食べ物類は破棄。手作りの品物は返品してますわ。宅配便の不在通知を連絡したので、その時に序でに返品して下さい」

 

 郵便受けに入りきらない宅配便は、これから来るのか?自分のデスクでパソコンで文字をカタカタ打っている彼女が、此方を見ずに応える。

 毎度の事なんだ……流石はお茶の間で有名な梓巫女だな。ディープなファンが居るのか。

 確かに返事が欲しいコイツ等は名前も住所もバッチリだ。

 

「榎本さん、その引き出しに着払いの伝票が有りますから記入お願いします」

 

 送り返すけど、代金は相手持ちは当たり前だな。ちゃんと桜岡さんの名前と住所が予め印刷されている伝票の束を取り出し溜め息をつく……

 

「たまに有る名前しかないヤツは?」

 

「破棄して下さいな。気持ち悪いですわ」

 

 はいはいと、相手の住所・名前を伝票に記入していく。一週間分だから結構有るなぁ……書き終わった頃に不在通知の連絡で来た追加の荷物を受け取り、返品の荷物を渡す。

 宅配ボックスに収まらない荷物だが、何でカート一杯有るの?ガサガサと包みを開けていく。一応、金属探知機も使ってるけどヤバい気配は霊能力者として何となく分かる。

 

「ねぇ?高そうなブランド品の財布とかバッグが出てきたよ。コレも返品するの?」

 

 GUCCIとか僕でも知ってる有名なブランドだ。

 

「捨てて下さいな。そんな物は使えませんから……あの子達はリサイクルショップに売ってましたけど、私は要りませんわ」

 

 捨てる?コレを?贈り主は哀れだな……でも勿体無いかな?

 

「じゃヤバい念が無い物は分けておくから、バイトの子が来たら安全な方は売りなよ。流石に勿体無いし……」

 

 手に取ってヤバい念が無いか確認しながらより分ける。途中、割と高そうな革製のバッグを手に取り……

 

「ん?コレは……何だ?」思わず落としてしまう。全身に警戒の為かサブイボが……コレ、呪詛が仕込まれている。

 直ぐに落としたバッグを中心に清めた塩で円を描く。次は贈り主だが、送り状を確認すると名前も住所も書いてある。

 

 鈴木一郎、市内在住。

 

 あからさまに偽名だ。包装紙ごと折り畳んでクリアファイルにしまう。手書きだし筆跡鑑定か指紋は取れるかもしれない。

 

「さて、桜岡さん。呪詛の籠もった品物が来たよ。対処するからコッチを注意してね」

 

 愛染明王の札をバッグに貼り付けから、清めの塩の結界円を2m程広める。結界の中に入りバッグを手に取る。先ずは蓋を開けたりポケットを開けて内容物を調べるが……

 何も入ってない。桜岡さんからハサミを受け取り、バッグを分解していく。高そうで勿体無いが、大抵は底に仕込んで有る筈だが何も無いな。

 側面の内張りの布を剥がすが、特に何も仕込まれてない。しかし嫌な感じは……

 

「ん?何だ、この皮の内側は……」

 

 内張りを剥がした革の内側には、茶色の革に目立たない様に薄い墨でビッシリと呪詛が書かれている。桜岡さんに、その部分を見せる。

 

「何て事を……」

 

 それを見た彼女が息を呑む。梵字で書いてある内容は女性・当年25歳、そして梵字で桜岡霞。つまりピンポイントで彼女を狙っている訳だ。

 知らずに彼女が手に取ってしまったら、呪詛が発動してしまったかもしれない。

 

「心配いらないよ。子供騙しの呪詛だ……返すのは難しいが無効にするのは簡単だ」

 

 梵字の呪詛なら解除は簡単だ。梵字の内容や配置で効果を発動する呪いなら、効果を無効にするには……ハサミで梵字の書かれた部分を細切れにすれば良い。

 バラバラにされた梵字は、意味を成さないからね。これで呪いは発動しない。清めた塩を大量に入れたビニール袋にバッグの残骸を入れて口を縛る。

 後は燃やして灰を川に流せば良い。残りの宅配便の荷物を確認すると、同様の仕込みをした財布が見付かった。

 これも細切れにして同じ袋に突っ込む。

 

 コッチの送り状には、山田一郎か。住所も書かれているが、筆跡は同じに見えるな。

 

「桜岡さん。こいつを処理するから出掛けるよ。大岡川か平作川に灰は流すとして、何処で燃やすかな……」

 

 横浜市も横須賀市も野焼きは認められてない。つまり焚き火は違法行為なんだよね、ダイオキシンとかの問題で……

 

「桜岡さん、危ないから独りに出来ないな。仕事は終わった?まだなら待つから」

 

「あと30分待って下さい。転送手続きが済みますから……」

 

 彼女の仕事が終わるのを待ち三浦の隠れ家に寄ってバッグを燃やしてから、灰を平作川に流した。奴らは着実に僕らを追い詰めている。敵の特定を急がないと危険だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 高田調査事務所との打ち合わせは、横須賀の僕の事務所にて行う。自宅は結衣ちゃんに、要らぬ心配を与えるからね。

 呪いとか、そんな単語を聞いたら不安になるから。午後5時丁度、高田所長が分厚いファイルを小脇に抱えて訪ねてきた。

 

「おう!榎本、久し振りだな」

 

 独特の猫背で暗く低いボイスで挨拶をされた。不思議と良く聞き取れるんだよな。

 

「おう!良く来たな、まぁ入れよ」

 

「初めまして、高田さん。桜岡です」

 

 取り敢えず応接セットに通す。桜岡さんが日本茶の準備をしてるので、本題には入らないで雑談をする。

 

「最近は忙しいのか?」

 

「いや、浮気調査ばっかりだな……全く世の男共は情報秘匿能力が低過ぎだな」

 

 確かに浮気をしてる気配が有るから調べられるんだ。上手く誤魔化していれば問題無いか?

 

「まぁ、それだけじゃないだろ?僕らの知り合った切欠とかさ」

 

 僕に仕事を依頼してきたのは、彼の配下の調査員が不審な死を遂げたからだ……単なる浮気調査だと思っていた。

 しかし結末は最悪。依頼者の奥さんは、旦那に撲殺された。調査対象者の旦那は、既に亡くなっていた女の部屋で不審死。

 調査員も何故か同じ部屋で不審死。警察沙汰になったが、証拠不十分で不起訴。そもそも部屋の持ち主は病死していて、両親が遺品の整理に取り掛かる直前だった。

 死んだ女と調査対象者も調査員も接点は見つからなかった。

 

 真相は……あの部屋には問題が有った。

 

 過去5人の女性が亡くなっている。病死に事故死に自殺等、入居一年以内にだ。普通は、こんな部屋には入居したくないだろう。

 しかし彼女の前に二人の男性が住み、問題無く引っ越していった。不動産屋が事故物件として報告する義務は直前に住んでいた人についてだけ。

 三人前の女性が自殺した事の報告の義務は無い。そして今回入居した女性は病死。

 流石に六人もの女性が亡くなったんだ。不自然だと感じた大家は、その部屋を封印した。

 僕はその部屋で亡くなった遺族から、最後の場所で読経をして欲しいと依頼された。彼は勤め先の所長で同席させて欲しいと説明し、部屋の鍵を借りた。

 既に荷物は無く封印された部屋なので、問題無く貸してくれたんだ。大家さんも坊さんが読経してくれるならと言う気持ちも有ったんだろう。

 そして問題の部屋に入り、結界を敷いて読経を開始した。結界は四方に清めた塩を配し、お神酒を部屋の四隅に軽く撒く。

 お札を壁面全部に貼り付け、洋間の中心に向かい読経を開始する。暫くすると煙が立つ様に「ナニカ?」が揺らめきながら現れた……コイツが女性達を死に追いやり、調査員を取り殺した元凶だ!

 

 最初に自殺した女の怨念が、後から部屋に住んだ女達を殺して取り込んだんだ。僕には奴らに対抗する牙が有る。

 

 怨念を無事に祓う事が出来た。まぁ高田所長は腰を抜かしていたけどね。失禁しないだけマシだったのだろう……アレは僕でもグロテスクだったからな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「何だ?ニヤニヤしやがって……」

 

「いや、初めて会った時の事をね。うん、頑張ったよな」

 

「でめぇ?まだあの時の事を……」

 

「粗茶ですが……何ですか?榎本さん、からかっては駄目ですわ」

 

 タイミング良く彼女がお茶を配り、僕の隣に座った。

 

「何か妙に馴染んでるな……アンタら付き合ってるのか?」

 

 ニヤニヤしながら、トンでも無い誤解をしやがって!仕返しのつもりかよ?

 

「ええ、そうですわ」

 

「何を馬鹿な事を言うんだよ。桜岡さんが困ってるだろ?」

 

 アレ?順番ガ逆ダヨネ?困ッテルダロ?ハイ、ソウデスワダロ?隣の彼女を見ると、済まして日本茶を飲んでいる。

 

「クックック……あのロリコンの榎本が、お嬢様とだと?グハッ、笑えねぇ冗談だよな」

 

 腹を抱えて本気で笑いやがったな!しかも目尻に涙を浮かべて呼吸困難気味じゃないか?ソファーから立ち上がり、この無礼者を肉体言語で分からせて……

 

「はい、榎本さん。駄目ですよ、座りましょう。高田さんも真面目に報告をして下さいな」

 

 手を掴まれて座らされた。駄目だ、最近の桜岡さんには逆らえない感じだ。

 

「こほん……報告を聞こうか?」

 

 黙って分厚いファイルを二冊手渡される。報告書な正副二部が基本だからな。黙って一冊を桜岡さんに手渡す。

 

「まぁ、読みながら聞いてくれ。先ずは宗教団体の件だが、神泉聖浄(しんせんせいじょう)って神道系の奴を教祖にした関西系の団体だ。

勿論、良い噂は聞かないな……」

 

 神泉?聞いた名前だな……確か僕が駆け出しの頃に壷だか判子だかを脅して買わせる、質の悪い団体の教祖と同じ名前だ。

 しかも霊の取り憑いた壷を買わせて霊障を引き起こし、それを教祖が祓い金を巻き上げる奴だったな。確か除霊を頼まれた他の霊能力者に叩きのめされたと聞いたが……

 

「なぁ、ソイツは悪どい霊感商法で話題になり同業者に叩きのめされた奴か?」

 

「10年前に霊感商法で詐欺紛いな事をしたのは、兄の聖光(せいこう)の方だ。摩耶のヤンキー巫女に完膚無きまでに叩きのめされたんだよな」

 

 兄?摩耶のヤンキー巫女って、ケバい金髪巫女の事か?噂では関西の摩耶山に縁の有る巫女だと聞いていたが……

 

「そうか、兄弟揃って問題児かよ」

 

「弟の聖浄は遣り手だぞ。信者を確実に増やし、潰れた教団を立て直したんだ。やり方も巧妙だぞ。

若手信者を兎に角団体でボランティアや町内会等のイベントに参加させるんだ。継続して参加していれば、相手もアテにする。

そこから布教を始めるんだが、それも巧妙だ。友達になってから、少しずつ教団の教えを仕込む。

ボランティアに参加する教団のイメージは良いよな。しかもボランティア団体も既に貴重な人材だから無碍には出来ない。だから引っ掛かる奴が多いそうだ……」

 

 何て巧妙な手口だ。これはチンケな連中どころか、相当ヤバいな。しかし何故?奴らは桜岡さんを狙うんだ?

 




 皆さんメリークリスマスです。今年も後僅かですがお互い体調に注意して年を越しましょう。
 沢山の復活祝いコメント有難う御座います。
 未だ誤字脱字等が多く未修正ですが、再投稿物なので修正は時間が取れたら順次直しますが投稿スピードの方を優先させて頂きます。
 年内は3話づつ3回(計27話分)位を目処に頑張ります。


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第54話から第56話

第54話

 

 神泉聖浄(しんせんせいじょう)を教祖とする神泉会。

 関西系の宗教団体の筈なのに、東京都にまで進出してきてるとはね。結構大きな教団みたいだ。一般信者が居るのが厄介だね。数の暴力、特に教祖に心酔してる連中は怖い。

 

 しかし……摩耶山のヤンキー巫女か。

 

 最近噂を聞かないけど、引退したのかな?確か同世代だと思ったけど。

 

「あの……その摩耶山のヤンキー巫女って、多分私の義母様ですわ。ヤンキーかは別として、摩耶山の師匠の下で修行したのは義母様と私だけです。

義母様は私の姉弟子でもありますから……」

 

 おずおずと、とんでもない事を言ったぞ。お母様だって?一時期有名だったし、確か何かの物件で鉢合わせした事も有った筈だが……

 アレと桜岡さんが親子?記憶の中のアバズレとは全然似てないぞ!てかアイツ若作りだったのか?

 25歳の娘が居るって事は少なくても今は40歳半ば……10年位前に見た時には、既に30歳を過ぎてたのか。30歳過ぎても髪を金髪に染めたヤンキーってのも、今思うとアレだな。

 そもそもヤンキーは清純な巫女じゃないだろ?年齢的にもアウトだ!当時は20歳ソコソコに見えたが、既に中年ヤンキーだったのね。

 

「そっそうなんだ……ふーん。って親子って事はバレてたら、彼らは桜岡さんに恨みが有るって事か?」

 

「自分の兄を再起不能にした奴の娘か……確かに恨むわな」

 

 男二人が、彼女を凝視する。何故か恥ずかしそうにしているな。まぁ身内に若作りのヤンキー巫女が居れば、恥ずかしいけどね。

 

「私も義母様の武勇伝の幾つかは知ってましたが、まさか宗教団体の一つを壊滅まで追い込んでいたなんて……全く知りませんでしたわ」

 

 確かに当時、桜岡さんは15歳くらいか?中学生だし、親の仕事の詳細は知らなくても仕方ないだろう。心霊関係なんて、下手したら秘密だったかも知れないし……脱線したが、話を戻そう……

 

「摩耶山のヤンキー巫女はおいて、その神泉会と廃ホテル・管理会社との関係はどうだった?」

 

「神泉聖浄の信者と言うか、奴の所有する管理会社なんだ。霊的不良債権を買い取り、除霊して転売する。

霊が出る物件なんて安く買い叩けるだろ?そして自分が大々的に除霊し、安心だからと転売する。良い商売だな……」

 

 確かに僕の仕事も似たようなモンだ。しかし、何か引っ掛かるな……

 

「なぁ、最初の霊障って……」

 

「ああ、自分が仕掛けて自分で除霊。疑いは濃厚だよ。何たってピンポイント過ぎるからな」

 

 ペラペラとファイルを捲り指差すページには、彼が除霊した建物のリスト。結構な件数だ……

 

「そうか。あのホテルもヤツが廃業に追い込んだのか……」

 

「なる程、そうなんですね。何て酷い人なんでしょう。許せませんわ」

 

 確かに神泉聖浄が元凶ならば、辻褄は合うな。相手が分かれば対応も考えられるし、これで見通しが立つね。

 ファイルを膝の上に乗せて、ソファーにもたれ掛かる。眉間を揉みながら考える……闇しか見えなかった相手が見えた。

 

 これなら……

 

「いや、ホテルの廃業に聖浄は絡んでないぞ。それにホテルのオーナーとの繋がりも分からん。この管理会社が廃ホテルの管理を任されたのは半年前だ。

バブルの衰退と共に潰れたのは、経営力が足りないだけだ。ただ国の補助金絡みだとな、廃業したから放置や勝手に壊せないんだ。ちゃんと決められた年数は管理する必要が有る。

だからオーナーも何年かは管理し、再開の方法を探したけど駄目だったんだ。国の補助金の償却期間も過ぎた頃には、もうホテルとして再開は無理な現状だ。

だから最低限の管理だけを安い会社に任せきり。今回も聖浄の方から安い値段で交渉したんだろうな。一応前の管理会社にも聞いたが、入札で負けたそうだ。

毎年契約内容の見直しをされてたらしく、厄介な物件から手が引けたって喜んでたみたいだ。コレに関しては違法性は全くないな」

 

 うーん、それだと僕の考えは根本的に違うな。オーナー一族と聖浄がグルかと思ったんだけど。

 

「榎本さん。リストの物件は、あの八王子以外は全て関西ですわ。もしかして、東京進出の一号なのでは?」

 

 桜岡さんが指差すリストは、確かに他は大阪か京都だけだ。ワザワザ関西から八王子の物件を安く請けるのは普通じゃない。

 

「つまり、足掛かりって事か?または、桜岡さん母娘の為だけに用意した物件とか……ちくしょう、分かったつもりが余計混乱するな」

 

 頭をガシガシと掻き毟る。もっと良く考えろ!何故、聖浄は桜岡さんの母親を関西で仕掛けずにワザワザと東京まで出張ってるんだ?何故、娘を狙うんだ?

 仕込みが最近だと考えれば、鷺沼やホテル絡みの自殺者の関係も薄い。それなのに何故、鷺沼で死んだ娘の霊を使役出来たんだ?

 

 駄目だな……全く分からない。

 

「次は自殺と不審死についてだけどな。次のページに纏めて有る。先ずは最初の首吊りだが……

発見されたのは、平成11年5月16日。

名前は望月宗一郎、47歳。遺書も有り警察も自殺と断定。彼はパチンコ狂いで借金が有り、金融機関からの取り立ても厳しかったらしいな。

二人目の水死だが……

発見されたのは、平成13年10月22日。

名前は石坂寛子、29歳。地元のスーパーでバイトをしていた。彼氏と市内のアパートにて同棲中。朝、仕事に行くと自転車に乗り出勤。

しかし勤め先には行かずに途中で行方不明に。彼氏が彼女の実家に連絡して、父親が地元警察に届けた。行方不明から四日後の事だ。

当然彼氏は疑われたしアリバイも曖昧だった。コイツは所謂ヒモだな……昼はパチンコ三昧で夜も良くない仲間と飲み歩いていた。

警察の追求も厳しかったそうだが、証拠が全く無く不起訴になった。男の名前は、田坂幹夫。現在も八王子市内に住んでいる。

死んだ二人とヒモが、オーナー一族や神泉会と接点は見つけられなかった」

 

 最初の男性は自殺は間違い無さそうだ。でも二人目の女性については疑問点が多すぎる。

 

「二人目の女性だが、廃ホテルの付近に自転車は有ったのか?それに自殺には動機が有るはずだけど、何か有ったのかな?」

 

 ペラペラと報告書を流し読みしても書かれてはいなかったが……

 

「自転車は見つからなかったな。しかし徒歩であの廃ホテルに行くのは難しいが、登り坂を自転車も大変だろう。

因みに暴行を受けた跡は認められなかったし、外傷も殆ど無かった。犯人の遺留品が全く無いので調査は難航。目撃者も居ない……」

 

 状況は事件性がバリバリだな……ヒモを怪しむなと言う方が難しい。

 

「それで彼女が自殺する動機の方は?」

 

「ああ、金ずるとしてはマダマダ余裕が有ったんだろう。しょうもないヒモだが彼女との関係は良好だったみたいだ。喧嘩もしてないし、彼女も勤め先で惚気てたらしいな……」

 

 ヒモはぶら下がる女の経済状況に敏感だ。金が無くなれば扱いが悪くなるか離れていく。寄生虫と同じだから、宿主が元気の内は……

 

「つまり全て搾り取って無い内に殺す筈は無い、と?」黙って頷いた。

 

「つまり、彼女の死は事件性しかない訳か……でも発見したのは、聖浄の配下の管理会社の連中じゃない。

前任の会社の社員だ。それについての調査は?」

 

 問い掛けてみると、高田所長が静かに首を振った。つまり調べ切れてないのか……

 

「榎本さん、あの子の……あの家に現れた子は、どうなんでしょうか?」

 

 最後は近くの池で浮いていた女の子だ。桜岡さんも自分が祓ってしまった事を気に病んでいる。彼女の調査はどうなんだろうか?

 知らない間に喉がカラカラだ。すっかり冷めた日本茶を啜る。

 

「あっ淹れ直しますわ。少し待って下さい」

 

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる桜岡さん。三人の湯呑みを回収してキッチンに向かう。それを見詰めながら高田所長がボソリと零す。

 

「桜岡霞……ロリコンのお前には勿体無い美人だな。で?付き合ってるんだろ?少なくとも彼女はお前に惚れてるな」

 

「馬鹿言え!あんなお嬢様がオッサンの僕に惚れてる訳ないだろ?勘違いだよ、それは」

 

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、トンでもない事を言いやがる。彼女が僕に惚れてるって?確かに懐かれているが、恋愛感情に疎い桜岡さんだからな。

 周りが誤解するんだよ。高田所長の誤解を解こうと説明しようとした時に、桜岡さんが戻ってきた。

 

 今度は珈琲を煎れたみたいだ……

 

 酸味の有る強い匂いが鼻腔を擽る。これは八王子の郷土史研究家の佐々木さんの奥様から教えて貰った、大磯自家焙煎珈琲店から取り寄せた物だ。

 佐々木さんの家でご馳走になった時は話を合わせる為にブラックで飲んだ。しかし今は砂糖とミルクをドバドバ入れる。隣では桜岡さんも同様に砂糖とミルクをドバドバ入れていた。

 

「お前ら、これ良い珈琲だろ?勿体無いだろ、そんなに砂糖とミルクを入れたら。それはもう珈琲じゃなくてカフェオレだ……」

 

 ジト目で此方を見る高田所長は、ブラックで飲んでいる。珈琲通ですか?

 

「「カフェオレで結構!苦いのは苦手なんだよ(です)」」

 

「ハモるな。お前ら本当にお似合いだよ。見せ付けやがって」

 

 苦い顔をしているのは、珈琲の味だけじゃなさそうだな。馬鹿話で気持ちもリセット出来たので話を続ける。

 

「じゃ最後の女の子の件だが……前の二人よりも深刻だ。彼女は近藤好美、11歳。

行方不明になったのは平成16年11月28日。学校から帰る途中で忽然と消えた。目撃者は無し。両親は同日に警察に連絡。捜索を始めた。

これが当時の尋ね人のチラシだ。警察も大々的に捜索したが、目撃情報は得られなかった」

 

 渡されたチラシのコピーを見る。小学生高学年位の女の子の写真。失踪当時に着ていた服装等、事細かく書かれている。

 しかも情報提供者には賞金50万円か……両親の愛情と必死さが分かるな。

 

「ねぇ榎本さん。あの子のイメージと重ならないわ。勿論、酷い格好だったから生前の姿と比べるのは駄目かもしれないですが……」

 

「……ん?」

 

 僕達が見た彼女は、死した後の姿で現れた。多分溺死した状態の……写真で微笑む彼女とは程遠い姿形だった。でも失踪当時と衣装が違うな。

 これは監禁されていたと考えれば、着替えさせられたんだろう。

 

「僕は殆ど彼女を見ていないから分からないが、服装が違うからじゃないかな?

失踪当時の写真は大人し目なワンピースだけど、僕らが見たのはキャラクターのプリントされたTシャツとスカートでボーイッシュな感じだったし……」

 

「そうでしょうか……確かにプリプリキュアでしたか?写真のイメージではキャラクター物を着るような感じは……小学6年生ならば女の子はもっと精神年齢が高い筈ですわ」

 

 確かにネットで色々調べた時に、あのキャラクターTシャツも調べたんだ。プリプリキュアは対象年齢が3歳から8歳位をターゲットにしているらしいし、平成13年放送開始だし。

 可笑しくは無いと思ったんだけど……

 

「なぁ榎本。プリプリキュアは確かに平成13年からTV放送を開始した9年以上続いている。でも主人公は入れ替わってるんだ。お前の見たプリプリキュアは何人居たんだ?」

 

 何人だって?確かTシャツには5人の少女達が並んで居たな。

 

「5人だったと思う。なぁ桜岡さんはどうだった?」

 

「確かに5人だったと思いましたわ」

 

 現実では有り得ない髪の色をした中学生位の女の子達……

 

「5人だって?それは有り得ないぞ。初回のプリプリキュアは白黒の二人だけだ。5人になるのは平成19年からだ」

 

 この漢、ドヤ顔だ。小さな女の子対象のアニメの蘊蓄(うんちく)を垂れる高田所長……まさかの魔女っ子好きな性癖が役立った瞬間だった!

 

 

第55話

 

 あの夜、桜岡さんを襲った女の子……あの池で亡くなった子だと思っていたが、まさかの別人だった。何故分かったか?

 それは調査を依頼した高田所長の趣味。魔女っ子コスプレ、イメクラで戯れる彼の趣味の知識により判明した。何でも年代よりメンバーの数が違うそうだ。

 

「その……高田さんは、小さなお子さんがいらっしゃいますの?」

 

 微妙に距離を取りながら質問したな……

 

「いや、独身だが何故だ?」

 

 あからさまに距離を取ったぞ。

 

「…………いえ、何でも有りませんわ。コレがロリコン。はっ!榎本さんは知らなかったからセーフよね?」

 

 ブツブツと何かを呟いているぞ。そこは嘘でも娘が居ますとか言わないと、ヤバい想像をされるぞ。でも確かに風俗プレイの為の知識じゃ、女性はドン引きだよな……

 

「彼女について、他に何か分かった事は?」

 

 桜岡さんがトリップしているが、話を先に進める。彼女が、あの使役霊じゃなくても何か関連が有るかも知れないから。

 

「うん。彼女の失踪は謎が多すぎるんだが、実は彼女以外でも行方不明者が居るんだ。それも同時期に同じ小学校でだ」

 

 そう言いながらファイルを捲る。そこには彼女と共に写る同じ年代の少女3人の写真が有った。

 

「真ん中に写っているのが石坂寛子。右が伊奈真弓、左が高橋久美子。仲良し3人組だったらしいが、石坂寛子と同時期に伊奈真弓も行方不明になった。

此方の方は現在も見つかっていない。高橋久美子は無事だが、当時可笑しな事を周りに喚いては怯えていたそうだ」

 

 同じクラスの小学生の女の子が、同時に二人も?普通ならテレビで連日特集を組む位のネタだけど、記憶に無いのは何故だ?

 アレか……誘拐犯を刺激しない様に情報統制か?

 でも営利目的の誘拐の線は薄いんだよな。一人は亡くなり一人は行方不明だし……彼女達自身を攫うか殺す必要が有ったのか?

 

「可笑しな事?何だよ、勿体ぶって……」

 

 高田所長はカップに残る珈琲を一気に飲み干してから言った。

 

「こっくりさんの呪いだ、とさ」

 

 こっくりさんだって?こっくりさん……狐……稲荷神社……おぃおぃおぃ、いきなり何かヤバい連鎖じゃないか?

 

「この頃は所謂学校の怪談が流行っていた頃でな。トイレの花子さんや怪人赤マント、テケテケとか……

クラスでもこっくりさんが流行っていたそうだ。それと、例の廃ホテルに探検も行ったそうだよ。子供には堪らない遊び場だろ?

そして彼女達は放課後、クラスに残りこっくりさんをしたそうだ。

高橋久美子が言うには、呼んだこっくりさんが帰らずに怖くなった石坂寛子と伊奈真弓は逃げてしまったそうだ。10円玉から手を離して……そして、その後に失踪した……」

 

 こっくりさん……

 

 子供の可愛い遊びみたいだが、実際は怖いんだ。殆どは霊的現象は起こらず小さい頃の怖く楽しい思い出で終わるが、稀に低級の動物霊とか……

 本物のヤバいモノが憑く場合が有る。調べてみなければ分からないが、本物なら相当な相手だ。

 人間を呪い殺せるヤツなんて、そうそうは居ない。しかし、こんなヤバい話をしてるのに桜岡さんはトリップしたままだ。

 未だにソファーに浅く座り、両手を祈る様に組んで顎を乗せている。そろそろ現実に引き戻すか……

 

「オラッ!戻ってこいや」

 

 彼女の頭をファイルで軽く叩く。

 

「イタッ、痛いですわ……最近の榎本さんは横暴ですよ。もしかして結婚したら亭主関白になるのかしら?」

 

 軽く叩いただけなのに、涙目だよ。

 

「結構ヤバい情報だ。彼女達は廃ホテルに探検に行った事があるそうだ。こっくりさんで遊んでいたが、本物を呼んでしまった可能性が有る。

こっくりさんは低級の動物霊の場合が殆どだが……何か引っ掛からないか?廃ホテルの稲荷神社と」

 

 根拠は無いが、こっくりさんで呼んでしまったのは……あの廃墟の稲荷神社の主が悪化したモノじゃないのか?

 又は廃ホテルに行った時に既に取り憑いていて、こっくりさんを利用して現れたとか?

 

「榎本さんは……悪霊化した稲荷神が関係していると思うんですか?しかし、聖浄とは別の問題ですわ。頭が痛いですね」

 

 関係してると思った事件は全く別物かもしれない。しかも聖浄なんかより、もっとタチが悪いかもしれないぞ。

 

「確かにな。オーナー一族・神泉会、それに稲荷神ときた。どれから手を付けて良いかも分からない。

しかし分かる所から地道に対処するしか無いな。幸い稲荷神社は桜岡さんの伝手で何とかなりそうだし、怪しい神社についても僕の方で伝手を当たっている。

天台宗までは掴んだから、後は詳細だけだ」

 

 悪霊・怨霊化した稲荷神か、それとも低級な動物霊かは分からないが……予想の最悪な事が当たってしまったな。カップに残された珈琲もどきのカフェオレを飲み干す。

 甘い筈のそれが苦く感じた……

 

「で?今後の方針はどうするんだ?これで打ち切りじゃないんだろ」

 

 既に100万円以上は掛かっているが、此処で終わりにする事は出来ない。しかし……何処からか予算を取らないと大赤字だな。

 せめて稲荷神社の対応については、オーナー一族に払って欲しい。

 

「新たな問題が色々発生したが……先ずは二人目の不審な死を遂げた石坂寛子の再調査。

オーナー一族・神泉会そして稲荷神社との関係を探って欲しい。次は近藤好美と友人達の事だ。

当時の学校で流行ったこっくりさんの事や何故廃ホテルに行ったのか?そこで何が有ったのか?生き残った高橋久美子に話を聞きたいな」

 

「あとは神泉会の方もですわ。八王子市に来て他にどんな活動をしているのか、管理会社の動向が気になります。

本当にオーナー一族と関係無いのか?後は変な神社の件ですけど、それは榎本さん任せで良いですわね」

 

 確かに被害を受けた人の関係とオーナー一族・神泉会の動向。人海戦術が必要なコレらを調べるのは本職に任せた方が良いな……

 暫し目を閉じて考える。ん?暖かいお茶の香りが……気が付けば珈琲が片付けられて新しいお茶が……それにお茶請けの、コレは草餅か。

 さっきオヤツにと横須賀中央駅前の坂倉本舗で買ったヤツだ。

 

 高田所長に二個。僕と桜岡さんが十個ずつ……それを上品に隣で食べる彼女。

 

 僕も一個を手に取りパクリと半分程食べる。うん、粒餡だが甘さは控え目。それに蓬平(よもぎ)の風味が効いた柔らかい餅も良い塩梅だ……

 

「お前ら、本当に似合い過ぎるぞ。俺は草餅は要らん。見てるだけで胸焼けしそうだぜ……ちょっと外で煙草吸ってくるわ」

 

 そう言って草餅のお皿を桜岡さんに差し出してベランダに出て行った。この事務所内は禁煙だ!食を愛する僕達は味だけでなく匂いも大切だから……

 それに煙草は舌にも良くないと思っている。高田所長の気遣いに感謝して草餅を食べ……

 

 アレ?

 

 高田所長の分を含めて僕が十個、桜岡さんが十二個の筈だが……何故、既に彼女の皿には草餅が四個しか無いんだけど?

 互いの皿を見て悲しそうな瞳で見詰められた……黙って彼女の皿に草餅を三個程乗せてあげる。食べる量なら互角の自信が有るが、食べるスピードは完敗だ。

 しかも上品に食べてるのに何故早いんだ?

 

「ねぇ榎本さん」

 

「ん?何だい?もう草餅はあげないよ」

 

 彼女の皿に草餅はもう無い。僕だって未だ六個目なんだ。最後の一個を狙うなよ!

 

「ちっ違いますわ!その……義母様とお会いする件なんですが」

 

 彼女の母親が伏見稲荷からの情報を報告に、わざわざ大阪から来るんだ。同業者だったのは驚きだが、やはり心配なんだろう。でも半ば伝説のヤンキー巫女だったからな。

 意外な情報を掴んでいるのかも知れないし。でも直接会うのは気が引けるよな……

 

「ああ、聞いてるよ。摩耶山のヤンキー巫女の伝手で稲荷神社の件が何とかなりそうな報告だよね?」

 

 元はといえば彼女が留めを刺さずに放置したから、その報復が娘に来ているんだ。その辺をシッカリ言い含めないとな。

 しかし僕に、伝説と言われた金髪ヤンキー巫女に意見など言えるかな?そっと最後の草餅を桜岡さんに差し出せば、半分に割って返してきた。

 ニコニコと食べる彼女を見ながら思う。すっかり餌付けしてしまったもんだ。

 

「そろそろ良いか?外は結構寒いんだよ……」

 

 思えば上着はハンガーに掛けっぱなしだったな。Yシャツ一枚で、この時期のベランダは辛いだろう……しかし、何故素肌にYシャツを着れるんだ?僕はアンダーシャツを着ないと嫌だよ。

 

「済まないな。桜岡さん、熱いお茶煎れてあげてくれる」

 

 その後、次の調査を依頼してから高田所長は帰っていった。さて、もう一度このファイルを読み返してみるか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「桜岡さん、ちょっと出掛けてくるよ。例の変な神社について、尋ねていた天台宗の東京教区から連絡が来たんだ。前の寺社の経歴が分かったらしいんだ」

 

 図書館で見つけた古地図に載っていた名前を頼りに、方々に問い合わせをしたが天台宗の知り合いから連絡を貰えた。確かに廃仏毀釈で取り壊された寺が有ったらしい。

 

「天台宗?東京教区?私も同行した方が良くないですか?」

 

 これから義母様が来るのですが、いきなり出掛けるって……しかし、ちゃんと調べていたのね。流石だわ。

 

「まぁ東京教区は寺社関係だから、神道系は行き辛いでしょ?それに僧籍が無いと手続きも煩雑だしね。

大丈夫、今日は結衣ちゃんも家に居るから彼女に張り付けた護衛も居るから。じゃ留守番宜しく」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 玄関口まで出て、手を振って榎本さんを送り出すのって……ふふふっ、新婚さんみたいね。さて、結衣ちゃんと一緒に家事をしましょう。家に入ると丁度電話が鳴ったわ。

 

「もしもし、榎本ですわ」

 

「はぁ?霞でしょ?何を言っているの?」しまったわ、家に掛けてきたのが転送されたのね。

 

「えっと……その……訳有って榎本さんの家に居るの……もっ勿論健全ですわよ。結衣ちゃんも一緒ですから」

 

「はぁ……別にアンタ達が同棲しようが構わないけどね。ケジメはちゃんとつけなさいよ。

まだお祖母ちゃんは嫌ですからね!分かった?これから大阪駅を出るから、待合せは横浜中華街の華凄楼だね?」

 

 結衣ちゃんには申し訳無いのですが、色々と生々しい話も有りますから同席はご遠慮して貰ったの。仕事の話も有るし、義母様は平気そうですがお父様は怒りそうですから……

 女子中学生には刺激的過ぎますからね。

 

「そうですわ。榎本さんの名前で予約してますから。それと私達の他に松尾のお爺様も同席しますので、宜しくお願いします」

 

「全く仕事の話も有るのに、親族紹介みたいな流れじゃないの……お父さん凄い剣幕よ。覚悟しておきなさい」

 

 そう言って電話を切られた。あちゃーですわ。お父様ったら娘が信用出来ないのかしら?私が選んだ方なのよ。

 大丈夫に決まっているじゃない。さて、お洗濯と掃除をしましょう。

 

「霞さん、電話誰からでしたか?正明さんも出掛けたみたいですね」

 

「私の義母様からよ。夕方に横浜で待ち合わせですから、その確認よ。結衣ちゃんに申し訳無いですが、今夜はお留守番お願いね」

 

「ええ、大丈夫です。馴れてますから……」

 

 すっかり打ち解けた結衣ちゃんとリビングに向かう。お茶を楽しんでから家事をしましょう。結衣ちゃんの煎れてくれるお茶は、本当に美味しいんですよ。

 

 

 



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第57話から第59話

第57話

 

 横浜中華街の華凄楼に集った老若男女……新郎?側は筋肉坊主と老弁護士。新婦?側は濡れ濡れ梓巫女と摩耶山のヤンキー巫女と、その旦那。

 計五人が円卓を囲んでいる。因みに順番は筋肉から時計周りに濡れ濡れ・ヤンキー巫女・その旦那・老弁護士の順番だ。

 重苦しい雰囲気を感じ取ったが、僕が司会進行をしなければならないだろう。桜岡さんの御両親の視線が痛い程に突き刺さります。

 

「えっと、わざわざ大阪から来て頂いて有難う御座います。桜岡さん……いえお嬢さんから聞いていると思いますが、私が榎本です。

此方は子供の頃からお世話になっている松尾さんです。弁護士をしています」

 

 最後の弁護士は正直不要だとも思ったが、敢えて僕の信用問題の為に言いました。

 

「榎本さん、私達みんな桜岡ですから。私の事は霞と呼んで下さい」

 

 隣からキラーパスが来た!迂闊にうんと言えない危険性を孕んでいる。このお嬢様はワザとじゃない天然だから怖い。

 ほら、向かいに座る御両親の表情が怖いぞ。何故、悪い事はしてないのに睨まれるんだ?

 

「いや、それは色々と誤解を招くから駄目だよ」

 

 凄く不機嫌に頬を膨らませている彼女を見て溜め息をつく。長い会食になりそうだ。

 

「榎本君と言ったかな……話は妻と娘から聞いている。先ずはお礼を言わせてくれ。有難う、君のお陰で霞は色々と助かっている」

 

 そう頭を下げてくれた。さっきの殺気は彼女の天然で、僕らが付き合ってるみたいに捉えた為か?誤解されない様に気を付けないと駄目だな。

 

「そうね。私からもお礼を言わせてもらうわ。有難う御座います、霞の為に色々と、ね?」

 

 何故、含みの有る疑問系?僕がそれに応えようとした時、扉の外から声が掛かり店員さんが入ってきた。

 

「失礼致します。前菜をお持ちしました。それと飲み物を伺って宜しいでしょうか?」

 

 中華料理の定番の前菜8種盛りが円卓に並ぶ。大皿の中央に胡瓜の千切りが山盛りで、周りに鶏肉のゴマ和え・赤い焼豚・ザーサイ・木耳・砂肝塩漬け他が山盛りだ。

 ピータンと豆腐の中華ドレッシング和えとかも有るが苦手だ……桜岡さんの食事量を考え多めに頼んでいる。

 

「紹興酒を熱燗で、ザラメとレモンを添えてくれ。桜岡さんも宜しいか?折角だし、酒でも飲みながら話そうじゃないか。正明は麦酒だろ?」

 

 爺さんが皆に酒を勧める。確かに多少のお酒が入った方が、話もし易いだろう。呑みニケーションはコミュニケーションだ!

 結局、爺さんと桜岡さんの親父さんは紹興酒。その他は麦酒となった。甲斐甲斐しく料理を取り分けてくれる桜岡さん。

 しかし四分の一づつが僕と彼女で残りを三等分したぞ……

 

「桜岡さん?足りなければ取るから、最初から飛ばさないでね」

 

 彼女の食欲を考えても序盤から飛ばすと後半がキツい筈だ。魚・肉・炒飯と腹持ちの良い料理が続くから……

 

「勿論ですわ」

 

 行儀良く料理を食べる彼女を優しい目で見る両親。暫くは前菜を食べながら自己紹介と近状報告をする。彼女の親父さんは関西で商社を経営してるらしい。所謂セレブだな。

 二品目と三品目に・アワビときぬがさたけのオイスター風味と和牛フィレと季節の野菜のXO醤炒めが出てきた。五人だが料理は十人前をオーダーしているから、三皿づつ運ばれた。

 当然の様に一皿づつが僕と桜岡さんの前に、残りを三等分して配っている。完全に料理の取り分けは彼女の仕事と化した。

 

「ところで榎本さん」

 

 料理を頬張っている時に、いきなり声を掛けられた。ちょっと咽せそうになったが、何とか堪える。

 

「はっはい、何ですか?」

 

 摩耶山のヤンキー巫女がにこやかに此方を見ている。あの笑顔は怖い部類の笑顔だ……

 

「仕事の話で申し訳無いですが、かの廃ホテルの稲荷神ですが……伏見稲荷から勧請した後、倒産しても御霊は移されてませんでした。丹波の尾黒狐が祀られています」

 

 稲荷神社を祀る場合、伏見稲荷大社に勧請するのだが、名の有る狐神の場合は珍しい……余程の金額を奉納しないと駄目な筈だ。

 その丹波の尾黒狐とは強力な狐様なんだろうか?

 

「大層ご立派な名前を戴いている狐様ですね。云われは?」

 

 土地等の名前が付いている者は総じて強力だ。

 

「丹波の御山に祀られている狐の総称よ。昔日照りが続き人々が飢えに苦しんだ時に、領主の娘が助けを求めた。

その姫の美しい容姿と心に魅せられた尾黒狐は、飢饉の村々に恵みの雨をもたらせたと言うわ。その時に各地に散らばり雨を降らせた狐達を総じて丹波の尾黒狐と言うの。

全国に万を超える稲荷神社が有るけど、丹波の尾黒狐は500近く勧請されているわよ。そして昭和62年に、あのホテルが勧請したの。まさにバブルの時期ね」

 

 昭和62年か……あのホテルが倒産したのが平成7年だから、かれこれ16年も放置だと!ヤバくね?

 ただ強力な狐様じゃないのは分かった。きっと尾黒狐の総大将は凄いが、配下の狐の一匹なんだろうか……

 

「伏見稲荷大社の方は、何か言ってましたか?対応とか……」

 

 黙って首を振られた。つまり伏見稲荷大社が自主的に対応はしないのか。喋るより食べないと料理が減らないな。一旦話を止めて料理を食べる。

 うん、このアワビときぬがさたけのオイスター風味は、高級感溢れたアワビの風味が素晴らしいと思う。此方の和牛フィレと季節の野菜のXO醤炒めは普通に柔らかくて旨い和牛だ、出来れば山葵醤油でも食べたい。

 取り皿に盛られた二品を食べ終え、お代わりをと思い周りを見れば……彼女の皿には殆ど料理が無い。

 一方僕は最初に取り皿に盛った分しか食べてないのに、既に完食だと!仕方無く桜岡さんの大皿に料理を取り分ける。彼女は嬉しそうに、また上品に食べ始めた。

 僕は麦酒を飲んで喉を湿らせる。霞……恐ろしい娘……

 

「正明、お前霞君と良くフードファイトをするんだって?二人で良く食事をするそうじゃないか」

 

 カッカッカ、とか何を言い出すんだ爺さん!

 

「最近漸く勝てたんです。おでんですが、コンビニのを買い占めて家で食べたんですが……榎本さん、子供みたいに箸に玉子を刺すから具をとれなくて」

 

 嬉しそうにクスクスと笑いながら……そんなに僕に勝ちたかったのか?確かに玉子に固執したのが敗因だけど、今言う事じゃないよね。

 

「ほう?家で、おでんを買い占めて?良く家には来られるのかな、榎本君は?」

 

 そこに食い付くんですか!

 

「えっええ、勿論!仕事の打ち合わせでお邪魔したり、されたりですよ、やましい事は何も……まっまぁ、桜岡さんどうぞ一杯、さぁさぁさぁ」

 

 彼女が変な事を言い出して反応する前に口を封じる。紹興酒を並々とグラスに注ぐ。ご返杯と麦酒を注がれるので、その前に一気飲みをしてグラスを空ける。

 基本的に麦酒は継ぎ足しをしない。麦酒を注いで貰い半分飲んでから、母親の方にも麦酒を勧める。

 

「あら、頂くわ。昔は狂犬と言われたのに随分と丸くなったわね?」

 

 サラッと今、僕の黒歴史をバラされた……

 

「いえいえ、当時話題の金髪ヤンキー巫女に比べたら……」

 

 お返しに彼女の中の若かりし中学二年生を暴露する。良い年をして金髪に染めて巫女服を着るなど、中学二年生全開で恥ずかしいだろ?

 ヤバい、笑顔だが額に井形が浮かんでますよ。そして震える手で麦酒を勧めてくれます。

 

「ふふふ、ご返杯よ。痩せこけた野良犬が躾の行き届いた逞しいクマさんですものね。霞の躾は十分みたいだわ」

 

 手が震えているせいか、周りに零れてますよ!僕の手が麦酒塗れなんですが……

 

「一瞬分かりませんでしたよ。あの金髪ヤンキーが、まるで有閑マダムみたいに変貌したんですね。旦那さんへの愛故ですか?」

 

 旦那さんを見ながら言うが……そう言えば昔、初めて会った時も反目したな。その後は一度も会わなかったから忘れてたけどね。

 

「ふふふ……貴方の事は興信所を使って調べました。勿論、川崎や横浜で有名な事とか、ね。霞に話そうかしら?」

 

「なっ?もしかして僕を調べている奴が居るって話は、敵じゃなくて味方?」

 

 風俗店で僕を調べている奴って彼女の差し金?じゃ神泉会が僕を調べてたんじゃないのか?

 

「何故に?」

 

「霞の周りに彷徨く男の身辺調査よ。ねぇ?」

 

 この女……話し合いの前に身辺調査とは結構エグいな。いや、商売で成功している連中とは情報を大切にするからな。

 僕の風俗遊びがバレてる訳か……マズいぞ、桜岡さんは兎も角、結衣ちゃんに話されたらダンディーで優しい僕の築き上げたイメージが崩壊する。

 

「ははははは……さて、話を元に戻しましょうか。稲荷神の方は分かりました。御霊を戻してないとなると、結構厳しい。

本来なら廃ホテルのオーナーに言って対処して欲しいんですが……オーナー一族もイマイチ信用出来ない連中なのです。調査中ですが、迂闊に接触は控えてるんです」

 

「義母様、私を狙っているのは神泉会。そして廃ホテルの管理会社は、その傘下企業。

神泉会と廃ホテルのオーナーの関係が未だ分からないのです。もし繋がっていたら、接触は藪蛇ですし……」

 

 桜岡さんのフォローが入った。確かに彼らが繋がっていたら、ノコノコ相談に行くのは危険だ。

 

「神泉会?霞……貴女は何故、何時も大切な事を先に言わないの?奴らは関西で有名な心霊詐欺団体よ。相手にするのは大変ね。

榎本さん、何故霞が神泉会に狙われていると思うのかしら?」

 

 そう言えば話してなかったっけ?桜岡さんを見れば、真っ赤になって目を逸らすし……さては忘れてたな?

 

「正明よ。何を霞君と見詰め合ってるんだ?彼女が恥ずかしそうじゃないか」

 

 爺さん、無言だと思えば要らんチャチャを入れないで下さい。話が拗れますから……僕は桜岡さんのご両親に、僕らが調べた事を全て説明した。

 

「なるほど……霞の力が通じ難いのは、同じ神道系の術を使う相手だからよ。

使役霊を使えるならば、神泉聖光の力は強力だわ。上位者の術を下位者が干渉するのは難しい。それに霞は生霊が得意。だから力が通じ難いのよ」

 

 確かに同じ系統なら上位者の方が有利だよな。

 

「確かに私は使役霊なんて使えないし、除霊も余り得意ではないですが……事実を突き付けられると凹みますわね」

 

 箸を止めてシュンとする桜岡さん……箸を止める?いや、あれだけの料理を短期間で完食したぞ。コース料理だから、そろそろ次が来る筈だ。

 確かフカヒレの姿煮、それと伊勢海老のマヨネーズ炒めだね。

 

「霊能力者と言っても千差万別。憑きモノ落としや霊媒師、霊視が得意とか沢山居るからね。

桜岡さんは生霊が得意。それは凄い事だ。僕は除霊しか出来ないけど、特化してる訳じゃないから力で言えば君の方が強い」

 

 純粋な霊能力なら、彼女の方が強い。僕には「箱」と言う反則技が有るけど、それも完全じゃない。第一「箱」の命令に逆らえないんだから……

 

「榎本さんの方が素晴らしい霊能力者です!結界も霊具も自分で作れて、経験も豊富。私、私は榎本さんの足手まとい……」

 

「失礼します。フカヒレの姿煮と海老のスパイシーマヨネーズソースレンコン餅添えです。フカヒレはアオ鮫です」

 

 彼女の切実な訴えを邪魔する様に次の料理が運ばれてきた。この二品がメインディッシュだ。フカヒレは特に高価なアオ鮫なので最初から皿に分けられている。

 

「その……桜岡さん、僕のも食べると良いよ。有難う、嬉しかったから……」

 

 彼女にフカヒレの入った皿を差し出す。心に残る言葉もタイミングを外されると気恥ずかしい物だ。暫くはモグモグと料理を食べる音だけが、部屋の中に響く。

 彼女は自分の力に疑問を持ち始めていそうだ。自信を無くす前に何とかしないと駄目だ。この商売は弱気は禁物だから、自信を持たせる事を考えなくては……

 

 落ち込む彼女を見ながら考える。

 

 

 

第58話

 

 横浜中華街、華棲楼。大阪からワザワザ桜岡さんの御両親が上京してきた。現状の説明をして、廃ホテルの稲荷神社について調査報告を聞いた。

 やはり御霊は戻していなかったか……厄介な事に、そこそこ名の有る狐が祀られている。

 

 丹波の尾黒狐……

 

 本来なら廃ホテルのオーナーに処理して欲しい。しかし頼むにも、彼らが神泉会と繋がっているのか・いないのか?それをハッキリしないと駄目だろう。

 それと自信を失いかけている桜岡さん。何か切欠が有れば良いんだけど……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 コース料理を食べ終え、デザートの杏仁豆腐が並べられている。此処の杏仁豆腐はココナッツミルク風味でねっとりとしている。

 

「ところで榎本君」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 半分空気だった桜岡さんの親父さんが話し掛けてきた。

 

「霞の為に興信所やら弁護士を手配してもらい感謝している。今後も調査は必要だ。気を悪くして欲しくはないが、費用は私に払わせて欲しい。

話を聞く分には君が負担する内容じゃない。全ては妻の過去のヤンチャが原因だ。私は霞の父親として出来る事はしたいんだ」

 

 正直、有り難い申し出だが……僕にも意地もプライドも有るから、支払いをお願いするつもりは無い。

 

「折角の申し出ですが……」

 

「榎本さんと霞の仲は分かっています。だから榎本さんへの依頼料は払いません。しかし、その他の分は負担させて貰いますわ。

そこまで榎本さんに負担させては、親としての面子が立ちません。理解して下さい」

 

 母親からも言われて、深々と頭を下げられてしまった。これは断ると却って失礼なのかな?でも僕らの仲って何だ?

 隣の爺さんを見る。この場合の普通の判断はどうなんだろう?

 

「なんだ、正明。桜岡さんの御両親の申し出だ。素直に甘えたまえよ。但し結衣君の護衛費用は君が持てば良い。彼女の保護者はお前さんだからな」

 

 なる程、それなら失礼にはならないのかな……結衣ちゃんに対しても、僕が対処している事になるし。

 

「分かりました。ご好意に甘えさせて頂きます」

 

 そう言って頭を下げる。丁度デザートを食べ終わり、食後のジャスミン茶が配られた。もう追加オーダーも無いだろう。

 

「すみません、トイレへ……」

 

 そう言って席を外し、先に会計を済ませに行く。帰り掛けに支払いをすると、また払う払わないと言い合いになりそうだからな。でも割と普通で常識的な両親で良かったよ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「さてと……正明が席を外したのでな。アレは見た目と違い照れ屋だから、何か聞きたい事は有るかの?」

 

 聞きたい事?有るわよ、対外的には霞と同棲してるんだし。

 

「松尾さん。霞と榎本さんの仲ですが……親族紹介を兼ねての、この会合。つまり結婚前提で宜しいのですよね?」

 

 私達は彼の性癖を知っているから、霞が純潔なのを疑ってないのだけれど……

 

「勿論じゃ!霞君から煮え切らない正明の事の相談をうけてな。しかし同棲してるんだし、今更な話じゃな。ただ、正明には結衣君と言う里子の面倒をみているのだが……」

 

「義母様。結衣ちゃんについては、私の妹として……駄目なら私達の娘として引き取りたいの。あの子は、とても良い子ですわ」

 

 連れ子か……しかし調査では訳有りだけど良い子なのは確か。確か天涯孤独で唯一の生き残りの母親は失踪中。

 失踪後七年で死亡認定が取れるから、あと三~四年も経てば問題無い。万が一、名乗り出ても半ば育児放棄の状態だし、親権者変更調停も有利に進められる筈だわ。

 念の為、弁護士に相談はしておきましょう。丁度目の前にも弁護士が居ますしね。

 

「アナタ、娘が一人増えても構わないわよね?彼女は未だ中学生だし、養子にするなら大阪の実家に引き取るわよ。彼女は納得してる?」

 

 霞が嫁に行って寂しいし可愛い娘なら大歓迎よ。

 

「おいおい、お前……まぁ引き取るのは構わんが、榎本君は……その……霞との結婚は……」

 

 アナタ、何を言い淀んでいますの?アレの性癖なら私が呪いで何とかしますと言って有るでしょ!この顔合わせの機会にアレの毛髪を手に入れれば大丈夫なの。

 最悪は霞に用意させるから平気よ。同居してるなら幾らでもチャンスは有る筈よ。

 

「未だ結衣ちゃんに正式に話はしてないわ。でも姉妹の様に接して欲しいとお願いしたら、快く受けてくれたの。

だから大丈夫。松尾のお爺様も協力して下さいますわよね?」

 

 霞、既に其処まで根回しをしているのね?しっかりしているわ。

 

「桜岡さん。正明は奥手故に中々女性と付き合う事は無かった。それは自身の過去に親族を立て続けに喪うと言う事に原因が有ると思っている。

アレは家族を喪う事を恐れているんじゃ。結衣君を引き取ってから随分と丸くなった。しかし彼女の事を考えてか自身の結婚については消極的だったのじゃ。

儂が見合いを勧めても乗り気じゃ無かったからな。しかし霞君だけは違っていたようだ。彼女からも相談を受けたが、アレは……正明は……

周りがお膳立てをしなければ、結婚には踏み切らないだろう。それこそ結婚式の当日に式場に放り込む位の荒療治が必要だと思うぞ」

 

 松尾さん……貴方はあの変態の本性を知らないから、そんな善意な考えを持つのよ。アレは病的なまでのロリコンよ。

 でも風俗で合法的な遊びをする位だから、更正の余地は有ると思うの。私の呪いで、あのペド野郎を更正させるから……何よ、ペタンペタンなロリが好きって!

 馬鹿にしているわね、本当にさ。でもその点も安心して私達に任せて下さいな。

 

「そうですわね。彼の性格からして、そうなのでしょう。この件については私達だけで進めましょう。

それが榎本さんと霞の幸せになるのだから。松尾さん、宜しくお願いします」

 

 そう言って深々と頭を下げる。快く了承してくれたから、これで外堀は完全に埋まったわ。内堀を埋める為に、彼の毛髪を入手しなければ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 トイレと会計を済ませて戻ると、少し不思議な雰囲気になっていた。皆が一斉に生暖かい目で見てくる様な……何だろう、この疎外感は!

 僕だけ取り残されているみたいなんだけど?未だ少し時間が有るので今後の方針と対策を相談し、互いの連絡先を交換する。

 桜岡さん夫妻には関西での神泉会の行動と、教祖兄弟の事を重点的に。僕らはオーナー一族と周辺の言い伝えについて。周辺集落や祠、鷺沼と怪しい神社について。

 補助金の関係や元従業員の聞き込み、こっくりさんを行い行方不明になった子と生き残りの子について。当時の事をより細かく調べる事。

 それぞれ興信所に頼み費用は桜岡さん夫妻が受け持つ。定期的な連絡のやり取りと会合。これらを互いに確認しあい解散する事となった。

 

「さて、お開きにしましょう」

 

 結果としては有意義な会合だったな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜の九時過ぎの横浜中華街だが、まだまだ人は多い。中国独特の原色ケバケバしい外観の料理店の間を飲んでお腹も膨れている為か、ゆっくりとJR関内駅へと歩いて行く。

 

「桜岡さん達は、ホテルか何かを予約してるんですか?」

 

 まさか大阪に日帰りじゃないよな?余り時間を気にしていなかったし、近くのホテルを取ってるよね。

 

「ええ、インターコンチネンタルホテルを予約しているわよ。アナタ達は電車で帰るの?」

 

 松尾の爺さんは途中でタクシーを捕まえて先に帰った。僕らは……

 

「はい、義母様。未だ早いですし私達は電車で帰りますわ」

 

 気を抜くと直ぐに腕を組んでくる彼女をいなしながら、電車で帰ると言った桜岡さんの言葉に頷く。ここからタクシーだと高速を使ったら18000円は掛かるから……

 桜岡さん夫妻は僕らの方を振り向き、頭を下げた?

 

「榎本さん、霞の事を本当に宜しくお願いします」

 

 人通りは少ないとは言え、御両親に頭を下げさせるとは……

 

「勿論、責任を持って対処しますから。頭を上げて下さい」

 

「霞、榎本さんとしっかりヤルのよ。では、此処で失礼します」

 

 そう言ってタクシーを止めて帰って行った。ヤルの発音が可笑しくなかったか?僕の腕にしがみつきながら見送る桜岡さんは、とても嬉しそうな笑顔でタクシーが見えなくなるまで見送っていた……

 さて、僕らの帰宅ルートは二通り有る。JRで横浜駅迄行って、京急線に乗り換えて帰る。もう一つは市営地下鉄で上大岡駅迄行って、同じく京急線に乗り換えて帰る。

 

「桜岡さん、横浜駅迄出るかい?それとも地下鉄で上大岡駅迄行こうか?」

 

 どちらも大差は無いが、地下鉄を利用した方が空いているだろう……

 

「横浜でお茶を飲んでから帰りませんか?」

 

 お茶?この時間だとドトールかプロントとかのチェーン店しか開いてないぞ。

 

「この時間だと喫茶店はドトール位だよ?」

 

「この先に珈琲の大学院って不思議な店名の喫茶店が有りますわ。前から気になってまして……」

 

コーヒーの大学院ってベルバラの宮殿みたいな個室でも珈琲が飲めるアレな店だよね?

 

 この辺では結構有名なんだよね、色々な意味で……

 

「桜岡さん……あの店って、どんな店か理解して誘ってる?オッサンには辛い店なんだけど……」

 

 煌びやか過ぎて気後れしちゃうんだよ、本当にインパクトが有り過ぎるんだよ。

 

「口コミではブルーマウンテンが美味しいって、それにサンドウィッチもボリューム満点でお勧めって書いてました。きっと気に入りますわ」

 

 僕の腕に縋り付いて上目遣いにお願いしてくる……周りの人も「なんだよイチャつきやがって」的な目線が痛いです。

 

「分かりました、いきましょう……」

 

 ドナドナ気分でコーヒーの大学院に向かった。安っぽい赤いテント木地の庇にデカデカと書かれた「ルミエール・ド・パリ」の看板……

 何ていう異質な外観だ、チープさと中から溢れる照明の煌びやかさが何とも入店を怯ませる店なんだ。

 

「榎本さん、ラストオーダーが近いですよ、ギリギリですよ」

 

 強引に腕を掴まれて店内に連行された。

 

「いらっしゃいませ、そろそろラストオーダーなので宜しくお願いします」

 

 普通の二人掛けテーブルに案内されたが、目の前にビオニー御予約席という、舞台セットみたいな貴賓室が?あれが噂のベルバラのセットか……

 桜岡さんも最初は驚いたが、目をキラキラさせながら周りをキョロキョロと見ている。もしかして、こういう内装が好きなのか?

 

「桜岡さん、急いでオーダーしよう。僕はブレンドとお勧めのアメリカンクラブハウスサンドを」

 

「私は……ブルーマウンテンと同じくアメリカンクラブハウスサンドにしますわ」

 

 店員を呼んで急いでオーダーする。

 

「しかし……凄い内装だね、何て言うか成金趣味?でも何となく落ち着くから不思議だな、なんでだろ?」

 

 フカフカのソファーに仰け反る様に座りながら周りを観察する。

 

「そうですわね。確かに不思議と落ち着くのは何故かしら?」

 

 暫くはソファーの座り心地と店の雰囲気を堪能する。多分落ち着くのは昭和の香りが漂う店内と、微妙なチープさが気後れしない原因なのかな……

 

「お待たせ致しました。ブレンドとブルーマウンテン、それにアメリカンクラブハウスサンドです」

 

 テーブルに乗せられたクラブハウスサンドを見て、その大きさに満足する。うむうむ、中々のボリュームだな。

 妙に豪華な内装の喫茶店で食べたクラブハウスサンドは大変美味しかった。付合わせのピクルスが甘いのにはビックリしたが、十分合格点だろう。

 

 しかし……何故、ルミエール・ド・パリって謳ってるのにアメリカンクラブハウスサンドなんだ?普通にアメリカンコーヒーも有るし……

 

 

 

第59話

 

 ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル。

 

 横浜港を見下ろす国際ホテルだ。夜景が素晴らしくカップルに大人気。そのホテルのスィートルームに宿泊する中年の夫妻。

 桜岡霞の両親だ。ボーっと夜景を見ながら、今夜の会合を思い出す。

 目の前には暗い海と、それに掛かるライトアップされたベイブリッジが見事だ……関西にも夜景が綺麗な場所は多いが、港の夜景は神戸港と甲乙つけ難いな。

 さて、今日初めて会った愛娘の危機を共に戦ってくれる漢。筋肉を纏った坊さんだ。

 年は30代前半、短髪で厳つい顔立ちだが話すと意外にも気さくで社交的だ。流石は僧侶と言う事か……霞は彼にゾッコンだが、彼が霞の事を恋愛対象に見てないのも分かった。

 節度有る関係なのは一目瞭然の気の遣い方だ。アレは霞を大切にしてくれているが、友愛の範疇を越えていない。

 妙に世話を焼きスキンシップを求める霞をちゃんと注意していた。ロリコンだからムチムチ美人は苦手なんだろうか?本当に彼が呪いで霞にメロメロになるのか?

 

「なぁオマエ……」

 

 シャワーから上がりお肌の手入れを始めようとしている妻に話し掛ける。バスタオル一枚とあられもない格好の彼女に気遣い、カーテンを閉める。

 まさか高層階まで覗きは居ないと思うが、念の為だ。若々しい妻の肢体を見ながら昔の事に思いを馳せる……後妻として迎えた妻は一回り以上も年が離れている。

 思えば怪しい宗教団体から変な壷が贈られてから、自宅に異変が起こった。

 

「神の罰だ、我が信仰する神が怒っている!この異変を収める為に入信せよ」

 

 そもそも何故、素性も分からない相手から贈られた壷を自宅に飾ったのか?その時点で呪われていたのかも知れない。

 そんな時に、噂で金髪の巫女が霊障を祓っている噂を聞いて頼んだんだ。私はコスプレが趣味で有り……勿論、自分がで無くパートナーに着せる方だが。

 兎に角、本物の巫女さん。それも金髪美人の巫女さんを見たくて堪らなかった。なので不純な動機で自宅に招いたのだが……

 

 金髪美人は美人でもヤンチャなヤンキーガールだったのだ!

 

 巫女は清純でなければならない。そう思った時期も確かに有ったが、事件解決と共に何故か彼女にプロポーズをして再婚していたんだ。まぁ後悔はしてないが……

 

「何ですか、アナタ?」

 

 手入れを終えてベッドに来る妻の為にスペースを開ける。

 

「どう思う?あの榎本と言う男。ハンサムでもないし、とても霞の好みとは思えないのだが……勿論、丈夫そうだし人柄は良さそうだし霞を大切にしているのも分かるよ」

 

 何やら怪しい笑みを浮かべているが……

 

「確かに霞は面食いでしたが、アレはアイドルとかに憧れるのと一緒。実際の恋愛とは別物よ。

それに私達霊能力者にとってパートナーは理解が無いと駄目なの。その点、あの筋肉なら文句は無いわね」

 

 確かに彼女を後妻に迎える時も親族が煩かったな。自称霊能力者とは一般的には胡散臭い連中なんだろう。私も彼女に出会う前なら、そう考えていたし……

 しかし、どうしても彼女と結婚したくなり半ばごり押しで結婚したんだ。後悔はしていないが、あんなに彼女に対して愛情が短期間で膨れ上がったのは不思議だ。

 私の性格では自分でも考えられない積極性だったし……だから既成事実が出来てしまいプロポーズしたんだ。

 

 まぁ自分の事は良いかな。

 

 後妻に迎えるに辺り霞に引き合わせたが、まさか霞には霊能力が有るとは!妻の妹弟子として修業をし、梓巫女になってしまった……

 清純な霞の巫女服姿は、私の理想でも有ったから反対はしなかった。

 

「帰り際に榎本さんの毛髪も手に入れたわ。後は事件解決後に呪うだけ……あのロリコンも霞にしかナニが反応しなければ、ね?

男なんてチョロいわ。任せてね霞。私がちゃんと結婚まで進めて上げますからね」

 

 何か榎本君が可哀想になってきたぞ。

 

「ははははは……お手柔らかに頼むよ」

 

 榎本君……済まないが霞の為に漢として死んでくれ。結婚後は悪い様にはしないから……アレが義理の息子になるのか。

 暑苦しくなるが、愛娘の幸せの為だからな。彼の自宅の方に向かって合掌する。

 

「南無~」

 

「アナタ、何を拝んでいるの?早く寝ますよ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡さんの御両親と初めて会った。若い頃は摩耶山のヤンキー巫女と呼ばれていた色物女傑だったが、セレブと結婚したせいか有閑マダムとなっていて吃驚だ!

 親父さんの援助で興信所の費用負担が減った。これなら色々な事が調べられて有利だ。

 今日は僕が元々頼んでいる高田所長と、桜岡さんが頼んでいた興信所の所長との顔合わせが有る。共同戦線を張るなら、双方と意志疎通をしておかないとね。

 

 しかし……

 

 昨夜から僕の霊感が疼くんだ。何だろう、危険が迫っている感じがするんだけど。僕も神泉会に狙われているのだろうか?

 

 まさかな……

 

 先方の興信所は僕の風俗遊びを調べている。つまり、桜岡さんには会わせられない。少なくとも口止めをしてからじゃないと駄目だ。

 なので彼女は結衣ちゃんと共に自宅待機。僕は横須賀中央にある自分の事務所で彼らを待っている。桜岡さんを自宅待機させるのは大変だった。

 あのお嬢様は何かと僕の後を付いて来たがる。確かに仕事を覚える為には、一緒の方が良い。でも僕は困る。

 桜岡さんから結衣ちゃんに、有る事無い事言われてはマズいからだ。今回は興信所の両所長と会う事は伏せてある。

 あくまでも事務所の帳簿付けと確定申告の為に税理士と打合せと誤魔化した。流石に他人の事務所の台所事情についてだから、ある程度は納得してくれたみたいだが……

 自分のデスクに座り「プレミアムカルピスあまおう」を飲みながら考える。自宅から送り出してくれた時の顔……

 

 アレは絶対に何か企んでいる時の顔だ。念の為に持ってきた「箱」を弄びながら、何を彼女が企んでいるか?を考えてみても……

 

「分からないな。そもそも彼女には色々とバレてないからな……つまり何について企んでいるか選択肢が有りすぎて絞れない」

 

 風俗遊び・「箱」・本来の目的、どれを取ってもバレれば一悶着有るぞ。んーっと背筋を伸ばしてから目薬を垂らす。

 肩こりと眼精疲労が酷いな……睡眠時間を削ってのゲームが響いているのかな?今日は早めに寝よう。そう心に決めたら呼び鈴が鳴った。

 

 時計を見れば2時55分……予定時刻より少しだけ早く来たみたいだ。返事をしながら玄関に迎えに行った……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 玄関を開ければ見知らぬ男が居た……痩せ形・長身・七三分けの髪型にピシッとしたスーツ姿、しかし視線は鋭いし武道の嗜みが有りそうな雰囲気を纏っている。

 彼が桜岡さん側が頼んでいる興信所の所長だろう。流石はセレブ御用達の人物だな。

 

「初めまして、榎本さん。桜岡さんから紹介を受けた斎藤です」

 

 高田所長と違い礼儀正しい人物だ。挨拶と共に名刺を頂いた。

 

「斎藤探偵事務所・所長 斎藤創(さいとうはじめ)」

 

 何故か新撰組の斎藤一を連想させる。牙突とかやらないよね?

 

「ご丁寧に有難う御座います。桜岡さんから聞いています。私が榎本です。どうぞ中へ……」

 

「はい、有難う御座います」

 

 ……?妙に丁寧な態度だけど、何でだろう?応接セットに案内し暫くは世間話で時間を潰す。10分遅れで高田所長も来たので仕事の話を進める。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 男所帯故に適当に缶コーヒーを出した。

 

「先ずは自己紹介を……僕は榎本心霊調査事務所、所長の榎本です。今回の件では両所長にご協力を願いますので、宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。そして次の自己紹介を進める為に高田所長を見る。

 

「ああ、高田だ。榎本とは心霊絡みの事件で知り合って以来の付き合いだ」

 

 愛想が無いのは何時も通り過ぎだな。だから少し補足する。

 

「彼は無愛想だが、イメクラの達人だ。何たって自分でシナリオを書いて持ち込みプレイをする程だ。最近は魔法使いのお姉さんにハマっているそうだ」

 

 彼の書いたシナリオは、実際にお店で用意している基本プレイにも利用されている。僕は兄弟になりたくないから行かないケド。

 

「ばっ馬鹿を言うなロリコン野郎。貴様こそツルペタストンにしか欲情しない変態の癖に!」

 

 ハッハッハ、ロリムチなら平気だよ僕は。それに無理強いもしないが、合意なら年齢の壁も粉砕するぜ!桜岡さん?彼女はマブダチだぜ。

 

「いやいやいや……自分でシナリオ書いて役に成りきる高田さんには負けますよ。色々と勉強なさってますよね、プリプリキュアとか?」

 

「ふざけんな!知識の探求に作品の年齢制限なんてないんだ」

 

 大人気ないな、高田所長は……

 

「ははははは、お二方の関係は面白いですね」

 

 ニコニコとしながら、僕らの会話を聞いていた斎藤さんが話し掛けてきた。大人気ない僕らに呆れたかな?いや……忘れちゃ駄目だが、彼も聖地巡礼とか言って風俗店をハシゴした猛者だったな。

 

「遅れましたが、私が斎藤です。斎藤探偵事務所の所長をしています。

私も風俗には人並み以上に興味が有り、失礼ながら榎本さんの素行調査の際に行き着けのお店も調べました。

いや素晴らしい選美眼でした。地雷ばかり踏む私にとって榎本さんは尊敬に値します。しかも高田さんのイメージプレイですか!

それはそれで新境地ですね。是非ともお薦めの店を紹介して頂きたい」

 

 しょーも無い話に、凄い食い付いてきたぞ!しかも本気と書いてマジな目だし、何時の間にかメモ帳を開いてるし……

 

「分かるか、斎藤さん?イメクラとはコイツみたいに外見的な特徴に欲情するのではなく、姫(風俗嬢)と二人で楽しむ物なんだ。

セットがチャチかろうが、衣装がテロテロの化学繊維で安っぽかろうが、己のイメージと役にのめり込む事で何とでもなるんだ!

究極のエコでも有る。何たって最悪の姫(風俗嬢)が相手でもイメージで乗り切れるんだ……」

 

 どこがエコだ?単にチェンジが言えない小心者か、事前調査を怠っただけだろ?

 

「それは違う!仮に地雷な姫(風俗嬢)に当たっても、己のイメージで乗り切るなんて可笑しい。

迷わずチェンジか退店だ。そうならない為の事前調査が大切なんだ!アンタも興信所の所長なら事前にもっと調べろよ」

 

「ふん!」

 

 おぃおぃ、鼻で笑われたぞ。しかもヤレヤレ的な表情で缶コーヒーを飲んでるし……

 

「常在戦場。風俗とは常に客と姫(風俗嬢)との戦いなんだ。貴様はチェンジや退店と言うが、それは逃げだ。

与えられた戦力で最大限の効果を発揮出来ねば勝てないんだよ。マダマダひよっこだな……」

 

 より良い風俗嬢を探し出す事が大切なんだよ。何でも良い悪食なんて願い下げだ!

 

「いや金払って楽しむなら、より質の高いサービスを求めるべきだろ?」

 

「資本主義の犬め!」

 

 貴様こそ負け犬め。向上心を忘れ、与えられた物で満足なのか!

 

「何を経済談義で盛り上がっているのですか?榎本さん、今日は確定申告の為に税理士と打合せの筈では?」

 

 白熱した議論の最中に、何故か桜岡さんの声が聞こえたが……幻聴?振り向くとコージーコーナーの袋を持った桜岡さんと結衣ちゃんが居た!

 何時からだ?何処まで聞かれたんだ?心臓がバクバクいって止まらないぞ。

 

「さささささ、桜岡さん?それに結衣ちゃんまで……

 何時から其処に?」

 

 彼女達の表情は笑顔だが、何処から聞いていたによれば、その笑顔の下が恐ろしい。暫し彼女達を見詰めて体が硬直してしまった……

 



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第60話から第62話

第60話

 

 僕の素行調査をしていた斎藤さんに口止めをする為に、桜岡さんに内緒で打合せを設けた。しかし口止めする前に風俗談義で盛り上がってしまい、何故か桜岡さんと結衣ちゃんが目の前に居た。

 話を聞かれていたら彼女達に白い目で見られてしまう。きっと結衣ちゃんも、今後は洗濯物も僕と別々かも知れないしパンツは洗ってくれないかも……

 ドキドキしながら彼女達を見るが、僕に対しての態度は冷たく無い。でも高田さんや斎藤さんが居るからかも……

 

「ああ、お久し振りですね。霞お嬢様。

実は高田所長と先に打合せをしていたのですが、詳細を詰める為に榎本さんの事務所に押し掛けたんですよ。税理士の方は先程帰られましたが、霞お嬢様も用が有ったんですか?」

 

 なっナイスフォローです、斎藤さん!これで彼らが居るのは不自然じゃない。税理士と会うって嘘も大丈夫かも……

 

「いえ、私は税理士さんに用は無いのですが……榎本さんに差し入れと思いケーキを買って来ましたので、今お茶を入れますね。結衣ちゃんも手伝って下さいな」

 

 特に変な顔もせず、慣れた感じで結衣ちゃんとキッチンに向かった。大丈夫だったのかな?

 

「榎本さん、大丈夫です。彼女達は殆ど話を聞いてませんよ。最後の質の高いサービスを求めるべきだろ?

資本主義の犬め!と言い合ってる時に玄関から入って来ましたから」

 

 良く分からないが、流石は斎藤さんだ。ちゃんと状況を見ていたのか。なら安心だ。疑心暗鬼だと態度に不自然さが表れて、疑われる可能性が高いからね。

 取り敢えずは一安心だろう……

 

「お話は終わりましたか?どうぞ、珈琲です……」

 

 暫くして結衣ちゃんが、珈琲カップを配ってくれる。僕と違い缶コーヒーでなく、ちゃんとドリップした物だ。

 初めてみる二人に対して、少し緊張してるみたいだな。笑顔だが表情は固い。でも一時期よりは大分マシになってきた。

 

「はい、ケーキです。お二方は甘い物は大丈夫でしょうか?」

 

 高田所長は何時も通りに遠慮し、斎藤所長は甘い物は平気らしい。ケーキは甘さを抑えたガトーショコラだ。

 あの箱の大きさだと10個以上は有るから、彼女達は事務所で食べて行くつもりなんだろうな……両所長は桜岡さんを交えて今後の打合せをしてから帰って行った。

 桜岡さんと結衣ちゃんの突然の来訪で驚いたが、仕事の方の打合せは順調に終わった。生きている人間の調査については、彼らの方が頼りになるし確実だから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 取り敢えず名刺交換をしたので、彼らが帰った後にパソコンで伝えられなかった事を打ち込む。特に斎藤所長については、桜岡さんや結衣ちゃんに風俗の件は一切合切秘密にして欲しいと頼んだ。

 返信メールには確約の旨が書いて有った。まぁあの気の利かせ方を見れば、うっかり話すなんて事は無いだろう。

 あの二人、意気投合して此から横浜の伊勢佐木町まで繰り出すみたいだ。所謂、親不孝通りと言う風俗店が連なる場所だが……それは別の話として、放っておく。

 カタカタと自分のデスクでメールを打っていたが、送信終了で一息。ソファーで寛ぐ彼女達に声を掛ける。

 

「えっと、家に居る筈の桜岡さん達が事務所に来た訳は何かな?問題でも有ったのかな?」

 

 訳も無く留守番の筈の彼女達が事務所に来るのは……何か有ったのかな?何故か二人並んでソファーでケーキをパクついているんだろう。

 まるで本当の姉妹みたいだ……

 結衣ちゃんはショートケーキだけだが、桜岡さんの前にはイチゴのムース・メロンジュレの杏仁豆腐・焼き林檎タルト・季節のフルーツロール他、山積みだけどね。

 勿論、同じ物が大皿に乗せられ僕の分として残されてはいるが……

 

「明日から調査で現地入りすると、暫くは結衣ちゃんが独りきりじゃないですか。だから今日は三人で夕飯を外で食べようかなって。駄目でしょうか?」

 

 鼻の頭にクリームを付けた桜岡さんが応える。そうだった。明日から八王子のホテルに滞在して、現地を再度調べる予定だ。

 取り敢えず二泊の予定だが、場合によっては延長も有り得るからな。結衣ちゃんに寂しい思いをさせてしまう……か。

 

「そうだね。結衣ちゃんは何が食べたい?和・洋・中何でも良いよ」

 

 彼女はパスタやパンが大好きだから横須賀中心界隈だと……駅前のモアーズの中の鎌倉パスタか。又はステーキハウスだがパスタも美味しい一頭屋。パンならサンマルクかな。

 

「えっと、正明さん。私……和食が食べたいです」

 

 和食?確かに日本茶やお米は大好きだけど、外食で和食を強請るのは珍しいな。桜岡さんの鼻の頭のクリームをティッシュで拭きながら結衣ちゃんが提案してきた。

 うっかりの姉にしっかりの妹みたいだな……

 

「和食か……魚蘭亭か荒井辺りが、寿司・天麩羅とかがお薦めだな。今時期ならアンコウ鍋もやってるよ」

 

 机にしまってある横須賀周辺食べ歩きガイドを捲りながら考える。普段は余りおねだりをしない彼女の為だから、気張らないとね。

 ペラペラと捲る雑誌に気が付いたのか、桜岡さんが覗きに来た。雑誌を横にズラして彼女にも見える様にする。覗き込む彼女の顔は、相変わらず近い。

 

「あら、結構有るんですね。因みに榎本さんのお薦めはどの店かしら?」

 

 見開きの特集記事を指差す。横須賀中央駅界隈の特集ページだ。

 

「横須賀中央駅の近くなら魚蘭亭かな。生け簀から新鮮な魚介類を用意出来るし、和牛しゃぶしゃぶとか鍋も有るよ。

今なら筍のアンコウ鍋かイカ刺しとかお薦めかな……」

 

 此処のアンコウ鍋は、最初にアンキモを鍋底で炒めてからアンコウの身を絡める。そして特製の二種類の味噌で煮込むんだ。

 だからアンコウ独特の臭みが消えて、キモと身が絡み合い上手いんだ。〆はうどん。流石に濃い目の味噌出汁だから雑炊は風味がキツ過ぎるから……

 お店には半個室も有るし気楽に飲み食いも出来る。少しお値段は高いが美女と美少女と食事出来るなら安いもんだ。

 

「結衣ちゃん、此処にしましょう」

 

 どうやら決定みたいだな。お店の電話番号を検索、電話して予約をする。平日だけあり当日でも掘り炬燵の個室が取れた。

 壁掛けの時計を見れば五時を過ぎている。急いで僕の分のケーキを食べなければ!デスクの上を片付けてケーキを運んだ。我が家のエンゲル係数は鰻登りだな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 三畳程の狭い部屋の中央に掘り炬燵。カセットコンロの上には土鍋。意外と鍋奉行な三人だが、今回は結衣ちゃんが手慣れた様子でアンキモを炒める。

 アンキモがほぐれたら身を入れて絡める様に炒めていく。香ばしい匂いが鼻腔を擽る……

 ある程度火が通ったら出汁を入れてひと煮立ち。灰汁を取り味噌を溶いていく……

 最後に火の通り難い根野菜から鍋に入れて、ある程度煮えてから葉野菜を入れて蓋を閉じる。完璧な鍋奉行振りだ……

 

「結衣ちゃんは本当に料理が上手だわ。私も習っていますが、まだまだですわね」

 

 桜岡さんの手料理……練習したての頃は酷かった。定番の焦げた卵焼き・半生オムレツ・丸焦げの魚・お粥になったご飯。

 それが今では一寸料理を習った一人暮らしの男性程度まで腕を上げた。見た目イマイチだが、味は十分だ。鍋が煮える迄は一品料理を頼んだ。

 河豚の唐揚げ・イカ刺し・薩摩揚げ・走水産のマダコの刺身・松輪産の〆サバ等、地元で取れた物が多い。僕と桜岡さんは麦酒を結衣ちゃんにはオレンジジュースを。

 未成年にお酒は禁物だ。勿論、結衣ちゃんは普段もお酒は飲まない。だけど料理酒として普通の日本酒や焼酎を使う。

 曰わく料理酒とは塩分が高めだそうだ。オッサンな僕の健康は結衣ちゃんの日々の管理に依存していた……暫くは他愛の無い話で盛り上がる。

 最近知ったのだが、桜岡さんの所でバイトしている娘が結衣ちゃんの学校の先輩らしい。制服が同じだそうだ。

 もっともエスカレーター式の女子校の中学と高校の違いはあるけどね。結衣ちゃんは高校でも有名人らしい。

 何でも筋肉護衛団が居るので一目置かれているそうだ……僕が学園祭や体育祭には必ず皆を誘って参加するからか?

 

 鍋蓋から蒸気が吹き出したから煮えたようだ。

 

 取り分けは桜岡さんだ。彩り良く取り分けてくれる。彼女は熱い物も平気だが、結衣ちゃんは猫舌。いや狐憑きだから狐舌?

 ふぅふぅ息を吹きかけて具材を冷ます姿が可愛らしい……嗚呼、彼女に「はい、正明さんアーン」をして欲しいんだが。

 僕のささやかな野望は実らず夕食は楽しく過ぎていった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 外食を終えてタクシーにて帰宅した。何と桜岡さんと結衣ちゃんは一緒にお風呂に入っている。

 何時の間に、それ程仲良くなったのか?

 結衣ちゃんは自傷の跡を気にしてるので、温泉に行っても貸切風呂しか入らないんだが……本当の姉妹の様に仲良くなったな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 体の大きい正明さんが足を延ばしても浴槽に浸かれる様にと、普通よりも大きめな造りにしたので女性二人でも余裕の広さです。浴槽に私が浸かり霞さんが洗い場で髪を梳いている。

 

「霞さんの髪の毛って艶やかで羨ましいです。胸も大きいし……私なんてペッタンコです」

 

 シャンプーを終えてリンスを馴染ませている霞さんを見て思う。屈んでいると胸が重力によって凄い事になっている。

 手首と太ももの自傷の跡が気になり人に素肌を晒すのが嫌だったけど、霞さんは平気。最初は遠慮が有ったけど、一緒に家事をしたりテレビを観たりやゲームをしたり……

 たまに一緒に寝る様になってからは、急速に気持ちが繋がった気がする。まだ内緒だけど霞さんは正明さんと結婚するそうです。

 それを機に私を桜岡家の養女にしてくれるそうです。正明さんは里親制度によりお世話になっているので、養子縁組みとは違う。

 何時かは別れる事になる……でも桜岡家の養女となり、正明さんと霞さんが結婚したら一緒に住むって。

 びっくりサプライズだから正明さんには絶対内緒なんです。でも正明さんが霞さんと結婚するなんて……わっ私もエッチな目で見ていたのに、やっぱり霞さんみたいなオッパイの大きい人が好きなんだ。

 私にもチャンスは有ると思っていたのにな。ブルブル揺れてるし、霞さんってサイズ幾つなんだろう?思わず自分の薄い胸板に手を当てる。

 ムニムニと揉めるから少しは有るわよね?

 

「結衣ちゃん?いきなり自分の胸を揉みだしたりして……どうしたの?」

 

「いえ、男の人って胸が大きい方が良いんでしょうか?霞さんみたいに……」

 

 微乳は美乳、需要は有ると思うのだけど。

 

「んー結衣ちゃんはスラッとしてバランスが良いから気にしなくても……それにマダマダ成長期だし」

 

 そのブルブル揺れてる胸で言われても……思わず霞さんの胸を掴む。ムギュっと擬音が出そうな位のボリューム!

 

「うひゃ?ゆっ結衣ちゃん?」

 

 ムギュムギュと胸を揉みながらお腹やお尻も見る。あんなに食べるのに食べ物は何処に言ってるのかな?

 

「霞さんってあんなに食べるのにウエストは細いしヒップも形が良いし……何か秘密が有るんですか?」

 

「やっ、ちょ、揉まないで!結衣ちゃん?お姉ちゃんに悪戯するなら仕返ししちゃいますよ」

 

 今度は逆に霞さんが私の胸を揉んできた。力では適わないから良い様に揉まれてしまう。胸と一緒に脇腹もさすられるから擽ったくて我慢が出来ない。

 

「ごっごめんなさい。だから、もう揉まないで……お願い、します」

 

 本当のお姉ちゃんって霞さんみたいな人なのかな?天涯孤独だと諦めていたけど、新しいお姉ちゃんとお兄ちゃんとは仲良くやっていけそう……

 

 

第61話

 

 桜岡さんと結衣ちゃんと楽しく夕飯を食べた。帰ってから彼女達に先にお風呂を薦めたが、なんと一緒に入ってしまった。

 正直羨ましい……勿論、桜岡さんが羨ましい。結衣ちゃんと混浴出来るなんて!

 何時の間にか仲良くなった二人は、現在進行形で浴室内でハシャいでいる。さっきから楽しそうな笑い声が聞こえてる。

 なにやら胸を揉むとか揉まないでとか?大きいとか……

 正直覗きたいが、それは紳士な僕には無理な行動だ。それに桜岡さんを覗いたとか言われたら、誤解をされて大変だろう。

 責任とか既成事実とか、嫌な単語しか思い浮かばないや……でも声の聞こえる範囲から遠ざかる事が出来ないのは、男の性だよね?

 息を潜めてヤモリの如く壁にピッタリと貼り付いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから美女と美少女の残り湯を堪能しながら入浴した!何とかエキスが滲み出ている様で素晴らしい。本当に体が芯から温まった感じがする。

 風呂上がりのコーラを飲みながら布団の真ん中にドッカリと座り、明日からの事を考える……八王子に拠点を構えて僕らも調査を開始する予定だ。

 だが、それは建て前だ。本来なら興信所に頼んだ調査が終わらなければ、建物に乗り込んだりはしない。

 護りの固い自宅を拠点にした方が安全だし、結衣ちゃんを1人自宅に残す意味も無い。だが「箱」が問題の廃ホテルに早く行きたいと命令したんだ。

 桜岡さんが同居しているから不用意に実体化はして欲しくないのだが、毎回躊躇無く全裸で現れやがる。バレたらトンでもない事になるんだから、自重して欲しいんだが……

 アレは昨夜の事だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何時もの様に三人で夕飯を食べて、居間で一緒にテレビを観て他愛のない話をする。バラエティーが殆どで、クイズ番組や旅行物を良く見ながらワイワイと騒ぐ。

 理想的な家族の団欒だろう。口数の少ない結衣ちゃんだが、桜岡さんが女性ならではの話題を振り会話が弾む。

 お洒落関係が殆どだが、メイクとか全く会話に参加出来ないのが寂しい。9時位まで一緒に居て、後は各々の自室に引き揚げる。

 桜岡さんは一階の客間の和室に居て貰っている。勿論、炬燵完備だ!

 たまに酒を飲んで炬燵でうたた寝とかも有ったらしく、結衣ちゃんが寝る前に訪ねてチェックしている。風邪をひいたら大変だからね。

 何故かは知らないが、二人で仲良く一緒に寝る事も有るそうだ。是非ご一緒したいね、無理だけどさ。

 家族を短期間で亡くした僕に、今の擬似家族は嬉しくもあり侘びしくもある……この日は珍しく僕が先にお風呂に入り、早めに床に付いた。

 湯冷めしない様に早めに布団に入る。馴れた布団は眠りを誘うのも早い。

 羽毛布団は軽くて暖かいからお薦めさ!横になり五分もしない内に眠りに落ちた……

 

 

 

 

「おい、起きろ。起きろよ、正明よ……」

 

 頭を何か冷たく柔らかいモノで揺すられる。

 

「起きろ正明、ほら起きんか……」

 

 何度か揺すられ為に意識が覚醒した。部屋の中は真っ暗だが、ボンヤリと枕元が明るくなっている……目を凝らして見れば何時もと同様に全裸幼女姿に擬態した「箱」が、僕の頭を足で踏んでいた。

 暗闇でも分かるのは体全体が淡く発光してるからか?やはり淡く光る体の中で、陰りある太ももの付け根に目がいってしまう。

 男の性とは本当に所構わず発動するよな……困ったもんだ。

 

「何だ?まだ贄を捧げる時期じゃないだろ?」

 

 前回、二人の霊能力者とストーカー化した怨霊を喰わせた筈だ。まだ1ヶ月と少し。贄の催促には早いだろう……

 

「正明。廃ホテルに連れて行け。アレには面白いモノが居るぞ」

 

 面白いモノだと?前は僕の推理を近くて遠いと言った。それは放置された稲荷神の仕業だと思ったが、神泉会が絡んでいて奴らが黒幕かと思ったんだけど……違うのか?

 でも「箱」が面白いって事は生きている人間の仕業じゃないモノが居るのか?基本的に「箱」は人外のモノを喰らうのを好む。やはり鷺沼絡みの怨霊か稲荷神崩れの動物霊か?

 

「一体何だよ?何が面白いモノなんだ?」

 

 ククククッと薄ら笑いを浮かべる幼女は、答えてはくれなかった。

 

「正明が知る必要は無いな。だが、アレは旨そうに変化しておる。良いな?近いうちに現地に連れて行け。夜にだぞ……」

 

 薄い胸板を反らせて腰に両手を当てて命令するドS全裸幼女め!

 

「調査の終わっていないゴーストホテルに夜間突撃だと?毎回無理を言うな!立地上日帰りは無理なんだぞ」

 

 反論しても既に「箱」は居ない。いや「箱」は布団の上に転がっているが、実体化はしていない。言いたい放題言って居なくなりやがった。

 だが「箱」に逆らう事は出来ない……それに「箱」は榎本一族最後の僕に死なれては困る筈だ。だから無理は言うが、何だかんだと外敵から護ってはくれる。

 祟り神だか怨霊だかは知らないが、強力なナニかは間違い無いからな。榎本一族と「箱」の関係が分かれば、爺ちゃんや両親の魂を解放出来る筈なのに……

 未だに手掛かりの一つも無い。僕は「箱」の為に子孫を残す種馬扱いだ。でも何時か、何時かは爺ちゃんと両親の魂を解放してやる!

 

 さて「箱」の命令だが……

 

 自宅から八王子迄、夜に結衣ちゃんや桜岡さんにバレない様に行って帰ってくるのは時間的に無理だ。やはり現地にホテルか何かを借りて拠点を構え、部屋を別々にして抜け出すしか桜岡さんを出し抜く事は難しい。

 ホテルなら個室を二つ取っておけば、仮に隣の部屋でも居なくても分からないだろう。年頃のお嬢様だし、夜中に異性の部屋を訪ねたりはしない。

 最悪バレたら独りで寝酒を飲みに居酒屋へ行ったで押し通そう。正直に話せる内容じゃないし、ボカシながら話しても同行するって引かないだろう……

 僕だって「箱」と言う保険が有るから無理をする。同行者に内緒で「箱」無しでの探索は無理だ。それに対人関係に「箱」は殆ど関与しない。

 つまり神泉会やオーナー一族対策は、僕が準備しとかないと駄目なんだよな。彼女は本物の霊能力者だが、荒事は苦手だ。

 つまり夜間突撃には、お留守番をして貰うしかないんだ。彼女に対して不誠実だとは思うが、危険な目に合わせる位なら嘘吐きで良い……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 八王子の拠点となるホテルへ出発する日を迎えた。駅前のビジネスホテルを借りた。此処は大浴場も有るし、レストランも併設している。

 駐車場も専用地下駐車場が有るし、連泊の場合は24時間出入り可能なのが良い。先ずは道具の準備だ。移動は僕の車を使う。

 勿論、ホテルの駐車場に停める。桜岡さんと移動する時は乗るが、単独行動の時はレンタカーを使う。

 既に長期で借りてホテル近くの駐車場に停めている。これはホテルで部屋に居ない事がバレた時にフロントに鍵とかを借りに行った時、車も無いなんて事になれば居酒屋に行ったと言う嘘がバレる。

 飲む前提で運転なんかしないからね。後は単純に神泉会とかに僕の存在がバレてれば、使用してる車も調べて知ってるだろうから。

 レンタカーなら暫くは誤魔化せる筈だ。さて、持ち込む道具だが……祭壇に祀り大量生産した清めの塩。

 これを500のペットボトルに詰めた物が10本。350のペットボトルに詰めた物も10本。愛染明王の御札を30枚。それと長期間祭壇に祀った数珠を2つ。忘れちゃならない「箱」。

 

 これが対霊装備の全てだから心許ない。

 

 次は照明関係だが400ルーメンのLEDライトを6本。1500ルーメンのLEDライトを2本。使い捨てのケミカルライトを30本と発煙筒を5本。御札を仕込んだランタンも10個用意した。

 

 対人関係だが……

 

 最悪不法侵入で取り押さえられた時に、刃物はマズい。だから多機能10徳ナイフを1本に、伸縮式の警棒を1本だけ持って行く。その他としての小道具だが……

 

 麻のロープを30m。

 

 最近はナイロン製のロープが主流だが、麻は丈夫で滑らないから便利だ。釣り糸を200m巻きを3本。太い糸はそれだけで丈夫だから物を縛ったり色々な使い道が有る。

 勿論、迷子にならない様に道標としても利用する。自作ドアストッパーを多数。廃墟を探検する時に建付の悪い扉が結構有る。

 部屋に入ったら扉が閉まり開かないなんて事も……僕は使い捨て用に自作の木製の小さな楔型のストッパーを用意し、扉の下に挟んで閉まらない様にしている。

 あと意外と役立つのが方位磁石だ。建物の中を徘徊すると自分の位置が分からなくなる時も有る。窓が無かったり、有っても景色で方向が分からない場合も有る。

 グルグル回るのは体力と時間の無駄だ。結構役立つ布ガムテープ!

 色んな物を固定出来るし、タオルや棒と組み合わせれば止血や骨折の応急処置と万能だ。後は医療品一式とウエットティッシュにペットボトルの水。

 水は傷を洗ったりうがいをしたりと必需品だ。マスクと軍手、タオルも多めに用意する。これらを両方の車に積んでおいて、必要に応じて持ち出すんだ。

 コレだけでトランクは一杯になるだろう。そして持ち運び用のリュック、ポケットが沢山有る服。特にカーゴパンツは両太股部分に大きめなポケットが有り便利だ。

 後は現地で拾ったと言い張れる1m程度の棒。棍棒にしたり蜘蛛の巣を払ったり色々使えるし、最後は捨ててくれば良い。廃墟系のゴーストハウスに突入する時の道具は以上だ。

 山のような道具を愛車キューブに積み込む。後部座席まで占領して何とか積み込む事が出来た。さて、出発だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝食を結衣ちゃんと桜岡さんと三人で食べた。卵とベーコンを焼いた物とレタスとキュウリだけのサラダ。目玉焼きは僕と結衣ちゃんは半熟、桜岡さんは両面をきっちり焼いた。

 所謂ターンオーバーだ。食パンは山崎製パンのダブルソフト。結衣ちゃんは一枚だが、僕らは各々一斤は食べる。

 

「正明さんと霞さんは今日から八王子に泊まり込みで調査ですね。頑張って下さいね」

 

 独り残されて寂しい筈だが、明るく送りだそうとしてくれる。

 

「結衣ちゃんも留守を頼みますわ。私達は大丈夫です。まだ危険な事はしませんから」

 

 桜岡さんはバターをタップリ塗った食パンに苺ジャムを更に塗っている。僕は基本的にバターだけだが……

 

「取り敢えず三日間程、駅前のホテルを予約してあるんだ。ホテルの連絡先は冷蔵庫の扉に貼ってある。緊急の時は松尾の爺さんに頼んで有るからね」

 

 有事の際には松尾の爺さんに頼んで有るし護衛の件も説明した。彼女は遠慮したが万が一の事も有るし、厳つい護衛達を紹介しておかないと……最悪、奴らがストーカーだと思われるからね。

 女子中学生を付け回す変態だと通報されたら大変だから、護衛対象の結衣ちゃんは知っておくべきだ。

 

「はい、任せて下さい。正明さんも霞さんを宜しくお願いします」

 

 ん?嗚呼、桜岡さんって案外ドジだしオッチョコチョイだから結衣ちゃんに心配されているんだな……

 

「勿論、大丈夫さ!」

 

「そうですわ。私達は大丈夫、だから安心して下さいね」

 

 何か各々を心配してるって、家族みたいでくすぐったい感覚だよね。楽しい朝食を終えて、結衣ちゃんを学校に送り出したら出発だ!

 

 

第62話

 

 自宅を10時過ぎにのんびりと出発した。ホテルのチェックインは15時からだ。

 高速道路の横浜横須賀線、佐原インターに向かい県道を法廷速度で走る。50キロだ……

 通勤が一段落した為か、走っている車は少ない。信号にも捕まらず順調に走行する。15分程走ると佐原インターの入口が見えた。

 

「榎本さん、お昼前には八王子に着きますわね。今日の行動予定は?」

 

 丁度料金所を通過する時に桜岡さんが聞いてきた。勿論、愛車にはETCを搭載してるから走りながら通過だ。

 料金所を抜けて緩やかな坂を加速しながら本線に合流する。50キロから80キロへ。ファミリーカー故にアクセルをベタ踏みでも緩やかな加速……

 

「今日の予定は……先日訪ねた佐々木さんのお宅にお邪魔するよ。何でも鷺沼の伝説を老人会で色々聞いてくれたらしい。

お昼前に来てくれって言われた。奥さんが自慢の料理を作ってくれているそうだ。この前の食べっ振りが気に入ったそうだ。桜岡さんのね」

 

 佐々木さんにはちゃんとしたお礼をしないと駄目だな。頂いたメールの内容には、鷺沼には伝説の悲劇の他にもう一つの悲劇が有るらしい……

 遊女の怨霊以外にもナニかが居るんだな。

 

「まぁ酷いですわ。あの時は榎本さんの方が沢山お食べになった筈です」

 

 いやスピードの差で僕の方が食べた量は少ない筈ですよ……

 

「ほら、僕は見た目通りに食べるけど桜岡さんはインパクトが有ったんじゃないかな?」

 

 お米が足りずに早炊きまでしてくれたんだよな。珈琲が好きだと聞いていたので、お土産に珈琲豆を幾つか用意した。

 正直、珈琲の味はイマイチ分からないからグラムの高いのから三種類を200グラムずつ買った。誰でも知ってるブルーマウンテン・モカそれと店のオリジナルブレンドだ。

 オリジナルブレンドについては店長の蘊蓄(うんちく)も聞いている。話のネタになるだろう。

 それと日持ちする「とらや」の高級羊羹セットも買った。小さな羊羹が8本入って5000円だよ!珈琲と合うかは分からないけど、ブラックで飲むから甘い物が食べたくなる筈だ……

 走行車線を80キロで走っていても、結構な頻度で追い抜かされる。軽自動車にも抜かされるって、皆さんどんだけスピード狂なの?

 

「スポーツカーに乗ってる桜岡さんにはファミリーカーは遅いでしょ?」

 

 何となく話を振ってみた。

 

「自分で運転しないからかも知れませんが、全然気になりませんわ。榎本さんが安全運転なのは私の事を思っての事だと分かってますから……」

 

 ニッコリ微笑まれたよ?確かに同乗者の安全も考えてますが、彼女の為だけでは……まぁ言わぬが華かな?はははっと笑って誤魔化した。

 順調に高速道路を走り八王子に着いたのは12時少し前だった。佐々木さんの自宅近くの有料駐車場に停めて、携帯電話で近くまで来た旨を伝える。

 歩いて5分位だろうか?一週間振りの訪問だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 呼び鈴を押すと夫人に車椅子を押してもらった佐々木さんが出迎えてくれた。

 

「お久し振りです」

 

「いやいや、相変わらず仲が良さそうですな」

 

 社交辞令から入りお土産を渡す。夫人が嬉しそうに珈琲を受け取ると、キッチンへ案内された。最初からキッチンに通されるって、余程大食いだと思われてるんだな。

 既にテーブルには所狭しと料理が並んでいる。

 

「家内が朝から張り切って作ってな。先ずは食事にしようか」

 

 四人掛けのテーブルに佐々木夫妻と向かい合ってすわる。

 

「はい、どうぞ。沢山食べて下さいね。今日は一升炊きでご飯を用意しましたよ」

 

 そう言って山盛りにご飯をよそった茶碗を渡される。一升炊きって10合だよ。どれだけ期待されているんだろう?気を落ち着けてテーブルの料理を見る。

 金目鯛の煮付け・山菜の天麩羅・蕗の煮物・肉豆腐・出汁巻き卵・車麩と大根の煮物・山菜のお浸し・米なすの田楽・玉ねぎのスライスサラダ・胡瓜と蕪の糠漬け・具沢山味噌汁……

 金目鯛は一人前が半身とボリューム満点だ。天麩羅も揚げ立てだろう。珍しい蕗の薹や独活の天麩羅も見える。

 中年独身男性には堪らないメニューだ。思わず「お母ちゃん!」と叫びたい程に!

 

「「頂きます(わ)」」

 

 期待に応える為にも早いペースで完食を目指す。先ずは金目鯛だが、箸を入れるとスッと身が解れる。一口食べれば濃厚なタレと柔らかい身が合わさって上手い。

 結衣ちゃんも魚の煮付けを作ってくれるが、鯖味噌くらいだ。

 

「この金目鯛を煮込んでいるタレは……凄い濃厚ですが自家製ですか?」

 

 佐々木夫人に尋ねる。夫人は自分は箸を付けずにニコニコこちらを見ているだけだ。

 

「ええ、何年も調味料を足しながら煮ているんですよ。醤油・砂糖・お酒・みりん、それに臭み消しに生姜を入れるだけだけど、煮込んだ魚の旨味が出てるでしょ?」

 

 確かに一朝一夕に出来る味じゃないな……

 

「この山菜はシャキシャキと新鮮ですが、市販品なのですか?」

 

「朝市で買ってきたの。朝採りらしいわ。因みに蕗は庭に勝手に生えるのよ」

 

 ほう!この蕗の太さだと結構大きい筈だが、自家栽培とは羨ましい。

 

「「お代わり(下さい)」」

 

「ほほほほほ、沢山食べて下さいね。まだまだ有りますから」

 

 それはフードファイターな二人を満足させるお持て成しでした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「まっまさかの完食!榎本さん……テレビの大食い企画に推薦して宜しいか?」

 

 山盛りの料理も、既に皿しか無い。食後のお茶を楽しんでいると、心底驚いた様な佐々木夫妻に言われた。

 

「僕等程度じゃテレビで活躍するフードファイターには適いませんよ」

 

 基本路線は目立ちたくないので、やんわりと断る。某テレビのチャンピオンに出演しても、三回戦位までなら勝ち抜く自信は有るけどね。

 

「私も女性として、大食い選手権は遠慮したいです。勿論、勝つ自信は有りますけど……」

 

 桜岡さんは優勝する自信が有るのか?幾らなんでも連戦で勝ち抜くのは無理じゃないかな……

 

「ペア選手権なら優勝しそうじゃな。しかし大食いとは見ていて気持ち悪い場合も有るが、アンタらは清々しい食べっ振りだな。途中で箸を止めて魅入ってしまったぞ」

 

 確かにスピード感が有るのに不思議と上品な桜岡さんは、フードファイターとして人気が出そうだ。僕は……それこそ大食いクマさんか?

 

「毎回ご飯を頂いては申し訳ないです。暫く八王子に滞在するので、夕食でもご一緒しませんか?」

 

「私達、駅前のホテルに暫く滞在しますから」

 

 八王子駅周辺は10分も車で走れば田舎なこの辺としては開けている。それなりに有名なレストランも多い。勿論、車椅子な佐々木さんの為にテーブル席を利用するつもりだ。

 

「お二方と夕飯では、お酒も楽しむのじゃろ?会計が怖いな」

 

 はははっと笑っているが、勿論支払いは僕持ちだ。

 

「創作和洋のレストランを知ってまして。基本的に和の食材をペースにしてるので、お口に合うかと。日本酒も各地の地酒が有りますし、お世話になってますからご招待させて下さい」

 

 僕らが滞在中に一度お誘いをしよう。佐々木夫妻の人柄を考えると、金銭的なお礼よりは良いだろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 キッチンから応接間に移動し、漸く本題に入る。佐々木夫人がお土産に渡した珈琲を煎れてくれた。勿論、ブラックで飲みますよ。

 桜岡さんは角砂糖を二つ入れてたけど、僕は我慢してブラックだ!

 

「ふむ……このオリジナルブレンドは中々飲みやすいですな。自家焙煎の店は、オリジナルブレンドに特徴が現れる」

 

「ええ、この店の……葉山に有る個人喫茶店なんですが、マスターの拘りブレンドです」

 

 如何にもな通っぽく香りを楽しんでから一口飲む。確かに旨いが、ミルクと砂糖がタップリのTully'sやスターバックスの方が好きだ。

 一頻り珈琲を楽しんでから本題に入った……

 

「榎本さんが調べている鷺沼だがな……嫌な噂を聞いたんじゃよ。確かに遊女お鷺の悲劇は伝わっておる。

だが26年程前に、あの沼で入水自殺が有った。遺書も有ったから公には知られてないが、娘を道ずれに母親が無理心中をした。

母親の名前は、小原愛子(おばらあいこ)。娘は七海(ななみ)。あの廃ホテルのオーナーの妻子だ……」

 

 オーナー一族の関係者が自殺だって?思わず桜岡さんと顔を見合わせる。彼女は何とも言えない顔をしているな。

 

「その……自殺の動機は何だったんですか?倒産して金銭的に苦しくなる前ですよね」

 

 佐々木さんが嫌な顔をしたな。良くない理由かな?でも自殺となると対人関係か金銭関係、又は健康問題位だと思うんだ……

 娘を道ずれになんて、将来を悲観したのか?

 

「浮気だよ。旦那の小原拓真(おばらたくま)は遊び人で有名だ。随分苦労していたみたいだな」

 

 佐々木さんは苦々しく珈琲を飲み干してカップを机に置く。その手は震えていた。

 浮気か……バブル真っ盛りの時期だし、地元の名士じゃ遊びも派手だったんだな。高田所長も言っていたな。

 浮気調査ばかりだと……

 

「それで彼女達は手厚く葬られたのですか?」

 

 幾ら浮気を苦に自殺とは言え、対外的には立派な葬儀を……

 

「入水自殺時に目撃者が居たそうだ。地元自警団や警察に連絡し、直ぐに救出・捜索したそうだが母親しか見付かって無いそうだ。

娘は未だに行方不明。だが遺書も目撃者も居たので死亡扱いとなった……」

 

 あの沼に無くなった少女が未だ沈んでいる?それは調べても出てこなかったが、人が二人も死んだ事を秘密に出来るものなのか?

 

「僕が調べた限りでは母娘の無理心中は分からなかった。あの沼で不審死した少女が居た事は分かりましたが……捜索隊とか当時は騒ぎになったのでは?」

 

 行方不明で捜索中に、あの沼で見付かった近藤好美ちゃんの時はネットでも調べられた。自殺と事件では違うとは言え、今の日本の情報社会で隠し切れるのかな?

 

「地元の名士だし遺書も有る自殺だ。早々に捜索は打ち切られたよ。その後、地元議員の娘と再婚したそうだ。

悪い噂では、側近にこう漏らしたらしい。再婚に邪魔な彼女達が亡くなって清々したと……」

 

 段々オーナー一族の構図と現当主の性格が見えてきたな。自分の権力強化の為に地元議員の娘と結婚。

 その為に妻と娘が自殺しても悲しまない。金・権力・名誉に貪欲で冷酷な性格か……友達にはなりたくない相手だな。

 

「その議員も、そんな薄情な浮気者に自分の娘を嫁がせるなんて……」

 

「酷いわ。家族の死を清々したなんて……何て卑劣な男なんでしょう」

 

 幾ら地元の名士とはいえ聞けば聞く程に酷い男だが、そんな男に娘を嫁がせても平気なのかな?

 

「議員もだな、票を取り纏められる奴と繋がりを持ちたかったんだと専らの噂だよ。それに娘は別居状態で実家に戻っているらしいな」

 

 愛想を尽かしたが、別れずに別居か……何とも言えない結末だな。

 

「それは……何とも言えない事件ですね。僧侶として墓前で読経し弔いたいと思います」

 

 夫に父親に必要と去れなかった母娘か……辛い話だな。

 

「小原家の墓には入れてもらえず、実家の方で引き取られたとか。彼女は榎本さんが前に見せてくれた地図の集落の出身者らしい。

勿論、噂話だから確証は無いし確認も取っていない。当時を知る老人達から聞いた話だからな。暗い話ですまん……」

 

 佐々木さんから聞いた話は、結構重要な感じがする。あの鷺沼には悲惨な話が多すぎる。

 でも何かが引っ掛かるんだ……母娘無理心中、でも娘は見付かって無い。

 その沼で見付かった水死体、でも近藤好美ちゃんじゃない使役霊。その使役霊が見付かってない娘の可能性は?

 

 まだまだ調べる事が沢山有りそうだな……

 



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第63話から第65話

第63話

 

 あの鷺沼では沢山の人が亡くなっている。最初は沼の名前の由来ともなっている、遊女お鷺。彼女は村人により1900年位に沈められた。

 次は1986年、あの鷺沼で母娘無理心中が有った。被害者はオーナーの妻と娘だ。

 次は2006年に地元小学生が沼に浮かんでいた。事故死扱いだ。

 

 だが桜岡さんを襲った使役霊の女の子は、彼女よりも数年前に亡くなった子だ。何故分かったかと言えば、着ていた服の柄のキャラクターが古いから……

 勿論、最近亡くなった子が古い服を着ていた可能性も有るし、あの沼で死んだとも限らない。だけども霊感が訴えるんだ。

 遊女お鷺の怨霊の仕業なのか全くの別物か分からないが、あの鷺沼は女性の霊を惹き付けるナニかが有ると思う。勿論、悪い意味でだ。

 使役霊を神泉会の仕業と決めつけたが、早合点だったかも知れない。古く強い霊は、下級の霊を使役する事も有るし。

 気になったので高田所長に、八王子市内で大人から子供迄の女性の失踪事件を調べる様に頼んだ。沼の周辺だけでなく市内での失踪に。

 足取りが確認出来ないだけで、沼に引き寄せられた人も居るかも知れないしね。未だあの沼で亡くなった可能性が有る人が居るかも知れない……

 だけど何故、桜岡さんを狙ったかが分からない。

 

 鷺沼の調査時に狙われたのなら分かるが、廃ホテルを見た瞬間に狙われた。

 鷺沼のヤツと廃ホテルのヤツは別物なのか、ホテルと鷺沼を移動可能なのか?

 

 情報が少ないから判断がつかないな。でも一度、墓参りには行ってみよう。何かを感じるかも知れないし……

 幸い佐々木さんは、小原家の墓の場所を知っていた。八王子霊園と言う落城の悲劇の有った八王子城趾の近くだ。

 この話は佐々木さんから身振り手振りで事細かく詳細に聞いた。

 

 小一時間程……

 

 確かに戦国時代大好きな郷土史研究家、佐々木さんの真骨頂のテーマだろう。ただ残念ながら今回の件では、八王子城趾の話は全く関係は無いと思うのが……

 彼の話を聞き終えてから、八王子霊園へ向かう事となった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 廃ホテルのオーナー……

 

 人間的には最低な部類だろう。もし彼との交渉するなら、損得勘定で先方に利が無いと無理だな。勿論、交渉する気なんて無いけどね。

 ただ廃ホテルに侵入しバレた場合が問題か……管理会社も神泉会の息がかかってるから、基本的には接触したくない。

 それに……

 

「榎本さん……」

 

 佐々木さんの家を出てから黙っていた彼女が話し掛けてきた。

 

「何だい?桜岡さん」

 

「その小原と言う男。許せませんわ、自分の妻と娘を権力の為に切り捨てるなんて……」

 

 女性視線だけでなく客観的に見ても確かに許し難い男だろう。権力強化の為に妻子を犠牲にしても平気なんだからな。

 だが保身の為に「箱」に生贄を捧げ続ける僕も、奴の事を悪くは言えないか。桜岡さんや結衣ちゃんにも秘密にしているし……

 

「そうだね。せめて墓前で読経位はしよう。彼女達の冥福を祈って……」

 

 出来れば彷徨っているだろう娘の霊も成仏させてあげたい。だが、母親か娘の霊が悪霊化してる可能性も有る。慎重な対応が必要だ。

 色々考えていると、八王子霊園に到着した。ここは都営の霊園、つまり東京都が運営している公営霊園だ。

 八王子城址城山の東側に位置し、なだらかな丘陵と林を生かした緑豊かな霊園……つまり広くて広くて広くて、ここから小原家の墓を探すのは大変な訳で。

 

「榎本さん……広大な敷地ですね、で?」

 

「で?うん、どこから手を付けて良いか分からない広さだね」

 

 二人して広大な園内を見渡して呆然とする。総工画数3万5千を誇る霊園をどうやって調べれば良いのか、皆目見当がつかない。

 因みに来る前にネットで霊園の事を調べたが、此処に眠る有名人は小説家の藤沢周平しか載ってなかった。だが僕も僧侶の端くれ!

 ある程度の絞込みは出来るのだ。

 開園が昭和46年の八王子霊園は何度かの公募をして区画数を増やしてきた。つまり、小原氏の妻子が無くなった以前の区画を調べれば良い。

 それと資産家の一族だからそれなりの大きさを持つ一般墓地だろう。垣根の無い芝生墓地とかは調べなくても構わない。

 これで全体の1/3に絞れたので、あとは園内配置図を見て一般墓地以上の大きさの区画を……

 

「榎本さん、管理事務所が有りますわ。聞いてみてはいかがでしょう?」

 

「個人情報だから教えてはくれないだろうし、変に記憶に残る様な行動は控えないと駄目だ。この辺の名士だし、年代的にも初期の区画に有ると思う。

大変だけど、片っ端から見ていこう」

 

 辛く単純な作業の始まりの鐘がなった……

 

 幸いと言うか、この八王子霊園は公園施設も併設しており一面の墓・墓・墓ではない。適度に遊歩道やテニスコート・ゲートボールに噴水等、1区画を見終わると気分転換が出来る。

 それに延々と墓地を調べている事が周りからは分かり辛いのが良い。1時間も見回ると、「小原家代々の墓」と書かれた黒御影石の大きな墓を見付けた。

 

「立派な和型墓石だ……墓誌を見れば埋葬された人が分かる……アレ、無いな。

母親と娘の名前が無いな。最後に刻まれた小原徳三(おばらとくぞう)は小原拓真(おばらたくま)の父親だからこの墓で間違いない筈だけど……」

 

「どう言う事でしょうか?少なくても奥様の遺体は発見された訳ですから、ここに埋葬されていないのは……」

 

 暫く小原家の墓の前で立ち尽くす。亡くなった妻の遺骨が納められていない。

 考えたくないが、可能性としては亡くなった小原愛子(おばらあいこ)夫人は小原家の墓でなく自分の実家の墓に入ったか……

 

「考えられるのは実家の墓に納められたか……或いは共同墓地か何かに納められたか?もし共同墓地なら大変だな。この霊園とは限らないぞ」

 

 共同墓地は墓誌に名前しか載らないから、年代の特定も難しい。それに小原家の墓に入れないなら旧姓の場合もあるし……

 もし彼女が怨霊化したなら遺骨か遺品を清めれば成仏させる事も出来るのだが、特定出来なければ怨霊と直接対決しか方法が無いな。

 

「何時までも此処に居ても仕方ない。共同墓地の墓誌を調べて、無ければ諦めて他の方法を探そう。多分同じ霊園に納めはしないから無駄かも知れないけどね」

 

 無駄かも知れないが、八王子霊園内に有る3箇所の共同墓地の墓誌を調べた。しかし小原愛子、または愛子と言う名前は見付けられなかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 チェックインする為に一旦ホテルに向かう。JR八王子駅前の私鉄が経営するシティホテルだが、料金の割にはサービスも良い。

 1階から3階までに飲食店やコンビニが入っているので、基本的に朝食しか付いていないが昼飯・夕飯共に困らない。僕らは14階の1405号室・1406号室とシングル部屋を隣同士で借りた、連泊で3日間だ。

 この3日の間で、一度単独で夜間に廃ホテルに突撃しなければならないのは気が重いな……フロントで宿帳に記載しキーを受け取る。

 

 僕が1405号室、桜岡さんが1406号室だ。

 

「一旦部屋で休んでから方針を考えよう。少し疲れたから休みたいけど……はい、御札と清めの塩!簡易結界を張るのを忘れずにね」

 

 ホテルのシングルだから窓と入口に結界を張るだけで良い。あと部屋の四隅に盛り塩をすれば簡易結界とは言え完璧だ!

 

「歩き回って少し汗もかきましたから、シャワーを浴びますわ。では2時間後に内線で連絡します」

 

 そう言って一旦別れた。自分の部屋に入り神経を集中する……曰わく有る部屋を宛てがわれた可能性も有るからね。

 1分程意識を集中し気配を探るが、特に悪い気はしない。次に額縁の裏やクローゼットの天板部分。

 ベッドの下等を念入りにチェックし、変な御札とか貼ってないか確かめる。

 

「うん、大丈夫そうだな。じゃ簡易結界を張りますか……」

 

 持参の御札と清めの塩で結界を形成する。これで最低でも不意打ちは防げる筈だ。持ってきた荷物からノートパソコンを取り出しインターネットに接続する。

 ダメ元で小原愛子について調べてみる。GoogleとYahoo!で検索するも該当は無し。

 

 これは難しい……

 

 特に何かした訳でもない彼女だからな。確か佐々木さんは彼女が廃ホテルの近くの集落の出身者だと言っていたな……

 

 Google earthであの集落を表示する。航空写真表示にして墓地が無いか探してみる。昔の山村では集落の近くに墓地が有る場合が多い。

 

「これは……墓地かな?」

 

 集落の南側の隅に、それらしき物を見つけられた。それと廃ホテル周辺を探索した時の道の反対側の山側に、生活道路らしき物も見付けた。

 その道路は集落に繋がっている。多分だが鷺沼で見付けた獣道は、位置的に集落に繋がっていそうだな。明日は集落と墓地、出来れば獣道から祠を調べてみるか……

 上手くいけば夜に侵入するルートに使える。前回通った道では廃ホテルに向かう事がバレバレだからね。

 管理会社、いや神泉会の連中の探査に引っ掛かる可能性が高い。こっちの生活道路を通れば集落の連中にバレるかも知れないけど、あからさまな敵よりマシだ。

 地図をプリントしてパソコンの電源を落としたら、既に2時間近く過ぎていた。あと少しで桜岡さんから内線電話が掛かってくるだろう。

 

 先にトイレを済ませておくか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 これから三日間、榎本さんとホテル暮らし……部屋は別々でも二人で三泊四日の旅行に行ったのは事実。確実に既成事実が積み重なってますわ!

 部屋に入り中を見渡す。シングルですからベッドにサイドテーブル、小さな冷蔵庫に金庫。お風呂とトイレが一緒のユニットバス……

 一泊朝食付き10000円にしては狭いと思いますわ。

 

 先ずは結界を張らないといけないですわね。榎本さんから頂いた清めの塩と御札をサイドテーブルの上に並べる。先ずは四隅に盛り塩を配置する為に、小皿の上に塩を三角錐に整える。

 それを部屋の四隅に置く。次に御札ですが、両面テープで入口の扉と窓ガラスの内側に貼り付ける。念の為にジップロックに入れた御札をバスルームの壁にも貼り付ける。

 全てを終えてベッドの上にポスンと座る。結界を張ったせいか、部屋の中が清々しく感じますわね。

 

「でもシングルベッドですから二人で寝るには狭いですわね。榎本さんは体が大きいですから……」

 

 一緒に寝る?眠る?

 

「いっイヤですわ!まっ未だ早いですわ。一緒に寝るなんて……」

 

 それに初めてがビジネスホテルは嫌だわ。念の為に、お気に入りの下着は用意してきてますが……

私としては大胆な薄紫色のレースの下着を。

 

「でっでも夕食でお酒を多目に飲んでしまい、酔って過ちを……とか、独りで居るのが怖くなり深夜に榎本さんのお部屋を訪ねるとか……」

 

 これが事実上の婚前旅行になるのかしら?

 

「先ずは体を清めましょう……」

 

 気がつけば時計の針は待合せ時間の30分前だ。一時間以上も妄想してしまったわね。服を脱ぎながら、これからの事を考えて顔が火照るのが分かる。

 

 楽しい夜になると良いですわ……

 

 

第64話

 

 八王子市に拠点を構えて探索二日目。

 

 ホテルの朝食バイキングに舌鼓を打つ。中々どうしての味とボリュームだ。僕は最初は和食、桜岡さんは洋食。

 勿論、最初のトレイを平らげたら次は洋食だ。

 

 僕が選んだのは……ご飯に味噌汁、温泉卵・シラスとナメコと大根おろし・ヒジキの煮物・揚げ出し豆腐・鳥の竜田上げだ。

 向かいに座る彼女は……コーンスープにパンが小皿山盛り、スクランブルエッグ・スライスハム・フライドポテト・ミニハンバーグ・ジャーマンポテトだ。

 

 殆ど全てのメニューを二人で制覇した。後はデザートのフルーツ、オレンジ・パイナップル・葡萄を食べればコンプリートだな。

 クロワッサンにバターを塗りながら、彼女が話し掛けてくる。クロワッサン+バターはカロリーが高いぞ!

 

「榎本さん、今日も小原愛子さんのお墓探しでしょうか?」

 

「うん。彼女は例の廃ホテル近くの集落の出身者だ。だから今日は集落に行ってみようと思う。Google earthだと付近に墓地らしき物も有ったからね……」

 

 本音は今の段階で、廃ホテルには近付きたくない。危険だし準備も不十分だし。でも今晩、単独で侵入する予定だから事前準備も兼ねて下見もしたいんだ。

 

「少し危険ではないですか?まだオーナー一族と集落の関係が分かっていませんし……」

 

 見事に一口でクロワッサンを食べる彼女に見とれる。僕だって15㎝程度のクロワッサンを一口では無理なのに、何故喉に突っかえずに食べれるんだ?

 無理だろ、人体の構造的に……

 

「昼間に行くし無理はしないよ。出来れば集落を下見し彼女のお墓を見付ける位はしたいな。出来れば集落とホテルの関係とかも聞き周りたいね」

 

 報告書では管理会社は定期巡回しかしてない。麓に有る事務所から週に二回程度の巡回だ。元々あんな場所で常駐は無理だろうし。

 勿論、機械警備は行っているから不法侵入は通報が行く。でも麓から廃ホテル迄は、どんなに急いでも30分程度は掛かるだろう。逃げ道さえ確保すれば、或いは上手くやり過ごせば逃走の成功は難しくない。

 でも最初に通った道でホテルには行きたくない。ライトを付けて、あの道を走るのは目立ち過ぎるし最悪の場合僕らの行動を事前に察知されてしまう。

 待ち伏せとかは、お断りだ。

 

「聞き込み……榎本さんは最初に会った事件の時も、あの雑貨屋さんとかに聞き込みをしてましたわね。どうして知らない人と円滑に話せるのでしょうか?」

 

 私は人見知りだから……とか寂しい笑いをされてしまった。

 彼女は最初高飛車なお嬢様と思ったが、テレビ用と言うか仕事用のキャラ作りらしい。確かに大人しいお嬢様では、海千山千の連中に立ち向かうのは無理か。

 彼女なりに自分を奮い立たせる儀式みたいなモノかな?

 

「坊主は説法と説教が仕事だからね。口下手な坊主は余り居ないよ……さて、二回目に行きますか。僕は洋食とデザートを貰ってくるよ」

 

 そう言って空のお皿をトレイから除いて立ち上がる。

 

「私は今度は和食にしますわ」

 

 彼女もそう言ってトレイを持ちながら立ち上がった。周りが引く位に料理を運んでいた2人が更に料理を求めて立ち上がった姿を見て、周りが少しざわつく。

 

「あの人達、フードファイターかしら?」

 

「大食いタレントかな?何処かで見た様な……」

 

「筋肉は兎も角、あの美女のお腹はどうなってるんだ?アレだけ食べたのに少しも膨らんでないぞ」

 

 ボソボソと話し声が聞こえます。そんなに大食いが珍しいのか?配膳を手伝っているホテルの方の笑顔も固まっているし……

 

 何故なら「お茶碗6杯よそって下さいな」とか桜岡さんが真面目な顔で頼んでいるから。

 

 僕?僕は二杯にしましたよ。確かにホテルや旅館で使われるお茶碗は小さい。普通の半分位しかご飯がよそれないからな。

 しかも係の人によそって貰うのは、沢山食べる僕らは少し恥ずかしい。その代わり、自由に取れるパンはお皿に山盛りだけど。バイキングって沢山食べれてお得だよね!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝食を済ませ少し休んでから、僕らは集落に向かった。事前にルートは調べてナビに入力してある。

 八王子市内の道路は割と渋滞だったが郊外に出ればガラガラだ。その代わりに道が狭くなってきた。県道か市道か分からないが、路面状態は良くない。

 廃ホテル近郊の集落には山の反対側に道が有る。表側の道路は手入れはされてないが、二車線有った。

 だが、此方の道路は一車線しかない。それに曲がりくねっており所々にガードレールの無いコーナーが……

 

「榎本さん、凄い山道ですわね。昔、修行で行った四国の山々を思い出しますわ……」

 

 助手席でシートベルトをしっかりと締めて扉の上に有る手摺に捕まり、両足を踏ん張りながら耐える桜岡さん。荒い運転はしていないが、兎に角路面が凸凹なんだ。

 

「こりゃ私道かも知れないな……狭いし曲がりくねってるし凸凹だし、大変だな」

 

 しかし15分も走れば集落の入口まで到着した。立地的には山の中腹辺りだろうか?4m程の道路の左右に民家が点在している。

 メインストリートには雑貨屋と豆腐屋、それに食堂かな?そば・うどんと書かれた暖簾が見える。駐車場を探しながら徐行するが30mも走れば集落の外れまで着てしまった。

 どうやら行き止まりみたいだ。途中で車の通れそうな脇道は一カ所しか無い。後は狭い路地が幾つか有る程度だった。

 

「桜岡さん、一旦集落の入口迄戻ろう。此処は袋小路だ」

 

 車を切り返し、来た道をゆっくりと戻る。途中車の通れそうな脇道を覗くが、森の深い方へと延びていた。

 メインストリートの雑貨屋は店の奥まで見渡せたが、店員は確認出来なかった。狭い路地は誰も歩いていない。ただ民家の塀と塀の間みたいな道だ。

 

「榎本さん……誰にも会いませんね。ゴーストタウンみたいで怖いです」

 

 確かに人の姿は見えないが、でも視線は感じる……集落の入口迄来てから車を路肩に停車する。

 

「兎に角、一度歩いて行ってみようか?」

 

「そうですね。小原愛子さんのお墓の所在とか聞きだいですし」

 

 念の為、ポケットには特殊警棒を忍ばせてある。万が一、暴漢が表れても安心だ。あと唐辛子成分を抽出した痴漢撃退スプレー。

 目や鼻・口の粘膜に当たれば悶絶だろう。車を降りてしっかりと扉をロックする。取り敢えずメインストリートの店に入ってみるしかない。

 まさか民家に「こんにちは!」って訪ねる訳にはいかないから……桜岡さんを左側の少し後ろを歩かせて利き腕はフリーにさせておく。

 ゆっくりと歩いていくと彼女が左腕に抱き付いてきた。怖いのは分かるが片腕が拘束されてしまうのは痛い。

 

 最初に雑貨屋の前に辿り着いた。

 

 日差し除けの暖簾が全面に掛けてあり、商品はワゴン台と木製の棚に並べて有る。奧には冷蔵ケースも有りジュースや酒類、アイスクリームも売ってそうだ。

 意を決して暖簾を潜る。ヒンヤリとした薄暗い店内……天井には古いタイプの蛍光灯が剥き出しの照明器具。

 

「こんにちは……」

 

 何度か店の奧の方に呼び掛ける。暫くして腰の曲がった老婆が出て来た。しかし歩き方はしっかりとしている。

 

「おんや、珍しい。こんな田舎に来るなんてぇ……何かお買い求めかのぅ?」

 

 別に怪しい感じはしない普通の老婆だ。喋ると殆ど前歯が無い口の中が見える。少し聞き取り辛い喋り方と大き目の声。耳も遠いのだろうか?

 さて正直に話すべきか、誤魔化すべきか……

 

「お婆ちゃん、お元気ですね。お幾つですか?」

 

「ああ?今年で80歳じゃよ。まぁーだ現役だぁ」

 

 桜岡さんがにこやかに世間話を始めた。人見知りと言っていたけど、彼女なりに情報収集に頑張っているな。

 しかし……雑貨屋で何も買わないのも不自然だな。見回すと食料品から食器迄色々並んでいるが……コレと言って欲しい物は無いが、何を買おうかな?

 

「お婆ちゃん、これを貰うから」

 

 適当に近くの棚から単四アルカリ乾電池を取って渡す。マグライトの予備にしよう。高いルーメンのマグライトは乾電池の消費も多いからね。

 

「まんず立派な体の旦那さんじゃの。何でこんな田舎なんぞに来ただ?」

 

 千円札を渡すと算盤で計算し手提げ金庫からお釣りを取り出している。使い込まれた算盤に、この店にレジは最初から無いのが分かる。

 

「ああ、僕はこう見えても坊さんなんだよ。昔、この付近に同じ宗派のお寺が有って今は神社になったけどね。

色々調べてるんだよ。お婆ちゃんは知ってるかい?天台宗の鐘蔵寺ってお寺だったんだよ」

 

 お釣りと品物を受け取る。

 

「あーあー知っとるよ。昔、地主が寺を追い出して神社を建てたそうだよ。明治政府から援助が貰えるとかなんとか。確かに鐘蔵寺だったなぁ」

 

 何でもない昔話を話しているつもりらしいが、この婆さんは結構な情報通だ。百年以上前の話を知ってるのは関係者の可能性が高い。

 

「何度か復活させようって話もあったけど、こんな御時世だから財政難でね。今回は別件で、あの廃ホテルの管理者からお祓いを頼まれていてさ。

その事前調査なんだ。お婆ちゃんは何か知らないかい?」

 

「管理者だと?あの潰れたホテルは小原さんの持ちもんだ。勝手な事はしちゃいけねぇよ」

 

 皺くちゃの目を見開いて慌ててるな。小原さんの、か……オーナー一族に面識が有りそうだな、このお婆ちゃんは。

 

「ちゃんとテレビ局に依頼が来たんだよ。あの廃ホテルをテレビで取り上げて調べて欲しいって……

彼女はお茶の間の梓巫女で有名な桜岡さん。で、僕は依頼を受けた現役のお坊さんさ」

 

 不審者で無い様に身元を教える。勿論、正確には教えないし依頼を受けて正当に調べに来た事をアピールする。

 

「ふーん……あんた達は、あの廃ホテルを調べなさるんか?」

 

 さり気なくお婆ちゃんの様子を窺うが、最初に驚いてからは冷静だ。

 

「もう調べてるけど稲荷神は放置だし、変な噂も多いし嫌になるよ。お婆ちゃん、あの廃ホテルの噂を何か知ってるかな?又は詳しい人を知っていれば、教えてくれない?」

 

 ダメ元だが出来るだけ笑顔でお願いしてみる。

 

「お婆ちゃんお願いします。私達、ふざけ半分や見せ物にしようとしてる訳じゃないの。ちゃんとお祓いをしたいんです」

 

 桜岡さんが頭を下げてお願いする。でも、お婆ちゃんの表情は変わらないな……

 

「この先の食堂のオヤジに聞くといいよ。アタシよりゃ詳しい話が聞けるだろう」

 

 そう言って店の奧に行ってしまった。

 

「食堂か……取り敢えず行ってみようか?」

 

 腕時計を見れば11時22分。食堂が開いているかは微妙な時間だが、確か暖簾は掛かってたから営業中だと思う。

 

「そうですわね。折角お婆ちゃんが教えてくれたんですもの」

 

 あのお婆ちゃんも何か隠している様な、怪しい感じもしたけどね。拒絶されるよりはマシだろう。一旦表通りに出て左右を見回すが、やはり人通りは無い。

 食堂迄ゆっくりと周囲を確認しながら歩いて行く。念の為、ポケットに手を入れて特殊警棒を何時でも取り出せる様に……そして店の前に辿り着く。

 

 紺色の暖簾には「そば・うどん」隅には八幡屋と書かれている。

 

 警戒しながら……「こんにちは。食事出来ますかしら?」桜岡さんは特に警戒もせずに食堂の暖簾を潜って店に入ってしまったよ!

 慌てて後から店内に入った。

 

 

第65話

 

 警戒しながら食堂に向かったが、あっさりと店内に入る桜岡さん。うん、僕が心配し過ぎなのか彼女が剛毅なのか……

 

「こんにちは。食事出来ますかしら?」

 

 声を掛けながら更に中に入っていく。ちょっとは用心しようよ。仕方無く彼女の隣まで歩いていく。

 奥の方を窺うと、話し声が聞こえる。どうやら厨房の中で誰かが電話で話しているみたいだ。

 

「……うん、分かっとる。うん……うん……丁度来たみたいじゃよ……ああ、ではな……」

 

 丁度来た?あのお婆ちゃんが、電話で僕等の事を教えたのか!田舎のネットワークを舐めちゃ駄目だな。分かっとると言った。

 つまり何かをこの集落で取り決めていて、それに準じた対応をしろって事だと思うが……

 

「はい、いらっしゃい。食事かい?」

 

 厨房から出て来たオヤジさんを観察する。70歳位かな?小太りで背は低い、接客業らしく笑顔で出迎えてくれた。縁の太い眼鏡を掛けて大きめの鼻、因みに丸禿だ。

 しかし、あの電話の後で食事かい?は結構な狸爺さんかな?

 

「食事もしたいんですが……僕等色々と調べ事をしてまして。先程、雑貨屋のお婆ちゃんから食堂のオヤジさんが知ってると教えられたんです」

 

 実際はオヤジに聞けと言われただけで、何を知ってるかなんかは言われてない。

 

「ヨネ婆さんがか?耄碌ババァめ……」

 

 やはり何かを隠す為に連絡を取り合ったみたいだな?

 

「取り敢えず何か食べたいので注文して良いですか?」

 

 少しでも長居が出来る様に客として食事をしよう。桜岡さんを促し四人掛けのテーブルに座る。テーブルは木製の天板に鉄パイプの脚、椅子は背もたれの無い丸椅子だ。

 壁に貼ってあるお品書きを見れば……ラーメン・チャーシュー麺・チャーハン・カレー・親子丼・カツ丼・玉子丼・うどん・蕎麦・ジュース・コーラ・ビールか……

 うどんと蕎麦は温・冷両方出来るのか。本当に田舎の食堂だな。ラーメンなんて350円だぜ!

 

「桜岡さん、お腹の調子はどうだい?」

 

 向かいに座る彼女を見る。既にフードファイターの顔だ。

 

「80%って所かしら?全品制覇します?」

 

 流石は桜岡さん!既にコンディションが80%迄回復してるとは。ならばチャレンジするしかあるまい。

 

「オヤジさん、メニューの端から2人前ずつ持ってきて!車だからビールは要らないけどね」

 

「飲み物は私がジュース、榎本さんはコーラでお願いしますわ」

 

 ビックリした顔のオヤジさん!

 

「ぜっ全部お食べになるんかい?お嬢さんもか?」

 

「うどんと蕎麦は温かい方だけで良いや。食べるペースは早いからバンバン作ってよ」

 

 セルフらしい冷水器からお冷やを2つ入れながらオヤジさんを急かす。

 

「あっああ……最初はラーメンからで良いか?無理なら途中で言っとくれ」

 

 腑に落ちない顔だが、厨房に入っていった。慌ただしく調理を始めるオヤジさん。18人分だから大変だろう。向かいに座る桜岡さんを見る。

 ニコニコと微笑んでいるが、一応敵地かもしれないので……

 

「一度やってみたかったの。メニュー完全制覇を……でも9品では楽勝ですわね」

 

「思ったより物価が安いのは驚きだよ。でも……気が付いていたかい?店に入った時に電話してたろ。

アレ、雑貨屋のお婆ちゃんだと思う。丁度来たとか言ってたし彼等は連絡を取り合ってる。僕等の事をね……」

 

「警戒されてるのかしら?」

 

「田舎特有のコミュニティーで部外者が来た事を教え合ってる程度なら良い。良く有る事だから。でも……」

 

 連携して騙してくるとかだと厄介だ。又は知られたくない事が有って、連携しているとか。

 どちらにしても歓迎はされてないんだろう。暫く思考に耽っていると、最初のラーメンとチャーシュー麺が来た。

 

「お待ちどうさま……本当に次を作って平気かの?」

 

 出されたラーメンは醤油べース、麺は縮れ細麺。具はナルトにハム・茹でたほうれん草とスタンダードな昭和のラーメンだ。

 チャーシュー麺はハムの変わりに厚めのチャーシューが5枚乗っている。チャーシューは自家製でなく市販品みたいだな。

 

「余裕ですわ!」

 

 既に割り箸を持って臨戦態勢の桜岡さん。彼女の食べるスピードは脅威だ!各自2杯のラーメンを瞬く間に完食する。

 厨房で様子を窺っていたオヤジさんもビックリだ!

 

「あんた等はアレかい?テレビに出てる大食いの人達かなんかか?」

 

 カレーを持ってきながら尋ねてくる。

 

「只の坊主と巫女だよ。オヤジさん、コーラお代わり」

 

 空の瓶を差し出しながら、コーラを追加注文する。

 オヤジさんはヤレヤレと首を振ると「冷蔵ケースから好きに出しな。料理する時間が無くなるだろうが……」と言いながら厨房に戻って行った。

 

 お許しが出たので冷蔵ケースからコーラとジュースを3本ずつ取り出す。瓶のコーラはラッパ飲みが美味しく飲めるよね?

 全ての料理を完食するのに一時間位か?味は懐かしい田舎のお婆ちゃんの味だった。最後にオヤジさんがお茶を煎れてテーブル迄運んでくれた。

 食後の余韻に浸りながらお茶を飲む。隣のテーブルに座るオヤジさん……話を聞いてくれるのかな?

 

「御馳走様でした。会計の前に少し話を聞いて良いですか?」

 

「ああ、何が聞きたいんだ?」

 

 溜め息混じりに手に持ったお盆を弄くっている。話辛い事が有るんだな。何が知られたく、聞かれたくないんだ?それが分かれば話が円滑に進むんだが……

 

「小原愛子さんと、その娘さんのお墓が知りたいのです……」

 

 ちょ桜岡さん?そんな確信的部分をいきなりぶつけちゃ駄目だって!ほら、オヤジさんも渋い顔になってる。

 

「それを知って、どうなさるつもりかね?」

 

「此方の榎本さんは僧籍を持っています。宗派は違うかも知れませんが墓前で読経を……」

 

「確か東京教区とか……廃仏毀釈で壊した、あの鐘蔵寺の関係者だぞ……」

 

 桜岡さんの偽り無い思いをぶつけられたオヤジさんが、何やら小声でブツブツ言い出したぞ。しかし僕は天台宗ではない。

 宗派の違いは後々問題になりそうだし、早めに正しておいた方が良いかな。

 

「あの……僕は……」

 

「愛子は、愛子は儂の娘じゃよ。あの子が亡くなった後で小原家の墓には入れられぬ。

自殺など一族の恥だと骨壺を送ってきやがった。孫も未だ行方知れず。愛子は……望まぬ結婚をして捨てられたんじゃよ」

 

 重い事実キター!

 

 おぃおぃ、このオヤジさんが小原氏の前妻の父親だと?望まぬ結婚って政略結婚とかか?深く聞くには僕等じゃ……

 

「八王子霊園の小原家の墓に行って不思議に思ったんです。何故、妻と娘の名前が墓碑に刻まれてないのかと。

詳細は言い辛いでしょう。でも、せめて墓前で読経させて下さい」

 

 目を瞑り暫く考え込むオヤジさん……待っていたのは1分位だろうか?

 

「今日は臨時休業だ。あの子の為に経を読んでくだされ。案内するよ」

 

 そう言うと暖簾をしまい準備を始めた。

 

「じゃ行くかいの……」

 

 店を出ると戸締まりせずに歩き出した。慌ててオヤジさんの後を追っていく。年寄りの割に足腰はしっかりしていて歩き方は力強い。

 途中、雑貨屋のお婆ちゃん以外にも住人を見た。普通に主婦や子供達だ。

 メインストリートを途中で左側に曲がり、細い路地をズンズンと進む。道はなだらかな上り坂だ。多分だが方向的には鷺沼の方じゃないかな?

 直ぐに山道に変わり、更に暫く歩くと少し開けた空間に出た。10m四方の小さな広場だ。振り向けば遠くに街が見渡せる。

 向き的には八王子市内ではなさそうだが……

 

「なぁ最近のテレビ局って、そんなに調べなさるんか?儂は信じられないんだ。娘が死んだ時、警察やマスコミも来たが簡単に帰って行った。大して調べもせずに……」

 

 何時の間にか煙草を取り出し一服をし始めたオヤジさん。僕等を見ているが、更に遠くを見ている様な眼差しだ。

 つまりオヤジさんは僕等を信用していない。さり気なくポケットに手を入れて特殊警棒を握り締める。今更ながら人気の無い場所に誘導された危険に思い立った。

 

「小原氏が圧力を掛けたのでしょう。後妻の話が出ていたそうですしスキャンダルは地元の名士として、また娘を嫁がせようとしていた政治家にも都合が悪いですからね……」

 

 裏事情を話ながら周囲を警戒する。当然、当事者なら知っていて苦々しく思っている事だが……桜岡さんが自分の左側に立つ様にして、特殊警棒を振り回した時に利き腕側にこない様にする。

 

「最近の坊さんと巫女さんは探偵みたいですな……そんな事まで御存知とは」

 

「オヤジさんは心霊を信じてますか?僕等は職業上彼等が居る事を知っている。それを祓うのを生業にしてますから……」

 

 初めてオヤジさんが、僕と目を合わせた。

 

「それは……あの子を祓うって事かいな?はははっ、流石は坊さんだ。まさか幽霊を信じちょるとはな」

 

 短くなった煙草を携帯灰皿に押し込む。言葉では心霊を信じてなさそうだが、何故か違う感じがする。あくまでも勘だけど……

 

「僕等もテレビ局に騙された感じなんですよ。何でもない廃ホテルのお気楽な心霊バラエティー。でも調べれば調べる程に危険な内容だった。

放置された稲荷神、周辺で連続する不審死。手を引きたくても彼女がナニかに狙われている。だから僕等は調べているんです……」

 

「そうですか……そこまで調べてるんなら信用しましょう。ふざけ半分であの子を晒し者にしようって訳じゃ無さそうだし。この先に墓が有ります」

 

 そう言って先に歩き出すオヤジさん。でも今の会話……何か可笑しく無かったか?

 僕等を信用して愛子さんのお墓に案内してくれる。確かにそうなんだが……何か引っ掛かる。

 オヤジさんの後について行き獣道みたいな道を2分も進めば、小さな墓地に着いた。10基程の小さな墓地。

 しかし手入れは隅々までなされ、仄かな線香の香りに生き生きとした花も添えられていた。お供え物が無いのは、動物達に喰い荒らされるからだろう……

 オヤジさんが割と大きめなお墓の前に立ち、線香の準備を始めた。

 

 これが愛子さんの眠る墓か……

 

 ポケットから数珠を取り出し、読経を始める。経を唱えながら考える。この墓地の様子を見るに、あの集落の人達は仏教に信仰が厚い感じだ。

 少なくとも毎日、誰かしらが墓地の手入れをしている。信仰が厚いとは……そうか!さっきの違和感はオヤジさんの言葉。

 

「あの子を祓うって事かいな?」

 

 確かにそう言った。廃ホテルで騒がれている心霊現象の事は詳しく話してない。放置された稲荷神と周辺の不審死と言っただけだ。

 それだけで自分の娘が化けて出ていると思うのか?それを僕等が祓うと思うのか?心霊を信じないと言いながら、オヤジさんは信仰が厚そうだ。

 経を読み終えて、オヤジさんに向き合う。

 

「娘さん、愛子さんは成仏していると思いますか?」

 

「何故、そう思いなさるんだ?」

 

「娘を祓うって事かいな?そう言われましたよね。手厚く葬ったなら、そうは言わない筈ですから」

 

 桜岡さんの前に立ち、オヤジさんと向かい合う。左手に数珠を右手はポケットの中へ。幸い墓地は見通しが良く、誰かが墓石に隠れながら近付いても分かる。

 違和感の正体は、自分の娘が真っ先に祓われると思っている事だ。普通は手厚く葬れば極楽浄土に行ったと思う。なのに何故、祓われると言ったのか?

 それは娘さんが現世に未練が有り留まっていると思ってるから……オヤジさんの暗い笑みを見ながら直感する。

 

 オヤジさんは自分の娘が、この異変に関係してると思っているんだ!

 

 



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第66話から第68話

第66話

 

「何故、神や仏は悪人に罰を与えないんじゃ?」

 

 暗い笑みを浮かべるオヤジさん。悪人とは小原氏の事を言ってるのだろう。我が子と孫娘を捨てた相手だから怨むのは当然だな。だけど……

 

「オヤジさん。御仏は死んだ人間を生前の罪により裁くんだ。生きている人間の罪を裁いたり罰を与えるのは……それは人間だよ」

 

 良く自然破壊が引き起こした災害を天災とか神罰とか言うけど、アレは自業自得だ。

 

「神罰・仏罰は無いんか?こんなに信仰しても助けてはくれないのか?」

 

 僕だって信仰だけで救われるなんて思ってない。仏の道を説いていた爺ちゃんや親父、それに母さんが死んだのは何故だよ?

 未だに魂を「箱」に捕らわれて苦しんでいるんだぞ!

 

「僧籍に身を置く者として言い辛いけど、生きている内に御仏が罪人の罪を裁く事は無いんだ。罪人は死後に裁かれる。贖う罪の重さにより、それぞれの地獄に落とされるんだ……」

 

 仏教の多様な地獄とは、あらゆる罪に対応している。

 

「不便な物なんだな。アイツがくたばる迄、罪が裁けないなんて……」

 

 それっきり喋らなくなったオヤジさん。深い葛藤が有るのか、両手を握り締めて目を閉じている。食堂で見せた笑顔からは想像が出来ない苦悩が分かる。

 

「僕等は廃ホテルの異変を何とかしたい。先ずは放置された稲荷神の御霊を抜く予定ですが、オヤジさんは他に何を知っているのですか?

もし、もし娘さんに関係する何かが有るのなら……僕等も協力出来ます。勿論、お孫さんも含めて」

 

 仮に我が子を求めてさ迷っているなら、我が子と会わせてあげれば良い。亡くなった女の子そのものの霊を呼ぶのは不可能だが、彼女が我が子と認識すれば問題無い。

 身代わり札とかは、そんな使い方も出来る。幾つかの情報が有れば……生年月日や名前に性別・没年等が分かれば作れる。

 

「流石にお坊様は言う事が違いますな。何故、娘が……娘の霊がさ迷っていると思うのかな?

もし娘の霊がさ迷っているなら、あの男に復讐する筈じゃ」

 

 大抵の人は死して霊となり復讐を遂げるって思うけど、実際は稀だ。確かに強い怨みを持ち相手に祟る霊は居る。でも大抵は誰彼構わず縋ってしまう。

 無差別な霊障が殆どなんだ。

 

「特定の人物に対して復讐する場合も有ります。でも大抵は誰彼構わず縋ってしまうんです。彼等も苦しんで居ますから……

だから早めに現世のしがらみを断ち切って成仏させる。それが僕等の仕事です」

 

「あの子が今でも苦しんでいると?」

 

  僕は黙って頷く。雲が太陽を遮ってしまった。墓地の中での長い立ち話の為か大分体が冷えてしまった。風も出てきたみたいだし、雨が振りそうだ。

 

「榎本さん、寒くなってきましたわ。オヤジさんも一度お店に戻りませんか?」

 

「そうだね。僕等まだ代金払ってないし食い逃げは嫌だよね」

 

 桜岡さんが良いタイミングで話を外してくれた。オヤジさんも暗い表情から少しだけ笑みが……

 

「あんたら良いコンビじゃな。坊主と巫女なんて水と油じゃろ?店に戻るかの」

 

 もう一度、彼女のお墓を拝んでから食堂に戻る。下りの山道は歩き難い。そして左腕にナチュラルに絡み付く桜岡さん。

 歩き難くて危ないからって言うけど、逆にお互い歩き難くないかな?獣道を抜けて路地を通りメインストリートに出ようとした時、オヤジさんが止まった。

 

「また来てるぞ。胡散臭い連中が……」

 

 路地からメインストリートを伺う様に顔だけ半分だしている。後ろから覗いてみると作業着姿の若い……30歳前後の男達が食堂の前に屯っている。

 

「オヤジさん、彼等は?」

 

 一見真面目風な連中だ。

 

「あいつ等が、あの廃墟ホテルの新しい管理会社の連中だ。最近やたらと集落の手伝いをしたがるんだが……

何か嫌な感じがする。あんた等も最初は胡散臭いと思ったが、もっと違う嫌らしさじゃよ」

 

 アレが神泉会の関連会社の連中か。報告の通りに最初に周辺住民に溶け込むのか……確かに厄介な手口だ。

 

「オヤジさん。彼等は関西で有名な宗教団体、神泉会の信者ですよ。布教活動の為に関連会社の社員にボランティア活動をさせて近隣住民と仲良くさせる手口です。まぁ心霊詐欺が濃厚なんですが……」

 

「何だと!小原の差し金か?」

 

 何でも悪いのは小原氏じゃないと思いますよ。でも繋がってないとも言えないんだよな。どっちも厄介な連中だし……

 

「いえ、小原氏との関係は不明ですが……彼等の関東進出の拠点がココらしくて」

 

「ふん、本当に良く調べてるお坊様じゃな。コッチだ、裏口に回るぞ」

 

 そう言うと、いきなり目の前の家に入っていった。

 

「ほら、靴を持って着いてくるんじゃ」

 

 居間でお茶を飲んでいた家の人も気にしていないみたいだ……勝手知ったる他人の家って事か?オヤジさんを先頭に何件かの家を通らせて貰い食堂の裏口に着いた。

 

「二階の和室に居てくれ。準備中の札を出していたのに待っていたなら、食事をする迄は帰らないじゃ。前もそうだったし……」

 

 オヤジさんはヤレヤレと言いながら厨房に向かっていった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 古い木造建築のオヤジさんの家は、当然防音性能も低い。つまり食堂での会話も階段の途中迄降りれば聞こえる訳だ。

 和室で何故か卓袱台に置いてあったお茶のセットで寛ぐ桜岡さんを部屋に残し、管理会社の連中の様子を伺う。神泉会とは初めての接触だから、どんな連中か知りたい。

 

「親父っさん珍しいね。昼間っから準備中なんて?」

 

「ああ、すまんね。儂ももう年だし腰が痛くてな。少し休んでたんじゃ」

 

「何だい、雑用なら僕等が手伝いますよ。なぁ?」

 

「そうだな。結構暇だし、良かったら手伝いましょうか?」

 

 話だけ聞いていると真面目な好青年達だ。高齢化が進んだ今なら、若い労働力は魅力的だろう。しかもボランティアなら余計に。

 だから溶け込み易く排除し難い。上手い手口だよな……

 

「はっはっは。まだまだ若い者には負けないぞ。今日は仕入れが出来なくてカレーか麺類しか出来ないが、どうするね?」

 

 僕等が沢山食べたからか?きっとカツ丼とかのカツも買い置きが少ないんだろう。暫くは調理をするオヤジさんに親しげに話し掛ける連中の会話だけが続いた。

 これをヤラれちゃお年寄りは堪らないだろう……

 

「ご馳走様。親父っさんお会計は一緒で……」

 

 どうやら帰るみたいだな。特に勧誘とか怪しい壷の売り込みも無かったか。

 

「なぁ、親父っさん。見慣れない車が停めてあったけど誰か来てるのかい?」

 

「ん?儂は朝から寝込んでたし店も閉めてたからな。店にゃ来てないが……何か有ったんか?」

 

「いやいや。珍しいなってさ。じゃご馳走様」

 

 アイツ等、油断がならないぞ。見慣れないとは言えメインストリートには他にも何台か停めていた筈だ。

 しかもキューブなんて珍しくもない車種なのに、集落の連中のじゃ無いと直ぐに分かったのか?オヤジさんが戻ってくる前に和室へ戻った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 丸い卓袱台。今では中々見られない昭和の文化遺産だ。そこに湯呑みに急須、竹で編んだ籠に入った蜜柑。

 まさに田舎のお婆ちゃんの居間だ。オヤジさんが座ると桜岡さんがお茶を淹れる。

 

「すみません、先に頂いてしまって……」

 

 お茶を淹れてオヤジさんに湯呑みを渡す姿を見ると、本当に彼女の育ちの良さが分かるな。

 

「構わんよ。あんた達の事、いや彼女の事は思い出したぞ。確かにテレビで見た事が有るの。それで今回の特番が、あの廃墟ホテルか。で、色々調べちょる」

 

 流石はお茶の間の梓巫女、桜岡霞だ。こんな田舎でも知名度抜群?

 

「何度も言いますがテレビ局の企画として依頼されてるんですよ。正直に言えば胡散臭い依頼だから断る事も考えて……でも引くに引けない事情が出来てしまって」

 

 僕は「箱」、桜岡さんは魅入られた「ナニ」かの対処。しかも神泉会とかも絡んでるし。

 

「事情?で、本当に娘と孫娘を成仏させられるのか?」

 

 オヤジさんにとって、それが一番大切だよね。だけど……

 

「オヤジさん……何故、娘さんが現世にさ迷っていると確信してるんですか?普通は埋葬されていれば、化けて出るなんて笑い話ですよね」

 

 そう、オヤジさんは娘さんの成仏前提で話をしている。僕等の掴んでいる情報では娘さんの霊の目撃情報は無い。

 そもそも廃墟化した後で霊障が出ているんだし、時期も違う。オヤジさんを見詰めると目線を逸らした。

 両手を卓袱台の上で握り締めて何かを言うか言わないか苦悩しているみたいだ。

 

「ホテルが廃業する前から、チラホラと噂が有った。鷺沼に子供が遊びに行くと女の子だけが見る霊が居ると。そして、それは我が子を探しているらしい。そんな噂が有るんじゃよ」

 

 無理心中をして離れ離れになった我が子を探している娘さんと思った訳か。

 

「だけど……オヤジさん電話みたいですよ」

 

 話の途中で懐かしい黒電話のベル音が。携帯電話でも設定出来るが、やはり真似た電子音より全然懐かしい。オヤジさんが一階に降りていくのを見届けてから桜岡さんに話し掛ける。

 

「桜岡さん、何となく分かってきたよ。鷺沼の遊女お鷺かとも思ったが、オヤジさんの娘さんの可能性が高い。我が子を求めて女の子達を呼び寄せる。筋は通ってるよね」

 

 彼女は少し考えてから「でも廃ホテルの噂とは違いますわ。それに不審死なら大人の女性や男性もいらっしゃいますし……」と言った。

 

 確かに地縛霊なら鷺沼と廃ホテルを移動出来るとは考え辛い。それは親玉は複数か、若しくは「ナニ」かが総てを支配下に?

 そんな強力な霊は丹波の黒尾狐クラス?トンでもなくハードルが上がったぞ。いや元からヤバいと想定してたろ?

 

「先ずは娘さんの、愛子さんの除霊から始めようか?身代わり札を用意して……」

 

「おい、アイツ等がお坊さんの車を調べてるらしいぞ。しかも近くで待機しちょるらしいぞ」

 

 なんだって?迂闊だったな、まかさ此処で神泉会に目を付けられるとは……

 

「榎本さん、私達は彼等の所属する管理会社からの依頼の為に調査に来てますわ。彼等と神泉会との繋がりを知っているのは私達だけが知ってます。

ですから今、彼等と接触しても問題無いですわ」

 

「確かに依頼された調査を桜岡さん自身が行っているからな。後は廃ホテルに案内しますとか連れて行かれなきゃ平気か……」

 

 でも車のナンバーを調べれば僕にまで辿り着くだろう。悠長に構えてはいられないな。

 

「オヤジさん。オヤジさんは僕等を知らないと言ってくれた。それがノコノコと食堂から出て来てはマズい」

 

 集落に溶け込もうとしてる連中だ。色々と調べている筈だし。オヤジさんが疑われるのもマズいだろう。

 

「ふむ、確かにな。裏口から出れば見つからずに脇道に出れるぞ」

 

 脇道からメインストリートに出て車に戻れば良いか。

 

「元々調査に来てるので、周辺を調べていた事にすれば良いかな。オヤジさん、何から何まで有難う御座います」

 

 桜岡さんと二人、深々と頭を下げる。突撃取材に近かったが、収穫は大きい。

 

「ああ、娘を愛子と孫娘を成仏させてくれるなら良いさ……」

 

 その後、愛子さんと孫娘の写真。生年月日等の必要な情報を教えて貰った。

 それと集落の皆さんに管理会社と神泉会の事、僕等が廃ホテルの除霊を依頼されている事。

 僕等が小原氏の手先では無い事を話して貰う様にお願いしオヤジさんと別れた。

 

 

 

第67話

 

「あんた達、どっから来たんだい?」

 

「ん?君達は、この集落の人かい?」

 

 双方心の中に含みは有るが、フレンドリーに会話を進める。化かし合いの始まりだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、オヤジさんと別れて裏口から迂回しメインストリートに出た。

 周りを珍しそうに見回しながら如何にも初めて来ました的な所作で車に行くと、案の定例の男達に話し掛けられた。しかし3人組だ……

 最初、食堂の前に屯っていたのは4人。1人足りないのは隠れているのか、それとも報告にでも行ったか?流石は組織的詐欺集団は油断が出来ないな……

 

「ん?僕等は近くで働いていて、この集落の人達とは親しいんだ」

 

 リーダー格なのだろうか?短髪の20代後半位の青年がにこやかに話し掛けてくる。残りの2人は、彼の後ろに立っているだけだ。勿論、にこやかな表情だ。

 右側が30代半ば、七三分けにマスク。左側は最も若くて下手したら10代後半か?長い髪を無造作に後ろで縛っている。しかし全員が貧相な肉体だな。

 その普通さが一般人に溶け込み易いのか?

 

「ふーん。それで何か用かい?そろそろ帰ろうと思ってるんだ」

 

 少し警戒気味に答える。リモコンキーで車のロックを外し、桜岡さんを先に乗る様に目で合図をする。車・僕等・連中の並びなので桜岡さんは邪魔されずに車に乗れる。

 

「いや、この集落に他の人が来るのって珍しいからさ。つい声を掛けたんだ」

 

「ああ、そうなんだ。テレビ局の仕事で、あの廃墟ホテルを調べてるんだよ。だから周辺の集落とか、近くの沼とかね。この集落の人達は余り余所者が好きじゃなさそうなんでね……」

 

 商店街の方を見ながら言う。僕等は集落の人達から冷たくあしらわれたよ、と。だから君達も何か言いに来たのかと思った。そう言う意味を含めて安堵な表情をした。

 

「あの廃墟ホテルかい?もう潰れて久しいよ。何を調べてるんだい?」

 

 一瞬だがリーダー格の男の表情が変わった。相変わらずフレンドリーだが、後ろの2人が左右に少し広がった。気付かない振りをしながら運転席のドアを開ける。

 

「夏の心霊特番でね。アイドルをあの廃墟に探検させる企画だよ。それの下見。

今度はスタッフとか大勢で来るけどね。企画会議をするにも資料が要るからさ。これから編集だよ。じゃな?」

 

 そう言ってドアを閉めてエンジンをかける。横目で見る彼等に動きは無い。軽く手を振って車を発進させる。

 暫くルームミラーで後ろを確認するも、追跡の車は居ない。

 

「榎本さん、彼等は……」

 

 桜岡さんが何かを言いそうになったので、口に人差し指を当てて内緒ってジェスチャーをする。あんな連中だ。盗聴器や発信機の心配もするべきだろう。

 

「さてファミレスでお茶したら帰ろうか。今夜は編集で残業だよ」

 

「そうですわね。色々とまとめないと駄目ですから……」

 

 暫し無言で車を走らせて、適当なファミレスの駐車場に停める。店内から見える位置に。車を出て簡単に外装周りや車の下、タイヤ周り等をチェックする。

 彼等にしても集落の連中の目も有るし、盗聴器等を取り付けるにしても簡単な場所にしか無理な筈。

 

 

「盗聴器や発信機の類が付けられてはないな。安心して良いかな」

 

「それでですか?車内で、あんな嘘を……」

 

 ファミレスに入り車が確認出来る窓際に陣取り、暫くダベる。僕等の後から来た客は4組。子連れ主婦・学生3人組・カップルそして女性の独り客……

 怪しいのはカップルと独り客の女性か?30分程時間を潰してから車に戻った。どうやら尾行はされてないみたいだ。しかし車のナンバー位は控えただろう。

 この車を多用するのは駄目かもな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 携帯電話の目覚ましアラームで意識が覚醒する。時刻は23時丁度。少しでも休まなければと思い、ホテルの部屋で暫く仮眠をとった。

 今夜、廃ホテルに突入する。「箱」のご希望だから仕方ない。一応、オヤジさんの孫娘の身代わり札を作った。

 

 もしも彼女の……

 

 小原愛子の霊が出た時に最悪でも牽制位には使えるだろう。長く現世に留まる霊の場合、当初の思いが劣化したりする場合が有る。

 

 悪霊化して子供を……

 

 女の子を誰でも良いから引き込むなんて思いだけ残ってる。我が子の判別もつかない。そんな最悪の場合も有るしね。

 序でに小原氏の身代わり札も作る。此方は囮として効果が有れば儲け物程度の意味だ。

 僕にもっと力が有れば本来の自分に降りかかるダメージを変わりに受けてくれるお札になるのだが……そんな便利道具は作れない。

 因みに小原氏の身代わり札がダメージを受けると、本体に何がしかの悪い事が起こる。これは呪いと同じ原理だ。

 顔を冷水で洗ってサッパリしてから、持ち物を確認する。服装は黒を基調とした動き易い物。

 ホテル内で黒ずくめは怪しいのでマスタード色のダウンジャケットを羽織る。軍用ブーツを履きポケットに「箱」を入れる。

 残りの道具は事前に用意しているレンタカーの中だ。このホテルは使い捨てのカードキータイプ。一々フロントに鍵を返さなくても良い。

 出入りも24時間OKだから朝帰りも大丈夫だ!問題は桜岡さんにバレないかだけだが、夕食後に朝のバイキングの待ち合わせ時間を決めたから最悪7時迄に部屋に居れば良い。

 勿論、目標は5時に帰還だ。暗い内に勝負をかけないと駄目だ。実際は「箱」が廃ホテルに行きたいのだが、帰りの時間はお願い出来るだろう。

 

 何気ない振りをしてホテルを出て、近くに用意していたレンタカーに乗り込む。

 

 用意していた除霊道具をウェストポーチやポケットに詰め込み、マグライトの点灯試験を行う。問題は無さそうだ。

 ルートは集落側からでなく最初に調査に行った時の道だ。昼間の調査で集落側からのルートが廃ホテルに繋がっているか調べきれなかったから……

 暫く県道を走り問題の山道に差し掛かった頃、ポケットから「箱」が這い出してきた。太股に伝う冷たいアメーバーの感触に、思わず呻き声をあげてしまった。

 助手席に人型に形成し始めた「箱」の中身を睨む。

 

「脅かすなよ。事故るだろうが……」

 

「ふふふ。随分と可愛い鳴き声だったぞ」

 

 相変わらずの全裸の幼女だ。その裸体は病的な迄に青白く均整のとれたストン体型は素晴らしい。

 

「それで?最初から廃ホテルに向かえば良いのか?少なくとも4時には帰りたいんだ。アリバイ工作も有るからさ」

 

 珍しそうに車の中を触って確認する幼女。ダッシュボードを開けて中身を見たり、ルームランプを点けたり……そんなに珍しいのか?

 

「ん?そうだな、感じる力は……沼とホテルだが……」

 

 何やら意識を集中する様に目を閉じている。

 

「ふむ、やはり邪悪に変化してるな……くっくっく。奴も気付いたのか?よし、正明。ホテルに向かえ」

 

 嫌な単語が色々有ったぞ。邪悪・変化・気付いた。コレって、もしかしなくても人の霊か稲荷神が邪悪化して待ち構えている。そう言う意味だよね?

 

「おい、稲荷神か?それとも人の霊か?邪悪に変化って……」

 

「正明、集中しろ。雨が降り出したぞ」

 

 ポツポツとフロントガラスを濡らした雨は傘が無いと辛い位の降りになった。ワイパーを動かしライトをハイビームにして速度を落とす。

 気のせいか車内が寒くなってきたのでヒーターを強に。幼女は真っ直ぐ前を向いているが、口が薄く開き糸切り歯が見えている。

 

「くっくっく……降りは弱いが天候を操れるとは中々じゃないか。正明、気をつけろ。既にヤツの支配下に置かれた連中のおいでだ」

 

 徐行する車の前に人影が見える。前方20m位に、人影?「おい、停まるぞ」人影の10m程手前で車を停める。

 

 車のハイビームに当たっているが、背後が透けている。若い女性と思われるが全体的にモノトーンで不気味な表情をしている。

 何故が真っ白なワンピース姿でユラユラと立ち尽くす。数珠を取り出し、お札にするか清めの塩か迷う。雨はどちらも使用に制限がかかるから……

 

「くっ苦しい」

 

 いきなり首が締め付けられるような圧迫感が!ルームミラーで確認すれば後部座席に人影だと?

 

「ぐっぐっ……うけけけけっ……」

 

 目を凝らして見ればミイラの様にやせ細そった腕が僕の首を絞めている。ニタニタ笑いながら首を絞める霊体。

 

「馬鹿な!くっ車には……お札の結界……が……有るの……に……」

 

 数珠に霊力を込めて首に回された手を払う。霧散する腕、楽になる呼吸。

 

「油断するな、正明!我の大切な下僕に大層な事をしてくれたなぁ!」

 

 幼女が霊体を助手席の座席ごと抜き手で貫く。

 

「うがっ」

 

 呻き声を上げながら霧散する霊体。

 

「正明、出るぞ!」

 

 そう男らしく言い放ち助手席のドアを開けて飛び出す。物理的な椅子と霊的なモノを同時に貫くって、どうなんだよ?

 弁償に幾ら掛かるか溜め息をつきながら車外に出る。結界の効かない車内は逃げ場が無く危険なだけだ!

 外に出ればモノトーンのワンピース女を右腕一閃で消し去る幼女無双が見れた。

 

「まだ居るぞ。ふっふっふ、あーっはっはぁ!」

 

 瞳の白黒が反転し両手の爪を尖らせた幼女が闇夜に吠えている。両手を開き天を見上げながら馬鹿笑いする姿は、その全裸幼女の形を差し引いても不気味だ……

 しかし、まだ居るぞ!この言葉に周囲を確認すれば……崖側のガードレールに右腕が掛かっているのを見付た。

 爪が剥がれ所々肉が裂けている腕を……もう少しで視界に顔が入る位によじ登っている。正直、顔は見たくない。

 

「おい、左側のガードレールに居るぞ!」

 

 僕から3mも離れていないソレに清めの塩をブチ撒ける!そして幼女の脇に移動、周囲を確認する。

 

「なぁ?坂の下からユラユラと歩いてくる集団。アレも敵だよな?」

 

 坂の下からユラユラと蠢く集団は……5〜6人じゃきかない数だ。

 

「どうやら周辺の浮遊霊・地縛霊を呼び寄せられるみたいだな。だがザコばかりでつまらん。正明、車を出せ。ホテルに乗り込むぞ」

 

 このままではジリ貧か?しかし後顧の憂いを絶つには……幼女が車に乗り込んだ時、揺らめく影は5m位に迄近付いていた。

 手に持っていたペットボトルを横薙ぎに振り回し、清めの塩をブチ撒けると急いで車に乗り込む。無言でアクセルを強く踏み込み坂を登って行く。

 事前調査と霊の数が合わないじゃないか!理不尽な敵の出迎えに文句の一つも言って良いよね?

 元々麓から大した距離は無かった廃ホテル迄の道のりを前方に集中し細心の注意を払って運転する。幼女が霊体に締められた首の痣に舌を這わせているのを無視して……

 

「くっくっく。つまらぬモノに怪我を負わされるとは情けない……」

 

 言いたい放題だ。そう言えば筆卸しは「箱」が相手だったな。金縛りで身動きが出来ない時に、散々弄ばれたんだ。

 自分の性癖のロリコンが確定したのは、あの鮮烈で忌まわしい行為が忘れられないからに違いな……

 

「おい、廃ホテルが見えたぞ。どうするんだ?」

 

 トラウマな記憶を思い出していると、前方に禍々しい廃墟と化したホテルが見えた。闇夜の中に浮かび上がる廃墟は雨雲の中で有っても、その異様なシルエットを浮かび上がらせていた。

 車を正面ゲートに横付けしエンジンを止める。お札を四方に貼り結界を張るが気休めだな。

 

「正明、付いて来い。人に呼ばれ弄ばれた神の成れの果てを見せてやる。くっくっく」

 

 どうやらラスボスは稲荷神らしいな。ズンズンと先を歩く幼女の3歩後ろを警戒しながらついて行く。長い夜になりそうだ……

 

 

第68話

 

 あれだけ準備・調査をしているのに、実際は考えなしの突撃除霊と変わらない。無理・無茶・無謀の大胆行動。

 コレじゃ桜岡さんの事を悪く言えないや……初めて廃ホテルの敷地内に入る。

 膝の高さまで雑草が生い茂っているが、舗装された歩道は自然の浸食に耐えていた。小雨降る中をペタペタと素足で歩く全裸幼女。

 今は実体が有るのに何故か雨には濡れていない。レインガード仕様?

 

 僕も右手にマグライト、左手に数珠を持ち続く。この程度の雨でもお札は濡れると文字が滲み清めた塩は溶ける。雨対策としてジップロックにお札を入れて有るが車の結界用に使い後2枚分しかない。

 昼間の段階で雲が出ていたんだから除霊道具の雨対策はもっとするべきだったな……車に積んでいた雨具の中で合羽の上だけを着る。

 フード付きの為、頭から伝った雨が目に入るのを防いでくれる。視界が妨げられないだけで大分助かるから。その分、カサカサと五月蝿いけどね。

 歩道はホテル本館を迂回して奥へと続いていた。この先に稲荷神社が有るのだろう。

 

 700ルーメンの光量を持つマグライトで左右を照らしながら警戒する。流石はバブル時代の抱え込み型のホテルだ。

 広い駐車場スペース、テニスコート・パターゴルフにクラブハウス棟。案内看板は錆び付き雑草でボウボウだが往時を忍ぶ事は出来る。

 どうやら今回の相手は丹波の尾黒狐と言われる神様崩れの相手らしい。僕達の調べた不審死を遂げた人達以上の数の使役霊を使ってきた。想像を超える相手だ。

 

「正明、鳥居と社が見えるぞ……」

 

 幼女が歩みを止めて前方を指差す。

 

「アレが今回の親玉か?禍々し過ぎるぞ」

 

 マグライトの光の先に赤い鳥居と社が見える。鳥居の前には大型犬ほどの毛むくじゃらなナニかが……禍々しい黒い煙の様な固まりに紅い光が並んで2つ。あれが瞳なんだろう。

 

「人に祀られし霊獣も放置されれば良くないモノとなる。しかも自我を無くし畜生にまで堕ちたか……正明、油断するなよ。ゴガッ……ガガガガッ……」

 

 初っ端から本気モードだ。愛らしい幼女は口を限界以上に開き、中からギザギザの歯が並んだ有り得ない口を露出し始めた。頭の皮を全て捲るとワニの様な口だけが現れる。

 今回は両手両足も同様に内部から爬虫類の様な爪が皮膚を突き破りながら伸びている。体だけが幼女特有の華奢なのだが頭と手足は別物だ。

 

「ウガァ!うけけけけっ……」

 

 涎なのか体液なのかを撒き散らし信じられない跳躍力で禍々しい黒い煙に飛びかかった。もう僕には何も出来ない。

 人外と魔獸決戦は一進一退、とばっちりを受けない様に距離を置いて周囲を警戒するだけだ。比較的枝振りの広い木の下に移動し周囲の草を踏み固めて平らにする。

 自分を中心に2m程度の平地を作り、清めた塩を多めに使い円形の結界を張る。ここなら雨の影響も少なく塩も溶け難い。

 

 遮蔽物が多いから周囲の警戒はイマイチだが、敵地のど真ん中で結界なく佇むなんて嫌だ!合羽を脱ぎ捨てると数珠と清めた塩の入ったペットボトルを構える。

 霊感が魔獸決戦以外にも敵が居ると訴えているんだ。シトシトとした雨音の他に何か聞こえる。

 

「オジサン、あそぼ?ねぇ……クスクス……オジサン……」

 

 突然の声に振り向けば、結界の外に体育座りをする少女が居る。手を伸ばすが結界に阻まれて入れないのか?モノトーンの少女が俯いた顔をあげると、比較的綺麗な顔だった。

 

「ああ、お兄さんが君を極楽浄土に送ってあげるよ。お兄さんがね……おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱え、清めた塩を軽く頭に振り掛ける。

 

「オジサン……暖かいね……オジサン、ありがとう」

 

 比較的自我を保って恨み辛みが無い霊だったのか、淡い光を放ち霧散した少女の霊に合掌する。

 

「オッ……オジサン、オジサン……」

 

「僕は未だ30代前半だ!お兄さんと呼べ」

 

 次に呼ばれた方を見れば、何も無い。

 

「オジサン、コッチ……オジサン……」

 

 上から呼ばれた気がして見上げれば、木の枝から逆さまにぶら下がっている少女がいた。ザンバラな長い髪をだらんと下げて目から血の涙を流す少女の霊……

 コッチは悪霊っぽい嫌らしい笑みを浮かべている。

 

 良く見ればスカートを履いているから……逆さまになれば見えるんだぞ、パンツが!

 

「お嬢ちゃん、パンツ見えてるよ。その年で一部スケスケはいただけないな」

 

 少女の履いているパンツは年頃の女性の履くパンティーだ。クロッチ以外の飾り部分がレース地の様に透けている。

 モノトーンで色は分からないが所謂ヒップハングと言われるタイプだ。ローウエストのパンツでも見え難い事で人気のパンティーだ!

 ああ、今はパンティーでなくショーツと呼ぶんだっけ?この辺がオジサンか?

 

「オネエチャン……ノヲ……カリタ……オジサン……キモイ……」

 

 逆さまに下がってきながら、両手で自分をかき抱きながらイヤイヤをする。芸が細か過ぎるぞ!

 

「キモくて悪かったなー!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく。成仏しろよ、オマセさん」

 

 真言を唱えて霊力を数珠に込めて振り払う。

 

「アハ、コレデ……ジユウ……」

 

 彼女も祓う事が出来た。でも彼女達には悪いが、そこら辺の浮遊霊と変わらない。こんな筈じゃないと考えていたら、背中がゾッとした。

 良くある表現で冷水を浴びた様な……嫌な汗が体全体から噴き上がる。

 

「何処だ?」

 

 視界の隅では全裸幼女が黒い獣に馬乗りになっているのが見えた。彼方の勝負はつきそうだが……コッチはピンチ。

 雨宿りをしている木にもたれ掛かる女性。何故、モノトーンで白いワンピースなんだろう?

 

 俯き加減に上目使いで此方を見ている仕草は大変可愛らしく有ります。

 

 ただ、落ち窪んだ眼下の奥底に光る紅い瞳。病的に青白い肌のアチコチに有る擦過傷。だらりと下げた両手の爪は剥げてますし何本かは折れて不自然な方向へ曲がっている。

 多分自分で掻き毟っただろう首に有る傷。死の間際に大変苦しんだタイプだ。でも水死じゃない。

 

「お兄さん……私と……一緒に……死にましょう。あはっあははははっ」

 

 上半身をクネクネと動かしながら笑い出す。

 

「オジサンは一人遊びが好きなんだよ!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 裂帛の気合いを込めて真言を唱える。うん、効いてないぞ?

 

「あは、あはは……オナニー好きなんて……私が、して……してあげ……あげ……」

 

 ゆっくりと近付く彼女は、簡単に塩の結界に踏み込んだ!素足が結界の塩を踏む。

 

「あは、いっ痛い。でっでも……でも……平気な……の……」

 

 足の裏から焼け爛れた煙が上がるのも気にせず、結界に入り込んで来やがった!

 

「ドエムか?放置プレイにするから僕に構うな」

 

 ペットボトルに残る最後の清めた塩をブチ撒ける!顔から胸にかかった塩は、彼女を焼け爛れさせながらも苦悶の表情を浮かべるだけだ。

 

「あはっ……酷い人……ねぇー!」

 

 突然掴み掛かってくるエム女の腹にヤクザキック!反動で距離を取るが結界からは出てしまう。エム女の方も結界の外にはじき出したけど。

 

「酷い……人……女を……蹴るな……んて」

 

 実体化してる怨霊か。正直勝てる気がしない。結界の中に戻っても同じ事になるだろうし……暫しエム女と睨み合う。

 手持ちの霊具は数珠とお札だけだ。胸ポケットに入れていた札を右手に持ち、梵字が書いてある面を下に向けて構える。

 雨で濡れて文字が滲めば効果は半減するが、ジップロックに入れている暇は無い。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱えてながら、お札に霊力を注ぎ込んでいく……限界まで霊力を注ぎ込んだら、迷わずエム女の額にお札を叩き付けた!

 

「がはっ……だっ……誰よ……貴方は……わたっ……私に……抱きついて……あはっ、あははは……」

 

 必殺のお札は確かにエム女の額に貼り付けた。なのに何故、エム女は変な事を言ってるんだ?

 

「あはっ、あははははっ。私に……そんな……に……しがみ付く……な……んて……変態……ねぇ」

 

 お札を握り締めてニヤニヤしだしたぞ?

 

「おい、何を……ヤバっ、アレは小原氏の身代わり札だ。つまり彼女には小原氏が抱き付いてると思ってるのか……」

 

「私……達……いっ一緒……捨てない……で……今度……は……」

 

 お札を抱き締めながら霧散していったエム女。何か捨てられて殺された感じの言葉だったが……

 

「グハっ、なっ何だ?」

 

 エム女を呆然と見ていたら脇腹に衝撃が!ヤバい肋骨が持ってかれたか?濡れた地面を転がりながら衝撃を逃がす。

 脇腹からは浅い呼吸でも鈍い痛みがする。痛みを堪えて衝撃が来た方を見るも目に泥が入ったか右目が見えない。霞む左目で見れば、半分白骨化した女が立っている。

 

 アレにヤラれたのか?

 

 片足を付いて数珠を構え、愛染明王の真言を唱える。喋るたびに痛みが走るが我慢だ。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

「正明、何をやってるんだ!」

 

 捲れた皮を元に戻した幼女が、僕を睨んでいた白骨化女を袈裟懸けに手刀で切り裂いていた。頼むから、もう少し早く助けてくれ。痛みを堪えて近くの木にもたれ掛かる。

 

「そっちは終わったのか?」

 

 僕を見下ろす幼女は、酷く不機嫌そうだ。

 

「ああ、人により祀られ人により放置された霊獣は喰ったよ。哀れな獣……でも、それは我も同じ。正明、アレは良い贄だったぞ。良くやったな」

 

 幼女が跪いて脇腹に手を添える。一瞬、腑を引き刷り出されるかと思ったが小さな手を当てられた部分から痛みが引いていく。このバケモノは治癒も出来るのかよ?

 

「なぁ……人により祀られ人により放置、我も同じってさ。お前、もしかしてウチの先祖に祀られてたのか?」

 

 田舎の土蔵に二重で封印されていた「箱」。どちらかと言えば祀るより封じていたと思ってた。

 

「うわっ舐めるなよ」

 

 いきなり泥の入った右目を舐められる。

 

「漸く気が付いたか。愚かな一族め。そうだ、我を呼び出し祀りあげながら700年前に封じ込めおった。だから我を崇めるのを忘れているお前らの祖先を喰ったんだ」

 

 寄りかかる僕の腹の上に跨る様に座り、両手で僕の頭をがっちりと掴む。祖先を喰った!その一言に逆上した。

 

「ならば言えば良いじゃないか!我を祀ればでも崇めろでも。何で一族を殺したんだよ」

 

「罰だよ、正明。我を忘れた罰だ!でもお前は700年振りに我を祀り贄を捧げた。そして今、お前の先祖の咎の理由を知った」

 

 右目を舐め終わり頬を舐め始める。

 

「我の唯一の下僕よ。我は機嫌が良い。褒美を取らすぞ、何が良いんだ?ふふふっ、久々に閨を共にするか?」

 

 こっコイツ、僕の初めてを奪っておいて良く言う。待て、待てよ。

 

「なぁ?爺さんと両親を解放してくれよ。出来るだろ、なぁ?」

 

 幼女の両脇の下に手を入れて持ち上げる。その顔は不満気だ。

 

「我を忘れた連中をか?ふん、良いだろう。肉親の情など我には理解出来ぬがな。それと我の事は胡蝶と呼ぶが良い」

 

 そう言うとパシャりと黒いヘドロ状態に戻って、ポケットの「箱」へと入っていった。

 

「爺さん、父さん、母さん。やった、やっと苦しみから解放させられた。でも、何なんだよ!

祀るのを忘れた罰で殺すってのはよー!何なんだよ、畜生がぁ」

 

 肉親を苦しみから解放出来た。でも理不尽な理由に納得など出来なかった……

 



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第69話から第71話

第69話

 

 長年の悲願だった爺さんと両親の魂の解放が出来た。僕ら榎本一族の悲劇は「箱」を祀らなかったから。だから祀られる本人に罰として、直系の1人を残して皆殺しにされた。

 思い出すまで何度も何度も……受け継がれなければ思い出す事は無理。記録が無ければ調べる事も無理。

 今回は偶然にも同じ境遇の丹波の尾黒狐が居たから分かったんだ。

 

 700年も掛けて漸くだ。

 

 何という理不尽で傲慢な理由なんだろう……家族を救えた安堵感と、悲劇の理由に対する憤りで気持ちがグチャグチャだ。

 木にもたれ掛かり小雨を浴びながら、気持ちを落ち着かせる努力をする。満身創痍の体は冷えて寒気がし始めた。でも半分ヤケになり動きたくない。

 

「はぁ……長年の悲願を達成したのに、心の底から喜べないのは何故だ?」

 

 それは理由に納得が出来ないから……動かすのが億劫だが左腕を持ち上げて腕時計を見る。午前2時、草木も眠る丑三つ時か……さて帰るか。

 怠い体に鞭を打ち起き上がる。清めの塩の結界も足で掃って痕跡を無くす。合羽の上着を拾い序でに小原氏の身代わり札を拾うが、手に取るとパラリと砕けてしまった。

 身代わり札が、此処まで痛むなんて小原氏に向かった呪いと言うか……

 

「女好きならエム女も受け入れてくれるかな?見た目はアレだが、生きていた時は美人だったと思うよ」

 

 先程まで敵対していた女幽霊を思い浮かべる。男に捨てられて、何処かに閉じ込められて餓死した様な姿の女。痛みに対して抵抗力が有りそうな感じだったが?

 まぁ僕の趣味じゃないけどさ……震える膝に力を入れて車まで歩道を歩いて行く。雨は止んだみたいだ。

 知らない内に雨雲が消え去り、月の光が僕を照らしている。振り向けば、月明かりに照らされた廃ホテル……

 

 あれ?二階の窓に人影が見えますよ。

 

 それに正面玄関のガラス製の両扉に貼り付いている沢山の手も見える。風邪の悪寒と違う、ゾクゾクとした寒気に襲われた。

 

「ヤバいな。稲荷神が居なくなれば、抑えていたヤツらは自由……さっきは一体ずつ出て来たけど、今度は纏めて来ますってか?」

 

 気のせいか女性の啜り泣き声や、赤ん坊の鳴き声迄聞こえてきた。

 

「はははっ、心霊現象が盛り沢山だな」

 

 逃げよう、てか逃げる!今襲われたら無抵抗でやられかねん。

 ヨタヨタと走りながら車まで辿り着くと、結界のお札を確認。特に問題なさそうなので扉のロックを外して残していたペットボトルを取り出し、清めた塩を車に撒き散らす。

 残りを廃ホテル側に撒いてから運転席に乗り込みエンジンをかける。力強い音と共に唸るエンジン!大丈夫、直ぐにかかった。

 そのまま麓までの道を慎重に走って行く。ルームミラーで後方を確認するも、後部座席に人影やら後方に追跡する人影やらも見えなかった。

 

「ヘックション!ヤバいな風邪でもひいたかな?」

 

 暖房を強にして暖をとるが、どうにも震えが止まらない。麓迄下りたら車を止めて貼り付けたおいたジップロックに入れたお札を剥がす。

 清めの塩で念入りに車及び周辺を清めてから濡れた服を着替える。流石にパンツは脱がないが上着は全て着替えた。脱いだ服にも清めの塩を撒いてからバッグに詰めた。

 

 これで一応は安心だ。

 

 全ての処理を終えて時計を見れば2時40分。ホテルに帰れば3時間位は寝れるだろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 部屋に戻り熱いシャワーを浴びる。冷え切った体には熱い位が丁度良い。頭からシャワーを浴びながら、脇腹を触ってみるが痛みは無い。

 弾き飛ばされた時は肋骨の何本かは折れたと思ったが……泥の入った右目も大丈夫だ。

 あの「箱」の、いや胡蝶と名乗った幼女の力なのか?信じられない治癒力だ。

 ガチガチに固まっていた手足を揉み解して、やっと人心地がついた。風邪を拗らせない様に体を良く拭いてドライヤーで髪を乾かす。

 寝酒に冷蔵庫に入っていたウィスキーの小瓶を一気に煽るとベッドにダイブする。目覚ましは6時半にセットした。

 スベスベしたシーツに頬摺りをすると、直ぐに眠気が襲ってきた。念願の肉親の魂を解放し、危険な廃ホテルの稲荷神を祓ったんだ。

 

 何だかんだ言いながらも上手く行ってるよね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 布団で泥の様に寝こける正明を見詰める。700年振りに漸く本来の勤めを思い出しおって。憎らしくも愛おしい、我の唯一の下僕。

 素足で頬を押してみるが、何の反応も無い。疲れているのだろう……

 遠い昔、我と盟約を交わした男を思い出す。強い力を持っていた術者だった。正明は、アレには程遠い力しかない。

 何代も前だからな。七代遡れば他人と変わらないとも言うが……

 

 しかし盟約に捕らわれた我は、かの血を受け継ぐ者にしか興味が湧かない。グリグリと頬を踏みにじるが見事な迄に無反応だな。

 全く、早く沢山の女に子を孕ませぬか!我は盟約によりお前達一族の直系にしか興味も無いし働きかけられぬ。お前は我の為に子孫を増やさねばならぬのだ。

 

「う……ううん……」

 

 苦しそうに寝返りを始めおって。額に足を当てれば、少し熱が有るか?

 

「ふむ、我が下僕は健康管理がなってないな」

 

 高熱は子種を損なう可能性が有ると聞く。熱を冷ます為に裸で下僕に抱き付く。ひんやりとした我が気持ち良いのか、直ぐに抱き付いてきおって。

 踏んだ時は無反応だが、抱き付くと反応するとはな。

 

「正明よ……我を崇め我の力を欲しろ。これからは我と汝は一心同体。我が滅ぶ時、汝も滅ぶ。約束通り、肉親の魂は解放しようぞ……」

 

 盟約の証に正明の左手首に吸いつく。赤黒い蝶を模した痣。これが盟約の証だぞ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 風邪の時の特有の怠さと体の芯から湧き出る熱の気持ち悪さ。全身に汗をかいた時のベタベタした気持ち悪さ。だけど何か、小さくて冷たい何かを抱いている。

 気持ち良いなにか……嗚呼、夢だな。

 良い夢かと思えば、何時の間にか周囲が真っ暗になっている。何時もの悪夢の始まりだ。

 でも、でも爺さんと両親の魂は解放したんだ。胡蝶と約束したんだ。だからもう、この暗闇の悪夢は見なくても……

 

「正明……正明。有難う、正明。やっと解放された……」

 

 頭の中に響く懐かしい爺さんの声。最近は恨み辛みと苦しみしか話し掛けられなかったのに。

 

「爺さん!爺さん、何処だよ」

 

 暗闇の中で首を左右に振って爺さんを探す。本当に首を振ってるか分からない。視界も真っ暗なままだし……

 

「コッチだ、コッチだ正明」

 

 目の前に爺さん、隣には母さんを支える父さんが立っている。前は窶れて幽鬼の様だったが、今は死に装束に身を包んでいる。

 

「爺さん、母さん、父さん。無事だったか?」

 

 駆け寄って抱き締めたいが体が動かない。そもそも、この暗闇の世界では僕に体が有るのか?

 

「お前のお陰だ。辛い責め苦から解放されたよ。母さんは心が少し壊れてしまったがな……」

 

「母さんが?母さん、母さん平気か?」

 

 父さんに支えられた母さんは、無表情で僕を見ていた。一番最初に魂を捕らわれ、僕らみたいに鍛えてなかった母さんには辛い責め苦だったのか……

 

「ごめんよ、母さん。もっと早く助ける事が出来れば……」

 

 涙が溢れる感覚は有る。でも、それを拭おうとしても手の感覚が無い。

 

「良いんだ。これで、これで我々の魂は解放された。有難う、正明」

 

 爺さんの皺だらけの温かい手でワシワシと頭を撫でられる感触を最後に、段々と意識が遠くなっていった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目覚まし時計の電子音が鳴り響く。もう朝か……

 大きな欠伸をしながら両手で万歳をする。体がコキコキと鳴るが、風邪の症状は無い。至って爽やかな目覚めだ。

 洗面所に行き鏡で顔を見るが、寝癖でボサボサ髭もジョリジョリの何時もの顔。髭を剃って顔を洗い手櫛で髪を整える。

 途中、左手首に変な痣を見つけた。

 

「はて?こんな痣なんて有ったかな?形も変だし……蝶か?」

 

 今は時間が無いし痣くらい大した問題でも無いだろう?手早くトイレを済ませれば身支度は整った。

 

「ふむ、ハンサムでは無いがダンディーでも無い。普通のオッサンだな……」

 

 自分の容姿に客観的に判断が下せる位に落ち着いたなら大丈夫だ。昨日と態度が違うと桜岡さんが怪しむかも知れないし……

 待ち合わせの時間の7時キッカリに部屋の扉をノックする音がした。

 

「榎本さん、お早う御座いますわ。朝食に行きましょう」

 

 扉を開ければ、朝からキッチリと化粧をした彼女が居た。

 

「良く眠れましたか?僕は中々寝付けなくて、最後に時計を見たのが4時過ぎでしたよ」

 

 はははっと笑いながら寝不足を誤魔化す。

 

「あら?寝付けないのなら寝酒くらいはお付き合いしましたのに」

 

 エレベーターホールに行き呼び出しスイッチを押す。バイキング会場は最上階だ。

 

「最後はウィスキーの小瓶を一気飲みしました。流石に眠気が襲ってきましたよ。やはり洋酒は度数がキツいから……」

 

 バイキング会場に到着し、受付孃に朝食券を渡す。

 

「席は自由ですので、お好きな場所で食事をお楽しみ下さい」そう案内された。

 

 勿論、料理の近い四人掛けテーブルを確保。早速トレイを持ち、料理を見回す。残念だが昨日と殆ど変わらないが、今朝は茶粥と小豆粥が有った。

 寝不足で胃腸の調子はイマイチなので丁度良いかな?それぞれ2杯ずつ貰い、適当なオカズを取る。テーブルに戻ると山盛りの料理が!

 それを前に食事に手を付けずに待っている桜岡さん。

 

「お待たせ、じゃ頂きます!」

 

「今日の行動はどうしましょう?」

 

 ん?今日か……小原愛子の墓は見付けた。稲荷神社の件も昨夜で解決だ。何たって丹波の尾黒狐は胡蝶の腹の中だし……

 しかし丹波の尾黒狐が居なくなった為に、アレに抑え付けられていた連中が活発化しだした。昨夜も逃げ出す時に見た霊達は……

 二階の窓際に佇む女性、ホール入口のガラス扉に貼り付いていた掌。僅かに聞こえた女性か赤ん坊の泣き声。

 小原氏の身代わり札を押し付けたエム女の霊も居るよな。全然事前調査と違う内容だ……

 

「どうしましたか?急に黙り込んで……」

 

「いや、今後の方針がイマイチ固まらなくて。愛子さんの墓は見付られた。

供養と共に娘さんの身代わり札を供えようと思う。後……もう一度鷺沼を見に行ってみようか?」

 

 一応は僕らも霊能者だ。丹波の尾黒狐が居なくなった周辺の霊の動き位は探れるだろう。

 愛子さんのさ迷う霊は鷺沼に現れるとオヤジさんは言った。つまりお墓に居ない可能性も有るし、あの祠も気になる。

 遊女お鷺の悲劇が伝わる鷺沼なのに、姫とかの文字が彫って有った。もしかしたら全く見当違いかも知れないし……

 

「私達だけで危険じゃ有りませんか?神泉会の人達とも昨日有ってしまいましたし……」

 

「確かにね。でも愛子さんの目撃情報は鷺沼だよ。最悪はお墓と同じ供養を鷺沼で行わないと駄目かも知れないし。

前回の調査で、あの場所で霊の気配は無かった。でも一回行っただけじゃ分からない場合も有るし」

 

 ホラーハウスでの怪奇現象は、初めての場合は様子見で起こらない事が多い。本来なら彼らの活動が活発な夜に行くのが良いけれど、危険だし。

 

「分かりましたわ。先ずは愛子さんの霊を鎮める事から始めましょう……」

 

 そう神妙な顔で話す彼女のトレイは空っぽだった。僕は未だ2杯目の茶粥を食べ終わっただけなのに……

 いそいそとお代わりに行く彼女を見ながら、会話の途中で食べてたっけ?と、有り得ない早食いについて悩んでいた。

 

 

 

第70話

 

 朝食を終えて桜岡さんとは30分後にロビーで待ち合わせの約束をした。部屋に戻り身支度を整える。

 思った以上に清めの塩やお札を使ってしまった。今日は除霊作業は難しい……

 

「アレ?「箱」が無いぞ!おい、胡蝶何処に行ったんだ?」

 

 テーブルの上やベッドの下やシーツも捲って見るが、それらしい物は見付からない。昨夜はちゃんとサイドテーブルに置いた筈だ。

 その辺をウロウロされたら大騒ぎだぞ!

 

「おい、胡蝶!何処だ?」

 

 突然ベッドが盛り上がり、バサリとシーツを跳ね除けた全裸幼女の胡蝶。ベッドの上で胡座をかいて、万歳しながら欠伸をしてやがる。

 

「ん……体調はどうだ?我を一晩中抱き枕にするとは、困った下僕だな」

 

 朝日の中でニヤリと笑う胡蝶。何故だか禍々しさが少し減っている様な気がする?

 

「おっ、おまっお前なぁ?何だよ抱き枕って……もしかして風邪をひいてないのは胡蝶が?」

 

 僅かに頷く。

 

「高熱は種無しになるらしいからな。早く子を増やせ。我の下僕を増やすんだ」

 

 そのまま横になり投げ遣りな感じで命令する。こら、シーツに潜るな。

 

「これから出掛けるぞ!「箱」に戻れよ」

 

 ホテルの部屋に残して行くのは論外だ!多少の危険は承知してでも持ち歩く方が気分的に安心だから。でもさっきシーツを捲った時には「箱」は無かったぞ。

 

「ああ、あの器か……もう必要無いぞ。そもそもアレは我を封じ込めていた器だ。我には無意味だったがな。正明、お前の手首を見ろ」

 

 手首だと?

 

「違う左手首だ。我との盟約の印が有るな。我は汝と共に……」

 

 そう言うとグニャリと形が崩れ、モノトーンとなった流動体が左手首に這って来た。蝶の痣の中に吸い込まれていく胡蝶……

 

「ちょ、おい!僕自身が「箱」の代わりだと?おい、待てよ!出て来いって胡蝶さん」

 

 左手首の蝶の痣を叩くが自分が痛いだけだ。

 

「ヤバッもう待ち合わせの時間だ」

 

 バタバタと財布に携帯、小銭入れにハンカチ等をポケットに詰め込み上着を持って部屋を出る。胡蝶の言った「我と汝は共に」とは、僕の肉体が取り込まれたのか?

 一族の呪いを解いた代償は、器として胡蝶に使われるって事かよ?容積的にも腕の中にアレが収まるなんて無理だ。

 だが左手を握ったり開いたりするが異常は無い。全く次から次へと問題が多過ぎるだろ!

 

「実は僕の左腕は実は喰われて胡蝶の擬態って事はないよな?」

 

 昔、映画で見た「遊星からの物体○」とか漫画で読んだ「寄生○」を思い出しながら、自分のプライバシーが無くなった事を痛感した。だって一心同体って事は常に見られてるって事だ。

 露出狂じゃないんだからさ、全然嬉しくないぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ロビーで待ち合わせをした桜岡さんと車で廃ホテルへ向かう。勿論、廃ホテルに直接乗り込む訳でなく先ずは鷺沼。

 それから様子を見ながら廃ホテルの近く迄行く予定だ。昨晩の霊現象のオンパレードの後だから、今がどんな状態か確認したい。

 上手くすれば各個撃破が出来るかも知れないし……最大の障害たる丹波の尾黒狐は居ないから、少しだけ気が楽だ。

 愛子さんのお墓には、鷺沼の様子次第だ。身代わり札を試してみて反応が無ければ、お墓にお札を供えてみようと思う。

 

「榎本さん、鷺沼ですが前回は何も感じませんでしたわ。今回も同じではないでしょうか?危険ですが夜中に行った方が……」

 

 確かに霊の出現は夜!そんな風潮も有りますが、実際は24時間のべつまくなしに出ます。昼間だから安心とは限らないんだ。

 

「オヤジさんが言ってたよね。女の子が行くと愛子さんの霊が出ると……でも女の子って子供だよ。

夜に子供が行くとは考えられない。幾らキャンプ場とは言え、あの寂れ様だし。だから昼間の方が多かった筈。

今回は娘さんの身代わり札を用意した。これを使ってみようと思う」

 

 エム女に小原氏の身代わり札は効果が有った。だから娘さんの札を使えば、或いは愛子さんの霊が現れるかも知れない。

 でも本音は、昨夜の騒ぎの後の周りの様子を確認したいんだ。丹波の尾黒狐を胡蝶が食べた後に廃ホテルの怪奇現象は起こった。

 ならば鷺沼だって異変が有るかも知れない。彼女をそれらしい嘘で騙すのは気が引けるが、本当の事は言えない。

 しかも自分の左手首には霊獣をも喰らうバケモノが入ってます!とか話せば狂気の沙汰だ。

 そのまま心配されて精神病院に連行されるだろう……

 

 アレ?左手首にバケモノのってアレか?「鎮まれ俺の左腕!」とか僕の中の中学二年生が大暴れなアレか?なぁんて恥ずかしいんだ!思わず頭を掻き毟ってしまった。

 

「どっとうしました榎本さん。信号で停まるなり頭を抱え込んで?」

 

「いや、一寸……その、今更キャラの路線変更はどうかと思って」

 

 大人の知恵と思慮深さ、それと筋肉と科学技術で立ち向かう肉体派霊能者の僕が!全裸幼女使役霊を操る式神使いみたいな術者なんて笑えないぞ。

 いや全裸幼女の霊に使役される下僕みたいな術者?

 

「キャラですか?路線変更ってルートを変えてホテルに行くのですか?あっ、信号が青に変わりましたわ」

 

 胡蝶が現れる時の決め事をしておかないと駄目だ。左腕を掴み苦しみながら前に突き出し「いでよ、胡蝶!」とか寒すぎる。

 

 それとか勝手に出られて「キャーッ!全裸の幼女を連れてる変態が居ますわー」とか変態性欲者扱いで通報されるだろ?

 

 そもそも胡蝶の事がバレたら……いや、この業界にはトンでもない使役霊や霊獣を操る連中も居る。

 同世代には亀の神獣を纏わり憑かせてる女も居るし……自身の教団とかを立ち上げられそうだが、碌な事にならない自信が有る。

 胡蝶の由来が怨霊か邪神みたいだから、危険なカルト集団として排斥される危険性の方が高いだろ?などと悩んでいると先日来たばかりの鷺沼に着いた。

 一度来てるから迷わないしね……車をキャンプ場の駐車場に停めたら、お札と清めの塩での結界は忘れない。

 霊もそうだが神泉会の連中も心配だ。昨晩降った雨が草木の葉っぱの上に溜まり、午前中の日差しを浴びてキラキラ輝いている。

 岸部に立ち沼全体を見回してみるが、特に怪しい感じはしない。逆に爽やかでさえある。なので深呼吸をしてみた……

 

「すぅーはぁーすぅーはー!呪われた沼って感じはしないね。どっちかと言えば爽やかだ」

 

 水面は風による波紋が広がっている。覗き込めば透明度皆無の緑色だが光が反射して眩しい位だ。

 

「やはり夜に来ないと駄目かしら?昼と夜では見せる顔が違うのは人間と同じなのかしら……」

 

 何故か桜岡さんが難しい事を言ってるぞ。その元ネタは昼は淑女、夜は娼婦のように、か?

 

「先ずは前回同様、沼の周りを一周してみよう。何か感じる所が有れば調べてみれば良いよね」

 

 遊歩道は前回伐採したから、人が歩けるだけのスペースは出来ている。管理事務所は相変わらず鍵が閉まってるし、陸に上げられたボートにも変わりは無さそうだ。

 先ずは近くに行って鷺沼を覗き込む。岸から直ぐに30センチ位の水深が有り、徐々に深くなってるのだろう。日の光が差して辛うじて沼の底が見える。

 ヘドロと藻が漂ってるな。何となく座り込んで左手を水に浸けてみる……

 

「結構冷たいな……でも霊的な感じはしない。だが、この沼では人が亡くなっているんだよな」

 

 立ち上がって手を振り水気を飛ばす。隣で桜岡さんも同じ様に屈み込んで水に手を入れている。

 

「確かに冷たいわ。こんなに浅くて日の光が差しているのに……」

 

 確かに沼の水はアイスコーヒー位の冷たさだった。幾ら冬でも浅瀬の部分が、こんなに冷たいかな?

 

「風邪をひくよ。さぁ沼の周りの歩道を調べてみよう」

 

「そうですわね。では榎本さん、行きましょう」

 

 ナチュラルに僕の左腕に絡み付く桜岡さん。

 

「ちょ、歩道は狭いから並んでは無理……」

 

「誰も見てませんし、寒いから良いでは有りませんか……あら?何かしら、左腕に違和感が……」

 

 ヤバッ、流石は霊能者だ。胡蝶の事に気が付いたのか?

 

「なっ何だい違和感って?」

 

 僕の左腕をジッと見詰める彼女、ドキドキする僕。

 

「こう……霊力が漲(みなぎ)ってると言いますか……普段より強い力を感じますの。榎本さんは普段は右手で印を組んで祓いますよね?」

 

 確かに僕は愛染明王の印を組み真言を唱えてから右手に霊力をこめて祓う。良く僕を見ているな桜岡さんは……

 

「車の結界を張った残滓じゃないかな?両手を使ってお札を貼ったし……自分では分からないんだけどさ?」

 

 彼女から左腕を抜き取り、ブラブラと振ってみせる。本当は胡蝶の力が漏れているのか?これは漏れ出す力を封じる霊具が必要だな。

 結衣ちゃんの獣化を封じている数珠を僕も作って貰おうかな……

 

「兎に角、歩道を調べてみよう」そう言って先に歩き出す。

 

 彼女は不思議そうな顔をしていたが、改めて左腕にしがみついついた。違和感は感じても不信感は無さそうだ。

 

「ふふふっ、こうすれば暖かいですわ」

 

 何で本物のお嬢様が、こんなオッサンに懐いたんだか?ロリ道を貫く僕としては美人と腕を組んでも……いえ、街中では嫉妬に狂った野郎の目線は快感ですよ。

 ただ嬉しくても情欲は湧かないというか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 特に歩道を調べても不審な感じはしない。暫く歩くと例の祠に到着した。

 

「お供え物が新しくなってますわ。やはり誰かが信仰してるのですね」

 

 小さな祠に手を合わせている彼女を見て思う。確かにお供えの花と饅頭が新しい。前回はお酒と玉子を模した団子だった筈だ。

 御神体の石を改めて調べる。やはり部分的な漢字しか読めない。

 

「大蛇……姫……領主……遊女お鷺の名前も庄屋の息子の名前も無いな。そもそも時代が違うのか別の言い伝えなのか……」

 

 デジカメで文字を撮影する。佐々木氏に調べて貰おうかな?

 

「榎本さん、前に見た獣道が随分と拓けてますわ。最近拡張したみたいに……」

 

「ん?確かに前は草を踏み固めた位だったが、伐採されてるね」

 

 切られた枝を見れば、切り口は新しい。渇かずに樹液が滲んでる部分も有るから、精々ここ1〜2日位だと思う。

 

「行ってみよう」

 

「昨日の集落に繋がっているのかしら?」

 

 拓かれた道を歩く事15分位かな。見慣れた集落に突き当たった……此処は集落の外れ辺りだと思う。

 

「やはり集落に繋がってたね。今日は集落に行かずに戻ろう……」

 

 地理的な確認が出来ただけでも良しとしよう。

 

「オヤジさんにお会いしませんの?」

 

「愛子さんのお墓に行く前に訪ねよう。今は探索中だし、向こうだって自分の周りを調べられてるのは嫌だろ?」

 

 そう言って彼女の手を取り、来た道を戻る。黙って付いて来る彼女には悪いが、あの排他的な集落は信用出来ない。

 オヤジさんは娘さんの事も有るから比較的友好的だったが、その他の連中は分からない。僕等が調べ廻ってる事は余り知られない方が良いから。

 そう言えば手を繋いで歩くのは初めてだっけ?急に恥ずかしくなり不自然にならない様に手を離す。

 

「さて、一周して何も感じなければ最初の場所で身代わり札を使ってみようか?」

 

「もう、急に手を離さなくても……そうですわね。愛子さんの霊を呼んでみましょう」

 

 少し拗ね気味な彼女だが、身代わり札の使用については問題無いみたいだ。手持ちの霊具の残りを考えながら、何とかなるかなと判断する。

 娘さんの札の他に小原氏のお札も残っている。最悪の場合は元旦那に責任を持って貰おう。などと結構鬼畜な事を考えていた……

 

 

第71話

 

 小原愛子さんの霊を呼び出す為に、沼の畔で娘さんの身代わり札を取り出す。勿論、清めの塩で簡易結界を張っている。円形は無理なので四方に盛り塩をした。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱え、お札に霊力を注いでいく……念の為、お札を持つ手は右腕だ。

 

「小原七海(おばらななみ)の霊よ。母、小原愛子に語りかけよ……」

 

 霊力を徐々に注ぎながら周囲を確認する。しかし、特に異常は無さそうだ……

 

「小原七海(おばらななみ)の霊よ。母、小原愛子に語りかけよ……」

 

 その後、10分程の時間を掛けたが彼女は現れなかった。

 

「榎本さん。愛子さんは鷺沼には居ないのでしょうか?」

 

「うーん、どうだろう?時間帯か場所が違うのか分からない。もしかしたら既に成仏してるのか……」

 

 既に誰かに祓われているか、昨夜の廃ホテルに現れた人影なのか……しかし他のお札と違い一度霊力を込めた身代わり札を持ち歩くのは危険だ。

 そこに当人が居る様に見せ掛けるのだから……処分する必要が有る。

 身代わり札の右上を持ち、下からライターで火をつける。メラメラと燃え出すお札。火が上の方にまで来たら地面に置いて燃やし残りが無い様にする。

 完全に灰になり火が消えたのを確認したら、その灰を鷺沼に流す。

 

「何故、お札を燃したのですか?お墓の方に供えても……」

 

「一度身代わり札として霊力を注いだからね。変に暴発したり、他の霊を呼び寄せてしまうのが嫌だったんだ。

手持ちの除霊道具は殆ど無くなった。今回の調査は終了だ。後は両所長の調査報告を待ってから、方向性を決めようか?」

 

 思ったより除霊道具を使ってしまった。帰ったら作成しないと手持ちが殆ど無い。

 

「お墓の方には行きませんの?あと廃ホテルの近く迄……」

 

 少し不満が有りそうな口振りだ。当初の予定より早い店仕舞いだからか?

 

「うん、ここらが潮時だ。勿論、調査は続けるけど、今日はお終い。また準備をしてからね」

 

 無理はしないで安全第一!最近、このモットーが怪しくなってるから気を付けないと駄目かも。もう一度鷺沼全体を見回すが禍々しい感じはしないし霊感も反応しない。

 小原愛子さんは、この場所には居ないのかな?「さぁ帰ろう……」彼女を促し鷺沼をあとにする。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 駐車場に停めてあった車に戻り、結界を確認する。特に問題は無さそうだ。最後に残った清めた塩を自分達の体に振りかけてから車に乗り込む。

 エンジンも問題無く掛かり、安全運転で出発。途中ルームミラーで後部座席及び後方を確認するが異常は無し。

 昨夜は容易く結界を抜かれたが、アレは丹波の尾黒狐の助力が有ったからと思いたい。

 

「榎本さん……今回の調査ですが、成果は有ったのでしょうか?」

 

 前を向きながら両手を軽く握り膝の上に置いた格好で質問をしてくる。彼女的には不満な内容なのだろうか?

 

「僅か三日間だからね。でも佐々木氏から情報を得られたし小原愛子さんの肉親にも会えた。

祠の写真も撮れたし近くの集落の場所も確認。神泉会の行動も確認出来たし、彼等は集落に溶け込んでないのも分かったし……

それをオヤジさんに彼等の事を忠告も出来た。成果は有ったよね」

 

 それに最大の敵だった丹波の尾黒狐は胡蝶が喰らってしまった。一族の悲劇も止められたし肉親の魂も解放出来た。僕としては大満足だ!

 勿論左手首の痣に胡蝶が入り込んだ事は大問題だが、少なくとも爺さんと両親の魂は救えたんだ。僕の目的の半分以上は達成された……

 

「何ですか?穏やかな笑みなど浮かべて……榎本さん、今日は少し変ですわよ?」

 

 ぷーっと頬を膨らませる彼女。

 

「そうかい?普段と変わらないと思うけど……」

 

 麓まで降りてきたので一安心だ。県道に合流し八王子駅方面に車を走らせる。暫く車内は無言になる……

 県道を走らせていると焼き肉チェーン店の看板を発見、安楽亭だ!此処は豚足とかもメニューに有るし安くて味はそれなりでお勧めだ。

 

「桜岡さん、お昼は焼き肉にしようか?あのチェーン店で良いかな?」

 

「安楽亭ですわね。ネギカルビが好きですわ!あと豚足を酢味噌で食べさせてくれるんですよね」

 

 あのぷりぷり感が良いですわ!とか言っているが女性で豚足好きは珍しいかな。やはり食の好みが近いのは嬉しいものだ。

 結局二人で30人前を完食し、お店の方から引かれてしまったが……二度と来ないかも知れないから問題無いかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今夜が八王子滞在の最後の夜。佐々木さんのお礼を兼ねて夕食に招待した。場所は滞在しているホテルに有る「割烹相模湾」。

 名前の通り相模湾で採れた魚介類を食べさせる店だ。ホテル自体がバリアフリー対応になっており、必然的にテナントも対応してる。

 つまり車椅子でも安心だ。最近は車椅子対応のタクシーが有り、桜岡さんが同乗し迎えに行って貰った。

 車椅子+四人は無理だし、お酒も飲む予定だからね。帰りも送る為に同じタクシーは手配済み。

 18時開始で20時終了、迎えを20時15分にしておいた。送迎で30分は掛かるので、その間に胡蝶と話す事にする。

 ベッドに腰掛け、ドアをロックしカーテンを閉める。左手首の痣に話し掛ける。

 

「おい、胡蝶……出て来てくれ」

 

 すると蝶の痣が滲みモノトーンの流動体が流れ出す。何故、僕の膝の上に?流動体が盛り上がり人体を形成する。

 何時もと同じ全裸幼女の胡蝶だ。首に手を回し膝の上に座っている。

 

「何だ、正明。まだ夜でもないのに伽でもさせる気か?」

 

 ちろりと舌で唇を舐める姿は妖艶だ。

 

「いや、何か対応が急にエロくなったけど……何故だ?」

 

 こら、人の首筋を舐めるな!

 

「ん?今風に言うとデレ期だな。正明が思い出す前は罰を与えていた時期だからツン期か」

 

 ちょ、おま……思い出すとか知らなかったのをお前の言葉から連想したんだぞ!それに肉親を殺された事をツン期とか言うな。

 

「元々我は正明の祖先に喚ばれた存在。贄を捧げる限りは一族を繁栄させる約束だ。

正明、お前は……我も色々と学んでいるが人殺しが大罪の時代に、我の為に多くの人間の肉体も魂も我に捧げている。

力有る霊獣も昨夜喰えたし、我の下僕としての働きは十分だ。700年待たされたが、お前なら文句は無い。ならば褒美を与えるのは吝かでないぞ」

 

 僕は……そうだった、自分の為に他人を犠牲にしてたんだ。だから騒がれない様に目立たない様にしてたんだ。

 僕も十分に悪人だ、小原氏の事を悪くは言えない。

 

「ははははっ、地獄行き確定の所業だよな。僕は本当に人として最低だ……」

 

 パタンとベッドに倒れ込む。目を逸らしていた事実に直面ってか?自責の念か僅かに残る善意か……胸が苦しくなる。

 そんな僕の腹に馬乗りの胡蝶は、何か考える様に顎に手を当てている。

 

「なんだ?罪の重さに悩んでるのか?人間など生きているだけで罪ではないか!

他の生物の犠牲の上に成り立つ種族よ。気にするな正明。お前を責める奴は我が喰ってやるからな」

 

 多分慰めてくれているのだろう。表現は物騒極まりないが……昔を考えれば有り得ない事だな。

 もっとサディスティックで我が儘で理不尽なバケモノだった。いや、今でも本体はバケモノなんだが……でも今なら共生出来るだろう。

 一心同体・呉越同舟・死なば諸共・一蓮托生、兎にも角にも一緒に生きるしか無いんだ。

 

「それでも僕は意地汚く生きるよ。胡蝶、君を呼ぶ時はどうするんだ?

人前で左手首から人を生やす訳にはいかないし。桜岡さんも左腕に違和感が有るとか言われたし……」

 

「ふむ、出でよ胡蝶!とでも騒げば出てやるぞ。それとも、我が腕より出でよ胡蝶!でも良いが?」

 

 ああ、僕の中の中学二年生が暴発しそうで嫌だなぁ……

 

「それは嫌だ!そんな恥ずかしい事をする位なら呼ばない、叫ばない、必要ない」

 

「我が儘な下僕だな。我が呼び出しに応じてやろうと言うのに……分かった、ただ胡蝶と呼べば良い」

 

 呼ぶだけ?なら許容範囲内だな。

 

「あと桜岡さんが左腕に違和感が有るとか言ってたが……自分だと分からないんだけど、何か違うのかな?」

 

 左手首を見ながら普通と違う所を探す。毎日見慣れた自分の腕だが、変わったのは蝶の痣くらいだ。これも腕時計でもすれば隠れるだろう。

 

「我がお前と同化してる時に僅かながら力が漏れている。質の違う霊力を纏ってたから気になったのだろう。ほんの僅かな霊力だから違和感と言ったのだろう」

 

 なる程な……性質の異なる二人分の霊力を感知したからか。普段は霊力封じの数珠でもするか?

 でもとっさの対応が出来ないか……いや疑われるよりマシだろう。

 

「我を乗せながら何を考え込んでるのだ?それでヤルのかヤラないのか?」

 

 やはりエロくなっている胡蝶の両脇に手を入れて持ち上げる。そのまま自分も起き上がり、彼女をベッドに座らせる。

 

「取り敢えず胡蝶と呼ぶまでは中にいてくれ。これから恩人の接待が有るから腕に入ってくれるか?」

 

 時計を見れば桜岡さんが迎えに行ってから20分が過ぎている。そろそろロビーで待ってないと駄目だ。

 

「ふん。正明好みの姿なのに我に手を出さんとは、あの乳巫女にでも誑かされたか?まぁ良い、早く子を孕ませろよ」

 

 グニャリと体が崩れたと思えばモノトーンの流動体となり左手首に這ってくる。慣れない光景だ……

 

「さて、佐々木さんを迎えに行きますか」

 

 財布と携帯電話を持ってロビーに向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ロビーで待っていると車椅子に乗った佐々木氏と、それを押す奥様。案内する桜岡さんがやって来た。

 

「今晩は、佐々木さん」

 

「ああ榎本さん、ご招待有難う御座います。わざわざお迎え迄手配して頂いて」

 

 社交辞令の後は車椅子を押すのを変わり、ホテルの3階に有る「割烹相模湾」に案内する。テーブルの個室を予約したので、車椅子のまま席に付いて貰う。

 

「今夜は此方でコースを選ばせて頂きました。後はメニューから好きな料理を頼んで下さい。お酒は飲み放題で此方のメニューからです」

 

 コースは一人前で一万円。鮪と地魚をメインにした物で〆はにぎり寿司だ。別で船盛りを用意している。

 

「儂等は老人だし、そんなに呑まないが……そうだな、地酒の箱根山を冷やで頂こうかな」

 

「私は焼酎をお湯割りで……百年の孤独が良いですわ」

 

「僕はアサヒのスーパードライを佐々木さんの奥様はソフトドリンクですか?」

 

「ええ、アイスの烏龍茶をお願いします」

 

 呼び出しボタンを押してファーストドリンクをオーダーする。飲み物が揃う迄は雑談だ。

 

「佐々木さん、例の鷺沼に行ってきました。でも祠の御神体の石碑には遊女お鷺の悲劇ではなく、姫・領主・大蛇の文字が刻んで有りました。他に伝説が有るのでしょうか?」

 

「ふむ、大蛇か……その石碑の文字は写真か何かで記録したかい?」

 

「ええ、写真に撮りました。参考にメールで送ります。あっ飲み物が来ましたね……では、佐々木さんと知り合えた事に感謝をして、乾杯!」

 

「「「乾杯!」」」

 

 調査の話は此処までにして、お礼の宴を楽しんだ。佐々木さん夫妻は僕等の仕事について興味が有るらしく色々と質問責めだ。

 僕等も過去の事件を面白おかしく話した。勿論、依頼人のプライバシーに関する事はボカシながらね。

 今日で僕達の調査は一旦中止で、明日には横須賀に帰るのだが……思いも寄らない展開が僕らを待ち構えていた。

 何と桜岡さんに小原氏から連絡が有ったのだ。相談したい事が有ると伝言と連絡先が留守電に入っていた。

 



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第72話から第74話

第72話

 

 桜岡さんのオフィスから転送された電話。結衣ちゃんが学校に行っている時間帯だった。留守電に入っていたメッセージは、例の小原氏から相談したい事が有るので一度お会いしたい。

 そして連絡先の電話番号が入っていた。結衣ちゃんが帰宅後にメッセージをチェックし、僕と桜岡さんにメールしてくれた。

 結衣ちゃんは小原氏の事は知らないし、僕等も同姓同名かと思った。念の為、電話番号をパソコンで調べてみたら小原氏が所有する会社の代表電話だ。

 僕等はホテルをチェックアウト寸前にメールを貰った。

 

「さて、どう思う?」

 

「どうって言われましても、私は小原氏とは面識が有りませんし……」

 

 ホテルの喫茶店で珈琲を飲みながら相談する。時刻は9時7分。チェックアウトには少し時間が有る。

 

「僕等は管理会社がテレビ局に持ち込んだ、彼の所有する廃業したホテルを調べている。しかし実際に管理会社には接触せず、問題のホテルにだって入って無い」

 

 頷く桜岡さん……しかし、僕は不法侵入をしてるし祀られていた稲荷神と戦った。しかしバレてはいないと思う。

 防犯カメラも無いし目撃者は居ない筈だし、居てもあの霊障の中で無事と言う事は同業者だ。だが胡蝶が霊能力者を見逃す筈も無い。

 

「仮に管理会社の暴走を止めるならテレビ局にクレームを入れる。僕等は依頼されてるだけだから、僕等が辞退してもテレビ局が変わりを雇えば意味がない」

 

 安っぽい珈琲を飲もうとして、空なのに気付く。ああ、もう無いや。仕方無くお冷やを飲む。

 

「私の事務所に掛けてきたのは、仕事の依頼ではないでしょうか?テレビ局に任せずに直接私達と契約したい、とか?」

 

 んー有り得る話だけど、散々放置していたホテルの霊障を今は被害が収まってるのに頼むかな?それとも神泉会と結託して罠に嵌めにきたか?

 

「確かに何かの仕事を依頼したいんだろうけど……僕等が彼の所有しているホテルを調べ回ってるのを知ってるかが問題だ。

メッセージを受け取った以上、連絡はしないと駄目だろう。でも八王子から掛けるのも不自然だ。一旦家に戻ろうか」

 

「私達が彼の事を調べてるのを悟らせない為ですわね?」

 

「知っていれば無意味だけど、情報が少ないからね。わざわざヒントをあげる事は無いでしょ?」

 

 そうと決まれば、即行動!レシートの奪い合いが始まる。共に社会人だし毎回僕に奢られるのが、お嬢様的には気に入らないらしい。

 

 だがしかし!

 

 大抵の場合、男女で来れば男性側にレシートは置かれる。つまり僕の方が早く取れるんだ。

 

「もう!毎回奢られるのは嫌なんです」

 

 そうは言っても男の見栄が許さないのだよ……僕等はホテルをチェックアウトし自宅に向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 帰り道は順調だった。平日の昼間に都心から反対方向へ走るのだから当たり前かな?

 高速道路を使い横浜横須賀道路の佐原インターを下りた時は未だお昼前だ。今朝は慌ただしかったので朝食バイキングは控え目だったから……

 

「桜岡さん、お昼はスシローにしない?昨日は焼き肉だったし」

 

「あら?昨夜も和食で〆にお寿司を頂きましたわ」

 

 確かににぎり寿司は一人前で物足りなかったが、船盛りは十人前は有ったな。でも桜岡さんが、此処まで言うって事は他に食べたい物が有るのか?

 

「さては他に食べたい物が有るんだな?」

 

「ふふふっ、分かりますか?前に榎本さんが横須賀の134号線沿線はラーメン街道だって言いましたわ。私、ラーメンが食べたいです」

 

 現在、佐原インターを出て京急線北久里浜駅に向かっている。このルートで思い浮かぶラーメン屋は……長谷川家・きたくり家・どんぐり・平松家・北京・三和……

 

「何杯食べる?ラーメン屋は食券制が殆どだし量を頼むのは面倒臭いから、食べ歩こうか?」

 

 まさか食券を何枚も買ってオーダーするのも嫌だし、替え玉の有る店は近くに無いし。

 

「小原氏に連絡するのを考えると90分位でしょうか?」

 

 少なくとも2時前には事務所で電話をするとなると……確かに自由な時間は90分位か。

 

「じゃ最初はトロけるチャーシュー麺の三和から行こうか?」

 

 一番近いラーメン屋を思い浮かべる。流れ的には、三和・北京・平松家・どんぐり辺りでタイムアップだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ゲフッ……90分で四件は無理が有ったよね」

 

「でも美味しかったですわ」

 

 現在、事務所のソファーで一休み中です。ラーメン8杯はキツかった。しかも全て大盛りだったし、餃子や焼豚とかサイドメニューも頼んだし、当然白米も一緒だ。

 ラーメンにご飯は外せない。時間が無いから早食いなのも僕的には辛かった。スピード勝負なら桜岡さんがダントツだし……

 ソファーにだらしなく座り休んだ事で少し回復した。

 

「さて、電話を掛ける準備をしますか?」

 

 実は自宅の電話を使うのが嫌だったので、結局横須賀中央の事務所迄やって来た。流石に携帯電話や公衆電話もないだろう。

 何故、僕のと言うか他人の事務所から電話を掛けたかと聞かれれば協同作業中だからと言えば良い。まぁ桜岡さんの上大岡の事務所でも良かったんだけど、そこまで行くのが大変だったから……

 念の為、通話の録音準備をする。僕のデスクに座って貰い机にメモ帳を用意。

 

「では、掛けますね……」

 

 固定電話のボタンを押していく桜岡さん。

 

「あっあの……私、office sakuraoka の桜岡霞と申します。昨日、留守番電話にメッセージを頂きまして……はい、はい……そうです」

 

 彼女の後ろに立ちながら話を聞いている。メモ書きを覗けば、霊障・女の幽霊・自宅に現れる・何人かの霊能力者に依頼中……か。

 どうやら小原氏が霊障に合い、それの除霊依頼らしいが。

 

「はい、少々お待ち下さい。あの……榎本さん。小原さんが霊障について除霊をお願いしたいので、お会いしたいと。今日なんですが……」

 

 受話器を押さえて聞いてくる。つまり一緒に行って欲しいかな。頷いて了承の旨を伝える。

 

「はい、分かりました。場所と時間は……はい。それで私以外にも同行させても宜しいでしょうか?

はい、何時も協力して頂いている同業者です。はい、では二名で伺いますわ……」

 

 そう言って受話器を置いた。ソファーに促して向かい合わせに座る。

 

「榎本さん。小原さんは女性の悪霊に襲われているそうです。お抱えの霊能力者の手に負えず、何人かの同業者に声を掛けているみたいです……」

 

 嫌な記憶が蘇る。エム女の悪霊に小原氏の身代わり札を押し当てた……まさか、あのエム女が?確かに僕じゃ祓えない強力な悪霊だったけど。

 

「本当に襲われたなら悠長な事は言えないよね。今日と言われても仕方無いだろう。

でも手持ちの除霊道具は少ない。話を聞いて今晩から対応はキツいよ」

 

 お札も清めの塩も事務所のストックだけじゃ心許ないな。

 

「でも、こう言ってはなんですが……罠ではないでしょうか?タイミングが良すぎる様な気がしません?」

 

 確かに僕等が調査に行った日に小原氏に霊障が有った。出来過ぎな感じもするが、僕には心当たりが有るからな……

 

「場所と時間は?」

 

「場所は港区高輪の小原氏の東京の別宅。時間は5時です……」

 

 港区高輪?ああ、品川駅の近くの高級住宅地か。此処から電車なら1時間掛からないし、駅からタクシーを使えば1時間半もみれば着くな。

 

「罠かもしれないが、行くと言ったからには一度は行かないとね。仕事を請けるかは話の内容と条件次第。

もしかしたら……廃ホテルの霊が関係してるかも知れない。この話は避けられないよ」

 

 女癖が悪いと有名な小原氏に女の悪霊が現れる、か……

 

「一旦自宅に戻って有るだけの除霊道具を用意しよう。最悪そのまま夜を迎える事に……ああ、車で行かないと駄目かな?」

 

 どれだけの荷物を用意すれば良いかな?最悪は向こうで用意して貰おうかな。

 

「でも廃墟では有りませんからランタンとかは必要無いのでは?」

 

 力有る連中なら停電なんて当たり前。人間は明かりが無ければ行動出来ないんだよ。

 

「デジタル温度計・カメラやモニター類。本来なら拠点を構えて各種センサーで見張るんだ。

幾らなんでも小原氏にベッタリ付きっ切りは嫌だし、護衛対象の目の前に現れるのを待つのは下策だよ」

 

 幾ら力ある悪霊とは言え、結界を張り巡らせれば簡単に目的地には行けない。途中で現れた所を察知し迎撃したい。

 

「本当に榎本さんって普通の霊能力者とは違いますわ。何か研究者みたい」

 

 クスクス笑ってるけど安全第一なんだよ。

 

「さて荷物の用意をしようか。品川に5時だと3時半には出たい。そんなに時間は無いよ」

 

 パンパンと手を叩き、桜岡さんを急かす。ああ、結衣ちゃんに会えずに又仕事か……でも桜岡さんを一人で行かせる訳には行かないし。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東京都港区高輪の高級住宅地に小原氏の別宅は有った。

 

「デカい……敷地だけでも400坪位有りそうだ。洋風建築三階建てか」

 

 正門の前で見上げているとインターホンで話し掛けられた。

 

「どちら様でしょうか?」

 

 思わず見つめ合うが、桜岡さんを促す。

 

「今日の5時にお約束をしています、桜岡です」

 

 そう言うと自動的に両開きの正門が開いた。

 

「車を右側の駐車スペースへ。お迎えにあがります」

 

 気を付けて見回せばドーム型の監視カメラも有る。言われた通りに車を敷地内に入れる。

 駐車スペースとは言え、楽に10台は停められるだろう。既に先客が居るのだろう。ベンツやBMWが停まってるがナンバーが柏とか足立とかだ。

 一番手前に愛車cubeを停める。車を出ると如何にも執事っぽい中年が現れた。

 

「お待たせ致しました。office sakuraoka 代表、桜岡様とお連れ様ですね。主人がお待ちしております。どうぞ、此方へ」

 

 まさに慇懃な態度はプロの執事っぽい。流石は悪どい金持ちだ。執事さんを先頭に室内に案内される。

 20畳は有りそうな洋間に案内されると、何人かの先客が居た。

 

「あと一組のお客様が御座いますので、もう暫くお待ち下さい」

 

 執事さんが退出したので、空いているソファーに座り周りを見回す。三人掛けのソファーに桜岡さんがピッタリ寄り添って座るのをヤンワリと距離を……

 握り拳一つ分空けて貰う。

 

 改めて見回せば……

 

 アレってシスターの衣装だぞ。窓際には3人の若いシスターが居た。皆さん20代後半から30代前半だろうか?肌の露出は全くないが、肉感的な淫靡さが漂う。

 僕はロリコンだから平気だが。斜向かいに座る一団は……見覚えが有るんだけど。

 

 一人掛けソファーに座る20代後半?の女性。周りにも20代と思われる女性が2人立っている。全員ビジネススーツ姿だからキャリアウーマンの団体に見える。

 だが座っている女性に見覚えが……

 

「アレは亀の霊獣を使役する……確か亀が丘八幡宮、いや亀宮さんだっけ?」

 

 同期で飛び抜けた霊能力を持ち、霊獣をも従えた女性が居たのだが。霊視をすれば彼女に纏わり付く亀が見える。

 亀の霊獣が此方を睨んでいるが、警戒されてるのかな?此方の視線に気が付いたのか、軽く会釈をしてくれた。

 此方も軽くお辞儀をする。彼女は強大だが、悪い噂は聞かない。ただ業界最強の一角には間違い無いけど……

 

 最後に隅の方に1人で座っている女性。若い、この中でも若い。多分10代半ば、高そうな着物を着こなしているが僕には分かる。

 着痩せするタイプだし大人びてい過ぎている。全員が美女・美少女だが、僕のタイプは0。そうロリは0だ。

 

「帰りたい……帰って結衣ちゃんと話がしたいんだ」

 

「お待たせ致しました。最後のお客様が到着致しましたので、主人からお話しが有りますそのままお待ち下さい」

 

 最後の客ね。一体誰なんだろうか?

 

 

第73話

 

 東京都港区高輪の小原邸に集められた霊能力者達。僕を除いて全員が女性だ!これは女癖の悪い小原氏の趣味なのか?

 

 先ずは3人の若いシスター達。次はビジネススーツ姿の3人、亀の霊獣を使役する亀宮さん御一行だ。最後に高そうな着物を着こなしている少女。

 

 亀宮さん以外は知らない連中だ。そして最後に現れたのが……

 

「あら、霞じゃない。貴女も呼ばれたのね?」

 

 摩耶山のヤンキー巫女、桜岡さんのお母さんだ。確かに摩耶山のヤンキー巫女は一人で神泉会と神泉聖浄をボコボコにした猛者だ。

 つまり呼ばれた彼女達の実力は確かなのかもしれない。でも生霊専門の梓巫女を呼んだ事を考えれば美女・美少女を集めたとも考えられるし……

 男は僕1人ってのも居心地が悪いよね。桜岡さん母娘が近状報告をしているのを聞きながら溜め息をついた……

 

「ああ、帰りたい」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 暫く待たされると、先程の執事さんが現れた。どうやら小原氏の登場らしい。

 

「お待たせ致しました。主人が参ります」

 

 そう言うと壮年の男性が部屋に入って来た。その後ろには右腕と頭に包帯を巻いた女性が……上座に設えたソファーに座る小原氏。

 その両隣に包帯を巻いた女性と執事さん。

 

「皆さん、良く集まって下さいました。皆さんを日本で有数の霊能力者の方々と見込んでお願いが有ります」

 

 周りを見回しながら丁寧な言葉を使う小原氏。しかし僕を見た時に「何で男が居るんだ、コラ?」的な顔をした。

 

 つまり女性ばかりを集めたんだ。自分が悪霊に襲われているのに、余裕なのかな?

 

「先ずは皆様のご紹介をさせて頂きます。訂正が有れば、その場でお願い致します。先ずは……亀宮流除霊会、亀宮様とお連れの鈴木様・西原様」

 

 呼ばれると優雅に立ち上がり一礼する亀宮さん。

 

「続きましてセントクレアの会、代表メリッサ様とお連れのフローラ様・マリエン様」

 

 あのシスター達だ。どう見ても日本人だが、洗礼名だろうか?小原氏も目を細めて彼女達を見ている。

 

「続きまして小笠原様」

 

 あの着物少女だ。名字だけだから何も情報が分からない。軽く会釈をするだけだが、良い所のお嬢様だろう品の良さだ。

 

「続きましてoffice sakuraoka代表、桜岡様とお連れの榎本様」

 

「違いますわ。榎本さんは私が師事しています個人事務所の所長ですわ。榎本心霊調査事務所の所長です」

 

「いや、今日は桜岡さんのお供だから……」

 

 そんなに目立つ様な紹介は、それに師事ってナニ?

 

「榎本心霊調査事務所所長、榎本。中堅の霊能力者と言われながら、除霊達成率は100%の実績を誇る謎の男。主に不動産関係の除霊が専門……」

 

 着物少女が余計な実績を……実績?謎の男?

 

「いや達成率100%は違うだろ?実際解決してない案件も……」

 

「難易度AAA(トリプルエー)の案件も彼が調査すると霊障がおさまる。報告では特に異常無しと言うが、それが謎で異常……」

 

 僕の身に余る悪霊でも胡蝶が喰っちゃうからな……だから異常無しと報告するのだが、この少女は何者なんだ?

 

「それに彼が部屋に入って来てから、亀ちゃんが彼から視線を外さないわ。この子がこんなに警戒するのは初めてよ」

 

 亀宮さんから余計なコメントきたー!

 

「いや、買い被り過ぎだから……」

 

 僕の左手を指差しながら「その左手首の数珠……力を隠してますわね?」と言ってくれたよ。胡蝶の漏れた力を隠す為に取り敢えず付けた数珠だ。

 霊力の漏れを抑える力は弱い。だから力有る同業者と会うのは嫌だったんだよ……溜め息が出るよね。

 

「まぁお互い切り札を隠すのは……同業者なら尚更ですよね」

 

 これ以上突っ込まれない様に、切り札的な話にする。これを言っても詳しく聞きに来るのは業界のマナー違反だ。誰しも自分の力は秘密だからね……

 

「では訂正します……office sakuraoka代表、桜岡様。榎本心霊調査事務所所長、榎本様」

 

 取り敢えずソファーに座ったままだが頭を下げる。皆さん変な目で此方を見てるし、桜岡さんはキラキラした目で僕を見上げてるし……

 

「最後に摩耶山の巫女、桜岡様。桜岡様は先程紹介しましたoffice sakuraoka代表、桜岡様と親子で御座います」

 

 流石は空気の読める執事さん!摩耶山のヤンキー巫女と言わないのは流石だ。執事さんは包帯を巻いた女性に目配せをする。

 

「皆様初めまして。私は小原様専属の霊能力者の高野と申します。昨晩、当屋敷に悪霊が現れました。

幸い私の結界に阻まれ小原様に被害は有りませんでしたが、直接対峙した私はこの有様です……」

 

 両手を広げて怪我のアピールをする。物理的な攻撃手段を持っている相手。それと結界に強引に侵入するとなると……やはり僕の所為かな?

 

「相手は若い女性でした。結界が反応しても強引に入り込み、物質化してるので殴られました」

 

 着物少女が手を上げる。促す執事さん。

 

「恨み辛みで現れる怨霊と思う、心当たりは?」

 

 お前が悪いんじゃね?って決め付けたぞ。この少女、良い根性してるな。

 

「小原様は数々の成功者です。逆恨みも多いですし、商売敵からの嫌がらせも考えられます」

 

 模範解答だな、執事さんは……直訳すると「悪どい事をしてるんだし、怨んでる奴なんか特定出来るかよボケェ!」だな。

 

「それで?私達を集めて全員で対処して欲しいのですか?」

 

 追い討ちを掛ける少女。

 

「そうです。報酬は300万円、成功者には別途500万円をお支払いしましょう」

 

 小原氏が堪えられず金額を提示してきたが……

 

「それは各人でしょうか?それとも団体毎?それと成功報酬は割り勘?それともトドメを刺した者が総取り?」

 

 シスター・メリッサから金の配分確認きたー!本当に聖職者か?

 

「300万円は各団体に、成功報酬は皆様で話し合って下さい」

 

 あらあら、やはりトドメを刺した方の総取りよね?とかお日様の様な笑顔で言わないで下さい。つまりシスターさん達は周りの連中を出し抜いて倒せるだけの自信が有るんだ。

 

「宜しければ、お願い致します」

 

 そう執事さんが纏めに入ったので、手を上げて質問をする。

 

「はい、榎本様。他に何か有りますでしょうか?」大有りです。

 

「先ずは責任区分と仕事の内容を確認させて下さい。この屋敷に現れる女性の霊を祓う迄が仕事でしょうか?何時来るか分からない霊を常に張り付いて対応しろと?」

 

 女性ばかりなのに、小原氏に付きっ切りで良いのかな?

 

「そうです。衣食住は此方で用意させて頂きますが……」

 

 確かに広い家だし当然ゲストルームとかも有るんだろう。

 

「次に除霊に際しての怪我や器物破損、また他の方への怪我等の保障や責任、費用負担は其方で宜しいですか?」

 

「それは……」

 

「我々も命懸けですし、此方のお屋敷の備品を壊したら弁償となれば行動に制限が掛かります。労災保険も入れない業界ですし、怪我したり・させたりが自己負担は辛いですから」

 

 個人で傷害保障とか無理。

 

「いえ、それは……」

 

「他の方々は分かりませんが、私達は契約書を取り交わしませんと仕事は請けられません」

 

 突然の契約書話に戸惑っているのが分かる。でも此方も仕事だから不安な内容では進められない。

 

「契約書とか直ぐには……」

 

 鞄から数枚の基本契約書を取り出す。常に雛型は用意してるから。松尾の爺さんにも確認してもらった珠玉の逸品だ!勿論、僕のリスク回避の為だけどね。

 

「基本契約書は此方に……内容は御確認下さい。って横から取らないで」

 

 着物少女が執事さんに渡す基本契約書を横から奪った。ふむふむと読んでいるが分かってるのか?

 

「この責任と仕事内容の明確な区分、依頼人の責任を確実に記載する内容。良く有る除霊後のトラブルが発生する余地の無さ。

流石です。私も同じ契約書を使わせて欲しいです」

 

 こら、基本契約書を亀宮さんに渡すな。

 

「ふーん、こんな契約書なんて有るの。除霊なんて亀ちゃんが食べちゃうから簡単なのに……」

 

 ああ、シスターさんまで読んでるし……

 

「でも私達の責任や負担が軽減しますね。コレは良いわ……」

 

 皆が読み終わる迄は暫くかかるだろう。ソファーに深く座り直し、目を瞑る。この業界の連中は基本的に丼勘定だ。

 仕事を請けるリスクの重要性を理解していない。もっとも負けたら即死亡や重度の傷害を負う危険も有るから、請負金も高いんだけど……

 

「榎本さん、榎本さん。この基本調査料とか道具の損料ってなに?日割り計算になってるけど、これだと安くない?」

 

 基本契約書には料金体系も書いてある。何日、何人掛かるか分からないし……

 

「霊能力は特殊技能だから、拘束する日数により最低価格を決めている。昼は基本7時間、夜は基本6時間。それ以上は1時間毎で増額。

除霊道具だって無料じゃないしレンタカーや照明器具とかも使う場合が有る。場合によっては興信所に頼んで外部機関の調査も必要だ。

請求額にだって根拠がいるだろ?

後から高い安いとか揉めるなら事前に明確な金額を決めれば良い。もし難易度が高ければ、応援を頼むなり辞退したりも有るだろう。

その場合は、調査だけの費用を請求する。一見提示された300万円は高額だ。

だが危険度や拘束期間が分からないのに仕事は請けない。これは僕のやり方だから皆さんに当てはめるのは……」

 

 何ですか、皆さん僕をジッと見て……

 

「思い出したわ。貴方、駆け出しの頃に狂犬と呼ばれてたわね。当時は大した事なかったけど、10年で見違えたわ。今は事務処理も出来るゴリさんね」

 

 狂犬か……確かに駆け出しの頃は霊に対して怨みしか無かったからな。そんな過去の恥ずかしい徒名を……

 

「違います!榎本さんは私の番クマ、躾の行き届いたクマさんなんです。断じてゴリラじゃないですわ」

 

 ゴリラもクマも大差ないだろう?立ち上がり亀宮さんを睨み付ける桜岡さん。ああ、亀宮さんもニヤリと笑いながら立ち上がらない。

 

「其処までだよ二人共、良い大人なんだから、ね?」

 

 やっとシスターさん達が読み終わった基本契約書を返してくれた。

 

「私達も同じ内容で契約したいです。3頁目からの項目は不要ですが……」

 

 3頁目から?ああ、料金体系の項目か。彼女達はお金にシビアなシスターなんだね。

 

「あの……高野さんも何ですか?」

 

 僕の手元の基本契約書を覗き込んでいる。

 

「いえ、私も専属なんですが契約書とか交わしてなくて。この怪我も自腹なんですよ」

 

 黙って彼女に基本契約書を渡す。ソファーに座り込んで熟読する高野さん。実際に怪我を自前で負担した彼女には、契約書の大切さが身にしみたんだろう。

 

「えー、僕の基本契約書は僕の能力を基準にしてます。小原氏が提示した300万円ですが、この契約書ですと……

もし今晩解決すれば一人当たり5万円位にしかなりません。成功報酬は別ですが。それを踏まえて考えて下さい」

 

 執事さんがニコニコしながら「本当に契約を結べば安くなるのですか?後から追加料金の発生は?」と言うが、料金が安いのは直接除霊する以外の責任が無いからですよ。

 

 言いませんけど……

 

「勿論です。安く分かり易くが基本ですし、その分何から何まで全部はやりませんよ」

 

 一式無増減の契約はしない、実数実測が基本だ。

 

「どうせ今夜も襲ってくるのは間違い無い。安いなら、その契約書で構わない。定岡、準備を進めてくれ。さて、皆さん。夕食にご招待しますよ。では後程……」

 

 途中、空気だった小原氏が強引に纏めてお開きとなった。契約書は双方の署名と捺印だけだから直ぐに終わるだろう。でも……

 

「アンタら仕事に対する契約の考えが甘いぞ!自信が有るなら構わないけど、丼勘定過ぎるだろ?人一人後遺症の有る怪我を負わせたら保障だけで大変なんだよ」

 

 取り敢えず契約書を珍しいと騒いでいる彼女達に怒った。仕事を請けるなら契約を舐めるな、と……まぁ全てが自己責任なら関係無いんだろうけどね。

 

 

第74話

 

 小原氏を囲む美女・美少女霊能力者との食事会は大変美味しかったです。洋食フルコースだったが、量は物足りなかったな……

 食事を終えると各自の部屋へ案内された。各団体毎の部屋割りだが、桜岡親子で一室。僕だけが一人で一室だ。

 男一人だから相部屋では困るけど、何故だか彼女達のゲストルームと違い従業員の当直部屋みたいだ。

 ユニットバスもトイレも完備だから文句は無いけど、あからさまな差別?

 部屋に入り鍵をかけ備え付けのトイレに入る。洋便器の蓋の上に座り込んで左手首を見る。

 

「なぁ胡蝶、出て来てくれよ」

 

 呼び掛けると同時に蝶の痣から溢れ出すモノトーンの流動体。盛り上がり人型になれば、全裸幼女の胡蝶さんだ。今回は僕の膝の上で向き合う様に座っている。

 

「正明、アレ食べたい」いきなり贄の要求!

 

「いやアレじゃ分からないから無理。てか、アレって襲ってくるエム女か?」

 

 胡蝶の食事は基本的に霊体だ、人間も生で食べるが……

 

「そうだ。前回は取り残したが、アレはかなりの力が有るな。みすみす他の奴にくれてやるには惜しい」

 

 胡蝶の平らな胸を見ながら思う。あのメンバーを出し抜いて胡蝶に食べさせるのは無理だって。成功報酬500万円にシスターさん達は目の色を変えていたし……

 

「今回は胡蝶が出るの無理。何とかならないか?せめて服を着て下さい」

 

 女性ばかりの今回のメンバーで、全裸幼女召喚は社会的に死ねる。

 

「ふむ……あの亀も旨そうだが、今回はあの怨霊を是非とも喰いたい。仕方無いな……正明、アヤツが来たら数珠を外して左腕で掴め。

そうすれば我が外に出ずとも喰える。チャンスが有れば、あの亀も触れ」

 

「亀宮さんの亀は駄目だ!悪い事はしてないし、アレって霊獣だけど善玉だろ?」

 

 敵対するなら仕方無いが、アレでも亀と亀宮さんは当世最強の霊能力者だ。此方から喧嘩を売るのは良くない。

 

「分かった分かった。面倒臭いのは嫌なのだろ?片方は今晩も来るだろう。我はアレを喰いたい。分かるな、正明?」

 

 そう言って首を甘噛みすると、痣に引っ込んでいった。ヤレヤレ、ウチのお姫様はアレがご所望か……

 しかし、あの連中を出し抜いて掴むなんて出来るのか?本来のトイレの機能を使用して部屋に戻る。さて準備はしますか。

 内線電話が有るので受話器を取ると呼び出し音が……3コール目で繋がった。

 

「はい、榎本様。何でしょうか?」

 

 内線番号だけで分かるのか?声は執事さんだ。

 

「屋敷内に感知用の機器を設置するのは駄目ですか?監視カメラは有るからデジタル温度計と出来ればサーモカメラを設置したいのですが」

 

「デジタル温度計とサーモカメラですか?何故でしょうか」

 

「霊の出現を事前に確認出来ます。大抵の霊は出現する時に何らかの温度変化が有りますし、サーモカメラは見えない彼らを捉えます」

 

「警備主任と高野を向かわせますので、榎本様から御説明下さい」

 

 そう言って切られた。つまり執事さんの管理範疇外だから担当者を説得しろってか?2分も待たない内に扉がノックされた。厳つい筋肉の黒服に高野さん。

 

「良い筋肉だな」

 

「む、貴様も良い筋肉だな。で、何で屋敷内にカメラや温度計を配置するんだ?」

 

 備え付けのテーブルに案内するが、小さめの椅子は筋肉組には窮屈だ。

 

「ああ、監視カメラが有るなら警備室にモニターが有るんだろ?そこに小原氏の周辺の部屋や廊下にデジタル温度計とサーモカメラを設置する。

コードは200m有るから警備室まで引けるだろう。霊の出現を早めに感知出来れば対応も早い」

 

「サーモカメラは駄目だ。画像を撮すのは……デジタル温度計なら問題無いが、あてになるのか?」

 

 撮られちゃマズい物でも有るのか?

 

「ただ不眠不休で小原氏の周りで待つよりは、な。監視カメラと同じ場所に設置したい。異常が有れば監視カメラで確認出来る。

デジタル温度計は5台、モニターは数字しか出ないから配置場所は教えて欲しい。高野さん」

 

「はっはい」

 

 いきなり名前を呼ばれて挙動不審な彼女?

 

「夕食の時に大体の説明は聞きましたが、幾つか確認とお願いが。女の霊を最初に感知したのは庭に張った結界だよね。

その場所にデジタル温度計を一つ設置したい。その後、結界を破りながら来たルートにもう一台。

最後は高野さんが見て、小原氏の寝室の周辺に残りを。監視カメラの配置も考えて設置場所を教えて欲しい」

 

「設置は良いがケーブルを通すとなると戸締まりが出来ないぞ」

 

 警備上、戸締まりが出来ないのは良くない。でも細いケーブルだから……

 

「直径5mm程だからエアコンとかの貫通穴でも欄間や格子の付いたトイレの窓でも大丈夫。無線式も有るけど霊障とかで感度が悪い時が有るから有線が良いんだ」

 

 それなら問題無いだろうと設置を手伝ってくれるそうだ。因みに警備室は、宛てがわれた部屋の隣だ。この部屋は警備員の宿直室かよ!

 デジタル温度計の設置を終えて、数値の読み方を当直の警備員に教える。何か有れば内線か携帯で連絡してくれと、監視業務を押し付ける事に成功。

 少しは仮眠が取れそうだ。高野さんと別れて宿直室に戻る。

 シャワーを浴びてベッドに横になると、眠気が……枕元に置いた携帯の呼び出し音で目が覚める。ディスプレイに表示された文字は桜岡さんか。

 

「はい、もしもし」

 

「榎本さん、桜岡です。あの……今後の方針はどうしましょう?」

 

 そうだった、彼女に何も言ってなかったな。

 

「悪い、言ってなかったね。屋敷の監視室に話をつけてある。監視カメラとデジタル温度計で異常が有れば連絡が来る。

そうしたら僕から桜岡さんに電話するよ。だから暫くは休んでも大丈夫だよ」

 

「流石ですわ。でも準備をなさる前に教えて下さい。お手伝いしたかったです」

 

 そう言って電話を切った。さて、少し寝よう……

 

「榎本さん、榎本さん」

 

 トントンと扉を叩く音で目が覚めた。時計を見れば寝てから20分も経ってない。誰だよ、安眠を妨げるのは?のっそりと起き上がり扉を開ける。

 

「はい……あー今晩は、何か用かな?」

 

 毒舌着物少女が立っていた。しかも無表情で……

 

「文句を言いに来た。皆、嫌々ながら小原氏と一緒に居る。

貴方達が来ないから探したら警備室に話をつけて独自のセンサーまで設置してた。抜け駆け駄目」

 

 無表情ながら非難の籠もった目で見上げられている。

 

「いや共闘してないし、小原氏も僕と一緒は嫌だろうし、僕もアレ嫌いだし」

 

 何で一晩中オッサンがオッサンと一緒に居なきゃなんないの?

 

「小原氏は桜岡親子は呼ぶ気なかった。霞さんは保護者同伴だし、私は未成年。でも亀宮さんは額に井形を作って付き合ってる。お酒飲まされてる」

 

 何ですと?悪霊に襲われてるのに関係者にお酒を強要だと!

 

「うん、馬鹿なんだな。小原氏は……

でも亀宮さんもシスターさん達もプロだから、皆それぞれ対策をとってるよ。だからお節介は不要だよね?」

 

 おっ?少しだけ非難する様な表情になった。美少女の怒った顔は迫力が違うな。

 

「彼女達は迎撃タイプ。現れる敵に対応。索敵や連携とか無頓着」

 

 うん、亀宮さんは亀の霊獣だけに防御が凄いらしい。来たヤツを喰うが、攻めに行くのは不向きだとか。

 

「そうだね……でも除霊スタイルは人それぞれだから、他人が口を出すのはマナー違反だよ」

 

 霊能力者は自分の能力に自信とプライドが有る。下手な助言は逆効果の場合が多いんだ。

 

「マナー違反は貴方。女性が訪ねて来てるのにドアの外に立たせっぱなしはどうなの?」

 

 いや、逆に紳士的な対応だろ。普通は夜中に女性を連れ込んだりしない。

 もっとも好みのロリなら考えたが、若いけど彼女じゃそんな気分にはならない。

 

「美少女を夜中に部屋に連れ込まないのが紳士的な対応だ。君も少し仮眠した方が良いよ。勝負は23時以降だろう……」

 

 警戒網は張ってある。後は誰よりも早くエム女の頭を左手で掴めば終わりだ。胡蝶なら、あの程度なら瞬殺出来るからね。

 

「私、美少女かな?無愛想だし口調が変って言われてる」

 

 何だっけ、素直クールだっけ?ポンポンと右手で頭を軽く叩く。

 

「標準以上の美少女だから自信を持ちな。オジサンも嬉しいから。じゃ僕は少し寝るから……」

 

 そう言って扉を閉めた。小原氏は彼女達を侍らせて飲んでるのか……女癖が悪いとは知ってるけど、亀宮さんがキレたら大変だぞ。

 僕には関係無いからベッドに潜り込む。少しは休まないと本番で役にたたないからね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 突然内線で呼ばれ警備室に飛び込んだ。

 

「どうした?何か異常が……って庭の温度がマイナスだって?」

 

 警備員が示すモニターはデジタル温度計が観測した数値を表している。マイナス6℃。雪国では珍しくもないが、此処は東京だ。

 監視カメラのモニターでもハッキリ分かる。霜が降りカメラのレンズも曇ってきた。

 

「人から聞いたら笑い出す状況だよな……庭の一部だけが氷点下になるなんて異常過ぎるだろう。

直接この目で見てるから信じるが、他の人に話したら変人扱いだな。ほら、木の傍に人影が見えるだろ。この場所に案内してくれ」

 

 僕が八王子の廃ホテルで遭遇したのも木の傍だったな。警備員に付いて行きながら携帯で桜岡さんに連絡し、状況を伝えた。警備室の直ぐ脇の扉から外に出て、屋敷を迂回する様に走る。

 直ぐに問題の庭に出れた。

 

「さっ寒いな。吐く息が白いぜ……さて、お嬢さん今晩は……」

 

 前回同様、俯き加減で立ち上半身をクネクネと動かしている。病的に白い皮膚は傷だらけだ。前よりも胸の辺りの爛れが酷い。

 僕が清めの塩を撒いた辺りだな。つまりダメージ蓄積型だ。時間を掛ければ僕でも祓えるだろうか?

 

「わたっ……私の……あの人は……何処に隠したー」

 

 突然大声をあげて騒ぎ出した。慌てず、ゆっくりと愛染明王の真言を唱える。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 右手に持っているペットボトルに入った清めた塩に霊力を満たせて行く。

 

「はっ!」

 

 霊力を込めた清めた塩を彼女にブチ撒ける!

 

「うぎゃ……うぎゃぎゃ……私と……あの人……の仲を……邪魔……する……の……ね」

 

 前回同様、顔から胸にかけてブチ撒けた清めた塩は、プスプスと白い煙をあげながら彼女の体を焼いていく。

 だが倒すには至らない。

 

「榎本さん、手助けしますわ!」

 

 桜岡母娘が来てくれた。ならば残りのメンバーも直ぐに来るな。早く片を付けよう。

 

「おまっ……お前……わたっ……私の……彼を……寝取った……売女……め……」

 

 桜岡さんを娘の方を指差して、ワナワナと震えるエム女。彼女を誰かと勘違いしてるのか?

 

「違っ、榎本さん。私違います。寝取ったとか、違いますから……」

 

 彼女が慌てている内に、残りのメンバーがやって来た。もう時間が無い。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 再度、愛染明王の真言を唱え左手首に巻いた数珠を外す。

 

「成仏するんだぞ」

 

 桜岡さんを指差して騒いでいるエム女の顔を掴む。やれ、胡蝶!

 

「あがっ…あががが……」メキョメキョメキョ!

 

 悲鳴と何とも言えない生物を砕く音を出しながら、エム女が僕の左手に吸い込まれて行く。

 僅か5秒にも満たない惨劇……全てを吸い終わってから、左腕を軽く振って数珠を嵌め直す。

 やはり胡蝶の力ならエム女程度なら楽勝だったな。

 

「凄い。ライバルをセクハラ野郎に押し付け、自分は警備室を傘下に置いて早期に索敵。

発見後、身内以外の証人が現れるのを待って殲滅。文句の無い一人勝ち」

 

 何時の間にか僕の隣に居た着物少女が、トンでもない毒舌で状況を説明しやがった!

 



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第75話から第77話

第75話

 

「凄い。ライバルをセクハラ野郎に押し付け、自分は警備室を傘下に置いて早期に索敵。

発見後、身内以外の証人が現れるのを待って殲滅。文句の無い一人勝ち」

 

 素直クールの着物少女が現状を解説してくれた。僕の脇に立ち見上げる表情は相変わらず無表情。

 良く見ればボブカットに高級な着物姿は日本人形みたいだ。無表情の中で唇だけが妙に紅色だが、口紅つけてるのかな?今風だとグロス?リップ?

 

「榎本さん、酷い人ね。私達にホステス紛いな事をさせて、自分で解決しちゃって」

 

 メリッサ様だっけ?清楚な筈の修道服を肉感的に着こなしたイケないシスターズが僕を取り囲む。

 彼女達はお金大好きみたいだし、成功報酬独り占めは気に入らないってか?

 

「依頼された仕事をこなす事はプロとして当たり前ですよ。貴女達も承知で小原さんと、お酒を飲んだんでしょ?

逆に小原氏の部屋に直接現れたら僕は間に合わなかった。運が良かったんですよ」

 

 シスターズ包囲網から脱出し、桜岡母娘の隣へ移動する。

 

「まぁ私達は小原さんに張り付いてて迎え撃つつもりでしたからね。榎本さんの読みと準備の勝利だわ」

 

 亀宮さんが常識的な執り成しをしてくれたから、シスターさん達も認めないけど納得はした感じだ。遅れながら高野さんを伴った小原氏が現れた。

 結構酔っ払ってるぞ。顔は真っ赤だしよろけてるし……

 

「あの女の霊は倒したのか?もう安心なんだな?」

 

「榎本さんが一人で退治した。皆の見てる前で。もう安心して平気」

 

 君は説明役か?着物少女の言葉に僕を見詰める小原氏。僕が退治しちゃ、そんなに不思議か?

 

「榎本さんは貴方が飲んだくれている時に監視体制を構築。警備員と協力し早期発見。かなり強い怨霊を一撃で退治した」

 

 振り向いて警備員を見ると彼は小原氏に頷いた。

 

「榎本さんでしたか。有難う御座います。これで安心なんですね?」

 

 漸く僕の事を認めたのか、酒臭い笑顔で握手を求めてきたが……

 

「朝まで警戒しましょう。彼女だけとは限らない。場合によっては一体倒したら本命が現れるとかも有りますから。

明日の朝に今回の報告と相談が有ります。警備には悪いが今晩一晩は警戒して下さい。僕が仮眠室に詰めてますから……」

 

 嫌々だが表情には出さず軽く握手をし、一旦屋敷の中に入ってもらう。女癖の悪い金持ちの手を握る趣味はないが、仕事を貰っているから大人の対応をする。

 社会人としては真っ当な対応だって出来るんだ。勿論、ニ体目なんて居ないだろう。

 でも、それを知っているのは小原氏の身代わり札を誤使用してエム女を此処に送り込んだ僕だけだ……今回の件を絡めて、本格的に八王子の廃ホテルの除霊を勧めよう。

 そうすれば、所有者の責任として予算が貰える。今回良い所の無かった連中にも手伝って貰えれば、独り占めのお詫びになるだろう。

 結衣ちゃんの警備費が赤字だったが補填出来たな。500万円の成功報酬は正直嬉しい……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝、僕は仮眠室まで来てくれた着物少女によって起こされた。二回目の襲撃は無いと安心して寝てしまっていた。彼女には感謝しないとね。

 警備をしてたのに朝食に寝坊して遅れたとか恥ずかし過ぎる。僕の前をスタスタと歩く彼女の後ろ姿を見ながら思う。今日は平日だが、この子は学校とか行ってるのか?

 まだ高校生位だと思うんだけど……

 

 着物を着ていても分かる丸みを帯びたお尻を見ながら思う。やはり脱ぐと凄いんですよ、な体型だ。

 ロリムチならご馳走だが、彼女は大人び過ぎている。それこそ桜岡さんより精神年齢が高そうだ。

 

「皆、待ってる」

 

 食堂に向かうと小原氏を除き全員が揃っていた。桜岡さん母娘の間が空いているのは、僕はあそこか?

 

「お早う御座います」

 

 桜岡さんに着物少女と一緒なのに不審がられたが、呼びに来てくれただけだからと説明。直ぐに小原氏が来て朝食を食べ始めた。

 珈琲にカリカリベーコン、目玉焼き。レタス・胡瓜・アスパラのサラダ。パンは普通の食パンだ。

 食材自体は高級品なんだろう、ありふれたメニューだが味は良かった。僕と桜岡さんには軽めの食事を済ませてから昨夜の説明をする事となる。

 テーブルの上の食器類が片付けられ、新しい珈琲が配られる。砂糖とミルクをタップリ入れて一口。うん、珈琲がカフェオレになりました……

 

「では榎本さん、昨夜の事を説明して下さい」

 

 小原氏の言葉に、皆が一斉に僕を見詰める。

 

「えー、先ずは僕と桜岡さんが請けていた仕事から説明します。僕らは小原氏が所有する八王子の廃業したホテルの心霊調査をしていました」

 

「私は、そんな調査など頼んでないぞ」

 

 小原氏が不審そうに僕を見る。つまりアレは管理会社の独断か……

 

「発端は、ホテルを管理している会社よりテレビ局に依頼が有りました。巷で噂になって困ってるから調査をして欲しい、と……

でもオーナーが知らないなら管理会社の独断でしたね。僕らも怪しいと思い、正式に請ける前に仮調査を申し込み調査中だったんです」

 

 一旦話すのを止めて小原氏を見る。

 

「あの女の霊は君達がホテルを調べたからやって来たんじゃないのか?」その通りです!

 

 でも想定済みの質問だから、顔色を変えたりはしない。

 

「小原さんが疑うのも分かります。僕等も貴方達を信じていなかった。何故なら管理会社は、関西の神泉会の系列だ。

そして心霊詐欺を行う悪徳団体。神泉聖浄は桜岡さんのお母さんが心霊詐欺の被害を受けて潰した連中だ。怨みも有るだろう。

だから小原さんと神泉会が繋がってると考えた。今回の依頼のタイミングが良すぎたので……」

 

 調査の最終日に呼び出しなんてストーカーも真っ青なタイミングだったしね。

 

「だから榎本さんは、今回の除霊を独りで行った。私達を疑ってた?」

 

 着物少女が僅かに悲しそうな顔で此方を見ている。なんだ、無表情って訳じゃないじゃん。

 

「ごめんね。正直、罠かと思った。桜岡さん母娘を呼ぶのもおかしいと……」

 

 着物少女の目を見て謝罪する。この子は悪い感じがしない。

 

「私は君達を罠に嵌めるつもりも無いし、そんな心霊団体とも連んでないぞ」

 

 疑われて心底心外だって顔で小原氏も騒ぐ。多分本当に関係無いのだろう。ならば今回の除霊騒ぎの罪は彼らに被って貰おうかな……

 

「あの女の霊。僕等がテレビ局クルーと調査に行った時にホテルから桜岡さんを睨んでいた奴だ。昨夜も桜岡さんを見て怨み事を言っていた。

生前に恨みの有る相手に似ていたんだろう。桜岡さんもホテルに行った時の視線と昨夜の霊の視線。似ていたと思わなかった?」

 

「えっ?確かにホテルに行った時に感じた悪寒と同じ……でも何故、ホテルから小原さんの屋敷に現れたのかしら?」

 

 あの女の霊は、桜岡さんが生前恨んだ相手に似ていたから……だから廃ホテルで睨んでいたんだ。

 

「これは推測だけど、僕等は確かに廃ホテルを調べた。でも中には入ってない。

周囲の鷺沼や集落・桃源の滝を調べたり過去の死亡事故や失踪事件等を図書館で調べていた程度だ。

途中、集落の食堂で管理会社の連中と接触し色々聞かれた。僕等は彼等が神泉会の関係者と知ってるが、彼等は素性がバレてるのを知らない。

そして僕等は小原さんとは直接会った事はないし東京の屋敷も知らない。だから、あの女の霊を寄越す事は出来ない」

 

「榎本さんの仕事運びって興信所みたいね。本命の廃墟に乗り込めば早いじゃないの?」

 

 これだから規格外の力の持ち主は困るんだ。そんな強力な守護霊獣がいるのは亀宮さん、貴女くらいです。

 

「ネットで事前に調べただけでも心霊現象は多かったんだ。しかも稲荷神社が放置されてる。

伏見稲荷に問い合わせれば、名のある狐が勧請されていた。崇められていた神を放置すれば邪悪に変化する可能性は高い。だから慎重に調べていたんだ」

 

 勿論、丹波の尾黒狐は既に居ない。胡蝶が喰ってしまったからね。

 

「うむ、あのホテルは廃業してから結構な年数が経つが……そんな噂は知らなかったな。じゃあ何故、あの女の霊は現れたんだ?」

 

 ここからが正念場だ。小原氏に廃ホテルの除霊を彼女達に依頼させ、管理会社……神泉会と手を切らせる為に!

 

「距離の離れた場所に霊を送り込めるのは……僕は神泉会が使役霊として送り込んだと思う。

彼等の心霊詐欺の手口だ。霊障を起こして、それを祓う。自作自演だから簡単だ。

彼等の東京進出の拠点として選ばれた。それに小原さんは地元の名士だから、恩を売るのに丁度良かったのでは?」

 

 小原さんが顔を真っ赤にして怒ってるな。確かに僕の言葉を信じるなら嵌められた訳だし……

 

「定岡!奴らを調べろ。もし本当だったら思い知らせてやるぞ」

 

「管理会社と神泉会の調査は僕等もしてますから、良かったら調書を渡します。裏を取るだけなら、その方が早いでしょう」

 

 この手の対処は早い方が良い。

 

「何から何まですまない。調書を貰い次第対策をとる。榎本君、君は有能だ。私の専属にならないか?」

 

 何言ってるんだ、嫌です。僕の目的、肉親の魂解放は達成された。

 あとは胡蝶との付き合い方だけだが、自由奔放な彼女の命令に専属では対応出来ない。

 

「残念ですが、僕も得意先が有りますから専属は……それと神泉会の件とは別に廃業したホテルの除霊と稲荷神社の魂抜きは実施した方が良いかと。

彼等が小原さんを狙った理由も、ホテルに集う霊を利用し易いと考えたからです」

 

 とっとと廃業したホテルの対処しないと、何時次が来るか分からないよ?

 

「むぅ……しかし、今回の除霊で2000万円を用意したが実際は600万円も掛からなかった。ならば余った費用で、不安材料を無くすか……」

 

 ブツブツと金勘定を始めた小原氏を放っておいて、亀宮さん達を見る。

 

「貴女達も、ただ来ただけじゃ気持ちもおさまらないでしょ?どうですか、八王子の廃墟ホテルの除霊を請け負っては?勿論、僕はサポートに廻りますよ」

 

 抜け駆けしないし成功報酬を狙ったりもしない。この条件ならどうだ?

 くいくいと引かれた袖を見ると、着物少女が何かを言いたそうだが……

 

 屈んで耳を近付けると、他に聞こえない様にボソボソと「不動産専門の貴方がサポート。つまり普段の手順と手の内を見せない為。それに今回のお詫びも兼ねてる。やはり貴方は酷い人」とか囁いた。

 

「ちょ、君は……毒舌過ぎるぞ」

 

 少しだけ嬉しそうな顔をして「私は小笠原静願(おがさわらしずね)小笠原除霊術の跡継ぎ娘。母は小笠原魅鈴(おがさわらみれ)。此処へは母の代理で来た」と自己紹介をしてくれた。

 

 小笠原除霊術?うーん、聞いた事が無いな。

 

「それで小原さん、どうしますか?」

 

 腕を組んで考えている小原氏に決断をせまる。

 

「八王子のホテルを放置したらどうなる?」

 

「先程の怨霊クラスが居るかは不明ですね。でも周辺での不審死も多く鷺沼でも目撃例も有る。放置された稲荷神社。所有者に呪いが行かない可能性は低いでしょう。

なに、稲荷神社の件は伏見稲荷にお願いすれば良いですしホテル周辺の霊は彼女達なら楽勝でしょう。神泉会については何とも……」

 

 執事さんと高野さんとボソボソ相談してるけど、一寸強引な話では有るよね。どうやら決まったみたいだな。ヨシとかそれでOKとか言ってるし……

 

「皆さん、榎本さんの調書待ちですが八王子に所有するホテルについて除霊をお願いしたい。神泉会については調査後にお願いするかも知れませんか宜しいでしょうか?」

 

 皆さん頷いてますが、どうやら上手く行ったのか?これで解決の目処がついた。後はテレビ局への対処だが、オーナーが認めてない企画だから中止だろう。

 

「桜岡さん、急いで帰って調書を小原さんへ渡そう。忙しくなるね」

 

 急展開に不安顔の彼女に話し掛ける。

 

「榎本さん、帰りにファミレスに寄りませんか?上品過ぎて物足りなかったです」

 

 大食いの僕等では確かに足りないよね。

 

「たまには高速のインターのレストランに行きますか?」

 

 24時間利用可能なインターではレストランも早い時間から営業しているからね。僕等は一旦帰って調書を小原氏へ、他の皆さんは屋敷に滞在するそうです。

 調書の裏は直ぐに取れるだろうし、小原氏もこれで終わりじゃないって言ったから護衛の為に丁度良いのかな?

 

 

第76話

 

 小原氏に八王子の廃ホテルの除霊について許可を取り付けた。それに亀宮さんやメリッサさん達にも協力を取り付けたし。

 小笠原さんは……母親の代理らしいが、このまま残るのかな?

 未成年だし扱いは微妙だ……因みに桜岡さんの母親の方は残るらしい。

 テレビ局には悪いが、この企画は潰れるだろう。管理会社よりも所有者の意向の方が強い。心霊物件なんて不名誉で嫌だろうからね。

 

「で?小笠原さんが付いて来るのは何故?見送りは不要だし帰るなら駅まで送るよ」

 

 屋敷の駐車スペースまで僕らに付いて来た彼女に問い掛ける。

 

「気晴らしにドライブしたい。この屋敷に居るのは嫌」

 

 嫌って言われても……桜岡さんを見るが、ヤバい無表情だ。久し振りに見る迫力の有る無表情……

 

「あの……桜岡さん?怒ってますか?」

 

「いいえ、怒ってなんかいませんわ。でも私達、一旦帰るだけですから同行しても楽しくないですわよ?」

 

 どうみても怒ってるよね?僕を挟み美女と美少女が睨み合ってるのは、僕が二股野郎みたいで嬉しくも有るが両方好みじゃない。

 

「そこっ!ニヤニヤしない」

 

 何時の間にか、高野さんが近くに立ってるし。

 

「いや二股野郎かと思ったけど、榎本さん彼女達を嫌らしい目でみてないし。私は小原さんと仕事が長いので分かるのですが、彼ってドスケベだから目が嫌らしいのよ。

榎本さんは全然違うわ。えっと、ホモ?」

 

「はぁ?僕は健全な(ロリ)女性大好き人間です。仲間と子供に嫌らしい目を向ける訳が無いじゃないですか!」

 

 確かに桜岡さんは美女だし、小笠原さんも美少女だ。だがしかし、両方好みじゃ無いから欲情はしないんだよ。

 

「小原さんが私も同行しろって。まぁ一番頼りになりそうな榎本さんが離れるのが不安なんでしょ」

 

 一番頼りになるねぇ?専属の霊能力者を手元から離しても?

 

「まだ信用されてないって事だね。神泉会の事が分かれば違ってくるんだろうけど」

 

「女癖の悪いセクハラ野郎だけど無能じゃないし用心深さは有る。でも専属の霊能力者を差し向けるのは不自然。対応するなら警備員だと思う」

 

 この子、この毒舌は一般社会じゃマズいだろ?高野さんも顔が引き吊ってるし……

 

「小笠原さん。口調より毒舌が周りとの距離を感じさせるんだよ。人は正しく間違いを指摘されるのは嫌なんだ。たとえ美少女でも悪感情を抱く」

 

 ポンポンと頭を軽く叩きながら指摘する。

 

「なる程、私が周りに溶け込み辛い訳が分かった。確かに私自身も悪いと思っていた口調を責められるとイラっときた」

 

 車のドアロックをリモコンキーで開けて「小笠原さんと高野さんは後ろに、桜岡さんは前へ。昼迄には戻ろう」一人乗せるも二人乗せるも一緒だ。

 

 早く出発しよう。小原氏の邸宅を後にした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 首都高速道路から横浜横須賀道路に乗り継ぎ、横須賀方面に向かう。事務所にも調書の控えが有るから、自宅には行かない。

 結衣ちゃん成分が不足気味なんだから、早く帰りたいんだけど。途中横須賀インターで小休止。

 

 トイレ休憩と……「「オヤツを食べます」」「「それはオヤツとは言いません」」

 

 インターのレストランの一角に陣取り、朝食の不足分を補給する。早く安く多くがモットーだけ有り、チープな美味しさが溢れている。

 

「猿島ワカメうどん・三崎鮪カツ定食・タダのカレー、これがオヤツなら今朝食べた物は何ですか?」

 

 カレーをパクパク食べる僕と桜岡さんを見て、呆れた様に聞いてくる。大分表情が出て来たね。

 

「ん?無表情って言ってたけど、ちゃんと呆れた表情が顔に出てるよ。僕等の霊能力は燃費が悪いんだよ」

 

「嘘!何もしてない桜岡さんが沢山食べる理由が無い」

 

 カレーを平らげ猿島ワカメうどんに挑戦する。シマッタ、時間の経ったワカメが汁を吸って絶賛増殖中だ!山盛りのワカメから切り崩していく。

 

「それは女体の神秘だ。小笠原さんこそ、寒いのにソフトクリームで良いの?」

 

 因みに小笠原さんがソフトクリーム。高野さんはたこ焼きとアイスティーだ。彼女は右手に怪我を負ってるから片手で食べやすい物を選んだ。

 

「甘いものは好き。ケーキよりカロリーが低いから、アイスは好き」

 

 目を逸らせて下を向いてボソボソと喋るが、目元がホンノリ赤くなってるのを見逃さなかった。

 

「今度は照れた感じが出てる。少しずつ表情が現れてるから大丈夫だね」

 

「ばか!」

 

 素直クールからクーデレか?まぁオッサンにデレはしないよな。三崎鮪カツ定食は鮪の醤油漬けの赤身をフライにした物だ。

 それが3枚にポテトサラダとキャベツの千切り。何故か紅ショウガが乗ったご飯と味噌汁。ご飯は勿論、大盛りだ!

 

「榎本さん、罰として1枚貰いますわ」

 

「なっ?何が罰だ!さては桜岡さん、僕が500万円独り占めにしたの恨んでるな?」

 

 桜岡さんの箸使いは高速だ。簡単に僕の対空防御をかい潜り鮪カツを奪っていく。

 

「違います。デレデレしやがって、この野郎です!」

 

 畜生、2枚目の鮪カツまで奪いやがって!これじゃポテトサラダ定食だぞ。最後に残った鮪カツを口に放り込む。

 後は虚しいポテトサラダと紅ショウガだけ定食だ。

 

「覚えていろよ、桜岡霞。食い物の恨みは忘れない」

 

 ポテトサラダでご飯をかき込み、オヤツを終了する。小笠原さんと高野さんは恥ずかしくなったのか、テーブルを移っていた。

 大分表情が豊かになって良かったね?でもね、着物少女と包帯だらけ女性も立派に目立ってますから!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横須賀市の中央部、京浜急行電鉄横須賀中央駅近くの僕の事務所に到着した。実に5日振りに事務所に来た為に、留守番電話やメールのチェックを手早く行う。

 女性陣は事務所内を家捜し中だ……

 

「防犯カメラに清めの塩とお札を使った結界ね。玄関ドアの鍵は3箇所も有るし窓も2重ロック。

あっ窓枠にも結界を仕込んでるんだ。榎本さんて防御型じゃないのに、結界が凄いわ」

 

 結界は胡蝶が未だ「箱」入り娘だった頃に、他の連中にバレない様にする為に頑張って学んだんだ。

 

「高野さんは西洋系の結界を得意としてるよね。小原さんの屋敷には、水晶を使った結界が張ってあったし。アレって素材が高価な分、効き目も凄いよね」

 

 重要そうなメールのみ、開いて確認する。特に興信所の両所長からも報告は無しか。

 

「そうなんですよ。小原さんも自宅の結界で必要っていっても渋るんですよ。

やはり海外製より国内産の方が私には馴染むのに。榎本さんもお札や清めの塩とか出費が大変では?」

 

 同じ地球から産出されるのに国によって効果が違うのか、水晶って?

 

「ん?お札も清めの塩も自作。ちゃんと僧籍も持ってるから自分の祭壇で清めてるから……僧階は12級権小僧都」

 

「「ええ?榎本さんって本物のお坊様なの?」」

 

 幾らムキムキだからって、そんなに驚く事か?

 

「在家僧侶だけどね。実家の寺はダムの底、肉親は既に居ないから継ぐ寺も無いんだ」

 

 メールのチェックを終えてパソコンを閉じる。FAXは入って無かったし留守番電話も緊急じゃない。

 

「さて、戻ろうか?桜岡さん、調書持ったかい?」

 

 何時の間にか、僕の事務所なのに桜岡さんの机が有るんだ。

 

「ええ、紙ベースと念の為にPDFに落としたディスクも用意したわ」

 

 パソコンからディスクを取り出し、ケースに入れていた。何となくメールで送れば良いかなって思ったが、彼女達を送って行かなければならないから……

 やはり手渡しの方が有り難みが有るだろう。

 

「榎本さん、天涯孤独?」

 

「そうだよ。大学生の時に両親と祖父を亡くしてね。それ以来独りだけど、気にしないで良いよ」

 

 皆の辛そうな顔を見ると何とも言えない気持ちになる。僕の生涯の目的、肉親の魂は解放出来た。だから気にしなくて良いんだ。

 

「さて、戻ろうか!話をつけて今日の夕方には家に帰りたいんだ」

 

 結衣ちゃん成分を補給したいんだよ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何故か助手席に誰が乗るかで争っていた。何でも聞きたい事が有るらしい。熾烈なじゃんけん大会を行い小笠原さんが勝ち抜けしたみたいだ。

 別に狭い車内だから、何処に乗っても話は出来るのにね。横須賀中央駅前通りを抜けて国道に合流、汐入のダイエーを通過して横須賀インターから高速に乗る。

 

 暫くは70キロで巡航だ……

 

「で?じゃんけん大会までして聞きたい事って何だい?」

 

 途中で買ってあげた、焦がし砂糖入りカルピスを弄ぶ彼女に聞く。それ、冷めると不味いんだよ。

 

「小笠原除霊術は元々、霊媒師の家系。でも今の世は霊媒の需要は少ない。除霊もしないと駄目だ。だから色々調べた。

その中で堅実な仕事をする榎本さんを知った。何人か教えて貰いたい候補は居る。でも偶然ここで一緒になれて昨夜の除霊の運び方をみて思った。

霊能力だけでなく色々な方法で除霊する方法なら、私達にも出来るかなって?貴男から仕事の手順や方法を教えて欲しいって。

確かに段取りも堅実だったし一回だけの除霊でも学ぶ事は多かった。希望を持てたのに……あんな強力な隠し技を持ってるなんて真似出来ない」

 

 霊媒師?イタコさんみたいに他人の霊を自分に憑依させる人達だっけ?

 確かに悪霊とかと戦うには不向きな能力だな。霊力は有るんだから、浄霊は出来なくても除霊は出来るか。

 でも一から始めるのは大変だ。誰かに師事するとか……

 

「もしかして僕に除霊手順とかを教わりたいの?」コクンと頷く。

 

「色んな人達を調べたけど、堅実で実績と信用は榎本さんが一番。後の人達は、高い除霊料金とか悪い話も多い。

最初は基本に忠実で堅実な方法を学んだ方が良い。だから見習いで雇って欲しい」

 

 見習い?雇う?僕には秘密が多いから人を雇うのは無理だ。

 

「うーん、雇うのは無理」

 

「「「何で即答なの?」」」

 

アレ?女性陣から総突っ込みが来たけど何故?

 

「だって小笠原さんは未成年だろ?見習いと言えども除霊手順を学びたいなら夜も一緒に行動するんだよ?」

 

 建て前上は無理だよ。

 

「榎本さんが私に欲情するから?確かに人気の無い場所に男女二人、間違いが起こる可能性は高い。私も操を捧げる気は無い」

 

「榎本さん?私の時は全然大丈夫だったのに何故、小笠原さんだと夜が駄目なんです?」

 

「うわぁ!榎本さんってロリコンなんだ」

 

 酷い言われようだが、高野さんは真実を突いてるなぁ……

 

「君達は労働基準法を知ってる。未成年の雇用には親の承諾が居るし、夜間に就労させるのは大変なんだ。

工場や事務所での夜間勤務ならまだしもフィールドワークなんか許可されないよ」

 

「まさかの法律の壁」

 

「もっ勿論、私は榎本さんを信じてました。ええ、信じてましたわ」

 

「榎本さん、固いわね。でも霊能力者が労働基準法って私達は法の枠の外って感じなのに」

 

 個人事務所を構えてる時点で、最寄りの労働基準監督署に書類出してるんだよ。違法行為は出来ないし、したく無いの!

 

「兎に角、雇用は無理だよ。ウチも余裕が有る訳でもないし、基本は夜がメインの仕事だ。誰かに師事するのは確かに早く確実だけどね」

 

「むぅ、正論だけに反撃出来ない。泣き落としや色仕掛けも通用しない気がするし。八方塞がり……」

 

 かなり落ち込み振りを表現してるな。もう少し口調が女の子らしくなれば平気かな?

 

「でも小笠原さん、八王子の除霊どうするの?やるなら僕らは小原氏と契約を結ぶけど、昨日みたいに自宅警備じゃないから大変だよ」

 

「大変?」

 

「昨日は年齢に触れなかったけど何か有れば未成年就労で大変だったよ。僕もウッカリしてたけど。

今回のは長期になるし、学生さんだから放課後の昼間のみとか条件付くかも。てか学校から八王子まで通えるの?」

 

「あぅ!」

 

 駄目なんだな……

 

 

第77話

 

 小笠原さんが家業の霊媒師を除霊中心へとシフトチェンジする為に、除霊方法を学びたいと言ってきた。

 しかし、僕には胡蝶と言う切り札と秘密が有る。左腕に全裸幼女が居ますとか大騒ぎだ。下手したら変態幼女マスターとか……

 

 幼女マスターか、良い響きだな。

 

 同好の紳士達には自慢出来るが、社会的には死だ!築き上げた信用・信頼・社会的名声は最安値まで落ち込む、所謂ストップ安だ。

 他人からはクダラナイ、本人にとっては深刻な事を考えていると料金所が見えてきた。横浜横須賀道路から首都高速道路に乗り継ぐ。

 小笠原さんは何かブツブツと言っているが、僕が力になるのは難しいだろう。昼間の調査手順位なら教えても良いけど、そこから先が大切なんだよね。

 実際に除霊する手順が重要なんだと思う。

 

 そもそも僕は正式な修行により愛染明王の力を身に付けた僧侶なんだ。

 

 基本的に霊媒師は自身の力で霊と向き合い、僕は愛染明王の力を借りている。次いでに胡蝶と言う反則技が有るから、参考にはならない。

 小笠原さんの除霊手段とは何だろう?

 

「小笠原さんの除霊手段って何?」

 

 余りにも突っ跳ねるのも大人気ないのでアドバイス出来る事はしよう。

 

「除霊手段?私はこれ」

 

 手に取った物をチラリと見れば、古い鈴に組紐を結わいた物。青銅製で古そうだ。彼女は鈴と言っているが、お寺とかの軒先に吊るしてある鰐口(わにぐち)に似ている。

 鐘鼓をふたつ合わせた形状で鈴を扁平にしたような形状の仏具だ。だが彼女が鈴と言えば鈴なんだ。

 

「霊具だね……多分霊力を纏わせて振り回すのかな?鈴の音にも威力が有りそうだね」

 

 金属はそれ自体に魔を祓う力が有る。鈴や鐘は音色に霊力を乗せやすいそうだ。組紐が結わいて有るのは、振り回してぶつけるのだろう。

 お札の様に接近せず、清めの塩みたいに消費も無い。

 

「そう。振り回して直接相手にぶつける。又は鈴を鳴らして広範囲に霊力を広げる」

 

 少し自慢気な、誇らしそうな顔だ。霊具は代々伝わるとか母から貰ったとか自慢の品なんだろう。

 

「中々の逸品だね。お札や清めの塩は使えるかい?結界とか張れる?」

 

 他に除霊方法は有るのかな?

 

「お札は使えない。清めの塩は取り寄せた物を使うくらい。結界も張れない」

 

 うーん、霊媒師って口寄せだから方向性が違うよね。特化型だから汎用性が乏しいのは、応用が必要な現場では厳しいか?

 

「清めの塩って高いじゃないですか?あれ、坊主丸儲けじゃないですか?」

 

 高野さんも清めの塩は使うんだ。西洋系だから聖水とかかと思ったよ。

 

「そうですわ!榎本さんはキロ単位で使いますけど、本来は自作出来ないと散財しますわ」

 

 いや、僧侶として護摩焚き出来なきゃ問題が有りますよね?

 

「キロ単位!何て贅沢な使い方」

 

 女性陣からクレーム?僕はボッてないぞ!

 

「祭壇に祀り護摩焚きすれば清めの塩は出来る。別に10キロとか一緒に作っても効果は有る。威力が弱ければ量で補えば良いからね」

 

 それなりに霊力も消費するし疲労も有るし大量に作れる訳でも無いし。

 

「私は榎本さんから1キロを10000円で譲って貰ってますの、おほほほっ!」

 

 おほほほって、何で自慢気なんだ?

 

「キロ10000円!ダンピングだわ、価格破壊だわ」

 

「私は100グラムで同じ位で買ってる」

 

 うーむ、お札や清めの塩とかの霊具を販売すれば儲かるかな?でも自分で使う分も半端ないから彼女達に廻すのも大変だし話題を変えよう。

 

「小笠原さんは何処の出身なんだい?亀宮さんは東京だし、メリッサ様は分からないな。そもそも、どんな基準で集められた人達なんだろ?」

 

 小原氏的に女性且つ美人だと思うんだけど……

 

「若い女性の霊能力者を集めたのよ。私の知っていたのが、メリッサってシスター達よ」

 

 あの肉感的なシスター達はイケナイ魅力に溢れてるんだろうな。僕は何にも感じないが、好きな人には堪らないだろう。

 

「一神教ってさ、エクソシストって司祭以上だろ?最近はエクソシストを養成する機関も出来たらしいけど……彼女達は正式なエクソシストでは無いでしょ?」

 

 お金にも五月蠅そうだし聖職者って感じは無い。コスプレ霊能力者みたいなんだが……

 

「でも聖書と十字架、聖水を使って除霊するわよ」

 

 映画のエクソシストの影響が大きくて、シスターが除霊って思い浮かばないや……

 

「んー、ならば正式に学んだのかな?余り一緒に仕事はしたくないタイプだな」

 

 お金に五月蝿い連中と仕事をすると、抜け駆けやら分け前とかで揉めるんだ。

 

「それは宗派が違うから?」

 

「いや、何となく問題が沢山発生しそうだから。宗教の違いは関係無いよ」

 

 宗教と政治、それと野球の話はしちゃ駄目だ。絶対纏まらないから……さて首都高を降りたので、あと20分位で到着かな。途中寄り道したが、お昼前には戻れそうだ。

 

「榎本さん、小笠原さんにお仕事を教えられないのかしら?昼間の調査手順だって私も教えられる事が多かったし……」

 

 基本的に桜岡さんは善人だから、困ってる小笠原さんを見捨てられないのかな?僕だって見捨てる訳じゃないけと……

 

「私は宮城県の仙台に住んでる。高校生だから中々休みは取れない。でも八王子の除霊には携わりたい」

 

 宮城県だって?仙台からワザワザ呼んだの?

 

「でも一旦は解散じゃないかな?小原さんも、この調書の裏を取る迄は動かないだろうし……」

 

 最低でも2〜3日は掛かると思う。

 

「でも本当に神泉会でしたっけ?が、また使役霊を寄越したら?」

 

 高野さんは専属で護りを任されているから気になるよね。

 

「亀宮さんが居れば大抵の連中は撃退出来る。僕は遠慮しないと駄目だよね。メリッサ様の目が怖かったし、独り占めは遠慮するよ……」

 

 首都高を降りて一般道を走る。平日の昼間だし、比較的道は空いている。これなら12時前には着くだろう。

 15分程走り港区高輪に到着。暫く高級住宅街を走り小原邸の前に停車。直ぐにリモコンで門が開いた。防犯カメラで確認してるのだろう……

 

「はい、到着。忘れ物の無いようにね」

 

 車を駐車スペースに停めてエンジンを切る。また運転して帰らないと駄目なんだよな。桜岡さんに変わってもらうにも保険が対象外だし……

 ドアを空けて降りると、助手席から廻って来た小笠原さんが左腕を握ってきた。

 

「ちょ、何?あっ数珠を引っ張っちゃ駄目だって!」

 

 腕を持ち上げると、元々華奢な彼女がぶら下がった。

 

「榎本さん、数珠を外して。静まれ俺の左腕!をやって欲しい」

 

 ブラブラぶら下がりながら、トンでもない事をお願いしてきたぞ!

 

「そんな僕の中の中学二年生を解放させるかー!」

 

 彼女を丁寧に降ろしてから、メッて注意する。

 

「そんな恥ずかしい事はしないよ。君がネコミミ和風メイド尻尾付きをするなら考えるけどね。さぁ小原さんに報告だ」

 

 結衣ちゃんも大人しいけど、方向性が全く違うタイプだ。正直、扱い辛い。でも結衣ちゃんには、ネコミミ和風メイド尻尾付きをやって欲しい。

 自前のミミと尻尾は有るけど、生々しいんだよな。フカフカのモフモフでは有るけど。

 先を歩く僕の後ろから、女性陣の罵詈雑言が聞こえるが無視だ。別に実現しないから問題無いだろうし……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 最初に案内された応接室に全員が集まっている。調書をペラペラと捲りながら読む小原氏。

 執事さんは斜め後ろに立ち、読んでいるみたいだ。本当に読めてるのか?

 

「この調書が本当なら、確かに手口は一緒。私は奴らの関東進出の取っ掛かりとして選ばれた訳か……」

 

 苦虫を噛み潰した様な顔だな。他人に利用されようとしてる訳だから、苦々しくもあるよね。

 

「そうですね……でも法的に訴えるには証拠が無い。まさか使役霊を差し向けられて困ってるとは言えない。完全に受けに廻ってますね」

 

 未だに除霊しますとか壷や印鑑を買いましょうとかの接触が無いから、詐欺で立件とかの対応も出来ない。勿論、あのエム女が僕の所為とは言えない。

 

「何か対応は無いのか?」

 

 対応と言っても、桜岡さんのお母さんはどうやって神泉会を潰したんだ?視線を向けても素知らぬ振りだ。つまり今回は対応しないよって事か?

 

「先ずは利用されている八王子の廃ホテルの除霊をしてはどうですか?除霊すれば、使役霊も居なくなるし呪われていると言い掛かりも付け辛い」

 

 丹波の尾黒狐は胡蝶が喰った。桜岡さんに目を付けていた悪霊も退治した。テレビ局の企画もボツだ。

 ならば小原氏に関わる理由は薄い。でも廃ホテルには丹波の尾黒狐が押さえていた連中が活発になった。これは自分の責任でも有るし何とかしたい。

 

「八王子のホテル。除霊に幾ら掛かるか?何日掛かるかが問題だ」

 

 何故か僕を見詰める小原氏。概算出せってか?

 

「皆さんは廃墟の除霊は経験有りますか?規模は大きいです。客室120、敷地も広い。

勿論、放置してる稲荷神社については別途で。伏見稲荷で対処出来なければ、敵は強大だ」

 

 伏見稲荷で対応出来ないって事は、祀ってある狐が祟り神になったって事だ。普通料金じゃ採算が合わないからね。

 

「有りますわ。亀ちゃんを連れて一通り歩けば完了ですから」

 

「大変だけど、一部屋ずつ清めて行けば平気です」

 

 亀宮さんとメリッサ様は経験が有るのか。てか、メリッサ様の堅実な除霊方法にビックリだ!

 

「私は廃屋の除霊は経験したけど大きい建物は無い」

 

「私は有るわよ」

 

 小笠原さんは、それなりに除霊経験が有るのか。耶麻山のヤンキー巫女は百戦錬磨なんだろう。

 

「僕も元々は不動産を専門にしてますし、まぁ全員が関わらなくても除霊は問題無いと思います。問題なのは、調書の裏を取ってもらったら神泉会の対策ですね」

 

 このメンバーなら丹波の尾黒狐が使役する為に集めた周辺の浮遊霊や地縛霊なら楽勝だろう。

 

「それは本当なら此方で対処する。では明日から八王子のホテルの方は対応して欲しい。それと私の護衛については……榎本さんにお願いしたい」

 

 何言ってんだ?嫌だよ僕は、早く帰って結衣ちゃん成分を補給するんだよ。

 

「僕ですか?いや高野さんも居るし、防御なら亀宮さんが適任ですよ」

 

 建て前で説得を試みるが、駄目なら正直に断ろう。

 

「すまないが榎本さんの事を調べさせて貰った。安定した経験と実績、依頼人の評価も高い。

何より録画で見た昨夜の件は見事だ。高野君の結界と合わせれば、私も安心だ」

 

 実際に目にした実力を信じたのか?でも若く綺麗な女性を侍らせたかったんだろ?

 

「僕は専属契約はしません。それに色々用事も有りますから、今日は自宅に帰りたいのです」

 

 オッサンと顔を突き合わせての護衛なんてお断りだ!

 

「そこを何とかお願いします。私も自分の安全が大切だ。報酬は弾みます」

 

「良いじゃない。やりなさい榎本さん」

 

「おっ義母様!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 上手い話の誘導だわ。私達の問題で有った事を全て相手に押し付けてる。放置した稲荷神社は勧請した個人なり企業しか御魂抜きを依頼出来ない。

 廃墟ホテルの除霊については、彼女達を巻き込んだが構わない。霞にガンくれた怨霊は祓ったから、あのホテルに関わる必要は薄い。

 何より神泉会の連中と小原さんの敵対を明確にし始めている。もう一息で奴らと敵対するだろう。

 個人で心霊団体に刃向かうのは大変だが、小原さんを巻き込めば心強い。ここは彼の要求を呑むべきよ。

 

「霞……」

 

 不信顔の霞の耳元で囁く。

 

「今夜は私達だけで帰って結衣ちゃんと、これからの事を話しましょう。彼には悪いけど、小原さんが神泉会の対応や廃墟ホテルの除霊をする為にも一緒にいて信用を得ないと駄目でしょ」

 

 目を見開いて私を見るが、アレは納得した顔よ。

 

「小原さん、私と霞は一旦帰るけど榎本さんには残ってもらうから。良く彼と今後の事を詰めて下さい」

 

「榎本さん、私達電車で帰りますから。結衣ちゃんの事は任せて頑張って下さい」

 

 桜岡母娘が勝手に話を進めて、帰って行った。

 

「榎本さん、さぁ昼食にしましょう。高野から聞いてますよ。大変な健啖家だそうで。沢山用意してますよ。さぁさぁ皆さんも食堂へ行きましょう」

 

「榎本さん、行こう」

 

 小笠原さんに袖を引かれて食堂に向かう。彼女に引かれて食堂に行く間中、ドナドナが僕の頭の中で鳴り響いていた……

 



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第78話から第80話

第78話

 

 豪華な昼食だ。小原氏は洋食好きなんだろうか?普通の洋食のフルコースなのだが、僕だけメインのステーキがデカい。

 隣に座る小笠原さんのフィレステーキは150グラム位だが、僕のは1キロは有るけど……とは言え余裕で食べれる量では有る。

 レディの前だし招かれている為にマナーを重視してステーキを切り分けて食べて行く。確かに旨い肉だ。

 多分コレだけでも、お店で食べれば10万円位はすると思う。行きつけの横須賀中央の一頭屋だと100グラム2500円単位で増量出来る。

 

 でも味が段違いだ。僕がローストビーフの塊の様なステーキを食べていると、付け合わせの人参を器用に鉄板に置いていく小笠原さん。

 

「あの……何故、自分の人参を僕の皿に乗せるのかな?」

 

「私……人参嫌い。それに、こんなに食べれない」

 

 残せば良いじゃん!とは食べるの大好きな僕には言えない。

 

「すっかり懐かれたわね。でも榎本さんって彼女にコスプレを要求したのよ。

彼って変態だわ。アレに懐く静願ちゃんて趣味が悪いわよね」

 

 ニヤニヤしながら言いやがって!思わずナイフとフォークを落としてしまった。直ぐに替えを渡してくれる給仕さん。

 

「ふざけんな!アレは実現不可能な例え話をして、やんわりと断ったの。本気でコスプレさせたい訳じゃない」

 

 肉の塊にフォークをブッ刺して吠える!僕はスケベだがコスプレとかの趣味は無いんだよ。

 

「榎本さんは私を雇いたく無い?本気でコスプレ考えてたのに……」

 

 無表情で爆弾を投下するな!メリッサ様の目が輝いてるぞ。

 

「ナニナニ?榎本さんってコスプレ好き?小笠原ちゃんに何を着せるつもり?ナース?スッチー?メイド服?ま・さ・か・修道服?」

 

 自分達がコスプレシスターだから、この手の話題が好きなのか?

 

「この変態、ネコミミ和風メイド尻尾付きとか言ったのよ!引くわー、幾ら着物が似合うからってミミと尻尾よ。とんだ変態よね」

 

 高野さんは僕が嫌いらしい。とことん責めて来やがる。手に持っているナイフとフォークを全力で握ってしまった。

 メキョっと嫌な音を立てて変形するナイフとフォーク。ああ、給仕さんスミマセン。新しいのですか、申し訳ないです。

 給仕さんから新しいナイフとフォークを受け取る。流石に銀製品は脆いから気を付けないと……

 しかし女三人集まれば何とかと言うが……三人どころか、八人も居るから収集がつかないや。

 亀宮さん御一行なんて、生ゴミを見る様な目つきで僕を見てるし……呑み込むステーキ肉の味がしない。主に精神的な問題で。

 

「まぁ榎本さん……私も女遊びが酷いと言われるが、未成年を欲望の対象にしては駄目だよ。兎に角、この屋敷に滞在中は不祥事は困るよ」

 

 まさかの小原氏からの駄目出し。

 

「いや……それは……」

 

「横浜・川崎の花街で知らぬ者が居ないとか。男として素晴らしい事だよ。私もそれなりに自負は有ったが完敗だな」

 

 おまっ、それを言うか今ここで!はははっとか笑ってるなよ。

 

「誤解だ!花街は男女の欲望が渦巻いてるから仕事の依頼が多いんだ。

金と欲に塗れた世界なんだよ。そんな風俗遊びで有名みたいに言わないで下さい」

 

 もはや食欲は0だし精神値も0に近い。小原氏を甘く見ていた。僅か半日で僕の事を調べてるなんて……

 思わず俯いてしまうが、肩をポンポンと叩かれた。見れば小笠原さんが立ち上がって肩に手を乗せている。

 

「あの……」

 

「浮気は男の甲斐性だと言う。でも榎本さん独身だし性欲の発散は必要。大丈夫、私は気にしないから……」

 

 ナニその私分かってますから的なコメントは?しかも性欲処理とか女の子の言う言葉じゃないよ!

 

「榎本さんは年下に好かれるらしい。いやはや羨ましいですな。満更でも無いでしょう?」

 

 小原氏は僕の性癖まで理解して言ってるな。これは何を言っても言い訳にしかならない。

 

「もう良いです。全面的に僕がエロい人で結構です。僕は単独で動きますから、皆さんは同性のみで活動して下さい」

 

 もう好きにヤラせて貰いますから!

 

「私は榎本さんと一緒。色々と学びたいから。節度ある付き合いだから大丈夫」

 

 ああ、小笠原さんが何故か良い子に思えてきた。

 

「私達も単独で良いわ。今回は成功報酬を狙うから。基準を決めましょう。誰が成功報酬を貰えるか?除霊した数?除霊した部屋の面積?」

 

 メリッサ様は目がお金のマークになっている。でもこれと言って基準を決めるのが難しいな。本命が居ないから、数と言っても比較が出来ない。

 

「本命のボスが居れば、それを祓った者が成功報酬を独り占めだけど……霊障は多岐に渡るから、合同除霊を行い暫く経っても霊障が現れなければ成功。

で成功報酬を頭割りじゃないかな?」

 

 妥当な案を提示してみるが、頭割りだと報酬が少ないよな。

 

「暫くってどれ位待てば良いの?」

 

 亀宮さんが喰い付いた。彼女は亀が喰ったらお終いって除霊だから、アフターとかの考えは無いのだろう。

 

「僕は除霊後、一週間は様子を見て何か有ればアフターに応じてる。霊障なんて、一体祓ったら次が現れるなんて事も有るからね」

 

「それじゃ報酬が少ないわよ!仲良く割り勘なんてお断りだわ」

 

 メリッサ様はお気に召さないらしい。席から立ち上がって此方を睨んでるけど、僕の所為じゃないよね?我の強い連中だし共闘は無理か。

 

「小原さん、どうでしょう?順番と期間を決めて単独で挑んで貰う。

期間以内に終わらなければ、次の連中に譲り渡す。最終的に全てを祓った人が成功報酬を独り占め。

これなら自信が有れば最初を狙えば良い。駄目なら順番を考えれば良い。

彼女達なら初回で祓える力が有りますから、最初の順番決めで納得して貰えば良いですし……」

 

 除霊した数や面積じゃ決められないだろう。

 

「日数は何日に?流石に一晩は辛いわよ。せめて三日間は欲しいわ」

 

「三日間も有れば一番最初が有利じゃない!どうやって順番を決めるのよ?じゃんけん?くじ引き?」

 

 既に亀宮さん組とメリッサ様組で、この除霊は決まりだな。小笠原さんは可哀想だが、一人で三日間は無理だ。

 

「小笠原さん、このルールだと君は無理だ。桜岡さんと僕もサポートはするが基本的には辞退だから……

それに変則的な除霊は参考にならない。最初は簡単な案件から学ぼう」

 

 彼女一人で、あの廃墟ホテルに挑むのは無茶だ!此処まで関わってしまって突き放すのも……

 ならば今回は辞退させて、比較的簡単な物件で学ばせるしかない。

 

「それは……別件なら一緒に仕事をして教えてくれるって事?」

 

 何時の間にか席に戻り、此方を見上げている。縋る様な希望を見出している様な表情で。誰だよ、彼女が無表情なんて言ったのは?

 これは保護欲を掻き立てるな、性欲は全く無いけど。父性愛って、こんな感じなんだろうか?

 

「君が受けた仕事を僕が手伝う。ならば法的にも問題無い。依頼は君の母親から貰い契約すれば平気だ。

雇い主のお願いを聞くのは下請けとして吝かでないからね。でも今回みたいに競争は駄目だ。彼女達は自信が有るから言っているけど、君には悪いが無理」

 

 そう言って彼女の頭をポンポンと軽く叩く。

 

「それで良い。私も辞退する、榎本さん有り難う。お礼は必ず」

 

 コラ、腕にしがみ付かないで!亀宮さん達の見る目がね、まるで生ゴミ以下を見る様な目になってるんだよ。ほら、高野さんとかも視線が冷たいし。

 

「榎本さん、今回の除霊は君も辞退か?サポートとは何をするんだ?」

 

 ああ、小原さんも怒ってるみたいだ。小笠原さんを口説いている訳じゃないのに。コップの水を一気に飲んで、カラカラに渇いた喉を潤す。

 ヤレヤレ、今回は貧乏くじを引くしかないな……

 

「除霊をするのは亀宮さんとメリッサ様。僕は彼女達が除霊をする時に立ち会います。お二方なら除霊は成功するでしょう。

勿論、ヘルプが有れば応援もします。あくまでも僕は保険としてです。除霊はしないので報酬は基本だけでOKです」

 

 これなら万が一の時のサポート込みで、自分達の力だけで成功報酬を狙える。問題は順番だ。

 三日間なら先に除霊をする方が断然有利だから、順番を決めるのは難航するだろう。

 

「「それで良いわ!で?順番はどうするのよ?」」

 

 ハモったぞ、順番を決めるのは恨まれるから……小原氏に丸投げしよう。

 

「順番を決める方法は、小原さんにお願いします。オーナー決定なら彼女達も納得するし、僕が言っても駄目でしょう」

 

 僕のキラーパスを受け取り狼狽気味だ。亀宮さんとメリッサ様に睨まれたら、流石の女癖の悪い彼も躊躇するだろう。

 

「わっ私がか?いや、それは……ええ?」

 

 あの慌て振り、少しは仕返しが出来たかな?勿論、クスクス笑ってる高野さんも巻き込むよ。

 

「小原さんが難しければ、高野さんに聞けば良いんですよ。同じ霊能力者ですし選別する方法くらい出せるでしょ?」

 

 貴女への恨みも忘れてないので、キラーパス!

 

「わたっ私ですか?」

 

 小原氏と高野さんに詰め寄る亀宮さんとメリッサ様。どちらに決まっても除霊は問題無い。三日間の立ち会いで済めば、僕の費用は20万円も掛からないだろう。

少し食欲が回復したので、出された料理を完食するべくナイフとフォークを持つ。僕の責任分担は果たしたので、すっかり冷めたステーキの残りを食べ始める。

 

「榎本さん、私以上に悪どい。仕返しにしても可哀想」

 

 デザートのフルーツを食べながら、チラチラと小原氏と高野さんを見る小笠原さんも他人事だ。フルーツは苺か、とち乙女やあまおう位しか食べた事が無いが高級な苺に違いない。

 

「美味しそうな苺だね。僕も頼もうかな」

 

 ステーキを平らげ、ライスを完食してナプキンで口を拭く。終わったのを確認した給仕さんがさり気なく近付き、空の皿を下げる。

 

「苺は練乳と牛乳、どちらになさいますか?」

 

 苺本来の味を楽しむかな。

 

「苺だけで大丈夫です。大盛りでお願いします」

 

 一礼し去っていく給仕さんを見て思う。金持ちって凄いわ。殆ど待たされずに苺が運ばれた。

 ガラスの器に大きな苺が20粒位乗ってます。一応、練乳も添えてあるのがサービス・サービス?

 

「小笠原さんも、もっと食べる?」

 

 器を差し出すとハニカミながらも5粒程、自分の器に移動する。

 

「静願(しずね)って呼び捨てで良い。教えを請うのにさん付けはおかしい。改めて宜しくお願いします」

 

 ペコリとお辞儀をしてくれた。教えを請うって弟子入りを許した訳じゃないからね。

 

「僕は真言宗の僧侶だから弟子入りじゃないからね。静願ちゃんも尼さんにはならないでしょ?」

 

 本格的な師弟関係は結ばないよ。あくまでも何回か一緒に除霊するだけだから。

 

「榎本さんが尼さんコスプレが好きなら、恥ずかしいけど着ます」

 

 目がね、真面目に本気なんだ。この子に冗談は通じないかも……

 

「コスプレネタから離れろ!それ以上言うなら教えない」

 

 ペシッとデコピンをするが、加減を間違えたか頭が後ろに仰け反ったぞ!

 

「榎本さんの教え方はスパルタ?女の子の顔に傷は付けないで」

 

 真っ赤になったオデコをさすりながら、恨めしそうに涙目で睨まれてしまった。

 

「ごめんなさい」

 

 素直に謝ったよ。此方の話は纏まったが、彼方の方は未だらしい。亀宮さんとメリッサ様が掴み合いの喧嘩を始めた。

 流石に霊獣亀ちゃんは参戦してないが、亀宮さんとタメで喧嘩出来るメリッサ様って結構強いのかも知れない。

だけど大の大人が喧嘩してる所を未成年に見せる訳にはいかない。

 

「静願ちゃん、移動するよ。此処は教育に良くない環境だ……」

 

 彼女の背中をポンと叩き、取り敢えず庭にでも行こうと席を立った。

 

 

第79話

 

 亀宮さんとメリッサ様の壮絶な順位争いが、静願ちゃんの教育に良くないので食堂から連れ出した。昨夜、エム女が現れた場所を確認する。

 何故、あのエム女は何時も木の脇に立っていたのだろうか?見回しても特に怪しい物は無い。でも高野さんの結界は塀の内側に沿って張ってある。

 見事な日本式庭園だが、草木や岩の影、地面の起伏を利用して巧みに見えない様にカモフラージュしているが、手入れをされた水晶が見える。

 定期的にメンテをしてるんだな。でも最初から、あのエム女は結界の内側に現れたんだ。

 

「現場検証?」

 

「見てごらん。高野さんの水晶結界は塀の内側に沿って張ってある。水晶が等間隔に埋まって頭だけ見えてるだろ。カモフラージュしてるけど、霊力を追えば線の結界が見える」

 

 指を差しながら霊力の流れを追ってみせる。でも、あの怨霊は……この木の脇に立っていた。

 

「周辺をマイナス6℃まで下げてね。あの結界は今も生きている。つまり何かを媒体に侵入したか、あの程度の結界では拒めなかったんだ」

 

 結界を破ったなら、周辺の水晶に影響が有るし結界自体が損傷する筈。僕の簡易清めの塩結界を力ずくで破った位だ。同じと見るか、他に理由が有るか……

 

「あの結界は強い?」

 

「ああ、金を掛けて触媒に高価な水晶を使っている。僕の簡易清めの塩結界より3倍以上強く、そして持続性も高い。ああ見えて高野さんも結界に関しては中々だね」

 

 普段は悪ふざけが過ぎるけどね。小原氏の専属になれる位だから、かなりの力が有るのだろう。

 

「でも榎本さんが瞬殺した悪霊に負けた」

 

 直接的な攻撃力と持続的な防御力では比較のしようが無いだろう。

 

「いや一回でも退けたんだ。怪我を負ってもね。詳細を聞きたいが、同業者の力を聞くのはマナー違反だよ。

命を賭けてる商売だから、情報は大切なんだ。だから根掘り葉掘りは聞けない」

 

 彼女も切り札の一つは有るのだろう。エム女を一時的とは言え退ける位の……

 

「榎本さん、私に除霊方法を聞いた。これはマナー違反?」

 

「静願ちゃんも全て正直に話してないだろ?誰でも切り札や隠し玉は有るからね。

でも有る程度の力は知らないと連携も何も無い。何も期待出来ないと信用されないよ」

 

 彼女の場合、霊媒師として霊を憑依出来るだけだったら僕も教える気にはならなかった。庭を後にして警備室に向かう。

 途中、屋敷周辺の結界を確認するが塀の内側に張ってある物と基本的に同じ物だった。ただ此方は庭と違い水晶を外壁のオブジェにカモフラージュして貼り付けている。

 

「私、切り札も隠し玉も無い。やはり必殺技を習得しないと駄目?」

 

 隣を歩きながらボソリと聞いてくるが、必殺技って何だかなー……

 

「必殺技はどうかと思うが、切り札で高価なお札を持っていたり逃走用の身代わり札を仕込んでたり。それこそ他の人には内緒なんだよ」

 

「榎本さんも?」

 

 立ち止まり見上げてくるが、期待に満ちた目が嫌だな。

 

「有るよ、当然。でも内緒」

 

 取って置きの切り札が!全裸幼女召喚がね。

 

「静まれ僕の左腕?それとも邪眼、むー」

 

 彼女は見た目と違い腐の付く趣味か、又は自身に中学二年生を宿しているのかも知れない。軽く、本当に軽く両のポッペを引っ張る。

 

「ひゃ、にゃにをしゅるんでひか?」

 

 それでも何かを喋ってる。多分、何をするんですか?かな?

 

「その静まれ僕の左腕とかは禁句!厨二な能力も無いから」

 

 彼女は僕に秘められた力が有り、それを制御出来ないと思ってそうだ。警備室の前に辿り着くと、何やら騒がしい。

 作業員風の男達が忙しく出入りをしているが……丁度、警備室から出て来た警備員を捕まえて聞いてみる。

 

「何か有ったのかい?ドタバタしてるけど」

 

「ああ、榎本さんか。アンタのアイデアだったサーモカメラとデジタル温度計を各所に設置してるんだ。モニターの増設とか配線工事でバタバタさ」

 

 昨日の今日で直ぐにか?

 

「早過ぎないか?昨日の今日だろ?」

 

 サーモカメラなんて結構高価な物だし、在庫とか有るのか?僕は取り寄せだったけど3日位掛かったぞ。

 

「効果が有ったし、我々だってあんな非常識なモノの早期警戒は有り難い。後でプロット図を見せるから、配置の穴とか教えてくれよ」

 

 そう言って忙しそうに走って行った。本当に僕は小原氏を甘く見ていた様だ。

 

「警備室は忙しそうだから、他に行くか?」

 

「榎本さん、私着物以外持ってないから買いに行きたい」

 

 女性の買い出しに付き合えと?

 

「こんなオッサンがレディース売り場に居たら通報されるよ。誰か他の……ってみんな食堂で揉めてる最中か。てか、静願ちゃん一旦帰るんだろ?」

 

 むーっと頬を膨らませているが、桜岡さんに通じる拗ね方だな。

 

「新幹線の切符、今日は金曜日だから日曜日には帰らないと」

 

 仙台なら品川駅から新幹線を使えば2時間程度か。

 

「あの基本契約書には交通費も記載してるから。執事さんに頼めば、施主負担で用意してくれるよ。その分、除霊料金は5万円位か……」

 

 彼女が商売として来たなら大赤字だろう。でも着物も高級そうだし。準礼装の色留袖だが多分裏地の生地は羽二重だ。

 独特の柔らかさと光沢は光絹の特徴だし。母さんが礼装として好んで着ていたな。帯も丸帯だが控え目なデザインでセンスは良い。

 

 きっと旧家辺りのお嬢様なんだろうな。

 

 だが留袖は本来は既婚女性が着る物で、独身女性は振袖だが……礼装として留袖を着る場合も有るから判断は微妙だ。

 

「お金は貰わなくても良い。榎本さんと言う師と出会えたから、有意義だった」

 

 自然な笑顔で嬉しい事を言ってくれる。これなら学校の男子共が放っておかないだろうな。

 

「静願ちゃんの実家って結構お金持ちだろ?」

 

「何故?」

 

「着ている着物がね、母さんが着ていた物に似てるんだ。裏地に羽二重を使ってるなんて隠れたお洒落だし。何より育ちが良さそうだ」

 

 行き場が無いから応接室の方に歩いて行く。途中廊下の角にサーモカメラを取り付けている電気工事の人を見かけた。

 これだけ直ぐに守りを固めるって事は、心当たりが多いんだろうな……応接室に入りソファーに向かい合わせに座る。

 此処には既にサーモカメラが取り付けて有った。監視カメラは……あのドーム型の分かり難い奴か。

 直ぐに給仕の方が飲み物を進めてきたのでコーラを頼んだら無いと言われた。じゃアイスティーで良いよ。

 

「榎本さん、コーラが好きなの?」

 

 向かいに座り同じアイスティーを飲む彼女を見る。自惚れでなければ楽しそうかな?

 

「ん?炭酸が好きなんだ。コーラ・ジンジャーエール・サイダー何でも好きだよ」

 

 左手首の数珠を弄りながら応える。美少女と差し向かいは緊張するな……

 

「私、男の人とこんなに話すの初めて」

 

「学校は共学って言わなかったっけ?」

 

 アイスティーを飲み干し、氷をガリガリ食べる。

 

「私、私は物の怪憑きって言われてるから。周りからは浮いてる。口調も変だし協調性も無いから友達も居ない」

 

 彼女の学生生活は順風満帆では無いのか……確かに霊能力者なんて怪しい人種だ。

 それに霊媒師なんて霊を自身に降ろすんだっけ?確かにハブかれる要素は満点だ。

 

「僕が里子で面倒を見ている娘はね。狐憑きの一族なんだ。

今は力を封じているが、昔は発作とかで周りに知られてしまい大変だったそうだ。普通ならグレるだろう。

だけど必死に自分の気持ちを抑えて人との関わりを恐れ、それでも周りに溶け込もうと頑張ってるよ。

静願ちゃんに似ている。不幸な境遇だが、真っ直ぐ優しく育ってる。君の母親は優しいんだね」

 

 結衣ちゃんの母親はアバズレの最低女だった。胡蝶が喰ったが後悔はしていない。

 アレは母親としては失格だ。自分の娘が情夫に狙われてるのを放置していたんだぜ。

 

「その子は幸せ。榎本さんが守ってる」

 

「ああ、最初は苛める奴も居たが父兄として学校に呼ばれた時に脅したからね。こんなナリだし仲間も筋肉の塊達だ。

団体で押し寄せたよ。黒塗りベンツから筋肉団体が降りて来た時は、周りが騒然としたな。

さぞかし学校も対応に困ったと思うよ。それでも苛めはおさまらなかった……

だから私立の女子校に編入させたんだ。公立は先生が駄目だ。金を貰って教えている私立の方が苛めの対応が良い。

当事者双方の話し合いと保護者の話し合い。僕は僧侶、知り合いの弁護士の爺さんも呼ぶ。負ける要素は何も無い」

 

「羨ましい……私、私は……そんなにも護ってくれる人は居なかった……友達も居ない」

 

 ハラハラと涙を流す静願ちゃん。シマッタ地雷を踏んだか?

 

「なっ泣かないで!ほら、学校が嫌なら転校すれば良いんだよ。君を苛める奴が居るなら僕が呪って下痢地獄に送ってやるから、ね?」

 

 ハンカチを差し出し、肩を軽く叩く。何時になっても何歳でも、女性の涙には弱いんだ。

 ハンカチを受け取り、涙を拭いて落ち着いたのか?取り敢えず泣くのは止めてくれたみたいだ。

 フーッと息を吐いてソファーに座り込む。疲れた、悪霊を退治するより疲れた。

 

「私は高校二年生。進学は都内の短大を考えてる」

 

「……?」

 

 僕を見詰めて話し出すが、進学は東京に来たいのか。良く有る話だが、それを何故今言うんだ?

 

「不束者ですが宜しくお願いします、お父さん」

 

「いや、全然意味分かんないから!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 小笠原家は代々霊媒師の家系。お母さんもお婆ちゃんも、そして私も霊能力を受け継いだ。

 所謂女系家族なのだが男運はトコトン悪い。お爺ちゃんは大酒飲みで賭博が大好きで早くに亡くなり、お父さんは女を作って夜逃げした。

 5歳の時に、私と母は捨てられたんだ。小笠原家を継ぐ私は、今の世で霊媒師では生活が成り立たないと考えた。

 仕事の依頼が激減してるからだ。霊能力の有る私は、小笠原家を継がねばならず他の職業選択の自由も無い。

 今から業態変更は大変。それこそ誰かに師事しないと無理。だから色々と調べた。でもヤクザな商売と言うか、マトモな人は少ない。

 それに秘密主義だし、細かい話を聞こうとしてもお金を請求されたりイヤラシイ目で見て露骨に体を要求する様なゲス野郎ばかり。

 そんな中で、霊能力者なのに契約書とか報告書とか言ってる変わり者が居ると聞いて調べた。

 

 榎本心霊調査事務所……

 

 不動産や警備会社から絶大な信用を得る筋肉の鎧を纏う男。彼が携われば、どんな霊障も嘘の様に無くなる。調べれば調べる程、信じられない人。

 でも偶然に会った彼は、かなり強い悪霊を瞬く間に祓った。しかも最初は私達を信用せず、一人で除霊するつもりだったのは明らかだ。

 先ず小原氏と除霊についての基本契約を結んだ。これで彼の責任は殆ど除霊に関してだけ。後は全て施主の責任だ。

 直ぐに警備員に話を付けて霊を探索・感知する方法を構築、一番最初に発見し他の霊能力者の目の前で瞬殺した。

 まるで私達を嘲笑うかの様に、強力な悪霊を簡単に祓ったのだ。呼ばれて半日で完璧な除霊を成し得る。

 これが業界で確かな信用を得ている男。彼を知る為に同行を求めたが、基本的に善人。

 今までに話を聞いた連中とまるで人種が違う位に普通に優しい人だった。そして誰よりも異能を授かってしまった者の悲しみを理解してくれる人。

 彼の里子の子が羨ましい程に、その子を完璧に理解し護っている。強大な力を持ち、一般社会でも確固たる地位と信用を持つ人。

 最初に除霊予算2000万円を実質600万円程度まで下げたお陰で小原さんは榎本さんの言いなりだし、明らかに彼に頼っている。

 お金に執着が有るのかと思えば、八王子のホテルはサポートに回ると言う。損な役回りなのに、周りとの調和を考えての事。

 

 そんな私も榎本さんと、もっと一緒に居たいと思い始めている。

 

 彼は皆が言うほどエロくない。私に対して全く欲情してないし、何度か触られても全然嫌じゃない。

 榎本さんにとって私はマダマダ子供なんだろう。でも男女の関係になりたいかと言えば、何か違う。

 もし、もしも恋人にと望まれれば応えても良い。けれど私は榎本さんに本当は父性を求めているのだと思う。

 

 私を捨てた父親、飲んだくれの祖父。嫌らしく私を見る他の男達と全然違う。

 しっかり者で強く優しく頼り甲斐の有る榎本さんは、私の理想の父親なんだ。

 

 

第80話

 

 久し振りに我が義娘との時間が取れた。小原さんに呼ばれた時は何か裏が有るのかと、虎穴に入らずんば何とかと思い行ってみたが……

 まさか榎本さんと霞が居るとは思わなかった。どうやら神泉会が本格的に小原さんに手を伸ばして来たみたい。

 私達の他に堕落したシスター達や亀を纏う変態女、それに無愛想な小娘も居たけど大した事は出来なかった。

 榎本さんの隠し玉と言うか、あの左腕は本当に凄いわね。若い時には無かった力だと思うけど……かなりの修行を修めたのね。

 あれだけ強力な悪霊を瞬殺出来るのだから。霞にとって性癖さえ何とかすれば、良い旦那になるわね。

 

 お買い得だったわ。

 

 小原さんの信用を得て、八王子のホテルの件も何とかさせるつもりで置いてきたけど平気かしら?あの小笠原って小娘。

 妙に色気が有ったが、榎本さんの好みから外れている。あの男はロリコンだが、ただ若ければ良い訳じゃない。

 幼い容姿にツルペタンが大好物の変態だ。大人びた彼女は守備範囲外だろう。

 だから安心なんだけど、何かが霊感に引っ掛かるのよね……小原邸からタクシーで京急線品川駅に向かい快速特急に乗り込み横須賀方面へ。

 2ドアで進行方向に2人掛け客席の電車は乗り心地が良いわ。霞と2人、並んで座るけど狭さを感じない。

 

 電車って良いわよね?

 

 暫し車窓を流れる景色を堪能する。あら、高架橋になったのね。これなら踏切が無くなり渋滞も緩和されるわ。

 ふーん、蒲田駅も随分と新しくなったわね。新婚旅行以来だから、街の変わりようが面白いわ。

 

「ねぇ義母様……榎本さん、凄かったですわね。私、彼が直接除霊するのを見るのは3回目なんですが、圧倒的な力でしたわ」

 

 周りの景色に見入っていたら、霞の事を忘れていたわね。

 

「そうね。私から見ても凄かったわよ。あの悪霊を瞬殺出来るなんて、とんだ隠し玉よね」

 

 キラキラした目で、自分の惚れた相手の凄さを再発見みたいな?今の霞は、本当に榎本さんにベタ惚れね。

 

「霞、明日は小原邸に貴女は戻るのよ。あれだけの力を見せたからには、周りの女達がどう動くか分からないわ」

 

 ロリコンだから安心なのだが、霞の不安を取り除くのと既成事実を作らないとね。常に一緒なら、周りも付き合ってると思うでしょう。

 例え彼が仲間とか友人とか思っていても、霞に対する気の使い方は端から見れば恋人を守るそれだ。

 

「そうですわね。でも榎本さんも明日の朝には一旦帰ると思いますわ。霊具不足で作らないと駄目だと言っていましたし」

 

 うーん、なら逆効果かしら?入れ違いでは無意味だし……でも清めの塩やお札が自作出来るのは良いわね。

 除霊コストが各段に違うし、霊力の消耗も抑えられるし。

 

「ならば榎本さんが小原邸に行くときに一緒に行けば良いわ。さて、結衣ちゃんの事をもっと教えてくれない?私の義娘になるのだから……」

 

 嬉しそうに話し出す霞を見ても結衣ちゃんとは良い子なのだろう。逃がさないわよ、榎本さん。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 応接室で静願ちゃんから変な挨拶をされた。彼女の中で僕はお父さん?それは彼女の母親と再婚しろ?

 いやいや静願ちゃんはファザコン?僕って父親と思われる程、オッサンだったのか……

 

「16歳の女の子にお父さんと思われた。僕はもうオッサン……まだ33歳なのに、お兄さんをすっ飛ばしてお父さん。

きっと50歳位に見えてるんだろう。欝だ、帰って布団の中で泣こう……」

 

 ソファーから立ち上がり宿直室に向かって歩き出す。

 

「ちっ違う、お父さんが嫌だったら恋人でも良いから。落ち込まないで」

 

 慌てて背中に抱き付いて来た静願ちゃんが、大変気を使ってくれた。恋人でも良いなんて、彼女の中では最大限のお詫びなんだろう。

 16歳の女の子に此処まで気を使われるとは大人として恥ずかしい。彼女の方を向いて……

 ああ、抱き合うみたいだから両肩に手を置いて体を離す。

 

「軽々しく恋人とか言っちゃ駄目だ。その、お父さんって僕はそんなにオッサン?まだまだ若いつもりだけど若作りのオッサン?」

 

 彼女は目を見開いて僕を見詰めて

 

「ごめんなさい。私の理想のお父さんだったから……嫌なら、お兄さんと呼んで良い?」と目をウルウルさせて見上げてきた。

 

 つまり父性に飢えているのか……

 

 変に色恋沙汰になりそうなお兄さんよりも、スッパリお父さんの方が静願ちゃん的には良いかな。

 お兄さんなんて、事情を知ってる連中から見れば若い娘に何言わせてるのよ!って言われかねん、高野さんとか高野さんとか。

 お父さんなら、早くに亡くした?夜逃げした?父親の影を僕に見出した。だから彼女の気持ちを考えて、お父さんと呼んで良いと言った。

 これなら対外的にも静願ちゃん的にも良い筈だ。彼女の肩に置いた手に少し力を入れる。

 ビクッと反応したが、そのまま僕を見上げている静願ちゃんは、捨て犬みたいな感じだ。やはり父親と同じ様に拒絶されるのが怖いのだろうか?

 もう、お父さんで良いと言うしかない。

 

「静願ちゃん……」

 

「はい」

 

「お父さんで良いけど、君の母親と再婚とかしないからね。それと周りに人が居るときは呼ばない。

誤解されるから。この二つを守るなら、お父さんと呼んでも良いから」

 

 ガバッと抱き付いてくる静願ちゃん……仕方なく背中をポンポンと軽く叩く。

 

「ありがとう、お父さん……大好き」

 

 大好き、か……少女特有の甘い匂いを嗅ぐと下半身に熱を帯びそうだ。ああ、最近風俗行ってないなぁ。

 明日の朝は絶対帰るから早朝営業に行こうかな。お気に入りの娘が出勤してるか、携帯サイトで調べて予約を入れよう。

 などと美少女に抱き付かれながら、最低な事を考えてしまった。静願ちゃんが落ち着いてから優しく体を離す。

 

「さて、早速二人で誤解を解きに行こうか?」

 

「誤解?誰に?」

 

 黙って監視カメラを指差す。他人に見られていた事に気付いたのか、真っ赤になって俯いている。

 音声無しで端から見れば、男女の情事以外の何物でもない。監視カメラに向かい中指を立てる教育上、大変宜しくない仕草をして彼女を伴い警備室に向かう。

 

「大丈夫、筋肉に物を言わせてもデータは消させるから。マスターも予備も有れば完全に消す」

 

 そう言って静願ちゃんを安心させるが、逆に左腕に抱き付いてくるから困る。彼女的には頼れるお父さんなのだろう。

 廊下を進み警備室のドアを一応ノックして開けようとするが……鍵を閉めやがったな。

 ガチャガチャとドアノブを回すが反応は無い。平和的な解決方法として対話での解決するべく、此方の条件を提示する。

 

「あードアを開けて欲しい。嫌なら嫌で構わない。呪詛を掛けるが、一生ナニが立たない方が良いか即下痢一週間が良いか今すぐ選べ。

猶予は5秒、選ばねば両方掛けるから。5・4・3、ああ良かった。未来有る若者を社会的に抹殺する所だったよ」

 

 慌てて鍵を開けた警備員は顔面蒼白だ。僕は昨夜、彼らに力を見せ付けた。勿論、胡蝶の力で有って僕の実力では無いが彼らには分からない。

 本物の霊能力者を怒らせたと思っただろう。

 

「さて、お話ししようか?先ずデバガメしたデータを完全に消して欲しい。誤魔化しても無駄だよ。

僕はこれでも警備会社の外部スタッフもしてるからね。内情は詳しく知ってるから……先ずは監視カメラのデータから見せてくれるかな?

静願ちゃんも入って、鍵閉めてくれる」

 

 素直に言う事を聞いて狭い警備室に入りドアの鍵を閉める。

 

「榎本さん、恫喝に慣れを感じる。もしかしてヤの付く怖い人?私、早まったのかな?」

 

 彼女の頭をクシャクシャと撫でる。目を細めて嬉しそうにする彼女を見て、やはり父親に飢えているんだなと思う。こんなのは子供が喜ぶ仕草だからね。

 

「僕らは命のやり取りをする因果な商売だからね。荒事なんて慣れっこだよ。そこ、そこから消すんだ」

 

 モニターには丁度僕らが応接室に入った場面が映されている。

 

「部分的に消すのは出来ないんですよ」

 

 警備員が怯えながら言うが騙されないぞ。

 

「削除出来なきゃ上書きするんだ。駄目ならハードディスクごと壊すよ。なに、霊現象ってライトとか消えるだろ?

アレって磁気の問題だと思うんだ。この監視装置も精密機器だし、試してみようか……」

 

 そう言って左手をモニターにかざす。

 

「消します、消せます。いや本当に手順を忘れただけで……はい、消しました!本当です」

 

 サブウィンドウに削除とかの文字も有ったし、これだけ脅したから本当なんだろう。

 

「うん、ご苦労様。さて監視カメラで見ていた内容だが、音声が無いから誤解が生じたようだ。

僕は静願ちゃんから人生相談を受けた。それで感極まって抱き付いただけだから、変な噂が広まったら……分かるよな?」

 

 当事者二人に駄目押しをするのを忘れない。爽やかな僕の笑顔に、快く頷いてくれた。顔が引きつっているのが不思議だけど?

 しかし未だに左腕に抱き付く彼女を見て、彼等が信じてくれたかは分からない。

 問題が解決した所で気が付いたんだけど、食堂のモニターでは信じられない光景が映っていた。

 

「なぁ食堂ヤバくないか?亀宮さん、本気モードになってるぞ。視認可能な程に亀ちゃんが具現化してる」

 

 アレが霊獣亀ちゃんか。凄いな、甲羅が2m以上有るし浮いてるぞ。首も長いしスッポンか噛み付き亀に似ているな。

 

「お父さん、人事だめ。止めにいかないと」

 

 静願ちゃんも慌てているのか、お父さんは人前で呼んでは駄目って言ったでしょ!

 

「「お父さん?」」

 

 警備員ハモるな!そうは言っていられない。ダッシュで食堂に向かう。

 

「おい、胡蝶!最悪喰っても良いが、出来れば避けたい。どうすれば良い?っておい、胡蝶さん?」

 

 ペシペシと左手首を叩くが無反応だ。もう食堂に到着するし出た所勝負で行くしかないのか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 食堂に辿り着くと亀宮さんとメリッサ様が睨み合っている。双方髪はボサボサ、顔中引っ掻き傷だらけ。

 リアルにキャットファイトをやったんだ。肩で息をしながら、片や亀ちゃんを呼び出し方や聖書を開いて十字架を構えている。完全にやる気満々だ。

 

 だけど……

 

 裏拳で思いっきり食堂の壁をブッ叩く!バコッ、と大きな音を立てて凹む壁。此方に顔を向ける二人。

 

「施主の前で何やってんだ!お前らプロだろ?恥ずかしくないのか、ああ?」

 

 ヤクザ顔で恫喝する。

 

「なっ、でもでも榎本さん。この亀頭野郎が私に」

 

「エロ修道女の癖に何言ってるのよ!ナニよ亀頭って」

 

 それはナニだよ。

 

「もう良い。お前ら帰れ!八王子のホテルの除霊は僕がやるから、もう帰れ」

 

 左手首の数珠を弄くりながら、彼女達を叱る。仕事を貰う立場の者が、施主の前で喧嘩とか有り得ない。仕事を舐めるな!

 

「まぁまぁ榎本さん。彼女達も悪いが頭ごなしに叱っては駄目だ。元はと言えば君が私に順番を決めろと投げた所為だよ」

 

 お前が言うなと言いたいが、その通りなので言えない。もう一度、彼女達を見回せば大分落ち着いた様だが……

 

「分かりました。小原さん、八王子の廃ホテルの除霊料金ですが幾らを考えてますか?」

 

「そうだな、同額の500万円を成功報酬だな」

 

 500万円で二組六人が三日間……諸々諸経費を入れれば700万円位かな。

 

「では成功報酬500万円の他に彼女達六人の経費を込みで総額700万円で。亀宮さん、メリッサ様。

君達は施主の前で失態を犯した。だから全員で一斉に除霊するんだ。料金は折半。

でもプロなら相手よりも、より多く除霊し喧嘩のケリをつけるんだ。除霊は明後日の夜から……小原さん、宜しいですか?」

 

 これしか解決策は無いだろう。

 




この作品はコレで今年最後の投稿となります。

来年は1月1日に掲載予定です、今年一年有難う御座いました。


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第81話から第83話

第81話

 

「「「「カンパーイ!」」」」

 

 亀宮さんとメリッサ様の仲直りを目的とした宴会が始まりました。と言うが夕食後の二次会?

 小原氏は彼女達の乱痴気騒ぎに呆れて早々に退出。高野さんは最初から不参加だ。

 僕は今夜も襲ってくるか分からない悪霊対策で小原邸に居る筈なんだが……でも流石は金持ち!

 ホームバーとか有るんだぜ。カウンターに6席、ソファー席が8席。壁面にはガラス張りの棚が有り100本以上の洋酒が並んでいる。

 ウィスキーとかブランデーが多いから、小原氏は洋酒好きなんだな。

 

 妙に瓶が高級そうな物が並んでるけど、コニャックの……

 

「LOUIS XIII Rare Caskって確かプレミアムコニャックとか。怖くて触れないぞ」

 

 VSOPとかXOとかEXTRAとかの名前が付いてるのが精々だ。僕は麦酒専門なのだが、ちゃんと備え付けの冷蔵庫に世界の麦酒も入っている。

 小心者の僕は麦酒だけ飲んでいる。幾ら高級でも麦酒なら精々が2000円程度だから、後で請求されても大丈夫。

 でも麦酒は日本のスーパードライが最高だ!しかし本当に何故、護衛当番の僕まで居るんだろうか?

 カウンターに独りで座って麦酒をチビチビ飲む。摘みは生ハムにサラミだ。カウンター内には給仕さんがちゃんと待機して、色々世話を焼いてくれる。

 洒落たバーのマスターみたいだ。因みに頼めばカクテルも作れるそうだ。

 

「ちょっとー飲んでる?榎本さん、なに麦酒なんて安い酒のんじゃって!見なさいよ棚の洋酒を。ほらほら、何か分からないけど高級そう」

 

 僕が黄昏ていると、隣に座って絡んでくるアル中が居やがる。笑顔でメリッサ様が僕にグラスを持たせて、ダバダバとブランデーを注いでくれるのだが……

 その瓶の銘柄は「ジャン・フィユー レゼルヴ・ファミリアル」って書いて有るけど?僕は見た事無い銘柄だけど、そう言う飲み方するお酒なの?

 

「垂れてるし漏れてるから!コラ、注ぐのを止めんか!」

 

 既に呂律が怪しくなってるが、酒瓶は離さない。どんなにお酒好きなんだよ。

 

「えー、私のお酒が飲めないっての?なによ、自分はさっさと500万円も稼いじゃってさ!私達は折半なんて、榎本のバッキャロー!」

 

 完全な絡み酒だ。酒臭い息を吐き体ごとしな垂れながら絡んできやがる。修道服を来たシスターが酒瓶持ってベロベロってなんなんだよ?

 前髪が解れて修道服を着崩して妙な色気を振り撒くな。生々しい女性は苦手だな……

 

「まぁまぁホテルの除霊を成功させれば、少なくとも350万円は手に入りますよ。もしかしたらボーナス出るかもしれないし。

でも流石はメリッサ様!

あの当世最強と言われてる亀宮さんに一歩も引かないなんて凄いですよ。さぁさぁグッとコレも飲んで下さい」

 

 そう言って体を離し、僕に注いでくれたグラスを渡す。

 

「そう?ありがとね。でも何で私が亀頭野郎と仲良く一緒に仕事なんて……あーヤダヤダ」

 

 グラスに並々と注がれたお酒を一気飲みしたらカウンターに突っ伏して愚痴りだした。濡れた指でカウンターに文字を書きながら、完全に出来上がってる。

 書いてる文字は亀のバカだが、亀宮さんと因縁でも有るのかな?折角の美人なのに酒癖が悪いのはマイナスだぞ。

 お供の二人のシスターは、フローラ様とマリエン様だっけ?彼女達に面倒見て貰わないと。

 

 ソファー席の方を見れば、コッチも修羅場っていた。ソファーの上で胡座をかき、ブランデーの瓶をラッパ飲みする亀宮さん。

 彼女の持つ瓶の銘柄も「ジャン・フィユー レゼルヴ・ファミリアル」って書いて有るよ。なんでお揃いのお酒飲んでるの?仲良いの?

 ブランデーって度数が40%を越えてるよね?そんな飲み方は危険だよ!

 

 彼女に酔い潰されただろうお供の四人。フローラ様とマリエン様は抱き合いながら寝てる。此方も裾が捲り上がって百合百合しい抱き合い方だ。

 もしかして本物の百合か?鈴木さんはソファーに仰け反る様に座ってる。身なりは乱れてないが、だらんと垂らした腕が既に意識の無い事を示している。

 

 西原さんは?居ないから見回せば……居た!俯せで床に倒れてるよ。コレはヤバい状況だ。

 急性アルコール中毒と言う文字が頭の中に浮かぶ……給仕さんとアイコンタクトをする。頷く給仕さんは流石プロだ!

 

「榎本様、ご安心下さい。彼女達に供したブランデーは精々が1本20万円程度です。さて、私はお時間となりましたので私はこれで失礼致します」

 

 綺麗な一礼をしてカウンターの奥の扉から出て行く彼の背中を見て思った。僕はお金の心配をしていない、彼女達の体の心配をしてるんだ!

 

「僕を見捨てやがったなー!」

 

 思わず叫んだ声に亀宮さんが反応してしまった!

 

「おい、榎本!コッチに来い、良いからグラス持って来い」

 

 亀宮さんにロックオンされたみたいだ……相変わらず胡座をかいているのでスカートが腰まで捲れ上がり、細い綺麗な足と神秘のゾーンが丸見えですよ。

 色白だろう太ももは、今は酔いで真っ赤になっているし顔も真っ赤だ。彼女のショーツは薄い青でした。

 

「亀宮さん、飲み過ぎですよ。そろそろ終わりにしましょうか?」

 

 にこやかにお開きを提案しながら向かい側のソファーに座る。古今東西、酔っ払いに理屈は通じない。

 

「鈴木さんも西原さんも今夜は限界みたいだし。亀宮さんみたいに強くないんですよ」

 

 ソファーで仰け反り、床に倒れる二人を見る。テーブルには高級そうな空の酒瓶が5本以上転がっている。

 酒代だけでも100万円以上は超えてるだろう。元は取れた筈だよね?

 

「そうね……皆さんだらしないわね」

 

 思ったよりも口調はシッカリしている。これなら大丈夫かな?

 

「亀宮さんが最強なんですよ。さぁさぁグッと飲みましょう」

 

 彼女から酒瓶を取り上げて、空いていたグラスに注いで渡す。

 

「ん、榎本さんは良い人ね。あのエロエロなシスターより分かってますわ」

 

 グラスを一気飲みしたぞ!口の端から少し零してるし、胸元が濡れて透けてますよ。そろそろ彼女もヤバいか?

 

「見事な飲みっ振り!流石は当世最強の亀宮さんだ。さぁさぁソロソロ今夜に備えて休まないと」

 

 空のグラスを受け取り、代わりに水割り用の氷を水を入れて渡す。

 

「はい、これを飲んで……立てますか?部屋に戻りましょうね」

 

 水はグラスを両手で持ち、コクコクとゆっくり飲んでいる。

 

「ふーっ、少し飲み過ぎたかしら?」

 

 ゆっくりと立ち上がるが……ストンと座ってしまった。酔いが足腰までキてるじゃんか?

 壁に備え付けの内線電話の受話器を取る。数回の呼び出し音の後で繋がった。

 

「はい、どうなされましたか?」

 

 この冷静な声は執事さんかな?

 

「ホームバーに泥酔客六人。部屋に送って下さい。僕は屋敷の警戒に回りますから」

 

 色んな意味で危ない彼女達に触るのは、僕の霊感がヤバいと訴えている。全く興味は無いのだが、世間体は大事だ。

 酔った女性を介護して部屋に連れ込むなんで、デンジャラス過ぎるネタだ.

 

「畏まりました。メイドを向かわせます」

 

 メイドさん?居るの?今迄、この屋敷で見た事なかったよ。暫くするとキッチリと正統派メイド服を来た女性陣が六人と執事さんが現れた。

 執事さんがテキパキと指示を出し、二人掛かりで宛てがわれた部屋へと運ばれていく妙齢の泥酔女達……

 

「普通ならお持ち帰りされるぞ。全く若い娘がはしたない」

 

「榎本様は本当に紳士でいらっしゃいます。我々では主の客人に無理は言えませんから。では、後はお任せ下さい」

 

 そう一礼して去って行った……壁掛けの時計を見れば22時を少し廻っている。警備室を覗いてから宿直室で仮眠しよう。

 僕は麦酒を4本しか飲んでいないから酔いは少ない。ホームバーを出ると静願ちゃんが廊下に立っていた。

 

「アレ?起きてたの?」

 

 彼女は寝間着かわりなのかTシャツにホットパンツ姿のラフな格好だ。着物と違い体のラインが丸分かりなのだが、かなりのスタイルの良さだ。

 長い脚はスラリと伸びているし、腰の括れも中々だ。胸もデカいな。

 結衣ちゃんで鍛えたエロくない目線で彼女を観察する。結衣ちゃんも意外な事に家ではラフな格好が多く、僕を喜ばせてくれた。

 

「部屋に居たら廊下が騒がしかった。だらしなく酔い潰れた女が運ばれてた。お父さんが酔い潰した?」

 

 客室は基本的に並んでいるから、廊下で騒げば気付くよね。

 

「ん?自滅したんだよ。僕は彼女達にお酒も薦めてないし触ってもいない。

妙齢の美人ばかりなのに、あれじゃ幻滅だよね。静願ちゃんはお酒を飲む時は気を付けるんだよ」

 

 髪の毛をクシャクシャと撫でる。本当に嬉しそうな顔だ。

 

「私、未成年だよ。それにお酒は嫌い、酔っ払いも嫌い」

 

 確か爺さんがアル中で早死にだっけ?だから彼女の前でベロベロに酔っ払うのはNGなんだな。

 

「酒を飲むなら飲まれるな。自制心は必要だ。でもね、どうしても飲みたい時も有るのが大人なんだよ。

それに楽しい飲み方も有る。静願ちゃんが成人したら楽しいお酒を教えてあげるよ。さぁ、もう遅いから寝なさい」

 

 彼女の背中に軽く手を当てて客室の方に誘導する。

 

「お父さんは?これから警備?」

 

 お酒の匂いが充満したホームバーを後にする。全く静願ちゃんの教育に悪いだろう。

 

「警備室を覗いたら宿直室で寝るよ。昨日の今日で、あれ程の使役霊は送れないよ。今夜は問題ないと思う」

 

 一旦静願ちゃんを客室に送る為に並んで歩く。本当に小原邸はビックリ箱だ。メイドさんまで居るなんて……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 部屋に居たら廊下が騒がしかった。まさか又霊が来たのかと思い扉を開けたら……亀宮さんがメイドさん二人に抱えられて運ばれて居た。

 衣服をだらしなく着崩して、大人が恥ずかしくないのかな?亀宮さんだけでなく、他の人達も六人全員がベロベロだけど……

 

「何が有ったの?」

 

 付き添っていた執事の人に聞いてみた。普通じゃない事だから。

 

「亀宮様とメリッサ様の仲直りの為の飲み会を行っていたのですが……皆様、あの様に泥酔なされまして」

 

 確かに仲直りで皆さんで飲もうってホームバーへ行ってた。こんなに泥酔する程、お酒を飲むなんて!

 私達は除霊をする為に呼ばれた筈なのに……部屋に運び込まれる彼女達に呆れてしまう。

 

「おとっ……榎本さんは?」

 

 まさか、お父さんもベロベロに?泥酔してる姿なんか見たくない。でも本当に酔っていたら介抱しないと……

 

「榎本様から連絡が有りまして、この様になる前にお止めすべきでした。榎本様は本当に紳士でいらっしゃる。

これだけ周りが泥酔しても、シッカリとしていらっしゃいました。では小笠原様、お休みなさいませ」

 

 慇懃な一礼をしてメイドを従えて去って行く執事さん。リアルメイド、初めて見た。

 アレも小原さんの趣味なら最低。でもお父さんも飲んでた筈だわ?まさか、お爺ちゃんみたいに酷い酔っ払い方をしてないよね?

 執事さんはシッカリしていたと言ったが、心配でホームバー迄走って行く。入口から出て来るお父さんを見付けた。良かった、酔っ払ってない!

 

「アレ?起きてたの?」

 

 口調も乱れてないし、顔もそんなに赤くない。

 

「部屋に居たら廊下が騒がしかった。だらしなく酔い潰れた女が運ばれてた。お父さんが酔い潰した?」

 

 沢山の女の人をお父さんが酔い潰したの?

 

「ん?自滅したんだよ。僕は彼女達にお酒は薦めてないよ。妙齢の美人ばかりなのに、あれじゃ幻滅だよね。静願ちゃんはお酒を飲む時は気を付けるんだよ」

 

 そう言って頭をクシャクシャと撫でてくれた。これは凄く好き!良かった、お父さんも酔っ払いは嫌いなんだ。

 それに思わず寝間着で来ちゃったから体のラインが丸見えで恥ずかしかったけど、全然嫌らしい目で私を見ないの。女としては少しどうかな?って思うけど、榎本さんはお父さんで良いと言った。

 お父さんなら娘をエロい目で見ない。本当に心配してくれるのが分かる。ちゃんと部屋まで送ってくれるし、お父さん大好き!

 今度、一緒に寝て欲しいってお願いしてみよう。あの大きな体で抱き締めて貰えたら、きっと安心して寝れると思う。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 静願ちゃんを部屋に送り届けてから、警備室に顔を出しておいた。何か有れば呼んでくれと……

 宿直室に戻りシャワーを浴びて早く寝ようと脱衣所で服を脱いでバスルームへ。温度を確かめながら体を清めて行く。

 

「今日も疲れた……まさか娘が出来るとはな」

 

 筋肉を揉み解す様にマッサージをして疲れを癒していく。彼女の今後の育成計画は骨が折れそうだ……

 

「ナニをやっているんだ正明。アレだけ力有る女共が痴態を晒してるのに、ナニもしないとは!早く沢山の子を孕ませろと言った筈だぞ」

 

 左手首からズルリと出現した胡蝶さんが、正面から抱きついてきた。勿論、何時もの全裸スタイルだ!

 

「うわっ?胡蝶、さっき呼んだ時は……」

 

 彼女の目がね、肉食獣のソレで妖しい光を放ってるんだが……

 

「黙れ!今一度、女と言う生き物を教えてやる」

 

「ちょ、待ってくれ。アーッ……」

 

 

第82話

 

 宛がわれた部屋のベッドで爽やかな目覚めを迎えられた。カーテンの隙間から差し込む光を見て、今日は快晴なのが分かる。

 念の為に警備室には何か有ったら連絡をと言っておいたが何も無かったようだ。ベッドから上半身を起こして欠伸をする。

 

「うん、良く寝た」

 

 思えば八王子の廃ホテルに単独除霊してから小原邸でエム女を祓うまで、余り寝れなかったからな。ベッドから起き上がり、体を解す為に柔軟運動をする。

 

 しかし……

 

 昨日までの下半身のモヤモヤが嘘の様にスッキリしている。自称デレ期の胡蝶の巧みな攻撃に翻弄されっぱなしだ。だが見た目幼女に弄ばれるオッサンってどうなの?

 エム属性は無いと思うが……それに胡蝶の言う子供を子孫を作れって話だけど……超訳有り過ぎる僕と結婚してくれる娘なんて今は居ないよな。

 

 桜岡さんはマブダチ。静願ちゃんは愛娘。

 

 二人共、美女と美少女だが好みと真逆な容姿だし、彼女達だって僕に恋愛感情なんて無いだろう。やはり結衣ちゃんを頑張って口説かないと無理だよな。

 だが流石に子作りは高校を卒業した後だろう。社会的に問題有るから。柔軟運動を終えて寝間着を脱いで着替える。

 寝間着と言ってもTシャツとパンツで寝てるから、Tシャツを脱ぐだけだ。先に靴下を履いてからチノパンを履く。

 

「お父さん、起きてる?そろそろ朝食だよ」

 

 ドアをノックする音と共に静願ちゃんの声がする。

 

「おはよう、起きてるよ」

 

 声を掛けると同時にドアが開くが、直ぐにパタンと閉められた。はて?

 Tシャツを着てから、ポロシャツを着る。そろそろ着替えも無くなるし、今日は絶対に帰ろう。完全に結衣ちゃん成分が不足気味なんだよ。

 

 そーっとドアが開き顔を覗かせる彼女。覗きか?

 

「覗いてないで……ああ、支度も出来たから食堂へ行こうか?」

 

「お父さん、娘に裸を見せ付けるの変態だよ」

 

 どうやら上半身裸を見せたのが駄目ならしい。

 

「む、年頃の娘は難しいと聞くがアレか?静願ちゃん反抗期?」

 

「違います」

 

 他愛の無い話を静願ちゃんとしながら食堂に入ると、亀宮さんとメリッサ様が既に居た。二人共、朝からキッチリとメイクを済ませている。

 顔の引っ掻き傷も目立ちませんね。二日酔いでは無さそうだ……

 

「お早う御座います」

 

「おはよう」

 

 部屋に入りながら挨拶をすると給仕さんが椅子を引いてくれる。静願ちゃんと並んで亀宮さんとメリッサ様と向かい合わせの配置。

 彼女達は犬猿の仲っぽいが、何故並んで座ってるのかが不思議だ?

 

「あら、おはよう。相変わらず仲が良いわね」

 

「お早よう御座いますわ。榎本さんも手が早いわね。桜岡さんとも親しげでしたのに」

 

 息の合った嫌みを言われたぞ!もしかして元々仲は悪くないんじゃないか?喧嘩友達みたいな。

 

「色恋沙汰じゃないさ。で、二日酔いは平気そうだが、他の人達は?」

 

 そう問い掛けると、ばつの悪そうな顔をして目を背けた。

 

「「今朝は具合が悪く部屋で休んでますわ」」

 

 申し訳なさそうな顔をしてるのは、昨夜の件を覚えているんだろう。悪いとは思っているのなら、常習犯だ。

 つまり酒を飲むと自制が効かなくなるタイプなのね?厄介な方々だ、本当に……

 

「お待たせ致しました。今朝は和食です。主は別件で席を外していますので、先にお食べください」

 

 そう言って高級旅館並みの和食膳が運ばれてきた。固形燃料を使った小さな鍋に味噌汁。

 具は豆腐とナメコ、焼き魚はエボ鯛・出汁巻き卵・山菜のお浸し・餡掛け豆腐に鮪・鯛・甘エビのお刺身。

 漬け物に焼き海苔か……旅館の朝食を思い出す日本人なら嬉しいメニューだ。

 

「「「「いただきます!」」」」

 

 直ぐにホカホカご飯と日本茶が運ばれてくる。でも旅館の茶碗って小さいから何杯もお代わりがしたく……

 給仕さんの置いてくれたお茶碗は、他のと比べると明らかにおかしい。

 

「あの、僕の茶碗だけ他の方と違い大きいのですが……サービス?」

 

 僕の茶碗だが、普通にうどんとかラーメンを食べる時に使う丼サイズ。しかもご飯が山盛り。

 

「榎本様は健啖家と聞いております。ご飯は勿論、料理の方もご用意がありますので遠慮なさらずお食べ下さい」

 

 ああ、多分高野さん辺りからインターのレストランで食べた話が行ってるな。やはり彼女は情報収集の為に同行したんだろう。

 当初考えていた女癖が悪く最低で利権の為に妻子を切り捨てた小原氏への評価は上方修正しないと駄目だ。

 最低男と侮っては危険な相手だと思う。そんな事を考えていると静願ちゃんが味噌汁のナメコを僕の方に一生懸命移していた。

 この子は意外と好き嫌いが多いのかな?

 

「静願ちゃん……嫌いな物を僕の方に入れない」

 

「ナメコとかヌメヌメしたの嫌い。あと山菜も独特な苦味がイヤ」

 

 山菜のお浸しの小鉢も此方に渡してくる。

 

「好き嫌いなく食べないと大きくなれないよ」

 

 まぁ僕も生のトマト食べれないし海鞘(ほや)とかなれ寿司とか食べれないから強くは言えないけど。お父さんとしては言わなければならない、と思う。

 

「榎本さんみたいに大きくならなくて良い」

 

 静願ちゃんがムキムキに?

 

「くっくっく……違うよ、筋肉じゃなくて女性らしい体つきにならないって事さ。ああ、朝からセクハラ発言だな。ごめんなさい」

 

 若い子と話す機会なんて少ないからオヤジ発言が……反省せねば駄目だ。

 

「榎本さんは、胸が大きい方が好き?それともお尻が安産型な方が好き?私、結構自信有るよ」

 

 今朝も着物姿だけど、昨夜のラフな格好で彼女のデンジャラスボディは確認した。まさに僕の求めているモノとは真逆なスタイル。

 顔がロリロリならロリムチでもご馳走なんだが……

 

「そう言うオヤジギャグに真面目な回答しないで。お父さん反省するから……あっお代わり下さい」

 

 静願ちゃんは天然なんだか真面目過ぎるのか判断が難しい。

 

「榎本さんって最低。未成年に朝からエロトークかますかと思えば、昨夜は私達に何も反応しないし。

何かしら?私は小笠原さんより魅力が無い訳かしら?」

 

「そうそう。折角仲良くしましょうってお酒を飲んだのに、大して飲まなかったし。私とお酒飲むより、未成年にセクハラする方が楽しいんだ?」

 

 仲が悪いどころかタッグを組んで責めてくるじゃないか!ちょ、確かに僕はロリコンだが自分基準の好みが有るんだ。

 静願ちゃんは確かに未成年だが、容姿的・体型的に守備範囲外なんだ!因みにお二方は全部無理!

 生々しい淫靡さとか肉感的なアレとかは苦手なの。

 

「いや、朝からエロい話は謝るけどね。僕達は小原邸に遊びに来てる訳じゃない。仕事なんだし節度を守った行動をね……あっ静願ちゃん、僕の出汁巻き卵は取らないで」

 

 亀宮さんとメリッサ様に口撃され、しどろもどろな時にヒョイと出汁巻き卵に手を出す静願ちゃん。出汁巻き卵は大好物なんだから駄目だよ!

 

「代わりにお刺身あげる。朝からこんなに無理」

 

 そう言って手を着けてないお刺身を皿ごと寄越してきた。

 

「はいはい、ご馳走様。随分と懐いたわね」

 

「あの狂犬がクマになって未成年の女の子にタジタジだとはね。当時の触れたら切れる位の覇気が無くなったわよ。飼い慣らされた男には魅力ないわよ」

 

 偉い言われ様だ。狂犬なんて僕の恥ずかしい黒歴史なんだぞ!

 

「それだけ大人になったんですよ。反抗するだけじゃ物事の本質は見付けられない。いや、もう人生の目標の半分以上は達成したし良いのかもね……」

 

 料理を完食し、日本茶を一気飲みして一息つく。何の話か分からないと不審顔な二人。

 確かに肉親の魂が解放された事など知らないから、たかが30代で人生の目標の殆どが達成なんて理解出来ないだろう。

 僕は世間的に人生の大成功者でも何でもないのだから……

 

「ああ、榎本さん。おはよう」

 

 そろそろ食堂を後にしようと思った時に、小原氏が入ってきた。手には僕の渡した調書を持っているが、まさかもう裏が取れたのか?

 上座に座る小原氏を見ながら、彼の情報収集能力に舌を巻く思いだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 小原氏は食事は採らずに珈琲だけだ。後ろに執事さんが控えている。

 

「榎本さんから頂いた調書を元に調べましたが、確かに管理会社は神泉会と繋がっていましたよ」

 

 何だって?僅か1日足らずで調べられるのか?

 

「早かったですね……」

 

「ええ、管理会社の登記簿からと融資先の銀行から色々と……金の流れは誤魔化しがきかないですからね。

それこそ海外経由でもしないと。その点、神泉会は宗教団体だが宗教法人でも何でもない。そこから調べれば簡単だ」

 

 成る程、そんな調べ方が有るのか。僕等じゃ絶対に不可能な手口だな。

 

「流石と言うしかありませんね。僅か1日で其処まで調べられるなんて」

 

「そうでもないよ。榎本さんに言われる迄、私は知りもしなかった。まさか、そんな連中に狙われていようとは。

八王子のホテルの件、宜しくお願いします。稲荷神社は伏見稲荷の方へ手配しました。明日の午後、御霊を抜いて貰える手筈です」

 

 良かった、これで廃ホテルの件は見通しが立ったぞ。しかし、伏見稲荷大社が急な御霊抜きに応じるなんて……

 圧力を掛けたんだな。いや、掛けれる力が有るのか……

 

「稲荷神社の御霊抜きについては、我々も同席致しましょう。引き続き夜に除霊をする訳ですし、下見として昼間行くのは丁度良いですから……

亀宮さんもメリッサ様も宜しいですよね?」

 

 蚊帳の外みたいにモソモソと食事をしている彼女達に話をする。何故か私達関係有りません的な態度なんですけど?

 

「構いませんわ。但し、失敗したら私達が対応するのね?」

 

「稲荷神、つまりは悪霊化した霊獣なんでしょ?そんな大物なら成功報酬は2000万円は頂かないと駄目よね?」

 

 お日様の様な笑顔で2000万円とかふっかけたぞ。美人シスターが慈愛満点の笑顔で報酬の話かよ!本当に彼女はお金大好きなんだな。

 小原さんの顔は引きつっているが亀宮さんは頷いている。それが彼女達の相場なのかな?

 

「確かに神様に喧嘩を売るのと等しい行為ですし。小原さん、もし稲荷神が邪悪化していたら別途費用は考えて下さい」

 

 勿論、丹波の尾黒狐は居ないのを知ってるから気は楽だが。

 

「分かった。但し、もしもの時は大丈夫なんだろうな?その……神を相手にって倒せるのか?」

 

「私の亀ちゃんは負けませんわ!」

 

「2000万円の依頼、死んでも頂きますわ」

 

 小原氏の心配事を見惚れる笑顔で笑い飛ばす彼女達。でもメリッサ様の死んでもって……駄目だろ?

 

「神泉会については、どうするんですか?」

 

 これが僕等の本命なんだ。廃ホテルの怪奇現象より桜岡さんに纏わり付く奴らを何とかしたいんだ!

 

「うん、彼等についてはこれからだ。勿論、私に喧嘩を売ってきたからには買うよ。でも私は宗教家ではない。だから私なりの方法でね」

 

 そう言う彼の顔は暗い笑みを浮かべていた。悪霊は使わないが、法に触れるか触れないかのグレーな方法なのだろう。

 

「小原さん、僕は今日は家に帰らせて頂きます。明日に備える為に、霊具の作成とかしなければならないので。

出来れば明日、八王子の方に直接行きたいのですが宜しいですか?」

 

 思案顔の小原氏。やはり守りが居ないのは駄目なのか?

 

「亀宮さんとメリッサ様は待機で良いですよね?高野さんの結界もしっかりしているし、監視体制も強化したので問題無いかと……」

 

 駄目押しに言ってみる。

 

「良いでしょう。後で集合場所と時間をお知らせします。では皆さん、宜しくお願いしますよ」

 

 これで結衣ちゃんに会える。暫く会ってないから結衣ちゃん成分が0に近いんだよ。やっと補給出来る!

 

 

第83話

 

 あれから食堂を出て宿直室に戻り荷物を纏めながら考えも纏める。小原氏を神泉会と対立させる事に成功した。

 元々関東進出の足掛かりとして狙われていたんだ。僕が唆した訳じゃない。

 多分、彼も桜岡さんと奴らの因縁も調べてるだろう。でも取り敢えず奴らの関東進出が防げれば良い。

 だが、桜岡さんのマンションを襲った少女の霊がエム女の手先か神泉会の使役霊かが分からない。呪詛を込めた品物を贈れるのは人間だけ。

 だから別々に狙われたと思う……

 確かエム女は寝取った女に桜岡さんが似てると言った。彼女を襲った理由まで奴らが用意出来るとは思えないんだよな。

 もし神泉会が其処まで調べてエム女を廃ホテルに仕込んだなら、彼女の死にも何らかの関係が有った筈だ。

 其処まで負うリスクも時間的余裕も考えられない。

 

「お父さん、お父さん?」

 

「あれ?静願ちゃん?」

 

 呼ばれる迄気が付かなかったよ。彼女は無視されてたと感じたのか、少しむくれている?

 

「ああ、ごめんね。考え事をしてたら気が付かなくて……で、何だい?」

 

「今日の昼前の新幹線の切符を取って貰った。私も帰るから、携帯貸して欲しい」

 

 携帯?胸ポケットに入れておいた携帯を渡す。巷ではスマホが主流らしいが、まだ普通のスライド携帯だ。

 

「はい、どうするの?」

 

「私の携帯番号とアドレスを入れるから」

 

 やはり彼女も今時の女子高生だな。携帯の操作もテキパキと行って、赤外線通信でデータを送るみたいだけど……

 

「何故、僕の携帯カメラで自分を写すの?」

 

「この携帯はアドレスに登録した人の写真もプロフィールに掲載出来るから」

 

 なる程、そんな機能も有ったんだ。全く知らなかったよ。

 

「静願ちゃん、新幹線は何時?品川駅発なら送ってくよ」

 

 バッグに着替えを詰め込み終わった。男一人の荷物なんてバッグ一つでお終いだよね。

 

「はい、フォルダに私の画像も入れた。あと私からの電話とメールの時は画像が映るから」

 

 渡された携帯を受け取り胸ポケットへ。良く分からないが、色々設定してくれたらしい。でも、何故隣に並んで顔を寄せてくるの?

 

「お父さんと二人の写真も撮る。もっと顔を近付けて……」

 

 携帯を片手で前に突き出して此方に向けているけど、二人並んで写すの?かなり恥ずかしいが、別に周りに広まる訳でもないから大丈夫かな。

 身長の違いで高さが合わず、僕が椅子に座り膝の上に彼女が座って顔を寄せて撮る事になった。見せてもらった写真は頬がくっ付く位に顔を寄せてるから、恥ずかしくて表情がぎこちない。

 

 彼女は自然な微笑みだったが……

 

「ありがとう。大事にする……」

 

そう自分の携帯を胸の前で抱き締めながら笑った。

 

 胸の底から湧き上がるコレが父性愛?それとも保護欲?不思議な気持ちが湧いてくるなぁ……

 結衣ちゃんは愛情だから静願ちゃんのコレとは違う。そうだ、携帯には電話番号とアドレスしか登録してなかった。

 

「はい、これ僕の名刺だよ。事務所の電話と仕事用のアドレスも載ってるから」

 

 財布から名刺を取り出し、一枚渡す。

 

「名刺……有るんだ」

 

 渡した名刺をマジマジと見てるけど、仕事をしてるなら名刺位有るでしょ?

 

「静願ちゃんは名刺無いの?仕事を請ける時、自己紹介とかどうするの?」

 

 連絡先とか一々メモを取るのかな?

 

「霊媒師は家の方に客が来るから……でも私も名刺、必要かな?」

 

 そうだ、霊媒師の場合は道場とかに客が来るんだ。除霊を行うとなると、現場だけでなく事務や運営方法まで教えないと駄目だぞ。

 

「覚える事が沢山有るな。現場だけでなく運営や事務とかも必要だ。個人事務所だから全て一人でやらなきゃ駄目だし。静願ちゃんのお母さんにも聞いてみないとね」

 

 ワシャワシャと頭を撫でる。サラサラの髪の毛を触るのも暫くお預けだ。

 

「個人事務所、経営者って事。うん、お母さんに聞いてみる。確定申告はしてたよ」

 

 ちゃんと確定申告はしてるのか。でも必要経費の扱いとか、ちゃんと記載してるのかな?

 意外と申告漏れで多めに税金取られるんだよね。経営についてもそれなりに教えないと駄目かな?

 でも霊能力者とは言え、業態変更は大変だよ。インドアからアウトドアに変更だからね。

 

「そろそろ出掛けるけど、新幹線何時だっけ?時間に余裕が有るなら、何処か寄ってくかい?」

 

 そんなにゆっくりもしていられない。明日の昼迄に除霊道具を作らないと駄目なんだ。

 

「11時にはJR品川駅には居ないと間に合わない」

 

 時計を確認すれば9時45分か……

 

「じゃそろそろ小原さんに挨拶してから行こうか?お土産買った?」

 

 1時間ちょっとじゃ観光は無理だな。

 

「まだ何も買ってない」

 

 JR品川駅構内ならお土産屋が有った筈だ。東京土産で良いんだよな。小原氏に挨拶をしてから、新幹線の改札まで静願ちゃんを送っていった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 定刻通り、新幹線に乗れた。行きも帰りもグリーン車だった。初めての時は嬉しくてソワソワしてしまったが、2回目だから平気。

 広いシートを少しリクライニングさせて目を瞑って考える。今回の除霊、何故小原さんが私の母さんに声を掛けたのかが分からない。

 確かにお母さんは美人だ。榎本さんは女性の霊能力者限定で呼んだ事に呆れていたけど……

 

 でも私が代理で東京に来て良かった。榎本さん、お父さんと呼んで良いって。

 

 まだ33歳なので、お父さんと呼ばれる事に抵抗が有るみたいだけど了承してくれた。頼り甲斐が有り力も強く優しい人。

 私が、この業界で一人前になる為には彼の近くで学ばなければ駄目。

 会う前に調べただけでも個人事務所としてしっかりしているし、不動産・警備会社関係から絶大な信頼が有る。

 私の目指す理想の業務体系だし、安定性も有る。何より依頼者がまともなのが良い。変な個人依頼主とか勘弁して欲しい。

 霊を喚んだのにお金が無いとかインチキだとか騒ぐ奴が多い。一緒に仕事をして教えてくれると言ってくれたけど、それは現場での事だ。

 先程の会話の中でも事務とか運営の話も出た。一朝一夕に身に付く話ではない。

 私は榎本さんに弟子入りと言うか、事務所で雇われながら一緒に居て学んだ方が絶対に良いと思う。

 勿論、未成年の時に夜の除霊には参加しないし給料だって要らない。逆に授業料を払うべきだ。帰ったら、お母さんに相談しよう。

 

 地元の学校に未練など無いから早く横浜か横須賀の学校に転校するべき。お母さんは現役だし仕事が有るから別居になるけど、早目に引っ越してくる方が良い。

 榎本さんは基本的に優しいから、ちゃんと話してお願いすれば大丈夫。迷惑を掛けるけど、一生懸命働いて返せば良い。

 あと、榎本さんの携帯に私のデータを入れる時に少し見てしまった。アドレスの中で女性の名前は二人だけ。

 

 桜岡霞と細波結衣。

 

 細波結衣とは里子として面倒を見ている娘。きっと実の娘として大切に育てているのだろう。羨ましい……でも幾つなのかな?

 私立の女子校に転校させる位だから中学以上だと思う。

 

 桜岡霞……

 

 物腰が上品でお嬢様みたいだが、私同様に母娘で霊能力者。梓巫女らしい。彼女は榎本さんに気が有る、絶対に。

 榎本さん程立派な男性が独り者なのも不思議。でも彼女が榎本さんの隣に居ると、何故か胸がムカムカする。お父さんを盗られたくないって事かな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東京名物と言えば舟和本舗の芋羊羹・グレープストーンの東京ばな奈・うさぎやのどら焼き・常盤堂の雷おこし・亀屋万年堂のナボナと色々詰め合わせで買って静願ちゃんに持たせた。

 年頃の女の子のお土産に食べ物ばかりはどうかと思うが……彼女と別れてから首都高に乗り、横浜横須賀道路に乗り継いだ。

 あと15分も走れば家に着くのだが、連絡を入れるのを忘れてしまった。慌ただしかったからな。

 

 途中のインターでトイレ休憩を兼ねて車を停める。先ずは連絡と思い自宅に電話をする。数回の呼び出し音の後で繋がった。

 

「はい、榎本で御座います」

 

「ああ、桜岡さん。ごめん連絡が遅くて……いま横須賀インターで休憩、あと15分位で帰るから」

 

「お疲れ様ですわ。細かい話は帰ってから聞きますから」

 

「えっと昼だけどご飯どうする?」

 

「お昼は私と結衣ちゃんで準備してますわ。それと昨日は義母様を断りもなくお泊めしてしまいすみません」

 

「いや客間が空いてるから平気だよ。まだお母さん居るの?」

 

「ええ、榎本さんから結果を聞くまでは帰らないと……では気を付けて帰ってきて下さい」

 

 桜岡さんのお母さん……摩耶山のヤンキー巫女が、僕の家に居るのか。結衣ちゃんに悪影響を与えてなければ良いけど。

 でも、彼女は小原氏に仕事を依頼されたのに無頓着だよな。僕も桜岡母娘は居ない者として話を進めたし……

 八王子での夜のサポートは同行して貰うか、僕だけ行くか?取り敢えずトイレを済ませてから帰りますか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ほぼ一週間振りの我が家に到着した。ガレージに車を停めて、お土産で買った苺を持つ。

 インター地場産業の野菜や果物が有り、大粒で美味そうな苺を2パック買った。女性のご機嫌取りに食べ物しか思い浮かばないとは……

 ストックして有る清めの塩を自分と愛車に軽く撒いてから玄関に廻る。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい、榎本さん。お疲れ様でしたわ」

 

 家に入ると桜岡さんが出迎えてくれて、手に持っていたバッグを受け取る。

 

「ああ、それ洗濯物だから……」

 

「ええ、洗いますから。先に手を洗ってキッチンへ。昼食の支度が出来てますわ」

 

 そう言ってバッグを持って奥へと行ってしまった。何だろう、この会話は?暫し玄関で立ち尽くしていると、結衣ちゃんが出て来てくれた。

 セーターに短めのスカート、そしてエプロン。大きめのスリッパでパタパタ走ってくる仕草。その華奢で幼い容姿に家庭的なエプロン姿!

 ああ、やはり女性はこうでないと!最近バインバインな女性ばかり見てきたから、結衣ちゃんを見るとホッとする。

 

「ただいま、結衣ちゃん。変わりは無かったかい?」

 

 目の前まで来てくれた結衣ちゃんの頭を軽く撫でて、結衣ちゃん成分を補給する。目を細めて微笑んでくれる彼女に癒される。

 

「お帰りなさい、正明さん。大丈夫でしたよ。桜岡のお母様が楽しい話を聞かせてくれて……

正明さんの昔話とか。お昼は手巻き寿司にしました。沢山用意してます」

 

 何だって?僕の昔話をする程、アンタ僕を知らないだろ?

 

「どっどんな?」

 

「鮪・イクラ・ウニ・卵焼き……」

 

 指折りながら、手巻き寿司の具を説明してくれるけど聞きたいのは昔話の方なんだよ。

 

「あら、まだ玄関に居ますの?早く手洗いをしてキッチンに来て下さいね。結衣ちゃん、太巻き作りましょうか?」

 

 はーい、と返事をして桜岡さんとキッチンに戻ってしまった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 手を洗いキッチンへ向かうと豪華な料理が待っていた。太巻きと手巻き寿司のセット。

 手巻き寿司の具は、各種お刺身に卵焼き・キュウリ・カンピョウ・味付け椎茸等色々だ。

 他に鳥の唐揚げ・煮しめが大皿に盛られている。流石に僕と桜岡さんでもキツいかも知れない。

 だが、結衣ちゃんの手料理となれば完食を目指す!席に座ると結衣ちゃんが日本茶を淹れてくれた。

 普段より大きめな湯呑みは寿司屋で買った魚の名前の漢字が一覧で彫り込まれた奴だ。

 何でも昔は大きな湯呑みにタップリのお茶を最初に出して、お店の人の手間を省いたらしい。

 

「「「「いただきます」」」」

 

 早速、鳥の唐揚げをパクリ。

 

「む、コレは……結衣ちゃん味付け変えた?」

 

「いえ、それは桜岡のお母様が……」

 

 桜岡のお母様?何だろう、呼び名が変じゃないかな?

 

 



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第84話から第86話

第84話

 

 何たる不覚!最初の一口目の料理が結衣ちゃんの物でないなんて……慌てるな、正明。ヒントが有るだろう。

 確か桜岡さんは結衣ちゃんと太巻きを作ろうと言った。つまり太巻きの中で出来の良い方が結衣ちゃんの作った方だ。

 

「うん、先ずは太巻きを頂こうかな」

 

 箸を伸ばそうとすると

 

「私も初めて太巻きを作ったんです。良かったら食べて下さい」

 

 桜岡さんが不格好な方を薦めてきた。目がね、キラキラしてるんだよ。つまり食べて感想を言わないと駄目なんだ。

 

「ああ、頂きますね」

 

 ここで彼女を蔑ろにしては結衣ちゃんからの好感度が下がるのは目に見えている。笑顔で不格好な太巻きをパクリと一つ。

 モグモグと咀嚼する……見た目は不格好だが、具のチョイスは流石だ。

 

「ええ、美味しいですよ。最後に結衣ちゃんの作った方も……うん、こっちも美味しいね」

 

 空気の読める僕は桜岡さんのキラーパスを回避して、さり気なく結衣ちゃんの手料理をゲットだぜ!

 

「それは私が作ったのよ。気に入って貰えて良かったわ」

 

 ニヤリと笑う桜岡母。ナンダッテー?異議あり、異議ありだー!だって確かに結衣ちゃんと一緒に作ろうって……

 

「はははははっ。まさか桜岡さんのお母さんの手料理まで頂けるとは……」

 

 のっ残りは煮しめしかないが、明らかに不格好だから桜岡さんの手作りだ。つまり結衣ちゃんの手料理は?

 思わず彼女の方を向いてしまう。

 

「私は今回仕込みだけだったんです。すみません」

 

 申し訳なさそうに下を向いてしまった。なんてこった、殆どが桜岡母娘の手料理だったのか……

 

「榎本さんは沢山食べると聞いて、霞と頑張ったのよ。さぁさぁたんと召し上がれ」

 

「も、勿論頂きますよ。ああ、結衣ちゃんお茶お代わり」

 

 並々と注がれた熱めのお茶を一気飲みして、結衣ちゃんに湯呑みを渡す。せめて、せめてお茶だけでも……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結論から言えば、桜岡母の手料理は大変に美味しかったです。所謂お袋の味だ。

 特に煮しめ等は野菜の種類別に煮込み時間を変えている。味のしみ方が不揃いの野菜に均一に味がしみてるのは、手間を惜しまない料理だからだ。

 

「悔しいが完敗だ……大変美味しかったです」

 

 ソファーに座りながら頭を下げる。完食後に、これからの話をする為に応接間に移動した。

 結衣ちゃんは仕事の話だからと遠慮し、洗い物をしてくれている。本当に嫁に欲しい出来たロリだ。

 

「……?そう、料理の方は霞に仕込んでおくから安心なさいな」

 

「まぁ義母様ったら」

 

 ナニ、コノ会話?オカシクナイカナ?にこやかに会話をする桜岡母娘に、良く分からない危機感を感じながら話題を変える。

 

「あー仕事の件ですが、小原さんと神泉会の敵対は確実です。僅かな時間で渡した調書の裏を取った。油断ならない人物ですよ、彼は……」

 

 僅か一日も満たない間に調べられるのは、色んな情報網が有るんだ。

 

「そうね。敵の敵は味方、味方が有能なのは嬉しいわね。別に私達は彼と敵対するつもりも無いし。例え女癖が悪くても、ね」

 

 女癖の所で睨まれたが、何か僕に含みが有るのか?

 

「廃ホテルの除霊については、小原氏の協力が得られました。明日、伏見稲荷大社の方々が御霊を抜きにきます。僕も立ち会いますが、その後の除霊については……」

 

「待って、良く伏見稲荷大社が急な予定を組んだわね。普通は1ヵ月とか掛かるわよ」

 

 やはり京都にある御山から簡単には来ないのか。それだけ小原氏は力が有るのか、厄介だな。

 

「それだけ彼に力が有るのでしょう。桜岡さんには悪いと思ったけど、廃ホテルの方の除霊は亀宮さんとメリッサ様が共同で行う。

僕はサポートに廻るよ」

 

「あの小笠原って子は?それに何で共同で除霊なのに貴男がサポートなの?」

 

 共同と言っても罰みたいな物だし、理由も喧嘩の罰だとも言い辛いよな。

 

「小笠原さんは、元々母親の代理だし未成年だ。夜の除霊は無理だし力も弱い。だから今日帰ったよ。

亀宮さんとメリッサ様はアレです。仲良く無いんで喧嘩になり、罰として共同で除霊しろって事に。

僕は話を振った責任と廃ホテルについても責任が有るからサポートに。あの人達と一緒に除霊なんて、色々と面倒臭いじゃないですか!」

 

 女性の喧嘩に巻き込まれただけで大変なんです。分け前も貰うなんて共同除霊に参加したら……

 

「私達は不参加なのね?別に私が呼ばれた真意が分かれば良いのだけれど……霞はどうするの?」

 

 桜岡さんには悪いが、不参加でお願いしよう。最悪、胡蝶に頼る場合知り合いは少ない方が良い。

 亀宮さんやメリッサ様は今後の付き合いなんて分からないし。

 

「桜岡さんも家で待機して欲しい。出来れば母親と一緒に。君達母娘は狙われているから、現地に行くのは危険だからね」

 

「良いわ、私は霞とこの家で待機すれば良いのね」

 

「おっ義母様!それでは榎本さんの負担が……」

 

「貴女が付いて行ったら、榎本さんの負担が増えるでしょ?生霊専門の貴女では除霊のサポートは無理。

ならば安心して榎本さんが働ける様に家を守るのが貴女の勤めです」

 

 此処まで一緒に調べてきたのだから、最後でハブかれるのは嫌なんだろう。母親に諭される娘の図だな。

 でも正直、単独行動がしたい。レンタカーも置きっぱなしだし、色々と裏でやる事が多いんだよ。

 

「では僕は霊具の作成で部屋に籠もります。今夜は家に居ますが、明日は早い時間から現地に行きますのでお願いします」

 

 少なくとも清めの塩とお札の何枚かは作らないと。今日は遅くまで掛かるな……

 頭の中で作業手順を思い浮かべながら、今夜は日付が変わる迄は仕事だと溜め息が出る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「霞……妻は旦那様の留守に家を守るのが仕事なのよ。貴女は生霊を相手にするには強力だけど、悪霊の類は苦手でしょ?」

 

「でも……」

 

 全く困った義娘だわ。惚れた男の役に立ちたいのは分かるけど、男ってね。

 自分の仕事に口を出されたくない事も有るのよ。今回は大変な除霊作業になると考えたんでしょう。

 しかもサポートと言う主導権の無い、損な役回りだからね。霞を守って、序でに亀宮さんとかシスター達の面倒なんて見れないわ。

 でも小笠原って子……あっさり帰ったわね。

 

 榎本さんもダメ出ししてたし、心配は杞憂だったわ。流石はペド野郎だから、妙に色気の有る子は首尾範囲外だったのね。

 あとは義娘を宥めれば問題無いわ。

 

「榎本さんは、貴女が大切だから家に居てくれって言ったのよ。霊能力者が同業者に自分の拠点に居てくれって事が、どれだけ大変な事か分かるかしら?

彼も私も知られたくない事や物が有るのよ。それでも彼は霞の為に私にも居てくれって言ったの。それだけ霞が大切って事なんだから自信を持ちなさい」

 

 この件が片付いたら、例の呪いを掛けるわ。同棲までしてるんだし、手を出さないのが変なのよ。

 最初っから変態なのよ。対外的には、結婚は秒読みなのに……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 疲れた……アレから作業に没頭し、夕食もソコソコに何とか終わらせる事が出来た。

 時計を見れば深夜2時過ぎ……お札を書いていた筆を置いて、大きく体を仰け反らせる。

 バキバキと音が鳴るのが分かる。体が大きいから小さい文字とか書くのが苦手なんだよな。

 墨や筆をしまい、新しいお札を祭壇に祀る。新たなお札が20枚。清めた塩が5キロ。これで暫くは大丈夫だ。

 このまま布団にダイブしたいが、風呂と歯磨きに一階に降りる。途中、結衣ちゃんの部屋から明かりが漏れてるのを見付けて扉をノックする。

 

「結衣ちゃん?もう遅いのに起きてるのかい?」

 

 部屋の中から音がして扉を開けてくれた。椅子の回転する音だったから、勉強中だったのかな?

 

「今晩は、正明さん。今までお仕事してたんですか?」

 

 スエット上下にカーディガンを羽織った結衣ちゃんが僕を見上げている。部屋の奥を見れば机の上には参考書の様な本が。

 

「うん、結衣ちゃんも勉強中だったの?頑張るね」

 

 静願ちゃんの頭を撫でた様に、軽く彼女の髪の毛をクシャクシャっと撫でる。結衣ちゃんの髪の毛もサラサラだ。

 彼女は目を細めて見上げてくれる。

 

「こんなに頭を撫でてくれるの久し振りですね。今日はどうしたんですか?えへへ、榎本さんお夜食食べます?」

 

 夜食!勿論、食べますよ。

 

「うん、小腹が空いたけど何か有るのかい?」

 

「冷凍していたお正月の残りで鍋焼きうどんなら出来ます。伊達巻きに紅白蒲鉾だけですけど」

 

 寒い夜に美少女ロリが作る鍋焼きうどん!最高だ。

 

「うん、でもお願いして平気かい?」

 

「明日は日曜日ですから、朝食は8時ですよ。何時もより少し朝寝坊出来ますから」

 

 そう言ってキッチンへ向かう彼女の後を付いて行く。テーブルに座り、調理する彼女を見る。幸せだ……

 

「随分遅くまで勉強中だったけどテスト?」

 

 彼女は真面目に毎日勉強するから頭は良い。それが深夜までとなると、テストかな?

 

「奨学金制度を受けようと思って。もう高校の事も考えないと駄目ですし」

 

 奨学金制度って確か書類を学校から貰って来てたっけ?無利息の第一種奨学金だけど、本人の学力と世帯収入の確認で源泉徴収が必要だとか……

 でも僕の年収が実は多いから対象外なんだ。結衣ちゃんの成績の平均値は4.2、制度では3.0以上だから問題無いのに。

 市販の生うどんを湯がいてヌメリを取り、土鍋に調味料を入れていく。ひと煮立ちしたら、うどんと具材を並べていく。流石に手際が良い。

 

「奨学金制度?良く無い言い方だけど、結衣ちゃんはお金の心配は不要だ。もっと僕に頼ってくれた方が嬉しい。(既に僕の年収が多くて申請は不可能なんだ)」

 

 それに結衣ちゃんは僕のお嫁さんに……デヘデヘ。

 

「嬉しいです。でも出来る事はしたい。私は正明さんに頼りっきりですし……」

 

 レンゲで汁の味見をして、玉子を溶いて鍋の中へ。蓋をして蒸らせば完成だ。ミトンを嵌めて土鍋を掴んでテーブルへ運んでくる。

 僕は鍋敷きを自分の前へ用意する。

 

「有難う、美味しそうだ。一般的に美少女に手料理を作って貰うのに、世の男達がどれだけ散財するか知ってるかい?

結衣ちゃんの気持ちは嬉しいよ。でも今は無理はしないで、やりたい事を探す時期だよ」

 

 うどんをレンゲに乗せて、フゥフゥ冷ましてから食べる。うん、美味い!少し甘くした醤油ベースの汁が最高です。

 向かいに座った彼女がお茶を淹れてくれる。美少女と向かい合わせで、手作りの夜食を食べる。これだけで幸せだ。

 

「そうですね。私、私は何になりたいのかな?正明さんは私の異能を生かした仕事に就いた」

 

 彼女の言葉を途中で遮る。獣に変化出来る力は強力だが、それは彼女にとって幸せは何も無い。

 

「結衣ちゃんにヤクザな商売は向かないよ。確かに君の力は、君の一部だけど拘る必要は全く無い。

選択肢の幅は無限だよ。高校に進学して後に大学に進んでも良いんだ。何なら僕のお嫁さんでも良いよ」

 

 さり気なく勝負に出た!今までは男女の関係を匂わす発言はしなかったが、何故か僕の霊感が騒ぐんだ!早くしないとヤバいって。

 

「ふふふふっ、良いんですか?私にそんな事を言っちゃっても?大変ですよ」

 

 かわされた?いや嬉しそうだけど冗談と捉えられたか?

 

「うん、構わないよ。まぁ結衣ちゃんの将来は色んな道が有るんだ。協力は惜しまないさ」

 

 今はこれ位で良い。余裕無く急ぎ過ぎると、彼女的には危険だ。母親の情夫に狙われていたなんて過去を持つ子だ。イヤらしさを全面に出しちゃ駄目なんだ。

 

「御馳走様。洗い物はしておくよ。僕もお風呂に入ったら寝るから。じゃ結衣ちゃん、おやすみ」

 

「おやすみなさい、正明さん。…………もっと強く言ってくれないと信じられないよ」

 

 おやすみなさいの後が、良く聞き取れなかったけど?聞き返す前に彼女は行ってしまった。何を言ったんだろう?

 

 

第85話

 

 現地集合。

 

 僕は場所が分かるが皆は大丈夫なのかな?集合時間は2時だが、早めに行って荷物を積み替えてレンタカー屋に。

 料金の清算と助手席の破損を詫びて事務所の方に請求書を送る様に依頼。停めてある車までタクシーで行ってから、八王子の廃墟ホテルへ向かった。

 途中電話で執事さんと話したが、管理会社との契約は破棄したそうだ。建物自体を解体する事にしたからと。

 確かに放置し続ける限り問題は無くならない。心霊現象もだだっ広い空き地だと余り聞かないからね。

 予定時刻の15分前に到着したが、既に稲荷神社の周りに人集りが出来ている。近くまで歩いて行くと、亀宮さんに捕まった。

 

 今日は完全に仕事モードだな。

 

 動きやすいパンツタイプのスーツを着込み、腰に小さなポーチとトートバッグを肩から提げている。靴はスニーカーだ。

 ちゃんとフィールドワークに適した格好をしている。お供の二人も同様だ。

 

「ねぇ榎本さん。アレには何も居ないわよ。亀ちゃんも反応しないし……建物には居るみたい」

 

「凄いな。そんな事まで教えてくれるんだ?」

 

 亀の霊獣とある程度の意志の疎通が出来るみたいだ。僕は胡蝶と普通に会話出来るが、彼女が素直に教えてくれるとは限らないからな……

 

「何となく目線や警戒度合いで分かるのよ。因みに榎本さんには亀ちゃん、警戒MAXよ。私の前に立ち塞がる様にするなんて貴方が初めてだし。

少し怯えも入ってるわ。榎本さん、貴方も何かを憑かせてないかしら?」

 

 同類故に何となく分かるのだろうか?この前のベロベロに悪酔いした面影が全く無いぞ。

 

「僕の能力に関する事は秘密だよ。それに亀ちゃんが警戒してるのに、ほいほい僕に近付いちゃ駄目だろ?」

 

 何だろう、ニコニコ笑ってるけど?

 

「貴方、良い人でしょ?だから平気なの」

 

 鼻先に指を指されながら宣言されましたが?

 

「良い人?僕が?何処が?」

 

 散々、エロい人とか欲張りとか抜け駆け野郎とか言われましたよ。しかも喧嘩した後は彼女達を怒ったし……

 

「人見知りっぽい小笠原さんが懐いてたしね。私が酔っ払った時も、嫌な顔せずに対応してくれたでしょ?

私、覚えてますわよ。一瞬だけ私のショーツを見たけど、その後ずっと視線をそらして……普通はベロベロに酔っ払ってるなら遠慮なく見るでしょ。

女好きって噂も当てにならないわね。だって純情なクマさんなんですもの。だから大丈夫なの……」

 

 魅力的な笑顔で言ってくれましたが、趣味の違いで興味が無かった事を考えると大変心苦しい。

 でも、あの時の記憶が有るの?てか気付いてたならスカート直せよ。恥じらいが無いのか?

 

「どうやら御霊抜きが終わったみたいだ。アレは問題が無かった。つまり本命はホテルの方……今夜が勝負。亀宮さんの頑張り次第だね」

 

「ええ、任されましたわ。でもサポートはしてくれるんでしょ?」

 

 当世最強と言われた亀宮さんと亀ちゃんなら平気だろう。果たして僕のサポートが必要かも分からないが……

 

「あら?榎本さんは私には期待してないと?あらあら私をあんなに嫌らしい目で見ていたのに」

 

 馴れ馴れしく腕を組んできたぞ、聖職者の筈だろシスター・メリッサ!

 

「アンタは本当に全然記憶無いだろ?勝手に捏造しやがって!」

 

 肉感的シスターズに取り囲まれてしまった。彼女達はやはり修道服に身を包み、十字架のペンダントを付けて聖書を持っている。

 お付きの二人はショルダーバッグを肩から提げている。カチャカチャとガラスの当たる音がするから、聖水が入ってるのかな?

 清めた塩と違い重いし大変だよね。

 

「大体、お供の二人は百合百合しく抱き合って酔いつぶれてただろ。メリッサ様はカウンターで愚痴ってたろ。

何処に僕の嫌らしさが有るんだよ。ちゃんと人を呼んで部屋にも運んであげたのに!」

 

 ナニその思案顔?首に人差し指を当てて考え込む仕草なんかして。ちょっと幼い感じがグッドです!

 

「貴方が私を部屋に運んだんじゃないの?ホームバーには私達と貴方しか居なかったじゃない?てっきり部屋で下着で寝てたから、悪戯されたかと……」

 

「してない!人をサラッと性犯罪者に仕立て上げるな!ちゃんと執事さんに連絡して女性のお手伝いさんを呼んで運んで貰った。小笠原さんも見ていたから聞いてみろ」

 

 あらあら、エロいとか言われてるのに意気地なしなのね。とか笑いながら去っていったぞ。

 

「僕の築き上げたイメージがガタガタだ。何だよエロいとか意気地なしとか!襲った方が良かったのか?彼女達のプライドを傷付けたのか?嫌だけど……」

 

 大地に両膝を付いてガックリとうなだれる。この調子だと今夜もからかわれて終わりそうだ。

 

「おっきい筋肉がうずくまってると邪魔ですよ。大分彼女達と仲良くなったみたいですね?」

 

 声を掛けられて見上げれば高野さんが居た。珍しく私服だが、怪我の具合は大分良いみたいだ。包帯も少なくなり代わりにバンドエイドを貼っている。

 

「どこが?絶対彼女達と酒は呑まない。碌な事にならない。

確かメリッサ様は高野さんの紹介でしたよね?彼女達から力は感じますが、有名なんですか?」

 

 何だろう?面倒なタイプの笑みを浮かべたぞ。

 

「榎本さん、彼女達が気になるの?でもそうよね。同業者との仕事を殆どしなかった貴方が今回は複数の霊能力者と仕事をしているもんね。

勿論、最初の日みたいに勝手に一人で仕事しちゃうけど、今回はサポートだし。結構取り纏めも上手なのに何故単独を好むの?」

 

 今、色々とヤバい情報が有ったぞ。立ち上がって膝に付いた埃を払い、冷静に彼女を見る。

 人畜無害な笑みを浮かべているが、彼女は僕の過去の除霊スタイルを知っている。

 胡蝶絡みで目立たない様に暮らしていた僕の情報を……

 

「複数で挑む案件は大抵が巨大な敵だ。僕は身に余る仕事はしない主義だからね。必然的に一人で出来るし料金もソコソコの仕事を選ぶからだよ。今回は特別だ」

 

「小原さんは貴方を気に入ったわよ。彼には敵が多いし、私の身に余る連中も現れた。私は貴方に協力して欲しいの……」

 

 高野さんは小原氏から僕の引き抜きを依頼されているのか?だが胡蝶の件も有るし、お抱え霊能力者になるのは無理だ。

 

「僕はこう見えても自由気ままな生き方が好きなんだ。単発仕事なら考えるけど、誰かのお抱えは嫌だな」

 

 少し距離を取り、正面を向いてポケットに手を入れたな。何を取り出すつもりだ?

 

「はっきり拒絶するわね。でも単発なら良いって言質を取れたから良いわ。あの亀宮さんが警戒する程の霊能力者を野放しには出来ないもの……」

 

 邪魔するなら排除するってか?流石は小原氏の専属霊能力者だけの事は有る。今までの情けない感じはフェイクかよ。

 人を値踏みする様な冷たい目は修羅場を潜った連中の目だ。つまり犯罪ギリギリなラインで生きる連中か……

 無意識に背中に隠した特殊警棒に手が伸びる。

 

「貴方の目……躊躇無く人殺しが出来る目だわ。優しいクマさん、情けない結界専門の霊能力者。

どちらも私達の表の顔。では裏に廻ればどうなのかしらね?貴方、本当は何者?」

 

 この女、僕の正体には気が付いてないのか?正体?僕の?

 

「くっくっく……」

 

 思わず笑いが込み上げてしまう。

 

「何よ?何が可笑しいのよ?」

 

 後ろ手に廻して特殊警棒を握っていた手を離して万歳をする。

 

「いや、別に……君達と敵対する必要なんて全く無いのにね。神泉会は桜岡さんにとっても厄介な相手だ。共闘してくれる小原さんに協力は惜しまないよ。敵の敵は味方だからね」

 

「そうか……貴方の楔は桜岡さんなのね。でも確かに共通の敵だから、協力して行きましょう」

 

 彼女もポケットから手を出してくれた。あの距離なら何を取り出しても特殊警棒で払う事が出来たと思うけど……油断がならない相手だよな。

 

「一つ教えてくれる?君は小原さんの愛人かい?其処まで彼を心配するなんてね」

 

 目を見開いて……あれ、怒ってる?

 

「私が?アレと?それは無い、絶対に無いわ!ただ、お得意様には変わりないからね。給料分の仕事はするわ。只でさえ自慢の結界を抜かれたんだから悔しいのよ!」

 

 私のプライドがズタズタなのよ。結界は今も正常に機能してるのに、中に現れるなんてさ……ブツブツと独り言を言い出したぞ。

 確かに結界は機能してた。でも、あの夜と同じ様に中に入ってきたんだよな。

 

「あの女の霊だけど、多分強引に結界に入り込んだと思う。足とか結界の影響で爛れてたけど、気にせず歩いていたし。

高野さんの結界の穴じゃなくて根性で侵入したんだよ。またはマゾな悪霊?でも結構弱ってたから、結界自体は効果が有ったと思うよ」

 

 前に僕が清めの塩で祓った時の傷も、そのままだったからダメージ蓄積型だと思う。

 

「根性?性癖?そんな精神論かエッチな趣向で私の結界は破られたの?」

 

 凄い嫌な顔だ。本来の彼女は結構毒舌家なのかもね。

 

「君の結界は凄いよ。僕は簡易的なのしか学んでないからね。そもそも仏教でガッツリ結界張るなら、体中にお経を書かなきゃ」

 

 清めの塩がお札、床に墨で経文を書く結界も有るけど僕には無理だ。

 

「耳無し芳一なんてね。ふふふっ、お互い上手く付き合って行きましょう」

 

 手を差し出して来たので軽く握手をする。冗談が通じる位には信用してくれたみたいだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮さん・メリッサ様・高野さんと女性陣全てと会話してから一旦お開きとなった。小原氏の手配でベースとなる民宿を貸し切って居る。

 女性陣はホテルで無い事に不満タラタラだが、現場の近くで如何にも怪しい連中を泊めてくれるホテルは無いだろう。

 僕も現物を見るまでは、そう思っていました。

 

「岱明館(たいめいかん)か……昭和の香りが漂う純和風な民宿だね。一応温泉が出てるみたいだよ」

 

 案内された民宿を見上げて無難な感想を言う。木造二階建て、外壁は漆喰塗り。屋根全体が瓦葺きか……

 

「ねぇ小原さん、宿泊費ケチったのかな?」

 

「私に聞かれても……地図は間違い無いわよ。名前も合ってるし」

 

 高野さんと二人、入口で呆然とする。僕等の後ろでは、亀宮さんとメリッサ様達が凄い勢いで文句を言い始めた。彼女達の対応を真面目にしたくは無い。

 

「僕も文句を言う方に回って良いよね?高野さんは専属霊能力者だから施主側だ!

僕はちゃんと基本契約書に与えられた施設・設備についての項目が有る。これは霊的防御以前に対人防御も難しい。改善を要求出来る、と思う……」

 

 絶望的な眼差しで僕を見詰める彼女が気の毒になり、最後で妥協した。

 

「榎本さん、二人で頑張るって約束したじゃない。熱い握手も交わしたのに、いきなりの裏切り?」

 

 この女、僕を巻き込むつもりだな?後ろの連中に聞こえる様に大声で言いやがった!

 

「頑張る以前の問題だ!じゃ僕は此処で良いから、亀宮さん達の宿泊場所を確保してよ。

うら若き女性には辛い宿泊施設だ!僕は文句は言わない」

 

 レトロな民宿だが、僕は平気だ。後ろの女性陣を説得するのが嫌なんだ。

 

「きっ汚いわ!私だって此処で良いわよ。亀宮さん達は自分で小原さんに文句言ってよ!夜10時の現地集合に間に合えば文句は言わないわ」

 

 二人で騒ぎながらフロントまで歩いて行く。横目で互いを見るがニヤニヤしていた。だって僕等は言い争いながら彼女達から逃げ出したんだ。

 

「こんにちはー!小原で予約してるんですがー」

 

 無人のフロントには呼び鈴も無いので、暖簾の奥に声を掛ける。

 

「はーい!」

 

 奥から出て来た女将さんは、50歳位の品の良い小柄な方でした。

 

「今日からお世話になります、榎本です。小原さんから何か聞いてますか?」

 

「ええ、榎本さんと高野さんと言う方が幹事だから、希望は聞く様に伺ってます」

 

 思わず高野さんと顔を見合わせる。やられた、小原氏には現状がお見通しみたいだ。つまり……

 

「「僕等が彼女達の面倒見るの?」」

 

 

第86話

 

 小原氏が用意してくれた宿泊施設は、昭和レトロな民宿だった。僕は気にしないが、女性陣には大不評!

 しかし宥めるのも説得も僕の仕事じゃない。一緒に文句を言おうと思ったが、高野さんの絶望的な顔を見て諦めた。

 

 僕は此処で良い!

 

 そう言ってフロントに向かう。高野さんも便乗して嫌なら自分で探せと僕に付いて来る。

 作戦は上手くいったが、女将さんが居るのに後ろで文句を垂れる連中に赤面だ……

 

「えっと、後ろの連中は気にせずに……僕等は四組です。三人が二組、後は一人ずつ二組。後ろの連中が三人組なので一番広い部屋を」

 

 女将さんは苦笑いだ。

 

「二階に12畳和室の大部屋が三部屋有ります。一階は6畳和室が四部屋と宴会場・大浴場が有ります。トイレは共同です」

 

 見事な田舎の民宿だ。バス・トイレ共同だと!

 

「女性陣を二階へ、僕は大浴場から一番遠い部屋で。二階の割り振りは高野さんに任せます。

夕食は6時から、僕等は9時半に出掛けます。帰りは明け方になると思いますが、戸締まりはどうしますか?」

 

 決め事だけ全員の前で話しておかないと、聞いてないとか言われそうだ。

 

「夜間外出は聞いております。呼び鈴を鳴らして頂ければ鍵は開けます。朝食はどうされますか?普通だと8時からです」

 

 大体5時に帰るとして、風呂に入ってから食事。そして仮眠したいな……

 

「食事は7時に出来ますか?出来れば帰ってから直ぐにお風呂にも入りたい」

 

「大浴場は清掃時間の1時から5時が入れません。ですが、お出掛け後に直ぐに清掃いたしますから大丈夫です。食事は6時位から食べれる様に準備しておきます」

 

 大分対応が良い。これは建物は古いが当たりだと思う。取り敢えず、まだ後ろでブツブツ言う連中に説明する。

 

「女将さんのご好意で仕事がやり易くなりました。女性陣の部屋は二階、僕は一階。夕食は6時、出発は9時半。

帰りは5時予定で朝食は6時以降は大丈夫。朝風呂も入れます。以上で質問は?」

 

 女子会の引率みたいだぞ。メリッサ様が手を上げた。

 

「はい、シスター・メリッサ」

 

「夕食時にお酒飲める?現地迄の移動は?車は榎本さんのしかないわよ」

 

 そう言えば引率のバスは帰ったぞ。僕は荷物が有るから車で来たけど……

 

「高野さん、何か聞いてる?」

 

 本来の引率係に聞いてみる。

 

「確かマイクロバスを用意してる筈よ。迎えに来るって言ってたから。後で確認するけど、9時半に此処に呼べば良いのね?」

 

 ああ、運転手付きのレンタカーでも手配してるのか。

 

「構わない。車の手配は高野さんの責任で、お願いね。僕は自分の車で行くよ。道具積んでるし。お酒については自己責任で……」

 

 メリッサ様の目が輝いている。

 

「お互い大人ですから、自己の責任において飲みなさいって事ね。てっきり駄目って言われると思ったわ」

 

 普通、除霊当日まで飲むか?そんなにお酒が好きなの?でも民宿じゃ麦酒・焼酎・日本酒が精々だよ。ワインとかウィスキーとかハイカラな物は無いんだよ。

 

「僕は引率でも責任者でもないですから。その辺は自己判断にお任せします。他に質問は無いですか?」

 

 他は特に無さそうだ……

 

「女将さん、部屋の案内を女性陣からお願いします。僕は其処のソファーに座って待ってますから」

 

 女将さんは壁に掛かっている鍵を取って、皆を案内しながら二階へ登って行った。僕はソファーに仰け反る様に座ると、両手で顔を擦る。

 

「疲れた……最初から疲れたよ。こんなんで今晩の除霊を乗り切れるのか?」

 

 前途多難だ……

 

「お客さん、部屋に案内します」

 

 声を掛けられた方を見れば、20歳位の髪をショートカットにした……宝塚みたいなハンサムが居た。 雄♂牝♀どっちだ?服装はパーカーにGパン、それにエプロンだが……

 

「民宿の人?えーと、女将さんの……」

 

「ええ、家は家族経営ですから。荷物持ちますよ」

 

 カマを掛けたが変な答えだ。普通なら、息子です・娘ですなのに家族経営?よく見れば喋る時に喉仏が無いな。

 

「いや女性に荷物を持たせられないよ。重いしね」

 

 そう言ってソファーを立ち上がる。

 

「どうして僕が女って分かった?見た目も言葉使いも男と変わらない筈なのに」

 

 自分の喉仏を差して「喋る時に喉仏無かったし、あの質問に家族経営って少し変だよ。普通は息子です・娘です、でしょ?」と言ってニカっと男臭い笑みを浮かべる。

 

「流石は女子会の引率者だね。女ばっかりの中に男一人だから、どんなエロ野郎かと思えば、彼女達と階も分けるし大浴場から一番離れた部屋とかさ。

凄い気を使ってるね。女癖が悪いと評判の、小原さんの知り合いとは思えないよ。さて、部屋に案内するね」

 

 そう言って先に歩いて案内を始めた。フロントを抜けて宴会場の向かい側に木製の引き戸が並んでおり、これが6畳の部屋なのか。突き当たりが大浴場みたいだ。

 直ぐ手前の部屋の引き戸を開けて、中に入る様に勧められる。部屋の中に入れば……比較的新しい畳が敷いて有り、真ん中にコタツがセットされている。

 14インチの薄型テレビの下に昔懐かしい金庫。押入と並んで備え付けの箪笥。その脇に三面鏡が置いてある。

 

「えっと、浴衣は特大を持ってくるね。部屋に冷蔵庫は無いからフロントの自販機か内線で注文出来るよ。お風呂はもう入れるから。

男女の入れ替えは清掃後だよ。それと一応ご案内しないと駄目なんだ。避難通路は大浴場の脇に有るから確認しておいて下さい」

 

 最近は泊まり客に避難通路の説明をしないと駄目らしい。

 

「浴衣は必要無いよ。自前のを持ってきてる。しかし、なんで男装なんかしてるんだい?」

 

 もしかして女性の方が好きな方かな?わざわざお茶を淹れてくれている彼女に聞いてみる。まぁ会話が無いから振ったネタなんだが……

 

「民宿なんて宴会する客が多いでしょ。酔っ払いのセクハラが凄いんだよ。だから、男装してる。見破ったのはお客さんが初めてだよ」

 

 ハイって湯飲みを渡してくれる。女性と理解して良く見れば美人の部類だ。でもロリ道を貫く僕には首尾範囲外だけどね。

 

「そうだね……酔っ払いは大変だよね。うん、上の女性陣。酒好きで泥酔上等な絡む系だから気を付けてね。僕も偉い目に有ったから……」

 

 ははははっ気を付けるよ。そう爽やかに笑いながら部屋を出て行った。取り敢えず、出されたお茶を飲んで一休み。

 

 さて、これからどうするか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 やはり大浴場に行くしか有るまい。民宿自体が貸切なら、男湯も貸切だ!

 

 着替えを持って脱衣場に向かえば、懐かしい時計みたいな体重計とマッサージ機。竹の網籠が置いてある脱衣棚。まさにレトロな銭湯の雰囲気だ!

 浴室に入れば、内湯のみだが浴槽は6畳程の広さが有り洗い場は8つ有る。先ずは簡単に体を洗い流し浴槽へ……

 

「ふぃー生き返るね。やはり日本人は温泉だよ……」

 

 両手足を伸ばして体をリラックスさせる。湯の温度も41℃と僕的には適温だ。

 

「ああ、良い風呂だな……風呂は心の洗濯らしいぞ」

 

「なっ?胡蝶さん、何で居るの?」

 

 普通に胡蝶が浴槽で体育座りをしている。

 

「騒ぐな正明。あの廃ホテルには滓(かす)しか残ってない。我の欲する物は無い。ならば温泉位楽しませろ」

 

 体育座りから大の字になり、湯船に仰向けに浮かぶ胡蝶……真っ白な肌が微かに朱を帯びていて、長い髪の毛が放射線状に広がっている。

 しかも大事な所が丸見えだ!

 

「なぁ胡蝶……お前の事を気付いている連中が居る。まぁ亀宮さんだが、左手首に何か憑いているって聞かれたんだ。何時かは人前に、お前を出さないと駄目かも知れないが……その……」

 

 プカプカと浮かびながら器用に体を此方に向ける。

 

「何だ、言い澱んで……我に頼みが有るのか?この容姿はお前好みだが、変えても良いぞ」

 

 そう言うと髪の毛が短くなり体が伸びて、静願ちゃんとそっくりになった。胸も腰も尻も足も彼女と同じだ……

 

「違う、見た目じゃない!服を着て欲しいんだ。真っ裸は問題が有るんだよ」

 

 スルスルと縮んで元の幼女の姿に戻ると、僕の膝の上に座る。

 

「なんだ、服か?うむ、お前が我の裸体を他の者に見せたくないのは分かった。もし人前に出る事が有れば、擬態しようぞ。アレか?

セーラー服・バニー・バドガール・ナースどれが良いんだ?何ならネコミミ和風メイド尻尾付きでも良いぞ」

 

 完全に遊ばれている。人の膝の上でニヤニヤしやがって!これが彼女的デレ期か?だが幼女に似合う服装だと……

 

「巫女服なんてどうだ?古き力有る存在だし、巫女服なら善玉に見えるし」

 

 ナースやメイドなんて論外だ!

 

「ふむ、巫女服か……分かった分かった。人前に出る時が有れば、巫女服を着てやるよ。

正明、雑魚ばかりだが注意しろよ。何故か近隣から浮遊霊が集まっている。数だけは厄介だ……」

 

 そう言って左手首の中に入っていった。少し前とは一転して、良く気を使ってくれるな。

 本当に前は罰と称して肉親を殺した癖に……だが既に、それを受け入れてる自分が居るのも確かだ。

 

「胡蝶か……全く不条理で不思議な存在だよ……」

 

 お湯を掬ってバシャバシャと顔を洗う。サッパリしたし、そろそれ出るかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 基本的に浴衣は肩幅が広くて似合わない。だから旅行では部屋着兼寝間着は持参だ。ゆったりとしたTシャツに半ズボンを着て脱衣場を出る。

 途中で女将さんの娘さんと会った。二階から空のビール瓶を何本か持って降りてくる。

 

「お風呂どうだった?今日は男湯は貸切だからのんびり出来たろ?」

 

 既に8本の空瓶を持っているが、上は既に宴会か?

 

「ああ、気持ちよかったよ。日本人は温泉が一番だ!夕飯まで1時間位か……部屋で休むかな」

 

 何故か階段に空瓶を置く彼女?僕を頭から爪先まで、じっくりと眺めている。オッサンを見て楽しいのかな?

 

「お客さん、凄い筋肉だね。腕とか僕の胴回りと同じ位の太さだし。太股もムキムキだね。ねぇ、腹筋見せてくれよ」

 

 ムキムキ?腹筋?変な物に興味が有るんだな、筋肉フェチか?

 

「ほら、これで良いの?」

 

 Tシャツを胸まで捲る。

 

「ああ、凄い……ゴツゴツだ。それに古傷も有るんだね。ねぇ、触って良いかな?」

 

 減るものでもないし、黙って頷く。ソロソロと手を伸ばしてくるので、触る直前に力を入れる。

 ムキムキっと割れる腹筋!ビクッと一旦手を止めるが、ゆっくりと撫で回し始めた。

 

 少しくすぐったい。

 

「凄い、カチカチだね……それにゴツゴツしてるし。お客さん、有難う。やっぱり鍛えてる男は良いよね。僕なんて全然筋肉付かなくて、ほら見てよ」

 

 そう言ってパーカーを捲って腹を見せる。真っ白なお腹には、傷一つないが筋肉の割れもない。

 滑らかできめの細かい肌だ。一瞬釣られて見るが、直ぐに視線を逸らす。

 

「無闇に肌を見せちゃ駄目だろ。コーラ有る?2〜3本、部屋に持ってきてよ」

 

 照れ臭いのと面倒臭いので彼女に持ってくる様に頼む。冬の時期なら室温でも拘らずに飲めるから、冷えてなくても良いんだ。

 

「ふふ、お客さんだけだよ。僕を女の子として扱うのはさ。僕のお腹なんか見てもつまらないだろ?

胸もペタンコだし。でも今度また筋肉触らせてよ。じゃ持ってくから部屋でまっててね」

 

 そう言って空瓶を持って奥へ走って行った。筋肉好きとは良い趣味だ!でも僕は女性のムキムキは嫌いなんだ。

 

 ペタンペタンが好きなんだ!

 

 自分と同じムキムキよりも軟らかい方が良い、断然良い!しかし、誰かに見られてたら大変な誤解を生む台詞も沢山有ったな。気を付けないと大変だ!

 



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第87話から第89話

第87話

 

 夕食は正に宴会料理の定番だった。座敷に向かい合わせに席が配置してあり、一人一人に膳が用意されている。

 座布団に脇息。上座には舞台が有りカラオケセットも完備。

 料理は天麩羅・海鮮鍋・野菜の煮物・刺身・鰤の照り焼き・山菜のお浸し・茶碗蒸し。味噌汁は赤出汁だ!

 

 流石に誰もお酒は飲まない。

 

 これから仕事だから当たり前だね。亀宮さん達は全員浴衣に着替えている。

 浴衣の女性が7人も居れば壮観な眺めだ。皆さん標準以上に美人だし……でも何時の間に温泉に入ったのだろうか?

 食事中は、女将さんと娘さんが付きっ切りで給仕をしてくれる。娘さんが温かい料理を厨房から運び、皆に配る。

 見た目ハンサムボーイは女性陣に大人気だ。

 

 特にメリッサ様。良く言葉を掛けている。

 

 しかし、お酒もハンサムも大好きな聖職者ってどうなのよ?女将さんはご飯や味噌汁のお代わりに対応。

 下座に座る僕の脇にお櫃と鍋を置いて待機している。此方は僕の専属みたいな感じだ。

 

「あの……」

 

「はい、お代わりですね」

 

 お盆を差し出してくる。黙ってお茶碗をお盆に乗せる。てんこ盛りにご飯をよそって渡してくれます。特大の茶碗で……

 

「何故、僕のだけ茶碗が特大なんですか?」

 

 既に3杯目をそっと出した僕にニッコリ。

 

「お客さんの大きな手で普通の茶碗ですと、お猪口みたいでしょ?見た目から沢山お食べになるのは分かりますから」

 

 おほほほっ、とか笑われてしまった。

 

「はい、榎本さん。天麩羅追加、揚げたてだよ」

 

 そこへ娘さんが追加の天麩羅を持ってくる。海老のかき揚げにアスパラ、それと茄子とミョウガかな?

 

「ああ、有難う。熱々の料理は特別美味しいよね」

 

 天麩羅を置きながら、序でにコーラも注いでくれる。

 

「本当にコーラ好きだよね。炭酸は体に悪いんだよ」

 

 クルクルと動き回る彼女は働き者だ。

 

「良く出来た娘さんですね。この民宿も安泰かな?」

 

多少の社交辞令も兼ねて女将さん話を振ったのだが……

 

 偉い驚いた目で見られたぞ?

 

「あの……何か?」

 

「いえ、あの子を女性と見抜いた事と……お客さんに話し掛けて、まさか飲み物まで進んで注ぐ事に驚きまして。

あの子は、この仕事が余り好きではないのです。特に接客とかが……」

 

 ああ、お客さんだからと我慢してるんだろうな。セクハラとか……

 

「男として酔ってセクハラは許し難いですね。いや、申し訳ないです」

 

 娘さんの注いでくれたコーラを一気飲みする。確かにお客さんからのセクハラはパワハラも兼ねる。昔、エロい中国の人が言っていた。

 

「日本人、ミナ○ハル○ノ呪イ、カカテルネ!お客様は神様です、ネ!」

 

 そんな都市伝説が有る位、一般人のクレーマー化が進んでる。下手に対応すると、直ぐに口コミやらで有る事無い事書き込み捲るからな。

 

「ふふふ、お客さんは娘に相当気に入られたのね。名前で呼んでましたし、初めてですよ」

 

 ニコニコと微笑みかけられたら照れ臭いぞ。娘さんを見れば、他の女性陣にも料理を配っている。

 意外なのが亀宮さんとメリッサ様は、それぞれお供の方々と盛り上がってるけど高野さんがメリッサ様達と話し込んでいる事だ。

 確かメリッサ様は高野さんの紹介って聞いたけど、昔から交流が有るのかもね……

 

「本当にコーラ好きなんだね。はい、新しいの置いておくよ」

 

 料理を配り終えた娘さんが新しいコーラの瓶を2本、置いてくれる。良く世話を焼いてくれるのは嬉しいのだが、実の母親の前でやられると無性に恥ずかしい。

 何故か娘に彼氏が出来たみたいな目で見てるし……話題を変えよう。

 

「女将さん、お願いが有るのですが……」

 

「娘はあげませんよ。この民宿を継いでくれないと」これもセクハラだと思います。

 

「ははははは。彼女には、こんなオッサンより相応しい相手が居ますよ。出来れば夜食を用意して欲しいんです。

おにぎりを30個、それとポットに味噌汁を。寒い夜ですから休憩時間に温かい物を食べさせたいので」

 

 おにぎり30個はびっくりしたのかな?目を見開いたし。

 

「ウチの娘よりおにぎりですか?用意は出来ますが、おにぎりは冷えてしまいますよ」

 

「いえ、携帯コンロも鍋も有りますから。おにぎりをビニールに入れて湯煎します。だからおにぎりは個別にサランラップでくるんで下さい」

 

 サランラップにくるんだおにぎりをビニール袋に入れて鍋で沸かした湯に浸ける。所謂、湯煎だが結構温まるんだ。直火でなければビニール袋も溶けない。

 

「良く考えてますね。分かりました。用意しますので、お出掛けの時に声を掛けて下さい。お湯が沸かせるならお茶と急須、それに紙コップも用意しておきます」

 

 そうだ、飲み物も無かったんだ。女将さんのご好意に甘えていると、メリッサ様が娘さんを捕まえてカラオケを始めたぞ。

 

 曲名は「都会の天使たち」だ。

 

 娘さんの腕に絡みつきながら熱唱しております。娘さんは少し嫌そうに体を離しているが、同性だしまだマシ?

 しかしメリッサ様は何歳なんだ?この曲の歌手って堀内孝雄と桂銀淑だっけ?

 刑事ドラマの主題歌だったと思うが20年は前の曲だから、取り敢えず歌いきった娘さんに拍手だ。

 ああ、次のデュエット待ちみたいになってるよ。娘さんも手を振って無理ってジェスチャーしてるけど、断りきれないっぽい。

 カラオケの予約操作も始めそうだし、仕方無いな。

 

「はいはい、皆さーん!今日はコレから仕事、あと2時間しかありませんよ!カラオケは中止、宿の方はコンパニオンじゃないんだからね」

 

 立ち上がりパンパンと手を叩いてカラオケ大会を中止にする。彼女はこれが嫌で男装してるのだろう。

 デュエットで歌う時って結構ベタベタ触られるしね。僕の言葉に娘さんも離れて厨房に戻った。

 

「榎本さん、横暴だー!なにさ不細工だからってヤキモチ、キモーイ!」

 

「良いじゃないカラオケくらい!つまんなーい」

 

 罵詈雑言を無視して、今日のスケジュールを最終確認をする。

 

「不細工結構!

僕等は仕事で来てるんだ、遊びじゃない。今夜はフロントに9時半集合だ。高野さんはバスの最終確認ね。

現地に着けば、皆さんのやり方で結構。僕は休憩所の設置と夜食の準備をする。一応サポートもするからギブアップなら申告して欲しい」

 

 既に夕食が始まって1時間は経ってるから、もうお開きでも構わないだろう。

 

「送迎バスは9時には来ます。現地で待機はしないので、帰りは30分前に連絡して呼びます」

 

 事前に確認していた高野さんが、淀みなく答えてくれる。確かに心霊現場に待機してくれる強者ドライバーは居ないだろうし、僕等もドライバーの安全確保をしなきゃならない。

 一旦帰ってくれる方が良いだろう……

 

「後は自由だけど集合時間に遅れない様にね。はい、連絡事項はお終い」

 

 席に座り残りの料理を片付けるべく茶碗を持つ。もう1杯は逝けるだろう。暫くして娘さんがデザートを運んでくれた。

 

「これはパパイヤかな?久し振りだよ、種の周りがエグいけど美味しいよね」

 

 小さな皿にパパイヤとキュウイの半分切り、それにホイップクリームがトッピングしてある。

 

「うん、パパイヤは癖が有るけど好きなんだ。さっきは有難う。榎本さん、本当に空気読める人だよね」

 

 最後にお礼をいわれてしまった。女将さんの温い笑みが怖いんだけど……

 

パクパクとフルーツを口の中に放り込み、コーラを一気飲み!

 

「ははははっ……良く礼儀を弁えたお嬢さんですね。さて、デザートも食べたし部屋に戻りますね」

 

 何とも居辛い宴会場から、早々に逃げ出した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 9時ちょっと過ぎに送迎バスが到着。集合時間には早いが、夜食を積み込む。娘さんが積み込みを手伝ってくれた。

 

「おにぎりは33個作れたから全部持ってきたよ。丸が梅、三角が鮭で海苔が無いのがツナマヨだよ。コッチが味噌汁だけど、コンロが有るって聞いたから寸胴ごと持ってって。

コッチが日本茶のセットで、2リットルのミネラルウォーターが5本で足りるかな?これは榎本さん用のコーラだよ」

 

 僕の車には乗せきれず、送迎バスに積み込んだ。

 

「有難う。これで夜食は万全だよ」

 

 コーラだけは自分の車に乗せた。旅館らしくガラス瓶タイプのコーラを6本だ。彼女は積み込みが終わっても民宿に戻らない。

 僕の周りを一周歩いてから、腰に差した特殊警棒を抜き取る。

 

「榎本さん、格好良い服装だね。自衛隊みたいだし、コレって特殊警棒だろ?」

 

 ん、格好良い?自分のスタイルを確認するが……下からコンバットブーツ・ワークパンツ・腰にポーチと特殊警棒とマグライト。

 背中には大振りのナイフを隠している。合皮のジャケットにワンショルダーのバッグ。焦げ茶と黒で統一された何時もの仕事着だ。

 

「そうかい?暗いから当社比200%で格好良く見えるだけだよ」

 

 伸ばして遊ぶ彼女から特殊警棒を受け取る。

 

「僕はコレでも僧侶の資格を持ってるんだよ、在家だけどね。今は調査事務所を構えているが、警備会社擬(もど)きの事もするんだ。

今回もそう。彼女達は所謂霊能力者って奴で、小原さんの所有してる潰れたホテルのお祓いをしに行くのさ」

 

 多分、宿泊の予約時に大体の事は聞いてるだろうから正直に話す。メリッサ様達なんて最初から修道服着てたし、普通ならコスプレかと思うだろう。

 

「榎本さん、お坊様なんだ!ムキムキだと少林寺の坊さんみたいだね。ふーん、霊能力者か……ゴメンね、胡散臭いや」

 

 正直な娘だな。胡散臭いと来たよ。

 

「ふふふ、正直だね。確かに僕も含めて胡散臭いだろ?堅気の君には世界が違うかもね」

 

 両手を挙げておどけて見せる。別に気にする事でもない。胡散臭いなんて慣れっこだし。

 

「ごっごめんなさい。そんなつもりじゃ……気を悪くした?」

 

 此方を見上げて胸の前で手を合わせて謝ってくれた。正直、素直に謝ってくれるとは意外な反応だ。

 

「気にしてないよ。慣れっこさ。悪気が無いのも分かってるから……さて準備は完了。

ボチボチ彼女達も集まって来たね。悪いが帰ったら呼び鈴を鳴らせば良いんだね」

 

 明け方になるが、起きて貰うしかない。施錠無しじゃ防犯上、心配だから。

 

「うーん、僕の部屋からだと少し遠いんだよね。呼び鈴が聞き難いんだ。そうだ!榎本さん、携帯貸して」

 

 携帯?胸ポケットから携帯を取り出して渡す。受け取った携帯を操作しているが……

 

「はい、僕の私用携帯の番号。帰ったら電話して。それと僕は晶、霧島晶(きりしまあきら)。晶って呼んでよ。じゃ頑張って!」

 

 渡された携帯を見れば、アドレス帳に登録されていた。手を振って走り去る彼女に、片手を挙げて応える。

 最近、若い子の携帯番号ゲット率が高いな。前はアドレス帳に登録した女性は、結衣ちゃんと桜岡さんだけだったな。

 静願ちゃんに晶ちゃんか……喜んで良いのか悪いのか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 アレから直ぐに全員が集まり、バスに乗り込み走る事30分。問題の廃ホテルに着いた……昼間と違い夜は不気味だ。

 幸い満月に近い所為も有り、月明かりが建物全体を照らしている。だが、建物の内部は真っ暗だ……

 

「さて、いよいよ本番だ。このホテルはデカい。本館・別館・従業員宿舎・プール等の野外施設も有る。高野さん、マスターキーを……」

 

 廃業中とは言え、管理会社に委託して維持していたんだ。全て施錠済みだから、鍵が無いと入れない。

 

「はい、3組しか無かったよ。客室・共用部分・野外施設と別々なんだって」

 

 渡されたマスターキーは3本3組だ。亀宮さんチーム・メリッサ様チーム、それと僕と高野さんで良いかな……

 

 

第88話

 

 いよいよ廃ホテルの除霊にまで持ち込んだ。長い道のりだった……

 僕はサポートだから今回は楽だ。胡蝶は周辺の浮遊霊が異常に集まっているから注意しろと言ってた。

 だが僕を含めて8人もの霊能力者が居るんだから、大丈夫だろう。思えば大人数での除霊作業なんて初めてだな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 廃ホテルの入り口の前で最終ミーティングを行う。皆さん昼間と同じ格好だが、各々ライトを持っている。薄着だが寒くないの?

 ヒートテック重ね着とかカイロを仕込んでるとか?確かに着膨れすると動きが鈍くなるから、薄着で正しいのか?

 疑問は一旦忘れて、後ろの建物を振り返りながら説明する。

 

「見ての通り廃業してますが、管理会社に委託していた為に劣化は酷くないです。各扉は施錠されてますので、マスターキーを渡します。

無くさないで下さい。客室・共用部分・屋外施設と鍵が違います。注意して下さい」

 

 そう説明し、亀宮さんとメリッサ様に鍵の束を渡す。

 

「で、どうします?幾ら私達の自由で構わないと言われても、想像以上に広いから協力しないと効率が悪いわよ。」

 

「そうね。報酬は折半だし無理する必要は全く無いわ」

 

 やっと現実的な話になってきたぞ。ただ闇雲に除霊しても効率が悪い。順序を決めようかな。

 

「先ずは様子見で屋外施設を一緒に廻って除霊してみては?プールは霊の目撃情報も有る場所だ。

建物は1階から順番に廻るしか無いと思う。又は階層別に班分けして廻っても良いのかな?

僕は君達の除霊方法を知らないから分からないが、他に考えが有れば言って欲しい」

 

 亀宮さんは専守防衛タイプだから、攻めてくる奴らを亀ちゃんが食べるんだ。だから今回は歩き回って探さないと駄目な筈。

 メリッサ様は確か一部屋ずつ祓って行くらしい。つまり此方も全部屋を廻らなければならない。

 何処に霊が居るかなんて調べてないんだから……先ずは周りを祓って清めてから、建物内を順番に廻るしかないのか?

 

「そうね。それじゃ先ずは野外施設から廻りましょうか?メリッサさん、行きますよ」

 

「あら、亀宮さん。主導権を握らないで下さい。私達は平等な筈よ」

 

 互いに牽制してるが、能力は確かだから問題無いだろう、と思いたい。

 

「じゃ僕は此処に休憩所を作って夜食を温めてるから。高野さんは亀宮さん達と同行してよね」

 

 入り口の近くにテントを張って簡易的な釜を作ろう。後は結界を張って……色々忙しいぞ。

 

「あら、榎本さんは一緒に廻らないの?」

 

 高野さんに不思議そうな顔で見られたぞ。

 

「僕はサポート、除霊に参加したら報酬が減るよ。君は小原さんに除霊が完了したかの報告の義務が有る。

僕が請け負えばアフターで一週間は確認で残るけど、彼女達はどうかな?君が同行して確認しないと駄目じゃない?」

 

 メリッサ様を見ながら説明する。彼女が一週間も滞在するとは思えない。

 

「高野さん、行きますよ。私達の除霊作業を小原さんに報告しなさい!」

 

 メリッサ様に首根っこを掴まれ引き摺られていく。器用に涙を流して此方に手を差し伸べているが……僕は拝んで見送った。

 

「榎本さんって、結構厳しいわね。私は貴方と一緒に除霊したいわ。亀ちゃんも、そう思ってるわよ」

 

 一人残った亀宮さんがトンでもない提案をしたが、基本的に胡蝶は秘密だ。うっすらと具現化した亀ちゃんが鎌首を此方に向けて威嚇している。

 シャーとか威嚇音が聞こえそうだよ?嗚呼、鎮まれ僕の左腕!アレは食べちゃ駄目だ、食べちゃ駄目だ、食べちゃ駄目なんだ……

 熱を帯びた左手首を押さえる。アレはとても美味しい、早く喰わせろ。そう胡蝶の心の声が聞こえる、いや幻聴だよ頑張れ俺、耐えろ俺!

 

「亀ちゃんに、めっさ警戒されてますよ。今回は亀宮さんに譲りますよ。何か有れば手伝いますから……って亀宮さん、ライトは?」

 

 昼間はトートバッグを持っていた筈だが、今は手ぶらだよ。

 

「あら?鈴木さん達に渡してしまったわ。あらあら、どうしましょう?」

 

 月明かりでボンヤリと見通せるが、先発隊は結構先に進んでいる。

 

「はい、休憩の時に返して下さいね」

 

 腰に差した予備のマグライトを渡す。

 僕は基本的にマグライトは2つ以上、発煙筒もケミカルライトも用意してる。

 

「ありがとう。あら、これは発煙筒ね。救難信号用かしら?」

 

 運転免許所持者なら見慣れた赤い筒を指差している。

 

「ライトが不調な時の予備、火はそれだけで魔を祓う力が有るからね。強い霊はライトに干渉する場合もある。ここは廃墟だから火災の心配は少ない。

でも普段はこっちのケミカルライトを使う。まさか悪霊も化学反応まで干渉は出来ない。一本ずつあげるから早く行きなさい」

 

 ケミカルライトと発炎筒を受け取ると可愛いクシャミをクチュンとする彼女。何故、冬の夜にコートも着ないんだ?車から予備のパーカーを出して渡す。

 

「風邪をひくから着てくと良いよ。ちゃんとクリーニングしてるから汚れてないし、大きいけど袖を捲れば平気でしょ?」

 

 文句を言わず素直に着るが、ミニワンピみたいだ。袖を捲れば一応は動き易いだろう。

 

「おっきいわね。でも暖かいわ……ありがとうございます」

 

 ペコリとお辞儀をする彼女は、何処か普通とは感性がズレているのかも知れない。確かに強大な力を持つ亀ちゃんと共生してるんだ。

 彼女の彼氏は大変なんだろうな……ナニする時も見られてるんだぜ?

 

 アレ、それは僕も一緒じゃか!子作りを推奨されてるんだし、人事じゃなかったよ。

 

 遠くから、メリッサ様が早く来いって騒いでるのが聞こえる。

 

「お互い頑張りましょうね、本当に……」

 

「……?ええ、お留守番宜しくね」

 

 笑顔の亀宮さんと威嚇中の亀ちゃんを手を振って送り出す。彼女は僕と違い絶大な力押しで今までやってきたんだろう。

 僕みたいな小細工は必要無かったんだろうな。キラキラと尊敬する目線が痛かったんだ。

 同レベルの霊能力者達なら、同じ様な事は結構してるのにね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 休憩所の設置。

 

 先ずは敷地の入口付近に4畳程のテントを張る。風もないし雨も降ってないが、三方をシートで覆うと暖かい。

 次に周辺に清めた塩で小皿に盛り塩を作り、四方に配置する。テント内にパイプ椅子を並べて休憩所は完成だ。

 次は夜食の仕込みだ。多分2〜3時間は除霊してるだろう。温めるのは未だだが、コンロを二台セット。一つは味噌汁の寸胴、もう一つには湯煎用の大鍋を置いた。

 車から一斗缶をだして、焚き火の準備をする。山の中だから周りを見回すだけで結構な薪になりそうな枝とかが落ちているので集める。

 新聞紙を一斗缶の中に入れて火をつけたら細い枝を入れて火力を強く。ある程度強くなったら太い枝を何本かくべる。

 

 これで完成、僕の仕事も一段落だ。

 

 後は彼女達の帰ってくる時間を見計らい湯を沸かせば良い。パイプ椅子を焚き火の近くに置いて座り、暖をとる……

 パチパチと燃える炎を見ていると、時の経つのを忘れるね。暫くボーっと焚き火を見続けた……

 

「うん、暇だ。向こうからは楽しそうな声が聞こえるけどさ。なぁ、君もそう思うだろ?」

 

 結界の外に佇む影に話し掛ける。ユラユラと蠢く影は人の形をしているが、酷く不安定だ。

 

「わた……わたし……何故……こ……此処に……」

 

 自我が残っているのか言葉を発するが、何故ここに呼ばれたかが分からないらしい。

 

「此処は君の居るには辛い場所だよ。さぁ成仏しようか……

おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱えて、軽く清めの塩を振り撒く。

 

「ああ……私……明るい……方……に……行く……」

 

 影しか残せなかった方だから、現世に思いも少ないのだろう。揺らぎながら消えていった……ふっと時間を確認する為に携帯電話を見る。

 当然、圏外だが……着メール表示が!開いて読むと静願ちゃんからだ。

 

「お父さん。私は無事に自宅に戻りました。

お母さんにお父さんの事を話したら、是非一度お話ししたいそうです。勿論、お父さんになってくれたとは言わずに師事させてくれたと言ってあります。

お父さんの予定の良い時に連絡を下さい。早々に其方に引っ越ししそうな勢いです。では八王子のホテルの除霊、頑張って下さい。

貴方の愛娘、静願より」

 

 

 着メール時間は21時49分。添付写真に静願ちゃんのセーラー服姿の全景を写した画像が。グレーのセーラー服って珍しいよね。

 野暮ったいデザインだが、彼女が着てると良く似合ってる。美少女は何を着ても美少女なんだな。

 

 だがしかし……

 

 コッチに引っ越すなんて聞いてないんだが?暫く携帯電話の画面を見ながら固まってしまった。これは一悶着有るだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 除霊を初めて2時間が経過した。そろそろ休憩に戻ってくるだろう。先ずは両方の鍋に水を張り湯を沸かす。

 大鍋だから時間が掛かるが仕方ない。明日は大きめの魔法瓶を用意して、お茶のお湯は沸かしたら保温しておくか……

 大鍋のお湯が煮たったら火を止めてビニールに入れたおにぎりを湯煎し、蓋をして保温効果を高める。

 次に味噌汁の寸胴をコンロで温める。美味しそうな匂いが周囲に漂い始めた……

 

「あー寒いし疲れたし面倒臭いわ!全く350万円じゃ安くないかしら?」

 

「確かに探しながら除霊ですから。誰か探索系の方が居れば楽なんでしょうけど……」

 

 愚痴が聞こえるよ、近くから?周りを見渡せば除霊組が近付いてくるのが見えた。

 

「お疲れ様様!コッチが暖かいですよ」

 

 一度沸かした湯が少し冷えたみたいなので再度沸かし直す。おにぎりの方は程良く温まったみたいだ。

 

「榎本さん、聞いてよ!散々歩き回ってプールに現れた女性の霊が1体だけですよ。

テニスコートとかパターゴルフ場とか全部歩いたの。クラブハウスの中も全部見たけど、異常は無し!」

 

 プールに女性の霊か……事前情報通りだな。

 焚き火の周りに集まる女性陣の為に、テントからパイプ椅子を運び円形に並べる。一斗缶に何本か薪をくべて火力を高める。

 

「幸先良いじゃないですか!今夜は野外施設を終えて、ホテルの1階位は見回りたいですね。

ホテル内に拠点が構えられれば楽ですし……さて、お腹すいた?」

 

 高野さんが皆にお茶を淹れてくれてるので、味噌汁の蓋を開けて温まり具合を確認する。大丈夫そうだな。

 

「お腹空きましたわ。本当に歩き回るから疲れます」

 

 亀宮さんもぐったりとパイプ椅子に座り込んでいる。皆に紙の皿を渡してから、湯煎したおにぎりを2個ずつ。紙コップに味噌汁を入れて渡す。

 女将さんが沢庵と糠漬けをタッパーに入れてくれたので、それも出す。暖が取れて、お腹も膨れれば眠くなる?30分位は休ませてあげたい。

 まだ時刻は0時を回ったばかりだから、1時に除霊再開で良いかな?焚き火が弱くならない様に薪をくべながら火の番に専念、残りのおにぎりを食べる。

 やはり梅干しが一番好きだ!

 

「ねぇ、榎本さん……」

 

「ん?休まないと後半辛いよ。で、何だい?」

 

 隣に座っていた高野さんがボソボソと話し掛けてきた。

 

「後半代わって下さい」

 

「嫌だ!」

 

 僕には休憩所を守る使命が有るんだ!

 

「短か!しかも即答?なによ、亀宮さんにはエロエロしてあげてるのに。私には冷たくない?」

 

 なっ?エロエロって誤解を招くだろ!僕は潔白だぞ。

 

「ふざけるな、エロエロってなんだよ?」

 

「なにさイヤらしい!自分の服とか着せちゃってさ!」

 

 段々言い合う声が大きくなる。

 

「「「「ウルサイ!」」」」

 

 ほら、休んでる連中から叱られたじゃないか……

 

 

第89話

 

「それでは屋外施設の残りを廻ってきますわ。榎本さん、お留守番宜しくお願いしますね」

 

「榎本さんの裏切り者!後で泣かせてやるから覚えてろー!」

 

「あらあら、榎本さんは女泣かせね。屋外施設が終わったら一旦戻るわね」

 

 上から亀宮さん・高野さん・メリッサ様だ。高野さんは一回〆ないと駄目だ……でも彼女達の中では、一番裏に精通している。

 だから見た目と態度に騙されちゃ駄目なんだよな……夜食と僅かな休憩を挟み、1時に再度除霊に向かう美女7人。

 それを見送る筋肉1人。沢山用意した夜食も殆ど完食だ。後はお茶とコーラしか無い。

 明日は眠気覚ましの珈琲も用意しよう。彼女達の装備を見れば、照明関係はマグライトくらいだ。

 室内に入る場合、自分の周囲しか照らす事が出来ない……せめて足元と言うか避難導線は明るくしてあげたい。

 

 手持ちのランタンは30個。

 

 これじゃ全く足りないな。発電機と投光器、それに延長コードが欲しい。小原さんに連絡して手配して貰おう。

 月明かりに聳(そび)え立つ異様な廃ホテルを見上げながら思う。今までとは参加人数も建物の規模も最大!

 

 予定では初日に屋外施設と本館1階を除霊。

 二日目は亀宮組・メリッサ組で偶数階と奇数階と別れて客室を除霊。

 最終日に共用部分や機械室等の地下階を除霊。

 

 こんな考えだが、問題有るかな?ただ、二日目は高野さんと別れて僕もどちらかの班に同行しないと駄目だな。

 面倒臭いが仕方ない。戻って来たら、皆で相談しよう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時過ぎの午前2時半過ぎに除霊部隊が戻ってきた。

 

「冷え込んできたわ。明け方はもっと寒いのかしら?」

 

 両手を擦りながら息を吐きかける亀宮さん。実は女性陣で一番暖かそうな格好だ。すっかり僕のパーカーが気に入ったみたいで、フードも被っている。

 

「貴女は良いじゃない。暖かそうなパーカー着ててさ。私達は修道服なんです。寒いんです」

 

 やはり持っていたカイロを両手で擦りながら焚き火の前に陣取るメリッサ様。首もとを覗けばタートルネックタイプのヒートテックが見える。

 黒のストッキングかと思えば、そちらもヒートテックのタイツみたいだ。でも全体的に薄着に見えるから寒そうだな。

 

「うー、早く焚き火に当たらないと風邪ひきます」

 

 高野さんは野外での除霊に不慣れな感じだ。結界師は基本的に拠点防御だから、暑さ・寒さ対策がイマイチなんだろう。

 だが彼女はいつの間にか、ちゃんとダッフルコートを着ている。修道服だけのメリッサ様達やビジネススーツの鈴木さん達よりマシだよ。

 僕はずっと焚き火番をしていたから暖かかったが、皆は大変だったろう。

 

「はい、お疲れ様です。お茶でも飲んで温まって下さいね。成果は有りましたか?」

 

 紙コップに熱いお茶を淹れて皆に配る。両手で受け取りフーフー冷ましながら飲む亀宮さんは随分幼い感じがする。

 たしか20歳は越えている筈だが、見た目は10代半ばくらいだね。ブカブカなパーカーも幼さを醸し出している。

 凶悪に主張する双子山が無ければ、結構タイプかも知れない。

 

「全然ダメだわ。庭園の方に廻ったけど池の畔に靄(もや)みたいな霊が2体居ただけ。ただホテルを見上げた時に2階で人影を見たの。やはりホテル内が問題かしら?」

 

「靄(もや)みたいな……僕も影みたいな霊体を一体祓いましたが、周辺の浮遊霊でも集まってるのかな?

今の所、全部で4体は決して少なくは無いからね。効果は確実に有る」

 

 あのエム女もホテルの中から桜岡さんを射抜いたんだ。やはり本命は建物内か……

 

「榎本さん、パーカーの予備無いかしら?亀宮さんだけヌクヌクって腹立たしいったら無いわ!」

 

 予備の服は……

 

「うーん、後は雨合羽とブランケット位ですよ。雨合羽は使用済みだから、お薦めしませんが……」

 

 雨合羽って使用済みは変な匂いしない?ちゃんと洗ってるけど微妙なんだよな。

 

「ブランケット!貸して下さらない?」

 

 まぁ減るもんじゃないから良いけど。どうせ量販店で買ったフリースタイプの安物だし。車からブランケットを出してメリッサ様に渡す。

 

「茶色……榎本さん、センス無いわよ熊さんじゃない茶色なんて。あら、でもコレって結構大きいわね。私が羽織ると膝下まで届くわ。

結構暖かいわね……ありがとう、お借りしますわ」

 

 ブランケットを体に巻き付けて、何故クンクン嗅ぐの?

 

「あの……何で嗅ぐんですか?まだ未使用ですが」

 

「ほら、変な匂いがしてたら私に移るじゃない?神に操を捧げた私としては、男性の体臭を纏わせていては駄目なのよ」

 

 変な匂いって!

 

 仮に使用済みで僕の匂いが残っていたら、僕の体臭は変な匂い確定なんですね?でも神に操を捧げてるって、夕食の時に思いっ切り晶ちゃんに絡み付いてなかったっけ?

 実は女同士だから問題無いが、メリッサ様は晶ちゃんがイケメンだと思ってたよね?

 

「何ですか?その目線は……私達は神に嫁いだ修道女ですから、一般の男性には肌は見せませんよ。胸元や足元を覗いても駄目です」

 

 呆れた目線が獣の目線に脳内変換された!

 

「人を変態に仕立て上げるなー!見てないわ、胸なんか。いや誤解を招くから説明するが、胸が嫌いなんじゃないよ。

ただシスターがエクソシストだから珍しいのでメリッサ様を見てたけど、断じて変な所を見てはいないしイヤらしい目線も送ってないからね!」

 

 ヤバかった。

 

 最近、女性との関わりが増えたからNGな言葉が何となく分かる。今の胸なんかって台詞は駄目だ。

 女性の魅力的な部位を貶める様な台詞は危険でしか無い。私の胸なんて興味が無いのね?魅力が無いのね?とか逆ギレされかねない。

 

「ふーん、私が気になるのね?そうね、除霊を無償で手伝ってくれたら見せてあげても良いわよ?」

 

 ハラリと体に巻いたブランケットを解く。腕を組んで胸を強調しているが、亀宮さんほど凶悪なブツじゃない。

 

「エクソシストとしての除霊テクニックが見たいんです!」

 

 この手の質問には素早く切り返さないと、僕がメリッサ様の胸を見たいと思われてしまう。断言しよう、君の裸体には全く興味は無い!

 胡蝶に搾り取られてスッキリ期間が持続中の僕に、大人の色仕掛けは無意味だ。ロリを持って来い、考えてあげるから!

 

「あら、つまらないわね。大抵の男共は修道服の中身が気になる筈なのに……榎本さんってインポ?それともホモ?」

 

 毎朝元気にオッキするし特定の条件の女性が大好きなんですよ、僕はね!

 

「仕事仲間の女性をエロい目で見たり欲望の対象にしては駄目だろ!僕だって僧侶の端くれだ。自制心は鍛えている」

 

 あくまでも仕事仲間だから自制していると思わせる。自分だって一般的にロリコンが、社会に受け入れられて無い事は理解している。

 

「「「「「えっ僧侶?お坊さんなのに筋肉?」」」」」

 

 世間では僧侶と筋肉は両立しないのか?大抵、僕が僧侶と言うと驚かれる。副業プロレスラーとか言ったら納得されそうだ。

 

「そんなに驚く事か?最初の除霊で愛染明王の真言を唱えていた筈だし、途中でも教えた様な……」

 

 てっきり気付いてると思ってたぞ。確かに除霊なのに法衣も着てないし、モグリの密教系と思われたかな?

 

「くっくっく……やっぱり彼女持ちは身持ちが固いわね。日本人男性はウブが多いけど警戒心が強いから、からかい甲斐が無いわ」

 

 彼女持ち?からかい甲斐?こいつ等、実は悪魔信仰なんじゃないか?

 

 リリスみたいに男を誑かす悪女集団!

 いやリリスはアダムの最初の妻(と言う説も有る)で、エッチの体位の上下で夫婦喧嘩をしてエデンから飛び出したんだ。

 正常か騎乗かで人類発の離婚が成立した……だからリリスが悪女って訳じゃない。アダムが正常に拘り過ぎたんだ。

 その後に神とアダムが彼女が強烈な女と決め付けたんだ。彼女は悪魔とできちゃった結婚を繰り返して勢力を伸ばした……らしい。

 日本なんて48手も有るのに西洋は夜の文化が未熟……いや全然関係無い思考をしてしまった。

 

「やはり桜岡さんね?全く魅力的な女性と一緒なのに彼女に操をたててるなんて、筋肉の癖に彼女持ちなんて生意気よ!」

 

 桜岡さんが、僕の彼女?メリッサ様と高野さんが勘違いしてるぞ!僕と桜岡さんは彼女でも何でも無い、ただの親友だぞ!

 

「あら、榎本さん彼女が居るの?私、結構狙ってましたわ。霊能力者の恋人や旦那様は、理解有る殿方じゃないと苦労するのよ。

その点、榎本さんなら亀ちゃんの妨害も問題なさそうだし。私もそろそろ子供が欲しいけど、言い寄る男が全て病院直行って噂が広がって……ねぇ、皆さんも彼氏居ますの?」

 

 えっ?霊獣亀ちゃんは亀宮さんに言い寄る男を片っ端から病院送り?そりゃ幾ら美人でも御遠慮したい。お茶に誘っただけで入院とか笑えない。

 

「確かに頼り甲斐も有って強力な霊能力者ですけど……キン肉ムキムキマンはビジュアルが無理です」

 

「ボディーガードなら兎も角、彼氏はちょっと……ねぇ?」

 

「筋肉の塊の旦那様は無いわー、無理無理絶対無理だわ」

 

「うーん、確かにお買い得かも知れませんわね。これでハンサムなら……いえいえ、悪気は有りませんわ」

 

 完全モブだと思っていた、お供の四人にダメ出しされた!しかも良く考えてから、しみじみと言われたぞ。アレは間違い無く本心からの言葉だ!

 

「畜生、集団でダメ出ししやがって……もう世話しない。自分でやれば良いじゃん。車で泣いてるから、終わったら呼びに来てよ。じゃ……」

 

 朝になったら静願ちゃんに電話してメールの件を話そう。コッチに来るなら大歓迎だ。

 結衣ちゃんにも電話しよう。お土産に何が欲しいとか、他愛ない話をしよう。

 桜岡さんを誘ってフードバトルも良いよね!

 

 そうだ、昼間だけ家に帰るかな。全然通える範囲だし、宿泊する必要無いじゃん。

 

 いや、晶ちゃんに悪いか……アレ?僕は結構理解有る美女・美少女に囲まれてるよ。あんなモブ女の嫌みなんて平気じゃん!気にする必要すら無いじゃん!

 

「ははははは!僕は勝ち組なんだよ、全然気にする必要なんて無いんだ!序でに麓まで降りてファミレスでも行くか……」

 

 月に向かって大笑いをする。かなりスッキリしたぞ!足取りも軽く愛車に向かうが、強烈な締め付けが僕を襲う。特に両肩が痛いが、筋肉に力を入れて対抗する。

 

「フン!何者だ!」

 

 マッスルパワーで掴んでいたナニかを弾き飛ばす。獣化した結衣ちゃんのマジ噛みをも弾いた、僕の自慢の筋肉だ!簡単にはやられないぞ!

 

「ちょ固いわよ!何者も何も私達しか居ないじゃない」

 

「そうよ!大人気ないわよ。少し弄られた位でマジ切れして引き籠もりなんて……」

 

 どうやらメリッサ様と高野さんらしい。悟りを開いたブッダ様の様に、既に気持ちの整理はついている。

 

「何だい君達。大丈夫、気にしてないから。君達は君達のやる事をやりなさい。僕は僕の役目を終えた。

後は待機だし、何処に居ても良いでしょ?ちゃんと火の始末はしておくから大丈夫。さぁ安心してホテル本体の除霊に取り掛かって下さい」

 

 サポートたる僕の仕事は大体終わった。

 

「あちゃー、本気でへそを曲げてるよ!どうするのよ?」

 

「でも理屈じゃ間違ってないから手に負えないわ。メリッサさん、責任取ってオッパイ見せなさいよ。ご機嫌取らないと大変だわ」

 

「えー無料(ただ)で見せるのは嫌よ。高野っちが見せれば良いのよ。

小振りだけど、それが良いって男は多いわよ。ああ、駄目だわ、桜岡さんデカかったし榎本さん巨乳大好きよ」

 

 メリッサ様と高野さんの下らない相談が丸聞こえだ……何時の間にか僕が巨乳大好き人間になってるし。

 

「榎本さん、皆さんに悪気は無いのよ。良かったら私のオッパイを触っても良いわよ」

 

 天然なのか?知らない内に隣に居る亀宮さんから爆弾発言が来た。しかも実体化した亀ちゃんが本気で威嚇行動してるし……

 お詫びにオッパイ触って良いと言う亀宮さんだが、めっさ亀ちゃんが牙を剥いて今にも噛み付きそうだ。あのマシュマロを揉んだ瞬間、僕の手は喰い千切られるだろう。

 

「ごめんね、亀宮さん。気を使わせて……もう大丈夫だから、男にホイホイ乳を触っても良いなんて言わないで下さい。

ああ、高野さんもメリッサ様もお気になさらずに……」

 

 あのまま拗ねたら僕が悪人になっちゃうよ。亀宮さんって天然なんだか計算高いのか分からない人だな。

 隣でダブダブのパーカーを羽織り、ニコニコと此方を見上げる彼女を見て思う。亀ちゃんが居る限り、亀宮さんは間違い無く聖女に違いない。

 彼女の方が余程大変だなぁ……

 

「あの……何か?」

 

「いえ、力になれる事はしますから……頑張って下さいね」

 

 早く彼氏が出来ると良いですよね。

 




新年明けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願いします。

年始は忙しいので投稿ペースは落ちそうです。


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第90話から第92話

第90話

 

 最近僕は調子に乗っていたみたいだ。元々イケメンでも何でもない、筋肉坊主が桜岡さんみたいな美人お嬢様に懐かれたからか?

 静願ちゃんと言う美少女に懐かれたからか?結衣ちゃん一筋だったが、桜岡さんと言うマブダチと静願ちゃんと言う娘が出来たんだ。

 これ以上、望む事自体が異常だろ?エロゲの主人公じゃ無いんだし、八方美人の必要も無い。大切にしなきゃいけない人を忘れちゃ駄目だ。

 モブなお供達にはダメ出しされたが、本来の僕は女性受けなんてしなかったんだ。彼女達にチヤホヤして欲しいなんて馬鹿な考えが、頭の隅にでも有ったんだろう。

 猛省しなきゃ駄目だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今夜の〆はホテル1階を除霊する事だ。明日は建物全体を廻りたいから、拠点作りに必要だからね。

 照明確保の為に、初めて一緒に行動する。愛車を入口に横付けして、ランタンの入った段ボール箱を下ろす。

 愛車は元の位置、何か有っても脱出出来る場所まで移動する。愛車の影には、折り畳み式自転車を用意。

 最悪の場合、車に無理矢理女性陣だけ乗せて走らせ僕は自転車で逃げる。道は下り坂だけだし、車も自転車も変わらないだろう。

 

「ねぇ、何で折り畳み式自転車を用意してるの?」

 

 女性陣の中で、亀宮さんだけが僕にマトモに接してくれる。残りの方々は気まずそうな雰囲気で遠巻きにしているが気にしない。

 

「うん。最悪の場合、僕の車に全員は乗れないが女性陣ならトランクスペースも含めれば何とか全員乗れるでしょ。

僕は自転車で逃げる。坂道だし車も自転車もさほど変わらないよ」

 

 場合によっては小回りの効く自転車の方が有利だったりする。初動で考えれば、乗り込む時間は圧倒的に自転車が有利だ。

 

「まぁ脱出方法まで考えているのね!でも、良く車が動かないとか携帯電話が使えないとか……アレって本当なのかしら?」

 

 事例としては良く聞くが、検証なんて出来ないからな……

 

「僕は磁場の乱れとか理由が有って電子機器が使えないと思うんだ。良く磁場の悪い所には霊障も多いから。または霊自身が磁場を発しているのかもね。

車だって基板を積んでるし磁場には弱い。だから自転車、これ最強!動力源は自分の鍛え抜いた肉体だから信頼出来る」

 

 右腕に力瘤を作り肉体を誇示する。

 

「じゃ今回もし最悪の事態になって車が動かなくなったら?」

 

 力瘤を触りながら聞いてくるが、答えは簡単だ。

 

「折り畳み式の自転車だけど二人乗りは出来る。問題は何も無い」

 

 右腕にぶら下がりながら、懸垂の要領で体を持ち上げようとするが、彼女の細腕では無理だった。両足をジタバタしているので、腕を下げて足を地面に付けてあげる。

 

「あらあら、誰が後ろに乗れるのかしら?」

 

「さぁ?でも当世最強の亀宮さんが居れば、大抵の悪霊は大丈夫でしょ?もしもの時は僕も力を貸すから平気だよ」

 

 少なくとも亀宮さんと亀ちゃん、僕と胡蝶が組めば問題無いと思う。逃走準備が出来たので、ホテルの正面玄関に向かう。

 前の時は、この両開きのガラス扉に掌が沢山付いていた。マスターキーで扉の鍵を開ける。

 ガチャリと開錠し扉を開くと、湿った空気とカビ臭さが漂ってくる。密閉された空間独特の臭いだ……

 開いたままで用意していたドアストッパーを挟んで扉を固定。

 

「閉じ込められる心配が有る。寒いけど扉は開けた状態でドアストッパーを挟むと良い」

 

 扉を固定したが、まだ中には入らない。マグライトで見える範囲を照らして確認するが……

 

「ふむ、見える範囲では霊は感じられないな」

 

 固定した扉の両脇にランタンを灯して2個を置き点灯する。月の光が入らない室内は真っ暗だが、この周辺だけが仄かに明るくなる。

 広いロビーにフロントのカウンター。客溜まり用のソファーセットの奥にエレベーターホールが見える。

 その先にはラウンジかな?一階だけでも、かなり広いな。

 

「さぁどうぞ。除霊を開始して下さい」

 

 僕の後ろに屯(たむろ)する女性陣に声を掛ける。彼女達の仕事を奪う訳にはいかないからね……

 

「榎本さん、不動産と警備会社の専門でしょ?こういう建物の除霊は慣れてるよね」

 

 高野さんが聞いてくるが、最初の紹介の時に静願ちゃんが補足で説明をしてたからな。

 

「そうですね。賃貸ビルや建設中の建物とかの調査・除霊が専門ですよ」

 

 此処まで規模のデカい廃墟は初めてだけどね。

 

「じゃあ……」

 

「僕のやり方だと建物の中に入る前に色々調べる。でも今回は短期勝負で突撃除霊ですから、僕のやり方は参考にならない。

皆さんの方法でお願いします。ただ除霊後のメイン通路の照明確保はします。明日は発電機や投光器も手配しましょう」

 

 手伝え雰囲気の高野さんの提案をピシャリと跳ね返す。本来なら外部から暗視カメラや集音機等で調べてから、一区画ずつ除霊し安全圏を広めていく。

 だが、短期勝負の今回は無理だ。

 

「まだ怒ってます?」

 

 少し上目使いに此方の様子を伺ってくる。

 

「いいえ、自分に割り当てられた仕事をするだけですし、して欲しいです。高野さんは今回の除霊を小原さんに報告する義務が有る。

僕はサポートだから、最低限の事はしましょう。ほら、やはり本命はホテルの中ですね。聞こえませんか?」

 

 耳を澄ますと、無人の筈のホテル内部から微かに音が聞こえる。

 

「泣き声かしら……」

 

 女性の泣き声か、赤ん坊の泣き声か?深夜の廃ホテルでは有り得ない音だ……しかし流石は本職集団。

 直ぐに陣形を組むと、霊の存在を探り始めた。しかしマグライトで周囲を確認しても、それらしきモノは見付からない。

 

 

「先に進むしかないわね?亀宮さん、フロントから調べましょう」

 

 十字架を構えて聖水の入った小瓶を持ったメリッサ様がフロントのカウンターに近付く。残りのシスターズも左右からカウンターに近付く。

 

「榎本さんもサポートお願いしますね」

 

 亀宮さんは普通に歩いて行くが、亀ちゃんが具現化している。亀宮さんの両脇をモブな二人が固める。三人一組ってフォーメーションも三角なんだな。

 突出した力を持つリーダーを先頭に左右を仲間が固めながら警戒するのか……彼女達はフロントのカウンターを乗り越えて、奥のスタッフルームに入っていった。

 

 取り残される僕と高野さん。

 

 僕は周囲を警戒しつつ、清めの塩の入ったペットボトルを取り出す。霊感がビンビンと危険を伝えてくる。

 

「榎本さん、怖い顔して……ごめんなさい。からかい過ぎたわ」

 

 外から吹いてくる風が緊張の為の脂汗を冷やして寒気がするな。

 

「違う、ヤバい感じがする。高野さんも警戒しろ!」

 

 微かに聞こえていた泣き声が、少しハッキリとしだした。つまり音の発生源が近付いてるんだ。

 

「確かに……泣き声が近いわね」

 

 亀宮さん達は、フロントの奥のスタッフルームに行ってしまった。しかし声を掛けて呼び戻す事は出来ない。

 

「女性の泣き声かと思ったが、赤ん坊の泣き声だな……」

 

「本当ね……嫌だわ、何処からかしら?」

 

 音源を探す為に集中するが、中々分からない。一カ所かと思えば違う感じもするし……開けっ放しの扉ギリギリまで下がり、高野さんと並んで警戒する。

 マグライトで照らして探すが、それらしきモノは……

 

「しまった、上だ!てっきり床をハイハイしてると思った」

 

 ホテルのフロントは普通より天井が高い。その床から4m近い高さの天井面にソイツ等は居た。

 

「そんな……そんな事が……」とマグライトに照らされ天井に貼り付いている赤ん坊を見て呆然とする。

 

 赤ん坊と思い込み、床をハイハイして近付いてくるとばかり思ったが……奴ら天井をハイハイして直ぐ近くまで来てやがった。

 青白い顔をした赤ん坊の霊が3体、ゆっくりと這いずりながら近付いてくる。その顔は蒼白で本来の愛らしさは無く、酷く歪な表情だ。

 

「くっ……清めの塩は届かない。僕は接近戦専門だが、高野さんの除霊方法は?」

 

「同じよ。普通なら結界で罠を張るけど、今は無理よ」

 

 つまり二人共、遠距離への攻撃手段は無い。目が離せないが、見ているだけだ。ヤツらは直上まで這ってきた。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱え、ペットボトルの中の清めの塩に霊力を送る。

 

「まま……ま……まま……ままぁ!」

 

 天井から叫びながら手を伸ばし、高野さん目掛けて落ちてくる!

 

「ちょ、いやー!」

 

 固まっている高野さんを左腕で掴んで後ろに引っ張り、落ちてくる赤ん坊に清めの塩をブチ撒ける!

 三体の内、二体は清めの塩で祓えた。霧散する様に滲んで消える……しかし清めの塩が当たらなかった際奥の一体は無事だ。

 某有名メーカーの子供服を着た赤ん坊は、あろう事か立ち上がる。

 

「まま……まま……ままぁ……」

 

 ヨタヨタと手を伸ばしながら高野さんに近付いて行く。彼等は女性に何らかの用が有るのかな?

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱えながら、頭の上に清めの塩を振り掛ける。見た目のインパクトは強いが、霊力自体は弱い。慌てなければ問題無く祓えるだろう……

 

「落ち着け!単体での力は弱いぞ。だが……こんなに沢山の赤ん坊は、此処では亡くなってない。何故、ホテルの中に居るんだ」

 

 未だ居るかも分からないから、今度は床・壁・天井と念入りにマグライトを照らして確認する。

 

「高野さん、ボサッとしてないで結界を張ってくれ!簡易結界でも構わない。取り敢えず安全圏を作るんだ」

 

「はっはい!えっと……四方に何か……椅子、椅子を置いて」

 

 待っているお客様用だろうソファーを高野さんの指示の場所に置く。彼女はその上にコップを置いて水を満たした中に小指程の水晶を入れた。

 何か呪文の様な言葉を紡ぐと、点の結界が線の結界に変わる。

 

「うん、凄いな。簡易結界で、この威力か……どれ位保つかな?」

 

「強いヤツが触れば簡単に抜かれるわ。今回は数は用意したけど質がイマイチなの。屋敷の結界強化に使ってしまったのよ」

 

 結界の中に入れたソファーに彼女を座らせて、僕は周囲の確認をする。この騒ぎなら亀宮さんも気付いたと思うが、向こうからも争う音が聞こえてる。

 

「一旦全員集めた方が良いかな?ほら、廊下の突き当たりを見てみなよ」

 

 700ルーメンのマグライトは30m先まで光が届く。正面エレベーターホールの右隣の廊下、案内図だとレストランだが途中に人影が見える。

 

「子供……かしら?背が低いわね、いや老人かな?」

 

 数だけが問題なら、相手が弱いので凌げるかも知れない。だが前に単独で除霊に来た時は、強い奴も居たから甘い考えは禁物だ。

 胡蝶を呼ぶのは、どうにもならなくなってからだ!

 

「シルエットから判断すれば、女性・子供だな。事前調査では自殺は男性、それも地下。ネットでは赤ん坊と女性の目撃例が載ってた。

どちらも正解だが、数が違いすぎる。このホテルには女性・子供を呼び寄せる何かが有るのかもね……」

 

 マグライトに照らされた霊は、真っ直ぐ此方に歩いて来る。既に10m手前まで来ているが、僕は彼女に見覚えが有った。

 

 最近見た調書に載っていた女の子。

 

「近藤好美ちゃんだ。やはり彼女も此処に囚われていたのか……」

 

 失踪当時の写真の通り大人し目なワンピース姿。見た目に酷い外傷は無いが、不自然に左側に傾き右足を引き摺っている。

 髪の毛はボサボサ、肌は白く俯き加減だけど……

 

「近藤好美ちゃんかい?」呼び掛けると顔を上げた。

 

「オジチャン……ママ……ガ……おこっ……怒って……ル……よ……」

 

 無表情で「お兄さんママが怒ってる」って言った。つまり黒幕にママなる何かが居るんだ。

 

 

 

第91話

 

 八王子の廃ホテルの調査でリストに挙がった死者達。今回初めて、そのリストに載っていた人物と会えた。

 勿論、死者故に霊として会えたのだが……

 

 彼女は近藤好美。享年11歳の女の子だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 霊体だが、攻撃的な意志が無いと思われる彼女。写真で見た通りの服装で、結界の外で立ち尽くしている。

 

「好美ちゃん、ママって誰だい?お兄さん達はママを怒らせたんだね。謝るから何処に居るか教えて欲しいな」

 

 会話が出来れば情報も得られる。既に事前に調べた調書は当てにならない。

 丹波の尾黒狐が居なくなった後で、この廃ホテルを支配しているのはナニか?それが知りたいんだ。

 

「オジチャンって呼んでたのに、お兄さんね……榎本さん何で彼女を知ってるのよ?」

 

 落ち着いたのか、高野さんの突っ込みは無視する。霊体を目の前にして突っ込み入れられるのは、流石は同業者。

 普通ならパニックだろう……少し屈んで彼女と目線を近くして、再度聞いてみる。

 

「お兄さんに教えて欲しいな。そのママにちゃんと謝るからさ」

 

 先程の赤ちゃん霊とは違い自我も思考力も有るのだろうか?首を傾げる仕草をする。

 

「ママ……寒い……所……皆……そこに……いる……」

 

 寒い所?皆?複数か?廃墟で寒い所だって?地下室・裏庭・冷凍庫・日の当たらない場所……候補が絞り切れない。

 

「地下室かな?寒いよね?他にも沢山居るの?友達かい?」

 

 コクンと頷いた。でも地下室は首を吊って自殺した男性だった筈。ママなら女性だし、別口か?

 

「地下室か。ママは何時も居るの?」

 

「ママは……皆を……連れて来る……いや、私もう……戻りたく……ない」

 

 ヤバいか?両手で自分を抱き締める様にして、小刻みに震えだした……目が黒目に変わりつつある。

 ママとは彼女を完全に支配下においてないのかもしれないが、今は影響を受け始めたのかな?話を聞けるのも、これまでか……

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく。

好美ちゃん、明るい所に行こうか。此処に留まる必要は無いよ……」

 

 愛染明王の真言を唱えて、彼女の頭をクシャクシャと撫でる。感触は雲みたいだが……

 

「オジチャン……温かいね……ありがとう。ママは……沢山の……子供を……集め……守り……」

 

 途中、何か大切な事を言っていたが成仏させる事が出来たみたいだ。

 

「高野さん、亀宮さん達を呼び戻そう。予想より相手は凶悪かも知れないぞ」

 

 彼女を成仏させたが、ママなるモノの使役霊だった。赤ん坊を含め何人かの使役霊を祓ったからには、ママなる本体が出て来る可能性が高い。

 ただ……胡蝶が喰った丹波の尾黒狐に抑えられていた筈だから、胡蝶なら勝てる。でも組織的に数の暴力で来られたらヤバい。

 

「でっでも……携帯は圏外だし、あんなの見た後で呼びに行くのは嫌よ!」

 

 それはそうか、結界専門だからな。落ち着いたみたいだが、単独行動には尻込みするのも当然か。

 

「亀宮さーん!一旦戻ってくれー!状況が変わったんだー!」

 

 呼びに行くにしても時間が勿体無い。大声でフロントの奥に呼び掛ける。シンとした建物内に僕の声が響き渡った。

 肺活量には自信が有るぞ!高野さんは耳を塞いで、此方を睨んでいる。いきなり大声を出すなってか?

 

「分かったわー……」

 

 か細いが亀宮さんの声が聞こえた。ヨシ、返事が来たぞ。

 

「高野さん、亀宮さんが戻ったら一旦引き上げだ!小原さんと打合せしないと駄目だ。大分想定と違う!

バスを呼ぶ時間も無いから、僕の車を使ってくれ。僕は自転車で追い掛けるから麓で一旦合流しよう」

 

 そう言って車のキーを渡す。

 

「荷物は?テントとかどうするのよ?」

 

 鍵を受け取りポケットにしまう彼女。今は荷物の心配なんて不要だろ?

 

「逃げる時間が惜しいんだよ。周りを見て不思議に思わないか?幾ら真冬の深夜でも室温の下がり方が異常だ。

屋敷に現れた霊もそうだが、気温が氷点下になってるよ」

 

 吐く息は白く、結界用に移動したレザーのソファーの表面が薄く凍り初めてる。

 

 ママ本体か、使役してる霊でも強力なヤツが出て来るぞ。

 

「榎本さん、聞いて!女の子ばかりの霊が現れるわ。何か変だわ、このホテル。あら、寒いわね」

 

 フロントの奥から亀宮さん達が現れた。気温低下は、この周辺だけらしい。

 他の部屋から来た彼女達にも、異常が分かっただろう。人数を数えたが全員居るので安心だ。

 

「コッチにヤバいのが現れそうだ。一旦引き上げよう。準備と小原さんに相談だ……って扉が?」

 

 ドアストッパーを掛けていたのに、バタンと大きな音がして両開きの扉が閉まってしまった!

 

「閉じ込める気かよ?」

 

 僕の叫び声にモブの方が扉の取っ手をガチャガチャと捻るが、動く気配が無い。

 

「ちょちょっと?なになに、何よ。閉じ込められたの?」

 

 テンパる女性陣だが、この程度なら初めてじゃない。だが触れずに物を動かせるとは強力なヤツだ。

 一応、高野さんの結界範囲だったのに。つまり簡易結界が効かない相手だ!

 

「落ち着け!亀宮さん、迎撃お願い。1分で良いから時間稼いで!それと扉から離れてくれるか!」

 

 既に扉の硝子部分に氷は張り初めている。鉄製のフレームの扉は確かに強固。それを全体的に氷でコーティングされたら大変だ。

 だが、この手の硝子は安全上割れるとバラバラに砕けるんだ。完全に凍る前に、ブチ破る!

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱えながら硝子面の真ん中にお札を貼る。ジプロックと共に愛用しているガムテープでだ。

 お札に霊力を送り込み、硝子に干渉しているナニかの力を抑える。

 

「オラァ!」

 

 渾身のヤクザキックを硝子に叩き付ける!バラバラに砕ける硝子!

 

「なんて力業……」

 

 関心してないで早く出て欲しい。

 

「亀宮さん、出口を確保した。一旦逃げるよ!高野さん、皆を車に乗せて先に麓まで下りろ。そこで合流だ、早く行け!」

 

「わっ分かったわ!皆さん、逃げるわよ」

 

 高野さんを先頭に、メリッサ様達が外に出る。結構素早いぞ。

 

「亀宮さん、悪い。僕と殿(しんがり)を頼むね……てか来やがった」

 

 ソレは前触れも無く、僕らの前に立っていた。まるで床からせり上がってきたみたいに、俯き加減で両手を前にダラリと下げて……

 ソレの周囲にはモヤモヤしたモノが渦巻いており、良く見れば混ざり合った子供達だ。

 

「どうやらママって呼ばれてるヤツらしいな。周りのモヤモヤは、呼び寄せられた霊の集合体か……」

 

 半端無い冷気が吹き付けられる。まるで雪山に居るみたいだ!

 

「どうします?亀ちゃんに食べて貰いましょうか?」

 

 流石は亀宮さん。こんな異常事態でも肝が据わってるな。具現化した亀ちゃんが前面に立ちふさがり、彼女自身に冷気は届いて無いみたいだな。

 亀ちゃんスゲーな……

 

「そうだね、僕も……」

 

 此処でケリをつけるのも良いか?そう思い左手首の数珠を外し胡蝶を呼ぼうとした時……ソレは顔を上げた。

 聖母の様な穏やかな笑みを浮かべ、周りのモヤモヤを撫でている。だが、撫でられたモヤモヤは……混じり合った霊体は苦悶に表情をしかめている。

 

「何だと……小原愛子……君が……」

 

 ソレは調書でも見たしオヤジさんの家でも見せて貰った写真と同じ顔だ。何度も見たんだ、間違いようは無い。

 

「小原愛子?榎本さん、知り合いなの?」

 

 不審気に僕を見る亀宮さん……確かにどう見てもラスボスな悪霊を知ってるなんて不審者丸出しだ!

 

「亀宮さん、一旦退こう!彼女は、小原さんの前妻なんだ。祓うのは、彼に報告してからだ!」

 

 せめて元旦那に報告し、対応を相談しないと。オヤジさんにも頼まれてるし、此処で亀ちゃんと胡蝶に食べさせる訳にはいかない。

 

「まぁ!色々知ってるのね、後でゆっくり聞かせて貰いますわ」

 

 言葉に少し非難が混じっている感じがするが、秘密にしてた訳じゃないよ。

 

「亀宮さん、先に折り畳み式自転車の所まで走って!時間稼ぎするから……

おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく……」

 

 愛染明王の真言を唱え、手に持つペットボトルの中の清めの塩に霊力を満たしていく……ゆっくりと後退りながら、割れたドアの外に出る。

 小原愛子は動かない。彼女には僕らは必要無いんだろう。女の子じゃないから、子供じゃないから関心も薄い。そんな気がする。

 

 後ろを見れば既に愛車は無く、亀宮さんが自転車に辿り着いていた。清めの塩で入口に一本線の結界を張る。

 気休めだが、やらないよりは良い。そのまま前を見ながら後退し、10m程離れてから走り出す。

 

「亀宮さん待たせた!一旦下がろう」

 

 自転車に跨り後ろに彼女を乗せる。

 

「あら、乗り難いわ……」

 

 巨漢の僕の背中にしがみ付くのは無理か?下手に乗せると途中で落ちそうだよな。

 

「亀宮さん、ごめん。前に乗ってくれ」

 

 サドルに乗せていた尻を後ろにズラし、前に亀宮さんを乗せる。後ろから抱きかかえる様だが仕方ない。

 

「ハンドル握って、走り出すよ」

 

 ライトを点灯しペダルを力一杯漕ぐ。下り坂だ、直ぐに加速してペダルを漕ぐ必要が無くなる。後はハンドルとブレーキ操作だけだ……

 

「速いわ……ジェットコースターみたいね」

 

「舌を噛むから喋らない方が良い。この道は余り整備されてないから、路面状態が悪いんだ」

 

 そう言いながらも落石を避ける。楽しそうにしている亀宮さんは、やはり何処かズレてるのかも知れない。

 

「ねぇ榎本さん?」

 

「ん?」

 

「映画のワンシーンみたいね、私達……」

 

 映画?ワンシーン?ホラー映画で最初に逃げ惑い殺されるカップルってか?

 

「いや……それは……」

 

 死亡フラグっぽくてヤダぞ!

 

「愛の逃避行?」

 

「命懸けの大脱走?」

 

 二人同時にチンプンカンプンな回答だったので、思わず笑ってしまう。ガチガチの緊張感が良い意味で解れたみたいだ。

 サイドミラーで後ろを確認しても、何も異変は無い。どうやら小原愛子さんは、拠点から動く気も追っ手を差し向ける気も無いみたいだな……

 10分間の自転車二人乗りも麓に着けば終了。先に僕らを置いて逃げた連中と合流出来た。

 

 路肩でハザードを点灯し停まっている。

 

 近くに自転車を停めて亀宮さんを下ろす。直ぐに車内から全員が出て来た。

 

「無事みたいね?アレ何よ?聞いてないわよ?」

 

「屋敷に現れた奴と同じ位に強力じゃない?

室温を下げたりポルターガイストを起こしたり、350万円じゃ安過ぎよ!」

 

 高野さんとメリッサ様に詰め寄られる。てか、僕が何でも知ってると思わないで欲しい。僕は責任者でも何でも無いんだぞ!

 

「この先にコインパーキングが有るから、其処まで移動しよう。車を乗り換えるから、高野さんはバスを呼んで。追跡されない様に清めてからバスで帰ろう」

 

 桜岡さんみたいに自宅に使役霊を送られるのは嫌だ。ふと愛車を見れば、バンパーの左側が酷く凹んでいる。

 

「あっ?バンパー凹んでるじゃないか!誰だよ運転したの?高野さん?弁償してよね、コレ気に入ってたのに」

 

 良く見れば右側も擦り傷が有るじゃん!どんな運転したんだよ?

 

「なっナニよ!私だって馴れない車を……しかもギチギチに満員なのを頑張って運転したのよ。前に三人も乗るなんて無茶したんだから!」

 

 ああ、この車も買い替えを検討しなきゃ駄目かな?スピードとか積載量とか不安が有るし……

 いや今までみたいに一人なら問題無いんだけどね。どうにも社員が増えそうな気がするんだ。

 静願ちゃんとか桜岡さんとか、そのまま居座りそうな予感がね。

 

 

 

第92話

 

 愛車を傷付けられた事は腹立たしいが、基本契約書には物損項目も有る。単独事故だし最悪でも修理費は請求出来るだろう。

 前回と同じコインパーキングまで車を移動し、送迎バスを待っている。亀宮さんは自転車の二人乗りが、いたく気に入ったみたいだ。

 二回目は後ろに乗って貰ったが、前の方が安定して良いと言われた。だが世間的には大変宜しくない……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 深夜3時……

 

 予定より大分早い引き上げ時間だ。折り畳み式自転車を荷台に積んでいると、高野さん達から詰め寄られた。

 

「榎本さん、今夜の霊達の事を随分知ってたわね!何を隠してるの?」

 

「最後の奴……直接見れなかったけど、物を動かしたり気温を下げたりってかなり強力な霊よ。350万円じゃ安過ぎよ!」

 

 メリッサ様は本当にお金が大好きなんだな……凄い力説なんだが、賃上げ交渉は僕に言われても何も出来ない。

 取り敢えず愛車の内側、外から見えない天井やトランクの扉にお札を貼る。それと清めの塩を自分に振り撒く。

 

「説明は後だよ。先ずは清めの塩を撒いて、最悪アレに追跡される事を防ぐよ。民宿まで連れて帰る訳にはいかないしね」

 

 隣に居た亀宮さんにも軽く清めの塩を撒く。それからメリッサ様・高野さん・モブなお供さん達を清めてたら送迎バスが来た。

 送迎バスは普通の観光バスで40人位乗れる奴だ。無駄にデカい。しかも大型バスだから、席に余裕が有る。

 

 僕等は8人しか居ないんだぜ!

 

 二人シートに一人ずつ座っても余裕綽々だ。僕は最初に乗り込んだから、一番後ろのシートの真ん中に座る。その他の女性陣も各々好きな席へ。

 

「ちょっと道を空けて下さいな」

 

 何故か亀宮さんだけが僕の右隣に潜り込んだ。

 

「いや他にも席は……ああ太股に座らないで、退きますから」

 

 強引に右の窓側に座る。最後まで殿(しんがり)を勤めてくれた亀宮さんだ。色々と聞きたい事が有るんだろう。

 此方を見る目がね、何かを聞きたいって訴えてるんだ。

 

「榎本さん、何故最後の悪霊を祓わなかったのかしら?確かに強力な相手だったけど……

私と貴方なら、あの程度なら何とかなったわ。亀ちゃんだけでも油断しなければ食べれた筈よ」

 

 あの時、僕は脱出を優先させた。亀ちゃんと胡蝶なら、楽勝とは言わないが問題無く祓えただろう。

 いや、祓うじゃなく喰うだが……何と答えようか迷っていると、他の皆さんが聞き耳を立てているのが分かる。

 無関心を装っていても、通路側に座り誰も喋らないんだから……

 

「うん……最後に現れた女性。僕は彼女を知っていた。だから、祓うのを躊躇したんだ。雇用者の個人情報をペラペラと話せないから、詳細は言えない」

 

「雇用者って時点で小原さん絡みじゃん!やっぱ怨恨?あの調書に載ってた人?」

 

 高野さんから突っ込みが入った!何時の間にか近くの席に移動し、体ごと後ろを向いている。

 

「そうだね。だから祓うのを躊躇したんだよ。もしかしら祓った事が僕達にとって不利益かも知れないし……」

 

 捨てた元妻とは言え、他人に知らない所で祓われたら嫌だろう。逆恨みとか勘弁して欲しいし、連絡して指示を仰ぐべきだ。

 

「この件は朝になったら小原さんに連絡するよ。予定より強力な霊も出たし、料金交渉も出来るかもよ?」

 

 冗談ぽく言ってみるが、笑いは起こらなかった。暫くすると送迎バスは民宿「岱明館(たいめいかん)」に到着。僕達を下ろして走り去って行った……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 予定より1時間以上も早い帰宅となってしまった。悪いと思いながらも携帯で晶ちゃんに電話する。数回のコールの後、彼女は電話に出てくれた。

 

「お疲れ様、榎本さん。今鍵を開けに行くよ」

 

「うん、予定より早くてごめんね」

 

 簡単な会話だけで携帯電話を切る。

 

「ふーん、もう携帯番号をゲットしてるのね。本当は手が早いプレイボーイなんじゃない?」

 

 プレイボーイ?古い言い回しだよね。今風だとナンパ野郎?いや、これも古いよね。チャラ男かな?

 

「いや、玄関の呼び鈴だと聞こえ辛いからって言われてだよ。何だよプレイボーイって?亀宮さんも古い言い回しを知ってるよね。今風ならチャラ男かな?」

 

 そんな世間話をしていたら玄関に照明が灯り、中に人影が見えた。ガチャガチャと鍵が開き引き戸を開けてくれる。

 

「お疲れ様!寒いよね、早く中に入ってよ」

 

 彼女は七分丈のズボンにセーター、それと褞袍(どてら)を着ている。褞袍なんて久し振りに見たぞ。でも褞袍って綿入れだし、暖かいんだよね。

 出迎えてくれるのに、わざわざ着替えてくれたのかな?僕は脇に寄り、先に女性陣を中に入れる。さほど広くない玄関だが、全員が靴を脱いで中に入る。

 僕もアーミーブーツを脱ぎながら、この後の事を決めなきゃ駄目だと思った。本当に引率だよな、だがサポートだから雑用は仕事の範疇なんだ。

 幸いまだ全員フロントに居るからね。

 

「晶ちゃん、お風呂入れるのかな?皆さん朝食は6時で良いかな?」

 

 民宿の対応は、晶ちゃんにも聞いておかないと駄目だからね。

 

「うん、大浴場は直ぐに使えるよ。朝食も6時で平気だけどズラすなら8時までにして欲しいんだ」

 

 仕込みや準備が有るし、余り遅くは無理か。でも朝食抜いて昼食まで我慢はもっと嫌だな。

 

「皆さん、どうする?6時まで頑張って起きていて朝食たべたら、ゆっくり寝る方が良いかな?」

 

 女性陣を見回しながら聞いてみる。特に反対意見は無さそうだ。

 

「じゃ解散で!6時に朝食会場で会いましょう」そう言って締めると女性陣は二階へ上がって行った。

 

「晶ちゃん、ごめん。寸胴だけど置いてきちゃった。漬け物のタッパーも……明日取ってくるか弁償するよ」

 

 背を丸めて拝む様に謝る。あんな場所に放置してきたから、嫌なら弁償しなくちゃね。

 

「うん?構わないよ、直ぐに使う訳じゃないし寸胴は他にも有るからさ。なんか榎本さんだけが、随分疲れてないか?」

 

 正解です、肉体的にも精神的にも疲れました。フロントのソファーにドカッと座り込む。

 女性陣が大浴場を使い終わらないと、僕は入り辛い。壁一枚挟んでキャッキャされたら居辛いんだよ。

 朝食後に風呂に入ってから小原氏に連絡すれば、時間的には丁度良いかな?8時、いや9時過ぎが常識的な連絡時間だよね。

 後ろから晶ちゃんが肩を揉んでくれた。結構な力を入れてくれてるのか気持ちが良い。

 

「ほら、肩なんかガチガチだよ。そこにマッサージ機が有るから使いなよ。ホラホラ、早く座って……」

 

 強引に座らされてマッサージ機を始動させられた。晶ちゃんの手揉みが良かったんだが……足の裏も振動でツボが刺激され、太股は空気圧で挟む込む様なマッサージ。

 背中から首筋に掛けて、指圧を真似たマッサージが出来る最新式のマッサージ機だ!

 

「うん、意外と気持ち良いな……凝りが解れるよ……」

 

 グリグリと背骨を刺激されると気持ち良くて癖になりそうだ。結局、三回続けてマッサージ機を使った。途中、大浴場を使いに下りてきた女性陣に

 

「いやだ榎本さん。オジサンみたいだわ……」

 

「ふふふっ……本当にクマさんね」

 

 全身の力を抜いてダラリとしてたからか?まぁ言われても気にしないけど。薄目で見た彼女達は、部屋で浴衣に着替えてから大浴場に行くんだな。

 結構な美人さんばかりだが、小原氏の選美眼は確かなんだろう。数多いる霊能力者の中から、美人だけを選んだんだから……

 摩耶山のヤンキー巫女こと桜岡さんのお母さんも、見た目は美人だ。くだらない事を考えながら、マッサージ機を買おうか考えてしまう。

 高くても50万円もしない筈だし、家には置き場も有るし……カタログを請求するか、次の休みにでもヨドバシかヤマダ辺りに見に行ってみようかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 余りにマッサージ機が気持ち良くて連続使用してしまったが、晶ちゃんに怒られた。一度に長く使うと揉み返しで逆に凝るそうだ。

 確かにあのままだとマッサージ機で座りながら寝ちゃいそうだったな。部屋に帰り携帯の目覚ましを5時45分にセットして眠りについた。

 身嗜みに15分は掛かるだろうし、寝癖ボサボサで行く訳にはいかないし。確か布団はセルフサービスだと聞いてたのに、何故か僕の部屋には布団が敷いてあった。

 晶ちゃんのサービスかな?洗い立てのシーツはパリッとして肌触りが気持ち良かった。横になると直ぐに意識が遠くなった……

 

「おやすみなさい……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本さん、起きなよ。そろそろ朝食だよ。ほら、榎本さん。起きてくれよ」

 

 誰かが布団を揺すっている……誰だ?誰でも良いから、もう少し寝かせてくれ。

 

「もう疲れたよ。寝かせてくれよ、パトラッシュ……」

 

 布団の中に頭を潜らせる。これで外界から遮断された……いい加減疲れたから、休んでも良いよね?ほら、天使が迎えに来てるんだよ。

 

「誰がパトラッシュだ!フランダースの犬ネタは古いって!ほら、榎本さん起きなって」

 

 随分乱暴な天使が、僕の布団を揺すっている。

 

「僕の天使……お願いだ、もう少し寝かせてくれ」お迎えはまだ早いんだ。

 

「だっ誰が誰の天使だ!起きないと皆さん集まってくるよ」乱暴な天使は僕の布団を剥ぎ取りやがった。

 

「あと少しで5時50分だよ。6時から朝食だろ?支度しなって……」

 

 布団の上で胡座をかいて状況の把握に勤める。目の前に腰に手を当てて仁王立ちな晶ちゃんが居る。わざわざ起こしに来たのか?

 天使は居なかったが晶ちゃんが居た。

 

「天使は晶ちゃんか……」

 

「榎本さん寝ぼけてるのか?ほら、早く支度しなよ」

 

 両手を伸ばし大きく欠伸をする。

 

「うーん!晶ちゃん、おはよう!起こしてくれって頼んだっけ?」

 

 両目を擦って覚醒を促す。まさかモーニングコールを頼んだのか?でも普通なら内線鳴らして起こすんじゃ?

 

「何だよ!朝方部屋に押し込んだ時、寝たら起きれないとか言ったぞ。

何時に起きるんだって聞いたら5時50分って。だから起こしに来たんだ。早く顔を洗って支度しなって」

 

 朝食の準備で忙しい中、わざわざ起こしに来てくれたのか!悪い事したなぁ……

 

 先ずは着替えて顔を洗いますか!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「「「「「いただきます!」」」」」

 

 風呂上がりの美人に囲まれての朝食。普通ならなんて贅沢なんでしょうか……夕食と同じ下座に座ってますが、隣が亀宮さんに変わってました。

 高野さんは、その隣に移動してるね。

 

「はい、沢山食べて下さいね」

 

 女将さんは夕食時と同様に僕の隣で、ご飯と味噌汁をよそってくれる。今回も山盛りだ!

 

「はい、いただきます」

 

 山盛りご飯の茶碗を受け取る。今朝の献立は……エボ鯛の干物・ナメコと大根おろし・板ワサ・温泉玉子・ほうれん草と油揚げのお浸し・ハムサラダ・漬け物各種。

 味噌汁は白味噌で具は、豆腐と油揚げだ。理想的な日本の朝食。

 

「はい、榎本さんお茶だよ」

 

 今朝も配膳は晶ちゃんの仕事。全員に大きな急須でお茶を入れて廻ってる。

 

「ああ、ありがとう。朝からコーラは流石にマズいからね。お茶が一番だよ」

 

「晶ちゃん?榎本さんは女性と仲良くなるのが上手よね。小原さんの所でも小笠原さんに懐かれてたし……何故かしら?」

 

 上品に味噌汁を飲んでいた亀宮さんから、キラーパスが来た?そもそも晶ちゃんが女性って何故知ってるの?

 

「いや、その……別に変な事を考えてないよ。懐かれたって、ええ?」

 

 しどろもどろになってしまう。だって笑顔の女将さんが怖いんだ。

 

「クマさんだしハンサムでもないのに、何故かしら?でも私も嫌いではないわよ」

 

 悪気の無い笑顔で言ってくれたけど、今此処で言う事じゃないよね?女将さんだって、自分の娘が男に懐いてるなんて言われたら気になるじゃないか。

 女将さんも笑顔だけど、目が笑ってないんだ。

 

「榎本さん」

 

「はっはい!」

 

「節度ある付き合いをして下さいね。あの子はまだ19歳ですから……」

 

「勿論です。節度ある付き合いをさせて頂きます」

 

 あらあら、とか笑わないで下さい。貴女の所為なんですよ、亀宮さん!

 



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第93話から第95話

第93話

 

 朝食も終わり後は寝るだけだ……皆さんはね。僕は違うのよ。晶ちゃんの注いでくれたお茶を飲んで一息。

 女性陣をぐるりと見回して確認するが、殆ど完食みたいだ。周りと雑談したりして、マッタリとしている。

 

「はい、注目!僕は9時になったら昨夜の事を小原さんに報告して指示を仰ぎます。場合によっては今晩は中止になるかも知れません」

 

 美人8人に注目されるのは照れる。何故か晶ちゃんも僕を見てるし。女将さんは気を利かせて奥へ引っ込んだ。

 

「はーい!私達は相談に参加しないの?蚊帳の外は嫌なんだけど」

 

「榎本さん、また勝手に独りで解決しないでよね!私達が居る意味無いじゃん」

 

「あらあら、施主との交渉を独りで進めるのは駄目ですわ。殿方はグイグイ引っ張ってくれる位が良いですが、今回は駄目です」

 

 上から順に、高野さん・メリッサ様・亀宮さんです。確かに協同作業だから抜け駆け前科持ちの僕は、怪しいんだろうな……

 

「うーん、秘守義務が有るから最初から全部は話せないよ。小原さんの了解を得ないと……

それに電話じゃ全員で話すのは無理だし。高野さん、小原さんの予定分かる?アポ取れるかな?」

 

 専属なんだ、独自の直通連絡方法くらい有るだろ?彼女は見た目より、ずっと強かで腹黒い筈だよ。それに一応、お目付役だと思うんだ。

 

「そりゃ有るわよ。榎本さんは何処に連絡するつもりだったの?」

 

 呆れ顔で言われたが、本来の貴女の仕事だろ!監視役が施主と直ぐに連絡が取れない訳が無いじゃん。

 

「屋敷に電話して執事さんに聞くか、最初の連絡先か……でも、お目付役の高野さんならホットラインが有ると思ってた。

君は見掛けによらず強かだ。僕等の監視も兼ねてるんだろ?」

 

「なっ?人聞きが悪いわね。確かにちゃんと仕事しているか報告する様に言われてるけどさ。

何よ強かって、か弱い結界師に向かって。榎本さんの方が、ずっと秘密主義で強かよ!」

 

 やっぱり……護衛専門の彼女が行動を共にするのはね。信頼する人手が居ないか、お目付役として適任者かのどっちかだ。

 彼女は何か隠し玉が有る筈だよ。防衛でなく攻撃に同行するんだから……あの時、ポケットから何か出そうとしてた。

 

 アレが隠し玉かな?

 

「僕は事前に、あの廃墟については入念な調査をしてるからね。悪いが小原さんの対人関係から、過去の不審死を遂げた人達まで調べてる。

その情報に触れる部分は、今は小原さんに雇われている僕には……君達には教えられないんだ。基本契約書にも書いてあるんだよ」

 

 ブーブーとブーイングの嵐だが、仕方無い。

 

「じゃ榎本さんが、小原さんと交渉して下さいな。それを私達に教えて下さい。勿論、小原さんの了解を得て下さいね」

 

 亀宮さんが折衷案と言うか、現状ではこれしか無いだろう意見を言ってくれた。実際、小原さんに聞くしかないんだよ。

 

「じゃ高野さんが小原さんに連絡を取って、僕が交渉する。それで教えられる範囲を君達に教える、OK?」

 

「いいわ。私達は仮眠するから宜しくお願いね」

 

 取り敢えず話は纏まった。亀宮さんが居てくれて本当に良かった。最初は不安だったが、今は本当に感謝しています。

 いきなりメリッサ様と掴み合いの喧嘩をしたり、ベロベロに酔っ払って絡んで来たり……でも仕事に関しては肝が据わってるし理解も早い。

 ただ亀ちゃん任せって訳じゃないのだろう。ただ、少し現実離れしてる気もするけど……まぁ良いか。

 

「じゃ高野さん、連絡宜しく!9時にフロントに集合ね。僕は風呂に入ってから少し寝るから……」

 

 欠伸をしながら部屋に戻った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今朝の二の舞は踏まない。キッチリと目覚ましを掛けて起きる事が出来た。そう8時50分に起きたのだが、既に部屋に高野さんと亀宮さんが居た。

 テーブルで向かい合って座布団に座っている。普通にお茶とか飲んでるんだけど?

 

「あら、おはようございます」

 

「起きたの?結構不用心なのね、冬眠のクマさんみたいよ」

 

 普通に対応された、不法侵入者に普通に対応されたぞ!

 

「男の部屋に無断で侵入して、普通にお茶を飲んでるってどうなの?」

 

 布団から起き上がり身嗜みを確認する。うん、悪戯されてない。

 

「はい、どうぞ」

 

 亀宮さんが、お茶を淹れてくれたのでテーブルに座る。

 

「何で居るのさ?おかしくない?てか、おかしいよね?」

 

 文句を言っている部屋の主を前に、携帯を弄ったり温泉饅頭を食べるの止めて下さい。

 いや、亀宮さん。温泉饅頭が欲しくて、貴女を見ていた訳じゃ……勿論、貰いますよ。コレ、フロントの売店で売ってた奴だな。

 

「はい……はい、そうです。はい……今代わります。はい、榎本さん。小原さんと繋がってますよ」

 

 高野さんが携帯を渡してきた。僕が亀宮さんに温泉饅頭を箱ごと勧められた時に、ちゃんと仕事してたんだ。

 女性らしい?某海賊王の仲間のご当地チョ○パーストラップがジャラジャラ付いたスマホを渡された。

 

 君は女子高生か?しかもスマホ派かよ!

 

「もしもし、榎本です。すみませんが確認したい事が有りまして……」

 

「何かな、改まって?聞けば除霊は捗ってないそうだね?」

 

 チクリて嫌みを言われてしまった。

 

「ええ、最後に廃墟のボスらしき霊と対峙しましたが……あれは小原愛子さんの霊でした。見違える筈はありません」

 

「小原……愛子だと?どう言う事だ、榎本君!君は何処まで知ってるんだ?」

 

 動揺したな……死に別れた妻が自分の所有するホテルに化けて出るとなれば、平常心では居られまい。

 

「申し訳有りませんが、僕は調査の途中で彼女に辿り着き写真も見ています。昨晩ホテルに現れたのは、間違い無く彼女でした」

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 そう呟いてから会話が途絶える。小原氏が話すまで待とうと30秒は待ったが、反応は無い。

 

「それで僕達は一旦除霊作業を中止し、小原さんに判断を仰ぎたいのです」

 

 結構重要な話をしているのに、周りを見れば高野さんと亀宮さんはお茶のお代わりを淹れていた……超無関心だ!

 

「榎本君……君ならどうする、どうしたい?私は、どうすれば良いんだ?」

 

 確かにどうすれば良いなんて、普通じゃない状況だし判断なんて無理だろう。だが元とは言え夫婦だったんだ。

 最後は看取って欲しい。それが霊であろうとも……

 

「出来ればですが、除霊現場に立ち会って頂きたい。ご自分の目で確認して頂くのが一番かと。安全には配慮します。

元々、僕と亀宮さんだけでも除霊は可能でした。ただ、お知らせもせずに祓うのが嫌だったんです」

 

「私が……会えるのか?話せるのか?」

 

 ん?会える?話せる?だと?捨てた女に対する言葉じゃないよな。何か僕やオヤジさんの知らない事実が有るのか?

 

「話せるかどうかは……詳細は直接会ってからで。他の人達には話を伏せてます。高野さんと、最後まで残り一緒に彼女を見た亀宮さんだけが知っています」

 

「分かった。配慮、ありがとう。今晩6時には必ず宿の方に行く」

 

 これで今晩にでもケリが付くだろう。小原さんにはレンタル業者から機材の手配が出来るか聞いたが、後で領収書で清算すると言われた。

 これで照明についても解決だ。携帯電話を切って高野さんに返す。一瞬操作が分からなかったが、何とか出来た。

 二人仲良く温泉饅頭を食べていたが、食べ方が対局だね。豪快に一口で食べる高野さん、両手で持って上品に食べる亀宮さん。

 

 僕を食べようと鎌首を持ち上げる亀ちゃん?

 

 亀ちゃん、いい加減に僕が危険人物じゃないって理解してよ。

 

「今晩の除霊作業に小原さんが立ち会います。6時には民宿に来るので、そこで詳細を話しましょう」

 

 僕も温泉饅頭を一つ取り、包装紙を剥がして口に放り込む。さっぱりとした粒餡とモチモチの皮が美味だ!

 

「小原愛子って小原さんの前妻でしょ?死に別れたって聞いてるわよ」

 

「それで榎本さんは昨晩は私を止めたのね。確かに元妻を亀ちゃんが食べたら嫌だわ。私も後味が悪かったかも……」

 

 後味か……胡蝶が食べた奴らは彼女に捕らわれるんだ。成仏なんてしないだろう。

 じゃ霊獣亀ちゃんが食べた連中は、どうなるのかな?いや、怖くて聞けないよ。

 

「僕は午前中に地元のレンタル屋から発電機や投光器。延長コードとかを借りてくるけど君達は……休んでてね」

 

 2トントラックに発電機その他を積んで、一旦民宿へ戻る。現地で受け取りなんて無理だろうし……

 

「榎本さんだけ働かせるのは悪いわ。私も手伝おうかしら?」

 

「えー肉体労働は筋肉の役目じゃない?だって、その為の筋肉でしょ?」

 

 早く段取りして仮眠したいんだ。高野さんを無視して亀宮さんにお礼を言う。

 

「亀宮さん、ありがとう。多分亀宮さんには小原さんの護衛を頼むと思うから、早めに休んで欲しい。

高野さん、黙れ!それと結界用の水晶を一つ頂戴。今晩の仕込みで使うから。こう親指位の大きさの奴が良いな」

 

「私の扱いが酷くない?小笠原ちゃんといい亀宮さんといい、アレでしょ?

榎本さん、巨乳好きなんでしょ!きっとそうよ。

小笠原ちゃんはアレで着痩せするタイプだし、今朝風呂で見た亀宮さんも凶悪なブツぶら下げてるし。

本当にエロいわね。榎本さんのバカヤロー!」

 

 プリプリと怒って部屋を出て行ってしまった。僕が巨乳好きだと?フザケルナ、僕はツルペタはにゃーんが大好きなんだよ!

 

「あの……私の胸が目当てなんでしょうか?桜岡さんも中々の大きさでしたし……」

 

 亀ちゃんが具現化して胸の部分をスッポリ隠している。亀ちゃん、言葉が通じるんだな。

 亀宮さんも困惑顔で胸を隠しているし、最悪な誤解だ!変な雰囲気になっちゃってるし、どうするんだよ?

 

「えっと……その……む、胸の件は誤解です。その、小笠原さんも亀宮さんも僕に親切に接してくれたからで他意は無いんです。

高野さんは、ああ言って楽しんでるだけですよ。さぁ亀宮さんは休んで下さい。後は僕がやっておきますから……」

 

 立ち上がりお辞儀をして部屋を出る亀宮さんをほぼ甲羅で隠した亀ちゃん。違う意味でも誤解された……

 こんな扱いを受けると、結衣ちゃんや桜岡さんの大切さが身に染みるな。帰ったら旅行にでも誘おう。

 三人なら二部屋取って、結衣ちゃんと桜岡さんが同室なら変な疑いも掛けられないだろう。ああ、忘れてたけど静願ちゃんに電話しなくちゃ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 晶ちゃんにタウンページを借りて、近くのレンタル屋を探す。ニッケン・アクティオ辺りが大手で品揃えも多い。

 八王子支店に連絡をして在庫の確認をし2トントラックに積み込んで運んで貰う事にした。

 勿論、発電機の燃料は満タンにして貰うのを忘れない。受け取りをしたら、やっと眠れるよ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はい、確かに……私は直接見てませんが、確かに強力な霊でした。私の結界を抜いて扉を閉めたり、周囲を氷点下に下げたり出来るのです。

亀宮さんと二人で他の皆の脱出時間を稼いで……

そうですね、今の所彼に不審な所は有りません。何度か他の女性をけしかけたりもしましたが、特に何かする様子は有りません。

多分ですが、桜岡さんと付き合ってるみたいですし身持ちは固いかと。今回の件も彼女の身に降りかかった疫災を祓うのが主目的でしょう。

ええ、此方と敵対はしませんが引き込みに有効な手段も有りません。女・金、どちらも興味が薄い感じです。

不思議と女性から接近する場合も有りますが、男女の関係に発展させるつもりは無さそうかと……

ただ義理堅いので、このまま恩を売れば或いは……はい。引き続きその様に行動します」

 

 定時報告を終えて考える。榎本、アレは危険だ。優しい巨漢、頼り甲斐の有る筋肉。

 普段は危険な気配が全く無いから女性が寄っていくが、本性が酷いロリコンだ。どんな美女・美少女でもアレの好みから外れる相手には、エロい気配が全く無い。

 ある程度の美人なら異性のイヤらしい目線に晒され慣れているから、彼の全くエロくない態度は新鮮だろう。

 その癖、面倒見が良いから誤解に拍車が掛かる。だが、だが当世最強と言われた亀宮さんの霊獣が警戒する程に強力だ。

 しかも私の隠し玉の水晶指弾を見抜いた。それを寄越せと言ったんだ。何処まで此方の事を調べてるのか不安だが……味方に引き込めば心強い。

 芋づる式に亀宮さんも付いて来そうだし。弱みを見付けられれば、楽しい事になりそうね。

 

 酷いロリコンと脅してみる?

 

 無駄ね、証拠も無いし桜岡霞と言う妙齢の美女と付き合っているからデマと笑われる。しかし……

 逆にアレだけのロリコン野郎を落とした彼女の手腕を知りたいわ。どんな手を使ったら、あんなペド野郎が言い成りになるのかしら?

 

 ふふふ……うふふふふ……楽しくなって来たわね。

 

 

第94話

 

 今夜の準備の為に照明器具の準備を終えた。後は秘密兵器の準備なんだけど、水晶を貰おうと思った高野さんは逃げた。

 小原さんから結界の材料費もケチられてるから大変なのかな?むう、今の内に買い出しに行こう。だが、水晶って何処に売ってるんだ?

 民宿の駐車場でレンタル機材の受け取りをしていたら、晶ちゃんが出て来た。2tonトラック山盛りの投光器や電工ドラム、それに三脚を見て驚いてる。

 

「凄いね、まるで何かの工事をするみたいだよ」

 

 運んできた業者さんに、伝票にサインをして渡す。営業車と二台で来たから運賃が掛かるのね、トラックの運転手の足は必要だもんね。まぁ経費だから問題無い。

 

「ん、そうだね。廃墟の中って真っ暗でしょ。マグライトだけじゃ心許ないからね。それに今夜は小原さんも来るから」

 

 ああ、あの女好きで有名な人でしょ?嫌いなんだよね、エロ親父ってさ。とか結構酷い事を言ってますよ。どれだけ地元で女好きの悪名が有名なんだろう?

 

「そうだ、晶ちゃん。この辺に水晶とかパワーストーンを売ってる店を知らないかな?」

 

 晶ちゃんも女の子。貴金属店位は知ってるかな?

 

「水晶?うーん、何に使うんだい?僕はこんな形(なり)だから宝石や貴金属は……」

 

 両手を広げて服装をアピールする。今朝はトレーナーにチノパン、それにマフラーを首に巻いている。少し薄着じゃないか?

 

「仕事でね、必要なんだけど……ああ、タウンページで調べれば良いかな。貴金属店だと高いから、パワーストーンとかを扱ってる店が良いんだけど」

 

 宝石としてのカットとか透明度は、余り必要じゃないんだ。水晶は霊力を蓄えられるし、大きさと重さが適当なら良いんでね。

 

「そうだ!今夜も夜食お願いして良いかな?それと眠気覚ましに珈琲も用意して欲しいんだ。日本茶の他に頼んで良いかい?」

 

 小原氏も増えるが、量は大して変わらないだろう。一緒に玄関に向かいながら、今夜の夜食をお願いする。

 

「任せてよ。榎本さん、車無いんだろ?ウチの車で送ってあげるよ。アレで買い物に出掛けるのは流石に嫌だろ?」

 

 満載の2トントラックを指差す。何で事故って他に停めてる事を知ってるんだ?

 

「誰から聞いたの?高野さんだろ?」

 

「うん、まぁね……榎本さんがエロくて巨乳好きとか言ってたよ。勿論、僕は信じてないから平気だよ」

 

 あのアマ……トコトン僕が嫌いなんだな。

 

「はははは……全く根も葉もない嘘ばかり言いやがって。車を出してくれるのは嬉しいけど迷惑じゃない?何ならタクシー使うから平気だよ」

 

 どうせ経費で請求するし、大した金額でも無いし。彼女に迷惑かける位なら……

 

「勿体無いよ。それに買い出しも有るんだ。榎本さん、力持ちだから手伝ってよ。それでチャラだね」

 

 ニカって笑う晶ちゃんの笑顔は……イケメンだ。時計を見れば既に10時過ぎ。昼前には寝たいから早くタウンページで調べなきゃ駄目だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 最初に近郊の農家に行って野菜の積み込みを手伝う。大根・白菜・人参・玉葱・馬鈴薯と結構多い。

 次にお米屋で精米を60キロ買った。此方は業務用の20キロを3袋だ。3袋一緒に持ち上げたが、彼女は大喜びだった。

 筋肉好きな晶ちゃんにとって、ムキムキは楽しいのだろうか?彼女の車はワンボックスで、宿泊客の送迎もするらしい。

 後部座席は積んだ食材で山盛りだ。

 

「先に僕の用事を済ませてごめんね。えっと、榎本さんの目的の店は?」

 

 運転まで晶ちゃんに任せてしまっている。荷物の積み込み位は当たり前だ。

 

「ああ、駅前通りの高橋ビルの3階に有る風水ショップだよ。近くのコインパーキングに停めて徒歩かな……」

 

 事前に電話で確認して大体の場所は聞いた。晶ちゃんも知っている場所だった。もっともそんな店が有る事は知らなかったらしいが……

 

「風水ね……Dr.コパだっけ?アレって効果有るのかな?」

 

 僕も非常識な存在だし、風水も普通じゃない効果が有るのは分かる。ただ人に勧めるかと言えば……

 

「どうだろうか?気の持ちようじゃないかな。信じる者は救われるみたいな?」

 

「駄目じゃん、それ!」

 

 晶ちゃん的に笑いのツボだったらしい。楽しそうに笑う彼女は年相応な美人さんだ。惜しいな、あと5年若ければ好みなのに。

 車をコインパーキングに停めて、商店街を歩く。ビル自体は彼女が知っていたので迷わずに目的の店に到着。

 看板には「マダム道子の店」と書かれている。道子と導師をかけているのか?怪しい装飾の施された扉を開けて中に入ると、意外に繁盛していた。

 

「ふーん、結構広いし色んな物が有るね。水晶って……榎本さん、パワーストーンってこの棚だよ」

 

 珍しい物が多い所為か、彼女がはしゃいでいる。客層は若い女性が多く、見た目ハンサムな晶ちゃんと筋肉なクマのコンビは人目を引くな。

 

「色んな石が有るね。水晶は、これか……」

 

 プラスチックのケースに入った水晶を一つ一つ確認する。透明なのと紫色のを候補にあげた。どちらも大きさ・重さが手頃で、僕の霊力も注ぎ易そうだ。

 

「晶ちゃんなら、ドッチの色が良い?」

 

「僕?僕なら……透明な方かな。ゲッ、25000円もするよ。高くない?」

 

 飾り気の無い彼女だから無色透明を選んだのかな?

 

「値段も色も余り関係無いんだよ。要は使い易さ……かな」

 

 水晶を持ってレジへ。レジにはマダム道子だろう中年の女性が居ますね。かなり背の高い細身の女性で、ひらひらした紫の不思議な服を着てる。

 奇天烈な服だが、売ってるのか?

 

「あら、ありがとうございます。目が肥えてますわね。この店でも強い力の有る石を両方選ばれるなんて。最後に彼女に選ばせるなんて、大切にしてるのね」

 

 おほほほっとか微笑むマダムに一万円札を三枚渡す。

 

「領収書、上様で。それと彼女はお世話になってる方の御息女ですよ。客をからかうのは良くないですよ」

 

 張り付けた微笑みをピクリとも動かさないな。大した面の皮だね。

 

「大切になさってるのは変わりないでしょ?貴男、かなり力持ちですし、大切にして貰いなさい。はい、プレゼントにコレをあげるわ」

 

 綺麗にラッピングした水晶の小箱の他に、小さなネックレスをくれた。大して高くはないだろう金メッキのチェーンに小さな石が付いている。

 

 しかし……力持ちが霊力なのか筋力なのか分からないのが嫌な感じだ。

 

「えっ?良いよ、僕には似合わないって」

 

 マダム道子から両方受け取り、ネックレスを晶ちゃんに渡す。遠慮してるが、マダム道子に返すのも変だろう。

 強引に持たせて店を出る。マダム道子か……同業者かも知れないな。

 僕は今まで単独行動派だったから、余り同業者の情報を知らないんだ。晶ちゃんを女性と見抜いてたし……霊感に引っ掛かるし調べてみるか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局晶ちゃんはネックレスをポケットにしまって付けなかった。仕方無いだろう、オマケだし僕が持っていても無用だし。

 でも綺麗な娘だから貴金属の一つ位は身に着けても良くないかな?

 

「晶ちゃんは装飾品とかに興味が無いのかい?」

 

 運転中の彼女に何気ない振りで聞いてみる。

 

「んー僕には似合わないでしょ?男装してるのに指輪やネックレスしてたら変だよ。榎本さんは左手に数珠を幾つも着けてるけど、それは装飾品ってよりも仕事道具だろ?」

 

 左手首に巻かれた数珠を見る。取り敢えず家に有った数珠を全部着けてみたんだ。胡蝶の力漏れ対策で。

 水晶・芥子の実・黒檀製の数珠だが、永く祭壇で祀ってるから霊具としてソコソコだ。信号で止まった時に、水晶の数珠を外し晶ちゃんに渡す。

 

「ちょっと付けてみてよ」

 

「わぁデカいね。僕が付けると二重に巻けるよ。でも綺麗な水晶だね」

 

 太陽にかざすとキラキラ光る数珠。本体だけでも50万円はする逸品だ。

 

「数珠なら付けてても可笑しくないね。それはプレゼントするよ。

古くて悪いけど10年以上祭壇で祀ってあるから、魔除けには最適だよ。坊主の僕が言うんだから間違い無いよ」

 

 この仕事が終わったら新しく力を封じる数珠を用意するので、あげても構わない。僕は使わないから、晶ちゃんに使って貰った方が良いだろ。

 

「こっこんな高そうなの貰えないよ!」

 

 遠慮する晶ちゃんに、信号が青に変わった事を教える。慌てて走り出す。

 

「榎本さん、駄目だよ。コレ高いんだろ?貰えないって」

 

 昨今の男に貢がせる事やお金が大好きな女性に比べたら、なんて遠慮深いんだろう。見習え、メリッサ様!

 

「晶ちゃんには世話になってるからね。それはお礼だよ。魔除けとして貰ってよ。迷える子羊に贈り物だ……ってコレは宗派違いだったね」

 

「後で料金を請求されないよね?大丈夫だよね?」

 

 冗談っぽく言ってるので、照れ隠しか何かだろう。

 

「勿論さ。僕は新しいのを用意するから大丈夫。それは純粋な贈り物だよ」

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 物心ついてから、異性からのプレゼントなんて初めてだ。同性からのプレゼントは沢山贈られたが、受け取らなかったし。

 榎本さん、不思議な人。最初は怪しい団体を取り纏めてる人だと思った。人当たりも悪くないし、嫌みの無い配慮が上手い人だ。

 私なんかを女性として扱う変なムキムキの人。でも全くイヤらしい感じがしない。

 あんなに美人に囲まれているのに、一度も鼻の下を伸ばさないんだ。三枚目みたいに情けない時も有るけど、あれは許容してるだけだと思う。

 高野さんて人も、有る事無い事言い廻ってるが嘘ばっかりだよ。榎本さんが亀宮さんの胸ばかり見てるなんてさ。

 もっと怒っても良い筈だ。それに、こんな高価そうな数珠をポンとくれるなんて……

 

 最初は霊感商法かと疑ったけど、違うみたいだ。

 

 何より、この数珠って悪い気がしない。身に着けてると温かい気持ちになれるんだ。祭壇で祀った物って、実は貴重なんじゃないか?

 僕の手首だと二重に巻けるから、数珠と言うよりブレスレットみたいだし。うーん、異性として好きって感じじゃないけど……

 友達になってくれたら嬉しいかも。神奈川に住んでるらしいし遠い訳じゃない。

 明日には仕事が終わるらしいし、後で話してみようかな。何もしないでサヨナラは惜しい人だよね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 好みじゃない女性には好感度をバンバン上げる筋肉は、やっと寝れるとばかりに布団に大の字になっていた。

 部屋の扉には鍵をかけ、窓も施錠しカーテンも閉めた。念の為に携帯電話は枕元に置いて、万全の体制だ。

 

「やっと寝れる……もう12時廻ってるし5時45分に起きれば平気だろう。おやすみなさい……って静願ちゃんに連絡するの忘れたよ!」

 

 ヤバい昨晩メール貰って放置しちゃったよ。起き上がり布団に胡座をかいて携帯電話を持つ。

 アドレス帳から検索しダイアルすると、ディスプレイに彼女の画像が……こんな機能が有ったのか。

 数回の呼び出し音の後に、久し振りの彼女の声が聞こえた。

 

「お父さん、遅いよ。連絡待ってた」いきなり怒られた。

 

「ごめんね。八王子の件で昼夜逆転生活だし、廃墟は携帯圏外でさ。連絡遅れたんだ」

 

「むう、お仕事優先は仕方無いね。お母さんが一度話したいって。八王子の仕事が落ち着いたらで良いから、土日か平日の夜に電話が欲しい」

 

 静願ちゃん同席と言うか、彼女の携帯で会話するからね。確かにその時間なら、お互いの仕事や学業に負担が無い。

 

「分かった。事前に電話かメールで日にちと時間を決めよう。こっちも後2〜3日で片付くと思うし……」

 

「無理言ってごめんなさい」

 

 後は少し世間話をして電話を切った。ああ、コッチに引っ越すって話は怖くて聞けなかったな。

 嬉しそうに「宜しくお願いします!」って言われそうだから……

 

 

 

第95話

 

 万全な体制で仮眠を貪ってた筈だ。施錠は万全、カーテンも閉めた。後は目覚まし時計が起こしてくれる筈だったんだ。

 

「おはよう、榎本さん」

 

 晶ちゃんが、がわざわざ内線で起こしてくれた。嬉しいのだが、過剰サービスじゃないかな?

 

「うん、おはよう……僕、モーニングコール頼んだかな?ごめん、曖昧な記憶しかないや。呆けたかな?」

 

 時計を見れば5時ちょうど。予定では45分に目覚まし時計をセットしたよね?

 

「小原さん、来たよ。取り敢えずフロントのソファーに座って貰ってる。

榎本さんを呼んでくれって……仮眠してるって言ったんだけど、駄目だった」

 

 約束より1時間も早く来るって事は、そうとう気に掛けてるのかな?

 

「ありがとう、直ぐ行くよ!目覚ましの珈琲頼んで良いかな?小原さんの分も」

 

 お好みのホットを持ってくよ。そう言ってくれた。洗面所で冷たい水で顔を洗いシャッキリする。

 フロントに行くと小原氏が1人でソファーに座っていた。此方に気付いて手を上げてくれる。仕事から直ぐに来たのかスーツ姿だ。

 

「すまない、予定より早く来てしまった」

 

「いえ、お気になさらずに……」

 

 本当は眠いのだが、社交辞令ってヤツだ。向かい側のソファーに座ると、晶ちゃんがコーヒーを持って来てくれる。

 僕のカップだけデカい、巨大マグカップだ……

 

「はい。暫く離れてるから、用が有れば呼んで。夕食は小原さんの分も用意してますから」

 

 そう言って一礼し去って行く。巨大なマグカップには既にミルクも砂糖もタップリだ……

 確かに車で移動中の雑談でカフェオレが好きと言ったけど、直ぐに対応してくれるのは嬉しい。一口飲むと、僕好みの甘い味が広がる。

 

「さて、急で悪いが話をしてくれ」

 

 小原氏が自分用の珈琲に砂糖とミルクを入れてかき混ぜている。うむ、僕には晶ちゃんの愛情カフェオレ。彼はフロントでも頼める、ルームサービスの350円珈琲……

 

 勝ったな、僕は勝ち組だ!

 

「昨晩からホテルの除霊作業を行いました。最初は屋外施設から……不思議なのは事前調査では、プールで不審な死を遂げた女性。

地下室で自殺した男性。だが、僕等の前に現れたのは小さな女の子ばかり……」

 

「事前調査と食い違うと言う訳か。だが、何故……愛子が現れたんだ?」

 

 鷺沼で入水自殺した彼女が、ホテルに化けて出る。不思議に思うだろう。

 

「事前調査と違う霊が現れるのは、良く有ります。本体だと思って祓えば、次が出てくる。

その辺は不思議とは思いませんでした。ただ、最初に僕が祓った霊は……」

 

「何だ?特殊だったのか?」

 

 一旦言葉を切ったのは、話ながら考えを纏める為だ。丹波の尾黒狐が支配下に置いていた霊達。しかし丹波の尾黒狐は胡蝶が喰った。

 神泉会が東京の小原邸に差し向けた(と思わせてる)エム女。ラスボスは小原愛子さん。話の辻褄を合わせなければならない。

 

「ええ、特殊でした。彼女は近藤好美ちゃん。調書に載っていた女の子です」

 

「ああ、コックリさんだとか同級生も行方不明のアレだな。それが何故だ?」

 

 良く調書を読んでいる。中々手強いぞ。普通は分厚い調書の中に載っている名前なんて、うろ覚えの筈だろ?

 

「僕の仮説を聞いて下さい。あのホテルの怪異は、東京の屋敷に現れた女の怨霊だった。だが、彼女は使役され僕が祓った。此処までは宜しいですか?」

 

 小原氏は黙って頷いた。これは共通認識として、神泉会がエム女を差し向けたと言う事だ。

 

「僕が調べた所では、随分前から小原愛子さんは霊として周辺に現れていた。これは鷺沼で女の子が女性の霊に呼び掛けられた事。

近藤好美ちゃんが直前にホテルか鷺沼に遊びに行った事。

愛子さんのお父さんも、彼女が彷徨っていると言っている事から信憑性は有ると思います」

 

「君は、あの集落にまで調査の手を伸ばしたのか?」黙って頷く。

 

「ええ、彼女の墓前でお経も唱えました。しかし墓は空虚でした……」

 

 辛そうな顔だな。捨てた妻子の親族にまで会われちゃ、やるせないか?

 

「最近です、あの廃ホテルに霊が集まり始めたのは。あの怨霊が呼び寄せていたのでしょう。だから沢山の霊が集まってます。

それとは別に小原愛子さんは自分の娘を探していたんだと思います。怨霊が集めた霊の中で、自分の娘と近い年類の子供達の霊を集めた。

そして彼女は力を付けてしまった。霊の力の根源は思いから。強い思いが少女達の霊を彼女の周りに留めています。

僕は近藤好美ちゃんの霊から話を聞きました。ママが皆を集めている、と……」

 

 小原氏の表情を確認しながら話しているが、特に異常は無いと思う。此処までは互いに同じ認識を持せただろう。

 カフェオレを飲んで喉を湿らす。まだ会話を始めて15分だ。

 

「霊と話したと言うが、それは霊能力者だからか?普通でも話せるか?」

 

「会話は可能ですよ。勿論、相手の状態にもよります。一方的に話し続けるのも居れば、ちょっとした受け答えをするのも居ます」

 

「私は……愛子と話せるか?話せる可能性は有るのか?」

 

 うーん、昨晩の彼女の表情は穏やかだった。しかし周りに集められた霊体は、混ざり合って苦しそうだったな。

 

 これは難しい……

 

 彼女は娘の代わりを沢山集めてる、鬼子母神と同じだ。そこへ憎むべき相手が現れたら?

 

「彼女は、小原愛子さんは穏やかな表情でした。ただ彼女に集められた霊達は、混じり合い苦悶の表情だった。

これは僕の推測の域を出ませんから……違っていたらお詫びします。

その、彼女が貴方を恨んでいたら話すのは逆効果だと思います。最悪の場合は襲われます」

 

「私が愛子にした仕打ちを思えば、そう考えるのも仕方無いでしょうな。アレは私を恨んでるでしょう……

それでも榎本さんは除霊に立ち会えと言う。ただ見てるだけは、辛いのだぞ!」

 

 普通の反応だ……

 

 怒るのは、辛いと言うのは後悔の念が有るんだ。つまり彼女を自殺に追いやった事を悔やんでるのか……調査では浮気が原因と聞いている。

 そんな事が有っても女癖の悪さは治ってない。さて、どうするかな?

 

「此処からは小原愛子さんを成仏させる為の提案です。彼女は娘さんを探しています。

しかし……多分、娘さんは既に成仏してるのでしょう。

だから愛子さんの願いは叶う事は無い。ですが、身代わり札と言う物が有ります。これを娘さんに見立てて愛子さんに渡します。

彼女の願いは叶い、成仏する事が出来ると思います。勿論、強制的に祓う事も可能です。僕でも亀宮さんでも……どちらにしますか?」

 

 一見二択だが、選択の余地は無いだろう意地の悪い提案だ。普通なら強制的に祓うよりは成仏を願う筈だ。

 彼自身は小原愛子を憎んでいない。少なくとも悪いとは思ってる筈だから……

 身代わり札は小原氏のも七海ちゃんのも、前に用意したのが残ってる。

 

「七海の身代わり札を使い、愛子を成仏させてくれ……」

 

 本当に辛そうな顔をしているな。やはり妻子には彼なりの愛情が有ったんだな。

 二人の身代わり札は用意してあるが、許可を貰ったので作成した事にしないと不自然だ。彼女の詳細について聞かないと駄目だね。

 

「有難う御座います。これで彼女達も救われるでしょう。では身代わり札の作成に必要な事を教えて下さい。先ずは……」

 

 手帳を取り出し、生年月日・没年月日等を聞いていく。だが、没年月日が違うぞ。

 

「小原さん、無理心中と聞いていますが没年月日が違いませんか?自殺の当日が没年月日ですよ。これは1日早い……」

 

「榎本さん。愛子は……

愛子は、七海を先に首を絞めて殺した。そして私に電話で知らせて、七海の亡骸と共に入水自殺を遂げたんです。

当時は私も色々有りましたから……妻が娘を殺して後追い自殺は不味かった。だから無理心中にしたんだ。

これは内緒にして下さい。榎本さんだから、お話したのです」

 

 何だって?だからか?

 

 小原七海の身代わり札を鷺沼で使っても効果が無かったのは、正しく作られてなかったんだ。無理心中も後追い自殺も変わりないと思うが、僕に理解出来ない理由が有るのかね?

 娘を殺して1日余裕が有ったのに、妻の自殺を止められなかったから?いや、施主のプライベートに踏み込み過ぎは不味い。

 

「分かりました。僕には秘守義務が有ります。誰にも言いません。さて、時間も6時に近い。夕食を食べながら、今夜の打ち合わせをしましょう」

 

 時計を確認すれば、既に5時50分を過ぎた。そろそろ上から女性陣が降りてくるだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「「「「いただきます」」」」

 

 夕食が始まった。上座に小原氏、両隣に亀宮さんとメリッサ様。左右に対照的にお供の方々。下座に向かい合わせで僕と高野さん。コの字の配置で配膳されてます。

 

 流石は晶ちゃん。一番偉い小原氏の意図を正確に把握している。

 

 今夜の献立は……スキヤキです、ええ一人鍋スキヤキ!お肉は結構良さそうな霜降り肉。野菜も山盛り。

 他には刺身盛り・茹で蟹・酢の物・ぶり大根・フキと白身魚の餡掛けです。それだけでも、お腹一杯な品揃え!

 

「はい、榎本さん。君だけ特別なんだ」

 

 他の皆さんは固形燃料の一人鍋だが、僕だけカセットコンロで普通の鍋だ。

 

「えっと、嬉しいけど依怙贔屓?」

 

「お客さんは健啖家ですから、普通では足りないでしょ?勿論、他の方々にはお代わりで対応しますわ」

 

 おほほほほ!って笑いながら、女将さん自らがスキヤキを準備してくれる。

 肉を焼いてから鍋に出汁を少量入れて味を付ける。どうやら肉を先に食べてから野菜みたいだ……

 

「はっはっは!流石は榎本さんだな。何時でも何処ででも料理人から大絶賛だ。ウチのコックも喜んでいたよ。では乾杯!」

 

「「「「かんぱーい!」」」」

 

 酒盛りが始まった……まぁ亀宮さんと僕が行動出来れば、今夜の除霊は問題無い。

 要は小原愛子が現れたら周りの霊を祓い、七海ちゃんの身代わり札を渡せば良いんだ。最悪は胡蝶デビューだが、お金大好きメリッサ様が黙ってはいまい。

 小原氏の前だ。必ず小原愛子の周りの霊達は、彼女達が祓うだろう。

 彼女を祓えば、後は簡単だ。殆どの霊は彼女に捕らわれているから、自然と散るだろう……

 

「はい、榎本さんコーラ」

 

 目の前に瓶コーラを構えた晶ちゃんが居るので、コップを空けて差し出す。その左手首にはプレゼントした数珠が巻いてある。

 うん、ちゃんと付けてくれてるんだ。

 

「ああ、ありがとう。配膳大変だね」

 

 彼女は皆さんの鍋の状況を見ながら、肉や野菜を足している。忙しい合間に、わざわざ僕にコーラを注ぎに来てくれるんだ。

 

「商売繁盛さ!」

 

 くるくると忙しく働く彼女を見てると、女将さんが咳払いをした。いや、イヤらしい目で見てませんから……

 

「お客さん、沢山食べて下さい。お肉、足しますか?」

 

「ええ、お願いします。わざわざすみません」

 

 既に丁度良い加減の肉が取り皿に山盛りだ。一切れ摘み溶き卵に潜らせてからパクリ。

 

「うん、美味しいです。肉もそうですが、卵が……濃厚ですね」

 

 〆に卵かけご飯が食べたいな。

 

「契約農家から仕入れてます。自然に近い形で飼育した鶏なんですよ」

 

 この民宿、見かけによらず料理は美味い。誰が料理をしてるのかな?家族経営らしいけど……

 

「毎回料理が美味しいのですが……料理長は旦那さんですか?」

 

 まだ見ぬ女将さんの旦那さんなんだろうか?

 

「ええ、主人ですわ。この辺りでは、ウチは料理自慢の民宿として有名なんですよ」

 

 へぇ料理自慢か……もしかして宿の選定って、小原氏は大食いな僕に気を使ってくれたのかな?

 

「主人もお客さんとお話ししたいと申しておりました。一度、お部屋の方に伺いたいと……」

 

 笑顔の女将さんだが、毎回目が笑ってないのは何故でしょう?

 



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第96話から第98話

第96話

 

 夕食と言う名の宴会は盛り上がりに欠けました。多分、小原氏の両脇に侍らせた亀宮さんとメリッサ様のご機嫌が宜しく無いからだと思うんだ。

 前もそうだったらしいが、亀宮さん……本当に額に井形作ってる。

 小原氏って初めて一緒に飲むんだが、絡み酒なんだな……しかもメリッサ様達、シスターチームを見る目がイヤらしいんだ。

 アレがエロエロな視線だよな。僕も気を付けなきゃ駄目だ……

 

「はい、榎本さん」

 

 晶ちゃんが瓶コーラを傾けてくれる。勿論、僕はイヤらしくない穏やかな視線だ。

 

「ああ、ありがとう」

 

 グラスを空けて差し出す。同じ泡でもビールとじゃ全然違うよね。晶ちゃんも小原氏に近付きたくないんだな。女将さんと僕の周りに居るし。

 

「さぁ、お客さん。もっともっと食べて下さいね。まだまだ沢山有りますから……」

 

 女将さんが取り皿にスキヤキ肉を乗せてくれる。火加減は絶妙だし肉質も良い。

 普通なら美味しく頂けるのだが、晶ちゃんの笑顔と違い女将さんは……氷の微笑みだ。

 

「ははははは……もうお腹一杯ですよ。本当に、胸も苦しくなってきたんだ」

 

「霜降りは脂身も多いからね。母さん、榎本さんお腹一杯だって!少しさっぱりした野菜も食べて貰おうよ」

 

 晶ちゃん、君の輝く笑顔に比例して女将さんの笑顔が冷たくなるんだ。別に悪い事はしてないぞ。

 

「あら、晶は本当に榎本さんにベッタリね。おほほほほ、ではお野菜を少し食べて貰いましょうか……」

 

 菜箸(さいばし)で白菜や葱・椎茸・春菊・麩・しらたきと鍋に入れていく。しかも少量ずつ食べれる位を火の通りの遅い物から調理を始めるので、何時も美味しい状態で取り皿に乗せてくれる。

 待遇は物凄く良いのだが……辛いんです、精神的に。

 

「あら、晶。そのブレスレットはどうしたの?珍しいわね、貴女がそんな物を身に着けるなんて」

 

 左手首に巻かれた数珠を指差す。

 

「コレ?榎本さんが僕にくれたんだ。凄い綺麗でしょ?魔除けの数珠なんだよ」

 

 彼女は実の母親に良く見えるように袖を捲る。しかも凄い笑顔だ!一瞬だが、ハッと魅入ってしまう程に……

 

 無邪気な笑顔と行動。

 

 それは大抵の事を許容させる態度だ。だがしかし、女子供に許される態度も大人には通用しない時が多々ある。

 

「榎本さん?男除けかしら……そんな高価な物を贈るのは、ねぇ?」

 

 初めて女将さんに名前で呼ばれた。氷の微笑み付きだ。僕は全力で回避行動を取らねばならない。

 本能が僕を突き動かす。子供を思う母親とは、時に偉大で理不尽で絶対勝てない存在なんだよ。

 

「晶ちゃんには、お世話になりっぱなしなので。他意の無い純粋なお礼ですよ、はい」

 

 爆弾を投下した彼女は、お肉お代わりの呼び声に対応し高野さんの所に行った。

 

 ニヤリと笑う高野さん。つまり、そう言う事だ……

 

「余り高価な贈り物や思わせ振りな態度は困りますわ。あの子は、あんな形(なり)ですから免疫が有りません。

勿論、榎本さんの事は信じてます。普通ならお礼を言わなければならないでしょう。ですが……」

 

 めっさ女将さんに警戒されてる。僕は男装する程、男嫌いな娘についた悪い虫か?

 

「女将さんのご心配は勿論です。僕も彼女をその様な感情で接してません。

ただ、娘(みたいな二人の美少女)と同じ様な感覚で接してしまい勘違いをさせてしまいましたね。申し訳無いです」

 

 真摯な表情で女将さんを正面から見て、そう言って頭を下げる。

 

「まぁ娘さんが……それは此方も勘違いをしてしまって。やはり落ち着き方が違いますわね。おほほほほっ」

 

 妻帯者や家庭持ちと勘違いさせたかな?でも全く男女の関係になる気は無いんだ。それは分かってくれただろうか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕食が始まり、既に90分が過ぎた。もうお開きでも良いだろう……

 既にデザートの杏仁豆腐も配られてるし、用意された献立は全て配られた。

 

「はい、注目!小原さんも宜しいですか?」

 

 その場で立ち上がりパンパンと手を叩く。お喋りを止めて、皆さん僕に注目する。

 

「ん、ああ……皆さん楽しめましたかな?」

 

 顔を赤らめてご機嫌だな、小原さん。これから貴男の前妻を祓いに行くんですよ!それなのに、美人とお酒飲んで楽しそうですよ!

 

「今夜の除霊ですが……

予定を変えてフロントで、昨夜の大物を呼び出します。小原さんも参加しますので、対応を変えます。

小原さんの護衛に高野さん。亀宮さんも出来る限り亀ちゃんで小原さんを守って下さい。

本体を取り巻く群霊の対処をメリッサ様。本体は……小原さんの要望で僕が担当します」

 

 小原氏の要望通り、七海ちゃんの身代わり札で愛子さんを成仏させる。だが彼女が小原氏の前妻とか自殺したとかの情報は、女性陣に説明は無しだ。

 秘守義務に抵触するからボカシて話す。

 

「また榎本さんが良い所取りじゃない!」

 

「私の亀ちゃんは好き嫌いが激しいから、小原さんは守ってくれないかも……」

 

 メリッサ様と亀宮さんの言い分も確かなんだよな。本体を僕が対応するなんて、初日と同じ抜け駆け行為だ。

 

「あの本体は僕の調査で身元は分かってる。彼女は先立たれた娘を探してるんだ。だから身代わり札を渡せば成仏すると思う。

でも誰かが身代わり札を使えるなら、この役目は譲るよ。でも近くまで行かないと対応出来ないから、危険度は高い」

 

 代われるなら代わって欲しい。全員を見渡すが、誰も名乗り出ない。仏教系のお札だからな。

 キリスト教や霊獣使いに結界師では無理か……

 

「勿論、僕は成功報酬は辞退するよ。群霊を祓うメリッサ様と小原さんを守る亀宮様で分けて欲しい」

 

 基本契約料金で構わない。どちらにしろ彼女達の協力が無いと、胡蝶無双しか対応出来ない。つまり喰うから成仏はしない。

 

「ふぅ、良いわ。小原さんを守れば良いのね?でも保証は出来ないわよ。亀ちゃん男の人が大嫌いだし」

 

「群霊を何とかすれば良いのね?でも榎本さんも手伝いなさいよ。良い所取りなんだから」

 

 この二人が納得すれば、後は簡単だ。お供の方々も頷いてるし。

 

「では今夜は22時30分にフロント集合で。僕は機材を積んだトラックで行きます。皆さんは送迎バスで。高野さん、手配変更宜しくね」

 

 120部屋も廻らなくて良いんだ。開始時間もズラして良いだろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 22時に女性陣より先にフロントに行く。大浴場は使えなかったが、仮眠は出来た。体調は悪くない。

 身代わり札も没年月日を修正した。清めた和紙で折り畳み、解けない様に接着剤で固定。

 先端に購入した水晶をセロテープで固定する。 これは霊力のブーストと、直接彼女に貼り付けずに投げて飛ばせるからだ。

 封筒に石を入れて投げると、3m位は真っ直ぐ飛ぶ。練習したから確実に飛ぶ。

 ヒラヒラなお札をバシッと飛ばせる奴なんて居ない。霊力でお札をファンネルみたいに飛ばせる事なんか出来るか?

 

 物理的に無理だ!

 

 濡れると効果も落ちるからジップロックに入れるのも忘れない。今回の除霊は、この身代わり札が肝なんだ。

 万が一の為に、小原氏の身代わり札も用意した。此方は前回の失敗を踏まえて、間違えない様に何の細工もしない。

 

「榎本さん、夜食用意したよ。お茶と珈琲、それに豚汁を作ったんだ」

 

 装備品を確認してると、大きな寸胴を運ぶ晶ちゃんが……慌てて彼女から寸胴を受け取る。

 

「無理しない。残りは僕が運ぶから、ちょっと待っててよ」

 

 一旦荷物を玄関に並べてからトラックに積み込む。助手席が夜食で埋まったが、他の連中はバスだから構わないだろう。

 

「今夜も冷えるね……でも星空が綺麗だよ。僕、夜空は大好きなんだ」

 

 手を擦り合わせて息を吐きかける。吐く息は真っ白だ。八王子市は東京都だが、周りを山々に囲まれてるし人口の灯りも少ない。

 都内より断然星空が綺麗だ……

 

「榎本さんってさ、お子さんが居るんだね。奥さんも居るんだよね?」

 

「奥さん?まだ居ないよ。子供は、里子制度でね。家族に不幸が有った娘の面倒を見てるんだ。良く出来た娘でね。僕の方が余程面倒を見て貰ってるかな?」

 

 女将さんから教えられたんだろうな。事実だし秘密にする必要も無いからね。

 

「里子?面倒?榎本さん、善人過ぎるって!一体幾つなんだよ!」

 

 善人?

 

 僕が善意で結衣ちゃんを引き取ったかって?まさか、あの美少女ロリを誰かに任せるだって?

 無理無理、ふざけるなって!勿論、善意も有るが全てはロリを愛でる喜びの為。

 

 そう!自分の為に頑張って引き取ったんだ。

 

「ふふふ、僕が善人?まさか……まだ33歳の若輩者さ」

 

「ふーん、33歳なんだ。もっと、その……年上かと思ってたよ」

 

 自分勝手な思いの報復は、晶ちゃんからの厳しい現実だった。思わず大地に跪く……

 

「オッサン……まだ青年のつもりなのにオッサン……僕はオッサンなんだ」

 

「それでねって……なっなんで跪いて泣いてるの?ねぇ僕、そんなに酷い事言った?」

 

 慌てて背中をさすって慰めてくれる。

 

「大丈夫、大丈夫だよ。僕は全然大丈夫だから!ねぇ元気出して、ね?」

 

 大丈夫って言葉は慰めにはならないんだ。大丈夫を連呼するのは余裕が無い慌ててる時だよ。エロい人も言っている。

 

「彼女をホテルに誘う時に、大丈夫大丈夫を連呼するのはダメダメだ。余裕が全く無い童帝(わらべのみかど)だと思われるぞ」

 

 確かに、その通りだろう。立ち上がり深呼吸を数回。夜の冷たい空気を肺に取り入れたら、少しだけ落ち着いた。

 

「うん、僕は大丈夫。まだまだ若いから大丈夫なんだ」

 

 自分を取り戻す事に成功した!

 

「えっと、ごめんなさい。それとお願いがあるんだ」

 

 ぺこりと頭を下げて謝る彼女の頭をポンポンと軽く叩く。

 

「もう平気だよ。うん、全然へ・い・き・さ!それで何だい?お願いって」

 

 10代の娘にとって30代はオッサンなのは仕方ない。そう、仕方ないんだ。

 

「あのね……僕と友達になってほしいんだ」

 

 てっきりお父さんとか言われると思ったが……まだご存命だからかな?友達か、年の離れた異性の友達ね。良いんじゃないかな?

 

「アレ?僕らって、もう友達だろ?」

 

 ふふふ、あははははっ!互いに笑い合う。

 

「うん、榎本さんって良いよね。僕はまだ子供だけど、本当に友達で良いの?」

 

 答える代わりに頭をクシャクシャと撫でる。目を細めて喜ぶ晶ちゃんは、実年齢よりずっと幼く見えた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 男の人でも実年齢って気になるんだな。僕って男女の機微に疎いから、榎本さんを傷付けたみたいだ。

 反省、もう年齢の話はしない。でも榎本さんだって、僕に対して子供扱いだ。頭を撫でるなんて、実の父親にだって何年もされてない。

 でもグローブみたいな手の平は、凄く温かくて優しかった。異性なんだけど、全然イヤらしい感じがしなかった。

 

 つまり僕は、欲情の対象外なんだ。

 

 むぅ、友達だから当たり前だけど何か胸がモヤモヤするんだ。今度一緒に筋トレに誘おうかな!

 いや、アレだけの肉体を維持してるんだし、榎本さんの自宅はマッスル養成器具が沢山有るかも!

 今度、遊びに行かせて貰おう!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「僕っ娘が自宅に訪問フラグが立ちました!」

 

「ん?何だ?話し掛けられたのか……」

 

 キョロキョロと左右を見回すが、民宿の駐車場には誰も居ない。

 

「何だろう?電波でも受信したのだろうか……ヘックション!寒い、中に戻ろう」

 

 

第97話

 

 送迎バスに皆さんが乗り込んだのを確認し、2tonトラックに乗り込む。マニュアル車は久し振りだが、問題無いだろう。

 営業車や工事車両って、何でマニュアル車が未だ有るんだ?価格が少し安いからか?

 オートマチック限定免許なんて有るんだし、最近の若い子なんて乗れないんじゃないのかな?

 送迎バスを先行させてから後ろを付いて行く。助手席に夜食が積んで有るので車内は美味しい匂いに包まれている。

 途中、愛車の脇に停めて必要な資材をトラックに移し替える。さて、いよいよ小原愛子さんと対決か……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 廃ホテルに到着、トラックを建物の入口近くに停める。今回は小原氏も立ち会うので、送迎バスも待機して貰う。

 高野さんに簡易結界を張って貰い、運転手を安心させた。普通は深夜に廃墟となった山奥のホテル前なんかで、待機したくないだろう。

 先に昨日残していった民宿の寸胴やタッパーをトラックに積み込む。トラックの荷台から電工ドラムを下ろし発電機に繋げて、先ずは外側から建物の一階内部を照らす準備をする。

 三脚と投光器をセットしてコードを繋げてから、発電機を起動。低い音を立てて発電機が始動し、投光器の灯りが建物を照らす。

 廃ホテルは昨夜のままの姿を表した。

 

 割れたガラス、動かしたソファー……特に異常は無さそうだ。

 

「さて、初めますか……高野さん、入口付近に結界張って。亀宮さんは小原さんの護衛を。

小原さんはちゃんと亀宮さんの言う事を聞いて下さい。勝手に動くと命の保障は出来ませんよ。メリッサ様、露払いお願いします……」

 

 先ずは入口付近に橋頭堡となる結界を構築。メリッサ様に先行してもらい、雑魚霊を祓って貰う。

 多分怒った小原愛子さんが、昨日と同じ様に現れるだろう。周囲を取り巻く群霊を祓ったら、身代わり札の出番だ。

 手順は全員に教えて有る。拙い連携だが、上手く行くだろう。

 

「では始めようか……高野さん、逝くよ。僕が護衛するから」

 

 簡単に破れる結界なんて張らないでくれよ。ヤバそうなら逃げちゃうからね?そんな思いを言葉に乗せた……

 

「いくよの発音、おかしくなかったかな?榎本さん、特定の女の子にしか優しくないって最低よ。もっと労ってよ!」

 

 逆ギレされた……

 

「いや、裏で色々と僕の悪評を広めてる貴女を見捨てる事なんて……しないけど、対応はそれなりなんだよ。何だよ晶ちゃんから聞いたぞ!

僕が亀宮さんのデンジャラスな胸ばかり見てる、小原さんばりのエロエロ大魔王ってさ?」

 

 ふざけるな、僕はロリ道を貫く修験者なんだ。美女の巨乳には一切の興味が無い。濡れ衣を着せるな!

 

「わっ私は小原さんばりなんて言ってないわ!ただ、榎本さんって巨乳大好きムッツリムッソリーニって言っただけよ」

 

 言い訳する彼女を置いてホテルの入口まで進む。昨夜に張った清めた塩の結界は、綺麗サッパリ無い。

 風に飛ばされた、のか?だが窪みなどにも一切の痕跡が無い。注意して屋内も観察すると、高野さんの張った結界も無くなってる。

 

「遊んでないで仕事モードに切り替えよう。昨夜に張った結界が両方共、無効化されてる。相手は思った以上に知恵が回るか用心深い」

 

 右手に清めた塩を入れたペットボトルを持ち、左手にマグライトを持つ。割れた硝子を踏みしめながら、扉を潜りホテル内へ……内部は身を切る様な寒さだ!

 

「マズいな。初っ端から相手は全力全開かも知れない。高野さん?」

 

「なに?後ろに居るわ」

 

 声の質が違う。どうやら本気モードに切り替えたみたいだ。

 

「一番強力な結界張るのに、どれ位掛かる?」

 

 後ろを向かずに、前を見ながら尋ねる。

 

「此処に?5m四方なら最大出力で1分で張れるわ。でも持続時間は60分」

 

 どうするか、戦闘中に術者を守りながらの1分はデカい。亀宮さんの亀ちゃんと僕の胡蝶で攻めるか?

 警戒してる僕をあざ笑うかの様に、突然浮かび上がるソレ……

 

「現実は何時も非情で想定の斜め上を行くよな。ラスボス自らが入口で待ってるなんてさ」

 

 真後ろに居る高野さんに見える様に体を左にズラす。ロビーの中心にソレは居た……

 

 小原愛子、生前と変わらぬ姿で佇んでいる。

 

 俯き加減で手を前にダランと下げて……パッと見は生きてる人間と変わらない。だが足元が床に埋まってるし、周りに群霊を纏わり着かせている。

 

「うわっ……アレを中心に氷結してるわね。私の結界は断熱性なんて無いわよ」

 

 彼女は一歩踏み出し、僕の隣に並んだ。大した度胸だ、擬態の時の彼女なら逃げ出すと思ったけどね。彼女の評価を一段階上げる。

 

「僕も無理だな……でも亀宮さんの亀ちゃんには、断熱性能が有るんだよね。羨ましいぜ」

 

 睨みっこも、そうそう続かない。小原愛子がユックリと顔を上げて此方を見る。慈愛に満ちた微笑みだが、両目から血の涙を流している……

 

「昨日と感じが違うな……高野さん、一旦下がろう。イヤな予感しかしない」

 

 全てを見透かされてる、そんな感じがする。

 

「分かったわ。前面に結界張るから私の後ろに……危ないと思ったら抱いて逃げてよね」

 

 そう言って僕の前に出る。彼女の評価をもう一段階上げた。アレを防ぐ手立てが有るのか……

 逃げるだけなら後ろを向いての全力疾走も考えた。だが霊感が、それをしたらヤバいと告げている。

 なので警戒しながらジリジリと後ろ向きに下がる。扉を潜り抜ける時に目が合ってしまった。

 微笑んでいるのに背中に氷柱を突っ込まれた感じがした。凄い悪寒と冷や汗がどっと吹き出す、寒いのにだ!

 

 建物の外側に出て一息。

 

 高野さんを見れば、両の手を広げ指の間に色々な宝石を挟んでいた。宝石一つ一つに、かなりの力を感じる。コレが彼女の切り札か……

 

「何よ?私の隠し玉を見たわね」

 

 水晶だけでなく色々な宝石が有るんだな。

 

「随分とコストパフォーマンスの悪そうな術だな。宝石を操る霊能力者か……聞いた事が有るよ。それが君か……」

 

「ふん!パトロンが居ないと真価を発揮出来ないのよ。コレだけで家が建つのよ。ヤバいと感じたから使ったんだから、感謝してよね」

 

 一旦撤退して方法を考えようとした時、僕らの脇をフラフラと小原さんが歩いていった?

 

「なっ?おい、待てよ!」

 

 スルリと僕の腕をかわし、建物の中へと入ってしまう。振り向けば亀宮さんが頬を抑えてしゃがみ込んでおり、亀ちゃんが威嚇している。

 小原氏は亀宮さんを殴って建物に入ったのか?

 

「小原さん、魅入られたぞ!ちっ施主を見捨てる訳にはいかないか!」

 

 本音は嫌だが、もう一度建物の中に入る。やはり身を切る寒さだ。歯がガチガチと言う事を聞かないんだぜ!

 

 小原さんを抱き締める小原愛子さん……

 

 字面が変だが、元夫婦の抱擁としては普通の光景だ。ただ一つ、生者と死者とを抜かせばね。彼女は小原氏を抱き締めたまま、床へと沈んでいった……

 

「馬鹿な……大の大人を床抜けさせるって、ドンだけ強力なんだよ?」

 

「あらあら大変だわ」

 

 頬を抑えているが、少し赤くなってるだけで酷い怪我は負ってない。

 

「亀宮さん、大丈夫かい?全く、僕は事前準備・調査をしてから事に及ぶ慎重派なのに。仕方無いか……」

 

 此処で見捨てれば翌朝小原氏の死体が発見されるだろう。場当たり的に突撃なんて主義に反するが、施主を見捨てる訳にはいかない。

 トラックに積んでいる荷物を取りに外へ出ると、皆さんが集まっている。トラックの扉を開けて荷物を取ろうとすると、メリッサ様が騒ぎ出した。

 

「榎本さん、逃げるの?私も嫌よ、アレの相手は……物理的に不可能な床抜けしたのよ。一人で逃げないで、私達も連れて行きなさいよ!」

 

 運転席に置いてあったワンショルダーを掴む。それとランタンを四個持つと

 

「放っておけば、明日の朝には小原氏の死体が発見される。僕は彼を助けに地下室に行くよ。君達は自由意志で決めてくれ。時間が無いんだ!」

 

 そう言って走り出す。入口には亀宮さんと高野さんが居る。

 

「君達はどうする?僕はこのまま地下室に行く。行かないなら……僕が戻らなければ、明日の朝に警察に通報してくれ!」

 

「私は一緒に行くわよ。乙女の顔を殴ったんですもの。責任は取らせないと……」

 

 亀宮さん、マジで怒ってる?それとも突撃班に入る照れ隠し?

 

「私も行くわよ。専属なんだし見捨てる訳にはいかないの。護衛対象を見捨てたなんて噂が広まれば、私はお終いよ!」

 

 此方は仕事に対しての意地とプライドか。でも心強いメンバーだ。

 

「時間が無い。小原さんは地下室に連れ込まれた。このホテルの地下は設備階になってる。

エレベーターホールの脇に階段室が有り、降りられるだろう。単独行動は危険だ。一緒に行動しよう!」

 

 マグライトを点けて室内をざっと確認する。霊は居ないし、小原氏の連れ去られた場所も床に穴など開いてない。

 どうやって床抜けしたのか不思議だが、今はそんな事を考える余裕は無い。

 

「行くぞ!」

 

 僕等は走り出した!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 エレベーターホール脇の階段室の扉を開けて、下に降りる。冷気はさほど感じないが、真っ暗闇なのが行動を制限させるだろう。

 入口・踊場・降りきった場所にランタンを置いて灯りを点ける。念の為にケミカルライトをくの字に曲げて落とす。

 

 仄かな灯りが暗闇を照らす。

 

「脱出場所は、この階段だけだ。逃げる時の目印だよ。此処からは虱潰しに見て回るしか無いんだが……」

 

「榎本さん、亀ちゃんが彼方から嫌な感じがするそうです」

 

 既に具現化した亀ちゃんは、亀宮さんの前に浮かび鎌首を前方に向けている。廊下のサインを見れば、奥は空調機械室か……

 

「流石は亀宮さんと亀ちゃんだ。急ごう!」

 

 廊下を真っ直ぐ10mも走れば、行き止まりに鉄製の両開き扉。共用部分のマスターキーで開ける事が出来た。

 近くに有った消火器で扉を固定し、最後のランタンを点しケミカルライトも使う。マグライトで機械室内を見回すと……

 

「結構広いな……それに障害物が多くて見渡せない。亀宮さん、どっちか分かる?」

 

「奥ですわね……でも榎本さん、私達は歓迎されてないわよ。周りを見て下さる?」

 

 周り?マグライトの明かりで周囲を照らすと、何体かの影が揺らめいて居る。

 

「団体さんの妨害か……亀宮さんと僕を先頭に奥へ走ろう。個別に対応してたら間に合わないぞ」

 

 左手首の数珠を外し一歩前に出る。正面で道を塞いでいる影達が、徐々に姿を現して行く。

 多分だが、周辺に漂う浮遊霊達なんだろう。しかも小原愛子が求めている女の子以外の連中だ。

 影から今は容姿・性別が分かる位に具現化した連中。見覚えのある冴えない中年の男性。

 

「最初の自殺者のアンタも捕らえられたのかい?望月宗一郎さんよ」

 

 確認出来る三人の内、真ん中の男は調書で見た顔だ。借金苦で此処で自殺した男……

 その両脇には、老婆と若い男が立っている。此方に見覚えは無い。

 

 望月宗一郎と呼ばれた男が、苦しそうに手を差し伸べて来るが……

 

「胡蝶、頼む」

 

 左腕を凪払う様に振ると、奴は霧散した。残りの若い男を触ろうとすると、亀ちゃんが頭を巨大化させて丸呑みにする。

 

 思わず一歩下がる。コイツ、僕ごと食べようとしなかったか?

 

 グチャグチャと咀嚼音をだしながら老婆も丸呑み……流石は霊獣、半端無い強力さだ!

 

「榎本さん、急いで!周りを囲まれてる気がするの。先を急ぎましょう」

 

「アンタ等凄いね。もう私、空気じゃん」

 

 女性陣の言葉に両方納得し頷く。

 

「急ごう、既に5分以上経ってる。ヤバいかも知れないぞ」

 

 小原さん、無事で居てくれよ!

 

 

第98話

 

 小原愛子の霊を確認し、娘の七海ちゃんの身代わり札を使い彼女を成仏させようと試みた。元旦那の小原氏にも、最後に立ち会って貰おうと思ったが裏目に出たらしい。

 彼女は、小原愛子は表情こそ変えてなかったが血の涙を流していた。これが意味する事は分からないが、小原氏は攫われた。

 大の大人を床抜けさせる程の強力な怨霊に変化した彼女に、どう対応出来るだろうか?

 時間が無い、小原愛子は元旦那の事を恨んでいたんだ。自殺の動機は浮気だが、娘を殺し後追い自殺をする位に彼女も病んでいたから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ホテル全部の空調を賄うんだ。デカい設備だな……」

 

「関心してないで下さい。この先が最も不吉な感じがします」

 

 冷水だとか温水と書かれた配管がウネウネ有る場所を亀ちゃんの勘を……いや感覚を頼りに進んで行く。途中、3体程胡蝶に食べさせたが問題は無さそうだ。

 

「榎本さんの左腕も大概だけどさ。亀ちゃんて何でも出来るのね。もしかしたら乗って飛べる?」

 

 高野さんの質問に軽く「出来るわよ」って言われたから本当にビックリした。人間を床抜けさせる奴も居れば飛ばせる奴も居るのか……

 

「亀ちゃんの感覚は正しかったよ。見てごらん……」

 

 マグライトの強力な光で照らす先には、座りながら小原氏を抱き締めるソレが居た。愛おしそうに彼の頭を撫でている。

 小原氏を観察すれば、軽く凍傷っぽいし服の上にも霜が下りてるけど呻き声が聞こえるから……

 

「どうやら間に合ったな」

 

 あの様子じゃ探し求めていたのは小原氏だったみたいだな。彼女の浮かべる慈愛に満ちた微笑みは、邪悪な感じがしないけど……

 

「彼女、悪い感じと悲しい感じが入り混じってるわね……榎本さん、どうします?亀ちゃんを突入させましょうか?」

 

 亀宮さんも、彼女達の様子に考えさせられたか?ただ亀ちゃんに喰わせるのも、何か釈然としない。

 

「でも、アレじゃ小原さんの寿命は10分位よ。彼女は冷気を纏ってる。

人間はね、低体温症になると20分位でも死に至る。痛みも苦しみも無いらしいけど、彼を昇天させる訳にはいかないのよ」

 

 低体温症?高野さんも難しい事を知ってるな。

 

「最初のプランで行こう。七海ちゃんの身代わり札を彼女に仕掛ける。

注意が逸れたら小原さんを引き剥がして逃げる。僕の考えだと、彼女は七海ちゃんだけじゃ満足しない。

必ず小原氏も欲しがるだろう。念の為に、小原氏の身代わり札も用意したんだが……」

 

「身代わり札を使えるのは榎本さんだけ。つまり仕掛けるのも足留めも榎本さんだけ。

誰が、小原さんを逃がすの?私達はか弱い女の子なの。大の大人を担いでなんて逃げられない」

 

 そうなんだ……

 

 僕なら小原氏を担いでも走って逃げれる。だが誰が彼女に七海ちゃんと元旦那の身代わり札を使うか……

 

「私の亀ちゃんが小原さんをくわえて逃げるわ。でもそれだと私は他に何も出来ないわよ」

 

「じゃ私が自分と亀宮さんを結界で守るわよ」

 

 ん?でもそれだと……

 

「「榎本さん、後を宜しくお願いね」」

 

 だよね、そりゃそうだけどさ。亀宮さんも高野さんも酷い気もするが、実際それが最良なんだ。

 

「分かった、僕の責任でも有るからね。じゃ七海ちゃんの身代わり札を使うから、逃げるタイミングを間違えないで!」

 

 ポケットから七海ちゃんの身代わり札を取り出す。七海ちゃんで間違いない事を表紙で確認した。ゆっくりと霊力をお札に注ぎ込んで行く。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく。小原七海の霊よ、母親に呼び掛けろ」

 

 限界まで霊力を注ぎ込み、貼り付けた水晶にも霊力を満たしていく……ヨシ、満タンだ。

 

「小原七海の霊よ。母親に呼び掛けろ!」

 

 お札を人差し指と中指で挟み込み、フリスビーの要領で小原愛子の方へ投げる。水晶が重石となっている為に、回転しながら身代わり札は小原愛子にぶつかった。

 軽い音を立てて、小原氏の胸へと落ちた。身代わり札は力を発動し、淡い人型の影を形成する。

 上級者は生前の姿をも模すが、僕ではアレで精一杯だ。ただ、霊は本質を見るので騙される……らしい。

 一瞬、小原愛子の表情が歪み、そして柔和な笑顔になった。

 

「ああ、七海……貴女も来てくれたのね?悪い娘。貴女の所為で私は、この人から疎まれた。

貴女を身ごもってから、この人は私から遠ざかった。だから私……私達の幸せの為に……貴女を先に殺したのに……」

 

 七海ちゃんの身代わり札を両手で掴み、独白し始めた小原愛子。だが内容は寵を失った原因を自分の娘の所為にしている。

 女癖の悪い小原氏が、妻が妊娠中に浮気に走ったのは想像に難しく無い。妊娠中はブルーになるらしいし、その事を深く考えてしまったんだな。

 

 つまり、彼女は病んでいたんだ!ヤンデレさんだったのか!

 

「亀宮さん、亀ちゃんを!早く」

 

 ハッとして亀ちゃんに命令する亀宮さん。僕と同じく彼女の独白に聞き入ってしまったな?自身の体に纏わり付いていた亀ちゃんを右手でシッカリ指差す先に突撃させた!

 

「亀ちゃん、お願い」

 

 亀宮さんの命令により亀ちゃんは首を伸ばして小原さんの足首に噛み付き、そして引っ張り出した。まんま噛み付き亀じゃん!

 

「ああ、私の愛しいアノ人が……待って、私達……親子三人……今度こそ幸せに……なるの……に……」

 

 右手を伸ばし五指を開いて小原氏を掴もうとする。柔和だった表情が悲しみから怒りに変わる。

 

「私達の幸せを邪魔するなんて……お前達、殺してやるわ!」

 

 七海ちゃんのお札を左手に持った愛子さんが、のっそりと起き上がる。急いで身代わり札を……小原さんの身代わり札を用意しなければ!

 

 右手に小原さんの身代わり札を構えて……

 

「榎本さん、待ってくれ!妻に、愛子に酷い事をしないでくれ」

 

 僕は、一瞬の呼び掛けに体が固まってしまう。だが、小原愛子が僕の脇をすり抜けて行こうとするのを身代わり札を持った右手で小原愛子を掴み止める。

 彼女の顔を小原氏の身代わり札を挟んで右手で鷲掴みにした……だが!

 

「くっ、ドライアイスみたいに冷たいぞ……指が千切れそうだ。

だが……おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱え、小原氏の身代わり札に霊力を注ぎ込む。満タンまで注いでから、身代わり札を発動。

 彼女の顔面を掴んでいた右手を放そうとするが、凍り付いた手は離れない。

 

「ちっ、畜生め!」

 

 汚い言葉が出てしまったが、根性で張り付いた手を強引に引き剥がす。メリメリと嫌な音を立てながら、右手が離れた。指先五本とも皮膚を持ってかれたか?

 

「あは、あははは。私達……一緒……一緒なのよ……ずっと、ずっとよ……あははは……」

 

 彼女は僕の血で汚れた顔で狂った様に笑う。二つの身代わり札を胸に抱き締めながら、小原愛子は狂った様に笑い続けた……

 暫く笑い続けると、徐々に姿が薄くなっていく。暫く見守り続けたが、遂に消えてしまい身代わり札が床に落ちた。

 

「榎本さん、彼女は成仏したのかしら?あの、狂った笑い声は暫く忘れられないわ」

 

 亀宮さんが、ハンカチで僕の右手をくるんでくれた。高級そうな花柄のハンカチが僕の血で直ぐに真っ赤になる。

 

「高野さん、悪いが身代わり札に清めの塩を振りかけて燃やしてくれないか。それで完了だ」

 

 床に落ちていたペットボトルを拾い上げて、パラパラと身代わり札に振りかける。

 

「私、ライター持ってないわ。誰か持ってる?」

 

 小原さんを見るが、首を振った。この中で喫煙者は居ないからな。

 

「コレ、使いましょうか?」

 

 亀宮さんが、発煙筒を取り出した。そう言えば初日にあげたっけ?蓋を外し発火部分を擦り付ける。

 ジュワっと言う音と共に火花が飛び散る。ちゃんと火傷しない様に水平に持ってるのは流石だ……

 僕の血で濡れていた身代わり札も、発煙筒の強力な火力で徐々に燃えていった。周囲に異臭を放ちながら直ぐに燃え尽きて灰だけとなる。

 

「あら?これって水晶ね……あの火力で燃えないなんて、凄いわね」

 

 重石として使った水晶が焦げもせずに残っていた。拾い上げる高野さん。彼女は宝石を扱う霊能力者だし、気になるのか?

 

「小原さん……色々と手違いが有りましたが、彼女は小原愛子さんは成仏した筈ですよ。さぁ戻りましょう」

 

 座り込んだ小原氏に話し掛ける。呆然としていたが、成仏と言う言葉に反応し此方を向く。その顔は、後悔と苦悩だろうか?

 

「愛子は、妻は……本当に成仏出来たのか?ああ、七海は七海はどうなんですか?私は、愛子に抱かれて……

あのまま死んでも良いとさえ思った。だが、あの最後に狂った笑い声は……本当に、愛子は……」

 

 しゃがみ込み両手で床を掴む様にして泣いている。家族の死の苦しみは良く分かるが……

 

「仏教では、人は死ぬと生前の罪を十人の裁判官に満二年かけて裁かれます。良く言われる閻魔王も含まれる十王です。

初七日の秦広王(しんこうおう)から始まり、三回忌の五道転輪王(ごどうてんりんおう)までいらっしゃいます。

彼女の罪は重い……ですが供養により減刑される事も有ります。

供物が高価だったりですね。所謂、地獄の沙汰も金次第です」

 

 左手の親指と人差し指で丸を作るジェスチャーをする。

 

「みっ身も蓋も無いわよ。榎本さん、本物のお坊様なんだから少しオブラートに包んで下さいよ」

 

 高野さんから突っ込みが入りました。はい、ココからが坊主の説経の真髄です。良く聞きなさい。

 

「ですが、それでは金持ちだけが極楽に行ってしまう。だから、本当は遺族の祈りが大切なのです。小原さん、貴方は愛子さんの罪を少しでも減らしたいと思いますか?」

 

 遺族の供養、しかしオヤジさんと元旦那の貴男しか居ないんだよな。

 

「勿論だ!私は彼女を本当に愛していたんだ。私、私は……」

 

 立ち上がり力説する所を見ると、あれだけの仕打ちをされたのに彼女を恐れなかったのか……

 

「ならば……近くの集落の食堂のオヤジさんに、今夜の事を報告し共に供養して下さい。

それが、彼女の罪を減らしますよ。さて、引き上げましょう。

僕は……右手がですね、そろそろヤバい位に痛いんだ。医者に行きたいんです」

 

 亀宮さんに止血してもらい、空気を読んで話を纏めたが……そろそろ我慢がね、限界に近いんだ。

 

「そうだわ!

早く出ましょう、皆さん心配してますわ」

 

「ああ、そうだな。亀宮さん、高野……それに榎本さん、有難う」

 

 何か吹っ切れた感じの小原さんの笑顔は、女癖の悪い感じは薄れていた。

 

「感謝の気持ちは、報酬で表して欲しいです。今回、結構宝石使って赤字なんですよ」

 

「全くですわ!私を殴ったのですよ。乙女の柔肌に傷をつけたのです。

ちゃんと責任を取って貰いますから。勿論、お金です!責任取って結婚とかほざいたら亀ちゃんに噛ませますからね!」

 

 小原氏を真ん中、左右に高野さんと亀宮さんが彼を支えながら歩いて行く。ちゃっかり報酬の話をする辺りが、二人ともしっかり者だよ。

 僕は報酬要らないって言ったからな。基本契約の賃金と、この怪我の補償だけか……

 

「やれやれ、やってられないな」

 

「全くだ。正明、手を見せろ」

 

 巫女服を着た胡蝶さんが、左手にぶら下がっていた。黙って右手を見せると、小さく真っ赤な舌でペロペロ・チュパチュパと舐めてくれる。

 少し気持ちが良いのは、僕だけの秘密だ!

 

「ああ、完治はしないでくれよ。小原さんから補償を貰うんだし、傷が直ぐに治ったら不思議がられるから……」

 

「今回は我も悪かった。あんな情欲で悪霊化するとは気付かなかった。

正明も無理するな。我の為に一族を増やすのがお前の使命なんだぞ!」

 

 上目使いで、こんなに心配されたらクラックラッとトキメキます!初めて服を着た、しかも僕オーダーの巫女服美幼女だ。

 

「彼女を喰わせる事は出来なかったけど、また手頃な悪霊を探そうな」

 

 そう言ってしまうと胡蝶はニパっと笑って左手首に入っていった。右手を見れば、凍傷っぽかった感じがなくなりスムーズに動かす事が出来る。

 皮は捲れたままだが、時間を掛ければ完治するだろう……

 

 僕は外に出る為に、ゆっくりと歩き始めた。

 



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第99話から第101話

第99話

 

 胡蝶と少し心を通わせて外に出ると、小原さんを囲み皆が何が有ったのかを聞いていた。

 結局、あの場で突撃したのは僕・亀宮さん・高野さんの三人だけだった。だが一応全員残ってくれていたみたいだ。

 送迎バスも見えるから、運転手も居るのだろう。小原氏も、女性陣に取り囲まれてご満悦みたいだけどさ。

 他にやる事有りますよね?僕は怪我人だから、早く救急車とかさ。色々有るよね?

 

「ああ、榎本さん。すまない先に行ってしまって。私も色々と経験して考えさせられたよ。有難う、君のお陰だ」

 

 にこやかに握手を求めてきたけど、僕は怪我人です。右手は怪我してるし左手は胡蝶さんが宿ってる。仕方無く右手をヒラヒラと見せる。

 

「いえ、ご希望に添えて良かったです。僕は手がこんなですし、医者に行きたいのですが宜しいでしょうか?」

 

 場の雰囲気を壊さない様に控え目に言う。胡蝶の治療で凍傷の心配は無くなったが、薄皮一枚全て剥がれてるから痛いのです。

 

「ああ、すまない。忘れてた。高野、榎本さんを連れて医者に。念の為、私も医者に行こうかな。右足首の付け根が妙に痛いんだよ」

 

 グリグリと右足首を回しながら首を傾げている。アレだけ元奥様に抱かれていたのに、凍傷になってないのか?

 確か服が凍り付いてた筈なのに……右足首は亀ちゃんが思いっ切り噛んでたからな。

 だけど車は二台しか無いんだよね。送迎バスとトラック。マニュアル車だから右手が使えないと運転が難しいぞ。

 

「榎本さん、送迎バスで小原さんと医者に行きなさいな。今夜は私達が夜通しホテルを見張るわよ。民宿から夜食も用意して貰ってるのに、食べずに帰るのも気が引けるし……

明け方に送迎バスを寄越して下さいな。ちゃんと機材も積んでトラックも運転して帰るから安心なさいな」

 

 メリッサ様がばつが悪そうに提案してくれた。最後の最後で逃げ出してしまったから、気が引けてるのかな?

 何時もの勝ち気さと、自信に溢れた笑顔が無い。だが折角の善意を受けない事は無い。

 

「ありがとう。ラスボスは昇天したけど、他にも残っている霊が居るかも知れないね。

無理せず建物の外から見張れば良いよ。小原さんも、このホテルは解体するって言ってたし……

無理矢理集められた霊達だから、ラスボスが消えれば霧散するだろう。問題は無いと思うけど、念の為に宜しくお願いします」

 

 元々は丹波の尾黒狐が集めた霊を小原愛子が拘束していたんだ。両方居なくなれば、自然に散るだろう……

 やっと廃ホテルの霊障に関しては終わった。

 

 残りは神泉会だけだ……

 

 小原氏の信用は得られたと思うから、此方も何とかなるかな?マダマダ終わらない今回の騒動に溜め息が出る。

 

「さぁ榎本さん。バスに乗りますわよ。メリッサさん、後はシッカリとお願いしますわ。あと貴女達も彼女の言う事を聞いてね、シッカリとね?」

 

 僕の右腕を抱え込み、メリッサ様にチクリと毒を吐く亀宮さん。物凄くご機嫌だ。

 それとお供の二人も居残り決定らしい。対照的に悔しそうなメリッサ様。僕まで睨み付けられてるし……

 やはり二人は仲が良くないのかな?でもお供の二人を頼む位だし、信頼してなくても信用してるのか?

 確かに自分の力量を考えて無理はしない?いや2000万円なら死ぬ気で頑張るとか聞いた様な……

 

「ほら、榎本さんも早く乗りなよ。バスの運転手さんが、救急指定病院を知ってるって」

 

 既に小原さんと一緒に乗り込んでいる高野さんが、タラップから身を乗り出して呼んでいる。つまり突撃組は僕と病院に同伴、先に民宿に帰る訳ですね。

 んで待機組は朝まで現場待機な訳だ。

 

「ああ、今行くよ。メリッサ様、後を頼みますね。では!」

 

 良い様に亀宮さんに言われ憮然としたメリッサ様にお願いして、廃ホテルを後にする。やっと医者に行けるね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 救急指定病院は、八王子市民病院らしい。ここから20分位だそうだ。広いバスの最後尾に亀宮さんと並んで座り、一つ前の座席に高野さん。

 その前に小原氏が座っている。小原氏は疲れて眠っているみたいだ。亀宮さんがウエットティッシュで右手の傷を丁寧に拭いてくれる。

 一応バスには救急箱も有り、この後マキロンで消毒してくれるみたいだ。だが、ズル剥け因幡の白兎状態だから結構しみるんだ……

 応急手当て状態をニヤニヤしながら見詰める高野さん。その手には、あの水晶が光っている。

 

「榎本さん、この水晶をどうやって手に入れたのよ?霊力との親和性が極端に高いのよね」

 

 そう言えば数珠とかもそうだが、水晶は僕の霊力を込め易い気がする。それも商品棚に陳列されていた物に、片っ端から霊力を送って確かめたんだ。

 

「ん?普通に風水ショップで買ったんだよ。25000円で」

 

 怪しいマダム道子の店で買ったんだが、そんなに凄いのか?

 

「何で、この水晶を選んだの?私だって色々な店を巡って自分の足で調べても、ここまでの物は中々無いのよ。しかも25000円って何よ!滅茶苦茶安いじゃない」

 

 宝石としての価値は分からないけど、大きさや透明度はイマイチじゃないのかな?25000円以上の価値が有るかは、僕には分からないけど……

 

「その水晶を選んだのは晶ちゃんだよ。もう一つ紫水晶も有ったけど、彼女の好みにしたんだ。勿論、霊力のブースター目的だから自分も霊力を溜め易そうな石を選んだけど……」

 

 紫水晶の方も感覚的には性能は同じだと思う。高野さんは驚いた顔をして、溜め息をついた?

 

「もう一つ?同じ位の性能の水晶をもう一つ?何故、買わないのよ!馬鹿なの?」

 

 偉い言われようだ。僕の除霊スタイルに宝石は余り関係無いのだが、価値を知る人には大問題なの?分かる人には分かるみたいな?

 

「僕は使い捨てのつもりだから、一つで良かったの。店を教えるから自分で買いに行きなよ。八王子駅前通りの雑居ビルに有る、マダム道子の店だよ」

 

 さっきよりも驚いている。マダム道子って有名人なのか?

 

「マダム道子!彼女は風水の高名な導師なのよ。

業界人には殆ど品物を流さないので有名な偏屈ババァなのに、何故榎本さんは売って貰えたのよ?それに何故、彼女がこんな近くに店を……」

 

「うわっ!しっしみます、しみてます亀宮さん」

 

 忘れていたが、亀宮さんが自分の膝にタオルを敷いて僕の手を乗せて……マキロンをバンバン吹き付けていた。

 手首をガッチリ抑えられてるので逃げられない。

 

「榎本さん、晶ちゃんをそんなお店に連れてったんだ?ふーん、二人きりでデートかしら?」

 

 散々消毒されタオルを巻かれて漸く解放された。有難うとお礼を言うが、少し不機嫌そうだ。

 

「いや高野さんに水晶くれって言ったら断られてね。それで晶ちゃんに聞いたんだよ。近くで水晶を扱う様なお店を知らないかって?

民宿の買い出しを手伝うなら、送ってくれるからってさ。でもタウンページに載ってたぞ」

 

 浮気者の言い訳みたいに感じるが、晶ちゃんとはその様な関係じゃないし。亀宮さんだって僕の彼女じゃないんだし。

 

「タウンページ?まぁ良いか。榎本さん、この水晶頂戴!」

 

 目がね、金マークになってるんだ。多分だが同業者には高値の品物なんだろうな……

 

「うーん、必要経費で小原さんに請求するから。彼に了承して貰えれば良いよ」

 

 仕事で使った物だから、所有権は小原氏に有るからね。暫くして救急指定病院で有る八王子市民病院に到着。

 夜間窓口で受付をして当直の医師に見て貰う。僕は仕事に挑む時は国民健康保険証も用意してるから保険対応で安く済む。

 綺麗に剥けた皮は3週間位で元に戻るらしい。労災にはせずに、医療費は全て小原氏が負担する事になった。

 後遺症が残る心配も無いので了解する。だが暫くは片手が使えず不自由な生活だ。

 因みに小原氏は保険証は持ってなかったが、金持ちだから全額現金払いだ。

 症状として足首に大きな動物に丸かじりされた様な歯形が付いており、医者も頭を悩ませたそうだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 治療を終えて民宿「岱明館」に戻る。時間は午前3時。悪いとは思うが晶ちゃんの携帯に電話をする。

 

「うーん、榎本さん?今夜も早かったね……今鍵を開けに行くから待って」

 

 深夜に起こしてしまい悪いとは思う。暫く待つと玄関が明るくなり扉が開いた。

 

「お疲れ様……って榎本さん?右手どうしたの、包帯だらけじゃん!」

 

 アディダスの上下ジャージに褞袍(どてら)を羽織った晶ちゃんに驚かれた!年頃なんだし、上下ジャージはどうよ?

 

「うん、指の皮が捲れちゃってね。全治3週間かな?でも仕事は今夜で大体目星がついた。他の連中は5時過ぎ戻りだけどね」

 

 僕等が話してる脇を抜けて小原氏達は民宿内に入って行った。一応声を掛けておく。

 

「小原さん、居残り組は5時過ぎ戻りだから朝食は7時です。それまでは自由ですから……」

 

 因みに彼の部屋は僕の隣だ。男女で階層を分けたので例外は無し。片手を上げて了承し、フラフラと部屋に入って行った。

 

「榎本さんも早く入って!此処は寒いから。で、手は平気なの?冷やすなら氷とか有るよ」

 

 純粋に心配してくれてるんだな。つい彼女の頭をクシャクシャと撫でてしまう。

 

「医者に見せたから平気だよ。お風呂に入るのにビニール袋と輪ゴムが欲しいんだ。湯船には浸からないけどシャワー位は浴びたいんだ」

 

 目を細めて撫でられるままの彼女。最近、撫で癖がついたか?残念ながら、ナデポでもニコポでも無い。

 

「部屋に持ってくよ。少し待っててね」

 

 パタパタと奥に走って行く彼女を見送りながら、一応玄関の鍵を閉める。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 片手で体を洗うのが、こんなに面倒臭いとは思わなかった。これから大変だよ。

 頭を洗うのも四苦八苦だが何とか終わり、少しだけ浴槽に浸かろうと思ったら誰かが入って来た。

 此処は男湯だし、小原さんか?湯煙の中から現れたのは、前をタオルで隠した50代の男性だ。

 

 イメージは板前さん。

 

 角刈りで割とガッシリした体系、お腹まわりに少し贅肉が……あれ、晶ちゃんのオヤジさんか?

 

「榎本さんですね。娘から色々聞いてます。何でも片手が使えず難儀してるからと……良ければ背中を流しますよ」

 

 表情は優しい。

 

「ああ晶ちゃんのオヤジさんですね。有難う御座います。何とか洗い終わりました。軽く温まったら上がりますから大丈夫です」

 

 そう断ると、そうですかと言ってオヤジさんも体を洗い出した。もしかしたら仕込みとかで今まで仕事だったのか?

 体を洗い終わり隣に入ってくる。湯船は6畳位の広さだから男二人でも平気だ。

 

「ふーっ、榎本さんは凄い体をしてますな。しかも傷だらけだ。相当の修羅場を潜ってますかな?」

 

 確かに大小・新旧の傷が全身に有るよな……

 

「ああ、気を悪くしたならすみません。体が資本な仕事ですから鍛えてはいますが、今回みたいに怪我も多くて……」

 

 一般の人々には見るのが嫌な体だろうか?でも刺青とかは無いから、サウナも銭湯も平気なんですよ。

 

「いえいえ。羨ましい肉体ですよ。

晶がね、あんまり榎本さんの話ばかりするのでね。どんな人物かと気になりまして……

礼儀正しく真面目な人で安心しました。晶は、気難しい娘ですが宜しくお願いします」

 

 何だろう?話が変な方向に向かってないかな?イヤイヤ、深読みし過ぎだろ。

 女将さんにもちゃんと説明してるんだし大丈夫な筈だ。此処は誤解の無い様に、大人の対応で行こう!

 

「彼女は良い娘に育ってますよ。思いやりが有って優しいし、家業も手伝っている。

自慢の娘さんなんじゃないですか?では、お先に失礼します……」

 

 そう言って掛け湯をして浴室を出た。

 出掛けに振り返りオヤジさんに頭を下げたが、最初の通りの優しい表情だった。初めてオヤジさんと話したが、彼女はご両親に大切にされているのが分かる。

 うーん、造形は綺麗だし胸は無いが化粧をして服装に気を使えば美人さんに化けると思うな。

 まだ二十歳前だし、親御さんとしては心配なんだろう……苦労しながら体を拭いて寝間着に着替える。

 備え付けのドライヤーで乾かすが、短髪だから乾きも早い。髭は剃れなかったが、電気ひげ剃り持参だから問題無いな。

 ビニールを剥がして調べてみるが、包帯は濡れてなかった。起きたら薬を塗って包帯を交換か……

 胡蝶に頼んで治して貰いたいが、彼女の存在も秘密だし怪我が直ぐ治るのも異常だ。

 

 我慢しよう……布団に潜り込むと、直ぐに睡魔が襲って来たぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今朝はちゃんと自分で起きて身嗜みも整えた。髭も剃り髪型も整えて大広間に向かう。

 どうやら僕が最初らしく何時もの指定席に座ると、廊下が騒がしくなってきた。どうやら皆さん無事に帰っていたんだな。

 

「おはよう、榎本さん。傷の具合はどうかしら?」

 

 亀宮さんは浴衣の上に丹前を着ている。風呂上がりらしく髪をアップにしているな。

 

「大分良いよ。でも暫くは不自由するかもね」

 

 配置は昨日と一緒みたいだ。他の皆さんも風呂上がりらしく、華やかな朝食会場になりそうだね。

 因みに小原氏は朝からキッチリと背広姿です。食事の前に小原氏から話が有るそうだ。

 一応解決だし、廃ホテルの解体もマダマダ先の話だろう。今回の合同除霊も一旦解散かな?

 女将さんと晶ちゃんが忙しく料理を運んでる。

 

 今朝の献立は……

 

 塩鮭・温泉玉子・湯豆腐・湯葉刺し・厚揚げの煮物・カボチャのサラダ・切り干し大根・納豆そして蜆(しじみ)の味噌汁だ。

 見事に片手では食べ辛い献立……ポロポロ零さない様に頑張らねば!

 

「はい、榎本さんは特別だよ。食べ易い様にしたよ」

 

 晶ちゃんが僕の前に並べてくれるのは……おにぎり10個・切り分けられたステーキ・ゴボウのサラダ・白菜の漬け物に蜆(しじみ)の味噌汁だ。

 ちゃんとコーラが有るのはご愛嬌?箸じゃなくてフォークが添えてある。

 

「ありがとう。これなら左手だけでも食べられるよ」

 

 全員の朝食の用意が出来たみたいだし、小原氏の話がそろそろ始まるかな……

 

 

 

第100話

 

 取り敢えず廃ホテルでの除霊は完了した。

 小原氏的にも、前妻の霊が成仏したのだから成功と思って良いだろう。上座の彼は我々に言葉を掛けるみたいだ……

 

「えー皆さんのお陰で、私の所有するホテルでの怪異は沈静化したと思う。先ずは、ありがとう。

あのホテルは解体する予定だ。一旦収まった霊障だが、再発の恐れや噂による風評も有るだろう。

また仕事を依頼すると思うが、その時は宜しく頼む。今回の依頼は此処で終了だが、この民宿は今日まで抑えている。

夕食は盛大に行うので楽しみにして欲しい。

私は仕事で夜まで戻らないが皆さんはゆっくり静養して欲しい。以上だ」

 

 上機嫌で労いの言葉を頂きましたよ……取り敢えず拍手をする。僕に追従して疎らな拍手が起こった。

 ふむふむ、女性陣には受けが良くないのか?多分、大体の真相は皆さん気付いてるんだな。

 旦那の浮気が元で自殺した前妻に祟られたんだし。でも仕事を請けたんだし、表面上は愛想良くしなよ。

 気を使った、労いも兼ねての宴会か……確かに居残り組に、朝10時チェックアウトは辛いだろう。

 小原氏も女癖の悪さを抜けば、案外良い人?だが僕は機材を返して愛車の修理用のレッカー車の手配と色々忙しい。

 小原氏の話の後に自由解散となり、僕は一旦部屋に戻った。

 

 伝票を持ちトラックへ行き、荷台の荷物の数量を確認する。発電機・投光器・三脚・電工ドラムと全て有る。

 助手席に置いていた寸胴も無いのは民宿に返したんだろう。トラックの外観もチェックしたが傷も無い。

 伝票に載っていた電話番号に連絡し引き取りの手配、午前中でお願いする。次にディーラーにレッカー車の手配を頼み修理を依頼。

 右手負傷で運転出来ないので「岱明館」まで来て貰い案内をする手筈にした。到着は11時位だそうだ。

 

 一連の手配・連絡をしてから自宅に電話する。

 

 除霊作業完了の報告を兼ねて結衣ちゃんと話せるかなって……10回程コールしたが出ない?

 仕方無いので、結衣ちゃんと桜岡さんにメールする。

 

「自宅に電話したけど不在だったのでメールします。八王子の廃ホテルの除霊は完了。

今日は日中休んで夜は小原氏主催の打ち上げです。明日には帰るので宜しく」

 

 そう送信すると、直ぐに結衣ちゃんから返信が来た。

 

「おはようございます。今、駅まで桜岡さんのお母さんを見送りに来ています。

お仕事ご苦労様でした。明日の夜は正明さんの好物を沢山作りますね」

 

 愛しのマイロリ結衣ちゃんから、愛情一杯のメールが来ました!これで僕は頑張れるのです。

 桜岡さんのお母さんが帰るので最寄りの駅まで見送りしたらしい。てか、あの人には自宅の護衛を頼んだのに、なんで事件解決と共に帰ってるの?

 もしかして監視されてるの?自宅じゃなく携帯に電話すれば結衣ちゃんの声が聞けたのにな……

 携帯電話をポケットにしまい部屋に戻ろうとすると高野さんが居た。

 

 珍しく真面目な裏の方の顔だ。きっちり私服に着替えてるし……

 

「大変ね、色々と手配が有って。小原さんが今後の話をしたいから部屋で待ってるわ」

 

「そうだな。僕達は……未だ此からが大変だからね」

 

 二人並んで小原氏の部屋へ向かう。畳にテーブル、座布団に脇息と言う純和風な和室に小原氏と向かい合わせに座る二人。

 一応唯一の女性たる高野さんがお茶を淹れてくれる。

 

「榎本さん、本当に有難う。

私は愛子に逢えて幸せだった……彼女の手で殺されても悔いは無かったよ。

だが、愛子が成仏する事は……今後の私と義父次第と君は言う。辛い事だが頑張るよ」

 

 食堂のオヤジさんで通じたみたいだ。良かった、あの場で答えを聞いてなかったからね。

 

「死者の供養は残された者の勤めですから。僕は根無しの在家僧侶ですし正式な供養をなさった方が良いですよ」

 

 この憎愛劇の終末に、これ以上の他人は介在しない方が良いよね。

 

「分かった。それと神泉会についてだが、関東から撤退はさせられそうだ。くっくっく……奴の管理会社はもう直ぐ倒産だな」

 

 ニヤリと暗い笑みを浮かべる。方法は聞かないが、色々とやったんだろう……

 

「そうですか、それは一安心です。今後、あのホテルの解体に際しても色々とお手伝い出来ると思います。

既に祓った物件でも風評は残りますし。解体業者の下見に同行したり、場合によっては再度の除霊もしましょう」

 

 小原氏とは長い付き合いになりそうな予感がする。専属は無理だけど協力は惜しまないつもりだ。

 

「ああ、そうだね……長い付き合いになりそうだ。高野共々お願いしますよ」

 

 僕の存外に込めた思いは通じたみたいだ。神泉会と事を構えた今、彼の協力は僕にとっても桜岡さんにとっても必要だからね。

 一応、淹れてくれたお茶を飲んだが既に冷めていた。後は簡単な事務処理の話をして、部屋を辞した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 部屋を出て行った筋肉隆々の坊さんを見送り、専属霊能力者の高野に話を振る。この女は一見頼りないが、裏の事情に精通し油断が無い女狐だ。

 

「人畜無害・人当たりの良いクマさん・面倒見の良い筋肉……でも私と同じ裏の顔を持ってます。

自分と自分に近しい者以外なら、冷徹な対応が出来るでしょう。アレは無関心な者には冷たいと言うか関心が無い。

油断大敵ですね。ただ桜岡霞を大切に思ってる。神泉会と事を構えるなら、彼は私達に協力を惜しまないでしょう」

 

 裏の顔を持つ者が、女一人の為に私と協力する、ね。信じられないな……

 

「ふむ……確かに私も彼に返しきれない恩が有るが、それも織り込み済みの対応か。だが、とても人殺しが出来るとは思えないぞ」

 

 私の叫びに愛子にトドメを刺すのを躊躇したのだ。命懸けの除霊で情けをかけたんだ。非情な悪人とは思えない。

 

「アレは……敵対したら躊躇なくヤる目ですよ。物質化した怨霊を跡形も無く消せるのです。

人間一人位なら訳無く消せる手段を持っている。私は彼が怖いですね……」

 

 高野が、こんなに警戒するとはな……だが、業界最強と言われた巨乳霊獣使いが懐く位だからな。

 私に毒を吐いた和服巨乳美少女も彼に懐いた。民宿の貧乳一人娘も懐いたそうだ。自分の好みから外れた女性にだけ懐かれる。

 

 どんな喜劇だ?

 

 だが、酷いロリコンの癖に高レベルの美女・美少女を取り込む手管には注意が必要だろう。

 

「今は力強い味方なんだ。上手く付き合って行けば良いだろう」

 

 幸い私と女性の好みは違うのだから、争いにはなるまい。それに恩人には報いねばなるまい。

 

「分かりました。その様に致します……」

 

 少し不機嫌そうだが、彼は高野には冷たいらしい。それは私も同感だ。意外と私達は気が合うかも知れんな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 小原氏と今後の話をして別れた。本当は寝たいが、機材と愛車の引き取りが有る。

 部屋に居ても眠いだけだから、ロビーのマッサージ機に座り四肢を伸ばす。100円を入れて起動、暫し凝りが解れる快感を味わう……

 

「んー眠いなぁ……」

 

 だらしなく仰け反りうたた寝を……携帯電話の呼び出し音で目が覚めた。

 

「はい、榎本です」

 

「日産八王子店の結城です。横須賀佐原店の篠原より連絡を頂きキューブの引き取りに参りました」

 

 ああ、横須賀から来るより地元の支店に頼んだ方が早いわな。

 

「ああ、今行きます」

 

 機材の引き上げは晶ちゃんに頼んでおくか……岱明館を出ると晴天だ!寝不足には辛い日差しを浴びながら、路駐しているレッカー車に向かう。

 

「ご苦労様です、榎本です」

 

 助手席に乗り込み、コインパーキング迄の道のりを説明する……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 車を積み込み一旦ディーラーに向かい修理状況を確認してから、再度岱明館まで送って貰った。車を降りて送ってくれた日産の方にお礼を言って見送る。

 駐車場にトラックが無いのは引き上げ済みかな。岱明館の中に入ると晶ちゃんがフロントの掃除をしていた。

 セーターに七分丈のパンツ、それにエプロンをして掃除機がけをしている。数珠もしてくれてるし、ぱっと見は若奥様だね。

 本当に良く家業を手伝ってるんだな。

 

「ただいま、晶ちゃん。お仕事お疲れ様」

 

「榎本さん、お帰りなさい。昼食用意してるよ。後で部屋に運ぶから」

 

 ニカっと笑ってくれた。

 

 昼食か……忘れてたが、既に12時を少し回ってるのね。

 部屋に戻ると既に布団が敷かれてるし、新しいお茶のセットに茶菓子も用意されていた。

 上着を脱いで椅子に掛けて、敷かれた布団を半分畳んで部屋の隅に。テーブルを真ん中に移動してお茶を淹れる。

 お茶請けの煎餅をかじってると晶ちゃんが来た。

 

「お待ちどう様。蟹雑炊を作ったよ。これなら片手でも食べれるだろ?」

 

 所謂南部鉄器の鍋をテーブルにドンと置いた。取り皿に蓮華、それに白菜の浅漬けを並べてくれる。

 暗黙の了解なのか、瓶コーラを3本。雑炊をよそってくれてコーラまで注いでくれる。

 

 うむ、余は満足じゃ!

 

「何から何まで有難う」

 

「うん、気にしないでよ。僕は仕事が有るから食べ終わったら内線で連絡してね。じゃごゆっくり」

 

 慌ただしく部屋を出る彼女を拝んでから

 

「いただきます!」と言い雑炊を一口……塩味と蟹の風味が絶妙だ!

 

 えのきがシャキシャキで食感にアクセントを付けている。普通に美味しい蟹雑炊だ!

 ニ杯目をよそっていると扉がノックされた。返事をすると直ぐに扉を開けて、意外な人物が現れた。

 

「ああ、メリッサ様。どうしました?」

 

 浴衣に丹前を羽織り髪型をポニーテールにした彼女は見慣れた修道服を脱ぐと……

 普通の銀座とかに居るゴージャスなお姉ちゃんだな。テーブルの向かい側に座ってくる。

 

「ちょっとね、お詫びよ。最後に逃げちゃったし、色々押し付けちゃったしね」そう言って頭を下げてくれた。

 

「うん、別に気にしないよ。僕だって逃げたかったけど、手立てが有ったから挑んだんだ。引き際を弁えない連中は長生きしない業界だからね」

 

 多分あの時来てくれても問題無かったと思うが、あの場でメリッサ様の判断は正しい。亀ちゃんや胡蝶の居る僕等とは違うんだ。

 自分で危険度を計れずに、その場の雰囲気に流されたら最悪死ぬよ。

 

「あら、ありがとう。でも榎本さんはアレを何とか出来る手立てが有るんだ?へー、あんな化け物をねぇ?」

 

 何かを探る目で此方をジッと見られると居心地が悪いんだよな。会話中だから雑炊も食べれないし……

 

「これ、私の連絡先よ。榎本さん今後お仕事を頼んでも宜しいかしら?」

 

 差し出された名刺を見ると「セントクレア教会・シスターメリッサ」と書いてあり住所・固定電話・携帯電話・メアドが書いて有る。

 しかし飲み屋のお姉様方から貰う様な可愛い変則型の名刺だね。

 

「わざわざ有難う御座います。仕事の依頼は調整が付けば内容次第で請けますよ。

勿論、契約を取り交わした後でですが……これ、僕の名刺です」

 

 財布から僕の名刺を取り出し渡す。

 

「構わないわ。榎本さん明朗会計だし、強力な技を持ってるし。困った時はお願いね」そう言って部屋から出て行った。

 

 やっと雑炊が食べれるぞ。少し冷めた雑炊を食べ始める。お茶碗10杯は有ろう雑炊を完食し、食後のコーラをチビチビと飲む。

 

 シスターメリッサ……

 

 良く分からないコスプレ集団だと思ったが、ちゃんとした教会に所属してるみたいだ。今後の付き合いも有るだろうし、後で少し調べておくか。

 名刺の住所は意外な事にご近所様だった。まさか横須賀市の隣、横浜市に住んでたとは……全然知らなかったよ。

 さて、食器を片付けて夕方まで仮眠するかな。

 内線で連絡すると女将さんが出たので、食事が終わった事を伝えると直ぐに取りに来てくれた。漸く眠れる。

 

 布団を直して潜り込んだ……

 

 

第101話

 

 温泉旅館で宴会……

 

 日本人なら一度は経験する社会人のイベントだ。勿論、社会人じゃなくても経験する場合も有るだろう。

 だが、男女比率が2対7の場合は……

 

「榎本さん、はい」

 

「いえ、僕は一応病人と言うカテゴリーにですね……」

 

「今夜は警戒する必要は有りませんわ。榎本さん、はい」

 

 押しの強い女子にタジタジな男子なのです。妙に絡む亀宮さんからビールを注いで貰う。

 因みにこの宴会は打ち上げ的な要素が有り、費用も小原氏が追加で出している。なので豪華だ……

 船盛りには伊勢海老と鯛が乗っており、鮪の兜焼きも見事だ。他からも出前を頼んだのか、握り寿司も20人前以上。

 勿論、天麩羅や金目鯛の煮付け・筑前煮等の単品料理も沢山並んでいる。

 

「ああ、亀宮さん。有難う御座います……さぁさぁご返杯を」

 

「まぁ私を酔わせる作戦ですわね。頂きましょう」

 

 注がれたビールを一気飲みし、ビール瓶を受け取りご返杯。幸いな事に僕はお酒には強い。だが1対7は辛いんだ。

 

「榎本さん、これ僕が作ったんだ。食べ易い様にしといたよ」

 

 晶ちゃんは片手が使えない僕の給仕をしてくれる。香草と胡瓜それにチキンと胡麻ダレをライスペーパーでくるんだ生春巻きだ。

 ピリ辛のタレに付けて食べると、胡麻ダレの甘さと相まって上手い。

 

「晶ちゃん、有難う。そんなに気を使わなくても平気だからね」

 

 晶ちゃんと話すと、女将さんも強制的に構ってくる。

 

「榎本さん、お寿司は食べ易い様に手巻きにしましたわ」

 

 手巻き寿司だけで10本位有りますね……女将さんも定位置、下座の僕の隣にいらっしゃいます。

 

「榎本さん、さぁさぁ遠慮しないで」

 

 笑顔で勧められる料理は全て美味なんだが、何か辛いんだ。亀宮さんは亀ちゃんも半分具現化してるから、誰も近寄らないし。

 しかも微妙に距離を取って威嚇してるし。

 

「その……もうお腹がね、一杯だから少し休ませて下さい」

 

 主に精神的な疲れを感じて、一旦宴会場を辞する。あれ以上居たら傷にも心にも良くないと思うんだ。

 宴会場を出ると暖房の効いてない廊下だが、その冷たさが逆に気持ち良い。フロントに有るマッサージ機に座り、100円入れて起動させる。

 宴会場では賑やかな笑い声が、此処まで聞こえてくる……皆さん楽しんでいるのが分かるんだ。

 

「ふーっ、マッサージ機最高だな。ウチでも買おうかな?」

 

 5分が経過しマッサージ機が止まる。

 

「あら、本当にお疲れなのね……はい、晶ちゃんが榎本さんにはコーラだって」

 

 宴会場を抜け出したのか、亀宮さんが瓶コーラを二本持って前に立っていた。差し出されたコーラを受け取り、親指を上に突き立てる様にして蓋を開ける。

 プシュッと小気味良い音を立てながら王冠が外れる。

 

「私のも開けて下さい」

 

 今開けた瓶を渡して、もう一本を同じ様に開ける。此方は少し振ったのか、軽く泡が零れた。急いで一口飲む。

 僕を見ながら彼女も一口飲んで……口を押さえた。けふって可愛い音がしたよ!

 

 炭酸は苦手かな?

 

「亀宮さんはどうしたの?宴会疲れたのかい?」

 

 瓶コーラを飲み干して聞いてみる。

 

「ちょっと榎本さんと、お話しようと思いまして……」

 

 隣のマッサージ機に座る。瓶コーラはそれ以上は飲めないみたいなので貰った。

 

「で?何だい話って?」

 

 今回は亀宮さんに大分助けられた。多少のお願いなら聞くつもりだ。

 

「正式なご挨拶が未だでしたので……はい、手書きですが名刺の代わりに……」

 

 胸元から取り出した、折り畳んだ紙を受け取った。システム手帳サイズの紙に綺麗な文字で、住所・氏名・固定電話の番号・携帯電話・メアドが書いて有る。

 

「そう言えば僕も名刺を渡してなかったですね。はい、宜しくお願いします」

 

 財布に入れていた名刺を渡す。

 

「あらあら。宴会なのに、お財布を持ち歩いているの?」

 

「財布と携帯電話は常に持ってるよ。何か有っても、この二つが有れば大抵は大丈夫だから」

 

 流石に大浴場には持ち込まないけどね。そう言うと、用意と準備が良いのは相変わらずね。と、笑われた。

 その後、受け取った名刺をじっと見てる亀宮さん。そんなに面白い事は書いてないけどな?

 

 真面目な顔で此方を向くなり「榎本さんが、その子と一緒になったのは何時から?」と左手首を指差して、トンでもない事をサラリと言われた!

 

 その子……だと?まさか胡蝶が見えているのか?いやいや、女性は虎でも熊でもその子扱いの場合も……言葉に詰まっていると、独白しだしたよ?

 

「私が亀ちゃんと出会ったのは……大叔母様が危篤状態になった時、一族全員が呼ばれたのよ。

亀宮の名前は亀ちゃんを宿した物が引き継ぐ世襲制の名前。私は12歳の時に亀ちゃんに懐かれて、亀宮の名前を継いだの」

 

 12歳か……多感な少女時代に強力な霊獣を宿したら、生活が一変しただろうな。

 

「それからは大変でしたわ。亀ちゃんは雄(♂)だから私に近付く男の方は、例え父親でも駄目でしたし。

亀宮家に依頼される仕事をこなさなければならなかったし……昔は亀ちゃんに泣いて文句を言ったわ。何故、私じゃなきゃ駄目なのって……」

 

 12歳から、こんな除霊の仕事をさせられてたのか?それは大変だ……だけど、僕には掛ける言葉が見付からない。

 簡単に大変だったね、とは言えない。胡蝶を宿して一週間にも満たない僕には、未だ分からない苦しみだから。

 

 だが亀ちゃんって女好きなのか?だけど危篤まで一緒って事は見た目とか若さは関係無さそうだな。何か特定の条件でも?

 

「ふふふ……こんなに男の人と近くで沢山話したのも、実は初めてなの。

何故か亀ちゃんは榎本さんには威嚇はするけど、排除行動はしないでしょ。

しかも、怯えているみたいだし。普通なら大変なのよ。無理に私に近付く男の人は、大抵が病院送りになるから……」

 

 あー確かに美人で力が有る彼女は、野心家なら魅力的だろう。只でさえ、この業界は高額所得者が多い。

 半分具現化した亀ちゃんは確かに鎌首を向けて威嚇してるが、それだけだ。つまり胡蝶を警戒し恐れている。

 

「僕は……その、未だ日が浅いし制御なんてままならないし。人に話すのも問題が有ると思ってるけど、後悔はしてないんだ。

一心同体・呉越同舟・一蓮托生・死なば諸共の関係だけどね。でも亀宮さんだって理解者が居るでしょ?お供の二人組みが」

 

 強い力を持つと一般社会では爪弾きの対象だし、変に畏怖されたりして困る事が多い。だけど彼女達は亀宮さんに付いて来てるんだし。

 

「彼女達は一族から遣わされた子よ。仕事を受けると、毎回一族から適任者を付けてくれるの。今回が偶々彼女達だったのよ」

 

 重い事実がキター!

 

 亀宮さんは、一族が総力をあげてバックアップしてるのか。だけど現当主で有る亀宮さんも、自分の自由にならない一族の重鎮とかが居るんだろうな。

 

「霊能力は異能だから一般人とは相容れない場合も有るし、一族のしがらみも有るんだね……僕は天涯孤独だから、君の苦しみは分からない。

多分想像が付かないんだ!大変だとは思うけどね」

 

 言葉を選んで話している為か、やたらと喉が渇いた。コーラを一気飲みする。

 

「あら、間接キスですわよ。榎本さん、私に手に負えない仕事が有れば手伝って貰えますか?」

 

 綺麗な笑顔を向けられては嫌とは言えない。

 

「勿論、出来る限りの事はしますよ。今回は亀宮さんには、色々助けられたしね」

 

 そう言うと、華が咲き誇る様な笑顔を浮かべてくれた。そんなに嬉しかったのか、此方が恐縮しちゃう程の笑顔だった。

 その後、暫く世間話をして彼女は二階に上がっていった。巨大な力を持ち一族に雁字搦めな彼女にとって、胡蝶と言う反則技で対等に接している僕は……

 珍しいんだろうな。

 

「で?盗み聞きしている君達は、何か僕に言いたいのかな?」

 

 途中から、ずっと此方を伺っていた連中に声を掛ける。気配がバレバレなんだよな。

 すると廊下の影から、亀宮さんのお供の二人が現れた。監視とサポート役の一族の者か……身元不詳の胡散臭い男が、彼女に近付くのは許さないのだろう。

 話によれば亀ちゃんに選ばれた者は生涯独身らしいし……変な虫はお断りって事だな。

 だが僕も彼女を自分のモノにする気なんて微塵も無い。信頼する仕事仲間、そんな関係だと思う。

 亀宮さんだって、こんなオッサンと恋仲になんてなりたく無いだろ?そんな事を考えていると、険しい顔をした二人が無言で出て来た。

 

「榎本さん……」

 

 僕の3m手前で止まり、厳しい顔で此方を見ている。僕はマッサージ機に座ったままだが、この距離なら対応出来る。まぁ、いきなり排除はしないと思うが……

 

「分かってるさ。彼女と僕じゃ釣り合わないし、そんなつもりも無い」

 

 どうせ彼女に近付くな!とか、そんな警告だろ?亀宮さんの力になろうとは思うが、恋愛感情なんてロリの僕には無いんだ!

 どうだ?出鼻を挫かれただろう?

 

「いえ、逆です。亀宮を継ぐ者は生涯独身が多いのです。ですが例外も有ります。霊獣亀様に気に入られるか……

亀様の力を上回る方が、過去に歴代の亀宮様と結ばれたそうです。その子供達は皆、強力な術者で有りお家の発展に貢献したとか……

榎本様の事は、本家に報告して有ります。正式にお話が有ると思いますので、宜しくお願いします」

 

 そう言うと三つ指付いて頭を下げられたぞ。榎本様って何だよ?

 

「いや、無理!話分かんないし、そう言う気持ちは無いの」

 

「申し訳有りませんが、私達には何とも出来ません。亀宮家700年の中で、歴代当主と結ばれた方は三人しか居られませんし。

ご隠居様方に連絡した時の驚かれ様は、凄い物が有りました。しかもお嬢様も満更でも無いご様子……」

 

 700年とか胡蝶と被る単語が有ったけどさ。何その入り婿候補見つけたぜみたいなノリは?

 

「榎本様、お嬢様を宜しくお願いします」

 

 そう言って再度三つ指付いて頭を下げられた。

 

「人の話を聞けよ。無理って言ってるよね?」

 

 おほほほほ、籍は入れずとも子種を頂ければ良いのです。とか、訳ワカメな事を言って去って行きやがった。

 亀宮一族に目を付けられたって事か?面倒事が減らずに増える一方じゃないか……その場で深い深い溜め息をつく。

 暫くすると宴会場から皆さんが出て来た。どうやら宴会は終わったみたいだ。

 

 時計を見れば20時過ぎ、か……僕や亀宮さん一行が居なかったし、丁度良い時間かな?

 

「あら?未だ居たのね。てっきり部屋で休んでるかと思ったわ」

 

 頬を少し赤くした程度の高野さんが話し掛けてきた。後ろに見えるメリッサ様達は、結構ベロベロみたいだ。小原邸での悪夢が蘇る……

 

「高野さんは、余り飲んでないみたいだね?」

 

「そうね。基本的に私は小原さんの護衛ですからね。皆さんみたいにベロベロには酔えないのよ」

 

 流石は専属だ。ちゃんと雇い主の事を考えてるんだな。

 

「それと……今朝教えて貰ったマダム道子の店だけど、どうしても辿り着けないのよ。

晶さんにも電話で聞いて、雑居ビルの名前も間違ってないのに。榎本さん、明日帰りに一緒に行って欲しいのよ」

 

 店に辿り着けないだって?

 

「高野さん、方向音痴?又は……」

 

「「同業者除けの結界かな?」」

 

 マダム道子は偏屈らしいし、もう一度会って話すのも良いかな?僕も気になる事を言われたし……

 

「それは構わないけど、小原さんの護衛は?」

 

「彼には明日、迎えが来るから平気よ。マダム道子の扱う品は一級品なの!この機会を逃す訳には行かないのよ」

 

 何か高野さんの後ろに燃え立つ炎が見えるよ?

 



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第102話から第103話IFルート霞END

第102話

 

 翌朝、朝食後に皆さんバラバラと帰って言った。メリッサ様達は一番最初にタクシーを呼んで。

 亀宮さん達は一族の方が迎えに来た。黒塗りのリムジンで……彼女と除霊現場で会わない理由は客層が違うんだな。今回は小原氏だから、依頼を請けたんだろう。

 

「榎本さん、また会いましょう」

 

 声を掛けられた時に運転手さん(女性だった)にギロリと睨まれた。値踏みする様に……亀宮さんには手を振って応えた。

 僕の情報が行ってるんだな。面倒臭い事になりそうだ……

 二組を見送った後、小原氏も迎えの黒塗りのベンツで帰って行きました。僕と高野さんは居残り。

 何故ならマダム道子の店は11時オープンだから。フロントで珈琲と言う名の晶ちゃん謹製のカフェオレを飲む。

 向かいには高野さんと晶ちゃん。二人は何故か打ち解けていた……何故?

 

「暫く寂しくなるよ。ウチ、小原さんが二週間貸し切ったから他のお客さん来ないんだ」

 

 どうやら半月掛かると見込んだんだな。実際は三日しか掛からなかったけど……

 

「二週間?良いじゃない、全室分の料金貰えて」

 

 金に煩いメリッサ様化してますよ、高野さん。

 

「料理出さないから素泊まり料金なんだ。榎本さん、滞在してよ」

 

 笑顔で冗談みたいに話を振ってくる。

 

「うーん、流石に理由無く施主の負担を増やせないよ」

 

 明朗会計が売りだから、違法請求は出来ない。それに早く帰って結衣ちゃんに会いたいんだ。

 

「真面目だよね、榎本さんってさ。僕が付きっ切りでお世話するんだよ」

 

 冗談ぽく笑って言うが、高野さんがニヤリと笑うのを見て溜め息が出る。

 

「あらあらあらー?晶ちゃん、榎本さんが好きなの?」

 

 ほら、色恋沙汰にする。

 

「僕達は友達なんだ」

 

 ヒラリとかわす晶ちゃん。高野さんが面倒臭くならない内に出発しよう!

 

「そろそろ行こうか?今、タクシー呼ぶよ」

 

 携帯に登録した八王子無線タクシー配車センターに電話を……

 

「僕が送るよ。一応この民宿は送迎有りなんだ」

 

 元々送るつもりだったのか、ソファーから立ち上がってポケットから車のキーを出して見せる。彼女の善意を有り難く受け取る事にする。

 

「じゃお言葉に甘えますか……そうだ女将さん達に挨拶を」

 

 そう言うとカウンターの奥から晶ちゃんのご両親が出て来た。まるでタイミングを計ってたみたいだ。

 

「短い間でしたが、お世話になりました」

 

 そんな事はおくびにも出さずに、ご両親に頭を下げる。

 

「いえいえ、此方こそ晶がお世話になりっぱなしで……」

 

「榎本さん、何もない所ですが料理と温泉は自慢です。またいらして下さい」

 

 含み有る女将さん、善意のオヤジさんと挨拶を交わして別れた。感じとしては女将さんは多少の警戒感が有り、オヤジさんは普通に又来てくれる事を願っている。

 そんな印象を受けた。だが良い宿だったし今度、桜岡さんと結衣ちゃんを誘って来ようかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 晶ちゃんの運転は慎重派だ。信号も黄色で止まるし、変な加速もしない。安定した運転……ただ集中してる為か、運転中は余り話さない。

 そんな晶ちゃんが鈴木ビルの前にハザードを点けて車を路駐してくれた。

 

「榎本さん、着いたよ。じゃまた連絡するね」

 

 暫く晶ちゃんともお別れだ。僅か三日間しか接しなかったが、彼女がとても親切で優しい子なのが分かった。

 友好関係を築けたのは良かった。

 

「そうだね、また連絡するよ。体に気を付けてね」

 

 にこやかに別れの挨拶をする。昔と違い携帯電話やメールで気軽に連絡が取れるから、割と軽めな挨拶だ。

 

「これが有るから平気だよ」

 

 そう言って左手首に巻いた水晶の数珠を見せてくれた。プレゼントした品をちゃんと身に着けてくれるのは嬉しい。

 

「あー、何コレ!この水晶って、何よ榎本さん。まだこんなに凄いの隠し持っててさ。こんな貴重な水晶をこんなに沢山ムガムガ……」

 

 晶ちゃんが萎縮する様な事を言い出した高野さんの口を左手で塞ぐ。ムームー煩いが少し黙れ!

 

「榎本さん、コレ本当に僕が貰って平気なの?本当はスッゴく貴重なんじゃないの?」

 

 ほら、晶ちゃんが遠慮しちゃったよ。彼女の性格からして、下手に高額だとバレると遠慮して返品されるんだ。ここは言いくるめないと駄目だ……

 

「業界人には人気なんだよ。僕の霊力を10年以上込めてるからね。

でも晶ちゃんに貰って欲しいから渡したの。宝石的な価値は悪いが低いんだ。晶ちゃん、ありがとう。またね」

 

 そう言って高野さんを車から引きずり出す。多少だが不審な顔をしていたが、にこやかに手を振ると笑顔で応えてくれた。

 

「それじゃ、またね!」

 

 彼女の車が見えなくなるまで手を振る。肩を抱く様に左手を廻して口を塞いでいた所為か、高野さんがグッタリした?ヤバい酸欠か?

 鼻は塞いでないから平気な筈だけど……手を離すとグッタリと歩道に倒れ込んだ。

 肩で息をして呼吸を整えてるみたいだ。道行く通行人が変な目で僕等を見るから恥ずかしいじゃないか!

 

「大袈裟だな。あんな事を言ったら彼女が遠慮しちゃうだろ。全く気を付けて欲しいよ。ほら、行くよ」

 

 未だにゼイゼイと息の荒い高野さんに、手を差し出して立ち上がらせる。左腕一本でも彼女……50キロ位か?なら軽く持ち上げられる。

 

「榎本さん、私は体力的には普通の女の子なの!万力みたいな腕で首を絞められたら苦しいの!」

 

 全く私を殺す気?とか文句タラタラだ……一応詫びを入れた。

 周りがね、ドメスティックバイオレンスか?とかヒソヒソ話してるのを聞いてしまったから……

 実は、あの水晶の数珠は胡蝶の力と僕の霊力が混じり合ってるらしい。普通より強力なんだって。

 胡蝶がどうでも良い風に言っていたが、実は結構問題じゃないか?

 

 薄暗い階段を登りながら三階に到着。雑多な店が入っている廊下を進むと……派手な看板の付いているマダム道子の店の前に辿り着いた。

 扉の前で二人並んで派手な看板を見る。間違い無く「マダム道子の店」と書いてある。

 

「高野さん、此処だよ。何で迷ったんだい?」

 

 絶対に迷わない自信が有る立地条件だ。いや迷い様が無いだろ?同業者除けの結界の気配も感じなかったし……

 それに結界なら高野さんの方が僕より数倍敏感な筈なのに……

 

「あれ?あれれ?昨日来た時は……何故今日は平気なのかしら?」

 

 混乱してアワアワ言ってる高野さん。周りに他の客も居るし、挙動不審は恥ずかしい。悩んでも仕方無いから、取り敢えず店内に入る。

 派手な扉を押して店内に入る。呼び出しの電子音がピロピロと鳴り響く。昨日と同じ、まぁ一日で変わる訳も無い店内には客は一人も居なくて……

 マダム道子さんが暇そうにレジカウンターの中に居た。

 

 目が合うと「あらあら今日は昨日の娘と違うのね?あー、同業者さん?」何だろう、高野さんを見てマダム道子の顔が曇ったけど。

 

 高野さんは店内に目の色を変えて突入して行った。もしかして高野さん連れて来たのはマズかったのかな?

 店内に他の客が居ないので、マダム道子に近付いて話し掛けてみる。

 

「こんにちは。もしかして他の人を連れて来ちゃ駄目だったかな?」

 

 素直に頭を下げたら柔和な顔に戻った。やはり同業者を連れて来ちゃ駄目だったんだ。

 

「うーん、金銭欲の強い人は見つけられない筈なのに……貴方、私の陣が効かないのね?」

 

 ヤレヤレって感じで見られてしまった。それに同業者とか陣とか、霊能力関係者だって事を隠す気は無いらしい……

 

「陣?」

 

 取り敢えず聞き慣れない単語の意味を聞いてみる。聞くだけなら無料だし。

 

「風水はね、陣を敷いて効力を発揮させるのよ」

 

 あっさりと答えてくれた。陣とは僕等で言う結界の事か?だけど僕が、その陣の効果を無効に出来る訳が……

 

「その左腕に宿した力が強過ぎるのよ。困った筋肉さんね。貴方にコレを売ってあげるわ。この水晶は力を漏れなくする効果が有るのよ」

 

 どうやら胡蝶の力は、一定以上の連中にはバレバレらしい。早急な対策が必要だ!

 マダム道子が取り出した物を見る。それは無色透明な玉だ。それが五個有る。

 

 彼女の手の平に乗っているソレは、何の変哲も無いビー玉みたいだが……マダム道子の所持する宝石みたいだし、僕が身に着ける前に胡蝶に危険かどうか確認して貰えば良いだろう。

 どちらにしろ左手首の封印は急務だから。

 

「ありがとう。買わせて貰います」

 

 今は触るのも危険と思うが、高野さんがアレだけ騒ぐ有名人の推薦品だから確保はする。

 

「全部で百万円よ」

 

 偉く吹っ掛けられたのか?でも僕でも、この水晶には力を感じるし高い買い物じゃない……筈だ。最初の直感を信じよう。

 

「分かりました。支払いは振り込み?カード?現金だと少し待って貰っても良いですか?」

 

 最寄りの銀行のキャッシュカードは、一日の取引上限が50万円までだから100万円は用意出来ない。一旦帰って銀行通帳を……

 

「嘘よ、嘘。全部で五万円で良いわ」

 

 してやったり的な笑顔で値下げしやがった。彼女にとって商品の質は兎も角、価格は大した意味は無いらしい。

 お金儲けが大事って訳じゃないのかな……生きがい?達成感?求める物が分からないから、やり辛い人だな。

 

「金額はどうでも良かったんですが……コレ、穴開けても平気かな?出来れば数珠に組み込みたいんだけど」

 

 手の平の水晶玉を指差しながら質問する。無垢の玉を左手首に着けるのは難しい。水晶に金具を付ける為に変な装飾も似合わないからヤダ。

 それに下手に穴を開けたりして効力が無くなるのが怖いんだ。

 

「ふーん、貴方も石の力が分かるのね。良いわ、加工してあげる。特別よ、私自らが加工するなんて。ブレスレットで良いわよね?」

 

 そう言うと左手首をメジャーで計りだした。

 

「手首太いわね。20センチ以上有るわよ……この水晶を起点に一回り小さい水晶で構成しましょうね……」

 

 メモ帳に色々と記入している。五個の水晶を均等に配し途中を一回り小さい水晶で繋ぐ。

 使用する水晶は、最初の五個の他に小さい水晶が二十二個。その外に違う石を幾つか配置して、組み替えてを繰り返している。

 基本的に無色透明な大小の水晶に、黄色の石を組み合わせているので派手じゃない!大丈夫、許容範囲内だ!

 

 ただ書き込まれた金額は……最初の値段じゃん。

 

「数珠にして下さい。余計な飾りは不要で石だけで……」

 

 再度の念押しをする。金とかプラチナとか派手に飾られたら、成金みたいで恥ずかしい。風水ってド派手なイメージが有るんだよね。

 

「色々注文が煩いわね……一式込み込みで百万円よ」

 

 どうやらデザインと予算が出来上がった様だ。

 

「現金精算でお願いします。領収書も必要です」

 

 即答する。必要経費なら確定申告で有利だしね。

 

「つまらないわね。もっと慌てなさいよ!分かったわ。一週間後に取りに来てね。

値切らなかった分だけ、しっかり作るから!それと連れの娘だけど、落ち着かせてくれない?」

 

 連れ?ああ、高野さんか……マダム道子と長話してたけど、彼女は何してたんだ?

 後ろを振り返って店内を見ると……山の様に商品を持った彼女が、目をキラキラしながら品定めしてる。アレだけでも結構な金額にならないか?

 

「申し訳無い。直ぐに落ち着かせますから……」

 

 初めてのボーイズがラブなコミケに参加した腐女子の様な高野さんを何とか宥め賺す。

 

「落ち着いて!先ずは商品をカウンターに置いて一旦精算しよう」

 

 興奮気味の彼女だが、マダムが商品をレジ打ちしだすと金額の多さに驚いている。お金は貸さないからね!

 

 

第103話

 

 漸く、漸く帰宅出来る。高野さんと別れてJR八王子駅から横浜線に乗る。

 少し走れば田園風景と言うか牧草地と言うか……まぁ自然豊かな風景だ。

 高野さんは所持金一杯まで色々な石を買った。何でも昨日勝負する為に纏まった金額を用意していたそうだ。

 マダム道子も店頭に陳列している商品ならと売っていた。僕に見せた様な特別なモノは同業者には中々売らないんだな。

 平日の昼間だけあり、車内もガラガラだ。鈍い痛みが有る右手を見る。

 結衣ちゃんや桜岡さんに言い訳が大変だ。それ以上に報告書を纏めるのが……パソコンを左手だけで操作出来るか?

 

 怪我は全治二週間。

 

 だが一週間以内には提出したいからな。暫くは仕事も請けられないし、大人しく事務仕事に精をだそう。

 町田駅を過ぎると大分お客が乗ってきた。終点の東神奈川駅まではのんびり寝て行こう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東神奈川駅から横浜駅に乗り継ぎ、JRから京急へと乗り換える。既に1時を過ぎていたが、民宿の朝食が多かったのでお腹は空いてない。

 早く帰るのを優先する。崎陽軒で焼売弁当・三塔物語弁当・生姜焼き弁当を購入。家に到着するのは2時過ぎか。

 快速特急に乗り込み、運良く座れた。膝の上に弁当を置くと仄かに暖かい。不規則な睡眠時間の所為か、降りる手前の駅まで熟睡してしまった。

 電車を降りて途中のコンビニで飲み物と牛乳プリンを買って、忘れていたお土産の代わりにする。

 左手しか使えないのは、思った以上に不便だ。小銭入れ一つ取り出すのに難儀するよ。荷物を左手だけで持ち暫く歩くと漸く我が家に到着した!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 玄関扉には鍵が掛かっていた。財布から鍵を出すのが億劫なので呼び鈴を鳴らす。

 

「はい、榎本です。あら帰ったのですね。今開けに行きますわ」

 

 インターフォンと防犯カメラで僕を確認した桜岡さんが対応してくれた。直ぐに鍵を開けてくれる。

 

「お帰りなさいませ、榎本さん」

 

「ただいま、桜岡さん」

 

 挨拶をして玄関に入る。コンビニ袋を受け取った彼女が

 

「榎本さん、お昼未だだったんですか?今お弁当を温めますわ」

 

 パタパタとスリッパを鳴らして先にキッチンに向かう。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、大切にしなきゃ駄目なんだと思う。

 こんな見た目ヤクザな筋肉野郎に、普通に接してくれる女の子は居ないよね。桜岡さんは本当にマブダチだ!

 自室に向かい部屋着に着替えてキッチンに入って……叱られました。

 

「榎本さん、怪我をしたなら連絡してくれないと困ります」

 

 彼女は腰に手を当ててプンプンな感じで怒っている。確かに黙ってたんだが、怒らないで欲しい。いや彼女は僕の為に怒ってるのだから、逆に嬉しいのか?

 

「ごめんね。怪我自体は大した事は無いんだよ。ちょっと不自由だけどね」

 

 弁解するも自然と笑みが零れる。

 

「なっ、何をニコニコと……私、怒ってます」

 

「うん、ごめんなさい」

 

 素直に頭を下げる。三十路のオッサンが年下のお嬢様に謝る姿は、端から見ればどうかと思う。だが、叱られて嬉しいのは初めてだよ。

 

「もう良いです!罰として……はい、アーン」

 

「アーン?イヤイヤイヤ、それは恥ずかしいから駄目だって」

 

 ゴソゴソと温めたお弁当の包装紙を解いて、中のオカズ……焼売を摘んで口元に持ってきたぞ。最初は罰としてお昼抜きかと思ったんだが。

 

「恥ずかしいから罰なんです。はい、アーン」

 

「無理、無理だから……」

 

 この罰と言う羞恥プレイは焼売弁当を食べきるまで続いた。付け合わせの昆布と紅生姜まで全て食べ終わるまで……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 心もお腹も満たされて、多大に羞恥心が刺激された昼食が終わった。うむ、満腹じゃ!

 さて社会人として仕事をせねばなるまい。自室の机に向かいパソコンを起動する。エクセルで作成している報告書の雛型を読み込む。

 テンプレート化してるので内容自体は簡単だが、入力が難しい。先ずは時系列から作成し、内容を肉付けしていこう。

 左手だけだとキーボードの右側が打ち難いし、頻繁に押すエンターキーも打ち難い。文章は頭に浮かぶのに文字化するのに時間が掛かる。

 

 二時間程作業をして漸く時系列を打ち終えた……

 

 思った以上に左肩が凝るな。肩を回すとゴリゴリと音がするよ。息抜きと眠気覚ましに珈琲と言う名のカフェオレを飲もうと一階に降りる。

 時刻は4時半、そろそろ日が落ちて暗くなる時間帯だ……キッチンに行くと桜岡さんが寸胴で何かを煮込んでいた。鼻歌を歌いながら楽しそうに調理している。

 

「桜岡さん、何を作ってるの?」

 

 オタマを持って振り返った彼女は、何時着替えたのか分からない。ゆったりした透かし編みのセーターにマキシ丈のウェストバンドのフレアースカート、それにフリフリエプロンと言う若奥様スタイルだ……

 

「ポトフですわ。残りのオカズは結衣ちゃんが作るって張り切ってましたよ。今夜はご馳走ですわ」

 

 結衣ちゃんの手料理は暫く食べてないので正直嬉しい。岱明館の料理も美味しかったが、家庭の味とは何より美味しく感じるものだよね。

 

「それは楽しみだね。今夜は沢山食べるよ」

 

 ミルクパンで牛乳を温めていると、桜岡さんに自分も休憩しますから。そう言われて応接間に押し込まれた。二人分作って一緒に飲むのだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はい、熱いですよ」

 

 タップリのカフェオレが入ったマグカップを渡してくれた。向かい合わせに座ると、自然に中央に置かれたオヤツの争奪戦になる。

 今日のオヤツは文明堂のどら焼き10個だ!普通なら半分ずつだと思うが、僕達は違うのだ。仲良く一つ目のどら焼きを食べる。

 上品に食べる彼女には驚きのスピードが有る。速さでは、速さでは絶対勝てないんだ。

 

「今回の件ですが……一応終わりとの事ですが、何が有ったんですか?」

 

 彼女がまだ一つ目を食べる事を確認し、今回の件について話す。当事者の彼女が最後だけ携われなかった、廃ホテルでの除霊内容は気になるだろう。

 元々時系列を纏めていたし、その後に書く報告書の為に粗筋は出来ていた。だから客観的に全てを話す事が出来た……

 

「そうだったんですか。愛子さんが、七海ちゃんを……だから鷺沼には現れなかったんですね」

 

 漸く説明し終えて、どら焼きを食べ始める。こっちは喋り続け、向こうは聞きながら食べる。

 

 畜生、既に残りは三個。僕は二個目で彼女は五個目か?

 

「廃ホテルの主は小原邸に現れた女性だったのか、愛子さんかは不明だ。それに神泉会が絡んでたかもね。今となっては確かめ様が無い。

神泉会は関西に撤退したから余計にね。僕は最初の悪霊が居なくなったから、愛子さんが変化したと思うんだ」

 

 急いで二個目を食べて、三個目に手を伸ばす。バカな?既に一個しか無いだと?

 

「悲しい話ですわ。愛する旦那様から冷たくされた事を愛娘の所為にして、小さな命を消すなんて……」

 

 ああ、悲しいよ。僕のどら焼きを消すなんて……

 

「だが……最後は仮初めの身代わり札だとは言え、最後は親子三人になれたんだ。幸せかは分からないけど、彼女は笑って逝ったよ」

 

 見る者が凍り付く様な狂気の笑みでね。僕でも思い出すと背中が寒い。愛欲の果てに、男の寵愛に縋る為に我が子を殺す気持ちが……

 分かりそうで怖い。僕は自分の為に他人を犠牲にしてるから。利己的と言われたら弁解の余地は無い。

 

「でも鷺沼伝説や祠の石版は何だったんでしょう?不思議な神社も謎のままですわ。調査した意味が無かったですね」

 

 確かに鷺沼伝説の、お鷺の悲劇や石版の姫や領主も謎のままだ。廃仏毀釈の線で調べた神社や寺も、関係は無かったみたいだ。

 

「調べた事の全てが事件に繋がる事なんて無いんだ。十個を調べて三個が関係有れば上等だよ。地道な調査は選択の幅と推理を広げる事が出来る。

実際調べた被害者の霊も現れたよ。それ以上に色々現れたけどさ。それに佐々木夫妻とも知り合えたしね」

 

 人の良さそうな老夫婦を思い浮かべる。彼等と知り合えたのは良かった。むぅ、結局どら焼きは三個しか食べれなかったな。すっかり冷えたカフェオレを飲み干す。

 

「故人の幸せは残された者の供養による、ですか?食堂のオヤジさん……愛子さんのお父様と小原さんは関係が修復出来たのかしら?」

 

 柄じゃないが僧侶として説教したんだっけ。アレだけの悪霊になった元妻を罪を償う為には、遺族の祈りが大切だ……とね。

 間違いでは無いし、良く言われる事でも有る。

 

「殺されそうになった相手を愛してると言い切ったんだ。ちゃんと一緒に供養してるさ」

 

 桜岡さんと話した事で、報告書の内容も決まった。元々粗筋は考えたが、人に話すと余計な部分や足りない部分が分かった。この調子なら、明日中には報告書を作れる筈だ。

 

「じゃ僕は報告書の作成を続けるよ」

 

 完全敗北したどら焼き対決。次は何の勝負を挑むかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから二時間後に夕食の準備が出来た。報告書も二割程度は完成したし、明日には終わる。結衣ちゃんが部屋まで迎えに来てくれた。

 

「正明さん、夕食の準備が出来ましたよ」

 

 彼女は薄い青のハイネックのセーターに白のホットパンツと軽装だが、寒くないのかな?久し振りに見るロリロリな美少女に思わず笑みが零れる……コレだよ、コレを求めてるんだ僕は!

 

「ありがとう、直ぐ行くよ」

 

 書き掛けのエクセルを保存し、パソコンの電源を落とす。僕が近付くまで扉の前で待っていた。

 

「じゃ行こうか」

 

 軽く彼女の背中を左手で押して促す。僕を見上げながら「はい」と言ってくれる。怪我を知った時も直ぐに包帯を変えて薬も塗り直してくれた。

 手当てが手慣れてるのは、多分だが自分の自傷の所為だと思う。酷い環境で多感な子供時代を過ごしたのに、こんなにも素直に優しく育った娘……

 

 うん、結衣ちゃんは僕の嫁。

 

 そんなフレーズが頭の中に鳴り響いた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡さんの宣言通り、夕食は豪華だった。

 桜岡さんの自慢のポトフ。結衣ちゃんが作ってくれたのは僕の好物ばかりだ。

 鳥の唐揚げ・出汁巻き玉子・アスパラベーコン炒め・カジキマグロの照り焼き・シザーサラダ・ロールキャベツ。

 どれも食べ易い大きさだし玉子焼きや照り焼きは、既に切り分けられている。ご飯は俵おむすびが20個程積んで有る。

 テーブルに着くと桜岡さんが、お茶を淹れてくれた。

 

「「「いただきます」」」

 

 久し振りの家族の夕食は楽しかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 大阪某所……

 

「くっ……何故、何故なの?呪詛が悉く霧散するなんて……弾かれたり返されたりじゃない。霧散なんて呪詛を掛けてる側に配慮した行為じゃない。

あの筋肉坊主め!

私が霞の為に掛けた呪詛に気付いているのね?私の力が全く通用しないなんて……覚えてなさい、必ず霞に襲い掛かる様にしてやるわ!」

 

 薄暗い部屋の中で祭壇を前に呪詛を掛ける摩耶山のヤンキー巫女は、天井に向かって吠えた!榎本の貞操は守られた。

 しかし胡蝶さんの守りを抜くのは……無理だと思う。

 

 

 

 その頃の胡蝶さん。

 

 

 

 主人公の自室で布団の上で胡座をかいている。何時もの全裸でなく、ちゃんと服を着ているが古代中国のお姫様みたいな格好だ。

 愛しい下僕が主を放置してパソコンに向かい、何やらやっている。

 

 暇だ……暇過ぎる。

 

 何度か襲って来た呪いは、見覚えの有る霊力だ。程度の低い魅惑の呪い。

 これに掛かると、多分だがあの乳巫女を孕ます事が出来るだろう。しかし、彼女一人しか相手にしない拘束力も備えている。

 

「こやつ、変態的性癖の持ち主の癖に好み以外には身持ちが固いときてる。アレだけの力有る女子に囲まれて何故手を出さん?」

 

 我の手ほどきの為に偏った性癖にしてしまったのか?我の所為なのか?

 

「いや違う、最初からこの下僕は幼女趣味だった……我はコヤツの好みを反映させた容姿なのだ。だから我は悪く無い」

 

 急にムカムカし出したので近くに有った枕を投げつける。ボフンと後頭部に当たった。

 

「なんだよ胡蝶、大人しくしてくれ。バレると大変なんだよ」

 

 振り返ってヤレヤレこの子は、みたいな目で見るな!

 

「五月蝿い変態野郎!お前が普通だったら、バンバン子供を孕ませまくれるんだ!」

 

 手の掛かる愛しい下僕を調教するか真剣に悩んだ。

 

 

100話達成リクエスト話(IFルート霞さんご成婚おめでとう!)

 

 関西某所、高級住宅街の地下室……

 

 ご立派な祭壇を前に摩耶山のヤンキー巫女は、キッチリと巫女服を着込み護摩壇の前に座っていた。

 額に白い鉢巻きをして両側に榊を差している。口には短刀をくわえ一心不乱に祈りを捧げている。

 数々の供物の中には野菜や魚に混じり、成人男性の写真と毛髪……ムキムキなマッチョのオッサンの写真。

 

 一時間近く祈りを捧げた後、徐にくわえていた短刀を右手で掴む。

 

「霞の為、桜岡家の子孫繁栄の為にペド野郎を正常な性癖へ……娘を霞を性的に襲う様にしたまえ!」

 

 躊躇無く短刀で左手首を浅く切り、滴るその血をオッサンの写真に垂らす。

 

「ふふっふふふふ……今夜、呪いをかける事は霞には話してある。準備は万端の筈よ。ああ、これで霞にも女の幸せが訪れるのね。

くっくっく、あーっはっはぁー!義母さんが貴女を幸せにしてあげるわー」

 

 額に玉の汗を浮かべ前髪を貼り付かせ片手に短刀、片手は血だらけ。そんな妖女が狂った様に笑っていた。

 

「あっ!治療、治療しなきゃ」

 

 正気に戻り貧血で倒れそうな彼女は、辛うじて止血をして愛する旦那を呼んだ。

 

「アナター、助けてー」

 

 愛する妻の助けに颯爽と駆けつける旦那。まるで部屋の外に居た様なフットワークの良さだ!

 

「おっお前、どうしたんだ?誰かに呪われたのか?」

 

 床に倒れていた彼女を抱き上げ、思わぬ惨状に狼狽するも常に同業者に狙われている彼は思った。呪詛を返したのかと……

 しかし事実は愛娘をムキムキなオッサンが性的な意味で襲う様にけしかけたのだ。旦那さん、その嫁を叱った方が良いと思うぞ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 関東某所、普通の住宅街の一室……

 

 八王子の廃墟ホテルの一件を何とか解決した。やっと愛しの我が家に帰り、暖かい結衣ちゃんと桜岡さんの手料理を食べれた。

 少し早いが22時過ぎに布団に入る。晶ちゃんには悪いが、やはり自宅が一番!

 珍しく胡蝶も服を着た姿で人のお腹の上に乗っている。ゆったりと流れるリラックスタイム……別にこれから同衾する訳じゃないよ。

 呼吸する度に胡蝶が僅かに上下に動く。軽いから問題は無いのだが、さっきから天井の一点をずっと見ているんだ。

 良く聞く飼い猫が部屋の一点を見つめているのは、其処に霊が居るからだと……だが、そんな事なら僕でも分かるから違うのだろう。

 

「くっくっく……そう言う呪いか。だが生涯伴侶が一人は駄目だ。少し弄らせて貰うか。

正明には、バンバン子供を作って貰わねばならぬのだ。種は豊富でも畑が一つでは駄目なのだ。

これをこうして、こちらをこうすれば……うん、コレなら大丈夫だな。正明、喜べ!お前を我が調教してやろうぞ」

 

 凄い良い笑みでサムズアップしてきたぞ。しかし調教って何だよ?僕は幼女に性的な意味で調教されるつもりは無いぞ。

 

「なっ何を言ってるんだ!僕は多分Sだと思う……なっなんだ、この感覚は……

うっ頭が、頭が割れる様に痛い……胡蝶、僕はエムじゃない、どっちかと言えばソフトなエス……」

 

 金縛りに有った様に体が動かないし、頭も割れる様に痛い。

 

「ふふふ、正明安心しろ。エムじゃないぞ、お前の性癖が幅広くなるのだ。

所謂あれだ、「真・正明」に生まれ変わるんだ。

ほら、我の姿を見ろ。ロリから美少女、そして美女に変化しておるぞ」

 

 割れる様に痛い頭痛に耐えながら、何とか片目を開けて胡蝶を見る。

 涙で滲む視界には何時もの愛らしい美幼女姿から結衣ちゃんに似た美少女、それから桜岡さんに似た和風美女へと変化していった。

 

「我は正明の理想の性癖の姿へと変えられる。今のお前の理想は大和撫子で艶のあるロングヘアーでグラマーなのだ。

しかもアンダーは無毛とはマニアックよの。ふふふ、どうだ?新しき我の姿は」

 

 何時の間にか全裸になり、しかも亀宮さんに似た和風美女が僕の上に乗っている。サラサラの黒髪は腰の位置まで伸びており、顔に触れる髪は良い匂いと肌触りだ。

 あれほど嫌だったデカい乳も、今ではご馳走に感じてる。これが「真・胡蝶」なのか?

 

「うがぁー、もう辛抱溜まりません!」

 

 大和撫子の胡蝶に襲い掛かるが、簡単に返り討ちに合い布団の上で押さえ付けられる。片足で頭を踏まれているが、その淡い付け根もバッチリ鑑賞出来るぜ!

 

「落ち着け正明。我が後でタップリと相手をしてやるが、今は無駄玉を打つな。お前の相手は隣の部屋に居るだろうが?」

 

 隣の部屋?桜岡さんの事か?彼女は……うん、素晴らしいボディだ。

 前は残念だと思っていたが今は喰える、余裕で喰えるぞ。いや先ずは一階の結衣ちゃんに夜這いを……イヤイヤイヤ、それはマズいだろ?

 彼女が成人してお互いの気持ちを確認する迄は駄目だ。あの子に嫌らしい感情をぶつけちゃ駄目なんだよ。

 その場に座り込み、頭を抱える。何でどう見ても好意的に接してくれる桜岡さんに、何で手を出さなかったんだ?

 彼女の態度を見れば、バッチコイじゃないか!

 

「悩んでないで早く子作りに行かんか、ボケェ!」

 

 胡蝶さんに尻を蹴られて廊下に叩き出された。少し寒い廊下を見渡せば、まだ桜岡さんの部屋からは灯りが漏れている。

 

「ふむ、まだ起きてるのかな?起きてるなら夜這いじゃないよね」

 

 起き上がり身嗜みを整えて、彼女の部屋の扉をノックする。

 

「はい、あら榎本さん。どうしたんですか?」

 

 彼女は寝る前だったのか、可愛い系のネグリジェに薄いショールを羽織っているだけだ。

 匂い立つ色気を感じるが、微妙にお酒臭い。肩越しに見る室内には卓袱台が有り、日本酒の一升瓶が鎮座しています。

 久保田の碧寿とは知る人ぞ知る山廃仕込みの純米大吟醸だ、レアな逸品をチョイスしてるね。

 しかも摘みがアタリメとは更に渋いな。でもオッサン臭い趣味も今は魅力の一つと思ってしまう……

 

「ええ、実は桜岡さんに……いえ、霞さんに大切なお話が有りまして」

 

「まぁ!榎本さんが私を名前で呼んでくれるなんて……」

 

 気の所為か、目がウルウルしている彼女の両手をしっかりと握る。

 

「僕の子を一ダース産んで下さい」

 

 彼女の目を見てハッキリと力強く言う。

 

「はぁ?いえ、いや……あの……その、一ダースですか?」

 

「嫌ですか?」

 

目を逸らさずに再度聞く。

 

「いえ、嫌ではないのですが……その、12人は多くないでしょうか?」

 

 嫌じゃなければ人数の問題なんだな。ならば歩み寄れば良い。

 

「分かりました。出来るだけ僕の子を産んで下さい」

 

「はい、分かりましたわ」

 

 彼女の手を取り部屋の奥へと誘う。丁度布団が敷いてあるので、そこで一緒に大人のプロレスごっこをしよう。今夜は長い夜になるね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 既成事実さえ作れば、後はとんとん拍子に結婚式まで進んで行った。元々、準備万端暗躍していた梓巫女母娘の行動は早かった。

 子作りを行った翌日、娘は母親に報告。御両親は翌日に松尾氏を伴い僕に襲撃をかけた。

 既にヤッちゃってるから反対など出来る筈も無い。そのままブライダルフェアを行っている式場に連行。

 当日に会場を決めて式の日取りも予約した。二ヶ月後の大安吉日に百人入る大会場を抑えた。もう花嫁側の暴走は止まらない。

 新郎など出席者リストさえ提出すれば、何もしなくても進むのだ。

 

 後は自分の衣装合わせに数時間程掛ければお終い。

 

 それすらチョイスは花嫁が決めているから、実際はサイズ合わせだけだ。ウェディングドレスとお色直しのドレスは、当日のお楽しみらしい。

 招待状の作成・会場の飾り付け・席割り・司会者との打合せ・主賓来賓からの祝辞・引き出物選び・結婚指輪・新婚旅行の全て新婦が取り仕切った。

 松尾の爺さんもノリノリで新郎側の主賓として活躍してくれるそうだ。

 新婦側の主賓来賓は義理の親父さんが現役の商社を経営してるので膨大な人数になりそうだ。どうやら松尾の爺さんは桜岡一家と既に話を進めていたらしいが、怒っても後の祭りだ。

 しかも費用は全額新婦側負担で、僕は指輪代だけで良いらしいので文句など言えない。新居自体は僕の持ち家に花嫁が嫁いで来るから必要なかった。

 最短二ヶ月で急いだのは、新婦のお腹が膨らむ前に結婚式を行う為だ。プロポーズの宣言通りバンバン子作りを行っていたので、第一子誕生は確実なのだから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結婚式当日……

 

「正明さん、漸く結婚式ね。私、分かるわ。お腹の中に私達の愛の結晶が居るのが……」

 

 新婦には控え室が有る。式の途中で何度かお色直しの為に席を外すからだ。新郎は雛壇に座りっぱなしだけど。

 控え室の椅子に座り、優しくお腹を撫でる。まだ外見的には妊娠は分からない。だが、母親になると直感で分かるらしい……

 当日に初めて見せて貰ったウエディングドレスは素晴らしいの一言に尽きた。当然レンタルではない、オーダーメイドの逸品だ。

 流石にティアラやネックレスはレンタルだが相当な金額だろう。

 

「そうなんだ。じゃ体を大切にしなきゃ駄目だね」

 

 座る新婦の脇に立ち、肘掛けに添えられた彼女の手を優しく握る。

 

「そうよ。激しい子作りは控えて下さいね。私の勘では双子だと思うわ」

 

 彼の鍛えられた肉体は、アクロバティックな体位をも可能としていた。だがお腹に子供がいるなら自重しなければならない。

 

「幸先が良いね。頑張って育てよう。何、お姉ちゃんがしっかり者だから大丈夫だよ」

 

「結衣ちゃんを正式に養子にしたのは、子供のお世話をして貰う為じゃ無いのよ。彼女に迷惑は掛けません。

私が専業主婦になりますから、アナタが頑張って稼いでね」

 

 本当は霞の御両親と養子縁組をする予定だったが、一緒に暮らす為に自分達の娘としたのだ。彼女の意思でもあるのだが、元々里子として面倒を見ていたのだし問題無い。

 

「バリバリ稼ぐさ。さぁ時間だ、会場に行こうか?」

 

 添えていた手を握り締めて誘導する。

 

「私の頼りになる優しいクマさん。末永く宜しくお願いしますわ」

 

 極上の微笑みをムキムキなオッサンに向ける。

 

「勿論さ!君を不幸にする奴が居るなら、全力で潰すからさ」

 

 その逞しい筋肉を誇示して宣言するオッサン。それを見て微笑む彼女は、とても魅力的だった。

 まさに美女と野獣……その後、霞は四男三女を生み榎本一族は繁栄した。

 

 

 

 

 

 だがしかし、新郎が小原氏並の浮気癖を身に着けてしまった為に認知騒動は絶えなかった。

 最終的には子供だけで野球の対抗試合が出来る程の人数だったが、何故か新婦の母親が理解を示していたので離婚までには至らなかった。

 

 愛娘に詰め寄られた母親が「ごめんね霞、呪いがね少し変化してたみたいなの……やはり遠距離が駄目だったのかしら?それとも贄の鮮度かしらね?」

 

 そう謝罪したので、ああ彼の本質が浮気性じゃなくて私達がいけなかったのね。と、自己完結してしまったのは幸せだったのか?

 



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100話達成記念(晶編)前後編

100話達成リクエスト話(晶編)前編

 

 最近現れた筋肉の鎧を纏う年上のお坊様と、僕は友達になった。大抵のムキムキは脳筋で本能が食う・鍛える・エロで構成されている単細胞が多い中で、知的な……

 そう知的なムキムキさんだったんだ。あれだけ頭が良くて優しくてマッスルな人は、僕の知ってる限りでは中々居ないよ。

 残念な事に僕より一回り年上で、僕の事は子供扱いなんだけどさ。先週自宅に遊びに行ったけど、里子の結衣ちゃんを紹介されて仲良くなった。

 でも年頃の女子中学生と同居ってどうなのさ?本来ならマッスル育成機器を試させて貰うつもりだったのに、結果的には効率的な手順を教わっただけ。

 

 まさかの座学だよ?

 

 高校を卒業して実家の民宿を手伝って以来、久し振りに勉強した。うん、何故僕が黄昏てるかと言えば……

 

「晶ちゃん、話聞いてる?僕らさぁ……」

 

 目の前に座る男が馴れ馴れしく話掛けてくるのがウザいんです。ああ、帰りたい……高校時代の仲の良い友人に会っていたら、途中で余り知らない二人も合流してきた。

 知らない人は嫌だったけど空気を読んで一緒に遊んでたんだ。これでも僕は女友達には人気が有ったから、久し振りに会うからって話が広まったらしい。

 ウィンドウショッピングしたりファミレスでダベったり……まぁまぁ楽しかった。

 だけど途中で後から来た女が彼氏を呼んで合流。チャラチャラ男だ、大学生らしいがチャラチャラだ。

 ソイツが更に友達二人を連れて来てファミレスでダベリだした。もう帰りたい。

 

「あれ、晶。珍しいじゃん、アンタがブレスレットなんかするの。綺麗だね、水晶?」

 

 恵美子が目聡く右手に付けている数珠を見付けた。お気に入りの数珠をだ。

 

「うん、水晶だよ。貰ったんだ、凄い綺麗だろ?」

 

 あれから肌身放さず付けている数珠を袖を捲って見せる。

 

「へぇー、晶がプレゼントを受け取って身に着けるなんてね。誰なの、難攻不落のハンサムガールのお相手は?」

 

 他人の恋愛事情は年頃の女の子には格好のネタだ。他の連中まで話に首を突っ込んでくる。

 

「お世話になった人だよ。凄い筋肉ムキムキなのに頭が良い人なんだ。先週自宅に遊びに行ったけどさ、色々教えて貰って……」

 

「「「キャー自宅に連れ込んで色々教えるってー!」」」

 

 五月蝿いよ、周りのお客さんに迷惑だよ!

 

「何だよ、晶ちゃん彼氏持ちかよ!」

 

「ツマンネー、独りだって聞いてたから来たのにさ」

 

 なんだか嫌な感じだ。学生時代にも有った、僕を紹介しろってヤツ?榎本さんは尊敬する友達なんだ!

 お前らより百万倍も格好良いんだよ。

 

「恵美子、僕帰るよ。もう遅いからさ」

 

 既に腕時計の針は20時を指している。幾ら社会人だからといってフラフラして良い時間じゃないし。

 

「えー?これからドライブしようぜ。車で来てるんだよ。ボックスだから全員乗れるって」

 

「そうだよ、晶。久し振りなんだから、もう少し遊ぼうよ」

 

「そうだ!肝試ししようぜ?確か近くに幽霊屋敷が有るんだよな」

 

「良いんじゃね?けってー出ようせココをさ」

 

 僕を無視して話が進んで行く。恵美子も付き合うみたいだし、仕方無いか……仕方無くファミレスを出た。

 会計は割り勘だったから気兼ね無いけど、甲斐性ないよな。携帯の電卓機能で一円単位までキッチリ分けるなんてさ。

 僕は端数を出しても良いって言ったんだ。レジの人も大変だし、後ろに会計待ちで並んでるんだよ。

 

 これだからチャラチャラ男は嫌なんだ。

 

 苦痛だったファミレスを出ても車の中がまた不快だ。何で隣に座ってベタベタ触ろうとするの?

 15分程車を走らせると、八王子市郊外の鄙びた場所の古い民家の前に着いた。

 木造で少し壊れている様な家。庭の草木はボウボウでテレビで見る様な黄色いテープが張られている。

 えっと、keep outだっけ?

 

「此処が先日孤独死が見つかった家でーす!」

 

「うぇーい!」

 

 ふざけながらチャラチャラが踊り出した?アレかな、頭ん中が病んでるってヤツだ!

 でも確か僕も聞いた事が有る事件だった。70代のお爺さんが死んでから1ヵ月位放置されてたヤツだ。

 行政の支援を断り近所の人にも会わなかったとか……玄関周りに張られた黄色いテープが生々しい。

 

「ねぇ、ふざけ半分に良くないよ!」

 

「そうだよ、騒ぐのは良く無いって!」

 

 僕と恵美子が諫めるが、コイツ等聞いてない。黄色いテープを潜り敷地に入り込む。

 玄関をガチャガチャ開けようとするが、普通は鍵が掛かってるだろ?もう嫌だ!

 

「恵美子、帰るよ。タクシー拾って帰るんだ。アンタ等もふざけてないで帰るよ。人の死を茶化すなんて最低だよ!」

 

 そう怒鳴った時に、耳の傍で声が聞こえた気がした。

 

「ありがとう……一緒に……行くかい?」

 

「なっなに?」

 

 何か耳元でボソボソと囁く声が聞こえた……思わず右手で耳の辺りを掻き毟る。

 数珠がカチャカチャと鳴る音を聞くと落ち着いた。もう此処には居たくない。まだ騒ぐ奴らを置いて、恵美子の手を掴んで大通りまで歩いて行く。

 

「ごめん、晶。絵梨達も悪気は無かったんだ。ただ高校時代のハンサムガールの知り合いだって大学で自慢してさ。

サークルの皆に会わせるって約束したみたいでさ。私に紹介してくれって頼みに来たんだ」

 

 やっぱりだ。だからチャラチャラ達が僕を見る目はイヤらしい感じがしたんだ。

 

「恵美子には悪いけど、僕もう会いたくないよ。今日だって最低だよ。人が死んだ場所で騒げるなんてさ!」

 

「ありがとう……」

 

 まただ、また耳元で声が聞こえた。思わず周りを確かめる。夜の通りには、僕と恵美子しかいない。

 他の誰かの声なんて聞こえる筈が無いんだ。幻聴かな?大通りでタクシーを拾い、恵美子の家経由で自宅に帰る。

 久し振りに恵美子と会えたのは嬉しいけど、後半が最悪だった。

 

 夜食を食べるべく台所で冷蔵庫を漁る。白菜の漬け物が有った。冷ご飯を茶碗によそりお湯をかける時に手元の数珠を見て我に返る。

 僕がお茶漬け?殆ど食べた事がないのに、自然と準備をしていた。

 おかしい、僕は夕飯はちゃんとファミレスで食べた。夜食の習慣は無いし、お茶漬けも殆ど食べた事が無い。

 なのに何故、自然と用意してるの?それに耳元で聞こえる声は……

 もしかして、何かに憑かれたのかな?時計を見れば22時を過ぎてるけと、携帯を取り出してアドレスからエ行を呼び出す。

 

 一番上の番号を呼び出しコール。1回目……2回目……3回目……早く出て。5回目、良かった繋がった。

 

「こんばんは、晶ちゃん。どうしたの?」

 

「えっ榎本さん、あのね……あのね僕、何か変なんだ。実は……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 礼儀正しい晶ちゃんには珍しく22時過ぎてから電話が有った。

 慌てている彼女を落ち着かせて話を聞けば、友達が事故現場で悪ふざけをしてたのを止めたそうだ。

 その時から耳元で声が聞こえて、しかも知らない内に自分がらしくない行動をしている。

 

 取り憑かれたな……しかも「一緒に行くかい?」と聞こえたそうだ。これは一刻を争うぞ!

 

「晶ちゃん、渡した数珠は持ってるね?」

 

「うん、肌身はなさず持ってるよ」

 

 よし、最低限の備えは有るから後は塩で簡単な祓いをするか。

 

「今から直ぐに行くから待ってるんだ。2時間は掛からない」

 

「もっもう遅いから明日でも大丈夫だよ」

 

「良いから話を聞け!」

 

「はっ、はい!」

 

「じゃ台所に行って塩を有るだけ持ってきて体に振り掛けるんだ。後は塩で1m位の円を書いて中で待つ。

岱明館に着いたら電話するから何が有っても塩の円から出るな。良いね?」

 

「ごめんなさい、榎本さん」

 

 心優しい彼女に怒鳴ったから悲しませてしまったかな?

 

「大丈夫、必ず何とかするから安心するんだ。何か有れば電話するんだよ」

 

 そう言って電話を切り、服を着替えて清めの塩とお札を持って車に向かう。結衣ちゃんには急ぎの仕事だからと説明し、戸締まりを確認して直ぐに出掛ける。

 佐原インターから横浜横須賀道路に乗れば、八王子市までは乗り継ぎ込みでも60分弱で行ける。愛車キューブのアクセルを普段より強く踏んで急ぐ。

 やはりもう一台、スピード優先の車を買おうかな。社用車として2台迄は登録出来るし、緊急時には10分が惜しいからな。

 だけど聞いた話を総合すると、不幸な死を遂げた老人は晶ちゃんをあの世に引っ張るつもりだろう。

 

 急がないと危険だ!

 

 畜生、ふざけた学生に取り憑きゃ良いのに、自分に同情した心優しい美人をターゲットにしやがって。直ぐに冥土に送ってやるぜ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 僕、怒られちゃった……でも直ぐに来てくれるって、嬉しい。 

 だから言われた事を確実に守らなきゃ。

 

 先ずは塩……

 

 ここは台所だから直ぐに分かる。調味料入れの棚から塩を取り出し、全身に振り掛ける。

 不思議と頭がスッキリした感じがするよ。

 

 次は部屋に行って塩の結界か……

 

 この入れ物の塩だけじゃ足りないや。確か買い置きが……コレだ。棚の下から業務用1キロの塩を取り出す。

 せめて両親には心配かけない様に、そっと部屋に行き畳の上に塩で円を書いて中に入る。

 

「もう、此処から出ない。榎本さんが来る迄出ない。大丈夫、あと少し頑張れば大丈夫」

 

 数珠を両手に握り締めて祈る。こう言う時は念仏を唱えるんだっけ?

 

「南無阿弥陀仏?何妙法蓮華経?僕ん家って宗派は何だったかな?ああ、お婆ちゃんの葬儀の時に唱えたのドッチだっけ?」

 

 軽くパニクってしまう。

 

「だっ誰?」

 

 僕しか居ない部屋で、何かの気配がする。部屋の中を見回す。僕の部屋、8畳和室に机と衣装棚・本棚・テレビしがない可愛げの無い部屋。

 隠れる所なんて何もないのに、ソレはテレビの画面に写り込んでいた……テレビの硝子部分に写る僕。

 だけど僕の後ろに立っている老人も一緒に写ってるんだ。

 

「誰だよ?」

 

 後ろを振り返っても誰も居ない。だけどテレビの硝子を確認すると、確かに写っている。

 

「一緒に……行ってくれよ……お嬢ちゃん」

 

 目に見えるソレの口はそう動き、僕の耳元で声が聞こえた。

 

「絶対に嫌!」

 

 床に座り込み耳を押さえる。大丈夫、大丈夫だ。この数珠と塩の結界で防げる。だってアイツは中に入って来れないもん!

 

「なぁお嬢ちゃん。寂しいんだよ、一緒に行ってくれよ」

 

「嫌!僕は行かないよ、独りでいってよ。僕は嫌だ!」

 

 硝子にしか写らない姿。耳元にしか聞こえない声。これが榎本さんが戦っている世界なんだ……

 でも榎本さんは必ず何とかしてくれるって言った。だから、だから僕も頑張る。相変わらず声は聞こえるが、それだけだ。

 

 でも、でも怖いから。少しでも頑張れる様に榎本さんの声が聞きたいんだ。

 

 携帯でリダイアルをする。ごめんなさい、少しだけ声を聞かせてね。3回目のコールで繋がった。

 

「晶ちゃん、どうした?」ああ、安心する。

 

「榎本さん、お爺さんが部屋まで来ちゃった。硝子に写り込み、耳元で囁くんだ。一緒に行ってくれよって。どうしたら良いかな?」

 

 涙が出そうになるけど我慢する。泣いたら負けだよ。

 

「気をしっかり持つんだ。ヤツは塩の結界には入れない。だから大丈夫だ。もう狩場インターを抜けた。空いてるから30分位で着くからね」

 

 あと30分の我慢だ。

 

「うん、僕頑張るよ」

 

 運転中に携帯で通話は駄目だから電話を切った。こんな時に道交法を気にするなんて、少し可笑しくなったよ。

 

「ふふふ……僕は負けないよ。だって直ぐに榎本さんが助けにくるんだ!」

 

 テレビの硝子に写り込む、お爺さんを睨み付ける。負けるもんか!

 

 

100話達成リクエスト話(晶編)後編

 

 高速道路を乗り継ぎ、八王子市まで到着。流石に休日深夜は道も空いており、此処まで一時間も掛かってない。

 後は一般道を15分も走れば岱明館だ。慎重にスピードを制限速度40キロの2割増で走る。

 スピード違反で捕まったらオジャンだから。だが未解決な大問題を思い付いた。彼女は部屋に居て、周りにヤツも居る。

 電話で外に呼び出す事は危険だろう。塩の結界から出たら、ヤツに取り憑かれてしまうかもしれない。

 どうする、親御さんに説明して中に入れて貰うか?いや、無理だな。

 

 時間が勿体無いし普通は夜中に押し掛けて「霊が娘さんに取り憑いて危険なんです。会わせて下さい!」って言っても怪しいだけだろう。

 

 幾ら知り合いでも信じさせるのに、どれ位の時間が掛かるか分からない。先方からの相談なら問題無いが、除霊の押し掛けなんて警察を呼ばれてお終い。

 序でに晶ちゃんも、あの世に引き込まれてしまう。

 

「すまない、胡蝶。お願いだから力を貸して欲しい。新しい贄でも何でも探すから頼む」

 

 車内で自分の左手首に話し掛ける怪しいオッサン。だが、僕の左手首には非常識な美幼女が住んでるんだ。

 グニャグニャとした液体が蝶々の痣から湧き出し、助手席で盛り上がる。

 

 この感覚にも大分馴れた……

 

「ふん、情けないぞ正明。あの娘も愛人候補なんだぞ。しっかり守らんか!」

 

 助手席に真っ裸で胡座をかいて座る美幼女。最近力を取り戻し始めているらしく、瞳が金色になってきた。

 崇める者が居るからこそのパワーアップらしいが、信仰心が力の源?

 

 いや愛人って……晶ちゃんは友達だし、霊能力も持ってないから対象外じゃないの?

 

「すまない胡蝶。力を貸して欲しい。時間が無いから民宿の前まで車をつける。中に入って彼女を助けて欲しい。その……服を着た状態で、お願いします」

 

 信号で一旦停止中なのだが、助手席に全裸の美幼女が座ってる。即通報されるレベルの変態行為です。

 

「ヤレヤレ……小娘をあの世へ引き込む爺の霊をか?大して美味くも無かろうが、我の唯一の愛しい下僕の懇願だからな。聞いてやるのも吝かで無いぞ」

 

「ありがとう、胡蝶」

 

 デレ期の胡蝶さんは、優しくて助かる。後5分位で目的地に到着だ!ハンドルを握る手に力が入る。

 

「だが、条件が有る。我に頼むのだ!それなりの見返りは有るのだろうな?」

 

 やっぱりだー!

 

 流石に無料(ただ)で頼み事を引き受けてはくれないよな。

 

「なんだ?僕に出来るか?時間が無い、もう直ぐ着くんだけど……」

 

 あの交差点を左折すれば、後は直進だけだ。ウィンカーを出して減速、信号は青だからそのまま左折する。

 この辺になると夜は車も人も殆ど居ない。着いたら携帯で連絡して胡蝶が安心だと伝えないと、晶ちゃんパニクるだろうな……

 

「正明。我を人形寺に連れて行け。呪に染まる人形はそれなりにご馳走だ。良いな?」

 

 胡蝶さん、愛してますよ!それだけで良いのなら大歓迎です。

 例え無断で供えられた人形達を食べると言う犯罪行為だけど、喜んでお手伝いさせて頂きます。

 相手だって危険な人形が減れば手間も省けるよね?管理体制が問題になりそうだけど、記録なんてつけてないよね?

 

 自分の知る限りの人形供養の寺だと……京都の宝鏡寺か千葉の長福寿だ。

 人形供養は結構な数の寺が行っているが、定期的に開催・その日にお焚き上げ供養が多い。

 保管しながら長期供養する寺となると少ない。胡蝶のお願いだから、調べてみるか……

 

「分かった!そろそろ到着する。電話で晶ちゃんに説明するから、服を着てマイルドに爺さんを何とかしてくれ。

彼女は僕と違い繊細だから、オレお前丸かじりは駄目だぞ!ちゃんと年頃の女の子として配慮してあげて下さい」

 

 話し終わると岱明館の前に着いた。車を停めてエンジンを切る。

 胡蝶はヤレヤレと両手を肩の高さまで持ち上げると、液体化をしてドアの隙間から流れる様に出て行った。

 黒い水溜まりがスルスルと移動して建物の外壁を上り、窓の隙間から中に入り込むのを確認し慌てて携帯電話を取り出す。

 晶ちゃんが驚く前に教えなきゃ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 じっとテレビを睨み付けてお爺さんの霊と対峙していた。

 もう何分経ったかも分からない。でも僕は頑張ったんだ、頑張ってるんだ。

 その時、待望の携帯が鳴った!榎本さんからだ。慌てて通話ボタンを押す。

 

「もしもし、榎本さん?」

 

「晶ちゃん、今家の前に着いた。落ち着いて良く聞いて欲しい。今、その部屋に……その……僕の崇める霊的な存在を送った。

彼女は怪しくないから驚かないでくれ。胡蝶は味方だからね。安心して彼女に任せてくれ」

 

「崇める?胡蝶?ねぇ、榎本さん?僕、榎本さんの所に行きたいよ」

 

 助けに来てくれた榎本さんの言葉は歯切れが悪い。何故だろう?それに胡蝶って誰?

 その時、お爺さんの絶叫が耳元で聞こえた。慌ててテレビの硝子面を見ると、巫女服姿の幼女が写っていた。

 お爺さんの姿は無くなってしまったよ?振り向くと本当に巫女服姿の幼女が立っている。

 

「あの、君が胡蝶ちゃん?」

 

 僕を見上げる幼女の瞳は金色だ。凄い日本人形みたいな美少女が、綺麗な金色の瞳で僕を見ている。

 人間離れした美しさが、霊的な事なのかな?

 

「女、感謝しろよ。正明の頼みでなければ、こんな下等な霊など喰わないのだぞ。

まぁ、お前はアレの愛人候補だからな。命は守ってやるよ。外に正明が来ている。礼を言ってやれ……」

 

 かっ可愛い!この娘、凄い可愛いんだけど!おませな言動にツンデレみたいな態度だよ。

 

「胡蝶ちゃん、榎本さんは外に居るの?もう僕は安全なの?」

 

 現実離れした出来事の連続で、力が抜けてペタンと座り込んでしまう。榎本さんって、こんな可愛い子を仲間にしてるんだ。

 でも人間じゃないんだよね?兎に角、榎本さんにお礼を言わなきゃ。胡蝶ちゃんの両脇に腕を差し込み抱き上げる。

 

 この子、スッゴく軽いよ?

 

「なっ何だ?我に気安く触るな!」

 

 持ち上げるとバタバタ暴れだしたから、ギュッと抱き締める。

 

 うん、子供特有の温かさだ。この子、本当に人間じゃないのかな?

 

「榎本さんの所に行こう。話はそれからだよね」

 

 胡蝶ちゃん?を胸の前で抱き締める。

 

「ふん、外で待ちくたびれてるから早く会ってやれ。序でに子作りをしてバンバン子を孕めよ」

 

 こっ子作り?

 

 そっそっ、そんな事が出来る訳ないじゃん!僕達はそんな関係じゃないんだよ。

 でっでも、榎本さんって僕の事をそんな目で見てるのかな?男の子みたいな僕を?

 顔が熱を持ち真っ赤なのが分かるけど、お礼を言わなきゃ駄目だから……胡蝶ちゃんを胸の前に抱き締めて下に向かう。

 大人しく抱かれている彼女に聞いてみる。

 

「ねぇ、胡蝶ちゃん?」

 

「何だ?」

 

「あの、お爺さんどうなったの?」

 

 榎本さん、お坊様だから成仏させたのかな?でも部屋には胡蝶ちゃんしか居なかったし、変な悲鳴聞こえたし……

 玄関まで来たので鍵を開けて外へでる。家の前にはキューブが停まっていて、前に榎本さんが立っていた。

 今夜は皮ジャンにGパンだ……胡蝶ちゃんが僕の問に答えず、飛び降りて榎本さんの下へ走っていった。

 

「ありがとう、胡蝶。助かったよ」

 

「ふん、我への約束、忘れるでないぞ」

 

 そんな会話が終わったら、胡蝶ちゃんがバシャって水溜まりになっちゃった?

 

「あの……榎本さん。ありがとう。僕の為に迷惑掛けてごめんなさい」

 

 さっきの胡蝶ちゃんの子作り話の所為で、顔が熱くてマトモに榎本さんが見れないよ。だから頭を下げた状態で固まってしまった。

 そんな僕に榎本さんは、ワシャワシャと頭を撫でてくれた。

 

「晶ちゃんが無事なら良いんだ。もう大丈夫だけど、念の為にお札を何枚か渡すから部屋の壁にでも貼ってね。後は出歩く時は鞄に入れておくんだ」

 

 ゴソゴソと腰のポーチからお札を取り出している。どうみても世話の焼ける子供への態度だよ。

 僕を愛人にして子作りをしたい様には見えない。僕、胡蝶ちゃんにからかわれたのかな?

 

「ねぇ、榎本さん?」

 

「何だい、何処か痛いの?」

 

 心配そうな顔で僕を見る。微塵もイヤらしさを感じない。ほら、すっごく心配してくれてるけど欲望0だよ。

 

「胡蝶ちゃんに、榎本さんの愛人になって子供をバンバン産めって言われたよ。

あの子って何なの?榎本さんは僕の事を愛人にしたいの?恋人じゃなくて愛人なの?」

 

 アレ、凄い変な顔だ。もしかして僕、呆れられたのかな?

 

「胡蝶はね。天涯孤独の僕に早く家族を作れって言ってるんだよ。愛人ってのはアレだけど、多分そうだと思う。

胡蝶はね、僕の先祖が盟約を結んだ力有る存在なんだ。何かって言われても僕も分からないや。

さて、問題も解決したし、僕は帰るよ。晶ちゃんも、これに懲りて変な男に付いて行っちゃ駄目だよ」

 

 もう一回、頭をワシャワシャと撫でてくれた。完全に保護者だよ!

 何となく、そのグローブみたいな手を両手で握ってみる。ゴツゴツしてるけど温かいや。

 

「なっ何だい晶ちゃん?」

 

 漸く動揺してくれた。見上げる顔は慌てていて少し赤い。手を離し正面から抱き付いてみる。腰に手を回して固い胸板に頬を押し付ける。

 

「僕、怖かった。本当に怖かったんだから……」

 

 今になって恐ろしくなり泣きそうになってしまう。ヤバいや、本当に涙が溢れ出してきた。

 慌てていた榎本さんも、泣き出した僕を見て軽く抱き返してくれた。ポンポンと背中を軽く叩いてくれたら、少しずつ楽になってきたよ……

 

 5分程泣いたらスッキリした。

 

 体を離すと少し照れた榎本さんの顔を見る。うん、やっぱり全然欲情してない。

 あのチャラチャラなんて鼻を広げて興奮してたのに、榎本さんは困った感じしかしない。むぅ、嬉しいけど嬉しくないぞ!

 

「晶ちゃん、落ち着いたかい?じゃそろそろ帰るよ。後で今日一緒に行ったメンバーを男も含めて内緒で教えてね。念の為、霊障が無いか調べてみるから……」

 

 もう一度、頭をワシャワシャと撫でてくれて車へと歩いて行く。

 

「うん、分かった。何から何までありがとう。今度絶対にお礼するよ。何か良い?」

 

 三歩程の距離を空けて話し掛ける。

 

「また遊びにおいで」

 

 そう言って車を出す榎本さんを見て思う。今、僕に迫れば吊り橋効果で落ちたと思うのに……全然僕に対して、そんな気にはならないの?

 悔しいなぁ……でもすっごく大切にされてるのは分かった。

 来週また遊びに行こう。もっと一緒に居れば、この胸のモヤモヤの意味も分かる筈だよ。

 貰ったお札を手に部屋に戻る。そうだ、恵美子には榎本さんの事を教えてあげよう。

 きっとビックリする筈だよ。あの娘は面食いだから、榎本さんを狙う事は無いから安心だし……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ふぅ、問題無く晶ちゃんを救う事が出来た。胡蝶には借りが出来たが、深夜に人形寺に連れて行くだけなら簡単だ。

 どうやら胡蝶は僕を中心として移動距離が限られているらしい。だから胡蝶が行きたい所には、僕も同行しなければ駄目らしい。

 助手席で流れる景色を楽しそうに見ている胡蝶に話し掛ける。

 

「なぁ胡蝶?晶ちゃんに変な事を吹き込んだだろ?愛人とか子供バンバンとか?彼女は一般人だから止めてくれよな」

 

「なら早く女の一人でも囲って孕ませろ!正明はスケベで子作りの行為は大好きな癖に結果を望まないからな」

 

 此方を見ずに投げやりに言われてしまった。でも結衣ちゃんと結ばれて子供を授かるには、未だ時間が掛かるんだよ。

 

「くっ……分かりました。善処致します。でも有難う、胡蝶。晶ちゃんを助けてくれて……」

 

「あの女、我を怖がらずあまつさえ抱き上げると言う暴挙に出たがな。気に入ったぞ。

アレも正明の愛人として囲うんだ。本命は狐憑きでも梓巫女でも良いがな」

 

 そう言うとバシャりと液体化して左手首に戻ってしまった。もしかして照れ隠しだったのかな?

 胡蝶の件は問題無いだろう。問題は晶ちゃんを連れ回して変なジジイの霊を憑く原因を作った連中だ。

 仲の良い女友達以外の連中には地獄を見せなければならない。

 

 特にチャラチャラ男だが……

 

 社会的に抹殺する地獄を見せてやる。具体的には公共の場での腹下しだ……ククックククッ……思い知るが良い僕の嫉妬と怒りと八つ当たりを!

 



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幕間第3話から第5話

幕間3

 

 爺さんが亡くなってから一週間が過ぎた。何とか初七日の法要を終える事が出来たのは、田舎故の地域コミュニケーションのお陰だ。

 殆どを手伝って貰った。だが、思い出が沢山詰まったこの家ともお別れしなければならない。

 ここら一帯は、もう直ぐダムの底に沈む……昔からの知り合い達も代替え用地がバラバラだから、次に何時会えるかも分からない。

 爺さんの葬儀は、この地域の最後の協同作業みたいな感じだ……全てを終えて、独り自宅のベランダで空を見上げる。

 既に夕刻で有り、向の山に太陽が半分以上沈んでが辺りを赤く染めている。

 

「母さん、父さん、爺ちゃん……遂に独りぼっちだよ。

僕はコレから榎本家の宿痾(しゅくあ)を独りで全て背負っていかないと駄目なのか?何故、何故僕なんだよ!」

 

 問い掛けに返事は無い……僕の為に死に急いだ爺さんは、これからの事をちゃんと考えてくれていた。

 相続その他の法的な事は、松尾の爺さんに。修行に付いては、知り合いの住職に話を付けていてくれた。

 普通は総本山に話をとか思うんだが……勿論、総本山が修行を受け付けない訳じゃない。

 だがそれは一般的な修行であり、除霊を目的としてないんだ。そもそも、そんな修行を総本山が取り仕切ってるなんて対外的にバレたらアウトだろう。

 あくまでも精神的な修行や祈祷等を学ばせ、徳の高い僧侶を育成するのだ。だから所謂、霊能力を鍛え除霊の方法を学ぶのはどうするか?

 実際に除霊を生業としている人に弟子入りするんだ。僕は爺さんの遺言の中に、一通の紹介状が有るのを見つけた。

 

 宛名は竜雲寺(りゅううんじ)の悟宗(ごそう)。

 

 自分の寺を持っているが集落から離れた山中に有り、坊主でなく除霊を生業としている。富山県の辺鄙な場所に有り、何度か連絡したが不在。

 一週間連絡を取り続けて、漸く話す事が出来た。既に爺さんから連絡と報酬も貰っているらしく、日時を指定され会いに行く事となった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 在来線と路線バスを乗り継ぎ、竜雲寺に到着したのは既に3時過ぎ。インターネットで乗り継ぎ案内で調べていたが、予想以上に時間が掛かった。

 一日三往復しかないバスは、今乗ってきたのが最終。既に一泊させてもらうしか帰る手立ては無い。

 

「なんつード田舎なんだ。ウチの方が全然都会だそ……」

 

 くたびれたアスファルトの道路、標識だけのバス停。見渡す限り民家は無い。少し小高い場所に山門が見えるが、アレが竜雲寺だろうか?

 このバス停は山間部の集落と集落を結ぶ道の途中に有り、普段利用するのは殆ど居ないそうだ。降りる時に運転手に確認された位だし……

 竜雲寺に呼ばれていると言われて、やっと納得してくれたんだ。携帯電話を確認したが、当然ながら圏外。

 街灯も道路沿いにポツポツしかないので、早く目的地に行こう。さっきから犬の遠吠えが聞こえるんだ。

 きっと野犬とかが居るんだろう……荷物を背負い直し坂道を山門の方へ上り始めた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 竜雲寺と書かれた山門を潜り境内に入る。うん……荒れ果ててる。

 手入れが全くされてないと言った方が良いのかな?雑草はボウボウだし枯れ葉は山盛り、良く見れば建物も大分傷んでいる。

 廃墟じゃないと分かるのは、電気が点いてるからだ。自家発電機でも有るのかな?いや市道には街灯が有るから電気は引いてるだろ?

 荒れ果てた寺を見上げて、暫し呆然とする……

 

「おぅ!突っ立ってないで入って来い」

 

 野太い声に現実へと引き戻される。見れば50代前半位、目つきの鋭い筋肉質な男性が立っていた。作務衣を着て頭にタオルを巻いている。

 

「あっあの、僕は……」

 

「聞いてるよ。榎本んとこの坊主だろ?まぁ上がれ」

 

 そう言って家の奥にスタスタと歩いて行ってしまう。慌てて靴を脱ぎ後に続く。通されたのは本堂。

 此処だけは綺麗に清掃されていた。本尊は……多分だが愛染明王だ。優に3mは有ろう立派な木像に見とれる。

 

「まぁ座れよ。大変だったな、アイツから聞いてるよ。お前の右ポケットに収まってる奴の事もな」

 

 言われてハッとポケットを押さえる。此処にはアレが「箱」が入ってるんだ。アレは肌身離さず持ってろと命令した。

 断る事は無理だし、故意に忘れてもちゃんとポケットに入っていた。大人しく板張りの床に胡座をかいて座る。

 

「俺はお前の爺さんから、一人前の霊能力者としてやってける位に鍛えてくれと頼まれた。

だが、俺の除霊方法は自己流だ。だからお前はお前のスタイルを確立せにゃいかん。

最低限のルールは教えよう。今日は疲れたろ?部屋に案内するから少し休んでろ。夕飯に呼んでやるよ」

 

 ニカッと人懐っこい笑みで言われたが、修行に来たのにお客様扱いは……

 

「いえ、何かお手伝いを……」

 

「今日はお客さんだ。だけど明日からは大変だぞ。来い、コッチがお前さんの部屋だよ」

 

 そう言ってスタスタと先に行ってしまう。仕方無く鞄を抱えて後を追う。案内されたのは何もない10畳程の和室だ。

 

「押し入れに布団が有る。足りない物は麓の町で自分で揃えな。1ヶ月位を目標に鍛えてやるよ」

 

 そう言うと、またスタスタと去ってしまう。取り敢えず部屋に入り……

 足の裏がジャリジャリしたので、掃除用具を借りに悟宗さんを探しに行った。慌ただしく布団を干して部屋中を掃除した。

 布団は……うん、じっとりとしていたので夕方でも干したが明日は本格的に干そう。ちょうど掃除が終わった時に悟宗さんが呼びに来た。

 食事は台所で食べるのだが、電気は来ているが水道は無く井戸を使う。ガスはプロパンだ。

 一応のライフラインが揃ってるので安心したのは内緒だ。

 

「男の簡単料理だ。まぁ食えよ」

 

「はぁ頂きます」

 

 テーブルに並べられた料理は……山盛りご飯・具沢山味噌汁・山菜のお浸し・カボチャの煮付け、それと日本酒だ。

 

 あれ、日本酒?

 

「今時の若い奴は細っこいな。除霊は忍耐と体力の勝負だぞ。沢山食べて体を鍛えろ」

 

 昭和の体育会系なご意見を頂きました。この先が思いやられるぞ。

 

「はい、頂きます」

 

「ほら、湯呑みを出せ。坊主に酒は駄目だが、これは般若湯(はんにゃとう)だから平気だ」

 

 差し出された日本酒は剣菱だ。悟宗さんは辛口好きか?空の湯呑みを差し出すと並々と注いでくれる。

 暫くは黙々と料理をたべる。うん、まさに男の手料理だ!具材の大きさはバラバラ、味付けも大雑把だが不思議と美味しい。

 何とか山盛りの丼飯を食べ終わった。

 

 お腹がパンパンで苦しい……

 

「さて飯も食ったし少し話をするか。お前さんは自分の中の霊能力を感じ取り、真言と共に手に霊力を集める事は出来るんだよな。

だがそれは基礎中の基礎だ。霊能力者を名乗る連中なら誰でも出来る」

 

 厳しい表情で僕の現状を再確認してくれた。確かに僕は体の中に有る霊力を何となく掌に集める事は出来る。なので黙って頷く。

 

「霊力自体も並みだ……突出もしてないが低すぎる訳でも無い。だから無理をしなければ普通に霊能力者としてやってけるだろう。

お前さんが、お前さんの爺さんが何故、霊能力者として俺に鍛えてくれと頼んだから知らんがな」

 

 それは今のままでは「箱」の呪いに逆らえないからなんだが……そもそも爺さんは悟宗さんに「箱」の事をどこまで正直に教えたんだろう?

 知らんと言う事は、全ては教えてないのかも知れない。僕には一族を殺し捲る存在が取り憑いているんだ。

 普通なら関わるのを遠慮したいだろう……だから曖昧な笑みを浮かべるしか無かった。

 

「風呂は大変だからシャワーを使え。明日から本格的に始めるから、早く寝ると良い。そうだな、5時に本堂へ来なさい」

 

 悟宗さんは湯呑みに入った日本酒を煽ると、台所から立ち去った。残された僕は、取り敢えず食器の片付けを終わらせてからシャワーを浴びた。

 湯沸かし器が古すぎて使い方が分からす、素っ裸で試行錯誤したが何とか浴びる事が出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 電気を消すと本当に真っ暗だ。カーテンも無い部屋だが、外は曇りらしく月明かりも何もない。

 携帯電話の液晶画面の灯りを頼りに布団に入る。

 少しじっとりとしてる敷き布団だが、疲れが溜まっている所為か余り気にならずに眠りに落ちた。

 眠気を堪えて何とか目覚ましだけはセットする事が出来た。

 

 

 

 夢を見た。

 

 

 

 家族が亡くなってから良く見る夢だ……

 

 

 

 暗闇の中で全く体が動かせない状態で声だけが聞こえる。

 

 

 

 苦しい辛い助けて……

 

 

 

 それは忘れもしない家族の声だ。

 

 

 

 榎本一族で生き残ってしまった僕を責める声。

 

 

 

 愛していた家族から責められる辛さ。

 

 

 

 何故、僕だけ生き延びてしまったんだ?

 

 

 

 何故、助けてくれた爺さんまで僕を責めるんだ?

 

 

 

 そして散々肉親から恨み妬みを聞かされた後に、現れる不気味な幼女。

 

「正明、お前の罪を思い出せ」

 

「僕の罪って何なんだよ?教えろよ!」

 

「くっくっく、あははははははははははぁ……」

 

「笑ってんじゃねーよ!」

 

 ハッと目が覚める。全身が嫌な汗でべっとりだ。体全体が怠くて起き上がる事も億劫だ。

 額に浮いた汗だけを手で払う。またあの夢だ……爺さんに親父、母さんに罵られる夢。

 そして何時も最後に「箱」が出て来て狂った様に笑う夢。アレは夢じゃなく「箱」が見せる現実。

 「箱」に捕らわれた両親と爺ちゃんの苦しみを見せていると思う。

 

 僕の罪って何だ?

 

 アレに対して僕が何をしたと言うんだ?全く分からない話だが、罪を償わねば爺ちゃん達は救われないのだろう。

 つらつらと考えていたら携帯電話の目覚まし音が鳴り響いた。

 

「もう時間か……」

 

 嫌な汗を拭い顔を洗おう。洗面所に向かう為に立ち上がると、コロンと「箱」が布団の上に転がった……

 何時でも何処にいても、コレは追ってくる。箱をそのままにして洗面所に向かう。

 

「おお、早いな。ん?なんだ、余り寝れなかったようだな」

 

 洗面所には既に悟宗さんが居て僕の顔を見ながら心配してくれた。このオッサンは見た目は厳ついが、不器用な優しさが有ると思う。

 

「ええ、夢見が悪くて魘されました」

 

 空けて貰った洗面所の脇に水瓶が有り、洗面器に水を移してからジャブジャブと顔を洗う。冷たい水が意識をシャキッとさせてくれる。

 

「先に本堂に行っててくれ。後から行くからな」

 

「はい、お願いします」

 

 一旦部屋に戻り、動き易い服に着替えて本堂に向かう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 暫く正座して悟宗さんを待つ。5分とせずに最初に見た作務衣にタオルを頭に巻いた姿で現れた。向かいに胡座をかいてすわる。

 

「まぁ足を崩せ。そんなに畏まらなくても良いぜ。さて、お前さんの修行だが先ず午前中は普通にお勤めをしてもらうからな」

 

 お寺のお勤め……つまりは掃除だな。確かに本堂が綺麗なのは悟宗さんが掃除をしてるからだろう。

 教えを請う立場だし当たり前だろう。黙って頷く。

 

「午後は霊能力の訓練だが、今までの修行をやってみろ。それを見させて貰い考えるよ。夜は自由だ、何をしても良い。もっとも何にも無い場所だがな」

 

 そう言って豪快に笑った。何をしても良い、ね。つまり自主トレをしないで遊んで良いって意味だ。

 悟宗さんは意外と意地悪かも知れない。学びに来て遊びは無いだろう。

 

「それはそれは……大分厳しいですね」

 

 そう僕が言うとニヤリと笑った。

 

「分かってんじゃねぇか!此処で自分を甘やかす奴は駄目だ。お前は見所が有るよ。

夜は実践だ!この辺は古戦場だから教材には事欠かないぜ」

 

 ヤレヤレ、それにスパルタな人らしい……

 

 

幕間4

 

 爺さんの知り合い、竜雲寺の悟宗さん。彼はフリーで除霊を生業とする霊能力者だ。

 僕は爺さんの紹介で彼に師事している。爺さん曰わく僕等は「箱」と言うヤバい秘密を持っているから、総本山とかに相談は出来ないそうだ。

 疫災の塊みたいな奴だし、下手したら幽閉とかも有り得る。だから細々と力を付けなければならない。

 周りに気付かれずに「箱」に対抗出来る力を得る為に……此処での修行は既に二週間程過ぎようとしていた。

 悟宗さんのアドバイスで、自分の除霊スタイルは大体固まった。だけど成果は……うん、自信が無いです。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 修行は朝5時からのお勤めから始まる。15分前に起きて布団を畳み顔を洗って身嗜みを整える。

 因みに作業服は上下スエットだ……本来なら悟宗さんみたいに作務衣が良いのだが、麓の町に買い出しに行った時に見つからなかった。

 まぁ周りに人は居ないから気にしなければ平気だと思う。先ずは本堂の掃除だ。

 井戸から汲み上げた水を、バケツに入れて本堂まで運ぶ。メチャメチャ水は冷たい。雑巾を固く絞り床を丁寧に拭き清める。

 20畳程の広さの板の間は、バケツ四回は入れ替えないと綺麗にならない。毎日水拭きしてるのに、何故こんなに汚れるのかが不思議だ。

 次は御本尊たる仏像の埃を払う。これは駝鳥の羽をまとめたハタキの様な物で丁寧に払っていく。

 

 此処の御本尊は愛染明王。悟宗さんもウチの実家と同じ真言宗泉涌寺派だ。

 

 愛染明王は一面六臂で忿怒相、頭には象徴する獅子の冠を被っているが、これはどのような苦難にも挫折しない強さを表している。

 叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿だ。

 もともと愛を表現した仏であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。

 また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿の「天弓愛染明王像」など双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存する。

 愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る。また「愛染=藍染」と解釈して染物・織物職人の守護神としても信仰されている。

 更に余り知られてないが愛欲を否定しないことから古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。

 

 だから、悟宗さん曰わく愛染明王は

 

「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」

 

 とする煩悩退散が殆どの仏教の中で、愛染明王の教えは愛欲を功徳に変える力を持っているそうだ。

 

※勿論、これは女好きな悟宗さんの曲解かもしれないが、僕も霊能力を得る代わりにストイックになれって言われないだけ良いと思う。

 煩悩を退散し悟りを開かないと駄目なんて、俗世の欲望や復讐心・自己保身願望がグチャグチャ入り混じってる僕には無理だから。

 因みに愛染明王は軍神としての一面も有り、戦国時代の名将直江兼続は愛染明王への信仰から兜に愛の文字をあしらったとも考えられている。

 

「何だ、マジマジと仏像を見詰めて。珍しいモンじゃないだろ?」

 

 大体6時前に悟宗さんは朝のお勤めの確認に来る。その後、彼は朝食を作りに台所に行くのだがサボったりしてるとお叱りを受けるんだ。

 

「ええ、実家も真言宗泉涌寺派(しんごんしゅうせんにゅうじは)ですから……」

 

 実家の寺も真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属していた。そろそろダムの底に沈んじゃうけどね。

 

「そうだったな。我々の泉涌寺派は苦難の歴史を辿った。知ってるか?元々泉涌寺は皇室の御陵所・香華寺とされて皇室との関係が深かったんだ。

だが明治時代に入ると皇室からの保護が無くなり、財政的にも逼迫(ひっぱく)して衰退しちまった。

漸く力を取り戻したのは1907年(明治40年)。真言宗古義八派聯合に際して初めて泉涌寺派の派名を公称したんだぞ」

 

 ここは試験に出すからな。そう冗談を言われたが、僕だって実家の宗派の歴史位は頭に叩き込まれたよ。

 

「知ってますよ。

その後の太平洋戦争にともなう政府の宗教政策により、1941年(昭和16年)に古義・新義両派の真言宗各宗派が合同して大真言宗に統合された。

戦後、大真言宗から独立し1952年(昭和27年)9月30日に真言宗泉涌寺派として宗教法人認証をして10月17日登記完了。そうですよね?」

 

 良く出来ましたとばかりに頭をワシワシと撫でられた。悟宗さんは爺ちゃんに似ている所が多い。

 僅か二週間しか接してないが、僕は悟宗さんを大分気に入っている。

 

「まぁ正解だ。力を借りる愛染明王の事は知ってなきゃならん。合格だよ。さぁ本堂が終わったら庭の掃除と水汲みだ」

 

「はい、悟宗さんは今日はお出掛けですよね?」

 

 昨夜の内に仕事に出掛けると聞いている。僕は未だ見習い以下だから同行出来ないが……

 

「そうだ。俺は朝食を作ったら買い出しと仕事の打合せをしてから除霊だ。

夕食までには帰るから。久し振りに町でオカズを買ってくるぞ。飯と汁だけ作って食わずに待ってろよ」

 

「打合せは西崎さんですよね?でも昼間っから仕事が出来るんですか?」

 

「霊の活動が夜だけだと思うなよ。今日の除霊は閉鎖中のパチンコ屋だ。暗い場所なら昼でも出るんだよ」

 

 そう言って本堂から出て行ってしまった。仕事の打合せとは霊障で困っている人を斡旋してくれる人が居るんだ。

 定期的にその人と打合せをして、自分に合う仕事を紹介して貰う。看板も出せない様な商売だし、当然だがギルドみたいな組織も無い。

 同じ宗派とかで纏まっている小組織は有るが、基本は個人だ。だから仕事が欲しい時は金を払って斡旋して貰うんだ。

 仲介人みたいな奴が、色々と探して来ては斡旋してマージンを取る。

 名前が売れれば直接仕事が来るが、そんな連中は極一部しか居ないそうだ。 ただマージンが高額な為、霊能力者の仕事の半分は職探しらしい。

 僕も一度顔合わせをさせて貰い連絡先も交換した。

 

 西崎と言う30代の痩せていて愛想笑いの不自然な男だ。個人的には好きになれないタイプだな。

 駆け出しの僕にはランクの低い仕事を紹介してくれるそうだ。但し元の請負金額が低いから紹介料は50%。

 相場は20万円前後だから、半分取られても月3回やれば生活は出来るのだが微妙だ。この先の生活設計が余り明るくないのにガッカリする……

 言われた通り、井戸から生活用水を汲み庭を掃除し終えてから昼食にする。今日は簡単にインスタントラーメンだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 午後は自主トレ。僕は霊力を飛ばしたりする事は出来ない。

 掌に溜めての近接攻撃しか出来ない為、少ない力を嵩ましするのに御札と清めた塩を使えと教えられた。

 御札は接触させないと効果が出ないが、清めた塩は霊力を注ぎ込めば有る程度……撒き散らす事により2.5m位は距離が稼げる。

 拡散する程に威力は落ちるのが難点だけど……この二種類の力を使い分ける事、それが悟宗さんの教えだ。

 だが御札は高額なので自作する事にした。作り方も教わったが、墨汁を作る時から霊力を込めて力有る文字を正確に書く。

 雛型の文字が有るから模倣するだけだが、上級者は自分で御札の内容も考えるらしい……精神を集中して作るも、3枚の内で1枚がどうにか実用に耐えられるかどうかだ。

 

 まだまだ成功率は低い。

 

 墨汁を作り文字を書くのに1枚当たり30分は掛かるので、半日費やしても4枚出来れば御の字だ。だが霊力は使えば使う程、総量が上がるらしいので頑張っている。

 自主トレを終えたら夕食作りだ。悟宗さんは基本的に和食派なので、お米は必ず炊く。

 普段のオカズは男の手料理故に大抵が肉野菜炒めだ。味噌汁も野菜を沢山いれて作る。

 一汁一菜、侘びしい食事だが栄養のバランスは考えられている。まぁ毎回同じオカズじゃ飽きるんだけどね……

 だが今夜は久し振りに出来合いの料理を買ってきてくれるそうだ。だからご飯を炊いて具沢山味噌汁を作るだけだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時刻は午後八時、遠くの山から野犬の遠吠えが聞こえる。冗談で無く人を襲う野犬が居るそうだ。

 だから戸締まりは確実にして、餌となる生ゴミも小屋の中に入れている。因みに溜まったら、その辺に埋めるのだが。

 悟宗さんは車で出掛けたから、帰って来れば分かる。乗っている車は深緑色のパジェロミニだ。

 僕も買い出しの時に借りるが、結構古いし手入れも余りしてないみたいだ。何もする事が無いので私室で寝て待っている。

 テレビは無し、携帯は圏外で唯一の娯楽はラジオだが電波の調子は良くない。持ち込んだ雑誌も何度も読んでいるし、暇潰しの道具は本当に何もない。

 悟宗さんと居る時は昔の仕事の事を聞いたり将棋に付き合わされたりするが、詰め将棋をやる程好きでもない。

 時間を持て余していると、砂利道に乗り込む車の音が聞こえた。漸く帰って来たなと時計を見れば、既に9時過ぎだ。

 グウグウ鳴るお腹を抑えながら玄関まで迎えに行く。

 

「ああ、済まないな。遅くなっちまった。ほら、土産だ。温め直してくれ」

 

 渡されたビニール袋からは焼き鳥の甘いタレの匂いがする。しかも、この重さなら40本位は有りそうだ。

 

「分かりました。先に夕飯を食いますか?」

 

 疲れているなら先にシャワーを浴びるかも知れない。そう思って聞いてみた。

 

「わりぃな。下界で風呂に入って来ちまったんだよ。早く飯にしようぜ」

 

 片手を上げながら私室に行く悟宗さんを見て、ああソープランド行ったから遅かったんだなと思う。既に50代前半なのに、悟宗さんの性欲は旺盛みたいだ。

 これも愛染明王の功徳だろうか?兎に角、グウグウ鳴るお腹を何とかする為に焼き鳥を電子レンジで温め直す事にする。

 本当に電気は通じていて良かったと思う。

 焼き鳥は、ネギま・ツクネ・ハツ・皮・若鶏・ポンポチ・砂肝をタレと塩の両方買ってあった。

 大皿に並べてレンジでチンする間に味噌汁を温め直す。テーブルに料理を並べていると、一升瓶を持った悟宗さんが台所に来た。

 何時もの作務衣に着替えている。

 

 ドンと剣菱をテーブルに乗せると「今夜は祝い酒だな。まぁお前も飲めよ」置いてあった湯呑みに日本酒を注ぐのを見て、ああご飯をよそるのは後だな。

 

 と思い向かい側に座り湯呑みを受け取る。

 

「ほら、グッといけよ。明日は休みにしようや」

 

「有難う御座います。今日の除霊は成功だったんですね」

 

 注いで貰った剣菱を一口飲んで聞いてみる。ご機嫌な様子を見れば、除霊は上手く行ったんだろう。

 

「ん、ああ……そうだ。今日はオーナーが変わり改装中のパチンコ屋だったんだけどな。

出たのは借金で店を手放した前オーナーだったよ。思い入れの有る店を弄られるのが我慢できなかったんだな」

 

 そう言って焼き鳥をかじる。僕もハツを一本貰いかじった。久し振りの焼き鳥は本当に上手い。

 

「それで、どんな手順で除霊をしたんですか?」

 

 悟宗さんの空になった湯呑みに剣菱を注ぎながら除霊の内容を聞く。他人の除霊手順は参考になるから……

 

「簡単だよ。ソイツは改装中の店の店長室で服毒自殺をしたんだ。理由はギャンブル遊びに店の経営資金まで注ぎ込んだ為だな。

黒字経営なのに、それ以上に注ぎ込んでサラ金にまで手を出した。だから店長室で現れるまで待ってたのさ」

 

 ニヤリと笑って剣菱を煽る。悟宗さんの除霊手順は大胆と言うか大雑把と言うか……

 

「そんな無茶苦茶な!下調べとかは?」

 

「んなモンは死んだ場所と理由が分かれば何とかなるんだよ。確かに探査系の霊能力者も居るが奴らは高い。

だから割に合わないし、俺もチマチマ調べるのは性に合わないからな」

 

 ガハハと笑う悟宗さんを見て、力の無い僕は入念な下調べをしないと危険だと思った。

 

 

幕間5

 

 日本酒を飲み過ぎてテーブルに突っ伏して眠る悟宗さんに毛布をかける。僕が修行に来て半月、彼は既に三回の除霊を行っている。

 勿論全て一人でだが……今日のパチンコ屋もそうだが、前回も倒産した縫製工場に出る元従業員の霊。

 前々回は女に捨てられて当てつけに女の部屋で首吊り自殺した元カレの霊。対象が分かり易い案件を選んでいる。

 それだけ仲介役の西崎さんの事前調査がシッカリしてるのか?でも、とても危うい感じがするんだ。

 悟宗さんは、その豪気な性格の所為か細かい事には拘らない。故に除霊は何時も一発勝負で現地に乗り込んで、現れた奴を祓うんだ。

 

 でも僕は……

 

 僕には臨機応変な対応が出来るだろうか?やはり長年の経験と実績の裏打ちが有ってこその除霊手順だろう。

 だらしなくテーブルに突っ伏して眠る悟宗さんを見て思う。女好きで酒好きで、嫁さんに逃げられて……こんな山奥で一人、除霊なんて仕事をしてるのに何とも憎めない人なんだ。

 別れた(逃げ出したと聞いた)奥さんは既に他界したそうだ。子供も居ないので天涯孤独だと教えてくれたし……

 守りを一切考えない除霊手順は、彼は死に対して恐れてはいないのかと疑ってしまう。だが、これはプライバシーの領分だから聞く事も変えて欲しいと願う事も出来ない。

 食器を洗い終えてから、再度声を掛ける。

 

「悟宗さん、布団で寝ないと風邪をひきますよ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝、休みと言われたが何時もと同じ時間に目が覚めた。確か23時には寝たから6時間程度の睡眠時間は取れた……

 布団に入ったままで、これからの事を考える。悟宗さんの修行と人脈のお陰で、ヒヨッコ霊能力者としてやっていける最低限な事は出来つつある。

 基本的な霊力の使い方と御札に清めの塩の作り方。仕事を斡旋してくれる西崎さんとも連絡先を交換した。

 後は現場での経験を積めば一応、霊能力者と名乗れるだろう。僕が「箱」から命令されている事は生贄を差し出す事……

 生きた人間は無理だが、強い霊ならば良いそうだ。つまり僕が斡旋して貰える低レベルな仕事でなく、高レベルな物件に現れる奴等だ。

 だが西崎さんに斡旋を頼んでも無駄だろう。考えなくても駆け出しのヒヨッコに教えてくれる訳が無い。

 ならば自分で探すしかないので、霊能力者として生きていく必要が有る。勿論「箱」から身を守る事も重要だが逆立ちしたって勝てない。

 つまりは「箱」の為に悪霊を探さなくてはならない。それも周囲に「箱」の存在がバレない様にだ……

 7時になり流石に悟宗さんも起きただろうと、身嗜みを整えて台所に行く。台所には既にテーブルで、お茶を飲む悟宗さんが居た。

 

「よう!休みだって言ったのに早いな。もっとゆっくりしても良いんだぜ」

 

 雑誌を見ながら気さくに話し掛けてくれる。悟宗さんは大衆ゴシップ誌が大好きだ。良くまとめ買いをしてくる。

 

「習慣ですかね?二度寝が出来なくて。昨日のご飯と味噌汁が残ってますから温めますね」

 

 二人で一升瓶を空けた所為か、焼き鳥以外の物には手を着けなかった。お陰で朝食の準備は楽だ。

 

「ん、そうだな。頼もうか……お前さん、今日はどうするんだ?町に行くなら車を貸すぜ」

 

 この辺鄙な場所は街道沿いに一応バス停は有るが、一日三往復しかバスが来ない。朝昼夕の8時12時16時ぐらいにだ。

 まさに陸の孤島に相応しい寂れっぷり。だから町に行く時は悟宗さんのパジェロミニを借りる。

 煮立つ前に火を止めて、温まった具沢山味噌汁を椀によそる。ご飯は悟宗さんがよそってくれた。

 冷蔵庫から白菜の浅漬けを出せば朝食の完成!

 

「「いただきます」」

 

 黙々と白米をかっこみ味噌汁を啜る。10分と掛からずに完食。お茶を淹れ直す。

 

「おお、すまねえな。で?町に行くのか?」

 

「ええ、日用品の買い出しと銀行に。それと携帯が圏外なんでメールチェックもしないと……」

 

 ここは圏外、だからメールの確認は受信出来る場所まで行かなければならない。

 

「最近のケータイは大変なんだな」

 

「悟宗さんだって携帯電話持ってるじゃないですか」

 

 悟宗さんはドコモのらくらくホンを使っているが、イマイチ操作方法を分かってない。短縮ダイヤルに行き着けの飲み屋・ソープランド・西崎さんの番号を設定してくれって頼まれたし……

 酒・女・仕事と凄い分かり易い順番だ。

 

「そう言えば仕事を終えたばかりなのに、次の仕事の打合せしてましたよね?直ぐなんですか?」

 

 確か仕事の打合せをしてから除霊を行った筈だ。普段よりも頻度が高くないかな?

 

「ん、まぁな。今度のは、ちと厄介かもな。だが実入りは良いんだ」

 

 悟宗さんの仕事は大体100万円前後で仲介料は20%らしい。だが儲けの殆どを酒と女に注ぎ込んでしまう。

 健康診断を行えば赤紙が付いて、要経過観察が必要な位の不摂生さだ。

 

「無理しないで下さいよ」だが、僕にはそれしか言えなかった。

 

 三日間後、悟宗さんは一人で除霊現場に向かった。どんなに遅くても翌日には帰ってくるのに、今回は連絡も無いまま二日間が過ぎた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 幾ら何でも連絡も無く二日以上過ぎるのは変だ。この家にも固定電話は有るから、連絡は簡単に取れるのだ。

 普通は大の大人が高々二日間位と思うかも知れない。だが死の危険が有る商売だから心配なんだ。

 パジェロミニは悟宗さんが乗って行ったから、仕方無く朝一番のバスに乗り込んで町まで出た。取り敢えず悟宗さんの携帯に電話するが……

 

「……電源が入って無いだと?これじゃ連絡の取りようが無いじゃないか!」

 

 10分毎に電話しても繋がらない。念の為、ショートメールも送るが返信は無い。

 

 手詰まりだ……

 

 町中を彷徨いても意味がないので、取り敢えず喫茶店に入る。兎に角、喉が渇いたんだ。

 何処にでも有る大手チェーンの喫茶店でアイスコーヒーを飲む。苦く冷たいコーヒーを飲んで少しだけ落ち着いた。

 

 悟宗さんの行き先を知っている人……そうだ!

 

 仕事を斡旋した西崎さんなら知ってる筈だ。店内で有る事も構わずに電話を掛ける。

 

「もしもし、榎本君かい?」

 

 ヨシ、数コールで繋がった。

 

「西崎さん、悟宗さんから連絡が途絶えたんですが……何か仕事でトラブルでも有りましたか?」

 

「ん、彼かい?いや聞いてないが……仕事の予定日から未だ三日目だろ?」

 

「そうなんですが……殆どが一日で終えている悟宗さんが二日も連絡が無いのが気になります。命懸けの仕事ですし」

 

 呑気に構えやがって!もしかしたら廃墟か何かで怪我をして動けないかも知れないだろ?

 

「分かったよ。僕からも連絡してみるよ」

 

「悟宗さんの携帯はずっと電源が入ってないか圏外に居ます。除霊現場を教えて貰えませんか?」

 

 お前が悟宗さんに連絡しても同じなんだよ!早く居場所を教えろや!

 

「んー分かったよ。除霊現場は教えられないからね。僕から依頼者に連絡するからさ」

 

「あっ、もしもし?」

 

 そう言って電話を切りやがった。不安だが西崎さんを信じて待つしかない。一旦携帯を置いて残りのアイスコーヒーを飲む。

 大分氷が溶けて薄くなってしまった……待つだけと思うと急にお腹が空いてきた。

 追加でカルボナーラとクロワッサンを頼み暫く居残る理由を作る。待つ事50分、漸く西崎さんから電話が有った。

 

「もしもし!」

 

 2コール目で出る。

 

「ん、榎本君か。ちょっとヤバい事になってる。落ち着いて聞いてくれ。彼は今、病院に居る。

どうやら除霊は失敗したらしい。対象の民家の玄関先に倒れてるのを通行人が発見し、救急車を呼んだ」

 

 何だって?事故に有った、いや除霊に失敗したのか?

 

「それで、何処の病院なんですか?直ぐに行きますから」

 

「もう少し話を聞いてくれ。それで彼は不法侵入か不審者の容疑者として警察に通報されている」

 

 不法侵入?不審者?依頼を請けて仕事してんだろ?

 

「除霊を頼まれて……」

 

「依頼人は事が公になるのを恐れた。知らぬ存ぜぬだ。彼も意識不明の重態だし、そもそも証拠も無いから難しい」

 

 今は悟宗さんに会うのが先決だ。責任云々は、その後で良い。

 

「分かりました。それで悟宗さんは何処の病院に?」

 

「メモれるか?良いか、住所は……」

 

 教えて貰った病院の住所は隣の県だった。携帯サイトの乗り換え案内で最短ルートを検索。

 在来線を乗り継いでも70分で行ける。直ぐに最寄りの駅に向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 病院に到着してからが揉めた。警察経由で運び込まれた意識不明の重体患者の知り合いが、いきなり訪ねて来たんだ。

 僕も相当の不審者だろう。直ぐに病院は警察に通報、所轄の刑事が話を聞きに来た。

 空きの病室に案内され、簡単な事情聴取をされた。担当刑事は二人、テレビで見る様な着崩した背広姿にコートを羽織っている。

 だが二人共厳つい顔だ。

 

「榎本君と言ったね?何故、彼がこの病院に居ると知ったのかね?」

 

 質問だが尋問されてる様な威圧感が有る。それは西崎さんに聞いたから……は通用しないか?

 彼もゴネるし依頼人も面倒だからと知らぬ存ぜぬを決め込んだし。

 

「その……実は……」

 

 何て言えば良いんだ?

 

「君も若いが、お坊さんなんだな。アレか?彷徨う霊を祓うってヤツか?」

 

 やはり警察だけの事は有る。身分証明の為に免許証を見せたが、僅かな時間で調べられたのか?

 

「……そう言う事をしてる人でした」

 

 建物の所有者に頼まれたとは信じて貰えないか……

 

「近所で噂の幽霊屋敷に、お坊さんが倒れてれば噂にもなるわな。で、彼は天涯孤独だが君が身元引受人で良いのか?」

 

「身元引受人?はっはい、それで構いません」

 

「一応不法侵入だが所有者も大事にしたくないそうだ。だから罪には問われない。

だが重体で意識不明の彼の事で悩んでたんだ。君が身元を引き受けてくれるなら良いんだよ」

 

 心霊現象の噂の有る空き家に、お坊さんが経を上げに来たけど返り討ちじゃ問題になるからね。家主も秘密にしたいんだろうな。

 悪いが、そういう話らしいから警察としては介入出来ないんだ。

 医者の先生が言うには外傷も無いし持病の悪化らしいので事件性は薄い。勿論、仕事環境が悪いとか労災だとかは契約書とか有れば別だが、それは民事裁判だからな。

 そう言って刑事が退出すると入れ替わりで病院の事務の人が書類を持って現れた。入院に対しての手続きだろう。

 国民健康保険証の提示が無いと全額個人の負担になる事。入院するのにも保証人が必要な事。

 治療に当たり当事者が意識不明の場合、親族もしくは保証人の承諾が必要な事。悟宗さんは天涯孤独だから知人の僕でも構わないそうだ。

 本来なら定職の有る日本国籍を持つ者が望ましいそうだが、僕も僧籍を持ち自分名義の寺(まだダム湖に沈んでない)を持っているから問題無いとの事。

 漸く全ての手続きを終えて、悟宗さんの病室に行けたのは夕方だった。

 

 その病室は西向きの為か夕日が室内を赤く染めている……

 

 ナースセンターの隣、四人部屋だが末期か目の離せない患者が一時的に入る部屋なんだろう。点滴の管を左手に差して鼻から酸素を送って貰ってる悟宗さんさんは、10歳以上老けて見えた……

 

 案内してくれた看護師さんは「何か有ればナースコールして下さい」そう言うと隣に置かれた計器の数字をチェックし、席を外してくれた。

 

 去り際にカーテンを閉めてくれたので、周りを気にする必要は無い。

 

「悟宗さん……」

 

 声を掛けたが彼の反応は無かった。

 



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幕間第6話から第7話

幕間6

 

 除霊現場で事故に遭ったのか?悟宗さんは入院する程の怪我を負った。

 いや、外傷は殆ど無いと持病の悪化と先生は言った。確かに悟宗さんは女好きで酒飲みで不摂生な生活を送ってたが……

 直ぐに死ぬような感じはしてなかった。てか、先週風俗遊びしてたんだぞ!

 アレから暫く悟宗さんの隣にいたが、担当の先生が話したいからと看護師さんが呼びに来たんだ。頷いて付いて行くと、診察室に通された。

 そこには40代後半、ポッチャリ体系で眼鏡を掛けた先生が座っている。

 

「あの……」

 

 向いの丸椅子に座っても話し掛けてこないので、溜まらず此方から声を掛けた。

 

「ああ、失礼。榎本さんでしたね」

 

 此方を向かずに机に向かいパソコン画面と手元のカルテを交互に見ている。

 

「はい、それで悟宗さんの容体なんですが……」

 

 僕の質問にも体を動かさずに、カルテをじっと見ている。カルテを覗き込めば、ドイツ語だか英語だかは分からない横文字が色々書いてある。

 

「彼は普段から体調が悪そうでしたか?」

 

「いえ、僕の知る限りでは元気でした」

 

 初めてこっちを向いて変な顔をしたぞ。

 

「痛みを訴えた事は?」

 

「いえ、一度も。精々が筋肉痛だからと湿布を貼る位でした」

 

 ボールペンでカルテをトントンと叩く。何だろう?苛ついている様な感じだが……

 

「榎本さん、彼の内臓は壊死し始めてます。理由は分かりませんが、一日や二日で悪化する容体じゃ有りませんよ。現代医学でも原因が分からない奇病です」

 

「まさか?先週風俗遊びもしたし深酒で酔っ払う毎日でしたよ。そんな奇病に苦しんでいる風には、とても見えませんでした」

 

 先生は机の前に有る光る箱に封筒から出したレントゲン写真を貼り付けた。ボールペンで胃の辺りを指す……

 

「胃が萎縮して黒ずんでいるでしょ?お酒を飲んでた?馬鹿な、これが膵臓(すいぞう)・腎臓(じんぞう)・脾臓(ひぞう)……

内臓の殆どが壊死し始めている。飲み食いなんて無理だ。普通では有り得ない事なんです。生きながら中から腐ってくるなんて……」

 

 確かに普通は洋梨みたいな形だろう胃が、潰れた空き缶みたいな歪な感じになっている。

 他の臓器もレントゲンだが色が黒く萎縮している感じがするが……

 確かに腎臓はアルコールを分解する訳だから、これが機能しなければお酒が飲めないのも分かるけど。

 でも二人で一升瓶を空けた時も辛そうじゃなかったぞ。

 

「それで、治る見込みは?先生、どうなんですか?」

 

 先生は凄い辛そうな表情をした。

 

「残念ですが、手の施し様が有りません。意識が戻る可能性は有りますが、持って三日位でしょう。我々に出来るのは、痛み止めと栄養補給だけです」

 

 最初の態度はアレだったが、先生も悟宗さんの事は辛いと感じてくれてるのか?

 

「そうですか……」

 

 だが最後に会った時は健康だったのに、内臓を腐らせるなんて事が可能な悪霊が居るのか?ならば「箱」をけしかければ、敵討ちが……

 

「榎本さん、ベッド差額費が出ますが個室に移りませんか?せめて最後は周りを気にしない環境をお薦めします。それと介護が必要ですが、御自分でなされますか?」

 

 ああ、アレか。最後を看取るのに、今みたいな大部屋では周りが気を使うわな。治しに来てるのに、人の死を感じるのは良くないか……

 

「個室に移動は問題有りません。お願いします。介護は有料でも頼めるなら、其方もお願い出来ますか?」

 

 悟宗さんは成人用のオムツを履かされていたな。アレを僕が交換するのは辛過ぎる。元気なイメージしかなかった人の下の世話なんて、哀しすぎるだろ?

 

「分かりました。民間の介護になりますが手配しておきます。

あと泊まり込みは難しいでしょうから婦長に連絡先を教えて下さい。体調が悪化した場合は連絡いたします」

 

 そうか、病室に寝泊まりは出来ないな。近くのホテルを借りよう。お世話になったんだ、せめて最後は看取ろう。

 医者に頭を下げて退出した。その後、悟宗さんの様子を見たが未だ意識は戻ってなかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 駅前のビジネスホテルに泊った。本当なら酒でも飲みたい気分だが、何時呼ばれるか分からない。

 直ぐに出掛けられる体制にしないと駄目だ。近くのラーメン屋で夕食を済ました。

 余り食欲がないので、あっさり塩ラーメンに煮玉子のトッピングに小ライスの夕食だ。賑やかな店内で僕だけ一人で辛気臭く食べていた。

 周りの客の笑い声が物凄く気に障り、半分位残して席を立ってしまった。ホテルへ帰る途中、コンビニを見つけたので明日の朝食を買い込む。

 小豆とマーガリンが挟まった昔懐かしいコッペパンにコーヒー牛乳だ。食欲が無くても三食食べねば自分も倒れてしまう。

 

 義務感にも駆られた買い物だった……ホテルへ帰ると念の為に、松尾の爺さんに近状報告をしておいた。

 

 何か法的に問題が出た場合の為にだ。やる事を終えて狭いシングルベッドに倒れ込むと、疲れの為か急に眠気が……

 歯磨きもシャワーも未だだが寝てしまおう。そのまま薄い布団を頭から被った……

 

 

 

「おい、正明……おい起きろよ、正明……」

 

 幼子独特の高い声で呼び掛けられる。

 

「ぎゃはははは!ほら正明、起きないとお前の大事な師匠が直ぐに死ぬぞ」

 

 突然、耳元で甲高い笑い声が響く!

 

「なっ、何だって?誰だよ」

 

 半分寝ぼけていた意識が一気に覚醒する。ガバッと上半身を起こし部屋の廻りを見回すと……

 備え付けの机の上に置いていた「箱」から不気味な黒い粘液が溢れていた。

 床に水溜まりを作り、中心が盛り上がり形を形成する。全裸の日本人形みたいな幼女、それが「箱」の仮初めの姿だ。

 

「悟宗さんが直ぐに死ぬって何だよ?」

 

「くくくくく……あの坊主、どうやら悪質なモノに憑かれたな。人を腐らせて、その腐肉を喰らう餓鬼の類だ」

 

 皮肉る様な表情で机の上に足を組んで座っている。コイツは何時もそうだ。僕の身の回りで何か有ると必ずコイツが絡んでやがる!

 

「餓鬼?何だよソレ?」

 

 一瞬だが、小馬鹿にした笑みを浮かべ

 

「そんな事も知らんのか?アレは大して美味くも無いが我の糧としてはマァマァだ。行くぞ」

 

 そう言って黒い粘性の有る液体に戻ると「箱」へと吸い込まれていく。オィオィ、行くぞって言いながら「箱」に戻るなよ!

 アレは僕が餓鬼と言う存在の近くまで連れて行けって事だ。出来なければ罰と称して、捕らえられている爺さん達を苦しめる。

 それを夢で見せるんだ。無力の僕を嘲笑う様に悪夢を見せるんだ……先程の話だと、悟宗さんを腐らせてから喰らうと言った。

 つまり危篤状態の悟宗さんが狙われていると言う事だ!

 

 「箱」の情報は正確だ。

 

 それは今迄の事で身に染みている。つまり直ぐに餓鬼は悟宗さんを襲いに来る。慌てて時計を見れば、既に0時を過ぎている。

 この時間で病室に行けるのか?考える時間も勿体無いので身嗜みを整え「箱」をポケットに突っ込むと病院に向かった。

 病院迄は徒歩でも5分と掛からない。元々近いホテルを選んだのだから当たり前なんだが……

 

 通りを挟んで反対側、50m位先に病院は有る。直ぐに正面入り口に辿り着くが自動ドアは閉まり中は照明が落ちて真っ暗だ。

 僅かに非常口と言う緑色の照明だけが中を照らしている。此処からの侵入は無理だろう。

 

 裏口?避難階段?緊急搬送口?どれも警備に引っ掛かりそうだ……

 

「正明、裏に行くぞ。餓鬼の奴め、数が多いな。ぎゃはははは、これは喰いでが有るぞ」

 

 裏?裏って、どうやって行くんだっけ?辺りを見回すと既に具現化した「箱」が歩き出している。

 深夜の病院を真っ裸で大股で歩く幼女は物凄く場違いで異様だろう。下手したら精神に異常をきたした幼女が病棟から抜け出したと思われるぞ。

 

「ちょ、待てよ!お前、何時も裸じゃないか?何か着ろよ」

 

 慌てて追い掛けて上着を羽織らせる。「箱」の為じゃない。幾ら地方都市の民間病院とは言え、0時過ぎなら未だ人は起きている。

 深夜に真っ裸な幼女と居る僕は完璧な不審者、性犯罪者だ。通報されても言い訳出来ない……

 我関せずズンズン歩く「箱」の少し後ろを付いて行くと20m四方の芝生、中央に円形の噴水の有る中庭?裏庭?に着いた。

 だが建物に面してるから、窓から見下げれば僕等が丸見えだぞ。見上げた建物の幾つかの窓からは灯りが……

 

「水を介して来るかよ。舐めんな餓鬼風情が!」

 

 「箱」は愛らしい口に両手を突っ込むと上下にこじ開けた。上唇からメリメリと顔の皮が後頭部まで捲れる。

 中からはワニの様な大きな口とギザギザの牙が見える。アンバランスにデカいワニの顎と幼い体。

 

 キシャーと雄叫びを上げてる。

 

 ヤバいだろ、周りが気付くって!誰かにバレてないか見回せば、噴水からよじ登ってくる小さな……

 地獄図で見る亡者の様な、全裸で下腹部の膨らんだ80センチ位の生き物が沢山現れた。

 

「何なんだよ、アレは……あの噴水は地獄にでも繋がってるのか?」

 

 「箱」が噴水から湧き上がるナニかを掴んでは、大きな口に放り込み咀嚼していく……グチャグチャと生肉を噛む音だけが、耳に入る。

 何て地獄絵図だ……余りの惨状に尻餅をついてズルズルと後ろに下がる。

 

 もう嫌だ、こんな事は……だが、アレが悟宗さんを死に追いやった奴だ!

 

「オラァ!くたばりやがれ」

 

 そう思うと腹の底から憎らしくなり、近くに居た奴を植木鉢で殴り倒した。腰砕けで下半身をプルプルさせながら、大きな素焼きの植木鉢を振り回す姿は滑稽だろう。

 ギギギと奇声を上げるが、どうやら実体化してるので只の打撃が効いた。

 

「オラオラオラ……」

 

 手当たり次第に植木鉢で殴りつけるが、数が多い。致命傷を与えた奴は霧の様に霧散するが、それでも8匹位は殺した筈だ。

 だが「箱」は30匹以上は喰って、現在進行形で未だ喰っている。僕だけなら力尽きて喰われただろうな。

 悟宗さんも数の暴力に負けたのかな?危機的状況だが、割と冷静に状況を確認出来た。

 

 足腰の震えも治まってるし……

 

「ゲフ……下品な味だが腹は膨れた。正明、帰るぞ」

 

 何時の間にか全ての餓鬼を食べ尽くし、顔を元に戻した「箱」が隣に立っていた。背が低いから僕を見上げているのだが、殺戮の張本人なのに愛らしく見えるのが恐ろしい。

 

「あっああ……逃げよう。バレたら大問題だ」

 

 とっくに中身がぶちまけられた植木鉢を足元に置くと、身を屈めて中庭から走り去る。既に「箱」はポケットの中だし、貸した上着も回収した。

 病院側は明日の朝に荒らされた中庭を見付けるだろう。バレなければ良いが……何とかホテルの部屋に帰って洗面所で手と顔を洗う。

 

 冷たい水で手に着いた泥を落とすと指先に激しい痛みが……どうやら左の人差し指の生爪を剥がしてしまったらしい。

 捲れた爪がプラプラして結構な流血騒ぎだ。何とか我慢してプラプラの爪を剥がし、タオルでキツく巻いてから蛇口に直接口を付けて水を飲む。

 

 やっと人心地がついた……あの餓鬼と言う奴を倒したから悟宗さんは救われたんだろう。

 いや死に追いやられたが魂までは喰われないってだけで、もう何日も保たないんだった。ヨロヨロとベッドに倒れ込む。

 

 時刻は1時16分……

僅か1時間程度だが、あんなモノを相手にしたので感覚的には半日位の長さに思えた。

 

「悟宗さん、やりましたよ。貴方の敵は討てたんだ……畜生、涙が止まらないよ……」

 

 指の痛みの所為か?それとも恐怖体験の所為か?泣き疲れて、そのまま寝てしまった……

 

 

幕間7

 

 鈍い痛みで目が覚める。左手に巻いたタオルが血で黒ずんでいる。だが、鮮血じゃないから血は止まったのかな?

 恐る恐るタオルを剥がすと爪が剥がれた部分は黒ずんで瘡蓋(かさぶた)になっていた。これは医者に行った方が良いかもしれない。

 

 ベッドで上半身を起こした状態で周りを確認する……

 

 酷い有り様だ。着替えず寝たからシーツはクシャクシャで少し泥が付いてるし、血も僅かだが染みている。

 僕自身も皺クチャなシャツに泥塗れのGパン。備え付けの鏡を見たらボサボサの髪に目の下に隈の出来た冴えない顔。

 

「駄目だ……如何にも昨晩何か有りました的な状況だ。何とかしよう」

 

 幸いホテルには連泊で頼んで有るからドアノブに「寝ています」って札を掛ければ清掃の人は入って来ない。

 先ずはシャワーを浴びてスッキリしよう。その後はホテルに備え付けのコインランドリーで服を洗って、シーツの泥を落としてから出掛けよう。

 

 時刻は7時8分……カーテンを開けて外を確認すると快晴だ。僕の気持ちとは裏腹だけどな。

 首を振って気持ちを奮い立たせる!早くしないと病院に行くのが遅くなってしまうから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 片手が使えないのは本当に不便だ……何とかシャワーを浴びて頭を洗う。左手は塗れない様にコンビニ袋を被せて有る。

 人心地がついた所で、昨夜買った小豆マーガリンのコッペパンをかじる。昔懐かしい味だ……

 それをコーヒー牛乳で胃に流し込んでからシーツの泥を払う。フロントに電話して消毒液とバンドエイドを届けて貰った。

 その際にシーツを血で汚してしまったと詫びたが、構わないと言ってくれた。サービスが良いな、東横インは!

 着替えが有るのでクリーニングは帰ってからする事にして病院に向かう。9時から開院だから丁度良い時間だった……病院の受付でお見舞いと言って入館手続きをする。

 普通は15時以降からだが、危篤状態の事が連絡されてるのだろう。病棟と患者名を言ったら直ぐに受け付けてくれた。

 貰ったバッジを胸に付けてエレベーターで病室に向かう。ナースセンターに顔を出し見舞いに来た事を告げる。

 対応してくれた看護師さん曰わく、容体は落ち着いているそうだ。だが意識は未だ戻ってないらしい……お礼を言ってから病室に向かう。

 

 個室の差額は1日につき1万円もするが、此方に移動されると数日で亡くなる。

 

 最後は家族とゆっくり過ごせ的な意味合いの有る部屋だと僕は思う。一応ノックをしてから入室するが、勿論返事は無い。

 昨日と変わらずに点滴と酸素チューブを差した状態の悟宗さんが寝ている。折り畳み椅子を近くに持って来て座った。

 ただ見詰めていても仕方無いから昨夜の事を話す。

 

「悟宗さん……昨日の夜に餓鬼が攻めて来たんだ。でも何とか撃退したよ。だからもう安心だと思うんだ……」

 

 話し掛けても無駄だとは思うが、言わずにはいられなかった。

 

「水を介してね。裏庭の噴水から溢れ出たんだよ。30匹以上いたよ。全部潰したんだ」

 

 本当は僕が10匹未満で残りは「箱」が食べたんだけどね。

 

「でも数の暴力って凄いよね?狭い場所で襲われたら無理だったよ」

 

 打撃で消えるなら金属バットとか用意してれば、もう少しは善戦出来たかも知れないな……

 

「そう……かよ……何時の間にか……強く……なってた……んだな」

 

「そうでもないさ……って、悟宗さん意識が戻ったんだね」

 

 ナースコールを押そうと手を伸ばす。

 

「待て……よ。俺は……もう駄目だな。少し話を……しよう……ぜ……」

 

「先生を呼ぼうよ。悟宗さん、直ぐに良くなるって」

 

 慌てる僕に悟宗さんは静かに首を振った。僅かな動きだが、それは良く分かったんだ。

 

「お前、餓鬼って……言ったな。俺の……敵を討ってくれて……ありがと……な」

 

 僅かに此方に顔を向けて、礼を言われた。悟宗さんは泣いている。

 

「敵討ちって程でも無いですよ。無我夢中だったし」

 

 ただ「箱」が喰いたいからって教えてくれたんだ。

 

「正明よ……俺は……自分の息子を不注意で……殺してしまった……んだ。除霊中の事故……でな」

 

 初めて名前で呼んでくれた。でも、僕から見ても悟宗さんの命の火は消えかかっている……

 

「それを苦に……家内は……自殺したよ。生きていれば……今年で二十歳だった。

俺……は……お前を勝手に息子と思って……ああ……多分……親子って……こんな感じなんだな……って思ったよ」

 

 夜逃げじゃなくて自殺、子供が居ないんじゃなく死んでいた。辛い話を思い出させてしまったな。

 

「悟宗さん、僕は……」

 

 僕は貴方を年の離れた兄の様に思ってました。女好きでズボラで大雑把で、憎めなくて頼りがいの有る兄貴と……

 

「すまねぇ……迷惑ばっか……掛けてよ。わりぃが……最後まで面倒見てくれよ」

 

 彼の動かない掌に自分の掌を載せる。あんなにガッチリしてたのに、今は骨が浮き出て皮が弛んでいる。力強く掌を握って頷く。

 

「あの寺は……お前にやるよ。権利書や預金通帳も実印も……俺の部屋の箪笥に……有るからよ」

 

「お金なんか要らないよ。他に頼みとかないの?」

 

 ニヤリと弱々しく笑う悟宗さん……

 

「馬鹿やろう……俺の葬儀代だ……骨はよ……裏庭の名前の……掘ってない墓に埋めて……くれよ。家内と息子……と一緒に……して……くれ」

 

 確か無縁仏みたいな小さな石が建ってたな。アレは悟宗さんの家族が葬られてたのか……

 

「分かったよ。葬儀は僕が取り仕切るし、お墓の件も任せてよ。お寺だって面倒見るから大丈夫だよ」

 

 実際は墓地で無い場所に埋葬とか無理だし、埋葬証明書の扱いとか色々と大変かもしれないが、僕だって僧侶だ。何とかするさ!

 

「ふふふ……俺ぁ……死ぬ時は独りで……野垂れ死にだと……覚悟してたがよ。

正明と会えて……良かったぜ……ありがと……な。お前に……看取って貰えりゃ……良い……最後だぜ……」

 

 少しだけ口元をニヤリとさせたが、ガクリと握っていた掌から力が抜けた。

 

「悟宗さん?悟宗さん?」

 

 ベッドの脇の計器類がピーピー鳴りだした。パタパタと誰かが走ってくる音が聞こえる。

 異変を感知して看護師さんが来るのだろうか?悟宗さんの掌を握りながら声を掛けるが、もう彼は反応してくれなかった。

 

「すみません、容体を見させて下さい」

 

 当直だろうか?昨日とは違う医者が脈を計ったり瞳孔を確認したりしている。僕は邪魔にならない様に少し離れた位置に立つ。

 医者が首を振り、徐(おもむろ)に腕時計を見た。

 

「10時7分……残念ですがお亡くなりになりました」

 

 頭を下げる医者を見ながら、ああ悟宗さんは亡くなったんだな。僕と話をする為に最後の力を振り絞ってくれたんだ……そう思うと涙が溢れて来た。

 大切な人を亡くすのは、もう四人目だ。呆然と立ち尽くしていると、若い看護師さんが話し掛けて来た。

 

「ご遺体を綺麗にしますので、暫く外でお待ちください。それと係の者からご説明が有ります」

 

 そう言われ廊下のベンチに座らされた。多分、体を清めて貰い地下にでも有る霊安室に移動されるんだろう。

 ああ、そうだ。直ぐに遺体を運び出さなければ駄目なんだよな。

 

 火葬場は本籍の有る場所でしか無理だから、向こうの葬儀屋を手配しないと……葬儀慣れと言う嫌な体験をしてる所為か、次の段取りが頭の中に浮かび上がる。

 

 ソファーに座り膝の上で手を組んで俯く。悟宗さんが死んだと言う実感が漸く湧いて来た。

 さっきは悲しみを理解する前に看護師さんとかが入って来て、妙に冷静になってしまったから。

 

「榎本さん、先生がお呼びです」

 

 看護師さんに呼ばれ、顔を上げる。

 

「あっ……はい……分かりました」

 

 泣いている所を見られてしまった。

 

「此方です」

 

 変な慰めも言わずに案内してくれる看護師さんに感謝する。多分死因の説明と葬儀屋の手配の確認だろう。

 僕は重い体を何とか奮い立たせて、何とか彼女の後に付いて行く事が出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 悟宗さんの葬儀を終えて彼の寺に戻ってきた。

 

「悟宗さん、ウチに帰って来ましたよ」

 

 手に持つ九谷焼の骨壺に納められた彼に話し掛ける。本堂の愛染明王の仏像の前に骨壺を置く。

 生花とお線香を供え手を合わせ、拙い経を読む……既に関係者は全員帰った。ガランとした本堂には僕一人だ。

 悟宗さんの好きだった剣菱を湯呑みに並々と注いで供える。酒好きで女好き、しかしギャンブルと煙草は吸わなかった。

 

 だから好きだった日本酒を供えた……葬儀は家族葬に近い物だった。

 

 参列者は行き着けの飲み屋のマスターに西崎さん。それと悟宗さんの携帯アドレス帳に入っていた数人に連絡し来て貰えた。

 僕の方は松尾の爺さんだけだ……あの後、タウンページで葬儀屋を見繕い遺体だけ病院から直ぐに移動して貰った。

 葬儀屋の安置所で預かって貰い翌週の月曜日をお通夜と設定。土日を含み5日間の猶予が出来た。

 葬儀屋との打合せは直ぐに済んだ。天涯孤独な彼は言い方は悪いが参列者は少ない。

 葬儀を仕切る坊主は目の前に座っている。会場の提供も最小限だから行政の手続きがメインだ。

 葬儀屋の式場を利用して納骨はせずに、悟宗さんの寺へお骨を運ぶ。後は裏庭の墓を立派に作り直して納骨して終わり。

 勿論、既に埋葬されている奥さんと息子さんと一緒にだ。彼の言った通り、私室の箪笥から土地の権利書・火災保険証書・通帳・実印、それとかなりの現金が無造作に入っていた。

 箪笥預金なんて額じゃない6000万円近くが無造作に押し込められていた。

 

 悟宗さんはお金には無頓着だったのかな?

 

 引き出しの中は札束で溢れてたよ!考えれば20年以上、この業界で働いていたし月に5〜6件の除霊を行ってたんだ。

 平均80万円としても毎月400万円以上の収入が有ったからな。年収に直せば4800万円か……

 如何に悟宗さんが霊能者として上位に居たかが分かる。箪笥預金とは逆に、銀行の預金通帳は200万円ちょっとだ。

 これは公共料金の引き落とし用の通帳だな。年に数回、纏まった金額を預金してたからな。通帳の方はカードで毎日引き出したから既に空だ。

 行政に死亡届を出して口座が凍結されても問題無いだろう。この寺については松尾の爺さんに相談した。

 身寄りの無い彼が他人の僕に譲渡する手続きは大変だろう。

 

 当人は死んでるし……

 

 ただ資産価値が殆ど無い山奥の荒れた寺だから、比較的スムーズに進むだろうって言ってた。お墓は葬儀屋の紹介で立派な物を建てる予定だ。

 石が輸入品らしく納期に三ヶ月掛かるとか。この寺の維持管理は管理会社と契約し、定期的な巡回と清掃をお願いした。

 年間100万円以上掛かるが遺産から払えば良い。これで彼の遺言通りに、家族と一緒の墓に入る事。

 寺の維持は守れるだろう。総本山への連絡はこれからだ。継ぐ者が居ない寺は維持はされても廃寺扱いとなるのかな?

 そもそも、この寺が正式に登録してるから問い合わせないと分からない。檀家も墓地も無い寺だからな……

 僕もダムに沈む実家の寺の手続きをするんだった。ゴロリと板の間に大の字に横たわる。

 両親に爺さん、兄と慕い始めた悟宗さんを殺したのは……この世に未練が有る連中、悪霊・怨霊・魑魅魍魎の類だ。

 憎い、奴らが憎い。僕から大事な人を奪い続ける奴らが……この世から居なくなれば良いんだよ!

 携帯を取り出し、アドレス帳から西崎さんの番号を呼び出して電話をかける。

 

 数回目のコールで繋がった。

 

「もしもし、西崎さんですか?榎本です。何でも良いから仕事を紹介して下さい。ええ、僕に頼めるレベルのから……」

 

 奴らを許す訳にはいかない。

 



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細波結衣の章
第104話から第106話


 新章に入ります、細波結衣の章です。

 

 どんどん影の薄くなる桜岡霞……この章での活躍は有りません。その代わりに小笠原母娘が登場します。

 

********************************************

 

第104話

 

 季節は春、卒業式・入学式シーズン真っ盛り。最近は温暖化の所為か桜の開花が早い。

 そして細波結衣は中学三年生へと進級が決まり、小笠原静願は……何故か同高校二年へと編入する事になった。

 

 私立のエスカレーター式の女子校。

 

「ごめんなさい。お母さん急に予定が入って。面接に間に合わないから同伴を代わって貰って……」

 

「いや構わないよ。丁度予定が空いてたからね。間に合って良かったよ」

 

 三者面談に魅鈴さんが間に合わず、急遽代役を頼まれたんだ。静願ちゃんは何故か結衣ちゃんと同じ女子校に編入を希望した。

 

 一択での希望。

 

 比較的偏差値の高い学校なのだが、学力的には問題は無かったみたいだ。編入試験を終えて午後から三者面談。

 だが彼女の母親は仕事の関係で仙台から面談の時間に来れなかった。それなりに固定客が有るみたいだが、最近は紹介が無いと仕事は受けないそうだ。

 

 一見(いちげん)の客のマナーが悪くて嫌らしい。

 

 女性だと相手も舐めて掛かる連中も多いそうだ。確かに霊媒師として故人の霊を呼び出しても、本物かどうかなんて証明出来ないからね。

 僕は一応身元保証人だから、面接に同行しても問題は無い。此処は入学や編入に際して、両親以外の別居し定職の有る身元保証人が居ないと駄目なんだ。

 僕は登記簿上は調査会社で登録してるから、社会的身分は有る。その点では、流石に私立はしっかりしている。

 

「構わないよ。結衣ちゃんの時以来だから二年振り位かな……女の子ばかりだから、気恥ずかしいけどね」

 

 校内の廊下を彼女と二人で歩く。

 

 平日で有り各教室では授業中で有り廊下に人通りは無くとも、筋肉ムキムキの僕は女子校の中では場違いなんだよね。

 しかも彼女は未だ制服が無いから仙台の高校のセーラー服だ。グレーのセーラー服に紺色のソックス。

 スカート丈が意外に短くて、彼女のボディラインを良く表している。そんな彼女がムキムキな僕の左腕に抱き付いているから……

 

「お父さん、綺麗な学校だね。流石は都会」

 

 うん、親子に見えます。どう見ても親子。たまに擦れ違う先生方も、微笑ましい父娘だと思って無警戒だし。

 

「面接上手く言って良かったね」

 

 筋肉ムキムキ野郎の腕にぶら下がる美少女。本当にバッチリ親子にしか見えない。

 

「うん。お父さん、校長と親しそうに話してた。それに向こうが遠慮してるみたいだったよ」

 

 この子は結構周りの連中を観察している。毒舌だからこそ、相手をちゃんと見極めて適切な毒を吐く。

 

 困った子だ……

 

「前に結衣ちゃんが喧嘩と言うか、あるグループから虐めを受けたらしいんだ。私立の先生は見なかった振りはしない。

直ぐに当事者と両親を交えての話し合いになった。僕は知り合いの弁護士の松尾の爺さんにも来て貰った。暑い夏の日でね……」

 

 あの時は公立で虐めを受けて転校させたのに、私立でさえ虐めで彼女を悲しませるのかと準備万端で向かったんだ。

 

「暑い夏?弁護士?関係有るの?」

 

 興味津々と僕を見上げてくる。これから自分が通う学校の事だし気になるのだろう。

 

「和服を着た眼光鋭い小柄な老人。ムキムキ筋肉、黒服の僕。部屋に入ったらエアコンが効いててね。

上着を脱いだんだ。力みすぎて半袖のYシャツがキツかったな。暑くて目つきも悪かったかもしれない……」

 

 遠い目をして彼女に説明する。その時、既に先方の三人と両親は揃っていた。部屋に入った時は向こうも敵愾心に溢れてた。

 まぁ数も多いし言い分も有ったのだろう。結衣ちゃんは僕に迷惑を掛けてしまったと、自分を責め続けていたんだ。

 落ち込んで殆ど話す事も出来ない状態の結衣ちゃん……彼女を悲しませた連中を許す訳にはいかない。

 

 最初に扉を開けた瞬間からガン付けたよ。全力全開で!

 

 ムキムキのヤクザが入ってきて睨み付けられ、その次にヤクザの親分みたいな松尾の爺さんが入ってきたんだ。

 室内から音が消えた。相手の連中の表情も消えたけどね。

 

「お父さんの恫喝は慣れが有るから。相手が可哀想だよ」

 

「恫喝?まさか、そんな事はしないよ。僕は躾の行き届いたクマさんだからね。

平和的な対話を尊重したんだ。そう、お話し(ohanashi)をしたんだよ」

 

 顔面蒼白な連中を前に、結衣ちゃんを真ん中に左右に僕等は座った。感情を込めないで淡々と話すのが良いんだ。

 

「僕は彼女の保護者の榎本です。此方は専属弁護士の松尾さん。なにやら多数でウチの結衣を虐めたとか?

今日は、その辺の事実追求と対策と補償、それに詫びを入れて貰おうと来ました」

 

 そう挨拶をしたら、力みすぎてYシャツの袖が弾けたんだ……筋肉でね。それで相手の子達が泣き出して、結衣ちゃんが宥めた。

 流石は結衣ちゃん、虐められた相手にだって気遣えるんだ。その後は彼女達と仲良くなったので、雨降って地固まるだ!

 松尾の爺さんも訴訟から入るとか散々親を脅したからね。今思えば全く大人気ない……反省だ。

 

「それで?解決したの?」

 

「勿論だ!彼女達は仲良くなったよ。雨降って地固まるだね」

 

 校舎を出てグランドの脇を歩く。桜が散り始めて、吹雪の様に舞っている長閑な午後……体育の授業だろうか?

 ソフトボールの練習に励む生徒達が、青春の汗を輝かせている。素晴らしい光景だ!

 

「ふーん……きっと相手は萎縮したと思う。お父さんが本気で怒ると怖いもん」

 

 絡めていた腕を放し、早歩きで数歩前に出る。確かに本気で怒ってたけどね。静願ちゃんが怯える程、怒った所は見せてない筈だけどな?

 三歩程、先を後ろ向きに腰に手を当てて歩いている彼女は楽しそうだ。霊媒師と言う少し変わった特技が有るが、この学校では秘密にしている。

 ただ家業を手伝う事が有ります、とだけ面接で答えていた。今時、家の手伝いをするなんて素晴らしい!

 

 そう、感心されたから本当の事は言わない。嘘は言ってないから……

 

 前の学校で静願ちゃんがハブられた原因を言う必要は無い。楽しそうに前を歩く彼女には、有意義な学園生活を送って欲しいから……

 

「駅まで送るよ。遅れて魅鈴さん来るんだろ?」

 

「うん。来週に引っ越しするから手続きに来る。山崎さんに良い物件を紹介して貰えたから」

 

 どうしても直ぐに引っ越すと頑張られて、得意先の山崎不動産を紹介したんだ。社長は小笠原母娘が気に入ったのと、僕の紹介だからと良い物件を紹介した。

 美女と美少女だから彼が断る訳が無いけどね。しかもウチの近くを勧めやがった……教員用駐車場に停めてある愛車の前に立つ。

 

 新しい愛車「日産cube」だ。

 

 リモコンでロックを解除し、助手席に静願ちゃんを乗せる。彼女の母親を迎えに、JR新横浜駅まで行かなくてはならない。

 同じ車種とは言え新車故に慎重に運転をする。そう言えば、この車が来る時も一悶着有ったんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 前回の除霊で高野さんが僕の愛車を運転してバンパーとかを凹ませた。ディーラーに修理を頼んだのだが、小原氏が手を回し新車を納車させた。

 行き着けの日産ディーラーの担当者、篠原さんが困った顔で書類一式を持って自宅に訪ねて来たんだ。

 

「修理と伺いましたが、事故の相手から悪いから同じ車種の新車を贈りたい。そう強く言われて困ってます」と言ってきた。

 

 車を売ったり買ったりには、取得者が書かないと駄目な書類や手続きが有るからね。ただ買って渡すだけじゃ駄目だ。

 その場で小原氏に電話したが、執事の定岡さんにしか繋がらず押し切られた。

 しかも銀行へ初回の除霊費用520万円(成功報酬・基本報酬・雑費)の他に、廃ホテルでの除霊費用390万円(何故か成功報酬・基本報酬・雑費)が振り込まれていた。

 廃ホテルの分は三日間の人件費と立て替えの機材リース費の40万円を請求したのにだ。

 

「主は榎本様に感謝なされてました。色々と立場の難しい方なので、御礼として思い付いたのは金銭しか無かったのでしょう。

前妻の親族とも和解が成立しそうですので、其方の分も含まれています。有り体に言えば口止め料込み。そう言う訳で御座います」

 

 有り難いお話だが、税務署は納得しないんだ。確定申告で贈与とか不法収益とかになるんだよ。

 そう言って断っても、先方の捺印済みの契約書を送ってきた。自費で調べていた調書の注文依頼書と請書のセットだ。

 これなら興信所に頼んだから、入金だけでなく支払いも発生する。つまり僕が元請けとして小原氏から依頼された調査を興信所に頼んだ事になる。

 此処までされては断るのも失礼なので、有り難く受け取った。しかし、確実に借りが出来てしまったんだよ。

 今度何か頼まれても、断る事が難しい弱みを握られたと同じだ。むぅ、流石は小原氏と言う事か……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 JR新横浜駅に到着、近くのパーキングに停める。新幹線の到着時間まで30分位かな?

 

「静願ちゃん、そろそろ到着だから改札で待ってようか?」

 

 車から降りて真っ直ぐ僕の腕に掴まり、ニッコリ笑いながら見上げる。

 

「うん、お母さん着いたら電話するって言ってたよ」そう嬉しそうに話す。

 

 実は僕が静願ちゃんの母親に会うのは二回目なんだが……物凄く苦手なタイプだ。

 年齢は多分、僕より少し上だ。30代後半、匂い立つ様な色気を振り撒く美女だ!僕の好みの対極の存在だ!

 しかも彼女は天然なのか、微妙に近い位置取りで接してくる。旦那が他に女を作って逃げ出したと聞くが、一般的な美意識から言えば何とも勿体無い事だろう。

 何か性格の不一致とか、他に原因が有りそうな気がするけど?予定では新幹線の到着10分前になった。

 改札前の壁に二人で寄りかかっているが、そろそろ腕を組むのは止めた方が良いかな。

 

「静願ちゃん、そろそろ魅鈴さん来るから腕を……」

 

「うん。お母さん、最初会った時に榎本さんの事を年の離れた彼氏だと思ったって」

 

 スルリと腕を放し、握り拳一個分ほど距離を置く。どう言う訳か、彼女は僕に絶対の信頼を寄せている。

 つまり普段の態度が、端から見れば気持ちが通じ合った男女みたいらしい。そこへ腕を組んだりしてたら、魅鈴さんから見れば年の差カップルだ。

 しかもお父さんとか呼ばれた日には、余計混乱するだろう。下手したら僕が魅鈴さんと再婚したいから、静願ちゃんを手懐けたと勘違いすると思う。

 

 僕に全くその気が無くてもだ!

 

 年齢的には、其方の方が釣り合ってるから……暫く待つと静願ちゃんの携帯が鳴り、改札から魅麗さんが手を振りながら近付いて来た。

 僕は待ち合わせには良い目印なのか、大体先方が先に見付けるんだ。小さ目なトランクを引きながら、彼女は目の前まで歩いて来た。

 

「静願、お待たせ。榎本さん済みません。今日は無理を言ってしまいまして……」

 

 凄い媚びを含んだ表情だ。これを意識しないでやってるらしい。

 セーラー服の美少女とシックなワンピース姿の美女は周りから注目を集めるのには十分だ。

 

「いえいえ、お気になさらず。僕が紹介したんですし、校長とは面識も有ります。静願ちゃんは頭も良いし面談も問題なかった。編入は大丈夫でしょう」

 

「お母さん、私頑張ったんだ」

 

 母子家庭で育った彼女達は非常に仲が良い。親子関係は良好なんだろう。見てると、ほのぼのしてくる……

 

「立ち話も何ですから移動しましょう。今晩は横須賀市内のホテルに泊まるんですよね?車で来てますから送りますよ」

 

 注目を集め捲る状況を打破する為に早めの移動を促す。

 

「ええ、榎本さん。これから宜しくお願いしますね」

 

「榎本さん、行こう」

 

 色々な意味で取れる宜しくを笑いながらスルーして、愛車へと案内する。どうも魅鈴さんは苦手だ……

 

 

第105話

 

 静願ちゃんの三者面談に立ち会い、魅鈴さんを迎えに新横浜駅まで来た。合流した見目麗しい母娘は、周りの視線を集め捲っているので取り敢えず移動する。

 彼女達は来週には仙台から引っ越して来るので、不動産屋の手続きも有るそうだ……愛車cubeの後部座席に並んで座って貰い横須賀方面に移動中だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何が珍しいのか分からないが外の景色を見ながら、へーとかフーンとか関心している魅鈴さんに話し掛ける。

 

「明日、山崎さんの所に行かれるんですよね?このまま横須賀に向かって良いのですか?」

 

 そう言えば、未だ彼女達の行動予定を聞いてなかったな。

 

「はい、不動産の手続きは明日の10時。15時の新幹線で帰る予定です。

今日はゆっくり横須賀の街を歩こうと思いますわ。これから住む街ですし……」

 

 僕の問い掛けに、前を向いて答えてくれた。なる程、新居の周りをチェックする訳だ。

 ただ余り時間は無いから、大した場所は見れないだろう。ならば一旦ホテルでチェックインさせて、荷物を預けた方が動き易いか……

 

「では一旦ホテルまで送りますよ。何処のホテルを予約したんですか?」

 

 横須賀中央付近だと、トリニティ・ホテル横須賀・セントラル辺りか?あれ?黙っちゃったぞ……

 

「あら嫌だわ、予約するの忘れちゃって……」

 

 バックミラーで魅鈴さんの表情を見る限りでは、そんなに困ってる感じじゃない。右手の人差し指を頬に当てて首を傾げる仕草は、本当に困っているのか?

 いきなり地方から出て来て、今夜の宿を探すのも大変だろう。信号で止まった時に携帯を操作し、じゃらんNetを開く。

 

 今日の宿・横須賀・二名・一泊でキーワード検索をすると、11件ヒットした。

 

 パッと見ではビジネスホテルが有ったが、海の家みたいな民宿やお勧め出来ない木賃宿みたいな物も意外に有るんだ。だが最初は彼女達に選んで貰おう。

 

「静願ちゃん、この中から選んでくれる?横須賀市内だと当日宿泊は限られるんだ」

 

 信号が青に変わったので、彼女達に選んで貰う事にする。

 

「うん。お母さん、何処が良いかな?」

 

 携帯電話を受け取り、スクロールしながら探している。じゃらんNetは宿の紹介記事の他に、口コミや写真も見れるから、大体のイメージは分かる。

 

「あら、最近は携帯で宿も予約出来るのね……お母さん、温泉に入りたいわ」

 

 後ろでワイワイ話し合ってるのを聞きながら、時間が無いので高速道路を使い急ぐ事にする。暫くすると宿が決まったみたいだ。

 

「榎本さん、この……観音崎京急ホテルに決めたい。SPAも使えるみたいだよ」

 

 観音崎京急ホテルか……確か最近女性向けのアジアンテイストなSPAを作ってたな。

 東京湾に面して全部屋オーシャンビューだ。地元故に泊まった事は無いが、来客を紹介し好評だった筈だ。ハズレでは無いだろう。

 

「分かった、ちょっと待ってね。予約するから携帯かして」

 

 高速道路を利用する前だったので、路肩にハザードを点けて車を停めてから携帯を預かる。予約の確定をして確認メールを受け取る。

 朝夕食事付きのプランを選んだなら、母娘水入らずで過ごすんだな。チェックインは15時で夕食は19時。

 このまま行けば16時前には着くな。少しは探索の時間が取れるだろう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東京の資産家の除霊依頼が来た時、本当は断るつもりだった。霊媒師とは、あの世とこの世を繋ぐ橋渡しが仕事。

 故人を遺族に会わせ会話するのが本来の姿。悪霊を祓う事を望むとは、私達を理解していない。

 霊媒師の私に悪霊の退治を依頼して来るなんて、何の冗談かと笑ったわ。でも静願が、これからは霊媒師じゃ先行きが不安だからと試しに行くと言い出した。

 複数の霊能力者の合同らしいので、それなりに安心だと思い送り出してみたけど……この筋肉の塊の方に師事するからと、嬉しそうに帰って来た。

 確かに当初の依頼を並み居る同業者を出し抜き一晩で解決。しかも強力な悪霊を一撃で祓ったそうだ。

 脳筋かと思えば最初に契約を結び、仕事は警備員を巻き込んで探索方法を構築する慎重派。

 興信所の様な調査・霊能力に頼らない索敵方法など、私の知ってる同業者と一線を画している不思議な人。

 自身が強力な力を持ちながら、慎重・確実・迅速ときている。私達が除霊へと業態変更を行う事になるなら、学ぶには理想的だろう。

 だが静願の願いにも労働基準法とかを持ち出し、夜間の仕事にダメ出しする良識も有る。お坊様らしいが、それ故に面倒を見てくれているのか?

 

 試しに、それとなく女を出して近付いても……やんわりと拒絶される。そう、拒絶だ!

 

 10代半ばの静願と30代半ばの私を拒絶するのは、酷いペド野郎か熟女好みのどちらかだ!まさか20代限定とかじゃないだろう。

 自慢じゃ無いが私だって見ようによっては20代後半で通用する容姿だし……又はホモ?

 仏教では衆道とかも有るらしいし、気を付けないと……だけど本気で心配してくれてるのは分かるし、面倒見も凄く良いのよ。

 ホテルを決めてないと言った途端に、直ぐにお世話出来るのも気遣いを感じますし……

 不動産屋の社長や私立学園の校長にまでコネを持ってるなんて、一介の霊能力者とは思えない人脈だわ。

 実社会に確実な地位を築いている彼は、詐欺とか言われる胡散臭い我々では有り得ない事なのよね……榎本さんって、本当に何を考えているのかしら?

 

 考えれば考える程、不思議な人。でも私も静願の親として、彼に甘えたままじゃ駄目なのよ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 観音崎京急ホテルは、東京湾に面した海岸沿いに有る二階建ての建物だ。本館の隣に新設したスパッソは、アジアンテイストなSPAだ。ホテル併設の駐車場に停める。

 

「到着です。予約は榎本になってますので、静願ちゃん。宿帳には僕の事務所の住所と電話番号書いて。

ちゃんと女性二人で予約したから平気だよ。あと、横須賀中央付近に行くなら送るよ。このホテルはバスしか無いし、僕も事務所に戻るから序でに送ろうか?」

 

 風光明媚な場所故に、交通手段は限られる。バスで最寄りの京急線の浦賀駅・馬堀海岸駅に出るしかない。

 

「お母さん、どうする?おと……榎本さんにこれ以上迷惑掛けるの嫌だよ」

 

 静願ちゃん、うっかり呼んじゃ駄目だよ。お父さんは!

 

「おと?そうね、榎本さん。有難う御座いました。後は私達だけで大丈夫です。タクシーでも呼びますから」

 

 遠慮は要らないのだが、彼女達には彼女達なりの予定が有るのだろう。無理強いしても意味は無いだろう……

 

「そうですか。では何か有れば連絡を……静願ちゃん、またね」

 

 母娘並んで手を振って、お見送りしてくれた。さてと……事務所で仕事の続きをしたら、お土産買って帰ろう。

 静願ちゃんに付き合うと結衣ちゃんが、ご機嫌斜めと言うか……二人は余り仲良くならなかったんだ。

 もしかして僕が好きだから、取られると嫉妬を?と思ったが、里子VS自称娘みたいな感じだ。

 どちらも普段は我が儘言わない良い娘達なんだけど、反りが合わないのか?

 

 年頃の娘達との付き合いは、難しいぜ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 榎本さんの車を静願と一緒に見送る。遠慮しないで、とか言わずに引き上げたわ。

 この距離感は良く私達を思ってるのね。予約の確認の時に朝晩の食事をワザと付けた。

 夕食を一緒にとか誘わずに、母娘水入らずも良いですよね!そう言ったのは、先迄考えての事だわ。

 明日も特に聞かれなかったのは、私達の自由に行動してくれって事ね。

 私達に恋愛や愛欲の感情を抱いていたら、なるべく一緒に居るとか夜にお酒とか飲もうって話にしたい筈だもの……

 

「静願……榎本さんって本当に良い人なのね。お母さん、狙って良いかしら?」

 

 冗談ぽく言って娘の反応を見る。私に内緒で付き合ってるなら良い顔はしない。

 

「お母さんが?んー榎本さん、桜岡霞ってお茶の間の梓巫女と付き合ってるみたいだよ。

少なくとも向こうは好意が有るみたい。榎本さんは……親友みたいに接してたけど」

 

 あらあら?

 

 静願にとっては榎本さんは恋愛対象外かしら?しかし、桜岡霞と言えばヌレヌレ梓巫女の高飛車な女よね。

 彼の好みとは到底思えないのだけど……静願は榎本さんが父親になる事には反対しなかった。

 つまり、彼に恋愛感情は無く父性を見出してるのかしら?確かに頼り甲斐も有るし優しいし、理想的な父親像よね。

 この子は五歳で父親から捨てられた経験が有るし、下手に彼と引き離さない方が良いわ。

 除霊方法を指導して貰うのだから、憧れの父親みたいな感じが良い結果を生むと思うの。

 相手も好意を持って接すれば、親身に教えてくれる筈だし良い師に巡り会ったわね。

 

 しっかり頑張るのよ、静願……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結衣ちゃんへの土産は、三國屋善五郎茶屋の玉露だ。中学生には渋すぎるお土産だが、彼女はお茶好きなので良いだろう。

 お茶請けには坂倉本舗の桜餅を買った。彼女の土産をソファーに置いて、上着も脱いで隣に置く。

 半日程事務所を空けてしまったが、インターホンにも防犯カメラにも来客は無かったようだ。

 

 次にデスクに座り、パソコンを立ち上げる。不在中のメールや留守番電話をチェックする。パソコンのメールに山崎さんの名前を発見しクリック、内容を確認する。

 多分、小笠原母娘の事で冷やかしでも書いているのだろう。軽い気持ちで読み進める。

 

「榎本君。

東北美人を二人も紹介するとは、中々どうしてやるな。彼女達の希望の家は破格の値段で売るから安心しろ。

しかし魅鈴さんは魅力的で色気ムンムンだな。お前の嫌いなタイプなのに珍しいよな。好みを変えたのか?

さて、本題だ。

私の扱っている集合住宅で幽霊騒ぎが起きている。場所は地図を添付してあるが、横須賀市内の平成町だ。

埋め立て地だし、事故物件でも無い。だが、一家族が引っ越しを行い管理人に苦情が何件か来ている。

資料は添付してあるが、全てだ。一度調べて欲しい」

 

 平成町は、この10年で埋め立て地を利用した街づくりをしている場所だ。殆どが新築物件だし、事故物件なら山崎さんは必ず教えてくれる。

 つまり不自然に人は死んでいない物件だ。

 

「水谷ハイツか……

鉄筋コンクリート造地上三階建て、8部屋全て2LDKの比較的若い世帯をターゲットにしている価格帯だ。現在6世帯が住んでいる」

 

 気を付けなければならないのは人が住んでいる物件を調べる場合、その連中からの依頼なら良いが……違う筋からだと、揉める場合が多い。

 だから、なるべく住人に知られない様に調べなくてはならない。誰だって胡散臭い連中が、自分の住んでる場所を調べてるのは嫌だ。

 逆に事故物件だと賃下げ交渉をする奴とか居る。Googleを開いてパスワード検索をする。

 

「横須賀市・平成町・水谷ハイツで検索」

 

 267件ヒットした、結構有るな……だが殆どが普通に住宅情報だ。半分位見ても、既にタイトルだけで分かる。

 空きの2世帯の入居者を募集している。オーナーさんは山崎不動産以外にも委託してるのかな?

 

 キーワードを追加する。

 

「横須賀市・平成町・水谷ハイツ、それに心霊現象を追加して検索」

 

 ヒット数は0、だな。

 

 心霊現象を消して異常を入れて検索……

 

 1件ヒットした。

 

 某モバゲーの日記だが、書き込みされたのは三週間も前だ。

 

「水谷ハイツ、まじキモイんだけど。私がお風呂に入ると必ず廊下で人の気配がする。このアパート、異常者が居るんじゃない?」

 

「ぎゃはは!ストーカーだよ、警察に通報だ」

 

「ミンちゃんを狙ってるんだよ。気を付けなよ」

 

 ミンちゃんね……公開してるプロフィールを見ると高校生らしい。ギャルっぽいイメージだ。

 

 それに女性がお風呂に入ると現れる覗き魔幽霊?途端に胡散臭い感じがしてきた。確かに色情霊とかも居るには居るけどね……

 

 

第106話

 

 水谷ハイツ。

 

 山崎不動産の社長から調べて欲しいと依頼の有ったアパート。具体的には、このアパートは変だと言い廻って引っ越した家族が居た為に、事実を確認する事。

 周りの住人も騒ぎ出すと資産価値が下がり家賃も値下げをするか、最悪の場合は住人が引っ越してしまう。インターネットで調べた限りでは、ミンと言うハンドルネームの女子高生の書き込みだけ。

 風呂に入ると気配がする……その後の本人の日記には、水谷ハイツの異常は書き込まれて無い。

 まぁ彼女が今も住んでいるのか、引っ越しをした住人なのかも不明。

 

 次に旅行死亡人データベースを検索し、周辺での不審死を調べる。これは官報掲載の旅行死亡人を纏めた物で、亡くなった身元の分からない人達の一覧を見れるんだ。

 これによると、アパート付近で身元不明な人は死んでいない。

 

 此処まで怪しい所が無いのも珍しい。埋め立て地だけに、神社・寺院・庚申塚・地蔵等も無いだろう。

 

「今回はインターネット上じゃ話題になってない。つまり……現地に行って周辺調査から始めるしかないか」

 

 大体の方針を決めたら、明日にでも山崎さんの所に打合せに行こう。現在住まれている家族の情報とか、引っ越した家族の情報とかを分かる限り見せて貰おう。

 家族構成の中にミンと言うハンドルネームの子に該当する女子高生が居れば、調査の取っ掛かりにはなる。彼女の部屋を張れば、怪奇現象に遭遇出来るかも知れないからね……

 

 時計を見れば5時を少し過ぎていた。自分ルールで9時から5時を勤務時間としている。そろそろ帰ろう。

 結衣ちゃんのお土産を持って事務所を後にする。春先とは言え、5時を過ぎれば薄暗いし肌寒い。温かな夕食を思い浮かべながら、帰路を急ぐ。

 

 結衣ちゃんの手料理、今晩は何だろう?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 車を自宅の駐車場に停めて玄関に廻る。郵便受けを確認すると夕刊と手紙が入っていた。

 手紙は……亀宮さんからだ。亀宮さん、手紙とは古風だな。和紙の封筒に綺麗な毛筆で書かれた手紙を見る。

 

 何か、香水と言うか……お香の匂いがする。

 

 流石は700年も続く名家だ!彼女の手紙をポケットに入れて玄関の鍵を開ける。

 防犯上、僕が居ない時は施錠して貰ってるんだ。扉を空けて中に入ると、キッチンから結衣ちゃんが迎えに出てくれた。

 今日は制服にエプロンだ!うむ、ナイスなチョイス。とたとたと近くまで小走りで近付いてくれた。

 

「ただいま、結衣ちゃん。はい、お土産だよ」

 

「お帰りなさい、正明さん。有難う御座います。あっ桜餅ですね!デザートに食べましょう」

 

 受け取った包みを開いて中を確認して、嬉しそうに笑ってくれる。八王子の事件解決後、桜岡さんは実家の大阪に帰った。

 何でも力不足の為、修行をし直すそうだ。彼女の荷物は置きっぱなしだから、修行が終われば帰ってくる気だと思う。

 

 まぁ、それは良いけど……久し振りに結衣ちゃんと二人切りだ!

 

「6時半に夕食にしますね。少しお部屋で休んでいて下さい。迎えに行きますから」

 

 キッチンで鍋の中身を確認し、オタマで味見しながら気遣いの言葉をくれた。お言葉に甘えて、部屋で休ませて貰おう。

 自室へ戻り部屋着に着替えてから、うがい手洗いをする。部屋に戻ってから、亀宮さんの手紙を改めて見る。

 

 和紙製の封筒だ。桜色をベースに桜の花弁が押し花の様に散りばめられている。住所氏名は毛筆で女性らしい優しいタッチで書かれている。

 所謂、達筆だな。封筒全体から良い匂いがするが、お香を焚きしめた感じだね。

 流石は700年も続く旧家のお嬢様だ。歴史だけなら胡蝶を祀った榎本家も700年か?

 ハサミで丁寧に切ってから中身を出す。便箋も和紙だが、此方は毛筆で無く万年筆かな?

 達筆過ぎて分からない所も有りそうだ。折り畳まれた便箋を開き読み始める……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「拝啓、榎本様。八王子以来ですが、お変わりは有りませんか?

私は、あの後に一件程除霊を行いました。旧華族の別荘に出没する地縛霊でした」

 

 やはり亀宮さんは上流階級の顧客相手なんだ。一般に視認出来る程の霊獣が居るんだ!

 普通ならテレビ局が放っておかないネタだよ。亀ちゃんだけで幽霊等を否定する輩は何も言えないだろう。

 論より証拠、人を乗せて飛べる霊獣以上に証拠は必要無いからね。

 

「その方は三代前の一族の亡くなられた方で、病気の為に隔離され……そして療養していた別荘に地縛霊として憑いてしまったのです。

亀ちゃんに食べられた時、悲しみが伝わってきました。お付きの老人以外に誰とも話せなかった。忘れられるのが我慢ならない、と。

今までは祓う対象の事など考えなかったのですが、愛子さんの事を知ってしまうと色々と考えさせられます」

 

 うーん、旧華族とかサラッと出て来たな。顧客層がまるで違うや……彼女は元々優しい性格なんだろう。

 除霊対象に感情移入は諸刃の剣なんだ。除霊と違い浄霊が出来る人達は、霊の悲しみを祓うらしいが……

 除霊しか出来ない僕は強制的に祓うんだ。納得済みか強制的かの違いは大きい。

 僕は御仏に仕える僧侶だから、霊が現世に留まるのを良しとしない事を知っているので匙加減が出来る。

 自分の力の限界を知っているから、無理と思えば割り切れる。自分本位な偽善者なんだよ。亀宮さんや桜岡さんは基本的に善人で優しい。

 だから何でもかんでも同情するのは危険だ。そんな気持ちを抱かせた僕は、亀宮さんにとっては害悪だったか?

 

「今回のお供の方は、除霊対象に感情移入は不要。依頼を達成する事こそ重要だと叱られました」

 

 一族全体でバックアップしてる亀宮さんには、的確なアドバイザーが居るのね。しかし当主の心情の変化を的確に捉えてるなんて、監視されてる様で嫌だな。

 この辺は僕も返事でやんわりと触れておこう。基本的に霊が現世に留まるのは良くない、と。

 今は苦しくとも成仏する事で彼らは悲しみや苦しみから解放されるんだ。愛子さんの場合は施主の意向を受けていたので、特別なんだよ。

 

 気持ちの揺らぎは最強の守護霊獣を持つ彼女でも……

 

「それとメリッサから電話が有り、報酬が振り込まれたが幾らだったのか?しつこく聞かれました。

彼女は400万円だったそうです。私は500万円でしたわ。私達は実は幼なじみなんです。

メリッサなんて名乗ってますが、彼女の本名は柳鶴子(やなぎつるこ)。通称お鶴さんなんです。

私の本名は篠原梢(しのはらこずえ)です。

一文字も亀が入ってないのが不思議でしょ?私達一族で亀の文字は現当主のみが名乗れるのです。

私が亀宮の名を踏襲してから中学校で鶴亀と馬鹿にされたものです。嫌な思い出ですわ。だから喧嘩が絶えないのです」

 

 鶴亀コンビ?意外だな……彼女達は幼なじみだったのか。だからリアルキャットファイトが出来たのね。

 

 メリッサ様の本名はお鶴さん!駄目だ、今度会ったらギャップで笑いそうだよ。

 

「近々ですが、元大臣の方から大規模な除霊依頼が来そうなんです。それも原因究明が必要な探査系のお仕事が……

家の者が折衝してますが、亀ちゃんは専守防衛タイプですし、私達には不向きな条件です。しがらみで請けざるをえない時は、お力を貸して下さい。お願いします」

 

 おいおいおい……

 

 国家権力を握ってる連中の秘密を探る様な事は嫌だぞ!心霊絡みの秘密なんて、必ず人の死が絡んでるんだ。

 公に出来る内容じゃないのを調べれば、僕が抹殺されない?

 

「私の顧客層でも、榎本さんは話題になってます。問い合わせも何人か有りましたわ。

 

「あの亀宮を抑えられる人物が居る。それを本人が認めている」

 

 それだけでも大変な事なんですね。では、お会い出来る時を楽しみにしてますわ」

 

 何を言ってるんですか!

 

 そんな当世最強の貴女に匹敵する人物みたいになってますよ?彼女に悪気は無い、悪気は無いんだ……丁寧に便箋を畳んで封筒に入れてデスクにしまう。

 気疲れが多くて目眩がしたので布団に倒れる様に横になる。ボフンと巨体を受け止めてくれる布団は、お日様の匂いがする。

 俯せで枕に顔を埋めると、更に柔軟剤の匂いが……結衣ちゃん、ベッドメイクをしてくれたんだな。

 本当に世話ばかり掛けてるよね。炊事・洗濯・掃除の殆どを彼女に依存してる。

 

 今度の休みにでも一緒に遊びに行こうかな?

 

 時期的には花見だ。

 

 だが花見だと料理を作るとか言い出しそうで、返って手間を掛けさせてしまう。

 これじゃ労りにならない。旅行を一泊で……無理か?流石にお泊まり旅行はチキンな僕では、誘いたいが誘えない。

 

 イチゴ狩り……駄目だ、食べ物から離れろ!

 

 ショッピング……桜岡さんが居ないからアドバイスが貰えない。

 

 映画を観る……無難だが今彼女好みの映画がやってるのか?

 

 何で初デート前の中学生みたいな悩みなんだ!ゴロゴロと布団の上で悶えると、ノックされてドアが開いた。

 

「正明さん、夕飯の支度が出来ました……えっと、何を悩んでるんですか?」

 

 両手で頭を抱えて横になってれば、悩んでると思うよね。そのまま見上げながら

 

「あー、うん。仕事で一寸難しい物件が有って、ソレがぁ……うん、悩んでるんだ」

 

 僕の日本語がヘンなのは理由が有る!寝転ぶ僕、頭の前に立ち見下ろす結衣ちゃん。学校の制服に丈の短いエプロンを着ている。

 そう、彼女はスカートなんだ。ほんの2秒にも満たない時間で目に焼き付けた映像は……

 結衣ちゃんも桜岡さんの影響で下着な部分もお洒落になったんだ。

 

 うむうむ、眼福じゃ。体を捩り、俯せの体制から立ち上がる。

 

「お腹空いたよ。早く夕飯を食べよう」

 

 彼女の背中を軽く押しながらキッチンへと向かう。細くスベスベとした太股の付け根は、アダルティなショーツで守られていた。

 しかし色は白、これ重要!だが、太股には自傷した傷も見てしまった。

 彼女をモノにしたい欲望と、その衝動から正気を保つ為に彼女自らが付けた傷を見て複雑な気持ちになる。

 前は傷が癒えても包帯で隠していたのに、今は晒してくれている。間違い無く彼女は僕を信頼してくれてる。

 

 それを欲望に塗れた目で見てしまった事を激しく反省する……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕飯は結衣ちゃん渾身のメニューだ!

 豆ご飯・肉豆腐・鯵の南蛮漬け・インゲンの卵炒め・海草サラダ・大根と油揚げの味噌。独身男性の胃袋を鷲掴みにするメニュー。

 

 昔、エロい人が言った。お堅い男は胃袋から攻めろ、と……

 

 彼女が向かい側に座ったのを確認して「「いただきます」」と手と手を合わせて結衣ちゃんと食材に感謝する。

 

 基本的に食事中は余り喋らない。結衣ちゃん自身も積極的に話し掛ける方では無いので、どうしても僕が喋り掛けて彼女が応えるのが殆どだ。

 

「結衣ちゃん、久し振りに週末二人で出掛けようか?何処か行きたい所は有るかい?」

 

 結局、連れて行く場所が思い浮かばす直接聞く事にした。

 

 彼女は少し首を傾げながら「正明さんが行きたい所で良いです。最近忙しそうでしたし、のんびり出来る所が良いですね」彼女は大抵の場合、僕に気を使い自分の希望を言わない。

 

「のんびりか……温泉とか入りたいな……」

 

 つい本音をポロリといってしまった!

 

「温泉……そうですね、箱根辺りで一泊すればゆっくり出来ますね」

 

 あれ?あれれ?僕と一泊旅行なのに嫌じゃないのかな?表情を伺っても嬉しそうな気がする。

 

「そっそれじゃ宿の方は僕が探して予約するよ。貸切湯の有る所が良いよね……」

 

 平静を装い一泊旅行を決定!

 

「はい、お任せします。楽しみです。じゃデザートの桜餅を用意しますね」

 

 ヨッシャー、一緒に一泊旅行だー!桜餅を小皿に乗せてくれて急須でお茶を淹れてくれる彼女をボーっと見る。

 

 二人で旅行か……初めてじゃないかな?

 

「正明さん……」

 

「何だい?」

 

 湯呑みを見ながら彼女が何気ない様に言った。

 

「今日学校に来たんですか?正明さんを見たって友達が教えてくれました。はい、どうぞ」

 

 無表情で湯飲みを渡してくれた。どっ、どどどどうして?結衣ちゃんと静願ちゃんはイマイチ仲が良くないんだ。本当の事を言ったら気を悪くするかな?

 

 ラッ、ライフカード……ライフカードオープン!

 

①「うん?行ってないよ」

 

②「うん、結衣ちゃんの様子を見にね」

 

③「誰から聞いたんだい?」

 

④「うん、静願ちゃんの面接の付き添いを頼まれて」

 

⑤「そんな事より温泉何処行きたい?」

 

 頭の中に五枚のカードが思い浮かんだ!

 



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第107話から第109話

第107話

 

 久し振りの結衣ちゃんと二人切りの生活。二人だけの夕食。向かいに座る彼女は時間が無かったのか、未だ制服を着ている。

 白のブラウスに紺と深緑のチェックのスカート、エプロンは外していた。色合いは地味だがデザインは有名なデザイナーを起用したそうだ。

 

 夏服は色も変わる。

 

 何時も家事をしてくれる彼女に感謝の気持ちを込めて、何処かに遊びに行こうかと誘った。幸運の女神が微笑んでくれたのか、何故か一泊旅行に行く事に!

 だがしかし、幸運の女神は災いの女神だったかもしれない?彼女がポツリと言った質問だが、仲の良くない静願ちゃんの為に学校に言った事を教えてないんだ。

 この状況を切り抜ける為に、某CMで昔流行ったライフカードを脳内オープンした!

 

 

 ライフカードオープン!

 

 

①「うん?行ってないよ」

 

②「そう、結衣ちゃんの様子を見にね」

 

③「えっ、誰から聞いたんだい?」

 

④「うん、静願ちゃんの面接の付き添いを頼まれて」

 

⑤「そんな事より温泉何処行きたい?」

 

 

 頭の中に五枚のカードが思い浮かんだ!けど駄目だ、どれもハッピーエンドじゃねぇ。

 

①は駄目だ!

 

 彼女は友達から聞いたと言ったが、実は本人かも知れない。ああ、目立つ鍛え抜かれた肉体が恨めしい。

 

②は一見はベストアンサーだ。

 

 だが、①の予測の通り本人が見ていたら、静願ちゃんと一緒なのを隠していたと思われる。又は本当に友達から聞いたとしても、隣にセーラー服美少女が居たと教えていたら?

 

③は学校に居た事を肯定し、探りまで入れてるから駄目。

 

④は正直に説明する、か……

 

⑤は誤魔化そうと言う気持ちがバレバレだ。

 

 使えねーライフカードだな……だが、突然神の啓示でも受信しなければ奇跡的な受け答えなんて出来ない。

 お茶を一口飲んで口を湿らせてから、④を選択し本当の事を正直に説明する。

 

「うん、昼過ぎに静願ちゃんの三者面談で学校に行ったんだ。彼女の母親が急に仙台から来れなくなって代わりにね。一応僕は身元保証人だからさ」

 

 結衣ちゃんの表情を伺いながら説明するが、普通だ。特に変化も無い……

 

「それで彼女は高等部に編入出来そうなんですか?」

 

 不安そうな感じで、此方を上目使いに聞いてくる。この表情と仕草はクラッと来るな……

 

「多分だが、大丈夫だと思う。三者面談は問題無かったし、編入試験もバッチリだと言ってたからね」

 

 結衣ちゃんは心配そうな表情から一転、ニッコリ笑って

 

「良かったですね」そう言ってくれた。

 

 元々優しい彼女だから、心配のし過ぎだったかな?でも良かった、気を悪くしてないみたいだ。

 その後は桜餅を美味しく頂き、お茶もお代わりした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕飯の片付けを終えて先にお風呂に入らせて貰った。部屋に戻り濡れた髪をドライヤーで乾かす。

 自分を写す鏡は木製で鎌倉彫が施された化粧ケース。まだ中学生だからリップ位しかお化粧品は持ってないけど、これは正明さんからのプレゼント。

 蓋の内側に有る鏡は、不安な顔の私を映している。

 

 そう、私は不安なの……正明さんが連れてきた母娘の事を考えると不安で仕方ないの。

 

 小笠原静願……

 

 初めて会ったのは、彼女が母親と一緒にウチに挨拶に来た時だった。私より少し年上だけど妙に艶の有る少女。

 彼女の母親は、私のお母さんに似た雰囲気が有った。外見は似ても似つかない、優しい感じの女性。でも女の媚びを振り撒く女性……

 

 正明さんがやんわりと拒絶してるのに、何度か接触しようとしてた。

 

 あの時の正明さんは本当に困った顔をして、でも彼女達を傷付けない様に配慮していたのが、私でも分かった。つまり、あの母親は正明さん狙い。

 彼女も正明さんを父親を見る様な目で見てた。あの母娘は正明さんを狙っている女狐なの!

 

 ちょ、ちょっと待って!私も数珠を外せばリアル狐っ娘だから女狐の表現は嫌。

 

 泥棒猫……

 

 そう泥棒猫がちょうど良いわね。正明さんは優し過ぎるから、誰にでも救いの手を差し伸べてしまう。

 それは良いの、彼の魅力だから……私だって、その優しさが有ったから今の居心地の良い場所に居られるの。

 でも、あの母娘は駄目。お世話するのは良いの……でもそれ以上の接触はして欲しく無い。

 

 正明さんと結婚するのは、私か霞さんのどちらかなの!霞さんも大阪に修行に行く時に私に言った。

 

「結衣ちゃん、榎本さんと私の仲は振り出しに戻っちゃったけど……私が居ない間に、変な虫が付かない様に見張ってね」

 

 何故、あれだけ結婚を匂わせていたのが御破算なのかは教えてくれなかった。正明さんも普段通りに霞さんと接していたから、喧嘩とかで駄目になった訳じゃない筈よ。

 それは霞さんも先走ってしまったんだ。まだ正明さんはフリーで、将来を約束した人は居ない。

 つまり私にも未だチャンスが有り、あの母娘はお邪魔虫と言う事なの。

 

 正明さんは……ツルペタの私では不満かもしれない。

 

 まだ私は未成年だし、せめて高校は卒業したいから少なくても後5年は待たせてしまう。彼の連れてくる女性は、皆さん立派な胸を持ってるし。

 でっでも、たまにエッチな目線で私を見る事も有るから全く貧乳を受け付けないわけじゃない!昔、エロい人は言ったわ。

 

「微乳は美乳、女性はバランス勝負だって!」

 

 大きければ良い訳じゃないの!私には未だ未来が有る筈なの……今回の旅行で少しアピールしてみようかな。そう考えると鏡の中の私は、少し微笑んでいた。

 

「くすくすくす……そうだ、巷で噂の猫耳コスプレをしてみようかな?

正明さんなら猫耳&尻尾付きのメイド服を着た私を可愛いと言ってくれるかな?確か正明さんの部屋に、そんな写真集が有った筈だわ……」

 

 折角の変身能力だし、正明さんが喜ぶなら試してみよう!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 平成町のアパート。

 

 山崎不動産が開店する前に近くまで様子を見に来た。今回の場所は知っているし横須賀中央の事務所からなら、自転車で20分位だ。

 何時も通りに9時に出勤し荷物を置いてから、自転車で現地に向かう。車に積んでいる折り畳み式自転車だからスピードは出ないが、朝だし付近の様子を見るだけだから問題無いと思う。

 雲一つ無い青空、風は少し吹いているので未だ肌寒いが、ペダルを漕ぐ運動は適度に体を暖めてくれる。駅と逆方向だからか、すれ違う人しか居ないな。

 暫く走ると平成町に到着。比較的新しい建物が多く、出勤時間帯を少し過ぎている為か人通りも少ない。

 

 先ずは問題の建物の周辺をゆっくり走る。

 

 交通事故が有ると道路沿いに、お地蔵様が有る場合が多い。幹線道路から路地を一つ入った場所だが、賽の目に配置された道路は迷い易い。

 同じ様なマンションや建売住宅が続くからだ。アパートを中心に半径200m程度を確認するがお地蔵様も無いし、神社・寺院も見当たらない。

 周辺の家を見ても火事が有ったりとか長年空き家な物も無い。此処まで取っ掛かりが見付けられない物件も珍しいな。

 ガセか狂言の場合も可能性として考えないと駄目かもしれないな。最後に問題のアパートの前まで行ってみる。

 丁度向かいに自動販売機が有ったので、折り畳み式自転車を前に停める。

 

 暫し自動販売機のメニューを選ぶが、飲みたい物はココアだ!まだ肌寒いし温かいココアが良いんだ。糖分は疲労も回復するんだよ。

 

 お金を入れてボタンを押す。取り出したココアをその場で飲みながら、問題のアパートを観察する。

 洒落た洋風建築の三階建てのアパート……一階は二部屋、二〜三階は三部屋で合計八部屋か。エントランスは全世帯分のポストが見える。

 

 管理人は当然居ない……

 

 六世帯住んでる筈だが、洗濯物やら窓が開いてるやらで確認出来たのは四世帯だけだ。時計は9時45分を過ぎているのに人の気配を感じない部屋は、既に出勤してるのかな?

 なけなしの霊感には、何も感じない。おっ、三階の住人がベランダに出て洗濯物を干しだしたな。30代位のポッチャリした女性だ。

 

 向けていた視線を逸らし、ココアを飲み干して空き缶をゴミ箱に入れる。折り畳み式自転車に跨り、その場を立ち去る。

 途中一回だけ視線を向けて確認したが、特に此方を見てはいなかった。さて、今回は全く手掛かりも無いと来たな。そのまま山崎不動産まで行ってみるか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 大型チェーン店不動産屋で無い山崎不動産は、地元密着型の不動産屋だ。店は京急線堀之内駅前商店街の中に有る、地元で30年以上続けている不動産屋だ。

 個人所有のビルの一階が不動産屋、二階と三階が山崎さんの住居となっている。一駅分を自転車で走ったが、特に疲労は無い。

 時刻は10時過ぎ、平日の開店早々だから未だ忙しくは無いだろう。自動ドアを潜り

 

「お早う御座います。社長居ますか?」とカウンターに座っていた飯島さんに声を掛ける。

 

 彼女は20代後半、Eカップ巨乳美人だが山崎さんの愛人だ。何となくだが色情霊が付いている様な気がする、気怠い色気を振り撒いている。

 因みにお金大好きで、愛人契約を複数結んでいるらしい。本来の好みは年下美少年から20代美青年らしく、僕は全く対象外だ!

 

「あら、榎本さん。お早う御座います。社長は二階に居るわよ。今、内線で呼ぶわね」そう言って山崎さんに連絡してくれる。

 

 誰にでも気立てが良く、マメに世話を焼いてくれるので人気は有るみたいだ。彼女が電話をしてくれるのを見ながら、何となく事務所を見回す。

 普段は男性社員も何人か居るのだが、ホワイトボードには外出・休み・外出となっている。

 

「榎本さん、奥の応接室に……飲み物はコーラ?」

 

 普段は賃貸契約者とはカウンター越しに対応するが、土地の売り買い等の大口顧客・クレーマー・常連様は応接室に通される。今回は周りに聞かれたく無いからだろう。

 

「ありがとう、コーラが良いな」

 

 飯島さんに一声掛けてから、奥の応接室に入る。直ぐに飯島さんがコップと500㎜lのペットボトルを出してくれた。

 お礼を言ってから直接ペットボトルからコーラを飲む。運動した後だし、室内は暖房が効いてるので冷たいコーラは美味い!

 

「ああ、おはよう。早いな、どうしたんだ?」

 

 接客業故かビシッと上下をスーツで固めた山崎さんが、入って来た。向かいに座るのを待って話し出す。

 

「今回の依頼ですが、ざっと調べた限りでは怪しい所が有りません。実際に先程現地も行きましたが、特に何も感じなかったし……もう少し詳しく情報を教えて欲しいのです」

 

 個人情報保護法とか色々難しいが、住人の情報を教えて欲しいんだ。

 

「ふむ……コピーは渡せんが、見せる事は出来る。今ファイルを持ってくるからな」

 

 そう言って山崎さんは席を立った。ガセにしろ狂言にしろ場所を特定し張るしか無い。

 最悪は、その引っ越したと言う部屋に泊まってみるか……色々と案を練っていると薄いファイルを持って来た。

 

「これだよ、このアパートは新築当初からウチが担当してたんだが……代替わりしてから微妙でね。

複数の不動産屋に仲介を頼み始めた。ウチとしても手を引くにしろ変な噂が有るままにしたくない。信用問題だからな」

 

 ああパソコン検索で複数の不動産でヒットしたのは、そう言う訳か……ファイルを最初から読み始める。

 入居者の一覧情報と契約書のコピー。何世帯かは入れ替わりが有るのか……六世帯目の契約書を見ている時に備考欄に赤字で

 

 ※「幽霊が見えると騒ぎ解約・移転」そう書いて有った。

 

 この家族が最初の被害者?なんだな。

 

 

第108話

 

 山崎さんから依頼されたアパートの心霊現象を調べていたが、初日から壁にぶつかった。全く怪しい物が無いんだ。

 これは何から調べて良いのかも分からない。お手上げ状態だ……

 仕方無く個人情報保護法に抵触するが、引っ越しした家族と現在住んでる家族の資料を見せて貰った。

 

 そして最初に引っ越した家族の資料だが……夫38歳・妻35歳・息子17歳の三人家族だ。息子?じゃあミンと言う名前の娘は未だ住んでるのか?

 

 再度資料を読むが現在住んでいる方々の家族構成でも、年頃の娘は誰も住んでない。何故だ?あの日記は嘘なんだろうか?

 

「どうした?難しい顔をして……珍しいな、お前さんが悩むとは」

 

 向かいに座わる山崎さんが、ジッと此方の様子を伺っている。依頼人に不安感を与える様じゃ駄目だな。

 

「ええ、下調べではネット上ですが若い女性と思われる口調の書き込みが有りまして。彼女が住む部屋が分かれば、調査の足掛かりになると思ったんですけどね」

 

 やはりガセか狂言の可能性が高いな。

 

「若い女性か……うーん、30代前後の奥さん達と子供は全て男だと思ったな」

 

 山崎さんの記憶も曖昧だ。だが、幾ら仲介してるとは言え全ての顧客を覚えてる訳じゃないだろう。

 

「あのアパートで誰か亡くなってませんか?」

 

 部屋でなくとも住んでいた人が病気等で他で亡くなった場合、家に憑く事は有った。

 

「いや聞かないな……」

 

 即答したな、事前に調べてたのか?山崎さんの表情には自信が見られる。

 

「本当に?あのアパートで無くて病院とかでも?」

 

「大家から聞いている。店子が亡くなれば弔電や香典位は出す。

だから、あのアパートでは住人は死んでない。同居で無い親戚は知らないがな」

 

 なる程、大家から言われて今回の調査を始めたのか。仲介業者より大家の依頼なら説得力が有るからね。

 

 最悪の場合は大家の名前を出せば良いか……

 

「初見ではガセか狂言だと思いますね。それも可能性に入れて調査します。先ずは引っ越した家族の住んでいた部屋が怪しい。

部屋を調べさせて欲しいです。仲介業者と客を装い部屋を見に来た感じで、一度行ってみたいですね。

中に入って何も感じなければ、短期で入居して調べてみたい」

 

 勿論だが、ゴーストハウスに呑気に泊まる気は無い。比較的安全な昼間に各種機材を設置して記録を取りたいんだ。

 納得出来るまで調べて、何も起こらなければ……最後は数日泊まって確認する。奴らは初めての人間が来ると暫く様子を見る場合が有る。

 

「ふむ、相変わらず慎重だな。良いだろう。大家には一ヶ月の猶予を貰うよ。その間は仮契約中として他の顧客には入らせない。それで良いか?」

 

 調査期間は一ヶ月か。僕の概算だと120万円位かな。

 

 基本契約では人件費・調査機材・報告書のセットでそれ位だ。除霊が必要なら力に応じてだが+30万円。大体150万円ってとこか。

 如何に小原氏の件が破格だったか分かる。まぁお金の為だけじゃないし、今回は胡蝶も手伝ってはくれないだろう。普段通りに仕事を進めよう。

 

「分かりました。では基本契約書から宜しいですか?」

 

 何時もの基本契約書を鞄から取り出す。

 

「全くしっかりしてるな。ああ良いだろう。じゃ契約を交わすかい」

 

 この辺の遣り取りは何時もの事だ。常に用意している基本契約書に必要事項を記入して印紙を貼り山崎さんに渡す。捺印後お互いの控えを貰い契約成立。

 

「では現地に行きたいのですが、何時なら良いですか?」

 

「うん、手が空いてるなら今からでも良いぞ」

 

 そんな話をしながら応接室から出ると、店内に小笠原母娘が居た。そう言えば午前中に不動産屋に寄るって言ってたっけ……

 僕を見付けると静願ちゃんが椅子から立ち上がって手を振ってくれる。気持ち嬉しそうだ。

 

「榎本さん、おはよう」

 

 彼女は今日もセーラー服姿。珍しく黒のパンストを履いている。うん、大人びた顔にメリハリボディな素直クール女子高生だ。

 そう言えば寝間着以外には、着物かセーラー服しか見ていないな。

 

「おはよう、静願ちゃん。それと魅鈴さんも」

 

 軽く手を上げて応える。何となく彼女達の近くに行く。カウンターは出口付近だから必然的に近付くのだが……

 

「榎本さん、何故此処に?」

 

 少し変わった口調の静願ちゃんが質問してくる。昨日会ってる時は、僕が此処に来るのを言ってない。

 だから不思議に思うんだろう。まぁ別れてから山崎さんから依頼されたんだけど。

 

「僕の方は仕事だよ。昨日別れた後に山崎さんから相談が有ってね。これから現地に行くんだ」

 

 魅鈴さんが書類にサインや捺印をしてる脇で、静願ちゃんと雑談をする。魅鈴さんの対応は飯島さんがしている。

 彼女はマルチに仕事が出来るから、男性社員が居ない時は接客も契約も行うんだ。

 

「お仕事なの?」

 

「ああ、ちょっとね。詳細は教えられないけど、これから現地に行ってくるよ」

 

 何か考え込みながら此方を見る彼女……除霊手順を教える約束をしてるからな。まさか一緒に行きたいとか言わないよね?

 

「わたっ私も……」

 

「榎本君、じゃ行くかい?車を廻して来たぞ」

 

 何かを言いかけた静願ちゃんの言葉を遮りながら、山崎さんが正面入口から入って来た。裏口から出て社用車を店の前まで廻してくれたんだな。

 

「了解です。じゃ静願ちゃん、魅鈴さんまた来週」

 

 彼女達は来週仙台から引っ越して来る。暫くのお別れだ。

 

「榎本さんの仕事、邪魔しないから一緒に行きたい」

 

 ああ、やっぱりだ……左腕に抱き付いて見上げながらお願いされる。だけど何も調べてない危険かも知れない場所に、準備無く連れて行くのは駄目だろ?

 

「それは……」

 

 彼女を傷付けない言葉を探す……

 

「ああ、良いだろ。近いし見るだけだから1時間位だろ?」

 

 僕が断る前に山崎さんが了承してしまった。

 

「静願、お母さん待ってるから行ってらっしゃいな。遅くなる様なら喫茶店にでも居るわ。榎本さん、娘を宜しくお願いします」

 

 保護者からも依頼人からも頼まれてしまった。仕方無いなと言う感じで、彼女の頭を右手でクシャクシャと撫でる。

 久し振りのサラサラな感触だ。彼女も嬉しそうに僕を見上げていた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 問題のアパートに向かう。僕と静願ちゃんは親子と言う設定。仕事の関係で此方に引っ越して来るので部屋探しだ。

 途中コンビニで紙の皿とワンカップの日本酒を買う。清めの塩は常に持ち歩いているが盛り塩用の皿は無い。

 それと簡単に霊の存在をしる方法として、部屋の真ん中に日本酒を置いて一日以上放置するというものがある。

 その日本酒が変色してたり少し飲んで味が変なら……何か居るんだ。100%じゃない探査方法だが、やらないよりはマシ。

 

 アパートの前に車を停める。山崎さんも馴れたものだ。

 

「お客さん、このアパートですよ。空きの部屋は一階と三階、どちらが良いですかね?」

 

 普通の不動産屋とお客さんの設定をこなす。勿論、何時誰が見てるか聞いてるか分からないからだ。

 

「うーん、道路に面してるし防犯を考えても一階は嫌だな。三階を見せて欲しい」

 

 そう言って予定通りの部屋に案内して貰う。三階建てだからエレベーターは無い。階段を上がって行くと、途中で二階の廊下を掃いている中年女性を見掛ける。

 山崎さんに挨拶したって事は顔馴染みか……彼も一言二言言葉を交わして別れた。

 

「今のは201号室の北山さんと言って一番長く住んでる人だ」

 

 隣に並び小さな声で教えてくれる。つまり、このアパートでの情報を一番詳しく知っている人。

 そして301号室を調べるならば、仮住まいの時に挨拶に行ってそれとなく話を聞ける訳だ。

 

「ここです、301号室。角部屋だから窓が二方向に有って陽当たり良好。南側にベランダが有りますよ」

 

 そう言って部屋の鍵を開けた。

 

「静願、お父さんが見てるから廊下に居なさい」

 

「うん、分かった」

 

 移動中に車の中で彼女に言い聞かせていた。初めて乗り込む場所だから、彼女は中には入れない。山崎さんは不動産屋だから外で待つのは不自然。

 彼を守りながら静願ちゃんまでは守る自信が無い。

 

 だから誰かに聞かれたら「お父さん中で不動産屋さんと話し込んでつまらないから出て来た」とでも言って誤魔化す様に頼んだ。

 

 玄関の中に入り山崎さんに清めの塩の入ったペットボトルを渡す。

 

「山崎さんは此処に居て下さい。何か有れば僕に構わず塩を撒いて逃げて下さい」

 

 そう言って靴を脱ぎ部屋の中へ……玄関から廊下が真っ直ぐ伸びて左側に扉が二つ。

 手前がバス・トイレ、その奥がキッチン。正面の扉がリビングで他に洋室が二部屋有るそうだが今は見えない。

 靴箱の上のブレーカーをONにして廊下の電気を点ける。先ずはバス・トイレの中を見るが普通だ。

 

 良く排水口に長い髪が!とか霊を思わせるヒントが有るが綺麗に掃除されている。

 

 念の為、水を蛇口を捻り流すが綺麗な水が出た。血の色みたいな赤錆だらけの水も出ない。

 バスルームには窓が無い。書き込みには風呂に入ると気配がと有ったが、気配とは脱衣場にか?

 覗きやストーカーの類は無さそうだな。室内に迄入り込んでいたら犯罪だ!次はキッチンに向かう。

 キッチンはリビングとカウンターで繋がっている。人造石のシンク台に吊り戸棚、それに備付の収納棚も有る。

 吊り戸棚も収納棚も全部開けて確認するが、綺麗に清掃され何も残ってない。カーテンが閉めっぱなしなので薄暗いリビングに入る。

 

 フローリングのガランとした6畳程の室内……右側に扉が二つ有るが閉まっている。

 カーテンを開けて窓も開ける。午前中の強い日差しが室内に入る。見回しても特に何もないな……二つ並んだ扉の左側を開ける。

 

 4畳程の洋間だ。収納棚も無く窓が一つだけだ。右側にも入るが、作りが同じ4畳程の洋間。部屋数は有るが一部屋が狭いな……

 

 特に何も感じないので、簡易探査を準備する。キッチンに戻りカウンターの上に紙の皿を並べる。

 清めた塩を三角錐の形に整えて押し固める。それを各部屋の窓際やバスルーム・キッチンに置いて行く。

 次に未開封のワンカップをリビングの中心に置いた。カーテンを閉めてからブレーカーを落とす。

 

「山崎さん、終わりました。来週月曜日に確認に来ましょう」

 

 玄関で待機していた彼に話し掛けて終了する。特に怪しい気配は無かったな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 折角お父さんの仕事振りが見れると思ったのに。私は玄関の外で待機……ちゃんと説明はしてくれた。

 初めて乗り込む場所だから、何が有るか分からないから待機。お父さんの事前調査は本当に慎重だ。

 私なら様子見と言うか、直接乗り込むと思う。残念だけど、言う事を聞かず我が儘をする訳にはいかない。

 玄関を見詰めてても仕方無いから、手摺を掴んで外を見る。

 

 比較的新しい建物が多い住宅密集地を見渡す……この辺は地元宮城県と余り変わらない。

 

「あれ、君は誰だい?住人じゃないよね?」

 

 声を掛けられた方を見る。廊下にコンビニ袋を持った若い男が此方を見ている。観察する様な嫌な目だ……

 

「そこの部屋を不動産屋で紹介された。中でお父さんが担当の人と話してる。つまらないから出て来た」

 

 最初から用意していた台詞を言う。ジャージ上下にサンダル履きコンビニ袋から想像するに、彼はこの階の住人なのだろう。

 

「ふーん、そうなんだ。つまならいならウチに来るかい?隣の部屋なんだ」

 

 そう言って扉を指差すが初対面の男の部屋にホイホイ入る女は居ない。

 

「いい、此処でお父さんを待ってる」

 

 拒絶の意志を乗せて言葉にした。

 

 

第109話

 

 お父さんの仕事に付いて来たけど、危険だからと外で待たされていた。暇だから外の景色を眺めていたら、知らない男に話し掛けられた。

 いきなり部屋に誘うなんて危ない奴。だらしないジャージ上下にサンダル履きの男。

 

「いい、此処でお父さんを待ってる」

 

 拒絶の意志を乗せて言葉にした。断ると一瞬だが嫌な顔をした。

 

「暇なんだろ?良いじゃん、対戦ゲームしようよ。新作有るんだ」

 

 今まで五歩位離れてたのに目の前まで近付いてきた。若い男が平日の昼間っから部屋でゲームって……彼は典型的な駄目男だ。

 

「お父さんが不動産屋さんと話が終わったら、直ぐ帰るからいい」

 

 近過ぎて身の危険を感じた。この人は嫌だ!

 

「じゃじゃじゃ、少しだけ話そうよ」

 

 手を伸ばして来たので、反射的に一歩下がる。

 

「何だよ、良いじゃんかよ!」

 

「何が良いんだ、ああ?」

 

 更に手を伸ばしてきたので、その手を払おうとしたけど何かに遮られた。大きい背中が私の前に有り、あの男が見えなくなっている。

 

 お父さんだ!

 

 彼の手をお父さんが掴んでる。あの嫌らしい男は絶対的な力の差に絶望的な顔をしている。

 

「ちょ、ちょちょちょチョット話をしてただけだって!離せよ、離してくれよ」

 

 本気で私の為に怒ってくれてるのが嬉しくて、後ろからお父さんの腰に抱き付き顔だけ出して様子を伺う。

 情けない男はジタバタしているが、お父さんは片手だけで抑えてるのにビクともしない。ガッチリして逞しい。

 

「お客さん、離してやりなよ。彼は隣に住む進藤さんの息子だよ」

 

 山崎さんが言うと、お父さんは手を離した。

 

「なっ何だよ!話し掛けただけじゃんか?」

 

 思いもよらず素早い動作で部屋に入り、鍵を閉める様な音が聞こえた。

 

「静願、何ともないかい?」

 

「うん、平気。もう行こう、此処は嫌だ」

 

 お父さんの左腕を抱きかかえながら、階段の方へ引っ張る。お父さんは少し困った顔、山崎さんは嬉しそうな顔をしている。

 

 そんなに不自然かな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの餓鬼、進藤とか言ったな。ウチの愛娘に不埒な事をしやがって。取り敢えず平静を装い情報を仕入れる。

 

「山崎さん、隣の……進藤さんですか。何か苦情とかは言ってないんですか?問題の部屋の隣ですけど……」

 

 運転中の為、此方に一瞬だけ視線を寄越す。

 

「特に無いな。

あの子は進藤貴也(しんどうたかや)、両親は共働きでな。高校を卒業してフラフラしとる。親も甘やかして育てたんだろう」

 

 ふーん、引き籠もりじゃ無いみたいだが、定職に就かず予備校にも行かずね。

 

「ニート?親に寄生虫?」

 

 静願ちゃん、毒がキツいよ。

 

「いや完全に引き籠もりでも無いし、バイトはやってるらしいな」

 

 面倒を見てくれる親に頼りきりか……だが殆ど家に居るなら、隣の家族が出て行った理由位は分からないのかな?

 

「ポルターガイストの原因として有名な説は、子供がストレスを発散させてる事も有るそうですよ。

所謂サイコキネシスとか超能力の類ですね。霊能力者と超能力者……どちらも実在します。

まぁ彼から力は感じなかった。その線は薄い。何故、引っ越す程の理由が出来たのか?来週の結果次第ですね」

 

 週末は結衣ちゃんと楽しい楽しい旅行だ。帰って来たら対応するか……

 

「結果が出てなかったら?どうするんだ?」

 

 山崎さんの心配ももっともだ。さっきのは簡易的な調査方法だから、ハズれる場合も有る。

 

「入居しますよ。勿論各種センサー類やカメラ、集音マイクを配して24時間調べます。それで何もなければ、何日か実際に泊まります。

それでも異常が無ければガセでしょう。周りに対してはお祓いをする事で安心させましょう。

ちゃんと法衣を纏ってやりますから大丈夫です。ああ、顔が割れてるから他の坊主を頼みますか?」

 

 目立つ僕が何日も彷徨いて住むんだからね。同じ人物が法衣を纏ってお祓いしたら良くないな。

 

「そうだな……地元の真行寺にでも頼むか。そうすると仮押さえから短期入居か。来週の結果次第で大家に説明に行くかい」

 

 どんな結果にしろ調査で最後は泊まらなければならない。慎重に調査しても結局は、テープ交換等で出入りはしなくちゃならないんだよな。

 ケーブル引いて別の部屋でモニターを見たいけど、隣も下の階も入居してるから無理だ。それに内々で調べて欲しいみたいだし……

 

「お父さん。この仕事、私は手伝えないの?」

 

 後部座席で大人しくしていた静願ちゃんが、やはりと言うか一緒に調べたいと言ってきた。

 

「うーん、駄目だな。最初に約束したよね。仕事で君を連れ回すのには問題が有る。魅鈴さんから仕事を請けた時に一緒にやろうって……」

 

 この仕事に対する熱意と意欲をあの餓鬼に見習わせたい。静願ちゃんは本当に良い娘に育ってるな。

 結衣ちゃんとも仲良くして欲しいんだが、何故か二人の間には緊張感が漂うんだよね……過去に何度か顔を合わせたけど、全てお互いよそよそしい表情だったし。

 会話も殆ど無かった。お互い人見知りタイプだから仕方無いのかな?

 

「むぅ、愛娘が一生懸命お願いしてるのに……でも正論だから文句も言えない」

 

 ほらね!希望は言っても聞き分けは良いんだ。

 

「さぁ魅鈴さんに連絡してみて。もう山崎不動産には居ないと思うから、あの近くに喫茶店って……」

 

「準喫茶レジェンドだな。あそこは近いし商談でも待ち合わせでも使うから、飯島君が教えてるだろ?」

 

 準喫茶レジェンド……

 

 昭和レトロ感が漂う怪しい伝説級の喫茶店なんだ。赤い絨毯にソファー、クラッシックしか音楽を流さない拘りを持つ老夫婦が経営する喫茶店。

 何気にナポリタンが美味いんだ。

 

「お父さん、お母さんやっぱりレジェンドって喫茶店に居るって」

 

 やっぱりな、一時間位掛かったからね。幾ら客でも不動産屋に長居は出来ないよな。

 

「じゃあ喫茶店の前で停めてあげるよ。お嬢さん、もう芝居は良いんだよ。榎本君もお父さん呼ばわりだと傷付くだろ?

コイツは未だ若者のつもりなんだ。ムキムキのオッサンなのにな」

 

「はいはい、僕は若作りのオッサン。静願ちゃん位の娘が居ても不思議じゃないオッサンですよ」

 

 ヤバかった……ナチュラルにお父さんと呼ばれてた。静願ちゃんにも念を押しておかないと、何時かボロがでそうだ。

 彼女もシマッタ的な顔してるし。

 

「仲良き事は良い事なり……榎本君も早く身を固めろ。なんなら紹介するぞ」

 

 そのニヤニヤ笑いは、松尾の爺さんに似ている。悪気は無いが、からかうネタとしては楽しいのだろう。

 

「そうですね。僕のタイプの娘を紹介してくれるなら、考えても良いですよ」

 

 僕の好みを知ってるだろ?だったら合法美少女ロリを探してこいよ!

 

「お前さんは好みが煩いからな……無理だ、自分で探せ」

 

 あっさり放棄しやがった!やはり合法美少女ロリとは架空の存在なのか?漢の夢と浪漫を砕きやがって……

 

「おとっ、榎本さんの好みのタイプって?やっぱりグラマーなお姉さん?」

 

 静願ちゃんの中での僕の好みは……桜岡さんや亀宮さんのイメージなのか?

 確かに性格的にもスタイル的にも良い人達なんだけど、性的興奮はしない。山崎さんは笑いを噛み殺している。

 この人は僕が酷いロリコンなのを知ってるからな。

 

「「…………………」」

 

「何故黙るの?」

 

「さっ、さて着いたぞ。じゃ榎本君、来週月曜日に連絡をくれ。大家の方には伝えておくからな。じゃお嬢さんもな!」

 

 ちょうど準喫茶レジェンドの前に到着したので、途切れた会話を誤魔化せた……筈だ。車を降りて歩道に並んで、山崎さんを見送る。

 

「榎本さんの好みの女性のタイプは?」

 

 まだ聞いてくる彼女の頭をクシャクシャと撫でて店内に入る。サラサラの髪は癖になりそうな程、気持ち良い。

 それにシャンプーかリンスか分からないが、良い匂いだ。

 

「むぅ、誤魔化されてる」

 

 カランと扉に付けてある鈴が鳴った。店内を見回すと窓際のボックス席に魅鈴さんが居た。

 てか他に客は居ない……彼女が此方に気が付いて、軽く手を振ってくれる。

 踝(くるぶし)まで埋まりそうな毛の長い真っ赤な絨毯の上を歩き、こちらも真っ赤な合皮のソファーに座る。

 豪華なんだか安っぽいのか分からない内装だ。席に座るとマスターが注文を取りに来た。

 ビシッとタキシードを着こなし、見事なロマンスグレーの髪をオールバックで纏めている。マスター拘りの衣装だ。

 

 しかも見計らった様なタイミングでオーダーを取りに来るとは……魅鈴さんの隣に静願ちゃんが、向かいに僕が座る。

 

「アイスカフェオレ、静願ちゃんは?」

 

「私も同じ物にする」

 

 静願ちゃんはマスターから目を逸らし下を向いたままだ。

 僕はお冷やとオシボリを置いて去っていくマスターを見送りながら、此処まで演出過大なのに昼前でガラガラだが経営は大丈夫なのか心配する。

 オシボリで何気なく手を拭きながら、普段なら顔を拭いて更に首の後ろまで拭くのは自粛。一応レディの前だからね。

 アレは男性陣は普通にやるけど、マナー違反らしい……

 

「静願、榎本さんと同行してどうだったの?」

 

 魅鈴さんは珈琲を飲みながら聞いてくる。彼女はブラック派なんだな……

 

「うん、外で待機。榎本さんの仕事運びは慎重。

今日は盛り塩と日本酒による探索の準備だけ。来週の結果で本格的に機材を入れて調査するって」

 

「まぁ機材?榎本さん、どんな機材を使うのかしら?」

 

 やはり話は除霊に関してだけだ。彼女達の関心事は業態変更する事だから、他人の除霊手順は気になるのかな……

 

「そうですね……集音マイクで音を拾います。画像は赤外線暗視カメラと普通のカメラを。後は温度センサーかな」

 

 何時もの手順を思い浮かべながら説明する。

 

「まぁ!野生動物の生態系観察みたいですわね。榎本さん程の力をお持ちでも、其処まで警戒する相手ですの?」

 

 僕程ね……胡蝶が協力的な今でこそ多少の余裕が有るけど、昔はこれでも危ない位だったんだ。

 

「過信・慢心は即死亡ですよ、この商売は……だから調べる事は調べられる迄行う。それから直接対決です」

 

 ニコニコ笑う母娘は本当に分かってるのかな?この世界は簡単に人が死ぬし、相手は既に死んでる人達だ。

 霊媒師よりは危険度は高い、それは悪意ある霊と対峙する時が有るから……

 

「カフェオレ、お待ちしました」

 

 ちょうど重たい雰囲気を払う様に、頼んだ飲み物がきた。

 

「本当に慎重派なんですね。逆に安心しますわ。榎本さんの事は悪いですが色々調べました。

信用と実績、慎重さと実力に裏付けされた実行力。小原邸での除霊の素晴らしさは、静願から聞いていますから」

 

 過大評価も甚だしい!

 

 そんなに期待されても困るんです。なので曖昧な笑顔しか出来ませんでした。

 

「もう僕の事は良いでしょう。除霊方法を教えるには、少なくとも魅鈴さんから仕事を請けなければならない。

それが静願ちゃんが動ける条件です。だから今は見学だけだよ」

 

 未成年を連れ回すだけでも大問題なんだ。それを雇用するのは無理。だから施主の娘さんが彷徨いている事にするしかない。

 契約行為が無ければ青少年育成保護条例をすり抜ければ大丈夫。教育に宜しくない場所に連れて行ってはならない。

 仕事場に勝手に来てしまったんだ!だから帰そうとしたが、一人で帰すのも問題だ。

 だから僕の仕事が終わるのを待って貰い、送り届ける事にした。

 母親にも連絡済みで了承を貰っている。これなら何とかなると思うから……

 



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第110話から第112話

第110話

 

「水谷ハイツ、まじキモイんだけど。私がお風呂に入ると必ず廊下で人の気配がする。このアパート、異常者が居るんじゃない?」

 

 某モバゲーの日記の記事だ。プロフィールを見ると神奈川県になっている。この書き込みの水谷ハイツとは違う建物だろうか?

 

 廊下に気配……

 

 あの部屋の風呂の位置では、外部の廊下には面していない。つまり気配を感じる事は出来ない。じゃ家の中の廊下か?

 それならば家に他に誰も居ない時に風呂に入ったら、誰かの気配を感じるって事だ。泥棒とかストーカーなら大問題だが、あのアパートから不法侵入で捕まった奴は居ない。

 

 やはり、この書き込みは怪しい。

 

 もし家の中に誰かが居ると思うなら、もっと大騒ぎする筈だ。彼女に何か有って続きが書き込めないのか?

 いや、日記こそ書いてないが新作のゲームに登録してたり他のユーザーとコメントのやり取りをしている。

 念の為、過去の日記やアルバムも見るが……見慣れた横須賀カレー祭りや地元の諏訪神社の写真がアップされており、コメントも地元の祭りに参加したと書いてある。

 

 少なくとも横須賀市内に住んでる筈だ。市外の出来事を地元とは言わないだろう……気にしなければ、どうでも良い事なんだが。

 妙に霊感に引っ掛かるんだ。一度日記に書き込みをしてみるか?しかし某は新規登録だから、直ぐ書き込みも怪しまれないか?

 それにプロフィールを正直に30代前半の男性にして、果たして女子高生かギャルみたいな彼女が答えてくれるのか?

 

 20代前半位にさばを読んで登録するか、敢えて女性として……ん?女性として?さっきのミンちゃんのプロフィールやコメントの遣り取りをもう一度見直す。

 

 少ない遣り取りの中で彼女は同性にのみ、コメントを返している。男からの書き込みには全く反応していない。

 

 何故だ?普通は異性の方にコメントしないか?

 

 相手の男達のプロフィールも確認するが、10代か精々20代前半だ。リアル写真は乗ってないが、プロフィールを読むだけでは避ける様な事は書かれていない。

 何となくだが、ミンとはネカマじゃないかな?ならば女性で登録して適当なゲームをやったり日記を付けたりして、来週辺りに接触してみるか……

 

「あれ、正明さんもモバゲーするんですか?さっきから真剣に携帯を操作して……」

 

 何故か結衣ちゃんがソファーの隣に座り、携帯を覗き込んでいた。気が付かなかったが、彼女がお風呂を出るのをリビングで待ってたんだった。

 彼女はTシャツにホットパンツ姿だ。髪の毛は洗面所で乾かしてきたらしい。天使の輪が出来てサラサラだし、仄かにリンスの香りがする……

 

「うん、次の仕事でね。このサイトの日記の書き込みがヒントになりそうなんで、登録して聞いてみようとおもってね」

 

 そう言って携帯の画面を見せる。体ごと僕に預けて画面を見詰める彼女。

 

「正明さん、既にサイトに登録して有りますよ。ほら、足跡履歴に……」

 

 僕の携帯を受け取ると何やら操作をして僕のプロフィールを見せてくれた。

 

 ハンドルネームはマサ。神奈川県在住、33歳独身・自営業。リアルな個人情報が載っていた。

 アバは初期のままだし、殆ど利用してないのが分かる。

 

「本当だ、何時の間に登録したんだっけ?」

 

 そう言えばマイページとか有ったっけ。全然気にしてなかったよ。

 

「私が紹介するとポイントが貰えるからって、頼んだ時だと思います」

 

 あー確かアクアリウムだとか何かのゲームで、アイテムが紹介で貰えるとか何とか……余り考えずに設定したんだった。

 

「そうだね、思い出したよ。足跡とか分かるんだ。僕は頻繁に見に来てるな……怪しまれるし暫く接触しない方が良いかもな」

 

 呟く様に口に出してしまった。こんな言い方をすれば、僕は全く気にしてない負い目が有る彼女なら

 

「私が聞いてみます。ちょっと携帯持ってきますね」

 

 そう言って私室に小走りで取りに行った。直ぐに戻ってきて、また隣に座る。今日はスキンシップが多い、嬉しいが何故だ?

 自分の可愛い携帯を操作し、モバゲーの画面を表示する。携帯には今時なのか可愛いクマのストラップが付いている。

 画面上でモーションしてるアバも可愛い感じだ。

 

「正明さんの履歴からミンさんを追いますね……彼女の日記、これですか?水谷ハイツの異常……」

 

 サクサクと操作して問題の日記迄辿り着く。

 

「その水谷ハイツが今回の調査物件なんだ。彼女は風呂に入ると廊下で人の気配がすると言ってる。詳細が知りたい」

 

 画面を此方に見せる為に何時もより近い。下を向くと彼女のささやかな胸を隠すブラが、Tシャツの隙間から見える。

 

 うむ、眼福眼福じゃ。

 

「日記に書き込みますね……んー何て書き込みしましょうか?」

 

 首を傾げながら考える仕草はとても可愛い。文面か……そうだな。

 

「水谷ハイツの近くに住んでます。まさか近所で、こんな怖い話が有ったなんて!

気配って痴漢とか空き巣ですかね?詳細が知りたいです……こんな感じかな?」

 

 僕ならそう書き込む内容を話す。

 

「分かりました。えっと……」

 

 結衣ちゃんは考えながらポチポチと携帯を操作して入力している。その速度は早い。

 彼女も今時の女の子なんだな。友達と遊びにも行くし携帯でゲームもする。少し前の無口で引っ込み思案な子供の面影は無いな。

 一緒に住み始めた時は僕の顔を伺って自分の要望を殺してたし、その前はリアル獣っ娘で襲いかかってきたし……

 良い方向に育ってるな。

 

「っと、こんな文面で良いですか?」

 

 感慨に耽ってたら文面が出来たみたいだ。

 

「市内の女子校に通ってます。友達の家の近所に、そんな怖い場所が有るなんて驚いてます。

友達に聞いても場所は知ってるけど、そんな事は知らないって言われました。でもとても気になりますので、どんな事が有ったのか教えて下さい」

 

 僕の語学力はイマイチだったんだ。コッチの方がネカマ君には堪らないだろう。

 

「うん、コレでお願い。あと彼女だけどネカマっぽいから気を付けて」

 

 フレンドリーに話し掛けて、奴が勘違いをしたら大変だ。結衣ちゃんにストーカーなんてしたら、僕は奴を胡蝶に喰わせてしまうだろう……

 

「大丈夫です。危ない様ならブラックリスト登録も出来るし、運営側に通報も出来ますから」

 

 流石に僕より全然詳しい。運営側に連絡とかブラックリストとか……出会い系みたいな感じで登録してる奴も居るんだろうな。

 

「はい、書き込みました。返事が来たらお知らせしますね。

それと念の為、正明さんを友達リストから外しておきます。調べられて疑われたら良くないですから」

 

「確かに無言で足跡を付け捲る奴の友達から書き込みが有れば怪しまれるか……僕じゃこの手の奴は全く分からないから助かるよ」

 

 そう言って結衣ちゃんの頭をクシャクシャと撫でる。静願ちゃんに勝るとも劣らない素晴らしい手触りだ。

 

「これ位しか恩返しが出来ませんから。明日は旅行ですし、早く寝ますね」

 

 そう言ってヒラリと立ち上がると私室に行った。うーん、最近彼女からのスキンシップが多いのは、静願ちゃんへの対抗意識かな?

 何にしても嬉しい限りだ。時計を見れば、既に22時を過ぎている。明日はいよいよ旅行だし、早く風呂に入って寝ようかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今日は結衣ちゃんと一泊旅行だ。移動は電車、これは彼女が気を使ってくれた。

 

「旅行でお酒を飲めないのも辛いでしょうし、のんびり温泉に浸かりたいです」と……

 

 だから最初は大雄山に有るアサヒビール工場を見学。出来たてのスーパードライが試飲出来るんだ!

 敷地内のレストランでバーベキュー&出来たてビールで昼食。次に結衣ちゃんお薦めの県立生命の星地球博物館を見学。

 

 なんでもマンモスの骨格標本や多くの化石が有るそうだ。彼女は宝石よりも化石に興味深々のご様子。

 何時かは宝石の方にも興味が移ると思うけどね。

 

 最後に箱根湯本温泉郷の商店街を冷やかしてから旅館へ行く事にした。

 

 翌日は芦ノ湖まで足を延ばして遊覧船に乗ったり箱根関所跡を見学する予定。箱根には彫刻の森美術館とかガラスの森美術館とか有るけど、結衣ちゃん的にはイマイチらしい。

 個性派ミュージアムも色々有るが、僕も芸術は理解力が乏しい。美しいロリを愛でるのが、何よりの芸術鑑賞だろ?でもこれは、彼女が僕に気を使ってると思う。

 女の子なら色々と人気の有るスポットも多いのに、こんな社員旅行みたいなコースは正直どうかな?と思う。

 

 その分、旅館は奮発した!

 

 某有名な老舗旅館の部屋付き露天風呂の有る四人部屋を二人で使用する。洋間のベッドと和室の布団に分けて寝るんだぜ。

 最初はシングル二部屋にするつもりだったが、部屋食や部屋付き露天風呂を希望したから無理だったんだ。

 部屋食も創作懐石料理で飛騨牛の石焼きステーキとか伊勢海老のお造りとか有るコースにした。

 

 一泊15万円だが後悔は全く無い。

 

 それに結衣ちゃんがニッコリと「普段から一緒に住んでるのに、今更部屋を分けなくても良いです」の言葉を有り難く尊重しました!

 

 これで実績を作れば、後々誘い易くなるし。因みに家族風呂も有料だけど貸切予約してます。これは彼女に広い温泉にゆっくり入って欲しいから。

 部屋に露天は確かに有る。だけど大浴場の爽快感を味わって欲しいんだ。ここの家族風呂は湯船だけでも8畳位の広さだし、洗い場も6人分も有る。

 ちょっとした温泉宿の内湯位の広さだ。深夜0時を過ぎて空いていれば、宿泊客なら誰でも利用出来るそうだ。

 僕はその時に利用すれば良い。目覚まし時計に7時30分キッカリに起こされた。

 鳴り響くベルを止めて布団から起き上がり、大きく欠伸をする。簡単に身嗜みを整えてからキッチンに降りると、既に結衣ちゃんが朝食を作っている。

 

「おはよう、結衣ちゃん。今朝のメニューは何だい?」

 

 シンクに向かい調理していたが、振り返って笑顔で挨拶してくれる。今朝は珍しくキュロットスカートにパンスト、それにセーター姿だ。

 

「おはようございます、正明さん。今朝はほうれん草とベーコンのオムレツに具沢山のシチュー、それにロールパンです」

 

 手際良くオムレツをひっくり返してます。トースターを見れば未だロールパンは入ってない。

 パンを焼く位は手伝おうかな……

 

「結衣ちゃんはロールパン幾つ食べる?僕は六個かな」

 

「私は一個で良いです」

 

 フライパンからお皿にオムレツを移す彼女の手際は本当に良い。軽くケチャップを塗れば完成だ。

 トースターに無理矢理ロールパンを七個押し込みスイッチをオンにする。

 次に牛乳をいれたマグカップを電子レンジへ。設定温度は70℃だ!

 

「ミルクに何入れる?珈琲か砂糖か」

 

「砂糖を二つお願いします」

 

 僕も同じホットミルクにするべく角砂糖を二個いれて掻き回す。マグカップを彼女の前に置いて、大皿にロールパンを積む。

 冷蔵庫からバターを取り出すとオムレツが完成し、シチューが深皿によそわれていた。食卓に美味しい匂いが充満する……

 一人暮らし時代では考えられない充実した食生活!思わず結衣ちゃんを拝んでしまう。

 

「「いただきます!」」

 

 先ずはオムレツをパクリと一口。

 

「うん、オムレツ美味いね。バターとベーコンの相性は抜群だね」

 

 次に具沢山シチューをスプーンでかき混ぜて掬う。チキンとジャガイモ、コーン・人参・玉ねぎ・アスパラが入ってる。

 チキンは皮や余計な脂は取ってある。脂肪の気になる中年には嬉しい気配りだ!

 

「そう言えば書き込みの返事有ったかい?」

 

 パンをシチューに浸して食べながら、何気なく聞いてみた。

 

「はい、有りました。凄い長文で……」

 

 どうやら相手が食い付いたみたいだな……

 

 

第111話

 

 ミンと言うハンドルネームの奴に、結衣ちゃんが書き込みをしてくれた。女性にしか返信しないネカマと疑っている怪しい奴。

 やはり女性の書き込みには直ぐに反応した。食後のお茶を淹れて貰いながら、結衣ちゃんの携帯を見せて貰う。

 ピンク色の携帯だが、飾りはクマのストラップだけだ。

 

 何故クマ?

 

 桜岡さんも僕をクマ扱いだが、彼女に感化されたか?それは置いて返信の内容を読む……因みに結衣ちゃんのハンドルネームはユイだ。

 

「ユイちん初カキコありがとねー!

水谷ハイツ気になる?チョー怖かったんだよ。私がお風呂に入ると廊下で人の気配がするの。

もち家族じゃないよ、留守ん時だから。お風呂から出ると誰も居ないし、荒らされた形跡も無いのよね。

絶対ユーレーだよ!隣の住人も怖いって引っ越したんだよ。ユイちん友達申請して良いかな?

ガンロワとかやる?紹介するから戦友になろーよ」

 

 ビンゴだ!

 

 隣の住人が引っ越したんだって、幽霊騒ぎで引っ越したのは401号室だけ。隣はあの餓鬼の部屋しかない。

 文面も良く読めばギャルっぽくしてるだけで違和感が有る。こうやってネカマを演じ女性の友達を増やしてるのか……

 幽霊騒ぎはガセの疑いが濃厚だ。念の為に月曜日に盛り塩や日本酒を確認するけど、奴の狂言に引っ越した家族はやられたのか?

 

「結衣ちゃんビンゴだ!コイツは問題の部屋の隣に住んでる餓鬼だ。ネカマなのも間違い無い。

隣が引っ越したんだって角部屋の家族の事だ。その隣は奴の家だからね」

 

 携帯電話を返しながら、結衣ちゃんに説明する。

 

「良かった、お役に立てて……念の為、友達登録しますね。また何か聞く事が有るかもしれないですし」

 

 携帯電話を受け取りながら嬉しそうに言ってくれた。でも、あの餓鬼が結衣ちゃんとモバ友?何となく気持ち悪いんですけど……

 

「いや、ソイツはネカマだし危険だから止めよう。知りたい事は大体分かったから平気だよ」

 

「でも正明さんのお仕事が終わる迄は友達で居た方が良くないですか?大丈夫、変な事をするならブラックリストに登録しますから平気ですよ」

 

 そう言って携帯を操作しモバ友になってしまった。

 

 因みに申請の文面は

 

「ミンさん宜しくお願いします。ガンロワ?とかやらないので、それは遠慮しますね。

また新しいお話が有れば教えて下さい。私も友達に教えておきますから」

 

 当たり障りの無い内容だが、奴が結衣ちゃんに絡むには水谷ハイツの情報を教えるしかない。だが、ガセ疑惑が有るから嘘をつかれる場合が有るよな。

 有る事無い事言い出しそうだ……しかし静願ちゃんを強引に誘ったり、結衣ちゃんとモバ友になったりと許せん餓鬼め。

 

 何時か泣かせちゃる!

 

 コイツの話は此処までだ。今日は楽しい二人切りの旅行だからね。実は下調べはバッチリだし、店には予約を入れてあるのだ!

 まったりと結衣ちゃんと話し込んでしまったが、時計は9時を過ぎている。

 

「さて10時8分の快速三崎口行きに乗るよ。久里浜駅からJR横須賀線に乗り換えて、更に大船駅で東海道線に乗り換えだね。

更に小田原駅から大雄山線に……結構乗り換えが多いな」

 

 僕は割と鉄道好きだが、彼女は人混みが苦手だ。在来線の乗り継ぎは厳しいかも知れない。

 

「家を9時55分に出ましょう。荷物は纏めて有りますから着替えるだけです」

 

着替え自体も上着を羽織る位だから、洗い物をして貰ってる間に戸締まりをするか……結衣ちゃんの指定した時間に家を出る事が出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 在来線を乗り継ぎ、やっとJR大船駅で東海道線の快速アクティに乗る事が出来た。流石に車内も大きな荷物を持った旅客がチラホラ。

 僕らも何とか座る事が出来た。丁度向かい側の窓は海側、暫く走れば湘南バイパス沿いの海岸が見える。

 

「そう言えば結衣ちゃんと電車で旅行は初めてだね。大抵は車で日帰りか……」

 

 隣に座り此方を向いている彼女に話し掛ける。

 

「そうですね。一緒に新幹線に乗ったのは、私を里子として迎えに来てくれた時以来ですね。あの時は色々有って殆ど話もせず俯いてばかりでしたから」

 

 少し寂し気な笑顔を向けてくれる彼女を見ながら、昔を思い出す。結衣ちゃんのお祖母さんが老衰で亡くなった時、遺言で僕に連絡が来る様に手配して有った。

 それは行き着けの病院にも連絡して有ったし、彼女のお祖母さんも何かにつけて僕の事を周りに言っていた。

 

「何か有ったら神奈川のお坊様を頼れ」

 

 僕は僧籍を持っており、大抵の場合の社会的信用は高い。意識不明になる直前、つまり危篤状態の時に医者から連絡が有った。

 何故なら病院で亡くなった場合、遺族が即日引き取らないとダメだから……

 葬儀の手配・遺体の搬送・医療費の清算・役所への手続き等、遺族がやらねばならない事は多い。死亡届が行政に廻ると銀行口座も凍結される。

 未成年の結衣ちゃんでは、生活が成り立たなくなるんだ。松尾の爺さんと相談し、細波家の遠縁の親族と結衣ちゃんの今後についても交渉した。

 

 ぶっちゃけ話で、お祖母さんの遺産は殆ど無い事。(勿論、遺産は全て結衣ちゃんだけが相続する権利が有る。彼女が放棄しない限り親族は手に入れられない)

 

 葬儀代金諸々を僕が肩代わりしてる事を説明すると、誰一人結衣ちゃんを引き取るとは言わなかった……彼女と共に借金まで相続はしたくないと言う事だ。

 勿論、僅かばかりの貯蓄や家財道具一式を処分した金は、彼女名義の通帳に入れてある。成人したら渡すつもりだ。

 

「そうだったね……来週はお祖母さんの墓参りに行こうか?月命日が近いし丁度良いかな」

 

「ええ、お婆ちゃんのお墓まで此方に用意して貰って、本当に正明さんにはお世話になりっぱなしですよね。早く働いて返したいです」

 

 お祖母さんのお墓は、市内の寺の永代合祀墓に納めて有る。三十三回忌までは寺で供養してくれるんだ。総額で80万円もしたが、その分手間が掛からない。

 

「初めて会った時は避けられてたし、次に会った時は噛みつかれたね。お返しなんて家事全般を任せてるんだし必要無いよ。

僕の方がお礼をしないとダメだ。毎日美味しい御飯が食べれて、家は綺麗に掃除して貰ってる。それだけで十分さ」

 

 本音はお礼なら結婚して欲しい。16歳になったら直ぐに!何て事が言えない僕は、33歳になってもシャイボーイだ。

 まだ何か言いたそうな彼女の気を紛らわす為に話題を変える。

 

「ほら、海が見えるよ。冬の海だからサーファー位しか居ないね」

 

「本当ですね。鎌倉辺りの海岸には古い時代の磁器や、波に洗われて丸くなった硝子が拾えるらしいですよ。今度行ってみませんか?お弁当、作りますから」

 

 冬の海・美少女と波打ち際を探索・手作りお弁当……僕は今、勝ち組の中でも上位に食い込んでいる!

 

「そうだね。もう少し暖かくなったら行こうか?」

 

 まったりと電車の旅を楽しんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 アサヒビール工場は近代化され機械化が進んだハイテク工場だ。

 

 基本的に見学者はガラス張りの通路を歩き工場内を見学するが、働いている人間を見る事は無い。殆どが自動化された流れ作業……

 確かに衛生的にも効率的にも素晴らしいが、日本酒みたいに酒蔵の人が全ての工程を殆ど手で造るのに比べると温かみが無い様な気がする。

 30分程見学し、お楽しみの昼食だ!敷地内に有るレストランは予約済み。窓際の四人席に案内された。 

窓から見える景色も芝生が綺麗に刈られ、人口の池がキラキラと光っている。時刻は12時30分、丁度お腹が空いてきた時間だ。

 

「さて、先ずはビールだが出来立てのスーパードライをジョッキで。あっ結衣ちゃんはダメだよ。ソフトドリンクだよ」

 

「ふふふふ、私は未成年ですよ。勿論、オレンジジュースにします」

 

 予約時に食べ放題プランを頼んでいたので遠慮無く肉を注文する。先にドリンクが来たので乾杯する。続いて頼んだ肉が来た!

 タン塩・カルビ・ハラミ・ロース、それにサニーレタスを5人前ずつだ!内蔵系は結衣ちゃんが苦手そうだから遠慮した。

 焼き肉奉行でも有る僕が、トングで肉を網に乗せていく。最初はタン塩、次にロースで最後に脂の強いカルビとハラミだ。

 

「正明さん、私が焼きましょうか?食べるのに専念された方が?」

 

 僕の忙しい食べっ振りに、流石の彼女も呆れ気味?

 

「大丈夫、結衣ちゃんも沢山食べてね」

 

 そう言って適度に彼女の取り皿に肉をのせる。暫くすると下の名前で呼び合う凸凹コンビに、周りの客からの注意が集まって来た。

 ムキムキのオッサンとロリロリ美少女。仲良く食事をしているが、明らかに家族でも兄妹でも無さそうだ。

 

 一体どんな関係なの?

 

 向けられる視線は、そんな感じかな。家族以上恋人未満だろうか?

 最初に頼んだ肉を食べ切り、僕は〆にカルビクッパを頼み結衣ちゃんはハーフ冷麺を頼んだ。肉は殆ど僕だけが食べたが、彼女も二人前位は食べた筈だ。

 

「もうお腹一杯です。少し体を動かさないと、旅館での夕食が食べられませんね」

 

「次は結衣ちゃんのお薦めの博物館だよね。化石が好きとは知らなかったよ」

 

 お泊まり情報を暴露したら、周りの空気が微妙になったか?犯罪チックな二人に向ける視線が痛いので早々に退散するか。

 ジョッキに残っていたビールを飲み干し伝票を持ってレジへ向かう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一旦大雄山線でJR小田原駅に戻り箱根登山鉄道で風祭駅に向かう。駅を降り線路と平行に走る国道を渡れば、県立生命の星地球博物館だ。

 この手のアミューズメントは大抵ガラガラなのだが、結構な人が来ている。順路に沿って見学するが、マンモスの骨格標本と触れる糞の化石が面白かった。

 

 因みにリアルなアジア象の糞も比較展示されていたが……食後で良かったと思う。

 

 お土産コーナーで、結衣ちゃんが化石の標本に食い付いていた。見れば小さな3㎝位のサメの歯の化石と5㎝位のアンモナイトの化石だ。

 共に3000円か……

 

「化石って思ったより楽しいね。流石に恐竜の化石は無理だけどね」

 

 そう言って彼女が見比べていたケースを取りレジへ向かう。

 

「あっいえ、大丈夫です。私が自分で……」

 

 結衣ちゃんには生活費の他に必要経費として月50000円ほど渡してある。携帯代・衣類・文房具・日用品とか、生活必需品を買う為だ。

 それにおこずかいを含んでいる。一般の中学生としては多い方だが、彼女は残りをちゃんと貯金している。

 

 多分だが20000円程度しか使ってない。だから買おうと思えば問題無い筈だ。

 だが旅行中は漢として、エスコート中の女性の財布を開けさせてはダメだ。

 レジのお姉さんに贈り物だからとラッピングして貰う。可愛くデフォルメされた恐竜の包装紙にプテラノドン型のシールを貼って貰った。

 

「はい、何時もお世話になってるからお礼だよ」そう言って彼女に渡す。

 

 嬉しそうに受け取ってくれた。新たな結衣ちゃんの趣味を発見出来た一日だ!今後変わった化石が有ればプレゼントしよう。

 余り高いと逆効果だが、魚や葉っぱの化石は比較的安価に買えるみたいだ。

 プレゼント効果なのか博物館から駅まで歩く間中、彼女は僕の腕に抱き付いてくれた。腕を組むには身長に差が有りすぎるので、手首の上の辺りに抱き付く感じだ。

 

 周りの野郎共のホノボノとした視線は……仲の良い父娘だと思ってるだろ?実は違うんだぜ!

 桜岡さんが抱き付き癖が有る所為か、最近女性と腕を組む機会に恵まれて居る気がする。静願ちゃんもそうだし……

 これだけ恵まれていると、何時か嫉妬に狂った野郎共に襲われそうだな。

 気を付けないと駄目かも知れない。

 

 

第112話

 

 あれから箱根湯本駅まで行き、地元商店街を冷やかしながら本日宿泊予定の老舗旅館に到着した。

 干物を焼いて食べさせる店とか昔ながらの塩分の高い梅干しとか、試食だけでもご飯が欲しくなりました。

 到着時刻は4時を少し過ぎた所だ。

 

 流石は老舗旅館!

 

 門から本館に入る迄に石畳を渡り、手入れのされた庭園を見る。本館に入ったら従業員が総出でお出迎え。

 僕がチェックインの手続きをしてる間に、結衣ちゃんには貸出用の浴衣を選んで貰っている。彼女は淡い青のグラデーションに魚の模様の浴衣を選んでいた。

 帯は濃紺、足袋や巾着まで借りれるらしい。近くで夜祭りをやってるらしく浴衣のまま出掛けて良いそうだ。後で行ってみよう。

 

 案内された部屋は8畳の洋間・10畳の和室、それに4畳の小部屋に繋がる部屋付き露天風呂が有る。因みにユニットバスも完備され、どちらも使える様になってます。

 中居さんが部屋に付くとお茶を煎れてくれて、簡単な館内及び避難通路の説明をしてくれた。因みに男用の浴衣は5L迄有り、僕も借りてみた。

 肩幅が広いのでイマイチ似合わないのだが……

 

「結衣ちゃん、何を部屋の中をぐるぐる廻りながら確認してるの?」

 

 仲居さんが居なくなった後、彼女はクローゼットから備え付けの金庫迄を開けて確認している。さながら新居に連れてこられた猫みたいだ……

 

「えへへへ、全部確認しないと気が済まないみたいな?」

 

 何故、最後が疑問系?

 

「わぁ!窓から庭園が見渡せますよ。池に大きな鯉が居ます。あっカルガモも」

 

 窓を全開にして外を見ている彼女の隣に並ぶ。なる程、部屋は二階だが十分庭園を見渡せる。

 大きな池を中心にコの字形の木造二階建ての本館、向かいには近代的な鉄筋コンクリートの四階建ての別館。別館は少しリーズナブルな設定だ。

 

「池の廻りに遊歩道が有るね。明日の朝にでも歩いてみようか?」

 

「そうですね!正明さん、先に温泉に行って下さい。私は少し休んでから行きます」

 

 結衣ちゃんは大浴場は自傷の跡が気になって入り辛いだろう。その為の部屋付き露天風呂と貸切家族風呂なんだ。

 

「僕は長湯だから一時間は戻らないよ。結衣ちゃんは先に部屋の露天風呂に入りなよ。

家族風呂は21時から一時間借りているから、寝る前に入ると良い。この旅行は結衣ちゃんの労いの為だからね。じゃ僕は露天と内湯、サウナも楽しむから」

 

 そう言って着替えを持って大浴場へ向かう。幾ら結衣ちゃんでも部屋に僕が居たら入り辛いだろう。

 それに露天風呂って次の間の和室から丸見えなんだ!一応ガラス張りで障子を閉めれば隠れるけど、障子が風呂側からは開け閉め出来ない。

 ラブホの風呂みたいな構造だった。アレは次の間の電気を消せば、障子の隙間から盗み見てもバレない。

 

 非常にけしからん造りになってるぞ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 正明さん、私の傷跡に気遣ってくれたんだ。

 

 部屋に露天風呂付きの旅館なんて初めて。5時半まで戻らないって言い切ったのは、それまでに入りなさいって事。お言葉に甘えてお風呂に入ろう。

 着替えとタオルを持って脱衣場に向かう。

 

「こっこの障子、開けると露天風呂が丸見え……」

 

 なななな、何て恥ずかしい造りなの?正明さんが早く帰ってきたら見られ……だからキーを持たずに大浴場に行ったんだ。

 彼は私に凄い配慮をしてくれる。私は正明さんにとって、何なんだろう?

 

 里子だから義娘?

 

 年齢的には義妹?

 

 それとも家族?

 

 湯船には既にお湯が溢れ出てるのは、説明に有った源泉掛け流しなのだろう。服を脱いで浴室に入ると少し肌寒い。

 露天と言いつつ空の一部しか見えない。当然だわ、ホテルや民家が見えたら向こうからも見えるって事だし。

 軽く掛け湯をしてから体を洗う。スポンジにボディソープを垂らし泡立てて、左腕から洗い始める。

 両手両足を洗ってから首廻り、お腹から背中。平坦な胸を洗う時は霞さんの牛の様な乳を思い出す。

 

 何を食べたらあんなに育つんだろうか?

 

 ムニムニと自分でボリュームを確かめてみる。うん、足りない。圧倒的に脂肪が足りないの……

 まだ中学生だし未来が有るよね?でも私は獣っ娘だから、野性的なスレンダーボディのままかも。

 正明さんはグラマーが好みかな?余り性欲が有りそうな感じがしない、何時も見守ってくれている優しい人。

 

 女性の影が殆どなかったのに、霞さんとか静願さんとか……最近、巨乳率が高い知り合いが増えてばかり。

 男の人って大きな胸が好きって友達が言ってたし……正明さんも胸の大きな娘が好みなのかな?

 

「くちゅん!ああ駄目だわ、考え事をしてたら風邪ひいちゃうよ」

 

 何度か掛け湯をして冷えた体を温める。お尻から前を洗い最後に顔を洗い、全身を泡まみれにする。

 シャワーで髪の毛を揉む様に洗いながら、全身の泡を流す。お湯で良く洗い流しシャンプーは少しだけ使う。

 後はコンディショナーを髪の毛に刷り込み、少し待ってから良く洗い流す。タオルで軽く顔と髪の毛の水分を取って、頭に巻いてから漸く浴槽に浸かる。

 

「ふー……お風呂は命の洗濯と、逃げちゃ駄目な立場の男の子が言ってたわね。確かに分かる気がする……」

 

 桧造りの浴槽は私だと足を延ばしても余裕の広さ。

 

「うーん、温泉って良いな。こんな高級老舗旅館に泊まれるなんて、正明さん。私の為に奮発したのかしら?」

 

 お金の事は余り言わないけど先月も1000万円近い入金が有ったとか言ってた。電話で話してるのを聞いてしまったんだけど、高額所得者の割に堅実な暮らしだよね。

 周りの友達と余り変わらない生活環境なのは良いと思う。でも高校を卒業させて貰ったら、少しでも働いて返さないと駄目ね。

 正明さんの仕事を手伝えたら良いのだけど、未成年は法律で決まってるから駄目だって……でも私の力を活用すれば、少しは役に立つかな?

 

 忌まわしい細波一族の異能力……獣っ娘。

 

 本気で能力を使いこなす努力をしようかな。浴槽から見上げた空はまだまだ明るい。遠くに鳶が旋回しているのが見える……

 

「本当に良い気持ち……夜は内湯の家族風呂を予約してくれてるって。でも私だけで入るのって、正明さんに悪くないかな?でっでも一緒に入るのは恥ずかしいよ」

 

 ズルズルと沈んで鼻まで湯に浸かり思わず咳き込む。

 

「けほけほ……でっでもバスタオルで巻いて隠せば?それじゃ体は洗えないわ。水着なんて持ってきてないし……」

 

 色々考えてみたけど混浴は難しいかも。うーん、ならば部屋付き露天風呂で背中を流してあげるのは?

 その時の私の衣服は?服を着ては濡れて駄目だから、下着にバスタオルを巻くのかな?

 どれも現実的には恥ずかしくて駄目だわ。混浴も背中を流すのも無理よね……せめて風呂上がりにマッサージ位かしら?

 

「うん、そうだわ!肩や腰を揉んであげよう。前にマッサージ機が欲しいって言ってたし」

 

 そうと決まれば部屋に戻ってきたら早速……そう思い壁掛けの時計を見れば、既に5時25分?

 

「いけない!考え事をしてたら時間が……」

 

 急いで風呂から上がり、掛け湯をして体に付着した温泉成分を洗い流す。体を拭いて下着を付けて髪の毛をドライヤーで乾かして、急いで浴衣を着る。

 部屋に戻ると直ぐに扉がノックされ、正明さんの声が聞こえた。

 

「結衣ちゃん、ただいま。鍵を開けてくれる?」

 

「はーい、ちょっと待ってて下さい」

 

 どうやら間に合ったみたいだわ。鍵を開けて正明さんを出迎える。普段は洋服だし袈裟を着るのは殆どないから、浴衣姿が新鮮。

 でも下にTシャツを着るのは似合わないと思う。彼を部屋に入る為に、体をずらして道を空ける。

 

「あれ?額に汗をかいてるよ。はい、フルーツ牛乳だよ」

 

「ひゃ?」

 

 冷たい瓶を額に当てられた。ヒンヤリして気持ち良い。額に当てたままで両手で受け取る。私はフルーツ牛乳派で正明さんは白牛乳派。

 

「ありがとうございます」

 

 中々マッサージしますと言えず、取り敢えずテレビを一緒に観る流れに……部屋食は6時半からだし、そんなに時間も無いわ。

 正明さんはニュースを見ながらビールを飲み始めてるし……

 

「そっ、そうです!私、正明さんにマッサージしてあげます」

 

 唐突にマッサージしますって言葉に、キョトンとした顔を向ける正明さん。少し可愛いと思っちゃいました。

 

「えっ?いや、大丈夫だよ。そんな事をしなくても……」

 

「折角旅行に来たんですし、遠慮しないで下さいね」

 

 正明さんを座布団を四枚並べた簡易布団に寝かせる。5Lの浴衣はムキムキの彼でも肩廻りとか余裕が有る。

 

「じゃ肩から揉みますね……うんうん、固いです」

 

 両肩を掴む様に揉み始めたけど、思った以上に重労働だわ。獣っ娘姿の本気噛みを弾いた筋肉は、とても固いです。

 まるで仏像の様に固くて実がミッチリ詰まっている感じで……そうだわ!

 

「なっ!結衣ちゃん?数珠を外しちゃ駄目だろ!」

 

 正明さんは私がやる事に気付いたみたい。そう、獣っ娘に変身するの。左手首に巻いた数珠を外し、精神を集中して心のリミッターを外す。

 獣みたいに四つん這いになり、体全体を振ると……狐耳とフサフサの尻尾、それに手袋と靴下みたいな獣毛に覆われた手足。

 これが細波一族の血を濃く引いた私の本当の姿。

 

「ゆっ結衣ちゃん、浴衣のお尻が捲れてるよ」

 

「あっ!だっ駄目です、見ちゃ駄目ですから……」

 

 私の尻尾は60㎝位有って、腰とお尻の中間辺りから生えるんです。フサフサモコモコでボリュームが有るから、変身するとショーツをずり下げて浴衣を持ち上げるから……

 とっトンでもないセクシーポーズになっちゃいました!

 

「みっ見ない、見てないから……」

 

 座布団に顔を押し当てる様に俯せになる正明さん。でっでも一瞬ですがガン見してましたよね?

 

「そっ、それじゃマッサージを続けますね」

 

 正明さんの腰に跨り両肩を掴む様に揉んでいく……今回は力強さが上昇してるので、大分楽だわ。

 

「うん、良い気持ちだ……結衣ちゃん、肩甲骨の下辺りが凝ってるんだ」

 

 正明さんが気持ち良いと言ってくれると嬉しい。つい尻尾が揺れてしまう……

 

「はい、この辺ですか?確かに固いですよ。本当に凝ってますね」

 

 爪で傷付けない様に慎重に揉んで行く。正明さんも気持ち良さそうにしているし。少しは恩返し出来たかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今日の結衣ちゃんは少し変だ。急にマッサージをするとか、獣っ娘形態に変身するとか……旅が彼女を大胆にしているのかな?

 彼女の獣っ娘形態は狐耳にフサフサモコモコな尻尾、それに手足に手袋や靴下みたいに毛が生える事だ。

 尻尾はボリュームが有るので、彼女の可愛いお尻が丸見えになる位に浴衣をはだけさせショーツがずり落ちていた。

 

 うん、眼福じゃ!

 

 一瞬、真っ白なお尻を目に焼き付けてから視線を逸らす。しかし力加減が絶妙なマッサージだ……

 僕の体は筋肉で固いから本職のマッサージ師も苦労してたからな。流石は獣っ娘と言う事か。

 しかし肩を揉んで貰うなら座った方が良くないか?腰に結衣ちゃんの柔らかお尻の感触と、パタパタ揺れる尻尾のくすぐったい感触が……

 

 とっても癒やされます。

 

「失礼します。夕食の御用意をさせて頂いて宜しいでしょうか?」

 

「ヤバっ!結衣ちゃん、次の間の方に……はーい、どうぞ」

 

 余りの気持ち良さにボーっとしてしまったが、時刻は6時半に近い。部屋食の準備に中居さんが来てしまった。

 流石にアレを見られては、美少女にコスプレさせて腰の上に跨がせている変態にしか見られない。

 慌てて次の間に入る彼女を見届けてから、扉を開けに行く。どうやら間に合ったみたいだ。

 廊下にはカートに美味しそうな料理が乗っている。

 

「では準備させて頂きます」

 

 テーブルに料理を並べている時に、身嗜みを整えた結衣ちゃんが戻ってきた。何とか誤魔化せた様だ……

 

 



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第113話から第115話

第113話

 

 結衣ちゃんとのマッタリとした一泊旅行は大成功だった。少し彼女との距離が縮んだ気がする。

 ただ彼女が獣っ娘形態になる事をそれ程嫌がらなくなったのに驚いた。肩揉みの為だけに変身するのも、どうなんだろうか?

 勿論、僕の為だから嬉しいのは事実だ。でもリアル美少女獣っ娘なんて、アキバで暴動が起きるレベルの秘密だ!

 左手首から美幼女が生えるのも同じだ!人には絶対に言えない秘密を僕等は持っている。

 

 獸人化に人ならざる胡蝶(モノ)を宿す二人……

 

 格好のゴシップネタだしバレたら大問題、社会現象にもなるだろう。リアルなホラー話が自分の身近でも有るかも知れないんだ……

 僕は今や昔みたいに細々と目立たない様に活動する事が無理になった。亀宮さんが言いふらしたお陰なんだが、彼女に悪気は全く無いのが問題だ。

 霊獣亀ちゃんを宿す彼女もバレたら大問題だが、そこは700年の歴史を持つ亀宮家。客層が一般人と違い上流階級や国のお偉い様方だから、サポートが違うんだろう。

 一度、彼女に相談した方が良いかも知れないな……うーん、でも子種を寄越せとか助力には条件が付きそうだし微妙か?

 亀宮一族じゃなくて篠原梢さんにお願いしよう。どちらにしても方向転換を強いられているなら、僕等の有利な方に向かうしか無い。

 

 最悪は……本当に最悪は、亀宮一族に助力を請い亀宮さんのサポートをするしかない。

 

 亀宮一族の末席に連なれば、世間からの追求はかわせる筈だ。個人で結衣ちゃんや胡蝶を守るのは不可能だからね……

 折角気分良く旅行から帰ってきても、山積みな問題は一向に減らないな。一つずつ片付けていくしかないか。

 

 先ずは水谷ハイツからだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横須賀中央の事務所から自転車に乗って三度目の訪問だ。最初は単独で下見、次は山崎さんと静願ちゃんを伴い中へ。

 そして今日は単独で前回仕掛けた盛り塩と日本酒の確認だ。ちゃんと山崎不動産で鍵を借りている。

 既に下見はしてるし、住人に怪しまれても山崎不動産に連絡し確認して貰えれば平気だ。二度目の訪問なら気に入ったので引っ越し前に最終確認で単独で鍵を借りて訪れる事は無くはない。

 

 時刻は朝の10時、晴天だ!

 

 眩いばかりの太陽が燦々と大地を照らしている。こんな良い天気の朝から心霊現象は無いと思いたい。先ずは道路から301号室を見上げる。

 カーテンは閉まったままだし、隣の302号室はカーテンは開いているが窓は閉まっている。あの餓鬼が居るかは分からない。

 エントランスから階段を上り三階の廊下まで辿り着いたが、特に誰にも会わなかった。廊下を突き当たりまで歩いて301号室の前に立つ。

 

 特に異常は感じられない……

 

 預かった鍵で開錠する。がチャリと音がしたのでノブを右に回して扉を開く。薄暗い室内に埃っぽい臭い、先週と同じだ。

 玄関の下駄箱の上の盛り塩は何ともない。先週セットしたままの形で置いてあった。

 

「此処までは異常無しか……」

 

 玄関扉の鍵を掛けた状態で閉める。こうすると突起が出て扉を閉めても完全には閉まらないんだ。脱出口を確保してから靴を脱ぎ中に入る。

 本当なら土足で上がりたいが、万が一誰かに見られたら空き巣と間違えられるから。最悪裸足で逃げ出せば良い。

 自転車まで戻れば靴下のままでも漕げるから平気だ。廊下に有る分電盤のブレーカーを入れる。玄関と廊下の電気を点けると一安心だ。

 

「お邪魔します」

 

 誰に言う訳でも無いが、そう言ってからバスルームに向かう。一番異常が有る筈のバスルームへ……窓が無いから真っ暗な室内、スイッチを入れて照明を点ける。

 

「なんだろう?違和感が有るのだが……」

 

 何も無い洗面所とバスルーム……だけど何か違和感が有る。何だろう?洗面台の扉も吊り戸棚も全て閉まっている。

 水が流れた形跡も無い。洗面台の上に置いた盛り塩も異常は無い。バスルームへの折り戸も開いているし、シャワーカーテンも……

 

「シャワーカーテン?僕は見通せる様に開いた筈だ。なのに何故、少しだけ閉まってるんだ?」

 

 目の前のシャワーカーテンは30㎝ほど閉まっている。完全に開けておいた筈だぞ……ポケットから清めた塩を取り出し右手に持つ。

 左手でバッとカーテンを開いてバスタブを確認する。

 

「水が流れた形跡も無いし特に異常も感じない。気のせいかな?」

 

 一旦バスルームを出て廊下に戻る。念の為、バスルームの入口に真一文字に清めた塩を撒いて簡易結界を張る。次にキッチン・リビングそして洋間を見て回るが異常は無い。

 

「盛り塩も全て異常無し。異常が有ったのはカーテンだけだが、僕の勘違いかも知れないし……」

 

 居間のカーテンが閉めっぱなしなのに気が付いて全開にする。序でに窓も開けて換気をするが、玄関扉が少し開いて風通しが良い所為か爽やかな風が室内に流れ込む。

 新鮮な空気を胸一杯に吸い込む……

 

「さて、此処までは順調だ。最後はワンカップだな」

 

 最後に部屋に置いたワンカップを見る。置いた場所も同じだし変色もしていない。日の光に透かしてみても不純物も入ってない。

 

 無色透明な液体……

 

 ワンカップの蓋を取りフルタブを開ける。カシュっと軽い音がして芳醇な日本酒の香りが、鼻に届いた。

 霊障が発生する場所にお神酒を供えると、味が変わったり変色したりする事が有るんだ。

 

 恐る恐る一口を口に含む……舌の上で転がしてみるが、普通の日本酒だ。寧ろ緊張していた分、アルコールが美味しく感じてしまう。

 

「異常はカーテンだけだ……でも勘違いの可能性は捨てきれない。この部屋は何なんだ?」

 

 ゴロリと大の字に寝転ぶ。

 

 明るい日差しが燦々と差し込む部屋で心霊現象とは考え辛いな。調べ終われば長居は無用。全ての施錠を確認しカーテンを閉めてブレーカーを落とす。

 玄関の鍵を閉めた後で扉の上にシャープペンシルの芯を一本差し込む。

 これは良く有る事だが、心霊現象と思っていたら別れた元カレ・元カノが合い鍵で侵入してた事も有る。

 この部屋はマンションだから窓は全て内側から鍵を閉める。外部から侵入出来るのは玄関しか無いんだ。

 山崎さんに相談して、一週間ばかり調査機器を置かせて貰える様に頼む事にする。どうにも悪戯か心霊現象か判断がつかない。

 

 実際に泊まるのは、その後で十分だろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 山崎不動産に戻り社長を訪ねる。今日は飯島さんの他に男性社員が一人居る。彼女に声を掛けると応接室に通してくれた。

 

「直ぐに社長を呼ぶから待っててね」

 

 そう媚びた笑顔で言われても困る。彼女は山崎さんの愛人だから、勘違いは危険だ。社長は僕の性癖を知ってるけど、名前も知らない男性社員は分からない。

 変に社長の愛人に色目を使ったと誤解されても困るだけだ。暫く待つと山崎さんが応接室に入って来た。今日は作業服姿だ。

 

「おお、榎本君か。どうだった、あの部屋は?」

 

 挨拶もそこそこに座りながら質問をしてくる。彼は意外にせっかちな性格なんだ。

 

「盛り塩・日本酒共に異常無しでした。ただバスタブのシャワーカーテンが、前より少し閉まっていた気がしまして。僕の勘違いかもしれませんが……」

 

 一旦言葉を切って山崎さんの様子を伺う。腕を組んで考え込んでいる……

 

「確信が無いので、一度機材を揃えて一週間程調査してみませんか?」

 

「榎本君。先日、大家とも話したんだが具体的な苦情が書いてなかったろ?その辺を聞いたんだ。

何でも部屋に置いてある物の位置が変わってたり、テレビのチャンネルが違ってたりとか。

大家も店子の勘違いだと取り合わなかったみたいだ。だが、小さな異変が積み重なって耐えられなかったのだろう。それが引っ越した理由だ」

 

 微妙に引っ越しの理由を誤魔化していたのは、自分の対応の不味さを隠す為か?

  それとも勘違いとも取れる苦情を本気にしてないのか?兎に角、管理者としてのクレーム対応は失格だな。

 もし他人が鍵を複製するなりして、何度も侵入を繰り返していたら大問題だ。いっそ心霊現象とあやふやにした方が良いかもな。

 信じてる人しか問題にしないし、信じてない人は気のせいで済ませてしまう。

 

「物が無くなったりは?例えばお金や高額な物とか?」

 

「それは無かったそうだ。だから大家も大して気にして無かったんだろう」

 

 警察に相談しても直接の被害が無いと、被害届を受け付けてくれない可能性が高い。後は証拠が有れば、ビデオや写真・目撃者でも良いから不法侵入の確かな証拠が有れば違ったかも。

 これは心霊現象でなく不法侵入の線が濃厚か?

 

「どちらにしても証拠となる画像や写真を撮りましょう。不法侵入の方も考えるなら一通りの家財道具を持ち込んで隠しカメラやマイクで調べましょう。

空っぽの部屋に三脚とカメラじゃ疑って入ってこないか、気付かれてテープを持ち去られちゃいますよ」

 

 盗撮とは気付かれないから成功するんだ。また高い機材を壊されても困るからな。山崎さんが膝をペチンと叩いて

 

「分かった、それじゃあ短期入居で大家に話すか。二〜三日余裕をくれ。

だが家財道具はどうするんだ?それなりの物を運び込まないと疑われるぞ」

 

 対人なら、ある程度本格的に引っ越しをしないと疑われるだろう。この手の犯罪で窃盗が無いのは、他人のプライベートを覗く事が目的だ。

 つまりオッサンだけでなく、もっと美味しい餌を撒かねば……

 

「人間を犯人と仮定した場合、オッサンより若い女性が好まれますよね?ただ前の住人は中年夫婦に高校生位の男の子か。

誰狙いだったかは分からない。だから僕と結衣ちゃんが引っ越す設定にしますよ。勿論、彼女は最初の引っ越しの時だけ同行ですがね」

 

 人のプライベートを知るのが楽しい愉快犯だと思う。そこに美少女が増えれば直ぐに食い付く筈だ。

 

「なんだ、小笠原さんの娘さんじゃないのか?一度一緒に行ってるだろ」

 

 静願ちゃんか……でも此方に来るのが何時か聞いてないしな。

 

「いや彼女が何時、此方に来るのは聞いてませんし。結衣ちゃんの事を聞かれても、下の娘と言えば問題無いでしょう。

荷物は三浦の隠れ家の一つを丸ごと引っ越しますよ」

 

 桜岡さんも来た隠れ家と言うか作業場だが、男一人分の荷物は有るから十分だろ。実際に泊まるのは僕だけだし丁度良い。

 娘達は後から来るが、自分は仕事の関係で先に引っ越した事にする。引っ越しの挨拶の時に、結衣ちゃんを伴って行けば噂は広がるだろ。

 後は昼間を定期的に留守にすれば良い。何日か規則正しく留守にすれば、生活パターンを知られるからね。

 

 侵入するなら午前中だ。

 

 午後は早退けとか半日仕事とかも考えられる。一応背広姿で出掛けよう。

 私服だと自由業と思われて、帰宅時間が不規則と考えるだろうし……それに確率は凄く低いが、最悪心霊現象だったら僕だけの方が対処し易いからな。

 

「分かったよ。入居日は今日中に調整するから、準備を頼むよ。

ああ、それとな小笠原さん達だが明日が鍵の引き渡しだぞ。学校とかは来月からだから油断したか?」

 

「えっ?聞いてないよ、月末じゃなかったっけ?」

 

 まだ来るまで余裕が有った筈だし、手伝うつもりだったのに。

 

「かっかっか!驚かすから黙っててと頼まれてな。引っ越しは業者に頼んだから大丈夫だそうだ。

言えばお前さん、手伝うつもりだったんだろ?気を使ってくれてるんだ。まぁ頑張れよ」

 

 そう、ポンと肩を叩いて応接室を出て行った……ナニを頑張るんだよ?

 お気遣いは嬉しいんだが御近所さんになるんだし、結衣ちゃんに説明しとかないと問題が有るんだよ。まぁ連絡が有るまでは知らない振りをしよう。

 下手に連絡すると、手伝うとか言い出しそうだからね。

 

 

第114話

 

 明日、水谷ハイツに引っ越しをする為に三浦に有る隠れ家と言うか作業場に来ている。

 何をしてるかと言えば……荷造りです。

 偽装引っ越しの為の荷造り、最低でも寝具・コタツ・箪笥・テレビ・冷蔵庫・洗濯機が有れば良いだろう。

 小物は食器類・バス・トイレ用品が有れば良い。生活感を出すには洗濯物を部屋干しすれば尚良い。

 

 これだけでも荷造りすると段ボール箱10個だ。

 家電は剥き出しで運び込むから良いが、4トントラック満載になるな。段取りとしては荷物の積み込みを確認して一緒に出発。

 先に部屋の状況を確認してから荷物を入れる。

 学校帰りの結衣ちゃんと合流して夕方に、隣の302号室と直下の201号室に挨拶に行く。

 その日は泊まらずに翌日の朝早くに行ってビデオや音声を確認してから出勤を偽装する。

 多分、全ての確認は出来ないがバスルームだけは確認したい。

 

 あそこが一番問題の場所だから……

 

 一通りの片付けを終えて、ゴロリと大の字に寝込む。左手を天井に突き出して手首を見る。

 処にはマダム道子に売って貰った数珠が……無いです。怪し過ぎるマダム道子から貰った数珠。実際に身に着ける前に胡蝶に見せたんだ。

 

 彼女は右手の親指と人差し指で摘んで「ほぅ!これは中々力有る石だな」そう言った。

 

 つまりマダム道子は良い仕事をしたんだな。

 

「正明、コレを身に着けると確かに我の力は漏れぬ。だが我の力で、お前を守る事も出来ぬぞ。正明が外さない限り我は周りを感知出来ぬ」

 

「駄目じゃん!」

 

 良い仕事し過ぎだ。胡蝶を完璧に封じる事が出来るが、彼女の凶悪な力の恩恵が0じゃリスクがデカ過ぎじゃん。

 時間を掛ければ本山から力封じの数珠は買えるからな。意味の無い出費だったか?

 

「まぁ我が強引に出る事は出来るが、急な対応は出来ぬな。どうするんだ?」

 

 ニヤニヤと聞いてくるかと思えば、結構真面目な顔で聞いてくる。しかし何時もの真っ裸だから、真剣度合いがイマイチ微妙なのだが……

 

「要らないよ、そんな物。全く使えないじゃん」

 

「分かった。ならば我が喰らおう。これだけ力有る石なら、我の力の底上げにはなるだろう」

 

 そう言ってペロリと飲み込んだんだ。聞けば力有る品々も取り込む事により自身を強化出来るそうだ。

 なんたる非常識な存在なんだ……これだけ力有る存在が助力してくれれば、この先安泰と思うだろ?

 でも胡蝶は榎本一族が崇めなければならない主で、僕は唯一の下僕なんだな。

 だから彼女に命令なんて出来ないし、普段の仕事を手伝って貰う事も無理。

 だけど助言や相談、それに万が一の時は力を貸してくれるから前よりは格段に良い関係だ。

 それに、あの力をホイホイ使ってたらバレるのは時間の問題。ただでさえ亀宮さんのお陰で、同業者や関係者から注目を浴びてるんだ。

 自重しなきゃ駄目だろ。

 

 マダム道子の水晶の代わりに着けている数珠。

 

 伝手で本山から取り寄せた物だが、僕の霊力と胡蝶の漏れた力が混じり合って強い力を帯び始めている。

 着け続ければ一年位で、それなりの霊具になるそうだ。効率は悪いが一寸嬉しい。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 明日の準備を備えて少し早く帰宅した。夕食の準備でキッチンに居る結衣ちゃんが出迎えてくれる。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい、榎本さん。お疲れ様でした」

 

 大きめなスリッパでパタパタと音を立てながら小走りに迎えてくれる。何気ない会話に幸せを噛み締めてしまうね。

 今日の彼女は制服姿でなくTシャツにホットパンツ、それにエプロン姿だ。正面から見ると微妙に下半身が裸エプロンに見えなくも無い。

 

 うん、妄想力三割増で立派に裸エプロンだ。ビバ結衣ちゃん!

 

「珈琲でも煎れますか?それともお茶の方が良いですか?」

 

 着替える為に私室に向かう途中で、彼女に声を掛けられる。キッチンで結衣ちゃんの料理をする姿を見ながらお茶するか。

 

「珈琲で、ミルクと砂糖沢山ね」

 

「正明さん、それはカフェオレですよ」苦笑しながら応えてくれた。

 

 彼女を待たせる訳にはいかないので急いで着替えてから、うがい手洗いをする。冬場の風邪対策は、うがい手洗いだ!

 キッチンに向かうと丁度ミルクパンからマグカップにカフェオレを注いでいる途中だった。

 アツアツのカフェオレの香りがキッチンに充満する……どうやら僕の分だけだ。

 僕がお茶する間も彼女は調理なんだな。

 

 椅子に座り有り難くカフェオレを一口飲む。

 

「うん、美味い」

 

 美少女が煎れてくれただけで何倍も美味く感じる。そして包丁をトントンとリズミカルに使う度にフリフリ動くお尻も素晴らしい!

 

「そうだ、正明さん。先程小笠原母娘が引っ越しの挨拶に来ましたよ。テーブルの上のお菓子を持って……」

 

 此方を向かずに彼女がポツリと言った。声が平坦な感じがしたのは気の所為かな?

 確かにテーブルには宮城県銘菓の萩の月が置いてある。そう言えば山崎さんも鍵の引き渡しが今日って言ってたな。

 

「月末じゃなかったかな?聞いてなかったよ。彼女達、何か言ってたかな?」

 

 慌てず騒がず冷静に言葉を返す。結衣ちゃんは刃物を持っているから刺激的な言葉は駄目だ……

 

「ふふふ、何か正明さんを驚かす為に黙ってたそうですよ」

 

 振り返った結衣ちゃんは右手に包丁を持ったままだ、因みに左手にはネギを持っている。どうやら今夜の夕飯は鍋らしい。

 

 笑ってるけど、笑ってるんだけど……

 

「おっ驚いたけど、ちゃんと言っておいて欲しいよね?いきなりは困るな」

 

 本当に知らない内に結衣ちゃんを刺激されては困るんだよ!

 

「ふふふ、困りますよね?本当に……」

 

 結衣ちゃん、正気に戻って欲しいんだ。包丁とネギを構えて目が笑ってない笑みを張り付かせてるとね、ナイスなボートを思い出すから……

 

「そっそれで?彼女達は他に何か言ってたかな」

 

「はい、今晩夕食をご一緒しましょうと言われました。私、用意してたので支度が出来たら連絡すると言って有ります。

正明さん、小笠原さん達をご招待して良いですか?」

 

 うっウチに来るの?

 

 結衣ちゃんは尋ねてくれたけど、既に呼ぶのは肯定済みだよね?だから多人数でも対応可能な鍋料理なのか……

 

「結衣ちゃんに迷惑が掛からなければ、呼んでも良いかな?」

 

 上目づかいに彼女を見る……

 

「あと30分程で準備出来ます。では正明さんから連絡して下さいね」

 

 ニッコリ微笑む顔は大変愛らしいです。うん、額の井形は見なかった事にしよう。

 結衣ちゃんと静願ちゃんって仲が悪いのは、どんな理由が有るのかな?

 

「うん、そうだね。電話で呼ぶけど30分後で良いんだよね?」

 

「はい、それまでには準備を終えておきます」

 

 此方の方を向かずに返事をされてしまった。小笠原家との付き合い方を考えないと駄目だな。

 あれだけ優しい結衣ちゃんが、こんな態度を取るのだから。何か理由が有る筈だ。

 それが分かれば良いのだが、素直に聞いても教えてはくれないだろう。

 多分だが僕がそんな聞き方をすれば、彼女は萎縮して自分の気持ちを殺してしまう。それじゃ永遠に解決しないだろう。

 

 水谷ハイツなんかより、よっぽど難解だよ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一旦私室に戻り自分の携帯電話を取り出す。電話帳を検索して静願ちゃんの携帯番号を呼び出し発信する……

 登録された彼女の画像が現れ、4コール目で繋がった。

 

「もしもし、静願ちゃん?」

 

「はい、今晩はです」

 

 何となく室内を歩き回りながら電話をし、最後に窓際で外を見ながら話す。

 

「えっと……引っ越し今日だったんだ。結衣ちゃんから聞いたよ。今晩夕食を招待するみたいだけど平気かい?」

 

「うん、支度は出来てるから平気」

 

 やはり結衣ちゃんが事前にご招待してるんだ。嫌ならウチに呼ばないし、何が原因なんだろう?

 

「じゃ30分後にウチで良いかい?あとお土産有難う。萩の月は大好きなんだよ」

 

「お母さんが仙台土産なら牛タン・ベロカマ・萩の月だって」

 

 ベロカマ?何だか食べ物じゃない呼び名だけど……

 

「ベロカマ?何だいそれ、お菓子?」

 

「笹蒲鉾の事。笹の形が舌にも似てるからベロ形の蒲鉾」

 

 確かに笹の形だけど舌の形にも見えなくは無い。舌だからベロで蒲鉾か……

 

「ああ、なる程ね。では30分後に待ってるから」

 

 そう言って携帯電話を切った。確かに仙台名物と言えば、その三種類なのかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 指定した30分後きっかりに玄関の呼び鈴が鳴った。小笠原さん達は時間を守る性格らしい。

 私室に居た僕は慌てて迎えに行くが、既に結衣ちゃんが出迎えていた。

 

「お邪魔しますわ」

 

「お邪魔する」

 

「ええ、どうぞ。お待ちしてました」

 

 階段を下りる途中で彼女達の会話が聞こえました。そりゃ二階よりキッチンの方が近いよね。

 急いで階段を下りて廊下を進んで玄関へ……丁度靴を脱いでいる魅鈴さんと目が合う。

 

「あら、榎本さん。本日はお招き有難う御座いますわ」

 

 ニッコリ挨拶、魅鈴さん。うん、年上とは思えませんね。ふわふわなタートルネックのセーターにタイトスカート姿だ。

 

「榎本さん、今晩は。これ引っ越し蕎麦」

 

 先に上がっていた静願ちゃんから箱を受け取る。ズッシリと重いが乾麺の詰め合わせかな?

 彼女は新しい学校の制服を着ている。つまり御披露目を兼ねているのだろう。

 

「ああ、いらっしゃい。制服姿が似合うね。つまり編入試験は合格だったんだね?」

 

「うん、驚かすつもりで黙ってた。似合うかな?」

 

 その場でクルリと回ってくれた。

 

「良く似合ってるよ。結衣ちゃんと違い高等部は制服も微妙に違うんだね」

 

 あの学校、エスカレーター式なのに中等部と高等部で制服が違うんだよ。Yシャツからネクタイ、靴下に至るまでインナーも変えてるから進学時にフルセットで買い替えなんだ。

 まぁ可愛い結衣ちゃんの為だから文句は無い。制服目当てで偏差値の高い私立に来る娘も居る位だからね……

 

「ありがと……嬉しい」

 

 素直クールな彼女が、ぼそりとお礼を言った。大変可愛らしいです。だが、此処でデレデレは危険なんだ。

 

「結衣ちゃん食事は居間のコタツで?」

 

「いえキッチンに用意して有りますよ」

 

 僕から蕎麦の箱を受け取り、先にキッチンへと向かう結衣ちゃんは……何時の間にか着替えていました。

 流石は女の子だ、来客だから身嗜みを整えたんだな。僕は仕事から帰って着替えてないからワイシャツにスラックスだけど。

 甲斐甲斐しく案内する結衣ちゃんを見て、何となく安心する。苦手意識が有るかも知れない彼女達に、ちゃんと対応してるから……

 キッチンのテーブルに座る。僕と結衣ちゃん、静願ちゃんと魅鈴さんが向かい合う配置だ。

 

 テーブルに並べられた料理は……鍋はキムチ鍋だ!

 

 具は豚バラ肉・木綿豆腐・ネギ・白菜・大根・シラタキ・椎茸・ゆで卵、それに当然山盛りのキムチだ。

 他には海鮮サラダ、ドレッシングは自家製。イカ・タコ・金目鯛・サーモンの刺身が散りばめられている。

 手作り具沢山餃子、これは冷蔵保存してあるネタを使っている。それに野菜チップスが色々。カボチャ・ゴボウ・サツマイモ等を薄く切ってフライにしてある。

 パリパリ感の有る箸休めだ。

 

 因みに白菜の浅漬けは彼女自慢の逸品!市販の漬けダレに色々工夫している家庭的なロリなんだよ。

 

「時間が無くて手抜き料理で恥ずかしいのですが……」

 

 謙遜までするなんて、結衣ちゃんは本当に良く出来た娘だよね!

 

「いや凄い。私では、こんなに早く綺麗な盛付とかも無理」

 

「そうね。主婦の私から見ても美味しそうだわ」

 

 小笠原母娘にも、結衣ちゃんの料理は好評みたいだ!

 

 

第115話

 

 同じ鍋を突っ付くと連帯感が湧くと言うが……我々もそうだと思う、いや思いたい。

 小笠原母娘と結衣ちゃんの仲が少しでも良くなれば良いな、と……

 

「正明さん、はいビールをどうぞ」

 

 そう言って6割程減ったグラスにビールを注ごうと缶を傾けてくれる。

 

「ああ、有難う。手酌で飲むから平気だよ。結衣ちゃんも食べてね」

 

 甲斐甲斐しく世話をしている結衣ちゃんにお礼を言う。普段は晩酌をしても缶ビールを直接飲む。

 今回は魅鈴さんも少し飲むと言うので、普段使わないグラスで飲んでいる。当然、結衣ちゃんは魅鈴さんにもビールを注いでいる。

 前が魅鈴さん、右側が僕だから必然的にそうなる。

 

 いや彼女の僕に対する甲斐甲斐しさは、当社比300%増しだ!正直かなり嬉しい。

 

「静願さんも沢山食べて下さいね。お代わりをよそりましょうか?」

 

 僕以外にも気配りを忘れない。これで少しは仲良くしてくれれば良いんだけど。

 

「いい、もう沢山食べた……榎本さん、あのアパートの件はどうなったの?」

 

 食事も後半に差し掛かり、静願ちゃんは余り食べないからか食べ終えたみたいだ。皆は未だ食事中だから会話は余り宜しく無いよね。

 それに無表情が大分良くなってきてるが、あの話し方は結衣ちゃんに対して冷た過ぎると思われるぞ。

 

「ん、順調だよ。でも食事中に話す内容じゃない。静願ちゃんも携わったから気になるのは分かるけど、食後にお茶でも飲みながら話そう」

 

「はい、ごめんなさい」偉く素直に頭を下げる。

 

 結衣ちゃんへの件も有ったから、少し言い過ぎちゃったかな?

 

「そろそろ〆のうどんを入れますね」

 

 結衣ちゃんが鍋に少し残った具材を取り出し、お湯でヌメリを取ったうどんを三玉入れる。出汁を足して煮立った後に溶き卵を入れて蓋をする。

 火を止めて30数えたら出来上がりだ!テキパキと調理する彼女を見てると楽しい。

 

「はい、どうぞ」

 

 魅鈴さんに最初に渡す所が、来客に対しての礼儀だ。

 

「私はもうお腹一杯で食べれない」うん、表情が申し訳なさそうだった。

 

「そうですか?では……はい正明さん」

 

 他と違いラーメン丼に大盛りにしてくれる。多分二玉分は入ってるだろう。

 魅鈴さんは僕が沢山食べるのを見るのは初めてなのか、凄いビックリ顔だ!

 

「榎本さんは凄くお食べになりますのね。逞しい体ですもの……」

 

 艶の有る笑顔をされると困ります。そして上半身を舐める様に見るのはご遠慮下さい。

 向いの静願ちゃんは普通だが、横目で見る結衣ちゃんは少し不機嫌そうだ……つまり静願ちゃんは僕と魅鈴さんが再婚するのは歓迎なんだろうな?

 

「はははは、そうですね。肉体の維持とは別に、結衣ちゃんの美味しい手料理は何時も沢山食べますよ」

 

「正明さんったら、もう恥ずかしいです」

 

 結衣ちゃんがオタマを持ってイヤイヤしてくれた。正直、萌えます。結衣ちゃんに感謝をして食事を終えた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 食事の片付けを結衣ちゃんにお願いし、僕等は居間へ移動した。彼女も同席するかと誘ったが、仕事の話なら席を外しますね!

 そう言って珈琲と萩の月を用意してくれる。良く出来たロリだ!

 ステックシュガーを三本入れてミルクは無し。魅鈴さんも静願ちゃんもブラック派なんだな。

 

「さて、さっきの質問だけど……最初の盛り塩と日本酒の判断方法ではグレーだった。

盛り塩にも日本酒にも反応は無かったが、バスルームのシャワーカーテンが動いた気がする。曖昧だから次は本格的に機材を入れる予定だ」

 

「シャワーカーテン?」

 

 静願ちゃんの表情は真剣だ。これも除霊の為の勉強と思ってるんだな。

 

「うん。記憶違いじゃないと思うけど、少し閉まってたんだ。だけどバスルームに置いた盛り塩には変化が無かった」

 

 霊が現れたなら、盛り塩が反応する筈だ。強い霊ならグズグズに溶けたり崩れたり……だけど何の反応も無かった。

 

「機材を入れるとは?」

 

 此方は魅鈴さん。足を組み替えながら質問してくるのは……普通ならセクシーさにクラクラって来るのでしょう。

 だがロリな僕には無効だ、目線も送らずスルーする。

 

「デジタルカメラ・サーモカメラ・集音機・振動計です。画像と音声を撮る。

これは霊じゃなく不法侵入者の線も捨ててないから隠して配置する。だから明日引っ越しをするんですよ。

空き部屋にカメラなんかセットしてあれば、もし犯人が人間なら壊すかテープを持ち去る。

証拠を残す事はしないでしょう。家財道具が有れば隠して設置出来ますからね。

短時間で全てを探し出すのは不可能だ。勿論、調査結果が出る迄は泊まりませんよ」

 

 そう言って一旦説明を止める。頂きますね、と断ってから萩の月を一つ食べる。カステラに包まれたモッサリカスタードクリームが美味しい。

 なる程、お薦めの逸品では有るね。

 

 あの水谷ハイツでの怪奇現象……

 

 僕の中では不法侵入者だと思ってる。だからバレない様に証拠を掴みたいんだ。

 

「静願から聞いていた以上に慎重なんですね。しかも霊現象と普通の人間の犯行と同時に調査するのですね?」

 

 前屈みで胸を強調してきたな。甘いぞ、魅鈴さん。ツルペタ大好きな僕には、そのポーズは悪手だ。目線を静願ちゃんへと自然に逸らす。

 

「怪奇現象と言っても半数以上は違うからね。依頼は原因を特定し解決する事。相手が人間の場合、証拠を掴まないと駄目なんだ」

 

 彼女を見ながら、なるべく分かり易く言葉を選んで説明する。警察でない僕等は現行犯で取り押さえるか証拠を掴んで訴えるしか方法は無い。

 

「なる程、勉強になる」

 

 静願ちゃんが何時の間にか膝の上にメモ帳を開いて書き込んでいる。

 

「榎本さんは契約を重んじ費用計算についても基準が有ると聞いていますわ。今回のケースは幾ら位になりますの?」

 

 魅鈴さんも僕への誘惑を諦めたみたいだ。いや、この人天然っぽいから意識せず自然にやってたかも知れないんだよな。

 でも費用か……一番気になる項目だよね。

 だけど調査によって除霊が発生するか・しないかで差があるんだよな。

 

 頭の中で費用を組み立てる……

 

 考える事は糖分を消費する。もう一つ萩の月を口に放り込み、珈琲で流し込む。

 

 糖分が考える力を後押しする……

 

「期間により費用が変わりますけど……僕の考えでは事前調査で1日・実際に簡易な調査で1日、先ず2日間で方針を決めました。

本格的に機材を入れて引っ越し込みで7日間が本調査です。この段階で拘束9日、機材リース費・引っ越し費・調査及び報告書の作成を含みます。

人件費27万円・必要経費40万円・報告書作成3万円、合計70万円に諸経費二割乗せますから84万円。調査結果により除霊が必要なら別途請求します」

 

 あれ、魅鈴さんがビックリしてるな。何故だろう?

 

「必要経費を抜くと41万円が利益ですよね?10日間で安くないですか?」

 

 人件費27万円と諸経費14万円の事か?この場合、人件費は利益には含まないんだよね。

 

「いえ給料としての人件費は利益外です。諸経費2割の中に純利益を含みます。事務所の維持費とかをさっ引くと全体の5%程度が会社としての純利益です」

 

 総売上金額から考えれば純利益5%は悪くないと思う。自分の給料は別枠だし会社の利益は貯金に回す。一応毎年黒字経営だ!

 

「私達は一回の霊媒に対して10万円〜20万円位ですが、意外に儲からないのですね?」

 

 駄目だ、このお色気未亡人どんぶり勘定だよ。確定申告をしてるらしいが、良い様に税務署に税金取られてないか?

 

「調査事務所として運営してますからね。会社としての純利益よりも必要経費で色々落としますから。

ガソリン代・外食費・交通費・交際費……全て給料と別で会社の経費です。その分を考えれば収入としては安定してます。

除霊が必要になれば別途で貰いますし、この様な物件だと家賃の一年分以内で納めないと依頼が来ませんよ」

 

 依頼主は収入を見込んで費用を算出するんだ。先行投資に、その部屋の家賃の何年分なんて注ぎ込めないだろう。

 

「うーん、確かに家庭の出費を経費で落とせるのは魅力的だわ。でも他の方々は一回の除霊費用に何百万と請求するとか……」

 

 そんな現実はアメリカンなドリームじゃないんだから。確かに命懸けの仕事だからハイリスク・ハイリターンは分かるけどね。

 小原氏みたいな依頼主ばかりじゃないんだ。普通の人は、そんなに払えない。

 

「そうですね。確かに前回の小原氏の仕事は、短期で1000万円近い収入が有りました。

それは客層と危険度により変動します。一般的な家庭で、そんな支払い能力は有り得ませんから……」

 

「まぁ1000万円も!」

 

 魅鈴さんってメリッサ様と近いのかな?金額を聞いて凄く嬉しそうだったよ。

 

「お母さん、あの時は榎本さんが怨霊を一人で倒した。その後の調査も中心的な役割だったから……」

 

 静願ちゃんがフォローしてくれる。前回は特別だったんだ。本来なら、小原氏クラスの客層から僕に依頼は来ない。

 だけど彼女達は儲かる商売として、除霊に手を出そうとしてるのかな?それだと危険な感じがするんだけど……

 

「魅鈴さん、静願ちゃん。改めて言う事じゃないけど、この商売は危険だ。死んだ元人間を相手にするんだよ。

準備に準備を重ねても死ぬ危険が有る。自分の力量に有った相手を見極めないと……直ぐに死ぬよ」

 

 死ぬよ……と言った瞬間、彼女達の歪んだ顔は見たくなかった。だけど現実は伝えておかないと駄目だから。

 

「榎本さんから見て、娘は……静願は有望かしら?」

 

 魅鈴さん自体は霊媒師として働くんだろう。除霊に携わりたいのは静願ちゃんだけか……

 

「今は全く無謀です。そもそも高校を卒業してからの話ですよ。今は霊力と肉体を鍛え知識を蓄える時期です。

長期の休みの時には何件か実習したり、覚える事は多いですよ」

 

 最低限の知識と基礎体力を鍛えないとね。美少女霊能力者が華麗に活躍するのは物語の中だけだ。実際は泥臭く足掻かないと駄目なんだよ。

 

「つまり榎本さんが静願を鍛えてくれる。そう思って良いのですね?」

 

「おとっ、榎本さん。私頑張るから」

 

 静願ちゃん、何時か僕の事をお父さんと呼んじゃうよね?一旦突き放して優しくするのって、ヤの付く人の手口だっけ?

 美女と美少女に期待に満ちた目で見られながら思った。これからが大変なんだよな……

 

「本格的に除霊を学ぶのは卒業してからですよ。今は体力を付けないと……静願ちゃん100m何秒で走れる?」

 

「短距離走?えっと18秒位かな」

 

 18秒か……物凄く遅いな。高校生の平均は100mを13秒後半位だそうだ。ソレを考えると18秒は物凄く遅いだろう……

 

「マラソン得意?何km走れる?」

 

「今度は長距離走?体育の授業で走る2kmで限界」

 

 持久力も人並み以下だ……体力勝負のフィールドワークには難しいな。

 

「自転車乗れる?」

 

「乗った事ない」

 

 逃走手段が限られたな。しかも走っては逃げ切れるタイムじゃないぞ。

 

「えっと武道なんてやってないよね?合気道とかさ」

 

「茶道は少し……」

 

 和服を着こなしていたから、それ位は出来ると思ってたよ。

 

「静願ちゃん……」

 

 彼女の目をじっと見る。

 

「はい……」

 

 彼女も潤んだ瞳で見詰め返してくれる。暫し見詰め合う二人……

 

「君は……運動音痴だね?」

 

「あぅ?」

 

 ゴチンとテーブルに額を打ち付ける。良い音がしたから、かなり痛いだろう。

 

「高校を卒業する前に基礎体力を高めよう。短距離走は一般的な平均値まで、そうだな100mを15秒を切ろう。

長距離走は5kmは休まずに走れなきゃ駄目だ。自転車は乗れる様に、合気道の初段を取る事。

これが僕が仕事を教える為の最低条件だ。てかコレ位の体力が無いと、危なくて除霊現場に連れて行けないよ」

 

 静願ちゃん、涙目だ!

 



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第116話から第118話

第116話

 

 小笠原母娘が宮城県の仙台市から神奈川県の横須賀市に引っ越して来た。静願ちゃんは結衣ちゃんと同じ私立の学校へ編入して来た。

 勿論、中等部と高等部の違いは有るが……確かに僕は静願ちゃんに仕事を教えると言った。

 しかし基礎体力が極端に低い彼女を除霊現場に連れて行くのは色んな意味で危険だ。だから卒業までの間に体を鍛える事を義務づけた。

 

 まぁ極端に運動音痴じゃなきゃ平気なレベルだが……

 

 引っ越し祝いとして小笠原母娘を自宅に招き夕食を共にした。結衣ちゃんが提案したんだが、実は彼女と小笠原母娘は余り仲が良くない感じがするんだ。

 結衣ちゃんが彼女達を警戒と言うか……同じ鍋を突っついた同士、少しは仲良くならないかな?

 小笠原母娘を送り出して応接間に戻る。結衣ちゃんがお代わりのカフェオレを淹れてくれた。

 

 彼女の分も有るのは、僕に話が有るのだろう……ソファーに向かい合わせに座る。

 

 彼女は両手でマグカップを包む様に持っている。気持ち視線が下向きだが、それは普段も同じ。見た目的には変わりは無い。

 

「結衣ちゃんの料理は最高だね。小笠原さん達も美味しいって驚いてたよ」

 

 先ずは誉める、彼女の料理を小笠原母娘も認めてたよと。

 

「正明さんに喜んで食べて頂ければ良いんです」

 

 はにかんで嬉しい事を言ってくれる。本当に嫁に欲しいロリだ!でも本題は何だろう?水谷ハイツの件で進展が有ったのかな?

 

「正明さんは静願さんに、お仕事を教えるんですか?」

 

 自分のマグカップを見詰めながら聞いてきた。目を見て話さないのは消極的な彼女の癖だが、僕に対しては最近少なくなってきたのだが……

 

「ん?ああ、そうだね。卒業後になるだろうけど、彼女も今後は霊媒師だけでは駄目だと考えているみたいだから。

女性の霊能者も珍しくは無い。だけどフィールドワークに耐える体力は必要だ、どんな霊能力を扱うにしてもね」

 

 霊獣を従える亀宮さん・梓巫女の桜岡さん・宝石を操る高野さん・シスター鶴子様、いやメリッサ様か?

 色んな女性霊能力者が居るし、基礎体力の低い人も居るけど……それでも彼女達は、それを補う切り札が有る。

 アレ?桜岡さんとメリッサ様の切り札は知らないな……まぁ良いか、何かしら有るんだろう。

 桜岡さんはテレビ局の仕事がメインでスタッフが沢山居た。それに生霊が専門だし。メリッサ様は単独でなくチームだからね。

 静願ちゃんは霊具を操るタイプだから体捌きとかも必要だ。紐の付いた鈴をぶつけるのだって技術が必要になる。

 中国武術にも似たような武器を扱う物もあったし、日本だって鎖鎌とか似てるよね?鞭や投げ縄は微妙に違うかな?

 でも相手だって止まってないで動くんだからさ。訓練は必要だろう。

 

「私も将来、正明さんの仕事の手伝いがしたいです。細波家の力を使えば、肉体強化は出来ます!」

 

 考えに耽ってたら、とんでもない提案がきた!

 

「駄目!リアル獣っ娘なんてバレたら大騒ぎだ。結衣ちゃんの気持ちは嬉しいが、それは駄目だ絶対に駄目!」

 

 本音を言えばリアル獣っ娘の助手は欲しい。アレは凄く良いモノだ……

 だけど力が他にバレたら結衣ちゃんは人間として扱って貰えないかもしれない。

 最悪の場合はモルモット扱いで解剖だ!人間はそれ位はやる、やる奴は必ず居る。

 

「でもでも、正明さんは将来は私の自由に……」

 

「リアル獣っ娘は駄目だ。酷い人間は必ず居るから君の安全が心配だ。それに、結衣ちゃんを危険に晒すなら僕が代わりに死ぬ」

 

 ブーって頬を膨らませているけど、初めてじゃないかな?こんな拗ねた様な意思表示の仕方は……

 

「結衣ちゃんは獣っ娘状態じゃなくても霊力は有るし、肉体変化を抑えて体力を底上げする事も出来るかも知れない。

でも……あの姿は人類を二分するよ。萌えか知的探求心でね」

 

 獣っ娘変化が複数人居るなら、未だ方法は有るかも知れない。同じ人間の派生系として少数民族的な話も出来るし、仲間が居れば気持ちの持ちようが違う。

 認知させるにしても沢山居れば、それなりの行動は出来る。だけど彼女だけってなれば、全ての注目が結衣ちゃんに注がれる。

 好意的な目で見てくれる連中も居るだろう。でもきっと秋葉原に屯(たむろ)する様な方々が中心になりそうでヤダ。

 そして逆に彼女を調べたい連中は、総じて権力・権威持ちとか厄介な連中だ。そんな騒動は優しい彼女には耐えられないと思うんだ。

 

「静願さんにだけズルいです。私だって正明さんのお役に立ちたいです」

 

 ああ、結衣ちゃんは静願ちゃんに嫉妬してるのかな?でも静願ちゃんが役に立つのは、まだまだ何年も先の話だろう。

 しかも僕が彼女を雇う訳じゃない。

 

「いや静願ちゃんは僕の仕事を手伝う訳じゃないよ」

 

「えっ?一緒にお仕事をなさるんですよね?」

 

 コッチを見上げてビックリした表情をしているが……僕は結衣ちゃんに静願ちゃんを雇うとか言ったっけ?

 でも仮に一緒に仕事をするにしても、する迄には越えなきゃならないハードルは沢山有るなぁ……

 

「ああ、仕事を教える為に何件かは一緒にね。どうしたの、結衣ちゃん?固まってるよ?」

 

 ボケッとした結衣ちゃんの顔は年相応な可愛い感じだ……残念、カメラが有れば絶対写したのに。

 

「良かった。彼女が正明さんと一緒に仕事をしていく訳じゃないんですね?」

 

 パアッと明るくなった結衣ちゃん……そんなに僕が静願ちゃんと一緒なのが嫌なのかな?

 

「うん、あくまでも静願ちゃんが自立して除霊出来る迄の手伝いだから」

 

「えへへ、正明さんが小笠原母娘と合同事務所を構えるのかと思っちゃいました……ごめんなさい、我が儘言って」

 

 そう言ってペコリと頭を下げた。

 

「いや、結衣ちゃんが気にしてたならゴメンね」

 

 やはり彼女は小笠原母娘を快く思ってない。可愛い嫉妬心なら、それ程問題は無い。僕の気持ち次第で解決するから。

 だが嫁と義娘のどちらを選ぶかだが……うん、優柔不断な僕には難しい。仲直りは他のを考えよう。

 

「でも私も、この細波家の力をもっと制御したいんです。ずっと数珠で封印では何時かボロが出ちゃうかもしれませんし」

 

 申し訳なさそうに此方を上目使いで見てきた……クラッと来る仕草だ。

 でも結衣ちゃんはフサフサの尻尾が出るからな。スカートなら捲れ上がりズボンなら破けるのか?

 あの尻尾は力強いみたいだし。ああ、旅行で見た結衣ちゃんの尻尾&生尻は素晴らしかった。だが事故で有れ他人に見せるのは業腹だ……

 

「分かったよ。結衣ちゃんが細波一族の力を上手く使える様に特訓だ!

ただ、変身能力と言うか獣化のプロセスは分からないから当面は霊力の制御からかな。僕も最初はそうだったからね」

 

「はい、有難う御座います。確かにお祖母ちゃんは亡くなったし、お母さんは行方不明だから……

この力を知る人はもう居ないんですよね。独学だけど頑張ります」

 

 凄く嬉しそうな結衣ちゃん。僕も特訓と言うと、爺さんや悟宗さんを思い出すな……そろそろ墓参りに行こうかな、大分行ってないや。

 

「結衣ちゃんも高校卒業位をゴールに頑張ろうね。慌てる必要はないから焦らず地道にだよ。

霊力は未知の力だし、個人差も有るからね。最悪、暴走とかも考えられるからさ」

 

「分かりました。正明さんの事をお師匠様とかコーチとか呼んだ方がよいですか?」

 

 ニコリと珍しく冗談を言ってくれたが、下の名前をさん付けされた方が断然よいので「却下します」と断っておく。

 お師匠様やコーチじゃ、益々恋仲にはならないだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結衣ちゃんの意外な頑固さを知った翌日、問題の水谷ハイツに引っ越しを行う。午後1時に引っ越し元に集合、荷を積んで水谷ハイツに向かう。

 途中で結衣ちゃんが学校帰りに合流する予定だ。彼女の場合は、万が一霊障又はストーカー疑惑が有れば中止する。

 あのシャーペンの芯が無ければ、誰かが出入りしてる筈だから……元々少ない荷物だから専門の引っ越し屋だと手早い。

 4ton幌付きトラックに満載だが、50分で終了だ。僕は調査用の機材のみ積んでいる。

 愛車の新キューブで引っ越し屋のトラックを先導する。特に高速道路は使わず、海岸線を安全運転で走る。

 信号では無理せず後ろのトラックが付いてくるか確認、車線変更も早めにウィンカーを出す事を心掛ける。

 三浦海岸を右手にノンビリ走ると、平日なのに結構な人が居るのに驚いた。サーフィン・犬の散歩・波打ち際で何かを拾う人々……

 三浦海岸を過ぎ野比海岸に到着、このまま火力発電所の脇を抜けて久里浜へ。ペリー上陸記念公園を左折し、平作川沿いに横須賀方面へ……

 およそ45分の車の旅だった。3時前に引っ越し先の水谷ハイツに到着した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 引っ越し屋のトラックを建物の前に停めて荷物を下ろし始める。僕は彼等に声を掛けてから先に部屋を確認しに向かう。

 特に誰にも会わずに三階に到着、ドアに仕込んだシャーペンの芯を確認する。吊り元から三枚目のタイルの目地に合わせて仕込んだシャーペンの芯は無事だ。

 ならば、この扉から出入りした奴は居ない。鍵を開けて中に入る。特に霊感は働かない。

 廊下の壁に付いているブレーカーを上げて廊下の電気を点ける。玄関に置いた盛り塩も問題無い。

 

 問題の洗面所だが……

 

「なっ?床に撒いた清めた塩の線が乱れてるだと?」

 

 内側から踏んだ様に乱れている。だが、洗面台の上に置いた盛り塩に異常は無い。

 

「馬鹿な!霊が触れたなら塩自体に変化が有る筈なのに……

しかも洗面台の盛り塩に異常は無い。狭い此処で片方にだけ異常が出る訳は……」

 

 急いで窓を調べるが、内側から鍵が掛かっていた。馬鹿な、人が侵入した形跡が無いだと?ならば、アレは……アレは霊の仕業だとでも言うのか?

 

「榎本さーん!荷物運び込んで良いっすかー?階段と廊下の養生は終わりましたよー」

 

 手際が良いな。流石は引っ越しなら○○ってか?手早く盛り塩を片付けてから引っ越しを開始する。

 彼等もそこら中に盛り塩が有る部屋なんて、どんな事故物件なんだと怪しむだろう。悪い噂は立たない様にしなければ……

 引っ越し屋さんが次々と荷物を運び込むので、置き場所を指示しながら周りを警戒する。

 

 この部屋に霊は本当に居るのか?僕では見つけられないのか?現れる条件が有るのか?

 

 だが浴室を使うと現れると言う条件は満たしていない。僕が見守る中、引っ越しは着々とすすんだ。

 最近の引っ越し屋さんは元の部屋通りに荷物を並べてくれるんだな。終了した彼等を見送り手早く隠しカメラを仕掛ける。

 最近はメモリーの関係で長時間の録画も可能だ。

 一番怪しい浴室には棚に並べたタオルの隙間から、キッチンは食器棚の中にリビングは本棚にそれぞれ隠しカメラを仕掛ける。

 念の為、浴室には録音機もセットし最大12時間の記録を可能とする。手早く仕掛けてから、再度盛り塩を浴室だけに設置して完成だ。

 

 時間は4時を回った位だが外は夕暮れ……暗くなる前に部屋から出よう。

 

 後は結衣ちゃんと合流して隣と直下の部屋へ挨拶をすれば今日のノルマは終了。部屋を出ると扉にシャーペンの芯を仕掛ける。

 これで異常が発生すれば霊障で間違い無い。しかし人間の仕業かと思ったのに当てが外れたな……僕の霊感もマダマダって事か?

 

 暫く近所をブラブラしてたら結衣ちゃんから電話が掛かって来た。どうやら引っ越し祝いを買って近くに来たみたいだ。

 

「もしもし、結衣ちゃん?今何処だい?合流しようか?」

 

 彼女は水谷ハイツの前に到着したらしい。急いで合流しなければ!

 

 

第117話

 

 霊が出ると噂の水谷ハイツ。僕は人間の悪戯、不法侵入だと睨んだが違うみたいだ。

 人が入る事が不可能な状態で室内、浴室の結界が乱れていた。誰かが触った様に……有り得ない事だ。

 だから隠しカメラと録音機をセットした。サーモカメラは大きくて隠し切れなかったんだ。

 一応、対人の線も捨てきれないので今回は小型カメラを仕込んだ。監視装置を仕掛ければ長居は無用、部屋から出て結衣ちゃんを待つ。

 近くに来た時点で携帯電話に連絡が入る手筈になっているから。彼女と合流し、共に隣と直下の部屋に挨拶をすれば今日のノルマは終了だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 急いで水谷ハイツに向かうと制服姿の結衣ちゃんが紙袋を二つ下げて待っていた。

 

「お待たせ、結衣」軽く片手を上げて挨拶する。

 

「うん、お父さん。そんなに待たなかったよ」

 

 はにかみながら笑顔で応えてくれる結衣ちゃんとは、昨夜の内に親子設定と言う事で話してある。

 玄関を開けたらムキムキ強面なオッサンよりも、控え目で大人しそうな美少女の方が良いだろ?

 僕は他人が僕をどう見てるのか理解している。だから結衣ちゃんに、ご足労願ったんだ。

 彼女も僕を手伝える事を喜んでたから、丁度良かったと思う。彼女から紙袋を受け取り、階段を上る。

 先ずは201号室の北山さんからだ。二階に上がり廊下を奥まで進むと201号室だ。

 表札は市販の木製の物に北山と彫り込み溝を黒くしている。北山喜三郎(きたやまきさぶろう)・北山慎子(きたやまみつこ)と表札に書いてある。

 つまり旦那さんと二人暮らしな訳だ。お子さんは居ても既に独立してるのかもね?

 

 腕時計で確認すると時刻は4時15分……

 

 事前調査で専業主婦なのは知ってるから、今なら部屋に居るだろう。呼び鈴を押して声を掛ける。

 

「すみません、今日から上に越してきた榎本です」

 

 はーい、と言う声の後にドアが開いて……オバサンが僕を見て笑顔で固まった。おぃおぃ、一度見てるだろ?

 

「こんにちは、上に越してきた榎本です。これから宜しくお願いします」

 

 努めて笑顔で話し掛ける。

 

「よ、宜しくお願いします」

 

 僕の後から結衣ちゃんも挨拶をする。僕を見て結衣ちゃんを見て、また僕を見る。不思議そうな顔だが……

 

「娘の結衣です」

 

 そう言うとオバサンがパッと明るくなった。父娘連れだから安心したのか?結衣ちゃんの癒やし効果がオバサンにも効いたのか?

 

「ああ、301号室の!聞いてましたが今日からだったのね」

 

 ポンと手を叩く分かり易いジェスチャーをしてくれた。

 

「ええ、昼過ぎから引っ越しをしまして……五月蝿くなかったですか?」

 

 にこやかに話すが、きっと僕はオッサンで強面でムキムキだから内心は怖いんだろうな?

 

「大丈夫でしたよ。このアパート、新しいけど結構隣や上下の音が聞こえるのよ!イヤねぇ、壁が薄いのかしら?」

 

 壁が薄いの?隣との間仕切壁ってコンクリートじゃないの?気が付かなかったな。

 

「これ、つまらない物ですが挨拶代わりに」

 

 結衣ちゃんの買ってきたお菓子を渡す。

 

「あら、ヤダわ。気を使って下さって有難う御座います。これ駅前のアフタヌーンティーのクッキーでしょ?好きなんですよ。おほほほほ……」

 

「それは良かった。娘の見立てですが、気に入って頂けて幸いです」

 

 さて次に行くか……結衣ちゃんを促して三階に上がろうとしたが、すっかり警戒心を無くしたオバサンに引き留められた。

 

「お父さん、凄い筋肉ですわね?お仕事は何をなさってるんですか?」

 

「警備会社に勤めてます。主に企業の建物の警備関係です。短期の転勤なので……」

 

 長瀬さんには許可を貰っているから話しても平気だ。万が一問い合わせが会っても、ちゃんと社員として対応してくれる。

 

「アル○ック?ホームセキュリティの?」

 

「あんな大手じゃありませんし民間相手じゃなく企業専門ですが、その業界ですよ」

 

 そう言って長瀬警備保障の名刺を渡す。現代社会で身分は大切だ!警備員ならムキムキ筋肉の強面オッサンでも疑われない。

 逆に「嗚呼、それで」とか納得されたし……オバサンは僕の渡した名刺をマジマジと見てから、前掛けのポケットにしまった。

 

「お嬢さんは……有名な私立の制服よね?」

 

 オバサン話長いな。結衣ちゃんの通う学校は偏差値も高く、真面目な娘が通う私立として有名だ。

 

「そうですよ。横浜に持ち家が有るんですが、僕も娘も此方の方が通うのに近いので……それに家事は全く出来ませんから、結衣頼りです」

 

 そう言って結衣ちゃんの頭を撫でる。嬉しそうに目を細めてくれるんだが、撫で癖がついたのかな?残念ながらナデボ能力は有りません、念の為。

 

「仲の良い父娘さんなのね……」

 

 結衣ちゃん効果はバツグンだ!

 

 怪しい筋肉ムキムキのオッサンでも、ご近所で評判の良い女子校に通う真面目で控え目な美少女がオプションに付けば……あら不思議、警戒心が無くなった?

 仲の良い父娘に見えるんだね。北山さんの警戒心は既に0だろう……

 

「あらでも娘さんが一緒に住むなら心配ですよね?」

 

 噂好きなオバサンは、あの部屋の幽霊騒動も話したくて仕方ないってか?誘導してみるか。

 

「心配?何がですか?最近不審者でも?」

 

「不審者と言うか……ほら、アレですよ」

 

 オバサンの指差した先には体を猫背気味に丸めながら階段を上っていく青年が居る。スエット上下にサンダル履き、髪の毛はボサボサでコンビニのビニール袋を下げている。

 見た目で中身が週刊の漫画雑誌だと分かる。典型的な無気力な若者だ。ああ、隣に住むアレか。

 

「彼が何か?」

 

「いえね、定職に就かずに日がな一日家に籠もってゲーム三昧。たまにフラッと出掛けては公園とかで女の子に声を掛け捲ってるみたいで。

お嬢さんみたいに可愛い娘が近くに居たら……ねぇ?」

 

 さも心配そうに結衣ちゃんを見る。確かに不審者が隣の住人では心配だろう。だが、オバサン霊障じゃなくて隣のニートが問題かよ!

 

「そうですか……確かに若者として好ましくない行動ですね。てっきり不動産屋で聞いた前の住人の引っ越しの原因の方かと思いました」

 

 霊障の件を聞いてみる。このオバサン、話好きだが人は良さそうだ。だから僕等が住む部屋自体の悪い話は……水を向ける迄は話さないだろう、話したいけど。

 ほら、一寸思案顔になったぞ。

 

「あら、榎本さんご存知だったの?」

 

「ええ、引っ越し前に不動産屋から聞いてます。前の住人の件は話さなくてはならないそうです。

情報公開の義務みたいなモノですかね?僕は気にしませんが……」

 

 肯定したんだ、知ってる事を話しなよ。

 

「あそこの息子さんね。さっきのアレと同い年なんだけど、出来が良かったのよ。でも大学受験に失敗してね、ノイローゼ?鬱病?

兎に角酷い状況だったのね。それで父方の田舎に引っ越したのよ。挫折を知らないと脆いって本当よね?」

 

 ん?ノイローゼ?鬱病?何だか変な方向に話がズレてないかな?彼等は霊障に怯えて引っ越した筈だけど。

 

「そうでしたか……僕は前の住人が部屋に何か居るとか言って気持ち悪いから引っ越したと聞きました。ノイローゼなら幻聴とか幻覚の類ですかね?」

 

 霊障の話に振ってみる。これで食い付かないと前提条件が怪しくなってくるな。

 

「あら、幽霊騒動?んー確かに何度か息子さんが見えない人が居るとか騒いでたわよ。

まさか、幽霊なんてねぇ?あの時は大分ヤバい感じだったから」

 

 良かった、霊障騒ぎは有ったけど既にノイローゼが酷い状況で妄言と思われてたのか……一度、前住人の話を聞かないと駄目かな?

 連絡して良いか山崎さんに相談しよう。すっかり話し込んでしまい、辺りが暗くなってきた。30分以上は話し込んだのかな?

 

「もうすっかり暗くなりましたね。では僕達はこれで。これから宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。

 

「いえいえ、引き留めてしまってごめんなさいね。今度ゆっくりお話ししましょう」

 

 ははは、三交代で早出・夜勤が有り不規則ですが機会が有れば……そう言って北山さんの部屋から立ち去った。

 隣の結衣ちゃんが珍しく僕の腕を軽く掴んでる。立ち話で疲れたのかな?

 

「ごめんね、結衣ちゃん。立ち話が長くて疲れたかい?次は例のミンと思われる奴の部屋だ。

今回は挨拶だけにしよう。奴に僕と結衣ちゃんが住むと思わせれば良いんだ」

 

 階段を上り302号室の前に立つ。表札はテプラだ……新藤としか書かれていないが三人家族なんだよな。

 

 呼び鈴を押す……アレ?確か奴は居るだろ、さっき見てるんだから。

 

 もう一度長めに押す……返事が無い、ただの居留守の様だ。

 

 ふざけんなガキが!もう一度呼び鈴を押そうとしたら声を掛けられた。

 

「あの……ウチに何か用ですか?」

 

 警戒心を含んだ固い声だ。振り返ると10m先の廊下にスーパーの袋を下げた40代位の女性が不安顔で立っていた。

 小柄で痩せていて、でも全体的に優しそうな感じの女性だ。彼女はアレの母親か?

 

「302号室の新藤さんですか?僕等は隣に引っ越して来た榎本です。それと娘の結衣、ご挨拶にと伺ったのですが……」

 

 僕の言葉に「宜しくお願いします」とペコリとお辞儀をする結衣ちゃん。

 

「あらあら、此方こそ廊下で立ち話ですみません。新藤です、此方こそ宜しくお願いします。すみません、息子が居る筈何ですが……」

 

 鍵を取り出し自分の部屋の扉を開けた。居留守は鍵まで掛けた本格的なモノだったらしい。

 

「貴也(たかや)!居るんでしょ?お客様よ、出て来なさい」

 

 奥に声を掛けるとガサガサと物音が聞こえた。

 

「なんだよ、寝てたんだよ。五月蝿いなぁ……」

 

 髪の毛ボサボサで玄関に現れた奴に軽く手を上げる。

 

「ああ、久し振りだね」

 

「ゲッ?アンタ何だよ。文句を言いに来たのかよ?」

 

 大分警戒されてるな。

 

「引っ越しの挨拶さ。明日から住むから宜しく」

 

 母親の前だから、なるべくフレンドリーに接する。

 

「よっ宜しくお願いします」

 

 僕を見て引いて結衣ちゃんを見て乗り出してきた。

 

「おっ可愛い。前の娘と違うじゃん」

 

 ヤツのイヤらしい目線に僕の後ろに隠れる結衣ちゃん。

 

「下見の時に一緒だったのは長女の方だよ」

 

 母親が僕と自分の息子を見比べている。

 

「あの、榎本さん。息子の貴也とは?」

 

 心配そうに聞いてくるのでオブラートに包んだ回答をする。流石に息子が強引にナンパしたとは言い辛いよね。

 

「ああ、先日長女と部屋の下見に来た時にですね。まぁ一寸有った訳です。娘に手を出したら、分かってるよな?強引に部屋に連れ込もうなんて悪い事だぞ」

 

「貴也!アンタまた余所のお嬢さんをナンパしたのね?お母さんがあれだけ止めて欲しいって……」

 

 どうやら母親も知ってる程のナンパ野郎らしい。だが長い説教タイムに付き合うのは辛いからな。

 

「では新藤さん、これから宜しくお願いします。これ、つまらない物ですが……」

 

 アフタヌーンティーのクッキーを母親に渡した。

 

「わざわざ本当にすみません。息子には良く言い聞かせておきますから……」

 

 ペコペコ謝る母親に、大丈夫ですからと声を掛けて引き上げた。あのニート、母親が説教してるのに反論していた。

 僕はヤツが何らかの手で部屋に侵入してると考えて、半分挑発する様にした。反省してなければ・ムカついたなら、腹いせに不法侵入するだろう。

 逆に萎縮して大人しくするかも知れない。だが、何らかの動きは有ると思うんだ。

 今は情報が少なく怪し過ぎて、判断が全く出来ないから。何か動きが欲しいんだ。

 

 

第118話

 

 水谷ハイツのご近所さんの挨拶周りを終えた。僕的に一番怪しいと思う隣の餓鬼に粉も撒いた。

 ヤツは静願ちゃんの他に結衣ちゃんも引っ越してくると思った筈だ。餌を撒いたから、後は魚が食い付くのを待てば良い。

 

 ただし……心霊現象の場合は別だ。

 

 侵入不可の状態の密室で異常が有ったんだ。もし人間の仕業でなければ大問題なんだが、全く霊感に反応しないのよ。

 自信がなくなるよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一緒に手伝ってくれた結衣ちゃんにご褒美をしなければならない。なので夕飯は外食にしようと思う。

 今から帰っても支度が大変だからね。

 

「結衣ちゃん、折角だから外食して帰ろうか?何が良いかな、焼き肉・パスタ・ラーメン?何なら小料理屋でも良いよ」

 

 並んで歩く彼女に話し掛ける。180センチを超える僕に150センチの結衣ちゃんでは、頭一つ以上の身長差が有る。

 だから彼女は見上げてくるのだが、それが良いんだ!

 

「良いんですか?確かに夕飯の仕込みはしてないですけど……」

 

 少し遠慮がちな彼女には強めに言わないと駄目だ。勿論、本人はそんなつもりは無いのだろうけど……

 

「たまには良いよね?そうだ!久し振りに焼き肉食べようよ。大津苑に行こうか?今予約取るから」

 

 大津苑は地元で有名な焼き肉屋だ!和牛のみを扱う高級店だが、値段と比例して旨い。

 

「おっ大津苑ですか?正明さん、あそこは高いですよ。牛角でも良いですから」

 

 携帯電話でお店に掛けて確認すると未だ席に空きが有るそうだ。20分で行くと伝える。

 

「結衣ちゃん、予約取れたよ。タクシーで行くから……」

 

 国道沿いに立ち手を挙げて空車のタクシーを停める。

 

「もう、正明さんったら……」

 

 停まったタクシーに先に結衣ちゃんを乗せる。体がデカい僕は後部座席の横移動が苦手なんだ。

 

「運転手さん、大津苑の前までお願い」

 

「はい、扉閉めますよ。大津苑ですね、分かりました」

 

 この運転手さんは丁寧な言葉使いだな。人によっては横柄な運転手も居るらしいが、僕の形(なり)を見て横柄な態度を取る人は少ない。

 ムキムキな僕の唯一の良い点だね。子供なんて泣き出す時も有るからな。黄昏ながら窓を見てると直ぐに目的の店に着いた。

 因みにタクシー料金は1540円だった。

 

「有難う御座いました。忘れ物の無い様に気を付けて下さい」

 

 そう丁寧に言われてタクシーを降りる。既に焼き肉屋は営業中、店の中から堪らない匂いが……暖簾を潜り抜け店内に入る。

 

「「「へい、いらっしゃい!」」」

 

 元気な声で出迎えられた。

 

「二人で予約した榎本です」

 

「此方のカウンター席でお願いします。先ずは飲み物をお願いします」

 

 威勢の良い兄ちゃん達に迎えられた。若いがマナーをしっかり学ばされてるんだろう。接客態度は良好だ。

 

「アサヒのスーパードライを瓶で」

 

 仕事の後は冷たいビールが最高だ!勿論、スーパードライ一択でだ。

 

「私はアイス烏龍茶を」

 

 結衣ちゃんは外では烏龍茶か日本茶が殆どだな。アツアツのお絞りと割り箸、それに小皿を置いて兄ちゃんは

 

「ファーストドリンク入りましたー!」

 

「「「ウィース!」」」

 

 元気の良い連中だ、少し騒がしいぞ。結衣ちゃんなんて目を白黒させてるし。

 

「威勢の良い店だね!結衣ちゃんはお腹空いてるかい?」

 

「えっ、ええ少しお腹は空いてます。でも正明さん基準で考えちゃ駄目ですよ」

 

 やんわりと食べ過ぎの釘を刺されたのかな?

 

「分かった、程々にするよ」

 

 暫く待つと頼んだ飲み物の他にお通しが来た。小鉢に入ってたのは地ダコの煮物だ。

 ぶつ切りのダコを圧力鍋で柔らかく煮込んだのかな?

 

「乾杯の前に注文ね。タン塩二人前に和牛ロースとカルビを三人前ずつ、ハラミと壷漬けカルビを二人前。

それにカクテキ一つにサニーレタス二人前。あとライスは大で!」

 

 飲み物を持って来た兄ちゃんに立て続けに注文する。

 

「はーい、ファーストオーダー頂きましたー」

 

「「「ウィース!」」」

 

 元気の良い掛け声と共に兄ちゃんは厨房へ向かった。

 

「じゃ結衣ちゃん、乾杯!」

 

「はい、正明さん。お疲れ様でした」

 

 お通しはアルコールを頼まないと来ない。だから小鉢を結衣ちゃんの方へ移動する。

 

「はい、これは結衣ちゃんが食べてね。味見したら今度作ってよ」

 

「タコの煮物ですね。うーん、柔らかいです。これは圧力鍋で煮込むと思いますが、味付けが絶妙です。

醤油・味醂・砂糖……うーん、隠し味は蜂蜜かしら?この照りが凄いですし」

 

 可愛い口で一つ味わいながら食べて感想を言う。彼女は食べさせると大抵の物は再現してしまう。

 和食党なので洒落た小料理屋には良く連れて行くんだ。居酒屋と違い落ち着いてるし料理も手の込んだ物が多い。

 すると二〜三日後には食卓に試作品が出来ている。食生活の充実は、同時に体重の充実でもある。

 最近筋トレをサボってるし鍛え直すかな……フッと筋肉大好き晶ちゃんを思い出した。後でメールしようかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 焼き肉大津苑で腹一杯食べて大満足です。腹ごなしに結衣ちゃんと歩いて家に帰る途中、夜空を見上げれば僅かながらに星が見えます。

 街の灯りが強い分、夜空の星は見え難いんだね……僕の脇を歩く結衣ちゃんは心なしか嬉しそうに途中の自動販売機で買ったホットココアを飲んでいる。

 僕は焦がし砂糖入り牛乳カルピスをチビチビと飲む。うん、コレ微妙ですよカルピスさん。

 

「正明さん、食べ過ぎですよ。〆に冷麺とカルビクッパも頼んで」

 

「だって結衣ちゃんが食べてたハーフ冷麺が美味しそうだったから」

 

 〆に僕はカルビクッパを頼んだが、結衣ちゃんが冷麺を美味しそうに食べるから……つい追加注文しちゃったんだ。

 

「正明さん、霞さんと知り合ってから更に沢山食べる様になりましたよ。食べ過ぎは健康に良くないんですよ!」

 

 僕の体を心配してくれるのは嬉しい。確かに肥満は健康に良くないな……

 

「明日から体を鍛え直すよ!暫くサボってた筋トレを再開するよ」

 

「ふふふふ。正明さんって本当に筋肉が凄いですよね。私の本気噛みを防いだの覚えてます?」

 

 結衣ちゃんの本気噛み?ああ、初めて会った時は問答無用で襲われたっけ。確か未だ当時は小学生だった結衣ちゃんの、全裸の獣っ娘バージョンだったよな。

 ヤバッ、思い出したらニヤニヤが止まらん。イヤらしい顔を結衣ちゃんに見せない様に上を向く。

 

「覚えてるよ。可愛い獣っ娘に襲われたよね。それが僕等の初めての出会いだった……今思えば衝撃的な出会い方だよね」

 

「そうですね。私も獣の衝動に逆らえなくて……でも他の人を傷付ける前に正明さんに止めて貰えて良かったです、本当に」

 

 彼女は前を向いて歩いてるから横顔しか確認出来ない……でも、その表情は笑ってる?

 

「知ってます?獣は負けた相手に服従するんですよ?」

 

「えっ?」

 

 ニッコリと僕を見上げる結衣ちゃん。彼女が、こんな冗談みたいな言い方をするのは珍しいな。

 

「ふふふふ、私が何でも言う事を聞きますって言ったら……何を望みますか?」

 

 言い方はおどけているけど目が真剣だ。これは下手な回答は出来ない……

 

 ライフカード、オープン!

 

①じゃ結婚して、今直ぐ。

 

②僕と結婚を前提に付き合って下さい。

 

③恋人になってよ。

 

④にゃんにゃんシテー!

 

⑤これからホテル行こうか?

 

 ナンダッテー?欲望だだ漏れ良くない!全部目的一緒じゃん。

 

 特に④と⑤、俺はケダモノか?結衣ちゃんの肉体にしか興味が無いのか?

 

「ゆっ結衣ちゃんみたいな可愛い娘が、冗談でも何でも言う事聞くとか言っちゃ駄目だよ!」

 

 メッって冗談っぽく切り返すが心臓がバクバクだ。

 

「何時も正明さんは私を大切に扱ってくれます。でも、ちゃんと私を見て欲しいんです」

 

「ゆっ結衣ちゃん?」

 

 こっコレって告白かな?僕は我慢しなくても良いのかな?

 

「僕は……僕はね……って一寸待ってね」

 

 何てタイミングで携帯電話が鳴るんだよ!誰だよ、大事な時にってディスプレイに表示された名前は晶ちゃんだった。

 今、此処で晶ちゃんが何故に僕に?確かにさっきメールしようかなって思ったけど、このタイミングって神様馬鹿ヤローだよ。

 結衣ちゃんも見てるし電話に出ない訳にはいかない。出ないと逆に不審がられてしまうし……

 

「もしもし、榎本です」

 

 平静を装って話すけど、少し上擦ったかな?

 

「あっ榎本さん。久し振り、晶です」

 

「ええ、久し振りですね。アレから何か変わった事は有りましたか?」

 

 話しながら結衣ちゃんの方を確認したら、目が合ってしまった。ニッコリ笑う結衣ちゃん。ドッキリ焦る僕。

 

「うーん、特に無いかな。小原さんの貸切期間が終わったから、それなりに忙しいよ」

 

 そうだった、小原氏は除霊が一週間以内で終わるとは思ってなかったんだ。ある程度の日数を予め抑えていたっけ。

 

「それは大変だね。無理してない?」

 

 彼女はセクハラ被害が嫌で男装してるハンサムガールなのだ。

「うん、僕は平気。

それで……週末休みが取れそうなんで榎本さんの家に遊びに行って良いかな?」

 

「家って、ええ?」

 

「駄目かな?」

 

 その声は僅かに悲しみを含んでいる。お世話になった晶ちゃんの頼みだから、断る訳にはいかないんだけど……

 

「かっ構わないよ。でも急に来るって何故だい?」

 

 ああ、結衣ちゃんが僕の袖を掴んでる。此方は不安そうに僕を見上げてるんだ。

 

「うん、榎本さん家ってさ。トレーニング器具が沢山有るでしょ?一寸使わせて欲しいんだ」

 

 このハンサムガールは筋肉好きだった。しかも友達宣言してるから、家に遊びに来るのは可笑しくない。

 他意は無くて純粋にトレーニング器具に興味が有るんだよな。

 

「構わないよ。それで土曜日で良いのかい?家の場所は知らないよね?」

 

「京急線の最寄り駅までは行けるよ。確か北久里浜駅だよね?10時に付くから迎えに来てくれると嬉しいな」

 

 そう言えば雑談の中で話した事が有ったっけ。名刺は事務所の住所と携帯電話の番号・アドレスだけだったしな。

 

「分かった、土曜日10時に迎えに行くよ」

 

「楽しみにしてるね!」

 

 そう言って電話を切られた。結衣ちゃんが僕の腕を抱えて見上げている。思わず立ち止まってしまった。

 それ位に不安そうな顔だから……僕は結衣ちゃんの頭をクシャクシャっと撫でて

 

「前の仕事でお世話になった八王子の民宿の娘さんだよ。今度泊まりに行こうって話してた岱明館のね。

筋トレに興味が有るらしくて、僕の筋肉を見て興味が出たらしいんだ。結衣ちゃんにも会いたがってたし、一緒に会おうか?」

 

「私が一緒でも迷惑じゃ無いんですか?大丈夫ですか?」

 

 浮気者みたくなってるよ。折角さっきまで良い雰囲気だったのに。晶ちゃん、少し恨むよ。あと10分遅かったら……

 

「全然平気さ。結衣ちゃんも彼女を見たら驚くよ。凄いハンサムガールだからね。宝塚の男役みたいなイケメンさんだよ」

 

「ハンサムガール?イケメン?宝塚?一体正明さんは何故そんな人と知り合ったんですか?何故そんな人が民宿に?」

 

 本当は中性的な美人さんだけど、今は女を感じさせない風に持って行った方が良い。結衣ちゃんに掴まれていた腕を抜いて、彼女の肩に軽く乗せる。

 

「民宿を手伝っていてね。最初は随分とイケメンだなって思ってたんだ。だけど酔客のセクハラが嫌で男装してたんだって」

 

「そうだったんですか……」

 

 結衣ちゃんが不安なのは、最近僕の周りに女っ気が多いからだろう。僕が取られてしまうんじゃないかって不安なんだ。

 勿論、恋愛感情じゃない。彼女に取って頼れるのは僕だけだ。

 桜岡さんを結衣ちゃんが受け入れたのは、彼女が結衣ちゃんを妹の様に接したから……家族の様に受け入れてくれたからだ。

 小笠原母娘を警戒するのは、彼女達が結衣ちゃんから僕を奪うんじゃないかが不安なんだ。だから一線を引いた対応なんだな。

 

 漸く分かったよ。僕は結衣ちゃんを不安にさせてたんだ。

 

 今も肩に軽く置いている掌が僅かに震えている。僕は彼女を良く見ているつもりで、実は何も分かってなかったのか。

 肩に置いている手でポンポンと頭を軽く叩く。

 

「大丈夫だよ。結衣ちゃんは大切な僕の家族(お嫁さん)だから、一人にはしないよ」

 

 ハッと僕を見上げる結衣ちゃんの目には……涙が浮かんでいた。僕の腰に抱き付く彼女の頭を優しく撫でる。

 回された腕が危うい場所に接しているので、愚息がトランスフォームしない様に全神経を集中しながら……

 



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第119話から第121話

第119話

 

 隣を歩く筋肉の塊みたいな正明さん。何時も何時も私を大切に扱ってくれる優しい人。私達は他の人と違う秘密の力を持っている。

 私は獣化の能力を受け継ぎ、正明さんはお坊様で法力を使える。一見同じ異能だけど周りの受け止め方は全然違う。

 だって私は獣だけど、正明さんの力は高僧に匹敵するもの。

 

 獣化した私の本気噛みを鍛えた肉体だけで跳ね返した。てっきり負けた私を危険な獣として処分するかと思えば、温かい大きな手で頭を撫でてくれた。

 真っ裸な私に上着をかけてくれて、大好きなお婆ちゃんの所に連れて行ってくれたの。私の知ってる大人の男の人は、お母さんの交際相手だけだった。

 殆どの人が私に辛く当たった。叩かれたりは当たり前で、食事抜きとかも日常茶飯事。酷い人は私にイヤラシい事をしようとしたわ。

 

 体に触ろうとしたり抱き付いてきたり……凄く怖くて気持ち悪かった。

 

 私も細波家の力が徐々に目覚めた時に……恥ずかしいけど発情期みたいな時が有った。

 

 体が熱くなり、嫌だと思っている男の人達に触られたいと考えてしまう。頭と体のパズルが合ってないモヤモヤした感じ、嫌な感情。

 でも自分の体を傷付ける事で忌まわしい感情を抑えたの。太ももに鉛筆を刺したり手首を噛みついたり……痛みは一時的だけど思考をクリアにしてくれた。

 私が発情期の時は、周りの男の人も無闇やたらと悪戯しようとしてきたし。何か変なモノを周りに放出してたのかしら?

 

 でも正明さんは違った。

 

 お婆ちゃんからしか貰えなかった優しさを私にくれたの。凄く嬉しかった。暫くはお婆ちゃんと一緒に、落ち着いた生活を送る事が出来た。

 お婆ちゃんの年金頼りの貧しい生活だったけど、大好きなお婆ちゃんと一緒の生活。細波家の力も、正明さんがくれた数珠で押さえられた幸せの日々。

 でも小学六年の冬に大好きなお婆ちゃんの体調が悪くなり、病院に入院したけど一週間も経たずに危篤状態になってしまった。

 私を護り私を育ててくれたお婆ちゃんが死んでしまう。病院の看護師さんも身寄りのない私とお婆ちゃんの扱いに困ったみたい。

 だってお金が無いから、頼れる人が居ないから。でも、その時に正明さんが来てくれた。

 お婆ちゃんを個室に移してお金の掛かる治療も直ぐにやれって先生に頼んだみたい。看護師さんの立ち話を聞いてしまったの。

 もう施しようが無いお婆ちゃんに、出来るだけの治療をしてくれって頼んだって。個室に移ったので私も一日中、お婆ちゃんと一緒に居る事が出来た。

 正明さんは学校にも連絡してくれたみたい。ずっと休んでいたけど問題無かったし。

 近くにホテルを借りてくれて、食事もお風呂も全て面倒を見てくれた。お婆ちゃんは最後に意識が戻り、お別れを言う時間を持てた。

 殆ど体を動かす事も出来ず、でも私をしっかりと見て言ってくれた。

 

「結衣、幸せになってね。榎本さん、結衣をお願いします」

 

 そう言って目を閉じた。まるで眠るように息を引き取った……私がお婆ちゃんと最後のお別れを言えたのも、全て正明さんのお陰。

 お婆ちゃんに縋り泣くだけの私の背中を大きな掌で優しく撫でてくれた。どれ位泣いたか分からないが、私は泣き疲れて寝てしまった。

 悲しいけど少しだけ嬉しかったから。お婆ちゃん以外の人の優しさが嬉しかったから。

 目が覚めた時、私はホテルのベッドで寝かされていた。

 既にお婆ちゃんの遺体は葬儀屋の安置所に移されていたわ。今だから分かるけど、あれから正明さんはお婆ちゃんの葬儀の準備を全てやってくれてた。

 

 その夜のご飯は、名前は忘れたけどファミレスのハンバーグだった。その美味しさは今でも覚えている。

 

 小山の様な正明さんが前に座って微笑んでくれていて、私は夢中でハンバーグを食べた。

 後の記憶は疎らだけど、お婆ちゃんの家に行って荷物を色々と片付けた。形見にお婆ちゃんの着物・手鏡・櫛、それに眼鏡を貰った。

 後は私の少ない私物を荷物に詰めて部屋から出て行った。二度とお婆ちゃんの家には行かなかった……お婆ちゃんのお葬式は余り覚えていない。

 でも近所の人や疎遠だった親戚、学校の先生とか友達が来てくれた。正明さんがお婆ちゃんのアドレス帳に記載された人達の全てに連絡してくれたの。

 だから寂しいお葬式じゃなかった。松尾のお爺様と初めて会ったのは、お葬式が済んだ後だった。

 初七日を終えてお婆ちゃんを納骨する事になった時、正明さんが私を引き取ってくれた。

 

 里親制度で資格を取ったからだって……

 

 お婆ちゃんのお墓は正明さんの知り合いのお寺の永代合祀墓に納めてくれた。私はお墓なんて買えないから、ずっと遺骨を部屋に置いておくのかと思ってたけど……

 正明さんに連れられて新幹線で横浜に来た時は、何も喋れなかった。いえ、何を喋って良いか分からなかったから……暫くして近くの小学校に転校した。

 内向的で暗い性格の私は格好のイジメの対象だった。直ぐに三人組の男の子から色々なイジメを受けた。

 でも私には友達が出来なかったし頼れる人も居なかったから、我慢するしか……外履きを隠されて内履きで家に帰った時、正明さんがイジメに気付いた。

 優しく聞いてくれた、叱らなかった、頑張ったねと言ってくれた……翌日から三日間程、私は学校を休んで良いと言われ松尾のお爺様と家で遊んでいた。

 何故か最終日に三人でディズニーランドに遊びに行ったの。初めての遊園地に私は大分興奮してはしゃいだらしい……今思うと恥ずかしい位に。

 イジメの件は正明さんが色々と調べて学校側に文句を言いに行ったらしい。らしいと言うのは、そのまま私立の学校に編入したから。

 

正明さんは「だから公立は駄目なんだ。直接金を生徒側から貰ってる私立の先生の方が断然良いから!」そう怒っていた。

 

 後日、噂を聞いたけど正明さんは単身学校に乗り込み担任と校長と話し合ったらしい。学校側はイジメを認めずイジメた男の子達の親も認めなかったって。

 でも私達がディズニーランドで遊んでいる時、学校側は大変だったらしいの。集団食中毒で担任とイジメに荷担してたクラスの子達が、お腹を壊して……

 その、先生も含めて教室で漏らしちゃったって。しかも原因が不明で一週間近く苦しんだって。

 

 それを話した時の正明さんの笑顔は忘れられない。

 

 何時もの優しい笑みじゃない、酷く暗い微笑み……きっと正明さんが何かしたんだわ。わざわざアリバイまで作って……

 正明さんの口癖は「私を悲しませた奴は下痢地獄にぶち込んでヤル!」だから間違い無いと思う。

 正直嬉しかった……本当はイケない事だけど、私の為にしてくれたんだもん。でも私立に転校しても、イジメは受けた。

 だけど前の学校と違い直ぐに先生が事情を聞きに来て相手側との話し合いをするって。保護者を学校に呼ぶって。また正明さんに迷惑を掛けてしまう。

 それが悲しくて悲しくて、泣いてばかりいた。学校に呼ばれた時も正明さんは松尾のお爺様を連れて来た。

 面談室に入るなり、凄く怖い顔で淡々と相手を脅し始めた。抑揚の無い声で丁寧に、でも向かいに座ってる人達の怯えた表情は忘れられない。

 イジメてた子達が泣き出した時、思わず庇ってしまったわ。だって年頃の女の子がクラスでお漏らしなんて事になったら、可哀想だもの……それが切欠で彼女達とは仲良くなる事が出来た。

 

 正明さんは「雨降って地固まる」って言って笑ってたけど、相手の親御さんは微妙な顔だった。

 

 聞けば自分の娘がイジメた相手はヤクザの娘だった。報復に弁護士とヤクザがセットで乗り込んで来たのだから。そして極めつけが体育祭の時だ!

 私の応援に正明さんは筋肉同盟のお兄さん達を呼んだの。総勢20人のムキムキさんが私を取り囲んで騒いでいる風景は……そっそれ以降は、私をイジメる子は居なくなった。

 漸く私は学校でも安全を確保する事が出来た。家事全般を受け持ったのは、せめてもの恩返し。

 正明さんには返せない位の恩が有るから……そんな幸せな生活に入り込んできたのが桜岡霞さん。

 正明さんとは仕事で知り合ったと言う、梓巫女さん。私達と同じ異能力を持つ大人の女性……美人でスタイルも良くて話し易くて、本当のお姉さんみたいなお嬢様。

 霞さんは私を邪魔にしなかった、家族と同じ妹として接してくれたから、私は霞さんなら正明さんと結婚しても我慢出来た。

 皆で一緒にいられるから。でも霞さんは悔しそうに計画は失敗、一旦実家に帰ると悲しそうに私に話したの。

 

 計画?失敗?実家に帰る?

 

 でも正明さんと不仲になった訳じゃなく、普通に接していたわ。何か私の知らない大人の事情が有ったのね。霞さんが実家に帰ってから、また正明さんと二人だけの生活が始まった。

 幸せな生活……それを脅かすのは小笠原母娘よ!

 

 アレはダメ、ダメダメだわ。

 

 アレは私から正明さんを奪ってしまう。あの母親は私のお母さんと同じ匂いがした。見かけは全然違うし優しそうな感じだけど、男に媚びる何かを感じた。

 正明さんも嫌そうな顔で耐えていたし、人妻やバツイチはダメ?または30代は、守備範囲外?なら私だって良いと思うのに、全く手を出さない。

 いえ、里親として私を引き取ってくれた恩人なんだし、手を出した時点で人間失格と思ってるのかな?私からアプローチした方が良いかな?

 急にモテ期を迎えた正明さんの周りには、お邪魔虫が沢山わいた……あれだけ強くて優しい人だから、何時か魅力の分かる人が現れると考えてたけど急過ぎる!

 全く、あと数年待てば私も法律的に結婚出来る年齢になるのに。

 

「正明さんが酷いロリコンなら悩まなかったのに……おっぱいの大きい人ばっかり現れるのは何故なの?おっぱい好きなの?おっぱい星人なの?」

 

 悶々とした日々が続いた……だから少し、ほんの少しだけ勇気を振り絞って正明さんにアプローチをした。

 

「知ってます?獣は負けた相手に服従するんですよ?」

 

 冗談っぽく言ったけど本気だよ。獣の部分の私は、強い雄(♂)を本能的に求めているわ。

 

「えっ?」

 

 ビックリした顔の正明さん……

 

「ふふふふ、私が何でも言う事を聞きますって言ったら……何を望みますか?」

 

 正明さんの目を見る。見上げる様な仕草は萌えるらしいから、恥ずかしいけど頑張ったわ。

 

「ゆっ結衣ちゃんみたいな可愛い娘が、冗談でも何でも言う事聞くとか言っちゃ駄目だよ!」

 

 ほら、やっぱり。正明さんは私を窘める様に、おどける様にメッって叱った。でも私は本気だよ。

 

「何時も正明さんは私を大切に扱ってくれます。でも、ちゃんと私を見て欲しいんです」

 

 本気で私は正明さんのお嫁さんになりたいんだよ。

 

「ゆっ結衣ちゃん?」

 

 正明さんも真剣な目で私を見ている。もう一息、もう一息だわ。

 

「僕は……僕はね……って一寸待ってね」

 

 突然の電子音。けたたましく携帯の呼び出し音が二人の距離を離す……神様の意地悪!何故、あと10秒待ってくれないの?

 正明さんも残念そうな顔をしてたから、逃したチャンスは大きかったんだわ。コソコソ携帯電話で話す相手は新しい女性みたい。

 まだ正明さんのモテ期は続いてるのね?でも正明さんが中学生でも迫れば心が動くかもしれない事は分かったわ。

 それは大収穫。一緒に住んでるメリットを最大限に生かせば、僅かだけど可能性は有る。

 

「ふふふふ……」

 

「結衣ちゃん嬉しそうだね?何か良い事が有ったのかい?」

 

「ええ、希望が見えましたから!」

 

 正明さんの腕を軽く掴みながら、これからのドキドキイベントの詳細を考える。やはり自然に正明さんから迫ってくる様にしないと、はしたない娘って思われちゃうから。

 事故を装わないと駄目ですよね?

 

 

第120話

 

 結衣ちゃんと外食をして帰った。帰り道で彼女の様子が少しおかしかったんだ。小笠原母娘の出現で僕が取られると思って不安になったのか?

 それとも静願ちゃんへの対抗意識か?少し注意して様子を見ないと駄目かな。

 結衣ちゃんは真面目で自分に抱え込むタイプだから、悪い方向に行く前に何とかしないとね。

 家に帰り結衣ちゃんに先に風呂に入る様に薦めた。もう21時過ぎだから先に寝る彼女を優先する。

 僕は自営業みたいな物だから予定が無ければ自主休暇とかオッケーだし。冷蔵庫から缶コーラを取り出しリビングで一息入れる。

 プルトップを引き上げるとプシュっと炭酸の漏れる音が……これがコーラを飲む醍醐味だよね。一息に半分位飲んで盛大なゲップをする。

 

「ゲフッ、この感覚が堪らないね」

 

 ソファーに仰け反り仕事の事を考える。完全密室なのに人の出入りした痕跡が有った。カメラを仕掛けたが、本当に人間の出入りは可能なのかな?

 或いはネズミとか……でも小動物ならカーテンを閉めるのは不可能。せめて猫くらい大きければ引っ張れるけど、ネズミがぶら下がったって無理だ。

 猫が出入り自由な穴は無かったし。

 

 何か見落としは無いか……

 

 仮に霊だったとして、何故触れたのに清めた塩に変化が無いんだ?あの辺一帯は最近埋め戻した場所だし、アパートも築年数は10年未満。

 自殺や他殺、事故死も確認出来ない。引っ越しをした家族にも死んだ人は居ない。情報通の住人からも幽霊騒動は聞けなかった。

 手掛かりは日記の書き込みと前住人の苦情だけだ。コレだけの情報しか無いから直接カメラを仕掛けたんだ。

 僕が調べ初めて一週間足らずで二回も異常を確認出来た。ならば直ぐに尻尾を掴めるかな?

 駄目だったら、前住人に接触してみよう。

 

「今あの部屋に住んでいるんだけど、何か変なんです。前はどうでしたか?」

 

 嘘は言ってないから平気だろう。右手でコメカミを揉んで凝りを解す……週末には晶ちゃんも来るから見通しだけは立てておきたいんだ。

 

「正明さん、お風呂出ましたよ。お疲れですか?肩でも揉みましょうか?」

 

 入口に風呂上がりの結衣ちゃんが立っている。お気に入りのヒヨコ柄のパジャマを着て片手に携帯電話を持っている。ん?携帯電話?

 

「大丈夫だよ。少し目が疲れただけだから……いや老眼じゃないよ、眼精疲労だからね」

 

 トコトコと近付いてきて隣に座る。結衣ちゃんから甘いミルクの様な匂いが……ボディソープの香りかな?

 湯上がりでほんのり赤くなっている彼女は、とてもロリ心を揺さぶる。前をボタンで留めるタイプのパジャマだから、胸元も少しだけ見えるし……

 

 なっ?結衣ちゃんがブラトップをアンダーに着てるだと?

 

「そっそれで?何か有ったのかい?」

 

 余り凝視しても不信感が募るだけだ。わざとらしく咳払いをして話題を振ってみた。

 

「はい、例のミンさんからメッセージが……これです」

 

 携帯電話を操作しメッセージboxから「ユイへ」とタイトルが書かれたメールを開く。勝手にユイとか呼び捨てるな!

 

「こんばんは。例の部屋だけど動きが有ったよ。新しい住人が来たんだ。キモい中年オヤジと娘二人の三人家族。

母親は離婚したって言ってたけど逃げられたんだって。笑っちゃうよね!また何か有ったら教えるよ。ユイは何処の学校行ってる?」

 

 あの餓鬼……僕をキモい中年オヤジだと?嫁に逃げられただと?有る事無い事、捏造しやがって!しかもさり気なく結衣ちゃんの個人情報を探りやがって。

 

 ヨシ、呪うか。

 

「コレって今日の出来事ですよね?正明さんはキモい中年オヤジじゃないのに酷いです!」

 

 僕の太股に片手を添えて見上げてくる。良かった、結衣ちゃんは僕を優しいお兄さんと思ってるんだね?なら後10年は戦えるよ!

 でも何時の間に、そんな男心を掴むテクニックを?

 

「やはり、あのニートっぽい奴が怪しいな。今日の今日で捏造してるけど最新情報は知らないだろ?しかし……」

 

 どうやって懲らしめるか?いや、奴がどうやって部屋に出入りをしてるかだ!僕のシャーペンの芯トラップがバレてるのか?

 確かに昼間に廊下で仕込みをしてたから、見られている可能性は有るな。コロンブスの卵的に玄関から合い鍵で出入りしてますじゃないよな?

 

「正明さん、お返事どうしましょう?学校名とか聞かれると流石に気持ち悪いです」

 

 結衣ちゃんが珍しく凄く嫌そうな顔をしている。この優しい娘が、こんな顔をするのは余程嫌なんだな。

 

「無難に返事をしようか?そのキモい中年オヤジってどんな人か聞いてよ。

それと学校は近くの公立中学にしよう。何も真実を教える必要は無い」

 

 共学の中学なら素人さんじゃ調べられないだろ?人数が多いから。逆に奴は結衣ちゃんの制服姿を見ている。

 同じ学校で同じ名前なら結衣ちゃんがユイと気付くかも知れない。ここは慎重に話を進めるか……

 

「分かりました。あの辺だと平成中学校になるのかな?最初のメールでも近くに通うって書いたから」

 

「公立は学区が有るから調べないと駄目だね。部屋のパソコンで調べるか」

 

 自分の部屋に行こうと立ち上がる。

 

「正明さん、私の部屋のパソコンで調べましょう。直ぐにメール打ちますから丁度良いですし」

 

 はにかみ笑顔の申し入れは破壊力が有ります。オジサンたまりませんです、ハイ。

 彼女の後ろに付いて行って部屋に入る。殆ど入った事の無い結衣ちゃんの部屋は甘い匂いが充満している……

 机に座りパソコンを立ち上げる間、手持ち無沙汰に周りを見回す。僕は布団派だが結衣ちゃんはベッド派だ。

 真っ白なシーツに低反発枕、それに羽毛布団だ。

 ベッドの上には僕が無理を言って手に入れた、某保険CMのデカいアヒルぬいぐるみが鎮座している。

 だって保険代理店の入口に置いてあるアレを嬉しそうに撫で回してたから。他にはクローゼット二つに本棚、勉強机にテレビにDVDデッキ。

 全体的にライトグリーンで統一された部屋。余り物色しては駄目なのでパソコンが立ち上がったのを確認してGoogleのキーワード検索をお願いする。

 

「横須賀市・平成町・学区・中学かな。このキーワードで検索してくれる?」

 

 カタカタと文字を打ちエンターを押す。ヒット数は1153件か……随分と多いな。

 結衣ちゃんが一番上をクリックする。横須賀市立中学校学区一覧、当たりだな。

 スクロールして貰い平成町1丁目から5丁目に該当する中学校を探す。

 

「正明さん、有りました。横須賀市立平成中学校……新設校らしいです。共学ですから問題無いですね」

 

 結衣ちゃんの示す画面には創立9年目、共学。鉄筋コンクリート造・地上三回建・体育館・プールも有るのか!

 因みに国道沿いに有るので防音サッシ+冷房完備となっている。最近の中学校って贅沢なんだな。

 

「そうだね、間違い無さそうだ。じゃ返事を書いてくれるかい?」

 

 分かりました、と携帯電話を開きサイトに接続する。ミンの書き込みをクリックして返信フォームを開く。

 

「今晩は。そのお父さんってどんな方ですか?私のお父さんはもう居ないから気になります。

何か異変が有るのでしょうか?因みに私は横須賀市立平成中学校に通ってます。

二年生ですよ。   ユイ」

 

 両手で携帯電話を持ちカタカタと文字を打ち込む結衣ちゃん。打ち込む速度は早いです。

 僕に書いた文章を見せて確認を取ってから送信した……

 

「有難う、結衣ちゃん。返信が来たら教えてね」

 

「分かりました。でも失礼な人ですよね?正明さんをキモいとかオヤジとか……私、この人嫌いです」

 

 嬉しくて結衣ちゃんの頭をクシャクシャと撫でる。

 

「ありがとう。おやすみ、結衣ちゃん」

 

「えへへへ、おやすみなさい」

 

 おやすみの挨拶を交わして部屋を辞する。少し心が温かくなりました。さて、風呂に入って寝ようかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目覚まし時計の電子音で目を覚ます。時刻は7時丁度だ。あと10分位は布団の中で幸せを噛み締められる。

 ウーンと丸まって全身で僅かな二度寝を堪能する。昨日は結衣ちゃんと大分触れ合えた。

 少しだけ積極的になった気がするのは気のせいかな?明らかに結衣ちゃんは僕に好意を抱いてる。

 

 間違い無い!

 

 だがしかし、それが家族愛か友愛か情愛かは分からないが……普通に考えても家族愛か友愛だ。

 でもプラスの感情で接してくれるだけで嬉しい。静願ちゃんは間違い無く父性を求める家族愛。

 

 晶ちゃんは友達だから友愛だ。

 

 桜岡さんは……最近もしかして僕が好きなんじゃないかな?って思う時が有る。

 まさかあれだけの美人のお嬢様が、ムキムキのオッサンが好きとは思えないんだけどね。それは自惚れ過ぎるだろ?

 

 亀宮さん?

 

 うーん、きっと亀ちゃんの妨害を苦にしない僕が珍しいんだろう。お供の連中には子種を狙われてるけど、無理だなぁ……

 

 胡蝶さん?

 

 胡蝶さんはデレ期が続いてくれれば良いと思います。さて女性相関図を思い浮かべ終わった時点で7時10分を過ぎた。起きるかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「おはよう、結衣ちゃん」

 

「おはようございます、正明さん」

 

 身嗜みを整え顔を洗いキッチンに向かう。結衣ちゃんがフライパンでオムレツを作っているのを見ながら紅茶の準備をする。

 今朝はハムとチーズのオムレツらしい。器用にフライパンを操りながらオムレツを裏返している。

 大きめのポットに茶葉を入れてお湯をたっぷり注ぐ。暫くは蒸らしだ。次にトースターに6枚切りの食パンを……

 

「結衣ちゃんは食パン1枚で良いのかな?」

 

「はい大丈夫です」

 

 フライパンからお皿にオムレツを移している。朝食のメニューはハムチーズオムレツ・レタスと新玉ねぎのサラダ・ミートボールだ。

 茶葉が十分開ききったのを確認しカップに注ぐ。僕は角砂糖を3つ、結衣ちゃんは2つ。焼けた食パンにマーガリンを塗れば準備完了。

 

「「いただきます」」

 

 先ずはオムレツにケチャップを付けてから食べる。うむ、美味い。結衣ちゃんの料理の腕はメキメキと上達してる。

 やはり料理上手は嫁の条件の上位だ。結衣ちゃん、君は素晴らしい!

 

「正明さん」

 

「何だい?」

 

「実はミンさんから返事が来まして……」

 

 随分と早いレスだな。女子中学生とモバ友になれたから浮かれてるのか?

 

「それで何か新しい情報でも有ったのかい?」

 

 アレ、何だろう?少し困った顔だな……

 

「それが、その……携帯電話のアドレスが書いてあって、私の画像を直アドに送って欲しいって……」

 

「うん、呪うか」

 

 あの餓鬼、結衣ちゃんの画像とアドレスが欲しいだって?調子に乗りやがって。

 

「だっダメですよ、正明さん。呪うかなんて言っちゃ。それに凄い良い笑顔ですよ……」

 

 ああ、しまった。内緒でヤルべきだよね。

 

「HAHAHAHAHA!大丈夫だよ、結衣ちゃんは安心してモバ友解除ブラリ登録を速やかにするんだ」

 

「えっと、正明さん胡散臭い外人みたいですよ」

 

 ニコニコと笑ってくれた。正直、ミンとニートが同一人物と確定出来たから結衣ちゃんがメールのやり取りをする必要は薄い。

 潮時かな……

 

「結衣ちゃん、もうミンの特定も出来たから十分だよ。後は僕の方で何とかするから嫌なら断ろう。僕が嫌だから断ろう」

 

「そうですよね。規約違反ですよって言って断ります。でもモバ友解除は未だしません。正明さんの仕事が解決するまでは」

 

 こっこれは仕事のハードルが上がってしまった。短期決戦をしなければ、結衣ちゃんに不快な思いを……

 

「そうだね、頑張るよ」

 

 そう言うしかなかったんだ。

 

 

第121話

 

 仕事の為とは言え、結衣ちゃんに悪い虫を付けてしまった。

 

 進藤貴也……

 

 日記にあの部屋の異常を書き込んだネカマ。情報を引き出す為に結衣ちゃんにモバ友になってもらいメールのやり取りをして貰った。

 しかし奴は調子に乗りやがって結衣ちゃんの画像や直アドを要求して来た。もうヤツからの情報は要らない。

 だがガセネタばかりと思ったが、確かにあの部屋には異常が有る。人的か霊的かは分からないのが、僕の力の無さを痛感させられた。

 決め手が無いんだ。せめてビデオに決定的瞬間が写っていれば……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ビデオカメラを設置した翌日。朝9時に部屋に行きデータを入れたメモリーカードを新しい物に交換する。

 見た目では異常は無い。清めた塩も前日と変わらない。窓の鍵は内側から閉まってるし、玄関のシャーペンの芯も変わらずだ。

 だがシャーペンの芯はもう設置しない。

 室内の隠しカメラが玄関部分も捉えているから必要無いだろう。

 最長録画時間は12時間だから夕方にメモリーカードの交換に来なければ。部屋を出る時に302号室の様子を窺うが電気も消えてるし音もしない。

 アイツ、まだ寝てるんじゃないか?事務所に戻りパソコンを立ち上げる。

 郵便受けを確認するも、特に手紙は無かった。FAXも無し。

 冷蔵庫からコーラを取り出し、机に座りメールをチェックする。受信箱には2通、最初のメールは通販サイトからの広告メールだ。

 お取り寄せ食材で良く利用している。もう一通は見慣れないアドレスだ。

 

 誰だろう?クリックして開くとメリッサ様からだった。

 

「榎本さん、お久し振りです。仕事の件で相談が有り空いている日にちを教えて下さい。連絡お待ちしてます。 シスターメリッサ」

 

 うん、見事な位に僕が拒否しないと思ってるね。どちらにしろ返事はしなくちゃ駄目だが、先ずは録画した画像の確認だよな。

 何となく嫌な予感がするので先送りにした。そんな気分じゃないんだよ……メモリーカードをパソコンに差し込み、画像を表示する。

 最初は一番気になる浴室からだ。録画時間は12時間だから八倍速でも90分掛かる。

 カメラを仕掛けたのは3ヶ所だからチェックに長時間掛かる。早送りの画面を見ながら別に録音した方も聞く。

 

 画面に変化は無い……

 

 カーテンを閉めた部屋は薄暗いから昼夜を通して赤外線カメラを設置しているが、画面の鮮明さがイマイチだから単調だ。

 イヤホンで聞いている音もほぼ無音だから辛い。頑張った一本目を見たが異変は見付られなかった……思ったより忍耐が必要な作業だ。

 二本目を見終わった時には昼を過ぎていたが、録音の方は三割位か?普段は夜間のみの録画・録音だが、今回は霊と人間と両方だから。

 どうしても昼間も録画しないと駄目なんだ。

 

 お昼を食べに一旦外にでる。ガチガチに凝った肩をグリグリと回しながら駅前商店街の方へ歩いて行く。

 なだらかな坂を下っていくと駅隣接のモアーズが有り、一階に店を構える回転寿司に入る。手前がレジとテイクアウト、奥に8人程が座れるカウンターが有る。

 時間も無いので太巻きと上にぎり寿司を買う。のんびりと来た道を戻れば見上げる街路樹は桜が満開だ。

 結衣ちゃんと花見の約束もしていたが、今週末が見頃だろうか?風にそよぐ桜を見ると春めいてきた事を実感する。

 八王子は寒かったからな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 事務所に戻り日本茶を淹れて昼食の準備をする。テイクアウトの寿司はどうしても要冷蔵だから、シャリが冷たいんだよね。

 その点は高い寿司屋でも回転寿司でも、ほんのり温かいシャリの上にネタが乗っているから美味い。だから太巻きは電子レンジで20秒ほど温める。

 これで酸味は増すが美味しく食べれるんだよね。モグモグと寿司を食べながら、メリッサ様への返信の文を考える。

 

 今週の平日は水谷ハイツの調査で手一杯だ。

 

 週末は晶ちゃんが遊びに来るから来週以降か……だが今週で動きがなければ、危険だが来週の昼間は部屋に詰めてないと駄目かな?

 いや逆に夜か……不法侵入なら留守を狙うから昼間侵入するだろう。逆に心霊なら夜に活動が活発化する。

 僕の霊感では心霊は無いと思ってるから、夜に泊まる事にしよう。ちゃんと朝から出勤し夕方帰宅のパターンを見せれば、必ず引っ掛かる筈だ!

 

 ヨシ。

 

 ならば来週の昼間は比較的時間が取れるだろう。パソコンを起動させてメールの返信フォームを開く。

 

「久し振りです。今週中は別件で忙しく来週なら昼間は時間が取れます。でも仕事を請けるのは内容によりますからね。連絡お待ちしてます」

 

 ポチッと送信ボタンを押す。彼女は横浜市内が拠点だから比較的近い場所で除霊をしてると思う。

 まぁこの業界に縄張り意識とかは無いけど、天理市とか大きな宗教団体が拠点としてる場所は避けている。

 信者数が半端無いから争っても無意味だ。最後の太巻きを口に放り込み、お茶で胃に流し込む。

 

 うむ、満足じゃ!

 

 朝からずっとパソコン画面を見ながら音が殆どしないイヤホンをしていたので眠い。30分程ソファーで仮眠しようと思ったら電話が鳴った。

 固定電話の方だ。

 

「はい、榎本心霊調査事務所です」

 

「榎本さん?お久し振りね、メリッサです。メール見ましたわ」

 

 うーん、亀宮さんから本名がお鶴さんと聞いていたので、連想して笑いが込み上げてくる。笑うな我慢しろ!

 

「ええ、久し振りですね。何ですか相談事って?」

 

「ちょっと意見を聞きたいと思いまして。出来れば直接お話ししたいんですが……」

 

 電話で済まない話なのか?

 

「メールに書いた通り来週の昼間なら時間が取れますよ。僕も別件で夜は張り付いてますので午後の2時から4時位が丁度良いのですが?」

 

 来週は直接泊まり込みだからな。夜は殆ど寝ないで待機するつもりだ。だから午前中は仮眠に当てたい。

 

「来週の平日の昼間ですか?うーん……出来れば急ぎなのでお手間は取らせまんので、今日これからとか駄目ですか?」

 

 まさか変な所に昼間っから連れ込まないよな?教会の懺悔室とかは嫌だぞ。てか今からか?

 確かに映像チェックだけだし夕方にメモリーカードを交換するだけだが……

 

「うーん、今からですか?まぁ普通の場所なら構いませんよ。夕方には現場に戻るので一時間位しか時間は取れませんが……」

 

「私が変な場所に連れ込むとでも?榎本さんって本当に興味が無い女性には失礼よね」

 

 確かに僕はメリッサ様に性的な興味は1mmも無い。全く無いと断言しよう!だが女性としての敬意を込めた対応はしてる筈だが?

 無理して当日に打合せの時間を取るんだけど。

 

「興味がナニを指すかは知りませんが、節度と誠意を持った対応をしてる筈ですが?」

 

「それでも全く私の魅力を感じさせない対応ってどうなのかしら?インポでも無いし桜岡さんに操を立てるにしては徹底してるわよね。女性に免疫が無さそうな感じなのに……」

 

 メリッサ様の中では僕と桜岡さんが、お付き合いをしてるのか?それは違うが端から見れば、確かにそう思う雰囲気は有るのかな?

 

「話が逸れましたが、何処で会いますか?」

 

 変な方向に話が捻れる前に軌道修正するか。

 

「横浜市営地下鉄線の新羽駅の近くの教会、セントクレア教会にいらして下さい。時間は何時位になるかしら?」

 

 やっぱり教会か……彼女達は正式なエクソシストでは無いが、やはり教会関係者なんだな。

 

「分かりました。それで資料は集めておいて下さいね」

 

「資料?何を集めれば良いの?」

 

 おぃおい、人に相談するのに資料無しですか?なら電話でも問題無いでしょ?

 

「どう言う仕事か知らないけど、配置図・周辺地図・現場写真・依頼の内容・出来れば依頼書・ネット環境の繋がったパソコンが有ると話が早いと思う」

 

「うーん、分かりましたわ。集められるだけ集めますけど、何時位にこれるの?」

 

 ちょっと待ってと言ってパソコンで検索する。横浜市営地下鉄なら京急線の上大岡駅で乗り換えが出来るから、横須賀中央駅からだと……約40分か。

 セントクレア教会の場所をGoogleで検索すると、大体徒歩で15分かな。今から出れば余裕を見て一時間半だから

 

「二時半には行けるかな。取り敢えず新羽駅に着いたら電話するけど、前に貰った名刺の携帯電話の番号で良いかな?」

 

「分かったわ。本当は仕事中は携帯電話使えないんだけど……では宜しくね」

 

 そう言って一方的に切られた。仕事中?電話が使えない?やはり教会で働いているのか?

 女性のプライベートを詮索するのは良く無いと割り切り、出掛ける支度をする。念の為、メモリーカードを持って帰りに直接水谷ハイツに寄る準備もするか。

 メリッサ様の相談事が面倒臭くなければ良いんだけどね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 準備をして事務所を出たのは1時を過ぎていた。急がねば……

 平日の昼間の快速特急は流石に空いている。三駅目の上大岡駅で乗り換えだが20分程度の睡眠時間が取れる。

 麗らか春の日差しを背中に浴びて少しだけ寝てしまった……逆に乗り換えたら地下鉄だから景色も見れず延々とコンクリートの壁を見るだけ。

 途中から地上に出て降りた新羽駅は高架駅でした。地下鉄線なのに高架橋とは如何に?

 改札を出ると開けた駅前ロータリーになっており、どっちに行って良いのか分からなくなって地図を見る。

 

「線路がこうで、こっちが上大岡駅だから……ああ、この県道を海側に向かえば良いのか」

 

 地図を片手に歩き出す。そうだ!メリッサ様に電話するんだった。予め登録しておいた番号を呼び出しコールする。

 

 あれ?出ないな……

 

 10回コールして出なかったので仕方無くセントクレア教会へ向かう。着歴が有れば嘘はついてないから平気だろ?

 そうして歩く事10分、僕は有り得ない光景を目の当たりにした……セントクレア教会は比較的小さな教会だった。

 歴史を感じる木造モルタル塗のモダンな教会。掲示板には日曜礼祭や聖書の一節が標語として貼られている。

 綺麗に清掃されて花壇には僕には名前が分からない花が咲き誇っている。正直な意見を言えば、聖域として機能している立派な教会だ。

 此処まで清められた空間は中々無いぞ。

 

「そこの肉の塊の不審者!いい加減コッチを向きなさいよ。何を呆然としてるのかしら?」

 

「いえ……立派な教会ですね。これだけ清められた空間を維持してるのは素晴らしい」

 

 僕の目の前にメリッサ様と思われる女性が居る。だが当人かを確認する為に、もう一度携帯電話を鳴らしてみた。

 

「何を人を目の前にして電話なんて……あら?何故目の前の人に電話をかけるのかしら?さっきは忙しくて気付かなかったのは悪かったわよ」

 

 僕が携帯電話を切ると、目の前の女性が持つ携帯電話の呼び出し音も止まった。

 

「メリッサ様ですよね?」

 

「私以外に誰が居るのよ?」

 

 暫し見つめ合う男女。メリッサ様は修道女の姿では無く……スエット上下にエプロンを付けている。

 スッピンらしく長い髪を無造作に後ろに束ねていて、まるで保母さんみたいだ。

 

「あの……メリッサ様の本業は保母さんだったんですね?」

 

「ここは叔母が経営する保育園なの!普段は手伝ってるのよ。悪い?」

 

 肉感的修道女で、お金に執着心の強いメリッサ様が保母さん?ギャップが凄過ぎです。

 

「ほら、驚いてないで中に入りなさいよ」

 

 スタスタと先導する彼女の後ろに付いて行く。確かにお寺も幼稚園を副業とする場合も有るから変じゃない。

 小さな運動場を横切り職員室と思われる部屋に入ると、何人かの保母さんの注目を浴びてしまった。

 

 そりゃ筋肉の塊が来ればビックリするよね?

 



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第122話から第124話

第122話

 

 突然、保育園の職員室に現れた厳つい筋肉。キョドる保母さん達。

 

「ほら、こっちよ。園長室に行くわよ」

 

 スッピンなスエット上下のお鶴さん、もといシスターメリッサ様。

 

「ああ、そうですね。皆さんこんにちは、お仕事中失礼します」

 

 ズンズン先を行くメリッサ様の後に付いて園長室に入る。他とは違う重厚なチーク材の扉で表面に十字架が貼り付いている。

 流石は教会と言う所かな?中は6畳程の広さの洋間になっており、手前左側が応接セット正面が園長先生のデスクだ。

 其処には品の良い初老の女性が座っていた。彼女がメリッサ様の叔母さんかな?

 修道女姿で眼鏡を掛けた……ぽっちゃりさんだ。

 

「ソファーに座ってて。叔母様、彼が話していた榎本さんよ」

 

「ええ、話は亀宮さんから聞いてますよ。八王子の件では鶴子が大変お世話になったそうで、有難う御座いました」

 

「叔母様、鶴子とは呼ばないでって言ってるでしょ!」

 

 今、サラッと色々考えさせられる情報が有ったぞ。亀宮さんから除霊の事を聞いたって言った。自分の姪っ子じゃなくて亀宮さんからと。

 あの当世最強の亀宮一族の当主と簡単に話せる立場なのか?

 一族総出でバックアップし且つ監視もしてる連中が、幾ら姪っ子と幼馴染みだからと言って気安く話させるのか?

 周りが許すとも思えない。それに彼女も業界の関係者なんだな。わざわざ僕を呼び出した真意は何だろう?

 

「いえ、お世話なんてそんな事は……今日は仕事の件で相談事だと聞きましたが?」

 

 さり気なく周りを観察する……この部屋は変だ。入った時に違和感が有ったんだ。良く見れば変な造りをしている。

 部屋が円形だし床が大理石貼りで金属の目地が走っている。

 

 まるで魔方陣の様な模様だ……しかも窓には鉄製の飾り格子が嵌め込まれている。

 

 天井だってシャンデリアが……天井の模様も魔方陣になってないか?

 

 シャンデリアを形成してる飾りにも、さり気なく十字架がぶら下がってる。分かり難いが床と天井の両方が魔法陣になっていて、装飾品の殆どが何かしらの結界用具だ。

 西洋では鉄は魔を祓うと言われている。此処って悪魔祓いに使用するか、相手を呪術的に拘束する部屋かな?

 生半可な魔なら中に入れないし、入ったら出れないぞ。

 

「榎本さん、先ずは座って下さい。色々気付かれたみたいですね。話に違わぬ有能さ。鶴子さん、お茶とお菓子を用意して下さいね。一番高級な物ですよ」

 

「叔母様!また鶴子って……全く……」

 

 ブツブツ言いながらメリッサ様が部屋から出て行った。デスクから立ち上がり、僕にソファーを勧め向かいに座る。

 この女性、嫌な感じがヒシヒシとするんだ。柔和な笑顔だし、所作にも不審な点は無い。

 年相応に衰えた体力と思うから、肉体的には僕が圧倒的に有利。でも、でも呑まれてるんだよ。

 

「大分警戒されてますね。榎本さん、色々気付かれたみたいですが心配しないで下さい。どうこうするつもりは有りませんから」

 

 にこやかな笑顔だが、目が笑ってないんだ。この老女、何を考えてるんだ?

 

「さて、僕もどうこうされるつもりも有りませんが?ご用件を伺いたいですね」

 

「鶴子がお呼びしたのは、アレの仕事が行き詰まったからよ。

普段は私に相談するのだけど、コソコソと貴方に連絡してたから紹介しろって言ったの。ほら、パソコンも用意してるわ」

 

 確かに応接セットのテーブルに不自然にノートパソコンが置いてある。しかも無線ランのが。

 無意識に左手首を触ってしまうが、特に胡蝶の反応は無い。彼女なら危害を加えられれば問答無用で乱入する筈だ。

 

「メリッサ様の叔母さんと言う事は柳さんと呼べば良いですか?」

 

 目を細めた、この切り返しは駄目だったか?

 

「ふふふ、鶴子の本名も知ってた事を考えると梢ちゃんから聞いたのかしら?あの娘が無警戒で誉める方がどんな人か見たかったけど、子供の頃の話までしてるなんてね」

 

 見極め?詮索?秘密を抱える僕には嬉しくない事だ。亀宮さんが言い回ってるとは思いたくないが、もしかして僕は詰んだ?

 

「仕事中に世間話とかは出来ませんでしたが、手紙の遣り取りをしてまして……

そこでメリッサ様との馴れ初めを知ったんですよ。亀宮さんは僕を過大評価し過ぎてますから……困ったものです」

 

 そう言えば手紙の返事出してないや。でも手紙だと一族の連中に検閲されそうだな。個人用携帯にメールした方が良いかな?

 

「鉄壁の聖女を口説き落とした男にしては控え目ね。あの一族は当主の直系子孫は居ないのが当たり前だから、相当な騒ぎよ。

過去の現当主の子供達は全て強力な術者だったそうだし。あの霊獣を抑えられるだけでも異常なの。これから大変よ貴方は」

 

 やっぱりだ!しかも悪い方向へぶっ飛んでるし。

 

「僕と亀宮さんは仕事上の付き合いが有るだけです。確かに良い娘さんですが、そう言う事は……」

 

 個人的に亀宮さんは友達付き合いなら、喜んで申し込むだろう。でもロリな僕が彼女に恋愛感情を持つ事は無い。

 子種が欲しいって言われても、亀宮さんじゃハッスルしないよ愚息は。ああ僕は最低の思考をしてたな、ごめんなさい。

 

「無駄よ。あの一族は強引だから、頑張りなさい。応援してあげるわ」

 

 どっちをだ?どっちを応援するんだよ?

 

「結構です、頑張るつもりは有りません」

 

「貴方、本当に変わり者ね。権力とお金と美女がセットなのに、頑なに断るなんて……何が不安なのかしら?」

 

「なっ……」

 

 不満じゃなくて不安って言ったぞ。彼女に不満じゃなくて、僕に不安が有ると言った。この人、何を考えている?

 何を気付いてる?ナニを知ってるんだ?

 

「禍々しい力と神々しい力が渦巻いてるわよ。貴方に憑いたモノは……なる程、亀ちゃんでも躊躇するわね。

悪魔でも上級の気配なのに貴方は平然としてる」

 

 胡蝶に気付いてるのか!

 

「それで柳さんは……」

 

「お待たせしました。お茶ですわ」

 

 鶴子さん、空気よんでよ!今一番大切な事を聞こうとしたのに……テーブルの上に珈琲と何故か山下清三郎商店のエントツケーキを並べている。

 

「榎本さん、私のお話はお終い。鶴子の相談に乗って下さいな」

 

「叔母様、榎本さんと何を話してたのかしら?」

 

 メリッサ様の問いにケーキにパクつく事でかわす柳さん。どうやらメリッサ様は知らないみたいだな。

 

「世間話だよ。それでメリッサ様の相談事って何だい?」

 

 早くこの場を立ち去った方が良いと思い、当初の相談事を聞いてみる。

 

「何か誤魔化されてるみたいな?まぁ良いわ。実は場所が問題なんですが……」

 

 彼女の相談を纏めると場所は言えないが、ある山小屋に泊まると特定な条件下で泊まった人が死ぬ。

 原因は不明だが時期を問わず餓死らしい。原因として考えられるのは、50年以上昔だが最初の遭難者が山小屋で遺体で発見された。

 彼は足を怪我しており自力下山が出来ずに、山小屋に避難し餓死した。当時の山小屋には緊急用の薪や毛布は有れども保存の難しい食料などの備蓄は無かった。

 保存しても獣が荒らして逆に良くないから。それに場所も登山から最初の避難小屋だから麓まで近いのも災いした。

 その後、何人もの登山者が不自然な餓死をするので閉鎖した。しかし何故か呼び寄せられるのか単独の登山者が必ず犠牲になる。

 過去に何回もお祓いをしたし調査で寝泊まりもしたが原因究明には至らず。因みに犠牲者は単独以外の共通点は見当たらず。

 確かに犠牲者リストは老若男女を問わず時期もマチマチだ。一見して共通点は見当たらない。

 しかも調査の時に現れないなんて用心深いな。因みに定期的に何人かのパーティーを組んで捜索に当たるらしい。

 

「厄介だね。原因究明には独りで泊まらないと駄目かもね」

 

「そうなんですよ。しかも除霊費用が安いんです。100万円ですよ。うら若き乙女を危険に晒して100万円?有り得ないですわ」

 

 メリッサ様、まさか泊まる気なのか?この手のゴーストハウスは危険だよ。しかし見取り図を見ると本当に10畳程度の小屋だ。

 間仕切壁も何も無い。トイレも無い。写真を見れば室内には薪ストーブに収納ボックスだけだ。

 収納ボックスの中にはランタンや毛布、マッチ類が入ってるんだろう。

 周辺の地図や写真を見て思うのは、尾根の下側に立っていて雨風が防げる立地なんだろう。廻りにも石垣が積んで有り強度は大した物だ。

 だが建物自体はログハウスっぽく丸太の組合せに板張りの屋根に飛散防止の石が置いてある。

 基本的に窓にはガラスがなくて木製の観音開きだ。資料には50年前から補修を繰り返して現在に至るそうだ。

 近くに新しい避難小屋が有るのに、誘導看板も無い此方に呼ばれるのか。

 

「どうですか?何か良い案は有ります?」

 

 じっと資料を見ている僕に話し掛けるメリッサ様。

 

「何故、この仕事を受けたんですか?メリッサ様は浄化系の霊能力者でしょ?この手の案件は一見小屋に潜む霊を祓えって事だけど……

しかも都会大好き文明の利器大好きなメリッサ様が山小屋なんて変だよ」

 

 グッと言葉に詰まってるけど聞いちゃ駄目だった?冷めた珈琲を飲んで喉を潤す。

 砂糖はステップタイプを一本しか入れてないから苦いな。山下清三郎商店のエントツケーキを食べる。

 コレって最近横浜ポルタに出店した老舗洋菓子屋の看板メニューだ。

 カップケーキの中をくり抜きクリームを詰めてスポンジで蓋をした、美味しいけど食べ辛いケーキだ。

 

「ちょっとお世話になった方からの紹介で断れないのよ。でも山登りをして独りで山小屋に泊まるなんて嫌!代わりに榎本さん請け負ってよ」

 

 おぃおぃ、義理で請けたんだろ?僕に押し付けて上前跳ねるのか?だけど解決は簡単だよ。原因究明さえしなきゃ。

 

「請けても良いけど簡単だよ」

 

「あら、どこが簡単なのかしら?鶴子は運動音痴だから独りで霊と対決なんて無理よ」

 

 柳さんも話に喰い付いてきたな。

 

「柳さんならどうしますか?」

 

 本家?エクソシストの意見を聞きたいな。

 

「私?私なら勿論独りで泊まるわよ。床や壁一面に魔法陣を書いて迎え撃つわ。でも鶴子には無理ね」

 

 エクソシストって運動神経が良くないと駄目なの?だが、この人は用意万端準備してから対峙する、嵌め技が得意な気がするな……

 イメージでは悪魔に取り憑かれた人を椅子に縛り付け清水や十字架で脅して、悪魔の本名を聞き出すんじゃなかったっけ?

 しかし柳さんのメリッサ様への評価って低いんだな。

 

「メリッサ様でも手配出来ますよ。何、内容は簡単だけど準備は大変かな」

 

「手配?なによ、そのニヤニヤした顔は!」

 

「ほぅ、鶴子でも簡単って手段を聞きたいわね」

 

 本当に簡単だ。霊能力者じゃなくても除霊する手段は色々有るんだよ。

 

「簡単ですよ。この山小屋は新しいのが出来てるから不要なんですよね。

周辺写真や地図を見る分には岩山の陰にひっそり建っている。ならば放火して燃やせば良いんですよ。簡単でしょ?」

 

「「はぁ?放火?」」

 

 あれ、そんなに吃驚する事かな?キリスト教って魔女狩りで火炙りとか沢山したじゃん。火炙りで悪魔を祓ったんでしょ?

 

「火はそれだけで浄化作用が有る。山小屋は木製だし廻りに飛び火する心配も無い。

完全に燃やして跡地に清めた塩を大量に撒けば完璧です。ただし手続きと言うか準備は入念にしなければ駄目ですね」

 

「そっそんな……そんな事で何とかなるの?駄目よ放火なんて!」

 

「うふふふふふ。榎本さんって本当に面白いわ。

事務能力に長けて慎重な性格って聞いてたけど、発想は大胆じゃない!

良いわね、その入念な準備も教えて欲しいわ」

 

 叔母と姪っ子から両極端な感想が来ました。しかも柳さんは乗り気だ。

 放火と聞いて目が爛々と輝いてやがる。実は黒魔術とか使うんじゃないだろうな?

 

 

第123話

 

 山小屋の怪。

 

 登山者を呼び込み何故か餓死させるという、曰く付きの怪談話だ。だが原因も何となく分かっているから犠牲者を出さない様にすれば良い。

 だから小屋ごと燃やしてしまえって提案した。火は魔を祓うには最適だ。

 でも常識的からかメリッサ様は反対し、柳さんは喰い付いた。メリッサ様は当初の肉感的なコスプレ修道女のイメージからかけ離れたよ。

 まさか普段は保母さんだなんて。しかも叔母って言う老女だが、とんだ喰わせ者だぞ。

 見た目柔和な園長先生だが、僕が呑まれる程の何かを纏ってるんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「その放火に必要な準備を教えて下さいな」

 

 放火と言った途端に目が爛々としてきた老女。放火が、いや炎が大好きか?

 

「そうですね。簡単に言えば放火は罪ですし、火災になれば消防が動く。事前に消防に相談に行っても除霊だからって放火しますじゃ許可しない。

だから短期間で建物を全焼させなきゃならない。幸い山小屋は火事になっても中々消火活動は出来ない。

だが報道のヘリコプターは来ますね。大体発生から30分以内には来るでしょう。

それ迄に全焼出来るだけの確認を取って、その場を離れなければ駄目だ。警察だって馬鹿じゃない。当日の入山者位は調べる。目撃者も居るかも知れない。

それと時期と天候です。山は天気が変わりやすい。出来れば乾燥して風が強い時が良い。

仕込みに発火材や固形燃料を窓から中に放り込むのも良いですね。一番大切なのは当事者が疑われない事です。

この辺を依頼者に納得させてアリバイを用意すれば良いと思います」

 

 腹を押さえて笑う柳さんに、ポカンと口を開けて呆けてるメリッサ様。話し終えて珈琲を一口。

 

 やっぱり苦いや。

 

「榎本さん、確かに有効ですね。しかし放火魔として捕まらない準備に重点を置くとは……うふふふふ、私がやりたいわ」

 

 やはりこの叔母さん放火に興味がアリアリだよ。火が大好きなんて奴は大抵ヤバい人種だ。

 

「山岳協会が許可をするとは思えませんわ。無理よ、犯罪ですよ」

 

「ならば不審火にすれば良いんですよ。その山岳協会にも秘密で。幸いな事に山小屋には薪も暖炉も有る。

なら過失で火災も有り得ますよね。例えば毛布に燃え移ったとか、ランタンひっくり返して燃料が床に零れたとか……

でも犯人は怖くなり逃げ出した。捕まらなければ問題は無いでしょ?」

 

 まぁそれじゃ報酬は貰えないから、どうしたら放火しても良いか。放火しなければならないかを依頼者に納得させなければならない。

 この辺の交渉が大変で実行自体は大した手間は掛からない。

 

「そうですわね。夜とかに火を付ければ逃走も楽だわ。それに山小屋は比較的麓に近いなら逃げ易いでしょうし。

私の他に口の固い共犯者を何人か用意させて一気に燃やせば……嗚呼楽しそうね」

 

 この老女、実行犯に名乗り出たぞ。私の他って、私が直接火をつけたいんか?でも夜間は有効だな。

 闇はそれだけで逃走の味方だし、麓に降りてしまえば逃げるのは簡単だ。惜しむらくは関係者で無く、全くの第三者を実行犯にしないとバレますよ。

 でも教会の修道女且つ保育園の保母さんが犯人とは考えないか?

 

「鶴子、榎本さんの案を採用なさい。貴女はアリバイ作り、私が実行するから。善意の放火ですからね。うふふふふふ、うふふふふふ……」

 

「それじゃ相手も納得しないですよ。先ずは説明を……」

 

 どうやら相談事は一応解決した様だ。エントツケーキを食べ終わり、クリームで甘くなった口の中を珈琲で流し込む。

 

「メリッサ様、解決って事で帰って良いかな?」

 

「そうね、叔母様がトリップしたから話し合いは無理だわ。榎本さん責任取りなさいよ。

この人、昔から型破りな事で有名なの。最近大人しくなってたのに、また火炙りギャハハーとか騒ぎ出すんだから」

 

 ヤッパリ魔女狩り大好きみたいな人だったのか……本当はもう少し最初の話の続きがしたかったけど、藪蛇にならない内に帰ろうかな。

 

「うん、ごめん。反省してる……でもメリッサ様の問題も解決しそうだからチャラで良いよね?」

 

「榎本さん何時もそうよね。もう少し私に優しくしても良いじゃない」

 

 私怒ってます的に腰に手を当てているメリッサ様。でも最後は笑ってくれた。

 二人して火炙り火炙りと呟く老女から目を逸らし園長室から出る。するとまた他の保母さんから注目を集める。

 

 お辞儀をしながら彼女達の間を通り抜けると、何処かで見た様な人達が?誰だっけ?

 

「お疲れ様、榎本さん」

 

「久し振りね、その節はどうも」

 

 二人の保母さんから話し掛けられた……誰だっけ?知り合いに保母さんなんて居ないぞ。

 

「えっと……どうも」

 

 取り敢えずお辞儀をしておく。保育園の出口までメリッサ様が送ってくれた。

 

「余り参考にならなかったかも知れないけど、除霊(放火)上手くいくと良いね?」

 

 後ろでは子供達がお遊戯を始めた。有名な自己犠牲を厭わないパンの人の主題歌を振り付きで歌ってる。ここがエクソシスト集団の拠点とは誰も思わないだろう。

 

「ごめんなさいね。叔母様がどうしても会わせろって五月蝿くて。言い出したら聞かないのよ、あのババァ」

 

 ははははは、確かに怖い老女だよねって言っておく。本当に底が知れなくて怖いんだ。

 

「でもパソコン使わなかったじゃない。アレで何するつもりだったのよ?」

 

 此方を拗ねながら見上げてくるメリッサ様。そんなにパソコン準備させたのが大変だったかな?

 

「今回は放火一択だったけど本当は色々調べながら話すつもりだったんだ。例えばネットの噂話やGoogleEARTHで周辺の地形を調べたりさ。

でも何であの物件を?お世話になった人の紹介でも人を殺す霊は凶悪だよ。

僕だって怖いから直接祓わず炎で焼き尽くす提案をしたんだ。危険な相手だから油断はしないようにね」

 

 あれ?吃驚した顔だよ?何か変な事を言ったかな?一応心配してるんだけど……

 

「良いわ、許す。今度お礼するわよ、必ずね。それとフローラ達の事分かってなかったでしょ?まるで知らない人みたいな対応してさ」

 

 さっきの二人ってお供の人達なの?するとセントクレア教会ってエクソシストの集団なのか?

 

「メリッサ様、この教会って保母さん兼シスター?エクソシストの団体?」

 

 ニヤリと笑ったよ。あの老女はエクソシスト集団の元締めなんだな!

 

「榎本さんはピンで仕事してるけど、他の人は多かれ少なかれ何らかの集団に属してるのよ。又は比護を受けているわ。

今回の八王子の件で日本最大の亀宮一族の現当主が力を認めた相手は、フリーランスの霊能力者だった。これから色んな団体から接触が有るわよ。

自分の勢力を強める為にね。勿論、私達の所でも大歓迎だから。榎本さんも女性だらけの方が華やかで良いでしょ?じゃね!」

 

 ポンと肩を叩いてメリッサ様は園児の輪に走っていった。園児の手を取り一緒にお遊戯を始めたよ。

 こうして見ると立派な保母さんだよね。

 

 しかし派閥ねぇ……

 

 今まで気にして無かったけど、妙な感じになってきたな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ねぇセンセー。あのクマみたいな人は新しいセンセー?」

 

「ちがうよ!センセーのコレだろ?」

 

「えーセンセーの彼氏は僕がなるんだよ」

 

 園児達は榎本さんの話で持ち切りだ。あんなに大きな人は初めてみただろうから。

 一部不穏な台詞も有ったが、残念ながら旦那様としてはアレは考えられない。悪い人じゃないし霊能力者として力も有る。

 でも好みから30°位ズレてるから。でも仕事仲間としてなら許容範囲内ね。

 あの肉の壁は良い守りになるわ。それに雑務とかも得意みたいだし。先程の話を纏めに園長室に向かう。

 

「失礼します。叔母様から見て榎本さんはどうでしたか?」

 

 デスクに肘を付き顎の下で手を組む悪人ポーズで此方を見ている。何かしら、険しい顔だけど?

 

「鶴子。今後榎本さんには近付くんじゃないよ。アレは危険なモノに取り憑かれてる。

いや取り憑くなんてモンじゃないね。殆ど同化してるよ。

何故、アレだけのモノと同化して平気なのかが分からない。私は怖いよ、怖くて近付けないよ」

 

 さっき迄は普通に対応してたじゃない。どちらかって言えば壊れた叔母様を怖がってたわよ。

 

「何を言ってるんですか?確かに怪しげな力を使いますが、彼は悪い人じゃないですわ!」

 

 この院長室は処置室としての機能も有している。邪悪な存在は入った途端に身動きが取れなくなる。

 どんなに深く取り憑いていても例外は無い。でも榎本さんは普通に出入りしてた。

 

「確かに初見で部屋の絡繰りに気付いたのは大したもんだ。私は試しに幾つかの言霊を飛ばしてみた。結果は全て霧散した……」

 

「言霊って!あれは人に向けては危険じゃないですか!」

 

 私達は神と精霊から力を借りて魔を祓う。悪魔には効果絶大だが、一般人にも多少の悪い影響は有る。無闇やたらと使っては駄目な筈でしょ?

 

「最初は自身が強い力を持っているか、結界や守護霊の働きかと思ったよ。帰るまでは私も中々の男だと思ったさ」

 

 帰るまで?別に部屋を出る時も普通だったわよ。トリップしてる叔母様から目を逸らして出て行ったんだから。

 

「別に異常は……」

 

「鶴子!気付かなかったのかい?あの男の背中から顔を出したバケモノを!

アレは私に向かって首を掻き切るジェスチャーをしたんだよ。巫女服を着た幼女の姿だったけど、禍々しくも神々しい力を放っていた。

注意して廻りを見てごらん。何重にも張った結界が壊されてる。アレは私が宿主に探査系の言霊を使ったのがお気に召さなかったんだ。

次に何かすれば殺す……体ん中にあんなモンを取り憑かせてる奴なんだよ!」

 

 探査系って……何処に居ても場所が特定出来る術じゃない。そんな術をかけられたら怒るに決まってるわよ。

 

「それは叔母様が悪いわよ!そんなストーカーちっくな術をかけられたら誰だって怒ります。

榎本さんは確かに危険なナニかを宿してるのかも知れない。でも彼が危険人物かは別問題よ。大丈夫、悪い人じゃないから平気だって」

 

 確か左手首に隠し玉が有るって言ってたわね。それが幼女の巫女さんなのか……力有る霊を使役出来るのか。

 でも叔母様が怯えるなら、叔母様だけが会わなければ良いのよ。山小屋の除霊が成功したらお礼をしなくちゃね。

 幾ら好みの依頼人から頼まれて断れなかった仕事だからって。成功すれば、玉の輿に乗れるかも知れないのよ。

 ふふふふっ実行犯は叔母様がヤルんだし、今回の私は良い所取りをすれば良いのよ。

 

「目指せ玉の輿!私はセレブになってみせるわー!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 疲れた……何も得る物も無くメリッサ様に助言しに行っただけだった。だが少し情報は貰えた。

 派閥か……小笠原さんや桜岡さんに、それとなく聞いてみようかな。もしも周りから悪目立ちするなら、亀宮さんの派閥に入れて貰うのが良いだろう。

 

 比較的空いてる車内の真ん中辺りの席に座る。車両には乗客は5人しか居ない。

 あと少ししたら帰宅ラッシュになるだろう。あの老女、エクソシストの元締めみたいな奴だ。

 しかも亀宮さんと繋がってそうなんだよな。うーん、一度メールで相談しようかな。派閥争いなんて初めてだから苦手なんだよ。

 元々目立たない様にひっそりと仕事して来たからね。他人との関わりは、例え同業者でも最低限にしてきた。

 

「やっぱ亀宮さん所にお願いするしかないかな?でも子種くれとか怪しい話になりそうだし……」

 

 亀宮さん本人は信用も信頼もしている。でも周りがヤバそうな感じだ。亀宮一族、一度どんな連中か調べてみようか……

 

 

第124話

 

 何故だ?何故全く異変が無いんだ?既に三日間も録画・録音チェックをしているが、異変は全く無い。

 既に40時間近くもパソコン画面を見てイヤホンで殆ど無音の録音を聞いている。退屈で発狂しそうだ。

 

 明日は晶ちゃんが遊びに来るし……

 

 このまま膠着状態じゃ仕方無いから、来週から泊まり込みだな。泊まると言っても寝ないで待機だから、昼夜逆転の生活が始まるのか。

 両手を上げて布団に寝転ぶ。ボフンと受け止めてくれる布団はフカフカだ。うーん、肩凝りが酷いのは目を酷使してるからか?

 

 目と目の間、鼻の上を揉む……

 

 流石に半日ぶっ通しでパソコン画面をにらめっこだったからな。そう言えば最近、胡蝶が大人しいけど……

 

「胡蝶、居るかい?」

 

「何だ、正明?暇つぶしに我を呼ぶな」

 

 左手首の蝶々形の痣から滲み出る全裸幼女。寝転ぶ僕の腹の上にちょこんと胡座をかいている。本性を知っているが、正直愛らしい。

 

「いや、最近見なかったから気になって……」

 

「ふむふむ、仕えし我を思う気持ちは合格だな。我を思うなら早く子供を作らんか!」

 

 藪蛇だったか?だが機嫌は良さそうだ。

 

「うん、まぁ努力します」

 

 やはり風俗と違い結婚前提の子作りには抵抗が有る。愛しの結衣ちゃんとは着々と距離を縮めているが、まだまだ先の話だし……

 せめて高校は卒業させないと、今時中卒が最終学歴は良くない。勿論、専業主婦だから学歴は問題は無いかも知れないが、彼女にも高校生活は体験させてあげたい。

 大学なら学生結婚も有りだろう。逆に要らん虫が湧かないから丁度良い。

 

「そうだ、正明。最近行ったあの教会の腐れババァな。我等の首に鈴を付けようとしたんで〆ておいたぞ。

くっくっく……あの怯えた顔は忘れられん」

 

 教会?ババァ?〆た?セントクレア教会の事か?ババァって柳さん?

 

「ちょ、おま、どう言う事だよ?そんな寛がないで教えてくれよ」

 

 布団にうつ伏せに寝転び足をぶらぶらとする仕草は、お尻が丸見えで大変愛らしいのです。しかし話す内容が物騒極まりない!

 

「正明も気づいてたろ?あの部屋の仕掛けには。我は正明が崇める事により善に傾いておる。

本来は祟り神だがな。あの程度の結界で我を捉える事は出来ぬ。

あのババァ、反応せぬのを良い事に帰り際に我等に首輪を付けようとした。

だから術と張られた結界を全て壊して脅したのだ。こう、クイッとな」

 

 チシャ猫みたいな笑顔で首を掻き切る仕草をしたけど……それって、その仕草を柳さんに見せたの?

 

「あの……胡蝶さん?その仕草を柳さんに見せたのかな?どうやって?」

 

 うわっ?僕の体に潜り込んだぞ。

 

「こうやって上半身を背中から現してな、クイッと脅したのだ。哀れな位に怯えておったぞ。

自慢の結界を破られ術を弾かれたのだ。最後通告だと思ったろうな。もうチョッカイも掛けてこないだろ」

 

 腹の上に上半身だけ生やした胡蝶さんが、ご機嫌で教えてくれた。でも、それって苦労して隠している胡蝶の存在がバレたんじゃ?

 

「それって胡蝶の存在がバレたんじゃないのか?」

 

「安心しろ、正明。ちゃんと服は着ておいた。何の問題も無い」

 

 いやいやいや、大問題だろ?そんな強力な存在を体から生やすなんて、僕は一躍有名人だ!

 

「ななな、何で?」

 

「まぁ聞け、正明。既にお前の存在は注目されておる。

お前は気付いてないやもしれんが、何人かの霊能力者達が近くに徘徊し探査系の術や陣を仕掛けておる。

勿論、我が居る故に不発じゃがな。だが奴らはそうは思うまい。正明、お前が強力な術者として認識されるだろう。

ならば我の存在を隠すのは危険だ。人間は限界が有るからな。正明単体なら直接仕掛けてこよう。

靡かねば暗殺も考えられる。だが我と言う存在が正明の守護霊か使役霊と思われれば違ってくる。

契約次第では人間以上の力有る存在を使役出来るからな。亀が良い例だ。あの取り憑かれてるポヤポヤより遥かに力強い」

 

 胡蝶さん、心配してくれるのは大変嬉しいです。確かに700年位前なら、そんな物騒な考えも有りだったんでしょう。

 しかし現代で他勢力に行く位なら殺してしまえって、短絡的な集団が有るかな?まぁ現代に当て嵌めても……

 僕は既にマークされていて、勧誘を断ればパワーバランスの問題で嫌がらせ位はされるかも知れない。

 でも亀宮さんの亀ちゃんみたいに人智を超えた強力な存在が憑いていれば、簡単には手を出せないから大丈夫みたいな?

 何だよソレ、全く迷惑以外の何物でもないな!

 

「有難う、胡蝶。僕も何処かの派閥に入った方が良いのかな?単独だと限界が有りそうだし……」

 

 有力なのは亀宮さんの所だけど、まさか彼女か彼女の一族はコレを見込んで話を広げた?いやいや亀宮さんは、そんな考えは無い。

 あれは聞かれたら善意で僕が凄いんだって教えたんだろう。これは早めに手を打たないと危険だ。

 

「なぁ胡蝶?僕は亀宮さんの派閥の末席にでも加えて貰おうと思うんだ。

本来なら胡蝶を主祭神として祭らないと駄目だと思うけど、今から起業しても間に合わないと思うから」

 

 彼女が榎本一族に課す試練は胡蝶自身を崇める事だ。この提案はそれに反している。

 僕の腹から生える彼女に真剣にお願いする姿は、端から見れば滑稽でしかない。

 

「む、我を祭るのを怠らなければ構わん。今お前に死なれては我も消滅するからな。

言った筈だぞ、我と汝は一心同体だと。良かろう、あのポヤポヤに話すが良い」

 

 胡蝶は昔の感覚で取り敢えず大きな木の下に宿れと言ってるんだろう。いずれは宿り木を食い尽くせ位は言いそうだ。

 諺(ことわざ)的に言えば軒先を貸して母屋を盗られる?

 

 さて胡蝶の許可は下りたが、実際にはどうすれば良いのか分からない。亀宮さん本人に派閥に入れてくれって頼めば良いのか、長老と言われる連中に許しを請えば良いのか?

 んー、取り敢えず電話してみよう。確か手書きの名刺が机の中に……デスクの鍵付き引出しの中に有る名刺ホルダーを引っ張り出す。

 

 女性らしい柔らかな文字で書かれた手書きの名刺。

 

 携帯電話と固定電話の番号、それに携帯電話とパソコンのメアドが書かれている。取り敢えず自分の携帯電話のアドレス帳に登録、さて何で連絡するか?

 固定電話は取り次ぎしてくれるか不明だ。彼女本人が出るとは限らない。

 携帯電話をかけるには……既に21時を過ぎてるから一般常識的に急ぎじゃない用事でかける時間帯じゃないよな。

 残された手段はメールだが、パソコンは起動してないと読まれない。ならば携帯電話にメールするか。

 

「亀宮さん、夜分済みません。実は相談事が有り一度話したいのですが宜しいでしょうか?

携帯電話の方に連絡したいので、可能な日時と時間を教えて下さい。此方から電話します。 榎本」

 

 文面もおかしくないな。では送信だ!送信ボタンをポチッと押す。

 

「便利じゃな。これで遠方の奴に連絡が取れるのか?ふむ、昔は遠見の術や言霊を飛ばしたものだが」

 

 肩車の体制で僕の携帯操作を見ていた胡蝶の台詞だが……700年前に遠方に連絡する手段が有った事が凄い!

 

「胡蝶さん、その術って僕でも使え……ウワッ、急に電話が鳴るなよって?あれ亀宮さんだ」

 

 通話ボタンを押す。

 

「もしもし、榎本です」

 

「今晩は、榎本さん。亀宮です。何ですか、相談事って?」

 

 早い早いよ亀宮さん。コッチから連絡するから日時と時間を教えてって書いたじゃん!

 

「今電話大丈夫なんですか?夜も遅いですが?」

 

「大丈夫よ。撮り溜めたビデオを見てるの」

 

 当世最強の女性が、夜に撮り溜めたビデオを見て寛いでるの?変じゃないけど変だ。

 

「へっ、へぇ……何を見てるのかな?」

 

 彼女のイメージならバラエティーか旅番組かな?

 

「水曜どうでしょう?の再放送ですわ。今丁度アメリカ横断編をやってますの。面白いですよね、水曜どうでしょう?」

 

 はい?僕は水曜どうでしょう?とか見た事無いです。

 

「あの、すみません。僕は水曜どうでしょう?って知らなくて……」

 

「えっと、ですね。北海道のローカルテレビ局の旅バラエティーなんですが、毎回大泉洋さんと他の出演者達がですね。

くだらない企画を本気で行うんです。今もですね、アメリカまでわざわざ行ってレンタカーでアメリカ大陸を縦断するだけの……

あの、榎本さん聞いてますか?」

 

「はい、聞いてますよ」

 

 彼女の水曜どうでしょう?談義は一時間以上続いた……飽きた胡蝶は布団で熟睡し、僕は携帯のバッテリーが切れそうになり充電しながら拝聴した。

 

「……で、最新話は羽田空港から四国までカブに乗って行くんですよ!彼等の自由奔放さが羨ましいんです」

 

 最後に彼女の本音が聞けた。やはり絶大な力を持っていても、一族の連中が彼女を良い様に使ってるんだろうか?

 

「亀宮さんの憧れなんですね。彼等の自由奔放さが……僕も何だかんだと、しがらみや付き合いが有りますから本当の自由は無いですね。

それは誰しも多かれ少なかれ有りますよ」

 

「ふふふふっ、榎本さんって話し易いわ。こんなに誰かとお話ししたの初めてよ。

あっ、相談事が有ったんですよね?すみません、私だけ一方的に話してしまって」

 

 漸く本題に入れる。もう22時を過ぎてるけど、亀宮さんは大丈夫かな?

 

「あの、もう22時過ぎてるけど大丈夫かな。何なら後日でも構わないんだけど……」

 

「平気ですわ。明日はお休みですから、榎本さんが良ければ話して下さい」

 

 んー何て切り出すかな。天然さんの彼女だから、直球で言った方が良いか……

 

「実は亀宮さんが言った通りに最近になって僕に勧誘が来るんですよ。派閥へのお誘いです」

 

「流石ですわ!榎本さん程の方がフリーなんて珍しいですもん」

 

 珍しいですもん、と来たぞ。やはり彼女は善意で言い触らしてるんだな。凄く、困るんです。

 

「まぁ僕も自由気ままに仕事をしてましたが、此処に来て派閥の重要性に気が付きまして……

でもお誘いの派閥も良く分からないですし、皆さん亀宮さんに対抗出来る点が重要らしいんです。正直、ウザいんですよ」

 

「ごめんなさい。私が言い触らした所為で、ご迷惑を……」

 

 やはり天然だけど根っこは優しくて頭も良いんだ。ちゃんと自分の所為だと気が付いてる。

 

「僕は亀宮さんと敵対するつもりは全く無いので、出来れば亀宮さんの所の派閥の末席にでも入れて欲しいんです。

図々しいお願いだとは思いますが、勧誘に対して既に亀宮さんの所にお世話になると言って断りたいので……」

 

 体の良い断りの理由に使うのは心苦しいけど、彼女の派閥と言えば勧誘は止まるだろう。

 結局、亀宮さん自身が自分と同等の霊能力者を探して来て引き入れた事になる。彼女の株が上がっても非難される事は無い。

 

「榎本さんが私の家に来てくれるんですか?」

 

「ええ、うっかり亀宮さんと対立してる派閥に属したら大変ですから」

 

 あら、どうしましょう?そうだ、御隠居様達に……いえ、先ずは榎本さんを皆さんに紹介しなくては!何やら電話口で亀宮さんが暴走してるけど大丈夫か?

 

「もしもし、亀宮さん?落ち着いて下さい。もしもし、聞いてます?」

 

「分かりました!私に任せて下さい、ええ戦艦に乗ったつもりで安心して下さい。榎本さんなら即幹部に……いえ、私と同じ」

 

「落ち着かんかい!僕は末席で良いの!亀宮さんの一族のしきたりの大変さや組織の結束の強さは知ってるから。

いきなり素性の知れない男が組織の上位になれる訳ないでしょ?僕は亀宮さんと敵対しない様に理由が欲しいんだ。オーケー?」

 

「ふふふふ、分かりました。大丈夫、大丈夫ですから」

 

 もの凄く不安だ。もしかして僕は早まったかもしれない……

 



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第125話から第127話

第125話

 

 早まったかもしれない。安全・慎重・確実がモットーの僕だが、最近は路線変更も甚だしい。

 直接亀宮さんの派閥に入るんじゃなくて、彼女の派閥の下部組織とかにするんだった。あのハイテンションな彼女に何を言っても無駄な気がするんだよ。

 必ず一族の連中と揉めると思うんだ。

 

「直ぐに紹介します、明日にでもハリーハリーハリー!」

 

 何か混ざっちゃった感じの亀宮さんを宥めすかし、取り敢えず抱えている仕事が解決したら会いに行きますと話を纏めたが……

 既に千葉の総本家に行く事になった。うん、彼女は総本家に住んでるからね。携帯電話を切ったのは23時を回っていた。

 丸々2時間以上も話していた訳だが、正味な話は15分程度だ。後は水曜どうでしょう?の話と、亀宮さんを宥めすかす事に費やした。

 

 疲れた……寝よう。

 

 布団の真ん中で大の字に寝ている胡蝶を抱き上げて左隅に寄せ、隣に潜り込む。布団は大きめの物だから狭くは感じない。

 部屋の照明を消す前に胡蝶を見るが、全く普通の人間にしか見えない。呼吸により薄い胸が上下しているが、コレを一皮剥くとリザードマンみたいな本体が現れるんだよな。

 彼女の事をある程度は広めないと駄目な事になった。つまり僕は所属する長の亀宮さんは当然として、桜岡さん・静願ちゃん・結衣ちゃんに胡蝶を紹介しなければならないんだ。

 隠し玉・切り札とはいえ、美幼女を体に住まわせているのはどうなんだろうか?或いは彼女達の前では成長して貰うとか?

 いや、妙齢な美女を体に住まわせてる方が一般的にはヤバいよな。僕の本性を知らない人なら、幼女の方が娘みたいで可愛いと思ってくれる。

 使役してる(と思ってる)のが美女だと、何を命令するんだよ!とか有らぬ誤解を産みそうだし……

 実際は彼女が主で僕が祀ってるから力関係は真逆なんだよね。安らからな寝息を立てる胡蝶に、そっと布団を掛けてから照明を消す。

 明日は晶ちゃんが遊びに来るんだ。楽しみだけど、結衣ちゃんと仲良くしてくれるかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 正明が寝入ったのを確認してから起き上がる。正明は今は我を怖がらない。何故だ?

 過去に正明にした仕打ちを考えれば、憎くて恐ろしい筈なのに……我の肉体に溺れている訳でも無いのは、無防備な寝姿を見せても反応しない事で分かる。

 全く考えが分からないが、悪い気はしない。一寸前なら正明の感情が手に取る様に分かったし、誘導する事も出来たのだが……

 

「またか……全く鬱陶しいな」

 

 誰かが掛けてきた探査系の術を羽虫を払う仕草で霧散させる。今回の奴は中々力有る奴みたいだな。

 

「ふふふふふふ。今宵は気分が良い。我が直々に相手をしてやるか」

 

 無防備に鼾をかいて寝ている愛しい下僕を見て思う。早く女達をバンバン孕ませて我を崇める一族を育てぬか!

 その為にも余計なチョッカイをかける相手は、我が始末しようぞ。体を液状化させて近くに路駐している車の中に居る術者の元へ移動する。

 スルスルと窓を抜けて建物の外壁を伝い道路に出る。100m先の民家の前に路駐して、未だに此方に術を掛けている奴を発見。

 車全体を我の肉体で囲った後に車内の術者に挨拶をする。床下から持ち上がる様に現れて脅かす。

 

「今晩は、力有る術者よ。何か用かな?」

 

 ニヤリと笑って声を掛けると、一瞬固まりそして暴れだした。

 

「なななな、何だよお前は!アイツの式か?」

 

 流石は中々の術者だな。一瞬慌てたが直ぐに逃げ出す為に行動を始めた。

 

 だが遅い!車は既に我の腹の中じゃ。

 

「なっ?扉が開かない、しかも外の景色が……お前、結界を張ったな?」

 

「違う、我の腹の中じゃ。我は古の盟約により、アヤツが我を崇める限り子孫繁栄に尽力せねばならぬのよ。貴様は邪魔だよ」

 

 台詞の途中から本来の顎(あぎと)を現わす。

 

「ひっ!ワニか?ワニなのか?」

 

 咄嗟に札を構える術者を頭から喰らう。首から上を喰われ、それでも尚動く体を更に飲み込むと下半身だけが残った。

 咀嚼し嚥下すると喰った奴の魂が体に溶け込むのが分かる。また力を蓄えた。だが我の全盛時には今少し足りぬか?

 

「げふ、残りは要らぬな」

 

 術者の下半身が乗ったままの車を結界の底に沈める……我も沈めた先が、何処に繋がっているのかは知らぬ。

 

「これで三人目か。まぁまぁの味だが、もの足りぬのも確かよ。我の舌に合う極上のモノは無いかのう……」

 

 人一人が喰い殺されたのだが、周りにはバレてない。乗っていた車も処分したから追跡のしようもあるまい。

 わざわざ正明が隣に寝かせてくれたのだ。朝までは付き合ってやるか……液状化した体を使い元の部屋へと戻る。

 700年前と街並みは随分変わったが、見上げる月だけは昔のままなのだな。部屋へ戻り布団の中に潜り込む。

 丸太みたいに太い腕を抱えると、良い抱き枕として機能するな。

 

「さて、腹も膨れたし少し寝るとするか……」

 

 人の温かみとは睡魔を呼び寄せるモノなのだな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝7時、目覚まし時計の電子音で起こされる。

 

「うーん、もう朝か……胡蝶?うわっ、そこ?」

 

 バレたら大変な胡蝶を探す。隣に寝ていた胡蝶は僕の腰の辺りに抱き付いて……半分体が埋まっていた。

 ヤバい、色んな意味でバレたらヤバい。幸い結衣ちゃんは余程遅れなければ、部屋までは迎えに来ない。

 

「胡蝶、胡蝶さん。起きて下さい、ねぇ胡蝶さん」

 

 ムニャムニャと目を擦りながら覚醒した?凄く人間らしい仕草だな。

 

「おはよう、正明。朝から一発やるか?」

 

 目を擦った後に両手を上げて欠伸をする。あどけない仕草の割に台詞はビックリなアダルティだ!

 

「いえ、やりません。すみませんが、左手首に戻って下さい」

 

 デレ期の胡蝶は僕に対して凄く優しい。嬉しいのだが複雑な気持ちだ。

 

「我を犬猫の様に扱うな、全く……」

 

 ブツブツ文句を言うが大人しく左手首に戻ってくれた。だが、そろそろ贄が必要かな?八王子以来、食べさせてないからな。

 今回の件は胡蝶好みの案件じゃないから、彼女は興味を引かないだろう。つまり僕だけで何とかしなくちゃ駄目だ。

 布団から起き上がり窓を開けると、雲一つ無い快晴だ!日差しも暖かい。

 少し風は有るみたいだが、花見としては最高だろう。布団を畳み身嗜みを整えてから顔を洗いに洗面所に向かう。

 既にキッチンから良い匂いが漂ってくるから、結衣ちゃんは既に起きて花見の準備をしているのだろう。

 昨夜の内に、晶ちゃんを迎えに行った帰りに国道134号線沿いの桜並木を見ながら交通公園で花見をしようと決めている。

 彼女が筋肉養成術を学びにくるのは分かるが、折角のお客様を迎えるのがベンチプレスじゃ駄目だろ?

 

「おはよう、結衣ちゃん。今朝は早いね」

 

 顔を洗いサッパリしてからキッチンに顔を出す。既に結衣ちゃんは花見用の料理を作っていた。

 鶏肉を何かのタレに漬け込み、揉んでいる。多分だが味付けはニンニクに醤油だろうか?

 他にはウィンナーをベーコンで巻いて可愛い楊枝を刺している。どうやら定番中の定番、唐揚げにウィンナーのベーコン巻きみたいだ。

 

「お早う御座います、正明さん。お昼の支度に時間が掛かりますから……

朝食はオニギリを作って有ります。あと、このお皿のオカズを食べて下さい」

 

 見れば大皿にオニギリが8個、それに玉子焼きとミートボール。アスパラのボイルした物が用意してある。アスパラは辛子マヨネーズを付けるみたいだ。

 

「結衣ちゃんはオニギリ何個食べる?味噌汁は朝餉?夕餉?」

 

 インスタントの味噌汁を作ろうと聞いてみる。赤味噌か白味噌かの違いだけだが……

 

「すみません、私味見でお腹一杯です」

 

 油で唐揚げを揚げるジュワっとした音と芳醇な匂いがキッチンを充満する。

 

「じゃお茶だけ淹れるよ。このオニギリって花見用も入ってる?」

 

「お花見用には茶巾寿司を作りますから、全部食べちゃって下さい」

 

 なんと!茶巾寿司ですと?確かにテーブルには薄焼きの玉子焼きが有るね。

 気合いの入れようが分かる献立だな。実は結衣ちゃんと晶ちゃんは一度電話で話している。

 人見知りな彼女の為に会う前に話してくれと晶ちゃんに頼んだんだ。晶ちゃんはサッパリした性格だし、会話もそれなりに弾んだみたいだった。

 逆に結衣ちゃんを小学生位と思っていた晶ちゃんに呆れられた。独身男性が年頃の女の子を引き取るのはどうなんだって?

 

「いや、ウチに来た時は小学生だったから……」

 

 苦しい言い訳だった。結衣ちゃんの邪魔をしないように、早めに食べて部屋に戻る事にしよう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 9時50分、少し早いが京急線北久里浜駅の改札前に来ている。此処は駅前にバス停と広いタクシー乗り場が有り商店街通りとも隣接してる為、利用客の多い駅だ。

 周りにも本屋・薬局・銀行・パチンコ屋・ファミレス等、一通り揃っている。夜には居酒屋が開き一寸した飲み屋街も有る。

 勿論、お姉ちゃんがお酌して楽しい話を有料でしてくれる店も有る。

 

 だが、ロリコンの僕には不要な店だ!

 

 まだ喫茶店やファミレスの女性店員を眺める方が良い。時刻表を見ると9時52分と10時2分に約束の時間までに間に合う電車が来る。

 晶ちゃんの事だから9時52分の方だと思うんだ。暫く待つと構内放送で下り電車の到着アナウンスが流れた……

 改札に群がる乗降客に混じって晶ちゃんが現れた。手を振って此方に小走りに近付いて来る。

 

 アレ?今日の彼女は普通に美人に見えますよ?

 

「おはよう、榎本さん。初めてまして、結衣ちゃん」

 

 爽やかに挨拶をする彼女を周りの野郎共が見ている。

 

「ああ、おはよう。乗り換え迷わなかった?」

 

「お早う御座います、晶さん」

 

 何故、晶ちゃんが周りの目線を集めるのが分かった。前みたいに男装の衣装じゃないんだ。

 テーラードジャケットにボーダーのTシャツ。ボーイフレンドデニムをロールアップしてヒールのあるローファーを履いている。

 つまり男装じゃなくてボーイッシュな美人さんなんです。僕のあげた数珠を付けて唇も艶が有るからリップ位付けてるのかな?

 此処まで女性らしい晶ちゃんは見た事ないからビックリだ!

 

「じゃ行きますか?折角だから花見をしようと思ってね。結衣ちゃんが料理を作ってくれたんだ」

 

 三段の重箱を包んだ風呂敷を掲げる。これだけで2キロ近い重さが有るんだよね。勿論、食べ切る自信は有ります。

 

「お花見?良いね、向こうでも満開だったけど中々見に行けなくてさ。でも、そんな重箱弁当を食べ切れ……るよね。榎本さんだもの」

 

「岱明館の料理は、どれも美味しかったよ。親父さんとは少ししか話せなくて、ちゃんとお礼を言えなかったけどね。晶ちゃんから言っておいてよ」

 

 あれだけの腕が有れば、建物自体は古くても客はくる筈だし。温泉も源泉掛け流しで良かったからな。

 ただお洒落じゃないから、若い女性客には不評かも知れないな……

 

 三人で並んで歩き始める。

 

 僕が車道側で、結衣ちゃん晶ちゃんの順番だ。本来なら両手に華とかだが、エスコートするなら危険な車道側は男だろ?

 

「あれ?親父って榎本さんと話した事有ったっけ?最後の見送りの時だけじゃない?」

 

「うん?ああ、手を怪我した時にさ。わざわざ大浴場まで様子を見に来てくれたんだよ。

入れ替わりで出たから少ししか話せなかったんだ。無骨だけど優しそうな親父だよね」

 

 そう言うと、晶ちゃんは嬉しそうに笑った。きっと家族仲は悪くないのだろう。

 目的地に向かい国道沿いを歩くと、風に吹かれて舞う桜の花弁が綺麗だった……

 

 

第126話

 

 駅から桜並木が綺麗な国道134号線を歩いている。既に満開で風によって花弁が散っている様は幻想的だ……

 しかも結衣ちゃんと晶ちゃんと言う美少女二人を連れている僕は勝ち組だ。周りの目線は羨望・嫉妬・賛美・畏敬の念が込められているかな?

 

 ふはは、良い気持ちだ!

 

 目的地の交通公園は、のんびり歩いても10分位。晶ちゃんの訪問理由はマッスルなボディになりたいらしい。

 そのアドバイスを貰いに来て、序でに我が家のマッスル育成器も見たいそうだ。だから歩きながら予備知識を説明し、彼女がどの程度の理解をしているのかを確認する。

 だが今日のコーディネートを見ても、野暮ったい男装の他にちゃんとした衣装を持ってるのには驚いた。

 

「筋トレ前の豆知識だけど、晶ちゃんは基本的な事って知ってる?」

 

 実は自宅の筋トレ器具はベンチプレスにダンベルとバーベル位しか無い。晶ちゃんは最新器具が有ると思っていたみたいだが、実際は期待した程の器具は殆ど無い。

 要は手順なんだよね……

 

「えっと、ゴメン。僕、全然しらないや」

 

 はにかみながら応える仕草も魅力的だね。全くロリ成分が無いのが惜しい。

 筋トレをしてる人ならある程度は調べているけど、結構科学的・計画的に行わないと駄目なんだよね。

 

「筋トレを効率的に行うにも色々と有るんだよ。先ずは晶ちゃんがどれ位の筋肉を何処に付けたいかで変わるんだ」

 

「僕の筋肉の付けたい場所?うーん、腹筋と細い腕を太くしたい」

 

 はぁ、何言ってるの?腹筋が割れた腹に太い腕だと?周りが許さない気がしてきた。

 僕的には瞬発力と持久力を兼ね備え、且つ脂肪の下にひっそりと有る筋肉を目指したい。

 

「晶ちゃんは女の子だから余りムキムキは問題が有るから程々にしようね。それに幾ら頑張ったって筋肉は1日で精々7gも付けば御の字なんだ」

 

 彼女はハンサムガールだけど元々の作りが良いから美人さんなんだ。衣装を変えただけでも別人みたいな感じだし。

 これを考えなしにムキムキにするのは駄目だな。例え彼女に恨まれても普通な対応をしよう。

 

「えっ?だって榎本さんムキムキだから筋肉量は50kg位あるんじゃないの?良く1ヶ月で腕が太くなったとか腹が割れるとか聞くよ」

 

「アレは嘘だよ。毎日の積み重ねが実用的な筋肉を生み出すんだ。僕だって10年以上頑張って筋肉量を効率的に増やしてるんだよ。

それに実戦で必要な筋肉は重すぎても枷にしかならないから、最大筋力よりも筋持久力も必要なんだ」

 

 晶ちゃんの頭から湯気が出てるけど、もしかして難しい話だったかな?

 

「ごめん、榎本さん。まさか筋トレで座学が必要とは思わなかった。もう少し簡単に教えて欲しいんだ。ゴメン僕は脳筋みたいだよ……」

 

 跪いて悩みだしてしまった晶ちゃんを結衣ちゃんが宥めている。

 

 でも結衣ちゃん……「大丈夫、大丈夫ですよ」の大丈夫は本当は大丈夫じゃないんだよ。余計に晶ちゃんの傷を抉るんだ。

 

 今日は簡単な説明と筋トレメニューを一緒に考えた方が良いな。

 

「正明さんの筋肉には、そんな秘密が有ったんですね!凄いです」

 

 晶ちゃんを立たせると、結衣ちゃんは違った尊敬の目で僕を見ている。実は僕の事を脳筋の肉体派野郎とか思ってたのかな?

 形(なり)は熊みたいだけど、どちらかと言えば知性派のつもりなんだけど……

 

「晶ちゃん、今日は筋トレの実戦じゃなくて基本的な説明とメニュー作りにしようよ。結衣ちゃんの自慢の手料理も用意してるからさ」

 

「えー、折角筋トレしようと思ってトレーニングウェアとか用意したんだよ。僕がTシャツと短パン姿になるだよ。榎本さん見たくないの?」

 

 晶ちゃんが実は脳筋なのが確定した。でも美人の薄着は魅力的だし、汗で透けたTシャツとかもお約束な展開だろう。

 だが僕は、結衣ちゃんの前でエロエロは厳禁なんだ。確かに美人さんを見るのは良いが、性的な魅力は一切感じない。

 ただ絵画的な美しさを見たいだけだが、見なくても後悔はしない。ほら、心配そうに僕の袖を掴んでいた結衣ちゃんがホットした表情に戻った。

 やはり結衣ちゃんは僕を意識しだしている。もう少し、もう少しで悲願達成なるか?

 

「それは残念だけどね、筋トレも適正な時間帯が有るんだよ。折角遊びに来たんだし、花見でもしながら説明するからさ」

 

 ブーブーと笑いながら文句を言う晶ちゃんを宥めながら近くの交通公園に案内する。ここは花見の時期に一般開放する花見の名所だ。

 飲食持込可でトイレも完備してる、まさに花見に打って付けの場所なんだ。チラホラと場所取りのシートが見受けられるが、本番は夜桜宴会だから午前中は比較的空いている。

 大きな山桜の古木の下が空いていたのでランチョンマットを敷いた。山桜はバラ科サクラ属の落葉高木で野生の桜として有名で有り「吉野の桜」は山桜を指す。

 桜がバラと同じバラ科とは知らなかった。

 

 結衣ちゃんが料理を並べている間に、自動販売機で飲み物を買いに行ってると彼女達が五人組の若者にナンパされてた。

 いやナンパと言うよりはボーイッシュ美人とロリ美少女が二人切りだから、あわよくば仲良くなりたい・一緒にお酒を飲みたい程度の可愛い誘いだ。

 

 だが相手が悪かった。元々、酔っ払いが嫌いな晶ちゃんに人見知りの結衣ちゃん。酔った若い男に話し掛けられても嬉しくない。逆に嫌な思いをする娘達だ。

 ほら、結衣ちゃんを庇いながら晶ちゃんが断ってるし……ああ、でも晶ちゃんも結構キツい言葉を投げかけてるな。早めに仲裁するかな。

 

「まぁまぁ……」

 

「お高くとまるんじゃねーよ!折角二人で寂しそうだから声掛けたんじゃねーか!」

 

 仲裁しようとしたが、晶ちゃんに暴言吐きやがったな!ほら、結衣ちゃんが萎縮して泣きそうじゃないか。

 

 オマエラ、ワカッテルダロウナ?

 

「あっ正明さん、この人達が……」

 

 困り切った結衣ちゃんが、僕を見付けて助けを求めてきた。勿論、全力・全開で逝かせて貰おう!

 

「ああん、他に誰か連れ……が……こんにちは……」

 

 此方を向いて表情が固まるが、本気で怒った僕を見て平常心で居られる奴は少ない。残念ながらイケメンで無く厳つい強面だから。

 つい右手に持っていたコーラの缶を握り潰してしまった……滝のように吹き出すコーラ。

 手に着いた滴(しずく)をペロリと一舐めしてからクシャクシャに丸める。僕の握力は50kgを超えるから、アルミ缶などピンポン球位に丸めるのは余裕綽々だ。

 

「ああ、こんちは。それで、なにか用かな?」

 

 丸めたアルミ缶を僕に話し掛けた男に軽く放る。思わず受け取ったモノを見て、顔を青くする若者。

 うん、気持ちは分かる。あれだけの美少女達だからな、声を掛けたくなるだろう。だが、彼女達は僕の未来の嫁と友人なんだよ。

 

「いえ、その……可愛い娘さんですね……あはははは、僕らはこれで……失礼しま……す」

 

 クルリと方向転換する男の肩を掴む。此方に引き寄せて顔の後ろから話しかける。

 

「そんな事言わずに楽しくやろうぜ?なぁ、手ぶらじゃ僕が寂しいだろ?お前の所為でコーラ潰しちゃったから、代わりにお前の玉を潰しても良いだろ?」

 

 去勢するんか?ああ?嫌ならその手に持っているコンビニ袋を全部置いていけって暗に言う。

 勿論、相手は五人組だからまともに喧嘩すれば負けるかもしれない。こっちは女性を二人も守りながら多分負ける。

 でも、喧嘩慣れしてない今時の普通の兄ちゃん達なら勢いで攻めれば逃げるだろう。これで逆ギレして騒いだら結衣ちゃん達を逃がして独りで対応するしかない。

 

「良かったら……この酒を飲んで下さい」

 

 どうやら、先方が折れてくれたみたいだ。手渡された袋にはチュウハイ・麦酒・梅酒・カップ酒と色々なお酒が入っている。

 

「お前らは帰れな、場がしらけるからさ?」

 

 近くに居られると気持ち悪いから、早々に退場を願う。

 

走り去る連中を見ずに「ほら、善意の差し入れが来たから飲もうか?ああ、二人とも未成年だから駄目だったね。ハイ、こっちのジュースを飲んでね」買ってきた桃の天然水を渡す。

 

 奴らから奪ったお酒の中からスーパードライを2本取り出し、残りを近くで盛り上がって居るグループに差し入れる。

 この人達は動向を見ていて、何かあれば助けてくれようとした連中だ。僕が奴らに話し掛ける前に立ち上がってたし……

 

「兄ちゃんスゲーな!娘を守る親って感じじゃねーけど、コレかい?」

 

 小指を立てるポーズをする。そうですよ、と冗談ぽく言ってから彼女達の元へ戻る。

 

「さて、食べようか」

 

 呆れ顔の二人に笑いかける。

 

「榎本さんってさ、恫喝に慣れを感じるんだよね。それに男性には容赦無いって言うか……」

 

「正明さんは敵対する人には容赦ないんです。前も私を苛めた相手に弁護士同伴で恫喝してましたし……」

 

 女性二人に溜め息をつかれましたよ?ちゃんと話し合いで解決したんですよ?

 

「僕は話し合いで解決しようとしてるんだよ。実力行使の前に幾つかの手順を踏まないと駄目でしょ?常識有る大人としてはさ」

 

 プシュっと良い音をさせながらプルトップを空ける。喉を通る炭酸が心地よい。

 

「折角の花見だから楽しまないとね。さて、結衣ちゃんの手料理を食べさせて貰おうかな?」

 

 空揚げを一つ摘んでパクリ、うんガーリック醤油味は僕的ランク上位だ。良く分からないが、結衣ちゃんと晶ちゃんは意気投合している。

 多分、あの男達が絡んできた時に晶ちゃんが庇ったのが良かったのかな?

 因みに結衣ちゃんの料理は、ガーリック醤油味の空揚げ・ソーセージのベーコン巻き・鶉(うずら)の卵のフライ・春巻き・野菜ステックそれに茶巾寿司だ。

 デザートにはグレープフルーツを剥いた物に砂糖をふりかけた物を用意していた。

 

「結衣ちゃんって料理が上手いよね。榎本さんが自慢するのが分かったよ」

 

「いえ、そんな……家庭料理の域を出ないですし……」

 

 うん、何だろう女性二人で話が盛り上がって疎外感が有ります。重箱を完食し、デザートのグレープフルーツを結衣ちゃんが三等分に分けている。

 

「晶ちゃん、筋トレはさ……空腹時は効果が悪いんだ。勿論満腹時も駄目だけどね。

それは空腹時には低血糖となり、満腹時には消化不良になり易い。

だから事前に糖質を摂取する事とクエン酸を多めに採っておくと筋肉中での乳酸(疲労物質)が生成されるのをある程度防いでくれるんだ」

 

「クエン酸って、このグレープフルーツとかの柑橘系って事かな?」

 

 フォークに刺したグレープフルーツを掲げて聞いてくる。

 

「そうだね、レモンや梅干にも多く含まれているよ。後は筋トレは夜に行うと効率が良いよ。

傷ついた筋肉の修復は寝ているときに分泌される成長ホルモンが関わってるからね。

夜に筋肉トレーニングをして食事を摂り、十分に睡眠をとれば筋肉がつき易いよ。所謂、超回復って奴だね」

 

 晶ちゃんが正座して聞き入っているけど、なんかへんな感じだ。

 

「それとさっき食べた唐揚げ等の肉類もタンパク質の摂取に有効だ。本当は豚ヒレやモモ、牛スジとかがタンパク質を多く含む食材だよ。

筋肉作りには最低でも自分の体重1kg当りに2gはタンパク質が必要だ。これを補うのにプロテインとか有るけど、あれは飲み過ぎても効果は無い。

精々40g程度が必要で残りは脂肪になっちゃうからね。さて、自宅に招待するよ」

 

 花見も料理も堪能したから、そろそろ自宅にお招きしようかな。

 

 

第127話

 

 晶ちゃんを自宅迄案内した。

 

 最寄り駅から反対側の交通公園に案内した為、自宅迄は距離が有る。僕はお酒も飲んだからタクシーを利用した。

 勿論、無理して後部座席に三人座ったよ。前も桜岡さんと結衣ちゃんと三人で座って鎌倉から横浜迄行ったっけ……

 アレ?あの時も桜岡さんがチンピラに絡まれてて玉を潰して逃げ出した様な?絡まれ易い体質ってヒロイン補正でも入ってるのかな、彼女達には……

 運転手さんをナビゲートしながら自宅に到着。二千円を渡し、おつりを貰う。

 

「此処が僕の家だよ。お寺じゃなくて残念だったね」

 

「普通に洋風な建物なんだね……確かに僕も、お寺か和風建築かと思ってたよ」

 

 我が家を見上げながらの晶ちゃんの感想だ。桜岡さんも同じ事を言ってたな。坊主は洋風は駄目なの?

 アイアンアーチの門を開けて中に招き入れる。結衣ちゃんがポストを確認してから玄関の鍵を開けて先に中に入り、セコムをカードで解除する。

 

「凄いな、榎本さんの家ってセコムなんだ!玄関にも監視カメラ有ったし安全対策は万全なんだね」

 

 こんな商売をしてると色々なしがらみが有るし昔は後ろ暗い事もしてた。それに商売敵とかも居るからね。

 僕独りなら此処まではしないが、結衣ちゃんも住んでるんだ。隙は見せられない。

 

「最近物騒だからさ。横浜横須賀道路のインターが近くに出来たんだ。

すると統計的に空き巣が増えるんだって。まぁ逃げ易いんだろうね。だから安全と防犯の為に付けたんだよ」

 

 表向きの理由を教える。余計な不安感を煽る必要は無いからさ。応接間に通してソファーを勧める。

 晶ちゃんには悪いが座っていて貰って、先に雨戸を開けて空気の入れ替えをする。結衣ちゃんが何を飲むか聞いていたので、僕も晶ちゃんと同じ物って言っておいた。

 種類が違うと手間が掛かるからね……一旦部屋に戻り上着を脱いで財布を机に置き携帯電話だけ持って応接間に向かう。

 既に晶ちゃんと結衣ちゃんで世間話に花を咲かせていた。うん、凄く仲良くなったよね。

 

「何か面白い話かい?」

 

 結衣ちゃんの隣に座る。向かい側に晶ちゃん。こっち側には僕と結衣ちゃん。

 晶ちゃんは一人用のソファーだが、僕と結衣ちゃんは三人掛けのソファーに並んで座る。

 最初は晶ちゃんの正面に座ったが、向かい合わせって交渉時には敵対の位置なんだよね。だから体半分結衣ちゃん側にズラす。

 

「榎本さん、何で結衣ちゃん側にズレたんだい?」

 

 晶ちゃんが不思議そうに聞いてくる。確かに正面に座った後に横にズレるのは変だよね……

 

「ん?いや交渉術にはさ、席取りや配置にも意味が有るんだよ。複数席に向かい合わせに座るのはさ、敵対の位置って言うんだよ。

だから半身をズラしたの。決して結衣ちゃんが可愛いから近くに寄った訳じゃないんだ」

 

「もう、正明さんたら?」

 

 軽く結衣ちゃんに叩かれた。

 

「ふーん、結衣ちゃんにはそう言う冗談言うんだ?榎本さんは男女間では生真面目で固い雰囲気が有ったのにね……」

 

 晶ちゃんには不審がられたよ?

 

「まぁ八王子の件は癖の有る連中ばかりだったからね。勿論、仕事中だって事も有るけどさ。僕だって普通に恋愛感情は持ってるよ」

 

 嘘です、好みのタイプが一人も居なかったからです!だって腹黒高野さん・守銭奴メリッサ様・天然亀宮さん・その他モブさん達じゃ、その気にならなかったし。

 でも友人としてなら亀宮さんと晶ちゃんは大好きだ!

 

「結衣ちゃん聞いてよ!榎本さんってさ、ウチの民宿で美女7人と寝起きを共にして一切エロくならないんだよ。

てっきり枯れ果ててるのと思ったんだ。亀宮さんって天然おっとり美女が、結構良い感じで近くに居たのにスルーだったし。彼女のオッパイは凶悪だったわよ」

 

「へぇ……知りませんでした。確かそのお仕事では小笠原母娘と知り合いになられて、良くお世話してるんですよ。しかも最近近所に引っ越して来たんですよ」

 

 何だろう?二人に責められてるんですけど?晶ちゃんも不機嫌そうだし、結衣ちゃんは……

 僕の視線に気が付いて、此方を向いてニッコリ笑ってくれた。うん、笑顔なのに額に井形を作れるんだ……

 

「えーと、僕が女性ばかりと仕事をしたいんじゃなくてね。依頼主が僕以外を女性ばかり頼んだの。だから不可抗力だし、決してエロい目的は無いから……」

 

 小原さん、恨むぞ!何故、何故こんな試練を受けないと駄目なんだよ?

 

「そうなんだ!地元でも有名な女癖の悪い奴でさ。僕、初めて生で見たんだけど本当にエロいの。

だって浴衣の彼女達をエロエロの目線で舐め回す様に見るんだよ。あれは鳥肌物の気持ち悪さだって!」

 

「うーん、女性として嫌ですね。そう言う人は……」

 

 小原さん、酷い事を言われてますが自業自得ですよ。だから僕を巻き込まないで下さい。そんな感じで楽しい?話は弾んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ああ、もうこんな時間だ。僕帰るよ。夕飯の配膳は手伝わないと駄目だから」

 

 晶ちゃんが壁付けの時計を見て残念そうに告げた。時計の針は15時10分を指しており、確かに18時からの夕食を手伝うにはギリギリだ。

 

「駅まで送るよ。僕も用事が有るから出掛けなきゃならないし」

 

 少し早いが水谷ハイツに行ってメモリーカードを交換しなきゃ。

 

「私も一緒に行きたいです」

 

 折角仲良くなったので駅まで送りたいのだろう。結衣ちゃんの申し出を了承し、折角だから三人で出掛ける事にする。

 本当なら車で八王子まで送りたいが、この時間だと高速道路を使っても渋滞は避けられない。

 無理して遅れるよりは時間の確かな電車の方が良い。最寄り駅まで送り、晶ちゃんとお別れした。近くに路上駐車をして彼女を送り出す。

 結衣ちゃんは車外に出て手を振って別れを惜しんでいた。晶ちゃんとは携帯電話の番号やアドレスも交換してたから、また近い内に遊びに来るだろう。

 互いに元気良く此方に手を振り合ってる彼女達を見て思った……本当にタイプの違う二人は意気投合したんだな。

 

「気持ちの良い人でしたね。サバサバしてるのに、気遣いの出来る人ですし」

 

 同じ女性を紹介したのに、小笠原母娘とは偉い違いだ。どの辺が駄目だったのかな?

 

「そうだね。じゃ僕は水谷ハイツに仕込みに行くから、一旦家に寄るよ」

 

「私も一緒に行きます。設定では二人で暮らしているんですし」

 

 本当は静願ちゃんを含めての三人暮らしなんだよ?空気の読める僕は突っ込まなかったけどね。

 

「……そうだね。但し中は安全を確保してないから廊下に居るんだよ。

誰かに何か言われたら、これから外出だからとでも言って誤魔化すんだ。5分と掛からない筈だから……」

 

 そう言って釘を刺してから車を発進させる。暫くは無言で運転をする。結衣ちゃんも特に話さないが、気まずい雰囲気ではない。

 

 心地良い無言、ラジオから流れる最近人気のリクエスト曲だけが流れる空間……

 

「正明さん」結衣ちゃんが沈黙を破る。

 

「何だい?」

 

「何時になったら私を鍛えてくれるんですか?私……早く正明さんの手伝いがしたいです」

 

 気持ちは嬉しい。結衣ちゃんは静願ちゃんと違い肉体強化系の霊能力者だ。だから鍛えれば直ぐにでも実戦が可能かも知れない。

 だけど人が死なないと商売にならない業界だから、幼い結衣ちゃんに現実の汚さを受け入れる神経のタフネスさは無い。

 

 だから……

 

「未だ早いよ。実際に手伝って貰えるのは、少なくても18歳以上だし高校卒業後だ。

それは労働基準法と青少年育成条例でも明記している。今はバイトでも結衣ちゃんは雇えない。

細波家の力については訓練を始めよう。早い段階で力を制御出来れば、それは良い事だ。

ただし修行は人目につかない場所の確保からだ。獣っ娘の需要は高騰してるから、バレたら大変なんだよ」

 

 結衣ちゃんには悪いが建前論を言う。高校を卒業し社会人となれば、世の中の不条理とか汚い面も……

 或いは納得はしないが、仕方無いと妥協出来るかも知れない。勿論、それでも純粋に育ってしまえば無理と言うしかない。

 細波家の力を制御出来れば、色々と結衣ちゃんの安全は確保出来る。あの機動力で逃走に専念すれば、大抵の相手からは逃げられるし。

 だけど本当の本音は、彼女に僕の今までしてきた汚さを知られたくないんだ。今でこそ胡蝶は協力的だし歩み寄りは出来る。

 だが「箱」として接していた時は、贄を捧げる為に色々とした。霊を喰わせるのは当たり前で、時には犯罪者も生きたまま喰わせた……

 彼女の実の母親と、その情夫も「箱」に喰わせた。つまり僕は結衣ちゃんからすれば、母親の敵だ。

 

「ごめんなさい、正明さん。生意気言ってしまって、本当にごめんなさい」

 

 しまった!過去の自分の悪行を思い出し、つい怖い顔をしてしまった。

 

「勘違いさせたらごめんね。別に怒っていた訳じゃないんだ。

ただ、結衣ちゃんには普段から色々恩返しして貰ってるのに気を使わせた僕が許せなくてね」

 

 丁度信号に引っ掛かり車を停めた時を見計らい、彼女の頭をワシャワシャと撫でる。ラサラサで指の間に挟まった髪の毛も抵抗無く流れる様に梳けるんだ。

 

「えへへ、分かりました。でも正明さんには本当にお世話になりっぱなしですから、お礼はもっともっとしたいんです」

 

 良い娘に育ったよね。親は無くとも子は育つとは、良く言ったものだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 水谷ハイツの近くの有料駐車場に停める。建物の前に停めて如何にも直ぐ出掛けますじゃ、周りに対して住んでるアピールが無い。

 親子設定だからか、結衣ちゃんも控え目だが腕を絡めてくる。200m程歩くと水谷ハイツが見えた。

 建物の前に立ち見上げても、やっぱり霊感は働かない……

 

「お父さん、行こうよ」

 

 結衣ちゃんが腕にしがみ付いて来たので、不思議に思うと階段から奴が降りてきた。

 

「あっ……どうも」

 

 奴は結衣ちゃんを見て一瞬喜び、僕を見て嫌な顔をした。

 

「ああ、こんちは。これから出掛けるのかい?」

 

 ジャージの上下ではなく迷彩柄のジャンパーにチノパン姿の奴に声を掛ける。

 

「バイトです、じゃ」

 

 ボソボソと目線を合わせずに行ってしまった。一応バイトしてるのか……

 

「結衣ちゃん大丈夫だから行こうか」

 

 バス停方面に歩いていく奴を見届けてから問題の部屋に行く。途中で他の住人には会わなかったな。部屋の鍵を開けて中に入る。

 郵便ポストの中には宅配ピザ・建て売り住宅・健康食品の通販等のチラシが突っ込まれていた。

 一日しか空けてないのだが、結構な頻度でチラシは入っている。各所に仕掛けたカメラのメモリーカードとバッテリーを交換する。

 棚に仕掛けた奴はバッテリー充電コードを指しっぱなしにしてるが、設置場所上無理な箇所も有る。

 全てのカメラの交換を終えて秘密兵器を取り出す。この水谷ハイツは雨戸が無い。薄いレースと遮光カーテンの二種類のカーテンだけだ。

 だから夕方に照明が点いてないのは不自然。だからスタンドにタイマー式で電源が入り切り出来るパーツを持ってきた。

 時間設定は17時から20時迄の3時間だ。スタンドはLEDタイプで照度は1200ルクス有るから、外から見ればかなり明るい筈だ。

 全ての仕込みを終えて部屋を出る。

 

「お待たせ、結衣。じゃ買い物に行こうか?」

 

「うん、お父さん」

 

 誰が何処から見てるか分からないから、親子設定の小芝居を続ける。親子だと躊躇無く結衣ちゃんは腕を組んでくるのだが、最近の娘って年頃でも父親と腕を組むのかな?

 少し疑問に思いながらも、彼女の感触と温かさを堪能した……

 



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第128話から第130話

第128話

 

 のんびりと夕方の住宅街を結衣ちゃんと歩く。ここ10年で急速に建った埋立地だけあり、建物は比較的新しい。

 当時はイタリア風建築が流行りで、外壁はパステル調の色使いや素焼きレンガをふんだんに使っている。

 ガーデニングも中途半端に手を出した感が満載のお宅も有る。大抵最後は放置か野菜畑に変わるんだ。

 

 目の前の工事中の個人邸を見ながら「正明さん、この辺を歩いたのって初めてですけど……まだ建設中の建物も多いんですね」結衣ちゃんが感想を言ってきた。

 

 やはりお父さんより正明さんの方が嬉しい。

 

「そうだね。一時期土地は高騰したんだよ。でも去年の震災で津波に対する世論が変わったでしょ。

だから地価が安くなったんだ。安ければ多少の危険には目を瞑ってでも一戸建てが欲しい人は居る」

 

 実際に房総半島が覆っている東京湾の湾岸の地域は、普通では太平洋から来る津波の大部分を防いでくれそうだ。

 

「榎本さんの家は大丈夫なんですか?」

 

 おぃおぃ、他人行儀過ぎるだろ?結衣ちゃんの家でも有るんだし。彼女の奥ゆかしさと言うか遠慮がちな性格は変わらないな。

 

「僕等の家は大丈夫。海岸から5キロ以上離れてるし高さも海抜18m以上有る。緊急時には高台も近いし、僕には作業場として幾つか高台に借りてる家も有る。

隠れ家的な使い方もしてるから食料等の備蓄も有る。だから大丈夫だよ」

 

 霊的な結界もしてあるから平気……じゃなかったよ。結衣ちゃんの着替えとか女性の必要な物は全く無いや。

 

「今度、防災用品を買いに行こうか。隠れ家には結衣ちゃんの着替えとか必要な物が全く無いや。今有るのを備蓄に回して新しいのを買おうか?」

 

 ふふふ……僕しか泊まらない隠れ家に、結衣ちゃんの使用済み下着を備蓄。素晴らしい、なんて素晴らしいんだ!

 

「そんなの勿体無いですよ」

 

 いや美少女の使用済み下着の為なら万単位で出す奴はゴロゴロ居るんだよ。昔はブルセラって言った特殊なリサイクルショップが有ったんだよ。

 もっとも本人特定が写真しかないから、僕は利用しなかったけどね。霊力で大体の残留思念が分かるんだ。

 大抵は新品、酷いのは男が半日位履いて軽く香水を振り掛けてるんだ。汗の匂いに混じる良い匂いを演出したんだろう。

 

 同士諸君、騙されるんじゃないぞ!

 

「構わないよ、防災意識を高めて物資調達の為にもね。結衣ちゃんだって隠れ家に逃げ込んだら着の身着のままじゃやだろ?」

 

 そう言えば、桜岡さんには悪い事をしたよ。確か着の身着のままで放り込んだんだ。でも女性の下着を用意してるって変態だとか深読みされるからな……

 

「いえ、備蓄ならユニクロの安い物を買います。家の方は定期的に持ち出せる様に鞄に詰めておけば効率的ですよ」

 

「そうだね……結衣ちゃんは本当に賢いね」

 

 全くの正論の為に言い返せない。確かに使うか使わないか分からない下着なんて量販店の物で十分だよね。

 何時も居る本宅に定期的に中身を入れ替えた鞄が有れば大丈夫……僕の企みは3分保たなかったのか、残念。

 

「あの……何故悲しそうなんですか?」

 

「悲しそう?いや違うよ、そんな事は無いからね」

 

 ヤバいヤバい、結衣ちゃんの前でエロい方向に思考が逝ってしまった。反省せねば……

 コインパーキングに到着したので、料金の精算をする。駐車した場所の番号を押すと料金が表示される。

 

 600円か……

 

 小銭を入れると車の前のバーが下がり出れる様になる。リモコンキーでドアのロックを解除し乗り込む。

 

「さて、帰ろうか。何処か寄るかい?」

 

「正明さん、柔軟剤とアイロンスムーザーが少なくなってるので買い足しをしたいです」

 

 家事万能っ娘には本当に頭が下がる。帰宅途中でケイヨーデーツーに寄り不足品の補充をした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 自宅に帰り自室で寛ぐ。床に転がってゴロゴロ……先程迄の事を思い出す。

 久し振りに晶ちゃんと話せて楽しかった。結衣ちゃんとも仲良くなれそうだし。晶ちゃんも着飾れば、相当の美人さんなんだな。

 アレは周りが放っておかないと思うが、だからこその男装と男嫌いなのか?残念ながらロリでは無いが、友達としてなら嬉しい。

 少し休んでから、持ち帰った画像と音声のチェックを始めた……早送りの画面は写真の様に動きが全く無い。

 太陽の動きの加減で影が変わる位だ。音声も全くの無音。たまに暴走族?のけたたましいバイク音を拾ってる位だ。

 此方は早送りが出来ないから丸々12時間分を聞かなきゃならないのが辛い。車を運転しててもBGMは無音……辛い。

 夕飯に結衣ちゃんの愛情たっぷり手料理を食べて、再度画面・音声のチェック。

 

 今日の成果もまるで無かった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日の日曜日、朝一人で水谷ハイツに向かいカメラのバッテリーとメモリーカードを交換する。

 実は画像・音声チェックは二日分位未チェックだ。流石に画像は早送り出来るが音声は無理だから……

 自室でパソコンを眺めイヤホンで聞く。

 

 この単純作業はキツい。

 

 

 この単純作業は眠い。

 

 

 この単純作業は飽きる。

 

 

 結衣ちゃんの手料理お昼ご飯の玉子と挽き肉の炒飯を食べて午後も頑張る!

 

 

 この単純作業は拷問。

 

 

 この単純作業は嫌がらせ。

 

 

 この単純作業は……

 

 

「もう嫌だ!」

 

 流石に事前調査に力を入れてるとは言え、変わり映えのしない画面と無音のBGMは辛い。気分転換をしないと発狂しそうになるぞ!

 冷蔵庫から缶コーラを取り出し一気飲みをする。クーッ、喉を刺激する炭酸が堪らないぜ!

 飲み干した缶をクシャクシャに丸めてキッチンへ向かう。アルミ缶は資源回収だから分別用のゴミ箱へ。

 横須賀市はゴミ出しは分別しないと駄目なんだ。混ぜると結衣ちゃんが苦労するので、この辺のルールは良く守る事にしている。

 応接間のソファーにドカッと座り目と目の間を、親指と人差し指で挟み込む様に揉む……目と肩がガチガチに凝った。

 残りのチェックは昨夜の分が丸々残っている。確認して何も無ければ、明日から夜は泊まり込みだ。

 夕飯迄の僅かな時間だが、この単純作業をこなさなけれぱならない……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 辛い単純作業の癒やしは結衣ちゃんの手料理と触れ合いしか無い。昨日が楽しかった分、今日は特に辛い。

 

「正明さん、ずっとモニター見てばかりで辛くないですか?私も手伝いましょうか?」

 

 ご飯が大盛りのお茶碗を僕に渡しながら、結衣ちゃんが提案してきた。確かに有り難い申し出だが、もしも気持ち悪い何かが写っていたら彼女が嫌な思いをするよね……

 

「うん、申し出は有り難いよ。でも残りは一日分だから大丈夫だよ」

 

「駄目です!正明さん肩がガチガチじゃないですか?お手伝いが駄目ならマッサージします」

 

 マッサージだと?リアル狐っ娘の肉球マッサージだと?ヤバい、心が動く……

 

「あっ……その、うん。アレは良いモノだが、お手伝いを頼もうかな?そうだ、お願いしよう」

 

 フワフワでモフモフな尻尾とか見たら自制心が粉砕しそうだ。前は旅館で仲居さんが来る心配が有ったけど、今回は自宅だから邪魔は入らない。

 これは結衣ちゃんを悲しませる行動を本能がヤリたそうだ。素直にお手伝いを頼んだ方が、結衣ちゃんも嬉しいだろう。

 

「そうですか?ではお仕事、手伝いますね」

 

 ん?マッサージが出来ない方が残念みたいだよ?

 

「じゃノートパソコンを持って僕の部屋へ。心霊現象には画像を見ても危険な場合も有るから、一緒にやろうね。さて……いただきます!」

 

 今夜のメニューは……

 

 麻婆豆腐・木耳と卵と玉ねぎ炒め・海藻サラダ・茶碗蒸しだ。中華風スープの具は豆腐とワカメ。うん、ご飯が進むな!

 僕は麻婆豆腐はご飯にかけて食べる派だ。結衣ちゃんは取り皿からレンゲで食べる派。

 

「あの後、アイツからメール来ないかい?」

 

 何気なく聞いたんだが、彼女の顔が曇ったよ?嫌な事聞いたかな?

 

「水谷ハイツに関係する事は何もないです。ただ、私が遊んでいるゲームを始めて友達申請してきたり……あと私生活も聞いてきたりして困る時が有ります」

 

 ヤバい状況だ……アイツ粘着質なタイプなんだな。進展は無いが、結衣ちゃんを困らせる訳にもいかないからもう潮時だね。

 

「結衣ちゃん、アイツとモバ友解除して良いよ。しつこいから嫌いとか言ってさ。もうヤツから情報を得るのも無いだろうし」

 

 なるべく明るい声で言う。もう大丈夫だから無理する必要は無いんだと……

 

「分かりました。次に変な事を言ってきたらモバ友解除しますね。

そうだ!

正明さん、食後にデザート作ったんです。杏仁豆腐、手作りですよ」

 

「おお、杏仁豆腐!凄いね!中華料理のフルコースだね」

 

 本当に食を握られてるな。結衣ちゃんから離れるのは無理かも知れない……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 食後のデザートを楽しみ食器洗いを手伝ってから僕の部屋で画像のチェックだ。念の為に彼女に御札を持たせ予備の数珠を着けて貰う。

 僕の机の上を片付けてノートパソコンを二台置いて向かい合う様にする。椅子は結衣ちゃんの勉強机のを持ってきた。

 

「じゃ結衣ちゃん、お願いね。何か変化が有れば教えて欲しい。影が見えたとか何か動いたとか、何でも良いからさ」

 

「分かりました、頑張りますね」

 

 暫くはマウスをカチャカチャする音だけが、部屋の中に響く……たまに結衣ちゃんを盗み見るが、何故か目が合い微笑んでくれる。

 夜の自室にロリ美少女を引っ張り込んだ!

 

 この状況は……

 

 頑張れ、素数を数えるんだ。まさか自分との戦いになるとは思わなかったなぁ……理性を総動員して頑張る。

 二時間を経過し、そろそろ結衣ちゃんは就寝の時間が近付いてきた。終わりにして、お風呂に入って貰おうか。

 

「結衣ちゃん、そろそろ……」

 

「あれ?正明さん。部屋にあの人が居ますよ。何故?何処から?」

 

 何だって?急いで結衣ちゃんの後ろに移動してノートパソコンの画面を見る。確かにヤツが廊下に立っている。

 キョロキョロと周りを確認しているが……何処から現れたんだ?結衣ちゃんのメモリーカードは部屋の棚に隠して廊下を写しているヤツだ。

 玄関扉も洗面所の入口も写っている。これで侵入の場所が確定出来るぜ。

 

「結衣ちゃん、コイツ何処から現れたんだい?」

 

「正明さん、彼は洗面所から出て来ました」

 

 マウスを操作して時間を巻き戻す……本当だ、玄関からでなく、普通に洗面所から出て来たぞ。あの洗面所には人が隠れる場所も出入口も何も無かった筈だが?

 

「部屋を物色してるな……」

 

 洗面所から出て来て廊下をキョロキョロしながらカメラに近付いてくる。一旦キッチンの方へ向かったのでカメラのフレームから外れて見えなくなってしまう。

 暫く画面に移らなかったが、3分程してフレーム内に戻ってきた。

 

「正明さん、あの人箪笥を漁ってませんか?」

 

 高さの関係でしゃがんでいると写らないのだが、辛うじて見える背中や頭の動きは引き出しを開けて中を見ている様な……ヤツは立ち上がると何かを広げた。

 

「あっ?イヤです。アレって正明さんのトランクスですよ!」

 

 結衣ちゃんが慌てた感じでヤツの手の中の物を指摘する。

 

「アイツ、投げ捨てたな」

 

 画面の中のヤツも一瞬何を広げたか分からず、理解してから投げ捨てやがった。

 

「正明さんのトランクスは汚くないです!加齢臭だって未だしません」

 

 未だ、だと?

 

 結衣ちゃんの一言が、僕の硝子のハートを粉砕した!

 

確かに下着類も一緒に洗濯してくれてるが、まさか臭いを確認されてたなんて……

 

「ふふ……ふふふ……許さんぞ、進藤貴也!貴様には下痢地獄を見舞ってやる。必ずだ!」

 

 

第129話

 

 あの餓鬼……進藤貴也と言ったな。ヤツは部屋に侵入し物色していた。

 前の住人からは窃盗をしなかったと聞いている。だが今回は部屋を物色した……

 多分だが、ヤツは静願ちゃんと結衣ちゃんが住む事を知っていた。だから下着類を物色したんだろう。

 しかし見付けたのは僕のトランクスだった。

 

 そう、僕のトランクスを見付けて画面一杯に広げやがった。

 

 お陰で結衣ちゃんから、僕は“未だ”加齢臭はしないと言われた。そう“未だ”だ!

 何れ近い内に僕から加齢臭がすると結衣ちゃんは思っているのか?怖くて聞けなかった……

 ヤツは、そのまま洗面所に入り消えてしまった。だが洗面所にも隠しカメラはセットしてあるんだ。

 直ぐにメモリーカードを入れ替え、洗面所内が写っている画面に切り替える。暫く早送りにしていると……

 

「正明さん、天井の点検口から出て来ましたね。天井内で隣の部屋と行き来が出来るんでしょうか?」

 

「うーん、確かにユニットバスって言う位だから箱型なんだよね。当然他の部屋より天井が低いから、人が移動出来る可能性は有る。普通は考えられない施工ミスだけど……」

 

 本来なら防犯上の関係で隣との間仕切壁はコンクリート製だったりPC板だったりする。簡単に壊して侵入されない様にだ。

 たまに隣の部屋から壁を壊して侵入、盗難するケースも有る。確か下の階に住む北山さんが言っていた。

 隣の部屋の音が聞こえる、と……壁が薄いんじゃないかと思ったが、本当に薄いのかもしれない。

 だが証拠の画像は撮れた。後はバスルームの点検口を調べて、侵入方法を確認したら直接対決だな。

 いや、一旦山崎さんに報告して先方の大家さんとも相談しなければ。

 

 法的な措置を講じて罪に問うのか?又は大袈裟にせずに示談にするのか?決めるのは僕じゃないから……

 

「有難う結衣ちゃん。この件は解決したも同然だよ。後は今後の対処を山崎さんと大家さんとで話し合いをすれば終了。

僕は明日点検口の中を調べてから、報告書を作成するよ。さて、結衣ちゃんはお風呂に入って早く寝るんだ。もう遅いからね」

 

 そう言って頭をクシャクシャと撫でる。目を細めて嬉しそうにしている。やっぱり撫で癖がついたみたいだ。

 

「お仕事終わりそうで良かったですね。私もミンさんとはモバ友解除して、正明さんに友達申請し直すので許可して下さいね。じゃ、おやすみなさい」

 

 そう言ってノートパソコンを片付けて部屋を出て行った。さて、証拠も掴んだし明日一番で部屋に行って天井内の調査をしてから報告書だ。

 これだけの証拠の動画が有れば言い逃れは不可能だ。今回は心霊現象で無く人による原因だったが、結衣ちゃんと静願ちゃんに被害が無くて良かったよ。

 アリバイの為に彼女達が部屋に居る時にヤツが侵入してきたら、どうなっていたか考えたくない。

 

 しかし……

 

 何故、ヤツがそんな事をしたかは、これから調べれば良い。僕の仕事はお終いだ。証拠動画のコピーを複数取ってからパソコンを終了する。

 そう言えば静願ちゃんは明日から新しい学校に通い始める筈だった。

 

「そうだ!明日は車で静願ちゃんと結衣ちゃんを学校まで送ってあげよう」

 

 出来れば二人が仲良くして欲しいから……接点を沢山作れば、或いは仲良くなるかも?携帯電話を取り出し静願ちゃんの番号を表示する。

 通話ボタンを押すと画面に彼女の画像が映し出される。今度、結衣ちゃんの写真も取らせて貰おう。5回目のコールで静願ちゃんが出た。

 

「もしもし、お父さん?」

 

「夜分遅くごめんね。今、電話大丈夫かい?」

 

 浮かれていたから気にしなかったが、既に22時を過ぎていた。女の子に電話する時間じゃないよね。

 

「平気、明日の支度してたから未だ起きてた」

 

「明日が初登校だよね?車で学校まで送るよ。結衣ちゃんと一緒にさ」

 

「……結衣ちゃんは何時も学校に車で送るの?」

 

 何だろう?トーンダウンしたけど……

 

「いや、明日は静願ちゃんの初登校だから特別だよ。嫌じゃなければ迎えに行くから」

 

「嫌じゃない!有難う、お父さん。明日は8時45分迄に職員室に呼ばれてる」

 

 家から学校迄は渋滞を見積もっても30分で着くな。だから……

 

「じゃ8時に家に迎えに行くから支度して待っててね」

 

「うん、お父さん。有難う、おやすみなさい」

 

 後は結衣ちゃんのフォローだ。翌朝に報告は駄目だから、お風呂出ました報告の時に説明しよう。

 そう思って暫く待つとドアがノックされて結衣ちゃんが顔を出した。

 

「正明さん、お風呂出ました」

 

 未だ髪の毛は乾かしてないのだろう。濡れた前髪が額に数本貼り付いている。Tシャツにホットパンツと言う何時もの格好だ。

 毎回思うが嬉し……いや、自宅だからと言って無防備過ぎるだろ?

 

「結衣ちゃん、明日だけどさ?」

 

「はい、何です?」

 

 ドアの前に立っていたが、部屋の中に入ってくる。無防備・無警戒で見上げてくる仕草は凄く嬉しい。

 

「明日は車で学校まで送るよ。その……静願ちゃんの初登校だし一緒に行こう」

 

 結衣ちゃんの目を見て話す。一瞬の表情の変化も見逃さない様に……

 

「分かりました。車だと何時に出発しますか?」

 

 表情に変化は無い。良かった、どうやら悲しませた訳じゃ無さそうだ。

 

「うん、8時に向こうに迎えに行くから7時55分に家を出ようね」

 

「はい、へへへ。学校まで送って貰うの久し振りですよね」

 

 そう言って嬉しそうに部屋から出て行った。分からない……機嫌の良さそうな結衣ちゃんの後ろ姿を見て思う。

 小笠原母娘絡みで嫌がる事って何なんだろう?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時間通りに小笠原邸の前に車を停める。携帯電話で呼ぼうとしたが、既に玄関先に小笠原母娘が待っていた。

 改めて小笠原邸を見るが、100坪程の敷地に洋風二階建ての家だ。小笠原さんは此方では霊媒師の仕事はしないで、仙台市の今まで住んでいた家の方で行うそうだ。

 毎回仙台まで行くのは大変かも知れないが、タウンページとかに載せられる職業じゃないし移転とかは大変なんだろうか?

 母親まで待っていてくれたなら車で座りっぱなしは出来ない。車を降りて挨拶しなければ……

 

「おはようございます。小笠原さん」

 

「おはようございます」

 

 結衣ちゃんも助手席から降りて並んで挨拶をする。

 

「おはよう、榎本さん」

 

「おはようございます。今日は宜しくお願いしますわ。本来なら私が付き添いをしなくては駄目なんでしょうけど……」

 

 そう!魅鈴さん、実は車の免許を持ってないんだ。だからガレージは有れど車は無し。

 不便だろうから免許を取る様に勧めたいが、それを強制は出来ない。もしかしたら静願ちゃんの運動音痴は遺伝かも知れないから……事故を起こされたら大変だし。

 

「いえいえ、結衣ちゃんを送る序でですから。じゃ行ってきます」

 

 にこやかに手を振る美女に見送られて車を走らせる。魅鈴さん、町内会の集まりで紹介された時に大人気だったそうだ。

 和装美女がご近所様なら、旦那衆も独身男性陣も黙ってないだろう。しかも美少女の一人娘付きだから、二度美味しい?

 だが、僕の関係者と聞いてさり気ない問い合わせが良く来る。基本的に僕は再婚相手じゃないが、手を出すなら覚悟してね?と笑顔で念を押している。

 因みに彼女達が霊媒師なのは秘密だ。その為に魅鈴さんもわざわざ仙台まで仕事に行くのだから……

 

 車に乗る時に少し問題が有った。

 

 結衣ちゃんが助手席に乗ろうとした時、静願ちゃんが一緒に後部座席にと誘ったが……結衣ちゃん、笑顔で断ってた。

 

「助手席は私の指定席なんです♪」凄い笑顔でした。

 

 対する静願ちゃんも「そう?今後は分からないから」此方は無表情だったが……

 

 重たい空気に包まれた車内は無言。僕は慎重に運転をして無事故・無違反で頑張った。

 超安全運転の為、予定より少しだけ時間が掛かったが学校前に到着。通学時間のピークだから沢山の少女達で溢れている。

 共有の校庭を挟み中等部と高等部の校舎は向かい合っている。正門近くで路駐して二人をニコヤカに送り出す。

 並んで歩く美少女二人だが、無言だ。何故か通学中の生徒達が僕を見てヒソヒソ話してるが、不審人物だと勘違いしてるのか?

 

 警備員を呼ばれる前に退散しよう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お父さんと別れて、結衣ちゃんと一緒に校庭を歩いている。少し気まずい。

 しかも何故か登校中の皆が私達に注目している。幾ら転入生だからと言っても異常な注目度。そろそろ別れて高等部の職員室に行かないと……

 

「結衣ちーん、おはよう」

 

「おはようございます。菊里(きくり)先輩」

 

 結衣ちゃんに話し掛けてきた女性は友達かな?でも私と同じ高等部の制服だ。

 

「今日は珍しく榎本さんに送って貰ったんだね。そっちの美人さんも榎本さんの関係者?」

 

 お父さん、やはり学校でも注目されてるんだ。

 

「結衣ちゃん誰?」

 

 だけど一応相手の素性を聞いてみる。

 

「霞さんの所でバイトしていた薊菊里(あざみきくり)先輩です。此方は小笠原静願さん。今日が転校初日です。その……正明さんの知り合いです」

 

 結衣ちゃんの説明に合わせてペコリとお辞儀をする。

 

「宜しくね!静願ちん、職員室に案内するよ」

 

 ちん?変な語尾を付けて呼ばないで欲しい。でもお父さんの知り合いみたいだから、大人しくしなきゃ駄目。

 

「ありがとう、お願い」

 

 薊さんに案内して貰い校舎に入るが、未だ私には下駄箱が無い。

 

「静願ちん、私の所に靴入れなよ。場所が分かれば移動すれば良いよ」

 

 困っていたのが分かったのか、薊さんの下駄箱に入れて良いと言ってくれた。

 

「ありがとう、薊さん」

 

「静願ちん、固いよ。私は菊里で良いから」

 

 彼女は気さくな性格みたいだ。友達になれるかな?職員室は二階らしく、其処まで案内してくれるそうだ。しかし、中々話し掛ける切欠が掴めない。

 

「あの……」

 

「でも良かったね、静願ちん。あの榎本さんの関係者なら、安心だよ」

 

 安心?何故?お父さん、この学校で発言力でも有るのかな?

 

「何故?」

 

 理由を知りたくて廊下に立ち止まって続きを促す。

 

「前にさ、結衣ちんが転校してきてさ。中々馴染めなくて軽いイジメにね……此処って私立じゃん。

だから先生に知れると当事者と保護者を交えて話し合いをするんだ」

 

 ああ、その話は聞いたけど真相は知らない。続きが気になる。

 

「そうなんだ、それで?」

 

「榎本さんってムキムキじゃん。実際に話すと優しい人なんだけどさ。その時は榎本さん、本気で怒っててね。

松尾さんって見た目ヤクザの大親分みたいな弁護士のお爺さんと来たんだよ。

しかも松尾さんは和服で榎本さんは黒のスーツ姿でだよ。アレは学校にヤクザが来たって大騒ぎになったんだよね」

 

 実際にイジメた側の保護者連中は腰が抜けたり顔面蒼白だったんだって!凄いよねー!そう言って菊里さんはケタケタと笑い出した。

 

「だから榎本さんの関係者には誰も手を出さないんだ。私も最近知り合って恩恵を受けてるよ。じゃ、その先が職員室だから。またねー!」

 

 言うだけ言って笑って走って行った。むう、お父さんってヤッパリ恫喝馴れしてるんだ。

 本当に結衣ちゃんの事を大切に思ってるんだ。結衣ちゃんに嫉妬してしまう。

 大切に守って貰い、一緒に住んでるなんて……

 

「私、負けない」

 

 気持ちを新たに職員室の扉を開ける。

 

「すみません。今日転校してきた小笠原です。担任の赤倉先生はいらっしゃいますか?」

 

 

第130話

 

 結衣ちゃんと静願ちゃんを学校に送ってから、水谷ハイツへやって来た。原因が分かれば、後は簡単だ。

 車に積んでおいた脚立を持って部屋に向かう。前回同様、車は近くのコインパーキングに停めた。

 天井の点検口を調べるのでアルミ製の軽い脚立を用意している。もしかしたら天井内に入るかも知れない。

 だが、僕は重いからなるべくなら覗くだけですませたい。

 

 最悪登って天井が落ちましたとか笑えないから……

 

 ムキムキの僕が脚立なんて剥き出しで持っていたら怪しまれるので、一応毛布でくるんである。道ですれ違う人も、何を持ってるんだ?

 みたいな目線を送ってくるのがドキドキだ。途中の道では何人にもすれ違ったが、水谷ハイツの中では誰にも会わなかった。

 直ぐに鍵を開けて部屋の中へ……中に入ってから一応鍵を掛ける。

 

「さて、サクサク調べて帰りますか」

 

 電気を付けて洗面所に入る。ユニットバスの中に入り脚立をセット、安定を確認してから登る。6尺(180㎝)の脚立の二段目で手が点検口に届く。

 丸い点検口をゆっくりと上に持ち上げる。そのまま右にズラして更に脚立を登り、頭だけを天井の中に入れる。

 

「流石に真っ暗だ……」

 

 用意していたマグライトで暗闇を照らす。ゆっくりとライトを巡らすと隣との壁の部分が不自然に壊れていた……

 軽量鉄骨の下地に石膏ボードが二重に貼って有るので、防火区画壁としては問題無いのだろう。しかし、所詮は石膏ボード。

 耐火性能は優れていても殴れは穴の開く程度の強度しかない。ヤツは綺麗に鋸(のこぎり)かカッターで切り取ったのだろう。縦30㎝横50㎝程度の穴が開いていた。

 もっと良く観察すれば、奥の方に足場板が見える。アレを敷いて此方に這って来たんだな。証拠の写真を何枚か撮ってから、元通りに点検口の蓋を閉める。

 

 これで証拠は全て揃った。

 

 念の為にユニットバス以外の隣接している壁も調べて見る。軽く叩くと軽い音がする……つまり中身は空洞と言う事か。

 壁に付いているコンセントのカバーを外して内部の構造を確認すると、やはり同じ軽量鉄骨に石膏ボードの構造だ。

 

「うーん、こりゃ違法建築じゃないけど問題だよな。大家さんに当時の図面を見せて貰わないと分からないか……」

 

 図面通りの構造なら今回の事件の責任の何割かは大家側にも有る。逆に防犯上宜しくないと訴えられそうだ。

 もしもコスト削減とかで勝手に仕様変更してるなら、施工会社にも責任が有る。ややこしい問題に発展しそうだぞ。

 コンセントを元通りに戻して仕掛けた隠しカメラを回収する。もう証拠写真は十分だから必要無いだろう……

 またヤツに侵入された時に疑われても困るので、来た時と同様に毛布で脚立をくるみ持ち帰る事にする。

 事務所に戻り報告書を纏め、証拠の動画はプリントした。これで問題ないだろう。

 

 山崎さんに連絡して、大家さんを交えての相談だな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 山崎不動産の応接室に集まったのは三人。山崎社長・大家さん、そして僕だ。

 あの部屋の怪奇現象の原因が分かったと連絡だけしたのだが、どうやら詳細を知らせなかったので大家さんは本当に幽霊が出るのか?と騒いでいた。

 先ずは飯島さんに淹れて貰ったお茶を飲んで落ち着いてもらう。報告書を配り、説明を始めた。

 

「先ずは細かい報告書を読む前に原因を説明します。報告書の最後に三枚の写真を見て下さい」

 

 パラパラと報告書を捲るオッサン二人。因みに大家さんは青木さんと言って、恰幅の良い50代のオッサンだ。

 

「これは……進藤さんの所の息子さんじゃないか?」

 

「何故、彼が他の部屋に出入り出来たんだ?」

 

三枚の写真の内、一枚目は部屋を物色するヤツが写っている。

 

「進藤貴也君はバスルームの点検口から移動し、侵入してました。二枚目の写真が点検口から降りてくる所。

三枚目は天井内で彼が穴を開けた場所です。これは室内に仕掛けた隠しカメラに写ってましたので、実際は動画も有ります」

 

 そう言ってデータを焼いたCDを机の上に置く。

 

「青木さん、これは不法侵入だよ。未成年だが警察に通報するしかないぞ」

 

 山崎さんはヤツを警察に突き出すべきだと言っている。青木さんも無言で頷いているが、話は簡単じゃないんだよね。

 

「警察に通報は待った方が良いです」

 

「何故だ?これは犯罪だそ、榎本君」

 

「そうだよ、彼を許すわけにはいかないぞ。何らかの措置を……」

 

 あの餓鬼を庇う事をしないとは、人気が無いと言うか普段の行いが悪いと言う事か?僕だってアイツの事を庇う気持ちは0だ。

 

 だけど……

 

「あの部屋の間仕切壁ですけど、軽量鉄骨に石膏ボードの二枚貼りですよね。耐火性能を有する構造ですが、防犯上は大変宜しくない。

カッターだけで穴が開くなんてクレーム物ですよ。事を公にすれば、警察も現場検証を行うでしょう。大家さん的に宜しいのですか?」

 

 ほら、顔をしかめたぞ。隣の家との壁が簡単に開けられるなんて大事だ。

 

「僕も専門家では無いので本職に確認が必要ですが、集合住宅の場合、防犯上間仕切壁はコンクリートとか強度の高い物にする必要が有ると思います。

確かに消防的には耐火性能を有する構造ですが……青木さん、最初から施工会社の図面はこうだったのですか?

これは住人に防犯上宜しくないと訴えられそうな内容ですが?」

 

「図面ですか?実はあの部屋は……」

 

 困った顔で話し始めた青木さんの話を纏めると……最上階の角部屋のあそこは、当初オーナー夫妻が住む予定だった。

 だから賃貸の二部屋分を一部屋にする計画で工事が進んでいた。これは夫を亡くした母親との同居の予定が有ったから。

 しかし急に母親が病気で無くなり遺産で家を貰えた。

 三人暮らしなら狭いが二人なら問題無いし、同居じゃなければ昔住んでいて愛着の有る我が家を今更手放すのも忍びない。

 だから水谷ハイツは全て賃貸形式に変更する事にした。

 しかし施工会社も躯体工事が終わり内装工事を進めていた時期に、急に変更するよう言われて困った。

 今更大規模な変更工事も難しい。なので簡易な方法にしてしまった。

 

 要約すれば、こんな内容だ……

 

「うーん、困りましたね。元々僕は依頼されて部屋の調査をしたのですが、訴えるなら借りている部屋に不法侵入された僕になるのでしょう。

被害者的な意味では……法的措置を訴えても反撃される危険も孕んでいる。ならば直接交渉で示談に持ち込みませんか?

僕が年頃の娘の居る部屋に不法侵入されたと大家さんに訴える。大家さんは同じ店子だから示談してはと持ち掛けて、話し合いをする流れで……」

 

 これなら大家さんの株が上がり進藤家は警察沙汰は困ると示談に乗るだろう。言い終わって二人を見るが、青木さんは頷いてるが山崎さんは渋い顔だ……

 この内容で手打ちは駄目なのか?

 

「榎本君、示談と言うが何を持って示談とするかだ?君が示談金を貰っても仕方無いんだぞ」

 

 そうだった……示談交渉なら被疑者・被害者間の話だから、当事者で無い大家の意向は反映され辛いのかな?

 

「僕の仕事は原因の特定と心霊現象の場合はお祓いですからね。対人となると、依頼人の意向に添う様にですが……

隣に住んでいるのは嫌だから出て行ってくれとか言いますか?

序でに大家さんにも迷惑掛けたんだから、穴塞ぎとお詫びを兼ねて敷金返さずに引っ越して貰うとか?」

 

 ウンウンと三人で額を突き合わせて意見を出し合った。僕への依頼は達成だが、結果的に大家の青木さんを不利な状況にする事は出来ない。

 だが、賃貸建物としての防犯の不備を訴えられても困る。だから進藤一家には出て行って貰い防犯の不備を直す。

 残念ながら敷金の返還は無理なので、僕が示談金を貰う。そして今回の調査費用に当てて貰うと言い出した。

 

 これだと僕が思いっ切り不利なんですが?

 

「いや、それは困ります。示談交渉は普通長く掛かりますし、ゴネて取れない場合も有ります。

もしかしたら息子を警察に突き出すかもしれない。不法侵入程度じゃそんなに罪も重くないし、精々30万円位じゃないですか?

ちゃんと契約書も結んでますし、ここは一旦契約終了にしたいのですが……これが今回の請求書です」

 

 請求金額の内訳は……

 

 事前調査で1日。実際に簡易な調査で1日。機材を入れて本格調査、引っ越し込みで7日。後は撤収で1日。

 拘束10日、機材リース費・引っ越し費・調査及び報告書の作成費。

 人件費30万円・必要経費47万円・報告書作成3万円、合計80万円に諸経費二割乗せて96万円だ。

 

「税抜き96万円か……ご丁寧に内訳明細に引越屋の請求書まで添付して有るな」

 

「実費の引越代と機材レンタル費用を抜けば人件費と会社経費だけか……確かに明朗会計だが、もう少し安くならないか?」

 

 今回は除霊作業は無いので、ほぼ実費だ。しかも毎日画像チェックと言う単純作業もやらされたんだよ。

 

「今回は隠しカメラ三台に録音機の画像・音声チェックを一週間毎日やってたので拘束時間も多いんです。値引きは殆ど無理です。

仕事前に山崎さんには基本料金表を渡している筈ですが……支払いは山崎不動産を通してで宜しいですよね?」

 

 最初の契約は山崎不動産と結んだから、青木さんとの値段交渉は変ですよ。

 

「青木さん、榎本君は明朗会計で、ちゃんと原因も解明したんだ。料金は値切らずに払ってやってくれ。

勿論、ウチを通してだから税抜き100万円で請求書を回すよ。進藤の馬鹿息子については、榎本君と青木さんが先方の家族と話し合う。

榎本君が大家に相談して、大袈裟にしたくない青木さんが話し合いの場を設けた事でな。榎本君、悪いが話し合い迄は込みで頼む。

やはり穏便に引っ越して貰い部屋を直そう。無駄に欲を出すと、窮鼠猫を噛むになりそうだ」

 

「分かりました。青木さん、進藤さんに連絡を。場所は問題の部屋、つまり今は僕が借りている部屋で。時間は合わせますが、早い方が良いでしょう」

 

 こうして方針は決まった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 我々で話し合った後、直ぐに青木さんは進藤さんと連絡を取った。早い方が良いと言ったからか、当日の夕方に話し合いをする事になったのだが……

 先方には詳細は言わずに、息子も同席させない事にした。証拠は万全だから、余程の事が無ければ有利だ。

 後は僕が青木さんを立てる様に話を持って行けば、穏便に済ませられるだろう……

 

 夜の20時に301号室に集合とした。

 

 既に青木さんは到着している。20時丁度に呼び鈴が鳴り、進藤夫妻が現れた。先ずは丁重にリビングに招いた。先ずは紅茶を出す。

 さり気なく進藤夫妻を観察するが、二人共40代位の極々普通の優しそうな人達だ。

 

「あの……貴也が榎本さんのお嬢さんに何か?」

 

「ウチの馬鹿息子が何かしたんでしょうか?」

 

 二人共、息子が悪さしたのが前提みたいだ。もしかしたら呼び出しは初めてじゃないのかもしれない。

 ご両親が気の毒になってきたが、言わねばならない。心を鬼にして、纏めた報告書を見せる。

 パラパラと捲っていたが、問題の写真のページを見て母親が泣き出した。

 

「あの馬鹿……遂に……榎本さん、本当に申し訳無い」

 

 こんなに優しそうな両親に、頭を下げさせるとは。辛いが、これも僕の仕事だ。

 

「最初は些細な事でした。開けていた筈のシャワーカーテンが閉まっていたり、物の配置が変わったり。

勘違いでも済む内容でした。しかし、気になり出すと止まらない。山崎不動産でも、前の住人が引っ越した原因を聞いてましたし。

だから隠しカメラを仕掛けたんです……」

 

 僕の説明を聞きながら、涙を流すご両親。母親は顔を伏せ、父親は此方を向いているが両手を握り締めている。

 

 嫌な仕事だな……

 

 



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第131話から第132話IFルート結衣END

第131話

 

 息子の奇行には普段から悩まされていたんだろう。前にも近隣住民からも強引なナンパのクレームが来ていた筈だ。

 だが、遂に犯罪者になってしまった。泣きながら謝る進藤夫妻……そんな彼等に、僕は傷に塩を塗り付ける様な事を言わなければならない。

 

「その……隠しカメラで撮ったので、彼の行動は全て記録されています。

彼は部屋を物色していますが、目的は金銭的な事じゃなくて、娘の下着類だったみたいです。

箪笥を開けて中の衣類を広げて探してましたから……」

 

 僕のトランクスを広げて捨てたりね。お陰で僕は結衣ちゃんから加齢臭の心配をされている事を知らされたんだ。

 

「嗚呼、あの娘さんの……すみません、本当にすみません」

 

 もう土下座でもする勢いだ。母親は泣き崩れ、父親は真っ赤になって耐えている。

 これ以上は……思わず青木さんを見る。目線が合い黙って頷く。

 

「榎本さんは娘さんの身を守る為に、直ぐに警察に行きたがったが……最初に私の所に相談に来てくれたんですよ。

だから大袈裟にする前に話し合いましょうと止めたんです」

 

 悪くない言い方だ。娘を持つ父親ならば、躊躇無く警察に突き出す所業だ。

 不法侵入+下着泥棒じゃ安心して娘を住まわせられない。

 

「娘を持つ父親としては、直ぐにでも何とかしないと……だがご近所さんですし、実質の被害は無かったですから。

ですが部屋を簡単に行き来されては注意しても再発の可能性も有りますし。一緒に動画を確認した娘は、恐怖から実家の方に籠もってしまいました。

もう、此方の部屋には来たくないと泣いていますので僕としても、それなりな形で収めて貰わないと……」

 

 表情を固くして告げる。此方の本気度を伝える為に……結衣ちゃんには悪いが、恐怖で泣いている事にさせてもらう。

 僕等的には、最悪無償でも良いから引っ越して貰えれば良いのだ。

 

「あの優しそうなお嬢さんを……アナタ、もう仕方無いわ。貴也を警察に」

 

 母親が泣きながら旦那に縋りながら訴える。

 

「お前……だがしかし、あの子の将来の為にも犯罪歴は。いや、そうだな。自分の息子の経歴に傷をつけるのを躊躇っては謝罪にならない」

 

 此方も致し方ないみたいに頷いてるよ?ちょ、ヤバい展開になりそうだ。このまま警察介入は避けたいんだよ。

 まさか、我が子を警察に突き出すとは彼等の責任感と真面目さと誠意を甘く見積もってしまったぞ。

 隣に座る青木さんの膝を突っつく。僕からの妥協案は駄目なんだ。あくまでも大家の青木さんが取り持たないと!

 

「まぁまぁ進藤さんも落ち着いて。榎本さん、この時代で前科持ちは就職も厳しい。

何故ならば経歴書に正直に前科を書かねばならん。まだ進藤君は若い、これからの青年なんだ。

榎本さんの怒りも心配も分かるが、示談で済ませては貰えないかな?」

 

 あの餓鬼の未来は全く気にしてないのだが、こう言われては訴え辛いだろう。

 両親も何となく縋る様な目で見てるし、出来れば息子に犯罪歴は付けたくないよね?少しゴネてから折れるか。

 

「示談?青木さん、お金じゃないんです。もし娘が居る時に彼が侵入したらを考えると怖いんですよ。

僕は仕事で家に居る時間が不特定で短い。そんな時にですよ?彼が……」

 

 腰を上げて怒りを露わにする。あくまでも娘の安心・安全が大切なんだぞ、と。

 

「まぁまぁ、落ち着いて下さい。進藤さん、悪いが引っ越して下さい。穴は此方で塞ぎます。

榎本さんの心配を解消するには、穴を塞ぎ隣から引っ越すしかないでしょう」

 

 話の流れからして警察介入の心配からか、敷金不要で攻める方向だな。もう一回ゴネてから折れるか……

 

「いや引っ越すなら僕の方が短期契約ですよ。それに……」

 

「いや、私も大家として譲れない所です。榎本さん、お願いします。進藤さん、どうですか?」

 

 頭を下げながら提案する。進藤一家にも悪くない提案だ。いよいよ青木さんが纏めに入ったか……

 恩を着せて口を封じ出て行って貰う。確かに下手に金銭に固執すると危険だよな。この切り替えは流石だ。

 

「ふーっ、分かりました。実質被害も無いし彼の未来を潰す必要も無いですよね。

どの道、もう娘を部屋に呼ぶ事も無いし私も来月には引っ越しますから。その条件なら良いでしょう」

 

 当初の敷金を貰う話にもならなかったが、ベストよりベターって事かな。

 

「有難う御座います。榎本さん、本当に有難う御座います。

今、息子を呼んで詫びを入れさせます。直ぐに呼びますから、少し待っていて下さい」

 

 そう言って夫婦二人飛び出して行った。向こうも、この条件を変えられる前に纏めたいんだろう。

 息子に詫びを入れさせて、直ぐに逃げ出す様に引っ越して行くだろう。

 

「青木さん、何とかなりそうですね?」

 

「そうだな。深追いは禁物だ。後は詫びを受け入れて終わりにしよう」

 

 進藤夫妻が居ない間に方向性の確認をしておく。青木さんも不安要素が無くなるなら、穴塞ぎの費用を無料(ただ)にしても構わないのだろう。

 この手の交渉は腹を括って最低限の内容を決めておけば成功する率は高い。暫く待つと玄関先が騒がしくなってきたが……

 

 あの餓鬼、まさかゴネてるんじゃないよな?

 

 大人しく詫びて出て行けば不問にするって言ってるんだよ。

 

「ヤダよ、ヤダ。何で謝んなきゃなんないんだよ」

 

「お前、警察に捕まっても良いのか?」

 

「そうですよ。折角先方が譲歩してくれてるの。ちゃんと誠心誠意謝るのよ」

 

「ヤダよ、引っ越しなんて。面倒臭いじゃん」

 

 話が室内に丸聞こえだ……壁の構造云々以外にも、防音性に問題無くね?思わず青木さんと溜め息をつく。

 

「あの餓鬼懲りてませんよ?アレじゃ幾ら鷹揚(おうよう)に許す態度を続けるのは無理じゃないですか?」

 

「確かにアレを許すのは、不自然を通り越して不思議だよな。全く……ここまで阿呆とは情けない」

 

 まさかの罪を犯した奴の我が儘で、纏まる話が怪しい方向に……

 

「馬鹿野郎!」

 

「なっ殴ったな!今まで一度も殴らなかった癖に」

 

「ああ、殴った!お前の馬鹿さ加減にはうんざりだ。警察に行って罪を詫びてくるが良い」

 

 打撲音の後に、変な話になってるぞ?

 

「青木さん?」

 

「マズいな、兎に角部屋に入って貰おう。もう穏便には無理かもな。この騒ぎじゃ周りの住人にも聞かれたな」

 

 廊下で揉める三人を取り敢えず部屋の中に押し込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ヤツは両親に挟まれて、仕方無さそうに正座し俯いている。さて、坊主としてヤツを更生……させる気持ちは限り無く薄いのが本音だ。

 

「貴也君だっけ?両親にも話したが、君は犯罪者だ。このまま警察に行けば罪に問われるよ。

まぁ大した罪にはならないだろう、実害も少ない。だが履歴書には正直に犯罪歴を書かねばならない。

君は今はフラフラしているが、今後はマトモな職に就くのは難しい。其処までは理解してるかい?」

 

 なるべく優しく話し掛けた。ヤツは俯いてるが一応は頷いた。我が儘言っても無理だと理解したのか?

 

「僕等だって君の一生に傷を付けるのは忍びない。ご両親も何度も君の為に頭を下げたんだ。だから僕も今回は大袈裟にせずに許すんだ。

もし、もしもだ。

娘が居た時に忍び込んだり、娘の下着を漁っていたら……悪いが君は五体満足じゃなかったぞ!

少なくとも玉は潰した。去勢すれば犬猫だって大人しくなるからな。わざわざ穴まで開けて侵入する奴に情けは要らない」

 

 脅しをかけておかないと、喉元過ぎれば何とやらで懲りないだろうから……

 

「違う!確かに部屋に忍び込んだが、元々あの穴は開けてあったんだ。今回の為じゃない」

 

 慌てて弁解しているが、やはり前の住人に嫌がらせをしたのはコイツか。侵入した事実と証拠を掴めば、僕の仕事は終わりだが……嫌がらせの理由も聞き出せるなら聞き出すか。

 

「嘘だ!前の住人は中年夫婦と一人息子と聞いている。イヤらしい君が、そんな家に興味を持つ訳がない。素直に、ウチの娘狙いだったと認めろよ」

 

 実際に分からなかったんだ。何故、こいつが隣の部屋に侵入し何も盗らずにいた事が……悪戯目的?愉快犯?

 ヤツの両親も真ん中に座る息子に訝しげな目線を送っている。まさかの前科持ちだからだ。

 

「元々は……元々は、アイツを見返してやりたかったんだ!

何時も何時も比較されて、出来の悪い子供と言われ続けたんだよ。分かるかよ、アンタに?」

 

 逆ギレして話し出した内容を纏めると……

 

 前に住んでいた家族には同い年の息子が居た。彼は小学五年生の夏休み明けに転校してきた。同じクラスで家は隣同士、直ぐに仲良くなった。

 最初は毎日の様に学校から帰ってきたら、二人で遅くまで遊んでいた。だが、中学に進学する時に決定的な差が生まれた。

 彼は私立の中学に進学し、エスカレーター式に付属高校へ進んだ。名前を聞けば私立の中ではランクの低い学校だ。

 だが、コイツにすれば毎日一緒に遊んで勉強なんかしてないヤツが、私立中学に進学するのが許せなかったみたいだ。

 まぁ相手はコイツの知らない内に努力してたんだろうな。それでも中学時代はそれなりに会って遊んでいたらしい。

 更に高校に進学する時、コイツは同じ私立でも有名な偏差値の低い学校。ヤツはエスカレーターで楽して付属高校に進学。

 この頃から両親も周りの連中も二人を比較し出した。義務教育期間は問題無いが、純粋な学力の高校進学は良い比較対象になったんだろう。

 流石に高校生ともなれば、一緒に遊ぶ機会は無くなっていった。ただでさえ、比較されてるのに一緒に遊べないだろう。

 大学への進学を考え始めた二年生の頃、相手も学力の伸び悩みが有ったそうだ。此方は偏差値が低くて進学なんて諦めていた。

 

 その時、相手はヤツに致命的な一言を吐いた。

 

「お前は良いよな。馬鹿だから進学なんて考えなくてさ」

 

 勿論、コイツの言い分だから本当かどうかは分からない。だが逆恨みには十分な理由だ。共に両親は共働きで昼間は不在が多い。

 ヤツも塾や居残り勉強で殆ど居ない。暇に任せて色々と部屋の中を探し回った時に、ユニットバスの点検口に気が付いた。

 面白半分で開けてみれば中に入れるスペースが有り、壁は簡単に壊れそうだ。其処で魔が差したと言うか、子供の頃は仲良く遊んだんだ。

 当然、双方の部屋にも行っている。部屋割りは左右対称だから向こう側もユニットバス。

 つまり隣の部屋に侵入出来る訳だし、不在も確認出来る。最初は好奇心で入っていたらしい。だがヤツの言葉に怒ったコイツは単純な悪戯を始めた。

 

 ヤツの物を動かしたり、隠したり……

 

 ただでさえ、学力が伸びずに悩んでいる精神はガタガタだ。動かした覚えの無い物が頻繁に起こり、物が無くなってトンデモない場所から見付かる。

 遂には鬱病になり引っ越してしまった……これが幽霊騒ぎの原因だ。ヤツが日記で書いた、風呂に入ると外で人の気配がするとかは嘘だったんだ。

 自作自演で人の興味を引きたかったんだろう。それに僕が引っ掛かった訳か……

 

「二世帯に嫌な思いをさせたんです。これから御両親の教育に期待します」

 

 僕と青木さんはコイツの更生は無理と判断。早急な立ち退きを希望した。今回は生きている人間の所為だったが、後味の悪い結果だった。

 元は友人と比較され逆恨みをして相手を精神的に追い詰める。自分は特に努力もせずにだが、僕も人の事は言えない立場だから黙ってた。

 兎に角、依頼は達成だ。後は彼等が引っ越しをした後に、僕も撤収すれは良い。

 勿論、青木さんには進藤さんに念書を書かせるのを忘れない様にお願いした。途中からゴネたり反故したりとかは、結構有る事だから……

 

 

第132話

 

 山崎不動産から依頼された水谷ハイツの件は無事解決した。拘束10日間で94万円だから悪くない結果だった。

 勿論、経費を抜けば利益は減るが充分な稼ぎだろう。そして今回は娘役として手伝ってくれた、結衣ちゃんと静願ちゃんに経過報告と御礼をする予定だ。

 場所は小笠原さんの家で……魅鈴さんが前回のご招待のお礼にと呼んでくれたんだ。しかも夕食を一緒にと。

 なのでキッチンに四人で座りながら食事をしています。

 

 僕と結衣ちゃんが並んで座り向かいには魅鈴さんと静願ちゃん。魅鈴さんが僕の前に座っている。

 うん、和服を多用する小笠原母娘だが、今夜は洋服だ。

 

 しかも料理はイタリアン。具体的に言うとパスタです、はい。

 

「ごめんなさいね、夕食にご招待して簡単なイタリアンで」

 

 エプロン姿の魅鈴さんは、20代の若奥様でも通用する若々しさが有る。よそってくれたのは、明太子クリームパスタだ。

 本格的にホイップクリームを使用しバターの匂いも濃厚、そして山盛り。何でも僕専用にと買い揃えてくれたらしい、大きな食器類を……

 

 これからも招待してくれるって事かな?テーブルに所狭しと並んだ料理は、見た目は中々に美味しそうだ。

 多分だが、カロリーは恐ろしく高い。

 

「このマリネは私が作った。このライスボールフライもそう、中にチーズが入ってる」

 

 静願ちゃんが楕円形のフライを勧めてくる。味付けしたご飯でチーズをくるみフライにした、ライスボールフライだそうだ。

 これにケチャップベースのソースが掛かっている。此方も美味そうだが、お米とチーズを油で揚げる訳だから高カロリーだろう。

 マリネは一見すれば低カロリーだがイカリングや生ハム、イワシのフライ等の具が沢山だ。勿論、ドレッシングも基本はオリーブオイル。

 つまりは油なんだ。しかも手作りピザまで有ります。

 

 此方はシンプルに三種のチーズピザだ。モッツァレラにチェダーに、後は何だろう?小さな点々が見えるからブルーチーズ?

 

 兎に角、僕と結衣ちゃんの前には山の様な料理が並んでいる。

 

「凄く美味しそうですね。楽しみです。結衣ちゃんも食べれるだけ食べてね。残りは僕が貰うから」

 

「そっそうですね。私も食べ切れる自信が有りません……」

 

 今は心強い戦友(フードファイター)の桜岡さんが居ないから、少しだけ不安が有る。早く彼女に帰って来て欲しいのだが……

 今度修行の邪魔にならない様にメールしてみよう。料理の説明が全て終わり、僕と魅鈴さんにはワイン。

 

 結衣ちゃんと静願ちゃんにはオレンジペリエが行き渡った所で「「「「いただきます!」」」」食事会が始まった。

 

 先ずはフォークでクルクルとパスタを巻き取ってパクリ。

 

「このパスタ、美味しいですね。アルデンテだと日本人的には少し固いと思いますが、少しだけ柔らかくなってるし……」

 

 実は僕は良く茹でた柔らかいパスタが好きなんだが、これ位の固さなら充分だ。

 

「純粋にイタリアンではなくて、少し日本風にアレンジしてますの。クリームも隠し味には少量の味噌を溶いてます」

 

 魅鈴さんが艶っぽく説明してくれます。うーん、天然お色気系とでも言うのだろうか?どうも苦手なタイプだ……

 

「おとっ……榎本さん、こっちも食べて」

 

 静願ちゃんがライスボールフライを勧めてくる。だが、そろそろ僕をお父さんと呼びそうで怖い。

 この状況だと、僕と魅鈴さんが再婚するのを静願ちゃんが知っていて……まだ入籍前だけど、つい呼んでしまったの!的な流れになりそうで怖い。

 結衣ちゃんが勘違いしない様に、説明しておかないと駄目だな。楕円形のライスボールフライをフォークで突き刺し、一口でパクリ。

 モグモグと味わって咀嚼する……チーズとケチャップのダブル塩気で少ししょっぱいが、それが逆にご飯と合って美味い。

 

「うん、美味しいよ」

 

 ニッコリと静願ちゃんに笑い掛ける。

 

「そう、良かった。頑張って料理した……」

 

 少し照れて目線を逸らす姿が可愛らしい。クールデレ、ご馳走様です!

 小笠原母娘を誉めたからには、結衣ちゃんにもフォローを入れないとね。

 

「結衣ちゃん、今度イタリアン作ってよ。結衣ちゃんは日本食が得意だけど、大抵の料理は美味く作るんですよ。

一度お店で食べると、大体同じ物を作れるんです」

 

 彼女の特技の料理を誉める。家事全般を得意とする結衣ちゃんの一番の特技は料理だと思うんだ。

 フォークとスプーンで器用にパスタを食べていた結衣ちゃんが、ニッコリと微笑む。

 

「誉め過ぎですよ、正明さん。でも今度イタリアンにしますね。パエリアと煮込みパスタを作ります」

 

 満面の笑顔で応えてくれた。

 

「あらあら、榎本さんは結衣ちゃんに甘々ね」

 

「結衣ちゃんズルい。私も今回頑張ったのに」

 

 フォローのつもりが逆だったか?小笠原母娘の突っ込みと言うか、反応が少し怖いです。

 

「はははは……さて、残りの料理を平らげますかな」

 

 食卓が変な雰囲気になり始めたので、強引に話題を変えてモリモリ食べ始める。小笠原母娘と結衣ちゃんは、未だ混ぜたら危険なんだな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕食後、応接間に移動した。家よりも高そうな本皮のソファーセットにドッカリと座る。

 他の人は珈琲だが、僕には酔い醒ましにコーラを出してくれた。

 

 食器を揃えてくれたり、僕用にコーラを用意してくれたりと怖い位の待遇の良さだよね……コーラを一口飲んで、皆を見渡す。

 

「じゃ、今回の仕事のあらましを説明するよ……」

 

 最初から説明を始める。勿論、特定出来る固有名詞はボカシながら……

 

 

「最初に山崎不動産から依頼されたのは、取り扱っているアパートから引っ越した家族が居るが……その原因が霊的な事かも知れない。

次の顧客を探すにも原因を突き止めなければ、噂が広がり資産価値が落ちる心配が有るからだ。

先ずは水谷ハイツに関わりの有る人で亡くなった人を探した。次に周辺の地域での死亡事故や不審死をした人を。

最近埋め立てて造成した場所だから、過去の事故・事件は無かった。そんな中で、有るサイトの日記に水谷ハイツで霊的な異常が有ると書き込みが有った。

これは後にガセだと判明したが、取り敢えずその人物にコンタクトを取る事に成功。事件について幾つかの証言が取れた……

この段階では霊的と人的の両方の可能性が有った。此処までが事前調査だよ」

 

 

 一旦説明を止めて周りを見るが、特に質問は無さそうなので話を続ける。

 

 

「次に簡易的な調査だけど、これは静願ちゃんも同行したよね。実際に現地に盛り塩と日本酒を置いたんだ。

これらに変化が有れば霊的な原因だと思われる。もう一つ仕掛けたのは、無断で侵入出来る奴が居るかを調べた。

これは窓を全て内側から施錠し玄関扉の上にシャーペンの芯を置いたんだ。窓を開けるのは外からは無理、ならば玄関しか侵入経路は無いからね。

だが、仕掛けて翌日に確認に行った時に誰も出入りが出来ない筈なのにユニットバスのシャワーカーテンが動いていたんだ。

記憶違いかと思ったが、今度は床に張った塩の結界が乱れていた。これは“ナニ”かが出入りをしている証拠だ。

しかし、僕はこの段階でも霊的な原因を疑った。霊的な“モノ”が触れれば塩は変色する筈だし、何より霊感が何も感じなかったんだ。

現場証拠は霊的な方だが、霊感では人的な方だと思った。確信が持てずに悩んだ時期だったよ」

 

 

 喉が渇いたのでコーラをグビグビと半分程飲む。此処まで話しても、特に質問は無さそうだ。

 

 

「だから次のステップで科学的な機材での記録を取る事にした。但し霊的な“モノ”か人的な“ヤツ”か分からないから隠しカメラを仕掛ける事にしたんだ。

カラッポな部屋にカメラとか仕掛けても、人間だったらバレるからね。だから引っ越しをする真似をして餌を撒いた。

それが結衣ちゃんだ。彼女を伴い周辺住民に引っ越しをアピールしたんだよ。

この段階では隣に住む男が怪しいと思っていた。だから幾つかの仕掛けも施したよ」

 

「結衣ちゃんばかりズルい!最初に手伝ったのは私だよ。何で私に声を掛けないの?」

 

「静願さん、私と正明さんは一緒に住んでますから。もし進展次第で本当に引っ越しをする可能性が有るなら、静願さんでは無理です。

だから正明さんは私と一緒に行ったんです。

それに怪しいと思っていた男……ミンと言うハンドルネームの人物にも、携帯サイトから接触し情報を引き出したのも私です」

 

 結衣ちゃん、確かにその通りだけど……何故に静願ちゃんに対して滅多切り?それに得意気で静願ちゃんを見るの?

 静願ちゃんも悔しそうにハンカチを噛まない。キーッとか聞こえてますよ。

 

「勿論、住むのは最後の手段で一週間はモニターチェックしたよ。

それに携帯サイトからの接触は、これまでの活動が分かるから僕が急に登録して接触しても怪しまれると思ったんだ。

だから結衣ちゃんにお願いしたんだ」

 

「まぁ!一週間も機械的なチェックをしたんですか?それに携帯サイトからも接触したり……

榎本さんは霊能力者よりも探偵か研究者って言われてもおかしくないですね」

 

 魅鈴さんが不思議そうに聞いてくるが、はははっと愛想笑いで誤魔化した。

 

 

「此処からが本格的な調査の開始です。僕の隠れ家の一つの荷物を丸々引っ越しました。

それで隠しカメラを三台、レコーダーを一台仕掛けて一日二回データを回収し確認しました。

辛い単純作業でした……そして遂に不法侵入の現場を捉える事が出来た。

隣の住人が天井裏から侵入して来たんです。ユニットバス周辺の異常はヤツが出入りしてたからですね。

原因が分かれば、相手と交渉するだけの証拠を揃えれば僕の仕事は完了です」

 

 説明を終えて残りのコーラを飲み干す。

 

「その犯人は何故、犯行に及んだんですか?窃盗目的では無いのですよね?悪戯にしては度が過ぎてますし……」

 

 魅鈴さんがワザとボカシた動機を追求してきた。うーん、どんな人間でも持つ心の闇と言うか業と言うか……

 

「「あのニートならやりかねない!」」

 

 結衣ちゃんと静願ちゃんがハモったぞ!言った後に顔を見合わせて頷いてるし……

 

「あのニート、最初に会った時に私を部屋に連れ込もうとした。気持ち悪い奴だった」

 

「私の時も変な目で見てきて嫌でした。しかもネカマで色々と言い寄って来て最低なんですよ」

 

 仲の良くなさそうな二人だが、ヤツの悪行報告で盛り上がってるな。やはり共通の敵は仲違いを纏める力が有るのか?

 

「あらあら、娘同士は仲良くなりそうですわね。親同士も仲良くしませんか?」

 

 魅鈴さんが冗談で摺り寄ってくるのをやんわりとかわす。

 

「動機は前の住人に彼と同い年の子供が居た。そして相手の出来が良かったんですよ。

常に比較される苦しみから逃れる為に、ノイローゼに追い込んだ。相手の学力が伸び悩んでる時に、色々と悪戯したんだろう。

これは内緒ですよ。個人情報の漏洩ですからね。結果は話し合いにより引っ越して貰う事にしました。

彼等の家族も大家さんも事を大袈裟にしたくなかったんだろうね。だから痛み分けで収めたんだ」

 

 内緒なのは大家側にも過失が有ったから、警察沙汰は避けたかった。まぁコレは教える必要が無い事だ。

 

「さて、事件が解決したから協力してくれた二人にはバイト代だよ」

 

 そう言って結衣ちゃんと静願ちゃんに封筒を渡す。中身は共に一万円だ。

 

「そっ、そんなの要りませんよ。私は正明さんの役に立ちたかったんです」

 

「私も要らない。お金目的じゃないから」

 

 遠慮する二人に強引に封筒を押し付けた。これで、この仕事は終了だ。次は派閥の件で亀宮さんの家に行かなきゃならない。

 

 僕の霊感では悪い予感がヒシヒシしてるんだけど……もうフリーでの行動は難しそうだからね。

 

 

100話達成リクエスト話(IFルート狐っ娘暴走する)

 

 小笠原家の夕食に招かれて、正明さんと二人で出掛けた。和風な母娘なのに料理はイタリアンとギャップに驚いたわ。

 料理自体も美味しかった。素材は決して高い物じゃないし手間暇も、それ程掛かってはいない。

 

 でも美味しかった……

 

 私は正明さんの好みを突いた料理が作れるけど、今後も招待され続ければ、私の優位性は無くなるだろう。

 やはり小笠原母娘は正明さんを狙っているわ。色気が駄目なら食い気で勝負なのは、王道だけど確実だし。

 私も急がないと駄目。このままでは正明さんを盗られちゃう。

 

 ご機嫌に隣を歩く正明さんの腕に抱き付いてみる。

 

「ん?何だい、結衣ちゃん?」

 

 不思議そうな目で見下ろす正明さん。更に力を入れてギュッと抱き付く。私の行動を不思議に思ったのか、足を止める。

 

「ぽんぽん痛い?それとも疲れたかい?」

 

 心配そうに声を掛けてくれる。私は答えの知っている質問を正明さんに聞く。

 

「正明さん、魅鈴さんと結婚するんですか?」

 

 正明さんの目を見ながら聞いてみる。そんな気が無いのは承知してるけど、心配そうな表情で……

 

「僕が?魅鈴さんと?無いな、無い無い全く無いよ!それは有り得ないから」

 

 正明さんが珍しく嫌そうに顔をしかめた。普段は優しくて人の事を思いやれる人なのに珍しい。

 

「そっ、そうなんですか?」

 

 全否定だった。

 

 優しい正明さんにしては珍しくキッパリ・ハッキリと、相手を思いやる成分が0だよ。魅鈴さんがほんの少し可哀想になった。

 あんなに分かり易いアプローチなのに、全く無駄だなんて。正明さんの好みって難しい。

 霞さんみたいな大和撫子的な巨乳美人が好きなら、同系統の魅鈴さんも好みの大枠に入る筈なのに。

 全く興味が無いのは、バツイチ子持ちは駄目?それとも年下趣味?

 

「結衣ちゃんは、僕が魅鈴さんと結婚すると思って心配したのかい?そんな事は無いから安心して良いよ。

勿論、静願ちゃんも対象外だ。彼女達は仕事で知り合ったけど、今は力になりたいとは思ってる。だから下心は無いから安心してね」

 

 私が正明さんの性癖について悩んでいると、抱き付いて無い方の手でクシャクシャと撫でてくれる。

 勿論、私は知っていた。正明さんが魅鈴さんを苦手としてる事を……でも私は正明さんが誰かに盗られない様に牽制したんだ。

 抱き付いていた腕を放して手を握る。はにかみながら見上げれば、笑って歩き出してくれた。

 きっと子供心の嫉妬心位に思ったんだろう。

 

 正明さんの肩越しに綺麗な満月が見える。雲一つ無く、夜道を明るく照らす月。

 

 あの月は私の中の細波家の血を熱くさせる……何か神秘的で原初の力が有るの。

 

「正明さん。ミンさん、いえ進藤さんですが……少しだけ彼の気持ちが分かる気がするんです。勿論、悪い事なのは承知してますけど。

誰かと比較されて自分の位置が守れない。ならば、悪い事でもしちゃうんだって。私、私だって、その……」

 

 握った掌に力を入れる。でも正明さんの掌は大きくて固くて……

 

「人間ってさ。誰でも弱い所って必ず有るじゃん。自分の力じゃどうしようも無い事なんて、そこら辺に沢山有るんだ。

僕だってそうだよ。足掻きに足掻いたって駄目な時は駄目だ。そんな時だよね、何かに縋ってしまったり道を踏み外したりするのはさ。

確かにアイツは自分の事を棚上げして、相手が弱ってる所を攻めた。結果は鬱病に追い込み引っ越ししていったけどさ。

それで止めれば良かったんだよ。目的を達成したなら、それで止めれば良かったんだ。それで終えればバレなかったんだ。

だけどヤツは、次は楽しいから・面白いから、興味本位で不法侵入してバレた。それは仕方無いよね」

 

 正明さん?悪事がバレなければ良いの?自分の為なら悪い事も肯定するの?理由が有れば悪い事をしても良いの?

 

「正明さんは……悪い事でも必要なら肯定するんですか?」

 

 普段のイメージと違う言葉に、思わず聞いてしまう。

 

「僕は自分と自分の周りの人が大切だからね。綺麗事は言わないよ。それが必要なら、ね。

さぁ家に着いた。

先にお風呂に入ると良いよ。僕は少し腹ごなしの筋トレをするからさ」

 

 そう言って二階に上がる正明さんを見て思った。正明さんも色々と有るんだ。

 私を引き取って育てるには、綺麗事だけじゃ無いんだろうな。ならば私も自分の幸せの為に悪い事をしよう。

 他人には迷惑を掛けないけど、早い者勝ちの精神で抜け駆けをしよう。

 

 だって私の幸せに必要な事だから……

 

「分かりました、正明さん。私も私の幸せの為に、悪い事をイケナイ事をしますね。

でも大丈夫です。誰にも迷惑は掛けないもの。ただ、恨まれるかも知れないけど……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 正明さんの筋トレは夕食後に少し休んでから始める。有る程度お腹の空いてない時期にタンパク質を取ってから運動すると良いらしいです。

 それと筋トレ後に風呂に入りマッサージして寝ると、超回復で筋肉に良いとか?私には良く分からないけど、正明さんは筋肉鍛錬も科学的に計画し実施しているの。

 

 むぅ、見た目とのギャップが萌えます。

 

 知的で逞しい人って素敵ですものね。でっでも、私の幸せの為に行動するって言っても裸で迫る様な事は無理。

 それじゃ痴女かビッチで嫌だわ。確かに私も発情期には、内緒で布団に潜り込もうとかお風呂に突撃したくなるけど……

 それを実施したら正明さんの私への評価がストップ安まで暴落しそうで嫌。

 

 だから考え抜いた方法は「怖い夢を見て独りじゃ寝れないから、一緒に寝て下さい。お願いします」で逝こうと思います。

 

 うん、手を出されなくても出される迄、何回もお願いすれば良いの。幸いな事に先の一泊旅行で同じ部屋で寝た実績は有るから。

 断られても、その前例で押せば優しい正明さんなら折れると思う。勿論、寝間着はキッチリ着ていくわ。

 初回じゃ正明さんの鋼の意思は折れない。ロリコンじゃないのだから、中々手を出してはくれないし色々と葛藤も有ると思うけど……

 駄目でも一緒の布団で寝てる事実は作れるから、五月蝿い小笠原母娘の切り札になるわ。

 

 では、早速実行しましょう!

 

 時間は丁度0時を回った位……忍び足で正明さんの部屋の前まで来た。軽くノックをするが……返事は無いわ。

 もう寝てるのかな?試しにノブを回すと……開いたわ。

 

「お邪魔します……」

 

 真っ暗な部屋に廊下から差し込む僅かな明かりで正明さんの布団を確認する。うん、丁度良い感じに左側の布団にスペースが有るわ。

 大体の位置を確認して扉を閉める。真っ暗かと思ったけど、壁掛けの電波時計のシグナル受信のLEDランプの明かりが夜目に慣れた視界の助けをしてくれる。

 そっと近付いて添い寝をする。

 

「おやすみなさい、正明さん」

 

 ガッシリした正明さんの大きな体が布団の大部分を占領しているが、僅かなスペースに丸まる様にして横になった。

 明日の朝、正明さんはビックリするかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 真夜中に一旦目が覚めた。

 

 半分寝ぼけているのだが、何かが左側で動いている。ああ、また胡蝶が実体化して寝てるのか?

 最近彼女は良く実体化して同じ布団で寝る癖が有る。だから左側は必ず少しスペースを空けてるんだけど……

 抱き枕として胡蝶は丁度良いので、そのまま抱き寄せる。身じろぎをした彼女は珍しく服を着ていた。

 真っ裸がデフォなのに珍しいな……

 

「おやすみ……」

 

「おっ、おやすみなさい、正明さん」

 

 珍しく返事をしてくれた胡蝶を軽く抱き締めながら眠りに落ちる。何故がミルクの様な香りがする。

 それに正明さん?結衣ちゃんみたいだな。まさか彼女は布団に潜り込む訳は無いし、眠いから面倒臭いし……もう良いや、おやすみなさい。

 

 そして意識を手放した事を翌朝、後悔した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 午前6時50分、毎日規則正しく目覚まし時計は僕を起こしてくれる。7時迄は二度寝を楽しみ、顔を洗い身支度を整えて食卓に行くのは7時10分に……

 

 アレ?左腕が重いぞ。まだ胡蝶は寝てるのか?

 

 枕元に置いてあるリモコンを掴みスイッチを押す。眩しい光に目を慣らす為に擦りながら左を見ると……何故か、結衣ちゃんが寝ていた。

 

「ゆ、ゆゆゆ、結衣ちゃん?」

 

 ウニャウニャと身じろぎをして左腕に擦り寄ってくるけど?アレ?ナンデ結衣チャンガ寝テルノカナ?

 

「うにゅ、うにゅにゅ……んー、お早う御座います。正明さん」

 

 寝ぼけ眼で両手で目を擦る姿は大変愛らしいです。思わず結衣ちゃんをマジマジと見るが……Tシャツにホットパンツと何時もの寝間着姿だ。

 衣服に乱れも無いし僕は下半身に疲労も無い。

 スンスンと匂いも嗅ぐが淫靡な匂いでは無く、甘いミルクの香りがする……残念いや大丈夫、一線は越えてない筈だ。

 ゴソゴソと動きだす結衣ちゃん。両手を上げて欠伸とかしてリラックス状態?

 

「なっ、何で結衣ちゃんが僕の布団に?何時?何故?どうして?」

 

 布団の上に女の子座りをする結衣ちゃんに説明を求める。

 

「怖い夢を見たんです。それで一緒に寝て欲しいって頼んだら……正明さんがガバッと抱き付いて押し倒して、おやすみって。覚えてないんですか?」

 

 おやすみ?抱き付いて?押し倒した?何故だろう?何となく昨夜は胡蝶が来たと思って、そのまま抱き枕にしたような……

 

「いや、その……何となく寝ぼけてて、そんな記憶も無きにしも非ず……」

 

 完全に否定出来ないのが辛い。

 

「いきなり押し倒すんですから、ビックリしましたよ。ちゃんと責任取って下さいね?」

 

 ニッコリと微笑まれてしまった。直ぐにご飯の支度をしますね!そう言ってパタパタと部屋から出て行く結衣ちゃんの後ろ姿を見て思う。

 嫌がって無いのは何故なんだろう?それに責任って、どうやって取れば良いんだ?

 

 朝食を食べる時に、それとなく聞いたが教えてくれなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 残念、声を掛けた時に抱き締めてくれたから……そのまま一線を越えるのかと思ったのに、まさかの寝ぼけて抱き枕とは思わなかったわ。

 でも、流石にそれ以上の進展は恥ずかしいし……暫く様子を見てから、もう一度チャレンジしてみよう。

 

 今度は獣化してみようかしら?

 

 

 

 あれから一週間が過ぎた。

 

 明日は土曜日でお休みだから丁度良い。正明さんにも夕食の時に麦酒を普段より多く勧めた。

 明日は休みだから少し位は大丈夫だって……数珠を外し、ゆっくりと精神を集中する。

 四つん這いになって体を震わせれば、獣化の完了ね。でも毎回尻尾がパンツを押し下げてしまうのは困ります。

 

 さて、逝きましょうか……

 

 時刻は深夜1時過ぎ。今回も軽くノックをするが……返事は無い、ただの熟睡の様ね。

 

「お邪魔します……」

 

 そっと扉を開けて中を確認する。獣化の時は夜目が利くから暗闇でも平気。今回も何故か布団の左側にスペースが?丁度良いから体を丸めて潜り込む。

 

「おやすみなさい、正明さん」

 

 あと何回、布団に侵入すれば手を出してくれるんだろう?でも、コレはコレで幸せを感じるわ。

 丁度寝返りを打って此方を向いた正明さんの胸元に顔を埋める。嗅覚も強化されてるから、咽せる様な男臭さも何故か安心するの……ああ、これが群のリーダーの匂いなんだ。

 スリスリと頬を擦ると、くすぐったいのか私を抱き締めてきた。

 

「うん、安心する……おやすみなさい、正明さん。ずっと私を離さないで下さいね」

 

 明日の朝、正明さんが私に気付いた後のドタバタ騒ぎを考えて可笑しくなる。もう何回か潜り込んだら、理由を教えてあげようかな?

 



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幕間第8話から第10話

幕間8

 

 「ヤバい、逃げるか!」

 

 古びた民家の窓から飛び出して逃げる。良かったぜ、窓が開いてなかったら逃げられなかった……一目散に草が茫々に生えた庭を横切り敷地の外へと逃げ出す。

 振り向けばヤツは窓の所に立っている。どうやら家からは出られないらしい。

 

「はぁ、失敗か……でも居るのは確認したから明日の夜に勝負だ」

 

 幾ら深夜の田舎道とは言え、人目に付かない様に急いで車迄戻る。深緑色のパジェロミニ、悟宗(ごそう)さんの形見の車だ。

 鍵を開けて運転席に乗り込む。エンジンをスタートさせて急発進。少々古い車だが、動かすだけなら問題無い。

 効き目の悪いエアコンに文句を言いながら竜雲寺(りゅううんじ)まで戻る。まだまだ深夜は冷え込が厳しい。

 中々暖まらない車内に業を煮やして、途中で見付けた自動販売機でホットなココアを飲んで胃袋から温める。

 

「さて、まだ1時間はドライブしなきゃな」

 

 飲み終えた空き缶をゴミ箱に放り込んで、運転席に戻る。少しだけ効いてきたエアコン。気分を変える為にCDを掛ける。このCDも悟宗さんの物だった。

 

 パフューム・東京事変・一青窈・大黒摩季……

 

 新旧の女性ボーカルが揃ってるが、趣味の方向性が分からないコレクションだよね。懐かしい大黒摩季の曲を聞きながら、暗い山道をひたすら走り続ける。

 1時間程走って、漸く目的地に到着した。真言宗泉涌寺派の竜雲寺。この古寺も悟宗さんから引き継いだ、遺産として継承した寺だ。

 鍵を開けて本堂に入り寝転がる……さて、色々有ったが今夜の敗因は何だ?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 悟宗さんが亡くなってから遺産・遺品等の片付け、お墓の整備を終えて少しだけ自由に考え事の出来る時間が出来た頃……

 僕はヤツ等が心の底から憎いと思っていた。未だに肉親を苦しめ続ける「箱」もそうだが、悟宗さんを殺した餓鬼もそうだ。

 兎に角、怪奇現象に携わるモノ全てが憎かった。憎くて憎くて、それならどうするんだ?

 そう考えた時に思い付いたのが、在り来たりな復讐。兎に角、何でもかんでもヤツ等が憎い。

 

 ならば自らの手で滅ぼしてやる!

 

 だが、現実は甘くない。ヤツ等を探す手段が僕には無いんだ。だから悟宗さんから紹介された西崎さんに連絡をした。

 

「もしもし、西崎さんですか?榎本です。何でも良いから仕事を紹介して下さい。ええ、僕に頼めるレベルのから……」

 

 除霊の依頼を斡旋して欲しいと……

 

「いや、構わないけどさ。榎本君って実績も経験も無いよね?だから回せる仕事は本当に最低ランクだよ」

 

 気に入らない奴だが、力を借りるしか無く文句も言えない。

 

「何でも良いんだ。何でも良いから紹介して下さい!」

 

 そう頼み込んで初めて紹介された仕事が、今日の民家に出る老婆の霊の除霊だ……依頼人は老婆の家族からだった。

 三年前に出掛け先で倒れて救急病院に搬送、手当の甲斐なく心不全で死亡。葬儀も済ませて墓も建てて貰い、息子夫婦の家には仏壇も有る。

 だが、何故か最後に住んでいた田舎の家に必ず幽霊として現れるんだ。

 寝室として使っていた6畳和室の床に這う様に現れる祖母に対して、残された家族は困ってしまった。

 藁にも縋る思いで除霊を頼んで来たらしい。何故、近くの寺とかにお祓いを頼まないのか不思議なんだが……

 身内を祓うなら普通は怪しい拝み屋なんかに頼まないだろ?

 

 まぁ僕には、その辺の理由はどうでも良い。

 

 元々、西崎さんから貰った依頼書にも細かい事は書いてない。ただ経緯と鍵の入った封筒を渡されただけ。

 お祓いが成功すれば民家は取り壊すので、鍵の返却も不要と言われた。

 

 あの時……問題の部屋の隣で待機し、現れたら清めた塩とお札の二段構えで祓おうと思った。

 

 だが実際は、最初に現れた時に直ぐに清めた塩を撒いた。問答無用に撒いた。

 確かに効果は有ったみたいで、老婆は苦しみのた打ち捲った。トドメにとお札を貼ろうとしたが、老婆は立ち上がり此方に掴み掛かってきたんだ。

 それは恐ろしい表情で掴み掛かってきた。こりゃ無理と咄嗟に窓から逃げ出した。

 

 何故、窓を開けていたか……

 

 避難通路の確保なんて格好良い理由じゃない。単に部屋が埃臭くて換気の為に開けたんだが、建付けが悪くて閉まらなくなったダケだった……

 あのまましがみ付かれたら取り殺されただろう。悟宗さんも餓鬼に纏わり憑かれて内蔵から腐らされられたんだ。

 

 老婆に清めた塩は効いた……

 

 だが、祓う迄にならなかったのは効果が薄いから?僕の力では、あれ以上の効果を発揮するだけの霊力は籠められない。

 護摩焚きだって手順通りに行って用意した清めた塩なんだ。自分の力の限界を初めての除霊で思い知らされるとは、屈辱以外の何物でも無いな……

 

「ははは……所詮、僕は駆け出しのぺーぺー霊能力者だよ!力も経験も無い最低レベルの男なんだ」

 

 だが腐ってもしょうがない。力が弱ければ工夫すれば良いんだよ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 準備に時間が掛かりリベンジは二日後になってしまった……問題の家は隣家も疎らな田舎に有る。

 緊張しながらハンドルを握り安全運転を心掛ける。緊張で事故りそうだ、手に汗ベッタリだしハンドルもヌルヌルしてきた。

 漸く現場に到着、時刻を確認すれば23時過ぎだ。用意した荷物を持って玄関から中に入る。

 当然だが電気は止められている。前回は懐中電灯だけだったが、今回は電池式のランタンを幾つか用意した。

 これで両手をフリーに出来る。問題の和室に到着、隣の部屋にもランタンをセットし照明を確保。

 

「うん、今回は準備万端だ。早く出て来いよババァ!」

 

 悪態を付くと畳の部分がモヤモヤと……うずくまった老婆の形を成していく。

 呼べば応える霊なんてテレビ局が放っておかないだろうに……完全に実体化するのを待つ。

 1分もせずに完全な老婆になった。良く霊は生前の最後の衣装を着てると思われるが、この婆さんは浴衣を来ていた。何故?

 

「婆さん、今回は負けないぜ」

 

 呼び掛けに此方を睨み付けてきた婆さんに……用意したバケツ一杯の清めた塩をブチマケル!

 

「ウギャー!」

 

 10キロの清めた塩、これが僕の考えた方法だ。

 

「戦いは物量だよ兄貴って名言を思い出してね。

アニメだと馬鹿にしてたけど、某宇宙世紀の独裁者の親族の中将がさ、デコな総帥に言った台詞なんだよ。婆さん、聞いてるかい?」

 

 のた打ち回る婆さんに話し掛ける。どうやら聞いてない?聞こえない?

 

「まり……え……まりえ……まりえー」

 

 マリエ?誰だ?婆さんは畳の縁(へり)をガリガリと引っ掻きながらマリエと連呼している。

 

「早くあの世に逝って成仏しろよな」

 

 そう言ってトドメのお札を婆さんに貼り付ける。断末魔の叫び声を上げながら、婆さんは消えていった。

 

「成功したかな……しかし畳の縁を引っ掻き回してたけど何か有るのかな?それにマリエって誰なんだろう?」

 

 気になったので塩だらけの畳を調べる。良く見ると、何度か畳を捲った様な痕跡が有る。

 

「ふむ、畳の下に何か有るのかな?」

 

 畳をひっくり返すのは専用の器具がいる。曲がった爪みたいな金具で引っ掛けるけど、そんな物は無い。

 色々さがして十特ナイフのコルク抜きで代用する事にした。畳の端にコルク抜きをクルクル回しながら突き刺す。

 そしてゆっくりと畳を持ち上げると、下に封筒が入っていた。

 

「封筒?中身は写真と、預金通帳か……」

 

 畳の上に胡座をかいて座りランタンの灯りで写真を見ると……あの老婆の生前の姿だろうか?

 品の良い老婆の膝の上に小学生位の女の子が座っていた、孫娘かな?

 

 写真を裏返すと「真理恵と共に実家にて」と書かれていた。

 

 もう一度良く見れば、縁側に座る老婆と孫娘。確かに、この家の庭に面した縁側みたいだ。

 貯金通帳の方を確認すれば、婆さんの蓄えみたいだ。預金残高は3500万円以上有るな。

 つまり婆さんの心残りは、孫娘に自分の蓄えを渡したかったのか……だから必死に訴えていたんだな。

 この写真と預金通帳は、西崎さんを通じて遺族に渡して貰おう。

 

「婆さん、悪かったな。だけど遺産は孫娘にはいかないと思うよ。この預金通帳はさ、公共料金の引き落としとかも利用してるだろ。

つまり存在がバレてる預金通帳なんだ。人は死ぬとさ、銀行は当人名義の口座を凍結するんだ。

だけど死亡届と戸籍謄本と相続人全員の同意書が有れば預金をおろせるんだ。つまり婆さんの子供が貰ってる筈だ。孫娘にはいかないんだよ」

 

 あれだけ孫娘に遺産を譲ろう・教えようと頑張ったけど、実際はとっくに婆さんの子供達が分けちゃってるんだよ。

 

「安心しなよ、婆さん。アンタの思いは遺族に伝えて貰うよ」

 

 後味の悪い結果になったが成功は成功だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日、西崎さんに連絡し成功報告と渡したい物が有ると伝えた。詳細を聞きたいと言われたので、指定されたファミレスに向かう。

 因みに料金は手渡しで序でに受け取る事にした。今後は振込にしたいのだが、西崎さんは手渡しに拘っている。

 つまりお金の流れが記録されるのが嫌なんだな。

 

 全く面倒臭いな……

 

 指定された時間は午後3時、この時間は比較的空いている。ファミレスに到着し店内を見回すと、奥の方で手を上げている彼を見付けた。

 向かい側に座り、取り敢えずドリンクバーを注文。先にコーラとメロン+カルピスソーダをテーブルに置く。

 

「で?どうだった?」

 

 どうやら西崎さんは、せっかちらしい。直ぐに結果を聞いてきた。

 

「成功ですよ。これが老婆の霊が守っていた物です」

 

 そう言って封筒をテーブルに置く。

 

「ほぅ?原因まで突き止めるとは中々やるね。どれどれ……これは結構な預金額じゃないか!」

 

 封筒から写真と預金通帳を取り出して、先ずは残高確認をする。まぁ普通はそうだよな。

 

「婆さんは孫娘に遺産を渡したかった。だから畳の下に隠していた預金通帳と写真を守ってたんですよ。

もっとも遺産は既に遺族に分配されてるでしょう。預金通帳が無くても手続きすれば平気ですからね」

 

 なんだよ、もう無いのかい?そう言って興味の失せた預金通帳を置いて写真を見る。

 

「真理恵ちゃんね……やっぱり孫娘は可愛いってか?」

 

「それは遺族に渡して下さい。それと預かっていた合い鍵も返します」

 

 借りていた合い鍵も返えす。もう、あの民家に行く事はないだろう。

 

「分かった、渡して伝えておくよ。はい、成功報酬」

 

 そう言って封筒を差し出してきた。

 

「どうも」

 

 封筒を受け取り、中を確認せずに内ポケットに入れる。この仕事は金儲けの為にしてる訳じゃないから。

 

「西崎さん、他に紹介出来る依頼無いですか?」

 

 奴らをあの世に送る為にしてるんだ!

 

「おぃおぃ、取り敢えず休まないと体が壊れるぜ」

 

 大して心配して無さそうな顔で言われてもな。

 

「大丈夫ですよ。それで、僕に紹介出来る依頼って無いですかね?」

 

「うーん、近場だと……ああ、コレなんてどうかな?潰れたコンビニに現れる幽霊を祓って欲しいらしい。成功報酬は20万円」

 

 ペラペラと手帳を捲っていたが、あるページを指差してきた。市内のコンビニか……

 

「分かりました。これでお願いします」

 

「じゃ帰ったら資料を送るよ。それと此処は奢りだから何か食ってけよ」

 

 そう言ってテーブルに5000円札を置いて西崎さんは出て行った……早速依頼人に報告にでも行くんだろう。

 折角のご好意に甘えて呼び出しボタンを押す。

 

「お待たせしました。ご注文を伺います」

 

 学生バイトかな?高校生位の女の子が注文を取りに来た。

 

「チキン竜田定食と稲庭うどんのセットを一つ」

 

 腹が減っては戦は出来ぬ!先ずは腹拵えをして次に備えよう。

 

 僕の復讐は始まったばかりなのだから……

 

 

 

幕間9

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 本堂の祭壇を前にして護摩焚きを行う。どうやら僕の作る清めた塩やお札は、当たり前だが普通の物より効力が弱い。

 ならば質より量で攻めるしか無い。物量で押し潰す……戦いは数だよ兄貴的な意見を採用だ。

 一日の内、午前中は護摩焚きを行い清めた塩を量産する。午後は休憩、寝る前にお札を作る。

 基本的に僕は霊力が少ないから、多目な休憩を入れて回復しないとお札が作れないんだ。

 しかもお札作成の成功率は6割程度だから、1日に2枚作れれば良い方だ。

 こうして西崎さんからの資料を待っていた三日間は、準備期間として霊具の作成に当てていた。

 

 成果は清めた塩が10キロ、お札が4枚だ。

 

 西崎さんからの資料は郵送で来る。この竜雲寺には写真とかの資料を受け取るのは郵送しか出来ない。

 携帯は圏外だしFAXは旧型だから写真は良く分からないドット絵みたいだ。

 インターネットなどは無い……お茶の間の卓袱台の上に資料を広げる。

 

 市内某所に有る潰れたコンビニ。立地条件が商売に向かないのだろうか?

 

 本屋→リサイクルショップ→マッサージ屋→コンビニと短いサイクルで入れ替わり、そして半年位で潰れていく。

 T字路の交差付近に有る為か、車を停める事は出来ず専用駐車場は1台分。駅やバス停からも10分程度歩かねばならず、周囲は住宅街だ。

 こりゃ潰れるわな。しかし幽霊騒ぎは最後のコンビニから噂になった。

 田舎故に24時間営業でなく本当に7時から23時までしか営業していない。何でも深夜に信号待ちをしていて、何気なく照明の消えた店舗内を見ると……

 若い女が中に立っているらしい。

 騒ぎを聞きつけた店側がガラス窓全てにカーテンを付けて閉店時間中は外から見えない様にしたが、一度広まった噂は止まらない。

 近所のお寺にお祓いを頼んだが、効果無し。念の為に監視カメラを確認したがバッチリ写ってたそうだ。

 同封されていた写真を見る。粗い画素数の白黒写真だが、確かに女が雑誌コーナーの前に立っている。

 もう一枚は冷蔵ケースの前だ。つまり店内を動き回ってるんだな……

 体型から女とわかるが、真っ白な踝(くるぶし)まで有るシーツに穴を開けて頭を通しただけの、ワンピースかドレスなのか分からない物を着て俯いている。

 長い黒髪が顔に掛かっていて表情は分からない。しかも裸足だ。

 

 何故、これで若い女と断定出来るんだ?しかし典型的なアメリカ版の女幽霊だな。

 普通は生前に、こんな変な服なんて着ないだろ?ガセネタじゃないのか?

 直接的な被害は無いが、噂を抑えないと次のテナントが入らないので祓って欲しいそうだ。

 建物のオーナー直々の依頼らしく、中に入る時には鍵とセコムの解除カードを借りにいかないと駄目なのか……

 

「除霊なんて怪しい職業だけど、テナントビルの場合は常駐警備員に何て言えば良いのかな?

まさか受付で入館手続きをする時に、テナントから頼まれたんで除霊に来ました!とか言っても無理じゃね?完全に不審者扱いだと思うな」

 

 今後、依頼を請ける場合は確かめなきゃ駄目だ。建物に入れず除霊失敗とかあり得そうで嫌だな。資料と言っても此だけだ。

 

「まぁ良いさ。行けば分かるだろうし……」

 

 霊具の用意も出来たし、乗り込んで出て来た所を祓えば良いさ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 アレから仮眠をして体調を整えてから、オーナー宅へ鍵とカードを借りに向かった。パジェロミニを走らせながら今夜の段取りを思い浮かべる。

 先ずは用意した物だが……数珠・清めた塩・お札・ランタン・懐中電灯だ。前回の失敗を踏まえてランタンは4台用意した。

 やはり灯りと逃走経路は必要だ、僕は弱いから特に逃走経路は大切だ。地図を頼りにオーナー宅へ来たが、良く有る木造二階建ての和風建築だ。

 金持ちには見えないが停めてある車がBMWだから、それなりなんだろう。呼び鈴を押すとインターホンから声が聞こえた。

 

「はい、どなた?」

 

 中年の女性の声だが、オーナーの奥さんかな?

 

「榎本と申します。西崎さんから依頼を請けた者です」

 

「……お待ちください」

 

 少し間が有ったし、声質が固かった様な……やっぱり胡散臭い商売だよな。

 

 霊能力者……

 

 テレビや漫画・小説とかだと皆さん協力的だし社会に認知されてるっぽいけど、実際は詐欺師と変わらない待遇だ。

 暫く待つと50歳前後の痩せたオッサンが出て来た。

 

「アンタが依頼を請けた霊能力者か?」

 

 随分と横柄なオッサンだな。

 

「はい、そうです」

 

 依頼人だし、一応丁寧な言葉使いで答える。値踏みをする様な目で僕を爪先から頭の天辺まで見るオッサン……

 

「若いな、本当に大丈夫なのか?店の中で逆にやられて死んでるとかお断りだぞ!その時は不法侵入されたと警察に言うからな!」

 

 仕事を貰う立場とは言え、随分と一方的な条件を突き付けるな。鍵とカードは借りてるのに、不法侵入って何だよ?

 まぁ僕はヤツ等に復讐出来れば良いけどさ。

 

「大丈夫です。僕も僧侶の端くれですから、それなりの力が有ります」

 

「ふん!近所の住職に頼んで駄目なのを若い坊主が何とか出来るのか?

まぁ良い……ほら、鍵とカードだ。終わったらポストに入れておいてくれ。頼んだぞ!」

 

 鍵とカードを押し付けられて、一方的に条件を言われ扉を閉められた。まだまだ駆け出しだから無理だが、ある程度名前が売れたらちゃんと契約を結ばないと良い様に使われるな。

 世知辛い世の中だ事。兎に角、中に入る事は出来るから頑張るか。

 パジェロミニに乗り込み、問題のコンビニを通過して少し先のコインパーキングに駐車する。

 時刻は未だ21時過ぎだし、前を通った時に中を確認したが幽霊は居なかった。何故かカーテンは半分近く開いていたな。

 見られちゃ困るなら閉めるのが普通じゃないか?

 

「まぁ良いや。23時過ぎまで仮眠してから行くか。幽霊だから早い時間には現れないだろ?」

 

 シートを倒し携帯電話の目覚ましをセットして目を瞑る。エンジンを切っているから少しだけ肌寒いが寝れない訳じゃない……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 予定より少しだけ寝坊して日付が変わる直前に、問題の店舗に到着した。コインパーキングから徒歩で来たが、寒空の中を10分以上歩いた。

 移動用に折り畳み式自転車でも買おうか?建物の裏側に周り鉄製の扉の鍵を開ける。

 中に入ると壁にセキュリティーカードを通す装置が有り、赤いライトが点滅している。カードをスリットに通す。

 

 ピッと言う電子音の後に「警戒を解除しました」と抑揚の無い女性の声が流れた時には、正直ビビった……

 

「脅かすなよな……さて、電気を点けるか」

 

 用意した懐中電灯で辺りを照らすと、少し離れた場所にスイッチが有る。

 

「あれ?点かないぞ?あれ、あれれ……」

 

 カチカチとスイッチを入り切りするが、肝心の照明が点かない。センサーは生きてるんだし、電気は来てる筈だ。

 懐中電灯で周りを調べると分電盤が!さてはブレーカーを落としたな。分電盤を開けて中を確認する。

 電灯盤と動力盤の両方を兼ね備えた分電盤は、主ブレーカーの他にサブのブレーカーが沢山有る。

 

「どれが照明関係のブレーカーだろう?良いや、全部入れよう」

 

 上から順番にブレーカーを入れて行く途中で、声を掛けられた?

 

「ねぇ?何してるの?」

 

 女性の声で耳元で囁く様に聞こえたぞ?

 

「……?誰だ?」

 

 未だ照明のブレーカーは上げてないから懐中電灯の灯りしか頼れない。周りを見回しても誰も居ない。

 

「くっ、急げよ!」

 

 慌てて全てのブレーカーを上げると、漸く天井の蛍光灯に灯(あか)りが灯(とも)る。

 直ぐに周りを見回すが、言葉を発したモノは居ない。明るくなって初めて分かったが、此処は事務所スペースだ。まだ事務机やロッカーが置いてある。

 左側がストックヤード、正面が店舗内になるのだろう……幽霊騒ぎで慌てていたのか、商品は持ち出しても備品類は残してある。

 

「さて、幽霊退治と行きますかね……」

 

 既に先制攻撃で声を掛けられてる。つまり相手は思考力が残っており、僕の侵入した事を知っている。

 僕の武器は、胸ポケットに入れたお札と左手に持った数珠。それに前回同様バケツに入れた清めた塩だ。

 用意したバケツは二つ、それぞれ5キロの清めた塩を入れてある。

 

 見付けてブチ撒ける!

 

 シンプルだが分かり易い方法だと思う。バケツの一つを事務所スペースに置いて、先ずはストックヤードに移動する。

 ゆっくりとストックヤードに入ると、スチール棚が整然と並んでいるが空っぽだ……奥に進むと冷蔵ケースの裏側に来た。

 ジュースとかの商品は裏側から補充出来る、つまり店舗内が見渡せる訳で……ガラスの前に此方を覗き込む女が居た!

 

「ちょ、お前……」

 

 此方を覗き込んでいるので、嫌でも目が合う。若い……まだ10代後半か20代前半だろう。

 血走った目に痩せこけた頬、青白い肌にひび割れた唇が何かを伝えている。声は聞こえないが口の動きで何となく分かった。

 

「死・ん・で・く・れ・る?」

 

 某ペルソナなアリス的セリフを理解した時、後ろのスチール棚が僕に向かって飛んできた。

 

「がはっ?なっ何だ?」

 

 倒れた棚から這い出す……口の中が切れたのか鉄の味が広がり、鼻からも嫌な臭いがする。下を向くと鼻血がポタポタと垂れる。

 

 チクショウ、やりやがったな!

 

 口に溜まった血を吐き出しなが、何とか体を起こす。左右を見回しヤツを探すが、居ない。

 

「誰を探してるの?」

 

 聞こえた方を向けば、倒れたスチール棚に座る女。どうやら、コイツは会話が可能な霊なんだな。しかもポルターガイストまで可能かよ。

 

「お前、何でこの場所に化けて出るんだよ?迷惑してるんだぜ」

 

 膝に力を入れて立ち上がる。バケツを探すがスチール棚に阻まれて見えない。どの道、清めた塩も床に散乱してるだろう……

 

「私?知らない?気が付いたら居たの。寂しいから悪戯するけど、人が居ないの。だから……アナタ死んでくれる?」

 

 そう言うと倒れていたスチール棚が浮かび上がる。問答無用で悪戯と言う名の殺戮をする女。

 

「嫌なこった!」

 

 悪態をついて横に飛ぶ。滅茶苦茶な軌道で飛んでくるスチール棚。

 一旦見上げるが、ヤツはカラカラ笑いながら残りのスチール棚を持ち上げる。ヤバい、狭いストックヤードじゃ逃げ場が無い。

 周りを見回しても避けるスペースも無い。怪我を承知で事務所まで走り込むしかないか?

 覚悟を決めてお札を両手に持ち、ヤツに吶喊(とっかん)する。

 

「やられる前にやってやるぜ!」

 

 正面から飛んでくるスチール棚を両手をクロスさせて防ぐ。当然負けてよろけるが、お札をヤツに投げ捨てて横をすり抜けて事務所まで逃げ切った。

 

「あはははははは……往生際が悪過ぎだよ?」

 

 瞬間移動でも出来るのか?ヤツは店舗の入口に立ってニヤニヤと笑っていやがる。

 

「勝手に笑ってろよ。これを喰らいな!」

 

 置いてあったバケツを掴み中身をヤツにブチ撒ける!

 

「ミギャー!何、何コレ?痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……」

 

 よろけながら店舗内に逃げ込むヤツに、残ったお札を両手に構えて追って行く。

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 霊力をお札に込めて、這いずるヤツの背中に貼り付ける。

 

「ちょ、おま……お前!女の子に何するのよ?痛いじゃない、チクショウチクショウチクショウ……」

 

 土下座の様な格好で呻いていたが、段々と薄くなり消えていった……

 

「どうやら退治出来たみたいだな。畜生はコッチが言いたいよ、体中が痛いんだから」

 

 倒せた事で気が緩んだか、僕もその場で仰向けに倒れてしまった。鼻血ダラダラで服の胸の辺りは真っ赤だし口の中も痛い。

 両手も痣が出来てるし、右足の太股もジンジンと疼いてきた。満身創痍って奴か、嫌になる位に僕は全然弱いんだな……

 

 

幕間10

 

 どれ位時間が過ぎただろうか?あの女幽霊を祓ってから気を失ってしまった。

 外を見れば未だ位から夜なのは分かる……

 

「……ん?外を見る?ヤバい、外から丸見えじゃないか?」

 

 痛む体に鞭を打ち、何とか立ち上がってカーテンを閉める。閉める前に外を確認したが、特に騒いでいる人は居なかった。

 取り敢えず少しは安心?でも覗き込み防止で付けたカーテンが、何故開いていたのか?

 あの女幽霊が悪戯で開けたのか?謎は残るが、今はそんな事を気にする必要は無い。

 先ずは片付けが必要だよね?床にブチ撒けられた大量の塩、倒れたスチール棚。

 見回すだけでも、グチャグチャだ。幸い?な事にストックヤード以外は荒らされてない。

 

「はぁ、片付けるか。でも先ずは顔を洗ってうがいをするかな……」

 

 事務所スペースには壁付けの手洗い器が有った。鼻をかみ口を濯いで体中の怪我を確認する。

 歯が抜けたり折れたりはしていないが、右頬の内側が切れていた。全身くまなく痛いが痣で済む程度の打撲だ。

 直ぐに医者に行かなきゃ駄目なレベルじゃない。血だらけのシャツを脱いでジャンパーの前を閉める。

 これなら注意して見なければ、怪我はバレない。

 引っ越しの途中なのか放棄されたのか分からないが、掃除用具入れロッカーが残っていたので中を見ると箒と塵取りを発見。

 時間を掛けてスチール棚を並べ直し、清めた塩を掃いて集め手洗い器に突っ込み水で流す。

 スチール棚の幾つかは凹んでしまったが、仕方無いよね?直せる範囲で、曲がった棚を真っ直ぐにした。

 カードをスリットに通し、セキュリティーを掛け直して施錠し外に出る。満身創痍だが、除霊は成功した。

 

 あの女……

 

 理由が退屈だからと、僕を殺そうとしやがった。自分の我が儘や欲望で人に害なす存在だったんだ。

 全然足りない、もっと、もっとだ!僕の復讐は全然達成してない……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 全ての片付けを終えてコインパーキングに戻れたのは、3時45分。車の時計を確認して2時間位は気を失っていたんだと思う。

 もし誰かに見られていたら、即通報レベルの状態だったな。血だらけの男が気を失い、床に大の字で倒れていたんだから事件性有り有りだよね……

 エンジンを掛けて暖気をしてからオーナー宅に向かう。眠そうなのを窓を開けて冷気を直接浴びる事で何とか耐える。

 約束通りにポストに鍵とカードを入れて、手帳に除霊は完了しましたと書いたページを破り一緒に入れる。朝になったら西崎さんに完了の連絡を入れよう。

 ジクジクと痛む体に鞭を打ち、何とか竜雲寺に辿り着いた時には太陽が山間から顔を出していた。

 

 長い夜だった……

 

 悟宗さんも結構怪我が多かったので、お寺の救急箱の中身は充実している。痣になった部分は湿布を貼り、擦り傷切り傷は消毒して絆創膏を貼る。

 鼻にはティッシュを丸めて詰めたが、鼻血は殆ど止まったみたいだ。素人治療を終えたら歯を磨いて口を濯いで、敷きっ放しの布団に倒れ込んだ。

 西崎さんへの報告は起きてからで良いや。

 

 兎に角、眠くて死にそうだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 遠くで何か電子音がなっている。どうやら家の電話が鳴っているらしい……枕元に置いてある携帯電話のディスプレイを見て時刻を確認する。

 14時38分か、随分と寝てしまったな。それにお腹も空いたな……半分惚けた頭を振りながら電話の所まで歩いて行く。

 

 まだ鳴り止まない電話機の受話器を取る。

 

「はい、もしもし……」

 

「ああ、榎本君かい?もしかして寝てた?」

 

 寝てたも何も寝てましたよ。電話の音で起こされました。頭をガリガリと掻く。

 髪の毛を乾かさずに寝たからか、凄い寝癖になっている。スーパーな野菜人みたいだ……

 

「ええ、明け方に帰って来たので寝てました」

 

「ごめんごめん。先方からさ、除霊が終わったって連絡が有ってさ。

何でも店内を写していた防犯カメラに、君の除霊する姿が写ってたそうだよ。先方も確実に除霊が終わったと喜んでたよ。

今回の報酬は少し色をつけるよ。じゃ、今日はゆっくり休んで明日にでも会おうか」

 

 そう一方的に話して電話を切った。

 

 しかし……防犯カメラで監視されてたのか。

 

 無様な姿や気を失ってる所、後片付けをしてる所とか見られてたのは恥ずかしいな。

 でもやっと二体目だ。まだまだ全然足りない。明日、西崎さんに有ったら仕事を斡旋して貰うか。

 すっかり目が覚めたが、体の痛みは酷くなってきたみたいだ。

 

 今日は大人しく寝てよう。

 

 だが、その前に何かお腹に入れよう。台所を漁るとカップ麺と魚肉ソーセージ、それにダイエットペプシを見つけた。

 

「今日はこれで良いや……」

 

 簡単に食事を済ませて、二度寝をする為に布団に戻った……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 前回同様のファミレスで待ち合わせをした。田舎だが駅前と言う立地状況と近くに公立高校が有る為か、平日の午後だが八割方の混みようだ。

 特に学生や主婦層が目に付く。待ち合わせ時間より10分程早く向かったが、やはり西崎さんは先に来て珈琲を飲んでいた。

 同じ様に店員を呼んでドリンクバーを注文し、オリジナルブレンドをニ杯入れて西崎さんの向かい側に座る。

 

 僕のメロンソーダ+カルピスとダイエットペプシを見て「榎本君はアレかい?炭酸好きなの?」と、少し呆れた感じで言われた。

 

 僕は自他共に認める炭酸中毒だ!

 

「ええ、炭酸飲料が大好きですよ」

 

 当たり前だろ的に答える。

 

「まぁ良いや。はい、今回の報酬だよ。立て続けに二件、それも短期で終わらせてるからね。色を付けといたよ」

 

 テーブルの上に置かれた封筒の中身も見ずに内ポケットにしまう。そんな態度に不審気な顔で僕を見る。

 

「傷だらけだけど平気なのかい?無理をしないで少し休んでみたらどうだい?」

 

 アレから打撲の部分は黒ずんで、擦り傷切り傷は腫れてきた。幸い鼻と口の中は悪化しなかったけどね。

 

「いえ、平気ですから……次の仕事を紹介して下さい」

 

 折角の申し出だが、僕は復讐の為に除霊してるんだ。休んでる時間が惜しい。

 西崎さんは珈琲を一口飲んで溜め息をついた……懐から手帳を取り出してページを捲っている。

 

「はぁ……早死にするぞ。そんな仕事振りじゃ。県内で君に頼める仕事はコレしかない。だが、少しランクが高いんだ……どうする?」

 

 手帳を此方に差し出し、探る様な目で僕を見る。差し出された手帳のページを見ると、某テナントビル多発する飛び込み自殺の原因を探る事……そう書かれていた。

 

「飛び込み自殺の防止ですか?心霊って範疇じゃなくて進入禁止柵とか作った方が早くないですか?」

 

 自殺防止って相手は生きてる人間だろ?死んだ後に幽霊となり化けて出るなら相手になるが、自殺志願者を止めるのは霊能力者の仕事じゃない。

 

「最初は進入防止の柵とか色々したそうだ。だが、そのビルで働く人やお客さんが突然窓から地上へダイブするらしい。

まるで何かに取り憑かれた様にね。I Can fly?」

 

 うーん、イマイチ心霊っぽく無いし原因追究とか面倒臭い気がするな。もっと単純な方が良い。

 

「ちょっと嫌です。県外でも良いので、僕のレベルに合った仕事はないですか?」

 

「そうだな……これは少し難しいよな。そうだな。

今扱ってる物件だと県外は……愛知県のラブホテルの一室に出る男女の幽霊。

後は静岡県のアパートに出る赤ん坊の幽霊だ。最初の方は浮気された妻が、旦那が愛人とシッポリ楽しんでた所に乱入して二人共刺し殺した。

次のは……アレだ。幼児虐待だな。若いバツイチの母親が子供を残して遊び歩いてたら、衰弱死だ」

 

 どっちも碌な事件じゃないな……でも子供の幽霊は原因を考えると仕方無いよな。

 

「それじゃ愛知県のラブホの方をお願いします」

 

 浮気で制裁の方が気が楽なので、其方にした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 愛知県で有名なのは名古屋コーチン・味噌カツ・外郎(ういろう)・喫茶店のモーニングが盛大!

 名古屋城・明治村位しか知らない。新幹線を降りると平日昼間の所為か、ホームは比較的空いている。

 今回は市街地のラブホに現れる殺された浮気カップルの霊だ。オーナーの連絡先は聞いているか、問題のラブホには居ない。

 開かずの間として閉鎖し営業してるから、話を通して貰わないと部屋にも入れて貰えないだろう……新幹線内で食べた駅弁の屑をゴミ箱に入れて改札に向かう。

 どちらにしても一泊は覚悟しなきゃならない。先ずはホテルを確保してから連絡しよう。

 駅前に有る周辺地図を見て幾つかホテルをピックアップする。名古屋プリンス、グランドホテル名古屋……高そうだな。

 

 おっ東横インが有るぞ。

 

「決めた!東横インにしよう」

 

 大体の道順を覚えてホテルに向かう。時刻は3時を過ぎているから、部屋に空きが有ればチェックイン出来るだろう。

 重たい荷物を持ってコートを着てると汗が出てくる。もう春も近いんだな、昼間は大分暖かくなってきた。やはり清めた塩が10キロは重かった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東横インは問題無くチェックインした。一泊5800円で朝食付きは安い。念の為に三泊予約した。

 今夜で終わらなければ、明日の夜まで除霊をするからな。流石に除霊を終えて朝方に帰るのは辛過ぎる。翌日一泊してから帰りたい。

 ホテルの部屋に入り持ってきた荷物を置いてベッドにダイブする。僕は布団派だが、偶にはベッドも良いかな……

 30分程仮眠をし、スッキリしてから備え付けの机に座り携帯電話からラブホのオーナーに電話をする。

 長い……8コール目でやっと繋がった。

 

「……はい」

 

 不機嫌そうな中年の声だな。

 

「もしもし、西崎さんより依頼された榎本です」

 

「ああ、拝み屋さんか?で、何時やるんだ?」

 

 拝み屋?霊能力者にはそんな呼び名も有るのか?

 

「出来れば今夜からでも行いたいです。フロントの方に連絡を入れて貰って良いですか?」

 

「あー分かった分かった。伝えておくから宜しくな」

 

 そう言って電話を切られた……いや時間とか条件とか良いのかよ?詳細を打ち合わせする前に切られたぞ。

 西崎さんが探してくる連中って、基本的に僕等を胡散臭い連中と思ってないか?対応が悪いって言うかさ。

 仕事は頼まれてるけど、一応困ってるアンタ等を助ける為に体を張ってるんだけど?まぁ僕は自分の復讐の為なんだけどさ……

 さて夕飯食って仮眠してから行こうかな。

 ラブホだから独りで行くと、デリヘルとかホテトルとか呼ぶとか思われたりして?それともダミーで女性を同伴させないとダメ?

 

 しかし……僕は彼女なんて居ない。

 

 高校生時代から付き合っていた彼女とは最近になり別れた。多分、「箱」との鮮烈な初体験が僕の女性観をぶち壊してしまったからだ。

 

 何故、「箱」は幼女の姿で現れたのか?

 

 何故、僕はソレを受け入れてしまったのか?

 

 何故、気立ての良かった彼女に別れ話を切り出したのか……それは彼女が成長し過ぎたからだ!

 きっと僕には「箱」の呪いで酷いロリコンになってしまったんだ。僕は悪くない「箱」が悪いんだ。

 

 ひとしきりベッドの上で悶え……いや、青年の悩みを発露してから我に帰る。

 

 悩んでも僕がロリコンに目覚めたのは仕方無いのだ。

 

「認めたくないものだな。若い女性とばかり、エッチな過ちを行いたいとは……」

 

 某仮面な赤い人を真似したが、虚しいので止める。

 

「さて、飯でも食って仮眠するか……」

 

 駅前に有った餃子の王将で、ラーメン+餃子+ライス大の定食を食べに向かう事にした。

 



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幕間第11話から第12話

幕間11

 

 愛知県名古屋市某所。

 

 JR沿線に有る某駅の近くのラブホテルが今回の除霊現場だ。曰く付きの部屋を開かずの間として営業中の根性の有る(がめつい)オーナー。

 そして度胸有る(言われた事に従う)従業員。普通は幽霊が出るホテルでなんか、働きたく無いだろ?

 その部屋にしか出ないなんて保証なんて無いんだし……地図を片手に目的のラブホを探す事、30分。

 県道から一本路地を入った所と言われ、ソレっぽい場所を探したが中々見付からない。

 諦めかけて明日にするかと自販機で買ったファンタを飲みながら向かい側のボロい廃墟を見て……

 

「これだ……ナゴヤプリンス。嘘だろ?これ木造二階建ての廃墟じゃないのか?」

 

 目の前に聳(そび)える廃墟だと思った建物が目的のホテル、ナゴヤプリンスだった。申し訳無さそうな縦60㎝横15㎝の看板には確かにナゴヤプリンスと書いてある。

 通りからは薄暗い路地みたいな通路しかなく、あの暗い路地の先にフロントが有るのだろうか?

 通りに面した部屋の窓は全て塞がれている。良く見れば屋根にナゴヤプリンスとネオンが輝いている。下ばかり見てたから気付かなかったんだな。

 

「アレか?連れ込み系の安いラブホなんだな。近代的な鉄筋コンクリートの建物をイメージしてたから分からなかったよ……」

 

 良く見れば置き看板が有り、休憩2時間3800円・宿泊5500円〜って出てたよ。

 ボケッと廃墟みたいなラブホを見上げていると、客の男女が僕を不審気に見ながら避けて中に入って行った。

 日本人中年男性にフィリピン系のケバい女性だ……

 

「やっぱり売春とかの違法な行為の温床になってないか?違う意味でヤバいな。

あのオーナーもヤの付くヤバい職業かも……とっとと除霊を終わらせた方が良いぞ」

 

 肩に食い込む10キロの清めた塩の入った鞄を担ぎ直し、魔界の入口みたいな薄暗い路地の中に入る。

 暫く進むと民家の玄関みたいな場所に出た。正面に小窓の付いたカウンターが有る。

 

「あの……すみません」

 

「はい?あらあら、女性は後から呼ぶのかしら?もう決めてるの?それともこれから?部屋にもホテトルのチラシが有るから参考に……」

 

「違います。僕はオーナーから頼まれて除霊に来ました」

 

 小窓から顔だけ覗かせて営業トークを捲くし立てていたオバサンに説明する。しかし、やはり連れ込み宿だったな。

 しかも違法売春も許容してるみたいだし……

 

「へー、アンタが拝み屋さんかい?若いのにねぇ……ハイよ、これがあの部屋の鍵だよ。二階の階段から四部屋目だよ。

終わったら報告は直接オーナーに言っておくれ。私ゃ怖いからさ、確認なんてしないよ」

 

 小窓から鍵を差し出し、手で追い払う様な仕草をされた……鍵を受け取り、奥に有った階段を使い二階に上がる。

 全体的に薄暗い感じがするのが余計に怖い。幾ら安いとは言え、良くこんな場所でエッチしようとするよな。

 途中で客とすれ違ったが、先程とは違い20代前半の若いカップルだった。

 独りの僕を胡散臭い奴みたいに見ていたし、すれ違った後で何やらヒソヒソ話していた。

 

 感じが悪いな……

 

 鍵には「雲雀(ひばり)の間」と書いて有る。階段から四番目の部屋も扉に雲雀の間と書いて有る。

 この部屋で間違いなさそうだ。だがネーミングセンスは一昔前の旅館並みだよね?

 意を決して鍵を開けて中に入る。プンッと黴臭く重たい空気が僕の体に纏わり付く……嫌な感じだ。

 電気を点けて中に入る。

 

「あー和室に無理矢理ダブルベッドを置いてあるな……普通に和風旅館だな」

 

 バスルームも見るが、昔懐かしい小さなモザイク貼りの浴槽に白いモルタル塗りの壁。

 扉は木製にガラスを嵌め込んだ引き戸だし、衣装を入れるのは棚じゃなく竹の篭だ。確かに安いだけの事は有るね。

 ダブルベッドの枕元にはお約束なティッシュにコンドームが二つ。

 

 冷蔵庫の中身は……

 

 赤マムシ・ビール・酎ハイ・ワンカップ、しかも会計は伝票に書いて自己申告だ!普段中々入れない場所だけに面白い……

 

「違う!仕事に来たんだ、遊びじゃない」

 

 すっかり探検気分になってしまったが、気持ちを切り替えて仕事モードにする。先ずは毎回なワンパターンだが清めた塩を用意する。

 今回はバケツじゃなくて計8本の500ミリリットルのペットボトルに詰めた。コレをズボンの両ポケットに一本ずつ入れる。

 残りはサイドテーブル・ベッド、それと脱衣場に分散して置いた。後はお札を内ポケットに入れて準備完了。

 ベッドに座り持ち込んだコーラをチビチビ飲みながら、霊が現れるのを待つ。

 

 待つ………………

 

 待つ…………

 

 待つ……

 

 待つって全然現れないじゃないか?あれから2時間程待っているが、欠片も気配が無い。

 アレか?何か条件が有るのか?例えば男女同伴とか、ヤッてる時に現れるとか?

 

「マズいな……除霊に同伴してくれる女性なんて居ないぞ」

 

 取り敢えず、ソレっぽい雰囲気を出す為にテレビをつける。お約束なアダルティーな番組が流れる……

 これで現れなければ今夜は中止だよな。そう考えていたら番組に見入ってしまった。だって女優さんが幼い感じのロリロリだったんだ。

 番組のタイトルは「ファニーエンジェルシリーズ」だな。ヨシ、覚えたぞ。

 この仕事を終えたらレンタルビデオ屋に行こう。しかし暇だな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「俺が悪いんじゃない。お前がアイツは死んだから平気だって……」

 

「私だって悪くないわ!アイツの往生際が悪いのよ……」

 

「だからって……」

 

「じゃあ何よ……」

 

 頭の上で痴話喧嘩の声が聞こえる。ラブホに来てまで喧嘩すんなよな。エッチして帰れよ……

 

「ヤバい、寝ちまった!」

 

 慌てて起き上がると、目の前で幽霊?が痴話喧嘩をしている。ダブルベッドの真ん中で僕は胡座をかいていて、向かい側のソファーで幽霊が痴話喧嘩をしている。

 男の方は30歳前後、チンピラ風で茶髪ロングに紫色のジャケット、白いスラックスにエナメルの革靴。女の方は30歳後半、肩甲骨辺りまで有る長髪にサングラス、緑色のスーツ上下を着ている。

 感じとしてはヤクザの情婦だ……ドラマみたいな出来事に、思わず体が固まってしまう。

 これはどんな状況なんだ?暫く言い争っていたが、突然二人がドアの方を向いた。

 

「あっアンタ、これは違うのよ!」

 

「兄貴、すまねぇ……俺は誘われただけで……」

 

 言い訳を始めた二人の幽霊の前には……上半身裸でサラシを巻いただけの厳つい男が居た。

 角刈りで鋭い眼差し、分厚い唇からは血が出ている。良く見ればサラシからも出血が……だが幽霊なのは間違い無い、体が透けてるから。

 

「おぅ雅美(まさみ)、ヒロ。俺が死んだからって大した度胸だな、ああ?」

 

 おかしい……

 

 この部屋には浮気された男の妻が乱入し、旦那と浮気相手を殺した筈だ。だが現実は、ヤクザの旦那を亡くした情婦がチンピラと浮気した現場に旦那が化けて出た。

 

「違うのよアンタ、私は……」

 

「兄貴、違うんだ。俺は騙されて……」

 

「ウルセェ!二人共ぶっ殺してやる」

 

 きっと生前に有った事なんだろう。ドス?脇差し?短い刃物で二人を刺し殺している。血飛沫までリアルに飛び散ってます。

 彼等は同じ事を繰り返しているんだ。だが……ならば何故、除霊の依頼が来るんだ?何故、嘘を付いて仕事を依頼したんだ?

 

「おぅ?オメェも雅美の浮気相手か?」

 

 血だらけの刃物を持った幽霊が、僕を見て言い放った。なる程、目撃者を襲うんだな。だから除霊を……

 

「ちっ違う、違います。僕は通り掛かりの霊能力者なんです」

 

 あまりの迫力に腰が抜けて動けない。両手もガチガチに固まって、折角用意した清めた塩もお札も取り出せない。

 

「関係ねぇ!お前もぶっ殺してやる」

 

 ユラユラと此方に向かってくるヤクザ幽霊から目が離せない。ヤバい、僕は此処で死ぬかも知れない……刃物を振りかぶる姿を見て、つい目を固く瞑ってしまう。

 

「アレ?何時まで経っても痛みが来ないぞ……」

 

 恐る恐る目を開ければ、幽霊を噛み千切る「箱」が居た。ヤクザ幽霊を食べ終わったら、どんな手を使ったのか浮気した二人も呼び出して喰い付いた。

 目の前で幽霊三人を食べ終わり、盛大にゲップをする「箱」。確かホテルに置いて来たのに……

 

「正明、中々良い贄だったぞ。だが勝手に死のうなんて思うな。

死ねばお前の肉親と共に未来永劫の責め苦が続くぞ。ギャハハハハハ……」

 

 そう言って、コロンっと「箱」がダブルベッドの上に転がった。良い贄?つまり、この依頼はトンでもなく高いランクだったのか?

 西崎さんが騙した?それとも依頼人が騙した?僕は身に余る怨霊相手に殺されそうになったのをやっと理解した。

 

「ああ、下半身が冷たいと思ったら漏らしてしまったのか……」

 

 少しだが小便を漏らしてしまった。除霊は終わったんだ。パンツを洗いズボンを乾かそう。幸い脱衣場にはドライヤーも有った筈だ。

 この部屋の惨劇はヤクザ絡み。多分だがオーナーもヤクザなんだろう。連絡はしたく無いが除霊が終われば報告しないと駄目だ。

 

 時計を見れば4時22分。

 

 まだ夜も明けてないし、失礼な時間に連絡しても不味いだろう。下半身丸出しでパンツとズボンをバシャバシャ洗いながら、この先の事を考えた。

 正直に「箱」以外の事を話すべきか、単に除霊が終わったと言うだけにするか……僕はドチラにするか悩んでしまった。

 

「まぁ良いか……先ずは気持ち悪い下半身を何とかするか」

 

 ズボンとパンツを乾かして冷蔵庫を漁りビールを飲んだ。賞味期限がギリギリ切れてたけど気にしない。

 やはり開かずの間になってから補充はしてないのだろう。飲まなきゃやってられないと思ったからだ。

 二本程立て続けに飲んで、漸く眠気が来た。朝8時に携帯電話の目覚まし時計をセットしてベッドに倒れ込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「おい拝み屋、生きてるか?おい、返事しろよ?」

 

 扉を叩く音で目が覚めた。拝み屋って何なんだよ?ベッドから起き上がり頭を振って意識を覚醒する。

 ふらつきながら扉に行って鍵を……いや鍵は掛けてなかったしチェーンロックもしてない。

 

「はい、誰です?」

 

 扉を開けると、驚いた顔のチンピラ二人と……奥に筋肉の塊の厳つい男が居た。

 

「遅かったな。死んでるのかと思ったぜ」

 

 ニヤリと筋肉が凄みの有る笑みを浮かべた。正直に言って怖い。幽霊よりも怖い、生物として絶対に勝てないと思う。

 

「ああ、すみません。除霊は成功ですが、深夜に連絡するもの失礼かと思い仮眠してました」

 

「はっはっは。仮眠たぁ良い度胸だな。拝み屋、気に入った。まぁ中を確認させて貰うぜ」

 

 僕を押しのけて部屋の中に入る。チンピラ二人は躊躇してか、廊下から動かない。筋肉さんは部屋の真ん中に仁王立ちで見回している。

 

「ほぅ酒まで飲んで寛ぐたぁ、大した度胸だ。こんな惨劇の有った部屋で寝るなんてな。拝み屋ってのは、皆そうなのか?」

 

 ご機嫌な笑顔を向けてくるが、やっぱり怖い。

 

「他の連中は知りませんが、僕の師匠も度胸は有りましたよ」

 

 悟宗さんも除霊現場に直接乗り込むタイプだった。

 

「細かい事は親父に説明してくれじゃ行くか?」

 

 行く?何処へ?

 

「ほら、ビビって外に突っ立ってないで、拝み屋の先生を案内しねぇか?」

 

「「へい、先生!此方っす」」

 

 訳が分からない内に連行されてしまった。まさかヤクザの事務所に連れて行かれるの?

 

 

 

幕間12

 

 裏口から連行され路駐していた真っ黒なリムジンに乗せられた。早朝故に人通りは皆無だから、僕が拉致られた事を知る人は居ない。

 ベタベタな展開だが、まさか石を抱いて海の底じゃないよね?前にチンピラ二人、後ろに僕と筋肉の塊が乗っている。

 

「なぁ拝み屋さんはよ、若いな。幾つなんだ?」

 

「えっと22歳になります」

 

「細いなぁ……幾ら変な技使えるからって体も鍛えろよ」

 

 肩をバシバシと叩きながらフレンドリーに話し掛ける。だが力加減は最悪だ。物凄く痛い。

 暫くは世間話をするが、見た目は怖いが対応は優しい。これがヤクザテクニック?

 

「付きやしたぜ、兄貴」

 

 ああ、遂に事務所へ連行されてしまった……車から出れば、立派な鉄筋コンクリート五階建ての建物が有る。

 しかも入り口には監視カメラが有り、デカい木製の看板が下がっている。某広域指定暴力団の看板が……

 

「拝み屋の先生、ボーッと立ってないで入ってくれよ。親父が待ってるぜ」

 

 チンピラ二人は車を回しに行ってしまい、筋肉の塊さんと二人きりだ。先に歩く筋肉さんを追って行く。

 多分、今逃げたら海に沈められるだろう。最初の部屋は普通の事務所みたいだ。整然と事務机が並び奧には応接セットも有る。

 但し事務員じゃなくて武装構成員だらけだ。

 

「「「「お帰りなさい兄貴!」」」」

 

 見た目の厳つい連中が一斉に立ち上がり、腰を90度に曲げてお辞儀をする。この筋肉さんは高い地位なんだな。

 

「おぅ帰ったぜ。親父は奧か?」

 

 厳つい連中の中を歩く筋肉さんの後ろに付いて歩く。良かった、トイレを済ませておいて。未だだったらヤバかったかも……

 奥の部屋は、成金趣味丸出しの豪華な部屋だ。毛足の長い絨毯・壁に掛かる虎革・高そうな壷・豪華なシャンデリア・そして日本刀が飾ってある。

 最後の日本刀はインテリアだけじゃなくて、武器も兼ねてるよね?イタリア辺りの輸入品っぽい、高そうなソファーに座る老人が親父なんだろう。

 意外な事に見た目は普通の老人だ……作務衣を着てるが体格は貧弱だし表情も穏やかだ。

 

「おぅ、拝み屋さん。上手くいったらしいな?まぁ細かい話は飲みながらするかい?」

 

 良く分からない銘柄のウィスキーを薦めてくる。だが確かに電話で話した声と似ている。

 

「まぁ座れよ、拝み屋さんよ」

 

 老人の向かい側に筋肉さんと並んで座る。直ぐに親父さんが、グラスに並々とウィスキーを注いでくれた。

 一口舐めると確かに高級な感じがする。流石はヤクザの親分って事かな?

 

「で、教えてくれ。どうなったんだい?」

 

 筋肉さんが話を急かす。全て正直に言わないと怖い事になりそうだ。

 

「えっと……先ずは依頼内容と実際が違ってたんです。僕の聞いた話では、浮気した旦那の奥さんが旦那と浮気相手を殺した。

そして殺された二人の幽霊が出ると……

でも実際は、先に亡くなった旦那さんの霊が奥さんと相手を殺した。そして、その情景を毎夜繰り返していた。そう感じました」

 

 親父さんがニヤリと笑った。あの状況を親父さんは知っていたんだな。

 

「拝み屋さんよう。アンタの見た連中は、この中に居るかい?」

 

 テーブルに懐から取り出した写真の束をポンっと置いた。既に用意してたんだろう、厚みからして50枚は有る。

 手に取り写真の束を捲っていく……

 

「これが兄貴と呼ばれていた人だと思います。上半身裸でサラシだけでしたが。

あと彼女が雅美さんと呼ばれていた女性かな?確か緑色のワンピースでした。

もう一人は、この中には居ないと思います。茶髪の30歳位の男でしたが、横顔だけしか見なかったので何とも言えませんが……」

 

 多分、ちゃんと除霊したかの確認なんだろう。写真を選ばせたのは。

 

「そうだな。あのバカの写真は入れてない。拝み屋さん、アンタ本物だな。

あの部屋には何人もの霊能力者を送ったが、全員が殺されてたんだ」

 

 ああ、やっぱり……しかし何人もの同業者を殺す霊が初級か?情報も違ってたし、西崎さんは何をしてたんだ?

 文句を言っても良いだろう、いや絶対言うぞ。

 

「僕も兄貴の霊に刃物で襲われましたから。でも三人共祓いましたから大丈夫だと思います」

 

 「箱」が喰ったが気に入ったって事はレベルの高い怨霊だったんだな。だが贄をやれて良かったので結果オーライだ。

 

「そうかい、祓ったって事は天国に行ったのかい?成仏ってヤツだろ?」

 

 成仏だって?知らないよ、あの世に送っただけだから。

 

「僕はあの世に送っただけですから。生前の罪により天国か地獄かに行くと思います」

 

 思わず笑ってしまった。ヤバい、ヤクザのお仲間を祓ったのに地獄行きとか言ってしまったのと同じだ。

 

「親父、この拝み屋さんは結構肝が据わってるぜ。何たって仕事の後に、あの部屋で酒飲んで寝てたんだ。

夜遅く親父に電話したら迷惑だろってさ。若い癖に大した度胸だろ」

 

「ほー、あの部屋でか?大したもんだな。それに儂らの仲間を地獄に送って笑いおった。

兄ちゃん、普通はヤクザに手を出したら自分以外の家族や友人も危険なんだぜ?」

 

 ああ、テレビや小説と同じだ。自分以外にも危害を加えるってか!

 

「くっくっく……僕に家族は居ませんよ。師匠も奴らに殺された。

親父さん、僕が除霊をするのはね、復讐なんですよ。僕から大切な家族や師匠を奪った奴らに!」

 

 酒の勢いか捨て鉢になったからか、ヤクザの親分に啖呵を切ってしまった。

 

「気に入ったよ。アンタ名前はなんて言うんだい。

馴染みの拝み屋が全員殺される様なヤツを祓える力と、儂を恐れない度胸もな。空度胸でも大したモンだ」

 

 ははは、ヤケクソの啖呵だってバレてら。

 

「はぁ榎本と言います。宜しくお願いします」

 

 でも良かった。良い方に勘違いしてくれたみたいだ。

 

「軍司よ、榎本先生の為に一席設けるか。なぁ榎本先生よ。儂の事を親父と呼んだんだ。これからも仕事を頼んで良いよな?」

 

「親父、任せろ。羽生んところの店を開けさせるぜ。榎本先生よ、アンタ女は好きかい?」

 

 なっ何かヤバい方向に進んでないか?嫌だぞ、ヤクザの専属霊能力者なんて碌なモンじゃない。

 

「朝から女性は……それに僕は西崎さんを通して依頼を請けてますから。直接は不義理になります」

 

 中間に誰かを介さないと大変な事になるぞ。ヤクザと直接取引は駄目だ!

 

「榎本先生よ。西崎ってのは、儂らと同業よ。良い話を聞かないヤツだから、先生もボラれてるかも知れないぜ」

 

 あの野郎、ヤクザ絡みかよ!

 

「そうですか。この依頼もマージンを抜くと手取り10万円なんで……あの、何か不味い事を言ったでしょうか?」

 

 親父さんと軍司さんの顔が本気で怖い事に。西崎さん、半分マージンは取り過ぎだったんじゃ?

 

「先生の顔を潰さない為にも教えますがね。この依頼は500万円で話してるんすよ。

組の若頭の霊を何時までも現世に彷徨かせちゃならねぇ。半分位なら問題ねぇ。

だが10万ぽっちで若頭を祓わせたとあっちゃならねぇんだ。若頭が10万円なんて事が知れたらな……」

 

 あれだ、面子ってヤツだ。確か彼等は面子を大切にするんだった。西崎さん、アンタ早く逃げ出した方が良いぞ。

 

「そうですか……僕は奴らが祓えれば良いので、その辺はお任せします。宜しくお願いします」

 

 そう言って深々と頭を下げる。この雰囲気で何か気に障る事を言ったら、僕にもとばっちりが来そうだし……

 

「分かった。この件はキッチリ此方で対処する。まぁ先生に迷惑は掛けないから安心しな。さて、出掛けるか。おい軍司、行くぞ」

 

「ああ親父、行くか」

 

 にこやかに笑いながら立ち上がる二人を見て、逃げ道は全く無さそうだと感じた。朝の8時から宴会って、どうなんだろう?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、昼過ぎまで高そうな料亭で接待を受けた。良くテレビで見る様な料亭で、懐石料理と高そうなお酒。

 途中から参加してくるキャバクラのお姉様方……

 そんな彼女達を前に親父なる親分と軍司さんが、僕を先生・先生と連呼するから、さぞかし彼女達は困っただろう。

 だが、あのラブホの怪異は地元では有名だったらしく、「箱」が喰ったが僕が解決したと聞くと尊敬の眼差しで見られた。

 まぁロリコンを自覚した僕には、キャバクラのお姉様方は首尾範囲外な為に淡々とした態度だったが、周りは硬派なのねと誤解していた。

 

 しかし現状は大変拙い。爺さんからヤクザの話は聞いていた。

 

 村祭りとかでテキ屋とかと交流が有る爺さんは、ヤクザについても自分なりの対応を考えていた。

 その意見に当て嵌めると、現状は危険度MAXだ。ヤクザと言えば暴力・犯罪・強請り・たかり・恐喝を思い浮かべる人が多いと思う。

 それは下部組織やチンピラが行う事で、幹部クラスになると全く別の対応をしてくる人達も居る。やたらと奢ったり世話をしたがるんだ。

 

 当然、善意じゃない。

 

 だが心理的に借りを作ってしまうと、次に断り辛い頼み事が待ってるんだ。親父さんも軍司さんも強面だが態度は丁寧で優しい。

 話の流れも西崎さんにケジメを付けさせ足を洗わせる(太平洋に錘を抱いて沈む)から、次の仕事の斡旋をどうする?

 

 アテが有るのかい?そう聞いてくる。

 

 迂闊に「アテが無いので困ってます」なんて言えば喜んで紹介してくれるだろう。そして僕はヤクザ専属の霊能力者となる。

 最終的には敵対勢力を呪い殺せとか言われるかも知れない。勿論、全くの善意かも知れない。だから妥協案を言ってみた。

 

「今回の件は西崎さんの事も含めてお世話になります。だけど自分も爺さんや師匠の柵(しがらみ)で仕事が来るので本拠地を離れる訳にもいきません。

ですが、折角の縁ですし自分に出来る範囲で有れば幾つかの除霊仕事を手伝います」

 

 そう言った時の親父さんの顔は、困ったから愉快に変わった。

 

「おう、軍司!流石は先生だな、儂らとの付き合い方も御承知だぞ。先生、実は幾つか困った物件が有ります。

支払いは相場以上を出しますんで、お願いしますわ。暫くは軍司に世話させますんで、なんなりと言って下せえ」

 

 僕の浅はかな考えは見通され、逆に好待遇と監視役を付けられた。僕は二カ月程、彼等の抱える心霊物件の除霊に当たった。

 僕にとってのメリットも多かった。述べ20件に及ぶ除霊には、半分以上「箱」が喜ぶレベルの連中が居た。

 明らかにオーバーランクだし、報酬も破格だった。軍司さんが毎回傷だらけの僕に対して、組の若手と一緒に筋トレを強制してきた。

 最初は嫌だったが、最近は体を鍛える事に喜びを感じる程になった。

 体を虐めぬいて楽しいなんてエム男みたいだが、激しい動きを必要とする除霊で身体能力の底上げは必要だったのだ。

 まだムキムキには程遠いが、腹筋が割れてきた辺りで筋トレが楽しくなってきた。

 

 デメリットは……勿論、ヤクザと懇意にしてる事だろう。だが同業者から、変な徒名(あだな)を付けられた。

 

 「狂犬榎本」

 

 ヤクザ絡みの心霊物件をお構い無しに、片っ端から除霊する事。何時も傷だらけな事。

 荒んでいた時期だったので、態度や目つきも悪かったのかも知れない。だが、その徒名と噂の所為で名前が売れて、直接仕事が入り始めた。

 お陰様で軍司さんに、そろそろ田舎に戻り他の仕事も請けようと思いますと言った。

 特に親父さんも軍司さんも僕を引き留めなかったが、盛大なお別れ会を開いてくれてた。

 高級料亭を貸しきった、二十歳そこそこの若造には勿体無い程の盛大な宴会だ。だがしかし……そこで組の幹部や派閥の組長達を一人ずつ紹介された。

 つまり関係者全員に顔合わせをさせられた訳だ。全く先方は上手過ぎる。

 多分、今後も定期的に依頼が来るだろう。だが違法性の高い物は嫌だと軍司さんに言ってあるから、平気だと思いたい。

 こうして漸く彼等の元を離れた時は、季節は初夏。まさに心霊シーズン突入だった!

 



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亀宮さん(篠原梢)の章
第133話から第135話


第133話

 

 亀宮さん(篠原梢)の章

 

 

 八王子の一件以来、亀宮さんが僕の事を関係者に言い触らしたお陰で、派閥へのお誘いが多くなった。

 亀宮さんが自分と同等と評した為に、彼女の敵対勢力からのお誘いばかり……確かに当世最強と言われる彼女をして、同等と言ってる訳だから。

 敵対勢力としては、是が非でも取り込みたいだろう。基本的に亀宮さんと敵対する意志はない。

 だから苦肉の策で、彼女の派閥の末席に加えて欲しいと頼んだ。

 亀宮さんには、口を酸っぱくして、一族が結束している中枢に他人を入れるな。派閥の末席で構わない、いや寧ろ末席が良い。

 そう言ったのだが、嬉しそうに笑っているばかり……そして、遂に千葉県某所に有る、亀宮家の総本家に呼ばれた。

 絶対に一族総出で待ち構えて居るに違いない。

 

 昨晩、確認の為に電話で話したが……凄いご機嫌だったんだ。

 

 あれをやられては、長年仕えてきた連中は面白くないだろう。まさか襲撃されるとは思わないが、防御面では万全で望もう。

 本日の装備を下から順番に確認する。アーミーブーツ・ワークパンツ・革のジャケット・革の手袋だ。

 手荷物は無い、両手をフリーにする為に。仕込みとしては、脛当てをして革のジャケットも内側には分割した鉄板を縫い込んでいる。

 胴体は弱点だが、思いっ切り刺されなければ、多分だが平気だ。革の手袋は防刃仕様の特注品だから、刃物で襲ってきても掴める。

 

 武器は持たない。

 

 普段ならナイフや特殊警棒・ナックル位は忍ばせるが、今回は派閥に入れて貰う為の挨拶だ。敵対行動と取られる様な物は持ち込めない。

 

 あと、胡蝶さん。

 

 この一般常識をブチ壊す存在こそが切り札で有り、亀宮さんと一族の上位の方々には御披露目しなきゃ駄目な存在だ。

 何と胡蝶さんは、一方通行だが僕に念話紛いの事が出来る!つまり左手首に居ながら、下僕の僕に指示が出来るんですよ。

 いきなり頭の中に話し掛けられた時は、遂に電波を受信しちゃったのか?

 

 厨ニな世界にコンニチハ?そう思い涙した物だ……

 

 感慨に耽る間に乗っていた電車が目的の駅に到着した。ローカル線の鄙びた駅だが、秘密を抱える連中は大体が人目を避ける田舎に本拠地を構えるよね?

 先方から指定された時間は14時丁度。電車は予定通り到着したから、現在時刻は13時16分……何でこんなに早く待ち合わせ場所に居るのか?

 それは次の電車は14時15分到着だから。つまり一時間に一本しか電車が来ない田舎なんだよ!

 10分間隔で電車が来る都会に慣れた人には、田舎に流れる時間は辛いだろう……駅舎は木造平屋建てで待合室には木製ベンチが一脚のみ。

 僕はのんびりと待合室の椅子に座り、自販機で買ったコーラをチビチビ飲む。

 

「うーん、長閑だなぁ……」

 

 眺める景色は青い空・緑の大地・疎らな民家・広大な畑、遠くに見えるのは鋸山かな?まさにスローライフに適した環境だね!

 

「正明、呑気だな。お前を探る連中が何人か居るぞ。それに呪いを掛けてきてるな……

大した呪いでは無いが、腹下し・目潰し・聴覚異常……

ほぅ?禍(わざわい)を引き寄せる呪いかよ。えげつないな……まぁ我には効かぬよ」

 

 オートガードの胡蝶様が、何やら物騒な事を言い出してます。少なくとも監視されていて、四人の術者に呪いを掛けられてる訳だ。

 こりゃ予想通り、亀宮さんは配下の連中を押さえ切れてないんだな。話を聞くと長老だかご隠居だかの一族の古老達が仕切る組織みたいだし。

 

 思わず溜め息をついてしまう。

 

 幸せが逃げるそうだが、僕も物理的に逃げたいです。胡蝶が呪いを跳ね返してる間、のんびりと景色を見てコーラを飲む。

 仰け反りながら空を見ると鳶(とんび)が元気に旋回してる……何か獲物を探してるのかな?

 丁度飲み終わりゴミ箱に空き缶を捨てた時に、駅前に黒塗りのベンツが二台、音も無く入って来た。

 

 漸くお迎えが来たみたいだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「おい、お前達?大丈夫か、おい?」

 

 少し脅かすつもりで軽い呪いを仕掛けた。最初は腹下しや目眩まし程度の軽いヤツを……だが悉く霧散してしまった。

 相手の力量は計り知れない。私が止める前に、彼等は死に至る呪いを掛けてしまったんだ。

 ヤバいと思った、笑い話では済ませられない失態だ!

 

 お嬢様が嬉しそうに話す男に嫉妬し、無断で力試しを挑んだ結果は……一族でも呪いを得意とする連中が、全員でトイレの争奪戦をしている。

 

 嗚呼、一部は間に合わなかったみたいだな。異臭のするトイレから急いで離れながら考える。

 

 榎本正明……

 

 10人掛かりの呪いをコーラを飲みながら去なした男?先行して望遠鏡で監視している連中が、溜め息をつきながらコーラを飲んでいたと報告してきた。

 つまり片手間で、この惨状をつくりだした男。悔しいが初戦は完敗だ。呪術的な力は向こうが一枚上なのだろう。

 だが、だがしかし、これでお嬢様に相応しいと認める訳にはいかないのだ!

 我々は一族の中でも、男だからと蔑まれてきた。亀宮様に同行出来るのは女性だけ。

 つまり花形な除霊は一族の女性が同行し、裏方的な汚れ仕事は男性が行う。女尊男卑が、我ら一族に課せられた現実。

 それをポッと出の男に、亀宮様を盗られてなるものか!迎えに行った連中も我らの仲間が居る。

 

 未だだ、未だ我らは貴様を認めないぞ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 先頭のベンツの後部扉が開き、亀宮さんが飛び出して来た。真っ白なワンピースに、此方も真っ白な帽子を被っている。

 とても20代後半の女性とは思えない若々しさだ。しかし胸は凶悪で、ブルブル震えている。

 

 思わず苦手意識で目を逸らす程に……

 

 スカート丈が膝下迄で、腰と帽子にアクセントの黄色いリボンが付いている。完璧なお嬢様ルックだ。

 デザインが今風なのがお洒落なのだろう。流石は700年続く名家の当主だけの事は有る。彼女を守る様に数人の女性が周りを取り囲む。

 此方はビジネススーツに身を包んでいる。後方には運転手だろう男性が二人。

 

 とても友好的ではない視線で睨んでます……やはり僕は亀宮さん以外からは、歓迎されてないんだな。

 

「こんにちは、榎本さん。ご無沙汰してますわ」

 

 そんな雰囲気をブチ壊すかの様に親しげに挨拶をする亀宮さん。凄い笑顔だ……

 

「電話では良く話してますが、会うのは八王子以来ですね」

 

 確かに夜に良く電話で話したが、殆どが世間話で今回の派閥に入れて貰う相談はしていない。

 彼女が全面的に任せて欲しいと言ったからだが……もう少し慎重に進めるべきだった、反省。

 ボディーガードが警戒する中、1m位まで近付いた亀宮さんが嬉しそうに話し掛けてくる。

 具現化した亀ちゃんが威嚇しているのが、ご愛嬌?亀ちゃんと目を合わせて、取り敢えず話し掛ける。

 

「亀ちゃん、僕は宿主と敵対しない為に来たんだ。だから威嚇しないで欲しいな……」

 

 嗚呼、左手首からの思念が僕の頭の中に溢れ出た。アレは美味そうだ、食べたい。早く喰わせろ、と……

 考えが通じたのか、亀ちゃんは亀宮さんの中に戻った。僕は左手首だが、亀宮さんは体全体?

 

「では家にご案内しますわ。此方の車に乗って下さい」

 

 二台有る内の先頭の車に案内される。そのまま乗り込もうとしたが

 

「亀宮様、榎本様は後ろの車にて御案内します。警備上の問題ですので、御容赦下さい」

 

 慇懃無礼な態度で若い男が割り込んで来た。つまり信用出来ない僕を亀宮さんと一緒の車には乗せられない訳だ。

 護衛は徹底してるな……

 

「野田?榎本さんが信用出来ないと言うの?」

 

 野田と呼ばれた男は一瞬怯むが

 

「済みません。しかし、それは出来ません。御容赦下さい」

 

 頑なに同乗を拒む。少し不自然だが、此処で揉めても仕方無いだろう。他の連中も僕が亀宮さんと同乗するのは嫌なんだろう。

 静観したままだし……

 

「僕は構いませんよ。此処で揉めても意味は無いですから。僕は後ろの車に乗りますね」

 

 そう言って後ろの車に移動する。

 

「もう……すみません、榎本さん。では後程」

 

 済まなそうな彼女に右手を上げて応え、そのまま後部座席に乗り込む。話を纏めた僕に対し、何も言わず隣に乗り込む野田。

 先程の呪いと良い、亀宮さんは完全に暴走してる手下を御して無い。これは大変だな……

 フレンドリーに会話する必要も無いので腕を組み寝た振りをする。暫くは車内は無言だが、張り詰めた空気が漂う……

 勿論、殺気を放つのは彼等で僕は自然体だ。

 

「俺はお前を認めない……」

 

 押し殺した様に言う野田。全くトップの意向に従えない手下ってどうなんだ?

 

「別に認めて貰う必要は無いよね?僕は亀宮さんと話に来たんだ。トップの意向を無視して動く手下に用は無いよ」

 

 いい加減頭に来たので、つい言い返してしまった。僕とした事が未熟も良い所だ、反省。

 

「なんだと!貴様なんぞに亀宮様は渡せない」

 

 ほら、激情しちゃった……もう何を言っても無駄だ。此方の話を聞く耳は無くなったよ。勿論、元から無いんだろうけど……

 

「おい、聞いているのか?俺はな……」

 

「黙れよ下っ端!今後の事は亀宮さんを交えた上層部との話だ。お前がどうこう言えるのか?」

 

 売り言葉に買い言葉、泥沼だよな、本当にさ。

 

「ぐっ……ふん。お前など御隠居様達が認めるものか!精々媚びを売るんだな」

 

 つまり御隠居様なる連中の中にも否定派が居るのか……これは胡蝶の力を見せ付けないと駄目か?逆に見せたら見せたで面倒臭いか?

 その後もグチグチ文句を言う野田を無視して寝た振りを決め込む。5分も走ると到着したみたいだ……

 窓の外を見ると土塀に囲まれた日本家屋が見えた。広いなぁ、正面の土塀だけでも100m以上は有るぞ。

 徐行しながら正門前に移動、そして停まった。前のベンツから亀宮さんが降りたから、此処からは徒歩なんだな。

 無言でドアを開けて外に出る。

 

 そのまま亀宮さんの近くに移動しようとしたら「亀宮様に近付くな!」と怒鳴られた。

 反対側のドアから降りた野田が、回り込みながら走り寄ってくる。振り向いて無防備な一瞬の隙に、野田の回し蹴りが左脇腹に食い込む。

 甲高い金属音は、僕が防御に仕込んだ鉄板と野田が脛に仕込んだ鉄板がぶつかったからだ。

 助走を付けての蹴りは、幾ら鉄板で防御しても衝撃は伝わる。肋骨の何本かは折れたか?

 

「野田!止めなさい」

 

 亀宮さんの静止も聞かず、今度は回し蹴りで頭を狙ってきた。つまり殺す気だ!咄嗟に右手を上げてガードするが、結構な衝撃だ。

 野田と言う男……スピードは大した物だし、軽い体故の打撃の軽さを鉄板を仕込む事で底上げしている。

 体術も本格的だが、僕とは相性が悪かったな。大した技術もスピードも無い僕は、筋肉の鎧の防御力とタフネスさを鍛えた。

 致命傷にならない弱い攻撃は耐えられるんだ。

 

 そして……

 

「手も足も出ないか、ああ?トドメだ!」

 

 回し蹴りから更に体を捻り、再度蹴りを脇腹に撃ち込んでくる。大した体術だがな!

 

「なっ?蹴り足を掴んだ?」

 

 奴の蹴り業は振り抜いて次の攻撃へと繋げる。スピードを生かしての連撃が、本来のスタイルなんだろう。

 体が軽い野田は、スピードと鉄板と遠心力で威力を高めている。だが蹴りが当たった瞬間は動きは止まる。

 どんなに素早くても、受け止められたら直ぐに引っ込める事は出来ない。だから足首を掴んでしまえば、攻撃は止まる。

 

「悪戯が過ぎたな」

 

 掴んだ足首を力任せに時計回りに捻る。人体は強固だが、本来曲がらない方向に捻られれば堪らない。弱い関節、つまり膝が粉砕した。

 

「ウギャー!足が足がぁ……」

 

 まだまだ此からが反撃だ!

 

 

第134話

 

 亀宮さんの派閥の末席に加えて貰う為に、呼ばれた筈だった。しかし現実は、跳ねっ返りの下っ端から嫌がらせ紛いの事をされている。

 呪いを掛けられたり、不意打ちで蹴られたり……いや、不意打ちについては車内での売り言葉に買い言葉が原因かな?

 つまり僕の所為だ。

 

「正明、あの男の攻撃に合わせて呪いが来たぞ!」

 

 胡蝶さんからの念話が頭の中に鳴り響く。なるほどなー……急な攻撃に呪いを合わせる事は出来ない。

 つまり最初から、このタイミングで仕掛ける事は決まってたのか!

 

 なら遠慮は要らない。未だ足首を掴んでいる野田をジャイアントスイングの要領で振り回す。

 

「ちょ、おま、止めてくれ!痛い痛い痛い痛い痛い……膝、膝がもげるー」

 

 高々60キロ位の人間を振り回す事は、僕には簡単だ。しかも膝が粉砕されたままで振り回されたら激痛だろうな?

 ほら、痛みで気絶して力が抜けたし……そのまま静観していたボディーガード共に向かって放り投げる。

 一応女性ではなく男性側に投げつけた!大の男一人分の重量だが、三人掛かりで何とか地面に落とさずに受け止めたな。

 

「正明、呪いを仕掛けた連中は全員下痢地獄だぞ。しかし甘いな……我らに敵対したんだ。本来なら喰うべきだ!」

 

 胡蝶さんから一方的な念話が来た。呪った奴らの処置も完了か……一応、事前に予想はしたので殺さないで下さいと頼んでおいたのが良かった。

 幾ら何でも人を殺してしまっては和解は無理だ。だけど胡蝶の下痢地獄は、僕の呪いより強力だ!

 一体この屋敷にトイレは幾つ有るのかな?全員分足りてるのか?下痢で漏らしてしまうのは、大人にとっては屈辱的だ。

 しかも行動は制限され、放っておけば脱水症状で大変な事になる。だが医者に行きたくてもトイレからは離れられない。

 漏らすのを覚悟で病院に行くか、医者に来て貰うか……だが呪いは現代医学では治療は難しい。

 

 きっちり一週間は苦しむだろう……僕は思わず暗い笑みを浮かべてしまった。

 

「亀宮さん?僕達の間では信頼関係は築けている。だが君の配下の連中は違うみたいだ。

僕は駅からずっと呪いを掛けられたりしていたよ。

そして不意打ち紛いの、この襲撃だ。しかも呪いとタイミングを合わせて来た。

これは……僕は亀宮さんとは敵対したくないが、彼等は敵対させたいんだね?」

 

 一瞬の出来事に呆けていた亀宮さんが、再起動する。その表情は真っ青だ。

 

「ちっ違います、違うんです。私は、こんな事は指示してないわ。誰、誰なの?

私は大切なお客様として、榎本さんを招待すると言った筈よ。誰なの、名乗りなさい」

 

 激高した亀宮さんに連動してか、具現化した亀ちゃんも周りの連中を威嚇し始めた。鎌首をもたげて周りを見回す。

 何人かが目を逸らしたが、心当たり有り?その連中の顔を覚える。

 

 男連中は全員、他に若い女が一人か……この様子だと跳ねっ返りの単独行動か?

 

 いや10人以上が関わってるんだ、内部派閥の一つ二つは絡んでるぞ。

 

「亀宮さん、残念だけど日を改めよう。僕も次に何かされたら、我慢出来ないよ。

勿論、僕等の中での信頼関係は揺らがない。僕は君とは絶対に敵対しない。だけど、君以外には分からない……」

 

 ここは一旦帰って出直した方が、双方頭が冷えて良いだろう。それに肋骨数本折れてるみたいだし、蹴りを受けた右腕も痺れだした……

 メディカル胡蝶さんに、早く治療を頼みたい。彼女には世話になりっぱなしだから、帰ったら人形寺ツアーを計画・実施しよう。

 力の底上げになるだろうし、今回も彼女が居なければ田舎駅の待合室で終わっていた。呪いなんて全然気付かなかった……

 ここの連中は強力だ、野田には勝てたが此方の被害もデカい。実際は引き分けに近いだろう。

 ならば賠償問題として貸しを作る為にも、治療して記録を残すかな?

 鈍い痛みに耐えながら、どちらが得か考えてしまう僕は薄汚れてる?

 

「駄目です!今帰られたら、私の気持ちが収まりません。鈴木さん、西原さん!」

 

 僕が思考の海を漂ってる間に、亀宮さんが何か騒いでるぞ。

 

「「はい!」」

 

 若い女が二人、駆け寄って来た。あっ、八王子に同行してた二人だ。

 

「この騒ぎの首謀者を調べなさい、全員です!榎本さんは私の部屋へお通しします。直ぐにお茶の用意を。さぁ榎本さん、此方へどうぞ……」

 

 流石は組織のトップだ。毅然とした態度で周りに指示をだして、それに連中も従ったのか?

 集まっていた連中がバラけていく……あの野田と言う男の膝に添え木をしている時に、奴が仕込んだ鉄板を見た。

 三角形になっている……アレで蹴られたら、普通は骨が折れるか砕けるな。殺傷目的の装備だ。

 

 亀宮一族、気を付けないとコイツ等は相当エグい集団だぞ。

 

「あー、亀宮さん。呪いを仕掛けた連中なら、多分トイレに籠もってるよ。呪いはアレンジして返したから、一週間は治まらないだろう」

 

 鈴木さんと西原さんが、微妙な顔をして頷き合いながら走って行った。トイレに籠もってる連中を尋問するのだろうか?それは臭くて大変だ、ご苦労様。

 

「さぁさぁ榎本さん。此方です」

 

 僕の左手を握り締めて、屋敷の奥へと誘う亀宮さん。

 

「いや、一寸待って下さいって。これが周りを刺激するんですって……」

 

 離れた所で僕を睨み付ける連中が何人も居る。殆どは男だが……憧れの当主に、どこの馬の骨とも分からないオッサンが纏わり付く。

 多分だが嫉妬なんだろうな。気持ちは分かるが、ちゃんと状況を考えろ!僕は亀宮さんとイチャイチャしに来てない。

 僕等が敵対しない様に実績作りに来たのに、そっちからブチ壊すとはな。敵対勢力が喜ぶだけだぞ。

 

「大丈夫、大丈夫ですわ。私は気にしませんから、大丈夫なんです」

 

 嗚呼、前に晶ちゃんにも同じ事を言われた。大丈夫を連呼してもね、実際は大丈夫じゃないんだ。

 

「分かりました……お邪魔しますから手を離して下さい」

 

「駄目です、榎本さん手を離すと逃げ出しそうです。私には分かりますよ」

 

 む?確かに逃げ出したいのだが、何故バレた?屋敷の玄関に通され、靴を脱ぎスリッパを履く。

 8畳以上は有る玄関から畳敷きの廊下を歩く。亀宮家現当主と手を繋いで歩く姿を見た連中は、ビックリした顔で固まっている。

 

 つまり、アレだ。

 

 男嫌いの亀ちゃんが居るのに、何故手を繋いで居られるのか?亀ちゃんも具現化して亀宮さんの背中に貼り付いているが、特に僕を威嚇していない。

 先程の脅しが効いた?暫く歩くと母屋から離れに渡り廊下に出た。廊下と言っても池に架かる橋だ……古風な木造のアーチ型の橋で屋根は瓦葺き。

 池の中には亀が沢山泳いでいるが、多分亀ちゃんの眷属だな。此処は亀ちゃんの結界の中なんだろう。

 しかし中庭?庭園?凄い日本庭園って言うのかな?池の真ん中に二階建ての金閣寺見たいな建物が有る。

 

 アレが亀宮さんの部屋?家だよね?

 

「さぁさぁ渡りましょう。あれが私の私室です。派手なのは私の趣味じゃないですよ。先々代が建てたらしいです……」

 

 確かに成金趣味丸出しな金色の家か……だが周りを良く見れば、発電機室らしい小屋から太い配線が渡ってるし、本物の金閣寺と違い障子でなく鋼製扉だったりする。

 池だって底が見えない位に深い。無断で侵入するのは大変だな。この橋以外だと泳ぐか飛ぶかだが、泳げば亀ちゃんの眷属に襲われる。

 飛ぶと言っても人間は簡単に飛べない。

 

 流石は当主の私室って……私室?

 

「駄目、駄目だって!軽々しく女性の部屋に入る訳にはいかない。ほら、応接室とか客間とかさ。ねぇ、聞いてる?」

 

 幾ら亀宮さんが引っ張っても、僕が止まれば動かない。それだけの力の差が有るし、彼女は懸垂も一回も出来ない程に非力だ。

 それに僕等の後ろには大名行列みたいにピッタリと数人が着いて来てる。彼女等が騒ぎ出す前に、私室訪問は止めるべきだよ。

 

「むぅ……勢いで押そうと思っても駄目ね。榎本さんって本当に常識的だわ。飯島さん、客間の準備を。

榎本さんはコーラが大好きだから忘れずに。さぁ支度が出来るまで、私の部屋で待ちましょう?」

 

 的確な指示を出す亀宮さん。一礼して下がる飯島さんと、その他の連中。

 

「うん、そうだね……」

 

 スタスタと歩く亀宮さんの後ろに付いて行って、橋を渡る。僕等が渡ると池の中の亀達が集まってくる。

 うん、此方を目で追っているのが分かる。この亀達は相当統率されてるな……

 20mは有る橋を渡ると鋼製のドアの脇に指紋認証の防犯装置が……登録者以外は普通でも入れないのか。

 亀宮さんが人差し指をかざすと、電子音の後に鍵が開く音がした。電子錠だと停電時はどうなるんだ?

 亀宮さんが手招きしてるので中に入ると、直ぐに応接室に通された。良かった、別に私室じゃなかったよ。

 

「此方に座って下さい。今、お茶を用意しますから……」

 

 パタパタと応接室を出て行く亀宮さん。多分だが、普通の家の機能も全て有るんだろうな。

 キッチンとかも……ソファーに深々と座り大きく息を吐く。

 

「ふーっ、アレレ?何でナチュラルにこの部屋に居るんだ?自分で駄目だって言ったじゃん!」

 

 何となく勢いに押されて来ちゃったけど、最悪だ。幾ら応接室とは言え、当主のプライベートスペースに二人切りなんて、言い訳がつかないぞ。

 慌てて立ち上がるが、脇腹の痛みで屈み込んでしまう。

 

「ぐっ……脇腹が……」

 

 どうやら痩せ我慢も限界だ……

 

「胡蝶、済まないが頼む……痛みが耐えられない」

 

 左手首の蝶の痣から、流動化した胡蝶さんが現れる。床面に水溜まりを作り、中心から盛り上がる様に人型を形成する。

 良かった、全裸じゃない。今日は古代中国の姫様みたいな衣装だ。

 前にあげたマダム道子の水晶をネックレス風に付けているが、本来のアレは力を抑えるんじゃなかったかい?

 

「ふむ、服を捲れ。どれどれ……肋骨に罅(ひび)が入ってるな。だが内蔵は傷付いてないから安心しろ」

 

 ペタペタと手で触りながら、いや触診?状況を説明してから、小さな赤い舌でペロペロと舐めてくれる。

 非常にくすぐったい。

 

「ほら右腕もだ……ふむ、此方も罅(ひび)が入ってるな。

あの野田と言う男。それなりの達人だったんだな。

次に襲えば問答無用で喰うぞ。我の愛しい下僕を傷付けたのだ。二度目の慈悲は無い」

 

 そう言って腕も舐めてくれる。基本的に胡蝶の治療は舐める。触るだけでも治せそうだが、必ず舐める。

 治療を終えて左手首に戻るかと思えば、ソファーに座る僕の膝の上に座った。

 

「あの……そろそろ亀宮さんが戻ってくるけど」

 

 彼女は僕を見上げて「ああ、どうせ顔見せするんだ。早い方が良かろう?」と、ご機嫌な胡蝶さん。

 

 彼女は緒五里(ちょごり)に似た服を来て、金色の冠を被っている。最近瞳が金色になってきた故か、神秘性が上がったような……

 

「榎本さん、お待たせしました。まぁ!あらあらあら、その子が榎本さんのパートナー?」

 

 お盆に乗せた飲み物を素早くテーブルに置いた。氷を入れたグラスの縁に輪切りのレモンが差してある。

 並々と注がれたコーラにはチェリーが浮いている。昭和の喫茶店のコーラだ……彼女はオレンジジュースだが、此方は氷だけ。

 どうにも亀宮さんの感性が分からない。

 

「ええ、そうです」

 

「霊獣亀の宿主よ。宜しく頼むぞ。但し我等に刃向かうなら、悉く喰らってやろう」

 

 ちゃんと挨拶の出来た胡蝶を偉いと思う。

 だが、目をキラキラとさせ両手をワキワキさせながら寄って来る亀宮さんを僕は心の底から怖いと思った。

 僕にしがみ付いてきた胡蝶も同じ気持ちらしい……

 

 

第135話

 

 千葉県某所、亀宮一族総本家に招かれた……筈だった。しかし僕は当主の亀宮さん以外からは、招かれざる客だったみたいだ。

 確か八王子の時に、お供の二人からは歓迎っぽい事を言われたと思ったんだが……子孫繁栄、産めよ育てよ的な?

 だが実際は、最寄り駅に着いた途端に呪いを掛けられ屋敷に着いた途端に暴力を振るわれた。

 しかも結構な重傷を負ったんだ。メディカル胡蝶が居なければ、即入院クラスの。

 

 これは一部の跳ねっ返りだけじゃ無い筈だ。

 

 奴らは連携してるし人数も多いから、ある程度の組織的な計画だ。派閥の一つ二つは絡んでいる。

 少なくとも胡蝶は10人以上の呪いを跳ね返してトイレに直行させた……

 その後、唯一僕を歓迎してくれた亀宮さんの私室と言うか、私邸に招かれてしまった。

 金閣寺ばりの成金ピカピカな私邸だが、先代の亀宮さんが建てたらしい。

 そして胡蝶を紹介し、彼女が胡蝶に何故か襲い掛かろうとしているのが現在の状況だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何事にも動じない胡蝶さんが、珍しく後ずさっている。

 

「正明、アレは何か分からないが怖いぞ。性的な意味で悪戯されそうだが……」

 

 掌をワキワキと変な動きをしてる亀宮さんは、僕から見ても不審者だ。とても分別のついた成人女性の行動じゃない。

 

「亀宮さん……少し落ち着こうよ。ね、取り敢えず深呼吸してからソファーに座ろう」

 

「榎本さん、私可愛いモノが大好きなんです!是非、その子を抱かせて下さい」

 

 ジリジリと距離を詰める、その目は真剣だ……静止を聞かずに抱き付こうとした時に、亀ちゃんが具現化して亀宮さんの首を甘噛みして引っ張った?

 そのままソファーへストンと座らせる。ナイスだ亀ちゃん!

 首を伸ばして亀宮さんを一巻きしてホールドしている亀ちゃんは、もしかしたら嫉妬か?又は胡蝶の本性を恐れて彼女を守ったのか?

 膝に座る胡蝶を見ても、特に亀宮さんを排除する意志は無さそうだ。

 

「もう、亀ちゃん離して。あの子を触らせて、お願いだから……」

 

 体をくねらせて亀ちゃんの首から脱出しようと頑張る亀宮さん。先程までの遣り取りが、嘘の様に穏やかな時間だ……

 折角なので用意してくれたコーラを飲む。うむ、これはPepsiだ。僕はどちらも好きだが、敢えて言えばCoca-Cola派かな。

 胡蝶も亀宮さん用のオレンジジュースを飲んでいる。どうやら亀宮さんも諦めたみたいだな。

 亀ちゃんに抱かれながらぐったりしている。

 

「亀ちゃんは嫉妬してるんだよ。近い存在だからね」

 

「もう!榎本さん、その子のお名前は?」

 

 コーラを飲み終え、膝に座る胡蝶のお腹の部分を両手で抱き締める。

 

「ん、我の名前か?我は胡蝶!700年に渡り正明の一族に憑いている化け物だよ」

 

 クスクス笑う亀宮さん。胡蝶の化け物発言を信じてないみたいだ。

 彼女は一皮剥けば、確かに鰐(わに)みたいな存在なんだけどね。

 

「胡蝶ちゃんて言うの。榎本さん、こんな可愛い子を秘密にしてるなんて悪い人だわ。

でも守護霊と会話出来るなんて素敵ね。私が亀ちゃんと意志の疎通が出来る様になるまで5年近く掛かったのよ」

 

 具現化した亀ちゃんの顎を撫でながら、昔を懐かしむ様な目をする。確かに言葉を使わず、表情や仕草で意志の疎通は難しい。

 それが簡単なら大勢の飼い主とペットも会話出来るだろうし……

 

「ふん、我と正明が打ち解けるのは10年以上掛かったぞ。コイツは中々我の事を理解しなかった。最近だな、我等が一心同体になったのは……」

 

 うん、確かに八王子の事件で丹波の尾黒狐を倒した時にヒントが貰えたんだ。それまでは罰と称して一族を殺し捲ってたからな……

 本当に良かった、理由を知る事が出来て。

 

「あら?それは大変だったのね。胡蝶ちゃんはジュースが飲めるなら食事も出来るの?

お菓子とか食べる?亀ちゃんは霊とかしか食べないから、大変なのよ」

 

 うちの子は人間も霊も化け物すら食べます。

 

「まぁ我も似たような物だよ。我は悪食だがな……」

 

 暫くは亀宮さんからの質問責めだった。会話出来る守護霊なんて貴重な存在だろう。

 古代の呪いとかも知ってるらしいし、教えを請おうかな……応接室に通されてから15分位だろうか?

 インターホンで呼び出しが掛かった。但し呼び出し音が変だったんだ。

 

 チャーンチャッチャチャチャラリラーって、散々亀宮さんから教えて貰った水曜どうでしょう?のオープニング曲だ。

 

 何処まで水曜どうでしょう?のファンなんだ?良く見れば装飾棚の中に簡易onちゃんが有るぞ。

 それに大泉洋主演作品第二段「喧嘩太鼓(偽)」のポスターに、カントリーサイン212市町村の地図まで……

 

「はい、分かりました。それと次に榎本さんに無礼な事をしたら、本気で怒りますからね」

 

 僕が隠れグッズを探してる間に話は終わったみたいだ。一応、僕に対しての対応を注意してくれたが……当てには出来ないかな?

 

「榎本さん、母屋の方で準備が出来たみたいです。行きましょう」

 

 そう告げる彼女は、先程とは違い真面目な顔だった。いよいよご隠居様だか長老様だかと、ご対面って事なんだな。

 金ピカの私邸を出て廊下を渡ると、黒服の一団が待っていた。

 男女共にスーツに黒ネクタイってさ、men in black じゃ無いんだから不自然だと思うんだ。

 

「此方へどうぞ」

 

 鈴木さんと西原さんだっけ?に誘導されながら、母屋の奥へと進む。因みに胡蝶さんは左手首の中に入って貰っている。

 彼女は次に襲われたら躊躇い無く相手を殺(や)るだろうから、内心ビクビクだ。上手く僕等の関係を認めさせなければならない。

 僕が求める恩恵は、他の勢力からの勧誘を断る口実。相手は僕が敵対しない・除霊作業に協力する事。

 悪くは無い条件だと思うのに、こうも一部から武力行使されるのが気に入らない。暫く畳敷きの廊下を進むと中庭に面した大部屋に通された。 

 先程と違い池こそ無いが、見事な庭園だ……亀宮一族は、除霊の他にも事業に手を出してるっぽいな。

 調べなかったのは手落ちだが、此処までの資産は除霊の報酬だけでは無理だ。きっと当主に決定的な権限が無いのは、その辺が絡んでるんだろう。

 表の当主は亀ちゃんが選ぶから特定は難しい。

 だが裏で組織を維持・管理し、資金面でのサポートもするご隠居様だか長老様が連綿と続いているんだ。

 彼等に僕が不利益にならない事を理解させれば、自ずと跳ねっ返りも抑えてくれる筈だ。中庭を見ながら廊下を少し歩くと100畳位の和室に通された。

 

 何だろう、この配置は……

 

 上座に一つだけ置いてある座布団は亀宮さんが座る筈だ。その両側には5人ずつ並んで座っている。

 右側は老人達、左側は壮年の男女。多分右側がご隠居か長老で左側が現在の運営を管理してる連中か?

 

 そして僕は下座だな。

 

 まぁ組織の末席に加えてくれってお願いしたんだから、順当な席次だ。慣れているのだろう、亀宮さんが上座に座る。

 僕も下座に座る。

 

「正明、右と後ろの襖の向こう側に結構な連中が居るぞ。先程、呪いを掛けてきた連中よりも強いな。

こいつ等が本来の主力の連中だろう……アレは前に我等を探っていた連中も混じってるぞ。まぁウザいから一人喰ってからは来なかったのだが……」

 

 ナンダッテー?

 

 既に御一人様を美味しく頂いちゃってるんですか?そりゃ敵対視もするぞ。

 胡蝶さんに、その辺を問い詰めたいが如何せん僕からは話し掛けられない。この念話は一方通行なんだよね……

 さて、位置取りの確認をする。

 正面の上座に亀宮さん、右側は老人達で後ろの襖に人が居るが老人の護衛も兼ねてるな。

 僕が何かしたら飛び出してくるだろう。左側は壮年の人達で後ろは廊下だ。

 此方は長老かご隠居予備軍だから、有事の際は自分で対応出来そうな感じだ。

 多分だが全員が霊能力者だと思う。僕は下座で後ろの襖の奥にも連中が居る。僕が何かすれば襲ってくるのだろう……

 正に袋の鼠と言うか、まな板の上の鯉だ。

 

 全員が座ったのを確認したら、左側の一番手前のオッサンが此方を向いて「ご苦労だったな。榎本君と言ったか……」と結構な上から目線で君付けで労われた。

 

 ご苦労様なのは、お宅らの所為なんだが……

 

「色々と勉強させられましたし、迷惑も掛けたみたいですね。さて、今日の訪問の趣旨を確認しても宜しいでしょうか?」

 

 話し掛けてきたオッサンじゃなく、右側の老人達に向かって話し掛ける。女性四人、男性一人。

 やはり女性が優位なんだろう、男性は一番手前の下座に座ってるし。

 

「ほう?此方も勉強させて貰ったが、被害も大きかったぞ。で、訪問の趣旨を聞こうか?」

 

 右側手前の老人が応えてくれた。左側のオッサンは、ムッとした顔をしたが何も言ってこないか……

 当然だが、僕が襲撃された事は知っていて被害も知ってるんだな。

 

「亀宮さんが僕の事を色々と持ち上げてくれた為に、貴方達の敵対勢力からの勧誘が多いんです。

僕は亀宮さん個人と敵対するつもりは全く無い。だが、これからフリーの立場で仕事を続けるのも難しい。だから……」

 

「だから亀宮様の婿になりたいと?それは無理だな、此方にも都合が有る」

 

「全く違う!勧誘を断る口実に、亀宮さん所の派閥の末席に加えてくれってお願いしたんだ!」

 

 アレ……座が固まったよ?

 

「ウチの者に言わせると、除霊現場で亀宮様と随分と仲が良くなったとか。しかも亀様をも抑えての事。

プライベートでも毎日の様に夜な夜な電話で話しているそうだが……

それで我が一族の末席に加えるだけで満足とな?俄には信じられぬぞ」

 

 僕は座布団に正座していたが、足を崩して胡座をかいた。つまり僕が何を言おうと、此までの行動を考えたら信じられないのか……

 亀宮さんを見ても呆れた顔をしている。

 全く権力を握る連中だから御輿の亀宮さんに急接近の僕は都合が悪いってか?

 確か亀ちゃんを抑えて歴代当主と結ばれて生まれた子供は、強力な力を持つというが……

 昔は当主の力が強かったが、今は取り巻きの方が権力を握っていて予備軍も居る。

 そんな時に現当主の力を増やす事は困るとか、そんな理由だろうな。八王子の時にお供が言った事も本当なんだろう。

 だが末端の連中は単純に喜んだが、此処に居る連中には嬉しく無い。ならば不安要素を無くせれば良いだろう……

 

「大分誤解してるみたいですね。

こんな何処の馬の骨とも分からないオッサンが、当世最強の亀宮さんと結ばれる訳も無いでしょうに……

勿論、友人として仕事仲間として僕は彼女を大切に思ってますよ。

だから変な派閥に入り彼女と敵対する事が無い様に頼んだんですが、何か誤解が有りましたか?」

 

 僕はロリコン、美女で巨乳の亀宮さんは恋愛対象外です。だから変な事は考えていないんです。

 

「あら?私は別に榎本さんでも構わないわよ。

どちらにしても亀ちゃんが居るから、私の相手は現実的に榎本さんしか居ないんですよ。

勿論、榎本さんが桜岡さんとお付き合いしてるから、実際は無理なんでしょうけど……」

 

 亀宮さん、空気を読んでー!当人が否定しちゃ駄目じゃん。最初の方の長い台詞は要らないよね?

 ほら、何となく納得しそうな雰囲気ブチ壊しだ!壮年組なんて僕を敵対視してるぞ。

 

「正明!後ろの連中が呪いを掛ける準備を始めたぞ!もう面倒だし殺るか?」

 

 何が連中の襲撃のキーワードだったんだ?胡蝶さんも殺る気満々だ。

現状は一気に加速しちゃったぞー!

 

「そう!僕にはもう、お付き合いしている人が居るから、その申し出は無理なんです!」

 

 ゴメン、桜岡さん!もう桜岡さんをダシに使わないと、胡蝶vs亀宮一族の戦いが止められないよー!

 この偽りの付き合ってます発言の影響が、一体どうなるかは分からないが……

 



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第136話から第138話

第136話

 

 まさか僕が桜岡さんと、お付き合いをしてると嘘を吐く日が来るなんて……鋼の意思でロリコン道を貫く僕が信念を曲げて迄、言わなければならない。

 この状況を何とかしなければ、即胡蝶無双が始まってしまう。亀宮さんは優しいから亀ちゃんは抑えてくれるだろう。

 だが亀宮一族を動かしているのは、この連中だから此処で事を構えるのは危険なんだ。

 

 だから仕方の無い嘘なんだよ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お遊びは其処までだぞ!下がらんか皆の衆」

 

 終始無言だった上座に近い位置に座る老婆が一喝した!腰が曲がった80歳位の婆さんだが、迫力が違う。

 騒然とした場が水を打った様に静かになる……

 

「榎本さんと言いましたな。本当にうちの子達が粗相をして申し訳無い」

 

 そう言って深々と頭を下げられた。正座より胡座の方が緊急時に立ち上がり易いと思い足を崩したが、また正座をし直す。

 

「此方こそ申し訳無いです。皆さんを混乱させるつもりは無く、ただ派閥の一員として加えて頂きたいだけだったんです」

 

 この言葉は優しいが威圧感が半端無いのは、若い頃に付き合いが有ったヤクザの親分に通じている。

 亀宮一族の実質的な権力者は、この婆さんだ!その婆さんが頭を下げたんだ。そう言って此方も深々と頭を下げる。

 

「正明、襖の後ろの連中が離れたぞ。あのババァだが、かなりの力を持ってるな。隙有らば喰いたいぞ」

 

 既に他の連中は口を出さないし、襖の後の連中も下がったのか。思わず右側の襖に目をやってしまう。

 そして胡蝶さんの喰いたい宣言……この婆さんが交渉の肝って訳だ。

 

「ふむふむ、まさか在野にこれ程の御仁が埋もれて様とは……襖の奥の連中も命拾いしたものよ。

亀宮様の慧眼は素晴らしい。一族の連中に爪の垢でも煎じて飲ませたい程じゃ」

 

 良い意味で誤解してるのかな?言葉は優しいが目がね、笑ってないから怖い。

 何故だか嫌な汗が額から流れ落ちた……

 

「いえいえ、それ程でも有りませんよ。僕程度に過大な評価を有難う御座います」

 

「そんな事は有りません!榎本さんは素晴らしい人なんです。

人当たり・責任感・用意周到さ・豊富な経験、そして隠している力。全てが私よりも勝ってるんです」

 

 身を乗り出して力説する亀宮さん!何故、何故なんだ?何故、僕の知り合いの女性は誉めながらハードルを上げてしまうの?

 

 善意だけに辛い、辛過ぎる。

 

「ははははは……亀宮さんは優しいから、皆さん本気にしないで下さいね」

 

 謙遜の様な台詞にムッとする亀宮さん。彼女の中での僕は、どれ位強いんだろうか?

 

「なる程な……後ろ盾無き強き力は本人に災いを呼ぶ。時に榎本さんは、亀宮様に触れる事は出来るかいな?」

 

 触れる?思わず亀宮さんの顔を見る。

 

「確かバスの中で右手の応急処置をしてくれましたよね?その時には確かに亀宮さんと触れていたかな」

 

「そうでしたね。膝の上に乗っても特に亀ちゃんは妨害しなかったわ」

 

 膝の上って、座席の奥に移動する為ですよね?大事な部分の説明が不足してますよ!

 その台詞を聞いた時、婆さんの目がキラリと光ったのは幻覚だと思いたい。

 でも確かに彼女の膝の上に固定され、マキロンをバンバン吹き付けられたんだ。

 

 アレは染みたなぁ……

 

「ほぅ?時に榎本さんは、本当に我等一族の末席で良いのか?

ウチの馬鹿連中の去なし方を見ても、既に我等が一族の上位の力をお持ちだ。望むならば……」

 

「いえ、結構です。僕は一族で無く派閥の末席で良いです。

亀宮さんと敵対する派閥の勧誘のお断り理由に、亀宮さんの派閥へ入りたいと思ったのです。

だから末席で、お願いします。その代わりですが、仕事への強制力も拘束力も無しでお願いしますね」

 

 末端構成員だからって、使い潰されたら大変だ。あの跳ねっ返り連中は、この派閥の中級クラスだと思うからね。

 嫌がらせをされたら面倒臭いし大変だ。

 

「勿論ですよ。榎本さんが敵対しないだけでも我々は充分ですな。いやはや本当に欲が無いが抜け目も無い。

一族でなく派閥で良いなどと……だが本当に亀宮様が困った時は力を貸して下され」

 

 そう言うと、もう一度深々と頭を下げた。

 

「勿論、そのつもりです。亀宮さんとは同業者として信用も信頼もしている。お世話になるのだから、出来るだけの協力はします」

 

 言質を取られたが、実際に亀宮さんがピンチなら協力するつもりだ。権利には義務が有り、お世話になるならお返しは当たり前だ。

 

「榎本さん、お詫びを兼ねて今夜は宴会を開きますぞ。是非とも今までの経験談等を教えて頂きたい。

それと今夜は泊まって行って下さい。なに、亀宮様とは別々の部屋ですからご安心を。

明日、車で送らせて頂きます。さぁ亀宮様、榎本さんを時間まで持て成して下さい」

 

 此処は断る事は出来ないな。有り難く申し出を受けよう。あの婆さん、何を考えているのかがイマイチ分からない。

 だが当初の予定通りだから問題無いのか……

 

「有難う御座います。お言葉に甘えさせて頂きます」

 

「さぁさぁ堅苦しいお話は此処までですよ。私の部屋でDVDを見ましょう!」

 

 亀宮さんが僕を部屋から連れ出そうと手を引っ張る。周りが一瞬だが息を呑むのが分かった。

 具現化した亀ちゃんも溜め息をついている。連中の前で、僕が亀ちゃんの妨害無く彼女に触れる事を証明してしまったんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「御隠居様、あの様な者に寛大過ぎる待遇を!良いのですか?」

 

 血は澱むと劣化する。霊力はそこそこ有れどな。亀宮一族の力を自分達の物と勘違いも甚だしい。

 

「馬鹿め。お前等よりも、あの筋肉坊主の方が頭が回るわ。

アレが終始下手に出てたのはな、今は勝てても組織力で負けるのを理解してるからだ!」

 

 古くから仕えし一族の名家の跡取り連中だが、全く使えん連中よ。あの筋肉の怖さが分からぬとはな。

 

「まだ我等は本気じゃなかった!一斉に掛かれば……」

 

「既に個人では勝てぬと理解しておろう!数で勝つ?馬鹿か貴様は。

お前が暴走したお蔭で術者が10人以上使い物にならん。お前の言う一族最高の体術使いの野田も壊されたぞ」

 

 今回の暴走は男衆を束ねる山名一族の所為だ。確かに我等は女尊男卑の風潮は有れど、実力的には同等。

 汚れ仕事を受け持つ男衆の方が手段を選ばぬ怖さが有る。だが全員が潰された。しかも手加減されてだ。

 

「アレは引き分けです!野田は確かに奴の肋骨数本と右手を壊した……」

 

 漸く気付いたか。あの筋肉、野田の鋼鉄を仕込んだ蹴りを確かに受けた。

 幾ら筋肉の鎧を纏おうが、現実問題として無傷はおかしい。人体が鋼鉄に勝てる訳がないだろう。

 野田も手応えが有ったと言っているのにだ。

 

「殆ど無傷だな。怪我を負わない防御力が有るのか、治癒力が高いのか?

アレは我が一族に取り込めないならば、敵対するならば、殺すしかない程の男だぞ!

それが向こうから来てくれた物を馬鹿をしおって!貴様は謹慎だ。今回の件に関わった全員もな。連れて行け」

 

 連行される男を見て思う。もはや山名一族に未来は無い。底辺からやり直して貰おう。

 

「御隠居様は彼が亀宮様と結ばれる事を望むのですか?」

 

 儂の隣に座る裏実務を取り仕切る風巻(かざまき)一族の長が話し掛けてくる。彼女は一族の中でも優秀で儂の右腕だ。

 

「うむ、それが悩みなのだ。我等と敵対せし勢力は二つ。三竦みと同じ状況だ。

誰かが襲えば勝った方も無傷では無いから、残りが襲えば勝てる。この危うい均衡に奴を放り込む。するとどうじゃ?

我等は一歩抜きん出るが、残りの二つの勢力が結束しよう。だが、それでも互角。

逆に奴が敵側に付けば、我等は負ける。故に奴を逃がしてはならぬ」

 

「ならば一族の年頃の娘を宛てがいましょうぞ。色仕掛けです。調べでは風俗界で有名な精豪らしいですな。ならば……」

 

 儂も独自に調べた。確かに奴は定期的に風俗で遊んでおった。だが桜岡霞と付き合い始めてからはサッパリだ。

 つまり適度に精力を発散させる相手が出来たのだ。だが亀宮様とも満更でも無いが、常識的な為に二股はしない。

 その中に我等が一族の婦女子をけしかける?

 

「愚問だな。奴は色仕掛けでは靡かぬよ。逆に亀宮様が気を悪くしようぞ。今は誠意を見せるしか有るまい。

楔は亀宮様が打ち込んでくれよう。なに、子が出来れば儲け物程度で良いのだ」

 

 恋愛に疎い亀宮様では略奪愛は無理だ。男自体に免疫が無いからの……だからこそ、あの男は亀宮様に協力を惜しまない。

 無邪気で天然な亀宮様を捨てる事は、あの男には無理なのだ。

 アレは純粋に好意を寄せる者には破格に甘いが、打算で来る者にはドライだ。

 だが桜岡霞・小笠原母娘・霧島晶、タイプは違えど奴に純粋に好意を向ける女には甘い、甘過ぎる。

 

「それでは拘束力が弱くは有りませんか?もっとガチガチに固めた方が良いのでは?」

 

「男はの、余りに周りを固めてしまうと逃げ出す生き物じゃよ。何、奴の周りには見目の良い娘を集めよう。

良く良く言い含めてな。だが此方からは手出しは厳禁じゃ。

もし万が一に、無いと思うが手を出したなら男としての責任を取って貰おう。

亀宮様と桜岡霞の共通点、それはグラマーな美人だ。何人か候補を選出しろ」

 

 小笠原母娘も巨乳だからな。ほぼ間違い無いだろう。あの連中は、見事に容姿の特徴が同じ。

 

 奴は巨乳なお嬢様が好みと見た!

 

 全く男って生き物は、乳がデカければ良いなどと……しかし儂の孫娘で独身は陽菜(ひな)しか居ないが、あの子は未だ中学生だ。

 出来れば儂の一族と結ばれて欲しかったが、無い物ねだりは無理か……だが顔見せ位は良いかも知れぬな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何とか顔見せを終えて金ピカの亀宮さん私邸に戻って来た。あの婆さんのお蔭で、連中は収まったが逆を言えば未だ暴発は有ると思う。

 大した婆さんだが、末端迄は抑えていない。いや抑えられない。

 何故か最初の応接室でなく二階の私室に案内されてしまった。12畳の和室にドカンと存在感の有るテレビ。

 中央に炬燵がセットされて、日本茶と蜜柑を入れた籠が置いてある。

 亀宮さんは何かDVDを選んでいるが、ブツブツと何か言っているのが怖い。

 

「やはり最初は原点たるサイコロの旅①よね。私的ベストは夏野菜スペシャルとジャングルリベンジ、それにヨーロッパ21ヶ国完全制覇だけど……」

 

「あの、亀宮さん?多分だけど後二時間もすれば夕食だよ。それって全部見るのは無理だよ」

 

 このままでは夜通しテレビ鑑賞みたいで嫌だ。

 

「決めました!サイコロの旅①にします。何事も基本から」

 

「僕の話を聞いてる?」

 

 DVDのdiscをセットして、リモコン片手に炬燵の向かい側の潜り込む。

 

「ええ、スタートしますわ。ふふふ、サイコロの旅①は未だ大泉さんが現役学生の時に、大物歌手にインタビューすると騙されて東京にですね……」

 

 毎夜の電話でも思ったが、変なスイッチの入った亀宮さんは、何を言っても止まらない。つまり話すだけ無駄だ。

 僕は諦めて蜜柑の皮を剥き始めた……

 ニコニコと笑いながら説明してくれる彼女を見て、多分だが亀ちゃんに取り憑かれてから本当の意味での友達は居なかったんだろう。

 力有る者は周りから距離を置かれるからな。気を使わない女友達はメリッサ様位だと思う。

 最初の男友達がオッサンの僕ってのが、彼女にとって良い事なのかは疑問だが……

 流石に高級で美味い蜜柑をモグモグと食べながら、タイミングを見計らい結衣ちゃんに連絡しなきゃと考えている。

 やはり一話が終わって後枠を見た後かな?

 

 

第137話

 

 なる程、確かにサイコロの旅①は原点なんだろう。未だ大泉さんは学生気分が抜けず、テレビに写るのが出るのが楽しいと感じる。

 タレント陣とディレクター陣の会話もぎこちない。呼び方もさん付けだし、あの無駄トークだけで場を繋ぐ不思議空間も無い。

 だが随所にシリーズのネタの原点が有るね。蜜柑を五個食べ終わると、第1話も終わった。

 

「亀宮さん、一旦止めてくれる。自宅に連絡するから」

 

 特に会話するでもなく、向かい側に座り蜜柑を食べてる亀宮さんにお願いする。こんな長閑な時間も良いよね。

 

「分かりました。確か同居してる里子さんが居るんですよね?独りで平気かしら、何ならお呼びしても……」

 

 リモコンを操作しながら提案してくれるが……こんなアウェイな空間に結衣ちゃんは呼べない。

 それに可愛いモノが大好きな亀宮さんなら、結衣ちゃんを抱いて離さないだろう。女性だから亀ちゃんは大歓迎だろうけどね。

 

「明日も学校ですから駄目ですよ。それに僕は仕事柄、夜に家を空ける事が多いので慣れてます。では一寸連絡してきますね」

 

 そう言って携帯電話を片手に外に出る。外と言っても二階のベランダだ。

 セキュリティーの関係で普通に玄関から出ると、僕だけでは中に入れない。

 ベランダに出ると中庭が見渡せる……金ピカ私邸を中心に円形の深い池が有り、周りを日本庭園風な芝やら石やらが配されている。

 所々に黒服連中が見えるのは護衛?巡回?此方を警戒しているのは、何気なく此方に向ける視線で分かる。

 ヤクザの屋敷より警戒が……いや、考えちゃ駄目だ。番号を検索し電話をかける。

 この間、静願ちゃんの画像が写る設定を見られてしまい、彼女の写真も撮らせて貰い設定した。

 彼女は妙に小笠原母娘と張り合う。コール中に写る結衣ちゃんは……リアル獣っ娘です。

 これは他人には見せられないのだが、結衣ちゃんが頑なにコレを望んだんだ。

 

 何故だろう?

 

「はい、結衣です」

 

「もしもし、榎本です。今電話大丈夫?」

 

 私用携帯の方に掛けたが、周りからの音は聞こえない。つまり自宅かな?

 

「はい、平気ですよ。今は部屋で宿題してましたから」

 

 学校から帰って直ぐに宿題だと?僕の学生時代では考えられないな。

 

「今日だけど予定が変わって帰れなくなったんだ。戸締まりをシッカリ頼むね」

 

「大丈夫ですよ。お仕事大変ですもんね。明日の帰宅時間の予定は何時位ですか?」

 

 夜に独りの時間に慣れさせてしまったのは、僕の失敗だな。だが霊能力者が昼間だけ仕事は、現実的には不可能だ……

 

「昼前に帰るから午後になるね。夕飯は一緒に食べれるよ。あとデザート買ってくから楽しみにしてね」

 

「分かりました。お仕事頑張って下さい」

 

 良く出来たロリだよな。携帯を胸ポケットにしまって振り返ると、亀宮さんが立っていた!

 

「うわっ、脅かさないで下さいよ」

 

 全く心臓に悪いぞ。

 

「まるで奥様と話しているみたいでしたよ。結衣ちゃんって、お幾つなんですか?」

 

 マイロリエンジェルは中学二年生だから「今年で14歳だよ。ウチを空けるのが多いから独りで過ごすのを慣れさせてしまった、反省中」そう言って部屋の中に入る。

 

「あらあら、榎本さんってパパなのね?私も娘が欲しいわ、可愛い娘が」

 

 この問いには実は正解は無い。亀宮さんの状況では養子なら兎も角、自身が妊娠する事は極めて難しい。

 その最短距離に僕は居るが、その気が全く無い。

 

 だってロリコンだから!

 

 そそくさと炬燵に戻る。意味深な目線を向ける亀宮さんを促し、一時停止を解除して番組を見る。

 深夜バス……侮れないな。新宿から博多まで12時間で運んでくれるのか。

 だが、座席に半日ってキツいぞ。画面ではサイコロの目の六を出し、目により交通機関が決定するのだが……

 最悪の目を出した。寝台特急や飛行機等も有るのに、何故に最長時間・距離の深夜バスを選ぶ?

 

 しかも逆方向……

 

 このサイコロの旅とは、東京を出発し北海道に帰る単純な物だ。だが毎回六通りの行き先をサイコロの目で選ぶ。

 そこには各種交通機関の乗り物が書かれているが、何故か逆方向に向かう方が多いんだ。

 

「深夜バスって辛いよね?僕は無理だな、体が大きいし狭い椅子は嫌だ」

 

「そうですよね。私も寝台特急なら乗りたいんですよ。個室で札幌・函館、楽しそうですが、一人旅は許して貰えないと思うし……

榎本さん、北海道で除霊仕事が出たらご一緒しませんか?」

 

 寝台特急は個室も有るが、要は動くホテルだ。対外的に無理だろ、僕は何もしてない・二人共個室だったと言っても、世間は信じてはくれない。

 だから話題を変えよう。

 

「仕事と言えば、前に相談の有った政治家絡みの件はどうしたの?」

 

 あからさまに話題を変えた為か、少し拗ねてる?

 

「もう!此処はご一緒しましょうって場面ですよ。全く真面目なんだから。そうそう、前にお話しした件なんですが……」

 

 

 彼女の話を要約すると……元大臣、現役国会議員からの依頼。

 それは彼の地元に先祖代々受け継ぐ屋敷と山林が有る。その山林は彼の爺さんが亡くなる迄、家族の誰にも入らせない程に大切にしていた。

 大切って言うか、秘密にして近寄らせなかったのが真相だと思う。爺さんが亡くなり遺産整理で、その山林が問題になった。

 何と高速道路のインターの建設予定地の候補だったのだ。広大だが利用価値の無い山林が、インターが出来れば宝の山に化ける。

 測量会社が何組か入ったが、皆行方不明だ。その原因を調べて、問題が有れば祓う。

 

 だがスキャンダルはお断りだ!

 

 国会議員の所有してる土地に高速道路のインターを造るなんて、実際あくどい事をしてるんだろう。

 そして短期に解決したいので、何組かの霊能力者との共同作業っぽい。問題が世間にバレて候補地から外され、尚且つ候補地に上がっていた事までバレる。

 巨額な利益が貰えるんだ、相手の本気度は高い。だが亀ちゃんは基本的に亀宮さんに憑いている。

 除霊の為に広大な山林を歩き回るのは不可能だし、山登りの技術も無い。

 出来れば断りたいが、その国会議員にはお世話になっているので無理っぽい感じだな。

 うーん、亡くなった爺さんが原因なのは間違い無いんだ……そして家族にすら秘密なんて碌な事じゃない。

 だが既に犠牲者が出てるのに騒ぎ出さないのは口封じした?

 亀宮さんみたいな一大組織じゃないと、除霊しても口封じに殺されかねん。

 

「うーん、難しいよね。これは亀ちゃんの不得意分野だ。広大な山林って亀宮さん、トレッキング出来る?」

 

 どうみてもお嬢様に山登りは無理だろ?そう言えばメリッサ様も山小屋を放火する為に、山登りするんだよな。

 山小屋の除霊は成功したのかな?

 

「えっと、その……トレッキングって山登りですよね?無理だと思います。でも亀ちゃんに乗って飛べば……」

 

「木々の間を縫って飛べるの?山道が整備されてるかも分からないからね。

希望的観測じゃなくて、常に最悪を想定しなきゃ駄目だ。僕等は命懸けの仕事をしてるんだよ」

 

 やはり亀ちゃんに乗って飛べるんだ!最悪の場合は、飛んで逃げれるのは強みだ。30mも高く飛べば殆どの攻撃は通じない。

 亀ちゃんはデカいから甲羅に伏せれば、地上からの狙撃も防げるだろう。僕の胡蝶さんは物理攻撃は一面しか防げないかも。

 呪術的な攻撃は、殆ど防いでくれるんだけど……

 

「うん、分かりました。有難う、榎本さん。流石です」

 

 素直に礼を言う彼女の姿が、桜岡さんとダブった。これってアレか、お嬢様に懐かれるパターンか?

 確か桜岡さんも除霊手順の不手際を教えたら懐かれたんだ。アレ?静願ちゃんも同じだぞ。除霊手順を習いたいんだ。

 

 僕はアレか?同業者に物を教えると懐かれる?

 

「もし仮に仕事を請けるなら手伝うけどさ。僕も亀宮一族の派閥構成員として扱ってね。

それとは別に契約書も取り交わしてさ。権力者の秘密を探るなんて、個人事務所じゃ最悪消されかねん」

 

 国会権力に単身で刃向かうのは無理・無茶・無謀だ……

 

「それは構いませんが、何故ですか?個人事務所名を出せば宣伝になりますよ。消されるなんて映画やドラマの世界みたいだわ」

 

 周りの連中は、この辺の裏側と言うかドロドロした部分は、敢えて亀宮さんには教えてなさそうだ。

 欲望の為に人殺しをする連中なんて、掃いて捨てる程沢山居る。

 僕だって前は胡蝶の言うままに、怨霊や化け物・時には死んだ同業者も贄として捧げたんだ。

 だから分かる、人は自分や大事な物の為なら躊躇はしても他人を踏み台にする。

 

 余程の善人じゃなければね……

 

「勿論、考え過ぎかも知れないけどさ。僕は用心に越した事は無いと思うよ。

この業界で10年以上生きてきたのは、用心深さと事前調査・準備だよ。除霊に臨むのは勝率80%以上になってからだ。

そう思っても、八王子みたいに依頼人の為に無茶をしなきゃならない。因果な商売だよね?」

 

 僕程度の霊能力者じゃ準備に準備を重ねて、更に胡蝶と言う切り札が有るから何とかなってるんだ。

 駆け出しの頃なんて、毎日が失敗して殺されても不思議じゃなかった。良く生きていられたな……いや、胡蝶に生かされてたんだな。

 

「分かりました。多分この仕事は請けざるをえません。

なので榎本さんは私の一族として紹介します。別に亀宮と榎本さんの事務所との契約も交わしますね。

今回は私も私の一族も不安に思ってます。でも調査・準備に精通した榎本さんが協力してくれれば安心だわ」

 

 どの道頼まれたら断るつもりは無いんだ。ならば好条件で請ければ良い。

 出来れば調査には数人のスタッフを借りたいし、外部の興信所にも協力体制を敷いておきたい。

 僕の霊感では、亡くなった爺さんの過去を調べないと原因の特定は無理だと思う。

 家族が知らないとなると、下手したら半世紀以上遡らないと駄目かも知れない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕食は普通に懐石料理だった。

 

 食材も高級品だったし、あの婆さんも同席した。他にも風巻さんと言う腹心っぽい中年の女性。

 この四人だけで会話の少ない食事を終えた。

 食後のデザートにと高級品っぽいメロンを食べながら、亀宮さんが先程の話を振る。

 

「そうですか。あれ程の失礼を働いたにも関わらず御尽力頂けますか。それは感謝しますぞ」

 

 契約の件、除霊作業中の僕の立場も確約してくれた。これならば第一段階は成功だ。

 後は事前準備だが、資料の持ち帰り・持ち出しは危険だし直接僕が調べ回るのも嫌だな。

 

「後は事前に調査をしたいのですが、何処まで調べてますか?」

 

 話を振ると、風巻さんの目がスッと細くなった。どうやら調査は風巻さんの担当か?

 

「それは逆に榎本さんは亀宮様から話を聞いて、どう調べますか?」

 

 質問に質問で返されたぞ。此方の能力調査でも有るんだろうな、この質問は……

 

「先ず問題の山林は後回しにして、亡くなった爺さんと測量して消えた連中を徹底的に調べます」

 

「ほぅ?確かに私達も亡くなった先々代については調べてますが、何故そう思われる?それに測量会社の社員は被害者だろうに」

 

 風巻さんが体ごと此方に向けてきたぞ。このオバサンも爺さんが元凶だと思ってるんだな。

 

「家族にも内緒となれば、先祖代々何かを守ってるんじゃなくて自分がナニかを隠してた。

じゃなきゃ次代の息子や孫に引き継ぐ。それをしないのは、自分が元凶なんだと思う。

だから隠したいし、それなりに抑えは用意してた。それが破られたのは、測量の連中が何かしたんじゃないですかね?

生き残りが居れば詳しい話が聞けると思いますよ」

 

 腕を組んで考え始めた風巻のオバサン。何か思い付いたんだろうか?

 

 

第138話

 

 ご隠居様と風巻さん、それに僕と亀宮さんだけの夕食……だが実際は亀宮一族の重鎮連中だ。

 亀ちゃんを纏う亀宮さんに一族を実質的に束ねる婆さん。それに諜報担当っぽい風巻さん。

 後は実働部隊の長が居れば全員揃うんじゃね?

 食後の日本茶を啜りながら、何となく仕事の話を振ってみた。

 今日は泊まりだし、余りに早く引き上げるとDVD鑑賞会の夜の部が始まってしまう。

 だから21時近く迄話し込んで、入浴→就寝にしたい。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本さんの言われた測量会社の社員だが……公にはなってないが労災事故として処理された。

獣に襲われたとな。実際に遺体の損壊は激しかったそうだ」

 

 風巻さんが淡々と話す。最近でも東北のクマ牧場で似たような被害が有った。だから決して可笑しくは無い理由だが……

 

「そもそも問題の屋敷と山林って何処なんです?」

 

「愛知県の山岳部ですね……」

 

 愛知県か……駆け出しの頃に暫く厄介になった親分さんが居るな。

 出来れば付き合いは最低限にしたい類の商売の方が……具体的には広域指定暴力団の方が。

 でも軍司さんには、お世話になりっぱなしだ。筋肉の師匠でも有るし、一度挨拶に行くかな。

 彼等は義理には篤く不義理には厳しい。季節の挨拶は勿論だが、近くに来た時も連絡はする。

 

「愛知県で人間を襲う獣……情報操作されたんですね。まぁ其処は触れない方向で。

それで発見場所は?捜索隊は何処まで山林に入り込めたんですか?」

 

 発見場所が惨殺場所なら原因の特定にも役立つ。そして捜索隊が何故無事だったのか?また彼等に当時の話を聞けるのも重要だ。

 

「犠牲者は山林の麓で発見されたそうだ」

 

 淡々と惨劇の経緯を語る風巻さんも大したものだ。だが亀宮さんはどうかな?彼女を見れば無表情だが……

 

「亀宮さん、辛いなら席を外しても良いよ。情報交換したら要約して報告するから」

 

 人が死ぬ過程や結果なんて知りたくも無いだろ?

 

「平気ですよ。確かに気分の良い物じゃないですが、これも私の仕事ですから……」

 

 気丈に言うが、それでも慣れずに辛いんだ。その白く細い指をギュッと握ってるのを見れば分かるよ。

 

「余り無理しないでね。さて気持ちの悪い話だが続けるよ。現場には血痕とか事件の手掛かりは残されてましたか?」

 

 風巻さんが目を逸らして首を振る。この先はタブーなんだな。つまり痕跡を残さず処理されたんだ。

 

「話を変えますが、既に葬儀も終えたんですよね?司法解剖とかのデータも手に入りませんか?」

 

 事件性が有れば警察だって普通の手順を踏む。目撃者の居ない死亡は、事件だろうが事故だろうが司法解剖をする筈だ。

 此方も静かに首を振った。相手は警察にも手を伸ばせるんだな、全く厄介だ。

 

「そうですか……傷だけでも見れれば色々と分かったんですけどね。まぁ残念だけど仕方無いか……」

 

 黙って聞いていたご隠居の婆さんがお茶を飲みながら、何気なく質問してきた。

 

「遺体から情報を得るとはな。余り良い物じゃないぞ」

 

 湯呑みで表情を隠しながら……僕だって好きで調べたい訳じゃないよ。だが情報量が生死を分けるなんてザラだろ?

 

「いや本当に獣かなって?傷を見れば刃物の傷か爪や牙の傷か分かる。

歯形でも有れば動物の特定も可能だし、最悪個体の数や大きさも推測出来る。

何より二人以上の人間を殺して運ぶ連中だ。人か獣かだけでも分かれば調べる事は減る」

 

 知恵ある獣は凶悪だし、人の怨霊だってそうだ。特に思考力の有る悪霊・怨霊なら、相当手強いぞ。

 

「何故、被害者が二人以上だと?」

 

 アレ?こんな簡単なことを聞いてくるかな?思わず変な顔でご隠居の婆さんを見る。向こうも訝し気な顔で此方を見る。

 本当に皺クチャな婆さんだな、目とか細くて皺と区別がつかないよ。

 

「いや測量作業は二人一組でしょ?今はGPSとかで座標を入力すれば測量出来るらしいけど、普通は単独作業はしないと思いますよ。

ましてや街中じゃなくて山林だし、危険じゃないですか」

 

 遺体を麓に運んだのは警告だ。相手は人並みの知恵が有るのは間違い無い。先入観は厳禁だが、僕は怨霊か悪霊の類だと思うね。

 

「そうですね、私も同感です。ご免なさい、相手から其処までの情報は引き出せないの。私の部下も現地に送ったけど行方不明なのよ」

 

 サラリと爆弾発言をしやがったぞ。既に調査で失敗してるんかい?

 

「私聞いてませんよ!一族から犠牲者が出てるなんて?」

 

 僕が何か言う前に亀宮さんが叫んだ!本気で怒ってるのが分かる。彼女は基本的に善人だから、身内から被害が出たのが許せないんだろう。

 だが悪手だよ其れは……

 

「それは大問題ですね。最初の測量会社の社員の死体を麓に運んだのは、多分だが警告だと思いますよ。

それを無視して人を送った。相手は怒ってる。問答無用で殺す位にね」

 

 既に敵意剥き出しの相手に、どう挑むかな……ハードルが高いな、それこそメリッサ様に言った様に山火事を起こして一気に解決したい。

 

「言い訳をさせて貰えるならば、私は直接乗り込む指示はしてなかった。周辺の調査を命じたのですが、定時連絡で近くまで行ってみると……」

 

 辛そうな顔の風巻さんだが、確かに自分の部下を亡くしたんだ。辛いのは当然だよね。

 だけど亀宮一族って除霊事故で死んだら保証有るのかな?契約書には、その辺もシッカリと記載しなきゃ駄目だな。

 気持ちを切り替え様とお茶を飲むが、知らない内に湯呑みの中は空だった。湯呑みを覗いていた為か、亀宮さんがお茶を注いでくれた。

 

「ん、有難う。さて、夜も更けましたし一旦お開きにしますか?僕も今日は疲れたので、出来れば風呂に入って寝たいです。

続きは明日の午前中にしましょう。僕は明日、一旦帰って契約書を作りますから、実際の仕事は契約締結後に……」

 

 余り根を詰めて話し合っても無駄だろう。先ずは契約、次に調査の為の環境と手伝ってくれる人を紹介して貰おう。

 今回は相手がヤバいから直接調査に人員を出して欲しいし、調べ物に使うパソコンも用意して欲しい。

 僕個人のアカウントとか知られたくないし、相手が何処まで警戒してるか分からない。だから僕は極力表に出ない方法を取らないとね。

 

「そうでしたね。榎本さんは母屋に部屋を用意してます。風呂は部屋にも有りますが、大浴場も用意出来ますぞ」

 

 悪くなった雰囲気を変える為か、風巻さんが明るく言ってくれた。

 

 大浴場!素晴らしい響きだが、僕専用じゃないだろう。

 

 裸なんて無防備な所を晒すのは、未だ信用も信頼もして無いから嫌だな。

 

「流石ですね。でも早く寝たいから部屋風呂で十分です」

 

「あら、母屋の大浴場は総檜の湯船なんですよ。それに露天風呂も有りますし、今夜は月が綺麗ですよ。のんびりと入られて月見でもどうです?」

 

 何故、そんなに勧めるんだ風巻さん?嫌な予感しかしない……

 

「実は昼間の蹴られた部分が染みますので、湯船には浸かれないんです。だからシャワーで軽く汗を流したいなと……」

 

「そうですよ!怪我を見せて下さい。全然痛くなさそうだから安心してたのに、染みるなんて治療しなきゃ」

 

 亀宮さんが脇腹を見ようとシャツを捲ろうとするが……婦女子が男性を脱がすのは痴漢行為じゃないですか?

 彼女の手を掴み、やんわりと押し返す。既に亀ちゃんは、僕が亀宮さんに触るのは容認らしい。

 

 具現化すらしないし……

 

「女性が男性の服を脱がしちゃ駄目でしょ!怪我は平気だよ、心配は嬉しいけどね」

 

「でも野田に本気で蹴られたんですよ。彼は10㎝位の丸太を蹴りで折れるのです。だから……」

 

 結構頑固な所が有るよな。散々炬燵で寛いでるんだし、心配無いのは分かるだろうに。

 仕方無くシャツを捲り脇腹を見せる。腹筋に力を入れるのは男の見栄だが内緒だ!

 

「ほら、少し違和感が有る程度だから打撲だよ。余り見せる体じゃないんだ。僕は傷だらけだから、女性は気を悪くするだろ?」

 

 そう冗談っぽく言う。何故か女性全員が、オッサンの腹をガン見だ。

 

「何ですか?」

 

「「「いえ、何でもないです」」」

 

 何故ハモるんだ?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮様に手を引かれて、客間に向かう小山の様な筋肉を見て思う。

 

「やはり男なら逞しい方が良いな」

 

「そうですね。荒事も必要ですし、男は女を守ってナンボですよ」

 

 ムキムキに割れた腹筋、そして新旧大小の傷。彼の半生が決して順風満帆で無い事が分かる。

 

「先程の話だが、どう思う?諜報部隊の長として?」

 

「そうですね。悪くない進め方です。彼は優先順位を付けてから、順番に調べるのでしょう。

しかも安全性を確保しながら……

私は手足が多いので、同時に調べてしまった。結果は私の方は失敗し、部下を無駄に亡くした。

現地入りする前段階で、もっと詳しく調べるべきでしたね。それと彼の考察も大体私と一緒でした」

 

 ほう、風巻が誉めるとは中々だな。それにしても、彼の能力が限定出来ない。

 あの蹴りを喰らいながら、ほぼ無傷な事。襲撃直後は脇腹や腕を気にしていたそうだ。

 つまり回復力か治癒術が得意なのだろう。

 

 自動回復機能付きの重戦車とは厄介だが、何故新旧大小の傷も有るのだ?

 

 呪術部隊を全滅させる事も片手間で行える。実際に最初はコーラを飲みながら嫌そうに、次は野田の襲撃を去なしながらだ。

 亀宮様の話では左腕を振るうだけで、強力な怨霊を祓えるらしい。亀宮様が自分と同等以上と太鼓判を押すのが理解出来たよ。

 敵対せずに済んだのは、不幸中の幸いだな。

 

「彼は契約書を取り交わさないと、仕事はしないと言いましたね。抜け目無い事ですな。良い様には使えないかも知れません。

私は彼に諜報部隊の有望な若手を同行させようと思います。良い刺激になるでしょう」

 

 風巻一族の精鋭部隊を奴と同行させるか……ふむ、悪くない。

 アレの除霊手順が生で分かるのはな。

 

「それは良い考えだ。風巻を信用してない訳ではないが、他の霊能力者の手の内を知るのも良い経験になるだろう。して、誰を付けるのだ?」

 

「私の娘二人付けようかと……」

 

 二人、奴と合わせて三人チームか……だが必ず亀宮様が入るだろう。

 

「佐和と美乃をか?調査といえども亀宮様も加わるだろうな。

あの感じでは……護衛に滝沢を付けるか」

 

 佐和も美乃も実戦力としては弱い。奴と亀宮様が守りに廻れば問題無いとは思うが、用心に越した事は無い。

 それに、あの二人は良い意味でも悪い意味でも変人だ。常識ある人間を付けねば、奴からの評価が落ちる。

 問題児を押し付けたとか思われたくは無い。

 

「分かった、それで良かろう。ふふふ、楽しみよな……」

 

 同等の力を持ちながら亀宮様には我等が居た。だが奴は家族と師匠を立て続けに亡くしている。

 正反対の位置に居た二人が交わるとは、何とも神様は残酷じゃないか!

 

 まるで現場からの叩き上げとエリート士官だな。

 

「御隠居様、榎本さんですが本当に信用なさるので?」

 

「何か気になるのか?」

 

 信頼じゃなく信用か……奴の言う契約書を交わせば、逆に奴も枷を負う。信用しても良いだろ?

 

「その、報告では駆け出しの頃に暴力団と交流が有ると……現在でも定期的に連絡を取り合い、仕事も請けているそうです」

 

 くくくく、我等とてヤクザと変わらぬ者達から仕事を請けてるではないか!国会議員など、一皮剥けばな。

 ハマコーなど自分で昔はヤクザだと吹聴していたぞ。

 

「ああ、儂も調べたぞ。名古屋に拠点を持つ奴等の事だろ?昔、まだ亀宮様も駆け出しの頃にほんの二ヶ月位だが噂になった事が有ってな……」

 

 それは狂犬と呼ばれていた男の話だ……

 



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第139話から第141話

第139話

 

 風巻と別れ、自分の執務室に入る。デスクの上には、奴の調査報告書が山積みだ。

 亀宮一族700年の歴史の中でも数人しか居ない現当主の番(つがい)が、まさか儂の代で現れるとは!

 亀宮様と同行した鈴木達から報告を受けてから、徹底的に調べ上げた。

 

 まさに奴の人生は波乱万丈!

 

 付箋紙の貼ってあるページを捲る。狂犬……狂った犬、誰にでも吠え噛み付く。そんな二つ名を付けられた男とは到底思えぬ。

 どちらかと言えば今は用心深い人喰い熊だろう。アレは無駄吠えはせずに、用意周到に急所に噛み付くタイプだ。

 

 榎本心霊調査事務所、所長榎本正明か……

 

 開業は7年前、その前は事務所を構えずフリーで仕事を請けていた。

 親族は死に絶え師匠も死んだ、いや当初の奴の除霊動機が復讐らしいので、殺されたと見るべきか……

 事有る毎に、奴等に復讐してると公言していたそうだ。経歴を見る限りでは見事に評価は中堅霊能力者だ。

 難易度Bクラス以下を無難にこなしている。

 

 その分、安全・安価・確実な仕事振り。

 

今の奴を見てから、この目立たない経歴を見ると……如何に奴が気を使いながら仕事をしていたかが分かる。

 目立つ事を極力嫌っていたのだ。その謎は狂犬と呼ばれていた時代まで遡る。

 10年位前だが、当時ちょっとした噂が有った。名古屋付近で、誰も手を付けたがらない心霊物件を片っ端から除霊する男が居る。

 

 難易度AAA(トリプルエー)の危険な心霊物件。

 

 殆どがヤクザや権力者の絡む危険な物件をだ。政治家絡みの紹介で、我等にも依頼が来た。

 当時の亀宮様は、亀様との意思疎通が漸(ようや)く出来る程度の腕前。

 それに除霊場所は風俗店や連れ込み宿ばかりで、女学生の亀宮様には些(いささ)か不似合いだったので断った。

 だが、それら不穏な物件を立て続けに除霊した男。それが若い頃の奴だ。

 

 当時の奴は、広域指定暴力団のお抱え霊能力者だった筈だ。

 

 若頭が常に行動を共にし、若い衆と生活していた。自身が強い霊能力を持っていても、実生活で生かせる事は少ない。

 法を犯せば別だが奴はそれをしなかった、いや出来なかったのだろう。若い故に割り切れなかったのかも知れない。

 だから奴等に付け込まれたんだろう。そして僅か二ヶ月で多数の除霊を単独で行い、奴を雇っていた組織から離れた。

 正直、良く相手が手放したと思う。如何に有能で力強くても、後ろ盾を持たないと簡単に利用されてしまう。

 奴は、それを若い頃に学び力を隠して生きてきたのだ。だが亀宮様が、それを世間にバラしてしまった。

 業界屈指の力有る亀宮様が絶賛する相手は、何処にも所属してないフリーの霊能力者。

 しかも安定した実績が有るのだから、近々の経歴は調べ易い。合法非合法を問わずに勧誘が多かった筈だ。

 良くも騒動の原因たる我が一族に来てくれたものだ。仕返しの為に我が一族に来た訳でなく、後ろ盾が欲しかったのが本音だろうな。

 後は本気で亀宮様と敵対する意思が無いのだ。そこがアンバランスに甘い所だな。

 自分の安全の為に慎重に暮らしていたのに、それを乱した亀宮様を思いやる。

 その善意にウチの馬鹿共が牙を剥き、逆に噛み千切られた。所詮は自分と相手の力の差が理解出来ず、自滅した連中だ。

 遅かれ早かれ問題を起こしただろう。調査報告書をデスクに置いて眼鏡を外す。

 老眼だから沢山の文字を読むのが辛い。気を使われ報告書の文字を大きくしてくれているから、余計にページ数も多い。

 目薬を差しながら、今後の事を考える。確かに悪くない相手だが、取り込む事により組織の連中が勝手に動き出した。

 これが外部からの血を拒む旧家の宿痾(しゅくあ)か弊害か……今はデメリットばかりがデカい。

 呪術部隊の全滅、野田の再起不能、山名一族の降格、組織内部の不和。メリットは亀宮様と同等の術者が敵対しない事。

 

 上手くすれば強者の血を取り込めるか……それだけだな。だが、敵対は防げても一族内部が崩壊しては意味が無い。

 この機会に一族の膿みを出し切り、組織の再編を図るしかない!

 奴に直接は頼めぬが、利用出来る事は出来るだけヤルか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「先ずは客間にご案内しますわ」

 

 そう言って亀宮さんが僕の手を引っ張る。食事をしていた部屋を出ると、鈴木さんと西原さんが控えていた。

 

「亀宮様、榎本様の御案内は我々がします。ささ、榎本様。此方で御座います」

 

 余り周りを刺激したく無いし、亀宮さんが案内してくれたら客間にまで入り込んで話し出しそうだな。此処は彼女達の提案を飲もう。

 

「亀宮さん、後は寝るだけだから案内は平気だよ。じゃ明日の朝にね」

 

「もう!榎本さん、此処は私に案内して欲しいって駄々をこねる場面ですよ。本当にもう……では明日の朝に」

 

 見送ってくれる彼女を手を振りながら移動する。

 

「では此方へ……」

 

 二人が前を歩き、僕は後ろに付いて行く。畳敷きの廊下を進み幾つかの角を曲がると、突き当たりに襖が見えた。

 あの部屋かな?立派な絵の描かれた襖だ……松に鷲がとまる絵だが、見た目からして古そうで高そうだ。

 スッと音もなく襖を開けると6畳程の和室になっており、奥の襖を開ければ寝室かな?所謂此処は次の間って奴か?

 

「此方になりま、なっ何故コレが此処に?」

 

 部屋の真ん中に置かれた不自然に古い壷。高さ80㎝直径30㎝程度の古い素焼きの壷だが、禍々しい気配を放っている。

 

「正明!アレは旨そうだぞ、触れ。アレは古代中国で罪人の首を塩漬けにして保管した壷だ。

中を見ろ、中には外道達の薄汚い笑みを貼り付けた顔が有るぞ」

 

 毎回の一方的な胡蝶の念話だが、もう慣れた。最初はビクッと体を震わせる事も有ったけどね。

 そして深い深い溜め息をつく……善意に受け取れば腕試し、悪意に受け取れば……まだまだ僕を殺す気の連中が居るんだな。

 婆さん、ちゃんと部下を押さえつけとけよ。首脳陣の判断に真っ向から反発する連中ってどうよ?

 それとも実は婆さんも一族全てに影響力が無いのか?

 だが祓わなければ騒ぎを大きくするし、今日世話になりっぱなしの胡蝶のお願いは断れない。

 立ち尽くす彼女達をすり抜けて壷の中を覗く。

 

「ギャハハハ……ウゲゲゲ……グフッ、グフフ……」

 

 なる程ね、嫌らしく笑う顔が沢山詰まってるよ。日本だと丁髷(ちょんまげ)が切れたザンバラ髪だけど、古代中国はロン毛に髭か……

 関羽や張飛を彷彿とする顔だけど、三国志時代位かね?左手首の数珠を外し壷に触れる。

 

 ギュポンっと音がして壷の中身を胡蝶が吸い込んだ。

 

「コレって古代中国の罪人の首壷だろ?中身祓ったけど良いよね。じゃお休み」

 

 呆然とする彼女達を置いて、奥の部屋に入る。何か聞かれるのも面倒だし、彼女達も犯人とか調べたりするのも大変だろうし……

 要は籔を突いて蛇を出したくなかった、大袈裟にしなかったんだ。和解した直後に変な罠を仕掛けられたとかさ。

 この話は無かった事にしても良い位だぞ、普通は。12畳程の和室に入ると、中央に布団が敷かれている。

 更に奥には洗面台と冷蔵庫が見えた。最新型の空気清浄機が有ると思えば、高そうな掛け軸も飾って有る。

 

 高級旅館並みの装飾を施された部屋だ。

 

 婆さん自体は僕を取り込む事に賛成なんだな。流石に壷の件が報告されれば、僕の周りを警戒して被害を抑えてくれるだろう。

 そのままポフンと布団に倒れ込む。クッションの効いたフカフカの敷き布団に、羽毛がパンパンに詰まった掛け布団……

 今日は色々有って本当に疲れたな。左手首を見て胡蝶に話し掛ける。

 

「なぁ胡蝶?この部屋は大丈夫かな?あの壷だけど、亀ちゃんは食べないのか?」

 

 蝶の形の痣から銀色の流動体が流れ出し、美しい幼女の形を形成する……最近は服を着てくれる様になったのが救いだ。

 古代中国の姫様みたいな格好がマイブームらしい。最近瞳が金色になり、肌も雪の様に白く唇は真紅になってきた。

 妖艶な美幼女って、実際にはどうなんだ?だが服を着る習慣を身に付けてくれて、本当に良かった。

 全裸幼女なんてバレたら世間的に僕が死ぬ。仰向けに寝てる僕の腹の上で胡座をかく胡蝶さん。

 今日は散々こき使ったと言うか守って貰った。呪いの防御に僕の治療、それに怪しい壷の処理。

 

 本当にデレ期の胡蝶さんは頼りになるなぁ……

 

「ふむ……この部屋には壷みたいな物は無いぞ。呪術的な監視も無さそうだな。

だが、この屋敷には先程の壷の様なご馳走が後一つ有るな……くくくく、喰らえば我の力も益々強くなろうぞ。

と、言う訳で我が喰い散らかしてくる。正明、大人しく留守番してろよ」

 

「ちょ?待ってくれよ。確実に疑われるって!おい、胡蝶さん?」

 

 そう言ってパシャっと液体化して、スルスルと外へ出て行った。唯我独尊、自己中な姫様だなぁ……

 まぁお腹が一杯になれば帰って来るだろ。取り敢えず歯を磨いてシャワーを浴びよう。

 そう思って立ち上がると、ザワザワと外が騒がしい。

 

「榎本さん、宜しいか?」

 

 襖の外から呼ばれるが、あの声ってご隠居の婆さんか?待たせる訳にもいかず、直ぐに襖を開ける。

 

「どうしました?」

 

「どうしただと!いや、責めてる訳では無く我等の不手際を詫びに来たのだ。あの壷だが……」

 

 血相を変えた婆さんに詰め寄られたが、喰っちゃ不味かったのかな?

 

「えっと……祓っちゃ不味かったですか?壷の中の連中もやる気満々だったし、ゆっくり寝れないので祓いましたが……」

 

 驚いた後にニヤリと笑う婆さん。

 

「ゆっくり寝れない?くくく、すまぬ。どうやら問題について温度差が有ったようですな。アレが寝れない程度とは……詫びは後程させて頂こう」

 

 そう深々と頭を下げてさっさと退出して行った。また反発勢力の悪戯なんだな。

 アレは僕ではヤバいと思った壷だった。胡蝶さんには御馳走でしかなかったみたいだが……だが婆さん、驚くのはこれからだよ。

 何たって胡蝶が、もう一つの呪術的な品物の徴発に出掛けたんだ。

 この屋敷の怪しい物は全部喰っちまうだろう。僕はアリバイを作る為にも部屋に籠もろう。

 

 先ずは歯磨きとシャワーだ。洗面台に向かい備え付けのアメニティを漁る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 奴に詫びてから廊下を早足で執務室に向かう。あの壷を簡単に祓って、理由が寝れないから?全く想像の斜め上を行く奴だ。

 あの壷は祓う事自体は亀様でも可能だが、壊してしまう恐れが有った。

 壷自体に歴史的な価値が有る厄介なモノだったのだ……だから結界を敷いて保管していたのだ。

 この老骨が楽しくて仕方無いとはな。自然と笑みが零れてしまう、暗い笑みがな。

 

「くっくっく……あの壷を清める事をロハでしてくれたか!依頼料は払わねばなるまい。風巻、風巻は居るか!」

 

「はい、御隠居様。如何なされましたか?」

 

 音も無く背後から声を掛けられる。これだから諜報部は気味悪がられるのだ。

 

「地下に安置していた壷の一つが、客人の部屋に置いて有ったぞ。結界を剥がしてな」

 

 息を呑む気配を感じた。この風巻が慌てるとはな。

 

「それで榎本さんは無事なんですか?あの禍々しい壷を持ち出せる人間など、山名の連中位しか……」

 

 そうだ、結界を敷いた呪術部隊の連中しか持ち出せまい。報復にしては杜撰だな。

 

「もう一つの壷の確保と、犯人を取り押さえるぞ!これ以上、客人を煩わせるのは悪いからな。

知ってるか?奴は寝るのに邪魔だからと簡単に祓ったそうだ。

我が一族に飛び込んで来た魚はデカいな。まるで鮫だぞ!だが逃がしては駄目だ」

 

 くっくっく……アレが取り込めるなら、一族の半分位失っても釣りが来る!

 精々丁重に扱い利用させて貰おうぞ。

 

 

第140話

 

「けふ、うむ正明。美味い連中だったぞ。我は満足じゃ」

 

 歯を磨きシャワーを浴びて、さぁ寝よう!って時に満足気な胡蝶さんが布団に横になり、お腹をさすっていた。

 どうやら無事に喰えたみたいだ……

 

「満足したのか?じゃ寝るぞ、僕も今日は疲れたからさ」

 

 布団の真ん中で、大の字に寝てる胡蝶を抱き上げて左側に移動させる。首と膝の下に手を入れて持ち上げるが、彼女は20キロ位か?

 サイズを考えると不思議な位軽い……ゆっくりと左側に寝かせる。

 幸いデカい布団なので二人で横になっても不自由は感じない。

 

「ふむ、そうだな。だが……もう少し会話が有っても良くないか?」

 

 珍しく胡蝶が話を振ってくる。何時もは唯我独尊で一方的なんだが、胡蝶的に話したい時は僕が疲れていてもお構い無しだ……

 

「はいはい、それで上手く行ったのは分かったよ。どんな奴を喰ったんだ?」

 

「同じ壷が、もう一つ有ったぞ。古い時代の壷だからな、それなりに価値も有るのだろう」

 

 僕からすれば古くて割れも欠けもない完品だったが、死体の一部を入れていた壷だろ?価値なんて無いんじゃないかと思うけど?

 

「罪人の首を入れた壷だろ?適当に丈夫な壷なんじゃないか?」

 

「ふむ、正明。あの当時はな、権力者は自分に逆らった相手は見せしめを含めて定期的に首検分をしたんだ。

しかも相手は自分に逆らえる地位や権力が有った連中だ。それなりの品を用意したんだろうな。

それにアレは全て強い怨み辛みを秘めていた。我の力には十分だったぞ……」

 

「つまり権力者ってのは自分に逆らった奴は、殺しても更に晒し者にするのか。嫌な連中だな……」

 

 今回の依頼と言うか手伝いも近い物が有るよな。

 

「だから気をつけろ。何時の時代も権力者の醜聞など、碌でもないゲスな事に決まってる」

 

「胡蝶、それって?」

 

 僕を心配してくれてるのか?思わず上半身を起こして胡蝶を見るが、彼女は顔を伏せていた。多分照れているのか?

 

「そうだな、気を付けるよ。おやすみ、胡蝶……」

 

「うむ、あの亀女でも良いから早く孕ませろ。お前の一族を増やさねば駄目なんだぞ」

 

 照れ隠しなのか本気で種馬になれと言ってるのか?取り敢えず電気を消して眠る事にする。

 今回は権力者の醜聞に関わるかも知れない。しかも欲望丸出しで土地を高く売る為にだ。

 古代中国の権力者の例えでは無いが、僕個人が極力表に出ない様にしなければ駄目だな。

 全く、悪気は無いとは言え少しは亀宮さんを恨みたくなるよ。肉親の魂を解放したから、僕は静かに暮らせれば良かったんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝7時に部屋に僕を起こしに来たのは亀宮さんだった。そう言えば前日に起床時間とか決めて無かった。

 僕は常識的に7時に朝食と思い、6時には起きてシャワーを浴びて身嗜みを整えていた。

 驚く事に手ぶらで来た僕は着替えなんて持ってなかったんだが……ちゃんと部屋に用意されていたんだ。

 

 下着類とかの着替えがさ。

 

 割と大きい僕のサイズに有った物は、直ぐには用意出来ない筈だ。でも僕のサイズに合うシャツ・パンツ・靴下は用意されていたよ。

 つまり、どんな展開になっても泊まる様に準備されてたんだな。

 

「お早う御座います。榎本さん、良く眠れましたか?」

 

 襖だからノックじゃなく声を掛けてから、待たずに部屋に入って来た。彼女はブラウスにスカートと言う比較的ラフな姿。

 だが素材が高級感溢れているし、良く似合っている。旧家のお嬢様そのものだが、彼女は前亀宮さんの直系じゃない。

 血は引いてるが、中学生の時に一族から選ばれたんだよな。だから後天的に、良家の子女として教育されたのかな?

 

「おはよう、亀宮さん。枕が変わると一寸ね?でも良く寝れた方かな」

 

 もし僕がパンツ一丁だったら、どうしたんだ?せめて返事を返す迄は襖を開けないで欲しい。

 

「榎本さんって見た目と違い繊細ですよね。朝食なんですが、洋食で良かったですか?私、朝はパン食なんですよ」

 

「どちらでも構いませんが、場所は昨夜の?」

 

 僕は和食→洋食→中華の順だが、亀宮さんは洋食党なのか……でも最近の若い娘は洋食好きらしいしな。

 

「そうですよ。御隠居様が既にお待ちしてます」

 

 スタスタと先に歩き始める。部屋の外に出る時に確認したが、既に壷は回収されていた。

 変わりに生花を活けた壷が置いて有ったのが笑える。亀宮さんに案内され、昨夜と同じ部屋に通される。

 途中で何人かの人と擦れ違ったが、霊能力者と言うよりは屋敷の使用人っぽかった。

 今朝はご隠居の婆さんだけで風巻さんは居ない。和室に絨毯を敷いて机と椅子が配されている。

 黒檀製と思われる机の上には……婆さんの前には和食膳、亀宮さんの前には洋食のプレート。

 

 僕の前には、両方だ。

 

「えっと、確かに僕は沢山食べますが……何故、両方なんですかね?」

 

 せめて和洋どちらか聞いて欲しい。それに亀宮さんには洋食で良いと言ってしまったよ。

 

「ふむ、男子ならば健啖が望ましい。昨今の草食系とか、モヤシみたいな痩せてる男子はどうかと思うぞ。

その点、榎本さんは素晴らしいですな。ささ、両方食べて下さい」

 

「はぁ、頂きます」

 

 先ずは洋食プレートを見る。カリカリベーコンにハムとチーズのオムレツ。

 季節の野菜のサラダは胡麻ベースのドレッシング。厚めのホットケーキが二枚に、ミルクとフレッシュジュースだ。

 

 和食膳は……鰆の粕漬けに出汁巻き卵、朧豆腐にほうれん草のお浸し。湯葉な刺身、納豆に牛の佃煮、豆ご飯はお櫃付きか……

 汁は赤味噌、具はあさりかな?

 

 正直、和食に触手が伸びそうになるが……先に洋食プレートに手を伸ばす。暫くは無言で食事を採る……

 洋食プレートを食べ終え、和食膳に手を出した時にご隠居の婆さんから声を掛けられた。

 

「昨夜祓って頂いた壷ですが、我等に正式に依頼が来ても祓えず困り果てていた奴なのです。良く祓って頂きました。御礼をお渡ししたいのですが、どうですか?」

 

 胡蝶の言った通り、あの壷には価値が有ったのか……良かった、壊さなくて。

 

「それは有り難いですね。もしかしたら祓ってしまった事で、迷惑を掛けてしまったのかと心配しました」

 

 そう言って、なるべく怖く無い様に笑ってみせる。静願ちゃん曰わく、僕が笑うと恫喝の笑みになるらしい……

 

「迷惑などと、此方の不手際ですぞ。壷を祓って頂いた代金は振り込ませて頂くぞい。二つ分な……」

 

 糸みたいな細い目が、一瞬開いた感じがした。隠しても無いからバレてると思ったので、動揺はしなかった。

 そもそも状況証拠で100%僕が真っ黒なのも承知の上だから……隣で亀宮さんも不思議そうな顔をしている。

 

「ふふふふ、ご隠居様。数が違ってますよ。僕が祓ったのは一個だけですよ。未だ有ったなんて知りませんでした」

 

「ほっほっほ。流石は亀宮様が見つけ出した逸材。では、そう言う事にしておきましょうぞ」

 

 互いに湯呑みを持って一口含む。責めずに報酬をって話を振る婆さんは侮れない。

 悪い事をしたつもりだから、心情的に借りを作った気持ちになるからだ。実際は被害者なのにね。

 

「亀宮さん、正式にこの仕事を請けるのかい?それによっては準備しなきゃ駄目なんだけど」

 

 のんびりとオムレツを食べる彼女に話を振る。ご隠居の婆さんの前で言質を取ってから、正式に契約書を取り交わしたい。

 それには契約書に盛り込む条件を決めておきたいんだ。

 

「御隠居様、この仕事は断れないんですよね?」

 

 亀宮さんの問いに、婆さんは頷いた。

 

「では幾つかお願いが有ります。僕は事前調査に重点を置いてますし、今回の依頼も直接の祓いじゃなくて調査能力を買っての事ですよね?」

 

 最終的には亀宮さんと原因の場所まで乗り込まねば駄目かもしれない。だが最初から条件に乗せては駄目だ。

 気持ちは最後まで付き合うが、契約書に盛り込むと枷にしかならない。

 

「榎本さんが手伝ってくれるなら、それで良いですわ」

 

「うむ、まぁ良いだろ……」

 

 流石に婆さんは歯切れが悪いな。事前調査迄だから明確に最後迄付き合う義務が無い。

 

「では幾つかお願いが有ります。先ずは事前調査の拠点を用意して下さい。色々と調べるに当たり、職場や自宅のパソコンからは一寸……」

 

「なる程な。身元を調べられた時に、亀宮一族関連じゃないと困る訳だな。では、風巻の分家が横浜に有る。其方を開放しよう」

 

 風巻のオバサン筋の分家か……調査するなら丁度良いな。風巻は亀宮の諜報部隊だから辻褄が合う。

 

 僕は黙って頷く。

 

 後は手伝いの連中だけど……

 

「だが監視ではないが、ウチからも人は付けさせて貰うぞ。何を手伝わせても構わない様に言い含めておく」

 

 監視とは正直だな。確かに尤もな理由だ……僕は亀宮一族の一部からは、相当恨まれてる。

 それに分家に誰が居るのかも知らない。直接調査に人が欲しいと思っていたんだ、渡りに船だな。

 

「人手については、此方からもお願いしたかったんですよ。分家にはネット環境を整えておいて下さい。コピー機やプリンターも欲しいです」

 

 データ管理は、そのパソコンと周辺機器だけにする。USBとかでデータを持ち出すと、ウイルス感染で身元がバレる事も有るし……

 だから紙ベースで資料は渡した方が安全だ!

 

「問題無いな。元々調査の拠点として用意した家だ。設備は整っている。勿論、防犯に対してもな」

 

「風巻のおば様の分家って金沢区の屋敷でしょ?ねぇ、御隠居様。私も様子を見に行っても良いですよね?」

 

 今迄は話を聞くだけだった亀宮さんが、借りる予定の分家に出入りして良いか婆さんに聞いている。ほいほいと、現当主が出歩いて良いのか?

 

「勿論、仕事が無い時は良いですぞ」

 

 良いのか?即答だぞ?本当に良いのか?

 

「安全管理とか平気なんですか?勿論、防犯上も……」

 

 此処は言質を取らないと、亀宮さんの護衛と言うか、お守りも任されそうで怖い。あー、でも亀宮さんだけなら護衛は要らないかも?

 

「亀宮様に害なす連中が何人居るかの?それに諜報を司る一族の分家だ。備えは万全だぞ」

 

 此処まで言い切るのは、既に婆さんの中では準備は万全なんだろうな。

 

「分かりました。明日にでも、その分家に行きたいですね。最初に契約書を取り交わしたいのですが……此方に伺えば良いですか?」

 

 不安要素を無くし責任の所在を明らかにするには、早めな契約の取り交わしが必要だ。だが誰から印鑑を貰うんだろう。

 通常、個人なら印鑑登録している実印を押して貰うが……亀宮さん本人の実印は、色んな面で嫌だな。

 責任を個人に負わせてしまうから……出来れば一族で経営してる会社の社印が欲しい。

 

「儂が分家に出向こう。亀宮様も同行したそうじゃしな」

 

 ご隠居の婆さん自らが出てくるか。だが亀宮さんも同行となると、先に話を纏めておかないと駄目か。

 

「それで契約書の宛名ですが、どうします?出来れば個人より亀宮一族が経営してる会社が良いんですよね。有りますか?」

 

「ふむ、それは良いが何故会社なのだ?個人の顧客も居るだろうに……」

 

 ん?婆さん、やはり亀宮さんと個人契約させるつもりだったのか?だが、それは駄目だ!

 

「まぁ責任の在り方ですね。個人から請ける仕事は……失敗したり問題が発生した場合も、個人の責任じゃないですか。

それはリスクが高すぎる。僕は亀宮さんに、そんなリスクを負えとは言えない。

株式会社なら責任は会社の所有財産までだし、倒産しても個人の名前は傷付かない。

それに各種保険にも加入してますよね?損害賠償保険とか……」

 

 此処からが交渉の本番だ。湯呑みからお茶を一口飲んで気持ちを切り替えていく……

 

 

第141話

 

 横浜市金沢区。

 

 近くで有名な所と言えば、金沢文庫や八景島シーパラダイス……昔は金沢に八つの景勝地が有り、金沢八景と呼ばれた場所でも有る。

 歌川広重によって描かれた大判錦絵の小泉夜雨・称名晩鐘・乙艫帰帆・洲崎晴嵐・瀬戸秋月・平潟落雁・野島夕照・内川暮雪が有名だ。

 現在は開発により殆ど残ってなく、称名晩鐘(称名寺の夕方の鐘の音)が往時を偲ぶ位だろうか?

 事前に調べた地図を見ながら、京急線の金沢八景駅を降りる。指定時刻は10時30分、現在時刻は9時35分。

 少し早く着いたが、途中で手土産を買う予定だ。地図にはダイエーや商店街も近くに有るから、何かしら買えるだろう。

 しかし……こんな近所に亀宮さん一族の関係者が居たなんて驚きだ。実は僕は金沢八景駅周辺には、全く縁が無い。

 

 今回初めて降りた駅だ。

 

 改札を出ると小さなロータリーになっていて、数台のタクシーが止まっている。周辺には公衆トイレ・喫茶店・中華食堂・パン屋・総菜店と多種多様だ。

 近くのパチンコ屋の屋上にはキングコングかゴリラのハリボテ人形が立っている。改めて見回すと、男女共に若い連中が多い。

 

 これは大学が近くに有る為だろうか……

 

「やれやれ、お迎えは断って良かった。あの勢いだと、亀宮さん自らが改札の前に立っていそうだった。その後ろには黒服を着た運転手と黒塗りの外車……悪目立ち過ぎる」

 

 当初、亀宮さんが総本家に呼ばれた時と同様に迎えに来ると言い張った。だが、駅から車でしか移動手段の無い前回とは違う。

 横浜市内ならば、僕等の知り合いも居るかも知れない。警戒し過ぎかも知れないけど、悪目立ちする必要も無いからね。

 折角彼女のお迎えを遠慮しても、駅舎の前で周囲を見回す筋肉(自分)も目立ってるな。

 早々に移動する為に地図を開く……駅舎を出たらロータリーを横切って、真っ直ぐ商店街を抜けると国道にぶつかる。

 

 国道を左折か……右手側に弁天島、左手側にダイエー。

 

 国道は何度も車では通っているから、迷う事は無いだろう。今回は契約書その他を持ち込んでいるので、鞄を持っている。

 ちゃんとスーツも着ているぞ!鞄を肩に掛け直して、ロータリーを横切る……

 

 アレ?アレレ?

 

 前方に見慣れた女性が居ますね?手を振りながら駆け寄って来ますが……

 

「お早う御座います、榎本さん!やっぱり迷うといけないので、迎えに来ました」

 

 最近見慣れたユルフワ美人が挨拶をしてくれた。

 

「お早う御座います、亀宮さん。えっと、何故に袴姿?」

 

 彼女は何と大正ロマン溢れる袴姿だ。編み上げのブーツに大きめのリボン。結構、いや……かなり似合っては居る。

 周りの餓鬼共もソワソワし始めた。

 

「実は私、その先の横浜市大に通ってたんですよ。風巻のおば様の分家から。この袴は卒業式に着たんですが、懐かしくって」

 

 そう言って、その場でクルッと回る。周りから溜め息が漏れる。普通着物って胸の大きさが分かり難い。

 しかし胸が凶悪でウェストの細い彼女が袴を着ると、メリハリが有り大変宜しいです、はい。

 スットンが大好物の僕は動揺しないが、周りは盛大に反応している。

 

 ふっ、若いな……

 

「良く似合ってますよ。その、早く行きますか?」

 

 周りがソワソワし出したので移動しよう。

 

「お前!勝手に写メで撮るな」

 

 大学生かと思われる男子グループが、携帯を向けてきたので注意する。突然怒鳴られて、キョドる連中をもう一度睨み付けて、携帯をしまうのを確認する。

 最近の携帯は望遠機能も高性能だから、盗撮も距離をおける。しかも手ブレ補正とか、盗撮に有効な機能が付き過ぎだよね?

 

「さぁ亀宮さん、行きましょうか」

 

「あら、ウチに来るのは初めてなのに……もう場所は把握してるの?」

 

 僕の左側を歩く彼女の台詞に、また周りが過剰反応する。初めて彼女の自宅に招かれた彼氏じゃないっての。

 ロータリーを横切り、商店街を抜けると国道に突き当たる。それを左折し歩道を歩く。

 車の交通量は比較的少ない時間だろう。ガードレールも有るし、特に危険は感じない。

 

「榎本さんは大学はどちらに?」

 

 のんびりと並んで歩いてると、亀宮さんが話し掛けてきた。

 

「大学は地元の私立でしたよ。残念ながら坊さんを育成する大学じゃなくて、普通の私立です。僕は四国の出身なんですよ。

ダム建設で住んでいた村ごと湖の底に沈んでしまいまして……それで神奈川県に流れて来たんです」

 

 一瞬だが、ダムの底に沈んだ行(くだり)で、彼女の表示が曇った。

 

「まぁご実家が?ごめんなさい、嫌な事を思い出させてしまって……」

 

 僕の周りの女性は、何で皆さん優しいんだろうね?こんなオッサンを普通に心配してくれるなんて、恵まれているよな。

 

「別に気にしてないよ。僕は大学を卒業してから、この業界に入ったからね。

どちらかと言えば、亀宮さんの方が大変だろ?僕は個人事業主だから、結構自由が利くけどさ」

 

 君は一族総てを、その細い肩に背負っている。危険なら投げ出したり、逃げ出したり出来る僕とは基本的に立場が違う。

 ダイエー前の横断歩道で信号待ちで止まる。

 

「でも経験年数は余り変わらないですよ。どちらが先輩後輩とか、立場の違いとかもです。私には亀ちゃん、榎本さんには胡蝶ちゃん。

私の知る限りでは、こんなに強力な守護獣・守護霊を憑けてるのは私達だけですし。これからも宜しくお願いします」

 

 そうペコリとお辞儀をされてしまった。

 

「えっ、いや……その……此方こそ宜しく。それと胡蝶については内緒の方向でお願い。余り周りに知られると厄介だからさ。お願いします」

 

 慌てて頭を下げようとするが、信号が青に変わってしまった。少し考える顔をしながら、それでも胡蝶の件は了解してくれた。

 

「そうだ、分家って何人居るんだい?手土産にダイエーでケーキでも買って行きたいんだ」

 

 手ぶらで訪問など社会人としては良くない。

 

「ぷっ……手土産って何か変ですよ。今朝出る時は、ご隠居様・風巻のおば様、それに佐和(さわ)さん美乃(みの)さん。

二人は風巻のおば様の娘さんなんです。後は……分家に居る方々が五人位でしょうか?

それに今日はスーツ姿だし、何て言うか妙に似合うと言うか、逆に似合わないと言うか……」

 

 少なく見積もっても十人か……それと僕がスーツを着るとヤクザチックになるのか?スーツ姿が似合うのはヤクザ、似合わないのはサラリーマン?

 

「一応ですが、会社対会社の契約を取り交わして仕事を頂くのですから。それなりの格好はしますよ」

 

 ダイエー方面に誘導するが、時間的に開店前だった。だけど一階に併設された喫茶店は開いてるな。

 

「まだ少し時間有るよね。喫茶店でお茶して時間を潰そう。てか10時30分に訪問の約束だったのに、亀宮さんも早くない?」

 

 良く考えれば、彼女が駅に現れたのも予定よりも早い。

 

「いえ、案内は不要と言われたので何時に駅に着くのか分からなかったので……行き違っても困りますし」

 

 全く袴姿で学生の群の中に立っていたら、ナンパ野郎が軒並み亀ちゃんに跳ね飛ばされてたぞ。男除けに亀ちゃんは最強だろう。

 だが大騒ぎにもなるよな。

 

 ツィッターとかに、金沢八景に美人亀使いナウ!とか書き込まれたら……

 

 ふと思い立って、携帯電話のGoogleを呼び出す。

 キーワードに「亀使い・金沢八景・美人」を入力し検索する。

 

 ヒット数が千件近いんだけど……

 

 検索結果の一番上をクリック、個人のブログか?

 

「なになに、市内の大学に美人亀使いが居ると聞いて侵入。僕は人が亀にかじられて振り回されるのを初めて見た!

亀ってよりも巨大なスッポンだよね?しかし、あの亀使いのお姉さんは巨乳で美人だなぁ……」

 

 正解!見事に事実に辿り着いてる。

 

「黒服に守られた、お嬢様発見!しかも亀のお化けに取り憑かれてるぜ。ありゃ夜な夜な大変だな。ウシャシャシャシャ」」

 

 お前……亀だからって、下ネタに走るな。黒服って自分で言ってるのに、奴らの報復は怖くないのか?

 

「不思議なお嬢様。在学中に、すげー巨乳美人が黒服を引き連れて居たんだよ。でも何か危険な香りを漂わせて……

彼女に近付いた男は、全員悉く病院送りだ。アレはヤの着く方々の関連だな。近付いちゃならない」

 

 どれもこれも真実に近い書き込みだぞ!駄目だ、公然の秘密扱いじゃないか?

 

 写真こそ載ってないが、調べれば出てきそうだよ。亀宮さんって、本当の意味で有名人なんだな。

 桜岡さんも現役タレント霊能力者だったけど、こんな情報社会って嫌だ……秘密が秘密じゃない。

 

 もし胡蝶がバレたら、僕は美幼女守護霊使い?それとも美幼女召喚師?どう考えても、碌でもない未来しか想像出来ないです。

 

「どうしました?携帯電話を見詰めて固まってますけど?」

 

「あっ、ああ……その、なんだ。少しお茶してから手土産を買って行こうか」

 

 黙って頷く彼女を伴い、全国チェーンの喫茶店に入る。

 

「「「いらっしゃいませ!」」」

 

 笑顔でスタッフが挨拶をしてくれる。平日の早朝、ダイエーは開店前だからか?客は疎らで空席が多い。一番手前のカウンターに進んで注文する。

 

「亀宮さん、何にする?僕はキャラメルマキアートをサイズはグランデで」

 

「んー、では同じ物にしますわ」

 

「じゃ席取っておいて。禁煙席の窓際が良いな」

 

 そう言って彼女をカウンターから離れさせる。会計を一緒に払う為に。横目で見れば入口から一番離れた窓際の席に座った。

 

「お待たせしました。キャラメルマキアートのグランデサイズを二つです」

 

 紙ナプキンを数枚取ってから席に向かう。移動途中で客を見回せば、若いサラリーマン・学生風のカップル、それにオバサン四人組だ。

 特に怪しい連中は居ない……

 

「はい、でもグランデで良かったの?」

 

「……ごめんなさい、無理かも」

 

 女性でグランデサイズなんて中々頼まないよね?自分で頼んでおいて失敗したな。

 

「まぁ飲み切れないなら残しなよ」

 

 ストローを刺して一口啜る……うん、甘い甘過ぎる。暫くは時事ネタを交えた雑談をする。

 今年の夏は節電するのかな?千葉県って最近地震が頻発してるよね?くだらない話でも、亀宮さんはニコニコと聞いてくれる。

 

「さて、ダイエー開店したね。地下の名店街なら何か有るだろ?行きますか?」

 

 彼女は半分以上残っているキャラメルマキアートを急いで飲み干そうとするが、それは無理だ。

 

「無理しなくて良いよ」

 

「でも勿体無いですよ」

 

 大金持ちのお嬢様だけど、金銭感覚はしっかり者なんだな。ヒョイと紙コップを受け取り一気に飲み干す。

 

「はい、空っぽ。じゃ行くよ」

 

「そそそそ、そうですね。行きましょう」

 

 変にどもってるけど、何か悪い物でも食べたのか?ちゃんと分別してゴミ箱に捨ててから店を出る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 また飲みかけを飲まれてしまったわ。八王子では瓶のコーラを此処ではキャラメルマキアートを……

 榎本さんって甘党?ちちちち、違うわ。間接キスなのに平然としてるのは何故?

 本で読んだりドラマで見た、悪い男の恋愛テクニックとも違うわ。まるで私を子供の様に扱ってる。

 確かに箱入りお嬢様の自覚は有るけど、一応社会人として霊能力者として頑張ってるのに……

 

 この人は私に纏わり付いてくる他の人達とは違う。

 

 あの目、あの取り入ろう・利用しよう・モノにしたいと言う嫌な感じが全くしない。彼が私達一族の末席に加わってくれるのは、私が不用心に周りに話したから。

 彼は私を利用するのではなく、私と敵対しない為に来てくれた。一族の嫌がらせにも耐えてくれて。

 私を利用する気もなく、どちらかと言えば私達に利用されようとしている。私の知る限り具現化出来る強力な守護獣・守護霊が憑いてる人は私達だけ。

 

 この人は私に何を求めているの?

 

 この人は私に何をさせたいの?

 

 この人は何をしたいんだろうか?

 

 面白い面白い面白い、この人と居ると本当に面白い。榎本さんが何を見ているのかが知りたい……

 



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リクエスト作品(高野さん編)前編・中編

リクエスト(高野さん編)前編

 

 私の名前は高野澄子(たかのすみこ)

 

 地味な名前に地味な容姿。衣装や化粧も極力他人の印象に残らない事に気を付けている。

 表の顔は結界専門の霊能力者として、八王子の名士である小原一族の当主の小原拓真(おばらたくま)に雇われている。

 女癖の悪い嫌な男だが、彼の好みは色気の多いグラマーな女。私は胸の貧しい地味な女。

 つまり、あの舐める様な嫌らしい目に晒されないで済むので気が楽だ。但し雇い主の愛人達の哀れみと優越感に浸った目には腹が立つ。

 最近知り合った筋肉達磨に下痢地獄の術を習ったので、ストレス解消に良く使っている。

 雇い主との逢瀬の前に腹を下せば、本当の理由を言えずに嘘を付く。逢えない言い訳が度重なれば、寵愛も失うって寸法だ。

 

「人間の尊厳を犯す最悪の呪い。良心がガリガリ削られる禁術だが、本来復讐や仕返しってそんな物は関係ないだろ?

やられたらやり返す。当たり前の事だよ」

 

 この術を教えてくれた時、あの筋肉達磨は暗い笑みでそう言った。頷くしかなかったし、心の底から奴に敵対しないと誓った。

 既に奴は私の毛髪も所持しているし個人情報も知っている。本名・生年月日・性別・年齢・毛髪で発動する、この禁術を防ぐ事は難しい。

 常に結界を張っていれば返せるかも知れないが、現実的には無理なのだ。それに奴は見た目が脳筋パワーファイターの癖に、実は強力な術者でもある。

 皆がギャップに騙されるんだが、マッチョと呪術士を両立させるって反則じゃないかしら?

 

 そして、そんな彼とは小原氏を通じて協力者でもある。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 神奈川県逗子市。

 

 高級別荘地葉山町と隣接し、また逗子御用邸と言う皇族専門の保養所も有る風光明媚な歴史ある街だ。

 そして金持ちでもある小原氏の別荘も当然有る。主に小原氏が愛人との逢瀬に使っているが、今は筋肉達磨との商談に良く使う。

 彼は関西の心霊詐欺カルト団体、神泉会と敵対している為に小原氏に協力的だ。

 

「で?」

 

「いきなり最初の言葉が一文字って男としてどうなの?一応男女の密会なのよ?」

 

 相変わらず暑苦しい筋肉をスーツに包んだ榎本さんが私の向かいに座り、此方を見詰めている。

 高級別荘のベランダに二人で向かい合って座り珈琲を飲む。一人は筋肉男、一人は地味な女。

 爽やかな風が吹き抜けるが、二人の間には甘い雰囲気は欠片も無い。当たり前だが、お互いがお互いを異性の好みから大きく外しているからだ。

 因みに彼はロリコン、私は美形好き。

 

「いや、いきなり会って話がしたいって呼ばれてさ。向かい合って珈琲飲んで終わりって訳じゃないだろ?」

 

「勿論よ。でも先ずは頼んでおいたブツを貰えるかしら」

 

 そう言うと胸ポケットから小さな箱を取り出してテーブルに置く。そのまま此方に押し出すのを受け取る。

 箱の中身を確認すれば、4㎝前後の無色透明な水晶が六個入っている。これは私が霊力と親和性の高い水晶を用意し、彼が霊力を込めた物。

 短期間しか霊力を込めてない筈なのに、驚く程に力有る石に変わる。いや変わると言うより生まれ変わって別物になると言った方が良い。

 

 この男……

 

 愛染明王を信仰してると公言していながら、絶対に何か他の神を信奉してる筈だ。それもメジャーでなくマイナーだが力強い神を!

 この水晶に込められた禍々しくも神々しい力……愛染明王の力だけじゃ説明出来ない。

 しかも私が散々調べても分からない気配の力を……ウットリと素晴らしい力を秘めた私の子供達を眺める。

 

「相変わらず素晴らしい出来映えね。はい、お礼の結界石よ」

 

 素晴らしい水晶の対価は私の秘儀の簡易結界セット。正直に言えば対価としては釣り合わないと思う。

 だから私も自身の最高の出来映えの物を複数用意して渡す。

 六個の石を円形に配置し、軽く霊力を流す事で事前に組み込んで有る結界が発動する優れものだ。

 効力は直径2m以内で持続時間は二時間。配置する数を倍にすれば効果も二割位は強くなる。それを八組分渡す。

 

「うん、有難う。助かるよ。僕は防御系や結界は苦手だからね。御札結界じゃ限界が有るからさ。で、本題は何だい?」

 

 厳つい顔に笑顔が浮かぶが、これも彼の擬態ね。結界石を受け取り丁寧に胸ポケットへしまう。

 自分の作った結界石を誉められるのは嬉しい。それが意中の相手じゃなくともね。

 

「はい、小原さんからの手紙よ。神泉会だけど、未だ関東進出を諦めてないみたいね。

奴等の最近の動きが纏めてあるわ。特に貴方の愛しい梓巫女さんを狙ってはないわね。安心した?」

 

 そう言うと確かに安心した様な表情になる。不思議だ……

 酷いロリコン、所謂ペド野郎の癖に濡れ濡れ透け透けお色気巫女の桜岡霞の事を本当に心配している。

 あのお嬢様は、どうやってコイツを籠絡したのかが知りたい。

 噂では彼女の母親、摩耶山の金髪ヤンキー巫女は旦那を呪いで籠絡したらしい。母娘揃って旦那を呪術頼みで籠絡とは呆れる。

 

 恋愛って、もっと……こう、心踊る何かが……

 

「確かに手紙の方が情報漏洩の心配は少ないけど、相変わらず律儀に詳細な報告してくれるな、小原さんは……で?」

 

 私の妄想を律儀に手紙を読み終わり灰皿の上で燃やした後に聞いてくる。その手紙って燃やす程に重要な秘密が有ったのかしら?

 そもそも詳細な報告を流し読みで燃やして良いの?内容を覚えられるのかしら?

 

「で?で?五月蝿いわよ。本題はね。榎本さん、拳銃とか手に入れられるかしら?」

 

「何だよ、いきなり焦臭い話をして……銃器は足が付きやすいぞ。可能だが、厄介な連中に借りを作るから嫌だね」

 

 可能なんだ……やはり関西のヤクザ絡みかしら?でも脅迫ネタになるから慎重になるわよね。

 只でさえ表向きは法律を遵守して契約に重きを置くんですもの。

 

「うーん、適当なヤクザを狩れば持ってるかしら?」

 

「常に銃器を持ち歩く物騒な連中なんて居ないよ。必要な時に隠しているのを持ち出すんだ。

最近はネット販売で本物が買えちゃう事も有るらしいが、簡単に足が付くよ。で?誰を始末するのさ?銃を使うより呪った方が早くないか?」

 

 やはり裏にも精通してるんだ。サラリと呪い殺せなんて、普通の感性では出ない言葉だし……

 

「確かに物理的に殺すよりも呪術的に殺す方が私達にはお似合いよね。でも今回は呪術的防御が半端無いのよ。

だから直接的に危害を加えたいけど、SPが多くてね。接近してナイフでとか無理なのよ」

 

 今回の仕事は、私の復讐……

 

 やっと見つけ出した今回のチャンス、逃せば次のチャンスは分からない。

 榎本さんには悪いけど、奴が殺せるなら私は警察に捕まっても構わない覚悟が有る。

 

「急がないなら猟銃の所持申請をするんだね。半年位で取得出来るよ。

後はクロスボゥとかかな。昔、矢ガモ事件とか有ったろ?殺傷力が低いが距離は稼げる」

 

 猟銃か……でも最初は散弾しか撃てない筈だしクロスボゥでは急所に当たらないと難しい。

 それに半年も待てない。奴が日本に滞在するのは一週間しかないし……

 しかし人殺しの提案をサラリとしてくるとは、何が躾の行き届いたクマさんよ!周りは騙されてるわね。

 

 コイツ、トンでもない極悪人よ。まぁ私も同類だけどね。

 

「良いわ、忘れて今の話は……只の戯れ言よ」

 

 彼でも無理となると、どうしようかな?私では結界に守られた奴を呪い殺す程の力は無い。

 常にSPを侍らす奴に近付く事も無理。ましてや刃物を振りかざして近付くなど不可能よね。

 宿泊場所に仕込みをするにも時間的に無理。でも、この身が破滅しても奴を殺したいのよ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 私用の車で移動するとナンバープレートを覚えられる。タクシーも同様に特徴有り過ぎる僕は記憶に残る。

 だから徒歩と公共機関での移動が良い。葉山の小原邸からのんびりと海岸通りまで歩いて行く。

 高級住宅街で有り数多の別荘が建ち並ぶ葉山町も、実際は山の中の道が狭い不便な場所なんだよな。

 確かに気候は温暖、自然豊かで都心に近い。でもバスしか無いし住むには不便だ。

 勿論、金持ちは通勤時間とか気にしない連中だから問題無いんだろう。坂を20分程下ると漸く海岸沿いに出れた。

 

 後はバスにのって京急新逗子駅に行けば良い。国道をノンビリ歩けば、風が塩の匂いを運んでくる。

 若干磯臭いのは仕方ないだろう。浜辺には沢山の人が砂浜を見下ろしながら、何かを探している。

 

 ビーチコーミングだっけ?

 

 浜辺に流れ着いた漂流物を拾うらしいが、この逗子と鎌倉の海岸には他では拾えない物が色々と流れ着く。

 例えば鎌倉時代の陶器の欠片などだ。言い伝えでは鎌倉時代に戦に行く前に杯を海に向かって投げる風習?が有ったとか……

 他にも馬の骨とか硝子の欠片とか色々な物が流れ着く。中には良くない気配を漂わせた物も流れてくる。

 昔は疫災を纏めて船に積んで沖へ流したなんて話も有る。日本版の幽霊船の元ネタになりそうな話だ。

 昔から海は恩恵と共に災いも齎(もたら)してくれるんだよね。

 

 しかし……

 

 今日の高野さんは変だったな。拳銃を欲しがるなんて普段からは考えられない。

 確かに結界専門の術者だし非力な女性だから、決定的な火力を求めるなら銃器だ。

 でも法治国家の日本では所持するだけでも罪になる。確かに僕も内緒で数丁持っている。

 

 親父絡みの除霊で手に入れた。

 

 ヤクザに怨みを持ちながら苦しんで死んだ奴が怨霊となり、自分を追い詰めたヤクザ達をとり殺す事件が有ったんだ。

 仲間が何人もやられて怯えたヤクザ達が、効きもしない銃器で武装して殺されていた現場に踏み込んだ時に失敬した奴がね。

 当時は軍司さん達は外で待機して僕だけ突っ込んでいたから可能だった。

 助ける筈のヤクザ達は既に全滅していて、胡蝶が原因の怨霊を食ってる時に周りを見回していたら……落ちてたんだよ。

 

 若気の至りというか、男なら拳銃とか心躍るじゃん?

 

 つい数丁と弾を拾い集めて隠し持ってきてしまい、そのまま保管している。

 指紋も綺麗に拭き取って油紙に包んで脱酸素材と一緒に保管してるから、10年前のブツだが使えるだろう。

 元は名も知らぬヤクザの所持品だから足は付かない。所持中に現行犯逮捕されなければ大丈夫だろう。

 

 スミス&ウエッソンM36チーフズスペシャル……

 

 パクった後で色々と調べたが、中々の逸品だった。これが三丁に銃弾が27発。

 ヤクザの所持する拳銃なんて中国かロシア辺りの粗悪品なイメージだが、これを持っていた連中はアメリカの二大銃器メーカーの逸品をどうやって手に入れたんだろうか?

 

「なぁ胡蝶。高野さん、変じゃなかったかな?何時も腹黒くて強欲で僕を弄るのが好きな嫌な娘だけどさ。なんか、こう……」

 

「あれは追い詰められた復讐者の目だぞ」

 

 追い詰められた復讐者?えらく具体的だけど、何で分かるの?

 

「あの目は昔の正明が我を見る目だよ。復讐者の目とは、只の怨み辛みじゃない意志を感じるのだ。

あの女……いや、よそう。我等には関係無い事だからな」

 

 確かに他人の復讐に関わっても碌な事にはならない。何故から復讐者は自分も含めて全てを犠牲にするから……

 

「何だよ、途中で止めるなよ。気になるじゃないか」

 

「正明の妾としては失格な女だからな。どうでも良いのだが、まぁ良いだろう。

あの女、死ぬ気だぞ。我の霊気を纏った水晶を常に肌身はなさず持っている故に分かるのだ」

 

 復讐……死ぬ気……か……復讐の為に自暴自棄にならなければ良いけどね。

 

 だが、知り合いがむざむざと死にに行くのは気に入らないな。

 

 

リクエスト(高野さん編)中編

 

 高柳育蔵(たかやなぎいくぞう)

 

 かつて年の離れた兄として慕った男。霊能力者で有りながら東大を卒業し官僚の道へと進んだ。

 奴の出世のダシに私の両親は使われた。

 官僚として国際情勢に詳しい奴はロシアがベニヤの原材料の木材に輸出規制をかける事を知ると、父親の会社に情報をリーク。

 父親は情報を信じて国内の山林の伐採権や原材料の買い占めを行った。

 

 ギブ&テイク……

 

 計画は成功し多額の資金を得た。此処までは良い。互いに納得して悪事を働いていたのだ。

 だが奴はマスコミに情報漏洩がバレると両親を自殺に見せ掛けて呪殺した。

 学校から帰った時に父親は既に事切れていたが、未だ生きていた母親が息も絶え絶えに教えてくれた。

 母親はそこそこの霊能力者だったので呪いに耐性が有ったのだろう。

 

「高柳が私達に呪いをかけた……返しきれなかった……」そう私に言い残して死んだ。

 

 まだ高校三年生だった私は遠縁の親戚達に騙されて財産の殆どを奪われた。

 何とか母親の遺品から結界術を学び卒業を機に、世話になっていた親戚の家から飛び出した。

 後は犯罪スレスレの霊能力者として、何とか今まで生き抜いてきた。

 

「ふふふ……あの筋肉達磨と生き方がダブるわね。彼も一族を怨霊に殺されて復讐してきたんだっけ?私は生きた人間が相手だけどね」

 

 同じ復讐者、同じ表と裏の顔を持つ者。そんな同じ境遇の男から連絡を貰った。何だろう?私は準備で忙しいのだけど。

 二日連続で逗子の別荘に来た。同じ時間、同じ場所、何故か同じ服装、そして同じ銘柄の珈琲。

 午後の気怠い時間帯にベランダで向かい合って珈琲を飲む。

 

「で?」

 

「いきなり最初の言葉が一文字とは女としてどうなんだ?一応男女の密会だろ?」

 

 ふぅ……その会話は昨日したわよね。私は忙しいので、貴方のお遊びには付き合っていられないのよ。

 

「いきなり連絡が来て会って話がしたいって呼ばれたのよ。向かい合って珈琲飲んで終わりって訳じゃないわよね?」

 

「勿論だよ。ほら、頼まれたブツだ」

 

 そう言うと鞄からタウンページ位の箱を取り出してテーブルに置く。そのまま此方に押し出すのを受け取る。

 箱の中身を確認すれば、鈍い銀色の金属の塊が……

 

「コレって……」

 

 玩具じゃない本物が持つ威圧感を感じる。

 

「スミス&ウエッソンM36チーフズスペシャル。弾は五発入ってる。勿論本物だ」

 

「榎本さん……アレは戯れ言だって」

 

 昨日の今日で用意出来るモノなの?見返りは何よ?私は復讐したら破滅しても……

 

「良く聞けよ。一度しか言わないからな」

 

 そう言うと私の手に自分の手を重ねて箱の蓋を閉じた。思わず顔を見れば真剣な目をしている。

 

「拳銃なんてモノは素人が、おいそれと扱える事は……」

 

 彼の言葉を要約するとこうだ。拳銃なんてモノは素人が、ましてや女性が簡単に扱えるモノじゃない。

 撃った時の反動が凄いから必ず両手で構えて5m以内、出来れば3m位が理想の距離だ。

 相手の体の中心に向けて、出来れば全弾撃つ。急所に当たらなくてもショック死や出血死の可能性が高い。

 此処までなら分かる。少し調べれば私でも分かる内容だ。だけど、此処から先が分からない。

 

 あの時、彼は……

 

「僕は友達が少なくてね。特に憎まれ口をきく悪友は君しか居ないんだ。だから……」

 

 悪友ね、お互いに恋人には百万歩譲ってもなれないから悪友?

 

「ふふふふ、よりにもよって女性に悪友?」

 

 良く聞けよ。拳銃は撃つと硝煙が体にこびり付く。体を石鹸で洗っても直ぐには落ちないから硝煙反応を調べられたらアウトだ。

 先ずは拳銃を大きめのジップロックに入れたままで撃て。ゴムの手袋に服も肌を露出しない出来ればレインコートみたいな物を着るんだ。

 指紋を残さない様にゴム手袋の中に軍手をするか、指先にセメダインを塗るかセロテープを貼って指紋を消すんだ。

 顔は必ず隠せよ、監視カメラなんて沢山有るんだからな。目的を果たしたら拳銃はその場に捨てろ。

 用済みだし不用意に持ち歩けば捕まった時に言い訳出来ない。方法は任せるが、兎に角現行犯で捕まるな。

 最低でも半日は逃げ延びろ。そして捕まっても黙秘を続けるんだ。少なくとも三日間は尋問に耐えて黙秘するんだ。

 

 後は何とかするから……

 

 そう言って昨日渡した結界石も返してくれた。しかも効果が人除けの結界に書き換えられている。

 これなら追跡されても途中で使えば追跡者を撒く事か惑わす事が出来るだろう。

 でも、奴に3mも近付けば顔を隠しても雰囲気でバレると思う。現行犯で捕まらなくても、動機はバッチリ怨恨の線で捜査線上に……

 

「ふふふふふ、嫌だわ。奴を殺せるなら破滅しても構わないって言ったじゃない。

一応何の見返りも無く用意してくれた彼の為に言われた事は守るけど……逃げ延びるのは無理よね」

 

 奴に一言言ってから殺したいんだし、身元は直ぐにバレてしまうわよ。

 

「榎本さん、有難う。お礼に財産全てを貴方に渡る様にしておくわ。それと決行日と相手も教えてしまったけど、邪魔はしないでね。

このチャンスを逃がしたくないから無理をしてでも奴を殺す!邪魔をするなら貴方でも……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 いよいよ決行の日。

 

 準備は万全、抜かりは無いわ。奴は韓国大使。日本には国交悪化と現政府への抗議の為の一時帰国。

 だから状況が改善されれば直ぐにでも戻るかも知れない。奴は独身だし警備の関係からか官舎には戻らず都内のホテルに滞在する。

 毎回同じホテルにね。

 

 グランパシフィック台場……

 

 高級ホテルには違いないが、複雑な造りをしている事と現役大使程度ではフロアすら貸切に出来ないのが此方の付け込み所だ。

 奴のSPは三人。普通襲われると分かっていれば部屋に籠もって一歩も出ないだろう。だが今は状況が違う、奴は国際情勢での一時帰国。

 会見も有れば国会に報告も行かねばならない。つまり部屋から出る事が多いんだ。

 蛇の道は蛇、偽名を使い奴と同じ最上階のスィートルームを取った。これで計画は半分以上成功したも同じだ。

 信用調査を行い身元の確かな者しか泊まれないフロアだからね。SPの警戒心も薄れる。

 奴はフロアの再奥の部屋だから私の部屋の前を通る。私の部屋からエレベーター迄は二部屋、距離にして約15m。

 扉の外に小型カメラを設置して奴が部屋を通てからエレベーター待ちをしているのを確認。

 当然SPは登ってくるエレベーターの中に注意を向ける。タイミングを計りエレベーターが到着して扉が開いた瞬間に部屋から出て……奴を撃つ。

 これで確実に奴に銃弾を喰らわす事は出来るだろう。だけど逃げ出す事はどうだろうか?

 拳銃の弾を一発でも残してSPを牽制、エレベーターに乗るか非常階段で逃げるかする事は出来る。

 だけど下の階で捕まる。SPだって馬鹿じゃないから、連絡を入れて封鎖するだろう。

 

 そこで、この結界石が役に立つ。

 

 人除けの結界を発動すれば監視カメラには写るが人には感知され辛い。全くのステルス効果は無いが、初動の追っ手はSPとホテルの警備員のみ。

 ホテルから出れば隠していた車で逃走、半日後に自宅に戻り待機する。

 

「後は警察が来て逮捕されるでしょう。彼が何とかするって言った言葉を信じましょう。

何も言わずに三日間は黙秘する。それでも罪を問われ有罪になっても受け入れるわ」

 

 さて、楽しい楽しい復讐の始まりよ。先ずは地味な化粧や衣装を変えてセレブに変身しなければね。身に付ける宝石は全て、この日の為に用意した物。

 手術用のピッタリのゴム手袋の上に肘まで有る手袋を着けて、ドレスを着込んで上には防水性の有るポンチョを羽織る。

 一応スキーマスクをするけど、場合によっては取る。逃げる途中で脱ぎ散らかせば良いのよ。要は撃った時の煙を被らなければ良い訳でしょ?

 確実な証拠を残さなければ、状況証拠・証言・動機だけだから裁判でも争えるのかしら?それでも世間は連日報道するわね。

 彼は目立つ事を極端に嫌ってたのに、私に関われば大変な事になるわよ。

 

 もし世間が騒がしくなり彼にも被害が及ぶなら自白すれば良いか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「畜生、また駄目だ!」

 

 奴が私の部屋の前を通る。既に二回目だが、奴とSPだけでなく他にも人が居た。扉の外に仕掛けた隠しカメラが奴とSP、それに他の宿泊客を映している。

 今の私は非常に面白い格好をしている。派手な服の上にポンチョタイプの雨具を羽織りスキーマスクを被る。

 手術用のゴム手袋をして上にはセレブ御用達の肘まで有る手袋。しかもゴーグルまで付けている。

 逃走用に仕込んだ各種宝石達も身に着けてはいるが、実際に使うかは疑問だ。拳銃を撃った時の煙が付かない様に工夫した結果、大変に変態な格好となった。

 

「こんなチンドン屋みたいな格好で敵の前に……くっ、屈辱的だわ」

 

 こんな格好で廊下に飛び出れば他の人も反応してしまい、結果的にSPに気付かれてしまう。だから二回目も我慢した。

 そして念願の三回目の通過の時、チャンスが来た。エレベーターの扉の前から外れた場所に立つ奴と、扉の両脇に立つSP。

 もう一人のSPは非常階段を気にしているが、何故か不思議な表情をしている。何故ならば非常階段には人除けの結界石を仕込んで有るからだ。

 彼等は打ち合わせされた役目を果たしているのだが、何故か入りたくない入れない扉を警戒するのかが分からないんだ。

 

 モニターを凝視してタイミングを計る。

 

 喉がカラカラだ……生唾を飲み込み舌で唇を湿らす。

 

 呼んだエレベーターが到着して扉が開いた。中を確認する為にSPが覗き込む。

 

 今だ!

 

 部屋の扉を開けて真っ直ぐ奴に駆け寄る。分厚い絨毯は足音を消してくれるが、開け放たれた扉が閉まる音に全員が此方を向き……

 奇抜な格好に目を見張った!

 

「高柳、両親の敵よ!死になさい」

 

 セリフを言っている途中で奴の腹の辺りに拳銃をブッ放す。パンパンと乾いた音と白い煙が立ち込める。

 二発しか撃てなかった。二人のSPが倒れた奴の体の上にのし掛かる。

 非常階段の扉を警戒していたSPに拳銃を向けて威嚇し、開いていたエレベーターに乗り込む。

 直ぐに監視カメラを撃って壊すと一階と直下の階のボタンを押す。

 

「確実に殺れたか分からないが二発とも当たった。でも留めが……」

 

 拳銃を捨てて仮装みたいなポンチョやセレブ手袋を脱いで中に放置、直ぐにエレベーターが止まり扉が開いた。

 外を伺い無人を確認してからスキーマスクとゴーグルを外し中に放り込む。これからは時間との勝負だ。

 今は十階、エレベーターは一階に降りていった。三階に隣接する商業施設との連絡通路が有る。

 そこまで非常階段を駆け下りなければならない。一応体は鍛えているし上りじゃないから一フロアを20秒程度で駆け下りられる。

 三階までは七フロア分、140秒だから二分半だ。駆け下りながらゴム手袋を外す。

 これだけは指紋が残ってるから他で処分しなければ駄目だ。SPが連絡しても全ての非常階段の入り口に人除けの結界を貼ってある。

 

 中々入り込めないだろう。

 

 漸く三階に到着した時、下から騒がしい気配がする。予定よりも早い対応だ。三階のエレベーターホールに飛び込んで、そのまま連絡通路へ向かう。

 

「上手く行ったわ……」

 

 息を整えながら人混みに紛れて行く。途中の公衆トイレで派手な化粧を落とし衣装を着替えて、何時もの地味な格好に戻る。

 約束通り半日時間を潰してから自宅マンションに戻れば、部屋の前に二人の男が居た。ヨレヨレのコートに無精髭、まるでドラマの刑事さんね。

 

「高野澄子(たかのすみこ)だな。殺人の容疑で逮捕状が出ている。大人しく同行して貰おうか?」

 

 懐からA4の紙を取り出し、此方に見せる。片割れが私の手を掴み手錠を掛けた。

 

「午後11時26分、殺人容疑で逮捕する」

 

 日本の警察も中々優秀じゃない。

 



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リクエスト作品(高野さん編)後編・ネタバレ編

リクエスト(高野さん編)後編

 

 自宅マンション前で警察に逮捕された。手錠を掛けられ所轄の警察署に連行、直ぐに各種検査をされた。

 特に念入りに調べられたのが、榎本さんの言う発射残渣(はつしゃざんさ)と言うらしい。

 拳銃を撃つとスス、鉛、アンチモン、バリウム、亜硝酸塩が飛散し、発射したもののまわりに付着する。

 だからアレだけ発射した時の煙を浴びるなって言ったのね。その後に指紋や毛髪の提出も求められた……検尿までされたのは薬物検査なのかな?

 漸く検査が終わり午前三時過ぎに所謂牢屋に入れられた。初めて牢屋の固いベッドで寝たが寝心地は悪くはない。

 

 翌朝は7時に起こされ朝食を食べた。

 パック牛乳に食パン二切れ、サラダにハムが二枚。ジャムはマーマレードだった。コレは苦いから嫌い。

 九時から取調室に入れられて二人の刑事から色々と聞かれた。

 だが言われた通りに下を向いて黙秘を続ける。怒鳴られたり諭されたりと緩急つけた尋問が繰り返し行われた。

 初日は夕方まで昼食と休憩を挟みながら尋問が続いた。

 

 昼食はチャーシュー麺だった。六時に夕食、八時にシャワーを浴びて九時に消灯。

 夕食は炊き込み御飯に味噌汁、白菜の浅漬けに肉ジャガと蜜柑。飲み物は日本茶だ。麦三割米七割の炊き込みご飯が意外と美味しい。

 楽しみが食べる事だけなので、考える事が食べた献立ばかりだ。年頃の女性としては、どうなんだろうか?

 しかし、思った以上に辛い。だけど約束通り、あと二日は我慢しなきゃ。

 

 二日目……

 

 同じ様に七時に起こされて朝食を食べた。パック牛乳にロールパン二個、それにハムエッグと蜜柑。

 イチゴジャムは嬉しいが、目玉焼きは半熟が好きだ。カチカチに焼かれた目玉焼きは嫌い。

 また辛い尋問が始まるかと思えば、九時を過ぎても誰も呼びに来ない。

 

 何故かしら?十時過ぎに女性警察官が何故だか女性誌を数冊差し入れてくれた。

 去り際に「もう少しだから頑張ってね」と言われた。何を頑張るのだろうか?

 

 十二時、お昼だ。

 

 昼食はカツ丼と珈琲と蜜柑が運ばれて来た。同じ女性警察官だ。

 

「何か欲しい物は有る?」と優しく聞かれたが、これが飴と鞭だと思い何も要らないと言った。

 

 情に訴えても無駄よ。三時にオヤツが運ばれてきた。浜うさぎのどら焼きが二個と日本茶だ。

 やはり同じ女性警察官が運んでくれた。

 

「貴女を心配してくれている人が頑張ってるわよ。羨ましいわ」

 

 謎の言葉を残していった。羨ましい?投獄中の私が?

 

 夕食は何故か豪華だった。ビーフシチューに山形パン、サラダに蜜柑。何故に毎回蜜柑?

 そしてコレが最後の晩餐?昨日はシャワーだったのに、今日はお風呂に入れた。付き添いは何時もの女性警察官だ。

 

「ゆっくり入ってね。綺麗にしないと駄目よ。明日が楽しみね」

 

 明日が楽しみ?明日で約束の三日目だが、私の刑が決まるのかしら?

 

 三日目の朝、同じ様に七時に朝食が出た。

 

 珈琲にハムサンド、ポテトサラダに蜜柑。もう毎回デザートは蜜柑で良いわ……

 九時に初日の刑事二人が迎えに来た。昨日は事件か何かで出払っていたのね。

 

 また辛い尋問の始まりか……牢屋から出る時は手錠をされるので黙って両手を差し出した。

 

「いや、今日は良いんだ……」

 

 言い辛そうにゴニョゴニョ言って先に歩き出す刑事達。訳が分からないが後に付いて行く。

 今日は取調室じゃないのかしら?何故か第二会議室ってプレートの部屋に通された。室内には何時もの女性警察官が既に居た。

 

「あー少し話をしておいてくれ。署長を呼んでくるわ」

 

 刑事が部屋から出て私は入り口近くで、ただ立っている。署長を呼ぶ?

 

「あの……」

 

「座って高野さん。ごめんなさいね、誤認逮捕だったの。貴女の彼氏さんがアリバイを証明してくれたわ。彼氏さんが迎えに来る前に状況だけ説明するわね」

 

 彼氏?私、フリーですけど年齢=フリー期間なんですけど?今回の騒動で思い当たる人は……

 

「彼氏?榎本さん?」

 

「そう、榎本さん!彼凄いわね。

普通、警察に任意同行でも呼ばれたら萎縮するのに、署内に響く大声で貴女の無罪とアリバイを証明したのよ。

流石に裏も取らずに逮捕しちゃったって聞いたら片手で会議テーブルを殴ってヘシ折るんですもの。

幾ら被害者本人が貴女が犯人だって騒いでも、確たる証拠も無しに逮捕は横暴だってね。

貴女も酷い人見知りらしいけど、アリバイが有るなら言わないと駄目よ」

 

 被害者本人の証言?すると奴は生きてるの……

 

「あの……」

 

「失礼するよ」

 

 奴の生死を確認しようとしたが、恰幅の良い制服を来たオッサンと刑事二人が入って来た。

 向かいに署長と刑事二人、私の隣に女性警察官が座る。

 

「先ずは謝罪をさせて欲しい。すまなかった、誤認逮捕だった」

 

「あの……」

 

「高野さん、ちゃんとアリバイが有るなら何故初日に言ってくれなかったんだ。

その、君が極度の人見知りで両親の件で警察を信用してないのは彼氏から聞いたよ」

 

「彼氏?榎本さん?」

 

 榎本さん、警察に何を言ったのよ?私が極度の人見知り?

 

「そうだ。君の自宅を家宅捜査してる時に彼が訪ねて来てね。任意同行をお願いしたんだ。

最初は共犯者の疑いも有ったからね。彼は素直に警察署まで来てくれた。最初は君が事件に巻き込まれたと思ったらしい。

だが殺人容疑で逮捕・拘束中と聞いて驚いて、犯行時間を聞いてキレた。彼女と僕は、その日は東北に日帰り旅行に行っていた。ふざけるなとね。

この会議室だったんだが、片手でテーブルをヘシ折られた時は慌てたよ」

 

 東北に日帰り旅行?訳が分からない、そんなの不可能だわ。

 

「勿論、公務執行妨害で逮捕なんてしてないよ。彼の証言の裏を取るのに昨日丸一日掛けたからね。

二人で一日中部屋に居たとか、知り合いだけの証言なら我々も信じなかった。

だが、幾ら被害者本人が騒いでも君のアリバイを証明する物が沢山出て来ては……」

 

 そう署長が言葉を止めると、刑事が鞄から紙を取り出した。

 

「これがJR上野駅の防犯カメラの映像。君と彼氏が仲良く駅弁を買っている。電車内で車掌が覚えていたよ。

切符を拝見する時に仲良く駅弁を食べてたカップルだってね」

 

 粗い画素数の写真だが、確かに私と榎本さんが写ってる。どうやって私に似た人を用意したの?

 

「勿論、降りた駅の防犯カメラにも写ってたよ。

そして彼氏が椀子蕎麦の大食い大会に出場、それを応援する君を複数の人間が証言した」

 

 差し出された写真には、優勝した榎本さんが私の腰を抱いてトロフィーを持っている写真が……

 新記録、第59回時間無制限椀子蕎麦大食い大会700杯完食優勝?過去の記録568杯を抜く大記録樹立?

 

 ナニコレ、私シラナイワヨ?

 

「地元テレビ局も取材に来ていてローカルニュースだが夕方に放送されたらしいよ。しかし椀子蕎麦700杯も食べるとは凄い彼氏だな」

 

 もう考える事も無理……榎本さん、私のソックリさんを仕立ててアリバイ工作をしてくれたの?

 

「犯行時間の一時間半前の写真だが、東北から東京のホテルに移動は物理的に不可能だ。

優勝した後も各地を観光して夕方7時8分に上野駅に到着となっている。被害者本人が犯人は君だと騒いだが、それは不可能だ。

何故なら椀子蕎麦大会で君が持っていた蕎麦猪口から君の指紋が検出された。偽者疑惑も晴れたよ」

 

 指紋まで用意出来たの?榎本さん、貴方って何者なの?

 

「上野駅に7時過ぎに着いて自宅に11時過ぎに帰った事は不思議だったが……途中で夕食を一緒に食べた後に、アレだろ?

彼氏も言葉を濁したが、恋人同士だし愛を確かめあった……」

 

「署長、それセクハラですよ」

 

「いや、すまない。犯行時間以外の行動には我々は関知しないよ。まぁ説明は以上だが、君は無罪で釈放だ。

本当なら犯人の遺留品から君と同じDNAを持つ毛髪も見つかったり、途中の監視カメラでも似たような人物が映っていたんだが……

彼氏曰わく君が高柳氏を恨んでいるのは調べれば分かる事だし偽装じゃないのか?って言って頑として譲らなくてね。

まぁ犯行は確実に不可能な訳だから、その線でも捜査は続けるよ」

 

 そう言って立ち上がると署長と刑事二人が深々と頭を下げて部屋を出て行った……

 

「全くオヤジ連中はデリカシーが無いわよね。謝罪中にセクハラするんだから……

さて、10時に榎本さんが迎えに来るって。丁度時間よ」

 

 全く当事者の私を取り残して話が進んでいる。訳が分からない。だけど警察署からは釈放されたのは確かだわ。

 

「さぁ行きましょうか。今日は彼氏さんにうんと甘えるのよ。頑張った彼氏さんにお礼をしなくちゃね?」

 

 最初から最後まで親切にしてくれた女性警察官は、佐藤さんって名前だった。

 警察署の裏口まで送ってくれたが、裏の駐車場に見慣れた車と見慣れた筋肉達磨が笑って立っていた。

 私を見付けると軽く手を上げてくれる。佐藤さんにお礼を言ってから、何故か恋人になっている彼に小走りで近付く。

 多分だが抱き付く位しなければ、榎本さんの苦労は水の泡。疑問を持たれてしまう。

 

 榎本さんに正面から抱き付く、嫌だけど。嫌だから涙が溢れ出てしまう。

 

 暫く抱き付いて泣いてしまったが、彼は背中をポンポンと軽く叩くだけだった。

 恥ずかしくて直ぐに離れたけど、佐藤さんはずっと見てたみたい。

 右手親指を突き出して「高野さん、グッジョブ!」とか叫んでたし。恥ずかしくて榎本さんの車に乗り込む。

 

 早く種明かしをして貰わないと駄目だから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 のんびりと車を運転する彼の横顔を見る。確かに助けてくれたのは嬉しいが、奴は生きている。

 なのに呑気にしてはいられないの。ラジオなんか聞いてないで……

 

「現韓国大使、高柳氏が搬送先の病院で亡くなりました。

高柳氏は都内のホテルで銃撃にあい病院で療養中でしたが、医師の発表によると死因は心不全で……」

 

 ナニ……あいつガ死ンダ?心不全デ亡クナッタ?

 

「ああ、発表が早いな。もう少し掛かると思ったよ」

 

 淡々とトンでもない事を言わなかった、榎本さんは?

 

「榎本さんの仕業なの?」

 

 私の為なら余計なお世話よ!私は自分の手で奴を殺したかったのよ。

 

「君に渡した拳銃の弾に呪いを仕込んでいたんだ。言ったろ?兎に角一発でも当てる為に全弾打ち込めって。

致命傷は無理だと思って保険をかけたんだよ。肉体的にはダメージは無いけど、精神的には発狂する呪いだ。

君が敵討ちを達成したんだ。おめでとう、君の敵は苦しみ抜いて死んだよ」

 

「そんなの聞いてないわ!でも、それじゃ貴方が殺人の片棒を……」

 

 アイツが死んだ……苦しみ抜いて死んだ……両親の敵が死んだ……

 

「何故今になって敵討ちを望んだんだい?五年以上も前の話だろ?」

 

 人を殺して平常心を保っている彼が怖い。そして、それ以上に頼もしいと思っている自分が居る。

 

「私だって半分は諦めていたわ。

でもね、偶然テレビで奴が韓国大使となって反日運動に抗議する為に一時帰国って知ってね。

どうしても我慢出来なかったのよ。可笑しいでしょ?半分諦めていた復讐心が再燃して馬鹿な事をした女がさ……」

 

 溢れ出した思いは止められなかった。理性では駄目だと思っても感情が止まらなかった。

 

 奴をこの手で殺したいって……

 

「今は反省してるかい?」

 

 反省?馬鹿な!

 

「いえ、全くしてないわ。祝杯を上げたい気分よ。何なら一杯付き合わない?何でも奢るわよ」

 

 ふふふ、呆れたかしらね?

 

「何だ、心配いらないな。復讐は成し遂げた後に自暴自棄になる場合が有る。

目標を失って自分の行いの事を考え過ぎてしまうんだろうね。そしてジワジワと良心の呵責の念に苛まれる。

でも達成感を味わってるなら安心だ。祝杯くらいなら付き合っても良いよ」

 

 流石は復讐者の先輩ね。ジワジワと良心の呵責?

 

 全く無いわよ、そんなモノは!

 

「車じゃ無理ね、お酒は。コーラで乾杯でもする?」

 

 彼は炭酸が大好きだった筈よね。ならコーラ位は奢ってあげても良いわ。

 

「良いわ、そこの自販機の前で停めてくれる。ダイエットペプシでもゼロコーラでも買ってあげるわよ」

 

「ダイエットペプシにしてくれ。最近お腹の贅肉が気になる年頃なんだ」

 

 人を殺めた後で普通に会話が成立するなんてロクデナシの悪友ね、私達は。

 百万歩から百歩に譲っても絶対に恋人にはなれない関係……路肩に車を停めて貰い、ドアを開けて外に出る。

 

「でも、こんな関係も悪くはないわね。ありがとう、榎本さん」

 

 そう言ってから恥ずかしくなり、直ぐにドアを乱暴に閉めた。

 

 

リクエスト(高野さん編)ネタバレ編

 

「胡蝶さん、東北の寺巡り呪い人形踊り食いツアーに行かないか?」

 

 我が布団で寛いでいると、パソコンで何かを調べていた正明が話し掛けて来た。

 狐憑きの娘が眠った後は我と愛しい下僕たる正明の二人の時間。肉欲に溺れる事は少なくなったが、我とのコミュニケーションを育む大切な時間だ。

 我と正明は同化してるので企みは丸分かりなのだが、一応話を聞いてやるか……

 

「ん、我の為に贄を捧げるのか?それは良いが、あの雌狐の姿になれと?」

 

 ほら、悪戯がバレた悪童の顔をしおって。

 

「胡蝶は他人になりすませるだろ?アレって精度はどれ位なんだ?」

 

「ふむ、中身は違うが外観は全く同じだぞ。髪の毛の本数から皺の数、傷や痣も全く同じだ」

 

「指紋や声紋は?髪の毛とか採取されてもDNAも同じかな?」

 

 指紋?声紋?DNA?用心深いと言うか何と言うか……

 

「DNAは無理だ、我の霊力を変化させてるのだ。声紋も同様に霊力で相手の記憶に有る声を聞かせているに過ぎぬ。

指紋なら再現出来るから可能だな」

 

 擬態の我は抜け毛など無い。この体から離れた瞬間に霊力に戻り霧散するだろう。

 

「オッケー、指紋が平気なら問題無いや。悪いけど協力してくれよ。

報酬は当麻寺に保管してある人形全てだ。僕が境内を散策すれば自分で喰えるだろ?」

 

 我は既に正明と同化を始めている。我は正明の肉体に縛られている故、半径500m位しか離れられん。

 

「ふむ、確かにな。動かぬ人形など10分も有れば全て完食出来よう。

良かろう、戯れに正明の悪巧みに付き合ってやろうぞ」

 

 報酬が用意されてるなら戯れに付き合っても良かろう。全く霊力の低い雌狐など放っておけば良いのにな……

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 自宅を出て最寄りの駅に行く途中で雌狐の姿に化けた。京急線で品川駅までいって山手線に乗り換えJR上野駅に着いた。

 正明曰わく駅には必ず防犯カメラが設置されていて記録は数日残るそうだ。天井に付いている半円球の物体もドーム型カメラらしい。

 途中で売店に寄り駅弁を五個買った。

 

 店員に印象付ける為に「榎本さん、そんなに一人で食べたらお腹を壊しますよ?」と心配そうに話し掛けた。

 

 店員の中年女性は笑っていたな。8時2分発はやて103号盛岡行きの電車に乗り込み、早速駅弁を開いた。

 車掌が指定席券と切符の確認に来た時を見計らい「はい、あーん!」をしてやった。

 車掌の羨ましそうな顔が可笑しくて堪らない。全くの別人を装っている我に気付かないとはな。

 一ノ関駅で在来線に乗り換え10時36分に平泉駅に到着、駅前でタクシーを拾い目的地に向かう。

 

 自然や(じねんや)と言う椀子蕎麦の老舗だ。

 

 正明は第58回時間無制限椀子蕎麦大食い大会にエントリー受付をしている。なる程、第三者の目撃者を沢山作るのだな。

 ローカルだが地元テレビ局も取材に来るらしい。テレビ放映されれば、アリバイとやらは完璧だな。

 予選無し、一発本戦だが300杯以下でリタイアは自費負担と聞いて参加者は少ない。

 正明はフードファイターとして第一線を張れるから間違いなく注目されるだろう。とは思ったが凄まじい勢いで食べている。

 印象に残る為だろう、度々我に手を振るので笑顔で手を振る。地元テレビ局のカメラが我を写しているのが分かる。

 地方局とは言え当日にテレビ放送されればアリバイ証明は何万人もしてくれるな。

 

 ……二時間食べ続けて700杯完食か。

 

 大会規定で1杯10gだから700杯で7000g、つまり7kgの蕎麦を食べた訳か。掛け蕎麦1杯で麺は約100gと言うから70杯分、人の食欲とは凄いモノなのだな。

 更なるアリバイ作りに協力する為に一緒に記念撮影をする。正明に寄り添い腰を抱いて貰えば、周りから黄色い声が上がる。

 

 ふむ、この地味女も優しい笑顔を作れば他人を魅惑出来そうだな。

 

 それと指紋付けの為に正明が食い散らかした蕎麦猪口を一緒に片付ける。その方が好感度も上がり証言も好意的な筈だ。

 ついでに色んな所を触り捲り指紋を付ければ完璧だろう。

 

「我、ミッションコンプリートだな……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ここが当麻寺ね。本当、美味しそうな気配を感じるわ。榎本さんが700杯なら私は700体を完食するわね」

 

 アリバイ工作の為に平泉中尊寺を見学し、最後に胡蝶さんの報酬の為に当麻寺に来た。

 勿論だが無断で納められた曰く付き人形を食べさせる為に……高野さんの姿形の胡蝶が、彼女の口調を真似て僕と腕を組んでいる。

 物凄い違和感が有るが、これもアリバイ工作と胡蝶への報酬だ。胡蝶は僕を起点として半径500m位しか離れられない。

 だから彼女の行きたい場所の近くに僕も行かなければならない。午後三時を過ぎているので、大分太陽が傾いている。

 4時には帰りの一ノ関駅発やまびこ62号に乗らなければならないので、30分位しか時間がない。

 

「榎本さん、私トイレに行ってきますね。休憩所で待っていて下さい」

 

 そう言うと胡蝶が食事の為にトイレに行った。ん?文法が変だったかな?大きな神社仏閣には参拝客の為に大抵は休憩所が有る。

 自販機やお土産が売ってたり軽食を提供してたりする。参拝客が休める様に椅子テーブルも用意されている。

 当麻寺も社務所脇に休憩所が有った。自販機でダイエットペプシを買い椅子に座る。

 携帯電話でiチャネルに接続、ニュースをチェックする。幾つかの記事を飛ばすと目的の記事を見付けた。

 

「現役官僚銃撃される!

反日運動と大統領の不適切な発言に抗議する為、高柳韓国大使が一時帰国していたが宿泊先のホテルで銃撃される。

幸い命に別状は無く、か……高野さん、失敗したか……さて、どうするかな?」

 

 暫く目を瞑り考える……状況は最悪、彼女の事だから「両親の仇(かたき)!」とか言ってそうだ。

 つまり身元はバレるから逃げ切れるかは疑問だ。想定通り僕も警察に捕まる様に行動しよう。

 彼女の自宅マンションは家宅捜査されてる筈だから、ノコノコ訪ねて行って捕まるかな。

 

 アリバイ工作は完璧だ。

 

 彼女の無罪は確実だから、後は復讐を遂げさせないと高柳氏の反撃が怖い。なまじ官僚なんて国家権力側だから確実に仕留めないと駄目なんだ。

 国を相手に戦いは出来ないから、奴が国家権力を使う前に退場して貰う。奴は直接高野さんと対面した訳だし、アリバイが完璧でも疑うだろう。

 

「榎本さん、お待たせしました。スッキリしましたわ」

 

 スッキリ?満腹の間違いだろ?妙にツヤツヤな高野さんが向かい側に座る。

 

「高野さん、失敗したよ。上手く半日逃げ切れれば、予定通りにアリバイを使えば解放される。

だけど生き残った高柳氏の動きが不安だ。高野さんと対面して撃たれたんだから、アリバイを信じないかもな」

 

「明日、榎本さんが警察に捕まるのでしょ?アリバイの裏を確認する為に明日一杯は拘束されるわね。

明後日に高柳氏を私が食べちゃうわ。魂だけ食べれば死因は心不全になるから平気よ。早めに始末しましょ?」

 

「そうだな。五月蝿い奴は始末した方が安心だね。高柳氏も霊能力者らしいから美味しく頂いて下さい」

 

 少し離れた場所に数組の参拝客が各々休憩しているが、話の内容は聞こえてないだろう。

 にこやかに話すカップルの内容が暗殺なんて信じないよね?現状は最悪の流れだが、何とかフォロー出来るだろう。

 

 胡蝶様々だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 予定通りの行動を終えて上野駅に到着した。電車内でも情報をチェックしたが、高柳氏の容体を医師団が発表していた。

 腹部と太股に一発ずつ計二発の銃弾をうけたが、弾は貫通してるので命に別状は無いそうだ。

 有栖川病院とか名前まで出して良いのかよ?まだ犯人は捕まってないんだろ?此処で安易に高野さんに電話をしては駄目だ。

 通話記録を調べられたら基地局の記録も残る。東北発で都内受信じゃ笑えない。勿論、裏の世界で生きている僕達には常識だ。

 彼女も抜かりは無いだろう。JR上野駅周辺で適当なレストランに入り食事を済ます。

 此処でもアリバイ工作の為に店員に僕等を印象に残す行動をする。

 

 つまり沢山食べたんだ!

 

 もうお腹一杯で動けないな……夕飯を食べて高野さん(胡蝶)と並んで歩く。少し腹ごなしをしないと吐きそうだし……

 

「あっ!榎本さん、ホテルが有りますよ。少し休んで行きましょうよ」

 

 突然、高野さん(胡蝶)が腕を絡めてラブホの中に引っ張る。

 

「ちょ、おい、周りが……」

 

 こんな事は印象付けなくても良いんだよ!道行く人達が微笑ましく僕達を見ている。

 そりゃ小柄な女性がムキムキなオッサンをラブホに連れ込もうとすれば、面白いだろうよ。

 

「正明、腹ごなしにタップリ運動させてやるぞ。これも我への報酬だ!」

 

「ちょ、おま……あっ、アーッ!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 数々のアリバイ工作を済ませて、翌朝に高野さんの自宅マンションへ向かう。夕べ更にニュースをチェックしたが、容疑者逮捕と報道されていた。

 未だ実名公開はされてないが急がないと駄目だ。彼女の部屋の前に立ち、呼び鈴を押す。

 直ぐに扉が開き、中からヨレヨレのコートを来たオッサンが出てきた。

 思いっ切り不思議な顔をして「貴男は?此処は澄子の部屋のはずだが?」と言うと警察手帳を胸ポケットから出して見せてくれた。

 

「オタクは高野さんの知り合い?」

 

「ええ、そうですが……彼女に何か有ったんですか?」

 

 無理にでも不安そうな顔をするが上手くいってるのかな?

 

「ええ、有る事件の重要参考人として……宜しければ任意同行をお願い出来ますか?少し話を聞かせて下さい」

 

 ヨシ、食い付いたぞ。パトカーに乗せられて警察署に向かう。

 

 神奈川県警だ……

 

 現役官僚だし都内ホテルが現場だから本庁が出張ると思ったが、所轄の警察署が彼女を逮捕したのか。

 まぁ好都合だな、胡蝶と二人で協力して作り込んだアリバイを披露してやるよ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局丸一日警察署に拘束と言うか軟禁された。僕は彼女が不法に逮捕された事を憤る彼氏役を演じきれた筈だ。

 つい芝居に力が入り過ぎて会議室の机を一つ壊してしまったが、その方が信憑性が高まるだろう。

 

 しかし、彼女も詰めが甘いな。

 

 現場に毛髪を残したり宿泊した部屋に機材を残したりと、指紋は注意していたみたいだが遺留品を多く残しすぎだぞ。

 兎に角、彼女を陥れる為の偽装工作だと言い続けた。

 それに彼女は極度の人見知りであり自分の両親の件で警察に良い印象が無いと説明、黙秘を続ける理由をそれとなく匂わせた。

 夕方に全てのアリバイと証拠が確認されて帰る事を許されたが、明日の朝10時に高野さんも釈放すると教えられた。

 佐藤さんと言う女性警察官だが、拘留中の彼女は無事だと教えてくれたし警察署の裏口から10時に出て貰いますからとも言われたが、当然迎えに来いって事なんだろうな。

 

 後は高柳氏の始末だが、有栖川病院か……

 

 早朝に近付いて胡蝶を解き放ち彼女が美味しく頂いた後に10時に迎えに来るとなると、明日も早起きになるのか。

 全く高野さんも僕の自宅に自分の預金通帳とカード、それに実印まで郵送してくるとなると最悪の場合も予想してたな。

 

 預金残高1872万円……

 

 僕は知り合いが、むざむざと不幸になるのは嫌なんだ。

 

 だから自主的に動いたので、これは返そう。強欲の高野さんから金銭を受け取るなんて、霊感がヤバイって疼くんだよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 早朝6時、東京都豊島区東池袋に有る有栖川病院を望む場所にきた。白亜の外壁地上12階地下2階、どうみても報道関係者の車両が回りに路駐されてるな。

 現役大使が襲撃されて入院中なんだから、当然と言えば当然なんだが半径500mに近付くのも至難の業かも。

 

「胡蝶さん、どうかな?高柳氏を感じるかい?」

 

「ああ感じるぞ。愚か者め、良かれと結界を張っているが逆に位置がバレバレだ。

結界の強度はマァマァだな。だが存在をアピールし過ぎなのが愚かなのだ」

 

「あとどれ位近付けば良いかな?周辺は報道関係者で一杯だから、不用意に近付くのは拙いぞ」

 

 こんな筋肉の塊が、ましてや昨日警察に一日拘束されてたんだ。見つかったら疑われるのは確実だな。

 

「ふむ……あと50m位は近付きたいな。正明、あのファミレスに入ればギリギリ届くだろう」

 

 ファミレス、ジョナサンか?有栖川病院の国道を挟んで向かい側に確かに見慣れた看板が見える。

 

「分かった、モーニングでも食べて待ってるからお願い」

 

「我に任せろ、美味しく頂いてくれるわ」

 

 待つこと15分、モーニングプレートを食べ終わる前に胡蝶さんが高柳氏の魂を食べて来た。

 

「正明、我に贄を沢山捧げているのは良い事だが、早く一族を増やせ。子宝繁盛・直系一族が増えれば増える程、我の恩恵が強く受けられるのだぞ」

 

「これ以上の恩恵は要らないよ。胡蝶と結衣ちゃん、桜岡さんに小笠原母娘、晶ちゃんに亀宮さん達が居れば、それで良いかも……」

 

「そうだな、全員女性だな。正明がハーレムメンバーをちゃんと考えているなら構わんぞ。だが折角此処まで面倒を見ている雌狐が居ないのは哀れだな……」

 

 高野さん?

 

 うーん、彼女は悪友だからね。

 

 それに本命は結衣ちゃんだし、他の連中は大切な仲間なんですけど?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 高柳氏が心不全で無くなったニュースは何時流れるだろうか?警察署の裏側の駐車スペースに愛車のキューブを停めて高野さんを待つ。

 確か10時に釈放と言ったから……携帯電話を開いて確認すれば9時57分、そろそろかな?

 彼女の復讐は最終的には胡蝶が手を出したが、それでは納得しないだろう。適当に保険の為に銃弾に呪いを込めていたと話すか……

 自分の手で討たないと復讐は完結しないからな。おっ、扉が開いて高野さんと佐藤さんが出てきた。

 キョロキョロと駐車場を見回して、こっちに気付いたな。軽く手を上げて応える。

 

 聞こえないほど小さな声で「お帰り、僕の悪友」と呟く。

 

 何故か小走りに近寄ってくる高野さん。おっと、まさか抱きつかれるとは思わなかったな。

 そのまま泣かれてしまっては、振りほどく訳にもいかず軽く背中を叩く。扉の前で佐藤さんがニコニコと見守っているのが恥ずかしい。

 

「高野さん、グッジョブ!」

 

 嗚呼そうか、これは貴女の差し金ですね?真っ赤になって急いで車に乗り込む高野さんを見て、可愛い所も有るんだなと思った。

 今だに入口で手を振る佐藤さんにお辞儀をして運転席に乗り込んだ。

 

「さて帰ろうか、君は大切な悪友だから家まで送るよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、魅鈴さんから電話が有った。

 

 彼女は口寄せとしての仕事場は宮城県にある訳で、東北地方で放送された椀子蕎麦大食い大会をTVで見たそうだ。

 

「榎本さん、椀子蕎麦大食い大会優勝おめでとう御座います。

それでTV放送を録画して有るので、お渡ししたいんですけど……優勝記念ですもの、欲しいですよね?」

 

「ももも、勿論ですハイ」

 

「それで、チョットお願いが有るんです。榎本さんにしか頼めない大切なお願いが……」

 

「ななな、何でしょうか?何でも言って下さい。誠心誠意お応えしますですハイ」

 

「ふふふふ、実はですね……」

 

 新たな物語が始まった。

 

 

************************************************

 

 そして新たな幕間話に伏線を張ってみました。次は小笠原母娘のお話に……

 



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第142話から第144話

第142話

 

 亀宮総本家に挨拶に行ったが、一族の統制が取れてない組織だった。跳ねっ返りを胡蝶が倒して、ご隠居様なる婆さんと話し合えたので、何とか当初の予定は達成出来た。

 そして現在亀宮さんが抱えている仕事を手伝う為に、彼らの分家を訪ねる途中だ。1人で訪ねる予定が駅まで亀宮さんが迎えに来てくれた……

 そう、袴姿でね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 流石に妙齢の美人が大正浪漫溢れる格好をしてると、周りからの注目度が半端無い。

 

「そこっ!勝手に携帯電話のカメラで撮るんじゃねぇ」

 

 隙を見て撮影しようとする連中が多過ぎる。全くマナーを学べ!

 

「榎本さんって知的で優しいクマさんのイメージでしたが、結構男っぽいんですね」

 

 先程、名店街で買った文明堂の三笠山どら焼き20個を持ちながら、亀宮さんがご機嫌に応える。女性にだけ、荷物を持たせてませんよ。

 僕は本命のハニーカステラ二本で5000円を持ってますから。それと警戒して辺りを見回している時に、視界の隅に必ず居る黒服。

 尾行なのだろうが、隠す気は無いのか?それともアレかな?

 

 存在する事に意味が有り、護衛本体は他に居るとか……

 

「ん、優しい?こんな筋肉ムキムキが、ですか?亀宮さんの方こそ、本当に優しいですね」

 

 彼女の僕への評価は異常に高い気がする。確かに亀ちゃんや胡蝶と言う特殊なモノに、憑かれている仲間は僕しか居ないからね。

 親近感が有るんだな……ダイエーを出て国道に戻り、東京方面へと歩き出す。暫く進むと警察署と病院が見えた。

 警察署の角を右折して暫く進むと、目的の風巻の分家が有る。角を曲がる時に確認したが、やはり黒服が居ますね。

 怪しい形(なり)で、堂々と警察署の前を通ってます。立哨の警察官は不審者丸出しなのに尋問しなくて良いのか?

 

 気持ちを切り替えて、正門の前に立ち感想を述べる……

 

「見事な位に日本家屋だな……しかし塀から覗く母屋が遠い。つまり庭が広いのか」

 

 立派な正門には風巻と表札が掲げて有る。塀も漆喰塗りで上部が瓦葺き、腰壁から下の部分は石貼りだ。

 

「武家屋敷みたいでしょ?風巻家は遡れば武士の家系なんですよ。古文書とか刀剣とかも有ります。興味が有れば見ますか?」

 

 亀宮家は700年以上続いている名家だ。その特殊性を思えば、時の幕府や政府と繋がりが有ったと思う。

 だけども亀宮の名前は世襲制だから、どの家にもチャンスは有る。だから関連一族全員が、それなりの地位だったんだろうな。

 じゃなきゃ昨日まで町民や下級武士の妻や娘が、いきなり一族のトップになるのを認めない馬鹿も居ただろう……

 亀宮に何代も選ばれない家は、財を成すとかして一族内で地位を確立していったとか。

 ご隠居様なる婆さんが、どうやってトップに君臨したかは分からないが……絶対的な地位を確保してないから、跳ねっ返りが居るのにはそんな背景が有るのかもね。

 僕もまだまだ安心は出来ない訳だ……煩わしいよね、秘密を抱えてると団体行動がさ。

 しかし、刀剣類には興味が有る、男なら分かるはずだ!仕事柄、鉈・山刀・ナイフ等は持ってるけど、純粋な日本刀は無い。

 昔、軍司さんに見せて貰ったのは実用?で使う近代になって造られた物だ。要は壊れても大丈夫な安物ばかり。

 親父さんの部屋に飾ってあったヤツは、流石に触らせてくれなかったし……

 

「そうだね、興味は有るから見せて貰おうかな。じゃ中に入ろうか?後ろの人も一緒にさ」

 

 気付いていて無視するのも何なので声を掛ける。

 

「流石ですね。何時から、気付いてましたか?」

 

「あら?滝沢さんじゃないですか?」

 

 黒服にサングラスと言う、不審者そのものの女性が近付いて来た。亀宮さんが滝沢さんと呼んだのは、彼女は護衛なんだろうな……

 良く見れば、八王子の岱明館に迎えに来た女性だ。

 

「いえ、その……他の方も護衛に就いてると思いますが、バレバレな尾行だと思いますよ」

 

 やはり本人も、このパンダみたいな役割に納得はしてないのだろう。真っ赤になって顔を背けた。

 良く見れば、20代半ばの中々のキツめな美人さんだ。黒髪をボブカットにして、真っ赤な口紅。

 サングラスは薄い黒の為、中の瞳も見える。切れ長の目と右の目元に泣き黒子(ほくろ)。

 胸はスーツの上からでも分かる程のボリューム。手足もスラリと長くて、ヘンテコな衣装の為に残念な美人に成り下がっている。

 街で擦れ違っても関わり合いになりたく無いタイプだ。残念だが、僕の好みには1mmとも掠りともしない。

 だが護衛だけあり、彼女も武道を嗜んでいるのだろう。所作には隙が無いと言うか、綺麗な動きをする。

 

「意地の悪い答えだな。私とて、この役割の大切さは理解している。だが、納得はしていない。まぁ入れ」

 

 そう言って正門を開けると、スタスタと先に入って行った。ぶっきらぼうな言葉使いも、照れ隠しだろう。

 

「榎本さん、何故意地の悪いなんですか?こっそり護衛したのに気付いていたから?もしかして知らない振りをしなかったから?」

 

 亀宮さんの優しさが、ビシビシと僕と……多分聞こえている滝沢さんに突き刺さる。意地の悪いとは、それプラス客寄せパンダの役割を皮肉ったからだよ。

 でも真実を教える事は出来ない。

 

「いや、僕が悪いんだ……真面目に亀宮さんの護衛をしてる人を皮肉ったから?」

 

「そうなんですか?でも……」

 

 納得してない彼女の背中を押して中に入る。幾ら自分の関連屋敷とは言え、正門の前で立ち話もないだろうから。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 正門から手入れをされた庭木の通路を抜けると、和風母屋が見えた。玄関は懐かしい硝子の嵌め込まれた木製の引き戸。

 引き戸は既に開いており、風巻のオバサンと滝沢さんが待っていた。

 

「お早う御座います。今日は宜しくお願いします」

 

「良く来られましたな。さぁどうぞ、上がって下さい」

 

 社交辞令を交わし、滝沢さんに三笠山どら焼きを風巻のオバサンに高級カステラを渡す。

 わざわざ済みませんね、とお礼を言われた。玄関を抜けると真っ直ぐな廊下になっており、右側の扉に入ると洋風な応接間になっていた。

 庭に面しており、見事な池が見える。

 

 多分、アレだ。亀ちゃんの眷族の亀が沢山居るんだろうな……

 

 実際何匹かは、池の周りの石の上で甲羅干しをしてるし。ソファーは三人掛け用と一人掛け用が二組。

 計五人が座れるのだが、既に三人掛け用にはご隠居の婆さんが座っている。

 向かい側の一人掛け用に僕と亀宮さんが座り、婆さんの隣に風巻のオバサンが座る。

 滝沢さんが戸口に立って警護するのが、妙にもの悲しくて辛い。

 

 一緒に座れば良いじゃん。

 

「正明、この屋敷に術者は二人居るぞ。後は護衛らしいのが五人か……くっくっく、総本家の手練れは腹下しで動けんからな。随分と程度の低い連中しかおらん」

 

 胡蝶が周辺を探索してくれた。術者は二人……当然、この部屋の連中は勘定に入ってない。

 

「では、用意した契約書の内容を確認して下さい」

 

 正副控えで三部用意した契約書を渡す。基本的な内容は毎回同じだ。

 

 今回、追加で足した項目は

 

 ①基本的に調査が仕事で有り、直接除霊に参加する場合は別途協議とし強制はしない。

 

 ②アウトソーシング、つまり調査に伴い外部機関の興信所や、亀宮の手の者に外注発注する権限と費用は其方持ちの事。

 

 ③使用する拠点・機材・資料諸々は全て其方で用意する事。但し僕も資料類の持ち出し・持ち帰りはしない。

 

 ④僕の扱いは亀宮一族の末席とするが他からの強制は受けず、指示系統は亀宮さんかご隠居の婆さんのみとする。

 

 大体こんな条件を付けた。悪い条件じゃないと思うし、僕だって安全とバックアップは欲しい。

 自分で手配すると、どうしても足が付くし、仮に調べられても僕じゃなくて亀宮一族に辿り着けば良いんだ。

 ペラペラとページを捲りながら、内容をじっくりと読む婆さん。何時の間にか老眼鏡をしていた。

 

「ふむ……妥当だが、費用は基本料金で良いのか?もう少し色を付けても良いぞ」

 

「いえ、其方の負担が多いですし、僕は契約先により料金内容は変えませんから」

 

 施主によって料金を変えるのは、信用に関わる問題だ。その分、別項目で追加費用を貰うから大丈夫。

 

「良いだろう。契約先は儂の経営する若宮不動産で良いかな?なに、購入予定の物件調査にすれば辻褄は合う」

 

 契約書の内容の大筋の了解を貰えた。出された名刺には、若宮不動産㈱となっており本社は横浜のランドマークタワーの中だ。

 だが社長の名前は違うし男性だから雇われ社長か何かかもしれない。ご隠居様の本名は、若宮なのかな?後で調べておこう。

 

「分かりました。今日は社印は無理でしょうから、契約書は預けます。後日頂きますが、宜しいですか?」

 

「いや、大丈夫じゃよ。ちゃんと印紙と実印を用意してある」

 

 用意が良い婆さんだな。

 

「印紙は僕の方で負担しますから大丈夫です」

 

 請負金の無い契約書なら、収入印紙は200円だから大した事はない。注文依頼書・請負書の場合も、基本的には僕が収入印紙を貼る。

 まぁ経費に含んでいるから問題無いんだ。収入印紙を貼り、双方の割り印を押して契約書は締結された。

 この間、一時間位は掛かったが他の連中は完全な空気だった。亀宮さん等、僕に寄りかかって寝てしまうし……

 確かに契約とか当事者以外からすれば、関係無いよね。一旦休憩、滝沢さんが皆にお茶を淹れてくれた。

 

 僕にはコーラとコップ、他の方々には紅茶。

 

 先程渡した高級カステラも二切れ程小皿に乗っている。このカステラはバターと蜂蜜がタップリで、底にザラメが敷き詰めてある。

 お茶をしながらの雑談となる……

 

「榎本さんは毎回契約書を交わすらしいが、逆に枷にならんかい?」

 

「メリット・デメリットを考えれば、メリットの方が大きいですよ。基本的に一人親方の弱小企業ですから、契約と言う枷は身を守る為にも必要なんですよ」

 

 幾ら胡蝶が居ようが霊能力を持ってようが、現実社会では意味は薄い。霊能力者なんて、一般じゃ詐欺みたいな連中と同一視されてるからね。

 

「身を守るとな。それだけの力を持っていてもか?

ウチの呪術部隊を全滅させ、更に一族でも手練れの者を半壊する。それでも尚、身を守る為とな?」

 

 やけに絡むな、婆さん……何を意図してるんだ?殆ど一方的に仕掛けて来たのは、そっちだ。文句や釘を刺すのも意味が通らない。

 

「どんなに個人で強くても、数の暴力には負ける。日本は法治国家だし、法に照らし合わせた契約は強い。

それは個人でも多人数に勝てる武器となります。身を守る手段は多い方が良いでしょ?

闇から闇へも……時として必要かも知れませんが、その前に幾つか手段が有りますよね」

 

「破戒僧じゃな。しかし手段を選ばぬ覚悟は有るが、簡単に手を出さぬ常識と理性は必要だ。

流石は名古屋で一時期、狂犬と呼ばれた男。クマとなっても、狂気と牙は衰えてないな」

 

 名古屋?狂犬?このババァ、僕の過去を調べたな!

 

 気持ちを落ち着かせる為に、コップのコーラを一気飲みする。喉に焼け付く炭酸が心地良い……亀宮さんが空のコップにコーラを注いでくれた。

 彼女の顔を盗み見ても普通と言うか、嫌な話だが気にしてない様子だ。

 

「狂犬……懐かしい呼び名ですね。返上してから随分と経ちますが、それと先程の話が何か繋がりますか?」

 

「くくくくく……亀宮様には、過去など関係無い様子ですな、良いでしょう。

紹介したい者が居ます。榎本さんの手足となり、一緒に仕事をして貰う者達です」

 

 婆さんが言うと、滝沢さんが扉を開けた。そこには無表情で外見がそっくりの女性が二人。

 

「佐和と美乃です。風巻の娘達ですぞ」

 

 双子?が無表情に目礼をしてきた。

 

 

第143話

 

 双子?と思われる程に外見が瓜二つな女性。佐和(さわ)と美乃(みの)と言った。

 風巻のオバサンの娘と言うが、正直似てない。何だろう、無表情で此方を伺っている彼女達は正直不気味だ。

 

 容姿が悪いわけじゃない。10人居れば7人は美人と呼ぶレベルだ。肩で切りそろえた黒髪、スレンダーな肢体。

 シンプルな白のブラウスにデニムを着ている。ナチュラルメイクで胸は普通。

 美人なんだが特徴が無い、街中で見掛けても記憶に残り辛い感じだ。普通な美人と言う微妙な評価なんだが……

 

 ただ年相応に大人びているからか、僕の守備範囲から逸脱している。つまりロリコンの好みじゃないのね、コレ大切!

 

「正明、この二人だが……霊力の波動がおかしい。

多分、彼女達の霊能力は互いに互いを似てると感知させる為に使ってるのだ。

昔、身代わりの為に他人に似せる能力者を見た事が有るぞ。試しに霊力を使って覗いて見ろ!」

 

 霊力を使って覗く?所謂アレだ、霊視ってヤツだね。僕の霊能力は、汎用性の悪いのが基本なんだが……

 拙い操作で霊視をする為に、両目に力を入れる。

 

「あれ?」

 

 双子の様に瓜二つと思っていたが、霊力を凝らして見ると別人だ。勿論、血の繋がりが有るので姉妹としてなら似ている範疇だが……

 

「あら、脳筋っぽいのに気付かれたかしら?」

 

「くすくすくす、そうみたいね。初見で見破られるなんて初めてじゃない?」

 

 霊力の制御がぶれると双子に見えてしまう。視覚や知覚に干渉する霊能力者か?

 

「「女性の顔をマジマジと見詰めるのはマナー違反ですよ」」

 

 この姉妹、良い根性してるな。胡蝶の加護と保護を受けてる僕に干渉してくるとは、それだけ強力なのか……

 だが、胡蝶は弱い霊能力者が二人と言った。ならば胡蝶が敢えて僕に干渉する様にさせてるのか?

 

「初対面の人に、自分達の霊能力を使うのはマナー以前の話じゃないかな?」

 

 言葉を選びながら応える。一緒に仕事をすると説明を受けたんだ。わざわざ関係を悪化させる必要は無いだろ。

 

「まっ、仲良くな。儂は本家に帰るが、亀宮様も早めに頼みますぞ。では滝沢、後を頼むぞ」

 

 もう儂の仕事は終わりだ。後は任せた的な事を言って、ご隠居の婆さんは投げっ放しで帰っていった。

 

 微妙な雰囲気が応接間に漂う……

 

 風巻のオバサンを中心に、左右に佐和さんと美乃さんが座る。どうやら佐和さんが姉で美乃さんが妹らしい。

 滝沢さんが彼女達のお茶を淹れてカステラも出してくれた。僕にもお代わりのコーラを一本、しかも瓶だ。

 栓抜きが無いので、瓶を掴みサムズアップの要領で栓を開ける。

 

 シュポッと、小気味良い音がする。

 

「榎本さんは何故、娘達の能力に気が付かれたのかな?初見でバレたのは、初めてですが」

 

 母親の言葉に、同じタイミングで頷く姉妹。シンクロしてるみたいだ。

 

「最初、屋敷に入った時ですが霊能力者の気配が二人分有ったんです。護衛の方々は五人かな?

僕は千葉の総本家を訪ねた時も散々な対応でしたからね。

何を仕掛けてくるか分からないので、警戒しておいたんです。悪いと思いましたが、最初から疑ってました」

 

 僕の言葉に、ムッとする娘二人。

 

「バリバリ警戒してたんですね!」

 

「最初から女性を疑うってサイテーですよ!」

 

 娘二人から駄目出しを貰いました。無表情だったのは術の関係か、今は表情豊かです。具体的に言うと生意気な感じで……

 

「君ら一族が僕にした事を考えれば、これ位の警戒は当たり前だろ?集団で死ぬ程の呪いに、鉄板を仕込んだ蹴りで急所を狙われたんだ。

僕は最低限、亀宮さんしか信じてない。だから契約書を交わしたんだよ」

 

 今はご隠居の婆さんと風巻のオバサンは信用してるよってフォローした。関係悪化は避けないといけないが、舐められちゃ駄目なんだ。

 最悪、彼女達が協力しなくても構わない。その為の契約だから、外注で興信所を雇えば良い。

 

「佐和、美乃!

榎本さんをからかうのは止めなさい。済みませんね、本当に娘達が失礼ばかり……」

 

 母親が頭を下げたのが堪えたのか二人は大人しくなり、ふて腐されながらカステラをパクつく。

 美乃さんは、見た目よりも年齢制限が大分低そうだ。逆に佐和さんは年相応以上な落ち着き方だな。

 

 何故だろう、霊感が疼く。20代後半な姉と10代半ばの妹のイメージ……

 

 実際二人は近い年齢だから、其処までの開きは無い。この年齢があやふやに感じるのも、彼女達の霊能力か?

 

「さて詳細を詰めても良いですかね?今日は条件だけでも調整しようと思います」

 

 何時までも遊んでいる訳にもいかない。話は早く纏めないと、明日から仕事が始められない。

 

「うむ、構わんよ。それで其方の条件を聞こうか?」

 

 打合せの主導は風巻のオバサンだ。彼女が実質的に条件を飲むか飲まないか決める。いや、決められる。

 

「先ずは仕事部屋を提供して下さい。インターネット接続済みのパソコンにプリンター。

出来ればPDFの取れる複合機が良いです。実際に外回りで調査出来る人員を何人か……助手は、お二方が手伝ってくれるのかな?

時間は9時から5時迄を基本労働時間とし、休憩は昼食1時間で午前午後に各休憩30分位ですかね」

 

 仕事場所の確保と勤務体系の確認をする。一応雇われる身だから、最低限の縛りは必要だ。

 

「ふむ……前にも少し聞いているから用意はしてある。部屋にパソコンと複合機をな。

基本的にデータの管理と保護は我々に押し付ける訳だ。確かに調べる相手が相手だけに、情報漏洩は拙い」

 

 流石は亀宮一族の諜報部門のトップだけの事は有る。此方の保険的な考えなどお見通しなんだろうな……

 

「データは全て、この家で管理して貰います。僕も持ち出しはしません。

後、其方で調べた資料を見せて下さい。それから調査の方針を決めます」

 

 だが、それは承知で僕と契約した筈だ。精々盾として利用させて貰うしかない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 既に用意した部屋に、パソコンも資料も置いてある。案内に亀宮様、監視に滝沢を付けた。

 あの男から問題は起こすまい。そもそも問題を起こすのは、常に此方だからな。娘達に感想を聞いてみるか……

 

「あの男、どう思った?」

 

 我が娘ながら、霊能力の総量は低いが技術でカバーする二人だ。奴に同調の術はバレたが、切り札は知られてない。

 一族の権力を自分達の物と勘違いをする他の連中と違い、観察眼は鍛えたつもりだが……

 

「そうですね。他の方々から聞いた感じとは違います」

 

「問答無用で攻撃してくる狂犬には見えないね」

 

 チッ、誰だ?そんな嘘を触れ廻ってるのは?

 問答無用で攻撃したのは此方の方だぞ、事実をすり替えて有耶無耶にする心算か?

 それに狂犬なんて呼び名は、奴の過去を調べた資料でしか知らぬ筈だ。まだまだ尻尾を掴ませない膿みが居るのか?

 

「ほぅ?お前達が聞いた奴の話はどんなのだ?」

 

 顔を見合わせているが……聞くに耐えない内容なのか?ならば面倒だぞ、奴は亀宮様のお気に入り。

 それを貶す連中が居るなど、もし亀宮様のお耳に入ったら、あの入れ込み方を見れば面白くない事になりそうだ。

 

「私達も法螺話と、随分脚色された話と思ってます」

 

 佐和の答えだと、奴の活躍が信じられぬか?

 

「そうです。この目で見ないと信じませんよ、あんな法螺話なんてさ」

 

 自分の目で見た事しか信じないのは良くないな。諜報として集めた情報の真偽を確かめるのも調べるのも必要なのだぞ。

 隠されている真実から、かけ離れてしまうからな。

 

「なる程、確かにな。で?その法螺話とはなんだ?」

 

「はい、山名一族を没落に追い込んだ男。我が一族の呪術部隊を屈辱的に負かした。

荒事専門、武闘派の若手筆頭の野田を半壊した。亀宮様の思い人等々です。笑えませんね」

 

 いや、それは信じたくはないが事実だ。

 

「しかも仕込まれた遠距離呪術攻撃を触媒も術具も使わずに跳ね返すとかさ。

呪術部隊の連中からも、野田からも事実は聞けなかったけど……あの肉達磨には凄い連中が付いてるよね?」

 

 嘘じゃないが、自分達の悪い部分を伝えてないな。全く身内贔屓と言われても文句は言えない。

 手元の湯呑みから、お茶を一口飲む。さて、何から話すか……

 

「先ずは経緯からだな。八王子での除霊の時に、亀宮様と奴は知り合った。

あの色狂いの阿呆が、痴情の縺(もつ)れで元妻の怨霊に襲われた事件だ。最終的には危険度AAA(トリプルエー)となった。

奴はほぼ一人で場を仕切り除霊をした。その手際の良さは、お前達も報告書を読んだろ?」

 

 多少の不手際は有ったが、最終的には依頼人も納得した終わり方だ。我等だけでも可能だったが、亀宮様なら亀様に喰わせて終わり。

 あの様な展開にはならなかっただろう。

 

「そうですね。鈴木さん達にも聞きましたが、中々の手際の良さ」

 

「でも調査に時間掛け過ぎだよ。もっと手早く出来たよ」

 

 確かにな……だが我等と違い奴は個人。

 それが関西で噂の神泉会と真っ向勝負でなく、絡め手で依頼人を巻き込み最終的に勝利した。

 ただ祓うだけなら、単体で廃墟に突撃しても可能だったらしい。

 

「安全と慎重が奴の持ち味だな。だからこそ安定した実績が有るんだ。それとな、奴には仲間は居ない。

正確には霊能力者の仲間は、梓巫女の桜岡霞しか居ないのだ。あれは色物タレント霊能力者だからな。

しかも関西に帰省中だ。実質的に一人で我らが一族の攻撃を凌いだ。

被害は知っての通りに甚大だな。良くもまぁ、我らと手を結ぼうと思ったものよ」

 

 あれだけの仕打ちをされたからこそ、この契約書であり用心深さなのだ。奴が信頼してるのは、亀宮様だけだな。

 契約書のお陰で、私と御隠居様は信用されてるのだ。

 

「嘘だよ。だって10人以上の術者を敵に回して、無事なんて可笑しくない?」

 

「逆に野田については、あの筋肉ですから出来たとしても不思議じゃないわ。呪術と武術が両方トップクラスなんて……」

 

 普通に考えればそうだ。10人以上の術者の一斉攻撃を捌けるなど、天と地程の実力差がなければ無理だ。

 野田についても、奴は少なくとも骨折は負った筈だがピンピンしていた。実際に腹を見せて貰ったが、軽い打撲程度の腫れ。

 奴の能力の特定が出来ない。殆ど万能に近い能力者など……

 

「笑い話にしか思えないが事実だ。多数の術者を去なし、野田を半壊し自身の治癒もこなす。

亀宮様でも不可能だろう。亀様は防御特化だから攻撃方法は喰うしかないし、治癒も出来ない。

そんな化け物が在野に転がってたんだ。だが、奴も組織に勝てない事は理解している。

だから力を隠し、バレたら寄らば大樹の陰で我等の一族の末席を望んだ。分かり易い男なのだが、隠し持った力が謎なのだ」

 

 そう!

 

 奴の行動は自身の保身と亀宮様への友愛で動いている。打算的だが、亀宮様の受け取り方は違う。

 常に自分と敵対しない事を前提にしてくれる、初めて自分と同等の力を持つ者と会えたのだ。

 しかも諦めていた自分の番(つがい)になれる可能性が有る初めての男。

 

 依存せねば良いが……

 

「それ程の男が、一族の末席で満足するのかな?実行部隊の殆どを敵に回して勝った奴だよ」

 

「しかも亀宮様との関係は良好過ぎる。200年以上も現れなかった直系子孫が生まれる可能性が高い、高過ぎですよ。

気を付けないと駄目です」

 

 娘達も、これがまかり間違えれば一族崩壊の危険性を孕んでいる事は理解してるみたいだな。ならば大丈夫だろう。

 

「勿論だ!だが、必要以上に警戒しても利は無い。信用させれば良い駒……

いやビジネスパートナーになるぞ。分かってるな?無駄に衝突をせずに上手く付き合うのだぞ」

 

「「はい、お母様」」

 

 しかし、しかしだ。確かに亀宮様からすれば、頼りがいが有り気さくで自分との関係悪化を懸念する態度を見せる相手は……

 自分に好意的に見えるだろう。

 

 

第144話

 

 金沢八景の風巻分家が、これからの調査の拠点となる場所だ。そこで風巻のオバサンの二人の娘と出会った。

 霊力は低いが、癖のある嫌らしい力の使い方をする。どちらかと言えば、苦手なタイプの姉妹だった。

 実社会で働くならば、ロリとの出会いは極端に少ない。

 

 何故ならば社会人としか仕事をしないからだ!

 

 霊能力者としてでなく、教員として働いていればパラダイスだったろう。だが僕に職業選択の自由は無かった。

 それにマイエンジェル結衣ちゃんにも出会えなかっただろう。

 だから霊能力者で有る事が正解だったのだが……最近デメリットの方が多くないかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本さん、あの子達を双子と思ったんですか?そんなに似てないのに、皆さん双子みたいに扱うんですよ」

 

 用意された机に座り、山と積まれた資料をより分ける。読むのは仕分けが終わった後だ。

 仕分け作業中の僕に、亀宮さんが色々と質問をしてくる。用意された部屋は10畳程の洋間。

 事務机が三つ有り、各々にノートパソコンが置いてある。部屋の隅に複合機もセットされていた。

 書棚も二つ用意されている。引き出しを開ければ、基本的な文房具も用意されている。

 

「最初は双子かと思ったけどさ。彼女達は自らを相手に似せる能力者なんだろ。

実際に諜報部隊なら、素顔を隠せる事はメリットになる。僕は、まぁ……体つきが特殊だから、隠密行動は無理だよね」

 

 あの姉妹は仕える亀宮さんには、能力を使ってないのだろう。僕はムキムキのオッサンだから、周りの風景に溶け込むのには無理が有る。

 要は目立つし、一度会うと相手は絶対に忘れない。

 

「筋肉を鍛えすぎた為に、諜報が出来にくい体つきになったんですね。でも過去の仕事では、色々と自分で調べていたではないですか?」

 

 この分だと八王子の件以前の僕の仕事振りも調べられてるんだろうな。亀宮さんにも報告が上がってると思った方が良い。

 

「諜報と調査は違うよ。前者は秘密裏に、後者は表立って行うんだ。僕は現役の坊主だし、説法とかで話し方を学んでる。

だから会話自体に問題は少ないけど、第一印象が悪いらしい。僕ってそんなに厳つくて怖いかな?」

 

 良く言われるのが、厳つい・怖い・ヤクザ・オッサン……いや、最後のは違うけど大抵の場合、第一印象は良くない。凄い警戒される事も有る。

 しかも笑いかけると、相手は恫喝と思うから悲しいんだ。

 

「んー、確かに私も第一印象は怖い人でした。だって何回も怒られましたもん」

 

 ましたもんって……最初の頃の亀宮様も、第一印象は困った人でしたよ。直ぐにメリッサ様と喧嘩するし、酒癖悪いし。

 

「まぁ話してみれば印象が変わるって事ですよ。お互いにね?」

 

「お互いって、私の印象も悪かったって事ですか?そうなんですか?亀だから、亀憑きだからですか?」

 

 えっ?其処に食い付くの?思わず資料を仕分けるのを止めて彼女を見る。

 

 ヤバい、彼女は涙目だ!

 

 何かが彼女のトラウマにでも触れたのか?もしかして亀憑きって禁句だった?

 

 

 ラッ、ライフカードオープン!

 

 

 ①いや、最初は近寄り難いお嬢様だったけど、話すと気さくな感じで好感が持てますよ。

 

 ②噂で聞いていたよりも、ずっと美人さんで話し易いから驚いた。

 

 ③最初は困ったチャンだったでしょ?直ぐにメリッサ様と喧嘩するし、酒癖悪いし。

 

 ④お互い似た環境だったんだなって。同じ霊獣・守護霊を憑けていても、最初は立場も考え方も違うと思ってたから。

 

 ⑤静かに歩み寄って、黙って抱き締める……

 

 

 なっなんだ、このライフカードは?

 

 ①②は一見すれば正解だ!だが、これを選ぶと違う恋愛ステージに進みそうなんだが……

 

 ③は本音だが、僕は空気が嫁る、いや読める筋肉だ!選べる訳が無い。

 

 ④うーん、これも僕達は他とは違うんだ。二人だけが特別なんだ!って取られないかな?

 

 ⑤意味不明だ。滝沢さんの監視の中で、破廉恥行為に及ぶ?まさかのバッドエンドだ。

 

 どれもこれも危険な選択肢じゃねえか!だが、急がないと何かを選ばないと駄目じゃん!

 

「おっ、お互い似た環境だったんだなって。

同じ霊獣・守護霊を憑けていても、最初は立場も考え方も違うと思ってたから。今は違うよ!

でもほら、僕は一般ピープルだけど、亀宮さんは凄いお嬢様じゃないですか!」

 

「まぁ!そんな風に思ってたんですか?」

 

 パッと表情が明るくなった。どうやら正解に近かったようだ……

 

「話の中で旧華族とか財界人・政界人の名前もチラホラと出てましたよね。顧客層も全然違いますから……」

 

 アレ?少し表情が曇ったぞ。これは失敗だったのか?

 

「いっ今は全然そんな感じじゃないですよ。僕等は互いに似た境遇だし、親近感が有りますよね?ね?」

 

「そうですよね?私達、似た者同士ですよね?榎本さんは、初めて出来た大切な友人です。隔意を持たれるのは悲しいですわ」

 

 はっはっは、そんな事は欠片も思ってませんよ。笑いながら、どうやら機嫌は回復してくれたんだと思った。

 いや、焦った。泣かれるとは思わなかったんだ。亀宮さんは、初めて出来た同類の僕に突き放されるのが嫌なんだな。

 仲間意識を持ってくれたんだろう。ならば特別扱いはせずに、一緒の扱いにすれば良いのかな?

 

 機嫌を回復し、ニコニコしている彼女に見えない様に溜め息をつく。

 

 何故なら滝沢さんの目が怖いから……ウチのお嬢を何泣かせてんだゴラァ!

 昔、付き合いの有ったヤンチャな連中を思い出す。嗚呼、軍司さん元気かな?

 僕の事を先生・先生と呼んで纏わり付いていた、良く有る名前の下っ端のヤスとサブは生きてるかな?

 暫し意識を飛ばして、心のバランスを取る……古めかしい壁掛けの時計を見れば、もう12時に近い。

 

 トリップし過ぎたかな?

 

 アレは骨董品の類だろうか、毎時ボーンボーンと鳴るタイプかな?念の為、携帯を開いて時間を確認しても11時52分。

 

 お昼時だ。

 

「亀宮さんは食事どうするの?僕は明日から本格的に始めるから、今日はこれで帰るけど」

 

「亀宮様の食事は用意してある。榎本殿の分もだ」

 

 亀宮さんに聞いたけど、滝沢さんから答えが来た。流石は護衛を任されているだけはある。秘書的な仕事も含まれてるのかもね。

 だが、外食とか買い出しって考えは無いのか。毎回用意されるのも気が引けるよね。

 案内されて別の部屋に行けば、和室に高そうな絨毯を敷いて机と椅子を置いた食堂が……既に僕と亀宮さんの分が向かい合わせに用意されている。

 上座を亀宮さんに座らせ、僕も向かい側に座る。

 テーブルの上には仕出し弁当だと思うが、所謂松花堂弁当と呼ばれる物が置いてある。

 

「失礼します」

 

 直ぐに温かい味噌汁とお茶が出された。

 

「すみません、有難う御座います」

 

 お礼を言う時に確認したが、初めて見るオバサンだ。分家の人か雇っている使用人の人か、判断はつかない……

 松花堂弁当の蓋を開けると、色彩豊かでヘルシーなオカズと瓢箪の形の御飯。微妙に量が少ない。

 

「「いただきます」」

 

 挽き肉と刻みネギの餡が掛かった高野豆腐をパクリ。モグモグと咀嚼し飲み込む。

 

 うむ、美味い。

 

 他のオカズは……季節野菜の煮物・野菜天麩羅・湯葉の刺身・茄子の煮浸し・甘鯛の照り焼き・鰤大根・なます・茶碗蒸しだな。

 野菜天麩羅は、銀杏・茗荷(みょうが)・アスパラ等、一般では余り食べれられない具材だな。

 この辺の高級仕出し弁当だと、料亭小松か割烹荒井あたりか?味良く品良くボリューム無し!

 僕なら三人前位は食べたいが、多分5000円位するだろうから無理は言えない。帰りに何か食べて帰ろう。

 桜岡さんと同じ様に、女性らしく上品に食べる亀宮さんを見て思う。いかに桜岡さんが、僕に近しいフードファイターだった事を……

 彼女の圧倒的な食べる速さは、僕では絶対勝てなかった。

 嘘とはいえ付き合ってると言ってしまった以上、理由を説明しておかないとボロが出るな。

 後で事務所に帰ったら連絡をするか……

 

「榎本さん、足りましたか?何ならお代わりを頂きましょうか?」

 

「いえ、大丈夫ですよ。普段は普通の量でも大丈夫なんです。ほら、僕の霊能力は燃費が悪いので」

 

 胡蝶の事を誤魔化す為に適当な事を言う。実際、彼女にやる気を起こさせるのは大変だから、嘘では無いと思う。

 

「そうなんですか……私の亀ちゃんとは違うんですね」

 

 何やら考え込む亀宮さん。松花堂弁当を食べ終わり、デザートのカットメロンを食べる。

 時期はずれだが、ハウス栽培の高級品なのだろう。糖度が高く、甘くて美味い。

 

「「御馳走様でした!」」

 

 今回は亀宮さんが居るから、高い食事が食べられたのだろう。明日からは、コンビニで買ってから来るかな。

 食後のお茶を飲みながら、暫し亀宮さんと雑談をする。

 中でもメリッサ様の相談事で、セントクレア教会に行った事を話したら驚いていた。

 仲が悪い様で実際は定期的に連絡を取っているらしい。

 例の山小屋の除霊は教えた方法で成功したらしいが、僕から聞いた事は亀宮さんに教えず自慢したらしい。

 今度有ったら嘘を暴いてあげますわ!とか意気込んでいたので、程々にと言っておいた。

 腹も膨れたし、亀宮さんと楽しい話も出来たから帰るかな。明日から来る旨を伝え、風巻分家からお暇(いとま)した。

 

 明日から忙しくなるぞ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「漸く帰った様だな……明日からは頼むぞ。奴の手伝いをしてやってくれ。何か学ぶ事も有るだろ」

 

 別室だが、彼らに出した物と同じ松花堂弁当を食べながら我が子達に頼む。奴が大食いなのは知っていたので、余分に頼んでおいた分だ。

 だが一人前で済んだので、こうして我々も食べている。霊能力の燃費が食事?そんな事が有るのか?

 確かに空腹では力が出ないが、それはコンディションで有り、霊能力と言うスキルとは無関係ではないか?

 

「分かってます。だけどやり方が拙かったら、文句は言うよ!私達だって、それなりに調べたんだから」

 

「そうですわ。調査資料の仕分けはしてたけど、どんなやり方をするのかは楽しみね」

 

 やり方か……前に聞いたが、亡くなった先代について可能な限り調べて欲しいと言われていたな。

 公式な記録については、殆ど調べがついている。だが半世紀以上の前の出来事だし、戦後のゴタゴタで分からない部分も多い。

 

 謎の多いのも事実。特に森については、殆ど分からなかった。

 

「でも桜岡さんと言う、梓巫女と付き合ってる割には、亀宮様との仲を進展させてませんか?」

 

「そうそう!泣かせた後に優しくするとかさ。端から見れば、誰でも亀宮様がオッサンに好意的だと思うよ」

 

 まだまだ我が子達に男女の機微は分からぬか?

 

「アレは奴が根性無しなのだ。八方美人な対応をしては、亀宮様の誤解が増すばかりだぞ。まぁ我々は、その方が都合が良いがな」

 

「えー、亀宮様とアレが結ばれるのを認めるの?」

 

「私も当主の連れ合いが、ムキムキなオッサンは嫌ですよ。そりゃ悪い人ではなさそうだし、力も有るみたいですが……生理的に嫌!」

 

 ほぅ、娘達には奴は不人気か……幾ら亀宮様に匹敵する力を持っていても、若い娘には関係無いのか?

 私も奴に義母さんとか呼ばれるのは、抵抗が有るから丁度良いが……娘達の男性談義を脇で聞きながら、胸を撫で下ろした。

 だが、娘達の興味が若手俳優やらアイドルやらと聞いていると不安も有る。憧れと結婚相手は別物なのだ。

 風巻家を継ぐ姉妹が、アイドルの追っ掛け紛いの気持ちでは困るのだよ。

 

「はぁ……家を継がせるとなれば、力有る種を持つ奴が良いのだがな。侭ならぬ物だな」

 

 家の存続と娘の幸せは別問題だから。

 



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第145話から第147話

第145話

 

 風巻分家を後にして、テクテクと国道を歩く。日差しが暖かく、昼寝には最高の季節だ。

 週末からゴールデンウィークに突入するが、今回の調査の仕事も有るし二日位しか休めないかな?

 結衣ちゃんの為にも、近場でも何処かに連れて行かないとね。

 家族(嫁予定)サービスは必要だし、結衣ちゃんも友達との会話でゴールデンウィークに何処にも出掛けなかったは駄目だろ?

 ここは男として、また世帯主として毅然とした態度で旅行計画を出来れば泊まりで……淡い予定を考えながら歩いて気分を紛らわしても小腹が空いた。

 お昼は食べたが、松花堂弁当だけでは足りない。だが食事を出して貰って、近所で又食べたら失礼だろう。

 そう思い横須賀中央駅で降りて食べる事にする。来た道をそのまま戻りながら、金沢八景駅へ。

 相変わらず駅改札周辺には大学生らしき若者が溢れている。

 

「学生の街って訳じゃないよな?でも比率は若者が高い」

 

 今時の若者と言うと、僕がオッサンだと自覚してしまう……いやマダマダ若い、僕は若いんだ!

 PASMOで改札を潜り抜けてホームへ。丁度来た各駅停車の普通電車に乗り込む。座席に座り先程迄の事を振り返る。

 亀宮さんとは大分打ち解けたと思う。あと亀ちゃんも威嚇される事が無くなった。

 それどころか偶に半透明の状態で現れ、見つめ合ってから目を逸らされて溜め息をつかれた事も有る。

 最近は具現化も少ないし、何気に亀宮さんが触ってきても平気だ。認められたか呆れられたかだな、うん。

 

 ご隠居の婆さん&風巻のオバサンは……

 

 信頼は出来ないが、信用を得ようと良い条件を提示してくれる。娘達については、若干だが嫌われ気味に感じる。

 一族の結束が強い連中だから、身内に害をなした僕は嫌いなんだろう。

 そんな彼女達が僕を手伝ってくれるそうだが、余り期待は出来ない。

 容姿は好みから大きく外れるが、年頃の女性から敵意剥き出しは嫌だな……ある程度の歩み寄りは必要だが、コイツ私に気が有るんじゃない?

 とか勘違いさせない為には注意しなきゃ駄目だ。ぼんやりと考えながら、車窓を眺める。

 丁度電車がトンネルを抜けて、自然光が電車内に差し込む。見える景色は、緑溢れる山々の間に連なる民家。

 

 京急電鉄はトンネルが多い事で有名だ。

 

 全線のトンネルの半数以上は横浜駅から三崎口駅の間に有る。トンネルとトンネルの間の景色も緑が多い。

 要は山の中ばっかりで、県道の両側に民家が連なる自然豊かな街並みなんだ。

 途中の逸見駅で快速特急の通過を待ったが、20分位で横須賀中央駅に到着した。

 

 電車を降りてホームを見渡すと、横須賀中央駅は外人が多い。米軍基地が有りドブ板商店街も有るからか?

 ムキムキの男性外人が殆どだが……外人を見て何となくハンバーガーが食べたくなったので、商店街のバーガーキングに向かう。

 結構前に出来たのだが、入るのは今回が初めてだ。だが噂では、兎に角デカい・マズいと評価が極端なんだよな。

 

 ボリューム重視なら良いが、味は日本人向けで無いのか?店内に入ると一階は注文カウンターだけで、客席は二階らしい。

 

「「「いらっしゃいませー」」」

 

 元気良く挨拶をしてくれる。数人の外人が屯(たむろ)しているが、注文待ちか?

 空いているカウンターの前に立つと、若い女性店員が対応してくれた。

 

「いらっしゃいませ、ようこそバーガーキングへ。此方でお召し上がりですか?」

 

 世界中でも上位だろう、店員さんの親切な対応を受ける。

 

「えーと、持ち帰りで。BKダブルベーコンチーズを三つとオニオンリング、それにスナックサラダを下さい」

 

 バーガーキングは、ハンバーガーの中でビッグサイズをワッパーって呼ぶ。直径で13センチ重さは4.4onzも有り、普通サイズの二倍の重量だ!

 今回頼んだのも、ビッグサイズのワッパーだ。

 

「はい、BKダブルベーコンチーズを三つにオニオンリング、それにスナックサラダですね?お飲み物は如何致しますか?」

 

「飲み物は良いです」

 

「はい、有難う御座います。右側に寄ってお待ち下さい」

 

 若い女の子に、こんなに丁寧な対応をされると、外人さんは勘違いしないかな?しかも制服姿は魅力が当社比200%増しだ、増量中なのだ!

 実際ナンパも多いらしい。イメージだとイタリアだが、実はインドネシア・ブラジル・フィリピンがダントツだ。

 イタリア人はシングルの人しか声を掛けないらしく、パートナーが居る場合は大人しい。

 但し殆どの男性が、所謂「目で舐める様に」女性を見る。

 そして今のパートナーよりも好ましい・別れても良いと思うと、猛然とアタックするそうだ。

 結局は女好きな民族なのだろう……まぁ直接聞いた訳じゃなくて、本で読んだ知識なんだけどさ。

 

「お待たせ致しました。BKダブルベーコンチーズを三つとオニオンリング、それにスナックサラダでお待ちのお客様」

 

「はい、どうも有難う」

 

 最後まで丁寧な対応で品物を渡された。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局事務所に戻れたのは、2時半を回っていた。デスクにハンバーガーを置いて、冷蔵庫からコーラを取り出す。

 500mlのペットボトルだ。因みに、このコーラは特保認定でダイエット効果が有るらしい。

 食事の時に一緒に飲むと、食べ物からの栄養摂取を抑えるのかな?

 片手でモグモグとBKダブルベーコンチーズを食べながら、携帯電話を操作し桜岡さんへのメールを打つ。

 

 

「お久し振りです。修行の方は進んでますか?実は少し話したい事が有ってメールしました。

時間が出来たら携帯か事務所の方に電話して下さい。お願いします」

 

 流石にメールで、僕達は付き合ってると嘘を付いたとは書けない。ちゃんと説明しなければ駄目だろ?

 メールを送信し両手が使える様になってから、スナックサラダを開ける。気休めだが、野菜は食べないとね。

 スナックサラダと言っても、味はシーザーサラダだ。スナックサラダを完食し、オニオンリングを摘む。

 流石にハンバーガー三個はキツい。味は大味で日本人には合わないかも知れないな……

 僕でも三個目で飽き飽きした味だが、満腹感は半端無い。最後の一口をコーラで流し込み、お手拭きで手に着いた油を拭き取っていると電話が鳴った。

 事務所の電話の方だった。

 

「はい、榎本心霊調査事務所です」

 

「霞です、ご無沙汰していますわ」

 

 久し振りに聞く、桜岡さんのお嬢様言葉だ。亀宮さんもお嬢様だが、話し方は普通だ。

 まぁ後天的に亀ちゃんに憑かれて一族の代表になったのだから、生粋のお嬢様の桜岡さんとは違うか……

 

「そうですね、一月振り位ですかね?実は最近なんですが……派閥への勧誘が五月蝿くなって、仕方無く知り合った亀宮さんを頼ったんですよ。

元々、当世最強の彼女が僕の事を誤解とは言え絶賛してしまい……彼女の対立勢力から、しつこい勧誘が有りまして」

 

 本当に困りました、と愚痴を零す。困ってしまい仕方無くなんだよと、アピールする。

 

「うーん、確かに亀宮一族と対立するのは得策ではないですわね。私は梓巫女として義母様と共に、関西の梓巫女連合に所属してますよ。

フリーランスの榎本さんは、大変珍しい存在ですわ」

 

 梓巫女連合だと?そんな巫女マニアが知ったら涎を垂らす団体が実在するのか?

 僕は最近迄、同業者と極力接点を持たない様にしてたから、その辺の事情には詳しくない……派閥に入ると色々と詮索されて困るから。

 

「そうなんですよ。亀宮一族と対抗してる連中からの加入条件は、まぁまぁ良いのですが……

基本的に対抗路線だと、僕が亀宮さんとの戦いの矢面に立たされるのが問題なんです。僕には何のメリットも無い」

 

「榎本さんは争いを好みませんものね。それで、お話とは何なんでしょうか?派閥に所属した報告じゃないですよね?」

 

 そうだった、本題だ。ロリコンの僕が信念をねじ曲げて迄、嘘を付いたアレだ……

 

「その……言い難いのですが……お願いが有りまして。

亀宮さんの一族って、その……結束が強くて排他的な部分がね。

どうも、当主の亀宮さんが僕を一族に引き込むのは、むっ、婿入りみたいな勘違いをされてしまい……

もっ勿論勘違いです!僕は、そんな感情は1mmたりとも持ってません」

 

「それで?」

 

 一言で返して来たぞ!しかも声質が若干だが低くて冷たい。これは危険な兆候だ、良く分からないし理解もしたくないが危険な兆候だ……

 

「それでですね。実は亀宮さん本人は、僕と桜岡さんが付き合ってると思ってまして。

だから誤解を解く為にも、その通りだと周りの方々にも言ってしまって。ご迷惑だとは思いますが……」

 

「なんだ、そんな事ですか。構いませんよ、私は別に……対外的に言い触らして貰っても、全然構いませんわ」

 

 アレ?大して驚かないし、慌ててもいないな。んー、アレか?今は関西だし距離も有るし、人の噂もナントやらか?

 だが、一応念の為に言質を取るか……

 

「ご迷惑じゃないですか?その嘘……」

 

「大丈夫です、問題無いです、安心して下さい。私に任せて下されば平気ですわ!」

 

 言葉を被せられた……でも迷惑だけど大丈夫・私が何とかします的には、僕の事を好きなのかな?

 友人として。ならばお礼を言っておかないと駄目だ、人として友人として。

 

「有難う御座います。必ずお礼はします、絶対です!」

 

「ふふふふふ、却って大変かも知れませんよ。では、貴方(あなた)も頑張って下さいね」

 

 あなた?

 

「そっその呼び方は……って電話を切られた。

別に二人だけの時に、恋人の芝居はしなくても良いのに。でも、何か何気にヤバい様な……

ああ、結衣ちゃんが恋人なら大々的に発表してロリコン王を名乗るのに。現実は何時も非情だ……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 思わず嬉しくて叫びそうになるのを何とか我慢した……榎本さん、やはりお相手は居ないのね。

 亀宮一族の事は、それなりに知っている。現当主に会ったのは、品川の小原邸での顔合わせが初めてだったけど……第一印象は悪かった。

 榎本さんの事をゴリラと評したのだ。違う、彼は躾の行き届いた私のクマさんなのよ!

 でも確かに、かの一族との対立の矢面に立つのは不利益でしかない。あの霊獣は強力だし、一族の連中も数が多い。

 だから、あの一族の派閥に加わるのは、榎本さんの安全を考えても賛成だ。

 

 関西梓巫女連合は、文字通り神道系の団体。仏教徒の榎本さんは所属出来ない。

 

 でも偽物でも恋人として、私にお願いをするなんて……お願いするのは、私に対して悪い感情は無い。

 恋人として振る舞って貰うのに、好み以外の人には頼まない。つまり私は、彼の女性の好みに当て嵌ってる。

 

 ドストライクなんだわ!

 

 もしかして家を出たのは早まったかしら?余計な策略など巡らせずに、素直に押した方が成功したかも……

 

「霞?誰に電話してたの?」

 

「義母様、榎本さんからです。最近どうですかって?近状報告ですわ」

 

 義母様は、お父様と策略で結ばれたって言ってますが、前回は失敗の連続。やはり他人任せでは無くて自分で行動しなくては!

 

「そうなの?随分と嬉しそうね。じゃ修行を続けるわよ」

 

「ええ、早く習得して帰らなくては駄目だわ」

 

 生霊専門の私に必要なのは、汎用性。普通の除霊も出来ないと、榎本さんと一緒には居られない。

 守られるだけでは、彼の負担でしかないのだから。でも資質の関係で、普通の除霊術を学んでも効果は薄い。

 ならば、今有る術を極めて汎用性を高めるしかないのです!

 修行は厳しいですが、ゴールデンウィークには一度里帰りをした方が良いですわね。

 定期的に会ってないと、恋人とは言えないですから……言質は取りましたから、精々言い触らしましょう!

 

 

第146話

 

 風巻分家初出勤の朝。結衣ちゃんには一連の流れを説明しておいた。

 新しい仕事を受けた事。職場が提供されて、金沢八景に通う事。

 ゴールデンウィークは三日間休むから行き先を決める事。派閥に加入や亀宮さんの事は、話していない……

 

 そこっ、ヘタレとか言うな!

 

 実際に説明しても余計な……いや、説明したら余計な心配事が増えるだけだろ?

 わざわざ波風立てる必要は無いのだよ。

 元々7時過ぎに起きて横須賀中央の事務所に出勤していたが、金沢八景に9時ならば朝のサイクルを変えなくても平気だ。

 8時に家を出て、14分の電車に乗れば間に合うのだから。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 地元駅のホームに立つ。サラリーマンが乗車位置に並んでいる。

 日本の朝の通勤風景、一部の外国では考えられない事らしい。

 マナー良く平均を好み、団体行動をソツなくこなす民族性だろうか?キチンと二列に並んだ最後尾に立ち電車を待つ。

 何時もは二駅で到着だが、今日からは六駅目だ。

 朝夕の通勤時間帯は全ての電車が停まるが、昼間の時間帯は普通電車のみ。中途半端な駅が金沢八景だ。

 まぁ二分も走れば金沢文庫駅だし、此方はターミナル駅としてソコソコの大きさと賑わいがある。

 金沢八景駅は、逗子線との分岐点としては重要だ。

 実は風巻分家は、金沢八景駅と金沢文庫駅の中間辺りに有るので、実際はどちらを利用しても良い。

 だが、わざわざ電車で通過して歩いて戻るのが嫌だから、不便でも金沢八景駅を利用してるだけだ。だって勿体無いじゃん。

 

 丁度来た電車に乗客の流れに合わせて乗り込む。ムキムキの僕はスペースを多目に取るが、特に文句は言われない。

 だが極力座らずに立って乗る事にしている。座席の幅も取る為だからだが、流石に狭いスペースに割り込む事はしない。

 オバタリアンは世界でも有数な図々しい人種らしいが、僕には真似は出来ない。運良く車両の中ほどで吊革に掴まれた。

 暫くは電車に揺られながら景色を見る。良く晴れて遠く海の向こうの千葉迄見渡せるなぁ……

 こんな天気の良い日は、ボートを借りてノンビリ釣りでもしたい。だが暫くは自由の無いサラリーマンと同じだ。

 勤務時間に拘束されるが、仕事を請けるのだから当然だ。日給計算だから、サボったら駄目だ!

 金沢八景駅に着いたので、働くサラリーマン達と共にホームに降りる。ああ、自由って素晴らしいよね?

 

 早く仕事を終わらせて自由気ままな自営業に戻りたいぜ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お早う御座います」

 

「お早う御座います」

 

「ああ、おはよう」

 

「「おはようございます」」

 

 上から僕・亀宮さん・滝沢さん・風巻姉妹だ。門をくぐり抜けると、既に皆さん並んでいた。僕を凝視してるので、思わず聞いてしまう。

 

「もしかして、僕を待ってました?」

 

「いや、丁度亀宮様が到着したので出迎えだ。安心しろ、貴殿を待ってない」

 

「ですよねー?」

 

 バッサリ滝沢さんに切られた、滅多切りだ。並んで玄関から仕事部屋に皆さんで向かう。

 途中で今日の昼食は外食する旨を伝える。亀宮さんが居ると、毎日高級な賄(まかな)いと言うか、上品な食事が出そうだからな……

 どうやら亀宮さんは暇なら毎日来そうな勢いだが、仕事無いのか?亀宮一族暇なのか?

 隣を歩く亀宮さんに、それとなく聞いてみる。

 

「亀宮さんが来てくれて嬉しいけどさ。今は忙しくないの?他の依頼とかさ?」

 

「仕事は幾つか抱えてますが、私が出張る程では無いみたいです。大体月に一回か二回ですよ、私が除霊現場に呼ばれるのは?」

 

 下部組織の手に負えない仕事を対応するって訳か……切り札的な当主に、ホイホイ除霊はさせないよね。

 確かに真打ちは後から来た方が、有り難みが違う。

 ふむふむと納得しながら部屋に入り机に座るけど、昨夜と配置が違ってる?昨日は確か、事務机が三つだった。

 僕用と少し離れて向かい合わせに置かれた、姉妹用の事務机だけだった。

 だが今は四つの事務机が向かい合わせて二組、計四つ有ります。因みに滝沢さんは入口近くに椅子が有り、座っている。

 立ちっぱなしなんてナンセンスだし、胡座や正座と違い椅子から立ち上がり行動に移すのは楽だ。

 護衛として、無駄に疲労する必要は無い。因みに昨日選り分けた資料の有る事務机が僕のだ。

 じゃ僕の向かい側は……当然だが亀宮さん用だよな?普通に座って此方を見ているし、やり辛い……

 

「じゃ、早速仕事を始めますか。先ずは一通り資料を読ませて下さいね」

 

 取り敢えず椅子に座り、選り分けた資料に目を通す。勿論、老眼じゃない眼鏡を装着して知的レベルを上げるのは忘れない。

 本来の僕の除霊スタイルは事前調査に力を入れる。まさに頭脳派霊能力者が僕の本来の姿なのだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 岩泉前五郎(いわいずみぜんごろう)

 

 1920年大正9年、愛知県生まれ。

 

 1945年昭和20年、終戦25歳。

 

 1947年昭和21年4月、第1回参議院議員通常選挙に無所属で当選。

 

 1950年昭和25年、結婚し同年第一子誕生。

 

 長男の岩泉廉太郎(いわいずみれんたろう)だ。

 

 1986年昭和61年、息子の廉太郎が政局入り。

 

 1993年平成5年、第40回総選挙で落選。

 

 自民過半数割れ、社会党惨敗の年だ。

 

 これを機に政治家活動を終える、73歳。

 

 そして2012年平成24年1月に亡くなり、今回の事件を引き起こす。

 

 うーむ、薄い、内容が薄過ぎる……政治家だから自身のホームページの経歴欄を確認すれば分かる程度の内容だな。

 念の為、早速用意して貰ったパソコンを起動。Google検索で、「岩泉前五郎 経歴」を入れて検索開始。

 

 hit数665件か、そこそこ有るな……一番上をクリックして、表示された内容と比較してみるが、殆ど同じだ。

 

「ねぇ?この先々代の経歴を詳しく調べてくれって頼んだけどさ。詳細ってコレだけ?」

 

 A4用紙をペラペラと振って聞くが、黙って頷かれた。亀宮一族の諜報担当なんだろ、大丈夫か?

 町場の興信所の方が断然マシだぞ。それに自分が公表する内容なんて、正しいのかなんて分からないだろうに。

 経歴詐称なんて当たり前だぞ。ペラペラな経歴書の用紙に、追加調査事項を書き込んで行く。

 

 先ずは……

 

 ①生まれた場所を詳しく。それと終戦迄に何をしていたか?学生時代から成人し、終戦に至る迄の行動の詳細。

 あの時代に五体満足なら必ず軍に所属してた筈だ。軍隊時代の事も詳しく。

 

 ②政治家になってからの詳しい経歴・実績だ。どの分野で権力を発動出来たかで動きが分かる。

 

 ③政治家を引退し亡くなる迄の約20年間に、何をしていたか?ここが一番怪しいと個人的には思う。何故、家族にも秘密を持ったのか?

 

 その秘密が今回の元凶だ。人の線、岩泉前五郎から追えるのは、先ずはコレ位かな?

 後は補足で亡くなった測量会社の連中だが、これは背景にヤクザや変な団体が絡んでないかの確認で良いだろう。

 被害者が彼等だけなら徹底的に調べるが、後続も被害に有ってるからな。彼等自体が原因とは考え辛い。

 

 次は土地から追う場合だが……

 

 Google earthを起動し、住所を入力する。「愛知県新庄市」うーん、山林と言った意味が分かる。

 山ばっかしだ……問題の場所の地図が確か、この辺に有ったな。

 

 机の上のファイルを漁る……

 

 コレだ、最初の被害者の発見された場所の拡大地図。地名は、谷川か。Google earthを操作し、地図を移動し地名を探す。

 

 有った、谷川!

 

 周辺も殆どが山で、地図上は稜線しか表記が無い。道の表記が無いが、当然国道や県道は無いのは分かる。

 だが私道位は無いと移動出来ないだろ?地図の縮尺を下げていく。

 詳細表示にすると、漸く道らしい二本線が……これが山道なんだろうが、車が通れるか徒歩専用かが分からない。

 最悪は登山道と考えて、現地までの移動は全て徒歩だな。

 

 逃走手段が限定されるのは、厄介だ……しかし周囲との境界が曖昧だな。

 

 何処から何処までが、岩泉氏の所有地なのか?何処までがセーフティーゾーンで、何処を越えれば襲われるのか?全く分からない。

 因みに周りの地名は、宮ノ前・宮の入・雨吹・海老……近くに釣月禅寺が有るな。

 その他で地図から読み取れる集落・神社仏閣・史蹟・名勝等々は無い。

 本当に山の中で有り、こんな所が開発されるのかと疑ってしまう場所だ……アレ?変に真四角と言うか、綺麗な長方形が四つ並んでるな。

 何だろう、拡大しても地名・名称表記は出ない。プールな訳が無いし、まさか建物?

 

 次は画面を写真に切り替えて確認するが……

 

「榎本さんって眼鏡を掛けると知的ですね。筋肉ムキムキなのに眼鏡が似合うって不思議……」

 

 思わず調べていたパソコン画面から視線を亀宮さんに移す。チラリと時計を見れば、30分以上放置プレイだ。

 流石に放ったらかしは不味かったかな?

 

「うん?老眼じゃないですよ。近眼なんです」

 

 クイッとフレームを人差し指で押し上げる。知的な仕草だろ?

 

「「似合わなーい」」

 

 即答かよ?一部分の女性陣には、お気に召さなかったみたいだ。今まで無言だった姉妹からの胸を抉る言葉。

 しかも事務机に顎を乗せているリラックス振り。朝から私はやる気は有りませんな状態だ……それと比較してクスクス笑う亀宮さんと滝沢さん。

 此方は好意的な感じもする笑い方だけどね。アウェーだ、この場所は僕にとってアウェーだ。

 

「亀宮さん、実は暇してます?」

 

 風巻姉妹は無視して、その雇い主に話を振る。

 

「えっと、ええまぁ……その無言で資料を調べる榎本さんを見てるのは楽しいのですが、私も何かお手伝いしたいなーって」

 

 お手伝い、善意なんだろうな。だが諜報部隊所属の姉妹がプラプラしてて、その組織のトップに手伝わせて良いのか?

 風巻姉妹に視線を送るが、合わせる前に逸らされた。

 

 うん、もう帰れ!

 

 亀宮さんの方に視線を送る。彼女の机にも、ちゃんとノートパソコンが有るな。

 

 ならば……

 

「亀宮さん、愛知県に伝わる伝説を調べてくれるかな?伝説とは、龍神伝説とか色々あるよね。

場所・年代・内容を纏めてくれれば良いよ。力有る存在を調べるのに、伝説って割とヒントになるんだ。

因みに今回の山林周辺は、愛知県新庄市。周辺の地名は、谷川・宮ノ前・宮の入・雨吹・海老だよ」

 

 メモ紙に地名を書き込み、亀宮さんに渡す。メモ紙を受け取り、マジマジと見る彼女。

 

「榎本さんは、今回の相手は伝説級のモノだと思うんですか?」

 

 それを調べる為の諜報部隊で有り、僕等の仕事なんだけどね。前回の丹波の尾黒狐クラスが原因なら、十分に胡蝶で対応出来る。

 彼女が美味しく頂いてしまうだろう。だが今回は、絞り込みすら未だの状態だ。

 

「いや、全然。可能性の一つだよ。

どちらにしても怨霊・悪霊・妖怪・まさかの荒神とか、絞り込む為の調査を今日から始めてるの!」

 

 これから調べるんです、特定するんです!

 

「「なら私達に指示は無いの?」」

 

 だらけていた姉妹だが、流石に仕える組織のトップが手伝うのだ。マズいと思ったのかな?

 元々やって貰うつもりで書いていた経歴書を渡す。

 

「これに書いた通りの事を調べてくれる」

 

 黙って受け取り但し書きを読む……そして姉妹で耳打ちしたり、此方をチラ見してクスクス笑っている。

 

 嫌な感じだなぁ……

 

 そして徐(おもむろ)に自分の事務机の引出からファイルを取り出した。

 

「はい、調べておいた」

 

 受け取って中身をパラパラと見る。確かに僕のオーダーした内容が、事細かく掛かれている。手書きの綺麗な文字だ……

 

「「昨日言われたから調べておいた」」

 

 前言撤回、亀宮一族諜報部隊大丈夫かと思ったが、どうやら中々の能力だ!

 

 

第147話

 

 風巻分家で調査初日から、風巻姉妹に弄られていると言うか……彼女達は完全に僕が嫌いらしい。

 言われた事はする。が、言われないとしない。

 うーん、だが渡されたファイルには、丁寧に手書きで詳細な報告が書かれている。このアンバランスは何だ?

 しかも内容は分かり易く、流石は諜報部隊の一員と感心させられた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「うん、良く纏まってるね。分かり易いよ……」

 

 頼んだ仕事に対して予想以上の結果が来た。ちゃんと誉めると言うか、評価しなきゃ駄目だ。

 

「「別に仕事だから、大した事は無い」」

 

 ツンデレ来ました、乙!まぁデレには発展しないから、ツンデレじゃないな。だが、一日で纏めた物ならば大した物だ。

 

 

 問題の岩泉前五郎(いわいずみぜんごろう)。

 

 1920年大正9年、愛知県志茂郡・字長岡の中里村の生まれ。岩泉溜吉(いわいずみためきち)の三男に生まれる。

 長男は既に流行病で亡くなっている。次男の欣治(きんじ)は5歳年上だ。

 次男も前五郎が12歳の時に、事故で亡くなっている。水死であり、台風の時に何故か氾濫中の川を見に行き流された。

 一緒に見に行った友人達の証言も有り、事故として処理された。

 子供時代は特段優れた物も無く、体格も運動能力も学力も普通か……

 

 「戦前の話だけど、どうやって調べたの?」

 

 100年近く前の話だし、彼等の親族に聞ける内容じゃない。そもそも目立つ事をしてないのに、記録が有るかどうか……

 

「岩泉前五郎氏については、前々から調べていたよ」

 

「中里村自体も既に統廃合を繰り返して、町名しか残って無かったわ。戦争中の空襲で住民はパラパラ。

だから周辺の町の古老を片っ端から当たったの。偶々、当時を知る人に会えて話を聞けたけど……

特に前五郎氏に対して記憶に残る出来事は無いそうよ。良くも悪くもね」

 

 なる程な……僕に渡された資料は抜粋か。実はもっと膨大な調査報告が有るのだろう。

 淀みなく答える彼女達の評価を一段上げる。しかし過去を知る連中が少ないと調べ様が無いな。

 まだ有名にならない子供時代の事なんて、親類縁者しか知らないだろう。そして僕等は聞ける立場に無い。

 中里村自体も既に無いとなると、幼年期の事を調べるのは絶望的。だが、流石に少年時代では事件にも関係無さそうだ。

 

 問題は無いかな?

 

「良く調べてるね。もしかして、亀宮さんに頼んだ伝説系の事も調べて有るの?」

 

 もし調べて有るなら、亀宮さんには悪い事をした。二度手間だし、あくまでもインターネットでの調査だ。

 彼女達が調べてるなら精度が違うだろう。亀宮さんの立場が無い。チラリと彼女を見ながら聞いて見る。

 亀宮さんが特に気を悪くした様子は無いのが救いだ。

 

「ううん、調べて無いよ」

 

「正確に言えば、山林その物自体は調べました。伝説・言い伝えの類ですけどね。

ですが何も出ませんでした……そこから調査範囲を県内全域に広める必要が有りますか?」

 

 妹は端的に、姉が詳細を報告してくれる。兎に角、亀宮さんに無駄な事をさせなくて良かった。

 

 一安心だ……

 

「でも愛知県全域って、調査範囲広くない?」

 

 風巻妹が初めて僕に話し掛けてきた、いや質問だけどさ。

 

「そうかな?これは僕の経験則だから、確証は無いけどね。でも調査範囲は出来るだけ広く、それから絞り込む物だろ?

3キロ圏内の山林周辺だけど、今は立入禁止と言うか近付けない。

だけど必ず周りに痕跡は有ると思う。アレだけの力の有る奴が、狭い場所にずっと潜んでいられると思うかい?」

 

「人を殺して運べる奴が、今まで誰にも知られずに居られるかって事?でもその場で死んで怨霊化だったら?」

 

「又はソレが憑いた物を運びこんだら?本家の壷とか、曰く付きの品物の可能性は?」

 

 体を此方に向けて長期で話す体勢になってる。この討議は長くなるのだろう……つまり納得する迄、続けるつもりかな?

 だが、風巻姉妹の質問はもっともだ。

 

「その可能性は有るね。だけど、それは岩泉前五郎を調べていけば分かるだろ?

それは土地じゃなく人の仕業だ。彼が誰かを殺したのか、何かを持ち込んだのか?

殺して捨てたら彼の周りで誰かが行方不明。物を持ち込むなら、そんなヤバい物を人知れず手に入れられる訳が無い。

必ず痕跡が有り入手ルートを調べられる。だが……僕なら自分の土地に、そんな厄介なモノを持ち込まないな」

 

 幾ら秘密にしたいとは言え、自分の土地に持ち込み家族にも怪しまれる様に立入禁止にした。

 バレたら怪しんでくれ、犯人は自分だと思われる危険を政治家が犯すか?人知れず処理する連中とだって知り合えるだろう。

 

「分かった。では、土地の調べ方だけどどうするの?愛知県全域の伝説・言い伝え・噂話を洗い出して検証するの?」

 

「でも検証と言っても、関連性が分からないよ?どうやって繋がってるのを調べるの?」

 

 確かに調べ上げた事が、本件と関連してるかなんて分からない。しかし、この討議に亀宮さんはニコニコと頬杖をしながら見てるだけだ。

 確かにゲスト扱いだから、調査方針に参加する必要はないが……何故か照れ臭い。

 

「情報を摺り合わせるしかないよね。僕は土地を調べて貰うけど、単体で特定するつもりはないよ。

岩泉前五郎氏の過去と関連性が有るかを調べるんだ。

まぁ全く関係が無くて、君達が言った無関係のモノを持ち込んだかも知れない。

でも可能性は消せる。そんな地道な作業が調査だろ?だが、諜報は一歩踏み込むよね。

僕の下では直接乗り込んで諜報活動はさせないよ。少なくとも相手を特定して対策を考える迄はね。

危険な事は出来るだけやらない。やるにしても危険度を下げないと駄目だ」

 

 諜報活動って、結構危ない事もするよね?例え非合理的な事も、やりそうな感じだ。

 だが、僕は少なくとも法に則った方法で始める。無茶をするのは必要になってからだ。

 

「うーん、見た目筋肉なのに見掛け倒し?」

 

「そんな弱気では、亀宮様を任せられませんよ」

 

 何だろう、姉妹で変な方向に向かった発言だが?だが、彼女達の表情は真剣で茶化す感じはしない。

 つまり彼女達は、僕に007みたいな活躍を希望し、亀宮さんをボンドガールみたいに扱えと?

 

「諜報部隊の風巻一族と、民間調査事務所の僕とでは、仕事に対する前提が違うのは分かるかい?」

 

「「前提?同じでしょ?」」

 

 何だろう、この反応は?やはり僕が考えている事と同じなのか?ここは、思い違いの無い様に言っておかないと駄目だな。

 

「えっと、多分お互い勘違いが有るかもだから確認するよ。僕が亀宮一族……ご隠居が経営する若宮不動産と契約した。

内容は岩泉一族の所有する山林の怪異現象の調査。民間企業が民間調査事務所に依頼したんだ。

分かるかい?

契約書の存在した仕事はね、法に則った進め方をするの!非合理な事や調査員を危険に晒す事はしない」

 

 この仕事は公にしても、建て前上は問題無い様にしなければ駄目なんだ。

 

「呆れた!そんな気持ちで仕事するの?」

 

「そんな弱腰では困ります!もっと前向きに」

 

 やはり、僕と彼女達では、気持ちにかなりの温度差が有ったな。

 僕は依頼された仕事、彼女達は一族から命令されてるし人一倍使命感が高そうだ。

 だから、僕に対して態度が悪いのか……

 

「弱腰結構!そもそも弱腰って何だ?

死ぬ確率が高い無謀な捜査とかが強気か?訳の分からない連中を相手に、碌な調査もせずに突撃しろってか?」

 

「気構えの問題です!」

 

「尚更だ!安全を無視した心構えで仕事が出来るか!」

 

「姉様、臆病者に何を言っても無駄だよ。コイツ、見掛け倒しの弱虫だよ」

 

 流石にイラッと来たので言い返そうとしたら、亀宮さんから物凄いプレッシャーが……

 恐る恐る見ると、髪の毛がフワッと怒りのオーラで盛り上がっている。しかも目がね、笑ってるし表情も穏やかなんだけど……

 何だろう、今僕は怖いと感じている。

 どんな連中にだって勝てないと分かっても、此処まで恐怖心は無かったのに……

 

「佐和、美乃。

榎本さんを愚弄する事は、私が許しません。彼は必要な時は、必要以上に勇敢なのです。

弱腰?弱虫?貴女達は敵意を露わにする我が一族に、単身で乗り込めますか?

そして打ち勝てますか?」

 

「それは……私達は武闘派じゃないから」

 

「そうです、亀宮様。榎本さんの力は認めるけど、気構えが……」

 

「お黙りなさい!

彼は私と敵対しない為だけに、此処に居てくれるのです。断る事も出来たし、私の夫として一族の頂点に君臨する事も出来るのにです。

亀ちゃんが、勝てないと降参する程の力をお持ちなのですよ。そもそも彼の仕事の進め方は、慎重・安全・確実です。

寧ろ弱腰なのは、多人数で彼に襲い掛かる我が一族の連中です。そして、それを悉く去なした榎本さんは強いのです。

忘れては駄目ですよ、私達は彼の情けで生きているのですから」

 

 何か、凄い勘違いが絶賛進行中です。亀宮さん、貴女は僕を何だと思ってますか?

 情けで生きているなんて、そんな凶悪な奴だと?ほら、二人共驚いたを通り越して真っ青だ。

 

「いや、僕はそんな事は……」

 

「それに榎本さんは、調査が終われば先陣切って突撃しますよ。八王子でも、そうでした。

入念に調査し、トドメは自らが迅速に……

そしてイレギュラーな事態も、力押しで解決出来る力が有るのです。そうですよね?」

 

 嗚呼、君は笑顔で僕を死地に追いやるんだね。純粋無垢な瞳は、薄汚れた僕には耐え難い。

 思わず脱力してうなだれてしまう……

 

「亀宮様、あの噂って本当なんですか?一族の呪術部隊が全滅し、若手武闘派で最強の野田が壊されたって……」

 

 笑顔で頷く亀宮さん。君の笑顔が憎らしく思える僕は異常か?

 

「寝るのに邪魔だからって、厳重に封印した邪悪な壷を簡単に祓ったのも?」

 

 此方も笑顔で肯定した。確かに間違っちゃないよ。

 でもさ、もう少し……こう、何ていうか……僕に優しくしても罰は当たらないよね?

 

「私は目から鱗でした。亀ちゃんと言う霊獣の加護を過信して、調査をおざなりにしていた事を。

そんな慢心した私を叱ってくれたのも、榎本さんなんです。だから、彼を馬鹿にする事は許しませんよ」

 

「ごめんなさい。私達が悪かったよ」

 

「ごめんなさい。噂が信じられずに、傲ってたみたい。それ程の力が有りながらも慎重なんですね」

 

 ほら、最悪な勘違いが進行した。この流れだと、僕は調査が終わったら……率先して怪異現象に立ち向かわないと駄目じゃん。

 分かれば良いのです、とか笑ってる亀宮さんが……いや、彼女は純粋にそう思ってるんだ。

 

「そんなに固く考えずにさ。調べるだけ調べてから、行動に移すで良いだろ?僕等には時間が有るんだ。慌てる必要は無い」

 

 このまま亀宮さんの話を否定しても、拗れるだけでメリットが何も無い。ならば、話をまとめて調査重視の方向で進めるしかあるまい。

 溜め息をつきたいのをグッと我慢する。

 

「すまない、榎本さん。事情が変わったので、悠長にしてられなくなった」

 

 僕が話を纏めようとしたら、突然風巻のオバサンが部屋に飛び込んで来た。

 

「事態が変わったとは?」

 

 嫌な雰囲気だが、話を聞かないと進まない。仕方無く、話の先を促す。

 

「それが……岩泉廉太郎氏が我らを呼び出した。他にも呼ばれた連中は居る。

どうやら我慢出来ずに、複数の霊能力者を集めたみたいだ。亀宮様と共に向かって欲しい」

 

「なっ、ナンダッテー?」

 

 また小原氏の時と同じ状況になるのか?いや、前回より全く情報が無いぞ。

 だが、先程の話の流れから、僕は亀宮さんと同行するしかない。

 

 ピンチ、大ピンチだ!

 



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第148話から第150話

第148話

 

 風巻のオバサンが知らせてきた凶報。それは事前準備・調査をしっかり行う予定だった我々を嘲笑うかの様なモノだった。

 危険を承知しながら、しかし待てないからと我々を呼び出して直ぐに現地調査をしろってか?

 しかも同業者と競わせるらしい。全く権力者ってのは、下々の予定なんて関係無いんだな。

 しかし問題は山積み、僕はその話の前に亀宮さんから散々持ち上げられた。

 

 だから現地調査には同行するしかない、よね?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 調査報告は一旦止めて、今後の対応を話し合う。場所も作業場から応接室に移動した。

 話の中心は、風巻のオバサン・亀宮さん・それに僕だが、風巻姉妹と滝沢さんも同席している。

 取り敢えず気持ちを落ち着ける為に紅茶を配って貰った。大問題故に、ご隠居の婆さんもコッチに向かっているそうだ。

 ある程度は、話を纏めておかねばなるまい。

 しかも現地顔合わせは明日だから、今日中に調べて貰った事を引き継がねばならない忙しさだ。

 

「私達も同行しますよ!」

 

「そうだね、此処で調べるか向こうで調べるかの違いだけだからね」

 

 風巻姉妹も同行を希望してる様だが……

 

「同行は駄目だ。君達は直接先方には会わせないよ。名古屋市内に拠点を設けて、此方の指示で動いて貰う。

現地対応ともなれば、ある程度の危険を自分で対処しなきゃ駄目だろ?今回は、そのある程度がヤバいんだ。

君達には荷が重い。だから亀宮さんと僕、それと……実働部隊を何人かだな」

 

 彼女達は諜報部隊故に、戦闘・防御に向かない霊能力者だ。問答無用で殺しに来る連中には、対抗出来ない。

 

「実働部隊は壊滅しておる。

すまない、榎本さんを責めてはいないが、ウチの一線級の呪術部隊は全員貴方に返り討ちにあい入院中なのです。

武闘派の連中は対人専門ですから、怨霊・悪霊の相手は出来ません」

 

 風巻のオバサンの言葉に、思わず頭を抱える。確かに呪術的な力がないと対処出来ないな。

 胡蝶の下痢地獄は、効力は一週間。しかし下痢で著しく体力を損なった連中が、戦線に復帰するのも同じ位は掛かるだろう。

 

「つまりは、僕と亀宮さんだけか……だけど対人対処に何人か欲しいな。

同業者と競うなら、荒事専門の連中も使い道が有るからね」

 

 お互いライバルだから、話を円滑に進める為にもハッタリの人数は必要だ。そう、僕の盾となる連中が!

 勿論、亀宮さんを守る肉の壁でも有る。

 

「ふむ、肉の盾だな。確かに手駒は必要ですね。分かりました、滝沢を付けます」

 

 いや、全然分かってないですよ。滝沢さんは確かに武術の心得は有ると思う。

 

でも肉の壁には足りない、全く容積が足りない!それに彼女では、僕は非情になりきれない。

 傷付けても良心の痛まない連中が欲しいんです。

 

「文字通りのゴツい連中が欲しいんですよ。滝沢さんでは、圧倒的に筋肉が足りない。僕が欲しいのは、亀宮さんを守る肉の壁です」

 

 それと僕を周りの目から守る生贄です!

 

「肉の壁って自分が適任者じゃない?」

 

「そうです!貴方以上の肉の壁は居ませんって。

何たって鉄板を仕込んだ蹴りを受けて無傷じゃないですか。人間やめてますよね?」

 

 有り難く無い評価を頂きました。やはり、風巻姉妹は僕が嫌いなんだな。

 

「いやいやいや、一寸待て。僕が言ってるのは、対人の守りだ。ライバルが居るんでしょ?

これを機に仕掛けてくるかもしれない。

四六時中、僕が亀宮さんにへばり付くのは無理だし、逆に僕が手を出せば暴行容疑を弱みに引き抜きとかもね。

だから、酷い言い方だけど尻尾切り可能な連中が欲しい。問題を起こしたら、直ぐに引き上げられる連中をね。

勿論、滝沢さんは従来通り亀宮さんの護衛で」

 

 滝沢さんから、凄い怨みの籠もった目で見られた。彼女の仕事を奪う訳にはいかない。亀宮さん付きの護衛だし、女性ならではの場合も有る筈だ。

 

「私は常に亀宮様の傍にいます」

 

 ほら、同行に同意したら表情が柔らかくなった。最悪の場合は本末転倒だが、彼女は亀宮さんが守るだろう。

 

「しかしアレだな。

私達は嬉しいが、アレだけゴネて契約書まで結ばせたのに、いざという時は同行は拒まないのだな。

力は有るのに逃げばかり打つ情けない奴と思っていたが、やる時はやるのだな。見直したぞ」

 

 バンバンと僕の背中を叩く滝沢さん。風巻姉妹も和やかな目で僕を見ているのだが……条件については、改めてご隠居の婆さんと結びますよ。

 

「ヤレヤレ……状況は何時も何時も想定の斜め上だな。

最悪を想定したのに、軽々と飛び越えるし。亀宮さん、頑張ろう」

 

「ええ、私達なら大丈夫ですよ。私と亀ちゃん、それと榎本さんの……」

 

「エヘンエヘン」

 

 亀宮さん、サラッと胡蝶の事をバラそうとしなかったか?エヘッって舌を出して軽く頭を叩く仕草をしても、誤魔化されないぞ!

 テヘペロかテヘペロなのか?

 可愛いモノが大好きな彼女は、何とかして胡蝶に触りたいのだろう。これから日本の霊能力者達が集まるんだ。

 余程注意しないと、胡蝶の事が広まる。完全に悪と言うか、善玉な存在じゃないからな。

 バレたら良い事にはならないだろう……

 

「御隠居様が到着致しました」

 

 使用人の方が声を掛けてくれた後、直ぐにご隠居の婆さんがやって来た。あれから1時間も掛かってないから、相当急いだんだな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 打ち合わせは仕切り直しになった。各々に新しい紅茶が配られ、茶菓子として鎌倉銘柄鳩サブレが配られた。

 修学旅行のお土産の定番だが、味は悪くない。バター風味が強く野暮ったいながらも美味な菓子だ。

 ご隠居の婆さんを加えて7人、僕・亀宮さん・風巻のオバサンと姉妹・滝沢さん、そしてご隠居の婆さんだ。

 暫くは紅茶を飲んで、気持ちを落ち着ける。誰が打ち合わせを進行するかだが……

 

「榎本さん、状況が変わったのはご存知だと思いますが」

 

 どうやら、ご隠居の婆さん自ら話を進めるらしい。

 

「ええ、まさかの現地召集ですね。だが、我々は行かねばならない。先程、風巻のオバ……

風巻さんとも話しましたが、召集に応じるのは亀宮さん・滝沢さん・僕と、肉の壁……

じゃなくて武闘派の連中を数人。風巻姉妹は名古屋市に拠点を設けてバックアップ。こんな感じで下話を進めてました」

 

 いかん、本音が微妙に漏れてしまったかな?ほら、オバサンと呼ばれた風巻さんが微妙な表情だ。でも40代後半位か、もう少し上だろ?

 

「物凄く本音が混じってなかったかな?肉の壁とは?いくら我等でも、一族の連中を使い捨てには出来ぬぞ」

 

 やはりソコを突っ付いてきたか……亀宮一族は、本当に結束力が高いんだな。

 不信な顔の風巻姉妹の誤解を解く為にも、本音と建て前を使い分けるか……

 

「文字通り、亀宮さんを守る肉の壁ですよ。今回の召集には、亀宮一族のライバル連中が来るんでしょ?」

 

「ああ、召集された連中の中にはな。我等亀宮は関東から東北から北海道を勢力下においてます。

加茂宮(かもみや)一族が関西から中国地方一帯ですね。新興勢力の伊集院一族は九州を完全に、四国の粗方を勢力下においています。

今回は加茂宮の縄張りなのだが、岩泉の現当主は強欲で有名だ。早くあの地が金に変わる様にしたいのだな。

成功報酬に五億円を提示した。我等御三家以外からも来るだろう」

 

 五億円かよ?

 

 宝くじでも当てないと庶民には関係無い金額だな。だが、強欲だが金払いが良いのが問題だ!

 多分だが、道理も理屈も通じないし除霊にも口出しをするだろう。

 

 最悪の依頼人だ……

 

「それはそれは……ならば尚更な事、他の霊能力者達から亀宮さんを守る為に武闘派の連中は必要だ。

ハッタリでしかないが、対人対応は出来るでしょ?

僕は除霊は協力しますが、派閥・権力争いには干渉しませんよ。もしも巻き込むなら……捨て身で戦うぞ」

 

 最後の部分は念を押しておかないと駄目なので、殺気を込めた。

 そして常に僕の状態を監視中の胡蝶が、左手首の中から凄いプレッシャーを掛けてくれたんだ。

 亀ちゃんが反応して具現化し、風巻姉妹は顔を青くした。実際は否応無しに巻き込まれるだろう。

 相手は僕の事も調べてるだろうし、必ずチョッカイを掛けてくる。

 だが、その責任をご隠居の婆さんに持って貰わねば、良い様に扱われてしまう。

 だから此処は妥協する訳にはいかない。

 僕(と胡蝶)のプレッシャーを正面から受けている、ご隠居の婆さんと風巻のオバサンだが……流石は亀宮一族の裏トップと諜報部隊の長。

 額に汗が浮いているが、見事に耐えている。

 

「正明、奴が否と言ったら喰うぞ!問答無用で喰らってやろうぞ」

 

 頭に響く胡蝶の声に、思わず賛同しそうになる。僕は……ご隠居の婆さんを、亀ちゃんごと……喰いた……い?

 いやいやいや、何を考えているんだ?頭を振って不穏な考えを掻き消す。何故、僕はこんなにも凶暴な考え方を?胡蝶の影響なのか?

 

「そうだ、正明。我と汝は一心同体、我は少しずつ正明に混じり初めておる。故に我の考えに感化されるのだ」

 

 周りを放っておいて、脳内会話を……アレ?胡蝶が応えたぞ!確か念話って一方通行じゃなかったか?

 

「榎本さん、プレッシャーを抑えて下さい。勿論、私達は貴殿を巻き込むつもりは無い。

変更契約書も希望の物にて取り交わしましょう。報酬も半分お渡しします!

ですから、是非とも助力を賜りたい。

その溢れる力!禍々しくも神々しい。流石は亀様が認めた御方だ」

 

 顔を引きつらせながらも、好条件を提示してきた。除霊作業まで含む契約にして欲しいと……こんなにも譲歩するとは、完全に怯えさせてしまったか?

 ヤクザ同然の厳つい僕と、人外の化け物の胡蝶のプレッシャーだ。こんな危険人物じゃ、亀宮さんも……

 

「いや、その……すみません」

 

「大丈夫、大丈夫ですよ。榎本さんが怒るのは当然ですから」

 

 何時の間にか隣に居る亀宮さんが、僕の左腕を握り締めている。亀ちゃんが僕の右肩を甘噛みしている。結構痛いのだが、落ち着けって事なのか?

 

「亀宮さん、有難う。亀ちゃん、落ち着くから噛まないでくれ。結構痛いぞ」

 

 亀ちゃんが、一回口を開けて威嚇してから亀宮さんに巻き付いた。やんわりと亀宮さんの手を離す。とても恥ずかしい状況だ。

 

「ふむふむ、亀宮様と亀様に相当懐かれましたな。いやはや、榎本さんの力の源は……」

 

 ご隠居の婆さんは、僕の左手首を見詰めている。異種の霊力が漏れているから、怪しいと思ったか?

 落ち着く為に紅茶を飲み干す。すっかり冷えた紅茶だが、気持ちを落ち着かせる事は出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「いやはや、あれ程の力を持っているとはな。しかも荒々しい殺気だった。本気で喰われるかと思ったぞ」

 

「全くです。我が娘達に散々弱腰・弱虫とか言われても涼しい顔でしたが、内に秘めた怒りは相当ですな」

 

 先程まで居た男を再評価する。何が躾の行き届いたクマさんなモノか!

 あれは凶暴な人喰い熊だ……明日は名古屋まで行かねばならない。

 なので早めにお開きとし、明日の朝に自宅まで迎えに行く事にした。それ迄に契約書を作り直すそうだ。

 我々は奴の希望通りの契約を結ばねばならぬ。だが、それでも奴の力を利用出来るなら安いものだ!

 

「しかし、亀様の甘噛みですが……アレは気に入った者に対する仕草の筈です。

彼は亀様に認められた。さてさて、どうしますか?」

 

「どうにもならないな。我々が動くと悪影響にしかならん。

だが、加茂宮も伊集院も奴の事を調べてはいるが……あれ程の者とは思うまい。

亀宮様に任せれば、我々が何もしなくとも大丈夫だろう。亀宮様の為なら奴は動く、動かざるを得ない筈だ。

面白くなるぞ。

三竦みのパワーバランスは壊れた。我々が一歩リードしたのだ!」

 

 亀宮様が居る限り、奴は我々と共にあるのだ。これほど力強い事はないな……

 

 

第149話

 

「そうですか?愛知県まで出張除霊とは大変ですね」

 

「榎本さん、最近仕事し過ぎ。少しは休まないと駄目」

 

「私は一人でも大丈夫です。お留守番は慣れてますから……」

 

 上から魅鈴さん・静願ちゃん・結衣ちゃんだ。明日から暫くは愛知県の方に出張除霊だから、留守の間を小笠原さんにお願いした。

 一応社会人の魅鈴さんだから、社会的な大抵の事は大丈夫だから。流石に中学生の結衣ちゃんでは荷が重い事も有るかもしれないからね。

 どんなにしっかり者でも未成年には違いない。更に三人には陰ながら護衛も頼んで有る。

 前回同様に高田調査事務所に頼んだ。前回と違い三人だから人数は多目だけどね。

 ローテーションを考えると五〜六人位になるだろう。今回の件は、派閥・権力争いが関係しそうだ。

 

 だから念には念を入れる。

 

 まさか人質なんて?とか思うかもしれないが、欲望に忠実な連中だと十分に考えられるから……

 美女・美少女ばかりだから、攫われたりしたら大変な事になる。費用は亀宮一族のご隠居の婆さん持ちだ。

 亀宮一族から護衛をって話しも有ったが、彼等自体が信用ならない。

 下部構成員からは、自分達から亀宮さんを奪った奴。権力に固執してる連中からは、自分達の既得権を脅かす奴。

 兎に角、亀宮一族は絶賛僕に敵意を抱き中だ!どこかで回復しないと、致命的な事になると思うが……

 今は亀宮一族の益になる様に実績を積むしかない。

 風巻のオバサンは一応信用してるから、奴等の抑えともしもの時の対応をお願いした。

 

 対価は娘二人の安全。

 

 一応、僕預かりになっている諜報部隊所属の風巻姉妹に、危険な事はさせない事で合意した。

 失敗即死亡な今回の除霊は、十分な注意が必要だから……これからの事を頼む為に、小笠原母娘を夕食に招待した。

 お店は葉山の日陰茶屋。平日の為か予約が取れたので、一番高いコースを頼んだ。

 お願い事だから、それなりのお礼を込めてなんだが、結衣ちゃん的には普段と同じだから必要無いと思っていそうだ。

 やんわりとだが、否定の言葉もチラホラだしてるからな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 流石は日本有数の観光地で有る鎌倉・葉山の近く、高級住宅地に店を構える日陰茶屋!

 料理も本格的だ。食前酒に、あら絞り蜜柑酒。

 先付けが、浸し田楽で具材が冬瓜・茄子・蕗・棒蟹。

 前菜に、石川小芋・海老黄身寿司・鮎南蛮・鬼灯とまと・紫陽花に見立てた煮凝り。

 御造理が、舟盛り。

 金目鯛・まぐろ・甘海老・鯵・イカその他地場の魚数種類。ツマの大根と海藻は、特製ドレッシングで食べる。

 台の物は、金目鯛のしゃぶしゃぶ。

 それに季節の野菜をポン酢と胡麻ダレで食べる。

 煮物が、三人で金目鯛の煮付けを一尾。これは30㎝は超える大物だ!

 

 取り分けは結衣ちゃんが仕切るだろう。何故なら、一番料理上手だからだ。

 

 それに、ご飯・味噌汁・香物が付く。魚尽くしだが、味もボリュームも申し分無いだろう……

 因みに若い二人に和食ばかりでは何なので、葉山牛のカットステーキを300g程追加で頼んだ。

 

「それで今回は愛知県と言う事ですが、何日位を予定してるんですか?」

 

 前菜の鮎南蛮を上品に食事をする魅鈴さん。箸の使い方が艶っぽい。無意識で媚びと言うか、女性らしさを出す人だ。

 僕はロリだから全然大丈夫だけど、普通なら彼女の魅力にクラクラ?物を食べる女性がセクシーだと良く言われるが、なる程と思う。

 所作や口の動きの事なのだろう。流石に和服美人は作法も完璧だ。

 何故か小笠原母娘は着物姿で来ている。何故、食事をするのに着物姿なんだ?

 動き辛いし汚れたら大変だし、帯がキツくて沢山食べれないんじゃないか?

 そこは空気を読んで質問はしていない。きっと見栄……いや、女性の心の機微なのだ!

 

 結衣ちゃんは、桜岡さんが見立てたワンピースを着ている。

 誰を誉めても問題になりそうなので、衣装に関しては全てスルーだ。因みに僕はジャケットにチノパンだ。

 妙に浮いているが気にしない……

 

「今回も前回の八王子同様、複数による除霊作業になります。だけど前回と違い協力体制は無さそうですね。

日本有数の派閥が揃い踏みですから、どちらかと言えば相手を出し抜く感じ?だから出た所勝負ですかね……」

 

 実際に皆さんと顔を会わせないと、どうやって進めるかも謎だ。共闘するか競争するか……

 だが、結衣ちゃんのGWの予定の日程は確保するつもりだ!

 

「加茂宮に伊集院、それに亀宮が揃えば呪術団体の最大手が揃い踏み。御三家は仲が良くないのです。榎本さん、十分に注意された方がよろしいですわ」

 

「そんな危険な仕事なんですか?」

 

「榎本さんなら大丈夫」

 

 魅鈴さんは流石に業界人だけあって詳しいな。もう少し話を聞いてみるか……

 

「仕事は何時も危険だ。そのリスクを減らす努力をしてるんだよ。

勝率が上がる迄は手は出さないから大丈夫。魅鈴さん、他の二家について知ってる事が有れば教えて下さい」

 

 結衣ちゃんに安心だから、大丈夫と声を掛けておく。どちらかと言えば、権力抗争に巻き込まれないか君達の方が心配なんだ。

 だから護衛を付けるんだよ。何気なさを装う為に、料理に手を出す。

 

 うん、鮎南蛮は美味いな。輪切りにした身に、酸味が良く絡まっている。

 

「割と有名ですが、加茂宮は京都を中心として関西圏に根強い勢力を誇っています。

彼等は陰陽師の末裔と言われてます。

現当主は加茂宮保(かもみやたもつ)。式神使いと言われています。ですが、最近になって代替わりをしたみたいですが……

その情報は不明確でして、複数の子供達に譲ったとか?

伊集院は九州と四国を中心とした一族です。此方は戦国武将である島津氏の家臣であった、伊集院一族の末裔らしいです」

 

 島津の伊集院と言えば、信長の野望をプレイした連中なら必ず知っている。武勇に秀でた一族だと思うけど、そんな連中が呪術組織を?

 イメージが合わないな。

 

「島津氏と言えば勇猛果敢な戦国武将として有名ですよね。そんな連中が呪術を操る一族なんて不思議ですね」

 

鬼島津とか薩摩隼人とか、勇猛果敢で無骨なイメージなんだけど……

 

「伊集院一族は、確かに島津氏に仕えていた有力な武将です。しかし本藩人物誌に伊集院忠棟は国賊と書かれてます。

武勇を尊ぶ島津氏の中で、彼は卑怯者・臆病者と書かれてます。

それに忠棟の一族は滅亡したとされていたので、近年迄は誰も調べようが無かったのも災いしたのかと……」

 

 本藩人物誌ってアレか?島津藩の公文書っぽいヤツじゃなかったかな。

 

「卑怯者・臆病者とは随分な言い様ですね」

 

 公文書に記録が有るなんて、伊集院一族は有力な武将を何人も輩出してるし、余程の事をしないと無理じゃないか?

 

「秀吉に早くから降る様に進言したり、軍規違反も多かったとか……実は呪術団体としての伊集院は近年に頭角を表した一族なのです。

だから詳細は不明ですし、本当に伊集院忠棟の末裔なのかも分かりません。自称の域を出ませんが、その力は確かな物です」

 

 箔付けの自称なら問題は無いと思う。何となく思い出したんだが、伊集院忠棟って確か覚えが有るぞ。

 熱心な一向宗門徒で、石川本願寺に乗り込んで親鸞聖人の木像を強奪した困った人だ。

 

 在家には決まりで渡せないから無理と、丁寧に断られると「武士の面目が立たぬ!ならば腹を切る!」と脅して、親鸞聖人の手製とされた木像を貰ったんだ。

 

 すると伊集院の名を継ぐなら、一向宗関係か?

 

「伊集院一族の力とは?」

 

 魅鈴さんに更に聞いてみる。

 

「密教系の術を使うそうです。現当主は、伊集院阿弧(いじゅういんあこ)と呼ばれてます。

ですが、中々人前には現れない様ですよ。但し、その霊力は強力で幾つもの難事件を解決しています。

また新参者故に一族には跳ねっ返りが多く、他の勢力とトラブルも絶えないとか……」

 

「新規参入の上に協調性が無い。但し強い力を持つ、ね……いやはや大変に難儀な一族ですね」

 

 魅鈴さんも呆れてるし、コイツ等は注意が必要かもしれない。

 

「お待たせ致しました。舟盛りです」

 

 大きな舟盛りを見ると、真面目な雰囲気が少し和らぐ。1mは有ろうかと言う見事な木製の舟の上には、綺麗に各種刺身が盛られている。

 金目鯛は尾頭付きだし、伊勢海老も同様に二尾程乗っている。流石は別途注文だけの事は有るな……

 

「凄い、まだ動いてる」

 

「お刺身が沢山……食べ切れるでしょうか?」

 

 それでも箸を構えている二人は、お魚好きなんだろう。魅鈴さんはニコニコ笑っているだけだから、量は食べれないんだな。

 未だしゃぶしゃぶと煮付けも来るし、桜岡さんと一緒の時の癖が出たか?どうにも大量に頼む癖が付いたか?

 

「難しい話は終わりにして、料理を楽しもうか?」

 

 ビールが飲めないのが残念だが、送迎込みだから仕方無いよね。無理をしてでも完食せねば、勿体無いお化けが出てくるから……

 コーラで喉を潤してから、舟盛りに挑む。金目鯛と真鯛は湯引きして身が締まって美味そうだ!

 鮪も中トロ・赤身と有り、外に鯵や鮃と種類が豊富。美少女二人は伊勢海老の活き作りに夢中みたいだ。

 未だ動く触角とかを触っては、嬉しそうに騒いでいる。美女と美少女に囲まれた、楽しい夕食の一時を過ごす……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 楽しい夕食を終えて、夜のドライブと洒落込んだ。

 

 日陰茶屋を出てから逗葉新道を通って横浜横須賀道路に乗り、高速道路をひた走る。

 80kmのスピードで流れる夜景は、それなりに綺麗だ。助手席には、魅鈴さんが座っていた。

 何故ならば、助手席に座るのを結衣ちゃんと静願ちゃんが言い争っている間に、ちゃっかり座ったからだ。

 

 お陰で結衣ちゃんの機嫌が悪い。

 

 うーむ、小笠原母娘と結衣ちゃんは混ぜたら危険なんだが、呪術的な事で頼めるのは桜岡さんが居ない今は……早く帰ってきて欲しい。

 

「榎本さんは、GWのご予定は有るのですか?」

 

 ニコヤカに何かと話し掛けくる魅鈴さん。その度に結衣ちゃんが会話に参加してくる。

 つまり邪魔をしてるのだが、可愛い嫉妬と思い気にしない。

 

「正明さんと私は、旅行に行くんです!温泉でゆっくり日頃の疲れを癒やすんです!ねぇ、正明さん?」

 

「そうだね。GW中、三日間位は休みを取ろうと思う。だから近場だけど、何処か温泉に行く予定なんですよ」

 

 日程が決められないので、宿の予約は未だだ。だが基本料金の高い高級旅館やプランは、未だ空きが有る。

 只でさえ行楽シーズンで割高なのに、更に高い料金設定だが結衣ちゃんの為なら平気だ。

 

「まぁ温泉!良いですわね。私達も丁度温泉にでもと話してまして。ねぇ、静願?」

 

「うん、温泉大好き!榎本さん、一緒に行こう」

 

 親子でコンビネーションアタック?いや、しかし……

 

「駄目です。私達の邪魔はしないで下さい。正明さんには癒やしが必要なんです。小笠原さん達と一緒では、気が休まりませんから」

 

 申し分なさそうな感じだが、バックミラーで確認する結衣ちゃんの顔は無表情……少し怖いです、はい。

 

「まっ、まぁアレですよ?その、男1女3では部屋割りも大変ですからね」

 

「四人一部屋でも良いよね、お母さん?」

 

「あら、保護者と子供達で二部屋でも良いですわ」

 

「駄目です、余計に駄目!特に魅鈴さんは独身なんですよ。そんな男女が同じ部屋なんて駄目です」

 

 確かに世間的に未婚の男女が同部屋は駄目だ。例えバツイチでも世間からみれば、大変宜しく無い。

 僕は全く魅鈴さんに女性としての魅力を感じてないが、状況証拠は真っ黒。責任を取れって言われたら、反論は出来ない。

 

「結衣ちゃん、意地悪だ。私も榎本さんと旅行に行きたい」

 

「あらあら、静願?実の母親の前で大胆ね。婚前旅行は認められないわよ。貴女は未だ学生なんだから」

 

 ヤバい、車内がグダグダになって来たぞ……

 

 

第150話

 

 愛知県の除霊現場に行く為に、留守番の結衣ちゃんの事を魅鈴さんに頼んだのだが……話がGWの過ごし方に変わり、しかも車内の雰囲気が悪いです、はい。

 聞かれたので、結衣ちゃんが一緒に旅行へ行くと教え、小笠原母娘が同行を申し出た。それに結衣ちゃんが猛反発!

 理由は僕が気疲れして、折角の休みなのに休めないから。それと、多分に嫉妬心も有るのだろう。

 彼女は小笠原母娘に僕が盗られる事を心配している。頼る人が僕しか居ない彼女にとって、それは譲れないのだろう。

 

「まっ、まぁその……アレです。予定は未定ですし、実際に休めるかも分かりませんから……」

 

 はははって笑って誤魔化す。結衣ちゃんには悪いが、多分小笠原母娘と一緒に日帰り旅行はしないと駄目だろう。

 結衣ちゃんと静願ちゃんが学校でGWの話題に取り残されない様に、ディズニーランド辺りが無難だな。

 日帰りにすれば、チケット位は未だ取れるだろう。駄目なら富士急ハイランドとか、兎に角話題になる場所へ行くしかない。

 

「正明さん、弱腰です!ここは駄目って言わないと」

 

「榎本さんは優しい。だから断らない」

 

「あらあら、お休みが決まったら連絡下さいね。私達は何時でも大丈夫ですわ」

 

 魅鈴さんに纏められて、結局は一緒に出掛ける事となった。

 

「日帰りでディズニーランドに行きましょう。混むかも知れませんが、結衣ちゃんと静願ちゃんが学校でGWの話題に取り残されない様にね」

 

 そろそろ佐原インターの出口だ。ウィンカーを出して左側に寄せて、そのまま出口に向かう。

 結衣ちゃんには、小笠原母娘と出掛けた後に二人で出掛ければ良い。その方が喜ぶ筈だが、日数の関係でお泊まりは無理だな……残念だが仕方無いか。

 

「もう!別にGWに何処にも出掛けなくても平気ですよ。友達だって出掛けない人も居ます」

 

「それが榎本さんの優しさ。私、ディズニーランド初めて」

 

「あらあら、私も初めてだわ。楽しみにしてます」

 

 ETCだから料金所も楽々通過出来る。そのまま国道134号線に合流し自宅方面に向かう。

 最近出来たステーキガストを横目に、和食も良いけど肉が食べたいと思う。駄目だ、食の親友である桜岡さんの顔がチラつく。

 早く修行を終えて帰って来て欲しい……

 

 小笠原母娘はディズニーランドが初めてらしい。凄い喜び様だ!

 確かに宮城県からだと大変だよな。それこそ前日に乗り込んで近くに泊まり、翌日を丸々遊ぶ計画をしないと廻り切れない。

 粗方の方針が決まった頃に、小笠原家に到着。魅鈴さんと静願ちゃんを降ろす。

 

「では明日から暫く頼みます」

 

 窓越しに声を掛けて別れた。騒がしかった車内が急に静かになる。結衣ちゃんはちゃんと助手席に移動している。

 

「まぁアレだよ。ご近所付き合いだし、上手くやっていこう。それに結衣ちゃんとは別の日に二人で出掛ければ良いだろ?」

 

「むう?私が我が儘な女の子になってませんか?正明さん、最近忙しいからゆっくりして欲しかったんです」

 

 少し拗ねているが、幾分気分が回復したみたいだ。ムッツリしてるが口元は笑っている。もう一押しすれば大丈夫だな。

 

「伊豆に新しく出来た水族館に行こうよ。

シーラカンスの標本や大王具足虫とか、変わった物が展示されてるよ。三島で鰻でも食べてさ。日帰りドライブに行こうよ」

 

「シーラカンス?大王具足虫?それは楽し……いやいやいや、それじゃ正明さんが休めません!

駄目です、日帰り温泉でゆっくりします。走水に新しく出来たspaが有ります。

昼間でもお部屋で休憩出来ますし、お食事もインターネットで調べた限りですが美味しそうでしたよ」

 

 自宅に付いたので、車庫のゲートを開けて駐車する。

 

「うん、それも良いかもね。もう遅いから先にお風呂に入ると良いよ。僕は明日の支度をするから……」

 

 玄関扉の鍵を開けてカードキーで機械警備を解除する。先に彼女を家に入れて直ぐに玄関の鍵を閉める。

 勿論、機械警備も開始する。明日は8時に亀宮さんが迎えに来る。一週間は泊まれる様に準備をしなければ。

 後は装備は最高の物を持って行く。顔合わせ自体が波乱含みだし、対人装備も必要だと思うんだ。

 

「分かりました。そうだ!後でマッサージしますね」

 

 そう言って返事も聞かずにパタパタと走って行ってしまった。最近の結衣ちゃんは、良くマッサージをしてくれる。

 

 獣っ娘の姿で……

 

 確かにムキムキな筋肉を解すのには力が要るから、間違いではない。だが、プリプリお尻とモフモフ尻尾の凶悪コンビネーションに、僕の理性がヤバいのだ。

 最近は般若心経を心の中で唱えて耐えている。愛染明王の真言?

 

 アレは愛欲を否定してないから、逆にヤバいんだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝8時キッカリに、自宅前に黒塗りのベンツが二台停まった。

 少しは御近所様の事も考えて欲しい。これじゃ、ヤの付く商売の方々みたいだ。

 

「お早う御座います、榎本さん。あら?あらあら?今日は珍しい服装ですね」

 

「ああ、まるで私達みたいだが?似合ってるから、質(たち)が悪いな……」

 

 滝沢さんが運転手、後部座席に亀宮さんが乗っているのが先頭のベンツ。

 後ろには広い車内にミチミチに乗り込んでいる、肉体派の肉の壁……もとい護衛の方々。

 

 そして僕は黒のスーツに黒のサングラス。白いYシャツに黒ネクタイ。法事じゃないよ、カチコミだよ的な本職顔負けの格好だ!

 

「おはよう、亀宮さん。僕は亀宮一族の派閥の末席だからね。護衛なら、この格好でしょ?」

 

 そう言って微笑むが、滝沢さんはドン引きだ。逆に亀宮さんは、ご機嫌な感じだ。

 

「「「「「ふむ、良い筋肉だな!鍛えた肉体を見れば人となりが分かるぞ。ようこそ榎本、歓迎しよう」」」」」

 

 ゾロゾロとベンツから降りてくる肉体派は、気持ちの良い連中みたいだ。

 

「此方こそ宜しく頼む」

 

 ひとしきり各々の肉体を叩きあっては、筋肉の付き具合を確認する。皆さん見せ掛けでない実用的な筋肉を備えている。

 ボディービルダーの様な見せる筋肉でもなく、一点のみを鍛えてもいない。筋肉は重いから、スピードを考えれば体重は100kg前後が限界。

 それに長時間の行動に耐える為に、筋持久力も必要だ。彼等はバランスの取れた筋肉の付き方をしている。

 

 つまり荒事専門の実戦派だ。野田みたいに戦闘狂でもないし、まともな連中だと思う。

 

「正明、この肉達磨達は本当に肉の壁だぞ。霊力の欠片もない。美味くもない連中だ……」

 

 頭の中に響く声にも馴れた。胡蝶さんの評価は低い。

 確かに霊獣亀ちゃんを擁する亀宮一族の中で、霊力無しは立場的に弱いんだろうな……

 

「俺がリーダーの御手洗だ!お前は滝沢と一緒に、亀宮様に付いていろ。周りは我等が固める。何か有れば我等を見捨てても亀宮様を守れ」

 

 そして彼等は自分達の役割を理解し、犠牲を厭わない。

 

「任せろ!なに、我々なら大抵の相手は粉砕出来る。筋肉を鍛えた時間が自信となり、日々の努力が我々を勝利に導くだろう」

 

 リーダーの御手洗とガッシリと握手をする。全員の肉体と面構えを見れば分かる。

 捨て駒の肉の壁として頼んだのだが、亀宮一族に信用出来る漢達が居たのが嬉しくなった。彼等を見殺しにはしない。

 

「俺達には霊力は無い。だが鍛え上げた肉体は誰にも負けないぜ」

 

「ふふふふ、悪いが筋肉で負けるつもりは無い。思い知らせてやるぜ、肉体派霊能力者の力って奴をな」

 

 ハッハッハ、と笑い合う筋肉同盟。

 

「あの……そろそろ出発しませんか?時間が押してますから」

 

 何故か敬語の滝沢さんを訝しんで見るが、目を逸らされた?

 

「ふん、滝沢は華奢だからな。だが、我等では同行出来ぬ場所も有る。仕事が終わったら飲もうぜ、プロテインを」

 

「プロテインか?マダマダだな、アレは大量に飲んでも意味が無い。そもそも一日で身に付く筋肉量はだな」

 

 トレーニング方法では、まだまだ話し合う必要が有りそうだ。筋肉とは科学的に根拠の有る方法を……

 

「そこの肉達磨!早く車に乗れ、直ぐに出発するぞ」

 

筋肉談義に花を咲かせていると、若干切れ気味に叱られた。

 

「全く滝沢は……だから肉体が貧弱なんだ。怒りっぽいならカルシウムを喰え」

 

 御手洗がそう言って、シリアルバーを彼女に差し出した。

 

「いや女性は筋肉でガチガチは嫌だ!御手洗だって恋人や妻は柔らかい方が良いだろ?それは譲れない」

 

「むう、確かにな。だが滝沢だぞ?アレは五月蝿いし男勝りだしな」

 

 アッハッハ、女とは思えないぞと皆で笑っている。真っ赤になって怒りを我慢してるが、そろそろヤバそうだ。

 

「そうかい?滝沢さんは美人だと思うぞ。まぁ美人は三日で慣れるみたいだから、一緒に居ると忘れがちだかな。余り時間も無いし出発しようぜ」

 

「なっ?」

 

 真っ赤になって慌てている滝沢さんだが、元から慌ててるので気にしない。御手洗の肩を叩いて後ろのベンツに押しやる。

 

「お待たせ、亀宮さん。滝沢さん、荷物を積むからトランクを開けてよ」

 

「ああ、分かった」

 

 ベンツのトランクは広い。そこに清めた塩20kgに大量の愛染明王の御札の束を放り込んでいく。

 

「そうだ、これを渡しとくよ」

 

 ペットボトルに小分けした清めた塩を人数分と、愛染明王の御札の一束渡す。

 

「清めた塩は、霊に向かって撒けば良い。円形に撒いて中に籠もれば、簡易的な結界となる。

御札は懐に入れておけば、護符として効果が有る。握って相手を殴れば、実体の無い奴等にも効く。だが、劇的な効果は無いから過信するなよ」

 

 そう言って残りの荷物を積み込み、車に乗った。御手洗達も嬉しそうに配っているが、亀宮さんの所って装備品を配らないのかな?

 隣に座る亀宮さんに聞いてみる。

 

「亀宮さんの所ってさ、装備品とか配らないの?呪術者が沢山居るんだし、御札とか霊具とか用意出来るよね?」

 

「さぁ?滝沢さん、どうなんですか?」

 

 アレ?運転席に座る滝沢さんに丸投げ?運転中の為に後ろを向かないが、何となく話し辛そうな雰囲気だけど……

 

「亀宮一族は、それぞれに派閥が有るのです。有力な家と、その取り巻き達が派閥を作ってます。

横の繋がりは薄い。亀宮様が除霊を行う時は選抜しますが、普段は各々の派閥単位で動くのです」

 

 嗚呼、そう言う事か……御手洗の派閥は霊力の無い肉体派の集まり。

 つまり呪術的な物は自分達では作れない、だから持てないのか……

 

「僕って、亀宮一族の中ではどの派閥に属してるんだろう?一応、末席ってお願いしたんだよね」

 

「榎本さんは御隠居様の直属です。御隠居様は諜報部隊の風巻一族の他に、自身の若宮一族を擁してます。

若宮は仏教系の呪術団体です」

 

 ご隠居の婆さん直属か……確かに跳ねっ返りを抑えるなら、実務トップの婆さんの直属は都合が良い。

 僕にチョッカイを掛ける事は、婆さんの一族に刃向かう事だ。

 

「派閥を超えての協力はマズいのかな?」

 

「榎本さん、私達に話す時と御手洗さん達に話す時とでは口調が違いますよ。御手洗さん達と話す方が楽しそう」

 

 え?亀宮さん、突っ込み部分ってソコなの?違うよね?今は同じ一族なのに協力しないの?って事を話し合ってるんだよね?

 少し拗ね気味な彼女を見て、ハブられるのが嫌なの?御手洗達と同じ扱いが良いの?

 

「ほら、亀宮さんと滝沢さんは美人だからね。ムキムキのオッサン達と同じ扱いには出来ないよ」

 

 少しでも亀宮さんの機嫌が良くなる言い方をする。まぁ普通に考えても、美人とオッサンなら扱いが違うのは当たり前だろ?

 



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第151話から第153話

第151話

 

 神奈川県から愛知県まで車で移動する……新幹線なら二時間も掛からないが、東名高速を使っても一寸した時間だ。

 町田ICから名古屋ICまでは優に300kmは有るから、休憩を入れると5時間はみないと駄目だろう。

 此方の運転は滝沢さんだけだし、途中で交代したいが僕が運転しても任意保険の対象になるのかな?

 所有者から見れば全くの第三者だし、社用車でも登録されてないだろう。

 運転に自信は有るが、事故らない保証も無い。

 

「滝沢さん?」

 

「はっはい!」

 

 ん?何故に慌てる?

 

「名古屋まで長丁場だけど運転平気かい?このベンツ、僕が運転しても万が一の時に保険使える?」

 

「あっああ、運転は私だけで大丈夫だ。だが保険の方は分からない。

このベンツは一族の会社が所有してるので、私は適用されるが保険の契約内容は知らない」

 

 うーん、確かに契約内容までは知らされてないか。滝沢さんも自分が大丈夫なら気にしないだろうし……

 しかし流石はベンツ、車内が広いよな。Sクラスだと幅が1575mmもあるから、僕と亀宮さんが座っても広く感じる。

 

 座高も960mmも有るから、天井に頭が付く事も無い。国産だとアリストに乗った事は有るが、あれも広かった……

 後部座席の広さを堪能してから本題に入る。

 

「こまめに休憩を入れよう。この後の予定は?直接岩泉氏の別荘に向かうの?」

 

「いや、名古屋市内に防犯を重視したマンションを二部屋借りてある。先に寄ってから先方を訪ねる。

岩泉氏の別荘には4時には着きたい。マンションから別荘までは1時間は掛かる」

 

 と言う事は3時にはマンションを出発だから、2時過ぎには名古屋市内か……今は8時30分だから、あと5時間弱。

 朝少し騒いでしまって遅れたが、元々の時間設定に余裕が無くね?携帯を取り出しJH日本道路公団のHPに繋げる。

 物珍しそうに亀宮さんが、僕に寄りかかりながら携帯電話の画面を覗き込む。

 触れる事が分かってから、ちょくちょく触ってくるのだが……スキンシップに飢えていたのかな?

 東名高速の現在の状況を調べると、海老名ICから厚木ICの間が渋滞だ。 

 ここは厚木ICで乗り降りする車が多いから、車線変更やら合流やらで慢性渋滞なんだよな。

 

 御殿場ICから沼津ICもそうだ。

 

 まぁ御殿場ICから4車線から2車線に変わるし、沼津ICはトラックの乗り降りが多い。港から海産物を運ぶトラックのね。

 うーん、御殿場辺りで休憩するかな。

 

「滝沢さん、御殿場辺りで一回休憩しない?それとも手前の海老名辺りが良い?

海老名・厚木間が渋滞らしいし、出来れば御殿場まで頑張った方が良いと思う」

 

 なるべく渋滞の所は通過した方が、残りの時間が読めるからね。

 

「御殿場で大丈夫だ。この携帯で後ろの御手洗に電話して伝えて欲しい。はぐれはしないが、一応知らせておかないとな」

 

 缶ホルダーに差してあった携帯を受け取る。防水性・耐衝撃性の高いタイプで、凡そ女性の持つ物じゃない。

 仕事用なんだろうか?操作がイマイチ分からないが、何とかアドレス帳を開いて御手洗の電話番号を探し出す。

 通話ボタンを押してコール、三回目で繋がった。

 

「なんだ?」

 

 男らしい対応だが、一応名乗ろうよ。

 

「ああ、榎本だ。滝沢さんの電話を借りたんだが、この先一度御殿場で休憩を挟むから、それの連絡だ。

後で僕の携帯からも掛けるから、番号を登録してくれ」

 

「分かった。真後ろを走るから安心しろ。車での尾行は馴れてるから、見えなくなっても心配するなよ」

 

「ああ、じゃ後でな」

 

 通話を終えると「私の携帯にも榎本さんの番号を登録しておいて下さい。今後、必要ですから」と言われたので馴れない手付きで操作していたら、亀宮さんに取り上げられた。

 

「おっきな手では、操作もままならないですわ。私がやりますから……」

 

 世間に疎いと思っていた亀宮さんに、携帯電話を奪われた。手慣れた手付きで、ポチポチと操作をしているが……

 

「ちょっと待とうか?亀宮さん、登録の名前が躾の行き届いたクマさんになってるよ。何故かな?」

 

 彼女は僕の番号を登録しているが、名前をクマさんと打ち込んでいる。

 

「あっ、登録したね!ちょ、駄目だよ他人の携帯電話で遊んじゃ駄目だって……」

 

 亀宮さんから携帯を奪おうとするが、のらりくらりとかわされてしまう。

 狭い車内だから、どうしても携帯電話を奪う為には、亀宮さんにのし掛かる様になってしまうし……

 

「榎本さん、後で直しておきますから」

 

 見かねた?滝沢さんから言われてしまったよ。本当にちゃんと直して下さいね!

 

「ほら、滝沢さんもそう言ってますわ。クマさんで分かりますから平気ですよ」

 

 滝沢さんの此方を見ずに差し出す手に、携帯電話を乗せてしまった。全く亀宮さんは楽しそうにクスクス笑っている。

 

「榎本さん」

 

「何ですか?」

 

「榎本さんって何時から筋肉ムキムキだったんですか?」

 

 何時からって……

 

「んー、結構昔からですよ。そうだな……除霊の仕事を始めた頃はね、貧弱なボーイだったよ。

当時は経験も知識も無い、本当に毎日が死にそうな位に怪我をしてたね。無理・無茶・無謀、考え無しの若造だったね……」

 

 軍司さんと仕事を始めた時が、一番酷かったな。胡蝶は今と違い全然協力的じゃなかった。

 ギリギリまで助けてくれなかったから、何時も包帯だらけだったし……

 

「狂犬と呼ばれてたんだろ?本性は人喰い熊だけど普段は優しいから、想像がつかないな」

 

 滝沢さんも会話に参加してきたが、そんなにオッサンの過去話が気になるかい?

 

「狂犬ね……若さ故の過ちって訳じゃないけどさ。当時はパクったバイクで走り出す年頃だったよ。

体中に傷が絶えなかったし。だからかな。肉体を鍛え始めたのは、単純に弱いからだった」

 

 除霊に失敗して逃げ出す時ってさ、グランドを走るみたいに平地じゃない。

 障害物競争と同じなんだよ。物を退かして・飛び越えて・押し出して……持久力は勿論だけど、障害物を何とかするには力がいる。

 ついでに怪我をしない為には、筋肉の鎧を纏うのが分かり易かったんだ。

 

「榎本さんの体って、傷だらけじゃないですか?野田の蹴りは平気だったのが不思議で……だって普通なら大怪我ですよ!

彼にはお見舞いがてら厳重注意をしましたけど、何故か不思議そうでした。手応えは有ったのに、無傷なんて自信がなくなるって……」

 

 野田、奴こそ狂犬だな。いや昔の僕も似た様なモノだったけどさ。

 奴も亀宮さんには弱いんだろうな。見舞いに来て貰って喜んだ奴の姿が、容易に想像出来る。

 

 奴は盲目的に亀宮さんを慕っていた……

 

「うーん、野田の蹴りは結構効いたよ。でも僕も鉄板を仕込んでたからね。今だってほら、腕を触ってごらん」

 

 そう言って右手を亀宮さんに突き出す。因みに亀宮さんは運転席の後ろに座っている。後部座席では、其方の方が安全だから。

 服の上から腕を触ったり、叩いたりして確認する亀宮さん。

 

「本当、その……凄く……大きくて……固いです」

 

 ん?何か不適切な台詞が聞こえた様な?

 

「腹周り、脛に足の先にも鉄板を仕込んでるんだ。あっ、コラ!駄目だよ、それは危ないから……」

 

 亀宮さんが脇の下に仕込んでいた特殊警棒を引っ張り出している。前もケミカルライトや発煙筒を見付けては引っ張り出してたな。

 ルームミラーで確認したのか、滝沢さんも興味津々な様子だが?

 

「本格的ですね。私も特殊警棒とスタンガン、それに痴漢撃退スプレーを持ってます。あと拘束用の針金を……」

 

 針金で拘束って、結構エグいんだな。アレって暴れると肉に食い込んで痛いんだよね。

 流石は亀宮一族の護衛部隊って事かな。綺麗な顔立ちだが、それなりの修羅場を潜ってるのだろう。

 亀宮さんから特殊警棒を取り上げて元に戻す。

 

「僕は後はナックルだけかな。御札や清めた塩は当然持ってるけどね」

 

 実は背中に大振りのナイフを一本、右足の脛にもサバイバルナイフを仕込んで有る。十特ナイフも二本、ポーチとキーホルダーに付けている。

 勿論、最後の手段だが刃物は意外に使う場合が有るから便利なんだ。

 

「確かに榎本さんの防御力の秘密は分かりましたが、それだけでは衝撃は止められないですよね?」

 

 滝沢さんの疑問も当然だ!人間の肉体は、そこまで強固にはならない。

 実際に僕も肋骨や腕の骨が折れたか罅(ひび)が入っていた。メディカル胡蝶が治してくれただけだ。

 

「その辺は秘密だよ。大抵の霊能力者は自身の力を隠すけど、不快に思わないでね。

力が知れ渡ると危険度も跳ね上がるんだ。因果な商売なんだよ」

 

 特に僕はこれからが大変になりそうなんだ……

 

「私なんて業界で日本一自分の能力が知られてますよ。一族当主は亀ちゃんに代々憑かれるから、昔から能力は一緒ですし」

 

 確かに亀ちゃんの能力は知れ渡っている。強力な防御力に除霊方法は喰う、以上!

 だが、そんな単純な能力を跳ね返す程に強力過ぎるんだよな。でも乗って飛べるのは知らなかった……

 

「そうだね。霊獣亀ちゃんの力は有名だ……でも乗って飛べるなんて知らなかったよ。

それに防御力が高いのは知ってたけど、断熱性能まで有るなんて羨ましい」

 

 亀に乗って飛ぶ美女って、どうかとは思うけどね。昔、イルカに乗った少年?ってドラマが有ったな。城みちるが主演だっけ?

 でも飛べるのって羨ましい、だって逃走の成功確率が跳ね上がるし。

 

「私は榎本さんが羨ましいです。私だって可愛い方が好きな……」

 

「エヘンエヘン」

 

 胡蝶の事がバレるのは早いかも知れない。柳さんに見られたからには、メリッサ様にもバレてるだろう。

 

「あら、すみません」

 

 エヘッって可愛いらしく舌を出して謝っているが既に二回目だからな、そのテヘペロは……

 

「榎本さんは可愛い系が、その……好きなタイプなのか?

亀宮様も桜岡さんも、どちらかと言えば巨乳系おっとりタイプの美人じゃないのか?」

 

 滝沢さんは桜岡さんと直接は会ってないよな?つまり僕の情報は、亀宮一族に広まっている。

 確かに亀宮さんと桜岡さんは、巨乳・ロング・お嬢様・おっとり系且つ天然……キャラが被ってるな。

 

「まぁ僕も一般的な男子ですから、美人系も可愛い系も大好きですよ。てか嫌いな人は居ないでしょ?特殊な趣味を持ってなければ……」

 

 世間にはデブ専とか老け専とか、特殊な性癖の奴らも居るからな。ロリコンの僕は、確かに可愛い系が大好きだ!

 だから滝沢さんが正解。

 

「特殊な趣味って?」

 

「まぁアレですよ。ブサ可愛いとかキモ可愛いとか、変なのが好きな人が居るらしいじゃないですか。僕には理解出来ませんが……」

 

 微妙に誤魔化して説明する。妙齢の女性達に下ネタや性癖の話はタブーだろ?

 

「ああ、確かにそうですね!不細工なニャンコとかワンコとか、ブサ可愛いですね」

 

「いや、亀宮様。榎本さんは人間に対しての評価を言っています。

アレですよ。世間には、バナナマンの太った方を可愛いって感じる人が居るらしいです」

 

 的確に突っ込む滝沢さん……彼女って、こんなキャラだったか?残念な美人じゃなかったかな?

 

「えっ?あの方を可愛いと?」

 

 亀宮さんが固まったぞ。もしかして、キモ系は苦手なのかな?

 

「世間には稀に奇特な方も居るんですよ。さて、そろそろ東名高速に入るかな?」

 

 横須賀から東名高速町田ICに乗るには、一度横浜横須賀道路を経由して乗り継がねばならない。

 世間話に花を咲かせていたが、乗り継ぎは上手く行った様だ……

 

「そうですね。東名高速に乗ったら、御殿場迄は真っ直ぐ行きます。途中でもう一回、食事休憩を入れましょう」

 

「浜松辺りで食事にしませんか?ICのレストランですが、中々美味い鰻を食べさせますよ」

 

「榎本さんって、本当に食べるのが大好きですよね」

 

 此方の車内は美人二人と同乗しているので、和気あいあいとした雰囲気だった。

 

 

第152話

 

 亀宮さんの派閥に属してから初めての仕事。それは愛知県の山林で起こった惨殺事件の解明だ。

 現役国会議員が絡む曰く付きの事件だが、当初は慎重に調査を進める予定だった。

 しかし現実は何時も非情であり、僕が予想した状況と見通しは簡単に覆った。

 

 顧客の我が儘で直ぐにでも来て調べろ!しかも他にも霊能力者を雇うぞ!だから成功報酬は五億円だ!

 

 こんな方法だと、お金に汚い連中が集まって来る。集まった連中は基本的に味方じゃないから、余計に厄介なんだよね。

 誰だって五億円なんて餌をぶら下げられたら、出し抜きや足の引っ張り合いをするよ。

 

 ヤレヤレだぜ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 町田ICから東名高速に乗り、現在は海老名ICを過ぎて厚木ICの手前辺りだ。

 厚木ICで下りる車が車線変更をしだした。少しずつ車の流れが緩やかになってきた。驚いた事に滝沢さんの運転は繊細で慎重だ。

 

 うん、上手い部類だろう。

 

「そろそろ厚木ICだね。渋滞迄はいかないが、車が多くなってきたね」

 

「ああ、走行車線を走っていれば平気なんだが……覆面パトカーが怖いな」

 

 チラリと速度計を見れば110kmを超えている。急いでいるから仕方ないがスピード違反の範疇だな。

 まぁ渋滞になりつつ有るから、そろそろ減速するだろう。

 

「覆面パトカーもそうだが、オービスにも気を付けるんだ。未だ先だけど由比PAの手前にはオービスが設置されてるよ」

 

「ああ、由比PA付近のオービスは有名だな。大体の場所は分かるから平気だ。東名高速は何度も走ってるから」

 

 この分なら運転は任せても大丈夫だろう。革張りシートに深々と座り込む。

 流石は高級外車は座り心地も防音性も違うな。車窓を見れば緑の木々に新芽が生えて若草色の……

 

「むぐ?」

 

「ポッキー食べます?」

 

 いや、食べます?って物思いに耽る僕の口に、ポッキー突っ込んだよね?亀宮さん、完璧に僕を友達と思ってるな。

 一応仕事仲間で派閥の一員なんだけど……

 

「ああ、有難う御座います。てか、何時の間にお菓子なんて買ったんですか?」

 

「行きにコンビニに寄ったんだ。後部座席のクーラーボックスに飲み物が有る。良ければ飲んでくれ」

 

 クーラーボックス?ああ、コレか。流石は高級外車、何でも出てくるよね。

 亀宮さんから何本かポッキーを貰いポリポリかじる。呑気なのだが、業界最強の人達だから余裕が有るんだろうな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 思っていたよりスムーズに走る事が出来た。当初は御殿場で昼食を予定したが、沼津まで足を延ばし昼食&休憩をする。

 厳つい黒服六人に男装の美人とお嬢様な美人。何ともヘンテコな組合せの一団が、テーブルを囲んでいる。

 嫌でも周りからの視線を集めるが、御手洗が威嚇すると大抵は目線を逸らすか立ち去ります、はい。

 

 因みに聞こえるヒソヒソ話が「コスプレか?」「ヤクザのお嬢様か?」が多い。

 

「沼津と言えば漁港!そして静岡と言えば鰻と鮪!魚貝類で有名です」

 

 鰻重を持ち上げて力説する。ビバ鰻、ビバ魚貝類!

 

「榎本さん……だからと言って海鮮丼と櫃まぶし、鰻重は食べ過ぎだと思いますよ」

 

「我々だって鰻重二人前にしてるんだ。三人前は食べ過ぎだぞ。満腹は動きが悪くなるから程々が丁度良いんだ」

 

 滝沢さんと御手洗達から酷い中傷を受けた。

 

「僕の霊能力は燃費が悪いんです!だから食事も仕事の内なんです」

 

 これでも普段より少なくしてるのに……彼等の責める様な目に、思わず体を小さくしてしまう。

 それに周りからも、この一団は注目されている。そんな中で丼片手に力説すれば悪目立ちし過ぎるよね、反省……

 

「榎本さんはフードファイター?並みにお食べになるんです。前も仕事でお世話になった旅館でも、特別待遇だったんですよ。

女将さんが専属で賄いをする位に……ふふふっ、晶さん元気にしてますかね?」

 

 そう言えば、後半は亀宮さんと晶ちゃんは良く話してたな。仲良くなったのか?

 

「ええ、先日花見に誘いましてウチに遊びに来たんですよ。結衣ちゃんと随分と打ち解けて、仲良くなってました」

 

 あれから頻繁にメールの遣り取りをしてるみたいだ。共有の話題の時は、僕と結衣ちゃんにCCでメール送ってくるし……

 

「あらあら、仕事の先々で女性と仲良くなるのね?メリッサも言ってましたよ。

頼りになる筋肉ですって。これからも助言が欲しいって言ってたわね。

山小屋の除霊は成功したみたいよ。当然の如く玉の輿は失敗らしいけど」

 

 凄い良い笑顔で嫌みを言われなかったかな?僕とメリッサ様に……

 美味しいと感じていた櫃まぶしの味が、途端に薄くなった気がしてきたぞ。

 これ以上、ダメージを喰らう前に完食だ!

 

 亀宮さんに愛想笑いを向けてから、目の前の料理に挑みかかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時間が押している為に、全員が15分程で料理を完食。食べて直ぐに運転は辛いから、10分程休憩を入れる。

 

 皆さんに珈琲を差し入れして「少し電話してきます。車に直接行きますから」と言って距離を取る。

 

 名古屋に行くなら、軍司さんに連絡を入れておかないとね。近くに来たのに連絡が無いと、不義理だと叱られるからな……

 視界の隅に亀宮さん達を捉えながら、壁際で電話をする。吉澤興業が、親父さんの表の顔の会社だ。

 アドレスを呼び出し、事務所に連絡を入れる。携帯電話は緊急時以外は掛けない。

 もし大事な時に呼び出し音をならしては駄目だからね。

 

 数回のコールで繋がった。

 

「もしもし、吉澤興業っす」

 

 電話番の若い組員だな。

 

「ああ、榎本です。軍司さん、居ますか?」

 

「榎本?あっ、先生、榎本先生っすね!ご無沙汰っす、ヤスっす」

 

 ヤスか、未だ生きてたんだな。軍司さんと仕事をする時に居たチンピラの二人の片割れだ。

 ヤスとマサと言って、如何にもな名前だが本名なんだよな。

 渡辺康夫(わたなべやすお)と杉本雅美(すぎもとまさみ)と言う立派な本名も有るのだが、誰からもヤスとマサって呼ばれてるんだよな。

 二人共、十年来の付き合いだが未だに軍司さんの付き人だ。

 

 ヤスは高校を中退、暴走族崩れのチンピラ時代に軍司さんに拾われた。若い時にシンナーのやり過ぎで、前歯の何本かが無いんだ。

 頭も少し悪いが、憎めない奴だ。

 

 マサは格闘家崩れのヤンチャな奴だったが、組との諍いに巻き込まれてズルズルと……こっちも脳筋だが、軍司さんとの特訓を共に行った奴だ。

 だが堪え性が無く不真面目な性格だから効果は薄い。中途半端な筋肉なんだよな。

 

「ああ、久し振りだな。それで軍司さんは居るのかい?」

 

「若頭は出掛けてるっす。親父さんは居るっすよ、代わりますか?」

 

 まぁ普段から余り事務所には居ない人だからな。挨拶だから親父さんに頼んでおくか……

 

「悪いな、繋いでくれ」

 

 暫く待つと久し振りに聞くガラガラな声が聞こえた。

 

「おう、先生。久し振りだな、何でまたコッチに?」

 

 既に70歳に届く筈だが、相変わらず元気だ。

 

「暫く此方で依頼の有った仕事をやりますんで、挨拶ですよ」

 

 ピンで仕事してると思われると、何か頼まれそうだからな。依頼を請けて仕事中だと、ハッキリ言っておかないと駄目だからね。

 

「この時期に名古屋でかい?今コッチは大変だぜ」

 

 この振りは……親父さん、何か情報を掴んでるな。ただの霊能力者の僕が仕事をするのに、内容を聞かずに大変といった。

 つまりは霊能力者として名古屋に来るなら、誰にでも影響が有ると言う事だ。

 素直に聞けば懇切丁寧に教えてくれるが、それだと借りになるからな……カマを掛けてみるか。

 

「多分ですが、その大変に絡んでます。乗り気じゃない依頼ですから……」

 

「何でぇ知ってるのかよ。岩泉の馬鹿息子が、べらぼうな報酬で霊能力者を集めてるぜ。良く無い連中がコッチに流れて来てる。

しかも結構な数の犠牲者が出てるんだ。軍司もソレ絡みで出張ってるんだぜ」

 

 ああ、成功報酬が五億円だからね。腕に自信が有れば、やりたい仕事だろう。何たって人生が買える金額だ。

 だが犠牲者が出てる?最初の犠牲者の他に亀宮の諜報部隊が殺されている。

 だが他の勢力や個人だって調べる可能性を失念してたな。既に何人もの人間が殺されてるのか……

 

「業界最大手の御三家も参加しますから、有象無象は大人しくなりますよ。

僕は今回、亀宮から依頼を請けてます。加茂宮と伊集院とも共同戦線を張るかもです」

 

 これは亀宮さんには伝えておかないと駄目だ。既に当初の調査案は破綻してるな。

 だが、同時に犠牲者が調べた貴重な情報も有るかもしれない。依頼人と会う時に聞ければ御の字か?

 だが正式な依頼を請けて無い連中は無理な突撃とかするし、そもそも管理も共闘も無理だ。

 出し抜かないと駄目なんだから、情報は秘匿するだろう。足並みが乱れる程度なら良いが、下手に相手を刺激すると此方が迷惑だ。

 

「それを親父さんが知ってるのは、参加する気ですか?僕的にはヤバいタイプの相手ですよ。手加減無しの無差別な……」

 

 此処で親父さん率いる堅気でない連中の参入は嫌だな。

 

「うん?いや、俺達は参加はしねえよ。その先を考えてるんだ。

だが、先生が参加するなら安心だ。精々バックアップするからよ。何でも言ってくれ」

 

 そりゃそうだ。お抱えの霊能力者のレベルは低い。親父さんの狙いは成功後の発展する土地の利権狙いか……

 今は同業者達も成功するか・しないかの場所に投資を控えてる。

 だが親父さんは業界の御三家と僕絡みなので、安心して投資を始める。スタートダッシュは新規開拓では有利だ。

 何たって独占状態だからね。

 

「利権狙いですね?良いでしょう、情報は伝えますから協力して下さい」

 

 ギブ&テイクとしては、双方に利が有る。これで風巻一族以外の伝手が出来た。

 そろそろ亀宮さん達の休憩も終わりか?空き缶を片付け始めたから、時間は少ない。

 

「では、また後程に連絡します。これから岩泉氏と会いますので」

 

 直接本人と会える事を匂わせて、話を纏める。

 

「そうだな。久し振りに呑もうぜ。夜が本番の先生だが、俺達は朝からでもバカ騒ぎ出来るんだぜ」

 

 初めて会った時も、早朝から料亭で上がりのキャバ嬢を呼んで騒いだっけ……遠い記憶を思い出していると、亀宮さんが近付いてくるのが見えた。

 

「ははは、お手柔らかに。では手が空いた時点で連絡します」

 

「おう!綺麗どころを用意すっから、偶には羽目を外せや」

 

 ロリじゃないから適当に相手してるからな。親父さんは僕を奥手位に思ってるんだろう。

 丁度電話を切った時に、亀宮さんが隣に来た。

 

「そろそろ出発しますよ。楽しそうでしたけど、誰に電話してたんですか?」

 

 愛知県を根城とした広域暴力団です、とは言えない。

 

 曖昧な笑みで「昔、駆け出しの頃に知り合った人です。近くに行くので連絡を入れないと不義理でしょ?調査期間中ですが、一度挨拶に行こうかと……さぁ滝沢さんが睨んでるから車に行きましょう」と暈かす。

 

 亀宮さんの背中を軽く押して、滝沢さんの方へ誘導する。嬉しそうに隣を歩く亀宮さんを見て、スキンシップが無かったんだなと思う。

 少なくとも男性とは……亀ちゃんも人前で分別無く現れる事は無いしね。ベンツの前まで行くと、全員が車に乗らず待っていた。

 

「すまない、少し話が長くなってしまった。だが幾つかの情報は得られたよ。

今、名古屋には日本中から霊能力者が集まってきてる。

噂を聞いて勝手に調べてる奴が居る。これは短期決戦じゃないと、世間の噂になって失敗するな」

 

 その話を聞いて、皆が顔をしかめた。状況は最悪の二歩くらい手前だ。

 

「ヤレヤレだな。だが、先ずは先方に会わねばなるまい。

榎本さん、風巻様に情報を教えて下さい。向こうにも対策を考えて貰いましょう」

 

 滝沢さんのお願いに頷く。対応を考えるのが上司の仕事だからね……

 

 

第153話

 

 現職国会議員、岩泉氏の依頼の為に名古屋に向かっている。しかし途中からポロポロと良くない報告が知らされてくる。

 どうみても汚職スレスレの自分の土地に税金投入で潤わせる仕組み。それを成功させる為に、危険な除霊を大金で何とかさせようと場当たり的な対応。

 既に大金に目が眩み、命を落としている同業者が多数居るらしい。しかも正式な依頼を要請されているのは、御三家と言われる連中だ。

 一癖も二癖も有る連中をだし抜かればならない。

 

 これは厄介だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 沼津IC付近で昼食を取り、名古屋に向かっている。外車は余り好きではないが、流石にベンツSクラスは静かだ。

 亀宮さんはお腹が膨れた所為か居眠りモード。うつらうつら始めた。

 

 亀ちゃんが半分具現化して体を支えてるんだぜ。凄いよ亀ちゃん!

 

 僕は先程の内容をメールに纏めている。

 

 ①既に同業者達が聞きつけて無謀な除霊に挑み、殆どが返り討ちになっている。

 

 ②当然だが、世間に噂が漏れ始めた。

 

 亀宮一族だけで解決するなら短期決戦だが無謀だ。

 

 ③今後の方針を決めねばならない。

 

 これらをもう少し説明を入れて肉付けして、ご隠居の婆さんと風巻のオバサンに送信した。さて、単独解決か他勢力と共闘か?

 様子見でお茶を濁すか……僕なら調査は独自で進めて、勝率を上げてから挑む。

 周りの連中が先に解決しても構わないスタンスで行きたい。

 だが、色々な柵(しがらみ)や見栄・プライドが渦巻く古き一族が、その提案を飲むとは思えないな。

 なまじ力有る連中だから、僕の能力を基準とした判別じゃないだろう。

 

 自分の勢力の力に自信も有るだろうし……10分ほど考えに耽っていたら、手の中の携帯が振動した。

 ご隠居の婆さんの方から返信が来たか……指示の記録を残す為にメールにしたんだ。

 つまり婆さんからの返信は、一族の総意と思って良い。

 

メールを開く……

 

「報告の件、吟味させて頂いた。状況は残念でならないが、我等亀宮の一族は受けた依頼は達成せねばならない。

信用問題も有るしプライドも有る。榎本さんには申し訳無いが、独自に解決する方向で動いて欲しい。

共闘はしない、他の連中は信用出来ない。バックアップが必要ならば、私の携帯に直接連絡して欲しい」

 

 文章を読み終えてから画面を閉じる。目を瞑り座席に倒れ込む様に深く座る……予想してたが、最悪の方向だ。

 単独解決を望むなら短期決戦しかない。

 

 他の連中も……加茂宮も伊集院も、同じ考えだと思う。

 

 しかも共闘を禁じられたから、彼等と競いながら解決しなければならない。どうする?

 亀ちゃんと胡蝶、両方が揃えば強力だ。特に胡蝶は他の連中の力を測る事が出来るし、単純に火力を見ても凄い。

 彼女が喰えると判断すれば、間違い無いだろう。

 

 だが、それは相手を目の前にしての事……全く原因が分からず、相手の素性も分からない。

 慣れない山登りを亀宮さんが出来るのか?御手洗達を連れて行く事になるが、彼等を守りながら戦えるか?

 

 何を持って除霊成功と言うのか?敵の全滅?原因の解明?駄目だ、今迄とは違う進め方だから全く分からない。

 

「榎本さん、難しい顔をして考え込んでますが……私と榎本さんなら大丈夫ですよ」

 

 居眠りをしていた筈の亀宮さんが、僕の膝に左手を置きながら見詰めている。

 

「ん?ああ、そうだね。勿論大丈夫さ」

 

 最近、女性から良く大丈夫って言われるけどさ。大抵は大丈夫じゃないんだよな。でも女性は強いって事か。

 今から悩んでも疲れるだけだし、先ずは先方との顔合わせ次第か。

 

「そうです。悩むと余計に禿げますよ?」

 

「えっ?」

 

 思わず突頂部を押さえてしまう。余計にって、僕って実は薄くなってるの?

 最近抜け毛が少し多いかなって思ったり、髪の毛自体が細くなってきてるとも……

 

「未だ大丈夫ですよ。私は禿げとか気にしませんから、全然大丈夫です」

 

「僕は気になる年頃です!」

 

 ヤバい、加齢臭は未だだが禿げの心配が出てきたぞ。アレだ、アポジカとかリアップとかだっけ?

 この仕事が終わったら育毛を検討すると心に誓う。結衣ちゃんと結ばれる迄は、若々しくなければ駄目だ!

 

「亀宮様も榎本さんも、もう少し緊張感を持って下さい。それに榎本さんは薄くなってませんから。短髪は地肌が見えやすいだけですよ」

 

 滝沢さんからフォロー貰いました!有難う、滝沢さん。残念な美人と評してご免なさい。今なら気遣い美人と言わせて頂きます。

 

「えへんえへん。気持ちを切り替えて話を進めるね。ご隠居様は、一族の総意として単独解決を望んだ。

他勢力との共闘は無し。何でも信用出来ないそうだが……

僕としては、顔合わせで相手の様子を見ながら進めていくしか無いと思う。無闇やたらと現地に突入するのは愚策だ」

 

「それは何とも玉虫色の進め方だな。つまり慎重かつ臨機応変と言う事か……」

 

 確かに周りに合わせて自分達の行動を決める。だけどさ。

 単発で除霊しにきてやられる連中と違い、幾ら共闘しないとは言え拠点が同じなら情報は入るだろ。

 それに最低限の情報共有はする様に提案してみよう。

 御三家の加茂宮や伊集院は無理かもしれないが、その他勢力なら話は別だ。

 亀宮のネームバリューに喰い付く輩も居るだろう。

 孤高の精神も素晴らしいけど、使える物は何でも使わないと……最悪は死ぬ。

 

「方針はご隠居様のメール本文と共に滝沢さんと御手洗、それに亀宮さんにも送るね。

情報は共有しないと駄目だから。序でにCCでご隠居様と風巻のオバサンと姉妹にも送っておくか……」

 

 携帯電話を操作し、今迄の話を纏めて本文を作る。ああ、この携帯だと送信先は五人迄か……

 ならば風巻姉妹には転送する様に頼むか。メールを送信すると結構良い時間が過ぎていた。

 

 僕に寄りかかり完全に熟睡している亀宮さん。小細工に奔走する僕と違い、大した度胸だな。

 余裕が出来て周りを確認したりしてると、アップダウンが増えてきたのが分かる。そろそろ相良牧の原ICが近いのだろう。

 

 オービスの多い由比PA付近は既に通過したのか……

 

 此処を過ぎれば浜松迄は比較的、平らで道幅も広いから楽な筈だ。途中もう一回位、休憩を挟めば名古屋迄は予定通りに付くだろう。

 この間に胡蝶さんと意見を纏めて、いやお願いをしておく。後部座席に深く座り目を閉じる。

 

 前にドサクサで有耶無耶になったが、確かに念話が成立してたんだ。僕と混じり合った為に可能になったとか、危険な単語が有った様な……

 

「胡蝶、胡蝶聞こえるかい?」

 

「何だ、正明。隣に纏わり付く亀を喰って良いのか?」

 

 何故か亀宮さんがビクッと動いたけど、魘された?まさか感知してないよね?

 

「いや、今後だけど……このまま行くと昔の除霊みたいに無闇に突撃コースなんだけどさ。胡蝶は相手を感知するのに距離はどれ位必要かな?」

 

 彼女の感知能力の限界を知りたい。八王子の時は山登りの途中から感知出来たけど、あれは相手が天候操作をしたからだ。

 相手が力を使わない、または隠密な時はどうなんだ?

 

「ふむ、我の知覚能力か?相手から仕掛けてくれば、距離は問わぬ。

だが、何もしてない時の特定は精々が500mだな。それ以上は分からぬよ」

 

 500mか……凄いんだが微妙な距離だ。今回の相手は実体が有るタイプだが、これが獣系だったら?

 人間は全力疾走をしても精々が100mで15秒、しかも相手は山林だから時間はもっと掛かる。

 僕や亀宮さんなら平気かも知れないが、滝沢さん達の為に遭遇したら逃げる時間を稼がねばならない。

 

「いや、相手も感知出来るとは限らぬぞ。少なくとも我は正明を守る事は出来る。あの亀も同様にな。

守りならば亀の方が優れていよう。

ならば我が敵を喰らう間、正明は亀女に抱き付いていれば良い。序でに孕ませろ」

 

 ご免なさい、無理です。性的にも興奮しないし、それって胡蝶が戦っている間にニャンニャンしろってか?

 

「馬鹿者!誰が露出趣味や野外趣味を持てと言った。アレは正明が押せば落ちるぞ。

なに、奴の五月蝿い一族は我が悉く喰らえば良い。問題は何も……」

 

 考えが読まれてるのは困る、今のは心の声です!ちょっと待て、いや待って下さい胡蝶様。その物騒な考え方は不味いっす。

 

「それをやったら僕は日本中の霊能力者から注目されるよ。しかも敵意を持つ者が増える。

少なくとも御三家のパワーバランスが崩れるから、他の二家が黙って無い。吸収か最悪は……滅ぼされるぞ」

 

「ふむ、ならば穏便に行くか……」

 

 胡蝶さんの過激思想が収まったみたいだ。良かった、幾ら胡蝶でも数の暴力には勝てない。

 

「正明、亀女を口説いて連れ合いにしろ。そうすれば奴らの一族が丸々手に入る。

一部を粛清しても外圧に耐える数は残せる。其処を拠点として、力有る女達を沢山妾にすれば良い」

 

 無茶振りキター!

 

 それは前に駄目出しした、軒先を借りて母屋を盗る?だろ!

 

「いや、榎本一族増員計画は考えてますから。その戦国武将みたいな考え方は、現代日本では難しいのです、ハイ」

 

 実際に政略結婚とか今でも有るみたいだけどさ。それは別世界の話で、一般ピープルな僕としては恋愛結婚がしたいのです。

 

「なんだ、つまらんな。正明、今回の敵は我に捧げよ。喰わねば腹の虫が納まらんぞ。

全く、この男は非常識なエロ野郎の癖に体裁だけは……」

 

 胡蝶がブツブツと文句を言い出した……だが、亀宮一族の吸収とかは無理だって。

 暫く考えに耽っていた所為で気付かなかったが、亀宮さんは僕にもたれ掛かり熟睡中だ。

 周りの景色も随分と変わっている。此処は、どの辺だろう。

 高速道路の標識を見れば、名古屋50kmとなっている。

 

「ごめん、滝沢さん。随分と寝てしまったけど、休憩は平気かい?」

 

 亀宮さんを起こさない様に、若干抑えた声で聞く。寝てはいないが、目を瞑って動かなければ寝てたも同然だ。

 

「ん、平気だ。このまま拠点に向かう。

向こうで少し休めるだろうし、最悪は後ろの連中に運転を変わって貰う。

私と榎本さんが亀宮様と同行する事になるからな。疲れは集中力を鈍らせる」

 

 御手洗達は最悪は同行するが、別室で待機か?確かに大人数で話すよりは、代表だけの方が良い。

 だが、亀宮程の一族なら当主だけは有り得ない……実質的な霊能力者は僕と亀宮さんだけだし、僕に任せきりは駄目だ。

 だから三人で行くんだな。

 

「了解、いよいよ御対面か……さてさて、どうするかね」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 岩泉氏の別荘は、それはそれはデカかった……ログハウス風の造りだが、四階建ての豪邸だ。

 思わず見上げて零してしまう。

 

「金持ちって居る所には居るんだな。どれ位広いのか想像がつかないや……」

 

 周りには鉄格子の塀が張り巡らせてあり、専用駐車場は30台以上は停められる。

 警備員は護衛を兼ねたSPなのだろう。妙に厳つい連中ばかりだが、ヤの付く方々の匂いがする。

 様は堅気な感じがしない、やさぐれた連中だ。むぅ、親父さんに聞いてみるか。

 何系の暴力団かによっては、協力出来るか敵対するか違ってくる。

 僕は一時期は、親父さんのお抱え霊能力者みたいだったし。情報は広まってるかもしれないからね。

 

「榎本さん、惚けてないで行きますよ」

 

 流石は亀宮さんだ。こんな状況も慣れているのだろう、毅然としている。

 遠巻きに此方を伺う連中を無視して、建物の方へ歩き出した。慌てて左右を僕と滝沢さんで固める。

 後ろには御手洗達が並んで歩く。周りから値踏みする様な視線が鬱陶しいし、亀宮さんを見る目が嫌らしい。

 この警備の連中は程度が宜しく無いな。

 

 これは岩泉氏の評価を下げないと駄目だ……

 



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第154話から第156話

第154話

 

 素性の宜しくない連中が注目する中、亀宮さんは毅然として建物の方に歩いて行く。 

 車から建物までの距離は30m。無駄に広い駐車場は30台位が停められるが、既に7台程の高級外車が確認出来る。

 その駐車場に疎らに立ちながら、ニヤニヤと見ている連中にガンくれながら彼女の脇を歩く。

 因みに滝沢さんにも奴等は注目している。確かに美人がSPのコスプレしてるみたいだから、彼等的に需要が有るのだろう。

 そんな中で、建物の入口に、比較的品行方正な中年が二人立っている。

 此方は黒のスーツに蝶ネクタイだが、妙に似合ってはいる。

 

 彼等の目の前迄進むと「亀宮様ですね。お待ちしておりました。お連れの方々は待合室にてお待ち下さい」見事なお辞儀をした。

 

 それに見ただけで此方の素性が分かる程度には、訓練されているのだろう。

 慇懃無礼な態度は流石だが、如何せん亀宮さんの凶暴な胸をチラチラ見ては評価がガタ落ちだ。

 中年だが色欲は枯れてないのだろう……胸なんか飾りですよ、ロリコンさん以外はそれが分からんのです。

 昔、某赤い大佐に言った整備員の台詞が過ぎる。世の男達は巨乳に夢と希望を詰め過ぎているんだ。

 

 アレは脂肪の塊だぞ!

 

「私と滝沢、それと榎本が同行します。御手洗、貴方達は此方で待つ様に。では行きましょう」

 

 亀宮さんが的確な指示を出し、目で促す。僕を呼び捨てだが、対外的には正しい。僕は彼女を当主とした派閥の一員なのだから……

 しかし彼女は只の亀ちゃんに取り憑かれたお嬢様じゃないんだな。

 普段の天然ボケが見事に隠されているが、もしかしたら此方が本性なのか?ボケは計画的なご利用なのか?

 

 そんな彼女にチラチラとエロい目線を送る相手に、具現化して威嚇する亀ちゃん。

 マジ噛みしそうな程、口を開けて相手の頭を見る仕草は……完全な捕食者のソレだ。

 

「わ、わわわ……分かりました。どうぞ、此方へ……」

 

 恐怖に顔を引き吊らせながら、扉を開けて中に誘導する。過ぎたエロは身を滅ぼす、至言だな。

 

「行きましょう。亀ちゃん、ソレは美味しくないから止めなさい」

 

 亀宮さんも人が悪いな。前を通り過ぎる時に漏らした言葉に、相手は座り込んでしまう。

 そりゃマジで喰われそうになっていたのを知らされたんだ。腰も抜けるだろう……うーん、亀ちゃんも人間が喰えるんだな。

 それに冷徹な声で相手をソレ扱いするのは、普段の彼女からは想像出来ない。これが日本の霊能界の御三家の当主って奴か!

 

 建物の中はリノリウムの床にクロス貼りの壁、天井はPBに塗装仕上げか?色も白と薄い水色で統一されているし……

 照明も逆富士の剥き出し蛍光灯と、何か病院の廊下みたいな無機質な感じだな。非常誘導灯が、もの寂しさを助長している。

 同然、室内にも案内人が居て皆さんが集まっている部屋に誘導してくれる。

 此方の案内人も先程の遣り取りを聞いていた所為か、亀宮さんを見ようともしない。

 途中に幾つか鋼鉄製の扉が有ったが、暫く歩くと突き当たりに重厚な両開きの扉が見えた、行き止まりだ。

 

「此処から先は別の者が案内致します。どうぞ……」

 

 そう言って開けられた扉の内側は、今迄の無機質感はなく豪華の一言だ。内側には執事みたいな服装のイケメンが立っている。

 むぅ、イケメンは悉(ことごと)く酷い目に遭えば良いんだ。奴はニッコリと亀宮さんと滝沢さんに微笑んだ。

 僕には無視だが、微笑みかけられても困る。

 

「徳田と申します。此処からは私が案内をさせて頂きます、どうぞ此方へ」

 

「有難う、行きますよ」

 

 ボケっと見ていたら、亀宮さんから催促された。黙って頷き彼女の少し後ろ側を歩く。

 踝まで埋まる毛足の長い絨毯、妙に煌びやかなシャンデリア、壁紙も布製の織物みたいだ。

 所狭しと置いてある良く分からない美術品。こりゃ住む世界が違いすぎるな……

 

「此方になります。どうぞ……」

 

 呆然と豪華な内装を眺めていたら、目的地に着いてしまった……反省。

 

『正明!中には面白い連中が沢山居るぞ。しかも敵意が溢れてるな。既に幾つかの探査系の術を弾いている。

気を付けろよ、何か有れば構わず左手を使え。くっくっく……楽しくなりそうだよ』

 

 嗚呼、オートガード胡蝶様の素晴らしさ。妙に楽しそうな彼女は、八王子で喰った丹波の尾黒狐以来か。

 どうやら扉の内側は、魔窟って事だな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 扉を潜り中に入ると一斉に注目された。部屋も広い、100畳以上は有るんじゃないか?100人以上が立食パーティーが出来る程だ。

 

「亀宮様御一行が到着致しました」

 

 イケメンが紹介すると、沃(そそく)さと扉を閉めて部屋の外へ行ってしまったな。

 確かに此処はギスギスとして雰囲気が悪い。見回すと幾つも有るソファーセットの一つが空いている。

 

「亀宮様、彼方に」

 

 滝沢さんが彼女にソファーを勧めるのは流石だ。皆さんの視線を感じる中、ソファーへと移動すると途中で痩せこけて顔色の悪い男が進路を遮ってきた。

 見た目にも分かる高級なスーツを着てるが、誰だコイツ?

 

「邪魔だぞ……」

 

「よぅ、梢。そろそろ俺と付き合う気になったかよ?」

 

 人の静止を無視してニヤニヤと妙に亀宮さんに馴れ馴れしい男だな。それに梢って亀宮さんの本名だが……何故、その名前で呼べるんだ?

 亀宮さんは、奴を無視して僕の後ろに隠れたぞ?

 

「オイ、SPの分際でアレか?俺と梢の仲を邪魔するのかよ、ああ?」

 

「え?これ何て状況?」

 

 状況把握が出来ないまま、目の前の男からガンくれられてます。しかも微妙に相手の霊力が上がっているし……ヤバい、これは仕掛けられるのか?

 

「七郎、止めろ!加茂宮の名前を汚すな」

 

 奴の後ろに似た様な姿形の男が立っている。兄弟と言われても納得する程に似ている、いや似すぎている。

 

「五郎兄貴、だけど!」

 

 五郎と呼ばれた男が七郎の肩をガッチリと掴んでいる。

 

「全くお前は……二子姉さんが怒ってるぞ。コッチに来い」

 

 首根っこを掴まれてズルズルと引っ張られていった。ギャグみたいな展開だが、実際に大の男を引き摺るのは大変な力が要る。

 ツルツルで滑り易い場所なら簡単だが、こんな毛足の長い絨毯の上なら摩擦抵抗が大きくて大変だ。

 あの五郎と呼ばれた男。形(なり)は普通だが力は僕と同じ位有るかもしれない。

 加茂宮と言われた連中を警戒しながら、ソファーに座る。直ぐに紅茶セットが用意され芳醇な匂いが鼻腔を擽る。

 

 高そうな茶葉なんだろう。

 

 滝沢さんがカップに注いでくれて亀宮さん、僕そして自分の順番に配ってくれた。角砂糖を二つだけ入れて一口飲むが、やはり素人でも高級品と分かる味だ。

 紅茶を飲む事で余裕が出来たので、周りを見る。

 

 先ずは加茂宮だが……ソファーに三人座っている。五郎に七郎、それに二子と呼ばれた女性だ。まぁ何て言うか、うん。

 姉だけに年齢は30歳に近いかも知れない。ケバい美人と言えば適切な表現だろうか?茶髪でパーマをかけたロングに化粧はキツい。

 銀座とか高級な夜の店にいらっしゃる接待業の女性に大変良く似ている。僕が最も苦手とする類(たぐい)の女性だ。

 七郎は此方を睨んでいて、五郎は見向きもしない。二子と呼ばれた女性は、此方を見て笑っている。

 

 目が合ってしまった……良く見れば確かに美人だし、スタイルも良い女性が笑っているのは魅力的かもしれない。

 周りの男性陣もチラチラと見てるけどさ。但し良く無い類の笑みだ。アレは悪巧みを考えてる時の表情じゃないかな?

 まぁ彼女の魅力については、ロリコンの僕には1mmも理解出来ないけど……

 

「亀宮さん、あの連中が加茂宮なのかい?」

 

「そうです。一子・二子・三郎・四子・五郎・六郎・七郎・八郎・九子の九人姉弟です。

彼等は全員が加茂宮の当主です。勿論、名前の数が少ない者がより上位ですが……」

 

 子沢山なんだな、加茂宮の前当主夫妻って。それとも妾腹とかで腹違い異母兄弟か?

 

「名前の数が少ない方って、年の順番で?」

 

「いえ、彼等も前当主の子供達からの選りすぐりです。力有る者が上位の名前を名乗れるのです」

 

 何とも九人姉弟でも子沢山と思ったが、異母姉弟からの選りすぐりとはね。全く羨ましいんだか何だか……

 

『正明!お前が目指す形の一つがアレだぞ。産めよ増やせよ増産体制を調えよ。

奴等にも古き力有る者が取り憑いているな。だが、一人では耐え切れない為か力を分散させておる。

個別で来れば問題無いが、纏まっては面倒臭いだろう。隙を見て触れ!』

 

 ちょ、胡蝶さん?賀茂宮に喧嘩を売ったら駄目だって!

 

『構うまい。奴等もやる気満々だぞ。あの七郎と言う餓鬼だが……仕掛けて来るつもりだな。

くっくっく、面白い。我を甘く見るならば、惨劇を持ってもてなそうぞ』

 

 完全にやる気満々な胡蝶さんだ……襲われたらバレない様に喰うしかないか?

 現実問題、僕では彼等に勝てないから胡蝶に頼るしかない。頼りの胡蝶が喰うと言えば止める術も無い。

 ならば僕の出来る事は隠蔽工作だけだ。つまり目撃者と証拠を残さない様にする。

 奴が、七郎が仕掛けて来たら本人と目撃者を消さねばならないのか?

 

 本気で胃の辺りがキリキリと痛み出した。何としても最悪は奴と二人切りの時に襲われないと駄目か……

 いや、逃げ回れば良いだけじゃん!最近、胡蝶と混じりだしてから考え方が物騒になってないか?

 

『ふん、甘い甘いぞ正明!我と正明は一心同体なのだ。刃向かう者には情けはいらぬ。

それに9人全員で襲われれば全盛時の我でも勝てるか分からぬ。単独で居る時に数を減らさねば駄目だ。先ずは七郎を喰うぞ』

 

 初めて胡蝶が勝てないかも知れない相手が出たか。それが御三家の賀茂宮ってだけでも大概なんだが……

 

『分かった、襲われたら躊躇はしない。だけど此方から襲うのは無しだぞ』

 

 正当防衛とか返り討ちとか言い訳が頭に浮かぶ。だが此方から襲うのだけは止めにしたい。それが僕に残った最後の良心だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 暫く待つと約束の時間となった。どうやら我々が最後だったが、定刻までは岩泉氏は来ないのだな。

 壁際に控えていた執事が、部屋の移動を申し出ていた。顔合わせは別の部屋なのか。

 待っている間に、亀宮さんから知ってる連中の事を教えて貰った。

 先ずは加茂宮一族の、二子・五郎・七郎。

 

 次に伊集院一族だが、頭巾を被り体の線が分からないローブみたいな服装の連中がそうだ。

 真ん中の小柄な奴が当主で、両隣の厳ついのとスラッとしたのが付き人だ。構成はウチと同じだな。

 

 他には僕でも知ってる古参の同業者がチラホラと……修験者の集団は熊野系密教団体だし、巫女さんの団体は関西巫女連合だ。

 彼方は桜岡母娘の所属だから敵対はしない。近状報告をした時に、話は聞いている。

 だから桜岡さんから関西巫女連合に申し入れをして貰っているんだ。

 出来れば協力を無理なら不可侵を……とね。

 

 後は新新興宗教団体の連中が何組か。

 新新興宗教団体とは誤字でなく、所謂新興宗教の代表である創価学会や天理教とは別に1970年代以降に現れた宗教団体の事だ。

 幸福の科学とかが有名だが、近年に一人の力有る者が教祖として突然現れるのも、この類だろう……

 そして力有る教祖が率いる団体は、規模こそ小さいが結束力は強い。妄信的な信者が厄介なんだよな。神泉会なんかが良い例だ。

 

 さて、そろそろ岩泉氏の居る部屋に到着だ。亀宮さんを先頭に部屋の中に入る。

 先程の部屋よりは狭いが全員が座るには十分なソファーが用意されている。

 そして正面には、小太りで小柄な中年が……僕でもテレビで見た事が有る現役国会議員が座っていた。

 

 

第155話

 

 現役国会議員の岩泉氏……小太りで小柄な中年だ。

 今回、彼の祖父が亡くなり遺産として相続した土地が大金が転がり込む宝の山に変わった。

 だが人に害なすナニかが潜む、厄介な山林も含んでいた。

 岩泉氏は何とか原因を解決する為にと我々を集めたが……金の力で解決しようとした為に、有象無象の連中まで呼び寄せてしまった。

 

 成功報酬は五億円!人生が買える金額だ。

 

 だが既にそのナニかは、先走って山林に入り込んだ連中に危害を加えている。

 さて、どんな説明をしてくれるんだ?岩泉さんは。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 イケメン執事が岩泉氏を紹介した。注目する我々。

 岩泉氏は椅子から立ち上がり、此方をゆっくりと見回してから話し始めた。

 

「今日、此処に来て頂いた方々は日本でも有数の霊能力者だ。

私、岩泉は祖父から受け継いだこの土地に巣くう怪異に、非常に困らされている。

手段は問わない。早期に解決してくれ。細かい話は徳田に任せてあるので聞いてくれ。以上だ!」

 

 早いし、もう終わりか?そう言って部屋から出て行ってしまったよ。

 質疑応答も無しかよ?亀宮さんを見れば、目が合ってしまった。

 僕にニッコリ微笑む彼女。彼女の背後で僕を睨む七郎。

 その時、伊集院の当主が徳田と呼ばれたイケメン執事に話し掛けた。かん高い声だが、女性か子供なのかな?

 

「何を持って成功と判断されるのだ?肉体の無い相手かも知れないぞ。

それに誰が仕留めたと確認するのだ?私達の除霊に立ち会われるのか?」

 

 少女の様な声だが、言ってる事は僕も疑問だった。

 共同除霊なんて誰かが除霊に成功しても、俺がやった・私も手伝ったとか言い出したら切りがない。

 御三家もプライドをかけてるからな。最悪順番を争い一斉攻撃とかで全員参加とか笑えないぞ。

 

「私達は除霊には参加いたしません。それは貴方様方で決めて下さい」

 

 無責任に言い放つイケメン執事。一瞬、言葉の詰まる伊集院の当主。ヤレヤレと首を振って座ってしまったよ。

 両隣に座る連中とボソボソ喋り始めたが、話にならないと諦めたのかな?

 

 うむ、イケメン執事に殺意が湧いた!イケメンは悉(ことごと)く滅ぶがよい。

 

 だけど確認しておく事は有るんだよな。向かいに座る亀宮さんに聞く。

 

「亀宮様(対外的な配慮で人前では様付)幾つか確認したいのですが発言は宜しいですか?」

 

「構いません。すみません、私達からも幾つか宜しいですか?」

 

 亀宮さんが立ち上がり、イケメン執事に話し掛ける。僕達に周りの注目が集まる。

 

「亀宮様。何か質問が有りましたらお願い致します」

 

 イケメン執事に軽く頷いてから、僕を見る。

 

「榎本、代わりに話しなさい」

 

 上手い振りだ。これなら僕達の共通認識を代理で質問する事と周りは受け取るだろう。

 

「分かりました、亀宮様」

 

 立ち上がり彼女に頭を下げる。僕は彼女を当主と仰ぐ派閥の一員だからね。

 しかし普段の炬燵で寛いで蜜柑を食べながら、水曜どうでしょう?を見ている彼女からは想像出来ないや。

 この仕事モードの亀宮さんは……でも八王子の時は、そうでも無かったのは何故だ?

 いや、今は仕事中と思い出して気持ちを切り替える。

 

「先ずは其方で把握している情報を全て頂きたい」

 

「全て、と言いますと?」

 

 首を傾げながら聞き返す姿が様になっていてヤダな。美女・美少女がやると嬉しいが、イケメンがやると駄目だ……

 

「僕達よりも前に挑み散っていった霊能力者が調べた事。それと彼等の末路。

先代当主と問題の山林の情報。今回の件に関する全ての事を教えて頂きたい」

 

 どうするイケメン?既に死傷者が増えてる事も知ってるんだぞ。

 

「除霊に失敗した方々の事は知りません。岩泉一族についての事は秘守義務が有り話せません。山林についても同様です」

 

 おぃおぃ、それはないだろ?だが気落ちする前に必要な事は聞かないとな。

 

「除霊中の我々の日常の世話はお願い出来るのですか?」

 

「勿論です。この山荘を御自由に使って頂いて構いません。滞在用のお部屋も用意しています。食事も提供させて頂きます」

 

 これは当たり前だ、分かっていて聞いたんだ。

 

「割り振られた部屋にインターネット環境は?」

 

「御座います。宜しければパソコンも御用意いたします」

 

 さて、これからが本題だな。

 

「我々への依頼内容は山林の怪異の調査と解決ですよね?」

 

「そうです」

 

 何を言ってるんだ的な目で此方を見ているイケメン。

 

「ならば、この山荘で働く方々の護衛は無用。建物その他を破損しても責任は無しで宜しいですね?

仮に山荘に潜むヤツが攻めてきたとしても、優先順位は除霊する事。

その他の事には我々は責任が取れないので、徳田さんの方で対処をお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。協力しないなら此方も助けたりはしない。それに誰かを守りながら戦うのは大変だ。

 イケメンや脛に傷持つ連中ばかりだから良心も咎めないし……守りたくない相手だから尚更だよね。

 

「ふふふ、そうね。非協力的な相手を守る義務は無いわね。この山荘が安全なんて保証ないしさ。

貴方、亀宮の嬢ちゃんが引き抜いた男でしょ?すっかり尻に敷かれてるわね。

だらしないわよ、男ならグイグイ引っ張りなさい」

 

 二子と呼ばれている加茂宮の当主が此方を見て笑っている。立ち上がり腕を組んで、ソコソコの乳を盛り上げて笑顔を浮かべている。

 しかも僕の事は調査済みなのか……甘く見過ぎていたんだな、御三家って奴の力を。

 

「有名な加茂宮の二子様に同意して頂けるのは幸いです。最近ですが亀宮の派閥の末席に入れて貰いまして……ちゃんとした雇用契約の元で働いています」

 

 二子さんに向かって頭を下げる。彼等を刺激しては駄目だ。喰う時は一瞬で終わらせなければ駄目なんだ。

 

「へー貴方が噂の……雇用契約って事は条件次第でもウチに来るのかな?好待遇を約束する」

 

 気が付けば直ぐ近く迄、伊集院の当主が来るのが分からなかった。フードを深く被っているが、近くに来れば隙間から覗けるから分かる。

 伊集院一族の当主は10代後半の少女だ。残念ながら体型は分からないが、その見えた目元だけでも美少女だと分かる。

 長い黒髪を無造作にポニーテールで纏めているが、腰よりも長い。食い付いて来たけど、勧誘が本気じゃないのが分かる。

 揺さぶりを掛けて来たんだろうな。此処で迷えば、僕の亀宮一族での立場が悪くなる。強かな連中だよ、全くさ。

 

「いえ、お誘いは嬉しいのですが他に行く心算は有りませんので……」

 

 彼女の目を見てキッパリと断る。真のロリコンとしては、彼女の希望を叶えてあげたいが状況的に無理だ。

 

「正明、あの伊集院の連中だが獣憑きだな。上手く隠しているが、近くに来て漸く分かったぞ。

ふむ、当主に憑くのは大蛇(おろち)かよ。後ろの二人は羆(ひぐま)と犬か……」

 

 アレ?確か伊集院一族は仏教系じゃなかったか?獣憑きとは初耳だぞ、亀宮さんも謎の多い一族って言ってた筈だ。

 しかし大蛇(おろち)と羆(ひぐま)とは凄いな。犬は一見ショボいが、嗅覚強化が出来るなら凄い。

 結衣ちゃんも獣化すると嗅覚も強くなるって言っていたな。しかし蛇少女・熊男?・犬男?か。

 変化出来るとなると、下半身が蛇になるのかな?

 

「あっさり断るわね。良いのかしら?結衣ちゃんでしたか……我々と同族かもしれませんよ」

 

 僕以外には聞こえない様な小さな声での爆弾発言に、思わずギョッとしてしまう。

 彼女の目は笑っているが、お前の周囲の情報は握ってるんだぞって事か……

 

「さて、何の事でしょうか?哺乳類と爬虫類では違うと思いますよ」

 

 そう顔を近付けて小さな声で言う。鋭い目で睨まれたが、何も言わずに離れていった。

 あの目は爬虫類の目だ……マイエンジェル結衣ちゃんと比べるなよな。

 狐っ娘と蛇少女じゃ、萌えヒロインとホラー主人公位の開きが有るんだ。

 

「あの……お話しは済んでませんが……」

 

 イケメン執事が困った風に此方を見ているが気にしない。御三家が絡んだ会話だからな、突っ込む事も難しいか?

 

「亀宮様、衣食住は問題有りませんが自力で解決しなければ無理ですね。まぁ周りを気にせず我々だけで行動するしか有りませんね」

 

 立場上、僕には決定権が無いので当主たる亀宮さんに確認する。まぁ優しい彼女の事だから、何かしらの妥協案を出すだろう。

 

 飴×鞭って奴だ。

 

「そうですね。この山荘に居る方々には悪いですが、お互い仕事ですから自己責任ですね。徳田さん、お部屋に案内をお願いします」

 

 いや、バッサリ切ったぞ、鞭×鞭だぞ。そう言って立ち上がる彼女。

 

「お待ち下さい!今までの除霊で集まった情報はお渡しします」

 

 慌てて情報を小出しにしてきたな。イケメン執事を見る周りの表情も冷ややかだ。

 しかし……亀宮さん、こんな交渉術も出来るんだ。立ち止まりニッコリとイケメン執事を見ている。

 何も言わないのは、まだ情報を引き出すか条件を吊り上げるかなんだな。

 

「その……岩泉様の事は先代様の書斎にご案内しますので、ご自分でお調べ下さい」

 

 先代の書斎?もしかしなくても、この山荘って先代が山林でナニかしていた時の拠点か?ならば調べる価値は有る。

 

「私達が近くに居る時は、山荘の方々もお守りしましょう。では書斎に案内して下さいな」

 

「待てよ。情報の独り占めは良くないんじゃないか?」

 

「私達も調べたいですわ」

 

 今まで空気だった密教系団体と関西巫女連合の方々から抗議が来たぞ。

 どう見ても武蔵坊弁慶みたいなオッサンと30歳前後の色っぽい巫女さんが代表みたいだ。

 

「最初に調べる権利は私達に有ります。貴方達は、その後になります。それが嫌なら最初から条件を出すべきです。お下がりなさい」

 

 亀宮さん無双でバッサバッサ切り捲りだな。日本の最大勢力の一角の当主だから強気な態度は当たり前だな。

 うん、僕に対しては大分譲歩してたんだ……

 

「書斎と言う位ですし、多人数で押し掛けても逆に調べ辛いでしょう。最初は交渉で条件を引き出した我々が調べます。

そうですね……明日の朝には我々は引き上げますから、宜しいか?」

 

 此処でゴネても不協和音を生むだけだ。なに、調べるだけなら一晩でも平気だし怪しい資料は持ち出せば良い。

 引き上げるとは言ったが、持ち出さないとは言ってない。

 

「む、なら良いだろう。だがSP風情が調べられるのか?」

 

「厳杖(げんじょう)さん、榎本さんは調査のスペシャリストなんですよ、ねぇ?霞さんから聞いてますよ。

私は彼女の姉弟子の高槻(たかつき)と申します。宜しくお願い致しますわ」

 

 綺麗な笑顔でお辞儀をされちゃったよ。改造巫女服を着て独特な化粧をしているが、結構な美人さんだ。

 関西巫女連合なら当然、僕の情報は知ってる。亀宮さんと同行してる事も桜岡さんには話してるからな。

 厳杖と呼ばれた似非弁慶は納得いかない感じだが、僕が自分と同じ脳筋だと思うなよ。

 しかし、この騒ぎの中で加茂宮と伊集院は静観するだけだ。余程の自信が有るのだろう。

 

 逆に徳田と言うイケメン執事だが、能力的に低くないか?

 

 交渉下手だし、とても現役国会議員の……嗚呼、そうか。危険な場所に送り込まれた連中だ。

 飛び抜けて有能か、失っても痛くない連中か……駐車場に屯(たむろ)していた連中と同様に後者なんだろう。

 岩泉氏は僕達に隠している事が多過ぎるな。上手く立ち回らないと足元を掬われるかもしれない。

 

 加茂宮に伊集院、密教系団体と関西巫女連合。

 

 それに会話には加わらなかった連中も癖の有りそうな感じだ。

 僕の情報も駄々漏れだったのは驚きだが、亀宮さんの影響力を甘く見た事が失敗した。

 隣でニコニコしながら僕を見る彼女は、実は霊能力者達から見ればトンでもない御方なんだな。

 

 ヤレヤレだぜ……

 

 

第156話

 

 岩泉氏に呼ばれて、やって来た山荘。直接岩泉氏からお言葉を頂いたが、超放任主義だ。

 だから徳田と呼ばれるイケメン執事とも話したが、彼は見てくれだけで中身はスカスカだった。

 危険を承知で山荘に用意された人材は、岩泉氏的に失っても惜しくない連中なんだろう。

 彼等の庇護を条件に、先代の書斎へ案内して貰った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 イケメン執事を急かせて案内させた先代の書斎。既に場所からして怪しいと言うか普通じゃない。

 問題の書斎は一階の真ん中に有ったんだ。四方を壁に囲まれている部屋だが、広さは30畳近く有るだろう。

 普通は最上階の南側とか環境の良い場所に配する筈だ。だが窓は無いが空調は完備されているし暖炉まで有る。

 

 密室で直火を使うなんて危険極まりないのだが……一酸化炭素中毒なんて即死亡だよ。

 

 重厚なマホガニーの机に革張りの椅子。四方の壁にミッチリと高そうな背表紙の本が並んでいる。

 まさに金持ちの書斎で有り、僕みたいな一般人には映画でしか見た事無い造りをしている。

 

「凄いですね……本が沢山有りますが、全てを読むのは一晩では無理ですよ。それに此だけ広ければ皆さんを呼んでも大丈夫だったのでは?」

 

 一番手前の本棚を見上げながら、亀宮さんが溜め息をついている。

 

「そうだな。御手洗達を呼んで手分けをしても、この本棚一つ読めれば良い方だぞ」

 

 何故か女性陣は全ての蔵書を読む気なのか?見渡すだけでも本棚は20以上は有る。納められた蔵書も1000冊は下らないだろう。

 だが全てを読むつもりは無い。

 だって亀宮さん達が見ている本棚には、国会議員全集とか国語とか英和とかの辞典シリーズとか岩泉氏本人だって読んだか怪しい本がミッチリ詰まってるし……

 ダミーの可能性も有るが、先ずは書斎の中でも執務机の周りの本棚を見る。

 

 人間、必要な物は身近に集める筈だ。

 

「日本書紀・古代の神々・四国古事記・神の国の歩き方・高天原神話・風土記・神道用語集・国生みと神生み……先代の岩泉氏は、日本の古代神に興味が有ったみたいだな」

 

 適当に本棚から一冊を引き抜いて見るが、汚れ方からかなり読んでいたと思われる。パラパラと捲れば、所々にマーカーが引かれてるし……

 

「なになに?神仏は実在するのか……」

 

「随分と話が飛躍しましたね。我々は心霊を相手にするのであって、神や仏を相手にするのは無理ですよ」

 

 一節を読み上げると、亀宮さんから突っ込みが入った。勿論、胡蝶や亀ちゃんでも神仏に勝てる保障は無い。

 いや無理だろ、太古の神々なんて祟り神とかとはレベルが違うぞ。

 

「そりゃ神仏と敵対なんて笑えない。だけど岩泉氏は古代の神々に興味津々だったんだね。何故だ、何故神世の時代に興味が有る?

独学じゃ無理な世界だから、本格的に調べてるなら誰か協力者が居る筈だ。それこそ国学者とか、この蔵書の著者とかも考えられるか?」

 

 事前に調べたり風巻姉妹からの資料には、先代の岩泉氏が太古の神々に興味が有るとは無かった。

 これだけの事をして、周りが誰も知らないとか有り得るのか?つまり、外には秘密で調べていた事が有るんだ。

 

 机の引き出しを開けて中身を確認する。幸い鍵は掛かってなく全ての引き出しを開ける事が出来た。

 高そうな文具類に数冊のノート、それに漫画日本書紀と漫画日本神話だと?机の上にノートと漫画を並べる。

 

「取り敢えずノートの中身を確認しよう。それと漫画版の日本書紀と日本神話が有ったが……」

 

 何の変哲も無い学研とかで出版してそうな漫画版の日本書紀と日本神話。

 パラパラ捲れば、イザナギとイザナミの話に付箋紙が貼ってある。

 

「イザナギとイザナミか……どう思う?」

 

 机の周りにソファーを運び込み、熱心にノートを捲る女性陣に質問する。

 

「私は……余り詳しくないんだ、その……」

 

 まぁ滝沢さんは肉体派だからな、知恵熱出す前に止めておくか。彼女に難しい話は無理だろ。

 

「なっ?何だ、その生暖かい目線は!別に普通はタイトル位しか知らんだろ、日本書記とか古事記とか?」

 

 真っ赤になってワタワタ手を振る彼女は、実年齢より幼く見える。

 まぁ事実、周りの連中に日本書紀とか日本神話って内容知ってますか?って聞いても正確には答えられる人は少ないだろう、専門的に学んでなければ。

 

「はいはい、滝沢さんは肉体派だからね。大丈夫、大丈夫だからね。亀宮さんは知ってる事が有るかい?」

 

 滝沢さん弄りはこの辺にして、本命の亀宮さんに話を振る。彼女は滝沢さんが僕に弄られていても平気だった。

 同じく知らないなら、話が振らないか心配そうにする筈だ。

 

「そうね……日本神話の神々のほぼ全てはイザナギとイザナミから生まれてるわね。

つまり古代神達の始まりの夫婦ね。岩泉さんは、何故古代の神々に興味が有るのかしら。

もしかして今回の原因は神話に出てくる神々と関係してる?」

 

 おぃおぃ、そんな連中が相手なら逃げるぞ。割と真面目な顔でトンでもない事をおっしゃる。

 神々の本体か関係者なんか出てきたら、この辺一帯が更地になってるって……

 

「何だ、榎本さんは考えが違うのか?曖昧な顔をしてるぞ」

 

 少し嫌な事を想像してたら、滝沢さんから突っ込みを貰った。

 

「曖昧な顔って……イザナギとイザナミは日本の大八島を造った神として古事記に載ってる。

日本書記でも同様な事が書かれているよね。

さて……

この本が編纂された時期は、大和朝廷の時代だよ。つまり時の権力者に有利な話になってる、有利に作ってる。

近代だって戦勝国が勝手に歴史を捏造するのと同じだよ。具体的に言うと神々の頂点に天照大神を祀り、その子孫が神武天皇だ。

有力豪族が祀る氏神様とかを枝葉の神々に据えた。この話を広める事により大和朝廷は、制圧した地方の豪族達や民を抑える事が出来ると思ったんじゃないかな。

神々の信仰が今では考えられない位に強かった時代だからね。スサノヲでさえ、出雲・須佐地方の神でしかない。スサノヲの子孫である大国主命も出雲の神様だ。

あの時代、出雲の豪族達は強い勢力を持っていた。だから大和朝廷は、せめて崇める神々だけでも親戚にして彼等との外交に使ったんじゃないかな?

まぁ俗説だし、今となっては確認のしようも無い。って、何でそんな顔で見るかな?」

 

 ボケッと僕を見詰める女性陣に声を掛ける。信じられないモノを見る様な目は止めて欲しい。

 この説は割とポピュラーな話だろ?記紀神話を読めば、それ位の知識は……

 

「最も脳筋な榎本さんが知的な事を?似合わない、全く似合わない。

オレ、オマエ丸カジリとか言われた方がマシだ。または、ダマレ、犯スゾ雌豚とか?

知的な肉達磨とか違和感が有り捲りだぞ!」

 

 滝沢さんの隠された性癖を垣間見たぞ。この娘、ドエムかよ?

 八王子の怨霊も怪我を厭わないドエムだったが、嫌な趣味じゃないか。

 僕には全く理解が出来ないが、美人のドエムって需要は有るんだろうな……残念な美人の滝沢さんに心の中で溜め息をつく。

 

「私は榎本さんが知的な事は知ってましたよ。

お坊様なのに神道系の神々にまで詳しいのにはビックリしました。桜岡さんの影響かしらね?」

 

 此方は、何やら含みの有る言い方で睨んできた。僕が日本神話とかを調べたのは、仕事で同様な事が有ったからなんだけど……

 

「僕はドエスだけど滝沢さんの気持ちには応えられない。放置プレイ推奨で。別に霊能力者として日本書紀や古事記とかを調べるのは普通だろ?

僕も昔だけど廃れた神社に良くないモノが取り憑いたって依頼を請けた。原因を追求する為に主祭神とかを調べ始めたのが切欠だよ。

勿論、主祭神が悪さをしていた訳じゃない。人間と神々の解釈の違いだな。彼等は人間界のルールは適用されない。

時には理不尽とも思える仕打ちをするんだ」

 

 胡蝶だって先祖が崇めないからって、説明せずに一族を殺し続けた。だが理由を理解し崇めれば、とても協力的だ。

 何でも人間が一番なんて勘違いも甚だしいんだよ。

 

「私はドエムじゃない!」

 

「その依頼はどうなったんですか?榎本さんは神々と対峙した事が有るんですね」

 

 一人は真っ赤になってワタワタと、一人は純粋な尊敬の目を向けてくる。そんなに大した事はしてないんだけど……

 

「対峙って戦ったら負けは確定してるんだ。その神社は後継者問題で廃れたんだよ。だから地権者に説明して、住み込みで神社を継ぐ方を募集・斡旋したんだ。

その上で上位神を祀る神社から御札を貰い、廃れた神社を掃き清めて謝ったんだよ」

 

 アレ?これって胡蝶の時と同じだ。僕は正解を知っていながら学習能力が欠落してたのか……

 

「なっ、何で跪いてるんですか?ドエムの件は怒ってないから大丈夫ですよ」

 

「流石です!はなから勝てないモノは相手にしない。その上で手打ちを取り纏めてくれる上位者を探し出すなんて。民事調停みたいです」

 

 微妙な御意見を頂きました。うん、流石はドエムだ。此方が困れば直ぐに謝ってくる。

 基本的にエム属性の方って優しいのだろうか?亀宮さん、確かこの案件は危うく死にそうになったんだ。

 

 民事調停って、御近所の諍いレベルまで墜落したぞ。

 

「いや、大丈夫だよ。少し過去の自分を叱りたくなってさ。

もう大丈夫だ、解決した話だし被害も食い止めたんだ。大丈夫、僕は大丈夫だから……」

 

「正明、あの時もヒントは言ったぞ。我が身に置き換えてみろ、と……」

 

 胡蝶さんからも駄目出しが来ました。そう言えば、そんな事も聞いたな。余裕の無い時期だったから、深く考えなかったんだ。

 

「それと、この部屋には餓鬼の気配が残ってる。数は多いが不味い奴等のな。

ふむ、暖炉の辺りが濃厚だぞ。それと机から禍々しい気配が有る。まだ秘密が有りそうだな」

 

 餓鬼?禍々しい気配?机?何だろう、机の中は全て調べたけど……胡蝶に言われた通りにマホガニーの机を調べ直す。

 引き出しを全て取り出し、天板や側面の板も叩いてみた。

 

 机の下に潜って裏側を調べている時に、呆れ顔の滝沢さんが「榎本さん、何をやってるんですか?」って聞いてきたが、まさか胡蝶に言われてナニかを探してますとも答え辛い。

 

「うん、その机からね。良くない気配がするので調べているんだ。この机、まだ秘密が有りそうだよ」

 

「ひっくり返しましょうか?」

 

 そう言うと亀宮さんが机の上の物を片付け始めた。

 

「ほら、反対側持って!」

 

 マホガニー製の机だから50キロ超えなんだが、引き出しの有る右側を僕が左側を女性陣が持ってひっくり返した。

 

「机の下は結構汚れてますね……あら、何かしら?」

 

 絨毯の上に置いている家具だから、頻繁には動かさない。だから隙間には埃が溜まっているのは仕方ないだろう。

 だが、埃の他に……

 

「古銭かしら?うーん、古くて分からないけど日本かしら中国かしら?」

 

「それと古い手帳ね……」

 

 机を退かすと古銭と手帳が見つかった。あの手帳が胡蝶の感じた禍々しい気配を発してるのか?

 拾おうとする亀宮さんの細い手を掴んで止める。

 

「待って、亀宮さん。この手帳だけど、禍々しい気配がしないかい?僕は素手で触るのは嫌だぞ」

 

 彼女はキョトンとしていたが、手帳をマジマジと見て何かを感じたみたいだ。

 

「うーん、確かに嫌な気配がするわ……待って、祓いましょう」

 

「亀宮さんって物に憑いたヤツを祓えるの?」

 

 僕の拙い霊能力の霊視では、核心的な事は分からない。少し嫌な感じがする古い手帳としか……

 

「榎本さん?何時までも亀宮様の手を握ってないで離せ!全く私の前でイチャイチャは許しません」

 

 滝沢さんの指摘に気付いて、慌てて握っていた亀宮さんの手を放す。別にイヤらしい気持ちで握ってた訳じゃないぞ!

 



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第157話から第159話

第157話

 

 先代岩泉氏の書斎を調べた。出てきたのは大量の日本神話についての著書。

 

 古銭と古い手帳。

 

 胡蝶は手帳と暖炉から禍々しい雰囲気が漏れてると言う。だが、こうも簡単に手掛かりが見付かるのが怪しい。

 掌の中で弄ぶ古銭に刻まれた文字は漢字だが、日本の漢字ではない気もする。

 この古銭も意味有り気だが、造りは大陸製な感じがするし……日本神話・古代中国の古銭の繋がりって何だ?

 イザナギとイザナミに拘る理由は?岩泉氏は何をあの山林に隠しているんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「先ずは、この古銭について調べよう」

 

 怪しい手帳の周りには清めた塩で結界を張った。戻した机の上に置いた古銭の裏表を写メに撮り、メールに添付して風巻姉妹に送る。

 送信終了後、直ぐに名古屋の拠点に電話を掛ける。3コール後、直ぐに繋がった。

 

「もしもし、榎本です」

 

「佐和です。どうかしましたか?」

 

 姉の佐和さんが出た。妹の美乃さんよりは理知的で思慮深いから良かったか?

 

「早速だけど調べて欲しい。先ずは携帯の方にメールした添付写真の古銭についてなんだけど……」

 

「携帯メール?ああ、コレね。ふーん、どうしたのコレ?秦代の制銭っぽいけど、本物なら大した価値よ」

 

 秦代?制銭?専門用語が出て来たけど、佐和さんって中国史に詳しい人?

 

「先代岩泉氏が隠していたんだ。その古銭だか制銭だか何だか調べて欲しい。

それと岩泉氏だけど、日本神話を調べていた。日本書記や古事記等、一寸した学者並の蔵書量だ。

彼が何故、これほど迄に調べていたかが知りたい。

報告書には無かったし、僕も調べられなかった。この辺に山林の怪異が関係してると思う」

 

「分かったわ。制銭と先代岩泉氏が何故、日本神話を調べていたか?誰かに協力して貰っていたのか、独学か?

何時からか等、分かる範囲で調べてみる。後は何か有るの?」

 

 流石は亀宮一族の諜報を任されているだけの事は有るね。普段の姿からは分からないけどさ。

 

「一寸待って、亀宮さんに聞いてみる」

 

 一旦通話を止めて女性陣に声を掛ける。何やら手帳と睨めっこしてるが、中身を見なきゃ分からないだろ?ああ、まだ触っちゃ駄目だよ!

 

「佐和さんだけど他に何か有るかって?」

 

 話し掛けるが、首を振ったり手でバッテンしたりと質問をジェスチャーで返してきた。つまり何も無いって事だな。

 

「特に無いって。今日から此方に泊まる事になるかな。明日、一度そっちに戻るから今後の進め方を相談しよう。じゃ宜しく」

 

 そう言って電話を切る。今日は調べられるだけ書斎を調べて、必要な物は全て持ち出そう。

 馬鹿正直に古銭や手帳の事を話す必要は……今は無いな。

 確認はしてないが、共闘・協力の申し入れは無い。なのに我々から情報を公開する義務も無い。

 

「さて、手帳を調べますか……」

 

 此処は僕が手帳に触れるしかない。滝沢さんは霊的防御0に近い素人さんで、亀宮さんは雇用主だ。

 ならば消去法で僕しか居ないのが辛い。

 

「胡蝶さん胡蝶さん。手帳を調べるので守って下さい」

 

 オートガード胡蝶さんにお願いする。

 

「ん?喰えば良いんだな。余り上等とは言えぬが良かろう。早く触れ」

 

 直ぐに頭の中に直接響く声、幼子の様に甲高い声だ。おぃおぃ、何でもかんでも食べないて下さい。調べ物ですよ、胡蝶様。

 

「榎本さん?何を手帳をじっと見て固まってるんですか?」

 

 僕と胡蝶との会話に滝沢さんが割り込んできた。端から見れば固まって動かない僕は不審だよな……

 

「ん?精神統一中。危ないかもしれないからね。注意は必要だ」

 

「すまない、邪魔をした」

 

 取って付けた言い訳に素直に頭を下げられてしまった。手帳を見詰めて如何にも精神統一をしてる風を装う。

 

「胡蝶様、あの手帳は手掛かりなんで食べちゃ駄目なんです」

 

「物理的に喰う訳じゃないぞ。禍々しい邪念が蔓延ってるのだ。それを喰らう。

さすれば正明が手帳に触れても問題無い。早く手帳に手をかざせ」

 

 流石は胡蝶だ。禍々しい邪念も気になるが、今は手帳の中身が知りたい。

 清めた塩の結界の中に置いて有る手帳に左手をかざす……ギュポンって音が聞こえて、手帳から禍々しさが消えた。

 

「ん、成功だ。手帳にこびり付いていた禍々しい邪念は消えたよ」

 

 白々しく左手で額の汗を拭く振りをする。如何にも僕が蔓延った邪念を祓った事にする為だ。

 

「つまり呪いが解けたのね。榎本さんの凄い所は物に憑いた念を壊さずに祓える事よね。

ウチの壷だって亀ちゃんなら壊してしまうかもって厳重に保管してたのを簡単に祓うんだもの。私達には真似出来ないわ」

 

 さり気なく私達って事は、僕と胡蝶の事を暗に言ってるんだろうな……まぁ僕の指示で胡蝶が動いてると思ってくれた方が良い。

 逆だと恥ずかしいのもそうだが、取り憑かれていると思われたら大変だ。

 制御出来ない強力な存在なんて排除対象と変わらないからね。

 

「さてページを捲るよ……」

 

 そう言うと小さな手帳に三人が覗き込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 古い手帳は今で言うシステム手帳と同じだ。一年分のカレンダーには月別に毎日コメントが書ける欄が有る。

 後ろはメモ帳になっている。

 

 因みにカレンダーは1982年の4月から1983年の3月迄だ。

 

「30年近く前ね。私の生まれる前だわ。榎本さんでも幼稚園位でしょ?かなり古いわね」

 

「先ずは4月だけど、この手帳は仕事用なんだな。予定がビッシリだ。

会合・会食・演説・懇親会にゴルフ……忙しいのは忙しいが、飲み食いやゴルフも仕事なんだろうか?」

 

 政治家の実態って……

 

「根回しが出来て一人前の政治家なんです。ただ反対意見や民意を汲んだ発言をしても、実際に法案として通せるかが大切なんです。

舌の根も乾かずに発言を替える連中は、より強い存在に取り込まれただけです。榎本さんは政治にも詳しそうですが、どう思いますか?」

 

 ああ、政治と野球の話は炎上するだけで不毛な話し合いなんだよね……

 確かに公約を守らず罰則もなく、選挙に当選する前後で発言の変わる連中は嫌いだ。

 

「お恥ずかしいですが、政治には疎くて……」

 

 頭を掻きながら笑って誤魔化す。長い話し合いはご遠慮したいですから、はい。

 

「そうなんですか?色々と詳しそうですけど……」

 

 亀宮さんは納得出来ないって顔で話を引き摺っているが、僕は君が話好きなのを水曜どうでしょう?で嫌と言う程に知っている。

 だからシラを切り通す……

 

「それよりも手帳の中身だ。滝沢さん、念の為に扉の鍵を閉めてくれる。遅いかもしれないけど、此処からが事件の本質に関わる筈だからね」

 

 迂闊だったが、戸締まりを確認するのを忘れた。いや、女性同伴で密室に籠もる事を無意識に回避したのだろうか?

 それとも体に染み付いた避難経路確保根性か?兎に角、出入口は一カ所しかないからな。

 

「分かった、はい閉めたぞ」

 

 滝沢さんは、一度扉を開けて廊下の左右を確認してから鍵を閉めた。他の連中に古銭や手帳がバレずに済んでるな。

 

「じゃ改めて手帳を捲るよ。先ずはカレンダーの方だけどメモ欄が小さいから短縮されていて分からないのも有るな……」

 

 会合神楽坂・演説東京駅・下見新潟・懇親会京都等なら何となく分かるし事件には関係無さそうかな?これは仕事関係だと思う。

 

「この◎で時間だけ書いてあるのは何だろう?4月7日15時とか……」

 

「うん、平日の昼間だね。22日は19時だし25日は10時だ。

曜日も時間も不規則なのは何だろう?取り敢えず書き出しておくか……」

 

 一覧にしておけば関連が分かるかも知れない。

 

「ねぇ、この石渡先生会合って怪しくない?他は地名なのに人名が出て来るのは初めてよ」

 

 未だ4月分しか見てないが、固有名詞は初めてだな。

 

「確かにね。だけど名字だけじゃ分からないな……5月を見てみよう」

 

 そう言って手帳を捲る。一時間近く掛けてカレンダー部分を見終わった。

 

 手帳に書かれていた人物は三人。石渡先生・真田・桜井君。

 

 先生は目上、名字のみと君付けは親しい相手か格下か判断がつかない。前後に文が有れば予測はつくけど、名前と時間だけじゃ無理だ。

 後は◎で時間だけ書いてあるのは一年で21回も有った。他は仕事と判断が付かない書き込みばかりだな。

 考え過ぎた為か滝沢さんの頭から湯気が見える気がする程、彼女の疲労度が高い。

 亀宮さんは普通にメモを見詰めて考え込んでいる。お腹の空き具合を考えれば既に夕方だろう。

 窓が無いので分からないが、携帯電話のディスプレイを見て確認する。

 

「亀宮さん、滝沢さん。もう6時前だ……手帳のメモのページを確認したら休憩しよう。

この内容は僕等じゃ調べるのは難しい。風巻姉妹に任せて内容だけは確認しよう」

 

 見詰めていたメモから僕に目線を移す亀宮さん。何時の間にか眼鏡を掛けてますが……

 

「アレ?亀宮さんって近眼?目が悪かった?」

 

「ん?伊達眼鏡ですよ。何となく知力が上がる気がしませんか?」

 

 上目使いで僕を見詰めて眼鏡を鼻の上で押し上げる仕草をする。

 

「ナイスだ!」

 

 グッと右親指を押し上げる仕草をして同意する。亀宮さんが当社比二割り増し位に美人に見える。

 ロリコンフィルターが無ければ五割り増しは固いだろう。眼鏡って魅力を押し上げるアイテムなんだな。

 今度、結衣ちゃんにも掛けて貰おう。知的美少女も良いな。特に結衣ちゃんは大人しい優等生だから、似合うのは間違い無い。

 優しい結衣ちゃんだからクラス委員長や風紀委員とかでなく、図書委員な感じだと思うが……

 

「榎本さんが素直に女性を褒めるなんて……眼鏡フェチなんだ、ドン引きするわー」

 

 僕と亀宮さんが見詰め合っていると、横で滝沢さんが小声で毒を吐いていた。

 このドエムはヤンな気質も持ってそうだな。気を付けないと残念な美人かつ厄介な美人に絡まれそうだ。

 

「まぁアレですよ、その……折角、亀宮さんが振ってくれたボケなんですから。

ちゃんと受けるのが人として当たり前の行動ですよ。実際に知的美人だし問題無いでしょ?」

 

 亀宮一族の派閥の一員として、当主のボケをスルーしちゃ駄目だし。

 

「知的美人!ふふふ、私は知的な美人」

 

 妙に御満悦な亀宮さんから目線を逸らして手帳を捲る。メモのページには余り書き込みは無い。

 だが最初のページに、この二文字が……

 

「暗黒神話、日本武尊……暗黒神話?いきなり胡散臭くなったな。日本武尊ってイザナギとイザナミはどうした?」

 

 あれだけ意味有り気な二柱が無くて日本武尊?それに暗黒神話か……

 違うとは思うが、僕の学生時代にそんな短編漫画が有ったな。確か日本武尊の生まれ変わりが、中学二年生なんだ。

 神の生まれ変わりの14歳なんだ!もう30年以上も前の漫画だが、既に厨二を取り入れていたなんて!なんて先見の明が有ったんだろう。

 

「いくら何でも、それは無いだろうな。暗黒神話ね……古代の神々の負の面の事かな?それとも日本武尊の負の面か?」

 

 日本武尊と言えば景行天皇の皇子で、気性が荒く父親から疎まれた厄介な奴だ。

 わざわざ九州の熊襲と東国の蝦夷に遠征に行かされる位に疎まれていた。だが戦に勝ち続ける事は、英雄と同義だ。

 神の血を引いた天皇の皇子である皇族将軍が、地方の敵対勢力を苦労の末に次々と打ち破る。

 

 大和朝廷としては、軍事面のシンボル的な存在だ。

 

 侵略の正当性を高めたり、その後の平定にも利用出来ただろう。何しろ神の軍団だ。

 国の為、民草の為にと父に疎まれた皇子が、数々の苦難を打ち破り名声を高めていく英雄伝だ。

 後は草薙の剣や弟橘比売(おとたちばなひめ)位しか思い浮かばないな……

 

 

第158話

 

 数々の日本神話の中でも軍記物として有名なのが、日本武尊の東国平定だろう。

 九州の熊襲の平定は、騙し討ちがメインなので東国の方が好まれる。

 二人の妻が出て来るし、弟橘比売(おとたちばなひめ)の悲劇も有る。

 有名な早水の渡り(東京湾)で、荒れた海を鎮める為に弟橘比売が海の神に身を捧げるアレだ。

 それに神器の一つ、群雲の剣(後の草薙の剣)も活躍する。

 最後は己の慢心故に山の神に傷を負わされ死ぬのだが、死して白い鳥となり何処かへ飛び去って行く。

 要約し過ぎだが日本人好みの悲恋絡まる教訓を含んだ話だ……だが日本武尊と暗黒神話が結び付かない。

 確かに若い頃の日本武尊は、現代感覚ではやり過ぎな感じがするやんちゃ坊主だ。

 実の兄の手足を千切り簀巻きにして放り出したり、父親に召された女性を我が物にしたりと散々な悪さをしている。

 九州遠征も殆どが謀略と騙し討ちで敵を殺している。

 単身で敵に勝つには仕方の無い方法だが、決して誉められる事じゃない。

 だが、それらが暗黒神話とまで言われる事は無いんじゃないかと思う。

 

 もっと凄惨な話は良くも悪くも身近に有るのだから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 書斎の机を囲み悩む男女三人。僕と亀宮さんは色々と考えているが、滝沢さんは思考を放棄したみたいだ。

 別室で待機している御手洗達に携帯電話で現状を説明している。

 彼等は脳筋だから、この手帳の内容について検討に参加は無理だろう。

 それに情報漏洩を回避する為に、古銭と手帳は三人だけの秘密だ。

 滝沢さんに口を酸っぱくして頼んだ。一番信用出来ないのが、うっかりな残念美人の彼女だからだ……

 

「日本武尊ですか?結構時代が飛びますね……でも風土記にも載ってますし、可笑しくは無いのでしょうか?」

 

 日本武尊と聞いて風土記って単語が出る位に、亀宮さんは知識を持っている。それは単純に凄いと思う。

 

「軍神の見本みたいな半神半人の英雄ですからね。だけど今回の原因としてはビッグネーム過ぎますよ。

彼が相手なら我々が束になっても勝てない。彼が本気なら、この辺一帯が更地になってる。それ位に凄い神様なんだ。だが……」

 

 手帳の日本武尊と暗黒神話と書かれたページをトントンと指先で軽く叩く。

 

 このページに書いてある日本武尊と暗黒神話。それ以外はページを捲っても何も書かれてない。

 

「暗黒神話ってなんでしょうか?単純に神々の負の側面とか?」

 

 亀宮さんの考えは諸星大先生の漫画の暗黒神話には結び付けてない。まぁ当然だな。

 あの漫画は確か1980年前後の少年ジャンプに連載していた。この手帳のカレンダーは1982年だから、ヤバいな時代的には合うな。

 

「確かに日本武尊の負の側面は有名だ……

仮に肉親の手足をもいで簀巻きにするとか、父親の愛人を奪うとかが負の部分って言われても、今回の事件に関連が有るのかな?」

 

 多分だが結界を破って中に入った測量会社の社員を見せしめに殺して放置した。

 此方から近付かなければ、或いは危害を加えないのかもしれない。だが警告を無視して多数の人間が奴のテリトリーに侵入してしまった。

 問答無用で殺しているが、テリトリーから出て来る気配は無い。

 

 今の所だけど……

 

「日本武尊そのものではなくてですね。彼の逸話に関連する場所とかが関係してるのでは?

例えば彼は、東国平定で最初に伊勢神宮に立ち寄ってます。当時の斎王は彼の叔母である倭姫。

彼女は日本武尊に群雲の剣を授けています。次の尾張の国では最初の妻である、宮ズ姫(みやずひめ)と出会ってますし、彼の最後の地でも有ります。

山の神に倒された場所ですから……」

 

 白い鹿だか猪を神の使いとは考えたが、無視した為に雷だか雹だかに打たれてしまった。その傷が治らずに死んだんだっけ?

 

「うーん、伊勢神宮も尾張の国も近いけど……どうなんだろ?

尾張の国の後は相模の国の賊退治だしな。群雲の剣が草薙の剣と呼ばれる由縁の……」

 

 お互い腕を組んで考え込む……イマイチ名古屋のあの山林と日本武尊が結び付かない。

 何気なく手帳を弄っていると革のカバーの隙間に何かが挟まっているのに気付いた。

 

「何だろう?」

 

 隙間を広げて取り出すと、それは写真だった。古い、それこそ白黒の古い写真だ。

 

「今のプリントサイズより小さいですね。それに白黒なんて久し振りに見ましたよ」

 

 普段よく見る写真よりも二回りは小さな白黒写真。そこには洞窟の入口が写っている。だが周辺が殆ど写ってないので場所の特定が難しい。

 

「洞窟か……あの山林の中に有るのかな?なっ?これは……血だな」

 

 何気なく裏返したが、指紋が張り付いている。べっとりとした血と一緒に……

 

「これが禍々しい気配の正体か?だが、この指紋は小さくて細い。見た感じでは女性か子供だ……」

 

 先代の岩泉氏は写真で見る限りは厳つい感じだった。手だって太く大きかった。

 戦後で苦労した人の働く厳つい手だ。こんなに小さく細くはない。じゃあ誰の指紋なんだ?

 

「警察に指紋照合は頼めませんよね?」

 

 亀宮さんの言葉に、良く刑事ドラマで見る鑑識の人達を思い浮かべる。

 彼等ならデータベースに有れば一発で分かるだろう。だが……

 

「無理だと思う。それに犯罪歴が無ければ指紋は保管してない。

その線は個人情報保護の観点からも教えてはくれないだろうね。

後は先代岩泉氏の周りに居た人の可能性から調べるにしても難しいだろうな」

 

 何かの犯罪の決定的な証拠でもなきゃ警察は動かない。

 仮に現当主の岩泉氏に頼んでも、今の所は事件解決の有力な手掛かりでもないから無理だろうな……

 先ずは写真の洞窟について調べるか。グーグルアースで可能な限り拡大して山林を調べれば或いは……

 

「この写真も風巻姉妹に調べて貰おう。場所を特定したいな。

地形まで分かるかは微妙だが、グーグルアースで山林を調べてみよう。

駄目なら聞き込み、先ずは山林に入らずに調べるだけ調べよう」

 

 手帳については、大体方針は固まった。次は放置していた暖炉だ。胡蝶は餓鬼の気配が濃厚と言った。

 僕では感じられないが、彼女が感じたなら正しい。

 

 暖炉の前で屈んで調べる……

 

「ん?これ暖炉じゃないな……どっちかと言えばダクトじゃないかな?」

 

 壁に縦50㎝横70㎝の鉄製格子枠が嵌っている。格子の幅は3㎝程度、縦に均等になっている。

 本来の暖炉なら薪や炭を燃やし暖を取る。だが床が無くて穴が開いてるんだよ、コレ。

 上は塞がり下に深い穴が開いている。しかも嵌められた格子は上下左右をボルトでガッチリと固定してある。

 レンチを使わなければ開けられない構造だ。懐からマグライトを取り出して奥を見る。

 

 格子の隙間から届く強力なマグライトの光……

 

「自然石みたいな壁だな。もしかしたら自然に出来た縦穴じゃないか?

それを厳重に塞いでいるのかな?何故だ、何故わざわざ塞いでいるんだ?」

 

 格子に手を当てていた亀宮さんが、自分の髪の毛を一房摘み近付ける。風により僅かに靡く髪の毛……内側から部屋の中に風が入ってきている。

 

「風を感じます。何となくですが、この縦穴と写真の洞窟って繋がっている気がします。勿論、霊感ですが……」

 

 安易な発想だが、実は僕もそれは考えた。だが縦穴は精々が50㎝角だから、調べるとしても人が降りるには難しい。

 ロッククライマーなら可能かもしれないが、僕だと穴に詰まって終わりだ。試しに机の上に置いてあった文鎮を落としてみる。

 

 円形の文鎮を縦の隙間に押し込むと、何の抵抗も無く闇の中に消えていった……数秒後、僅かに金属音が聞こえた。

 

「うーん、思ったより深いな。落下して数秒後に音が聞こえたって事は30m以上有るかな……」

 

「つまりは地下洞窟に繋がってる?それとも空井戸かしら?」

 

 分かった事は餓鬼の気配がする穴は深いって事だ。地獄に繋がってる様で嫌だな……屈んで暖炉みたいな物を見ていても仕方無い。

 立ち上がりパンパンとズボンを叩いて埃を落とす。

 

「さて夕飯を食べに一旦出ましょう。滝沢さん、書斎の鍵は預かってたよね。戸締まりはしておこう。食後にもう少し調べようか?」

 

 短時間で幾つものヒントが見付かった。

 後はパズル宜しくピースを嵌めていくだけだが、原因を特定出来ても解決にはならないんだよな。

 窓が無いので時計でしか時間を判断する術はないが、腹時計は既に6時を過ぎている。

 適当に歩いて使用人を見付けると夕飯の食べれる場所を聞いた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 山荘には専属のコックが居る。10人位が座れるテーブルが4つ並んでいる本格的な食堂だ。

 白いテーブルクロス、磨き上げられた銀製品の食器。そこに座る美人二人とオッサン五人……御手洗達と合流し、食堂に通されたがメニューは選べないみたいだ。

 

 普通の洋食のコース料理を頂く。

 

 サラダに磨き上げられられた銀のフォークを突き刺す。サニーレタスを頬張るが、残念ながら味は普通だ。

 食器は上等だが料理は普通、全くもって普通だ。それ程新鮮でもないサニーレタスに、市販品らしいドレッシング。

 

 食事付きのビジネスホテルで饗される料理のグレードと言えば分かり易いか……最初の予想通り、ここに集められた連中は失っても惜しくないのだろう。

 

「夕飯を食べたら少し休んで、引き続き書斎を調べよう。何も見付からないじゃ格好悪いからな」

 

 周りに聞こえる様に話す。如何にも書斎では手掛かりが見付からなかったと……

 

「そうですね。榎本さん、調べたら一旦名古屋迄行きませんか?」

 

 何故か箸でサラダを食べる亀宮さんが聞いてきた。確かに敵と言うか信用出来ない連中に囲まれていては、ゆっくり休めないか。

 それに早めに手掛かりを渡した方が良いな。サラダの次に出されたステーキをナイフとフォークで切り分ける。

 肉はそれなりの質だが、焼き過ぎだ。いや、僕の舌が肥えてるだけだろう。

 御手洗達は美味そうに食べているし、お代わりもしている。焼き気味のステーキを一切れ口にいれて咀嚼する。

 

 うーむ、結衣ちゃんの手料理を食べ桜岡さんと気に入った店でフードファイトを繰り返していたツケが来たのかな?

 

「榎本さん、余り食事が進んでませんが……体調でも悪いんですか?」

 

 向かい側に座っている亀宮さんが心配そうに僕を見ている。ああ、飯が不味いんすよ!とは言えない。

 

「少し考える事が多くて上の空でした。大丈夫ですよ、体調は万全ですから」

 

「なら良いんですが……舌が肥えてる榎本さんですから、料理が気に入らないのかと。何なら外に飲みに行きますか?」

 

「おお、酒ですか!良いですな」

 

「亀宮様、仕事中です。控えて下さい」

 

 顔を引き吊らせている滝沢さんを見れば分かる。彼女は亀宮さんの酒乱気味な絡み酒を知ってるな……

 

「初日ですし、書斎の調査も終わってないですから遠慮しますよ。やる事やって今夜は早めに休みましょう。

明日から本格的に忙しくなりますから」

 

 亀宮さんの気遣いと滝沢さんの心配を天秤に掛けて後者を取る。

 ヘベレケの亀宮さんは無防備で危険だから、加茂宮の連中に彼女の痴態を見せる必要は無い。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕食後、少し休んでから再び書斎に来た。御手洗達は来ていない。

 一応礼儀で話を振ったが、知的労働は苦手と言うか……交代で部屋の外を見張って貰っている。

 だが小銭・手帳・写真・暖炉と重要そうなアイテムは既に手中に有る。後は散々調べた的な感じを出せば良い。

 つまり本棚を引っ掻き回したりして多少の演出をするのだ。

 

「榎本さん、適当に本を入れ替えたり出し入れするだけで良いのか?部屋を荒らしているみたいで嫌なんだが?」

 

 滝沢さんから真っ当な意見が来たが、今はカモフラージュも必要なんです!

 

 

第159話

 

 先代岩泉氏の書斎。

 

 此処には彼が何らかの呪術的な関わりが有った事を仄めかす証拠が沢山出て来た。古銭・手帳・写真・色々な関連書物。

 それに胡蝶が餓鬼の残滓がこびり付いていると言った暖炉擬き。

 それらを纏めて考えると、先代岩泉氏は古代の神々の暗黒面の何かと関係している。

 その何かが絞り切れないのだが、イザナギとイザナミに日本武尊が有力だ。

 勿論、そんな神々が相手なら僕等に勝ち目は無い。その関係の何かが問題なんだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ねぇ榎本さん。こんなノートが挟まってたんだが……コレって関係有るのだろうか?」

 

 粗方の証拠品は確保出来たのでダミーの為に本棚の書籍類を出し入れし、如何にも入念に調査した形跡を醸し出そうとしたが……

 出るわ出るわ、疑わしい怪しいと思われる品物が!滝沢さんが差し出してきたノートには、ビッシリと祝詞が書かれている。

 パラパラと捲るが、ノートの半分位まで几帳面に万年筆で書かれている。筆跡は手帳に書かれた文字と比べても似ている気がする。

 

「んー……何の祝詞かは調べないと分からないな。関西巫女連合の連中なら分かるかもしれないが、聞くに聞けないな」

 

 亀宮さんは僕からノートを受け取り、熱心に読んでいる。

 

「この祝詞ですが……同じ文章が繰り返し書かれてますね。何か祝詞を覚える為に練習している様な……

ほら、学生時代の記憶術に何度も繰り返し書いて覚えるとかやりませんでしたか?」

 

 漢字の書き取り練習か?だが確かにノート2ページ分の内容が、繰り返し書かれている。

 普通に考えれば、この祝詞を調べれば重要なヒントが分かるのだが……机の上に並べられたノートを見てウンザリする。

 そこには同じ様な祝詞が書かれた7冊の大学ノートが置かれている。

 

「つまり先代岩泉氏は、神主に成りたかった?どれも微妙に違う祝詞だけど……」

 

 試しに胸ポケットから携帯電話を取り出しGoogleに繋ぎ、祝詞の一節を入力し検索する。

 

「科戸乃風(しなどのかぜ)の雨乃八重雲(あめのやえぐも)っと……おっ?検索に引っ掛かったな。

大祓いの祝詞か。しかも現代訳の方だな」

 

 魔を祓う祝詞だ。だが比較的一般的にも知られている祝詞なんだろう。インターネットで検索出来る位だし、秘術でも何でも無い。

 

「分かりました!先代岩泉氏は自ら今回の騒動の原因を祓おうと調べていた。

しかし志半ばで亡くなり、抑えきれないナニかが今回の悪事を働いている」

 

 ポンと手を叩き持論を話す滝沢さん。ドヤ顔だが、それは穴だらけの推理だぞ。亀宮さんも難しい顔をしているし。

 

「それも有るかも知れない。だが、単に良くない物を祓うなら本職に頼めば良い。

自分で祓うリスクの方がデカい。

仮に人に言えない事情が有るなら、信用のおける口の堅い連中を探す。又は口を封じるな。

自らが危険を犯してまでは霊能力者や神職の真似事はしないよ、普通ならね。ましてや岩泉一族は金持ちで権力者だよ」

 

 素人が学んで自分で何とかしようなんて、それは他に頼む伝手やお金が無い人達の考える事だ。

 自分以外に対応出来る人が居ない時に、仕方無く最後の手段で危険な行為に及ぶ……だが金も権力も有った先代岩泉氏が、自ら危険を伴う除霊をする必要は無い。

 

「確かにそうね……私達だって居るんだし、守秘義務だって有るわ。無ければ仕事なんて請けられない。

私達に依頼してくる方々は大抵が何かしらの後ろ暗い事が有る連中よ。亀宮の700年の歴史を見ても秘密を守る事は周知の事実。

加茂宮も同じ、伊集院は歴史が浅いから分からないけど……」

 

 やっぱり金持ちや権力者の依頼人が多い御三家は色々と有るんだな。其処を詳しく聞くのは避けた方が良いだろう。

 だが幾ら悩んでも三人寄れば文殊の知恵とは限らない。調査は風巻姉妹に頼もう。

 

「今は限られた時間で手掛かりを探す事が大切だ!さぁもう少し頑張ろう」

 

 パンパンと手を叩いて調査の再開を促す。今は悩むより探す方が大切だからね……そして更に二時間程、頑張って色々調べた。

 結局、幾つかの本棚に色々と書き込まれた大学ノートは挟まっていた。

 

 合計12冊の大学ノートには同じ様な祝詞が書かれており、先代岩泉氏は強く神職に惹かれていたと思われる。

 御手洗達を書斎に呼び、大学ノートを分散して隠し持って貰う。僕は一冊だけ隠さずに手に持つ。

 

 手ぶらで調べていた書斎から出て来るのは不自然だ。何かしらの成果が無ければ、朝までの期限の途中で出て来るのは無い。

 普通はギリギリまで調べるから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 日付が変わろうと言う時間に調査を終了し、執事の徳田を探し書斎の鍵を返し宛てがわれた部屋を教えて貰う。

 無駄に豪華な廊下を歩き客間へと向かうと、途中で高槻さんに出会った。

 まさに彼女達が宛てがわれた部屋の前を通過する直前に、扉が開いてバッタリ。

 勿論、偶然な訳も無く分かっていて部屋から出て来たんだ。廊下を塞ぐ様にキッチリと巫女服を着て此方を見詰める高槻さん。

 無言で歩いていたのにタイミングを合わせられるとは、探査系の術でも使ったのか?それとも扉の内側でずっと気配を探ってた?

 少なくとも扉自体は閉まってたから、覗いていた訳じゃないだろう。

 

「遅くまで御苦労様でしたね。何か分かりましたか?」

 

 ニコヤカに微笑みかけながら、労りの言葉を掛けられたが……目がね、笑ってないんだよね。やはり待ち伏せされてたんだよな。

 

「ふふふ、どうかしら?まぁ秘密って事でお願いしますわ」

 

 亀宮さんは余裕綽々、高槻さんを相手に煙に巻く構えだ。正直眠いから、美女二人とは言え腹芸の応酬は辛いんだよ。

 

「まぁ!手掛かりを独り占めって酷くないですか?ねぇ、榎本さん」

 

 今度は少し非難した表情で僕を見て訴える。関西巫女連合は、桜岡さんが所属する団体。だから無碍な扱いも対応もし辛い。

 だが今の僕は、亀宮さんの派閥の一員だから……

 

「書斎の鍵は執事の徳田に返しましたよ。僕等の調査はお終い。

次が誰かは決めてないでしょ?早く鍵を確保してはどうですか?」

 

 色々と見付けた品々は持ち出した。だが、まだまだ調べればヒントは見付かるだろう。てか、怪しい手掛かりが多過ぎだ。

 僕等の集めた手掛かりだけでも調査に膨大な時間が掛かるだろう。

 

「あらあら、桜岡さんの彼氏は冷たいお方ですね?」

 

 当然だが、やはり其処を突いてくるわな。高槻さんは意外と腹黒いと言うか交渉慣れをしている。

 亀宮さんが駄目なら僕に切り替える辺りが強かな感じがする。だけど、お互い仕事で来ているのだし、情報収集は当たり前なんだけどね。

 

「いやいや、ソレとコレは無関係ですよ。一つ言える事は、先代岩泉氏の蔵書には日本書紀や古事記といった話が多く有ります。

何百冊と言う単位なので全て読む訳にもいかずに、僕等は背表紙の写真を撮りました。

つまり神職の貴女方が有利でしょう。加茂宮や伊集院よりも先に調べればね。

後は怪しい気配のする暖炉擬(もど)きが有ります。私見ですが餓鬼道と思いますので調べてみては?

僕が言えるのは此処までですね。後はお互い頑張るしかないでしょ?」

 

 首を傾げて少し考えている高槻さん。渡された情報を整理してるのだろう。

 

「その手に持っている大学ノートは何ですか?まさか書斎から持ち出したのですか?」

 

 僕が小脇に挟んだ大学ノートを指差す。12冊の大学ノートは御手洗達に分散して渡してある。

 彼等は各々が隠し持っているが、僕はダミーで一冊だけ持っているのだが……それに喰い付いたな。

 

「ええ、書斎の本棚に挟まってました。

筆跡を調べなければ分かりませんが、先代岩泉氏の直筆だと思います。内容はこれから調べますがね……」

 

 大学ノートを弄びながら高槻さんの質問に応える。彼女の目がスッと細くなった。

 

「重要な証拠品を独占するのは駄目ですよ?」

 

 スッと大学ノートを彼女に渡す。一瞬ポカンとしたが、直ぐに受け取り中を見る。

 

「これは……」

 

「大祓いの祝詞ですね。何回も練習なのか同じ内容を書き写してます。

その祝詞自体に意味が有るのか書体や何かに意味が有るのかは……これから調べますがね。

どうですか?特殊な祝詞ですか?」

 

 ノートを凝視して考え込む彼女。突然の情報提供と質問に悩んでいるみたいだな。

 

「この祝詞は……この最初の科戸乃風(しなどのかぜ)のとは、シナツヒコノカミを表します。

風の神ですが、永遠不死の神なのです。無碍自在の最高の威神力を持つ風の。この祝詞を岩泉氏が学ぶのは……」

 

 流石は巫女だ。祝詞の持つ意味と内容を知っているんだな。

 そして情報を教えるのは、彼女なりの情報提供に対する誠意なんだろう。

 

「彼は不死を望んで居たと?」

 

「いえ、そうとは言えません。風の祓いは天津の罪を祓うのです。ですから、魔を祓うと言う意味でしたら可笑しくは無いのです」

 

 とうの昔に死んだ人間が不死を願う……のは些か乱暴な推理か?だが現在進行形で人が死んでるんだ。

 その原因と不死を繋げるにはピースが足りない。逆に見せてない11冊に書かれた祝詞との関連も考えなきゃ駄目だな。

 

「流石は巫女と言う事ですね。有難う御座いました。十分参考になりました」

 

 廊下の真ん中で立ち話も無いし、他の連中から要らぬ茶々が入る前にお開きにするか。

 

「ええ、お互いに。私は徳田さんに鍵を借りに行きます。やはり桜岡さんの思い人は優しいですね。では……」

 

 一礼して僕等が来た廊下の先に歩いていく。その後ろ姿は……巫女さん好きには堪らないんだろうな。

 

「高槻さんのヒントは重要だね。残りの祝詞も意味を調べてみよう。

共通点が見付かれば、何かが分かるかもねって……亀宮さん、もしかして不機嫌?」

 

 分かり易く頬を膨らませている彼女を見て、何か気に障る行動をしたかなと考える……

 高槻さんに渡した情報も大した物はなく、逆に専門家の意見も聞けた。ノートを見せてしまったが、渡してないし問題無いと思う。

 序でに彼女にデレデレもしていない。

 

 困って滝沢さんや御手洗を見るが、目を逸らされたりニヤニヤされたり……何だろう、この状況は?

 まぁ良いか、だが高槻さんが徳田に鍵を借りたら直ぐにでも調べ始める。遅くとも明日の朝には皆にバレて一寸した騒ぎになる。

 その時に持ち出した品々を持ってるのは不味い。直ぐにでも名古屋の拠点に運ぶべきだな。

 

「亀宮さん……」

 

「何です?」

 

 まだ不機嫌ですね。

 

「高槻さんに情報は流れた。彼女は直ぐにでも書斎を調べるだろう。

明日の朝には皆が知る事になるから、僕等にチョッカイ掛ける奴が居る筈だ。

持ち出した品々をその時も持ってるのは不味い。僕は此から直ぐに名古屋の拠点に行くよ。

出来れば亀宮さんも一緒に来て欲しい。僕と亀宮さんが居なければ、誤魔化す事は出来る。

御手洗達は護衛専門だから知らぬ存ぜぬで通せるし、逆に誰も居ないじゃ不自然だ。

岩泉氏に全員で引き揚げたと思われるのも良くない」

 

 ニパっと笑顔になった。機嫌が良くなったんだな、分かり易い感情の変化だ。

 

「私が車で送ります」

 

「我々が待機するんだな。なるべく不在を知られない様に朝飯は部屋に届けさせる。

不在がバレたら早朝に出掛けたとでも言うさ。留守は任せろ。榎本も亀宮様の護衛を任せたぞ」

 

 良い対応だ。兎に角、見付けた品々を風巻姉妹に渡して調べて貰う。

 物が無ければ何とでも言えるし、高槻さんに見せた大学ノートだけコピーを取って持っていれば良い。

 最悪は一冊だけ大学ノートを渡せば良いのだから、調査に支障は出ない。

 

「頼んだ。さぁ亀宮さん、眠いけどもうひと頑張りしようか」

 

「深夜のドライブ、楽しみですね」

 

 あーうん、そうだね。僕等って仕事で来ているんだけど、亀宮さん忘れてないよね?

 



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第160話から第162話

第160話

 

 書斎での戦利品を早めに持ち出す為に、0時を回っているが名古屋市内の拠点まで移動する事にする。

 建物の外へ出るのは比較的簡単だ。

 

 山荘を護衛する連中も大したレベルじゃない為か、途中で会っても「一寸出掛けるよ」と言うと、すんなり山荘から出してくれた。

 

 まぁ亀宮さん達をニヤニヤして見ていたが、昼間脅された奴の事を知ってる為か我慢出来る程度の視線だ。

 そりゃ頭から喰われるのは嫌だろう……特に問題無く駐車場に停めてあるベンツまで辿り着いた。

 

 実は僕は名古屋市内の地理は詳しい。若かりし頃、狂犬と呼ばれた頃に軍司さんに連れ回されて色々と廻った。

 懐かしい思い出だが、心霊物件をヤクザの若頭と廻るのだから……若気の至りじゃ済まないかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 自分が運転すると聞かない滝沢さんを宥め賺してキーを受け取る。基本的に車は国産派なので左ハンドルを運転するのは久し振りだ。

 エンジンを掛けてライトを点けて発進する。良く有るウィンカーとワイパーの誤操作はしない。

 広い駐車場をゆっくりと大回りして出口に向かう。慌てて急発進は印象に残るから、何でもない様に行動しないと駄目だ。

 山荘の敷地から出ても40キロで周りに注意しながら走る。決して外車の運転が不慣れなので慎重に走っている訳じゃないよ。

 

 街灯も疎らな何もない真っ暗な道をひた走る……亀宮さんは、早々に寝てしまった。

 

 扉に寄り掛かりながら、幸せそうに寝ている。

 気分転換にラジオとか聞きたいが注意力が散漫になるし、何より亀宮さんが起きてしまうので我慢だ。

 暫く走ると、滝沢さんが声を掛けてきた。

 

「何故、運転を替わったのですか?ましてや保険適用外かもしれない榎本さんが?」

 

 亀宮さんを気遣い小さな声で話掛けてくるが、周りに音が無いから問題無く聞こえる。

 そう、このベンツは社用車だから僕が事故ると保険が適用されない。昼間、高速道路を走行中に確認した事だ。

 

「うーん、正直に言うと見得かな……運転を任せきりなのが居心地悪いんだ。

夜は対向車も少ないし、僕は名古屋市内には土地勘も有るからね……」

 

 本音は見得だ。滝沢さんばかりに運転して貰うのが嫌だったんだ。下らない男の見得だ。

 

「私の為なら尚更です!調査では役立たずですし、霊力も無い。ならば運転位は役に立ちたいのです」

 

 その小さな声には、しっかりと非難する色が含まれていた。護衛の仕事を奪うなって事だ。

 それは当然だ、僕の我が儘で存在意義を奪われたんだから……

 

「うん、ごめんね。だけど外車を運転してみたかったんだよ」

 

 これは嘘、彼女を納得させる為の分かり易い理由をこじつけただけだ。

 

「榎本さんは、ヤンチャな男の子ね。滝沢さんを困らせてまで外車を運転したいなんて。

普段は冷静沈着で論理的なのに、ふふふ。意外な一面を見れたわ」

 

 何時起きたのか分からないが、亀宮さんも話に参加してきた。いや、最初から起きていて話を聞いていた?

 

「男の子って歳じゃないですよ、もうオッサンだ。でも万が一に運転するかもしれないから練習も兼ねてです。

大丈夫、危なくなったら滝沢さんと運転を替わりますから……って市街地に入ったな。

でも車の数は少ないから平気かな。そうだ!

亀宮さんから風巻姉妹に連絡を入れて下さい。これから手に入れた品々を持ち込むからと」

 

 建て前その2を言って誤魔化す。

 

 それと風巻姉妹への連絡を亀宮一族の当主からして貰う。

 僕からだと間違い無く文句を言うだろうが、当主自らなら深夜に押し掛けても文句は言うまい。

 暫く二車線の県道をひた走るが、街灯以外に人工の灯りが見えない。多分だが民家も殆ど無いのだろう。

 暫く走るとホカ弁のネオンが見えた。しめた、0時過ぎでも営業してるんだな。

 車を店舗の前に停めて後部座席の女性陣に話し掛ける。

 

「夜食、何が良い?多分打合せには時間が掛かるから、差し入れを含めて買って行こうよ」

 

 あの夕飯は不味かった。最近のホカ弁は結構ちゃんとした料理を出すし、このホカ弁チェーン店の唐揚げは絶品だ!

 

「私は榎本さんと同じ物が良いわ」

 

「わっ私はハンバーグが良いかな」

 

 突然の問いだからか、素直に答える。滝沢さんはハンバーグね。亀宮さんは僕と同じと言うが……

 

「亀宮さん、僕は弁当は五個食べるよ。同じは無理だから、滝沢さんと同じハンバーグで良いかな?

風巻姉妹も同じで良いよね?」

 

 菜食主義とか言われたら幕ノ内弁当位しか無い。基本的に焼く炒める油で揚げるがホカ弁のオカズだ。

 食中毒とか心配だから必ず火を通す。女性陣の了解を取ってから車を降りて店に向かう。

 

「念の為、滝沢さんは運転席へ。ロックは忘れずに、何か有れば僕を置いて逃げろ」

 

「分かった。だが、お二方が居て逃げる程の危険が有るのか?

特に榎本さんについては野田の事も聞いている。自動回復装置付きの重戦車って言われてるぞ」

 

 何じゃそりゃ?だが自動回復装置付きって事は、治療出来る事がバレてると思うべきだな。

 胡蝶の件は亀宮さんにしか教えてないが、あの遣り取りだけで防御力でなく治癒力と判断された。

 やはり亀宮一族は侮れない。

 

「過信は禁物だろ。御三家も絡んでるんだ。用心に越した事はない。じゃ買ってくるよ」

 

 滝沢さんが運転席に移りドアをロックしたのを確認してから店内に入る。

 自動扉を潜ると電子音が鳴り響いて客の来店を知らせるのか。

 

 ピロピロピローンと気の抜けたチャイムの後に、店の奥から「いらっしゃいませー」と声が掛かった。

 

 このホカ弁は対面式で頼む弁当の他にショーケースに出来合いのオカズが並び、自由に取ってグラム売りも出来る。

 ざっとカウンター上のメニューパネルを見るが、当たり前だが近所の店と同じだ。

 奥から出て来たのは50歳位のオバサンだ。パーマに小太り、だが人の良さそうな感じだ。深夜パートで女性は珍しいな……

 

「えっと……煮込みハンバーグ弁当を五個、焼き肉弁当とカツ丼とミックスフライ弁当と唐揚げ弁当と幕ノ内を各一個ずつ貰おうかな。

あとグラム売りの惣菜を貰うから」

 

 途中から驚いた目をしたが、まさか僕一人が食べるとは思ってないだろう。注文をメモ書きしてからレジ打ちを始めた。

 

「はーい、でも作るのに15分位掛かりますよ。大丈夫ですか?それと会計は一緒にするなら惣菜を選んで下さい」

 

 流石に弁当を十個は頼み過ぎか?だが腹が減っては何とやらだからな。

 

「構わないよ」

 

 そう言うとオバサンはテキパキと調理を始めた。

 奥から更にオジサンも出て来たから、どうやら自宅を改装して夫婦で経営なのかな?そんな事を考えながら、惣菜を選んでいく。

 女性が多いので、マカロニサラダと冷製の春雨サラダ、それにデザートのマンゴープリンを五個選びカウンターへ。

 オバサンがレジを打ち、清算する。

 

 合計で8400円也、勿論領収書を上様で貰う。

 

 備え付けのベンチで待つ事10分、全ての弁当が出来上がり受け取る。

 受け取りの際に最近何か変わった事が無いか聞いたが、特に何も無いそうだ。

 まぁ街の弁当屋さん迄が異変を知っていたら大変だからな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ホカ弁屋から15分も走れば、拠点としているマンションに到着した。

 オートロック式のマンションで警備も常駐している、比較的裕福層の為のセキュリティーを重視した賃貸マンションだ。

 その三階の角部屋が今回の拠点だ。5LDKだが、並びの二部屋を借りている。

 今回は亀宮さんと滝沢さん、風巻姉妹に御手洗達と大所帯だ。しかも女性陣が4人も居るから同じ部屋で寝泊まりは宜しく無い。

 玄関の鍵が一階入口の自動ドアの解除キーと同じになっている。

 自動ドアを開けると直ぐに管理人室になっており、小窓からオッサンが顔を覗かせた。

 昼間に挨拶をしてる為か、僕等が目立つ為か、直ぐに住人と分かったのか頭を下げてくれる。

 

 エレベーターに乗り込み三階のボタンを押す。高級マンションだけあり、エレベーターも積載荷重は850キロ。

 御手洗達と一緒の時も全員乗っても平気だった。一応呼び鈴を押して、風巻姉妹の返事を待つ。

 直ぐに返事が有り、中からドアが開けられる。キッチリとした服で出て来るかと思えば……スエット上下で美乃さんが出て来たぞ。

 

「ご苦労様です、亀宮様……うー、眠いです」

 

「美乃!そんなだらしない格好で……申し訳有りません、亀宮様。ほら、美乃着替えて来なさい」

 

 佐和さんが美乃さんの背中を押して寝室の方へ追いやっている。だが寝坊助な諜報部員って、どうなんだろう?

 佐和さんの案内でリビングに通され眠気覚ましの珈琲を出して貰った頃、漸く美乃さんが着替えて来た。

 姉妹共にシンプルな白色の長袖シャツにGパンだ。

 

「えっと……亀宮様すみません。夜に弱くて」

 

 ソファーに座るなり亀宮さんに詫びている。どうやら体質的な問題で、本人も自覚は有るのか……

 

「良いです。急に来た私達が悪いのです。では榎本さん、お願いします」

 

 そう言うと優雅に珈琲を飲み始めた。つまり後は任せたなんですか?僕は雇われ霊能力者だから仕方無いけどね。

 

 古銭・手帳・写真・大学ノートをテーブルに並べる。

 

「先代岩泉氏の書斎から見付けた物だよ。古銭と手帳それに写真は執務机の下に隠していた。

写真には良くない類の念も付着していた。大学ノートは書斎の本棚に分散していたのを探したんだ。

中身は未確認だが、このノートのは大祓いの祝詞が書かれてる。

これはコピーを取って持ち帰るが、残りは置いていくので調べて欲しい」

 

 佐和さんが古銭を手に取り調べている。裏表を見て唸ってるが……

 

「これは清朝時代の制銭だと思う。始皇帝が始めた制度で貨幣の統一が有るんだけど、その時代の銅銭かな。

メールを貰った後で調べたけど、実物を見ても本物だと思う」

 

 始皇帝とは大物が出て来たな。始皇帝の時代、まさに日本も大和朝廷の頃だ。

 日本武尊や神武天皇、それに始皇帝と時代的には繋がるけどさ。繋がるけど日本と中国と距離が有り過ぎだろ。

 

「始皇帝時代の制銭と日本武尊やイザナギとイザナミ。関連するのかな?」

 

 実在の皇帝と大和朝廷が祭り上げた神々。関連は何だろう?

 

「普通に考えれば無いわね。制銭については、もう少し調べるわ。他には?」

 

 古銭の件は調べないと分からないだろう。手帳を開いて佐和さんに見せる。

 

「この手帳なんだけど、先代岩泉氏の物だ。中に書かれている内容を調べたい。

ほら、何人か名前が載ってたり時間しか書いてない予定表がかなり有る。この頃の彼の行動が知りたいんだ。

必ず本人以外に相談を持ち掛けた専門家のブレインが居る筈だ」

 

 彼女は手帳を手に取り、パラパラと捲って中を確認する。

 

「1982年か……分かったわ、でも私達二人じゃ足りない。増員をお願いして貰って良いかな?」

 

 調べる事は山積みだから人海戦術しかないか……当初より予定が大幅に狂ってるしな。

 

「ご隠居にも手が足りなければ補充すると言われてるから平気だ。人選は佐和さんに任せる。

朝一番に僕の方からご隠居に連絡しとくね。亀宮さんもそれで良いかな?」

 

 幾らご隠居から下話は貰ってるとは言え、人事決定権は当主の亀宮さんが握っている。建て前上でも立場上でも、彼女の許可を貰わないと駄目だ。

 

「構いません。佐和さんに一任しますわ。榎本さんも全てを任せているのだから、私に断らなくても良いのですよ」

 

 ちょ、おま……全てを任せてって全責任を僕が負うって事?

 

「いやいやいや?それは話が違って……すみません、誰からだ?」

 

 この話を断る時に中断された電話の相手は、軍司さんだった。深夜に電話とは何か問題が有ったのかな?

 

 

第161話

 

 先代岩泉氏の書斎で入手した品々を運び出す為に、深夜だが迷惑を承知で名古屋の拠点を訪ねた。

 その際に責任の所在をハッキリさせようとしてたら、途中で携帯電話が鳴り響き話を中断させられた。

 これはマズい、この話題を再度振るにはタイミングを失ってしまった。

 

 亀宮さんの言った「榎本さんに全てを任せているのだから、私に断らなくても良い」は、全責任を僕が負うって事だ。

 

 絶大な信頼と信用には巨大な責任が伴う。この時にちゃんと断れなかった事を後々後悔しなきゃ良いんだけど……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「もしもし、榎本です」

 

 深夜にも関わらず、軍司さんが電話を掛けてきた。これは珍しい事だ。

 夜は霊能力者の本領を発揮する時間帯だから、ナニかと事を構えているかも知れない、不用意な呼び出し音は術者を危険に晒す事を知っている。

 だから不用意に電話は鳴らさない筈なんだが……

 

「おぅ、榎本先生!久し振りだな。こんな時間に悪いがよ、一寸良くない話を仕入れてよ。早めに教えといた方が良いかと思ってな」

 

 相変わらずデカい声だ。スピーカーから漏れた声が、亀宮さん達にも聞こえたのだろう。一斉に注目している。

 現役ヤクザと懇意にしてると思われても困る。彼女達に手を振り部屋の外に出る。身を切る程の寒さではないが、吐く息は白い。

 このマンションの周辺は低層住宅しかなく、家の灯りは外に漏れてない。

 

 閑静な住宅街だ……

 

「良くない話ですか?」

 

 路上を歩く野良猫を見ながら、嫌な感じをヒシヒシと感じる。

 

「そうだ!親父から聞いてるだろ。二代目の馬鹿先生の依頼の件だがよ。一寸電話じゃヤバいんだ。

羽生の店に来てくれ。親父と俺とで待ってるからよ」

 

 地元密着型?ヤクザの情報網は馬鹿に出来ない。確か軍司さんも、ソレ関係で外出してた筈だ。

 腕時計で現在時刻を確認すれば、1時59分か……

 

「直ぐには無理ですよ。確かに今は名古屋市内に居ますが、此方も調査の成果が有って此から仲間内で検討なんです」

 

 この嫌な感じは、事件が困難なのか軍司さんの話が嫌なモノか判断がつかない。

 

「じゃ7時に羽生の店に来てくれ。朝飯でも喰いながら相談だ。ウチの店の人気キャバ嬢を呼んどくからよ。じゃな!」

 

 一方的に時間を決められて切られた。キャバ嬢ってのがマズいんだ。彼女達に秘密の話を聞かれる訳にはいかない。

 つまり2時間位は関係無い接待をされるんだ。

 ロリじゃないキャバ嬢なんて邪魔なだけなのに、軍司さんは僕が奥手だと思い毎回女性を宛てがい僕で遊ぶんだよな。

 

 大きく溜め息をつく。冷たい夜風が心地良いくらいだ……

 

「やれやれ、面倒臭い事に……」

 

 早めに相談事を済ますか……

 

「「朝からキャバ嬢とお楽しみなんですか?」」

 

「うわっ?って盗み聞きとは良くないぞ」

 

 佐和さんと美乃さんが後ろに立っていた。しかも二人共、凄い不機嫌そうな顔で……話を聞かれたな。

 両腕を各々に掴まれ室内に連行、ソファーに座らされる。

 目の前には亀宮さんと滝沢さんが座っているが、笑顔なのに怒るという離れ業を披露中だ。

 暖かい暖房の風が辛い、額に汗が滲み出る……なんだ、この浮気がバレた旦那な状況は?

 

「亀宮様、榎本さんですが朝からキャバ嬢を呼んで遊ぶお誘いを受けてましたよ」

 

「しかも朝7時からって、どんだけ女好き?」

 

 最初から聞かれて皆さんにバラされたな。これは……ある程度は真実を話さないと駄目って言うか納得しない。

 頭を掻き毟り深呼吸をして気持ちを落ち着け、説明の大まかな道筋を考える。嘘と本当を半々くらい混ぜるのが良い。

 

「幾ら諜報部員とは言え仲間からの盗み聞きは良くないな。相手は地元のヤクザの若頭だよ。

僕の身辺調査で調べてるんだろ?若い頃にヤンチャして知り合ったんだ。

だが裏に精通した彼等の情報網は馬鹿に出来ない。

キャバ嬢を呼ぶって事は、今夜彼女達が接客した相手からの情報を直接教えるって意味だよ」

 

 半分本当がヤクザ絡みの情報で半分嘘がキャバ嬢だ!キャバ嬢は、軍司さんが僕を困らす事と自分が楽しむ為にしか呼んでない。

 

「若い頃って狂犬の頃のか?でも、そんな連中と付き合っては駄目だぞ。今は狂犬じゃないのだから、早く手を切るべきた!」

 

 滝沢さんの意見は間違ってはいないが、正解でもない。もはや手切れは無理な位に僕等は、表も裏も絡み合ってしまった。

 あとは程良い距離感を保つしかないんだ。

 

 しかし……まさか狂犬ネタが、此処まで引っ張られるとはね。若気の至りって怖いな。

 

「まぁ犯罪行為はしてないからギリギリセーフ?

それに蛇の道は蛇って諺通りに、彼等の情報は裏事情に精通してるからね。無碍には出来ないさ」

 

 不満そうだが、彼女も少しは裏の世界を知ってるのだろう。その表情は理解はしても納得はせずかな?美人が心配してくれるのは素直に嬉しい。

 

「私も同行しますわ」

 

「駄目です、留守番です」

 

「何故即答なんですか!」

 

 亀宮さんが目をキラキラと輝かせてトンでも提案をするけど、ヤクザ達との会食の何が楽しいんだ?

 

「むー、何故ですか?榎本さんが一緒なら危険は無いじゃないですか」

 

 無条件の信頼を得ている様で嬉しいが、御三家の当主がヤクザ達と会食なんてゴシップは笑えない。黒い癒着とか問題が大有りだ!

 

「何を持って安心かは知りませんが、駄目です。ヤクザな世界なんて亀宮さんには知られたくないんです。

それに亀宮さんは亀宮一族の当主なんですから、ヤクザ達と密会やら会食なんて立場的にも駄目です。

もしも付いて来ると言い張るなら、僕は物理的か呪術的に君を拘束しなければならない。具体的には監禁又は下痢地獄……」

 

 勿論、そんな事はしない。最近、意思の疎通が何となく出来る様になった亀ちゃんにお願いすれば良い。

 わざわざ危険な場所に連れて行く必要は全く無いので、ガッチリ拘束してくれるだろう。

 

「亀ちゃんも亀宮さんが仕事でもないのに、危険な場所へ行くなら止めてくれるよな?」

 

 亀宮さんの肩の辺りに話しかければ、物質化した亀ちゃんが彼女を長い首でグルリと一巻きして頷く。

 

 既に拘束済みだ!

 

「何時の間に亀ちゃんと意思の疎通が出来る様に?私だって五年も掛かったのに……」

 

 拘束されても器用にうなだれる亀宮さん。滝沢さんや風巻姉妹も頷いている。

 

「何となく……かな。亀ちゃんは亀宮さんが危険な時は言う事を聞いてくれるみたいなんだ。何となくだけどね」

 

 亀ちゃんを見れば首を縦に振っている。つまり、その通りなんだろう……

 

「僕は一人で行くからね。さて、本題に入るよ。先ずは……」

 

 古銭・手帳・写真それに大学ノートを机の上に並べ、各々の顔を見る。皆さん仕事モードに切り替わっているのは流石だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一時間位だろうか?深夜の眠い時間帯に説明した割には、調査方針は粗方決まった。

 佐和さんが写真と古銭、彼女曰わく制銭を調べる。美乃さんが手帳の記録を調べる。

 神職に詳しい連中を呼び、大学ノートの内容及び写真を撮った背表紙の蔵書関連を調べる。

 蔵書関連は暗黒神話の事にも触れておいた。

 古い漫画だが題材は神話だし、この周辺の土地と古代神話の関連なんかも調べる様にお願いした。

 これで書斎集めた品々の調査依頼は完了。時間は午前三時だが遅めの夜食?早めの朝食?を食べる。

 資料を片付けて各々のお弁当を並べる。

 

 僕の前には堆(うずたか)く積まれたお弁当!

 

 煮込みハンバーグ弁当・焼き肉弁当・カツ丼・ミックスフライ弁当・唐揚げ弁当・幕ノ内弁当だ。 

 女性陣には煮込みハンバーグ弁当とマカロニサラダに冷製春雨サラダ。デザートにマンゴープリンも用意した。

 

 電子レンジで順番に温めて貰らった。

 

「その……そんなに食べて大丈夫なんですか?食費じゃなくて胃腸の方ですよ」

 

 滝沢さんが煮込みハンバーグに箸を入れた途中で固まっている。何故ならカツ丼が五口で終わったから。

 ワシワシとカツ丼をかっ込むのは、女性陣の前ではマズかったかな?

 

「ん?ああ、山荘で出された夕食がさ。良い食材や器を使ってるのにイマイチだったんだ。

あの山荘に集められた従業員の質は悪い。つまり代わりが利く連中なんだ。分かるかい?」

 

 考え込む女性陣。おずおずと美乃さんが手を上げる。

 

「はい、美乃くん」

 

 此処は学校か?

 

「判断基準が食事内容なのがアレだけど……金持ちの岩泉氏の雇うレベルじゃない。

つまり最悪山荘も襲われる心配も有るから、失っても良い様に今回限りの連中を集めたのか……かな?」

 

 今回限りの連中とは思い浮かばなかった。程度の低い連中を寄せ集めたと思ってたんだ、それなりに事情に詳しい人員も居たから。

 流石は諜報部に所属してるだけの事は有る。事ある毎に突っ掛かってくるが、有能なんだな。

 

 今回限り……まさか口封じをする心算じゃないよね?

 

「前半は僕も思った。あの山荘が安全なんて思えなかったし、逆にそれをネタに執事に強制協力させた。

だが後半は考えなかったな。今回限りにした場合、知られたくない秘密を知ってしまう可能性は高い。

ヤクザ崩れのチンピラも居たし強請や恐喝のネタにならないか?口封じなら我々も対象だ。

だが御三家揃い踏みなんだし、逆に返り討ちだ。加茂宮も伊集院も普通の連中じゃない。

我々だってそうだ。現当主の岩泉氏は現役国会議員だから、公共の場に出なければならない。

完全に身を隠さない限り報復の呪殺は簡単だ」

 

 多分だが守秘義務の徹底してる我々は無事だが、従業員は口封じも……または派遣してる上の連中と懇意にしていて、奴等を抑える事が可能とか。

 

「報復って?」

 

「最悪の場合、僕等を口封じに殺そうとする。僕には護る人が居るからね。

その為に敵側の関係者全員を引き連れて、地獄に落ちるさ。

そして巻き添えにした恨みを地獄で晴らす。閻魔大王の前でボコボコに殴ってね」

 

 ファイティングポーズをとり、冗談みたいに軽く言うのが味噌だ。彼女達もクスクス笑っているから、本気とは思ってない。

 だが仏教の教えを説く僕は、確実に地獄行きだ。ならば残された結衣ちゃんの為に、敵は諸共地獄に道連れにする。

 僕と結衣ちゃんとのハッピーエンドを邪魔した奴等は、地獄の底に堕ちてもボコボコだ!

 

「冗談でも呪殺とか言うな。榎本さんはウチの呪術部隊を打ち負かしているんだし、本気にしてしまうぞ」

 

 滝沢さんは割と本気に捉えたのかな?彼女も僕への対応が大分軟化したな。前は無言で睨まれるだけだったし……

 

「全員が強力な下痢って、人間の尊厳を踏みにじる行為だよね。彼等が再起出来るか心配なんですけど……」

 

「確かに私なら恥ずかしくて死にそうよ。お漏らしなんて年頃の娘には死よりも辛いわ」

 

 風巻姉妹は相変わらずキツいです。だが、それを踏まえての襲撃の筈だよね。ヤルならヤラれても良い覚悟は有ったと思いたい。

 

「自業自得だよ。死を呼ぶ呪いも有ったんだ。ただ返したら相手が死んでいた。下痢で助かれば儲けモノだろ?」

 

 微妙な顔の女性陣を見ながら焼き肉弁当を食べ終え、ミックスフライ弁当の蓋を開ける。

 レモンを絞りタルタルソースをフライに塗っていく。ヤレヤレ的な感じで女性陣も煮込みハンバーグ弁当を食べ始めた。

 

 何とか誤魔化す事が出来た。夜食を食べ終わり、そのまま隣の部屋に行けば3時間位は仮眠が出来そうだな。

 イカフライに噛み付きながら、この後の流れを考える。

 

 完全徹夜明けの飲み会は辛いからね。

 

 

第162話

 

 料亭羽生(はにゅう)……

 

 名古屋を拠点とした広域暴力団が関与する料亭だ。登記簿的には彼等と無関係なオーナーだが、実は関係者だ。

 暴力団とは法により公言すると色々な制限が付く。

 

 例えば車を買う時も「私は暴力団ではありません」と言う誓約書にサインをしないと売ってくれない。

 

 だから事務所を構えたり出店したりするのは大変だ。この店は親父さんが出資金を幾らか負担し、色々な便宜も図っている。

 つまりオーナーは親父さんに恩が有るわけだ。この恩が曲者で、一般人がヤクザの片棒を担ぐ事になる。

 だが最悪の場合、オーナーは親父さんが暴力団とは知らなかったと言い張るのだろう。

 まぁそれが効果有りかは分からないけどね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 料亭羽生、高級感溢れる和風建築。地元の名士や有名人なども食事している。

 高級懐石料理がメインで、コースでも10000円からと一般人が気軽に入れる店じゃない。

 全室和室タイプの個室だが、畳の間に絨毯を敷いて椅子・テーブルを配している。

 約束の時間5分前にタクシーで料亭の前に乗り付ければ、見慣れた白のシーマが専用駐車場に停めて有る。

 黒のベンツじゃヤクザ感が丸出しなので、気を使って彼等は白のシーマで来る。

 料金を払い車外に出れば、凄みの有る笑顔を浮かべた軍司さんが立っていた。

 

「おぅ、先生!久し振りだな、元気してたかよ」

 

 ニヤリと笑い片手を上げてくれる。

 

「お久し振りです、軍司さん。わざわざ出迎えなんていらないのに……」

 

 僕は軽く頭を下げる。出会った当時は貧弱ボーイだったが、今は軍司さんと遜色無い肉体を手に入れた。近付いてから更に軽く挨拶をして中に入る。

 

「鍛錬は欠かしてないみたいだな。お前を見ると出会った時を思い浮かべて笑っちまうぜ。

あのヒョロい兄ちゃんが、こんなに厳つくなるなんてな。聞いてるぜ!新しい女が出来たんだろ?」

 

 軽く背中を叩かれた。若い頃は、この軽く叩かれただけで痛かったな。

 

「新しい女?また冗談言わないで下さいよ。周りが誤解しますよ」

 

 誰が新しい女か分からないが、彼等の情報収集能力は侮れない。誤解だが桜岡さんの事でも知られたのかな?

 まさか小笠原母娘じゃないだろうな?

 最近だが女性と知り合う機会が異様に増えているから気を付けないと駄目だ。

 少し警戒心を上げる。さて、勝手知ったる料亭羽生だ。ドンドンと渡り廊下を奥へ奥へと歩いて行く。

 庭園には小さな池も有り、高そうな鯉が泳いでいる。確か大正錦って種類だっけ?

 離れの和室が親父さんのお気に入りだ。

 

「親父!榎本先生を連れて来たぜ」

 

 軍司さんが襖を開けながら声を掛ける。

 

「おぅ、榎本先生よ。久し振りだな」

 

 既に八人掛けのテーブルには料理が並び、中央に親父さんが座っている。

 何時もの作務衣じゃなくて朝からスーツ姿とは珍しい事も有るものだ。

 因みに呼ばれたキャバ嬢達は壁際に並んで、此方を興味深そうに見ている。

 確かに六人全員が美人揃いで煌びやかな衣装だが、毎回メンバーは違うんだよな。

 やはりキャバ嬢って店に定着率が悪いのか?それとも沢山居るから色々呼んでくれるのか?

 

「ご無沙汰してます、親父さん。何やらネタを掴んだみたいですね?」

 

 親父さんが目の前に座る様に手で示す。僕が親父さんの向かいに座り右隣に軍司さんが座る。

 

「おぅ、姉ちゃん達。榎本先生はな、俺らの大切な客人だから粗相するなよ」

 

 親父さんが声を掛けると、ワラワラと隣に座り込んでくる。親父さんの両脇には黒髪ロングのお嬢様タイプ。

 軍司さんの両脇にはケバく色っぽいタイプ。僕の両脇には今時の茶髪ショートの元気娘と……金髪スレンダーな外人さんだ。

 どちらも美人だが年齢は20代後半であり、僕の守備範囲外だな。

 

「榎本さんって言うんだ。先生って政治家?」

 

「初めまして、レナです」

 

 いきなり質問する茶髪ショートに自己紹介する外人。好感度は外人に軍配が上がる。

 

「ん?僕が政治家?まさか!僕はただの僧侶だよ」

 

 どうせ二時間位は本題は始まらず、彼女達の相手をしなければならない。

 苦痛だが親父さん達の顔を潰す訳にはいかないので、このキャバクラ遊びに付き合わねばならない。

 

「えー、僧侶?武蔵坊弁慶みたいじゃん。冗談キツいよ」

 

「私の国でも聖職者はマッスルでは無いよ。キャプテンアメリカみたい」

 

 女性陣は冗談と思ったらしい。日本語が上手いがレナと言う外人さんはアメリカ人なんだな。

 キャプテンアメリカとは懐かしいアメリカンヒーローだ。

 

「ほら、榎本先生よ。麦酒で良いんだろ?全く度数も値段も安い酒だぜ、麦酒なんてよ」

 

 向かいに座る親父さんがビール瓶を突き出してくる。アサヒのスーパードライだ。テーブルの上のコップを取って差し出す。

 

「有難う御座います。どうにも洋酒も日本酒も駄目でして。ビールが好きなんですよ」

 

 別に最初から麦酒党じゃなかった。彼等と飲むと必ず奢りなんだ。

 洋酒とかって普通にドンペリとか一本30万円とかするんだ。高い酒は奢られると、それだけ借りを作った気持ちになる。

 だから幾ら高くても精々が千円前後の国産の麦酒を飲む事にした。これなら酒代はタカが知れてるから気持ちも楽だし……

 

「じゃ返盃を。親父さんは何を飲みますか?」

 

 テーブルには瓶ビールと硝子のボトルに入った冷酒が有る。まぁ冷酒だろうな……

 

「ああ、冷酒だよ。和食にゃ日本酒が一番だぞ。

まぁ食えよ、沢山頼んであるし後から蟹も丸茹でしたのも神戸牛のステーキも来るぜ。先生なら喰い切れるだろ?」

 

 これが恩を売るヤクザテクニックだ。大食いの僕の為に、高級懐石料理が売りの此処では有り得ない料理を出す。

 茹で蟹丸ごととか巨大ステーキは懐石料理でも何でもないから……それを理解しておかないと、後で大変なんだ。

 

「蟹と神戸牛とは嬉しいですね。折角名古屋に来たのに美味い物を食べてないんですよ」

 

 親父さんの差し出すグラスに冷酒を注ぐ。そう言えば昼飯は静岡県だったから、名古屋に来て食べたのはマズい山荘の夕飯にホカ弁の夜食兼朝食だったからね。

 目の前に並んだ料理は本当に美味そうだ。

 

「聞いてるぜ。先生が仕事に誰かを同行させるのも珍しいが、綺麗どころを侍らせているらしいじゃないか?」

 

「全くだ、俺らだって送迎だけで実際の現場にゃ同行させて貰えなかったぜ」

 

 早速前菜に手を伸ばした時に、ジャブを入れられた。軍司さん達を除霊現場に同行させなかったのは、未だ「箱」だった頃の胡蝶を見せない為だ。

 勿論、彼等の安全の為でも有るけど……だが女性同行となると、八王子の件か今回しかない。

 

「軍司さん達は霊能力者じゃないですからね。それに現場に無防備で居られたら危険ですし。

最近ですよ。義理や柵(しがらみ)で同業者と合同除霊を初めたのは……」

 

 ビールを一気に煽る。親父さん達が、どちらの件を言ってるのかが分からないが……多分だが八王子の件だな。

 今回は亀宮一族の末端としての参加だし、現当主の亀宮さんを侍らすと言う表現はおかしい。

 八王子には、お鶴さんもといメリッサ様や高野さん。それにモブなお供が四人も居たからな。侍らすって表現なら、男一人に女性が七人だ。

 

「榎本さんって霊能者なんですね。いや僧侶さんですから当たり前なのかしら?」

 

「リアルゴーストバスター?凄いんですね!」

 

 レナさんがビールを注いでくれる。濡れたコップの周りを拭いて渡してから注ぐ仕草が、流石現役キャバ嬢か……

 

「現世に彷徨う霊を導くのも僧籍に身を置く者の勤めだからね。ゴーストバスターとは古い映画を思い出すよ。そう言えば名前聞いたっけ?」

 

 四半世紀(25年)位前に流行ったアメリカ映画に有ったな。何かビームだかプラズマみたいなモノで霊を捉えるヤツが……

 

「私?梓だよ。コッチはレナ、苦学生だから夜の仕事してるんだって」

 

 人のプライバシーをベラベラ喋っちゃ駄目だろ!苦学生って事は二十歳過ぎか?実年齢より年上に見えるんだな。

 

「そうなんだ。日本って物価が高いから大変でしょ?」

 

 当たり障りの無い会話をして時間が過ぎるのを待つ。料理は上手いが親父さん達の探りを誤魔化しながらキャバ嬢の相手は想像以上に気を使うぜ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 二時間程、食事を楽しみキャバ嬢との会話に気を使った。漸く接待宴会?を終えて本題に入れる。

 既に女性陣は引き払ったが、強引に名刺を貰わされた。梓とレナは予想通り親父さんが経営するキャバクラに勤めていた。

 何回か連行された「洒落偉奴(しゃれいど)」って店だ。

 昔のヤンキーみたいな当て字の店だが、元は英語のcharade(シャレード)でジェスチャーゲームの名前らしい。

 

 酔い覚まし用に出された冷えた麦茶を飲む。漸く本題だ……

 

「楽しんで貰えたかい、先生よ?」

 

 先程までキャバ嬢二人と楽しそうに遊んでいた老人には見えない。顔つきが仕事モードだ。

 

「ええ、美味しい料理に綺麗なお嬢様方でしたね」

 

 やはり自分達も楽しんでいたが、僕用の接待のつもりだったんだな。

 

「その割にしては、姉ちゃん達につれなかったな。まぁ良いけどよ……」

 

 親父さんの突っ込みが入る。僕に恩を着せる為に呼ぶ女性陣は毎回外れだからな。本人としても悔しいのだろう。

 つれないと言うか守備範囲外だから熱が入らないと言うか、ねぇ?

 

「全くだぜ。アレでもウチの店じゃ指名上位なんだぜ。若い頃から俺等が呼ぶ女にゃ興味無いみたいにしてよ。

堅気の女が好きなのか?素人遊びはリスクがデカいから気を付けろよ」

 

 堅気とか素人以前に年が逝ってるんですよ、彼女達は。僕は自覚有る紳士的なロリコンだが、彼等も未成年者を僕に宛てがう心算はなかろう。

 だから女性で籠絡される心配は無い。

 

「あー、まぁアレですよ。こんな商売ですし素人の女性にはね……色々有るじゃないですか?」

 

 脱線しまくりだが、早く本題に入らないと亀宮さん達との合流が遅れてしまうぞ。

 

「素人って、そっちかよ。霊能力者の女性を宛がう訳にはな……全く、だから亀宮か?」

 

「いや、親父。桜岡だぞ、巫女が好きたぁ破戒僧だなぁ……」

 

 どうやら彼等は僕の事を良く調べている。表情には出さないが、警戒を一段階上げた。

 さて、情報提供の他に何を言ってくるのか厄介なのがヤクザってか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ねぇ、あの坊さんの事をどう思う?」

 

「胡散臭いわよね。でも組長と若頭があれだけもてなすのよ。絶対普通じゃない」

 

「どっちにしてもヤクザにもてなされる奴なんて普通じゃないわ。でもイヤらしくはなかったわ。

私達、何をされても絶対に我慢しろって店長に言われてたじゃない」

 

「そうだね。随分気を使ってた。レナもそう思ったでしょ?」

 

 送迎のワンボックスの中でガールズトークが炸裂中だ。

 

「そうね。あの人は私達に興味が無かったわ。組長達に気を使ったんでしょ」

 

「何で?」

 

「接待して貰ったのに気に入らないじゃ、ホストの面目丸潰れじゃない。だから普通に接してくれた。

でも私達だって接客のプロだから、楽しんでないのは分かった」

 

「なる程ね。だからレナ、頑張ってたんだ。珍しく積極的だったのはプロ根性だ」

 

「違う。その道のプロなら兄さんの事が分かるかなって」

 

「レナのお兄さんって霊能力者で、あの山林の怪異に関係有るんだっけ?ヤバいんでしょ、一杯人が死んでるって噂じゃん」

 

「うん、大金を手に入れて私を学業に専念させるって……でも、そんな事より無事で居て欲しい」

 

「音信不通なんだっけ?あの坊さんが同業者なら知ってるかな?」

 

「多分、今名古屋に居るなら関係有る筈なんだけど……」

 

 



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第163話から第165話

第163話

 

「さて、本題に入るかい」

 

 散々引っ張られたが、漸く本題に入れる。長かった、亀宮さん達を事務所に待たせているから内心は焦っているんだ。

 心の焦りとは裏腹にキャバ嬢の相手をしたり美味しい料理を食べたりと、前段取りで二時間は掛かったぞ。

 だが此方から話題を振る様な事は控える。先方から言ってくる様にしなければ不利になるから……

 

「そうですね。でも久し振りに親父さんや軍司さんと世間話が出来たので楽しかったですよ。

親父さんも六人目の子供が生まれそうだとか。教えて下さいよ」

 

 親父さんは女好きで何人もの愛人が居る。認知する予定の子供が六人目って事だ。場合によっては堕胎させているらしい……

 

「まぁな、産まれたら教えるぜ。しかし女ばっかり生まれるからよ、跡継ぎが居ねぇんだよな」

 

 珍しく少し照れながらお茶を飲む親父さん。やはり自分の子供ネタは気恥ずかしいのか?

 

「親父は未だ現役だ。頑張りゃ平気だぜ」

 

 オッサン三人がははははっと和やかに笑うが、各々の内心は違う。親父さんに男の子が生まれたら……

 ヤクザは世襲制が基本らしいが、この厳しい時代に有能な二世が生まれるとは限らない。

 親父さんには五人の娘が居るから、誰かの婿が組を継ぐのも有りだ。

 既に長女を嫁に貰っている軍司さんは、その最有力候補だ……軍司さんは親父さんの生まれる子供を祝ってるが、内心は分からない。

 

 逆に親父さんも息子が無能なら大変だ。

 親の欲目や贔屓目で無能な息子を組長にとゴリ押しするかもしれない。

 最悪の場合は支える筈の軍司さん達が、反旗を翻すか独立するとかも有り得る。

 一人前の極道になるのに何年掛かるか分からないが、少なくとも一般的に成人する20年位は掛かるだろう。

 其処まで待てるか疑問だから最悪軍司さんが離れた時の保険として、また勢力拡大の為に娘達を他の有力な者に嫁がせるだろう。

 その連中の手綱も引かなきゃならないからな。跡目なんて戦国大名みたいに大変なんだよ。

 

 僕にでさえ、親父さんは末の娘と結婚させる様な事を匂わせている。

 末の娘って所が組は継がせないが今より力は貸せって事だ。取り込みたいんだろうが、権力は渡せないって事だな。

 親父さんの愛人は美人揃いだから娘達も美女・美少女が多い。写真を見せて貰ったが、末の娘は高校生で凄い美少女だ……

 勿論、ロリコンのポリシーを曲げても手は出さない。

 結婚は人生の墓場と言われるが、正に墓場と言うか地獄だろう。

 だから、この会話は非常にヤバいので切り替えたい。たとえ此方が不利になろうが強引にでも……

 

「祝い事の後で何ですが、其方の掴んだ良くない話を教えて下さい」

 

「ん、そうだな。これは極秘なんだがな……」

 

 親父さんが顔を寄せて声を小さく話し掛ける。その表情は真剣だ、余程の内容なんだな。

 

「先代の岩泉氏だがな……有り得ない事だが生きながら火葬された疑いが有る。これは火葬場の職員から聞き出したんだがな……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 親父さんの話を纏めるとこうだ……

 

 著名人・有名人にしては珍しく葬儀は近親者及び親族のみでしめやかに執り行われた。

 だがお棺を火葬中に異音が聞こえたそうだ。中からガンガンと、まるでお棺を内側から叩く様な……有り得ない、現代で仮死状態で火葬は有り得ない。

 先ず医者が死亡確認をする。その後にお通夜と告別式と数日掛かるのだ。

 季節柄、腐らない様にドライアイスで冷蔵保存してるし、送り人でも知られているが遺体を綺麗にする時に鼻栓したり口を結わいたりもする。

 幾重にも確認する事が出来た筈だ。係員もそう思い中止せずに燃しきった。

 止めても生焼けで確認なんかしたくないし、仮に生きていても全身火傷で瀕死の重傷だ。

 だから、だから係員は止めずに遺族にも話さなかった。だが納骨の時に係員は見てしまった。

 燃え残った骨の形、つまり燃された時の体型が体育座りを横向きにした形だった。しかも手足が縛られた様な跡も確認出来た。

 皮バンドは燃え尽きても金属部分は残るし骨にも違う色が付く。つまり手足を拘束されて生きながら燃やされた……

 それは骨壺に骨を移す時だったので、岩泉氏の親族にも彼の動揺は知られてしまったんだ。

 流石に岩泉氏も死人に口無しとはいかずに、多額の金銭を彼に渡した。

 

 そこに疑問が有る。

 

 親父を拘束して生きたまま燃やす事が出来るのに、目撃者を金だけ渡して黙らせるのは……中途半端に非情に成り切れてないんだ。

 大した脅しもしなかったみたいだし……だから口封じの為に多額の金銭を渡したのに、アッサリと呑んでバラしちゃったんだから最悪だな。

 それを聞いたキャバ嬢が店長に報告、親父さんに話が来たそうだ。んで、軍司さんがソイツに直接聞き込んだ。

 勿論、ヤクザ式な肉体言語を使ったと思う。彼はドSだから、半端無い拷問も平気らしいし……それが先日電話した時に軍司さんが居なかった訳なんだ。

 話を漏らした奴は監禁されたか消されたかな?

 

 この情報は相当ヤバい。

 

 確認が取れても証人としては使えないし使わない。だが情報自体は交渉に使えるし、岩泉氏にも漏らした奴の口封じした恩も着せられる。

 うーん、あの現岩泉当主が俄然怪しくなったが、疑問が沢山有るんだよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 話を聞き終わり、温くなった麦茶を一気飲みする。ヤバい情報を教えて貰ったからには見返りが必要だ。

 だが、情報は怪しすぎて此方でも裏を取らないと使えない。なので幾つか質問する。

 

「この話を信じれば猟奇殺人だ。だが穴が有り過ぎませんか?何故、生きたまま火葬場で焼かなければならないのか?

別に殺してしまえば問題無かった筈です。危険を犯す必要が無い。しかも口封じが杜撰過ぎる。

これだけの悪事を行う者が、目撃者を消さない訳が無い。先代は高齢で持病を患い余命幾ばくも無かった。

これは僕も調べたが、一年以内に確実に死ぬと思われていた。急いで殺す必要は無い。

もし、もしコレが事実だとしたら僕等が祓おうとしているのは先代岩泉氏の怨霊かも知れませんね……」

 

 拠点に戻って風巻姉妹に追加調査を頼まないと駄目かもな。

 

「俺も全く同感だ。詰めが甘いなんてもんじゃない。身内を焼き殺す奴が秘密を握った一般人を生かしている時点で怪しい。

だが、喋った奴も嘘は言ってないぜ。懇切丁寧に俺が聞いたんだ。嘘を言えたら大したモンだぜ」

 

 ニヤリと凶悪な笑みを浮かべる軍司さん。やっぱり拷問したな……

 

「今の岩泉先生は確かに馬鹿息子だったぜ。能力的には及第点らしいが、若い頃は結構無茶苦茶してたな。

だが表立っての親子仲は悪くなかったし先代の寿命もそうだ。だが俺等にゃどうでも良い事だ。

あの山林の怪異が無くなれば莫大な金が動く。榎本先生よ、どうなんだ?進み具合はよ?」

 

 そうだった、彼等には犯罪とか親子間の骨肉の争いとか関係無いんだ。

 あの山林の怪異が無くなり、予定通りに高速道路とインターが出来れば良いんだ。

 この情報を教えてくれたのは、解決の手助けであり現当主の悪事を解明する事じゃない。

 

「日本の霊能界の御三家、亀宮・加茂宮・伊集院が揃い踏み。亀宮と伊集院は現当主が、加茂宮も複数当主制の内の三人が来ています。

その他にも関西巫女連合やら密教の団体とかね。解決は出来るが、僕も今回は亀宮に世話になってます。

やはり御三家ともなれば、プライドや柵(しがらみ)も有り単独で早急に解決をする様に依頼されてるんで、頑張りますよ。

それは加茂宮も伊集院も同じでしょう。つまり短期決戦。調査に時間が掛かれば、最悪は突撃除霊ですね」

 

 親父さんの知りたいのは解決出来るのか?その為の連中は誰が?何時解決出来るのか?この辺が知りたい事だろう。

 

 僕から御三家が参加してる事で除霊自体は問題無いと考えただろう。

 しかも共闘でなく競争だから、短期決戦。つまり余り時間は掛からない。

 

「昔の先生を思い出す無謀さだな。なぁ若かりし頃の触(ふ)れれば切れる様な血気盛んな狂犬時代のさ。

今じゃ用意周到な人喰い熊だけどよ」

 

「あの頃の先生は凄かったぞ。どこぞの鉄砲玉みたいな事を平然と連続でやられちゃ、俺等だって一目も二目も置くぜ。

先生が故郷(くに)に帰るって時は、喜んだ奴も少なくねぇ」

 

 がははははって当時の秘密を教えてくれたが、最後の宴会で引き気味な人が居たのはその所為か……確かに訳の分からない奴は嫌だよな。

 義理人情に面子を重んじる連中も鉄砲や刃物の通用しない怨霊は苦手だ。

 しかも恨み辛みを買い捲る連中なら嫌でも僕には一目置くか……確かに怨霊絡みの依頼が多いし、僕としても現世に留まるより成仏した方が良いから祓うからな。

 だから最悪の場合、怨霊を払える僕には繋ぎを付けておきたい。

 しかも親父さんが仕事を沢山回すから実績豊富、それも他の霊能者が敬遠する難易度の高い物ばかりだった。

 漸く分かった、親父さんの同業者も僕に何となく配慮する意味が……つまり心霊関係のドラ○もん?

 

「助けて、ドラ○もーん!」って訳だから悪い印象は与えないわな。

 

「何でぇ、変な顔してよ?ヤクザにも遠慮される奴なんて中々居ないんだぜ」

 

「そうだぜ。この名古屋で榎本先生の名前を言えば、大抵の連中は悪くはしないぜ。

試しに飲み屋や風俗店に行って名乗ってみろよ。待遇が凄い変わるぜ」

 

 ははははは……つまり僕の情報は一部の連中には広まってるんだ。

 用意周到な親父さんだから、僕の写真位は回してるだろう。これはメリットよりもデメリットの方がデカくないか?

 

「安心しろや。偽物なんて早々居ないぜ。筋肉の塊の坊主なんて前提は、そうそう居やしねえって」

 

 バンバン肩を叩いて笑ってるけど居るんですよ。昨日も会いました、筋肉坊主の集団に!

 

「それが結構同業者には居るんですよ。例えば熊野系密教修験者なんて武蔵坊弁慶の集まりですよ。

昨日会いましたから。彼等も市内の飲み屋に繰り出すでしょう。僕と間違えない様にして下さい、トラブルは嫌ですから」

 

「「…………すまねぇ、ちゃんと連絡は回しとくぜ」」

 

 山荘で会った、あの男……名前は忘れたけど密教修験者だった。彼等が飲みに市内に来ない保証は無い。

 人違いで彼等に色々優遇して僕に貸しを作ったとかは無しにして欲しい。滞在時期も同じだし勘違いする確率は高い。

 結局の所、写真と共に情報を系列の飲食店に回す事となった。この事で接待の時に会ったレナと言う外人キャバ嬢から接触が有った。

 とても面倒臭い事に巻き込まれたのだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 無事?宴会と会合を終えて拠点の名古屋市内のマンションに向かう。

 お店の人がハイヤーを呼んでくれたのだ。メーターを倒しているから賃走じゃない。全て料金は向こう持ちなんだろう。

 後部座席に深々と座って、今日の事を考える。車窓を眺めれば商店街を歩く人の群れが……時刻は11時53分、丁度昼時だが僕は満腹だ。

 親父さんと軍司さんとの会合は謎を増やしただけだった。先代を自分の肉親を生きたまま焼き殺すなんて出来るのか?

 そこまでの恨みを買えるのか?この情報が正しければ、ラスボスは先代岩泉氏だと思う。

 人間が怨霊になるには激しい恨みが必要だが、充分過ぎる恨みだろう。

 でも親子間で骨肉の争いが有ったなんて、事前調査では何も出ていないんだよな。

 どちらかと言えば、親父を敬遠していた様な印象を受けたのだが……亀宮さん達に何て言えば良いか、考えが全然纏まらないや。

 

 ボケーッと車窓を見れば商店街を過ぎて住宅街へ、そして目的地に着いてしまった。

 タクシーを降りる時に清算はと聞けば、既にタクシー券を貰ってるそうだ。立ち去るタクシーを見送り、マンションを見上げる。

 

 三階のベランダから満面の笑みで手を振る亀宮さんを見付けた。

 

 手を振り返しながら、心の中で溜め息をついた……

 

 

第164話

 

 昔知り合ったヤクザとの会食を終えてマンションに戻ってきた。教えて貰った情報は、現場を混乱させる物ばかりだった。

 このネタをどうやって留守番してる女性陣に伝えるか悩み、暫しマンションの入口で立ち尽くしてしまった。

 

「榎本さん、お帰りなさい」

 

 涼やかに掛けられた声に思わず空を見上げれば、三階のベランダから妙齢の美女が笑顔で僕を迎えて手を振ってくれている。

 僕も彼女に手を振って応える。端から見れば帰って来た夫を迎える美人妻だろうか?

 一体彼女はどれだけの時間、ベランダで待っていたんだろう。

 うっかり額に浮かべた井形を見付けてしまってから、僕は背中を伝う汗を止められないんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮さんを待たせる訳にもいかず、僕は急いでマンションに入り階段で三階に向かう。

 廊下を歩き玄関の前で立ち止まり、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。玄関扉のノブを掴んで回せば、素直に開いた。

 どうやら締め出しはしなかった様だ……

 

「たっ、只今戻りました」

 

 玄関には滝沢さんが立っており、両手の人差し指を天に突き出し頭の上に置くジェスチャーをしている。えっと、鬼の真似だから誰かが怒ってるんだな。

 

「えっと、亀宮さんが怒ってるのかな?」

 

 無言で頷き、廊下を先に歩き居間に行ってしまった。恐る恐る居間に入れば、ソファーに女性陣が座っている。

 三人掛けのロングソファーの真ん中が空いているが、両隣は亀宮さんと滝沢さんだ。

 風巻姉妹は向かい側の一人用ソファーにそれぞれ座っている。亀宮さんは額に井形を作った笑顔、滝沢さんは困惑気味で風巻姉妹は笑いを堪えてる。

 多分だけど黙って出掛けて連絡無く早朝から半日も遊んでいたから?

 亀宮さんは機嫌を悪くし、滝沢さんはどちら側も心配して困ってしまい、風巻姉妹は僕のピンチが楽しくて仕方ないんだな。

 女性陣の僕に対する感情が丸分かりだ。滝沢さんの評価が鰻登りなので、彼女には配慮しよう。

 

「えっと、その……そうだ!丁度お昼時だし、皆で櫃まぶしを食べに行かない?

個室を借りてゆっくり食事でもしようよ。勿論、僕の奢りでさ。

亀宮さんは鰻は好きかな?僕は亀宮さんと一緒に外食したいなー」

 

 無言で向けられる四対の瞳を受けて、僕は全力で回避行動に出る。少しだけ亀宮さんの表情が緩んだ。

 

「鰻と言えば冷酒!久し振りに亀宮さんと呑みたいな。前はメリッサ様も一緒で、ゆっくり話せなかったしさ。どうかな?」

 

 亀宮さんの目を見て追撃を入れる。別に悪い事はしてないが、時として女性は理不尽なので常識は通用しない。

 だから話題をすり替えれば良い。多分だが軽い嫉妬みたいな物だから、構えば機嫌は直ぐに良くなると思う。

 

「別に私は鰻を食べたくはないけど、榎本さんが其処まで言うなら良いわ。ねぇ、皆さんも良いでしょ?」

 

「いや、昼間から酒は駄目です。早く山荘に帰りましょう」

 

「そうですよ、亀宮様。今は仕事中なんですから」

 

「お酒は危険だから控えましょう、亀宮様」

 

 滝沢さんも風巻姉妹も亀宮さんの酒乱癖を知ってるんだな。控え目ながら否定的な意見して、何とか飲酒を止めようとしている。

 だが彼女はお酒が大好きなんだよね。だから周りが否定する中で肯定する者を嬉しく好ましく思うんだ。

 

 そして機嫌が良くなる訳。

 

「大丈夫、少しなら平気ですって。滝沢さんは悪いが運転手だから控えてくれ。

僕は少し飲んでるから控えるけど、たまには良いだろ?さぁ支度して出掛けよう」

 

 パンパンと手を叩いて女性陣を急かす。

 

「そうですよね?大丈夫ですよね?さぁ皆さん出掛けますよ。一寸待ってて下さい。今支度しますから」

 

 イソイソと隣の部屋へ行く亀宮さんを見送る。良かった、何だか分からない不機嫌は回復した様だ……

 

「榎本さん、亀宮様は酒乱なのです。昼間から飲酒は危険なんですよ。それを……」

 

 滝沢さんがチクリと嫌みを言ってきたが……いや本当に困ってるんだが、そんな事は織り込み済みだ。

 

「知ってる。前にお供の二人を酔い潰して絡まれたから。だけど洋酒を何本も空けてたから強いし量も多い。だから軽く飲ませて機嫌を回復させるんだよ」

 

 あっ、ビックリした彼女の顔を始めてみたな。中々幼い感じで可愛いぞ。

 

「なっ?その為だけに昼間からお酒ですか!だがしかし……ああ、そうですね。

我々は途中で飲酒を止められないが、榎本さんなら亀宮様も言う事をきくか……全く責任取って下さいよ」

 

 深々と溜め息をつかれた。大丈夫、何となくだが彼女の操縦方法が分かってきたぞ。

 

「つまらない、もっと修羅場るかと思ったのに」

 

「亀宮様も簡単にあしらわれて……不憫です、榎本さん責任取れるんですか?」

 

 風巻姉妹的には御不満な感じ?どんな昼メロを期待してんだよ!取り敢えず放置で、先に鰻屋を抑えなきゃ。

 携帯電話を取り出し何度か通った櫃まぶし専門店「いば昇」へ連絡する。名古屋発祥とされる櫃まぶしを扱う老舗だ。

 

「ちょ、ちょっとスルーって非道くない?」

 

「私達にも配慮しなさいよ!」

 

 風巻姉妹が何か言ってるが無視して個室を予約し上櫃まぶしのコースを頼む。因みに料理としての「櫃まぶし」を考案したのが「いば昇」の三代目。

 現在は兄弟が暖簾分けをして本店・錦店と別の店として微妙に出される櫃まぶしも違う。

 因みに「ひつまぶし」として登録商標したのが「あつた蓬莱軒」なんだ。

 元々は賄い飯として客に出せない鰻を刻んでご飯に混ぜたり、急いで食べる為にお茶漬けの具にしたのが櫃まぶしの原型だ。

 それを「あつた蓬莱軒」がエンターテイメント的に手を加えたのが「ひつまぶし」になった。

 どちらが商売上手かは別として両者に何が有ったのかは気になるが、僕としては両方食べた上で「いば昇」に軍配を上げた。

 「蓬莱」と「名古屋」って単語が何故か気に掛かる、霊感に引っ掛かるのだが……何だろう、凄く嫌な取り合わせに感じるんだ?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 タクシーを二台呼んで亀宮さんと僕と滝沢さん、風巻姉妹とで分乗する。亀宮さんはご機嫌だ。

 

「私、本場の櫃まぶしって始めてなんです。凄く楽しみです」

 

 先程の不機嫌は何処に行ったのやら、ニコニコと話し掛けてくる。

 

「これから行く「いば昇」は先代が櫃まぶしを考案した発祥の店ですよ。兄弟で暖簾分けしましたが、基本は継承してます」

 

 女性陣的には「あつた蓬莱軒」の方がお洒落で人気だが、敢えて此方を選んだ。

 

「榎本さんって本当に食べる事が好きですよね。朝から宴会されてたのに、未だ食べれるんですか?」

 

「ははははは、宴会なんてしてません。会食の形式を取った密談ですよ。

こんなダークな部分は亀宮さんには不要ですからね。滝沢さんもほじくり返さないで下さいね」

 

 真面目な彼女はヤクザとの繋がりを嫌がる。当たり前だが、折角亀宮さんが機嫌をなおしてるので余計なお世話なんですよ。

 助手席に座る彼女を睨んでも仕方ないが、一応目線を送る。

 

「そうか……まぁ良いが、ちゃんと会食とやらの結果を教えて下さい」

 

「勿論、食事の後にでもね。先ずは折角名古屋に来たんですから美味しい物を食べましょうよ」

 

 滝沢さんの追求を交わしていると「いば昇本店」に到着した。さて、腹具合は八分目まで回復したから頑張って食べようかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 奥座敷に通されて、先ずは乾杯用の瓶ビールを三本頼む。元は鰻屋だからコース料理の他に鰻巻きと鰻の白焼きを二人前ずつ頼む。

 人は美味しい料理を食べれば多少の不満は忘れるからな。亀宮さん滝沢さん風巻姉妹の順位にビールを注いでいく。

 

「先ずは軽く飲みましょう。ビールを空けたら冷酒を頼みますが、此方も軽くですよ。

滝沢さんは運転が有りますから乾杯だけで。後で烏龍茶を頼みますから」

 

「いや、それは構わないが……」

 

 ホストに徹して女性陣の機嫌を良くしていく。因みに「いば昇」の櫃まぶしは、最初からご飯の上に海苔が敷き詰めてあり刻んだ鰻の蒲焼きが散りばめられている。

 薬味は山葵とネギの千切りだけで、お茶でなく出汁で頂く。お茶か出汁かで好みが分かれるが、僕は断然出汁が好きだな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 人間は美味しい料理を食べて満腹になれば、不機嫌さを継続する事は難しい。つまり自然と笑みが零れる訳だ……

 トドメにシャンティーヒラノの窯だしチーズケーキをテイクアウトした。

 これで濃い目の珈琲でも出せば完璧だ。マンションの居間で寛ぎ、各員に珈琲とケーキを配る。

 食べ終わった辺りで本題に入る。先代が生焼けなんて話をしなきゃならないから気を使うよ。

 デザートを完食した所で本題の話を始める。

 

「さて、気分良くなった所で悪いが仕事の話だ。今日聞いた話だが、亡くなった先代の葬儀について嫌な話を聞いた。

火葬場の職員が酔った勢いでキャバ嬢に話したんだが、彼の証言は嘘でも狂言でもない。少なくとも本人は本気で信じていた。

彼の話しでは、火葬の最中にお棺から叩く音を聞いたそうだ。彼は気のせいと思い込んだ。

生きたままなんて実際に有り得ない。昔は仮死とかも有っただろうが、現在は医療が進歩してるから誤診は有り得ない。

しかし焼いた骨を骨壺に納める時に見てしまった。焼かれた骨に拘束の跡が有った事を。

つまり生きたまま縛られて焼かれた疑いが有る。そして職員には口封じの為に多額の金銭が送られている」

 

 皆が半信半疑だ……その表情が嘘だと思っている。まぁ僕だってサスペンスかサイコホラー映画のネタだと思うよ。

 だが僕には、その職員は本当の事を言っているのが分かる。ヤクザの拷問に耐えてまで、嘘を言う意味が無いから。

 

「狂言とか勘違いじゃないの?そんな事は有り得ないよ」

 

「酔客の狂言だよ。嘘だって、どうせキャバ嬢に面白おかしく言ってるだけだよ」

 

 風巻姉妹のダメ出しに残りの二人も頷く。だからどうしようもない真実を言う。

 

「その職員はね……多分だがヤクザに確保されてるよ。

ネタが現役国会議員のスキャンダルだし、高速道路絡みなんて巨額な金が動く。奴らには美味し過ぎるネタだからね。

拷問されたか薬漬けかは分からないけど、彼の証言は真実だろう。嫌な世界だろ?」

 

 皆が沈黙する、事の重大さを噛み締めている。人が監禁されて拷問を受けているのに、知らん振りするんだから……

 これが裏世界の情報ってヤツなんだよ。

 

「さて情報が真実として、僕は先代岩泉氏の怨霊が今回の原因と思う。

生きたまま焼かれれば怨みは凄いだろう。怨霊になる条件は十分だ」

 

 親父さんに話を聞いてから考えていた事を話す。周りの反応は……

 

「確かに先代の死後から怪異が始まったと思えば納得するけど、安易じゃないかしら?」

 

 安易過ぎる為に否定的な意見が出ました。

 

「そう、安易だ。これは根拠も何もない霊感でしかない。だから調べよう。

先代岩泉氏が何をしようとしていたのかを何故息子は父親を殺す程の恨みが有ったのか?事前調査では関係有る事は何も出ていない」

 

 事前調査をしたのに上手く誤魔化されたのか?相手の方が上手で有り、僕等は最初から騙されていた可能性も有る。

 

「つまりは昨夜話し合って決めた調べる事に、何も変わりは無い?」

 

 情報が追加されたが、実は選択肢が増えただけで原因究明にはイマイチなネタだ。ぶっちゃけ依頼人への疑いが深まっただけだし……

 

「そうだね、でも依頼人が信用出来ないって事が分かっただけでも大収穫だろ?これは与えられた情報は全て疑わないと危険だよね」

 

「依頼人が腹黒くて信用出来ないなんて珍しくないですからね。さぁ佐和さん達は調査に掛かって下さい。私達は山荘に戻りますよ」

 

 意外な程に動揺の無い亀宮さんの言葉で、僕等は行動を開始した。

 

 

第165話

 

 山荘に着いた時は、既に太陽が沈みかけていた。山間部で見る夕日も味が有るな。

 例えば海で見る夕日は地平線の彼方へ沈むが、山間部で見る夕日は山と山の間に沈んで行く。

 その時に山の影が長く長く伸びるんだ。海じゃ障害物なんて無いから影も生まれない。

 

 結構神秘的な眺めだ……駐車場に車を停めて、三人で暫し夕日が沈むのを眺めた。

 

「榎本さんってロマンチストなんですか?急に夕日を見ようなんて。でも確かに綺麗……」

 

 右側に立つ亀宮さんも顔を夕日で真っ赤にしながら見詰めている。

 

「本当に綺麗ですね。働き初めてから夕日をゆっくり見るなんて無かったから新鮮ですよ」

 

 左側の滝沢さんも魅入っているが、此方は護衛として周囲に気を張る仕事だが景色迄は気にしなかったのだろう。

 僕自体は別に夕日に思い入れは無いけど、逆に女性陣が好きかと思って話題を振ったんだよね……まぁ効果が有り二人の機嫌も大分回復したな。

 だが美女を左右に侍らせてロマンチックに夕日なんて見てれば、端から見れば僕はとんだリア充野郎と思われるだろう。

 実際、入口付近で警備していた連中に口笛を吹かれたりニヤニヤされたり大変だったけどね。

 だがお前達の嫉妬は間違いだぞ。僕はロリコンだから彼女達に対してエロさは微動だにしないのだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 山荘内の割り当てられた部屋に入り、留守番の御手洗達と情報交換をする。部屋は広いが男女七人、しかも筋肉の塊が五人も居れば暑苦しい。

 滝沢さんが備え付けの冷蔵庫から飲み物をグラスに入れて配る。女性ならではの気遣いが嬉しい。

 残念な美人だがムキムキのオッサンに茶を勧められるよりは嬉しいだろ?

 ソファーセットには五人しか座れないが、残り二名はドアと窓の前に立って警戒してくれている。

 流石は護衛専門だけあって警備配置は慣れてるな……配られたグラスの中身を一口飲めば烏龍茶だった。

 こう言う場合は冷えた飲み物の方が落ち着く。一番は炭酸飲料だが、冷蔵庫の中には無かったんだ。

 

 次に街に出たら買っておこう。

 

「昨夜集めた証拠の品々は風巻姉妹に預けた。名古屋市内待機組で調査をして貰う。それと帰りが遅くなったのは、僕独自の情報網への接触をしたからだ」

 

「滝沢から定時連絡は貰っている。だが予定変更の場合は相談してくれ」

 

 御手洗から尤もな意見を貰った。怒っている感じはしないが、これからは注意しよう。

 

「すまない。だが信頼できる筋の情報によると、先代岩泉氏は殺された可能性が高い。

それと犯人は現当主の岩泉氏が怪しい。僕は今回の事件は、殺された先代岩泉氏の怨霊の可能性が高いと思う。

最初から不思議だったんだ。この山荘の従業員の質の悪さ。わざわざ御三家を集めたのに、スピーチは五分位で直ぐに帰ったし。

彼は、この山荘に長居はしたくない。何故ならば危険だから……」

 

「つまりは復讐の為に先代の怨霊が山荘に来るからか?可能性は有るが、イマイチな感じだぞ。

先代は高齢で病も患っていた。放っておけば死ぬ相手だろ?」

 

「それに他殺されたなら検死官が黙ってない。死因は病気って報道されていた。

いくら現役国会議員とは言え警察沙汰だぞ。揉み消しは不可能だろ?」

 

「仮に病死に見せ掛けたとしても、元々病人だし急いで殺す意味もないだろ?」

 

 脳筋な連中からマトモな意見がきて吃驚した!確かに僕も数ヶ月待てば死ぬのに待てない意味と理由が分からない。

 まだ言ってないが、火葬場の職員への対応も杜撰過ぎるし……早合点だったかな?

 一応、火葬場の職員の話もしてみたが反応はイマイチだ。先代怨霊説は穴が有り過ぎるか。

 

「うん、御手洗達の言う事も尤もだな。先代怨霊説は頭の片隅に置いてくれれば良いよ。

可能性としては有りだと思ってくれ。それと依頼人の言動・行動には注意が必要だ。大事な事を黙ってたりされたら大変だからね」

 

 皆が頷くのを見て、此方の話は終わりにする。今は穴だらけでも調査によっては違う展開も有り得るからね。

 

「貴方達の方はどうでしたか? 他の方々の動きとかは有りましたか?」

 

 亀宮さんが留守番組の報告を促す。留守番組が一斉に御手洗を見るが、何か有ったのかな?

 

「亀宮様が出発された後、関西巫女連合の連中が書斎を調べてました。午後からは熊野の密教団体が調べてます。

加茂宮と伊集院は今の所、これといった動きはないです。但し此方の動向に注意を払ってますから……

多分ですが、我々に調べさせて横槍を入れる感じがします。あと加茂宮の七郎が、亀宮様の事を執拗に聞いて来ました」

 

 今回呼ばれた霊能力者の団体は御三家に続き、関西巫女連合と熊野系密教集団が大手だ。

 他にも数グループ居たが覚えていない。加茂宮と伊集院が書斎には興味が無いとなると、高槻さんと厳杖(げんじょう)だっけ?

 あの似非武蔵坊弁慶集団が調べ終われば、誰が調べるかな?調べ尽くされたと思って誰も調べないかな?

 

「榎本さん、加茂宮の七郎さんですが……誤解しないで欲しいのですが、私とは何も関係は有りませんよ。

前に共同で除霊に当たる事が有ってから、妙に馴れ馴れしいのです。勿論、言い寄ってきても亀ちゃんがぶっ飛ばしてますが懲りなくて……」

 

 本当に困ったみたいな嫌な顔をしている。天然ポヤポヤの彼女にしては珍しい。

 七郎の行動を考えると、直ぐにでも僕に接触してくるな。勿論、文句と言うか言い掛かりを付けに。

 あの激情家で短絡思考なら、高い確率で殺しに来るだろう……

 

「そうだ、正明!誘う様に独りになれば、奴は喰い付いてくる。10秒有れば跡形も無く喰えるから安心しろ。勿論周りも警戒するから大丈夫だぞ」

 

 久し振りに胡蝶からの脳内通話が来た。しかも内容は物騒だし、お願いしてる隠蔽工作もバッチリだ。これは断れない……

 

「分かった。だが、あくまでも正当防衛だぞ。奴の行動は把握出来るのか?ばったり二子や五郎、伊集院の連中に会ったりバレたら厄介だぞ」

 

 せめて不意打ちじゃなく明確な敵意を感じてから胡蝶に頼みたい。自分勝手な自己満足でしかないが、僕が人としての心を無くさない最後の矜持だ。

 端から見れば笑い話だけどね。

 

「大丈夫だ。この山荘内なら誰が何処に居るか把握出来る。正明はアレだ、監視カメラに注意しろ。我にはメカは感知出来ぬ」

 

 監視網か……徳田に言って警備状況を調べるか。

 お前達を守る為には警備体制を知りたいし、連絡をどうするのか警備の連中と話したいとか言って誤魔化すか。

 

「どうしました?難しい顔をして。大丈夫ですわ、七郎については私は無視しますから安心して下さいな」

 

 しまった、慣れない脳内会話は周囲から見れば黙り込んだ様にしか見えない。まさか守護霊と会話してましたでも、タダの電波中年でキモいだけだ!

 

「ああ、すみません。この山荘の警備体制を調べておかないと、いざという時に困るなと色々考え込んでしまいまして……

御手洗、すまないが一緒に警備体制の確認に行かないか?執事に話せば、自分達の安全の為に教えられる範囲で教えてくれるだろう」

 

 単独行動は怪しまれるから、なるべく自然に仲間を誘う。

 

「そうだな、口約束とは言え山荘の連中も出来る範囲で守るのだからな。良かろう、同行しよう」

 

 流石だ……出来る範囲って優先度が下がってるよ。彼等は亀宮さんが一番だから、彼女が危険なら奴等は無視なんだろうな……

 勢い良くソファーから立ち上がる。皆が注目したので配置を考える。我々に宛てがわれた部屋は二部屋だから……

 

「亀宮さんと滝沢さんは同じ部屋に、男女別れよう。男衆は交代で不寝番だ。入口前を張ろう。

滝沢さんは窓に注意だよ。対人警戒の為の進入口は、窓と扉だけだからね」

 

「その配置で良いが、男衆はベランダの外に警戒の為に立て。並びの部屋だし隣も警戒範囲だろう。

人が居るだけで随分違うからな。さて行くぞ、榎本」

 

 言い終わってから御手洗の仕事を奪ったのに気付いたが……更に配置を増やしたが御手洗達は四人居るから二交代で頑張るそうだ。

 僕が警備のローテーションに入ってないと言ったが、滝沢さんと僕は亀宮さんと行動を共にするので不要だと叱られてしまった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 内線で執事室に連絡を入れて警備強化の提案をした。案の定、自分達の安全に関するので中央警備室なる場所を教えてくれた。

 スムーズに警備員と話をする為に徳田に部屋まで来て貰い、そのまま中央警備室まで同行させる。

 客室ゾーンを過ぎると裏方のスペースだ。当然だが内装は豪華でなく、簡素で無機質な感じだ。

 僕と御手洗、それに徳田の三人は病院みたいな通路を歩いている。注意して周りを見るが、此方には監視カメラは無い。

 

 リノリウムの床を歩くと、コツコツと音が響く……

 

「榎本さん、この山荘は危険なんですか?」

 

 暫く歩くとイケメン執事が脅えながら聞いてくる。女性霊能力者なら萌えるかもしれないが、我々は男色の趣味は無い。

 

「最初の被害者が発見された後にも何人も殺されている。最初の犠牲者をわざわざ境界まで運んだのはね。

相手は何かを我々に伝えているんですよ。僕は警告だと考えている。

だが我々は警告を無視して何人もの霊能力者を送り込み、悉く返り討ちにあった。

相手は怒り狂ってるぞ、警告を無視したんだ。そんな相手が大人しくしてるなんて思うか?」

 

「奴等が一定の地域から出ないのは我々の仮定に過ぎない。根拠も証拠も無いからな、注意に越した事はない」

 

 ムキムキなオッサン二人に脅されて、塞ぎ込むイケメン。脅かし過ぎたか?暫く歩くと鋼鉄製の厳つい扉が現れた。

 

 これが中央警備室か?

 

「此処です。おい、徳田だ。開けてくれ」

 

 ノックをして呼び掛けると、覗き穴から確認した上でロックが外れた。少し扉が開くが未だドアチェーンは掛かったままだ。

 中々の警戒心だし、此処には監視カメラも有る。出入りは記録されるか……

 

「何の用だ?それと、その二人は?」

 

 ドアの隙間から覗く男は意外にも若い。まだ20代じゃないかな?黒のスーツを着込み眼鏡を掛けている。

 我々もそうだが、ベタベタでワンパターンな格好で恥ずかしいな。

 

「ああ、此方の霊能力者の方が山荘の連携の為に警備体制を知りたいとの事です。万が一の時に我々を守ってくれる約束です」

 

 胡散臭さげに此方を見る。僕も負けじと睨み返す。暫く睨み合っていたが、意外にも先方が折れたのかドアチェーンを外してドアを開けてくれた。

 

「入ってくれ。あんた、榎本さんだろ?畑中組の切り札、お抱え霊能力者のアンタが出張るなんて大事だな。で、何が聞きたいんだ?」

 

 畑中とは親父さんの名字で有り、広域指定暴力団の名前だ。親父さんの言った通り、僕の情報は愛知県では結構広まってるのか。

 初見の奴にまでバレてるって事は、写真とプロフィールは知れ渡ってると思った方が良いな……

 部屋の中に入ると10畳程の広さが有り、モニターが三列三段で九面。無線設備も有るし中々の設備だ。

 隅に簡素な椅子テーブルが有り、そこに座る。

 

「俺は警備副隊長の八重樫だ。とは言え隊長は常に不在だがな。アンタが出張るって事は、此処はヤバいんだな?」

 

 僕が出張るとヤバいってのが前提なのか?確かに何時も何時も胡蝶が喜ぶ仕事しか、親父さんは回してこないけどさ。

 

「榎本さん、貴方は亀宮様の配下ではないのですか?出張るとヤバいとは、どう言う事です?」

 

 パニクる徳田をどう宥めるか悩むが、何か言わないと御手洗にも不信感が芽生えそうだ。

 

「畑中の親父さんとは駆け出しの頃に世話になったから、非合法で無い仕事は請けているだけだ」

 

 苦しい言い訳だが、致し方あるまい。では本題に移るかな……

 



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第166話から第168話

第166話

 

 警備副隊長の八重樫と名乗った青年だが、他の連中と違い有能な感じがする。

 それと常に隊長不在とはどう言う事だ?僕の素性が広まっているのも問題だ。

 

「隊長が不在とは?仮にも現役国会議員の所有する建物だろ?隊長は複数兼務なのか?」

 

 話の切欠作りに質問してみる。さて、何て返ってくるかな?

 

「隊長様は端から危険だと知ってたんだな。

道理で俺に任せ切りで一度も来ないし、派遣される連中は二線級。建て前は警備員だが、ヤクザ崩れも多いぜ」

 

 僕の予想通りだな。失っても痛くない連中と……

 

「つまりは失っても構わない連中と……問題児を集めたって事かな?」

 

「良いねぇ、アンタ凄いよ!流石は畑中組の切り札だけあるわな。アンタが来るって事は、この怪異も解決だな」

 

 何が可笑しいのかゲラゲラ笑う八重樫と言う男。少し狂ってる感じがする……

 

「問題児だと!ふざけるな、私は違うぞ。私は有能だから、この山荘を岩泉様から直接任されているんだ。

お前みたいな血を見るのが好きな狂人と一緒にするな!」

 

 キチガイみたいに騒ぎ出す徳田。

 

「はっ?VIPの御婦人達に手を出す、盛りのついた飼い犬は黙れよ」

 

 それを睨み付ける八重樫。つまりバトルジャンキーとコマシ執事か……面倒臭いメンバーだな。

 

「話を戻すぞ。僕は今回は亀宮一族に雇われている。

だから優先するのは亀宮様なんだ。だが約束したからには、山荘の連中も外敵から出来るだけ守る。

だから教えてくれ。先ずは外部に対する警戒についてだ」

 

 彼等の確執なんて、本当にどうでも良いんだ。先ずは疑われない様に外敵に対しての備えを聞く。

 八重樫がA1サイズの図面を机に広げた。どうやら監視カメラの配置図らしいな。

 

「この図面の通り、外部には18台の監視カメラが有る。主に出入口がメインだが、駐車場・中庭・倉庫とかを監視してる。

モニターの上部三台に五秒おきに切り替えて映る」

 

 図面には配置と撮影範囲が記され色分けされている。外部での密会は不可能だな。出入口で必ずチェックされるし、死角も少ない。

 

「分かった。外部については取り敢えず安心だな」

 

 外部から無理に侵入しようとすれば、探知されるな。

 

「幽霊ってのはよ、壁とかお構い無しにすり抜けるんじゃないのか?鍵とか掛けても当てになるのかよ?」

 

 幽霊って壁抜け出来たり突然現れたりするイメージが有るからな……

 

「喜べ、今回の相手は実体が有るぞ。人間を持ち運べるのだから、この警戒網なら発見出来るだろう。次に侵入を許した場合だが、監視は出来てるのか?」

 

 此方が本題だ。対七郎に対しての警備網の穴が知りたいんだ。

 

「実体ね……鍵の掛けている窓には全て赤外線と振動センサーが付いている。例外は客間からベランダに出る窓だけだ。

これは開けると場所がモニターに出る。あとは廊下・階段室・食堂・ホールにも監視カメラで警戒してる。

廊下や階段などの共用部分が中段のモニターで、食堂やホールを下段のモニターで確認してる」

 

 図面を捲り説明してくれるが、これは滞在する客に対しての監視だな。つまりバックヤードは未警戒なのか?

 

「なる程な……従業員スペースは、殆ど未警戒だな。

夜中に攻められたら感知が難しいぞ。少なくとも従業員の居住スペースも監視網を広げられないか?」

 

 ペラペラと図面を捲りソレっぽく提案するが、実際は死角になる場所を探していた。

 バックヤードの殆どとトイレ等が無警戒だ。ヤルなら廊下で会ってトイレに連れ込むのが確実か?バックヤードの配置を頭の中に叩き込む。

 

「従業員の居住スペースか…… 無理だな、全く設備が無い。悪いが発見次第に内線で連絡だな。または携帯か……」

 

「それで良い。先ずは見付けるのが先決だ。後は昨夜調べた先代の書斎の暖炉擬きだが……アレは何だ?」

 

 気になっていた暖炉擬きについて聞いてみる。徳田と八重樫が目で何かを問い掛けあってるな。

 雰囲気的には知らないみたいだが……

 

「すみません、分かりません。私は此処に来て三か月ですが、特に聞いてません」

 

「俺もだな。同じく三か月だが、引き継ぎにも特に暖炉には触れてなかった。

侵入されやすいのか?だが屋根に登る前に発見出来るぞ。まさかハングライダーで上空から侵入なんてないよな?」

 

 共に三か月?事件発覚前に配置されてるのだが……何故、一ヶ月以上も前に配置転換されたんだ?

 三か月前だと、未だ先代は死んでない筈だが……半月以上も前に誰の権限で配置転換をしたんだ?

 

「上空から侵入って007やキャッツアイじゃあるまいし……すまないが、三か月前だと先代は存命だよな。君達の配置転換は先代の指示か?」

 

「いえ、先代は既に意識不明の状態でしたから……」

 

「現当主殿が指示したと?」

 

 徳田が無言で頷く。生前に父親が特に気を掛けていた山荘の人員を倒れたからって息子が直ぐに二線級の連中と入れ替える……

 

 何故だ?

 

 事件発覚後ならば、危険な場所に有能な連中を配する意味が無いから入れ替えは有り得るが、何故事件発覚前に配置転換をした?

 事前に危険を察知していたのか?

 

「もしかして考え違いをしていたかもな?現当主は先代が死ぬ前から山荘が危険と知っていた。僕の考えた先代怨霊説は成り立たないな……」

 

「先代怨霊説?何ですか、それは?」

 

 ヤバい、独り言を聞かれてしまった。広まる前に誤魔化さないと変に誤解されてマズいか?

 

「僕等が考えた仮説の中の一つだよ。霊障なんてさ、誰かが亡くならないと発生しないだろ?

だから事件発覚前に亡くなった人は一応疑う。かなり過去に遡ってね。当然だが人以外の原因も調べている。

動物霊とか伝承に有る妖怪や化け物の類までね。数多の可能性の一つが消えただけさ」

 

「ふーん、脳筋かと思えば、ちゃんと考えてるんだな。霊能力者なんて御札や霊剣とか使って派手なアクションで戦う連中かと思ってたぞ。

霊波とかも飛ばしてさ。霊波砲みたいな?ちゃんと地道に調べてるのか……」

 

 何だかなー……この八重樫って男は見た目と態度は怖いが、愛読書はライトノベルとかか?

 御札は兎も角、霊剣なんて見た事無いぞ。確かに似たような物は有るが、人前では使わないぞ。

 普通そんな物を持ち歩いたら銃刀法違反で捕まるじゃないか。しかも除霊作業で刃物を振り回すのか?

 

 それに霊波を飛ばすって何だよ?かめ○め波かよ?出来る訳ないだろ!

 

「霊能力者について小一時間程説明したいぞ。僕は御札は使うが霊剣なんか使わない。

てか普通に刃物は駄目だろ。霊波?飛ばす?野菜の国の戦闘民族じゃないんだぞ」

 

 背中にナイフを仕込んでいるが、あくまでも対人や道具としての使用だ。

 怨霊や悪霊相手に刃物なんか振り回すかよ。確かに簡易結界でなら、鉄製の刃物は魔を祓うから使うけど……

 

 あれ?八重樫は分かるが、何故に御手洗まで残念そうな顔をしてるんだ?

 

「じゃじゃじゃアレは?妖怪とかって女性タイプも居るんだろ?雪女とか猫又とかどうなんだよ!」

 

 八重樫の熱きパトスに頷く御手洗……思わず椅子に深く座り直す。脱力感がタップリと両肩にのし掛かる。

 

 雪女に猫又だと?そうか良く分かった、お前らの幻想に終止符を打ってやるぜ!

 

「雪女も猫又も知らないし見た事もない。リアルに会った女性の幽霊は、貞子みたいな怨霊ばかりだよ。

蛇少女や犬男、熊男なら案外身近に居るぞ。紹介してやろうか?」

 

 リアル獣っ娘の狐美少女なら保護しているが、教えない。丁度伊集院一族が居るし、変身した姿を見る事は出来るかもな。

 

「チクショウ、神は死んだ……」

 

「蛇少女だと?ウメヅカズオの世界なんてお断りだ!フザケンナ、何が蛇少女だ」

 

 伊集院の当主が聞いたら発狂モノな言い種だな。アレだってかなりの美少女だぞ、蛇だし瞳孔が縦に開くけど……

 

 ゾクッと背筋に氷柱を差し込まれた様な気が!

 

 思わず左右を見渡すが、鍵の掛かった警備室だし他に誰も居る訳ないか……首を振って悪い予想を振り払う。

 まさか伊集院の当主に暴言がバレてはないよな?

 

「心霊現象に夢を見るなよ。現世に思いを残す連中の殆どが苦しんでいるんだ。

そんな美女・美少女が居るかよ。それは御仏とか神様の様な存在だぞ」

 

 結衣ちゃんは狐っ娘だが、僕の女神だから近い存在だがな。

 

「意味分かんねえよ。何だよ、貞子なんてお断りだぞ。3D映画を見て偉い事になったんだぞ」

 

「榎本よ、嘘をつくな!俺は亀宮様から聞いたぞ。貴様が美少女幽霊を知っていると!吐け吐くんだ、榎本!」

 

 亀宮さん……まさか胡蝶の事をバラしたのか?いや、そんな筈は無い。ならば御手洗の情報の対象は何だ?

 

「落ち着けって!もしかして八王子の件か?確かにラスボスは美女だったが……」

 

 小原愛子、確かに身も凍る様な怖さと美しさは有った。だが、アレはヤンデレだったからアウトだ!

 

「それだ!吐け、吐かんか!」

 

 両肩を掴まれて力一杯ガクガクと揺すられたが痛いぞ、少しは加減しろよ。力一杯掴まれた手を払う!

 

「あのな……八王子の美女幽霊は依頼人の元妻だ。しかも旦那の浮気が原因で寵を失うと、我が子を殺して自分も自殺したヤンデレだぞ。

最後は依頼人共々あの世に逝くのを止めたんだ。見た目は美女でも殺す程の殺意を持ってるんだ。

そんな連中ばかりなんだ、この世界はな。だから夢を見るなよ、普通に死ぬぞ」

 

 知りたい情報は手に入れたし、山荘での未警戒場所も頭に叩き込んだ。もう此処に居る必要は無い。

 イメージが壊れた御手洗の首根っこを掴んで外に引きずり出す。

 

 扉を閉める前に「あの書斎の暖炉擬きだが、餓鬼道に繋がっている感じがする。くれぐれも格子は外すなよ。警告はしたからな」そう言ってパタンと扉を閉めた。

 

 中で何か八重樫と徳田が騒いでいるが気にしない。隣に佇む御手洗の背中を力一杯叩く!スパーンと良い音がした。

 

「御手洗よ、怨霊や悪霊に惑わされるなよ?奴等は簡単に人を取り込み殺すんだ。

人ならざる者に憧れる気持ちは分かるが……現実ってのは、何時も非情なんだよ。

亀宮さんには黙っててやるから、今度キャバクラでも行こう。なに、名古屋の風俗店なら僕が同行すればサービスは良いらしいぞ」

 

 優しく肩を叩くと、彼を置いて先に歩き出す。男には独りになりたい時が有る。そして、それは多分だが今なんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時刻は午後7時を過ぎた……廊下の窓から見える景色は無く、殆ど漆黒の闇だ。

 僅かな街灯が駐車場や中庭を照らす。これは夜間に侵入されたら出入口のセンサーに引っ掛かる迄は、発見は無理だな……

 暫く廊下を歩き霊能力者に割り当てられた部屋に近付いた時、僕の進路を遮る様に扉が開いた。

 

 デジャヴが……高槻さんか?

 

「あら?亀宮の番犬の榎本さんじゃないですか。調べ事は進んだか?」

 

 先程噂した伊集院の当主が現れた。何時ものフードを被ってなく、驚いた事にセーラー服を着ている。

 ポニーテールで色白、スラリとした体型。紛れもない美少女だが、切れ長の目が爬虫類みたいなんだよな。

 もしかして舌とか二股に分かれてないよね?コマンド的には「にげる」だが、回り込まれそうだな。

 

「ええ、僅かながら手掛かりを見付けましたよ。だが原因の究明には役立っても、解決には弱いですね」

 

 若干腰が引けてるのは、流石は御三家の当主のプレッシャーからだ。蛇に睨まれた蛙の気持ちが、今なら良く分かる。

 

「そうとは思えないわね。まぁ良いわ。貴方、私達に協力しなさい。

厳密に言えば伊集院一族は亀宮と共闘したい。其方の当主に伝えて欲しい」

 

 言うだけ言って扉を閉められた……今更共闘だと?奴等は一体何を考えているんだ?

 

 

第167話

 

 加茂宮の七郎対策の仕込みで警備室に寄った後に、伊集院の当主に待ち伏せされた。

 丁度蛇少女は有り得ないと悪口を言った後だったので、突然の接触にはドキドキだった。

 勿論、胸の高まりでなく心臓がバクバクいう方だが……伊集院当主は何故か何時も被っていたフードをしておらず、セーラー服で現れた。

 確かに守備範囲内の美少女だが、目が爬虫類だ!そして彼女は、亀宮との共闘を申し込んできた。

 これはご隠居に判断を仰ぐしかない。当初の方針が亀宮単独での解決だったからだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 割り当てられた部屋の前に打合わせ通り肉の壁が警備している。片手を上げて挨拶すると、扉を開けてくれる。

 中にはソファーで寛ぐ亀宮さんと向かいに座る滝沢さん。

 亀宮さんはDVDを見ているが……お得意の「水曜どうでしょう?」だ。今は四国巡礼の旅だな。

 確か受験生の為に代わりに四国88カ所の巡礼の旅だっけ?今回はどうでしょうセミナー留年罰ゲームみたいだな。

 画面の中で大泉さん他二人が、変なポーズでお寺の名前を叫んでる。

 それを見てクスクス笑う亀宮さんは正直可愛いと思うが、滝沢さんが僕に縋る様な目で見るのは止めろって事か。

 

「おっ?四国巡礼88カ所巡りですか。楽しそうですね。ですが、そろそろ夕食の時間ですよ。7時30分になったら食堂へ行きましょう」

 

 時計を見れば既に6時47分。

 

 食前に伊集院当主からの申し入れを話さないと駄目だから一話見終わった後でも時間は有る。

 

「分かりました。私も四国を廻ってみたいです。二泊三日は無理でも一週間位かければ……そうだ!榎本さんのご出身は四国ですよね?」

 

「高知県の長岡郡って田舎町ですよ。もっとも既にダムの底ですがね。ですが四国巡礼の案内は無理です。

お互い社会人ですし、そんなに長期休暇は無理ですよ。

さて、その話を見たら一旦止めて下さい。御手洗が戻って来たら夕食前に報告が有ります」

 

 ブーっと頬を膨らませた後、画面に視線を戻す亀宮さん。やれやれ、気を許した連中の前だと子供の様な無邪気さだ。

 DVDを見る彼女の邪魔をしない為に離れた窓際の椅子に座る。さて、伊集院当主の共闘をどう持って行くか……ご隠居と相談する為に、メールで電話してよいか確認する。

 ポチポチと本文を打っていると隣に滝沢さんが座る。

 

「その、すまない。嫌な事を思い出させてしまったか?」

 

 申し訳なさそうな表情と声だが……

 

「故郷がダムの底の話かい?気にしてないよ。ダムはムダって言われるけど四国は別だ。

万年水不足だから必要だったんだよ。それに移転保証金や代替え地も貰えた。

だから納得してるんだ。まぁ代替え地を貰ったけど売り払って神奈川県に戸籍も移しちゃったけどさ」

 

 田舎じゃ仕事が少なかったからね、と笑って締めくくる。彼女は残念な美人だが、気遣いも出来る良い娘だ。

 嫁にするなら気の張らない彼女位が良いかもしれないね。

 

「それなら良いんだ。だが感謝もしている。亀宮様があんなに生き生きとしてるのは初めて見るんだ。

普段は亀宮一族の当主として気を張られているからな」

 

 八王子の時は、そうでも無かったけど?微笑む滝沢さんを見て、それを言ったら雰囲気が台無しなので黙っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮さんがDVDの一話目を見終わった頃、漸く復帰した御手洗が戻ってきた。全員を集めて、先程の伊集院当主の提案を相談する。

 ご隠居からの返事は、現場の判断で良い。但し貸し借りは無しの方向で調整しろと言われた。借りは分かるが、貸しが無しは分からない。

 何か政治的な思惑が有るのだろうか?全員ソファーの周りに集まったのを確認してから、亀宮さんを見る。

 頷く彼女を見て、話を進めて良いと確認。

 

「さて夕食前だが重たい話だ。先程だが、伊集院の当主より提案が有った。曰わく共闘の打診だな」

 

 亀宮さんがDVDに集中してる間に、ご隠居との下打合せを聞いていた他の連中の動揺は無い。だが、亀宮さんはビックリした顔で僕を見る。

 

「ご隠居からは……共闘は良いが貸し借りは無しの方向で、現場判断しろと確認は取った。どうする、亀宮さん?」

 

 この場の最上位は彼女だから、彼女の意志を尊重しなければ駄目だ。

 暫く目を瞑り考え込む彼女を見て、流石は御三家の一角であり重要な事は自分で考えて判断するんだなと関心する。

 

 漸く目を開いて「共闘はしないわ。私達だけでも解決出来ると信じてるから。そうですよね、皆さん?」こうまで言われちゃ誰も反対も出来ないな……

 

 滝沢さんと御手洗を見ても頷いている。ならば僕も腹を括らねばなるまい。

 

「そうだね。何のメリットもないし、僕等だけでも大丈夫だな。分かった、共闘は断ろう」

 

 相手の思惑が分からないのに一緒に戦うのは危険だよな。別に断っても現状は何も変わらないし……パンパンと手を叩いて話を終了する。

 

「方針が決まれば食事に行こうか。余り美味しくないが、毎晩外食も駄目だろう」

 

「ん?不味いのか?俺は美味いと思うが、榎本はどれだけグルメなんだ?」

 

 不審がる御手洗に曖昧に笑い掛けて部屋を後にする。共闘を断るなら早い方が良い。食堂に居てくれれば良いのだが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 はたして食堂に行けば伊集院一族も加茂宮一族も居た。等間隔に離れて食事をしているが、我々が入って来た時に視線だけ送っている。

 因みに今日の夕飯のメニューもステーキみたいだ……朝食は同じでも構わないが、せめて夕飯のメニューは変えようよ。

 割り当てられたテーブルに向かう亀宮さん御一行から離れて、伊集院一族のテーブルに向かう。

 三人共フードを深く被り黙々とステーキ肉を口に運んでいる。犬・熊・蛇は共に肉食系だから、ステーキは大好物なのか?

 近付くと犬男が立ち上がるが、蛇少女が手で制する。熊男はプレッシャーを掛けてくるが、これは逆効果だ。

 胡蝶さんの反骨心がムクムクと鎌首を……

 

『正明、畜生擬きなど不味いが喰うか?いや、喰おう!熊肉は700年振りだから、楽しみだ』

 

 バリバリ戦闘体制の彼女を何とか止める努力をする。

 

『胡蝶、此処じゃ人目が有るから駄目だ!それに相手は加茂宮で伊集院じゃないだろ?』

 

 理屈が通じない事が多いが、今回は矛を収めてくれたみたいだ。

 

「今晩は、伊集院さん」

 

 そう言えば名前をしらないので名字で呼んでみた。

 

「久方振りだな、そんなタメ口な呼ばれ方はね。まぁ良いわ……それで、さっきの返事かい?」

 

 伊集院様とか御当主様とか呼ぶのか?

 

「はい、共闘はしない。亀宮様は我々だけでの解決を望んでいます」

 

 そう言って深々と頭を下げる。犬男と熊男から視線を外すのは不用心だが、礼を示すのだから仕方ない。

 両側の男達からのプレッシャーが跳ね上がる。思わず左腕に力が入るが、胡蝶が反応しないなら未だ平気だ。

 

「そうかい?まぁそうだな、私でも急に共闘とか言われたら断るからね。分かった、お互い頑張ろう」

 

「有難う御座います」

 

 至極あっさり受け入れられて拍子抜けだが、この提案の趣旨は何だったんだろう?

 

「失礼を承知で聞きますが、何故我々に共闘を持ち掛けたんですか?」

 

 回答は無いかも知れないが一応聞いて……

 

「貴方が面白いから近くで見ていたかったから、かな……」

 

「僕が面白い?」

 

 この娘は何を言ってるのだろうか?僕が面白いってなんだ?筋肉ダルマだから?それとも胡蝶の事か?

 

「そうだ、貴方は面白い。忽然と現れた亀宮の姫様が太鼓判を押す程の霊能力者。

過去を調べたら謎は深まるばかり。それに何故か私達の秘密も知ってるみたいだしね。ねぇ狐っ娘のお父さん?」

 

 墓穴を掘った?あの時、爬虫類と言ったのは胡蝶の探索能力で分かった事だった。もしかしなくても自業自得かよ。

 あの時に結衣ちゃんの事を引き合いに出されても、余計な事など言わずにいれば良かったのか?

 

「口は災いの元とは、良く言ったものです。御三家の一角、伊集院の当主様に買い被られると恥ずかしいですね。では……」

 

 再度深々とお辞儀をしてテーブルを離れる。完全に結衣ちゃんの事がバレているのが痛い。

 だが、彼女のルーツは伊集院の一族に繋がっているのかもな。既に彼女の親族で獣化出来る程の者は居なかった。

 もっとも葬儀に参列してくれた連中だけしか調べてないから、もしかしたら……

 

「只今戻りました。伊集院の当主の戯れでしたね、共闘の件は……」

 

 亀宮のテーブルは、何故か亀宮さんと滝沢さんの間の席が空いていた。悩んでも仕方無いから空いていた席に座る。

 既に食事の準備はされており、ナイフやフォーク等の食器類が並んでいる。外側から順に取るのがマナーだ。

 山盛りのサラダボールから取り分けられたサラダをフォークを使い食べ始める。

 このテーブルだけ筋肉の塊が集まっている為か、量が半端ないな。勿論だが、取り分けは給仕の方がしてくれる。

 広々とした食堂で御三家関係者しか居ないのは、他の連中に避けられているのか順番が有るのか……

 黙々と食べるサラダは、チープなドレッシングの為か美味くは無かった。序でに加茂宮の七郎の刺す様な視線を背中に感じる。

 奴はもう我慢が出来ないって感じがする。

 

『そうだぞ、正明。奴は既に我の贄としての存在なのだ。近くに居て分かるぞ。奴に取り憑く存在がな……

くくくくく、まさか此処で奴に会うとは因縁浅からぬものよ。だが奴は宿主が奴の力に耐えられぬ為に力を分散せねばならぬとは哀れよな』

 

 確か一子から九子まで居るんだっけ?いや、九郎?兎に角、九人姉弟の全員に某かの力を分けている。

 そして彼等の力が結集すれば、胡蝶でも危ういのか……考え事をしていても手は動く。

 

 サラダを平らげた後は南瓜の冷製スープだ。これは普通に美味い。

 裏漉しされている為に喉越しもまろやかだが、これはレトルトだろうな……

 

「榎本さん、今夜は外出しないのですか?」

 

 嬉しそうに目を輝かせている。ん?夜遊び癖をつけてしまったか?滝沢さんも御手洗も何も言わずに僕を見てるし、ちゃんと断れって事だよな……

 

「今日は出掛けないですよ。そうですね、書斎の暖炉擬きでも調べてみますか?アレは餓鬼道だと思うんですよ。

ちゃんと処置しないと面倒臭くなりそうで……御札を貼って結界を張りましょう」

 

 拠点としている山荘の内部に餓鬼道が有るなんて、ワラワラ出て来たら厄介だ。霊能力者にとって奴等は弱いが、倒しても倒しても湧いてくる厄介な連中だ。

 まして、この山荘には素人が沢山居るからな。あんな気持ち悪い連中を見れば、パニックになるだろう。

 

「あら、そうですか。でも今夜も誰かが調べませんか?一緒にならねば良いですね」

 

 高槻(巫女)さんと巌杖(修験者)さんの次は誰が調べるのかな?

 僕等は風巻姉妹の調査報告を待たないと動けないから、取り敢えず出来る事はやっておきたいんだ。

 時間を無駄にしているとは思われたくないからな。特に依頼人は信用出来ないから、此方の怠慢と取られる事は避けたい。

 

「徳田に予定を聞きましょう。彼にしても山荘の安全を優先させたいでしょうし、守る約束もしているから融通してくれますよ」

 

「うむ、夕飯を食ったら行動を開始しよう」

 

 丁度ステーキの乗った鉄板を配る給仕さんに、徳田を呼ぶ様に頼む御手洗。滝沢さんと彼等は良く連携が取れてるよな。

 亀宮一族は派閥争いや女尊男卑とか横の連携がイマイチな感じがしたんだけどね。流石はご隠居が寄越す連中って事だな。

 亀宮さんの許可も貰ったし、先ずは餓鬼道を封印しよう。

 

 後は、七郎の動き次第では……

 

 

第168話

 

 あまり美味しくない夕食を終えた頃を見計らって、イケメン執事の徳田がテーブル迄やって来た。

 その頃には伊集院も加茂宮も食事を終えて食堂から居なくなっていた。どうやら暖炉擬きに興味も無いのだろう。

 

「お待たせ致しました、亀宮様。お呼びでしょうか?」

 

 慇懃無礼な態度と挨拶が板についているのが憎らしい。胸の前に右手を添えて一礼する姿は中々格好良いな。

 確かに女性受けするだろう見事な所作だが、僕は殺意しか湧かない。御手洗達も同じ気持ちだな、意思の疎通は目を見るだけで分かるのだ。

 滝沢さんは困惑気味で亀宮さんは興味無しか?徳田を一瞥した後、僕を見て微笑む。

 つまり僕が全ての話を進めろって訳ですね?哀れ徳田、女性陣には全く興味を示されないとは……仕方がないので、暖炉擬きに結界を張る説明をする。

 

「わざわざ呼び出してすまないな。先程も少し話したが、例の書斎の暖炉擬きの件だ。

放置しても危ないだけなので、出来れば僕等の方で簡易結界を張ろうと思う。鍵は今どうなっている?僕等が書斎に入れるかい?」

 

 他に書斎を調べる連中が居るのかの確認だ。同業者が調べているなら遠慮した方がトラブルは少ない。

 無理に今夜結界を張らねばならない程じゃないし……

 

「今は厳杖様が鍵を借りて書斎を調べてますが……」

 

 ああ、あの武蔵坊弁慶擬きの連中か。なら無理は出来ないな。

 

「そうか、ならば彼等が鍵を返しに来たら連絡をくれ。急ぐ事も無いし彼等の邪魔もしたくないからね」

 

「えっ?結界を張ってはくれないのですか?危険じゃないのですか?」

 

 妙に食い下がる徳田を訝しげに見る。何だろう、何か隠しているのか?

 

「まぁ厳杖さん達が調べているなら邪魔出来ないだろ?奴等だって本職だ。居る時に餓鬼が出れば対処出来るだろう」

 

「わざわざ亀宮様が出張る必要が無い、と?」

 

 徳田の問に黙って頷く。

 

「厳杖さんにもプライドが有るからね。封印するから退いてくれなんて言えないさ。彼等が鍵を返しにきたら連絡をくれれば簡易結界を張るよ」

 

 イマイチ不安そうなのは、御三家と一般団体との信用度だろうな。僕もフリーの時に依頼人から同じ様な対応をされた経験が有る。

 そんな連中は総じて固定観念が強く、霊障を受けているのに心の底では未だ疑っている。

 また此方を詐欺師か手品師みたいに軽く見る嫌な部類の連中だ。だから僕は自分の為に契約を先に結ぶんだ。

 そういった連中は契約書や何やらを出すと怯むか拒否るが、ならば仕事はしないと返す。

 しぶしぶ契約書にサインをするが、稀にそれでも断る奴も居る。その場合は此方も手を引く。

 大抵の場合、その案件は良くないんだ。情報を秘匿していたり事実と違ったり、面白半分の悪戯だったり…… 

 正式に契約を結べない連中は、自分側に問題が有る事を理解している。

 散々失敗した僕が、自己防衛の為に松尾の爺さんにスパルタで教わった。

 契約に関する事を徹底的に教え込まれたが、トラウマ的な扱(しご)きだったぞ、アレは……

 話はこれでお終いと黙り込んだ僕に、恨めしそうな目線を送り徳田は(亀宮さんと滝沢さんに)一礼して去って行った。

 

 奴の後ろ姿を見送っていると入れ違いで高槻さん達、関西巫女連合のお嬢様方が入ってきた。

 先頭を歩く高槻さんと目が合ったので軽く頭を下げる。ニコリと笑う彼女と、無表情な巫女さん五人。

 皆さん20代半ば位の清楚系ですね。美人ばかり……って訳じゃないが、まぁ普通でしょうか。

 高槻さんが群を抜いて美人なのだが、腹に一物有りそうな系だからお近付きになりたくない。 

 それにロリな僕にとって彼女達は魅力的じゃない。巫女服補正をもってしても普通だ。

 

 うむ、この揺らぎない信念(ロリコン道)に確かな信頼を感じる。

 

「さて、部屋に戻りましょう。昨夜は慌ただしかったし、今夜はゆっくりしましょう。動くのは調査結果が来てからです」

 

 まったり食後の珈琲を楽しむ亀宮さん達に声を掛ける。

 

「そうですね。では皆さん行きましょう」

 

 亀宮さんの一声で皆が立ち上がる。含みの有る視線を送る高槻さんから目を逸らし、そそくさと食堂から立ち去る。

 アレは厄介事を押し付ける目なんだよな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 岩泉氏の山荘に滞在する事二日目の夜。

 ゆっくりとベッドで眠る事が出来た。御手洗達には悪いが、僕は見張り要員から外れているのでベッドに潜り込んでいる。

 客室だけありシモンズ製の高級ベッドはフカフカだ……

 

『正明、正明起きろ!どうやら書斎から餓鬼が溢れ出ているぞ。ククククク、誰ぞ暖炉擬きの格子を外した様だな。ゾロゾロと湧いておるわ』

 

 睡眠中にいきなり頭の中に響く胡蝶の声に体が反応する。慌てて枕元の携帯電話で時刻を調べれば2時8分……草木も眠る丑三つ時か。

 

 しかし誰だよ、格子を外した馬鹿野郎は?ベッドから出て服装を整える。服を着て髪を手櫛で整える。

 書斎と客間は離れているので、まだ騒ぎは聞こえない。だが直ぐに連絡が来るだろう。

 

「どうした、いきなり着替え始めて?敵襲か?」

 

「そうだ!例の書斎の暖炉擬きから餓鬼が溢れ出しているのを感じた。奴等は物理攻撃が効く!武器は持ってるか?」

 

 同室で寝ていた御手洗が聞いてきたので、状況を説明する。服装を整え警棒を二本腰に差し、背中に大振りのナイフを仕込む。

 餓鬼は、餓鬼の野郎は悟宗さんの敵でも有る。だから見付け次第殲滅、サーチ&デストロイだ!

 御手洗達の準備が整うのを待つ間に徳田に電話を入れる。

 

「はい、徳田です。夜分にどうかしましたか?」

 

 如何にも眠たそうな不機嫌さを醸し出しているな。

 

「例の暖炉から餓鬼が湧いている。一般人は野外の駐車場に逃げていろ。

警備の連中は手伝いだ。奴等は弱いし物理攻撃が効くから安心しろ」

 

「安心しろって?何とかなるんですか!」

 

 僕に文句を言うなよな。文句は暖炉擬きの格子を外した馬鹿に言え!

 

「何とかするのが此方の仕事だ。だが原因は暖炉擬きに何かした連中だぞ!

僕等は約束だから対処するんだ。警備員以外を直ぐに避難させるんだ!」

 

 返事を待たずに通話を終える。御手洗達の準備が整ってから、亀宮さん達の部屋へ。

 ノックをすると既に着替えを済ませた亀宮さんと滝沢さんが……亀ちゃんも亀宮さんの体を覆う様に具現化している。

 準備が良いな、僕が胡蝶に起こされてから五分と経っていない。

 

「亀宮さんも感じましたか?」

 

「ええ、禍々しい気配を亀ちゃんが……書斎の暖炉からでしょうか?」

 

 流石は700年物の霊獣だけあり、探索能力も胡蝶と遜色なしか。頼りになる亀ちゃんを見れば、黙って頷く。

 つまり「当然だ、任せておけ!」って訳だ。

 

「ええ、行きましょう。御手洗!奴等に素手で触るな。体を腐らせる事が出来る連中も居る。

防御の為に腹に渡したお札を仕込むんだ。なに、物理攻撃が効くからブッ叩けば良いんだ。得物は有るか?」

 

 僕の問いに皆が各々の獲物を取り出す。警棒・ナックル・木刀に……

 

「ほぅ?滝沢さんはトンファーを使うのか!確かに非力な君なら回転力を利用すれば威力の底上げが出来るのかな?」

 

「ええ、芯に鉄棒を仕込んでます。榎本さんの得物は?」

 

 上着を開き腰に差した二本の警棒を見せる。

 

「特注品だよ。重さを増して普通より長いんだ。携帯には不向きだけどね」

 

 伸縮性の警棒は便利だが、威力が低く攻撃範囲が狭い。僧兵が薙刀を多用したのは意味が有る。

 戦国時代、戦では刀より槍が槍より弓が強かった。それだけ攻撃範囲の広さは有利なんだ。

 

「じゃ行こうぜ。先頭は俺と榎本、間に亀宮様と滝沢。残りは左右と後ろだ」

 

 御手洗が配置を決めて、そのまま走り出す。暫く走ると漸く悲鳴や激しい物音が聞こえる。派手にやってるな!

 書斎の近くに来たが、何故か徳田が居る。執事服をきちんと着込み、何故かスコップを持っているが……

 

「何してる徳田?早く他の連中を避難させろ!お前自身も早く逃げろよ」

 

 見た目で分かる程、ガクガクに震えている徳田に声を掛ける。

 

「わたっ、私がこの山荘の責任者なんです!逃げられません、原因を見るまでは……」

 

 大した度胸か単に責任感が強いのか?亀宮さんを見れば、此方の視線に気が付き頷いてくれた。

 

「徳田、亀宮さんの近くに居ろよ。自分で何とかするとか考えるなよ。それは僕等の仕事だからな」

 

 腰から両手で警棒を引き抜き交差する様に腕を振って伸ばす。シャキンと小気味良い金属音がして、全長75㎝艶消し黒塗りの警棒をニ刀流宜しく構える。

 

「じゃ、逝きますか。亀ちゃん、嫌かもしれないが徳田の事を頼むね」

 

 頷いてくれたので、アレの安全は亀ちゃん任せで大丈夫だろう。

 

「榎本さん、すっかり亀ちゃんと意志の疎通ができてますね」

 

 亀宮さんに呆れられたぞ。小走りに廊下を走り角を曲がれば、開け放たれた書斎の扉が見えた。扉の前には薄汚い餓鬼が二匹喚きながら絨毯を喰っている。

 

「滅べよ!」

 

 走り込み振り上げた右腕を力一杯振り下ろす。グシャリと餓鬼の頭部が凹み体液が飛び散った。スプラッターな光景だ……

 頭部を潰されしゃがみ込む餓鬼をサッカーボールの如く、腹部を爪先で蹴り上げる。土を入れた土嚢袋を蹴る様な感触を爪先に感じた。

 そのまま壁にグシャリと激突する。

 

 もう一匹が此方に気付いて鋭い牙で威嚇してくるが、構わず脳天目掛けて警棒を振り下ろす。同じ様な手応えを感じるが、気にせず此方も蹴りで追撃を行う。

 同じ方向に蹴飛ばした所為か、重なり合う様に倒れる餓鬼。だが何かが可笑しい、変だ。

 

 僕の知る餓鬼はダメージを与えると最後は溶ける様に消えるのだが……致命傷を与えたにも関わらず、奴等は唸り声をあげて悶えている。

 

 いや、傷が治ってるんだ。グジュグジュの頭部がピンク色の肉が盛り上がって再生している。

 

「コイツ等、ただの餓鬼じゃないぞ。驚きの再生力だ。ならばコレならどうだ?」

 

 ペットボトルに入れていた清めた塩をブチ撒ける!悲鳴をあげてのた打ち回る餓鬼。プスプスと白い煙が立ち上り嫌な臭いが辺りを漂う。

 だが、それでも奴等は消えずに苦しむだけだ。

 

『胡蝶、コイツ等は普通と違うのか?しぶと過ぎるだろ?』

 

 困った時は胡蝶さん!に脳内会話を試みる。

 

『うむ、ただの餓鬼ではないな。この感じは……』

 

 意識を胡蝶に向けた隙に、奴等は書斎に飛び込んでいった。もう動けるなんて、どれだけ回復力が強いんだ?

 だが慌てて追うと思わぬ反撃を受けるかもしれない。御手洗の方を見れば、手で書斎に入る様に手招きをしている。

 

 警戒しながら中を覗けば……其処は地獄絵図だった。

 

 整然と整理整頓されていた本棚は倒れ本は散らばっている。机も中間からへし折れているし、一体何があったんだ?

 まるで局地的な竜巻が有った様な有り様だ。しかも餓鬼のだろう体液が散乱しているし……だが奴等の死体は一つも無い。

 

 これだけの体液を巻き散らかして死体が一つも無いのは有り得ない。素早く部屋の中を見回して中に入る。

 幸いに照明設備に損傷は無く、部屋の中を明るく照らしている。故に惨状が分かり易いのだ。

 

「おい、大丈夫か?しっかりしろ!」

 

 部屋の隅に傷だらけの厳杖さんが壁に持たれかかり、床には見知らぬオッサン二人が倒れている。

 警戒しながら近付けば、厳杖さんには意識が有る。肩で息をしてるが命に別状は無さそうだな。

 

「厳杖さん、何があったんだ?あの餓鬼だが暖炉擬きから湧いてきたのか?何故、格子を外したんだ?」

 

 元凶の源、暖炉擬きの格子は外されて脇に倒れている。ボルトナットで厳重に締め付けられてたんだ。簡単に外せる物じゃない。

 

「すまん、油断したつもりは無かったのだが数が多くてな……」

 

 餓鬼も居なくなったし、先ずは結界を張り厳杖さんに訳を聞くしかないな。

 



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リクエスト作品(晶ちゃん編)前編・中篇・後編

リクエスト(晶ちゃん編)前編

 

 桜の季節も終わり、梅雨の気配を感じる季節。

 前回は花見で訪れた横須賀市内を通る京急電鉄の北久里浜駅で彼女と待ち合わせをし、駅前に有る喫茶店「コロラド」に入った。

 店の再奥のソファー席に陣取り、各々好きな物をオーダーする。僕はアイスカフェモカ、結衣ちゃんはクリームソーダ。

 そして晶ちゃんはブレンドだ。流石はハンサムガール!男らしいオーダーだ。

 

 僕は見習わないが、多分運ばれると僕と晶ちゃんの頼んだ物は逆に置かれる筈だ。

 筋肉ムキムキがアイスカフェモカとか似合わないらしい。僕はパフェとかも平気で頼めるのだが、世間一般の常識では違うらしい。

 

「聞いてよ、榎本さん。あの時のチャラ男達なんだけど、大学の講義中に集団食中毒をおこしたらしいんだよ」

 

 うん、知ってるよ。平日の午後1時30分に呪いを送ったからね。

 

「そろそろ食べ物が腐りやすい時期だからね。何か悪いモノでも食べたのかな?

質(たち)の悪い連中だから、晶ちゃんも余り付き合っちゃ駄目だよ」

 

 何食わぬ顔で応える。昼食後に発病の疑いが掛かる時間にわざわざ合わせたからね。何も食べずに下痢じゃ怪しまれるし。

 

「付き合ってなんかないよ!友達の恵美子が教えてくれたんだ。その……彼等が大学も辞めてしまったって。

確かに恥ずかしいよね、大の大人が、その……おっお漏らしなんて……」

 

 成功だ、彼女の友人との接点も潰れた。後はさり気なく今後も付き合うなと言えば良い。

 

「確かにそうたね。その話題には触れずにそっとしてあげないと駄目だよ。知ってる人には会いたくないだろうし、距離を置いてあげなよ」

 

 本当に心配してそうな表情と声色。ああ、僕も随分と悪に染まってるな。

 

「うん、そうだね。そうするよ、元々付き合いなんて無いから会わないであげた方が幸せなんだね」

 

 そうだね、と相槌を打ってこの話を終わりにする。真っ赤になって俯く姿は大変に女性らしい。

 彼女は八王子の割烹旅館「岱明館」の跡取り娘だ。チャラ男とは彼女が良くない霊に取り憑かれる原因を作った奴等。

 勿論、僕が八つ当たり八割と罰二割で軽い呪いを掛けたんだ。

 こんなに優しい彼女を夜中に連れ回し、あまつさえ事故現場でふざける様な奴等だ。

 

 下痢で済んで幸せと思え!

 

 左隣に座る結衣ちゃんに膝を突かれた。ん?と振り向くと良い笑顔で僕を見上げている。

 ああ、僕の仕業だとバレたかな?常々、僕は彼女を不幸にする奴は下痢地獄にしてやると言ってるからな。

 

「お待たせしました……」

 

 ウェイトレスさんがオーダー品をテーブルに並べていくが、やはり僕の前にブレンドを置いた。

 彼女が立ち去った後で、晶ちゃんの前に置かれたアイスカフェモカと交換する。

 砂糖もミルクも入れずに飲む晶ちゃんは、中々に男前だなぁ……

 

「榎本さん、夏休みにウチに泊まりに来ない?結衣ちゃんを両親に紹介したいし、父さんも会いたがってたよ。

夏用の新作料理を考案したから食べて欲しいって」

 

 晶ちゃんの両親には大変良くして貰ったが、父親は兎も角母親には警戒されてる感じなんだ。愛娘に付いた悪い虫位に思ってそうだな。

 

「それは嬉しいね。親父さんの料理は凄く美味しかったから、新作料理も楽しみだよ。結衣ちゃんも良いよね?」

 

 クリームソーダのアイスをスプーンで掬って美味しそうに食べている彼女に確認する。お泊まり旅行だが、当然部屋は別になるだろう。

 

「お邪魔じゃなければ一緒に行きたいです!勿論、私と正明さんだけですよね?」

 

 ああ、笑顔だがゴールデンウィークの時の事を警戒してるな。つまり小笠原母娘は呼ばないよねって確認だ。

 一緒に出掛けた時の事は思い出したくもない。ストレスで胃に穴が開くか過労で倒れるか、極限の状態だったからね。

 

「勿論だよ、二人でお邪魔しよう。確か八王子には花火大会が有った筈だから、その日にしようかな。

晶ちゃん、八王子の花火大会って何時だっけ?」

 

 八王子市内を横断する河原で、1500発程度の中規模な花火大会が有った筈だ。僕の質問に対して手帳を捲り調べる晶ちゃん……

 

「えっと、8月10日の日曜日だね。実はウチからも見えるんだよ。

前日には最寄りの神社でお祭りも有るんだ。連泊する事をお薦めするよ」

 

 商売上手だな、土日連泊か……悪くはないだろう。

 

「じゃ二泊でお願いするよ。二部屋お願い……」

 

「お部屋は気を遣わずに一部屋で構いません」

 

 結衣ちゃんに言葉を被せられた。一応対外的に同室は不味いと思うのだが、結衣ちゃんも晶ちゃんも慌てる様子もない。

 結局二間の続き部屋の有る所を予約させて貰った。

 その後はガールズトークに花が咲いて少々居辛かったが、汐入駅まで出て軍港クルーズを楽しんで晶ちゃんは帰っていった。

 幾ら休みとは言え、お客さんが泊まっていると夕食の配膳は手伝うそうだ。家族経営って大変だよね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 季節は変わり夏真っ盛り!

 

 世間は震災の影響で節電ブームの為か、何処へ行ってもエアコンの設定温度が高い。

 28℃って暖房じゃないんだし、せめて26℃位じゃないか?筋肉と言う熱い鎧を纏う身には辛い季節だ。

 同時に心霊シーズンでも有るので、割と忙しい。長瀬さんと山崎さんからの依頼に加え、最近派閥の一員にさせて貰った亀宮さんからも、色々と仕事が回ってくる。

 まぁ亀宮さんからの仕事は半分遊びだ、当世最強の亀ちゃん&胡蝶さん揃い踏みで苦戦する方が難しい。

 どちらかと言えば、彼女のお相手が主だろう。嬉しいのだが、昔みたいに気楽でも無くなった。

 なので必然的に結衣ちゃんと過ごす時間も減り、今回の旅行で挽回する予定だ。

 

「正明さん、荷物積み終わりましたよ。早く出掛けましょう!」

 

 愛車キューブに自分の荷物を積み込んだ結衣ちゃんが急かす。まるで誰かにバレない様に急いで出掛けたいみたいな?

 今日の結衣ちゃんはTシャツにサマーセーター、それにフレアスカートだ。足元は編み上げのサンダルみたいなのを履いている。

 少し露出が多そうな気がするから、悪い虫が寄って来ない様に注意するか……

 

「そうだね、そろそろ出掛けようか。行きに晶ちゃん家にお土産を買って行こう。

横須賀中央のテナントショップに寄って、カレーサブレでも買おうか?」

 

 出来れば地元のお土産の方が良いだろう。何処でも買える様なお土産だと受け取り辛いだろうからね。

 地元の特産品ですと渡した方が良い、勿論余り高くない物が良い。

 

「カレーチップスか柔らかイカカレーフライの方が美味しいですよ。カレーサブレって極物(きわもの)っぽくないですか?」

 

 確かにカレー風味の甘いサブレは駄目かな?

 

「じゃカレーチップスにしようか?無難だけど美味しいよね?」

 

 あっさりと意見を翻す。ネタ土産は激辛カレーラムネでも買って行こう。

 キツ目の炭酸が効いた激辛飲料はかなりハイスペックだが、インパクトはデカい。

 そして後で結衣ちゃんに叱られて三本全て飲む羽目になるのはご愛嬌。それと横須賀銘菓「カリントウ饅頭」も二箱買った。

 これは大砲の弾を模した丸いカリントウの中に餡が入った、外はカリカリ中はシットリの和菓子だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横須賀市から八王子市に行くのには幾つかルートが有るが、高速道路を乗り継ぐのが早いだろう。

 国道16号と環状線2号と4号を乗り継ぎ町田街道を通る案も有るが、今の時間帯なら相模原市内も空いていると思う。

 横浜横須賀道路に横須賀インターから乗り、狩場インターで一旦国道16号に降りて八王子市内に向かう事にする。

 高速道路を順調に制限速度内で走る。80㎞で走る車から見る景色は中々に良い。

 夏真っ盛りで青々と茂る山々を見て、ガラスが閉まってるにも関わらず聞こえて来そうな蝉時雨の中を走る。

 隣には美少女を乗せて……僕は今、充実している!

 

「正明さん、晶さんのご両親ってどんな方なんですか?」

 

 車はUVガラスだが、意外と日焼けをする。だから結衣ちゃんは膝掛けを渡して冷房は低めに設定している。

 

「ご両親か……父親は職人気質な感じかな。母親は心配性だね。

僕の事を年の離れた彼氏みたいに勘違いして随分と警戒されたよ。

まぁ男装して旅館を手伝っていた男嫌いの晶ちゃんを女性として扱ったからかな?」

 

 ウチの娘は男慣れしてないからって警告もされたしね。ロリコンの僕は絶対に安全パイなんだけど……

 

「正明さん、思わせ振りな態度はお互い良くないです。ちゃんとハッキリ言わないと分からない人が居るんですよ。

小笠原さん達みたいに……晶さんはちゃんと正明さんの事を年の離れた友人だと言ってましたよ」

 

「ははははは……そうだね。今後はちゃんとします」

 

 可愛い嫉妬と独占欲だと思うが、結衣ちゃんもハッキリ言う様になったね。

 自己主張してくれるのは単純に嬉しいと思う。昔の周りの顔色を伺う大人しい娘じゃなくなったのは良い事だ。

 

「国道16号に降りたら渋滞だね。相模原を抜ける迄は駄目かな……」

 

 先を走る車のブレーキランプが目立ってきたから、直に渋滞に巻き込まれるな。やはり土曜日の昼間は混んだか……

 

「久し振りの二人だけのドライブですよ。渋滞だって楽しいです。そうだ、何か音楽を聞きましょうか?」

 

 結衣ちゃんがダッシュボードを漁ってCDを選んでいる。最近買ったアーティストは、ガガ様とサカナクションと何だったっけ?

 暫く悩んだ後に結衣ちゃんが選んだCDは「レッド」だ。若手カントリー歌手のテイラー・スウィフトのニューアルバムだったっけ。

 恋愛の歌が多いが失恋の歌も多い、結衣ちゃん的には共感する事が有るそうだ。

 

 彼女が失恋したなんて聞いてないが、もし仮に結衣ちゃんを振った奴が居たら……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 予定より1時間以上遅れて岱明館に到着した。近くに来た辺りで結衣ちゃんか晶ちゃんに電話したので、建物の前で待っていてくれた。

 何故かご両親と三人で並んで玄関前に立って居るので、恐縮してしまう。直ぐに車を降りて挨拶をする。

 

「ご無沙汰しております。今日から二晩お世話になります。これ、お土産です」

 

「初めまして、結衣です。宜しくお願いします」

 

 僕の隣に並び、チョコンと頭を下げる。大分人見知りも減って初対面の人にも普通に接する事が出来る様になった。

 優しい目線を結衣ちゃんに向ける。

 

「あらあら、榎本さんは随分と子煩悩なんですね。晶がこんなだから女の子らしい娘さんが羨ましいわ」

 

 ん?ああ、そっか。女将さんは僕が子持ちだと思ってたっけ?

 

「まぁ立ち話もなんですから、上がって貰おう。温泉は直ぐに入れますよ。

夕食は6時ですから、一風呂浴びて先に神社に行ってみてはどうですか?露店も多く出てますよ」

 

 親父さんの言葉に甘えて部屋の方に案内して貰う。丁度汗をかいていたので、一風呂浴びてエアコンの効いた部屋で休みたいな……

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 最寄りの神社とは諏訪神社だった。諏訪湖の鎮守、諏訪大社の系列で全国に有る。

 勿論、僕等の家の近所にも有る。夕方5時過ぎだが、日は未だ沈んでなくムシムシと暑い。

 案内してくれた晶ちゃんと結衣ちゃんは岱明館で用意してくれた浴衣を着ている。

 二人共蝶をあしらったデザインだが、晶ちゃんが青色で結衣ちゃんが桃色をベースにしている。

 浴衣姿の美少女を連れ歩く僕はリア充だろう。因みに僕自身は持参の紺色の甚平を着ている。

 先ずは御神体に御参りをする為に、参道に続く長い列に並ぶ。

 

「凄い列だね……こじんまりしてるのに、参拝客が多いな。15分位待つかな?」

 

 ムシムシと暑い中で待つのは辛い。折角温泉で汗を流したのに、またビショビショだよ。

 持参のウチワでパタパタと胸元に風を送る。

 

「半分は巫女さんを見に来てるんだよ。今夜は当代巫女の御披露目なんだ」

 

「当代巫女?御披露目?」

 

 何やら一部の性癖を持つ方々の喜びそうなネタだな。だが晶ちゃんは複雑な顔をしていた……

 

 

 

リクエスト(晶ちゃん編)中編

 

 当代巫女の御披露目。

 

 この言葉を言った時の晶ちゃんは、悲しそうな淋しそうな顔をしていた。

 何か含みが有る様な、しかし複雑な表情だった。彼女は何を思い、そして何を考えているのだろうか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 参拝の列に15分ほど並び、漸く順番が来た。お賽銭は50円、これは御縁(ごえん)が十(じゅう)分に有る様にと五と十に掛けている。

 キラリと輝く白銀の硬貨を賽銭箱に投げ込む。二礼二拍一礼をして願いを思い浮かべる。

 

『結衣ちゃんと結ばれます様に……』

 

『正明がハーレムを作り一族をどんどん増やす様に……』

 

 脳内に声が響く!わぁ?胡蝶さんの願いも含めて二人分だ。

 

『早くヤル事ヤッて産めよ増やせよだぞ。正明に想いを寄せる女は多かろう。はやくヤッて子種を仕込まんか!』

 

 僕に想いを寄せる女って誰だよ?そんな好みのタイプの女性は周りに居ないんだけど?

 

『もう少し待って下さい。今は一杯一杯ですから……もう少し落ち着いたら必ず結婚しますから』

 

 胡蝶さんの悲願たる榎本一族の繁栄については、結衣ちゃんが成長するまで今暫らくはお待ち下さい。

 因みに両隣の女性陣も長く拝んでいた。何を願ったか聞いたが、ドチラも曖昧な事しか言ってくれない。

 ただ微笑んでくれただけだった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お祭りの屋台の代表格ってなんだろう?

 焼き鳥・たこ焼き・お好み焼き・ジャガバター・リンゴ飴・綿菓子・焼きトウモロコシ。

 醤油やソースの焦げた匂いは素晴らしく、毒々しい色の飴菓子も祭りの夜は美味しそうに見える。

 金魚すくい・射的・輪投げ・型抜き・風船細工等々……子供の頃は全てが輝いて見えて、お小遣いを使いきる迄楽しんだものだ。

 

 だが大人になると、その輝きが現実のコストや衛生管理等を考えて薄れてしまう。

 安い原価に高い販売価格、衛生面は劣悪だ。現実を知ってしまうと子供の頃に輝いて見えた世界が、薄汚れて見えてしまう。

 これが世間を知る、大人になるって事なんだろうか?

 

 だが美少女二人を連れているのに手ぶらで歩く訳にはいかない。

 比較的衛生面で信用のおける瓶ラムネを人数分買って飲みながら、金魚すくいに挑戦。

 見事二匹を捕まえるが、コレ金魚じゃなくて錦鯉の稚魚だよ。白地に赤黒の模様は大正錦、もう一匹は赤黒オレンジの三色だ。

 鯉は生まれて直ぐに体の模様が悪いと安価で売られてしまう。

 一万匹生まれて高級錦鯉として二年間育てられて売れるのは、最終的に30匹程度まで減るらしい。

 残りは途中で何度か間引きされる。因みに雄雌同じ模様だった場合は雌♀が雄♂の十倍の価格が付くそうだ。

 完全に雌♀の方が価値の有る生き物なんだよね。

 

「有難う、榎本さん。家の池で買うよ」

 

 岱明館には庭に小さいながらも池が有る。だが、この稚魚を大人の鯉と一緒にしては駄目だ。

 

「暫らくは野外の池じゃなくて家の中でバケツか水槽で飼った方が良いよ。せめて15㎝以上に育ってから池に放そうね」

 

「15㎝って、そんなに金魚は大きくなるんですか?」

 

 ビニール袋に入れられた錦鯉の稚魚を見ながら、金魚と勘違いしている。まぁ普通の女の子なら見分けはつかないのかな?

 

「晶ちゃん、それ錦鯉の稚魚だよ。まだ弱いから餌も満足に食べれないからね。一ヶ月で15㎝位は育つから平気だよ」

 

 稚魚の成長は早い、三ヶ月もすれば20㎝以上育つ子もいるらしい。

 

「ふーん、何時も思うけど榎本さんって物知りと言うか博識だよね?でも、この子達は大切に育てるよ。有難う、榎本さん」

 

 ビニール袋に入れられた稚魚達を見ながら、晶ちゃんは嬉しそうだ。一回500円の金魚すくいで喜んで貰えれば儲け物かな?

 そんな会話をしながら神社の境内をウロウロしていたら、当代巫女の御披露目が始まった。

 厳(おごそ)かな音楽と共に境内に設置した舞台の上に若い、それこそ二十歳そこそこの女性が進み出る。

 周りから歓声とカメラのフラッシュがビカビカと光る。どうやら彼女が当代巫女らしい。

 中肉中背肩迄で切り揃えた黒髪、美人でも可愛くも無いが巫女服効果で当社比150%増しか?

 桜岡さんや高槻さんの改造巫女服でなく、正統派の普通の巫女服だ。

 特に何かをする訳でもなく、ただ歩いている。少し神経質そうで意地悪そうな感じがするな……だが周りからの歓声で好印象なのが分かる。

 ふと気が付くと晶ちゃんが微妙な顔で彼女を見ている。

 

「どうかしたの?」

 

「えっ?あ、うん……別に大丈夫だよ」

  

 慌てた感じで誤魔化したが、晶ちゃんは彼女と関係が有るのかな?丁度同い年位だし、確か晶ちゃんも今年で二十歳になる筈だ。

 

「あの娘とは知り合いかい?もしかして同級生?」

 

「うん、そうなんだけど……高校が一緒だったんだ。余り接点は無かったんけど、最近少しね。さぁ帰ろうよ、そろそろ夕飯の時間だよ」

 

 僕と結衣ちゃんの手を引いて彼女から遠ざかろうとする。まるで僕等と彼女を近付けさせない様に、引っ張る手に込められた力は強い。

 絶対筋肉量の違いで立ち止まる事も出来るが、手を引かれるままに歩く。

 

 だが、一瞬だけ振り返えると……あの当代巫女が此方を睨んでいやがった。

 

 あの目は怨嗟が籠もっているぞ。一瞬だけ目が合い、そして逸らされた。

 どうやら、あの女と晶ちゃんって深い因縁が有りそうだな。音楽が変わったので巫女舞が始まったのだろうか?

 確かに御披露目だが、巫女舞も行うと誰かが言っていたのを聞いたからな。別に見たいとも思わないから良いけどね。

 境内を出る迄、晶ちゃんは僕等の手を放さなかった。お陰で途中で会った何人かの彼女の知り合いは驚いていたな。

 

「アレ?霧島さんが男連れ?」とか「うそ?あのハンサムガールが男と手を?」とか驚きの声が聞こえたし……

 

 難攻不落のハンサムガールがオッサンと美少女と手を繋いで小走りで神社から離れているから、どんな状況なのか悩んだだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 人の汗を吸った生地は汗染みが起こる。着物とは手入れが大変らしい。

 だから結衣ちゃん達は浴衣を着替えて汗を流す為に、大浴場へと向かった。

 僕の甚平は私物だから関係なく、濡れタオルで体を吹いてTシャツと短パンに着替えた。

 少し調べたい事が有るので、携帯電話のi-modeでGoogleに繋げキーワードを打ち込む。

 

「八王子 諏訪神社 当代巫女御披露目」Hit数は269と意外に少ないな……上から順に調べて行く。

 

『2012年で三回目、前回は彼女の母親で2000年だった。一般でも巫女舞いが見れて写真も撮れる珍しい機会なので楽しみだ』

 

 なる程ね……神事は撮影不可が多いし、巫女さんとはあくまでも神主とかの補助的仕事しかしない。

 ピンで踊るなんて僕だって知らなかったよ。確かに造形がイマイチでも人気は出るよね。

 

『地元諏訪神社の名物として20年前から始めた珍しい行事だ。

元々の神主であった二ノ宮家に嫁いで来た祖母妙(たえ)が娘である志乃(しの)に巫女職を継承する際に始めた』

 

 余所から貰った嫁の一族が始めた行事か……すると諏訪大社系列じゃない可能性も有るな。

 

 試しに「巫女舞い」をキーワードに検索する。此方のHit数は20000件を越えたぞ。

 

『巫女舞・神子舞とも呼ばれ、巫女によって舞われる神楽の舞の一つ。巫女神楽(みこかぐら)・八乙女舞(やおとめまい)とも呼ばれる。

本来は祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降りるという神がかりの儀式の為に行われた舞い。しかし近年は優雅な神楽歌に合わせた舞の優雅さを重んじた八乙女系が殆どである』

 

 まぁ本来の巫女舞いとはそうだろうな。巫女とは卑弥呼の時代から神の声を聞く存在だ。

 近年にこそ、神職として定着したが地位はあくまでも男性神職者のサポートでしかない。

 だから殆どが同じような内容だったが、気になる書き込みも有った。

 

 キーワードを増やして再検索したのだ。増やしたキーワードは「二ノ宮と妙と志乃」だ。

 

 こちらはHit数は32件しか無かったが、どうやら一部の連中からすれば彼女達は怪しい存在らしい。

 

 『八王子市内の諏訪神社で行う当代巫女の御披露目だが、本来は「穢れ移しの法」として行う神事。その巫女舞いとは人々の穢れを一身に集めた依り代を祓う神事とも言われる』

 

 『怪しい巫女母娘が由緒有る諏訪大社の威光に影を差す』

 

 依り代、穢れを一身に集める、そして威光に影を差すか……人間の欲望を一身に集める、いや集められた依り代とは大層なモノだろう。

 だが、見た目では彼女に霊力はソコソコ有った。力弱き者でも手順を間違えなければ、ある程度の効果は有るだろうけど大役を担うには不安だ。

 そして良くない噂が広まっている。巫女系の事なら桜岡さんの母親、摩耶山のヤンキー巫女に聞いてみよう。

 郷土史研究家の佐々木氏に頼るのも良いだろう。少し調べた方が良い。

 心配なのは、そんな大役を担う霊力の有る当代巫女から晶ちゃんが恨まれている事だ。

 

「正明さん、お待たせしました。晶さんが部屋に食事を運んで来るそうですよ」

 

 和室に大の字に寝転がり悩んでいると、湯上がりの結衣ちゃんが部屋へ戻って来た。

 新しい浴衣に着替えて、仄かに石鹸の香りを漂わせて。やはり湯上がり美少女は良いモノだ!今度の浴衣は黒地に赤い華をあしらったデザインだ。

 

「その浴衣も似合ってるよ。結衣ちゃんは何を着ても似合うね。

帰ったら新しい浴衣を新調しようよ。地元の神社のお祭りに間に合うようにさ」

 

「えっと、有難う御座います。でも去年買って貰ったのが有りますから平気です。帰ったら干して手入れしなきゃ駄目ですね」

 

 少し暑いのだろう、額に汗をかいている彼女の為にエアコンの温度設定を下げてウチワで扇ぐ。

 目を閉じて気持ち良さそうな彼女の為に暫く扇いだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 親父さんの新作料理は旨かった。中華料理をベースに和食を盛り込んで有り、流石は商売人だなぁと素直に感心する。

 

 冷製盛り合わせには金目鯛の煮凝(にこご)りや鱸(すずき)のカルパッチョ等、和食だが味付けを中華風にアレンジしてある。

 磨り潰した空豆とズワイ蟹の冷製スープ、フカヒレ茶碗蒸し。

 主菜は和牛ロースの朴葉焼きと活鮑(いきあわび)の姿煮。

 三浦大根の冷製干し貝柱あんかけ。

 竹筒入りおこわとデザート二種。

 

 どう見ても採算が合わない量が有った。具体的に言うと、多分だが結衣ちゃんに供された量が普通で、僕は五倍有った。

 だって竹筒五本出て来たし……兎に角、大満足の夕飯だった。

 結衣ちゃんは出て来る料理を全て写真に撮り、メモ書き迄していた。

 何と無くだが、近々類似の料理が榎本家の食卓で食べれるだろう。

 夕食後、食器を下げて貰う時に親父さんが現れたので、お礼と感想を述べた。

 忙しいのにわざわざ部屋で顔を出しに来てくれたんだよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 温泉から戻ると次の間と客間に分かれて敷いて有った布団が一緒になっていた。

 

「結衣ちゃん、布団が……」

 

「わざわざ分ける必要はないです。一緒で構いません、寧ろ一緒が良いです!」

 

 僕は嬉しいし、まさか晶ちゃんの家でナニするつもりもないので寝る事にした。

 因みに結衣ちゃんはTシャツにホットパンツを寝間着変わりにしている。僕もTシャツに短パンだ。

 

「おやすみ、明日は7時に起きて朝風呂入って食事は8時に部屋食だよ」

 

「おやすみです、正明さん」

 

 彼女の寝息が悩ましかったが、直ぐに眠りに落ちた……

 

 

 

「おい正明、起きろ!起きないか、正明よ」

 

 夜中に体を揺すられて目が覚めた。目を開くとボンヤリと発光する胡蝶が、鋭い目で襖を見ている。

 

「正明、呪いが発動したぞ。場所はあの男女の部屋だ……」

 

 

リクエスト(晶ちゃん編)後編

 

 暗闇に仄かに光を放つ胡蝶さんが、鋭い目線を送る先は……

 

「胡蝶さん、まさか男女って晶ちゃんが?」

 

「そうだ、だが安心しろ。我の居る近くで事を起こしたのが不運だったな」

 

 バシャリとモノトーンの液体となり、スルスルと壁を伝い天井の中へと消えて行った。胡蝶さん、頼んだぞ!

 だが誰だ、晶ちゃんに呪いを掛けた奴は?疑わしいのは祭りの時に見た、当代巫女だ。

 霊力持ち、恨み有りとくれば疑うしかない。だが、下手に胡蝶が呪いを返せば相手は只では済まないだろう。

 

 人を呪わば穴二つ、どっちも死に至る行為なんだぞ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜中に寝苦しくて目を覚ました。胸が苦しい、まるで何かが乗っている様に……振り払おうにも体が動かない、そう金縛りみたいな感じだ。

 筋トレをやり過ぎての筋肉痛とは違う、痛みが無いから。中々言う事を聞かない瞼を強引に開ける。

 薄ぼんやりとした室内の明るさに慣れた時、ソレと目が合った。

 

「いや、いやだよ……何だよコレ?何で真緒(まお)が送って来た人形が、僕の上に乗ってるの?」

 

 一方的に嫌われた友人から一方的に送られた仲直りのプレゼントの西洋人形が、僕の胸の上に座っている。

 硝子で出来ている青い瞳が、虚ろな瞳が僕を見てる……

 

「いや、いやいやいや、いやだ、いやだよ」

 

 叫びたいのに、助けを呼びたいのに……何故か大声は出ないし体は動かない。

 僕の呻き声に反応してか、人形の腕が僕の首に……「ああ、僕殺されるんだ……」恐怖の余り目を閉じた。

 

「その女に指一本触れさせぬぞ!それは正明のモノだ、貴様にはやらん」

 

 胡蝶ちゃん?何か不思議な台詞が聞こえて瞼開けば、前にも助けてくれた胡蝶ちゃんが居た。

 あの西洋人形の頭を片手で掴んで自分の目の高さに持ち上げている。

 

「ほぅ?そう言う訳か……なれば呪いは返せぬな。我に喰われて糧となれ」

 

 物騒な台詞の後に西洋人形を床に落としたら……西洋人形が床に、いや胡蝶ちゃんの影に沈んで行く。

 人形は苦悶の表情をして手をバタバタと振っていたが、やがて全てが見えなくなった。

 

「胡蝶ちゃん、アレはなに?僕は助かったの?」

 

 胡蝶ちゃんを両手で胸に抱き締める。子供特有の温かさが気持ちを落ち着かせる。

 ポスンと布団に座り、胡蝶ちゃんを僕に向けて膝の上に座らせる。えっと、対面座位だっけ?

 

「ふむ、アレは穢れの集まりだな。大勢の人間の負の感情の集まりだ。

発動せねば我でも感じられぬ術式でも組まれていたのか、動き出す迄分からなかった。

気を付けろよ、お前は正明の子を孕む役目が有るのだ」

 

 そう言うと、バシャリと液体化して床に染み込んでいったけど……子を孕む役目?

 僕が榎本さんの子を?榎本さん、僕と結婚したいの?こんな男の子みたいな僕と?やだ、顔が熱いよ、どうしよう?

 

「でも真緒の奴、何で呪いの人形なんて僕に送ったの……」

 

 西洋人形の沈んだ床を見ながら、何故友人から一方的に恨まれてたのか考える。

 嬉しかった気持ちが一気に冷え込む。何も恨まれる様な事はしていないのに。

 暫く考えていると、携帯電話の着信ランプが点滅しているのに気付いた。手に取って見れば榎本さんからだった。

 

「やだ、僕まだ顔が熱いや。何て言えば良いんだろう?」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 10分と待たない内に胡蝶が戻って来た。モノトーンの液体がスルスルと天井から降りてくる。

 

「胡蝶、中へ……」

 

 左腕を差し出すと、手首の蝶の形の痣へと入り込む。何度も出入りをしているが、全く慣れない感覚だな。

 

『済まない、結衣ちゃんが隣で寝てるから、脳内会話で頼む。状況を教えてくれ』

 

 何と無く寝転んでの会話も変な気がしたので、備え付けの椅子に座る。良く旅館の客室の窓側に置いてある向かい合わせの椅子とテーブルにだ。

 

『うむ、現れたのは穢れが内包した西洋人形だったぞ。複数の人間の負の感情が集まっていたが、特定は無理だな。呪いも反してないぞ』

 

 西洋人形?そんな物が彼女の部屋に置いて有ったのか?穢れを纏う人形など新品では有り得ない。

 つまり中古品を買ったか貰ったかだ。

 

『晶ちゃんは誰かに貰ったのかな?』

 

『知らぬな。何も言ってなかったぞ。後は正明の仕事だ、早く連絡してやるが良い』

 

 至極まともな返答が来ました。確かに胡蝶が西洋人形の入手経路など聞かないよな。

 特に返事が無いので携帯電話を持ってフロントまで移動する。

 室内で電話をすれば結衣ちゃんが起きてしまうから……ソファーに座り晶ちゃんの携帯に電話する。

 

 三コール、五コール……長いな、寝ちゃったのかな?

 

 七コール、やっと繋がった。

 

『もしもし、晶ちゃん?大丈夫だったかい?』

 

『うっ、うん。大丈夫、僕は大丈夫だよ』

 

 何故か大分慌ているみたいだ。早口だし吃(ども)ってるし……

 

『胡蝶から聞いたよ、西洋人形が原因だってね。その人形はどうやって手に入れたんだい?』

 

『うん……あの……』

 

 彼女にしては珍しく言い淀んでいるな。

 

『誰かに貰ったのかな?それとも自分で買ったのかい?』

 

『あの……あのね。アレって僕を何とかしようとして送られたのかな?その、危険なのを知らないで……』

 

 どうやら貰い物らしい、そして相手は彼女と親しい。危ない物を贈られても、嘘だと思う位に。

 

『うん、知らない可能性も有るよ。そして相手も危ないかもね。未だ同じ様な人形を持ってるかも知れないよ』

 

『真緒が……』

 

 真緒か、知らない名前だな。志乃とか妙とかなら、速攻分かって襲撃するのに。

 だが、真緒なる人物は晶ちゃんにとって少なくとも信用していた相手なんだな。

 あの彼女が貰い物とは言え部屋に西洋人形を飾ったのだから……

 

『今日はもう寝るんだ。護衛に胡蝶に行って貰うから。彼女が居れば安心だからね。今日はもう寝た方が良いよ』

 

 そう言って電話を切った。

 

「胡蝶、悪いが今夜は彼女の近くに居てくれる?彼女が心配だ、アレは信じていた相手からのプレゼントだと思う」

 

「裏切られた感じか?まぁ良い、あの女を守ってやろう」

 

 左手首から湧きだした彼女は、そう言うとスルスルとフロントの奥に流れて行った。液状化って便利だよな。

 全ては明日、彼女が話してくれてからだ。死にそうな呪いだったか、脅しだけだったか?

 その辺を見極めないと、晶ちゃんを悲しませてしまうだろう。ソファーから立ち上がり、膝をパンパンと払う。

 何と無くアリバイ作りの為に、トイレに行ってから部屋に戻った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「待たせたな、さぁ寝るぞ」

 

「うわっ?こっ胡蝶ちゃん?」

 

 何処から現われたの?布団の上にボーッと座っていたけど、目の前に現れたのに気付かないなんて。

 でも女の子座りをしている胡蝶ちゃんが目の前に居る。古代中国のお姫様みたいな衣装で、金色の瞳で僕を見ている。

 まるでお人形さんみたいだ……

 

「うん、そうだね。寝ようか……でも怖いから電気を点けたままで良いかな?」

 

 流石にあんな事が有った後で真っ暗な中で寝るのは怖い。

 

「ふむ、構わぬぞ。正明も常夜灯は点けて寝ているからな。勿論、恐怖心ではなく防犯上でだが」

 

 クスクス笑う胡蝶ちゃんを見て、少しムッとする。怖いものは怖いんですけど……

 

「ぼっ僕だって怖くないもん!」

 

 思わず言ってしまった。

 

「やれやれ……ほら、我が発光するから怖くはあるまい?」

 

 胡蝶ちゃんがパチンと指を鳴らすと、部屋の灯りが消えた。

 でも薄ぼんやり光っている胡蝶ちゃんが、既に僕の布団の左側に横になっている。

 しかも言葉数は少ないが、思いやりの感じる口調で……慌て布団に入る。

 確かにボンヤリ明るい彼女が居ると、不思議と怖くない。

 

「ねぇ、胡蝶ちゃん?」

 

「ん、何だ?」

 

 見た目は幼女なのに、何故かお姉ちゃんと話してるみたいに錯覚する。

 

「榎本さんとも添い寝するのかな?」

 

 妙に手慣れた感じだったので、思わず聞いてしまった。でも、まさか榎本さんが胡蝶ちゃんと一緒に寝るなんて……

 

「そうだな、自宅では殆ど毎日だな。アレは我を抱き枕だと思ってるぞ。最近寒いから、殆ど毎日だな」

 

 なっ、何だって?寒いから抱き枕代わりにだって?榎本さん、それは対外的に不味くないかな?

 幾ら人間じゃないっぽいけど、見た目は美幼女を毎晩抱いて寝てるなんて……試しに胡蝶ちゃんを抱き締めてみる。

 

「うん、温かいね。榎本さんの気持ちが分かるかも……」

 

 あんなに怖かったのに、今は安心出来る。不思議だな……胡蝶ちゃんは年下なのに……お姉ちゃんと居る……みたいに安心する……よ……

 

「漸く眠ったか……子守りなぞ、何百年振りだろうか。未だ奴が生きていた頃に、子供等をあやしていた以来だな。全く柄でもないぞ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 事態は翌朝に急展開を見せた。二ノ宮妙と志乃、それに真緒が霧島家を訪ねて来たからだ。

 そして僕は晶ちゃんに旅館でない母屋の方に呼ばれた。八畳程の和室には、二ノ宮三代が正座で座っている。

 そんな彼女等を不可思議な物を見る様な目で見る晶ちゃんのご両親。

 

「お父さん、榎本さんを連れて来たよ。榎本さん座って……」

 

 何と無く理由は分かるが、彼女等の向かいに座る。老女と中年女性、それと昨夜見掛けた当代巫女が僕を一斉に見る。

 

「貴方が孫娘の悪戯を祓ってくれたのかい?」

 

 老女が尋ねてきたが、彼女が二ノ宮妙さんか。なるほど、西洋人形は諏訪神社に奉納された筈の穢れ人形かよ。

 

「悪戯にしちゃ悪意に満ちてましたね。悪くすれば晶ちゃんが危険な事になってたぞ。

同じ事をされて悪戯と笑って許すなら構わないですよ」

 

 死に至る呪いを悪戯で済まされたら構わないので、婆さんを睨みつける。

 

「言い方が悪かったのは謝ります。お母さんも謝って下さい。ほら、真緒も……」

 

 この取り成しをしている苦労人が、志乃さんかな。そして不貞腐れてる若い娘が真緒ちゃんか……

 

『胡蝶さん、彼女達だけ脅してくれる?』

 

『ふん、任せろ』

 

「「「ひっ?なっ、何なんですかコレは?」」」

 

 胡蝶さんのプレッシャーに顔面蒼白の三人。真緒ちゃんは正直少し漏らしただろう……

 自分達と僕(胡蝶)の格の違いを思い知ったのだろう表情が改まった。

 

「霊能力者の榎本さんって、まさか亀宮様の?」

 

 僕は黙って頷いた、婿候補じゃなくて派閥の一員としてね。彼女達の中で一番地位の高い婆さんが、今回の不始末について説明を始めた。

 

 

 

 

 簡単に言えば孫娘の嫉妬から来た嫌がらせだ。彼女達、二ノ宮の女は、この辺ではソコソコ有名な霊能力者だ。

 そんな彼女達の耳に最近入ったのが、小原氏が依頼した廃墟ホテルの件だ。

 自分達に声が掛からずに、同業者が集められて解決した。そして彼等の拠点となったのが岱明館だ。

 

 その後、市内で起きた独居老人の孤独死。此方も自分達が何とかする前に解決されてしまった。

 調べれば此方も霧島晶が絡んでいた。直接会いに行けば、見ただけで強力な術具を身に付けている。

 真緒は、何故辛い修行を行っている自分よりも晶ちゃんが優遇されているのかが気に入らなかった。

 だから悪戯心で仲違いの詫びとして穢れを祓ってない人形を送ってしまい、翌朝に祖母と母にバレて問い詰められた。

 白状させたが、既に一晩経っているので慌てて来たのだが……やはりと言うか穢れの気配は全く無かった。

 

 

 

 

「完全な逆恨みだな」

 

「本当に申し訳ないと思ってます」

 

 深々と頭を下げる三人に理由が飲み込めずに困り果てる晶ちゃんの両親。

 確かに心霊被害に合ってたなんて理解の範疇外だろう。晶ちゃんが許したので、僕は何も言えない。

 実害がなかったご両親もイマイチ状況を掴めず、そのまま帰してしまった。

 

 ただ帰りがけに婆さんを脅しておいた。孫娘をちゃんと監視しておけ、次は無いと……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あの化け物は何だ?真緒よ、もう霧島には構うな」

 

 桁違いの霊力とプレッシャー……あれが御三家に呼ばれた程の男と言う訳か。

 最後の脅しの時には、思わず腰が抜けるかと思った。孫娘も恐怖で漏らしてしまったみたいだが、仕方ないだろう。

 

「でも、お婆ちゃん……私悔しいよ。小さい頃から修行で苦労してきたのに、それなのに……」

 

 資質が重要な霊能力者だからこそ、真緒の限界を早くから理解し限界まで育てたが上には上が居るのだな。二ノ宮三代で挑んでも勝てはしまい。

 

「良いのだよ、真緒……アレは我々には理解出来ない連中だ。

御三家に迎えられる連中とは既に人の範疇ではないのだよ、霧島には関わるな。

次に手を出せば、私達は亀宮一族とも事を構えないと駄目なんだよ」

 

「そうです。晶ちゃんには霊能力は無いから、真緒が気にする事はないのよ。ただ、彼女の男が危険なの」

 

「分かった、もう関わらないよ」

 

 二ノ宮三代は霧島家への干渉を諦めた、いや諦めざるを得なかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 岱明館は二階客室から花火が見える……

 部屋の照明を消してエアコンを効かせているから窓を閉めた状態で花火を見られる。

 今回は特別に晶ちゃんも家の手伝いを休んで僕らと一緒に花火を見ている。

 暗い部屋で美少女二人と花火鑑賞……僕は今、勝ち組の中でもTOPに位置しているだろう。

 

「綺麗だね、花火……」

 

 晶ちゃんが呟く。夜空に輝く大輪の華、三尺玉の人工の炎の輝き。

 

「三尺玉は直径約90cm、なんと打ち上げた高さは東京スカイツリーと同じ600m位なんだよ。開いた円形の幅は180m以上、これは東京ドームと同じ大きさだね」

 

 花火の薀蓄を語る、コレは飲み屋で女の子に人気の夏ネタだ。

 

「じゃあのヒューって音はなんなの?」

 

 ああ、あの音は確かに気になるよね。実は弾道の風切り音じゃないんだよ。

 

「あれは笛の音だよ、実は親玉が開花する前に小花を開かせたり音を出させたりする為に、本体と同時に打ち上げる付加物があるんだ。

それを曲導(きょくどう)と言って上昇中に音を出すものを笛というんだ。因みに花火が開く前のドーンって音も本体の花火玉とは別物なんだよ」

 

「正明さんって本当に博識ですよね。逞しくて賢い人って憧れます」

 

 結衣ちゃんにも高評価だったみたいだ、尊敬の眼差しで見られた。友達はキャバクラで仕事は何って聞かれたら花火師って言っている。

 そしてバレないだけのネタを仕入れているんだよね。

 

「因みに打ち上げに関わる機材や人件費が高いだけで、花火自体は安いんだよ。今見た三尺玉で5000円位で五尺玉でも20000円。

仮に10000発規模の花火大会を実施するなら5000万円位から出来るよ」

 

 結衣ちゃんと結婚できるならワンマン花火大会だって開くよ、僕は……花火が開く度に差し込む明かりで見える彼女の横顔は綺麗だ。

 晶ちゃんも綺麗だが、どちらかと言えば中性的な美しさか?

 

「数万人が楽しめるから、5000万円が安いか高いか分からないですね」

 

「本当にそうだね、相乗効果とかも有るしビジネスチャンス?」

 

 結衣ちゃんは夢を晶ちゃんは実利(じつり)を感じ取ったみたいだね。これは学生と社会人との差なのかな?

 

「すいません、私ちょっとトイレに……」

 

 結衣ちゃんが恥ずかしそうに部屋から出て行った。岱明館はトイレは共同なんだよね、コレは改善が必要だと思う。

 最近の風潮でも風呂は別でもトイレは部屋に欲しい。

 

「あの……あのね、榎本さん」

 

「ん?何かな?」

 

 まさか失礼な事を考えていたのがバレたのか、晶ちゃんエスパーか?

 

「あのね、二回も僕を助けてくれて有難う。その、お礼を……」

 

「要らないよ、お礼なんて。僕が好きで動いたんだし、もし晶ちゃんに何か有った後だったら僕は二ノ宮一族を根絶やしにしていたかも知れない。

だから、お礼は要らないんだ」

 

「根絶やしって……優しい榎本さんには似合わない言葉だね」

 

「それだけ怒ってるって事だよ。でも無事で良かった」

 

 そう言って頭をワシワシと撫でる。

 

「アレ?子供扱い?結婚は?子供は?アレレ……」

 

「結婚?子供?誰の?」

 

 不思議な顔で僕を見る晶ちゃんだけど、そんなに変な事を言ったかな?

 



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クリスマス記念・リクエスト作品(小笠原母娘編)前編・後編

クリスマス記念作品

 

A面

 

 一神(キリスト)教の聖誕祭。

 

 日本人であり仏教徒である僕等には本来の祭りに参加する権利は無いのだが、日本人の殆ど全てが何かしらの関連行事に参加している。

 本来の儀式とは全くの別物だが、チキンを食べケーキを食べシャンパンを飲みプレゼントを渡す。

 街はクリスマス一色で関連セール品も買うだろう。クリスマス特別番組を見たりもするだろう。

 

「不思議だよな?日本人って何故、仏陀様が生まれた祭りは独自にイベントを作らないのにイエス様の生まれた祭りは色んなアレンジをするんだ?」

 

「さぁ?でもクリスマスプレゼントを買う前に言う台詞では無いわね。

今年は色々な女性と知り合ったから大変でしょ?結衣ちゃん・桜岡さん・亀宮さん・小笠原母娘・晶ちゃん、もしかしてメリッサ様もかしら?」

 

 指折り数えている悪友を見て思う。ここは八王子某所にある「マダム道子の店」だ。

 風水の有名な導師らしいが、同業者嫌いでも有名。

 自分の店に同業者が来ない様に陣を敷いている程なんだが、僕には効かないらしい。

 同業者嫌いで店を開くと言う事は、客層は一般人を対象にしている。

 それにクリスマスシーズンであり、各種宝石を扱うとなれば店内は一般人のカップルばかりだ。

 

「君のもだろ?マダム道子の店に連れてけって、この時期にしかも宝飾品を買いに一緒に行く訳だし……」

 

 このシチュエーションで女性に財布を開かせるのは辛い。

 

「あら?榎本さんだって、マダム道子に全員分のブレスレットを注文してたじゃない?

私は加工品でなく原石で良いのだから、本命のよりリーズナブルじゃない」

 

 隣で水晶を選んでいた女子高生が「なに、愛人?」とか呟いて離れていった……いや、山のように水晶とか琥珀とか持ってるよね?

 それ僕に買わせた後に、更に胡蝶が霊力を注ぎ込むんだよね?手間は君のが一番掛かるんだけど。

 

「それ位にしてくれ。明日、メリッサ様にクリスマス会の招待状を貰ってるんだよな。

在家僧侶の僕に神の家への招待状をさ。一緒に行ってくれないかな?」

 

 これ以上、商品棚を漁らない内に手に持つ宝石達を奪う。全部で10万円は越えないが、普通は本命に贈るプレゼント予算だぞ。

 

「ふーん、私を誘うんだ?」

 

 真面目な顔で僕を見上げてくる。何か企んでいると思ってるのかな?

 

「亀宮さんとメリッサ様って仲悪いだろ。小笠原母娘や結衣ちゃんは面識ないし、そもそも明日は平日だから学校だ」

 

 レジ待ちの列に並ぶ。高野さんの分で約10万円、予約注文したブレスレットが各15万円。六人分だから90万円か……

 

「桜岡さんは?」

 

「彼女は実家に帰ってるんだ。明後日の休みに戻るよ」

 

 懐のダメージ量を計算していたら他のメンバーの予定を確認してきたが、これは教会に行くのが嫌なのかな?

 

「ふーん、本命は24日に会って私は22日なんだ?良いけど、コレも買ってよ」

 

 並んでいるのは店内、当然陳列棚にそってだ。彼女は目の前に置いてあったトルコ石のイヤリングを指差した。お値段は5万円か……

 

「はいはい、買ってあげるから明後日は付き合って貰うぞ」

 

「やった!榎本さん、太っ腹!でも今月だけで2000万円位稼いでるものね」

 

 何故、僕の今月の出来高を知ってるんだ?経費や外注費も有るから、僕の給料と会社の純利益は合わせても200万円もないんだけどね。

 周りもちょっとざわついたけど、僕が高額所得者だと変かな?

 

「あんな筋肉の塊がお金持ちなの?」とか「畜生、まっとうな商売じゃねえな」とか囁かれてます。

 

 順番が来たので、マダム道子に話し掛ける。

 

「これと、注文の品を下さい。全て別々にプレゼント包装で、お願いします。ああ、領収書は品代で……」

 

 毎回派手なヒラヒラ衣裳を来ているが、店に並んでいる商品は上物ばかりだ。

 

「あらあら、クリスマスプレゼントに同じ物ばかりなんて深読みするわよ」

 

 高野さんの選んだ品をレジ打ちしながら、不思議な事を言われた。差を付けない事にしたのだが、不味いのか?

 

「何故です?」

 

「複数の女の子に違う品を贈ると、後で分からなくなるじゃない。

水商売の女の子達も複数のお客さんに同じ物を強請(ねだ)ってね、一つを残して売るらしいわ。

それの逆バージョン?合計で110万5千円よ」

 

 電卓で計算し金額を此方に見せてくれる。

 

「じゃ現金で払います」

 

 カウンターに銀行から下ろしてきた帯封付きの100万円とバラで11枚の1万円札を並べる。

 周りのカップルがドン引きと言うか、悪目立ちし過ぎだろうか?先程は男からの囁きだったが、今回は女性からだ。

 

「あれ位の甲斐性が欲しいわ」とか「貴方ももっと頑張ってよね」とか叱咤激励?の声が聞こえます。

 

「はい、領収書とお釣りの5000円。此方が品物になります」

 

 綺麗にラッピングされたプレゼントの中から、高野さん用の物を取り出す。

 

「はい、メリークリスマス」

 

「有り難う。お礼に明後日はトコトン付き合ってあげるわ」

 

 珍しく邪気の無い綺麗な笑顔に、不覚にもドキリとしてしまった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本さん、私にコレを着させるの!確かにトコトン付き合ってあげるって言ったけど、こんなの恥ずかしい……」

 

 流石は教会主催のパーティーだけ有り、ドレスコードが有ったのだ。

 なので彼女には僕の渡した衣裳を着てもらった。中々似合うのだが、腕を後ろに組んで真っ赤になっている。

 

 鼻も赤い……

 

「良く似合ってるよ。じゃパーティー会場に行こうか?」

 

 彼女の手を取る。

 

「えっ?はっ、恥ずかしいじゃない」

 

 黙って扉を開けて、パーティー会場に突撃する!

 

「メリークリスマース!良い子にしてたかな?サンタとトナカイお姉さんが遊びに来たぞー!」

 

 そう、メリッサ様の招待状は教会に併設された幼稚園のチャリティーパーティーでのサンタとトナカイ役だ。

 

「良い子にクリスマスプレゼントだぞー!ほーら、一人一つだぞー」

 

 トナカイお姉さんの持っている袋から、結衣ちゃん謹製のクッキーを園児達に渡していく。

 セクシートナカイとムキムキサンタに子供達は大興奮だ。特に高い高いは好評で順番待ちで園児達の長い列が出来た。

 

「たまには良いだろ?慈善事業もさ」

 

「裏に生きる私達が慈善事業?確かに悪くはないわ。でも、この衣裳を選んだの榎本さん?

スカート短いし体のライン分かるし、園児の父親からはイヤらしい目で見られるし……榎本さんのエッチ!」

 

 全身茶色のスエットスーツにジャケットとミニスカート、角を模した頭飾り。

 それにロングブーツと少々セクシー過ぎる衣裳だが、良く似合っている。

 

「僕が選んだ訳じゃないぞ。文句はメリッサ様に言ってくれ」

 

 そんなメリッサ様達は普通の修道女服を着て、園児達と遊んでいる。トナカイ高野お姉さんも、ぎこちなく園児達と接している。

 普段、彼女は裏の世界で動いているので、たまには明るい表の世界を味あわせてあげたかったんだ。

 

「慣れてきたみたいたね。高野お姉さん?」

 

「はいはい、この埋め合わせは高いわよ?」

 

 そう言う彼女の笑顔は、何時もの腹黒さが微塵も無い純粋で綺麗な笑みだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

B面

 

 毎年恒例の榎本家クリスマスパーティー。去年までは結衣ちゃんと二人切りのイベントだったが、今年は違う。

 

「榎本さん、お招き有り難う御座います」

 

「その、良くにあってますよ。その衣裳……」

 

日本霊能界の御三家の一角、亀宮一族の当主で有る亀宮さん&亀ちゃん。

 

 亀宮さんは何故かセクシーサンタの格好だ。

 ドンキとかで売っている安物のコスプレ服じゃない高級品であり、胸を強調したりスカートが短いがギリギリ下品じゃないレベルに仕立てた逸品だ。

 

「榎本さん、お招き嬉しいですわ」

 

「榎本さん、有り難う」

 

 此方はクリスマスパーティーなのに母娘で着物を来ている。彼女達は、ここぞと言う時は必ず着物を着てくる。

 和服美人母娘は町内で最近話題になっている。

 

「今日は楽しんで下さいね。それと料理を手伝ってくれて有り難う御座いました」

 

 魅鈴さんが料理を手伝ってくれたお陰で、結衣ちゃんが楽だったそうだ。

 

「榎本さん、僕も呼んで貰って良かったのかな?何か霊能力者の集まりみたいな……」

 

 晶ちゃんが場違いなパーティーに参加した様な感じで、そわそわしている晶ちゃん。

 

「気にしなくて平気だよ。身内の集まりだからさ」

 

 彼女はスーツを着込んでいるので、ベル薔薇の男装の麗人みたいだ。

 黒い上下スーツに胸元を開いたYシャツ、誰のコーディネートなのかな?

 もし自分で選んでいるなら、桜岡さんか亀宮さんに見立てて貰った方が良い。

 あの二人はお嬢様だけあり、センスが良いからね。

 

「正明さん、準備が出来ました」

 

「榎本さん、初めましょう」

 

 朝から料理や会場の準備を手伝ってくれた、結衣ちゃんと桜岡さん。最近は姉妹みたいになって来ている。

 此方も最近だが美人姉妹としてご近所様から大人気だ。今日もお揃いの衣裳を来ているし……

 真っ白なワンピースに胸元の赤と緑のコサージュがクリスマスっぽさを控え目にアピールしている。

 桜岡さんのシンプルなワンピースはメリハリの取れたスタイルを強調。

 逆に結衣ちゃんの方はリボンやフリルをあしらい可愛らしさを強調している。

 

 嗚呼、結衣ちゃんをお持ち帰りしたいな……全員にグラスが行き渡った所で乾杯だ。

 

 

「「「「メリークリスマス!」」」」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

裏面

 

 お腹一杯に飲んで食べて騒いだ。亀宮さんと小笠原母娘は帰ったが、桜岡さんと晶ちゃんはウチに泊まって貰った。

 桜岡さんは自分の部屋へ、晶ちゃんは結衣ちゃんの部屋で寝ている。時刻は既に0時を回った……

 

「胡蝶が飲みたいなんて初めてだな。飲み食い出来るのは知ってたけど、日本酒が飲みたいから付き合えとか驚いたよ」

 

 彼女は珍しく現代風のワンピースを着て布団に胡坐をかいて座っている。胡蝶な持つ薩摩切子のぐい呑みに「浦霞」を注ぐ。

 

「ん、そうだな……騒がしい宴に昔の事を思い出してな。

我が未だ榎本一族と契約を結んだ頃、初代の手伝いをさせられていた。子守りや家事もだ……」

 

 昔を懐かしむ様に目を閉じて、彼女の過去を話してくれた。

 

「初代?700年前の僕の御先祖様の事だろ?子守りや家事なんて、奥さんみたいだな」

 

 一気に杯を煽る彼女の為に日本酒を注ぐ。

 

「奥さん?妻の事か?そうだな、公私共に世話をさせられたな。

正明、お前はアレには似ても似つかぬが我との相性は勝るとも劣らぬぞ。

お前の代で榎本一族は繁栄するだろうな。我が手を貸すのだから当然だ」

 

 僕の御先祖様か……興味は有るが、比べられるのが嫌だな。知れば知る程に、力有る術者だった筈だから。

 

「勿論、出来る範囲で力を貸すさ。元々僕はさ、胡蝶を崇めなきゃならないんだろ?」

 

 ぐい呑みで飲むのが、まどろっこしいのか一升瓶を奪うと、そのままラッパ飲みを始めた。

 凄い勢いで一本目が無くなる。

 

「ほら、飲み過ぎるなよ」

 

 二本目の「天狗舞」を渡す。だが、どう見ても幼女が一升瓶を煽るのは違和感有り捲りだぞ。

 

「む、分かった。なぁ正明……」

 

「何だい?摘みでも欲しいのか?」

 

 日本酒のみじゃ辛いかな。

 

「いや、正明は我を恨んでないのか?」

 

 目線を逸らして日本酒をラッパ飲みする幼女。照れ隠しだろうか?

 

「正直に言えば、最初は恨んでたぞ。だけど、今僕が生きているのも胡蝶のお陰だからな。

爺さん達の魂も解放して貰ったから……って、胡蝶さん?」

 

 僕が恥ずかしい告白をしてる時に、彼女は眠ってしまった。日本酒を二升も一気飲みするからだよ。

 一升瓶を抱き抱えて眠るのは女性としてどうなんだ?彼女を抱いて布団に寝かせる。

 

 確かに恨んでないと言えば嘘になるが……今は相棒と言うか、お世話になりっぱなしのお姉さんと言うか。

 多分だが、もう身内と認めてしまっているのだろう。胡蝶の隣に横になり、部屋を暗くする。

 

 しかし酒臭い幼女と添い寝って、どうなんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 翌朝、起こしに来てくれた結衣ちゃん達に空の一升瓶二本を発見され、割と本気でアルコール中毒疑惑を持たれた。

 昨夜は封を開けてないのに、空っぽじゃ驚くわな。

 

「正明さん、辛い事が有るなら黙ってないで私に話して下さい。小笠原さんですか?小笠原さん達が悩みの種なんですか?」

 

 僕の両手を握り締めてそう言った結衣ちゃんの目は、本気と書いてマジだった。

 暫く榎本家では買い置きのお酒が無くなったのは困ったし、夜も帰ると顔に鼻を近付けてクンクン匂いを確認されるのも困った。

 目を閉じて顔を近付けてくるから、つい出来心でキスしないようにと鋼の自制心が必要だったが……でも、心配されているのだから嬉しかった。

 

 やはり結衣ちゃんは僕の嫁だな!

 

 

リクエスト話(小笠原魅鈴編)前編

 

「はい、これがお約束の録画したCDです」

 

「……有り難う御座います」

 

「おほほほほ、コピーは有りませんから大丈夫ですわ」

 

 宮城県某所に有る小笠原さんの実家兼仕事場。皆に内緒でワザワザ魅鈴さんに会いに来たのは、高野さんのアリバイ作りの為にわんこ蕎麦大食い大会に出場、そして優勝。

 その様子をローカル局が放送したのを見られたからだ。アリバイを高める為に第三者にも見せる事が仇(あだ)になった。

 前回彼女を寝かせたソファーに座り、魅鈴さんと対峙している。

 問題は彼女が僕に何をさせたいかだ……喉が渇いたのでコーラを飲む。

 お茶じゃなくコーラを用意してくれのは嬉しい。心地好い炭酸の刺激が喉を潤す。

 ニコニコと此方の様子を伺う彼女が怖い。

 

「ところで榎本さん?」

 

「はい、何でしょう?」

 

 沈黙に耐えられなかったのか、最初に口を開いたのは彼女だ。

 

「何時から、あの女性とお付き合いを?私、榎本さんは桜岡さんとお付き合いしてると思ってましたわ」

 

 直球でキター!

 

 キッチリと着物を着込み両手で湯呑みを持ちながら、さり気なく聞いてきた。だが、この質問は想定内だ!

 どこまで正直に言えるかが問題なだけで。

 

「守秘義務が有るので詳細は話せませんが、アレは見た通りの関係じゃないのです。勿論、相手に確認を取って貰っても構いません」

 

 当然、馬鹿正直に言えば高野さんに迷惑が掛かる。だが、辻褄の合わない嘘は男女間では悪手でしかない。

 女性は勘で嘘を見抜くし感情論になったら負けだ。阿狐ちゃんの言った「女性は理不尽な生き物」は至言だ。

 

「あら?桜岡さんとのお付き合いは否定しないのね」

 

 否定したくても出来ない状況だ、今否定したら亀宮さんとの関係を突っ込まれかねん。

 

「……ええ、良き関係(フードファイター)として、お付き合いしてます」

 

 照れや吃(ども)り、まごつきは嘘と見抜かれる。恥ずかしがらずにズバッと言うのが嘘を吐く時のコツらしい。

 また無言……暫く無言で向かい合う。

 交渉時は自分からの発言は最小限とし、相手に話させるのがコツだ。

 話の主導権を握られる場合も有るが、先ずは相手が何を考えて求めているかを聞き出さねば駄目だ。

 

「何も言っては下さらないのね。酷い人……」

 

「何かお悩みですか?最初の連絡の時にも言いましたが、出来る事ならば協力しますよ」

 

 弱みを見せずに此方から協力すると言われれば、恩にも感じるし無理も言い辛いだろう。長い前置きを終えて、漸く本題に入れる。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「離婚調停が済んだのに、元旦那が現れて復縁を迫ってきた……ですか?」

 

 黙って頷く彼女を見て思うが、別に難しくも何ともない話だぞ。それこそ法に基づいて行動すれば、何の問題も無い。

 

「僕に相談する程の内容ではないですよね?離婚は成立してますから、魅鈴さんが毅然とした態度で接するだけでOKですよ。

勿論、同席して恫喝するのは吝かでは有りませんが……」

 

 こんな外見だから、一緒に居るだけでも相手は引くだろう。湯呑みを手で弄ぶ彼女を見れば、何かしらの問題が有るのは分かる。

 

「その……実は、榎本さんと再婚すると言ってしまいまして……静願の為には両親が必要だって言われて。

既に私のお付合いしている方に懐いているから問題無いので、もう関わらないで欲しいって……

その、私達に男性の知り合いは、榎本さん以外には居なくて……」

 

 真っ赤になり湯呑みを弄る彼女は可愛い。年上女性の魅力に溢れる彼女が、子供っぽい仕草をすればギャップ萌えだ。だがしかし、僕はロリコンだから魅力は半減。

 

「うーん、別に嘘でも構わないでしょ?証拠を見せる必要も義務も無いですし。

育児放棄した本人が、何を言うのかと一喝して終わりですよ。僕が交際相手として元旦那と会わなくても大丈夫じゃないですか?」

 

 そう、彼女の悩みは大した問題ではない。だから別に問題が有る筈だ、僕を引っ張りだす理由が……

 

「ごめんなさい……実は大婆様(おおばあさま)に後添えを早く探せと言われて、放っておいたら再婚させられそうになって。

もう将来を約束した人が居る……」

 

「分かりました!そのお祖母様(おばあさま)に無理強いすんな、ゴラァ!

って平和的に納得させれば良いのですね。任せて下さい、交渉は得意なんですよ」

 

 下手に婚約者とか彼氏とか再婚相手とかで紹介されたら、話が拗れる。

 そのお祖母様とやらも、もしかしたら元旦那の件で早く身を固めろと善意で言っているだけかもしれない。

 この後、そんな甘い考えは捨てるべきだと、僕も未だ甘いと実感させられた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「デカい、そして霊気か半端ないな……魅鈴さんの実家は神道系だったんですね」

 

 車と徒歩で辿り着く事二時間、人里離れた山間部に連れてこられた。見上げる社は優に10m以上は有る。

 苔蒸しているが、時代を感じさせる建物だ。

 

「はい、でも祖母が駆け落ちしてからは疎遠で……小笠原家は祖父の家を継いだのです」

 

 これだけの力有る霊媒師だからな。旧家の流れは覚悟していたが、まさか由緒正しそうな一族の傍系だったとは驚きだ。

 アレ?そう言えば先程は再婚をごり押しするのは、お祖母様って言ったな。

 でも小笠原家は祖母の代で駆け落ちした筈だ……お祖母様も祖母も同じ意味だよね?

 

『正明、ボケっとするな!囲まれているぞ!気を付けろ、かなりの術者だ』

 

 僕には何処に居るのか全く分からないのだが、囲まれているらしい。

 

「隠れてないで出て来てくれませんか?僕等に敵意は無いです」

 

 胡蝶が教えてくれた方向、道の脇の藪に向かって声を掛ける。ハズレてたら恥ずかしいぞ。

 

「ほぅ、我々を見付けるとは中々だな。魅鈴、お前の後添えは大した者だな」

 

「本当に逞しい漢だな。結構な事だで」

 

 全く存在が分からなかったのだが、山伏みたいな爺さん連中が五人、藪から飛び出してきた。

 そして無遠慮に見定める様な視線を向けてくる。全員が60代だろうが引き締まった身体をしている。

 筋肉ムキムキではないが引き締まった細マッチョ爺さんズだ。

 

「お祖母様に会いたいんですが、案内して貰えますか?」

 

 魅鈴さんは場所を知ってそうたが、一応彼等に断りを入れる。

 

「大婆様に会いたいか?」

 

「ええ、話し合いをしに来ましたので……」

 

 今回は魅鈴さんに会いに来たので、基本的に丸腰だ。せめて警棒の一本位は持っていたかったな。

 だから爺さんズには下手に出るしかない。

 

「よいよい、どのみち案内する様にいわれちょる」

 

「ほら、こっちじゃよ」

 

 取り囲んだりせずに先に歩き出す爺さんズの後を警戒しながら着いて行く。

 

『胡蝶さん、怪しくないかな?罠とか平気かな?』

 

『うむ、特に何かしらの術や結界は無いな……』

 

 彼女が感知出来ない事は無いから、本当に罠は無いのだろう。不整地な道を歩くには着物姿の魅鈴さんは不向きだ。

 仕方なく右手に座らせる様にして持ち上げた。

 

「歩き辛いだろ?」

 

 魅鈴さんは50㎏は越えてないから大丈夫。オンブやダッコは誤解を招きかねないから頑張るしかないか……

 

「あの……重くないでしょうか?私……その……」

 

「大丈夫、余裕綽々ですよ」

 

 本来なら利き腕を疲労させるのは下策だが、僕の本命は左腕だから良い。筋肉疲労が軽視できない位に歩いた頃、漸く古民家が見えた。

 

「下ろしますよ」

 

 ゆっくりと屈んで魅鈴さんを地面に立たせる。途中から首に抱き付いていたので、大変な苦痛でした!

 

「ほいほい、こっちじゃよ」

 

 正面玄関でなく庭?の方に案内されたが、付いていけば東屋風な建物が有り既に一人のご老体が座っている。アレがお祖母様かな?

 

「おうおう、立派な漢よの。ほれ、座りなされ」

 

 向かい側の椅子を勧められた。良く見るとお祖母様って割りには皺が深く刻まれ肌もカサカサ、頭髪は真っ白で目も白内障みたいに濁っている。

 お祖母様って言うよりは……

 

「大婆様、ご無沙汰しております」

 

「ん?おおばあさま?」

 

 何か発音が違っていた様な……

 

「はい、大きな婆様で大婆様(おおばあさま)です」

 

 勘違いしてた、婆さんの代で駆け落ちだから変だと思っていたんだ。

 

「ほっほっほ、魅鈴と一緒に会いに来たと言うと……」

 

「大婆様!魅鈴が知らない男を連れて来たって本当か?」

 

 なんか小走りで中年が近付いて来るが、厄介事に違いない。何故なら敵意が剥き出しだから……

 

「はっ?この脳筋が、まさか再婚相手とか言わないよな?魅鈴と静願は、一族繁栄の為に俺様の嫁と愛人になるのが決まりなんだぞ」

 

 一方的な言い種にムカッときたが、コイツの話は変だ。何故、今更なんだ?

 一族繁栄なら、何故魅鈴さんが最初に結婚する事を止めなかった?何故、元旦那が家出した後も放置した?

 

「何故、今更なんですか?彼女達が一番困っている時は放置で、離婚調停が成立してから手を出すのは納得出来ないな」

 

 一瞬だがムッとしやがった。自分で都合が良過ぎるとは思ってるのか?マジマジと観察すれば、中肉中背で気の強そうな中年だな。

 

『霊力は正明の五割り増しは有るぞ。そこそこの霊能力者だな』

 

『その分、筋肉は半分以下だろ!でも正面から挑んだら勝てないかな?』

 

『うむ、アヤツの周りには畜生霊が渦巻いておる。多数の畜生霊を操るならば、左手一本の防御では心許ないか……我が出た方が良いな』

 

『いや、極力僕の中に居てくれ。胡蝶が出張ると問題が大きくなると思う』

 

 左手で触れた畜生霊しか消せないとなると、何ヶ所かは噛まれる事は確実。だが、それでも胡蝶の事は隠した方が良いな。

 

「それは、俺の女房が死んだからだ!残念だが、子は成せなかった。血は濃い方が良い。

だが、一族の女性は小笠原母娘だけだ。混じり物だが、他の女よりはマシだろ?」

 

 胡蝶さんとの脳内会話に夢中で無視してたが、理由がムカつくな。混じり物だと?他の女よりマシだと?

 

「種が無きゃ駄目でしょう。悪いが、そんな理由で彼女等を欲しいと言うならお断りですね」

 

「違う!畑が悪かっただけで、俺は悪くない!」

 

 この男と話しても無理だな。多分だが直系男子は奴しか居ないのだろう。だから増長するし周りも受け入れてしまうのか?

 

「大婆様でしたか?その様な理由で魅鈴さんの再婚を勧めるのは感心しませんね。

彼女達の大変な時には手を差し伸べず、自分達が大変になったら協力を強要するとは呆れてモノが言えませんね。

今後は彼女達に関わらないで下さい。魅鈴さん、帰ろうか」

 

 まともに取り合う必要も無い連中だ。早く帰って魅鈴さんにはキツく言わないと駄目だな。

 彼女は意外と流されやすいし、優し過ぎるから騙されやすい。だから元旦那ともズルズルと別れられなかった。

 今回も一族の為とか言われて断り辛く、僕を頼ったんだな。僕もこのオッサンに二人を渡すつもりは無いから、丁度良い!

 

「ふざけるな!俺を誰だと思ってるんだ!東の雄、亀宮一族の山名家からも声が掛かっているんだぞ。

お前、一応霊能力者だろ?亀宮一族に逆らうのか?」

 

 あーうん、アレか。亀宮さんの所の山名の連中かよ……あの連中は余程僕が嫌いだし迷惑を掛けやがる。

 

「例え山名家と事を構えてもお断りだ!」

 

 中指を立てて笑顔で言い放った!

 

 

リクエスト話(小笠原魅鈴編)後編

 

 小笠原魅鈴さんが僕を頼った本当の理由。それは祖母の代で駆け落ちし抜けた一族からの強要だった。

 本流の人材が枯渇したので、昔袂を分けた血筋にたよる。それも強引に、母と娘共々と来やがった。

 

「大婆様、これはアンタも了承してるのか?母と娘の両方をコイツの畑として強要するんだな?」

 

 言質を取るために無表情の老婆に確認する。

 

「当たり前だろう、一族の存続が総てだ!一族ならば当主の意に添うのは当然の事だ。魅鈴、そうだろ?」

 

「私、私は……」

 

 手を胸の前で組んで、よろける様にしている魅鈴さん。やはり魅鈴さんは押しに弱そうだが、未だ他に何かしらの理由は有りそうだ。

 

「アンタには聞いてない!少し黙ってろ。大婆様、アンタも同じ考えか?」

 

 言葉を促す為に、大婆様を睨み付ける。何時の間にか爺さんズも大婆様の脇を固めている。

 

「いや、無理矢理は本意ではない。じゃが、我等の事情も汲んではくれんか?」

 

 爺さんズも苦虫を噛み潰した顔だが頷いている。無理矢理じゃないけど言う事は聞いて欲しい。

 自分の代で一族を潰す苦しみは分かるか、他人の貞操まで自由にされては困るんだよ。

 

「話にならないな。魅鈴さん、帰るよ。此処にいるのは無駄でしかない。魅鈴さんは仲間であり、静願ちゃんは愛弟子だ。畑は他を当たれ!」

 

 魅鈴さんの腕を掴んで強引に抱き寄せる。

 

「きゃ!」

 

 可愛い声を上げるが抵抗はしない。

 

「待ちやがれ!俺の魅鈴に馴れ馴れしくすんな。それは俺の畑だぞ。怪我をしない内に帰るんだな。一人でなぁ!」

 

 簡単にキレやがって!やはり奴は甘やかされて育ったボンボンか?爺さんズの制止を振り切り仕掛けてきた!

 

『正明、畜生霊が来るぞ!』

 

 オッサンが腕を振るうと、此方にモヤモヤした塊が飛んで来る。口だけ、犬の口だけがモヤモヤの中に有るぞ。

 

「ハッ!」

 

 左腕を振り上げてモヤモヤを払う。

 

「ほぅ?白渕(しろぶち)を退けたか。同業者としては中々だな」

 

 余裕なのかニヤニヤと此方を見てやがる。

 

『正明、奴の術は畜生霊を使役する事だ。奴は飼い犬を殺して使役しておる。奴の周りには未だ八匹の畜生霊が居るぞ』

 

 拙い霊視をすると、確かにモヤモヤしたモノが八個フヨフヨと浮かんでいる。

 

「畜生霊を操るとは、えげつないな。それがアンタの力か?」

 

 魅鈴さんを体の後ろにして庇うと、オッサンに向き合う。

 

「ああ、俺が育てた犬達を俺の手で殺した。生きてちゃ役に立たないからな。死んで初めて役に立つ」

 

 真面目な顔で言い放ちやがった。僕も他人の霊や化け物達を胡蝶に喰わせたが、手塩に掛けて育てた犬を殺せるのか?

 

「下衆が!術で魂を縛り付けて使役するとは……」

 

 同族嫌悪に近い感情が芽生える。不味いな、出来れば胡蝶は出したくない。だが同時に襲われたら防げない。

 

『正明、やはり我が……』

 

『いや、噛まれても治せるなら我慢する。奴の畜生霊は八匹以上居るかな?』

 

『居ないな。だが、ババァの傍には目の前の畜生霊が霞む程のヤツが居るぞ』

 

 腐っても大婆様って事か。

 

「ほら、ほら、ほらよ!茶筋(ちゃすじ)・黒眉(くろまゆ)・灰髪(はいがみ)、奴を噛み千切れ!」

 

 奴の掛け声と共に、真っ直ぐに飛んでくる三匹の犬達。涎を垂らしながら大きく口を開いている!

 

「ふん!」

 

 左腕を横に凪ぎ払い二匹を散らすが、三匹目が右脇腹に噛み付いた。筋肉に力を入れて牙の侵入を防ぎ左腕で掴んで払う。

 

「ぐっ、結構痛いな……」

 

 胡蝶に治療して貰う為、左手を傷口に当てる。

 

『正明、最後の犬は我の支配下に置いたぞ。灰髪と言う名前の甲斐犬だな。成る程、奴の術が何となく分かったぞ』

 

『流石は胡蝶!痛みも和らいだし、次に行くか!』

 

 一本前へ踏み出す。奴との距離は10m程度有るので、大股でも八歩は必要だ。

 

「くっ?未だだ!茶尾(ちゃお)・赤目(あかめ)・白腹(しろばら)、奴の足を食い千切れ!」

 

 今度は血を這う様にして二匹が飛んで来て、一匹は顔に目がけて時間差連携攻撃かよ!

 顔に向かって来た奴を掴み握り潰すと、右太股と左踵から激痛が……太股は筋肉でカバー出来るが、踵はそうはいかない。

 

「くぅ……問答無用で殺しに来たな。だが、未だ平気だぜ」

 

 二匹を払い太股に手を添える。太い血管が有る太股は応急措置が必要だ。

 爺さんズも大婆様も動揺しているが、止める気は無さそうだな。

 魅鈴さんを見れば真っ青な顔をしているので、笑顔で手を振り無事をアピールしておく。

 霊力の弱い僕は防御力とタフネスさが売りのマッスル僧侶だからな。

 

『赤目を支配下に置いたぞ。うむ、雑種だな。奴の手駒はあと二匹、我の扱える犬も二匹。次で仕留めるぞ』

 

 胡蝶さんの言う通り、僕の両脇にナニかの気配が濃くなったのを感じる。ハァハァと息遣いも……

 

『分かった、ぶん殴る!』

 

『灰髪と赤目と呼んでやれ!我の支配下とは正明の支配下でもある』

 

 僕はペットは鳥派なんだが……

 

「これで最後だ!黒牙(こくが)・灰牙(はいが)、奴の喉元と脇腹を食い破れ!」

 

 目が血走り口から唾を飛ばしながら、奴が残りの畜生霊に指示をだす。

 

「灰髪、赤目!」

 

 そう叫んでオッサンに突撃する。先に飛び出す灰髪と赤目!四匹の畜生霊は途中で激突、力は拮抗しているのか激しく噛み合っている。

 

『胡蝶さん、敵だけ払って!』

 

 絡み合うモヤモヤに触れると奴の支配下の二匹だけが散らされた。

 

「俺の犬が……馬鹿な、俺の使役霊を奪うだと……そんな馬鹿な……」

 

 コイツ、戦っている最中に惚けてやがる。確かに対人戦で犬を九匹も自在に扱えれば増長もするかな。

 

「コレは俺の分!」

 

 奴の右頬を力一杯叩く!

 

「ぐはっ?」

 

「コレも俺の分!」

 

 今度は左頬を力一杯叩く!

 

「ひゃ、ひゃみぇてぇ」

 

 張り手と言え全力の往復ビンタだ。奴は鼻血を流し口の中も切れたのか、涎が血塗れ。胸ぐらを掴み持ち上げる。

 

「序でにコレも俺の分、コレもコレもだ!」

 

 更に往復ビンタをかまし、地面に投げ出す。

 

「あの……榎本さん?自分の分だけ……ですか?」

 

 魅鈴さんが恐る恐る声を掛けてくれた。勿論、僕の仕返しだけですよ。

 

「灰髪、赤目。このオッサンの種蒔き器と種製造袋を食い破れ」

 

 去勢すれば大人しくなるだろ?

 

「まっ、待て!俺に手を出したら、山名家と事を構えるぞ。亀宮一族に逆らうのか?」

 

 灰髪と赤目の気配を感じてか、座りながらズルズルと後ろへと下がる。命乞いにしては陳腐で他人任せだな……

 

「亀宮一族の山名家は今は失敗して威信を失墜してる。一族内での序列は最下位だよ。

ああ、僕は亀宮一族の御隠居衆筆頭である若宮家の直属なんだ。お前とお前の一族の事は報告しておくよ」

 

 亀宮さんか御隠居様に言えば、何とかなるだろう。いや、山名家から未だチョッカイが掛かってくると言ったらどうなるかな?

 

「灰髪、赤目……ヤレ」

 

「ひぃ、やめ、止めてくれ……大婆様、助けて」

 

 大婆様に擦り寄っていくが、爺さんズが止めた?

 

『正明、ババァの隣の犬畜生が襲おうとしてるぞ。口封じとは楽しい発想だな。食うか?』

 

『一匹だけだろ、どうかな?胡蝶の力を見ても玉砕するとは思えないけど』

 

 オッサンは灰髪と赤目に噛まれてのた打ち回っているが、誰も彼等を見ない。

 

「魅鈴さん、おいで……」

 

 彼女が遠慮がちに近付いて来たので、その細い腰を抱く。

 

「あっ、あの……見られてます……」

 

 何やら呟いて頬を真っ赤に染めている。守るには密着した方が良いだけなんだけどね。

 

「がぅ」

 

「きゅーん」

 

 噛み飽きたのか、灰髪と赤目が僕の足元で戯れ付く感じがする。アレ?前は口だけだったが、今は身体全体が見えるけど?

 

『術者の力により形状に変化が有るのは当り前だ。奴程度では複数操れても一部を具現化するので手一杯。

だが我と我の正明ならば、その力全てを引き出せる。これが歴然とした力の差だ……』

 

 俯せになり痙攣を繰り返すオッサンをチラ見してから、大婆様に話し掛ける。

 

「ソレを襲わせてみますか?それとも金輪際、僕と魅鈴さんに構わないと誓いますか?僕はどちらでも構わないですよ」

 

 爺さんズが大婆様の様子を伺う。もし口封じに一斉に仕掛けられたら、胡蝶を出して僕は魅鈴さんを抱いて全力で逃げれば良いかな……

 

「一族は儂の代で終わりじゃ……榎本さん、この子の面倒も見ては貰えまいか?」

 

 自分の脇に控えるモヤモヤを撫でている婆さん。

 

『胡蝶さん、この子って婆さんの犬?』

 

『犬じゃないぞ。多分だが日本狼だな……昔は沢山居たぞ』

 

 絶滅してしまった太古の種、本来なら正当後継者に継がす犬神じゃないのかな?

 

『奴では器にはならなかった。だから世継ぎを強要したのではないか?』

 

 自分が死ぬ前に、寿命が尽きる前に……だが灰髪と赤目を支配下に置いた僕と言うか胡蝶に託したい?

 

『胡蝶さん、アイツ婆さんが好きだから離れたくないんじゃないかな?』

 

婆さんの前に立ち塞がり僕等から婆さんを守る様に威嚇する犬神を見ると、無様に気絶したオッサンとは比べ物にならない絆を感じる。

 

『そうだな……アヤツの力で、あのババァの寿命も延ばしている。だが、それも限界が近いのだろう』

 

 深い皺を刻んだ顔は、気の遠くなる歳月を過ごした事が分かる。

 

『灰髪と赤目も他の犬達と同じ様に魂を解放出来るかな?』

 

 戯れ付く二匹をあやしながら、この犬達の成仏を願う。

 

『ふん、わざわざ手に入れた力を手放すのか?』

 

『僕は胡蝶だけで良いんだ……この犬達は兄弟の元に還そう』

 

 僕は婆さんの前に立ち塞がる犬神の前に座り、目線を合わせる。

 

「この日本狼はさ。婆さん以外には仕えたくないってさ。最後まで一緒に居させてやりなよ。共に大地に還りたい。そうだろ?」

 

 モヤモヤの頭付近を撫でると、ビロードの様な感じがする。

 

「がぅ!」

 

「そうだよ、他の犬達も灰髪も赤目も魂を天に還す。人間なんかに使役されずに自由になるべきだ。

婆さん、それが僕の答えだよ。灰髪も赤目も僕が魂を解放する。

その犬神は婆さんが天に連れて逝きなよ。じゃ、もう会う事もないけどお達者で」

 

 両手でモヤモヤを撫で捲ると、胡蝶さんに頼んで灰髪と赤目を天に還した。

 最後にザラザラした舌で舐め回されて涎だらけにされたが、別れの挨拶としては上等だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 行きとは違い魅鈴さんを背負って山を降りる。血だらけ傷だらけ泥まみれな不審者が和服美女を背負ってるのは犯罪チックだ……

 

「私の祖母が、死に際まで気にしていたんです。大婆様に全てを押し付けて一族を離れた事を。大婆様は祖母の祖母だったんです」

 

 祖母の祖母?すると魅鈴さんより四代前から生きてるのか。

 

「だから、大婆様の頼みを無碍には出来なかった?」

 

 返事の変わりに首に回した腕に力が入った。

 

「魅鈴さんはさ。もっと自分の幸せを貪欲に求める位で良いと思うよ、僕は無理だけど……

でも恋愛だけが幸せじゃないと思う。家族愛や趣味、動物を飼ったりとかさ。色々と有るでしょ?」

 

「本当に酷い人……体を張って助けてくれたと思えば、恋愛対象にはならないとか正直に言うし。

普通は黙って抱き締める場面じゃないですか?本当に桜岡さんが羨ましい、妬ましい。同じ女として……」

 

「ほら、雪が降り出しましたよ。今夜は冷えるかな?夕食は飲みに行きましょう。牡蠣が美味しい季節ですよね?」

 

 見上げた空はドンヨリと鉛色、細かい雪がハラハラと舞い降りてくる。

 

「本当に憎らしくて愛しい人……」

 

 本気で首を絞められるが、筋肉の鎧はビクともしない。

 

「暴れると落ちますよ。ほら、行きましょう」

 

「榎本さん、あの人に自分の分しか仕返ししませんでしたわ。俺の分だ、俺の分だって!

酷い人、ちゃんと責任を取って貰いますわ。聞いてます?」

 

「はいはい、それだけ元気なら大丈夫ですね」

 

 僕はロリコンだから、生々しい嫉妬とか苦手なんだよな。

 

『あの犬達を使役霊にしなくて本当に良かったのか?』

 

『うん、あの犬達の幸せは僕の元に居る事じゃないんだ……』

 

 それにね、結衣ちゃんは狐っ娘だから犬が苦手なんだよね。もし僕があの犬達を纏わり付かせてたら、彼女が僕を敬遠するかも知れないから……

 

「榎本さん、他の女の事を考えてませんか?」

 

「いえ、考えてません」

 

 女の勘って怖いな……だけど寒い山道を歩くには、肉感的な魅鈴さんは絶好のカイロだ。たまにはこんな時間も悪くはないと思う。

 

「寒いからもう少しくっ付いて下さい」

 

「あら?はい、こうかしら?」

 

 薄ら山道に雪が積もる。本格的に降り出した様だ……二人で降りているのだか、彼女の家まで足跡は一人分しかなかった。

 



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第169話から第171話

第169話

 

 予想をしていたのに、防げない事故だった。厳杖率いる熊野密教集団は事実上の壊滅。

 厳杖さんは全身を噛まれたり引っ掻かれたりと満身創痍だが、命に別状はない。

 だが四人の配下の連中の内、二名は喉仏と頸動脈をそれぞれ噛まれて重体。

 残りの二人も出血多量で安静にしなければ駄目だろう。山荘には医療スタッフも居て応急手当の後に、此方の車で県外の病院に搬送されて行った。

 噛み傷や引っ掻き傷は気を付けないと破傷風は狂犬病の心配も有る。医者には野犬に襲われたとなるだろう。

 死者が出なかったのが、不幸中の幸いだな。一人残った厳杖さんの手当を待つ間に暖炉擬きに結界を施す事にして、一人で書斎に向かう。

 亀宮さんは恐慌状態の山荘従業員の所に鎮静剤代わりに居てもらう。

 

 亀ちゃんが具現化してるだけで、安心感が大分違うからね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 従業員の殆どが大広間に集まっているので凄く静かだ……先ずは書斎の様子を写真に撮る。

 今は解らなくても後から見付けられる事も有るからね。

 デジカメで床・壁・天井・倒れた本棚・壊れた執務机を何枚もアップで撮り、最後に全景を何枚か撮る。

 最近のデジカメは5ギガのメモリーカードで300枚以上撮れるから便利だ。

 

 しかし……餓鬼の体液以外にも床が広範囲で濡れているんだ。

 

 だから歩くのにも苦労する。幾ら防水性も有るコンバットブーツとはいえ、後で洗って消毒しないと駄目だな。

 しかし何故だ、何故水浸しなんだ?厳杖さんな密教系だから聖水とかは使わない筈だよな?

 試しに絨毯に靴の先を押し付けると、ジワリと水分が滲んでくる。

 

 しかも、何故か嫌な感じがする……考え込んでいても仕方ないので、早速結界を張るべく暖炉に近付くと。

 

「紐だ、紐が穴の底に延びている。しかも二本も」

 

 細くて黒い紐だから気が付かなかったが、暖炉擬きの底に紐が延びている。手に取って引っ張ると、何やら手応えが有る。

 クルクルと巻き上げるとビデオカメラが釣れた、いや吊れた。厳杖さん達も暖炉擬きが怪しいと思ったのか。

 二点吊りにすればクルクル回らずにある程度は映す方向を操作出来るが……間隔が狭くて長いと難しいだろうな。

 

 それに、これは赤外線でも暗視でもない家庭用の普通のハンディカメラだ。ライトを点灯して撮るタイプだから、暗闇が好きな奴等を刺激したのかな?

 ハンディカメラも体液やら泥やらで汚れているので、直に触りたくないな。皮手袋をした上でタオルで汚れを拭き取る。

 拭き取りながら調べたが、やはりライト部分は壊されていた。

 レンズも割られているが、吊り上げた時点では録画中を知らせる赤いライトは付いていたので何が記録されてるかを見れるだろう。

 

『正明、蛇憑きの小娘達が此方に向かってくるぞ』

 

『何だって?だが今部屋を離れるのは怪しまれるな。

結界を施す為に来ているし、何より途中で鉢合わせたら大変だ。それに胡蝶の索敵能力は秘密にしたい』

 

『む、ならば喰らおうか?なに、三匹程度なら何とかなるやも知れぬぞ』

 

 何となくだが、胡蝶の言葉にはからかい気味な感じが……

 

『はいはい、胡蝶さんの贄は七郎と人形寺の人形達でしょ?今は我慢して下さい』

 

『何だか軽くあしらわれてないか?全く、己の責も真っ当せずに我を軽く扱いおって。もう近くに来ておるぞ』

 

 胡蝶さんにお礼を言ってから、接近を察知していた事を誤魔化す為にビデオカメラを拭く作業を続ける。

 扉を開ける音で察知出来ないのは脱出し易い様に扉を開けっ放しにした事が仇となったか?

 

「おや、面白い物を見付けたじゃないか?是非、私達にも見せて欲しいな」

 

 ちょっとビックリした様に見上げると、セーラー服美少女が此方を見ていた。

 後ろには相変わらずフードを被った犬と熊が立っているが、此方をバリバリに警戒してるな……

 

「厳杖さんが、そこの暖炉擬きの底の様子を撮影したみたいなんですよ。

但し赤外線カメラでも暗視カメラでもない普通の家庭用ハンディカメラですから、ライトが……明かりを嫌う奴等を刺激しましたかね?」

 

 黙っていても厳杖さんからバレるし、証拠を独占したと思われるのも不味い。これは厳杖さんの手柄であり、この騒動の原因なのだから……

 

「何だ、黙って隠すかと思えば……正直に言うのだな。書斎を最初に独占して調べた割には、ねぇ?」

 

 ネチネチって蛇特有だっけ?カメラを操作すると、どうやら再生可能だな。

 再生ボタンを押して搭載の小型液晶画面を見る。

 

「ほら、再生可能だ。やはり厳杖さんは暖炉擬きを調べてたんだな」

 

 液晶画面を蛇憑き少女に向ける。

 

「貴方、人の話を聞いてるのか?まぁ良いけど……もう少し低くしないと見辛いわ」

 

 確かに180㎝の僕と150㎝位の彼女とでは目線が違うな。屈む様にしてハンディカメラを低くし、見易い高さにする。

 

「ふむ、それで良いぞ。貴方は本当に変わってるな。高校生だが一応私は伊集院の当主なのだぞ。亀憑きは様付けで敬うのに、全く……」

 

 文句を言われたぞ!思わず彼女を見れば意外な程に近い位置に顔が有り、爬虫類独特の瞳孔が見えた。

 

 金色の瞳に水平に横長な瞳孔……胡蝶は蛇と言ったが、彼女の瞳は瞳孔が横長だ。

 

 これはヘビの仲間では大変に珍しく、調べた限りではムチヘビ種でオオアオムチヘビが該当する。

 この東アジア最大種のヘビは体型はムチヘビあるいは英名の「Vine Snake(つる(蔓)あるいはつた(蔦)ヘビ)」からもわかるように非常に細長く、頭部は三角形に尖っている。

 また爬虫類では珍しく眼球が前方に向いており、瞳孔も横長だ。 

 これは獲物との距離感をとりやすくなるような工夫であり哺乳類などの肉食動物の特徴なのだが、伊集院の当主だけに捕食系なのだろう。

 当然だが毒を持つヘビだから、彼女も毒持ちと思って間違いは無い。彼氏か旦那になる奴は大変だぞ、なんたってディープなキスは命懸けだ。

 甘噛みだって場合によっては毒を注入される心配が有る。

 勿論、ヤマカガシを代表とする後牙類であり上顎の後方に牙が直立していて獲物を飲み込む時に毒を注入する。

 コブラみたいな前牙類や管牙類よりはマシだが致死性の毒には変わらない。

 

 因みに本物のオオアオムチヘビは最大でも体長2m程度。肉食でカエルや小鳥を主に食べ、樹上での生活を好む。

 この仲間のビルマムチヘビは魚食性を持つ大変珍しいヘビなんだが、これは余計なトリビアか?

 樹上から長い体を生かしてユラユラと揺れる姿は、マニアから「変態ヘビ」の名前で大変に珍重されている。

 性格は気難しく神経質であり、また寄生虫感染や皮膚病になりやすい手の掛かるヘビさんだ。

 元種の性格や性質が憑依先に反映するかは疑問だが、彼女は何となくだが当て嵌まる様なきがする……

 

「なに?私の顔を見詰めても何も出ないわよ」

 

 素で嫌な顔をされた。

 

「いや、金色の瞳に横長の瞳孔も綺麗だなって。君はオオアオムチヘビを宿してるのかい?」

 

 アレ?目を見開いて睨まれたぞ。独特な瞳孔がスウッと細くなったのは、餌を見付けた捕食者の目だ。

 

「なっ?貴様!何故私の宿す力が分かるんだ!一族の者にだって詳細は教えてないんだぞ!それを……」

 

 ヤバい、地雷を踏んだか?全く僕って奴は、さっき無闇に胡蝶の索敵情報を話さないって決めたのに……

 うっかり属性なんてモンじゃないぞ。熊と犬が彼女を中心に広がった。これは返答次第じゃ襲われるのか?

 

『そうだ!喰らうぞ!』

 

『違います。人間は言葉でコミュニケーションを取れるんです。喰らうのは襲われるとか最後の手段です』

 

 胡蝶の突っ込みにに脳内で返事をし、蛇少女への回答を考えるという離れ技を何とかこなす。

 一応ヘビについて調べていたので、その内容を思い出す。

 

「いや、蛇が憑いてるのは何となく分かるんだ。だが君の、その金色の瞳は瞳孔が横長だ。これは蛇の仲間では珍しいんだよ。

ムチヘビの仲間が有名なんだ。だからカマを掛けたと言うか、試しに聞いてみたんだ。因みにそっちの大男は熊だろ?

僕も躾の行き届いたクマさんって言われてるから、何となく分かる。そっちの痩せてる彼は……分からないや」

 

 嘘をつく時は、嘘と真実をミックスするとバレ難いそうだ。蛇少女も考え込んで……

 

「キシャー!」

 

 再生していたハンディカメラから、けたたましい音が響く。

 

「なっ?アレ……真っ暗だ……」

 

 慌てて巻き戻し再生をする。

 

「…………追求は後でゆっくりするわ。確かに私はヘビで渋谷はヒグマ、国分寺はイヌよ」

 

 画面を見詰めながらボソッと大事な秘密を教えてくれた。名字が妙に偽名っぽいんだけどね。

 渋谷も国分寺も駅名だ。これで国立とか居たら……

 

※いや、これは昔の魔法少女アニメを知らないとネタ元が分からないかな?

 

 だが今は画面を見る時だ。写された画面は、段々と穴の中に降りている様子が分かる。

 剥き出しの岩肌が間近で映っている。どうやら自然に出来た縦穴っぽいな。

 暫くして底に着いたと言うか、ハンディカメラが地面に接触して仮面が揺れた。

 そして明かりに照らされた世界は……

 

「地底湖、いや洞窟に水が溜まるのは結構有る。それに全景が分からない狭い範囲だから水溜まりかも知れない」

 

 厳杖さんが下に到着したのが分かったのか、紐を操作してカメラを回し始めた。周囲の様子を撮る為かな。

 ちょうどカメラが一周した時、最初の水溜まりから餓鬼が飛び出してカメラに噛み付いた。

 画面が乱れてからライトが消えたのか真っ暗になる。だが音声は拾えるので、バシャバシャとした水音と餓鬼の唸り声は聞こえる。

 複数聞こえるが、少なくても四体以上は居そうだ。

 

「一瞬だが、餓鬼が水面から飛び上がったよね?深いのかな……だが水棲の餓鬼なんて聞いた事がない。奴等は何なんだ?」

 

「河童の類じゃない?問題の山林には僅かだが湧き水を湛えた池が有る。水に関係するなら怪しくないか?」

 

 画面を巻き戻しカメラに飛び交ってくる餓鬼をコマ送りで確認する。

 

「ほら、飛び掛かって来る餓鬼の手を見てくれ。掴み掛かる様に広げているが、指の間に水掻きが無いぞ。果たして本当に水棲生物か?」

 

 泳ぐ事を前提にするなら水掻きが無いと変じゃないかな?だが一時停止画面に映る手には汚い爪は有れども水掻きは見えない。

 

「うーん、確かに水に適合しない生き物を水棲生物と呼んで良いのかな?」

 

 ウンウンと二人で考える。だが謎は解けない、当たり前だけど。興味津々な彼女にカメラを渡す。

 

「何で渡すの?」

 

「いや、興味津々みたいだし。これから暖炉擬きに結界張るから、僕は本来その為に来たから」

 

 僕に興味を無くしたのか、一人で操作して画面を見始めた。暫くは放っておいても平気そうかな?暖炉擬きに近付き、周辺を調べる。

 

「合った!ボルトナットが……全部で八本か。これが全部かな?」

 

 格子には左右に上下二カ所ずつアングルが付いていて、各々に二カ所ずつ穴が有る。

 そして暖炉擬き周辺には凹型の穴が、ボルトのメス穴が開いている。格子をセットしてボルトを仮止めしてから、工具が無い事に気が付く。

 

「あれ?スパナかラジェット無いかな?ボルトを締め付ける工具なんだけど、その辺に無いかな?」

 

 此方を伺っていた熊と犬に聞くが、熊は首を振るだけで探す気配が無い。犬は床に這いつくばって何かクンクンしてるが、工具を探してくれてはいない。

 犬君、この部屋は汚いから這いつくばるなよ。餓鬼の体液とかビシャビシャだぞ。

 厳杖さんがボルトを外したなら、周辺に工具が落ちてる筈なんだけど……キョロキョロと周りを見るが、それらしき物は無いな。

 

「仕方が無い。警備室で工具を借りて来ますね」

 

 伊集院一行に声を掛けてから書斎をあとにした。

 

 

第170話

 

 伊集院の当主の憑いているヘビの種類をピンポイントで当ててしまったのは不味かったのか……凄く警戒された。

 だけどヘビって分かってて瞳孔が横長なら、種類は限られるだろ?特定するのは難しくないのだけど。

 だが、あの警戒感から言って彼女の隠し玉はムチヘビ特有のモノかも知れない。

 知らない能力と対峙するのは、計り知れないほど先方が有利だからな。

 厳杖さんのハンディカメラを餌に何とか書斎を抜け出し、警備室に工具を取りに行く。

 

 出来る事なら戻った時に居ない様に……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 無人の廊下を警備室まで歩く。リノリウムの床がコンバットブーツで踏み締める為かカツカツと音を出す。

 しんと静まり返った廊下を歩くと胡蝶さんの狂った様な笑い声が頭に響く。ヤバい壊れたか?

 思わず歩みを止めてしまう。

 

『馬鹿者が!我が壊れる訳かなかろう。喜ばしい事に加茂宮の七郎が、この先に居る。ふらふらしながら移動してるから、直ぐに見えるぞ』

 

『なっ?この騒ぎで出て来たのか?他の二人は近くに居るのか?』

 

 周辺を確認しながら胡蝶に聞く。ふらふらとは何かを探しているのか?うっかり人気の無い廊下で三人と鉢合わせは嫌だから……

 

『いや…………残りの贄は部屋に居るな。伊集院の三人も書斎から動いてない。正明、チャンスだ。ヤルぞ!』

 

 胡蝶の本気モードさが伝わってくる。因縁有る相手と有利な状況で対峙出来るんだ。テンションも上がるわな。

 

『分かった。このまま進めば良いんだな。だが突き当たりを曲がれば警備室だ。

監視カメラの範囲だから、他にバレる。此処で待って奴が近付くのを待とう』

 

 七郎は僕を嫌っている。ならば人気の無い廊下で僕を見付けたら……その対応によって、どうするか決めよう。

 襲ってくるなら返り討ちにするまでだ。

 

『来るぞ……三……二……一……見えたぞ』

 

 曲がり角から此方に歩いて来る奴を見付けた。奴も僕を見付けたな、ニヤニヤしながら近付いてくる……その距離15m。

 

「よう、一人かよ?」

 

「ああ、この先の警備室に用事が有ってね」

 

 その場に立ち止まり相手が近付いてくるのを待つ……その距離10m。

 

「そりゃ好都合だ。その前に俺の用事を済ませられる」

 

「いや、急いでるから後にしないか?」

 

 妙に右足を引きずりながら歩いてくるが、妙な感じだ……その距離5m。

 

「なに、直ぐだぜ。俺と梢の為に死んでくれ、よぅ!」

 

 引きずっていた右足を振りかぶっているが、奴は右足に力を宿しているのか?

 

「いただきます!」

 

 七郎が多分だが宿した力を振るう前に全裸の胡蝶さんが飛びかかった。てか、今僕の腹から飛び出したよね?

 左手に宿ってなかったですか、胡蝶さん?

 

「なっ?裸の子供だと?嬉しいが……ちょ、おい、なんだ……うわっ?」

 

 僕の腹から飛び出した胡蝶さんが、容赦なく七郎を取り込んで行く。抱き付いてから液状化し包み込んでしまった。

 スライムの捕食スタイルだが、普段は頭から丸かじりなのに珍しいな。

 

「なぁ胡蝶?何故何時もの丸かじりじゃないんだ?」

 

 スライムスタイルから器用に上半身を人型に形成したな。

 

「こやつに取り憑く力は強い。じっくりと溶かしながら吸収せねばならぬのだ。

我とて腹を壊しかねぬ相手なのだぞ。だが美味だ、途轍もなくな……」

 

 恍惚とした表情を浮かべる胡蝶さんの腹の中で、溶解されている七郎。

 正直グロテスクな光景が目の前で展開されているが、周囲を警戒する事で視線を逸らす……成仏してくれよな。

 殺そうとした相手に返り討ちにあったんだから、自業自得だぞ。

 しかし加茂宮の崇めるナニかは、九人で胡蝶と同等かそれ以上。

 だが単独で挑んだ七郎が彼女に勝てる筈が無い。

 何となくだが、加茂宮の連中は体の一部分に力を宿してるのかな?

 目の前で18禁の光景が展開されているが、其方は見ずに周りを警戒する。もう殆ど骨格標本状態だな……

 このまま直進すれば監視カメラに七郎が角から曲がった後に僕が出て来る事になる。

 

 それは疑われる。

 

 迂回して反対側から行くか?いや駐車場に停めてある車の工具箱を取りに行った方が良いか。

 駐車場なら出口にしか監視カメラは無いから、書斎から移動したと言っても疑われない。

 時間的には掛かるが、証言出来るのは伊集院の連中だけ。だけど彼等だって移動時間を正確に計ってはいない。

 幸いだがスペアキーは持っているからな。

 

「胡蝶、予定を変更して駐車場に行くよ。このまま進めば監視カメラに写るから厄介だ」

 

 既に七郎は綺麗サッパリ完食されていた、何て言うか……かませ犬感バリバリの奴だったな。

 胡蝶は液状化から幼女姿に戻り、病的な迄に白いお腹をさすりながら満足気な表情だ。少しだが瞳の金色が鮮やかになった気がする。

 

「うむ、満足だ。最初は亀宮の元に行くなど何事かと思ったが、良い贄と多く出会えるなら我慢しようぞ。

ん?正明、急いで移動するぞ!残りの二人が部屋から出て真っ直ぐ此方に向かってくる」

 

 何だって?

 

「もしかしたら奴等は霊的な繋がりが有るやもしれぬ。突然反応が消えたので慌てたのだろう。急いで離れるぞ」

 

 言われるままに廊下から駐車場へと走り出す。一応周りを確認しながらだが、何とか目撃者も無く扉の前に着いた。

 深呼吸をして息を整えてから扉を開けて外へ出る。車のキーをクルクルと手で回して弄び、平常心を演出する。

 駐車場に避難している連中が駆け寄って来るが、餓鬼は始末し終わり後は暖炉を塞ぐだけだと言って安心させる。

 亀宮さん達は集団の影に居る為か、僕には気付いていない。リモコンで車の鍵を解除し、トランクルームから工具箱を引っ張り出す。

 中を開ければ直ぐにスパナを見付けた。

 

「ヨシ、これで格子を固定出来るぞ」

 

 息も大分整ったのでスパナを片手に山荘へと歩いていく。

 

『胡蝶、奴等どの辺に居るのかな?』

 

『そうだな…………伊集院の連中は未だ書斎だな。加茂宮の残りは、警備室に向かってるぞ』

 

 警備室か……監視カメラを調べるのかな?だが僕は監視カメラには駐車場の出入り口にしか写ってない。

 書斎には伊集院の一行も居るしアリバイは十分だ。

 あんな一方的な蹂躙とは思わないだろうし、無傷な僕が仮にも御三家当主の一人を短期間で倒せたとも考えないだろう。

 山荘に入り普通に歩いて書斎に戻る。未だ居るのは分かっていたが、敢えて驚く。

 

「アレ?未だ居たんですか?」

 

「ああ、貴方の仕事振りを見たくてね」

 

 何だろう、犬君の具合が悪そうなんだけど……

 

「国分寺君だっけ?具合が悪そうだけど平気か?何かふらふらしてるぞ」

 

 あんな体液だらけの絨毯に這いつくばってたんだ。

 

「……平気だ、問題無い」

 

 意外に渋い声だが、もしかしたら年上かな?

 

「あのな……餓鬼の体液まみれで何を言ってるんだ?あの餓鬼だが回復力が異常だったぞ。

そんな連中の体液なんて毒以外に有り得んし。僕の知る餓鬼は肉体を腐らせる奴も居た。素直に着替えて体を洗えよ」

 

 不衛生な事は間違い無いんだ。早く洗い落とせって。

 

「国分寺の事は問題無いわ。毒については私には分かるから。確かに体液は不浄だけど人体に害する毒素はない。

国分寺もあらゆる毒の臭いが分かる、教えたから。彼が臭いを嗅いだのは、覚えて追跡するから。

山林の中でも彼は風に乗っている臭いが分かる。だから、この洞窟らしき住処も分かる」

 

 具合の悪いのは臭いにあてられたのかな?なる程と納得してから格子を暖炉擬きに嵌め込み、ボルトナットで固定していく。

 奴等は格子を壊す程の力は無かったんだな。八本全てを固定し念の為に四方に御札を貼る。

 水を使うかも知れないからジプロックに入れてガムテープで貼り付けた。

 

「御札をジプロックに入れてガムテープ留めだと?有り難みが無いと思う」

 

 隣で屈み込んで見ているヘビ少女だが、配下の犬君を心配しろって。やっぱり具合が悪そうだぞ。

 

「耐水性ならジプロックが一番だよ。ガムテープは現場では万能だ。

何でも貼り付けられるし、纏めて捩れば紐にもなる。拘束だって強固に出来るんだよ」

 

 この手の強力な力を持つ連中は、基本的に能力頼りだからね。物を使う事は少ない。逆に非力な僕は道具を活用しないと駄目なんだ。

 

「まぁそうだね。能力に頼りがちな私達には耳が痛いな。

なにせ変化すると手が使えない場合も多い。霊長類位だぞ、変化後に道具を使えるのは」

 

「結衣ちゃんは狐憑きだけど完全変化は無理だぞ。耳と尻尾、手足がモフモフになって鋭い爪や牙が現れる。

あと身体強化ね。君達は違うみたいだね」

 

 リアル狐っ娘は大変愛らしいが、完全ヘビとかクマとかはどうなんだ?この際だから獣憑きについて情報を聞き出したい。

 

「ふーん、そうなんだ?血が薄いのね、細波一族の中でも……あの子の母親は失踪中なんでしょ?

私達の仲間に細波の本家筋の連中が居るのよ。彼女を引き取りたいって言ったらどうするの?或いは母親を見付けたら?」

 

 このヘビ少女……正確に僕の弱点を突いてくるな。

 流石は御三家の一角、女子高生とは言え伊集院一族の頂点か。だが交渉事はイマイチ甘いよ。

 それは実際に母親を抑えてからとか、その血縁者を用意しなきゃ駄目だ。

 居ますよ位じゃブラフにしかならないし、実際に会う前に対処も処分出来るんだよ。

 

「伊集院阿弧(いじゅういんあこ)様。それは脅しと受け止めて宜しいか?

例え失踪中の母親を見付ても育児放棄や素行の悪さにより親権取得は難しい。

ならば騒がれる前に養女にしてしまえば良いだけだし、裁判所に駆け込んでも構わない。親戚?だから?

彼女が困ってる時に手を差し伸べない連中に何が出来るのかな?法的にはどう責められても此方に穴は無いのです」

 

 敵意も殺意も込めずに淡々と説明する。

 実際に母親は胡蝶の腹の中だし、結衣ちゃんの祖母の遺品から調べた親族には怪しい点は無かった。

 同種の狐憑きを宛てがっても遺伝子調査をすればよい。さて何親等の連中が現れるか楽しみだな。

 

「つまらないわね。少しは動揺しなさいよ。全て想定済みみたいな回答なんて……って国分寺?どうしたの、何で倒れるの?」

 

 脅しについては大して本気じゃなかったのか。だが犬君が倒れて苦しみだしたぞ。腕や膝を掻き毟ってるが、どうした?

 

「国分寺、しっかりして!国分寺、どうしたの?」

 

「阿狐様、手足が……手足が猛烈に痛痒いのです」

 

 手足?クマ君が彼の袖を捲ると、犬君の皮膚は爛れて……いや、黒ずみと言うか象皮病みたいに変質してるぞ。

 

「馬鹿な!毒素は無かったし、コレは毒じゃないわ」

 

 ヘビ少女の動揺が凄い。彼女達も仲間を大切に思ってるんだな。しかし、毒じゃないとすると呪詛か?試しに残りの御札を犬君の腕に押し付けてみる。

 

「あっ?」

 

 皮膚の黒ずみが薄くなってきた。残り三枚の御札も犬君の手足に貼ってみる。やはり効果は覿面だ、覿面だが……

 

「呪詛だね。だけど何を介在して呪いを掛けてるんだ?」

 

「ありがとう、でも……この後はどうしたら?あっ御札が……」

 

 御札が呪詛に耐えられないのか、少しずつ黒ずんできたな。僕程度が作った御札じゃ、この辺が限界か?

 

『胡蝶さん、この呪詛って何だろう?』

 

『正明、犬の腕に触ってみてくれ。我もこの呪詛は初めてだが、正明にも僅かながら干渉し始めている。奴で調べてみようぞ』

 

 僕も干渉し始めているの?慌てて犬君に左手で触る。ピリピリとした感触が掌に伝わる。

 

『厄介だな、これは……水だ、水を介して肉体変化をおこしている。だが、この力は……正明、直ぐにこの部屋から出るぞ!此処は危険だ』

 

 部屋が危険?ベシャベシャな水が原因か?

 

「おい、直ぐにこの部屋からでるぞ。水だ、水を介して呪詛が送り込まれてる!」

 

 犬君を担いで書斎から飛び出す。慌てて後を付いて来るヘビ少女とクマ君。全員が出たのを確認して扉を閉める。

 

「奴等は矢張り水に関係した連中なんだ。この呪詛は僕程度の御札では持ち堪えられない。早く濡れた服を脱がして洗浄するぞ!」

 

 胡蝶の話だと僕にも影響し始めているらしい。急がねば……

 

 

 

第171話

 

 トンでもなく厄介な事を引き起こした厳杖さんを恨みたいぞ。彼が招いた餓鬼が浸かっていた水は、呪詛を呼び込むんだ。

 水じゃ臭いもないし毒素も無いだろう。毒蛇少女の阿狐ちゃんでも分からないなんて注意が必要だ!

 いや注意しても難しい、水なんて何処にでも有るし疑心暗鬼になって何も飲めないとか困る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 取り敢えず書斎から飛び出して扉を閉める。この部屋は閉鎖だ。出来れば山荘を焼き尽くしたい位だよ。

 犬君の症状は良くないので、濡れた服だけ脱がして廊下に寝かせる。オッサンが下着姿で廊下に寝転ぶのも、何か変態チックで嫌だが仕方ない。

 胡蝶頼みで左手で患部を触るが象の皮膚みたいに固く、そして黒ずんできた。まるで節くれだった樹木の表面を触ってるみたいだな。堅くてイボイボだ。

 

『胡蝶、どうなんだ?』

 

『うむ、この呪詛は肉体を変化させている。相当に強い呪詛だから返すのは我でも無理だ。

我と同化している正明なら不可能では無いが、この犬は体の一部分を犠牲にせねば助からぬ』

 

 胡蝶でも完治が無理ってどんな呪いだよ!

 

『体の一部分を犠牲にとは?』

 

『腕か足の片方に呪詛を集めて切り離す。さすれば残りは無事だろうな。この浸蝕速度では余り時間が無いぞ』

 

 腕か足か……獣化が能力の連中だから体の欠損は死活問題だろうが、命には代えられないよな。

 

「国分寺、良く聞けよ。僕じゃ完治は無理だ。この呪詛は肉体を蝕み続ける。

助かる方法は腕か足の片方に呪詛を集めて切り離すしかない。他に方法が有るなら暫くは持たせられるが、そんなに持たない。

驚異的な速度で浸蝕する呪詛を抑える術がないんだ。伊集院さん、君達の伝手(つて)で心霊治療の出来る奴は居ないのか?」

 

 多少のアレンジを加えて話す。実際に胡蝶頼みだが、他に治療の伝手が有るなら任せた方が良い。

 

「そんな……何とかならないの?お願い、叔父様を助けて……」

 

 叔父様だと?犬と蛇が血縁関係なの?不意打ちな懇願に意表を突かれるが、もう保ちそうにないかも的な表情をする。

 

「もう、抑えが……」

 

「左だ、左腕を犠牲にしてくれ。頼む……」

 

 胡蝶さん左腕だって。そう念じると、何故が僕の腕が勝手に動き(胡蝶は僕の体の主導権を奪えると後で聞いた)左腕を掴む様にする。

 見る見るうちに左腕が異形の形となる。これは餓鬼の奴等と同じ感じだが……完全に変化した腕がボロリと付け根から外れた。

 断面は肉が盛り上がり傷自体は無い、見た目にはだが……

 

「凄い、あの呪詛を何とか出来るなんて……」

 

「腕が取れても痛くないとは驚いたな」

 

 切り離された腕は暫く動いていたが、段々と動きが弱くなり最後は黒い塵となり消えていった。消え方は普通の餓鬼と同じだな。

 

「榎本さん、有難う御座いました。御礼は必ずします」

 

 ヘビ少女に深々と頭を下げられた。しかも口調が丁寧になってるし!これにはビックリだ!

 彼女にとって犬君は、いや国分寺さんは大切な人だったんだな。頭を下げたままの彼女の誠意が伝わる。

 因みにクマ君も頭を下げている。此方もビックリだ!

 

「いや構わない。此方こそ腕一本犠牲にしてしまったしね」

 

 体が資本の因果な商売だから、腕一本は大変なリスクだ。

 

「それと、もう一つお願いが有ります。厚かましいお願いですが、今回の件は他の方々には秘密にして欲しいのです」

 

「それは……嗚呼、そうだよね」

 

 仮にも御三家の一角で有る伊集院の当主の血縁者が、他の御三家の配下に助けられたじゃ問題だ。

 貸し借りやプライド、御三家の中でも新参者の伊集院一族では特にね。もし御隠居が知ったら、色々と仕掛けられるだろう……

 他勢力に付け込まれる原因を作った国分寺さんも、伊集院一族の中での立場が悪くなるだろうし。

 伊集院一族は跳ねっ返りの多い連中と聞くからな。粛清とかやられちゃ堪らないよね。だが僕は亀宮さんの派閥の一員だ。

 メリットとデメリットを天秤に掛ける。そんな様子を否定と感じたのか、ヘビ少女が泣きそうになって……

 

 いや目元に涙が浮かんでるし!

 

 駄目だ、ロリコンとして好みの範疇の少女を泣かせる事は出来ない。例えヘビ少女だとしても、敵対する御三家の当主だとしても……

 頭を振って気持ちを切り替える。

 

「国分寺さんの治療の件は秘密にします。代わりに僕が治癒能力を持っているのも秘密にして下さい。

切り札ですし治癒能力なんて物が使えるのが知れ渡っても困りますしね。僕は基本的には自分しか治せないんです。

他人の治療にはリスクが高いから、ホイホイと頼まれるのも困るんだ。後は水の呪いの件は皆さんに話しますよ。

危険なのですから、黙っている訳にはいかない。呪詛を確認して書斎を封印した事にしましょう。

事件解決後には、この山荘は焼却しないと駄目かも知れませんね」

 

 僕の話を聞いて、パアッと明るくなるヘビ少女。年相応な笑顔は確かに可愛いが、瞳孔が横に全開なのが少し怖い。これが捕食者の笑み?

 

「それで良いです。本当に有難う御座います、国分寺は一旦戻します。

呪詛と分かれば専門家とメンバーを入れ替えると言えば疑われないですし。

幾らフードを被っていても手が無いのは何れバレますから。それで、御礼は何を望みますか?

命を救われたのです。金銭でも呪術具でも何でも良いですよ。

言って下さい。勿論、我々の方に来て頂けるなら好待遇を約束します」

 

 金銭や物品のやり取りが発生した時点で、僕は亀宮さんを裏切る事になる。それは困る、困り過ぎるんです。

 

「御礼を貰った時点で僕は亀宮さんを裏切る事になるんだ。だから要らない。この事は最初から無かったんだ。

僕は国分寺さんの事を内緒に、君達は僕の治癒能力を内緒に。それだけだよ。

じゃ皆さんの所に行って説明するから、一緒に来てよ。僕だけより伊集院の当主も同席してくれれば、他の連中も納得するよね」

 

 反発する亀宮と伊集院が揃って言うんだ。何よりも説得力が有る。

 

「それでは榎本さんに何のメリットも無いじゃないですか!私の気持ちが……」

 

「僕は損得でやった訳じゃない。君達が亀宮さんと敵対しないだけで十分だよ。さぁ避難している連中の所へ行こう」

 

 本当の事は言えない。胡蝶が呪詛を祓う為の実験台にしたなんて。だから気にしなくても良いのだが、それを言えば関係は悪化するだけだ。

 暫く立ち止まり考え込んでいたが、何か吹っ切れた様な表情になったな。

 

「分かりました。では今回は借りておきます。何か仕事でお困りの場合は言って下さい。

私自らお手伝いに伺います。単純な戦力としてなら私も中々なんですよ。専門は毒ですけどね。はい、これ名刺です」

 

 可愛い財布から名刺を取り出して渡された。

 伊集院阿狐と名前が有り、事務所の住所に外線とFAX番号、それと携帯電話の番号にメールアドレスまで書いてある。

 普通の名刺だ……

 

「ああ、正式な挨拶が遅れまして……はい、僕の名刺です」

 

 社会人としてのマナーで名刺を交換する。名刺を受け取りニパッと笑う彼女の笑顔は大変綺麗ですが、犬歯が牙になってます。

 しかも穴が、穴が前面にも開いてるんですよ。アレは毒を注入するだけでなく、吹き出したり飛ばしたり出来そうだな。

 そう言えばヤマカガシって、食べたヒキガエルの毒を体内に溜めて外敵の目に向けて飛ばせたっけ。

 

 出血毒?神経毒?どちらが使えるんだ?

 

「いえ、御三家の当主を使うなんて無理です。それと言葉使いを戻して下さい。我々の間に何かあったと邪推されますよ」

 

 一寸前迄はからかう様な言葉使いだったのに、いきなり敬語になられたら大変だ。

 特に亀宮さんが拗ねて理由をしつこく聞くだろうし……先ずは避難させてる連中を安心させないと駄目だよな。

 そう言えば警備の連中に手伝いを頼んだのに、誰も来ないって職務怠慢じゃないのか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 前を歩く亀宮の当主が探し出した在野の霊能力者を見る。凄い筋肉だが渋谷達の獣化した時の方が力は強いだろう。

 所詮は人間の限界は超えられない。一応調べはしたが、良く分からないのが正直な感想だった。

 安全・確実・安価な仕事振りは、過去の経歴が嘘の様な堅実派だ。経験を積み大人になって丸くなったと思ったが、やはりそうだったんだ。

 叔父様を救ってくれるとは正直思わなかった。所属する亀宮の印象を悪くしてまで助ける意味は無いのだから。

 

「御礼を貰った時点で僕は亀宮さんを裏切る事になるんだ、か……」

 

 何故、亀宮の当主に其処まで入れ込めるのだろう?他に恋人が居るのに。

 何故、あれだけの事が出来るのに人の下で良いのだろう?もっと重用されて然るべきだろう。

 

 ウチに来てくれれば……

 

「何だい?何か言ったかい?」

 

「いや、何でもない」

 

 御三家当主に対しても気さくだし、私が怖くはないのかな?私はヘビ、人間から見れば不快生物のヘビ。

 ヘビ少女とかヘビ女とか大抵はホラー漫画や映画で気持ち悪く扱われる悪役なのに。彼は私に憑いているヘビを正確に当てた。

 ヘビに詳しいなんて、ヘビが好きなのかな?

 確かに稀に爬虫類好きな人は居るから、可能性は有るのだろう。私の事を普通の娘として見てくれるかな?

 

「おい、お前!七郎に何をした?ああ?何をしたんだよ?」

 

 考え込んでいたら、いきなり怒鳴られた。見れば加茂宮の五郎だったか?榎本さんに掴み掛かろうなんて、礼儀知らずめ!

 

「はぁ?七郎ですか?知りませんよ、彼の事なんて!何を言い掛かりを……」

 

「嘘を言うな!お前以外に誰が居るんだ?」

 

 加茂宮も代替わりして質が落ちたな。会話も通じない馬鹿が当主の一人など笑えない。私の恩人に無礼を働くのも許せない。

 だが、余り榎本さんに対して親切に振舞う事が出来ない。

 

「加茂宮の五郎だっけ?ソイツは私達とさっきまで書斎に居たぞ。餓鬼の現れた暖炉の塞ぎと結界張りをしていた。

私達はソイツの仕事振りを見ていただけだがね。だから加茂宮の七郎に何も出来ないと思うぞ」

 

 恩人をソイツ呼ばわりするのは辛い。だが今は仕方無いし後で詫びれば良い。私が話し掛けた為に五郎の動きが止まる。

 榎本さんは掴まれていた襟から、奴の手をやんわりと外した。私なら振り払うな、榎本さんは気を使い過ぎだろうに。

 

「全く言い掛かりですよ。何時です、七郎さんに何かしたって?

僕は30分位は伊集院さん御一行と書斎にいましたよ。途中で工具を取りに駐車場へ行きましたが五分位ですし……」

 

「本当だぞ。別に亀宮の者の肩を持つ訳じゃないが、工具を取って戻った時も特別に変わりはなかったが……七郎がどうかしたのか?」

 

 あの馬鹿でも加茂宮の七番目だし、一戦交えたにしては榎本さんは普通だった。息も乱れてないし当然だが怪我も無い。

 

「だが……いや、しかし……」

 

「居なくなったんですか?街に遊びに行ったとかじゃなくて、僕が何かしたって疑う理由は?確かに初見から敵意剥き出しでしたが、だから僕が何かしたと?」

 

 榎本さん、大した度胸だわ。加茂宮の当主相手に、あれだけ強気に出れるなんて!つまり無実だから自信が有るのね。

 

「加茂宮も墜ちたな。弟が居なくなったから大騒ぎとはな。無様だよ、五郎」

 

 榎本さんから意識を移す為にも悪口を言う。私と渋谷だけだが、幾ら加茂宮でもニ対一なら負けはしない。

 

「何だと?新参者の獣風情が、歴史有る我等を愚弄するのか!」

 

「嗚呼、そうだよ。ニ対一で勝てると思うのかい?」

 

 榎本さんを巻き込んでは駄目だが、奴は今此処で倒す!どの道、加茂宮とは敵対するのだから。倒せる時に倒しておこう。

 

 それが伊集院の当主たる私の仕事だから……

 



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第172話から第174話

第172話

 

 御三家の二大勢力、加茂宮と伊集院の現当主って仲悪いんだ。一触即発、互いにやる気満々なんだけど……睨み合う三人。

 

「あの……落ち着きましょうよ。此処で争っても問題の解決にはなりませんよ?」

 

 すっかり僕からヘビ少女に五郎の意識が移った。当事者の筈の僕が蚊帳の外な状況だ。

 コレを彼女が意図的に行ってくれたなら、僕は伊集院側に加勢しなければならない。

 

 善意には善意で、悪意には悪意を。

 

 それに加茂宮の連中は七郎が僕に何かするのを承知だった訳だ。

 

「これは私達の問題、口を挟まないで」

 

 やはり僕の問題をすり替えてくれたのか。このヘビ少女、義理堅いな。

 だが未成年少女の善意に甘えるだけでは成人男子としてはね……

 

「いえ、加茂宮七郎は僕に害なすつもりで出て行き消息を断った。だから原因が僕だと慌てたんですよね?

つまり加茂宮は最初から亀宮の一員たる僕に危害を加えるつもりだった。伊集院阿狐様、加勢しますよ。

濡れ衣でもあるし、そもそも僕は危害を加えられ様としたんだ。

のこのこ出て来て言い掛かりを付けて無事で済むと思うなよ、加茂宮五郎」

 

「加勢を許可するわ、伊集院阿狐の名において。じゃ五郎だっけ?覚悟は良いかしら?」

 

 亀宮さん、御免ね。一族を巻き込むかも知れないけど、加茂宮も承知で僕を襲ったんだから。このまま、五郎を喰う!

 

『くっくっく……追い込まれて腹を括ったか。または我と同化しつつある事による感情の変化か……

良い心掛けだが、残りの女が来るぞ。無理なら今回は断念でも良いぞ』

 

 せっかくのやる気が殺がれたぞ。イケイケ胡蝶さんにしては珍しく控え目だ。

 それにしても、普段の僕なら一旦引いて準備をしてから再戦するのに……

 胡蝶と混じるとは、こういう事なのか?性格が変化させられるのだろうか……

 額に脂汗を滲ませる五郎、何時の間にか渋谷が彼の後ろに回り退路を断っていた。

 しかも獣化を始めたのか、服がはち切れそうな程パンパンだ。上半身が三回り位膨らんでいるが、人間では無理な筋肉量だ。

 既に顔もモジャモジャだし骨格も変わり初めている。

 

 流石はヒグマと言う事か……

 

 阿狐ちゃんも犬歯が5㎝位の牙に変化させて威嚇しているし、何故かユラユラと体を動かしている。

 これはオオアオムチヘビの独特な動きだ。「変態ヘビ」の由来でも有るが、これは言えない。

 彼女は複数のヘビの特長を取り込んでいるのかな?阿狐ちゃんが体を揺らして攻撃のタイミングを計る。

 だが戦闘開始前に二子が間に合ったみたいだ。裸足で走ってくるのは、急ぐ為に履いていたハイヒールを脱いだからか?

 深夜なのにケバい化粧もバッチリなのが凄い。

 

「ちょ、一寸待ちなさい!五郎、何で伊集院と事を構えるのよ?」

 

 そのまま五郎の近くに行こうとするが、渋谷さんが彼女を遮る様に体を動かす。

 二子も五郎の退路を確保する様に牽制した動きをしながら、息を整えている。

 七郎は右足が強化されていたが、彼等は何処だろう?

 

「姉さん、すまない。だけど……」

 

 苦しい表情の五郎。確か七郎を片手で引き摺った程の力持ちなんだが……

 

「二子さんでしたか?我等伊集院一族を獣風情と蔑まれては、もう止められないよ。貴女が加わっても三対二だから私達の有利は覆せないわ」

 

 阿狐ちゃん、僕の為に加茂宮と伊集院の争いにする気なんだな。渋谷さんの上半身の服が弾け飛んで、殆ど熊になった。

 凄い筋肉だ、人間では有り得ない肉の盛り上がり……

 

「貴方も呑気に見てないで止めなさいよ!」

 

 伊集院との対立をかわす為に、殺そうとした僕にまで頼るのか?何とも図々しい一族だな。

 ご隠居の貸し借り無しって、この辺の面倒臭いのを意味してたのか?

 

「いや、五郎は僕を襲った七郎を返り討ちにしたのかって言い掛かりを付けてきたんですよ。無実だが、何故僕が襲われるのが前提だったんですかね?

何故、貴女に加勢しなければ駄目なんですか?此処で禍根を断った方が余程建設的です」

 

 今更和解も無いだろう。胡蝶も敵対する気だったし、兎に角加茂宮は数を減らさないと勝てないんだ。

 

「あら、そう?亀宮一族を巻き込むの?それと貴方の大切な巫女さんにも危害が及ぶわよ。何たって関西は私達の縄張りなのだからね」

 

 小憎らしい表情を浮かべて見下す感じで言ってくる。確かに一大勢力のトップに君臨してるから、周りに対する態度なんて悪いものなのか?

 亀宮さんや阿狐ちゃんは違うのに。つまり関西巫女連合に、桜岡さんにチョッカイ掛けるって事か?この状況で言う内容じゃないぞ。

 

 馬鹿な女だな……

 

「貴女を取り逃がせば……の、話ですよね?

この場を無事に逃げ出して亀宮と伊集院の両方に勝てるなら、その脅しも有効ですよ。でも現状は貴女は僕の餌でしかない。

その脅しは無意味だ!僕は大切な人の為に貴女をこの場で葬らねばならないと確信したよ」

 

 しまった的な顔をしても、もう無理だ。しかも阿狐ちゃんも「何故、餌?」とか呟いたし。阿狐ちゃんには不審に思われたかな、餌扱いは?

 今は些細な事に意識を向けては駄目だ。ゆっくりと数珠を外し五郎に近付く……五郎も二子も戦闘は避けられないと思ったのか、各々が構えをとる。

 

 時刻は既に明け方に近いが、窓がないので人工の灯りの元で霊能者の戦いが始まった。

 

 五郎、奴は右腕を中心に右半身に力が集まっている。なる程、取り憑き場所は僕と同じ様なものか。

 

 二子は……目だ!目に霊力が集まっているが、視力強化なのか?それとも他に能力が?

 

『胡蝶、五郎を左手で掴めば平気か?あのニ子だが、目に力を感じるんだけど……』

 

 霊視と言う習い始めの術を駆使して、敵を観察する。

 

『やれやれ、勢いで二人も相手にするとはな。五郎よりも二子を相手にするぞ。あの目は人を操る呪いをかけられる。

奴は人心を操り害を為す事に長けていた。二番目は伊達じゃないみたいだな。五郎は単に肉体強化だ。

ならばクマに相手をさせれば相応だな。だが中途半端に右側だけとは、奴も力の分配を間違えたのか?』

 

 胡蝶と因縁の有るナニかは、人心を乱す事が得意だったのか。だが対策が分かれば簡単だ。

 

「阿狐様、二子は操作系の術者だ!目を見ると危険だ。五郎は右腕に力を感じるが、全体的に肉体を強化してるみたいだ!」

 

 一応、情報を伝える。阿狐ちゃんは笑ってるな。口が耳の近くまで裂けているし、瞳も金色に輝いている。当然、瞳孔も横に開いているので正直怖い。

 

「目か……それは大層な力をお持ちだな。だが私を相手にするには分が悪かったぞ」

 

 高校生とは思えない位、肝が据わってる。あのオバサンに負けない迫力だ。

 

「ぬかせ餓鬼が!ツルペタは時代がお呼びじゃないんだよ」

 

 阿狐ちゃんは確かに貧乳だ!だが、それが良いんだよ。

 

「「黙れ、年増!」」

 

 思わず阿狐ちゃんと魂の叫びがシンクロしたぞ?

 

「舐めるな、小娘!」

 

 悪口に反応したのか、僕じゃなく阿狐ちゃんに飛びかかる二子。操作系が肉弾戦を挑むのは間違ってないか?

 いや、ナイフを隠し持ってやがった。所謂アレだ、ヤクザが使う匕首(あいくち)だけど通称ドスだ。

 背中に回した腕から匕首を抜き取り、迷わず阿狐ちゃんの胴体に向けて突き刺す!

 

 だが……

 

「目が……目がぁ……貴様、私に……何をしたんだ……」

 

 阿狐ちゃんが匕首をかわし、すれ違いざまに牙から毒を吐き出したんだよ。毒吹きヘビは結構種類が居るんだよね。

 日本でもヤマカガシとか有名なんだよ。のた打ち回る二子に素早く巻き付き、首筋に牙を突き立てた。

 

 凄いな、人体の骨格では有り得ない動きだ。それに150㎝位の身長が倍近く伸びている。

 

「あ……ああっ……あ……」

 

 呻きながら声を漏らす二子の様子を見るに、阿狐ちゃんは神経毒を持ってるんだな。

 

「姉さん!貴様、許さんぞ」

 

 二子を助け様と駆け付ける五郎を言葉通りのベアハッグで後ろから抱き締める渋谷さん。メキョメキョと凄い音が聞こえます。

 そして背骨が砕ける軽い音が聞こえて、細かく痙攣していた五郎の動きが止まった。

 二子も白目を向いて舌を極限まで出して泡を吹いている。かろうじて生きているのは、胸が上下に動いてるから分かる。

 勿論瀕死の状態だが、神経毒は最終的に心肺能力が低下して呼吸困難で亡くなるんだっけ?

 

 圧倒的な破壊力!

 

 これが肉体を人間の限界から解き放てる能力。これが完全獣化能力者の力か。

 七郎を含め僅かな間で加茂宮九人の当主の内、三分の一が消えた。圧倒的過ぎる伊集院一族と胡蝶の力だ。

 野生動物の素早さと力強さを兼ね備えてる彼等に接近戦を挑んだら、どんなに頑張っても勝てないだろうな。

 胡蝶も僕から離れて単独の時は同じ様なモノだし……

 

「有難う御座いましたって?いや、すみません」

 

「だ、だだだ駄目です。今こっちを見ちゃ駄目!」

 

 後ろを向いて両手で目を覆う。彼女達に御礼を言おうとして振り向けば、阿狐ちゃんがブラの位置を直していた。

 体型がヘビに変われば、ブラはズレるしパンツは破れるよね?床に落ちていた可愛い白色の布の塊も確認してしまった。

 太股が胴体に変化すれば、パンツも広がって破れて……

 

 今の彼女はノーパンなんだ。

 

 彼等がフードを被る理由が分かった。踝(くるぶし)まで有るマントタイプなら最悪服が破れて全裸でも靴さえ履いていれば誤魔化せる。

 渋谷さんがヒグマのままなのは、服がビリビリに破れたからだ。殆どクマの渋谷さんと二人並んで後ろを向いて、彼女の着替えが終わるのを待つ。

 何とも間抜けな状況だ。しかもシュルシュルと阿狐ちゃんが衣服を直す音が聞こえます。

 

 音だけでも色々と妄想が掻き立てられるよね?

 

「えっと、渋谷さん破れた服を持って部屋の方に着替えに。阿狐ちゃんも、その……着替え必要だよね?

加茂宮の二人は僕が処理しておくから大丈夫。時間が掛かったし人が来るかも知れないから、早く行った方が良い」

 

 ノーパンとは言えないから、誤魔化して聞く。それと死にかけの二人は胡蝶に早く食べさせたい。

 

「榎本さん、もしかして見ましたか?着替えが必要って、見ちゃったんですか?私のその……その、アレを……」

 

「ガゥ!」

 

 見たって破れたパンツ?それとも、おへそ?ソッチを聞くの?しかも渋谷さん威嚇して僕に吠えなかった?

 

「いえ、何も見ていません。今も見えません。さぁ早く部屋へ行って着替えたら駐車場へ。皆さんに説明しなくちゃ」

 

 分かりましたと声を掛けられ、遠ざかる気配を確認してから目を覆っていた手を離す。実は可愛いおへそ辺りは見えたんだ。

 傷一つない真っ白な綺麗なお腹もね。

 

「さて、胡蝶さん。お願い、二人を食べてくれるかな?」

 

 左手首から液体状態の胡蝶さんが出て来る。ズルリと僕の体を伝い二子と五郎に覆い被さる。

 やはり加茂宮に取り憑いたナニかを吸収するのは、スライム状態でゆっくり溶かしながらなのか……

 加茂宮の当主の内の三人、二子・五郎・七郎は倒したが、残り六人も居る。

 次は油断も無いだろうし、この山荘の連中は疑われるだろうな。彼等は霊的に繋がっているみたいだし、本家の方は大騒ぎだろう。

 突然三人の反応が消えたのだから……明日にでも加茂宮の残りから何らかの接触は有ると思った方が良い。

 亀宮さんには内緒で、阿狐ちゃんと方針を相談しないと駄目かな?証言がチグハグだと疑われるだろうし。

 などと考え事をしていたら、すっかり二人を吸収した胡蝶が満足そうに腹をさすっている。

 見れば綺麗に戦いの痕跡も消してくれたし、本当にチートな存在だよね。

 

「正明、満足だ!それに我の力も底上げされたぞ。褒美の夜伽は楽しみにしてるがよい」

 

 胡蝶さん、何時に無くご機嫌だなぁ……

 

 

第173話

 

 加茂宮の二子・五郎・七郎を喰った胡蝶さんはご機嫌だ。彼女にとっては阿狐ちゃんの毒も問題無さそうだ。

 普通に消化していたし……胡蝶が喰った後も一応廊下を確認する。絨毯の上に残置物は無いか?

 服の切れ端や持ち主が特定出来そうな小物なども念入りに探す。指輪やピアスなんかも意外に人物を特定されやすい。

 

「よし、痕跡は何もないな。急いで駐車場に行こう。

さっき工具を取りに行った時は、最奥に皆さん集まってたからな。僕が一旦出たのも気付いてないだろう」

 

 五郎の漏らした排泄物や二子の垂らした涎の痕跡すら、綺麗に無くなっていた。

 安心して一人で無人の廊下を歩く。窓の有る場所に出て漸く明け方近くなのが分かった。

 山の稜線から朝日が差し込んでいて幻想的な雰囲気だ……

 

「日の出か……昨日は夕日にも感動したっけか。殺伐とした世界の一服の清涼感だよね」

 

「意外にロマンチストなんですね?失礼を承知で言いますが、似合いませんよ」

 

「俺も似たようなモノだが、流石に不釣り合いだな」

 

 いきなり声を掛けられたと思えば、双方ダメ出しだ!しかも何気に酷い内容じゃないか?

 

「初めてまともに渋谷さんの声を聞きましたが、酷くないですか?殺伐とした世界なんですから、自然が美しいと思う位良いじゃないですか?」

 

 振り向けば完全に最初の頃のフードを被った三人が立っていた。国分寺さんは左肩が少し変だが、言われなければ気付かない程度かな?

 

「気を悪くしたなら謝ります。さっきは気が動転して加茂宮の二人の処理を頼んでしまいましたが、短期間で処理出来たのですか?」

 

 ああ、パンツを履き替えに行く為に慌ててたからな。普通に考えれば死にかけの人間二人を簡単には処理出来ないもんな。

 普通は埋めるか沈めるかの、ドチラかだろうし。フードを目深に被っているから不信感は分からないが、口調は責めてはいない。

 でも立場上敬語はマズいのだが、今は我々だけだから良いのか?阿狐ちゃんて実は礼儀正しいお嬢様なのかもね。

 丁寧だったり大人しかったりすると、周りから舐められるから態度を変えているとか……桜岡さんもテレビ出演の時はキャラを変えていたからね。

 実際はフードファイターな生粋の優しいお嬢様だし。亀宮さんだって仕事の時はポヤポヤじゃないし……やはり荒事当たり前な世界だからかね?

 

「まぁ大丈夫ですよ。埋めても沈めてもないですが、見付かりませんから安心して下さい。一応、僕の能力に関する事なので方法は秘密ですが……」

 

 只でさえ餌発言を聞き咎められてるからな。正解に辿り着くかも知れないから気を付けなければ、胡蝶の存在がバレてしまう。

 

「榎本さんって見た目は渋谷みたいに脳筋なパワーファイターなのに、色々と技を持ってるんですね。意外と言えば意外です」

 

「人間二人消せるって凄い事だぞ」

 

「阿狐様、それを技だけで済ますのは問題有りますよ」

 

 僕の感想は打ち切りにして、外で待ってる皆さんに早く説明しないと……このまま立ち話に花が咲きそうだから、やんわりと催促をしよう。

 

「もう夜が明けます。早く外の皆さんに事情を説明しましょう。この山荘に寝泊まりは、もう危険かな?」

 

 この山荘は閉鎖した方が良いかもしれない。あくまでも簡易的な結界でしかないし、今後も安全だとは限らないし。

 

「立地の悪い除霊現場など普通に有ります。拠点を市街地に移して通えば良いのです。

榎本さんだから教えますが、我々は三日後に一族の主力が名古屋に全員集まります。そして山林に突撃します」

 

 毅然と言い放つ阿狐ちゃん。敵が餓鬼と分かれば対処も計画出来るからな。水に触れなければ呪詛は発動しないなら、耐水処置を考えれば良い。

 

 悪くない判断だ。

 

「有難う。僕の方は亀宮さんと相談してからだね。君達が三日後に突撃するのは言わないよ。

僕達は書斎で見付けた物の調査結果次第だから……それと岩泉一族は信用出来ないよ。

前代の岩泉前五郎は殺された可能性が有る。僕等は騙されているかもしれないから注意が必要だ」

 

 それだけ言うと出口へと歩きだす。後ろから三人が付いて来るのは気配で分かる。

 絨毯の上を歩いているが、無音と言う訳じゃないし彼等のフードも……

 見た目じゃ分からないが色々と仕込んでいるのか、歩く度に布ずれの音は重たい感じがする。

 多分だが耐水性に防刃性、呪術的な防御も織り込んでいるだろう。

 

「榎本さん個人にお願いが有ります。私達よりも先に亀宮が山林に突撃しても構いません。ですが、万が一私達の仲間が呪詛に掛かり治せない場合ですが……

誰が治したか分からない様にしますので、治療して貰えませんか?お礼は出来るだけお支払いします」

 

 思わず歩みを止めてしまう。一族の当主として、配下が傷付き死ぬのを最小限にしなければならない。

 そして呪詛を祓う事が可能な僕が近くに居る。普通は他勢力に所属する人には頼めないが、僕と個人的な伝手が出来た。

 ならば頭を下げて頼むのは、頼めるのはトップとして凄い事なんだが……

 

「お礼は要りません。個人的な依頼でも……前に言いましたよね?

伊集院からお礼を貰った時点で、僕は亀宮さんを裏切るんだって。

治療は構いません。ですが、時間的に厳しいでしょう。同行しない限り、緊急対処が必要な治療は……」

 

 あの呪詛の浸食スピードは凄かった。僕のお札は勿論、胡蝶でさえ浸食を数分保たせるのが一杯だった。

 山林から被害者を僕の所へ運ぶのには、最低でも数時間は掛かる。

 

 ドクターヘリ?

 

 無理だ、そんな物を飛ばせば世間に知れ渡る。そして僕は伊集院一族とは同行出来ない。

 

「いえ、その返事だけで十分です。貴方の気持ちの確認でしたから……申し訳ありませんが、此処からは伊集院当主として行動します」

 

 ペコリと頭を下げる阿狐ちゃん。僕の気持ち?

 

「気持ちって?」

 

 頭を上げた彼女の顔は、伊集院一族の当主の顔になっていた。キリリと凛々しい顔だ。

 

「さて、皆の所へ行きます。貴方が説明しなさい」

 

 気持ちを切り替えてくれたんだな。しかし日本の霊能御三家は、女性に負担が掛かり過ぎだろう。

 

 しっかりしろ、日本男児!

 

「分かりました。状況の説明は僕が行います。何かあれば、その場で指摘して下さい」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 甘い、甘過ぎる。

 

 最後の気持ちの確認は、彼が私達を伊集院一族をどう思っているかの確認だ。国分寺の治療は、あくまでも緊急措置の一度だけ。

 今は互いに貸し借り無しの状態の筈だ。それを治療は構わない、お礼は要らないなんて……やはり彼を亀宮から引き離すのは無理ね。

 心霊治療の相場なら命をも脅かす呪詛を祓った事、緊急だった事。それに伊集院当主が無理を言ってやらせた事を考えれば1000万円は請求出来る。

 黙って貰えば分からないのに、自分の気持ちは裏切れないからって断れるものなのだろうか?彼は金銭欲や権力欲が薄いのかしら?

 追加で頼んだ治療も承諾したが、本来は秘密にするって約束を反故にする行為なんだけど……国分寺が教えてくれた。

 

 加茂宮七郎は多分だが、榎本さんが処理した。彼から直前の七郎の匂いがしたと言っていた。

 猟犬の力を持つ国分寺は、付着した匂いの特定は勿論だが、何時くらい前に付いた匂いかも分かる。

 榎本さんに付いた七郎の匂いは30分くらい前。

 つまり榎本さんは五郎の追求に堂々と応じたのは、無実だから自信が有ったのではなく死体が発見されない事に自信が有ったんだ。

 時間的に工具を取りに書斎を離れた10分未満で倒して処理した事になる。

 

 素晴らしい!

 

 敵対する奴は、例え御三家でも容赦なく殺す。だが誠意を持って対応すれは、同等以上の誠意を返してくれる。

 新参者の我々は、兎に角優秀な人材が欲しい。彼は加茂宮の当主の一人を瞬殺する程の使い手。

 しかも数少ない治療系の力も持っている。年下の私や亀宮にも気を使えるのは、力有る者が陥り易い傲慢も無い。

 組織の潤滑油としても期待出来る人物だ。良くも悪くも実力主義の伊集院一族だから、彼になら従うだろう。

 考えれば考えるほど是非とも欲しい人材だ。

 

 今の亀宮は、ゆるふわ女だから甘い。今の加茂宮ズは、前代の加茂宮保と違い弱い。

 

 ならば我ら伊集院は亀宮と手を組み加茂宮を蹴落とすべきだ。別に御三家から加茂宮が減って二家となり、伊集院と亀宮で双璧となれば……

 東日本と西日本に勢力圏を分けても良い筈だ。その為に榎本さんを利用するのは心苦しいが、彼は既に加茂宮に目を付けられてる。

 利害が一致してるから悪い話じゃない。

 

 だが……

 

 彼は義理人情に厚いのだろう。きっと加茂宮と敵対する事で亀宮に迷惑が掛かるなら、もしかしたら亀宮から離れるかもしれない。

 そうすれば伊集院に……は来てくれないな。亀宮に迷惑を掛けるのが嫌だが伊集院なら良いとはならない。

 つまり榎本さんには亀宮に所属して貰いつつ、我らと亀宮の橋渡しを……難しいわね。

 

 今は誠実な対応と私への好感度を上げる事くらいしか出来ないかな。榎本さん、良い男なんだけど色仕掛けは無理そう。

 お色気巫女の桜岡霞が恋人で亀宮と仲が良いって、私とは好みのベクトルが真逆だし。

 でも狐憑きの細波結衣を保護してるなら、爬虫類系は駄目でも哺乳類系なら?

 ウチに彼氏無しの哺乳類系美人って居たかな?狐憑きは何人か居るが、全員旦那さんか彼氏が居た筈だわ。

 

 その娘達はまだまだ幼い。猫憑きは中学生だったし、犬憑きもそう。

 狼憑きは美人じゃないし、熊憑きも……駄目だわ、ウチの一族って適齢期の美人が居ないわ。

 

 確かに数の少ない能力者なんだけど、男ばっかしじゃない。

 

 彼等の子孫達は高い確率で力を受け継ぐから少しずつ一族は増えてるけど、やはり母体が能力者の方が確実に強い子が生まれる。

 強い力を持つ者が一族の能力者と結ばれるのが理想なのだけど……流石に私じゃ榎本さんも相手にしてくれない。

 

 私はヘビ女……獣っ娘は人気が高いのに、爬虫類っ娘は不人気だ。

 

 大体ヘビ女は常に悪役だし気持ち悪く書かれるし、ラノベでもヘビ女が主人公な話は無い。

 

「榎本さんのバカ!」

 

 思わず呑気に歩く彼の太股を軽く叩いてしまった。

 

「えっと……何故?僕が阿狐ちゃんの破れたパンツ見たのバレたの?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 ヤブレタぱんつヲミラレタ?あの時の着替えが必要って、そういう意味で言ったのね?ああ、何だろう。

 無性に神経毒を注入したくなってきたわ。ほら、犬歯が伸びて牙に変わってるし瞳孔も開いて榎本さんとの正解な位置と距離が頭の中に流れていくし……

 

「ごめんなさい、見るつもりはなかったんです。だから噛まないで下さい」

 

 首筋に飛び掛かる前に、見事な土下座をされた。そんなに私って怖いかな?

 思わず窓に写る自分を見ると……金色の瞳・横に広がる瞳孔・裂けた口・覗く牙。

 

 うん、怖いわ。

 

 赤と白の変な色の服が好きなウメヅ何とかが描くヘビ女と同じだわ。

 

「理不尽な怒りなのは理解してますが、女性が理不尽な生き物なのも理解して下さい。

今回は許しますが、次回はもっと気を使って下さいね?じゃないと堅そうな首筋に牙を突き立てたい衝動がおさえられないです」

 

 更に額を絨毯に押し付ける榎本さんを見て、僅かな間に随分と心を許してしまったなと可笑しくなる。この人は基本的に善人なのだろう。

 

「大の大人が小娘相手に土下座は止めて下さい。さぁ起きて……」

 

「うん、本当にごめん。偶然見えただけだから、もう忘れたから」

 

 ほら、ヘビ女の私が怖くて謝った訳じゃない。一人の女性として下着を見た事が悪いと思ってるのが分かる。

 

 ヘビ女を怖がらない人も居るんだな……

 

 

第174話

 

 既に太陽が三分の一くらい頭を出している。春先とはいえ、まだまだ山の朝は冷え込みが厳しい。

 吐く息が白いので、その冷え込み振りが分かると思う。そんな寒空に深夜2時過ぎから外に居て貰った訳で……

 

 現在は5時を過ぎた辺りだろうか?

 

 暖かい山荘からやっと出て来た僕達を見る目がね?キツいんですけど……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 招かれた霊能者達は自分の車が有るから暖はとれただろう。

 通いの使用人の中には車の無い連中も居たので寒さに震えて待っていたんだ。

 途中説明は亀宮さんがしてくれたが、結果が未だなので皆さん僕を注目している。

 

 このメンバーなら普通は伊集院の当主の阿狐ちゃんを見ないかな?格から言ってもさ。

 

 まぁ書斎の暖炉擬きを封印するって言ったのは僕だけどね。暖をとる為に誰かが焚き火をしたのだろう。

 その周りに人が輪になっている。近付けば、徳田と八重樫が詰め寄って来た。

 二人とも無精髭が目立ち目も血走っている。

 

「榎本さん!山荘は大丈夫なんですか?」

 

「おい、もう平気なんだろうな?早く風呂に入って寝たいんだが」

 

 掴み掛からん位の勢いで我が儘を言われたぞ。何だよ、警備員は一緒に対処しろって頼んだのに逃げやがって!

 労りの言葉が全く無い事に絶望した!誰の為に苦労したと思ってるんだよ。

 加茂宮に襲われたのに頑張ったんだぞ。まぁコレは秘密なんだけどね。

 

 二人の騒ぎに周りの連中も集まって来た。事情を説明しないと駄目だな……

 

 皆さんの目が血走っていたり不安に駆られたりと普通じゃないからね。

 遠巻きに僕等を取り囲んでいる……別に襲われても返り討ちに出来るが、依頼人の使用人を無闇に怪我をさせる訳には行かないんだ。

 

「えっと、結論から言えば書斎は封印しました。ですが何時破られても可笑しくない状況です。

山荘は放棄する事を提案します。それと書斎には入らない事!呪詛が生きてるから、不用意に近付けば呪われるよ」

 

 僕の言葉に一瞬皆さんが息を呑み、不満が爆発した!

 

「それは困ります。貴方達はその為に呼ばれたんでしょ?」

 

「何だよ、山荘には入れないのかよ?そりゃ困る、何とかしてくれ!」

 

 言いたい放題な態度だが、だから群集心理は怖い。取り囲んでいた輪が狭くなってきてるぞ。

 集団で理不尽な要求をするのは、たちの悪いデモと一緒だ。悪いが厳杖さんに責任を取って貰おう。

 

「あー、原因を間違えるなよ。僕は厳杖さん達が不用意に餓鬼を招いた尻拭いをしただけだ。あのままなら皆さん襲われて危険だったんだぞ。

それを亀宮が何とか押さえ込んだんだ。今日の昼間迄なら餓鬼を抑えられるから、今の内に必要な物を持ち出したり用を済ませるんだ。

僕等は拠点を移して通いで山林の怪を処理するよ。この山荘は危険だ、何(いず)れは燃やした方が良いだろう」

 

 悪いのは厳杖さん、昼間なら亀宮が安全を保証する、そして今夜以降は僕等は居ない。

 この情報を噛み砕いて理解した連中が、山荘に殺到した。我先にと山荘に入る連中を黙って見る。

 徳田も八重樫も急いで中に入ったが、貴重品を持ち出して逃げるんだろうか?

 だが、徳田と八重樫には岩泉氏に報告して貰わねばならない。それも厳杖さんが悪いという事でね。

 

「貴方、悪い人ね。あれじゃ密教団体が責任を取らされるわよ?」

 

 隣で黙って立っていた阿狐ちゃんの厳しい一言が胸に突き刺さる。口調も戻ってくれたが、心なしか柔らかい。

 

「伊集院さんも黙って立ってないで何か言って下さい。貴女の方が格上なんですから、連中も黙って言う事を聞くのに……」

 

 愚痴の一つも言って良い状況だよね?

 

「だって私達は貴方の仕事を見ていただけ。手柄は全て貴方の、亀宮の物でしょ?伊集院一族の当主がセコい真似はしない」

 

 正論で返された。

 

「榎本さん、無事だったんですか?結界を張り直すだけって言ったのに、また一人で無理をして……」

 

 使用人の輪の外で様子を窺っていた亀宮さん達が駆け寄ってくれた。

 軽く僕の腕を掴んで心配そうに見上げる亀宮さん。

 不安げな表情、心配してくれる仕草、そしてボディタッチ……普通なら萌えるのだろうが、ロリコンな僕は嬉しいだけだ。

 

「伊集院さん達にも確認して貰いましたが、餓鬼は暖炉擬きから登って来た。あの下は地下水が溜まっていて、餓鬼達はびしょ濡れだったのだが……

その水がヤバかった。濡れると呪詛が発動するんですよ」

 

 そうですよね?と阿狐ちゃんに話を振る。黙って頷く彼女。じろりと睨む亀宮さん。

 

「何故、伊集院の当主が榎本さんと一緒に居たのですか?場合によっては考えが有りますよ」

 

 亀宮さん、警戒心がバリバリだ。亀ちゃんも具現化して亀宮さんを護る様に彼女の前に浮いている……

 そんな態度を取られても阿狐ちゃんは冷静だ。両手を上げて敵対する意思の無い事をアピール。

 

「一緒に居るのは偶然さ。いや、亀宮の当主が惚れ込んだ相手の手際を見たかったんだよ。

榎本さんだっけ?良い男を見付けたじゃないか。大事にしなよ。手放すならウチが貰い受けるからね。

では、我々は名古屋市内の拠点に移るから。伊集院は独自に解決の為に動くわ」

 

 そう言うと手を軽く振って駐車場に停めてある高級外車へと歩いていった。

 国分寺さんと渋谷さんも軽く僕に頭を下げた後で阿狐ちゃんを追った。

 彼等の車が駐車場を出るまで見送ったが、僕の腕を掴む亀宮さんは不機嫌そうだ。

 掴む指に力が入っているので分かる、分かり過ぎる程に……

 

「それで?説明してくれますよね?伊集院の当主が、榎本さんに対してアレだけ軟化した態度を取る理由を」

 

 さて、何処まで喋って良いかの線引きが難しい。全てを話すと亀宮さんは兎も角、ご隠居に知られるのが怖い。

 

「軟化と言われても……彼等は僕が書斎で結界の準備をしてる時に三人で来たんですよ。

別に手伝う訳でもなく、ただ暖炉に格子を嵌めて固定してお札を貼るのを見ていただけでした。

多分ですが、前評判を聞いて直接調べに来たのでは?亀宮さん、僕の事を自分と同等って触れ廻ってたよね?

当主と同等と言われる奴なら調べるさ。御三家のパワーバランスが崩れるかもしれないんだから……」

 

 この回答は卑怯だ。原因が自分に有ると言われれば、優しい彼女は追求出来ない。

 これで阿狐ちゃんとの関係は疑われないだろう。見た目にも意気消沈してる彼女を見て確信する。

 

「だが彼等は敵対するのは加茂宮に絞るみたいですよ。だから亀宮には手を出さないから、僕からも亀宮さんに言ってくれって言付(ことづ)かりましたから」

 

 顔を上げてビックリしたのか目を見開く彼女の表情は幼くて中々良い。

 

「御三家同士が争うなんて……榎本さん、それは本当なんですか?」

 

 予想外な反応だぞ!黙って聞いていた滝沢さんや御手洗も驚いているので、これは御三家の中では異常な行動なのかな?

 

「ええ、我々は加茂宮と争うかも知れない。今の奴等は弱体化してるからって……出来れば不干渉で頼むって言われました。

そんなに不思議な事ですか?別に手を繋いで仲良くって訳じゃないですよね?」

 

 しまった、加茂宮の弱体化は二子達の失踪に関わる発言だ。これじゃ彼等が二子達に何かした事の裏付けになってしまう。

 

「亀宮さんは加茂宮か伊集院のどちらかに加勢するの?静観するの?それとも戦いを挑むの?」

 

 彼女の腹の内を聞いておかないと、今後の行動に支障する。

 僕は伊集院当主と個人的な伝手を持ち、加茂宮の三人を胡蝶に喰わせた。

 既に状況も気持ちも伊集院側なんだ。亀宮が伊集院と敵対とか加茂宮に加勢とかは……

 

「この話は拠点に戻ってからにしましょう。私達に話し掛けたいって人達が沢山居るわよ」

 

 はぐらかされたかと思ったが、確かに僕等を遠巻きに見ている連中が何人か居る。

 迂闊に彼等に聞かれたらマズいだろう。周りを見回すと、高槻さんと目が合った。

 ニッコリ笑って近付いてくるが、それは高野さんと同種の笑みだ。僕には分かる、アレは厄介な事を押し付ける憐れみと喜びの笑みだ。

 

「お話は済みましたか?」

 

 僕の正面30㎝ギリギリまで近付いて見上げる高槻さん。キッチリと巫女服を着込み薄く化粧もしている。

 後ろに並ぶ無表情な巫女さん達も同様だ。何故か亀ちゃんが僕と高槻さんの間に入り込んで、僕の右肩に噛み付く。

 

 思わず後ろに下がる。

 

 グルリと僕に巻き付いて高槻さんを威嚇する亀ちゃん。どういう事だ?

 

「あの……亀ちゃん?解いてくれないと締め付けがキツくて内臓が飛び出しそうだよ」

 

 ギリギリ締め付けがキツくなってます、現在進行形で……訝しげに僕を見る高槻さん。

 だが彼女の話を聞く余裕は僕には無い。

 

「高槻さん。ちょ、ちょっと生死の境で立て込んでるから、話は後にして下さい。

くっ、苦しい。亀宮さん……助けて……」

 

「亀ちゃん、一旦車に戻るわよ」

 

 胡蝶が反応しないのは、亀ちゃんの行動が彼女の思惑と同じだからか?

 僕に危害を加えるつもりは無いのかもしれないが、現実問題で死にかけてます。

 だが高槻さんとの会話はヤバいという訳かな?ズルズルと引っ張られてベンツの後部座席に押し込められた。

 バタンと扉を閉められロックまでされたぞ。後部座席には僕と亀宮さん、運転席に滝沢さん。

 そして助手席には御手洗が乗り込んだ。シュルシュルと拘束を解いて亀宮さんの中に入り込む亀ちゃん。

 良く分からないが、どうやら僕は尋問されるみたいだ。

 

「あの……何か?」

 

「榎本さん?」

 

「はい」

 

 亀宮さんの顔が近いです。

 

「あの伊集院一族と何か有りましたか?」

 

「いえ、何も有りませんよ」

 

 一瞬バレたのかと思ったが、バレても困る事はないので何とか表情に出さずにすんだ。

 治療の約束だが、阿狐ちゃんには現実的に無理と言ってあるし。だが内心は心臓がバクバクだ。

 カマを掛けられたのか、それとも何らかの方法で会話を知られたか?御手洗と滝沢さんを見ても責めてる表情ではない。

 

「あの伊集院阿狐は、ヘビ憑きです。それも冷酷無比なサディストって噂なんですよ。

そのヘビ女がアレだけの事を言って、お付きの連中が榎本さんに頭を下げたのです。有り得ない事なんですよ!

榎本さんの事だから信用してますが、不用意に何か口約束とかしてませんよね?」

 

 伊集院一族って、そんなに高飛車な一族なの?アレだけの会話や仕草だけで疑われるなんて、どれだけ非情で非常識な一族だって思われてるんだ?

 

「僕は別にしてませんよ……」

 

「嘘です!さっきの私に言った言葉は伊集院側に立った言葉ですよ?

普段の榎本さんなら中立の立場を取る筈です。アレは伊集院に好意的だから出た言葉じゃないですか?」

 

 鋭いな、亀宮さん。確かに普段の僕なら中立な態度だ。

 事前に加茂宮と伊集院とは共闘しない、貸し借りしないと言われてるんだから。

 それを僕が伊集院寄りな言葉を言うのは変だと指摘された。

 

 うーん、亀宮さんって実は凄いんだな。

 

「本当に何も無かったよ。彼等は迂闊に水に触りそうになったから、現場で怒鳴ったんだ。ヘビ少女だけに毒を見分ける能力が高い彼女に危険だからと怒鳴った。

そして水は呪詛と言う毒が有ったのが分かった。多分だけど一目置いてくれたんだよ。

あのフードの男も鍛えられた肉体をしてた。鍛えた筋肉は嘘をつかない。だから奴らは悪い奴じゃないんだと……」

 

 アレ?

 

 親指と人差し指で目と目の間を揉んでるけど、そんなに嘘臭いかな?

 

「まさか筋肉で人となりが分かるなんて……もう良いです。

ただ覚えておいて下さい。榎本さんは大切な私の仲間なんです。他に移籍は許しませんわ」

 

 そう言って素晴らしい笑顔を見せてくれた。嬉しいが逃げ道が塞がれた事を理解したよ。

 



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第175話から第177話

第175話

 

 亀宮さん、何となく僕と阿狐ちゃんとの事を疑っているのかな?

 

 女の感か霊感か……悪い事はしていないが、秘密を持ってしまった事は確かだ。

 

 だが新興勢力と言われる伊集院一族のトップは、比較的マトモな連中だ。亀宮一族もトップである亀宮さんと亀ちゃんは、信じて良いだろう。

 

 加茂宮?アレは駄目だな、ダメダメだ。

 

 胡蝶が彼等を敵対してるし僕もそうだ。色恋沙汰で当主の一人が殺しにくる位だし、他の連中も黙認していたし。

 二子・五郎・七郎の反応が消えた事を残り六人は既に感知してるだろう。僕の存在が残りの奴等に知られているかが気になるが、さてどうするか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 高級外車ベンツの中での密談(尋問)が終わり外に出ると未だ高槻さんが立って待っていた。

 どうやら嫌な感じの話は回避出来ないらしい。ニコニコと此方に近付いてくる。

 先程亀ちゃんに邪魔された所為か、今回は1mくらい手前で止まる。

 

「榎本さん」

 

「はい、何ですか?」

 

 僕を見上げながら、何故か手を胸の前で組んでいる。胸を挟み込んで強調してるのだろうか?思わず苦手意識で目を逸らす。

 高槻さんがクスッと笑う。見掛けによらずウブね?とか思ってるのか?

 いや違う、僕はスットンが好きなんだよ!ブルブル震える肉塊は苦手なんだよ。

 

「お知らせしておきますが、私達に応援が来ます」

 

 応援?関西巫女連合の応援?

 

「そうですか。それは心強いですね」

 

 高槻さんの笑顔、この笑顔は嫌な感じがヒシヒシと……僕にワザワザ報告する程の応援、つまり僕の知り合いか関係者の可能性大。

 巫女の知り合いは二人しか居ない。金髪ヤンキー年増巫女と、その娘の大食いお嬢様巫女……

 

「我々は一旦名古屋市内に戻ります。独り言ですが僕は大事な知り合いに、こう言ってます。

危険な仕事をしようとしたら力ずくでも止める。具体的には監禁か腹下しの呪詛で。勿論、仕込んだ連中も軒並み同じ呪いを掛けます。

女性には辛いかもしれませんが……命に関わる事ですから、後で土下座してでも謝りますよ」

 

 高槻さんの笑顔が引きつる。やはり桜岡母娘のどちらかを応援に呼んだのか?

 

「それは……その……アレですよ。横暴だと思いますよ?一般論ですが、彼女達にも理由が有るんじゃないですか?

それに嫌々じゃなく望んでいたら……」

 

「自分でも強引な事を言ってるとは理解してます。ですが、それ以上に心配なんですよ」

 

 あの二人は関西巫女連合に所属している。同じ連合に所属する高槻さんが名指しで応援要請をする可能性は高い。

 それが上層部で承認されれば、桜岡さん達の連合での地位や立場・柵(しがらみ)とかで断れないかも……

 

「結婚前から亭主関白はどうかと思いますが……応援は桜井さんと言う関西巫女連合所属の巫女です」

 

 してやったり的な顔をして聞き覚えの無い名前を言う高槻さん。

 

「桜井さん……ですか?」

 

 きっと間抜けな面を晒していただろう。アレだけ啖呵を切って人違いとは恥ずかしい。

 熱を帯びた頬に夜風が当たるのが気持ち良いのは勘違いではないだろう。つまり今の僕は恥ずかしくて真っ赤だね。

 でも桜岡じゃなくて桜井?ん?桜井……何か記憶に引っ掛かる名前だぞ。

 

 確か最近……何処かで……

 

「亀宮の手の者が探しているらしいですね?桜井さんを……榎本さんもご存知なんでしょ?

本部に問い合わせが有ったんです、彼女本人から亀宮から接触が有ったんですと。何でも現在請けている仕事で重要なお話を聞きたいとか?」

 

 そう言えば手帳に書いてあった名前……石渡先生・真田・桜井君の三人だった。

 

 なる程、年の離れた若い女性なら君付けも分かる。

 当時既に初老の先代岩泉氏なら若い巫女(基本的に巫女は若い、中年の巫女は居ない、何故なら神職の巫女には年齢制限が有るから)になら君付けで呼ぶだろう。

 風巻姉妹も数日で桜井さんに辿り着いたのは凄いが、相手も何か有ると所属する関西巫女連合に連絡を入れたのか……

 

「そうですか……確かに書斎で見付けた大学ノート(手帳)に桜井と名前が書き込んで有り、我々も岩泉氏と交友関係が有ると探っていたのですが先を越されましたね」

 

 手帳や写真、古銭をパクった事は未だ内緒にしたい。大学ノートは高槻さんに見せたが流し読みの程度の筈だ。

 だが、このドヤ顔の下に何を考えているのかが問題だ。100%僕に良い話じゃないのは分かる。

 

 この笑顔は……

 

「彼女に会わせる事は出来ますよ。勿論、タダでは……」

 

「やはり交渉材料として使いますか……僕の一存では答えられません。

返事は亀宮さんと相談してからにして下さい。先に其方の希望を教えて下さい」

 

 メリットとデメリットを秤に掛けるとしても、相手の条件を知らないとね。

 

「ふふふふ、それは此方も教えられませんわ。会いたいなら、その時に教えます」

 

 魅惑的な微笑みを浮かべているが、僕等の本気度を逆に秤に掛ける気だな。

 桜井さんの握っている情報が本当に僕等に必要かは、現段階では分からない。

 大した事が無いのに大きな代償を飲まされる確立の方が高い気がする。

 そもそも事件解決の鍵を握ってるなら、僕等に話は振らないだろう。

 

「余り待てる時間は有りませんよ。加茂宮でも伊集院でも条件を受けて貰えれば教えても良いのですから……」

 

 他の御三家にも教えて構わないって、今度はチクリと脅してきたな。

 

「榎本さん、その情報は必要有りませんよ。交渉すら必要ないです」

 

「亀宮さん?」

 

 僕の右側に亀宮さんが立っている。何時ものユルフワな彼女でなく、厳しい眼差しの……

 高槻さんと話し込んでいて分からなかったが、亀宮さんも近くに居たんだった。

 でも構わないって、誰とも共闘はしないって事かな?

 

「御三家を秤に掛けるつもりでしょうが、逆を言えば御三家にしか解決出来ないのでしょ?

一番条件の良い所に教えるつもりでしょうが、他の二家も乗らないでしょう。さぁ榎本さん行きますよ」

 

 腕を組んで引っ張る亀宮さん。でも何故他の二家も高槻さんの情報が不要と判断したのかな?

 情報は幾ら有っても……腕を組んで引っ張る亀宮さんに黙って付いて行く。

 肘に当たる柔らかな存在が、僕を……こう……悩ませるんだ。高槻さんよりは全然嫌悪感が無いけど、早く外して欲しいんです。

 

「榎本さん、最近ですが女性問題が多過ぎます!少し反省して下さい。

キャバクラ嬢遊び疑惑から伊集院阿狐の件。今度は関西巫女連合の高槻さんですか?」

 

 昼過ぎ迄は山荘に居なければならない。そう約束したから……だから宛てがわれた部屋に引っ張りこまれた途端に、亀宮さんから説教が始まった。

 向かい合わせにソファーに座らされ、私怒ってますオーラが……

 

「いや全くの誤解だ。キャバクラ嬢遊びは情報収集。伊集院さん達は何となく信用出来ると思った。

高槻さんは僕を困らせたいだけだよ。僕は彼女達に1mmたりとも疚(やま)しい事は考えていない」

 

 阿狐ちゃんは守備範囲だが、立場的に無理!真剣な目で亀宮さんの目を見る。アレ?真っ赤になって逸らされたぞ?もしかして厳つい顔だし怖かったかな?

 

「別に浮気を疑ってはいません。でも誤解される様な思わせ振りな態度が駄目なんです。分かりますね?」

 

 分かりません、全く分かりません亀宮先生!僕のあの態度の何処に思わせ振りな態度が?

 阿狐ちゃんも「理不尽な事を言っているのは理解してますが、女性が理不尽なのも理解して下さい」って言ってたが、それがコレか?

 だが僕は空気が嫁る、いや読める筋肉だ。

 

「分かりました、善処します。ですが高槻さんの申し入れを断って良かったんですか?桜井さんの話は聞いた方が……」

 

 情報の大切さは口を酸っぱくして教えた筈だ。あの手帳に書かれた三人の話を直接聞けるのはデカい。

 

「関西巫女連合は加茂宮の息が掛かってます。所属する個人までは分かりませんが、少なくとも上層部は親加茂宮派です。

あの高槻と言う女もそうです。つまり我々が好条件を提示しても情報は独占出来ないのです。

それは伊集院も知っている事ですから、榎本さんが安易に約束をしなくて良かったです」

 

 派閥に疎い僕が陥り易い失敗がコレだよ。もっと調べておけば良かった。でも桜岡母娘は親加茂宮派じゃないよな?

 もし、もしも親加茂宮派だったら僕は敵対するだろう相手になる。彼女達の立場も考えないと……

 

「そうなんですか?では桜井さんの件は切り離して考えてましょう。

午後には山荘を出て名古屋の拠点へ移り、風巻姉妹と今後の方針を考えますか。

あと徳田を探して岩泉氏に連絡を入れて貰わねば駄目ですね。やる事が沢山有るなぁ……」

 

 誤魔化した訳ではないが、御手洗のしょうがない奴だな目線と滝沢さんの浮気者?目線が僕に突き刺さる。

 少なくとも高槻さんに浮気は無いだろう、あの対応でさ?

 

「そうですね。岩泉氏の心証を悪くしない為にも徳田さんから報告を入れて貰わないと駄目ですわね。

では私と榎本さんで徳田さんの対応を。他の方は万が一に備えて山荘の警備員と連絡を取り合って下さい。

午前中に全てを終わらせて此処を出ます。榎本さん」

 

「はい」

 

 徳田の説得と岩泉氏に伝える内容を考えるんだな?

 

「皆さんでお昼を食べますから、美味しいお店を予約して下さい。佐和さん達も呼んで食事をしながら今後の方針を決めましょう。

軽くお酒も飲んだ方が活発な意見が出ますよね?」

 

 満面の笑みで言われてしまった……亀宮さん、酒乱だけど自覚がないみたいだからお酒も大好きなんだよね。

 

「えっと、その……分かりました。個室の方が良いですよね。ではお勧めの蟹料理のお店を手配します」

 

 滝沢さんが、ほら見ろ的な表情をして僕を責める。御手洗達は単純に喜んでいるな。

 僕は頭の中で何件かの蟹料理店を検索する。徳田を説得する内容を纏める前に……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「毎回邪魔されてしまうわね。あの噂……亀宮の現当主の番(つがい)説は本当かもね」

 

 ウブな筋肉達磨の事を考える。私の分かり易いお色気作戦にウブい反応をする男。

 普通は美人が擦り寄って胸の谷間を強調すれば、ガン見かチラ見はするだろう。

 それを顔ごと逸らすなんてウブよね。調査では良く風俗に通う生臭坊主らしいが、素人女には馴れてないのだろう。

 桜岡さんと奇跡的に付き合えたからか、最近風俗遊びも控えている。片や彼氏を誘惑する女を警戒し威嚇する女。

 亀宮さんは一族の習わしで亀様に認められた男としか一緒になれない。

 だから可愛い嫉妬や分かり易いアプローチをしているが、当人が桜岡さん一筋だから空回りよね。

 

「高槻様、山荘の何処にも加茂宮様達が居ません」

 

「三人共に携帯電話も繋がりません」

 

「他の二人ならいざ知らず二子様までも音信不通?それはおかしいわね……」

 

 今回、関西巫女連合の上層部からは加茂宮一族を補佐しろと指示されている。しかし桜井さんの情報をそのまま伊集院に教えるのは惜しい。

 これは、この情報は私にこそ相応しい。だが、二子様となら上手くいくと思ったのに姿を眩ますって何よ!

 

 亀宮さんも駄目、伊集院阿狐も無理。だけど私と、この子達だけでは力不足だわ。

 無傷で私をあの場所に連れて行って欲しいのに……

 

「高槻様、どうしますか?」

 

「加茂宮本家に連絡を入れましょう。状況を報告して対応して貰うのよ。私達だけじゃ、この計画は無理だから……」

 

 桜岡母娘を巻き込みたいが、先程の話からすると彼女達を連れて来たら私は間違い無く下痢地獄だわ。

 常に便秘地獄には苛まされているけど、だからといって人前でお漏らしは勘弁して欲しい。

 あの目は、あの時の彼の目は奇跡的に出来た僕の彼女を巻き込んだら分かってるだろうな?

 

 って本気の恫喝の目だったから……

 

 

第176話

 

「そんな……先代様の書斎に、そんな秘密が有ったんですか?」

 

 阿狐ちゃんが置いていったビデオの画像を執事の徳田に見せて説明する。如何に今の山荘が危険なのかを……

 

「多分ですが厳杖さんが封印を解いてしまい餓鬼を刺激した。あんなに大量に湧かれては、完全には止められませんよ。

それに奴等は呪詛の籠もった水を撒き散らすから余計に厄介なんです」

 

 厳杖さんには悪いが、周りに分かり易い責任を追求させる為に生贄になって貰います。尻拭いは僕がしたんだし構わないよね?

 

「ですが、怪異の調査は?」

 

「名古屋市内の拠点から通いますよ。普通は安全地帯を確保しながら調査するので従来通りの方法に戻ります」

 

 現場と拠点が近過ぎるのも問題だ。安全の確保されない拠点なんて危険過ぎる。

 

「では、この山荘で働く我々はどうしたら?」

 

「怪異が解決すれば元通り働けますよ。でも今は戦力を分散出来ないから我々は無理です。専属の護衛をつければ大丈夫だとは思いますが……」

 

「それが亀宮様達では無理だと?」

 

「亀宮も伊集院もです。加茂宮は分からないけど、依頼は怪異の解決だから護衛は当初の説明通りに任務対象外です」

 

 がっくりと肩を落とすイケメン執事徳田。だがホモっ気の無い僕には何も感じない、罪悪感も保護欲も。

 自分の部屋は怖いからと我々が借りている部屋に上がり込みソファーで頭を抱えている。

 

「まぁ何です。取り敢えず岩泉さんに報告して下さい。厳杖さんが書斎の封印を解いて屋敷中が餓鬼だらけで危険だと。

我々は簡易な結界を張って、山荘の外から独自に解決に動きます。さぁ電話して下さい。

それが終われば我々も山荘から出ます。特別に徳田さんには御札をあげますから、これで簡易結界を素人でも張れますよ」

 

「おお!簡易結界ですか?」

 

 飴と鞭、それと御褒美を用意して何とか岩泉氏に現状の説明をさせた。

 途中で携帯電話を渡されて直接岩泉氏に説明を求められた。

 だが厳杖さんの所為で結界が解けて山荘が使い物にならないと聞いても、そんなに気にしてない感じだった……

 山林の怪異が速やかに解決するなら構わないそうだ。金持ちだから?では済まされない執着心の無さだ。

 実の父親の思い出が詰まった山荘じゃないのか?やはり実の父親を手に掛けたのか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「「「「取り敢えず、お疲れ様でした!」」」」ビールが並々と注がれたコップで乾杯する。

 

 蟹料理専門店「蟹甲羅本店」。店名通り蟹料理の専門店だ。

 

 参加メンバーは僕・亀宮さん・滝沢さん・御手洗他四名の黒服の現場担当。

 風巻姉妹の調査担当の合計十人だ。

 

 長方形の長い机に五人ずつ向かい合わせに座る。

 本来ならホストの僕は追加注文とかをオーダーし易い様に端に座りたいのだが、真ん中に亀宮さんが座り左側に風巻姉妹。

 右側に僕と滝沢さん。向かい側に御手洗他四名の席割りとなった。僕は両手に花だが、少々辛い。

 

「はい、榎本さんビールをどうぞ」

 

 甲斐甲斐しくお世話をしてくれる亀宮さん。

 

「ああ、有難う御座います。では返盃を」

 

 余り飲ませてはいけないのだが、ビール大瓶二本位なら良いよね?

 

「あら?頂きますわ。でも私を酔わせても何も出ませんよ?」

 

「いえ、酔わせてどうこうするつもりは無いですよ。まぁ折角の美味しい蟹ですから沢山食べて下さい」

 

 蟹を食べる時、人は無口になる。何故ならば美味しい蟹を食べる為には身を解(ほぐ)さなければならない。

 だが、蟹は甲殻類全般がそうだが食べ辛い。専用の器具を使い身をほじくり出さねばならないのだ。

 手元に意識を集中すれば、自然と会話も少なくなるだろう。序でにチョイスした蟹は毛蟹なんですよ。

 身が旨いのには定評が有りますが、一番食べ辛い蟹でも有る。

 

 だから皆さん黙ってホジホジと毛蟹と格闘中なんだな……

 

「この毛蟹は醤油と砂糖で味を付けて茹でてるんですよ。本来ならコース中盤に出ますが、無理を言って最初に出して貰いました。

皆さんに一番お腹が空いてる時に食べて欲しかったんですよ」

 

 本当は亀宮さんの飲酒対策も兼ねてるんです。蟹身をほじくり出す作業に没頭すればお酒を飲む回数も減り、食べてお腹が膨れれば更にお酒を飲まないでしょ?

 予定通り亀宮さんは蟹に夢中になっていた。亀宮さん以上に夢中になっていたのが、佐和さん美乃さんだ。

 

 まるで餓鬼、いや欠食児童みたいに……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 毛蟹の後は蟹の刺身・蟹酢・蟹足の天ぷら・蟹味噌と身の甲羅焼き・蟹雑炊とコースを堪能した。

 デザートに特製豆乳プリンを食べて女性陣は大満足だ。

 

「榎本さんって本当に美食家ですね!私達、最近の食生活が貧相だったんで大満足です!」

 

「お姉ちゃんホカ弁と宅配ピザを交互に頼むんですよ。もう限界だったんです」

 

 佐和さん美乃さんの衝撃の告白。キッチンの有るマンションを借りているのに全て出前で済ませてたのか? 

 

 滝沢さんの「私はそれに中華屋と寿司屋を足してローテーションだな」発言。

 亀宮さんの「私はカレーだけは作れます」宣言。

 

 これらを踏まえて拠点での料理当番は御手洗に決定した。

 何故ならば「俺は調理師免許を持っている」の一言によって、我々の食生活は保証された。

 僕ですか?僕は女性陣と似たり寄ったりですよ。食べるの専門なので……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「さて、そんなに日にちは経ってないけど何か分かったかな?」

 

 拠点のマンションに戻り各々が事務机やソファーに座り寛ぐ。滝沢さんがお茶を煎れて配ってくれる。

 見事なお茶をいれられるのに、何故料理は出前なんだい?

 

「何か?」

 

「いえ、何でもないです……」

 

「……?」

 

 目は口ほどに物を言ってしまったのか?

 

「はい、古銭を調べましたが……この制銭は本物よ。

AMS方式の放射性炭素年代測定で調べてもらったけど、2000年から2200年位前だって」

 

「2000年以上前だと紀元前か、なる程始皇帝の時代に合致するな。

この時代、日本は弥生時代、いや古墳時代に入っている。紀元前近辺だと……」

 

 パソコンを立ち上げてGoogleで天皇系譜を調べる。

 紀元前208年に第八代孝元天皇が即位、紀元前158年に第九代開化天皇が即位した辺りか……

 

「先代岩泉氏の蔵書の内容に近いな。日本書紀・古事記・日本神話、何故日本の神話を調べているのに中国の古銭を意味有り気に隠していたんだ?

日本と中国を跨いで調べてたのかな?」

 

 日本神話の神々は中国の影響はそんなに受けてないが、時代的に貿易は行い文化は数多く入り込んできてる。

 

「イザナギとイザナミについて熱心に調べていたじゃないですか。かの二柱で有名な出来事ってなんでしょうか?」

 

 亀宮さんの質問を聞いて考える。イザナギとイザナミについて有名な事?

 

「イザナギが亡くなったイザナミに会いに黄泉の国に行く話かな。途中でイザナミの言う事を聞かずに振り返り、腐った彼女を見て逃げ出すんだ。

イザナミは辱められたと怒って追い掛ける」

 

 もう少し分かり易く直すと、産後の肥立ちが悪くて亡くなった妻を思い、死因の原因たる我が子を殺めて死後の国に会いに行きます的な?

 それはそれで理解し難いが、神話なんて理路整然と納得する場合の方が少ないからな……

 

「それは大雑把過ぎです。勿論間違ってはいないけど、詳しくは……」

 

 

 イザナミは火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を産んだ時に女陰を焼かれ死んでしまう。

 イザナギは大変嘆き悲しみ我が子の首を斬って殺害すると、妻を追って黄泉国へ会いに行く。

 

 黄泉国に到着したイザナギは御殿の扉越しに「私とあなたの国はまだ完成していない。どうか戻ってきてほしい」とイザナミに懇願する。

 

 だが彼女は黄泉国の食物を既に口にしており、黄泉国の住人となってしまっていた。

 しかしイザナミはイザナギの気持ちに応える為に、黄泉神に相談しに行くことにする。

 その間、自分の姿を決して見ないでほしいとイザナギに言うが彼は禁忌を侵して扉を開け、御殿の中を見てしまう。

 そこには死して醜く腐り果てたイザナミの姿があった。

 イザナギは恐れおののき、黄泉国から逃げ帰ろうとした。 

 誇りを傷つけられたイザナミは黄泉の醜女や餓鬼、黄泉の軍勢を遣わしてその後を追いかけさせるが……

 イザナギに上手くかわされてしまう。

 最後にはイザナミ自身が追いかけるが、イザナギは千人かかってやっと動かせるぐらいの巨大な石で黄泉国の入口を塞いでしまった。

 

 そこでイザナミは離別の意を表し「愛しい我が夫よ。あなたがこんな酷い仕打ちをするのなら、私はあなたの国の人間を一日に千人殺すことにします」と言った。

 

 イザナギはそれに対して「愛しい我が妻よ。あなたがそんなことをするのなら、私は一日に千五百の産屋を建てることにしよう」と答えた。

 

 それ故に、この世では必ず一日に千人死に必ず一日に千五百人生まれるという。

 

 

「佐和さん調べたんだ、詳細な説明を有難う。数々の神々を生んだ二柱だが、最後は大変悲惨な別れ方をしているよね。

この話と今回の件を強引に合わせれば、黄泉の餓鬼が今回現れた餓鬼と考える事が出来るかな?

無理が有るかな?先代岩泉氏は黄泉国と地上とが繋がっている黄泉比良坂(よもつひらさか)を見付けたんじゃないかな?」

 

 今有る情報を組み合わせて仮説を考える。悪くはないが無理も有る。

 

「あの洞窟が黄泉の国に繋がっていると思うの?」

 

 亀宮さんが真剣な顔をして質問してくる。僕も確信は持てないが、吾宗さんの敵討ちの為に沢山の餓鬼を倒した。

 だが今回の連中は別格過ぎるんだ。纏う水の呪詛に脅威の回復力。普通の餓鬼じゃない。

 

 そう考えれば悪くはないんじゃないかな?

 

「見付けた古銭は中国の始皇帝の時代、日本では大和朝廷が各地を制圧していた時代だ。

山荘に現れた餓鬼とイザナギ・イザナミを当て嵌めれば、全くの妄想でもないんじゃないかな?勿論、仮説の一つだけどね。他に疑問に思う事は?」

 

 仮説を立てて肉付けをして真偽を確かめる。肯定・否定どちらの意見も出尽くすまで話し合うのが大切だ。

 

「私は否定派かな。では大量の祝詞を書いた大学ノートは?

仮に黄泉比良坂を見付けたとして何故今になって怪異が現れたの?測量会社の社員は封印を解いてしまった?

確かに洞窟が黄泉の国へと繋がっていて餓鬼が現れたのは辻褄は合います。でも神話では1000人以上で動かす巨石よ」

 

 彼女の、佐和さんの指摘は鋭い。確かに普通に測量していて巨石を動かしたとは思えない。

 

「私は肯定派かな。巨石は先代岩泉氏が動かしたんじゃないかしら?

そして封印したけど、測量会社の社員が解いてしまった。

あの山林の航空写真を見て四角いプールみたいな物が並んでたじゃないですか?

アレを調べたんですが、どうやら戦時中に兵器製造の為に造られた工場用水の溜池なんです。

あの山林一帯は防空壕が張り巡らされてます。

終戦間際、本土決戦が囁かれていた頃に造られたのですが事故が続き半ば放置されていたそうです。

その兵器工場の事故で先代岩泉前五郎氏の許嫁が亡くなってるんですよ。

先程の榎本さんの仮説と重ねてみると、死に別れたイザナギ・イザナミの話に重なりませんか?」

 

 兵器製造用の工場用水か……確かに金属加工には大量の水が必要だ。

 横浜市金沢区にも四つ池と呼ばれる戦時中に造られた四連の溜池が有る。

 それに本土決戦に備え松代の地下に数ヶ月で全長10Km以上の巨大な大本営を掘ったのも事実だ。

 ならば防空壕か工場の拡張工事の際に巨石を壊した事で餓鬼が湧いて事故を……

 

「亡くなった許嫁に会いに行く為に、偶然掘り当てた黄泉比良坂を見付けてどうしたんだろうか?

死者に会えて、その後封印したのか?目的は亡き許嫁に会えた事で達成した、と?」

 

 うーん、風巻姉妹の意見はどちらも「らしく」思えるな。

 

「そうだ!手帳に書かれていた名前の人物について何か分かったかい?関西巫女連合から、桜井さんの事を逆に聞かれたんだけど……」

 

 最初に聞こうと思った事を漸く聞けたよ。

 

 

第177話

 

 我々亀宮一族は山荘を引き払い名古屋市内の拠点にしているマンションへと帰って来た。

 あの山荘は餓鬼道があり、不用意に封印を解いた事により地下から餓鬼達が溢れ出した。

 しかも身に纏う水には強い呪詛が掛けられている。

 

 触れれば肉体が餓鬼へと変化してしまう強力な呪詛が……

 

 風巻姉妹が集めた資料と今有る情報を絡めて考えると、あの洞窟はイザナギがイザナミを迎えにいった黄泉比良坂ではないかと?

 あの特殊な餓鬼達は黄泉の国の餓鬼ではないかと?そう仮定してみた。

 だが風巻姉は否定、風巻妹は肯定した。ならば僕は……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「そうだ!手帳に書かれていた名前の人物について何か分かったかい?

関西巫女連合から、桜井さんの事を逆に聞かれたんだけど……」

 

 高槻さんから交渉を持ちかけられたネタの裏を確認する。あの話振りがブラフなのか本当に凄いネタを握っているのかが知りたい。

 

「桜井さんですか?手帳に書かれた名前は、石渡先生・真田・桜井君の三人でした。

桜井君と書かれていた方は既に亡くなっていました。彼女は当時30代半ばであり、巫女を引退し神職の手伝いをされている方でした。

私達は彼女のお孫さんに当たる女性に接触し、故人の話を聞きました。彼女は遺品を調べると約束しましたが、その後で連絡が途絶えました」

 

 佐和さんが分厚いファイルを捲りながら読み上げる。A4サイズで厚みは10㎝くらい有る奴だ。

 

「お孫さんか……彼女は現役の巫女さんで、関西巫女連合に所属してるんだろうな。

連絡が途絶えたのが心配だが、遺品から何か重大な秘密を見付け出したのか?」

 

「ええ、彼女は名古屋市郊外の諏訪神社の神主の娘です。ですが彼女も父親も霊能力者では無いですね。

普通のとは変な言い回しですが、普通の神社の神職の方々です」

 

 ペラペラとページを捲り探しながら答えてくれる。打てば響くとはこの事だが、この姉妹の評価を何段階か上げないと駄目だな。

 短期間で、これだけの事を調べられるとは驚いた。正直、最初は生意気な小娘位に思ってた。

 

「他の二人については分かったかい?」

 

 石渡先生と呼び捨ての真田、彼等と岩泉氏の関係は何なんだろう?

 

「石渡先生も亡くなってますが、元名古屋大学の教授で自然人類学と民族学を教えていました。特に形質人類学には深い造詣が有ったそうですね」

 

 形質人類学?話が飛んでしまって分からないな。民族学なら何となく関係しそうなんだけど。

 亀宮さんも滝沢さんもニコニコと愛想笑いをしているが、目は泳いでいるから話についていけないんだろう。

 

「無知で悪い。形質人類学ってなんだ?自然人類学なら進化の過程を調べるみたいな事だろ?それとは違うのか?」

 

 分からなければ聞けば良い。だが年下の女性に分からないと聞くのは、プライドがガタガタだ……

 

「呼び名が違うだけで自然人類学も形質人類学もカテゴリーは同じよ。

人類やチンパンジー、ゴリラ等のヒト科の共通祖先から、どの様に原生人類が進化したかの過程を解明する学問ね。主に化石などから……」

 

 美乃さんが、此方も分厚く古い専門書を机の上に置いた。見るだけで勉強嫌いな僕は嫌になりそうな奴だ……

 

「ごめん、詳細は良いや」

 

 残念そうに専門書をしまう美乃さんを見て、もしかして説明したかったのかと思ってしまう。

 何時の間にか眼鏡もかけたが、伊達眼鏡か?説明の為の雰囲気作りの小道具か?

 

「石渡先生と桜井君は分かった。もう一人の真田って人は分かったのかい?」

 

 大学の教授に巫女上がりの神職。何となくだが、今回の件に関係有りそうな仕事に就いている。

 彼等と先代岩泉氏との関係は後から聞くとして、もう一人の人物について聞いてみる。

 

「私達は最初に石渡先生から調べたの。先生と呼ばれてるなら職業は限られるし、公的にも知られてる筈だから……

1980年代に名古屋近郊で学者・教育関係者・医者を片っ端から調べて岩泉氏と交流が有るか確認していったの。

それで先代岩泉氏から大学の研究室に寄付金を貰っている石渡教授に辿り着いた。一人が見付かれば後は彼等の交友関係から共通の人物を探せば良い。

直ぐに桜井さんは見付かったわ。でも真田と言う人物は未だ分からないの。だけど……」

 

「だけど?何か気になるのかい?」

 

 アレ?さっき迄は淀みなく受け答えしていたのに、言い辛そうな顔だな。

 二人共、お茶を飲んだりファイルをパラパラ捲ってるし……自分達から言い出す迄、暫く待つ事にする。

 

 1分位だろうか?風巻姉妹が目で合図を交わし、佐和さんが話し始めた。

 

「真田と言う名前で気になるのが、先代岩泉氏の亡くなった許嫁と同じ名字なの。

でも本人は工場の事故で亡くなったけど、彼女の家族も戦災で全て亡くなっているわ。

ただ一人、彼女の兄が戦地で行方不明になっているの。

真田重之(さなだしげゆき)と言って先代岩泉氏とも交友関係が有った……」

 

「その行方不明な兄が真田と呼ばれた人物だと思うのかい?」

 

 共通点は名字だけ……だが友人なら呼び捨ても分かる。

 亡くなった許嫁、行方不明の兄、人類学及び民族学の権威、神職の女性。

 上手く言えないが、このバラバラのピースがキッチリと収まる気もするんだ。

 彼女達も根拠も無く漠然と思っているのかな?でも、この手の霊感や直感って案外馬鹿に出来ないんだよね。

 

「馬鹿げた話とは思うんですが……」

 

「でも根拠も無くてカンでしかなくて……」

 

 風巻姉妹の様子を見ると二人共そう感じているみたいだ。諜報部としては不確定な事は納得出来ないし言えないんだろうな……

 

「君達二人が、そう感じているなら亡くなった許嫁の兄として調べてみよう。

霊感や直感は時として理屈に合わないが当たりな時が有る。君達の霊感を信じて迷わずに調べてみよう」

 

「「榎本さん!」」

 

 アレ?感極まる程の話じゃないだろ?そんなウルウルした目で見られると、亀宮さんが怖い事になるんだぞ!

 

「つ、次は先代岩泉氏と石渡教授と桜井さんとの関係だが、スポンサー以外に何か有るのかな?」

 

 話題を逸らして話を先に進める。幸いだが、亀宮さんは居眠りをしていた。

 コックリコックリ船を漕いでいるので、軽く肩を突っつく。

 ビクッと起きてエヘヘと笑う仕草は大変可愛いのだが、亀宮一族当主として難しい話でも聞いていて下さい。

 亀宮さんを起こした後、彼女達の調べた事を一つずつ聞いていった。

 

 良くもまぁ短期間で此処まで調べられると正直関心した!

 

「石渡教授は先代岩泉氏から接触をしたみたい。1979年から1985年まで石渡教授が大学を辞めるまで援助を続けていたわ。

同じ研究室に居た人達にも確認したけど、記憶に残るのは東海地方の民話や民間伝承に興味が有ったみたいね」

 

 民話に民間伝承か……民族学の方をアテにして接触したのかな?

 

「前に亀宮さんに愛知県に伝わる伝説を調べて貰って中断したけど、風巻さん達は調べたかい?」

 

「いえ、未だです。調べますね」

 

 何故か態度が軟化した?美乃さんが素直に言う事を聞くなんて怖いな。

 だが一度は亀宮さんに頼んだ事だし、今更変えるのもマズいか?

 

「いや、それは僕と亀宮さんとで調べるよ。亀宮さんも、それで良いよね?」

 

「ええ、構いませんわ」

 

 ニコニコと了承してくれたが、美乃さんが調べると言った時に一瞬表情が曇ったのを見逃してないぜ!

 彼女はハブられるのを気にしているからね。ちゃんと一緒に行動させないと駄目なんだ。

 亀宮さんの機嫌も良くなった所で風巻姉妹の残りの報告を聞く。

 

「桜井さんの方ですが、此方は元々石渡教授の教え子だったそうです。教え子の中で神職の関係者は彼女しか居なかった為に声が掛かったと思います。

生前の彼女は先代岩泉氏の要望により、宗派を問わず祝詞を集めていたみたいですよ」

 

 宗派を問わず?何故だろう、祓う対象に合わせて探さずに何でも良いってどうなんだろう?

 

「大量に有った大学ノートに書かれた祝詞は、桜井さんが教えたのか……」

 

 だけど祝詞なんて正式に修行した者だけが最大限に効力を発揮するんだ。付け焼き刃で暗記したモノを読み上げても効果は無いだろう。

 肝心な二人は亡くなっているのか……ん?亡くなって、か……

 

「ねぇ、石渡教授と桜井さんの遺品って手に入るかな?何でも良いんだけどさ」

 

 身近に死者の声を聞く事が出来る人が居たよ。確か遺品・本名・性別・没年月日・写真が有れば呼び出せると聞いたぞ。

 

「遺品ですか?桜井さんは無理ですが、石渡教授なら研究室に熟読していた蔵書が幾つか有りました。

それなら借りてこれますよ」

 

 大学の研究室に簡単に出入りして蔵書を借りられるのか?ニヤリと笑う佐和さん美乃さんを見て、正規の手順じゃないと分かる。

 多分だが霊力で容姿を変えられるのだろう。誰か関係者に化けて侵入するつもりかな?

 胡蝶の様に肉体そのものを変化でなく、相手の視覚を惑わす類の術か……使えれば便利だよな、電子機器で判別されなきゃ大丈夫だろうし。

 

「違法行為でも文句は言わないが、最近の大学はセキュリティーが強い。防犯カメラ対策はしてくれよ。出来れば遺品と写真、それに没年月日が分かるかな?」

 

 一寸顔をしかめたな。

 

「私達の能力が分かるの?嫌だわ、それに榎本さんも何か呪術的に調べるつもりでしょ?」

 

 そりゃ能力を予想されたら面白くはないな。素直に謝っておくか。

 

「いや、すまない。別に君達の能力を探っている訳じゃないんだ。

因みに僕がする事は口寄せだよ。最近凄腕の霊媒師と知り合えてね。

折角だから二人の霊を呼んで貰おうと思ってね」

 

 そう言って片目を瞑ってみせる。

 

「「似合いません!」」

 

 即座に否定された。

 

 クスクス笑う亀宮さんや滝沢さんを見て、大分リラックスした良い状態だなと思う。

 訳の分からない餓鬼に襲われ拠点を放棄したにしては上出来だ。

 三日後には阿狐ちゃん達の総攻撃が始まる。

 

 伊集院一族は強力だ。良い所まで行くかもしれない。

 

 だが、此方も調査の方針は決まったから遅れをとる訳でもない。

 

「さて、調査を始めようか!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 急な参道の石段を登る。未だ三分の一近く残っているが、既に1000段は登って来た。

 体力に自信の有る僕と滝沢さんでも額に汗を滲ませている。

 序でに足腰も痛い、明日は筋肉痛かもしれない。

 時折吹く風が火照った体を冷やしてくれるし、見渡す景色も綺麗だ。

 

「凄い参道の石段ですね。全部で1425段も有るそうですよ」

 

 汗一つかいていない亀宮さんがノンビリと豆知識を教えてくれた。

 

「ええ、遥か先に見える仁王門は重要文化財ですよ。何でも徳川家光が建立したそうです」

 

 僕も立ち止まり息を整えて豆知識を教える。

 

「鳳来寺(ほうらいじ)は、鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院ですよね。本尊は開山の利修作とされる薬師如来ですよね?」

 

 負けじと豆知識を披露する滝沢さん。そりゃ皆で出掛ける前に下準備と調査をしたから覚えているけどさ。

 

「さぁ急いで行きましょう」

 

 元気ハツラツ、急いで階段を上りたい亀宮さんが急かす。

 

「「いや、もう一寸休ませて下さい」」

 

 その場で軽くストレッチをして足腰の筋肉を解して持参のペットボトルからミネラルウォーターを一口飲む。

 

「すまない、私にもくれないか?」

 

 無言で滝沢さんに渡す。間接キスとか騒ぐ年でもないし、水分補給は必要だ。

 

「あらあら、体力に自信が有るとか言ってたのに……もう少しですから頑張りましょう!」

 

 元気よく声を掛けて先に登る亀宮さんを見て思う。彼女の体力が凄い訳でも僕等が弱体化した訳でもない。

 

「「亀ちゃんに乗って飛べば疲れないですよね?」」

 

 彼女は亀ちゃんに乗ってフワフワと先へと飛んで行った……

 



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第178話から第180話

第178話

 

 鳳来寺(ほうらいじ)

 

 愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院だ。本尊は開山の利修作とされる薬師如来。

 参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財。

 また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名。

 問題の山林からも10kmしか離れてなく、岩泉一族の菩提寺でも有る。

 何時もなら真っ先に関係する周辺の神社仏閣・庚申塚・祠・お地蔵様を調べるのだが、今回は後回しにしてしまった。

 

 この鳳来寺は天皇家や徳川幕府とも繋がりが深い。 寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。

 利修仙人は霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。

 文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。

 利修の17日間の加持祈祷が功を奏したか天皇は快癒。この功によって伽藍が建立されたという。鳳凰に乗れるなど伝説級の高僧だ。

 また徳川家光が家康の生母・於大の方が当山に参籠し家康を授けられたという伝説を知って、大号令を発し徳川幕府から手厚い庇護を受けた。

 この寺ならば、あの餓鬼の事も知っているかもしれない。

 高野山に属する同じ真言宗の鳳来寺の住職に会うのは、伝手(つて)が有るので何とかなった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「1425段……正直舐めていた。結構キツい」

 

「私達、スーツに革靴ですからね。衣装変えましょうよ。街中と大自然は違いますよね」

 

 鳳来寺山の山頂近くに有る鳳来寺まで何とか到着した。足腰ガクガクだが、少し休めば回復するだろう。

 伊達に鍛えてはいないのだから……山門の前に立ち、今まで登って来た階段を見下ろす。

 一番下まで見通せるが駐車場に停めた車がミニカーサイズに見える。

 周りの山々は春の息吹きの所為か新緑に囲まれ清々しい。

 観光で来るなら新緑か紅葉のどちらかだが、僕は生命力溢れる新緑が好きだ。

 紅葉って枯れる寸前みたいなイメージだがら最後の灯火と思ってしまう、実際は違うけど……

 

「榎本さん、飲み物の自動販売機が有ります。奢りますから何が良いですか?」

 

 先程ペットボトルの水を少しあげた為か、わざわざ滝沢さんが飲み物を奢りますと言ってくれた。

 彼女は見た目は残念な格好だが義理堅く細やかな性格だ。但し料理に関しては壊滅的らしい……

 

「炭酸なら何でも良いよ。炭酸を補給しないと辛い」

 

 滝沢さんの申し出を有り難く受ける。兎に角、冷たい炭酸飲料をゴクゴク飲みたいんだ!

 亀ちゃんから降りた亀宮さんも自動販売機で何かを選んでいる。

 美女二人が二人並んで和気藹々(わきあいあい)と何かを選んでいるのは見ていて楽しい。

 今回の調査で亀宮さんは配下の人達との垣根が取れた様な気がする、勿論一部の人達だけだけどね。

 幸い約束した時間には余裕が有り、他に観光客も参拝者も居ないのでノンビリだ。

 居たら亀に乗った美女が飛んでいる姿を見て驚いただろうな。海辺なら竜宮城の乙姫と間違えられただろう。

 

「榎本さん、炭酸飲料ってコレだけですよ」

 

 滝沢さんから手渡された缶を見れば……

 

「国産梨サイダー?しかもプレミアムタイプ?知らないメーカーだな……」

 

 何故コーラもペプシも無くて、しかも梨なんだ?

 

「私は微妙ですが不二家ネクターにしました。亀宮様は明治の宇治抹茶ミルクです」

 

 どれも微妙だが、普通は自動販売機のメーカーで統一されてないか?不二家に明治なんて中々お目にかかれないぞ。

 

「あそこの東屋で少し座って休みましょう。約束の時間より15分早いですから……」

 

 立ち話もアレだし、彼女達を東屋に誘う。漸く座れた……足首をグリグリしながら凝りを解す。

 

「国産梨サイダー、美味しいですか?」

 

 何故か隣に座る亀宮さんが、僕の持つ国産梨サイダーに熱い視線を送っているが……飲みたいのかな?

 

「梨果汁が少し薄いし果肉はシャリシャリしてますが、不味くはないですよ」

 

 インパクトは強いが味は悪くない。

 

「少し下さい」

 

「え?」

 

 僕から梨サイダーを奪うと躊躇いなく一口飲んで……けふって可愛い音を出した。

 

「亀宮さん、炭酸苦手じゃなかった?確か岱明館でも飲み切れずに残したよね」

 

 彼女から国産梨サイダーを受け取り飲み干す。やはり炭酸は喉越しが大切だ!

 

「そうでもないですよ。はい、お返しです」

 

 そう言って飲みかけの宇治抹茶ミルクを差し出された。飲めって事かな?

 

「ああ、うん、頂きます」

 

 勢いに押されて缶を受け取り一口のむ。

 

「甘くて薄いね……」

 

 僕的評価は10段階で4だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 鳳来寺の住職と話す事が出来た。そして幾つか興味深い事を教えてくれた。

 岩泉氏絡みの怪異について、鳳来寺にも情報は来ていたそうだ。情報管理、やばくないかな?住職に口止めが必要かも……

 特に先代岩泉氏と交流が有った住職はとても心配していたが、相手が相手だけに悩んでいたそうだ。

 現役国会議員に「お宅の所有する山荘周辺で怪奇現象がおこってる。何とかしてくれ」とは言い辛いだろう。

 非公式なオファーは近隣神社仏閣にも有ったらしいが、御三家参加を聞いて止めたらしい。

 そりゃ餅は餅屋だわな。それを踏まえて教えてくれた事は4つ。

 

 ①先代岩泉氏が探していた・求めていた物は知らない。

 

 ②怪奇現象について戦時中も噂になった。しかし戦争中と言う事で怪奇現象だ何だを調べる余裕なんて無かったし、そんな事の調査に人員を割く余裕も無く自然に立ち消えてしまった。

 

 ③先代岩泉氏の墓が荒らされ遺骨が盗まれた。これは事件直後の写真を見せて貰ったが骨壷が粉砕され墓石も倒されていた。現在も犯人は不明。

 

 ④確かに戦時中にあの山林の中には兵器工場が有り、工場用水として利用する為に溜め池も有った。洞窟は知らないが戦時中に周辺で防空壕を掘っていた筈だ。

 

 住職も今回の事件について悩まれており、今後の協力も約束してくれた。因みに住職が此処までの話をしてくれたのは、亀宮さんの存在だ。

 日本の霊能界の御三家の一つ亀宮の当主を証明するに有り余る存在。亀ちゃんを見てから、凄く協力的になった。

 

 流石は亀宮さん&亀ちゃんだ!

 

 業界内でのネームバリューは半端無い。拠点に戻る途中、ベンツの後部座席に深々と座り込み先程の住職との会話を思い浮かべる。

 一番気になるのが遺骨の件だ……呪術的に遺骨は重要な意味を持つ。

 遺骨を触媒として血縁者に災いを呼ぶ事も出来るし、亡くなった本人の魂を使役したり縛ったりも出来る。

 だが遺骨を奪うなら何故骨壷を壊す?わざわざ移し替えるより、そのまま盗めば良い筈だ。

 大きな音を立ててまで墓石を倒した事もそうだ。何故、わざわざバレる様な音を立てたのか?

 怨恨の線が強いのだが、息子に殺された案は却下だな。

 警察沙汰にする意味が無いから、遺骨を盗んだ奴は岩泉一族に恨みが有るのだろう……

 

 考えながらも横目で亀宮さんを観察する、何故ならお菓子の包装を破いているから。

 口に突っ込まれる前に亀宮さんの手を軽く握る。その手にはアーモンドクラッシュポッキーが!

 

「毎回口にポッキーを突っ込むのは止めて下さいね。しかも今回のはイボイボ付きで痛そうだよ」

 

 掴んでいた手をヤンワリと離してアーモンドクラッシュポッキーを受け取る。一口かじれば口の中にチョコレートの甘さが広がる。

 

「難しい顔をしてましたから……考え事に糖分は良いんですよ?」

 

 ニッコリ微笑む亀宮さんは天然なんだろうな。

 

「何故に疑問系?いやね、何故遺骨を盗むのに墓石や骨壷を破壊する意味が有るのかなって考えててね。

遺骨自体に利用価値は有るけど、ワザワザ危険を犯してまで発見されやすくするかな?」

 

 更にポッキーを三本貰いポリポリとかじる。信号待ちを利用して、亀宮さんは滝沢さんにも渡している。

 暫し車内でポッキーを食べるポリポリ音が響く……

 

「今回の怪異、呪術的に先代岩泉氏の遺骨を使った呪詛だと思うんですか?」

 

「いえ、そうは思ってないです。呪詛は明確な対象が居る筈です。

確かに無作為に結界に入った奴を殺す事は可能ですが、何故ワザワザ最初の犠牲者を結界の外へ運んだのか?

これは何者かの意思表示で有り、呪詛で操られた何かが単独で行うとは考え辛い。誰か黒幕居ると思うんだ」

 

「黒幕なら人間の仕業なのか?岩泉氏の政敵か個人的な怨恨か……特定は難しいぞ」

 

 滝沢さんも会話に参加してきた。確かに生きている人間を探し出すのは大変だ。

 何故なら霊能者の仕事の範疇を越えてるから……警察や興信所の仕事だよ、ソレは。

 

「そうなんだよね。人間の犯人探しは霊能者の範疇じゃない。そもそも罪に問えるかも疑問だよね。

呪詛を立証するのは不可能だから、返して殺すしかない。しかし……

呪詛を掛けた奴が黒幕とも限らないから厄介だ。依頼されて呪詛を請け負う奴も居るからね」

 

「殺すって……榎本さんからは考えられない言葉だな」

 

 滝沢さんの疑問は正しい。僕は常日頃から契約に重きを置いて法に照らし合わせた行動をしている。

 そんな僕が殺人とか言うのは普通に変と思われるだろう。

 

「滝沢さん、死を纏う呪詛はね……返せば確実に相手は死ぬんだよ。

元々殺す気の呪詛を返せば、相手だって無事には済まない。だが手加減すれば僕等が危険なんだ。だから呪詛を返せば相手は死ぬ」

 

「でも榎本さんは山名一族の呪術者をげ、下痢だけで済ませたじゃないか!多種多様の呪いを統一して返したんだ。今回だって……」

 

 確かに亀宮本家に出向いた時は酷い扱いだった。だが奴等も明確な殺意は一人だけで残りは他愛ないモノだったんだ。

 

「相手が格下なら手加減も出来るけどね。今回は肉体を変化させる程の呪詛だよ。迷ったり手加減出来る相手じゃないんだ」

 

「格下ですか?ウチの第一線の呪術部隊がですか?それに肉体を変化させる?

私達聞いてませんよ、そんな危険な呪詛なんて!そんな危険が有る書斎に一人で行くなんて!」

 

 アレ?そうだったっけ?ああ、そうだ。水を介して呪詛が発動するとしか言ってないや……

 私、怒ってます的な表情と態度の亀宮さん。ヤバイ、少し目尻に涙が!

 

「詳細はマンションに戻ってから説明するつもりだったんです。隠すつもりなんて無いですよ。

ほら、朝から立て込んでたじゃないですか?だから……」

 

「榎本さん、心配を掛けたんですから、ごめんなさいは?」

 

 えっと、謝るの?確かに心配してくれたんだし、僕は胡蝶に奴らを喰わせる為に事実を隠して侵入したんだから謝るのが当然だな。

 

「えっと、ごめんなさい……」

 

 素直に頭を下げる。心配されるのって何故か嬉しいな。

 

「もう無理はしないで私達を頼って下さい」

 

 右肩に縋りつかれて泣かれてしまった。こんなオッサンに何故懐いてくれるのかが不思議だ。

 風巻姉妹の態度が普通なんだよね……

 

「榎本さん、亀宮様を泣かせた罪は重いですよ」

 

「あーうん、反省してるよ。立場上安全行動だけをする訳にはいかないけど、今後は気を付けるから」

 

 そう言いながら亀宮さんにポケットテッシュを渡す。良くハンカチとか言うけど未使用品の物なんて持ち歩いてないからね。

 僕はタオル地のハンカチ、ポケットテッシュ、ウエットティッシュを常に持っている。

 特にウエットティッシュは汗拭きから傷口の清掃・消毒まで幅広く使えるからね。

 

「榎本さん、心配だから私も宮城に行きます。その霊媒師の方に会いますから」

 

「えっと、風巻姉妹の護衛に御手洗達だけだと心許なくないかな?ねぇ滝沢さん?」

 

「愛知県から宮城県までなら新幹線か飛行機でも日帰りだ。

もう午後だし向こうで一泊、翌日に霊媒師に会えば明日の夕方には戻ってこれます。榎本さん、諦めて下さい」

 

 小笠原さんの所に亀宮さん御一行を連れて行くの?確かに戦力の分散は加茂宮の連中の動きが分からない内は危険なんだけど……

 

「そうだね。飛行機か新幹線のチケットと宿の手配が必要か……

滝沢さん、最寄りのJTBに寄ってくれる。あそこなら当日でもJRのチケット取れるし宿の手配も出来る。

どうせなら観光ホテルに泊まって温泉も満喫しよう」

 

 もうヤケクソと言うか、反対しても無駄だから皆で楽しんだ方が健全だよね?

 

 

第179話

 

「駅弁って高いよね。ホカ弁の二倍以上するよ。でもこんなに高いの食べて良いの?」

 

「本当に榎本さんって食に妥協無しですね。胃袋を抑えられると何も言えない自分が悲しいです」

 

「佐和さんも美乃さんも漸く榎本さんの良さが分かりましたね」

 

「餌付け……いや、しかし私は違います」

 

「滝沢さん、特製海老フリャア味噌カツ弁当をしっかり握り締めていては説得力が有りませんよ」

 

「亀宮様だって江姫膳に柔らか生姜焼きサンドを二つも持っているではないですか!」

 

「私は良いのです。残っても榎本さんが食べますから無駄にはなりません」

 

「姉さん、オカズを少し交換しようよ」

 

「良いですけどレートは同じでなければ駄目よ」

 

 女性陣が和気藹々と駅弁トークで盛り上がっている。美女四人が二人掛け座席を向かい合わせにしてるので賑やかだ。

 途中、ナンパ目的で近付く野郎共を御手洗達が威嚇している。

 

 楽しい楽しい新幹線の旅だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 鳳来寺から帰る途中、亀宮さんの提案で全員で宮城県仙台市に向かう事となった。

 移動手段は飛行機か新幹線だが、最寄りのJTBで新幹線のチケットが取れた。

 名古屋駅18時06分発のぞみ247号東京行きに乗り、東京駅で20時8分発はやて47号新青森行きに乗り継げば21時42分に仙台駅に到着だ。

 夕食は名古屋駅で駅弁を大量購入したが、彼女達は駅弁が珍しいらしく中々決められないでいた。

 

 だから迷っているのを全て購入し今に至る。

 

 美女四人野獣六人の変則メンバーだが、四・四・二で座席を分けている。座席移動でBOX席になる列車って良いよね。

 勿論、女性陣と男性陣で席割りしているしグリーン車なので僕と御手洗が並んで座っても余裕だ。

 

「なぁ、何故に特製幕ノ内弁当は駄目なんだ?美味そうだったぞ」

 

 隣に座る御手洗が名古屋コーチン焼き鳥弁当の包み紙を剥がしながら聞いてくる。

 

「確かに美味そうだったが、アレな。名古屋以外でも東京・品川・新横浜でも売ってるんだよ、同じ物が。やはり駅弁はさ、その土地の物を食べないとね」

 

 そう言って信長膳の包み紙を剥がす。僕が選んだのは、信長膳・秀吉膳・家康膳だ。

 

 信長膳は本能寺の変の切欠になった安土御献立と戦国時代の陣中食を復元している。 秀吉膳はヒョウタンの形をしており、魚・とびこ(飛び魚の卵)・カニのほぐし身がご飯の上に乗っており、他に筑前煮がメインのバランスの取れた弁当だ。

 

 家康膳は……質素倹約、我慢の人らしい駅弁だ。つまり質素なオニギリ弁当だ。

 

 値段も信長膳・秀吉膳の半分くらいだし、人となりを表した弁当シリーズだな。

 途中で亀宮さんが乱入し、僕の弁当から気に入ったオカズを奪い自分の食べ切れない弁当を置いていった。

 

 食べろって事かな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お腹も膨れた所で調査を再開する。新幹線内はインターネットが使えるんだ。

 なので気になる名古屋周辺の伝説を調べているのだが……凄く気になる伝説を見付けた。

 昼間に寄った鳳来寺にも関係し、書斎で見付けた古銭にも関係する。

 

「徐福(じょふく)伝説か……前に櫃まぶしを食べた時に、蓬莱と名古屋と言う単語が霊感に引っ掛かった。まさかコレじゃないよな?」

 

 

 

 徐福(じょふく)伝説

 

 

 

 今から約2200年位前の秦の時代、中国に徐福(じょふく)という人物が居た。

 最近まで徐福は中国でも伝説上の人物として扱われていた。

 1982年江蘇省において徐福が住んでいたと伝わる徐阜村(徐福村)が存在することがわかり、実在した人物だと思われ始めた。

 徐阜村には石碑が建てられ村には現在も徐福の子孫と言われる一族が住んでいて、徐福について語り継がれている。

 大切に保存されていた系図には徐福が不老不死の薬を求めて東方に行って帰ってこなかったことが書かれていた。

 彼が子供を残していたのか、単に親戚が残っていたのかは分からない。系図は直系子孫らしいから徐福の子供が残っていたんだよな?

 徐福は始皇帝に、はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出た。

 

 ※司馬遷の『史記』がもとになっている。

 

 この願いに始皇帝は莫大な資金を費やして旅立たせるが、最初の航海は得るものが何も無くて帰国。

 何も無かったとは報告が出来ずに「鯨に阻まれてたどり着けませんでした」そう始皇帝に報告。

 

 ※台風を大鯨に例えて言い訳をした。

 

 不老不死の妙薬が是が非でも欲しい始皇帝は、今度は大勢の技術者や若者を伴って再度船出することを許可。

 

 徐福は今度は老若男女三千人を伴った大船団で再び旅立つ。そして、何日もの航海の末に何処かの島に到達した。

 

 実際、徐福がどこに辿り着いたかは不明だが「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」と中国の歴史書に書かれてはいる。

 

 この「平原広沢」は日本だと言われている。

 

 実は中国を船で出た徐福が日本にたどり着いて永住し、その子孫は「秦」(はた)と称したとする「徐福伝説」が日本各地に存在するのも確かだ。

 想像の域を出ないが、徐福は不老不死の薬を始皇帝に渡す気持ちなどなかったと考えられている。

 何故ならば万里の長城の建設で多くの民を苦しめる始皇帝の政治に不満をいだき、一族及び優秀な人材を率いて東方の島へ新たな地への脱出を考えていたからだ。

 なのに何故、直系子孫が中国に残って系図が有るのかが不思議だ……徐福らの大船団での旅立ちは一種の民族大移動だったのだ。

 

 中国には徐福=神武天皇とする説も有り大変興味深い。

 

 徐福は中国を出るとき、稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)・貨幣も持って出たと言われている。

 一般的に稲作は弥生時代初期に大陸や朝鮮半島から日本に伝わったとされているが、実は徐福が伝えたのではないかとも考えると徐福が日本の国造りに深く関わる人物にも見えてくる。

 日本各地に徐福伝説は存在するので実際には、何処にたどり着き・何処に居住し・何処に行ったかは分からない。実に謎が深い人物だ。

 

 伝説の残る地は、佐賀県・鹿児島県・宮崎県・三重県熊野市・和歌山県新宮市・山梨県富士吉田市・京都府与謝郡、そして愛知県蓬莱山か……

 

 

 関連するキーワードは始皇帝時代の貨幣、制銭。

 

 不老不死の妙薬と蓬莱。

 

 徐福=神武天皇。

 

 

 何か今回の事件に関連が有りそうだが、今は未だ分からない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時刻は21時42分、予定通りJR仙台駅に到着。

 残念ながら宮城県で有名な秋保温泉や鳴子温泉、松島温泉には行けないので駅前のシティホテルを予約してある。

 

「ホテルコムズ仙台」

 

 地下鉄勾当台公園駅の近くだが、仙台市内で一番高級なホテルだ。此処のツインを五部屋、横並びで予約している。

 流石にスィートルームとかは無理だが、それなりの部屋だ。因みに二人一部屋で朝食込み45000円也。

 全員で225000円(税別)になるが立て替えで現金清算になるんだ。

 

 何故、立て替えるか?

 

 必要経費は最後に纏めて経費15%を上乗せして請求するからだ。食費も全て僕が立替ているのは仕事だからです。

 ご隠居から亀宮さん関係はケチるなと言われているので、何時もの東横インは駄目なんだよね。

 タクシー三台に分乗し取り敢えずホテルへ向かう。

 

「榎本さん、杜の都仙台と言われるだけは有りますね。とても活気が有って賑やかです。直ぐにホテルに入るのは勿体無いですね」

 

 国道4号線、中央通り繁華街を通るタクシーの窓から亀宮さんの期待に満ちた声が聞こえる。

 

 ネオン輝く街並みは、いかがわしい店でなく健全なお店ばかりだ。しかし亀宮さん、貴女は僕をグルメガイドと勘違いしてないかな?

 勿論、夜食のお店は設定してますよ。

 

「春先でも東北の夜は冷え込むよね」

 

「そうね、冷え込みますね……」

 

 期待に満ちた目で僕を見る。

 

「熱燗にオデンとかどうだい?」

 

「それは素晴らしいですね!」

 

「榎本さんと行動すると、何時の間にか観光旅行になりますよね?よね?」

 

 滝沢さん、諦めて開き直る位が丁度良いんだよ。そしてホテルから徒歩5分、その店は有った。古風な外観、漂う匂い。

 

「榎本さんってさ。見た目ゴツいのに何故亀宮様が懐いたか分かった。

女性だって美味しい食べ物に弱いもん。それを普段は入れない様な店に連れて行ってくれる。

お洒落なレストランやバーとかって誰でも連れて行ってくれるけど、この手の店って中々無いし。

胃袋を抑えられると多少の事は見えないよね」

 

「確かに年頃の女性は一人では入り辛いわ。でも彼が同伴なら怖いモノは無いから安心出来るもの」

 

 おでん屋三吉の暖簾を見上げて動かない姉妹に声を掛ける。

 

「ほら、暖簾の前に立ってたら邪魔だよ。早く入ってよ、風巻さん」

 

 老舗おでん屋、おでん三吉。所謂関東炊きのオデンだが、ニラ玉やスリ身、丸ごと烏賊等の変わり種も多く全国的にも有名なオデン屋なのだ。

 カウンターと座敷のみだが、閉店23時の為に残り1時間弱しかない。これなら亀宮さんもお酒を沢山飲めないだろう。

 

 座敷のテーブルを三つ繋げて全員が座る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「取り敢えず乾杯!

明日は10時に先方と約束してるのでホテルを9時にはチェックアウトするよ。朝は全員でバイキング会場に向かうから7時には準備しておいてね」

 

「「「はーい、了解です」」」

 

 隣で大根をパクつく榎本さんを見て思う。何となくだが、亀宮様が入れ込む理由が分かる。

 彼は、榎本さんは基本的に優しく面倒見も良い。頼れるオッサ……いえ、お兄さんかな。

 

 ハンサムでも格好良くも無い。

 

 ファッション関係は壊滅的だ、ブティックとかに一緒に行けないだろう。

 女性に気障な台詞も言わないが、スマートなエスコートは出来る。

 世の中の女性が求める三高、高学歴・高身長・高収入の条件を全て満たしている。

 

 今は三平だったかな?平均的なルックス・平均的な収入・安定した職業。

 此方は微妙ね、ルックスは厳ついし霊能者は安定した職業じゃないし。

 でも最初の見た目で判断されがちだが、付き合ってみると分かる。

 

 彼の最大の魅力は、凄い安心感なのだ!

 

 彼と一緒なら、どんな苦難も障害も何もかも物ともせずに突き進める安心感が有る。

 特に自身が強い力を持つ霊能力者達は、自分を守ってくれる存在は貴重らしい。

 私だってSPとして有事の際は体を張っても亀宮様を守る覚悟は有る。亀宮一族に生まれ育ち、当主の為に生きてきた私だから……

 

 こんな庇護欲が私に有った事が驚きよね。

 

「ほら滝沢さん、黄昏(たそがれ)てないで〆はどうする?オデン出汁を使ったお茶漬けかうどん、どっちにする?お薦めはうどん」

 

 全く命を掛けた仕事の最中なのに呑気なものだな。厳つい顔に笑顔を浮かべられると、ギャップの為か凄く愛嬌を感じる。

 

「では榎本さんのお薦めのうどんで」

 

 この笑顔の下には呪詛を返すなら呪術者を確実に殺すとか言う非情な顔も持っているんだから、全く不思議な人だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お腹も膨れ軽い酔いも有るので、腹ごなしと酔い醒ましを兼ねてホテルまで歩いて行く。

 時刻は23時10分だから7時間は寝れるだろう。良く分からないが、風巻姉妹が大分軟化してくれた。

 何か、こう垣根みたいな物が無くなった気がするんだよね。御手洗達は筋肉同盟だから分かり合える。

 滝沢さんも最初の頃は威嚇されたけど、今は普通に接してくれる。

 一時はどうかと思ったが、亀宮一族に所属出来た事は良かったかな……

 

「何をニコニコしているんですか?」

 

 隣を歩く亀宮さんが覗き込む様に僕を見上げる。身長差は20㎝以上だからね。

 

「いや、何となくさ。今まで独りで仕事をしてきたけど、仲間ってのも良いもんだね」

 

 胡蝶の件も亀宮さんには教えたから、僕の秘密の半分以上は知ってる訳だし。

 

「そうですよ!榎本さんは、ずっと私達と一緒なんです。

伊集院に勧誘されても駄目ですよ。もし、他の勢力に行きたいのなら……」

 

「行きたいのなら?」

 

 急に僕の左腕に抱き付く亀宮さん。

 

「…………です!」

 

「え?」

 

 彼女は教えてはくれなかったんだ。

 

 

 

第180話

 

「ふぅ、お腹一杯だ……御手洗、先に風呂に入って良いか?」

 

 割り当てられた部屋に入るなり、同室の御手洗にお願いする。

 

「ああ、構わん。俺は亀宮様の部屋の警戒に当たるから適当に先に寝てくれ」

 

 相変わらずのSPの仕事振りだ。夜間警戒ローテーションから外されているので心苦しいが、手伝うと彼等の仕事範囲を犯してしまうので何も言えない。

 僕は警備でなく調査で雇われているから、契約範囲を超えた口出しは出来ない。

 

「分かった、じゃ亀宮さんの警備は任せたよ」

 

「おいおい、これが俺の本来の仕事なんだぞ。任される迄もないさ」

 

 そう言って漢臭く笑うと部屋から出て行った。二時間は帰ってこないだろう。

 簡単にシャワーを浴びてからベッドにダイブする。浴槽にお湯を溜める時間も惜しい程に疲れた。

 携帯電話の目覚まし機能で朝6時にセット、部屋の灯りを消す。仰向けになり薄暗い天井を見る。足元灯だけでも目が慣れると明るく感じるな。

 

「なぁ胡蝶?」

 

「む、何だ?夜伽の相手は構わんが我等がシテいる所を見られる危険が有るぞ。アレか?露出趣味……」

 

 胡蝶が僕の腹から上半身だけニョッキリと出して答えてくれるが……暗闇でも僅かながらに体が発光しているので良く見える。

 一応服は着てくれている。

 

「違う、そんな趣味は無いから……胡蝶さん、現代知識に毒されてないか?

加茂宮だけどさ、弱過ぎないか?幾ら力を分散してるとは言え、三人が三人共に瞬殺は弱過ぎだろ?」

 

 五郎と七郎、それに二子……確かに肉体強化系や精神操作系は強力だが、御三家の当主にしては弱過ぎだと思う。

 

「流石は我の愛しい下僕だな。良い所に気付いた。奴等に取り憑くモノは我と同じモノ。

奴は自分の力の底上げの為に、有る呪いを掛けた。兄弟姉妹九人を蟲毒(こどく)の毒虫に見立てているのだ」

 

「蟲毒って?確か大陸の古(いにしえ)の呪いだっけ?」

 

「そうだ。蟲毒とは本来は人を呪う呪いの一つ。蟲道(こどう)蟲術(こじゅつ)巫蟲(ふこ)とも呼ぶな。

瓶の中に現存する毒虫や毒蛇等を入れて共食いさせる。最後に生き残ったモノを蟲毒と言い、ソレを呪いの触媒に使う」

 

 蠍(さそり)・毒蜘蛛・百足(むかで)・毒蛇・蝦蟇蛙(がまがえる)、何でも良いから毒の有る生き物を共食いさせる呪いだったか……

 だがアレって生き残りを触媒に呪うのとか、相手に食わせるとか、金銭と共に相手に贈るとか色々有った筈だよね?

 

「本来の用途と違くないかな?僕が知ってる蟲毒とは……」

 

「我が今回食べた連中の魂は捕らえている。

奴等から聞き出した限りでは、二子だけは先代からの遺言で兄弟姉妹で勝ち抜けと言われたらしい。

後は各自に割り振られた力の中に組み込まれた術式を調べたので分かる。我が食った力は我の糧となり力の底上げは成った。

だが……残りの奴等が二人を食えば我と同等、三人目で我より強くなろう」

 

 何だって?

 

「九人中残りは六人。なのに三人分で同等?最悪な場合、胡蝶と同等の力を持つ者が二人も生まれるのか?

しかも更に食って一人になれば僕等じゃ勝てない程の力を?」

 

「残念だがそうだ。割り振られた力には、共食いを誘発する術式も組み込まれていた。

遅かれ早かれ奴等は凄惨な共食いを始めるぞ。その前に我等は後三人、最悪でも二人を食えれば対抗出来よう」

 

 加茂宮が弱体化した訳じゃない。そんな兄弟姉妹で共食いさせて力を得る術を行使出来るなんて……

 先代の加茂宮保(かもみやたもつ)とは、何て恐ろしい奴なんだよ。

 我が子を生贄に一族の為に更なる力を求めるなんて……

 

「心配するな。我と正明の同化が済めば、我等はもっと強くなれる。我と汝は一心同体ぞ」

 

 ペタンと倒れて首に抱き付く胡蝶さん。僕の首筋を甘噛みしたり舐めたりする。

 

 ヤバい、雄の本能が目覚めそうだ!

 

 だけど腹から美幼女を生やして抱き付かれてる状況って、他の人には見せられないな。だが加茂宮一族か……

 多分だが七郎の件も有るし、僕は既に目を付けられているかも知れないな。

 共食い……兄弟姉妹で生き残りを掛けて争わせるとは鬼畜過ぎる。でも最後に残った奴はマトモな精神じゃないだろう。

 

 肉親を兄弟姉妹を殺すって事なんだから。

 

 だが食うと言っても文字通りに肉体を食べるのではなく、霊力を食うらしいが……それなら兄弟姉妹だけでなく一般の霊能力者も対象にならないか?

 幾ら考えても纏まらず、僕は知らない内に胡蝶を抱きしめて眠ってしまった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ふざけるんじゃないわよ!早く此処から出しなさい!」

 

「嫌だ、嫌だよ。此処から出してくれよ」

 

「二子姉さん、五郎兄貴!此処は何処なんだよ。嫌だ、おれ嫌だよ……」

 

 何だろう?懐かしい情景だ。これは嘗て僕の家族が捕らわれていた魂の牢獄だ。

 薄暗く何処までも続く黒い沼地、膝まで浸かった状況でずっと歩かされている……

 何時も爺さんと両親が苦しんでいるのを身動き出来ずに一方的に見詰めて詰(なじ)られた世界。

 

「ふふふ、思い出したくはないか?」

 

「ああ、忘れたい忌まわしき記憶だな。胡蝶、何故僕に彼等を見せる?」

 

 何故、爺さんや両親に詰(なじ)られた記憶を呼び覚ます?爺さん達の魂を解放出来たから、関わり合いになりたくない世界なのに……

 

「戯れだよ、正明。これは戯れだ。見ていろ、奴等に仕込まれた術式が解放されるぞ」

 

 術式?何を言ってるんだ?

 

「あが、あがが……嗚呼、貴方達……美味しそうねぇ?」

 

「ぐふっ、ぐふふ。姉さんが食べたい、食べたい、食べたいんだ」

 

「ああ、あ、兄貴……食わせてくれよ。なぁ、少しで良いんだ?」

 

 前と同じ黒い沼に浸かっている奴等が、いきなり狂った様に体をカクカクさせている。まるで安っぽいゾンビ映画だ……

 

「ああ、頂きます」

 

「ふはっ、ふははは!あんたに食われる訳はねえだろ?」

 

「美味そうだなぁ、兄貴は……」

 

 おい、仲間割れと言うか共食いを始めたぞ!霊力を食うんじゃないのかよ?互いの体に噛みついて引き千切る。

 自分の体が毟られているのに嬉しそうに相手をかじる様は……

 

「きゃは!心臓とったわ」

 

 七郎にのし掛かり腸(はらわた)を食い千切っていた二子が、両手で心臓を引きちぎり頭の上へと捧げ持つ。

 それを奪おうと五郎が二子に襲いかかるが、彼女は怯まずに心臓を食べ続ける。

 五郎に左腕を食い千切られても構わずに、右手を五郎の目に抜き手の要領で突き刺す。

 

 のた打ちまわる五郎。地獄絵図とはこの事だ……

 

「どうやら二子が勝者みたいだな。さて、力が漲った所で食うか……」

 

 呆然と見ている中で、二子は弟二人を食い殺し狂った様に笑い出す。黒い沼の中に立ち竦み肩を揺らして笑う姿は、まるで鬼だ……

 

「あは、あは、あははははは……」

 

「勝者はお前か。では、喰らおうぞ!」

 

 体を仰け反らせ狂った様に笑う二子に後ろから胡蝶が食らい付いた。何時もの上半身が巨大なワニの様な顎になり、頭からパックリと飲み込んだ。

 確か胡蝶は彼等が蟲毒の贄と言った。つまり二人を食べた二子は、胡蝶と同等だったのか?

 

「違うぞ、正明。奴等に憑いていた力は既に我が吸収した。アレは奴等の魂に刻み込まれた術式なのだ。

蟲毒の様なパワーアップはせぬよ。だから戯れなのだ……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目覚まし機能の電子音で飛び起きる!昨日は……嫌な夢を見せられたな。

 だが二子達の魂は、胡蝶に食われたから未来永劫捕らわれて苦しむ訳じゃない。

 敵対した連中だし、哀れむ必要は無い筈だ。割り切れなくてもね。

 ベッドから起き上がれば、隣では御手洗が鼾をかいて熟睡中だ。二時間おきに二時間ずつ警戒していれば疲れるだろう。

 

 彼を起こさない為に、細心の注意で音を立てない様に起き上がる。先ずは寝汗でベトベトな体をサッパリさせる為にシャワーを浴びよう。

 ユニットバスに入り熱めのお湯を頭から被れば、嫌な汗と共に辛い記憶も流れていく。

 爺さんに両親の魂は救えた筈だ!少なくとも輪廻転生の輪に戻れたのだから。二子達みたいに魂が消滅した訳じゃない。

 サッパリして部屋に戻ると御手洗がベッドの上で胡座をかいている。半分寝ぼけているのか、焦点が定まってないな。

 

「おはよう、御手洗。熱いシャワーでも浴びてシャキッとしろよ。まだ朝食の時間には間に合うぜ」

 

 無言でバスタオルを持ってユニットバスに向かう奴を見て夜間警備って大変だなぁと思った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ホテルをチェックアウトして予約していたレンタカーに乗る事30分、目的地に到着した。

 市の中心地から内陸に少し入った場所だが、非常に自然豊かな場所だ。つまり広大な田園風景が広がり、古風な民家が疎らに建っている。

 子供の頃なら憧れた理想の「お婆ちゃんの居る田舎」だ……その田舎の中心付近に防風林に囲まれた古風な日本家屋が小笠原家だ。

 道が広いので家の前に路駐して車を降りる。

 

「見事な結界に清浄な空間だな……」

 

「本当に……小笠原一族を甘く見ていました。亀宮本家にも勝るとも劣りませんね」

 

 極々普通の和風建築。木造瓦葺きの母屋に広い庭、生け垣も見事に手入れが行き届いている。

 何よりも見晴らしのよい間取りなのに、防御機能が凄い。霊的なモノにだけ……防犯には弱い昔の趣ある日本家屋だね。

 あっ土蔵が有るな。こりゃ泥棒除けの為に人払いの結界か最新式の警備設備を……

 

「あら、セコムしてますね……」

 

 亀宮さんの指差す場所、門柱にセコム警戒中のシールが貼ってある。

 

「其方の心配無用って事かな?」

 

 生け垣を潜り抜け玄関の前に立つ。インターホンはカメラ機能付きか……ボタンを押すと艶っぽい声で返事が来た。

 

「はい……あら、榎本さん。少し待って下さいね」

 

 魅鈴さんの声が聞こえたが、玄関を開けてくれたのは静願ちゃんだった。

 

「ようこそ榎本さん。そして亀宮さんも……上がって」

 

 相変わらずの様子で僕の腕を掴んで室内に引っ張る。だが今は亀宮一族として仕事中なのです。

 

「どうぞ中へ、亀宮さん。静願ちゃん、何故ココに?」

 

 静願ちゃんの肩に手を置いて脇に入口脇に移動させ、先に亀宮さんに中に入って貰う。今回の主賓は彼女だからね。

 

「むぅ、レディファースト?昨夜お母さんから連絡が有った。

榎本さんが実家に来るって。だから朝一番で帰って来た」

 

 魅鈴さん?今日は平日ですよ。無断で学校を休ませては駄目でしょうに……

 

「お母さんが仕事の時は、私も必ず見ている。これも修行だし、仕事中はお母さんが無防備になるから……」

 

 所謂トランス状態?の時は確かに無防備だよな。それに見取り稽古も必要か……

 僕等が話し込んでいる間に、亀宮さん、滝沢さん、風巻姉妹そして御手洗達が入ったので最後に靴を脱いでお邪魔する。

 玄関壁面には防犯関係の制御盤やモニターが取り付けられている。

 皆が入ると静願ちゃんが操作、すると玄関扉が自動的にガチャリとロックされる。

 

「凄い防犯設備だね」

 

 思わず感心して静願ちゃんの頭を撫でる。久し振りのサラサラ感覚だ。

 

「うん、榎本さんの家に行った時にね。お母さんが感心して同じ事をしたの。

最近、お母さん目当ての人が多くて……ストーカー対策?」

 

 目を細めて嬉しそうにしているが、内容は物騒だ。ストーカーか?

 確かに妖艶な未亡人って表現がピッタリの人だけど、未だ逃げ出した旦那との事を清算してなかった様な?

 いや失踪10年以上だから既に相手は不在でも離婚成立だな。

 

「魅鈴さん目当て?」

 

 男運の悪い一族だし、変な相手と再婚したら静願ちゃんが不幸になる。先を歩く彼女の後ろ姿を見て考える。

 

「よし!相手を聞いて、調べて呪うか……なに、社会的に復帰不可能な痴態を晒せば魅鈴さんからも自然と離れるだろ?」

 

「それは……うん、それで良いよ」

 

 年の離れた師弟の会話は物騒だった。

 



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第181話から第183話

第181話

 

「お久し振り、でもないですわね。先日夕食を御一緒しましたし……」

 

「ええ、確かに静願ちゃんと結衣ちゃんと四人同席で留守を頼みますとお願いした時ですね」

 

 魅鈴さんは僕が一番苦手とする色っぽいムチムチ系の美人さんだ。

 てっきり直ぐに祭壇の前にでも行くかと思えば、和室に通されて向かい合わせでお茶を飲んでいる。

 お茶は静願ちゃんが煎れてくれたが、普通に美味い。静岡産の新茶らしいが、銘柄は分からない。

 

 因みに茶請けは仙台銘菓の「萩の月」

 

 しっとりカステラ生地で野暮ったいカスタードをくるんだ逸品だ。艶っぽく此方を見詰める魅鈴さんは悪い人じゃないし、霊力も高く信用出来る数少ない霊能力者仲間だ。

 だが過剰なスキンシップを求めてくる困った人でも有る。彼女の仕草は天然なんだろう。

 だから勘違いする奴も多く、先程のストーカー騒ぎに繋がる。所謂「俺に気が有るんじゃね?」だ。

 

「ふふふふ、娘達も仲が良いですし保護者同士も仲良くしても良くなくて?」

 

「ええ、ご近所さんとして同業者として節度ある良い関係を結びましょうね」

 

 この手の会話で日本人特有のあやふやな対応は良くない。バッサリ切らないと周りが誤解して余計な噂が広まる。

 

「榎本さんと小笠原さんって普通の関係じゃないらしいよ?」

 

 何て言われたら噂を消すのが大変なんだよ。彼女から言い寄ってるみたいな感じだから、誤解を訂正しても良くてテレてるとか謙遜とかに思われる。

 悪けりゃ自慢か?ああん?とかだろ。この会話の最中、周りを横目で確認すれば、亀宮さん滝沢さんは普通を装った能面顔。

 風巻姉妹はニヤニヤ、御手洗他は会話を放棄し警備に専念している。

 

「まぁ前置きはこれ位にしてさ。本題に入って良いかな?」

 

 先代岩泉氏の手帳と風巻姉妹がパクッてきた石渡先生の愛用していた蔵書をテーブルに置く。

 それとプリントした必要なデータ、生年月日・性別・年齢・没年月日そして写真だ。

 

「先ずは何方からにしますか?」

 

「本命は最期にして先ずは石渡教授からかな。岩泉氏と対話する前に情報の裏を取りたいから」

 

 分かりましたと言って立ち上がる魅鈴さん。漸く口寄せをしてくれるんだな。

 

「では本堂の方へ。静願、準備をお願い」

 

「うん、お母さん。榎本さん、コッチが本堂だよ」

 

 静願ちゃんが僕の腕を掴んで引っ張るが、何度も言うが優先順位は亀宮さんなんだ。

 

「さぁ亀宮さん、移動しようよ」

 

 彼女に声を掛けて先に行かせる、静願ちゃんは軽く肩に手を置いて傍に立たせている。

 小笠原魅鈴さんは僕が調べた限り本物だ。

 だが恐山のイタコとかと違い、ただ故人に会いたいからと頼む依頼人は実は少ない。

 一番多いのが行方不明者の生死確認だそうだ。呼べれば死亡確定、原因や死体の場所を聞く。

 だが依頼者は余り彼女に感謝しないらしい。

 それは行方不明者の生存を望んでいたのに、死と言う信じたくない現実を突き付けるから……

 理性と感情は別物とは良く言ったモノだね。

 

 前に聞いた「辛いお仕事なんですよね……」と。

 

 アレを下を向いて耐える様な仕草で言われた後に、ウルウルした目で見詰められたら……大抵の男は同情その他でクラクラって墜ちただろうね。

 普通ならさ……僕はロリコンだから平気だったし、「箱」の為に散々他人の霊を喰わせていたからな。

 

 同情心が沸かなかったのは、つまり僕の感情が壊れかけてるんだろう。

 確かに普通の人間なら死んだ親族の為に他人を犠牲にし続けたら、良心が耐えられないだろう。

 

 だが僕は……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 神道系の祭壇の前に魅鈴さんは座っていた、普通に白い袴姿だ。

 流派は分からないが、本堂が清浄な空間として機能してるのは分かる。

 祭壇に渡辺教授の写真を置いて、正座した膝の上に蔵書を置いて両手で押さえる。

 

「では始めます……」

 

 聞いた事の無い不思議な言い回しの祝詞だ。彼女は体を前後に揺すり一心不乱に祝詞を紡ぐ。

 

 5分程だろうか?

 

 急に首がガクンと落ちるとトランス状態になったみたいだ。

 

「えっと、石渡教授ですか?」

 

 恐る恐る訪ねる。

 

「ああ、そうだ……君は?此処は?何故、私は呼ばれたんだ?」

 

 魅鈴さんの口から紡ぎ出される言葉は……完全に男の、それも老人の声だ。

 

 口寄せは成功したみたいだ。僕は用意していた質問をする。

 

「家族の事を教えて下さい」

 

「家族?妻は佐知子、私よりも三年前に他界した。

息子の孝文は未だに結婚せずに研究に没頭している。困ったものだ……」

 

 正解、大正解だ!魅鈴さんには教えてない内容だ。僕は風巻姉妹を見る。彼女達も頷いた。

 これは悪いが魅鈴さんの力を試した質問なんだ。

 僕は信用していたが、亀宮さん達には初めて会う人だから確証が欲しいと言ったから。さて本題に入ろう。

 

「石渡教授、教えて下さい。岩泉前五郎氏との関係を彼が何を求めていたかを……」

 

「岩泉先生は……彼は事故で亡くなった許嫁に会いたがっていた。

黄泉比良坂(よもつひらさか)を探していたんだ。だが、あの場所には、あの場所には……」

 

 凄く苦しみだしたぞ、まるで会話するのも辛いみたいに……

 

「あの場所には?あの場所とは何処で何なんですか?」

 

「言葉にするのも苦しい……苦しいのだ。あの場所は、人間が訪れてはいけない。人の欲望の最終型なのだ……」

 

 人の欲望の最終型?何か重要なキーワードなのか?

 

「石渡教授!教えて下さい」

 

「私達は神の領域に踏み込んでしまった。あの場所は封印した。誰も入ってはいけない……アレは……奴等は……元々……ああ、駄目なんだ……」

 

 謎の言葉の後にパッタリと倒れて反応しなくなった。慌てて静願ちゃんを見る。

 

「平気、でも霊は還っていった。口寄せされて質問されても言えなかったんだと思う。

余程の恐怖が有る事。お母さんは憑依中の事は何も知らないから。榎本さん、お母さんを横にしたいから運んで」

 

 魅鈴さんを運ぶ?正座から崩れ落ちる様に倒れた彼女をお姫様抱っこの要領で持ち上げる。

 

 軽いな……多分50kg無いだろう。

 

 意識が無いから首がカクンと仰け反り、真っ白な首から胸元が強調されるし僅かに汗をかいている為か髪の毛が肌に貼り付いている。

 ほんのり頬に赤みもあり大変色っぽいが僕は全く平気だ、完璧だ。

 

「静願ちゃん、何処に運べば良いんだい?」

 

「応接間のソファーに寝かせて、コッチだから」

 

 取り敢えずソファーに寝かせた所で最初に通された和室に戻る。女性が寝ている部屋に同席はマナー違反だ。和室に入ると静願ちゃんが新しいお茶を煎れてくれた。

 

「此処で待っていて。私はお母さんを見てる。大抵30分も掛からずに起きるから平気」

 

 そう言って和室から出て行った。さて、先程の話を検討してみよう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「亀宮さん」

 

「ええ、大変に色っぽい未亡人さんね。いえ、バツイチだからシングルマザーですか?」

 

「分かり易いアプローチだが、本当に榎本さんとは……その……」

 

 亀宮さん、滝沢さん……ソッチに食い付くの?もっと大事な内容だったよね、石渡教授の話は!

 

「魅鈴さんは信頼している同業者ですが、男女の関係では有りません。アレ、天然の仕草なんですよ。

本人は意識してないから、ストーカーみたいな奴等も多いらしいです」

 

 本当に困りますよね?と笑う。

 

「「アレが天然?無い無い絶対無いですって!榎本さん騙されてますって」」

 

 風巻姉妹からハモった御意見を頂きました。

 

「まぁ僕は魅鈴さんと、どうこうなりたい訳じゃないから良いんです。それより石渡教授の言葉……

黄泉比良坂(よもつひらさか)を探していた。ドンピシャじゃないですか!」

 

「でも人の欲望の最終型とも……何でしょうか、人の欲望って?」

 

 亀宮さんの質問を考える。人間の欲望なんて際限ないからな……

 

「一般的になら地位・名誉・名声・権力・財産あたりかな?」

 

「容姿端麗とか、要は美男美女になりたい」

 

「単純に彼氏彼女が欲しいとかじゃない?」

 

 どれも欲望丸出しだが、最終型じゃないな。特に風巻姉妹の意見は若い世代の願望だろう。

 

 でも……もっと、こう……

 

「不老不死じゃないか?大抵の権力者が最後に望むのはコレだろ?」

 

 そう、それだ!滝沢さん、ナイス意見だ。他のは金と時間が有れば何とかなるモノばかりだ。

 だが寿命は誰にでも等しく同じに少なくなっていくモノだ。老いは努力で止まらない……

 アンチエイジングだって進行速度が緩やかになるだけだ。

 

「確かに永遠の若さとか命とかは欲望の最終型だね。でも先代岩泉氏は黄泉比良坂(よもつひらさか)を探した。

亡くなった許嫁に会いたいからだ。でも会えなかった。

多分だが、あの山林の洞窟には黄泉比良坂(よもつひらさか)は無くて、彼は人間の欲望の最終型を見つけた。

なぁ?最近調べた伝説に同じ様なモノがなかったっけ?」

 

 昨日の新幹線の中で調べた興味深い伝説が有った筈だ。関わりの有りそうな寺にも行った。

 

「徐福伝説ですわね」

 

「そうだ、徐福伝説だ!

彼は始皇帝に、はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって、其処に住んでいる仙人から不老不死の薬を貰ってこいと頼まれた。

あの洞窟には、不老不死の何かが有る。そして餓鬼はそれを守っているんだ。

だから侵入してくる奴等を無差別に襲う。書斎の暖炉擬きの下は、あの写真の洞窟と繋がっているんだよ」

 

 前に櫃まぶしを食べた時、変な霊感が働いた。

 

 「蓬莱」と「名古屋」って言葉に何か引っ掛かりを感じたんだけど、まさかの徐福伝説とはね。

 

「不老不死の薬が、あの洞窟に眠ってるの?」

 

「薬なのか方法を記した書物か分からないけど、石渡教授はソレを知ってあんなに怯えたんだ。でも何だろうか?」

 

 方法だけなら、あそこまで怯えないだろう。あれだけ怯えるのは、もっと怖いか酷い事が有るからだ。

 

「不老不死の妙薬・霊薬で有名なのは人魚の肉ですよね?」

 

 人魚?八百比丘尼(やおびくに)の伝説か……亀宮さん、良い所を突くな。

 あの餓鬼が水棲の生き物かって疑問も阿狐ちゃんと話したっけ。

 水掻きが無いから違うっていったけどさ、昔の人魚のミイラって正にアレの上半身に魚の下半身だ。

 上半身が美女、下半身が魚は最近のイメージで日本古来の人魚伝説は人面魚に近い。

 あの餓鬼を魚人に見立てた阿狐ちゃんは正しかったかな?

 

 

 

 八百比丘尼伝説

 

 

 

 若狭の国の小浜(福井県)が発祥と言われ全国に伝わる伝説だ。

 人魚の肉を食べた八百比丘尼が各地を周り白い椿や杉を植えていくのだが、彼女が人魚の肉を食べた経緯は大抵同じ。

 父親が手に入れて(仙人に招かれてお土産に貰った事が多い)しまっておいた人魚の肉を黙って娘が食べてしまう。

 彼女は色白で大変に美しい娘に成長し嫁ぐが、夫は次々と老衰で亡くなる。

 39人目の夫が老衰で亡くなった時に、嘆き悲しみ尼となり全国を回る。

 八百比丘尼の八百とは、人魚の肉を食べた呪いにより八百万の神々と同じ年月を生きて苦しめとか色々と有る。

 だが最初の頃は人魚とは人面魚で人の顔をした魚だった。 

 今の上半身美女下半身魚のスタイルは、デンマークに伝わる伝説の影響が大きい。

 所謂マーメイドやセイレーンの伝説だ。近年にゴチャ混ぜになって伝わった感じらしい。

 確かに顔だけ人間の魚より上半身が美女の方が話的には盛り上がるだろうし。

 

「人魚の線も有るかもね。あの洞窟は水に関係しているから或いは……

それの謎を解くのは、先代岩泉氏に聞いてみよう。本人に聞くのが一番確実だからね」

 

 暫く話し込んでしまい30分はアッと言う間だった。静願ちゃんが呼びに来るまで、人魚話で盛り上がってしまった。

 特に御手洗は興味無さそうな感じだったが、凄い食い付いていたな。無表情を装っていたが、鼻がピクピク動いたりしてたし。

 雪女や猫娘が好きらしいから、人魚話はご馳走なんだろう。伊集院一族は完全獣化能力者が多数居るらしいから、彼の理想の女性も実在するんだよな。

 特に結衣ちゃんは獣っ娘だし殆ど理想系に近いだろう。

 

 目をキラキラさせて期待している彼の姿は……大変にキモかったです、ハイ。

 

 

第182話

 

 祭壇の間に戻ると魅鈴さんが元の位置に座っていた。体調は大丈夫みたいだな。

 

「魅鈴さん、体調は平気ですか?もう少し休んでも……」

 

 口寄せにどれ位の体力を使うか分からないが、気を失う程ならもう少し休ませた方が良くないかな?

 

「大丈夫ですわ。でも有難う御座います。お姫様抱っこなんて初めてですわ。でも気を失ってたのが残念……」

 

 ははははっ、さぁ始めて下さいとあからさまに話を戻す。またお姫様抱っこして下さいとか言われそうだし……

 

「あらあら、その話は後程……年甲斐もなく嬉しいものですから」

 

 艶っぽく此方を眺めながら言われても困りますよ。それに、また後で話すのですか?いや遠慮したいです。

 

「この手帳が先代岩泉氏の持ち物です。此方が必要なデータと写真になります」

 

 前回同様に写真を祭壇に手帳を膝の上に乗せて、彼女は祝詞を唱え始めた。

 長いな……石渡教授は5分位だけど今回は既に15分は掛かっている。

 その後、暫くは祝詞を唱えていた魅鈴さんが突然黙り込むと手帳をジッと見詰める。

 前と違いトランス状態ではなく、ただ手帳を見詰めている。

 

「榎本さん、この手帳の持ち主は未だ生きてます。写真とデータで大体の霊は呼べるので持ち物は絶対に必要と言う訳ではないのですが……

手帳から感じる力と写真から感じる力は同じです。だから、この手帳が違う人の物でもないのです」

 

 先代岩泉氏が生きているだって?魅鈴さんの目を見る……嘘を言ってない、真剣な目だ。

 

「いや、それは……でも……いや、魅鈴さんの力を信じるべきだ。だけど調べるにしても、遺骨は盗まれたからDNA鑑定も無理か。

行政にも死亡届は受理されているし埋葬証明書も発行されているな。つまり社会的には死んだ事になっている……亀宮さん、どうする?」

 

 隣に座る彼女を見るが、何時ものポヤポヤじゃなくて真剣な表情だ。風巻姉妹も滝沢さんも彼女の真剣さに表情を引き締めている。

 

「榎本さん、先代岩泉氏が生きているとして……何故、何処に、何の為にと疑問も多いでしょう。

ですが権力者の醜聞や秘密には触れないのが暗黙の掟なのです。この件は私が預かります。

小笠原さん、この件は内密にお願いします。

もし話が広まった場合は……貴女は榎本さんの知り合いですから私達も無理はしたくないのです。分かりますね?」

 

 これが権力者が雇用主で有り、日本霊能会の御三家の裏事情か……

 時の権力者からの依頼を700年も請負い続けるには、人には言えない理由も有るんだ。

 僕が馬鹿だった、もっと考えてから小笠原さんに頼むべきだった。これじゃ彼女達をただ危険に晒しただけじゃないか!

 

「魅鈴さん、静願ちゃん。巻き込むつもりは無かったんだけど御免ね。何か有れば僕が何とかするから、この件は秘密でお願い」

 

 そう言って土下座をする。この件については伊集院さん任せでも良いかと思ったが駄目だ。

 秘密を知った上で解決したのと、傍観者が秘密を知っているのでは意味が違う。

 

「榎本さん、大丈夫です。私達にだって守秘義務は有りますし、良く有る事ですから大丈夫です。それに私達は榎本さんを信じてますから平気ですわ」

 

「うん、榎本さん頭を上げて。私達大丈夫だよ」

 

 突然の土下座に驚かせたみたいだ。小笠原母娘から貰った言葉は嬉しいが、それに安心しては駄目なんだ。

 この秘密を他の連中に掴まれる前に何とかしないと駄目だ。

 

「有難う、この件は早急に解決させるよ」

 

 難しく考えるな、原因解明じゃなくて被害が止まれば良いんだ。要は再び奴等を封印すれば良いんだ、秘密の内容なんて関係無い。

 先代岩泉氏や石渡教授、桜井さんや真田達でも一度は封印出来たんだから本職の僕達が出来ない訳は無い。

 

「亀宮さん、僕に考えが有るんだけど岩泉氏と直接話がしたいんだ。それには準備と方法を承認して欲しい。帰ったら打合せをしようよ」

 

「私は前に言いましたよね?榎本さんに全てを任せているから、私の断りは要らないと……良いわ、後で話を聞きましょう。

小笠原さん、有難う御座いました。約束を守ってくれる限り、私達亀宮も貴女方を守りますから安心して下さいね」

 

 キリリとした表情の亀宮さんが小笠原母娘の安全を保証してくれた。東日本は亀宮一族のテリトリーだから一応は安心だ。

 彼女の言葉をご隠居と風巻のオバサンにも伝えれば良い。直ぐに名古屋に戻る為に立ち上がるが、玄関の方が騒がしいな……

 

「魅鈴さん、お客さんみたいだよ。何か騒がしいし……」

 

 呼び鈴がなってるし玄関扉も叩く音がする。誰だろう?

 

「あらあら、またあの人達かしら?嫌だわ全く……」

 

 あからさまに顔をしかめる魅鈴さん。どうやら招かれざる客かな……

 パタパタと小走りで玄関に向かう魅鈴さんを見て、我々が今帰るとお客さんと鉢合わせになるから待つ事にする。

 立ち上がったが再び座り直す。お茶を淹れ直してくれる静願ちゃんに聞いてみるか……

 

「お客さんって誰なのかな?さっき言っていたストーカーみたいな悪い奴等なら……」

 

「ううん、違う。多分お父さんの親族達……」

 

 言い辛そうに下を向いてしまった静願ちゃんを見て、良い話じゃない事は分かった。確か旦那は失踪中だと言っていたな。

 失踪した連れ合いと離婚を成立させるには、年月が必要な筈だ。確か静願ちゃんが五歳の時に居なくなった筈だから、約十年か……

 ならば大丈夫だな、法的に戦っても負ける事は無い。

 

「亀宮さん達は此処で待ってて下さい。話を付けてきます、平和的にね」

 

 ニヤリと笑う僕を見て風巻姉妹が目を逸らした。全く失礼だな。

 

「静願ちゃんも此処で待っててね。僕はこう見えても僧侶だから、話し合いは得意なんだよ」

 

 そう笑って言ったが、誰も信じてない顔だったので少しだけショックだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 和室を出て玄関に向かうと、やはり言い争いになっている。だが魅鈴さんが一方的に文句を言われているみたいだ。

 彼女はただ立って下を向いている。

 

「だから剛(たけし)が見付からないのはアンタの所為だと言ってるんだよ。私達の老後はどうしてくれるんだ!」

 

「全く……だから霊媒師なんて怪しい商売女を嫁にするのは反対したんです。それを全く貴女ときたら……」

 

「兄さんの捜索費用は出して貰うぞ。アンタがちゃんとしないから兄さんが逃げ出したんだぞ」

 

 立ち聞きは悪いと思ったが、どうやら逃げ出した旦那の親族か。そして旦那は実家や兄弟連中とも連絡を取っていないのか?又はグルか?

 身内可愛さに他人を責めるのは分かりやすいが、夫婦間の問題に口を挟む事はないだろ。

 

 だが……この会話だけで単純に関係を決め付けるのは駄目だな。後で少し調べよう。

 

「魅鈴さん。誰だい、その騒がしい連中は?」

 

 僕的な和やかな笑顔を浮かべて彼等の前に顔を出す。どうだ、爽やかだろ?

 

「ヒッ?だっ誰だ、アンタは?」

 

「そっ、そうだぞ。此処は剛の家なのに、勝手に入り込んで……魅鈴さん、あの男は誰なんだよ?」

 

「全く、剛が居ないからって昼間っから男を引っ張り込むなんて……とんだ売女だね」

 

 腰が引けつつも暴言を吐けるのは大した物だな。

 

「初見で暴言を吐かれるとは、名誉毀損で訴えても良いですよね?魅鈴さん、この人達は誰だい?」

 

 魅鈴さんの肩に手を置いて引き寄せ、なるべく凶悪な笑みを貼り付けて相手の目を順番に見ながら聞く。魅鈴さんは僕の顔は見えないから丁度良い。

 60歳位の男女に40歳前後の男。どいつもこいつも意地の悪い顔だが、迫力では負けてない。

 

「なっ?ウチの息子と嫁の話に他人は口を出すな!」

 

「そうよ。この女が悪いから剛が居なくなったのよ!この女が悪いのよ」

 

 確か失踪した旦那はギャンブル好きだったっけ?だが魅鈴さん程の美女を捨てる気持ちが分からない。

 静願ちゃんという子を成す位だから同類(ロリコン)でもないだろうし……

 

「失礼ながら例え親族といえども夫婦間の事に口出しするのは如何かと思いますね。それは当事者間で解決する事ですよ。

それを捜索費用を払えとか、強請(ゆすり)集(たか)りじゃあるまいし。全く何を考えているのですか貴方達は?」

 

 やれやれ的に溜め息をつく。まだ魅鈴さんの肩から手を離さない。

 彼女が困惑気味に僕を見上げてきたが、困惑と言う事は負い目か何か理由が有りそうだな。

 なるべく優しい笑顔を作って彼女を見る。色々言われて心細いはずだから、せめて彼女には凶悪な顔を見せるのはやめよう。

 単純に喧嘩腰で脅しても追い払っても駄目か。

 

「なっ?まっ、まぁ良い。今日は帰るが覚えてろよ!」

 

 そそくさと引き揚げる連中を見送ってから手を離す。

 

「魅鈴さん?」

 

「すみません、お恥ずかしい所を見せてしまって……」

 

 弱々しく微笑む彼女を見ても情欲も湧かない。単に親しい人が困ってるから何とかしたい気持ちが心の中に広がる。

 

「彼等は逃げ出した旦那さんの親族ですね?」

 

 黙って頷く彼女になるべく明るい声で話し掛ける。

 

「はい、そうです」

 

「何故彼らは、今日魅鈴さんが居るのを分かったのかな?」

 

 偶然にしてはピンポイントで来すぎる。

 

「その……近所に住んでますから、雨戸が開いていれば私が居るのが分かると思います」

 

 近所に居るにしても早過ぎるだろう。この辺は近所と行っても隣の家まで20m位離れてる。都会の密集した住宅事情の感覚じゃないからな。

 

「それじゃ今後の事を一緒に考えようか。応接間に静願ちゃんも呼んで一緒にね」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの人の事は既に諦めているわ。私を私達を捨てて失踪した、あの人の事は……

 私の事を化け物と呼び、代々女性が力を引き継ぐ為に静願も、我が子なのに忌み嫌った。

 

「最初に魅鈴さんと静願ちゃんが、どうしたいか教えて?旦那さんに、お父さんに戻って来て欲しい?」

 

 先ずは私達の希望を聞いてくれるの?他の人達みたいに一方的に別れろとか言わないの?

 

「私は……あの人は要らない。お母さんと私を捨てた人なんて要らない。お母さんがどれだけ苦労して私を育てたか知ってるから、もう要らない」

 

 静願……貴女、そんな事を考えていたの?悪いお母さんでごめんなさい。

 

「魅鈴さんは、どうかな?」

 

 優しく聞いてくれる榎本さんが、凄く頼り甲斐が有る様に見える。

 

「私、私が悪いんです。私があの人を怯えさせてしまったから……」

 

 あの人の私を見る目が怖い。まるで理解出来ない化け物を見る様な目が、堪らなく怖いの。

 

「ああ、何だ簡単だね。旦那さんは理解と覚悟が足りなかったんだ。魅鈴さんは悪くないよ。

僕達は霊能力者なんだから、他の人と違うのは当たり前だからね。

それを詰(なじ)るのは旦那さんの理解と覚悟が無いからだよ。前提が霊能力者と結婚なんだから……」

 

 僕達……は?霊能力者だから……私は、私達は悪くないの?

 

 ただ此方を見て笑ってくれる榎本さんを見てるのだけれど、何故か滲んで……

 

「お母さん、はいハンカチ」

 

 静願に渡されたハンカチで目尻を押さえる。

 

「魅鈴さんが口寄せを生業にしてるのを承知で結婚したんでしょ?それを怖くなったから逃げ出すのはね、確かに普通の人なら仕方無いかも知れない。

だけど、魅鈴さんが負い目に感じる事は何もないんだ。だってアレでしょ?

カツ丼を注文したらお肉を食べられないからって逃げ出したんだよ。食べられないものを注文したのに、そのせいでお腹が空いたと怒るのは筋違いだよね?」

 

 は?カツ丼?私がカツ丼?榎本さんは私をカツ丼に例えて、食べたいって事なのかしら?

 

「私はカツ丼なんですか?ふふふ、そうですわね。私は何も……」

 

「僕は親子丼を頼んで間違えてカツ丼が来ても食べちゃうけどね!」

 

 ふふふっ、例え話が食べ物なんて意外だけれど、そう言われると納得かも。結局、あの人は私の全てを見てなかったのね……

 分かっていたけど、いえ分からない振りをしてたけど、現実って厳しいわ。

 

 

第183話

 

「結婚に夢が無くなるわね。愛し合って子供まで生ませたのに、怖いとか化け物ってなによ。サイテーの旦那ね」

 

「全くです。恋愛や結婚に夢も希望も持てなくなります。しかし、そんな駄目野郎に未練が有るのが分かりません」

 

「榎本さんが言った理解と覚悟。確かに私達霊能者の恋人や旦那様には必要なモノだわ。

同等以上の力を持つ同業者なら不要かもしれないけど、格下や一般の殿方では不安ね」

 

 出歯亀ばりに扉の隙間から覗く視線は三つ。

 

「亀宮様、覗きは失礼ですよ。しかも夫婦間の話を他人が聞くのは……」

 

 覗かずに隣に立つ人が一人。だが耳は部屋の中の声を拾おうと真剣だ。

 

「でも榎本さんって、意外ですが面倒見は良いんですね。痴情の縺れとか男女間の葛藤とかは、端で見るのは良いんですが……ねぇ?」

 

「魅鈴さんも天然で色気を振り撒いてるらしいけど、逃げた旦那との事は消極的だね。ありゃ誰かがガツンと一発抱かないと未練が断ち切れないんじゃないかな?」

 

 他人の恋愛事は当事者以外は関わりたくはない。対岸で見るには楽しいが、近くで見るには危険極まりない。何時飛び火するか分からないのだから……

 

「美乃さん、何を言うんですか?駄目です、魅鈴さんは人妻なんですよ。浮気ダメ、絶対!」

 

 胸の前で手をクロスしてダメを強調するが、胸も強調された。タユンと揺れる胸に周りの女性陣の視線がキツい。

 

「亀宮様……碌でもない旦那と別れさせる話ですから、人妻や浮気とかは関係無いですよ。

さて、榎本さんは魅鈴さんをモノにする気は無さそうですが、どうするのでしょうか?」

 

 テンパる主に冷静な侍従、いや護衛だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本さん、私はどうしたら良いのでしょうか?」

 

 俯きながら聞いてくるが、聡明な彼女だから自分なりの答えを持っているだろう。静願ちゃんも居るのだから、今更旦那との愛欲に溺れる事も無いからね。

 

「うーん、自分のこれからを他人に質問する時ってさ。実は自分なりの答えを既に持ってるでしょ?

何をしたら良い、何をしなくちゃ駄目だ。他人にさ、背中を押して欲しいんだよね。それで良いのか、理由付けが欲しいんだ」

 

 ハッと此方を見上げる顔には、少しだけ僕を憎らしく思う感じが滲んでる。誰でも他人に言われた事をする方が楽だし責任感も無い。

 でも、それって最終的には長続きしなかったり疑問を持ったりするんだ。

 

 決定は自分で、責任も自分で。

 

「榎本さん、酷い人。他にも貴方みたいに、あの人との事を言う人も居たわ。でも大抵が別れろ、俺が面倒見るからって。

私の体にしか興味が無い人達ばかり。自分から別れるって言わせたのは、榎本さんが初めてよ」

 

 これだけの美女が失踪した旦那の件で相談すれば、普通は自分が面倒を見てあわよくばと考えるよな。恨めしそうに見上げられても困るんです。

 

「自分が言った事なら失敗しても諦めがつくでしょ?どんな結果になってもさ」

 

「ええ、私が決めて私が実行します。静願の為にも、はっきりさせないと駄目なんですものね」

 

「お母さん……」

 

 静願ちゃんが魅鈴さんに抱き付いた。母娘の絆が深まった瞬間なんだが、部屋の外に出歯亀も沢山居るしやり辛いなぁ……

 覗きがバレてないと思っているのだろうか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 扉一つ挟んで昼ドラみたいな展開になっている事をリアルに盗み聞きする亀宮一族。

 凄く「オラ、わくわくしてきただ!」的な展開に皆が引き込まれていた。

 

「自分で決めさせるね。確かに他人から言われた事なら、上手くいかないと途中で投げ出しそうだわ」

 

「確かに、これは間違ってるんじゃない?とか否定的になるかも」

 

「うーん、流石は僧籍に身を置くだけの事はあるな。長年未練?タラタラで引き伸ばしていた離婚に踏み切らせるなんて。

しかも自分から言い出したからには、文句は言えない」

 

「ほら、見なさい。榎本さんは素晴らしい方なのです。亀宮一族に必要な方なのですから、伊集院などには渡しません!ええ、渡しませんわ」

 

 ガッツポーズを取るが、反動で胸がタユンと揺れる。タユンと揺れる胸に周りの女性陣の視線がキツい。

 

「「「亀宮様、声が大きいです!」」」

 

「あら、ごめんなさいね……」

 

 出歯亀達も盛り上がってきたようだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「方針が決まれば後は簡単だよ。魅鈴さん、旦那さんが最後に連絡してきたのは?

又は生存を確認する事が有ったのは?例えば手紙や電話、借金の取立が魅鈴さんの方に来たとか、何か有るかい?」

 

 右手人差し指を頬に当ててムーっと考え込む魅鈴さんは、大変に愛らしいですね。

 静願ちゃんはお茶を淹れに部屋を出てしまった。お母さんが方針を決めれば、自分はもう関係無いのかな?

 父親に対して大分ドライな感情を持ってたから、僕に父性を求めた訳か……

 

「直接に電話や手紙は無いです。でも失踪してから三年位経ってからでしたか……

私の所に借金取りが来ました。つい利子だけでもって言われて払ってしまい、結局80万円位でしたが……」

 

 80万円か……カード限度額一杯に借りて利子が膨らんだか。

 

「残りも払わされたんですね?一部でも払うと駄目なんですよ。借金を肩代わりした事になるのです。魅鈴さん……」

 

 彼女の目を見詰める。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 彼女も僕の目を見詰める。後ろの扉の外がガタガタと五月蝿いんですが……

 

「旦那さんの生死を口寄せで確認してませんね?」

 

「はい、何か怖くて……あの人が生きているのか、死んでいるのかを知るのが怖いんです」

 

 僕的には生きてようが死んでようが構わないんだ。だけど、この感じなら生きていて最悪借金塗(まみ)れとかも有りそうだな。

 どうするかな……失踪後、三年以上なら地方裁判所に提訴すれば一方的に公示送達にて協議離婚が成立する。

 失踪後、七年以上なら家庭裁判所に審議をお願いすれば死亡宣言をして貰える。だが文字通り死亡扱いだから、相続が発生するんだ。

 借金塗(まみ)れだと、それも背負わされる可能性が有るし親族の連中も勝手に死亡扱いになれば騒ぎ出すだろう。

 

「失踪時に捜索願は警察に出したかい?所謂、家出人捜索願だよ?」

 

「はい、出しましたが……それが何か?」

 

 特異家出人ならば警察も捜索してくれるだろうが、これは老人や子供等の自分の意志で家出した可能性の低い場合だ。

 成人男子だからな、一般家出人扱いだろうから別件逮捕か何かで身柄が拘束されない以外は見付からないな。

 

「魅鈴さん、地方裁判所に提訴しよう。簡単な申請で済むから安心だ。勿論、弁護士にお願いするから平気だよ。一寸待っててね」

 

 松尾の爺さんに頼めば早い。下手に見付かる前に法的手段で解決した方が良い。

 公示送達後なら、見つかっても名乗り出ても離婚は成立してるからね。相手が騒いでも大丈夫だ、法的に戦っても負ける要素は無い。

 携帯電話を取り出して、松尾の爺さんに電話する。

 

『なんだ、正明?お前から電話なんて珍しい』

 

「離婚調停をお願いしたいんだよ。小笠原さんなんだけど、旦那が失踪して10年近いんだ。

出来れば死亡宣言でなく協議離婚にしたい。大至急だよ」

 

『なんだ、霞君でなく魅鈴さんと再婚するのか?まぁ誰でも構わんが、霞君にはチャント説明を……』

 

「違うって、再婚じゃないから!兎に角急ぐんだ、今日とか会えるかな?」

 

『分かった、分かった。で?何処で会うんだ?』

 

「今は宮城県の魅鈴さんの実家なんだ。電話代わるから打合せしてよ。色々と用意する物も有るだろ?」

 

 そう言ってから魅鈴さんに携帯電話を差し出す。

 

「はい、魅鈴さん。松尾の爺さんは僕が幼い頃から世話になっている信頼出来る弁護士だ。離婚調停の進め方について相談してくれる?」

 

「えっ、はい……えっと、弁護士さんですか?」

 

 丁度、静願ちゃんがお茶を淹れてくれたので一服する。うん、沢山話した後だから喉が渇いたし緑茶が美味いな。

 魅鈴さんの様子を見れば必要な書類を書き留めているし、今週中には提訴出来るだろう。剛さんって言ったっけ?

 悪いがアンタの居場所は、もう小笠原家には無いよ。

 離婚が具体的になって嬉しそうな顔の静願ちゃんの頭を撫でながら、この母娘のこの先の事を考える。

 法的に離婚が成立したら、あの親族連中の所に乗り込んで〆ておくか。

 後はこの家も引き払って、神奈川に新しい拠点を作れば完璧だな。兎に角、奴等から距離を置けばトラブルは避けられるだろう。

 

 違法でなにか言ってきたら、その時は……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「悪いけど一寸寄り道したいんだ。それに車も御手洗の方に乗りたいんだ」

 

 そう言って小笠原家の近所を宛てもなく車でさ迷い路駐している。鮮やかに小笠原家の離婚調停の準備を進めた榎本さんが、未だ何か企んでいるみたいだ。

 御手洗を亀宮様の車に押し込んで、自分でレンタカーを運転するかと思えば路駐してるし……あっ、走り出して中年女性の前で停めて何かを話しているわ。

 

 同じ様に三人位に話し掛けていたけど、何だったんだろう?良い笑顔で戻って来た榎本さんが助手席に乗り込んで来た。

 

 直ぐに先程の行動の意味を聞いてみる。因みに私が運転する車には助手席に榎本さん、後部座席に亀宮様と風巻姉妹だ。

 

「ん?いや田舎ってさ。独特のコミュニティーが有るんだよ。多分だが口寄せを生業としている小笠原家は、周りから疎まれている。

だからさっき来た親族に周りが協力するんだ。奴等の繋がりに亀裂を入れたのさ」

 

 ああ、ニヤリとした笑みは真っ黒だぞ。亀宮様はハテナマークを浮かべてるが風巻姉妹は思い当たる事が有るみたいだ。

 

「亀裂って?複数の中年女性に話し掛けていただけだろ?」

 

「ああ、こんな形(なり)した連中が、奴等の家の場所を聞くんだ。件(くだん)の家の連中がヤクザ絡みの騒動に巻き込まれたと思わせる。

その時に素人の癖に阿漕な真似をしやがって!とか憤ればさ、関係になりたくないって思うじゃん。

田舎だから噂の広まり方は半端無く早いよ。つまり奴等は田舎のコミュニティーで孤立するんだ」

 

 敵対する者には追撃の手は緩めない?普段はアレだけ他人を思いやれる人が、一度敵対するとこんなにも怖いのか?

 

「えっ、エグいわよ……其処まで彼等が憎いと言うか、追い詰めるの?」

 

「そうです、やり過ぎじゃないですか?」

 

 流石に風巻姉妹からも疑問の声が上がった。亀宮様は無言だけど微笑みを浮かべてる。ああ、亀宮様はもう榎本さんの行動を何も疑わない。

 完全に信じ切っているのだな、危険な程の依存度だが責任を取らせるから平気であって欲しい。

 亀宮様の亀宮家の入り婿か、大変だが何とかしそうだから心配は無い。

 

「ええ、僕は自分と自分の仲間が大切なんです。他は極端に言えばどうでも良いんですよ。

奴等は僕の大切な人達にチョッカイをかけた。だから僕は奴等を排除する為に最大限の事をします。勿論、法的にですよ?」

 

 最後だけど疑問系じゃ無かったかな?でも安心という意味では、物凄く頼り甲斐が有るな。

 

「「ねぇねぇ、私達も何か有ったら守ってくれる?」」

 

 風巻姉妹が、からかう様に榎本さんに声を掛ける。今までの対応を見れば無理だろうに?

 

「勿論だよ!」

 

 なっ?ナンダッテー!アレだけ弄られたり反抗されたりしてるのに、彼女達も仲間として認めてるのか?なんて懐が深いんだ!

 

「君達の安全は風巻のオバサンからも頼まれてるからね。ちゃんと契約もしてるから報酬分は頑張るさ」

 

 何だ、契約してるからか……驚いたな。風巻姉妹もブーブー怒っているが、目は笑っている。

 そりゃ裏に表に工作出来る彼の庇護の元に居れば安心だからな。でも亀宮様は確実に仲間認定だろう。

 

 御手洗達も仲良くしているから、多分だが大丈夫。

 

 なら……わっ私は、私はどうなんだろうか?恥ずかしくて聞けないのだが、もしかしたら……いや、駄目だ!

 

 私はSP、亀宮様の護衛なのだ。護衛が庇護を求めてどうするのだ?

 



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第184話から第186話

第184話

 

「時間が無いのでコース料理は無理だから単品でね」

 

 牛タン専門店「利久」はJR仙台駅前のハピナ長掛丁内に有る焼肉チェーン店だ。

 同じ焼肉チェーン店で「正宗」も有ったが、悩んだ末に駅に近い此方にした。

 店内は木目調で照明は落とし気味にしてあり、全体的にムーディーだ。

 店員さんも若い女性が多く、黒服の一団が来た時は顔を引き吊らせながらも対応してくれた。

 うん、時間が無くて選んだので期待していなかったチェーン店だが、中々に優良店だね。

 

「榎本さん、この牛タン分厚いのに柔らかい。味噌で下味が付いてる」

 

「本当に美味しい。牛タンってスライスした薄い物しか食べた事ないんです」

 

 店の雰囲気も良かったが、肉質もバリエーションも良い。特に牛タン専門店だけあり牛タンの種類は豊富だ。

 モフモフと牛タンを頬張る風巻姉妹の為に追加の肉を網に乗せ、頃よく焼き上がった牛タンを亀宮さんと滝沢さんの取り皿に乗せる。

 

「すみません、有難う御座います」

 

「榎本さん、網奉行なんですね」

 

 いえ、本来焼肉屋に行くと結衣ちゃんにお任せしてます。結衣ちゃんが居ない時は各自で網の陣地を決めて自分の分だけ焼いて食べます。

 僕が焼くのは貴女達の料理の腕が心配だからです。折角の美味しい牛タンが黒コゲじゃ勿体無いから……

 

「ははははは、そうですね。まぁ、うん、網奉行でも網将軍でも何でも良いよ」

 

 空気の読める僕は下手な事実は言わない。真実を言っても誰も幸せにならないから……

 

「牛タンの次は米沢牛だよ。先ずは脂の多いカルビを少し食べてからロース。

最後に一番高いA5ランクの米沢牛の壷漬けカルビで〆るからね。軽く麦飯か焼おにぎりも頼めるから沢山食べて下さい」

 

 御手洗達を見れば物凄い勢いで食べている。手を挙げて店員さんを呼んで肉を追加オーダーする。

 取り敢えず我々が危険な連中でなく女性も四人居る事からか、店員さんも警戒を解いてくれたみたいだ。

 直ぐに笑顔で対応してくれる。御手洗達にはライス大を人数分頼んだ、だがお櫃(ひつ)を二つ運んできたのは自分でよそれって事だな。

 

「ねぇ?亀宮さんの前で聞き辛いけど、風巻さん達は給料制?それとも出来高払いなの?」

 

 お金持ちの風巻家の跡取りなのに余り食生活が豊かでないみたいなので気になった。焼き肉のチェーン店程度で感激されると、何だかこそばゆいんだ。

 

「私達は固定給+残業1月20時間迄だよ。実家に住んでるから家賃や食費は掛からないけど仕事の時の食事は自前なんです」

 

「私も同じだが、危険手当が付くぞ」

 

 ああ、労働基準法に準じた36協定……つまり週休2日制で年間残業時間360時間以内か。以外とマトモな労働条件だな。

 

「榎本さんはどうなの?個人事業主って儲かるんでしょ?」

 

「こんな美味しい物を毎日食べるんだもん。高額所得者だよね?」

 

 キラキラした瞳で見詰められるが、$マークが浮かんで見える。目の前に亀宮さんと言う本物のお嬢様が居るのに、何故オッサンの僕に聞くかな?

 

「毎日高い料理を食べてる訳じゃないよ。普通に定食屋とかも利用するしファミレスも行く。吉野家もすき家にも良く行くよ。

今回は亀宮さんが居るから特別なんだ、接待費枠の中でヤリクリしてるんだよ」

 

 一族の当主に普通にコンビニ弁当を食べさせるとか無理だろ?だからなるべく外食に連れ出すんだ。

 

「榎本さんは高給取りですわ。

八王子でも一週間と経たずに1000万円を稼ぎましたし、先日もウチの一族が持て余した壷も祓って頂きましたわ。

あの壷ですが、二つで1050万円を榎本さんの口座に振り込んだ筈ですわ」

 

 ご隠居の婆さん、亀宮さんに教えたのかよ。しかも二つ分だと?

 

「あの壷って五秒で祓ったんでしょ?榎本さん、私に貢いでよ!」

 

「そうですね。経費0で人件費は自分だけ、殆ど純益100%なんて凄いです。私にも何か買って下さい」

 

 風巻姉妹のおねだりが始まった。しかも、あからさまにタカって来るとは思わなかった。

 

「確かに仕事によって収入に波が有るんだよ。この前のアパートの怪異の調査だと10日間で94万円だったし、勿論純益は10%位だよ」

 

「騙されませんよ。純益って事は榎本さんの人件費は別じゃないですか?10日間で自分の給料20万円+純益10万円、つまり30万円が榎本さんの取り分。

ちゃんと契約書を読んだから見積書の構成は分かってるんです。その件の榎本さんの報酬は私達の税抜き手取り一ヶ月分と然程変わりません」

 

 ビシッと箸を持った指で僕を指す佐和さん。左手は腰に当てているが、椅子に座ったままだからポーズはイマイチだよ。

 それに人を指差しては駄目だ、マナー違反だ。無駄に有能なのが何だかなぁ……

 

「はいはい、後でオヤツ買ってあげるから早く食べるんだ。仙台駅を13時24分に出る新幹線に乗るから、後一時間しかないよ」

 

 パンパンと手を叩いて食事を促す。子供扱いするなと怒っているが一回りも違えば子供だ。

 

 だが、ロリじゃないから攻略対象外……ココ重要!

 

「お待たせしましたぁ!追加の牛タンと上和牛ロースと上和牛カルビでーす。此方はライスのお櫃が……」

 

 キビキビと店員さんが追加オーダーを並べていく。てか御手洗達はご飯を追加オーダーしてたのか?

 それを見て慌てて肉にパクつく姉妹を見て年相応な態度が可笑しくなった。誰も取らないから安心して食べて良いのに。

 

「さて僕も本格的に食べるかな……お姉さん、網を変えて僕にライス大二つとカクテキくれる」

 

「はーい、急いで持ってきまーす!」

 

 ライス大が二杯、それが僕のクオリティ!だが店員さん、変な訛りが有りますね?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 13時24分仙台駅発はやて24号東京行きに乗った。

 

 東京駅で15時30分のぞみ45号博多行きに乗り換えれば、17時10分に名古屋駅に到着する。約四時間の新幹線の旅だ。

 

「新幹線のグリーン車に乗るのって最高!普段だと自由席か最悪在来線だよ」

 

「経費節減って言葉を知ってます?榎本さん、贅沢旅行ですよ。でも楽しいし嬉しいです」

 

 途中で買ってあけた紅茶花伝を両手で飲みながら、向かいに座る風巻姉妹が笑いかけてくる。

 まさかボックス席の向かい側に座るとは思わなかった。餌付けは順調に進んでいる。

 一緒に働くなら関係は良好の方が効率が良いし、何より年頃の女性達に嫌われるのは嫌だ。例えロリじゃなくてもね……ココ重要!

 

 因みに僕の隣は亀宮さんだ。

 

「警備上の問題だよ。亀宮さんと君達をグリーン車と普通車に分けると効率が悪いだろ?

みんな一緒に居た方が対応しやすい。僕と亀宮さんなら有事の際に全員守れるからね。

勿論、呪術的な方がメインだけどさ。対人なら御手洗達の肉弾戦で問題無いだろ?」

 

 通路の向かい側の御手洗に話し掛ける。此方は筋肉がミチミチしているボックス席だな。別の意味でゆったり座席のグリーン車で良かった。

 

「任せろ、我々は肉の壁だからな。物理的な襲撃なら問題無いぞ」

 

 因みに僕等が遠距離でも電車を利用する訳の一つは……携帯する武器が金属製だから飛行機だとゲートで引っ掛かって没収だからです。

 滝沢さんなんか鉄柱を仕込んだトンファーが武器だし、僕も背中に大振りのナイフを仕込んでいるからね。

 警察に尋問されたら言い訳出来ないな。椅子を少し倒して目を閉じる。気持ちを落ち着けて先程の件を考える。

 

 先代岩泉氏が生きている。

 

 亀宮さんが箝口令(かんこうれい)を敷いたが、本当に生きているなら何処に居るんだ?

 そもそも病気を患い保って三ヶ月の命と言われた筈だ。でも火葬場の職員の情報も嘘じゃない。

 軍司さんの拷問に耐えてまで素人が嘘をつけるとは思えない。ならば火葬場で生きながら燃やされた奴が居るのだが、それは誰だ?

 何故その燃やされた奴の遺骨を盗むんだ?証拠隠滅の為か?そして口寄せで呼ばれた石渡教授の言葉。

 

 人間の欲望の最終型……つまり不老不死。

 

 これ等の情報を嵌め込んで考えると、先代岩泉氏は不老不死を手に入れたんじゃないかな?

 それを知って恐れた息子は親父を火葬場で完全に焼き殺すつもりだった。

 生きたまま拘束して燃やしたが、先代岩泉氏は骨壷の中で遺骨から復活して墓から出てきた。

 だから内側から破壊した様に骨壷が散乱し墓石が倒れていた……いや考え過ぎだ!

 

 どんなに強力な術でも不可能の筈だ、不老不死や反魂の術など眉唾モノだよ。

 だが山荘の人員を交代したり息子の行動も怪しい。可能性が有るとすれば、息子が親父を監禁しているか匿っているかだ。

 顔の知られた老人が戸籍無く生活出来る程、日本は甘くない。

 だが先代の件は亀宮さん的には放置だから、彼は居ない事として考える事にする。

 

 僕が現当主である岩泉廉太郎(いわいずみれんたろう)氏に持ち掛ける話は……全ての原因が隠されているだろう洞窟の封鎖だ。

 

 先ずは山荘の書斎の暖炉擬きから大量のコンクリートを流し込む。厳杖さんのビデオカメラに写った内部の構造は、精々が高さも幅も3m程度。

 仮に洞窟が100m以上有ったとしても3m×3m×100mで900㎥だ。竪穴も50cm四方で深さ20m位だから、大した容量じゃないから問題無い筈だ。

 コンクリートは水よりも粘性が有るから、上から流し込めば洞窟内で円錐形になり途中で止まる。実際は100㎥も使わないだろう。

 

 要は竪穴さえ塞がれば洞窟内部は完全に埋まらなくても問題無い。

 コンクリートの中にパウチした御札や瓶に詰めた清めた塩とかを入れれば、簡易な結界にもなる。

 費用もコンクリート圧送車一台に生コンクリート100㎥なら300万円も掛からない。

 昼間作業なら生コンのプラントから5㎥積みの大型のミキサー車を20台も入れれば完全に穴は潰せる。

 これで出口の片方は塞がったし山荘の安全も一応大丈夫だから徳田達も安心だ。後は写真に写っている洞窟を探し出して塞げば良い。

 本来なら地下構造物の調査は専門会社に依頼したいのだが、時間的にも無理だ。

 通常なら鉛直磁気探査を利用して山荘から洞窟の通っている方向を追って行けば分かるのだが、今更第三者を入れる事は不可能だ。

 だが先代岩泉氏があの洞窟を発見したのは、戦争中の防空壕や工場を作っていた事に関係する筈だ。

 つまり、あの地図に載っていた4つの溜め池付近を重点的に調べれば良い。

 出来れば発見次第、ダイナマイトとかで手っ取り早く塞ぎたい。

 

 だがダイナマイトなんて手に入れるのは不可能だ……自分で作る?

 

 確か珪藻土にニトログリセリンを染み込ませて安定させれば素人でも出来る筈だが、違法行為には違いないから却下だな。

 そんなアルフレッド・ノーベルが初期に発明した物じゃ洞窟を崩落させるのは威力が低く無理だ。

 

 では現代のダイナマイト……

 

 ニトログリセリンと低ニトロ化セルロース(弱綿薬)の混合物をゲル状にしたもの、いわゆる”ニトロゲル"=ブラスチングゼラチンを作れるかと言えば、当然無理だ。

 餓鬼が沸くのを押さえつつ、既存の工法で洞窟を埋めるのは難しいな……それさえクリアーすれば、後は開発の時に掘り返さない様に気を付ければ十分だろう。

 これなら今回の怪異は収まると思う、臭いものに蓋をするだけだが出て来なければ良いのだから。ヤバい情報には触れずに、開発可能にするならOKだ。

 

 アフターで山林を巡回し、他に横穴とかが無いかを探して潰せば確実だろう。実体化した餓鬼の回復力は脅威だが、奴等は非力で戦闘力は低い。

 出入り口さえ塞いでしまえば、自力で穴を掘って出てはこれない。

 

 このプランの穴は……

 

 ①餓鬼以外に敵は居ないと仮定してる事。

 

 ②穴塞ぎを許可して貰えるか、またダイナマイトの入手方法。

 

 ③出入り口が複数有った場合、広い山林を探し切れるか。

 

 ④原因たる洞窟を物理的に塞ぐ事を他の参加者が認めるか?情報を開示すれば、絶対中に入りたがるだろう。

 そしてこのプランの最大の懸案事項は……不老不死の秘密を闇に葬っても良いか、だ。

 最悪だが岩泉廉太郎(いわいずみれんたろう)氏が秘密を独り占めにしたがれば、洞窟を塞ぐ事を許可せず虱潰しに餓鬼を祓えとか言いそうだ。

 なんたって人の欲望の最終型の秘密が隠されているのだから……そして岩泉廉太郎(いわいずみれんたろう)氏は多分だが洞窟の秘密を知っている。

 彼を説得出来れば解決したも同然だが、伊集院一族とは調整が必要だ。彼等が先に洞窟に突撃されては洞窟は塞げないからね。

 大体のプランを纏めた時には、東京駅に到着10分前だった。

 

 亀宮さんは僕に寄りかかり熟睡中だし、風巻姉妹は車内販売で買ったお菓子をパクついていた。

 

「そろそろ乗り換えの準備をしてくれ。東京駅での乗り換え時間は16分しかないんだ。トイレなら今のうちに行っておいてくれ」

 

 ホームが違うから16分有ると言っても忙しいし、駅のトイレは混むからね。そそくさと立ち上がる亀宮さんと直ぐに彼女に付いて行く滝沢さん。

 流石は護衛だよね、徹底しているよ。

 

「榎本さん、デリカシーないよ」

 

「そうです。トイレに行ってくれとか女性に直接言う言葉ではないですよ」

 

 大量に僕に買わせたお菓子類を鞄に詰め込む風巻姉妹から駄目出しを貰ったぞ……

 

「えっ?では何て言えば良かったのかな?」

 

 女性ならではの言い方が有るのか?今後の参考に聞いておくか……アレ?何で姉妹で顔を見つめ合ってるんだ?

 

「「ごめんなさい、やっぱり無いかも」」

 

「何だよ……期待させておいて、そりゃないだろ?」

 

 クスクス笑う姉妹を見て、此方も軽く笑う。漸く彼女達と笑い合う事が出来たな。

 

 

第185話

 

 車窓から見慣れた街並みが見えている。季節は4月末、来週からゴールデンウィークに突入する。

 結衣ちゃんとディズニーランドに行くので、早期に解決しないと駄目か?

 一時間足らずで自然あふれる田舎の風景から、無機質なコンクリート製の高層建物群へと変わる。

 もう直ぐ東京駅に到着するだろう。出来れば改装し新しく、また古い当時のデザインを再現した駅舎内を見学したいが無理だな。

 亀宮さん滝沢さんが戻って来たので、入れ替わりでトイレに行く。

 ああ言った手前、僕がトイレが我慢出来ずに乗り換え出来なかったとは言えないから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「佐和さん、美乃さん。楽しそうに笑ってましたね。何か良い事でも有りましたか?」

 

 笑顔だが目が笑ってない亀宮様が怖い。別件でご一緒した時は、余り我々に関心が無く話し掛けても必要な事しか返してくれなかったのに。

 榎本さんと一緒に行動していると、不思議と良く話し掛けてくれるのは……少しだけ嫉妬と羨望と罪悪感が有る。

 私達は亀宮様と亀様を腫れ物を扱う様に接していたから。

 

「えっと、榎本さんにデリカシーが無いって言って。じゃどう言うんだよって逆に聞かれて答えられなくて……」

 

「女性にトイレ行けは酷いけど、考えたら逆に遠回りに言われても嫌だなって」

 

 何となく反発する様に話し掛けてしまうが、怒らずにちゃんと対応してくれる。筋違いな事に嫉妬している私達は、まるで小さな子供だ……

 

「お花を摘みに行きなさいとか言われたら逆に嫌だよね?」

 

「榎本さん、引率の先生みたいですよね?生活指導の先生とか体育の先生とか……」

 

「うん、そんな感じ。でも悪くないかも。今まで一族の連中としか仕事しなかったけど、何か……こう……

最初は何時も通りに構えてたけど、全然派閥意識とか無いから肩透かしみたいな?」

 

 彼が私達に悪意を持ってないのは分かる。仕事の同僚として一人前に扱ってくれてるのも、ちゃんと理解している。

 

「そうなんですよ。実行部隊の連中って裏方を軽く見てるじゃないですか?でも今迄と全然扱い方が違うし。

榎本さんって超肉体派の前線指揮官みたいなのに、私達裏方の勘とかも信用して捜査方針を決めてくれるから……」

 

 私達を派閥が違うから、若いからと言って適当に扱う事もない。だから、だから……

 

「「信頼しても良いかなーって思いました!」」

 

 思わず姉妹でハモってしまう。考えている事は同じだから……

 

「榎本さんは私の番(つがい)候補ですからね。分かってると思いますが?」

 

 かっ、亀宮様が怖い!

 

 無表情で目が据わっているし、あれは榎本さんにチョッカイ掛けたら本気で何とかする目だ、具体的には亀様に食べさせる気だ。

 逆らっちゃ駄目だ、逆らっちゃ駄目だ、逆らっちゃ駄目だ!

 

「「異性の恋人としては無理です、絶対に無理!頼れる上司か、うーん、お父さん?」」

 

 今度も姉妹でハモってしまう。だってアレは下手な事を言ったら……

 

「ならば良いです。確かに榎本さんに任せていれば安心ですが、それに甘えては駄目ですよ。良いですね?」

 

 ああ、亀宮様……亀宮様は完全に榎本さんに依存してるんですね、好きなんですね?

 でも無理です、あの人の貞操観念は強固そうです。妖艶な色気の小笠原さんの誘惑にも1mmも靡かないんですよ。

 しかも弱っていて縋る美女にですよ。逆に「寄るなよ、面倒は見るけどそれは迷惑なんだよ」的な対応してますよ。

 

 梓巫女の桜岡霞さんでしたっけ?正直に言って女として羨ましいです。

 

 強く逞しく一途で優しくて丈夫な旦那様なら、馬車馬の如く働かせても平気だろうし、お金も沢山稼げるよね。

 ご隠居様は成功すれば今回の報酬を半分払うって言ってた。五億円の半分をですよ?

 

 うーん……でも、やっぱり亀宮様に抹殺されるのは嫌!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 拠点のマンションに戻り、執事の徳田に連絡をして岩泉氏に会見を求めた。返事は明日の午前中迄にくれる様に念を押して……

 ご隠居様にも途中報告と今後の対応も報告し、件の洞窟を塞ぐ為にダイナマイトが欲しいと頼んだが無理そうかな?

 頼みの胡蝶さんも洞窟を崩落させるだけの破壊力を伴った術は使えないそうだ。

 後は、とっても嫌だが親父さんに頼るかだが……何となくだが手榴弾とか持ってそうで怖い。

 そして僕がそれを使ったら刑務所直行の犯罪行為だからな、もし使用して捕まれば爆発物取締罰則が適用されて最悪は死刑か無期懲役、又は懲役7年以上の重罪だ。

 売り買いしたり所持したりでも懲役10年以下だからな。弱みを握られてしまうから却下だ!

 

 やはりご隠居に頼って出来れば人を寄越して欲しい。割り当てられた部屋のベッドに寝転んで考えを巡らすが、良いアイデアは何も浮かばない。

 ふと枕元の携帯電話を見ると着信有りかメール受信のランプが点滅している。

 

「誰かな?」

 

 携帯電話を開いて確認するが、知らないアドレスだな……

 

「榎本さん、今晩は。明日一族の主力が名古屋に集まります。予定よりも遅いので明後日の朝から山林に入ります。

加茂宮一子が二子達の代わりに来るとの情報を掴みました。一人では大した事も出来ないと思いますが、一応お知らせしておきます。

                  伊集院阿狐」

 

 明後日か……最短でも山荘の暖炉擬きを塞ぐ日と一緒だ。阿狐ちゃんには犬君が居るから匂いで洞窟を探せるだろう。

 書斎でも言っていたし、その為に部屋中を這いつくばって水の呪詛を受けた。被害を厭わなければ伊集院一族でも解決出来るかな?

 いや、幾ら弱くても回復力が異常な餓鬼の団体だ。しかも水の呪詛は強力だからジリ貧だぞ。

 

 彼等は変化しても基本的に肉弾戦だから耐水対策をしても……それに加茂宮だ。

 

 当主の三分の一を失って弱体化してると思っているかも知れないが、奴等は一族を贄に蟲毒を使いパワーアップを企んでる。

 もしも一子が一人か二人を食っていれば、幾ら僕や阿狐ちゃんでも勝てないだろう。

 実際に胡蝶の見立てでは、阿狐ちゃん単体ならば食えるらしい。勿論、食わないし敵対もしたくない。

 

 だが、このまま何もしなければ彼女を見捨てる事にならないか?室内が急に明るくなり、目が霞む。

 

「何だ?寝てたのか?電気も点けずに……亀宮様が夕飯どうするか聞いてくれって言われたぞ。外で食べるのか?」

 

 壁掛けの時計を見れば19時を過ぎている。確かに夕飯の時間としては遅いだろう。

 

「ん?ああ、すまない。考え事をしてた、今支度して行くよ」

 

 僕と阿狐ちゃんが通じているのを彼等は知らない。それに加茂宮の連中の事も……二子達を倒した事も残りの連中が蟲毒でパワーアップを企んでる事も知らない。

 僕は秘密を抱え込み過ぎている。でも亀宮さん達に教える事は出来ない。上着を羽織り鏡の前で寝癖のチェックを終えて隣の部屋へ行く。

 

「お待たせ。夕飯はヘルシーにしゃぶしゃぶを食べようか?」

 

 先ずは腹拵えだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一口にしゃぶしゃぶと言っても種類は多い。牛・豚・野菜・金目鯛等色々だ。

 今回チョイスしたのは「黒桜」と言う九州発の和風割烹だ。

 黒豚しゃぶしゃぶが人気で他にも馬刺寿司やジャコ天、からしレンコン等の九州の郷土料理が食べれる。

 昼はガッツリ焼き肉だったから夜はさっぱり和食だ。

 大分風巻姉妹も亀宮さん・滝沢さんに馴染んできたな……談笑しながら食べれるなら大丈夫だろう。

 トイレに行くと席を外し、珍しくボックスタイプの公衆電話に入る。だが携帯電話を使う、単に話を他の人に聞かれたくないからだ。

 連絡するのは親父さんの会社、吉澤興業だ。因みに裏の顔は「畑中組」と言ってバリバリ現役ヤクザだけど……

 

『はい、吉澤興業っす』

 

 誰だろ?知らない声だな。

 

「榎本と言いますが、親父さんか軍司さん居ますか?」

 

『えっ……榎本?榎本先生っすか?ちょちょちょ、ちょっと待って下せい。今取り次ぎます』

 

 何故慌てる?そんなに怖いのか、僕が?保留中の音楽「エリーゼのために」を聞きながら、あの組での僕の位置を考える。

 

『おう、先生!なんだい、何か進展でも有ったかよ?』

 

 親父さん、開口一番そんな砕けた会話を周りに聞かせれば、下っ端は僕に何か粗相をしたら指つめ位に思うか?

 

「ええ、明後日で大体片を付けたいのですが……ちょっと面倒臭い事になりまして。親父さん、ダイナマイト手に入りますか?」

 

『ああ?出入りか?そりゃ手に入るが……だが違法行為を嫌がる先生にしちゃ珍しくねぇか?』

 

 やっぱり違法行為だよな。親父さんが疑うのも当たり前だ、僕は口を酸っぱくして違法行為は嫌だと言い続けてるから……

 

「明日、岩泉氏と直接話すんですが……怪異現象が頻発する洞窟を崩落させて埋めたいんです。餓鬼が湧くから在来工法で塞ぐ時間が無くて」

 

『んで手っ取り早く爆発か?先生、半月くれりゃあ正規手順で段取りするぜ。何故待てないんだ?』

 

 親父さんの会社には土建業も有るから、西日本カーリットとかの鉱山開発系の会社とも付き合いが有る。

 行政申請とか諸々手続きは必要だけど、崩落の危険の有る防空壕を埋める為とかで可能か……

 だが阿狐ちゃんは明後日には突撃するから、そんな余裕は無いし向こうを遅らせる事は無理だ。

 

『なぁ先生?言い辛いなら黙って手配するけどよ。幾らダイナマイトを使っても崩れるか分からないぜ。

普通に洞窟を掘るのにもダイナマイトは使うんだ。岩盤に穴掘って差し込んで爆破する。

つまり本職が最適な場所にセットしないと崩落なんて無理だ。もしも簡単に穴を塞ぎたいなら車でも突っ込ませた方が早いぜ』

 

 車を突っ込ませる?あの写真の洞窟は岩肌に剥き出しで穴が開いていた。

 比較対象が無いから大きさが分からないが、何かを突っ込ませて塞ぐ事は可能かも知れない。

 

「なる程、だけど場所の特定が未だなんで車が入る場所かも分からないんですよ。でも崩さずに塞ぐですか……」

 

『何なら砕石を満載した軽トラを何台か用意しても良いぜ。先生が居れば運転手は安全だろ?

先生が違法行為で檻の中とか俺等も困るんだぜ。どうしてもって言うならマサかヤスの腹にダイナマイト巻かせて突っ込ませるがよ。

沢山巻いて爆破させりゃ或いは崩れるかもな』

 

 マサ、ヤス……お前達の命を守る為にも爆破は中止だ。人柱なんて寝覚めがわるいから……

 

「親父さん、有難う御座います。何か考えてみます」

 

『ん?そうかい。駄目なら連絡しな。ダイナマイト自体は有るから大丈夫だぜ』

 

 ダイナマイトを備蓄してるの?聞かなかった事にしておこう。そう心に決めて携帯電話を切った。

 そうか、単純に入口付近で爆破しても崩れないかもしれないんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 親父さんとの電話が思ったよりも長いのでトイレ大疑惑を持たれたが、電話をしていたのでと正直に言った。

 風巻姉妹はニヤニヤしていたが、特に何か言われもしなかった。餌付けは順調だ……マンションに戻り男部屋に籠もる。

 明日は早いからと念を押しておいた。寝室のベッドに座り、洞窟の閉鎖方法を考えるが何も浮かばない。

 ネットを貼るとか木材を格子状に組むとか確かに方法は有るが、果たして敵襲を去なしながら設置が可能かが問題なんだ。

 

『なぁ胡蝶?』

 

『なんだ、正明。夜伽か?だが他の奴に見られる……』

 

『その露出ネタは前もやったろ?胡蝶の力を持ってしても、洞窟は崩せないよね?』

 

 マジカル胡蝶さんなら、もしかしたら……

 

『む、洞窟をか?無理だぞ、幾ら我でも岩を砕く事は無理だな。だが知り合いに結界専門の女が居ただろ?

奴の結界で抑えている内に、普通の土木工事で塞げばよい。元々、餓鬼は結界で封じられていたのだ。それ位なら可能だろう?』

 

 結界専門?ああ、悪友高野さんか……でも餓鬼専門の結界を短期間で用意出来るかな?

 時計を見れば未だ22時27分、遅いけど無理な時間じゃない。アドレス帳を開き高野さんの名前を探した……

 

 

第186話

 

 22時を回っているが、社会人なら遅い時間じゃないだろ?自分に言い訳して高野さんの携帯に電話する。

 

 コール五回目で繋がった……『何よ、こんな時間に?』少し不機嫌かな、低い声で開口一番質問されたし……

 

「今晩は、高野さん。夜分遅くごめんね」

 

『別に構わないけど。桜岡さんにでも振られたの?自棄酒なら付き合うけど、奢りなさいよね』

 

 何故、此処で桜岡さんの話題が?しかも付き合ってもいないのに振られた事が前提ですかい?

 

「いや、仕事の話だけどさ。一寸ヤバい餓鬼道を見付けてさ。穴を塞ぐ為には一旦結界で餓鬼の出入りを防ぎたいんだ。場所が山林の中の洞窟なんで困ってる」

 

『良いわよ、餓鬼封じの結界ね?洞窟なら床・壁・天井が有るから可能だわね。で?何時まで?私も設置しに来いって事かしら?』

 

 凄く物分かりの良い対応が少し怖い。出来れば設置しに来て欲しい、湧き出す餓鬼に対処しながら結界を張るのは僕には無理だから分業したいし。

 

「うん、出来れば結界の設置迄お願いしたい。明後日の早朝から山林に入りたいんだ。因みに場所は愛知県なんだけど……」

 

『あと二時間もしないで一日目が終わるわね……』

 

 うん、実質一日で結界の準備をして名古屋に来て貰い合流して現地に向かう。つまり明日一日で全てを用意して夕方には名古屋に来て欲しいんだ。

 

「急でごめん。明日の夕方には現地入りして欲しい。勿論、ホテルの手配とかは此方でやるよ。大丈夫かな?」

 

『良いわよ。榎本さんには借りが有るし、私達は悪友でしょ?ホテルは最高級なのを予約してよね。

ディナー位は付き合いなさいな。色々と聞いておきたいし。貴方が亀宮の派閥に組み込まれたの、業界内で一寸した話題になってるわよ。

意図的に亀宮一族が広めているわ。もう逃がさないって感じよ』

 

 ご隠居か?風巻のオバサンか?僕を周りからガチガチに固める気なのか?

 

「それは……間違いではないが、正しくもない様な……」

 

『まぁ良いわ。夕方六時に何処で会えば良いのよ?』

 

「うん、そうだね……新幹線利用するよね?JR名古屋駅の改札付近に居るから、着いたら電話してくれる。必要経費は立替で後精算でお願い」

 

『はいはい、じゃあ明日ね』

 

 軽く返されてしまったが、結界に関しては頼りになるからな。これで明日に岩泉氏を説得出来れば問題無いだろう。

 さて、もう一つの問題を何とかするかな……最近登録した美少女の携帯番号をアドレス帳から呼び出す。

 時刻はギリギリ23時前だから平気かな?呼び出しのコールが、三回四回五回……寝ちゃったのかな?

 

『ふぁい……阿狐でふ……誰ですかぁ?』

 

「ああ、榎本です。夜分遅くごめんね」

 

 阿狐ちゃん、完全に寝ぼけてた……普段からは想像できない可愛い声だったけど悪い事をしたな。

 

『榎本さん……うーん、榎本さん?はっはい、今晩は。どっ、どうしたんですか?こんな夜遅くに』

 

「うん、相談と報告。

明日の午前中に岩泉氏に会って午後には山荘の暖炉擬きをコンクリートで塞ぐよ。

明後日、早朝から洞窟を探して結界で封鎖し普通の工事で塞ごうと考えているんだ。

伊集院さんには国分寺さんが居るから匂いで場所が分かるだろ?

だから先に洞窟に侵入するだろうから、万が一脱出する時には入口の結界を壊さないで欲しいんだ」

 

『私達を止めないのですか?依頼人に話をつければ、強制的に止める事も出来るでしょう?』

 

 止めるって事は亀宮が伊集院に依頼なりお願いなり通達なりをする事だ。ご隠居さんから御三家とは貸し借り無しの条件で縛られる僕には言えない。

 

「止めてくれって言っても止められないだろ?僕達は同じ条件で仕事を請負ってるし、君も一族を召集するのに今更中止とかは言えない筈だ。

どちらにしろ君達の方が先に洞窟を見付けて入ってしまうだろうし……出来れば入る時に入口に印を残してくれると助かる。

居るのが分かれば出れる様にしておくし、僕等が先に見付けたなら封鎖する。どうかな?」

 

『私達に有利な条件過ぎませんか?伊集院一族総出で除霊すれば解決は私達の手柄になります。榎本さん達は、その手伝いと言うか……』

 

 うーん、どうしようかな?情報漏洩は良くないのだが、知らせずに危険な洞窟へ突撃させるのは……

 

「伊集院さん、あのね……僕も亀宮に属してるから言えない事も多い。あの餓鬼達は不死身だ。

しかも単体では弱いが強力な水の呪いを身に纏っている。無限に近い再生力を持つ連中と狭い洞窟内で戦うんだ。

力押しでは何時かは押し負けるよ。だから封じ込めるのが最善と僕は考えてる」

 

『榎本さんが私達を心配してくれる気持ちは痛いほど分かります。でも私達にも意地が有ります。

国分寺は一族の重鎮、彼に怪我を負わせたモノを放置するのを認めるには……私の力では無理なのです。

良くも悪くも私達は力が全てなので下の者を抑えきれません。榎本さん本当に有難う御座います。

私達に構わず洞窟は封鎖して下さい。勿論、言われた通りに洞窟に入った証拠は残しておきます』

 

 駄目だ、説得は失敗だな。最初から分かっていたが、彼女の意思は固いし一族の当主としての立場も役割も理解している。

 彼女を助けたいなど僕の思い上がりでしかない。

 

「分かった。だけど僕等も君達が居るのに洞窟を塞ぐ事は出来ない。何故なら生き埋めは犯罪行為だから。

僕等は建設会社を巻き込んで洞窟を塞ぐから、少なくとも夕方5時迄には外に出て来て欲しい。それまでは塞ぐのを待つから……」

 

『ふふふふ。本当にお礼をしなきゃ駄目なのに、受け取ってくれないんでしょ?』

 

「うん、要らない。何故なら亀宮さんを裏切る行為になるし、損得で言ってる訳じゃないからね。

あくまでも僕が嫌な気持ちにならない為に話をしているんだし。じゃお互い頑張ろうね」

 

『本当に貴方は……伊集院当主の私に頑張れなんて、普通は言えませんよ。では、お休みなさい』

 

 携帯電話を切ってベッドに仰向けに倒れる。今回は時間との勝負だから、明日許可を取って動いたら間に合わない。

 結界はOK、阿狐ちゃんにもお願いはした。

 

 後は……再度携帯電話を操作してアドレス帳を開く。

 

 数コールで相手に繋がる。『はい、吉澤興業っす。どちらさんで?』こないだと同じ声の奴だが、新人か?

 

「ああ、榎本と言いますが軍司さんか親父さん居ますか?」

 

『親父っさんと軍司さんは出掛けてるっす。だけど先生から連絡が有れば携帯の方にかけてくれって言われてるっす』

 

 親父さん、僕が相談するのを予測してたかな?在来の工法で塞ぐなら親父さん関係の土建屋の方が無理も融通もきくからな。

 変に大手ゼネコンなんか絡ませたら大変だし。一寸調べたけど坑道閉鎖って名前で実際に防空壕を塞ぐ業種も有るらしいからな。

 

「有難う、じゃ携帯電話の方に連絡するよ」

 

『宜しくお願いしまっす』

 

 語尾に「っす」って方言なのか、それとも若者言葉なのか?気を取り直して、軍司さんの携帯に電話する。

 

 三回目のコールで繋がった。『おう、先生何だい?』賑やかな音楽に音程のズレた歌声が聞こえる。

 

 カラオケって事はクラブかキャバクラかな?

 

「急なんですが土建屋を紹介して欲しいんです。明日の午後にはコンクリートを打設したくて、明後日には坑道封鎖をお願いしたくて……」

 

『親父の言ってた件だな?分かった、小俣組の社長呼ぶから直接説明してやってくれ。場所はな……』

 

 やはり親父さんの経営するキャバクラだ。偶にだが親父さんと軍司さんは自分達の経営する風俗店を回る。

 勿論ただ酒やただ遊びの為ではなく、抜き打ち視察みたいなものだ。したがって経営者が何時来るか分からないと店長達は気を抜けない。

 そして今回は名古屋市内で有名な繁華街と言えば中区の錦と栄。

 

 そして親父さんの店は錦を中心に何店舗か有るが、その内の一つFLEUR FLEUR(フルール・フルール)だ。

 

 同室の御手洗に明日の仕込みの為に業者と会って来るからと伝えてマンションを出る。呼んでいたハイヤーに乗り込み夜の繁華街へと繰り出す。

 朝帰りになると一悶着有りそうな予感がするが、仕方無いよな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「いらっしゃいませ、榎本様。ご案内致します」

 

 店の入口にボーイが立っていて案内してくれる。顔を見て直ぐに分かるとは、話通りに写真付きで出回っているんだな。

 照明を落とし薄暗い店内を見渡せば、六人席のソファーセットが八組。カウンターに奥が個室ブースだろうか?

 客は既に6組程居て20人位の女の子が接客をしている。

 女の子の質は悪くないが所謂ギャル系は居ない、20歳以上30歳未満と言った落ち着いた女性が多い所かな……

 見た事が有る気がする子が居るのは、前に料亭羽生(りょうていはにゅう)に呼ばれた時に接待してくれた娘かな?

 

「おう、先生!こっちだ、こっちだ」

 

 最奥のソファーに親父さんが座り手を振っている。周りが僕に注目するのは仕方無いが、ヒソヒソと女の子に聞くのはどうかと思うぞ。

 

「親父さん、わざわざすみません。こんな時間に……」

 

 礼儀を重んじる人達だから、今回は下手に出ないと駄目だ。

 

「先生の手伝いは何でもするつもりだ。もう直ぐに小俣の奴も来るからよ。来たら奥に行こうぜ。

まぁ座って飲もうぜ。おぃ、先生はキンキンに冷えたビールだ!早く持って来い」

 

 僕が座ると左右に女の子が付いてくれる。

 

「どうぞ……」

 

 オシボリを渡されキンキンに冷えたグラスにスーパードライを注いでくれるのは……

 

「あれ?確か羽生で会ったかな?レナさんだっけ?」

 

 羽生で僕に付いてくれた女の子は二人、確かフレンドリー過ぎる梓ちゃんに外人なのに日本語で丁寧な対応をしてくれたのが彼女だ。

 

「はい、ご無沙汰してます」

 

「さぁ先生、乾杯だ!」

 

 冷酒を飲んでいた親父さんのグラスに軽く当てる。

 

「「乾杯」」

 

 最初の一杯は一気に飲む。炭酸のきいた冷たいビールの喉越しは最高だ!

 

「まぁ直ぐに仕事の話はアレだけどよ。どうなんだい、見通しは?」

 

 枝豆を食べながら親父さんが聞いてくる。小俣氏が来る前に、ある程度の情報は知りたいのだろう。

 

「そうですね。原因も大体掴んだし対処方法も考えてます。打合せ次第ですが、解決は問題無いでしょう。後は穴塞ぎに何日掛かるか次第ですね」

 

 僕を呼ぶ時は何時も大量の料理を用意してくれる。僕の前には急いで出前を頼んだだろう握り寿司が五人前程並んでいる。

 

「流石は先生だ。来て一週間も経たずに解決出来るたぁ凄いぜ。大分犠牲が出てるらしいじゃないか?」

 

 寿司を食べる場合、先ずはサッパリそれから鮪だ。鮃(ひらめ)のエンガワを一口……うん、美味い。

 

「ええ、そうみたいですね。岩泉氏も破格な報酬を用意するから、有象無象な連中から古参の実力者まで色々居ますよ。

今回は伊集院と亀宮との競り合いかな?まぁ伊集院は正面から挑み僕等は絡め手ですが……」

 

「あの……危ない事をされてるんですか?」

 

 客の会話に割り込む?親父さんの経営する女の子達は、無闇に内容の分からない会話には割り込まない筈だが?そう教育されてる筈だ。

 特に密会に使う様な店に居る娘なら、例え個室じゃなくとも……

 

「おい、仕事の話に割り込むんじゃねぇよ!」

 

 ほら、親父さんの機嫌が悪くなるじゃないか。

 

「まぁ物騒な会話だし気になったんですよ。レナさんだっけ、大丈夫だよ。特に問題無く解決出来るから、一般の人には危害は加えないから……」

 

「すまねぇな。先生に気ぃ使わせちまって。おい、五月(さつき)と変われ」

 

 レナさんを席から立たせ代わりの女の子を呼んだ。でも、彼女は単なる興味じゃなくて思い詰めた顔をしていたな。立ち去り際も縋るように僕を見詰めていたし……

 

「どうも始めまして、五月です」

 

 高そうな着物を纏った日本美人が立っていた。モロに親父さんの好みのタイプだな。

 

「先生、この店のママの五月だ。良かったら贔屓にしてくれや」

 

 あー魅鈴さんを更に色っぽくした感じの和風美女だな。絶対親父さんのコレ(愛人)だろう。

 迂闊な対応は親父さんの気分が悪くなるな。勿論ロリコンな僕に彼女への興味は1mmも無いのだが、無碍に扱っても駄目なんだよね。

 



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第187話から第189話

第187話

 

 レナさん退場事件から30分程過ぎてから、小俣さんが来た。中年太り筋肉質で健康的に日焼けしているが、本人曰わくゴルフ焼けだそうだ。

 50代後半で見事なツルッ禿な愛嬌の有るオッサン。それが名刺を交わして挨拶をした第一印象だ。直ぐに奥の部屋に移動する。

 六畳位の広さに中央にソファーセット、壁際には冷蔵庫からグラスの置いてある棚まで有る。

 部屋に籠って悪巧みには十分な部屋だ、当然防音にも力を入れている。もっと凄いのは脱出用の隠し扉が有り裏口近くに出れるんだ。

 店側から入ろうとしても施錠した扉を壊す僅かな時間で裏口に逃げられる。

 酔い覚ましの烏龍茶を飲みながら、明日と言うか日付が変わったから今日の午後の打合せをする。

 

「いきなりで申し訳無いですが……もう今日の午後なんですが、岩泉氏の山荘の中に有る書斎の暖炉を塞ぎたいのです。

暖炉と言っても実際は50㎝四方の自然の縦穴で深さは20m位、下は洞窟と繋がってます。ここにコンクリートを流し込んで固めてしまいたいのです」

 

 簡単な概要を説明したが、図面も写真も無いから大丈夫だろうか?腕を組んで考え込む小俣さん。

 

「先ずはコンクリート圧送車ですが大型を使うので、大型バス位の駐車スペースが必要です。

その後方にミキサー車を二台付けにします。大体長さ20m、幅はアウトリガーを張り出すので8mは欲しいですね」

 

 小俣さんがノートを持っていたので山荘の配置図を書く。山荘と駐車場、それと建物内の書斎の場所を簡単に図面化する。

 

「ふむ、駐車場に停めてブームを廊下の窓から山荘内部に入れる。廊下を配管して書斎へですね。距離は窓から30m以内で収まりますか?」

 

 加茂宮対策で頭に叩き込んだ山荘の配置図を思い浮かべる。窓から一部屋目の廊下を曲がり二部屋目だから……

 

「大丈夫です。直角に二回曲がりますが距離は30mも無いです」

 

「ならば2mの配管を20本に8mの先端ブームを用意します。

コンクリート圧送車は手配出来ますが、生コンクリートは一つのプラントでは対応出来ません。JIS規格外のプラントと混合になりますが……」

 

 JIS規格?構造体じゃないし何か申請する訳じゃないから平気だろ?

 

「別に何処かに申請が必要な仕事じゃないから平気ですよ。逆に大体100㎥で考えてますが増減対応出来ます?」

 

「最初に生コン車を10台でローテーションすれば良いですね。抑えられるかな?1台5㎥として最初に50㎥を打設出来ます。

積み荷を下ろしてプラントを往復、大体40分で戻って来れます。ただJIS規格のプラントの車は数に限りが有るので数社のプラントから出しますよ。

スランプを低くすれば……ああスランプとはコンクリートの水分の量により柔らかさと流動性を調整出来るんです。

竪穴塞ぎならば、余り流動性が高いと周りに流れて行って中々塞がらないので、水分を少なくしましょう」

 

 つまり複数のプラントから10台分を寄せ集めて打設し、終わったら各々のプラント迄再度積みに行くのか。

 それとスランプを調整して固めのコンクリートを流し込むんだな。確かに水みたいな柔らかいコンクリートじゃ、それこそ洞窟全体が埋まるまで終わらない。

 最初の50㎥で暖炉擬きを塞げなければ奴等が溢れ出して来るかな?その間に奴等が溢れ出したら防ぎ切れるだろうか?

 僕の結界の方法は御札と清めた塩だけだ。だが暖炉を塞いでいた格子をホースの穴の大きさで切断すれば、奴等が登って来ても対処出来るな。

 アレは回復力は脅威だが、個々の力は弱い。

 

「それでお願いします。ですが暖炉の格子は外さずにホースが入る程度の穴を開けて下さい。万が一奴等が登って来るかも知れませんから」

 

 黙って頷く小俣さんを見て、ああ奴等の件も織り込み済みなんだなと思った。

 後は仮にも現役国会議員の山荘だから、配管の養生方法や格子の切断方法など具体的に話を進めていく。

 細々とした内容と当日の連絡方法を打合せしたら時刻は深夜2時を過ぎていた。店は既に閉店しており客は誰も居ない。

 大抵の店は最寄り駅の終電に合わせるか午前1時位で閉店だからな。カウンターに五月さんが居てホットコーヒーを淹れてくれる。

 

「榎本さん、小俣さん。今タクシーを二台呼びましたので15分位お待ち下さい」

 

 カウンターの奥で親父さんと親しげに会話している五月さんを見て思う。

 タクシーを二台しか呼ばないって事は親父さんと五月さんは、この後お楽しみって事かな?親父さんも老いて益々お盛んな感じだな……

 確か他にも女が居て直ぐに子供が産まれる筈じゃなかったか?最近そんな話をした記憶が有るぞ。

 暫くコーヒーを飲みながら小俣さんと談笑し、タクシーの到着と共に店の外へ出た。

 

 手を振って見送る親父さんと艶っぽい笑みを浮かべる五月さんを残して……国道沿いに呼ばれたタクシーが二台、並んで停まっているので先に小俣さんを乗せて見送る。

 主賓の僕が先にと乗り渋ったが、何とかタクシーに押し込み発車させた。何故なら遠くから僕を見詰める不審者が居るから……

 

「さて、何か僕に用かな?」

 

 電信柱の陰に立っている不審者(レナさん)に声を掛ける。薄いコートの襟を立てて此方の様子を伺っている彼女は不審者でしかない。

 小俣さんが来る前に席を離れたから、彼とは面識は無い。

 だから小俣さんも彼女が此方を見詰めていても、何故こんな遅い時間に女性が一人で立っているの?程度にしか疑問を浮かべずに、タクシーに乗ってくれた。

 小走りで彼女が僕の近くに来る。

 

「榎本さんに、どうしても話を聞いて欲しくて……」

 

 やや俯き加減に、しかしハッキリと此方を意識した物言いだ。

 

「家に送る迄なら良いよ」そう言って先にタクシーに乗り込む。

 

「有難う御座います」慌てて乗り込んでくる。

 

 僕が彼女の話を聞くと言ったのは、凄い思い詰めた顔をしていたからだ。此処で突き放しても後々まで付き纏いそうだ。

 亀宮さん達の前に泣きそうな顔で現れたらどうだ?誰がどう見ても僕は悪者だろう……後は勘だが、悪い感じがしなかったから。

 例え好みのロリじゃなくとも女性に優しく接するのが紳士だと思う。

 特に彼女は接客中の話し方も好感が持てたし、苦学生だからバイトと勉強を両立させる為に夜の仕事をしているとも聞いた。単に印象が良かったとも言うけどね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あの、私には兄が居るんです。両親は早くに亡くなり二人きりで力を合わせて生きてきた兄が……」

 

 開口一番、重たい前振りが来たな。横目で彼女を観察すれば、揃えた足の上に乗せている手が震えている。問題はその兄さん絡みなんだな……

 

「それで?」

 

 出来るだけ優しそうな声で先を促す。

 

「兄は、その……岩泉先生の依頼の仕事を……」

 

「あの山林の怪異に挑んだのかい?でも岩泉氏に呼ばれた連中の中に外人は居なかったよ。レナさんとお兄さんは血が繋がってないとか、異母兄弟とかかい?」

 

 山荘に招かれた連中は全員が日本人だった。少なくとも彼女みたいに見た目で直ぐに外人と分かる奴は居なかったぞ。

 

「いえ、兄は直接仕事を請けた訳では有りません。その……解決して報告に行くと言ってましたから」

 

 ああ、そう言う訳か……確か報酬金額を聞いて有象無象の連中が山林に群がり殺されたらしいな。

 あまり無名な連中だと門前払いだったろうし、岩泉氏側だって頼むなら有名な方が良いからな。つまりは相手にされない程度だった?

 

「兄さんを探して欲しいのかい?」

 

 コクンと頷く彼女の目尻には涙が溢れている。こりゃ連絡が取れなくなって時間が経ってるんだな。

 遠い異国で肉親二人で頑張ってたんだ、長期にお兄さんと連絡が取れなくなったら凄い不安だろう。

 

「約束は出来ない。今回の件では人捜しをする暇も人手も無いからね。もし見掛けたら君に連絡を入れる様に言えば良いかい?

それと同業者にも声を掛けておくよ、見かけたら教えてくれと……」

 

 山狩りの真似事をして人捜しは出来ないし、する事も出来ない。加茂宮の連中は居なくなった二子達を探すのだろうか?全然行動してないけど……

 

「それで……結構です。生きてさえいてくれれば……それで……」

 

 完全に俯いて泣いてしまったレナさんにポケットティッシュを渡す。高級品の鼻セレブだ!

 良くハンカチを渡すとか聞くが、何を拭いたか分からない物なんて使えないだろ?

 一枚抜き取り目元を押さえている彼女を傲慢な考えだが気の毒に思う……多分だがレナさんのお兄さんは死んでる。

 徳田から見せて貰った報告書には測量会社の社員が亡くなった後に、更に五人殺されていると有った。

 彼等は岩泉氏の権力行使により事故死として葬られたが、全員が日本人だった。後の死亡報告は無い。風巻姉妹の調査も同様に死亡報告も行方不明も居ない。

 徳田の報告書は確実な情報で、風巻姉妹の調査は新聞やテレビ等の公の情報だ。つまり両者共に実際の行方不明者は把握していない、放置している状態だ。

 山林の中で物言わぬ骸(むくろ)となったお兄さんを見付けるかも知れないな。

 疑問だが情報では同業者が何人も、それこそ10人以上の被害が有る筈なのに一切の痕跡が無い。

 

 人が死ねば痕跡は残る、具体的には腐臭や死骸が……じゃあ五人目以降の連中は何処へ行ったんだ?

 

「それでお兄さんの写真とか有る?見た目が分からないと探しようがないよ。後は名前とか年齢とか特徴とか……」

 

 レナさんは鞄を開けてゴソゴソと何かを探している。差し出された一枚の写真……

 

「これが兄の写真です」

 

 レナさんと並んで微笑むイケメンが写っているが、トムクルーズみたいな奴だ。畜生、ハリウッド俳優みたいな奴だな。

 レナさんが自分の名刺の裏に何かを書いている、そう言えば僕は彼女の連絡先を知らないからな。

 お兄さんの情報かな?

 

 渡された名刺を見れば……クロード・ロッソ、28歳。

 

「身長182㎝体重75kg、右利きか……」

 

 写真と名前が有れば判別出来るだろう。死体を発見しても最悪は岩泉氏に伺いをたてるから、闇から闇へと処理されるかもしれない。

 

「分かった、もし会えたら必ず君の事を伝えるよ」

 

 死体を見付けたら報告するよとは言えないからな。なるほど、魅鈴さんの言った行方不明者の生死を特定しても感謝されないって意味が分かった。

 残された者は生きている事を望んでいるんだ、最後まで……魅鈴さんも大変なんだな。

 

 今度からもう少し優しく接してあげようと思う。その後、直ぐにレナさんのアパートに到着し彼女と別れた。

 彼女はタクシーが見えなくなる迄頭を下げていた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 3時7分、マンションに到着。

 

 部屋の前で護衛している名前も知らぬモブな筋肉君に手を上げて挨拶すると、男子部屋に入ろうと鍵を取り出す。

 いや、君なんで女子部屋のインターホンを鳴らすの?直ぐに扉が開いて、眠たそうな滝沢さんが顔だけ出して手招きをする。

 

「いや、夜も遅いから報告は朝にしようよ」

 

「それは起きている亀宮様に言って下さい」

 

 また浮気がバレた旦那みたいな感じですか?申し訳なさそうな滝沢さんの為に女子部屋に入る。

 

「夜分にお邪魔します……」

 

 玄関に入ると佐和さんがスリッパを出してくれる。餌付けは順調だ。

 

「亀宮さん、怒ってるのかな?」

 

「いえ、ご隠居様から連絡が有りまして。遅くても榎本さんと話がしたいからって……応接間に居ます。眠気覚ましの珈琲煎れますから」

 

 餌付けは本当に順調だ。だがご隠居さんからの連絡?僕の方には無かったけど……応接間に入ると亀宮さんが難しい顔をして座っている。

 

「どうしたんだい?こんなに遅い時間でも良いから話したい事って?」

 

 なるべく優しく話し掛けながら向かい側にすわる。

 

「榎本さん、御隠居様から連絡が有りました。加茂宮一族から問い合わせが有ったと……私達が山荘で会った三人ですが、消息不明らしいです。

彼等は私達亀宮一族が何かしたのかと強く詰問されたそうです……」

 

 動きが些か遅くないかな、加茂宮一族よ。しかし何か有ったと疑うのに、増援は一子だけらしいし……

 

「確かに餓鬼の襲撃から見掛けないね。だからって我々を疑われても……確かに七郎は亀宮さんにご執心だったから、ウザくなって始末したと思われたのか?

だが、仮にも加茂宮の当主を僕達がどうこうしたってのは言い過ぎだよね」

 

 当たり障りの無い会話を心掛ける。亀宮さんは意外に鋭いから嘘はバレるかもしれないし……

 

「はい、私達には動機も無いしアリバイも有ります。最後に彼等を見たのは夕食の時でしたから……」

 

「うん、そうだね。それでご隠居さんは何て言ってたんだい?」

 

 これが一番大切だ!奴等の対処方法をどうしたらよいか?

 

「はい、今回の除霊に対して協力を要請されたそうです。凄く珍しいのですが……」

 

「拒否権は有るの?ご隠居さんはどうしろって?」

 

「それが、出来るだけ協力して欲しいと……」

 

 ご隠居さん、随分と話が違わなくないか?御三家には貸しも借りも無しでって話じゃなかったかな?

 何か協力しなければならない、した方が良い理由が有りそうだな。

 阿狐ちゃんの率いる伊集院との協力は無理っぽいが、一応打ち合わせはしておくか……

 

 

第188話

 

 高槻からの報告。

 

 これは大変な内容だった……愛知県と言えば我等が加茂宮の勢力圏だ。しかも岩泉氏は現役の国会議員なので、縁を結んでおく事は重要。

 だから我等の内の三人を送り込んだのに……操作系の二子、裏方的で慎重な性格の五郎、性格はアレだが上には従順な七郎。

 七郎は亀宮の当主に懸想してる為に、半ば強引にメンバーに潜り込んだ。だが三人全員が消息不明とはどうしたのだ?

 

 それに高槻め……

 

 この加茂宮一子に対して隠し事をするとは許せない。貴女の配下からのタレコミと、桜井からの直接の聞き取りで分かった事実。

 女性ならば誰もが願わねばならない秘法を独り占めにしようとは大した女狐め。私自らが現地に出向いて、是が非でも手に入れるわ!

 

 そして、報告に有った男。榎本正明……

 

 報告書に有った、あの小原氏の悪霊化した悪妻を昇天させる程の力を持つ男。濡れ濡れ透け透け梓巫女の桜岡霞の彼氏ねぇ……

 女の趣味は悪いけど能力は高いわね。魅力的な女性が華麗に行う行為、それは他人の男を奪う略奪愛!

 誰よりも分かり易い私と相手との美しさの差。それは奪う方が美しく奪われる方が醜い。そして選ぶ男は外観の美醜には囚われない。

 何故なら男とは女にとってのオプションだから、金・権力・霊力と必要な物が違うのだから見た目よりも内容が重要なの。

 ただの見栄えの良い男は観賞用として私が飼わねばならない。私は奪う者で有り与える者ではないのだから。

 私にとっての男を魅了するとは狩猟と同じ。鮫は欲しくてもグッピーは要らないのよ。

 この秘法と使えそうな下僕の両方を手に入れる為には、ある程度の下準備が必要だわ。

 先ずは疑われずに亀宮の配下の彼に近付く手段ね。共闘はしないのが不文律だが、今回は報酬は譲るから力を貸して欲しいと頼みましょう。

 加茂宮に貸しが出来るのだから、亀宮の老人達も無碍にはしない筈よ。五億円など私の美貌が維持出来るなら要らないわ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮さんからの驚きの報告の後、男子部屋に戻り早々にベッドに潜り込んだ。既に時刻は4時を回ったので、後二時間もすれば朝日が登るだろう。

 7時には起きて準備し10時に岩泉氏と会う。余り寝れる時間は無い……あれだけ拒んだ共闘をあっさり加茂宮だけ認めるなんて、どんな裏取引をしたんだ?

 

「ねぇ胡蝶さん?」

 

「何だ?我は同じネタは三度はやらぬぞ」

 

 露出ネタは終わりだね。

 

「今日は暖炉の縦穴塞ぎだけど、最悪明日は餓鬼とやり合う事になる。どう対処したら良いかな?」

 

「ふむ、我に捧げし加茂宮の子等により我の力は高まった。だから正明には、あの水の呪詛は効かぬ。

だが餓鬼自体は左手で触って食うしかあるまい。我が正明の体から出ては呪詛は防げぬよ」

 

 つまり胡蝶を宿している限り、僕は水の呪詛を防げるのか。

 

「他の連中は犬の渋谷さんと同じに体の一部分を犠牲に?」

 

「そうだな、失う部分は減れども方法は変わらぬよ。我とて出来る事と出来ない事が有る」

 

 失う部分が減る?左腕全てが肘から下で済むとかかな?

 

「加茂宮一子に協力する事になった。流石に共闘中に食うとか言わないでくれよ。確実に疑われるからな?」

 

 協力している相手が消息不明なんて、確実に疑われて調べられるだろう。

 奴等を最低二人、出来れば三人は食わないと負けが確定なのだが、秘密裏に行わなければならない。疑われたら最後は組織力で押し負けるだけだ。

 

「む?だが悠長な事は言ってられぬぞ。我とて無茶は分かるが、最終的に手が出なくなる前に食うべきだ!」

 

 胡蝶が焦るのも分かる、何故なら放っておけば絶対勝てない相手が出来上がるのだから……

 

「状況が良ければ食うのも有りだが、無理はしないよ」

 

「むぅ、分かった。だがチャンスが有れば問答無用で食うぞ!我と正明の幸せの為にな」

 

 僕等の幸せか……今でも十分に幸せなんだけど、もうお腹一杯な位にね。

 だが目を付けられた可能性が有る以上、加茂宮を放ってはおけない。薮蛇かもしれないが、希望的観測をベースに動くのは駄目だ。

 常に最悪を考えて行動したからこそ、今の僕が生きているのだから……そして最悪を回避する為に、阿狐ちゃんにもメールを送っておく。

 

 折角良い関係を築きつつあるのに、秘密裏に加茂宮の三人を共同で倒した彼女達に疑われては困る。

 

 今更加茂宮側に鞍替えとか思われても嫌だしね。携帯電話を操作し、メールを作成する。

 

「伊集院さん、加茂宮が亀宮の古老達に働きかけて今回だけ共闘しろと根回ししてきた。

最悪の場合、僕等は加茂宮一子と行動を共にするかもしれない。だが段取りは打合せの通りに行う。臨機応変に対応しよう」

 

 送信ボタンを押してから漸く瞼を閉じる。最近寝不足じゃないかな?直ぐに意識を手放した……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 律儀に報告をしてくれる榎本さんには本当に感謝が必要ね。もし事前に教えてくれなかったら、一子と一緒に居る彼を裏切り者と思ったかも知れない。

 だが、コレで分かった。加茂宮は焦っているんだわ。今なら奴等を蹴落とす事が出来るかも……榎本さんは慎重派だから洞窟の奥には入ってこない。

 だが二子達が消息不明な状態なら一子はどうかな?中に居るかもしれないと捜索に入るだろう。又は利を焦り洞窟に突撃するかもしれない。

 

 暗く狭い洞窟、餓鬼の蔓延する危険な洞窟……

 

「ふふふっ毒蛇の巣穴に入り込んだら大変なのよ。悪いけど一子さんも処分しますか……」

 

 榎本さん、ごめんなさいね。

 

 私って蛇だけに必要と思わない相手には徹底して冷血なんです。しかも私にはピット器官も有るから自分で赤外線探査も出来るので、暗い洞窟は私の狩場なのよ。

 でも大丈夫、榎本さんには絶対に危害を加えないから安心して下さいね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 電子音のけたたましい音で目が覚める。

 

「うわ、春先なのに寝汗が凄いな。風邪でもひいたのかな?でも嫌な夢を見た様な気がする。何かに狙われている様な……」

 

 凄く嫌な夢だった。まるで丸腰で夜のサファリパークに放り込まれた様な心細さが有った。

 暫くベッドの上で考え込んでいたが、7時5分を表示する時計を見て慌てる。急がないと亀宮さん達に汗臭い体で会わなければならない。

 タオルを手にバスルームに入る。軽く汗を流して髭を剃り身嗜みを整えたら女子部屋へと向かう。

 

 扉を開ければ良い匂いが漂ってきた……

 

 調理師免許を持つ御手洗がゴツい手で器用にフライパンを操る。今日の朝ご飯は、お好み焼きみたいだ。

 

「おはよう、今朝はお好み焼きかい?」

 

「ああ、具材は豚肉とエビ・イカの二種類だ。お前は五枚は食べるだろうから早く席に座れ」

 

 キッチンのテーブルは六人掛けだが、既に女性陣が全員座りお好み焼きをパクついていた。

 

「おはよう!」

 

 軽く手を上げながら挨拶し亀宮さんの隣に座る。

 

「むぐ、お早う御座います、榎本さん」

 

 律儀に応える亀宮さんと、会釈したり手を振ったりと適当な挨拶を返す女性陣。

 

「亀宮さん、慌てないで良いからね。ゆっくり食べてよ」

 

 滝沢さんにナプキンで口を拭いてもらう彼女を見ると微笑ましく感じる。

 御手洗がデカいお好み焼きをテーブルに置いてくれたので、お多福ソースをたっぷりとかけてから一口。

 

「うん、美味いな」

 

 外はカリカリ、中はジューシーな仕上がりだ!大阪人ってさ、お好み焼きが大好きなのに自分では焼かないんだよね。

 お店の人が焼いたのを食べるんだって。たこ焼きは自宅にたこ焼き器まで常備してるのに不思議だよね?

 だから東京に来て自分で焼くスタイルにビックリするんだって!

 大好きなのに焼くのは下手なんですか?折角だから本場の人が上手く焼いてくれって期待されるから、プレッシャーが凄いらしいよ。

 等と雑談をしながら美味しい朝食を楽しんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 青海苔が唇や歯に付いて無い事を確認して指定されたホテルのロビーに向かう。

 岩泉氏との会談は名古屋マリオットアソシアホテルの52階スカイラウンジを指定された。どうやら宿泊しているらしい。

 流石は高級ホテル、周りのテーブルとの距離も広いしソファーはフカフカだ。客もチラホラ居るが、此方の会話は全く聞こえないだろう。

 余談だが高野さんの為に用意したホテルでもある。

 日本のホテルとしては珍しくシングルルームが無いのでダブルルームをシングルユースした。

 

 一泊朝食付きで63000円也……

 

 会談に参加するのは僕と亀宮さんだけで、残りは少し離れた席で待機だ。岩泉氏は誰も伴わずに一人で来た。

 互いに珈琲を頼んでから直ぐに交渉に入る。亀宮さんが最初に挨拶をしてから話を僕に振る。事前に打合せた通りの流れだ……

 

「わざわざご足労有難う御座います」

 

 TPOを踏まえた挨拶をする。

 

「型に嵌った挨拶は良い。それで山林の怪異は解決出来るのか?」

 

 そして一蹴された……少し不機嫌なオーラを感じるのだが、何か気に食わない事が有るのかな?

 

「はい、あの怪異はこの餓鬼達が原因です」

 

 厳杖さんが撮ったビデオカメラの映像をプリントした物を見せる。チラ見しただけの彼を見て、もしかして餓鬼の存在を知っていたのかと思う。

 

「ふん、それで?」

 

 やはりだ、そんなに驚かないのは変じゃないか?普通なら手に取ってマジマジと写真を見る筈なのに、全く見ないのは変だ。

 

「餓鬼道は山荘の暖炉擬きに通じており、山林の洞窟に繋がってます。先ずは山荘の暖炉擬きにコンクリートを流し込み完全に塞ぎます。

次に山林に有る洞窟の入口を塞ぎます。坑道閉鎖といって既存の工法が有ります。完全に塞げば怪異は収まるでしょう」

 

 散々シュミレートした内容を説明する。

 

「穴を塞ぐだけか?」

 

「ええ、中には入りません。穴を塞ぐだけで十分でしょう。この映像でも分かる様に洞窟内には餓鬼が溢れている。

餓鬼道に繋がっていると思います。確かに書斎に現れた餓鬼を何体か撃退しましたが……殲滅しても意味は無いでしょう。

だから未来永劫塞いでしまうのです」

 

 ダビングした映像をポータルDVDで再生して見せる。洞窟内に下ろしたカメラに群がる餓鬼達の動画だ。

 因みにビデオカメラは既に入院中の厳杖さんに郵送で返却した。

 

「何故、此処まで調べて中に入らない?原因が分かるかも知れないんだぞ。それを塞いで終わりとは不十分じゃないか?」

 

 言われた言葉はキツいが口調は弱々しい。調べない事を不審に思っているが、調べられたくもない。そんなジレンマを感じる。

 

「どうしても中の調査を希望しますか?意味が無いので嫌なのですが……」

 

 あんな魔窟に入るなんてお断りだ!

 

「ふぅ……本当に埋めれば怪異は収まるんだろうな?高速道路の工事中に奴等が湧き出すなど笑えんぞ!」

 

 ソファーに深く座り込んで溜め息をつきながら言われた。だが洞窟内の調査は諦めたようだな。

 

「高速道路の工事の時に支障の無い様に出来ます。確実なのは指定の業者に便宜を頂ければ……

今回の仮埋めも防空壕や洞窟を安全に埋めたり補強したりする専門業者に頼みます。

具体的には仮埋めの後に、洞窟内の様子を専用の機材にて地上から調べます。これにより地中の洞窟の形状や深さが分かります。

後は高速道路の工事に支障の無い様に補強したりすれば、完全に封鎖する事が出来るでしょう」

 

 昨夜の内に小俣さんにレクチャーを受けたので、何とか分かるだけの説明は出来ただろうか?

 目を閉じて考え込む岩泉氏を見ながら冷えた珈琲に口を付ける。うん、一杯1500円の高い珈琲だが、ブラックは不味いな。

 備え付けのポットを開けて角砂糖を三つ程入れてかき混ぜる。程良く溶けた一口飲む。

 

 うむ、まぁまぁだな。

 

 飲んで減った分だけミルクを入れてかき混ぜれば、カフェオレの完成だ!

 

 

第189話

 

「いや、流石は畑中組の切り札霊能力者だな。今回癒着疑惑が嫌で奴等には声を掛けなかったのだが、まさか亀宮に食い込んで参入して来るとは……

しかも吉澤興業に便宜をはからないと駄目な様に話を持って行くか。秘書からお前が居ると報告を受けた時は驚いたぞ」

 

 真面目な顔で何を言い出すんだ、このオッサン。これじゃ僕が亀宮さんを騙して、この仕事の美味しい所を持って行ったみたいじゃないか!

 

「いえ、誤解が有ると思いますよ。僕は……」

 

「加茂宮の勢力下とは言え、名古屋市はお前の縄張りだからな。この一帯の高ランクの除霊は全てお前が解決してるのだから、バブられたみたいで気を悪くしたか?」

 

 ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべやがって!だが、名古屋周辺のヤバい仕事は親父さん経由でだが10年近く殆ど僕が祓ってたな。

 言われてみれば、ここら辺一帯は僕の縄張りなのか?

 

「本当は今回の依頼は請けるつもりは無かったんですよ。ですが貴方が急ぐ為にと御三家に声を掛けた。

故に丁度人手の足りない亀宮一族で新参者の僕が出張る事になったのです。僕も亀宮の派閥の一員ですから……」

 

 まさか僕が実行部隊の殆どを病院送りにしたからとは言えない。これが自業自得ってヤツなんだよな、いや因果応報?

 だが、オッサンも一寸だけ驚いた顔をしたな。二重所属とか言い出すなよ、横目で盗み見る亀宮さんの張り付いた笑顔が怖いから……

 

「業界で噂になってるぞ。亀宮の当主の番候補だとな。全く若い頃の触れれば切れる様な狂犬のイメージが崩れるな。

お前、9年前に俺と会ってるのを覚えてるか?あいち臨空新エネルギー検証実験棟の件を?」

 

 このオッサンと僕が会っている?全然記憶に無いが、その建物の名前は記憶に有るな……確か……

 

「あいち臨空新エネルギー検証実験棟……ああ、あの研究者が連続自殺をした?」

 

 万博の目玉となる新エネルギー機関を事前に研究していた施設が有った。

 全国から有能な研究者を集めての一大事業だったが、次々と自殺者が出たんだ。その時の偉そうな行政担当官か?

 

「そうだ!お前は俺に言った。信じるか信じないかは俺次第だが、もう自殺者は出ないと……

俺は全く信じなかったが、確かに自殺は無くなった。アレは何だったんだ?」

 

 ヤバい、恥ずかしい台詞を言い捲っていた時期だ。何処かのテレビ特番みたいな決め台詞じゃないか!

 

「信じるか信じないかは、貴方次第です!」みたいな?

 

「人の悪い念が籠もってたんですよ。だから研究に悩み苦しみ疲れた連中に取り憑いた。

死ねば楽になるって唆(そそのか)したんですよ。だから悪い念も自殺者の念も纏めて祓ったんです」

 

 未だにニヤニヤしやがって……嫌な感じのオッサンだが、コレが政治家って言うんだから日本の未来は大丈夫かよ?

 

「秘書に吉澤興業に便宜をはかる様に言っておく。畑中組とお前が絡むなら、俺が心配してる事も分かるな?

醜聞は御免だぞ。それと他の連中には手を引けと言っておく」

 

 ニヤニヤから真面目な顔に戻った。やはり洞窟の秘密を何となくだが知っているんだな。父親の件も含めて……

 

「全ては闇から闇へ……僕等は何も知る必要は有りませんから。お任せ下さい。

ですが加茂宮と伊集院は引き下がらないでしょう。彼等は我々で対処します」

 

 真面目な顔で話を締め括る。岩泉氏が亀宮に任せるから手を引けと言っても、阿狐ちゃんも一子も引き下がらないだろう。

 無理強いすると計画が破綻する可能性が高い。だから予定通りに進めた方が良いだろう。

 

「全てを任せたぞ、狂犬。終わったら報告に来い」

 

 いや、狂犬ちがうし僕は亀宮の一員だからね。妙に清々しい顔になって立ち去りやがった。やはり秘密を抱える事が重荷になってたんだな。

 

 つまり先代岩泉氏は……「榎本さん?」考え込んでいたが亀宮さんの声で引き戻される。

 

「なんでしょう、亀宮さん?」

 

 物凄い真剣な表情の彼女に、今の話の説明をどうするか迷う?頭をフル回転させて言い訳を考える……

 

「私達、もう結婚しないと駄目な位に噂が広まってませんか?桜岡さんには悪いのですが、二号さんになって貰ったらどうでしょうか?」

 

 一気に力が抜けた……食い付く所ってソコなの?違うよね、今一番確認しなきゃ駄目な所は違うよね?しかも僕に掴み掛かる勢いだよ。

 

「……亀ちゃん、亀宮さんを抑えてくれる?」

 

 シュルシュルと背中から伸びた首で彼女を拘束し椅子に座らせる。亀ちゃんグッジョブ!

 

 親指を突き出して彼の行動を称えて、高い珈琲を飲み干す。全員分の珈琲10杯で15750円か……

 

「一旦ホテルを出るよ。色々と仕込みをしないと駄目だな。亀ちゃん戻って、滝沢さん亀宮さんを立たせてね。じゃ行こうか……」

 

 3テーブル分の伝票を纏めて持ってレジへ向かう。だが支払いは岩泉氏が済ませていてくれた。

 これは我々に悪い感情は無いって解釈して良いだろう。嫌な奴等には奢ってくれないからね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 帰りの車は二台、御手洗達と女性陣+僕だ。運転は滝沢さん、助手席に僕が座り亀宮さんを挟んで風巻姉妹だ。

 元々ベンツは後部座席が広く痩せている女性陣だから、三人並んで座っても狭くはない。

 車はビジネス街をスムーズに走る。昼前の為か道路は空いているが、後30分もすれば昼飯を求める社員で溢れるだろう。

 

「榎本さん、完全に亀様と意志の疎通が出来てますよね?亀様にお願いなんて、普通は当主以外は出来ないんですよ。

それを簡単に、しかも亀宮様を拘束するなんて!」

 

「全くです。アレでは亀宮様が哀れ過ぎます。

嘘でも「じゃあ、結婚しましょうか?あはは……」位はリップサービスして下さい。男の甲斐性って奴を見せて下さい」

 

 風巻姉妹の容赦ないコメントを頂きました。しかもリップサービスって、全然所属組織のトップを敬ってなくない?

 亀宮さんがニコニコしてるのが気になる。何故、この状況で笑えるんだ?

 妙に息苦しくなりネクタイを緩めて更に車の窓を開ける。冷たく新鮮な空気を肺一杯に吸い込む。……少しだけ排ガス臭かった。

 

「うふふふ……私達の仲が業界に噂として定着すれば、伊集院さん達も榎本さんを勧誘出来ませんからね。

これで榎本さんは私達、亀宮一族に居続けてくれます」

 

 ボソボソと不穏な台詞を呟く彼女をバックミラー越しに確認してしまった……まだ阿狐ちゃんの事を気にしているの?

 普段はポヤポヤなのに変に鋭いんだよな、亀宮さん。

 

「まぁそうだな。亀宮一族当主の唾付きなんて誰も勧誘しないだろう。御隠居様もあくどいが榎本さんも腹を括れただろ?」

 

 滝沢さん、僕は亀宮さんと敵対しない為に派閥に加えて貰ったの。亀宮一族として粉骨砕身・誠心誠意・全力投球で仕事はしないよ?

 

「それは酷くないかな?僕は亀宮さんの派閥から離れるつもりは無いよ。

勿論だけど仕事は毎回契約書を交わしてから請けるけどね。まぁ協力会社?いや下請会社?」

 

 実際には個人事業主形態を変える気も無いし100%亀宮だけの仕事をするつもりも無い。

 大量に仕事を押し付けられて使い潰されるのは御免だ。亀宮一族は一枚板じゃないから、ご隠居さんや亀宮さんに逆らう連中も未だ居るだろう。

 

 面倒臭いが警戒は必要なんだ……

 

「それと風巻姉妹に頼んだ真田氏の調査は中止だね。岩泉氏にも念を押されたが、どうやら一族の醜聞に関わりそうだ。

怪異の収束に直接は関係無いから調査はしない。今回の件は洞窟を完全閉鎖して終了だ。依頼人の希望通りにね……」

 

 これ以上、岩泉一族の謎に挑むのは危険だ!

 

「そうですね……残念ですが仕方無いですね」

 

「お姉ちゃん……でも知らない方が良いんでしょ?なら仕方無いね」

 

 流石は諜報部に所属しているだけは有るな。ちゃんと調べ過ぎる事の危険性を理解している。

 諺(ことわざ)?にも有るよね?「好奇心は猫をも殺す」だから、これ以上は何もしなくて良いんだよ。

 これなら心配しないで済みそうだ。最初の頃の意気込みなら調査続行とか騒ぎそうだったからな……

 

「亀宮さんも良いよね?」

 

「ええ、岩泉さんから全てを任された榎本さんが言うなら私は従うわ。最初に言いましたよね。私は榎本さんに全てを任せますと……」

 

 うん、確かに言われたよ。でも一族のトップが新参者に任せ切りは駄目だよ。規律とか、何か色々有るよね?

 

「滝沢さん、風巻さん。今回の件は僕が下案を出して亀宮さんが決定を下したんだよ。分かるね?

責任は僕が全部持つけど、決定は亀宮さんがしたんだ。あっ、滝沢さん。その店だよ、駐車場に入ってよ」

 

「ああ、味噌煮込みうどんのアレだな……だが、折角の手柄を何故手放す真似をするんだ?」

 

 ウィンカーを出して駐車場の入口を左折する。後ろに居る御手洗達も続いて駐車場に入る。

 

「僕は亀宮さんの手伝いが出来れば良いんだよ。別に亀宮一族内の派閥争いにも興味が無い。

大体得体の知れない新参者が活躍しましたじゃ、周りに何て思われるか……さぁ降りますよ」

 

 車を降りて茅葺き屋根の古民家風のうどん屋を見上げる。名古屋と言えば、味噌煮込みうどん!両脇に風巻姉妹が並んで古民家を見上げる。

 

「「ここは何がお勧めなんですか?」」

 

 餌付けは順調だ、順調過ぎる位に……

 

「山本屋町田と言ってね、八丁味噌を使った味噌煮込みうどんに名古屋コーチンの親子丼が有名だよ。

出来れば両方取り分けて食べて欲しいかな。亀宮さん、此処は名古屋の地酒で有名な蓬莱泉を置いてるんだよ。

「空」と「吟」を飲ませる所は少ないからね。少しだけだが飲もうか?」

 

 夕食は高野さんとホテルでディナーだし、昼食を食べたら山荘で暖炉擬き塞ぎの立ち会いだからな。

 お昼は奮発して、ご機嫌伺いをしよう。小走りに店の入口に向かう風巻姉妹を見て、少しだけ微笑む。

 彼女達の仕事は終了だ、無事に済んで良かった。これで風巻のオバサンとの約束も果たせたかな……腕を絡めてくる亀宮さんを促して店へと向かう。

 後ろで滝沢さんが、餌付けですか?そうなんですね?と愚痴を零しているが気にしない事にしようね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お腹パンパンに味噌煮込みうどんと名古屋コーチンの親子丼を食べた。

 皆さん満足でマンションに帰ったが、何故か運転手として滝沢さんだけが山荘に同行してくれた。僕も少しだけ地酒を飲んでしまったから。

 亀宮さん?酔い潰しましたよ、地酒7合ほど飲ませたら目を擦りだしたので……マンションに連れ帰ってベッドで寝かせてます。

 昼間の酒って効くんですよね。

 

「小俣さん、予定通りに頼みますね」

 

「任せて下さい。順調ですよ、中の方も執事の方が色々と融通してくれたので予定より早くコンクリートを打てます」

 

 既に山荘の駐車場には大型圧送車が配置されていた。今は山荘内の配管と周辺養生中だ。

 ブルーシートやポリフィルムで床や壁を覆って汚れない様にしている。

 岩泉氏から連絡を貰った徳田が、意外にテキパキと作業員に指示を出しているのに驚いたよ。

 何でも岩泉氏から直々に頼まれたと喜んでいたな。お陰で僕はやる事が無く、滝沢さんと並んで缶コーヒーを飲んでいる。

 邪魔になりそうだから少し離れた場所で……

 

「ねぇ、榎本さん……」

 

「何だい、滝沢さん……」

 

 大型ミキサー車が現場に到着し、警備員が誘導する。誘導棒を振り回し笛を吹いてバック誘導をしている。続々と大型ミキサー車が駐車場に入ってくる。

 

「私達、除霊をしに来ているんですよね?何故か工事現場に居るみたいで変な気持ちです」

 

「お札や清めの塩撒きだけが除霊じゃないんだよ。明日は洞窟探索で坑道閉鎖工事だ。うん、除霊じゃないかもね」

 

 滝沢さんがクスリと笑ったので、釣られて笑ってしまった。

 



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第190話から第192話

第190話

 

 コンクリートの打設を開始すると言われ書斎に行ってみる。

 窓からコンクリート圧送車のブームを建物内に入れ込み、そこから2m位の鉄製の配管を書斎まで繋げてある。

 廊下の床にはブルーシートが敷き詰められ、壁にはポリフィルムがカーテンの様に垂れ下がっている。

 これならコンクリートが飛び散っても汚れないだろう。

 廊下を進み書斎に入ると圧送工が二人、暖炉の格子にガスで溶切された穴へとブームの筒先を押し込んでいる。

 

「ちょっと待ってくれ。先にコレを落とすから……」

 

 愛染明王の御札と重石代わりに清めた塩を入れたジップロックを格子の隙間から下へと落とす。その数は10袋……

 

「それが魔除けかい?」

 

 職人さんに話し掛けられた。

 

「ああ、念の為にね。さぁ初めてくれ、途中で何度か同じ物を落とすからね」

 

 彼等は親父さん手配の小俣組の連中だ。つまり怪奇現象の肯定派を集めている。だから訝しく僕等を見ないので気が楽なんだ。

 

「榎本先生が居てくれるなら安心だって。……おい、始めろ」

 

 無線に向かいコンクリート圧送車に指示をする。暫くすると大量の灰色の水が筒先から流れ出した。

 

「水ですか?」

 

 僕の隣で珍しそうに見ていた滝沢さんが聞いてくる。確かに色はコンクリートみたいだが、サラサラの水だ。

 

「最初は大量の水を送るんですよ。配管を濡らして流れを良くする為に。

次にモルタルが少し出て来てから、コンクリートが流れてくるぞ。ほら、モルタルだ」

 

 水っぽい後に骨材の入ってないモルタルが流れ出した。砂・水・セメントを混ぜた物がモルタルだ。これに骨材(砂利)が入るとコンクリートになる。

 

「こっからがコンクリートだ。流し込むだけだから早いぜ」

 

 20㎝程の径の筒先から吹き出すコンクリートの量は多い。五分程で無線が入り一台目が終わり二台目に入ったと連絡が有った。

 

「これなら一時間弱で最初の十台は終わるぜ。一台目がプラントに積みに行って戻るのに約40分。道さえ混んでなけりゃ続けて打てるぜ」

 

「なるべく絶え間なく打ち続けて欲しいんですよ。中がどうなってるか分からないので、果たして100㎥で足りるかも分からないんですけどね……」

 

「15台目を返す時に追加するかしないか決めてくれ。じゃないと三往復目をプラントで積むかの判断が出来ないぜ」

 

 五台ずつ別々のプラントに頼んだんだっけ。確かにプラントで積むか積まないかの判断をしなきゃ駄目だな。

 

「構わず出しましょう。余っても割増すれば、持って帰ってくれるんでしょ?」

 

「大盤振る舞いだな。一台で70000円近くするんだぜ。分かった、三回転させるぜ。おっ?もう二台目も終わったな……」

 

 次の御札は五台目が終わったら落とすか……

 

「はい、滝沢さん。この大学ノートを適当に本棚に戻して。もう要らないから……」

 

「ああ、分かった。元々有った場所は分からないから適当な本の間に挿しておくぞ」

 

 手帳と古銭は未だ預かっておくが、大学ノートは返す。もう書斎に入る事も無いだろうから返せる物は返しておく。

 結局42台で210㎥と当初計算の二倍以上4時間掛けてコンクリートを打ち終わった。特に奴等が登ってくるとかの被害も無く山荘の安全は確保された。

 

 イケメン徳田の喜び様に少し引いた……

 

 滝沢さんの手を取り踊り出した時は、どうしようかと思ったが調子に乗って腰を抱いたらビンタ一発で吹っ飛んだ彼に合掌!

 真っ赤になった滝沢さんも見れたので二度美味しい?彼女は御手洗達みたいな連中と仕事をしている割には、男慣れしていない気がするな。

 

 美人なのに職場環境に恵まれなかったから?さて、悪友を迎えに名古屋駅まで行きますか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 名古屋駅まで滝沢さんに車で送って貰った。同業者を呼んだんで打合せしてからマンションに帰ると伝言して貰った。

 何気に滝沢さんも餌付けが成功しており「今夜は侘びしい夕食になるな……」と、寂しそうな顔で呟かれてしまった。

 だが御手洗に現金を渡しておいたので、デパ地下でそれなりの料理を大量に買ってくる筈だ。

 最近のデパ地下の料理は馬鹿に出来ない品揃えと美味しさだから……JR名古屋駅の在来線改札口に17時50分に到着。

 約束の時間は18時だったが既に高野さんが居ました。

 

 気怠そうに壁に寄りかかっているが、何時もの地味なスーツにジャンパーを羽織って、大きなトランクケースを持っている。此方に気付いて軽く手を上げてくれる。

 

「ごめん、待たせた」

 

「平気、今来たところよ」

 

 まさか高野さん相手にデートの待合せの定番台詞を言う事になるとは!

 

「何よ、変な顔して?はい、鞄持ちなさいよ」

 

 黙って指差すトランクケースを持つが、見た目通りに重い。

 

「これを東京から持ってきたのか……ご苦労様、それで結界の道具かい?」

 

 10kg以上は有りそうだ。

 

「結界石と固定用の接着剤とかね。洞窟なんて湿ってるかもしれないからバーナーとかも入ってるわ。だから乱暴にしちゃ駄目だからね」

 

 ハイハイと言いながら歩き出す。目的のホテル、名古屋マリオットアソシアホテルは駅隣接タイプだ。

 ゴロゴロとキャスター付のトランクケースを引きながら連絡橋を渡る。朝も来たが確かに高級なホテルだ……入口にはドアボーイが居るし、フロントは三層ぶち抜きの吹き抜けだ。

 あのシャンデリアも何百万円だろうか?一旦ラウンジに高野さんを待たせてフロントへ。

 僕の名前で予約しているのでチェックインの手続きを行う。

 料金は先払いにして、ルームサービスを使った場合はチェックアウトの時に清算する旨を伝えキーを貰う。

 

「はい、カードキータイプだね。一旦部屋に行って荷物を置いてきなよ。

ディナーの予約は6時半だから僕は此処で珈琲飲んで待ってるからさ。後ろのホテルの人が案内してくれるよ」

 

 流石に高級ホテルは荷物をお客様に持たせないらしい。僕の後ろに立つホテルの従業員が荷物を持ち、高野さんを部屋まで案内してくれた。

 ラウンジに座り高い珈琲を頼む。女性が支度に時間を掛けるのは嫌と言う程知っているから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「随分と御立派な体格のお連れ様ですね?何か格闘技でも?」

 

「警備会社に勤めてるみたいですよ。企業向けの方らしいですね。SPみたいな?」

 

 彼は肉体派霊能力者です!なんて説明出来ないから適当な事を言って誤魔化す。

 確か契約している警備会社が有った筈だ、全く一般社会での地盤固めが凄いわ。

 全く胡散臭く無い様に動けるんだもん。通された部屋は50階に有り、ダブルルームだった。何故、ダブルルーム?

 

「広い部屋ですね。景色も綺麗……」

 

 丁度暗くなり街の灯りが綺麗に見える。

 

「お部屋の簡単な説明をさせて頂きます。先ずは……」

 

 基本的な部屋の設備と避難経路の説明を受けた。確かに高いホテルを取れってお願いしたけど……こんなスィートルームは想像してなかったわね。

 しかも私は一人なのに、ダブルルームなんて深読みするじゃない。

 まさかロリコンの癖に私を襲うつもりなんじゃ……ないわね、アレ筋金入りのペド野郎だし。

 荷物をロッカーに入れて上着を脱いで、簡単に化粧を直してからラウンジに向かう。時刻は6時25分だし丁度良いかな……

 

「お待たせ」

 

 ラウンジで呑気に珈琲を飲んでいる筋肉に声を掛ける。大きな手でカップを持っているとブレンドがカプチーノに見えるわね。

 

「ああ、じゃ行こうか……」

 

 私を待たせて現金清算をして領収書まで貰う姿を見ると、スマートにエスコートは出来ないタイプよね。

 まぁ堅実なのは良いんだけど……案内されたレストランはホテル直営で52階に有った。

 

 フランス料理店「ミクニナゴヤ」か。

 

 凄く……その……高そうな店ね……自費なら絶対入らない類の店だわ。

 

 席に案内されてメニューを見ても訳が分からないわ。キュイジーヌ・ナチュレルがコンセプト?え?私の分も頼んじゃうの?

 コース料理の一番高いのを?だって一人前で28000円よ?

 結局メニューを見てもキュイジーヌ・ナチュレルの意味が自然と同化した料理としか分からなかったわね……

 

 だけど女性をエスコートする事については、今回は及第点をあげるわ。まごつく私に恥をかかせない様にする点はね。

 

「「乾杯、悪友に……」」

 

 ワイングラスを胸の高さまで持ち上げてニッコリ、正式なマナーではグラスは合わせない。中身は聞いたけど忘れる位の長ったらしい名前のシャンパン。

 高級ホテルの夜景の見える最上階の高級レストラン。

 

 向かい合う独身男女二人。ムーディーな生ピアノ演奏。

 

「明日は朝から山登りなんだ。場所の特定が出来てなくてさ。高野さん、登山靴持ってきた?」

 

 そして色恋ゼロの会話。

 

「持ってきたわよ!全く今回は前回と違って準備が悪くない?」

 

 シャンパンを一口……うん、美味しい。

 

「時間を掛けたかったけど、施主の要求の他に御三家絡みの権力闘争。

だから早めに解決して手を引きたいんだ。原因の解明は諦めたが、事件の解決は可能だしね」

 

 あー、うん。確かにそうよね、伊集院と加茂宮だっけ?厄介よね、大手の勢力ってさ。

 

「それが原因の洞窟の封鎖ね」

 

 前菜が来たけど、コレも料理の説明をしてくれたけど分からないわ。でも話に聞いていたキャビアとフォアグラが目の前に有るわね。

 クラッカーに乗ったキャビアをパクリと一口で……うーん?濃厚な何か?駄目だわ、私の庶民の舌では理解不能な味ね。

 

 不味いのか美味しいのかも分からない……

 

「片側の山荘の暖炉は昼間の内に、コンクリートで潰した。地元の土建屋にも話は通してるから、見付け次第塞ぐ手筈だよ。今回の除霊の肝は高野さんだ」

 

 見た目と違いテーブルマナーが様になってやがる。普通なら手掴みでマンガ肉を食べるキャラでしょ?

 

「偉いプレッシャーを掛けてくるじゃない。私はか弱い結界師なんだから、ちゃんと護りなさいよ!」

 

 フォアグラは洋風な味付けのアンキモね。コレは美味しいわ。

 

「護衛はするよ。亀宮さんも居るから守りに関しては大丈夫。僕(胡蝶)と亀宮さんの守りを抜ける相手は少ないと思うよ。

面倒臭いのはさ、加茂宮と共闘らしいんだ。何でも当主筆頭の加茂宮一子本人が来るらしい。本家の方で決めちゃってさ。

伊集院の方は話がついてるから大丈夫。当主の伊集院阿狐ちゃんは話の分かる娘だよ。現場の意見も聞いて欲しいよね?」

 

「加茂宮?代替わりしてから良い噂は聞かないわよ。

それに伊集院阿狐ちゃん?何でちゃん付けなのよ。伊集院の当主と言えば冷血なドSって聞いてるのに……」

 

 まただ、この筋肉は女性絡みだと妙に仲良くなる。亀宮の当主と良い感じなのに、伊集院の当主ともっておかしくない?

 

「いや、噂って聞いた事はないけど……彼女は礼儀正しく真面目で義理堅い感じだよ。とても冷血とは思えないけど……」

 

 アレか?小笠原静願のパターンかしら?神戸牛のカルパッチョって凄い美味しいわ。

 お肉が溶けるって表現は嘘だと思っていたけど、これを食べたら分かる。だって噛んでいたら無くなってしまうんですもの……幸福は口福って分かるわね。

 

「幸せそうな顔しているけど、美味しいかい?」

 

「ええ、とっても美味しいわ。でも榎本さん、足りるの?」

 

 マナー良く食べているが、人10倍位は食べれるんだから……足りなくない?

 

「別に大丈夫だよ。この後、魚料理が出てからメインの肉料理だね。楽しみだ」

 

「ええ、本当にね……」

 

 偶にはこんなディナーも悪くはないわよ、悪友さん。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 綺麗に料理を平らげ、残りはデザートだけと言う時にウェイターが伝言を持って来た。所謂、彼方のお客様からです……だけどね。

 

「榎本様、彼方の個室で岩泉様がデザートを御一緒にと伝言を賜りました。宜しいでしょうか?」

 

 奥を指すが向こうはVIP用の個室だが、最初から見られてたのかもしれない。

 

「高野さん、招待を受けて良いかな?」

 

「ん?私は構わないけど一緒で良いの?」

 

 出来れば昼間聞けなかった父親の事を知りたいのだけど、高野さんも一緒で大丈夫かな?もとより断る事が困難なお誘いだ、僕は黙って頷いた。

 

 

第191話

 

 高野さんと依頼を請けてくれたお礼と状況説明を兼ねたディナーを食べていたら、依頼人である岩泉氏から個室で共にデザートを食べないか?

 そう申し入れが有った。ただ一緒にデザートを食べて終わりじゃないだろう。必ず何か他に目的が有ると思うが、断る理由も無い。

 勿論、高野さんに確認を取ったが了解を貰えたので同席する事にする。

 彼は午前中会った時に、このホテルに滞在していると言っていたので出会っても不思議じゃないのだけど……意図的に監視され招かれたなら問題かもしれない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「見掛けによらず色事にはお盛んなのだな。亀宮の当主の番候補なんだろ?他人の色恋沙汰には興味は無いが仕事に支障が無い様に頼むぞ」

 

 席に着くなりニヤニヤした顔で言われたが、興味が有るから呼んだんだろ?しかし流石は高級レストラン「ミクニナゴヤ」だな。

 最初の席は窓際で夜景が綺麗なムーディーな感じだったが、窓の無い個室は趣味の良い調度品が置かれて落ち着きが有って高級感が漂っている。

 しかも三人なのに六人用位のテーブルが用意されている。向かい側に座る岩泉氏、僕は高野さんと並んで座る。

 結構な距離が有るが、SPは居ないみたいだな。全く、この場所にニヤニヤしたオッサンは浮いているぞ。

 

「誤解の無い様にお願いしますが、彼女が今回の除霊の肝の結界師の高野女史です。僕の信頼する数少ない霊能力者です。

仕事の打合せを兼ねて食事をしてました。決して男女の密会などでは有りませんから……」

 

 面倒臭い誤解をしない様にハッキリと言っておく。色恋沙汰でゴシップなど迷惑以外の何物でもない。男の甲斐性?ロリじゃないから無理!

 

「初めまして、高野と申します。今回の件は宜しくお願いします」

 

 TPOを弁えて今まで無言だった彼女が、僕の台詞の後に挨拶をした。だが口調は何時もの擬態時の気弱な感じでなく、素の口調だ。

 つまり抑揚の無い油断ならない感じの……高野さん、岩泉氏を警戒してるのかな?

 まぁ現役国会議員からお呼びが有れば、普通は警戒するよね。

 

「ほぅ?昔は孤高の狂犬だったが今は仲間が居るんだな。あれから改めてお前の調書を読んだが、名古屋での実績は凄いものだな。

今回の件も単独で解決出来たんじゃないか?」

 

 調書?僕だけの?亀宮のとかじゃなくて?

 

「また無理難題を……今回は他勢力との調整とか問題は山積みです。勿論、野外での広範囲な探索もですよ。

あくまでも暖炉の地下から湧いて出た餓鬼を原因と特定し、奴等を封じ込める事で解決としただけです。亀宮にだけ依頼して頂ければ、まだ幾らかはマシでしたよ」

 

 もっと反論しようとした時にデザートが運ばれて来た。カートに乗せて来たが、そんなに頼んでないぞ?

 配膳する女性に聞かせる話の内容ではないので黙り込む。だが配られたデザートは素晴らしい逸品だ!

 確かメニューには季節のデザート四種となっていたが、岩泉氏に呼ばれたためか店側で変えたのか……綺麗なグラスにカットフルーツ山盛り。

 他にもアイスやケーキを綺麗に盛り付けたプレート、それに紅茶が並べられる。岩泉氏は珈琲のみだが、中年にスィーツ山盛りはキツいからか?

 

「遠慮するな。お前が大食いなのは名古屋では有名だ。

シェフにお薦めを山盛りにしろと言ったが、お嬢さんの分までとはな。残して貰って構わんよ」

 

 珈琲に何も入れずに飲むオッサンの好意に甘えるか……立場上仲良く雑談ともいかずに無言でデザートを頬張る。

 だが高野さんは幸せそうに目が笑っている。どんな人間でも美味しい物を食べれば幸せと感じる。

 状況によっては何を食べても味を感じない辛い時は有るけどね。暫らくは無言でカチャカチャと食器の立てる音が響く……

 

「攻めの狂犬に守りのお嬢さんか。バランスが良いが付き合いは長いのか?」

 

 無言に耐えられないのか、オッサンが話し掛けてきた。

 

「まだ一月位ですわ。前の仕事でご一緒してからの付き合いです」

 

「そうです。自分に無い力を持つ仲間は大切ですから……」

 

 チラリと横目で彼女を見ると軽く笑ってくれた。結界の高野さん、口寄せの小笠原さん、生霊専門の桜岡さん。

 メリッサ様は能力的な信用については保留だし、結衣ちゃんと静願ちゃんは未成年だから仕事仲間じゃない。未だ守らなければならない存在だ。

 阿狐ちゃんは何と無く信用出来そうだが立場が違い過ぎる。他勢力のトップと気軽に仕事の話は出来ないよね?

 勿論、全般最強の胡蝶さんもだが今まで同業者を避けていた僕だからこそ、補い支え合う仲間の大切さが分かる。

 

「ふん、目で会話出来る程に分かりあっているのか?しかし、お前は亀宮との当主の番候補だろ?良いのか、夜に他の女と飯を食ってても?」

 

 変な噂話は訂正した方が良いのか、何を言っても無駄なのか?色恋沙汰は他人が受け取る意味が違うからな。

 

「亀宮様との件は誤解だと思います。確かに霊獣亀様に干渉されずに彼女と接する事は出来ますが、かの一族は一枚板じゃない。

当主の他にも派閥が力を持ちますからね。僕は権力争いに加担しない条件で亀宮のお世話になっていますから……」

 

「亀宮当主の番になる事は権力争いになるから違うと言う訳か?」

 

 岩泉氏の目を見ながら黙って頷く。噂の発生源は、ご隠居か風巻のオバサン辺りらしいから遠巻きに攻めて来てるのだろう。

 既成事実のつもりだとは思うが、亀宮さんは思いっきり企みに乗せられているのが心配なんだ。

 何と無くだが、彼女が僕に寄せる絶大過ぎる信用・信頼は危険域だと思う。

 男女の機微に疎い彼女だからこそ、流されやすいと言うか……病んでる感がヒシヒシするんだ。

 腹に防刃ベストを仕込んでおかないと……いや幻想だ、妄想だ、彼女は大丈夫だ、刺されたりはしないと思う。

 

「欲が無いのか?派閥争いと言えども現当主を抑えられるのだろ?分の悪い賭けじゃないぞ。

逆に周りが怪しむだろう。欲深い連中は無欲を余計に警戒する。何故なら自分に理解出来ないからだ。

お前にも恋人が居るだろうが、容姿は同程度でも付帯する物が違い過ぎる。梓巫女を選ぶのは理解出来ないな」

 

 僕だってロリコンなのに桜岡さんと恋人の真似事をする意味が分からない。しかもオッサンが僕の色恋沙汰を心配する意味も分からない。

 何が言いたいんだ?岩泉氏の表情を盗み見ても、僕をからかっている感じじゃない。

 

「ご心配有難う御座います。でも大丈夫です」

 

「人間は自分を基準として理解出来ない者を拒む。この時代に無欲は異常だ。ある程度の欲望を見せねば信用されないぞ」

 

 あれ、えっと……僕は本気で心配されてるのかな?

 

「僕の願いは祖父や両親、師匠の敵を討つ事でした。10年以上掛けましたが、やっと念願が叶い祖父達の無念(魂を解放)を晴らす事が出来たのです。

だからですかね?長年追い求めた目標を達成した為に少し欲望は薄れてしまったみたいです。依頼は必ず達成しますから、ご安心下さい」

 

 よく知らないオッサンに自分の秘めていた気持ちを吐き出すとは恥ずかしいな……

 お悩み相談みたいになってるし、高野さんも真剣に話を聞いてるし凄い恥ずかしいぞ!

 

「俺は自分の父親が理解出来なかった。怪しい蔵書、訳の分からない研究、秘密の山林。

聞けば亡き許嫁に会う為の研究だとか……全く理解出来なかった」

 

 岩泉氏がいきなり語りだしたぞ……

 

「はい、その……それで?」

 

「お前も親父の書斎を調べたのだろう?どうだった、狂った男の書斎は?あの怪しげな蔵書は?不気味な暖炉もそうだ!あの部屋は何なんだ?」

 

 やや興奮して話だし、途中で我に返り口調を押さえた。これがデザートを一緒にと誘われた本命か。

 岩泉氏は父親の奇行について知りたいのだろうか?残った紅茶を一口飲む。

 さて、何まで話せる?岩泉氏は何まで知ってる?

 

「蔵書をざっと見ましたが、先代は日本古来の神々に興味が有り宗派を問わない祝詞を集めていました。

民俗学の権威である石渡教授や神職に就いていた桜井女史との交流も然り。僕の推測では死者に会うか……蘇らせるかに興味が有った。

真田さんでしたか?だが、先代はあの世への道を開いてしまった。アレは、あの餓鬼は黄泉の生き物です。

だから有無を言わさずに洞窟を閉鎖したいのです。生者にとって何一つ益の無い物です」

 

 岩泉氏の表情を見逃さずに話したが、何故だか安堵と失望の感じがした。一瞬だが喜び悲しんだ様な……

 

「そこまで考えての事なら何も言わん。好きにやれ……」

 

 何か憑き物が落ちたみたいな穏やかな表情になったが……真相には辿り着かなかったが、対応は合格と言う事なのか?

 これは不老不死の方が正解かも知れない。だから見当違いの推理だが、結果的に対応は間違ってないから安心したのか?

 だが話し合いは成功だったようだ。もしも核心に触れてしまったら、嬉しくない事になったかも知れない。

 その後は特に話す事も無く、解散となった。

 

 先に席を立つ岩泉氏に「有意義な話しが出来て良かったぞ、狂犬。何か有れば今後も頼む事にする」そう言われたが、コネが出来たのか?

 

「榎本さん?私の知らない事が多そうね。話を聞きたいわ。部屋にいらっしゃい」

 

 立ち去る岩泉氏を見送っていると、すぐ近くに高野さんの顔が!笑顔の高野さんがガッチリと右腕を抱き締めている。

 

 かなり痛いです、はい。

 

「部屋は不味くないかな?」

 

「他人に聞かれちゃ不味いんでしょ?ほら、キリキリ歩く!」

 

 正論で返され部屋に連行された……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 自分で予約して何だが、広い部屋だ。このホテル、シングルルームが無いから一人で泊まる場合はツインをシングルユースするんで高いんだ。

 ソファーセットも有るので高野さんと向かい合わせに座る。テーブルの上にはコーラが置かれ、窓からはJR名古屋駅のホームと街の夜景が見える。

 

 ムードは満点だ!

 

「で?」

 

 腕を組んだ状態でキツめに言われた。

 

「一文字は無いだろ。一応男女の密会……」

 

「そのネタはやったわ。男女の密会なら、それらしい情事をするの?違うでしょ!

早く白状しなさいな。榎本さん、肝心な何かを隠してるわね?」

 

 うーん、何故分かるんだろう?女の勘ってヤツか……

 

「隠してるって言うか、洞窟の件だけどさ。あの世に通じているんじゃなくて、不老不死の秘密が有るんじゃないかって疑っているんだ。

だけど流石にそれは荒唐無稽な話だし、それが事実なら秘密を狙う奴等も居るだろ?だから内緒で埋めてしまった方が良いんだ」

 

 多分だが岩泉氏は不老不死の事を知っている。知っていて秘密にしたいと思ってる。だから洞窟の封鎖を許可したんだ。

 つまり、あの洞窟の中に隠されている不老不死の秘密は不完全なんだ。だから封印してしまいたいと考えたと思う。

 

「不老不死とは大きく出たわね……でも、それが本当なら凄い大発見よ。権力者なら是が非でもって感じの。それを封印する訳は?」

 

 もしも彼女が不老不死に興味を持ったらどうするか?危険だと説得出来なければ、今回の封印は不可能だ。

 

「簡単だよ、不完全だから意味が無いんだ。手に負えないから隠してしまいたい。危険極まりないから、早く何とかしたいんだ」

 

 彼女の目を見て真剣に訴える。ここで彼女を説得出来ないと……

 

「分かったわ。榎本さんでも危険と感じるなら何も言わないわ」

 

 あれ?高野さんって、こんなに聞き分けが良かったかな?

 

「なっ何よ、変な顔をして私を見て?」

 

 不気味な位に聞き分けの良い高野さんを見て、何か悪い物でも拾い食いしたかと疑ってしまった。

 

 

第192話

 

 高野さんとの打合せを終えてマンションへとタクシーで帰る。色々と考えさせられる事が多かった。

 先ず岩泉氏だが、あの洞窟の秘密を何と無くだが知っているのだろう。その上で危険と判断し封鎖もやむを得ずと考えているみたいだ。

 そして自分の父親、先代岩泉前五朗氏については良く思っていない。

 これは火葬場の件も合わせて考えると、不老不死化した父親を何とかしたいて思っているのか?蓬莱寺や遺骨盗難の件も考えれば、限り無くグレーだが黙殺する。

 危険と判断した洞窟を速やかに封鎖するのが、僕の仕事だ。

 明日には阿狐ちゃん達が洞窟内に突入するだろうが、夕方五時迄がタイムリミットだから解決には至らないだろう。

 彼等の治療も最悪は考えないと駄目だな。阿狐ちゃんと約束してしまったから……

 

 時刻は未だ22時前の為か、車も人も多い。車窓から見る名古屋市街地は、まだまだ眠らないみたいだ。

 20分程でタクシーはマンションへ到着。当然、領収書は貰いましたよ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 エレベーターを降りると御手洗がドアの前に立って警備をしていた。軽く手を挙げて挨拶をする。

 

「お疲れ様、異常は無いみたいだな」

 

 腕を組みながら周りに注意を払う御手洗に話し掛ける。一般人なら威圧を感じる存在感だな。

 

「ソッチはどうだ?仕事の手配はついたのか?」

 

 彼等には高野さんの事はボカして伝えてあるので、まさか女性と打合せの序でにディナーを一緒に食べてきたとは思うまい。

 

「明日の段取りはバッチリだ。早く寝て明日に備えるさ」

 

 このところ睡眠不足が続いたから今夜は早く寝たい。既に欠伸を噛み殺している状態だし……

 

「悪いが女子部屋に行ってくれ。風巻姉妹が探していたぞ。何でも明日の件についてらしい」

 

 風巻姉妹が?現在時刻を確認すると22時12分か……

 

「分かった、行ってみるよ」

 

 御手洗に断り、女子部屋の呼び鈴を鳴らす。

 

「はーい、榎本さん遅いですよ。大人の夜遊びしてないよね?」

 

 元気良く美乃さんがドアを開けてくれたが、最初の質問が大人の夜遊びって何だかな……

 

「明日の手配絡みで人と会って来たんだよ。大人の夜遊びとか年頃の女性の台詞じゃないぞ」

 

「はいはい、お姉ちゃんが山林の地図を手に入れたからね」

 

 軽く躱されたが、山林の地図の存在はデカい。僕はGoogle Mapと航空写真の拡大図しか用意していないからな。

 期待に胸を膨らませて中に入ると、ソファーに座った亀宮さんの肩を滝沢さんが揉んでいた。凶悪な何かがブルブル揺れてますね。

 

「今晩は、榎本さん」

 

 ネグリジェにカーディガンと言う悩殺スタイルの亀宮さんから視線を外す。因みに滝沢さんはスーツ姿で風巻姉妹はスエット上下を着ている。

 

「今晩は、亀宮さん。目の毒だから何か羽織ってくれると助かるよ」

 

 ロリコン故に生々しい色香は苦手なのだが、風巻姉妹からは意外にウブなんですね的な評価を貰った。

 

「さて、山林の地図を手に入れたって聞いたけど?」

 

 ソファーは亀宮さんが占領しているので、キッチンのテーブルに座る。佐和さんが日本茶を煎れた後に、A2サイズの紙を広げた。

 

「ハンターマップ?何だい、ハンターって?諜報組織の呼称かい?」

 

 見慣れない文字に反応してしまう。もしかして念能力を扱うハンター達を描いた漫画の影響?

 

「諜報組織じゃなくて猟友会の事ですよ」

 

 向かい側に座る風巻姉妹がクスクスと笑う。最初の頃の小馬鹿にした笑みじゃないのが救いだ。

 

「猟友会とはね……だけど、あの山林は私有地だろ?幾ら猟師でも中には踏み込まないんじゃないか?」

 

 猟師って余り接点は無いけど、他人の土地にまで浸入して猟はしなくない?だって不法侵入で獲物まで狩ったら窃盗容疑じゃないのかな?

 素朴な疑問をぶつけてみた。

 

「人間が勝手に境界を決めても、鹿や猪や狸達には関係ないんだよ。

猟師も私有地では直接的に猟はしないけど、境界の外に出たら狩るんだって。境界を越えて獣道が続いてるじゃん」

 

「動物の縄張りって人間が決めた区画は関係無いですからね。猟師達は獲物の通り道やネグラ、水のみ場等を詳細に調べます。

それを元に罠を仕掛けたりしますから……つまり他人の土地でも調べ尽くしているんです」

 

 流石は亀宮の諜報部員だけの事は有るな。僕じゃ猟友会とかに発想は向かなかっただろう。

 言われてみれば、爺ちゃんの友人にも猟師は居た。基本的に殺生はしない坊主だから、捕った獲物は持ってこなかっただけかな。

 

「良い着眼点だったね。僕じゃ気が付かなかったよ。それで、猟師さん達から話は聞けたのかい?」

 

 ハンターマップには色々な書き込みがしてある。あの四つ池にも何か書いてあるな。

 

「なになに……マガモ・カルガモ・コガモ棲息地?キジに鵯(ひよどり)にヤマドリにキジバトか。えっ?台湾リスも捕るの?

ヤマドリって確か販売禁止鳥獣じゃなかったかな?尾羽根が綺麗で剥製は良く見るけど狩猟鳥獣なんだ……でも鳥ばっかりだね」

 

 色々な鳥獣類が書かれているが、イマイチ分からない動物名も数種類書いてある。面白いのはヌートリアだが、日本にも棲息してるんだ。

 

「接触した猟友会は鳥獣専門だったんです。鳥以外にも猪や鹿、兎や狸も捕るそうですが、其方の情報は教えてくれませんでした。

知ってました?猪の肉って売れるんですよ。キロ4000円前後で買い取りするそうですよ。

私達も精肉店から聞き込みをして数グループを教えて貰い、あの山林周辺を活動拠点にしている所に辿り着いたんです」

 

 キロ4000円前後で買い取りか……猪の成獣で大体80キロ程度だが、内臓や骨を抜けば良くて半分の40キロ。4000円で160000円は悪くない稼ぎだ。

 ならば必要な情報は隠すのが当たり前だよね。それでもハンターマップには情報が細かい。特に移動ルートは頼りになる。

 

「これが林道です。舗装はされてませんが、車は走れます。そして猟師さん達に聞いて怪しいと思ったのが此処よ。防空壕の入口を祠にしていたみたいなの」

 

 佐和さんの指差す場所は、四つ池の近くだ。林道から外れているが、道らしき線も書かれている。

 

「防空壕か、確かに怪しいし四つ池にも近い。これは当たりかもな。この林道から続いてる線は道かな?」

 

 手書きで追加されている二本線を指でなぞる。

 

「これは昔、防空壕を掘っていた時に利用していた道みたい。今は獣道みたいに中央だけ人が通れるって。両脇は低木や草がボウボウらしいよ」

 

 戦中の作業用の道か……しかし林道から繋がっているなら重機を持ち込めるな。最悪はユンボで均して鉄板でも敷けば工事用車両も通れるだろう。

 

「他には何か言っていたかい?祠の情報とか他には無いのかな?」

 

 無作為に山の中を徘徊する必要が無くなっただけでも大助かりだが、他にも何か掴んでいる顔なんだよな。

 

「二月に有った大きな地震で祠が壊れかけてたみたいよ。狩猟時期が十月から二月迄なので、最後に見た時にはかなり崩れていたみたい」

 

 近畿地方を中心に震度4前後の地震が何回か有った時期だ。

 

「二月以降か……測量会社の社員が襲われた時期と合うな。彼等が崩れかけた祠を弄ったか、既に壊れていたか分からないけどね。

明日は最初にこの祠に行こう。実際に行けば餓鬼の気配も分かるからね。有り難う、大金星だよ」

 

 エヘヘって笑う彼女達は、歳相応に可愛いと思う。あと十年若ければ、貢いだかも知れない。

 ほめて欲しくて尻尾をブンブン振ってる様な幻覚が見えます。彼女達は感じとしては犬みたいだな。

 

「それだけじゃ無いんだよ。この地図のココとココに洞穴が有るんだって。

ココは小さな縦穴で、ココは人が屈んで通れる位らしいよ。風が中から吹くらしいから、防空壕と繋がってるかもって言ってた」

 

 美乃さんが得意気に、取って置きの情報を教えてくれた。だが最後の情報は問題だ。

 僕は山荘の暖炉擬きを塞げば、出口は一ヶ所だと思っていた。だけど出入口が大小三ヶ所だと、高野さんの用意した結界石で足りるかな?

 

「むぅ、有難い情報だが準備が足りないかも……高野さんに確認しておくか。風巻さん、良い情報だったよ。報酬には色を付けておくからね」

 

「「やった!特別ボーナスだ!」」

 

 姉妹で手を取り合い、ぴょんぴょんと跳ねて喜びをアピールしだした。実際にこの情報が本当なら、請負金額から考えても10万円位なら特別ボーナスを払っても良いかな。

 ご隠居さんは五億円の半分を渡すとか言ってるが、僕は契約書に書いた通りの請求しかしないけどね。

 それでもこれからの工事金額を建て替えなきゃいけないので、ご隠居さんへの請求金額は結構な額になるだろう。

 岩泉氏の報酬の五億円って必要経費込みだから、満額貰えないんだよね。飛び上がって喜ぶ風巻姉妹を見て、亀宮一族ってお金にはシビアなのかもと思ってしまう。

 

「亀宮さん、明日は山登りだからね。此処を朝八時には出て山荘で九時に作業員と合流し、そのまま現地に向かうよ。

多分夜まで掛かると思うから、亀宮さんは途中で山荘に待機かな。僕は仮の封鎖工事が終わる迄は作業員の安全確保の為に現場に張り付いているから……」

 

 気持ち良さそうに肩を揉まれている亀宮さんに声を掛ける。一応、総責任者は彼女だから情報は伝えておかねばならない。

 そして女性に重労働を押し付ける訳にもいかない。それが僕の仕事だからだ!

 

「胸が大きいと肩が凝るんですよ。全く困ります。除霊の手順についてもお任せしますが、私も出来るだけ現場には居ます。

防御についてなら、私と亀ちゃんの方が彼女より適任ですからね」

 

 とか不用意な台詞を胸を揺らしながらドヤ顔で言っちゃダメー!他の女性陣から一瞬だが険しい目を向けられてますよ。

 てか誰も気にしてないけど、彼女って胡蝶の事をバラしたよね?

 

「彼女って誰なんです?」

 

 不思議そうな顔で滝沢さんから突っ込みキター!彼女は何気に色々な事に気が付く有能さんなんだよね。もう残念美人とは言えない厄介で頼れる存在なのだ。

 

「けっ、結界を頼んでいる霊能力者の事だよ。高野さんと言って、八王子の件で一緒に仕事したんたよ。はい、明日も早いから早めに寝ましょうね!」

 

 この話題に触れるには僕にとって不都合でしかないので、早々に男子部屋へと帰る事にする。亀宮さんには他の連中には内緒で胡蝶さん成分を補充させないと駄目かも。

 

 全く厄介だぞ……

 

 ああ、そう言えば加茂宮の事を聞くのを忘れたな。何処で合流し何を手伝えば良いんだっけ?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 男子部屋に戻りシャワーを浴びて早々にベッドへと潜り込む。メールで高野さんに結界石の数を聞いたが、予備が有るから大丈夫だと言われて安心した。

 風巻姉妹が良い仕事をしたから地理的な問題も解決した。これで明日洞窟を仮閉鎖すれば一段落、後は小俣さんに任せれば正規な工事でちゃんと塞いでくれる。

 仮に阿狐ちゃんが総ての餓鬼を倒したとしても、あの回復力なら復活してしまうだろう。

 残念だが、彼女は渋谷さんの左腕の敵討ちと言うパフォーマンスをして終わるだろう。

 

 問題は加茂宮一子だ。

 

 蟲毒の件も有るのだが、高槻さんと繋がってる疑いも有る。つまり桜井さんの情報が何処まで掴んでいるかによっては、封鎖を認めないかも知れない。

 不老不死とは、それだけ人を狂わせる魔力みたいな物が有るからね。

 

「胡蝶さん、明日は頼むよ。解決出来れば、また人形寺に行くからさ」

 

「我に任せろ。だが亀女については、正明が何とかしろ。我は、あの女が苦手だ。性的に危機を感じるのだ!」

 

 そっちの方も何とかしないと、美幼女を使役する召喚師として僕が有名になるから嫌なんだけどな。

 でも貞操云々って、散々僕を喰っておいて何だかな……何度か脳内会話を試みるも、胡蝶さんからの返事は無かった。

 



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第193話から第195話

第193話

 

 暫くは調査ばかりだったが、久し振りの除霊だ。しかも今回は野外で洞窟も絡むフィールドワーク。

 洞窟と言うか防空壕の中に入る予定は無いが、一応照明の用意はしている。万が一の時には突入する必要も有るかもしれないからね。

 何時ものマグライトにケミカルライト、それに発煙筒の三点セットは当然だがランタンも用意している。

 今日は黒の背広でなく何時もの除霊用に特別に誂えた衣装だ。

 下から軍用ブーツにカーゴパンツ、厚手のシャツにポケットが沢山付いているチョッキ、その上から革ジャンを羽織る。

 腰のポーチには御札や清めた塩、それに消毒液等の簡単な医療品。特注品の伸縮警棒を両脇に差して背中には大振りのナイフを仕込んでいる。

 勿論脛や腕には鉄板を入れて防御力を高めているし、インナーには防刃ベストを来ているから少し動きにくいが仕方ないかな。

 今回の相手である餓鬼の纏う水が呪咀を介するので、一応ポンチョタイプの雨具も用意した。

 本当なら距離をおきたい相手だから長柄の武器が良いのだが、洞窟と言う狭い空間では取り扱いが難しいので却下だ。

 全て装備を確認し山荘の駐車場に着いた時、何故か他の連中も集合していた。

 僕が頼んだ工事関係者は当然として、阿狐ちゃん率いる伊集院一族に高槻さんの巫女集団。知らない女性も二人程居るな。

 まるで示し合わせた様に朝九時集合って何故なんだろう?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お早よう御座います、榎本さん。今日は宜しくお願いしますわ。此方が加茂宮一子様です」

 

 駐車場に車を停めて小俣さんの所に向かおうとしたら、高槻さんに呼び止められた。

 しかも加茂宮一子を紹介されたが、やはり関西巫女連合は加茂宮の傘下なんだな。妙な笑顔の高槻さんを恨めしく思う。

 出来れば出会わずにやり過ごしたかった……

 

「おはよう、高槻さん。初めてまして加茂宮一子様。亀宮一族の派閥に属す事になりました榎本です」

 

 内心の煩わしさと何れは食う事(性的な意味でなく捕食的な意味で)になる相手に感情を表に出さず、仕事用の笑みを浮かべる。

 こんな腹芸が出来る様になるなんて、僕も薄汚れたと思う。だが亀宮派を主張しておかないと、面倒臭くなりそうな予感がしたので強調しておく。

 

「初めまして、榎本さん。噂は高槻から聞いてますよ。随分とつれない態度の殿方だとか……」

 

 色気を含んだ笑みの後に本当に恨めしそうに見つめられた。所作が洗練されていて、あからさまな媚びじゃないのが凄い。

 

 加茂宮一子

 

 これは、世間一般で言えば相当な美人だと思う。気の強いタイプのゴージャス美人、まだ20代半ば位だろうか?

 体付きもボッキュンボンなグラマーさんだ。亀宮さんや桜岡さんも十分に美人だが、彼女は更に手間暇とお金を掛けて自分を磨いているタイプ。

 つまり人工的な作り物めいた芸術品……それが僕の感じた印象だ。

 だが駐車場に集まっている男性陣の殆どが注目している。

 

 珍しく御手洗達も見惚れているね……霊能力者としても上位なんだろう、加茂宮は名前の数字が少ない程強い筈だ。

 

 だが、二子があの程度だったから信憑性は低い。

 

『胡蝶さん、一子は誰かを食べているのかな?』

 

 蟲毒の件も有るので、胡蝶に確認する。もし一人でも食べていれば同等の強さだから……

 

『いや未だだな……未だ弱い力しか感じぬ。コヤツの力は魅了系だな。人を取り込む瞳術だと思う。

正明、奴と目を合わせるでないぞ。我が居る限り瞳術は効かぬが相手に警戒されよう』

 

 二子は操作系だったが一子は魅了系ね。瞳術とは初めて聞く能力だが、確かに自分の得意とする術が効かなければ警戒するよね。

 

「何も言っては下さらないのかしら?」

 

 しまった!脳内会話に集中して「私に見惚れているのね?」的な取り方をされたか?

 

「つれないとは酷いですね。僕等は同業者でありライバルでもあります。

不用意に親しげな態度は余計な誤解を生むでしょう。ですから必要な距離感を保っているのです。

今回、加茂宮から亀宮に共闘のお話を頂きましたが、我らの方針は既に決定しており岩泉氏にも了承を頂いております。

よって協力出来る事は少ないと思いますが、宜しくお願いします」

 

 既に全ての手配は済んでいるから、今から共闘は不要だ。一礼して彼女達から離れようとしたが、一子に手を掴まれた。

 両手で包み込む様に優しく、しかし力強く。突然の事に周りも少し騒ついたが、僕がゆっくりと腕を引いて離れたので注目してるだけで済んでいる。

 正直気持ち悪かったのだが、振り払ったら大変な事になったかもしれない。

 

 良かった、我慢出来て……

 

 桜岡さんや亀宮さんに腕を抱かれても何ともないのだが、彼女に触れられた瞬間に凄い悪寒を感じた。

 だが周りから見れば妙齢な美女と筋肉ムキムキなオッサン。男性陣がどちらに好意的かなんて分かり易いだろう。

 不幸にして此処は工事関係も合わせて男性が多い。

 

「不用意な行動は控えた方が宜しいですよ。周りは男ばかりですし、変な誤解はお互いの為になりません」

 

 僕の目を真っ直ぐ見上げてくる、潤んだ瞳に霊力を乗せて……だが胡蝶の防御は抜けないし、そもそもロリコンの僕は彼女に1mmの魅力も感じていない。

 直ぐに視線を逸らす。周りは筋肉ムキムキのオッサンに縋る、か弱き美女に見えてるのだろうか?

 そして僕の関係者の女性陣の視線が首筋辺りにチリチリと突き刺さるんだ。僕は悪くないのに、状況は最悪だろう。

 

 男女どちらからも良く思われてない。

 

「少しで良いので私の話を聞いては頂けませんか?」

 

「申し訳有りませんが、準備が忙しいので……僕は亀宮一族に雇われていますが、現場の決定権は亀宮様に一任されております。

岩泉氏にも今回の件も全て任されています。僕の決定は覆しませんし、時間も有りません。

共闘の件は大変有難いのですが、既に除霊完了への方法も決まっています。同行は構いませんが、何か変更等は聞きかねます。

亀宮様、一子様の事をお願い致します。僕は準備に取り掛かります」

 

 御三家の件は僕の管轄外なので、大変申し訳ないのだが当事者に振る事にする。

 此方を睨む様に伺っていた亀宮さんが、嬉々として近付いて来たので一礼してその場を離れた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「なっ、何て無礼な態度でしょう!加茂宮に対して非常識過ぎます」

 

 確かに態度こそ丁重だったけど、あれ程一方的に指図されたのは初めてだわ。まぁ、この女が憤っているのはゼスチャーでしかない。

 私を出し抜いてアノ秘密を独り占めするつもりの女狐め!

 

「良いのです、高槻さん。榎本さんは自分の仕事に忠実なのです。先程のお話では、既に解決迄の道筋が出来ているのでしょう。

それを途中から割り込んだ私がいけないのです。ねぇ?亀宮さん」

 

 あの男……私の美貌と魅力に耐え切ったのも凄いが、瞳術すら防いだ。一瞬で霊力を散らされたのは、既に私の力を知っていたから対応出来たのね。

 でなければ、即対応は無理でしょう。私の力も一部では知れ渡ってるから、彼が知っていても不思議じゃない。

 しかし亀宮と岩泉氏から除霊を一任されてると言ったわね。

 

 御三家当主が集まっているのに、私達を押さえて……って何よアレは!伊集院阿狐と随分と親しげじゃない。どう言う事かしら?

 

「お久し振りね、一子さん。御隠居様から共闘の件は聞いてますが、今回は無用ですよ。ですが同行は許可しますので、我々の手際を見てなさい」

 

 天然ボケの亀女、だけど私の瞳術が効かない忌々しい女でもあるわ。今も私を威嚇する様に両手を腰に当てて此方を見ているし……

 

「あら、強気な態度ね。でも良いの、アレ?伊集院阿狐と随分と親しげよ。仮にも亀宮に属している霊能力者が他家の当主と親しいなんて良くないわよ」

 

 視線で話す二人に視線を誘導する。亀女もチラリと見て一瞬だが、顔を曇らせたわ。

 確かにあの一族以外にはドSと噂される冷酷女が、普通に一族以外の人間と会話している。表情こそ普通だが、会話が成立する事自体が凄いわね。

 

「構いません。榎本さんは私達を裏切らないと言ってくれてます。彼は亀宮一族から離れませんわ。だから無用な心配なのです。

さて、一子さん?」

 

 ふーん、随分と信用と信頼をしているのね。これは良いわ。

 

「何かしら?」

 

 この女にコレだけ信頼されてるなら、あの男を奪った時が楽しみだわ。どれだけ嘆き悲しむかしら?

 嗚呼……考えただけでゾクゾクしちゃうわね。自分と他の女を比較して優越感に浸る……女に生まれた以上は競ってこそ華、咲き乱れてこその華。

 世界で一番美しいのは私、私が世界で一番美しいのよ!

 

「山登りをするのだけれど、その格好で良いの?ハイヒールじゃ無理じゃないかしら?」

 

 確かに美を優先した衣装を着ていたので、動き易さは犠牲にしているわ。

 今回ばかりは私自身が洞窟の再奥まで行かなければならないから、久し振りに仕事服を着ましょう。

 

「……着替えますわ。少しお待ちになって下さい」

 

 仕事服は美しく華やかでないから嫌なのよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本さん、良いのですか?亀宮と加茂宮が火花を散らしながら話しているよ」

 

「だから逃げ出し……いや、亀宮さんに一任したんだよ。では僕等は僕等の方法で洞窟を見付けて塞ぐよ。

タイムリミットは夕方五時迄だ。それ以上は待てないから、そこは頼むよ。加茂宮一子が騒ぎだす前に仕事を終わらせたいんだ。

悪いが岩泉氏も了解は貰ってるから、変更は出来ないよ。じゃお互い頑張ろう」

 

 実は伊集院さん達は、アレから山荘に泊まっていたらしい。彼女達が居れば山荘は安全と言う事で、大多数の使用人も残ったそうだ。

 そして地元から腕のたつ連中を集めたらしい。総勢20人からの一族の方々が集まっている。因みに全員が同じ様なフードを被っているが、制服か?

 

「だから私に対して頑張ろうとか言う奴は珍しいのだけど……良いわ、五時には外に出ます。良いわね、みんな?」

 

 少し距離をおいて此方を伺っていた連中が一斉に返事をする。そして国分寺さんが近付いてきた。

 

「阿狐様、そろそろ出発しましょう。渋谷も準備が済んだみたいです」

 

 犬君が頼りの追跡調査だからな。でも人間の形状でも匂いで追跡可能なんだ。てっきり犬に変身するのかと思ったよ。

 

「ええ、分かりました。では榎本さん、後程に……」

 

 フードで表情は掴み悪いのだが、何となく笑ってくれたみたいだ。少し離れた位置に居る彼に手を挙げて応える。

 渋谷さんは目礼してくれたが、周りの連中は訝しんでるな。まぁ亀宮の派閥の僕が、阿狐ちゃんや渋谷さんと親しそうなのが不思議なんろうね。

 伊集院一族への説明は終わった。後は工事関係者だけだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お待たせしました、小俣さん。じゃ準備は宜しいですか?」

 

 軽トラック三台、トラック五台。荷台にはミニユンボや資機材が山と積まれている。小俣さん以外に10人以上の職人さん達が車座になって座っている。

 

「ええ、良いですよ。先ずは地図の枝道まで行きましょう。洞窟迄の道を造らないと駄目でしょうから。

榎本さんが岩泉先生に口利きをしてくれたお陰で、私達も全力で事に当たる覚悟が出来ました。楽しみにして下さい。おぅ、お前等!死ぬ気で頑張るんだ!」

 

「「「「「へい!任せて下さい!」」」」」

 

 岩泉さん、秘書に言っておくって事だったけど、随分と話が早いな。でも今後の開発に絡めるとあって、小俣さんのヤル気は満々だ!

 

 これなら問題無いだろう。

 

 

第194話

 

 加茂宮一子。

 

 加茂宮一族の最強当主の筈だが、彼女自身より彼女の力で魅了された連中が本来の力なのだろう。

 彼女自身の戦闘力は低い。もしかして二子から九子?迄は全員彼女に魅了されてるのかも……いや、ならば既に彼女に喰われているだろう。

 着替えを待てと言われて10分、そろそろ待ちくたびれた。女性の着替えは時間が掛かるのは理解しているが、好意を抱いてない女性を待つのは苦痛でしかない。

 伊集院さん達は既に出発してしまったし……

 

「お待たせしましたわ」

 

 持ち込んだコーラをチビチビ飲みながら待っていると、漸く一子が来た。

 先程のゴージャス美人からイメージが一新、野暮ったい正統派巫女服を着て髪の毛を無造作に首の後ろで結わいている。

 だが足元は登山ブーツを履き、腰にポーチを巻いている。お洒落に気を使うかと思えば、アンバランスなコーディネートだが実践向きな格好でもある。

 その点は素直に感心した。

 

 それと、見掛けたけど挨拶を交わしてない女性も居るな。此方も普通に巫女服で足元は足袋を履いている。

 因みに高槻さんは改造巫女服にスニーカーだ。彼女は高槻さんの取り巻きでもないみたいだが?

 

「では出発しましょう。一子様達は亀宮様と一緒にワゴン車に乗って下さい。僕は先頭のトラックに乗ります。えっと、貴女のお名前は伺いましたっけ?」

 

 素性位は知っておかないと不味いと思い挨拶をする。

 

「桜井です、宜しくお願いします」

 

 何と無くだが、敵意を持たれているっぽい態度だ。彼女に何かしたかな?だが桜井、桜井だと?思わず高槻さんを見れば、ニヤリと笑いやがった!

 重要な情報を握っていると交渉を持ち掛けて来たネタが、彼女の存在だ。だが既に方針が決まった今となっては、もうどうでも良いのだけど……

 

「榎本です、宜しくお願いします。なるべく一子様達から離れない様にお願いします」

 

 そうお願いすると、黙って頷いた。問題児は目の届く場所に纏めておいた方が対処が簡単だ。

 彼女は祖母の情報をつまり最悪の場合、洞窟内の秘密を握ってるかもしれない。独断専行されたら大変だからね。挨拶もソコソコに出発する事にする。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 地図を頼りに暫く走ると、伊集院さん達に追い付いた。彼女等は犬化した渋谷さんを先頭に徒歩で移動してるので、車だと直ぐに追い付くか……

 

「あの集団は同業者だから、徐行して追い抜いてくれるかな?」

 

 運転手さんに頼んで窓を開ける。ちょうど阿狐ちゃんの隣を走り抜ける所だったので、手を上げて挨拶しておく。

 多分だが、犬君は僕等が向かう洞窟に向かっている筈だ。事前調査で場所を特定した風巻姉妹の功績はデカい。

 何たって入り口を三ヶ所も特定したんだからね。特別ボーナスは確定だ、10万円位は渡しても良いだろう。

 伊集院さん達を抜いて10分程の距離を走ると、林道から目的の脇道に入る場所に到着した。

 因みに場所はハンターマップを元に座標を調べてGPSで小まめにチェックしている。他の連中を車内で待たせて僕だけ降りる。

 

 先ずは安全確認だ!

 

『胡蝶さん、近くに餓鬼居るかな?』

 

 林道から脇道への入口の辺りで立ち止まり周りを確認する。風が有る為に草木が揺れているが、僕では奴等の気配は分からない。

 

『居るぞ、正明!正面から三匹が近付いて来る。奴等は厄介だ、手をかざせば我が吸い込む』

 

 流石に胡蝶レーダーは優秀だな。良かった、強い回復力を持つ連中だから消耗戦は避けたかったんだ。

 左手で吸い込むから、右手に特殊警棒を持つ。軽く腕を振ると小気味よい金属音と共に特殊警棒が伸びる。

 緊張の為にグリップを握る掌が汗でジットリしてきたな……暫く待つと雑草を掻き分けて奴等が、奇声をあげて飛び掛かって来た。

 三匹一斉に飛び掛かかるが、来るのが分かれば対処は出来る。

 

 左側に避けながら一匹目を掴む。ギュポンと言う音と共に左手に吸い込まれる餓鬼。

 態勢を建て直し、此方を威嚇する手前の奴の脳天に特殊警棒を振り下ろす。グシャリと不快な音と手応えを感じながら更に蹴り飛ばす。

 

 残り一匹が飛び掛かってくるが左手で掴んで吸い込む。頭部を陥没させた奴は再生中の為に動きが鈍い。近付いても此方を睨んで威嚇するだけだ。

 

 左手をかざせば吸い込んで終わりだが……最後の奴はドッグタグを首から下げていた。

 これは兵士が戦場で負傷し意識が無くても基本的情報が分かる名札だ。名前・血液型・連絡先等が金属のプレートに掘り込まれている。

 

『胡蝶さん、あの首飾りは吸わないで残して。何かの手掛かりになるかも』

 

 そう頼むと、ドッグタグを残して餓鬼を吸い込んだ。ポトリと草むらに落ちる金属の塊を手に取って見れば……

 

「これは、レナさんのお兄さんの名前だ。やはり餓鬼に喰われたか……」

 

 手に取ったソレのプレートには、クロード・ロッソと掘られていた。

 

『いや、あの食った餓鬼は人間だった。奴等は人間の成れの果てだ。あの水を介した呪咀だが、肉体を餓鬼に変化させるのだろう』

 

 人間があんなモノに変化するのか?

 

『じゃ、じゃあ不老不死の正体って……』

 

 嫌な秘密に辿り着いてしまった。

 

『胡蝶さん、未だ周りに餓鬼が……奴等が居るかな?』

 

 何時までも他の連中を車の中に閉じ込めている訳にもいかない。早目に餓鬼を除去して、洞窟を塞ぎたいんだ。

 

『ん?少なくとも100m以内には感じられないな』

 

「もう安全だ!作業を初めてくれ。亀宮さん、僕と周囲の警戒を御手洗達も作業員の周りに配してくれ」

 

 僕の呼び掛けに、恐る恐るだが車から降りてくる作業員達。先ずは洞窟迄の伐採と作業導線の確保だな。

 洞窟の前まで車で移動したいから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「凄いですね、簡単に餓鬼を倒すなんて。私が調べた限りでは、それ程強力な技を持ってはいない方だと思いましたが?

中堅クラスの手堅い仕事振りの不動産専門の霊能力者だと思ってました」

 

 同行した作業員達は、先ずはエンジンカッターで草木を伐採していく。昔は道として使っていたのだろう、敷き詰められた砕石が見えて来た。

 

「今でも中堅クラスの霊能力者ですよ。亀宮でも派閥の末席ですからね」

 

 草だけでなく低木も生えている為、トラックに積んでいたミニユンボを降ろす。人力より重機の方が低木を根っこから掘り起こせるからね。

 

「まぁ!榎本さん程の霊能力者を末席で?私の所なら直ぐにでも……」

 

「一子様のお誘いは大変嬉しいのですが、僕は亀宮以外に所属するつもりは有りません。僕は亀宮さんと敵対するつもりが無いので、他の組織には入りません」

 

 林道から登り坂を20m程整備すると、目的の洞窟が見えた。随分と近いな……亀宮さんが亀ちゃんを纏わせながら、洞窟に近付いていく。

 当然、僕は追い掛ける。加茂宮一子を放置しても……

 

 洞窟の前は草木が無く、簡易な灯籠と締め縄が張られていた。出入口は古い木製の観音開きの扉が朽ちていて片側が開いている。

 だが両脇の灯籠は倒れ締め縄は地面に落ちている。これが簡易結界だったのかな?

 

「亀宮さん、触らないでね。高野さん、結界だけど洞窟の内側に張ろうよ」

 

 締め縄を拾おうとする亀宮さんを止めて今回のキモで有る結界師、高野さんを呼ぶ。

 

「ヤレヤレ、やっとお呼びね。分かったわ、洞窟から3m入った場所に結界を張るわ。榎本さん手伝ってよ」

 

 ビジネススーツに軍用コートを羽織った高野さんが、鞄を広げだした。

 

「分かった、先ずは洞窟に入って安全を確保するよ」

 

 事前調査では戦時中の防空壕だと聞いていたが、どうやら自然に出来た洞窟を拡張したみたいだな。

 普通は浸水を防ぐ為に入口から少し登り坂を作るのだが、これは最初から急な坂道だ。右手に持っていた特殊警棒を畳みマグライトで内部を照らす。

 入口は直径2m程の半円をしていて、中に入ると殆ど自然のままの岩肌だ。床だけが何とか平らになっている。

 

『胡蝶さん、奴等は?』

 

『ん?この洞窟は深いな……奥に気配はするが、動いてはいない』

 

 気付いてないのか、他に考えが有るのか……奴等は元人間だけに知能が残っていれば厄介だ。どんな手を使ってくるか分からない。

 

「高野さん、奴等は近くには居ない。結界を頼むね」

 

「はいはい、ほら私を肩車しなさい。天井部に水晶を固定するわよ」

 

 脚立を使えよと思ったが、足元が悪いから無理か……後ろを向いて屈むと彼女がのしかかってきた。

 意外だが、結構胸は有るんだな。ゆっくりと立ち上がる。

 高野さんは岩肌にコンクリボンドで金具を付けてから水晶を差し込む。天井部に三ヶ所、左右の壁に二ヶ所ずつ取付けて床には水晶を埋めた。

 壁に付けた水晶に人差し指で軽く触れると……霊力を流したのか、見事に網状の結界が張られた。

 

「お見事!凄いな。でもコレ人間は通れるんだろ?」

 

「大丈夫よ。さて、少し先にも同じ結界を張るわ。二重にすれば、最悪でも逃げる時間は稼げるでしょ?」

 

 流石は防御を専門とする結界師、彼女を頼って良かった。最初の結界から更に10m程進んで二陣の結界を張る。

 序でに用意したランタンを点けて、奴等の接近に備える。本命の洞窟の結界を張り終えて外に出ると、何やら揉めてる声がするんだけど……

 

「榎本さん、何か揉めてるわね?」

 

「あー、御三家Topの女性陣が言い争ってるよ。絶対に面倒臭い話だぞ」

 

 亀宮さん、阿狐ちゃん、一子様が互いに2m位離れて三角形を形成してる。

 亀宮さんには御手洗達、阿狐ちゃんには一族の連中、一子様には高槻さん桜井さんモブ巫女さんが後ろに控えている。

 因みに作業員達は既に道を整備して洞窟を塞ぐ鋼材をトラックから下ろし始めたな。

 

「榎本さん、止めないの?」

 

 早く何とかしなさい的な顔をする高野さん。

 

「僕が?何故?いや、そうだね。凄く嫌な予感がするけど僕の仕事だよね」

 

「はいはい、後で慰めてあげるから早く行きなさい」

 

 別に慰めて貰わなくてもとは思うが、あの件以来僕等は悪友として良く飲み歩いている。

 つまり慰めとは、奢ってくれるって事だ。深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、魔のトライアングルに近付いて行く……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 最初に僕に気付いたのは亀宮さんだ。その目線に残りの二人も僕を見る。

 

「結界を二重に張ったけど……何か揉めてる?」

 

 立場上、亀宮さんの隣に立つ。だって派閥の一員だから。

 

「榎本さん、彼女達が洞窟内に入れろと。此処は私達が先に見付けたんです」

 

 伊集院は兎も角、加茂宮達は入りたいのはアレか……アレの秘密を知っている桜井さんが焚き付けたか?または僕等の知らない秘密が有るかだな。

 

「私達は手柄を掠め取るつもりは無い。別に奴等を根絶やしにしても報酬を請求するつもりも無い。ただケジメの為に奴等を生かしてはおけないだけなんだ」

 

 阿狐ちゃんは、あくまでも渋谷さんの復讐だからな。引くに引けないだろう。

 

「亀宮さん、伊集院さん達には協力して貰おう。手柄は要らないって事だし、僕等も作業をするのに中の餓鬼を相手にしてくれるなら助かる。

だが夕方の五時には閉鎖するから、それまでには出て来て欲しい。どうかな?」

 

 最初に打合せした通りに話を持っていく。

 

「私達はそれで構わない。今回の件は榎本さんが岩泉氏と既に話を纏めている。私達の突撃は自己満足だからな」

 

 そう言って軽く頭を下げる阿狐ちゃん。

 

「分かりました。必ず時間内には出て来るのですよ」

 

 渋々だが亀宮さんは認めてくれた。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。伊集院達を洞窟内に入れるのは反対だわ!」

 

 ああ、やはり独り占めを考えているな。仁王立ちの一子様を見て、彼女達の考えが何となく分かる気がした……

 

 

第195話

 

 御三家巨頭会談。

 

 事実上の御三家Topの女性陣に囲まれて、この上もなく困惑してます、ハイ。

 

「私達が先に居たのに、伊集院のお嬢ちゃんを洞窟に入れる意味が分からないわ。入るなら先に来ていた私達が先でしょ?」

 

「そうです、わざわざ伊集院さん達を入れる意味が分かりません」

 

 一子様と高槻さんに詰め寄られた。巫女服姿の美人二人に言い寄られても、全く嬉しくないから不思議だ。

 なまじ美人なだけに怒ると迫力が桁違いだ。出来れば同じ御三家当主の亀宮さんに丸投げしたいが、グッと堪える。

 

「逆に何故、伊集院さん達を洞窟に入れちゃ駄目なんですか?此処は塞ぐ訳ですから、これから作業をします。

ならば洞窟内から餓鬼が出て来ない様に、彼等が倒してくれる方が良いじゃないですか?

しかも報酬は辞退するんですよ。何の不満が有るのですか?」

 

 表向きは何故楽できるのにしないの?的な表情をする。心の中では洞窟内の秘密を嗅ぎ付けられたくないとか、独り占めしたいとかだろうなと思う。

 人間、欲望に駆られると余裕が無くなるからね。今の彼女達は、まさにその感じだ。支離滅裂な言い分じゃ納得出来ないぞ。

 それでも何かを言おうとするが、先に言葉を被せる。

 

「一子様も高槻さんも戦闘系術者じゃないだろ?僕も亀宮さんも洞窟内に入るつもりはない。

貴女達だけじゃ死にに行く様なものだよ。だが伊集院さん達は一族の戦闘職を集めている。

当主自身も戦闘系術者で且つ集団戦だよ。ならば依頼達成の為に頼む事は悪くない。

僕と高野さんは残り二ヶ所の穴に結界を張りに移動するから、守りは亀宮さんだけだからね。逆にお願いしたい位の提案なんだ」

 

 言葉に詰まる二人……無理してまで中に入る理由が思い付かないだろ?

 

「伊集院さん、宜しくお願いします。ですが五時迄です。時間に遅れない様に……」

 

 様子見で何も言わなかった阿狐ちゃんを促す。早く出発してくれ。

 

「分かった。我が儘を聞いて貰い感謝する。今回の件は貴方に借りておくよ」

 

 そう言って阿狐ちゃんは、一族を率いて洞窟内に侵入していった。全員がマントを翻しながら……僕に借りは不味いよ、せめて亀宮にして欲しい。

 本当に阿狐ちゃんは義理堅いよな。つい話し込んでしまったが、周りを見れば工事部隊の仕事が速い。

 既に周辺の伐採を終えて持ち込んだ鉄板を敷いている。

 これは簡易プラントを設置して洞窟内にグラウトと呼ばれる流動化材を流し込む準備だ。

 コンクリートより粘りが無く水に近いグラウトは陥没した土台の隙間等に充填する物だ。

 材料を持ち込み現場で加工すれば、休みなく大量のグラウトを流し込める。

 勿論、市内の複数のプラントにも依頼をしているから、準備が出来れば夜通しグラウトを流し込める。これで問題の洞窟の閉鎖は完璧だ!

 

「亀宮さん、此処はお願いね。残り二ヶ所の結界張りに行ってくるよ」

 

 御三家巨頭会談を我関せず的にしていた高野さんを促す。確かに関係無いけど、少しは気にして欲しい。隣で呑気にペットボトルとか飲まれても、ねぇ?

 

「はいはい、人使いの荒いクマさんね。荷物位は持ちなさいよ」

 

 高野さんにバッグを押し付けられたが、確かに女性が持つ重さじゃないな。バッグを肩に掛けて地図を片手に次の穴へと移動を開始する……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「何故、加茂宮は洞窟内に侵入するのに拘るのかしら?」

 

 残り二ヶ所の穴に結界を張り終えて、最初の場所に戻る途中に高野さんが聞いてきた。やはり第三者が見ても不自然だったんだろう。

 

「あの二人の後ろに地味目の巫女さんが居ただろ?桜井さんと言って、先代岩泉氏と色々企んでいた人のお孫さんだよ。

つまり祖母から色々と聞いてるんだろう。あの洞窟の秘密をね……」

 

 獣道であるが故に起伏が激しく、しかも下り坂なので高野さんの歩みが遅い。仕方なく段差や障害物の有る部分では手を貸している。

 彼女も特に照れもせずに差し出した手を握ってくる。意外に華奢な指だ。

 

「秘密って不老不死の?あの一子って奴、美容に五月蝿そうじゃない。そんなネタを掴んだら、無理しても洞窟に侵入しそうね。引率の榎本さんは大変?」

 

 嬉しそうに話す彼女の手を取り引っ張る。倒木を越えて僕にしがみ付いてくるのだが、亀宮さんにでも見られたら危険な体勢だ。

 

「そうなんだよ。だけど彼女達だけでは餓鬼が居る洞窟の中には入れない。護衛が居ないからね。

護衛出来るのは僕と亀宮さん位だから、僕はあの場所を離れたんだ。亀宮さんは絶対に一子様の護衛はしないだろ?」

 

 どんな条件を付けて無理難題を言うか分からない。仮にも御三家の当主だし、扱い方にも細心の注意が居るんだよね。

 

「巻き込まれる前に逃げた訳ね」

 

 大岩の上に先に登り、高野さんの手を掴み引っ張り上げる。この大岩を越えれば、後はなだらかな下り坂が続いている。

 暫し大岩の上に座って一休みする。バッグからミネラルウォーターのペットボトルを取り出して渡す。

 キャップを開けて一気に半分位飲み干す。少し温いが、緊張していた体が解れた感じだ。

 

 腕時計で時刻を確認すれば、11時38分か……結構時間が掛かったな。

 

「珍しいわね、腕時計をしてるなんて……」

 

「ああ、仕事中に携帯電話なんて開いてられないだろ?だから現場に出る時は腕時計をするよ。普段は数珠もしてるから、一緒だと傷付くんだよ」

 

 水晶と金属を一緒に巻けば、水晶が傷付く。

 

「そうね、榎本さんの秘密の左手ですもんね。愛染明王を信奉してるとか言ってるけど、別の神様なんでしょ?」

 

 何気なく言った様な言葉だが、思わず高野さんを凝視してしまう。呑気にミネラルウォーターを飲んでいるが、何を考えて……

 

「あのね、私を疑うのは筋違いよ。榎本さんの力の源が、只の愛染明王な訳ないでしょ?必ず他に祀る神が居るのは、皆何となく思ってるわよ」

 

 アレ?胡蝶さんの事がバレてるのかな?

 

「いや、その……違くはないが違う……」

 

「気を付けなさいな。力の源を知られるのは、敵に有利になるわ」

 

 流石は悪友、心配されてしまった。

 

「そうだね、気を付けるよ」

 

 思えば最初に小原さんの邸宅で会った時は頼りない結界師と思ったけど、今は数少ない信頼出来る同業者だ。

 今までは頑なに同業者との関わりを避けてきたけど、コレはコレで良いものだな。

 

「さて、出発しますか?」

 

「榎本さん、私の仕事はコレで終わりよね?」

 

 三ヶ所の結界を張って貰えれば、後は予定通りに工事を進めるだけだな。

 

「うん、有り難う。後は大丈夫だよ」

 

 下り坂を並んで歩く。胡蝶さんに周りの警戒を頼んであるが、餓鬼の反応は無い。伊集院さん達が頑張ってるんだろうな。

 

「じゃあ待機で良いわね?結界石は残り三回分有るから、補強するなら出来るわよ」

 

 最近は本当に協力的だよな、怖い位に……

 

「悪いね、報酬は弾むよ」

 

「なら今度マダム道子の店に案内してよ。何度行っても辿り着かないのよね。それと水晶の加工、もう少し増やせない?後は……」

 

 嬉しそうに指折り数えて条件を増やしていく。高野さんは、やっぱり高野さんだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 現場に戻ると随分と工事は進んでいた。洞窟前のスペースは整地され鉄板が敷き詰められている。

 発電機やコンテナハウスも設置され洞窟の入口にも鉄骨で枠が組まれ始めた。小俣さんの手際の良さは想像以上だったな。

 亀宮さん達を探すと長机とパイプ椅子で簡易な休憩スペースが有り、全員そこでお茶を飲んで寛いでいた。

 但し加茂宮さん御一行は苛ついてる感じが漂ってるね。だけど一番イライラしてるのは桜井さんで、一子様は未だ余裕有りそうだね。

 桜井さんはタバコを吸いながら貧乏揺すりをしてるし、大分キテるな。逆に一子様は優雅に読書してるし、高槻さんはPSPで遊んでる。

 

 情報提供者たる彼女が一番苛つき、他の二人が普通となると考えられるのは……桜井さんの情報を一子様は半信半疑だと言う事かな?

 

「お待たせ、残りの穴も塞いできたよ」

 

 空いているパイプ椅子に座ると、滝沢さんがお茶を淹れてくれた。紙コップにペットボトルのお茶を注ぐだけだが、有難い。一息に飲み干す。

 

「何か変わった事は?」

 

「特に無いわね。アレから餓鬼も出ないし工事は順調みたい」

 

 亀宮さんは亀ちゃんを具現化させて警戒しているから、亀ちゃんの探査範囲な餓鬼は居ないんだな。

 

「亀ちゃん、グッジョブ!」

 

 僕のサムズアップに頷く亀ちゃん。大分僕に慣れてくれたのが嬉しい。

 

「榎本さん、すっかり亀ちゃんと友達ね。それとお昼どうします?」

 

 昼ご飯か……

 

「買い出しに行くしかないかな……僕と亀宮さんは此処を離れる訳にはいかないし、御手洗達に車で……」

 

「私達が行ってくるわ。どうせ暇だし、此処に居るのも飽きてきたし……」

 

 一子様が立候補してくれたが、幾ら何でも不味いだろう、いや不味いよね?

 

「加茂宮の当主に買い出しなんて頼めませんよ。御手洗、悪いが行ってくれるか?亀宮さんのガードは引き継ぐから」

 

 見た目筋肉の塊の御手洗だが、調理師免状を持つ本格的な料理人だ。彼が選ぶ物なら間違い無いだろう。

 

「ん?分かった。一人車番で連れてくぞ」

 

 そう言って筋肉の塊二人が買い出しに向かった。多分だが往復一時間は掛かるだろうな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 現場での昼ご飯など、仕出し弁当かコンビニだろう。御三家の内、二人も当主が居るのが用意出来る物には限りが有るよね。

 つまりゴージャス美人もユルフワ美人も同じ物を食べる訳です、ハイ。

 

 御手洗が買ってきた物はコンビニ弁当だ。幕の内・唐揚げ・ハンバーグ・焼肉弁当。菓子パン・サンドイッチに各種おにぎり等、種類は豊富だ。

 普通にサンドイッチを食べる一子様に違和感を感じた。まるで独身男性が住んでる六畳一間に孔雀♂が居て羽根を広げてるイメージだろうか?

 いや一子様は女性だがら極楽鳥かフラミンゴかな?高槻さんは普通に、桜井さんはガツガツと幕の内弁当を食べている。

 

 会話は全く無いので、葬式みたいだ……味気ないハンバーグ弁当を食べる。

 

「ねぇ榎本さん?」

 

「何ですか、一子様?」

 

 昼食にハム卵サンドイッチ一つしか食べない彼女が、ハンカチで口を押さえながら聞いてきた。

 

「あの鉄の大きな箱や機材の山は何です?」

 

 指差す方を見れば、水を貯めるコンテナとグラウトを撹拌するミキサーだな。

 

「あれは洞窟に流し込むグラウトを作る機材です。水を貯めるコンテナや撹拌ミキサーとかですね。

午後から給水車やグラウトの材料が運びこまれます。五時を過ぎて伊集院さん達が出て来たら流し込みますよ。これで洞窟を完全に埋める事が出来ます」

 

 流動化したグラウトは洞窟に流れ込み、完全に塞ぐ事が出来る。仮設プラントまで用意したんだ。

 市内のプラント工場からも運ばせるが、不足分は現地で作れば……

 

「あの洞窟を塞ぐんじゃなくて埋めるですって?貴方達はどんなに愚かなのです!あの洞窟には……」

 

「桜井さん、お黙りなさい」

 

 興奮した桜井さんを一言で黙らせた。彼女の脅えようからして瞳術を使ったと思うのだが、良く分からなかった。

 

「榎本さん、本当に洞窟を直ぐに埋めるのですか?私に中を調べる時間を貰えませんか?」

 

 彼女に真っ直ぐ見つめられると瞳術が効いてるのか分からないが、居たたまれない気持ちになる。

 気持ちを切り替える為に、ペットボトルのお茶を飲む。温いが気持ちは落ち着いた。

 

「そうです。岩泉氏の山荘まで繋がってるので1㎞以上は有るかも知れませんが、市内のプラント工場も三ヶ所押さえてます。

10000㎥までなら調達出来る準備をしてますよ」

 

「そう……分かりました……」

 

 それっきり無言でファッション誌を読み始めたぞ。諦めてくれたのかは無表情な彼女からは掴めなかった……

 



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第196話から第198話

第196話

 

 一子様が優雅にファッション雑誌を読み、高槻さんがPSPで遊ぶ。亀宮さんは居眠りを始めたが、揺れる体は亀ちゃんが押さえている。

 午後の日差しは暖かく、空には鳶が二匹旋回している。四月後半、今まさに春を感じる季節だ。

 

 僕は天を見上げて呟く……

 

「平和だなぁ……」

 

 その言葉に反応して長机をバンっと叩く桜井さん。ああ、不老不死の秘密を言うに言えずに悶々としてるのね。

 そして呑気な僕が気に入らない訳ですな。彼女をチラ見したが、特に何も言えないのだろう。酷くキツい目で睨み付けるだけだ。

 

「ああ、平和だよね……」

 

 再度空を見上げて呟く。世は並べて事も無し。後は粛々と洞窟を埋めればお終いだからね。

 だから気持ちは楽だ、自ら除霊の前線に出なくて良いから平和なのだ。

 

「榎本さんって結構女性に対してドライなんですね?」

 

 ファッション誌から目を逸らさずに一子様から嫌味が飛んできた。

 

「そうですか?確かに優先順位を付けますからドライかな。でも八方美人は疲れるし相手にも失礼ですよね?」

 

 誰にでも手を差し伸べるなんて聖人位しか出来ないだろうし、僕が出来る事は有限だから、その他大勢はそれなりの対応で良いと思う。

 

「確かにそうね。皆平等よりも他の女と差別を付けてくれた方が嬉しいわ」

 

 ああ、一子様は自分が一番の扱いだと嬉しいタイプなんだな。ある意味、僕は一子様を一番欲している。餌的な意味でだけど……

 

「そうです!大切な人には誠心誠意、それなりの人には普通に、どうでも良い人には適当に。

僕の力程度で皆平等は無理なので、その辺は申し訳なく想います」

 

 誠実な顔で一子様に向き合い頭を下げる。一子様も雑誌から目を僕に向けている。だが、その表情は平坦だ、何も感情が読めない。

 

「人として考え方は普通ね。人権問題で言えば大問題だけど……でもハーレム願望が無いのは好感が持てるわ。

人は身の丈を弁えなければ駄目よ。だからこそ、略奪愛は楽しいの。その人の価値観を私色に塗り替えられるから。

やっぱり榎本さん、ウチに来ない?好待遇を約束するわ。んー、年俸制で3000万円でどう?」

 

 今迄無表情だったのに艶然と微笑まれると、普通の男性ならギャップも相(あい)まって舞い上がるんだろうな。

 それ位に一子様は人の手で作り出した最高の魅力に溢れている。だが僕は鋼の意志(ロリコン魂)が全てを弾き劣化させる。故に心奪われない。

 

「先に亀宮様に出会ってしまったので、叶わぬ事ですね。純粋に嬉しく思いますが……」

 

 御三家の一角のトップに言われたら嬉しいと思うのが普通だろう。あくまでも普通の性癖の男ならと言わせて貰うけどね。

 あと立場的に彼女に強く言えないんだ。

 

「私と亀宮、どちらが魅力的かしら?」

 

 更に笑みを浮かべ瞳術を掛けてきた……らしい。胡蝶の警告か頭の中に響く。

 

「個人的な好みなら亀宮様です。万人受けする美人は有り得ないことと、条件の下での好みですよ。

一子様と亀宮様のどちらが秀でているとかでは有りません。勘違いしないで欲しいのですが、純粋に好みの問題です」

 

 そろそろ話題を切り替えたいのだが、周りの連中は僕等に注目してるし、一子様も未だ話を終える感じはしない。

 誰かに話を振りたいが、女性の美についてだと難しい。同じ女性には振れないし男性でも問題有りそうだ。

 

 亀宮さんは嬉しそうだ……耳や尻尾が有ればパタパタ振り切れる位に。

 

 滝沢さんと高槻さんは興味津々だが、表情には出ていない。だから特に高野さんのニヤニヤがムカつく!

 

「つまり榎本さんにとっては桜岡さんと亀宮さんが大切で、その他は普通なのね?」

 

 うわっ、この女……表情を自在に替えられるんだな。今の涙を浮かべて縋る様な悲しげな表情を向けられると、罪悪感が半端ない。

 だが、此処で妥協すると付け込まれる隙が出来る。周りの男性陣の恨みを一身に背負うが仕方ない。

 

 ズバッと切り捨てるのが、男らしさだ!

 

「ごめんなさい、もう苛めないで下さい」

 

 長机に両手を付いて頭を下げる。

 

「あら?ふふふ、苛められてたのは私の方でしょ?この話題は終わりにしましょうね」

 

 見惚れる様な笑顔を浮かべてくれたので、周りの男性陣からの殺気が和らいだ……

 カリスマ、人心掌握術、魅了の術等々、彼女の力の根源は太閤秀吉に近いのかもしれない。

 彼女は人たらしと言われた老若男女構わず引き込む術を持っているんだな。

 何故ならば女性としての魅力は感じなかったが、話し終わった後に不快感が無く少しだが楽しいと思ってしまった。

 また話したい、話しても良いという感情は好意と何が違うのか……一旦席を離れた方が良いだろう。

 コーラを入れたクラーボックスを山林に停めてある車に積んでいる。炭酸で一息ついた方が良いだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 伐採され鉄板が敷かれ整備された道を急ぎ足にて進む。目的の車は直ぐに見付かった。

 トラックの荷台に乗せてもらっていたクラーボックスを開けて缶コーラを取り出す。プルタブを開けて一気に飲み干すと喉が焼ける様だ!

 

 だが、この刺激が炭酸好きの醍醐味だ。

 

 盛大にゲップをすると空き缶をクシャクシャに丸めてクラーボックスに放り込む。

 

「はぁ、女性って難しいよね。阿狐ちゃんの言った女性が理不尽な生き物って本当だよね。未だ学生なのに本質を突いてるのが凄いや」

 

 年下の女の子に女性の本質を教えられて凹むが、まぁオッサンだから仕方ないと考え直す。

 何と無くリフレッシュして現場に戻ると騒がしいのだが、何か有ったのか?アレ、阿狐ちゃん達が出て来たけど、それだけじゃなさそうだな。

 何故か亀宮さん達が輪になり騒いでいる。小走りで近付くと話の内容が聞こえてきた。

 

 餓鬼を倒した……だが回復中……奥に泉が有った……コンクリートで埋まって……桜井さんが洞窟に……跡を追って……

 

 おぃおぃ、碌でもない単語が断片的に聞こえたぞ。

 

「亀宮さん、伊集院さん!何が有ったの?」

 

 話の輪の中心に居る二人に話し掛ける。一斉に此方を向く二人。

 

「榎本さん、桜井さんが勝手に洞窟内に!それを追って一子さんと高槻さん達が……」

 

「私達が最奥まで行って餓鬼を倒したが、滅し切れずに回復中だと聞いたら突然走りだして……アレは何なんだ?」

 

 不味いぞ、最奥まで危険が少なく行けると思ったな!餓鬼の回復スピードが分からないから後どれ位安全かは不明だが、そんなに余裕は無い。

 僕の想像が正しければ、あの水に浸かったら餓鬼化するぞ。人の身で不老不死なんて無理なんだよ!

 

「僕が迎えに行く。亀宮さんと伊集院さんは待機してくれ。何とか連れ戻す」

 

 見捨てたいのは山々だが、彼女達を何とかしないと洞窟を埋められない。生き埋めは犯罪行為でしかなく、目撃者も沢山居るからね。

 

「私が同行しよう。道案内も出来るし、彼には借りも有る。むざむざと死地に向かわせる訳にはいかない」

 

「防御なら私の出番だわ!彼は私の一族の一員なのだから、私が同行するのが当たり前なの」

 

 どちらの申し入れも嬉しいが、今は一刻を争う!

 

「駄目だ、君達はって……なに走りだしてるの!駄目だって」

 

 亀宮さんと阿狐ちゃんは一瞬だけ見つめ合うと走りだした。

 

「ウチの姫様は全く持って行動派だな」

 

 だが慌てて追いかけて、二人の肩を掴んで引き止める。凄く不服そうな顔で見られましたよ……

 

「君らは駄目だ。あの洞窟内には岩泉氏の秘密が詰まってる。それを暴きに行った桜井さん達は僕が止めるよ。

それも岩泉氏からの要望でも有る。御三家トップが知ってしまうのは不味いんだ。

この行動で一子様は不利になるだろう……悪いが納得してくれ」

 

 そう言って洞窟内に向かって走りだす。懐に仕込んだマグライトを取り出し前方を照らし注意しながら進む。

 元々は自然の洞窟を戦時中に防空壕にした。

 だから最初こそ天井も壁も綺麗に整形されているが、20mも進めば自然の洞窟の姿を取り戻し起伏も激しければ凹凸も凄い。

 

「胡蝶さん、胡蝶さん。彼女等は何処かな?」

 

 走りながら語り掛ける。胡蝶レーダーをあてにするが果たして?

 

『真っ直ぐだ!移動速度は遅いから追い付けるぞ』

 

 やはり胡蝶さんは頼りになる。

 

「有り難う、後ろは付いてきてるかな?」

 

『亀と蛇が追って来てるぞ。その後ろは居ない。二人に止められているのか?全く正明は人気者だな』

 

 ああ、やっぱりね。あの二人が大人しく待つ訳は無いか……だが、そんな人気は要らないです。

 割と足元は平らなので全力で走れる。流石に床面は整地したのだろう。なだらかな下り坂を全力で走る。

 暫く走ると前方の暗闇に灯りが見えたので、追い付いたみたいだな。何やら揉めている様な言い争う声が聞こえてくる。

 

 暫くして僕のライトに一子様達が……

 

「おい、大丈夫か?洞窟から早く出るぞ」

 

 大声で呼び掛けると此方を一斉に見るが、どう言う状況だ?モブ巫女に取り押さえられる高槻さんと、一子様と睨み合う桜井さん。

 高槻さんは悔しそうだが、何故に自分の配下のモブ巫女に取り押さえられてるんだ?

 

 下剋上?

 

「聞こえてるかい?外に出るぞ」

 

 もう一度、ゆっくりと優しく話し掛ける。

 

「五月蝿い、五月蝿い、五月蝿い!アンタの所為で霊水が、霊水が湧き出る泉が塞がったのよ!どうしてくれるの、この馬鹿筋肉!」

 

 偉い剣幕だが、洞窟の奥にライトを向ければコンクリートのピラミッドが出来ていた。天井から垂れ下がる鍾乳石の様なコンクリート。

 暖炉擬きから流し込んだが、この上が山荘なのか……意外に近いんだな。流石に200㎥のコンクリートは伊達じゃないぜ!

 だが隅々に餓鬼だった肉塊も散乱しているので、妙に生臭い。早く外に出たいと思わないのかね?

 

「予定通りだな。此処も直にグラウトで充填されるよ。早く出るぞ、隅に居る餓鬼の再生スピードが……もう直に動き出すぞ」

 

 ウネウネ・ウゾウゾと再生を始めている餓鬼達だが、伊集院さん達は奴等をミンチにするまで攻撃したんだな。

 単純な火力ならば御三家一番だろう。新興勢力が御三家まで成り上がった秘密を垣間見れたよ……

 

「ほら、高槻さんを放しなよ。危ないから外へ出るぞ」

 

 そう言って彼女を押さえているモブ巫女を睨む。だが互いにマグライトの灯りが頼りなので、イマイチ視線とか表情が分かり辛い。

 なので高槻さんの腕を掴み引っ張る。嫌々らしく手を放すモブ巫女達。

 

「一子様も良いですよね?ほら、餓鬼達が再生を始めている。早く洞窟を出ないと途中で襲われるぞ」

 

 マグライトで照らされた餓鬼は、既に人型に再生を始めている。あと10分もすれば動き出すだろう。

 

「……分かりました、戻りますわ。皆さん戻りますわよ」

 

 何やら答える迄に10秒程の時間が掛かったが、一子様は納得したみたいだ。その声にモブ巫女達が応える。高槻さん、一子様と仲違いしたのかな?

 

「アハハハハ!馬鹿ね、見逃したわね?此処に僅かながらも霊水が残ってるわよ!

私、私が、私だけが、永遠の若さと美しさを保つの。加茂宮だか亀宮だか知らないけどね、この霊水は私だけのモノよ!」

 

 コンクリートピラミッドの脇に小さな窪地が有り、向けたライトの灯りを反射している。ユニットバスのバスタブ程の大きさだが、確かに水が貯まっている。

 

「お待ちなさい、桜井!」

 

「桜井、独り占めは許さないわよ!」

 

 駆け寄ろうとする一子様と高槻さんを後ろから抱いて止める。

 

「アハハハハ、見てなさい。生まれ変わる私を!見下していた私が、私だけが永遠の若さを得るのよ!」

 

 僕は狂った様に笑いながら巫女服を脱いでいる桜井さんをただ見ているしかなかった……

 

 

第197話

 

「アハハハハ、見てなさい。生まれ変わる私を!見下されていた私が、私だけが、永遠の若さを得るのよ!」

 

 狂った様に笑いながら巫女服を脱ぎだした痴女……もとい桜井さん。見た目普通だが、肉体も普通だ。

 それなりにメリハリが有るが、それなりでしかない。流石に裸の女性に直接光を当てる事は出来ないので、足元に落としたライトは少しずらしている。

 なので余計に陰影で彼女の表情は歪んで見えるから怖い。狂気の籠もった瞳で此方を睨むが、一子様と高槻さんは僕がガッチリホールドしている。

 言い返そうにも拘束され苦しくて無理なのか、何も言わない。あの霊水と言うか、呪いの触媒の水に触れさせる訳にはいかないんだ。

 スッポンポンの全裸になり、此方を指差して狂った様に笑う彼女に対して僕の腕の中の美女達は我慢の限界みたいだ。もがく腕に力がこもる。

 

「立場を考えなさい、桜井さん。貴女の……」

 

「五月蝿い、黙れ色魔!誰にでも色目を使いやがって、私の彼を奪った恨みは忘れないからな!」

 

 あーやっぱりアレか、愛憎絡みの問題か……一子様って略奪愛が好きだって言ってたからな。桜井さんと一子様じゃ特殊な性癖の持ち主か純愛路線の男じゃないと無理かな?

 

「違うわ、私は見てくれだけの男なんて要らないわ。あの男の勘違いを私の所為にしないで欲しいわね。

男の価値は能力なのよ。例えば私を抱いて放さない榎本さんの様な強い男が必要なの!」

 

 いや、僕は違うぞ。そんな意味で二人を拘束してないから。

 

 もしかしたら桜井さんも被害者かも知れない。一子様に彼氏を奪われ、高槻さんに派閥でパワハラに遭ってとか?

 だが最初に見付けた時には高槻さんが配下のモブ巫女に取り押さえられていた……いや、余り他人の派閥の事を気にしない方が良いな。

 可哀想になったので、水溜まりに近付く桜井さんに警告する。

 

「その水に浸かると後悔するよ。それは不老不死の妙薬なんかじゃないぜ。呪いの触媒でしかない」

 

 彼女は、あと一歩踏み出せば水溜まりに入れる距離まで近付いていた。

 

「黙れ馬鹿肉達磨!そんな女の色香に負けやがって!生まれ変わる私を見ているが良い。私一人分しかない霊水なのだから、お前等の分は無いからな」

 

 そう言って彼女は水溜まりに、躊躇無く飛び込んだ!意外に深かったらしく、しゃがんだ彼女の頭まで水に浸かる事が出来たみたいだ。

 

 当然だが溢れ出す霊水……

 

「ああ、勿体ない!」

 

「無くなってしまうわよ!」

 

 思わず叫んで手を伸ばす二人を抱き留める。そして洞窟内に響き渡る悲鳴……桜井さんが、人で有った彼女の体が、呪いにより変化していく。

 暗闇に映えた滑らかな白い肌が、黒くゴツゴツした岩肌に変化している。水溜まりの中でバシャバシャと暴れる桜井さん。

 もう水溜まりの中に霊水は溢れて殆ど無い。きっと激痛と我慢出来ない痒さに襲われているのだろう……拘束していた腕の力を弱めて二人を解放。

 

 呆然と桜井さんで在ったモノを見詰める彼女達に説明する。

 

「人がさ、弱い人の肉体のままで不老不死になんかに、なれる訳が無いだろ?ましてや自身に強い霊能力が有る訳でもない、強力な加護も無い。

ならば肉体を変化させるしか無い。その結果が餓鬼化だよ。更に不老不死で精神を病まない様に思考力も低下させられる」

 

 のた打ち回りながら肉体を餓鬼に変化させる彼女を見て思う。これが不老不死の秘密とは、何とも救われない。

 

「榎本さんは知っていたの?この洞窟の秘密を……」

 

「それで私達二人をあの水溜まりに近付けない様にしていた?」

 

 二人が桜井さんの悲劇から目を逸らさずに聞いてくる。身長が縮み腹が突き出し、手足は細く長い。

 モブ巫女達は壁ぎわに一塊となり抱き合って怯えているな。一子様は僕の上着の袖を握っているが、出来れば放して欲しい。

 

「幾つかの予測の中で最悪なのが当たったんだ。山荘で餓鬼が現れて水を撒き散らし呪咀に掛かった人を治した時にね。

肉体をも変化させる呪いだったけど、変化した腕が餓鬼そっくりだった。そして奴等のふざけた回復力。ああ、亀宮さん達も来てしまったか……」

 

 二条の光が僕等を照らしている。つまりマグライトを持った亀宮さんと阿狐ちゃんが来たんだな。

 暫くすると御三家当主の二人がやって来た。そして、のたうち回る殆ど餓鬼に変化した桜井さんを見付ける。

 

「これは?」

 

「桜井さんの成れの果てだよ。不老不死と信じて呪いの水に浸かったんだ。それで餓鬼と成り果てた。

だから僕は洞窟は誰にも知られずに塞ぎたかったんだよ。人が人でなくなる所を見せたくなかったんだ……」

 

 もう完全に餓鬼と成り果て、此方を威嚇している。此処で生き埋めとなり何時までも生き続けるのは辛いだろう。

 

『胡蝶さん、彼女を食べてくれる?』

 

『ふん、甘いな正明。だが、カス程の霊能力者だが我の力にはなろう』

 

 左手を餓鬼(桜井さん)に向ける。ギュポン!っと軽い音がして餓鬼は僕の左手(胡蝶)に吸い込まれた。

 

「さて……一般人が周りに沢山居るから、桜井さんが死んでしまったとは言えないな。普通なら警察沙汰だし。伊集院さん」

 

「何かしら?」

 

「悪いが先に出て一族の連中を呼んでくれるかな。そこの巫女さん達を肩を貸して運びだして欲しいんだ。

巫女服を着ていて集団で担ぎ出されれば、一人くらい少なくても誤魔化せるだろ?そのまま山荘に運んでよ。

後は僕が遅れて出ていって確認したけど残っている人は居ないって説明して……この洞窟は埋める。これで伊集院さんへの貸しは無しだ」

 

 モブ巫女も入れれば巫女服は七人、それをマント連中が囲んで移動すれば正確な数は分かり辛い。

 

「いや、貴方への借りは返さない。これは加茂宮への貸しだ。そうだろ、加茂宮一子?」

 

 阿狐ちゃん、そこは空気を読んでー!恨みがましい目で見るが、暗くてイマイチ分からないかな?

 

「ふん!流石はドエスのお嬢ちゃんね。良いわ、借りておく。後は彼女の死については私達が工作するから」

 

 そろそろウゾウゾ再生中の餓鬼がヤバいかな?

 

『胡蝶さん、残りの餓鬼達を食べれるかい?元は人だし、生き埋めでも死ななそうだよ』

 

『全く人使いが荒いぞ!まぁ良い、奴等も元はそれなりの霊能力者だからな。纏めて面倒を見ようぞ』

 

 霊能力者?ああ、そうか!この洞窟の最奥の泉に餓鬼をいなして来れる連中は、それなりに力有る同業者なのね。

 

「話は決まった!高槻さんとモブ巫女……いや、配下の方々も良いね?じゃ、早く外へ。僕は残りの餓鬼を祓うから、急いで!」

 

 パンパンと手を叩き行動を促す。

 

「榎本さん、詳細説明は山荘でして下さい」

 

 そう言って小走りに外へ向かう女性陣……後は餓鬼を食ってから、ゆっくりと帰りますか!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あの……亀宮さんも……」

 

 何故か右腕にしがみ付く彼女。亀ちゃんが発光しながら上空に浮かんでいるので、辺りは仄かに明るい。

 

 亀ちゃん、グッジョブ!

 

「駄目です!加茂宮さんにも腕を掴まれてましたよね?榎本さんは私達の所にずっと居るって約束しましたよね?」

 

 ああ、確かに一子様に袖を掴まれてたな。だから不安になったのか?でも彼女達をホールドしてる所は見られずに済んだのは一安心だ。

 

「胡蝶、頼む。彼等に魂の解放を……」

 

 左手首からモノトーンの流動体が流れだし、蠢く餓鬼達を飲み込んで行く。暗い洞窟の床よりも更に暗い闇に、餓鬼達は飲み込まれていく……

 

「心配しなくても、僕は亀宮一族から離れませんよ。最初に約束したでしょ?僕は君とは絶対に敵対しないと……」

 

 ギユッと掴む腕に力が入った。普通なら彼女を抱き締めてキスをすればハッピーエンドなんだが、生憎と僕はロリコンなので無理だ!

 だから彼女をお姫様抱っこして、ゆっくりと亀ちゃんに乗せる。丁度、胡蝶も食事を終えたらしく人型になりお腹を擦っていた。

 胡蝶も抱き上げて亀宮さんの前に座らせると、直ぐにギユッと抱き締められた。

 

『胡蝶さん、亀ちゃんを食べちゃ駄目だからね。それと亀宮さんが不安になってるから、慰め代わりに抱っこされててね』

 

 バタバタ暴れる前にお願いする。

 

『正明よ……我は便利屋ではないのだぞ!

それに、あの場は押し倒して最後まで逝くのが男だろうに……もう良い、今晩再度女と言う生き物を教えてヤル!』

 

 シュンって表現が似合う様に、うなだれる胡蝶さん。逆に亀宮さんは御満悦で、機嫌が回復したみたいだ。

 

『お手柔らかにね……』

 

「さて、話ながらゆっくり帰ろうか?亀ちゃんも宜しくね」

 

 亀宮さんの背中を押して洞窟の出口に向かって歩きだす。怪しい霊水の湧き出る場所は埋めたし、餓鬼は全て胡蝶が食べた。

 この洞窟は安全だろうな……亀宮さんと胡蝶さんを乗せた亀ちゃんの隣をのんびりと歩くと、壁よりに変な物を見付けた。

 窪みの様な場所に不自然に押し込まれた品々。

 

「何だろう?壺に木片かな……って、これは……」

 

 近付いて見ると、書斎で見付けた古銭やら何か書かれた木片やらが無造作に押し込まれている。

 数枚の古銭を手に取って灯りを照らして良く見るが……

 

「書斎で見付けた古銭と同じだね……ただ保存状態が悪いな。古い物だし、野晒しで放置されたからかな?」

 

 良く見れば木片も腐り殆ど原形を留めていない。

 

「徐福伝説ですが、この場所は彼が見付けた蓬莱山なのでしょうか?歴史的な大発見ですね」

 

 気持ち弾んだ声の亀宮さん。公表すれば歴史的な大発見かも知れないが……

 錆びて一塊の古銭の山を手に取り砕くと、中から程度の良い数枚が現れる。周りの古銭は錆びてボロボロだが、此等は比較的綺麗だ。

 親指で擦ると地金の輝きも見えるね。佐和さんのお土産にでもするかな……

 

「そうすると千年単位の過去の遺産だね。だけど、この洞窟に世間の注目を集める訳にはいかない。

人知れず埋めてしまうのが一番だよ。さぁ早く戻ろう」

 

「うーん、そうですか?歴史的発見は闇の中に、真相を知るのは私達だけなんですね」

 

 秘密の共有をする相手としては、亀宮さんはウッカリさんで怖いけど……

 

「そうですね。人類の秘宝かもしれませんが、仕方の無い事です。二人だけの秘密ですね……」

 

 古代の浪漫、歴史的発見!人類共通の宝を私的な目的で埋めてしまう、か……

 

「ふふふふ……胡蝶ちゃん、榎本さんって隠し事が多いのよ。酷いと思わない?」

 

 亀宮さんの機嫌は完全に回復したな。会話の内容はアレだが、口調は楽しそうだ。

 漸く念願の胡蝶に会えて、抱っこして会話してるのだからな。胡蝶様々だ!

 

「全くだな。それに約束も中々守らないのだ。早く子供を産ませろと言うのにフラフラと……どうだ?お前でも良いぞ、早く正明と子を為せ」

 

 折角、胡蝶に感謝していたのに、要らない入れ知恵が来やがった。

 

「ちょ、おま、ナニを言ってるんだ!」

 

「あら、私で良いなら直ぐにでもOKよ。胡蝶ちゃんのお願いなら仕方ないもの」

 

「ふむ、我の願いが叶うのも近いな。ではバンバン生んで貰おうか!」

 

「えっと、胡蝶ちゃんは双子か三つ子が良いの?男の子?女の子?」

 

「ふむ、やはり最初は直系男子が良いな」

 

「男の子ね?分かったわ、頑張ってみるね」

 

 ヤバい方向に会話が進んでる。空を飛ぶ亀ちゃんが、僕の肩に手を置いて首を左右に振った。諦めろって事か?

 

 この日を境に、急速に亀ちゃんと心が通い合った気がした……

 

 

第198話

 

 不思議なガールズトークを聞きながら洞窟内を歩いていると、外からの差し込む光が見えた。

 

「胡蝶、そろそろ中へ。出口が近い」

 

「む、そうか?では頼んだぞ、榎本一族増員計画を……」

 

「胡蝶ちゃんと亀ちゃんの二枚看板なら平気よ!日本一の大家族になるわ」

 

 バシャりとした音を立ててモノトーン色の流動体に変わると、スルスルと僕の左手首の蝶の痣へと吸い込まれていく。

 だけど僕の身体の色々な所から出入り出来るんだよな……七郎の時は腹から飛び出したし、メリッサ様の時は背中に生えたらしいし。

 それに何やら明るい家族計画が進行するらしい。

 僕には無理だから後で個別にお願いしておくか、無理ですって……暗い洞窟から太陽の光を見ると、目がショボショボするな。

 その場で暫く目を擦り明るさに視力を馴染ませる。隣を見れば亀宮さんも同じく両手で目を擦っていた。

 

「さて、外に出たら説明してから亀宮さんは山荘か拠点に戻ってね。僕は一応、彼等の警備の為に残るから。

彼等には危険な餓鬼を封じる為に洞窟を埋めるって説明してるし、怪しい品々も証拠品も処分の為に埋めなくてはならない。

何か問題が発生しても直ぐに判断出来る人が居なきゃだからさ」

 

 未だ同業者連中だって諦めてないかも知れない。それに桜井さんの事がバレたら大変だから、速やかにグラウトを流し込まなければ駄目だ。

 一子様と高槻さんが何とかするって言うが、イマイチ信用出来ないんだよね。

 モブ巫女さんとか人数も多いし、巫女ズは関西巫女連合の所属だから加茂宮の力が何処まで通用するかに掛かっている。

 洞窟から外へ出ると、作業員達が休憩していた。グラウトの材料は順調に山積みになっているし、給水車も何台も停まっている。

 入口で周りを見回していると、小俣さんが近付いて来た。少し遅れて、滝沢さんや御手洗達も走ってくる。

 高野さんは休憩スペースでお茶を飲んでいて、目が合ったら軽く手を上げてくれた。

 流石は悪友、この距離感も、また良いよね。

 

「榎本さん、大丈夫ですか?」

 

 額に汗をかいている小俣さんが、何故か小声で聞いてきた。不安にさせてしまったのかな?

 

「お待たせしました。帰りにチェックしましたが、中に残された人は居ないですよ。予定より早いですが、作業を初めて下さい」

 

 周りにも聞こえる様に、大きな声で説明する。

 

「残された人は居ません。餓鬼達が弱っている内に埋めてしまいましょう」

 

 亀宮さんに念を押された為だろうか?遠巻きに此方を伺っている作業員達も、安堵の声が漏れる。

 周りの雰囲気に安心したのか、小俣さんが矢継ぎ早に作業員に指示を出す。

 

「発電機動かしまーす」の掛け声と共に発電機が回しプラントが動き出した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 市内のプラントからもミキサー車が、ひっきりなしに入ってくる。

 それでも往復の時間が有るが、そこは仮設プラントで練ったグラウトを休みなく流し込んでいく。

 あの洞窟は下へ下へと伸びているから、流れ込んだグラウトは最奥まで流れ込むだろう。

 不老不死の霊水、呪いの水は二度と見付かる事は無い。これで岩泉氏からの依頼は達成した!

 

 後は細かい調整と説明だけだ……

 

 既に時刻は深夜1時を過ぎたが、夜通し作業は続く。

 

「高野さん、わざわざ残らなくても良かったのに」

 

 夜になり冷え込んだので、急遽ドラム缶を用意して焚き火をした。その火の前に座り込む彼女に声を掛ける。

 

「まぁ最後まで付き合うわよ。それに洞窟が埋まったら、最後に結界を組み換えるわ。

今のは中から外へ出ない様にだけど、今度は人避けに変えるわよ。その方が効果的でしょ?」

 

 両手を焚き火に当てながら、そんな提案をしてくれた。だけど……皆には言ってないが、あの洞窟に居た餓鬼は祓った。

 だが、水を介して呪いを掛けてきた“ナニ″かは放置したんだ。暖炉擬きから流し込んだコンクリートのピラミッドの奥は、まだ続いて居た。

 徐福の時代から連綿と続いている呪いの大元は残っているんだ。

 

「何よ?難しい顔して?」

 

 この秘密は墓場の中まで持っていくつもりだ。

 

「うん、除霊は成功したけどさ。山荘に帰って説明するのがね……気が重いんだよ。

滝沢さんの連絡では、伊集院も加茂宮も残っているらしい。つまり、僕は御三家に説明した後で岩泉氏にも説明に行くんだよ。

胃がね、キリキリと痛いんだよね」

 

 そう言って苦笑いを浮かべる。確かに説明は大変だ、真相を誤魔化し嘘を言わねばならないから……

 

「ふーん、大変ね。もう一つ大変かも知れないわよ?高槻さんの所属は関西巫女連合。

そして所属していた桜井さんが行方不明。桜岡母娘からも質問が来るかもね?」

 

 ニヤリとトンでもない事を言われたが、確かに有り得る話ではある。高槻さんは桜岡さんの姉弟子みたいな事も言っていたからな。

 

「むーん、憂鬱だな……」

 

 右手で頭をガシガシと掻く。

 

「でも榎本さん、お金持ちになるでしょ?今回の成功報酬は五億円らしいじゃない?小原さんの時の百倍よ!亀宮から幾ら貰うのよ?」

 

 焚き火に当たっていたのに、わざわざ僕の隣ににじり寄って来たぞ。しかも目が¥マークになってます。

 

「毎回の事だけど、僕は事前に契約書を取り交わしてるからね。そんなに貰えないよ。それに成功報酬には掛かった経費も含まれる。

この工事だって亀宮の御隠居様の若宮建設を通して払われるんだ。実費だけでも一億円位は掛かるだろう。

僕が直接請ければ経費分は儲かるが、生憎と特定建設業の許可は持ってないから無理だ。高野さんには500万円位を予定してるよ。

今回の除霊のキモだからね。それ位は払える。僕も大体同額位かな……」

 

 御隠居様は成功報酬の半分とか言うが、それは無理だ。裏金か使途不明金扱いにでもしないと、表立って僕には支払えない。

 僕だって困る、莫大な収入が有って支出が極端に少なければ不自然な利益計上しなくてはならない。

 すると税金で殆ど持ってかれてしまう。税金を払うのが嫌なら設備投資をするとか……個人事業主だって大変なんだよ。

 

「真面目よね、毎回思うけど……でも500万円なら文句は無いわよ。アフターサービスもしてあげるわ」

 

 そう言ってニッコリと微笑む高野さん。

 

「アフターサービスって?」

 

 結界のアフターサービスは閉鎖しちゃうし不要だろ?

 

「榎本さんが女性陣に言い訳する時に協力してあげるわよ。一人より二人の証言の方が信用されるわよ。

例えば、貴方が加茂宮一子にデレデレしてたって言われても、私が否定してあげるわ。

加茂宮一子もそうだけど、伊集院阿狐や高槻さんだっけ?今回も美女塗れじゃない、大変よ」

 

 馬鹿な、そんな事が……有り得るかも……

 

「…………うん、理不尽だけど有り得るな。その時は宜しく頼むよ」

 

 少し嫌な笑みを浮かべている彼女にお願いする。

 

「任せなさい、上手く誤魔化してあげるわよ。だから何か奢りなさい。ミクニナゴヤでも良いわよ?」

 

 ミクニナゴヤって最初に食べたレストランだろ!駄目だ、ケツの毛までむしられそうだ。

 協力的になっても悪友でも、高野さんは高野さんか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「漸く終わりましたね……」

 

 見渡すと既に太陽位置は頭の上に来ている。約20時間、グラウトを流し込み続けた。

 使用グラウト量は約2400㎥、コンクリートポンプ車を二台付けで時間当たり60㎥ずつ休みなく流し込み続けた。

 漸く入口付近迄埋まったので型枠を組み、グラウトからコンクリートとに切り替えて入口際まで充填した。

 高野さんの結界を人避けに切り替えて外部に面している部分は、鉄骨で門型を組み分厚い鉄板を溶接。これで簡単には侵入出来ないだろう。

 残り二ヶ所の出入口も同様に塞いだ、長い作業も漸く終わったのだ。

 

「高野さん、お疲れ様。先に山荘に戻って休みなよ。御手洗に連絡して迎えを頼むから」

 

「そうね、お願いするわ。榎本さんはどうするの?」

 

 ラジオ体操の要領で体を動かすと、骨がゴキゴキと鳴る。最近徹夜が辛くなってきたな……

 

「撤収まで付き合うつもりだ。もう大丈夫だが、一応ね。金に目が眩んだ同業者が来るかも知れない。

もう少ししたら親父さんの、畑中組の連中が見張りに来るから説明して帰るよ。亀宮さん達には説明は明日以降って言っておいてね」

 

 仮設プラントの解体が始まった。ラフターでブロック別に分解されてトラックに積み込まれて行く。

 コンテナハウスと発電機だけは残され、暫く畑中組の若い連中が待機するだろう。グラウトか完全硬化するのは約一週間。

 余り意味は無い待機巡回だが、念には念を入れる。ポケットに手を突っ込むと金属の感触が複数……パクった古銭と、レナさんのお兄さんのドッグタグだ。

 素直に形見として渡すか、行方不明として希望を持たせるか……辛い選択だが、恨まれても事実を伝えるべきか?

 餓鬼化は言えないが、大量の血で汚れた地面に落ちていたと死を匂わすしかないだろう。

 

 辛い報告だよね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 全ての撤収作業が終わり畑中組の若い連中が来た時には、空が赤くなっていた。最後の搬出車両を見送ってから、小俣さんにお礼と労いの言葉を掛ける。

 緊急で大量の物資や人員を手配してくれたのだ。彼が居なければ、まだ何日かは拘束されていた筈だからね。

 多分だが親父さんが盛大な打ち上げを催すだろう。

 その時に再度お礼を言えば良いか……居残りの連中に状況を簡単に説明して、乗って来た車で山荘迄送って貰う。

 睡魔と戦いながら、何とか居眠りせずに辿り着いた時には時計の針は8時を差していた。

 

「腹減った、夕飯残ってるかな?」

 

 そう心配だったが、山荘に着くと直ぐに食堂へ通された。

 広い食堂に長テーブルに真っ白なクロスが掛けられており、定番なのかステーキセットが用意されている。

 山盛りボールサラダ、ラーメン丼みたいなコーンスープ。ステーキは三人前焼かれており、ライスは炊飯器が置いてある。

 

「これは嬉しいけど……皆さんは食事はこれからかな?」

 

 長テーブルの長辺中心に座る僕と、向かい側に一列に座る女性陣。右から一子様・亀宮さん・阿狐ちゃん・高槻さん、そして高野さん。

 尋問みたいな配置だが、何故?

 

「はい、大盛りってコレ位で良いの?」

 

 高野さんが平皿に山盛り、富士山みたいにライスを盛ってくれた。一番端の彼女が、わざわざライスをよそってくれた。

 だがニヤニヤと楽しそうなのが恨めしい。

 

「えっと、頂きます」

 

 空腹には勝てずにサラダから食べ始める。レタスに胡瓜の千切り、それに彩りでプチトマト。ドレッシングは中華風だ。シャキシャキとサラダを食べる。

 

「うん、普通だ……ドレッシングは市販品かな?」

 

 独り言の様に呟くが、誰も反応してくれない。サラダを食べ終えて、コーンスープに取り掛かる。

 おタマみたいなスプーンが用意されており、熱々なスープを啜る。粒々コーンの食感が嬉しいが、味は普通だ。自販機のコーンスープと変わらない。

 

「寒い夜は温かいスープが美味しいですよね?」

 

 又も無言だ……チラリと亀宮さんを盗み見るが、楽しそうに微笑んでいる。阿狐ちゃんも不機嫌じゃない。ならば何故、何も反応しないのだろうか?

 

 メインデッシュのステーキを切り分ける。分厚い肉に目玉焼き、付け合わせの野菜はジャガイモにインゲン。

 ソースはバーベキュー味で肉質は良いが焼き過ぎかな?切り分けたステーキとライスを交互に口に運ぶ。機械的な食事はお腹は満たしたが、心は疲労困憊だ!

 

「ご馳走様でした……」

 

 30分程掛けて、辛い食事が終わる。食器が片付けられ珈琲が全員に配られる。僕は理解した!これから皆さんに説明を始めなきゃ駄目なんだね……

 



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第199話・IFルート亀宮さんEND

第199話

 

「お食事は美味しかったですか?」

 

「凄い食べっぷりですね。ウチの男連中でも勝てない」

 

「沢山食べる男は嫌いじゃないわ」

 

「桜岡さんから聞いてましたが、本当に良く食べ切れましたね」

 

 上から亀宮さん・阿狐ちゃん・一子様そして高槻さんだ。皆さん見た目は不機嫌では無いが、内心がどうかは分からない。

 仲良く一列に並んで座っているのも不気味だ。君達、そんなに連携良かったっけ?

 

「榎本さんが疲れているのは理解してますが、私達もノンビリはしてられないの。明日の朝には帰るから、簡単な説明だけ今夜中にして欲しいのよ」

 

 一子様が説明してくれたが、確かに一族のトップが本拠地不在って不味いのかな?他の方々を見回しても、特に反対意見は無いみたいだ。

 最後に亀宮さんと目が合ったが、黙って頷いた。即ち、説明して欲しいって事だな。

 眠気を飛ばす為に、珍しく珈琲をブラックで飲む。苦味と酸味が少しだけ、意識をクリアーにしてくれた。

 御三家のトップに誤魔化しはきかないだろう、餓鬼化も見てるし色々と不用意な発言もしてしまった、本当の事を話して口止めするしかないか……

 嘘をついても調べる位はする連中だし、バレた時が不味いし。

 

「詳細は省きますが、山荘に現れた餓鬼は人間の成れの果てです。

不老不死の秘密は肉体を餓鬼化して強化し、長生きで精神を病まない様にする為に思考を退化させる事。

それは洞窟の最奥に湧いていた泉の水の効果。危険極まりない泉は完全に埋めたし、餓鬼は全て魂を解放した。

皆さんにお願いは、不老不死の効果を持つ泉の事です。岩泉氏には、あの水は人間の肉体を餓鬼化する呪咀の触媒と説明してます。

そして彼は何となく泉の秘密と、それに関わった父親の事を疑っている。僕等が正直に不老不死の事を話しても良い事は無いでしょう。

だから今回は……餓鬼の出没する原因の泉を完全に埋めたから大丈夫。

もう奴等が山林に出没する事は無い。これを全員の統一意見にしておきたいですね」

 

 簡単過ぎる説明だが、実際に調査に関わってない連中には十分な筈だ。

 

「岩泉氏対応は分かったわ。でも桜井さんの事は私が内々で処理するのかしら?」

 

「私は一子様の指示に従い、関西巫女連合に報告すれば宜しいでしょうか?」

 

 割と真面目な顔で提案と確認を求めて来たが、彼女の件は貴女達の単独行動が原因ですよね?だから、その通りでお願いしたいのですが……

 

「そこは一子様のお力で、何とかお願いします。僕等は貴女の配下の桜井さん達が無断で洞窟に入ったのを連れ戻しただけですから。その後、彼女に何が有ったかは知らない事にします。

幸い作業員達も勘違いと言うかバレませんでしたから、これからの対策で何とでもなりますよね?」

 

 言外に貴女達の責任ですから、最後まで責任持ってご自分で処理して下さいと含ませる。高槻さんは明後日の方向を向いて、一子様は艶然と微笑んだ。

 瞳術は使ってこないが、美人の微笑みはそれだけで魅了効果が有る。僕がロリコンでなければ、ヤバかっただろう。

 

「あら?桜井さんを処理したのは榎本さんよ。私と貴方は一蓮托生、呉越同舟、毒を食らわば皿までの関係でしょ?駄目よ、自分だけ良い子になっちゃ駄目」

 

 もう、何を言ってるの?怒るわよ的な雰囲気で叱られたのか?一子様の押しが強い、強過ぎる。

 何故、僕が貴女と共犯関係なんですか?運命共同体みたいに言わないで下さい。

 

「違います。僕は亀宮さんとは心中しても一子様とは無理です。所属派閥も違いますし、そもそも……」

 

「殿方が細かい事を言っては駄目よ。黙って俺に任せとけ!ですわ」

 

 せめて最後まで言わせて下さい。それに亀宮さんが不機嫌そうに僕を見てるのが辛いのです。残りの珈琲を一気に飲み干す。

 

 うん苦い、もう一杯!

 

「はぁ、では男らしく……自分の配下の失敗は自分で何とかしなさい!

手段は問いません。桜井さんの死を僕達に責任が及ばない様に処理するんだ」

 

 一子様の目を見てキツ目に言い放つ。押しの強い彼女に負けない様に……アレ?自分自身で体を抱き締めてブルブル震えてるけど病気か?

 

「嗚呼、ゾクゾクするわね……私が命令されるなんて初めての経験だわ。でも何かしら、悪くない気分ね。

その度胸に免じて言う事を聞いてあげる。初めてよ、私に命令して言う事を聞かせた男は!

誇って良いわ……いえ、自慢しなさいな。僕は加茂宮一子を好きに扱えるってね」

 

 何やら恍惚としてモジモジしてるけど、そう言っちゃうの?駄目だろ、僕は今大多数の男女を敵に回した気分だ。

 両手を上げて降参する。一子様には口では勝てる気がしない。そんな事を言い触らされたら僕は破滅だ……

 

「はぁ、僕を苛めて楽しいですか?桜井さんの事は最初に約束しましたよね?

加茂宮で処理をするからって。本当にお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。

 

「はいはい、最初から素直にお願いしてくれれば良いのよ。大丈夫、榎本さんの為に私が何とかしてあげるから。

じゃ、私はこれでね。高槻さん、行きますわよ」

 

「苛め甲斐の有る殿方って大好きよ」とか言われてしまったが、もう二度と関わり合いになりたくない。

 

 机に突っ伏して溜め息をつく……

 

「あの女は苦手だ。口では全く勝てる気がしない……」

 

 魅了系の力を得意とする彼女には、勝てる筈がないのかな?言い負かされたが、悪い気がしないのが凄い。

 結局は僕がお願いして、彼女が快く頼み事を聞いてくれた事になっている。本当は自分の配下の不始末は自分で処理して下さい、だったのにだ。

 だけどアレをやられたら、桜井さんの彼氏も勘違いするわな。

 

「榎本さん?」

 

「はい、ああゴメンね。何か敗北感が凄くて……」

 

 阿狐ちゃんが心配そうに僕を見ている。この仕事で良かった事は彼女と知り合えた事かな。

 対立する御三家の一角だが、当人達は悪い連中じゃない。何より好みの美少女だ!もう少しロリ成分が強ければヤバかったかも……

 

「私達も明日の朝に九州に帰ります。榎本さんにはお世話になりっぱなしでしたね。

もし四国、九州で何か有りましたら私を頼って下さい。貴方には借りは二つ有りますから、出来る限りの事はします。

私自らが出向きますから安心して下さい。では、また会いましょう」

 

 そう言ってニッコリ微笑んで食堂を出て行った。コッチはコッチで大問題発言の連発だ!何ですか、借り二つって?阿狐ちゃん自らが出向きますって?

 

 ヤバい、ヤバいよ!

 

 そんな事を聞かれたら、亀宮さんの機嫌が悪くなるじゃないか。

 

「あらあら、随分と伊集院さんに懐かれたわね?じゃ、私も明日の朝に帰るわ。また仕事下さいね。榎本さんからの依頼なら他をキャンセルしてでも行くから……」

 

 高野さんはニヤニヤしながら爆弾を放り込んで出ていった。去り際に僕の肩を軽く叩くサービスまで付けて。彼女は絶対に分かってやっているな!

 後で仕返しするからな、必ずだ。そして最後まで残っている亀宮さんを恐る恐る見る……ああ、顔に張り付けた笑顔が怖い。

 

「あの……」

 

 恐る恐る声を掛ける。

 

「榎本さん?」

 

 にっこり微笑むが目が笑ってないです。

 

「はっ、はい!」

 

「色々な派閥の女性と仲良くなるのは、いけないと思います。ですが私となら心中しても構わないと言う言葉は信じます。

帰ったら御隠居様と今後の事を相談しますから。今日はお疲れ様でした、ゆっくり休んで下さい」

 

 言葉の綾の心中ネタがヤバいと分かったのは、随分後になってからだった。まさか、そんな風に捉えたなんて誤算も甚だしい。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あら、未だ残ってらしたの?」

 

 榎本さんに労いと念押しをして食堂を出ると、加茂宮一子と伊集院阿狐が睨み合っていた。

 高槻さんと高野さんは既にいないが、確かにこの二人の雰囲気は異様だ。だから逃げ出したのね……

 共に彼に馴れ馴れしい女達だが、心中しても構わないとまで言われた私には余裕が有る。

 つまり榎本さんは私と添い遂げても構わないのだ。桜岡さんが本妻で私が妾でも二号さんでも構わない。

 要は彼を亀宮一族に正式に迎え入れて、一緒に居られれば良いのだから。

 

「ええ、少しだけ裏で相談してたのよ」

 

「そう、悪巧み」

 

 二人の視線が私に突き刺さる。

 

「榎本さんを引き抜こうとしても無理よ」

 

「分かってる。何故、貴女にあそこまで義理立てするかは理解出来ないけど。

でも個人事業主らしいから正式に依頼すれば平気だって名刺を貰ってる。だから今度は正式に仕事を依頼するつもり」

 

「あら、そうなの?駄目よ、亀宮さん。手綱はしっかりと引いてなさいな。でも私も後で名刺交換しましょう。

彼に仕事が頼めるのは心強いわね。関西巫女連合か桜岡母娘をからめれば、断り辛いでしょうし……」

 

 確かに彼は派閥の一員だけど毎回契約を交わしての関係だから、他の仕事を請けなくする強制力は無いわ。もっとガチガチに縛らないと駄目なのかしら?

 

「ご忠告、受け取っておくわ。でも無理よ、彼は私と結婚するのだから。

言質は取ったから覆すのは無理なの。式には呼ぶから楽しみにしていなさい」

 

 早く御隠居様と相談しなくては駄目ね。後は桜岡さんとも話し合いが必要だわ。彼女には結婚相手に選択肢が有るけど、私は榎本さん一択なのよ。

 さっきは妾でも二号さんでも構わないと思ったけど、気が変わったわ。悪いけど、本妻の座は譲れない。彼女達を一睨みしてから、その場を離れる。

 その場に留まっていたら、亀ちゃんに命令して彼女達を亡き者にする誘惑に負けそうだから。

 

 御三家トップが全面戦争の引き金を引くのは良くないから我慢よ。

 

 分かり易く彼女達にデレデレすれば怒りやすいのに、そんな気が無さそうなので言い辛いのよね。今怒れば、私が只の嫉妬深い嫌な女になるだけだし……

 競争相手が桜岡さん以外に居なさそうだったのに、次から次へとワラワラ出て来るなんて!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、僕が目を覚ますと太陽は既に天辺へと登っていた。同室の御手洗が気を遣ったのだろう、シーツが綺麗なのでベッドは使わなかったみたいだ。

 身嗜みを整えてドアを開けた時に、隙間に挟まっていた封筒を見付けた。飾り気のない、だが高そうな封筒だ。

 

 中を見れば名刺が一枚だけ入っている。加茂宮一子様の名刺だけが入っていた。

 

 他には何もないし、名刺に書き込みも無い。多分だが、僕から連絡しろって事かな?

 相変わらず凄い自信なのだが、僕から連絡する事は無いだろう。しても、しなくても怖いならしない方が良い。

 情が移ると困るんだ、何れ加茂宮一族を喰わねばならぬのだから。

 

『あやつ以外を食い尽くせば問題有るまい。別に根絶やしにせずとも良いのだぞ。

あやつに近ければ、他の奴等を食い易い。それに二人迄なら食い残しても我の脅威にはならぬ』

 

『いえ結構です。何となくですが、彼女の近くで暗躍してもバレます。

罠に掛けるつもりが逆に食われます。そういう怖さの有る女性でしたよ』

 

『む、そうか……』

 

 岩泉氏の依頼を達成し、加茂宮の三人を食えた。南の雄、伊集院一族の当主とも交流を持てたのだが、心の底に滲む不安は何なのだろうか?

 僅かにしこる不安の芽が……

 

「まぁ何れ分かるか?」

 

 さて、朝食兼昼食を食べる為に食堂へ行くかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 やれやれ、日本の霊能界御三家の当主全員から目を付けられるとはな。各々全く違う思惑だが、ドレも悪い選択じゃないのが問題だ。

 加茂宮は、自分に振り向かない珍しい男、奪えば亀宮と伊集院よりも女として格上と証明出来る男として正明を捉えている。

 我も一子以外の当主連中が喰えれば構わない、そのまま加茂宮一族を乗っ取れるだろう。

 ヘビ女は、大恩が有り、完全獣化能力者に理解も有り、組織運営に必要な男と言う所か……組織の重鎮として厚遇されるが、それだけだな、旨味は一番少ない。

 亀女は、自分の結婚相手として一択であり、初めて好きになった異性なのだろう。

 だが正明の子を生む言質は取ったからな、そこが一番大切だ。だから我は亀女に助力してやるか、アレは中々の安産型の尻をしているので良い子を沢山産めるだろう。

 少し依存が強過ぎる気もするが、支配体制が分散している一族だからな。全てを敵に回しても正明を取るだろうから、逆に我は気に入っている。

 

 霊獣亀も正明に懐いておるし、居ても邪魔にはならないだろう。

 

 

 

 200話達成リクエスト話(IFルート病んでます亀宮さん編)

 

 本編200話達成記念&亀宮さんIFエンドです。

 影の薄い(魅鈴さん滝沢さんに食われた)ヒロインでしたが、一応のハッピーエンドです。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 昼過ぎまで寝てしまったが、事件は解決しているので余裕が有る。加茂宮一子と伊集院阿狐ちゃん、それに高野さんと高槻さんは既に帰った筈だ。

 残っているのは亀宮だけだろう。

 

「お早う御座います」

 

 元気よく食堂の扉を開けると、徳田だけが居た。テープルの脇に畏まって立っている、なかなか様になっているのが悔しい。イケメンは悉く滅べば良いんだよ……

 

「お早う御座います、榎本さん。昼食は煮込みパスタとパンで宜しいですか?」

 

 女性相手と違い幾分砕けた感じだが、別に慇懃な態度は気持ち悪いから構わない。

 

「三人前で頼むよ、あと紅茶が欲しいな。みんなは食べたのかな?」

 

 テーブルに座り矢継ぎ早に注文する。

 

「亀宮様方は既に食事は済まされましたよ」

 

 そう言うと奥へと引っ込んでしまった。ここの微妙に不味い食事も食べ納めか……僅か一週間の滞在だったが、思い出深い仕事だったな。

 運ばれた食事はコンビーフとキャベツの煮込みパスタにクロワッサン、大根サラダと簡素ながら美味だった。

 あの微妙に不味い料理は何処へ行ったんだ?何故か給仕と共に徳田が来たが、未だ話でも有るのかな?

 

「徳田さん、コックを入れ換えた?(女将、板前を代えたな?)」

 

 某美味んぼの雄山みたいな台詞を言ってしまったのは、まぁ仕方ないだろう。

 

「今朝方、旦那様が山荘に来ましたので」

 

 それは、僕等は二線級のコックで岩泉氏には一流を呼んだって事かい?恨みがましく彼を見る。

 

「食後に部屋へ案内する様にと言付かってます」

 

が、あっさりスルーされてしまった。依頼人を待たせる訳にもいかず、僕は急いでパスタを掻っ込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 岩泉氏の部屋は例の書斎ではなく、普通の執務室だった。背広を着込んだ秘書みたいな中年と青年も居る。

 彼等が議員秘書って奴かな?僕が部屋を尋ねると岩泉氏は珈琲を頼み彼等二人を部屋から外させた。

 

「報告を聞こうか……」

 

 椅子に深く座り此方を伺う。わざわざ仕事が終わった翌日に山荘まで来たのだから、彼は相当結果を気にしているな。

 下調べ位は、間違い無くしてそうだ。

 

「はい、例の洞窟は完全に塞ぎました。

実際に水の湧きだしていた場所も見ましたが、先日こちらの山荘の暖炉擬きから流したコンクリートで完全に埋まってました。

これは途中から割り込んで来た加茂宮一子様も確認しています」

 

「加茂宮に見られたのか?何故、奴等の割り込みを許した?」

 

 やはり秘匿したかったんだな。平静を装いながらも、少し慌てている。珈琲を一口、考えを纏める。

 

「桜井さんと言う巫女を連れてました。先代と懇意だった方のお孫さんらしいです。彼等も独自で調べていたのでしょう。

しかし、桜井さんは加茂宮一子様を出し抜き洞窟の秘密を独占しようとした。

馬鹿な女でしたよ。あの呪いの触媒の水を霊水として崇めていて、浴びたんです」

 

「何だと!その女はどうした?」

 

 この慌てよう、やはり岩泉氏は……

 

「霊水の吹き出していた穴はコンクリートで完全に埋まってましたからね。周りの窪みに溜まっていた水に体を転がして浸したんです。

結果、彼女の体は爛(ただ)れ黒ずみ変形し始めた。治せる見込みは無かったので加茂宮一子様がその場で処分し、そのまま埋めました。

せめて苦しみを続けさせない様にと、彼女の立場ゆえですね。あの水は呪咀が掛かっていたのです。死に至る呪咀が……」

 

 最後の言葉は真っ赤な嘘だ!死に至るではない、死を超越した“ナニ″かになるんだ……

 

「ふふふ……呪咀……死に至る……そうか、そうだな。だが、処分とは物騒だな。大丈夫なのか?」

 

 やはりだ、死に至るで僕の勘違いを知って安心した。岩泉氏も、あの餓鬼が“ナニ″の成れの果てかを知っているんだな。

 

 紛い物の不老不死の妙薬か……

 

「その場には亀宮様も居ましたから……弱みを見せない為にも完璧に偽装するでしょう。

それに事件にするにも死体は無く手を下したのも自分。加茂宮も当主9人中3人が今回の件で行方不明ですし、余計な事は出来ないでしょう」

 

 一子様の事だ、桜井さんの事は完璧に偽装するな。彼女は直接戦闘でなく、裏での暗躍が得意だと思う。

 それに約束は必ず守るタイプだろうな、約束させる迄が大変だけどさ。

 

「分かった、ご苦労だったな。報酬は亀宮本家に払っておくが、お前が幾ら貰えるかは知らん。

だから、これは俺の気持ちだ。また何か有ったら頼むぞ」

 

 テーブルにアタッシュケースを置くと部屋から出て行った。岩泉氏の依頼は達成とみて良いだろう。

 本当の意味での原因は秘匿したが、彼にとっては良かった筈だ。

 やはり、棺桶に入っていたのは先代、そして餓鬼化して件の洞窟に行った事も知っている。

 アタッシュケースの中身を確認すると、1万円の札束が20入っていた。

 

「2000万円とは驚いたね。口止め込みかな?」

 

 小切手や手形、振込みと違い現金はお金の動きが分からず裏金としての扱いは良いので助かる。

 報酬が5億円と言っても、僕は契約書に則った金額しか請求しないから、精々が500万円位か?いや経費立替があるから、もう少し貰えるかな?

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 岩泉氏の山荘を引き払い名古屋市内のマンションへと戻った。亀宮さん達を応接室に集めて、岩泉氏との話を報告する。

 

「……と、言う訳で依頼は達成。報酬は亀宮本家に払われるそうだ。

一週間以内に報告書を纏めて提出するよ。あと見積書と請求書もね」

 

「報告書の作成は私達も手伝うわよ。此処でやる?それとも横浜でやる?」

 

 風巻姉妹、本当に協力的になったな。普通に手伝うと言ってくれるとは思わなかった。餌付けは成功だ!

 

「現地の写真や資料も集めるから……三日間位は滞在するかな。亀宮さんはどうする?」

 

 ニコニコとお茶を飲む彼女に話を振る。

 

「当然、私も残ります」

 

「ならば我々もだな」

 

 亀宮さんに追従する滝沢さんと御手洗達だが、護衛だから当たり前だよね。

 

「御隠居様にだけは連絡入れておいてね。除霊終了なのに残ってんだから、了解を取っておかないと面倒な事になるかもしれないし……」

 

 僕の立場は亀宮一族の中では低いし良くも思われていない。それは仕方ない事だ、僕は粉骨砕身身を粉にして一族の為に働く訳じゃない。

 短期契約の外注社員だから、プロパーの連中とは違うからね。だから細心の注意が必要なんだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 報告書は二日と掛からず終わり、明日の朝に帰る事となった。風巻姉妹はマンションの引き揚げも担当するので、一日後に帰る事となる。

 今日は名古屋に滞在する最後の日だ。打ち上げ的な意味で夕食は外で食べる事にする。

 

「あーあ、豪華な食事もこれまでか……榎本さん、亀宮の諜報部に入ってよ」

 

「そうですよ。私達、結構扱き使われてるんです。実行部隊の連中は私達を見下すんですよ。

所詮はサポート部隊だろって……榎本さんと私達が組めば、実行部隊として活動出来ます。どうですか?」

 

 確かに調査って縁の下の力持ち的な所が有るからな。亀宮一族の花形は、実行部隊って事か。

 

「うーん、どうだろ?仕事を請ける時は毎回契約するからね。君達とタイミングが合うかな?ご隠居様と風巻のオバサン次第じゃないかな」

 

 当主の亀宮さんでさえ、毎回サポート要員は別の人が着くって言ってたからな。毎回同じメンバーで仕事は無理じゃないか?

 ブーブー文句を言う彼女達の背中を押して店に入る。

 今回は打ち上げ的な意味も有るので、皆がお酒の呑める様にマンションから歩いて行ける無国籍居酒屋を貸し切った。

 こぢんまりとした店で20人も入れば一杯だが、クチコミ評価も高く亀宮さんの好きな洋酒の種類が多い。

 聞けばオーナーはソムリエの資格を持ち、昼間はワイン教室を開いているらしい。

 

 大きめなテーブルを囲み座わる。中心に亀宮さん、時計回りに僕・風巻姉妹・御手洗達・滝沢さんだ。

 僕+女性陣が御手洗達男性陣と向かい合う感じだが、佐和さんが僕の隣に座ったのが意外だった。

 

「堅苦しい話は抜きで。貸し切りだけどコースじゃないから、好きな物を頼んで下さい。じゃ、亀宮さん、乾杯の御発声をお願いします」

 

「榎本さん、いきなり堅苦しいじゃないですか」

 

「本当にサラリーマンの忘年会みたい」

 

 風巻姉妹の突っ込みは健在だ!だが、悪意無く笑っているから良いか……

 

「一応のケジメかな?一番偉い人はね、配下の労をねぎらわないと駄目なの。中締めは佐和さんだよ。

僕は司会進行だし、一族の序列で行けば君が二番手だ。じゃ、亀宮さん、一言言ってから乾杯ね」

 

 亀宮一族でもご隠居様の片腕、風巻のオバサンの娘の方が護衛部門より上なんだよね。護衛部門→諜報部門→実行部隊の順だ。

 だから風巻姉妹は最初の頃に態度がキツかったんだな。本来はどれも重要な仕事なのに、霊能力の内容により優劣を付けている。

 

「あら、今回の件は事前調査に重きを置いた榎本さんと風巻さん達のお手柄ね。

勿論、現場除霊は全て榎本さんが行ったけど、今回の件で事前調査の大切さが分かったわ。有り難う御座います。では、乾杯」

 

 軽くグラスを上げる彼女に合わせて「「「「かんぱーい!」」」」最初の一杯は全員がグラスビールを飲み干す。

 

「じゃ後は好きな物を頼んでね。二時間貸し切りだから、ラストオーダーは7時30分だよ。締めは7時50分だから、佐和さん忘れずにね」

 

「お待たせしましたー」

 

 店員さんが最初に頼んだ料理を並べてくれる。

 マグロのカルパッチョ・大根サラダ・飛騨牛のたたき・チーズ盛り合わせ・枝豆・串焼き盛り合わせ・鳥皮せんべいって頼み過ぎじゃないか……

 いや、御手洗達が物凄い勢いで食べている。こりゃ追加オーダーしないと駄目か?

 店員さんを呼んで、ボリュームの有る各種ピザとお好み焼き、唐揚げやコロッケを自分用に刺身の盛り合わせを頼む。

 今夜はお酒は控えて裏方に徹した方が良いな。このメンバーで仕事をする事が次も有るとは限らないし、楽しんで貰おう。

 

 チビチビとビールを飲んで刺身を摘む。こんな宴会も楽し……

 

「榎本さーん、飲んでますかー?」

 

 首に抱き付いてきたのは

 

「えっ?滝沢さん?」

 

 普段のお堅い感じからは想像が付かない位にスキンシップな行動だぞ。

 

「何を飲んでるんですかぁ?」

 

 口調も甘えた感じだし抱き付いたままなので、やんわりと身体を離す。まだ乾杯してから15分位しか経ってないのに、もうベロベロか?

 

「あっああ、僕はビールだよ」

 

「はい、コレ飲んで下さーい」

 

 ちょ、おま……それ梅酒の瓶だよね、しかも佐多宗二商店の「角玉」だぞ。高級な瓶の梅酒をビールジョッキにダバダバと注がれた。

 ビールの梅酒割りって、初体験だけど美味しいの?どうなの?ジョッキ半分位はビール残ってたよね?

 思わず御手洗達を見ると、良い笑顔を浮かべてサムズアップしてやがる。さては、滝沢さんは酒乱だと知ってたな?

 

「はーい、かんぱーい!」

 

 梅酒を瓶で煽る彼女に合わせてビールの梅酒割りを飲む。

 

「む、当然だが不味い……」

 

 カラカラと笑いながら、滝沢さんは亀宮さんに突撃して行った。

 

「「榎本さーん、お酌しにきたよ」」

 

 風巻姉妹が左右から攻めて来た。此方は酔いは少ないが、二人とも手に空のグラスと冷酒を持っている。

 銘柄は千福の純米大吟醸「蔵」だ、こっちも高級品だぞ。此処の店は高級品を取り揃えているのが売りだが、そういう飲み方をする酒じゃない。

 

「はい、飲んで飲んで」

 

「さぁさぁ、グッと飲んで飲んで」

 

 亀宮一族の女性は酒癖が悪いのか?自分用のグラスも持参してるので返杯するが、二対一じゃ不利だぞ。結局、「蔵」を短時間で二本空けてしまった。

 

「次は俺達だ!ビールだろ、ビール!お姉さん、中ジョッキを10杯頼むぜ、スーパードライだ。さぁ飲み比べしようじゃないか!」

 

 御手洗……五対一は卑怯じゃないか?散々飲まされてベロベロになった頃、大本命の亀宮さんが洋酒の瓶を携えてニコヤカに近付いて来たぞ。

 もう銘柄も分からない程に酔いが辛い……

 

「榎本さん、今夜は寝かせませんよ?さぁどうぞ」

 

 朦朧として曖昧な感じだが、主賓の彼女の言われるままにグラスを差し出した……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「フードファイターもアルコールには弱かったんですね」

 

「確かにな、それだけ我々を信用してくれていたんだな。用心深い彼が酩酊するまで飲んでくれたのは……

だが酒の上の過ちだから、納得は出来なくても我慢して貰おう」

 

「榎本さんを余所に渡すのは私達の胃袋的にも我慢出来ません。でも怒るかな?」

 

「ふむ、理不尽だが男のケジメは取って貰おう。後は我々全員で土下座してでも許しを請えば良い。では亀宮様……」

 

「ええ、榎本さんをマンションに運びますよ。亀ちゃん、榎本さんを乗せてね。あらあら、嫌なの?」

 

 首を振って嫌がる亀ちゃんを宥め透かし、榎本さんを乗せて運ばせる。

 本当に亀ちゃんは榎本さんに懐いたみたいね。最初は彼を乗せるのを頑なに拒んだ。

 危害を加えないと説明して、漸く運んでくれるんですもの……お店の人が驚いていたが、手品だと誤魔化した。

 別に御手洗達に運ばせても良かったのだが、亀ちゃんが意識を失った榎本さんの前で警戒してたから納得させる為にも運ばせたの。

 マンションの女性部屋のベッドに彼を寝かせると、他の方々は出ていった。

 

 今夜は私達だけで過ごすのだから……

 

「胡蝶ちゃん?」

 

「む、何だ?」

 

 私の呼び掛けに直ぐに反応し、榎本さんのお腹の上に女の子座りで現れる胡蝶ちゃん。彼女の金色の瞳って本当に綺麗ね。

 

「約束を守るわ。私が榎本さんの子供を沢山産む約束をね。良いでしょ?」

 

 洞窟内で約束した、私達の一族を増やす計画。亀宮でなく榎本一族を増やす計画を今実行するわ。

 

「良いだろう。だが、正明は酔ってベロベロだ。大切な初めてが覚えてないでは辛かろう。先ずは周りを固めるのだ……」

 

 確かに酒の上の過ちで覚えてないじゃ悲しいわ。

 榎本さんが知らぬ存ぜぬで逃げるとは思わないけど、彼女持ちだし一時の浮気と割り切られても困るわね。

 

「うん、有り難う。周りを固めるって事は一緒に寝てれば良いかしら?」

 

 良くドラマや漫画の中に有る、目が覚めたら関係を結んでいた的なアレね。

 

「そうだ!朝起きて裸で抱き合っていれば、奥手な正明も観念するだろう。状況証拠を固める訳だな」

 

「そうね、明日の朝が楽しみだわ。榎本さん、どんな顔をするかしら?」

 

 榎本さんの服は胡蝶ちゃんが、手際良く脱がせてしまった。全身傷だらけだが不思議と醜いとは思わない、鍛え抜かれた筋肉質の体……

 胸板を触ってみれば、凄く……硬い……です。

 私も下着だけになり榎本さんの隣に滑り込む、流石に全裸は恥ずかしいわ。

 

「諦めていた結婚。諦めていた自分の子供を宿す事。頼りになる旦那様と亀ちゃんと同じ存在の胡蝶ちゃん。

私達は他の皆とは違う、世界で二人しかいない特別な霊能力者。もう私は孤独じゃないの」

 

 榎本さんの右腕にしがみ付き、身体を丸めて眠りにつく。

 

「幸せにして下さいね、旦那様……」

 

 

 

 

 

 翌朝、絹を引き裂いた様な男の叫び声を聞き付けた滝沢さん達が、寝室に殺到する。ベッドには半裸の二人が一緒に寝ていて、私の爆弾発言が……

 

「私達、一線を越えてしまったの」

 

 霊能業界の御三家当主を傷物にしてしまった瞬間だった。状況証拠は真っ黒、証人も複数いるし何より現場を抑えられたら嫌とはいえない。

 宥(なだ)め賺(すか)し、脅して泣いて縋って漸く責任を取って結婚を承諾させた。

 騙したみたいだが最後は笑って了承してくれたから、私が全く嫌いなわけじゃなかったと安心した。

 まさか重婚や浮気は駄目だと桜岡さんと別れるとは思わなかったわ、嬉しい誤算だった。

 別に妾や2号さんとして囲っても構わなかったのに。私との結婚を本気で嫌がるなら、榎本さんを殺して私も死ぬ心算だった。

 だって彼は私と心中しても良いと言ったから、クスクス私はそれでも幸せだけど。でも晴れて夫婦になれたのが無常の喜びよ。

 

「末永く可愛がって下さいね、旦那様……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 御三家の一角、亀宮一族の当主の番(つがい)については噂が先行していたので、彼らの結婚については業界内では割と冷静に受け止められた。

 伊集院阿狐も加茂宮一子も約束通り結婚式に呼ばれたが、加茂宮一子は代役を立てて本人は参加しなかった。

 彼女のプライドが許さなかったのだろう、狙った男を奪われた事が……亀宮、いや篠原梢の最初の子供は三つ子で全員男の子。

 そして胡蝶と交わり一体化して一点突撃(ロリコン)から全方位攻撃(ロリからお姉様)迄に進化した「真・正明」は次々と若奥様を孕ませ常に双子以上を生ませた。

 

 その数、七人!

 

 亀宮一族は、その子達の代で劇的な変化を迎える事になるが、それは別の話で……

 

************************************************

一寸異色な病んでるエンドですがIFルートですのでご容赦を。

次はリクエストのレナ編・滝沢さん編、その後に幕間で主人公の過去話となります。

 



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通算200話達成記念(結衣in沖縄)前編・後編

200話達成リクエスト(結衣in沖縄)前編

 

「当たってる……」

 

 携帯懸賞サイト「わん・くりっく応募」に応募した沖縄旅行が当たった。

 H.I.Sの格安パック、泊まる所も食事無しのホテルの最安値プランだが当りは当りだ。

 

 この手のサイトは片っ端から簡単に応募出来るから、本当に欲しくない物まで応募しちゃった……いざ本当に当たると扱いに困る。

 

「うーん、嬉しいけど正明さんは誘えないかな。パック旅行嫌いだし、きっと不自由な思いをするかもしれないし……」

 

 正明さん、エコノミークラスの座席じゃ狭いしホテルや食事も気に入らないと思う。私が誘えば断らないと思うけど、良い思いはしないから駄目かな?

 

「一緒に旅行行きたいけど、学生なら我慢出来る程度の格安パックは無理だよね」

 

 世間一般より遥かに高額所得者の保護者兼好きな人の体格を思い浮かべる。筋肉ムキムキで巌ついけど優しくて思いやりの有る人だから、私の誘いは断らない。

 でも大きな体をエコノミークラスのシートに押し込むのはやっぱり可哀想だ。

 

「勿体ないけど辞退しようかな……」

 

 サイトでは当選者の簡単な住所と名前、横須賀市の細波結衣としか確認出来ない。

 後日郵送で詳細が送られると思うから、受け取ってから辞退の連絡をすれば良いかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 それから一週間程して件の当選通知が来た。平日昼前の時間帯なら正明さんがポストを確認する事は無いから知られずにすんだ。

 学校帰りにポストを確認すれば宅配ピザのチラシと共に当選通知書が届いていた。

 気になって制服も着替えずに居間でソファーに座り封筒を開けた。

 封筒の中身には当選の通知書・規約書・アンケート用紙・手続き方法にパンフレットが入っていた。

 最寄りの旅行代理店に行って手続きするらしい。保護者の口癖である契約絡みのトラブルを避ける為に規約書を読む。

 A4の紙1枚に両面ビッシリ細かい文字が書いて有るのを時間を掛けて全て読んだ。

 一部難しくて意味が分からない所が有るが他人に譲渡は出来ないらしい。しかも同封のアンケートに回答と感想を書いて送らなければならない。

 勿論アンケートは強制ではないが、無料で景品を提供してくれるスポンサーに対しての対価なのかな?

 

「どうしよう……辞退の方法は書いてないから直接運営会社に連絡しないと駄目みたい」

 

 未だ人見知りが完全に治った訳じゃないから、知らない人に連絡するのが怖い。折角当たったのに要らないから辞退するのも失礼なんじゃないかな?

 理由を詳しく聞かれるかもしれないし、怒られるかもしれない……

 

「ただいま、結衣ちゃん。アレ、手紙かい?何々……当選通知書……

おめでとう、前にも飛騨牛すき焼きセットを当てたよね。運が強いな、結衣ちゃんは……」

 

 急に声を掛けられて、ビックリしちゃった。何時の間にか正明さんが帰って来て手紙を見られてしまった。

 しかも大きな手で頭をヨシヨシと撫でられるし……これは好きだけど子供扱いだから嫌いでもある。

 

 優しく微笑む正明さんを見て、ああ本当に応募に当たって喜んでくれているのが分かる。

 正明さんは私に甘い、甘過ぎるし過保護だし、大切にしてくれているのは分かる。でも偶に子供扱いなんだよね。

 大人の女性、1人の女性として扱って欲しいけど私は未だ中学生だし保護者の正明さんから見ればマダマダ子供。

 

 恋人になれる日は遠い。

 

「でも沖縄旅行なんです。格安パックツアーだから正明さんには不自由だと思うから……でも応募したのに当たったら断るのも何だか悪くて……」

 

 知られてしまったら隠さずに正直に理由を話す。正明さんは嘘には厳しいから……ペラペラと書類を読む正明さんをじっと見る。

 携帯電話で何か調べ始めたわ。

 

「うん、意外だけどホテルは高級だね、口コミは悪く無い。航空会社もJAL国内線だからエコノミーでも心配無いだろう。

向こうについたらフリープランだし食事も付いてないのは仕方ないね、格安だし。

一泊だから慌ただしいし混雑する時間帯の飛行機にも乗れないか……よし、こうしようか」

 

 正明さんの提案は、当選したチケットは私と静願さんが使う。

 正明さんと魅鈴さんは旅行代理店で手続きする際に同じ飛行機とホテルを手配する。これなら同行するのと同じだ。

 難点はビジネスクラスに魅鈴さんと2人切りで一緒な事だけど、まさか周りに人が居るのに悪さは出来ないだろう。

 でも、何故小笠原母娘なんだろう?霞さんとか晶さんとか誘う相手は他にも居るのに……

 その点だけが釈然としないが、一緒に南国に行けるので我慢した。

 思わず嬉しくて抱き付いたが、背中を軽く叩いてくれるだけ。ギュッと抱き締めてはくれないのが悲しい。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 出発日当日、羽田空港国際線ターミナルで待ち合わせをすれば良いのだけれど、車で空港まで行くとの事で朝から小笠原母娘と一緒。

 だけど助手席は譲らない。迎えに行っても車から降りなかった。

 本当は電車でも良いのに、朝も早いし疲れるからと気を遣って車にした。

 今回は海がメインなので一応水着を用意したけど……

 勿論、学校指定の紺のワンピースタイプじゃない、霞さんに見立てて貰った可愛い感じの桜色のワンピース。

 前はそうでもないけど背中が大胆に開いていて、お尻の上にワンポイントの大きめなリボンが付いている。

 でも今の季節って泳げるのかな?

 

「結衣ちゃん、有り難う。まさか私達を誘ってくれるとは思わなかった」

 

 後部座席に座る静願さんがお礼を言ってくれたが、小笠原母娘を誘ったのは正明さん。私は何もしてない。

 

「ご近所同士、また同じ学校の先輩後輩だから仲良くしましょうって事だよね。

でも格安パックだから行きの便が早朝か午後しかないから早出で大変だけど、一泊だから頑張りましょう。それで観光決めた?」

 

 正明さんは自分の気遣いを私がした様に話す。何時も私の事を思ってくれるのは嬉しい。

 

「折角の沖縄だから初日は海をメインに観光したいです。もし泳げるならば後でシャワーを浴びたいから帰る明日は辛いし……」

 

 帰る日だと慌ただしいし、ホテルはチェックアウトするから部屋のシャワーは使えないし。

 

「海水浴か……今の時期は寒いからホテルに備え付けのプールを使えば?

残波ロイヤルリゾートホテルはプライベートビーチと隣接するプールが有るよ。

チェックインは3時だけど、宿泊客なら早めに利用出来るそうだ」

 

 正明さんは本当に事前調査を怠らない。ちゃんと宿泊するホテルの事も調べてるし、朝食ま夕食もホテル内のレストランに予約済み。

 でもホテルのプールを勧めるって事は、もしかして私(達)の水着姿を期待してる?

 

「榎本さんの言う通り、ホテルのプールを利用しよう。私達、水着持って来てる」

 

「おほほほほ、水着を着るなんて10年振りだわ。若い娘達と比べられるのが恥ずかしいわ」

 

 小笠原母娘が私達の会話に入って来た。魅鈴さんと正明さんを気付かれない様に盗み見るけど……艶然と微笑む魅鈴さんに困った顔の正明さん。

 やはりお色気は苦手なのかな?

 

「「私達、お揃いのビキニなんだよ(なんです)」」何ですってー!

 

 只でさえお色気美女に脱いだら凄いんです美少女なのに……小笠原母娘の水着は封印、海水浴も中止ね。

 正明さんには帰ったら私だけ水着を披露すれば良いわ。

 

「正明さん、私は観光用の潜水艦と船底が硝子で海中が見えるグラスボートに乗りたいです!」

 

 同じ海でも脱がない観光を提案する。

 

「へー、潜水艦に乗れるんだ?面白そうだね。折角沖縄まで来てプールじゃ詰まらないから観光しましょうか?」

 

 少しホッとした感じの正明さんを見て安心する。魅鈴さん達の水着姿を見たい訳じゃ無かった。

 

「それは詰まらないわ。折角だから泳ぎましょうよ」

 

「むぅ、結衣ちゃんの言う事ばかり聞いてる。折角水着姿を見せたかったのに……」

 

 この泥棒猫達は、やはりお色気作戦だったのね!

 明日は新しく出来た水族館を見て国際通りを回ってお土産を買って帰ろう。

 小笠原母娘の文句に苦笑しながらスルーする正明さんの為にも海水浴は阻止する事を誓うわ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「意外と暖かいんですね。上着、要らないかも」

 

 流石は南国!3月でも既に初夏の陽気だわ。

 

 抜ける様に青い空、白い雲、微かに匂うハイビスカスの香り。成田空港に7時過ぎに到着し、那覇空港に10時前に着いた。

 確かに神奈川は冬の装いだったけど、沖縄はもう暑い。空港のトイレで着替えて荷物を纏めてホテルに送った。

 

 正明さんはチノパンに麻のジャケット、色の薄いサングラスとパッと見は怖いお兄さん。

 

 魅鈴さんは淡い黄緑色のアオザイに着替えて、静願さんはポロシャツにキュロットスカート、それにカーディガンを腰に巻いている。

 

 私は……今年の新作のガーリー系ワンピースだけど、色は流行のクール系パステルカラーのグリーンにした。

 

 小笠原母娘は既に周りの注目を集めている。

 

「お待たせしました」

 

 周りの視線をものともせず正明さんに近付く彼女達を見て、注目していた人達が離れていく。

 流石は肉体派、虫除け効果が半端無いわ。私は正明さんの左手に抱き付いて静願さん達を見る。

 

「早く観光しましょう。潜水艦は人気ですから待つかも知れません」

 

「込み具合を見て昼食を採りますか?沖縄料理って結衣ちゃんの作るチャンプルーやソーキそば位しか知らないんですよね。あと海ブドウ?」

 

 海ブドウは正確には料理じゃないと思うけど……私も沖縄料理って余り知らない、沖縄って海に囲まれているのに魚料理が少ないのが不思議。

 タコライスを作った筈だけど、正明さん沖縄料理と認識してないかも。あとは島豆腐とゆし(寄せ)豆腐くらいかな?

 

「沖縄はお肉が安いって。有名なステーキハウスが何軒も有るよ、ビッグハートとか88グループとか」

 

 反対側の腕に絡み付く静願さんを睨む。睨み返してきたから、バチバチと……

 

「あらあら、娘達はパパが大好きなのね。ではバス乗り場に行きましょう」

 

 まるで夫婦みたいな会話をしてバス乗り場に向かう魅鈴さんの後ろ姿を睨む。

 周りからは「家族だったのか、ヤクザがハーレム旅行かと……」とか「親子にしちゃ似てないが母親に似たんだな」とか失礼な呟きが聞こえた。

 

 やはり小笠原母娘は正明さんを狙ってる、母娘で……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 沖縄の海は素晴らしかった……透明感が有り原色の魚達が沢山泳いでいた。

 前は沖縄の環境破壊問題がピンと来なかったが、美しい自然を見れば納得する。

 

 これは人間の都合で壊してはいけない。

 

 利権問題とか住民の生活とか根深い問題が有るらしいが、この自然を見てしまったら……

 

 

 

 

「あら、結衣ちゃん眠ってしまったわね」

 

「珍しくはしゃいでましたから……今朝も早起きだったし、疲れたのでしょう」

 

 結衣ちゃんが転寝するほど疲れるなんて久し振りだ。僕に寄り掛かり規則的な寝息をたてている。

 途中、何度か魅鈴さん達に可愛い嫉妬を向けていたが、魅鈴さんの思わせ振りな態度が問題か……

 すっかり夫婦と娘達みたいになっている。年齢的にはピッタリだから、周りも疑わないのだろう……

 

「榎本さんは……結衣ちゃんの事をどう思ってますの?」

 

「どうって、別に……」

 

 この問いには何て答えれば良いんだ?普通に考えれば娘みたいだが……

 もし魅鈴さんが僕の性癖に気付いているのならば、別の問題が発生する。

 じゃ結衣ちゃんは恋愛対象外なのねって、言質を取られてしまうんだ。

 

 額から一滴の汗が垂れた…勿論暑さの為じゃない冷や汗がだ。

 

 

200話達成リクエスト(結衣in沖縄)後編

 

 転寝(うたたね)を装い正明さんに体を預けたのだけど、魅鈴さんの質問にドキリとした。

 

「榎本さんは結衣ちゃん(私)をどう思っていますの?」

 

 Niceです、魅鈴さん!これは私が今一番聞きたい言葉です!目を瞑っているので正明さんの表情が分からないのが残念。

 

 暫く沈黙が続く……

 

「そうですね。大切な存在ですよ、家族とは少し違いますが……僕はこの子の幸せを一番に願っています」

 

 私の幸せを一番に願う……私が幸せならお嫁さんにしてくれるの?私の気持ち次第で良いの?

 

「あらあら、意味深なお言葉ですわね。彼女が貴方の事を異性として意識していたら、どうします?」

 

 魅鈴さん、その質問の答えは未だ聞きたくないのです。もっと仕込みや準備が必要なのです。

 

「そうだよ。おとっ、榎本さんと他の女の人が仲良くしようとすると邪魔するし……」

 

 おとっ?お義父さん?やはり魅鈴さんは正明さんと再婚したくて、静願さんもそれを望んでるんだ。

 

「難しい年頃ですし、少し潔癖な所も有る。僕は彼女が望まない結婚をする気は無いんです。もう、この話は止めましょう……」

 

 正明さん、それは再婚したいなら私に認めて貰いなさいって意味だよ。魅鈴さんを否定してないし、私が認めればOKだと取られてしまう。

 

「あら、そうですね。お互い連れ子がいますし、お互いの連れ子が良ければ……うふふ、楽しみですわね」

 

 いえ拒否します、駄目です、お断わりします、一昨日来やがれです!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、五分ほど寝た振りをしてから起きた。

 微妙な雰囲気だったけど、私は先程の会話は聞いてないのだから自然に振る舞う事にする。

 妙に魅鈴さんが優しくなったけど、私は(再婚相手としては)認めません。

 人として良い人なのは認めるけど、ソレはソレです。

 本日の観光の最後にガラス工芸館に立ち寄り、職人さんの実演を見ながら幾つかのガラス製の小物を買った。

 小さな海亀の置物が可愛くて欲しかったのに、何故か買うのを躊躇ったのが不思議だった。

 

 可愛い青海亀の置物だったんだけど……そしてチェックインする為にホテルに着いた時に事件は起こった。

 

 

 

 

「「ようこそ、残波ロイヤルリゾートホテルへ!」」

 

 

 

 

 双子の女性が笑顔でハモりながら出迎えてくれた。ホテルの従業員ではないと思う、揃いの白いシャツにスラックス。

 不思議と記憶に残らない可愛いのに無個性な感じ……だけど、正明さんの知り合いみたい。

 

 だって珍しく驚いて固まっているもの……

 

「なっ、何故此処に?」

 

 双子さん、ニヤリと悪巧みが成功したような嫌な笑みを浮かべた。

 

「若宮リゾートクラブが出資してるのよ、このホテル。予約時に本家に確認の連絡が来て、御隠居様が……」

 

「榎本さん、亀宮一族の関連施設には貴方の個人情報が回ってるんです。VIP待遇しなきゃ駄目なリストの上から十二番目にです。凄い事なんですよ」

 

 正明さんの左右に移動して見上げながら説明をしてくれた。亀宮一族って最近良く聞く正明さんの入った派閥の名前だったかな?

 確か霊能界の御三家で東日本一帯が勢力圏だとか何とか……正明さん、既にその組織のVIPでNo.12なの?

 

「うん、まぁ何だか分からないけどさ。このホテルに来てるのは風巻さん達だけじゃないよね?正直に言ってごらん、怒らないから……」

 

 嘘、このオーラは本気で怒ってますオーラだよ。双子さんも後退りしてるし、きっと見えない顔は怖いんだろうな。

 

「「かっ、亀宮様がラウンジでお待ちしてますです、ハイ!」」

 

 彼女達が敬礼した、敬礼しましたよ!それに亀宮様?まさか御当主が自ら正明さんを待ってる?

 隣で嫌な顔をしている静願さんに聞いてみよう。確か品川のお屋敷で顔合わせしたとか言っていた筈だし……

 

「確か静願さんって亀宮さんに会ってるよね?どんな人なの?」

 

 肘で突いて小声で聞いてみる。

 

「天然巨乳美人で酒乱……」

 

 此方を見ずにボソリと教えてくれたが、そこに尊敬とか親愛とかは全く無い。つまりは敵(泥棒猫)な訳ね……

 

「亀宮さんが居るなら何時ものメンバーも揃ってるんだろ?帰ったらご隠居と話し合いが必要だな。主に個人情報の取り扱いについて……」

 

「違法じゃないぞ。個人情報保護法には抵触しない筈だ」

 

 また新しい女の人が現れた。この暑さの中で黒のスーツにサングラス、皮手袋までしている。

 でも巨乳のクールビューティーだが、衣装が台無しにしてる残念な美人かな。

 

「違法とは言ってない。個人情報の取り扱いについてだよ。

個人情報保護法は個人を特定出来る情報の漏洩、情報管理、その扱い方に違法性が有るかだ。

今回は一族の派閥の一員の個人情報を関連施設に流した事だから、取り扱いについてと言っている。

僕は正式には若宮グループの社員じゃない、契約……うおっ?」

 

 かっ、亀よ、亀が空を飛んで来て正明さんに巻き付いたわ。うわぁ……首が長くて噛み付き亀かスッポンみたい。でも懐かれてるのが分かるわ。

 

「ちょ、コラ、亀ちゃん?締め付けないで、滝沢さんを苛めないから……中身が、中身が出ちゃうから……」

 

 スリスリしてるけど、端目から見れば巨大生物に襲われている人間だよね。

 

「亀ちゃん?もしかして亀宮さんって完全獣化能力者?あの亀が本人さん?」

 

 お婆ちゃんから聞いた事が有る。細波一族も血を強く受け継いだ者は、完全に狐の姿になれたって……

 

「流石は御三家の当主さんですね。空飛ぶ亀さんに変身出来るなんて……」

 

「結衣ちゃん、それ勘違い。あの亀ちゃんは亀宮さんの使い魔みたいな存在」

 

「亀宮だから亀使い?」

 

 ズルズルとラウンジに引き摺られていく正明さんの後を慌てて追い掛けた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 流石はリゾートホテルのラウンジだわ。高級そうなソファーセットに毛足の長い絨毯。

 三階層吹き抜けで天井には豪華なシャンデリア。

 ソファーには凄いユルフワ巨乳美人が座り、後ろに黒服さんが並んでいる。

 

 その前に跪く正明さん……

 

 あっ!亀ちゃんが美人さんの体の中に入っていったわ。

 

「亀宮さん、一緒に来たいなら言ってくれ!こんなドッキリは嫌だぞ。それにVIP扱いって聞いてないし」

 

「榎本さんは御隠居衆の次席らしいです。

風巻のおば様も諜報部隊の副長ならば、これ位の地位じゃないと一族内の調整もままならないからって、御隠居様と決めたそうですわ。

他部門に依頼するのも序列が有るのが亀宮一族なのです。

全く……本来ならば榎本さんは私と同列なのですが、あの五月蝿い連中が……あんなの悉く滅べば良いのです」

 

 後半の台詞、ボソボソ小声だったけど所々は危険な単語が聞こえた。それに目が逝っちゃってて病んでる感じが……

 

 もしかして、ヤンデレさん?

 

 正明さん、私と結ばれたら二人一緒にNice BoatなBad End直行?何とも言えない引き吊った笑みを浮かべるしかなかった……

 まさか1日で正明さんを取り巻く新たな泥棒猫を知る事になろうとは。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 屈辱的な敗北……なし崩し的展開でホテルのプライベートプールに連行された、しかも貸し切り。

 このプール、凄い豪華でプールの中にバーラウンジ?が有るの。

 足をプールに浸けながらお酒やジュースが飲めるんです。私は水着を濡らさない様にバーラウンジの椅子に座る。

 椰子の実を器にしたトロピカルカクテル(勿論ノンアルコール)を飲んで、目の前に並ぶ醜い肉の塊を見詰める。

 

 亀宮さん、白のハイレグビキニ。

 

 小笠原母娘、黒地に菖蒲をあしらった和風かつ際どいビキニ。

 

 滝沢さん、黒のビキニ。

 

 全員ビキニで巨乳美女・美少女だ。

 

 風巻姉妹さんは辞退した。何でも正明さんは異性として見ていないで頼れる上司なんだって。

 あの双子のお姉さん達とは仲良くなれそう。

 そしてお目当ての正明さんは、自分の体に付いた大小の傷を見せると私達が気分を悪くするからと部屋に籠もってしまったわ。

 

 普通だったら嫌らしい目で女性陣を見ても許される状況なのに、本当にストイックなんだから……

 呆然とする巨乳軍団だが、折角だからと水着に着替えてプールを楽しむ事となった。何て切り替えの早い人達なんでしょう。

 

 ごめんなさい、正明さん。

 

 正明さんの傷だらけの体が私の自傷とダブって考えてしまって……でも正明さんは、こんな醜い肉の塊なんて見なくても良いの。

 胸なんて飾りなんです、それがエロい人達には分からないのです。今度私が水着を着てマッサージしてあげます。

 丁度尻尾の部分まで背中が開いてるし、狐耳と尻尾付き水着美少女のマッサージだから良いですよね?よね?

 年甲斐もなく無邪気に水を掛け合い遊ぶ年上の美女・美少女を見て溜め息をつく……

 

「何を食べたら、あんなにデカくなるのかしら?」

 

 相手の胸を見て自分の胸元を確認し、再度ブルブル震える双房を見る。悉くモゲれば良いのにと思う。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局プールは不愉快でしかなく、先に部屋に戻る。私の部屋は1201号室で榎本さんが1200号室。亀宮さん達が1202号室で小笠原母娘が1203号室。

 私と榎本さんは一人部屋なんです。だから私は抜け駆けします。実は水着を着たままで上からワンピースを羽織った。

 つまり私はワンピースを脱げば水着姿になれる。どうしても正明さんに水着姿を見て欲しくて部屋を訪ねた。軽くノックをして声を掛ける。

 

「正明さん、居ますか?」

 

「結衣ちゃんかい?どうしたのかな?」

 

 直ぐに応えてくれて扉を開けてくれた。寝ていたのだろうか、少し髪の毛が乱れている。

 

「皆さんプールで楽しそうにしてるので邪魔しないように戻って来ました」

 

 不自然な言い訳をしながら部屋の中に入ろうとするが、正明さんは体を退けてくれた。

 

「凄い夕陽ですね……地平線が燃えているみたい……」

 

 窓から見える景色は、今まさに太陽が地平線に隠れ様としている。部屋の中も真っ赤に燃えているみたい……

 

「もう直に夕食だよ。皆が……」

 

「お疲れの正明さんにマッサージしてあげます!さぁさぁ横になって下さい」

 

 正明さんの言葉を遮(さえぎ)り強引にベッドに引っ張る。純粋な力ではビクともしないけど、私に遠慮してか渋々ベッドに俯せになる。

 正明さんが目を瞑っているのを確認してからワンピースのボタンを一つ一つ外して……パサリとワンピースを脱いで精神を統一し獣化を念じる。

 

 ブルブルと体を振れば水着獣っ娘の完成よ!

 

「正明さん?」

 

「何だいって、うわっ?結衣ちゃん、何で水着姿になってるの?」

 

 体を起こして驚く正明さんの為に、クルリと回って水着をアピールする。自分の頬が熱いから多分顔は真っ赤になってると分かる。

 

「せっ、折角水着を買ったから見て欲しかったんです……に、似合いますか?」

 

 体を少し斜めに向けて手を後に組んで胸を強調し、はにかみながら聞いてみる。正明さんも真っ赤になってるけど、これは夕陽の赤じゃないよね?

 

「うん、良く似合ってるよ。可愛いよ……」

 

「有り難う、嬉しいです。私……私は……」

 

 

 

 その日、乱入してきた静願さん達に私が狐憑きだとバレてしまった……同業者(霊能力者)と知られてしまったが、全員そうだから気にしないわ。

 あの時、正明さんは私に視線が釘付けだった。つまり、私にも十分チャンスが有る事が分かった。

 あの後、皆に詰め寄られたが正明さんの背中にピッタリと張り付いて難を逃れた。正明さん、慌ててマッサージをしてくれただけだって言い訳してたけど……

 

 私が後ろから舌を出して挑発してたから効果は無かったと思う。

 

 これが新しい泥棒猫の皆さんに対しての、私なりの宣戦布告なんです!

 



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通算200話達成記念(小笠原母娘編)前編・後編

200話達成リクエスト(小笠原母娘編)前編

 

「課題の体力は付けた。今度は基本で良いから技術的な事を教えて欲しい」

 

 平日の夕方、制服姿の静願ちゃんが訪ねて来て切り出した言葉だ。

 思い詰めた様な、それでいて嬉しそうな様な様子に、何か相談か報告でも有るのかとソファーに座らせてお茶をだしたのだが……

 確かに基本的な体力(逃げ足とも言う)を向上させないと現場に連れて行けないと言ったな。

 テーブルに差し出された紙を見れば授業で行ったのか、マラソンの順位表とタイムだった。

 

「40人中で16位か……頑張ったね」

 

 身を乗り出してヨシヨシと頭を撫でる。艶やかでサラサラな髪の毛だ……

 

「お父さん、約束だよ。短距離走のタイムも詰まった。

これで条件は満たしたし、学校からバイトの許可も貰った。これは、お母さんの同意書だよ。履歴書も有る」

 

 撫でていた右手を掴み頬に移動させてスリスリされた。何時の間に、こんな高等テクニックを?

 

 しかし用意周到だな……

 

 課題をクリアして直ぐに学校と保護者に許可も取っている。渡された書類に不備は無く文句の付けようが無いのだが……

 

「未成年を現場に連れていく訳には……」

 

「平日は放課後、休日は昼間だけ。最初は事務仕事で構わない。現場に同行する時は指示は必ず守るから、お願いします」

 

 先に頭を下げられてしまった。確かに昼間の事務仕事や調査なら問題は無い。

 最近は亀宮さんからの仕事も多く事務所を空けがちだから、電話番は助かる。

 

 助かるのだが……

 

『正明、双子擬きが来るぞ』

 

 助かるのだが、色々と言いたくなく事も絶賛増殖中なんだ。例えば彼女達だ。

 

「「榎本さん、仕事の途中報告(ご飯奢って!)に来たよ!」」

 

 元気良く風巻姉妹が事務所に突撃してきた。餌付けは順調過ぎて、亀宮一族からの依頼には必ず彼女達も一緒の行動になる。

 当然だが僕は事前の調査を重視するから、殆どが風巻家との共同作業になる。

 どうもご隠居様も風巻のオバサンも姉妹とチームを組む事は公認らしいのだが、毎回違う連中と組まされるよりは良い。

 それに彼女達の諜報能力は信用出来る。

 

「あれ、お客様でした?それは失礼しました……」

 

「あー、静願ちゃん!久し振りー沖縄以来だね」

 

 静願ちゃんを見て姉は頭を下げ、妹は指を差した。佐和さんは思慮深く美乃さんは元気と言うか……

 

「バイトの面接だよ……」

 

 あの時は慌しかったし、そんなに会話もしてないだろう。ソファーから立ち上がり頭を下げる静願ちゃん。

 最初の頃より人当たりが良くなってきたな、良い事だ。

 

「お久し振りです。おとっ、榎本さん、彼女達と仕事してるの?」

 

 静願ちゃん……君は何時か僕の事を人前でお父さんと呼んでしまうよね?

 最近、魅鈴さんが妙に積極的で困るんだ。先日も三人で一緒に出掛けたら家族と間違えられても肯定するし。

 近所じゃ再婚相手みたいな扱いをされる事も有った。

 それに家の事を気に掛けてくれるのだが、桜岡さんや結衣ちゃんと鉢合わせでピリピリと空気が……思い出すとお腹が、胃が痛くなって吐血しそうだ……

 

 いや、今はそれは問題じゃない。頭とお腹を抱えて蹲りたいのを理性と忍耐を総動員して何とか堪える。

 

「姉の佐和さん、妹の美乃さんはね……亀宮一族の諜報部に所属している風巻家の直系だよ。

僕も彼女達の能力は認めているし信用もしている」

 

 ぎこちない笑顔で二人を紹介する、そういえば沖縄では碌な紹介もしなかったな。

 実際に数回チームで仕事をしたが、特に問題は無いどころか有能で助かっている。

 

「亀宮一族の榎本班はね、依頼達成率100%なんだよ!」

 

「そうです。ランクの高い依頼ばかりを確実にこなしてます。

勿論、調査も慎重ですが最悪は榎本さんの力でゴリ押しで解決出来るから、私達に隙は無いですね」

 

 出会った頃と違い無条件の信頼は嬉しい。だがしかし、静願ちゃんの機嫌は見る見る内に急降下だ!

 元々素直クールで表情が掴み難いのに、更に表情が無くなった……

 自分は一緒に仕事をさせて貰えないのに、風巻姉妹は何件も一緒に仕事しているからか?

 

「ちょ、丁度良いから今手懸けてる仕事を手伝って貰おうかなー。風巻さん達も座って、座って。今お茶を淹れるよ。

元町のカップベイク・カフェリコのカップケーキが有るから食べようか」

 

 甘い物を食べさせて機嫌を回復させるしかないか?

 

「ヤッター!最近噂のお店じゃないですか!おからを使ったヘルシーマフィンが有名なんですよね。

じゃ、お茶は私達が淹れるわ。紅茶が良いよね?」

 

「榎本さんは座っていて下さい。茶葉は来客用のインド産のニルギリを使って良いですか?」

 

 勝手知ったる他人の台所みたいにキビキビと準備を始めた風巻姉妹を愛想笑いを浮かべて見つめるしか出来なかった。

 

「随分と慣れているみたい……」

 

 ボソッと呟いた静願ちゃんの無表情さが恐かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「思い出したわ。小笠原魅鈴さんって、宮城県の名家「犬飼」の血を引いてるんだってね。亀宮本家に報告が上がってたわ」

 

「適正な後継者が見付からずって奴でしょ。霊能力者の一族としては看板を降ろすらしいわ。静願ちゃんも可能性が有ったかも知れないね」

 

 榎本さんの事務所から帰る時に、何となく双子と一緒に歩いて駅に向かう。緩やかな下り坂をノンビリと歩いていく。

 双子って瓜二つだって言うけど、彼女達は本当に良く似ている。

 仕草・声質・衣装迄そっくりで、私は口調でしか区別がつかないけど、榎本さんは普通に区別が出来てた。

 お婆ちゃんが駆け落ち同然で実家を出たのは知っていたが、私が名家の血を引いてるのは初めて聞いた。

 お婆ちゃんもお母さんも母方の親戚については、何も言いたがらなかったし……

 

「でも、もう無理でしょ。だって代々引き継いだ犬神は術者と共に天に召されたって……」

 

「日本狼の霊を使役してたんでしょ。そう言えば榎本さんが弔電を送ったって……知り合いだったみたい。

山名の連中の暴走と絡めて懲罰が行きそうなのも止めたらしいし。やっぱり魅鈴さん絡みかな?」

 

「静願ちゃん。どうなの、その辺は?」

 

 お母さんと榎本さんだけが知ってるの?私には内緒なの?

 

「私、知らない……」

 

 私、今嫌な顔してる。自覚が有るけど顔の筋肉が強張って変えられない。足元に有った小石を蹴れば自販機に当たり軽い音を立てた。

 

「うーん、私達諜報部隊ってさ。守秘義務が有るから静願ちゃんには言えないのかも……ごめんね、気を悪くした?」

 

 美乃さん?に気を遣わせてしまったかな?左右から同じ顔で申し訳無さそうに覗き込まれた。でも言えない、嫉妬してるなんて……

 

「平気、少し驚いただけだから」

 

 それから暫く無言で歩き、気が付けば京急横須賀中央駅に着いてしまった。駅に隣接したモアーズのエントランス前で彼女達を伺う。

 此処で別れるか、同じ下り電車なのか、寄り道するのか……

 

「私達、金沢八景駅だけど静願ちゃんは?」

 

「私は堀ノ内駅」

 

「じゃ、此処でお別れだね。榎本さんと仕事するなら直ぐに会えるわよ。それじゃ!」

 

 元気良く改札前で手を振られて分かれた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 双子と別れてから真っ直ぐ帰るのが嫌で、何となくモアーズの中をうろつく。

 平坂書房で小説の新刊をチェックし、吉田ペットファームで小鳥の雛達を見て癒された。

 最後にミスタードーナツでポンデリングをお土産に買って帰る。

 各駅停車の電車に乗ってボーッと窓の外を見れば、丁度太陽が沈みかけている。

 

 暫く電車内が真っ赤に染まったが、直ぐに太陽は沈み夜の帳がおりた……

 

「まるで私の気持ちみたいだ……」

 

 とぼとぼと自宅に向かい玄関を開ければ、お母さんが笑顔で迎えてくれた。

 

「お帰り、静願。榎本さんの所でアルバイト出来そう?」

 

 邪気の無い暖かい笑顔……思わずお母さんに抱き付く。

 

「あらあら、どうしたの?アルバイト断られたのかしら?」

 

 優しく抱き締めて背中を撫でてくれる。普段着も着物姿だから柔らかい胸で抱き留めてはくれないが、炊きしめたお香の匂いが落ち着かせてくれる。

 

「お婆ちゃんの一族の話を聞いた。私には内緒だった?」

 

「あらあら、榎本さんには口止めはしてなかったからかしら?」

 

「ううん、違う。バイトのお願いに行った帰りに亀宮の人と一緒になって、教えてくれた。私が知らないって言ったら謝ってくれたけど……」

 

「そうね、貴女も知っていても良いわね。ごめんね、静願……」

 

 お母さんはそう言って背中をずっと優しく撫でてくれた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「落ち着いたかしら?」

 

 キッチンに座りホットミルクを少しずつ飲む。私は猫舌だ……黙って頷く、だって舌を少し火傷したから。

 

「私達はお婆ちゃんの代から小笠原姓だけど、昔は犬飼と言ったのよ。お婆ちゃんが駆け落ちして勘当されたのは知ってるでしょ。

だから彼等とは縁が切れていたの。でも最近になってね、最後の直系の女性が亡くなって私達にお願いが来たのよ。御当主様の後添いにと……」

 

「お母さんを?」

 

「私達をよ……後妻とお妾さんとして、私達に戻って欲しいって」

 

 そんな事が?お母さんが辛そうな顔をして話すけど、断れば良いだけの話じゃないの?

 

「現代で子孫を残す為だけにお妾さんなんて……」

 

「勿論断ったわ。でもね、犬飼の大婆様から懇願されて……

お婆ちゃん、死ぬ間際まで大婆様に迷惑かけて済まないって言い続けてたから、私もはっきり断り辛くて……

榎本さんに恋人の振りをお願いしたの。もう私達付き合ってるからって、静願は未だ高校生だから無理だって……

そしたら嘘は良くない、僕が説明するからってね。本当に失礼よね?嘘でも恋人役は嫌なんて……」

 

 お母さん、嬉しそうに笑ってる。

 

「でも本当のお父さんには、なってくれないんだ……それで解決したの?」

 

 榎本さんは交渉ごとが得意って言ってたし、話し合いで解決したのかな?

 

「本当のお父さん?それで犬飼の御当主様とね……榎本さん、体を張って私達の事を守ってくれたの。

嬉しかったわ。本当に命懸けで守ってくれたんですもの……」

 

 お母さん、夢見る乙女みたいな感じでウットリとしている。少しだけ胸がチクチクと痛む。

 

「あら?静願、どうしたの?酷く苦しそうな顔をして……」

 

「何でもない……ただ、危ない事をしないでって……私……心配で……」

 

「静願、榎本さんの事が好きなのね?」

 

 好き?うん、私は理想のお父さんみたいな榎本さんが好き。だから黙って頷く。

 

「私もね、榎本さんが好き。もしも望まれたなら全てを捧げても良いわ。女として榎本さんが欲しいの」

 

「でも、榎本さんには桜岡さんが……」

 

 こんなに激しいお母さんは初めてだ。でも、榎本さんには桜岡さんと言う恋人が居る。

 同棲(同居)までしてるんだよ。幾らお母さんでも略奪愛は……

 

「桜岡さんね。確かに今の榎本さんに一番近い女性だわ。でも彼女と榎本さんは一線を越えてない。

あれは肌を重ねた男女の距離じゃないわ。

何故、榎本さんが彼女を抱かないのか分からない。もしかしたら結衣ちゃんの事で男女間について慎重なのかも知れない。

彼が結衣ちゃんを大切にしているのは見ていれば分かる。実際に彼女の幸せを一番に願うと聞いたし……

結衣ちゃんは微妙な立場だから、榎本さんは特定の女性と仲良くなるのを躊躇っているのかも……

だから未だチャンスは有るのよ。あの人は二股や浮気は出来ないから、先に関係を持てば……ね」

 

 結衣ちゃんが妬ましい。何故、何故そこまで大切にされてるの?何故、榎本さんは自分の幸せより彼女を優先するの?

 喉がカラカラに渇いてしまい、手に持つカップからホットミルクを飲もうとしたが空だった……

 

 

200話達成リクエスト(小笠原母娘編)後編

 

 どうしようもなく動揺した心を落ち着かせる為に自分とお母さんの分のお茶を淹れる。お母さん本気だ、本気で榎本さんの事が好きなんだ。

 今まで浮いた噂は一つもなく、色んな男性に言い寄られても全てを断っていた。

 

「もう男性は懲り懲りよ……静願も彼氏は慎重に選ぶのよ」

 

 何て言ってたのに、榎本さんにだけは最初から違ってた。私がお世話になった人だからと思ってた。私達は男運が最悪だ。

 

 アル中・ギャンブル・浮気……

 

 飲む打つ買うの三拍子が揃ったお祖父さんとお父さん。あの人達と、その親族にお母さんは苦労をさせられ続けて来た。

 漸く正式に離婚も成立し、あの嫌いな親族連中も榎本さんが話を付けてくれた……

 

「ヤクザと弁護士がセットで来た……か」

 

 もう、あの人達が私達の前に現れる事は無い。私達を捨てた元お父さんにも、榎本さんは話を付けた。

 直接あの場には居なかったが、こっそり陰から様子を伺ってたけど……うん、恐かった。

 

 声を荒げたり暴力を振るったりはしない。でも……

 

「静願、お茶が零れてるわよ」

 

「きゃ?ごめんなさい。考え事してた」

 

 慌てて布巾で零れたお茶を拭き取る。確かに榎本さんは、榎本さんなら浮気も心配ないし浮気も博打もしない。

 きっと結婚すれば良き旦那様となり一生大切にしてくれる。

 強く逞しくお金持ちで、綺麗事だけでない清濁合わせた強さを持つ人だから……

 

「お母さん、榎本さんの事を何時から好きになったの?」

 

 新しくお茶を淹れ直して、夢見る乙女なお母さんに聞いてみる。普段からそれとなく言い寄っていたけど、本気とも冗談とも取れなかったから……

 湯飲みを持ってニコニコしているお母さんは、とても子持ちの×イチには見えない。まだ20代後半でも十分に通用する若々しさだ。

 

「ん?そうね。はっきりと気持ちを確認したのは、私は恋愛対象にはならないって遠回しに言われた時よ」

 

 ……?ソレって変じゃない?

 

「何よ、不思議なモノを見る様な目をして。分かり辛かったかしら?正確には私の体目当てじゃなくても体を張って助けてくれた時よ。

あの人は私に損得でなく純粋に救いの手を差し伸べてくれたの。普通はね、命を晒してまで家族でも恋人でも無い人は助けない。

榎本さんもそうよ、あれで関係の無い人達には結構ドライなのよ。でも私は助けてくれた。その後も何かを要求する訳でもなくね。

あの大きな背中に抱き付いた時に、貴女は恋愛の対象にならないって遠回しに言われた時に。嗚呼、私はこの人が好きなんだ。

理由は無いけど確信したのよ。恋愛対象じゃないけど無関係な他人でもない。榎本さんにとって私は肉欲の対象じゃなくても助けてくれる。

だから逆に嬉しかったわ。

外見で惚れる様なら衰えた時に興が醒める。恋とか愛とか綺麗な部分だけじゃないのよ。

それにね……男女の恋愛感情なんて割と簡単に、ひっくり返るわ」

 

 お母さんの瞳の奥に燻る炎が見えた気がした。つまり情欲に突き動かされた訳じゃなく純粋な好意が嬉しかった?

 でも、ソレって綺麗な事なんじゃないかな?お母さん、少し怖い。

 

 何て言うか、病んでる感じがするから……ヤンデレ?

 

「そうなんだ……でも無理はしないで。でも、犬飼さんとは何が有ったの?榎本さん、弔電送ったって聞いたよ。その御当主様って亡くなったの?」

 

 霊能力者が看板を降ろすって言ってた。つまり廃業だけど、私にも犬神を引き取るチャンスが……

 

「亡くなったのは大婆様と言われていた、私達のお婆ちゃんのお婆ちゃんだった人よ。大婆様は日本狼の霊を使役していたの。

でも後継者達は犬神様には認められなかった。最後の直系男性もね、妻を亡くして私を後妻に貴女を妾にって迫ったわ。

話し合いにも応じずに、榎本さんを襲ったのよ。彼は飼っていた犬を殺して使役していたわ。全部で九匹の畜生霊を操り榎本さんを襲ったわ」

 

 飼い犬を殺して使役する……何て無慈悲な能力なの!犬九匹に襲われたら、榎本さんだって無事には済まないでしょ?

 

「そんな、危なくなかったの?犬を九匹なんて……」

 

「ええ、脇腹と太股と踵を噛まれてたわ。酷く出血して痛そうだったけど、私に笑顔で手を振ってくれてね。随分我慢してたわ」

 

「犬に噛まれたら大怪我だよ!」

 

 八王子でも怨霊を無傷で倒した榎本さんが怪我を負う相手だよ!

 

「そうね、大怪我だったけど治癒系の術が使えるので大丈夫だって。しかも襲ってきた犬の霊を自分の支配下に置いて、逆に相手を倒したの。

凄いわよね、流石は亀宮一族に引き抜かれた人だわ。それでね、その御当主様を張り倒してね……

これは私(僕)の為、これも私(僕)の為ってボコボコにしたわ。それで榎本さんは犬飼の大婆様に認められて、犬神様を託されたのよ」

 

 お母さんの為にって相手を張り倒したんだ。それは女として嬉しいかもしれないわ。

 

「でも犬飼の一族の祭る犬神様は天に召されたって……榎本さんでも駄目だったんだね。日本狼か、会って見たかったな」

 

 今度支配下に置いた犬達を見せて貰おう。召喚系の術って見た事無いから楽しみ。

 

「ふふふ……でもね、榎本さんは大婆様のお願いを断ったのよ。その犬神は大婆様に懐いてるから、一緒に天に連れて逝けって。

支配下に置いた犬達も魂を天に還したのよ。その後、私をおぶって帰ったの。下らない元飼い主から魂を解放された犬達の喜びは見せたかったわ」

 

 ナニソレ、格好良過ぎる!

 

 捕われた犬達の魂を解放し犬神様も大婆様と一緒に天に還した……

 

「やっぱり、お父さんね!凄い格好良過ぎる」

 

「お義父さん?そうね静願、私頑張るわね!」

 

 胸元で小さくガッツポーズするお母さんを見て素直に可愛いと思う。恋は人を可愛いくするのは本当なんだね。

 

「それでね、その後は雪の降る山道をおぶって帰る時に、寒いからもっとくっ付いて欲しいって。

だからお母さんね、あの太い首に思い切り抱き付いたの(本気で首を絞めたの)。

凄い安心感が有ったわ(丈夫でびくともしなかったわ)。

それから夕食に飲みに行こうって話になったけど、榎本さん傷だらけで服は破れて汚れてるしね。

お店には行けない格好だったのよ。だから私の家でお礼を兼ねて手料理でおもてなしをして沢山お酒を飲ませて……

本当に沢山飲ませたのに、泊まっていかずに今夜は帰りますって。タクシー呼んでくれって。

理由がね、私に悪い噂が立つから駄目だ!ですって。別に責任取って貰えるなら全然構わないのに……」

 

 話しだしたら止まらないマシンガントークで説明しだしたけど……お母さん、もう私を見ていない。

 真っ赤になって、イヤンイヤンしてるのは若々しくて可愛い。恋は周りの人からウザく思われるって本当なんだね。

 未だ話し足りなそうなお母さんをキッチンに残して私室に向かった。

 

 正直胸焼けしそうで、お腹一杯です!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ベッドに仰向けになり、お母さんの事を考える。

 疎遠だった親族から無理矢理に結婚をさせられそうになるのを、体を張って守ってくれた。

 しかも彼等は由緒有る霊能力者の一族で、榎本さんは現当主を傷付きながらも霊能力で打ち負かしての事だ。

 そして大婆様なる影の実力者に認められて力を託されるが、敢えて断る。

 

 彷徨いし犬達の魂を天に還せと言い残して……

 

 どんなラノベのヒーロー&ヒロインだろう。部屋の隅に置いてある本棚の上から二番目に目を向ける。

 甘ったるい少女漫画やライトノベルが沢山並んでいる。それをヤラれては、お母さんも榎本さんに恋してしまう。

 あの本のヒロイン達もそうしてハッピーエンドになった。

 だが、榎本さんは家にお母さんを連れ帰ってから一緒にお酒を飲んでいる。

 

 本棚の上から三番目に目を向ける。ハーレ〇イン・ロマンスシリーズが並んでいる。

 冒険から帰った男女が夜にお酒を共に楽しんだら、何故あの本に書かれている様なアダルティな展開にならないのか?

 私でも同じ状況なら抱かれたいと思う。いや、抱かれても抵抗出来ないと思う。

 もしも、お母さんが榎本さんと結婚した場合を考えてみる。優しいお母さんに夢にまで見た理想のお義父さん。

 何時も言い争っている結衣ちゃんは義妹になる。でも私は彼女は嫌いではないから、良い姉妹になれる筈だ。

 

 他人が羨む理想的な家族……

 

 私を育てる為に人一倍苦労したお母さんは、幸せになる権利が有る。私はそれを手伝える位置に居る。

 

 何を躊躇う事が有るのか?悩む必要なんて無いじゃないのか?

 

「榎本さんとお母さんが並んでいる姿を想像すると嬉しい筈なのに、何故涙が溢れるのかな?何故、素直に祝福出来ないのかな?」

 

 お母さんを取られるのが悲しい?「違う!」

 

 初めて見た、お母さんの女性としての部分が嫌だから?「違う、違う!」

 

 じゃあ何でお母さんの幸せを願わないの?「分からない、分からない、分からない……何故、こんなにも悲しいのだろう?」

 

 答えは出ないまま、私はそのまま泣き疲れて寝てしまった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「静願、具合が悪いの?今日はお風呂は入らないで、もう寝る?あら、泣いていたの?」

 

 なき疲れて寝ていた私を心配して、お母さんが起こしに来た。でも泣いていたのがバレてしまったわ。お母さんとベッドに並んで座る。

 優しく抱き締めてくれるお母さんの膝に顔を押し付けて……

 

「静願?」

 

「なに、お母さん?」

 

 優しく髪の毛を梳いてくれる。

 

「貴女も榎本さんが好きなのね?てっきり理想の父親像を榎本さんに向けているのかと思ったわ……」

 

 好き?うん、私は榎本さんが、お父さんが好き?

 

「うん、好き大好き。お母さんと結婚して本当のお義父さんになるなら嬉しい筈なのに……凄く悲しいの」

 

 苦労していたお母さんが漸く幸せになれるのに、何故か嬉しくなく悲しい。

 

「それはね、好きは好きでも男女の仲の好きなのよ。愛してると言い替えても良いわね」

 

 優しい声で私が否定し続けた事を言い当てられた。そう、私は榎本さんを例え実の母親にでも取られたくないと思ってる。

 顔を上げてお母さんを見る。優しい微笑み、私の大好きなお母さんの微笑み。

 

「静願……自分の気持ちに嘘を付いちゃ駄目よ。貴女の榎本さんを見る目はね、好きな人を見る目と同じよ。お母さんに遠慮なんてしないで」

 

「ううん、違う!私はお母さんに幸せになって欲しいの。だから……」

 

 両手を頬に添えられて顔を固定された。真剣な表情のお母さん……

 

「静願、一度榎本さんに抱き付いてみると良いわ。その時の感情で分かる。父性愛なのか友愛なのか、それとも愛情なのか……

人間ってね、自分の気持ちに確信が持てる迄に随分遠回りするの。直感でとか一目惚れとかも有るけれど、大抵は見た目だけで決めてるのよ。

だから時間と共に感情は変わってしまう。私にとって榎本さんは最高の相手なの。

でも貴女にとっては分からないわ、未だね……自分の気持ちを確かめに行きなさい。

それでも彼が好きなら」

 

「好きなら?」

 

 お母さん、いたずらっ子の様な表情だ。初めて品川の小原邸で抱き付いた時は、父性愛を求めていた。でも今は……

 

「例え愛娘でも遠慮はしないわよ。お母さん、もう一人子供が欲しいの。高齢出産は危険だから30代半ば迄には産みたいのよね」

 

「こっ、子供?赤ちゃん?」

 

 お母さん本気だ。今年34歳になるから時間は少ない、本気で勝負を掛ける気だ。

 

「お母さん、ありがとう。私、自分の気持ちを確かめてみる。榎本さんの事をお義父さんと呼びたいのか、旦那様と呼びたいのかを……」

 

 放課後、事務所に寄って確かめてみよう。もし、もしも気持ちが愛だったら……

 

「二人で分け合うのも良いかもしれないわね?」

 

「駄目、ぜーったい駄目!」

 

 お母さん、それは犬飼の当主さんと同じになっちゃうよ!ニコニコと私を眺めるお母さんの発言に、こっそり溜め息をついた……

 



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通算200話達成記念(レナ編・滝沢さん編)

200話達成リクエスト(レナ・ロッソ編)

 

 レナ・ロッソ、アメリカ国籍の留学生。

 

 早くに両親を亡くした為に兄妹二人、力を合わせて異国の日本で暮らしている。

 生活費を稼ぐ為にキャバクラで働く苦学生だが、実は兄であるクロード・ロッソはモグリの霊能力者で一攫千金を求めて岩泉氏の依頼に単独で挑み、その身を餓鬼へと貶めた。

 彼が餓鬼化するには危険な洞窟の最奥に有る泉に身を浸さなければならない。つまりモグリだが有能な霊能力者だったのだろう。

 理由は分からないが人から餓鬼へと変貌し、最後は胡蝶に魂まで喰われた。

 事件を解決しレナさんに金銭的負担を無くす為に挑んだ筈なのに、何故餓鬼化したかは分からない。

 不老不死の秘密を知って己の欲に負けたのか、餓鬼に襲われて餓鬼化したのかは永遠の謎だ。

 

 結局、彼が存在した証は、このドッグタグだけだ。

 

 これをレナさんに渡して彼が餓鬼に喰われて死んだだろうと虚偽の報告をしなければならない。

 前に渡された名刺には携帯電話の番号だけが記されていた。固定電話を引く余裕が無かったのか必要が無かったのか……

 苦学生であり夜はキャバ嬢の彼女の自由な時間は午後四時過ぎと思い、気が重いが連絡をする事にした。

 亀宮一族から支給された携帯電話ではなく私用の方で……だって履歴とか調べてそうなんだよね、あの一族は油断がならないから。

 

 コール四回目で繋がった。

 

『はい、もしもし?』

 

 少し警戒色の強い固い声だ……

 

「榎本です、今電話大丈夫かな?」

 

『榎本さん?……あっ、榎本さん!レナです、ご無沙汰してます』

 

 ご無沙汰とか今の若い日本人だと中々言わないよね。

 

「うん、レナさんから頼まれていた兄さんの件だけど……」

 

『はい、兄は……兄は見つかりましたか?』

 

 言葉を被せられて必死に質問する彼女に、何て言えば良いのか言葉に詰まる。

 

「兄さんは、クロードさんはね。餓鬼に(なってしまい、胡蝶に)……喰われた。喰い残されたドッグタグだけ持って来たよ」

 

 嘘は言ってない、大事な事を言葉にしなかっただけだ……

 

『そんな……嘘ですよね?兄さんが、餓鬼に食べられてしまったなんて……そんな……兄さん……』

 

 嗚咽が暫く聞こえるが、電話を切らずに待つしか出来ない。1分か3分か分からないが黙って待つ……この後でドッグタグを渡さなければならないから。

 

『すみません、榎本さん。わざわざ兄さんの遺品を持ち帰って来てくれて、本当に有り難う御座います。何とお礼を言って良いのか……』

 

「うん、力に成れずに……ドッグタグは今から届けるよ、何処に届ければ良いかな?お店に届けておこうか?」

 

 せめてもの償いに早くドッグタグを渡してあけよう。

 クロードさんについては、不死の餓鬼として永遠に輪廻転生の輪から弾き飛ばされるよりはマシだと思いたい。いや、胡蝶が魂を食べたから無に還った?

 

『少しお話を聞かせて下さい。良ければ私の家に……』

 

「いえ駄目です。僕みたいな巌ついオッサンが若い女性の家に行くなど、どんな悪い噂が立つか分からないからね。

公園とか図書館とか人の少ない公共施設にしようよ」

 

 独身女性の家に一人で行ったとか亀宮さんに知られたら恐い事になりそうだ、割と本気で……

 

『ふふふ、榎本さんって本当に女性には優しいんですね。初めて会った時も私達に興味なんて無いのに、親分さんの手前楽しそうに対応してくれて……

若頭さんが言ってましたよ。何をされても我慢しろ、でも多分だが何もしないだろうって。本命の女性が大切だからなんですってね?』

 

 軍司さん、やっぱりキャバ嬢に言い含めてたんだな。手を出したら、それをネタに……良かったロリコンで。

 

「いや、そうではないのですが……名古屋港の近くに海釣り公園が有ります。

そこで会いましょう、今から出れるなら一時間後に。着いたら携帯に電話して下さい」

 

 そう言って電話を切る……最後は少しだけ冗談を言って笑ってくれたのが救いだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 良くサスペンスドラマで犯人の密会場所に利用されるのが波止場だ。人目に付き易いが閑散としている場所。平日の夕方なんて人は殆ど居ない。

 しかも高潮防波堤かさ上げ工事中の為に更に人通りは無いので密会には丁度良いだろう。

 一時間後と指定したが、僕は30分前には着いてしまった。公園内のベンチに座り夕方の海を眺める、少しだけ海風が肌寒いかな……

 待つ事10分、レナさんからの連絡が来たので現在地までナビゲートする。

 

 漸く視界に捕らえたので手を振って場所をアピールする。手を振り返して小走りに近付いてくるレナさん。

 

「ハァハァ、お待たせして済みません」

 

 慌てて来たのだろう、身嗜みが少しだけ乱れている。ベンチから立ち上がり頭を下げる。

 

「いえ、急に呼び出してしまってすみません」

 

 そのまま何となく海の方へと歩く……レナさんも後ろから付いてきて最後は二人並んで海に向いて立っていた。

 

「では、これを……」

 

 差し出された彼女の掌にドッグタグを乗せる。

 

「ああ、これは兄さんの……」

 

 その場でしゃがみ込み泣き崩れるレナさん。彼女が泣き止むまで黙って隣に立ち尽くす事しか出来ない。

 5分位だろうか、地平線に太陽が半分位隠れた頃に漸く彼女は立ち上がった。

 

「少しだけ話を聞かせて下さい……」

 

 そう言われたので黙ってベンチを指差す。先に彼女を座らせて近くの自動販売機で飲み物を二人分購入、一本を彼女に手渡す。

 黙って受け取る彼女を見てから漸く隣に座る。選んだ飲み物はジョージアのエメマンだ。

 

「何が知りたいのですか?」

 

 クロードさんの死の原因か事件の内容か……教えられる範囲は全て教えるつもりだ。

 

「兄さんは、本当に死んだのでしょうか?」

 

ドッグタグだけで死んだとは信じられないのだろう。

 

「餓鬼に食い散らかされた痕跡の有る場所に、それは落ちていました。あくまでも痕跡だけでしたから決定的な証拠は有りません。

それは……大量の餓鬼が潜む洞窟の中に落ちてました。

洞窟は単調な一本道の狭い物でしたから見落としは無いでしょう。クロードさんは見付けられませんでした」

 

「その洞窟を教えて下さい。せめて私の手で探したいのです、兄さんの……」

 

 悲痛な声に耳を塞ぎたくなる気持ちを押さえる為に珈琲を一口、妙に苦いな。

 

「洞窟はコンクリートを流し込んで完全に埋めました。洞窟に潜んでいた餓鬼は伊集院一族が全て倒しました。

その後で亀宮一族が洞窟を埋めたのです。30人近い人数で奥まで行きました、僕も最奥まで行きました。クロードさんは居ませんでしたよ」

 

 言い終わった後で残りの珈琲を飲み干す、やはり妙に苦い……

 

「そうですか。既に兄さんの仇は伊集院さん達が討ってくれたのですね。そして、その場所はコンクリートの中……」

 

 最後の場所にも行けず仇討ちは終わっている。気持ちをぶつける場所が無いのだろう。復讐したくても既に解決済みだからな。

 

「伊集院さん達にお礼を言いたいのですが……」

 

「一般人の貴女が会える連中じゃないです。伊集院一族は日本の霊能力関係の御三家の一角。四国と九州を牛耳る一族です。

残りは西日本の加茂宮、東日本の亀宮ですね。今回伊集院一族は当主自らが出向いて来ました。だから余計に会い辛い」

 

 阿狐ちゃんに説明しておかないと駄目かも。遺族のパワーって凄いから、直接お礼に行かれて話の食い違いに気付かれたら大変だ。

 

「そうですか……そんな人達が出向かなければ解決出来ない事件だったんですね。

榎本さん、本当に有り難う御座いました。何かお礼をしたいのですが……」

 

「お礼は要りません。一刻も早くレナさんが元気になってくれれば、それが一番のお礼です。さぁ家まで送りますよ」

 

 臭い、臭過ぎる!

 

 そして凄く恥ずかしい。恥ずかしいので先に立ち上がり海釣り公園の出口へと歩きだす。

 

「榎本さん……少しで良いので胸を貸して下さい」

 

 そう言ってレナさんが抱き付いてきた、そして泣き出した。レナさん、ソコは胸じゃなくて背中ですよ。

 しかも大振りのナイフを仕込んでますから固くないですか?端から見れば立ち去る男に縋って泣く女の図式だな……

 暫く泣いたらスッキリしたのか、少しだけ微笑んでくれたレナさんを自宅まて送り届けて、今回の事件が全て終わったと感じた。

 レナさんが立ち直ってくれるのを願うが、クロードさんの魂を喰った張本人が彼女を支える事は叶わないだろう。

 もう会う事は無いと思うが、彼女の未来が明るい事を祈ろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「御手洗よ、名古屋の夜を堪能しようぜ!亀宮さんにもOK貰ったからさ」

 

 筋肉同盟の連中の慰労を兼ねて夜の繁華街に繰り出す提案をした。

 そしてレナさんの件で少しナーバスになったので、男同士でワイワイと飲みたくなったんだ。

 何故か亀宮さんも快く了承してくれた、実際に亀ちゃんの防御を抜ける奴なんて少ないから大丈夫だと思う。

 

「む、だが亀宮様の警護をだな……」

 

「亀宮様がOKなら良いじゃないですか!」

 

「そうですよ、素直になりましょう!」

 

「偶には羽根を伸ばしましょうって!」

 

「久し振りに飲みましょう!」

 

 配下全員に言われて渋々と言った感じで頷く御手洗を全員で連行する。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一応だが途中コンビニに寄りATMでお金を多めに引き出す。親父さん系列以外の店に行くのは不義理だが、行くと奢りの可能性が高い。

 貸し借りは嫌だが、今回の仕事で親父さんには相当の利益が転がり込む筈だから大丈夫と思う。

 亀宮さん達と夕飯を食べてから別れて、五月(さつき)さんの店に到着。

 既に何人かお客さんは居たが、直ぐに店を閉店にして貸し切りにしてしまった。

 ソファーに座る御手洗達には二人ずつ女性が着いたので、僕は一人でカウンターに座る。

 男同士でワイワイ飲みたかったが、夕食を済ませて来たから居酒屋には行けなかったんだ。

 折角綺麗なキャバ嬢が両隣に座ってくれたなら、彼女達と盛り上がれば良いだろう。

 五月さんが当然の様に相手をしてくれるが、親父さんのコレ(愛人)だから注意が必要だ。

 

「水割り濃い目で、銘柄はお任せします」

 

「あら、榎本さんはビールじゃないんですか?」

 

 少し驚いた様に五月さんが僕を見る。

 

「今夜は少し飲みたい気分なんですよ」

 

 出された水割りを一気飲みして、お代わりを貰う。

 

「まぁ?ペースが速いですわ。はい、お摘みです」

 

 カウンターに生ハムやらフルーツやらが山盛りのお皿が……生ハムを纏めて口に入れて水割りで流し込む。ヤバいね、大分精神的に参ってるのかな?

 

「榎本さん、良くないお酒の飲み方ですわ。何か有りましたの?」

 

 心配そうにグラスに手を置いて押さえながら言われた、濡れた瞳で見詰めながら……流石は親父さんの愛人だけあり接客&男心を掴むテクニックが凄いです。

 

 一瞬だけどクラクラってキたよ!

 

「弔いかな。人の生き死にに関わる仕事だからね、やり切れない事も多いんだ。五月さん、悪いけど僕は先に帰るよ。此処は少し賑やかだ……」

 

 甲高い女性の声を聞くと落ち着かない、心がざわめくんだ。御手洗達には悪いが、独りになりたかったのかな……

 

「榎本さんが弱気になるなんて珍しいですわね。今、タクシーを呼びますわ。あの方達の事はお任せ下さい、存分に楽しんで貰いますから」

 

 嫌な顔せずに対応してくれるのが嬉しい。その後はタクシーが来るまで五月さんが相手をしてくれたが、特に会話は無かった。

 ただ水割りを用意してくれるだけ、そっとしてくれたのが嬉しい。

 

「榎本さん、タクシーが来ましたわ」

 

「有り難う、これで支払いを頼みます。御手洗達には存分に飲ませてやって下さい」

 

 ATMからおろした30万円を封筒ごとカウンターに置いて店を出た。五月さんが何やら断っていたが気持ちの問題だから……

 

 店の外は妙に肌寒かった。

 

 

200話達成リクエスト(滝沢さん編)

 

 タクシーに乗り込み、さて行き先をどうするかを悩んだ。

 

「運転手さん、市内の……」

 

 もう外で飲む気分では無くなったのでマンションで家飲みする事にする。御手洗達が外で飲んでるから男部屋は誰も居ない。

 買い置きの酒は全く無いから途中でコンビニに寄ってもらいビールのロング缶を六本ほど購入した、ツマミは要らない酒だけで良い。

 マンションに到着し精算して時計を見れば未だ21時19分、領収書を貰ってしまうのは個人経営者の癖だろう。

 

 税務署と戦う武器の一つは領収書だ!

 

 必要経費と認められれば納税額が変わるから、取り敢えず何でも領収書は貰う癖が付いてしまった。

 部屋に戻る為にエレベーターに乗り込み三階で降りると、何故か廊下に滝沢さんが立ったいた。

 薄暗い廊下に直立不動で居られると不気味だが、本人には言わない。

 

「ただいま……って廊下に居るのは何か用事かい?」

 

 普段の黒の上下スーツじゃなくて白のワイシャツにベージュスラックスと初めて見る私服?

 背中にトンファーを隠しているから護衛なんだろう。普段は夜に部屋に打合せに行っても黒の上下スーツだから新鮮だ。

 

「ん、ああ警備だ。幾ら亀様が居るとは言え、護衛の仕事を疎かには出来ないからな。

榎本さんが早く帰って来たのは……気付いたのか?」

 

 さぞマンションの住人は三階を敬遠してるだろうな、常に廊下に護衛が居るなんて。まぁ、その辺は亀宮本家が上手くやってるんだろうけど。

 

「気付く?何を?何となく静かに飲みたかったんだ。いや、最初は男同士でワイワイ飲みたかったんだけどさ……まぁ色々有ってね、先に帰って来ちゃったよ」

 

 コンビニ袋を胸の高さまで上げてビールを見せる。メンタルな部分が思ったより酷いダメージを受けてるのかも知れないな。

 廊下で立ち話も何なんだが、女性に夜間警備を任せっぱなしも嫌だよね。

 何となく廊下の手摺りの上に組んだ腕を乗せて夜の街を眺めると、未だ殆どの家から灯りが零れている。

 

「今回は仲間に犠牲者は出なかったのに、何を気に病んでるのだ?

殆ど理想的な仕事の進め具合と終わり方だろ、一族の他の連中と仕事した時より断然今回の方が良いぞ。榎本さんは、それだけ有能なんだな」

 

 そう言って微笑んでくれた彼女は純粋に褒めてくれたのだろう。隣に並んで同じ様に街を見てくれる滝沢さんに缶ビールを一本渡し自分の分を開けて飲む。

 

「だから私は護衛中なんだが……」

 

 500mlを一気飲みして空缶をクシャクシャに握り潰す……胡蝶と交じり合い霊力を肉体強化に使える様になった為に、ピンポンボールよりも小さく丸められる。

 

「うん、僕等は誰も傷付いていない……確かに難易度の高い仕事を僅か一週間程度で終わらせられた。

報酬も高額だし信頼出来る仲間も得られた。順調だ、何も問題は無い……」

 

 二本目の缶ビールを取出し半分ほど一気に飲む。喉が焼け付ける様な炭酸の刺激が普段よりも嬉しく感じない。

 

「順調なのに悩んでいるのは?榎本さんの気に病む原因は何なんだ?」

 

「それが分からない。いや、本当は分かってるんだ。人の死の責任の重さ、すり減る良心、普通で無くなる自分自身。

理性では納得しているのに感情が、いや心かな?納得出来ないんだよ、だからモヤモヤが治まらない」

 

 残り半分のビールを飲み干し空缶を同じ様にクシャクシャに丸めて手摺りの上に置く、二個目だ。

 

「人の死の重さとは、今回の犠牲者の事ですか?流石は僧侶、今は在家僧侶でしたか。

立派な志ですが、全て自身の所為だと考えるのは良くない事です。人間は万能じゃない。

我々からすれば亀宮様も榎本さんも万能に近い力を持ってるけど……力を持つ者の苦悩かもしれないけど……

それは傲慢な考え方です。いえ、すみません説教みたいに……」

 

 傲慢、傲慢な考え方か……端から見れば僕の悩みは傲慢か……だが本当は人間を殺して胡蝶に魂を喰わせても痛む心が無い事が痛いんだ。

 加茂宮の三人、桜井さん、クロードさんに名も知らぬ餓鬼化した連中の魂を無に還しても痛む良心が無い。

 

「傲慢か……確かにそうだね、人は身の丈に合った事をしないと駄目だね。有り難う、少し気が晴れたよ」

 

 彼女の労りが少し嬉しくて真実を言えない事が、もっと苦しくて……

 

「嘘だな、すまない。余計に辛くしてしまったみたいだ。私って奴は、本当に脳筋だから人の心の機微が分からないんだ」

 

 彼女に辛そうな顔をさせた事を更に辛く感じる。

 御手洗達と同じ様に霊力も無く女で有る事で、彼女は亀宮一族の中でどんなに辛く不利だったのだろうか?

 どんなに弱い立場だったのだろうか?筋肉ムキムキなオッサンばかりの職場は辛く厳しいだろうに……

 

「いや、滝沢さんは心の機微に鋭いよ。確かに僕は、僕にはね……他人に言えない心の闇が有るんだ。

それの折り合いを付ける為に酒の力を借りている。君が思う程、僕は万能じゃない」

 

 そう言って三本目の缶ビールを取り出す。

 

「飲み過ぎだぞ。でも少しだけ嬉しくも有るな。榎本さんみたいな何でも出来る人が弱みを見せてくれるのは……

何だろうか、少しだけ優越感?いや違うな、信頼されてるって感じるのかな?」

 

 今気付いたが彼女はサングラスをしていない。横目で此方を見て微笑んでくれる目元の泣き黒子が凄く彼女を魅力的に見せてくれる。

 僕がロリコンじゃなければ惚れたかも知れない。前にも感じたが、嫁にするなら滝沢さんみたいな娘が良いのだろう。

 夫の悩みを軽くしてくれる妻は理想的だからね。もう滝沢さんを残念美人とは言えないな。

 何だろうか、急に心のモヤモヤが晴れた気がする。人の枠から逸脱した僕を受け入れてくれる人が居るのが嬉しいんだ。

 

 何だ、良心の呵責とかじゃ全然無かったんだな。

 

 僕は何処までも自己中心的な悪人なんだろうか?

 

「くっくっく、そうか僕って奴は……滝沢さんに言われて自覚出来るとは、全く救いが無い駄目な男だな。

滝沢さん、ありがとう。今度は本当に心が楽になったよ」

 

 自然と笑いが込み上げてくるが悪くない気分だ、いや寧ろ爽快だね!

 

「良く分からないが、榎本さん結局自己完結しただろ?それで礼を言われても複雑だな……」

 

 少しだけ拗ねた感じたが、それはそれで見ていて楽しい仕草だ。

 

「ありがとう、おやすみ」

 

 今夜は良い夢が見られそうだな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ありがとう、おやすみか……榎本さんは自分の中に闇が有ると言った。

それで苦しむのは良心の呵責じゃないのか?割り切られるより余程信用出来るな」

 

 何かを理由に割り切る事も決して悪い事じゃない。仕方ないじゃないか、どうしようもないんだ。

 だけど何かを理由に自分の悪業を正当化するのは気に入らない。

 

「榎本さんは……私達に言えない程の闇を心に抱えている。多分だけど現行法に照らし合わせると罪なんだな。

だから心が病むんだ。

心が病む?亀宮様も病み始めたが、アレはヤンデレ。基本的に依存が進み過ぎて榎本さん以外を必要としなくなっている。

病的な迄の独占欲と言うのだろうか?」

 

 貰った缶ビールは既に温くなってしまったが、プルタブを開けて一口飲む。

 

「ふむ、梅酒の方が美味いが苦味と喉越しはビールだな。

さて、亀宮一族に属する私としては亀宮様の恋の成就の手伝いをしなければ駄目なんだろうな……榎本さん、私を恨むだろうか?」

 

 女性に対して妙に潔癖な所が有るから、既に恋人が居るのに他の女性とくっ付け様とする連中は嫌いだろうな。

 もう一口ビールを飲む。妙に苦い、これも私の心が負い目を感じるからか?我慢してロング缶一本分のビールを飲み干す。

 無理して500mlも飲んだ為か急に眠くなって来た。駄目だ、少しだけ休もう。

 部屋に入るとソファーに亀宮様が座って何やら携帯電話で話をしている。多分だが御手洗達に付けた諜報からの連絡だろう。

 亀宮様は大人の夜遊びを榎本さんがするだろうと心配したので、佐和が手配した連中だ。

 

「そうですか……榎本さんは直ぐに店を出て帰宅したのですね。

廊下で滝沢さんと少し会話を……ええ大丈夫ですわ、本人が目の前に居ますから聞いてみますわ」

 

 ゴクリと唾液を飲み込む……榎本さん、貴方は心に闇を抱えて病んでいると告白してくれました。

 でも目の前に、もっと凄い病みを……ヤンを発病した主が居ます。

 貴方の事が異性として良いなって思い始めてましたが、忠誠心(保身)に走らせて頂きます。

 

 さようなら、私の初恋。

 

 こんにちは、私の病んだ主様。

 

 疑う様な視線を送る亀宮様に、何故?と言う様な表情を張り付ける。指先が少しだけ震えるけど鍛えた肉体は無様な仕草を力ずくで押さえ込める。

 

「はい、榎本さんなら先程戻られました。どうやら亀宮様が放った監視には気付いてなさそうです。

少しだけ話をして探りましたが、単に独りで飲みたくなり帰って来たそうです」

 

 淡々とした口調で報告するのが正解だ、感情を面にだしては駄目。

 

「独りでですか?男同士でワイワイ飲みたかったと言ってましたよ。まさか御手洗が悪さを?」

 

 駄目だ、このヤンデレ様は榎本さんが全て正しくなっている。依存性って怖い、しかも全てを頼り切るだけしか出来ない訳じゃない同等の力の有る亀宮様がこの有様だ。

 今の亀宮様なら一族の全てを敵に回しても榎本さんを取るだろう。

 

「多分ですが、榎本さんは疲れ切ってます。心の休まりを求めて男だけの馬鹿騒ぎをしたかったのですが、やはり独りでゆっくり考えたかったそうです。

少しだけ廊下で話しましたが、早いピッチでビールを飲んでましたから。今夜は独りにさせて休ませて、明日の朝にでも亀宮様が優しく接してあげるのが宜しいかと」

 

 亀宮様は私の提案を少しだけ考えた後、微笑みながら頷いた。どうやら私の秘めた思いは誤魔化せたようだ。

 全く初恋が実らず裏切り行為まで働いてしまうとは私も最低だな。

 だが今の状態の榎本さんの所に病んでる亀宮様を突撃させるのは、双方にとって良くない。

 最悪は榎本さんが亀宮様を煩わしく思ってしまうかも知れない。だから防げただけでも良かったと思いたい。

 

「榎本さん、せめて今夜だけはゆっくりと休んで下さい……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 滝沢さんと別れて誰も居ない男部屋に入る。人の温もりが無い冷たい部屋だ。

 

「お帰り、正明。何にする?飯か?酒か?風呂か?それとも我にするか?」

 

 巫女服バージョンの胡蝶が、玄関で三つ指ついて危険な台詞を言ってくれた。だが折角ボケてくれたから応えねばなるまい。

 

「じゃお酒で!」

 

 立ち上がる胡蝶を右手で抱き上げて応接間に運びソファーに座る。電気は点けず彼女を膝の上に乗せてビールを開ける。

 胡蝶も飲みたそうだったから彼女にも渡す、残りは一本だ。

 

「ん、ビールは余り好きではないが仕方ないな。それで、気持ちの整理はついたのか?」

 

 気持ちの整理か……

 

「ああ、ついたよ。こんな化け物みたいな僕を信じている人が居る。それだけで、それだけで僕は救われる。

なぁ、胡蝶?

僕等はどれ位混じり合ってるんだ?既に筋肉強化は五割り増しだぞ、右握力が80㎏から120㎏に増えてる。

掠り傷なら直ぐに治る。視力も両目共に裸眼で3.0だ。筋肉達磨が100mを10秒切れる早さで走れる。もう普通じゃないよな」

 

 既にオリンピック強化選手並みの運動能力だ。伊集院一族とは違い人間の肉体的スペックは上回れないが、僕を人間の枠に納めるのは無理だ!

 

「それだけじゃないぞ!精力も強化した、持久力も回復力も大きさも量もだ。

既に正明は我と魂のレベルで混じり合っている。もう八割以上だな」

 

 そんな種馬みたいな強化は嬉しいが嬉しくない。余りに大きいのは女性には不評だし、持久力は遅漏と読み替えられる。

 

「確かに男の浪漫だが、女性から見ればマイナス評価だろ?」

 

「む、そうなのか?すまん、良かれと思ったのだが元に戻しておくから安心しろ」

 

 本当に頼みますよ、胡蝶さん!まぁ馬鹿話で笑える位に精神が安定したけどね。

 

 



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幕間第13話から第15話

幕間13

 

 ラブホテルの怪異を解決し、親父さんに世話になる事になって三日目。

 

 僕は事務所の方々と顔合わせをさせられ、また必要な物を用意して貰った。

 宗吾さんの寺にも帰れないので商売道具の清めの塩や、御札を作成する為の愛染明王を祭る祭壇と「箱」を祭る為の真言宗の祭壇。

 この二つを用意して貰うのに三日しか掛からなかった、単純に凄いと思う。

 仏教における祭壇とは家庭用の仏壇や仮設の葬儀用の祭壇と違い常設だから須弥壇と言う。

 本尊たる仏像を祭る為のものだから、ちゃんと愛染明王の仏像まで用意されているのが凄い。

 愛染明王は一面六臂で忿怒相をしていて頭には苦難にも挫折しない強さの象徴である獅子の冠を被っていて、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座る特徴ある姿をしている。

 まさに用意された仏像は高級品の類だろう、下世話な話だが60cmクラスの仏像なら200万円以上はするんだ。

 愛染明王の祭壇は親父さんの屋敷の一角の倉を改造してくれて、「箱」の祭壇は僕用の私室に設置して貰った。

 此方はこぢんまりとした造りだが、こっちは仏壇だな。

 大日如来様を中心に左右に不動明王・弘法大師の仏像が鎮座されている。つまり僕はガッチリとヤクザの親分の本宅に部屋を用意された訳だ。

 

 これは親父さんの霊的防御も期待されての事だと思う。

 お抱えの霊能力者の何人かが、あのラブホテルで兄貴の霊に殺された為に、僕はお抱え霊能力者筆頭みたいになっている。

 勿論「箱」と言う秘密を抱えている僕は彼等とは一線を引いた。

 それを親父さん達は格下を相手にしない孤高の霊能力者と僕を持ち上げて、霊能力者達は傲慢で生意気でいけ好かない嫌な奴と思ったみたいだ。

 彼等とは近付きたく無いので丁度良いのだが、あの嫉妬と嫌悪の含まれた目で見られるのは嫌だな。

 

 因みに生き残りのお抱え霊能力者は三人。密教系の中年のオバサンに坊主崩れのオッサンに、神道系の同世代の兄ちゃんが居る。

 「箱」の査定ではカスだそうだ、喰う価値も無いとか何とか……つまり実力は僕と対して変わらないって事だ。

 親父さんが僕に頼んだ最初の物件は、古びたマンションの怪奇現象を何とかする事だ。

 これは地上げと言うか立ち退き料を釣り上げる為にマンションに居座っている連中が、心霊現象に怯えて逃げ出してしまうそうだ。

 流石に部屋に居なければ立ち退き料とか言ってられない。既に四人の下っ端構成員が逃げ出して軍司さんに肉体言語で指導されたそうだ。

 リンチされるのを覚悟で逃げ出すんだから、心霊現象は本物だ。取り敢えず昼間に件のマンションへと案内(連行)された。

 

 残りのお抱え霊能力者全員と一緒にだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 それは名古屋市郊外の閑静な住宅街の一角に建っていた。

 古いコンクリート造の五階建てのマンション、各階に五部屋で二十五世帯だが現在住んでいるのは居座り組の三世帯だけだ。

 外壁には蔦が絡まり罅だらけ、空き部屋が多いから一見すると廃墟みたいだな。

 だって破れた障子とかが、そのままになってるし花壇は雑草が元気に生えている。

 建物は人が住んで手入れをしないと荒むらしいが、その通りだね。

 

「先生方には五階の角部屋、三階の真ん中、一階の管理人室の隣の部屋のどれかに夜間だけ居て貰いますぜ。

昼は組の若い衆に居させるが、夜は大の大人が怖いって泣き叫ぶんだ。全く嘆かわしいぜ」

 

 物理攻撃の通じない相手は怖いだろう、僕だって怖い。緊急時に逃げ出すなら窓から外に出られる一階の……

 

「私、一階の部屋にするわ」

 

 ケバい化粧にヒョウ柄のワンピース、如何にも大阪辺りに居そうなオバサンだ。

 

「俺達は二人で三階にするぜ」

 

 アンタ等勝手に何を早い者勝ちみたいに言ってんだよ!しかも男二人でって、なに協力し合ってるの?

 

「……五階で」

 

 だが此処で騒いでも心証が悪化するだけだ。しかし何か有った場合、一番逃げ出し難い最上階か。

 だけどゴーストハウスの場合、建物内部しか影響を及ぼさないので屋上とかなら無事な場合も有る。ポジティブに考えよう。

 

「流石は榎本先生だ、剛毅(ごうき)だぜ。他の先生方も見習ってくれよな、一番先に逃げやすい部屋を選ぶとかよ。

プロなんだろ、ああ?じゃ夕方五時に送りますから準備を宜しくお願いしますぜ。榎本先生にゃヤスとマサを付けますんで、何でも言って下さい」

 

 そう言って軍司さんは黒塗りベンツに乗って行ってしまった。僕等はそれを見送るが、プロらしくないと言われた連中の顔は歪んでいる。

 誰だって好きでヤクザのお抱え霊能力者なんてやって無いよね。

 

「先生、何処へ行くっすか?」

 

 ヤス?マサ?どっちだ?前歯の無い如何にも若い時にシンナー吸ってました的な兄ちゃんから先生と呼ばれると、チンピラの用心棒みたいで嫌だな……

 

「うん、今の内にマンション一周しとこうよ。前の仕事で思ったけど逃げ道確保って大事でさ。危うく老婆の霊に殺されそうになったんだよ」

 

 古い民家の除霊だったが、最初は霊を祓えなくて窓から逃げ出したんだ。

 

「老婆っすか?このマンションに出る幽霊は若い女と子供らしいっす!」

 

 若い女と子供か……やり辛いなって、他の霊能力者達はさっさと帰っちゃったよ。

 

「今部屋に居る連中からも話を聞きたいけど大丈夫かな?」

 

 先ずは情報を集めないと前回の西崎さんみたいに騙されるかも知れない。情報の大切さが何となく分かってきた様な……

 

「へい、軍司さんより榎本先生には出来るだけの協力をしろって言われてるから平気っす!」

 

 片方は良く喋り片方は無口だな、でも語尾に「っす!」って方言かな?

 

「えっと、何故携帯電話を?」

 

 マンションに入ろうとしたら携帯電話で話し始めたが、軍司さんに報告かな?許可を取らないと駄目だとか?

 

「もしもし、今正面玄関前に居るっす。降りてきて話を聞かせて欲しいって榎本先生が言ってるっす」

 

 あれ?許可を取るんじゃないんだ?部屋には行かずに呼び出すの?だって現場確認って文字通り現場に行って確認するんだよ。

 

「何故に部屋に行かないの?」

 

「嫌っす、ヤバいっす、無理っす」

 

 無口君も頷いてるから、本当に中に入るのが嫌なんだな。直ぐにチンピラ風な若い男達が五人、マンションから小走りに出て来た。

 そんなに慌てなくても良いのだが、マンションに居たくないのか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 マサかヤスの運転するシーマの後部座席に座って先程のチンピラ兄ちゃんの話を反芻(はんすう)する。

 

 共通してヤバいのがエレベーターだ。

 

 このマンション、古いのにエレベーターに監視カメラが設置してあり、各階のエレベーターホールのモニターでカゴ内を確認出来る。

 エレベーターを待っている時に誰が乗っているかが確認出来るんだ。これは住人からの苦情で後付けしたらしい。

 深夜に不審者がエレベーターに乗っていて、後から乗り込む住人が痴漢や盗難の被害に、そして強盗殺人事件が有ったそうだ。

 

 被害者は若い女性……

 

 だから中を外部から確認出来る様に監視カメラを設置した。その監視カメラに霊が写るらしい。

 エレベーターホールのモニターには人影が写ってるのに、エレベーターのドアが開くと誰も居ない。

 大抵が女性一人だが、たまに数人の老若男女の霊が写るらしい。他にもエレベーターに纏わる話が有る。

 このエレベーターは扉に縦長のガラス窓が付いている、監視カメラを利用しなくても内外から見える様に。

 そして監視カメラで異常無しと確認して乗り込むと見えるらしい。

 

 通過する階の廊下に佇む女性の霊が!

 

 そして段々と近付いてくるそうだ。後は廊下を徘徊する霊の目撃が多い。

 玄関から出入りする時に視界の隅に怪しい人影が見えるとか、玄関扉に付いているスコープから外を覗くと居るらしい。

 

 共通してヤバいのが廊下も同じだ。

 

 つまり部屋の中は安全かと思えば違う。何人かは部屋の中まで入られてしまい、慌てて逃げ出したそうだ。

 今日話した連中は全員何かしらの霊を目撃してる。テレビ番組に投稿したら凄い映像が撮れるかもね……

 

「んー、つまりマンションの何処に居ても幽霊は現れるのか。しかも死傷者も行方不明者も居るんだ。最悪の心霊マンションだな……」

 

 聞き込みの結果は僕が有利になる材料なんて一つも無いときた!

 

「そうなんすよ。非合法の人材派遣会社に借金で首が回らない連中を寄越して貰ってるっすが、噂が広まって集まらないっす。

最近は末端構成員がやらされるんっすけど、逃げ出す奴が多いっす。軍司さんの拷問を受けた方が良いって話っす」

 

 ヤクザの拷問より怖いってか?でも訳の分からない連中は確かに怖いだろう。

 刃物や銃も効かず触る事も出来ず一方的に害されるだけだからね。

 取り敢えず部屋に戻って商売道具を用意して、食料や飲み物を買ってからマンションに行くか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 500mlのペットボトル三本に詰めた清めた塩、愛染明王の御札が五枚、懐中電灯と数珠が対霊装備の全てだ。

 後はコンビニで買ってきたオニギリにカップ麺、コーラにポテチに柿の種。漫画雑誌三冊で朝まで乗り切るしかない。

 あと普通の塩も2㎏程買った、これは盛り塩用だ。

 

「しかし立ち退きを迫られるだけあり古い部屋だな……」

 

 今晩過ごす部屋を眺めるが、イメージは昭和の集合住宅だ。玄関の脇は直ぐに台所で奥に六畳が二部屋、壁は漆喰塗りで照明は剥き出しの蛍光灯。

 風呂はユニットバスじゃなくてタイル張りで内釜式の湯沸し器、トイレも和便器。昼間住んでる連中のゴミが無造作に袋に詰められて山積み、だから室内が臭い。

 14インチの古いテレビと卓袱台に座布団、辛うじてエアコンは使える。

 

 台所の冷蔵庫を開ければ……

 

「ビールと缶酎ハイだけかよ。先ずは守りを固めるかな」

 

 部屋の四隅に紙皿に盛った塩を配置。玄関扉とベランダの窓の内側に御札をセロテープで貼り付ける。

 これで霊達は部屋の中には入り辛いだろう。今回の目的は夜の間だけ部屋に居座れば良いんだっけ?除霊しなきゃ駄目なんだっけ?

 依頼内容が曖昧だが、奴等は宗吾さんの仇だから全部祓らう!

 取り敢えず卓袱台の上に買ってきた物を並べてテレビを見ながら時間潰しだ。

 時計を見れば六時前だから、深夜近くにならなければ奴等は現れないだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「全く嫌な若造だわ」

 

 自分が選んだ一番逃げやすいと思う一階の部屋に入る。この部屋の昼間の住人は比較的綺麗好きなのかゴミの類は無い。

 前に入った部屋はゴミだらけだったから。台所のテーブルに持参した食料を並べて冷蔵庫に飲み物を入れる。

 念の為に部屋の全ての電気を点けて鍵を閉める。椅子に座って今夜の事を考えるが、何か異常が有ったら外に逃げ出すしかない。

 

 霊を祓らう?馬鹿な!

 

 嫌なガキだが、お抱え霊能力者最強の黒松が殺された怨霊を祓ったんだ。折角力有る奴が居るのだから、押し付ければ良いのよ。

 ペットボトルのお茶を飲みながらテレビを見る。

 窓の外は既に真っ暗で明るい室内を鏡の様に移し込んで、椅子に座る私と後ろに立つ白い服の女を……女?後ろに立つ?

 

「だっ、誰よ?」

 

 慌てて振り向いても誰も居ない!だがしかし窓を見れば白い服の女が立っていて、此方に手を伸ばしている。

 

 椅子から転げ落ちる様に逃げて窓の方へ……

 

「ひっ?誰よ、何よアンタ等は?」

 

 逃げ出す場所と決めていたベランダの窓の外には、下を向いて立っている不気味な子供が!

 

 駄目だ、窓からは逃げられないよ。玄関、玄関から外へ……腰が抜けて這う様に玄関に向かい何とか廊下へ出れた。

 

「やった!外へ、外へ出れば助かるわ」

 

 廊下を出口に向けて這う、全然腰から下に力が入らない。

 何かの気配を感じて後ろを振り向けば今出てきた玄関の前に白い服の女が立って此方に手を伸ばして居る、良く見れば髪はボサボサで伸ばした手の指は爪が剥げたり有り得ない方向に曲がっている。

 

「ひぃ、寄らないで来ないで、お願いだから殺さないで……」

 

 何とか出入口迄這ってきた所で、エレベーターが到着し電子音と共に扉が開く。良かった、人が乗ってる。

 くたびれたサラリーマン風の男にOL風の女性、何処にでも居そうなオバサンと手を繋いでいるランドセルを背負った女の子。

 

 良かった、普通の人が居た、助かった。

 

 ランドセル?女の子?このマンションに子供は居ない筈よ、一般人は全て引っ越したんだから……

 ハッとして壁に設置されたモニターを見るが画面に映るカゴの中は無人。駄目だ、普通に見えるけど彼等は幽霊だ。

 

「乗るの?乗らないの?」

 

 普通に声を掛けられた、モニターさえ見なければ生きている人間と思っただろう。でも乗りたくない、逃げたい、このマンションから逃げ出したい。

 

 外へ、そうよマンションの外へ……

 

 出入口に目を向けて絶望した。ベランダの外に立っていた子供が三人に増えて並んで立っている。

 俯いて表情は見えないが肌の色がドス黒い死人の様な色。後ろを振り向けば片足を引き摺りながら白い服の女が近付いて来る。

 後ろから白い服の女、外には不気味な子供達、エレベーターの中には幽霊。

 

 駄目、もう気が狂いそうよ!

 

「乗るの?乗らないの?」

 

 もう一度問いかけられた、少しイラついた声が余計に生きている人間みたいに錯覚させる。

 

「のっ、乗ります」

 

 見た目が普通のエレベーターの霊が一番マシだわ!エレベーターに乗り込んで「閉」のボタンを連打する、兎に角他の階に3階に行って仲間と合流しないと……

 

「下に参ります」

 

 え?下?ここは1階の筈でしょ?慌ててカゴの外へ出ようとしたが、無常にもエレベーターの扉が閉まってしまった。

 

 そして何故か1階なのに下に降りる感覚が……

 

 

幕間14

 

「おい、何か悲鳴が聞こえなかったか?」

 

「ん、お前も聞こえたか?守山のババァの声みたいだったぜ」

 

 中年女性特有の甲高い声が聞こえた、しかし何を言ってるかは分からない。酒を飲まずには居られない幽霊マンションでの夜間待機。

 俺達は修行中であり、未だ師匠と一緒にしか除霊した事が無い半人前だ。

 新しく来た霊能力者は俺達との交流を拒んだ、つまり一人でヤルから邪魔なんだって事かよ!

 あのラブホの悪霊を祓った奴だから俺達なんて必要無い訳だ。

 

「どうする?」

 

 弟子仲間の森が聞いてくる、今回の相手は完全に俺達じゃ勝てない。本当なら新参者だが強い力を持つ奴を利用しようとしたが、キッパリ拒絶された。

 利用しようとしたのがバレたのか?

 

「どうするって?まさか助けに行こうってか?止めとけよ、あの兄ちゃんが何とかするだろ?」

 

 この商売はお人好しじゃ勤まらない、ましてや俺達は黒松さんの弟子だったんだ。師匠を殺した怨霊に勝てた奴だから何とか取り入りたい。

 俺達じゃ、この怪奇現象をどうこう出来る訳がない!

 

「でも矢内さん、守山さんも一応は仲間だろ?」

 

 仲間ね、全く甘い事で……でも仕方ないか。コイツは偽善的な所が鼻に付くんだよな、弱いくせによ。

 

「じゃお前が外の様子を伺えよ」

 

 そう言うと森は嫌々と言う感じで、玄関に向かって扉の内側からスコープで外を見る。

 

「大丈夫だ、何も居ないよ……開けるぞ」

 

 ガチャガチャと妙に響く金属音が聞こえた。鍵を開けてドアチェーンを外す。首だけ出した奴が直ぐに首を引っ込めて鍵を掛け直したぞ。

 

「何か居たのか?」

 

 振り向いた森は恐怖の為か顔が真っ青だ。

 

「居た、女の子が三人だ……廊下にしゃがみ込んで何かを書いている、落書きかな?でも裸足で肌の色も変だった」

 

 まるで外に居る奴にバレない様に聞こえない様にと小さな声だ。

 

「俺も確認するぞ」

 

 音を立てない様に慎重に鍵を開けて外を伺う。居た、確かに廊下にしゃがみ込んで何かを書いている。

 だが生者の姿とは掛け離れている。そっと扉を閉めて忍び足で台所まで戻り椅子に座る。大丈夫、奴等は部屋には入らない筈だ。

 念の為、数珠を両手で祈る様に握り締める。

 

「なぁ、あの新参者だけどさ、本当に頼りになるのかな?」

 

「知らないな、直接除霊現場を見た訳じゃないからな。だが若頭が気に入ってるんだ、有能なんだろ」

 

 俺達より年下の癖に下っ端を二人も世話に付ける位だからな。畜生、納得出来ないぜ。

 小声で文句を言い合っていたら少しは気が紛れた。気が付けば時刻は22時を過ぎている、本番はコレからだな。

 

「何とか今夜を生き延びるぞ」

 

「ああ、とり殺されるのはゴメンだ。だがヤクザにリンチも嫌だよな」

 

 俺達には選択の余地は無いが、何とか生き延びたい。そして今回生き延びれば、この業界から足を洗おう。

 田舎に帰って実家の魚屋を継ぐ決心をした。人間は己の能力を弁えないと駄目だ!命の危険に曝されて漸く当たり前の事を学んだぜ。

 

「森よ、俺は今回の件が解決したら田舎に帰って実家の魚屋を継ぐよ」

 

「矢内さん……」

 

 俺の事を心配してくれるんだな、少しだが嬉しいぜ。

 

「心配すんなって、お前も足を洗って……」

 

「ふざけるな馬鹿野郎!そんな死亡フラグみてぇな事を言いやがって!死ぬなら一人で死にやがれ」

 

「何だと?やるのかゴラァ?って、今玄関の呼び鈴が鳴らなかったか?」

 

 ヤバい、大声で叫んだ所為で奴等に気付かれたのか?呼び鈴は鳴り止まない、そして鍵を掛けた筈の玄関ドアが軋みながら開いた。

 

「おぃ、誰か来たぞ?」

 

「誰だよ、鍵掛けてただろ?合鍵持ってる奴かな?」

 

 恐る恐る玄関に向かうと、セーラー服を着た可愛らしい女の子が立っていた。

 

「お兄さん達、私と遊ぶ?」

 

 彼女は魅力的に微笑んだが、何故か冷や汗が止まらない……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「22時を過ぎたか……暇だな、だが外に出るのはマズい気がする」

 

 テレビ番組はバラエティーばかりで飽きてしまった。雑誌も読んだ、する事が無い。

 

「だが仇を討つなら穴熊みたいに籠もっても駄目だ!ヨシ、問題のエレベーターを見てみるか……」

 

 部屋を出て廊下の様子を伺う。手入れをしてないからか、廊下を照らす照明の幾つかは球切れみたいだ。

 薄暗い廊下、他の部屋から漏れる灯りも無い。薄暗い廊下を歩きエレベーターホールに向かう。

 表示を見れば一階に止まっておりモニターには無人のカゴ内が映っている。

 呼び出しボタンを押すとエレベーターが一階から上がった来るが特に異常は無い。

 念の為、ポケットから清めた塩を入れたペットボトルを取り出し蓋を開ける。

 エレベーターが五階に到着し扉が開く。中には誰も居ないしモニター荷物誰も映らない。

 

「誰も居ないし写らないな」

 

 中に乗り込み一階のボタンを押す。扉が閉まりカゴが下降する。

 噂では扉に付いた窓から廊下が見えて誰かが見えると……不意に内部のインジケータ、階数ボタンの三階と二階に明かりが点いた?

 

 誰かが呼んだのか?

 

「違う!外から呼ばれたらカゴの中の階数表示ボタンに明かりは点かない。中に、カゴの中に居るんだ!」

 

 手に持つペットボトルを振り回し清めた塩をブチ撒ける!三階に付いたので扉が、ゆっくりと開くが体当たりをする様にして外に転げ出る。

 前方宙返りみたいに転げ出てからエレベーターの中を確認するが、誰も……いやモニターには中で悶え苦しむ女が映っている。

 

「畜生、成仏しやがれ!」

 

 更に清めた塩を撒くと女は消えてしまった。

 今思い出すと髪の長い白い服を着た女だったが、何故毎回同じ格好なんだろう幽霊って?

 

「はははは、やった!先ずは一体倒したぞ。でもエレベーターは怖いから階段を使うか」

 

 このままエレベーターに乗るのは怖いから、非常階段を使って部屋に戻るか……

 何故なら昼間聞いた話だとエレベーターに現れる霊は複数だったから、未だ他にも居る筈だ。

 ちょっぴり無茶をしてしまった、本当に考え無しだな僕は……ヨロヨロと非常階段の扉を開けて中に入る。

 油を差していない為か鉄製の扉は重く金属の擦れる嫌な音がする。

 それに何かが腐った様な不快な臭いだ……階段室は真っ暗だ、壁を探り電気のスイッチを探すと固い物が手に触れた。

 スイッチには二つのボタンが有ったので両方押す。すると階段室が少しだけ明るくなったが、未だ薄暗い。

 此処は三階、階段は上下に伸びているが明かりが点いてるのはこの階だけ。

 

 妙に胸騒ぎと言うか霊感が危険を知らせてる、要は怖いんだ。

 

「うっ……出来れば一階に降りて帰りたいが、それは出来ないな。部屋に戻るか……」

 

 非常階段はモルタルが剥き出しだから歩くと音が響く。僕はスニーカーだからキュッキュッと僅かにゴム底の擦れる音がする。

 そう、僕しか居ないのだからゴムの音しかしない筈だ!

 聞こえる音はキュッキュッだが、それに合わせてヒタヒタと裸足で歩く様な音が何故か複数……下から聞こえる?

 

 思わず立ち止まり後ろを振り向く。今入ってきた三階には誰も居ない。

 視線をその下の二階へと向けると、暗がりにナニかが居る……

 

「子供か?子供だな?子供だよな?」

 

 薄暗い踊り場に座り込む子供が三人、この子達も白い服だ。

 

「白い服が幽霊界の流行なのか?」

 

 黙って見詰めていると向こうも気付いたみたいだ。顔を上げて僕を……

 

「お兄ちゃん、一緒に遊ぼ?」

 

「私達と一緒に遊ぼ?」

 

「一緒に遊ぼうよ?」

 

 可愛らしいお誘いだが、僕に向けた顔には眼球が無く穴だけしか無かった。

 

「嫌だ、一緒には遊ばない!向こうに行けよ」

 

 手に持つペットボトルを振り回し、清めた塩を撒き散らかす。清めた塩が無くなったら空のペットボトルを投げ付ける!

 女の子達も消えてしまったが、逃げたのか祓えたのかは分からない。

 

「何だ、何なんだ、このマンションは?何故沢山の霊が出るんだよ?」

 

 独りで薄暗い場所に居る事が怖くなり、階段を駆け上がり五階の廊下に到着。

 運動不足なのか恐怖の為に心臓がバクバクいってるのか分からないが、呼吸が苦しい。

 暫くその場に座り込み呼吸を整える。早く部屋に入らないとマズいのは分かってるが、体が動き辛いんだ。

 

『チーン!』

 

 電子音が薄暗いエレベーターホールに響き渡る。反射的に首を向けると、丁度エレベーターの扉がひらいていく。

 居る、今度はモニターには映らずに、だが僕には直接見える。女だ、子供じゃない。

 

 だが白い服じゃない、普通のOLが着る様なスーツを着た女が壁に頭を付けて佇んでいるんだ。

 

「出して、出して出して出して出して、出して出して、出せ出せ出せ出せ出せ出せ、だせー!」

 

 いきなり奇声をあげて頭を振り回している、正直怖い!

 

「ちょ、何だよ出せって?金か?カツアゲか?」

 

 慌ててポケットを漁るが財布は部屋の卓袱台の上だし、頼みの綱の清めた塩は使い切った。

 ヤバい振り向いた時に目が合ってしまった。真っ赤に血走った目が余計に恐怖心を煽る。

 

「居たぁ……お前、お前がだせー!」

 

 そう叫ぶと犬の様に両手両足で一直線に駆け寄ってくるが、恐怖で体が動かない。

 スローモーションみたいに痩せこけて目が血走った女が飛び掛かってくる。

 

「うわっ?」

 

 そのまま押し倒されてしまうが、コイツは実体化してやがる。両手で首を締め付けながら顔を近付けくるが、噛み付く気か?

 

「くっ、苦しい……止めろ……」

 

「出せ、出せ出せ出せ出せ、私達をだせー!」

 

 耳に口を寄せて大音量で騒ぐが、僕は女の腕を掴んで引き離すので精一杯だ。マズい、段々と力負けして頭がボーッと……

 

「くっ、愛染明王よ、僕に力を貸して下さい!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 力を振り絞り愛染明王の真言を唱える。やった、女の腕の力が弱まったぞ!

 首を締める腕を振り払い腹を蹴り上げる様にして振り払う。

 藁(わら)の束を蹴った様な感触だ、決して血肉の通った肉体じゃない!

 急いで立ち上がり深呼吸をして肺に酸素を送り込む……

 

「ヨシ、反撃だ!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 真言に合わせて急いで印を組む、女の霊は未だ蹲ったままだ。

 両手の親指を交差させ人差し指を離し、中指を手の中に折った形で交差させる。

 最後に薬指を立てた状態で合わせるが小指は合わせず離す。霊力を乗せて女に印を振り下ろす!

 それに合わせて女の霊の叫び声が響き渡る。

 

「ぐがっ、ぐががが……私、私達を出して、出して……ぐっ、わた、私達は……管理……人の……へ……」

 

 愛染明王の力をお借りして女の霊に霊力を叩き付ける、完璧な筈だ。のた打ち回りながら何かを言っているが、管理人?

 いや出せって、私達を?何を言っているのか分からない。

 僕の拙い霊力でも女の霊を祓らう事が出来たみたいだ。暫くすると滲む様に女の霊は消えていった……

 

「何が言いたいのか頼みたいのか知らないが、その相手を殺そうとするのは間違えてないか?

お前等は何時もそうだ。必ず滅ぼしてやる……」

 

 今度こそ部屋に戻り和室に俯せに倒れ込む。畳に細かい埃が積もっているのが見える、掃除はしてないみたいだ。

 ゴロリと仰向けになり、今の出来事を考える。エレベーター内に白い服の女の霊、階段室に白い服の女の子達の霊。

 そしてエレベーターから出て来たOL風の女の霊、既に五体の霊を退けた。

 

 最後の霊の言葉『私達を出して管理人から……』って聞こえた。管理人から出す?何を出すんだ?

 

 現在は管理人など居ない、当の昔に逃げ出したそうだ。分からないが、このマンションの怪奇現象の原因は管理人が何かを閉じ込めた所為か?

 いや奴等の事を単純に信じちゃ駄目だ。もしかしたら原因たる何かを管理人が封印したのかも知れない。

 

 出したら余計に事態が悪化するかも……

 

「考えても仕方ないな。行ってみるか、管理人室に。何か管理人が残した手掛かりが有るかも知れない。でも少しだけ休むか……」

 

 

幕間15

 

 少しだけ横になって休んだら落ち着いた。落ち着いたら身体中が痛い……打ち身と切り傷が酷いが救急箱なんて持ってきていない。

 精々が財布に入れていた絆創膏位だ。仕方なくタオルを濡らして傷口を拭いて応急措置を終わりにする。

 暫くすれば瘡蓋(かさぶた)になって血が止まるだろう。

 

 管理人室に向かうの為に装備を整える。

 

 清めた塩を入れたペットボトルは残り二本、現在コレが最強の武器。愛染明王の御札は三枚、後は数珠だけだ。

 部屋を探すと懐中電灯にライター、それと包丁を見付けたが刃物は止めた。

 逆に奪われて危ない目に合いそうだし、そもそも幽霊に刃物は効かないだろう。

 

「そうだ、一応だが祓らった霊の為に読経するかな……」

 

 在家僧侶なんだし、それ位の事はしよう。特に小さな女の子達は問答無用で清めた塩を撒いたが、彼女達は悪い事はしてなかった。

 僕の復讐相手は人間に害なす連中だけなのに、僕は恐怖心に負けて勝手に祓らってしまったんだ。

 その場で正座をして数珠を持ち、真言宗のお経を唱える。あの子達が成仏出来る様に……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 読経を終えたら思い出したみたいに空腹に襲われた。不思議だけど人間って恐怖に苛まれてもお腹は空くんだな。

 コンビニで買ってきたオニギリとカップ麺を食べてコーラを一気に飲む。満腹になると少しだけ勇気が湧いてきたみたいだ!

 

「さて行くか。もう深夜1時過ぎだが、他の霊能力者連中は何をやってるんだ?もしかして襲われてるのって僕だけ?」

 

 今夜は霊障の内容が濃いので他人に苛立ちを向けてしまうな。初めてだ、連続して色々な霊に襲われたのは……

 だって僕だけ騒いでるみたいだし、普通は騒いだり大きな音がしたりしたら気になって出て来ないか?

 まぁ、僕は嫌われてるから自業自得か。勇気を出して玄関扉を開けて廊下の様子を伺う。

 

「右ヨシ左ヨシ、異常は無いな……」

 

 廊下へ出ると湿気を含んだヒンヤリした空気に包まれる。管理人室は一階、ここは五階、移動方法はエレベーターか階段。

 エレベーターは危険過ぎるから階段だな。周りを警戒しながら歩いていくとエレベーターが登って来るのが見える。

 一階から順番に表示ランプは動いているが、当然だが僕はエレベーターを呼んでないしモニターに映るカゴ内は無人だ。

 

「三階を通過した、つまり三階に居る連中が呼んだ訳じゃない。

普段は一階待機らしいから誰かが内部で五階のボタンを押さないと上がってこない。つまりは霊障だな」

 

 ここで階段室に逃げても追われるだけだ、最悪挟み撃ちとか笑えない。ここで迎撃するしかない!

 蓋を開けたペットボトルを右手に数珠を左手に持つ。

 

 四階を通過したな……

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱えて霊力を練り上げていく。

 

『チーン!』

 

 電子音と共にエレベーターが五階に到着し扉が開く。中には……三人の小学生位の女の子が居た。

 階段で見た白い服の目の無い子達じゃない。見た目は生者と変わらない可愛らしい子達だ。

 

「君達は……生きている人間かい?」

 

 変な質問だな、普通なら人間かい?とか言わないだろ。

 右からショートボブの生意気そうな子、真ん中はポニーテールの優しいそうな子、左はツインテールの子だが一番幼く真ん中の子の手にしがみ付いている。

 

「ううん、私達は死んでマンションに捕われてたの。お兄ちゃんがお経を唱えてくれたから逃げ出せるの」

 

 代表して真ん中の子が答えてくれた、お経のお陰って事は彼女達は階段に居た子達なのか?

 

「ナニから逃げ出せたの?悪い子が他に居るのかな?」

 

 あのOL風な女が私達を出してと言った意味は『ナニかに捕われているから私達をマンションから出して』だな。

 この怪奇現象の原因が居るんだ、このマンションの中に。

 

「ありがとう、お兄ちゃん。私達は上に行けるの。管理人室の床に私達が埋まってるから、お父さんとお母さんに会わせてね。

お兄ちゃん、優しいから大好き。一緒に上に行く?」

 

 会話になってる様でなってない。僕の質問には答えずに自分の思いだけを伝えて来るのが幽霊なんだな……

 

「分かったよ、お父さんとお母さんに必ず会わせるよ。でも僕は一緒に行けないんだ」

 

「うん、残念だね。ありがとう、優しいお兄ちゃん」

 

 真ん中の子がそう言うと扉が閉まり始めた。でも上にって最上階だぞ此処は……扉が閉まり切る寸前にツインテールの子がチラリと僕を見た。

 

「セーラー服のお姉ちゃんに……気を付けて……」

 

 その表情は歪んでいた。

 

「お姉ちゃんって?」

 

 返事を聞く前に扉は閉じてしまった。お姉ちゃん?

 最初にエレベーターに乗っていた女かな、いやセーラー服なら高校生か中学生だろ?

 でも白い服の女は20代に見えたが……駄目だ、分からないよ。彼女の最後のアドバイスを胸に階段室へと向かう。

 

 重い鉄の扉を開けると生臭い臭いとヒンヤリした風が……意を決して階段を降りていった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「一階に来たけど、深夜にオバサンの居る部屋に行くのも嫌な誤解をされそうだ……」

 

 入口で暫く周りの様子を伺うが、特に問題は……有ったよ。まただよ、また呼んでも無いのにエレベーターが降りてくるよ。

 モニターに映るカゴ内は無人だ、あの女の子達は無事に上に着いたと思う。

 

 つまりコレは別の連中な訳で……逃げても仕方ないので先程と同じ様に数珠とペットボトルを構える。

 

 エレベーターは三階を通過し二階も通過、一階に到着した。

 

『チーン!』

 

 到着を知らせる電子音の後に扉が開く……

 

「あれ?えっと、あれ?」

 

「乗るの?乗らないの?」

 

 カゴの中には品の良い中年女性が居て話し掛けてきた。他にも学生服の男子中学生?にジャージの中年が此方を訝しげに見ている。

 

「いえ、乗りません、ごめんなさい」

 

 乗ってしまったら何処か危険な場所に連行されそうだから、何とか言葉を紡ぎだす事が出来た。本気で怖かった、普通にしか見えない連中が。

 

「あら、命拾いしたわね」

 

 え?頭の中に声が響いた様な……扉は閉まったが、やはりモニターには無人のカゴ内が映っていた。

 

「気を取り直して管理人室に行くか……」

 

 管理人室は当然だが出入口の近くに有る。普通の玄関扉に「管理人室」と書かれたプレートが貼ってあるので分かり易い。

 ノブを握って回すが当然だが鍵が掛かっていた。

 扉自体は鉄製だから幾ら僕が叩いても蹴っても傷一つ付かないだろうし、所謂バールの様な物も持ってない。

 本来なら諦めるしかないのだが、他にも出入り出来る場所は有るだろう。先ずは廊下部分に有る窓だ!

 アルミ製の格子が嵌め込まれている引き違いの窓を調べる。此方も当然だが内側から鍵が掛かっていた。

 頑張ればアルミ製の格子は壊せるしガラスを割れば侵入出来るだろう、候補1だ!

 だが全てを調べる前に器物破損の罪を犯す訳にはいかない。一旦マンションの外に出て庭から入れるか確かめてみよう。

 

 正面出入口から外に出る。

 

 マンションを外部から見上げれば三階の真ん中と一階に明かりが灯っているのが分かる。

 昼間会った連中は待機中らしいな。既に主を失った庭は雑草が膝まで伸びていて歩くのに鬱陶しい。

 雑草を踏み締めて管理人まで行くと立派な花壇が設置されていた。

 地面からブロック三段分の高さに土が盛られているが、今は雑草がボウボウだ。管理人は土いじりが好きだったんだな。

 だが見詰める管理人室は無情にも雨戸がバッチリ閉められていた。

 

「雨戸かよ、しかもトステム?防犯上でも雨戸は必要だよな……」

 

 結局外から第三者の目を気にする違法侵入より中からしか見えない窓からの不法侵入を試みるか?

 

「いや、一応断らないと駄目だよな」

 

 忘れていたが、依頼人に聞いてみよう。何を自分から不法侵入する流れになってるのか意味が分からない。

 携帯電話を取り出し、アドレス帳から軍司さんの名前を捜し出す。

 通話ボタンを押す時に若干の躊躇いが有ったのは秘密だが、誰だってヤクザに電話は気が引けるよね?

 

 数コールで繋がった。

 

『おぅ、何だい先生よ?怖いから止めたいとかは無しだぜ?』

 

 初っぱなから脅されました……

 

「いえ、そうじゃなくてですね……このマンションの怪奇現象の原因が管理人室に有りそうなんですよ。

何体か霊を祓らいましたが、成仏の際にですね。教えてくれたんです……『私達を出して管理人から』だから管理人室に入りたいのですが、鍵が閉まってるので」

 

話終わってから随分と支離滅裂だと感じてしまった。軍司さんも沈黙してるし……

 

「流石は先生だな、初日から幽霊を倒して原因も掴んだとは驚きだ!でも先生よ、鍵は大家か不動産屋しか持ってないんだ」

 

 彼等は居座って立ち退き料の値上げ交渉をしてるヤクザだった。大家から鍵なんて借りられないだろうな。

 だが管理人室に入らないと霊障の原因が掴めない、仕方ないかな……

 

「そうですよね。窓とか壊して入ったらマズいですかね?」

 

「フハハハハハ!榎本先生よ、アンタ最高だぜ。壊して構わないぜ、どうせ壊すマンションだ」

 

 取り壊し予定のマンションだから平気なのか?半分廃墟みたいだしバレなきゃ大丈夫と考えよう。

 

「分かりました、自分で何とかしてみます」

 

 そう言って通話を切る。さて、ヤルだけヤッてみますか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 幸いにしてアルミ製の格子は頑張って力ずくで外せた、やはりアルミは金属では柔らかいからな。

 硝子を割る時は躊躇したが、外から手頃な大きさの石を持ってきて、投げ付けた!大きな音を立てて石が跳ね返って来たぞ。

 この硝子、防犯フィルムを貼った網入り硝子だ。何度か石を投げ付けて漸く硝子を割って中に入った。

 中に入ると其処は台所だ、流し台に足を乗せて侵入する。懐中電灯で辺りを照らすが荷物は何も残っていない。

 天井照明の紐を引いてみるが点かない。

 

 ブレーカーを確認する為に玄関に行くが肝心のブレーカーには東京電力のお知らせがブラ下がっている。

 

 つまり引っ越してから東京電力に連絡しないと電気は供給されない訳だ。一応逃げ道として玄関の鍵を開けて扉を開いて固定した。

 

「管理人室を調べると言っても何も無いじゃん」

 

 台所から玄関を調べたが何も無い。一応全ての戸棚や引き出しは開けて中身を確認しているが、引っ越し後の部屋だからな。

 風呂もトイレも洗面所も何も無い、後は和室だけだ。一番広い和室だが押入も開けたが何も無いな。

 

「調べるにしても調べる物が無い。お手上げだ、後は畳を捲って床下を掘るか?」

 

 良く有る事件モノでは死体を床下に埋めてるよな。だが道具が無いから流石に明日以降準備してからか?

 やる事が無くなった為か気が抜けた様に和室に座り込んだ。

 

「仕方ないな、一旦部屋に戻るか……」

 

 立ち上がり玄関に向かうと背後に強烈な気配を感じた!

 

「お兄さん、私と遊ばない?」

 

「だっ、誰だ?」

 

 振り向けば和室の真ん中に立ち尽くすセーラー服の美少女。ほんのりと発光しているので生きている人間じゃない事は分かる。

 だけど見た目は生者と変わらない、僕に微笑んでいる18歳位の女の子だ。

 

「君は誰だい?何故、この部屋に居るのかな?」

 

 優しく微笑む美少女だが、あの子が教えてくれた気を付けなきゃ駄目なお姉ちゃんが彼女だろう、セーラー服を着ているし。

 何故なら彼女を見てから震えが止まらない。全身冷や汗でびっしょりだし喉もカラカラに渇いた。

 

「私?私は穂坂恵(ほさかめぐみ)よ。緑ヶ丘学院の三年生」

 

 このマンションで女子高生が死んだとか聞いてないぞ、襲われたのはOLのはずだが?

 

「恵ちゃんか……僕は遊べないんだ、お仕事の最中だから悪いね」

 

 戦略的撤退だ、勝てそうな気がしない!

 

「駄目よ、お兄さんは私と遊ぶの」

 

 どうやら逃がしてはくれないらしいな。

 



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幕間第16話から第17話

幕間16

 

「私?私は穂坂恵(ほさかめぐみ)よ。緑ヶ丘学院の三年生」

 

 目の前にはセーラー服の美少女が僕に微笑んで、遊んでくれと言っている。所謂逆ナンだ!

 普通なら嬉しい状況だが、彼女は幽霊で凄い嫌な感じを纏わり付かせている。

 どう見ても普通じゃない、霊感的には確実に悪だ。

 

「恵ちゃんか……僕は遊べないんだ、お仕事の最中だから悪いね」

 

 戦略的撤退だ、勝てそうな気が全くしない!ジリジリと玄関の方へ移動する。

 

「駄目よ、お兄さんは私と遊ぶの」

 

 文字だけ見れば嬉しいのだが、要は逃がさないって言われたんだ。彼女の顔が段々と恐ろしくなっている。

 例えば優しく微笑んでいる瞳だが白目が無くなって真っ黒だ。

 優しい笑顔も段々と嫌らしい笑みに変わった、決して美少女がしてはいけない類いの笑みだ。

 もはや悪霊と言っても差し支え無いだろう、100人が100人共に悪霊と答える筈だな。

 

「恵ちゃんは何故、こんな部屋に居るの?」

 

 会話か成立する内に情報を貰えるだけ貰おう。

 

「私?私はね……ここの管理人に殺されて床に埋められたから。

良く分からないけど、こうやって動ける様になったから仕返しに来たら管理人は居なかったのよ。

だから私だけ不幸なの嫌だから、沢山の人と遊ぶの」

 

 言っている事は物騒だが表情が元の可愛い美少女に戻って微笑んでいる。ギャップに萌え、いや敵意がメラメラと燃えるぜ!

 宗吾さんの仇とは、こんな自己チューな奴なんだ!しかし殺された後に時間が経ってから悪霊化したのかな?

 それで自分だけ不幸は嫌だから周りも巻き込む、典型的な悪霊の思考パターンだ。

 

 もう話を聞く必要も無い……

 

「遊びってどんな遊びだい?」

 

 ポケットに突っ込んでいたペットボトルを取り出して蓋を開ける。

 

「エッチな遊びで良いよ?さぁ、お兄さん服を脱いで……」

 

 嘘だな、だが幽霊と知らなかったら誘いに乗る奴も居たかもね。それ位の美少女なのが残念だ。

 

「成仏しろよ!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

 愛染明王の真言を唱えて清めた塩をブチ撒ける!彼女の頭から胸元にかけて白い粉が降り掛かる。

 

「あれ?もしかして生きてる人間だった?」

 

 キョトンとして目をパチクリとした後に、降り掛かった塩を叩き落としている彼女に話し掛ける。

 

「酷い人ね、いきなり白いのをブッ掛けるなんて……残念ながら私は死んでるわよ。

でも成仏させるには威力が弱かったわね。今度は私のターン!」

 

 フワッと髪が逆立ち黒目の中心が紅く光った。ヤバい、レベルが高過ぎて僕程度じゃ祓らえないのか?

 残りの清めた塩を急いで振り撒いて玄関に向けて走りだす。

 

「戦略的撤退っ、うわ?」

 

 後ろを振り向いた瞬間に勢い良く玄関扉が閉まった。ポルターガイストまで使えるのか?

 胸ポケットにしまっていた御札を取り出し霊力を込める。これが効かなければ打つ手は無い!

 

「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく愛染明王よ、僕に力を貸して下さい!」

 

 御札を直接彼女に貼ろうとするが、見えない何かに弾き飛ばされる!壁に激突した瞬間、頭の中で火花がスパークした。

 

 つまり頭を痛打したんだな……

 

「くっ、コレが君の遊びかい?随分とボーイッシュでワイルドだぞ」

 

 口の中も切ったのか血の味がするし頭も痛いし背中も痛い。

 

「うーん、お兄さんが特別なのよ。三階に居た人なんて真っ裸で襲って来たから首をもいじゃったわ」

 

 蹲(うずくま)る僕を見下ろす様に屈んでいるが、スカートだから中身が見える。幽霊でも下着は履くんだな、当然だが。

 薄暗い部屋の中なのに彼女自身は発光してるから、スカートの中身もバッチリ見える。

 

 ライトブルーのシンプルなパンティーだ!

 

 だけど三階って男二人の方か?

 

「一階の中年女性はどうした?まさか既に遊んだのか?」

 

 まだ頭がクラクラして立ち上がれない。だが御札は手放さずに右手に握っている。既に男の霊能力者達は殺されたんだろう。

 だが男に興味が有るなら女はどうなんだ?

 

「ああ、あのオバサンね。他の人が下に連れて行ったわよ。あのエレベーターってね、霊道に繋がってるみたい。

私でも引き込まれたら逃げられないかも」

 

 霊道?彼女とは関係無い連中に既に連れてかれたのか?僕を除いて今回来た霊能力者は全滅か!

 

「ははは、悪いが僕も足掻かせて貰うよ。

おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく!」

 

 愛染明王の真言を唱えて御札に霊力を込めて、そのまま突き出す。

 

 ムニュリと柔らかい感触がして彼女の胸に御札を押し当てる格好になってしまった、凄いボリュームだ。思わず目と目が合う。

 

「いやん、バカァ!」

 

 真っ赤になった彼女が僕の頭を狙って右手を振り抜くのを何とか腕でガード、そのまま吹っ飛んだ。

 ガードの瞬間、自分の骨が折れる音が聞こえた、生木を圧し折るみたいな音が……

 

「他の人と違うかと思ったけど、やっぱりスケベ野郎なのね。乙女の胸を触るいけない腕を壊しましょう」

 

 折れた腕に手を伸ばして来たので何とか転がって避ける。立ち上がる為に折れた腕を使ってしまったので激痛で気を失いそうだが、気絶したら確実に死ぬ。

 

「違う、痴漢じゃないんだ!だが全く僕の力(霊力)が効かないとはな、嫌になるぜ」

 

 何とか右手を庇いながら立ち上がる、後はみっともなく逃げるか玉砕するか?

 玄関扉は閉まってる、庭に出るのは無理、台所の窓は流し台を乗り越えないと無理だが果たして片手で上れるか?

 

「逃げられないわよ。お兄さん頑張ったから、ゆっくり遊んであげるわ」

 

 ゆっくり遊ぶは嬲り殺しにするって事だろ?

 

「お断りだね、援助交際なんて嫌だ」

 

「胸も揉んだしスカートの中身も見たじゃない。立派な援助交際よ。あの管理人もそう……

いきなり私を部屋に連れ込んで乱暴して、抵抗したら首を絞められた。男なんて、男なんて、みんな死んじゃえば良いのよ!」

 

 自らの身体を抱き締める様にして嫌な記憶を思い出している。この怪奇現象の原因は元管理人が彼女を殺して床下に埋めたからか?

 彼女以外にも、あの女の子達も……朧気ながら原因が分かったが、僕のピンチには変わらない。

 彼女も生者と変わらぬ姿から異形へと変化し初めている。服はボロボロ、痩せこけて目だけがギラギラしている。

 ああ、獣みたいに爪が伸びてるな。

 

「既に満身創痍、残りの武器はライターだけ。でも燃える物はカーテン位だが放火する時間も無い。詰んだな……」

 

 出来ればミイラみたいな姿より美少女の時に殺されたかった。

 

「ころころころ、殺す!男なんて……ブッ……殺す……死ねー」

 

 飛び掛かってくる彼女がスローモーションの様に見えて……その爪が僕の喉に届く前に、彼女の下半身が無くなった。

 

「かっ、身体が……私の身体が……」

 

 テケテケみたいに床に両手を付いて起き上がった彼女の頭が無くなった、いや噛み砕かれたんだ。

 「箱」だ、あの「箱」の中身が彼女を喰っている。クチャクチャと渇いた咀嚼音が薄暗い管理人室に響いて……

 残りの胴体を食べ終わると何時もの全裸美幼女姿に戻ってお腹を擦っている。

 

「ゲフッ、不味いぞ。こんな奴に苦戦とはな、なってないぞ」

 

 唐突に現れたと思えば叱られた、確かに不甲斐ないし助けて貰ったのだが。

 

「助かったよ……でも助けるなら、もっと早く助けてくれ」

 

 満身創痍が今の僕だ。右腕骨折、全身打撲、口の中は切れてるし切り傷も多い。今直ぐ救急車を呼びたい位に重症だ。

 

「ふん、知らんな。しかし霊道とは面白いな、旨そうな奴も居るな」

 

 ペタペタと裸足で玄関に向かう「箱」の後ろ姿を睨む事しか出来ず、段々意識が遠退いていった。ああ、気を失えば痛みは感じないか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「無様な……我との契約を為す事が出来るのか?まぁお前が居なければ我も困るのだがな」

 

 無様に気を失い倒れている正明を見下ろす。全く榎本一族最後の生き残りなのだから、確(しっか)りしろと言いたい。

 満身創痍だな、右腕の骨折が一番酷い。足で踏み付けて治療すると痛みで覚醒したみたいだ。

 

 呻いた後に目を開けた……

 

「痛たいなってアレ、右腕は痛くない……「箱」何かしたのか?」

 

 身体中の打ち身や切り傷まで治すつもりは無い。もっと精進させねばなるまい。

 

「ふん、正明か寝てる間に霊道に引き寄せられる霊をたらふく喰ったぞ。もう壊したから霊道としては機能すまい。

正明、もっと精進して我を喜ばせろ。今回の贄(にえ)では我は満足せぬ」

 

 もう教える事も無いので仮初めの器に戻る。未だ我の求める事が分からぬか、愚かな正明よ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目の前に転がる「箱」を拾い上げる。今回も「箱」に救われたみたいだ。どうやら右腕の骨折も治療してくれたらしいが他は何もしてくれてない。

 痛む全身に力を入れて起き上がる。

 今回の怪奇現象は元管理人が殺して埋めた穂坂恵を中心とした悪霊と、霊道となり浮遊霊を呼び込んだエレベーターの両方が原因だった。

 

どちらも「箱」が喰い解決した訳だな、全く情けない、情けなくて涙が出てしまう。

 

「クソッ、結局僕は何も出来なかった……まただ、また何も出来ずに見ているだけだ!

こんな事じゃ仇討ちもままならない。チクショー、何で僕はこんなにも弱いんだ!」

 

 折角立ち上がったが、その場で大の字になり自分の不甲斐なさを悔やむ。涙が止まらない、大の大人が本気泣きとは情けない。

 泣き疲れて寝てしまい起きたのは朝の6時を過ぎていた。

 一旦階段で五階の部屋に戻り濡れタオルで全身を拭き清めてから一階に戻り、外の花壇に座り軍司さん達を待つ。

 8時を過ぎた頃、黒いベンツと白いシーマが到着した。軍司さんとマサ&ヤスが車から降りて此方に歩いてくる……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「榎本先生よ、無事だったみたいだな?外で待ってるたぁ怖かったのか?」

 

 開口一番、豪快に笑いながら近付いてくる軍司さんに軽く頭を下げる。

 

「何でぇ、傷だらけじゃねぇか?おい、救急箱持ってこいや!」

 

 巌ついヤクザに怪我の心配をされるなんて、可笑しくて笑ってしまった。

 

「おぃおぃ榎本先生よ……まさか気が触れてねぇよな?」

 

 肩に手を置かれ乱暴に揺すられた。

 

「いえ、大丈夫です。このマンションの怪奇現象の原因は、元管理人が殺して管理人室の床下に埋めた女性達の怨念でした。

それと理由は分かりませんが、エレベーターが霊道と繋がってしまった。それに引き寄せられた浮遊霊の悪戯でした……

女性達の怨霊は祓らいましたし、霊道も壊しました。もう大丈夫ですよ」

 

 本当は「箱」が全てやった事だが正直には言えない。「先生、他の奴等は何してたんですかい?」

 周りを見回して聞いてくるが、あの三人は死んでしまったと思う。

 

「奴等は個別に襲って来ました。最後に祓らった悪霊が男二人は括り殺した、女は霊道の奴等が下へ連れていったと言ってたので……

確認はしてませんが、多分生きてはいないでしょう」

 

 昨日初めて会った連中だが、例え嫌われていても死ねば悲しいものだな。

 

「分かりましたぜ、榎本先生が気に病む事は無いですぜ。オイ、一階と三階の部屋を調べろ」

 

「「へい、了解っす!」」

 

 マサとヤスが元気よくマンションに向かって走って行く。

 

「軍司さん、この後どうしますか?管理人室の床を掘れば、多分ですが四人以上の遺体が見付かりますよ。

一人は穂坂恵、高校生。後は小学生位の女の子達。僕は彼女達をご両親に会わせてあげたいんです。

祓らう時に約束したんですよ、両親に合わせてくれって……」

 

 あの女の子の最後の願いだから。

 

「榎本先生、そんな事まで分かるのかよ。分かった、悪い様にはしねぇよ、俺に任せな!」

 

 バンバンと背中を叩かれたが、本気で痛かった。僕は二度目の意識を手放した……

 

 

幕間17

 

「一晩で解決たぁ驚かされるぜ。ただ傷だらけは不安が有るな、簡単に死なれちゃ困るんだぜ、榎本先生よ」

 

 眉間に皺を寄せて気絶してる若き霊能力者を見る。

 先代若頭の怨霊を祓らい、今もお抱えの霊能力者達から無理と言われた怪奇現象の頻発するマンションの怨霊を祓らい、更に原因を突き止めた。

 多分だが霊能力とかは高くても基礎体力がお粗末なんだな。こうして見てると、その辺の甘ったれた学生にしか見えないから不思議だぜ。

 暫く待つとマサとヤスが慌てて走ってくる。コイツ等も落ち着きが欲しいぜ。

 

「軍司さん、三階の二人は全裸で首を折られて死んでました!」

 

「一階のババァは何処にも居ません。マンション内は鍵の掛かってない部屋も全部見たけど居ないっす」

 

 何だよ、先生以外は全滅かよ。先生も甘い様だが同業者には厳しいのか?

 確か協力はしない、一人でヤルとか言ってハブられたらしいし、その辺がアンバランスだな。

 だが力有る霊能力者は自身の能力を教えないとも聞くし……

 

「分かった、死んだ二人は山にでも埋めとけ。ソイツ等の荷物は燃やして身元を特定させるなよ。

それと管理人室の床を掘るぜ、榎本先生曰く女が埋まってるそうだ。マンションオーナーへの脅迫に使えそうだな。

組の若い者を呼んで俺が確認する。さて、お前等は榎本先生を本家まで運んで山下先生を呼んで治療して貰え。丁重にだぞ」

 

 このマンションの管理人はオーナーの血縁者だった筈だ。それが犯罪者だってんだから慌てるだろうよ。

 立ち退き料は上乗せして貰えそうだな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「うっ、此処は?」

 

 目覚めた場所は知らない部屋の中で、僕はマンションの外で軍司さんと話していた筈だ……アレだ、ついに有名な台詞を言う事が出来る。

 

「気が付いたかい?此処は私の診療所だよ」

 

「知らない天井……いや、知らない診療所?」

 

 誰かに話し掛けられたが、台詞を聞かれたから元ネタを知られていたら恥ずかしい。しかし診療所だって?

 成る程、保健室みたいな内装、白いカーテンで仕切られたベッド、白衣の女医さん。

 

「僕は入院したんですね?」

 

 体を見れば包帯だらけだ。

 

「いや、畑中組の若い連中が往診しろって言って来たけど、怪我の具合が分からないから連れて来いってね。

往診じゃそんなに医療器具とか持ち込めないからね。てっきり抗争か何かで撃たれたか、斬られたか、刺されたかと思ったのよ」

 

 抗争?ヤクザ絡みの違法な治療もする医者?良く見れば中々の美熟女だ、若い時は相当な美人だったろう。

 歳は50歳は越えてるかな?まぁロリコンな僕にとってはオバアチャンだけどね。

 

「何か失礼な事を考えてないかい?確かに私はヤクザの治療もするが普通の開業医よ」

 

 女性の勘って怖いわ、表情には出さなかった筈なのに何故分かった?

 

「いえ、ブラックジャックみたいな無免許医師かなって想像しちゃって……」

 

 アレ?凄い笑顔だけど、現役医師にとってブラックジャックって笑いのツボ?

 

「随分古い漫画を知っているわね?リアルにそんな凄腕の無免許医者は居ないわよ、モグリは多いけど腕はそれなりよ。

さて貴男は何者かしら?身内のリンチでの怪我なら、わざわざ若頭が丁重に扱えとか言わないし……幹部連中の息子かしら?」

 

 ああ、彼女は軍司さんが手配してくれた医者で僕を治療してくれたんだ。いや最初から分かってたけど思考能力が低下中?

 起き上がると掛け布団がずり落ちて裸の上半身が丸見えだ。しかも腹まで包帯だらけだな。

 

「僕は只の在家僧侶ですよ。幾つか仕事を頼まれて解決したけど満身創痍で倒れた駄目な男です。あの、服を着たいのですが……」

 

 掛け布団を持ち上げるとパンツすら履いてない完全なる全裸だ。朝の自然現象には至ってないのが救いだね。

 多分全部見られてるんだけど、治療して貰ったので文句は言えない。けど、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

 大切だから二回言いました!

 

「あら、もう少し休んだら?全治一週間よ、打撲は熱を持つから今日は入院、退院は明日ね。美浦(みほ)、来て頂戴」

 

 えっ?ミホさん?もしかしてロリっ娘ナースが?

 

「はい、何ですか先生?」

 

 期待に胸を膨らませるが、扉を開けて入って来たのは恰幅の良い中年のオッサンだ。

 親しみやすい雰囲気の30代で長髪を無造作に後ろで束ねている。お腹はメタボたな、医者の不摂生?

 

「彼の服を持ってきてくれる」

 

「入院服ですね?サイズはLで大丈夫かな?ああ、僕は美浦(みほ)吉成(よしなり)です」

 

「はい、Lサイズで大丈夫です。僕は榎本(えのもと)正明(まさあき)です」

 

 彼の持ってきてくれた入院服とは作務衣みたいな物だった。

 因みに治療費は親父さんに請求するらしいが、保険証の提示を求められなかったので多分だが非合法の医者だろう。

 全く本来なら出会わない連中との接点が増えるなぁ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 入院なんて初めてだ。そもそも入院した事が無いので何をして良いのか分からない。

 あの後、病院食と言う物を初めて食べた、遅い昼飯だ。

 プラスチックのトレイにプラスチックの器、食パン二枚・ハムサラダ・コーンスープにパック牛乳、デザートはグレープフルーツ。

 普通の病院と同じ様なメニューだが、此処ってちゃんとした病院なのかな?

 薄味で美味しくはなかったが、お腹が膨れたので眠くなった。

 

 する事も無いので寝よう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「軍司さん、出ましたぜ……」

 

「本当に埋まってたな。セーラー服を着た白骨が……他にも子供が数人埋まってるぞ、探せ」

 

 やれやれ、穂坂恵の白骨死体が本当に出やがった。榎本先生は本当に悪霊と話が出来るんだな。

 この女は調べたが四年前に行方不明になっていた、同級の友人が三階に住んでたから遊びに来た時にでも管理人に襲われたか?

 

「軍司さん、子供です!子供の頭蓋骨が……ああ、三人分有りますぜ」

 

 コッチもビンゴかよ。さてオーナーを呼ぶとするか……

 あのジジィ、頑なに立ち退きをさせたかったのは案外知ってたのかもな。

 化けて出るなんて話が有れば霊能力者を雇うしかない。

 除霊しなきゃ掘るに掘れなかっただろうが、俺等が居ちゃ無理だろうな。

 立ち退かせるには心霊現象は有利に働くから、俺達を追い出してからだ。

 

「どっちにしても先生から骨は親元へ返せって頼まれてるんだ。公(おおやけ)にするしか無いか……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 料亭羽生(りょうていはにゅう)、前回も朝から接待を受けた店だ。

 そして今回も朝から呼ばれている。一泊入院を堪能した後、マサ&ヤスが迎えに来て連行された。

 奥座敷に通されれば、親父さんと軍司さんが待っていた。

 

「よぅ、先生。事件は解決したが入院たぁ情けないな」

 

「基礎体力が低過ぎるんだ!明日から筋トレしようぜ」

 

 いきなりのダメ出しをされたぞ?

 

「まぁ座れよ先生。折角だから酒でも飲みながら話を聞かせてくれよ」

 

「そうだぜ、確かに榎本先生の言う通りに人骨が出て来たぜ。で、どうしたいんだ?」

 

 八人位座れそうなテーブルに向かい合って座る、フカフカな座布団に肘掛座椅子、目の前には懐石料理かな?

 テレビでしか見た事が無い政治家とかの赤坂接待みたいだ……綺麗な硝子のぐい呑みを渡され名前も知らない冷酒を注がれる。

 

「はぁ、頂きます。先ずはですね……」

 

 ダイジェスト的に今回の流れを説明する。一番最初にマンションでやった事は聞き込みだ。

 怪奇現象が頻発するのはエレベーターと共用廊下と階段、殆ど全てに何らかの霊が現れた。

 そして組の若い連中も何かしらの怪奇現象をその目で見ている。だから先ずは深夜にエレベーターから調べる事にした。

 最初から幽霊は現れた、先ずはエレベーターに乗ると白い服を着た女の霊が一緒に乗っていた!

 祓らって階段室へ行けば子供達の幽霊がお出迎えしてくれた、相当な密度の心霊現象だ。

 子供達を祓い廊下に出ると又エレベーターから違う女の霊が出て来て襲われた。彼女を祓らった後、部屋で読経をして荒ぶる魂を鎮めた。

 

 怨霊化していた彼女達が天に昇るのを見送る時に、原因が管理人に有ると教えて貰う。

 後は管理人室に入り、今回の怪奇現象の原因で有る穂坂恵の怨霊と対決。

 その怨霊を祓らい、霊道となっていたエレベーターを霊的に壊して今回の件はお終い。

 

「大分端折りましたが、大筋は間違ってません。出来れば埋められていた子達は両親の元に帰してあげたいんです」

 

 「箱」の事を隠す為に最後は端折り過ぎだが、本当の事は言えない。温くなった冷酒を一気に飲んで咳き込んだ、やはりビールが良いや。

 

「何とも驚きだがよ、先生も相当規格外だな。一晩に何人もの怨霊を祓らって霊道まで壊せるなんてよ。同行させた同業者は全滅なんたぜ」

 

「親父、アイツ等は黒松の弟子だからな。半人前だったし自業自得だよ。

榎本先生よ、あのマンションの管理人室からは確かに白骨化した四人が見付かった。

約束通りに親元に返す為に公にするがよ、まさか霊から教えて貰ったとか言えないからな。

管理人の、女達を殺した奴の親が警察に自首する事にするぜ。死んだ息子の遺書でもメモでも書き置きでも見付けて、念の為に掘り返したら見付けて届けた事にする。

これなら榎本先生にも迷惑は掛からないだろ?」

 

 成る程な、親父さん達は息子の罪をネタに立ち退き料を吊り上げたんだろう。

 相手は素人だし解体中に骨が見付かったら大騒ぎになるが、自首して情報提供なら警察も公にはしないからマスコミにも騒がれないか……

 

「勿論、榎本先生への報酬も払わせますぜ。奴等はマンションの怪奇現象を知ってた。知ってて俺達を追い出す口実にしていたんだ。

先に祓らわれて原因まで掴まれたって聞かされた時の顔は笑えたぜ。奴等から貰った除霊報酬は300万円、全額先生にお渡ししますぜ」

 

「勿論、俺からも頼んだんだからよ。ちゃんと報酬は払うぜ」

 

 マズいぞ、この話の流れはマズい。彼等からお金を優遇して貰うと段々と絡め取られる様に癒着してしまう。

 爺さんが言ってた、恩を受けたら直ぐ返せって。でも親父さんからの依頼は条件も曖昧だったし相場も分からない。

 

「それは嬉しいですが……マンションオーナーからの報酬は重複になるから要らないです。

同じ仕事で複数から報酬は貰えませんし、僕が交渉した訳でも無いから、気持ちだけ貰います」

 

 一瞬眉間に皺を寄せた親父さんだが、直ぐに豪快に笑った。やはり恩を着せるつもりだったのか?

 

「おぅ軍司よ、榎本先生は真面目だな。確かに二重報酬か、言われてみりゃそうか。でも黙って貰えば良いだろ?」

 

「それは義理を欠く、いえこれ以上迷惑を掛けたくないですかね?僕はお金の為に仕事をしてる訳じゃないので、そこまで報酬に執着はないんです」

 

 復讐と「箱」への貢ぎ物の為に仕事をしているから……その後は普通に食事をして別れた、次の依頼は未だ無い。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「何とも扱い辛い奴だな。お前はどう思う?」

 

「相当に警戒してる、だと思うぜ。アレは俺等に借りを作りたく無いんだな。

普通のガキが報酬300万円とか言われたら必ず迷う筈だ。

それを顔色を変えずに即答したのは俺達との付き合いにはキッチリ線引きしたいんだせ」

 

「金に汚い奴は簡単に裏切るからな。目的が復讐ってのは難儀だが、上手く付き合えば互いに利が有る。

長い付き合いにする為にも、体を鍛えさせろ。あんなに血だらけじゃ何時死ぬかも分からないぞ」

 

「そうだな、組の若いモンと馴染ませる為にも一緒に筋トレさせるぜ。親父、報酬の事には触れなかったが、どうする?」

 

「ん、そうだな。相場なんて分からないが、安過ぎるのも駄目だ。

今回の件は500万円にしとくか、元々300万円はジジィから毟り取ったんだ、同額じゃ駄目だ。西崎みてぇにピンハネはしないからな」

 

「西崎?ああ、先生の仕事料をピンハネした馬鹿か。今頃は千葉沖に沈んでるぜ」

 



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榎本正明の章
第201話


新章に突入します。今回は主人公のパワーアップがメインになります。

ここからは1日1話ずつ更新していきます。

 

********************************************

 

第201話

 

「榎本さん、お久し振りね。聞いたわよ、梢さんの所に身を寄せたみたいね」

 

 突然の鶴子さん、いやメリッサ様からの事務所への電話だった。少しだけからかい気味の口調だが悪意は無い。

 亀宮さんからの依頼を終えて報告書を提出した翌日の朝一番に連絡が来るとは、彼女達の関係(喧嘩友達)を考えると情報交換してる可能性が有るな。

 何だかんだ言っても喧嘩友達らしいし……

 

「そうです、神奈川を拠点とする僕が東日本に強い影響力を持つ亀宮さんを頼るのは自然な流れですよね?」

 

 関西を拠点とする加茂宮は何時か喰わねばならない間柄だし、四国と九州を拠点とする伊集院は完全獣化能力者の集まりだから無理だし……

 

「現実的な考え方ね。でも亀宮だって、誰でも所属出来る訳じゃないのよ。

出来ればウチに来て欲しかったわね。やっぱり榎本さんも巨乳に惹かれたんだ、変態」

 

 本気で呆れた感じの声色の彼女に、少しイラッてきた。

 

「電話、切っても良いかな?」

 

 ロリコンの僕には意味が分かりません。巨乳大好きって高野さんが広めた嘘だぞ。あの悪友は一度キッパリと文句を言わないと駄目だ!

 だが「あら、モデル体型の方が好みなのね?」とか言われて終わりだな。口で女性に勝つ事は難しい。

 

 どうでも良い相手なら平気なんだが……

 

「ごめんなさい、からかい過ぎたわ。実は仕事の相談をお願いしたいのよ」

 

「またですか?逆玉狙いの依頼人のお願いなんですね?」

 

 前回の山小屋の怪異も確か依頼人がハンサムな金持ちだとか何とかだっけ?違ったかな、忘れたけど。

 やる気が下がるな……一応メモを取ろうと紙とペンを用意する。

 

「違うわよ。信者さんからお願いが有ってね。子供部屋の監視カメラに知らない男が写るんだって。駆け付けると無人らしいのよ」

 

 子供部屋?監視カメラ?

 

 ああ、確か共働きで子供が心配な親の為のWEBサービスが有ったな。

 外部から携帯電話やパソコンからNetを通じてリアルタイムに子供の様子が見れるあれか!

 

「ふーん、でも駆け付けるって時間が掛かるだろ?警備員か警察でも呼んだのかい?」

 

 霊より不審者じゃないかな?知らない人が居るって通報しても5分や10分は掛かるから、相手は十分に逃げられる。

 密室と言っても合鍵とかの可能性も有るし、元カレや元カノの仕業も考えられるな。

 そもそも留守番出来るなら、子供と言っても小学生の高学年位だろ。

 その子供に聞けば良いじゃないか、誰か他の人が居たか何処から入って何処に行ったかを……

 

「時間って?精々1分よ。同じ家なんだから……」

 

「はぁ?一緒に住んでるなら同じ部屋に居ろよ。何で監視カメラなんか使うんだ?小学生ならプライバシーが必要になる時期だぞ」

 

 幾ら何でも可笑しいだろ。同じ家に居て子供部屋で一人で遊ばせてカメラで監視するとかさ。

 

「バカね、生後四ヶ月目なのよ。未だプライバシーなんて必要無いわよ」

 

 オムツを替えられているのに、プライバシーなんて無いわよ?とかクスクス笑われた。

 

 駄目だ、話が噛み合わない。同じ家に居て生まれて四ヶ月目の赤ん坊を一人部屋に残し親が他の部屋から監視する。普通は目の届く場所に居ないか?

 

「僕は独身だし結衣ちゃんは小学生の時に引き取ったから知らないが、普通は赤ん坊を一人で部屋に居させてカメラで監視するのか?」

 

「あー成る程ね。榎本さんの言いたい事が分かったわ。あのね、依頼人はイタリア人なのよ。

そして海外では赤ちゃんに最初から子供部屋を与えて育てるらしいわ。勿論、中流以上の広い家を持つ人達はね。

更にお金持ちだとベビーシッターを住み込みで雇うのよ」

 

 へーそうなんだ。

 

 だが赤ちゃんって事は依頼人は親だろ?幾らイケメンでも逆玉狙いでも妻帯者は駄目だろ。

 

「先ずは警察じゃないか?映像の記録は有るのかい?」

 

「監視カメラと言っても録画機能は無いそうよ。結構頻繁に見るらしく怯えてしまってね。お願い、一緒に話を聞いてくれない?」

 

 監視カメラなのに録画機能が無いの?ボールペンでメモ用紙に意味の無い落書きをする。さて、どうする?

 

「お願い、それに彼女は榎本さんとも会ってるわよ」

 

「僕はイタリア人に知り合いは居ないよ」

 

「イヤねぇ、クリスマス会の時に紹介したじゃない。ピェール夫妻よ」

 

 ピェール夫妻?確かに何人かの夫婦連れを紹介されて挨拶したが覚えてないな。

 外人って見分けが付かないんだよ、実際実年齢以上な外見だからロリコン的な意味で言えば対象外だし。

 それに高野さんにセクシートナカイの格好をさせたから、あの後のご機嫌回復が大変だったし……

 

「ごめん、覚えてないや。それでセントクレアの会を頼ったのに部外者を呼んじゃ駄目じゃないの?」

 

 依頼人の相談に外部から同業者を呼ぶ。僕だって無料相談はしてないんだけど……

 

「アドバイスだけで良いから、謝礼は少ないけど出すわ」

 

 アドバイスだけ?謝礼?お金を貰うと義務と責任が発生するんだよ。僕的な勘で言えば厄介事だと思う。

 つまりは少ない謝礼でも正式に貰えば関わり合いに成らざるを得ない。

 

「良いよ、アドバイスだけで謝礼なんて。話くらいは聞くけど何時だい?」

 

 今月は収入は多いし今日から暫くは予定も無い。だから話位は聞いて上げるか。謝礼を貰わなければ本当にアドバイスだけで済むだろうと気楽に考える。

 深みに嵌まると柳の婆さんが出てくるからな。アレは海千山千の婆さんだから気を抜けない。

 胡蝶の事がバレてるのも有るし、もしかしたら今回の件も婆さんの差し金かも知れないからな。

 

「あら、ありがとう。うーん、午後二時に先方に伺うのよ。場所は横浜の山手よ。

私が車を出すから関内の横浜スタジアム沿いの国道で合流しましょう。一時半にね」

 

 横浜スタジアムか、場所は分かる。

 

「了解、通り沿いに珈琲大学院って変な名前の喫茶店が有るんだ。その周辺に居るよ」

 

 片側二車線で比較的通行量も少ないから路駐し易いし、何より店が目立つ。

 

「ああ知ってるわ。では近くに停めたら携帯に電話するわね」

 

 受話器を置いてため息をつく……凄く面倒臭い感じがするのだが、断り辛くもある。

 まぁ話くらいは聞かないと駄目だな、知り合いだし亀宮さんの数少ない友達でもあるのだから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 京急電鉄横須賀中央駅から横浜駅に行きJRに乗り換えて関内駅へ。

 平日昼間だが横浜中華街等の観光地や横浜市役所等の行政機関が密集しているので人通りは多い。

 人の流れに乗りながら駅改札を出て横浜スタジアム方面へ、そのまま海岸に向かって5分も歩けば目的の喫茶店が有る。

 

「何だろう?店の前に派手な車が……」

 

 真っ赤なコルベットに修道女が乗っている。しかもオープンタイプだから道行く人達がチラ見していきますね。

 

「メリッサ様、清貧なシスターが何故外車?しかもスポーツカー?」

 

 近付いて声を掛けるが、物凄いギャップだ。

 

「あら榎本さん、こんにちは。乗って下さい、直ぐに先方に向かいますわ」

 

 悪目立ちは嫌なので言われた通りに大人しく助手席に乗り込む。コルベットはアメ車だから車体も車内も広い。

 

 だからゆったりと座れるのだが……

 

「早い、早いよメリッサ様!もう少し安全運転で!」

 

 何時の間にかサングラスを掛けてアクセル全開のシスター様が、荒々しくステアリングを操作している。

 

「あら、そんなにガタイが良いのに怖いの?大丈夫よ、目を瞑っていれば直ぐに済むわ」

 

「道路交通法的に怖いわ!あとは事故だよ。危険運転は同乗者にも責任がぁ−」

 

 この女、白昼堂々と国道でアクセルを思いっきり踏み込んで急発進して停まる時は急ブレーキを踏みやがった。つまりは直線しか早くない似非走り屋だ。

 

「何人(なんびと)たりとも私の前は走らせませんわー!」

 

「それ違う漫画だー!それと運転変われ、今すぐだ。じゃないと帰るぞ」

 

 事故を起こす前に無理矢理にでも停めさせる。全く僕はキューブなファミリーカーなのに、桜岡さんといいメリッサ様といい……

 しぶしぶと言う感じで路肩に停めやがった。つまり趣味を我慢しても僕を依頼人にどうしても会わせたいんだな。

 彼女のナビに任せる事20分、目的の家に着いた。

 

「デカい、無駄にデカい。小原さんや岩泉氏の屋敷よりは小さいが、横浜山手にコレだけの大きな家を持つとか……」

 

 益々メリッサ様の略奪愛疑惑が濃くなるな。もしかして柳の婆さんに秘密で?お金大好きな彼女ならと思い疑惑の視線を送る。

 何か後ろめたい事が有るのかモジモジし始めたぞ。目線を逸らせてポツリと秘密を告白した。

 

「依頼人の弟がね、独身なのよ。姉を心配して一緒に相談に来てね。それで、叔母様が榎本さんに相談しろって。

叔母様は榎本さんを警戒してる感じも有るから、此処で活躍すれば……」

 

「警戒感が無くなるって事かい?」

 

 黙って頷くメリッサ様。彼女は彼女なりに僕と柳の婆さんとの仲を取り持ってくれるつもりなのかな?

 前にセントクレア教会を訪ねた時に、胡蝶が脅かしたから相当警戒してる筈だからな。

 まぁ無断で術を掛けてきたんだし、お互い様の自業自得なんだけどね。

 

「家の前て騒いでいても仕方ないよね。取り敢えず駐車場に停めちゃうよ」

 

 豪邸故に駐車スペースに空きが有るから、其処にコルベットを移動するが……車の全長が長くて車道に突き出たよ。

 僕のキューブは全長3.9mだけどコルベットは4.5mは有るからな、流石はアメ車だね。

 一般的に駐車場は全長5m幅2.5m位が基準だけど、昔の屋敷だから小さいのかな?

 玄関に廻ると既に車の音で来客を察したのだろう、女性が二人並んで出迎えてくれた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 応接間に通されて自己紹介を終えた。若奥様の美羽音(みはね)・ビーノさん、ベビーシッターの竹内真理恵(たけうちまりえ)さん。

 そして今は子供部屋で寝ているが長男の真理央(まりお)君、生後四ヶ月目だ。ヤバイ、マリオって配管工のオッサンを連想しちゃうよ。

 

 美羽音さんは29歳、中々の美人さんだ。

 

 優しげで大人しい印象、大金持ちのお嬢様には見えないがピェールに見初められて結婚した敬虔な信者と言う所か?

 服装も控え目な若奥様風だ、前に見た時は野暮ったかったイメージが……記憶違いかな?

 

 竹内さんは失礼ながら美人ではないが、愛嬌の有るぽっちゃり系。

 

 スエット上下にエプロンと機能的?な服装。だが子供受けのする優しい感じがします。本来ならゴーストハウスに乗り込むなんてお断りなんだけどね。

 

『胡蝶さん、この家に何か居る?』

 

『む、居ないのだがピントがズレた様な不思議な感覚だな……』

 

 胡蝶が悩むとは、これは黒か?だが居ないとは何故だ?少なくとも嘘じゃない何かが有るか居るのか……暫くは世間話をしていたが、メリッサ様から切り出した。

 

「それで、もう一度説明して下さい」

 

「はい、実は……」怯えながらも、たどたどしく美羽音さんが話しだした。

 

 

 

 日本人には奇異に感じるかも知れませんが、イタリアの上流階級では赤ちゃんに個室を与えてベビーシッターを付ける。

 だが四六時中、赤ちゃんの近くに居ては逆にストレスを与える事と考えられている。

 昔の日本だとオンブ紐で母親が背中に一日中括り付けていたのだが……住宅事情の違いか生まれて直ぐに自分の部屋を持てるのか。

 勿論広い家だが定期的に見回るし、不慮の事故が起きない様にと赤ちゃん用品店にて簡易的な監視カメラを買って設置した。

 それが製品名「パパママ見ててね、僕良い子だよ」だ、本来の名前は別らしいが日本語表記ではそうなっている。

 アメリカ製で白黒六インチ画面に映像を送るだけの玩具みたいなカメラ、粗い画像だが基本的な情報は見れる。

 勿論だが録画機能は無いし集音マイクも無い。だから警察に不法侵入で相談する事は難しいな。

 

「やはり証拠が無いと何とも判断出来ません。ですが二つ提案が出来ます。先ずは人的な原因の場合、警備態勢を整える。

警報器や監視カメラの設置です。霊的な場合、速やかに引っ越しなさい。

霊障が家の場合と人の場合と有りますが、教会に保護を求めなさい。教会は聖域だから大丈夫でしょう」

 

 僕の提案に美羽音さんは力なく首を横に振った。

 



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第202話

第202話

 

 横浜山手の洋館にて、我が子の危険を何とかして欲しい。その親心に心動かされ二つの案を提示した。

 しかし彼女の、美羽音さんの返事は否だった。

 

「何故ですか?胡散臭い心霊現象と人的な犯罪、両方に対応する比較的まともな提案だと思いますよ。

僕等を信じろとは言いません、ですから……」

 

「違います。私も心霊現象だと思ってます。ですが、主人が……」

 

 

 彼女の話を纏めるとこうだ。

 

 この洋館は戦前から建てられ現存している希有な洋館。内外装から家具備品に至る迄、殆どが当時のまま。

 機械警備を行う為には、どうしても建物を傷付けてしまうから駄目。

 そして美羽音さんの旦那ピェール氏は心霊現象を信じていないし、この洋館での子育てに固執している。

 だから彼女が洋館を出る事を頑なに認めない。そして旦那の言う事に逆らえない彼女は、僕の提案は飲めない。

 出来ればピェール氏に内緒で、この洋館に住みながら事件を解決して欲しい。

 因みにピェール氏の帰宅は不規則で有り、他人を泊まらせる事に難色を示すそうだ。

 言われて部屋を見回せば、確かに古めかしいシャンデリアが吊されている。

 使っている食器類も骨董品っぽいし、クッションがくたびれているソファーも古いんだな。

 

 しかし、旦那は最悪の部類の依頼人だ。

 

 心霊に理解無し、非協力的だし物を壊したら大変な事になる。契約は結んでくれなそうだから、リスクだけが高い。

 これから先は会話も記録を残さないと危険かも知れないな。そっと内ポケットに手を入れてICレコーダーのスイッチを入れる。

 

 メリッサ様をチラ見するが、話を進める気は無さそうなんだけど……呑気に紅茶を飲んでクッキーを食べてるし。

 

「それで美羽音さん、どうしますか?セントクレア教会に正式に依頼されるのですか?」

 

 相談だけなのか、正式に依頼をするのか決めて貰わないと始まらない。不安そうな女性二人に恨めしそうに睨まれた。

 メリッサ様は我関せず的な態度だが、僕はアドバイザーですよね?

 

「あの、メリッサ様から今回は榎本さんが対応してくれると聞いてますが?

何でも榎本さんは安くて早くて確実な仕事振りで、安心して任せれば良いと……」

 

 どうやら彼女達は僕が霊障を解決してくれると思っているんだけど誤解だぞ。

 

「そして契約に五月蝿いので、ちゃんと事前に契約書を取り交わさないと仕事をしないのも御存知ですよね?

僕はセントクレア教会の所属ではなくフリーの霊能力者ですし、今日はメリッサ様からアドバイザーとして来ています。ねぇメリッサ様?」

 

 チラリと彼女を睨み付ける目を合わせてくれない。

 

「あら、女子供が困っているのよ。チャチャっと原因を解決して下さい」

 

 横を向いたまま、何か言われたぞ。いかん、このままでは問題を押し付けられてしまう。僕の霊感じゃ、この仕事は請けない方が良いんだけど……

 

「ハメたな、鶴子さん!だけど……」

 

 未だ僕と目を合わせない彼女に文句を言う。

 

「賑やかですね。お客様かな、姉さん?」

 

 爽やかな声と共にイケメンが入って来た。ジャニーズみたいな爽やか系のイケメンが、にこやかに美羽音さんの肩に手を置きながら微笑んでいる。

 未だ二十歳ソコソコだと思うが、妙に落ち着いているし張り付けた笑みも気に入らない。

 

「あら、修さん!今日お会い出来るとは思いませんでした」

 

 猫を被った鶴子さんが色気を振りまいて挨拶しているから、彼がお目当ての依頼人の弟君か。

 くたびれてクッションに深く座り直し冷えた紅茶を飲み干す。これは断った方が良いな、イケメンは悉(ことごと)くモゲれば良いんだよ。

 なんで他人の恋愛事の手伝いをしなきゃならないんだ?

 

「鶴子さん、僕はこれで帰るけど良いよね?美羽音さん、さっきの提案だけど安全の為に早めに実行した方が良いですよ」

 

 ソファーから立ち上がると、美羽音さんの後ろに立っていたイケメンが通路を塞いだ。

 

「待って下さい、榎本さん。騙す様に招いた事はお詫びします。ですが私達も本当に困っているんです。

力を貸して下さい。遅れましたが、私は美羽音の弟で高梨修(たかなしおさむ)と言います」

 

 コイツ、未だ名刺交換も自己紹介すらしてないのに名前を呼んだぞ。これは鶴子さんをダシに僕に近付いたと見るべきか?

 

「わざわざ有り難う御座います、榎本です」

 

 名刺を交換し確認する振りをしながら胡蝶に話し掛ける。フリーライター、高梨修ね……

 

『胡蝶さん、コイツは霊能力者かな?僕では力を感じないけど……』

 

『ふむ、並みだな。一般人程度の霊能力しか無いし何かを隠し持ってもいないぞ』

 

 同業者でもなく霊具も持ってない、つまり普通の兄ちゃんだ。だが僕について詳しく調べているとみてよい。

 

「フリーライターとは、どんなお仕事なんですか?」

 

「主に旅の紀行やグルメレポートとかですね。温泉や郷土料理から最新のデートスポットまで依頼が有れば何でも書きますよ」

 

 『依頼』が有れば色々ね……貰った名刺から視線を高梨に移す。

 

 アルカイックスマイルって言うんだっけ?正直第一印象は大嫌い、私的感情を抜けば怪しい。だから此方も営業スマイルを浮かべる。

 

「僕から言える事は先程と同じですよ。証拠を掴むか逃げ出すかです。

高梨さんからもピェール氏を説得して下さい、お姉さんの安全の為に。

それは家族の仕事であり、我々が動くのはその後です。勿論、霊障なのか人的犯罪のどちらの場合もです」

 

 先程と同じ説明を繰り返すと同時に、高梨にも責任と義務の一端を押し付ける。実姉が心配なら義兄を何としても説得しろと……

 

「榎本さんやメリッサさんは義兄を説得してはくれないのですか?」

 

「出来ません。そもそも我々が、仮にも霊能力者(聖職者)が彼に心霊の危険を訴えるのは逆効果ですよ。

胡散臭い、金が目的か?話に聞くピェール氏の性格では意固地に反対すると思いませんか、美羽音さん?」

 

 大人しく聞いていた彼女に質問する。ピェール氏の性格を一番理解しているだろうから……

 

「確かに主人なら、怒りだして断ると思います……」

 

 ほらな、依頼人の中で協力的非協力的と分かれると大抵が揉めるか失敗する。僕等も責められるし、最悪は詐欺扱いで訴えられるだろう。

 

「先ずは証拠を集めて家族間で話し合って下さい。その子供部屋に現れる『モノ』を撮影してピェール氏に見せて説得するのです。

機材によっては建物に傷を付けない物も有ります。簡単なのはハンディカムで隠し撮りして下さい。

不法侵入を防ぐなら建物周辺に赤外線で警戒しましょう。大手の警備会社なら国宝建築の警備もしています。

建物への配慮は大丈夫でしょう。ピェール氏も盗難対策と言えば断り辛いでしょう。

そして外部からの侵入が無いのにハンディカムに“ナニ″かが写れば……」

 

「説得出来ると?榎本さんは調べてはくれないのですか?不動産関係の除霊が専門と聞いていますが?」

 

 やはりだ、コイツは僕の事を調べて話を持ち掛けている。

 鶴子さんに接触したのもセントクレア教会に相談したのも偶然じゃないな。営業スマイルを張り付けたままで答える。

 

「それこそピェール氏が臍(へそ)を曲げますよ。だから信用の有る大手の警備会社と言いました。

僕がやれば偽装と疑いますね。美羽音さん、ピェール氏に盗難予防対策として相談出来ますか?」

 

「それなら大丈夫です。この家にはアンティークな品が沢山有りますから、建物を傷付けないで出来るなら多分大丈夫です……」

 

 膝を叩いて満面の笑みを浮かべる。

 

「それなら安心ですね。念の為に言いますが、我々からの提案とは言わないで下さい。

盗難防止対策を講じたら不可解な『モノ』を写してしまった、どうしましょう?

これなら敬虔な信者である美羽音さんがセントクレア教会を頼っても文句は言えないでしょう。

さて、思ったより長居をしてしまいました。ピェール氏が帰ってこない内にお暇(いとま)しましょう。鶴子さん、帰ろうか?」

 

「鶴子って呼ばないで下さいな、全く……それでは高梨さん、失礼します」

 

 やや強引に席を立つと家を出た。勿論、コルベットの運転は僕がする。

 セントクレア教会まで鶴子さんを送り柳の婆さんに話を付けなくてはなるまい。

 

「榎本さん、態度が悪かったですよ。困ってる女性に対して可哀想じゃない?」

 

 助手席で不貞腐れ気味な鶴子さんをチラ見する。携帯電話でメールを打ち始めたが、女性のこの仕草は危険信号だ。

 

「いや、余りに胡散臭いから……鶴子さん、あの洋館に入って霊の存在を感じた?」

 

 メールを送信したのか、携帯電話を閉じて此方を向いてくれた。

 

「うーん、実は全然感じなかったわ。でも……」

 

「ゴーストハウスって初めて来る奴が居ると鳴りを潜める事も有る。だが、それでも僅かに痕跡は残るが……

僕も何も感じなかった。ただ何と無くピントがズレた様な変な感じがしたんだよね」

 

 胡蝶も気にしていた、ピントがズレた様なが今回のポイントな気がするんだ。

 あの洋館には確かに『ナニ』かが居るか有る。

 

「ピントがズレた様なね……それなら、もっと親身にならないと駄目じゃない?」

 

 法定速度通りに50㎞で走るのだが、アクセルがね。軽く踏み込んでも加速するし、車体が重いのか操作性は悪いわで運動し辛い。

 

「僕はアドバイザーだろ?提案はしたよ、後は彼女達が真剣に取り組むかだね。

本当に我が子が大切なら、何としてでも旦那を説得して証拠を掴むだろ?映像が有れば嫌でも反応が有るだろ?」

 

「でも……」

 

 歯切れが悪いな。車幅が広いから擦れ違いに神経を使う車だね。この辺は路肩駐車が多く斜線変更が頻繁で辛い。

 

「それよりも鶴子さんの目当ては高梨修さんだろ?玉の輿を狙ってる割りにはイケメンにターゲットを定めたのかい?」

 

 多分だが年下の若いツバメ的な感じなのだろうか?一子様は能力重視で外見だけの中身無しは対象外だったが、鶴子さんは外見重視とはね。

 

「イケメンだしお金も持ってるじゃない。それに若いし、私に対して結構好感触なのよね」

 

 ハニカミながら惚気られたのだろうか?頬を赤く染めて窓の外を見てるけど、完全に照れ隠しだと思う。

 だけど、あの男は絶対に鶴子さんを通じて僕に接触してきた感が有るんだよね。凄く怪しいんだ。

 

「お金持ち?美羽音さんの実弟だろ、ピェール氏の資産は貰えないよ。

それとも彼女達の実家が金持ちなのかい?フリーライターなんて高給取りじゃないよ」

 

 姉の美羽音さんはお金持ちのお嬢様って感じじゃなかった。奴も身なりは清潔だったが金持ちの服じゃない。

 多分だが吊しのスーツだろう、オーダーメイドじゃない。

 最近、本物のお嬢様や金持ち連中と接する機会が多かったから何と無く分かるんだけど……

 

「あら、じゃ顔だけなの?でも有名な雑誌に寄稿したりとか、今度海外に取材旅行に行くとか……」

 

 指折り数えて思い出しているけどさ、少しは調べるか疑えよ。

 

「本当に有名なライターかも知れませんが、掲載雑誌とか聞きました?」

 

「ええ、じゃらんとか横浜ウォーカーとか……」

 

 自分でコラムや特集記事を張れる連中じゃないと高額収入は無理だろ。両方とも定期購入してるけど、高梨修なんて知らないぞ。

 

「両方とも購読してますが、高梨なんて知りませんよ。まぁ鶴子さんが魅力的だから嘘を付いてでも近付いたのかな?」

 

「あら?榎本さんもお上手ね。でも何も出ないわよ」

 

 ああ、社交辞令で機嫌が回復しちゃったよ……基本的に鶴子さんは善人なんだよね、守銭奴っぽいけど実際は其処までがめつく無いし。

 何より亀宮さんと何だかんだで喧嘩友達同士だから悪い娘じゃない。

 

「さて、柳の婆さんに報告に行きますか」

 

「え?何故かしら?」

 

 鶴子さんの質問に答えずにCDのスイッチを押す、流れだした曲は名前は忘れたがビジュアル系バンドの新曲だった。

 やっぱり彼女は面食いなのね。

 



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第203話

第203話

 

 久し振りのセントクレア教会。

 

 相変わらず清浄な空間を維持しているな。掃き清められた敷地内、所々に配された天使像や十字架が聖域を形成している。

 柳の婆さんは力は凄いのだが、神職の癖に腹黒いんだよね。

 美羽音さん達も此処へ逃げ込めば取り敢えず安心なんだけど、あの洋館に固執する意味が分からない。

 単なる所有権を誇示したいなら誰かに管理を任せれば良いし、本来なら悪い噂にならない様に火消しする筈だろ?

 

 なのに妻の訴えを無視して子供を危険に晒している……

 

 経済的に恵まれていてベビーシッターまで雇っているのに、何故に引っ越しを渋るのか?

 思案に耽りながら、それでも普段の何割か増しで安全運転を心掛ける。途中信号で停まる度に周りから指を差されてヒソヒソ話された。

 アメ車を運転するムキムキなオッサン、助手席に美人シスターじゃ仕方ないよな。

 何人かに写メも撮られたから、ツィッターとかで曝されてなければ良いが……何とか無事故でセントクレア教会に到着したが、心身共に疲労困憊だよ。

 

 鶴子さんに運転席を譲り、教会の近くに借りている駐車場へ移動しに行って貰った。

 職員は子供を事故に巻き込まない為に車は敷地外に停めるそうだ。

 送迎は基本的にバスだが、自家用車で送り迎えする場合は裏に専用スペースが有り子供達と車との動線を分けている。

 

 安全面を良く考えているな……無断で教会に入る訳にもいかずに入口前で立っていたのだが、子供達に見付かってしまった。

 

「「「あー!マッスルサンタのオッサンだー!」」」

 

 全速力で走ってくる園児達と見守る保母さん。

 

「サンタクロースのオジサーン、高い高いしてー!」

 

「今日はセクスィートナカイのお姉さん居ないの?サンタのオジサンがセクハラしたの?」

 

 キラキラと純真無垢な瞳で見上げられて、言葉の猛毒を吐かれた!

 

「あら榎本さん、いらっしゃい。シスターメリッサは、どうしました?」

 

 えっと、名前は忘れたがモブなシスターさんが話し掛けてきた。足元でじゃれ付く子供達を両手で一人ずつ丁寧に持ち上げて高い高いをする。

 身長+腕の長さ分の高さだから2m以上有る為か子供のはしゃぎ様が凄い。

 

「車を停めに駐車場まで行ってます。来たら柳さんの所へ一緒に相談に行こうと思いまして……」

 

 最初の男の子を下ろして二人目の女の子を高い高いする。

 

「ああ高梨さんの相談の件ですね。それで、本当に怪奇現象でしたか?修さんが随分と深刻そうにシスターメリッサに相談してましたが……」

 

 矢張りだ、矢張り高梨修は鶴子さんに積極的に話を持ち掛けたんだな。三人目は男の子だ。

 

「高梨修さんですね、今日会いましたよ。メリッサ様が随分と入れ込んでましたね」

 

 わざと苦笑を浮かべ、モブなシスターの表情をそれとなく伺う。少し陰ったけど、鶴子さん以外には奴は評価が低いのか?

 

「何か問題でも?まさかメリッサ様が貢いでいるとか?」

 

 少し疲れたが四人目の女の子を持ち上げる。彼女で最後だ。

 

「いえ、そうではないのですが……あの人、妙に私達の仕事に付いて聞きたがるのです。勿論、シスターとしての仕事の方ですよ。

お仕事がフリーライターと言ってますし、雑誌とかに載せられたら大変な事になります。

私達、セントクレア教会の表の仕事は保育園なんですよ。保母さんがエクソシストとか知れ渡ったら……」

 

 園児の父兄は面白くは無いだろうな、本場では分からないが日本でのエクソシストなど眉唾物だし。

 何と無くだが、奴の考えが分かってきたぞ。そして柳の婆さんの思惑も……

 

「確かにね……ネタとしたら最高だな。はい、次は君だよ。ほーら、高い高い!」

 

 最後の子供はサービスで少し長く高い高いをする。

 

「わーい、オジサーン!もっとクルクル回ってー!」

 

 くっ、僕は力は有るが三半規管は鍛えてないんだぞ。子供の体力が無尽蔵って本当なんだな。

 

「わーい、サンタのオジサンが居るー!」

 

「僕もあそぶー!」

 

「私も抱っこしてー!」

 

 未だ居るのか?更にワラワラと六人位の子供達が集まって高い高いを強請ってくるが、そろそろ限界だ。

 だが期待に満ちた子供達の気持ちは裏切れない。

 

「よーし、お兄さんが頑張るからね。順番に並ぶんだよ」

 

 気力と体力の続く限り小さな台風達と遊んだ。最後の一人を下ろして、その場に座り込む。

 深呼吸をして息を整え、ニヤニヤ笑いの似非シスターを睨み付ける。

 

「戻って来たなら早く言って下さい。体力はともかく三半規管がヤラれましたよ」

 

 凄く嬉しそうな鶴子さんが、腕を組んで笑っている。

 

「ふふん、保母の私が子供達を悲しませる事は出来ないわよ。ねぇサンタのオジサン?」

 

 途中、戻って来たのにニヤニヤ此方を見てるだけの鶴子さんを恨めしそうに睨むが効果は無いな。

 立ち上がり尻を叩いて埃を払う。高い高いに飽きた子供達は、お遊戯の輪に加わって笑っている。

 

 子供達の体力って本当に凄いわ……しかし、サンタのオジサン呼ばわりは傷付いた。

 

「ふふふ、榎本さん子供好きなのね。分かるわよ、良いパパになれるわよ」

 

 凹んでいる所を褒められたが確かに子供好きですよ、ロリコンですから……ただ流石に幼稚園児は守備範囲外なだけで。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 鶴子さんの案内で前回も通された園長室に行きソファーを勧められた。

 鶴子さんがカルピスウォーターのペットボトルをそのまま渡してくれたので一気飲みする。

 

「ふぅ、落ち着いた。それで高梨修さんを唆(そそのか)して、どうしたいんですか?」

 

 向かい側で渋い顔をする柳さんを問い詰める。前回は色々と退魔結界が張られていたが、今回は何も無い。

 確か胡蝶が全て壊したらしいが、柳の婆さんも僕に鈴を付けようとしたので自業自得だろう。

 

「唆すとは失礼ですよ。あの人は自ら榎本さんの事を気にしていた。だからチャンスを上げたのです」

 

「余計に悪質ですよ。ならば事前に一言有るべきですね。僕はアドバイザーとして同行したのです。

アレでは仕事を請けるのを前提で話されてましたよ」

 

 文句を言いつつ婆さんの様子を伺うが、全く変化が無い。凄い鉄面皮だ……

 

「それは鶴子の説明不足でしたね。申し訳ない、謝罪します」

 

 素直に非を認め頭を下げられれば、何も言えなくなる。実害はないのだから……

 

「分かりました、この話は此処までにしましょう。それで、どうします?初見では怪しい感じはしませんでした。

ただ、あの洋館ですが少し変なんです。中に居るとピントが合わない様な違和感が……

兎に角、ピェール氏を納得させるだけの証拠を掴んで洋館を出ろと提案しました。後はセントクレア教会を頼るでしょうから、お願いしますね」

 

 アドバイザーとしての責務は果たせただろう。後は美羽音さんの頑張りが頼りだが、愛する我が子の為なら何とかピェール氏を説得するだろう。

 

「なるほど、そうですか……ピントが合わないですか、私もそう思いました。

あの違和感の原因を探る為に随分と張り込んだのですが、まさか初見で見抜くとは」

 

 ん?随分と張り込んだ?この婆さん事前にちゃんと自分で調べてたんだな。それの確認作業に僕を巻き込んだのか……

 

「それで柳さんの考えでは白ですか?それとも黒ですか?」

 

「叔母様、何を言ってるんですか?」

 

 隣に座り空気だった鶴子さんが詰問調で婆さんに詰め寄る。彼女には知らせてなかったんだな、事前に調べていた事を……

 

「婆さんは自分で調査済みだったんだ。その確認作業に僕等を利用したのさ。

後は高梨修の目をセントクレア教会から逸らすのもかな?アイツ、この事件をネタにするつもりだと思う。

表看板に教会と保育園を掲げている婆さんと最初から心霊調査事務所を掲げている僕とでは、曝された時のダメージが段違いだろ?」

 

 ニヤリと凶悪な笑みを浮かべてやる。勿論だが僕だって悪目立ちは嫌だから、合法非合法を問わずに阻止するけどね。

 

「ふふふ、其処まで考えてませんよ。所詮、高梨修など小者でしかなく私達なら何とでも出来る存在でしかない。違いますか?」

 

『正明、このババァ教会の敷地全体に張っている結界を反転させるつもりだぞ。

この教会周辺を形成する聖域の力を全てこの部屋に圧縮させるのだが、我々には効かぬな。我は正明に崇められ性質が善に傾いているので無意味だ』

 

 広域の結界の範囲を狭める事で悪を払う力の密度を高めるのかな?やっぱり婆さん胡蝶の事を警戒して罠を張りやがった……

 いや暴れた時の保険か?ソファーに深く座り直して腕を組み婆さんを睨む。

 

「警戒は結構ですが、教会丸々の聖域結界をこの部屋に圧縮させても無意味ですよ。日本の神々は一神教と違い善悪混合、表裏一体なんです。

つまり貴女の警戒する『胡蝶』は善に傾いてますから結界圧縮は彼女の力を増すだけで無意味です」

 

 善悪のはっきりしたキリスト教と違い、仏教の神々は場合によっては祟り神になる。つまり同じ神様でも善神と悪神になるんだ。

 柳の婆さんは、その辺を理解しないと駄目だと思う。

 

「つまり、ソレは悪では無いと言うのかい?」

 

「今は……ですね。対応によっては祟り神にもなりますよ。どうしますか、僕は構いませんが亀宮に敵対します?」

 

 亀宮さんは関係無いと思うけど、仮にも派閥に所属してるからね。

 末端構成員にチョッカイかければ口実にもなり、面子やパワーバランスの関係で介入も有りだ。

 だが亀宮本家の介入は僕にとってもマイナス面が大きい。暫し睨み合うが、先に折れたのは柳の婆さんの方だった。

 目線を下にずらして深いため息を吐く……

 

「流石は亀宮に迎え入れられる逸材と言う訳ですか。まさか結界の件がバレてるとは思いませんでしたよ。

分かりました、重(かさ)ね重(がさ)ねの非礼を詫びましょう。それと鶴子を頼みます。

この娘は私の後継者ですが、力は有れど他に不足している物が多い。榎本さんと一緒なら学ぶ事も多いでしょう」

 

 折れてはくれたが、鶴子さんの面倒を見ろってのは嫌だ。彼女が嫌な訳では無いが、結衣ちゃんや静願ちゃんの件も有る。

 もしも教育するなら彼女達が先だろう。

 

「いやいや、柳さん自らが後継者に教えないと駄目だって。僕が教えられるのは契約について位ですよ。

それに彼女は既に確立している除霊方法を持ってますから、僕から教わるのは逆効果になりかねない。宗派も違うしね」

 

 柳の婆さんは鶴子さんを緩衝材か繋ぎみたいな役割にしたいんたな。御三家の一角、亀宮一族への繋がりは切りたくない。

 なら何故、僕を排除しようとしたのかが不明だ。

 

 まだ何か……

 

「もう、本人の目の前で何を言ってるんですか?榎本さんも榎本さんですよ!私の教育は嫌だとか無理だとか……」

 

 結界については黙って聞いていた彼女も、自分の教育方針については口出しせずにはいられなかった様だ。

 少し拗ね気味に文句を言ってきた。

 

「坊主に修道女の教育係は無理って事ですよ。鶴子さんは、しっかりと柳の婆さんに学ばないと駄目だって事です。

よっ、頑張れ後継者!」

 

 パチパチと拍手のサービスも付ける。

 

「からかわないで下さいな。全く榎本さんまで鶴子って……女性の名前を許可無く呼ぶんだから、責任取って貰いますよ」

 

 最後のオチも彼女が付けて、今回はお開きになった。だが洋館については少し調べた方が良いかもな。

 僕の霊感が、今回の件に嫌でも関わるだろうと告げている。

 

 ならば事前に調べるだけは調べてみるか……

 



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バレンタイン記念挿話(平成25年版)

バレンタイン記念挿話

 

A面

 

 

「愛染明王よ、何故毎回仏教徒の僕が他宗教の神の家に呼ばれるのですか?」

 

 数珠を握り締めて敬愛する愛染明王様に祈る。

 

「男手が足りないからよ、修道院なんだから女性しか居ないの。毎年バレンタインにはチャリティーバザーをするのよ。

テントの設営とか寄付された品々の運び込みとか、か弱い女性にやらせて平気なの?」

 

 多少強引だが男としてこの様に頼まれたら断れない、いや断る事が出来難い。

 日本でのバレンタインは恋人達のイベントで、年間のチョコレート消費量は二月がダントツだろう。

 今は自分にご褒美チョコとか友達と交換する友チョコも有るらしい。頭の中で昨年の成果を思い浮かべるが……

 

 結衣ちゃんからだけだった。

 

 貰えただけでもよしとするべきだけどね。朝からフリーマーケット用のテントを設営し寄付された品々を運んで行く。

 それをワゴンに並べていくシスター兼保母さん達。確かに謝礼は貰えるのだが、チャリティーの協力だから全て寄付するつもりだ。

 偽善かもしれないが、困っている人々には個人の感情なんて関係ない事だから。

 

「榎本せんせーい!こっち終わったから遊ぼー!」

 

「肩車してー!」

 

 園児達には懐かれたが、後5年位は成長してから来て欲しい。僕はロリコンだがペドでは無い……と思うが最近自信が揺らいで来ているのも事実。

 

「僕は先生じゃないからね?お手伝いのお兄さんなんだよ、分かるかな?」

 

 全く人の言葉を聞かないチビッ子ギャングめ。ワラワラと集まる園児達の安全に注意しながら、高い高いをする。

 

「オジチャーン、もっとやってー!」

 

 純真無垢な言葉が痛い……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「いらっしゃい。はい、ありがとう……えっと300円になります」

 

 園児達の母親からの寄付の品々には手製の衣類や小物類とバラエティーに富んでいるが、シスターさん達が付けた値札を確認しながら売っていく。

 まさか筋肉ムキムキ気な僕が売り子まで手伝わされるとは思わなかった。

 しかもメリッサ様とペアを組まされたので凸凹コンビだが、不思議とお客は寄って来る。

 

「メリッサ様、柳さんは居ないの?」

 

 吹き荒ぶ庭での露店故に寒さが足元から来るが、ヒートテックにホッカイロで何とか凌ぐ。

 因みにメリッサ様の足元には電熱器が有りますね、男女差別だよね?

 

「ごめんなさいね、叔母様は榎本さんを凄い警戒していて……今日は用事で外出してるの」

 

 物凄い申し訳なさそうな顔で謝られてしまった。確かに胡蝶に本気で脅かされたら警戒もするよな、首を掻き切ったジェスチャーしたらしいし……

 

「いや気にしてな……」

 

「メリッサ様、繁盛してますね」

 

 途中で声を掛けられ振り向けばダンディな中年の外人男性と若い可愛い系の日本人の女性が並んで立っていた。

 ジョージ・クルーニーみたいだな、殺意が沸くが連れの女性はどこか野暮ったい垢抜けない感じがする。

 派手目な娘より僕的好感度は高いが、このダンディには吊り合わないような……

 

「これはピェールさん、美羽音さん。わざわざご足労、有り難う御座います」

 

 にこやかに会話する三人を見て思う。ピェールさん、日本人の若い女性を嫁に貰ったのかな?

 感じとしては夫婦だけど温度差か距離感が有るみたいな……暫く会話をして手編みの手袋を買ってくれた。

 

「ねぇメリッサ様?微妙な距離の有った方々ですが夫婦なんですよね?」

 

 ピェール氏の半歩後ろを歩く彼女を見て思う。

 

「そうね、端から見れば逆玉なんだろうけど……美羽音はね、私達と同僚だったのよ。

年の差婚だけどピェールさんが彼女を大切にしてるのは確かよ。

猛烈なアプローチが有ったけど最終的には弟さんが仲を取り持ったのよね」

 

 ふむ、逆玉と言うか年の差婚って上手く行かない場合が有るのか。嫁には安らぎを求めたいと言うが、その点では彼女は良いと思う。

 やはり家庭的な娘が嫁には……結衣ちゃんしか居ないではないか!結衣ちゃんと結婚する時の為に考えておかないと駄目だな。

 だけど僕の霊感が何かを伝えている、彼等には遠くない内に関わり合いになりそうな気が……

 半日丸々働かされて謝礼金一万円を貰ったが、当初の考え通り全額寄付した。

 寄付金は国連WFPを通じて世界の子供達の為に使うそうだ。

 大食いの僕としては飢餓で苦しむ子供達には何かしたいので、序に毎月定額寄付5000円も申し込んだ。

 1回の寄付で一人の子供が1年間給食をお腹一杯食べれるらしい。

 やらない善よりもやる偽善の精神で良いだろう、何より僕の気持ちが軽くなる為の行為だから子供達の為じゃない。

 終了後に簡単な打ち上げに参加したがメリッサ様以下から義理チョコを頂いたし、園児達からも義理チョコを頂いた。

 

 意外な事に手作りチョコ率が高い、そして妙に上手い。やはり慣れかな?

 勿論、園児達は10円チョコや母親が用意した物だがシスターさん達の殆どが手作りだ。

 因みにメリッサ様は、スイスのリンドール社の高そうなミルクチョコだったので倍返しが辛いかも。

 今年は義理チョコを既に8個も貰えたぜ!勿論貰った人は名前と顔を覚えておく。

 但し貰う時にメリッサ様達から「ホワイトデーにもチャリティーバザーを催します」と教えられた。

 園児達にも又遊びに来てと誘われてしまったし。

 

 ホワイトデーのお返しは肉体労働が込みになりそうだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

B面

 

 

 進学校だけ有り内容の濃い授業が続くけど、放課後になればクラスメイトと話が弾む。

 昔の暗い引っ込み思案な私だったら考えられない事。

 

「結衣は今年も榎本さんにチョコあげるの?」

 

 クラスメイトの一人から何気なく聞かれた。

 彼女は同じ進学塾に通う男子にチョコをあげるらしいし、他にも友達繋がりや同じ小学校の元クラスメイトとか皆それなりに彼氏が居るみたい。

 

「えっ?うん。帰ったら特大のチョコレートケーキを作るわ」

 

 既にスポンジケーキは出来ていて冷蔵庫で馴染ませている。後はトッピングをすれば完成。

 最近は友チョコと言って友達同士でチョコを交換している。

 ケーキかクッキーで悩み試作品を両方作ったけど、甘党で大食漢の正明さんなら大きなケーキと思いクッキーは友達に配った。

 此処は女子校だし男性は先生しか居ないけど、若くても40代だから人気は無い。

 

「結衣のチョコクッキーって美味しいよね。去年のも凄い美味しかったし。

ねぇ、私の兄貴がさ。結衣と一緒に撮ったプリクラ見て会いたいって煩いんだけど、どう?」

 

 私を拝んでお願いされたけど、大本命が居るから。

 

「ごめんなさい、嫌かな」

 

 アチャーって感じでガッカリしてるけど、会うだけも嫌!知らない男の人に、わざわざ会う意味が分からない。

 

「即答だよね。結衣ってさ、誰か好きな人居るの?まさか、あの筋肉の人……な訳ないか。

ねぇ、お願い!一生のお願い、兄貴しつこいんだ。一回だけ、会うだけで良いから、ね?」

 

 筋肉の人で正解なんだけど、やはり保護者だから里親だから対外的には手を出すには良くないのかな?

 世間的には高校を卒業しないと結婚は駄目っぽいけど、そこまで待ってたら他の人に奪われそうだし。

 やはり早めに結婚の約束をして、式は高校卒業を待って入籍は早めに16歳の誕生日に……

 

「結衣、結衣?平気?ボーっとして大丈夫?」

 

 はっ?いけない、トリップしてしまったわ。

 

「ごめんなさい、無理かな……」

 

 こんなに頼まれたら断るのは辛いけど、正明さんに誤解でもされたら嫌だから会うのは無理だよ。

 

「結衣ちーん、迎えに来たよー!」

 

 最近知り合った高等部の先輩が教室の入口で手を振っている。二人とも美人だし人目を引くから目立つ。

 薊先輩は桜岡さんのオフィスでバイトをしているし、静願さんは魅鈴さんと共に要注意人物だ。

 でも丁度良いタイミングでクラスに来てくれた、今日はウチで一緒にチョコ作りをする約束だから。

 

「ごめん。私、本命居るからその人には会えないよ。それじゃ、また明日ね」

 

 変な雰囲気にならない内に離れられたので、先輩方には感謝しないと。

 机の上に置いていた鞄を持って二人の方に駆け寄る。

 後ろで驚いた声が聞こえるけど、好きな人が居ると言えば無理に会わせないだろうから丁度良かった。

 正明さんにはライバルが多いから、少しでも確率を下げる事はしたくない。

 最近の魅鈴さんのアタックが露骨になってきて危険なの。もう一度過ちを犯したら、即日入籍位な意気込みで……

 

「結衣ちん、早く帰ろうよ。余り時間無いんでしょ?六時には榎本さん帰るらしいじゃん」

 

「急がないと、失敗は許されない」

 

 薊先輩は彼氏は居なくて単純に自分用として家族と食べるらしい。静願さんは勿論、正明さんに渡す。

 私はチョコケーキ、彼女はチョコクッキー。一緒に作るのは互いに牽制と情報収集の為に。

 料理の腕は私が勝っているけど、その差は日々縮まっているから油断出来ない。

 正明さんの胃袋を掴んだ方が最終的な勝利を得るだろう。

 歩道を並んで歩き笑みを浮かべているが、既に女の戦いは始まっているのだから……

 

「結衣ちん、静願ちん。なんか怖いよ、黒い何かが駄々漏れしてるよ」

 

 一歩後ろを歩く薊先輩から失礼な事を言われた。私は泥棒猫(小笠原母娘)の排除を考えてただけなのに……

 

「薊先輩、気のせいですよ?」

 

「菊里さん、考え過ぎ?」

 

 振り返りもせずに答える。

 

「そこは疑問系じゃなくて、ちゃんと否定してよ!」

 

 薊先輩の悲鳴が聞こえたが、華麗にスルーした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

裏面

 

 バレンタインデーにキャバクラに行くとは、端から見ればキャバ嬢に貢いでいる男と思われるだろう。

 しかし今夜は臨時休業となっている。なぜならば昨晩から哀れな男達の怨霊が現れ始めたからだ。

 

「まさか出るとは思ったけど本当に今夜も出るとは……人の業(ごう)って本当に恐いな」

 

 羨望・熱望・渇望、望みが叶わず失望し、最後は嫉妬から恨みに変わる。

 好きな異性から突然相手にされなくなり、最悪な手段を講じた男。

 だが女の方も相手の感情を利用して金を貢がせ、有り金が無くなれば捨てたのだから自業自得だと思う。

 

 最近のストーカーは生きている人間だけじゃない、生霊や怨霊も居るんだよね。

 一人は首吊り、一人は溺死だろうか?

 生前最後の姿で、ただ恨めしそうに店の真ん中に立っているだけだ。

 

「榎本さん、早く祓ってよ。アイツ、キモいんですけど!」

 

「全くお金が無いのに会いたいとか、ヤラせろとは馬鹿じゃないの?」

 

 横浜伊勢佐木町のキャバクラ、「ガールズ&ガールズ」。

 

 18歳から24歳迄のギャルを中心としたコンパニオンで構成された中級店だ。

 客層は30歳前の男性が殆どだが、故に自制心が乏しい連中も居る。

 所謂キャバ嬢に入れ揚げる連中が居るのだが、彼女達もノルマ達成の為に彼等の相手をする、まるで恋人の様に……

 指名から始まり同伴出勤、稀にプレゼントを貰い夜の相手もするらしいが……

 同伴出勤から閉店まで居て、それからお楽しみだから最初のデート代からプレゼント代、飲み代も考えたら膨大な金額だ。

 貯金を食い潰しサラ金に手を出し、そして破綻する。

 

「金の切れ目が縁の切れ目」な彼女達は途端に冷たくなり相手にしなくなる。

 

 そして自殺し逆恨み?のキャバ嬢の元に現れる訳だ、何故か夜に店にね。

 多分だが未練の場所なんだろうな、出会いの場所で有り散財の場所でもある。

 何よりキャバ嬢達は彼等を自宅とかに招いたりしないだろうから唯一の接点はお店しかない。

 携帯電話やメール絡みの霊障は聞いた事は有るが、実際に出会った事は無い。

 僕は幽霊が電話やメールをする訳が無いと思うんだよね、精々が通話不能くらいだろう。

 そんなハイテク幽霊がいたらハッキングとか出来たら、凄い大変な事になるだろう。

 

「諦めて楽になれよ。アンタ等の幸せは此処には無いんだぜ」

 

 左手を振れば化けて出た哀れな二人の霊は霧散した……最後まで固執した相手からの罵詈雑言を受けながら。

 

「榎本さん、有り難う。ハイ、お礼とチョコだよ」

 

「私もお礼とチョコあげるわ」

 

 自分達が破滅させた男の最後を見ても、あっけらかんとしたキャバ嬢に薄ら寒い恐怖を覚える。

 金が無くなると、生きている時は店絡みのヤクザに追い払われ死ねば僕に追い祓われる。

 そのヤクザや店に頼まれて彼等を祓う僕も同類なんだけどさ。

 

「チョコは要らないよ。最後に彼等に供えてやりな。じゃ次の店に行くから、程々にしなよ」

 

 一律20万円の報酬を現金で貰う。帳簿にも書かない完全な隠し収入だ。

 彼女達も領収書も契約書も求めない、求められないから美味しい仕事だ。

 

「今夜だけでも三件で60万円か……女に貢いだ金で自分が昇天しちゃ遣り切れないかい?」

 

 三件の現場は珍しくキャバ嬢の部屋だった。マンションまで招かれたと言う事は、それなりの仲だったのだろう。

 ただ部屋の隅に立つだけの男に話し掛ける。30代後半だろうかスーツ姿の男は、虚ろな瞳を向けてくるだけだ。

 

「早く追い払ってよ。気持ち悪くて彼氏を部屋に呼べないんだけど−」

 

 彼女の毒に反応したのか、男の霊がキャバ嬢に掴み掛かってくる。

 

「ちょ、ちょちょちょ、キモい、いやー!」

 

「成仏しなよ……」

 

 左手を軽く払うと霧散した、哀れな男に黙祷する。綺麗な夜の蝶はね、一皮剥けば雄を捕食する蜘蛛か螳螂なんだよ。

 報酬を受け取りキャバ嬢の部屋を出れば、既に日付が変わっていた。

 僅か四時間で60万円の儲けだが、何とも言えない嫌な気持ちになる。

 こんな夜は酒を飲んで寝るのが一番なんだが、今夜の一人酒はモテない男の自棄酒と思われるから嫌だ。

 タクシーを拾い自宅へと向かう。買い置きの麦酒でも飲んで寝てしまおう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ただいま……」

 

 結衣ちゃんを起こさない様に、なるべく音を立てずに中に入った。

 身を切る寒さの外とは違い玄関扉を開けた瞬間に暖かい空気に包まれる。

 

「お帰りなさい、お仕事お疲れ様でした」

 

 廊下の電気が点いて結衣ちゃんが出迎えてくれた。ドンキホーテで買った狐の着ぐるみが似合い過ぎている。

 

「未だ寝てなかったのかい?」

 

 彼女の寝巻きはTシャツと短パン、又はスエットだから出てきたタイミングを考えても未だ起きていたんだろう。

 

「明日はお休みですし、勉強してたから……」

 

 狐耳の付いたフードを捲り彼女の頭を撫でる。サラサラな髪の毛から、ほんのりとシャンプーの香りがする。

 気持ち良さそうに撫でられ続ける彼女を見て、モヤモヤした気持ちが消えた。

 食虫植物みたいな女性も居れば、ルビナスな様な結衣ちゃんも居る。因みにルビナスの花言葉は「貴女は私の心に安らぎを与える」だ。

 

「お夜食にリゾットを作りますね。先にお風呂に入って下さい」

 

 そう言ってパタパタとキッチンへ走っていった。

 

「ふふふ、僕は間違いなく世界の上位の幸せ者だ」

 

 世の中には色々な人間が居て、男と女か居て、善人と悪人が居る。

 騙し騙され、奪い奪われる世界に生きている僕だけど、純粋な好意を向けてくれる彼女が居るから狂気を抑えられるんだ。

 胡蝶と融合した事による自分の変化が恐かったが、大切なモノ護る力は必要だから……

 僕は敢えて人間をやめても良いと覚悟を決める。

 

 望まぬ力だが今なら向かい合えるだろう。この胡蝶と僕の力に……




バレンタイン挿話については新作もこの後に公開します。


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バレンタイン記念挿話前編(平成26年版)

「珍しいね、恵美子が料理を教えて欲しいなんて……」

 

「まぁね、料理がお薦めの旅館の跡取り娘の晶なら詳しいと思ってさ。

しかし湯煎って時間が掛かるよね、電子レンジでチンしちゃ駄目なの?」

 

 最近元気の無かった恵美子から久し振りに連絡が有った、何でも手作りバレンタインチョコを作りたいと……

 恵美子は社交的で派手な衣服や化粧を好むけど異性との関係は消極的、友達は多いけど特定の恋人は居ない筈だった。

 義理チョコや友チョコは市販品を買っていて、何時もこの時期はチョコ購入費の為にバイトまでしているのに……

 だから宿泊客を送り出して手の空いた十時過ぎから調理場を借りてのチョコ作り、市販の板チョコを割ってボールに入れて湯煎をしている。

 

「市販品のチョコは急激に温度変化をすると味が変わるんだよ、湯煎で溶かして型に流し込んで冷やすだけなんだから頑張ってよ」

 

 ぎこちない手でボールに入れたチョコをゆっくりと掻き混ぜているけど既に面倒臭くなってないかな?

 自分で教えてくれって言ったのに、普段の彼女からは考えられない態度だ。

 

「それでチョコの中に色々な具を入れるんだよね?

用意したのは定番のアーモンドにカシューナッツ、変わり種はドライフルーツか……

でもマンゴーやパインは分かるけど柿とか梨ってチョコに合うのかな?」

 

 テーブルの上にはナッツ類の他に市販品のドライフルーツを数種類買って2㎝角に切り揃えてある、不揃いだとチョコから飛び出したり中心からズレたりして仕上がりが悪い。

 

「その日に作って渡せるなら生イチゴをホワイトチョコでコーティングが美味しいんだけどさ、渡すの明後日だろ?」

 

 基本的にミルクチョコは大抵のフルーツと合う、生ならバナナや苺は定番だがドライフルーツなら変わり種でも大丈夫。特にオレンジ等の柑橘類との相性は抜群だ。

 昨今のバレンタインは海外ブランドの高級品が主流だ、ゴディバとかレオニダスとか……でも国産の百円板チョコでも十分美味しい物は作れる。

 

「うん、まぁね……でも面倒臭いよね、誰がバレンタインなんて始めたんだろ?こんな強制参加型イベントなんてさ、キリスト教のお祭りって大変だよね」

 

「バレンタインデーってキリスト教のイベントだけどチョコを贈るのは日本のアレンジだよ、確か1970年前後に明治製菓・モロゾフ・メリーの三社が販促活動の為に始めたのが切っ掛けじゃなかったかな?

友チョコや自分チョコ、逆チョコは2000年以降に流行りだしたよね」

 

 確かに既製品を贈るみたいな趣旨になってるからお菓子メーカーの販促活動に乗せられている、強制参加型の購入イベントだ。

 僕は中学生の頃から貰う方だったので少ないお小遣いで買ってくれたチョコを断るのが辛かった、でも受け取るとホワイトデーに破産するから……

 何だよ、「倍返しだー!」みたいな風習は、男の方が負担がデカいじゃん!

 

「晶、詳しいね……」

 

「貰う方だったからね。調べたんだよ、断るのに相手を傷付かない方法や理由が有るかなって……

本来はローマ皇帝が侵略戦争に明け暮れていた頃、故郷に妻子を残して戦う兵士の士気が低い為に結婚を禁止したんだ。

でもバレンティヌ司祭?が内緒で結婚を認めていて、バレて捕まって処刑されたのが2月14日だと思ったよ」

 

 うろ覚えだけど大体そんな内容だったと思った、流石に高校を卒業してからは貰ってないし贈るのも今回が初めてだし……榎本さん、僕のチョコ受け取ってくれるかな?

 

 

「全然チョコ関係無いじゃん!」

 

「最初は好きな人にチョコを添えてラブレターを贈ろうとかチョコが主役じゃなかったみたいだよ。まぁ製菓メーカーに上手くヤラれたんだ、ほら、手がお留守になってるよ」

 

 確かに愛の告白イベントなんて意味は薄れてるかも……榎本さん、初めて贈るチョコが手作りだと深読みして受け取ってくれないかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「完成した、でも晶の市販品並のクオリティーのチョコと並べると見劣りする。それって噂の榎本さんに渡す本命チョコ?」

 

「なっ、ななな、何言ってるんだよ!ちっ、違うよ、お世話になってるからお礼に贈るんだよ」

 

 図星を突かれると動揺するよね、恵美子には完全に疑われたかも……

 

 トレイに並べて冷やす、粗熱を取ってから冷蔵庫に入れるのがコツだ。

 確かに恵美子の分は少し歪で入れた具も少し見えていたりしてるが手作りチョコは気持ちの問題だ、好きな相手からじゃないと中々受け取れないけど……

 

「ねぇ、恵美子。誰に渡すの?バレンタインに手作りチョコなんて渡せる相手が居たんだ。僕、知らなかったよ」

 

 椅子に座り黙って作ったチョコを見ている親友に珈琲を煎れて目の前に置く、私はブラックだが彼女は甘党だからミルクと砂糖は必須だ。

 渡したカップに砂糖だけ三個いれた恵美子は黙ってスプーンで掻き混ぜている……

 

「うん、相手はね……井上君だよ」

 

「井上?井上って高校三年の時に同級生だった井上じゃないよね?」

 

 共通の知り合いで年頃の井上姓の男性は彼しかいない、でも彼は……その、恵美子の趣味じゃない筈だ。

 彼は止めろって言葉を何とか飲み込む、もしかしたら真剣に付き合っているのかもしれない。

 だけど記憶に残る井上は、確かに頭は良かったが自分と比較して他人を馬鹿にする自信過剰な嫌な男だった筈だ。

 そんな彼に何故、恵美子は手作りチョコなんて贈るのかな?

 

「その井上君だよ……何故って言われると良く分からないんだけど、贈らないと駄目な気持ちになるんだ。

不思議だよね、自分の気持ちが分からないなんて……」

 

 自分の気持ちが分からない?恋は盲目って事?いや、それは違う。

 それなら惚気る筈なのに恵美子からは嬉しそうな気持ちを全く感じない。

 試しに彼女の後ろに回り込み軽く塩を振り掛けてみる、自分でも馬鹿な行動だと思うが最近知り合った筋肉質なお坊様から教えて貰った方法だ。

 

「晶、何を……あれ?私って何で井上君の為にチョコを作ってるんだっけ?

そんなつもりは……いや、作らないと駄目なの……何故かは分からないけど……私は、井上君に……手作りチョコを渡す……」

 

 やはり変だ、目が虚ろだし目の前に居る私を見ていない。これって催眠術とかマインドコントロール?兎に角普通じゃない!

 

「恵美子、しっかりして!コレを手首に巻いて、気をしっかり持って!」

 

 榎本さんから貰った水晶のブレスレットを恵美子の左手首に巻き付ける。

 

「晶、何を……あれ?何だろう、頭の中がスッキリしたみたいだわ。井上君に手作りチョコを渡す?私が?そんな馬鹿な行動を何故かしら?」

 

「良かった、恵美子が元に戻って良かった……」

 

 思わず親友に抱き付く、訳も分からず抱き付かれた彼女が私の背中を軽く擦ってくれた。僕が落ち着いた所で詳細の説明を聞いてみる。

 

「思い出したわ。一昨日私のバイト先のカラオケボックスに井上君が一人で来て会話をしたんだ。

他愛の無い世間話だったのに、何故かその後に一緒に夕食を食べにサイゼリアに行って別れたの。

それで明後日に手作りチョコを渡す約束をした……今思うと自分でも不思議な行動だよね、大して仲も良くない井上君とバレンタインに会って手作りチョコを贈るなんてさ」

 

 コレって榎本さんが戦う世界に関係してないかな?貰った水晶のブレスレットが効果有りなら、もしかしたら?

 壁に掛かっている時計を見れば12時8分、今ならお昼休みだから電話しても大丈夫かな?

 

「恵美子、時間が有るなら一寸待っててね。帰っちゃ駄目だよ」

 

「えっ?何処に?」

 

 申し訳無いけど親友の一大事だ、何時も頼ってばかりだけど……

 携帯電話を取出しアドレスから榎本さんの番号を検索し通話ボタンを押す、五回目のコールで繋がった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 名古屋での一件が片付いた、結果的に御三家のトップと知り合えたのだが関係は微妙だ。

 亀宮さんも千葉の本家に帰ったし次の正式に依頼を請けた仕事も無い、慌しかったから少し休みを取りたいと思いつつも留守にしていた横須賀中央の事務所に来てしまうのは働き過ぎな日本人だからか?

 事務所の空気を入れ換え簡単に掃除をして冷蔵庫の中身の賞味期限を確認する……うん、幾つかの買い置きが賞味期限を過ぎていた。

 パソコンの電源を入れてメールチェックをするが転送処理をしていたので数日分だけ確認するが緊急の用件は無かった。

 逆に郵便受けにはパンパンに手紙が詰まっていたし宅配便の不在者通知も一件有って処理だけで午前中が終わった……

 

「んー、もう昼か……亀宮さん達とは外食ばかりだったからな。久し振りにコンビニ弁当でも食べるかな」

 

 前回の仕事は御三家の一つ亀宮家の当主と一緒だったので食生活は豪華だったし同僚の御手洗の手料理も美味かった、流石は調理師の資格を持ってる筋肉だ。

 つまり美味い物を食べ過ぎたので節制しろって事なので近くのローソンに行く為に財布と携帯電話だけを持って事務所を出る。

 携帯電話が鳴っているので開いて画面を見れば霧島晶の文字が……

 

「もしもし、晶ちゃん?」

 

『榎本さん、実は親友の恵美子が……』

 

 少し慌てている彼女の話を纏めると……

 

 親友の恵美子ちゃんの様子がおかしい、大して仲も良くなかった同級生の為にバレンタインの手作りチョコを一緒に作ったそうだ。

 それだけなら晶ちゃんの知らない内に仲良くなった可能性も有る、例え晶ちゃんから見て好ましくない相手でも恋愛は当事者同士の問題だ、他人が口を挟む事ではない。

 だが様子が変だ、理由を聞いても何となく手作りチョコを贈らなければならないとしか言わない。

 此処が好きとか頼まれたからとかでなく、本人にも分からない理由で行動している。

 おかしいと思い塩を振り掛けたら意識がハッキリして水晶の数珠を着けたら更に……本人も何故か理由が分からない、贈る必要も無いと言っている。

 これは催眠術とかマインドコントロールとかなのでは?

 

 だから僕に連絡してきた訳か……

 

「うーん、今からその子と会えるかい?直接見ないと何とも言えないけど、晶ちゃんの対応は間違いないと思うよ。出来れば他人の目を気にしない場所が良いな……」

 

 魅惑系か操作系の術だと思う、清めの塩で祓える位だから低級だろうし相手の身元も分かっているなら対処もしやすい。だけど人前で話す内容じゃないから気を付けないと……

 

『今は僕の家なんだけど、両親に知られちゃ駄目だよね?真緒の時もお父さんとお母さんは半信半疑だったし……』

 

 二ノ宮真緒、晶ちゃんの友達だったが逆恨みから呪いの人形を送り付けたんだよな、祖母と母親を含めて脅しておいたが悪戯にしては悪質だった。

 

「そうだね、変な心配をさせるよりは黙って解決した方が良いと思うよ」

 

『えっ、なに?うん、そうだね……えっと、恵美子は一人暮らしだから部屋の方に来て欲しいって。場所は……』

 

 晶ちゃんの教えてくれた住所をメモして携帯電話を切った。さて、どうするか?

 一旦家に帰って道具を積んで車で行くか、事務所に有る道具を集めて電車で行くか……

 

「胡蝶さん、どう思う?清めの塩で祓えるんだから低級の魅惑系か操作系かな?」

 

「ふむ、人間とは不思議な生き物だな。チョコなど市販品の方が美味かろう。わざわざ手間暇掛けて術を使い作らせるとは……」

 

 自分の胸から幼女が飛び出してくる事には慣れないな、今回は巫女服を着ているが偶に全裸で飛び出してくるから困る。

 

「その恵美子って子が好きなんだろ、好きでもない相手からの手作りチョコなんて怖くて貰えないよ。

バレンタインに手作りチョコを贈るってのは相当強い思いが込められているそうだよ、親愛か友愛か家族愛か欲情か……重たいよね」

 

 この時間だと高速道路は渋滞かもしれないので公共機関の電車で行く事にする。

 除霊道具を掻き集める、清めの塩に御札に胡蝶さんの力を込めた水晶、それと念の為に伸縮警棒とマグライトを鞄に詰め込んだ。



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バレンタイン記念挿話後編(平成26年版)

 晶ちゃんからの電話、内容は親友に起きている異変についてだ。

 付き合いの薄い男に対して手作りチョコを作りたいと強制させる呪い?

 その井上と言う男が何か呪術的な方法で彼女を操っていると思う、市販の塩を清めの塩代わりに使っても効果が有ったなら低級な術だろう。

 もっと高級な術でゲスな奴なら恵美子さんの貞操が危険だったろう、それをバレンタインに手作りチョコが欲しいと微妙な願いだ。

 京急横須賀中央駅から上り快速特急に乗り込み横浜方面に向かう、JR横浜線に乗り換えれば八王子まで直通で行ける、二時間も掛からないだろう。

 横浜駅で京急線からJRに乗り替え、横浜線快速八王子行きに乗り込む。

 

 横浜駅から八王子駅までは丁度20駅有り所要は1時間程度だ、暫く乗っていると鴨居駅を通過し鶴見川沿いを走る車窓からは白山ハイテクパークや雪印横浜チーズ工場が見える。

 雪印横浜チーズ工場は一度見学に行きたいと思っている、2015年には売却・閉鎖と噂になっているんだよね……

 

 町田駅周辺ともなると繁華街も有り高層ビルも見えてくる、神奈川県に食い込んでいる東京都って感じだが乗降客数の横浜線で一番だから乗り降りする乗客も多く車内も満員だ。

 橋本駅を過ぎる頃には車窓からの景色も林や畑、サイクリングロードなどの自然豊かとなり目に優しい自然の緑色が増える。

 

 全長42.6kmの電車の旅を終えて八王子駅構内に降り立つ、流石に中央本線・八高線・横浜線の三路線が乗り入れる結節点だけあり賑やかだ……

 

「さて、待ち合わせの為に八王子駅の近くまで来ている筈だが……確か駅ビルのセレオ八王子北館の一階出入口前だったかな?

ああ、セレオ八王子って元そごうか、去年はそごうだったと思ったが売却したのか?」

 

 

 駅構内図を発見しルートを確認するが、途中で売っている駅弁に惹かれる「懐石弁当大人の休日」や「幸福弁当」はお勧めだ。

 

 セレオ八王子の一階メインゲートに近付くと遠目でも分かるハンサムガールと派手目な外見の女性が並んで立っている、パッと見は美男美女カップルだな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「晶ちゃん、お待たせ」

 

「あっ、榎本さん。ゴメン呼び出して……でも……」

 

 不安そうな晶ちゃんの隣の子が問題の……でも、僕を見て固まっているのは何故だ?そんなに見た目が怖いかな?

 

「もう大丈夫だ、心配は無いよ。えっと紹介してくれると嬉しいんだけど、良いかな?」

 

 

「晶が、ナチュラルに腕に抱き付くなんて……あっ、すみません。私、青山恵美子です」

 

 

 少し声が大きいせいか周りの注目を集めてしまったようだ……

 

「アレ見てよ、ヤオイよBLよ、野獣と美青年ね」「リアルで初めて見たわ、アレはアレで有りね」「隣の女も連れみたいだがなんだ?腐女子って奴か?」

 

 ヤバイ、不思議な掛け算をする連中と間違えられては大問題だ、早く移動しなければ……

 

 

「ねぇBLは分かるけどヤオイって何?」

 

「ヤオイ=やおい=801、「やまなし、おちなし、いみなし」が語源の男性同士のH本の事よ。

金沢の女性漫画家集団が大学の漫研の延長みたいなノリで発行していたオリジナル同人誌が発祥らしいわ、腐腐腐(ふふふ)、晶は良くネタに使われてたのよ」

 

青山さんからドス黒い何かが沸き立つ感じがする、彼女はアッチ側の住人なのか?

 

「何それ?聞いてないよ。恵美子、アンタ高校のときに漫研に所属してたよね。あの妙に薄くて人気の本って、まさか……」

 

 これ以上の会話は危険で不毛なので晶ちゃんの手を握って移動する、少し汗ばんでいたが言い合いで興奮したんだな。

 どうやら青山さんは腐の付く女子らしい、ハンサムガールの親友が腐女子とは笑えない冗談だ、敵は身内に居やがった的な?

 

 暫くは無言で歩く二人を後ろから付いて行く、駅前から少し歩くだけで住宅街となった、駅周辺は再開発で栄えたが周囲は長閑な街並みだ。

 前を歩く青山さんから少なくとも嫌な気配は感じないけど……

 

『胡蝶さん、彼女から変な気配は感じないんだけど?』

 

『ふむ、男女の為に我の力を宿した水晶を身に付けているのだぞ、カスの影響など受けないだろう』

 

 

『つまり既に解決済み?いや、彼女にナニかをした奴を何とかしないと駄目だな。井上だったか、問題は何の力を使ったかだな』

 

 青山さんの部屋は住宅街の中でも県道から外れた静かな場所に有る、小奇麗な2階建てのアパートだ。

 外装も綺麗で築10年未満だろう、ポストを見れば全て名前が書いてあるので空き部屋は無いか……

 

「此処の二階です、どうぞ……」

 

 まだ僕に対して遠慮と警戒を感じるな、言葉と表情が固い。

 

「お邪魔します」

 

 女性の一人暮らしの部屋に入るのは緊張するものだ、青山さんは派手目な外見の割りに部屋は整理整頓されて清掃も行き届いている。

 部屋を見れば住む人の人柄が分かるが、見た目と違い真面目で几帳面な性格とみた。

 

 玄関を入ると直ぐに4畳半のキッチンとユニットバスにトイレ、奥の8畳程のフローリングには勉強机とドレッサー、それにコタツが鎮座している、彼女はベッドではなく布団派か?

 

「コタツに座って下さい、今お茶を入れますから」

 

「恵美子、榎本さんはコーラが好きなんだけど有る?」

 

 女性陣がキッチンで何やら話しているが男がコタツに一人で残されるのは気恥ずかしいな……取り敢えずグルリと部屋を見回す。

 カレンダーは犬猫のデザイン、フォトフレームは家族写真、特に男の影が無い部屋だな。

 

「すみません、コーラは飲まないんで炭酸はオランジーナしか無いんです」

 

「お気遣いなく、オランジーナも好きだよ。薄いファンタオレンジみたいでさ」

 

 ペットボトルとコップをテーブルの上に乗せてくれるので普段はペットボトルから直接飲むが用意してくれたのでコップを使う。

 女性陣二人は珈琲、晶ちゃんはブラックで青山さんはカフェオレですか……喉を潤した所で話を戻す、時間も少なくなってきたし。

 

「さて事情は途中で聞いて大体分かったよ、確かに井上君が何かしらの術を青山さんに掛けたと思う。

魅了系か操作系かは分からないけど清めの塩で祓える程度だから質は悪い、この御札を部屋の四方に……

そうだな、玄関扉と窓ガラス、左右の壁に貼れば自宅は大丈夫だよ。後はこの水晶を渡すから肌身離さず持っていて欲しい、勿論お風呂の中でもだ。

後は井上君の情報を貰えれば僕が円満に話し合いで解決させるよ」

 

 そう説明して御札四枚と胡蝶の力を込めた水晶をコタツのテーブルの上に置く、この程度の術なら素養が有れば素人に毛が生えた程度の術者でも可能だろう。

 だが胡蝶の力の込めた水晶の護りを抜く力は絶対に無いから青山さんは安心だ、後は井上って奴を何とかすれば良い。

 

「その……大変有難いのですが、私はそんなにお金は払えないです。御札とか水晶とかは買えません」

 

 非常に申し訳なさそうに言われてしまった、霊能力者など胡散臭い詐欺師連中と思っているのだろう。

 心霊詐欺は減らないのも事実だから彼女の心配は当然だ、逆にハッキリと強面(こわもて)の僕に断わる勇気も有るか……

 

「お金は要らないし何かをして貰うつもりも無い。

晶ちゃんの親友だから手伝うだけだから安心して良いよ、御札は差し上げるが事が終わったら水晶は返して欲しい。

それに難しい仕事じゃない、相手の身元が分かれば対処は簡単だ」

 

「そうだよ、恵美子が心配する必要は無いよ。

榎本さんには僕からお礼をするから平気だよ、これで三回目だから……榎本さん、お礼は何が良いのかな?何でもするから言って欲しいんだ」

 

 三回目か……爺さんの霊、二ノ宮の穢れ人形、そして親友への怪奇現象、どれも素人さんには大変な事だな。

 

「綺麗な女の子が何でもするとか男に言っては駄目だよ、僕等は友達だろ?

友達は金銭の遣り取りとかはしない、無償で助け合うものだ。だからお礼は気にしないで良いけど、結衣ちゃんが会いたがってるから遊びにおいで」

 

 なるだけ優しい表情と声でお礼は断る、お金は最近高額報酬の仕事ばかりだから大丈夫だ。

 今回も相手は格下だし問題無い、先日まで伝説級の餓鬼と戦っていた事を思えば遊びみたいなモノだし……

 

「結衣ちゃんって?榎本さんって妻帯者ですか?晶とは浮気ですか?」

 

 酷い誤解が来たが妹とか従妹とかの発想は無いのかな?

 

「恵美子、結衣ちゃんは榎本さんが面倒をみている里子だよ。浮気とか悪い事言わないで、未だ独身なんだ!」

 

「えっと、ごめんなさい」

 

 独身の部分が強調されてなかったかな、妙なアクセントが……

 

「別に下心が有る訳じゃないし晶ちゃんの両親と面識も有る、善意の行動と思ってくれて良いよ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その後、彼女達と一緒に井上君に会いに行った。

 連絡先の電話番号が分からずに彼女達の友達に連絡しまくり漸く携帯の番号とメアドを手に入れた。

 彼は明後日に会う約束だけして放置していたので、まさか青山さんから連絡が来るとは思わずに簡単に呼び出しに応じた。

 自宅の電話番号は直ぐに分かったのだが家族にバレると、僕等が心霊詐欺と思われるから控えたんだ。

 

 待ち合わせ場所は八王子城址、整備された広い公園だから適度に人目もあるが離れているので会話の内容は聞こえない。

 整備された歩道の途中の東屋を待ち合わせ場所にした、警戒されない様に青山さんだけ東屋のベンチに座り僕と晶ちゃんは近くに待機、奴が来るのを待つ。

 

 待ち合わせ時間の十分前に小走りで近付いてくる茶髪で今風な感じの男が井上君か……

 

「お待たせ、恵美子から電話くれるとは思わなかったよ」

 

 嬉しそうに隣のベンチに座り馴れ馴れしそうに話し掛けている、完全に術が効いてると思ってるな。

 

「井上君、私に変な事をしたでしょ?分かってるのよ」

 

 青山さん、直球で問い詰める気だな。急いで近くに行くぞ。

 

「なんだ、解けたのか……じゃ掛け直せば良いか。折角甘酸っぱい青春を演じたかったのに残念だよ。恵美子、コレを見ろ」

 

「其処までだ、抵抗すると指を折るぞ」

 

 奴がポケットから取り出したのは古い簪(かんざし)だったがソレごと手を握る。

 

「痛い、痛いって!誰だよ、お前は?それに霧島じゃないか、何だよ?」

 

 悪あがきをするが鍛えぬいた筋肉は今風ボーイの抵抗など問題無い、簪を奪うと奴の首根っこを押さえて逃げ出さない様にする。

 

「古そうな簪だが素材は珊瑚にステンレスかな……」

 

 SUSって刻印されてるな、古そうだが精々30年位か?

 

「返せよ、ソレは俺んだぞ!」

 

 ジタバタと暴れるが首を押さえてるので問題は無い。

 

「少し黙れ!お前のした事は同業者の俺には分かってるぞ」

 

 一喝して黙らせる、やはり荒事には慣れてないのだろう、体が小刻みに震えている。この調子なら少し脅せば大丈夫だろう。

 

「どっ、同業者だと、アンタ何者だよ?」

 

 彼を無視して胡蝶に脳内会話で聞いてみる。

 

『胡蝶さん、この簪が原因かな?』

 

『嫌な念が張り付いてるな、これは程度の低い魅惑系の術だな。

本来は意中の相手に贈って持たせるものだが見せるだけでも若干の効果は有りそうだ。持ち主、贈り主に強制的に好意を持たせるが強い反抗心を持てば術は破れる。

つまり無理矢理に押し倒すとかは無理だ』

 

『まぁ洗脳クラスの術具なんて簡単には手に入らないよね、じゃ術を解いて下さい』

 

 この簪を取り上げたら窃盗罪でコッチが逮捕されるからな、警察は術を掛けられたからと言っても無駄だし。

 

「ほら、返すけど込められて力は祓ったから使えないぞ」

 

 首から手を離し簪を返す、絶望に染まった顔で僕を見るが睨み返す……目を逸らしたな。

 

「どうやって簪を手に入れたかは聞かない。だが、お前も世の中に不思議な力が有る事は学んだな?

つまり俺はお前に同じ事をより強く掛ける事が出来る、例えばご老人に熱烈な愛情を感じるとか中年男性が好きとかな……後は言わなくても分かるな、井上君?」

 

 ベンチに並んで座り肩を抱きながら耳元で優しく諭すのが良い。相手がビクビク震えてるのが失礼だと思うな、平和的話し合いで解決してるのに……

 

「晶、榎本さんってさ。もしかしなくてもヤの付く業界の方でしょうか?」

 

「違うよ、ちゃんとした資格を持ったお坊様だよ。少し外見が厳つくて第一印象は怖いけどとっても優しいんだ」

 

「そうなんだ、晶の初恋はアメリカンヒーローみたいな筋肉質なんだね。おめでとう、確かに筋肉好きだったし理想の相手じゃん」

 

「違う、違うよ。僕は……ねぇ恵美子聞いてる?」

 

「はいはい、まさかアンタに先を越されるとは思ってなかったわよ。おめでとう、幸せにね」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 井上君は脅しすぎたのかもしれない、手に入れた理由は聞かないと言ったのにベラベラと教えてくれた、あの簪は無き祖父の遺品から売れそうな物を探していた時に偶々見つけたそうだ。

 彼の祖父は遊び人として有名で随分と女泣かせ、祖母泣かせの酷い人だったが不思議と女性から人気が有った。

 それがこの簪のお陰と厳重に桐箱にしまわれていて説明書まで添えてあったそうだ。

 半信半疑だったが、実際に使ってみると効果が有った。確かに簪を見せれば相手は言う事を聞いてくれるが男の欲情のままに迫ると術が解けてしまう。

 なので考え抜いた結論が恋愛の手順を踏まないと駄目なのでは?と思ってバレンタインデーを利用し手作りチョコで告白されれば、もしかしたら……

 淡い期待を抱いて何人かの女性に対してバレンタインに会う約束を取り付けていたそうだ。

 

 本当は祖父自身が使用しないと完全な効果を発揮しないのだ、孫ほど血が薄まっては効果も半減だね。

 

 ダメ押しに近くのカーブミラーのポールを握り潰して脅しておいた、半泣きだったしもう悪さはしないだろう。次は強制老女愛に目覚めさせるって言っておいたし。

 実例をしっているから恐怖は半端無いだろうな、僕は大学生と還暦女性の大恋愛も有りと思う?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はい、榎本さん。バレンタインのチョコだよ」

 

「はい、御礼を込めた義理チョコです。奮発してジャン・ポール・エヴァンのボワットゥ・ショコラ・アリュメです、因みに3885円(税込み)ですよ」

 

 バレンタイン当日、晶ちゃんと青山さんがわざわざ八王子から横須賀まで来てくれて御礼のチョコをくれた。

 

「うん、ありがとう。嬉しいよ、二人とも義理でも奮発してくれたんだね」

 

 横須賀では珍しいハワイから直送のKONAの珈琲豆を飲ませるブラック党の晶ちゃんの為にチョイスした店だ、実は自家製のパンケーキが美味しい。

 特にマカダミアンナッツクリームがお勧めなので全員分頼んだ。

 綺麗にラッピングされたチョコを受け取る、周りに客はいないので気を使う心配もない。

 

「晶のは手作りなんだよ、朝早く作ってきたんだって。生フルーツのチョコがけ、試食したけど美味しかったわ」

 

「手作り?随分気を使わせちゃったね。ありがとう、帰ったら結衣ちゃんと一緒に頂くよ」

 

 去年から僕が沢山チョコを持ってくるから彼女は少し拗ねている、可愛い嫉妬とは思うが身の潔白を示す為に貰ったチョコは全て見せて一緒に食べる。

 だけど晶ちゃんのなら手作りチョコでも大丈夫だろう。

 

「ふーん、里子ちゃんと一緒に食べるんだ。随分と女心が分かってないですよ」

 

「女心?」

 

「ちょ、恵美子。何を言い出すの?」

 

 いや可愛い嫉妬心が分かってるから一緒に食べるんだけど?なにか不味いのか?

 

「因みに私のチョコですが包装紙が面白くないですか?」

 

「包装紙?ハートにマッチで火を点けてるデザインだね、確かに変わってるな」

 

 紙袋に入っていたチョコを取り出して改めて見ると赤い紙にピンクのハート、それにマッチで火を点けてるデザインだ……

 普通の包装紙としては使わないデザインだ、火とか直接的な表現は放火とかのイメージもあるし。

 

「ジャン・ポール・エヴァンの今年のテーマはですね、Jouer avec le feu です。分かりますか?」

 

「ごめん、分からないや」

 

 何だろう、ニヤリと変な笑いを浮かべたけど……もしかしてエッチな意味なのかな?私を食べてみたいな?

 

「ふふふ、Jouer avec le feu とは、火遊びって意味です。つまり晶という本命がいるのに私と浮気してみないってアメリカンブラックジョーク……」

 

 晶ちゃんの右フックが青山さんの脇腹にきまった……これが今時の若い女の子達のコミュニケーションか、三十路の僕には分からない世界だな。

 彼女達のワイルドなじゃれ合いをみながらパンケーキを食べ始める、あまりに煩くなったら止めようと思うが晶ちゃんが真っ赤になりながらじゃれているのは新鮮だな。

 

「ちょ、ごめん。痛いから、本気じゃないから……だって晶が消極的だから誰かに盗られる前に……本当、ごめんなさい」

 

 うん、そろそろ止めるべきだな。



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第204話

第204話

 

「結衣ちゃん、横浜の山手にでも遊びに行かない?」

 

「横浜の山手ですか?あのイギリス館とかエリスマン邸の有る山手ですよね?嬉しいですけど、急にどうしたんですか?」

 

「若い女の子が好きそうな観光地だからと思ってね。たまたま仕事で呼ばれて山手に行ったんだ。

10代の女の子も結構歩いてたから、結衣ちゃんも興味が有るかなって。帰りに元町でショッピングして中華街で夕飯でも食べようか?」

 

「はい、嬉しいです。デートみたいですね?」

 

 入念な調査を経て、漸く結衣ちゃんをデートに誘う事が出来た。勿論これも調査の一環だが、風巻姉妹や亀宮さんと行くよりは楽しいだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 美羽音さんからの相談を受けた件について、若宮のご隠居様に報告と相談をした。

 高梨修の怪しい行動や柳の婆さんの件、実際に行ったピェール邸の違和感を伝えたら正式に依頼するから調べてくれと頼まれた。

 僕と風巻姉妹なら実費50万円以下で簡略な調査は出来るし、フリーライターの件が気になるらしい。

 元々何でもない物件を調べさせて詐欺扱いにしたいのか、本物の心霊物件を宛てがい記事にしたいのか……

 セントクレア教会は亀宮さんの喧嘩友達で有る鶴子さんも居るが、そもそも彼女達が友達になったのは婆さん達が知り合いだった事が大いに関係している。

 

 幼少期に同じ心霊絡みの仲間が居る事は凄い大切な事だろう。

 多感な時期に他人と自分は違うと思うだろうが、そこに同じ境遇の同性が居るのは互いに救いになったから……

 つまり彼女達の友好関係の始まりは、そう言う事なので知らんぷりは出来ない。

 高梨修の本心を探る事と、あの洋館の秘密を調べる事が依頼内容だ。速やかにご隠居様と契約を結んだ。

 

 これで風巻姉妹に仕事を頼む事が出来て、僕も亀宮一族の派閥の一員としての立場で動く事が出来る。

 だが婆さん同士が知り合いなら、僕の危険性について誤解を解いて欲しい。

 鶴子さんの話では相当僕を危険人物だと思っていたぞ。間違いは無いけど知り合いに危害を加えるつもりは無いのにさ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結衣ちゃんをデートに誘う前に自分なりに調べてみた。

 

 最初に行ったのは横浜開港記念館。

 現在横浜市は観光の目玉の一つとして山手地区の洋館を買い取り整備して一般公開している。

 それと連動して開国から現在迄の記録を公開してるので、先ずは一般公開されている表の記録を調べた。

 元々は山手は外国人の居留地(きょりゅうち)だったんだ。

 

 有名なのは横浜市・神戸市・長崎市。

 居留地とは、かつて安政の五か国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。

 日本側の行政権が完全に回復し返還されたのは、明治32年7月17日だった。

 横浜は日本最大の居留地で山下(今の関内)と山手に分かれる。

 

 簡単に説明すると、日米修好通商条約で開港せざるを得なくなった徳川幕府は、東海道の宿場街である「神奈川宿」を開港の地と主張するアメリカに対し、一寒村であった「横浜村」を提案した。

 これは外国人と日本人を遠ざける為と、交通の頻繁な東海道の宿場をさけるためだったそうだ。

 この時代の日本人は未だ外国人に対して警戒と畏怖が有ったので、無用なトラブルを避ける措置で長崎の出島みたいな感じで隔離したかったんだな。

 それでも生麦事件とか血生臭い事が有ったからね。

 

 因みに関内の名前の由来は、居留地の周辺に幾つかの関門が有り、その内側の土地って意味だ。

 さて歴史は程々にして問題の洋館だが、現在山手地区に建っている洋館群の歴史は意外と浅い。

 

 何故ならば二つの災害が横浜を襲ったから……関東大震災と第二次世界大戦だ。

 震災前の横浜居留地には外国人の住宅・病院・学校・教会・劇場・公園・墓地などが数多く設けられた。

 幕末期の政情不安の時期に駐屯していた英仏両国の軍隊も明治初期には撤退し、陣営跡地は領事館や宅地となった。

 

 まさに絶頂期!

 

 日本各地の著名な地名を採って富士町・神戸町・花園町・加賀町・阿波町・薩摩町など30町が名付けられて、山手居留地(270区画)は、明治10年に全容が固まった。

 だが、この時期の建物は殆ど残っていない。二つの災害を合わせた倒壊率は一説には95%以上とも言われている。

 つまり、あの土地は人の死に関係する事が多々有るんだよね。原因は今の建物なのか前の建物なのか?

 それとも土地そのものなのか、或いは住んでいる人に憑いているのか?

 

 可能性で言えば幾らでも考えられるんだ。先ずは諜報が本職の風巻一族の出番だよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横浜市金沢区に有る風巻一族の分家。現在、僕が亀宮一族から仕事を請ける時の拠点となっている。

 千葉の総本家には他の派閥の連中が居て、僕は彼等からすれば当主である亀宮さんに付いた悪い虫でしかない。

 少しずつ立場は良くなってはいるが、入り浸るには都合が悪いんだ。

 

 現在、亀宮一族の榎本班の除霊達成率は100%。件数は未だ4件だが、殆どが難易度が高い。

 

 基本メンバーは僕と佐和さん美乃さん。

  亀宮さんが参加すると、もれなく滝沢さんと御手洗達が付いてくる。亀宮さんは4件中に2件ほど一緒に仕事をした。

 横浜開港記念館で下調べをしてから横浜市営地下鉄関内駅から上大岡駅へ。

 そして京急線に乗り換えて快速特急で一駅、京急金沢文庫駅に降り立った。

 東口を出て、すずらん商店街を歩けば中途半端な下町って感じがする。

 古い金物屋や懐かしい和菓子屋が有るのにギラギラした外観のパチンコ屋も二軒有る。

 脇道には味の有る居酒屋も有るが、携帯電話ショップや美容院など混在して暮らし易いのか何なのか……

 

 商店街を抜けると住宅街になり、閑静な路地を抜ければ国道に繋がる。

 後は国道沿いに下っていけば風巻分家に到着。和風建築、白塗りの壁に瓦の屋根、中には綺麗に刈られた庭木達。

 表札は無垢の木に筆で風巻と達筆で書かれて、その下に?

 

「あれ?榎本心霊調査事務所って真鍮プレートが貼って有るけど……不味くないのか?」

 

 風巻の表札より小さいが、それでも立派なプレートだ。

 この屋敷で確かに仕事を良くするけど、僕の個人事務所の名前を掲げる意味は無いだろう。

 郵便物や宅配は全て風巻の名前で頼んでいる。敢えて事務所の名前を出す意味って何だろう?

 亀宮さん辺りの思い付きか何かかな?後で外す様に頼めば良いかなと思い玄関に向かう。

 

「こんにちは!」

 

 勝手知ったる屋敷だから声を掛けて中に入る。直ぐにお手伝いさんが来て挨拶を返してくれるのが嬉しい。

 手土産のビアードパパのシュークリーム20個を渡す。後でお茶と一緒に出してくれる筈だ。

 

 

 この屋敷には維持管理で霊能力の無いお手伝いさんが数人居るが、勿論亀宮の一族だ。

 諜報部隊故に一見普通のオバサンやフリーターみたいな若者、サラリーマンやOLなど様々な人が所属してるんだよ。

 普段は普通に生活し事が起こると動き出す、戦国時代の忍びの草みたいだが……

 実は一族の霊力の無い護衛部門にも入れない連中だから、難しい仕事は出来ない。精々が噂の収集位だ。

 佐和さん美乃さんは優秀な部類なんだよね。仕事用として割り当てられた部屋に行けば、既に風巻姉妹は揃って居る。

 

 今回は亀宮さんは居ない、未だだけど……

 

「「あっ、榎本さん。こんにちは」」

 

「ああ、こんにちは。久し振りだね、待たせたかい?」

 

 机に座りパソコンを起動しメールチェックをする。自分のパソコンに転送設定しているから、今日の分だけを見るが何も無かった。

 今回の仕事用のフォルダを作りタイトルを「横浜山手ピェール邸」とする。横浜開港記念館で貰った資料をPDFにしてフォルダ内に移して作業は一旦終了。

 

「お待たせ、話は風巻のオバサンから聞いてるかい?」

 

 既にインターネットで情報収集を始めた二人に声を掛ける。

 

「横浜の山手地区、ピェール邸の怪異の原因追求」

 

「それと高梨修の行動についてですね?」

 

 流石に有能だ、ちゃんと気になる二点を絞っている。

 

「別々に言うって事は担当分けしてる?」

 

 彼女達は効率的だから、役割を分担する事が多い。

 

「「今回は喧嘩になりそう。横浜山手なんて美味しいレストランやお洒落なカフェが多い場所の現地調査は譲れない!」」

 

 餌付けがね、こんなに成功するとは思わなかったんだ。彼女達は依頼を受けた土地の名物や名産を食べる事が大好きだ。

 勿論、彼女達のテンションを上げる為に餌としてぶら下げるんだけどさ。

 

「はいはい、今回は元町まで捜査範囲を広げるよ。ピェール氏の店が元町に有るからね。

打ち上げは元町霧笛楼のディナーにするから頑張ってね。ボーナスはピェール氏の店、宝飾品を扱う店だけど一点10万円迄で買ってあげよう」

 

 食べ物と貴金属、餌を二つぶら下げる。勿論、彼女達は追加報酬が無くても標準以上の働きはする。

 だけど餌をぶら下げると凄い発想をするんだよな。報酬欲しさに無理はしないが、期待以上の働きが見込めるなら構わない。

 

 風巻のオバサンからも、最近の彼女達の成果に驚いていたし……

 

「やった!イタリアのブランドでしょ?私はブレスレットが欲しい」

 

「私はハンドバッグが欲しいわ。美乃、頑張るわよ!」

 

 励まし合う姉妹を見てるのは楽しい。まぁ二人とも美人よりは可愛い系だけど標準以上だからね。

 ロリじゃないから特にどうこうしたい訳でもないし、それ位の出費に見合う働きはしてくれるから安いもんだよ。

 

「でも榎本さん、気を付けて下さいね」

 

「何をだい?山名の一族が何か企んでる?」

 

 佐和さんの真面目な顔に、また山名が嫌がらせするのかと思い嫌になる。

 

「いえ、私達は特別ボーナスの事を他人には言ってないのに何故か噂になってるんです。榎本さんが私達を愛人として囲ってるって。

酷いですよね、普通は私達が榎本さんに貢がせているですよ」

 

 あはは、とか笑ってるけど色んな意味で不味くないか?

 

「そりゃ不味いだろ!組織内で痴情の縺れ疑惑とかさ。亀宮さんの耳にでも入ったら笑い話じゃないですよ」

 

 あの依存度の高さを思えば、佐和さん達の立場が……

 

「亀宮様、笑ってましたよ。私達が榎本さんと色恋沙汰になる訳ないの知ってますし、諜報部相手に情報戦を仕掛けて勝てる訳ないですよ。

黒幕は直ぐに突き止められると思います。勿論、榎本さんに男としての魅力が無い訳じゃ有りませんが私達も亀様に頭から丸噛りは嫌ですから。

だから私達に欲情しても応えられません、ごめんなさい」

 

 二人揃ってテーブルに手を突いて謝られた。

 

「ちょっと待とうか?亀宮一族内での僕の評価って、どれだけ酷いの?」

 

「大半は嫉妬と逆恨みです。榎本さんの力については、誰も疑ってません。

一派閥の呪術部隊と実行部隊を一人で壊滅させられる榎本さんに、正面切って戦いを挑む連中は居ませんから。

しかも亀様に言う事を聞かせるなんて、うちの一族からしたら涙目モノですよ。

だから良くない噂を流す程度なんですが、真面目な女性陣は信じちゃってますから総スカンです。諦めて下さい」

 

 女性上位、女尊男卑の亀宮一族の女性陣から良く思われてないのか……僕は。

 でも亀宮一族にベッタリな仕事形態じゃないし、変にイメージアップで動き回るのも嫌だし……

 

「少なくとも君達と滝沢さんは平気なんだろ?じゃ良いや、モテモテ君を目指してないし。単発で仕事を請けてるんだし、それ位は我慢するよ」

 

「もう少し凹むかと思いましたが、意外です」

 

「榎本さん、桜岡さんってお色気巫女と亀宮様から好かれてるから余裕綽々だよねー」

 

 餌付けには成功したが、毒舌は変わらないな。悪意は無いし能力は認めてるから、彼女達だけで十分だろ。

 

 これ以上望むのは贅沢ってヤツだよね?

 



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第205話

第205話

 

 亀宮一族での僕の噂が女好きのオッサンになってると言われた。

 しかも愛人扱いされた姉妹は笑ってるし……普通は否定するだろ?

 

「浮気は男の甲斐性らしいですよ?」

 

「そうです、靴下を履かないオッサンは浮気は文化とか言ってましたよ」

 

 何故、自分が僕の愛人扱いなのに笑ってられるんだ?普通は嫌じゃないのか?姉妹揃ってだぞ、姉妹丼だぞ!

 それにどこの俳優だよ、そんな根拠も無い無秩序文化なんて嫌だ。少なくとも結衣ちゃんは亀宮一族とは会わせない。

 悪意有る噂を聞かれたら、今まで築き上げた「優しく頼れるお兄さん」像が木っ端微塵になるのは間違いない。

 

「ふふふふふ、くっくっく……佐和さん美乃さん、黒幕が見付かったら内緒で教えてね。

僕からのお礼もしたいからさ。懇切丁寧にミッチリと手間隙掛けてね。約束だよ……」

 

 悪意には悪意を!

 

「僕の人格を否定する噂をバラ撒くなら、お前の社会的地位を失墜させてやる。人間としての尊厳を全てぶっ壊してやるぜ……」

 

「「榎本さん、本音が駄々漏れしてるよ!」」

 

 ん?本音?無意識に呟いてしまったかな?

 大袈裟なゼスチャーでドン引きアピールをしているが、二人共器用だよね。

 

「まぁ良いじゃん。そんな悪い噂を流す奴は一ヶ月位トイレに籠もって下痢と嘔吐で苦しめば良いんだよ。

僕は気にしないから平気だって……

さて仕事の話に戻ろうか。先ずはピェール邸の事を調べて欲しい。誰が何時建てたのか?

誰が住んで居たのか、また引っ越した後はどうなったか?

それを調べたら、ピェール邸の建つ前が同じ様にどうだったか?

洋館と住んでいた人を洗い出して欲しい。これは美乃さんかな?」

 

 最初に問題点を二つ言った時に建物については美乃さんが答えていた。佐和さんは対人交渉に長け美乃さんは調査を得意としている。

 

「はいはーい、やった!堂々と仕事で山手と元町巡りが出来る」

 

「ズルいです、榎本さん。美乃ばっかり美味しいじゃないですか?」

 

 適材適所なんだけど、年頃の娘達には怪しい男を調べるより美味しいお店が有る方が嬉しいよな。一応だけど高梨修はイケメンだぞ?

 

「人を調べるのは佐和さんの方が得意だからね。適材適所だよ。

美乃さんもだけど、ピェール夫妻には亀宮が調べはじめた事を知られちゃ駄目だよ。

高梨修の思惑が分かる迄は無用な接触は不可だ。期間は一週間、次は昼食でも食べながら聞こうかな。

横浜そごうにね、竹葉亭って美味しい鰻屋が有るんだ。個室を取るから食べながら中間報告を聞くよ」

 

 鰻は前回の仕事で食べたけど、正確にはひつまぶしだから鰻丼じゃない。

 

「「やった!鰻なんて久し振りです」」

 

 彼女達に一週間も与えれば、相当細かく調べてくれるだろう。

 

「では私は高梨修を調べます。幼少時代から現在まで、趣味・嗜好品・対人関係・仕事内容とか、前に岩泉氏の事を調べたのと同じですよね?」

 

「それで良いよ。僕はセントクレア教会に探りを入れてみるよ。

場合によってはメリッサ様と一緒に調べる事になるかも知れないけど、まぁ臨機応変に頑張るよ。

あの柳の婆さんの思惑も知りたいからさ。わざわざ僕と亀宮を巻き込んだ事には、必ず何かしらの意味が有る筈だ。

それを知っておかないと、最悪の場合に柳の婆さんに嵌められかねない。基本的に、僕は柳の婆さんは信用してないんだ……」

 

 クリスマスとかの手伝いで何度かセントクレア教会を訪ねたが、何時も不在だったりして会えなかった。

 まぁ意図的に避けられていたんだよね。それが急に会う事が出来て仕事を頼まれ、しかも若宮のご隠居とも繋がっていた。

 胡蝶に脅され僕を警戒していたにしては、至極あっさり仕事を頼むなんて怪しいと思わないか?

 メリッサ様は僕と柳の婆さんの仲を取り持つ為に仕事を頼んだと思っている。だが、あの婆さんがそんなに甘いとは思えない。

 

「御隠居様の事ですから、何か考えが有るのでは?メリッサ様は亀宮様の唯一の喧嘩友達ですから、悪い様には……」

 

「私達は柳さんと直接の面識は有りません。ですが若い頃は御隠居様と良きライバルだったそうです。

ただ得意技が火炙(ひあぶ)りだか浄火(じょうか)だか物騒だった様な……」

 

 やっぱり火炙りギャハハーだったんだ!

 

「はい、アウト!基本的に悪人じゃないかも知れないけど、僕等を何かに利用するつもりかもね。

まぁ疑ったらキリがないから、この話は此処でお終い。君達も他の人には内緒だよ、でも怪しい事が有れば教えてね」

 

 話し終えた頃を見計らってか、使用人さんが三時のオヤツを持ってきてくれた。

 お土産のシュークリームとホットレモンティーだ。甘いシュークリームに酸味のレモンティーの組み合わせは流石だ。

 風巻姉妹には二個ずつ、僕には六個。食べるの大好きな彼女達は量は食べないので、数で喧嘩にはならない。

 嗚呼、桜岡さんとのフードバトルが懐かしい。

 

 一度、結衣ちゃんを連れて会いに行こうかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「じゃ、宜しくね!」

 

 そう言って打ち合わせを終え、榎本さんは帰って言った。シュークリーム六個を五分で完食して……

 

「姉さん、噂の張本人の事を榎本さんに教えるの?」

 

 口の端にクリームを付けて美乃が聞いてくる。普通は自分達位のペースだろうが、一個を一口で食べれば直ぐに終わるわよね。

 

「うーん、言えないかな。腹下しの術は亀宮一族で有名じゃない。仕返しの犯人が彼だと直ぐに分かってしまう。

それでは亀宮一族の中で何時迄も浮いた存在よ」

 

「亀宮様の想い人で当主以外で亀様にお願い出来るのよ。今更じゃない?」

 

 今の榎本さんは、亀宮一族の中では異質な存在だ。有能なのは間違いない……亀宮でも有力氏族である山名一族を一人で壊滅させたのだ。

 誰一人殺してはいないが奴等のプライドはガタガタ、逆恨みでもしないとやってられないだろう。

 少し調べたけど今回の噂も嫉妬から来た些細なモノだったけど、御隠居様が煽っていた。

 多分だけど御隠居様とお母様の思惑は、山名一族をダシに不穏分子を一掃するつもりだと思う。

 榎本さんは用心深い様で意外に単純だから、不穏分子の恨みを一身に背負わされてしまうわ。

 

「姉さん、どうしたの?難しい顔をして……」

 

「少し考え事をね。榎本さん、ああ見えて結構単純じゃない。報復に腹下しの呪咀とか、ワンパターンよね。

だから相手も気付いてしまう。余り亀宮一族から反感を買わない様に、私達が気を付けないと駄目かなって」

 

 今のチームは気に入っているから、派閥争いの煽りで解散なんて嫌!もう私達を見下す実行部隊との仕事も嫌!

 だけど榎本さんと毎回組める訳じゃないけど、数回に一回一緒に仕事をするのが楽しいのも本音。

 

「そうかな?今更な感じもするよ。でも榎本さんとの仕事は楽しいから少しは力になろうかな。

全く最初の頃が嘘みたいだね。私達、反発してたもん」

 

「ふふふ、そうね。彼氏は嫌だけど頼れる上司なら満点だわ。もう一族の実行部隊と仕事をするのが嫌ですからね」

 

 そう言って妹と笑い合う。榎本さんには感謝している……仕事もそうだが、何より亀宮様と亀様と距離を縮める事が出来たから。

 今まで何となく有った垣根と言うか壁が無くなった感じがする。仕える主との距離が縮まったのは嬉しい事。

 

 今代の亀宮様は仕えるに値する優しく強い方だから……先ずはインターネットで調べて友好関係から洗い出して行こう。

 高々20年弱なら一週間も有れば完璧に調べる事が出来る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 風巻分家を後にして自宅に戻る。

 

 金沢八景駅までは1㎞弱なので国道添いをゆっくり歩いても15分位だ。

 この辺の昔の地名は泥亀(でいき)と呼ばれていたらしいので亀宮一族か亀ちゃんと関わりがあるのかもしれない。

 途中に京浜急行電鉄の車両基地が有り、引き込み線から多数の電車が見られる鉄道ファンには少し嬉しい場所だ。

 金沢文庫検車区と呼ばれ特に黄色いモーターカーの工事用車両は珍しいだろう。

 客車は赤色が主流だが、最近は青い客車も走っている。だが京浜急行電鉄のイメージは赤い車体に白帯だろう。

 敷地の脇を通ると発煙筒を点けて線路脇を全速で走る連中を見たが、車両事故時の訓練だろうか?

 

 確か後続の電車に知らせる為に100m以上離れて発煙筒で知らせるらしいし……

 

 何にしても鉄道会社って大変な仕事だよね。金沢文庫検車区を過ぎてダイエーを冷やかせば駅前通り商店街。

 特に買う物もないので自動改札を抜けてホームへ、丁度来た各駅停車「浦賀行」に乗り込む。

 夕方前の為か高校生が多いな。

 

 何となく近くの連中の会話を盗み聞けば「最近はスマホでライン?にすると無料(ただ)だぜ」とかスマホを弄りながら、ずっと話していた。

 

 ライン?で無料(ただ)ってなんだろう?今使っている機種は四年目だから、そろそろ携帯電話買い換えの時期なんだ。

 昔のmovaみたいにFOMAも古くなったから、スマホに買い換えようかな?

 

 そうだ!

 

 結衣ちゃんと同じ機種を買えば良いな。彼女も二年以上使ってるから、一緒に買い替えれば操作方法も教えて貰える。

 序でに会社経費で買えば税金も安くなるし、僕を親機にして同一名義だから問題無いだろう。

 折角なので横須賀中央駅で降りてdocomoショップに寄ってカタログを貰うかな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横須賀中央駅で降りてdocomoショップで最新のカタログを貰い、横須賀名産品を扱うテナントショップで佐島のスモーク蛸と鯖を酒の摘みに買って帰る。

 自宅が見えたと思ったら、前に外車が停まってるぞ。真っ赤なアウディとは……

 

『正明、加茂宮一子が居るぞ。自宅に連れ込んで食うか?』

 

 胡蝶さんの言葉に電信柱の陰に体を隠す。半分位しか隠せないが、距離が20m位有るから何とかなるかな?

 

『字面が危険ですって!食べませんよ、ウチに来るって誰かに言ってるかもしれないでしょ?

それより周りに護衛とか居ないかな?御三家当主、加茂宮のNo.1が単独行動とは考えられない』

 

 名古屋とは違い神奈川県は亀宮一族の勢力圏だ。良く見れば車のナンバープレートは京都だし、陸路で一人で運転して来るのは大変だろう。

 必ず取り巻きが居る……

 

『いや、居ないな……少なくとも霊能力者も此方に注意を向ける奴も居ないな』

 

 胡蝶さんレーダーに引っ掛からないなら、本当に単独行動なのか?隠れて眺めていても仕方ないので、ゆっくりと歩いて近付いていく……

 運転席に座っていた一子様が僕に気付いて外へ出る。さり気ない笑顔が凄いよね、本当に嬉しそうなんだよ。

 これをやられちゃ相手は勘違いして入れ込むわな。自分に気が有るんじゃないかって……

 

「こんにちは、榎本さん。お久し振りね」

 

「ええ、お久し振りです。一子様、今日は何か用でしょうか?」

 

 社交辞令的な笑顔を向けて一礼する。相手は御三家当主、僕は他勢力の末席。

 彼女は礼儀には煩くなさそうだが、失礼が有ると不味い。とは言え女性を自宅に招くのも問題行動だろう。

 

 頭の中で周辺の飲食店を思い浮かべる……駄目だ、チェーン店のラーメン屋と牛丼屋しかない。

 

「近くに来たから顔を見たかっただけなの。でも時間が無いので、今日は帰るわ」

 

 そう言って寂しそうに微笑むと、本当に帰って行った。

 

「何だったろう?」

 

『さあな、特に家に呪術を掛けられてないぞ。だが……先代の仕込んだ術が発動しかけている。いよいよ始まるな、加茂宮一族の蟲毒が』

 

 残り六人、一人食えば胡蝶と同等、二人食えば勝てるか分からない。

 彼女は一族の連中との生き残りを掛けて、僕に接触してきたのか?

 僕は亀宮の一員とは言え個人事業主だからな。共食いに関わり合いになりたくはないが、奴等を食わねばならないから。

 

 僕は加茂宮一子に協力するべきだろうか?

 



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第206話

第206話

 

 真っ赤なアウディが法定速度で走り去るのを見送る。スピードも出さず安全運転なんだな彼女は。

 結局顔を見て帰って行っただけだが、何をしたかったのか幾つも考えられるので難しい。

 玄関を開けて中に入り警報装置を解除する。神泉会絡みで防犯関係を強化する為に導入した機械式警備だ。

 

「良かった、結衣ちゃんは未だ帰ってなかったか……」

 

 仮にも自宅に新しい美人が訪ねて来たとか問題有りだろう。最近、魅鈴さんが妙に積極的過ぎて結衣ちゃんがピリピリしているんだ。

 壁に設置された操作盤からインターホンに備え付けられたカメラの記録画像を探し出して見ると、4時8分に一子様が写っている。

 現在時刻は4時52分だから少なくとも40分位は待っていた計算だ。

 次に外壁に取り付けた防犯カメラで録画した画像をチェックすれば、何と3時57分には車を停めている。

 暫く家の前で躊躇う様子が有り、意を決してインターホンを押して留守と分かると肩を落として車に戻る姿が写し出されているけど……

 

「凄いな、無意識なのか計算されているのか?こんな姿を見せれたら男は堪らないだろうな」

 

 留守に現れ一時間近く待ち、ただ顔を見せて何も言わず帰る。一瞬だが最初に監視カメラに目線が合わなければ、僕も騙されただろう。

 彼女は監視カメラの存在に気付いていた。一芝居打ったと思うのは邪推だが、彼女は魅力操作系能力者だからな。

 人心掌握の技術には長けているだろう。

 それに略奪愛が大好きだとも聞いているし、見た目も厳ついオッサンに好意を寄せているとか考え難いし自惚れてもいない。

 彼女は僕の協力ないし敵対しない事を目的に動いている。

 万が一にも有り得ないが、他の加茂宮の当主達に取り込まれない様に釘を刺しにきたんだな。

 好意を寄せられている(と思わされている)相手に敵対行動を取る事は難しい。

 

 相手が美人なら尚更だ。

 

 キッチンの冷蔵庫からコーラを取り出して居間のソファーに座る。フルタブを開けて一口飲めば、程良い炭酸の刺激が喉を通る。

 落ち着いてから一子様の事、加茂宮との今後の付き合い方を考える。先ず僕は蟲毒の件で彼女達が必ず一族で争い合うのを知っている。

 当主連中が喰い合うなら、彼女は勝ち残る為に一族内外に協力者を募るだろう。

 彼女の協力者が現時点で何人居るかは分からないが、亀宮さんが僕を思い切り持ち上げたからな。

 他勢力のトップが同等と評し、面識の有る僕を野放しとは考え辛い。

 直接の戦闘力の低い彼女は、他者の協力が無ければ兄弟姉妹を倒せない。それに僕と胡蝶も、加茂宮の蟲毒に絡まないと駄目だから。

 過去の胡蝶と因縁浅からぬ関係らしいから、彼女と一蓮托生の僕は早期に相手を無力化したい。

 一子様とは利害が一致してそうで、実はしていないのが問題だ。僕も彼女も敵は同じだが、互いに倒した相手を食べたいのだから。

 彼女が二人喰えば僕等では勝てないかも知れない。一人食べても同等らしいから厄介なんだ。

 コーラの残りを一気飲みして空缶をクシャクシャに握り潰す。アルミ缶の強度など、今の僕にとっては紙と同じだ。

 最近鍛えた筋肉以上の力を発揮出来るのは、胡蝶と混じり合っている所為か……

 

『そうだ、我と正明の魂が混じり合えば我から引き出せる霊力が増える。霊力が増えれば肉体を強化する力も増える。それが恩恵や加護で有り……』

 

 突然の脳内会話には驚くが大分慣れた。

 

『罰でも有る?僕は人間の範疇から逸脱し始めている。もう健康診断を受ける事は厳しいだろう。

採血とかの検査数値が異常値だろうな。だけど、それも折り込み済みで力を借りているから今更だよね?』

 

 僕は厳密に言えば既に人間じゃないかも知れない。基礎体力の向上や軽い切り傷なら人よりも倍以上早く治る。

 

『む、いや恩恵や加護は与えられる物だから、我への報酬の無い無償の愛ではないのか?少なくとも罰ではないぞ』

 

 加護が与えられる物なら反対は与える事か、貰えない事か?

 

『胡蝶を信奉し力を与えられる。仏の教えでは現世利益(げんせりやく)になるのか?いや胡蝶は厳密には神や仏とは違う。祟り神?力有る者?』

 

 そう言えば僕は胡蝶の事を殆ど何も知らない。700年前に御先祖様と契約を結んだ力有る者。

 可愛い外観だが中身は鰐みたいなナニかだ。そして僕と魂レベルで混じり合い始めている。

 

『何だ?女の過去を知りたいのか?自分の女の過去を知りたくば、身体に聞けば良かろう?

くっくっく、最近女郎街に行ってはいまい。溜まっているなら今晩どうだ?』

 

『女郎街って……確かに最近は風俗には行ってないな。何故だか性欲が減っている様な気もするし、年か?』

 

 昔ほど、いや昔と言っても半年位だが確かに性欲が減っているな。横浜や川崎の風俗街には全然遊びに行ってないのも確かだ。

 昔はムラムラしたら我慢出来ずに遊びに行っていたのにだ。

 

『正明の風俗通いはストレスの発散の意味合いも有ったからな。今は心の負担が少ないからだろう。

女の身体に溺れるのは、ある意味逃げだ。愛欲とは歯止めが効かぬから余計だろう』

 

 ん?僕が今の生活に安心し満足している?マイハニーエンジェル結衣ちゃんにフードファイターの戦友である桜岡さん。

 愛娘の静願ちゃんに敬愛する当主の亀宮さん。悪友の高野さんに親友の晶ちゃん。他にもメリッサ様や魅鈴さん、阿狐ちゃん……

 

『見事に女ばかりだな。早く誰でも良いから孕ませろ!梓巫女と亀憑きなら世間的にも問題無かろう。狐憑きは囲えば良いのだ!』

 

 桜岡さんと亀宮さんだって?IFな世界の僕は彼女達を喰ってしまった様な気がするのだが……現実の僕は違うぞ。

 

 嫁は結衣ちゃんが良いのだ!

 

『なぁ正明?我と同化するとな、好みも混じり合うのだぞ。つまり性的な好みを幼さに極振りしたお前の性癖が……』

 

 無理を承知で目を瞑り耳を塞ぐ。

 

『見えません、聞こえません、分かりません!』

 

 ノーマルな性癖なんて僕のアイデンティティーが……

 

『ふむ、強情だな。まぁ良い、我の姿がお前の無意識下の潜在的な好みなのだ。我の姿が変われば納得もしようぞ』

 

 確かに胡蝶に会う前は、僕は普通の性癖で同い年の彼女も居た。だが胡蝶に会って初めて襲われて今のロリコンに変わったんだ。

 いや、おかしい。爺ちゃんや親父は言った筈だぞ、最初に会った時は自分の求めた相手の姿だったと……

 ならば最初から幼女だった胡蝶を見た僕の性癖って何だ?

 

「あれ、正明さん?灯りも点けずにどうしたんですか?」

 

「ん?ああ、お帰り。いや、ちょっと考え事をしてたら止まらなくてね……」

 

 気が付けば周りは薄暗くて結衣ちゃんが帰って来たのも気付かなかった。

 心配そうに見上げる彼女の頭を撫でると、細くサラサラな感触が指を楽しませる。

 

「本当ですか?」

 

 不自然にならない程度の笑みを浮かべる。親の愛情に疎い子供達は、相手の表情から感情を読む事に長けている。

 だからオーバーアクションは見破られたり疑われたりするんだ。

 

「うん、本当に大丈夫だよ。明日は一緒にお出掛けだね」

 

 ピェール邸視察と周辺の様子を見に山手散策に誘ったんだ。

 オッサン一人で女性向け観光地を徘徊するのは人目に付くが、女性同伴ならば目立たない。

 凸凹カップルだから余計に目立つかもしれないが、少なくとも不審者扱いはされない。

 最近は年の差カップルも多いらしいし……

 

「はい、帰りに関内のグランバックに寄りませんか?正明さんの夏服を見ましょう」

 

 最近は自分で服を選ばず桜岡さんか結衣ちゃんに選んで貰っている。

 流行り物に疎い僕だが、彼女達はその辺も良く研究していて最近は私服はお洒落ですね、と言われる。

 仕事着は機能と隠密性が優先だから、そこにデザイン性は必要無い。

 

「そうだね……もう五月だし梅雨が明ければ直ぐに暑くなるかな?」

 

 グランバックとは大きな男の御用達の服屋で7Lサイズまで常備している僕の最近の行き付けの店だ。

 カジュアルからスーツまで殆どが海外ブランドのセレクトショップだが、お洒落な桜岡さんもOKを出した信頼出来る店なのだ。

 

「それと背広も新調しませんか?黒やグレー系は似合いますが、威圧感が……正明さんには茶系や柄物も似合いますよ」

 

 やはり黒のスーツは駄目なのかな?御手洗達には似合うって言われたが、亀宮さんは微妙な顔をされたし。

 

「うーん、柄物はちょっと……変わりにネクタイとかカフスボタンで妥協しない?」

 

 幾らお洒落になったとはいえ自分で選んでないので、柄物とかは恥ずかしくて嫌だな。

 

「駄目です。只でさえヤクザみたいって言われるんですよ。正明さんは優しいのに見た目で損をしてます」

 

 彼女は言いだしたら考えを曲げない事が有る。それは我が儘じゃなく大抵は他人に対しての思いやりなので、僕も強くは言えないんだよね。

 結局、結衣ちゃんに夏服とスーツを選んで貰う事になった。明日は現金を多めに用意しないと駄目かな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 天気は快晴、お出掛け日和となった。京急電鉄横浜駅でJRに乗り換え関内駅で降りる。

 結衣ちゃんプランでは先に僕の服を見て中華街で食事をしてから山手散策、そしてお洒落な喫茶店でお茶して帰る。

 健全なカップルの王道デートプランだ。

 JR関内駅を降りて右側に向かえば、直ぐに国道を挟んで横浜スタジアムが見える。

 横浜スタジアムを通り抜ければ横浜中華街の入口だ。

 中華街に入らずに道なりに海岸方面に歩くと目的の店、大きな男の御用達「グランバック」に到着。

 硝子製の扉を開けると直ぐに店員さんが声を掛けてくれた。

 

「いらっしゃいませ。あら、今日はお二人ですか?」

 

 僕に結衣ちゃん、それに桜岡さんの組合せは兎に角目立つ。故に店員さんに覚えられてしまった。

 

「はい、夏物の私服とスーツを探しに来ました」

 

「丁度セール何ですよ、昨日から。今年流行りそうなのは……」

 

 店員さんと結衣ちゃんの会話を聞きながら、ああ今日も試着させられるんだなって思うとゲンナリする。苦手なんだよね、試着とかって。

 

「正明さん、先ずは……」

 

 長い試着になりそうだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 長い戦いを終えて麻のスーツにポロシャツ等を買い、荷物を自宅に送って貰った。

 万単位での買い物だし、送料はお店の負担だ。それに結衣ちゃんが縫製の悪い所やボタンが取れそうなのを発見し、手直しを頼んでいた。

 頼りになる美少女なのだ。中華街は混んでいるし天津甘栗の呼び込みは多いし歩くだけで大変だ。

 なので自然に結衣ちゃんは僕の腕を掴む。

 まるで迷子にならない様に掴む姿が、周りは僕等をカップルでなく親子と勘違いして優しい目で見る。

 

 不本意だ……

 

「正明さん、この店です。四五六飯店、麺類が美味しいって評判ですよ」

 

 この手の店って原色を多用して派手派手しいのだが、この店も緑色を基調として赤色と金色が多く使われている。

 

「結衣ちゃんのお薦めか……結構混んでるね」

 

 時刻は12時23分、一番混む時間帯だ。

 

「でも回転率は良さそうですよ。並びましょう」

 

 既に7人ほど並んでいるので最後尾に立つ。この店の席数なら15分位で座れるだろう。

 壁に寄り掛かり二人並んで立つが、結衣ちゃんは僕の左腕を抱えている。道を歩く野郎共の羨ましい視線が嬉しいぜ。

 

「正明さん、昨日の夕方に家に訪ねて来た女性ですけど仕事の関係の方ですか?」

 

 思わず結衣ちゃんを見下ろすと見上げる彼女と目が合う。真剣な表情だ……迂闊だった、画像データを消さなかったから見られたんだな。

 

「ああ、一子様かな?彼女は日本の霊能会の御三家の一角である加茂宮一族の当主様だよ。前回の仕事で知り合いになってね。

わざわざ自宅に来てくれたらしいんだ。派閥絡みだから距離を置かなきゃ駄目な相手なんだ」

 

 実は結衣ちゃんには亀宮さんや滝沢さん、風巻姉妹の事は教えていない。今となっては何たる不手際だと感じているんだ。

 静願ちゃんは風巻姉妹と会っているから、彼女から結衣ちゃんへと情報が流れるかも知れない。

 仕事とは言え女性の知り合いが増えたら、それとなく教えるか会わせるべきだった。特に亀宮さん関係は長い付き合いになるのだから……

 

「御三家?当主?一子様?正明さん、後でゆっくり教えて下さいね?」

 

「うっ、うん。勿論だよ、何なら最近仕事を一緒にする連中とも会わせようか?」

 

 笑顔の結衣ちゃんの迫力に負けた。だが丁度良い切っ掛けだろう。

 高野さんや鶴子さんは微妙だが、亀宮さんには会わせておかないと今後マズい事になるかもな。

 

 彼女も結衣ちゃんに会いたがってたし……

 



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第207話

第207話

 

 結衣ちゃんに、仕事上の女性関係について笑顔で質問が来た。一子様の自宅訪問に気付いて、その他も気になりだしたのだろうか?

 何故か僕の職場は不本意だが女性、それも育ち過ぎた美女ばかりなんだよね。

 もっともっと若い娘と仕事をしたいのだが、命懸けの職場に子供が居る訳がない。

 

 他人が聞いたら贅沢な悩みだぜ……

 

『黄昏ている時に悪いがな、正明。加茂宮の当主が真っ直ぐ向かってくるぞ。

我も此処まで近付かれるまで感知出来なかったが、我々は監視されていたのか?』

 

 胡蝶の感じる方向を見詰める。

 

『何故だ?胡蝶が500m以内まで感知出来ないって事は……霊能力者じゃない探偵か何かだろうか?しかし今はマズい』

 

 結衣ちゃんとデート中に他勢力のトップと会うなんて、禄な事にならない。

 しかも順番待ちで移動出来ないし、移動するには理由を話さなければ疑われる。

 最悪の場合、折角軟化し始めた亀宮の連中との関係が悪化する。

 

『胡蝶さん、後どの位で見えるかな?』

 

『む、残りの距離は300m位だな。そろそろ右側の通りから出てくるのが見えるだろう。他に霊能力者は居ない、あの女だけだ』

 

 右側の通り……中華街の中から、コッチが方向は何となく分かるだけなのに向こうは場所を特定して近付いてくる。

 尾行していたなら後から近付いてくると思ったが、進行方向から来るなら違うのか?見えた、相変わらずのゴージャス美人だな。

 通行人が振り返って見直す美人なんて中々居ないだろう。

 

「正明さん、どうしました?真剣な顔をして?お腹が空き過ぎましたか?」

 

 確かに僕は大食いだが、真剣な顔が空腹に耐えているって結衣ちゃんも案外お茶目さんだな。

 

「ああ、さっき話した一子様が近付いてくる。尾行されたかな?」

 

 人混みの一方を凝視していれば怪しむだろう。だが、いきなり遭遇よりは事前に知ってる方が良いだろう。

 通行人の視線を集め捲るゴージャス美人が目の前に現れた。コマンドが有るなら「にげる」を選択したいね。

 

「こんにちは、榎本さん。それと細波さんかしら?」

 

 周りの無遠慮な視線がウザいな。結衣ちゃんの肩を抱いて引き寄せ僕の顔を見せない様にしてから周りの連中に強めの視線を送る。

 周りの連中が此方を伺うのを止めるのを確認してから、一子様と視線を合わせる。

 

「こんにちは、一子様。今日は観光ですか?」

 

 このタイミングで偶然は有り得ないのだが、証拠も無いので一応聞いてみる。

 

「警戒されたかしら?私は別に貴方達に何かしようとは思ってないわ。少しお話がしたいだけだし……」

 

 無回答は肯定と思って良いのだろう。話の内容によっては、結衣ちゃんを同席させたのはマズいかな?

 結衣ちゃんに一子様に対して同情や共感を植え付けられたらマズい。

 

「神奈川県は亀宮の縄張りですし、関西を拠点とする加茂宮が出張っては不味くないですか?余り騒ぎになるのは、お互いの為に……」

 

「お次のお客様は何名様ですか?」

 

 大事は話の途中で店員に割り込まれてしまった。全く空気を読めよな……

 

「僕等は……」

 

「三人よ、禁煙席にして下さる?」

 

 一子様に微笑まれて店員がワタワタとしているが、一緒にご飯を食べるのか?結衣ちゃんを見れば、きょとんとしている。

 

「正明さん、一緒に食事をするのですか?もしお仕事の話なら、私は帰りましょうか?」

 

 聞き分けの良い彼女だから、こんな展開は十分予測出来た。でも結衣ちゃんを帰して一子様と二人で食事なんてお断りだ!

 

「結衣ちゃんって呼んで良いかしら?堅苦しい話じゃないのよ。

先の仕事でお世話になったから、お礼よ。ごめんなさいね、デートの邪魔をしてしまって」

 

 ぐっ、凄い優しい笑みだ……その気になれば同性も誘惑出来るテクニックが有りそうだな。しかも僕とデートなんて、今まで誰も言わなかった。

 

「いえ、そんな事は……その、前のお仕事はどんな感じだったのですか?」

 

 政治家の先生の不始末の尻拭いと徐福伝説の真相を隠蔽しました!不老不死の泉と欲に負けた連中を始末しました!何て事は言えない。

 

 そもそも守秘義務が……

 

「そうね……私の配下の失敗の面倒を見てくれた、かしら。ごめんなさいね、詳細は教えられないの。

私達には守秘義務が有るから。だからお礼を兼ねて奢るわよ」

 

 悪戯っぽく言われたら、同行を拒否出来ない。あの貸しをラーメンでチャラは辛いんですけど?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 美女と美少女に野獣。

 

 店の中は異様な緊張感に包まれている。だが全く動じずにラーメンを啜れるとは……

 

「あら、意外にサッパリして美味しいわね」

 

「此処は海鮮で出汁を取り塩味をベースに縮れ細麺で……」

 

 美女と美少女が仲良く会話をして、巌つい筋肉が大人しくラーメンを食べている。

 確かに結衣ちゃんお薦めだけあり、縮れ細麺がアッサリした塩味のスープに絡まり美味しい。

 シャキシャキの野菜や貝柱、それに海老や烏賊と具も豊富だ。だが、どう見ても僕は彼女達のガードマンです、有り難う御座居ます。

 

「でも榎本さんも悪い人ね。こんなに可愛い恋人が居るのに亀宮さんや桜岡さんにフラフラして。結衣ちゃんもハッキリ言わないと取られちゃうわよ」

 

「いや、僕は亀宮さんとは……」

 

 対外的には僕は桜岡さんと付き合っていると公言してしまった。それは亀宮一族の中だけだが、情報として調べられたかもしれない。

 だから言葉を濁すしかないが、それをこの場で結衣ちゃんに教えなくても良いだろう。一子様を睨むが、視線すら合わせてくれない。

 

「そんな、私達は未だ……」

 

 真っ赤になって俯く結衣ちゃん?初々しいが未だって可能性は有りなの?

 

「ふふふ、私には分かるのよ。榎本さんも結衣ちゃんを見る目が恋人を見る目と一緒よ、本当に妬けちゃうわ」

 

 何ですと?まさかついに現れた理解者が敵対する派閥のトップだと?流石は略奪愛の一子だ!

 男女の機微には詳しいんだな。だが、今の段階で一子様に弱みを見せるのは……

 

「わっ、私、トイレに行って来ます」

 

 僕と目が合うと真っ赤になって急に立ち上がり、そそくさとトイレに行ってしまった。

 

「ふふふ、榎本さん悪い人ね。周りを騙すなんて……私もさっき報告を聞いて、この目で確かめるまで半信半疑だったわ」

 

 先程迄の優しい目じゃない、キツい眼差し。やはりロリコンをネタに僕を脅す気なんだな。

 

「いや、騙しては……」

 

「亀宮の御隠居達が守りの亀宮、攻めの榎本。攻守共に揃った我々が御三家のトップだとか言い触らしているのにね」

 

 御隠居め、僕を派閥争いに巻き込むなって言ってあるのに……

 だが所詮は噂話だから証拠も無いし、わざわざ噂の元を探しても尻尾切りで終わりだな。

 

「御隠居様にも困りましたね。僕は派閥争いには関わり合いになりたくないのです」

 

 何故か一子様が悲しい顔をしたが……

 

 派閥争いの件で共食い争いの事を言い辛くなったからか?急に顔を近付けて真剣な目で僕を見詰める。

 周りに聞こえない程の小さな声で……

 

「攻撃力特化、その筋肉隆々の外見と伴って皆騙されているわ。貴方の本当の力は攻撃力じゃない。

勿論、呪術士の一団の呪咀を跳ね返す呪術防御も凄いけれど本当の力は別物ね」

 

「何を言ってるのですか、一子様?」

 

 僕と結衣ちゃんの年の差恋愛話じゃないの?

 

「榎本さんの本当の力は探査探知能力よ。正直に話すとね、私の配下の連中に遠距離から望遠鏡で監視させてたの。

流石の貴方も感知出来なかったかしら?携帯電話で私に貴方の現在位置を報告しながら監視していた配下から、リアルタイムで聞いたわ。

私が貴方に向かって歩きだした時に、正確に未だ見えない私の方を厳しい目で見ていたって。そして私が視認出来るまで視線を逸らさなかった。

榎本さん、貴方は霊能力者か特定の人物かは分からないけど自身を中心に500m圏内なら感知出来るわね?」

 

 流石だ……確かに僕(胡蝶)は500m以内なら霊能力者を感知出来る。

 

 一般人に望遠鏡で監視されていたのは気付けないが、それが霊能力者や呪術的な物ならば……

 

「偶々ですよ、偶然です……それに望遠鏡を使って迄の監視とは気に入りませんよ」

 

「監視本来の意味は私と貴方が接触した事を他の勢力に気付かれない為によ。まさか、貴方の本当の能力を知る羽目になるとは……榎本さん?」

 

「何ですか?」

 

 此処で本題だな、協力要請か?

 

「私の敵にだけはならないで下さい。では結衣ちゃんに宜しく」

 

 凄くアッサリと引き下がるが、席を立つ彼女を呼び止める。僕には確認しなければ駄目な事が有るから……

 

「先程の結衣ちゃんの件だけど、その……」

 

 一子様はフッと優しい顔をして

 

「あの娘が榎本さんを異性として好きなのは確かよ。貴方は彼女を慈(いつく)しむ目で見ていたわね。

義理とは言え愛娘に異性として好かれて驚いたかしら?では、また会いましょう」

 

 颯爽と席を去る彼女を今度は呼び止められなかった……普段から気を付けていた結衣ちゃんをイヤらしい目で見ない事が、一子様にも通用したなんて。

 

 敵にだけはならないで……これは深い意味を持つ言葉だ。

 

 散々僕を引っ掻き回して、それでも彼女の事を気になる様に去るとはね。やはり彼女は一筋縄にはいかない相手だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 欲しい、どうしても欲しい。何としても私に跪かせたい男だ。私達当主陣と遜色ない力を持つ稀有な存在。

 最初は、その攻撃力とタフネスさ、呪術的な防御力を狙っていたのに。

 

 まさか感知する能力まで持っているなんて!

 

 彼は対霊能力者戦で絶対に必要な駒になるのは間違いない。

 目を掛けていた二子の存在を感じなくなって、五郎や七郎まで同じく存在を感じなくなった。

 誰か他の連中に既に喰われた可能性も有る。直接的な攻撃力の乏しい私には、強力な手足となる駒が必要。

 場合によっては亀宮や桜岡から彼を奪って私のモノにしようとしたが……あの少女の存在が脅威なのよ。

 

 榎本さん、あの娘に対して慈しむ目で見ていた。義理の娘とは聞いていたが、我が子の様に慈しむ目で……

 

 人間には幾つかの愛情の種類が有るけど家族愛、特に子供に対する親の愛情は強固なの。

 親が子を子が親を殺す時代だけれど、そうじゃ無い場合には男女の情欲を操り迫る私には勝ち目は無い。

 

 親の愛とは自分を犠牲にしても子に与える無償の愛だから……

 

 私達が実の父親から与えられなかった愛を独り占めにする、あの娘が私は憎い。

 だけど結衣ちゃんに危害を加えたら、あの男は夜叉にもなるだろう。

 唯一の付け入る隙は、彼女が榎本さんに対して異性としての感情を持っている事ね。

 榎本さんと彼女が結ばれれば、親の愛が恋人への愛に変わる。

 ならば付け入る隙も有るけれど、あんなに慈しむ目をしてちゃ望みは薄いわ。

 既に私の弟妹達は独自の協力者と共に行動を初めている。

 

 一子の名を継いだ私には数多く配下も居れば準備も怠っていない。

 

 この争い、他の二家が介入しなければ私が勝ち残る確率は高い。でも私の勝利を確実なモノにするには、もう一手欲しい。

 

「亀宮に彼を貸せって言っても無理ね。あの亀女、彼に依存しているからどんな好条件を付けても無理だわ。

伊集院の蛇女は弱みを見せれば喰い付いてくる。そこに交渉の余地は無いし……」

 

 やはり榎本さんを取り込むしかない。

 あの蛇女も榎本さんには軟化した態度だったから、上手く彼を使えば伊集院一族が問答無用で加茂宮を攻めてはこない。

 でも私の瞳術も聞かないし色香にも靡かない。お金や権力にも興味が薄いのは亀宮一族での彼の関わり方を知れば分かる。

 

「あの堅物に一番異性として近いのは桜岡霞だわ。幸い関西巫女連合は私寄りだから、彼女を絡めて攻めましょう」

 

 もし、もしも大食いが榎本さんの琴線に触れて桜岡霞が今の位置を手に入れたのなら私は無理だわ。でも何時以来かしら?

 

 こんなにも異性の事で悩むなんて、榎本さんも罪作りな男よね?

 



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第208話

第208話

 

 あの後、微妙な雰囲気だったが何とか山手洋館群を見て回れた。

 結衣ちゃんは僕を意識してか腕を組んだりはせずに適度な距離をおいていた。一子様に文句を言いたい。

 折角結衣ちゃんとの距離が縮まったと思ったのに、意識されてから又距離をおかれた……

 

 何だろう、初々しい中学生カップル?いや、結衣ちゃんは中学生だから正しい男女交際なのだろうか……僕はオッサンだけど。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一子様に配慮されたからと言って、僕が亀宮に今回の件を内緒にする義理は無い。

 彼女は余計な事をして僕の亀宮での位置を心配してくれたが、黙っていないで報告すれば良い。逆に配慮に気遣って黙っている方が不味い。

 亀宮さんに言ってしまうと大事になるから御隠居様にメールで報告した。

 

『加茂宮一子より直接的な勧誘の言葉は無かったが、引き抜きを匂わせる行動が有った。二回ほど直接会いに来た。

彼女は亀宮本家が積極的に僕に関する『ある噂』を流していると警告。その『ある噂』について、御隠居様の意見を聞きたい』

 

 これは牽制にもならないと思うが、加茂宮の内乱を知らない事になっている僕では彼女が接触してきた理由を「派閥争いには参加しない約束だけど反古にされてるぞ!」と教えて引き抜きに来た。

 そう解釈したと御隠居様に思わせるのが目的だ。だが僅かな失態で僕(胡蝶)の探査・探知能力と範囲を知られてしまった。

 これで加茂宮に対して大きなアドバンテージが無くなったと考えないと駄目だ。

 半径500mで感知されるなら、それ以上の距離を置かれたら対処出来ない。

 最もライフルで狙撃とかされなければ命の心配無いけれど、相手の隙を突く事が出来なくなった。

 もう無用心に接近しては来ないだろうし、警戒するだろう。加茂宮の当主連中は他の二人を喰えば胡蝶と同等、三人喰えば勝てないと言った。

 生き残りは六人だが、その内の二人を胡蝶に喰わせれば残り四人が一つになっても何とかなるそうだが……

 

 既に三人も食べてるから、過半数の五人を食べないと駄目って事なんだよな。そりゃ半分以上食べて力を吸収すれば勝てるだろう。

 

「正明さん、お昼はサッパリした海鮮ラーメンでしたから夕飯は石狩鍋にしました。出来ましたから降りて来て下さい」

 

 自室で布団に横になって考え事に耽ってしまったので、結衣ちゃんの接近に気付かなかった。

 扉の外で中に入らずに声を掛けてくれた彼女に、直ぐ行くと微笑んで立ち上がる。

 

 石狩鍋は久し振りだなぁ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 慎重に言葉を選んで会話をした夕食が終わった。結衣ちゃんは石狩鍋に独自の工夫を凝らしている。

 普通、石狩鍋と言えばメインの具材は鮭だ!

 だが彼女は鮭の代わりに鱸(すずき)と言う煮ると固くなる白身魚を薄くスライスして中に昆布を挟み更に白菜の葉で包んだ。

 一見すればロールキャベツだが手間を掛けてくれたのが嬉しい。

 味は微妙だったが二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

 彼女が微妙な創作料理を供するのは珍しいのだが、実は桜岡さんの発案らしい……久し振りに彼女の料理メモを見て作りたいと思ったそうだ。

 

 桜岡さんか……

 

 そろそろ修行が終わった頃じゃないかな?関西巫女連合の事も有るし出来れば戻って来て欲しい。離れていると、もしもの時に対処出来ないし。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 寝る前にパソコンのメールをチェックしたら三件来ていた。一件目は御隠居様から、二件目は魅鈴さんから。

 三件目はメリッサ様からだった。御隠居様のメールから確認するが、狸だなぁ……

 

 僕に関する『ある噂』について、自分達も調査し報告するそうだ。

 

 つまり尻尾切りか組織に不要な連中に濡れ衣を着せるのかな?転んでもタダでは起きないって感じだよね。

 

 次は魅鈴さんだ。

 

 仕事用のパソコンにメールとは珍しいな。大抵は携帯に電話か直接押し掛けて来るのに……メールを開いて文面を読む。

 

『榎本様

宮城県の犬飼本家から手紙が来ました。

内容が先日亡くなりました大婆様の遺産相続についてなのですが、金銭的な遺産の他に呪術的な遺産項目も有ります。

そして遺言状に「呪術的な遺産についての相続権は全て榎本さんに有る。彼が相続を拒む場合、それらは封印する事」と厳しく書かれています。

どうしたら良いでしょうか?』

 

 パソコン画面から目を反らし暫し瞑想する。大婆様については小笠原母娘を絡めて大変だった。

 現在の当主は嫌な男だが、存命の彼を差し置いて呪術的な遺産を相続するのは問題だろう。

 日本の法律では親族以外には相続権は無い。親族が居ない場合は国が財産を没収するのだ。

 だが形の無いモノの場合は問題にならないと思う。犬飼一族は畜生霊を操る一族だ。

 彼等の守る呪術的な遺産ならば、現当主を主と認めない強力な畜生霊だろうか?

 

『正明、良いではないか!その遺産とやらを貰いに行こうぞ。正明も貪欲に力を欲すると決めたであろう?加茂宮の件も有るし、我等のパワーアップは必要だぞ』

 

『ああ、既に人の枠から外れた身だからな。新しい力を得る事は賛成だが、呪術的なモノを継承したら……

最悪の場合、犬飼の名前まで継がないかな?それは嫌なんだけどな』

 

 派閥争いに参加するのは、ましてや犬飼一族は亀宮の山名一族と繋がりが有りそうだった。巨大な力を貰うには相応の見返りが必要だぞ。

 

『確かにそうだな。一族の当主にしか憑かない畜生霊を貰ったのだ。

これからは犬飼一族として行動しろなどと言われたら、我は奴等を根絶やしにするぞ。

我は、我を縛る契約は榎本一族の繁栄。それを他の一族に変わるなど許されない』

 

 胡蝶さんの雰囲気が怖い……古代の呪術による契約だからな、彼女を縛る条件が厳しいのかも知れない。

 僕は榎本一族最後の直系子孫だから、僕の名前が変わるなど認められないのだろうか?

 

『うん、兎に角一度先方に出向かないと駄目だよね?どんな呪術的なモノを貰えるのか、条件が有るのか、そもそもモノが僕等に必要か?

それを見極めてから決めれば良いか』

 

『ふむ、なれば赤目達を天に還したのは勿体なかったな。犬は主人に尽くすし探査も戦闘もこなせる』

 

 赤目達か……霊となっても僕を涎だらけにした可愛い犬達だったな。だが殺さなければ使役出来ないならばお断りだ!

 

 気を取り直して最後のメリッサ様のメールを開く。鶴子さんって呼んだら凄い怒られた。

 

『榎本さんに言われた通りピェール氏にセキュリティ強化と監視網の構築の話をしましたが、凄い剣幕で怒られました。

まるで別人の様だったと。それとベビーシッターの竹内さんが辞めました。

彼女は急に来なくなりメールで辞めたいと申し入れが有り、その後連絡が取れなくなりましたが、派遣元から正式にお詫びが来たそうです』

 

 別人の様に怒る、か……若い嫁を貰い大切にしていたが、隠していた本性が現れた?

 

 だが怒るって事は洋館に他人を出入りさせたり調べたりする事が駄目なのか?

 秘密が有るのか、単に心霊が嫌いで怒ったのか?だが心霊に絡ませずに防犯面から説得する様に提案したけど、話の持っていき方を間違えたのか?

 

 メールじゃ良く分からないが、僕の感じ方としてはピェール氏は黒だ!

 

 何かを知っていて秘密にしたがっている。パソコンから離れて布団に大の字に寝っ転がる。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す事を三回繰り返す。先ずは御隠居様、若宮の婆さんだが特に何もしなくて良いだろう。

 元々チクリと釘を刺せれば良い程度だ。犬飼一族については、現地に行ってみよう。

 

 勿論一人でだ。

 

 メールの感じからして魅鈴さんが同行したがりそうだが、呪術的なモノなんて必ず手に入れる為の資格と試練、それにリスクが有るだろう。

 逆に何も無ければ、あのボンボン当主が何もかも奪っていた筈だ。

 魅鈴さんの説得が面倒臭いが、黙って行く事は不義理だし今後の関係の為にもやらないとね。

 彼女の口寄せは僕の仕事に大いに役立つし、静願ちゃんの事も有るし。何より僕は仲間として彼女達が好きだからね。

 

 最後はメリッサ様の件だが……

 

 美羽音さんと赤ちゃんが心配だ。僕等は正式な依頼も無しに動けないが、メリッサ様に動いて貰うしかないかな?

 元同僚だし友人でも有るから、問題になっても被害は少ない。

 だが高梨修の動きが分からない内は、神職として迷える子羊の救済として善意の行動をしないとな。

 既に霊能関係の業界で悪目立ちし過ぎてるし、一般紙に暴露記事ても書かれたら何が起こるか分からない。

 

「胡蝶さん、人付き合いが広がるとさ。こんなにも面倒臭いんだね。前は気楽で良かったと思うよ、戻りたいとも思わないけど……」

 

「ふん、人の縁は良きも悪きも寄ってくるのだぞ。我は人ではないが、我と縁を結んだ事により力を得たが加茂宮との因縁も呼び込んだろ。

正明、男の甲斐性を見せる時だな」

 

 お腹からニョッキリ生えた胡蝶さんが、ドヤ顔で宣(のたま)ってくれた。

 

「甲斐性って何だよ?胡蝶や魅鈴さん達になら分かるが、美羽音さんは関係無いぞ。そもそも人妻だし不倫は文化じゃない、悪業だ!

惚れた相手なら離婚まで待てば良いじゃん。浮気なんて婚姻って契約を無視した悪業だよ」

 

「やれやれ、エロい癖に結婚したら浮気せずに正妻一筋になりそうだな。正明?我は一族を増やせと言ったぞ。

畑が一人じゃ駄目なのだ。浮気や不倫じゃない、正妻公認の妾を囲え。

多分だが魅鈴は静願と一緒に囲っても平気だぞ。正妻は条件的には亀憑きだな。亀宮一族の当主となれば、妾は囲い放題だぞ」

 

 胡蝶さん、最初に亀宮一族の乗っ取りは駄目だって言ったよね?軒先借りて母屋を取るだっけ?

 

「それは駄目だよ、義理を欠く行為だし。亀宮さんに失礼だぞ。そもそも結婚しても当主は彼女だからね。亀ちゃんを取り憑かせてるから亀宮なんだよ」

 

 胡蝶は僕の体から抜け出して布団にうつ伏せになり、足をブラブラと曲げている。どうやら今夜は添い寝したいらしい。

 

「まぁ亀宮一族の乗っ取りは不可だからな!じゃ寝るから電気を消すぞ」

 

「ふふん、もし我の今の姿を狐憑きが見たら?どうなるかな?」

 

「なっ?」

 

 スッポンポンの亀宮さんに変化しやがった!しかも世間一般ではセクシーと言われるポーズまで……こんな所を結衣ちゃんに見られたら、勘違いされてしまうだろ!

 

「分かった、分かったから。人形寺か古戦場ツアーで手を打とうよ!だから姿を元に戻してくれ。結衣ちゃんに見付かる前に……」

 

 久し振りに土下座をして許しを請う。一子様にも頭は下げたが土下座まではしなかったんだぞ。

 

「ふむ、だがな正明。亀憑きはお前の子供を産んでも良いと言質を取ってるのだ、名古屋の洞窟でな。

なのにお前は女に恥をかかせる心算(つもり)か?」

 

 亀宮さんの姿のままで胡坐をかくな!その……色々と大変な事になってるぞ。生々しい色気に思わず目を逸らす。

 どうにも苦手意識が高い。

 但し桜岡さんと亀宮さんは、他の育ち過ぎた女性よりは万倍マシだけど……

 

「ふむ、お前の苦手意識が梓巫女と亀憑きは少なかろう?それが我と混じり合うと言う事だ。その内、我の本当の姿を見せてやろうぞ」

 

 そう言うと、バシャリと流動形となりスルスルと僕の左手首の蝶の痣に吸い込まれた……

 

「何だよ?添い寝はしないのか?」

 

 そう問い掛けた時に、扉の外に人の気配を感じた。

 

「正明さん?何か話し声がきこえたけど、誰か居るんですか?」

 

 ヤバい、結衣ちゃんに胡蝶との会話を聞かれたか?

 

『こっ、胡蝶さん?もしかして聞かれた?』

 

『大丈夫だ、我が正明の体に入った時は階段を上る前だぞ。やれやれ、小心な愛しい下僕だな……』

 

 呆れられたが、元はと言えば胡蝶さんが原因だろうに。

 

「ん?誰も居ないよ。入っておいで……」

 

 何とか平静を装い返事をする事が出来た……

 



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第209話

第209話

 

 胡蝶との話がヒートアップした所為か、結衣ちゃんへの配慮が足りなくなってしまった。

 彼女は話し声を聞いて部屋まで確認に来たんだ。それは僕だけでなく相手の、胡蝶の声も聞こえた?

 心配そうに扉の外から声を掛けてきた彼女を部屋の中に招き入れる。

 

「ん?誰も居ないよ。入っておいで……」

 

 遠慮しながら入ってくる結衣ちゃんは、何時ものTシャツにホットパンツ姿だった。相変わらず細くスベスベな脚だな……

 

「知り合いから連絡が有ってね。明日か明後日に宮城県に行かなくてはならない。仕事関係の知人が亡くなったんだ……

高齢の高位呪術者だったが、僕に名指しで遺産相続の話が来た。金銭でない呪術的な、ね。だから声が大きくなってしまったのかな?」

 

 枕元に置いてあった携帯電話を片手に説明する。携帯電話は持っているだけで電話で話していたとは言わない。

 騙すみたいだが嘘は言ってない。

 

「そうだったんですか……すみません、お仕事の事に口を出したりして。喪服用意しますか?白のワイシャツにアイロンかけてたかな?」

 

 ぐっ、甲斐甲斐しくお世話してくれる彼女を見ていると心が痛む。僕は何時か結衣ちゃんに真実を伝える事が出来るのだろうか?

 

「何日か向こうに泊りになるかも知れない。明日連絡して出発するよ」

 

 彼女の背中を軽く押しながら作り笑いを浮かべる。彼女を好きと言いながら騙している薄汚い自分が嫌になる。

 

「正明さん、笑ってるけど泣きそうですよ。大切な人だったんですね……」

 

「え?」

 

「では、おやすみなさいです。ワイシャツはアイロンしておきます」

 

 駄目だ、嘘をつく事も出来なくなってるか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 初めて見た、正明さんの泣きそうな顔を……どんな困難も笑って過ごしていたのに、今回は無理して笑っていたのが分かる。

 亡くなっていた人は、そんなに大切な人だったのかな?正明さんは仕事の事を殆ど私に話さない。

 

 最近だ、霞さんや小笠原母娘に亀宮さん……仕事仲間を教えてくれたのは。

 

 何故、あんなに悲しそうな苦しそうな顔で無理に笑おうとしたのかな?子供の私じゃ相談もしてくれないのかな?

 私の幸せを一番にって言ってくれたのに、頼られないのは悲しいよ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 魅鈴さんとの話し合いは拍子抜けする程に順調だった。

 祖母の代で飛び出したと言っても元は犬飼一族だし、詫びの意味も有っただろう金銭的な相続の話も有った。

 だが魅鈴さんは断るそうだ。

 実は「私も着いて行きます」とか言われるかと思ったが、そんな考えは魅鈴さんに失礼だったな。

 

 一人旅は久し振りだ……

 

 少し前は何でも一人で行動していたのに、今は寂しいと感じてしまう。

 京急電鉄の上大岡駅から横浜市営地下鉄に乗り換え新横浜駅へ。新幹線に乗り換えれば2時間と掛からずにJR仙台駅だ、東京駅で東北新幹線に乗り換えが面倒だけど……

 前回は買わなかった幕の内弁当を二つと麦酒、それに魚肉ソーセージを買って新幹線に乗り込む。

 今回は私用だから自由席車両だが、平日の昼間だから半分位しか乗客は居ない。

 運良く二人掛けの空いている席を見付けて窓側に座る。

 

 アナウンスと発車ベルの後に、新幹線は緩やかに加速していった……

 

 新横浜駅付近は未だ自然が残っているが、品川駅に近付いてくるとビルが乱立し所狭しと民家が建ち並ぶ。

 車内販売のワゴンが来たので酔い醒ましのコーラを買う。モグモグと幕の内弁当を食べて麦酒を飲み干す。

 品川駅で旅客が乗り込み満席となったが、食べ終わっていたので問題無い。

 僕の体が大きく厳つい顔の所為か中々隣に人が座らなかったが、隣の車両から歩いてきたお姉さんが物怖じせずに座った。

 特に興味も無くコーラを飲みながら車窓を眺め流れゆく景色を見る。

 

「コーラ、お好きなんですか?」

 

「はい?いや、まぁ好きですが……何か?」

 

 まさか話し掛けてくるとは思わなかったので、受け答えが変だったかな?チラリと彼女を見れば、25歳前後で痩せ形の地味で優しそうな感じだ。

 小さなハンドバッグを膝の上に乗せている。

 服装も持ち物も高そうだな、世界的に有名なブランドで統一しているが、香水が控え目なのは好感が持てるし容姿も整っている。

 普通なら話し掛けられたら嬉しいと感じるだろう。

 

 だが……

 

「いえ、美味しそうに飲んでましたから。失礼ですが旅行ですか?」

 

「ええ、知人からの招待で宮城県まで。気儘な一人旅とは言えませんが……」

 

 だが、彼女から僅かながらに霊力を感じる。力が弱いんじゃない、隠し切れない力が滲んでいる感じだ。

 

『胡蝶さん?何故に教えてくれなかったかな?』

 

『む?我は気付いていたぞ。この列車には霊能力者が後二人居るぞ』

 

 つまりは僕の訓練か……胡蝶と魂のレベルで混じり合い始めた僕は、彼女の力の何割かを引き出せるらしい。

 勿論、胡蝶が半径500mの探査範囲が可能なら50m位は分かるらしいが、未だ無理です。でも同じ列車に僕を除いて三人も霊能力者が?

 

「其方は?お友達と一緒じゃなくて平気なんですか?」

 

 さり気なく表情を盗み見ながら毒を吐く。張り付けた笑みは微動だにしない。

 

「何時からですか?私達に気付いていたのは?」

 

 一寸前って正直に言った方が油断させられるかな?

 

『油断は正明を甘く見られるぞ。こ奴らは新横浜駅で二人、品川駅で一人乗って来た。この女は新横浜駅から乗っていたぞ』

 

 油断させる、つまり能力を低く見られてチョッカイ掛けて来るか。

 

「君が新横浜駅から二人で乗り込んで来て、品川駅で応援が一人来た……違うかい?」

 

 先程は表情を変えなかったが今回は目を見開いた。少しは驚かせられたかな?

 

「ふふふ……降参、正解よ。流石は亀宮様の番(つがい)ですね。私達は亀宮一族に連なる五十嵐です。

山名に縁有る犬飼一族から榎本様に接触が有ったと知ってね。私達が単独で動いたの」

 

 五十嵐?五十嵐か……御隠居衆の一人に居たな、五十嵐って婆さんが。彼女が直系は傍系かで対応が違ってくる。

 

「僕の行動と情報って亀宮一族に筒抜けかい?若宮の婆さんに文句を言うかな」

 

 おどけて見せるが反応は薄い。狭い座席でのアクションは彼女に不快を与えるかと思ったが、体が触れても嫌な顔はしないな。

 つまりは引き込みたいか取り入りたい?だが本当に彼等を何とかしないと……結衣ちゃんとの沖縄旅行も散々だったし。

 

 一度婆さんとは膝を突き合わせて話し合いが必要だろう。

 

「御隠居衆は全員が貴方の動向に注目してるわ。ウチは取り入りたい派だけど排除したい派も居るわよ。

それで、犬飼一族に会うのは何故かしら?貴方は山名一族は嫌いでしょ?」

 

 取り入りたい派ね?うーん、まさか霊的遺産を相続しにとは言えない……

 

「詫びを入れたいと申し入れが有った。余人を交えずにね。大婆様の遺言の行使だそうだ」

 

「ふーん、詫びをねぇ?それを素直に信じるの?貴方?」

 

 此方を伺う様に疑問をぶつけてくる。新幹線は品川駅を出たばかりで東京駅にも付いていない。この調子で目的地まで一緒は嫌だな。

 

「故人の最後の願いだ。無碍には出来ない。それに犬飼一族に引導を渡したのは僕だから、最後くらいは看取るさ。

だから邪魔や干渉は不要だよ。分かるよね?」

 

 釘は刺す、それが有効かどうかは別物だが止めてくれと頼んだ事実は残る。この後に御隠居にメールで報告すれば良い。

 

「私を殺すの、衆人環視の中で?」

 

 クスクスと笑っているが、君位なら別に数瞬で跡形無く消せるんだよ。

 

「さて……君達五十嵐一族が山名一族より強ければ問題無いかもね。実際山名一族には随分手加減したんだ。

僕の立場が弱かったからね。御隠居衆の動向が判らなかったかし。だが、今なら……挑発するのは君も覚悟が有るんだろ?」

 

 山名一族の呪術者10人と武闘派を再起不能にした事は亀宮一族内では有名らしい。

 

「ちょ、一寸した冗談です。私達は貴方と敵対しに来たんじゃないわ。ちゃんと最初に言った筈よ。貴方に取り入りたいって……」

 

 ああ、胡蝶と混じり合って思考が危険な方向に……少し五十嵐さんを怯えさせてしまったかな?触れる肩が小刻みに震えている。

 

「なら良いよ。だけど犬飼一族の所には着いてくるなよ。これは僕と大婆様との約束だ、余人を交えず……破るならば僕は不本意な行動を取らねばならない」

 

 脅かし過ぎたかな?

 

 だが新しい力を得るかも知れないのに、最初から情報漏洩は嫌だ。話し過ぎて渇いた喉を潤す為に残っていたコーラを飲み干す。

 空のアルミ缶をクシャクシャに丸める、ビー玉サイズに……

 

「ふぅ、佐和ちゃん美乃ちゃんの情報も嘘じゃない。何が見た目は怖いけど優しいよ。本気で恫喝されてるじゃない。

種明かしするとね、私は若宮の御隠居様から言われて同行してるの。榎本さんが犬飼一族と接触する事を御隠居衆は警戒している。

少なくとも御隠居衆の何人かはね。本来なら風巻姉妹が同行する筈だったけど、力有る男を風巻だけが独り占めは駄目だって揉めたの。

だから五十嵐一族の次期当主の私が選ばれたのに……榎本さんって懐まで入らないと本当にドSなのね。

確かに亀宮様の婿様ですから異性の誘惑に靡かないのは当然なのですが、女としては辛いです」

 

 プクッと頬を膨らましながら種明かしをしてくれたが、それでも納得は出来ない。

 

「ふぅ、この件を亀宮さんは知ってるの?」

 

 フルフルと首を振った。

 

「亀宮様は知らないわ。今は北海道に行ってるから……」

 

 北海道?彼の地は霊的に大変危険な場所も多い。彼女が最後の言葉を濁したのが気になる。

 

「御隠居衆、五十嵐一族の次期当主まで出張ってくるなんて大袈裟だな。一緒に来るのは構わないが、指図は受けないよ。

それに向こうに着いたら霊的遺産相続にも立ち合わせない。君も霊能力者なら分かるだろ?不用意に自分の力を教えたくないのは」

 

 もう同行を拒否する事が無理なら、せめて霊的遺産の相続内容くらいは秘密にしたい。

 

「勿論です。榎本さんに信用して欲しいので私の秘密を教えます。私の霊能力は自動書記で近未来の出来事がランダムに分かるのです」

 

 自動書記?

 

 アレって過去の偉人とかが自分の作品を現世に伝えるんじゃなかったかな?

 有名な話はベートーヴェンだかビバルディだか音楽家が、自分の未発表作品を書かせたとかだっけ?

 未来が分かるなんて凄い能力じゃないか?ランダムで近未来なのはマイナスだが、有り余るメリットが有る。

 

「予知夢とかじゃなく自動書記ね。それで何か分かったのかい?」

 

 未来知識が有る相手に迂闊な態度は取れない。行動予測とかなら対象は有るが、どんなに足掻いても未来を予測されたらお手上げだ。

 

「はい、榎本さんには三つの試練が有ります。霊的遺産相続とは、犬飼一族が隠していた霊的存在を己の配下にする事。

一つは、イメージですが黒です。二つ目以降は分かりませんでした」

 

「試練?黒……闇か……いや畜生霊なら熊とかか?」

 

 試練は何となく予想していた。何も無ければ現当主の奴が全てを奪っていた筈だ。

 

「では私はこれで車両を移ります。これ、私の名刺です。私達は同行しませんが、終わりましたら連絡を下さい。仙台市内に待機しています」

 

 そう言って彼女は席を立った……

 

『ねぇ胡蝶さん。自動書記って嘘っぽくないかな?』

 

 この車両から出たのを確認して胡蝶に話し掛ける。

 

『そうだな、未来を知る過去の偉人などいない。それこそ預言者や神でもなければな。奴自身の霊力は強いから、可能性は無くはないぞ』

 

 神の代弁者って奴か……

 

 厄介だな、それが本当なら彼女は神の加護が有る筈だ。加護持ちはピンチの時に力を発動するタイプが多い。

 名刺に書かれた名前は五十嵐巴(いがらしともえ)か……厄介だな。

 



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第210話

第210話

 

 第一印象はお互いマイナスだろう。彼は最初、私を敵だと疑った……種明かしもしたし、彼の望み通りに距離も置いた。

 

 私は……

 

 当たり前だが最初から敵意を持つ相手に好意的にはなれない。私の霊能力「自動書記」は嘘。

 本当は五十嵐家15代当主の五十嵐初音(いがらしはつね)様の霊が教えてくれる。

 彼女は生前から未来予知能力が有った。幼い時に初音様の位牌に触った時に同調?して彼女が見えて話もする事が出来る様になれたの。

 だけど良い事ばかりじゃなかった。いや、良い事の方が少なかった。

 

 私は自分(と初音様)の力を良い様に他人に使われない為に、対象を指定出来ない受け身の自動書記と嘘をついた。

 初音様も理解してくれて関係の薄い事や、全く関係の無い和歌とかも教えてくれるので、それを書き連ねる事で何とか誤魔化せている。

 初音様の予知によれば、亀宮一族は今代で過去最高の隆盛を振るうそうだ。

 

 具体的には加茂宮を飲み込むらしい。御三家の一角を飲み込む事の中心的な人物が榎本さん。

 既に現当主である加茂宮一子が、自ら彼の取り込みに動いている。

 初音様の予知は大筋しか分からないらしいが、加茂宮は衰退し、その勢力圏が亀宮の物となるらしい。

 彼が亀宮様と結ばれるかは不明らしいが、二人共に生き残るそうだ。

 つまり榎本さんは亀宮一族の隆盛に貢献し、長く我々と共にあるのだろう。

 そんな重要な相手に対しての初顔合わせは大失敗だったわね。

 私は、私達に取り入ろう利用しようと言う連中の目に曝されている為か知らない人が怖いし、人付き合いも決して上手くない。

 いや苦手な方だと思う。そんな私が熊みたいな男性と仲良く話せとか無理よ。

 

 事前に風巻姉妹に聞いたけど、初めて会った時は恐かった。

 巌つい顔に筋肉隆々の大きな体で手に持つコカ・コーラの缶がヤクルトジョワみたいに見えた。

 彼女達があんなにも彼に懐いたのが不思議でならないが、懐まで入り込まないと扱いは悪いのだろう。

 自分の行動を反省しつつ自由席車両からグリーン車両まで移動する。

 流石にグリーン車両は空いていて快適なのに、何故榎本さんはわざわざ自由席車両に乗るのだろうか?

 若宮を通じての支払いは累計で既に二千万円を超えている筈だし、殆ど必要経費が無いと聞いている。

 

 ケチじゃないのは風巻姉妹に自腹でブランドバッグやボーナスを出しているとか……

 民間の個人事務所は大変なんだなと、別の意味で感心しながら列車内を歩いてグリーン車両まで移動した。

 中に入ると五十嵐一族から遣わされた私の護衛兼監視役の二人が中央付近にボックスに座席を変えて座っていた。

 

 勿論、男二人が並び私は一人で座る。私の隣の席も乗車券とグリーン車券は買ってあるので知らない人が隣に座る事はない。

 座席に座り改めて前を見れば、私が人間不信になる原因を作った人達。

 

 現当主のお祖母様直属、立場上は配下なのに私の命令を聞かない連中が……

 

「どうでしたか?野良犬の様子は?」

 

「全く亀宮一族に外部の血を入れようなどと……今代の亀宮様は何を考えているのやら。困りますな」

 

 現当主非難を堂々とする二人に溜め息をつく……こんな連中でも五十嵐一族では上位の実力者。

 勿論、私単体では勝てないが命や貞操は初音様が護ってくれる。彼等は自分の息子達を私の寝所に呼び込んだ。

 どうせ物にしてしまえば言う事を聞かせ易いと考えたのだろう。

 

 まだ榎本さんの方が男女関係では信用出来る。桜岡霞と言う恋人の為に亀宮様の分かり易い求愛を拒んでいるのだ。

 見た目は同程度、地位も権力も財産も天と地程の開きが有るのに、彼女の為に亀宮様を拒めるのは愛情故にだと思う。

 

 正直、桜岡霞が羨ましいが彼が欲しい訳じゃない。そこまで一途に思われている事が羨ましい。

 出来れば榎本さんには五十嵐一族と懇意にして欲しいと内部で意見が統一されているのだが……取り入ろうとしている相手を野良犬呼ばわりじゃ無理。

 私の代になったら彼等は首にしたいが、私個人に忠誠を誓う連中は少ないのよね。

 

「楠木、土井。榎本さんは私達の事を察知してましたよ。新横浜駅で二人、品川駅で一人乗って来たと。

私の自動書記でも五十嵐一族総出でも勝てないと書かれてます。最悪は亀宮様も嬉々として一緒に敵対すると……

誰が聞いているか、もしかしたら私達の会話すら聞かれているかも分かりません。言葉を慎みなさい」

 

 初音様曰く榎本さんには古代の神の一柱クラスの『ナニ』かが憑いているらしい。

 

 神の加護持ちみたいな人なの。神は加護を与えた者に仇なす相手に容赦はしない。

 単体でも強力な術者なのに神の加護まで持ってるなんて反則だわ。逆に強力な術者だからこそ、神も加護を与えたのかしら?

 しかし二人共に凄く不貞腐れた顔ね。

 

「しかしですな、由緒有る霊能の大家で有る亀宮一族にですぞ。何処の馬の骨とも分からぬ男を迎え入れるなどと……」

 

 何故でしょう、まともな連中も居るのにお祖母様はこんな連中を取り巻きにするのでしょうか?本当に面倒臭いわね。

 

「その貴き血の方々が亀様に認められない程に力が弱いからです。楠木、土井……

念を押しますが榎本さんの前で、その様な口の聞き方をすれば私は貴方達を切り捨てますよ。それ程の実力差が有るのです」

 

 だが私は初音様から未来を聞いて知っている。彼等が榎本さんに無礼を働く事を。そして彼が穏便に済まさない事も。

 初音様が怯えて私から離れる位の相手なのだから、敵対すれば五十嵐一族はお終い。

 

 一族の存続の為に私は彼に何が出来るだろうか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『胡蝶さん、今の話をどう思う?』

 

 一応名乗りはしたし該当する名前の家が亀宮一族に居るのも知っている。だが本人だと確証も無いのに信じる程、僕は素直じゃない。

 

『ふむ、自動書記か……嘘だろうな。死人が未来を知る訳がなかろう。

だが降りる霊が未来を見れるならば可能だ。何人か居たぞ、予知夢や先読みの出来る者が』

 

 自動書記、体に霊を降ろして何かを書かせる。御霊降ろし、体に力有る存在を降ろし力を借りる。

 似ているが上記はトランス状態で一方通行なら下記は胡蝶や亀ちゃんみたいに対話出来る可能性が有る。

 仏教系は未来を知る仏様も居るし、人間だって本物の預言者や予知夢の持ち主は居たから不可能じゃない。

 

『つまり胡蝶さんは彼女には強力な神か霊が憑いてると?』

 

『あの女から強い霊の気配を感じた。我等よりも格段に劣るから神でなく人間の霊が憑いてるぞ』

 

 人間の霊……つまりは預言者か予知夢持ちの霊か。

 

『だけど何故、自動書記なんて嘘を?亀宮一族は良くも悪くも実力主義じゃん。僕等が良い例だよね。一族外の人間を組織の上位に据えるんだから』

 

 御隠居衆の次席とかNo.12とか迷惑でしかない。僕は静かに……ああ、そうか。

 彼女は自分と自分に取り憑く霊を守る為に、敢えて不完全な自動書記としてるのかな?

 未来を知る人間なんて、権力者がどんな事をしても欲しがるだろうし。

 

『確かにな。過去に存在した預言者や予知夢持ちは大抵の場合、不自然な死や行方不明になっておる。自衛の為に能力を偽っているのだろう』

 

 彼女も大変なんだな……御隠居の婆さんにメールで確認しようと思ったが保留にするか。

 予知出来るなら胡蝶の事も知ってるかも知れないが、僕等の立場と力を知って敵対するとも思えない。

 精々が恩を売る為に情報を小出しにするだろう。

 

 試練、三つ、最初は黒……

 

 先入観は禁物だが、取り入る為に嘘は教えない。勿論、彼女が敵の可能性も忘れないけどね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 JR仙台駅は東北地方の玄関口だ。未だ震災の傷痕も多く、在来線が休線となり代替バスが運行している。

 新幹線改札を抜けて駅コンコースに出ると両脇に沢山の土産コーナーが並んでいる。

 

 笹蒲鉾・ずんだ餅・各種漬物や伊達政宗関連のお菓子……結衣ちゃんからは、お土産に萩の月を頼まれている。

 

 暫し駅構内で佇んでいると五十嵐さんとオッサン二人が近付いて来た。距離を置くと言ったのは犬飼一族に会いに行く時だけなのかな?

 僕の目の前まで近付き、上目遣いに挨拶をしてきた。

 

「何かをお探しですか?」

 

 無理に笑う為か表情がぎこちない。少なくとも彼女は僕との関係を良い方に持っていきたいのだろう。

 

「また会いましたね……」

 

 社交辞令用の胡散臭い笑みを張り付ける。

 

「ええ、榎本さんは犬飼一族の所に直ぐ行かないのですか?」

 

 互いに節度を持ったフレンドリーさで話し掛ける。彼女に敵対心が無いのは表情・仕草・口調で分かる。

 逆に後ろのオッサン二人の態度が悪い。妙な笑顔に合わせない視線、会話する気もなさそうだ。

 

「其方の二人はお供かい?」

 

 話題を振ってチラリと視線を送るが、目を合わせてもくれないな。殆ど無視かい……

 

「はい、一族の者で私の護衛兼監視役ですわ」

 

五十嵐さんの言葉にピクッと反応し少し嫌な顔をしたな。目に霊力を込めてオッサン二人を見る……

 

『胡蝶さん、あのオッサン二人だけど護衛役が勤まるのかな?それ程の強さを感じないよ』

 

『む、そうだな。並みよりマシだが、美味くはなさそうだ。監視役の方が大切なんだろ?』

 

 監視役か……彼女は次期当主と言われながらも、現当主から良く思われてないのかな?

 

「護衛にしては力が……いや、その五十嵐さんも苦労してるんだね。犬飼一族との用事が済んだら連絡するよ。じゃ、頑張って!」

 

 他人の事情に首を突っ込むのも悪いから、絡まずに別れる事にする。どの道今日は行かないから……

 

「まぁ待って下さいな。折角同じ亀宮の傘下なのですからな。我等も同行して差し上げましょうぞ」

 

「ふむ、致し方ないが良かろう。案内して頂こうかの」

 

 今迄完全無視な上に視線すら合わせなかった癖に、一緒に行ってやる?

  何故だろう、東日本一帯を束ねる亀宮家に連なる一族の割りには能力が低過ぎるだろう。

 五十嵐さんの慌てた表情と仕草を見るに碌でもない連中かな?亀宮一族って、こんな連中ばかりなのか?

 いや、風巻姉妹に滝沢さん、御手洗達も居るからな。僕に突っ掛かる連中が低能で、足切りの為に利用されてるとか?

 

「いえ、犬飼一族に呼ばれているのは僕だけですからご遠慮願います。それは五十嵐さんも納得している。

その決定を覆せる程、貴方達は序列が高いのかな?」

 

 亀宮一族の序列12番目の僕より高い筈は無いだろう。凄い嫌な顔で睨むが、本物のヤクザを知っている僕からすれば可愛いものだ。

 

「随分と調子に乗ってますな。足元を掬われても知りませぬぞ」

 

「我等五十嵐一族に逆らえば、どうなるか分からぬ程に愚かではないのだろ?」

 

 ああ、やっぱり御隠居の婆さん達は、僕に一族の膿を全部出させる気だな。だが、せめて次期当主の五十嵐さんには教えてやれよ。

 彼女、顔面蒼白じゃないか。多分だが御隠居衆だけが動いて自分達の派閥の膿をぶつけてくるんだろう。

 それを知らない彼女の慌て振りは哀れでしかないし、あの表情が芝居でなければ、彼女に憑いてる霊も其処まで強力でも任意に未来を見る事も出来ないのか?

 本当に御隠居の婆さんとは帰ったら話し合わないと駄目だね。五十嵐さんを苛める訳にもいかないか……

 

「別に敵対の意志は無いですが、其処まで嫌われていると素直にはなれませんね。

次期当主たる五十嵐さんと話はついているので、良く内部で話し合っては?では、五十嵐さん。またね」

 

 軽く笑いかけてから立ち去る。これで次に何かしてきたら……

 

『我が喰えば良いのだな?全く美食家を気取る我に脂ぎった中年を喰えとはな。我は不機嫌だ!』

 

『はいはい、勿論お礼はしますよ。仙台付近には古戦場も多いから観光がてら行きますか』

 

 亀宮さんの派閥に入ったのは僕の保身の為だからな。この手の煩わしい事は本来は僕が対処しなければ駄目なんだ。

 

 胡蝶の手を煩わすならば、何かで報いないとね。

 



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第211話

第211話

 

 JR仙台駅構内で五十嵐さん達と別れた。時刻はオヤツを食べたい頃だが、先ずはホテルにチェックインだ。

 宿泊先は何時もの東横inを予約してある。朝食付で一泊5800円はリーズナブル!

 

 今回は自費の為に節約しないと駄目だから。歩く事数分、目的地に到着。

 国道添いの白亜のホテルは近代的で機能的、出来れば大浴場が欲しいがユニットバスも比較的広いお気に入りのビジネスホテルなんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ホテルにチェックインをして部屋で寛ぐ。先ずは手紙に書いてあった連絡先に電話をする。数回のコールで先方に繋がった。

 

『もしもし、榎本です』

 

『ああ、榎本さん。わざわざ遠くまで御足労願いまして、有り難う御座います。もう仙台市内ですか?』

 

 皺枯れた爺さんの声だが、丁寧な対応だ。聞き覚えは無いが、前に会った爺さん達の一人だろう。

 

『ええ、仙台市内のホテルにチェックインしました。明日、朝から伺いますが……』

 

『わざわざホテルに泊まらずとも、此方で部屋を用意しましたのに……では、明日お迎えに伺います。どちらのホテルに?』

 

 いや、敵地?に呑気に泊まる訳にはいかない。御隠居達の対応を考えるに、余り犬飼一族と馴れ合うのは駄目らしい。

 

『東横inですよ。場所は分かりますか?』

 

 ホテルの住所と電話番号を伝え、明日の朝9時に迎えに来て貰う約束をした。電話を切ってベッドに横になる……

 五十嵐さん、明日の試練のイメージは黒と言った。黒……闇?夜?黒色?黒犬、黒猫、熊みたいな動物霊か?

 そもそも霊的遺産相続に試練が有るなんて聞いてない。

 だが素直に相続出来るなら、あの現当主が全て貰っている筈だから素直に喜ぶべきか悩ましい。

 

「ふむ、久し振りの二人切りだな正明」

 

 今回は腹から上半身が生えるとかじゃなく、普通に全身を外に出した。寝転ぶ僕の脇に女の子座りをする。

 何時もの古代中国のお姫様みたいな衣装だ。

 

「ん?そうだな。最近は亀宮さん達と一緒が多かったよね。胡蝶さん、試練の黒ってなんだろう?」

 

 寝転んでいた体を捩り胡蝶の方を見ながら、考えていた疑問をぶつけてみる。折角テーマが分かっているのだから準備をしたい。

 だが黒だけじゃ分からない。予知も便利な訳じゃないな……

 

「ふむ、黒か……我の直感では闇だな」

 

 右手人差し指を頬に当てて、考える仕草が愛らしい。

 

「闇、暗闇か……だが闇が遺産なら闇を操るのか、操れるナニかを従えるのか?でも闇なんて、簡単にどうこう出来ないよね?」

 

 それこそ闇使いなど中学二年生が暴れ出すネタだ。

 

「確かにな。闇を操るとなれば、専用の結界を張るとかか?それ程強力な術ならば、古文書を手に入れても使いこなせるかが微妙だな」

 

「だよね……僕が覚えるなら微妙だな。胡蝶と一体化が進み霊力の総量は増えたけど、技術が増えた訳じゃない。

これが秘術を記した古文書とか言われても、覚えられるか使えるかは別問題だ……」

 

 残念だけど使えない確率の方が高い気がする。

 

「む、気を落とすな。我が覚えれば良いだけの話だ。さて、久し振りに邪魔も居ない事だし……その、アレだな。一発ヤルか?」

 

 最初の恥じらいと、最後の本音トークのギャップが激し過ぎますよ。でも最近は添い寝ばかりだし……

 胡蝶の肩を抱いてベッドに横にした時、携帯電話が鳴り響いた。

 

「電話?誰だ……佐和さんからだ」

 

 何と無く微妙な雰囲気を解消する為に通話ボタンを押す。

 

『はい、榎本です。何か有りましたか?』

 

 彼女が僕に連絡する時は、当然だが意味が有る。

 

『榎本さん、お疲れ様です。実はですね……

亀宮一族の御隠居衆に五十嵐家が有りまして、そこの次期当主が榎本さんの携帯電話の番号を教えて欲しいと。

五十嵐巴さんと言って幸薄い感じの苦労人なんだけど……』

 

『それで僕に断りの連絡かい?五十嵐巴さんだっけ、さっき会ったよ。確かに幸薄い感じだった、配下の質も悪そうだし。

つまり亀宮一族の御隠居衆は一族の膿を僕にぶつけて淘汰するつもりかな?』

 

 素直に疑問をぶつけてみる。風巻姉妹とは付き合いこそ短いが、それなりの絆は築いた筈だ。

 

『うん、私達も調べてるけど五十嵐家は近々代替りするの。次期当主の巴さんは自動書記って珍しい能力の持ち主で期待されてるのよ。

でも取り巻きの何人かが暴走しちゃって、彼女の婿に……出来れば彼女の力になって欲しいけど、無理なら言ってね』

 

 ああ、やはり御隠居の婆さんは僕を派閥争いに巻き込むつもりか……有力な連中と顔合わせをさせて、無能か害有る連中の始末をさせたがっている。

 その中に僕が有利になる情報や協力者を絡ませて。

 

『新しく契約した仕事用の携帯電話なら番号を教えて構わないよ。どうせ亀宮の仕事専用に用意した携帯電話だからね。

それで佐和さんから見て、五十嵐巴さんは信用出来るかい?』

 

『うーん、どうだろ?真面目で義理堅い性格だけど軽い男性恐怖症だよ。一寸前だけど、一族の有力な氏族の男達が夜這い紛いに迫って来たんだって。

次期当主に指名されたからね。だから可哀想な娘なのよ。特に楠木と土井は五十嵐家の重鎮だけど、良い噂は聞かないわね』

 

 楠木に土井ね……彼女に同行してた感じの悪い連中かな?

 

『了解、出来るだけ配慮するよ。電話番号を教えても、これから術具を作るのに集中するから二時間位は電話するなって伝えてね』

 

 そう言って電話を切った。

 

「術具とな?ふふふ、我との睦み事は術具作成か?」

 

 ニマニマと笑う胡蝶の頬を撫でる。

 

「良い所で邪魔されたら嫌だからさ」

 

「ふん、我の相手より他の女を抱いて孕ませろ。それが古の盟約なのだぞ……」

 

 そう言う胡蝶さんも嬉しそうだったのは気の所為じゃない筈だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 久し振りにハッスルして微睡んでいたが、携帯電話の呼び出し音で目が覚めた。

 五十嵐さんは約束通り二時間は電話を掛けて来なかった。胡蝶さんは全裸にシーツを巻き付けて眠っている。

 

『はい、榎本です』

 

『すみません、五十嵐です。良ければ夕食を御一緒しませんか?』

 

 あの取り巻き二人と共に夕食?いや彼女と二人切りで夕食も問題有り過ぎだろ?どう返事をするか……

 

『お誘いは有り難いけど、あの二人と一緒は嫌だ。でも君と二人切りだと逆に迷惑を掛けるだろう。

痛くもない腹を探られるのはお互いに不利益だよ』

 

『ああ!確かにそうですね、済みません考えが足りなくて。ではお誘いは辞退します。榎本さん、領収書を……』

 

『大の男が年下のお嬢さんに奢って貰うのは恥ずかしいんだよ。気持ちは受け取るから、そんなに気を使わなくて良いよ』

 

 彼女は彼女なりに僕に取り入ろうとしてるのかな?確かに苦労人でら有るな……

 

『済みません、本当に気付けなくて。あの、良ければホテルの部屋に差し入れを……』

 

『いや大丈夫だから、気を使わなくて良いから。明日から犬飼一族の所へ通うけど何日か掛かりそうだよ。

多分だけど一週間位か……無理に付き合わなくても大丈夫だからね』

 

 そう言って電話を切った。この手の世話焼きタイプは初めてだな。やりにくいなぁ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時間ピッタリに犬飼一族の爺さんが迎えに来た。車はパジェロだ。特に会話する訳もなく45分間のドライブを経て目的地へと到着した。

 丁重な扱いは好感を覚えるが、前回の件を考えれば微妙なんだよね。一際大きな屋敷に案内されて客間に通される。

 10畳の和室は新しい畳か敷かれ庭を一望出来る。良く手入れをされた庭には、何故か子犬が数匹戯れているけど……

 

「榎本さんが心配する様な事はしないですぞ。あの子等は普通に育てます」

 

「畜生霊として使役しないなら良いです」

 

 ヤバいな、顔に出ていたのかな?出されたお茶を一口飲んで気持ちを落ち着ける。

 向かいに座る爺さんは迎えに来てくれた爺さんとは別人だ。前回は八人位の爺さんが居た筈だが、顔に覚えは無い。

 

「さて、本題に入って良いですか?霊的遺産を相続出来ると聞きました。それには当然、条件が有る筈です。

教えて下さい、内容によっては相続を放棄します」

 

 法律や契約については、それなりに知識が有るから騙されないぞ。軽く睨めば、逆に微笑まれた。

 皺くちゃの爺さんだが、笑うと愛嬌が有るな。

 

「此方からの条件は何も有りませんよ。犬飼には八つの倉が有ります。倉には一つずつ霊的な遺産が有りますが、各々に条件が有るそうです。

試練と言い換えても良いですね。一ノ倉から順番に挑んで下さい。途中で止めても構いませんし連続で挑むのもよし。

早速初めますかな?」

 

 五十嵐さんの言葉を信じれば試練は三つじゃないのか?

 

「分かりました、初めましょう」

 

「では私は外します。お帰りの時に声をお掛け下さい」

 

 そう言って爺さんは母屋へと帰って行った。最初に挑んだのは一ノ倉だが、これは普通の土蔵だ。

 重たい観音開きの扉を開けると中に光が差し込むが、不思議と真っ暗だ。

 

 ひんやりとした空気が中から流れてくる……

 

「これが第一の試練の黒か……真っ暗だな、闇が当たりか?」

 

『用心しろよ、正明』

 

 一歩、また一歩と進むが何も反応が無い。外観から判断し倉の中程に来た筈だが何もない。

 試練は闇と思い持ってきたマグライトを点けて周りを確認する……真っ暗だ、いや天井も壁も黒い。

 

 倉の内側が真っ黒だと……マグライトの光が妙に揺れるぞ。

 

『違う、正明!囲まれたぞ、これは油虫(ゴキブリ)だ!』

 

「何だって?うわっ、本当にゴキブリだぞ。天井や壁が動いた?」

 

 何万匹と言うゴキブリが天井と床に折り重なる様に蠢いている。

 逃げようと振り返ったが、唯一の出口もゴキブリが天井からカーテンの様に垂れ下がり隠してしまった。

 

「油断した……まさか床以外にビッシリ張り付いているとはな。でも胡蝶さん、コイツ等を沈められる?」

 

 呼び掛けに応えて左手首からモノトーンの流動体が現れ僕の周りに水溜まりを作る。そこから上半身だけ現れる胡蝶さん。

 

「たかが不快生物の分際で我等に挑むとはな。だが……正明、これも試練だ。

この中に一際大きく霊力を帯びた奴が居る。霊視で探すのだ」

 

 霊力を帯びたゴキブリ?両目に霊力を流し込み周辺を注意深く観察する。

 床を這い近付く奴等は胡蝶さんが沈め天井から落ちてくる奴は霊波で弾く。

 五分程探すと壁の真ん中辺りに他のゴキブリ達に埋まる様に隠れていた奴を見付けた。

 微妙に動き回るので目で追わないと見失いそうだが、確かに他と違う霊波を感じる。

 

「胡蝶さん、奴だろ?」

 

 動く目標を指差しながら答える。

 

「ふむ、正解だ。だが、もう少し早く見付けるのだな。では捕まえろ」

 

「はい?どうやって?」

 

 簡単に捕まえろって言われても虫取り網とか用意してないぞ。

 

「手で捕まえろ。奴は霊力が有るだけに強固だろうから、握っても潰れはしまい。さぁヤレ!」

 

 胡蝶さんの言葉に嘘はなさそうだし本気っぽい。まさかゴキブリを手掴みとか笑えないが……

 

「男は度胸!潰れるんじゃないぞ」

 

 両手を前に突き出しながら逃げる奴に飛び掛かる!掌と足の裏からナニかが潰れる嫌な感触が……だが捕まえたぞ!

 

「でかしたぞ、正明!今、我等が主である事を刻み込んでやるわ!」

 

 両手でしっかりと捕まえた奴を良く観察する。デカい、ビーチサンダル位の大きさが有る漆黒のゴキブリだ。

 胡蝶さんのお陰で僕等を主と認めたのか、倉の中のゴキブリ達が一斉に居なくなった……

 

「最初の試練で手に入れた霊的遺産が巨大ゴキブリかよ。お前、何が出来るんだよ?」

 

 手乗りインコ宜しく掌に鎮座する奴に話し掛ける。大婆さん、絶対嫌いだから自分は試練を受けなかったな?

 



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第212話

第212話

 

 犬飼一族に伝わる霊的遺産の相続。

 畜生霊を操る一族だから期待していたのだが、最初の試練でまさかの巨大大和ゴキブリを配下にした……

 手乗りインコ宜しく掌に乗っているが、世界中の女性を敵に回した気分だ。又は嫌われる?

 

「胡蝶さん、コイツ使えるのかな?」

 

 見事な位に黒々で艶々でデカい。これだけデカいとパッと見は他の昆虫だな。

 

「む、そうだな。監視や偵察、捜し物とか便利じゃないか?丈夫で繁殖力も高い。雑食だから何でも食べるだろう」

 

 監視や偵察か……攻撃には全く使えないが、事前調査重視の僕の除霊スタイルには合ってるか?

 そう思った時に掌の奴が前脚?で僕の親指を軽く突いた。

 

 何やら物申す的な?

 

「ん、何だい?お前何か出来るのか?」

 

 話し掛けると触覚をピクピクと動かした後、掌から飛び降りた。倉の真ん中辺りに鎮座すると、奴の周りに1m位の漆黒の円が浮かび上がる。

 これは胡蝶さんのと同じ……

 

「うわっ?眷属召喚か?」

 

 漆黒の円の内側から大和ゴキブリの群れが沸き上がり、天井や壁や僕の周りの床迄を埋め尽くしたぞ。

 まるで黒い波だ……カリカリと軽快な音が聞こえるけど、まさかお前達……呆然とする事3分位?

 

 僕は倉の中に居た筈だが、外に立っていた。

 

 暗い所から急に明るい所に来たので目がチカチカする……目を擦り明るさに慣らしてから周りを見ると、綺麗に倉が無くなっている。

 

「倉を食いやがった……」

 

 良く見れば釘とか建具の丁番とかの金属類は食べ残しているが、他は綺麗さっぱり無くなっている。

 他にもジッポのライターにマグライト?ナイフまで有るが、柄は食べられて刃の部分しかないし刃も錆初めている。どう言う事だ?

 

 この一ノ倉の試練には他に何人も何年も掛けて挑んでいたのか?誰か他にも霊的遺産に挑戦したのか?

 考え込んでいると奴がピョコンと肩に飛び乗り、触覚をピクピク動かしているのは……褒めろって事かな?

 

「凄いなお前達……だがお前とか油虫とか大和ゴキブリとは呼べないな。お前の名前は悪食(あくじき)、悪食だ」

 

 そう言って頭の辺りをコリコリと掻いてやる。悪食は嬉しそうに触覚を動かした後、体の中から器用に鍵を取り出した。

 今の時代の鍵じゃない、古いタイプの鍵だ。この一ノ倉には鍵は掛かって無かった。

 

 じゃあ何の鍵だ?

 

「悪食、この鍵は何の鍵だ?」

 

 呼び掛けるとピョコンと飛び降りて隣の倉を触覚で指すと、僕の影に入って行った。二ノ倉の鍵って事か?

 

「良くやったな、正明。式は名を与えると主との絆が強く、また自身の力も強くなる。主の力を引き出す事も増す事も出来るのだ。

悪食は人に仕えるのは初めてらしいぞ。随分前に封印されたまま放置されてたのだ。正明、お前が悪食の初めての相手だな。

勿論だが悪食は雌(♀)だ。そもそも昆虫は雌の方が……」

 

「気持ち悪い言い方をするなよな。さぁ胡蝶も早く入って。犬飼の爺さんが来る前にさ」

 

 犬飼の爺さんも倉が無くなったり美幼女が居たりしたら驚くだろう。ジッポのライターとマグライト、ナイフを拾う。

 犬飼一族には僕に内緒の秘密が沢山有りそうだ。先ずは一ノ倉の事、拾ったライターやナイフの事を聞いてみるか。

 これからの交渉について考えながら母屋へと歩いて行く。

 

『胡蝶さん、もう一つ試練に挑もうか?』

 

『いや、悪食の力を調べようぞ。折角手に入れた力を使いこなす前に次の試練に挑む程、時間が無い訳じゃなかろう?それと次の試練の情報を集めるぞ』

 

 何か胡蝶さんが楽しくなってるみたいだな。声が弾んでいるし……後、五十嵐さんの能力の裏を取るか。

 犬飼の爺さん達が悪食の事を知っていたか?他に情報が流れてないか?

 もし悪食の事が古文書とかに書かれていたり、既に挑戦者が居たりしたら予知じゃなくても知る事が出来た。

 逆に情報が広まってなければ、彼女の能力は本物だ。それも望み薄だとは思う、これだけの遺留品が有るなら倉の試練は有名なのかも知れない……

 まぁ彼女と話した時に大和ゴキブリと知っていたら、あんな態度は出来なかっただろう。

 

「貴方には三つの試練が有ります。一つ目はゴキちゃんです」とか笑わずに言えたら大したモンだよね?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 母屋に戻ると縁側に爺さん達が集まっていた。六人居るが、毎回違う連中だ。一体犬飼一族って後期高齢者が何人居るんだ。

 

「終わったよ。それと倉の中に、こんな物が落ちてたから拾って来たぞ」

 

 そう言ってジッポのライターやマグライト、ナイフを置く。

 

「このライターは……やはり当主殿は我々に内緒で挑んだのか」

 

「では、もう既に……」

 

 新しい遺留品は、あの嫌味な当主の物か。すると悪食達に食われた可能性が高いな。

 幾ら小さな虫とは言え、万単位で攻められたら勝てるとは思えない。分かっていれば火炎放射器とか用意すれば勝てるだろう。

 だけど狭くて暗い倉の中で周りから一斉に襲われたら厳しい。僕だって胡蝶の守りが有ったから時間を掛けて悪食を探し捕まえられたんだ。

 

「僕の前に奴が試練に挑んだのか?中には居なかったぞ。悪いが一ノ倉自体も無くなってしまったが……」

 

「一ノ倉が無くなった?それは……どういう事ですか?」

 

 普通に考えて一時間と掛からず建物が無くなるとは考えられないよな。

 

「まぁまぁ落ち着きなさい。榎本さん、中で休まれて下さい。誰か一ノ倉の様子を見てきてくれ」

 

 僕を一ノ倉に案内してくれた爺さんがテキパキと指示を出す。僕は客間に通され熱い日本茶と豆餅で遇(もてな)された。

 向かいには三人の爺さんが座っている。年寄りは顔に皺が多く目が細いから表情が掴み難いんだよね。

 だから嘘を見分けるのが分かり辛い。

 

「榎本さん、試練は達成された訳ですな?まさか一時間と経たずに無傷とは……」

 

「ええ、幸い相性の良い試練でした」

 

 詳細は教えない。一分程沈黙を続けたら、ドタドタと誰かが走り込んで来る音が聞こえる。

 

「倉が、一ノ倉が無くなってるぞ」

 

「本当に何にも無いぞ!綺麗さっぱり瓦礫すら無い」

 

 興奮気味に報告する爺さんズを見ながら日本茶を啜り豆餅を食べる。車座になって相談を始めたが、内緒にしない為か声が大きく良く聞こえる。

 やはり現当主は一ノ倉に挑んで食われたか……

 

「それで……ジッポのライターとマグライトは現当主の物として、ナイフの持ち主は?

あの試練を受けたのは他にも居るのですか?」

 

 漸く話がまとまったのか、報告に来た爺さんズは退室していった。もう話し掛けても大丈夫だろう。

 五十嵐さん対策に聞いておかねばならない。あの試練の内容を知っている奴が居るかを……

 

「このナイフ……いえ、これは犬飼の男達が持つ山刀です。ほら、コレです」

 

 そう言って懐から同じ形の山刀を机の上に置いた。僕が拾ってきたナイフの隣に……最近のステンレス製と違い材質が鋼だ。

 成る程、僕の持っている蕨手山刀と似ているな。

 

「確かに似ている。それに鋼製だ……最近の刃物はステンレス製が多いが、鋼製なら錆びるか。

すると過去に犬飼一族の方も試練に挑んだんですね。あの試練の内容は御存知だったんですか?」

 

 爺さんは柄の部分に掘り込まれた名前を指差す。

 

「私の息子の物です。もう30年も前になりますが……当時の当主に反発して試練に挑んだのです。

現当主も同様に、榎本さんに反発して新しい力を得る為に、我々の制止を振り払い挑みました。結果は……」

 

 僕に反発とかは知らないけど、気に病む必要も無いな。

 

「一ノ倉の試練の内容は知っているんですか?」

 

 不要な部分はスルーして、一番気になっている事を聞く。

 

「いえ、知りません。犬飼に伝わる伝承は、一ノ倉から八ノ倉まで順番に挑む事だけです。

過去300年間に一ノ倉に挑んだ霊能力者は数人居ましたが、全員が帰って来ませんでした。無事に生還出来たのは榎本さんが初めてなのです」

 

 300年間誰一人生きて出て来なかった倉ね。そんな危険な倉に予備知識無しで押し込むとは、大婆さんは僕が嫌いだったのかな?

 良い意味で取れば総てを託してくれた?あの倉だが確かに古い感じはしたが、当時で倉を八棟も所有するとは犬飼一族の隆盛と衰退が分かる。

 最初の当主が封印した悪食が、最後の当主を餌としたとは哀れでしかない。

 

「他に試練に関する情報は有りますか?」

 

 暫らく考え込む爺さん……

 

「倉の詳細については代々当主に口伝で伝えられたそうです。なので私達には分かりかねますが、当主のみが入れる書斎が有ります。

或いは其処に情報が有るかもしれません」

 

 口伝か……

 

 あの現当主は山名家と繋がりが有ったから、もしかしたら情報が流れた可能性は有るな。

 山名家と五十嵐家の繋がりは分からないが、0じゃないだろう。五十嵐さんの能力については保留だな。

 

「その書斎は見れますか?」

 

「ええ、構いません。案内しましょう、此方です」

 

 膝に手を突いて、ヨッコラショと起き上がる爺さん……いざとなれば機敏に動くのに食えない爺さんだな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「昼食の支度が出来たら呼びますので、ごゆっくり……」

 

 時刻は未だ11時過ぎだからな。昼食は有難く頂くか……通された書斎は四畳半の茶室みたいな造りだ。

 文机に座布団、本棚には紐で綴った本が一冊と数本の巻物。他には何もない。

 

 仮にも当主しか入れない書斎にしては簡素だな。

 

『胡蝶さん……何か呪術的な結界とか仕掛けとか無い?当主の書斎にしちゃ淋しいよね?』

 

『ふむ、全く無いぞ。そこの巻物も霊力を感じないな』

 

 つまり呪術的に貴重な巻物でもないのか?内容次第だけど……本棚に有る巻物を全て文机に置き、座布団に座り読んでみる。

 

「全く読めない……当たり前だが崩した毛筆の文字なんて解読レベルの代物だよ」

 

 手掛かりとして調べるには専門機関に依頼しなきゃ無理かも。

 

『正明……我が読めるから安心しろ。ほら、巻物を広げんか』

 

 流石は齢700年以上の胡蝶さんだ!こんなミミズがクネクネした様な文字が読めるなんて。

 暫くは胡蝶さんの指示で巻物を広げ書物の頁を捲った……

 

『ふむ……巻物は犬の飼育方法が記されているな。昔は犬の種類が少なかったから掛け合わせも難しかったのだろう。

各地の犬の特徴や食事や訓練の詳細が記されておるな……』

 

 300年前にブリーダーみたいな事をしてたのか。古文書としての価値は高そうだな。

 

『こっちの巻物は?なにやら署名や判とか押してあるよ』

 

 パッと見は証文みたいに思ったけど……

 

『む、そうだな。正明に分かり易く言えば、この辺りを治めていた殿様から名字帯刀を許され、この地と50石の禄を与えると書いてあるな。

犬飼一族は古来より地元の権力者と繋がりが有ったのだな』

 

 50石が多いのか少ないのか分からないが、時の権力者と上手く付き合っていたんだな。まさに隆盛と衰退か……

 

『じゃ、この紐で綴った本は?』

 

 これだけ巻物と違い紐で綴って本にしている。使用している和紙の種類がマチマチで手触りとか厚みも違う。

 他との違いに期待が高まる。10頁ほど捲った時に胡蝶さんの溜め息を感じた。

 

『ふむ……これは日記か忘備録だな。特に重要な事は書いてないぞ』

 

『取り敢えず最後まで読もうよ。何か手掛かりが書いてあるかも知れないし……』

 

『他人の日記など読むものではないぞ。まぁ仕方ないが……』

 

 それから暫くは、胡蝶さんの為に読めない頁を黙々と捲る作業を続けた。爺さんが昼食の準備が出来たと呼びにくるまで……

 



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第213話

第213話

 

 犬飼一族の隆盛と衰退の記録を知った。最後に読んだ本は歴代の当主の日記か忘備録みたいな物だった。

 三代目から先代迄の当主が色々と書き込んでいたので、和紙の質が違ってたんだ。

 気になる点は、魅鈴さんの祖母が一族を離れた事が書いて有った。

 里の男と駆け落ち同然に一族を抜けた多伎(たき)と言う名前の直系の長女。

 彼女が居なくなった所為で長男が後を継いだが、霊力は低かったそうだ。

 確かに一般人と結ばれて血が弱まった筈なのに、小笠原母娘の霊力は高い。

 もし彼女達の祖母が犬飼一族を継いで子孫を残せば、今日の衰退は無かったかも知れない。

 魅鈴さんが言っていた最後まで祖母が大婆様を気にしていたのは、コレが原因かもね。

 有能な血筋を残さねばならないのに、一族から逃げ出してしまった。巻物と本を元の本棚に戻す。

 得る物は少なかったが、歴代当主の書斎なんて大抵こんな物だろう。他人には意味の無い物だが、本人には大切な物。

 文机に向かい胡坐をかいていたから足が痺れてきたので、欠伸をしながら後ろに倒れ足を伸ばす。

 

 仰向けで手足を伸ばした状態だ……

 

「悪食、この屋敷を調べてくれ。他に何か隠しているかも知れない……」

 

 思い付きで言ってみたが、悪食は僕の影から這い出してくるとカサカサと部屋の外へ出て行った。眷属を百匹以上引き連れて……

 

「頼りになりそうだが、問題も多いよね。人には言えない式だな」

 

 只でさえ美幼女を左手に宿しているのに、更に巨大ゴキちゃんを使役しているとかネタとしては最高だが現実としては大問題だ。

 悪食に頼めば一万匹以上のゴキブリを動員出来るのだから、バレたら社会現象にまで発展するかも……

 

『正明、犬飼のジジイが来るぞ』

 

 胡蝶さんの警告に従い起き上がり身嗜みを整える。暫らく待つと外から声を掛けられてから扉が開かれた。

 

「お待たせしました。昼食の支度が出来ましたよ。何か参考になりましたか?」

 

 相変わらず表情が掴めない、食えない爺さんだ。

 

「いえ、犬飼一族の歴史に触れただけでしたよ。歴代当主の日記に犬の育成と配合について纏めた巻物。

あとは殿様から名字帯刀を許された覚書?まぁ色々ですね」

 

 ヨッコラショと魔法の呪文を唱えながら起き上がる。昼食を食べたら今日は帰ろう。帰って悪食について色々と調べるかな。

 

「ほぅ、榎本さんは古文を読めるのですか?見かけによらず博識ですな。さぁ此方へ、田舎故に大した遇しも出来ませんが……」

 

「心霊現象は最近のだけじゃないですからね。逆に強い霊ほど古い場合が多い。今日は食事を頂いたら帰りますよ」

 

 他愛ない話をしながら昼食を頂いた。山と川の幸が沢山食卓に並んでいる。

 部屋の中央に囲炉裏が有り車座に座って皆さんと一緒に食べるみたいだ。

 山菜の天麩羅にお浸し、ヤマメの塩焼きに茸鍋。取れたて新鮮な山菜に舌鼓を打った……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 犬飼の爺さんズの遇しを受けて、お腹は大満足。

 田舎料理で男の手料理だが、不思議と死んだ爺さんの手料理を思い出して、しんみりとしてしまた。

 食卓に悪食を呼ぶわけにもいかず、トイレを借りて個室に籠もった。

 呼べば悪食はカサカサとやってきて、やはり手乗りインコ宜しく掌に飛び乗ったが、何かを咥えている。

 

「お疲れ様、悪食。これは何だい?」

 

 掌に乗せた物は、古い指輪だ……シンプルな金色の指輪でリング状に唐草模様が掘り込まれている。指輪の内側を見れば文字が掘り込まれている。

 

「TとIだな……多伎犬飼、犬飼多伎かな?いや、まさかな。だけど僅かに霊力を感じるな。悪食、これ何処に有ったんだ?」

 

 ヒクヒクと触覚を動かすと、そのまま僕の影へと入って行った。今後の課題は悪食とのコミュニケーションかな?

 トイレを出ると仙台市内のホテルまで送って貰った。何度か通うならレンタカーを借りるべきかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 午後三時、予定より随分早く帰ってこれた。一応五十嵐さんの携帯にショートメールを送る。

 

「第一の試練終了。明日以降で残り七つの試練に挑む。榎本」

 

 彼女は試練は三つと言ったが倉は八ノ倉まで有る。二ノ倉の鍵は手に入れたが、どこぞの少年漫画宜しく試練を越えないと次の倉の鍵が手に入らない流れ?

 悪食の事を知る為に本屋に寄って昆虫コーナーを探すが、ゴキブリ特集は無かった。

 インターネットで調べるしかないかな?幸い東横inはノートパソコンの貸出もしているから、部屋で調べる事も出来るだろう。

 本屋を出てホテルに戻る途中で五十嵐さんから電話が入った。律儀だな、御隠居衆に良い様に使われている彼女に同情しちゃうよ。

 

『もしもし、榎本です』

 

『五十嵐です。おめでとうございます、最初の試練をクリアしたのですね。でも残り七つの試練とは?』

 

 自分の能力で知った内容と違うから気になったのかな?口調が少し早い。

 

『うん、犬飼一族の試練は全部で八つらしいよ。明日、第二の試練に挑むから少なくとも後一週間は掛かるかな?

一日で二つ位いけるのかな?まぁ全部受ける必要も無いけどね。引き際は弁えているつもりだよ。それじゃ、また明日ね』

 

 現段階で教えられる事は少ない、全ての試練が終われば教えられる事は有るかもしれないけど……

 

『ちょ、ちょっと待って下さい。扱いが素っ気なくないですか?』

 

 確かに妙齢の女性に対しての態度としては悪いかな。でも親切にする義理もないし、今は試練に集中したいから今は派閥争いには正直関わり合いになりたくない。

 

『いや、素っ気ないって言われても……内容は秘密だし他に言い様が無くない?』

 

 まさか時事ネタや雑談を交える訳にもいかないぞ。

 

『やっぱり教えてはくれないのですね。でも私の自動書記で教えた結果だけは……』

 

 これは、ある程度言わないと引き下がらないかな?彼女は僕に情報提供をして成功したかが気になるんだ。

 

『黒のイメージは合っていたよ。確かに試練に現れた奴は黒かったね。うん、黒かったよ……』

 

 少し言葉を濁す。悪食は漆黒で艶やかな外殻を持つ巨大で立派な大和ゴキブリだったよ。

 

『そうですか……次の試練について自動書記で分かったら教えますので、会ってくれますか?』

 

 効果有りと分かると売り込みに必死だな。次の試練の何かを掴んでいる可能性は高い。

 だけど断片的な情報は逆に先入観を与えるからな。絶対に必要な訳じゃない。

 

『いや、今回の試練については先入観を無くす為に情報は要らないよ。なまじイメージを持って挑むと正確な判断が出来なくなるからね。

この試練が終わる迄は待機でお願い、じゃね!』

 

 そう言って相手が何かを言う前に電話を切った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「電話を切られたわ……」

 

 もう掛け直しても出てはくれないだろう。未来予知の情報を欲しがらない人も居るんだ。

 他人に縋る様子を見せたくない為にホテルの部屋に鍵をかけて籠もったけど、彼は私に必要性を感じてくれなかった。

 いっそ清々しい位に要らないって……調査資料によれば、彼は事前調査に力を入れるタイプだ。

 だけど自分が調べた事以外を信じないタイプじゃない。

 

 外注の興信所を使ったり郷土史家に意見を求めたり、風巻姉妹にも仕事を任せている。逆提案も受け入れる位に柔軟な対応が出来る人。

 私の場合は?最初の試練の情報は正解と言った。でも試練の数が違っていると言われた。

 初音様は確かに三つの試練が有ると言ったが、彼は八つの試練が有ると……この数の違いは何かしら?

 

 初音様の未来予知情報は間違えた事は無い。ならば榎本さんは三つ目の試練で止める?

 八つの試練と言ったが実は五つは簡単で試練とは言えない?分からない、分からないわ。

 初音様の予知は刻々と変わる未来を知る事だから、昨日の予知が今日変わる事も多々有る。

 

「初音様、初音様、姿をお見せ下さい」

 

 私の問い掛けに応えてくれた。目の前の空間がグニャリと曲がり、その中から初音様が現れた。

 その予知能力故に若くして命を散らした童女が初音様だ。

 見た目は座敷童(ざしきわらし)の様に膝下までの白い着物に赤い帯、裸足でオカッパ頭のクリクリの瞳。

 その力故に8歳で当主に祭り上げられて10歳で殺された少女が初音様だ。

 

「どうした、巴?あの男に嫌われて悲しいか?」

 

「まさかですよ、初音様。ただ全く相手にされない事に驚いてます。

予知について疑われているのかも知れません。試練の数も違うと言われました」

 

 黒のイメージの件も曖昧な答え方だったし、私達の能力について疑っているのかも知れないわ。

 

「ふむ……私の予知では榎本殿と巴とは、どんなに頑張っても結ばれぬから安心しろ。

さて私の最初の試練について黒が頭の中を埋め尽くしたのだが……それは当たったみたいじゃな。

だが試練の数が違うか。あの男にとっては用意された試練も試練とは感じてないやもしれんぞ」

 

 何かしら?意地悪い笑みを浮かべる初音様。私と榎本さんが結ばれる未来が無いって事なの?何をしても無駄なの?

 もっ、勿論私は彼と結ばれたいとは考えてないけど全否定は酷過ぎます。

 全く私には興味も魅力も感じないって事よね、それって?

 

「仮にも犬飼一族の試練が試練と呼べない簡単な物って事ですか?有り得ませんよ、非公式ですが先々代の亀宮様が挑んで逃げ出した試練ですよ。

誰も生きて出て来なかった試練に挑み生還した事は、流石は亀宮様と言われてますが……その後、絶対に挑んではならない、しないと言い続けたそうですよ」

 

 防御特化の亀様だからこそ、亀宮様が無事に生還出来たと言われている。

 

「それを半日で達成したのが榎本殿だよ。彼にとっては大した障害では無かったのだろう。巴……」

 

「何ですか、初音様」

 

 妙に真剣な表情と声。これは私に夜這が掛けられ、奴等を追い払った時に似ている。どうしようもない危険が迫った時の……

 

「榎本殿の未来は日々変わっている。もう私では読み切れない。これだけ未来に道が多い人間も珍しい。

普通はどんなに足掻いても決まった未来に進む。劇的な変化は無い、精々が小さな変化で本筋が変わる事は無い。

それが幾通りも未来への道が示されるなんて異常だと思う。彼との距離は良く考えるんだよ。お前にとって良い事ばかりじゃ無いんだよ……』

 

 初音様は、そう言うと霞の様に薄れて消えてしまった。私にとって良い事ばかりじゃ無い、か……

 

「初音様……そうは言っても御隠居衆からの命令なのよ。それに五十嵐家の繁栄と衰退にも関わるんだし……決めた、会いに行こう」

 

 私は私の出来る事をするしかないの。先ずは宿泊先を聞き出して押し掛ける!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ふーん、大和ゴキブリじゃなくてヤマトゴキブリなのか……クロゴキブリやチャバネゴキブリは外来種ね。

悪食、お前本来は森に住んで朽ち木とかを食べるのかよ。何で人里に来たんだ?」

 

 ホテルの部屋でノートパソコンを使い悪食について調べたが、ゴキブリってアレだな。

 

「人類が死滅しても世界が滅びても、ゴキブリだけは生き残る!」って言うの嘘なんだな。

 

 人類が滅びたら人里に依存する種も滅び、自然が崩壊すれば山林に依存する種も滅ぶ。

 

「正明……巨大ゴキブリを掌に乗せて語り掛ける姿は人には見せられぬな、まぁ良いが……悪食だが視界を共有する事が出来るぞ。

覗きには適した能力じゃないか。試しに念じてみるがよい」

 

「視界を共有?念じる?それって、どう言う?おお、自分が見えるよ」

 

 自分の視界が楕円形を横にした形に狭まり、その中に自分が見えた。これが視界を共有する事か……

 益々この式(悪食)を手に入れた事は人には言えないな。

 便利だが、便利だが悪の誘惑に耐えられるかが問題だ……

 



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第214話

第214話

 

「おはようございます、榎本さん」

 

 東横innの自動ドアから出た榎本さんの背後から、なるべく明るく声を掛ける。

 人付き合いの苦手な私だけど、笑顔を向けられて悪い気になる人は居ないわよね?

 榎本さんは革のジャケットにワークパンツ、編み上げのブーツにウェストポーチ。

 バッチリ除霊用のスタイルだが街中ではミスマッチ。周りから浮いている。

 

「ああ、おはよう。ホテル前で出待ちとは、僕も有名人みたいだな」

 

 余り驚いてくれなかったのが寂しいが、何とか榎本さんの泊まっているホテルを突き止めた。

 方法は風巻佐和さんに頭を下げて榎本さんの御実家の方に聞いて貰った。

 渋る佐和さんに幾つかの条件を付けて漸く教えて貰ったのが昨夜10時。

 朝何時に出掛けるか分からないから7時前から張り込んだのに、私が近付いたら直ぐに気付かれたのが不思議。

 榎本さんの視界には入っていなかったのに……榎本さん程の霊能力者なら気配とかで分かる?

 

「これから犬飼の屋敷まで行くのですね?これ、良ければ途中で食べて下さい」

 

 そう言って手作り弁当を手渡す、満面の笑顔で。

 

「えっと、何かな?」

 

 私の無理をした笑顔に若干引き気味の榎本さん、失礼ですよ傷付きますよ。

 

「手作りのお弁当です。賄賂じゃない品物って何かなって考えて、私の手作りなら……おにぎりに唐揚げ卵焼き、デザートも入ってます。どうぞ!」

 

 強引に手渡して頭を下げる。3秒下げてから頭を上げると嬉しそうな顔を見せてくれた。

 情報では榎本さんは大食いらしいので、可愛い女の子からの手作り弁当なら受け取ってくれる筈と思ったけど成功だわ。

 しかも漆塗りの高級な重箱だから返してもらうチャンスも有る。

 

 二度美味しい作戦よ!

 

 昨夜遅く亀宮傘下のレストランに連絡し、早朝から厨房を使う事と材料を用意して貰うお願いをした。

 苦労の甲斐が有り漸く私に自然な笑顔をみせてくれたわ。

 

「ありがとう、頂くよ。迎えが来たから行くね」

 

 軽く手を上げて路駐していたパジェロに乗り込まれた。お礼の言葉も貰えたけど、釈然としないわ。

 妙齢の美女の手料理を喜ぶのは当然だけど、その美女を放置プレイは男としてどうなのかしら?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「正明、あの自称自動書記娘がホテルの前に居るぞ」

 

 腕に抱いていた胡蝶が身動ぎしながら教えてくれた。

 

「ん?自称自動書記娘?ああ、五十嵐さんか……何故ホテルがバレたかな?尾行はされてない筈だけど……」

 

 ボンヤリと昨日の事を思い出そうとするが、尾行されたり探索系の術に引っ掛かった記憶は無い。

 ベッドで胡蝶を抱き枕にして気持ち良い眠りについていたのに、まさかの朝駆け?

 抱いていた胡蝶をベッドの隅に下ろし窓から外を伺う。時刻は7時過ぎ、朝日は完全に顔を出して街も動き始めている。

 

 今日も良い天気だな……

 

「ああ、あの黒塗りの高級車か……きっと隠れる気は無いんだな。ならばホテルから出た時に近付いてくるかな?」

 

 犬飼一族の試練には付いてくるなと言っていたが、あの取り巻き二人なら無視して付いてきそうだな……

 

「むーっ、久し振りに二人切りだと言っても張り切り過ぎだぞ。我の身体が持たぬわ」

 

 ベッドの上で女の子座りをして欠伸をする彼女を見て、最近溜まってたんだなと自覚する。

 暫くは性欲が沸かなかったのに、二人切りだと何故かハッスルしてしまった。

 

「胡蝶さん、前に僕の性欲はストレスの捌け口って言ったけど違うじゃん!まだ若いって事だよ」

 

 まだまだ若い連中には負けないぞ!

 

「ならば我以外で頑張らんか!無駄弾ばかり射ちおって……」

 

 調子に乗ったら胡蝶さんに怒られました、でも相手がね。桜岡さんや亀宮さん、魅鈴さんは対象外なんだよ。

 他の人に聞かれたら贅沢過ぎると叱られるかも知れないが、僕は至って真面目だ。真面目にロリコン道を歩んでいる。

 

「身支度を整えて朝食バイキングに行くよ。迎えは9時だから未だ余裕有るからね。胡蝶さんは二度寝かい?」

 

 シーツに包まって背中を見せる彼女に声を掛ける。

 

「ああ、我はふて寝するぞ!全く我を抱くよりも他に孕ませる女が居るだろう……」

 

 危険な台詞が聞こえない様にバスルームに入る。確かに昨日今日と胡蝶に甘えてばかりだな。熱いシャワーを浴びてスッキリしますか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東横innの朝食バイキングは種類は少ないが、味も普通だ。旅先だと朝から沢山食べれるのが不思議だよね。

 ご飯に味噌汁、ダシ巻き卵焼きに鮭の塩焼き。肉ジャガにホウレン草のお浸し、蓮根のピリ辛炒めに冷奴を完食した。

 

 明日は洋食の方にしようかな……

 

 待ち合わせ時間丁度にホテルから出る。見回せば迎えのパジェロが路駐しているのを見付けた。

 近付いて行くと後から五十嵐さんに声を掛けられた。振り向けば、ぎこちないながらも満面の笑顔を浮かべた彼女が居た。

 

 オッサンには朝から眩しい笑顔だな……

 

「ああ、おはよう。ホテル前で出待ちとは、僕も有名人みたいだな」

 

 待機していたのは知っていたが、一応驚いてみせた。

 

「これから犬飼の屋敷まで行くのですね?これ、良ければ途中で食べて下さい」

 

 ズッシリと重たい物を渡されたが、中からは美味しそうな匂いが……これは唐揚げの匂いだ!

 

「えっと、何かな?」

 

 まさか食べ物を渡されるとは思わず、若干驚いた。

 

「手作りのお弁当です。賄賂じゃない品物って何かなって考えて、私の手作りなら……おにぎりに唐揚げ卵焼き、デザートも入ってます。どうぞ!」

 

 唐揚げは正解だが、まさかの手料理の弁当とは予想外だ。だが、この弁当は間違いなく旨いだろう。

 手渡された後も頭を下げ続ける彼女を見て、昨日までより評価を上げる。彼女は自分に出来る事を一生懸命やっている。

 早起きして、こんなオッサンの為に手料理を作るなんて中々出来ないだろう。

 

「ありがとう、頂くよ。迎えが来たから行くね」

 

 有難く頂こう。別れ際に悪食の眷属を彼女と黒塗りの車に忍ばせた。

 彼女達の泊まっている場所も特定しておかないと、此方だけ一方的に知られているのは問題だ。

 この手作り弁当だが、高そうな重箱に入っているから返しに行かなければ何時までも付き纏いそうで心配なんだ。

 車の中で半分ほど食べたが中々の美味でした!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 犬飼一族の屋敷に到着したが、直ぐに試練に挑む。

 

 二ノ倉……一ノ倉と、いや八ノ倉まで全て同じ形状な土蔵だ。

 

 入口の鍵は昔のデカい南京錠?閂錠?鍵を差し込んで回すとガチャリと音を立てて外れた。この鍵も骨董品的な価値は有るのだろうか?

 

『正明、気を付けろ。解錠と共に中の何かが反応した。結界の解除だと思うが用心に越した事はない』

 

『分かった、でも結界の解除だろ?こんな錠前なんて今なら直ぐに壊せるし……』

 

 いやピッキングの道具が有れば僕でも時間を掛ければ開けられるかも。重たい観音開きの扉を慎重に少しだけ開ける。

 

「悪食、眷属に調べさせろ」

 

 僕の呼び掛けに足元の影から大量のゴキブリ達が倉の中に入る、その数100匹以上……駄目だ、この能力は墓場まで持って行くぞ、絶対に内緒だ!

 悪食を通して中の眷属と視界を共有する。暗いので、もう少し扉を開く。

 

『文机だけ真ん中に鎮座してるね。その上には蝋燭立てと巻物と何だろ?布に包まれてるけど……』

 

『ふむ、他には何も潜んではないな。中に入るぞ』

 

 左手首からスルスルとモノトーンの流動体が流れだす。その後を悪食が追う。いや、宿主を残して先に行くなよな……彼女達の後を追い中に入る。

 板の間に鎮座した文机の前には既に胡蝶さんが座って巻物を読んでいる。

 正統派巫女服を着ている彼女が正座して巻物を読む姿は様になっているな……彼女が読み終わるのを見詰めて待つ。

 暫くすると、文机の上の布を持って中身を確認するが……

 

「これは……術具だな、この巻物によれば霊力を底上げ出来るそうだぞ。それと三ノ倉の鍵だな」

 

 そう言って僕に向かって放り投げる。

 

「おい、貴重な品物なんだろ!」

 

 慌てて布ごと受け取るが、中身は指輪かな?シンプルで何の模様も施してない指輪が二つ。しかも肉厚で頑丈そうだし大きいな、22号位ないかな?

 

「左手の人差し指と中指に嵌めてみろ。そして真言を唱えて互いに擦り合わせてみれば良い。霊力が、ほんの僅かに上がるぞ」

 

 術具って高価な物を期待したけど、そんなに価値は無いのかな?ほんの僅かに上がるだけなら、自作のお札でも可能だよ。

 

「ほんの僅かにって?意味なくない?」

 

「正明は真言宗だからな、宗派の違う者が着けても意味が無いな。

巻物にも書いて有るが正統な宗派の者が着ければ、霊力は倍位にはなろう。それよりも四隅に貼られた札を見ろ」

 

 倍増しはデカいな……誰でも強化は無理なのか、残念だけど僕は使わないな……売るか?

 胡蝶の言う通りに四隅に貼られたお札を見る。300年間も二ノ倉を護っていたお札は、見慣れない梵字?がビッシリと書かれている。

 

 良く300年間も保ったな……

 

「防御結界としては中々の効果だぞ。貰っておけ、我が調べるから正明でも作れるようになろう」

 

 護られていたお宝よりも護っていたお札の方が有難いとはな。確かに名工が作った品は大切にすれば何年も保つが、技術は継承しなくちゃならない。

 300年前は普通に作れるお札も、今となっては失われた技術なんだな。

 指輪は布に包み、お札は丁寧に畳んでジップロックに入れてからウェストポーチにしまう。

 

 二ノ倉ボーナスステージだった!術具が本来のお宝だが、実は護っていたお札の方が価値が有るとは……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 三ノ倉の試練に挑む。鍵を開けて観音開きの扉を少しだけ開ける。

 

「悪食、頼んだぞ」

 

 カサカサと僕の影からゴキブリが這い出す。僕の影には何匹のゴキブリが居るんだろうか?

 考えたら負けだと思うが、考えずにはいられない。

 

「悪食、眷属と視界を共有するぞ……」

 

 肩に乗った悪食に命令する。全く手乗りインコみたいだぞ。更に扉を開き内部に明かりを入れると視界がクリアになる。

 

「此処は……何だろう、何も無いのか……いや、何だ?」

 

 悪食が怯えて僕の影に飛び込んだが、一瞬見えたのは二本の足だった。それも昆虫の足だ!

 

『ふむ、蜘蛛だな。中には蜘蛛がビッシリと居るぞ。ゴキブリの天敵は蜘蛛だから、悪食も怯えたのだろう。どうする?』

 

 ゴキブリの次は蜘蛛かよ、昆虫シリーズかよ!犬飼一族なんだから哺乳類じゃないのか?何でファーブル昆虫記みたいになってるの?

 

『どうするって……流石に毒虫に纏わり付かれるのは嫌だぞ。胡蝶の守りだって全身を這う蜘蛛は防げないだろ?』

 

 悪食はゴキブリだったから体に纏わり付いても払えば平気だったが、毒を持つ蜘蛛は危険だ。

 三ノ倉の入口の前で躊躇してしまう、いっそ燃すか?

 

「全く蜘蛛ごときで慌ておって……仕方ない、我が行こう」

 

 左手首から流れだした胡蝶さんが、流動体のまま倉の中へ流れて行ったが……待つ事数分、美幼女体型に戻った胡蝶さんが入口で手招きしている。

 恐る恐る中に入ると、床一面に短冊が敷き詰められているが、何なんだろう?一枚拾って調べるが、僕が八王子で使った身代わり札に似ている。

 

「終わったぞ。この倉の試練は式を倒す事だ。この大量の紙は各種の式だな。調べれば色々と役に立つかもしれん。

だが蜘蛛が一番多かったぞ。何を考えているんだ、犬飼一族は?」

 

 式符から姿形を替えて仕える式は珍しい。その手の術を使う連中にはお宝の山なんだろうが、僕にはピンとこないな。

 だが放置して他の連中の手に渡るの防ぎたい。

 

「本日の試練は終了。この大量の紙を集めて持ち帰るか……」

 



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第215話

第215話

 

 犬飼一族の試練で得た物……

 

 一ノ倉、悪食+黒い眷属多数。

 

 二ノ倉、僕には使っても効果の薄い指輪と結界札四枚。

 

 三ノ倉、僕には使えない大量の式の札。

 

 うーん、呪術的遺産の相続と言っても微妙な物ばかりだ。勿論、価値が高いのは分かるよ。でも自分が使えないのは意味が無い。

 使える努力をする前に価値を放棄するなって言われたら返す言葉も無いが、一から能力を開発するのは大変だ。

 今までの自分の除霊スタイルが崩れてしまう。悪食は世間体が悪いだけで有能だし、結界札は必要になるから頑張って学ばねばならない。

 

 術具の指輪と式の札は保留かな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 戦利品の使い道を考えながら、式の札を集める。高価そうな丈夫な和紙に書かれた札は段ボール二箱にはなるだろう。

 だが製作者は蜘蛛が大好きだったんだな、半分は蜘蛛の式札だ。札の中心に化けるモノの名前が書かれている。

 蜘蛛・蛇・百足・蛙・蜂等々、昆虫が多いが数で攻めるには最適の連中だ。胡蝶曰く僕でも式札に霊力を込めれば、式として変化はする。

 だが、言う事を聞かせる事は出来ない。盗難防止・悪用禁止、製作者しか使えない何かを調べないと駄目らしい。

 知り合いには式使いは居ないから独学か……倉の中心に綺麗に式札を積み上げた。屋敷に行って段ボールか何かを貰おう。

 

 念の為、悪食を番として残し屋敷に向かう。

 

 僕が試練に挑む間は近寄るなと頼んでるので、本当に近くに誰も居ない。

 つまり万が一の時に助けは来ない。昨日案内された縁側に行くと漸く爺さんが現れた。軽く手を上げて挨拶をする。

 

「もう二ノ倉の試練を達成されたのですか?」

 

 少し驚いているが、一族300年の試練を半日で達成されては仕方ないか。この爺さんは屋敷で対応してくれる人だが、名前位は聞いた方が良いかな?

 

「ん、まぁね。爺さん段ボール無いかな?何でも良いんだけど二つ欲しいんだ。あとガムテープもね」

 

 短い付き合いだし名前を聞いて仲良くなっても別れ辛いか、僕が犬飼一族を廃業まで追い込んだんだし……爺さんの表情は穏やかだが、内心は恨んでいるとも限らない。

 

「段ボールにガムテープ?引っ越しみたいですな。有りますが、何か手伝いますかな?」

 

 良かった、有るのか……

 

「いや、手伝いは不要だよ。三ノ倉の前に車を回してくれる。今日は三ノ倉迄にして帰るからホテルまで送ってくれる?」

 

「三ノ倉ですと?榎本さん、まさか三ノ倉の試練まで達成されたのですか?」

 

 半日で二つは余計驚いたみたいだが、兎に角段ボールとガムテープを貰い三ノ倉に戻る。

 段ボールをガムテープで補強しながら式札を入れるが、二つともパンパンだ。持ち上げると一つ20㎏以上有りそうだな。

 

「悪食、念の為に倉の中を調べてくれるかな」

 

 四ノ倉の鍵と目に見える式札は拾い集めたが、暗いから見落としも有るかもしれない。

 暫く待つと悪食が式札を何枚か持って来た。やはり梁の上とかに有ったんだな。

 

「有難う、悪食。あれ?お前、頭の辺りが金色になってないか?」

 

 漆黒だった悪食の頭辺りが金色に染まっている。指でカリカリと擦るが、どうやら外殻が変色してるみたいだ……

 嬉しそうに触角をヒクヒク動かし、前脚で僕の指に触れる。

 

「何で、いきなり色が……」

 

 車のクラクションが鳴ったのを合図に悪食は僕の影に入っていった。段ボールを抱えて倉から出る。

 

「榎本さん、お待たせしました。何ですかな、箱の中身は?」

 

 送迎の爺さんがパジェロを三ノ倉の前に横付けし、運転席から降りてきた。

 

「分からないから持ち帰って調べます。本当に何なんだか……」

 

 言葉を濁して式札の存在を隠す。300年前の式札が大量に発見されたとなれば、業界は一寸した騒ぎになるだろう。

 清明さんみたいに前鬼後鬼とか式札召喚出来れば格好良いが、呼ぶのが蜘蛛とか百足じゃ気持ち悪い。

 ホテルに送って貰い直ぐにフロントで宅配の手配をする。自宅に送るが配達日を五日後の午前中に指定して、自分で受け取る様にすれば安心だ。

 暫くは配送センターで預かって貰えるから、結衣ちゃんしか居ない自宅に送らずにすむ。書籍、水濡禁止と指示しておけば更に安心だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 荷物を送り一息ついた所で、五十嵐さんに送り込んだ悪食の眷属と視覚を共有する。

 肩に悪食を乗せて視覚共有と命令すれば、ぼんやりと視界が変わりやがて鮮明に見える。

 目をシバシバと閉じたり開いたりすると、漸く視界が定まった。まるっきり覗き魔だが、仕方ない。

 

 ホテルの部屋だな、見える範囲に人は居ない……広いな、ベッドが二つ奥に応接セットが見えるな。

 

「悪食、眷属をベッド脇のサイドテーブルに行かせてくれ。メモ用紙が有ればホテル名が分かる」

 

 視界が壁に沿って移動し、サイドテーブルまで跳んだ……見事に着地しメモ用紙を見る。

 

「若宮Resort Group 仙台ロイヤルホテルだな……一族のホテルを使うとは、簡単にバレるだろ?

いや、無理が利くから良いのかな……部屋番号を知りたい。悪食、眷属を出入口の扉の外へ」

 

 今度はローアングルで絨毯の上を走り、扉の下を潜って廊下に出た。扉をよじ登り部屋番号のプレートを見ると、1201号室か……

 

「悪食、視覚共有を切ってくれ」

 

 直ぐに視界が元に戻った。ベッドに倒れこむ様に仰向けになり、目と目の間を親指と人差し指で揉んで眼精疲労を和らげる。

 この視覚共有は思った以上に目に負担が掛かるな。疲労が半端無いレベルだ、目の奥もジンワリと鈍い痛みが有る。

 10分程休んだら大分楽になったので、五十嵐さんのお弁当の残りを食べようと重箱を開ける。

 

「ちょ、悪食、お前……」

 

 朝食べて半分残したお弁当は悪食に食べられてしまった。磨いたみたいにピカピカの重箱の中に、触角をヒクヒクと嬉しそうに動かす悪食が鎮座している。

 

「何だろう、五十嵐さんに対しての罪悪感が半端無い……式とは言えゴキブリに手作り弁当を食べさせてしまったからかな?」

 

 悪食は満足そうに体を振ると僕の影に飛び込んでいった……食べようと思っていたお弁当が無くなった為か、急にお腹が空いた。

 お昼は外に食べに行くかな……携帯電話と財布を持って仙台の街に繰り出す事にした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 仙台ロイヤルホテルの場所をネットで調べたら歩いて行ける距離だったので、先に重箱を返す事にする。

 ホテルを出て国道添いに10分ほど歩くと目的のホテルが見えた。

 

「若宮リゾート……東日本を中心に全国に点在してるが、除霊の拠点の意味も有るのかな?亀宮さんは使わないけど……」

 

 入口にはドアマンが立っていて、僕を見ると一礼して扉を開けてくれる。

 中は典型的な豪華なホテルで、吹き抜けのロビー、フカフカの絨毯、豪華な応接セット……

 室内なのに噴水が有り人工の川になっていて、橋を渡るとフロントだ。フロントに近付き要件を言う。

 

「1201号室の五十嵐さんに荷物を持って来た。渡して欲しいのですが、お願い出来ますか?」

 

 若い女性が対応してくれたが、微かに顔が曇る。

 

「五十嵐様にでしょうか?」

 

「ええ、これを渡して欲しいのです」

 

 フロントのカウンターに風呂敷に包まれた重箱を置く。ソレを見て余計に顔をしかめられた……

 

「失礼ですが、お名前を伺っても宜しいでしょうか?」

 

 凄い警戒されている気がするし、左手がカウンターの下に伸びたのは非常通報装置でも押すつもりか?

 

「榎本です、亀宮一族の若宮のご隠居の下で雇われています」

 

「亀宮……若宮……榎本……様!はっ、はい失礼致しました。お荷物を預からさせて頂きます。今、支配人を呼びますので此方へ」

 

 凄い勢いで顔色が白から青に変わり、一呼吸置いて笑顔になると猛然と話し掛けられた。

 

「ささ、此方へ。今珈琲をお持ち致します」

 

 勢いに押されてロビーに併設された喫茶室に押し込められると対応してくれた女性は足早に行ってしまった……

 

「どうぞ、今支配人が来ますので暫くお待ち下さい」

 

「そんなにお気遣いなく……」

 

 高そうなカップと珈琲を入れているであろうポットごと運ばれてきた。若い女性だが、ホテルの制服を着ている。

 喫茶室の店員ではなさそうだ。恭しく珈琲がカップに注がれる。

 

「どうぞ、ミルクか砂糖は必要でしょうか?」

 

 カップを僕の手前まで差し出してくれるが、これが上から12番目の待遇か?

 

「えっと、砂糖を二つだけで……」

 

「賜りました、失礼いたします」

 

 此方も高そうなシュガーポットから角砂糖を二つカップに入れて掻き混ぜてくれる。

 

「どうぞ、何か御用が有りましたら、お声をお掛け下さい」

 

 そう言って壁際まで下がり立っている。

 

「何だかな……」

 

 珈琲に口を付けるが、味なんて分からない。待つ事数分、恰幅の良い壮年の男性が近付いてくる。

 

「大変お待たせ致しました。当ホテルの支配人、原口です。

五十嵐様にお届け物と伺いましたが、係員が大変失礼な対応を致しまして誠に申し訳御座いません。彼女に代わりましてお詫びをさせて頂きます」

 

 深々と頭を下げられた……

 

「いえ、僕の方こそすみません。変なお願いをしてしまいまして」

 

 変な筋肉質のオッサンが泊まり客でVIPな五十嵐さん達に届け物じゃ不審に思うのは仕方ない。

 

「とんでも御座いません。五十嵐様は出掛けられています。お待ちするなら、お部屋をご用意致しますが、如何なさいますか?」

 

 留守を知って来たからな、如何なさいますかと言われても……

 

「これで帰ります。珈琲ご馳走様でした、対応については気にしてませんから心配しないで下さい」

 

 そう言って立ち上がる。

 

『正明、自動書記女が近付いてくるぞ、一人だけだな。速度が速いのは車だからか?』

 

 探査範囲500mだと車なら数分で接近されてしまう。早く退散した方が良さそうだな。

 

「そうで御座いますか?何か五十嵐様に御伝言が有りましたら承ります」

 

 一刻を争うのに、親切な対応が悩ましい。帰るタイミングが掴めない。

 

「いえ、大丈夫です」

 

『いや、大丈夫じゃないぞ。今出たら鉢合わせだな』

 

 出入口を見れば黒塗りの高級車が横付けされていた。支配人が僕の視線を追う。

 

「ああ、五十嵐様がお帰りになられました。今お呼びしますので、此方でお待ち下さい。おい、五十嵐様の珈琲の準備を」

 

 スタスタと五十嵐さんに近付いて何やら耳打ちし、満面の笑顔の彼女が近付いて来た。

 

「すみません、わざわざ訪ねて下さったのにお待たせしてしまい……」

 

 笑顔で向かいのソファーに座られたら帰れないか。諦めてソファーに深く座り直す。

 妙に嬉しそうなのは、手作り弁当を渡したら訪ねてくれた事で努力が実ったと考えたのかな?確かに負い目は感じたけど……

 

「今日はお付きの二人は?」

 

 護衛と監視と言っていた嫌な感じのオッサン二人が居ないのが気になる。胡蝶さんの探査範囲にも居ないのだ。

 

「部屋に居ると思いますよ。私は明日のお弁当の仕込みをしに行ってましたから」

 

 ニッコリ微笑んでから珈琲を上品に飲んでいる。彼女も五十嵐家の直系ならお嬢様なのだろう。

 だが、さらりと仙台に滞在中は毎日お弁当を作ります的な事を言われたぞ。

 

「いえ、お弁当は大変美味しかったですが……」

 

「榎本さんは、今日は試練を行わなかったのですか?まだお昼過ぎですよ」ニッコリ微笑んで押して来た。

 

「ええ順調です。それで、お弁当ですが……」

 

「あの試練を順調なんて凄いですわ、お祝いを……何が良いかしら?」

 

 五十嵐巴……地味ながらも押しが強いぞ。

 

 負い目の有るお弁当について、どう穏便に断るかが問題だよね……

 



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登場人物紹介

感想で登場人物を纏めた物が見たいと書かれていたので掲載します。


登場人物

 

 

榎本正明(えのもとまさあき)

 

 

榎本心霊調査事務所所長

 

過去にダムに沈んだ、高知県長岡郡本山町に有った西院王寺の跡取り息子。

 

僧侶の資格を持つが、寺は湖の底に沈んでいる為、現在は在家僧侶の扱い。

 

代替で別の土地に寺を移設したが、とある呪いにより祖父と両親は死亡。

 

移転保障により国から多額の金銭を受け取っている事や祖父と両親の生命保険。

 

また代替に貰った寺も土地も手放した為に、貯金は相当額有り生活に困る事はない。

 

真言宗の傍系で愛染明王の真言を得意とする。

 

僧階は「12級 権小僧都」

 

33歳 独身 身長185cm 体重98kg マッチョメンであり短髪、残念ながら美形ではない。

 

ドが付くスケベで有るが、これは愛染明王の教えを曲解している為に平然とムッツリスケベ道を進む。

 

「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」

 

この功徳を元に、僅かながらの霊能力と愛染明王の力を使える。

 

真言は「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」

 

印は両手の親指を交差させ人差し指を離し、中指を手の中に折った形で交差させる。

 

最後に薬指を立てた状態で合わせるが小指は合わせず離す。

 

フードファイターに匹敵する胃袋を持つが、常に沢山食べなくても大丈夫であり、普段は2人前程度に抑えている。

 

一族の悲劇の真相を解明し、その手に胡蝶を宿す。

 

最近、自分の好み以外の女性から好意を持たれる事が多いのが贅沢な悩み。

 

ソロ活動に限界を感じ、寄らば大樹の陰的な発想で御三家の一角、亀宮一族を頼る。

 

 

細波結衣(さざなみゆい)

 

 

ヒロインその1

 

愛知県の寒村の出身。

 

訳有って同棲(同居)している元狐憑きの家系のロリッ子。

 

実は伊集院一族の細波家の傍系であり、薄い血を引いている。

 

現在は榎本から貰った数珠により、その衝動を抑えているが開放すると狐耳と尻尾、それと獣の身体能力を得る。

 

だが主人公のマッサージ以外では変身していない無駄能力?

 

同時に獣の衝動が襲う為に太股を自傷して、その破壊衝動と発情期を押さえている。

 

両手と太股には、その時の傷が残っている。

 

実の母親と、その交際相手の男達に小さい頃から虐待を受けていた。

 

榎本の事は、恩人且つ頼りになるお兄さんと思っていたが今はお嫁さんになりたいと思っている。

 

小さい頃から家事をやらされていたので、家事全般に料理は普通にこなす。

 

物怖じする性格だが、頑固な面を持つし意外と嫉妬深い。

 

お米と日本茶が大好き。

 

最近主人公に急接近する小笠原母娘を警戒(敵視)している。

 

 

桜岡霞(さくらおかかすみ)

 

 

ヒロインその2

 

現在売出し中の霊能力者。

 

実力は本物だし、彼女の美貌もありテレビの心霊特番とかに出演もしている。

 

しかし、ヤラセや演出重視の傾向に嫌気がさしている。

 

腰まで届く黒髪に中々の巨乳を持つお嬢様。

 

霊障に困っている人々を助けたいと思い、知り合いの紹介で比較的霊障の多い不動産業界に紹介を頼んだ。

 

残念な所は、お嬢様なので金銭面に関しては大らかな事。

 

お洒落な外観、オヤジな中身な事。

 

好きなお酒は焼酎と日本酒で、自宅に焼酎セラーを持つ程の酒豪。

 

何故か自分の部屋に自分の写真を飾っている。

 

ちゃんとした修練を積んでおり、除霊スタイルは梓巫女の流れを汲んでいる。

 

梓弓を鳴らしながら呪文を唱え神懸かりを行い生霊や死霊を呼び出し(口寄せ)、その霊に仮託して託宣や呪術を行う。

 

かなりの大食漢で有り、数々のフィードファイトを榎本に挑むも中々勝てない。

 

だが食べるスピードでは圧勝している。

 

大食いはトラウマでも有り周りが驚くのが嫌だったが、榎本との食事は本能全開で楽しんでいる。

 

生霊専門の為、通常の除霊では弱い力しか発揮出来ていない。

 

現在、力の底上げをする為に実家に帰省し修行中の出番待ち状態。

 

 

ヒロインその3

 

「箱」から胡蝶 (こちょう)

 

 

主人公の祖先が契約し祀る事により力を借りようとした古き力有る存在。

 

途中で何故、榎本一族が彼女を封じようとしたかは不明。

 

しかし罰として再び祀られるまで一族の直系を残して皆殺しにしていた。

 

700年振りに思い出した(推測した)主人公を唯一の愛しい下僕として力を貸す。

 

見た目は全裸の幼女だが、本性を表す時は口から頭の後ろまで皮を剥して中からワニの様な口が現れる。

 

同時に華奢な腕からも爬虫類の様な腕が突き破って現れる。

 

幼女の見た目は主人公の深層心理の願望を表した姿なので、どんな姿形にも成れる。

 

自称、今はデレ期だそうだ。

 

 

ヒロインその4

 

小笠原静願(おがさわらしずね)

 

 

霊媒師の一族だが、除霊も出来る霊能力者として業態変更を考えている。

 

若干の男性不信とファザコン気味な高校二年生。

 

常に着物を着用している素直クールな美少女。

 

着物の下にはデンジャラスなボディを持つ。

 

除霊には鈴と組紐を合わせた霊具を使う。

 

独特な口調と毒舌で、周りから浮いているが当人も自覚している。

 

主人公をお父さんと呼び、彼に師事する健気な娘。

 

お互い恋愛対象としては微妙な関係だったが、母親の積極的な行動により……

 

因みに好き嫌いが多く人参・なめこ・山菜等が嫌いで食べれない。

 

宮城県から神奈川県へ引越し、結衣と同じ私立高校へ編入した。

 

若干ヒロイン達の中でも影が薄い可愛そうな存在。

 

 

ヒロインその5

 

霧島晶(きりしまあきら)

 

 

民宿「岱明館(たいめいかん)」の一人娘。

 

ボーイッシュなハンサムガール。

 

酔客にセクハラさせるので民宿を手伝う時は男装している僕っ子。

 

筋肉に興味深々で自分も鍛えてはいるが、腹筋が全然付かないのが悩み。

 

両親は初めて娘に出来た異性の友人に警戒するが、本人も主人公に対して少しずつ恋愛感情が芽生え始めている。

 

主人公に貰った水晶の数珠を大切にしている。

 

ファン投票で好成績、その関係で挿話の主役に抜擢と活躍の場を広げている。

 

 

ヒロインその6

 

亀宮(かめみや)さん&亀ちゃん

 

 

亀宮流除霊会を率いる当世最強の霊能力者であり凶悪な胸を持つ天然のお姉さま。

 

しかし霊獣亀ちゃんを常に憑依させ、その防御力は絶大。

 

除霊方法は亀ちゃんが食べる、以上。

 

亀ちゃんは甲羅の大きさが2m程度有り常に浮いていて首が長い。

 

その姿はスッポンや噛み付き亀に近いが、空を飛べるのでガ〇ラ?

 

独占欲が強いのか、亀宮さんに近付く男は悉く病院送りにしているが、主人公には不思議なシンパシーが有るのか意志の疎通が普通に出来る。

 

亀宮の名前は代々亀ちゃんを宿した者が世襲する名前。

 

本名は篠原梢(しのはらこずえ)

 

一族全てが除霊に関係しており、亀宮家に依頼された内容により同行者が毎回変わる。

 

今回は鈴木さん西原さんと言う20代の女性だった。

 

亀ちゃん自体が男嫌いなので、亀宮の名を継いだ女性は殆ど独身を貫くが例外が居る。

 

亀ちゃんの妨害を物ともせず結ばれた例が過去に何件か有り、その時の子供達は皆強力な力を宿したそうだ。

 

主人公に絶大な信頼と信用を寄せているが、若干のヤンデレ感が匂い初めている……

 

 

滝澤(たきざわ)さん

 

 

20代半ばの中々のキツめな美人さんで、黒髪をボブカットにして真っ赤な口紅。

 

常にサングラスを掛けているが薄い黒の為に中の瞳も見える。

 

切れ長の目と右の目元に泣き黒子(ほくろ)。

 

胸はスーツの上からでも分かる程のボリューム。

 

護衛とは二種類有り、影から守る御手洗達とは別に相手の注意を引く護衛(客寄せパンダ的な)として常に亀宮さんの傍に居る。

 

武器は芯に鉄柱を仕込んだトンファー。

 

当初は主人公に残念美人と評させたが、その心使いや気配りにより亀宮さんの次に配慮する女性となった。

 

 

御手洗(みたらい)達

 

 

筋肉ムキムキの護衛チーム。

 

リーダー御手洗は人魚や雪女等の女性の妖魔に憧れに似た感情を持っている。

 

その他はモブで名前すら出てこないし、今後も多分出ない。

 

 

伊集院阿狐(いじゅういんあこ)

 

 

戦国武将である島津氏の家臣であった伊集院一族の末裔であり新興勢力でもある。

 

ヘビを宿した美少女の女子高生であり、完全獣化能力者。

 

全長6m以上の大蛇に変化出来るし毒も数種類扱えるし牙から飛ばす事も出来る。

 

単純な戦闘力ならば今作中上位。

 

但し本人はコンプレックスに感じている。

 

真面目で義理硬く心を許した人には優しいが、それ以外の連中には冷酷な一面も……

 

 

国分寺(こくぶんじ)

 

 

犬人間、阿狐ちゃんの叔父さん。

 

その嗅覚は素晴らしく、匂いを嗅ぐだけで何時付いた匂いかも判別出来る。

 

餓鬼の呪詛により左腕を根元から失った。

 

 

渋谷(しぶや)

 

 

熊人間、完全にヒグマに変化出来る。

 

その戦闘力は計り知れない、得意技はベアハッグ?

 

 

風巻姉妹

 

 

姉の佐和(さわ)、妹の美乃(みの)、亀宮一族の諜報部の長、風巻のオバサンの実子。

 

年の離れた姉妹だが、霊能力により双子の如くイメージを他人に植え付ける事が出来る。

 

あくまでイメージで有りカメラ等では本来の姿で写る。

 

姉は思慮深く妹は元気溢れるが、諜報としての能力は高い。

 

主人公から餌付けをされて懐いたが、亀宮さんに遠慮?して主人公に対して恋愛感情は希薄。

 

 

高槻(たかつき)さん

 

 

関西巫女連合所属の霊能力者であり、桜岡さんの同門。

 

親加茂宮派だが、不老不死の秘密を掴み独り占めにしようとして失敗。

 

組織内での地位が危ぶまれる。

 

尚、当初は一発キャラ&中ボス的な存在で死ぬ予定だったが、作者が設定画を気に入ってしまい生き延びた珍しいキャラ。

 

 

加茂宮(かもみや)一族

 

 

先代の加茂宮保(かもみやたもつ)が亡くなり後を継いだ9人の子供達。

 

先代は胡蝶と同じ様な存在に取り憑かれており、高名な式神使いとして名を馳せた。

 

だが、力の弱い子供達9人に対して一族繁栄の為に蟲毒を仕掛ける非情な人間。

 

 

一子(いちこ)様

 

 

名前の数字が一族内での序列でもあるので最強の当主。

 

お金と手間隙を掛けた人工的なゴージャス美人で、ロリコン主人公にして人工的な美しさでは最高と言わせている。

 

※某ヘルターなスケルターみたいに美容整形は一切していません。

 

瞳術を使い他人を操る事が出来るが自分の美貌でも男を虜にして使役する事が大好き。

 

略奪愛も大好きで、他人の恋人を奪う事が自分の魅力を際立たせる事と考えている迷惑な人。

 

主人公も嫌いになり切れずに「あの女は苦手だ……」と言っている。

 

危うく呪いの水に漬かる所を高槻さんと共に主人公に止められた事で、それなりに友好的な関係を結んだ。

 

約束は必ず守るが、約束させるまでが大変なドSな美人。

 

 

二子(にこ)・五郎(ごろう)・七郎(ななろう)

 

 

咬ませ犬的な存在、胡蝶に喰われた。

 

 

徳田(とくだ)

 

 

山荘の執事、残念なイケメン。

 

 

桜井(さくらい)さん。

 

 

高槻さんの変わりに死ぬ事になった哀れなモブ巫女さん。

 

不老不死に憧れて餓鬼となり、最後は胡蝶に喰われた。

 

 

厳杖(げんじょう)さん

 

 

モブキャラ、熊野系密教修験者の団体の偉い人。

 

少ししか登場せず、山荘の被害の責任まで追及された可哀想な人。

 

 

レナ・ロッソ&クロード・ロッソ

 

 

兄のクロードはフリーの霊能力者だが、今回の事件に単独で挑み餓鬼化してしまう。

 

妹のレナさんは昼は苦学生、夜は学費稼ぎのキャバ嬢。

 

兄思いの優しい娘さんだが、今後の出番は……

 

 

長瀬亮太郎(ながせりょうたろう)

 

 

お得意様その1

 

長瀬総合警備保障㈱ 代表取締役社長

 

社員数60人のビルの常駐警備を専門に請け負う。

 

中小企業故に、大手が避ける事故物件でも請けねばならず、榎本に物件の霊視を頼む。

 

ダンディな45歳 8歳下の奥さんと13歳の娘を持つ。

 

心霊現象については、実体験が有るので信じている。

 

 

山崎聖二(やまざきせいじ)

 

 

お得意様その2

 

㈲山崎不動産 代表取締役社長

 

社員数は営業を含めて8人、主に横須賀・横浜市内の物件を扱う地域密着型不動産屋。

 

ツルッパゲな60歳 独身 会社の事務員を愛人として雇っている。

 

榎本のエロ師匠であり、横浜のヘルス・川崎のソープでは有名人。

 

心霊現象については、実体験が有るので信じている。

 

 

坂崎健二(さかざきけんじ)

 

 

長瀬綜合警備保障の社員

 

ガタイも良くタフなので、心霊物件担当にされている哀れな男。

 

ガテン系26歳 独身 恋人無し期間=年齢。

 

熟女好きであり、公言して憚らない変態。

 

 

飯島弘子(いいじまひろこ)

 

 

山崎の愛人であり山崎不動産の社員。

 

エロいお姉さま系29歳 山崎の他にも複数と愛人契約をしている。

 

Eカップの巨乳の持ち主だが、榎本の見立てでは色情霊が付いている。

 

 

松尾(まつお)老人

 

 

企業向けの個人弁護士事務所を開業している。

 

榎本の祖父の後輩で有り、小さい頃から家族ぐるみの付き合いをしていて、家族を亡くした正明の面倒をそれとなく見る。

 

若者言葉を使いたがる癖と、祖父との約束か兎に角結婚をさせようと暗躍する。

 

現在の嫁候補は桜岡霞であり、細波結衣は当たり前だがまだ中学生であり対象外としている。

 

 

薊菊里(あざみきくり)

 

 

桜岡除霊事務所のバイトA。

 

現役女子高生であり、霞の遠い親戚でもある。

 

バイトをしたくても校則が厳しく、親戚のお姉さんの仕事を手伝う事にした強かさんである。

 

特技は茶道・華道という古風な一面を持つ。

 

小柄で両肩の所で切りそろえた黒髪を持つ。

 

実は細波結衣とはエスカレーター式の高校と中学と言う先輩後輩の関係。

 

後に小笠原静願と学校で出会い友好を深める。

 

 

田鶴更紗(たずるさらさ) 

 

 

桜岡除霊事務所のバイトB。

 

菊里とは、ネットゲームのオフ会で知り合った。

 

趣味で小物を集めているが、趣味は悪い。

 

茶髪ショートの今時の女子高生、影が薄い。

 

 

摩耶山のヤンキー巫女

 

 

実は桜岡霞の義母様で有り、若い頃にブイブイ言わせた女傑。

 

霞とは姉妹弟子の関係。

 

今の旦那とは除霊現場にて一目惚れをして、策略で後妻に納まった。

 

現在は髪を染めずに、パッと見は金持ちマダム。

 

 

佐々木さん夫妻

 

 

八王子在住の郷土史研究家、戦国時代が専攻だが地元の歴史は一通り調べている。

 

老人会のネットワークを持ち、情報通。

 

珈琲と温泉を愛する老夫婦。

 

 

小原拓真(おばらたくま)

 

 

八王子市の名士であり、廃墟となったホテルのオーナー。

 

女癖が悪い。

 

父親は小原徳三(おばらとくぞう)

 

愛子(あいこ)と言う前妻と七海(ななみ)と言う娘が居たが入水自殺を遂げている。

 

その後に地元の政治家の娘と再婚した。

 

 

高野(たかの)さん

 

 

小原氏の専属霊能力者。

 

結界特化型であり水晶を使った結界を得意とする。

 

普段は頼り無さそうな結界の専門家を装っているが、実際は宝石全般を操る強力且つコストパフォーマンスの悪い術を使う裏事情にも精通してる術者。

 

裏の世界に精通し主人公の事をかなり警戒してるが、表面に表さない強かさを持つ。

 

ファン投票で人気急上昇、主人公の悪友としての地位を固めレギュラー陣に殴りこんだ。

 

 

メリッサ様

 

 

セントクレアの会を率いる肉感的なシスター。

 

副業で保母さんとして教会で働いている。

 

修道服に身を包んでいるがメリハリボディが丸分かりなセクスィー・シスターズを率いる。

 

本名は柳鶴子(やなぎつるこ)

 

配下にはフローラ様マリエン様が居る。

 

高野さんの紹介で呼ばれたらしく除霊方法は聖書や聖水を使う。

 

お金が非常に大好きでコスプレに非常に興味が有りそうだが……

 

玉の輿願望が強いが、その作戦が成功した事は無い。

 

主人公の事は頼りになる同業者として信用しているが、異性としての好意は無い。

 

 

小笠原魅鈴(おがさわらみれ)

 

 

宮城県在住の霊媒師で静願ちゃんの母親。

 

霊媒師とは、霊と人間を直接媒介できる能力者の事。

 

日本では口寄せとも言われる。

 

近年、需要が減っている為に業態変更で除霊もしようと考えている。

 

小笠原家は代々男運が悪いが、娘もロリコンに懐いたので遺伝だと思われる。

 

実は由緒ある霊能力者の一族の末裔だが決別した。

 

主人公に対して好意を抱いているが、若干ヤンデレへの道を歩みつつある。

 

何故か人気が有り、本章で数話しか登場しなかったが存在感はヒロイン級だ。

 

 

マダム道子(みちこ)

 

 

八王子市内に風水専門ショップ「マダム道子の店」を構える業界では有名な風水の導師。

 

彼女が扱う商品は強力な力を秘めているが、同業者には商売っ気が無いらしい。

 

身長が高く、何時もヒラヒラした特殊な服装をしている。

 

 

高田(たかだ)所長

 

 

高田調査事務所を構える猫背で独特の低いボイスを持つ男。

 

イメクラ大好きで自分でシナリオを持参する。

 

現在のマイブームは魔女っ子ないし魔女のお姉さん。

 

過去に調査員を怨霊に取り殺された事が有り、それの調査を頼んだのが知り合う切欠だった。

 

ヘビースモカーで甘いものが苦手。

 

 

斎藤(さいとう)所長

 

 

斎藤探偵事務所を構える本名を斎藤創(さいとうはじめ)と言い新撰組の斎藤一を連想させる礼儀正しい紳士。

 

だが聖地巡礼と称して風俗街を梯子する性豪でも有る。

 

因みに重度のロリコンで有り、主人公を師と仰いでいる困ったチャン。

 

元は桜岡夫妻が重用していたが、現在は摩耶のヤンキー巫女に本性を知られ敬遠されている。

 

横浜に引っ越そうか真剣に検討中。

 

高田所長とは趣味が一致して意気投合した。

 

 



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第216話

第216話

 

 亀宮一族が経営する高級ホテルのラウンジで向かい合って座る男女。片や筋肉質なオッサン、片や五十嵐家の次期当主の令嬢。

 名家旧家の令嬢だけあり、落ち着いて品の良い感じのワンピースを着ている。

 僕は何時もの仕事着だから向かい合って座ると違和感が半端無い。

 端目からも男女の関係には間違っても見られないだろう、チグハグな印象の二人。

 だが女性の方は男性と良い関係を作りたいと思っている。非常に面倒臭い事になりそうだ、主に派閥絡みで……

 

『胡蝶さん、彼女だけど取り巻きはホテルの部屋に居ると言ったよ。でも僕には存在を感じられないけど、結界とか張って籠もってるのかな?』

 

『まさかだな。単に出掛けているだけだろう。

存在を誤魔化す結界とは、その場が不自然になるから一定以上の術者には逆に分かるのだ。そこに何か居る、とな』

 

 護衛兼監視役が対象となる主を一人にして出掛けるとか、絶対何か企んでいると思う。

 奴等が仙台で昼間っから主を一人にして出掛ける用がマトモとは考え辛い。気を付けなければ駄目だな、念の為にホテルを変えるか……

 

「あの、何か話して下さい。黙りは辛いのですが……」

 

 しまった、五十嵐さんを放置して脳内会話に集中してしまった。不自然に沈黙されては、大人しそうな彼女は大層困っただろう。

 モジモジとして足を組み替えたり手を動かしたり、ハムスター(小動物)みたいな娘だな。咳払いをして誤魔化す。

 

「コホン……まぁその、アレです。お弁当ご馳走様でした。美味しかったですよ。

犬飼の爺さん連中が食事は用意してくれるので明日は大丈夫です」

 

 なし崩し的にお弁当を作って貰うのは良くない。僕としては彼女と適度な距離を置きたいんだ。

 前半は喜び後半はムーッと睨む五十嵐さんの視線が痛いので、目を逸らして珈琲を飲む。ミルク無し砂糖だけだと苦くて不味いな。

 

「僕としても餌付けされたとは思われたくないんですよ。気持ちは嬉しいのですが、分かりますよね?」

 

 自分と相手の立ち位置が分からない内は、余り親しくはしたくないんだ。そう言えば守備範囲外の女性と仲良くなるのは、大抵が餌付けだな。

 他に手段を考えないとマンネリでワンパターンか……

 

「せめて下準備をしている明日迄はお弁当を作らせて下さい、お願いします」

 

 縋る様な顔をされるのは辛い。

 良心にダイレクトにダメージが来るが、此方を注目しているホテル従業員も不思議な顔をしているのも針のむしろに座らされてる様で居辛い。

 

五十嵐家次期当主が懇願する相手だからな、どんな間柄だか気になるだろう。

 僕は亀宮さんと御隠居衆の次らしいから、彼女が五十嵐家の当主になるまでは僕より序列は下だろう。

 

「えっと、滞在してるホテルを変えるつもりなのです。ですから朝お弁当を届けて貰う訳にはいかないのです」

 

 苦しい言い訳だし、ホテルを変える事を教えては駄目なのに何を言ってるんだ僕は。自分の言った事だが呆れてしまうな。

 

「まぁ?それは私に知られたからですか?私、迷惑ですか?」

 

 両手を胸の前で握りしめて、うっすら涙が?その言い方は卑怯だぞ、女の涙は強力な……

 

「いえいえ、此処は敵地と同じですから用心の為にですよ。霊的遺産の相続の事を何故か知ってる連中が多い。

一族以外でも相続出来るなら僕もと言う奴も居るだろう。だから用心に越した事はないのです。

試練は残り五つですが、少しペースを早めます。最悪は現地で犬飼の屋敷にお世話になろうかと思ってますので……」

 

 まさか君のお供の行動が不審だから拠点を変えるとは言えない。君と距離を置きたいとも言えない。

 少し考えている彼女から視線を外し周りを確認する。

 ラウンジには客は僕等だけだが、カウンターに二人と壁に一人立って此方に注意を向けている。

 勿論、お客に不快な思いをさせないさり気なさで、このオッサンと娘さんのやり取りを聞いているのだろう。

 

「え?残り五つ?昨日一つを達成して、今日の午前中で二つ達成しないと数が合わないですわ……あの、榎本さん?」

 

 まるで信じられない物を見る様な目で僕を見る、少し傷付くんですけど?確かにもう普通の人間とは言えないけど、やはり異常扱いは堪えるな。

 

「ええ、今日は午前中で二つで止めました。明日からは午後も頑張る予定です。さて、長居し過ぎましたね。僕はこれで……」

 

「あっ、あの……」

 

 声を掛けられたが、そのまま立ち去る。後で気付いたが、珈琲代を払い忘れたな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 申し訳なさそうに立ち去る榎本さんを見送る。私が疑いの目を向けてしまった事で、凄く傷付けてしまったみたい。

 一瞬だけど哀しそうな目をしていたわ……

 過去300年間誰一人達成出来なかった、亀宮様ですら無理だった試練を半日足らずで二つも?

 二日で三つも終わらせるなんて、私は榎本さんが怖い。得体の知れない力有る男が怖い、怖くて堪らないわ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「初音様、初音様、お願いです出て来て下さい」

 

 グニャリと空間が歪み、初音様が現れる。あの後、どうにも怖くなりホテルの部屋に戻り初音様を呼び出した。

 あの男と、今後どう接したら良いか分からないから……異質な男が怖くて堪らないから……

 

「なんだ巴、怯えているのか?あの男は敵対しなければ怖くはないぞ」

 

 初音様は気楽に言うが、怖いものは怖い。見た目と違い言葉使いは丁寧だが、行っている行動と結果が異常過ぎる。

 山中一族を衰退に追い込んだ事を考えても分かる、敵対すれば五十嵐一族も滅ぼされるわ。

 

「怖いものは怖いのです。初音様だって近付くのが怖いと言って離れているじゃ有りませんか!」

 

 初音様だって近付くのが怖いって言うのに私だけ行くのは嫌なんです。

 

「やれやれ、儂はあの男に憑いている存在の方が怖いのじゃよ。分かった、未来を予知してみようかの……」

 

 彼以上に彼に憑いている存在も怖いの?駄目、手足の震えが治まらない。自分の手で両肩を抱くようにして蹲る。

 何故、私は彼を頼りがいが有ると思わずに怖いと思うのだろうか?

 何故、敵意を向けられないのに怯えるのだろうか?

 

 それは彼の本質が異質だからだ、人とは掛け離れた力を持つ存在が怖いの。

 アレは、あの人は、私の理解を越える異常な存在なんだ。人間の本能が危険と告げている、関わっては駄目だと……

 初音様は空中で胡坐をかき、手を腹の前で合わせて意識を集中している。

 何かモゴモゴと唱えているが聞き取れないが、何時もの未来予知の方法。

 だけど長い、普段の倍以上の時間を掛けているわ……

 

「ふぅ、読み切れない、読み切れないぞ。あの男と五十嵐一族の未来が、霞が掛かった様にあやふやだが……巴」

 

 幽霊なのに額に薄らと汗をかき何本かの毛を張り付けている。

 

「何ですか、初音様?」

 

 何時もより真剣な表情と声……

 

「五十嵐家当主に連絡をするのだ。自動書記で未来を見たと……楠木と土井だが、このままなら死ぬぞ。

しかも配下の連中も含めてな。あのババアめ、あの男を利用して一族の膿を出すつもりじゃ。

巴、お前は榎本殿に自分は無関係だと思わせねば……先ずはババアの思惑を聞くのじゃ」

 

 死ぬ?楠木達が?誰が殺すの?榎本さんが?

 

「そんな……私達は危険なのですか?楠木も土井も一族の仲間なのですよ!

それを膿を出すなんて、殺すなんて……止めないと駄目じゃないですか!」

 

 幾ら嫌いな連中だからといって殺して良い訳は無い。次期当主としても配下の命は守らないと駄目だ!

 

 

「落ち着くのだ巴。楠木達が榎本殿に危害を加えに行って返り討ちされるのじゃ!

この未来予知に変化は無いぞ。返り討ちの後の未来があやふや過ぎる。

早くババアと連絡を取り、その後の対応を話し合うのじゃ……」

 

 そんな……取り入りたいと言った私達が……私達から榎本さんに……あの危険な男に……私達、五十嵐一族から襲い掛かるの?

 私達が彼を襲って返り討ちに合うの?それをお祖母様は知っていて、私に彼と仲良くなれと言うの?

 

「巴……気をしっかり持つのだ。五十嵐一族を衰退させる訳にはいかぬ。今は早くババァと連絡を取って今後の事を相談するのじゃ!」

 

 何時に無く強い初音様の声に、ノロノロと携帯を取出しお祖母様へ連絡する。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『どうしたんだい、巴。電話など珍しいじゃないか?』

 

 五十嵐本家に連絡しお祖母様に取り次いで貰った。携帯電話とか電子機器に強くないお祖母様は、本家に居る時は携帯電話の電源を入れてない時が多い。

 

「予知しました。楠木と土井が……彼等が榎本さんに襲い掛かり返り討ちに遭います。

その先の五十嵐一族の事が何も見えません、分からないのです。どうしたら良いですか?」

 

 初音様の言葉にアレンジを加えてお祖母様に報告する。

 

『何だって?あの二人を処分しても我が五十嵐一族が無くなっては意味が無いではないか!巴、楠木達は?』

 

 やはりお祖母様は二人を亡き者にするつもりだったんだ。急にお祖母様の声が遠くに聞こえだした……

 

『巴?聞いているの?二人は近くに居るの?』

 

「はい、私はホテルに居ますが、二人は居ません。朝から出掛けてます」

 

 私がお弁当の仕込みをしに出掛ける時は一緒だったが、今は居ない。榎本さんを襲うなら犬飼一族の所かしら?

 

『巴、榎本さんとは仲良くなれたのかい?榎本さんは犬飼一族の試練を達成しそうかい?』

 

 仲良く?あの人と?私には怖くて無理だわ……

 

「榎本さんは僅か二日で試練を三つ達成しました。犬飼一族の試練を試練とは思ってないかと……

仲良くは、未だなれてません。どちらかと言えば距離を置かれてます」

 

 置かれてますし置きたいです。でも、もし楠木達が既に榎本さんを襲い返り討ちに合ってたなら、敵対したと思われても言い返せないわ。

 

『既に三つだと?予想より遥かに早いな……これは気を付けないと本当に我が五十嵐一族が滅びるぞ。

巴、楠木達を止めるのだ。我々も其方に向かう』

 

「止めると言っても……連絡が取れないのです。

榎本さんに我々の仲間が襲いに行きますとも言えないですし、どうすれば良いのですか?」

 

 まさか楠木と土井が襲いに行きます、でも五十嵐とは無関係ですとは言えない。

 彼にとっては同罪だろう、今更違いますと言っても信じてくれないわ。

 

『兎に角だ、彼等と連絡を取り止めさせろ。自動書記で結果が出たとな。少なくとも儂が行く迄は抑えておけ。直ぐに向かう』

 

 そう言うと電話を切られた。兎に角、言われた通りに彼等に連絡を……ホテルの部屋は内線電話で他の部屋と直接話せる。

 先ずはホテル備え付けの内線電話で連絡するが、10回コールしても出ない。

 次に楠木の携帯に電話するが、圏外か電源が入っていないと案内が……土井も同じ、連絡が付かない。

 現代では直ぐに個人と連絡が取れるのだが、所詮は携帯電話頼り。相手が圏外だったり電源を切っていれば無理。

 五十嵐家の幹部連中は仕事の際に緊急連絡用に衛星電話を持たされる。

 除霊とは都市付近だけじゃないからだが、室内での自動書記が主な私は持ってないが彼等が持っている衛星電話に連絡しても繋がらない。

 つまり意図的に私からの連絡には出ないつもり。ああ、榎本さんが用心の為にホテルを変えると言ったのは正解だわ。

 私達なんかよりよっぽど先を見通している、つまり最初から信用されてなかった。

 

 私の努力は実らなかった。

 

 それが間違いじゃないから心が締め付けられる程苦しく悲しい。でも今は五十嵐一族の為にも暴走した二人を止めなければ。

 先ずは榎本さんの泊まっているホテルに行ってみましょう。

 



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第217話

第217話

 

「初音様、私は次期当主として一族から死人を出したくないのです。力を貸して下さい」

 

 一族に危害が加わるのを承知する事は出来ない。確かに甘いし偽善かも知れないけど、組織のトップに立つならば配下を守るのは正しい事だと思う。

 理想論でしかないが、最初から諦めては駄目。

 

「巴、無駄だぞ。あの者達では到底勝てる相手ではない。ましてや止めるなどと甘い事を……」

 

 凄く辛そうな顔の初音様の両肩を掴んで懇願する。初音様は触る事が出来るのだ、フワフワだけど。

 何としても土井達が榎本さんを襲うのを止めたい。止められれば彼等が死ぬ事は無いのだから……

 確かに私を手込めにしようと計画した嫌な者達だが、五十嵐一族の繁栄の為には不要だからと殺すのは反対だ。

 そんな恐怖支配じゃ下は付いて来ないわ。

 

「初音様、榎本さんの未来が分からないなら土井達の未来を予知して下さい。襲撃の時間や場所が分かれば、先回りして止められます」

 

 榎本さん本人は強い加護が有り未来が見えなくても、土井達なら或いは……私の懇願に溜め息をついて肩をガックリと落とす初音様。

 そんなに嫌なのかしら?

 

「分かった、もう一度見てみるが期待はするな。アレに関わる連中の未来も靄(もや)が掛かって見える筈だ。未来とは色々な事が絡み合っているからな」

 

 初音様が空中で胡坐をかいて印を結びながら呪文を唱えている。でも今回は直ぐに終わったわね、榎本さんの未来を予知する時は大分掛かったのに……

 

「巴、奴等の未来が見えたぞ。馬鹿な二人は自分の子飼いの連中まで呼んでいる。襲撃は明日だが時間は不明。

場所は犬飼の試練の倉だと思うぞ。だが良く見えなかったが、確かに殺されるのだが……榎本殿じゃなかった。

もっと邪悪なナニかに襲われていた。ナンだあれは?榎本殿に憑いている存在じゃなかったぞ」

 

 榎本さんでも憑いている存在でも無い邪悪なナニか?

 

「他の襲撃者か榎本さんの関係者?それでも土井達は殺されるのね。

榎本さんは明日からは目一杯時間を使って試練に挑むと言ってたわ。

つまり早朝から犬飼一族の本拠地を張ってれば、嫌でも土井達に会えるわね。逆に今は何処に居るか分からない」

 

 犬飼一族は山名一族と繋がりが会った筈だから、本家に問い合わせれば教えてくれる。

 またはお婆様なら知っているかも……

 

「巴よ、無理をするでないぞ。五十嵐一族にとって、どちらが大切か分からぬお前ではあるまい?時には切り捨ても必要じゃぞ」

 

 初音様の言っている意味は十分に分かってるわ。それ位、私だって分かってるわよ!

 言い返したいけど、自分が理想を振りかざす子供だと思われそうだから止めたわ。

 だけど表情で伝わってしまったのか、初音様は深い深い溜め息をついていた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「巴、待たせたな。で、土井達の行方は分かったのかい?」

 

 あれから三時間と経たずにお婆様は私の滞在するホテルまで来た。千葉から東京に出て新幹線に乗ったにしても早い。

 お婆様の腹心の芝塚と東海林の二人だけを連れての強行軍だったのだろう、少しだけ疲れが見える。

 芝塚と東海林の二人は五十嵐一族で上位の霊能力を持つ女性。芝塚は神道系、東海林は陰陽道を得意とする。

 二人共に三十路を過ぎているが現役だわ。

 

「いえ、ホテルの部屋には戻らず携帯電話も不通です。ですが私の自動書記では犬飼一族の試練の場所に現れると……

お婆様、犬飼一族の本拠地は分かりますか?」

 

 今回は自動書記も髄分とピンポイントになってしまったわ。普段なら幾つかの不要な情報の後に本命の予知を自動書記するのだけど……

 お婆様も少し不思議に思ってるのかしら?

 

「ああ、調べてきたぞ。だが廃業したとしても霊能力を扱う一族だ。いきなり行っても不審がられるだけだぞ。

山名一族に頼んで一報を入れて貰った後に接触するしかないな。だが噂に聞く現当主は廃業せねばならぬ程に力が弱い癖に強欲と聞く。

どんな条件を出されるか……」

 

 確かにそうね。自分の力が足りない為に榎本さんに霊的遺産を相続させるのだ。

 内心は面白くないし、榎本さんを害する連中を取り押さえる為に果たして尽力してくれるのか?

 

「巴、榎本さんの連絡先は分かるな?もう頭を下げて許しを乞うしかあるまい。我等五十嵐一族と土井達は無関係、だから……」

 

 お婆様、淡々と無表情に何を言いだすのですか!

 

「駄目です、それは駄目です。組織の長が配下を切り捨てるなんて……」

 

 駄目だけど代案が浮かばない、他の手立ても無く反対するだけでは駄目。でも、でもでも……

 

「でもな、巴よ。逆の立場で自分が襲われるのを知らされて、それでも襲撃者に傷を付けずに関係も良好にして欲しい。

そんな我が儘が通用すると思うのか?事前に襲撃を止められなければ、何をされても仕方ないのだぞ。

正当な防衛を止めてくれとは、それだけで相手に危害を加える行為じゃ」

 

 無断で犬飼一族の本拠地に榎本さんを害する為に侵入する連中を傷付けないでくれと頼む。

 なんて恥知らずな女、でも五十嵐一族の膿を出す為に利用しようとしたお婆様には言われたくない。

 

「御隠居様、巴様」

 

「何じゃ?(ですか?)」

 

 何か携帯電話で話していた芝塚が会話に割り込んで来た。何か報告が有ったのかしら?

 

「犬飼一族に連絡が取れました。ですが我々を本拠地に立ち入らせる件ですが、犬飼当主が不在の為にお答え出来ないとの事です」

 

 当主不在で榎本さんに犬飼一族の霊的遺産の相続をさせてるの?

 いえ、プライドが高い人ならば自分が不可能だった事を他人がするのは耐えれないのかしら?

 

「お婆様、こうなっては……」

 

「犬飼一族の本拠地に向かうルートは二つ。早朝から見張るしか有るまい。

だが巴よ、もしもの時は割り切るのだぞ。金銭的な補償で済めば良いが、最悪は儂の首で……」

 

 折角の決意だけど、お婆様の首では済まないと思うわ。

 ケジメとしては有りだけど、知らない老人が職を辞しても榎本さんには何のメリットも無いもの。

 それプラスお詫びだと思うわ。でも彼の欲しがるモノが分からない。

 亀宮様の求愛を拒むのよ、美女・金・権力の全てを拒める彼の欲しがるモノって何かしら?

 この時私は、お婆様の前提条件をもう少し考えるべきだった。お婆様は土井達を……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

宿泊先を東横innから東急innに変えた。一文字しか変わってないが、距離は一駅離れた。

 五十嵐さんの手作り弁当は惜しいが、安全には変えられない。そして今朝はお迎えは遠慮しレンタカーを借りた。

 

 TOYOTAのRAV4だ!

 

 流石は雪国だけありレンタカーの種類も四駆とかが普通に有った。ナビ付きを頼めば迷子になる事もなく順調に犬飼一族の屋敷まで車を走らせる。

 流石は杜の都と言われた宮城県だけあり、車窓から眺める景色は緑一色!時刻は早朝六時過ぎ、窓を開けると適度な湿り気を含んだ空気が車内に流れ込んでくる。

 胸一杯に吸い込めば自然と眠気も薄れていく。何故か悪食が車内を徘徊し、最後は僕の肩に乗ってご機嫌だ。

 深い森の中を一時間ほど走ると目的地に到着した。

 

『正明、この近くに霊能力者が沢山居るぞ。新幹線で会った男達も含まれているな、十人以上居るぞ』

 

 胡蝶レーダーに引っ掛かかったのは、あの連中か……

 

『ここは犬飼一族の敷地内だろ?看板を降ろすとは言え他勢力の連中が潜り込むとは変じゃないか?』

 

 確か山名一族に繋がりが有ると聞いているが、五十嵐一族と関係有るとは……

 

『胡蝶さん、もしかして連中はグルかな?』

 

『可能性は有るな。普通に考えれば自身の本拠地に他勢力の霊能力者を大量に呼び込むまい。我等に危害を加えるつもりか?笑わせる、矮小な連中の癖にな』

 

 あの二人の態度からして友好的な話では無いよな。思いっきり上から目線だったし、霊的遺産を奪うのが目的か?

 

『とにかく注意しよう。最悪は犬飼の爺さん達も敵に回るかも知れない……』

 

『ふむ、分かった。奴等が近付くか攻撃を仕掛けてくれば知らせよう。全く我等と敵対するとは愚かよな、あの自動書記女も』

 

 五十嵐さん、仲良くしたいと言いながら敵対的行動を取るのか?それとも奴等の単独行動か?でも彼女が未来予知で勝てると踏んだなら用心が必要だ。

 

「悪食、眷属に周辺を調べさせてくれ。潜んでいる奴等を捜し出して監視するんだ。それと犬飼の爺さん達も同様に監視してくれ」

 

 車を降りると運転中僕の肩に乗っていた悪食が飛び出していった。因みに悪食だが遂に全身金ピカに変化してしまった。

 パッと見はゴキブリには見えないが、良く見れば巨大なゴキブリだ。一瞬だけ見られたなら黄金蟲と言い張っても良いかな。

 胡蝶曰く式神として僕等の霊力が流れているから急速にパワーアップしてるらしい。

 

「今日は頑張って複数の試練をクリアするぞ!」

 

 五十嵐の連中が近くに潜伏しているのを知らない様に振る舞う。だけど体の中に胡蝶と悪食を住まわせているとは言え、端目から見ればオッサンの独り言だ。

 車の到着と共に犬飼の爺さん達が表れた、絶対に監視しているな。胡蝶レーダーに引っ掛からないとなると機械式の監視網だと思う。

 

「おはよう、今日も宜しくお願いします」

 

 軽く手を上げて挨拶をしながら、さり気なく様子を伺うが……爺さん達の皺くちゃな顔からは何の情報は読み取れない。そこには歓迎も敵意も無いな……

 

「おはよう、榎本さん。今日は四ノ倉からですな」

 

 にこやかとは言えないが悪意有る感じじゃない。何だろう、五十嵐一族とは関係無いのかな?

 でも手引きが無くてはバレずに結界内には入れないと思うんだ、必ず監視網に引っ掛かるだろ?

 

「ええ、今日は遅くまで頑張るつもりです」

 

「ははは、そうですか。一応昼飯は用意しておきますので、切りの良い時にお越し下さい」

 

 そう言って屋敷の方に行ってしまった。四ノ倉に向かい扉の鍵を開ける。今回は解錠と共に何か霊的仕掛けが発動した感じはしない。

 

『胡蝶さん、どうかな?中に何か居る?』

 

『ふむ……何も感じぬな。いや、二ノ倉と同じく何か霊具が有るな』

 

 霊具?二ノ倉と同じ?つまりボーナスステージ?慎重に重たい扉を開く、人間一人が入れるだけの幅で。

 隙間からマグライトで中を照らすと、二ノ倉と同じく中心部に文机が見える。その上には風呂敷みたいな布が置いてあるな。

 

『悪食を放したのは不味かったかな?胡蝶さん、中に入るから宜しくね』

 

『分かった、我に防御は任せろ』

 

 ゆっくりと四ノ倉の中に入る……何とも黴臭い重たい空気が体に纏わり付く。

 マグライトで周辺を確認するが、この倉には護符が無い。文机の前に立ち風呂敷を観察するが、長細い物が包まれてるみたいだ。

 

 長さは30㎝位かな?

 

『正明、我が体から出れば防御力が下がる。自分で取ってみろ』

 

『分かった……ってコレって鍵と扇子かな?』

 

 手に取ったソレは次の倉の鍵と、現代でも馴染み深い扇子だ。但し全てが竹か木で出来ていて紙は使われてない。

 細工も緻密で美術品として価値が有りそうだけど実用的じゃないな。それに女性用っぽいし……試しに広げて扇いでみたが、そんなに風が来ない。

 

『ふむ、強い力は感じるが……時間が有る時に調べるのが良いだろう。他には何も無いな』

 

『本当にボーナスステージだったか……』

 

 扇子を上着の内ポケットにしまい四ノ倉を後にした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『いよいよ五ノ倉か……』

 

 鍵を開けた瞬間、背筋がゾクりとしたぞ。

 

『正明、気を付けろ!中に居る奴は強いぞ、我が喜ぶ位の贄が居る』

 

 胡蝶さんが嬉しいって丹波の尾黒狐以来じゃないか?慎重に開いた扉から中を覗くと、部屋の中心に首吊り死体がぶら下がっていた。

 




3月からは毎週月曜日とさせて頂きます、次回は3月3日(月)AM6:00掲載予定です。


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第218話

第218話

 

 犬飼一族の霊的遺産が納められた五ノ倉。

 

 此処で初めて胡蝶が危険を感じた。古ぼけた暗い倉の中には首を吊った人間らしきモノがブラ下がっている。

 マグライトの灯りを当てて確認すると、白装束を着て髪が長い。昔は男女共に長髪の場合が有るから一概に女性とは言えないが……

 

『胡蝶さん、百年以上も前の首吊り死体には見えないけど……』

 

 白装束の袖から見える皮膚がテレビで見るミイラよりも質感と言うか程度が良いんだ。

 

『ああ、妖(あやかし)だな。アレの発動条件が分からぬ。扉を開けた時には、何も感じなかった。

或いは倉の中に入るか触れるかだろうか?だが悪い知らせだ。五十嵐の手の者が凄い勢いで此方に向かっている。

後僅かで到着するな。倉の中のアレを相手にするには時間が無い』

 

 ブラ下がるアレは、未だ放置しても平気か?

 

『ならば先に五十嵐一族の相手をするしかないか……』

 

 重たい扉を閉めようと思ったが気配が近過ぎたので振り向く。向こうも隠れる気が無いのか堂々と姿を晒して歩いてくるな。

 振り返って見たら走るのから歩きに変えた。つまり急いで僕に接触したかったのか?

 扉は閉めずに五ノ倉から離れて対峙する、距離は後50mも無い。

 悪食がカサカサと接近して僕の肩に飛び乗った、周辺に眷属を配置し終わったんだな。

 歩いて来る連中の顔が判別する迄近付いてきたので確認すれば、やはり新幹線で会った土居と……

 

 もう一人は誰だっけ?

 

 彼等の後ろに八人の男達が居るが、五十嵐一族に連なる連中だろうな。スーツ姿や僧衣に私服とバラエティーに富んでいるよね。

 ただ手に特殊警棒や木刀を持って武装しているから、服の下にもナイフ位は仕込んでそうだな。分かりやすい悪意を垂れ流して居る。

 

『胡蝶さん、奴等って強いのかな?余り強そうには感じないんだけど……』

 

 霊能力的にも筋肉的にも強さを感じないんだ。成人男性十人を敵に回して落ち着いている自分が、凄くおかしく思う。

 既に人間の範疇を越えているからこその安心感だろうか?

 

『カスだな……僅かな霊能力しか持ち合わせておらんぞ』

 

 前の二人はソコソコで他はカスか……

 

『奴等ってアレで全員かな?他に伏兵は?』

 

『居ない……いや、自動書記女と他に三人の反応が有る。だが此方は犬飼の連中と揉めているみたいだな。同じ場所から両方の反応が有って向かい合っている』

 

 次期当主と本命が増援か?

 

 いや、主力が犬飼一族と対峙してるって事はコイツ等とは別行動と考えるべきかな?

 

「悪食、奴等は目の前の連中だけか?」

 

 器用に頭を何度も下げで同意と教えている、つまり胡蝶レーダーも悪食の眷属も周辺で探知したのはアレだけか。

 

『正明、応援が来る前に潰すか?我を放てば二分で全滅ぞ』

 

『魅力的な提案だけど未来予知が気になる。未来を知って、あの行動は変だよ。絶対に隠し玉が有る筈だ。先ずは話し合いで情報を得るか……』

 

 とても友好的な雰囲気じゃないが、先ずは言い分を聞こう。距離が10mとなった所で、奴等が僕を中心に扇形に広がった。

 五ノ倉を背に半円形状で囲われた訳だが……目の前に居るニヤつく男に声を掛ける。

 

「土井さんだっけ?僕に何か用かな、一応だけど聞くが?」

 

 一応さん付けだが、呼び捨てで怒らせた方がポロリと情報を漏らしそうだな。

 

「用?ああ、お願いじゃない命令だ。犬飼の試練で得た物を全て差し出せ、代わりに命は助けてやる」

 

 最後まで試練を受けさせずに途中で止めさせる、何故だ?残りを自分達でクリア出来る訳じゃないだろ?

 

「ふーん、交渉も無しか……意外にセッカチだな。まぁでも返事は断るだ」

 

「ほう?じゃ痛い目を見ないと分からないか?流石は脳筋、言葉が通じないと見える」

 

 ニヤニヤと笑っているが、奴等の自信の根拠は何だ?まさか人質か?いや風巻のオバサンに頼んでるんだ、佐和さん美乃さんも居る。

 そんなヘマはしないだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 犬飼一族の本拠地に続く道は二つ。

 

 早朝から見張っているが土井達は一向に現れない。私とお婆様、芝塚と東海林に別れて見張っているが向こうからの連絡も無い。

 

「お婆様、このまま此処で待っていても……やはり榎本さんに会いに行きましょう」

 

 道路端で車で待機していても何も通らない。焦りばかりが募るわ。

 

「落ち着け、巴。どちらにしても他家の本拠地にアポ無しでは行けぬだろう。

それに犬飼は当主不在と言われたのだ。我等が向かえば当主不在を承知で乗り込んだと言われても仕方ないのだぞ」

 

 後部座席にお婆様と並んで座り、ただ目の前の道路を眺めるだけ。もう榎本さんは試練を初めてるでしょうね。

 だって今日からは、もっと頑張るって……ん?もう?

 

「お婆様、謀りましたね?私達が見張る道路には誰も通らなかったわ」

 

「何だ、巴。謀ったとは言い過ぎだぞ。我等は一緒に見張ってるではないか」

 

 皺くちゃな目は糸の様に見えるが、一瞬見開いた。

 

「そう、見張ってますわ。

お婆様が土井達は二つの道路で仙台市内から来るルートは分かり易いから、此方の他県から繋がる迂回ルートを選ぶだろうと予想したので、それに従い見張りました。

でも朝五時から初めて誰も通らない」

 

 黙って頷くお婆様。

 

「では、榎本さんは何時、犬飼一族の本拠地へ?誰か通れば連絡し合う約束なのに、芝塚からの報告は無いわ。つまり榎本さんが通るのを見逃したのね?」

 

 芝塚と東海林はお婆様の直属、私の言う事は聞かない。だからお婆様は芝塚達に命令して、榎本さんも見逃した。

 お婆様をジッと見詰めるが目を逸らされた。

 

「狭い車内で騒ぐでないぞ」

 

「お婆様!土井達を見捨てるつもりですか?運転手さん、車を出して下さい。犬飼一族の本拠地に向かいます」

 

 はぐらかしを肯定と受け取ると、昔誰かが言った。誤魔化したり黙っていたりするのは認めたも同じ事なんだ!

 

「巴よ、諦めてくれんか?奴等は我が一族の膿じゃ。このまま……」

 

「此処で見捨てるなら、私は当主を継ぎません。五十嵐一族と縁を切ります!」

 

 お婆様の目を見る、暫く見詰め合うが、お婆様の方が目を逸らした。

 皺くちゃの目を見開き私を見た後に両手で顔を擦った。深いため息を一つ……

 

「仕方ないの。車を出しておくれ。だが、我等が行っても役には立つまいが?」

 

 そう言ってお婆様は芝塚さんにも携帯電話で連絡をしていた、迂回して私達に合流する様にと。

 

 暫く走ると、道路の真ん中に老人が飛び出して来た。慌てて急ブレーキを踏んで停まる。

 

「此処から先は私有地だ。用が無ければ帰られよ!」

 

 作務衣を着た老人が二人、道の真ん中で手を広げて私達を睨んでいる。

 

「お婆様、あの方は犬飼の?」

 

「やれやれ、そうじゃな。我等が簡単に見付かるとなると、土井達はどうやって侵入するのやら……」

 

 ブツブツと言いながらお婆様は車の外に出た、私も当然外に出る。

 

「犬飼一族の方じゃな?儂は亀宮一族の五十嵐じゃ。この度は急な訪問を許して頂きたい。

我等一族の者が、試練を受けている榎本殿に危害を加えようと画策しておっての。出来れば榎本殿にお会いしたいのじゃ」

 

「お願いします。私達の本意では無いのです、お願いします」

 

 何度も頭を下げてお願いする。老人達は困った顔で携帯電話を取出し、何処かへ連絡をし、残りの一人が私達を警戒している。

 

「あの、榎本さんは既に試練を?」

 

「ええ、既に四ノ倉に挑んでいる筈じゃよ。しかし、御山には我等の警戒網が敷いてある。無断で侵入は出来まいて」

 

 やはり警戒していたのね、霊能一族の本拠地だし当たり前ね。私達だって……

 

「何だと!五ノ倉の前で?どうやって侵入したんだ?」

 

 携帯電話で話していた老人が、私達を睨み付けている。最悪の展開かしら?

 

「何故かは分からんが、既に未確認の連中が犬飼本家に入り込んでいる」

 

「そんな……では榎本さんは既に彼等を?」

 

「睨み合っているそうだ。防犯カメラの映像を確認させただけだがな。我等は戻る、お前達は帰れ。

無断で侵入した連中は我等の敵だ!排除させて貰う」

 

 最悪の展開だわ、榎本さんだけでなく犬飼一族をも敵に回すなんて……後ろで車が停まった音がしたけど、芝塚さんと東海林さんが来たのね。

 でも、でも手遅れよ……

 

「我等一族の不始末は我等にも手伝わせて下され。榎本殿にも詫びねばならぬ。この通りお願い致します」

 

 お婆様が頭を亀宮一族の御隠居衆五席のお婆様が……私も慌てて頭を下げる、ここは成り振り構っていられない。

 

「ふむ、分かった。案内するので車に乗せてくれんか」

 

「はい、急ぎましょう!」

 

 あの予知が事実にならない様に急がないと……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「この状況で強気だなぁ、野良犬?我等に逆らうとは愚か過ぎて笑えぬわ!」

 

 やられ役の三下芝居乙!

 

「ふん、下っ端風情が虚勢を張るなよ。そんなカスばかりで囲んでもな、怖くもないぞ」

 

 胡蝶無双は不味い、この周辺には監視カメラも有るみたいだから映像が記録されてしまう。

 

『正明、犬飼のジジイ達が此方に向かっている。自動書記女達もだ!クックックッ、人気者だな正明は……』

 

 心底楽しそうだな胡蝶は……僕は問題が山積みな状況で胃がね、キリキリと痛くなりそうなんだよな。

 どう考えても厄介事でしかないだろ?

 

『これを人気者と言うなら直ぐに誰かと代わりたいですって。胡蝶さん、軽い呪咀掛けて力を削いで欲しい。

僕は特攻して二人をブン殴る。本気で腹を殴れば大人しくなるよね?』

 

『内臓破裂で死ぬほど苦しむと思うぞ、まぁ良い。奴等に等しく恐怖を与えようぞ』

 

 どう考えても僕等をどうこう出来るとも思えない連中だ、悩むより行動しよう。

 

『行くぞ、正明』

 

『了解、やってくれる』

 

 胡蝶の呪咀に合わせて軽く手を振るジェスチャーをする。途端に意識を失い倒れる八人の男達。

 白目を剥いて口の端から涎を垂らしたり細かく痙攣したりと阿鼻叫喚な感じだ。

 胡蝶の呪咀は精神に多大な恐怖を与えて茫然自失にする簡単な呪咀だが、元々の力の差故に『効果は絶大だ!』状態だね。

 

「まだヤル気?」

 

 此処まで追い込めば取って置きを切り札を出すだろう。何時までも有るか無いか分からない切り札に怯えるのは性に合わない。

 慎重が持ち味だが、状況がノンビリさせてくれない。増援が来る前に無力化したいんだ。

 土井達を睨み付けると、僅かに恐怖心で顔が引き攣っているのが分かる。此処までの実力差が有るとは考えてなかったのだろう、足も微妙に震えている。

 これは過大評価し過ぎたか?

 

「こっ、この化け物め!だが、だがコレならどうだ?跪いて詫びろ!」

 

 土井の強気な態度の根拠は懐から出した拳銃か。パッと見ではメーカー品番は分からないが、どうやらオートマチック式の拳銃だ。

 少なくとも装弾数は六発以上、確かに対人兵器としては最高だろう。

 だが僕の鍛え抜かれた筋肉の鎧に胡蝶の霊力をドーピングすれば、当たっても致命傷にはならない。

 勿論、頭部や心臓等の急所に何発も撃たれたら分からないが……

 

「素人が拳銃で人を撃てるのか?そもそも当たるのかい?」

 

 暫く無言で対峙していたが、名前も知らない男も懐から拳銃を取り出した。同じモノだな……

 

「ハッハッハ!二人だぞ、拳銃を持ってお前を狙っているのは!死にたくなければ言う通りにしろよな」

 

「全くだ、虚勢は時として滑稽でしかないぞ。野良犬らしく尻尾を股の間に差し込んで恭順しろ」

 

 強気な態度も分かるんだけど、そろそろ我慢出来なくなった。顔をガードして突っ込めば数発当たっても我慢出来るな。

 

『待て、正明。自動書記女が来るぞ』

 

「土井、楠木待ちなさい!」

 

 これで関係者は全員集合かな……

 




ストック尽きましたので3月からは毎週月曜日に更新とさせて頂きます。


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第219話

第219話

 

「待ちなさい土井、楠木!」

 

 走ってきたので息が切れて苦しい。漸く榎本さんの所に到着すれば、何と言う惨状。

 八人の男性が倒れていて榎本さんと対峙する二人の背中が見える。 榎本さん、土井と楠木、そして私達と直線で並んでいる。

 倒れた人を見れば呻き声を漏らしているので、生きてはいるみたいだわ。何となく見た事が有るかも?な連中ね。

 

「まさか、榎本さんが?って楠木、何を持っているの?」

 

 振り返った楠木の手にはテレビや映画で見慣れたピストルが握られている。

 

「答えなさい、楠木!何故、そんな危険なモノを持っているのですか?」

 

 ピストルなんて所持してるだけで犯罪なモノをまして人に向けてるなんて……

 

「ああ、巴様。それに御隠居様もいらしたんですか?この無礼な野良犬に教育を施している途中です。なぁ、土井よ」

 

「そうです。訳の分からない野良犬には過ぎた遺産ですからね。犬飼一族の一人を買収して情報を得たのです。

どうやら野良犬は順調に試練をクリアしている。奴に出来るのなら我々でも出来る筈ですからな。ここで退場して貰いましょう」

 

 悪役三下宜しく聞きもしない事まで喋ってくれたけど、これじゃ何一つ榎本さんに落ち度が無いわ。全て私達五十嵐一族の悪業……

 でも榎本さん、ピストルを突き付けられているのに平然としているし、周りに倒れている人達はどうしたのかしら?

 状況的に考えれば、榎本さんが倒したのよね?

 

「御隠居様、巴様、危のう御座居ます。我等の後ろへ」

 

 芝塚さんと東海林さんが強引に私達の前に出るけど、相手はピストルを持っているのよ、危ないわ。

 

「ふん、芝塚か……生意気な奴だ、我等を差し置いて重鎮気取りか?って馬鹿め、死ぬ気か!」

 

「全くだ、女の癖に生意気なっ、グハッ!」

 

 突然、榎本さんが両手で顔をガードして楠木に突撃したわ!楠木の腹を殴ったけど土井が、榎本さんに向けて至近距離からピストルを……

 ああ、肩と太股に当たった。服が弾けて血が舞ったわ!えっ?怯まずに土井の手をピストルごと掴んで捻ったわね。

 土井の人差し指が有り得ない方向に曲がっているわ。そのまま土井のお腹を蹴り上げて楠木の方へ突き飛ばした。

 位置が入れ替わったので榎本さんの背中しか見えないけど、両手にピストルを持っている。

 撃たれた肩と太股は平気なのかしら?慌てて榎本さんの隣に並ぶけど……

 

「ひっ?こっ、怖い……です」

 

 その場で尻餅を付いてしまったわ、余りの怖さに腰が抜けて……横から見た表情も恐かったけど、榎本さんの体から発する威圧感が怖い。

 あの目、アレは捕食者の、絶対強者の目だわ。榎本さんは左手に持っていたピストルを前ズボンのベルト部分に差し込んで、左手を傷口に当てた。

 肩と太股を軽く触っただけなのに、何故か出血が止まった?あれだけ滲み出ていた血が止まったみたい。

 

 思い出したわ、榎本さんの噂を……『自動回復装置付き重戦車』って霊能治療が出来るんだった。

 

 凄いわ、私達なんて全く眼中に無いのね。まさに化け物だわ……思わず呟きそうになった言葉を両手で口を塞いで飲み込む。

 だってピストルを持っている相手に躊躇せずに飛び掛かれるのが普通な訳が無いわ。

 そんな事が出来るのは亀宮一族でも亀様の防御特化の加護が有る亀宮様だけよ。

 でも、でも何か話し掛けないと、私達の本意では無かったと、敵対するつもりは無いと……

 

「我が一族の者が迷惑を掛けた、謝罪させて欲しい。本当に済まなかった」

 

 私が言う前にお婆様が榎本さんに謝罪した。芝塚さんも東海林さんも頭を下げている。恥ずかしいけど腰を抜かして動けないのは私だけ……

 

「五十嵐一族の総意では無いと信じろと?僕の掴んだ情報では一族の膿を炙り出す為に利用された、と。

この暴走は仕組まれていた。それなら五十嵐一族上層部の総意ですよね?」

 

 表情が見えない、淡々とした声、だけど隠し切れない怒りが分かる。バレてる、榎本さんにバレてますよ!

 私と初音様の予知なんかより全然未来を見通してるわ。

 いえ、予知なんてあやふやなモノなんて頼らずに情報と推測による結果を語っただけかしら……

 あははは、最初から私は疑われていたのね。

 

「とんだ道化役だわ……これで次期当主とか、お笑い草よね」

 

 思わず愚痴が零れる、結局私は踊らされていただけ。私のした事は無駄だったのね。考えると視界が滲んで……

 

「全ては派閥争いに絡んだ計略ですよね?貴女は僕に内緒で巻き込んだんだ。でも五十嵐巴さんだけが、彼女だけが、僕に対して真摯に接してくれた。

どう責任を取るのかは、言わなくても分かりますよね?」

 

 え?私だけ?思わず榎本さんを見上げたら目が合った、笑ってくれた。

 悲しみで溜まっていた涙が、嬉しさで流れ落ちた。化け物と言いそうになった私に、そんな私の努力を認めてくれていたんだ。

 

「勿論じゃ、ケジメは付ける。儂は五十嵐家当主の座を引退し、土井と楠木は家を取り潰す。そこに転がっている連中は五十嵐一族から放逐する」

 

「うん、それは貴女が思い描いていた通りの結末。そして次期当主の五十嵐巴さんと縁を結ばせようとした。それは貴女側のケジメと都合で僕には全く関係無い」

 

 ピシャリと言われた、ウッと詰まる思いだ。確かに何一つ詫びてもいないし罰もない。

 お婆様が引退しても榎本さんには何一つメリットが無いわ。殺されそうになったのに、五十嵐一族の内紛のダシに使われたのにだ。

 

「亀宮一族の御隠居衆から引退するのだぞ!これ以上の詫びは有るまい」

 

「確かに彼等は暴走したが、私達とは関係無いのですよ」

 

 芝塚さんも東海林さんも自分達は無関係で、責任は全て土井と楠木に押し付けるつもりなのね。

 絶望に染まる土井と楠木の顔が滑稽だわ。アレだけ啖呵を切ったのに、配下全員とピストルまで用意しても彼に負けた。

 もう再起は無理でしょう……

 

 だらんと垂らしている榎本さんの左手を掴んで起き上がる。

 起き上がろうとしたら、ゆっくりと腕を曲げてくれたから掴んでるだけで立ち上がれた。

 風巻姉妹の言っていた榎本さんの優しさが少しだけ分かったわ。私は偏見と畏怖と言う色眼鏡を通して彼を見ていた。

 噂は所詮噂なのに、踊らされていたのね。この人には中途半端な対応は駄目よ。

 彼の不興を買うのは、その先に居る亀宮様の不興を買うのと同じなの。榎本さんは根っこは優しいかもしれない、でも亀宮様は違うわ。

 

「芝塚さんも東海林さんも黙りなさい。我が五十嵐一族内の人事など榎本さんには無関係、意味が無いのです。

詫びとは相手に掛けた迷惑以上のメリットを提示する事です。榎本さん?」

 

 ああ、震えや恐怖心が無くなって清々しい気持ち。

 

「何だい?」

 

 巌つい顔に笑顔はギャップで可愛く感じるのね。本音は未だ少し怖いけど、本当に信じて良いのか決められないけど……でも今は彼を信じて行動しよう。

 

「希望が有れば何でも言って下さい。金銭でも助力でも術具や霊具でも、何なら私自身でも構いません。お詫びになるのでしたら、喜んで差し出します」

 

 あら、キョトンとしてから頬に赤みが……亀宮様の求愛をはぐらかしているって噂は本当なのかしら、シャイなのね?

 

「いや、それは……駄目だ。君はもっと自分を大切にしろよ、こんな訳分からんオッサンに身を任すとか馬鹿なの?」

 

 ふふふ、こんな小娘の言葉に慌てるなんて噂なんて信じちゃ駄目ね。冷酷非道で強欲な色魔とか全然違うじゃない。

 誰が酷い噂を流しているのか風巻姉妹と協力して調べてみようかしら?この人を亀宮一族から放しちゃ駄目だと思うから、対策を考えなくちゃ。

 

「勿論、私も亀宮様の不興を買う事は出来ません。なので榎本さんの愛人にはなれませんが、予知能力は提供出来ます。

私が五十嵐家当主を継いだら、亀宮一族序列五席の私は榎本さんの傘下に入ります。それで今回の不祥事を許して下さい」

 

 榎本さんの左腕を抱えて上目遣いにお願いする。

 

「それは断る。僕は派閥争いには関わりたくないんだ。それは若宮の御隠居にも言ってある。だから……」

 

 ふふふ、即断されたわ。でも五十嵐家を継いだ私が榎本さんに降る事に許可は要らないの。

 私が榎本さんの立場が悪くない様に動けば良いだけだから。

 

「分かりました、では金銭でお詫び致します。お婆様!」

 

「何じゃ、巴よ」

 

「榎本さんに現金で一千万円を払って下さい。勿論、使途不明金扱いですわ。不明瞭な現金の流れは榎本さんに迷惑が掛かりますから。

榎本さんも、それで良いですわね?」

 

 ニッコリと自然に笑う事が出来たわ。引き攣る榎本さんの顔を見るのが楽しい。本当に女性慣れしていないのかも。

 

「いや、一千万円は多いだろ?あんな連中を倒した位じゃ釣り合わない」

 

 十人からの、しかもピストルを持った連中に襲われたのよ。私なら、もっと要求するわ!

 

「口止め料込みと思って下さい。お婆様も宜しいですね?」

 

 渋々頷くお婆様を見て漸く今回の不祥事が解決したと思った。序列五席の五十嵐家は同じく序列七席の風巻家と一緒に榎本派になったわ。

 これで初音様の未来予知は、五十嵐一族の未来は良い方へと変わった筈よ。あっ?未来予知、そうよ土井達の事を忘れてたわ。

 

「しまったわ、土井と楠木が?」

 

 すっかり忘れていた、彼等の命が危険だったのよ!初音様の予知では、彼等が殺されそうだった筈よ!

 彼等を見れば、倉の扉の隙間から伸びたナニかに掴まれていた。

 

「なに、アレなに?何なの?」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 良く分からない内に五十嵐巴さんに纏められた。金銭的補償で今回の不祥事を収める事になったのだが、良い様に使われた感が否めない。

 若宮の御隠居とは一回膝を詰めて話す必要が有るな。僕の左腕を抱えている彼女を引き離そうとした時、彼女が何かを叫んで……五ノ倉のナニかが動き出した!

 惚けていた土井達の首にナニかが巻き付いている。半開きの扉から伸びているモノは人間の腕に酷似していた。

 そして先端の五本の指が彼等の首を掴んでいる。咄嗟に五十嵐さんを自分の後ろに移動させて左腕をフリーにする。

 

『胡蝶さん、アレが動き出したのかな?』

 

『そうだ、あの二人の精気を吸っているぞ。封印されていた分の栄養を補っているんだ。出て来るぞ!』

 

 カラカラに干からびたオッサン二人が崩れ落ちる。伸びていた腕が縮み倉の扉を掴んで、ゆっくりと開け始めた。

 奴は倉から出れるらしい……完全に扉を開けると白装束に残バラ髪の男が立っていた。

 ミイラの様に干からびていた身体は、若干痩せ気味程度に回復している。ボサボサの前髪の間から血走った眼が爛々と輝いているが、そこには敵意が伺える。

 誰が見ても友好的じゃないな。

 

「おい、お前!話し合うつもりは有るか?」

 

 話し掛ければ反応はする、顔だけ僕に向けたぞ。

 

「…………何故、我と契約せし一族の者が居ないのだ?」

 

『胡蝶さん、コイツもしかして犬飼一族の先祖と何か契約を交わして縛られてる系かな?』

 

『ふむ、分からんが何かしらの呪術的な繋がりは有りそうだな』

 

 犬飼の現当主は一ノ倉の試練で悪食に喰われた。大婆様は亡くなって残る血筋は小笠原母娘だけだ。

 だがコイツを魅鈴さんや静願ちゃんに会わせるつもりは無い。

 

「犬飼一族は、本家筋は残っていない」

 

「何だと?ならば何故、我を起こしたのだ?」

 

 やはりだ、何かしらの契約が有るらしいが彼女達にとって益が有るとは思えない。この場で始末するか。

 

「最後の当主の遺言さ、倉の試練を受けてくれってね」

 

 そう言うと奴はニヤリと笑った。試練とは奴を倒せとか何かで、奴は返り討ちにすれば自由になれるとかかな?

 



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第220話

第220話

 

 五ノ倉に封印されていた妖(あやかし)が五十嵐一族の暴走した二人の精気を吸って復活した。

 僅かな会話から犬飼一族の末裔と何かをするらしい。だが大婆様は亡くなり現当主は悪食に喰われた。

 犬飼一族に連なるのは小笠原母娘だけだが、奴と接触させても良いのか?

 

「おお……居るではないか……犬飼の血筋が!」

 

 僕には反応出来ないスピードで右腕を伸ばし、置物と化していた爺さんの顔を掴む。

 

「む、むむむ。薄い、血が薄いぞ!これでは我を縛る契約を解除出来ぬ」

 

 有罪決定!

 

 コイツは自分を縛る契約解除の為に犬飼一族の血を求めている。試しに右手に持つ拳銃で奴を撃つ!

 距離は8m、胴体に六発全弾命中したがダメージは少なそうだな。数歩よろけただけだが、爺さんは離した。咳き込んでいるが生きてはいる。

 

「コイツの相手は僕がする!五十嵐さん達は離れろ!」

 

 弾の切れた拳銃を投げ捨て、腰に差していた特殊警棒を引き抜く。軽く振ればシャキンとした金属音と共に全長70㎝艶消し黒色の相棒が姿を現す。

 

『胡蝶さん、どうしよう?』

 

『ふむ、伸びる腕は厄介だが掴めば喰える。我との相性は良いな、ただの贄でしかない』

 

 頼り甲斐の有る暖かいお言葉を貰った。

 

「クハハハハ!笑わせるな人間、お前も食ってやろう」

 

 テンプレな台詞を貰ったが、コイツが封印されていた理由ってなんだ?何故、霊的遺産の詰まった倉に居るんだろう?

 いや、今は考えるな!

 

「たかが贄の分際で笑わせんな!」

 

 伸ばして来た腕を右手に持つ警棒で払う。奴は鞭の様に腕をしならせないと伸ばせないみたいなので攻撃が予測し易い。

 腕を振り上げて、振り下ろす時に肘から先が伸びるんだ。だが伸びた腕もしなるから中のとう骨とか尺骨とかがどうなってるのか疑問だな。

 

『正明、余計な事は考えるな!』

 

『む、すいません。人体の神秘について考えてしまいました。いや妖(あやかし)のか……』

 

 片手じゃ不利と思ったのか両手を伸ばして来た。

 特殊警棒では片方しか払えず、もう片方の腕が僕の首を絞めるが、鍛えに鍛えた筋肉の鎧を纏った太い首だ。簡単には掴めないだろ?

 

「捕まえた!」

 

 左手で掴んだ瞬間、奴の腕が干からびた。干からびながら本体に伸びていくが、奴は自分で捕まれていた腕を手刀で切り離す。中々の判断と反応だな。

 

「きっ貴様、何者だ!俺が食われるだと?」

 

 肩からバッサリ切り離したが、出血もないし切断面も赤黒いだけで骨が見えない。

 

「「助太刀します!」」

 

 僕の両脇に並ぶのは五十嵐一族の精鋭なんだろう。東海林さんだっけ?が懐から御札の束を取出し空中にバラ撒く。

 半紙で出来た梵字の書かれた御札が空中に広がって、奴に向かって飛んで行く。

 

「おお、御札ファンネル!凄いな、初めて見た」

 

 重力を無視して奴に飛んで行き身体中に貼り付く。全ての御札が貼り付いた後、御札が燃え上がった。

 青い炎に包まれたが、不意に炎は消えたぞ。奴にダメージは無さそうだが、かなり怒ってる?

 

「お前、陰陽師か?嫌な事を思い出させやがって!」

 

 無事な左腕を伸ばしてくるが、特殊警棒で払う。

 

「舐めんな、糞がぁ!」

 

 自ら切り離した腕を再生しやがったぞ。切断面から伸びた赤黒い肉の束が絡み合い新しい腕を作り出した。

 

「へー……自己再生出来るんだ、凄い便利だな」

 

 蜥蜴の尻尾みたいで便利な能力だ。だが僕にとっては有り難い、兎に角掴めば良いのだから。

 

「糞がぁ!女から先に死にやがれ!」

 

 両手を振り上げて、恨み言を言って振り下ろす。奴の両手は僕の両側の女性に向かい、僕は奴に向かって走り出す。

 特殊警棒を奴の顔に投げ付け、背中に隠し持つ大型のナイフを抜いて伸びた両手を切り離した!

 特殊警棒は顔を横に傾げる事で交わしたが、真っ直ぐ心臓に突き出されたナイフは躱せない。深々と突き刺した後で奴の顔を掴む。

 

「ま、まま待て、待ってくれ。誓う、お前の剣となり盾となり、てっ敵を倒す!だから……」

 

 残念、小笠原母娘の安全の為にも悪いが倒しておく!

 

「貴様に慈悲は無い」

 

「ちょ、おま……ウギャー!」

 

 メキョメキョと嫌な音を立てながら奴は胡蝶に食べられた。

 

『ふむ、マァマァだな。だが久し振りの妖(あやかし)は旨かった。最近は怨霊やら餓鬼やら不味いモノばかりだったぞ』

 

『この試練が終わったら古戦場巡りの約束だろ?奴は倒したけど、五ノ倉に入るから宜しくね』

 

 振り返って見ると悶絶していた男達は這いずって逃げ出し犬飼の爺さんズは座り込んでいる。

 まぁ身内に裏切り者が居ると言われたからな、茫然自失も仕方ないか……五十嵐巴さんはぎこちない笑みを浮かべ、老婆と熟女は僕を警戒している。

 

「僕は五ノ倉の中を調べますから、皆さんは離れて下さい。五十嵐巴さん、後は宜しくお願いします。

その這いずってる連中と、犬飼一族の裏切り者は捕まえて下さいね」

 

「はい、分かりました。御武運を……」

 

 ペコリと頭を下げられた。開け放たれた観音開きの扉の前に立って中の様子を伺う。

 奥に恒例の文机が鎮座しているが、多分六ノ倉の鍵だろう。一歩だけ倉の中に入り悪食に調査を頼む。

 外の連中からは見えないが、僕の足元から沢山のゴキブリが倉の中に流れ込む。

 

 暫く待つが何も無い様だ……文机まで近付くと六ノ倉の鍵と割れた櫛が置いてあった。

 

「櫛?だよな、何故割れてるのかな?」

 

『この櫛が奴との契約の媒体だな。奴が倒れたので媒体たる櫛も割れたのだ。

多分だが正当な犬飼の後継者なら、奴を打ち負かした後に使役出来たのかも知れん。まぁ喰った後だから本当に後の祭りか……』

 

 胡蝶さん、アイツは最初から殺す気満々で試練の内容とか説明する気が無かったですよ。

 試練が杜撰過ぎるんだよな、もしかしたら言い伝えとか古文書とか有るのかも知れないが、倒したら使役霊候補だったとかさ。

 もしかして試練って本当に戦って力の底上げをする敵を用意して倒せばご褒美か?

 

 まさかな……苦笑いを浮かべて櫛と鍵を取って外に出る。アレ?未だ全員居ますね……

 

「僕は六ノ倉の試練を受けに行きますが、手の内を見せたくないので倉から離れて貰えますか?」

 

「榎本さん、人が二人も死んだんですよ。何を平然としてるんですか?」

 

「そうです。一緒に対策を練らないと大事になります」

 

 熟女二人が僕を非難しているが、何だかな……婆さんは黙りで五十嵐巴さんは慌てている。

 

「最初から彼等が死ぬのは貴女方の想定の内でしょ?本来なら僕に返り討ちに遭うのが理想だった。

彼等は組織には不要で、傷付けられれば僕に負い目を感じさせられる。

だが今回は違法な拳銃まで使って脅迫、ましてや他の霊能力者の一族の本拠地に不法侵入。

かの一族の遺産を勝手に強奪しようとして返り討ち。そして妖(あやかし)に殺された。

で?大変でしょうけど僕が何をすれば?警察呼びましょうか?不審死を遂げた二人は拳銃強盗です、と証言すれば良いですか?」

 

 正論をかざせば殺人事件だから警察に委ねる問題だ。

 

「いや、その……しかし……」

 

「それは意地の悪い言葉ですよ」

 

 表沙汰にしたくない、でも被害者も隠蔽工作に巻き込みたい。そんな感じかな?

 

「五十嵐の御隠居様」

 

「何かな?」

 

 この中の最高権力者と話をつけないと面倒だけが降り掛かってくる。だが未来予知が不気味だ、僕の考えや対応を見透かしていれば全ては茶番劇だからな。

 五十嵐巴さんを見れば慌てては居るが悪意や申し訳なさは無い、つまり罠は無いと考えて良いと思う。

 アレだけ一族に裏切られてピエロを演じさせられたのに、僕の秘密を未来予知で知って婆さんに教えていれば、もっと違う反応が有る筈だ。

 

「最初から殺される予定だった連中の隠蔽工作の準備は出来てるでしょ?被害者の僕を巻き込みたいのは分かるが、僕は公にしても構わない。

亀宮さんが僕と五十嵐一族を天秤に掛けて、どっちが傾くかに賭けましょうか?下らない交渉は五十嵐巴さんの努力を無駄にしますよ。

はっきり言いましょう、貴方達は敵一歩手前です。五十嵐巴さんに配慮するだけの為に我慢しています。

保身だけを考えるなら、僕は亀宮さんを押し倒すだけで良い。または伊集院や加茂宮を頼っても良い。当然、対亀宮の急先鋒に立たされるが……」

 

 皺くちゃな糸みたいな目を見開いた。まさか個人が五十嵐一族に強く出るとは思わなかっただろう。

 今までの対応は比較的に穏便に済ませていた。そんな僕が、あからさまな脅しを掛けるとは思わなかっただろう。

 確かに僕には守るべき人が多い。

 本来は対組織に個人が強気の突っ跳ねは、彼女達をも危険に巻き込んでしまうのたが……下手に出ても穏便に済ませても結果は一緒だ。

 

「もう結構です。重ねてお詫び致します。今回の件は我々だけで対処し榎本さんに迷惑は掛けません」

 

 言質を取ったが、もう一押し念には念を入れておくか……

 

「僕と僕の周りの人達に害を為すなら、分かりますよね?あの無様に地を這う連中にも徹底しておいて下さい、僕等には構うなと。

彼等の毛髪は採取したし貴女達も直接見る事が出来た。もし僕等に何か有れば問答無用で呪殺します」

 

『胡蝶さん、霊力を婆さんと熟女達と寝転んでる男達に叩き付けて!』

 

『ヤレヤレ、この場で皆殺しにすれば楽なのに面倒な事だな』

 

 巨大なプレッシャーに引き攣る女性陣と更にピクピクと痙攣してる男達。

 

「あの、榎本さん?」

 

 プレッシャーを当てられてない五十嵐巴さんが、おずおずと近付いてくる。彼女は殆ど被害者だからな、一族繁栄のダシに使われた。

 でも今回の件の詳細は未来予知で分からなかったのか?

 

「何ですか、五十嵐巴さん?」

 

 若干引き気味だが、この中では彼女が僕と上手く付き合う様にしなければならない、五十嵐一族の為に。

 だから嫌々でも頑張るんだろうな。

 

「呼び方ですが、巴と呼んで下さい。フルネームでは恥ずかしいですわ」

 

 ウッと返答に詰まる。前も思ったが彼女は大人しそうな容姿だが、意外に押しが強い。

 だが亀宮さんも桜岡さんも名字で呼んでるのに、彼女だけ名前を呼ぶのは……あれ?阿狐ちゃんや一子様は下の名前だ。

 いや阿狐ちゃんは伊集院さんと呼んでたっけ?

 

「それは無理。では僕は六ノ倉に行くから、後は宜しくね」

 

 軽く手を振り多分だがボーナスステージだろう六ノ倉に向かう。残り三つ頑張ろう!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お婆様、もしもの時の準備とは?あれだけ私がお願いしたのに彼等を亡き者にする予定だったのですね?」

 

 榎本さんが撃ち終わり捨てたピストルを拾う。彼の指紋が付いていたら要らぬ誤解を受けるので丁寧にハンカチで拭き取る。

 

「いやはや殺されるかと思ったぞ。何だ、あの霊力の凄さは……成る程、亀様が懐くわけじゃな。

伝承によれば亀宮様の番いは亀様に認められた者。つまり亀様より強い者か……」

 

「亀様よりですか?つまり我々とは次元が違うのですね……お婆様、先ずは犬飼の方々と話し合いを。皆さん此方に集まってますわ」

 

 犬飼一族の方々は我々亀宮と同じ御隠居衆がいらっしゃるのかしら?全員が高齢の方々ですわ。

 先ずは此方も謝罪と補償よね、一族から内通者が出たとはいえ私達が或いは榎本さんが来たからとか言いだすかも知れないし……

 此処は榎本さんに迷惑が掛からない様に円満解決しなきゃ!ノシノシと次の試練に向かう彼の背中を見て思う。

 

 やっぱり怖い、その存在が異質……亀宮様も同等の異能力者なのに比較にならない程怖い。

 

 理性では敵対しなければ有能なパートナーと分かってても本能が畏怖の対象と感じてしまう。

 

『一人になったら初音様と相談しよう。どうしたら榎本さんと良き関係を築けるのかを……』



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第221話

 六ノ倉まで辿り着いた。

 

 試練(悪食)・ご褒美(指輪)・試練(式神符)・ご褒美(扇子)・試練(妖)と続いたからご褒美だろう。

 念の為、胡蝶に内外の警戒を頼んでから鍵を開ける。五十嵐一族も犬飼一族も、こうなってはイマイチ信用に欠けるからな。

 ガチャリと重たい閂が抜けて錠前が床に落ちる。そして重たい観音開きの扉を少しだけ開けて中の様子を探るのだが……

 

『ふむ、霊的な罠は何もないな。今回は内側に御札が貼られているが前回とは種類が違うみたいだな』

 

 新しい御札か、調べれば性能や価値が分かるだろうか?あの婆さんお付きのオバサンが御札をファンネルみたいに飛ばしてた。

 お詫びに教えを請うか?今回集めた御札は見せずに自分で調べたいけど、流石に独学は無理だから初歩は誰かに教えて貰いたい。

 最初から全て独学は無理だ!

 

『そうだな、我が覚えるから直ぐに不要な師となるがな』

 

 胡蝶が生徒なら直ぐに教わる事も無くなるか……僕だけなら劣等生間違い無いけどね。念の為、更に悪食の眷属を倉の中に入れる。

 自分の足元の影から大量の黒い不快昆虫が湧き出す様は他人には見せられないな……どんな徒名(あだな)が付けられるか分かったモンじゃないぜ。

 暫く待つと反応が有ったので視界を共有するが、当たり前だが真っ暗だ。

 隙間からマグライトで倉の中を照らすと視界も明るくなった。暫し場所を調整する為にマグライトを上下左右に動かす。

 

 漸く良い場所を照らせたのか、目を凝らして見ると弓だ……和弓が引き絞った状態で見える。

 扉を完全に開けると仕掛けが作動し矢が飛んでくるのか?滑車と荒縄も見えるが、良く劣化せずに弓を引き絞った状態で残ってたよね。

 でも何故、六ノ倉で殺傷能力の有る罠を仕掛けたんだ?共有した視界を操作しグルリと見回せば仕掛けられ引き絞った状態の弓は三ヶ所、他には罠は無さそうだ。

 

『む、ヤジリに何か付いてるな……』

 

 悪食を通して眷属を矢の先端に行かせる。

 

『胡蝶さん何だろ?毒の類かな、既に水分が飛んでカピカピ状態だけど……黄色いね』

 

 蜂蜜と紙粘土を混ぜて固めた様な感じだ。

 

『ふむ、今回は我が調べてこようぞ。何か気になるのだ……』

 

 そう言ってモノトーンの流動体となり倉の中に入り込んでしまう。そして瞬く間に眷属と共有している視界に入り込む。

 人型になると引き絞った状態の弓から器用に矢だけを外す。その際にビュンって風を切り裂く弦の音が聞こえてきた様な気がした。

 

『もう大丈夫だ、入って来い』

 

『有り難う、胡蝶さん』

 

 念の為に体を扉の影に隠しながら全開にする。中に入ると何時もの文机が有り、上には七の倉の鍵と折り畳まれた手紙かな?

 それと三角に折った和紙の上に翡翠の勾玉が数個置いてある。胡蝶さん矢の先端を調べていたが、飽きたのか飲み込んでしまった!

 上を向いて口を開けて矢を飲み込む姿は、奇人変人コーナーの出演者みたいだ。

 最近は全裸じゃなくなったので一安心、古代中国のお姫様みたいな衣装か巫女服のどちらかが多い。

 

「えげつない毒だな……霊的な罠では無かったが、当たれば死ぬぞ。犬飼一族の先祖は何を考えて試練と言う倉を造ったのだ?」

 

 食べたから矢の毒の成分が分かったのかな?

 

「あの五ノ倉の妖も鍵を使い開けたにも関わらず最初から殺しに来たからな。

普通試練なら『俺に勝てば使役霊となろう!』とか前振りが有ると思う。コレを用意した先祖の目的が分からないね?」

 

 先祖が子孫に残すには不可解な部分が多い、多過ぎるだろう。

 

「その秘密は手紙に書かれているかもしれないな。ふむ……成る程……」

 

 暫く手紙を読んでいた胡蝶さんが興味を無くした様に文机の上に投げ捨てた。おぃおぃ、一応犬飼一族のご先祖様の手紙だろ?

 

「正明、この試練だが本番は次の二つの倉らしいぞ。今までのは篩(ふるい)に掛けられたのだ。

この手紙には『我が子孫よ、本当の試練はこの先だ。

五ノ倉の妖で苦戦したのなら諦めろ、この先に挑めば死ぬ事になるだろう』みたいな事が書かれている。

思えば一族の秘宝が、あんなショボい物とは考えられないからな」

 

 確かに指輪に扇子は霊具としては微妙だが、悪食は有能だぞ。いや、悪食も一番最初の篩(ふるい)かも知れないな。

 だから五ノ倉の妖は最初から犬飼の血筋を殺しにきたのか……犬飼一族の誰かが倉に入ったら、その者を襲え。

 その血がお前を縛る契約を破棄するだろう的な?

 

「時代の違いか考え方が違うのか、より強い子孫を残す為の手段にしては狂ってると思うな。

これじゃ自分の子供達を蟲毒に組み込んで、殺し合わせる先代加茂宮の当主と変わらない」

 

 腹違いの我が子達を共食いさせる考えが異常だろ!

 

「名を継ぐとは簡単ではないのだ、正明。我には理解出来るぞ、我との盟約を思い出させる為に……」

 

 両親と爺さんを殺した、と言わせない為に胡蝶の口に人差し指を当てる。

 

「もう済んだ事だ、済んだ事だよ。さて、残り二つが本番らしいが受けるかい?」

 

 そのまま胡蝶を抱き締める。魂のレベルで交じり始めたのに肉体は分離したままってのも不思議だ。

 もっとも胡蝶にとって今抱き締めている肉体は仮初めのモノらしいがね。

 

「む、そうか……そうだな。勿論残り二つの試練は受けるぞ。我と正明の力の底上げにはなるだろう。なに大丈夫だ、お前は我が必ず守るからな」

 

 しんみりとした雰囲気になってしまったな。両親と爺さんの件は自分の中で折り合いは付いたので蒸し返す必要はないんだ。

 僕は既に胡蝶と交じり合っているのだから、今更なんだよな。

 五分程抱き締めていたが、仄かに香る髪の匂いとか体臭とかでクラクラしてきたから身体を離した。

 危うく十八禁のノクターン直行になる所だったぜ、反省。

 

「正明、この勾玉だが面白い性質を持ってるぞ。霊力を雷に変える事が出来そうだな」

 

 僕の気持ちなど関係無く剥がした御札と勾玉を調べていた胡蝶が、何かを発見したみたいだ。

 でも霊力って雷に変換出来るモノなのか?でも何処かで聞いた事が有るぞ、有名な話だった様な……

 

「正明、この三つの勾玉をこう並べると見覚えは無いか?」

 

 文机の上の和紙に勾玉を並べて僕に見せる。

 

「ん?ああ太鼓に描かれる巴紋と似ているね」

 

 確かに雷神様の背中に背負ってる太鼓の模様に似ている。

 

「そうだ、本来太鼓に描かている巴紋とは雷を表しているのだ。

頭と呼ばれている丸い部分が打点で、叩く事によって発生した轟音(雷)が飛んでいく方向が尾なのだよ。つまり、この勾玉を三つ並べて霊力を流すと……」

 

 胡蝶の掌に乗せた勾玉がバチバチとスパークした!

 

「つまり自家製スタンガンみたいな物か……でも霊に電気って通用するのかな?これも微妙なお宝だぞ、使い道が対人のみって」

 

 勾玉を弄りながら黙って考える胡蝶さんを見詰める……

 

「一応調べて不要なら我が食らうぞ、少しは力の足しになろう。だが手袋に仕込めば隠し武器になるぞ、込める霊力の量で威力が増減する」

 

 成る程、現代のお金で買えるスタンガンと変わらない能力なら食べて力の底上げをした方が良いかもな。

 だけど僕の除霊スタイルが変わるのか、いや余り変わらないのか?右手は勾玉の力で電撃、左手は胡蝶の力で吸引か……

 

 ザ・ハンドとか言わないと駄目かも?

 

 胡蝶は曰く品とかを食べるとパワーアップするし、彼女のパワーアップは交じり合ってる僕にも恩恵が有る。

 恥ずかしい徒名(あだな)が付きそうなら胡蝶に食べて貰いましょうね?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 六ノ倉を出ると太陽が真上に近かった、思った以上に時間が経っていたんだな。

 空腹具合から11時過ぎだろうか?見回すと誰も居ないが知らない車が四台も増えている。

 全部千葉ナンバーって事は五十嵐一族の関係者で、事後処理部隊って事か……レガシィにシーマ、それにエスティマが二台ね。

 死体を運んで処理する部隊だと思うが、結構な人数が来てるのだろう。

 

 犬飼一族との交渉や生き残った連中の対処とか忙しいだろうし……

 

「昼飯、どうしようかな?今は犬飼の爺さん達も忙しそうだし、一旦麓まで戻ろうか……」

 

『ふむ、空腹だと正明のテンションが下がるし一旦麓まで戻るのも止む無しか……』

 

 どちらにしても一声掛けておかないと問題になりそうなので、母屋の方に顔を出しておくか。

 戦利品の勾玉と割れた櫛、それに剥がした御札をポケットに突っ込む。

 御札は折らずにジップロックに入れて勾玉は各々ハンカチで包んだ、櫛はそのままだ!

 手入れのされた庭を通ると立派な和風建築に辿り着く。じっくり眺めた事は無かったが、ここも300年の歴史を持つ古(いにしえ)の霊能一族なんだよな。

 山中故に戦災も逃れたのだろう屋敷に倉は建設当時から手を加えた場所は少ない、窓位だろう。

 庭から玄関口に回り引き戸の玄関扉を開けて家の中に声を掛ける。

 

「すみませーん、誰かいますかー?」

 

「はーい、あら榎本さん。六ノ倉の試練は終わりですか?」

 

 何故か五十嵐巴さんが廊下の奥から出て来た。それに陰陽師の……誰だっけ?

 名前を聞いた記憶が無いオバサンも後ろに控えているが護衛か?

 

「ええ、残り二つの試練に挑む前に早い昼食を食べに一旦麓まで戻ります。一応お知らせしておかないと心配するかと思いまして……」

 

 途中何軒かファミレスや個人経営っぽい中華食堂が有った、ラーメンに餃子にライス大だな。

 

「もう六ノ倉の試練をですか?その……いえ、何でもないです、お疲れ様でした」

 

 凄く微妙な顔をされたが、彼女達は五ノ倉みたいな試練が六ノ倉にも有ると考えているのだろう。

 実際はボーナスステージみたいなモノだったけどね。

 

「榎本さん、そのポケットから覗いているビニール袋の中身ですが……微弱な力を感じますが御札でしょうか?」

 

「東海林さん、何を言いだすのですか!」

 

 陰陽師は東海林さんって言うのか。でも御札の存在を気配で感じられるとは凄いな、流石は陰陽師、自分の武器には敏感なのか……

 

「はい、そうです。では一時間半位で戻れると思いますので」

 

 いずれ教えを請いたいが、今はこの御札の存在を知られたくはない。

 効果は分からないけど300年も前の御札だし、現代に伝わってない技術かも知れない。

 実際に納められていた指輪や扇子等の宝より、それを守る為の御札の方が価値が高そうとは皮肉だよね。

 

「それは……試練で手に入れた物では有りませんか?

すみません、詮索するつもりは無かったのですが、榎本さんは愛染明王の御札を使われていた筈です。

ですが、その御札から感じる気配は違います。私でも知らない術の構成を感じます」

 

 目がね、ギラギラして此方を掴み掛かる様に前屈みになっている。彼女は知識を貪欲に求めるマッドなタイプかも知れないが……

 

「何故そう思うんですか?正直僕には違いが分かりません」

 

 カマを掛けられているのかも知れない、なんたって未来を予知する一族らしいし、結果を知って誘導している可能性も有る。

 

「その御札は効力が常時発動型です。だから分かるんですよ。しかも継年劣化を緩和させるタイプと思います。

同種の御札も出回ってますが、その構成は私でも見た事が無いです」

 

「東海林さん、もうその辺で……榎本さん、分かりました。ゆっくり外食をしてきて下さい」

 

 五十嵐巴さんの取り成しで何とか諦めたみたいだが、犬飼一族の遺産の中に昔の護符や御札が有ったと知られたな。

 その筋の連中から何らかの接触か交渉が有りそうだな、面倒事が増える一方だ。会釈して玄関を出ようとすると婆さんから声を掛けられた。

 

「巴よ、榎本さんと一緒に食事をしてくるが良い。東海林、護衛を頼む。

榎本さん、申し訳ないですが巴には未だ見せたくない裏の事後処理ですので暫くの間、巴をお願いします」



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第222話

 何故か五十嵐巴さんと東海林さんと食事に行く流れになった。

 車は黒のベンツだが、コテコテの金持ち車だから注目を浴びるんだよね……

 お嬢様が食べるならば個人経営っぽい中華食堂は却下、ファミレスだって微妙な線だ。

 

 僕のラーメンライスに餃子の夢は潰えたか。

 

 東海林さんに運転を任せて後部座席に並んで座る、やっぱり落ち着かない。

 窓の外を見れば未だ緑が沢山見えるが、もう少し走れば麓なので農村風景が見えるだろう。

 携帯電話を取出し周辺のグルメ情報を検索、クチコミ情報をチェックする。

 

「行く宛てが有るなら良いのですが、無ければ幾つか候補が有りますよ」

 

「行った事は有りませんが、行きに見掛けたレストランが近くに有りましたよ。確か……手打ち蕎麦の藪蓑(やぶみの)でしたか」

 

 藪蓑(やぶみの)か……確かにデカい看板が道路添いに有ったな。名前を入れて検索するが、クチコミ評価が平均3.2と低いな。

 

 クチコミ内容を読めば……

 

『食事処で禁煙と喫煙を分けてない。蕎麦は二八で普通だが汁が薄くパンチが無い。

天麩羅も田舎を意識してか山菜が多いが、熱々が出て来ない』

 

 うん、僕も嫌煙家じゃないけど物を食べてる脇で煙草を吸われるのは嫌だな。

 

『観光地の高くて不味い店だ、もう行く事は無いな』

 

 却下だな、他を探そう。

 

「榎本さん、意外に携帯を活用してるんですね。私、スマホに替えてから操作が慣れなくて……」

 

 控え目に僕の手元を覗いてくる彼女に、初期の頃の桜岡さんや亀宮さんを思い出す。

 今では腕を組む位に密着してくるんだよな、気を許してくれているのは嬉しいが生々しい胸のボリュームが苦手なんだ。

 

「手っ取り早い情報収集の方法ですからね。勿論全てを信じませんが方針を決める手助けにはなります。

例えば藪蓑(やぶみの)ですが非常に評価が低い。だから他を探してます。例えば……この店とかどうですか?」

 

 携帯電話の画面を彼女に見える様に向ける。

 

「田舎レストラン田吾作ですか?面白い名前ですね」

 

 クスクス笑う表情は随時と幼く無防備だ。

 

「流行りの無農薬野菜に養殖のヤマメやイワナ、珍しい猪肉や鹿肉も食べさせてくれますよ。午後に備えてガッツリ食べたいんですよ」

 

 先ずは腹ごしらえが大切だからね。

 

「分かりましたわ。東海林さん、田舎レストラン田吾作です、カーナビに入力して下さい」

 

 彼女がカーナビ入力してる間に僕は予約を入れる為に電話を掛ける。そんなに時間は無いから待つのは嫌だし……

 

『はい、田舎レストラン田吾作です』

 

「すみません、これから三人入れますか?出来れば個室が有れば……」

 

 残念ながら個室は無いが、お座敷は屏風で他席からは仕切られているらしい。

 取り敢えず要予約の鹿肉の刺身、それと牡丹鍋を頼んでおいた。

 鹿肉を生の刺身で食べさせる店は少ない、もしかしたら関係者が猟師かも知れないな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「女性陣二人には陣屋御膳を僕は田舎おにぎり定食を三つ、飲み物は烏龍茶をピッチャーで、それと予約していた牡丹鍋と鹿肉の刺身を三人前、急いでね」

 

 国道から少し脇道に入った所に田舎レストラン田吾作は有った。

 合掌造りで屋根は銅板、緑青(ろくしょう)色に錆びていて一見神社みたいな外観だが築年数は余り経ってないな。 

 案内されたのは屏風で仕切られた掘り炬燵の座敷だが六人座っても余裕が有りそうだ。

 当然だが五十嵐さんと東海林さんが並んで向かい側に座る。

 

「あの、沢山お食べになるのですね。聞いていましたが三人前って、おにぎりが九個ですよ」

 

「写真で見ると牡丹鍋ってボリュームが凄いが私も巴様も一般的には少食の部類なんだが……」

 

 食べ切れないと心配しているのだろうか?

 

「ん、平気だよ。僕は食べ物で霊力を補充してるから。それに残り二つの試練が本番だ、最初の六つは小手調べにもならない」

 

 店員さんが烏龍茶と鹿肉の刺身、それと各定食に付く山菜天麩羅と苳味噌を持って来た。赤身の刺身は臭みを消す為に生姜醤油で食べる。

 

「あの妖(あやかし)がですか?アレは五十嵐一族の実行部隊が総出で当たるランクですよ。私の浄火札をモノともしなかった」

 

 鹿肉の刺身はマッタリとしてコクが有って旨いな。キンキンに冷えた麦酒が飲みたい。

 東海林さんへの説明が面倒臭いので例の手紙を渡す、陰陽師なら古文位は読めるだろう。 

 彼女が手紙を読んでる間に牡丹鍋の準備が整った、ガスコンロが設置され鍋が火に掛けられる。

 牡丹鍋は既に完成品を温めながら食べる方式だ。

 

 五十嵐さんが取り皿によそってくれる、大盛りだ!

 

「成る程……確かに残り二つが本命ですね。やはり300年も前に、あの倉は造られたのね。300年も前に……」

 

 タンポポの天麩羅って初めて食べたな、他には芹(せり)・奈瑞菜(なずな)・ウド・茗荷(みょうが)に蕗の薹(ふきのとう)か……

 収穫時期がバラバラなのは保存してるのか?メインの料理が並ばれて行く。

 陣屋御膳はヤマメの刺身と焼き物、僕は当然おにぎりだ。具材は苳味噌・梅干し・高菜漬けかな。

 

「嘘ですよ、一ノ倉の試練だって過去に亀宮様が挑んで逃げ出したと聞きます。そんなレベルが小手調べなんて……」

 

 よそって貰った牡丹鍋を食べる。猪の肉は白身が少なくヘルシーだが多少の臭みが有るな、味噌で消していて気にならない程度だけど。

 

「勿論準備万端で挑みますよ。六ノ倉で苦戦しなかったなら僕の力でも十分通用するのでしょう。大丈夫だと思います」

 

「大丈夫って……そうですね、榎本さんの未来は自動書記で今回無事に試練を達成したと出てました。でも心配位はさせて下さい」

 

 ん?僕の未来を見ただと?アレ?未来予知って秘密が多い僕にはヤバくね?

 

「ふーん、自動書記って何処まで分かるの?前に聞いたのは試練は三つ、そして黒だったよね」

 

 鹿肉の刺身を食べながら、さり気なく聞いてみる。詳細まで分かるのか、大筋だけなのか、映像なのか、文字だけなのか……

 自動書記って位だから文字だけと思うけど、それも嘘かもしれない。

 

「えっと、その……アレです。当然にですね、こう何かが降りてくる気がする時に筆を持つと……サラサラって書けるんです」

 

「巴様は人前では無理だし狙って未来を予知も出来ないのだ。大体三割位で五十嵐一族に関する事を予知している」

 

 吃(ども)る五十嵐さんに淀(よど)み無く答える東海林さん。だが怪しい、特に人前では駄目って所が。

 現実的に予知した内容は正しいのだが方法が特定出来ないんだよね。

 

「ふーん、そうなんだ。あと30分位で出発しようか?此処は良質の葛(くず)が採れるらしいから、デザートに葛切り頼もうか?」

 

 深入りは危険だな、この話題は止めよう。予知は五十嵐一族の根幹らしいし、無用な詮索は双方に良くない。

 東海林さんが警戒してるのが分かり易いし……

 

「あの……榎本さんは予知とか気になりませんか?」

 

「うん、余り気にならないかな。確かに何が起こるのか分かるのは大きなアドバンテージだよ。

でも例えば野球で打者に『次に外角高めのストレート150㎞です』っていわれても基本的な能力が無ければ対処出来ないでしょ?

まぁ極論だけど自分で何とかすれば良いじゃん、それが普通なんだし」

 

 これは半分嘘だ、未来予知は凄い能力だ。何たって先に情報を得られたら準備が出来るからね。

 さっきの言葉も事前に知ってれば打てる打者を用意すれば良いんだ。

 

「私は、この能力を得てから他人は誰も私を利用しようと考えていると思ってしまいました。実際に襲われた事も有ります。

でも真正面から要らないと言われたのは初めてで新鮮ですね。榎本さんの前では私は自意識過剰みたいだわ」

 

「いえ、巴様の御力は素晴らしいのです!五十嵐一族には何代かおきに、色々な方法で未来を知る事が出来る当主が現れるのです」

 

 やはり一族の特質みたいな物か、そして一族の連中はその力を信奉しているっぽい。

 だが使い方がイマイチなのか、そこまで有効じゃないのか……ガッツリ未来が予知出来るなら、五十嵐一族はもっと勢力を伸ばせるんじゃないのかな?

 曖昧な笑みを浮かべて東海林さんの熱弁を聞き流す。

 多分だが自動書記は嘘で何かしらの方法で未来を予知しているが、精度は低そうだ、彼女が一族の捨て駒を助け切れなかった事で分かる。

 

「そろそろデザートを頼みましょうか?」

 

 テーブルの上の料理が粗方無くなった頃に声を掛けて呼出しベルを押す。直ぐに店員さんが現れて注文を聞いて空の皿を片付けてくれる。

 

「榎本さんの御札ですが、見せては貰えませんか?いえ、良ければ譲って下さい!百万円、いや三百万円払います」

 

 凄い真剣だけど失われた技法って凄い価値が有るんだろうな、今なら独占出来るんだから。

 胡蝶も言っていたが解析しなきゃ駄目らしいし、それが出来ると見るべきか……

 

『胡蝶さん、彼女って有能なのかな?霊力はそれなりに感じ取れるけど……』

 

『む、そうだな……霊力は並みだが体中に仕込んだ札からは強い力を感じる。

左右の袖の中、腰と両足太股に束ねた札を感じるぞ。後は鞄の中に大量に入ってるな。あとは……ふむ、櫛にも札を仕込んでるのか』

 

 個人の霊力だけが強さじゃないのは当たり前だ、本当の強者とは知識や創意工夫も必要だよな。

 

『あの御札を渡しても問題無いかな?僕等に不利にならないかな?』

 

『アレは現状維持の効力っぽいからな。直接的な戦力にはなるまいが需要は高いだろう』

 

 確かに霊的な劣化を抑えられるのはデカい。ある意味霊具を沢山保管している連中には喉から手が出る程欲しいだろう。

 

「分かりました、五百万円でどうですか?それ以上は時間を下さい」

 

「どうして、この御札にそこまで拘るんですか?」

 

 グッと何かを飲み込む様な表情になったな。需要が有るから儲かるとは言えないかな?

 

「私も陰陽師として一流派の長をしています。陰陽師として失われた技術を蘇らせるのは……いえ、保管系の御札は種類も少なく効果も低い。

だから需要が有るのです、それを解析し複製出来れば巨大な利益を生むでしょう。少なくとも300年前の失われた技術ならば喉から手が出る程欲しいのです」

 

 ぶっちゃけたぞ、清々しい位に儲かるって!いや、陰陽師としても過去の技術は復元したいって事も大きいのか……

 

「うーん、自分で調べてからでも良いですか?陰陽師の技術、特に御札には興味がありまして……これから学ぼうと思ってるんですよ」

 

 四枚有る内の一枚しか渡さないつもりだが、効果を発揮するには配置とかも関係してると思う。それとも単純に四方に貼れば良いのか?

 

「すみません、榎本さん。

東海林さんは陰陽師の神陽(しんよう)流派、陽香(ようか)家の長なのです。なので、その手の話をすると止まらないので……」

 

 前に彼女を幸薄い感じと評した人が居たけど、それに苦労人って足した方が良いだろう。

 

「一から学ぶと言われても既に自分の除霊スタイルを構築されてる方には厳しいと思いますよ。誰か師事する宛てが有るのですか?」

 

 師事か、手っ取り早く彼女に師事すると上下関係が発生して面倒臭いかな?面倒臭いだろうな?

 彼女は言葉こそ平坦だが表情は真剣だ、これは師事すれば此方の情報を根こそぎ狙ってくるだろう。

 倉が沢山有るのに御札が手持ちの四枚とは思ってないな。あの大量の式神札を見たら発狂するかも……

 

 失敗した、このタイミングで陰陽師の御札に興味が有るとか言えば、試練で使えそうな御札を大量に手に入れたから自分が使いたいと考えられる。

 全く僕って奴は呆れる位にウッカリだよな。東海林さん、完全に僕(の手に入れた御札)にロックオン状態だ。

 

「ええ、まぁ……それなりに考えてますから大丈夫です。はははは、そろそろ行きましょうか?」

 

 



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第223話

 東海林さんのクレクレオーラを躱して犬飼本家へ戻る。

 

 勿論彼女も立場を理解しているので強引に迫っては来ないが、失われた技術の御札は喉から手が出る程欲しいだろう。

 満腹で車の後部座席に揺られていると眠くなるな……敵地で油断はしたくないのだが、緊張し過ぎて絶賛居眠り中の五十嵐さんの頭が僕の腕に当たっている。

 規則正しく浅い息使いを感じるが、特に何とも思わない。今朝からバタバタと大変だったんだなと思い放っておく事にする。

 

「榎本さんは……その、この後どうするのですか?」

 

「ん?残り二つの試練を制覇したら帰りますよ。他にも仕事を請けてますし、今回のは完全なイレギュラーでしたし……」

 

 週末に風巻姉妹からの報告を聞く予定だ、確か横浜そごうの竹葉亭の鰻を食べる約束だし。

 

「いえ、そうでは無くて……亀宮の一族としてです。亀宮様と結婚なされるんですよね?」

 

「なんで?」

 

 脊髄反射で即答してしまったが、僕は亀宮さんと結婚する気は0だ。

 

「…………いえ、その……今、亀宮一族の中で噂になってます。一つ目は亀宮様と結婚するだろう。

二つ目は風巻姉妹を愛人にして、何れは風巻家を継ぐだろう。実際に噂の根拠を確かめた事はないので人伝(ひとづて)なのだが……」

 

 ああ、成る程ね。佐和さん美乃さんの話は本当だったんだな、五十嵐一族の上層部にまで伝わっているんだ。

 当然だが若宮の御隠居も知っているだろうけど噂を否定も肯定もしない。

 

「誤解ですよ、僕は亀宮一族の派閥には入らない、あくまでも亀宮さんと敵対しない為に、他の勢力からの誘いを断る為の便宜上の措置です。

亀宮さんは自分と同じ様な力を持つ人が周りに居なかったから僕に親しくしてくれている。まぁ少し過剰な気もするが……

佐和さん美乃さんも誤解ですね、一緒に仕事をする機会が多いからでしょう。やっかみか嫌がらせの類ですよ。勿論、嘘の噂を広めた方には相応の報復は……」

 

 風巻姉妹の報告を聞いてから実行するよ。一度噂を消しておかないと未婚の三人が酷い扱いを受ける事になる。

 

 何だよ、愛人って!嫁の貰い手が無くなるじゃないか!

 

「アレ、五十嵐さんが魘されているよ」

 

 目の間に皺をこさえてるけど、何か辛い夢でも見てるのかな?

 

「榎本さんから渦巻くドス黒い何かが駄々漏れてますよ」

 

 ああ、復讐したいオーラでも出ていたのかな?まだまだ僕も未熟者って事か……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 五十嵐さん達と別れて七ノ倉の試練に挑む。此処からが本番だ、気合いを入れよう。

 

『胡蝶さん、鍵を開ける前だけど何か感じるかい?僕は嫌な感じがする……』

 

『ふむ、霊感か?確かに中に何か居るのを感じるがボヤけて認識出来ないのだ。この倉自体にか他の方法かは分からないが強い認識阻害の術が働いている』

 

 認識阻害か……そんな術を掛ける位だ、相当な相手と思った方が無難だな。

 

『鍵を開けるよ……』

 

 古めかしい錠前に鍵を差しガチャリと捻ると問題無く開いた。閂から錠前を抜き取り床に置いてから観音開きの扉の右側だけ開ける。

 勿論、中からは見えない様に体を扉の影に隠しながらだ。

 90度開けた所で先ずは持参したケミカルライトをくの字に曲げて三本放り込み、その後に悪食の眷属を中に大量に入れる。

 

「視界共有だ、悪食!」

 

 カサカサと七ノ倉の中を這い回る100匹近い黒い虫達。狭められた視界は薄暗くピントが合わなかったが、10秒位で何とか見える様になった。

 ケミカルライトの淡い光に浮かび上がる倉の中には……

 

『これは……何だろう?って、やられたか?』

 

 一瞬で視界が暗転に視界共有が切られた、つまり悪食の眷属は倒されたんだ。僅かに見えたモノは半裸の若い女だったが下半身が芋虫だった。

 赤い着物の単衣を羽織っていただけだった様な?

 

『胡蝶さん、今見えたのって何かな、妖怪?下半身芋虫だったよ?』

 

『そうだな、今でこそ珍しいが昔は結構居たぞ。上半身の女は擬態で本体は下半身の虫だ、名前は確か宿(やど)し虫だったか?』

 

 宿し虫?人を擬態で宿すみたいな?

 

「久し振りの人の匂いじゃ。顔を見せてたもれ」

 

 喋ったぞ、いや擬態なら喋れないと意味は無いのか?

 

「警戒してるのかえ?可愛い坊やじゃな、喰わぬから顔を見せてたもれ」

 

『胡蝶さん、大丈夫かな?こんなオッサンを可愛い坊や扱いだぞ?』

 

『ふむ、話位は聞いても良かろう?奴は我の事を感じてはいないみたいだ。油断を誘えるだろう』

 

 300年も閉じ込められていた妖(あやかし)だ、興味は有るが興味を満たす為に危険に挑むのは……

 

「やれやれ、可愛い坊やは我が怖いのかえ?」

 

「ええ、怖いですね。初めまして、何と呼べば良いですか?」

 

 意を決して半分だけ扉を開けた部分に立つが、未だ中には入らない。ソレは扉から差し込む光により全体が良く見えた。

 上半身は美人と言っても差し支えないだろう、見た目は20代そこそこで長い黒髪を腰まで垂らしている。

 美人画の日本的美人と言ったら分かりやすいのか、現代では好みの分かれる顔立ち。

 赤色の単衣を同じく赤い帯で締めているが胸元が大きく開いている。胸は控え目だが肌は雪の様に真っ白、だが腰から下は濃紺の芋虫だ。

 

「呼び名かえ?人の名は無いぞえ、主は?」

 

 閉めていた片側の扉も開けて中に光を差し込む。アレ?何かシャリシャリと咀嚼音が聞こえると思ったら下半身芋虫の先端が本体の口なんだ。

 悪食の眷属を食べてやがる!

 

「僕は愛染明王を信奉する在家僧侶ですよ」

 

 左手をフリーに右手は背中に回してナイフの柄を掴む。

 

「では盟約に従い主を試すぞえ。勝てば力を貸し負ければ主を食らう。準備は良いかえ?」

 

 今思ったが上半身の口は動いていない、つまり喋っていないのだ。下半身の芋虫の口は悪食の眷属を食べ続けているから無理。じゃ誰が僕に話し掛けてるんだ?

 

『胡蝶、他にもナニか居ないか?』

 

『む、天井だ、天井にぶら下がって居るぞ正明!』

 

 慌てて見上げれば、蓑虫みたいに三体ぶら下がっている!

 

「良く気付いたねぇ……」

 

 そう言うと天井の三体は僕に向かって飛び掛かって来た。芋虫の下半身を器用にくねらせて……

 

「胡蝶、頼む!」

 

 大きく左腕を振って手前の一体目を食らう。ギュポンと音を立てて吸い込まれる宿し虫。落ちてきた残り二体は器用に飛び跳ねている。

 

「ほぅ、『よ』を倒したかえ、『ふ』『み』よ、気を引き締めて行くぞえ」

 

「「ええ、『ひ』姉様」」

 

 ひふみよで一二三四かよ?分かりやすいが『ひ』と呼ばれている奴がリーダーだな。

 『ひ』は右側から落ちてきた奴で最初の奴は『ふ』で左側の奴が『み』だな。全く同じ顔が三つも並ぶと怖いけど擬態だからマネキンと思えば良いか……

 

『胡蝶さん、ヤレるかな?』

 

『ふむ、中々手強いな。宿し虫は、その名の通り芋虫だから糸を吐くぞ。気を付けろ』

 

 糸を吐くね……蜘蛛よりは蚕のイメージだろう。

 

「ドチラも絡め取るから一緒だけどさ!」

 

 掛け声と共に隠し持っていた拳銃で『ひ』と呼ばれた右側の奴の芋虫部分を撃つ!300年前じゃ精々が火縄銃だから威力は段違いだ。

 二発撃つと衝撃で後ろに仰け反る。その隙に駆け出して真ん中の『ふ』の擬態した頭を掴み吸い込む。

 連携しそうな奴等は各個撃破しないとキツい。左側の『み』が擬態の口を開けて糸を吐き出してきたのでバックステップで躱す。

 やはり身体能力が格段に向上してる為か思った通りに体が動く、動かせる。

 漸く起き上がり此方を向く『ひ』が糸を吐き出して来たので右手に絡み付かせる。

 

「中々やるが、もう無理かえ?糸に絡め取られて死ぬが良い!」

 

 擬態の口から吐き出された糸は右手に絡んでいるから、力ずくで引き寄せる!

 

「なぁ?」

 

 近寄った『ひ』を左手で吸い込めば残りは一匹だ!しかし『ひ』の吐いた糸に絡まれた右腕はガッチリと固められて使い物にならない。

 掌を開く事も出来ないからだ。

 

「やるじゃないかえ。我が姉妹を倒すとは驚いたぞえ。だが片手が使えぬ状態でどうするのじゃ?」

 

 未だ隠し玉が有りそうだな、でも残り一匹なら周りを警戒する必要が無い。だから……

 

「胡蝶、頼む!」

 

 左腕を突き出すと手首からモノトーンの液状化胡蝶さんが噴き出した!

 

「え?ちょ?何じゃこれは?ぐっ、待って……負けを認める、だから……だからっ!」

 擬態の部分が僕に手を伸ばして懇願する、ちゃんと口をパクパクして懇願する様に……うん、美人の縋る様な表情は良心に訴えるが、僕は既に心が痛む感覚が鈍い。

 だから全く平気だ。

 

「済まないが、もう配下とか眷属とかお腹一杯なんだよ。じゃ、さよなら」

 

「そんな!約束が違うではないか?我は、我を負かせた奴の……嫌じゃ……いや……」

 

 犬飼一族の初代当主との約束とは違うからな……もしかしたら手加減していたのかも知れない、仕える主を殺してしまっては又何年も待たねばならないからな。

 最後の『み』は加茂宮の連中と同じくスライム状の胡蝶の中で溶かされていった……

 犬飼一族の初代と言っても榎本一族700年物の胡蝶には勝てなかったみたいだな。

 美幼女体型となり素っ裸な状態で腹を擦る胡蝶を見て思う、本当に常識はずれだな、と……

 

「うむ、久々の妖(あやかし)尽くしの贄だったな。満足だ」

 

 本当に嬉しそうにニカッと笑われてしまった。

 

「満足なら良かったよ、それで今日の内に最後まで試練をやろうと思うんだ。五十嵐一族とゴタゴタが有ったから引き延ばさずに終わらせた方が良いよね?」

 

 今日解決して明日の朝には帰ろう。高梨修の件で風巻姉妹の調査報告も聞かないと駄目だし若宮の御隠居ともきっちり話をしないと駄目だ。

 

「ふむ、食傷気味になってしまうかも知れぬが仕方ないか……だが回収すべき物は集めるぞ。この倉の結界札は前のとは違っているな。

宿し虫を閉じ込めていたのだから、より強力やも知れぬ。後は……この倉の試練のご褒美が用意されているぞ」

 

 ご褒美?パターンから言えば試練の次の偶数の倉にお宝だけど、七ノ倉と八ノ倉は両方試練の筈じゃなかったかな?

 倉の中を確認すると右隅に小さな箱が無造作に有り、その上には八ノ鍵と手紙が乗っている。

 

「箱なんて初めてだな……手紙か、胡蝶さん読んでくれるかな?」

 

 古文無理な僕は手紙を取って胡蝶に渡す。良く見ると鍵が大小二本有るけど小さいのは箱の鍵かな?

 床に可愛らしく女の子座りをして手紙を読む胡蝶が、先程まで殺し合いをしていた場所なのにと違和感を感じる。

 不用意に箱を開ける気もないので他にも何か無いか悪食に倉の中を物色させる。

 大分慣れたな、悪食と眷属の指示も……悪食達は結界札を八枚、それと劣化防止札を四枚、それと組紐かな?

 品の良い紫色の組紐を二本捜し出してきた。

 

「綺麗だな、とても何百年も前の紐とは思えないな……」

 

 手に取ると霊力を感じるので後で胡蝶に調べて貰うか。

 

「胡蝶さん、変な紐を見付けたよ」

 

「ん?やたらと物に触るなよ。この手紙だが、最後の試練について書かれているぞ。

八ノ倉に棲むのは妖(あやかし)ではなく犬飼一族の開祖が使役していた犬だ。最後の最後で漸く犬飼一族の力の源がお目見えだな」

 

 開祖?つまり犬飼一族の初代が使役した畜生霊って事か。大婆さんの日本狼も凄い力を感じたけど、当然それ以上に強力な霊なんだろうな……

 

「犬の霊か……胡蝶さん、その霊は祓うか食べようよ。犬は狐っ娘の結衣ちゃんが嫌がるんだよね」

 

 赤目や灰髪達も可愛かったけど魂を天に還したんだよね。でも犬の霊って捜査には役立つのも確かだけどさ。

 

「正明よ、強力な使役霊を養い子の為に不要とは……馬鹿かお前は!」

 

 本気で胡蝶さんに叱られました。

 



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第224話

 七ノ倉の試練、それは四体の宿し虫と言う妖(あやかし)だった。

 倒せば使役出来たらしいが拘束する条件が分からないし、とても信用出来ないから胡蝶の贄にした。

 悪食の場合は胡蝶が力を使って支配下に置いたから安心だったが、アレは口で言ってただけだったし……

 何より現代でアレを使役して何か出来るのか?対人戦では使えるかも知れないが、僕の除霊スタイルじゃ難しい。

 霊能力業界内で有名な使役霊や霊獣は亀ちゃんを筆頭に何人?何体?か居る。

 犬飼一族の畜生霊の他に人の霊を操る奴等も居るから、業界内では問題は無いのかもしれないけど、アレを四体も自分の周辺に侍らせるのは嫌だ。

 

 いや、拠点防御なら使えたのかな?三浦市の隠れ家とか留守にしがちな場所に配置しておけば……

 いや、泥棒とかを殺して問題になりそうだから無理だな、手加減とか覚えられるか分からないし。

 過ぎた事だから忘れよう、どの道見た目で無理だったから。

 

「胡蝶さん、この組紐から霊力を感じるけど何なんだろう?」

 

 熱心に手紙を読む胡蝶さんに聞いてみる。開けた扉から差し込む光しか無いのに、良くあんなにウネウネした細かい文字が読めるよな。

 八ノ倉の、最後の試練の内容の他にも何か書いて有るのかな?

 

「ん?この組紐か……多分だが霊力封じだろう。巻くか結わえば対象の霊力を抑える事が出来るぞ。抑えられる力は、まぁまぁだな。

多分だが認識阻害に、この組紐は関係してそうだな。どうやって設置してあったのだ?」

 

 手紙を床に捨てて組紐を受け取り引っ張ったり振ったりして調べているが、そんな調べ方で分かるのか?

 

「さぁ?悪食の眷属が持ってきたから……」

 

 凄い変な顔の胡蝶さん、もしかして結び方とか置き方で効力を発揮するタイプだったのかな?

 組紐はそれなりに効果が高いのか、自分の手首に巻いて霊力の抑えられる量を調べた後で僕に放って寄越した。

 受け取って丸めてジップロックに入れて胸ポケットへしまう。御札とかと一緒にすると駄目かもしれないし……

 

「まぁ良い。この箱だが特に罠や仕掛けも無さそうだ。早速開けてみるぞ」

 

 ペタペタと箱を触って調べていた胡蝶が小さい鍵を鍵穴に入れて右に回したら、ガチャリと小さな金属音が聞こえた。

 蓋は丁板が有り上に開けるオーソドックスな宝箱タイプだな。大きさは段ボールの20㎏サイズ位だ。

 イメージは良くドラゴンなクエストで主人公が調べ捲るアレだ!

 開かれた箱の中を覗き込むと、短冊形の銅板が四枚並べられている。

 表面には梵字が書かれていて他で見付けた紙の御札とは一線を画しているな。

 

 胡蝶さんも真剣に眺めているし……

 

「正明、手紙にな書かれていたのは宿し虫達の支配の仕方だ。戦って負けを認めさせてから、この銅板で契約を結ぶらしい」

 

 宿し虫は四体全て胡蝶が食べたから……

 

「無駄骨だな、だが妖(あやかし)との契約の結び方は覚えたし触媒の銅板も手に入れた。次に妖(あやかし)が現れたら捕まえてみようぞ」

 

 いや、そんなにポンポン妖(あやかし)なんて出ないって。ヤル気満々な胡蝶さんを見て小さくため息をつく、つまりこの後で妖(あやかし)探しをするかもしれないな……

 御札類は種類別にジップロックにいれて銅板は紙で一枚ずつ包んでから同様にジップロックにしまう。

 手紙も一応持ち帰る、これを見られたら今回の試練で得たモノを推測されそうだし……

 

「正明、最後の試練は我だけで行くぞ。正明は入口で見張ってるのだ」

 

「それは……いや、そうだね。無理に良い格好する必要は無いんだよな。それが確実な方法か。でも胡蝶は最後の相手の予想はついているんだろ?」

 

「ああ、畜生霊と書いてあるが犬神クラスだな。犬は忠義が厚く一途な場合が多い、果たして初代に仕えし忠犬が新しい主を認めるかが疑問だ。

高い条件を出す場合も多い。単に倒せば良いなどは有り得ないだろう」

 

 ああ、忠犬か……

 

 高位の霊はプライドも高いだろうから損得や力の有る無しじゃ仕えてはくれないだろうな。味方に引き込めば最高だが中途半端な対応だと逆襲される可能性が高いのか?

 

「前に倒した丹波の尾黒狐クラスかな?」

 

「それ位は予想に難しく無いぞ」

 

 丹波の尾黒狐の時も僕は傍観してたな。確かに下手に手伝うと足を引っ張るだけだ。悔しいが最後の試練は胡蝶だけに頼むか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 犬飼一族最後の試練。

 

 初代が使役した犬神と戦い己を新しい主と認めさせる事。だが僕は最初から放棄して胡蝶に丸投げする事にした。

 畜生霊とは言え神に準ずる力を持つ相手に対して、安っぽい意地や見栄で自分を危険に晒すのを避けた。

 端から見れば敵前逃亡だが、その通りだから反論はしない。

 

「胡蝶、頼むよ。はい、八ノ倉の鍵と……無理しないでくれよ」

 

 八ノ倉の鍵を胡蝶の小さな掌に乗せる、擬態とは言え見た目は完全な人間だ、あの宿し虫の様な中途半端さは無い。

 

「我が負けると思うか?それよりも本当に食う事を前提で良いのだな?使役出来れば……」

 

 手を包み込む様に鍵を渡すが、放さずにそのままだ。

 

「いや、胡蝶が一番大事だから……変な欲を考えずに最初から食うつもりで戦ってくれ」

 

 軽く抱き締めてから小さな背中を軽く叩く。端から見たら美幼女に抱き付く変態中年だろうか?

 周りの気配を探って人が居ないのは確認してるが、良く考えると恥ずかしいぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「さてと、愛しい下僕の為にも頑張らねばな」

 

 正明は我との盟約を交わした初代とは似ても似つかないのに、何故か立ち振舞いが重なるのだ。

 700年も前の記憶なのに鮮明に蘇る……我も盟約とは言え代々契約者を変えてきた。

 だが、700年で魂を交えても良いと思ったのは初代とお前の二人だけだ。

 

「正明、お前が死ねば我も死ぬ。我が死んでも正明は死ぬ。だが、それで良い、それが良いのだ……」

 

 扉の錠前に鍵を差し込み回す。ガチャリとした金属音を立てて閂が外れる。

 両手でユックリと扉を開け放せば、倉の中心に座る犬が居た。狛犬みたいな外観だが、その目には知性の光が有る。

 強敵だ、本能だけじゃない理論的に考えて行動出来るか?

 

「ようこそ、最後の試練へ到達せし者よ。む、貴様は妖(あやかし)の類か?

この試練に挑みし者は誰だ、まさか逃げたか隠れているのか?とんだ臆病者だな」

 

 犬畜生の分際で無礼な言葉使いだな。

 

「我の愛しき下僕には会わせられぬ。貴様は我の贄となり、我と正明の為に礎(いしずえ)となるのだ!」

 

 一瞬惚けた顔をしたが犬歯を剥き出しにして笑ったな。

 

「笑わせるわ、小娘。妖(あやかし)のくせに情にほだされたか?」

 

「問答無用、食ろうてやるわ!」

 

 擬態の皮を裏返し我本来の姿を現す!我は和邇(わに)一族の姫だったが外法により人神に作り替えられた存在。

 人で有りながら厄災を司る偽神が我よ!鰐(わに)の姿になった時に本来の力を全て使えるのだ。

 

「貴様は……諏訪の和邇か?何故、貴様が?」

 

 懐かしい名前だな、我を諏訪の和邇と呼ぶのは700年前の、あの事を知る連中のみのはずだが……

 

「グゲッ、グゲゲゲ……我ヲ知ッテルノカ?ダガ、貴様ハ我ノ餌デシカナイノダ」

 

 問答無用と言ったので奴を食らう為に飛び掛かる。

 

「待て!貴様と、いや和邇殿と戦うつもりは無い」

 

 避けられた!流石は犬か、チョコマカと機敏に動く。

 

「ウケケケケェー!流石ハ犬ヨ、良ク動ク」

 

 だが狭い倉の中で何時まで逃げ切れるかな?

 

「ぬう、本当に問答無用とは……待て待て、我も和邇殿の主に仕えようぞ」

 

 今更だな、不安要素を抱える訳にはいかぬ。正明は我だけで良いと言った、ならば他の妖(あやかし)など不要!

 

「要ラヌ、我ノ愛シイ下僕ハ貴様ヲ必要トシナイ。例エ力ガ欲シクテモ、妖は要ラヌノダ!」

 

 続け様に齧(かじ)ろうとするが巧みに避けられた。むぅ、やはり素早さでは勝てぬか……

 

「そんな馬鹿な……なら何故、この試練を受けたのだ?力が欲しかったのだろう?」

 

 確かに試練を受けたのは力の底上げが目的だったが、もう必要はないな。だから……

 

「戯(たわむ)レダ!」

 

「何だと?」

 

 奴の顔が歪むのを見ながら全ての力を解放する。加茂宮の三人を食べた事により我の力は三割は増えているのだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「正明、犬神は食った、もう入って良いぞ」

 

 15分ほど待たされたが、漸く声が掛かった。一応用心しながら倉の中に入る。

 

「何か会話が弾んでなかったかい?」

 

 壁や床が破損している、待ってる間も音が凄かったからな。だが試練で用意された妖(あやかし)は基本的に倉から出て来なかった。

 300年間も倉の中に縛り付ける事が出来る何かが有ったんだろうが、回収した御札なのか倉自体に仕掛けが有るのかは謎のままだね。

 

「ん?いや、我の過去を知っていたのでな。食えて良かったぞ……」

 

 過去をか……諏訪の和邇殿と呼んでたな。胡蝶に隠れて調べるのは事実上不可能だし、教えてくれるまで待つしかないか……

 

「それで、最後の試練のお宝は何かな?パッと見では何もないけど……」

 

 倉の中は所々壊れているが、文机も箱も無いな。懐中電灯で天井も照らして見るが、本当に何も無い。

 見付けたのは壁に貼って有った御札だけだ。悪食の眷属にも調べて貰ったが結果は同じだ。

 

「一番のお宝たる犬神は胡蝶の腹の中か……でも幾つか使えそうな霊具と御札に式神札、それに悪食を得たから成功だな」

 

 一ノ倉、悪食+黒い眷属多数。

 

 二ノ倉、僕には使っても効果の薄い指輪と結界札四枚。

 

 三ノ倉、僕には使えない大量の式の札。

 

 四ノ倉、竹か木で出来た高級扇子、多分だが霊具。

 

 五ノ倉、白装束にザンバラ髪の妖(あやかし)、最初は首吊り死体みたいだった。五十嵐一族の土井と楠木から奪った拳銃一丁。

 

 六ノ倉、霊力を雷に変換出来る水晶の勾玉三個、御札四枚それに毒矢が三本。

 

 七ノ倉、妖(あやかし)宿し虫四体、結界札八枚に劣化防止札四枚、認識阻害の組紐と眷属を造る際に使える短冊形の銅板四枚。

 

 八ノ倉、妖(あやかし)、狛犬らしかったが、胡蝶が食べてしまった。

 

 うーん、悪食と勾玉は即使えるが他は微妙だな。特に大量の御札関係は専門知識が無いと何とも言えないし……

 残りの霊具も効果が分からなかったり微妙だったり。

 これは犬飼一族の血を引く小笠原さん達に渡した方が有効に使ってくれるかも知れないな、元々彼女の一族の遺産だし。

 一通り八ノ倉から二ノ倉までを再度確認してから屋敷に向かう。太陽は未だ高い、時間にしても三時位かな?

 石畳を歩いて玄関に向かうと五十嵐さん達の車が減っている。

 犬飼一族との話し合いは続いているみたいだが、実行部隊が昏倒させた連中と死んだ二人を回収して行ったのか……

 周辺で術者の気配が減ったから分かるのだが、未だ御隠居と五十嵐巴さんと東海林さん他が残ってるな。

 玄関扉を開けて中に入ると、今度は犬飼の爺さんが出て来た。

 

「全ての倉の試練を終えたみたいですな。おめでとう、我々の未練も無くなりました」

 

「お世話になりました、もう此処に来る事は無いと思います。お元気で、他の皆さんにも宜しく伝えて下さい」

 

 ペコリと頭を下げる、思えば爺さん達はコレからどうするのかな?僕が見た連中は全員が60歳以上だったと思う。

 大婆さんが亡くなり後継者のオッサンは一ノ倉で悪食に食われた。

 

「ええ、我々は此処で朽ちるまで居ます。幸い資産はソコソコ有りますので気にしないで下され。では……」

 

 アッサリし過ぎて拍子抜けしたが、これで試練も終わりだ。今夜は祝杯を上げて、明日の朝一番で帰ろう。レンタカーに向かう途中で一度だけ屋敷を振り替える。

 

 西日に当てられた屋敷は妙に淋しそうだった……

 



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第225話

 犬飼一族の試練を終えた、全体的には満足の結果だった。

 特に新しい式神の悪食は見た目は黄金の巨大ゴキブリだが使える、胡蝶さんの霊力を僕経由で浴び続けているので急速にパワーアップしている。

 大量の式神札や扇子や指輪等の術具は微妙だが急いで必要になる物でもないし暇を見て調べれば良い。

 特に妖(あやかし)を支配下に置ける銅板は貴重で、胡蝶は役立ちそうな妖が居れば使おうと考えているみたいだ。

 僕的には胡蝶と悪食が居ればお腹一杯なのだが、これから加茂宮一族と事を構えるだけに異能を持つ妖を捕まえたいみたいだ。

 犬飼のラスボスは胡蝶でも手に余るみたいだったから全力で食って貰ったが、それは後悔していない。

 彼女自身の力を底上げ出来たし制御が怪しい妖を手元に置くには危険過ぎる。

 

 何より狐っ娘の結衣ちゃんが犬を怖がるので最初から無理だったんだ。「正明さん、犬臭いから近くに寄らないで……」とか言われたら僕は……って電話?

 

 今後の事を考えながら車を運転していたら胸ポケットの携帯電話が鳴りだした。

 車を路肩に寄せて停めてから携帯電話を取り出す、山道で対向車は少ないとはいえ道交法は守りたい。ディスプレイを見れば「五十嵐巴」の文字が……

 

「はい、榎本です」

 

『榎本さん、酷いです!試練を終えて帰るなら一声掛けてくれても良いじゃないですか?』

 

 む、少し怒ってるのか?この感じは友達と遊びに行っても黙って勝手に先に帰る不思議ちゃん扱いか?

 

「ああ、申し訳なかったね。犬飼の爺さんには断っておいたけど……」

 

『それで無事に試練は終えたのですね?』

 

 言い終わる前に言葉を被せられたけど、そんなに試練が気になってたのかな?

 

「ええ、無事に終わりましたよ。もっとも最後の試練は犬飼一族の初代が使役していた犬神でしたが、僕は犬飼一族の血を引いてないので戦いになりました。

結局、犬神といえども畜生霊ですから祓いましたが……」

 

 胡蝶が苦労した相手だ、『丹波の尾黒狐』と同じ位の強敵だったのだろう。

 僕が使役出来たかは疑問だ、能力的には勿体ないと思うが制御出来ない力など逆に危険でしかない。

 

『初代の使役した犬神をですか……それは大変でしたね。私達も犬飼一族の方々との話し合いも一応終わりましたので、これから帰ります』

 

 話し合い、つまり今回の件の手打ちが出来たって事だな。

 廃業し現当主を失った犬飼一族が東日本を勢力下に置く亀宮家の有力一族である五十嵐に無理は言えなかっただろうな、残された爺さん達も大変だろう。

 

「そうですか、それは良かったですね」

 

『それで……ですね。あの……今回の件のお詫びも兼ねて今晩の夕食を一緒に食べませんか?お祖母様達も同席したいと言っております』

 

 お祖母様達?あの護衛の二人もって事か……

 

 距離を置きたいのが正直なところだ、既成事実の積み重ねは良くないし余計な事にもなりそうだ。

 今回の試練の件は聞かれたくない事の方が多い、特に300年前の式神札を大量に手に入れたとなれば陰陽道の連中から接触が有るだろう。

 場合によっては力ずくでも欲しがる連中が居ないとは限らないし……次期当主の五十嵐巴さんは比較的まともだし縁も出来たから、現当主との急速な懇親は不要かな?

 

「悪いが予定が有るんだ、明日は早一番で帰る予定だからね。それに流石に疲れたから早く休みたい」

 

 五十嵐の婆さんの目的は大体分かる、もっと縁を強めたいのだろう。後は試練で手に入れた札や術具の情報とかで善意の詫びじゃないと思うな。

 

『そう言われてしまうと……短時間でも構いません、お願いします』

 

 この子、地味な割に意外に押しが強いんだよな。

だが此処まで言われて強硬に断るのも、これからの関係を考えると問題有りか……これが派閥に属する事の問題と面倒な部分なんだよな、一人だったら関係の無かった事だ。

 

「うーん、困ったな……」

 

 今夜は祝杯も兼ねて昼間に食べ損ねたラーメンに餃子、ライス大を食べたかったんだが五十嵐一族の現当主と次期当主と一緒じゃ無理だな。

 相応の店となると僕の伝手では直ぐに押さえられない……

 

「店は其方で予約して下さい、僕は一旦ホテルに戻って用事を済ませます。明日も早いし七時開始位にしましょう、決まったら電話して下さい」

 

 どの道お詫びなら僕から店を指定するのは変だろう、相手が手配する事だからな。

 今は撤収の準備と、この術具や御札類の宅急便の手配をするか……手元に無ければ今回の懇親会で追及される事も少ないだろう。

 

『有り難う御座います。では決まり次第、直ぐに連絡しますね』

 

 そう嬉しそうに言って電話を切られた……

 ヤレヤレ、悪い娘じゃないんだけど独特の押しの強さが有るな。一応亀宮さんに連絡を入れておくか、派閥の問題だし彼女はハブられる事を嫌っているから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「良かった……お詫びの件、OK貰いました。直ぐにお店を探しましょう」

 

 今でも電話越しで話すだけでも緊張するわ、悪い人では無いのは理解していても心の何処かで未だ怖いと感じている。

 お祖母様や芝塚、東海林達の見守る中だったので余計に緊張して携帯電話を持つ手が汗で濡れてしまったわ……

 

「ふむ、巴にだけは気を遣うか……我々は敵一歩手前だからな。あの霊圧、今でも心臓が締め付けられる思いじゃ……」

 

「確かに信じられない程の巨大な霊圧でした……」

 

「本当に……土居達が連れて来た子飼いの連中などトラウマを植え付けられて、もう使い物にならないでしょう」

 

 ああ、あの私が榎本さんの腕に縋り付いてる時の事ね……榎本さんって根っこは優しいかもしれないけど脅す時は手加減無しなのかしら?

 

「兎に角だ、巴とは良好な関係を築けそうだから一安心じゃな。下手にアレと敵対しては我ら五十嵐一族も山名一族の後を追う羽目になる所だったぞ。

さて、車を出してくれ。市内のホテルに戻ろう。榎本殿との懇親会はホテルの特別室にて行おう、亀宮グループのホテルの方が双方安心じゃろうて」

 

「ホテルのですか?榎本さん、グルメらしいですから何処か有名なお店を予約した方が良くないですか?」

 

 あの昼間の食事からして名物料理を好むと思うわ、鹿とか猪とかの肉を美味しそうに食べていたし……

 携帯電話の電波の関係で停めていた車が走りだす、廃業するとはいえ立派な屋敷の犬飼邸から離れて行くが、あの老人達は朽ちる迄ここに留まると言っていたわ。

 

「今日の今日で有名店は無理じゃろ?防犯上の問題……は、無いな。アレを害せる存在など亀宮様達、御三家の当主クラスじゃろうな。

もう今回の様に利用は出来ないだろう、他の連中には悪いが我々で打止めだ。もっとも我々とて一つ間違えば衰退していたのだから、危険な賭けに勝てたと言う事か……」

 

 ブツブツと独り言を言っているけど今回の件は御隠居衆の陰謀だったみたいね、そんな腹黒い連中と当主を継いだばかりの私が張り合っていけるのかしら……

 御隠居衆と言っても派閥の現当主達の集まりだから高齢者ばかりではない。風巻家の当主も未だ四十代半ばの筈だし、二十代の私だって大丈夫よね?

 

「お祖母様、独り言で今回の悪事の件がバレましたわ。あまり榎本さんを軽く見過ぎると逆襲されますよ」

 

 個人で私達、五十嵐一族の動きを読んで最善に近い対応をしてくる相手なのよ、初音様の予知を持ってしても計り知れない力を秘めた存在。

 今は私に配慮してくれる形だけど完全に味方では無い、これから誠意を持って関係を築かないと……

 

「分かっておる、まさか五十嵐一族に真っ向から挑んで来る程の覚悟を持っていたとは……見掛けによらず穏便故に交渉の余地が有ると考えていたが甘かったわ」

 

 ああ、事後処理に巻き込もうとした事ね。確かに一歩も引かず突き放した対応だったわ、もし私が好感度を上げる事に失敗していたら……

 

「場合によっては全面対決になりましたね。

そもそも霊能力者として圧倒的に開きが有りましたから、勝つ要素は交渉しか無かった。それも亀宮様に頼られたら無理だったのです、あの方は彼に依存していますから……」

 

 初めて出会えた恋愛対象になれる男は、自分と敵対しない為だけに派閥に加わってくれた。

 しかも防御特化の自分をも守れる程の力を持っていて気さくに接してくれる。

 私も初音様と言う加護持ちだから分かる、他人と違う私達は心の何処かで同じ境遇の人を強く求めている。

 

「全く今思えば如何に無謀だったか分かるわ。さて、巴よ……」

 

「はい」

 

「約束通り本家に戻ったら直ぐに跡目襲名の儀を執り行うぞ。その時に榎本殿にも出席して貰える様に頼むのだ、アレが出席してくれる事に意味が有る」

 

 私が五十嵐一族の当主になる……土居達不穏分子が一掃された状態で、亀宮様の想い人に出席して貰って……

 

「全てはお祖母様の計画通りに進んだ訳ですね。私達は一族の結束と跡目襲名の為に彼を利用し成功した。

今後の亀宮一族の中でも重要な鍵となる榎本さんと縁を持つ事が出来た、他の御隠居衆を出し抜いて」

 

「ふむ、引退する儂には関係無い話じゃな。お前の五十嵐一族なのだ、お前が一族の繁栄の為に何をするかは、お前次第じゃよ」

 

 不気味に笑うお祖母様から目を逸らす。

 

「私……次第ですか……」

 

 改めて一族を率いる責任の重さについて考えてさせられた、果たして私は当主として綺麗事だけで行動出来るのだろうか?

 窓の外を見れば既に緑の木々から灰色の建物群に変わっていた、随分と話し込んでしまったのね。

 五十嵐一族の繁栄と衰退の鍵は榎本さんだと思うわ、後はどうやって良い関係を築けば良いのだろうか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ホテルに到着し上着を脱いでベッドに倒れこむ……

 

「内容の濃い一日だったな、犬飼一族の試練に五十嵐一族の派閥問題。得られた物は多いが苦労も一緒に背負い込んだ感じがする」

 

 今後は亀宮一族の中で風巻家と五十嵐家と付き合っていく事になるだろう。

 諜報部隊を抱える風巻家は問題無いが、未来予知が主体の五十嵐家とは付き合い方が難しい。

 主力が芝塚さんと東海林さんでは正直力不足じゃないかな、単純な格下戦力が増えても仕事は有利にはならない。

 

「胡蝶さん、五十嵐家の自動書記っていうか未来予知って役に立つのかな?」

 

 呼べばニュッと腹から上半身だけを現した胡蝶さんが首を傾げる。

 

「む、未来予知か?今回の件を考えても大した役には立たないだろうな。別に無くても問題は無さそうだぞ」

 

 妖を合計で五匹も食べた為かご機嫌な胡蝶さんだが、瞳の金色が少し濃くなってる気がする。

 悪食もパワーアップしたみたいだ、具体的には長距離を飛べる様になった。

 今も部屋の隅々を走り周り眷属による早期警戒システムを構築し始めたので、ホテル内は悪食の眷属で一杯だ。

 但し天井内とか排水管とか見付かり難い場所を移動しているのでホテル従業員が騒ぎ出してはいないのが救いだな。

 

「ふむ、今回の対応か……」

 

 試練の数はハズレ、黒は悪食の事なら正解、その他は何を予知したんだろう?

 一応、土居達の暴走と襲撃の場所と時間は予知したみたいだが間に合わなかったし。いや暴走を予知したから僕の所へ来たけど間に合わなかったのか?

 

「未来予知、思ったよりも使えないのかな?株価や宝くじの当選番号とか分かれば金儲けは出来るけど……」

 

「だが結果として一族の膿を取り除き次期当主となる自動書記女は、正明と縁を結ぶ事となった。これを見通していたなら大した物だろうがな」

 

 あの慌て様は演技じゃないと思うから、そこまで読み切ってはいない。今回は彼女の一族を思う一途な行動にほだされた感じかな……

 腹から生える彼女を抱き締めてポンポンと背中を軽く叩く。

 

「それよりも、胡蝶が強化されただけでも試練を受けた甲斐が有ったよ」

 

「む、そうか?正明が良いならば問題無しだな」

 

 無邪気に微笑む胡蝶を見て、随分とこの中身凶悪な彼女に惹かれてしまっていると実感した。

 



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第226話

 JR仙台駅のホームで東北新幹線を待つ、平日の為か早朝でもスーツ姿のサラリーマンが多い。

 私服で体の大きい僕は嫌でも目立つが仕方ない、現場用の仕事着ではないが黒で纏めた服装は威圧感が有ると五十嵐さんに言われた。

 昨夜の懇親会だが、結衣ちゃんが知り合いの葬儀と思い気を利かせて礼服を持たせてくれたのでネクタイだけ買って行ったのだが……

 見事に先方は引いていた。失礼な話だが、その筋の方だと誤解されたみたいだ。

 五十嵐巴さんの事は五十嵐さんと呼ぶ事にした、当主になるのだから問題無いだろう。

 その時に、凄く申し訳なさそうに正直自分が未だ少し怖いと教えてくれた。

 若干の男性恐怖症の彼女からすれば、厳つい僕は最も苦手なタイプだろう。

 それなのに色々と友好の為に動いてくれたとなると、彼女の努力は認めなければならない。

 あの信用ならない御隠居衆の中で僕に友好的なメンバーが出来たと思えば、今回の騒動もメリットは有った事になる。

 

 暫く待っていると新幹線が到着するとアナウンスが入り携帯電話やカメラを構えた撮り鉄達がホームの先端に群がり線路上に手を突き出して撮影を始めた。

 僕も鉄道は好きだが、危険な行為は控えるべきだと思うぞ。前に雑誌で読んだが鉄道ファンは鉄道会社に殆ど貢献してないそうだ……

 旅客運輸業は一部ファンより大多数の一般乗客が大切で、最近のマナーの悪い鉄道ファンには困ってるそうだ。

 一部の悪質な連中の為に大多数の良心的な鉄道ファンが被害を被るのは何とも言えない悲しさが有る。

 

「9号車のA席、窓側だな……」

 

 荷物を上の棚に収納し座席に座る、少しだけ背もたれを後ろに倒す。

 流れる様に動き出す車窓を眺めながら漸く犬飼一族の件が終わったと実感した。

 暫く車窓からの眺めを楽しんだが、結衣ちゃんにメールする為に携帯電話を取り出す。

 

『仙台での用事は完了、お土産に萩の月と笹蒲鉾と牛タンを買いました。昼過ぎには帰ります』

 

 画面右上の時刻を見れば9時42分、乗り換え時間を考えても2時前には家に帰れるだろう。メールを送信し座席に深く座り少し仮眠する事にする……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「漸く事務所に帰ってこれたか……」

 

 東京駅で東北新幹線から山手線へ乗り継ぎ、更に品川駅で京急線に乗り換えて横須賀中央駅に到着したのが1時37分、数日だが空けてしまった事務所に寄って郵便物やメール等のチェックをする。

 郵便物は出前のチラシとマンションの電話工事のお知らせだけだ。折角なので昼飯はチラシの出前にする、某カレーチェーン店は周辺なら配達してくれるのだ。

 定番のカツカレーと目玉焼き&ソーセージのトッピングカレーを頼んだ。

 

「固定電話に不在着信が一件か……」

 

 確認ボタンを押すとメリッサ様からだった。

 

『榎本さん、時間が有る時に連絡を下さい。例の件について報告が有ります』

 

 例の件の報告……声は特に慌ててもいない落ち着いた感じだし時間が有る時にって事は緊急性も無しだな。

 だが報告って事は、この三日間の内に何かが有ったのか……

 考えても仕方無いので後回しにしてパソコンを起動しメールの確認をする、何時もは転送を設定するのだが今回は忘れてしまった。

 Outlookを開き着信メールを確認すると11件との表示が……有り開く前に冷蔵庫からコーラを取り出して一口飲んで気持ちを切り替える。

 タイトルに仕事絡みのが多く確認しながら読まないと駄目なメールが多い。

 

「最初のメールは若宮の御隠居様からの報告か、五十嵐一族が動いたが僕の取り込み派だから配慮してくれか……

その後のメールで謝罪、最後のメールが経過報告と今後についての話し合いね」

 

 見事に五十嵐一族の動きと連動してる、今回は携帯電話に出れないと連絡していたからメールで正解なんだが、五十嵐一族の立て直しが成功し五十嵐巴さんが当主に就任し御隠居衆の五席となる。

 御隠居衆も一枚岩じゃないし若宮派の五十嵐家を立て直し、僕と次期当主とを引き合わせた。

 若宮の婆さんは僕を取り込みつつ自分の派閥の問題を解決させている、食えない婆さんだが最後の一文が問題だ。

 

「陰陽道の御札について専門家や資料を渡す用意が有ります、か……これは僕の犬飼一族での行動が婆さんに筒抜けな事を意味している。

単純に東海林さんからの情報じゃないだろう、流石に式神札とかはバレてないと思うが……」

 

 少なくとも状態保存系の御札の存在はバレてるな、そして先方は欲しがっている。

 利益は僕に多く廻しても存在自体に利用価値を見出だしていると思う、僕に高い金を払ってでも欲しい技術と効果な訳ね。

 

 若宮の婆さんのメールだけを飛ばし読みしたが、その他のメールは急いで処理する問題では無かった。

 温くなったコーラを一気飲みして缶をクシャクシャに潰しゴミ箱へ投げ込む。

 

「メリッサ様絡みの事件、あの山手の洋館の調査が事件解決の鍵だと思っている。

頑なに引っ越しと建物の調査を拒むピェール氏の理由を調べる為に最適な式神の悪食を得られた。もう一度、あの家にお邪魔する必要が有るな……」

 

 新しい縄張りである事務所内を動き回り、あれだけ掃除に気を遣っていたのに十匹の先住民達を支配下に置いた悪食を横目に見ながら少し冷めたカツカレーを食べ始める。

 これで横須賀中央の事務所の防諜は万全、この後自宅も悪食の眷属により更に防諜対策は高まるだろう。

 一列に整列させた配下に触角のヒクヒクで指示を出している巨大な黄金ゴキブリが、僕の新しい相棒とは頼もしいのか何なのか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ただいま」

 

 事務所に寄ったので自宅に帰ったのは予定時間を少しオーバーして3時26分だったが、未だ結衣ちゃんは帰ってなかった。

 キッチンのテーブルにお土産と悪食を置いて自室で有る二階に上がる。

 部屋の扉を開ければ既に布団が敷かれていて、着替えも畳んで置いてある。何時帰っても直ぐに休める様に準備してくれたんだなと嬉しく思う。

 着替えを済ませて汚れ物を洗面所に有る洗濯籠に入れてキッチンに行くと先住民に指導を終えた悪食が誇らしげにテーブルの上に鎮座していた。

 

「教育ご苦労様。でも結衣ちゃん達女性陣に絶対に見付からない様に注意してくれ。問答無用で叩かれるから……」

 

 結衣ちゃんは見た目と性格に反して運動神経は凄く良いんだ、狐っ娘らしく敏捷で警戒心が強い。

 もし結衣ちゃんが悪食の眷属を見付けたら一方的な虐殺になるだろう……紅茶の準備をしながら報酬として角砂糖を一つ悪食に与える。

 嬉しそうに触角をヒクヒクして角砂糖を咥えると僕の影へと飛び込んだ。

 

「ヤバイ、アレを可愛いと思い始めてる。悪食だけなら良いが、眷属達まで可愛いと思い始めたら危険な人になってしまう……」

 

 甘目のミルクティーを作り居間のソファーで休んでいると玄関から賑やかな声が聞こえてきた。

 

「結衣ちゃんが急がないから、榎本さん帰ってる」

 

「日直だったから仕方なかったんです」

 

 どうやら静願ちゃんも一緒みたいだな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ばたばたと玄関から居間に入ってくる二人、制服姿が眩しい。

 

「お帰り、二人共」

 

 久し振りの彼女達成分を目から補充し疲れた体を癒していく、結衣ちゃん君は最高だ。勿論、静願ちゃんも愛娘的に癒しを与えてくれる。

 

「ただいまです、そしてお帰りなさい」

 

「お邪魔します、そしてお帰りなさい」

 

 ペコリと頭を下げる二人……少し会話の内容が変だが、僕も仕事帰りだから良いのかな?

 久し振りに見るマイエンジェルと愛娘の制服姿を不審に思われない程度に見てホッコリする、やはり殺伐とした仕事に癒しは必要だ。

 出来れば二人を並べて撫でたいが、それは我慢だろう。

 

「キッチンにお土産の萩の月が有るよ」

 

 奮発して30個入りを買ったから皆で食べても大丈夫だ、魅鈴さんにも同じ物を買って来た。

 流石に彼女には報告はしないと駄目だろう、一族の最後を知る権利と義務が有るのだから……

 

「有り難う御座います、私着替えて来ます」

 

「じゃ、私がお茶を用意する」

 

 美少女二人が居間から出て行ったが、結衣ちゃんも静願ちゃんがキッチンで何かする事は容認したみたいだ。

 最初は私の縄張りみたいな感じで何も触らせたくないみたいだったし……

 

『やれやれ、大人気だな。あの二人も素質は高いのだから早く孕ませてしまえば良いのだ』

 

『彼女達は未だ未成年です!それに静願ちゃんは対象外です』

 

『そうは言ってもだな、彼女達はソレを望んでいるぞ。叶えてヤルのが男の甲斐性だろう?』

 

『いやいや、それは世間的に大問題でして……』

 

 大分慣れた胡蝶との脳内会話に花を咲かせていると二人が戻って来た。

 

「ミルクティー、榎本さんのお代わりも有る」

 

「ん、有り難う。頂くよ……」

 

 パーカーとキュロットスカートに着替えた結衣ちゃんが僕の隣に座り向かい側に静願ちゃんが座る。

 席取りは少し揉めたが、敏捷性は結衣ちゃんの方に軍配が上がるから仕方ないのかな……

 

「萩の月……宮城県に行ったの?」

 

 この萩の月は個別に紙箱に入っていて更にビニール包装という少し過剰包装気味な銘菓だ。

 ビニール包装に悪戦苦闘していると静願ちゃんから質問が有った、つまり魅鈴さんは彼女に犬飼一族の相続の件は話していないのか……

 

「ああ、仕事絡みの同業者が亡くなってね……遺産相続絡みで少し揉めたけど解決したんだ」

 

 静願ちゃんの目を見て抑揚無く話す、聡い彼女の事だから犬飼一族の大婆様絡みだと分かっただろう。

 

「そう……なんだ。大変だったんですね」

 

 普段と少し違う口調に結衣ちゃんも不思議な顔をしたが、彼女には犬飼一族絡みの事は教えていないから、この話題はコレでお終い。

 留守中の彼女達の行動を聞いて誤魔化す事にした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日、自宅待機をしていると例の荷物達が宅急便で届いた。大量の式神札に術具、特に勾玉は直ぐに利用可能だったので早速使える様に加工する。

 この勾玉は霊力を雷に変える性質を持った術具、単純にスタンガン程度から胡蝶が全力で霊力を籠めれば落雷程の威力を出す事も理論上は可能だ。

 皮の手袋の掌側に三つの勾玉を太鼓で良く見る巴紋の形に並べて……

 

「どうやって固定するんだ?接着剤?」

 

 結局、結衣ちゃんにお願いして糸で縫い付けて貰いました。

 元々円形部分の中心に穴が開いていたので、そこに糸を通す事により確りと固定する事が出来た。

 結衣ちゃんは手袋の内側に固定する事により外から勾玉が見えない様に工夫もしてくれたので、『静まれ、俺の右手よ!』みたいな厨二な手袋と思われずに済んだ。

 

 因みに何故か雷を生成しても皮手袋は焦げなかった、攻撃の度に手袋を替えなくて済んで良かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 宮城県から帰って三日後、今日は風巻姉妹と昼食会兼調査報告を聞く為に、横浜そごうにある竹葉亭に向かった。

 集合は12時丁度、店には僕の名前で予約を入れている。鰻専門店でコースを頼むと懐石料理+〆に鰻重というボリューム満点の老舗だ。

 待ち合わせ10分前に店に着く為に11時2分発の電車に乗るべく余裕を持って家を出た。

 

 少し肌寒いが晴天で高台からは遠く富士山が見える……

 

「霊峰富士山か……日本の象徴だが未だ行った事は無いな」

 

『富士の樹海、氷窟と伝説の多い場所だ。行ってみたいぞ』

 

 素早く周りを見渡すが幸い誰も近くには居ない。

 

「樹海とか自殺者が多いけどさ、胡蝶が求める程の怨霊が居るかな?」

 

 駅に向かって歩き初め端から見れば独り言の様に、体内の胡蝶に語り掛ける。

 

『ふむ、人の霊より妖(あやかし)を探したいぞ。出来れば人型の女性が良い、上手くすれば正明の妾になるだろ?』

 

 御手洗が聞いたら狂喜乱舞しそうな提案だな、女性妖魔とか……

 

「おぃおぃ、そんな不純な考えは嫌だぞ。戸籍の無い女性など現代で囲ったら大問題だよ」

 

 何やら考え込む仕草をする胡蝶さんを見て凄く不安になった、未だ赤目達犬の霊の方がマシだと思う。



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第227話

 風巻姉妹の報告を聞く為に横浜そごうの鰻専門店、竹葉亭を予約した。

 待ち合わせに間に合う様に早めに向かう、自宅から最寄りの京浜急行線の北久里浜駅から横浜駅迄は快速特急に乗れば約30分の旅だ。

 平日の昼前だからか乗客は中年女性が多い、買い物だろうか?

 何とか席が空いていたので大きな体を潜り込ませる、座れた事により鞄に入れていた「横浜開港今昔物語」を取り出して山手の洋館について復習する。

 関東大震災と第二次世界大戦の二つの災害を生き延びた山手の洋館は全盛時の5%にも満たない貴重な歴史的遺産だ。

 この本に掲載されている白黒写真に、あの洋館を見付けた時は驚いた。

 両隣の家は戦火で焼失したのか全く違う建物だが、あの洋館は当時のままの……

 いや、白黒写真だから外壁の色は分からないし家の周りの柵や庭木が微妙に違う気がする。

 柵はアイアンアートを施した鉄製だったが、写真のは木製みたいだ。車を停めるのに鉄柵をきにしていたので記憶に残っている。

 まぁ少し違和感は有るけど古い建物だし周りは改装とかしたのか、戦災で壊れて直したか?

 悩んでいると車内スピーカーから横浜駅到着の放送が聞こえてきた、随分長い間考え込んだみたいだ……

 

 電車を降りて京急横浜駅の上りホームに降り立つ、流石はターミナル駅だけあり乗降客が沢山居るな。

 人の流れに乗りながら中央改札口に向かい自動改札を通過する、精算手間が不要のPASMOって便利だ。

 改札口を抜けて左側、地下街ポルタ・横浜そごうに向かう……

 最近出来た地下街ポルタの入口のガラスのモニュメントを見ながらエスカレーターに乗る、ふむ……またテナントの入れ替えが有ったのか。

 天井から吊り下げられた販促ポスターには新しくOPENする店が紹介されている。

 

「ふーん、崎陽軒食堂が新装開店か……帰りに寄ろうかな」

 

 崎陽軒と言えば横浜の焼売の草分け的存在だ、地元のお土産としても有名だし横浜中華街で売ってる物より僕は好きだ。

 

「榎本さん、これから私達と鰻を食べに行くのですよね?」

 

「見慣れた巨体が立ち止まっているかと思えば、食べ過ぎですよ」

 

 風巻姉妹も同じ快速特急に乗っていたのか何時の間にか左右から笑いながら僕を見上げている。

 周りからは双子に見えるが、これは彼女達の霊能力により認識を阻害し微妙に姉妹をそっくりな双子として見せている。

 諜報部隊として身元の特定をされ難い稀有な能力だ。

 

「ん、崎陽軒の焼売が好きなんだよ。少し早いが店に行こうか」

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「「いただきます!」」

 

「コースだから最初から飛ばすと最後の鰻重が食べられなくなるよ」

 

 純和風の店内は落ち着いた内装でテーブルには季節の花を生けた一輪挿しがさり気なく季節感を出している。

 料理は最上級の松コース、懐石料理+鰻重であり最初は牛肉の佃煮・鮑の酒蒸し・鱸の昆布締めの三種盛りと食前酒の梅ワイン、別注文で頼んだローストビーフ握り寿司だ。

 

「はい、これが高梨修についての報告書よ」

 

 前菜を食べ尽くした後で佐和さんが紙の報告書を渡してくれた、もっともA4一枚だが……

 

「ん、有り難う。どれどれ……」

 

 高梨修、24歳独身。

 家族構成は両親と姉の四人家族、父方母方共に祖父母は既に他界しているのか……

 実家は横浜市緑区、今は中区に一人暮らしで現在付き合っている女性は居ない。

 

『何だか嫁の浮気相手の身上調査みたいだな』

 

『胡蝶さん、脅かさないで!それと変な事を言わないでよね、身辺調査の基本だよ。緑山小学校から神奈川大学卒業迄は特筆する事はないけど高校時代にホラー研究同好会、大学時代には廃墟探訪クラブね』

 

 ホラーはそのまま、廃墟探訪は心霊スポットの場合も多い。

 

「高梨修は高校時代からオカルト系にハマった口だな。でも高校時代の彼女の写真とか良く手に入れたね」

 

 この双子の情報収集能力には驚かされる事が多い、だが注釈に清楚系彼女はメンヘラで現在カルト系サークルに加入とか怖い。

 

「情報を故意に秘匿してない一般人の過去なんて一週間も有れば楽勝よ」

 

 良い笑顔で微笑まれてしまったが、大学卒業後が問題だ。

 

「卒業後、一年間は有名な投稿系怪奇現象ビデオのADのバイトをしているな。その後にポツポツとライター擬きの仕事をしている。

劇画カイザーナックルとか月刊心霊クラブね……どれも東○ポに近い根拠の薄い雑誌だよな、立ち読み程度には知ってるけどね」

 

「でも割と読者投票では人気が有るみたいなのよ。

特に自分がレポーターとして現地に行ってるから臨場感が有るからって……でも特集記事は全て嘘ばっかりよ」

 

 特集記事?A4の紙に目を戻せば……ああ、コレか。

 

「某神社の裏山に夥(おびただ)しい藁人形が?・廃墟ラブホのヤリ部屋に現れる女子高生幽霊・殺人現場トンネルの怪……どれも二番煎じ感が酷いな。

この話の裏も取ったんだ、危ない事は……」

 

「大丈夫です、私達は現地には行ってません。何故か若宮一族の実行部隊が協力してくれたんです」

 

 女性二人で怪しい場所に潜入したから叱ろうとしたが、御隠居の配下が手伝うだと?五十嵐一族の件の詫びのつもりかな?

 

「そうか……しかし報告はガセか。藁人形は自作自演、ヤリ部屋は暴走族の溜り場、唯一の殺人現場トンネルは既にお祓い済みで幽霊は居ないか……」

 

 なる程、奴の狙いは雑誌のネタだな。中途半端に自分のコーナーに人気が出てしまい本物の記事を載せたくなったとか……

 

「高梨修については分かったよ、美乃さんの洋館調査の方は……ってファイル分厚いな」

 

 高梨修の人生はA4一枚なのに洋館の方は3mmは有るな。

 

「うん、有り難う。冷める前に料理を食べようか」

 

 丁度良いタイミングで、鰻の白焼き・うな肝の串焼き・う巻きが運ばれて来たので食事を優先する。

 鰻の白焼きをワサビ醤油で食べながら報告書を読むが、此方は僕の調べた内容を更に細かく調べているな……

 

「この写真、コッチのと微妙に違うな」

 

「ああ、戦災で二階の一部を焼失したらしいの。その時に所有者が一緒に亡くなっているわ。洋館に関わる人物の死亡者一覧は別に纏めて有るよ」

 

 死者が原因の場合が殆どだから、誰が死んだかのリストは重要だ。

 

「コレか、結構多いな。自然死を含めても二十人以上か……コレは原因の特定には時間が掛かるかもしれない」

 

 長くなりそうな予感を振り払う様に、うな肝の串焼きを頬張る。

 

「有り難う、コレを調べれば調査の方針は決められるかな。後は食事を楽しもう」

 

 コレだけのデータが有れば調査方針は決められるし、高梨修については大した問題じゃないな。

 本当の霊障を身を持って味わって貰って、本物の霊能力者の怖さを実感させるか……

 人間は小物だったが、洋館は手強い感じだ、時間も有るしじっくりと調べるかな。

 丁度来たメインの鰻重の蓋を開けて芳ばしい鰻の匂いを胸一杯に吸い込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 平日の昼下がり、妖艶な美女を横須賀中央の事務所に招いた。

 彼女は一児の母だが、どう見ても二十代後半にしか見えない。

 若々しいが年上の姉さんで死者の霊をその身に宿す事が出来る凄腕の霊媒師だ。

 

「此方の事務所にお邪魔するのは初めてですわ」

 

 艶っぽく微笑みながら部屋に入ってくるので曖昧な笑みを浮かべてソファーに座る様に勧める、僕は彼女に苦手意識を持っているから……

 和服が異様に似合う日本美人には珈琲や紅茶より日本茶の方が似合うだろうと来客用の100g5000円の高級茶葉で遇す。

 お茶請けは「たねや」の草餅と塩大福だ。暫くはお茶を飲みお茶請けを食べながら他愛無い話題のやり取りを行う、日本人は直ぐに本題に入る事はしない。

 話題が途切れお互いお茶を飲んで無言の時間が出来た後、漸く本題に入る。

 

「犬飼一族の霊的遺産の件ですが、全て終えて来ました……」

 

 視線は手に持つ湯呑みを見ながら淡々と言う。

 

「ご無事で何よりです……残された方々は、どうするのでしょうか?」

 

 視線を湯呑みから彼女に向ければ、真っ直ぐな瞳と重なる。嘘を言う訳にはいかない、彼女には全てを話さなければ駄目だ……いや、一部は隠すが。

 

「あの当主殿は僕が行く前に単独で試練に挑み亡くなったよ。

他の連中は、あの場所に留まり最後を迎えたいそうだ。幸いと言って良いか疑問だが金銭的な貯えは有るそうだから静かに余生を過ごせるだろう」

 

 現金に変わる遺産については正当後継者である小笠原母娘が放棄したのだから、残された彼等が相続するのが良いだろう。

 あの当主殿は悪食達に食われて跡形も無いから、精々が家出か失踪扱いだけど警察には通報しないだろうな。

 

「何から何まで有り難う御座いました。大婆様もお祖母様も安心している事でしょう」

 

 寂しげに微笑まれてしまったが、ロリコン故に精神的ダメージは少ない。

 だが人としての感情は別だ、確かに僕は彼女が苦手だが好きか嫌いかなら好きなので……

 

「そうですね。お祖母様は多岐さんという名前ですか?」

 

「あら?お祖母様の名前を教えてましたかしら?」

 

 首を傾げて考え込む仕草は無防備で幼い感じで、他の男ならクラクラするだろうな。

 うん、僕は申し訳なさと保護欲くらいで情欲は湧かないや……

 犬飼多岐、つまり指輪の裏側に刻まれたT・Iは多岐・犬飼で間違いなさそうかな?

 

「魅鈴さんにコレを……」

 

 懐から箱に入れた指輪を取り出してテーブルの上に置く、適当な箱が無かったので僕のネクタイピンを入れていた箱で申し訳ないのだが剥き身よりはマシだろう。

 

「これは?こっ、コレをこの指輪を私に?」

 

 凄く驚いているが、もしかして彼女はこの指輪に見覚えが有ったのかな?

 嬉しそうに箱から取り出して左手の薬指に嵌めたけど……ん、左手の薬指?祖母の遺品を何故そこに嵌めるんだ?

 

「慎んでお受け致します……」

 

 居住まいを正して深々と頭を下げたままの彼女を見て大量のハテナマークが頭の中を埋め尽くす、遺品を受け取ってくれたけど大袈裟じゃないかな?

 顔を上げたら涙ぐんでるし……

 

「(祖母の遺品が)そんなに嬉しかったんですか?」

 

「はい、榎本さんが私を選んでくれた事が、凄く嬉しくて……」

 

 ハンカチで目尻を押さえて艶然と微笑まれたが、祖母の遺品を静願ちゃんに渡すのはどうなのかな?

 

「静願ちゃんでも良かったのかな?いや、彼女にはコッチ(霊具)の指輪を渡すから……」

 

 霊力を底上げする指輪だけど、犬飼一族の血を引く静願ちゃんなら効果が有ると思うんだ。

 霊媒師の魅鈴さんは霊力の底上げの必要性は低いと思うし……

 

「まぁ?母娘丼をお望みですの?私は良いのですが、娘は……静願には……」

 

 ん?母娘丼?彼女は何を言ってるんだ?潤んだ瞳を向ける魅鈴さんを訝しげに見詰める。

 

『正明、男が女に指輪を贈る意味を考えろ。求婚と思われても仕方ないだろう?

しかも母娘丼を容認する感じだぞ。良かったではないか、大満足だな』

 

『あー、確かに誤解されても仕方ないのか?』

 

 自分の発言と行動を振り替える。魅鈴さんにコレをと言って指輪を差し出す、彼女はソレを嬉しそうに受け取る……

 うーん、どうなんだろ?

 

「魅鈴さん、誤解が有るなら謝りますが指輪は犬飼本家で見付けたお祖母様の……犬飼多岐さんの遺品と思われます。

静願ちゃんに渡そうと思ったのは試練で手に入れた霊力を底上げする術具の指輪の事です」

 

 そう言って懐から、此方は剥き出しの指輪を二つ取り出してテーブルの上に乗せる。

 

「誤解……なんですか?そんな、女心を弄ぶなんて酷いですわ!好意を抱く相手から指輪を贈られれば求婚だと思います」

 

 本気で拗ねる彼女の機嫌を回復する為に幾つかのお願いをされてしまった。いや、コレって僕が悪いのか?悪いんだろうな……

 可愛く怒る魅鈴さんの機嫌を回復する為に、静願ちゃんも含めて週末に出掛ける事になってしまった。

 



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第228話

 優先度が低かったメリッサ様に連絡を入れる、お互い社会人として昼間は働いているから携帯電話にメールした。

 横須賀中央の事務所で風巻姉妹の調べてくれた資料を読んでいると直ぐにマナーモードの携帯電話がブルブルと震える、返信が来たみたいだ。

 携帯電話を開いて内容を確認する。

 

『出来れば会って話したいです。時間が有ればセントクレア教会の方に来て欲しいです』

 

 ふむ……電話では話せない内容なのか、単に時間が掛かるのかな?

 だが、あのセントクレア教会は幼稚園も兼ねている為に小さなギャング達が多く、僕は肉体的・精神的に大いに疲労する事になる、特に高い高いしてクルクル回る順番待ちとか。

 考えた末に園児達が帰って保母さんの仕事が終わった頃に訪ねる事にする、彼女と食事をしながら相談とか色んな意味で誤解を生み問題が発生しそうだからセントクレア教会を訪ねた方が良い。

 

 メリッサ様と二人で食事したとか亀宮さんに知られたら、例え潔白でも……

 

『今日の夕方なら空いてます、六時過ぎにセントクレア教会にお邪魔すれば良いですか?』

 

 直ぐにOKのメールが来たので、高梨修についての報告書だけコピーして渡す事にする。

 奴はメリッサ様を利用して僕とセントクレア教会の秘密を探るつもりだ、早めに対策を講じないと面倒臭い事になるだろう。

 インチキ記事に何を書かれるか分かったモンじゃない、「昼は保母さん夜はエクソシスト!」とか「武蔵坊弁慶の生まれ変わりは退魔師?」とか見出しを飾りそうだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕方六時過ぎにセントクレア教会を訪ねた。園児達の殆どは帰宅し親の迎えを待つ数人が遊戯室で保母さんと遊んでいる、どうやら僕には気付いていないみたいだ。

 

「今晩は、榎本さん」

 

「今晩は、メリッサ様」

 

 少し疲れた感じのメリッサ様が正門前で出迎えてくれた、いや少しどころか大分疲れているみたいだ。肩を落とし目の下には薄らと隈が出来ているし大きくため息も……

 

「わざわざ済みません。園長室の方へ」

 

 柳さんも一緒に相談するのか、あの腹黒婆さんが絡むとなれば油断出来ないな。

 胡蝶さんに周囲の警戒を頼むが今回は特に何も無さそうで安心した。

 気を引き締めて、メリッサ様に続き園長室に入る。 途中でモブシスターさん達が複雑な表情で僕達を見ているのが気になる、彼女達も僕が呼ばれた内容を知っているのだろう。

 

「お呼びして済みませんね」

 

「いえ、相談位なら大丈夫ですよ」

 

 無表情の柳の婆さんが机に座り出迎えてくれた。勧められるままにソファーに座ると、直ぐに缶コーラと大判焼きが十個入った紙箱ごとテーブルに置かれる。

 

「いただきます」

 

 匂いに負けて大判焼きを一つ頬張る、中はカスタードクリームだったが上手い。

 

「それで、話したい事とは何ですか?」

 

 一つ目のカスタードクリームを食べ終わり二つ目に挑戦、次はチーズだったが此方は味は微妙だ。

 

「あのですね、真面目な話なんですよ?大判焼きを出したのは私達ですが、遠慮なくバクバク食べられては……」

 

「大丈夫、真面目に聞いてます」

 

 二つ目を食べ終わりコーラで口の中の甘味を胃に流し込み真面目な顔をして、メリッサ様を見詰める。だが、ため息をつかれた……

 

「高梨修さんですが、やはり私達の裏の仕事が取材の目的でした」

 

「ええ、そうみたいですね。コレが彼の調査報告書です、全くメリッサ様を騙すとは許せない男ですね」

 

 彼女は守銭奴みたいに振る舞うが、実際は子供好きで素直で騙されやすい単純な部分が有る。

 基本的には善人だし、亀宮さんの喧嘩友達でもあるから僕としても嫌いじゃない。

 坊主を度々教会に呼んで手伝わせるが、イベントの手伝い自体は実は嫌いじゃないんだよね。

 

「知ってたんですね?いえ、調べてくれてたんですね。これは……こんなに酷い男だったんですか?」

 

 報告書を手に取り読み始めたが身体が震え始めた、騙されていた事を更に確認した為だろうか?

 柳の婆さんは渋い顔をしているが特に何か言う事は無いみたいだな、後継者育成には結構スパルタなのかも。

 

「完全に利用する為にメリッサ様に近付いたのは間違い無いでしょう、姉の危機も奴にとっては飯のネタでしかなかった。渡りに船位に思っていたのかな……」

 

 実の姉の苦境に余り危機感を感じていなかったし、もしかしたら心霊現象自体を信じていない可能性も有る。

 何たって記事は全てガセだから本当の心霊体験をしてない可能性が高い、身を持って知っていたら霊能力者に対して不用意な接触はしないだろう。

 変な力を持つ連中の機嫌を損ねたら何をされるか分からない怖さが有る筈だ。

 

「ふふふ、あの証言も嘘なのね……」

 

「証言、ですか?」

 

 どうやら呼び出されたのは奴から動きが有ったみたいだ……落ち着く為にコーラを一口飲む、シュワシュワとした喉越しが気持ちを落ち着かせる。

 

「今日お呼びしたのは正式な謝罪と一応の経過報告です。

若宮の婆さんから苦情と警告を貰いましてね、亀宮の序列12席の榎本さんを変な事に巻き込むなと。随分と彼の一族から配慮されているんですね?」

 

 若宮の婆さん、五十嵐一族の件のお詫びのつもりだろうか?だけど、この件の調査は若宮の婆さんからも依頼を請けている。

 それも解約なのか、単純に柳の婆さんに釘を刺しただけか真意を確認しないと動けないぞ。

 

「その辺は気にしてませんよ。どちらにしても高梨修については対処が必要だった、雑誌に暴露されるのは都合が悪いですよね?お互いに……」

 

 僕は心霊調査事務所の看板を掲げているが、内容が詐欺とか書かれたら大ダメージだ。

 

「アレについての対処は私に一任して下さい、神の怒りを知る事になるでしょう。経過報告ですが、事態は悪い方に進展しました。

美羽音が子供を連れて洋館から逃げ出しました、我々が保護してますが凄く怯えています。

美羽音も高梨修も同じ事を言っているのです。ピェール氏が二人居ると……」

 

 二人居る?確かにピェール氏は何か原因を知っていると思っていた。

 だが原因はあくまで洋館の方だと考えていたが、ピェール氏の方に原因が有ったのか?二人居る……偽物……まさかドッペルゲンガー?

 

「二人居るとは驚かされますね、兄弟や親戚で似てる人が居るとかでは?その根拠は何ですか?まさか二人並んで現れたとか?」

 

 ドッペルゲンガーが本人に遭遇すると死んでしまうといわれている。

 それに重複して存在を確認出来なければ二人居るって話にはならない、根拠が無ければ只の与太話だ。

 

 アレ?メリッサ様の顔が真っ赤だけど何か恥ずかしい事を言ったかな、セクハラ紛いな内容では無かった筈だが?

 

「その……夜の夫婦の営みが……全く違うそうです」

 

「単に隠していた性的嗜好を曝け出しただけじゃないですか?」

 

 急にコスプレさせるとかSMチックなプレイを強要するとか、若い嫁さんを貰ったなら男なら色々とやりたいプレイが有るだろう。

 

「違います!その……性感帯とか開発して知っているのに一から始める様な、全く別人の様な手順らしいのです。

全くセクハラですよ、こんな話をさせるなんて、榎本さんのバカァ!」

 

 真っ赤になって怒鳴られたが、肌を重ねた男女だからこそ分かる違いだな。

 それは信憑性が有るが、美羽音さんはそんな恥ずかしい事まで暴露して危険を知らせたのか、いや追い詰められているのか……

 

「高梨修の証言は?まさか実の姉の恥ずかしい話って訳じゃないよね?」

 

 メリッサ様は「あの証言も嘘なのね」って言ったんだ、同じじゃないだろう。

 

「あの人は、ピェール氏が誰も居なかった洋館にいきなり現れて知らない内に消えたって言っていたわ。まるで霞の様に消えたって……」

 

 他人の出入りを拒む洋館に一人か美羽音さんと一緒に居た所に現れて、何も言わずに消えたって事か。

 確かに話に聞いたピェール氏の性格なら高梨修を追い出すか文句の一つも言うだろう。

 

「つまり人間じゃない、ドッペルゲンガーや生霊とかに会ったって言いたいのかな?凄く嘘っぽいな、美羽音さんの話に合わせて適当な事を言っているみたいだな」

 美羽音さんと違い信憑性は低い、奴の証言は本当であっても考慮しない方が良いな。事件に食い込ませない方法で進めないと引っ掻き回されるぞ。

 

「そうですね、この事を話していた時は少し嬉しそうでしたよ。これで自分も関係者なんだぞ、みたいな事も言ってました」

 

 当事者じゃなくて関係者って所に無責任さを感じてしまうな。だけど家出した美羽音さんを匿っている事は良いのだが、法的には良くないぞ。

 経済的にも恵まれDV等の過失がピェール氏には無い、事が心霊現象絡みで理由が本人でなく偽物だからじゃ、美羽音さんの方に問題有りと思われる。

 

「美羽音さんを匿っていると言いましたね?世間一般的な事を考えれば、現段階でピェール氏に落ち度は無いですよ。

法的措置を取られた場合、此方が不利になります。匿ってる場所は高梨修も知ってるのかな?」

 

「美羽音を匿ってる場所は私と鶴子他の数人しか居ません。当然、高梨修には教えていませんよ」

 

 一安心だが油断は出来ない、ピェール氏は美羽音さんが頼れるのはセントクレア教会しかないと知っているから調べるだろう。守りに回るのは良くないな……

 

「美羽音さんが頼れるのはセントクレア教会しかないとピェール氏は知っている。

興信所とか使われたら直ぐにバレますよ、母子を隠し通すのは無理が有ります」

 

 完全に外界と接触を断つ事は共犯者が居ても難しい、それに僕達は疑われているからピンポイントで関係者を調べられたら終わりだ。

 下手をすれば誘拐紛いな事をされたと言われても反論出来ないぞ。

 

「勿論です、この件については高梨修も含めて私達に任せて下さい」

 

 そう言って、柳の婆さんは深々と頭を下げた。これ以上は僕を巻き込まないって事だと思うが、僕としては若宮の婆さんと話をしないと駄目だな。

 このまま放置か関わらなければならないか今は判断出来ない。

 

「そうですか、分かりました。僕の方からも若宮の御隠居様には連絡を入れておきます。

参考までに聞かせて下さい、ピェール氏をどう対処しますか?」

 

 偽物と騒いでも解決にはならない、祓うか倒すか……だが僕はピェール氏よりも洋館が気になって仕方ないんだ、霊感なのか分からないけど確信に近い思いが有る。

 

「気になりますか?最終的には私自身が直接対決するつもりですが、その前に身辺を再調査します」

 

「直接対決とは恐れ入ります。ですが、僕はピェール氏よりも洋館が気になって仕方ないのです。

あの洋館の違和感、ピントの合ってない感じは放置するには疑わし過ぎます」

 

 すっかり温くなったコーラを飲み干して空缶をクシャクシャに握り潰す、ビー玉サイズも楽勝だ。

 

「ご忠告有り難う御座います。勿論、洋館についても調査しますよ。鶴子や、お詫びを兼ねて榎本さんと一緒に食事をして来なさい。

ビストロ・クーに予約を入れて有ります。榎本さん、鶴子を頼みます」

 

 え?メリッサ様と夕食を共にだって?

 

「ええ、着替えて来ますから遊戯室で園児達と遊んでいて下さいね」

 

 は?お迎え待ちの園児達と遊ぶの?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 僕が遊戯室に入ると退屈そうに積み木をしていた園児達が走り寄ってくる。

 

「わーい、マッスルおじさんだー!」

 

「オジサン、高い高いしてー!クルクル回ってー!」

 

 結局、このチビッ子ギャング達の相手をするのか……

 

「お兄さんだよ、僕はお兄さん、分かるね?」

 

「マッスルサンタのオジサンだい!」

 

 刷り込みって怖い、園児達の中では僕はイベント毎に呼ばれるマッスルなお手伝いのオジサンなのかも知れない、大変に不本意だが……

 暫く後、タイミングの悪い事に園児達のお迎えに来た父兄達に着替えたメリッサ様と一緒に食事に行く姿を見られてしまった。



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第229話

「何か不満そうな顔ね?美人シスターと二人切りで夕飯を共に出来るのに、どんな不満が有る訳?」

 

 周りの男性客からチラ見される位に、メリッサ様は美人だ。

 驚く事に私服は清楚系のワンピースを着ている、修道服だと肉感的になるから二度驚いた。

 僕はロリコン故に友愛以外の感情は無いし、人工的に魅力を高めた一子様と接する機会が有った為か平常心だ。

 

「誤解を受けると、お互い問題有りだろ?

疑われても直ぐに真相は分かるから実際のダメージは少ないけどね。亀宮さんには僕から報告しておくよ」

 

 案内されたビストロ・クーは落ち着いて雰囲気の良い店だ、既にコース料理が頼まれていたのでメニューを見れなかったが客単価は高そうだな。

 ディナーなら一人平均一万円位だと思う。

 

「完全に尻に敷かれてるわね。梢ったら口を開けば榎本さんの話ばかりだけど、桜岡さんとは別れたの?」

 

 やっぱり連絡を取り合っているんだな、亀宮さんの数少ない同性の友人。

 

「僕は亀宮さんと付き合ってる訳じゃないよ。敵対しない為に、他勢力からの勧誘を断る為に派閥に入った筈だったんだ。

現実はガチガチに周りを固められているのは自覚している、妙に高待遇だし一部からは恨まれている」

 

 胡蝶という秘密を抱えていた為に同業者とは協力しなかった、非協力的だった彼女を隠すには他人と距離を置くしかなかったんだ。

 だが今は心強い仲間に囲まれて幸せだ、一人に戻るのは嫌だと思う。その分、苦労は多くなったが仕方無い。

 

「あのね……自分と敵対しない為に派閥に属してくれて力になってくれる異性を気にしない女は居ないわよ。

しかも亀ちゃんという枷を完全に無視出来る男は、榎本さんだけの一択だし……まぁ良いわ、乾杯」

 

「乾杯」

 

 ワイングラスを胸の高さまで上げる、グラスを当てる乾杯は正式にはマナー違反だ。

 そしてメリッサ様も亀宮さんに対する僕の煮え切らない態度を怒っている、喧嘩友達とはいえ大切に思ってるのが分かる。

 タイミング良く前菜が運ばれて来た、京野菜のサラダ・バルサミコ酢ドレッシングかな?色鮮やかな野菜達が綺麗に切り揃えられている。

 

「亀宮さんの事は置いといて、美羽音さん達の事だけど……

実は柳の婆さんの喧嘩友達の若宮の御隠居様から、今回の件の調査を頼まれている。先程の話だと若宮の御隠居様は僕を巻き込むなと釘を刺した。

それはセントクレア教会の都合に巻き込むなって事か、僕に今回の件から手を引けなのか分からない。後で確認するけどね」

 

 一つの物件を複数の霊能力者が連携もせずに勝手に動くのは問題が多い、名古屋の件で学んだけど依頼された仕事だから競うのは当たり前だ。

 

「それは嬉しいけど、ああ言った手前協力して当たるのは無理よ。精々が連絡を取り合い情報を共有する位かしら?」

 

「そうだね。柳の婆さんはピェールさんが元凶と考えている。僕は洋館こそが元凶だと考えているから丁度良いかもね」

 

 前菜のサラダを食べ終えた頃を見計らって次の料理が運ばれて来た。

 恰幅の良い青年がホウレン草のキッシュをテーブルに置く、夫婦で経営してるみたいだがメインのシェフは奥さんみたいだ。

 

「洋館?ホラーハウスって事?でも美羽音は最初から赤ちゃんの部屋に怪しい人物が現れるって事を心配して相談に来たのよ。

それがピェール氏の生霊かドッペルゲンガーなら辻褄は合うわ」

 

 誰も居ない筈なのにカメラに映る不審な人物、確かに依頼は不審者の調査を頼まれたんだ。

 だが僕の霊感も胡蝶のレーダーも洋館の方が怪しいと感じている、この手の思いを軽視しちゃ駄目なのは経験で学んでいる。

 

「洋館にしか現れないんだよね?霊障と思われる可能性は一つずつ潰していかないと駄目だよね」

 

「やっぱり堅実ね……」

 

 スライストマトの上にモッツァレラチーズを乗せてオリーブ油を散らした料理とペンネグラタンが運ばれて来たのだが、メリッサ様はモッツァレラチーズしか食べずトマトを残している。

 

「トマト嫌い?一緒に食べないと美味しくないよ」

 

 僕も小さい頃は大嫌いで最近漸く少しだけ食べれるんだけど、トマトの酸味がモッツァレラチーズに合うんだよね。

 でも野菜の中でもトマト嫌いの人は多い。セロリや茸類、人参なんかも嫌いな人が居るよね。

 

「駄目なのよ、生トマトだけはね。ケチャップとかは平気なんだけど……」

 

 どうやら僕とメリッサ様は味覚が似ているみたいだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 意外な事に、メリッサ様との食事会は楽しかった。話題が霊能業界の事が多かったが、宗派は違えど参考になる事は多い。

 聖書に聖水と十字架のみが仕事道具って聞いたけど、少し心細くない?って試しに御札を渡してみたが一般人より効果的に使えた事に驚いた。

 僕が十字架を持っても何の意味も無いのに不思議だ……

 別れ際に数枚の御札を渡してお礼に聖水の入った小瓶を貰う、これは聖水自体に聖なる力が宿る為に僕でも使えるそうだ。

 勿論、信仰心が強い程、効果は高いのだろう。

 

 他宗教交流を終えて自宅に帰る、結衣ちゃんへのお土産と少し物足りなかったので「クロワッサン鯛焼き」なるアンパン二十個ほど購入した。

 

 自宅玄関を開けたのは21時半過ぎだったが、見慣れない女性用のパンプスが……魅鈴さんでも来てるのかな?

 

「ただいま、結衣ちゃん。誰かお客様かな?」

 

 声を掛けながら居間に入ると懐かしいお嬢様がソファーに座り、山盛りの焼き栗と格闘している。

 

「お帰りなさい、榎本さん。久し振りですわね、驚かそうと思いまして黙って来ましたわ」

 

 久し振りの大食いお嬢様は輝く笑顔を向けてくれる、口の端に焼き栗の欠片を付けながら。

 

「お帰り、桜岡さん。修行は終わったのかい?」

 

 結衣ちゃんにクロワッサン鯛焼きを渡して桜岡さんの向かい側に座る。フードファイターとして久し振りに強敵(と書いて親友と読む)の彼女と戦いたくなった。

 

「ええ、パワーアップした私にひれ伏しなさいな」

 

 アレ?キャラの方向性を変えたのかな?偉く強気の態度と笑顔だが、相当の自信が有るのだろう。

 

「それは頼もしいね。焼き栗勝負の次はアンパン勝負だ!」

 

 上着を脱いで腕捲りをすれば臨戦態勢の完了、早速焼き栗を一つ摘む。

 

「その太い指で小さな焼き栗の皮が剥けるのかしら?」

 

「余裕だよ、ほらね」

 

 親指と人差し指で挟んで軽く潰せば皮が割れて剥きやすくなる、僕の力の前には焼き栗の皮もミカンと変わらない。軽々と剥いていると、結衣ちゃんが日本茶を煎れてくれた。

 

「有り難う、焼き栗って和菓子かな?」

 

「さぁ、どうでしょうか?榎本さんとのフードファイトは本当に久し振りね」

 

 フードファイトと言いながら良い歳の大人がチマチマと焼き栗を剥く事が面白かったのか、結衣ちゃんが笑いだしたので三人で仲良く食べる事にした。

 

「私が居ない間に随分と名古屋で活躍したそうですわね。

加茂宮の当主、一子さんと関西巫女連合に所属する姉弟子の高槻さんからお礼を言われましたわ。二人の命の恩人だって凄く感謝してましたよ」

 

「私も一子さんに会いました、横浜の中華街で偶然に会いまして一緒にお昼を食べたんです。素敵な人ですよね……」

 

 女性陣が一子様の話題で盛り上がっている、彼女は魅了系の術者だから同性も魅了する術が有る。

 結衣ちゃんも第一印象は悪く無かったんだな、憧れますとか言ってるし……

 だが御三家の一角である亀宮に属する僕の親しい人達が、同じ御三家の加茂宮の当主と親しいのは問題だろう。

 流石は一子様って思ってしまう僕も少なからず彼女に魅了されている、ロリコンの僕がだ。

 贄として食べたい相手で有る事も関係してるのだろうか?確かに僕は(胡蝶に食わせる意味で)彼女を強く欲している。

 一子様も高槻さんも桜岡さんを絡めて僕の懐柔を考えているとしたら厄介だ。

 女性陣の為にせっせと焼き栗を剥きながら考える、加茂宮の当主達は後六人残っていて面識が有るのは一子様だけだ。

 彼女に協力し少なくとも三人から四人は食わないと負けてしまうし、先に二人食われたら勝負は分からない。

 加茂宮に憑くモノと胡蝶は因縁が有りそうだから放置も出来ないし……悩むな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局、クロワッサン鯛焼きは二十個有ったが、結衣ちゃんが一個で僕が八個、残り十一個は桜岡さんに食べられた。スピード勝負は勝てない。

 今は結衣ちゃんが先にお風呂に入ってるので居間で軽くお酒を飲んでいる、珍しく梅酒をロックで……

 

「榎本さん、加茂宮一族からの高待遇は怪しくないですか?」

 

「うん、加茂宮は当主達の権力争いが激しくなってるみたいだ。名古屋で仕事中も当主達の内、二子さん達三人が行方を眩ました。

一子様は他の当主達を疑っている、だから僕みたいな外部の連中の協力も欲しいのかもね」

 

 精神操作系の一子様は直接的な戦闘力は低い、他で補うしかない。

 僕は彼女からすれば攻撃・防御・治癒・索敵と四拍子揃った駒だろう、出来れば仲間に最悪は中立と思ってる。

 

「関西巫女連合は一子さんに全面協力するそうよ、構成員は任意参加だけど敵対勢力には協力しないのが基本かしら……」

 

 普通に喋ってるって事は桜岡さんは加茂宮派なんだな。当然だな、本拠地は関西で所属している関西巫女連合は加茂宮の派閥だ。

 

「桜岡さんから見て、誰が有力なのかな?」

 

 梅酒を一口飲む、これは結衣ちゃんが梅ゼリーを作るのに買った余りだから蜂蜜入りと妙に甘い。

 

「んー、一子さんだと思いますわ。元々二子さん達三人を纏めていましたから。

三人が行方不明になっても残りの五人は連携も協力もしてないんです」

 

 生き残りの五人はバラバラで連携も協力もしないなら各個撃破出来るな。

 蟲毒の呪咀は最後の一人になるまで互いに食い合うから連携などしないだろう、強い者が勝って敗者を食らう。

 

「そうなんだ、加茂宮も大変なんだね。僕は亀宮の派閥に属してるから何とも言えないけど、桜岡さんは協力するの?」

 

 さり気なく聞いたつもりだが喉がカラカラだ、梅酒を飲んで湿らそうとしたが空だった。桜岡さんが僕のグラスに梅酒を注いでくれる。

 

「私自身の協力は無いですわ。義母様も、そこ迄は手伝うつもりは無いと言ってました。

ですが関西巫女連合からは既に高槻さん他数人が手伝いに派遣されてます」

 

 高槻さんは一子様の配下みたいな感じだったから何と無く一緒だと思ったよ。でも桜岡母娘が手伝わないなら一応安心かな。

 

「そうなんだ、安心した。亀宮でも派閥争いって酷くてさ、余り関わり合いになりたくないんだよ」

 

 あれ?桜岡さんにしては珍しく疑う様な企む様な不思議な目を僕に向けてきたけど何だろう?

 

「一子さんは略奪愛で有名なんです、彼女の派閥の構成員の殆どは男性。そんな彼女がべた褒めな榎本さんって不思議ですわ?」

 

「楽しそうですが、何の話ですか?」

 

 風呂上がりの結衣ちゃんも桜岡さんの隣に座り僕を見ている、可愛いレモン色のパジャマでタオルを首から下げている。まだ髪は乾かしてないのか……

 

「一子さんが榎本さんをべた褒めするのは何故かしら?って聞いているんですわ。

あの人が無条件に他人を褒める事は極めて珍しいんです、お気に入りの配下の方達ですら無いのよ」

 

「そうなんですか……それは気になりますね、どうしてなんですか?」

 

「それは……その……僕の何処が良いんだろうね?ははは、分からないな。距離を置かないと駄目な相手だからね」

 

 それは、将を欲するなら先ず馬から……だろうな。

 

 僕と関わりの深い人達を絡めて、蟲毒の呪咀による争いに引き込むつもりだろう。逆に僕としても参戦する理由として利用出来ると思い初めている。

 一子様と共闘するより単独で裏から他の当主達を襲った方が手間は掛かるが安全なのにだ。気を付けないと、無意識に彼女の魅了の術に掛かり初めているのかも知れない。

 

 



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第230話

 結衣ちゃんと桜岡さんの追及を凌ぎ切った。

 まぁ追及と言っても浮気でも何でもないから平気なんだけど、幾つか隠さなければならない事が有るから用心しながら話した。

 名古屋の件は守秘義務が絡む事を言って大筋だけ話したが、桜岡さんは一子様からも詳しい話を聞いていて問題の洞窟の事で感謝されてるのねと言われた。

 女性として醜い餓鬼化を防いでくれた事は幾ら感謝してもしたり無いそうだ。

 結衣ちゃんも僕の仕事内容をそれなりに聞けて嬉しそうだったが、危ない事はしないでと懇願された。

 

 僕は身寄りの無い彼女にとって、最後の家族だから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 桜岡さんが帰って来てから翌日、久し振りに朝食を二人で作っているのを後ろから眺める。本当に姉妹みたいに仲良しだが、作ってる量が半端無い。

 

「トースト二十一枚、オムレツ七個、ソーセージ……は何本有るんだろう?帰りに買い出しをしないと明日以降の食材が不安だな」

 

 僕と桜岡さんがトースト十枚、オムレツ三個、ソーセージ多数だろう。オムレツはチーズ&ホウレン草とチーズ&ベーコンの二種類みたいだ。

 

「私が後で買い出しに行ってきますわ。金沢区にコストコが出来たそうなので、纏め買いしてきます」

 

 コストコか、確かロールパン三十個で袋売りとか安くて大量なんだよな。

 一時期ハマったけど輸入製品が多くて大味だから飽きたんだ、中国の食品偽装問題とかで結衣ちゃん的にも国産品が安心とか言ってたし。

 

「お願いします、僕は千葉の亀宮本家に行きますから帰りは遅いかもです。車は使って良いですよ」

 

 そう言って愛車キューブの鍵を渡す、実はセカンドカー購入を検討している。緊急時にスピードの出る車にするか積載量の多いワンボックスにするか……

 キューブは愛着が有るが仕事が多様化してるので一台では対応し切れない。でも僕の周りの女性陣はスポーツカー率が高い、桜岡さんやメリッサ様とか。

 別に悔しいから対抗する訳じゃないけど……

 

 片道三時間電車の旅だが、若宮の御隠居とは有耶無耶にせずに話を付けないと駄目だ。因みに車の任意保険は桜岡さん、第三者が乗っても大丈夫に変えている。

 仕事の関係で他人に運転を頼む場合も考えて、割高だがプラン変更をした。

 八王子でも高野さんに運転させてボロボロにされたが、第三者を怪我させなくて本当に良かった。人身事故の場合、車の所有者にも責任が発生するから……

 

「既に亀宮一族の序列十二席だそうですわね、凄いですわ。榎本さんの能力なら上位に食い込むって思ってましたが、かなり噂は広がってます。

いえ、噂を意図的に広めてますわ」

 

「うん、その件について話し合いに行くんだ。僕は亀宮一族の重鎮になるつもりは無い、だけど完全にフリーはもう無理だろうね。

既に周りは固められてしまった、仕方ないけど全てを言いなりは嫌だから少しでも自由をもぎ取るさ」

 

 既に派閥の歯車に組み込まれてしまったからには、抜け出すのは不可能だ。それこそ他の勢力に……加茂宮や伊集院の傘下に入る位しないと組織力で潰される。

 僕が亀宮さんの派閥に入るって決めたんだ、組織に組み込まれるのだから、こうなる事は考えていたさ。

 

「私達の為に頑張って下さいね」

 

「え?」

 

 さらりと何か言われたが聞き返す前に他の話題に変えられてしまった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 神奈川県から千葉県に行くルートは幾つか有る。電車で東京湾沿いをクルッと回るか、フェリーで久里浜から金谷まで東京湾を横断するか。

 今回は後者のフェリーを利用する事にした、約45分の船旅だ。京急久里浜駅からバスに乗り久里浜港へ到着、乗船手続きを済ませる。

 周りの乗客達は観光とゴルフ組が半々位で、既に売店でビールを買って飲んで盛り上がっているグループも居る。

 

「楽しそうだが、僕は仕事だからビールは飲めないな……」

 

 波も穏やかで日差しも暖かいので客室でなく後部デッキに置かれたベンチに座る。船が出航し離れゆく久里浜港を眺めながら、今日の話し合いの進め方を考える。

 相手は御隠居衆筆頭、序列二席の上位者で僕は新参者の序列十二席。力で勝ろうが組織内では向こうが上だ、無策で強気に出るのは悪手だろう。

 幾ら向こうに落ち度が有れど確たる証拠は掴んでないし、詫びとして色々としてくれている。

 余り細かい所を突いても大した見返りは無いし、相手の悪感情を強めてしまう。先ずは……

 

①ピェール氏に対しての今後の対応だ。

 セントクレア教会と協力するのか単独か、そもそも単独なら美羽音さんから依頼を請けないと洋館の調査は難しい。

 

②組織内の派閥争いに巻き込まない事。

 五十嵐一族の件で確信したが、若宮の婆さんは僕をダシに一族の浄化を考えている。変な奴等ばかり僕に絡んで来るのは勘弁して欲しい。

 

③加茂宮からの接触が多いが、僕が向こうに所属するつもりは無い事。

 仮にも御三家の一角だから無碍に突っ張ねる事は出来ないので変に疑わない様に頼む事。

 僕に二心有りとか敵対する連中が騒ぎだす事が無い様に上層部と意思の疎通をしておきたい。

 

 最低限約束させたいのは、最初の二つだ。三つ目は約束というよりはお願いだろうか?

 話し合いで肝心なのは最初に最低限譲れない内容を決めておく事だ、アレもコレもじゃ話は纏まらない。

 その他の要求は序でに飲んで貰えれば儲け物位の考えで臨んだ方が良いと僕は思う。

 何でも思い通りにしたいなど、子供の我儘か某米帝みたいに隔絶した力が無ければ無理だ。

 今は要求が通っても何時か逆襲される、だからある程度の歩み寄りや妥協は必要。

 

「もう到着か……早いな」

 

 考え込んでいたら船内アナウンスで十分後に到着と教えてくれた。

 車ごと運べるフェリーだから運転手達は自分の車へと戻るのだろう、暫く穏やかな海を眺めてからタラップへと向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 千葉県には内房線と外房線が有り都内に一時間で出れる割にはローカル色が強い。

 具体的には昼間は一時間に二本位しか電車が止まらない、観光電車は通過してしまう。

 運悪く電車は出たばかりなので自動販売機で……コーラは無いので岩清水サイダーなるモノを買いベンチに座りチビチビと飲む。

 

「岩清水サイダー、普通だな。炭酸も弱めで甘さはキツい」

 

 微妙なサイダーを飲みながら電車待ちの他の乗客を眺めるが中年女性のグループが目立つ、館山フラワーパークに行くらしい。

 千葉県の特産品ってピーナッツ・ビワ・海産物位しか知らないな。

 数人が僕をチラチラと盗み見しているが、今日は話し合いの為に黒のスーツ姿だからヤの付く職業の方と勘違いされたかな?

 三十分程待たされて四両編成の各駅停車に乗り込む、四十五分のローカル線の旅の始まりだ。

 車内はガラガラなので先頭車両の連結部分脇のBOX席に座る、他の乗客は寄って来ない。

 

「見た目が厳ついとはいえ、この対応は傷付くな……五十嵐巴さんが僕を怖いと言ったのは納得だ、年頃の娘さんで若干男性恐怖症気味なら仕方ないだろう」

 

 昨晩彼女からメールが有り今日の話し合いに同席すると教えてくれた、派閥争いについては当事者だから当然だそうだ。

 僕は彼女に若干の苦手意識を持っている、妙に押しが強いのと薄幸で苦労人の彼女に同情しているのかもしれない。

 

 のんびりと海岸沿いを走る電車の車窓を眺めて田舎の風景を楽しむ、都会と違い時間の流れが緩やかな気がするな……

 農作業をする人、海岸でワカメを干す人、孫と遊ぶ老人、全てが生き生きと感じる。

 

「僕とは違い人の生き死にとは無縁だからかな?」

 

 電車を降りて無人駅の自動改札を潜ると黒塗りベンツが停まっているが、どう考えても亀宮の関係者だろう。

 他に電車を降りた客が居なくて良かった、端目からはヤの付く職業の方のお迎えにしか見えない。

 立ち止まって視線を送っていると後部座席から最近知り合った薄幸な感じの苦労人が、愛想笑いを浮かべながら出て来た。

 

「おはようございます、榎本さん。お迎えに上がりましたわ」

 

「おはよう、五十嵐さん。次期当主自らお迎えなんてしちゃ駄目だと思うよ」

 

 ぎこちない笑みは男性恐怖症の為だろう、厳ついオッサンに気を遣って貰うのは心苦しい。

 

「五十嵐一族は親榎本派だから良いのです。私と一緒に亀宮本家に行く事に意味が有るのですよ」

 

 親榎本派?嫌な言葉を聞いたぞ、幻聴であって欲しい。誘われるままにベンツの後部座席に乗り込むが、運転手は東海林さんだった。

 

「お疲れ様です、榎本さん。

巴様も言ってますが、お二方の仲の良い所を周りに見せ付ける必要が有るのです。私達は和解したのですから……」

 

 和解、和解ね……確かに犬飼一族の件は和解した、和解金も即日事務所へと運ばれて来たよ。

 帯封の付いた福沢諭吉の束が十個程ね、最近金銭感覚が変になりそうだ。

 

「そうですね、僕は五十嵐一族と敵対する心算は(今の所は)無いですよ」

 

 政治的配慮って奴だと思うが、亀宮一族の中の僕の立ち位置って何なんだろう?

 もう他の有力一族から利用はされないと思う、御隠居衆は若宮の婆さんを筆頭に十人、序列一席は亀宮さんで僕は十二席。

 亀宮さんと若宮、風巻と五十嵐の四人が僕寄りらしいが……

 

「榎本さん、来週の金曜日に私の襲名式が有ります。参加をお願いしますね」

 

「早いですね、予定は開けておきます……」

 

 当主の襲名式に僕が参加する事の意味は分かる、対外的に良好な関係と知らしめる事が出来るから。

 

「後でお知らせを送りますが、場所は亀宮本家で行います。当日は懇親会も有りますし遅くなりますから、泊まる準備をして来て下さいね」

 

「いや帰るよ。帰れない距離じゃないし、亀宮本家に泊まるのは嫌な思い出しか無いから……」

 

 罪人の首壺とか首壺とか、大切だから二回考えました!

 

「亀宮様が帰さないと思いますが……到着しましたわ」

 

 田舎の街並みが続く中、突然白く長い土塀が現れた。此処が東日本の霊能力関係者を束ねる御三家の一角、亀宮一族の本家だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 前回は亀宮さんに、今回は五十嵐さんに案内されて本家の敷居を跨いだ。流石に露骨な敵意の籠もった視線は送られないが、友好的な雰囲気は少ない。

 前回の大広間とは違うみたいで道順が違う、日本家屋の内部だが洋風の扉が続く。

 今回は滝沢さんや御手洗達は亀宮さんに同行してるし、佐和さん美乃さん姉妹も金沢区の風巻分家に詰めてるから仲間と呼べる知り合いは居ない。

 案内された部屋は十畳程の洋間でソファーセットが真ん中に鎮座している。

 

「よう参られた、榎本さん。まぁ座って下され」

 

「わざわざ時間を頂いて申し訳ないです、御隠居様」

 

 お互い社交辞令から入ったが交渉は既に始まっている。若宮の婆さんと風巻のオバサンが向かい側、僕の隣に五十嵐さんが座る。

 最初に時事ネタの会話をして様子を伺うが、若宮の婆さんから本題に入ってきた。

 

「今回の件は我等の方に非が有る、申し訳ない事をしたな」

 

 どっちとも取れる言葉だな、五十嵐一族の件か派閥争いに巻き込んだ件か……

 

「五十嵐さんの方は解決済みです。多少の遺恨は残るでしょうが問題無いでしょう」

 

「そう言って頂けると幸いです」

 

 僕の言葉に五十嵐さんも追従する、当主の交代に和解金まで貰ってるので僕としても文句は無い。

 僕等の言葉に若宮の婆さんの表情が、目が僅かに開いた。五十嵐さんの方って言葉に反応したんだろう。

 

「榎本さんの悪い噂を広めていた連中は私達の方で捜し出しておきました。処分は降格にする予定ですが、希望が有れば対応します」

 

 諜報部隊の長、風巻のオバサンがA4の紙を一枚差し出して来たが尻尾切りの一覧だろう。

 チラリと見るが知らない名前ばかりだ、本当に悪い噂を流したのか組織に不要と判断されたのか分からない。

 おっ、山名と五十嵐の名前が多いな……今回の騒動はやはり五十嵐一族の建て直しかな?

 



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第231話

 今後の話し合いの為に千葉県の亀宮一族の本家を訪ねた。対するは亀宮一族の実質的なNo.1である若宮の婆さん、御隠居衆筆頭の食えない婆さんだ。

 既に用意万端整えていたのだろう、組織に不要で切りたい連中を炙り出した一覧を見せて貰った。

 これは組織の浄化は完了したと考えて良いだろう、見せしめの首切りを含めたリストだな。

 多分だが若宮の婆さんに都合の悪い連中も多く含まれているだろう、高々悪い噂を流す位で四十人以上も処分する事はないだろうし……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 名前を見ても知らない連中ばかりだが、御隠居衆の家名がチラホラ入っているのに気付いた。まさか悪い噂を一族の連中が万遍無く広めた訳でもあるまい。

 

「処分はお任せします。

しかし万遍無く殆どの有力氏族の中にも処分者が居たのに驚きました。これだけの多人数を一度に処分して大丈夫なんですか?」

 

 お前の企み位は気付いているぞ的な笑顔を浮かべてリスト表を返す、この酷い女好きで強欲な噂が沈静化すれば良い。

 勿論、誤解だったと知らされるし噂の拡散を手助けした連中が纏めて処分される事も沈静化に繋がるだろう。

 

「ああ、問題無い」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 暗い笑みを浮かべ合う三人に五十嵐さんは顔にハテナマークを浮かべている、これ位の腹芸と面の皮の厚さが無いと、この魑魅魍魎達と渡り合うのは無理だと思うぞ。

 

「あの……皆さん、笑みが怖いのですが……」

 

 やはり理解出来ずに不思議に思ってるな。

 

「五十嵐さん、当主になるって事は大変なんだよ。この程度の腹芸と分厚い面の皮が必要なんだ。

このリスト表の連中を処分する事が今回の真の目的だったんだよ、組織の浄化が御隠居衆の狙いさ。

風通しの良い組織となり亀宮さんを盛り立ててくれるなら、僕も酷い噂も我慢出来るとは思う」

 

 そうですよね?って爽やかに笑い掛ける。

 

「これは手厳しいですな」

 

「言わぬが花という言葉も有りますよ。榎本さんには巴さんの教育係を頼みたいですね」

 

 どちらかと言えば護衛でしょう?と言って笑いを取った、薄汚れた腹芸合戦は薄幸の苦労人でピュアな彼女には馴染み辛いだろう。

 だが当主には必要なスキルだから、引退する婆さんが徐々に教えなければ駄目な問題だ。

 組織のトップとは清濁併せ持つ度量が必要で、潔癖過ぎても悪過ぎても駄目だ。

 

「さて、建前はもう良いじゃろう。

確かに儂等は榎本さんを利用し組織内の膿を炙り出した、最初は本当に噂を流す連中の捜査だけだったんじゃが……

血は淀むと悪い連中が沢山湧き出すと言うか、特に酷かったのが山名家と五十嵐家だった。

山名家は既に榎本さんが壊滅に追い込んだので、次は五十嵐家だった訳だな」

 

「犬飼一族の霊的遺産の相続という餌に、まんまと食い付いた奴等を一網打尽に出来た。これで五十嵐一族は盛り返せるだろう」

 

 酷い連中ばかり関わって来ると思ったが、亀宮一族内でも本当に悪い奴等だった訳だ。

 御手洗達みたいにまともな連中も多いのに、土居達みたいな酷い奴ばかり寄って来るから変だと思ったよ。

 

「清々しい位に僕との約束を反古にした事を認めましたね?」

 

「勿論、出来る限りの詫びはしようぞ。何を望まれる?金・地位・術具・亀宮様との婚姻、何でも構いませんぞ」

 

 ドヤ顔で何でも良いとか言いやがるが、どれも問題を孕んでるじゃないか!

 

 金は欲しいが強欲と思われ、何でも金さえ払えば良いと思われてしまう。

 地位?要らないな、既にNo.12らしいし要らない義務も付いて回る。

 術具か……胡蝶の力の底上げには有効だが、絶対数の少ない術具の独占は反感を買うな。

 亀宮さん?彼女は仲間だ、そこに情欲など1mmも存在しない。つまりコレといって欲しい物は無いな……

 

「うーん、欲しい物が無いな。どれも問題を含んでいるが、強いて言えば術具だけど僕に使える物が有るかな?」

 

「えっ?どれも魅力的じゃないですか?」

 

 五十嵐さんが凄く不思議そうに僕を見詰めている、彼女は僕に和解金を提示して丸く収めた前歴が有るから疑問なんだろう。

 すっかり存在を忘れて冷えてしまった日本茶を飲んで一息つく、何て説明しようか……

 

「金で解決は長期的には悪手だ、何か有っても金さえ払えば良いと思われかねない。

地位には義務が発生し、術具は使えるか分からないし数少ない術具の独占は組織内で反感を買う。

亀宮さんは信頼する仲間だ、悪いが恋愛や情欲の対象にはならない。この提案には、僕が本当に欲している物が無いんだよ」

 

 この言葉に全員が固まる、なんて扱い難い奴だと思われただろう。 

 だが僕も本当に欲しい物が思い付かないんだ、結衣ちゃんと結婚したいって願望は有るが彼等が何とか出来る問題じゃないし……

 

『亀宮一族の力有る女性達を妾として寄越せって言えば良かろう?我との約束はどうした?』

 

『胡蝶さん、今それは駄目ですって!そんな要求をしたら亀宮さんが……無理心中くらい考えそうで怖い』

 

 脳内会話に励んでいたら無言の僕を見て何とか代案を考え始めたぞ。相当不満だと思ってるのだろうか?

 

「これはこれは……どうしたら我々の不手際を許して貰えるのか?」

 

「ばっさり斬られては何を用意すれば良いか……」

 

 んー、何かを要求しないとケリが付かないか。面倒臭くなくて差程恨まれなくて序でに僕等に益の有る物か……

 難しいな、腕を組んで考えるが良い案が生まれない。

 

『曰く付きの術具を貰え!扱いや処分に困る程の物が良いぞ。これから加茂宮一族と事を構えるのだ、力の底上げは必要だ』

 

 胡蝶さんの提案が今の僕等には一番必要だな、これからの為にも。

 

『分かった、それで行こう』

 

 胡蝶さんの提案なら周りからも悪くは思われないかな?

 

「では術具を希望します、出来るだけ曰く付きで扱いや処分に困る位の品が良いですね。あの首壺とか良かったですよ」

 

 あの古代中国の罪人の首壺は胡蝶さんのお気に入りだったな。恨み辛みの強い怨霊は強い力を秘めているから、吸収出来れば力の底上げが出来る。

 

「それは皮肉か?だが、あのクラスの術具となるとじゃな。有るには有るが……」

 

「我等御三家ですら扱いに困る術具を欲しいと言われても、本当に大丈夫なんですか?取り込まれでもしたら、大変な事に……それこそ命に関わりますよ」

 

 困った顔で見詰め合う二人だが、思い当たる品物が有るんだな。でも扱うには危険を伴う為に、簡単には決断出来ないって感じだろうか?

 

「大丈夫ですよ、それ以外だと正直思い浮かばないですね。後は貸しにして何か有った場合に尽力して欲しい位しかな」

 

 貸しは良いアイデアかも、何か有った場合に助かる保険的な意味で。

 

「榎本さんって凄いんだか欲が無いんだか……」

 

「君も五十嵐一族の為に交渉する場合が必ず出て来るけど、目先の損得に惑わされると痛い目を見るぞ。

今回の件は亀宮一族の反感を買わずに御隠居衆と手打ちになった事にするんだ。

安価じゃ駄目だし高価だと反感を買うからね、曰く付きの術具など欲しがる奴なんて少ないだろ?

だから妥協するんだ、僕は亀宮さんと敵対しない為に派閥に属しているからね。

要らぬ波風は立たせたくないが、手を出すなら反撃はさせてもらう。対外的に見て今回の降格騒ぎと術具の提供は効果的だと思うよ」

 

 下位構成員や脳筋連中にはね、僕に手を出せば出世の道が閉ざされるって思うだろう。

 少しでも周りが見える連中は、僕と御隠居衆が繋がっていると考えるだろう。組織の膿を纏めて叩き出したんだ、それなりの役職の連中もだ。

当然不満も出るだろうが、御隠居衆は曰く付きの術具を押し付けてチャラにしたからな。

過度に優遇していないって言えるだろう、実際に持っていても困る品物だから他の有用な品物や現金よりマシだ。

 

「御隠居衆と榎本さん両方にとってですか?」

 

 うーん、五十嵐さんには難しかったかな?この子を当主に据えて五十嵐一族のフォロー体制は大丈夫だろうか?

 確かに未来予定は強力な能力だが、それを持つ者を当主に据えるより有効に使える者が……

 いや、それは僕が決める事じゃないな。歴代の当主の中にも何人か同じ能力者が居たらしいから、五十嵐一族固有の能力なのだろう。

 

「まぁね、良く考えてみると良いよ。五十嵐の婆さんにも聞いてごらん、色々と教えてくれるだろう」

 

 あの婆さんなら裏の事もしっかり教えられるだろう、土居達の件も闇から闇へ処理した手際の良さを考えてもね。

 

「榎本さん、私の事を世間知らずの子供扱いしていませんか?」

 

「今の君は箱入りのお嬢様だよ、僕等みたいな魑魅魍魎達と戦うには余りにも綺麗過ぎるんだ。先ずは婆さんに色々と教えて貰うと良いよ」

 

「綺麗過ぎるだなんて……地味な私に……困ります、榎本さんには亀宮様が……噂の一部は本当の事だったんですね?」

 

 アレ?そこに食い付くの?違うでしょ?真っ赤になって身体をクネクネする五十嵐さんから目を逸らす、この娘は本当の意味で箱入り娘だ。

 男性恐怖症らしいが、ある程度安心している男には耐性が無いみたいだ。

 

「五十嵐さんは男を見る目も養わないと駄目だな……

若宮の御隠居様、彼女の教育もお詫びの一端に加えて下さい。変な男に騙されない様に見張って下さい、心配になってきた」

 

 高梨修辺りにコロッと騙されそうで怖い、未来予知って自分自身の事は分からないみたいだな。

 五十嵐一族に関係する事について未来が見えるって言ってたし……

 

「榎本さんがモノにすれば万事解決じゃないですか?本人も悪く思ってなさそうですぞ」

 

「本妻は無理でも妾として囲えば良いじゃないですか?今風だと愛人でしたか?」

 

 ニヤニヤと楽しそうにしやがって、意趣返しのつもりだな!

 

「あの、それは大変申し訳ありませんが辞退したいのですが……」

 

 五十嵐さんの持ち上げてから落とす発言で、この話し合いは終了となった。曰く付きの術具だが、直ぐに見れるそうだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮本家の地下に問題の術具を保管している倉庫が有った。

 鋼製の鍵付き扉を三ヶ所潜り電子錠の自動扉を潜った先に八畳程の金庫室が有り、部屋の真ん中に設置されたテーブルの上に二本の長細い棒状の物で手提げ金庫が置いて有る。

 科学的なセキュリティの施された大金庫の中に厳重に保管された品々、700年の歴史を持つ亀宮一族だからこそ得られた逸品なのだろう、遠目からも強い力を感じる。

 力強い品々だが現代の術者では使い熟せないどころか、取り込まれて危険な術具……

 

「妖刀首刈(くびか)り、戦国時代に落武者狩りに多用された曰く付きの妖刀だ。野鍛冶が鍛えた乱造品故に美術的・骨董的な価値は低い。

だが数百年を経ても殺傷能力は衰えず、切り傷を負わせれば呪いが付加される」

 

 剥き身の日本刀に御札が大量に貼られている、僅かに見える刀身は淡い紫色に輝いて見る者を魅了する……なんてね。

 妖刀ね、実際に有る所には有るんだな。切れ味抜群、傷を負わせれば相手は呪われるのか……

 

「対人兵器ですね、取り憑く怨念は凄いが実用としては使えないな」

 

『そうだな、食うだけだな』

 

 日本刀って男なら魅惑的なアイテムだけど微妙だな、自分で使う事は無いだろう。

 

「そうですか……次はコレです。

妖刀厄喪(やくも)、効果は使う者の剣技を著しく上昇させます。対価は使う者の生命力、使い続けると衰弱します」

 

 此方は鞘に納まっているので刀身は見えないが、同じ様な御札でグルグル巻きにされている。

 しかし呪いのバレリーナの靴みたいだな、剣技の上昇とか対人の戦闘なら兎も角、除霊には使えない。

 

『贄としてなら使えるな』

 

「なる程、利用価値は別として此方も取り憑く怨念は強いな」

 

「まぁ現代の除霊に日本刀は使い辛いでしょうね。最後の品になりますが、此方は刀では有りません」

 

 そう言って御札が貼られた手提げ金庫から取り出した物は……

 



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第232話

 亀宮一族の秘宝?曰く付きの術具を貰える事となり案内された場所は地下の金庫室だった。

 二本の妖刀、首狩(くびか)りと厄喪(やくも)は強力な怨念が取り憑いているが、胡蝶の贄としてしか使えない。

 現代の除霊で日本刀を振り回す事なんて無いから、文字通り無用の長物だ。

 所持なら可能だが、除霊の為に持ち歩くと銃刀法違反で捕まる。

 

「最後の品は、髪の毛の束?人毛か?」

 

 手提げ金庫の中には、御札に巻かれた一房の黒髪が入っていた。

 

「古文書には、艶髪(あでがみ)と書かれています。戦国時代に小田原城の支城を騒がせた女中、お竜(たつ)の髪の毛と伝わります。

お竜は殿様の大切な天目茶碗を割ってしまい手打ちにされ、井戸に落とされ無くなった女中です。

死後、怨霊化し城内を騒がせたが当時の亀宮様が退治し封印したと伝わります。ですが……」

 

『怨みが強く封印するしかなかったみたいだな、奴は未だ生きておるぞ』

 

『怨霊に生きているも変だけど妖怪化したとか?』

 

 未だに封印され続けている怨霊か、女の怨みは強いっていうけど怖いな。

 

「祓えなかった、封印し続けるしかないって事だな。この大袈裟な地下金庫を見れば想像がつくよ、さて……」

 

 一端言葉を止めて若宮の婆さんを見る、向こうも探る様な目で見返してくる。

 

「どれが欲しいんじゃ?どれも曰く付きで実用には向かないが、本当にこんな物で良いのか?」

 

 少し疑いを含む皺くちゃな細い目で僕を見詰めるが、生憎と高齢の婦人と見詰め合う趣味は無い。

 

『どうする、胡蝶さん?』

 

『日本刀は食らう、艶髪は封印を解いて戦ってみたいぞ。我の考えが正しければ、奴は戦力になる妖(あやかし)だろう』

 

『ああ、犬飼の霊的遺産に妖を使役する銅板が有ったけどさ。髪の毛の妖怪とか本当に必要かな?』

 

 モジャモジャな妖怪を使役する自分の姿を想像して何かが萎えたが、胡蝶さんの言う通りにする。

 自称デレ期の彼女は僕に不利益な事を絶対にしないから信じるしかない。

 

「若宮の御隠居様、この曰く付きな日本刀と艶髪ですが全て貰って良いですか?」

 

「なんと?三つ共にか?」

 

「大丈夫なんですか?幾ら榎本さんでも危険ですよ!」

 

 若宮の婆さんと風巻のオバサンの両方が驚き反対したが、日本刀については胡蝶さんの贄でしかない。問題は艶髪だろう……

 

「日本刀は祓います、この妖刀は封印し続けるしかないのなら祓い清め御霊を天に還すのが僧侶の務め。

艶髪については戦ってみたいと思います。彼女は怨霊から妖怪化しているが、上手くすれば使役出来るでしょう」

 

 そう言って先ずは首刈りに触れる、翳すだけで胡蝶が刀身に絡み付く怨念を吸い込む。

 ギュポンという吸引音の後、刀身に貼られた御札がハラハラと外れた。

 

「成功だ……刀自体が保たなかったのか……」

 

 怨霊の力で劣化を止めていたのだろう、祓われた後に急速に錆びだらけとなった。首刈りは戦国時代の無銘の日本刀になった訳だ。

 

「なんと?あの妖刀首刈りを簡単に祓っただと?」

 

「この目で見ているのに信じられない」

 

 ギャラリーが騒ぐが無視して厄喪も祓う為に左手を翳す。同じ様な場違いの吸引音の後、巻いていた御札が剥がれた。

 

「こっちは名刀みたいですね、怨霊を祓っても綺麗な刀身を維持している。ふむ、古美術としても価値が有りそうだ」

 

 妖刀厄喪、その持ち主を剣の達人にする能力を持っていたが今は名刀として生まれ変わった。

 

「瞬く間に二本とも祓うとは……」

 

「今迄封印を続けていた私達の努力って何だったんでしょうか?」

 

『前の首壺と然程変わらぬぞ。どうせ代々封印してきた曰く付きの品々だから、亀憑きに教えてないのかもしれぬぞ。

亀憑きは一族の御輿だから一族の秘密の全ては教えられてないだろう』

 

 確かにそうだ、首壺は壊す可能性が有ったが首刈りと厄喪は壊れても問題無い筈だ。

 

「この日本刀なら亀宮さんと亀ちゃんなら十分に祓えましたよ。てか、亀宮さんは妖刀の存在を知らないでしょ?」

 

 只の日本刀になった二本の刀を調べる若宮の婆さんに問い掛ける。

 裏で一族を取り仕切る御隠居衆は現当主の亀宮さんに全てを教えていないだろうと……

 

「確かにそうですな、我々は先祖から言われた通りに封印をし続けていただけです。亀宮様には相談しなかった」

 

「そうですね。聞かれなかったので忘れてました」

 

 ホホホって笑っているが知らない物は聞けないと思うぞ、僕も彼女には教えてない事は多いけどさ。

 

「次は本命の艶髪ですが、此方は危険なので部屋の外へ出て貰えますか?」

 

 犬飼の本拠地で名前は知らないがザンバラ髪で手が伸びる奴と、宿し虫って下半身芋虫の女妖怪と戦った。

 現代日本に妖(あやかし)が現存している事に驚いたが、直ぐに新しい妖と出会えるとは驚きだ。しかも使役出来るかもしれないとは……

 

「もう何も言いますまい、好きにして下さい」

 

「金庫室を閉めると自動的に照明も消えるので閉めずにおきます。次の鉄扉を閉めて外で待ちます」

 

 そう言って金庫室から出ていったが、確かに金庫の中に閉じ込められるのは嫌だな、酸欠とか……

 

 うん、間違って扉が閉まらない様にストッパー代わりにテーブルを置いておくか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『正明よ、あの勾玉は持って来てるな?着けてみろ』

 

『ああ、結衣ちゃんに縫い付けて貰った皮の手袋なら貰って来てるよ』

 

 ズボンのポケットに突っ込んでいた手袋を取り出して両手に嵌める、やはり勾玉を三つも縫い付けたから握ると違和感が有るな。

 

『それを試すぞ、我の最大霊力を込めて妖に何処まで通用するか楽しみだ』

 

『いきなり実戦で使用するのか?人間相手に全力は危険だから丁度良いかな……』

 

 右手を握ったり開いたりして勾玉の感触を確かめる、問題は無さそうだ。

 覚悟を決めて艶髪を持ち上げてみる、皮の手袋越しにもしっとりとした質感が感じられる黒艶。持つ手もじんわりと温かい気がしてきた……

 

「じゃ、始めるぞ」

 

 艶髪を巻いていた御札を剥がして前方に投げる、落下地点は大体4m程先の床にパサリと広がりながら落ちた。

 床に落ちた艶髪がザワザワとその場で動き出す、まるで何かが下から突き上げているみたいだ。

 

「ヤバイ、髪の毛が束みたいに固まって触手みたいに動き出した。全体的に延び始めたし……」

 

『ふむ、ウゾウゾと気持ち悪い動きだな。さて、どう攻める?』

 

 落ち着いて現状を把握し次の動きを予想するのは良いのですが、アレは飛び付いてきて絡み付くと思うぞ。

 触手の様な髪の毛が襲ってきても避けれる様に腰を落とし左右どちらにも跳べる様に身構える。

 最悪は触れば食えるけど、感じとしては首を締めにくるだろう。

 

「甘いぞ!」

 

 触手を使い僕の顔目がけて飛び掛かって来たので右に跳んで避ける、大丈夫だ、凄い早さだが動きに反応出来るぞ。

 

 腰のホルスターから特殊警棒を引き抜き振り払う様にすれは、軽い金属音と共に全長75㎝の警棒が延び切る!

 二度目に跳んできた艶髪を特殊警棒で払うが、元々軽い為に大したダメージは無さそうだ。

 それに最初は60㎝位だった髪の毛が1m以上に伸びている、いやモゾモゾと未だ伸び続けているぞ。

 

 三度目はフェイントを織り交ぜて飛び掛かって来たが何とか連続攻撃を特殊警棒で払う。

 

「くっ?特殊警棒に絡み付きやがった」

 

 特殊警棒ごと力一杯壁に叩き付ける!

 

 だがダメージは全く無さそうだ、特注の特殊警棒が千歳飴みたいにグニャグニャに曲げられたぞ。

 

「こりゃ絡み付かれたら粉砕骨折だな……」

 

 背中に隠した大振りのナイフを取り出す、打撃が駄目なら斬撃はどうだ?

 既に折畳み傘を広げた位に増殖した艶髪を睨み付ける、出来ればガソリンをかけて燃やしたいぞ。

 

『苦戦してるが動きは見えるし身体も反応するな。我と順調に交じり合っている様だ……』

 

『確かに人外の反射神経だと思うけど、艶髪にダメージを与えるに至らないよ。そろそろアレをヤルかい?』

 

 胡蝶と交じり合って得た怪力で殴ってもダメージを与えられないが、動体視力と反射神経は人外レベルになったのを実感した。

 

 ジリジリと睨み合っていたが、艶髪が本性を現した……真ん中に顔が浮き上がってきた、つまり生首だ。

 中国に飛頭蛮という頭だけで飛び交う妖怪が居るらしいが、日本版のソレみたいだな。

 目は血走り口から血を流して僕を睨む女の顔は凄惨だが何故か美しい……

 

「主は異人かえ?柿崎主水之介は居るかえ?」

 

 驚いた!話し掛けて来たぞ、柿崎某とは彼女を手打ちにした男の名前だろうか?

 

「お竜さんだっけ?僕は日本人だよ。君は封印されていたんだ、何百年もね」

 

 浮いている生首が器用に首を傾げたぞ、何かシュールな光景だな。

 

「お主が何を言っているのか分からぬ。だが何故、私の名前を知っているのじゃ?それに柿崎主水之介は何処に居るのじゃ?」

 

 いきなり封印から目覚めれば江戸時代から平成の世の中じゃ混乱もするだろうけど、何て説明すれば良いか分からない。

 

「柿崎某は既に死んでいる、その子供や孫や曾孫も同じだよ」

 

「一族郎党皆殺しとは哀れなものよ。だが御家断絶は当然の報い、無実の私を手打ちにしたのだから……だが、自らの手で恨みを晴らせぬのは心残り……」

 

 ああ、ドス黒い負の感情が溢れてきてるな、これは恨みを晴らしても成仏はしないパターンか……髪の毛が左右に広がりながらザワザワと波打ってるけど、ヤバくないか?

 

『胡蝶さん、ヤバくない?』

 

『ふむ、敵(かたき)が居なくっても成仏せずに無差別に人を襲うか……当たり前の行動原理だと思うがな』

 

 今と違い身分階級が有り人権とか言葉すら無かった時代だから、主人の持ち物を壊したら殺されるのが普通だった時代だ。

 でも人間の生みだす恨み辛みの感情は変わらない、八つ当たりだって同じ。だが、その八つ当たりを受けるのは遠慮したい。

 

「お竜さん、成仏する気は有るかい?極楽浄土に行きたいとは思わない?」

 

「成仏?極楽浄土?お主は僧侶の様な事を語るのじゃな?しかし信心深くとも御仏に祈ろうとも無惨に殺されては信じられぬ」

 

 これは説得は無理だ……当然だな、御仏を信じて祈りを捧げても殺されて怨霊になったんだ。

 何代も前の亀宮さんが呼ばれて封印したのも犠牲者が出ていたんだろうな。

 

『胡蝶さん、説得は無理だ。どうする?』

 

『勾玉の威力を試す、使役は無理だろうな。

奴の原動力は怨みだ、晴らす相手も子孫も分からずでは成仏も無理だ。せめてもの情けは恨み辛みからの解放だな』

 

 脳内会話に集中していたら、お竜さんの戦闘準備が整ったみたいだ。生首だけだったのに、今は髪の毛で人の身体を模している、毛人形みたいだな。

 

「私は私を殺した人も見捨てた人も憎い。憎い憎い憎い憎い憎い、だからお主も殺す!」

 

「そうか、じゃ第二ラウンドと行こうか?」

 

「らうんど?南蛮語か?やはり異人だったのか?噂話に聞いた鬼が、お主の本性だな」

 

 鬼ヶ島の赤オニは遭難した異人だったってオチか?

 

「違うと言っても理解は出来ないだろうな、悪く思うなよ」

 

 右手を開いて突き出す!

 

「雷(いかずち)よ!」

 

 胡蝶さんの全力全開の霊力を右手に集めた結果、轟音と共に紫色の太い稲妻が毛人形と化したお竜さんに伸びる。

 

「ウギャー!お前……雷神……様の……化身だった……の……か……」

 

 プスプスと嫌な臭いが金庫室に漂い始めた、大人一人分の髪の毛の燃える臭い。

 

『胡蝶さん、魂を食べなくて良かったの?霊力を伴った稲妻は浄化の炎と変わらない、彼女は成仏出来たよね?』

 

『情けを掛けた訳じゃないぞ、我等の新しい力を確かめただけだ……』

 

 だけど哀れみの感情が僕にも流れ込んで来てますよ、胡蝶さん。見詰めていた髪の毛の塊の殆どが燃えてしまい、燃え跡には瑠璃色の玉が残されていた。

 



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第233話

「風巻よ、監視室に向かうぞ。奴の除霊現場を映像に残せるのだ」

 

「貴重な機会です、あの秘密の塊の一角を見れる機会が訪れるとは……」

 

 歴代の亀宮様が手を出さなかった曰く付きの三つの品々。その二つを軽く祓い、最も曰くの強い艶髪と戦うという。

 これは奴という人間の力を見極める絶好の機会だ!

 強力な霊的防御、異常な回復力か治癒力、一派閥の呪術部隊の呪いを跳ね返し逆に呪いを掛ける呪術力。

 どれを取っても一級品の彼の戦いを初めて見れるのだ、しかも録画出来るとは何という行幸!

 

 慌てて監視室に飛び込み監視カメラの画像を食い入る様に見詰める、当然録画状態も確認した。

 監視カメラは固定タイプが二台だが、金庫室内を死角無く捕えているので問題無い。

 画面の中の彼は既に艶髪を封印から解き放って睨み合っている。

 

「艶髪、古文書の通り髪の毛の妖(あやかし)ですね」

 

「ああ、そして素早い動きだな……風巻よ、今の攻防で榎本さんが何回警棒を振ったか分かったか?」

 

 一瞬の交差だが二回以上は警棒を振ったと思うが、早過ぎて分からなかったぞ。

 

「恐らく二回か三回でしょうか?空振りでなく艶髪の攻撃に対応してたと思いますが、自信は有りません」

 

 思わず両手に力が入り強く握ってしまう。何が僕は技術も素質も無いから、筋肉の鎧による防御力とタフネスさを鍛えただ!

 全く馬鹿にされたものだな、あの高速攻撃に普通に反応しているじゃないか。野田は手加減されたとみるべきだな、底がしれぬ男よ。

 

「武器を奪われましたね、あの警棒をグニャグニャにするとは、どれ程の圧力が掛かっているのやら……」

 

 画面の中の榎本さんは警棒を奪われたが、背中から大振りのナイフを取り出して構えた。

 対人武器を幾つ隠し持っているんだ、今日は我等と話し合いに来た筈なのに……

 

「何か会話してますね?残念ながら集音マイクは無いので内容は分かりませんが口が動いてます」

 

 驚いた事に生首が現れたと思ったら、髪の毛だけで人の形を造り上げた。これは榎本さんでもマズい状況ではないか?

 もし彼が艶髪に負ければ、金庫室を閉鎖して討伐隊を編成しなければならないぞ。

 

「なっ?掌から雷が迸(ほとばし)りましたよ」

 

「確かに稲光だったな。雷までも扱えるのか、本当に人間か?しかし監視カメラが壊れたみたいだな。

電磁波の影響なのか故意に壊したのかは分からぬが、二台とも駄目だ」

 

 二台のモニターの画面は砂嵐状態、これは監視カメラが壊れたとみるべきだ。

 霊能力で雷を扱える者が居るのは知っている、実際に亀宮一族の中にも一人使い手が居る。

 大和言葉で雷は神鳴りといって雷神のなせる奇跡と考えられ祭られてきた。

 特に雷電神社や高いかづち神社には、火雷大神(ほのいかづちおおのかみ)や大雷大神(おおいかづちおおのかみ)別雷大神(わけいかづちおおのかみ)などが祭神として崇められている。

 その神々を祀る連中には確かに雷を生み出す術を持つ者が居るのだが……だが、あそこまで高威力の雷を生み出せはしない。

 精々がスタンガン程度、10万ボルトとかだ。

 

「愛染明王を信奉する在家僧侶だと?それこそ、まさかだな。

奴は雷電神社の関係者かもしれん、かの神社は関東地方を中心に全国に点在しているし狂犬時代に活動していた愛知県にも有る筈だ」

 

「いえ、榎本さんが雷電神社の関係者と接触した事実は有りません。

身辺調査で徹底的に調べましたから間違い無いです。私は菅原道真公の加護を受けていると考えます」

 

 確かに修行し術を身に付けるには長い時間を必要とするから繋がりを隠し通せる事は無理だ。

 

「だが菅原道真公なら天満宮(天神様)の関係者だぞ。いや天満宮も雷電神社も神道系で仏教じゃない、力の源の特定が出来ぬとは……」

 

 これは亀宮様任せでは弱いかもしれん、あの男を他勢力に引き抜かれては亀宮一族にとって大損害だ。もっと奴との絆を強めなければ駄目だな。

 携帯電話を取出し若宮本家に連絡を入れる。

 

「もしもし、陽菜(ひな)はもう学校から帰って来ているか?そうか、変わってくれ。

……おお、陽菜か。実はな、お前さんに会わせたい男が居るのだ。

我が亀宮一族が手放してはならぬ逸材がな。今、本家の近くに来ているので顔だけでも見せたくてな。ああ、亀宮本家で待っていてくれぬか」

 

 最近の報告によれば、セントクレア教会の園児達の面倒も見ているそうだ。

 見た目が怖いのに園児達から大人気なのは、悪意無く純粋に子供が好きなのだろう。

 身寄りの無い小学生の里親もする位だし、優しさに付け込む事にする。

 陽菜は未だ中学二年生だが、会わせて損は無いだろう。

 

「御隠居様、陽菜様と会わせるのですか?」

 

 む、何故そんなに慌てるのだ?奴は風俗遊びはしていたが桜岡霞と付き合い始めてからは大人しいではないか。

 それに奴の子供への面倒見の良さに付け込む様で悪いが、絆や楔は多い方が良いのだぞ。

 奥手な亀宮様では、彼を繋ぎ止めるのは難しいかも知れない。

 

「ああ、奴は無類の子供好きらしいし絆や楔の一つとしても有効だ。仮に霊能力の師匠として師事出来れば、更に良いだろうな」

 

 友愛と打算で亀宮様を見捨てられないお人好しに更に付け込む様で悪いが、これ程の男を野放しには出来ない。敵対されたら、どれ程の損失を被るか分からないぞ!

 

「金庫室に戻りましょう、榎本さんが待っています」

 

「そうじゃな、色々と聞きたい事も有るからな」

 

 今回の件だが、ただ曰く付きの品々を祓って貰っただけだ。依頼をした事にして報酬を払う形にして貰うか、一つ500万円で良かろう。

 この金庫室の維持費を考えたら安いものだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『燃え尽きたな、しかし玉を残すとは初めてだな』

 

『玉もそうだけど、やり過ぎじゃないか?皮の手袋が焦げてボロボロだそ、勾玉が落ちそうだ』

 

 折角、結衣ちゃんに縫い付けて貰ったけど既に皮の手袋は原型を留めて無い。握った掌に剥き出しの勾玉の感触が有る。

 

『ふむ、この勾玉は使えるな。霊力を全力で込めれば雷位の威力は出そうだな』

 

 自然界で発生する雷と同じならば少なくても200万ボルト以上か……

 

「うわっ?掌の中に勾玉が入り込んで……」

 

『騒ぐな、体内に引き込んだだけで害は無いぞ。この勾玉は使える、毎回皮の手袋を燃やすなら身体の中に入れた方が安心だろ?』

 

 安心って……体内に勾玉を埋め込むって、下の息子に真珠を埋め込むみたいで嫌だな。

 

「榎本さん、無事ですか?」

 

「ええ、問題有りません。艶髪は祓ってしまいましたが、怨みを残して現世に留まるよりは良かったでしょう……」

 

 後に残った玉を不自然にならない動きでズボンのポケットへ入れる、これは調べないと何だか分からない。

 

「これでは報酬にはなりませんな。曰く付きの品々を祓う依頼をしますので、代金を受け取って下され。

そうしなければ筋が通らんのでな。祓った後の厄喪もお引き渡しします、日本刀としての価値も有ります。

本家に戻り契約書を取り交わしましょうぞ」

 

「さぁさぁ、戻りましょう」

 

 有無を言わさぬ勢いで亀宮本家の戻る事になったが、結局お金で解決みたいな流れか……

 仕事に対する正当報酬だから問題無いって考えれば良いかな。

 色々有り過ぎて頭が働かないが、亀宮本家でも持て余していた曰く付きの品々を頼まれて祓った事で納得しよう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝と同じ部屋に通された、幾分落ち着いてたので周りを見る余裕が有ったので気付いてしまった。

 扉に貼ってあった真鍮製のプレートに、No.12と書かれていたが……まさかな。

 

「エクセルの雛型を貰っていたので必要事項だけ入力すれば良いので楽ですな。除霊依頼は曰く付きの日本刀、首刈りと厄喪の二本。

それと人毛に取り憑いた艶髪の除霊、報酬は各500万円で厄喪は祓った後に贈呈します。こんな感じですかな?」

 

「厄喪は古美術として扱いますので、手続きも我等の方で行います。代金は翌月末に指定の口座に振り込みますので……」

 

「分かりました、有難う御座います」

 

 断っても仕方ないので有難く頂く事にする、最近金銭感覚がおかしくなりそうな依頼と報酬ばかりだ。

 注文書と請書の内容に問題が無いか確認するが大丈夫みたいなので、請書の方は後日社印と印紙を貼って返却する。流石に今日は社印も印紙も用意していない。

 

「では、そろそろ帰りますね」

 

 必要書類の取り交わしが終わったので、そろそろ帰る事にする。

 時刻も既に二時半を過ぎているから夕飯迄に帰りたい、今夜は久し振りに桜岡さんの手料理が食べれるんだ。

 しかし何時もは用件が済むと直ぐに帰る若宮の婆さんが、世間話を振ってくるのが凄く怪しい。

 昼飯までご馳走になったし、もう用はない。それに何か時間稼ぎをしている様な……

 

「まぁまぁ、もう少しゆっくりしていって下され。因みに此処は榎本さんに割り当てられた部屋ですぞ。

この応接室の奥に執務室と仮眠室が有りますので、遠慮無く使って下され」

 

 若宮の婆さんの作り笑いを見ながら、やっぱりそうだったのかと思った。

 最初は気付かなかったけど途中で別れた五十嵐さんもNo.5のプレートが貼られた部屋に入って行った。

 つまり序列の高い者は専用の部屋が用意されているんだ。

 亀宮さんは亀ちゃんの眷属に守られた池の真ん中の金ぴかの別棟を生活の拠点として住んでいる。

 それに上位者が有事の際に呼び出されても居場所無しじゃ格好が付かない、会社における役員室みたいな物か。

 多分だが僕が使う事は殆ど無いだろうが、断っても無駄だな……

 

「そうですか、有難う御座います」

 

「お婆様、新しいお茶を持って来ました」

 

 控え目なノックの後に声を掛けられたが、お婆様だと?若宮の婆さんの孫娘か……

 

「おお、陽菜よ。待っていたぞ、早く中に入れ」

 

 陽菜?誰だ?

 

「失礼します」

 

 扉を開けて入って来たのは、結衣ちゃんと同い年位の美少女だ。印象的なのは大きめの瞳だろう、肩口で切り揃えた髪も元気な感じがする。

 胸もスットンなのが、なお良し!僕を見られる前に確認を終えてから何時もの無害な視線に戻す。

 

「初めまして、若宮陽菜です」

 

 元気よくお辞儀をする仕草が彼女の溌剌(はつらつ)さを表している、セーラー服姿も魅力を押し上げている。

 

「孫娘じゃよ、孫達の中では一番霊力が高いが一番年下なのでな。未だ修行の身なので宜しく頼む」

 

 宜しく頼む?いやなフレーズだが、彼女を紹介する為に僕を引き留めたのか?

 まさか、若宮の婆さんは僕の性癖を調べていて好みにドンピシャな孫娘を紹介したのか?

 

「榎本です、若宮の御隠居様から仕事を請けています」

 

「お婆様から仕事を?榎本さんって亀宮一族のNo.12、亀宮様の懐刀って聞いてますよ?」

 

 懐刀とは古い言い回しを知ってるな、それって僕が亀宮さんの腹心って意味だよな……番い候補よりマシだけど。

 

「僕は亀宮一族じゃなくて派閥の一員、外注または下請だよ。個人事業主だから、これでも一応は社長なんだ」

 

 周りが僕の事を陽菜ちゃんに何て言っているか分からないが、一族扱いと派閥の一員との差は大きい。

 距離感を保つ為にも、個人事業主と教えておかないとね。首を傾げて考えている姿に思わず微笑む。

 

「つまり外様だけど一族上位に食い込む実力者って事ですか?」

 

 彼女の言葉に曖昧な笑いで応えた、事実だが肯定も否定の言葉も言えない。御隠居衆筆頭である、若宮の婆さんの孫娘だけあり侮れない気がする。

 未だ中学生位だが、霊力も高いし実戦は未だだけど修行は順調なのかもしれないな……

 

「榎本さん、また会う事も有るかもしれんので宜しく頼みます。優れた霊能力者の知り合いが居る事は、この子にとっても大切ですから……」

 

 陽菜ちゃんの頭を撫でながら、孫娘に甘い婆さんを装っているが食えない婆さんだな。



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第234話

「どうだった、第一印象は?」

 

 初顔合わせを無事に済ませた陽菜に、榎本さんの感想を聞いてみる。お互い悪感情は無かったと思うのだが……

 

「外見と違って優しそうな人だったね。僕を見る大抵の人の嫌な視線じゃなかった、珍しいよ」

 

 この子は未だ幼いが、いずれは若宮を継ぐ事が決まっている。だから周りに集まる連中は打算や欲望により媚びへつらう連中ばかりだ。

 勿論、そう言った連中と付き合う事を覚えさすのも勉強だし護衛も付けているので問題は無い。

 しかし榎本さんは、この子の目から見ても子供には無害と出たか……

 

「アレはな、多分だが亀様よりも強いぞ。

亀宮の現当主を差し置いて亀様にお願いを聞かせるのだ、もしかしたら亀宮様より意思の疎通が出来るやもしれん。

一族内で悪い噂が流れているが全てガセ、嘘だ。榎本さんには悪いが亀宮一族内の粛清のダシに使い、その力を更に思い知らされた。

もう不興は買えない、敵対すれば我等の被害は莫大だ」

 

 最悪捨て身で来られたら良くて相討ちだろうな、今でこそ躾の行き届いたクマさんとか言われているが狂犬だった過去を持つ男だ。

 

「お婆様、またお母様に内緒で悪巧みしたの?でも改めて聞くと凄い人なんだね、全然そんな風に見えなかったよ」

 

 郁恵は我が子ながら凡庸、儂が死ぬ前に陽菜に全てを教えて跡を継がせなくては若宮は衰退する。

 だが才能は有れども精神が幼い、未だ現場には出せない。一人前になるには暫く時間が掛かるだろう。

 

「加茂宮一子が自ら引き抜こうと接触し、伊集院阿狐からも一目置かれて丁寧な対応をされている。

亀宮様は依存し始めているな、改めて言葉にすれば異常だろう?御三家のTOPの全てが奴を欲しているのだ……」

 

 報告を聞いて驚いた、加茂宮一子本人がわざわざ神奈川に直接乗り込んでまで勧誘するとはな。

 榎本さんは距離を置いた対応をしてくれているが、条件次第では亀宮を離れる可能性は捨てきれない。

 何せ毎回短期契約を結んでいるのだ、契約の切れ目が縁の切れ目になるかもしれん。

 例えばだが、亀宮様の依存度に危険を感じてとか……

 または関西巫女連合の桜岡霞絡みで移籍する可能性も有る、桜岡霞は榎本さんにとって唯一の交際している女性だ。

 大切な恋人から懇願されれば分からない。

 それらに対抗するのが、亀宮様に対する友愛だけでは弱いだろう、当初は大丈夫と思ったが今は問題有りだ。

 依存する女など、男からすれば面倒臭いだけだと思うし……

 

「そうなんだ、ウチから逃がしちゃ大変だね。でもちゃんとお願いすれば大丈夫な感じだよ」

 

 確かに気を許した相手には無償で色々動いてくれるが、我等に対しては無理だろう。

 その為に必ず仕事の前に契約を取り交わすのだ、契約書の内容以外の事は別途協議するとな。

 

「義理堅く契約を重んじるタイプだがな、我等は一度裏切っている。

榎本さんを囲いこむ決定的な物が無いのじゃ、仕事すら毎回契約を取り交わす位慎重なのだぞ。

まぁ今回は詫びとして曰く付きの品々が欲しいと言われて保管していた艶髪達を見せたが、結局ロハで全て祓っただけだった。

だから慌てて依頼した形を取って報酬を渡すのだ。金・女・権力に余り興味が無い扱い難い男だ」

 

 本当に扱い難い男だ、何を持って引き留められるかが分からない。

 奴は隠していた自身の強力な力がバレたので勧誘争いから身を守る為に、友好的な亀宮様を頼っただけだ。

 最初に知り合ったのが、たまたま我等だっただけで加茂宮でも伊集院でも奴ならやっていけるだろう。

 

「あの曰く付きの品々を何とか出来たんだ!凄いね、でも物欲が低い人は精神的な事を重要視するんだよ。

お婆様は榎本さんを自分の都合で振り回したけど、それが一番駄目だよ。あの人は誠意を持ってお願いすれば、ちゃんと応えてくれると思うな」

 

 満面の笑みで当たり前の事を言われてしまった……頼めば何とかなる、それは薄汚れた我等には信じられない言葉なんだぞ。

 頼めば対価を求められ、それを餌に他人を動かす事が当たり前と思ってしまっているからな。

 

「ふむ、陽菜よ。機会が有れば又会ってみるがよい」

 

 天真爛漫な陽菜ならば、奴も心を許すかもしれないな。

 どの道、奴の好みからは大きく外れてるし亀宮様も陽菜の事を妹の様に扱ってくれているから安心だ。

 

「お婆様、機会が有ればじゃなくて作るよ。僕、あの人に霊能力を学ぼうと思う。

実践経験が豊富で確かな実績も有る、亀宮一族で一番強い人なんでしょ?」

 

「それは……そうだな。榎本さんには亀宮本家の書庫を調べる事を許可した、それに五十嵐巴の襲名式にも参加するから暫くは通って来るだろう。

だが、迷惑は掛けない様にな……」

 

 笑顔で頷く陽菜を見て、良くあんな化け物じみた相手に師事したい等と……我が孫娘ながら度胸は十分だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 陽菜との、孫娘との話し合いを終えて監視室へと戻る。風巻が先程の戦いの画像を分析している筈だ。

 

「どうだ、何か分かったか?」

 

 録画した画像を大型モニターでチェックしている風巻に問い掛ける、画面に映るのは右手から雷を発生させている所だ。

 

「御隠居様、とんでもない事が分かりました。先ずは画像を見て下さい」

 

 ん?画面を巻き戻しているが、雷を生み出す場所では無いのか?

 

「ここです、この監視カメラは一秒間に六コマ録画出来ますが……此処です」

 

「何と?三回、一秒間に三回だと……」

 

 コマ送りされた画像には二コマで一回特殊警棒を振るい艶髪の攻撃を躱す奴が映っている。

 

「人間の反射神経の限界じゃないのか?」

 

「そうですね、ただ振り回すだけなら可能ですが攻撃に対応して防ぐとなると限界に近いと思います。

目で見て脳を通し行動に移す過程を経る限り、人間は約0.2秒前後という壁は破れません。素人も達人も、この差は殆ど無いと思います。

プロボクサーでも0.15秒だと言われてます。反射神経という神経は無いので、脊髄反射ですね。

気の遠くなる反復訓練により脳を通すプロセスは省いたのでしょう、相手の動きに反応する動体視力も一緒に鍛えたのでしょうか?

0.3秒は遅いと思うかもしれませんが、連続して対応出来る事が驚きなのです」

 

 鍛えられた肉体は筋肉だけでなくスピードも有るというのか、まるで超一流の格闘家だな。

 

「あの雷の方は何か分かったか?」

 

 肉体強化は未だ理解出来る、素質と努力が有れば可能だ。

 だが雷撃を扱える事は素質と努力の他にもう一つ、独学では無理だから師か教本が必要だ。

 風巻が機械を操作し問題の画像を映し出す。最初はそのまま、次は巻き戻してコマ送りで確認する。

 

「口が動いてますが短いですね、雷電神社系列は祝詞が必要な筈です」

 

「ふむ、どうやら雷を任意の場所に飛ばせるみたいだな。

普通なら金属であるナイフに向かう雷が、真っ直ぐ艶髪を捉えている。しかも二秒近く放電してるな」

 

 つまり推定200万ボルトの雷を二秒近く維持出来るのだ、これは凄い事だぞ!

 そして画面が真っ白になった後、監視カメラが壊れて録画は終わった。

 

「雷のスピードは凄いですね、最初の一コマで目標に当たってますから0.2秒以下。分かっていても避けられないでしょう」

 

 強力な対人殺傷術じゃな、こんな力を隠し持っていたとは……

 

「全く、何て男が在野に埋もれていたんだか……」

 

 奴を最初に発見したのが亀宮様で本当に良かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 帰りも五十嵐さんに車で駅まで送って貰っている、後半は用が有ると席を外していたがわざわざ待っていてくれたみたいだ。

 

「どうでした、曰く付きの品々は?」

 

 後部座席に並んで座るが広い為に余裕がある、こういう特別扱いは立場上結構キツいんだよね。

 だが五十嵐一族は僕と和解し協力関係にあると内外に知らせたいんだ。

 まだお互い距離感が分からないので前を向いたまま会話するって変な感じだな。

 

「結局祓って報酬を貰う事になったよ。まぁ怨霊だって物に取り憑いて怨み続けるより天に召される方が良いよね?」

 

 一つ500万円、三つで1500万円の利益を一日で達成した訳だ、金銭感覚が狂ってしまうな。

 

「代々封印していた品々を祓ったのですか、確かに無報酬って訳にはいかないですね。

ただ和解金を貰わずに仕事の対価として受け取る、ですが御隠居様達は榎本さんに引け目を感じ続ける事になる。

これが榎本さんの言った、良く考えろって事ですか……難しいです」

 

「いや全く違うよ、僕も全て祓う事になるとは思わなかったんだ。

何かしら使える物が有ると考えてたんだけど、残ったのは普通の日本刀だけでさ。貰っても困るよね、実用で使えないから飾るだけだし……」

 

 僕も背中に大振りのナイフを隠し持ってるけど、流石に日本刀は持ち歩けないな。

 

「ああ、首刈りと厄喪は日本刀でしたね。美術刀として価値は高いのでは?男の人って、そういうの好きだと思いました」

 

 いや、好きだよ。内緒で拳銃も持ってますけどね。結局、土居だっけ?が持っていた拳銃も内緒で持ち帰ってしまったな。

 

「確かに心惹かれますね。自腹を切って買おうとは思いませんけど……」

 

「土居から没収した拳銃も持ち帰りましたよね?」

 

 思わず彼女を見れば、してやったり的な笑顔を浮かべている。

 

「最後の試練で使って分からない様に処分したよ……」

 

 銃刀法違反だよな、確りバレてたか。

 

「なら良いです、もう一つの方は私達で処分しました。ちゃんと指紋とか拭き取ったから平気ですよ」

 

「それは……有難う御座います」

 

 あの事件の処理は五十嵐さん達に押し付けたけど、考えたら甘かったな。下手したら銃刀法違反で捕まる所だった、あの拳銃は処分するか……

 その後は最寄りの駅までお互い無言だった、時事ネタで雑談は未だ無理なのが僕等の関係だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 東京湾フェリー金谷港には地元の野菜や果物、海産物も販売している。お土産にイカの一夜干しとエボ鯛の干物を購入した。

 久里浜港で地ビールの東郷平八郎ビールも買ったので、酒とツマミだけを買ったみたいだ。

 結衣ちゃん用に、久里浜銘菓かりんとう饅頭をチョイスした。丸い砲弾を模したかりんとうの中にコシ餡が入っている、とっても甘そうなお菓子だ。

 家族へのお土産を忘れない僕は良いパパになれると信じて疑わなかったんだ……

 

 

 まさか、自宅が修羅場ってるとは思わなかった。

 

 

「ただいま」

 

「「「「お帰りなさい、榎本さん!」」」」

 

 四人の美女と美少女が出迎えてくれた、嬉しいが嬉しくない。自分で思っても変だが、嬉しいが嬉しくないんだ……大切だから二回思った。

 

「はい、千葉県土産の干物と神奈川県土産のかりんとう饅頭だよ」

 

 結衣ちゃんにお土産を渡して取り敢えず家の中に入る、そのまま連行される様に応接間に向かう。

 上着を脱ぐと桜岡さんが黙って受け取り奥へと行ってしまう、結衣ちゃんはキッチンから出て来ない。

 

「えっと、今日は何か有りましたか?」

 

 ソファーに座ると向かい側に小笠原母娘が並んで座る、何も言わずに見詰めてくるが僕が何をした?

 

「桜岡さんと一緒に暮らすのは何故なんですか?」

 

「ああ!そういう事ですか!」

 

 美女と美少女の無言の圧力は、昨日からウチに居る桜岡さんの事か……

 

「それは神泉会の」

 

「私達、付き合ってますから世間一般的には同棲ですわ。榎本さんからも家に来いって言われましたから。うふっ、うふふふふ……」

 

 いや、その……確かに間違っていないけど言葉が足りなくないかな?

 

 (亀宮の派閥争いに巻き込まれたくないから仮に)付き合ってる事にして欲しい。

 

 (神泉会の襲撃が心配だから)ウチに(安全が確認出来るまで)おいで。

 

 だったと思うんだ、正直に言えないけど。勝ち誇って高笑いをする桜岡さんと悔し涙を浮かべる小笠原母娘を見て大きく息を吐いた。



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第235話

 自分の家に美女と美少女が四人も居て僕を取り合い修羅場っている、思えば筋肉のオッサンがリア充にクラスチェンジするとは大した進化だよね?

 

「健全な男女交際では無いです、結衣ちゃんが居るのに同棲って教育上、とても良くないですわ!」

 

 珍しく吠える魅鈴さん、今日も着物姿が似合ってますね。

 

「私と結衣ちゃんは姉妹と同じなのです、魅鈴さんこそ人妻が独身男性の家に入り浸るのは良くないですわ!」

 

 関西の梓巫女なお嬢様、此方も負けてない。

 

「離婚調停は榎本さんの尽力で終えましたわ!つまりフリーですから条件は……」

 

「バツイチと初婚には厳然とした差が有るのです、しかも高校生になる娘さんが居るじゃないですか!」

 

 台詞だけ聞いてると凄い言い合いみたいだけど、実際はソファーに向かい合って座り上品に笑顔を浮かべながら話してるんだ。

 同席している僕の精神がガリガリ削られていく、誰でも良いから助けて欲しい、割と切実に今直ぐ!

 

「「榎本さんはどう思いますか?同棲は駄目ですか?元人妻は駄目なんですか?」」

 

 君たち息ピッタリですね、一語一句同じですが練習したんですか?

 動作も全く同じですよ、僕に振り向くタイミングも両手を胸の前で合わせる仕草も……巨大な二つの何かが潰されて偉い事になってます。

 苦手意識が高いので思わず目を逸らしてしまう、そんな肉の塊はモゲれば良いんだよ!

 

「あの、ご近所迷惑になりますから……その、少し落ち着きませんか?」

 

『二人共喰ってしまえば良いのだ。潜在的霊能力は高い、良い子供達が生まれるだろう』

 

 妙齢の美女二人に迫られて脳内で美少女から小悪魔的な囁きが聞こえる。

 でも困惑だけで嬉しさが全く無い、だってロリコンだから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 修羅場を何とか有耶無耶にして漸く事件の調査に戻る事が出来た、あの時の結衣ちゃんと静願ちゃんの感情の籠もらない目で見られていた恐怖……

 良くない、この環境は良くないぞ!

 五十嵐さん風に予知するならば『何時か刺されますよ』だろう、本命(結衣ちゃん)との距離が全く縮まらない、いや離れてないか?

 

 自宅から飛び出し横須賀中央の事務所へと逃げ込んだ、冷蔵庫からコーラを取出し事務机に座る。

 

 気持ちを切り替えて横浜山手の洋館ピェール邸の怪奇現象について考えるか……

 ノートパソコンの電源を入れて風巻姉妹から渡された資料を綴じたファイルを取り出す、今調べている事はこれで全てだ。

 

 セントクレア教会の柳の婆さんはピェール氏本人に原因が有ると言ったが僕は違う、最初の印象と直感の通りに洋館の違和感が原因だと思うんだ。

 だが他の可能性も考えなくてはならない、人間が原因の場合だがピェール氏については柳さんに任せればよい。

 残りはピェール氏の妻である美羽音さんとマリオ君のベビーシッターである竹内真理恵さん、マリオ君は日本語だと真理央だったかな?違ったかな?

 何で国際的に有名な配管工の名前にしたんだ?弟が生まれたら流意々治(ルイージ)とかか?

 

「真面目に考えよう、先ずは科学的な検証だな……」

 

 ノートパソコンのディスクトップに作成したフォルダをクリック、初めてピェール邸を訪れた時の記録を開く。

 事の発端はピェール氏と美羽音さんの息子であるマリオ君の子供部屋に不審者が現れると相談を受けた。

 しかし監視カメラ録画機能が無いので不審者の姿は美羽音さんと竹内さんしか見ていない、何故記録を残さなかったのか?

 ホームビデオでも携帯の録画機能でも言葉だけじゃない決定的な証拠が欲しかった。

 

 最初に考えたのは二人が見た不審者は幻覚だった場合だ。

 

 幻覚(hallucination)とは精神医学用語の一つで対象なき知覚、即ち実際には外界からの入力がない感覚を体験してしまう症状の事。

 聴覚・嗅覚・味覚・体性感覚等を含むが、幻視の意味で使用されることもある。

 

 今回の事件は幻覚の中でも視覚情報のみなので幻視(visual hallucination)じゃないかと考える。

 

 視覚性の幻覚とは実在しないものが見える事だ。

 単純な要素的なものから複雑で具体的なものまで程度は様々で、多くの場合は意識混濁という意識障害時に起こることが多い。

 身近な例だとアルコール中毒といった中毒性疾患や神経変性疾患でよく認められる。

 だがアルコール中毒で認められる幻視は典型的には小動物が多いらしいが今回は人間、成人男性らしい。

 特殊な例としては脳幹病変の際に幻覚様体験が起こることがあり、それを脳脚性幻覚と言う。

 脳幹は意識において極めて重要な役割を担う部位であり、大脳と脳幹の連絡の障害が心霊現象でお馴染みの金縛りと考えられている、実際は違うが……

 統合失調症では幻視が認められることは極めて稀であるが、存在しない人や物や建物が、まるで本当に存在するかのように見えるのは今回の件に近しい。

 美羽音さんと竹内さんが二人同時に同じ病気にかかる可能性は0じゃないけど限りなく低い、少なくとも美羽音さんは違う。

 だが突然辞めた竹内さんは分からない、何の連絡もせずに急に仕事を辞めるのは普通じゃないからな。

 竹内さんについては下調べをしてから直接会って話す必要が有るだろう、単に怖くなって辞めたなら良いが何か有って辞めたなら原因を調べなければならない。

 

 メール作成ソフトを起動し風巻姉妹に指示する内容を打ち込んでいく、先ずは竹内さんの身辺調査だ。

 ただ怖くなって辞めたなら良いが雇い主に連絡も出来ない状況に追い込まれていたら大変だ、犯人の目的がマリオ君ではなくピェール邸に出入りする人となると範囲が広がり過ぎる。

 

 Googleを起動して「幻覚」を入力、検索する。

 Wikipediaを読み進めていくと視覚障害者の一割程度は脳の過活動から精神に異常が無いにもかからず幻視を見るシャルルボネ症候群が有るらしいが、彼女達はコンタクトレンズや眼鏡すら掛けてない。

 一応健康については調べて貰っているので信用しても良いだろう。

 

 最悪の原因は薬物による幻覚や幻視だ、本人が知らなくても服用させる事は出来る。

 だが僕も麻薬常用者を何人も親父さん絡みで見てきたが彼女達は違う、あの独特の雰囲気を醸し出してないから薬物による原因も無い。

 以上の事から彼女達が原因だとは考え辛い。

 

 次は建物だが一応建物周辺に原因が無いかを考える。

 幻覚や幻視を引き起こす原因として考えられるのはガスや細菌、黴(かび)に微生物や化学物質、後は幻覚を引き起こす茸等の植物が周辺に自生してないかだ……

 先ずはガスだが、これは古井戸や使われていない埋設配管に溜まる可能性が高い、天然ガスは有り得ないが溜まった水が腐敗しガスが発生する場合がある。

 ピェール邸の周辺に古井戸は無い、使っていない下水配管も無い。

 わざわざ新宿に有る都庁第二本庁舎の下水道台帳閲覧室まで行って調べて来た、周辺の施設平面図や施設管理図を確認し念の為にコピーも貰って来た。

 一枚30円と実費のみでコピー出来た、殆どが上下水道施工業者ばかりだったが特に怪しまれなったのが救いだ。

 細菌や黴(かび)は周辺の土壌調査をしないと分からないのでサンプルを採取して専門機関に送ったが結果は半月後、だが異常は無いだろう。

 最後は化学物質だが、周辺は民家や観光施設ばかりで工場等の薬品を使う建物も無い。

 

「一応他の可能性は潰した、後は心霊絡み屋敷絡みのみだな……」

 

 悪食と眷属を送り込みピェール邸を内外から調べるしかないな、美羽音さんが家出した今ならピェール氏しか居ない。

 彼が豹変した理由を調べるには最適だ、ドッペルゲンガーの疑いも同時に調べられるだろう。

 ピェール邸に二人同時に存在すれば立証されるのだが、問題は僕と悪食の視覚共有だ。

 距離は大丈夫だが共有時間が長くは無理、だが悪食や眷属達は決定的な瞬間を僕に知らせる事は出来ない、常に共有して指示しなければ調べられないのだ。

 

「近ければ近いほど視点共有の負担は少ない、ピェール邸の近くに拠点を構えるか……」

 

 だが山手周辺は高級住宅地と観光地が点在し、ピェール邸の周りにはホテルや賃貸マンションやアパートは無い、車で近くに路駐はリスクが高い。

 

「どちらにしても悪食と眷属達は忍び込ませるからピェール邸に行くしかない、その時に周辺を調べるか……」

 

 風巻姉妹に送る指示の中にピェール邸周辺の拠点探しも追加、送信する。

 亀宮一族の伝手なら良い物件が見付かるかもしれないからな。

 パソコン画面の隅の時計を確認すれば既に18時を過ぎている、流石に小笠原母娘も居ないだろう。

 事務所の戸締りをして足早に自宅へと向かう、足が重いのは気のせいだと思いたい……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 形見の指輪の件で怒らせてしまった魅鈴さんのお詫びを兼ねて横浜の山手地区の散策に誘った、理由は筋肉質な中年が独りで徘徊するのは目立つから。

 正式な依頼を請けてないのに自宅付近をウロウロされたら警戒されるだろう、特に今回はピェール氏本人の偽者説まで出ているから慎重に行動する必要が有る。

 もしドッペルゲンガーが原因だった場合、ピェール氏本人も危険で最悪死ぬ事になるかも知れない。

 警察沙汰になった場合は僕とメリッサ様は疑われる確率が高い、だから少しでもアリバイを用意する。

 

「でも嬉しいですわ、榎本さんが私をデートに誘ってくれるなんて……」

 

 そう言って腕を絡めてくるが何時もの着物姿の魅鈴さんは兎に角目立つ、相手が筋肉質の中年では余計にか?

 

「半分は仕事なんです、この先の洋館の主から相談を受けてまして下見なんですよ」

 

 身体ごと預けてくる魅鈴さんに愛想笑いを浮かべる、この人ナチュラルに女の媚びを売ってくるな。

 周りの男性の嫉妬がウザイ、睨む様に周囲を見渡せば顔を背けられる。

 

「お仕事のお手伝いですわね、それで夫婦の真似事をするのですか?」

 

 更に絡めている腕に力を入れてきたが……夫婦?いや違うぞ、せめてカップルでお願いします。

 

「女性に人気の観光スポットに男独りは不審に思われますから。此処がエリスマン邸ですよ、この先に旧イギリス大使館がありますね」

 

 ピェール邸まで直行せずに幾つかの観光をしながら近付いていく、確か某鑑定団で有名な玩具コレクターの博物館も有ったな。

 受付で入場券を購入する、勿論彼女の分も負担する。

 

「ご夫婦で観光ですか?」

 

 窓口のオバサンに突然話し掛けられた、確かに端から見れば夫婦に見えなくもない。

 

「いえ、あの……」

 

「結婚は未だなんですの」

 

 僕が吃っていると彼女が嬉しそうに事実を伝えた、僕は未婚で未だ結婚はしていない。

 

「あら?おほほほ、デートですね?」

 

「はい、異国情緒が有って良い所ですわね」

 

 にこやかに会話する二人を横目に魅鈴さんも対人スキルが高い事が分かった、これで印象に残った筈だ……筋肉質の男と妙齢の和服美女のカップルが居た事を。

 後は入場券を無くさず保管して置けばよい、何故この辺に居たか聞かれても観光だったと言える。

 今回は霊障に怯えて家出した美羽音さんをセントクレア教会が保護している、だが世間からみれば最悪誘拐とも言われかねない。

 

「榎本さん、後でお土産コーナーに寄っても良いですか?お揃いのカップを買いましょう」

 

「カップ?ああ、魅鈴さんは日本茶党だと思いました」

 

「あら?珈琲も紅茶も好きですわ」

 

 完全にカップルの会話をしながら建物内を見学する、だが古い屋敷の感覚というモノが何と無く分かって来たぞ。

 建物に刻まれた歴史、それは霊能力に訴えてくるモノが有る……まさか付喪神って其処に住む人達の霊力が溜まって?

 

『人の念とは恐ろしいモノだな、死して尚影響を与え続けるのだからな。我も人の欲望が造りし存在だ……』

 

『うん、でも胡蝶の生まれは関係無い、関係無いんだ……』

 

 あの犬飼一族の最後の試練の妖(あやかし)との会話でも言っていた。

 

 胡蝶は諏訪の和邇(わに)だと、人が造りし人神だと……



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第236話

 指輪の件で怒らせたお詫びを兼ねて魅鈴さんと横浜山手巡りをしている。

 目的はピェール邸に悪食を侵入させる事と、内緒で美羽音さんを匿っているセントクレア教会と繋がりが有るので、表沙汰になった時のアリバイ作りだ。

 筋肉質の男が独りでウロウロするのは怪しいが女性と二人なら観光してたと言える。

 柳さんはピェール氏が怪しいと踏んだ、つまり直接対決に失敗すれば法的措置を取られる可能性は高い。

 僕も心霊調査事務所の看板を出しているから世間様からすればグレーゾーンの詐欺師だからね……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 順路通りに山手地区巡りを続ける、平日なのに観光客も多い。日本の中の異国情緒に外人観光客が多いのが驚きだ。

 日本人が海外旅行に行って日本人街を見に行く様なモノじゃないのか?

 

「異国情緒とはいえ墓地まで観光客に見せるのは死者への冒涜ではないでしょうか?」

 

「うーん、お金を取って中を見せるのを良いか悪いかは難しいね。入場料が墓地の維持管理費に使われているなら良いんじゃないかな?」

 

 外人墓地も観光名所として一般の観光客に解放している、有料だが中に墓参り以外の人達も多いな……

 僕は在家僧侶で魅鈴さんは凄腕の霊媒師、死者に接する仕事をしてるので、この手の問題にはナーバスに成りやすい。

 

「私は好きでは有りません、死者を呼び出す能力が有りながら矛盾してると思うかも知れませんが、私は……」

 

 魅鈴さんは霊媒師として死者の魂をその身体に宿す事が出来る、最も死者の気持ちが分かる女性だ。

 多分だが死者が最後に納められる場所を穢す行為なのだろうか?

 

「多分だけど魅鈴さんの思いが正解だと思うよ。でもね、世の中には居る人の分だけ正解が有る場合も有るのを忘れないで」

 

 足早に外人墓地の前から立ち去る、誰かに聞かれたら面倒臭い事になるのが目に見えている。

 手を掴んで軽く引くだけで彼女は嬉しそうに付いて来る、何故か知らないが楽しそうだ。

 暫らく手を繋いで散策すると漸く本命のピェール邸が見えて来た、精神を集中するとやはり違和感を感じる。

 む、ピェール邸の前にパトカーが停まっているぞ、もしかしたら美羽音さんの家出を失踪として警察に届けたのか?

 特に気にしてない風を装い近付いて行くと、玄関が開き高梨修が警察官に連行され出て来たぞ。

 

「あの馬鹿、警察に捕まる様な事をしたのか?」

 

「知り合いですか?」

 

 僕の視線と呟きで高梨修が僕の関係者と気付いたのか?

 このまま進めば高梨修が僕に気付く可能性が有るので隠れる様に脇道に曲がり身を潜める、これは情報を調べないと不味い。

 あの馬鹿が警察の取り調べで自白すれば芋づる式に僕まで辿り着く、奴が捕まった同じ日に同じ場所に居たとなれば無関係とは思われない。

 

「雑誌のライターです、僕等の仕事に興味が有り記事にしようと企んでました。三流ゴシップ雑誌なので相手にしなかったのですが、自分で動いて捕まった感じですね。

少し周りが騒がしくなりそうなので喫茶店にでも行って説明します」

 

 彼女の背中を押して視線をパトカーから逸らすと自分の影から悪食を出して向わせる。

 黄金色の悪食は巧みに道路脇の側溝に潜り込んで近付き、眷属をパトカーに忍び込ませると自分はピェール邸にと向かった。

 

「榎本さん、今ですが何かしら変な気配が……」

 

 立ち止まり僕を見上げて教えてくれた、悪食の事は全ては教えられないし警察署に眷属を忍び込ませた事も言えない。

 

「式を飛ばしました、ピェール邸を監視させます」

 

「凄いですわね、式神まで使役出来るなんて流石だわ!」

 

 当たり障りの無い監視だけだと教えたが、僕が式神を使える事がそんなに驚く事だったか?

 彼女は犬飼の屋敷で赤目達を支配下に置いた事を知っている筈だけど……

 だが悪食の気配を感じるとは彼女は霊媒師としても有能だが、霊能力者としても高い能力を持っている。

 直ぐ近くとはいえ隠密特化型の悪食の気配を感知出来たのだから……

 

「有難う御座います、では行きましょう。元町の方に珍しいロシアンティを飲ませる店が有るんですよ」

 

「あら?食通の榎本さんが勧める店とは楽しみですわ」

 

 桜岡さんから教えて貰った霧笛楼と言う店だが、前回彼女の両親と顔合せした時に時間調整で利用したらしい。

 表通りに出てタクシーを捕まえて霧笛楼に向かう、魅鈴さんの前では視覚共有は出来ないが高梨修も警察署に連行されて尋問迄には今暫らく掛かるだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 人気店の筈だが特に待たされずに席に着く事が出来た、店内は八割ほど席が埋まっているが適度に離れているので小声での会話なら聞かれずに済むだろう。

 桜岡さんお勧めのロシアンティのクッキーセットを注文し、運ばれる迄は他愛ない話をする。

 直ぐに本題に入っては彼女に悪いから……

 

「ロシアの紅茶とは凄く渋いのですね?」

 

「先に付け合わせのジャムを舐めてから飲むんですよ、混ぜるのは正式な飲み方じゃないんです」

 

 元町に有る霧笛楼は小洒落た感じのレストランでウェイトレスが古風なメイド服で遇してくれる、安っぽいメイド喫茶とは違う趣きが有る。

 

「ふふふふ、今日は榎本さんの知らない一面を色々と知る事が出来ましたわ」

 

 艶やかな笑みを浮かべて周りの客やウェイトレスからも注目を集めている、本当にこれだけの美女を捨てて逃げるとは元旦那は何を考えていたんだか……

 

「僕の秘密なんて大した事は無いですよ。さて、先に謝っておきますが少し面倒な事に巻き込んでしまいました。

先程パトカーで連行された男は高梨修といってフリーのライターです、彼は僕と知り合いのエクソシストに近付いて僕等の仕事を探っていました」

 

「エクソシスト?静願から聞いているセントクレア教会のシスター・メリッサの事かしら?」

 

 小原氏絡みの事は既に聞いているって事かな、探る様な感じじゃなくて確認するみたいだし……

 

「ええ、そうです。高梨修は表の仕事は保育園のセントクレア教会所属の保母でもあるメリッサさんに近付いて裏の仕事……

エクソシストについて聞き出そうとした、自分の姉がピェール邸で怪奇現象にあっているのをネタとしてね。

雑誌に僕等の除霊について記事を書きたかった、だが僕等は断った。奴が警察に捕まったという事は良くて不法侵入、悪ければ詐欺か恐喝くらいしてそうです」

 

「そして榎本さんやシスター・メリッサの事も白状してしまう訳ですね。運悪く当日私達は近くに居てしまったから当然仲間と疑われる?」

 

 僕の言葉を引き継いで魅鈴さんが一番心配してる事に辿り着いた、まさにその通りだ。

 

「多分ですが僕は明日にでも任意同行・事情聴取だと思います、当然アリバイの裏付け確認で魅鈴さんにも連絡が行くでしょう。

問題は高梨修が何の罪で捕まったかですね、これにより共犯者と疑われる者の対応が決まる」

 

 少なくとも高梨修はピェール氏にとっては妻の弟で親戚だ、それを通報したとなれば相応の罪だろう。

 馬鹿が、焦って自分で調べるつもりか姉をダシに悪い話を持ち掛けたか……

 

 小皿に盛られた苺ジャムをスプーンで掬い舐めてから紅茶を一口含む、鍋で煮立てた紅茶は渋いがジャムの甘さにより味わい深い……

 うん、僕は午後の紅茶か紅茶花伝の方が良いや。

 クッキーはバター風味で甘くて塩っぱくてサクサクして慣れれば美味しく感じる不思議な味だ。

 魅鈴さんを見ればスプーンを咥える仕草が妙に艶っぽい、隣の席のカップルの男がボーッと見詰めて女にツネられたぞ。

 

「すみません、トイレに……」

 

 高梨修が警察に連行されて一時間が過ぎた、そろそろ尋問されてる頃だろう。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 男性トイレの個室に入り悪食の眷属と視覚共有を試してみる、悪食と違い眷属と視覚共有は初めてだ。

 胡蝶にサポートして貰いラインを繋ぎ視覚を共有する……

 最初は霞が掛かっていたが徐々にピントが合って来たぞ。

 

 取調室、私服刑事が二人、机には写真が……誰のだ?

 私服刑事が机を叩いて写真を見せているが高梨修は首を横に振るだけだ。

 精神を集中し写真が見える位置に移動する様に念じる、暫らくすると視点が動いて机を見下ろす感じになった、天井に張り付いたか?

 一枚の写真……ふくよかな女性……竹内さんだ、ベビーシッターの……何故彼女の写真が?

 

『正明、五分過ぎたぞ。大疑惑が持たれる前に戻れ、霊力の消耗も激しい』

 

「有難う、胡蝶さん。目が目の奥が痛いや」

 

 洗面器で顔を洗いサッパリしてから席に戻る、しかし何故刑事は高梨修に竹内さんの写真を見せて問い質していたのだろうか?

 彼女はベビーシッターを辞めただけじゃないのか?

 

「魅鈴さんお待たせ、そろそろ出ましょうか?」

 

 霧笛楼でお土産にお菓子を買った、その後は魅鈴さんに断って公衆電話でメリッサ様と若宮の御隠居に連絡を入れて簡単な状況の説明をする。

 自分の携帯電話を使わなかったのは通話記録を残したくなかったからだ、警察なら通話記録を調べる事も可能だから。

 勿論、公衆電話も監視カメラが無さそうな場所の所を探して使ったが、昔と違い随分数が減ったな……久し振りだ使ったのは。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日、普段通りに横須賀中央の事務所に向かう。普段と違う行動は警察に不信感を与えるから……

 午前八時五十分に事務所の有るマンションへと到着、ポストを確認していると後から声を掛けられた。

 

「おはようございます、お宅が榎本さん?」

 

 振り向くと背広姿の中年男性が二人並んで僕を見ている、片方は見覚えが有るな、昨日高梨修を尋問していた男だ。

 

「そうだけど、貴方達は誰です?」

 

 不信感を滲ませながら見詰める、僕は何も知らないのだから急に男二人に声を掛けられたら警戒するのが普通だ。

 

「警察です、少しお話を聞きたいのですが宜しいですか?」

 

 二人共に警察の証であるバッチを見せる、実際に見ても偽物か本物か素人じゃ分からないよな。

 

「何処で?事務所に来ますか?」

 

 顔を見合わせているが警察署まで連行はお断りだぞ。今の段階だと任意同行は断れる、印象は悪くなるが……

 

「お邪魔しましょう」

 

 刑事二人を事務所に通しパックの日本茶で遇す、自分も同じ物にしてソファーに向かい合ってすわる。

 

「それでご用件は?」

 

「高梨修さんについてです、ご存知ですよね?」

 

 テーブルに写真まで出して人違いじゃないぞと言わんばかりだな、だが美羽音さんと一緒に写っているのを見せる意味は?

 

「知ってます、知り合い程度ですが……

先日、此方のお姉さんの嫁ぎ先の家に不法侵入者が居ると相談を受けたのです。お姉さんに僕を紹介したのが彼ですが、フリーライターだそうで」

 

 一旦言葉を止める、彼等が僕を何処まで調べているか反応を知りたい。

 

「ふむ、それは榎本さんの仕事について詳しく調べていたと?」

 

「僕も業界ではアノ有名人ですから……

残念ながら相談は断りました、不法侵入者は警察の範疇ですからカメラを仕掛けて証拠を残し警察に相談しろとね。僕が彼等に会ったのは一度だけですよ」

 

 事務机から名刺入れを取り出して高梨修の名刺を取り出して見せる、手に取り一応見たが直ぐに返してきた。

 

「セントクレア教会の柳鶴子さん、御存知ですよね?」

 

「ええ、美羽音さんはセントクレア教会の信者で本来は彼女に相談したが高梨修の入れ知恵で僕も呼ばれた。あの男は僕達の事を面白おかしく記事にしたいだけの男ですよ、だから断った」

 

 吐き捨てる様に言う、仲間とか思われたら迷惑だ。

 

「教会のシスターがエクソシスト、在家僧侶は霊能力者、ネタとしては面白いですな。私達も所轄の警察に聞きました、所謂貴方はホンモノだから余り刺激するなとね」

 

 ニヤリと笑って見せる、警察は僕の事を非公式に認めていたか……

 

「本題はコッチです、ピェール邸でベビーシッターをしていた竹内真理恵さんが失踪しました。高梨修はその件でピェール氏を恐喝したんです」

 

 何だって?高梨修よ、お前一体何がしたかったんだよ?



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第237話

 高梨修の件で警察が事情聴取に来たが、竹内真理恵さんが失踪したと教えてくれた。

 確かに悪食の眷属と視覚共有した時に彼女の写真を見せて問い質していたが、まさか失踪だったなんて……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「失踪?彼女が?それをネタに高梨修がピェール氏を恐喝ですか?」

 

「ええ、彼は失踪の犯人をピェール氏と思い屋敷に押し掛けて恐喝したそうです、ピェール氏は隙を見て警察に通報し緊急逮捕となりました。

黙って欲しければ姉と別れて示談金を寄越せとね」

 

 姉と別れて?美羽音さんの事を心配したのか、今も家出中だし正式に離婚しろと……

 竹内さんの失踪とピェール氏を結び付けるナニかを奴は知った、だがピェール氏は警察を呼んだ、つまり勘違いか絶対にバレない自信が有ったんだ。

 柳の婆さんの勘は良い所を突いたのか、ピェール氏本人か彼のドッペルゲンガーが竹内さんを?

 

「黙り込んでどうしました?」

 

「何か知ってる事でも有りますか?有るなら何でも良いから教えて下さい」

 

 黙り込んでしまったから疑われたか?だがセントクレア教会はヤバいな、美羽音さんも家出してるから下手すれば失踪として竹内さんの方も疑いを掛けられそうだぞ。

 

「いえ、まさか恐喝までするとは思わなくて……僕も結構激しく断ったので逆恨みされたら面倒臭いなと思いまして」

 

「怖い、ではなく面倒臭いですか……」

 

 下を向いて手帳に何かを書き込みながら呟かれた、一般人なら知り合いが犯罪者になれば怖いと思うのが普通なんだろうな。

 

「有る事無い事雑誌に書かれる事は面倒臭い事ですからね、それで竹内さんの失踪については何か分かったんですか?」

 

 誤魔化しつつ竹内さんの情報を探る、本当なら会って事情を聞きたかったのだが失踪とは驚いた。

 

「鋭意捜索中です、人間一人忽然と消えるなんて現代社会では難しいのですが全く行方が分からないのです。榎本さんも何か思い出しましたら教えて下さい」

 

 そう言って名刺を差し出して来た、刑事さんも名刺とか持ってるのか……

 

「分かりました」

 

 名刺を受け取る時にコレが今回一番聞きたかっただろう事を聞かれた。

 

「榎本さん、昨日はどちらへ行かれてましたか?」

 

「昨日は知り合いと関内から元町、それに山手地区に遊びに行ってましたよ」

 

 用意していた台詞を言う事が出来た、勿論動揺はしていない。

 

「ほぅ、証明する方が居ますか?教えて貰っても平気ですかな?」

 

 テーブルに置いていた名刺入れから小笠原魅鈴さんの名刺を取り出して見せると名前や連絡先をメモした、後で裏付けを取るのだろう。

 魅鈴さんが打合せ通りに対応してくれれば大丈夫だろう。

 

「高梨修がピェール氏を自宅で恐喝したその日に近くに居るとは……」

 

「有名な観光地ですからね、女性受けもします。特に不思議は無いと思いますよ」

 

 予想通りの展開だ、慌てず表情を変えず淡々と応えた、逆にコレで突っ込み無しだと警察の質を疑うぞ。暫らく年配の刑事と睨み合う、名前聞いてなかったな……

 

「分かりました、コレで全て終わりです。アンタの事は上から言われてるんだよ、あの亀宮の関係者だから無茶な事は厳禁ってね。

全く事件って奴は犯人が人間だけじゃない場合が有って警察じゃ解決出来ないんだとさ。正直今回どうなのよ?」

 

 いきなり口調が砕けたが、コッチが素の喋り方だろう。

 

「半々でしょう、僕は直接関わらない予定ですが知り合いが動いてます」

 

 亀宮一族の影響力は凄いな、流石は影から日本の中枢の霊障を祓ってきただけの事は有る。

 

「そうですか、それと名古屋の件で岩泉先生の秘書の方にも問合せたんすよ。

そしたら主人に話すのは待ちますから再度警察内で確認しろって情けを掛けられましたわ。

アンタ、現役国会議員もお得意様なんだな。高梨修なんて小物を捕まえたらトンでもない大物に繋がっちまったよ」

 

 岩泉氏の秘書ってあのナルシストでスケコマシの徳田じゃないよな?

 もし彼だったら評価を上げなければならない、今度メールしてみるか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 刑事達を見送る、本当に確認の意味で来ただけだろう。

 流石は700年の歴史を持つ亀宮一族だ、国の中枢部に食い込んでいるのだろう、もう刑事達は来ないな。

 先ずは今日の出来事を若宮の御隠居に風巻姉妹、メリッサ様に報告する為にノートパソコンを立ち上げる。

 

『ピェール氏の件で警察が事情聴取に来た。

美羽音さんの弟、高梨修がピェール邸に押し掛けて辞めたベビーシッターの竹内さんの失踪をピェール氏が犯人と口止め料を払えと脅迫し逮捕された。

警察は奴の自白から僕とセントクレア教会の事を聞き出して事情聴取に来た模様、柳の婆さんは今回の黒幕はピェール氏と断定し準備を進めているが、僕は洋館に原因が有ると思い調べている。

今のところ手掛かりは無し、僕はピェール邸について調査を始める』

 

 この内容で一斉に送信した、送信メールを保護してフォルダを移動する。後は風巻姉妹の報告を待ってから動くか。

 

 時刻は未だ十時を少し過ぎただけだな……

 

「さて、どうするかな?他に依頼も無いし亀宮本家の書庫を漁るか……」

 

 お得意様である長瀬さんや山崎さんからも依頼は無いので今回の件に集中出来るのだが報告待ちだから正直暇だ。

 勾玉の威力は確認したが式神札は手付かず、残りの術具の扇子も調べていない。あと艶髪を倒した後に残った玉だが、これも何だか分からない。

 

「胡蝶はどうしたい?」

 

 呼び掛けに対して実体化して事務机の脇に腰掛けて足を組んでいる、最近お気に入りの衣装は正統派巫女服だ。

 

「ふむ、暇なのか?」

 

「暇って言うか調査報告待ちかな、今ピェール邸周辺を調べるのは危険だからね。警察が張り込んでると思うんだ、高梨修の恐喝もそうだが失踪した竹内さんに関係が有るから。

迂闊に動けば目を付けられて亀宮さんに迷惑が掛かる」

 

 あの刑事達は亀宮一族の影響力を恐れてはいたが、事件に絡み有りならば動かない保証は無い。

 僕も別件逮捕とかで余罪を調べられるのは困る、法的には完全にアウトなのが僕という存在だ。叩いて出る埃は新聞の一面を飾る事になるだろう……

 

「なる程な、確かに我等の存在が国家権力に知られるのは不味いな。ならば地力を上げる事にするぞ。あの式神札を調べるとするか」

 

「文字通り手札を増やすのか……」

 

 少し話し込んでしまったが時計を見れば時刻は10時27分、今から出れば昼頃には亀宮本家に着けるだろう。

 何冊か資料を借りられれば明日以降は自分だけで学べるだろう、胡蝶さんという700年物の教師も居るし。

 

「分かった、亀宮本家に行くか」

 

 一応連絡を……誰が良いかな?少し考えて風巻のオバサンに電話した。

 最寄りの駅まで迎えを寄越してくれると言うので東京湾フェリー金谷港までお願いした、電車だと東京湾をグルリと回るがフェリーなら久里浜港から45分だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「おはよう、榎本さん。時間的にはコンニチハ?」

 

「えっと、陽菜ちゃんだっけ?学校はどうしたの?」

 

 金谷港前のターミナルには黒塗りベンツが鎮座し私服姿の陽菜ちゃんが元気に手を振って出迎えてくれた、だが今日は平日で中学校は授業中だろう。

 涼しそうな白のノースリーブのワンピースから健康的でスラリとした手足が覗いている、若宮の御隠居は自分の孫娘を僕に近付けるのか?

 もしかして僕がロリコンってバレた?

 

「自主休校です、若宮を継ぐ為の勉強をしなければならないので……だから気分転換に迎えに付いて来たんだよ」

 

 所謂帝王学ってヤツか?この年で学校を休ませてまで自宅で勉強とは彼女も大変なんだな。

 

「そうか、気分転換になったかい?」

 

「うん、天気が良いのに家に籠もるのは嫌だよ。早く車に乗って乗って」

 

 手を引かれて後部座席に押し込まれてしまった、彼女からは取り入ろうとか奸(よこしま)な感じは全くしない。

 だが単純に帝王学の勉強が嫌で飛び出した訳じゃないだろう、無邪気に微笑む彼女の裏を考えるとは僕も薄汚れたな。

 

「榎本さんって沢山食べるんでしょ?寄り道してお昼食べようよ。保田にね、凄いメガ盛りのお店有るの。まだ完食した人が誰も居ないんだって!」

 

 身振り手振りで話し掛けてくれる彼女は年相応の愛らしさが有る、裏は無く純粋なのだろう。

 だから亀宮一族での扱い辛い問題児の僕と一緒に居る事は彼女には悪影響なんじゃないかな?

 

「それは気になるけど陽菜ちゃんが困らない?僕に付き合うのは色々と問題になる……」

 

「変な噂なんて気にしてないよ。アレって酷い悪意が含まれてたもん、本当の事を隠して自分に都合の良い嘘を混ぜたんだ。だから全然信じてないよ」

 

 陽菜ちゃんの目は真剣だ、この子を可愛がる若宮の御隠居の気持ちが分かる。

 未だ幼いのに、結衣ちゃんと同い年位だろうに、モノの本質を見れる才能を持っている、なる程後継者として大切に育てているのだろう。

 

「そうか、そうだね。若宮の御隠居様の秘蔵っ子で後継者なんだな」

 

「それイヤ!立場を見てるだけで私個人を見てないからイヤ」

 

 凄い悲しそうな顔をされてしまった、罪悪感が半端無い。

 

「ごめんね、そんな意味じゃなかったんだけど嫌な思いをさせたね」

 

 つい頭を撫でてしまった、サラサラで気持ち良い撫で具合だ。

 

「じゃお詫びにお願い聞いてくれる?」

 

 両手を組んで上目遣いでお願いとは、彼女にペースを握られっぱなしだ。何処かで巻き返さないと大変な事になりそうだが、この子を見てると強く拒絶出来ない。

 

「出来る事ならね……」

 

 お願いを聞いてから決める保険的な言い回しをしてしまった、好みのロリっ子でも若宮の御隠居の孫娘だと思うと警戒してしまう。

 真っ直ぐな彼女の目が眩し過ぎて逸らしてしまった……

 

「お友達にじゃ失礼だから、お兄ちゃんになって欲しいんだ!」

 

「は?お兄ちゃん?」

 

 思わず固まってしまった……夢にまで見たロリっ子からお兄ちゃんと呼ばれる事が叶うのか?

 

「うん、お兄ちゃん。それともお兄さんの方が良いかな?」

 

 首を傾げる仕草が似合い過ぎている、駄目だ、抵抗出来ない。

 

「う、あ……えっと、最初で良いよ」

 

「うん、じゃメガ盛り食べに行こうね。黒岳さん、保田港のばんや食堂に行って下さい」

 

「はい、陽菜様」

 

 有耶無耶な内にメガ盛りを食べに行く事になった、だが悪い気はしない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 保田漁港直営の食堂、ばんや食堂は海鮮メインの大衆食堂だ。若宮の一族の秘蔵っ子が入るには似合わない店じゃないか?

 

「オバさーん、メガ盛りチャレンジャー連れて来たよ!」

 

「あら、凄いマッチョさんだね。これは期待出来るかな?」

 

 どうやら食堂のオバサンとは知り合いみたいだ、慣れた感じでコップに冷水を入れて配ってくれる。

 因みに運転手の黒岳さんと陽菜ちゃんは既に地魚の刺身定食を頼んで僕だけが謎のメガ盛りだ。

 

「はい、先に地魚の刺身定食ね」

 

「わーい、鯵が未だ動いてるよ!」

 

 お盆に乗った地魚の刺身定食は、尾頭付きの鯵にカワハギの肝乗せ、赤ムツの刺身とトコブシの煮物がメインでヒジキと大豆の煮付に釜茹でシラスと大根おろしが山盛りだ。

 それに海鮮味噌汁に白米とボリュームが凄い事になっている、陽菜ちゃん食べ切れるのかな?

 

「陽菜ちゃん、食べ切れるの?」

 

「はい、メガ盛りチャレンジャー定食だよ。制限時間は三十分、残したら料金三千円です。ではスタート!」

 

 彼女を心配したらメガ盛りチャレンジャー定食なる巨大な海鮮丼とラーメン丼みたいなアラ汁、それに胡瓜の浅漬けがテーブルに運ばれて来た。

 

「ふむ、鮪の赤身に炙りサーモン、鯵にハマチにヒラメに甘エビ、酢飯だけでも一升は有るみたいだが……悪いね、余裕だな」

 

 この程度、僕の永遠のライバル桜岡さんとの日常的な勝負よりも軽いぜ。

 

 陽菜ちゃんの固まった笑顔を見ながら十五分で完食した。

 

 



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第238話

 好みの美少女とお付きの運転手と共にテーブルを囲みメガ盛り海鮮丼を食べている、高々十人前程度なら余裕綽々だ。

 

「完食したが食べ足りないな、追加注文良いかな?」

 

 確かに美味しかったが酢飯のボリュームが凄い、具材とのバランスを考えて食べないと酢飯だけを食べる事になったぞ。

 

「お兄ちゃん凄いね、沢山食べるって聞いてたけど制限時間を半分も残して完食するとは思わなかったよ」

 

 途中で箸を止めて見入って陽菜ちゃんが漸く起動した、でもフードファイターとして桜岡さんのライバルとして分かり切った結果だ。

 

「僕の霊力は燃費が悪いからね、沢山食べないと駄目なんだよ」

 

 胡蝶さんの贄的な意味でも沢山食べないと駄目なんだ……

 

「じゃ記念撮影するよ、はいチーズ!」

 

 問答無用でオバサンがデジカメを構えて近付いて来たので、慌てて目線をデジカメに向ける。隣には陽菜ちゃんも座りガッツポーズをしているが食べたの僕だよね?

 

 フラッシュが焚かれ何枚か写真を撮られた、店に飾るそうだ。

 

「すいません、追加注文お願いします」

 

「アンタ、まだ食べるの?食べ足りないの?」

 

 オバサンに呆れられたが地魚握り寿司二人前を追加注文した、やはり鮮度が良い魚は寿司に限る!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時間制限は無いので握り寿司は味わって食べる、カワハギの肝乗せは淡泊な身と濃厚な肝が合わさって美味い。

 

「何て言うか凄いとしか言えないよ、未だ余裕有るのかな?」

 

 キラキラと尊敬の目で見られるのは恥ずかしい、大食いは特技ではあるが自慢出来るかは別問題だから……

 

「腹八分だね、さて亀宮本家に行きますか」

 

 最後に残したガリを口に放り込んでお茶で流し込む、確かに安く美味しくボリュームがある良い店だ。

 

「次はフードファイター仲間を連れてきますよ。ご馳走様でした、領収書お願いします」

 

「駄目だよ、僕が誘ったんだから奢られるのは駄目だよ」

 

 ポケットから子猫のワンポイントが可愛い財布を取り出したが、オッサンが中学生に奢られちゃ駄目だ。

 

「美味しいお店を教えて貰ったお礼だよ。ありがとう、今度は桜岡さんと来るよ、二人でメガ盛り四人前は食べれるさ」

 

 サラサラの髪の毛の感触を味わう、撫でり癖がついたかも……黒岳さんは黙って頭を下げたが陽菜ちゃんは頬を膨らませている、だけどね。

 

「中学生に奢られる中年男性をどう思う?佳い女はね、男を立たせる事も必要だと思うよ」

 

「頼り切るのはイヤ!」

 

 意外と頑固だった、この子の中には確りとしたルールが有るのかも知れない。

 

「君は良い店を教えてくれて僕は可愛い女の子と一緒に楽しく食事が出来た。お礼に支払いはさせて欲しい、だけど会社の経費で落とすから僕の懐は痛まないんだよ」

 

「むぅ、何か嬉しいけど騙された気がするよ」

 

 陽菜ちゃんと話しながら支払いを済まし、軽く背中を押して店の外へ誘導する。

 多分だが貸し借りの怖さを本能的に感じているのだろう、子供らしくないが帝王学を学んでいるなら一人前に扱って欲しいのかも……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はい、到着だよ」

 

「今回は屋敷の前じゃなくて裏手の専用駐車場か?」

 

 ナンバリングしている駐車場のNo.2に停まった、若宮の御隠居の次席は二だから……まさか?

 

「榎本さんの駐車スペースも有るよ、No.12の所。早く中に入ろうよ」

 

 陽菜ちゃんに手を引かれて屋敷へと向うが、黒岳さんは車の前で腰を60度曲げて頭を下げている。彼は若宮家専属の運転手なのかな?

 

 陽菜ちゃんに手を引かれて屋敷の中を歩くが、周りの視線が生暖かい気がするのは気のせいか?

 

「榎本さん、書庫で調べ物したいんでしょ?亀宮本家の蔵書はスッゴい沢山有るんだよ!」

 

 両手を振り上げて沢山有る事をアピールしてくれるが、流石に700年の歴史は半端無いんだな。目的の本を探せるかな?

 

「そうなんだ、地道に探すよ」

 

「何が知りたいの?僕、大体の場所なら教えられるよ」

 

 何が知りたいかって……

 

『胡蝶さん、何を調べたいのかな?』

 

『取り敢えずは陰陽道関連か、式神と言えば陰陽師が有名だからな』

 

『阿倍晴明(あべのせいめい)の前鬼と後鬼か、映画になる位に有名だね』

 

『それは修験道だ、役小角(えんのおづの)のが使役した夫婦鬼だ。善童鬼(ぜんどうき)と妙童鬼(みょうどうき)とも称する強力な式神だな。

安部晴明が使役した式神は十二神将だぞ』

 

 確かに五十嵐さんにも陰陽道に興味が有るから学ぼうとしてると言ったんだ。

 彼女の部下の東海林さんは陰陽師の神陽(しんよう)流派、陽香(ようか)家の長で試練で手に入れた御札を欲しがった。

 

 やはり最初は陰陽道関連だな。

 

「陰陽道関連の書籍の場所を教えて欲しい」

 

「お兄ちゃんって愛染明王を信奉してなかった?陰陽師になりたいの?」

 

 特に疑問も無くサラリと言われたが、僕の情報って周りに公開されてるっぽいな、大抵の連中が知ってるのって良くなくないぞ。

 情報の流出は対策をされやすくなる、僕は基本的には愛染明王の力を借りているので封じられる可能性が高い。

 

「仕事で手に入れた御札について調べたいんだ、この年から陰陽道を学んでも実戦で使い熟せるか微妙だけど手札は増やしたい。

初見殺しとまでは行かないが、調べ尽くした相手に情報と違う対応をされると一瞬でも隙が出来る」

 

「なる程、流石は亀宮一族で最強と言われてるだけあるね!」

 

 嬉しそうに僕を見上げてくるが……亀宮一族で最強って何だろう、不吉な言葉だけど?

 

「あのね?」

 

「此処だよ、この部屋には陰陽道に関連する書物を集めてあるの。でも鍵が掛かってるから少し待ってて、今鍵を持ってくるから!」

 

 トタトタと僕を置いて走り去ってしまった、暫く此処で待つしかないな。

 書庫と言うよりは貴重品保管室みたいな重厚な扉、霊能力者において術具や関連する書物は貴重だ。

 簡単に案内されたが、誰かに断らなくて良かったんだろうか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お兄ちゃん、鍵を持って来たよ!」

 

 五分程待たされたが陽菜ちゃんと……

 

「えっと……五十嵐さんと東海林さん、こんにちは」

 

 ぎこちない笑みを浮かべた五十嵐さんと営業的な笑みを浮かべた東海林さんが、満面の笑みを浮かべる陽菜ちゃんの後に並んで立っている。

 三者三様、五十嵐さんは男性恐怖症だが精一杯友好的に、東海林さんは御札の秘密を知りたい営業的な、陽菜ちゃんは悪意無き笑みって事かな?

 

「榎本さん、勉強熱心ですね」

 

「陽菜様から陰陽道について調べたいと聞きましたので、僭越ながらお手伝いをさせて頂きます」

 

 東海林さんは陰陽師の神陽(しんよう)流派、陽香(ようか)家の長だったな、素人が無闇に読み漁るより入門書的な物を選んで貰えば良いか。

 五十嵐さんも僕の力になる為に彼女と一緒に来たんだろうし……

 

「では陰陽道の入門書的な物を見繕って下さい」

 

「お兄ちゃんも勉強するんだね、じゃバイバイ!」

 

 元気良く手を振って走り去ってしまった、彼女は帝王学の最中に気分転換で付き合ってくれたんだった。

 鍵は五十嵐さんが持っていて書庫の扉を開けてくれた、薄暗く独特の古書の匂いが鼻を突く……

 

「何冊か探して来ますので、其方でお待ち下さい」

 

 東海林さんが指差した一角には机と椅子が何組が配されている、持ち出しは禁止かもしれないな。

 それに蔵書を読めるのは、ある程度の席次が必要かも知れない。

 どう見ても座るのを躊躇う位に高級品だしマホガニーっぽい机の上にはアンティークな感じの卓上ライト……

 普通の本棚でなく鍵付の書架を慎重に開け閉めして中身を確認している東海林さんを見て、かなり重要度の高い物が収納されているのが分かる。

 

「若宮の御隠居様には感謝しなければ駄目だな、相当無理させたか……」

 

「流石ですね、実は書庫の閲覧については長老会議でも揉めたんです。若宮・風巻・五十嵐の他に方丈と土岐、それに高尾は賛成したのですが他の四家が反対したので……」

 

 新しい情報だ……御隠居衆は十家、内六家は僕に友好的だが残り四家は何かしら有って否定的なのだろう。

 山名家は除籍され新しく御隠居衆に加わった方丈家は何と無く分かるが、土岐家と高尾家は僕と接点が無い。

 それに反対派の羽鳥家に井草家、星野家と新城家の内、星野家は山名家と親しかった。

 他の三家は賛成派の家と仲が良くないので、単純に僕を嫌っている訳じゃないだろう。

 派閥の関係は風巻姉妹に聞いていたが、リアルに派閥争いに巻き込まれるのは嫌だな。

 

「そうなんだ……有り難う、助かるよ」

 

「五十嵐家は親榎本派ですから当然です」

 

 今の彼女は食えない連中ばかりの亀宮一族内で、自分の立場を固めなければならないから大変なんだろう。

 十分程待っただろうか、漸く東海林さんが二本の巻物と紐で綴じられた和紙の束を持ってきた。

 

「お待たせしました、初めて学ぶならコレが良いでしょう」

 

 マホガニーっぽい机の上に巻物を広げる、当然だが毛筆で書かれた解読不能の文字の列だ……

 

『胡蝶さん、読める?』

 

『ふむ、大丈夫だぞ』

 

 良かった、これで読めないとかなら格好悪いし東海林さんに翻訳を頼まなければならなかった。

 五十嵐さんが机の引き出しからマスクと白い手袋をだして渡して来たが、手油や唾で大切な書物を汚すなって事か……

 

「有り難う御座います。なる程、これは……」

 

 東海林さんが解説し胡蝶が読み上げるのを聞きながら何とか読み進めて行く、彼女の解説は中々分かりやすく胡蝶が感心していた位だ。

 巻物を読み終える頃には胡蝶は基礎中の基礎は理解出来たらしい、僕には全く理解不能なのだが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「筋が良いですね、驚きました」

 

「東海林さんの教え方が良かったんですよ」

 

 アレから巻物二本、和紙の綴り一束を読み終える頃には太陽も大分傾いてしまった。

 結局東海林さんが付きっきりで教えてくれたが、独学よりは遥かに早く陰陽道の基礎を理解出来た……胡蝶がだが。

 

「半日足らずで基礎中の基礎とはいえ掴めるのは才能なのでしょう。未だ参考となる書物は有りますが、明日も学びに来ますか?」

 

『ふむ、この年で学ぶ楽しさを教えられるとはな。正明、明日も来るぞ』

 

 珍しく胡蝶さんの純粋に楽しそうな声を聞いたな、何時もは贄に対する喜びだし……

 

「迷惑でなければ明日もお願いしたいですね」

 

「そうですか。分かりました、お待ちしています」

 

 東海林さんの場合は善意だけじゃ無いのだろうが、一つの流派の長が全くの素人に陰陽道を懇切丁寧に教えてくれる大変さは理解している。

 胡蝶が独学で大丈夫になったら、あの状態保存の御札はお礼として渡そう。

 この個人指導の対価として釣り合うのは、あの御札位だろう、独り占めするよりは提供して広めた方が功績になるな。

 もっとも大量の式紙札はどうするか検討中だが……

 

 片付けを終えて書庫を出ると既に太陽が遠い山の陰に半分隠れている、腕時計に目をやれば既に五時半過ぎだ。

 今から帰ると八時近くになってしまうな、結衣ちゃんに連絡を入れておくか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 タクシーに乗って最寄り駅まで向かう榎本さんを見送る、あの古文書を辞書も無く解読していた。

 

「東海林さん、彼の筋はどうですか?」

 

「悪くないですね、ウチの門下生の中でも上位に入ると思います。しかし知識が凄いのです、彼なら解読待ちの古文書も読み解けるかもしれませんね」

 

「僕等の敵対する連中は古い程強い、だから古文にも強くなくては駄目だ……らしいですよ。全く見た目と中身が掛け離れ過ぎてますね」

 

 初音様の予言では、今回の件で大分五十嵐家に恩を感じてくれるそうです。

 東海林さんには言ってませんが、あの御札を提供してくれるとか……

 若宮の御隠居様と風巻さんが彼の能力について調べている、信じられない結果が出たらしいわね。

 彼の懐柔策として孫娘の陽菜ちゃんまで接触させた、彼女は若宮家の後継者と言われている。

 あの直感で人の良し悪しを見極められる彼女が懐いた……

 

「榎本さん、貴方は何処に向かっているの?貴方は何者なんですか?」



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第239話

 亀宮本家に通い詰めて五日間、陰陽道について東海林さんから短期集中指導を受けた。

 基礎を学び事例を元に応用を学ぶ、式紙札に書く文字の意味や構成を学び色々な見本を模倣した。

 基本的には先人の考えだした御札を模倣し作る物だが、意味を理解し構成を弄れるならば新しい式紙札を作り出す事も出来る。

 後は核となるモノを用意出来れば、より力強い式神を作り出す事も可能だ。

 

 核に成り得るモノとは力有る術具や人の魂、または妖怪など色々ある。

 

 基礎を学び終えれば後は修練有るのみ、如何に自分のスタイルを確立出来るかが強くなる秘訣らしい。

 今の僕(と胡蝶)に出来る事は初歩中の初歩の式神、ただ飛ばすだけの蝶と歩かせるだけの人形(ひとがた)だ。

 これを基本に色々な能力を付加していく訳だが、あの試練の倉に有った式神札は如何に高性能なのかが比較出来て分かる。

 それと式神札とは違うが攻撃や防御に使える御札を作る事も出来る様になった、東海林さんが妖に向けて放った浄火札に近い物とかだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「色々お世話になりました、これは御礼です」

 

「この御札は……良いのですか?」

 

 最終日に自分に与えられた執務室に、五十嵐さんと東海林さんを招いた。

 何故か陽菜ちゃんも居たが気にしない、彼女にも亀宮本家に滞在中に色々と世話になった。

 僕を良く思わない連中をさり気なく合わせない様に調整したり、どうしても顔を会わす時は同行したりと見え難い部分で力を貸してくれたのが嬉しい。

 御隠居衆筆頭、若宮家の後継者であり次期当主の彼女は現役当主である五十嵐さんより影響力が高い。

 

「構いません、亀宮本家が集めた貴重な書物を教材に、陰陽道の一流派の長が個人指導してくれる事の重要さは理解しています。

これでも足りないかもしれませんが、解読し亀宮の為に使って下さい」

 

 例の御札を一枚、テーブルの上に置く。試練で手に入れた現状維持の保管系の御札らしいが、僕等が持っていても勿体ないだろう。

 実際にコレだけの好待遇に報いるお礼となれば、これ位の価値がなければ釣り合わない。下手に値切るよりは余程良い、実際は元手0なのだが……

 

「足りないって、この三百年前の札の価値は……」

 

「陽菜ちゃんへのお礼は……何か依頼が有れば優先的に請けよう、僕もそれなりに強いからね。じゃ、有り難う」

 

「えっと、私の分のお礼は?」

 

 凄く残念そうな顔をされたが、君のお礼は東海林さん次第だろう。

 

「五十嵐さんの分は東海林さんの努力次第ですよ、良い結果が出る事を!」

 

 配下の東海林さんの功績は、そのまま五十嵐さんの功績となる。三百年前の御札の解析と量産は、それなりの富をもたらす筈だから五十嵐さんへの借りは無し。

 これで陰陽道の基礎知識を得れた、後は実践の中で覚えて行けば良い。そろそろ頼んでおいた、ピェール氏の件の報告が届くだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あっさりと帰りましたね、この御札の価値を理解しているのに簡単に渡してくれるなんて……」

 

「お互い自分の価値を低く見てるって事だよ、お兄ちゃんにとって東海林さんに学べた事は凄く嬉しかったんだね!」

 

 見た目と違い座学を厭わなかった、しかも三十歳過ぎて学ぶ楽しさを得られて嬉しいと言っていた。

 お兄ちゃんは金銭的欲求が低い、精神的な喜びを由とするタイプ。

 しかも僕の事もちゃんと見ていた、お兄ちゃんに無条件で依頼を請けて貰えるって事は亀宮一族の最大戦力を味方に出来たと同じ事。

 五十嵐家の跳ねっ返り達が十人近くで襲っても返り討ち、山名家の呪術部隊も返り討ち、対人戦も呪術戦も妖(あやかし)にも強いって……

 

 お婆様がお兄ちゃんと艶髪との戦いを録画して分析してるけど、個人で何の触媒も無く雷を発生させコントロールするって何か高位の神の加護がないと無理よね。

 お兄ちゃんには菅原道真様の加護が有ると思う、学問の神様だから学ぶ事の楽しさも分かるんだ。

 

「確かに弟子と言い換えれば非常に良い弟子でした。教えた事を理解し吸収する、未だ基礎中の基礎しか教えてませんが上達は早い方ですね」

 

 陰陽道の一派、陽香家の長が筋が良いって認めた。素質は有るって事ね、羨ましいな、私も陰陽師に憧れたけど素質は低いって言われたし……

 

「東海林さんは分かるけど、何で陽菜ちゃんにまでお礼したのかな?」

 

 お兄ちゃんがお婆様に五十嵐のお姉ちゃんの教育も依頼したのが分かる、この人は自動書記って予知能力は凄いけど箱入りのお嬢様だもん。

 僕も箱入り娘だけど世間を知らなすぎる……お姉ちゃんの誠意にお兄ちゃんが感じ入って色々と力添えしてるけど、早く気付かないと大変だよ!

 

「僕がお兄ちゃんを嫌う連中を近付けなかったからだと思う、ちゃんと見てくれてたんだ。あの人は恩には恩を仇には仇を返す人だよ、義理堅いけど敵には容赦が無いと思うよ」

 

「それは分かります、私達も彼に敵対した連中の末路を知ってますから……見た目は巌ついけど人懐っこい部分がある、だけど善人じゃない、裏の裏まで知っている怖さが有ります。

巴様、陰陽道について中級の教材と資料を用意しますので榎本さんに渡して下さい。

陽香家の奥義や秘技は教えられませんが、出来る限り用意します。榎本さんが私達の流派と懇意にして陰陽道を学んでいる事実だけでも有り難いですね」

 

 五十嵐のお姉ちゃんから渡す事でポイントアップと、自分の流派の関係者として対外に知らしめる。

 流石は五十嵐一族の重鎮ね、抜け目が無いわ。お兄ちゃんも裏を理解しながらも恩に感じる筈、だって事実だから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 月曜日から金曜日まで五日間みっちり亀宮本家に通い陰陽道について東海林さんから学んだ。

 基礎中の基礎を学んだだけだが、一流派の長がマンツーマンで指導してくれたので僕でも理解は出来た。

 後は修練を続けるだけだが、幸いにして僕には胡蝶と言う700年前から生きている存在が憑いている。

 底上げされた霊力をふんだんに使い教えて貰った御札を増産する、普通なら霊力切れで終了だが構わずに作り続ける……

 

 自宅の私室を清めて自分も禊ぎをしてから御札制作に取り掛かる。

 墨を作る時から霊力を注ぎ込む、水も祭壇で清めた霊水を使い慎重に丁寧に自分の霊力を墨汁に注いでいく。

 使う和紙も国産で同じく祭壇で清めて有る、自分で道具を用意出来るのは便利だ、手間が省ける。

 

 見本を見ながら丁寧に定められた順番に霊力を込めて文字を書いていく、この辺は自作の御札作成と同じだから迷いは無い。

 誤字が有れば失敗、形が崩れたら効果は薄い、御札作成は職人芸に通じる物が有るだろう……

 

「用意した和紙を使い切ったか……成功率は八割ってところかな」

 

 百枚の和紙を用意したが全てを使い切った、しかし途中で失敗し破棄した物も多い。

 失敗したのは十八枚、直ぐに愛染明王を祭った祭壇で護摩焚きをする。

 なまじ僕と胡蝶の霊力を中途半端に込めたモノは危険なのだ、故に速やかに処理する。

 今回制作した御札は霊的防御を高める物だ、身に付ければある程度の霊的防御を得られる、以前の愛染明王の御札より効果は高い。

 特に胡蝶の霊力が混じっているので同業者用に出回っている中級レベルの効果は有るだろう、最高級の和紙を使うので原価は一枚二千円程度だが市場価格なら十万円前後は固い。

 普通なら十枚も作れば霊力が枯渇するが、胡蝶タンクは並みじゃないぜ。

 現実的には御札制作販売については無名な僕が作った御札は精々一万円位の価値しかない、実績が無いから当り前だし御札の制作販売については流派の間で細かい取り決めが存在する。

 東海林さんから念を押されたが、勝手に作って勝手に売ると同業者に潰されるそうだ。

 

 価格調整、談合と言う名の大人の事情は何処にでも存在するんだな。

 

「さて、制作した御札で拠点の霊的防御を底上げするか」

 

 先ずは自宅と隠れ家兼作業場、自家用車に仕込むか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 隠れ家兼作業場は緊急避難場所でも有る、何日間か籠もっても大丈夫な位の物資を保管しなければならない。

 

「正明さん、お肉の缶詰ばかりって駄目です!コンビーフに焼き鳥にウィンナーだけじゃないですか?

バランス良く野菜も必要ですよ、筑前煮に金平牛蒡、ヒジキと大豆に……」

 

 外資系大型スーパーに結衣ちゃんと来ている、僕が押すカートに段ボールに入った缶詰を乗せていく、所謂大人買い、箱買いだ。

 大人五人が一週間分を目安に買うので大量になるが、最近の防災用品は食料は三年、飲料水は五年保つ商品が通販で買える。

 何と二十五年も保つ缶詰まで有るのには驚いた。今買っているのは保管用とは別の何か有った時の滞在時に食べる用だ。

 

「正明さん、何故同じ物を五個買うんですか?五人分なんですか?」

 

 何故って、僕と結衣ちゃんと桜岡さん、それと小笠原母娘か……機嫌が悪いのは小笠原母娘絡みだからか?

 

「うん、結衣ちゃんの想像通りだよ。小笠原さん達を含めた五人だ」

 

「そう、ですか。うん、そうですね。仕方ないですね、仲間ですものね」

 

 結衣ちゃんの中で何かが葛藤し、何かを納得と言うか呑み込んだみたいな少し大人びた顔をした。

 僕は何時まで彼女の傍に居られるだろうか、段々と人の枠から外れていく僕は何時まで君の傍に……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 僕の隠れ家兼作業場の一つは神奈川県三浦市内の閑散とした畑の中の農家だ、外観はトタン張りの古民家だが中は綺麗にリフォーム済み。

 備蓄品を買ってから久し振りにやってきた、八王子の廃墟ホテルから桜岡さんと二人で一晩籠もって以来だな。

 愛車キューブを家の前に停める、周辺は畑ばかりで見通しも良く陽当たりも最高だ。

 

「正明さん、先ずは空気の入れ換えをしてから掃除しましょう。少し黴臭いです」

 

「分かった、僕は布団を干すよ」

 

 押入に入れっぱなしの寝具は湿気を吸って重くなるから、陽の高い内に干して序でにファブリーズで除菌する。

 天日干しではダニは死滅しないがフカフカにはなる、マルハチ製の布団が二組と寝袋が三つ、庭の物干し竿に並べて完了。

 次は新しく作ってパウチした御札の設置だ、先ずは家の外周に隠して設置した御札の交換だが庭石の下や植木鉢の中、プロパンガスの裏側に仕込んだ御札を交換する。

家の中は東西南北と各出入口の部分に設置していた御札を交換、最後に各所に仕掛けた清めた塩を新しい物にして完了だ。

仕掛けとは衣裳棚を開けたりカーテンBOXを引っ張ったら清めた塩が飛び出す対霊トラップの事で、少しでも時間稼ぎが出来る様に色々仕込んでいる。

普通の泥棒には全く効果は無いが、前に不気味がって何も盗らずに逃げた奴も居た……抜け毛を見付けたので軽い呪いを送った、一日下痢地獄だ。

最後に備蓄品を収納し冷蔵庫や食料庫に入っている食品の賞味期限をチェックし古いのは処分する。

 

「結衣ちゃん、掃除手伝おうか?」

 

「私も終わります、お茶を淹れますから休憩しましょう」

 

 頭にタオルを巻いてエプロン姿の結衣ちゃんは、お手伝いさん感が溢れて素晴らしい!

 長柄の箒を持ってハタキを腰に差しているのも可愛いな……ああ、新婚さんみたいじゃないか?

 

「じゃ賞味期限が近い奴をお茶請けにしようか?」

 

 縁側に腰掛けて結衣ちゃんが淹れてくれた日本茶を飲み、お茶請けのポテトチップスを食べる。

 

「えへへ、夫婦茶碗ですよ」

 

 真っ白な湯呑みには淡いピンクの桜の花弁が散っている、前に箱根温泉に行った時に買った奴だ。

 

「綺麗な桜だね、季節はそろそろ初夏かな?」

 

 三浦市は海が近い所為か高台の農地も爽やかな風が吹く、周辺の畑では枝豆やスイカ等の苗木が青々として風に靡いている。

 

「長閑ですね……でも最近の正明さんは少し忙し過ぎないですか?私、心配です」

 

「そうだね、今回の仕事が終わったら旅行に行こうか?」

 

 結衣ちゃんは返事の代わりに僕の腕に抱き付いてくれた……



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第240話

 隠れ家兼作業場、訳の分からない心霊と戦う霊能者にとって拠点は重要だ。

 訳の分からないモノが憑いているかもしれない時に自宅には帰りたくない、持ち込みたくない。

 だから自宅周辺に数ヶ所の拠点を用意している。

 

 僕の場合は横須賀中央に事務所を三浦市内と逗子市内に各一ヶ所に隠れ家兼作業場を持っている。

 今は結衣ちゃんと三浦市内の方に来て新しく作った御札による霊的防御の向上と、備蓄品の整理と建物の清掃を終えた所だ。

 縁側に二人並んでお茶を飲んでいる、長閑で幸せな時間……

 

「正明さん、温泉は何処に行きましょう?前回は箱根でしたから、今回は奥湯河原とかどうですか?」

 

 上目遣いで提案とは、最近要所で高等技術を差し込んでくるよね?僕としても結衣ちゃんと二人で温泉旅行に行きたいので嬉しい。

 

「奥湯河原温泉とは渋い所に目を付けたね、確かに関東の奥座敷として落ち着いた旅館やホテルが多いと思ったな」

 

 前回の箱根温泉旅行もそうだったが、落ち着いた和風旅館がお薦めだろう。

 だが観光を忘れては駄目だ、温泉に入ってゆっくりも良いが何か遊びも絡ませなければ疲れた中年の湯治と変わらない。

 僕だけじゃなく彼女も楽しくなければ、湯河原周辺だと万葉の湯は……温泉旅館に泊まるのに温泉施設に遊びに行ってどうする!

 

「うーん、結衣ちゃん観光ガイドブック買ってきてくれるかな?僕は旅館を抑えるよ、来週末にしよう」

 

 一泊だが土日位は調整出来るだろう、今回は是が非でも解決しなければならない訳じゃないから気が楽かな。

 セントクレア教会の、柳の婆さんのお手並みを拝見してから動くかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 もう一つの拠点は逗子市内にある、京急線新逗子駅から徒歩五分の古い賃貸アパートだ。

 此処は八年前に入居者が連続して不審死を遂げた部屋で、原因は孤独死した老婆が寂しさの余り入居者を次々に祟り殺していた。

 醜聞を恐れた大家が秘密理に僕に除霊を依頼してきたが、周りの住人にも知らせず支払いも手渡し契約書も結ばないと徹底したものだった……

 既に老婆は胡蝶が食べたが、流石に六人もの死者を出した部屋を貸す事は躊躇(とまど)ったのだろう、除霊後は僕に無償で提供してくれた。

 定期的に在家だが僧侶が出入りする事で大家も安心するギブアンドテイクな関係。

 元々入居者の入れ替わりが激しいワンルームだから周りの住人との交流は殆ど無い、今両隣に誰が住んでるのかも僕は知らない。

 

 だから最低限生活出来る設備しか置いていない、エアコンと冷蔵庫、電子レンジにベッド。

 箒と塵取り、バケツと雑巾が台所の隅に置いてある。

 固定電話も無くて娯楽はテレビだけ、商店街が近いから備蓄品も殆ど無い寂しい部屋だから結衣ちゃんにも教えていない。

 だが身を隠すには丁度良い、都会人の無関心さが絶好の隠れ家として機能する部屋なのだ。

 

「賞味期限ギリギリのビールが二本にコーラが一本、食料はカップ麺だが期限切れ……寂しい部屋だ」

 

 新しく買ってきたビール六本パックを冷蔵庫に入れて、箱買いしたカップ麺をベッドの上に放り投げる。

 

「さて、手早く掃除するか……」

 

 窓を開けて空気を入れ換え簡単に掃き掃除をする、賞味期限ギリギリのビールの中身はシンクに捨てて、トイレ掃除をすれば終了。

 残ったコーラを飲んで一休みだ。

 期限切れのカップ麺は他のゴミと纏めて捨てれば隠れ家の整備は終わった、出来ればこの部屋は使いたくはないが用心にこした事はないからな。

 

「ああ、最後に隠し資金の確認しなきゃ」

 

 潜伏中はATMやクレジットカードは使えない、場所が特定され易いから。

 冷蔵庫を開けて野菜室の抽き出しの奥に貼り付けた封筒を確認する、中身は三十万円。

 次は下駄箱を動かして裏側に同じく隠した封筒を確認する、両方で六十万円有るから当座の資金としては十分だろう。

 

「今度こそ終了だな」

 

 僕は表札も無い部屋をあとにした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 先週依頼した調査報告を聞く為に金沢八景の風巻の分家に行く事になった、何時もなら食事をしながらなのに少し変だと思う。

 あの食いしん坊姉妹がタダ飯のチャンスを使わないとは何か有るのか?

 平日朝の金沢八景駅は学生で溢れている、楽しそうに話している姿を見ると自分の学生時代を思い出す……もう十年以上前の話だなって?

 

「よう!久し振りだな」

 

 駅の改札を通り抜けると黒いスーツを着込んだ男女が駅前ターミナルに立っていた、かなり周りから浮いているぞ。

 僕と同じくらい巌つい御手洗に一見残念美人だが、実は気遣い上手の滝沢さんが並んで立って周りを威嚇している。

 

「ああ、滝沢さんも御手洗も久し振りだな。確か亀宮さんと一緒に北海道に行ってなかったか?」

 

 軽く手を上げて近付くと周りの警戒度が跳ね上がった、巌つい男が増えたからな。

 

「ええ、一昨日完了し昨日戻って来ました。亀宮様が残念がってましたよ、まさか亀宮本家に五日間も通ってたなんて……

自分が知らされてなかった事に少し拗ねてます、なので車で待ってます」

 

 少し困った様に微笑む、前は笑ってなどくれなかったが周りで伺う連中も不意討ち的な微笑みに少し騒がしくなった。

 滝沢さんは素は美人だから笑えば魅力度は上がるからね……

 そう言えば高梨修が警察に逮捕された事を報告したっきりだったな、ハブられるのが嫌いな亀宮さんを放置したがヤバいか?

 

「それは、アレだよ……その、仕事を邪魔しちゃ……滝沢さんフォロー宜しく、これ報酬だから皆で分けてね」

 

 余った防御用の御札を鞄から取り出して渡す、丁度四十枚有る。

 

「コレは?前に貰った御札とは違いますね」

 

 御札の束を受け取り丁寧に一枚ずつ裏側まで確認している、亀宮一族に属しながら霊具や術具に縁が薄い彼女だからの行動か……

 

「前のは愛染明王の護符だったけどコレは陰陽道の防御用の御札だよ。自作だけど前のよりは効果は高い、使い方は同じ。

僕が亀宮本家に通ったのは五十嵐一族の重鎮、陰陽道陽香家の長である東海林さんに師事してたから。一応基礎を修めた事は認めて貰えたんだ」

 

 大量の中級の資料や教材を五十嵐さんが自宅まで届けてくれたんだが、結衣ちゃんの機嫌が少し悪くなったんだよ。

 ボソッとまた新しい女性が、とか言われたし……

 

「ああ、五十嵐巴殿は近々襲名式でしたよね?でも新しく陰陽道まで修得したとは驚きました」

 

「修得といっても基礎中の基礎だけだよ、後は修練有るのみだから大量に御札を製作中なんだ」

 

 立ち話を続けて亀宮さんを車で待たせる訳にはいかない、御手洗に目配せして車に向かう様に促す。

 彼女が出迎えもせずに車で待ってるのは嫌な予感がする、相当ご機嫌ななめと覚悟が必要だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 金沢八景駅は国道から少し入り込んだ場所に有る、僅かながらの商店街を抜けて国道に出るとピカピカの黒いベンツが鎮座していた……

 

「くっ、空気が重い……足が前に動かない」

 

「馬鹿言ってないで進んで下さい、結構待たせてるんですよ。会話の流れでフォローしますから早く行きましょう」

 

 気配り上手の滝沢さんに背中を押されて歩き出す、後部ドアのウィンドウが下がり笑顔の亀宮さんが顔を出した。

 

「お久し振りです、榎本さん」

 

「うん、一月振りかな?会えて嬉しいよ。亀ちゃんも久し振り」

 

 わざわざ車を降りて後部座席へと招いてくれる彼女は……清楚な白のワンピースを着ているがウェストが細くベルト代わりのリボンで絞っているので、凶悪な胸が強調されている。

 彼女の背後には霊獣亀ちゃんが半透明で浮いている、少し困った感を醸し出しているが何だろう?

 

「ささ、どうぞ」

 

「ああ、有り難う」

 

 滝沢さんは助手席に乗り込んだが、御手洗は後ろのベンツの方に行った。運転していたのは名古屋に一緒に行った名前も知らない護衛役だ。

 音も無く振動も少なく走りだすベンツ、流石はドイツの高級外車だ……

 

「その、前は袴姿だったけど今回は清楚系だね?」

 

「ふふふ、前は一人で迎えに行きましたが今回は車ですわ、最近は何でも女の人に車で送迎されてるらしいですね?」

 

 ヤバい、五十嵐さんや陽菜ちゃんの事か?慈愛に満ちた聖母の微笑みを僕に向けている、彼女程の美女に軽く膝に手を置かれ微笑まれたら……

 嬉しいが嬉しくない、良く分からないプレッシャーが車内を充満する。

 

「ちっ、千葉の亀宮本家は公共機関からだと、遠いよね?」

 

「そうですわね、いっそ一緒に住めば解決ですよ?」

 

 乗り出す様に顔を近付けてくる、目を逸らすとヤバい。膝に置いた手に力が入る……

 

「亀宮様、榎本さん、到着しました」

 

「あら、この話の続きは後程……」

 

 あっさりと身を退いて車から降りる彼女の背中を見詰める、蛇に睨まれた蛙だってもう少しマシな対応をするぞ。

 

「亀宮さんの雰囲気が変わった気がする、少し強かになった様な……」

 

「北海道では大変だったんです、良い意味でも悪い意味でも亀宮様は成長なされました。榎本さんもしっかりして下さい」

 

 滝沢さんが扉を開けて心配そうに覗き込んでいる、いやヤバかった、食われるかと思ったぞ。

 

『いっそ食われれば良かったんだ、早く子供を作れ!』

 

『胡蝶さん、最近毒舌ですよ!』

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「「おはようございます、亀宮様。お疲れ様、榎本さん」」

 

 風巻姉妹が笑顔で迎えてくれたが本当に朝から疲れました。

 

「ああ、おはよう。早速報告を聞こうか」

 

 四つある事務机に亀宮さんと僕、風巻姉妹が座り滝沢さんは入口近くの椅子に座る、御手洗達は別室で待機だ。

 

「先ずは竹内真理恵さんの消息だけど……何の手掛かりも無いわ。色々と調べたんだけど、私達の後を追う様に警察も調べ出したんで大変だったの。

分かった事は彼女は普段通りに一人暮らしのアパートからピェール邸に出勤して、そのまま行方不明になってるんだけど……

色々聞き込みをしたけど、ピェール邸に入った事は目撃者がいたけど出たかは分からないのよ」

 

 紙に印刷した資料を見ながら説明してくれる、A4サイズで数枚か……

 

「美羽音さんは普通にベビーシッターの仕事を終えて翌日から来なくなったと言ってたぞ」

 

 又聞きだが突然来なくなり派遣会社から辞めたと聞かされた、実際は失踪事件にまで発展したが。

 

「派遣会社に聞いたら、ピェール氏から彼女が来ないとクレームが入ったらしいの。

派遣会社の担当者が彼女に連絡を入れたけど繋がらずに、会社を辞めたって事にしたみたい。

実際に派遣の人って勝手に辞めたり連絡が取れなくなる事が有るから、フリーターが無責任に来なくなった程度の認識だったみたいよ」

 

「最近もベビーシッターが預かった子供を死なす事件が有ったわね。特に資格も要らないベビーシッターは法的な縛りもないから行政も全体像を把握出来ないそうだな」

 

 派遣会社の登録者は日雇いや短期アルバイトが主らしいから辞めたり来なくなったりが普通らしい。だから担当者も大事とは思わず安易に辞めたと思ったのか……

 

「実際に失踪と分かったのは両親が警察に相談したから、そして高梨修の恐喝騒ぎで本腰を入れて彼女の捜索を開始したの。でも足取りは掴めない」

 

「警察が事件の関係者として本格的に調べている。

彼等は携帯電話の履歴、キャッシュカードやクレジットカードの利用状況、各防犯カメラの映像と僕等よりも遥かに調べる手段を持っている。

それでも所在が掴めないとなると……」

 

 営利誘拐でもない、彼女は美人じゃないから凌辱の線も薄い。怨恨の線は調べないと分からないが性格的に恨まれる行動は無さそうだ。

 素人の家出や逃走なら警察の捜索網に掛かる、他人が匿うにしても友好関係からバレる。

 美羽音さんも警察が本格的に調べたら、セントクレア教会に辿り着く。

 

「竹内真理恵さんは、既に死んでいるかもしれないな……」

 

 何か不都合な事を知ってしまい、口封じとして始末された可能性が高い。高梨修の戯言も根拠が無い訳でも無さそうだな。



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第241話

 久し振りに金沢八景にある風巻分家に打合せに向ったが、北海道に仕事に行っていた亀宮さんが迎えに来てくれた。

 だがしかし、暫く会わない内に不思議な成長を遂げていたのだ。

 妙に押しが強く積極的になっている、滝沢さん曰く良くも悪くも成長したらしいのだが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 竹内真理恵さんについての報告を改めて聞いた、警察からも彼女が失踪していると聞いたが足跡が掴めない。

 本人の意志で家出や逃走をするにしても素人ならば必ず痕跡を残す、携帯電話の通話記録やキャッシュカードやクレジットカードの利用状況等が……

 

 だが本職の警察が調べても分からないとなると他の可能性が出て来る、第三者が関係していると思う。

 協力者なのか加害者なのかは分からないが、素人の女性が一人で身を隠し続ける事は現実的じゃない。

 

 或いは既に始末されたかもしれない、高梨修はピェール氏が彼女の失踪の原因と脅した。

 最初は馬鹿なと思ったが情報を整理していくと可能性は低くない。

 

『我の直感だと屋敷の秘密を知られて口封じだな、だが死んだと仮定すれば話を聞く事が出来るだろう?』

 

『魅鈴さんの口寄せか……死んだら本人に直接原因を聞けるって、彼女実は凄い霊能力者だよな』

 

 法的根拠が認められたら犯罪検挙率は跳ね上がるだろう、被害者に加害者の情報を直接聞けるのだから……

 

「竹内さんが最近身に付けていた品物って手に入るかな?」

 

「ああ、小笠原さんの霊媒能力による降霊ね。実家や派遣会社、アパートは警察の監視下にあるから接触は難しいわよ」

 

 確かに愛用品なんてアパートか実家に有る位で、今は警察が張っているから普通の手段じゃ無理か……

 口寄せしたいから愛用品を貸して欲しいって言っても信用されないだろう。

 ならば普通じゃない手段を使うか、彼女のアパートに悪食を潜り込ませて歯ブラシとか日用品を持ち出させよう。

 

『正明、お前最近陰陽道の修行ばかりで悪食と視覚共有をサボってただろ?』

 

『いや、胡蝶さんも学ぶのが楽しいって言って頑張ってたよね?

それに視覚共有は夜寝る前にやってたじゃん、昼間はピェール氏も仕事で洋館には居ないし動きは無かったし……』

 

『む、そうだったか?』

 

 昼間は無人だから視覚共有しても特に動きは無かった、夜にはピェール氏が帰って来るが……

 大抵外で食事を済ませてくるので家では風呂と寝酒だけで、怪しい動きはピェール氏にも洋館にも無かった。

 ドッペルゲンガーなんて現れなかったしホラーハウス特有の怪奇現象も見られなかった。

 見れたのはオッサンの入浴シーンだけで、観察するのは嫌だし口直しを胡蝶にお願いするから毎晩疲労が蓄積されて大変だったんだぞ!

 

「どうしたの、黙り込んで?何なら無理を承知でアパートに忍び込むよ」

 

「ああ、ごめん。考え事に集中しちゃってさ、忍び込むのは無しだ。品物については僕が何とかするから大丈夫だよ」

 

 美乃さんが心配そうに僕を見るが、彼女達の不手際じゃないから無理はさせられない。

 

「榎本さん、魅鈴さんに口寄せをお願いする時は私達も同行しますわ。久し振りにお会いして相談をしたいですし……」

 

 今まで黙って話を聞いていた亀宮さんが話に割り込んで来たが、相談ってなんだろう?

 

「相談事なら僕が聞きますよ、金銭的な事と男女間の事でなければですが……」

 

「その二つで相談事の半分以上の可能性が潰れたよ、後は健康か趣味位じゃない?」

 

「いえ、政治経済と対人関係が残ってます!」

 

 佐和さんと美乃さんから突っ込みが入ったが、物欲と色欲が絡むと大抵は大火傷をするんだよね。

 

「亀宮様の相談など榎本さんの浮気以外にはあるまい、五十嵐巴殿や若宮陽菜様と一週間お楽しみだったと聞いているが?」

 

 滝沢さんが困った様な顔で酷い話を教えてくれた、彼女も疑って信じてないが噂は存在するんだな。

 だが酷い捏造と悪意の籠もった噂が流れてるぞ、実際は年増の東海林さんと書庫で個人指導だったのに……

 陽菜ちゃんと一緒の時に睨んだり何かを言いそうにしていた連中かな?

 

「悪意有る噂を信じちゃ駄目だよ、真面目に陰陽道について勉強してた。基礎は修得出来たから後は修練有るのみだよ」

 

 東海林さんからも一応のお墨付きは貰えた、駆け出し陰陽師と名乗って良いそうだ。

 

「勿論信じてます。女に現つを抜かしてたら、あんなに見事な御札は作れませんし……」

 

「榎本さんは凄いですわ、何時までも成長を忘れないんですもの。相談は女同士のお話なので榎本さんには内緒ですわ。

あと悪意有る噂については私が何とかしておきます……悉く滅べ邪魔者め……」

 

 前半そんな笑顔で言われると余計に聞きたくなるのが人情って奴なんですが、後半の呟きは聞きたくなかったです。

 

 無言でニコニコしている亀宮さんからは何を訊ねても答えは返ってこないだろう、優しいけど頑固な所が有るからな。

 桜岡さんと魅鈴さんを会わせたら笑顔の言い合いになったが、亀宮さんと魅鈴さんならどうなるんだ?

 

『修羅場って奴か?全く抱かれてもいない女同士で、何故取り合いになるんだ?共有すれば万事解決だぞ』

 

『現代日本では、それは良くない事だからです』

 

『ふん、我には関係無い事だぞ。早く子孫を仕込まないと……分かるな?』

 

 胡蝶さんの脅しと言うか彼女の望む展開を希望する女性が沢山居るのに、僕が何もしないのが納得出来ないんだろうな。

 でも無理なんだ、ロリじゃないし育ち過ぎは嫌なんだ、育ち盛りは大好物だけど。

 文字は少ししか違わないのに意味は大分違う、日本語って難しいな……

 

『善処します』

 

『毎回同じ事を言って、のらりくらりと……お前はどこぞの政治家か?』

 

「今日の榎本さんは口数が少ないね。でも情報も少ないし警察に気を付けながら調べるとなると、かなり難易度が高いよ。

セントクレア教会の結果を見てから対処した方が良いんじゃないかな?」

 

「様子見は消極的だけど、無理は嫌だよ。榎本さんも遺品集めは無理しないでよね、窃盗で逮捕とか笑えない」

 

 風巻姉妹から意見を貰った、確かに今は警察が動いてるから不用意な事は出来ない。

 柳の婆さんは美羽音さんを匿っている関係上悠長にはしてられない、人命救助なのにバレたら誘拐と取られかねない行為だし。

 

「ピェール氏は何かに憑かれて危険だから内緒で保護してた!」

 

 それは世間一般の常識では通用しないし、彼女達は亀宮一族ほど国家権力から認められていない。

 下手すれば心霊詐欺&営利目的の誘拐で逮捕される可能性が有る。

 

「無理はしないよ、だけどセントクレア教会の柳の婆さんは早々に動くだろう。向こうは時間が無いんだ、美羽音さんを匿っているが世論は誘拐に近い」

 

「警察に見付かる前に解決するしかない?」

 

 亀宮さんの言葉に頷く、柳の婆さんの見立てはピェール氏に原因が有りドッペルゲンガーの可能性を指摘した。

 だけどドッペルゲンガーは本人の知らない内に現れて見たら自分が死ぬ不思議現象だ、ピェール氏の所為とは思えない。それとも二重人格か憑依の……

 

「今回鶴子さんとは定期的に連絡を取っています、柳のおば様も同様にです。未だ決定的な確信が持てず様子見の状態らしいのですが、言われた通り焦ってましたわ」

 

「決定的な確信か……ドッペルゲンガーか二重人格か、はたまた生霊かも特定出来なくて直接対決は難しいだろうな」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 久し振りに亀宮さんと会えたが彼女は少し雰囲気が変わっていた、北海道で何が有ったんだろうか?今度、滝沢さんか御手洗に聞いてみよう。

 

 自宅に帰り反省も含めて悪食との視覚共有を始める、結衣ちゃんは未だ学校だから精神統一を邪魔されず一人で部屋に籠もれる。

 祭壇の前で胡坐を組み精神を集中し悪食とのラインを繋げる……

 

 横須賀から横浜、距離にして30㎞近いのだが問題無くラインは繋がった。

 

『ふむ、悪食は拠点であるキッチンに居たのか……流し台の下かな、薄暗いが扉の間から差し込む光で鍋やら洗剤とかが見える』

 

 再度家の中を細かく調べる指示を与えると、頭で扉を押して少しだけ開き外を見て安全を確認する。

 悪食はビーチサンダル大の黄金の油虫(ゴキブリ)だから、人に見られたら大騒ぎだ。

 

 キッチンは特に変わった物は無い、精々が専用のワインセラーが有り名前も知らないワインが並んでいる。

 ピェール氏の晩酌は殆どがワインとクラッカーやチーズ等の軽いツマミだ。

 

 キッチンを出るとホールに成っていて中央に二階に上がる階段が有る、ホールを中心に右が応接室で左がキッチンとバストイレ、階段裏は収納室となっている。

 先ずは応接室だが此処は前回通された部屋だ、美羽音さんの相談を聞いて高梨修が割り込んで来た。

 あの時、奴は何処にいたんだろう?玄関から入ってくれば分かる筈だが……

 

 応接室のテーブルには飲みかけのワインやグラス、それにサラミとオリーブが残った皿が置いてある。

 ワインボトルには半分近く残っているのにコルク栓もしていない、高いワインが酸化して不味くなるのにだ……

 ピェール氏は大抵は応接室で晩酌し風呂に入ってから寝るのだが、片付けをしてないのは初めてだ。

 彼は几帳面な性格で物を片付けずに放置するのは殆ど無い、報告書にも書かれていた少々病的な片付け魔の筈だが……

 

『偶にはズボラな気分も有るだろう?梓巫女もだらしないぞ』

 

『桜岡さんは外見はお嬢様だけど中身はオヤジだからね、でも片付けはするぞ』

 

 話がそれたが応接室はそのままにして収納室を確認する、悪食に指示を出すと地を這う様に視界が動く。

 暫くするとドアノブに向かって飛び上がり器用に扉を開けた。

 

『収納室内は特に変わり無しだな』

 

『ふむ、だが棚の配置が少し乱雑じゃないか?』

 

 乱雑?言われて見れば何かを探した様に不規則に収納されている、前はもっと整理整頓してあったぞ。

 

『確かに少し変だ、急に几帳面さが無くなっている様な……』

 

『或いは妻子に逃げられて自棄になってるとかか?』

 

 精神状態により性格が変わる事は有る、美羽音さんの家出に腹を立てて自棄酒を飲んだり家の品々を乱暴に扱うのは有り得るな。

 それだけ追い詰められているんだ、そろそろ柳の婆さんは不味いかもしれない。

 

 一階は見終わったので悪食を二階に向かわせる、階段を上ると中央が廊下になっていて右側に客間が二つ、左側は客間が一つ。

 右側手前は夫婦の寝室で、左側の奥は過去に火事で消失し改装で無くなった客間が有る。

 

『先ずは右側手前、夫婦の寝室から確認するか……』

 

 悪食は馴れた感じでドアノブに飛び上がり捻って開けてしまう、中はカーテンが閉まっている為に薄暗い……

 

『シーツが乱れて服も脱ぎ散らかしている、大分参ってるのか?』

 

『性格の変貌か……意味深だな』

 

 ベッド脇のテーブルの上にハンディカムが置いてある、何を録画したのか確認したいが悪食に操作は分からないし細かい操作方法も伝えられない。

 気になるのはハンディカム位か……

 

『そろそろ疲れてきたな、時間が無い他を調べよう』

 

 目の奥が痛くなってきた、そろそろ限界か……残りの二部屋を確認する為に悪食を廊下に移動させる。

 

『あと二部屋か、保つかな……って?胡蝶さん、奥に二部屋有るぞ』

 

『左奥は火事で無くなった部屋の筈だな。ふむ、悪食に調べさせろ』

 

 過去に火事で焼けて無くなった筈の部屋の扉が見える、前は無かった筈なのに何故だ?

 悪食を向かわせ扉を調べる様に指示をするが、返って来たのは困惑だ。

 

『胡蝶さん、悪食が困ってるよ。目の前の扉を調べられないみたいだ』

 

『何等かの結界か?我でも近くに行かなければ分からないな』

 

 ドアを開ける様に指示をしても、返ってくるのは困惑のみだ。

 

『もう無理、視覚共有が……ラインが切れた』

 

『無い筈の部屋が見えた、これは幽霊屋敷説が正しかったみたいだな』

 

 疲労が回復したら再チャレンジするか……

 




内容が重複していたので修正しました、申し訳ないです。


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第242話

 遂に横浜山手の洋館、ピェール邸の怪異の手掛かりを掴んだ。

 過去に火事で焼けて無くなった部屋へと繋がる扉を見付けたのだが、悪食が認識出来なかった。

 何かしらの結界が働いていると考えて良いだろう、丁度良い所で眼精疲労によりラインが切れて一旦中止だ。

 

 冷蔵庫から保冷剤を取出しタオルに巻いて目に当てる、ソファーに仰け反る様に座れば大分楽になった。

 

「すまんな、怪我と違い疲労は我では癒せぬのだ」

 

「いや、怪我の治療だけでも有難いんだ。疲労は休めば直ぐに回復するが怪我は時間が掛かる」

 

 実体化した胡蝶が僕の腹に跨る様に座るが重さは殆ど感じない、今日はシンプルな黒のノースリーブのワンピースを着ていた。

 陽菜ちゃんが着ていた服の色違いだ、最近はファッションに凝りだしたのか色々と変えている。

 

「だけど他の人に教えるには理由を説明しなきゃ駄目なんだが、式神(悪食)に調べさせたは通用しないだろうな。

巨大黄金油虫が式神とか大問題だし、そもそも他人の家を長距離から監視出来るなんて知られたら大変だぞ」

 

「ふむ、魅鈴は悪食を差し向けた時に気付いてたな。式神を飛ばしたと言ったが、普通は何か有れば知らせるだけで内容迄は伝わらない。

伝えられるだけの高度な式神など現代では僅かだろうな」

 

 親指と人差し指で目と目の間を揉み込む、保冷剤の冷たさが心地好い。

 胡蝶も身体の向きを変えて膝の上に座っている、タオルで見えないから感覚でだが……

 

「しかし問題だな、洋館の異常は見付けたが乗り込まねば解決は難しいぞ」

 

「うん、焼失した部屋についての資料は外観写真だけだけど……不審火扱いで死者も出ているんだ、後で確認するよ」

 

 確か風巻姉妹からの報告書に書いてあったが詳細迄は覚えてないんだ。

 死者の念が今は無い部屋の扉を現したのか、ならば中に入るとどうなるのか?

 もしかしてピェール氏は知っていたのかもな、頑なに洋館を調べる事を出て行く事を拒んだ理由は何だろう?

 

「或いは死者の霊に憑かれたか……性格の豹変の理由にはなるぞ」

 

「ピェール氏に取り憑いて美羽音さんと夜の夫婦生活を営んで怪しまれたってか?」

 

 自分で自分の首を締めたみたいだが、色情霊とかも居るからな。

 だけど原因はピェール氏に取り憑いた霊だと原因は屋敷と霊とどっちだ?

 最初にピントがズレてるみたいだと感じたが、ピェール氏に取り憑いている奴を祓えば完了なら……

 

「ふむ、原因は取り憑かれた奴であり洋館は関係無い、今回は我の霊感は外れたか……」

 

「確かに僕等は一度もピェール氏に会ってない、直接見れば取り憑かれていたか分かったかもね。

本命は柳の婆さんが正解、エクソシストは悪魔や悪霊を祓うのが本職だ、上手くやれば解決だな」

 

 問題は警察が周辺に居る今の時期にピェール氏に近付けるかだ、エクソシストは対象者を軟禁して神の力を借りて魔を祓う。

 つまりピェール氏を清められた場所に呼び込まないと駄目な筈だ、最善はセントクレア教会だが叶わないだろうな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目の疲れが回復したので私室に戻り資料の束を再度読み直す、ピェール邸……

 

 洋館の一部が焼失したのは戦災と言ったが、資料によれば火事は二回起きている。

 一回目は昭和二十年六月、終戦二ヶ月前の空襲により洋館の一部が焼失したが完全に部屋が無くなる迄は燃えてない。

 この時期は終戦前後だし記録も曖昧だ、厳しい時代だったし色々有った筈だ。

 戦勝軍が日本に入り込み比較的損害の少ない建物を接収、日本人以外が住み続けた……

 

 二回目の火事は大分時代が近付き昭和五十二年九月二日、奇しくも日本政府がポツダム宣言の履行を定めた降伏文書に調印した日と同じ。

 当時の建物所有者はアメリカ人でロジャー・ウイルス、火事の原因は特定出来ず不審火となっているが、彼の八歳になる息子が逃げ遅れて死んでいる。

 その後ずっと洋館に夫婦で住み続け妻が八年前に心筋梗塞で死亡、ロジャー氏は三年前に老衰で死亡。

 建物は親戚の手に渡り地元の不動産屋を介してピェール氏に売られた。

 僕の手に入れた庭が違う写真は二回目の火事の後、ロジャー氏により補修された……

 

「前はそれ程重要視はしなかった、だが変だな。火事で死亡したのは八歳の男の子だ、色情霊じゃない。

すると洋館に絡む死亡者は二十人、この中にピェール氏に取り憑いた奴が居る筈だが……」

 

 死亡者リストのページを捲る、男性八人女性十二人だが女性は外して良い。

 男性八人の内ロジャー氏の息子と事故死した四歳の子は除外、残りは六人。

 

「ロジャー氏を含めて六人、全員が天寿を全うしているが全員外人だ。

だが色情霊になりそうな奴は資料上では分からない、調べるのは難しいが風巻姉妹に頼むか……」

 

 ノートパソコンの電源を入れてメールソフトを立ち上げる、念の為に調べられる範囲でリストアップした人物の生前の性格を調べる様にお願いする文を作成し送信する。

 後は竹内さんの遺品を手に入れて誰に何をされたかを聞くが、多分ピェール氏で誰が取り憑いていたかは分からないだろう、推理の裏付けの為の確認だけだ。

 

「正明さん、仕事中ですか?そろそろ夕食の支度が出来たけど何時に食べますか?」

 

 控え目なノックの後に結衣ちゃんが声を掛けてくれた、デスクトップ画面右下の時計表示は既に午後七時を過ぎていた。

 

「ごめん、切りが良いから食事にしようか……」

 

「ではご飯よそりますね」

 

 パタパタとスリッパの音を立てなから彼女がキッチンへと向かって行く……

 急展開で事件の真相に近付いているのが分かるが、何かが引っ掛かるんだ。

 この違和感は何だろう、何を見逃している?何か勘違いしている?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 食卓に向かうと丁度桜岡さんが鍋から椀に汁をよそっていて良い匂いが鼻腔を擽る、豚汁だな!

 

「今日はシラス丼と豚汁、それに茄子の煮浸しです」

 

「茄子の煮浸しは私が作ったんです」

 

 茄子の煮浸しは桜岡さんが作ったのか、茄子の皮剥きが少し歪だが美味そうだ。

 出汁で煮た茄子を冷やして鰹節を乗せた暑い夏には嬉しい料理だな。

 

「うん、どっちも美味しそうだね!」

 

 食卓に向かい合って座り一緒に『いただきます』を言って一礼する。

 一口頬張れば酢飯の風味……うん、結衣ちゃんのシラス丼は一手間掛けている。

 酢飯の上に刻み海苔と胡麻油で和えた葱を敷いて、その上に湯がいたシラスを山盛りにして最後に温泉卵を乗せる。

 軽く掻き混ぜて頬張れば胡麻油の風味が効いて美味い!

 そして淡白になりがちなシラス丼を引き立てるのが豚の脂身から良い出汁となっている豚汁だ。

 適度な油っこさが引き立て役になっている。

 

「うん、美味い。胡麻油の風味も良いね!」

 

「有り難う御座います。シラスも昆布出汁に潜らせたんですよ」

 

 シラスの湯がきまで下味付けてたのか、簡単料理に凄い手間隙掛けたんだな。

 次に茄子の煮浸しにも箸を付ける、冷たくてあっさりした味付けは暑い時期でも食が進む。

 

「うん、これも美味しいね。お代わり貰える?」

 

「沢山食べて下さいね」

 

 美女と美少女に食事を作って貰いお世話もして貰える、今僕はリア充の中でも上位に位置している!

 

 仕事への活力を貰えたので頑張ろうと誓った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕食後は少し三人でテレビを見ながら雑談する、最近は動物ネタが多いので上野動物園にでも連れて行こうか思案中……

 だけど狐っ娘の結衣ちゃんは犬が苦手で小動物からは敬遠されてるっぽいんだ、獣化系能力者って皆そうなのかな?

 今度、阿狐ちゃんにメールで聞いてみるか……

 

 風呂の順番待ちで私室に戻る、彼女達は一緒に入るので一時間はフリーだ。

 気力も回復しヤル気も出たので悪食との視覚共有に再チャレンジする、あの二階左奥の扉が気になる。

 

 椅子に座り机に両手を突いて体勢を固めてから精神を集中し悪食とのラインを繋げる……

 

『繋がった、悪食は応接室の棚の上かな?周りが明るい、照明が点いているな……ピェール氏が居たぞ』

 

 だらしなくソファーに寝そべりワインを直接ボトルから飲んでいる、ツマミはデリバリーのピザだと?

 

『大分苛ついてるみたいだな、妻子が逃げ出した事が余程堪えたか?』

 

『しかし一応財を成している男があんな醜態を晒すかな?背広を着たままネクタイだけ緩めてボトルから直接ワインを飲む。

ワイシャツの脇腹がピザソースで汚れているのは手を拭いたからだよね?人間どんなに落ち込んでも生活習慣は変わらないと思うんだ……』

 

 上流階級に属する男が自堕落になるものか?

 

『取り憑かれていると考えればどうだ?』

 

『可能性の有る六人も高級住宅地山手の洋館に住んでいたんだ、全員それなりの連中だと思う。

しかも全員が老衰だったけど、生身の肉体を手に入れたからといってワインをガブ飲みしたりデリバリーのピザを行儀悪く食べるかな?』

 

 どうにも洋館で死亡した関係者が取り憑いているとは思えない、まるで普通のチンピラみたいだ。

 

『悪食を移動させたいが、幾ら酔っていてもサンダル大の黄金虫が動き回れば見付かるよな?』

 

『視界の隅で動いてもバレるだろう、奴が応接室から移動する迄は待ちだな。一旦視界共有を切るか?』

 

 幾ら泥酔してても金色のサンダルが動けば気付くよな、気付かないと逆に不安になる。

 だが隠密特化型の式神とはいえ同じ部屋に居て気付かないのか、人に憑依出来るだけの力有る悪霊が?

 

『ふむ、確かに気になるな。普通は強力な悪霊に取り憑かれると色々な力を授かる筈だが、コイツからは何の力も感じられない』

 

 取り憑かれてる前提は間違い無い筈だ、これだけ状況証拠が有りながら本人ですじゃ信じられない。

 

『おっ?動いたぞ』

 

『玄関に向かったけど来客か?でも棚の位置だと玄関は見えない、移動させるか?』

 

 棚から天井を伝い歩きキッチンに向かう、扉の陰から応接室を覗けば……

 

『ケバい女だな、水商売系かな?金銭のやり取りをしてるぞ』

 

『肩を抱いて二階に向かったな……多分だがデリヘルだな、金で性欲を満たす女を買ったのか?』

 

 しかもハンディカムを持って行ったが自分撮りをするのか?馬鹿な、浮気の証拠を残すのか?

 

 あの洋館にはテレビが無かった、当然だがビデオデッキもDVDプレーヤーも無い、パソコンすら無いのにハンディカムを持ち歩いてデリヘル嬢とのお楽しみを撮影する?

 

 共有した悪食の視界の先では夫婦の寝室へ向かう二人の後ろ姿が見えた、嫁が家出中に夫婦の寝室にデリヘル嬢を呼び込むか……

 今の取り憑かれたピェール氏にとって美羽音さんは大事じゃないのかもな、だが色情霊説は濃厚になった。

 

『誰かが奴に取り憑いているのは間違い無い。柳の婆さんが正解だった、奴を拉致って悪魔祓いをすれば解決だろう。

本人に取り憑かれていた自覚が有れば問題はないが、無ければ大問題だな。

柳の婆さんが上手く説明出来るかだが……食えない婆さんだから大丈夫か?』

 

 ん?このエプロンは確か初めてピェール邸を訪ねた時に竹内さんが着ていた奴じゃないかな?

 悪食に近付かせて良く見れば確かに同じエプロンに見える、雇われベビーシッターなら私物も少しは置いていくよな。

 

『これを持ち出せれば竹内さんの霊を呼び出せるかもしれない。悪食、エプロンを畳んで隠せ。近く迄取りに行くから』

 

『ふむ、我が行こう。金色の巨大な蟲がエプロンを引き摺っているのは目立つし、我も再度洋館を訪れたいのだ』

 

 胡蝶なら500mは離れても大丈夫だからギリギリ警察の監視網から逃れられるな……

 てか、ピェール氏は警察が見張ってるのにデリヘル嬢を呼んだのかよ!

 完全な浮気だ、美羽音さんの家出の件も少しは有利な材料になるかな?

 もう少しデリヘル嬢について調べるか、所属店か源氏名が分かれば調べるのは簡単なんだけど……

 そうだ!外に送迎の車が来ればナンバープレートから調べられるな。迂闊過ぎるぜ、ピェールさんよ。




夏休み特集として本日から8月23日(土)まで毎日連載をします。
残暑厳しいですが頑張ります。


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第243話

 ピェール氏について悪食と視界共有したが色々と新事実が浮かび上がった。

 セントクレア教会の柳の婆さんの睨んだ通り悪霊の類がピェール氏に取り憑いているのは間違い無い。

 普段と違う行動は憑依説の裏付けには十分だが……

 

 分からないのは焼失した部屋の扉との関係だ、過去に火事が二度有ったのは分かった。

 一回目は昭和二十年六月、終戦二ヶ月前の空襲により洋館の一部が焼失したが完全に部屋が無くなる迄は燃えてない。

 死者が出たかは不明、厳しい時代だったし誰もが生きるか死ぬかの厳しい時代だ、調べるのは難しいだろう。

 二回目の火事は大分時代が近付き昭和五十二年九月二日、当時の建物所有者はアメリカ人でロジャー・ウイルス。

 火事の原因は特定出来ず不審火となっているが、彼の八歳になる息子が逃げ遅れて死んでいる。

 他にも洋館に関わって死んだ人間は多いが成人男性は六人、再度風巻姉妹に調査を頼んだ。

 色情霊っぽいから、その辺を重点的に調べて欲しいとメールを送ったら即『セクハラですか?』って返信が来た。

 彼女達は有能なんだけど扱い辛い時が有るんだよな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 Google Mapでピェール邸周辺500m圏内を調べる、胡蝶さんを送り込んで待機してても怪しまれない場所は……

 ビジネスホテル、有料駐車場、喫茶店やレストランと色々有るが、例の扉を調べたいので悪食と視界共有もしたい。

 何故見えている扉を悪食が戸惑ったのか、胡蝶が実際に見る時に自分も悪食の目を通して確認したいんだ。

 筋肉ムキムキのオッサンが精神統一してても怪しまれない場所は、ビジネスホテルか車の中位だな。

 だがビジネスホテルには宿泊記録が残り有料駐車場は大抵監視カメラが有る、警察にバレる可能性は高いから偽装が必要なのだが……

 

『正明、近くにラブホが有るぞ。誰か女を連れ込めば良いだろう?』

 

『駄目だって!理由にはなるけど胡蝶の存在や悪食との視覚共有がバレる。この条件を満たせる相手は亀宮さんだけだが、一族のトップをラブホに連れ込むってどうなのよ?』

 

 唯一僕以外で胡蝶の存在を知っていて覗きとも取れる悪食の行動を知っても悪く思わないけど、それはそれで後が怖いぞ。

 

『チッ、全く弱腰だな』

 

 舌打ちされた、脳内会話で舌打ちされたよ、どんだけ子孫欲しいの?いや子孫繁栄は榎本一族と胡蝶との約束だ、破る訳にはいかない

 だがしかし、結衣ちゃんは十四歳だから法的には後二年は無理だ。出来れば高校生活は送らせてあげたいので十八歳迄は待ってあげないと……

 

『四年も待てないぞ、手っ取り早く梓巫女か亀憑き、それに霊媒女と男女が居るだろ?もう四択で決めろ!』

 

『桜岡さんに亀宮さん、魅鈴さんに晶ちゃんか?皆さん十八歳以上だけど育ち過ぎてるから無理です!』

 

『もうアレか……我か、我が子を産めれば問題無いんだな?』

 

 胡蝶の思考がヤバい方向に向かっているの、何か気を逸らさないと駄目だ。仮に胡蝶が僕の子を孕んだ場合、妊娠中はどうなるんだ?

 生んだら生んだで法的な手続きが可能だろうか?DNA検査で僕の実子と証明出来るが、胡蝶の遺伝子はどうなるんだ?

 

「駄目だ、頭がパンクしそうだ!」

 

 布団に倒れ込んで一旦思考をニュートラルに切り替える、僕は未だ三十代前半、四捨五入すれば三十歳でこれから男盛りを迎えるんだ。

 子孫繁栄は大丈夫、甲斐性だって有る、預金も二億円を超えている、仕事も順調だ、何の問題も無い。

 

『胡蝶さん、五年以内に子供を作るから今は我慢してくれ。その代わり加茂宮一族の当主達を贄として捧げるから……一子様は無理かもしれないけど残り五人は頑張るよ』

 

『ふん、考えていれば良い。約束だぞ、五年以内にだぞ、十人以上だからな!』

 

 ノルマが増えた、結衣ちゃんに十人も産ませるのは無理じゃないか?未だ四年間の猶予が有るから良く考えよう、最善の方法を……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局ピェール邸に行き悪食とエプロンを回収するのは翌日の昼間にした、夜より目立つがピェール氏が不在の方が洋館内で動き易いから。

 流石にピェール氏が居る時に胡蝶が扉を調べるのは見付かる確率が高い、それに深夜に周辺を徘徊するのを見られるのも不味い。

 だから車で500m圏内迄移動し胡蝶が移動して調べる事にする、前に韓国大使の高柳氏の魂を食った時もファミレス待機だったし大丈夫だろう。

 問題は離れている時の通信手段だ、携帯電話は便利だが通話記録や受信基地局を特定されるのが不味い。

 今回は国家権力に目を付けられているから色々と注意しないと詰むぞ。

 

 翌朝普通に出勤する、結衣ちゃんは先に学校に行ったので見送りは桜岡さん。

 清楚なブラウスにロングスカート、ざっくり編んだカーディガンを羽織っての見送りは若奥様風。

 ロングの黒髪が清楚さを更に醸し出す、当然だが彼女は見た目は清純な梓巫女だ、中身は中年のオッサンも同居してるけど……

 

「行って来ます」

 

「行ってらっしゃい、今日は珍しく車なんですね?」

 

 自然に質問された、基本的に僕は公共機関を利用するから一人の時は余り車を利用しない。

 

「ええ、三浦市の隠れ家から荷物を運ぶので。途中の無人野菜販売所で何か美味しそうな野菜が有れば買ってきますね」

 

「枝豆が旬ですわ!甘辛く煮ると美味しいです」

 

 三浦市の隠れ家に行くのはアリバイ作り、彼女を騙すのは辛いが秘密の漏洩防止とは極力関わる人を減らすのが基本だ。

 

「枝豆ですか!では麦酒も箱買いしますね、スーパードライで良いですか?」

 

 笑顔で希望を聞いたら日本酒を頼まれた。流石はお嬢様、久保田の万寿って壱万円近くするんだよな。

 

 久し振りに愛車キューブのエンジンを掛ける、軽やかだ……

 自宅から最寄りの高速道路を利用すれば早いが、監視カメラが豊富な高速道路は使いたくないので地道に一般道を走る。 

 途中でコンビニに寄って目的地の駐車場で軽くストレッチ、固くなった身体を解す。

 後は冷たいコーラを飲んで気分転換をしてからが本番だ!

 

 此処は割と大きく整備の整った公園の駐車場だ、トイレや自動販売機が有り運転の途中で休憩しても怪しまれない。

 実際に現地に向かえば八台停まれる駐車場にはライトバンと2tonトラックが停まっていた、運転手は座席を倒して寝ている。

 

「割と良さそうだな……胡蝶さん、行けるかい?」

 

 近くに歩行者は居ないし停車中の運転手も寝ているみたいで僕等に注意を向けていない。

 

『ふむ、大丈夫だ。洋館の場所は分かるぞ』

 

 久し振りに左手首の蝶の形の痣から、モノトーンの流動体となった胡蝶が流れだした。

 

『行って来るぞ』

 

 そのままドアの隙間から外に流れだし近くのマンホールの中に流れ込んで行ってしまった、もしかして下水道を通って行くのかな?

 

 暫くは他の運転手と同じ様に座席を倒して寝ている振りをする、目を閉じて約束の時間を待つ。

 十分後に悪食と視界共有をする為に精神統一をしてラインを繋げる。成功、悪食は収納室の中で大人しくしていた。

 

 周りを見回せば胡蝶が居た、流動体の塊が部屋の隅で蠢いている。

 悪食が流動体の胡蝶さんを触手で突く、僕とラインが繋がった事を教える為に……

 悪食を見てラインが繋がった事を確認すると流動体から全裸の胡蝶さんへと姿を変える、薄暗い部屋の中で彼女の病的な迄の白さが浮き上がり思わず生唾を飲み込む。

 小さな指で上を差す、二階に移動するんだな。会話が出来ないのでゼスチャーしか手段が無いのが地味に痛い。

 

 急いで胡蝶の後ろを悪食が追う、見上げれば可愛いお尻が丸見えだ!

 

「何て眼福、何てサービス精神!」

 

 ふりふりと階段を上る度に可愛いお尻が……もう幸せ過ぎて辛い。

 

 棚ボタな幸福を噛み締めていたが、問題の扉の前に来た。やはり無い筈の扉がハッキリと見える、この中に火事で死んだ誰かの霊が居るのか?

 

「胡蝶さん、気を付けて開けて……あれ?」

 

 何かがオカシイ、胡蝶が扉をペタペタと触っているのだがドアノブを確かめたり隙間から部屋の中を確認する訳でもない。

 ただ扉と壁を叩いたり擦ったりしているだけだ、まるで目の前の扉が見えないみたいに……

 

「悪食、ドアノブを捻って開けろ!」

 

 ラインを通じて悪食に指示を出すが、困惑した感情しか流れて来ない。どういう事だ?胡蝶さんと悪食には扉が認識出来ないのか?

 視界共有しているから悪食は見えている筈だ、僕が見えているのだから……

 

 悪食の視界の中で胡蝶さんが首を振っている、やはり見えてないのだろう。

 この場に留まるのは危険だ、無理なら対策を考えて方向転換をしなけるばならない。

 悪食に肩を落として階段を下りる胡蝶の後を追わせる、竹内さんの物と思われるエプロンを回収するんだな。

 

 悪食とのラインを切る、少し疲れたのか目の奥がジクジクと痛い。

 しかし僕にだけ見える扉の謎を解明しないと駄目だ、何か見落している条件が有るんだ。

 

 僕と胡蝶と悪食の違いとは何だ?性別?種族?距離?分からない、何故僕にだけ見えるんだ?

 

「ゴーストハウス特有の誘いか、僕が直接行かなければ駄目なのか?」

 

 十分程待っていると足元から流動体の胡蝶が腰の部分へとよじ登り、更に左手首の蝶の形の痣の中に入り込む。

 膝の上にはちゃっかりと悪食が鎮座していたので、頭をコリコリと掻いてやると足元の影へと飛び込んでいった。

 

『胡蝶さん、どうだった?』

 

 脳内会話を試みる、外からは疲れて寝ているオッサンにしか見えないだろう。

 誰も車内を覗き込みはしないと思うが、一応右手でコメカミを揉んで疲労感をアピールする。

 

『我には扉は見えなかった、感知すら出来なかったぞ。幾ら壁を触ろうとも何も分からなかったのだ……』

 

『うん、悪食も見えてなかったよ。前は胡蝶も一緒に見えていたのに今回は僕しか見えなかった。何故だろう、視覚共有しているのに悪食に見えてないのは?

それに胡蝶が壁を調べてた時にドアノブの所も触ってたんだ、突起が有るから分かるかと思ったのに……』

 

『我が触って調べたが、壁紙の感触しかしなかった。ドアノブなど分からなかったぞ』

 

『うん、僕が見えていたドアノブの部分を胡蝶の手は素通りした。見えない、触れない、感じないって訳が分からない。

そういう結界なのか、それとも見せ掛けの扉なのか、僕が直接行って触らないと開かないのか……』

 

『ふむ、我も影を使った空間移動は出来るので同じ様な術かとも思ったのだが何も感じなかった。本当に扉が有るのか?出入りが出来るのかが分からないな……』

 

 出入りが出来るか?

 

 確かに焼失した部屋の扉と仮定していたが、そもそも扉を開けて出入りが出来るのかは分からない。

 ピェール氏に取り憑いた奴が関係してるなら、焼失した事に何ら関係の有る者だけど……

 

『ピェール氏に取り憑いた奴と焼失した部屋の扉って関連有るのかな?死者しか出入りが出来ない扉だったらヤバいよ』

 

『あの世と繋がる扉か……碌でもないな。仮にあの世と繋がっているなら洋館の関係者とは限らないぞ。強い力を持つ悪霊が出て来た可能性も有る』

 

 ピェール氏とも洋館とも無関係な悪霊が、あの世とこの世を繋ぐ扉から出て来た可能性が有るのか?それだと幾ら洋館に絡む死者を調べても無駄だぞ。

 

『手掛かりは胡蝶が持ち帰った竹内さんのエプロンによる降霊だけか。

悪霊に取り憑かれたピェール氏の犯行を確認しても、彼女は原因まで知ってるかな?いや何か重要な事を知ったから殺されたんだ、手掛かりにはなる筈だ』

 

 助手席にポツンと置かれたエプロンを見る、何処にでも有る厚手の生地で何度も洗われたのだろう色落ちして使用感が有る。

 エプロンをダッシュボードに入れる、オッサンが運転する車に女性用のエプロンが積んで有れば変に思われるかもしれない。

 

 車を発進させる為にキーを回しエンジンを掛ける、気を取り直して仕切り直しだな!

 

 



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第244話

 ピェール邸の謎が解明しないまま一週間が過ぎた、特に進展は無く陰陽道の修行だけが捗る。

 胡蝶と混じり合った恩恵による霊力の増加は、ひたすら御札作成を続ける事が出来たので必然的に修得度も高まった。

 防御用の御札の数も三百枚をこえて失敗も少なくなったので、種類を変えて陰陽師の基本である式神札の練習を開始する。

 

 僕が修得した基本的な式神札は人型に切り抜いた和紙に霊力を込めて歩かせる事と、蝶の型に切り抜いた和紙を飛ばす事。

 どちらも基礎中の基礎で、これを元に色々と付加していくのが式神だ。

 

『胡蝶さん、式神札を作成するけど東海林さんの中級教材には色々な見本が有るけどどうする?基本は人型だけど動物の種類も多いよ、四つ足の獣系とか戦闘用だよね』

 

 ぺらぺらと頁を捲りながら模倣する見本を吟味する、流石に人型は160㎝程度のノッペリとした姿形の式神に簡単な動作をさせる位だ。

 中級でこの程度って事は安倍晴明が使役した十二神将って、どれだけ高レベルなんだろう?

 逆に四つ足の獣系は80㎝程度の大きさだが対象を攻撃しろとか命令を組み込める、噛む位しか出来ないが数を用意出来れば中々の戦力になるだろう。

 

『ふむ、最終的には試練で手に入れた昆虫系を改良するが慣れる為なら獣系だな、数を頼りに撹乱や囮位にはなるだろう』

 

『四つ足の獣系って書いてあるが式神札には戌(いぬ)って書くから完全に犬だよな。犬飼一族絡みと思われそうだが仕方ないのかな?』

 

 わざわざ宮城県まで行って犬神使いの犬飼一族の霊的遺産を相続した話は、亀宮一族内でも知れ渡ってるから外部に広まるのも時間の問題だ。

 その僕が犬を模した式神を使役する……意味深だよな。

 

『気にするな、だが使えるぞ』

 

『確かにね、リアル犬や犬霊だと結衣ちゃんが怖がるけど式神なら平気かな?』

 

『養い子の為に力を放棄する考え方は止めろ、我に今風に調教されたいか?』

 

 頭の中で両手を上げて降参の意を示す、だが結衣ちゃんの犬恐怖症は本能から来るモノだと思う。狐っ娘は猟犬に弱いから……

 

『さて、試しに一枚作って使ってみるか』

 

『そうだね、実用的な式神は初めてだから楽しみだ』

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結論から言うと犬の式神札の使用は成功した。

 前回同様に自宅の祭壇を清めて作業場とし防御用の御札と同じ手順で作成する、作る時に込める霊力だけで使える御札と違い、式神の具現化には自身の霊力を注ぎ込まないと駄目だった。

 そして悪食の視覚共有と同じ様に術者と式神とはラインで繋がっていて常に少量の霊力が消費され続ける。

 

『地味に霊力を消費するね、犬神大量召喚とかキツいかな?』

 

 自分の膝の上で寛ぐ真っ白な犬神の背中を撫でる、本物の犬との違いは殆どないが目が赤く牙が鋭い。

 

『ふむ、教本よりも本物の犬に近過ぎるな。本来なら体毛など再現されず表面はツルツルらしいが……』

 

 脇の下に手を入れて持ち上げる、中型犬と同等の大きさと重さで体温も感じるが獣臭さは無い。試しにお腹に鼻を付けて嗅いでみるが無臭だ……

 

「お前、メスだな……あっ?こら、顔を舐めるなよ」

 

『製作時に霊力を込め過ぎたからか?具現化の時に霊力を注ぎ込み過ぎたか?』

 

『リアル犬過ぎるけど戦闘力も有りそうだ。パワーアップした僕の筋力よりも強いぞ、コイツは!』

 

 自分の犬神に押し倒されて顔中を舐め回されているのって少し恥ずかしい、力が強過ぎて退かせられないなんて!

 

『正明……お前、式神の制御方法を学んだろ?ラインを通じて命令しろ、バカ者が!』

 

『そっ、そうだった。落ち着け、そして離れろ』

 

 ラインを通じて命令すれば素直に従い待てのポーズで待機している、普通の犬とは違い舌を出してハァハァはしない。体温調整とかも必要なさそうだ。

 

『成功だね、成功かな?一度東海林さんに聞いてみるか……』

 

 式神の写真を撮って東海林さんにメールを送る、教本と違うのが出来たけどって……

 

「じゃ練習しますか……」

 

 犬神札を量産する為に机に向かった、何故か膝の上で犬神が寛いでいるが制御方法を学ぶ為に具現化しっ放しも良いのかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横浜市内某所、基本的に下準備が必要なエクソシストたる柳の婆さんは如何にピェール氏を誘い込むか罠の準備を進めているそうだ。

 清浄な密閉空間に悪霊に憑依された対象者を拘束し神の奇跡により浄化するのが基本だが、柳の婆さんは浄炎がどうとか言ってたな。

 

 ピェール氏が燃やされなければ良いのだが……

 

 以前第三者機関の調査会社に頼んでいた土壌と水質の調査報告書が自宅に郵送で届いた、半月掛かるかと思ったが意外と早かった。

 風巻姉妹の方は中間報告がメールで届き電話で説明されたが芳しくはない……

 先ずは確認の為にサンプルを送ったのだが、予想通り特に有害物質は含まれていない。

 細菌やカビも検出はされたが幻覚等を引き起こす成分は含まれていない、周辺の環境の問題も解決した。

 次に洋館の関係者で亡くなった人物の調査の方は難航している、戦後の厳しい時代もそうだが生まれた時から日本に居れば人となりを知っている人は多いが……

 日本と違い仕事や友人関係との交流は盛んだが、近所付き合いとなると両隣くらいだ。

 しかも入れ代わりが激しいので同じ時期に隣に住んでいた人を探すのも一苦労だ、自分の国に戻ってしまった場合も多い。

 だが古い順の三人はそれなりに調べられていた。

 

「リチャード・ロング、ベック・ガレボ、ダン・ダスティン……

何れも戦後アメリカから入り込んできた進駐軍絡みの高官達だが日本語は話せず通訳が居たそうだ。葬儀は本国で執り行っているから墓も海の向こうか……」

 

 悪霊と化して取り憑いたにしても日本語を理解してなければ話せないし、話し掛けられても理解出来ないだろうな。

 つまり今のピェール氏に取り憑いても英語しか喋れないし理解出来ない、仮に憑依して知識を引き出せたとしても日本語とイタリア語を英語に変換して意味を理解出来るのか?

 ピェール氏はイタリア人だ、英語を話せるとは聞いていない……

 

「次の三人は調査途中だが難航している、戦後を過ぎて日本の高度成長期に商売として入り込んできた来た連中で同居していた、短期で荒稼ぎしている最中に続けて死んでいる。

欲望に塗れた連中だから怪しいと思う、かなり悪どい商売をしていたみたいだ……」

 

 記録は病死と事故死で他殺とは書かれていないが限り無くグレーだな。

 報告書を読み終わりデータをPDFに変換して専用フォルダに保存する、PDFに変換するのは後から書き換えが出来ないからだ。

 

『胡蝶さん、今回は調査が難航してるよ。ピェール氏に取り憑いた奴って本当に洋館絡みなのかな?』

 

 脳内会話に切り替える、流石に私室で胡蝶と直に会話は危険だ。

 

『む、確かにその辺に彷徨っていた野良悪霊を引っ掛けた可能性は有るな。だが不可視の扉と無関係とは思えないぞ、同じ洋館に二つの強大な異変が同居し共存出来るとは思えんな』

 

 むぅ、確かに胡蝶にも感知出来ない洋館の異変と、そこに住むピェール氏に取り憑いた悪霊が共存するとは思えない。

 必ず強い方が主導権を握るのが普通だ、傘下に入るか取り込まれて吸収されるか……

 

『あの洋館は変だ、歴史だけ見れば他の有名なホラーハウス並みに関係者が死んでいる。噂にならなかったのは死因が霊絡みじゃなかったからだ……』

 

 仰け反る様にして固まった筋肉を解す、寝る前に風呂に入ってマッサージをするか。

 

『いや、多くの人間の死を感じ取って力が目覚めた可能性も有るな。

最初の異変、突然家の中に現れる人影。

二番目の異変、ベビーシッターの失踪。

三番目の異変、住人の性格の豹変。

四番目の異変、消失した筈の部屋の不可視の扉……』

 

 怪奇現象を繋げて考えるがイマイチ関連性が見付けられない、最初の人影が悪霊でピェール氏に取り憑いた。

 それを知ってしまった竹内さんが被害に会ったと無理矢理考えてみた。

 だけど最初の人影はマリオ君に感心が有ったのに、何故途中でピェール氏に取り憑き先を変えたのだろう?

 

『洋館自体の異変については行き詰まったが、二番目の竹内さんの失踪については魅鈴さん次第で原因は究明出来るだろう。

三番目のピェール氏に取り憑いた悪霊については柳の婆さん頼みだな』

 

 そこまで考えが及んだ時に桜岡さんが風呂が空いたと呼びに来た、水色のパジャマにショールを羽織っただけで髪の毛も未だ乾かしてしない。

 濡れた前髪が額に何本か貼り付いている姿が妙に艶(なま)めかしい。

 

「お風呂出ましたわ、未だ仕事でしたの?」

 

 夜に男の部屋に入らない分別が有るのだろう、開いた扉から顔を覗かせているだけだ。

 

「ええ、調査報告書を読んでました。ホラーハウスっぽいのですが判断を保留してるんです」

 

 守秘義務が有るので報告書は見せられないので開いていたページを閉じるが彼女は気にした様子は無い。

 

「お仕事大変ですわね。私にも手伝える事が有れば良いのですが……」

 

「大丈夫ですよ、無理はしてないし今の所問題も無いですから」

 

 色々と行き詰まっているが正直に話す事もない、彼女は修行により新しい力を身に付けたらしいが聞いてない。

 何か教えるのにタイミングを計ってるみたいなんだよな、だから彼女から教えてくれる迄は待つつもりだ。

 

「そうですか?何か有れば遠慮せずに言って下さいね」

 

「ええ、必ず」

 

 彼女は安心した様な表情を浮かべて扉を閉めた、最近は活躍してないから気にしてるのだろう。

 

「さて、風呂に入って寝るかな」

 

 壁掛けの時計を見れば十時を過ぎている、明日は魅鈴さんを連れて亀宮本家に行かなければならない。

 彼女が口寄せをするには清浄な空間が必要なのと、霊媒師である事を隠している。

 毎回宮城県に行くのも大変だからと祭壇の間を亀宮さんが提供してくれた、断り辛いプレッシャーを撒き散らしながら……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日、魅鈴さんと合流して千葉の亀宮本家に向かう事となった。

 今回は車だ、魅鈴さんの仕事服等を運ばなければならないし毎回の黒塗りベンツやリムジンの送迎も辛い……周りの反応がね。

 

 小笠原家の前に車を停めて玄関に向かおうとしたら、魅鈴さんが出迎えてくれた。

 

「おはようございます、榎本さん」

 

「おはよう、魅鈴さん。荷物積みますよ」

 

 珍しく洋服だ、焦げ茶色のビジネススーツっぽいが着物姿ばかり見ていたので新鮮だ。向こうで仕事用の袴姿に着替えなければならないからかな?

 

「お願いします、玄関に用意してますわ」

 

 洋服と違い着物は専用のケースが有る、平べったい抽き出しみたいな物だ。

 それに帯や足袋等の小物を入れた茶巾が玄関に置かれていた、香を焚きしめているのか良い匂いがする……

 

「良い匂いでしょ?私は沈水香木(じんすいこうぼく)が好きなんです」

 

「沈水香木か……僕も祭壇で焚く香に使ってますよ、不浄を祓い心識を清浄にする効果が有るんです。まぁ安価な東南アジアからの輸入品ばかり使ってますがね」

 

 沈香は幾つか種類が有るが最高級品種の伽羅(きゃら)だと1gで一万円にもなる。

 因みに樋屋奇応丸(ひやきおうがん)という幼児薬品の原材料でもある、疳の虫や腹下しに効くそうだが本当だろうか?

 

「キリスト教でも振り香で良く使いますし私達には関連深いですわね」

 

 荷物は後部座席に魅鈴さんを助手席に乗せて出発する、先ずは東京湾フェリーに乗る為に久里浜港へ向かう。

県道を法定速度で安全運転を心掛ける、人を乗せている場合は特に注意が必要だから……

 

「榎本さんは、何時までこの仕事を続けるのですか?」

 

「え?」

 

 信号で停まった時にいきなり質問された、横目で伺えば真面目な顔で僕を見ている。

 

「生涯の仕事にするつもりは無いんです、普通に生活するだけなら十分な蓄えも出来た。そうですね、あと少しでしょうか」

 

 胡蝶の願いを叶えたら、その後僕は……



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第245話

 魅鈴さんと二人で千葉の亀宮本家に向かっている、自宅から車で久里浜港に向かい東京湾フェリーに乗れば金谷港まで45分の船旅だ。

 フェリーは車ごと運んでくれるので便利だが手続きは少し面倒だ、車検証を見せて重量や大きさの確認が必要になる。

 だが陸路だとアクアラインを利用すると時間も余り変わらず料金は高い。

 

「良い天気ですわね、それにソフトクリームを食べるなんて久し振りです」

 

「流石にビールとツマミって訳にはいきませんから……」

 

 後部デッキに備え付けられたベンチに並んで座る、前方は風が強いし折角の良い天気だから船内だと味気ない。

 視界の隅にグループ旅行なのかビールで乾杯している若者達が見える、ツマミは持ち込みのケンタッキーフライドチキンか……

 

 僕等は三浦産のメロンを使ったメロンソフトクリームを食べている、何と無く食べたくなったのだが地場のメロンを使ってる割りにはチープな甘さだ。

 

「こうして二人で旅行するのは初めてですわね?」

 

「まぁ神奈川から千葉だと日帰り旅行の距離ですが……」

 

 妙に嬉しそうに微笑んでいる彼女は乗客数の割りに若い綺麗な女性が少ない為か人気の的だ。

 隣の酒盛りグループもそうだが他の乗客もチラチラと盗み見ている。

 そんな中での『二人で旅行』発言の後は周りの緊張感が高まった気がする……

 

「今年の夏休みですが、出来れば静願と結衣ちゃんも一緒に何処か泊まりで旅行にいきませんか?」

 

「夏休みですか……」

 

 来週末は結衣ちゃんと二人で奥湯河原温泉に旅行に行くのだが、その先の夏休みなら皆で行くのも良いかな。ならば桜岡さんも一緒に……

 

「私と二人で居るのに他の女性の事を考えてませんか?」

 

 拗ねた顔で手を腕に乗せないで下さい、周りから浮気者みたいに思われますから。

 

「えっ?いや、旅行はOKですが結衣ちゃんと桜岡さんも一緒にですね」

 

「桜岡さんもですか?そうですわよね、同棲してますし……」

 

『おい、浮気かよ』

 

『アレか?ヤクザの情婦か?偉い色気有るし……』

 

『リア充はモゲれば良いんだよ、むしろシネ!』

 

 酷い罵詈雑言が小声で聞こえてくる。酷い誤解だぞ、家族旅行だぞ。睨みを利かせてグルリと視線を動かせば、コソコソと移動して行きやがった。

 広い後部デッキに二人切りとは逆に不味い状況だ……

 さり気なく拳二個分の距離を置いてメロンソフトクリームを舐める、チープな甘さが心地よいが雰囲気は居辛い。

 

「その、桜岡さんとは何時挙式を?」

 

 物凄く悲しそうな顔をしてトンでもない事を言われたぞ?

 

「いや、僕等はそういう……」

 

 途中まで言って思い出した、対外的に僕と桜岡さんはお付き合いしているんだった。

 

「……そういう具体的な話は未だ出てません」

 

「そうなんですか?やはり結衣ちゃんの為かしら?」

 

 危なかった、僕等はそういう関係ではありませんって言う所だったぞ。うっかり本音を話してしまう所だった、気を付けなくちゃ駄目だ。

 

 気分を切り替える為にソフトクリームに噛り付く、一口でコーンの部分の半分まで口に入れた。モグモグと咀嚼し、もう一口で残りも口の中へ押し込む。

 

「少なくとも結衣ちゃんが高校を卒業する迄は(彼女と)結婚する事は(世間体的な意味で)出来ません」

 

 胡蝶との約束は五年、高校卒業と共に結婚から出産と進めないと駄目だ。茨の道だ、僕は彼女に気持ちを伝えていない。

 

「随分と気を遣っているんですね、未だ四年以上も先ですよ」

 

「それ位は待ちますよ、約束ですから」

 

「(結衣ちゃんとの)約束ですか?」

 

「ええ、(胡蝶との)約束です。それから結婚して子供が欲しいのです。

その頃には最前線で除霊をする危ない事はしない様になりたいですね。資産はそれなりに貯まりましたから、所謂普通の幸せな生活が出来たら……」

 

 あと五年、加茂宮の当主達を食えば胡蝶に敵対出来る様な奴も居なくなる。後は結衣ちゃんと子宝に恵まれた幸せな結婚生活を送れれば……

 

「沖縄で聞いたのと同じ答えなんですね。

結衣ちゃんが独り立ちする迄は独身を貫くのですか?それでは榎本さん自身の幸せが無いじゃないですか?貴方をそこまで拘束する、あの子が私は……」

 

 汽笛が鳴り響いた為に魅鈴さんが何を言ったのか聞こえなかった。聞き返すには彼女の表情が真剣過ぎて気後れしてしまったんだ。

 

「そろそろ金谷港に着きますね、車に戻りましょう」

 

「ええ、そうですわね」

 

 

 腕に抱き付く魅鈴さんの肉塊が悩ましい、払いたいが払えないない。だが前よりも嫌悪感が無いんだよな、少し困る位なんだが……

 

『ふふふ、正明よ、我の力を思い知るがよいぞ』

 

『胡蝶さん?』

 

 幾ら脳内会話を試みても胡蝶さんは応えてくれなかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 金谷港から亀宮本家迄は一時間程のドライブで到着する、今日も県道は空いていて予定より早く着きそうだ。

 フロントガラスから見える雲は夏に見える入道雲で空は何処までも青い。

 

「私も一応は亀宮の勢力下に入っているのですが、本家にお邪魔するのは初めてですわ」

 

「デカい屋敷ですよ、流石は700年の歴史を感じますね。庭にデカい池が有って中に歴代当主が生活する家が有るんです、金閣寺みたいなのが!」

 

 周りには亀ちゃんの眷属の亀達が群をなして居たよな。アレは絶対に防御を兼ねた配置だった、巨大な噛み付き亀が大量に泳いでいたし……

 

「ふふふ、流石は亀宮一族に招かれるだけの事は有りますね」

 

「勧誘を断る為にですが、亀宮さんには随分とお世話になってます」

 

 色々と余計な厄介事も増えたし、苦労も倍プッシュだけど……それでもフリーだった僕が何とか霊能業界に居られるのは間違い無く亀宮一族の庇護を受けてるからだ。

 それに亀宮さんを通じて知り合った人達も多い、だから感謝している。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 45分程のドライブは和やかに会話をしていたら直ぐに終了、亀宮本家の裏手の専用駐車場のNo.12のスペースに愛車キューブを停める。

 周りがベンツやらリムジンばかりの高級外車の中に国産大衆車は浮くな……

 

「到着です」

 

「このナンバリングしている駐車場に停めて良かったのですか?」

 

 流石に魅鈴さんも高級外車に挟まれる様に駐車した場所が気になったみたいだ、今日はNo.1とNo.2とNo.5も車が停まってる。

 亀宮さんも若宮の婆さん、それに五十嵐さんも居るのかもな。

 

「大丈夫です、僕に割り振られた場所なので……何でも僕は亀宮一族の中で序列十二席らしいんです」

 

 ハハハって誤魔化し笑いをしながら後部座席から荷物を取り出す。

 前回帰り際に渡されたセキュリティカードを使って立派な漆塗りの門を開ける、中に入ると奥から滝沢さんが近付いて来るのが見えた……少し慌ててる?

 

「おはようございます、榎本さん。到着する前に連絡をくれると助かる、警備室から無線を貰って慌てたぞ」

 

「それは済まない、予定通りの時間だったから」

 

 遅れそうなら大人の常識として連絡しようと考えていたが、監視カメラは気付かなかったな。

 

「小笠原さんもお久し振りです、沖縄以来ですね」

 

「ええ、ご無沙汰してます。今日はお世話になりますね」

 

 和やかな会話をしながら歩いていく女性陣に付いて廊下の奥へと進んで行く、この先はご隠居衆の個室が有る通路だな。

 多分だが亀宮さんに挨拶してから着替える場所を借りて、それから祭壇の間に向かうんだろうな。

 

 No.12の部屋の前に来た所で、滝沢さんが止まったぞ?

 

「榎本さんは自室で待機して下さい、先に亀宮様が小笠原さんと話したいそうです」

 

 有無を言わさぬ感じで部屋で待ってろって言われた、まぁ亀宮さんが魅鈴さんに何かするとは思ってないが……

 

「自室って部屋まで与えられてるんですか?榎本さんって亀宮一族内での立場って、私が考えているよりもずっと上なんですね」

 

 いや、食い付く所が違うでしょ?亀宮一族の当主と二人で話したいって言われたんですよ!魅鈴さんって旦那との事は消極的だったけど、それ以外の事には肝が座ってるのか?

 

「榎本さんは亀宮一族内で序列十二席、ご隠居衆の次席です」

 

「まぁ?それは凄いですわ、流石ですね!」

 

 凄く嬉しそうだけど、巨大組織の上位者なんて相応の義務と苦労を背負わされるんです!僕は目立たず静かに自由に暮らしたいのに周りがソレを認めないんだ……

 

『もう手遅れだ、純粋な戦闘力なら対人も対霊も最強に近い事を示してしまった。後はハーレムルート一直線だな』

 

『胡蝶さん、五年待つ約束ですよ。ハーレムにはなりませんよ』

 

 脳内会話に突っ込みを入れる、宿主にハーレム構築を熱望する幼女ってどうなのよ?

 

 意気揚々と亀宮さんに会いに向かう魅鈴さんの後ろ姿を見送る、亀宮さんの事だから悪くは扱わないと思うが何故か不安が拭えないんた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 部屋に入ると既にエアコンで適温にされていて……五十嵐さんと東海林さんが仲良く日本茶を飲んで寛いでいた。

 

「いらっしゃい、榎本さん」

 

「お疲れ様です、榎本さん」

 

「何故、と聞いても良いですか?」

 

 何の疑問も無く彼女達を受け入れるのには抵抗を感じて声を掛ける。自然に応接セットの空いたソファーに座ると、五十嵐家当主自らが日本茶を淹れてくれた。

 

「有り難う御座います」

 

 礼儀的に一口啜るが高級な旨い日本茶だ、日本茶好きな結衣ちゃんに色々と飲まされているから分かる。

 

「えっと、東海林さんも居るって事は……」

 

「式神札の事です、多分ですが犬神札になるのでしょうか?今持ってますか?」

 

 犬神札?あの式神札は大量に制作中なので一応持ち歩いている。

 式神札を入れている札入れを上着の内ポケットを取り出す、取り敢えず十枚持っている内の一枚を渡す。

 

「ふむ、基本に忠実で綺麗な出来ですね。籠められた霊力は強いのは流石ですが……これであの子が具現化するのですか?」

 

 東海林さんから式神札を受け取り起動させる為に霊力を流し込む、和紙に書かれた文字が金色に輝き式神札を中心に霊力が広がり白い犬を形作る……成功だ。

 

「この子です、前と同じ子かな?」

 

 前回も同じ白い犬で短毛種だった、雑種っぽい感じも同じだな。赤い目と鋭い牙と爪も変わらない……

 両脇に手を差し込み持ち上げると前回と同様にメスだな、やはり同じ子か?

 

「あっ?こら、舐めるな……落ち着け!」

 

 この子と繋げたラインを通じて大人しくさせる、大きさは中型犬位だが重さを感じないのに力強い。

 膝に乗せて頭を撫でるとサラサラな毛並みが気持ち良いな、式神犬なのに癒される。

 

「自我が有る子を生み出せるなんて……榎本さん、触っても良いですか?」

 

「ん?どうぞ、暴れるなよ」

 

 右手を腰に左手で背中を持って東海林さんに差し出す、赤い目が彼女を見詰めるが大人しくしている。

 東海林さんも膝に乗せて色々と触って調べている、口の中まで覗いているけど随分と慎重だな。

 

「はい、分かりました」

 

 東海林さんが僕に差し出すと軽やかに飛び上がり一回転して膝に着地した、かなり素早いな。

 

「それで、この子はどうでした?」

 

「そんなに普通の犬みたいに撫でないで下さい、その犬神は中級クラスの力を持ってます。

それに榎本さんとの強い繋がりを感じます、過去に因縁が有った子じゃないですかね?」

 

 因縁?この子と僕がか?

 

『赤目、憶えがないか?犬飼一族との諍いでお前の影響下に置いた犬達を……』

 

『まさか、あの子達か?』

 

 胸くそ悪い術により畜生霊として使役されていた犬達、確か魂を解放した筈だった……

 

「お前、赤目か?」

 

「ワォーン!」

 

 膝の上にいた子は一声鳴くと今迄よりも存在感を増した、僕の膝から飛び上がると床に着地し四肢を踏張る。

 

「名を与えた事により術者と更に強い絆を得た見事な犬神……」

 

 東海林さんの小さな呟きが聞こえた。



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第246話

 かつて僕が解放した犬達が居た、犬飼現当主に畜生霊として使役されていた犬達だ。

 主人に育て上げられ主人の手で殺されて畜生霊として使役されていた犬達……

 

「お前、あの時の赤目かよ。何で成仏しなかったんだ?」

 

 全力で頭を足にこすり付ける赤目を持ち上げる、コラ、べろべろ舐めるなよな。

 

『もう一匹居たな、灰髪と呼ばれた甲斐犬の霊が……式神札を使えば具現化出来るかもしれぬぞ』

 

 灰髪か、赤目とは兄弟みたいに育った子だよな。もう一枚、式神札を取り出し同じ様に霊力を込める、霊力を込めている段階で確信した……あの子が来る。

 

「出でよ、灰髪!」

 

 式神札の周りに霊力が集まり犬の形を成していく……

 

「ワォーン!」

 

 灰色と黒色の斑模様の毛を持つ懐かしい犬が現れた、一吠えしてから飛び掛かって来た。

 

「ちょ、お前も……舐めるな、顔がベタベタだぞ……落ち着けって」

 

 尻尾を千切れんばかりに左右に振りながら口の周りをペロペロ舐める灰髪の両脇に手を入れて持ち上げる、この子もメスか……

 

「あの犬飼の現当主は飼犬は女の子ばかりだったのかよ、お前達は兄弟じゃなくて姉妹か?」

 

『性別の違う方が懐き易くメスはオスに尽くすからな、だからメスなのだろう』

 

『なる程ね、だから大婆様の日本狼はオスだったのか……』

 

 赤目と灰髪が仲良く並んで膝の上に乗っている、重さは殆ど感じないけど強い存在感が有る。

 ワシワシと撫でるが動物特有の油脂が手に付かない、サラサラの手触りが気持ち良い。ペットは鳥派だが犬も可愛いものだな、特に因縁が有った子達は。

 

「二匹、犬神が二匹も……こんなに具現化して自我のある子達は珍しいですよ。榎本さん、何か命令してみて下さい」

 

 東海林さんの目が初めて御札を見た時と同じだ、空気の五十嵐さんの前に出てグイグイ迫ってくる。

 てか、幾ら男性恐怖症かもしれないけど当主が後ろに立ち尽くして無言って駄目だと思うぞ。

 

「命令?そうですね……赤目、灰髪、お手!」

 

 犬に命令と言えば定番のお手、お代わり、伏せ、かな?

 

「「わふ!」」

 

「お代わり」

 

「「わふ!」」

 

 完璧だ、完璧にシンクロした動きでお手とお代わりをする赤目と灰髪。

 

「偉いぞ、お前達。完璧だぞ!」

 

 ご褒美に頭をワシワシと撫でる、目を細めて喜んでいる二匹……癒される。

 

「「わん!」」

 

「違います、式神としての命令です。でも部屋の中は狭いですし庭に出ましょうか?」

 

 ああ、そうだった。この子達は式神だったので戦闘力とかを示せば良いのかな?幸い力強いし鋭い牙や爪が有るから対人戦力としては有効だろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 庭に出ると知らない内に話が広まっていたのだろう、風巻のオバサンが様子を見に来た。どうやら若宮の婆さんや陽菜ちゃんは居ないらしい。

 

「なにやら大袈裟になってますね、この子達のお披露目にしては……」

 

 僕の足元の左右に控えている赤目と灰髪、今は大人しくしているが周囲を警戒し鋭い視線を放っている。

 案内された亀宮本家の中庭は和風庭園で綺麗な芝生が敷き詰められて、所々に庭木や石が配されているけど……

 

『胡蝶さん、この子達って強いのかな?力も有るし牙や爪も鋭いけど庭木とか攻撃しても大丈夫かな?』

 

『ふむ、取り敢えず庭石に攻撃させてみろ。生身と違い式神だから大丈夫だろう』

 

 うーん、前は畜生霊だったが今回は式神に変わったからどうなんだろう?

 

「赤目、灰髪、あの庭石を一回ずつ攻撃しろ!」

 

「「わふ!」」

 

 試しに一度攻撃させてみようと命令したが、赤目と灰髪は小さく吠えると左右に飛び出した!

 

「早い、それに……」

 

 右に跳んだ赤目は地面に着地すると直ぐに庭石の真上に飛び入り、右前足の爪で袈裟懸けに表面を削り取った。

 

 左に跳んだ灰髪は地面に着地すると低い姿勢で突撃し、鋭い牙で庭石の下端に噛み付き歯形を残した。

 

 お互い上下同じタイミングで仕掛けた連携もだが、固い庭石を牙と爪で抉り取る攻撃力の高さも凄い。二匹はそのまま僕の足元に素早く戻って来た。

 

「よしよし。凄いぞ、お前等は!」

 

 ご褒美に首の付け根をワシワシと撫でるが、式神でも元は犬だから嬉しいのだろうか?目を細めて嬉しそうにグルグル唸ってるぞ。

 

「石を削り取るなら人間など紙くず同然ですよね」

 

「これ程の連携を一言の命令で実行するなんて……私の門下生でも上位の者達が使役する式神と変わらないですよ。

凄いですね、主と絆が強く結ばれている式神は更に強くなります」

 

 中級の式神札だが胡蝶の霊力を大量に注ぎ込んだ事と赤目や灰髪との魂との繋がりが有った事で、普通じゃない式神に成ったのかな?

 

『そうだな、初めてにしては上出来な僕達(しもべたち)だ』

 

『胡蝶さん、赤目と灰髪とは縁が有ったが三枚目はどうなるのかな?』

 

 この子達は特別だ、じゃ普通に式神札を使うとどうなるのかな?

 

『ふむ、宿る魂は無い訳だが……試してみるか?』

 

 懐から三枚目の式神札を取り出し、同じ手順で霊力を注いで起動させる。手元を離れた式神札は地面に落ちて周りを霊力が包み込む……

 

「普通の式神ね、三匹目はなかったみたいね」

 

「やはり魂との縁か絆が無ければ普通の式神犬か……」

 

 赤目や灰髪と違い質感がツルツルで紙っぽい無表情な犬になった、これが普通なんだろうな。

 

「よし、庭石に攻撃だ」

 

「……」

 

 無言で真っ直ぐ庭石に飛び掛かり、ガジガジと噛み付いているが表層に付いた苔や汚れが剥がれるだけだ。

 普通の犬の攻撃力と大差無いな、数は召喚出来るので使い道は有るけど見劣りするな。

 

「普通ですね、本来の式神犬です」

 

「前の子達より見劣りするけど襲われたら血だらけになりますよ、コレはコレで凄いんですよね?」

 

 漸く五十嵐さんが感想を言ってくれた、疑問系だったが確かに対人戦力として凄いのだろうな。

 三匹目と繋いでいるラインを通じて式神札に戻る様に命令すると、一瞬で札に戻りスルリと地面に落ちた……

 三匹召喚して感じたのは起動時には霊力が必要だが維持コストは低そうだ。

 

「東海林さん、この子達が傷付いたら回復は出来るんですか?そもそも被ダメージって回復出来るのかな?」

 

 幾ら力強くても傷付いたら回復しないとかなら使い道は狭まる、無理はさせられない。

 

「この子達クラスになれば傷付いても時間が経てば自動で回復します、酷い怪我の場合は御札に戻して霊力を送り込めば徐々に回復しますよ。

次に来る時にウチの式神使いを紹介しますので色々教えて貰って下さい、私は御札は式神よりも攻撃や防御に使う方が得意なので……」

 

 ああ、あの御札ファンネルは凄かったな。空中にバラ撒いた御札が一斉に対象に張り付くのだから……

 だが恩ばかりが積み重なっていくのは不味い、何か対価を渡さないと駄目だ。

 少し調べたけど陽香家と言えば陰陽道の大家、その当主が門下生でもない僕に此処まで配慮してくれるのは重い。

 

「それは嬉しいのですが恩ばかり積み重なるのは心苦しいんですよ」

 

 笑顔の東海林さんが少し、いやかなり怖く感じるんだ。

 

「出来の良い弟子みたいな榎本さんには色々と教えてあげたいのが師としての思いなんですが……

そうですか、では榎本さんの古文書への造詣の深さを見込んで解読して欲しい書が有るのです」

 

「古文書の解読ですか?」

 

『正明、請けろ。古文書の解読とは内容を知る事が出来るのだ。秘蔵の古文書か、楽しみだな……』

 

 胡蝶さんは最近学ぶ楽しさを覚えたのかな?まぁ700年物の胡蝶の知識は凄いから大丈夫か……

 

「良いですよ、それでお礼になるのなら喜んで解読しましょう」

 

「そうですか!助かります、本職に頼むには書自体に呪いが掛かっていて無理だったんです」

 

 ニヤリとした彼女を見て対価としては期待以上なのが分かった、ならば遠慮は無用かな?

 

「それと今度紹介する湊川(みなとがわ)は式神に長けた術者です、その子達の維持や日常の扱い方等を教えてくれますよ。

今は御札に還すしかないですが自分の影に入れたりする術式も有りますから使い勝手は良くなるでしょう」

 

 流石は陰陽道の大家の当主、痒い所に手が届く配慮だ。まさに必要な事を提案してくるので断り辛い、恩を返したつもりが重なっていく……

 

 次に亀宮本家に来る日程を調整し赤目と灰髪のお披露目は終わった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮本家の祭壇、それは清浄に維持された空間であり特定の神を祀っている場所ではなかった。

 多宗教からなる者達を束ねる亀宮一族だからこその多目的祭壇?多目神祭壇?

 

 お神酒とお供え物、それに榊を祭壇に並べて準備万端の魅鈴さんは真っ白な袴姿で座っている。

 普段は無意識に色気を振りまく艶っぽい女性だが、今は清純な神々しさを身に纏っている。

 

「女性は衣装や立ち振舞いで雰囲気が変わるよな……」

 

「榎本さん、縁ある品を」

 

 此方に振り向き手を差し出して来た、それだけで身が締まる思いだ。

 

「コレです、このエプロンでお願いします」

 

 思わず敬語になってしまうのは仕方ないだろう、それだけのナニかを彼女は纏っているのだから……

 祭壇にエプロンを供え、魅鈴さんが祝詞を唱え始める、因みに僕の隣には亀宮さんが居て後ろには滝沢さんが控えている。

 

 祝詞が長い、前にお願いした時よりも……時間的には十分を越えただろうか?

 壁掛けの時計も無く腕時計もしていないので正確な時間は分からないが、少なくとも十分以上は掛かっている。もしかして竹内さんは生きているのか?

 

「…………榎本さん?」

 

「はい、何でしょうか?」

 

 これは竹内さんは未だ生きているのか、エプロンでは喚べなかったのどちらかか?

 

「竹内さんの魂とは繋がったのです、繋がったのですが……こう、間に何か壁の様な物を感じるのです。

なので魂を自分に降ろす事が出来ない、こんな事は初めてなのです」

 

 凄く困った顔をしている、今迄こんな事は無かったのだろう。

 

「竹内さんの魂との間を塞ぐ壁ですか?」

 

 真剣な彼女の顔を見ればどれ程の事なのかは分かる、捜し当てた魂を自分に降ろせない、何か壁が有る……

 

「つまり竹内さんの魂は結界の中に閉じ込められているのですね?彼女が死んでる事は確定、だが何かに捕われていると考えられるな」

 

 黙って頷く彼女の額には汗が浮き上がり何本か髪の毛が張り付いている、相当疲労しているのが分かる。

 

「魅鈴さん、少し休んで下さい。お蔭である程度絞り込む事が出来ました、有り難う御座いました」

 

 やはり竹内さんは死んでいたか……

 コレでピェール氏の犯人説は濃厚、後は柳の婆さんの結果次第だな。婆さんが失敗したら洋館に原因が有る、どうするかは未だ分からないが……

 

『最悪は洋館に乗り込むか?』

 

 胡蝶さんの問に一瞬だけ悩む、だが僕の霊感が訴える。

 

『そうだね……ホラーハウスに突撃は危険過ぎると思うが他の原因は全て消えた、もうあの扉しか原因は考えられない』

 

 避けては通れない道だと理解している、柳の婆さんでも仕留められなければ胡蝶の贄としては上等だ。

 

「申し訳ありません、榎本さん。お役に立てなくて……」

 

 本当に申し訳なさそうに下を向く彼女を労う為に肩に手を置いてお礼を言う、本当に霊媒師としての彼女は有効だ。竹内さんの死と現状を教えてくれたのだから……

 

「いえ、本当に有り難う御座いました。残っていた可能性が無くなり原因を絞り込む事が出来たので、後は僕等で何とかなります。

さぁ少し横になって休んで下さい。亀宮さん、申し訳ないけど魅鈴さんが休める場所を用意して貰えないかな?」

 

 僕に与えられた部屋の奥に仮眠用のベッドが有ったけど、彼女を部屋に連れ込み寝かせたとか言われたら悪い噂になるだろう。

 

「分かりました。滝沢さん、客間の用意を」

 

 嗚呼、亀宮さんの気分が悪くなってるな、回復させないと大変だぞ。



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第247話

 亀宮本家を訪れた、魅鈴さんの為に清浄な祭壇を使わせて貰う為に……

 だが幾つか収穫は有った、式神に犬飼一族との諍いで一時期支配下に置いた子達の魂を引き寄せたのだ。

 赤目と灰髪、元は雑種と甲斐犬だが式神化した事により力強く変身した。

 

 後は竹内さんの件は、魅鈴さんも驚いていたが降ろす事が出来なかった。

 何らかの方法で彼女の魂が捕らえられているのだろう……だが、残念ながら死亡は確定だ。

 

 赤目と灰髪については東海林さんから五十嵐一族の中でも凄腕の式神使いに話を聞ける事になった、恩が重なって怖いが僕等には一番必要だ。

 あの子達の安全を踏まえて力を十全に使い熟すには僕等は未熟なのだから……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、魅鈴さんの回復を待って亀宮さん達と昼食を共にしてお開きとなった。

 あの亀宮さんが特に絡む事も無く半日で亀宮本家から帰るのを認めた、何やら魅鈴さんとアイコンタクトをしていたみたいだが……

 

 その魅鈴さんは愛車キューブの助手席に乗り寝息を立てている、余程竹内さんの霊を降ろすのに霊力を使ったのだろう。

 因みに後部座席には赤目と灰髪がチョコンと座っていて各々が左右の窓から景色を見ている、ヤバい悪食もそうだが式神に癒されるってどうなんだ?

 

「お前達、フェリーには乗れないからアクアライン経由で帰るが大人しくしていろよ」

 

「「わふ!」」

 

 魅鈴さんが転寝(うたたね)してる為にか、小声で吠える優しさと気遣いがこの子達には有る。

 一旦式神札に戻すと次に同じ様に具現化出来るか分からないので、この子達はこのままだ。

 犬嫌いの結衣ちゃんには申し訳ないが駄目なら三浦の隠れ家にでも連れて行く予定、横須賀中央の事務所はペット不可だから。

 

 千葉県内の道路は空いている、街と街を結ぶ道路周辺は自然豊かな環境だ、ドライブには最適な緑のトンネルを走り抜けていく。

 

「ん……あふぅ、あら?私寝てました?」

 

「ええ、疲れてたんですね、ぐっすりでしたよ」

 

 魅鈴さんが起きたが既に千葉県を抜けアクアラインを通過して首都高速道路を走っている時だった。

 

「すみません、運転を任せ切りで寝てしまって……」

 

 手櫛で髪を整えたり乱れてない衣服を引っ張ったりと忙しい。

 

「珈琲買っておきましたよ、エメマンで良かったかな?」

 

 僕も眠気覚ましに同じエメマンだ、余り効果は無いが眠そうになると赤目と灰髪が前脚で肩を押してくれるので助かる。

 

「はい、有り難う御座います。もう都内を抜けそうですね」

 

 標識を見たのだろう、首都高速道路を乗り継ぎ横浜横須賀道路に入った。

 

「もう横浜市内ですよ、佐原まで一時間位かな?途中で休憩を入れましょう」

 

 缶コーヒーは既に空だ、やはりコーラが飲みたい。

 

「あの、今回の件ですが……竹内さんの魂ですが……突拍子も無い話なんですが、所謂霊界には居るんです、居ると感じるのですが、引き寄せる事が出来なくて……」

 

「霊界から呼び出せない?すると何かに捕われていない?」

 

 魂が霊界に居るなら誰かに捕われてはいない、最終的な行き先に居る者に干渉させない力か……

 

「そうです、魂は見付けて最初の呼び掛けには反応して近寄って来ました。

ですが、いきなり止められた様な、世界が違う様な……ごめんなさい、分かり辛いですわよね?」

 

 どういう事だ?

 

 魂は霊界で自由にしているのに呼び寄せ様とすると妨害される、霊界に干渉出来る程の存在が居るのか?

 

「兎に角気を付けます、敵には霊界にまで干渉する力が有る奴が居る。

それが分かっただけでも有難いですよって、横須賀パーキングエリアですね。休憩しましょうか?」

 

 結構話し込んでしまったみたいだ、カーナビからも合成音声で『運転時間が二時間経過したから休みましょう』と警告されたし……

 

「可愛らしいナビの声ですね?」とか言われてしまった、最近流行のボーカロイドの声だったんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 運転して固くなった体を解す為に車から降りてラジオ体操擬きをする、赤目と灰髪が両側に座って大人しくしている。一見普通の犬だが、触ると違いが分かる。

 この子達は軽くて毛並みはサラサラ、知性の有る目をしているし……牙と爪が鋭い。雰囲気は猟犬か闘犬だろう。

 子供連れの家族が興味深く見て行ったが触れる程の勇気は無かったみたいだ、首輪してないからヤバいか?

 

 因みに魅鈴さんはトイレと買い物に行ったので売店で待って合流し、何かお土産でも買うつもりだ。

 

「赤目、灰髪、車の中で待っててくれ」

 

「「わふ!」」

 

 あろう事か自分でドアを開けて後部座席に乗り込んでしまった、肉球の有る前脚で器用にだ……

 しかもパワーウィンドウを操作し少しガラスを下げたんだけど、知能が高くなってるよな?

 

「お前達、頼むからやり過ぎるな。程々で頼む」

 

「「わふ?」」

 

 首をかしげて見返して来るが危なかった、動画を撮影されてたら天才犬として有名になる所だった。

 

 トイレから出て来た魅鈴さんと合流し一緒に売店を物色する、地元特産品が並ぶが気になる物は少ない。

 棚に平積みされている海軍カレーシリーズが横須賀土産のイチオシ?

 

「何か気になる物は有りましたか?」

 

 キョロキョロと物珍しそうに商品を見比べている彼女に話し掛ける、幾つかの商品は手に取って確かめているし……

 

「三崎名物サザエ飯、炊き込みご飯のレトルトが気になります。後は田浦梅園の梅ワインかしら?」

 

「うん、梅ワインは甘口で飲みやすかったですよ」

 

 この梅ワインは葡萄と違い酸味は強いが渋味は少なく甘いのが特徴だ、結衣ちゃんもアルコール分を飛ばしてゼリーやジュレを作ってくれたな。

 

「ビール党の榎本さんが勧めるなら美味しいのでしょうね、ではこの二つをお土産に買いま……あの?」

 

 彼女の手から商品を取り上げる。

 

「ここは僕が払います、お礼を兼ねてです」

 

 今回の依頼報酬は三十万円、彼女は大体二十万円前後で一般から請け負っているが能力を考えたら三十万円は払わないと駄目だ。

 多分だが彼女は日本でも五指に入る霊媒師、胡蝶のドーピングで何とかしている僕より余程貴重な存在だろう。

 

「もう、頼りきりは嫌なんですよ」

 

 文句を言いつつ僕の後ろを歩いている彼女は、異性で同世代の唯一の友人だ……あれ?僕の友好関係って狭くない?

 

 因みに赤目と灰髪を結衣ちゃんは受け入れてくれた、リアル犬と違い式神犬には嫌悪感を抱かないみたいだ。

 赤目達も結衣ちゃんには懐いたと言うか僕の親しい人間と認識し、桜岡さん共々護衛対象と思っている節が有る。

 だが女性陣と一緒に風呂に入るのはやり過ぎだと思うな、悪食が現れて覗きますか?的に見上げて来た……ウチの式神達は出来過ぎていて困る。

 その誘惑を断るのに十秒以上掛かってしまったぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その日の夜、事態は急変、メリッサ様から緊急の連絡が入ったのだ。

 

 もう寝ようと思って布団に寝転んだ途端に枕元に置いてあった携帯電話がマナーモードで震えた、ディスプレイの時刻は23時19分で相手はメリッサ様。

 

『榎本さん、夜分に済みませんが急いでお知らせしたい事が……』

 

 通話ボタンを押すと名乗らずに話し出したけど……

 

「落ち着いて、何ですか?」

 

 物凄い早口で喋っているが、大分問題なんだな。もしかして柳の婆さん失敗したのか?

 

『あの高梨さんが殺されたんです、勿論私達じゃないですよ!教会の方に連絡が有り、美羽音さんに伝えるべきか悩んでしまって……』

 

 内容が物騒だ、布団から起き上がり机に座る、メモ用紙とペンを用意する。

 

「奴が殺された?つまり他殺って事ですよね。勿論僕も何もしてません、ですが美羽音さんを匿っているのも不味い状況だ、他殺の疑い有りで親族が行方を眩ましていては……」

 

 美羽音さんとマリオ君は隠れている訳にはいかない、少なくとも実家には連絡を入れるか顔を見せなければ両親が心配する。勿論、警察も調べ始めるだろう。

 

『そうなんです、私もこれ以上匿うのは無理だと思います。私達の伝手で調べた所、後ろから背中を何ヶ所か刺されたらしいのです』

 

「杜撰だな、竹内さんと同一犯とは思えない」

 

『えっ?竹内さんは失踪じゃ?』

 

 そうだった、魅鈴さんの件は伝えてなかったんだ。

 

「今日、亀宮本家で霊媒師である魅鈴さんが、竹内さんの魂を降ろそうとした。結果は霊界で竹内さんの魂と接触は出来たが、降ろそうとしたら妨害が入ったんだ。

敵は竹内さんの死体を隠し通しているし霊界にまで干渉出来るのかもしれない、そんな連中が刺殺?しかも死体が発見された。杜撰なんてモンじゃないだろ?」

 

『そうなんですか、竹内さんはもう……でも何で榎本さんは、そこまで調べてくれるのですか?この件は私達セントクレア教会の』

 

「関わったのに知らんぷりは出来ない、善意じゃない柵(しがらみ)や面子なんかも絡み合ってるからね。僕は最初に感じた通り洋館が怪しいと思っているが、ソッチはピェール氏だろ?」

 

 若宮のご隠居からも依頼を請けているし、彼女達を見捨てるつもりも無い。だが二回も警察沙汰になってはピェール氏との接触は難しい……

 

「まさか、敵は美羽音さんを炙り出す為に高梨修を分かる様に殺した?」

 

『そんな、そこまでするものですか?』

 

「だが上手く隠れていた美羽音さんは表舞台に出されてしまった。

ピェール氏が美羽音さんに接触するのは確実だろう、色々と聞かれるから口裏を合わせてから解放するんだぞ。特に美羽音さんのご両親とは念入りにだよ」

 

『ええ、お婆様と相談します。榎本さんも気を付けて下さい、また連絡しますわ』

 

 そう言って電話が切れた、特に相談とかじゃなく連絡だけだった。だけど高梨修を殺したのは誰なんだ?

 手口は在り来たり、怨恨の線とも取れるし通り魔とも考えられる、警察は両方調べるがセントクレア教会と僕は容疑者リストの上位だろうな。

 

 携帯電話を閉じて布団に横になる、目を閉じて考えを纏めるが……

 

『胡蝶さん、受け身で居たら状況は悪化するばかりだよ』

 

『ふむ、確かに現状は良くは無いな。関係者が立て続けに死んでいくが我らは相手を特定出来ていない』

 

 ピェール氏と彼に取り憑いた悪霊が本命と思っているが知恵が回るし力も強過ぎる気がする。

 何故、美羽音さんとマリオ君を狙うのだろうか?彼女を見付ける為に危険を承知で高梨修を刺し殺した?

 

『あの男は他にも恨みを買っていて怨恨で殺されたとも考えられるな。だが霊媒女を使っても結果は同じだろう』

 

『そうだね、僕等が睨んだ本命なら呼び出せず怨恨なら呼び出せる。やる意味は薄いか……』

 

 他の可能性を潰し残るは洋館の扉を調べるだけなのに、僕等が洋館に忍び込み難くされている。これが偶然だと言うのか?

 

『賢しい真似をしてくれる相手だな、もはや直接対決で良いだろう。取り憑いている奴を吸い込めば解決だな、その後で洋館を調べて原因を追及すれば良い』

 

 直接対決か……柳の婆さんの結果次第と思ったが、接触し辛いだろう。容疑者候補が被害者と人気の無い場所で会うのは難しい。

 

『セントクレア教会の動きは完全に潰されたな、だけど僕等は違う。

前回は扉に驚いて引き返してしまったけど、奴が一人で洋館に居る時に胡蝶を差し向ける事は出来る。直接対決は可能だし不意討ちも可能だ』

 

『そうだな、色情霊などゲテモノ過ぎて本来ならお断りだが仕方有るまい。早々にヤルか?』

 

 早い方が良い、後手後手だと又何かされかねない。ピェール氏自体には危害を加えない無いが記憶を共有してる場合、胡蝶の事がバレない細工は必要だな。

 

『ああ、赤目達の事が落ち着く一週間後の晩に決行しよう』

 

 話が決まったら急に睡魔が……

 

「お前達も一緒に寝たいのか?」

 

「「わふ!」」

 

 タイミング良く赤目達が部屋に入って来たので布団を持ち上げて招き入れた……温いな。




今日で毎日連載は終了、次回は8月25日(月)になります。


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第248話

 式神といえども温(あたた)かい、温(ぬく)い、ある意味幸せだ。だが僕に関わりの有る人外が全員一つの布団に集まるってさ。

 

「どうなんだろう、胡蝶さん?」

 

「む、喜べば良いだろう?」

 

 仰向けで寝ている僕の両脇に赤目と灰髪、腹の上に胡蝶さん、頭に悪食が鎮座している。

 

「胡蝶と悪食は戻ってくれ、そろそろ起きる時間だし桜岡さんか結衣ちゃんが起こしにくるよ」

 

 カーテンから差し込む明かり具合からみて日は昇っている、今日は天気予報通りに快晴だろう。

 

「む、そうか。しかし眷属が増えるのは喜ばしい事だな。まだ銅板も有るし赤目達が安定したら妖(あやかし)を探して式神にするか……」

 

「いや、これ以上増やしたら扱い切れなくないか?探索特化の悪食に戦闘用の赤目達、汎用の胡蝶が居ればOKだろ?」

 

「全くバランスは良いが正明の子を産む奴が居ない、全員メスなのに何とかならんか……」

 

 僕のお腹の上で器用に不貞腐れながら胸の中へと潜って行った、だが赤目や灰髪が相手だと獣姦だし悪食は虫、卵から生まれる昆虫だぞ。

 その擬人化式神ハーレムっぽい流れは勘弁して欲しい。

 

『幾ら式神とはいえベースは犬や油虫なんだから変な魔改造は止めてくれよ』

 

『霊力が高まり格が上がれば人に近くなる連中も居るぞ、探す妖(あやかし)は人に近しい者達が良いな……』

 

『ちょ?胡蝶さん、胡蝶さん?』

 

 それから幾ら脳内で呼び掛けても彼女は応えてくれなかった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 赤目と灰髪を連れて行くので愛車キューブにて亀宮本家に向かう、後部座席に行儀良く並んで座る出来た子達だ。

 たまに抜かしていく車の連中が驚いた様に見ている、当初中型犬だったが今は大型犬……ゴールデンレトリバー程度の大きさに成長した。

 悪食もそうだったが主(僕+胡蝶)の霊力を吸って力を強くしていくのだろうか?

 

 因みに悪食は膝の上に乗って触角をヒクヒクさせている、先任式神として赤目達にも教育したらしい。

 

 横浜横須賀道路から首都高速道路に乗り継ぎアクアラインを通る、今日はウミホタルで休憩するか。

 

「車を降りるから悪食は影に入ってくれ、赤目と灰髪はそのまま大人しくしてくれ」

 

 慣れない長距離運転の為に休憩は小まめに取る事にする、先ずは凝った筋肉を解す為に軽くストレッチをする。

 肩周りを重点的に解したらトイレ(小)に行ってコーラを買おう、疲れを取る為にチョコレートも買うか……

 

 レモンコーラなる不思議な新作を購入、疲れを甘味で取ろうとキットカットも買ってみた。

 色々とご当地味のキットカットが有ったがノーマルにする、抹茶味は分かるがスィートポテト味とか微妙じゃないか?

 

 車に戻ると小学生位の男の子と女の子が赤目達を見ていた、後ろには両親らしき人達も……

 

「おじさんの犬?赤い目って珍しいよね!」

 

「わんわん、閉じ込められて可哀想だよ!」

 

 ドアロックを解除したら話し掛けられたが、両親が引き攣った笑みを浮かべながら子供達をホールドして数歩下がった、別にヤクザじゃないし危害を加える様な事はしないぞ。

 

「あと一時間もしたら外に出して遊ばせるから大丈夫なんだよ、此処は他にも人が居るからね。この子達は大きいから此処で出したら怖がる人も居るんだ」

 

 男の子の頭をポンっと軽く叩いて説明する、実際は後ろのご両親に対して僕は無害だと示したのだが……

 

「わんわん、お外で遊べるの?」

 

「ああ、もう少ししたらね」

 

 両親に向かい軽く会釈すると車に乗り込みエンジンを掛ける、出発すると子供達が凄く喜んでいるから不思議に思ってルームミラーで後ろを確認すれば……赤目がパワーウィンドウを操作して窓を開けて手を振っていた。

 

「お前達、もう少しだけ自重してくれないかな」

 

「「わふ?」」

 

 疑問系で返されたぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 指定されたNo.12の駐車スペースに車を停める、今日は事前に到着時間を滝沢さんにメールで教えてある、前回急に来るなと文句を言われたからな。

 直ぐに五十嵐さんと東海林さん、それと壮年の男性が後ろに立っているが彼が湊川(みなとがわ)さんだろうか?

 茶系のスーツを着こなす僕とは正反対の痩せ形で神経質そうな美形が出迎えてくれた。

 

「おはようございます、皆さん」

 

「「わん!」」

 

 律儀に頭を下げて鳴く赤目達の頭を撫でる、癒されるな。

 

「ほぅ、中々躾けられた式神犬だな……力は中級クラスだが具現化して数日にしては絆が強過ぎないか?ああ、初めまして。湊川です」

 

 そうか、この子達は中級クラスの力が有るのか……

 

「初めまして、榎本です。絆の件はですね……この子達は以前質の悪い飼い主に畜生霊として使役されていて僕が祓ったのですが、何故か式神として具現化したんです」

 

 何となく並んで歩きながら話す、相変わらず五十嵐さんは空気だな、会話に交ざれないのか交ざらないのか……

 

「なる程な、魂を取り込んで式神化する事は良く有る事だぞ。俺の式神達もそうだ、瑠璃姫よ来い!」

 

 湊川さんの掛け声と共に彼の影から茶色いネ……コか?

 

「主様、お呼びですか?」

 

 妙齢の様な猫顔の女性が現れた、身長150㎝位の浴衣姿の女性だが茶髪ロングなのに顔は毛むくじゃらの猫だ。

 

「何を固まってるんだ?」

 

「ねねねね、猫だよな?猫人間だよな?」

 

 後ろ姿は完全に女性だが良く見れば手足も毛むくじゃらで人の掌と同じだが肉球が有る、だが無理に直立してる不自然さは無い。

 

「彼女は瑠璃姫、種類はアビシニアンの長毛種でイギリス生まれの日本育ちだぞ。人懐っこくて活発、だけど人見知りしやすく神経質な子だが筋肉質で鳴き声が鈴を転がした様に綺麗なんだ」

 

 何かウチの子自慢を始めた……化け猫は日本でも有名な妖怪だが、まさかの洋物しかもイギリス生まれとはな。

 物凄い自慢気に語りだす湊川さんの目には暗い光が見える、まかさとは思うが獣大好きの変態男じゃないだろうな?

 

「あの、東海林さん……彼は、その……」

 

 僕の困惑を読み取ったのか東海林さんは安心させる様に微笑んだ。

 

「彼は大丈夫です、所謂ムツゴロウさん的な動物大好き人間ですから。因みに年下の若い奥さんを大切にしている愛妻家で恐妻家でもあります」

 

 ムツゴロウ?ああ、畑さんの事か……

 あの人も多才だよな、麻雀は日本プロ麻雀連盟で九段、囲碁はアマチュアで五段、小説も書くし絵も描いて個展も開いてるらしい。今は何をしてるんだろうか?

 

「伝説級の動物好きな人と同等って事ですね、どちらにしても凄い人なのは理解しました」

 

 赤目と灰髪が僕の背中に飛び乗り顔だけ出して様子を伺う事を考えても、動物的には凄い(危険な)人物だと分かった。

 この子達(胡蝶・悪食・赤目に灰髪)は全員女の子だから不必要に彼に近付かせない様にしなければ……

 

「そんなに警戒しなくても僕は僕の式神が可愛いから浮気はしない、なぁ瑠璃姫?」

 

「はい、主様は私達を大切に扱ってくれます」

 

 嬉しそうな猫人間の声を聞けば大切にされているのは分かる、彼女にとっては良い主なのだろう。だが私達となると他にも式神が居るんだな。

 

「君が湊川さんの式神の中で最高位かい?」

 

 No.5の扉を通過したから僕の割り当てられたNo.12の部屋に行くのだろう、相変わらず五十嵐さんは空気だな、どうした自動書記による未来予知は?

 

「何故だい?瑠璃姫の攻撃力は高くないぞ」

 

「人語を理解する子は多いが喋れる子は少ない、亀ちゃんですら会話は出来ないじゃないですか」

 

 何も戦闘力だけが優劣を決める決定的な事じゃない、知力も大切だ。瑠璃姫は会話が出来る、つまり人語を理解し返答する知性が有る。

 

「そうだな、僕が一番信頼してるのが瑠璃姫だ。

榎本さんは見掛けの筋肉に騙されたら危険って言うのは本当だな、油断がならないぜ。あと結構酷い噂も流れてたが実際に会うと違うんだな」

 

 ハッハッハ、とか笑うのは良いが何故、瑠璃姫の腰を抱いているんだ?瑠璃姫も猫顔なのに妙に色っぽく嬉しそうに感じるのは気のせいか?

 だが亀宮一族に広まった僕の悪い噂は中々消えないみたいだな……

 

 丁度No.12と書かれた扉の前に着いた、中から人の気配がするが多分亀宮さんだろう。

 

「やはりか……おはよう、亀宮さん」

 

 扉を開けるとソファーに亀宮さんが座り後ろには滝沢さんが立っている。

 

「おはようございます、榎本さん」

 

「おはよう、榎本さん」

 

 笑顔の亀宮さんと苦笑の滝沢さん、多分だが僕の驚きから納得の顔の変化が面白かったのだろう。

 亀宮本家の主人は亀宮さんだから何処に居ても構わないのだが、連絡を入れても迎えに出て来なかったから多分部屋に居ると思ってた。

 

「こっ、これはこれは亀宮様、どうされました?」

 

 あれ?妙に慌てているけど、湊川さんって亀宮さんの事が苦手だったりするのかな?

 

「おはよう、湊川。それと瑠璃姫も久し振りね……触って良いかしら?」

 

 ああ、可愛いモノが大好きな亀宮さんにとっては瑠璃姫も可愛い部類なんだな、彼女の目も妖しくなっているし……

 

「もっ、勿論です。御当主様に可愛がって頂けるなんて、幸せですニャ」

 

 語尾にニャって付いたぞ、相当動揺してるな。

 亀宮さんは瑠璃姫の肉球を両手で楽しそうに揉んでいるが瑠璃姫は困惑気味だ、主の主である亀宮さんには逆らえないだろうし。

 亀宮さんが肉球から尻尾を触り始めた、ゾワゾワしてるのを耐える瑠璃姫が可哀相になってきたぞ。

 

「亀宮さん、その辺で止めて上げてくれるかな?そろそろ湊川さんの話を聞きたいんだ」

 

 やんわりと止めてくれる様に頼む、流石に猫の尻尾を逆立てて撫でるのは嫌がると思うぞ。

 

「そうですか?それは残念ですが仕方ないですね。瑠璃姫、また今度触らせて下さい」

 

「はっ、はい!」

 

 スルリと亀宮さんの腕から抜け出し湊川さんの背中に隠れた瑠璃姫を見て、やっぱり猫の式神なんだなと思う。

 確か御手洗は女性の妖怪に憧れていたが彼女は対象外なのだろうか?

 

 恋愛対象として瑠璃姫を見るならば、付き合い方を考えねば駄目だと思うな。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 漸く式神講座が始まった、講師は湊川さんで生徒は僕で、その他が沢山……

 僕に赤目と灰髪、五十嵐さんに東海林さん、湊川さんと瑠璃姫、亀宮さんと亀ちゃんと滝沢さん、狭くもない部屋が狭く感じる人工密集度だな。

 

「先ずは一番気になっている事から解決しましょう。式神達の維持、毎回式神札で喚び出す無個性な子達と違い明らかに自我を持った式神の維持には核となる物が必要になります」

 

 核、霊力を含んだ術具や宝石、それらに準ずる物だな。

 

「核ですか、霊力を込めた水晶なら幾つか有ります。後は術具でしょうか?」

 

 水晶は自前で作れるが術具は犬飼一族から手に入れた扇子位しかないぞ、勾玉は掌に埋めてしまったし艶髪の玉は調べてないから危なくて使えない。

 

「水晶?良いですね、今持ってますか?」

 

 用意していた水晶をポケットから取り出す、何時もは高野さんに譲るのだが今回は自前で使う。

 

「ほぅ……中々の水晶ですね、漲る霊力も強い。これなら使えるでしょう。しかし、これ程の水晶を何処で手に入れたのです?」

 

 掌で水晶を確かめる様に転がしている、高野さんにも言われたが胡蝶の霊力は特殊なので強い力を秘めているからな。

 霊具としても高性能だし入手先が気になるのだろう。

 

「風水師のマダム道子と知り合えまして、定期的に購入しています」

 

 正確にはマダム道子から購入した水晶に胡蝶が霊力を込めた物なのだが、全てを正直に言う必要は……今は無いな。

 

「おお、マダム道子の!あの同業者を嫌う変人から定期購入出来るとは驚いたな」

 

 結構有名なんだな、マダム道子の同業者嫌いは……でも実際は欲に捉われた連中が店に辿り着けない陣を構築してるだけなんだ、胡蝶には効かないけど。

 

 問題となる核は用意出来た、後は手順を教えて貰うだけだ。



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第249話

 赤目と灰髪の維持の為に東海林さんの配下である湊川さんに教えを請うた。

 核となる水晶は用意出来たので、後は術を教わり実行するだけだ……観客は多いが。

 

 しかし五十嵐さんには借りと言うか恩が増える一方で怖い、何とか返しているがガチガチに固められない内に対等に戻しておかないとキツい。

 これが彼女の特殊霊能力である自動書記による未来予知だったら大した策士だが、向かい側に座り困惑気味な彼女を見ると周りの配下達が上手く動いて本人は何もしないのに事態が進んで困ってる様にしか見えない。

 流石は700年の歴史を誇る亀宮一族の有力氏族って事だ、配下にも有能な連中が多い。

 僕みたいに胡蝶によるドーピングで戦闘力が高くなっただけとは違う他の強さが有るんだよな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 僕に割り当てられた部屋から祭壇の間に移動した、式神固定の秘術は本来は陽香家に属す者達にしか使わせないのだが、今回は特別だそうだ。

 

 特別……また恩が重なるのか。

 

 東海林さん自らが床に霊力を込めた薄墨で陣を描いていく、湊川さんは赤目と灰髪に御札を貼り水晶を額に当てて何やら呪文を唱えている。

 僕は見てるだけだが胡蝶さんが真剣に術式の内容を観察している。

 

『ふむ、陣の構成は何となく分かる、似たような陣を見た事が有るからな。

赤目達に施している術は核となる水晶との親和性を高めているのだろう。これは一度見た程度では真似出来ぬな、流石は陰陽道の名家の秘術だけ有るぞ』

 

『やはり現代で非常識過ぎる式神を操れる一族の事だけは有るって事か……確かに僕でさえ強力だと思う赤目や灰髪を中級クラスと言ったんだ、この子達より強力な式神も居るんだな』

 

 あの瑠璃姫だって戦闘力は赤目達と同じ位だが会話が出来る事が凄い、意志の疎通が早いのは圧倒的なアドバンテージだ。

 僕は赤目達に命令は出来るが彼等の気持ちを理解するのは全ては無理で時間も掛かる。瑠璃姫は自分の考えを湊川さんに提案したり相談したり出来るんだ。

 

「準備が整いました、その子達を陣の中心へ……では始めます」

 

 東海林さんが祝詞を唱え始めた途端に床に描いた文字から光が溢れ出す。

 光はそのまま霊力となり赤目達に纏わり付いていくが、痛み等な無いみたいで神妙な顔をしているな……

 五分位過ぎた辺りで変化が起こる、周りに集まっていた霊力が赤目達に吸い込まれていく、正確にはあの子達の額に置かれた水晶に向かってだ。

 

「「ワォーン!」」

 

 二匹が一声吠えると一瞬だけ輝きが増して、その後徐々に消えて行った……

 

「ふぅ、成功ですね。しかしこれは……」

 

 眩しさにチカチカしている目を擦り視力を戻してから赤目と灰髪を見ると……

 

「お前達、何て言うか……こっコラ、駄目だって、舐めるな、落ち着けって!」

 

 大型犬ほどの大きさだったのに最初の中型犬程の大きさに縮んだ、見た目は普通なのだが存在感が有るな、いや目が知性的なのか?

 

 元々雑種だが真っ白な体毛に赤い目がより輝いている赤目。甲斐犬らしいが全体的に毛並みが灰色で黒のメッシュが入っている、瞳は真っ黒だ。

 じゃれ付く二匹にラインを通じて大人しくさせるが撫でる毛並みは、やはり油脂等は無くサラサラだ。

 

「「わふ!」」

 

「ん?何だ、未だ何か有るのか?」

 

 僕の問いに真後ろに飛び去るとクルリと一回転して着地する、四肢で大地を確りと力強く踏ん張る……

 

「お前達、更に大きくなってるじゃないか!」

 

 術の前は大型犬サイズだったのに、変化したのかライオンサイズになっているし牙も爪もより鋭い、そして額には水晶が浮き上がった。

 

「「がぅ!」」

 

「それがお前達の戦闘体型か、確かに日常を共に暮らすには変化は有効だな」

 

 流石にライオンサイズでは二匹同時にワシワシするのは大変だ、気持ち体毛も太く固くなってるし筋肉の付き方も凄い。だが急所の位置に弱点っぽい水晶が剥き出しはどうだろうか?

 身体を寄せてくると胡蝶でドーピングしている僕でも踏ん張らないと押し倒されそうだ、この子達は相当力が有るぞ。

 

「お前達、爪が僕の親指くらい有るな、牙も長いしより攻撃的なのに可愛いのは何故だ?」

 

「「わふ?」」

 

 良かった、瑠璃姫みたいに人化したら大変な事になってた、犬形状で進化して本当に良かった。

 

「感動の最中に悪いが続きを説明するから落ち着けな?」

 

「ああ、済まない。興奮してしまったって亀宮さん、程々に……」

 

 

 赤目と灰髪にダイブした亀宮さんがモフモフ祭りを始めたが、彼女は本当に可愛いモノが大好きだよな。

 ラインを通じて彼女が落ち着く迄無抵抗で相手をする様にお願いする、基本的には無害で優しい人だから大丈夫だろう。

 具現化した亀ちゃんも見張っているから安心だ……と思う。

 

「あの子達は亀宮様に任せて残りの説明をするぞ」

 

 瑠璃姫を背中に張り付けた湊川さんが声を掛けてきたが、現当主の痴態についてはノーコメントか?

 それから式神の維持や治癒について色々と教えて貰った、まだまだ学ぶ事は多そうだな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 湊川さんから教えて貰った事、先ずは式神達を自分の影に収納する方法、次は式神達の回復方法。

 一番必要としている事を教えて貰えたので後は時間を掛けて学んで行けば大丈夫だ、普通は式神を召喚出来る前に覚えて行く事だが僕の手順は逆だな。

 

 式神を影に収納する方法は経験済みだから問題無かったし式神の回復は額の水晶に霊力を注ぎ込めば良い、大切なのは東海林さんと湊川さんが行った式神の安定化の術式の方だ。

 各流派の秘術を行って貰った事で対外的には僕も陰陽道陽香家の関係者になった訳で、もう他の流派には弟子入り出来ないそうだ。

 亀宮さんの魔の手から逃げ出した赤目達は僕の影に潜り込んだ、暫らくは喚んでも来ないだろう。

 そして僕は恩を返す為に早速古文書の解読をする事にして書庫へと招かれた。

 

 相変わらず高級で座るのを躊躇する様なマホガニー製のデスク、機能より芸術性を優先したアンティークのデスクスタンド、椅子はフカフカで自分の場違い感をヒシヒシと思い知る。

 抽き出しからマスクと手袋を取り出して装着する頃に東海林さんが鍵付の桐箱から巻物を取り出した。

 

「これです」

 

「如何にも古そうな巻物ですね、特に何かが憑いている訳でもないか……」

 

 紙の変質具合や質感、手の込んだ表装、どれを取っても博物館級の品って事しか僕には判断出来ない。

 

『胡蝶さん、分かる?』

 

『ん、大丈夫だな。巻物を開いてみろ』

 

 丁寧に紐を解く、机の左端に文鎮を置くのは万が一巻物が広がっても机から落ちない為の配慮だ。昔の文机の両端が反り上がっているのも巻物が落ちない為の措置らしい。

 

『相変わらずミミズがのた打ち回った様な……全く読めない』

 

『落ち着け、正明も少しは古文の勉強をするんだな。何々……』

 

 その後、胡蝶が読み上げる通りに復唱すると東海林さんがノートに書き留める、途中何度か休憩を挟み二時間程で書き写せた。

 今度はコレを現代語に訳し、言い回しや単語等の分からない部分を更に胡蝶さんに聞いて解読していく。

 読み上げただけでは意味が分からないのが古文の難しい所らしい、殆ど暗号の解読に近いと思うな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ありがとうございます、まさか半日で巻物一本が解読出来るとは思ってませんでした!」

 

「違和感が凄かったが本当に辞書とか参考資料とか無くて知識だけで読めるんだな、驚いたよ」

 

 ええ、700年前に生きていた胡蝶にとっては日常でしたから……とは言えず曖昧な笑みを浮かべる。

 書庫で騒ぐ訳にもいかずNo.5の五十嵐さんの部屋に移動し抹茶と芋羊羮(いもようかん)の遇しを受ける、甘味が疲れた頭を癒すな……

 

『正明は我に続いて話していただけだろ?

だが今回の巻物は……御札を書く時に使用する道具類の製造と組合せの効果を記した物だったな、我も覚えたので実践するぞ』

 

『分かったけど筆の制作に必要な原材料から集めるんだぞ、大変だぞ』

 

 古文書には筆についても事細かく書かれていた、柄の竹の産地と育成方法、先端の毛は馬の尻尾だが生まれて三年、繁殖行為をしていない葦毛の牝とか個人で集めて作るには手間が掛かり過ぎる。

 

「作成した道具類は売って貰えると助かります。僕も日々修業の為に御札を量産してますから」

 

 手っ取り早いのは作って貰って、それを買えば良い。

 

「勿論、無料で進呈しますよ。今伝わっている内容よりもより深く細かく書かれていたんで助かります。制作には少し時間が掛かりますが元々自分達で作ってたので大丈夫です」

 

 やはり材料や道具類は自前で作っていたのか……確かに中国製とかの安価な量産品より質の高い国産品、そして呪術の様式に則って作られた品々は更に効果が高いだろう。

 

「あと解読必要な古文書は何冊有りますか?」

 

 東海林さんが天井を見詰めながら考えている、暫くして五十嵐さんに耳打ちをして何かを言われた。もっと時間が掛かると思ったのか次の古文書を決めていなかったのか?

 

「あと一冊、お願い出来ればと思ってます」

 

「一冊か、二日間位予定して置けば良いかな?」

 

 赤目と灰髪の二匹、一匹当たり一冊の解読で手を打ったとみるか……本来なら一冊でもOKだったかな? 彼等も陽香家一門なら誰でもお願い出来る術式で一時間位の拘束と手間だからな、コッチも半日で終わったから判断が微妙だったのだろう。

 欲張れば折角の恩が利益優先の強欲と思われてしまう、その辺のバランスを東海林さんは五十嵐さんに相談した。だが彼女の未来予知は今回の件は働かないのか?

 

「十分だと思います。今日は亀宮様が夕食を共にと用意されてます、暫く時間も掛かりますし風呂でも如何ですか?式神達と一緒に入れますよ」

 

「赤目達と?」

 

 大浴場、式神達と一緒……赤目と灰髪と並んで湯に浸かる、頭の上には黄金に煌めく悪食、膝の上には全裸幼女の胡蝶。

 事故を装い亀宮さん&亀ちゃんが乱入、強制的に太いフラグ建立、既成事実から終焉へ……

 

「ええ、十分に広いので大丈夫ですよ」

 

「折角ですが遠慮させて頂きます。今は四時半か……部屋で休ませて頂きます」

 

 五十嵐さんが驚いた顔をしているのが気になって仕方がない、何か感じたのか?

 

「五十嵐さん、何か?」

 

「えっと、数ある未来からある意味ハッピーエンドを避けたので驚いたのですが……」

 

 やはり未来予知してたか、しかもある意味ハッピーエンドとは亀宮さんエンドで当主の番(つが)いとして権力を得る的な終わり方だろう。

 

「自動書記による未来予知ですか?でも自分の置かれた現状と周りの行動を予測すれば何とかなるもんですよ」

 

「ええ、まぁそんな気もしてました。本当に私の能力が要らないんですね?」

 

 少し拗ねたか?自分のアイデンティティーが脆くも崩れ去る的な事を考えてるとか?

 放置すると面倒臭い事になりそうだな、だけどランダムな未来予知などリクエストも出来ない……いや、彼女の未来予知は特定の人物についても可能と見るべきか?

 

「では僕について未来予知をお願いします。この先、僕は強力な妖(あやかし)と出会う事が出来ますか?出来るなら何時、何処でしょうか?」

 

「それは……榎本さんは妖(あやかし)と戦いたいのですか?

古(いにしえ)の妖魔や妖怪の類は悪霊や怨霊と違い強力なのですが、彼等との出会いを求めるのですか?」

 

 胡蝶の願いを叶える為には強大な力を持つ妖(あやかし)が手っ取り早い、妖魔や妖怪か、厳しい戦いになるが不可能じゃない。

 

「無闇に戦いを挑むつもりは無いのですが、縁が出来てしまったなら対処するしかないですから」

 

 胡蝶と言う存在は好むと好まざると強い存在を引き付ける。対処はするが時期や相手の事が事前に分かる程度でも楽になるんだ。

 

「縁、ですか?分かりました、榎本さん絡みの予知が降りたらお知らせします」

 

 頷く五十嵐さんに軽く微笑んで……引かれた。



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第250話

 横浜山手の洋館ピェール邸、此処の住人で有る美羽音さんから相談を受けたのが発端だった。

 彼女はセントクレア教会に通う信者で、その伝手を使い僕にも声が掛かった。

 アドバイスだけだと言われたが柳の婆さんの企みにより巻き込まれた感じだ。

 

『家の中に知らない男が居て何時の間にか消えてしまう、長男マリオ君の部屋に現れる』

 

 だが美羽音さんの夫であるピェール氏は心霊否定派、洋館に器材を持ち込む事すら許さない最悪の部類の依頼人。

 

 美羽音さんの弟である高梨修も接触してきた、姉の不幸を自身の心霊記事のネタにしようとして……

 僕は洋館が妖しいと睨んだがセントクレア教会の柳の婆さんはピェール氏本人にナニかが取り憑いているか、又はドッペルゲンガーじゃないかと疑った。

 

 確かに性格が急変し別人みたいに振る舞うらしいので、身の危険を感じた美羽音さんはマリオ君と共にセントクレア教会を頼り家を出た……

 僕も悪霊か怨霊が取り憑いている事には賛成だ、だが根本的な原因は洋館の過去に焼失した部屋とその扉に有ると思っている。

 事件は心霊被害だけでは収まらず、ベビーシッターの竹内さんの失踪を皮切りに高梨修の恐喝事件から彼の他殺事件へと続いた。

 

 そして肉親が殺された美羽音さんは隠れている訳にもいかずに実家に姿を現した。

 彼女の身を心配しセントクレア教会が動いた、柳の婆さんが直接ピェール氏の悪魔祓いを強制的に実行したが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

『榎本さん、失敗したわ。あの男には何も取り憑いていなかった、又は一時的に離れたのか分からない。

でも取り憑かれた時の記憶は残る筈なのに慌てたり恐怖したりする素振りも見せなかった。

私は姿を隠しますので鶴子の事を頼みます』

 

 携帯電話の留守電機能に録音されていた柳の婆さんからのメッセージ、あの準備万端迎え撃つのを得意とするエクソシストが自分の陣地に対象を引き込んで負けたとはな……

 着信時間は早朝四時八分、悪魔の力が強くなる深夜に挑んで結果的には何も出来ずにピェール氏を解放したって事か。

 

 留守電を聞いた携帯電話を閉じて枕元に放り投げる、何と無く寝返りを打って携帯電話のLEDが点滅しているのに気付いたのだが……

 

「まさかの失敗か、用意周到な柳の婆さんが自分の陣地に引き込んで負けた。いや負けたと言うよりは見込み違いだったのか?」

 

 両手を頭の後ろに組んで暗い天井を見上げる、周りが起きだす迄には暫く考える時間が有る。

 

『胡蝶さん、ピェール氏に悪霊が取り憑いているって間違いかな?やはりドッペルゲンガーなのかな?』

 

『ドッペルゲンガーが夫婦の営みをするとは聞いた事が無いし同じ人間が重複するのも疑問だな。しかし記憶を残さずに取り憑くとは厄介だな、幾ら説明しても信じないだろう』

 

 胡蝶さんが応えてくれた、確かに心霊否定派だし自分の事ですら信じない可能性は高いな。

 でも少し変なんだ、確かに悪食と視覚共有して見たピェール氏の性格は違っていた。

 仮にも自分しか居ない家にピザの出前やデリヘル呼んで気付かないとか有り得ないだろう。

 

『ならば前提条件が違うのか?』

 

『何を前提条件とする?洋館の怪異は間違いないぞ、焼失した部屋と扉は存在する。後は……』

 

『悪霊の有無だ』

 

 僕の問いに想像もしてなかった返しが来た、思わず腹筋の要領で上半身を布団から起こしてしまった。

 

『悪霊が居ない訳がないだろう、竹内さんの魂を霊界に閉じ込めておける程の力を誰が持っているんだ?』

 

『だが我は主の不在時だが洋館に行ったが、何も気配を感じなかった。

悪食を通して見た時も奴からは力を感じなかった筈だぞ。普通は何かしらの痕跡が残るのにだ……』

 

 言われてみればワインをラッパ飲みしデリヘル嬢を自宅に呼んで夫婦の寝室に連れ込んだ男からは霊能力に関する物は感じ取れなかった。

 隠蔽体質の疑いも有るが、確かに只のチンピラにしか見えなかったな。

 

『だけど性格が豹変しただけの本人ってオチじゃ竹内さんや高梨修の事が説明出来ないよ。

完璧に女性一人の身体を隠して魂も隔離出来るのに、高梨修は刺殺してバレた。

 

『だが家出中の嫁は炙り出された、これが理由なら簡単に人を殺せる手強い殺人鬼だ』

 

『確かに美羽音さんを見付ける為だけに簡単に人を殺せるなら……霊能力者の範疇じゃない、警察の仕事だな』

 

 柳の婆さんも失敗した、奴を拉致ったが悪魔祓いは失敗し解放して自分は雲隠れ、笑えないオチだ。

 もしも奴が危険なら美羽音さんが危ない、状況的に家出をして姿を眩ましていた彼女の方に過失が有る。

 普通は旦那が別人だとか家に人じゃないナニかが出るから息子と家出した、セントクレア教会を頼ったじゃ通じない。

 しかもセントクレア教会の柳の婆さんは拉致監禁の容疑者だ、警察は確実に婆さんを捜し出して捕まえるだろう。

 

 そこまで考えて再び布団に倒れ込む、何度同じ事を考えただろうか?

 毎回結論は同じ、今は美羽音さんの安全を考えなくては駄目なのに状況は全て向こうに有利、果たして焼失した扉を調べて解決するのか?

 

『胡蝶さん、やっぱり分からないよ。扉を調べて仮に塞いだとして悪霊の影響を受けていないピェール氏が元に戻るのかな?』

 

『最初から奴は殺人鬼だったとは考えられないか?我等は奴を直接見てないし深く調べてもいないぞ』

 

 大どんでん返し、実は最初から悪人で僕等は騙されていた……可能性は有る、だが竹内さんの件は?に戻ってしまう。

 ピェール氏と直接対決は既に柳の婆さんが実行し失敗、やはり洋館を調べるしかないのかな?

 

『駄目だ、堂々巡りで解決の糸口すら掴めない』

 

『そうだな、厄介だ……』

 

 初めてだ、胡蝶が積極的に協力してくれても解決出来ないなんて……考え込んでいたら朝日が差し込んできた、もう五時過ぎかな?

 

 枕元に放り投げていた携帯電話を取出しメリッサ様宛てにメールを打ち始める。

 

『柳の婆さんから留守電に連絡を貰った。

知っているかもしれないが例の件は失敗、対象は解放し自分は雲隠れをすると。何か有れば力になるが此方は未だ動かない』

 

 具体的には書かずに相談を受けると書いておく、自分達で対処出来なければ頼って来るだろう。

 後は警察の動きを知りたい、ピェール氏が通報すれば柳の婆さんは拉致監禁の実行犯だ、除霊の為にとかは通用しない。

 携帯電話の画面に映る時刻は五時十八分、あと一時間以上は寝れる計算だ。

 

「八時を過ぎたら亀宮さんと若宮のご隠居に報告だな、特に若宮のご隠居には今後の方針を相談しなければ駄目だ、今回の依頼主はご隠居だからな……」

 

 手を引くか継続か、または……

 

『なんだ、一新教を信奉するシスターに対しては冷たいんだな』

 

 確かに僕は愛染明王を信奉してるけどさ、仲間を助けるのに宗派は関係無いと思うんだ。

 

『まさか!知り合いがむざむざ不幸になるのを黙って見ているつもりは無いよ。美羽音さんと接触出来ればピェール氏が不在の時に洋館に招いて貰う事も出来る、直接乗り込むさ』

 

『全く準備万端、調査に時間を掛けても最後の最後は突撃か?くっくっく……そうだな、駆け出しの頃の正明を思い出す無鉄砲さだぞ』

 

 後の事は何も考えずに突っ込んで行った若い頃か、あの時の複雑な心境は今思い出しても苦くて辛い。

 

 だが蛮勇という勢いは時に色々なプラス要素も多かった、マイナス要素がより多かったけどさ。

 

『昔とは違うよ、全ての不確定な要因を排除して原因を絞り込んだんだ。

後は焼失した扉の謎を調べるしか残された可能性は無い、何も調べず考えずに特攻した昔の餓鬼とは違うさ』

 

 すっかり目が覚めてしまったので布団から起き上がる、先ずはメリッサ様に連絡だ。

 未だ美羽音さんを匿っている筈だから打合せをしておかないと駄目だからな。

 女性に電話するには些か時間が早いとは思うが構わずアドレス帳から検索し通話ボタンを押す、数コールで繋がった。

 

「もしもし?メリッサ様?」

 

『何ですか、朝も早くから……その、今私に連絡は……』

 

 警察沙汰になってるから不用意な通話は控えろって配慮だろう、メリッサ様に何時もの快活さが無いし……

 

「美羽音さんに伝えてくれ、山手の洋館に戻るならピェール氏が居ない時に呼んでくれと。僕が直接出向く、悪いが拒否権は無い」

 

『榎本さん、それは……』

 

「拒否権は無いって言ったよ、じゃ大変だけど頑張ってね!」

 

 よし、伝手を使い洋館へ招かれる布石は打った、後は美羽音さんの頑張り次第だ。

 身の危険を感じて実家に籠もるも改めて家出するもよし、異変と真っ向から向き合い洋館に戻るなら手を貸すつもりだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 それから二日後、待っていた美羽音さんから連絡が来た。

 かなり長いメールだがメリッサ様から事務所のパソコンに転送されてきた、僕のメアドは教えても良いって言ったのだが美羽音さんが自分のメアドを知られたくなかったのか?

 出勤して直ぐに調べたのだが受信は深夜一時四十七分、随分と遅い時間だ。

 

 

『榎本様、姉弟共々距離を置かれていたので手を差し伸べてくれるとは思っていませんでした。

我が身可愛さに頼ってしまったセントクレア教会の方々には多大な迷惑を掛けてしまい、心苦しくなっていましたので本当に感謝しています。

お礼については出来る限りの事はさせて頂きます。

シスター・メリッサより話は伺ってますが主人が不在の日ですが、明後日の夜は人と会う約束が有るそうで帰りは遅いそうです。

昼間は家に居て私を常に監視しています』

 

 

 本文をそのまま転送してくれた、その後にメリッサ様からの追加説明文も送られて来た。

 だがメリッサ様が受け取った時間は一時三十分、メールを転送すると本文と共に送信者一覧や受信時間等も分かるのだが美羽音さんと思われるアドレスはパソコンから送られている。

 あの洋館にはパソコンは無かった筈だが……

 

 驚いた事にピェール氏は柳の婆さんの件を警察には訴えてないそうだ。

 美羽音さんが帰る事を条件に不問にすると連絡して来たので、本人と相談し山手の洋館まで送り届けたそうだ。

 高梨修の葬儀については検死や遺体解剖などの手続きをしていて葬儀の日程は未定だが両親は急いで執り行いたいそうだ。

 

「そうだ、ばかりだがセントクレア教会としては飲まざるをえない条件だな。

只でさえ警察に睨まれていたのに拉致監禁じゃ社会的に抹殺される、もう教会と保育園の看板は下ろさなければならない」

 

「ふむ、いよいよ直接対決だな!」

 

「「わん!」」

 

 何時もの巫女服姿で来客用ソファーで寛ぐ胡蝶さんと、その両脇に寝そべる赤目と灰髪。

 一応このマンションはペット可だが内緒にしている、この子達は普通の犬じゃないから興味を持たれるのは不味い。

 

「いや、少し調べるよ。このメールは怪しい、パソコンから送られているのに洋館にはパソコンは無かった。

美羽音さんは洋館でピェール氏に監視されている筈なのに深夜にパソコンでメールのやり取り?

それに彼女はシスター・メリッサ等と呼ばなかった、メリッサ様と呼んでいた。罠……だと思う」

 

 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべる胡蝶さん、凄く楽しそうだな。

 

「なる程な、夜にゴーストハウスに呼び込むとなると準備万端で待ち構えている訳だな。奴は一神教の連中は誤魔化せたし弱みも握った、だが洋館が怪しいと睨んでる我等は厄介な存在だ」

 

 そう、もうセントクレア教会はピェール氏に手出しは出来ない。胡蝶の言う通り、後は僕等を何とかすれば安心だと思っているだろう。

 だから処理する為に準備を整えて明後日の夜に呼び寄せるんだ。

 

「馬鹿正直に明後日の夜になんて行かないよ、直ぐに行動だ!先ずは洋館に悪食を忍び込ませて様子を確認しよう、今迄は後手に回ったが……」

 

「ふむ、最後の対決は先手を打つ訳だな」

 

 黙って頷くと奴等を誤魔化す為に了承の旨の返信メールを作成する。明後日の何時に伺えば良いのかを……



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第251話

 山手の洋館の怪奇現象、いよいよ解決へと急展開を迎えている。

 セントクレア教会のメリッサ様経由で美羽音さんから連絡が有り、明後日の夜にならピェール氏は不在で洋館を調べられると連絡が来た。

 漸く問題の洋館に直接出向いて対処出来る……

 

 だが、それは罠である事が濃厚だった。

 パソコンの無いピェール邸、昼間も夜もピェール氏に監視されている美羽音さんがメールを送信出来るのか?

 しかも文面も怪しい、シスター・メリッサと書いてあったが彼女はメリッサ様と呼んでいた。

 深夜にゴーストハウスに呼び出し、怪しいと思わない方がおかしいだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 先ずは情報を集める為に悪食をピェール邸に侵入させなくてはならない、前回と同様に近くの側溝から排水管経由で建物内に侵入させる。

 思い立ったが吉日と直ぐに行動開始、横須賀中央に有る事務所に顔を出してメールと留守電をチェックして重要な用件が無いのを確認、昼間の予定も無いので自由に動ける。

 事務所を十時前に出て京急横須賀中央駅から快速特急に乗り横浜駅へ、JRに乗り換えて石川町駅で降りる。

 十一時前には到着したが既に観光客が凄い、学生からお年寄りまで男女共に沢山居るのに僕は浮いているな……

 気分を切り替え駅に有った周辺地図を頼りにレンタカー屋を探す。

 

 監視のキモは悪食、コイツとは視覚共有が出来るので頼りになる式神だ!

 

『前回と同様に車を使うよ、近くのパーキングに停めて徒歩で近くまで行く』

 

『そうだな、我も行くぞ。焼失したドアは無理でも近くで奴を確認したい』

 

 今回はレンタカーを借りる、問題が有りそうだが自分の車を使っても調べれば僕まで辿り着いてしまう、ならば桜岡さんや結衣ちゃんが怪しまない様に自宅の車は使わない、タクシーだと視覚共有する時に困るから……

 だが駅周辺にはレンタカー屋は無く、少し離れた場所に有った日本レンタカーで日産マーチを借りた。

 このマーチ、5ナンバーだが割と小型で燃費も良く運転席も広い……その分後ろは狭いが同乗者は居ないから関係無い。

 しかもナビ付きだから交通量が多い横浜中心地区でも安心だ。

 

「では出発、先ずは近くまで行って悪食を降ろすよ」

 

「ふふふ、未だ準備も出来てないのに悪食の監視により丸裸になるな」

 

 ちゃっかり助手席に具現化した胡蝶さんが座っていて悪い笑みを浮かべている。

 

「そうだね、速攻片付けよう。もう後手に回るのは嫌だから……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ナビに従い山手地区を走る、観光客も多く他県ナンバーもチラホラ見掛ける。

 比較的人通りの少ない裏道に車を停める、悪食は僕の影の中に居る為に僕自身が近付かないと駄目だから……

 

 ピェール邸まで500m離れた場所に車を路駐し観光客を装い歩いて近付く、少し浮いているが良く見れば男一人の観光客も……居なくはないな。

 カメラを首から提げてブラブラしながら時折洋館の外観写真を撮りまくっている連中が結構居る。

 最近古い建物が見直されていると聞くが、あの連中の事だろうか?

 

 彼等とは違い、なるべく目立たず不審に思われない程度に普通に歩く事を心掛けて移動し目的の側溝の脇で立ち止まる。

 携帯電話を確認する振りをしながら足元の影から悪食を出してピェール邸に向かわせる、後は車に戻って監視だな。

 

 スルリと影から黄金虫が飛び出した時は思わず周りを見回してしまったが、誰も此方を気にしていないな。

 カサカサと素早く側溝内を走り去っていく悪食を確認してから路駐している車へと向かう、駐車違反で捕まってなければ良いが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 15分程で戻れたので駐車違反の切符は貼られていなかった、一安心だ。

 直ぐに車を走らせて前回了解した公園の駐車場まで移動する、此処までは順調だな。

 信号に捕まり目的地まで中々進めないが焦りは禁物、此処で事故でも起こせば全てが終わるから慎重に運転する。

 

「正明、いよいよだな、ワクワクするな!」

 

「はいはい、いきなり実体化すると驚くだろ。だが悪食で確認して行けるなら迷わず攻めよう」

 

 何時の間にか助手席で胡坐をかいて座る巫女服姿の美幼女は目立つんですけど……

 

「誰も居なければ侵入、美羽音さんが居れば訪問、ピェール氏だけなら……」

 

「我だけで侵入して調べるぞ、正明が見つかると問題だしな」

 

 胡蝶の言う通りだ、僕等は焼失したドアを調べたいのでピェール氏が居なければ僕も行くが居たら……

 家には入れてくれないだろう、直ぐに警察に通報されそうだ。

 

「その時は胡蝶さんに任せるよ、連絡が取れないのが辛いんだよな……胡蝶用のスマホ買おうかな」

 

「我は要らぬ、文明の利器など使う妖(あやかし)など妖では無いぞ!」

 

 ああ、拘りが有るのかな?確かに携帯ゲームや携帯電話を扱う胡蝶さんの姿は想像出来ないな。

 彼女は流動化もするから持たせたら能力を制限する事になるし毎回無くされても困る、そこから身元がバレる、携帯電話など個人情報が詰まってるからね。

 本人もそうだがアドレス帳に登録している名前から本人を取り巻く人間関係まで分かってしまう。

 

「便利なんだけどね、仕方ないか……」

 

「長生きして嬉しかった人間の発明など酒と食い物だけだぞ、贄となる連中の質も悪いし昔の方が良かったな」

 

 昔は良かった発言は年寄りの定番だが美幼女姿の胡蝶さんが言うと違和感が半端無いぞ。

 

「漸く駐車場に到着したが、空きスペースは一台だけか……」

 

 業務用ライトバンにラック、タクシーと盛り沢山だが特に僕等に興味は無さそうだ。各々が食事をしたり仮眠をしたりしている。

 空きスペースはトラックとタクシーの間で狭かったがバックナビが付いていたので問題無く駐車出来た。

 

 胡蝶さんは目立つので身体の中に戻って貰った、巫女服姿の美幼女は目立って仕方ないから。

 車を降りて身体を解す為にラジオ体操を実施、大分肩凝りが治まった。

 自販機でコカ・コーラとエメマンを購入、運転席に戻りエメマンを一気飲みして眠気を覚ます。

 

「さて、やりますか!」

 

 座席を倒し如何にも仮眠してる風を装い身体を伸ばす、楽な体勢にしてから悪食とのラインを繋げる……

 目を閉じて真っ暗な視界が段々と明るくなりボヤけた景色が見え始め、更に暫くするとクリアになった。

 

「よし、成功だな」

 

『ふむ、大分ラインを繋げるのが早くなったな』

 

 脳内会話で胡蝶さんからお褒めの言葉を貰った、確かに悪食とのラインを繋げる事が早くなっていると自分でも思う。

 覗きの技術に磨きが掛かってるみたいで少し嫌だが有効だから仕方ない。

 

『ありがとう。さて……此処はキッチンだね、悪食の好きな場所だな。特に周りに人は居ないが、大分汚れているぞ』

 

 テーブルの上やシンクの中には汚れた食器が山盛り、隅には透明なビニールに分別もしてないゴミが無造作に突っ込まれている。

 床も何だか汚いし、僅か一週間位で更に汚れているのは何故だ?

 汚れた食器も元は高級なのは見た目でも分かる、アレだけアンティークに拘り洋館を大切にしていたピェール氏の仕業とは思えないな。

 

『悪食の眷属が大量発生してるね、整列させて指導してるよね?』

 

 目の前には整列した悪食の眷属達が……百匹以上居るな、周辺からも集まったのか?

 チャバネにヤマト、大きさもマチマチな眷属が悪食を注目している、つまり悪食と視界を共有している僕を見詰めているのは壮観だ、寒気すら覚えるな。

 

『悪食、眷属達を隠れさせろ。だが戦力にはなるから出来るだけ集めてくれ』

 

 悪食と眷属達は蔵を丸ごと食い尽くす力を持っているんだ、最悪は洋館を食わせるのも悪くないか……

 悪食の号令(触覚を動かす)により散っていく眷属を眺めて、僕も凄い奴を式神にしたなと染々思う。

 

『もういっそ悪食に洋館全て食わせるか?』

 

『確実に他人に見られるから直ぐに僕まで辿り着くだろうな……嫌だぞ、黒い蟲使いとか噂になるのは社会的に死ねる』

 

 あの洋館の霊能力関係者は洗い浚い調べられるだろう、候補に上がっただけでも大変だぞ。

 

『蟲使いか……昔は居たぞ、厄介な連中だったな。地虫で地震を起こしたりバッタを大量に召喚し文字通り何もかも食い尽くすとかな、流石の我も手を焼いた』

 

 現代の蟲使いなんて比較にすらなんない環境破壊な連中が居たんだな、今なんて精々が毒のある蜂や蜘蛛、蠍や百足を大量に操って人を襲う位なのに都市を襲える連中なんて……

 

『胡蝶の生きていた時代って凄いな、凄過ぎるよ。そんな連中と敵対……ああ、一子絡みはそんな連中か……』

 

『そうだ生き残りが二人食えば我等でも苦労する、前より我も力を付けたが三人食ったら勝てるか分からん』

 

 そうだった、ピェール氏の件を手早く済ませて手を打たないと駄目だな。

 今回の件で後手に回る事が状況を辛くするのは良く理解した、どの道一子様との関わりは公になっている……

 

『そうだな、加茂宮の残りも絡んでくるのは間違い無いぞ。我等の為にも奴は、奴等は食わねばならぬ』

 

 話が脱線したが悪食との視界共有に精神を集中する、乱雑に汚れたキッチンを出て応接室へと向かう。

 此方も酷い事になっている、ソファーの上には衣服が脱ぎ散らかしてあるしテーブルの上も汚れ放題だ。床も酷いな、台風が通り過ぎたみたいだ……

 

『酷い有様だな、一階には誰も居ないようだ。問題の二階に行ってみるか』

 

『人の気配がせぬな、本当に美羽音とやらは戻ったのか?』

 

 確かに彼女が居るのに家の荒れようはおかしい、やはり罠だったか……ならば彼女は何処かに囚われているのか?

 

『二階に行ってみよう、彼女が囚われているかもしれない(または既に)』

 

 覚悟を決めて悪食を二階に移動させる、ゆっくりと階段を上らせると問題の焼失したドアが見えたが今は此処は後回しだ。

 残りの部屋を確認する為に先へ進む、階段を中心に右側に二部屋、左側手前に一部屋、奥に焼失した部屋。

 先ずは左側手前の部屋の中に悪食を進める、ドアノブに飛び付いて掴まり捻る様にして開ける、本当に器用だ。

 

『此処は客間かな、掃除はされてないが散らかってもいない』

 

 古風なデザインのデスクにチェアー、ベッドにクローゼットしかないシンプルで殺風景な部屋だ。

 薄らと埃が積もってるしカーテンも閉めっぱなしの為か湿っぽい感じだな。

 

『此処は何もないな』

 

『そうだね、次は寝室だな』

 

 右側の二部屋の内、手前は夫婦の寝室になっていた筈だ。

 悪食に指示をだして右側手前の部屋に侵入させる、慎重にドアノブを回し僅かな隙間を開けて中を覗き込む。

 カーテンが閉まっている為に薄暗いが此処も散らかり放題だな、ベッドのシーツもグシャグシャで何日も交換してないと思う。

 

『軟禁されてるなら寝室だと思ったけど誰も居ない』

 

『正明、ノートパソコンが有るぞ。それに電話も有るな』

 

 む、確かにガウンで半分程隠れていたがノートパソコンが無造作にベッドの上に置かれている。無線LANかな?

 電話機も置かれているがジャックが抜かれていては通話出来ないだろう、出来ればパソコンの送信履歴を調べたいが流石に悪食には無理だ。

 いや、悪食がパソコンとか操作出来たら怖いだろ?

 

『此処にも誰も居ない、後一部屋しか残ってないぞ』

 

 大切にしていた洋館が随時と汚なくなったものだな。最後の部屋へと悪食を移動させる、少し目に疲労が溜まって来たな。

 

『此処は物置扱いだったみたいだな……』

 

 壁際にはクローゼットが二つ、他には大小の段ボールが沢山積まれている。試しに一つ段ボールを開ければ衣類が畳まれて入っていた。

 

『今、洋館には誰も居ない。居る筈の美羽音さんも居ない』

 

『ならば侵入してドアを調べるぞ』

 

 悪食との視界共有を切る、少し目の奥が痛いが我慢出来る程度だ。

 レンタカーは有料駐車場に停めてタクシーで近くまで行く事にする、今回は調査で時間が掛かるから駐禁取締りが心配だから……



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第252話

 いよいよ直接ピェール邸に乗り込む。

 幸い?今は誰も居ないので焼失した部屋のドアを調べる事が出来るが、端から見れば不法侵入で犯罪だ。 美羽音さんが居れば問題は無かったが居る筈の彼女が居ない、これは最悪の事態も考えなくては駄目かもしれない……

 

 レンタカーを有料駐車場に停めてタクシーを拾い近く迄移動する、目的地より100m手前で降りる。

 観光客を装いピェール邸に近付きながら観察する、家の前に車も停まってなければカーテンも閉められたままだ。

 

『胡蝶、先に流動化して鍵を開けてくれないか?玄関の前で立ち尽くすのは不味い』

 

『分かった、事前に悪食に開けさせて置けば良かったな』

 

 その通りなのだが、流石の悪食もドアチェーンは外せないと思うんだ。

 目的地の10m手前で胡蝶が僕の足元から出ていった、別に左手首の蝶形のアザからしか出入りしない訳じゃないのを最近知った。

 モノトーンの水溜まりみたいなモノが素早く地面を走ると玄関ドアの隙間から家の中にと入っていく。

 僕はそのまま歩いて玄関に行くとドアを開けて中に入る、因みに皮手袋をして指紋を付けない様に気を付けている。

 

「随分と荒んだな……」

 

「ああ、だが気配が何もないぞ。霊も人もだ」

 

 既に胡蝶は巫女服姿の美幼女だ、薄暗い中で彼女は妙に浮き上がっている。

 確かに僕にも何の気配も感じない、僅かに食べ物の腐った匂いがする位だ……

 

「直ぐに扉を調べよう、ピェール氏が帰って来たら不味い」

 

 念の為に玄関ドアの鍵を閉める、もし帰って来たら窓から飛び出して逃げるか?

 周囲に気を配りながら二階へと続く階段を上がる、直ぐに悪食が僕の頭に飛び乗って来た。

 

「悪食、ご苦労様。玄関から誰かが入って来たら眷属数匹で撹乱してくれ。お前の眷属を見れば慌てるだろう」

 

 そして僕等も直ぐに分かるから逃げる時間も稼げる。二階に上がり左側の奥の壁を調べる、たしかこの辺にドアが見えたのだが……

 触ったり叩いたり壁紙を少し剥がしたりして調べるが何も無いし何も感じない。

 

「何故だ?全く分からない、実際に見てなければ本当にドアが有ったのかと疑ってしまうな」

 

「いっそ壁を壊してみるか?」

 

 壁を壊す?ふむ、壁の中に秘密が有るかも知れないが……僕が悪食の目を通していた時にドアが見えた、そうだ見えたんだ。

 

「悪食、視界を共有するぞ」

 

 頭の上に鎮座する悪食とラインを繋ぎ視界を共有する……

 

「見えた、やはり何かを通してしかこのドアを見る事は出来ないんだ。何かを通して?そうか、ピェール氏がハンディカムを持ち歩いていたのは?」

 

 一旦悪食との視界共有を切り携帯電話を取出し撮影モードに切り替える。

 

「やはり予想通りだ、このドアは直接見れないんだ。何かを通して初めて見る事が出来る」

 

 携帯電話の画面には有る筈のないドアが見えている、画面を見ながら手を差し出すと固い真鍮のドアノブに触れた。

 

「触れた、胡蝶さん開けるから警戒して」

 

 僕の肩越しに画面を見ていた胡蝶に声を掛けて注意を促す。

 

「うむ、分かった。正明、赤目と灰髪も出せ。総力戦だ!」

 

「分かった。赤目、灰髪、おいで」

 

 僕の影から二匹の式神犬が飛び出して来た、最初から大型の戦闘モードだ。

 

「「がぅ!」」

 

「よしよし、もし誰か居ても問答無用で攻撃するなよ。先ずは無力化するか命令を待て」

 

「「わん!」」

 

 この子達にとって主である僕以外の人間については基本的に無関心だ、主に仕える式神だから当然なのだが敵と認識すると危害を加える事に躊躇しない。

 普通は命令通りしか動かないのだが、この子達は自我が芽生えているので独自の判断も出来る。

 時には敵を無傷で捕える臨機応変さも必要なので追々学ばせるつもりだ。

 

 部屋の中に集中しながらドアノブを回す、鍵は掛かっていない。ゆっくりとドアを開けば焼失した筈の部屋が存在した……

 

「悪食、眷属を中に入れて様子を探ってくれ」

 

 頭の上に鎮座している悪食に頼むと何処からともなく大量の黒い奴等が現れ部屋の中に傾れ込んで行った……

 頭に巨大黄金虫(油虫)を乗せて足元から大量の黒い眷属(チャバネとヤマト)を湧きださせる僕ってかなりヤバいよな。

 

「罠は無さそうだな、行くぞ」

 

 男らしい台詞と態度の胡蝶さんの後ろに着いて室内に入る、焼失した部屋が存在するってどんな力か働いているのか?

 間違いなく超常現象だよな……

 

「他の部屋と感じが違う、焼失前の内装だからか?つまり昭和五十二年の……それにしては落ちていた新聞が今週の日付だな」

 

 無造作に床に落ちていた毎日新聞の日付は一昨日で、同じ新聞を購読している僕は一面の内容も大体覚えている。

 

「つまり洋館の主はこの部屋に出入りしている訳だな……む?正明、人の気配がするぞ!」

 

 小声で胡蝶さんが警告を発する、さっき迄は無人だったのに誰だ?

 

「ピェール氏か?待てよ、今カメラを通さずに見えているドアの外はどうなっているんだ?元に戻れるのか、外も焼失前の世界なのか……どっちだ?」

 

「正明、窓の外を見ろ。見覚えが無い景色じゃないか?」

 

 窓の外をだって、コレは……

 

「街並みが変わっている、横浜山手地区に有った洋館群は何処へ行ったんだ?」

 

 窓際まで移動してガラスに顔を擦り付ける様に外を見る、どう見ても何度見ても下町に見える。

 同じ様な外観の小さな家が連なっている、赤い瓦屋根に板張りの外壁、昭和初期の文化住宅に近いイメージだ。

 テレビアンテナが八木式だと?今の設備では映らないだろ?

 

「まさか昭和五十二年って、こんな感じだったのか?いや違う、昔から洋館が集まっている地区だった。つまり僕の知る今でも過去でもない景色だ……」

 

 参ったな、摩訶不思議過ぎて言葉が出ない。それでも気を取り直して部屋を探索するが特に目ぼしい物は無かった。

 

「部屋の外へ出よう、人の気配がしたのは近いんだよなって……悪食、どうした?」

 

 ヒクヒクと触角を動かして何かを差しているが、人の気配は隣の部屋って事か?

 

「隣に誰か居るんだな?」

 

「我が見てくるぞ」

 

 悪食と視界共有するより胡蝶が流動化して覗いた方が早いのだが、全く知らない世界で余りこの部屋から離れるのは危険だ。戻れなくなる可能性も……

 

「正明、あの女が居たぞ!」

 

 ああ、美羽音さんも捕われていたのか……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 慎重に隣の部屋へ移動するとベッドの上に手足を拘束されて寝かされていた美羽音さんを発見した。

 特に外傷も無く衣服に乱れも無い、手錠で手足を拘束されているが金属が当たる所にはタオルが巻かれている。一応は大切に扱われていたのだろうか?

 

「美羽音さん、大丈夫ですか?」

 

 声を掛けると驚いた顔をして唸り出した、口にはSMプレイでお馴染みのギャグボールを咥えさせられていた……やはりピェール氏は色情霊に取り憑かれた変態性欲者だったのか?

 先ずはギャグボールを外す、止め金具はベルトと同じだが一部ゴム製で伸縮するタイプか。

 

「ぷはぁ?え、榎本さん?助けに……」

 

「落ち着いて、今手足の手錠も壊しますから」

 

 最近は玩具でも本物と同じ性能の手錠が普通に売られているから怖い。

 流石に輪っかの部分は無理だがチェーンの部分は胡蝶と交じり合って筋力の増した僕なら引き千切れる!

 

「金属のチェーンを……凄い力持ちなんですね。助けてくれて有り難う御座いました」

 

 拉致られて拘束されていても育ちの良さかオットリした性格かは知らないが先ずお礼を言われた。

 だが幾らタオルを巻いていても手首は赤く腫れているな、擦っているが凄く痛そうだ。

 

「教えて下さい、何故こんな場所に捕われていたのですか?」

 

 直ぐにでも元の場所に戻りたいのだが、この場所の事や奴の事を聞かなければならない。

 なるべく優しい顔をして右手を彼女の肩に置いて質問する。

 掌には彼女の身体が細かく震えるのが伝わってくる、やはり怖い思いをしたのだろう……

 

「あの、その……信じられないかもしれないのですが……主人が二人居たのです」

 

「二人?ドッペルゲンガー説が正解だったのか?色情霊の憑依説は外れだったな」

 

 彼女はピェール氏が二人居ると断言した、つまり性格が変わったのではなく……本人が入れ替わったんだな、だから取り憑かれた訳じゃなくて柳の婆さんは失敗したんだ。

 

「美羽音さんを此処に連れてきたピェール氏は偽物かい?」

 

 ベッドから立ち上がった美羽音さんがよろけたので支える、大分体力を失ったみたいだな。

 

「そうだ!美羽音の元旦那はもう居ない、俺が旦那だぞ。筋肉霊能力者、明日来いって言ったのに待てなかったのか?」

 

「お前が偽物か?だが……」

 

 入口のドアの所に刃渡り30㎝位のコンバットナイフを構えたピェール氏が立って僕を睨んでいる、しかし風巻姉妹が調べた写真と全く同じ顔だぞ。

 

「偽物?馬鹿め、俺もアイツも間違いなくピェールだぞ。もっとも向こうのピェールは既に俺が殺したけどな!

コッチに来なければ生かしといてやろうと思ったけど秘密を知られちゃ無理だ、お前も殺してやる!」

 

 ニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべているがナイフの構えが素人じゃない、軍司さんの所の中堅所の雰囲気が有るな……つまり堅気じゃない、迫力も中々だ。

 

「ああ、やはりあの人は既に……」

 

 美羽音さんもピェール(偽物)の迫力に押され気味で僕の背中に隠れた、確かに女性にはキツいな。

 身体を動かして彼女を庇う位置に移動する、人質にでも取られたら厄介だ。

 

 

「お前もって事はピェール氏も竹内さんも高梨修もお前が殺したのか?」

 

「ああ、そうだ!秘密を知られちゃ口封じするしかないからな。あの若造は俺を証拠も無く強請りやがったからカッとなって殺した、最後は命乞いしたけど関係無い」

 

 カマを掛けたら全て自白しやがった、つまり聞かれた僕も美羽音さんも口封じする気だな。奴との距離は3mか……

 

「美羽音、お前は助けてやるからコッチに来い、お前は俺の女だ!」

 

「嫌よ、絶対に嫌!」

 

 美羽音さんが僕にしがみ付く、どうやら奴は彼女を気に入ってるみたいだが、単に入れ替わった時に妻として抱けたからか?

 性欲は強そうだが、一番大事な事は聞いた……コイツは黒だ、真っ黒だ。

 

「俺の女にしがみ付かれて喜んでるんじゃねーよ!霊能力者?何が出来るんだよ、お前はさー!」

 

 もう会話も限界みたいだな、完全に頭に血が上ってるみたいだ。

 

「そうだ、なっ!」

 

 距離は3m、今の僕なら一歩踏み出せば攻撃範囲だ!

 前傾姿勢で突っ込み、先ずはナイフを持つ右手の手首を掴む。

 そのままタックルして壁に押し付けて動きを止めてから奴の手首を握り潰して落としたナイフを美羽音さん側に蹴り飛ばす。

 

「おっ、俺の手が……手がぁ?」

 

 僕の握力は既に100㎏を超えている、骨が軋むだろ?

 

「悪いな、肉体派霊能力者に接近戦を挑むとは失敗したな、偽物さんよ」

 

「クソがぁ、死ね!」

 

 そう叫ぶと躊躇無く左手をチョキの形にして目潰しをしてきたが、僕には聞かない。

 チョキを包み込む様に握り締める、人差し指と中指が折れた感触がした。手首と違い指は脆いからな……

 

「こんチクショウがー!」

 

 膝蹴りで急所を狙ってきたが同じく膝でガードする、コイツ喧嘩慣れしてやがる。

 

「ふん!」

 

 両手が塞がっているので思いっ切り頭突きをかました!

 一瞬頭の中で火花が散るが僕よりもピェール(偽物)のダメージがデカいだろう、ズルズルとその場に座り込んだ。

 だが両手を押さえているから万歳してるみたいで変だな。

 

「多少は喧嘩慣れしているがマダマダだ。美羽音さん、紐かガムテープとかないかな?コイツを拘束して色々と話を聞かなければならないから……」

 

 何とか胡蝶や悪食や赤目達を美羽音さんに見せずに無力化出来て良かった、後はこのピェール(偽物)から事情を聞いて対処を考えるか……



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第253話

 山手地区の洋館ピェール邸の住人から怪奇現象の相談を受けたのが事の始まりだった。

 セントクレア教会経由で巻き込まれる形で始まった依頼も、元凶たるピェール(偽物)を捕まえた所で一旦終了。

 後は尋問タイムだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何時迄も居られるか分からない向こう側の世界から、何かを通さないと見えないドアを潜り抜け本来の自分達の世界へと戻って来た。

 携帯電話の録画モードを起動し左手で構えながら肩にはピェール(偽物)を担いで右手でドアを開く。

 美羽音さんは僕のシャツを掴んでいる、問題無く元の世界へと帰還出来た。

 何かを通さないと見えないドアだが方法を知っていれば誰でも可能みたいだな……

 

 先ずはピェール(偽物)の拘束をする、長柄の箒が有ったので両足に添え木としてガムテープでグルグル巻きにする。

 これで膝が曲がらず立ち上がる事が困難になる、両手も後ろに回して同じ様にガムテープで固定。

 ポケットを改めると財布と折り畳み式ナイフを隠し持っていたので没収、財布はピェール(本物)の持ち物だ。

 運転免許証の写真は本当に同一人物にしか見えないな。

 猿轡を噛ましてガムテープで目隠しをして二階の客間に放り込む、先ずは美羽音さんの治療が先だ。

 

「手錠を壊します、危ないから横を向いて目を閉じて下さい」

 

「はい、何から何まで……」

 

 目を閉じて横を向いた隙に胡蝶さんにお願いする、流動化したまま器用に手錠を破壊し僕の中へと直ぐに戻ってくれた、この間五秒。

 

「はい、外れました。先ずは消毒しましょう」

 

 目を開けて不思議そうにネジ切られた手錠の残骸を見る、幾ら僕が筋肉達磨とはいえ普通の人間なら無理な事だ。

 だけど流石は霊能力者って事なんですね?と変に納得していた。

 

 備え付けの救急箱からマキロンを取り出して両手首と足首に吹き掛けて消毒したら擦り傷に効く軟膏を薄く塗り伸ばして応急措置は完了。

 彼女が着替えたいと言うので応接室で暫く待つ事にする、妙齢の女性としては何日も着替えてないのは嫌だったのだろう。

 因みにピェール(偽物)には赤目と灰髪を監視に付けているから安心だ。

 

『胡蝶さん、アイツはヤクザな世界に片足突っ込んでる様な奴だったけど霊能力者じゃなかったよね?』

 

 ソファーに深々と腰掛け上を向いて目を閉じて瞑想してる振りをする……

 

『ああ、奴は此方の世界と向こうの世界を行き来する方法を知っただけの小物。原因はこの洋館に有る、長年存在し力を持った洋館は失った自分の一部を……

焼失した部屋の存在を異世界に求めたのだな。だからこの洋館は二つの存在が重なっていたのでピントがズレた感じがしたのだ』

 

 失った自分の一部を求めたら異世界の自分に繋がって重ねたのか……

 長い年月を経たモノが力を付けて付喪神になる事が在るから有り得ない事じゃないな。

 

『胡蝶さん、アッチの世界ってパラレルワールドって奴かな?

ピェール氏(本物)は同じ存在であるピェール(偽物)に殺されて偽物が成り代わっていた。ならば僕や胡蝶と同じ存在も探せば居るって事だよね?』

 

 パラレルワールド、平行世界、呼び方は色々有るけど要は異なる世界に自分と同じ存在が居る訳だ。

 

『ふむ、当然我等も居るだろうな……だが奴等を見れば分かるが全く違う性格や関係かも知れぬぞ、会うのは危険だな』

 

『同一人物が仲良く出来る保証は無い……近親憎悪か同族嫌悪か分からないけど自分と同じ存在で優劣が付いていたら受け入れ難いのかも知れないね。

ピェール(偽物)も社会の裏側を歩いていた存在みたいだが、自分と同じ存在が別の世界で表側で成功してるのが気に入らなかったのかもな』

 

『だから殺して入れ替わったか?羨望や劣等感から殺意が湧いたか……』

 

 他人なら未だ我慢出来たかもしれない、だが同じ自分じゃ我慢出来なかったか……

 

「すみません、お待たせしました」

 

 思考を中断された、美羽音さんを見れば紅茶セットのトレイを持っている。接客の為だろう余所行きの服に着替えて軽く化粧も施しているな。

 

「キッチンも凄く汚れていて……」

 

 ああ、酷い散らかりっぷりだったからカップとか洗っていて遅くなったのか?

 

「お気にならさず大丈夫ですよ」

 

 温かい紅茶よりキンキンに冷えたコーラが飲みたいのだが上流階級の婦人の選択肢には無いな、コーラは……

 

「どうぞ」

 

「頂きます」

 

 暫くは無言で紅茶を飲む、直ぐに本題に入らないのが日本人だが時事ネタで雑談も無理だろう。半分ほど紅茶を飲んでから事の顛末を相談する事にする。

 

「美羽音さんが知っている事を教えて下さい」

 

 下を向いて両手を膝の上に揃えているが小刻みに震えている、殺人事件も絡んでいるから当然だな。

 

「はい、アレは……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼女の話を纏めると……

 

 先ずピェール氏が入れ替わったと感じたのは僕等に相談した直ぐ後、竹内さんの失踪前だった。

 彼女の失踪後、徐々に性格が粗暴になり初めて怖くなりセントクレア教会を頼り家出した。

 その後、弟の高梨修の死を知り実家に帰ったがピェール(偽物)が押し掛けて来て洋館に連れ戻された。

 後は軟禁されていたと……

 

 確かに彼女は殆ど知らないだろう、だがピェール(本物)や竹内さんが奴に殺された事は知ってしまった。

 全てを話し終えた時は両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。仕方ないだろう、自分の置かれた現実は悲劇でしかない。

 

 暫く彼女が泣き止むのを待つ、急いでは良い事は何も無いからな。漸く泣き止んだ彼女に今後の事を提案と相談しなければならない。

 

「美羽音さん、良く聞いて考えて下さい。真実を警察に伝えても信じてはくれないでしょう、精々が本物のピェール氏が竹内さんと弟さんを殺したって事になりますね」

 

「そんな!あのドアの向こうの世界を見せれば……」

 

 うん、凄い証拠だと思うけどアレは公表出来ないから隠蔽されるだろうな。

 下手に公にしたら向こうの世界からも干渉されて大騒ぎだ、異世界間で紛争とかになるなら口封じ位するのが政府で……多分それが正解だ。

 

「あのドアを公表すれば二つの世界は大騒ぎ、最悪は……僕等は口封じの為に始末される。

当たり前でしょうね、自分と同じ存在が居る星丸々一つと今後付き合っていけますか?」

 

「榎本さんって……メリッサ様の言う通り見た目と違い法律を遵守する真面目で、でも親しくない人には冷たいんですね。でも確かに公表して大騒ぎになるなら……」

 

 メリッサ樣、彼女に何を吹き込んだのさ! 

 

 他人には冷たいとか君には随分面倒を見ている筈だけど?この事を報告する時に色々と言わないと駄目だな、柳の婆さんとも話し合いが必要だ!

 

「提案が有ります、多分これが一番問題が少なく貴女の為になります。感情は納得しなくてもね」

 

「教えて下さい」

 

 何故か涙を浮かべながら睨まれた、仕方ないとはいえ辛い事を言わねばならない。

 

「美羽音さんの今後に一番良い方法の提案ですが……

ピェール氏は失踪という事にして警察に届けます、七年間その生死が明らかでない場合は普通失踪として家庭裁判所に申し立てて失踪宣告が出来ます。

法律上死亡したものとみなす効果が生じるので遺産相続が可能となります。申立人は利害関係人ですから不在者の配偶者である美羽音さんが出来ます。

後は不在者財産管理制度を申請して家庭裁判所の監督下で遺産を保護して貰いましょう、法律に則った財産を管理する人が居れば不要ですけどね」

 

 長い話を言い終わって彼女を見たが不満顔だな、犯人を放置してお金を取れって意味だからな。

 

「つまり、あの二階に居る人を裁けず復讐も出来ない、でもあの人の財産は七年後に貰えるって事ですか?」

 

 睨まれた、彼女はピェール氏を愛していたんだな、見逃す事は気持ち的に無理か……

 

「そうだね、君が奴に復讐したいと言うなら僕が殺すよ。どのみち二度と此方の世界に来れない様に向こうの洋館は燃やしてしまうつもりだ」

 

 少し強い口調で告げる、向こうの洋館は実際は燃さずに悪食の眷属達に食わせる予定だ。少なくとも二階部分は完全に無くす事にする、今後復旧出来ない様に……

 

「そんな、私の代わりに殺すなんて……

すみません、本来は関係の無い榎本さんは助けてくれただけでも感謝しなければならないのに、気が高ぶって八つ当りをしてしまって。本当にすみませんでした」

 

 深々と頭を下げられてしまった、多少感情的になってしまったが普通の女性には辛い判断だ。

 

「良かった……殺すって言うのは嘘ですよ、貴女の恨みの深さを知りたかっただけです。

奴が憎くても復讐の為に殺しては美羽音さんは生涯悔やみ苦しむ事になる、だから奴への罰は財産全てが焼失し一から頑張る事。宜しいですか?」

 

 悩んでいるな、高野さんと違い彼女は復讐の後の罪悪感に押し潰されてしまうだろう。

 裏の世界で薄汚く生きる僕等とは違うんだ、例え仇が討てなくて後悔しても殺人の咎(とが)を背負い潰れるよりはマシだ。

 

「その場の勢いだけで事を急いで後悔する所でした、有り難う御座います。それで……それで、お願いします」

 

「ええ、全て任せて貰って大丈夫ですよ。法的手続きも知り合いの弁護士を紹介出来ますし、ピェール氏側の親族との交渉も手伝いましょう」

 

 七年間遺産を運用出来るか分からないからな、今の内に押さえて現金化して財産管理をすれば大丈夫だろう。

 七年位なら銀行の預金や親を頼っても問題無く暮らせるだろうし……

 

「では僕は奴を尋問してから向こうの世界へ帰してきます、それと向こうの洋館は燃やしてしまいますね。二度と此方の世界に来れない様に……」

 

 黙って頭を下げる彼女を応接室に残して二階へと向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「おい、起きろ!」

 

 拘束し寝かせていたピェール(偽物)の目隠しと猿轡を外す、どうやら意識は戻っていたのか直ぐに悪態をつき始めた。

 

「お前、俺に何かしたらどうなるか分かってるのか?ああ、ブッ殺すぞ!」

 

 芋虫の様に身体をくねらせながら恫喝されても怖くも何とも無いな、思わず笑ってしまう。

 

「お前、俺をどうする気だよ?何だよ、その暗い笑みは!」

 

 失礼な奴だ、僕の微笑みが暗いって何だよ?

 

『正明は見た目が厳ついからな、恫喝の笑みって奴だ。小物のコイツには堪えたのだろう』

 

『久し振りに話し掛けられたのに内容が辛い、そんなに厳ついかな?』

 

 思わず顎を擦ってしまったら余計に恐がられた、正直凹む。

 

「冗談は此処までだ、正直に話して貰うぞ」

 

 僕の脅しに連動し赤目と灰髪が噛み付こうとして大きな口を開く、鋭い牙が並んでいる……虫歯は無さそうだな。

 

「くっ喰われるのは嫌だ、わわわ分かった、全て話すから……コイツ等を何とかしてくれ!」

 

 すっかり怯えたピェール(偽物)は渋りながらも全てを話しだした……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 奴の話は大筋予想通りだった、違ったのは本物が最初にあの扉を見付けて偽物と接触したらしい。

 物珍しさや同じ顔に親近感が有ったのか最初は互いに友好的だったそうだ。

 だが暫く交流を持つと互いの事を色々と知ってくるのだが何て格差の有る人生なのだろうか!

 

 偽物は劣等感に苛まれた、自分の妻は生まれたばかりの子供を連れて夜逃げした。

 親から受け継いだ洋館も痛み具合が全然違う、向こうはアンティークで高級な洋館で自分は只の古く汚い洋館。

 自分は妻子に逃げられたのに奴は若く美しい妻と生まれたばかりの可愛い息子がいる、妻は全然違うのに息子は逃げた自分の息子と瓜二つ。

 なので何度も子供を見に行ってしまった、これが最初の怪奇現象で本物が洋館に他人を入れさせなかった秘密がコレか……

 

「少なくとも最初は此方の世界のピェール氏はお前と友好的な関係だったんだな。だから洋館を調べる事を嫌がったのか……」

 

「友好的だと?ふざけるな!」

 

 どうやら未だ秘密が有りそうだな。



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第254話

 遂に山手の洋館の秘密に辿り着いた、異世界へ繋がるドアだったとは予想外過ぎたが扱っている奴は霊能力に関しては素人だったので楽勝だ。

 異世界のピェール氏の存在は自分と同じ存在に劣等感を抱いて殺害、秘密を知られた竹内さんと高梨修も殺害。

 竹内さんについては秘密のドアを出入りしている所を見られたので、向こう側の世界に連れ込み殺害したそうだ。

 魅鈴さんの降霊に応じなかった壁とは文字通り異世界の壁だったんだな。

 高梨修については再度恐喝されたので誘き出して殺害したそうだ、奴も同じ様な秘密に辿り着いたので口封じ……

 この辺が杜撰だったのだが深読みし過ぎて捜査が難航したんだ。

 しかし今回は素人さんが先に秘密に辿り着いて被害に有ったので本職としては恥ずかしい限りだったな。

 

 原因が分かれば早々に異世界への出入口を処分して安全を確保するべきで、欲を出して異世界を調べたいとか言い出す奴が現れない内に処理をする。

 当事者の唯一の生き残りの美羽音さんの言質は取ったのだから遠慮は要らない。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 拘束したままのピェール(偽物)を担いで焼失した秘密のドアを潜り抜け異世界へと移動する。

 毎回移動が成功するか保証も無いので心配だが仕方ない、これが最後の移動になるのだから……

 奴を一階の玄関に転がして再度目隠しと猿轡を噛ます、これから僕が行う事は周りからも注目を浴びるだろうから奴を放置しても助かるだろう。

 

「短い付き合いだったがお別れだ。美羽音さんに感謝しろよ、命は助かるんだからな」

 

 ムームーと何か唸ってるが、フザケルナ!とか言ってるんだろうな。

 室内を見回すが本当に汚いな、散らかり放題で微かに腐った臭いもする。だが悪食の眷属にとっては良い環境だろう。

 

「悪食、この世界の眷属達を集めるんだ。この洋館を食い尽くすだけの数を集めろ!」

 

 そう命令して階段を上り二階へと移動する、悪食は僕の影から飛び出すと玄関ホールの真ん中に陣取る。

 触角をヒクヒクと動かすと悪食の周りに直径1m程の影が現れて、中から大量の眷属(チャバネ&ヤマト)が湧きだした!

 

「ああ、その偽物は食うなよ。腹を壊すから……」

 

 何万と言う眷属が黒い波となり一階部分を覆い尽くす、奴も埋もれているが生命に別状は無いから罰として我慢するんだな。

 周辺からカリカリと固い物を噛る小さな音が聞こえる、この規模なら15分もすれば金属類を残して完食するだろう。

 足元の床がグラグラしだしたので逃げる事にするか……

 

「悪食、戻って来い。引き上げるけど眷属達に洋館を完食する様に命令しておいてくれ」

 

 携帯電話を録画モードにして秘密の扉を映す、毎回思うが異世界を越える理由が分からない。悪食が僕の頭に飛び乗ったのを確認してからドアを潜り抜ける。

 

「さようなら、異世界のピェールさん。今後は真面目に生きろよな」

 

 そう言ってドアを閉めた、奴の悲鳴が聞こえたが猿轡のガムテープが剥がれたのかもな……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その場で五分程待って再度携帯電話の録画モードで壁を映すがドアは無かった、どうやら上手く行った様だ……

 応接室に向かうと美羽音さんが片付けを初めていた、何かをやってないと考え込んでしまい辛いのかも?

 

「美羽音さん、全て終わりましたよ。向こう側の洋館は跡形も無く消し去りました、もう秘密のドアは現れず行き来も出来ませんから安心です」

 

 三角巾にエプロンをしてゴミの分別から始めている彼女に声を掛ける、元が真面目で敬虔なキリスト教徒の彼女らしい行動だ。

 

「有り難う御座いました、本当に……後日改めてお礼をさせて下さい」

 

 今回の件は報告に困る内容が多いが少なくとも柳の婆さんとメリッサ様、若宮のご隠居と風巻姉妹には説明しなければならない。

 若宮のご隠居からは一応依頼を請けているから報告書も作らないと駄目か……

 荒唐無稽な話だと思われるよな、実際に異世界に連れて行ければ簡単だが放置するには危険過ぎた。

 ピェール氏も失踪扱いになるし警察も黙ってはいないと思うが、その辺は美羽音さんが上手く話してくれるだろう。

 浮気の証拠も有るし裁判沙汰になっても向こうの親類縁者と戦っても勝てるかな。

 

 その辺は松尾の爺さんと相談だろう……

 

「いえ、勝手にやった事なのでお構い無く。ですが詳細は今後の打合せが必要かな……

僕からもセントクレア教会に連絡しておきますから、美羽音さんからもメリッサ様に伝えて下さい。では、僕はこれで……」

 

 深々と頭を下げる彼女に手を振りピェール邸から出て門の手前で振り返り洋館を見上げる。

 

『ねぇ胡蝶さん?結局この洋館は憑喪神化してたのかな?コッチは放っておいても大丈夫なのかな?』

 

 移動先は潰したが、そもそもはこの洋館が力を持ち焼失した部屋を求めたのが発端だった筈だ。

 

『向こう側の洋館の存在が無くなった時にな、コッチの洋館も力尽きたみたいだったぞ。だから放置しても大丈夫だろう……』

 

 しかし不思議な事件だったな、原因追求を半ば放置して安全を優先したが後悔はしていない。

 あの不安定なドアを何度も使用するのは自殺行為だったし、向こう側の僕と胡蝶に会うのも恐かった。

 

『我が身の一部が焼失したから異世界と繋げて補填するか……』

 

『昔から人間が異世界に迷い込む話は数多く伝わっている。森を彷徨っていたら誰も居ない屋敷に辿り着いたとか……案外似た様なモノかもしれんぞ』

 

 「迷い家伝説」とか確かに世界には類似する話が多く伝わっているよな……異世界、パラレルワールド、平行世界、言葉は違えど原因は同じかも知れないな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 山手の洋館、ピェール邸で起こった怪奇現象について横須賀中央に有る事務所で報告書を作成している。

 資料も少なく美羽音さんの証言が唯一の証拠だが、当事者が納得しているのでよしとしよう。

 今回、美羽音さんからは報酬は貰わないので心霊詐欺とか霊感商法とか言われる筋合いもない。

 若宮のご隠居との契約については微妙だ、分かりやすい成果が無いからな。

 まぁ未達成で無報酬でも構わないと言えば構わない、今回は色々と自身のパワーアップが出来たので多少の事は気にしない。

 

「新たな仲間、式神犬の赤目と灰髪、犬飼一族の秘宝雷の勾玉、陰陽道の術、どんどん人間の範疇から外れていく気がする……」

 

「気にするな、我は気にしない。それよりも新しい教材が欲しいぞ、陰陽道とは奥が深くて興味が尽きぬ」

 

 来客用ソファーに寝転び、東海林さんから貰った陰陽道の教材を読み耽る胡蝶さんは、少しばかり無防備な格好だ。愛用の巫女服だが隙間が多いんだよね……

 

「む、誰か来るぞ。風巻の姉妹だな、我は戻るとするか」

 

「ああ、済まないな」

 

 そう言って直ぐにモノトーンの流動体となるとスルスルと僕の左手首へと入り込んでくる、未だに慣れない感覚だ。

 直ぐに呼び鈴が鳴り、灰髪が玄関まで出迎えに行って鍵を開ける。

 

「わん!」

 

「あっ!灰髪ちゃん、こんにちは」

 

「お出迎え出来るなんて偉い子だね!」

 

 ウチの式神犬はお持て成しが出来る賢い子達だった、普通に玄関扉の開け閉めが出来るんだ。

 

「「こんにちは、榎本さん!手伝いに来たよ」」

 

「「わん!」」

 

「いらっしゃい、赤目と灰髪は手伝わなくて大丈夫だ、遊んでいて良いぞ」

 

 赤目達は僕の護衛や接客と忙しく働いているので、それ以上の事はしなくても問題無い。

 

「「式神を甘やかし過ぎだよ!」」

 

「「わふ?」」

 

 今日、風巻姉妹を呼んだのは彼女達の調査報告を纏める為にだ。

 セントクレア教会には美羽音さんが連絡を入れてくれたので潜伏中の柳の婆さんも戻って来た、彼方の説明は美羽音さんに任せて僕は報告書を作って若宮の婆さんに提出しなければならない。

 

「雛型作ったから報告書の内容を打ち込んでくれる?」

 

「分かったわ、後は不明な部分の穴埋めね」

 

 何度か仕事を一緒に行っているのでスムーズに進むのは有り難い。

 応接セットにノートパソコンを用意し暫らくはカタカタとデータを入力するタイプ音だけが響く……

 

「今回の件はマル秘扱いになりますから達成件数には含まれないんですよね?」

 

 佐和さんが嫌に平坦な声で話し掛けて来た、ノルマ的な意味で無駄骨って怒ってるのかな?

 

「そうだね、異世界へ繋がるドアなんて荒唐無稽過ぎて理由にもならないだろ?」

 

 電話で簡単な報告と説明をした時、若宮の婆さんも十秒くらい無言だったし……

 

「でも美羽音さん的には解決した訳じゃん!」

 

 此方は興奮気味だな、姉妹で情緒不安定だぞ。

 

「まぁね……僕等の依頼人じゃないから何とも言えないけどね。

結局旦那は死んでるのに秘密にして行方不明として扱い、七年後に死亡確定で遺産相続だ。知らない人が聞いたら遺産争いに関係してると疑われても文句は言えない」

 

 黙り込む二人、下を向いてしまったぞ。何だろう、この状況は……何故二人が落ち込むんだ?

 

「今回は残念会になるな、横浜そごうに美濃吉って京懐石の店が有ってさ。そこを予約しておくよ、帰りに下のブランドフロアで何か買ってあげるよ」

 

「「ヤッター!それを聞きたかったの!」」

 

 ああ、そうだった。仕事を達成したらピェールさんの店で何か買ってあげる約束だったんだ。

 笑顔で凄いスピードで仕事を始めた二人を見て現金だなぁって思う。

 

「じゃ頑張って終わらせますか」

 

 残りの報告書を仕上げる為にパソコンの画面と向き合った……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「えらく荒唐無稽な報告書ですね」

 

 自分で最初に読んで次に風巻に渡した、十分程で読み終えた後に深いため息をついたな。

 そのまま陽菜に渡したがパラパラと流し読みしている、速読術だな。

 

「ああ、普段の真面目で几帳面な榎本さんを知らなければ笑い飛ばす所だ。

だが美羽音・ビーノはそれで納得しているし怪奇現象は収まった、信じるしかあるまい」

 

 先程持ち込まれた報告書を風巻と陽菜を交えて読む、分かり易く纏まっているが内容がブッ飛び過ぎている。

 

「でも美羽音さんの今後の事まで考えているよ。本当に基本的には優しい人だよね、でも可能性を全部潰してから直接乗り込む慎重派タイプなんだ。

一番敵に回すと厄介なタイプだね、手足をもいでから自分で止めを刺すって事は究極的には自分しか信じてないんだよね」

 

 む、あれだけ懐いていたのに評価に毒が含まれてないか?

 この子は人の本質を見る事が出来るのだが、陽菜から見たら榎本さんは他人を信用しないって事か?

 

「だが自身の力が凄過ぎるから他人を自分と比較して信用し切れないのかもな。最後は自分が出れば解決出来るとなれば、それも仕方あるまい」

 

 小原氏の時も岩泉氏の時も最後は自分が突撃して解決している、今回も摩訶不思議な洋館に単独で乗り込み解決した。

 榎本さんにとって背中を任せられる強さを持つ者は御三家当主位だろう……

 

「うん、そうだね。榎本さんに頼りにされる位に強くならなくちゃ!」

 

「そうじゃな、陽菜はもっと強くならねばな」

 

 取り敢えず公表は出来ないが依頼は達成扱いで処理するか、此処でケチっても仕方ない。少しでも恩義を感じてくれれば儲け物だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 深夜に目が覚めた、携帯電話を開いて時刻を確認すれば三時過ぎ……まだ四時間近く寝れる。

 

「ねぇ、胡蝶さん」

 

「何だ、寝れないのか?」

 

 抱き枕にしている胡蝶さんに小さな声で話し掛けてみたが返事をしてくれた、起きてたのかな?

 

「美羽音さんの件が片付いた、そろそろ加茂宮の方に取り掛かるかい?」

 

 加茂宮の前当主が仕掛けた実子達を贄とした蟲毒の呪い、胡蝶さんの過去に関連する相手らしい。

 

「ああ、そうだな。だがお前が関西に行けば目立つだろう、奴等はお前の動きを監視しているからな」

 

 一子様の配下だけでなくその他の連中も動くだろう、彼女本人が接触していた僕が関西に行く事は意味深だから……

 

「だけど後手に回ると負ける可能性が有る、危険だけど一子様に連絡してみよう」

 

 彼女の安否も気になるし共闘するなら早い方が良い。



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第255話

 ある天候の荒れた日の午後、セントクレア教会へと向かう事になった。

 昼前から急に強く降り出したのだが、数日前からの約束だったので風雨の強い日を選んだ訳ではないのだが……

 

 横須賀中央の事務所から最寄りの京急横須賀中央駅に行くだけでずぶ濡れ、そのまま上大岡駅まで快速特急で向かい横浜市営地下鉄に乗り換えた。

 セントクレア教会は新羽駅から徒歩だが流石に雨が強くなってきたのでタクシーを使う事にする。

 タクシー乗り場には屋根は有るけど横殴りな雨には無抵抗だ、並ぶだけで濡れてしまう。

 運良く待機していたタクシーに乗れたので五分程の距離だが利用した、当然だが領収書は貰います。

 中小企業にとって領収書は税務署と戦う為の武器だから!

 タクシーを降りて園内に駆け込むとお迎え待ちで退屈していた園児達に気づかれてしまった。

 

「マッスルなオッサンだー!」

 

 目ざとく見付けたのは年長組の子だったかな?

 

「オジサン高い高いしてー!」

 

 もう止まらない、皆が一斉に振り返り走り出してくる。

 

「ボクもー!」

 

 わらわらと集まってくる園児達の邪気無い笑顔と悪気の無い言葉に心が折れそうになる、未だお兄さんなんです!

 

 保育士さん達も応援が来ましたラッキー!みたいな視線は止めて下さい。

 

「園児達、お兄さんは保育士さんじゃないんだぞー!分かるかい?」

 

 最初に突撃してきた男の子を持ち上げる、凄い笑顔だが高いのは怖くないのだろうか?

 

「きゃは!オジサンすごーい。パパより力もちだー!」

 

「ボクもー、クルクル回ってー!」

 

 毎回チビッ子ギャング共に囲まれて容赦無い労働(高い高い)を強要されるのだが、メリッサ様も笑顔で子供達をけしかけないで下さい。

 天候不良の為に早めにお迎えに来る様に連絡網を回したのか、続々とお迎えの親達が来る。

 マッスルで怪しい僕にも大分慣れたのか普通に話し掛けて来ます。

 

「榎本先生は子供達に凄く好かれてますね」

 

「家に帰ってパパに同じ事を頼むんですよ、でも持ち上がらなくて……」

 

「たまにしか見掛けませんがヘルプなんですか?」

 

 園児達の母親から普通に話し掛けられるのですが、僕は保育士さんではないのですが……

 

 一時間ほど園児達と遊ぶと全員が保護者と一緒に帰って行った……未だ雨は止まない、逆に強くなってきてるな。

 

「僕は保育士さんではありませんよ、メリッサ様も勝手に榎本先生とか教えないで下さいね」

 

 漸く姿を現した元凶に向けて説明を求める!

 

「はいはい、園長室へ行きましょうね、榎本センセイ?」

 

 全く堪えて無かった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 もう何度目の訪問になるのだろうか、園長室に入るとソファーに座り柳の婆さんと談笑していた美羽音さんが立ち上がりお辞儀をしてくれた。

 少しやつれた影の有る笑みだが仕方有るまい、今の彼女は夫が失踪し弟が他殺されたのだ、家族に不幸が続いてるのに元気に振る舞う事は出来ないだろう。

 

「ああ、美羽音さんも呼ばれてたんですか?」

 

 僕は彼女の隣にメリッサ様は柳の婆さんの隣に座る、直ぐに彼女には日本茶を僕にはコーラをペットボトルのまま出してくれたので驚いていた。

 

「炭酸好きなので気にしないで下さい」

 

「そうなんですか……」

 

 取り敢えず一口飲んで気持ちを切り替える、皆さん黙って僕を見詰めても困りますが?

 

「それで、今日の本題はなんですか?」

 

 良い感じて窓の外は強風、窓ガラスに雨粒が叩き付けられている……電車止まらないよな?

 

「「お礼の件です」」

 

 メリッサ様と美羽音さんの言葉がシンクロしたぞ、お礼って……

 

「お礼は要りません、正確には貰えませんかな。僕は今回の件について若宮のご隠居から依頼を請けていましたから報酬は頂いてます、だから気にしないで下さい」

 

アレ?女性陣が酷くショックを受けたみたいな顔してるけど、まさか無償で助けたとか思ってたのか?

 

「鶴子、美羽音さん、榎本さんの言ってる事は事実ですが少し違います。確かに若宮の当主は榎本さんに依頼をしてましたが、此処まで親身になる必要は無かった。

榎本さんが来る前に美羽音さんから聞きましたよ、アフターケアまでして頂けるそうですね?」

 

 柳の婆さんが言うと何か含みが有りそうで怖いんだよな、フォローっぽい事をしてくれたが糸みたいな細い目で何を考えているんだか分からない。

 

「失踪の件はね、真実が常に正しくて幸せとは限らない。被害者に優しくない結果なんて嫌だろ?」

 

 どこぞの名探偵小学生みたいに真実は一つじゃないし被害者の為なら嘘をつくのも気にしない。

 

「それはそうですが……」

 

「この話はお終い、メリッサ様の事は亀宮さんも気にしていたからね。喧嘩友達がゴシップ記事を飾るなんて嫌だろ?

だから真実を潰した、ピェールさんには悪いがね」

 

 あんな異世界へ行けるドアなんて公表したら大騒ぎになるからな、僕等からすれば潰して正解だったと思う。

 残ったコーラを一気飲みする、炭酸が喉を刺激して爽快だ。

 

「そっ、それは……嬉しくはないけど、感謝はします。その……有り難うございました」

 

 亀宮さんの気遣いにメリッサ様がデレた、珍しい事も有るもんだな。嬉し笑いを噛み殺す彼女と違い、美羽音さんは少し不機嫌だ。

 長居するとヤバそうだし早めに切り上げて帰るとするか、少し勿体無いがハイヤー呼んで貰い家まで送って貰うか……

 最近少し財政が豊かなので多少の贅沢は許されるだろう。

 

「今迄のお詫びも含めて、これを榎本さんに差し上げます」

 

 柳の婆さんが懐から取出しテーブルの上に置いたのは……古いロザリオだ。

 

「僕は在家ですが僧侶ですよ、キリスト教のロザリオを持っていても……コレって、このロザリオは?」

 

 人差し指が触れただけで指先に電気が走った、これは術具として強い力を秘めている。

 だけど清浄な感じはしないぞ、どちらかと言えば奸(よこしま)な雰囲気。

 

「かつて私には妹が居ました、大切な妹が……」

 

「はぁ?それがロザリオと何か関係が?」

 

 突然昔話を始めたがボケるには早いぞ、アンタはメリッサ様を後継者として育てる義務が有るだろ!

 

「妹は私よりも強力に神の奇跡を扱えたのですが、性格がブッ飛んでまして教会関係者からは忌み嫌われていました……」

 

 異端……と言えば良いのか?人間は自分達と違うモノを拒絶し敵対し集団で攻撃する、僕が気を付けているのもその為だ。

 

「それは大変だったでしょう、キリスト教は異端を極端に嫌いますよね?」

 

 ニヤリと笑いやがったぞ、この婆さんは?

 

「ええ、見下していた連中に嵌められて妹は異端として扱われ、戦って戦って戦って、そして……」

 

 随分と戦ったんだな、キリスト教の異端審問って嫌なイメージしか無いんだよな、魔女狩りとさか。

 

「戦い続けて負けたのですか?本人にしたら辛いか悔しいでしょうね」

 

「日本に派遣されていた異端審問官達を粗方倒して、最後は力尽きて……」

 

 下を向いて黙ってしまったが、何となく分かったぞ。このロザリオは妹の怨念を封じ込めているんだな?

 

「倒されたんですね?」

 

「いえ、逃げ出しました。それ以来、妹とは会っていませんが数年に一回程度強い力を持つ品々を送ってくれるのです。このロザリオは、その中でも一番強力な物ですので使って下さい」

 

 おぃおぃ、普通は妹は死んでいて形見の品とかって振りじゃないのか?婆さんより強力なエクソシストが送ってくる品々って絶対曰く付きだろ!

 

『胡蝶さん、どうかな?使える品かな?』

 

 曰く付き術具といえば胡蝶さんだ、問題のロザリオを手に取り入念に調べるが悪意は感じない。だが使えなければ食べてしまえばよい。

 

『ふむ、興味深いな。正明、貰っておけ』

 

 胡蝶さんが興味を持つなんてな、中々の術具なのだろう。

 

「では、有り難く頂きます」

 

 そう言って胸ポケットへしまう、このロザリオはネックレスタイプではなく手に持って掲げたりする大きさだ。

 全長20㎝程で材質は真鍮だと思う、磔にされたキリストとかは居なくて本当に只の十字架の形をしたシンプルな造りだ。

 

「ええ、役立てて下さい。私達では使い熟せなかったので……」

 

 メリッサ様を盗み見れば固まっている、このロザリオについて知っているんだな……後でメールして聞いてみるか、婆さんの本音も分かるかもしれないな。

 

「さて、長居してしまいましたね。

美羽音さん、何か有ればセントクレア教会を通じて連絡下さいね。出来る限りの事はしますよ。

メリッサ様、ハイヤー呼んで貰って良いかな?流石に歩いて帰るには辛い天候だ……」

 

 窓に吹き付ける雨粒の勢いは止まらない、逆に強くなってないかな?

 京急線はそうでもないが横須賀線とか雨に弱いんだよな、線路が冠水するとかさ。

 

 未だ話したがっていた女性陣だが渋々ハイヤーを呼んでくれた、美羽音さんの分も合わせて二台だ。

 彼女は夫婦共有財産と認められている分でも結構な金額が有り、何とか一人で暮らしていけるので安心した……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お客さん、横浜横須賀道路通行止めだから一般道になりますよ」

 

 漸くハイヤーに乗れたが風雨が強く高速道路は全て通行止め、一般道をゆっくり走る事になる。

 

「構わないよ、濡れないだけでも助かる。横須賀のダイエーの前辺りで起こしてくれるかな、後は誘導するよ」

 

 後部座席に深々と座り目を閉じる、靴やズボンがずぶ濡れで気持ち悪いが我慢だ。流石にセントクレア教会で脱いで乾かす訳にもいかなかったからな……

 

『正明、警戒しろ!此方を監視する目が増えたぞ』

 

 胡蝶さんからの警告、最近術を用いた遠距離監視が度々有り、彼女が術を散らしていたのだが相手も我慢の限界か?

 

『何時もの遠距離監視じゃないんだな?』

 

『ああ、近いな。どうする?』

 

 近いとは相手も車で追跡している、このまま自宅に帰るのは問題だな。

 

『会ってみるか。どの勢力なのか知りたいし危険度を計らないと周りの警備レベルも決められない』

 

 桜岡さんや結衣ちゃんに護衛を付ける必要が有るのか、亀宮の力で抑えられるか……

 

『田浦の倉庫群には使われてないのも有ったな。そこに誘き寄せるか……』

 

 携帯のメールで若宮の婆さんと風巻のオバサンに状況を知らせる内容を送る、最悪の場合は桜岡さんと結衣ちゃん、小笠原母娘の保護を頼むと。

 

「運転手さん、行き先変更、田浦の倉庫群に行ってくれるかな?入口辺りで良いから」

 

「倉庫群ですか?」

 

「うん、知り合いが経営してるから事務所に寄りたいんだ」

 

 下手な嘘だが運転手さんは不審がらずに了承してくれた、ルームミラーをチラ見したが雨が強くて後続の車のライトしか確認出来ない。

 暫く走ると倉庫群の手前に有る空き倉庫の前に停めて貰い料金を精算する。

 

「さてと、敵は食い付いてくれるかな?」

 

 倉庫の奥へと進み悪食の眷属を召喚、薄暗い倉庫内に多数配置して完了だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「どうします?誘われてますよ?」

 

「行きなさい、度胸の有る男って大好きだわ」

 

「はい、先に倉庫を他の連中を使い包囲しときますよ。逃げられたら嫌ですからね」

 

「逃げ出す?馬鹿ね、アレはお前達が束になっても勝てないわ。少し話がしたいからタイミングを計ってたのに逆に警戒されたら世話無いわね」

 

「我等鬼童衆(きどうしゅう)の精鋭二十人でもですか?」

 

「ええ、姉さんの周りを調べていたら面白い男を見付けたわね。私の中のアレが騒ぐのよ、彼に会えばこの気持ちが分かるかしら?

くふ、くふふ……あはははははぁ!」

 

「大丈夫ですか?」

 

「あは、あはは、平気、平気よ。私の中のアレが嬉しくて堪らないみたい。早く、早く車を倉庫に付けなさい」

 

「はい、配置も完了しましたので向かいます」

 

「あはっ!一人食べてもこんなに高揚しなかったのに、彼に近付くだけで、アレが……アレが凄く騒ぐのよ!あはははっ……」



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第256話

 セントクレア教会に呼ばれ、メリッサ様達に事件のあらましを説明しての帰り数日間此方を遠巻きに監視している連中が接触して来た。

 色々とやらかしているので放置は結衣ちゃん達の安全に不安が有る為に、田浦港近くの倉庫群に誘い込んだ。

 どの勢力がどんな目的で監視していたか分からない、だが確認しないと人質とか最悪な手段を取られても困る。

 この倉庫群は旧日本海軍の軍港近くに作られた歴史の古い倉庫群で、今は使われてないが貨物列車の引き込み線も残っている。

 不況の波を食らってか倒産した倉庫会社も有り廃墟となった建物も多い。

 天気は生憎の雨、激しい雨や風が多少の音や痕跡を消し去ってくれるだろう、荒事には絶好な日だね。

 

 僕は廃墟となりシャッターが開け放された倉庫に入る、元は食品を扱っていたのか使われてない大型の冷蔵コンテナが数個放置されている、スレートの屋根や壁は所々に穴が開き雨漏りが酷い。

 倉庫の真ん中まで進み振り返り入口を見詰める、悪食は既に影から這い出して周囲に眷属を配置している。

 僕の手持ちの武器は特殊警棒に大振りのナイフ。

 赤目と灰髪は影の中で戦闘体型で待機、胡蝶さんはヤル気満々だ……

 

『正明。奴だ、奴の反応が有る……コレは一人食ったみたいだな。クックック、向こうから来てくれるとは有難いじゃないか!』

 

『加茂宮の誰かって事か……だけど気配は複数で倉庫を取り囲む様に動いてる、全部で十七人、いや二十人位は居るな』

 

 建物周辺の反応は十七人分、入口付近に四人、合計二十一人か……

 

『ふむ、正解だ。やはり奴か、七百年に及ぶ因縁を此処で晴らすぞ』

 

 完全に囲まれた、広い倉庫だが出入口は限られる、だが脆いスレートだから何処でもブチ破る事は出来るので出入口に向わなくても脱出は可能。

 先ずは会話をして情報を引き出そう、倒すかは会話の内容次第だ。

 

「包囲が終わったなら顔を見せてくれないか?僕は逃げも隠れもしないよ」

 

 開いていたシャッターから黒塗りの外車が倉庫内に乗り入れて来た、直ぐ外に路駐していた奴だが中まで入ってくるとは。

 ライトを向けられているので逆光で見にくいので身体を右側にずらす、10mも離れてないが突進してきても避けられるだろう。

 少し待つと後部座席が開き中から出て来たのは若い女だ……

 年の頃は十代後半、特徴的な茶髪を腰まで長いツインテールに纏めている。

美少女だが、美少女がしてはいけない目を僕の向けていてテレビで見る48人グループが着ている様なステージ衣裳が廃墟には物凄く場違いだ。

 

「こんにちは、加茂宮九子(くこ)様。僕に何か御用ですか?」

 

 女性は一子様の他に三人、二子は胡蝶が食べたし手に入れた情報では四子は二十代半ば、消去法なら彼女は九子だ。

 

「くふっ、くははっ、用です用があるのですよ。初めまして、榎本さん!今日は顔見せだけだったんだ、でも我慢出来ないみたーい!」

 

 背中を仰け反らせて此方を伺う少しヤンな気質が有る女性だ、ロリ成分は十分だが食指は全く動かない。

 

『我の食指はビンビンだぞ!早く食おう、アレは既に誰かを食っている』

 

『つまり二人目を食われたら手に負えない?だが囲まれているな、どうするか……』

 

「では食い合おうか?僕は構わない、何時でも掛かって来なよ」

 

 右手を前に突き出し掌を上に向けてオイデオイデをする、一瞬で彼女の白目と黒目が反転したぞ。挑発には弱いのかな?

 

「くはっ!榎本さん、チョータイプだよ。食い合おうって肉食系男子って感じ?」

 

 両足を軽く開き両手を垂らす独特な構えだ、彼女の能力は何だろう?

 部分強化じゃない、醸し出すプレッシャーは相当だぞ、胡蝶と解き放し赤目と灰髪で牽制、僕は配下の連中を倒すか。

 

「お待ち下さい、九子様。此処は我々にお任せ下さい」

 

 車に同乗していた三人が僕等の間に割り込んで来た、屈強な体躯の男達だが既に手に武器を持っている。

 術者ではない、だが荒事専門の連中だろうな、軍司さんと同等の覇気を身に纏っている……つまり強い。

 

「なに、邪魔すんの?くははっ、私を取られるって嫉妬した?した?」

 

「主を先に戦わせる訳にはいかないので……俺は鬼童衆が一人、穿(うがつ)、コイツ等は斬(ざん)と薙(なぎ)だ」

 

 組立式の槍が穿、日本刀が斬、太刀が薙ね。己の得物に関した分かり易い名前で良いのかな?

 

『正明、殺すか?相手は殺る気満々だぞ、手加減は付け上がるだけだ!』

 

 話し合いをスッ跳ばして殺し合いか、人間って奴は意思の疎通が出来る生物じゃなかったかな?

 交渉による妥協や擦り合わせは全く無いとは泣けるが、胡蝶との因縁や強さを考えれば仕方無し。

 

『初手は受けで、殺意が有る攻撃なら遠慮しない方向にしよう』

 

「先ずはお前達からか……お相手するよ」

 

 腰に差した特殊警棒を右手で取り出して一振り、カシャって軽い音を立てて70㎝まで伸びた。

 左手はフリーにして何時でも胡蝶の力を使える様にする、掴んだら勝てる。

 

「三対一だが悪く思うナ!」

 

 最後の発音が変だったが、躊躇無く顔に向かって槍を突き出して来た……端から殺る気満々だな!

 胡蝶と交じり合った僕の動体視力は異常な域まで発達している、穿の渾身の突きを前に出ながら躱して腹に拳を叩き付ける。

 肋骨数本を叩き折った感触を感じながら穿を九子の方へ弾き跳ばす!

 

「穿!貴様よくも」

 

「斬、連携を忘れるな」

 

 右側が斬、左側が薙、どちらも一瞬だが隙が出来たが動揺したのは斬の方か?

 しゃがみ込んで右足を軸にして弧を描く様に左足で斬の足を払う、バランスを崩して倒れ込む奴の側頭部にもう一回転させた左足で蹴り跳ばす。

 首から嫌な音がしたが気にせずに右足一本で後ろ側に跳ね跳ぶ、一瞬の後に薙の太刀が通過していった……

 

「よくも穿と斬を!許さないぞ」

 

「お互い様だ」

 

 太刀と特殊警棒では間合いは断然太刀の方だ、だが僕の特殊警棒は特注品の鋼鉄製、如何に太刀と言えども断つ事は出来ない。

 薙の太刀筋に合わせて特殊警棒を振り抜く、化け物じみた怪力の僕の一振りは太刀の刀身をくの字に曲げた!

 

「馬鹿な?太刀が曲がるなどと……」

 

 僅かだが動揺し自分の得物に視線を向けた隙を突く。

 

「油断大敵ってね!」

 

 薙の股間にヤクザキックを見舞う、ナニかを潰す感触を感じた後に、その場に崩れ落ちた。

 

「スゴーい、鬼童衆の精鋭がダサい位に簡単に負けたねー!くはっ、榎本さんサイコーだよ、一子姉さんには勿体無いな。やっぱ私が欲しいな、くははっ」

  部下が悶絶してるのに右手を額に当てて楽しそうに笑っている、やはり僕と同じく同化が進んでる。

 しかも僕と違い取り込んだ奴の影響が強い、共生出来ずに徐々に吸収されてる感じだ。

 今倒さないと危険で厄介な敵になるだろう……

 

『胡蝶さん!』

 

『ああ、今此処で止めを刺すぞ』

 

 距離を詰めようとした時、狂った様な笑いが止まった、急に真面目な顔をして僕と目を合わす。

 

「今日は顔見せだったんだ、でも榎本さんってマジタイプで九子ドキドキのキュンキュンだよ。でもお前達は嫌い、邪魔した挙げ句に負けるなんてサイテー」

 

「九子さまっ?」

 

「おっ、お助けを」

 

「嫌だ、餌は嫌だー」

 

 倒した三人が暗い影へと引き摺り込まれていく、これは胡蝶の食事方法と同じ……

 

「なんか興醒めしちゃつたな……私は関西の加茂宮本拠地で待ってるよ、一子姉さんの手助けをしてやってね。

私と食い合うのは最後の楽しみで、悪いけど加茂宮の跡目争いに巻き込むね。じゃバイバイ」

 

 馬鹿な、倒した三人と共に自らも影に沈んで行ったぞ!

 

 可愛らしく手を振る彼女を呆然と見詰めていた、影の使い方は僕等より上かもしれない。

 

『周囲の連中の気配も消えたな、残された奴等も逃げて行った。此処で仕留められなかった事が後々後悔しなければ良いが……』

 

『僕等も切り札を見せていない、それは向こうも同じだけど九子が後一人食べたら僕等で勝てるかな?』

 

 強さの片鱗を見せ付けられた、だが交じり合った弊害なのか精神的に狂ってる感じがする。

 九子は正直に加茂宮の跡目争いに巻き込むと言った、一子様の手助けもしてくれと……

 

「これは一子様に連絡を入れないと不味いかな、亀宮との調整も必要だ。

亀宮に所属する僕が加茂宮の跡目争いに一子様の協力者として参戦、どんな理由なら若宮のご隠居達は納得するか?

一子様から譲歩や融通を利かせる対価を払わせられるかが問題だぞ」

 

 亀宮一族と加茂宮一族との間で取り決めを交わさないと僕は表立って参戦出来ない。

 だが亀宮さんに駄目と言われても参戦しなければ駄目な理由が有る、落し所が難しいぞ。

 

『黙って参戦するには柵(しがらみ)が多過ぎるか……正明、亀憑きを押し倒せ!言う事を聞かせるには情婦にすれば良いだろ?』

 

『ごめんなさい、胡蝶さんの考えが斬新過ぎて理解が追い付かないです。

亀宮当主の情夫になったらさ、安全の為に奥へ引っ込んで子供を沢山作れって言われると思うんだ。

そして対応が遅れて九子は手が負えない存在へとなってしまう』

 

『それはそれで……でも奴を野放しにすれば何れ被害を受けるのは明白だ。ぐぬぬ、ままならぬな』

 

 ぐぬぬ、じゃないだろ胡蝶さん?

 どちらにしても加茂宮の跡目争いには参加しなければ駄目なのは確認、九子の言質も取った。

 

『先ずは一子様に連絡し九子に襲われた事、一子様を手伝えと言われた事を伝えて助力が必要か確認しよう。

必要な場合は亀宮に対して何を対価として払えるかだね、僕等が奴等を食いたい事は教える必要は無い』

 

『助力すると見せ掛けて我が食うのだな、更に亀憑きの一族に配慮させるか。正明も悪になったな……』

 

『もう既に薄汚れて手遅れだよ、後悔も反省もしていない。僕と胡蝶が最終的に幸せなら喜んで悪と言われよう』

 

 あれほど吹き荒れていた雨風が止んだ、外に出れば暗い雲の隙間から太陽の日差しが漏れている。

 どうやら峠は越えたみたいだな、国道まで戻ってタクシーを拾うかJR田浦駅まで歩くか?

 

「タクシー拾って横須賀中央の事務所に行くか、自宅から一子様に電話するのは気が引ける」

 

 ポケットに両手を突っ込んで所々に出来た水溜まりを避けながら市道を歩く、革靴が水を吸って気持ち悪いけど我慢だ。

 

『だが加茂宮の当主達を食う理由が出来た、ある意味九子には感謝だな』

 

『確かにね、普通なら他勢力の跡目争いなど関わり合いを避ける出来事だ』

 

 途中自動販売機でコカ・コーラを買って一気飲みをする、気付かなかったが緊張して喉がカラカラだったみたいだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横須賀中央の事務所に到着、名刺ファイルに入れっぱなしだった一子様の名刺を探し携帯電話の番号に連絡を入れる。

 

『はい、何方かしら?』

 

 ワンコールで出たのに何方かしらは無いだろう?

 

「ご無沙汰してます、榎本です」

 

『榎本さんが私に連絡をしてくるなんて嬉しいわね、何か相談かしら?』

 

 さて、僕は彼女に苦手意識が有るのだが、何処まで交渉出来るかだな。唇を舐めて気持ちを落ち着かせる、此処からが本題だ。

 

「一時間位前に加茂宮九子と配下の鬼童衆に襲われて撃退したよ、九子は一子様に助力してやれって言っていた。

君は僕の力を必要とする状況に追い込まれているのかい?」

 

 電話口からでも彼女が息を呑むのが分かった、かなり動揺している。たっぷり十秒以上は無言だが、敢えて催促はしない。

 

『ええ、私は榎本さんを欲しています。対価は私自身、お願い事は加茂宮の他の当主達の捕縛または撃退、お願い出来るかしら?』

 

「無理です、対価は僕が参戦する事を亀宮一族が納得する事が出来るモノ、それと仕事として請けますので正式な契約を結びましょう」

 

『失礼極まりない言葉に目眩がしたわ……明日、亀宮本家に行くから途中まで迎えに来て下さい』

 

 そう言われて電話を切られたが、何処に迎えに行くんだよ?



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幕間第18話

 愛知県の名古屋市に拠点を持つ広域暴力団(だと思う)団体にお抱え霊能力者として囲われたっぽい今日この頃、何故か組の若い衆と一緒に筋トレに励んでいます。

 

「何故こうなった?」

 

「先生が貧相で直ぐに死んじまいそうだからだな」

 

 隣で指導してくれる軍司さんは若頭で、並んで扱(しご)かれてしるのがマサとヤス、あれ?サブだったっけ?が僕の付き人らしい。

 

「いえ、僕は霊能力者で人ならざるモノを倒す仕事をですね」

 

「どんな仕事も体力は必要だ、先生は命を懸けた仕事をしているんだぜ。基礎体力を疎かにしてどうする?」

 

 全くの正論にグゥの音も出ない、仕方無く腕立て伏せを黙々と始める。

 此処は親父さんが経営するボクシングジムで実際に69.8㎏スーパーウェルター級日本ランキング七位と50.8㎏フライ級日本ランキング十位が在籍している。

 流石にチャンピオンは居ないが普通の弱小ボクシングジムだろう、練習生の三割位がソッチ系で戦う術を学んでいるのはアレだが効率的に肉体を鍛えられるのは間違い無い。

 

「凄くキツいんだけど……」

 

「先生にシャドーやミット打ちとか不要だろ?基礎体力はロードワークと縄跳び、ベンチプレスを重点的にやるぜ。

腕立て伏せが終わったらダンベルカール、ダンベルプレス、ハンマーカールの組合せ四分間だ!」

 

「少し休ませて欲しいです……」

 

 強面の軍司さんに言われては逆らう事は出来ない、渋々と筋トレのメニューをこなしていく。こりゃ明日は筋肉痛だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 立ち退きマンションの怪異を祓った一週間後、怪我の痛みは取れたが筋肉痛が追加された身体を引き摺りながら、軍司さんと共に親父さんの居る事務所へと向かう。

 白のシーマの後部座席に軍司さんと並んで座り、ヤスが運転しているが驚いた事に慎重で安全運転だ。

 僕の居た四国と違い愛知県の名古屋市内は都会的で人も多く驚いている、今の僕は田舎者でお上りさん状態だ……

 

「先生、少し落ち着いてくれ。キョロキョロするな、恥ずかしいぞ」

 

「すみません、高層ビルやコンビニが珍しくて……最近まで山寺に住んでいて、その前は四国の山村に居たんです」

 

 其処まで隔絶されたド田舎じゃなかったが、やはり都会は珍しい。

 

「分かった、今晩都会の夜の遊びに連れてってやるから落ち着けよな」

 

「キャバクラやソープは遠慮します」

 

 何か気後れするんですよ、華やか(ケバい)過ぎる女性達ってさ。

 もっと、こう……楚々とした美少女が良いんだが、軍司さんの連れてくる女性陣(二十代)は若くない!

 これは「箱」によるトラウマだろうか、それとも自身の秘めたる性癖か?

 

 自分に降り掛かった境遇を嘆いても仕方無いし事務所に到着したので軍司さんと共に応接室に通される、ヤス達は事務所の方で待機。

 

「おう、先生。怪我の具合はどうよ?」

 

 開口一番心配してくれるのが凄い嬉しいが怖い。

 ソファーにドッカリと座り日本経済新聞を読んでいる、現代のヤクザ業は世論や時世も知らなければ駄目らしい、要は全うな金儲けが出来ない連中は違法に走り自然淘汰される。

 今の時代、確りした副業を持ってる方が強いらしい。

 

「有り難う御座います、もう大丈夫です」

 

 きっちり頭を下げてお礼を言っておく、医者の手配をしてくれたのは親父さんだから……

 

「そうかい?じゃ仕事の話をさせてくれや、コイツを見てくれ」

 

 無造作に投げ渡されたA4ファイルを捲る、一件不動産屋で良く見る賃貸物件ファイルだが?

 

「これは……不良債権ですか?」

 

「所謂曰く憑き物件って奴だな。不良債権の競売・公売リスト、その中でも霊障や祟りが凄過ぎて入札すらままならない。

だが上手くすれば安く買い叩ける、先生はどれなら大丈夫ですかい?」

 

 ああ、なる程な。手に入れてから除霊して転売、先にやったら入札で金額が競り上がるからか。

 入札者が集まらず再入札が続いている物件だ、買い叩ける可能性は高い。

 ペラペラと頁を捲るが告知欄に『夫婦無理心中』とか『孤独死』とか書いてあるけど詳細までは予想が付かない。

 だけど「箱」の贄には丁度良いかな、それに僕の復讐にも丁度良い。

 

「じゃ上から順番で良いですか?」

 

 最初の頁には告知欄に『事故物件により要確認、拉致監禁殺害』と有る、重たい話だ……

 

「コイツかい?こりゃ最初から大物だな。

この屋敷の若い持ち主はよ、資産家の両親が事故死して遺産を相続したんだが暇潰しに犬や猫を攫っては殺していた。

だが次第に犬や猫で我慢出来ずに最後は人間をって奴だ、警察が踏み込んだ時は四人攫って殺してた。

奴は獄中で自殺したが、何故か屋敷に化けて出るらしいな。

競売物件で入札は明日だが中には入れない、外観を見て入札金額を決めるのさ」

 

「中は見れないんですか?」

 

 外観だけじゃ正確な査定は出来ない、買ったら損をする場合も有るだろう。

 

「ああ、だが先生が祓えるなら最低入札金額を提示すっかな。現物確認は一緒に行こうぜ」

 

 生前も罪を犯し死後も罪を重ねるか、最悪な連中だぜ。

 

「破産管財人の管理する事故物件の入札、売却費用は被害者への救済ですか。被害者への魂の救済は僕が行いましょう」

 

「そういや先生は在家僧侶だっけか?まぁ魂の救済でも何でも良いが頼みますぜ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 公開入札の現地確認会に参加した不動産屋は三社、どれも堅気じゃなさそうな連中で同業者(霊能力者)を同行させている。

 背広姿の中年と袈裟を纏った老齢坊主のコンビや、スーツ姿の美人に金髪のキツめな巫女さんのコンビ、親父さんに同行した僕はパーカーにジーパンと見た目大学生だ。

 他の二組からの視線が痛い、どう見ても不審者扱いだしヒソヒソと話し合って感じが悪い。

 

「先生、どうよ?」

 

 親父さんの言葉に注意を建物に向ける、なる程資産家の邸宅だけあり都会では大きい方かな?

 実家には本堂や別棟、倉や倉庫とか有ったから比較すると小さい。だが洋風建築二階建、駐車場は二台、庭も広い、総坪数は二百か……

 

「ああ、二階の窓から睨んでますね……アレが獄中で死んだ男か。確かに周りを怨みます感が酷いや」

 

 二階の東側の張り出し窓から顔を覗かせている男は、痩せこけた土色の顔に嫌らしいニタニタ笑いで僕等を見下ろしている。

 アレは赤の他人も巻き込む典型的な悪霊だな、復讐には丁度良い相手だ。

 

「へぇ、見る事は出来るのね。かなり危険な相手だわ」

 

 金髪の巫女さんが話し掛けて来た、気にしてなかったから詳しく見てなかったが……若いな、同い年位か?

 だが本来巫女さんとは清純な筈だ、金髪のキツめな化粧を施した彼女はナンチャッテ巫女さんのコスプレイヤーと認定する。

 

「そうだね、完全な悪霊だから遠慮は要らない」

 

「アレを祓うつもりなの?既に三人の霊能力者が倒されているのよ、あんな危険な奴、私は御免だわ」

 

「俺も嫌だな、胸糞悪いが強力な奴だ……」

 

 三組中、二組が除霊を拒否した、この物件は親父さんの一人勝ちか大損かって事になるな。

 

「見終わりましたか?では明日迄に入札金額をメールでお願いします。通常査定額は2800万円ですが……色々な事情により最低入札金額は1500万円からになります」

 

 土地と違い建物って不動産価値は殆ど無いって話だけど三百坪もあって一坪が十万円ってこの辺の立地条件を考えても安くないか?

 でも駐車場に車が停めっぱなしだし庭に物置とかも有った、家財道具一式残ってそうだな。

 

「先生やれるかい?」

 

 親父さんの問い掛けに無言で頷く、最初から断るつもりは全く無いんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 入札は親父さんの所が最低入札金額+一万円で落札した、他の二組は最低入札金額を提示したのだろう。

 入札確定後、軍司さんにお願いしてヤス達に色々と調べて貰ったが興味深い事が分かった。

 あの屋敷の中だが殆ど手付かずらしい、破産管財人が資産差押えの為に侵入して霊障に有っている。

 銀行預金は凍結し確保したらしいが屋敷の中に美術品とかが残っていれば丸儲け、親父さんは最悪屋敷は転売出来ずとも残された物が売れれば利益が出ると踏んだ。

 実際に資産家として美術品の収集と転売も行ってるし金庫も有るらしい、欲に目が眩み突入した連中は軒並み霊障に有った。

 

 因みにこの場合の霊障とは取り憑かれて殺されたと思って良い、奴は死しても殺人を繰り返している。

 

 不動産売買契約締結後、漸く除霊を行う事になったのは、除霊が成功した場合に金銭面で揉めるのを見越してだろう。

 破産管財人だって少しでも資産を回収したいだろうし、中の物は別途とか言い出しそうだよな……

 

「本当は屋敷に火を点けて全焼させて更に跡地に塩を撒いて清める予定だったけど、屋敷とその中の品物は極力壊さずにとはね……」

 

 復讐が目的なので周りの事まで気にしてなかった、反省……改めて依頼の屋敷を見る、やはり二階の東側の窓から奴が覗いている。

 

「榎本先生よ、俺等は此処で待ってるからな」

 

「待ってるっす!」

 

 少し離れた場所に車で待機すると言う軍司さんとヤス、確かに同行されても邪魔だし「箱」の中身を見られたくない。

 黙って頷いて玄関の鍵を受け取る、此処まで悪霊が自己主張している物件は初めてだ。

 テレビ局や心霊系雑誌の取材が来ないのか謎だが、本物過ぎると逆に敬遠されるらしい、噂が広まり素人が肝試しに来る前に何とかしろってか。

 

「では行ってきます、除霊が終わる迄は出て来ませんので」

 

「ああ、だが……そうだな、今は十時過ぎだから少なくとも十二時には一旦出て来てくれ」

 

 二時間か……あからさまに存在している奴を倒すなら十分な時間だな、玄関から入れば即戦闘だろう。

 全く罠や退路を作る暇も無いのが辛い。厳つい男達に見送られて悪霊の巣食う屋敷へと向かった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 鍵を開けて玄関扉を開く、一階は雨戸を閉めているので真っ暗だ、仄かに黴臭いし妙に湿った空気が流れだして来る。

 玄関扉を全開にして傘立てと思われる大きな壺をドアストッパー代わりにして玄関扉を固定する、少しでも逃げ易い様にだ。

 

 屋敷の中に入る前に戦闘準備を整える、右手に懐中電灯、左手に浄めた塩を入れたペットボトル、胸ポケットには自作の愛染明王の御札、たったコレだけで全てだが十分だ。

 ああ、あと腰に巻いたポーチの中に「箱」を入れてある。

 

「お邪魔します……」

 

 土足で中に入り懐中電灯で照らしながら先ずはキッチンを目指す、ブレーカーが落ちているので照明が点かないんだ。

 真っ暗な中をうろ覚えの配置図を思い出しながら進む、確か玄関を入り廊下を進んで左側がキッチン、右側がリビングだった筈。

 分厚い絨毯が足音を消してくれるが、奴は既に侵入した僕に気付いているだろう。

 

「有った、キッチンだ。ブレーカーは……勝手口の上か」

 

 念の為に勝手口の鍵を開けてからブレーカーを全てONにする、だが未だ明るくならない、照明のスイッチを入れ忘れたから。

 

「ようこそ、俺の家に。歓迎するぜ?」

 

「なっ?」

 

 いきなりキッチンが明るくなったので驚くと奴が入口で照明のスイッチに手を掛けて立っていた、わざわざ灯りを点けてくれたみたいだ。

 

「こんなに堂々と入って来た奴は初めてだぜ、何か用か?」

 

 驚いて声が出ない、奴は実体が有るかのような存在感だし普通に口を動かして喋り掛けて来た。

 信じられない程に土気色の肌とギラギラした目、上下真っ黒な服装、そして妙に長く右に傾いた首……

 

 そうだった、コイツは獄中で首吊り自殺だったっけ?

 

「地獄に落ちろ!」

 

 ペットボトルの蓋を開けて中身をブチ撒けるが後ろに跳び去って躱された。

 

「危ねぇな……慌てんなよ、久々に遊びたいんだからよ。じゃ俺を探して殺しに来いや!」

 

「待ちやがれ!」

 

 床に沈み込んで行く奴は久し振りの被害者が自分のテリトリーに現れた事を酷く喜んだみたいだ。

 

 この屋敷に入り込んだ奴が受けた霊障……

 

「殺されて玄関の外に叩き出された、多分だが魂は奴に囚われている」

 

 生前の拉致監禁殺害を悪霊になっても繰り返す奴を必ず地獄に送ってやる!



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幕間第19話

 名古屋市内某所に有る曰く付きの屋敷、家主が連続拉致監禁殺人犯で逮捕後に獄中で首吊り自殺。

 悪霊に成り下がり自宅へと取り憑いて生前と同じ悪業を繰り返している。

 僕は親父さんの頼みで奴を祓う事になったが、昼間から普通に姿を見せる凶悪な悪霊。

 屋敷に侵入したが直ぐに目の前に現れて逆に自分を探せと言って床に沈み込んで行った。

 

「不味いな、遊ばれている感じがする。先ずは一階を調べるか……」

 

 キッチンの向かい側はリビングになっている、幸いブレーカーを上げたので照明は点く。

 廊下の照明を点けて入口でリビングの様子を伺う、高そうなソファーセットが中央に有り壁には絵画や鹿の首だけ剥製が取り付けられている。

 

「暖炉まで有るな、備え付けの棚には洋酒が沢山並んでるし売れば儲かりそうだな」

 

 名前すら知らない、でも確実に高級品の洋酒の瓶をそのままに次の部屋に行く……前に雨戸を全部開けて直ぐに外に飛び出せる様にする。

 最悪扉を閉められても明かりは確保出来る、電気を消されたら真っ暗だから出来るだけの事はしよう。

 

「奥の部屋はリネン室に倉庫かな?」

 

 キッチン側の奥の部屋は洗濯機や乾燥機、それに棚が並びバスタオル等が積んで有り隣は食料品が山積みの倉庫だ。

 缶詰めを調べればキャビアやカニ缶等の高級食材から乾麺やパスタ、レトルトカレーも有る。

 賞味期限はヤバそうだ、奴が捕まってから半年以上は経っているからな。

 

「ん?これは、ナッツぎっしり小腹が空いたらってチョコバーだ」

 

 CMで良く見る小腹が空いたら齧るアレを手に取る、戦いには糖分が必要と包装紙を剥がして一口、キャラメルの甘い?

 

「うわっ?何だコレ?あ、蟻だと?」

 

 口の中を蠢く食感に思わず吐き出せば大量の蟻が!手に持っているチョコバーにも大量の蟻が集っている。

 

「馬鹿な、さっき迄は普通の……」

 

「馬鹿だなぁ、お前食い意地張り過ぎだ。他の奴は高額の絵画やら壺やらを持ち出そうとしたのに、駄菓子食って何したいんだ?」

 

 幻覚を見せられたんだ!

 

 振り向き様にペットボトルを横薙ぎして背後の奴に浄めた塩をブチ撒けるが、やはり後ろに跳び去って避けた。

 口の中に残った蟻を吐き出したいが目を逸らしたらヤラれそうなので我慢だ!

 

「クックック、じゃ又後でな!」

 

 折れた首を揺らしながら今度は背後の壁に溶け込んでしまった……畜生、完全に遊ばれている。

 改めて棚を見れば缶詰めは錆ているし乾麺やパスタは黴が生えている、腐って食べれたモンじゃない。

 

「幻覚?精神に干渉してるのか……ヤバいぞ、初めての霊障だな」

 

 こんな絡め手で来る悪霊は初めてだ、あのチョコバーは新品同様に見えたし包装紙を剥いても蟻なんて居なかった。

 視覚も嗅覚も触覚さえも誤魔化す幻覚なんて有り得るのだろうか?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 実際に見た物でも迂闊に信用出来ないとは探索としては最悪だ、唯一の救いは奴が浄めた塩を避けている事だ。

 当たればダメージを与える事が出来る、それだけが希望だな。

 

「一階の残りは風呂場とトイレ、それに洋室が二部屋か……」

 

 警戒しながら風呂場とトイレを確認する、二人入っても余裕なジャグジー付き浴槽に無駄に広いトイレ、金持ちだったのは知っているが腹が立つ。

 奥の洋室は二部屋とも八畳間で荷物は何も無かった、クローゼットの中は確認していない。

 取り敢えず二部屋共に、何故か息苦しいので換気も兼ねて窓を全開にしておく。

 

「いよいよ二階か……」

 

 階段室を見上げれば真っ暗だ、二階は何部屋かは窓がカーテンだけだったのに手探りでスィッチを探して照明を点ける。

 幅の広い階段だ、二人並んでも十分に上り下り出来る、しかも絨毯が張り付けてあるな。

 住人が高齢化した時用だろうか、左側に手摺りが設けてある。

 用心しながら二階へと上がる、足音が全くしない毛足の長い絨毯は高価なんだろうな。

 

「お前は此処までだ!」

 

「なっ?」

 

 突然目の前に現れた奴が両手で胸を突いた、溜まらずに後ろに仰け反り階段を転がり落ちる。

 何とか手摺りに捕まろうとしたが、手は空中を掴みそのまま一階へと落下した。

 

「クソッ、油断したつもりは……イタタ、ヤバい右腕が折れたか?」

 

 仰け反る様に落ちた時、身体を右に捻った為か右腕が階段に当たり更に身体の下敷きになってしまった。

 身体を起こそうと動かした時に激痛が走る、指を握るだけで痛いぞ。

 

「ギャハハ、死ねよ、シネシネ、お前は此処でシネ!」

 

 片手ではペットボトルの蓋が開けられない、仕方なく口に咥えて何とかキャップを外し真っ直ぐに突っ込んでくる奴に向かい浄めた塩をブチ撒ける!

 

「ヒャハ?イテェなぁ、身体が焼けるみたいだ」

 

「クタバレ!」

 

 更に塩を掛け捲るが滲む様に消えてしまった、だが倒してはいない。

 

「逃げたか……だが……不味い!」

 

 折角点けた照明が全て消えてしまった、一階はそれなりに明るいが二階は真っ暗だ。

 いよいよ手段を選んで来なくなったな、奴は二階に居て僕を近付けたく無いのか……

 蓋を開けたままのペットボトルをズボンの左右のポケットへ入れて懐中電灯を取り出す、右腕は完全に動かないしジクジクした痛みも止まらない。

 逃げ出したいが逃げられない、此処で逃げ出したら怖くて二度とこの屋敷には来れない。

 

「此処は踏ん張るしかない!」

 

 懐中電灯を口に咥える、予備の小型の物を用意しておいて良かった。

 大型の方を腰に差して左手にペットボトルを持つ、唯一の武器が使えないのは不味いから……

 周囲に注意しながら慎重に階段を上る、次に突き落とされたら受け身は取れない、右腕の他に腰も痛いんだ。

 階段を上り切ると廊下になっており左右に扉を二つずつ計四部屋有るのか……

 配置上、奴が覗いていた窓は右側の手前の部屋だ、開ければ奴が居るだろう、ドアノブは握って手前に引くタイプだ。

 

「片腕だとキツいが仕方ない」

 

 脇にペットボトルを挟み左手でドアノブに握り、ゆっくりと時計回りに回す。

 ギギギっと嫌な金属音が小さく響く、鍵は掛かって無かったか。

 ドアノブから手を離しペットボトルを握り締めて一呼吸、落ち着いてから扉を蹴り開ける!

 

「成仏しやがれ!」

 

 中に入った瞬間、ペットボトルを水平に振り抜き浄めた塩をバラ撒く、残念ながら奴は居ない?

 

「惜しい、上だよ」

 

「まだだっ!」

 

 ペットボトルを真上に向けるよりも早く押し倒されてしまう、直ぐに首を絞めてきやがる。

 

「やっ、止め……止めろ、この野郎……」

 

 右腕を動かそうとしたが脊髄に響く痛みで一瞬だが気を失いそうになる、何とか左手で振り払おうとするが一向に首を締める手は緩まない。

 

「クソッ、此処まで……か……」

 

「クハッ、お前も俺と同じ首を折って死ぬんだよ、他の女共も同じ様に殺したんだぜ。

もっともヤッてる最中だったがな、首を絞めるとアソコも締まるんだぜ、たまらんだろ?」

 

 ヤバい、このままじゃ殺される。

 

 自由な左手でペットボトルを探すが漏れて中身が床に零れてる感触が……

 浄めた塩を握り締めて掌に刷り込み、親指を奴の右目に突き刺す。

 目潰しは人差し指と中指だと思われがちだが、丈夫で力を入れやすいのは断然親指だ!

 グシャっとした感触、気持ち悪いが我慢して更に押し込む。

 

「きさっ、キサマァ、俺の右目を……殺してやる、ブチ殺してやるぞぉ!」

 

 掌に付いた浄めた塩を舐め取り奴の首筋に噛み付く、酸素を求めて深呼吸したいが我慢だ。

 噛み付いていても呼吸は出来るし、満身創痍の身体で動かせるのは左手と頭くらいだから……

 

「にゃめるな、俺ぎゃ貴様をじょうびゅつ、させたるぜ」

 

 床に零れた浄めた塩を掻き集めて奴の背中に塗りたくる、刷り付ける度に身体を痙攣させているから利いているのは間違いない。

 だが噛み傷から絶え間なく口に流れ込むヘドロみたいな体液に、とうとう咳き込んでしまった。

 

「ゲハッ、吐きそうだ、いや……ウゲェ、気持ち悪い」

 

 仰向けに倒れて横を向いて吐いてしまった、一度吐いたら止まらない、胃の中身を全て吐き出す勢いだ。

 

「クソッ、まだ止めを刺してねぇ!」

 

 何とか上半身を起こして奴に向き合う、未だ身体が動く内は足掻いてやる。

 

「お互い様だぁ!お前はブチ殺して……あ?」

 

 フラフラと立ち上がった奴の右腕が付け根から無くなっている。

 

「頑張った方か?惨めで薄汚いぞ、正明よ」

 

「死ぬ気で頑張っても惨めかよ……やってられないな」

 

 全裸幼女体型に変化した「箱」が奴の右腕を咥えている、後は「箱」が食ってお終いかよ。毎回だが自分の無力さに嫌になる……

 

「おおお、おまえ、何だよ?何なんだよ?俺の右腕を返しやがれ!」

 

「煩いぞ……不味い贄の分際で黙れ、囚われて絶望していた女共の魂の方が美味かったぞ」

 

 ああ、確か拉致して殺した女の魂を捕らえてるとか何とかって話か?僕が死にそうな時に摘み食いしていた訳か……

 心底嫌そうな顔で手で羽虫でも払う様にする「箱」に奴がキレたのか突撃して行くのを見ながら意識が遠退いて行った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「全く毎回死にそうだな、愚かな正明よ、早くお前の役割を盟約を思い出すのだ……」

 

「イタタ、何を言ってるんだよって、あれ?」

 

 右腕の痛みに意識が戻る、どうやら「箱」が何時も通り最低限の簡単な治療はしてくれたみたいだ。

 脊髄に響く様な痛みは引いたが完治はしていない右腕を動かす、痛みは有るが動くから大丈夫みたいだな。

 

 無事な左手で胸ポケットに入れていた携帯電話を取り出して、外で待機している軍司さん達を呼ぼうとして痛みで携帯電話を落としてしまった。

 奴に目潰しした親指は折れて曲がらない、まいったな、携帯電話のボタンが押せないじゃないか。

 

「仕方ない、外に出るか……」

 

 幸い一階の窓や出入口は全て開けてある、近くの窓から呼べば良いだろう。

 痛む身体に鞭打ち何とか立ち上がり、近くの窓から顔を出す。

 軍司さん達が煙草を吸いながら屋敷を見ていたので直ぐに気付いてくれた、痛む左腕で何とか手招きをすると軍司さんが近付いて来た。

 ヤスとサブ?は嫌々ながら怖そうに近付いてくる、流石は軍司さんだ、度胸が違う。

 

「よう、榎本先生!傷だらけだが終わったのかよ?」

 

「ええ、終わりました。奴は地獄に突き落とし囚われていた八人の女性の魂は解放しました。もう大丈夫です、僕は大丈夫じゃないかもです」

 

「おい?榎本先生?ヤス、サブ、医者だ!医者に連れて行くぞ。何で毎回死にそうなんだよ」

 

 窓から引き摺り出された事を確認し本日二回目の意識が……遠く……な、る……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「アレ?知ってる天井に似てるな……」

 

 見覚えのある天井、ベッドにカーテン、やはり全裸で寝かされている。枕元にはナースコールのスイッチが有り迷わず押した。

 

「榎本君、意識が戻ったかい?」

 

「やはり美浦(みほ)さんの病院でしたか?」

 

 つい最近退院したばかりの病院にUターンしたみたいだ、序でに病院服もLサイズでお願いした。

 暫くすると女医さんと美浦さんが病室まで来てくれて簡単な診察をしてくれる、右腕はギブスで固められ左親指も石膏で固められている。

 

「あのね、一週間と経たずに病院に逆戻りって馬鹿なの?流石の私も馬鹿に付ける薬は無いのよ?

右腕は単純骨折、左親指はヒビ、肋骨二本もヒビが入ってるわ、後は打撲に切り傷と満身創痍ね」

 

「そうですか、因みに僕はどれ位寝てたのかな?」

 

 喉の渇きと空腹感が酷い、窓からの太陽の光は昼間だと思う。

 

「昨日の昼間に担ぎ込まれてね、今は朝の九時過ぎよ。お腹空いたでしょ、直ぐに朝食を用意するわ」

 

 深くは聞かずにいてくれるのが助かる、いくら軍司さんの知り合いの医者でも毎回幽霊と戦って怪我を負ってるとは言えない。

 暫く待つと懐かしい病院食が運ばれて来た、前回と全く同じメニューだった。



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幕間第20話

 また親父さんの知り合いの訳有りOKの個人病院のお世話になっている。

 今回も大怪我を負ってしまった、特に両手を怪我したのが痛い、右腕は骨折、左親指は骨にヒビが入った。

 毎回死にそうなのだが、もう少し除霊スタイルを変えないと復讐を終えない内に殺されてしまうな。

 次回からはもう少し除霊スタイルを変えてみよう……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 やはり「箱」が中途半端に治療をしてくれたらしく、右腕のギブスは三日目に外してもOKとなった。

 左親指の骨のヒビは全治二週間前と言われて今も大袈裟に包帯が巻かれている、全身の打撲や擦り傷は何時もの事だ。

 親指が曲がらなくても子供握りでフォークを使い、慣れない左手でサラダの胡瓜を突き刺して食べる、安っぽいドレッシングが妙に美味しく感じる。

 プラスチックの容器に乗せられたメニューは食パン二枚にハムサラダ、コーンスープにパック牛乳、デザートはグレープフルーツ。

 左手でも食べれるのは嬉しいが前回と全く同じメニューとは栄養士さんは何を考えているのだろう?

 時間を掛けて朝食を終えて抗生物質と痛み止めを飲んだら眠くなってきた。

 丸一日寝ていたのに、人間って寝れるんだな。

 僅かに開いた窓から気持ち良い風が入り込んで頬を撫でる、どの道寝るしか時間を潰す方法が無いから構わないか?

 今晩は寝れないかもしれないが、美浦さんに雑誌の差し入れを頼めば良いか。

 

 僕は意識を手放した……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 昼の十二時きっかりに起こされた、昼食だ。

 メニューはシーフードピラフに中華スープ、ヨーグルトのブルーベリーソース掛けにパック牛乳。

 シーフードピラフは油分が少なくパサパサで炒飯みたいだが味は悪くない、スプーンで掬い口の中に入れる。

 美浦さんが差し入れに雑誌を数冊持って来てくれたが、彼の趣味が分かる。

 ゴシップ記事満載の週間毎朝とか月刊相撲倶楽部、それに旬を過ぎた落ち目アイドルのセクシー写真集……僕にどうしろと?

 痛み止めが利いているので無理をしなければ動く事が出来る、ベッドに腰掛けて週間毎朝を読む。

 

「近隣の二国と緊張状態、食品に毒物混入、生活保護の不正受給、国会議員の汚職、警察官僚が痴漢で逮捕……明るい記事が無い」

 

 こういう不安を煽る記事ばっかりってどうなんだ?読者は喜ばないだろうに……

 

 更にページを捲るとカラーページに変わり際どいヌード写真が四ページほど掲載されている、顔も名前も知らなかったAVアイドルが挑発的なポーズでカメラに目線を送っているが、二十代半ばはオバサンだ。

 自分がロリコンだって何と無く自覚し初めているので年上に興味は無い。

 カラーページの次には連載小説と特集の隣の国の将軍様の動向だ、正直どうでも良い。

 

 良い感じに眠くなって来たので本日二回目の意識を手放した……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕食かと思えば三時の差し入れを持って軍司さんが見舞いに来てくれた。分厚い見舞金を何とか断る、厚さが1㎝は有ったぞ。

 厳つい身体を備え付けのパイプ椅子に押し込む、見舞金は遠慮したが特大のフルーツ盛りは受け取った、メロンの魅力に負けた訳では断じて無い!

 

「元気そうで安心したぞ、でも相変わらず遠慮癖は抜けないな」

 

「あんな分厚い見舞金なんて怖くて貰えません!でもフルーツは頂きます、食べるだけが楽しみなので……」

 

 入院中の娯楽は少ない、特に同じ入院患者が居ないので話し相手は美浦さんだけだし。

 

「今日来たのは結果報告だな」

 

 軍司さんの話を纏めるとこうだ、先ずは僕が気を失って直ぐに病院に運び込んでくれたが屋敷の方は美術品の持ち出しをしていた。

 元々奴の両親は資産家で美術品や骨董品の収集と転売をしていた、警察が家宅捜索をしても事件に関係無い美術品や骨董品は証拠として持ち出さない。

 流石に金庫の中身や現金は持ち出したが、裁判中で罪が確定する迄は資産の差押えも無理だ。

 だから奴が自殺し容疑者不在で裁判で有罪判決が出た後で、被害者の会が差押えに向かったら悪霊化した奴に返り討ちになって遺産に手を出せなかった。

 だから土地と建物込みで競売に掛けた、少しでも被害者の為に金が欲しいが中に有るだろう美術品の値段は査定額に組み込め無い。

 だから土地と建物の最低入札額は1500万円と破格の安さだった、少しでも入札額を上げて欲しかっただろうが同行した霊能力者が匙を投げた為に義理入札。

 一万円上乗せした親父さんが、まんまと落札してしまった。

 

 奴が僕の侵入を拒んだ二階に美術品や骨董品は集められていた、刀剣類七点、絵画十六点、掛け軸三点、茶器等の骨董品が45点、他に貴金属や高級時計等で合計で百点近いお宝が見付かり、直ぐに屋敷から運びだした。

 今日は家財道具一式を運び出してリサイクルショップに売るそうだ、徹底しているな。

 親父さんの家に運び込まれたお宝は現在鑑定中、

 刀剣類は一本三百万円以上、絵画は一点百万円から最高額は八百万円、掛け軸は三本合わせても五十万円程度、骨董品の茶器類は鑑定中だが数千円から十万円前後が多いらしい。

 先代は現代美術や刀剣類の目利きは確かだったが骨董品類はイマイチだったんだな。

 他にも貴金属の中には記念金貨や宝石類、腕時計もBVLGARI等の高級ブランド品ばかりだし最終的には七千万円は越えるらしい。

 勿論、正規の転売じゃない裏ルートだから税金は掛からないので丸儲け。

 

「あの屋敷は壊して傘下の建設会社の資材置場にするぜ、その後に月極駐車場、そして転売だな。

十年も放置して置けば噂は風化して適正価格で売れるだろう。

榎本先生のお陰で一億円近い利益が出そうだぜ。親父も今回の報酬も五百万円だって言ってたぞ」

 

 バンバンと肩を叩かれたが血の気が引く思い出だ、三件除霊して報酬が合計千五百万円とは二十歳過ぎの若造には怖い金額だ。

 只でさえ親父さんの屋敷に居候して衣食住の面倒を見てもらっている、医療費も全額負担して貰ってるんだぞ。

 

「相場通り何ですか、高過ぎませんか?そんなに凄い悪霊じゃなかった……」

 

「榎本先生よ、俺等に借りを作りたくないのは分かるが不当な評価はしたくねぇんだ。

今回の件も他の二組の霊能力者が降りた、今売出し中の摩耶山のヤンキー巫女と高野山の元僧侶はな、最近じゃ名古屋で最強って言われてる連中だぞ。

そんな奴等が除霊を嫌がったんだ、榎本先生は謙遜なのか自信が無いのか分からないが低く見過ぎだな」

 

 男前に笑い掛けられても僕の実力じゃないから辛いんです、「箱」というズルをしてる最低の男なんです。

 

「何でそんなヒデェ顔をするんだ?榎本先生がスゲェのは俺達皆が認めてるんだぜ。今夜は羽生ん所で宴会だ、盛大に楽しもうぜ!」

 

 バンバンと肩を叩いて励ましてくれる、思わず兄貴と慕いたくなってしまう……怖いな、ヤクザテクニックは。

 しかし高級料亭でキャバ嬢接待は気を遣うし大変なんだよな。

 

「有り難うございます、頑張ります」

 

 在り来たりなお礼しか言えなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから二件の除霊を行った、相変わらず生傷が絶えない。

 あの屋敷が取り壊されると聞いて様子を見に来た、既に庭には重機が入り込み二階部分は半分壊されている。

 日曜日だから解体作業は中止、何と無く足を向けたが見上げる屋敷に感慨深い気持ちは沸かなかった。

 

「あら?自分が除霊した現場の確認かしら?」

 

 女性から声を掛けられて振り向けば、キャバ嬢っぽい派手なブランドスーツを着た若い金髪女性が腕を組んで僕を睨んでいる。

 組んだ腕で胸が強調されて気持ち悪い、やはり微乳は美乳、デカいのが好きな連中は納得出来ない。

 

「誰だっけ?」

 

 気持ちが荒んで好みと真逆な女性から敵意を滲ませた視線を向けられている為か、受け答えが攻撃的になってしまうな……反省。

 

「誰って……貴方は商売仇について調べてないの?」

 

「商売仇?えっと、誰だっけ?」

 

 派手な女性は記憶に無いな、こんなケバい……あれ?

 

「ああ、摩耶山のヤンキー巫女だっけ?」

 

「もう良いわ、全く奴と屋敷に囚われた女性達の魂を解放に来たんだけど……」

 

 屋敷の二階部分に視線を彷徨わせている、あの入札の立ち会いの時に囚われている女性達の存在に気付いてたのか?

 

「居ないだろ……奴を祓う時に一緒に八人の女性達の霊も……その、祓ったよ」

 

 語尾が小声になってしまった、正確には「箱」が魂を食べてしまった。

 奴に囚われているより無に帰った方が良かったと思いたい、そう思わなければ心が壊れそうだ。

 

「あら?そうなんだ。私以外にも気付いて祓っていたのには感心するわ。

でも貴方、酷い顔をしてるわよ、目付きも危ないし身体中怪我だらけだし……

まるで野良犬の狂犬みたいだから少しは周りに気を遣いなさい」

 

 ビシッと鼻先に指を差すな、マナー違反なんだぞ!

 しかし未だ二回しか会ってないし会話も今日が初めての相手を狂犬扱いとは驚いたヤンキーだな。

 やっぱり女性は年下のお嬢様タイプが好みだ、気の強い年増はノーサンキューだよ。

 

「狂犬か……間違ってないよ、狂ってなければ正気を保っていたら」

 

 人の魂を化け物の贄になど捧げられる訳が無い、僕は狂って誰彼構わず噛み付く狂犬さ。

 

「何よ、途中で止めるなんて男らしくないわよ!最後まで言いなさい」

 

 摩耶山のヤンキー巫女が何か言っているが、僕には復讐する相手が残ってるんだ。

 次は潰れたボーリング場に現れる元店長が開発業者の邪魔をするだったかな?

 自分が使い込みをして潰したのに身勝手な奴だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「毎回一晩で解決、毎回怪我をする、もう少し上手く使えないのか?」

 

「しかし怪我はすれど入院する程でもねぇ、最近は準備や逃走準備も考え初めているぜ」

 

 榎本先生に仕事を頼み初めて二ヶ月、既に十五件の除霊を遣り遂げた。

 驚異的なスピードと結果だろう、全てが難易度AAAの困難な物件を下準備を覚え始めたとはいえ突撃して一晩で解決するパターンだ。

 既に周りからも注目と警戒を集めている。

 

「復讐鬼って奴は本当に恐ろしいモンだな、榎本先生の動機は悪霊全般に対する復讐、アレが人に向いたらどうなる事やら」

 

「既に取り込みたいって奴等が動いている、だが女にゃ靡かず金に執着は無い。

家族や師匠が殺されたんだから人質も無理、訳分からん力を持つ榎本先生に直接交渉はリスクが高過ぎる。

最近凄味が出て来たからな、ありゃ呪殺くらい出来る力は持ってるだろう」

 

 ヤレヤレ、厄介だが有能だから始末に困る。

 だが復讐は周りを巻き込んで大抵は自滅が相場だ、もう少し除霊を頼んだら一旦距離を置くか……

 本人も俺達との付き合いには線引きをしたがったからな、恩には金(報酬)で報いてるから貸し借りは無い。

 だが生き残っている内は力を借りるのも必要、盛大に送迎会を催して関係者に顔見せしとくか。

 

「軍司、もう少し榎本先生を鍛えろ。

あと何件か除霊を頼んだら一旦距離を置くぞ、復讐の自滅に巻き込まれたら堪らんからな。

だが復讐を遂げたなら、榎本先生は俺等側になってるだろう、縁は残しておくべきだ」

 

「そうだな、今の榎本先生は危うい、ウチの鉄砲玉連中ですら怯える位に鬼気迫ってる。

だが俺は割と気に入ってるんだ、榎本先生は狂っている事を自覚して行動しているからな。あんな馬鹿は珍しいぜ」

 

 狂人は自分は普通で周りが変だと自己弁護するんじゃないのか?

 それを自覚してるって奴は相当の狂人だぞ、まぁ悪霊なんて非常識な存在を相手に復讐し続けるなんて正気じゃ無理か……

 

「お前が気に入る連中は全員普通じゃねぇな。だが奴の狂気に巻き込まれない様に気を付けろよ」

 

 巷で噂になりつつある榎本先生のあだ名、確か「狂犬」か……

 悪霊絡みなら誰彼構わず噛み付き何時も傷だらけ、目付きは悪く常に突撃除霊じゃ正しく「狂犬」だ。

 

 だが宿した力は本物だ、奴は犬程度で収まる器じゃ無いかも知れないぜ。



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胡蝶の章
第257話


 加茂宮九子と配下の鬼童衆に襲われた翌日、一子様と一緒に亀宮本家に事情の説明と協力要請をする様に頼んだ。

 派閥争いに他の勢力の配下の僕を名指しで派遣する様に頼むのだ、それなりの対価が必要なのは分かっている。

 その辺の交渉事は魅了系術者の一子様が本領を発揮出来るだろう。

 

 問題は……正論も理屈も損得勘定も感情で捻伏せる亀宮さんだろう、絶対に反対するし抵抗する。

 

 最悪は泣き出す位するな、彼女は一子様に敵対意識を持ってるし、そもそも御三家とは勢力争いをしている関係だ。

 敵の当主陣が潰し合うなら大賛成、だが淘汰され生き残った当主は最強だ、僕と胡蝶でも三人食べた奴は倒せない。

 黙って見ているのは悪手、ならば話し合いが出来る一子様と共闘し残りの当主陣を胡蝶に食べさせるのが僕的ベストだ。

 実際は一人くらい一子様に食べさせないと加茂宮一族が弱体化し過ぎる懸念は有るけど、その辺は状況により臨機応変に行くしかないか……

 

 彼女と合流し亀宮本家に同行する予定だ、京都府から千葉県にだと新幹線か飛行機が早く安全な移動手段だと思っていた。

 だが待合せ場所に指定されたのは逗子マリーナ……

 あのブルジョアめ、自家用クルーザーで亀宮本家に乗り込むつもりだな。

 

 だが亀宮本家に船着き場は無い、最寄りのセントラル木更津マリーナに停泊させて貰い車を回すしかないんだ。

 高級会員制マリンクラブだが当然の様に若宮のご隠居様は会員で自家用クルーザーも持っていたので手続きは丸投げした、ブルジョア共め。

 

 当日は先に亀宮本家に行って事前打合せを行い最低限の方向性と妥協点を決めて午後一番に一子様を迎えに行く、ハードなスケジュールだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一子様に電話をした翌日、先に乗り込み亀宮さんや若宮のご隠居様と下話をしなければ駄目なので自宅を六時半に出る。

 久里浜港発の七時最初のフェリーに乗れば金谷港に八時に到着、そこから車で約一時間で亀宮本家に到着。

 流石に九時前に訪問は失礼だろう、其処まで逼迫した状況じゃない。

 

「では行って来ます、帰りは遅くなるかもしれないから途中でメールするよ」

 

「気を付けて下さい」

 

「亀宮さんに宜しく伝えて下さい」

 

 

 玄関先には桜岡さんと結衣ちゃんが並んで見送りをしてくれる、亀宮さんに会う事や加茂宮の相続争い、一子様と共闘するだろう事は伝えてある。

 関西巫女連合は親加茂宮派で高槻さんは一子様の配下みたいな立ち位置だ、桜岡さんの義理の母親で摩耶山のヤンキー巫女にも今回の件は伝えた。

 彼女も所属する加茂宮の当主争いには立場的に無関係は無理、必ず当主の誰かの下に着く。

 有力なのは一子様だが能力的には九子だと思う、アレは既に一人食って交じり合っている。

 

 愛車キューブに乗り込み安全運転で久里浜港に向かう、通勤時間帯だからか国道16号は混んでいる。

 余裕を持って出掛けたので問題無く久里浜港に到着、車検証を持って乗船手続きを行う。

 愛車を船に乗せる手続きは車検証が必要だ、サイズや重量を登録する必要が有る、過積載など普通の手続きをすれば起こらない。

 手続きを済まし料金を払い愛車をフェリーに乗せる、誘導に従い縦列駐車。

 乗せる時は後から降ろす時は前からなら車は真っ直ぐ動くだけで良い。

 所定の場所に駐車しサイドブレーキを確認したら客室へ移動、売店でコーラとアメリカンドッグを二本買ってケチャップを沢山付ける。

 

「トマトケチャップだけでマスタードは付けないのが僕のクオリティ!」

 

 甲板に上がり空いていたベンチに座る、平日のこの時間帯だと乗客は釣り人ばかりだ。

 定刻通り四十五分後に金谷港に到着、此処でアクシデント発生……

 

「来ちゃった!」

 

 まるでアポ無しで付き合ってる彼女が自宅に訪問して来た時に言う様な台詞だ、輝く笑顔でアピールされた。

 

「陽菜ちゃん、何故此処に居るの?」

 

 元気良く手を振る彼女はお供の姿が見えない、パーカーにホットパンツ姿の美少女が一人だと目立って仕方ない。

 彼女の集めた視線が僕の方に移るのに時間は掛からなかった、ナチュラルに腕を捕まれた時の嫉妬と犯罪者を見る様な冷たい視線が辛い。

 

「迎えに来た!今日は私達にとっても重要な日だから」

 

 元気溌剌で大変好ましいのだが、平日の早朝にVIPを一人で放置するか?

 

「お供は?迎えの人と車は何処だい?」

 

 広い港前ターミナルを見渡しても黒塗りの送迎車も無く付き人も見当たらないぞ。いや、霊力を感じる……三人?

 

『そうだな、50m後方のお土産屋二階に我等を伺う奴等が居る。後は進行方向に路駐している車も怪しいな……』

 

 御隠居衆筆頭、若宮家の次期当主だから陰日向と隠れた護衛は当り前か、彼女も大変だな。

 

「えへへ、榎本さんの車を見付けた時点で先に帰って貰ったんだ」

 

「取り敢えず乗る前に自動販売機で飲み物を買おうか」

 

 ゴネても無駄だ、陽菜ちゃんとのドライブは嫌じゃないが彼女は若宮のご隠居の秘蔵っ子だ、車内という二人切りの空間で何か聞きたいのだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「それで、我が儘を装って二人切りで話したい事は何だい?」

 

 助手席で美味しそうに『がぶ飲みメロンソーダ』を飲んでいる陽菜ちゃんに話を振る、彼女は英才教育を施された悪いが五十嵐さんよりも有能な子だ。

 意味も無く連絡無しで迎えに来たり自分の護衛を先に帰したりしない。

 まぁ隠れた護衛は居るが彼女が、その存在を知っているのかは分からない。

 

「バレてたのか……やっぱり榎本さんって自分の力しか頼らないタイプかな?」

 

「仲間の必要さは身に染みたよ。適材適所、頼れる所は信頼出来る仲間に頼む事にしている。

だが直接戦闘で背中を任せられるのは亀宮さんだけだ、他は守るべき存在だからね」

 

 やはりだ、彼女は僕が亀宮さんや若宮のご隠居様と相談する前に何かを確認したがってる。

 横目で見れば真剣な表情だ……美少女の真面目顔って見惚れるよね?

 

「うん、霊的にも物理的にも戦闘力で榎本さんと互角な人は亀宮一族には亀宮様しか居ないよね」

 

「ああ、自惚れじゃなくても上位陣に食い込んでいると思っている。

だが……初めて勝てないかも知れないと恐怖した存在と会った、アレは普通じゃない」

 

 一瞬驚いた顔で僕を見る、未だ誰も加茂宮九子の危険性を認識していない。

 亀宮さんの所で散々やらかした僕が勝てないかも?と言った事は重い。

 山名一族と五十嵐の跳ねっ返りを潰した僕でさえ勝てないと思う相手、敵に回せばどうなるか理解した筈だ。

 因みに先代加茂宮が仕掛けた子供達を蟲に見立てた蟲毒の呪いについては教えられない、知れば一子様も同様の脅威と見られ下手をすれば闇から闇へと始末されるだろう。

 僕は彼女に力を貸すつもりだが、同時に他の当主達を誘き寄せる為の贄とも思っている。

 勿論、彼女を胡蝶の贄にするつもりは無い。

 

「榎本さんが勝てないの?だって……」

 

「僕も信じられないが奴は霊能力者を取り込んで力を得るんだ、この目で見たから脅威と感じている。今は互角、だが時間が経てば負けるだろうね」

 

 取り込むと多少マイルドに言ったが本当は『霊能力者を食う』だ、文字通り捕食する、肉体も魂も……

 普通の人間なら食われる、捕食される事に凄い抵抗が有るだろう。

 

「取り込む?お兄ちゃん、そんな危険な相手に挑むなんて……」

 

 漸くお兄ちゃんって言ってくれたな、榎本さんって呼んでいた時は若宮の後継者としての意識が高かったのだろう。

 千葉県の市街地は信号が少ない、暫く走り赤信号で停まった時にコーラを飲む……少し温くなったか。

 

「今朝から御隠居衆が全員集まっているんだ、加茂宮一子さんへの協力は揉めると思う。

亀宮様は絶対反対って騒いでたよ、話の内容次第では若宮家と風巻家、五十嵐家は支持すると思う。

中立は方丈家と土岐家、それに高尾家かな?後の四家は基本的に反対、羽鳥家に井草家、星野家と新城家だね。

特に星野家は何を言っても反対すると思うな」

 

 亀宮さんを含めて十一人、過半数を得るには中立の三家を説得しなければならない。

 先代加茂宮当主が仕掛けた蟲毒の話をすれば、ある程度の理解は得られる。

 敵対する御三家当主が膨大な力を得るのを邪魔するのは当然だ、だが同時に一子様が強くなるのも妨害したい。

 だから蟲毒による現当主達全員にチャンスが有るのではなく、あくまで九子が異常だと話を持っていかないと揉める。

 

「過半数の賛成票を得られれば良いんだよね?亀宮さんは感情的になってるから無理かな……」

 

「何故、お兄ちゃんは一子さんに協力するの?確かに九子さんに襲われて手助けをする様に言われたらしいけど……」

 

「全員倒せば関西も亀宮の勢力下に置ける?」

 

 権力者なら当然考える支配地の拡大、特に御三家は昔から争っている。

 御隠居衆の中にも加茂宮に恨みが有る連中は居るだろう、何故憎き敵の手助けをしなければならない?

 

 蓋を開けたまま缶ホルダーに入れていたコーラを半分ほど一気飲みする、温いが喉を刺激する炭酸は爽快だ。

 

「打算的に考えれば僕は加茂宮一族の事を殆ど知らないし関西の地理にも詳しくない。

敵地に現地のサポート無しで巨大な敵に挑むのは馬鹿だ、利権や派閥の複雑に絡んだ亀宮の実行部隊を率いて行くつもりも無い、僕は一人で行くよ。

加茂宮から貰う対価は皆で今日決めれば良いと思う、僕は何時もの雇用契約を結ぶつもりだ」

 

 今回は僕一人で行く、同行者は不要。

 現地のサポートは一子様とその配下に任せれば良い、僕は彼等が見付け出した当主を倒し……あわよくば胡蝶に食わせる。

 

「そんな顔をしないでくれ……

本心は知り合いが不幸になるのを黙って見てはいられないんだ、特に一子様は関西巫女連合に支持されてるからね。

彼の連合には知り合いも多い、参戦するなら彼女達にも危険が伴う」

 

 凄く不安そうな顔をした陽菜ちゃんの為に納得し易い理由も付ける、当然だがどちらも本心で最後に胡蝶の為にと足される。

 

「良いなぁ、桜岡さんって……自分の為に巨大組織に単身戦いを挑む彼氏が居るなんて羨ましいし妬ましい」

 

 は?純真無垢な美少女から生々しい嫉妬が漏れたぞ、聞き間違いだよな?

 

「まぁ本心の方は言わないから皆には内緒だよ!情に流される強力な術者なんて危険だからね。

あくまでも放置は危険だから早期に使えるモノは使って対処するで説得するさ」

 

 少なくとも僕は九子にロックオンされてる、様子見や放置は出来ない。

 

「それも間違いじゃないけど……後は一子さんから何処まで譲歩を引き出すか、だね!」

 

 天真爛漫な笑顔だけど内容は次期当主として利権を考えたものだ、この辺の考え方は流石だ。

 五十嵐さんも少し見習えよ、成人女性が中学生に負けているんだぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その後は少し時事ネタを交えた雑談をしていると亀宮本家に到着、No.12のスペースに愛車キューブを停める。

 元気良く飛び出す陽菜ちゃんに断りを入れておくか……

 

「陽菜ちゃん、一時間位部屋で休んでるよ。話が纏まったら呼びに来てくれるかな?」

 

「分かった、先にお祖母様達に説明しとくね。方向性が決まったら呼びに行くよ!」

 

 元気良く屋敷に駆け込んで行ったが、やはり事前に話を聞いて若宮の御隠居様か御隠居衆全員か知らないが僕抜きで話をする予定だったんだな。

 だが悪感情は無かった、少なくとも陽菜ちゃんは味方か最悪でも中立、若宮の御隠居様も孫の意見は無視しない。

 彼女から少し遅れて屋敷に入ると滝沢さんが出迎えてくれた……しまった、事前に到着予定時刻を連絡するの忘れた。

 

「ごめん、連絡忘れちゃったよ」

 

「大丈夫だ、陽菜様の位置はGPSで確認していた。当然だが、隠れた護衛も居たんだぞ」

 

「うん、付かず離れず護衛が居たね」

 

 もしかして僕が陽菜ちゃんに何か悪さするか心配で監視していた訳じゃないよな?

 幾ら僕がロリコンでも流石に自重するぞ。

 



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第258話

 亀宮本家に加茂宮一族の跡目争いについて一子様に協力するかの相談の為に来た。

 事前に陽菜ちゃんが僕の本意を探りに来た、あざといと思う無かれ僕が呼ばれる前に御隠居衆と下話をしてくれている。

 彼女は悪い方に感じていない、僕に協力的だ。

 勿論、午後から加茂宮一子様本人が来るので本番は当事者を交えた場になるだろう。

 彼女の提示する対価案により話し合いの方向が決まる、出来れば双方納得の行く結果になれば良いが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 少し困った顔をした滝沢さんと並んで廊下を歩く、何か言いたいのだが言えない感じだ……

 ああ、そうか!僕の割り当てられた部屋に亀宮さんが居るんだな、彼女と亀ちゃんの霊力を感じた。

 

「もしかして不機嫌な亀宮さんが部屋に居るのが言い辛かったりする?」

 

 歩みを止めて此方を見る、表情から図星か。

 

「なっ?何故分かるんですか?」

 

 本当に滝沢さんは気遣い美人だな、こんなオッサンの事を心配してくれてるのだろう。

 

「滝沢さんは大切な仲間だからね、考えている事は大体分かるよ」

 

 No.12のルームプレートの付いたドアの前で立ち止まり深呼吸をする、未だドアは開けられない、精神統一をしなければ……

 

「あの、榎本さん?早く入りませんか?」

 

「もう少し待って……うん、大丈夫だ」

 

 意を決しては大袈裟だが心構えをしてからドアを開ける……ああ、完全に拗ねてるな、拗ね捲ってるな。

 

「おはよう、亀宮さん」

 

 ソファーに両足を揃えて腕を組んで座っている彼女に挨拶をする、チラリと視線だけ向けてくれたが……

 

「むぅ、私怒ってます!」

 

 此方を向かずに横を向いてハムスターみたいに頬を膨らませている、幼い感じで可愛らしい拗ね方だ。

 彼女の怒ってるは心配しているのと事前に相談しなかった事かな?

 

「何をって聞いて良いかい?今日は相談に来たんだ、話し合わないと何も分からないよ」

 

 優しく諭す様に話し掛けながら向かい側に座る、直ぐに滝沢さんが瓶コーラとコップをテーブルに置いてくれた。

 最近知ったんだが、僕の部屋には冷蔵庫が二つ有り一つはコーラとコップが冷やされている。

 氷は入れない派なのでガラスのグラスを一緒に冷やしてくれている、多分だが用意したのは五十嵐さんだと思う。

 

「何故、加茂宮の一子に榎本さんが協力しないと駄目なんですか!」

 

 未だ顔を向けてくれない、僕は彼女に敵対しないと誓った、なのに何故敵対する御三家当主に助力するのかって話か……

 

「滝沢さん、席を外して欲しい。出来れば十分間だけ誰も部屋に入れないでくれるかな?」

 

 暫く考えてから此方を見て頷いてくれた。

 

「分かった、この部屋に盗聴器や監視カメラの類は無い。私も話し声が聞こえない距離で待機する。亀宮様、失礼します」

 

 一礼して部屋を出てくれた滝沢さんだが、物分かりが良過ぎじゃないか?

 仮にも亀宮一族の当主と、何処の馬の骨だか分からないオッサンと個室で二人切りにする位、彼女は僕を信用してくれている。

 彼女の気持ちを裏切る事は出来ないな。

 

「胡蝶、出て来てくれ」

 

『何だ、亀憑きには全てを話すのか?』

 

 左手首の蝶の痣からモノトーンの流動体が膝の上に溜まり少女の形を成していく。

 

「久しいな、亀宮の当主よ。名古屋の洞窟以来か?」

 

「胡蝶ちゃん!」

 

 凄い早さで亀宮さんは胡蝶に抱き付いて膝の上に乗せた、艶髪の攻撃を躱した僕が反応出来ないスピードなんて……

 

「おっ、落ち着け、落ち着かんか!こら、揉むな撫でるな抱き付くな」

 

「嫌よ、落ち着ける訳無いじゃない!」

 

 美女と美幼女の戯れを見ながら亀ちゃんが器用に瓶を咥えて注いでくれたコーラを飲む。

 

「最近どう、北海道は大変だったんだろ?」

 

 コクコクと頷く亀ちゃん、大分意思の疎通が出来る様になったな。

 思えば亀ちゃんも700歳以上なんだよな、何か胡蝶や加茂宮に憑いてる奴の過去とか知らないかな?

 

「正明、亀と遊んでないで何とかしろ。早く我を助けろ!」

 

「ん?ああ……亀宮さん、落ち着いたかい?」

 

 力一杯胸に抱き締められた胡蝶が右手を差し出して助けを求めて来た、力ずくで振り解けるのに彼女も丸くなったもんだ。

 

「ええ、久し振りに胡蝶ちゃん成分を満喫出来たわ!」

 

 どうやら機嫌は回復したみたいだ、さっき迄は拗ねていたのに今は満面の笑みで胡蝶さんを抱いている。ある意味母娘と見えなくもないか?

 

「じゃ聞いてくれ、僕等と加茂宮に取り憑く奴との因縁を……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「それが真実なのですね、胡蝶ちゃんと彼等との間に有る因縁とは……」

 

 僕と胡蝶が交じり合ってるとか先代加茂宮が我が子達に仕掛けた蟲毒の話はしていない。

 加茂宮の当主達に胡蝶の因縁有る奴の力を分散して宿した事、その中で九子だけが適正が高かったのか同調してしまい兄弟姉妹を襲い始めた。

 九子の力は他の霊能力者を取り込み自分の力に出来る事。

 彼女は一子様を最後に取り込む事と加茂宮一族以外の霊能力者も狙っていて、次は自分、その次は亀宮一族と力を増す為に動くだろう。

 今なら力は拮抗してると思うが、時間が経てば手に負えない強敵となる。

 

 以上を掻い摘んで説明した、兎に角一子様に協力し彼女の伝手を頼りに九子を捜し出して倒す。

 亀宮一族の霊能力者を伴わず自分だけで行くのは、取り込まれたら相手がパワーアップするので逆に足枷になるから。

 

「ええ、放置すれば確実に負けます。

奴も因縁有る胡蝶の存在に気付いて決着を付けようとしている、加茂宮の当主達を取り込んだ後なら確実に勝てるからね」

 

 暫く無言で下を向き座っていたが、控え目なノックに気付き視線を上げて目が合った、何故赤面するの?

 

「どうぞ」

 

「失礼します、話は終わりましたか?屋敷内が慌しくなりました、そろそろ呼ばれるかも知れません」

 

 壁に掛けられた時計を見れば三十分近く話し込んでしまった、滝沢さんには十分と言ったのに悪い事をしたな。

 

「あらあら、これは急がないと駄目ね!榎本さん、この書類に署名捺印をして下さい。今日の話し合いの切り札になりますわ」

 

 署名捺印?って、この書類は……

 

「婚姻届じゃないか!亀宮さんの欄は既に記載捺印済みだけど、何でコレが交渉の切り札何だよ」

 

 コレは不味い、コレが正式な手順で行政機関に提出し受理されたら、僕と結衣ちゃんのハッピーブライダルがバツイチに……

 

『委細承知!正明、身体を借りるぞ』

 

『ちょ、駄目だって!胡蝶さん、それは悪魔の契約書だ!』

 

 扉をノックされた時点で僕の中に入り込んでいた胡蝶さんが、身体を操り婚姻届にサインをして捺印してしまった……

 

『胡蝶さん、駄目だって!絶対に亀宮さんは勝手に婚姻届を行政機関に提出するって』

 

『良いではないか、良いではないか!軒を借りて母屋を盗るだったか?

これで亀憑きは正明の嫁、旧家の権力者ならば妾は必須、養い子も霊媒母娘も梓巫女も男女も一神教のシスターも、皆お前の妾だ!』

 

『ちがーう!五年間は待つ約束だろ?』

 

『む?我も加えろと?分かった分かった、我も正明の妾として奉仕してやるぞ。変わりにお前も我を崇めるのだぞ』

 

 もう訳が分からない、足腰の力が抜けて座り込んでしまった。

 

「はい、有り難う御座います!

これで榎本さんは私の伴侶、亀宮一族当主の番(つがい)ですから加茂宮への移籍も有り得ないし一子さんとナニかしたら浮気ですよ、暴れますよ?

大丈夫です、提出は夫婦一緒ですから大丈夫なんです!」

 

 両手を床に付いて慟哭する僕の背中を優しく擦る亀宮さんを見た滝沢さんの顔面が崩壊していた。

 

「榎本さんが苦渋に満ちた顔で婚姻届にサイン捺印をしてから、四つんばいになって慟哭しているだと?」

 

 てか、女性がそんな顔をしては駄目だって!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「陽菜よ、どうだった?」

 

 お兄ちゃんと別れてお祖母様の部屋に向かった、風巻のおば様と五十嵐のお姉ちゃんがソファーに座っている。

 この三人、三家が親榎本派、お祖母様は今回の件でお兄ちゃんの本心を探る様に頼んだ。

 皆は日本茶だけど僕は冷蔵庫からカルピスソーダを取り出す、今の僕のマイブーム。

 

「今回の件だけど、単純にお兄ちゃんは脅威となる敵を倒すのに効率的な手段を取っただけだったよ。

加茂宮九子はお兄ちゃんでさえ勝てるか分からない相手、しかも他の霊能力者の力を取り込めるみたい。

相手に時間を与えれば確実に負けるって……」

 

 喋り終わり一呼吸置いてお祖母様達を見る、ただ驚いた顔、苦虫を噛み潰した顔、思案顔と面白い。

 

 因みに上から五十嵐のお姉ちゃん、お祖母様、風巻きのおば様の順番。

 

 取り敢えずカルピスソーダをコップに注いで飲み干す、榎本さんの言った炭酸が喉を通る時の刺激は確かに堪らない。

 

「あの榎本さんが勝てないかも知れない相手って……」

 

「敵地に乗り込むなら協力者として加茂宮一子は最適、だが同時に最悪でもある。

アレが勝てないかもと言う相手だ、最悪共倒れをけしかけるやも知れない。我々は最大戦力を失い加茂宮一子は一族を纏め上げる事が出来る」

 

「基本的に私達は榎本さんに信用されていない、毎回仕事で交わす契約書が物語っています。

今回の加茂宮一子への協力は、遠因に関西巫女連合所属の桜岡霞の存在が有ります。

余り反対や条件を付けて助力を渋ると、派閥から離れる可能性を捨て切れないですね」

 

 同じ順番に意見が出た、ただ驚くだけ、一子さんを信用してない事、榎本さんの移籍を心配している事、後半の二つは有り得そうだけど僕としては移籍の件が近いと思う。

 榎本さんは大切な人に順位を付けている、ある程度なら平等だけど一定量を過ぎると残酷なまでに差を付けると思う。

 今の榎本さんの一番は桜岡霞さんと結衣ちゃんだと思うな、彼女達が危険になれば何よりも優先するだろう。

 

「榎本さんは桜岡霞さんを大切にしているよね、彼女の危機に対して妨害したり反対したら……

榎本さんは亀宮一族から離れてしまうよ、そうならない様に僕等は動かなければならないと思う」

 

 僕の総評に皆が納得してくれたみたい、だって加茂宮一子が何を考えていようとも放置は自分の首を絞めるのと同じ。

 結局は彼女に協力するのが一番効率的なのは間違いないし……

 

 コップに注いだ二杯目を飲む、やはりカルピスソーダはパイナップル味が好き、グレープやマンゴーは微妙だった。

 

「つまり加茂宮一子に協力するしかないのか、あの女の提示する内容にもよるぞ。榎本さんを出すのに安い対価では釣り合わない」

 

「それは交渉次第だよ、僕等は加茂宮への助力を反対してないから、榎本さんの能力に見合う対価を提示しろって言えば良い。

本人の目の前で一子さんは見合う対価を示さないとならない、見栄や今後の関係を考えても評価を盛らざるを得ないと思うよ」

 

 榎本さんの目の前で『私は貴方をこれだけ評価しています』って示すのは結構辛い。

 欲を掻いて評価ギリギリだと良い感情を持たれないからね『俺ってこんなモンかよ?』って思われたら今後の関係に悪影響を与える。

 だから当然正当評価以上を提示してくる。

 

 でもそれは私達も同じ事……

 

 自分達は何もしてないのに対価を貰えるんだ、此方も欲を掻いては駄目だ。『そんなに貰うのかよ、何もしないんだから遠慮すれば?』とか思われたら嫌だ。

 

「だが本人と無関係な者達が欲を掻き過ぎても駄目だな、難しい……これだから欲望の薄い男は扱い辛いのだ、金と女が使えないからな」

 

 うん、お祖母様は僕の言いたい事をちゃんと理解してくれた。

 でも桜岡さんが榎本さんを墜とせた理由って、やっぱり大食いなのかな?

 お色気スケスケ梓巫女の色モノ霊能力者の彼女を大切にする榎本さんの気持ちが分からない。

 

「あーあ、僕の旦那様になってくれるならこんな苦労はしないのに……駄目だった、亀宮様がヤンデレてNiceなBoatになっちゃう、依存って怖いな」

 



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第259話

 亀宮本家の大広間に通された、思えば初めて来た時も同じ場所だったな。

 前回と違うのは五十嵐家が代替りして巴さんが出席してる事と、山名家の代わりに方丈家が新しく御隠居衆になった位か……

 

 上座に亀宮さんが座っている、先程まで御機嫌だったのに今は何故か渋い顔をしている。

 其処から向かい合う様に二列五人が座り下座に僕が座る、皆さん無表情か目を閉じていて何を考えているか分からないのだが……

 星野家の当主は僕に敵意の籠もった視線を向けている、因みに御隠居衆の中で男性は星野家と方丈家だけで後は全員女性だ。

 

 若宮家を筆頭に風巻家、五十嵐家、方丈家、土岐家、高尾家、羽鳥家、井草家、星野家、新城家の十家が御隠居衆、亀宮さんは当主で僕は御隠居衆の次席という不思議ポジションだ。

 

 御隠居衆は順不同みたいだが僕は指定された座布団に座る、かなり綿が詰まっていてフカフカだ。

 直ぐに日本茶が出された、この場では流石に炭酸飲料は無理か……

 

「先ずは榎本さんから状況の説明をお願いしますぞ」

今回の司会進行は若宮の御隠居みたいだ、なるべく彼等にも益が有る様に内容を吟味して話そうと乾いた唇を舌で舐めて湿らす。

 

「それでは……」

 

「悪いが状況を知る前に最初に宣言しておく、我ら方丈家は榎本さんに支持するぞ」

 

「なっ?それなら私達五十嵐家もそうですわ!」

 

 四十代半ばだろうか、引き締まった身体を持つ髪を短く刈り込んだ中年男性が僕を支持すると宣言し負けずに五十嵐さんも同じく支持を宣言、他の連中は微妙な顔だ。

 御三家絡みは亀宮一族としても存亡に関わる内容なのに、即答する事に驚きと思惑を感じたのだろう。

 

「方丈家の方とは接点が無かった筈ですが何故、大事な事の詳細を聞かずに僕の意見を支持するのですか?」

 

 流石に有り難う御座います、とは言えない内容だ。下手に擦り寄られても苦労を背負うだけかも知れないし注意は必要だろう。

 

「俺達は最初から決めていた、それに信頼を得ようとするなら最初から宣言した方が良い、話を聞いてからじゃ日和見みたいで嫌だろ?」

 

 確かに途中から意見を変える日和見な連中は心の底では信用出来ない、ドライな関係と割り切る事になる。

 だが契約を重視している僕は彼等から見たら同じ、だから僕も仕方ないと思っていたのに何故だ?

 

「それにな、お前さんの事は御手洗や滝沢から聞いている。

彼等も俺の派閥なんだよ、方丈家は霊能力が比較的弱い連中が肉体を鍛えてSP等を生業とするのが殆どだ。

実質的に亀宮一族最強の霊能力者であるアンタは俺達を見下さず協力的でさえある、ならば俺達も協力するしかないだろ?」

 

「そうですか、有り難う御座います。では今回の経緯を話させて頂きます……」

 

 最初から御隠居衆の十家の内の二家から賛同を得た、渋い顔をしている亀宮さんも大丈夫だと思う。

 若宮の御隠居と風巻のオバサンは微妙だが多分大丈夫だろう、これで五票。

 後一票で過半数を越えるのだが、中立の土岐家と高尾家のどちらかを賛同させなくてはならない。

 

「先ずは先日、僕は加茂宮九子本人に襲われました……理由は名古屋の件で加茂宮一子と繋がりが出来た為に調べられたから。

彼女は、加茂宮九子の能力は他人の霊能力を取り込み力を得る事。

僕は配下の鬼童衆の三人、穿(うがつ)斬(ざん)薙(なぎ)を無力化し彼女と対峙した、相手の能力は分からないが負ける気にはならなかった。

無謀だが周りも鬼童衆に囲まれた状態で逃げる事も難しく、頭を潰す事にしました」

 

 此処まで話して一旦止めて周りを見渡す、星野家の当主と目が合った。

 

「鬼童衆は加茂宮一族で裏の仕事に従事する組織の総称、穿・斬・薙と言えば名の知れた強者、それを無力化したと?」

 

 ああ、確かに強者だったな……胡蝶と同化しなければ負けていただろう。

星野家の当主は何が言いたいんだ、穿達に勝てなかったと思ってるのか?

 

「ええ、槍、日本刀、太刀の使い手でしたが特に問題は無かったですね。

彼等を倒し加茂宮九子と対峙した時、彼女は狂った様に笑い出した。

その時に彼女に取り憑くモノの存在を感じたのです、アレは対峙した者にしか分からない底の知れない恐怖を感じました。

今なら未だ勝てる、早めに倒さないと危険だと本能が感じたのです」

 

「そんなに危険な存在を見逃したのか?未だ勝てたんだろ?」

 

 星野家の当主が絡む、思い出したが前回も絡まれたぞ。他の御隠居衆は大人しく聞いている、何故か方丈さんは楽しそうだな。

 

「狂った様に笑う彼女だが隙は無かった、戦う前に会話で情報を得ようと試みたが……

彼女は自身を中心に半径8m程の影の結界を広げ、無力化した三人を取り込んだ。

彼等は僕に向かって助けを求めた、食われるのは嫌だと……その後、彼女の霊能力が高まるのを感じた。

あの女は他の霊能力者を食って自分の力に出来る、我々の天敵みたいな存在だ」

 

 此処まで話してお茶を一口飲む、大分喉が渇いていたんだな。

 流石の星野家の当主も苦虫を潰した顔で僕を睨むだけだ、霊能力者を食って自分の力に出来る奴を放置する事は自分も危険に曝される、迂闊な反対は出来まい。

 

「後は興醒めした彼女が残りの加茂宮の当主達を全員食うから加茂宮一子に力を貸せと言って影の結界に沈んで行った。

アレは放置すれば加茂宮の当主に収まり、亀宮一族と事を構えるだろう。

僕も目を付けられた、だから手遅れにならない内に加茂宮一子と協力し奴を倒す」

 

 此処まで話して残りのお茶を一気に飲む、話ながら纏めると改めて危機的状況だと分かる。

 加茂宮の当主は残り五人、名古屋で胡蝶が二子と五郎、七郎を食った。

 残りは一子様、三郎、四子、六郎、八郎、九子の六人だが九子は誰かを既に食っている筈だ。

 

「俄かには信じられないな、調子の良い事を言って亀宮から加茂宮に鞍替えする気か?それとも加茂宮一子に誑かされたか?」

 

 もはや言い掛かりだな、口から唾を飛ばしながら騒ぐ星野家の当主を冷めた目で見る。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、何を言っても反対するってか?

 

「僕が信じられなければ、午後から加茂宮一子本人が助力をお願いに来るので直接交渉すれば良い。

僕は独自に加茂宮一子と雇用契約を結びます、降り掛かる火の粉は問答無用で消し去るのみ。

嫌がらせで邪魔をするなら僕にも考えが有ります、僕は加茂宮九子に名指しで挑まれている当事者ですから……」

 

 顔を真っ赤にして睨み付けて来たぞ、山名家同様に僕が大嫌いな連中らしいし何が有ろうと賛成なんて絶対にしないか……

 

「きっ貴様!何様のつもりだ?」

 

 立ち上がろうとした時に胡蝶がプレッシャーを放った、悔しそうにして座り直したが時間が無いので相手をしていられない。

 

「自分と身内の安全には全力で対処する事にしています、勿論話し合いは必要ですが最悪は実力行使も厭いません」

 

 残りの反対派である鳥羽家、井草家、新城家の当主達を順番に見る、目を逸らさずに睨み返して来たぞ。

 流石は700年の歴史を持つ亀宮一族を支えてきた有力氏族だけの事は有る。

 

「何か他に質問は無いか?無ければ決を採るが良いな?

亀宮一族として加茂宮一子に協力するか、しないか?また榎本殿の派遣を認めるか否か?挙手にて決めようぞ」

 

 真っ先に手を上げたのは亀宮さんだった、遅れて五十嵐さんと方丈さん。

 苦笑いしながら若宮の御隠居と風巻のオバサン、これで五票。

 土岐家と高尾家、それに反対派と思っていた井草家の当主が手を上げた、これで八票で過半数を越える事が出来た。

 井草家の当主は驚いた僕に軽く会釈して来た、風巻のオバサンと同世代位か?

 

「八票か、過半数を越えた事により我等亀宮一族は加茂宮一子に力を貸す事にする。詳細は午後に改めて話し合おう、亀宮様宜しいか?」

 

 黙って頷く亀宮さん、やはり不機嫌そうに顔を顰めているが積極的に賛成してくれた。

 

「では一旦解散だ」

 

 立ち上がり廊下へと向かう御隠居衆を見送る、残ったのは亀宮さんと若宮の御隠居、風巻のオバサンに五十嵐さんと方丈さん、それに井草家の当主だ……

 

 新しいお茶と茶請けの大福餅も各自二個ずつ配られた、喉の渇きが治まらずお茶を半分程飲む。

 最高級玉露を勿体ない飲み方で申し訳なく思うが仕方ない、出来れば玉露よりコーラが飲みたい。

 

「正式な挨拶は初めてですね、井草です」

 

 目の前に座り姿勢を正して一礼された、所謂三つ指ついてって奴だ。その後名刺を差し出された……

 

「榎本です、今後とも宜しくお願いします」

 

 染み付いた個人事業主魂が流れる動作で懐から名刺を取出し挨拶を交わす、素人相手に商売していた時期が懐かしい。

 いまや玄人相手に強大な敵にしか立ち向かってなくないか?

 

「色々と武勇伝は聞かせて貰ってますわ、話の内容と見た目とのギャップが凄いですわね」

 

 邪気の無さそうな笑顔だが一氏族の当主にまで上り詰めたんだ、気を許す訳にはいかない。

 若宮の御隠居に視線を送る、この人大丈夫なのかと意味を込めて……

 

「井草は我等が説得し引き込んだのだ。山名や五十嵐同様に配下に膿が居てな、前回の粛清で星野派の連中は粗方叩き出した」

 

「先代から癒着していた連中を綺麗さっぱり追い出せたのですが、人員不足が酷くなりまして。

でもあのままでは井草は他家に取り込まれるだけでしたから、あの粛清の波に乗ったのです」

 

 亀宮一族700年も大分淀んでいたんだな、僕をダシに膿を出したのは必然だったのか……

 確かに外部から亀宮さんに近付く不埒者は権力に固執する連中を炙り出すのには最適な餌だった、血筋だけで今の座に居る連中には許し難いわな。

 

「既に新人の育成と無実の罪で遠ざけた連中の取り込みは進んでいます。後は時間が欲しいだけですわ」

 

「今は弱体化すれども直ぐに盛り返す訳ですね。それで、此処に残ったのは顔見せと近状報告だけじゃないと思いますが?」

 

 方丈さんは何と無く分かる、御手洗達が所属する派閥なら僕は力を貸すのを厭わない。

 彼等も僕に力を貸してくれるだろう、同族意識に近いモノが有る。

 だが井草さんは付き合っても僕にメリットは無い、弱体化した今接触してくるのは助力が必要だから。

 

「警戒しないで下さいね、特に榎本さんに何かして欲しい事は有りませんから。逆に私が何かしらのお礼をしなければ駄目ですよね?」

 

「いえ、お構い無く。前回の件は若宮の御隠居と話し合いで解決しています。それ以上に何か貰う事は出来ません、気持ちだけ頂いておきます」

 

 変に貸し借りを作ると、そこから縁が出来る。損得で作った縁は色々と厄介なので避ける事にしているんだ。

 

「まぁ?義理堅いと言うかお堅いと言うか……殿方で堅いのはアソコだけで十分ですわよ?」

 

 上品な顔して親父ギャグ定番の下ネタ言ってきやがった!

 

 方丈さんは右手でコメカミを揉んで五十嵐さんは真っ赤になって俯いた、若宮の御隠居と風巻のオバサンは無視してお茶を飲んでいる。

 亀宮さんは何だか分からない顔をしてるな、彼女は良い意味で世間知らずだが婚姻届を握られている今は色恋沙汰の話題は避けたい。

 

「榎本さんの何が固いのですか?筋肉ですか?確かにガチガチに固かったですが……」

 

 何がってナニがですよ、なんて親父ギャグの切り返しは出来ない。

 

「亀宮さんは知らなくて良い話です、井草さんも下ネタは控えて下さい。亀宮さんは良い意味で世間知らず、知る必要は有りません」

 

「榎本さん、私の事も世間知らずって言うのに、私は悪い意味で世間知らずなんですか?耳年増だから悪いんですか?」

 

「おやおや、五十嵐さんは意味を理解したのですね?若いのに色々とお詳しいみたいで……」

 

「知りません、分かりません!」

 

 五十嵐さんって玩具にされやすいよな、あんなに真っ赤になって否定すれば井草さんが楽しくなるんだよ。

 ノリはキャバクラか男達の下ネタ座談会みたいになって来たぞ、この連中の仲間で僕は大丈夫なのかな?




今日12月1日から12月31日まで「古代魔術師の第二の人生」を一年の感謝を籠めて毎日投稿します。
良ければ其方も読んで下さい。


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第260話

 セントラル木更津マリーナ、会員制の高級マリンクラブだ。

 停泊には色々と手続きが有るらしいが若宮の御隠居に丸投げした、ブルジョア共め。

 あの関西で実業家として成功している桜岡さんの御両親でさえ、別荘は有れどもヨットは持ってないと言ってたぞ。

 維持費が大変らしいが庶民派の僕には関係無い話だな……

 一子様を出迎えるメンバーは僕と若宮の御隠居、それに風巻のオバサンの三人だ。

 マリンクラブ内に併設されたカフェで一杯1500円の珈琲を飲みながら海を眺める、老婆と中年女性とオッサンの組合せは周りから見ても不思議だろう。

 海の近くのオープンカフェというシチュエーションはバッチリなのに好みの女性と同席出来ない、不幸だ……

 因みに美女と言えば同行したがった亀宮さんは当然だが却下した、亀宮一族の当主自らが迎えに出るのは余りにも不自然。

 彼女は亀宮本家で、どっしりと構えていて欲しい。

 等と考えていたら沖合いから眩しい純白の大型モータークルーザーが近付いて来た、全長50フィート(15m)は有るだろう。

 

「国産の特注品か、イグザルド45コンバーチブルのフルカスタムとはな」

 

 若宮の御隠居がボソリと呟いた、因みに御隠居のメガクルーザーは同メーカーのイグザルド36スポーツサルーン、シャチの様なカラーリングと流線型のボディ。

 一子様のより一回り小さい全長40フィート(12m)だが此方もフルカスタムで、お値段は二億円だそうだ……

 因みに僕は若宮の御隠居のクルーザーの方が好きだが買おうとは思わない、船本体の値段もそうだがマリーナの停泊料は年間五百万円、燃料費や点検整備費を合わせれば一千万円は越えるそうだ。

 まぁ目的地にもよるが燃料を一回の航海で300リッター近く消費するらしいから上流階級の遊びで良いだろう。

 

「あのクラスだと操船に三人位要りますよね、二十人は乗れそうだから大丈夫なのかな……」

 

「そうですな、沖まで出れば一人でも大丈夫ですが流石に係留は無理でしょうね。

もっとも専属の航海士とかもいるでしょう、加茂宮の当主自らが舵を取るとは思えないですぞ」

 

 つまり配下が最大でも二十人近くは同行してる可能性が有るって事だな、加茂宮の筆頭当主である一子様が単独行動など考えられない、特に今は命を狙われているのだから。

 

「では行きましょうか?」

 

 レシートを掴んで席を立つ、支払いはするが領収書は貰うのが個人事業主である僕のクオリティだ!

 

「む、申し訳ないですな」

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

 レジで支払いを済ますと一子様の大型モータークルーザーが係留作業を初めていた、驚いた事に巫女服姿の女性達が作業を行っている……ん?巫女?

 青い海、白い雲、緋色の袴の巫女装束を纏った若い女性、周囲の利用客が注目しだした。

 流石に金持ち連中だけあり不用意に撮影とか始めないのには感心した、最近流行の呟くアレで『千葉県の某マリーナに巫女さんナゥ!』とか写真や動画を掲載されたら大変だ。

 そこから他の当主連中に情報が流れてしまう、最近のネット民の情報収集能力は侮れない。

 

「加茂宮一子は居るかい?亀宮一族の若宮が迎えに来たぞ」

 

 何と無く見覚えが有る巫女さんだが、もしかして名古屋で会ってたかな?

 高槻さんは覚えていたがモブな巫女さん達はうろ覚えなのだが……

 慣れた手付きでロープを手繰り船を固定している、巫女さんがヨットガール?だと違和感が凄い。

 

「暫くお待ち下さい。あと榎本さん、お久し振りです」

 

「ええ、名古屋以来ですね。元気にしてましたか?」

 

 名前も思い出せないのだが、僕は知ってます的に返事をする、彼女達が居るならば……

 

「あら?お久し振りです、榎本さん」

 

 改造巫女服に独特の化粧を施した美女が含み有る笑顔を向けてきた、アイラインに緋色を使い狐目っぽくしている。

 

「高槻さん、お久し振りです」

 

 巫女さん達のリーダーの高槻さんも当然居る、彼女は関西巫女連合から派遣されたのだろう。

 モータークルーザーからタラップが伸ばされ下船の準備が整った、そして本日の主役が現れる。

 

「やぁ、一子様。お久し振りです」

 

 此方は正統派巫女服を着て豊かで艶の有る髪の毛を後ろに束ねている、彼女は神道系術者だったな。

 

「ええ、榎本さん。お久し振りですね」

 

 ナチュラルに手を差し出してきたので軽く握ってタラップを下りる補助をする、周りからの視線と騒めきが大きくなってきたな、早めに移動するか……

 

「久しいな、加茂宮殿」

 

「ええ、久し振りですわね。若宮さんと風巻さん。直接会うのは一年振り位かしら?

今日は私の我が儘の為に時間を取らせてしまい、申し訳なく思います」

 

 向かい合う僕と一子様の後ろに各々の関係者が並び妙なプレッシャーを撒き散らす、基本的には敵対組織だから仕方ないか……

 

「時間が押している、車に案内しよう」

 

「ええ、高槻は私に同行しなさい。他は船で待機」

 

 敵地に二人は豪気だが既に下話はしてあるのだろう、配下の巫女さん達は何も言わずにお辞儀をして見送った。

 用意した黒塗りのリムジンは四台、二台は無駄になったが元々は護衛だ。

 先頭と最後尾に護衛、二台目に僕と若宮の御隠居と風巻のオバサン、三台目に一子様と高槻さんが乗り込む。

 一子様と同じ車に乗るのは遠慮した、亀宮一族に要らぬ警戒を抱かせない様にしなければ駄目だ。

 基本方針は決まっている、僕は彼女に助力出来る。

 後は亀宮一族と加茂宮一族との調整協議だが、僕は参加しない方が良いだろう。

 派遣される僕の前で条件云々(うんぬん)は言い辛いだろうし……

 

 リムジンの車内は広い、だが後部座席に僕を含む三人では狭いので助手席に座る事にした。

 因みに運転手は知らない若い女性だ、若宮家の一族か専属運転手かな?

 車窓から外を見る、長閑な田園風景だ……

 

「榎本さん、加茂宮一子を様付けで呼ぶのは感心せぬぞ。せめて殿かさんにして下され」

 

「ん?ああ、そうですね。亀宮家当主ですらさん付けでした、僕の様付けは警戒と距離を置く意味なのですが、確かに様付けは加茂宮の配下みたいに取られますね」

 

 そう言えば何時から一子様と呼び始めたっけ?そうすると加茂宮殿か一子さん?違和感が凄いが仕方ない、星野一族辺りが難癖付けて来そうだ。

 

「加茂宮殿との話し合いに榎本さんは……」

 

「出来れば欠席で。僕が居たら話し辛いでしょうし……助力は決まっているなら後は亀宮一族と加茂宮一族との話し合いですから、僕は不要ですよね?」

 

 当事者の前で条件の話はし辛い、逆に居なければ僕に何か条件が付けられる事もない。

 彼女は僕を巻き込んでの話し合いにしたい筈だ、僕が妥協すれば亀宮一族は強く言えない。

 当事者が良いって言ってるのに何もしない連中が文句を言うなってね。

 

「そうじゃな、変な言質を取られるよりはマシ……と言う訳か」

 

「ええ、彼女の本質は交渉術。押しが強いので僕は苦手意識が高い。亀宮さんや御隠居衆の前で変な約束をさせられるのは困りますから……着きましたね」

 

 下話をしていたら亀宮本家に到着した、今回は正門前に停まり歩いて本邸に入る。

 僕は途中でフェードアウト、割り当てられた部屋で待機か高槻さんの相手をするか……いや、彼女は一子様に同行するだろう。

 車を降りると正門前に方丈さん達が黒服連中を従えて並んでいる、御手洗達は居ないが全員良い筋肉をしているな。

 

「さて、加茂宮殿。案内致そうか」

 

「ええ、お願いするわ」

 

 スルリと先導する御隠居達を抜き去り、さり気なく僕の手を取ろうとはしないで下さい。

 一子様に向けられていた周りからの敵意が僕に移ったぞ、知っててやったな。

 

「話し合いに参加出来るのは亀宮様と御隠居衆のみ、僕は不参加です」

 

「あら、当事者なのに?」

 

 本当に苦手な女性だ、魅惑的な目で見つめてくるが既に交渉が始まっている。

 主に僕との距離が近い事を周りに態度で示しているんだ、これにより僕は亀宮一族に居辛くなるのを分かってやっている。

 自分への敵意が増えるのは承知でだ、どうせ敵対組織だし今更嫌われ様が関係無い。

 

「既に加茂宮さんに助力する事は基本的に了承しています、後は提示される条件次第。

僕とは別に請負契約を結んで貰います、良い条件で互いが納得出来ると助かりますね」

 

「名前では呼んでくれないのね、意地悪な人。後で時間を下さいな、提示された条件を飲みますから」

 

 顔を近付けて目線を合わせて言われた、亀宮一族から助力を引き出すだけでなく僕の引き抜きへの布石を打って来たな。

 これで僕の亀宮一族での評価は微妙になった、前と逆戻りだ。

 だが亀宮さんは問答無用のヤバい切り札(婚姻届)を持っている、彼女からしたら一子様の行動は滑稽に見えるんだろうな。

 何故なら『貴女の言い寄る男は既に私のモノなのよ』って言えるから……

 

 黙って一礼して彼女から離れる、果たして御三家同士の交渉は上手く纏まるか疑問だが気にしても仕方ないか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 与えられた部屋で一子様と結ぶ雇用契約書を作成する、裏に約款が細かい字で書いてあるが更に今回は追加する。

 

 曰く『雇用主(加茂宮一族)は榎本心霊調査事務所(僕)に対し契約達成に著しい障害をもたらす事を秘密にしていた場合、一切の契約条件を無効にする』

 

 これは先代加茂宮当主が仕掛けた蟲毒と現当主達が食い合い力を蓄える事を僕が知ったら契約は無効、敵対当主達を捕まえても一子様に引き渡す必要は無い。

 勝手に胡蝶が食べても(法的には別として)構わないのだ。

 

 契約書を二部作成しプリントした、これに署名捺印してくれたら今回の件は勝ったも当然だ。

 まぁ交渉術に関しては向こうが数段上だから上手く行けば儲け物程度だな。

 自分の欄に署名捺印しクリアファイルに入れて準備は完了、後は待つだけだが……

 

「長いな、既に一時を過ぎているぞ」

 

 食事抜きで一時間以上は話し合っている、途中休憩は無しか。

 

『ああ、まだ奴等は大広間に居るな。気になるなら悪食の眷属でも放ってみるか?』

 

『いや、バレた時が怖い。腐っても御隠居衆だからな、探索系術者が居ないとも限らない。此処は亀宮一族の本拠地なのだから……』

 

 この屋敷自体も所々に霊的な仕掛けが施されているのを感じるんだ、無闇に悪食を出す訳にはいかない。

 

『あれ?此処で胡蝶さんを出したの不味かったかな?』

 

『ん?問題無いぞ。ちゃんと目と耳は潰しておいた、奴等に察知はされてないぞ』

 

 やはり部屋に監視が霊的と機械的に有ったのか、信用されてないんだろうな……僕は色々とやらかしているから。

 

「はぁ、人生ってままならないモノだよな」

 

『そうだな、我を崇める一族の血縁が独りだけだ。早く産めよ増やせよと発破を掛けても一向に増えぬ、しかも五年も待てとは……本当に人生とは、ままならなぬモノよ』

 

 独り言に突っ込みを入れられた!しかも反論出来ない内容と来たものだ。

 

『胡蝶さん、それは……』

 

『む、誰か来るぞ』

 

 思わず立ち上がって心の中で反論したが、誰か来る情報で座り直す。暫く待つと扉をノックされたので返事をして室内に招いた。

 

「お兄ちゃん、昼食未だだよね?」

 

 最近知り合った美少女中学生が扉を少し開けて顔だけ出して覗き込んで来た。

 

「ああ、陽菜ちゃんか……未だだよ、彼等の話し合いが終わる迄は出掛けられないと思ってさ」

 

 部屋付きの冷蔵庫にも流石にコーラ以外の食品は入っていなかった。

 外食するにも出掛けられず屋敷の方に飯をくれとも言えずに我慢してたんだ。

 

「はい、おむすび十個作って来たよ。後は白菜の浅漬けにとろろ昆布のお吸い物、それとデザートは梨を剥いて来た」

 

 顔を引っ込めて台車に乗せた料理を運び込んで来た、形が少し歪なのは手作りかな?

 

「もしかして陽菜ちゃんの手作りかい?」

 

「うん!」

 

 嬉しそうに頷く彼女を見て高い懐石料理なんかよりも嬉しいと実感するな。

 



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第261話

 昼食抜きで待機かと思えば美少女中学生に手料理を振る舞われた、おむすびだけで形も歪だが具材は豊富で味も良い、大切だから二回言うが美少女中学生の手作りだ!

 備え付けのキッチンで日本茶を煎れる、結衣ちゃんが好きなので煎れ方は学んでいるし用意されている茶葉も高級品だ。

 

「ありがとう、美味しいよ」

 

「へへへ、形が歪でごめんね。なるべく大きく作ろうとしたけど手が小さいんだ」

 

 なる程、歪なのは無理に大きく作ろうとしたのか、具は鮭・子持ち昆布・梅干し・明太子とバラエティーに富んでいる、普通に旨い。

 半数を食べ終わった所で一子様の話題を振ってみる。

 

「話し合いは上手く行ってるのかな?」

 

「うーん、難航してるかな……」

 

 右手人差し指を頬に当てて上を向いて考え込んでいるが、やはり彼女にはリアルタイムで情報が流れている。

 御隠居衆筆頭、若宮の次期当主の肩書きは伊達じゃないな。

 

「加茂宮の対価少なかった?亀宮の要求多過ぎた?」

 

「うーん、細かい話になってる。勢力圏の線引きなら分かり易いんだけど国のね、依頼部署の話まで出ちゃうと僕だと未だ分からないや」

 

 少し困った顔で手に持つ湯呑みに視線を落とした、どうやら話辛いみたいだな……

 

「そりゃそうだ。アレかい?文部科学省はウチで農林水産省はオタクみたいな?」

 

「もっと細かいよ、省じゃなくて局まで行ってる。もっとも話を拗らせてるのは星野家だけで他は簡単な条件だけだったんだけど……」

 

「うん、話辛いなら良いや。僕は僕で加茂宮とは雇用契約を結ぶし短期戦だから細かい取り決めは縛りが強くなる。

ある程度は自由裁量が欲しいんだよね」

 

 余りガチガチな契約は行動が阻害される、何か有った時にアレは駄目コレも駄目は辛い。契約違反は此方の過失になるから余計にだ。

 今回は対人戦がメイン、一子様以外の他の当主は全員食われる、つまり死ぬ事になる。

 それを僕に内緒にするか正直に話すかによって対応が変わる、一蓮托生・呉越同舟か……それなりの付き合い方になるか。

 

「お兄ちゃん、怖くないの?僕は怖いよ、御三家の当主って全員が人でない、人の範疇を越えてるんだよ。

残りの伊集院なんて獣化出来るって噂だし、僕は……」

 

「怖くないと言えば嘘になるね、正直僕だって怖いさ。

今迄だって逃げれる相手ならば逃げたし派閥の誘いが酷くなれば亀宮一族を頼ったりね、だが今回は違う。僕は既に腹を括っている、今更慌てないさ」

 

「覚悟を決めても勝てない時は勝てないよ?戦いは精神論じゃ無理だって、勝てる根拠が無きゃ駄目だと思う」

 

 手厳しいな、綺麗事だけじゃ納得しないぞって顔だ、いや中学生の上目遣いにしては結構くるな。

 陽菜ちゃんは僕が善意のみで動かないのを感じている、誤魔化しは利かないが未だ甘いよ。

 

「む、切り札が二枚有る。自信の源となるモノがね……どちらにしても今回は短期決戦だ、ある程度の無謀さも覚悟してるよ」

 

 建前の切り札二枚は赤目達と勾玉を使った雷撃、裏は胡蝶の力だ。

 式神犬は十分に切り札となりえるし雷撃は対人戦では有効だ、どちらも理由として成り立つ。

 

 話ながらも食べていたので最後のおむすびの欠片を口に放り込む。

 

「ん、ご馳走様でした」

 

「お粗末様でした」

 

 互いに向かい合い手を合わせてお辞儀する仕草が面白かったのか、陽菜ちゃんはクスクス笑っている。

 年相応の仕草は可愛いものだが、幼いなりにも色々と考えて行動しているのが分かる。

 

 若宮の御隠居が自慢する孫娘だけの事は有るな……

 

「未だ掛かりそうだけど、お兄ちゃんはどうする?」

 

「そうだね、先に帰れないし出掛けられないし……」

 

 どうすると言われても部屋から離れる事は無理だし昼寝でもするかな?

 防諜防犯の為か窓の無い部屋だから時間の感覚が無くなるけど、僕が一人で亀宮本家を徘徊するのは大問題だろう。

 

「暇なら書庫で本でも読む?僕、鍵を借りれるよ!」

 

「古文書か……でも勝手に弄るのは駄目だよ、きちんと管理されてるからね」

 

 貴重な古文書は桐の書棚に厳重に収納されている、勝手に漁れば問題だ。

 

「むぅ、じゃ僕とお話しよう!」

 

「陽菜ちゃんとかい?何か合う話題が有るかな?」

 

 お腹の膨れた午後、美少女中学生と二人切りで時事ネタを交えた会話を楽しむ、幸せな一時だ。

 僕の関係者で一子様との会談に出てないのは陽菜ちゃんの他に御手洗達も居るが、仕事中だろうから遊びには来れない。

 彼女は気を遣ってくれたのと好感度UPを狙ったのかな、わざわざ手料理まで作ってくれたし……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 陽菜ちゃんも三時前には帰って行った、会談は長いな。

 流石に暇だ、やる事も無いしパソコンでネットサーフィンとかしたいが履歴が残るし何を調べてるか知られるのも嫌だし……

 『榎本さんって、こういうの好きなんですか?』って言われたら死ねる、勿論アダルトな奴じゃなくて具体的にはインコとかの画像や動画だけどね。

 僕のイメージには小動物を可愛がるは無いだろう、どちらかと言えばトレーニングとかか?

 内蔵ゲームのソリティアで遊んでいたが流石に飽きた、三十分も遊べば三十代は目と肩に疲れが来るんだよ!

 

「はい?」

 

 扉を叩く音に返事を返す、漸く終わったか?

 

「お待たせ、終わったよ。お兄ちゃん契約書を交わすなら大広間に来てって、皆内容が気になるみたい。変な契約を交わされないか心配なのかな?」

 

 陽菜ちゃんが呼びに来てくれたが、公開契約じゃないんだが……

 印刷した書類一式、正副二部をクリアファイルに入れる、署名捺印済だから後は一子様が必要事項を確認し署名捺印をすれば完了だ。

 今回は個人契約でも仕方ない、因みに契約書の内容は彼女の業務をサポートする為の派遣に近い形にしている。

 報酬の欄も拘束期間掛ける日当にしてあるが今回は報酬目当てじゃなく奴等を胡蝶に食わせるのが目的、この辺は一子様と話し合いだな。

 実際には法的な効力は少ないだろう、まさか人間の捕縛や撃退を正直に書ける訳が無い、完了後は適当な物件の調査で心霊現象は無しの偽装報告でお茶を濁す。

 馬鹿正直に一人捕まえて幾らとか証拠になるモノは残せない、報酬額は一子様が僕をどの程度信用してるかの指針になる。

 最悪騙されて無報酬でも基本的に構わない、勿論そうなれば一子様とは敵対、最悪は胡蝶に食わせる事にもなりかねないが……

 

 契約を重視する僕だが今回は殆ど適当、契約書の体を為していれば良いだけだ。

 

「分かった、ありがとう」

 

「じゃ案内するよ!」

 

 腕を抱いて引っ張るのは嬉しいが、これも対外的に若宮と僕は上手く行っているアピールだろう。

 陽菜ちゃんは純真無垢だが次期当主の一面も持っている大人顔負けの美少女中学生だ。

 ほら、擦れ違った女性達は苦笑したが袴姿の男性は睨んで来たし。

 

「お婆様、榎本さんをお連れしました」

 

 襖の前で声掛けをして、部屋の中から了解の返事を聞いて襖を開けて身体をずらす、つまり陽菜ちゃんは中には入らない。

 

「ん、ありがとう。失礼します」

 

 部屋の中には亀宮さんと御隠居衆の全員、一子様と高槻さんが居る、にこやかに笑う一子様と疲れが伺えるが微笑む高槻さんを見て交渉は加茂宮側が有利だったなと感じた。

 

「あら、榎本さん。後は貴方との雇用契約を結ぶだけですわ」

 

 ロの字形に座る皆の前を通り過ぎて一子様の前に座り契約書と渡す、黙って熟読する彼女を見詰める。

 五分程読んでいただろう、最後に深いため息を吐き出した……

 

「これは重い契約書ですね」

 

「加茂宮殿、見せて頂いて構わぬか?」

 

 若宮の御隠居の言葉に黙って差し出す契約書を受け取り渡す、正副二部有るので回し読みされてます。

 待ってるだけの僕に陽菜ちゃんが座布団とお茶を用意してくれる、何故か袴姿に着替えているけど?

 

「お兄ちゃん、どうぞ」

 

 今回はお兄ちゃん?

 

「ああ、ありがとう。何故に袴姿?似合ってるけど」

 

 巫女の緋袴でなく大正浪漫溢れる方の袴姿を披露してくれた陽菜ちゃんが大きな湯呑みを置いてくれた。

 

「何だ、この契約書は!細かい約款ばかりだが要は日当三万円に成功報酬は相手任せ、馬鹿か?」

 

 む、星野家が握り潰さんばかりに契約書を振り回しているが本書なので丁寧に扱って欲しい。ある程度読み回したのか皆が困った顔や呆れた顔をしている。

 

「落ち着け、星野。だが榎本さん、これでは成功しても日当だけで無報酬の場合も有りますよ」

 

「または言い値で寄越せか?強欲だな」

 

「適正価格を相手に決めさせると?今はどうしても助力が欲しい相手にコレはキツいですな。報酬を釣り上げているとしか思えない」

 

「加茂宮を信用すると言う意味でも少し変だと思いますね」

 

 御隠居衆から色々な意見を貰った、どれも好意的じゃない。

 これだけの大仕事に日給のみで成功報酬の欄は未記入で相手任せ、自分達が散々条件で揉めた後だと余計に不自然に見えるだろう。

 星野家なんてマッチポンプかデキレース位に思ってるな、最初から話は済んでるんだろうって……

 

「今回は何時も結んでいる法に準じた契約とは違う、何故なら条件が違うから。

殺し合いになる、間違いなくね……九子は霊能力者を言葉通り食べて力を付ける能力を持っている。

既に配下の三人を食べるのをこの目で見ているから確かだ、そんな相手に法に準じた契約で対応出来ると?

それは僕等の関係を互いが理解する為に結ぶ契約、九子に勝てなければ僕も加茂宮さんも殺されて食われる、勿論負ける気は無いし見捨てる気も無い。

だが全てを掛けて戦わなければならない、成功報酬は互いが生き残った時に考えてくれれば良い」

 

「つまり一蓮托生ですね、私が死ねば報酬など絵に書いた餅と同じ。二人で生き残るか一緒に死ぬか、なんだか不思議で強い絆を感じます。

この条件を飲みましょう、色々細かい条件を付けられるより万倍マシです。ねぇ皆さん、これほど分かりやすく重い条件は無いですよね?」

 

 うわっ、嫌味だろ今のは絶対に……相当細かい条件を交わしたんだな。御隠居衆のコメカミがピクピク動いてるぞ、笑顔も無理矢理だし後で詳細を聞いておくか。

 

「では署名捺印をお願いします。最初に言っておきます、今回の敵は今の僕でも勝てないかもと感じてます。

どんな時も勝てなくても負けない方法は思い付いたが、今回だけは全力で挑んで何とかなるかどうかです。

なので要らぬ妨害は止めて頂きたい、此方も余裕が無いので手加減は出来ません……良いですね?」

 

 星野家を筆頭に鳥羽家と新城家を順番に見詰める、まさかとは思うが結果を考えずに妨害する奴等は必ず居る、嫉妬とはそういう理性的な考えを放棄する場合が多々有るからな。

 

 星野家は睨み返し他の二家は黙って頷いてくれた、妨害は最悪自分達の地位を脅かす愚策、出来れば共倒れが理想だろうな。

 

「亀宮さんも良いかい?」

 

「ええ、構いません。加茂宮さんも約束を違えない様にお願いしますわ」

 

 婚姻届が有るからか、余裕の笑みだ。

 

「勿論、私からは何もしませんわ、私からはね」

 

 此方も誘惑術に自信があるせいか、余裕の笑みだ。

 

「「うふふふふふ……」」

 

 互いに見詰め合い笑い合い牽制し合う、本当に女って怖い生き物だな。

 ああ、そうだ。阿狐ちゃんにメール入れとくか、彼女達は加茂宮のゴタゴタを静観するとは思えないからな。

 僕が九子に狙われて一子様と共闘するが、亀宮一族も了承済みと教えよう。

 御三家の一角だが、他の二家が共闘してると知れば手は出さないだろう。

 彼女は僕に貸しが有るから、僕が当事者になってるなら邪魔はしない筈だ。

 この騒動が沈静化して静観してくれていたら、貸し借り無しと伝えよう。

 何時迄も伊集院一族に貸しが有ると思われるのも良くないから丁度良いや。

 

「「榎本さん?他の女の事を考えてませんか?」」

 

「いえ、考えてませんよ」

 

 二大当主に睨まれた、何故分かったんだ?



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第262話

「よもや共に生きるか死ぬかまで覚悟してるとは……」

 

 風巻の呟きを聞いて考える……

 

 我が孫娘に手を引かれて恥ずかしそうに部屋を去る筋肉の塊を見て思う、果たして独りで行かせて良いのか?

 亀宮一族の精鋭を同行させた方が良いのではなかろうか?

 むざむざ死なすには惜しい人材だがサポートは邪魔だと言った、加茂宮一子は戦闘系術者でない。

 つまり奴は加茂宮の当主達と独りで戦うつもりなのだ、そして勝つつもりでいる……

 

「だが勝つ手立ては有ると言った。式神犬に雷撃、他にも隠しているやも知れぬな」

 

「霊能力者同士の対人戦、確かに回復術を持ちサポートの式神犬を従え雷撃を放てる、負けない自信にはなりますね」

 

 確かに考えてみれば亀宮一族にも奴に勝てる要素の有る奴は居ない、亀様なら防御は出来ると思うが倒せるかは……攻撃力が低い。

 

「皆の衆、変な気は起こすなよ。我等は何もせず加茂宮から見返りを引き出せた、後は榎本さんの成功を祈るばかりだな」

 

「ふん、話が本当なのかも分からずに良かったのか?もし嘘なら……」

 

「ならば嘘の場合の可能性は何だ?

奴は我等の一族では無いし派閥の一員だが毎回契約を交わして仕事をしている、つまり派閥替えを止める手立ては無い。

加茂宮も我等に配慮する必要も無く今回の交渉も不要、過去に派閥替えした連中など沢山居るぞ。

で?どんな嘘をついて加茂宮の当主が我等に見返りを寄越す必要が有るのだ?」

 

「それは……しかし奴の胡散臭さは!」

 

「霊能力者が己の力を隠すのは普通だ、奴に関する悪い噂は悪意を持って流されたモノ……まさか、あの様な嘘を信じてる訳はあるまいな?」

 

「ぐっ、ぐぬぬ……」

 

 何がぐぬぬだ、馬鹿者め。

 貴様が気にしてるのは亀宮一族での席次、つまりは権力争いだろう。

 確かに荒唐無稽に近い話だが、加茂宮九子が危険な存在なのは理解した、放置すれば我等にも危害が及ぶ。

 榎本さんも善意だけではあるまい、既に敵対してるなら時間を与えず敵側の最大戦力と手を組み倒す。

 奴らしい合理的な手段だ、しかも知り合った加茂宮一子と共闘する事により縁を深めた。

 

「もし今回の件が成功した場合、我等が奴に不義理な事を行えば加茂宮一子は喜んで奴を一族に迎え入れるだろう。

そして奴は対亀宮の最前線に立つ、不義理を行った奴を断罪する為に……」

 

「今回の件、榎本さん自身にも危険が迫っているのです。

あの保身の為に自らの巨大な力をひた隠しバレたら我等に身を寄せる用心深さと狡猾さを併せ持つ彼の邪魔をする……もし何かするなら風巻はその者に敵対します」

 

 ほぅ?風巻家は榎本さんをそう思っていたのか……愛娘二人を傍に置かせているのに何とも用心深い事よ。

 

「五十嵐家もです、私の自動書記でも榎本さんに協力する事が吉と出ています。邪魔立ては破滅、私達を巻き込まないで下さい」

 

 なる程な……未来を予知して協力を支持するか。

 五十嵐家にしか出来ない分からない方法だが、判断の材料としては前例が有り過ぎるな。

 他の連中も予知のみで御隠居衆まで上り詰めた五十嵐家の秘儀に自分達の意志の参考にしたか……

 

「このまま放置しても亀宮は得をしてるんだ、積極的に協力するべきじゃないか?」

 

 方丈家が駄目押しをするか、確かに現状維持だけでも我等は得をしている。それを妨害するとか確かに悪手だろう。

 どうする、星野家?奴に邪魔立てすれば他の御隠居衆から攻められるぞ。

 

「俺は何もしないぞ。か、勘違いするな、俺は亀宮一族の為を思って言っただけだぞ!」

 

「では基本的に協力する方向で、何かを頼まれれば全力で補佐しようぞ。

成功すれば我等は得をし失敗すれば巨大な敵が生まれる、簡単な事だ……亀宮様も宜しいですな?」

 

 終始無言の亀宮様に確認を取る、彼に依存している彼女なら何か言い出すと思ったのだが……

 

「はい?えっと、それで良いですよ?」

 

 乙女としてあるまじき顔で妄想でもしていたのか?滝沢からの報告では榎本さんに婚姻届の署名捺印をさせたとか……

 勿論口止めをしたから知るのは儂と風巻だけだ、奴は最終手段まで用いて今回の敵に当たるつもりだな。

 

「では解散じゃ!」

 

 各々が微妙な顔をして大広間を出て行く、派閥当主の亀宮様の惚けた顔を見れば仕方なしか。

 しかし何時亀宮様が婚姻届を出すかヒヤヒヤしたわ、アレを皆が知れば大騒ぎになるだろう。

 現当主の夫となれば必然的に席次は第二席、玉突きで順位は下がる。

 

 だが攻撃・防御・治癒と三拍子揃った最強夫婦に……

 

「ああ、そうか!そうだったのか、全く呆れる程に用意周到だな」

 

 あの男の最後の保険は亀宮様だ、奴と亀宮様が組めば加茂宮九子にも勝てる。

 所属派閥の当主を引っ張り出す理由として婚姻は十分過ぎるだろう、夫の危機に妻が出張るのを止めれる奴は居ない。

 

「何とも呆れた男だな、既に出向く前に勝ちを固めている。全く何て男だ……」

 

 しかし亀宮様にも女性としての幸せが訪れる事になろうとはな、代々未婚が通例の当主だが稀に伴侶に恵まれ子を為す事が有る。

 その子供達は例外無く強い力を持つと言う、つまり亀宮一族の繁栄が約束されているのだ。

 700年で淀んだ血を一新する事が可能、無能や害悪は淘汰されていくな。

 

「なぁ風巻よ、榎本さんと亀宮様の子供達はやはり強力な術者なのか?」

 

「どうでしょうか?亀宮様は沢山の子宝に恵まれる安産型ですから有能な子供も居るでしょう」

 

 楽しみよの、儂が死ぬ前に是非とも亀宮一族の繁栄を約束された赤ん坊を抱かせて欲しいものだ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 大筋の話し合いが終わった、念の為に結衣ちゃん達の護衛は若宮の御隠居様に頼んだので安心だ。

 一旦自宅に帰り準備をして明日の朝に合流する事になった、葉山マリーナで……

 どうしてもモータークルーザーに拘るのは何か意味があるのだろうか?

 今回は対人戦、要は人殺しだな、捕縛しても食われるなら殺すのと一緒だ。

 用意するのは特殊警棒に大振りのナイフ、ワイヤーにナックルと武器と防刃ベストやコンバットブーツ等の防具類……

 五十嵐一族の土居から奪った拳銃を持って行くか悩んでいる、足が付いたら不味いが対人兵器としては銃は最強だ。

 関西巫女連合絡みで事情を知っている桜岡さんと相談し結衣ちゃんには秘密にする事にした、御三家の派閥争いに関わるなど聞いたら心配するから。

 彼女には一子様の手伝いで暫く京都に滞在するとだけ伝え、健気に激励してくれる言動に心の中で泣いた……

 

 指定された時間は午前十一時、場所は葉山マリーナの桟橋先端。

 天気は快晴、適度な風と波、マリンスポーツには最適な陽気で停泊しているクルーザーやヨットは出航準備で多くのヨットマン達が準備をしている。

 武器や防具、着替え一式で膨らんだ鞄を二つ持って桟橋で待つ僕は彼等の中で浮いている自覚は有る。

 愛車は駐車しっ放しは出来ないからタクシーを利用して此処まで来たのだが、当然領収書は貰った、税務署と戦う武器は領収書だ!

 等と考えながら暫く待つと昨日も見た純白のモータークルーザーがゆっくりとマリーナに入ってくる。

 

「ああ、漸く来たか……」

 

「おい、アレを見ろよ!イグザルド45コンバーチブルのフルカスタムだぜ」

 

「凄いな、初めて見たぜ……そうそうお目にかかれない高級モータークルーザーだな」

 

 時間ピッタリに現れた一子様はクルーザーのデッキの上で手を振っている。

 

「榎本さーん!」

 

 真っ赤なビキニを着てパーカーを羽織るだけとか、何処のトップモデルだよ!

 

「スゲー美女がビキニで手を振ってるぜ!」

 

「誰だ、誰待ちだ?榎本って誰だよ?」

 

 例の如く周りの連中が騒ぎ出す、確かにトップモデルみたいな美女がビキニで手を振ってれば注目するよな。

 しかも高槻さんまで白いビキニを着て一子様の後ろで控え目に手を振っている、巫女服の時より酷い状態だよ全く……

 

「おぃおぃ、ビキニ美女が二人に増えたぞ!カメラ、カメラ無いか?撮影しちゃ不味いかな?」

 

「ばっ、バレ無い様に撮れば大丈夫だよな?」

 

 御三家の一角、加茂宮家当主の一子様のアレな姿を盗撮されたら一大事だろう、動画サイトに掲載でもしたら捜し出されて呪殺されるぞ!

 

「盗撮は犯罪だ、海に叩き込まれたくなければ遠慮してくれないか?」

 

「ヤバい、ヤクザの情婦だったのか?」

 

「やっぱりだ、やっぱり真面目に生きていたらビキニ美女になんて出会えないんだ!」

 

 桟橋に集まる男共を睨んで威嚇して散らせた、何か色々と嘆いていたが仕方ないんだ、お前達の為でも有るんだぞ!

 

 しかしこんなに注目を集めちゃ駄目だろ、一子様も……

 

「おはよう、一子様。高槻さんも朝からビキニって何なんですか?」

 

 タラップが下ろされたので直ぐに出航したいので乗り込む、早くマリーナから離れたい。

 

「あら、嬉しくない?」

 

「榎本さんの為だけに着替えたのよ」

 

 無駄に洗練されたポーズを取り周りの男共を魅了する、既に何人が惚けて見詰めており、一人はフラフラと近寄って来たぞ。

 

「無闇に周りの男共を魅了しないで下さい!」

 

「全く独占欲が強いのね、これから二人っきりで過ごすのに不安なのかしら?はいはい、デッキで大人しくしていますわ」

 

 鞄を船倉に放り込む、デッキの上でチェアーに寝そべる二人の美女の行動に頭を抱える、駄目だコイツ等の魅了術は半端無い。

 

「本当にお願いします、真面目にやりましょうよ……」

 

 用意されたデッキチェアーに腰掛ける、直ぐにモブ巫女が良く冷えた缶コーラを渡してくれたが……

 

「ああ、有り難う御座います……じゃなくて!

そもそも何で水着なんですか?これから他の当主達を捕まえに行くんですよね?一子様の未来を賭けた戦いに挑むんですよね!」

 

 余裕綽々と喜ぶべきか不謹慎と嘆くべきか……僕がロリコンじゃなければ嬉しいのだが今は困惑しかないんだ。

 桟橋に並び名残惜しそうに手を振っている男共を見て思う、もしかして瞳術を使い魅了したのか?

 

「一子様、もしかして瞳術を使ったの?」

 

 一般人相手に無闇に呪術を使うのは感心しない、もっと警戒し配慮するべきだろう。

 

「別に使って無いわよ、あの程度の殿方を操るなど造作もないわ。私達の魅力が通じない榎本さんが異常なのよ」

 

「そうです、桜岡さん一途なのは分かりますが私達だって女としてのプライドが有ります。無反応は女として我慢出来ませんわ!」

 

 酷い言われ様だがロリコンだから甘んじて受けよう、確かに僕は彼女達に失礼な対応をしている。

 

「君達に現つを抜かす役立たずで良ければデレッとするけどさ、実際に求めているのは違うだろ?頭を切り替えて仕事の話をしよう、正直に話してくれ」

 

 正直にの件(くだり)で彼女の顔色が変わった。さて、何処まで正直に話してくれるかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 キャビン内に場所を移した、相変わらずビキニにパーカーだが……アレ?微妙に意識してドキドキしだしたぞ、何故だ?

 

『ふふふ、我が700年の叡知を思い知ったか!』

 

 何故か胡蝶のドヤ顔が思い浮かぶ、まさか彼女が何かしたのか?

 

『何をした?何故ロリコンの僕が彼女達に興奮する?一子様の瞳術は弾いてる筈だぞ!』

 

『今風に言えばリハビリだ、お前が幼女趣味では我が一族が増えぬ。だから性癖の幅を上限修正した、具体的にはプラス二十歳だ』

 

 ナンダト?今は十八歳未満設定なのに三十八歳までだと?駄目だ、それをしては榎本正明と言う男が死んでしまう、死んでしまうんだよ!

 

『知らん、早く女共を孕ませろ。我は我慢弱いのだ!』

 

「榎本さん大丈夫ですか?両手で頭を抱えてますが頭痛ですか?」

 

「まさか遠方からの呪術攻撃?」

 

 しまった、人前で取り乱してしまった。これから大事な話をするのに……

 

「いや、大丈夫。少し心配事が出来たけど今はどうにも出来ないから良いんだ」

 

 僕が僕でなくなる前に何とかしなければ……



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第263話

 ビキニ美女二人と船内のデッキで向かい合う、胡蝶がナニかしたせいか何故か彼女達にドキドキする。

 魅了系術者の一子様は足を組み替えたりして色気攻撃を素でやる、高槻さんは慣れてないのだろう、恥ずかしそうにパーカーの前を閉めているが太股は丸見えだ。

 視線を顔から上に固定する、因みにお付きのモブ巫女達はマリンルック(本当の意味のセーラー服)に身を包み操船している。

 彼女達のスキルの多様さに驚いた、流石は加茂宮家当主の付き人か。

 九子の鬼童衆は戦闘系だったが、加茂宮にはどんな氏族は派閥構成組織が有るのだろう?

 

「先ずは確認だけど残りの当主は何人で何処に居るのか分かってる?」

 

 九子が既に一人食ってたり二子と五郎と七郎を胡蝶が食べた事は内緒だ。

 

「加茂宮分割当主の九人の内、生存者は六人よ。

残りは私と三郎に四子、六郎と八郎、そして九子の六人……だけど誰か一人は既に脱落している、だから正確には五人だと思う」

 

「名古屋で行方不明になった二子達三人の他に、もう既に九子か他の当主の手に落ちたと?」

 

 黙って頷いた、申し訳ないが二子達は胡蝶の腹の中だが教えられない。

 残り五人、だが一子様と九子を抜けば三人、最低でも先に二人を食わないと負ける。

 

「電話での依頼は捕縛か撃退、だが撃退は退ける事になる、九子の手から守るなら捕縛だけだ。もし僕を当主争いに加担させたいなら……」

 

「捕縛または処分、まだ話してませんでしたが私達加茂宮の当主争いは最後に誰かが一人生き残るまで続けます」

 

 言葉を遮られたが真実の七割位は教えてくれた、生き残りが一人になるまで殺し合う、普通なら殺人は犯罪だし断るだろう。

 僕も表向きは法に準じた生き方をしている、契約書を交わすのも普通の個人事業主として仕事をしているから……

 しかし凄い悲しみと憂いを感じる表情が出来るな、大抵の男なら違法だろうが俺が何とかするとか言いそうだ。

 仕草や表情、全体から醸し出す雰囲気が凄い、流石は略奪愛好きで異性を操る術を持つ魔性の美女か……

 

「分かった、現行法では犯罪かも知れないが捕縛して一子様に引き渡すか……余裕が無ければ僕が倒す、それで良いね?」

 

「ええ、有り難う御座います」

 

「榎本さん、それは……」

 

 高槻さんの言葉を言わせる前に手で制す、僕は既に名古屋の洞窟内で一人殺している、正確には餓鬼化した女性を胡蝶に食わせた……

 

「どの道僕は加茂宮九子に命を狙われている、彼女に対して捕縛とか甘い考えは一切持ってない。食うつもりで襲ってくるなら返り討ちで食われる覚悟も有るだろ?

殺人は悪い事だとか命は何よりも大切だとか思わない、自分と仲間の安全と幸せの為に躊躇はしないよ。

僕は加茂宮九子を倒す、一子様は戦闘系術者じゃないから戦いの時は邪魔をしないで欲しい」

 

「つまり捜索等のバックアップに徹する訳ね、確かに戦いに私は邪魔でしかないけど近くで待機はするわよ。全てを押し付けるのは嫌なの、榎本さんに何か有った時は私も共に……」

 

 潤んだ瞳で見詰めて僕の右手を両手で包み込んで来た、私も共に……で止めたのは相手に想像させる為だな。

 共に死ぬ、とは言ってないが雰囲気で思わせている……

 女って怖いな、ドキドキした気持ちが一気に冷めたが顔には出してない。

 やんわりと手を離す、彼女が近くで待機するのは僕が相手を行動不能にしたら直ぐに食う為だろう。

 

「僕が倒れたらか……悪いが負ける気は無い、無用な心配だよ。さて他の当主の情報を教えてくれるかな?」

 

「もぅ!榎本さんって本当に本命以外には連れないわね、桜岡さんが妬ましいわ」

 

 苦笑いを浮かべておく、瞳術は使ってないが男を墜とす手練手管はそれとなく使ってくるな。

 

『胡蝶さん、無闇に彼女の魅力に反応すると判断を誤る可能性が有るから止めて欲しい』

 

『む、確かにそうだな。子は産んで欲しいが腑抜けにされては堪らん、良かろう』

 

 危なかった、胡蝶は僕の性癖に何かしらの干渉をしていたんだな。

 普通の性癖に戻されたら一子様の魅了術にヤラれてしまうだろう、それ程の女だ加茂宮一子とは……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれから色々と情報を聞いた、残りの当主達と取り巻きについて。

 数字が少ない方が強いと聞いたが襲名後に力の変動が有ったみたいだ、つまり分散して受け継いだ奴の力の適合具合に差が有る。

 二子は瞳術、五郎や七郎は部分的な肉体強化だったが胡蝶の宿敵としての力を考えれば適合率は低かったと思う。

 

 何故、彼女達がモータークルーザーに拘ったかと思えば残りの当主の一人が小笠原諸島に逃げ込んだからだ。

 定期便の発着港は既に一子様の配下が見張っている、どうやら奴は本土から離れていれば安全だと考えたんだな。

 サバイバル的に考えれば正解だが負ければ食われて相手の力となる、つまり逃走は長期的には負けと同じだ。

 絶対に勝てない相手から逃げ切れると思ったのだろうか?

 

「小笠原諸島か、小笠原さんとは無関係なんだよな……」

 

 後部デッキで離れていく本州を見詰める、最初の相手は三郎、配下は五十鈴神社の巫女達らしいが奴の愛人も兼ねている。

 神道系が多いのが加茂宮一族の特徴らしいが対人戦、特に霊能力者との戦いには不慣れだろう。

 だが拠点を構築し防御結界を張る事に関しては加茂宮一族の中でも上位らしい……

 

「自分の愛人達と共に引き籠もるか……人としては正しいのかも知れないが現状では悪手でしかない、未来が無いんだよ三郎さんよ」

 

『胡蝶さん、結界を破って強引に押し込むしかないかな?』

 

『む、そうだな。逃げ場の無い狭い島だし我等の接近は直ぐに察知されるだろう、短期決戦で近付かないと面倒な事になるか』

 

 逃げに徹し防御を固めた相手だ、多少強引に攻めないと時間ばかり掛かってしまう。

 最低二人は僕等が倒さねば九子に負ける、だが待ち構えている相手に突撃とは無謀に近い、注意は必要だ。

 

 手摺りに腰掛けて船内側を向く、誰か近付けば分かる様に……

 昨夜はバタバタしてて伊集院さんにメールしてなかった、今の内に作成しておいて圏外から脱したら自動送信の設定をしておくか。

 

 

『お久し振りです、榎本です。

加茂宮一族の九子に襲われなし崩し的に彼等の派閥争いに巻き込まれた。

僕は加茂宮一子と手を組み、残りの当主達を倒す事にした。

加茂宮九子は危険だ、彼女は他の霊能力者を文字通り食う事により自分の力を増している。

今なら勝てるが時間が経てば分からない、加茂宮の勢力下で行動する為に彼等の中でも最大派閥の加茂宮一子と組んだ事に後悔はしていない。

加茂宮一子以外の当主から助力の申し出が有った場合、出来れば敵対したくないので断って欲しい』

 

 

 此処までメールを作成し自動送信設定をして保存する、メールフォルダにはパスワード設定をしたから誰かが見ようとしても無理だ。

 携帯電話を閉じると待っていた様に高槻さんが近付いて来た、流石にビキニから動き易そうなパーカーとパンツに服装に着替えている。

 

「誰かにメールですか?」

 

「ええ、家族に……現状の事や小笠原諸島に向かっているとかには一切触れてないですから安心して下さい」

 

 携帯電話を翳して情報漏洩はしていないアピール、実際は伊集院一族への牽制、阿狐ちゃんは御三家当主として行動する。

 つまり加茂宮一族のゴタゴタを見逃すとは思えない、今の伊集院一族の勢力下は四国と九州。

 直接的な干渉はしなくとも間接的には攻めてくるだろう、中国地方は取られるかもな。

 まぁ僕には関係無いか、それは一族を纏め上げた次期加茂宮一族当主の仕事だろう。

 

「桜岡さんと里子ちゃんかしら?全く熱々ね、羨ましいわ。桜岡さんが言ってましたよ、連れ子も養子縁組して我が子にするとか何とか……」

 

 里子ちゃんって里子制度で引き取ったんだけど桜岡さん、養子縁組まで考えてるって!

 僕等は対外的に……ああ駄目だ、亀宮さんに擦り寄らない証拠として偽物の恋人関係だったのに、当の亀宮さんと婚姻届を用意してしまった。

 端から見れば最低の浮気者で権力の上の女に乗り換えた屑だ、屑男だ!

 

『妾に迎えるのだから浮気じゃないぞ、今風に言えばハーレムだ!なに、平等に愛を注げば当人達も納得するだろう、だから問題無いな』

 

『大有りです、どう見ても最低の浮気者です。折角回復しだした噂も実は本当の事だったと言われてしまいます、ああ欝だ……』

 

「あの、そんなに反省しなくても嫌味を言った訳ではないので気を確り持って下さい」

 

 何故か高槻さんがオロオロしている、その程度の嫌味は大丈夫なのですが亀宮さんが婚姻届を公表した瞬間に屑男確定なのが心配なんです。

 

「有り難う御座います。いや、色々と考えなければならない事が多くて……」

 

「そうですか?しかし安心確実路線が信条かと思っていましたが、他の当主達との戦いを全て任せろとは大丈夫なのですか?」

 

 何と無く流れで二人して並んで手摺りに捕まりクルーザーの後ろを眺める、白い波を立てて真っ直ぐ進むモータークルーザーは時速何キロメートル、いや何ノット?出てるのか……

 

「犯罪行為を進んでヤル気なのが不思議かい?」

 

 黙って頷いた、確かに僕には裏が有る、一子様より先に他の当主達を胡蝶の贄にしたいんだ。

 

「あの加茂宮九子だが、危険過ぎる。

他の霊能力者を食って力を増すなんて我々の天敵だな、自分の目で見てなければ慎重だったと思う。

そして彼女は僕を食うと笑って言った、まさに狂気に取り憑かれた微笑みを向けてね。僕はアレが怖い、だから使える手立ては全て使う。

普通の霊能力者より加茂宮の他の当主を食った方が相当パワーアップするんだろ?

彼女は教えてくれたよ、一子様は最後に食う、そして僕、その後に亀宮さん……そうはさせない、だから僕が速やかに殺す」

 

「やはり羨ましい、榎本さんにそこ迄させる桜岡さんが妬ましい」

 

 ヤバい、桜岡さんの株が上がり過ぎてバレたら急落、いや暴落する僕の評価が辛い。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 小笠原諸島……東京都特別区、太平洋上にある30余りの島々。

 父島と母島以外に公共交通機関は存在しない、基本的には東京港から出る貨客船が唯一の移動手段で殆ど丸一日掛かる。

 昔はテクノスーパーライナーなる高速船が時速70㎞で運航していたが燃費効率が悪く就航中止となった、先ずは父島に行き其処から船で周辺の母島等に移動する。

 この島の何処かに潜伏する三郎はアクセスの悪さも有利と思い選んだのだろうが、同時に逃げ場も無いんだぜ。

 何故東京の僻地に隠れていてバレたか、理由は三つ。

 

 一つ目はネットで小笠原では珍しい美人巫女さんを見たと言う書き込みが少数有った事、小笠原諸島は近年海底光ケーブルによりインターネットが利用可能になった。

 だが便利さの為にはプライバシー等が軽視されるのが問題だな。

 

 二つ目は巧妙に隠していたが名義を変更したカードで七島信用組合やゆうちょ銀行のATMから現金を何度か引き落とした事。

 一週間おきの定期便が来る度に大人数分の物資を購入すれば目立つのは必然だ、買い物リストで大体の人数も予想出来る。

 避妊具や生理用品まで購入してれば目立つだろう。

 情報だと三郎の他に五十鈴神社の巫女さんは十人、その他にも二十人程の取り巻きが居るそうだ。

 

 三つ目の、もっとも信憑性が高かったのが密告。

 父島には海上自衛隊横須賀地方隊の父島基地分遺隊が常駐していて、一子様の信奉者が居た訳だ。

 彼女には日本中にその魅了術で虜にした男達が居るらしい、気を付けなければ亀宮一族の中にも紛れてるかもしれないな。

 

 此等の情報から既に三郎が潜伏してる場所も大体特定されている、奴は父島の北西部の山岳地帯に潜伏中。

 一子様の配下は発見を恐れて凡その場所しか調べてないが胡蝶が近付けば正確な場所が分かるだろう。

 

 僕等のモータークルーザーは目立つので父島の近く迄行ったらゴムボートを利用し夜間に上陸する、そのまま夜襲し三郎を倒す。

 




今日で今年最後の更新となります。
今年一年の感謝を込めて来年は1月1日(木)から1月7日(水)まで連続一週間更新をします。
本当に今年一年間有難う御座いました、来年も宜しくお願い致します。


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第264話

 逗子マリーナを出港し途中で大島に立ち寄り補給と時間調整を含んだ休憩をとった。

 大島から父島迄は約24時間、深夜に上陸となれば大島を夜十時に出れば間に合う。

 高級ホテルにでも泊まるかと思えば普通の民家に隠れ家を用意していた、一応東日本は亀宮の勢力圏なのだが一子様は日本中に拠点や協力者が居そうで怖い。

 この隠れ家も普通の土産物屋の独身店主が家主で、我が女神が来てくれて感激ですとか涙していて怖い。

 僕の事はボディーガード程度の認識らしく見向きもされない、彼は一子様を褒めるのに夢中だが食事の手配や船の燃料、飲料水等の手配も滞りなく行っており驚かされた。

 因みに彼は四十代で日焼けした如何にも海の男って感じ、日焼けした太い二の腕が逞しい。

 

「はい、榎本さん。沢山食べて下さいね」

 

「ああ、有り難う御座います。まさか高槻さん達の手料理が食べれるとは思いませんでした」

 

 高槻さんとモブ巫女さん達が甲斐甲斐しく手料理を振る舞ってくれた、メニューは炊き込みご飯に里芋と烏賊の煮物、地魚の刺身に海藻サラダ、具沢山の味噌汁とお袋の味だ。

 しかも巫女服にエプロンというコスプレ?って微妙な格好だが僕向けのサービスらしく着替えてくれた。

 

「はい、大盛りですよ。新婚さんみたいですね?」

 

 ヤバい、ハニートラップか?高槻さんも一子様に負けず劣らず美人だから嬉しいけど嬉しく無い。

 モブ巫女さん達の生暖かい視線も針のムシロっぽくて辛い、手料理が普通に旨いのが細やかな救いだ。

 

「どうですか?」

 

「普通に美味しいです、高槻さんの手料理が食べれる彼氏は幸せですね」

 

「あら?では旦那様になって頂いても良いですよ?でも桜岡さんにどう説明します?」

 

 悪戯っぽく笑われたが彼女達なりのお礼と遠回しな取り込みだろうな、僕だけに戦わせる事への……

 後は心情的に仲良くなった異性は突き放し辛い。

 

 社交辞令を交えた会話を交わしつつ腹一杯食べて少し仮眠させて貰った、まぁモータークルーザーに乗ってる時も手伝う事は無いので寝てるか一子様と話すだけだけど……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 日が暮れる前にクルーザーに乗り込み夜十時丁度に出港した、燃料は満タンだが予備として鉄製の20リットルタンクも多目に積んでいる。

 天気には恵まれ波も弱く絶好の航海日和、夜間でもGPSの発達により安全な運転が出来るらしい。

 航海中は僕は荷物でしかなく大人しく船内デッキに籠もり寝ているしかない。

 大島に滞在中に伊集院さんから返信メールが来た、加茂宮の当主達と戦うならお手伝いしますと書いて有ったが丁寧にお断りした。

 それと加茂宮九子を倒したら一子様との共闘は終わると明言しておいた、このままズルズルと関係を続ける訳にはいかない。

 

「しかしフルカスタムだけあり立派だよな、クルーザーなのに客室が四つも有るなんて……」

 

 三畳程のスペースにベッドとドレッサー、机に椅子、それに小さな冷蔵庫まで完備されている、中身がコーラだけなのも僕の情報が流れてるな。

 でもクルーザーって動く密室と同じ、それに女性だらけの中に僕だけ……いや、今は考えないでおこう。

 

 そうして23時間後、僕等は父島の沖合い5㎞の地点まで来ていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜間にゴムボートに乗るなど初めてだ、何処の特殊部隊だよと正直恥ずかしく思う。

 六人乗りのゴムボートには僕の他には一子様と高槻さん、後はモブ巫女が二人の合計五人。

 六人乗りだが僕の重量が二人分らしい、因みに一子様の公式データは48㎏、彼女は有料会員制ホームページが有り色々な情報を発信している。

 人心掌握術も近代化したもんだ、因みにこの有料会員制ホームページの閲覧には資格審査が有り三親等に遡る身元調査や思想チェックまで行われる。

 僕は特別会員らしく常にランダムで数字が変わるキーホルダーを貰った、毎分数字が変わるパスワードだそうだ。

 

「月明かりでも見渡せるんだな」

 

 父島の山岳地帯に近い場所は人工の明かりに乏しい、だがモブ巫女さんは迷わずゴムボートを操り目的の場所に向かっている。

 定期的にライトが点滅している、先行した配下が上陸のサポートをしている。

 残り200mを切った辺りで探索するが……三人か?

 

『胡蝶さん、陸の人達って三人かな?』

 

『正解だ、それと山の方に巧妙に隠されているが僅かな霊力を感じるぞ』

 

 上陸場所から300m範囲に敵が潜伏してるのか、奴等にも気付かれた可能性を考えないと駄目だな。だが向こうは罠を張って待ち構えているだろう、未だ逃げ出しはしない。

 

 それから10分程で小さな入江の様な砂場に上陸、素早く岩陰にゴムボートを隠す。先行した配下の連中は若い男だ、パッと見は大学生?

 

「お待ちしておりました、一子様」

 

「御苦労様、門脇。連中の様子はどうかしら?」

 

 姫に謁見する騎士みたいに片膝付いて頭を下げている、もう洗脳に近いな……

 

 因みに他の二人は周囲を警戒してるが、此方も男で大学生っぽい。

 後で聞いたら関西の本当に大学生で歴史サークルの仲間達と父島に来ているらしい、小笠原諸島の歴史を語ってくれたが長いので割愛する。

 なんでも最初の発見は1543年にスペイン人より発見されて、その後1593年に小笠原貞頼が探索し更に後にその子孫が幕府に領地として申請しその名が付いたらしい。

 諸説有り第二次世界大戦でも硫黄島の激戦で知っている人も多いだろう、海上自衛隊が駐屯する意味等を調べるなど確かに大学の歴史サークルのテーマとして島中を調べても不自然じゃない。

 

「榎本さん、三郎の潜伏場所の大体の位置が分かりました」

 

 高槻さんが呼んでくれるまで歴史談義を一方的に聞かされた……

 

「何処ですか?」

 

「現在位置が此処、この砂浜から岩場を抜けて林に入ります。

直ぐに林道に突き当たりますので真っ直ぐ上ると数軒の民家が有り、全て奴等が住んで居ますが目標がどの家かは分かりません」

 

 Google Earthの航空写真には林が拓けて民家の屋根が四軒写っている、多分だが中央の家かな。守りに徹するなら端には住まずに守り易い中心に居るだろう。

 

「あれ、この民家群の後ろの……畑かな?」

 

 上り坂の反対側、民家群の先に四角く区画された場所が幾つか繋がっている。

 

「フルーツ畑です、島レモンやマンゴー、パッションフルーツや日本で唯一コーヒー豆も栽培してます。この民家群は農家ですね」

 

 ああ、島レモンか。アレってグレープフルーツ位の大きさになるんだよな。

 だが今は何も栽培してないのだろう、土の部分が露出し茶色が目立つ。

 畑の先は林になっており更に逃げ込まれたら探すのに苦労しそうだ、夜の林の中を追い掛ける……罠とか仕掛けられてたら回避出来るだろうか?

 

 周辺地図と航空写真を貰う、此処から先は一人で行く事になる。

 装備の最終確認だが先ずは服装、皮ジャンにワークパンツ、コンバットブーツは黒で統一した。

 武器は両脇に特殊警棒二本、背中に大振りのナイフと腰にブッシュナイフを差した。式神犬札は百枚、使い捨てだ。

 他の装備品はマグライト二本、発煙筒にライター、ワイヤー20mにガムテープ、それに十徳ナイフと無線機だ。

 出来れば拳銃も持って来たかったが色々とヤバいので断念した、夜襲しても倒すのは三郎のみ、万が一警察介入となり生き残りの人達が犯人は拳銃を持っていたとなれば亀宮や加茂宮でも揉み消しは厳しい。

 日本は銃器類に対して厳しい取り締まりをするから……

 

「じゃ行ってくる、其方からの無線機使用は緊急時のみにしてくれ。

音で場所がバレるかもしれないから、危なくなったら僕に構わず逃げてくれ。もし三郎を捕縛出来たら連絡するが抵抗が激しければ倒すよ、良いね?」

 

「ええ、構わないわ。良い結果を待ってます」

 

 綺麗な笑みを浮かべる一子様に皆が見惚れる、ロリコンフィルターが作動したので魅力50%カットだが若干のダメージは受けた。

 軽く手を振り坂道を駆け上がる、100mを10秒切る程にドーピングされた身体は激しい運動にも耐えられる、息を切らさずに目的地が見える場所まで到着した。

 

『民家全てに灯りが漏れてるな、見張りが居ないのは既に侵入がバレたな』

 

 心の中の胡蝶さんに話し掛ける、僕の探査術では妨害されて分からない。

 

『そうだな、情報では五十鈴神社の巫女が十人に取り巻き二十人だったな。

霊能力の無い取り巻き達が左右の林に隠れているぞ、巫女達は手前の民家に二人、真ん中の大きな民家に一人、奥の民家に二人か……

三郎は残りの連中と共に奥の畑に移動してるな』

 

『完全な罠だな、何故バレたのかな?探査系の術に触れたつもりは無かったけど?』

 

 配下に時間稼ぎをさせて逃げる算段か?

 時間が無い、逃げに撤しられたら狭い父島で鬼ごっこになり朝になれば人目を気にしなければならない。

 端から見れば僕は襲撃者で犯罪者、向こうは美人を侍らせているから被害者、通報されたら分が悪い。

 

『罠と分かっても進むしかない、左右の林の連中は赤目と灰髪に任せよう。民家群は悪食を先行させて様子を見よう、待ち伏せ式の罠だと思う』

 

『ふむ、赤目達を先に放ち林に潜む連中は無力化しよう、民家群は正明が乗り込め、我が守るし悪食と視覚共有して調べてたら時間が掛かりすぎる。

三郎は畑の中程で様子を見てるな、状況が不利になれば逃げ出すぞ』

 

 時間は少ないって事だな、だが民家は罠が張って有り中に居る巫女さんの役目は……

 

「赤目、灰髪、出ておいで」

 

 僕の呼び掛けに足元の影から飛び出してくる我が愛犬達。

 

「こら!舐めるな、戯れ付くなよ」

 

 既に大型の戦闘体型、ライオン並みのサイズの二匹が草履みたいな舌で顔を舐める、くすぐったいが程良く緊張が解けた。

 

「お前達、左右の林に隠れている連中を無力化するんだ。だが殺すなよ」

 

「「がう!」」

 

 小さく返事をすると飛び出して行った……速いな、僕でも目で追うのがやっとだよ。

 

『さて、僕等も行こうか?』

 

『ふむ、先ずは手前の民家だが……呪術封じの結界が巧妙に隠されて配置しているのか、中に入ったら霊能力は無力化されるぞ』

 

『普通の霊能力者だったらだろ?

中に居る巫女は二人、呪術の発動は最初だけだが霊能力は無力化しても物理的には戦える。つまり彼女達は霊能力無しでも戦えると思えば良いかな?』

 

『多分な、そして無力化したら周りの連中が押し寄せる。流石に二十人も入れないだろうが効率は悪いだろ』

 

 攻略を考えながら赤目達が林の中の連中を無力化するのを待つ、生命反応が途絶えなければ三郎も察知出来ないだろう。

 まさか潜伏中に携帯電話や無線機で会話はしないだろうし……

 

『よし、無力化したみたいだな。正明、最初の民家に行くぞ』

 

『はいはい、玄関からお邪魔しますか』

 

 念の為に頭全体を覆うマスクを被る、防犯カメラに映像が残れば不法侵入で訴えられる、指紋も残さない様に皮手袋も嵌める、流石の胡蝶も最新防犯設備には無力だ。

 警戒しながら進むが特に反応は無い、発動条件は中に入ったらかな?

 今時珍しい曇り硝子を嵌め込んだ引き戸の取っ手に手を掛ける、何かが反応した事を感知する。

 

『引き戸にも無力化結界が仕込まれてるな、中に入れば発動するぞ』

 

『女性を武器で脅すのは嫌だな』

 

 何の抵抗も無く引き戸は開いた、施錠してないのは誘いだろうな。

 古民家の特徴か玄関は広い、土間は二畳程有り靴は女物の下駄が二足か……

 悪いが土足で入らせて貰う、玄関から上がると直ぐに台所で奥の襖から灯りが漏れている。

 

「お邪魔するよ」

 

 スッと襖を左右に開くと巫女服を着込み薙刀を構えた若い女性が待ち構えていた。

 

「一人だけとは余裕だな、この不審者め!」

 

「だが不用意に入ったのが運の尽きよ!怨、滅、閉、塞、捕縛結界発動」

 

 腕輪の四方に鈴を配した術具を掻き鳴らし結界を発動、なる程……霊能力が身体に留まり外に発せない感じがする。

 

 これが五十鈴を用いた結界か、凄いな。

 




今年一年有難う御座いました。来年も宜しくお願いします。
元旦から三日までは連続投稿します。


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第265話

 五十鈴神社、独特の奉神具である五十鈴(いすず)を使う神道系呪術師の集まり、鈴の音色を利用した術を使う一族。

 三重県伊勢市南部を流れる五十鈴川に関係が深く五十鈴川上流域の神路山の山域内に本殿が有る一族。

 

 加茂宮一族でも有力な氏族であり、出来れば一子様も配下に迎えたいとお願いされた。

 つまり極力殺さずって事だ、派閥争いはしていても弱体化して御三家の地位が無くなるのは避けたい。

 他の当主に付いたとしても共に滅ぶ訳にはいかない、加茂宮一族を支えて貰わなければならないから……

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 改めて僕を睨む巫女さんを見る、右手で鈴の付いた術具を持ち左手で薙刀を持っている。

 

「だが不用意に入ったのが運の尽きよ!怨、滅、閉、塞、捕縛結界発動」

 

 鈴を掻き鳴らしながら言霊を唱える、室内に鈴の音が反響し僕の霊力が外に放出出来ない感じがする……これが霊能力封じの結界か、同時に身体が怠くなるが直ぐに治まった、霊能力だけでなく身体も拘束するのかな?

 綺麗な鈴の音を聞くと心が休まるな、まぁ胡蝶には効かないだろうけど……

 

「動けまい、今仲間を呼んで捕縛してやるぞ」

 

「おい、侵入者を捕まえたぞ、おい、どうした?」

 

 携帯電話を片手に林の連中に応援を頼んだのか、だが赤目達が既に無力化してるからな。

 

「おい、わふって何だ?何を言ってるんだ、ふざけるな?」

 

 凄く慌てているのが状況は切迫してるが面白いと感じる。赤目の奴、奴等の携帯電話に勝手に出たな。

 

「わふ?ああ、僕の仲間が林の連中を無力化したんだ、応援は来ないぞ」

 

「何だと不審者め!だが動けないお前なら私達だけで素巻きにしてやる」

 

 折角の助言も逆効果、素巻きと言いながら薙刀を振り被ったぞ。古民家故に天井が高いから出来るのだが、本来ならば突きだろう。

 

「「なっ?動けるだと!」」

 

 左右の内、右側が攻撃的で左側は警戒している。

 素早く右側の巫女さんに接近し鳩尾に一発、激痛で蹲る彼女の頭に左手を置いて胡蝶が呪術で眠らせる、麻酔と一緒だから気が付いた時には鳩尾の痛みは無いだろう。

 

「君達の負けだ、大人しく降参してくれないか?」

 

 同僚が一瞬で無力化された事に動揺したのか薙刀を床に落として両手を上げた、勝ち目は無いと理解したのだろう。

 

「くっ……変質者め。だが妹は……杜若(かきつばた)を殺さないでくれ、私はどうなっても構わない……だから頼む」

 

 凄い言われようだ、僕が妙齢の女性に何かする訳が無い、そんな性犯罪者を見る様な憎しみの籠もった目で見ないでくれ。

 しかし姉妹だったのか、言われてみれば似ているな。

 

「殺さないし、どうにもしない。抵抗しなければ良いから……三郎が負けたら一子様の傘下に入ってくれ」

 

 警戒を解く為に蹲る妹さんを横にする、直ぐに妹の脇に寄り添い身体を張って守ろうとする姉妹愛にホロリとした。

 敵対はしているが三郎さえ倒せば遺恨は残るが敵対はしなくなる筈だ。

 

「すまないが、それは巫女長が決める事……だが今は抵抗しない、降参する」

 

 座り込んで頭を下げたので胡蝶の力で意識を奪う、無抵抗で降参とは言え裏切る可能性は捨てきれない。

 

『巫女長か、説得は一子様任せだな。だが五十鈴神社の無力化結界は怖いな、胡蝶がレジストしなければ一方的に負けていた』

 

『見ろ、部屋の四隅を……反射板で鈴の音を反射させて増幅したんだな、我には効かぬが一瞬力が弱る感じがしただろ?』

 

 確かに霊力を身体に封じ込められて目眩がしたな……

 

 そうか無差別結界だから他の連中は林の中に隠れてたのか、そして身動きが取れない内に薙刀でボコって弱体化させる。

 または意識を失えば継続して言霊を紡がなくても大丈夫だったか?

 穏やかな表情で気を失う二人を並んで寝かせ薙刀は外に放り出す、寝相が悪くて怪我をするかもしれないし……

 

『さて、次の民家に行くかい?』

 

『何だ、勝者の権利で姉妹丼を食わぬのか?見れば中々の器量良しで霊力も高いぞ』

 

『なに言ってるんですか!時間が無いんです、早く三郎を倒さないと駄目なんですよ』

 

『む、仕方ないな……安心しろ、未だ三郎は動いてない。次の民家には一人だけだな』

 

 もう悠長な事はしてられない、帰ったら亀宮さんに土下座して婚姻届を返して貰い、直ぐに結衣ちゃんにプロポーズしよう。

 警戒しながら次の民家の玄関引き戸を開けた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 玄関の引き戸が開いた、襲撃者の報告が有り皆が配置に付いて十分も経っていない、最初に一番大きな民家に来たのか?

 確かに三郎様は此処に居たが今は巫女長と一緒に逃げ出した、あの男に付いて五十鈴神社は大丈夫なのだろうか?

 だが今は敵を侵入者を倒す事だけを考えよう。

 

「飛んで火に入る夏の虫ってね!」

 

 馬鹿正直に玄関から入って来たので起爆スイッチを押す、手前の民家に入れば呪術的に無力化して捕縛だったが私の所は物理的に無力化だよ!

 

 玄関に仕掛けた指向性爆薬が起爆、轟音と共に玄関周辺が吹き飛んだ。

 中部カーリット(株)から横流しして貰った爆薬だ、まさか使う事になるとは思わなかったが恨むなら他の当主に付いた自分を恨んでね。

 

 夜風が埃を吹き流してくれる、玄関は跡形も無くなりズタボロの侵入者が……

 

「居ない、居ないよ!粉々に吹き飛ばしちゃったのかな?そこまで火薬は多くしなかったけど……人を殺してしまったの?」

 

 怪我をさせて無力化したかっただけで爆殺するつもりなんて無かった、人を殺してしまった。

 

「ふぅ、問答無用で爆発とは驚いたな」

 

「えっ?生きてる?」

 

 瓦礫の中から起き上がる男を見て呆然とする、大怪我を負ってない事に対して心の何処かで安心したわ。

 でも現実は、あの爆発を無傷で防いだ敵が目の前に居る、私は五十鈴神社の為に姉妹の為に、この敵を倒さなければならない。

 

「見た目通りにタフなのね?」

 

 服に付いた埃を払っている男を見る、流石に額から血を流しているが致命傷は負ってない。

 破けたマスクを脱ぎ捨てると厳つい三十代の男、資料で見た亀宮一族が引き抜いた逸材。

 

「まさか貴方が一子に口説き落とされていたとは驚いたわ、榎本さん」

 

 名古屋の事件で一躍有名になった霊能力者、亀宮当主の伴侶を引き抜くとは一子の略奪愛には脱帽だわ。

 

「出来れば降参してくれ、悪い様にはしない」

 

 爆殺されそうになって許せるとは、単なる馬鹿か度しがたい善人なのか?普通に考えれば一子の傘下に入れって事よね、でもそれは無理。

 

「それは巫女長が、お姉様が決める事よ」

 

 私達は巫女長の決めた事を守る、たとえ駄目な男に差し出されたお姉様でも……それが五十鈴家に生まれた女の生き方。

 

「君もあの姉妹と同じ事を言うんだな、ならば大人しくしてくれ」

 

 頭を振って何を言った?あの姉妹?二番目と三番目の姉様達の事?

 

「まさか、前の民家に居た二人に何をしたの?」

 

「抵抗したから大人しく寝て貰っている」

 

 抵抗した?寝た?この男、姉様達に不埒な真似をしたのね、許さない。

 残りの爆薬を仕掛けたのは今私が居る居間の床、指向性爆薬は直上に爆風が行く様にしている。

 コイツは霊能力が無いんだ、だから姉様達の捕縛結界は効かなかった。

 

「分かったわ、私も降参するわ」

 

 起爆スイッチを床に落とす、勿論玄関に仕掛けた爆薬を起爆したスイッチを……

 

「助かる、それと一応拘束させて貰うよ」

 

 拘束、やはり身動きを出来なくして何かするのね。男なんて皆同じ、巫女長もあんな男に仕えるなんて馬鹿げている。

 でも私達は従わなければならない、嫌でもそれが五十鈴神社に生まれた私達の使命……

 その場で両手を上げて無抵抗の意志を示す、近付いたら共に吹き飛ばしやる!

 目の前2mが爆心地、私も被害に合うがダメージは少ないと思う、罠を張るなら自分の周りが一番安全と思わせれば近付いてくる筈よ。

 

「ええ、だけど姉様達に酷い事はしないで、お願いよ」

 

 表情を緩めた、油断して近付いて来る……一歩……二歩……三歩、あと少し……

 

「今だわ、共に吹き飛べ!」

 

 素早くポケットに入れていた起爆スイッチを押す、瞬間畳が持ち上がり閃光が居間を照らす。

 

 ああ、身体が引っ張られる感覚が有るわ……吹き飛ばされずに引っ張られる?次の瞬間全身を襲う衝撃に意識を手放した……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「けほっ、僕諸共自爆とは思い切った事をするお嬢さんだな」

 

 覆い被さる様に守った巫女さんを見て思う、五十鈴神社系の女性達は普通と違う感性を持っている。自己犠牲を厭わずに僕を害する、だが姉妹愛は強そうだ。

 身体の上に積み重なる瓦礫を払い立ち上がる、おぃおぃ民家が跡形無く吹き飛んでるぞ。

 火災すら発生してないが燻って煙が立ち上っている、暫くすれば火事になるだろう。

 

「そこの貴方、菖蒲(あやめ)を放しなさい!」

 

「姉さん、あの人は菖蒲を助けてくれてない?」

 

 最後の民家に居たのだろう、最後の二人が爆音に驚いて出て来た。

 なる程、全員姉妹らしく似ているな。最後の二人は和弓を持っている、構えてこそないが偉く警戒されてるのが分かる。

 

「そうだ、自爆する所を助けたんだぞ。手前の民家に居た二人も無傷で寝かせている、勿論林の中の連中も同様に無事だが無力化させて貰った。

手荒い真似はしたくない、出来れば降参してくれ。僕は三郎にしか用は無いんだ」

 

 そう言って瓦礫と化した民家から出ていき彼女達の5m手前で菖蒲と呼ばれた女性を大地に寝かせる、これは弓の盾にはしない意思表示だ。

 勿論、弓矢程度ならば叩き落とせるし刺さっても問題無い、銃弾と違い貫通力が弱いから大丈夫。

 

「その子から聞いている、巫女長に話をしてくれと……そして三郎が負けたら五十鈴神社は一子様の傘下に入って欲しい、彼女も悪い様にはしないと言っていたよ」

 

 数歩下がると警戒しながらも妹の状態を調べる為に近付く、首に手を当てて状態を確認して安心したみたいだ。

 

「杜若と山百合も無事なんですね、護衛の伊勢衆の連中全員を無力化とは……流石は亀宮が捜し出した逸材。

私達姉妹も全員無事ですし降参します、ですが三郎様を倒せるのですか?」

 

 伊勢衆?鬼童衆みたいな連中の事か?それは聞いてなかったな、短時間で全ての情報を聞くのは無理だったし脅威と思われなかったのだろう。

 少しだけ警戒を解いた彼女達に笑いかける、敵意が無い事を態度で示す為に。

 

「問題無い、巫女長の説得は一子様任せにするが怪我はさせない、安全は保証する」

 

 姉妹二人で無言で見つめ合ってるが、もう時間は余り無いんだ。早く決めて貰いたい。

 

「分かりました、後はお任せします。巫女長を姉様をお願い致します」

 

 二人並んで深々と頭を下げられた、家の為に加茂宮の為に玉砕は出来ないよな、あとは姉妹の為にか……

 

『胡蝶さん、三郎は大丈夫かな?』

 

『ふむ、逃げてはないが慌ただしく動いている。此方の様子は監視してたみたいだな』

 

 腕時計を確認すれば、父島に上陸してから四十分が過ぎた、爆発してからは十分弱か……周りが騒ぎ出す前に終わらせるか。

 

「赤目、灰髪、林の中を迂回して畑の後ろ側に回ってくれ、三郎を逃がすな」

 

「「わふ!」」

 

 何時の間にか背後に控えていた愛すべき式神(愛玩犬)に指示を出す。

 

「あんなに巨大な式神犬を操るとは情報に無かったですよ。それと、三郎様は地雷原に貴方を誘導しようとしています。切り札に銃も持っています」

 

「地雷に銃かよ、もう少し霊能力者っぽい戦いを望んだんだけどな。有り難う、打つ手は有るから安心してくれ。

直ぐに一子様と関西巫女連合の連中が来ると思うから宜しく」

 

 片手を上げて別れると真っ直ぐ畑に伸びる道を上る、月明かりだけでも見通せるな……

 

 そして畑の真ん中に二十代後半の男と残りの巫女達を見付けた、なる程愛人を囲うだけあり霊力も強いしイケメンなのも気に入らないな!

 




明けましておめでとう御座います、今年も宜しくお願いします。


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第266話

 月明かりが照らす父島のフルーツ畑、その中に二十代後半の和服姿のイケメンと彼を取り囲む巫女達。

 一見幻想的だが僕等はこれから戦わなければならない、事前に教えて貰った情報によればフルーツ畑の中には地雷が埋まり奴は銃を持っている。

 近代兵器に身を固めている癖に強い霊力も纏っている、一子様から聞いた話では奴の能力は言霊による除霊……つまり言葉に霊力を乗せて放つ事が出来る。

 だが胡蝶の因縁深い相手の力の一部を受け継いでいる筈だ、それが何かは分からない。

 

「やぁ!今晩は。榎本さんだね?」

 

「やぁ!初めまして。三郎さんですね?」

 

 爽やかなイケメンの問い掛けに爽やかに真似て返す、イケメンは悉くモゲレば良いんだよ!

 しかし改めて巫女さん達を見ると巫女長と思われる三十代前半の女性と……どう見ても十代半ばの女の子達。

 あれ?菖蒲さんと杜若さん達の妹さんにしては似てないぞ、古風な感じの彼女達と違い今風な感じだし。

 

「何も語る必要は無いと思うが一応聞くよ」

 

 確かに食うか食われるかの関係だから話す事は無いと思うが、大袈裟な仕草で両手を振り回しているが何を言いたいんだ?

 

「なんだ?」

 

「何故一子みたいなババァの手助けをする?女性は若い程良いものだろう、いや良いものだ!」

 

 何だと?三郎は同じ性癖を持つ者だと……確かに巫女長以外は僕の守備範囲だが、巫女長が三郎の愛人じゃなかったのか?

 数秒言葉が詰まる、巫女長は顔を背け若い巫女さん達は三郎に抱き付いた。

 彼女達も五十鈴神社系の巫女さん達なのだろうか?

 

「どうした?惚けた顔をして、榎本さんは一子や桜岡霞、亀宮の当主と年増ばかりの尻を追い掛けているからな、僕とは意見が合うまい」

 

 まさか初めて出会った同じ性癖を持つ者が敵だとは、何という運命の巡り合わせ、何という皮肉。

 

「いや、それは……(その通りだ、敵として出会う前に語り合いたかったが)出来ない、残念だがな」

 

「ふん、ロリを愛でる事は出来ないか……では退場願おうか年増趣味め!」

 

 蔑んだ目で僕を見るが、お前も巫女長に蔑んだ目で見られているんだぞ!

 

『正明、馬鹿な事は考えるな!来るぞ、奴は植物を操る』

 

「何だと?これは蔦?」

 

 大地から緑色の蔦が生え出して右足に絡み付く、咄嗟に後ろに飛ぶが二重三重と絡み付く蔦は切れずに逆に引っ張られる。

 腰に吊したブッシュナイフを抜いて蔦を叩き切る、3m程下がるって三郎を睨み付ければウネウネと畑中に蔦が伸びて動いている。

 

『不味い、絡み付かれて地雷原に引き寄せられたら負ける』

 

『ふむ、植物ならば悪食の出番だな。奴の眷属は都会に暮らす奴等と自然界に暮らす奴等の二種類が居る。

そして南国小笠原諸島には固有の大型眷属が居るだろ?』

 

『暖かい土地は生き物も大型化するか……だが悪食を見せるのは社会的に死ぬと同義、だが負ける訳にはいかない』

 

 近寄る蔦を切り払いながら心の中で葛藤する、バレたら社会的に死ぬ、女性陣から拒絶される。

 

『全くお前ときたら……我が霧を発生させて視界を悪くするから、さっさとやらんか!』

 

 確かに視界が悪くなれば迂闊に地雷原を逃げ回れない、奴はあの場所で警戒するだけだな。

 

「悪食よ、畑の植物を食い荒らせ!」

 

 胡蝶が周辺に霧を濃霧を発生させた後に悪食を呼び出し、眷属を大量召喚させる。

 目には見えないがカサカサという音が幾重にも重なり波のような音が辺りに響き渡る、霧が晴れたらトラウマになるな。

 自分を取り囲む何万匹かも分からない大量の黒い悪魔達か……

 

「なに?ナニこれ、何なの?」

 

「嫌、嫌よ。何か怖いのが私達の周りに居るよ!」

 

「ひっ?これ……家の中で感じる、怖いアレ……」

 

「何だ?何が起こってる?僕の植物達が食われているぞ……何なんだ?」

 

 ふむ、大分慌てて怯えているが見えないのに真実に辿り着いている子が居るな、偽装が必要だな。腰のポーチから式神札を十枚取り出して、いかにも式神を操った振りをする。

 

「悪食、終わりか?」

 

 僕の頭の上に飛び乗った悪食が前足で突いて合図をしてくれた、奴の操れる植物達は全て食べ尽くしたのだろう。

 

「よし、悪食は眷属を還してくれ。胡蝶さんは霧を晴らして……

直ぐに式神犬を召喚して奴に向かって走らせる、地雷が有れば起爆して安全な道が確保出来るだろう。

後は接近して左手で掴んで終わりにしよう、銃弾は我慢する、急所に当たらなければ大丈夫だ」

 

『やれやれ、無謀だが確実だな』

 

『霧が晴れだした後に直ぐ突っ込む、急がないと島民や警察、駐屯している自衛隊も動き出すよ』

 

 数秒待って悪食の眷属が周りの林と僕の影の中に入ったのを見届けてらか式神犬を召喚する。

 

「行け、式神犬よ!」

 

 奴との距離は20m、召喚数は十匹なので二列にして走らせる。やはり途中に地雷を埋めていたな、10m辺りで式神犬六匹が吹っ飛んだ!

 

「今だ!」

 

 残りの式神犬は四匹と共に三郎に向かい突貫する。

 

「貴様、式神使いか!だが弱い式神犬だな」

 

 懐から取り出した拳銃を式神犬に発泡、慣れているのか四匹に当たり式神札に還された。顔の前で両手をクロスして防御、一気に距離を……

 

「役立てよ、年増!」

 

「なっ?」

 

 巫女長を僕に向かって突き出し、更に拳銃を向けやがった。

 咄嗟に彼女を抱いて三郎に背中を向ける、躊躇無く二発撃ったな。拳銃はリボルバーだったから装填数は六発、弾切れだが……

 

「グハッ、しまった……肺に当たった……か……」

 

 血の塊が喉の奥から迫り出してきた、吐き出すと鮮血だ……

 

「お前、仲間を盾どころか……的に……した……な……」

 

『喋るな、正明。今治す、治すから落ち着け。大丈夫だぞ、直ぐに治るぞ、だから喋るな』

 

『有り難う、胡蝶……』

 

「ふん、年増を守るか。馬鹿だな、突き飛ばせば勝てたかもしれないのに」

 

 焼ける様な痛みは右の肺と腹部、どちらも致命傷に近いし筋肉の鎧を纏っている為か弾は貫通せずに体内に残ったか。

 

「貴方、何で私を庇ったの?私達は敵同士なのよ」

 

 巫女長か優しく背中を擦ってくれる、だが未だ治療は掛かりそうだ。会話で時間を稼がないと……

 

「約束した、君の姉妹達と……それに、一子様も……君達の事を心配……してたよ。同じ加茂宮の一族だ、当主が争う……関係ないって……」

 

 冷めた目で見下す三郎、奴の中では敵は倒すし味方も駒でしかないのだろう。僕の話に苛つきを隠さない、もう時間稼ぎは無理だな。

 足に力を入れて立ち上がる、巫女長は背中に隠す。嫌がる巫女長を左腕を後ろに回し動きを止める、震える僕の腕を弱々しく掴んでいる。

 

「楓(かえで)コッチに来い、ソイツは敵だ」

 

「嫌です、命を救われたのです、例え三郎様が五十鈴宗家の跡取りでも……」

 

 五十鈴宗家?ああ、選抜当主だっけ……奴は先代加茂宮と五十鈴家との間に生ませた子か。

 だから五十鈴神社系の巫女達は奴に付いた、上手く勝ち抜き当主になれば権力が集まるからな。

 

『正明、肺の傷は塞いだ。残りは腎臓だ、あと少し掛かる』

 

『腎臓か……一つ無くても大丈夫だろ、もう時間稼ぎは無理みたいだ』

 

 余裕綽々に新しい弾を込め始めた、装填し終われば撃つだろう。

 赤目達に指令を送ろうにも痛みでラインを繋げる事が出来ない、最初の命令を守って逃げ道を塞いでいるな。

 

「三郎様、巫女長を殺すのは止めて下さい」

 

「お願いします、三郎様」

 

「黙れ!お前達は俺に奉仕してりゃ良いんだ、俺に命令するな」

 

 若い巫女達が三郎に懇願するが、一喝され殴られた。コイツも同化が進んで情緒不安定か凶暴化してるのか?一人称が僕から俺に変わったな……

 

『未だ動くな、あと少しだ』

 

『悪いが無理だ、相当ムカついた!』

 

 巫女長を庇う為に回した左腕で背中に背負った大振りのナイフの柄を掴む。込み上げて来た血溜まりが口を押さえた右手から零れ落ちる。

 

「なんだ、直ぐに死にそうじゃないか?楓、ソイツに止めを刺したらお仕置きだ、全く年増の癖に反抗しやがって。それじゃアバヨ」

 

「お前がな!」

 

 奴の顔目がけて大振りのナイフを投擲する、回転しながら左目付近に当たったが柄の部分だったのか刺さらず、奴の撃った弾は左太股に命中。

 痛みを我慢して飛び掛かかるが左太股の痛みで膝が落ち、奴の腰にタックルして押し倒す形になってしまった。

 

「未だ動けるとは呆れたが、男に組み敷かれる趣味は無い、放せ!」

 

「放せと言われて、ハイ分かりましたとは言わないぜ」

 

 拳銃を持っている右手を握り潰す、握力200㎏は伊達じゃない。

 

「痛い痛い!何を見ている、俺を助けろ馬鹿者共がぁ!」

 

「掴んでしまえばコッチのものってね」

 

『胡蝶さん、頼んだ!』

 

『任せろ、左手で頭を掴むんだ』

 

 巫女さん達がオロオロしてる内にケリを付けるべく、三郎の頭を掴む。

 

「なぁ?ああ……あばばば……あひゅ?」

 

「悪いな、恨みは無いが許してくれとも言わないよ」

 

『うむ、美味だ……時間が無くて味わう暇も無かったが確かに旨かったぞ』

 

 胡蝶により強引に魂とその身に宿した力を食われた三郎は眠る様に死んだ……

 呆気ない死に様だな、罠を張り巡らせて違法な拳銃や地雷まで用意しても、僕の捨て身の特攻に負けたか。

 両膝に力を入れて立ち上がる、三郎の力を取り込んだ為か胡蝶もパワーアップしたみたいだ。

 肺と脇腹は鈍い痛みを感じるが粗方治ったみたいだ、太股に左手を翳して治療をする。

 

「凄い、心霊治療ですか?拳銃で撃たれても治せるなんて……」

 

 よろけてはいないが巫女長が肩を貸してくれる、いや身長差が有るから脇の下を支える感じかな。

 

「三郎様、死んじゃったの……」

 

「寝てる様だよ、でも息をしてないよ」

 

 彼の取り巻きの少女達が三郎の周りに集まり泣き始めた、仕えた当主が死んだのだから当たり前か。

 

「今、一子様を呼びます。今後の打合せをしないと駄目ですね、派手に爆発音とかさせちゃったし……」

 

 無線機で三郎を倒した事を伝えた、直ぐに行きますと返事が有ったし他に何か言っていたが疲れと痛みで聞き取れなかった。

 身体のダメージは深刻かもしれないが、もう一踏張りだぞ、頑張れ!

 警察沙汰になったら有罪だろう、だが一子様が確認する前に三郎の死体を処理は出来ない。

 

「あの、服を脱がせないで下さい。傷なら大丈夫じゃないけど大丈夫ですから……」

 

 ゆっくり優しくだが服を脱がそうと釦を外すのは止めて下さい、女性に身体を撫で回されるのも擽ったいです。

 

「命の恩人を放っては置けません、心霊治療をしたとはいえ傷口を綺麗にしないと感染症が心配です。貴女達、もう三郎に囚われてはいないのです、泣き止みなさい」

 

 茫然自失の少女達を一喝する、確かに今後について考えなければならない。

 あのロリコン(同じ性癖)は少女達を強引に愛人にしていたのかも知れない。

 だが彼女達はこれからの加茂宮に、一子様に必要な人材だから悪い様にはしないだろう。

 

「でも、これから私達どうすれば……」

 

「三郎を倒した僕が言うのも筋違いだとは思うが、一子様の元で頑張って欲しい。悪い様にはしない筈だから……」

 

 そう言うと目眩がして座り込んでしまった、傷口は塞がったけど出血による貧血状態か……ヤバい結構しんどいぞ。

 

「壊れてない民家に運びます、貴女達も手伝って。早く、その男は放っておきなさい!」

 

 巫女長の叱責にノロノロと立ち上がる少女達だが、人の死を間近で見るのは初めてだろう。

 

「大丈夫です、そろそろ一子様も来ますから」

 

 五十鈴神社系の今後の為にも僕に気を使ってくれている巫女長をやんわりと身体から放す。誤解でも一子様や高槻さんに見られたら纏まる話も拗れそうだ。

 

「血が足りない、島寿司が食べたい」

 

「私の手料理で良ければ直ぐに用意しますわ」

 

 今は父島の名物の島寿司を腹一杯食べる事を想像し目眩と痛みを耐える事にする。

 



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第267話

「これはどういう状況か教えて下さらない?」

 

 倒れた榎本さんに膝枕をして額に手を当てていたら加茂宮一子様と……確か関西巫女連合所属の摩耶山の神社系の高槻家の当主が近付いて来た。

 私の姉妹達は呼びに行かせたが未だ来ない、畑の真ん中で敵対していた女が自分の男を膝枕していれば慌てるだろう。

 あと式神犬が二匹、行儀良く並んで座っているのに癒されるわ。

 

 あの略奪愛の一子様が執着するだけの力をこの男は持っている、仏教系と聞いていたが陰陽道も使える私の姉妹達の命の恩人。

 打算は有れども下心は無さそうだ、他人の為に身体を張れる男気溢れる彼が、私達に下世話な気持ちは抱いてないだろう。

 命の恩人を地面に寝かせる訳にはいかないから膝枕は仕方が無かった、意識の無い人間がこんなに重いなんて……

 

「他意は有りません、命の恩人を地面に寝かせる訳にはいかず、しかし重くて運べなかったのです。

遅くなりましたが私は五十鈴神社の巫女長をしております、鈴代楓(すずしろかえで)と申します」

 

 微妙な嫉妬を感じるが今は下手に出なければならない、私達の生き残る為に。

 

「そう、なら仕方が無いわね。三郎は何処かしら?」

 

「奥の畑で死んでます、畑には地雷が埋まってますので真っ直ぐ進んで下さい」

 

「あら?仕えし当主が死んだ割には淡白ね、側に召されたのに手を出されなかった事が、腹に据えかねたのかしら?」

 

 チクリと嫌味を言われた、立場は圧倒的に向こうが上で私は彼女の大事な男に膝枕をしている泥棒猫とか思ってるのかしら?

 

「確かに周りからは子供を望まれてお側に仕えましたが、彼は少女趣味の変態性欲者……彼女達には悪いですが私は手を出されずに、今は良かったと思ってますわ」

 

 系列の支家から集められた年の若い子供達を見て思う、あの変態は私に触れさえもしなかった。

 二十五歳で側に仕えて六年、既に三十歳を越えてしまったが女盛り。

 榎本さんは確か同世代で少し年上、年齢は釣り合い能力は申し分ないけど一子様が許さないだろう、彼女が初めて気を遣う男性なのだから……

 

「姉さん、大丈夫だった?」

 

「ああ、菖蒲、杜若、貴女達も無事ね。榎本さんを民家に運ぶのを手伝ってくれる?」

 

 私の妹達は五人全員無事で良かった、自慢の妹達を無傷で倒したのね。

 

「何で姉さんが、ソイツに膝枕してるのよ?」

 

「そうよ、その男は結構酷い奴だよ。女の鳩尾を殴って気を失わせたんだよ!」

 

 問答無用で無力化したのね、杜若達の鈴の音を使った捕縛結界は結構強力なのに動けたんだ……

 

「杜若、それで鳩尾を殴られて大丈夫なの?」

 

 殴られて気絶した割には元気だけど大丈夫なのかしら?

 

「うん、当て身って奴らしく身体は平気、その後も眠らされたから痛くは無かったけど……」

 

 恐る恐る畑に向かう一子様と高槻さんを見送る、日が昇ったら地雷の撤去が必要ね。

 それに一子様に協力する人員の選抜、此処からの引き上げ、三郎の片付け、五十鈴宗家への報告等やる事は多いわ。

 

「私達は五十鈴神社は加茂宮一子様に鞍替えするわ、宗家だから三郎には嫌々従ったけど無様に負けた。私達は奴と一蓮托生はお断り、分かるわね?」

 

 あら、膝の上でモゾモゾと動き始めたけど気が付いたのかしら?

 

「くっ、意識を失ったのか……君は、済まない、迷惑を掛けた」

 

 榎本さんが気付いた、あれだけの大怪我を負ったのに立ち上がって平気なの?胸と脇腹、左太股に銃弾を負ったのよ!出血だって酷かったのに……

 ふらふらと立ち上がる彼の右腕を支える、もう出血も止まっているのね、凄い心霊治療だわ。

 

「民家に行きましょう、少なくとも身体を拭いて何か食べる物を用意しますから。

菖蒲、杜若、手伝って!榎本さんは私の命の恩人、三郎が私諸共撃ち殺そうとしたのを身体を張って守ってくれたのです」

 

 命の恩人を支えながら民家へと向かう、妹達も分かってくれたみたい。確か血が足りないから食べ物が欲しいって言ってたわね、何か有ったかしら?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お代わり下さい」

 

 大きな手に持った丼を突き出してくる。

 

「はい、沢山食べて下さいね」

 

 炊飯器から丼にご飯を山盛りによそり隣に座る榎本さんに渡す、笑顔を添えるのを忘れない。

 彼は命の恩人だが五十鈴神社関係者にとっても大切な人、加茂宮一子様との今後の関係を潤滑にする為にも私達に味方して欲しい。

 嬉しそうに私の手料理を頬張る彼を見ると女の幸せを感じる、三郎に仕えている時は苦痛でしかなかったが同じ男でも違うのね。

 あの後、傷の手当てを強引にしたが既に傷口は塞がっていた、肺と脇腹と太股の三ヶ所を撃たれたのに一時間と経たずに治癒するなんて……

 

 これが御三家トップが求める人材なのね、嬉しそうに地魚の刺身を食べる姿を見ると厳ついのに何故か可愛く感じる。

 躊躇無く三郎を殺した、殺されそうになったのだから当たり前だけど林に隠れていた五十鈴神社の男衆も無力化、此方は手荒く鎮圧したみたいだけど皆軽症。

 知らない内に倒されていたらしいけど、愛染明王を信奉しながら陰陽道も修得している術者なのに逞しい肉体も持つ男……

 急いで作った五人前の料理を瞬く間に完食したので食後のデザートとして島レモンのジュレを出す。

 

「ほぅ?島レモンですか、アレってグレープフルーツみたいに大きくなりますよね」

 

 子供みたいに嬉しそうにデザートを受け取ると直ぐに食べ始めた、まるで無警戒に口に入れてる、信用されてるのか状況的に危害を加えられないと思っているのか……

 

「ええ、大きくなるにつれて黄色が濃くなり酸味がマイルドになります。本土では中々手に入らないみたいで珍しいフルーツですね」

 

 妹達の為に作った素人デザートだけれど美味しそうに食べてくれる、家族以外に手料理を振る舞うなんて本当に久し振り。

 あの男は年増の手料理など食べれないと酷い言われ方をしたわね。

 ふふふ、下らない男から解放されたから嬉しいのかしら?

 

 全ての料理を完食して日本茶を飲んで寛いでいたら、加茂宮一子様が戻って来た……あら?少し不機嫌だけど嫉妬以外の感情が見えるわ、何故かしら?

 

「お腹は膨れましたか?榎本さんと少し話がしたいので席を外して下さい」

 

「はい、分かりました。榎本さん、奥の部屋に布団を敷いて有りますので辛ければ休んで下さい」

 

 三つ指付いてお辞儀をしてから部屋を出る、今後の話し合いに私達は未だ呼ばれない訳がないから事前打合せかしら?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 楓さんを追い出して二人切りになった、しかし彼女の手料理は美味しかったな……

 卓袱台の上には急須と湯呑みも有るので一子様の分のお茶を淹れる。

 

「はい、どうぞ。何か気になる事でも有りましたか?」

 

 険しい顔をしているが三郎の魂と宿る力が無い事に気付いたんだな……さて、どう言い訳をするか?

 

『既に死んでいては魂も宿る力も普通は肉体から離れる、難しく考えなくても良いだろう』

 

『つまり次は捕縛か戦いに参加し無力化した所を襲うしかない訳だな。折角三郎を倒して貰っても最大の目的が未達成だから不満なのか……』

 

 向かい合わせに座っていたのに、にじり寄って来たぞ。

 

「榎本さん、今回は無茶をし過ぎです。私、本当に心配したんですよ」

 

 手を胸に当てて頭を肩に押し付けて来た、端から見れば美女に抱き付かれてる様に見えるだろう、いや縋り付かれてるか?

 

「油断はしてなかったのですが、まさか拳銃や地雷まで用意してるとは驚きました。でも鍛えた肉体は拳銃の弾ごときでは貫けないのです、だから安心して下さい」

 

「私は言いました、貴方に何か有ったら……」

 

 凄い、泣いているぞ。

 

 太股に大粒の涙が零れる、下を向いて顔は見えないが悲しみを堪える様に身体が小刻みに震えている。

 気の強い女性が自分を心配して泣いてくれる、男なら堪らないだろう。

 

「三郎は余裕が無くて殺してしまったけど大丈夫だったかな?死体の処理とか隠蔽工作とか力になる事は有るかい?」

 

 長く綺麗な髪を梳いて優しく問い掛ける、彼女ならば心配だから次は自分も共に戦うと言うだろう。

 九子に吸収される事は阻止したが自身のパワーアップは出来なかった、彼女と対峙する前に残り二人しかいない当主を何とか食べたいだろうし……

 

「今はそんな心配は必要無いわ、貴方が心配だと言ってるのよ、お馬鹿さん」

 

 髪を梳いていた手を掴み自分の頬に当てさせた、涙で濡れているがスベスベだな、流石は美容に莫大な金と手間を掛けているだけの事はある。

 彼女は人工的に作り出された最高の芸術品だ……

 

「馬鹿でも良いよ、守りたい人が守れるなら馬鹿にでも阿呆にでもなるさ」

 

 彼女の両肩を掴み、やんわりと距離を離す。

 此処は日本家屋で部屋の仕切りは二面に襖、そして隙間から沢山の目が中を覗いている。

 多分だが感じる霊力から高槻さん、楓さん、それと彼女の妹達だ。

 これから仕える一子様の濡れ場でも見れると思ってるのだろうか?

 視線を向けると目が合ったよ、楓さんだな。

 

「僕等には時間が無くて残り二人を九子よりも先に倒さないと駄目だ。今回五十鈴神社を一子様の傘下に置けた、次の相手の調べは付いているのかい?」

 

「本当にお馬鹿さんね、今は榎本さんに癒しと安らぎが必要なのよ」

 

 潤んだ瞳で見詰めながら両手で顔を固定された、キスの流れはお断りだぞ。

 僕も三郎ほど酷くはないがロリコンと言う紳士、一子様には悪いが守備範囲外です。

 

「君みたいな絶世の美女が相手だと興奮し過ぎて安らぎは無理だ、それに僕は亀宮一族の関係者だよ」

 

 押さえられた両手を掴み離す、真面目な顔で彼女に派閥違いで受け入れられないと告げる。

 

「真っ向から否定されたわ、女としてショックだわ、絶望したわ」

 

「君と僕は共に強大な敵と戦う協力者だろ、色恋沙汰は無用だ。

君は最悪僕が傷付いても見捨てて九子を倒す義務が有る、加茂宮九子という世の霊能力者全ての敵を倒す義務がね。

それが加茂宮一族の当主となる君の義務で僕が力を貸す理由だよ、だから恋愛は御法度さ」

 

 周りのギャラリーも喜ぶ建前をブチ撒ける、本当は自分と結衣ちゃんのハッピーエンドの為に邪魔な九子を倒し、胡蝶への贄として加茂宮の当主達と戦う理由が欲しかったんだ。

 

「なら全てが終われば良いのかしら?」

 

「全てが終われば……僕達も元の関係に戻るだけさ。

君は日本霊能界の御三家の一角、西日本を牛耳る加茂宮一族の若く美しい当主、僕は東日本を牛耳る亀宮一族の序列十二席、交わる事は無い」

 

 キッパリと断っておかないと後々大変になる事は学んでいる、特に僕は一子様に苦手意識が有るからな、まともな交渉で勝つ事は無理だと思う。

 

「今は貴方は私の為に頑張ってくれる、なら私は貴方の献身に報いたいの」

 

 顔が近いって、周りの覗き見達のテンションもマックスだぞ!

 

「ごめんなさい、見られながらラブシーンとか無理です。襖から覗いてる連中も少しは気を遣ってくれないかな?」

 

 ガタガタと音を立てながら気配が遠ざかっていったが、空気が白けてしまったのか一子様から感じたプレッシャーが無くなった。

 

「本当に一途で恥ずかしがり屋さんね、誰にも言わないから大丈夫なのに……」

 

「いえ、加茂宮の一子様とのラブロマンスなんて僕には無理だよ、ハードルが高過ぎだよ」

 

 何とか誤魔化す事が出来たみたいだな。

 

「でも榎本さんの事が心配なのは本当よ、だから次回からはもっと身近にいて戦闘もサポートするわ」

 

「安全に十分に配慮してくれよ、君が負けたらそれで終わりなんだぞ」

 

 輝く笑顔で躱そうと頑張っていた言葉を言われてしまった、やはり交渉術では僕は彼女に適わない。

 散々遊ばれて終わり、明日の朝に覗いてた連中に何て言って顔を合わせれば良いんだ?

 他の派閥に仕える男とのラブロマンスとか茶化されるのは勘弁して欲しい、だが少しだけ嬉しいと思う自分が居るのも自覚している。

 



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第268話

「凄かったわね、アレが加茂宮一子様の男を惑わすテクニックかぁ……」

 

「悔しいけど私達よりも美人でスタイルも良いのに、甘えたり泣いたり縋ったり女の武器を最大限に行使してるのに何故墜ちないのかしら?」

 

「男って馬鹿だから刹那の情欲に負けるじゃない?なのに最大限配慮した拒絶をしたよね、よね?」

 

「聞けば摩耶山の梓巫女と恋仲らしい、愛故に浮気はしないとか……元々一子様に協力するのも彼女からの口添えが有ったらしいわよ」

 

「摩耶山の梓巫女ってお茶の間の霊能力者、スケスケヌレヌレのエロ梓巫女の桜岡霞でしょ?榎本さん程の力が有れば女なんて選びたい放題じゃん、エロい女が好きなんじゃない?」

 

 あれから夜食を食べて貰い少し仮眠をとって貰っている、もう八時前だしそろそろ起こした方が良いかしら?

 卓袱台を囲み日本茶を飲み煎餅を食べながら妹達が好き勝手言っている、あれ程の男が見え透いた色仕掛けで墜ちるものですか。

 自分の立場を理解し一子様を角が立たない様に拒絶したのです、普通の男ならヤッてから考えるとか言い出すのに……

 

「貴女達、覗き見して言いたい放題は駄目よ。確かに榎本さんは桜岡霞と交際してるのは事実、お互いが認めて公言してるので間違い無いでしょう。

だからこそ、敵対する派閥の当主に協力してるのです。私達、五十鈴神社も一子様に鞍替えしたのですから、榎本さんと一子様に失礼の無い様にしなければ駄目よ」

 

 女が五人も集まれば姦しいと言うけれど本当ね、今まで抑圧されてたから余計かしら。

 

「楓姉さんだって一子様が狙ってる榎本さんの為に手料理なんか作ってさ、一子様が狙ってる男にサービスし過ぎだよ」

 

「私は良いのよ、命の恩人には報いなければ駄目でしょ?それに島寿司が食べたいってお願いされたから……」

 

 妹達に言われて自分の姿を見る、巫女服の上からエプロンを着て台所に立っている、地魚を捌いて醤油とミリンと昆布出汁で割ったタレに切り身を漬け込む姿は……完全に若奥様ね。

 

「でも昨夜の話し合いは一方的に決められたね。私達は伊勢に戻って地元の勢力を纏める事、当主達との戦いには参戦しない」

 

「でも三郎が負けたし五十鈴宗家が変な動きをする前に止めないと駄目よ。もう宗家の直系は居ないから巫女長の楓姉さんがトップに立つし、一子様も認めて親書を書いてくれたわ」

 

「これからは鈴代六姉妹の天下ね、姉さん頑張って……って聞いてる?呑気に島寿司とか握ってないでさ、少しは考えてよね」

 

 島寿司は要は漬け握り、五人前は食べるから三十個位で大丈夫かしら?

 

「聞いてますよ、榎本さん種だけくれないかしら?認知しなくて良いって念書を書けば……」

 

 トップに立っても直ぐに跡継ぎを産めって自分に都合の良い相手を押し付けてくる連中が思い浮かぶ、特に私を三郎に差し出した連中には仕返しが必要だわ。

 榎本さんとの子供なら誰も文句は言えない、勿論一子様が勝ち抜いて加茂宮の当主になればだが……

 

「駄目だ、遅い春だけに拗らせちゃったよ」

 

「確かに能力は認めるよ、性格も悪くない、裏の世界で生きる私達にも理解が有る、でも他の問題が多いって」

 

「一子様が狙った男の恋人や妻達は悲惨な最後(一方的に捨てられる・別れる)を迎えているわよね。

姉さんが悲しむのは見たくない、散々三郎に虐げられてたのに今度は報われない未婚の母とか駄目だよ」

 

「摩耶山の梓巫女と話を付ける必要が有るよ、関西巫女連合は京都・大阪の二府、五十鈴神社は三重県だけだけど所属構成員は互角だよ」

 

「賛成、伊勢川流域の神社にも声を掛けようよ。圧力を掛ければ……」

 

「お馬鹿な話はお終いよ、私達は一子様に警戒されて伊勢に帰らされる。

当主争いに一子様が勝てば私達も重用されるわ、五十鈴神社を衰退させる訳にはいかないの。だから榎本さんとは今日でお別れ……」

 

 何時もの余裕が無い一子様は物理的に私達から榎本さんを引き離した、今は大事な時期だし色恋沙汰に現を抜かすのは駄目。

 伊勢に帰り五十鈴神社を掌握する事が巫女長として、鈴代家の娘として私の役目。

 でも挨拶した時に名刺を交換した、事務所の住所や固定電話の番号にパソコンのメアド、携帯電話の番号もメアドも教えてくれたわ。

 落ち着いたら連絡すれば良い、今は一子様の信用を得る事が大事。

 

「楓さん、朝食は未だですか?お腹が空きました」

 

 一子様は自衛隊や島民達の根回しと三郎の死体の始末で昼過ぎまで帰ってこない、先ずは胃袋を掴むのが大事だわ。

 

「直ぐに用意しますから居間の方で待ってて下さい、貴女達も喋ってないでテーブルを拭いて食器を並べなさいな」

 

 もう普通に夫婦の会話よね、私ってこんなに安い女じゃないと思ってたのに不思議だわ。

 でも榎本さんも仲間にはガードが緩いわよね、勘違いしてしまいそう。

 

「駄目だ、完全に若奥様のつもりだよ」

 

「はいはい、ご馳走様です、姉さん」

 

 姉妹で馬鹿をやって笑い合えるなんて本当に久し振りだわ。

 

「有り難う、榎本さん」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 離れ行く父島を眺める、濃い二日間だった……

 深夜に上陸して三郎を倒し五十鈴神社の巫女さん達の世話になり翌日には本土に戻る。

 五十鈴神社の巫女長は鈴代楓さんという良き母親になれる人だった、料理が美味くて甘えさせ上手だったな、恋愛要素は全く無いが包容力の有る大人の女性だった。

 

『霊能力は高かったぞ、少し歳を食っていたが生まれる子供の質は良さそうだ。霊媒女と違い連れ子も居ないしな』

 

『何でもかんでも男女関係に結び付けないで下さい、彼女は恩人の世話を焼いていただけですよ。一応名刺は交換しましたが別れ際も特に普通でしたし社交辞令だと思う』

 

 彼女からは生々しい女を感じなかった、年下だけど母親を思い出した……

 

『ロリコンでマザコンか?最悪の組合せだぞ』

 

『違います!僕はロリコンであってマザコンじゃない……一子様かな?』

 

『そうだな、大分気配を察知する事に慣れたみたいだな』

 

 船内から此方に向かってくる一子様の霊力を感じた、無意識でも障害物に関係無く10m位なら察知出来る様になったな。

 手摺りに腰掛けて前方に身体を向ける、丁度一子様が此方に向かって歩いている、波が強く手摺りに捕まらないとデッキ上は歩き辛い。

 日焼けを気にしてないみたいにタンクトップにホットパンツ、遠慮無く肌を晒しているが染み一つ無い真っ白できめ細かい肌が日の光を浴びて輝いている。

 

「どうしたの?感傷に浸る柄じゃないでしょ?」

 

 とととって小走りに近寄り右腕に抱き付く、揺れが酷いので仕方ない、振り払う事は出来ないな。首だけ振り返り離れ行く父島を見る。

 

「感傷って言うかさ、名物を食べれなかったと思ってね。結局食べたのは島寿司と島レモンジュレだけだった、南国の巨大伊勢海老とか椰子蟹とか食べたかったな」

 

 基本的に暑いのは嫌いだから南国には前回の沖縄旅行しか行った事が無い、だが暖かい場所は色んな生物が巨大化する。

 伊勢海老やロブスターとかの丸焼きを食べたかったな。

 

「全く貴方って人は……明日の午後には大島に到着するから名物料理を沢山食べさせてあげます。衛星電話で指示を出したから楽しみにしてなさい」

 

「僕は食事で霊力を回復するんだよ、だから呆れた目で見ないで欲しいな」

 

 本当に呆れました目線を送られた、美人の冷たい視線はご褒美じゃない罰だよ。

 

「霊力……霊能力……榎本さん私ね、本当はね」

 

「ん?」

 

 急に真面目な雰囲気になった、抱き付いた手にも力が入る。

 

「私は、私達加茂宮の当主達は先代から呪いを掛けられたのよ」

 

「先代から?パッと見では呪われた様には見えないけど……」

 

 マズい、視線が逸らせない、いきなりの告白に僅かに動揺したのがバレたか?

 揺れが激しくても確りと抱き付いて絶対に視線を逸らさない、彼女にとっては重大な秘密の告白だ。だが何故今になって教えようとしている?

 

「僕に呪いを解いて欲しいのかい?力になるよ」

 

「呪いは兄弟姉妹全員に等しく掛けられたの、私だけ解いても意味は無いわ。

良く聞いて、先代は私達に互いに争い一人になるまで止めない呪いを掛けた。古代中国の蟲毒の改良型、私達が最後の一人になるまで殺し合う呪いよ」

 

「蟲毒だって?だがそれは毒を持つ生き物を一つの壺に閉じ込めての共食い……まさか九子の宣戦布告は」

 

 一子様が黙って頷いた、下を向いたまま掴んだ手が小刻みに震えている。

 

 胡蝶の予想通り先代が義理の子供に強いた呪い、蟲毒で間違い無かった。

 だが、この話の流れだと一子様も霊能力者の力と魂を食べれると思われても仕方ないぞ。交渉上手の彼女にしたら悪手じゃないか?

 

「確認させてくれ、一子様も九子と同じ様に霊能力者を食えるのか?」

 

 此処で肯定されたら……どうだろう、何て反応したら良いんだ?

 

『胡蝶さん、彼女達が最後の一人になったらどうなるのかな?既に僕等が四人食ってるから残り全部足しても半分しか無いよ』

 

『どうなるかなど本人でさえ分からんだろうな』

 

 そりゃそうか、知ってるのは加茂宮の先代当主だけか……

 

「私も、私も他の兄弟姉妹だけなら力を吸収する事が出来るみたい。

九子みたいに誰でも吸収は出来ない、あくまでも蟲毒に呪われた兄弟姉妹だけ……でも三郎は既に死んでたから駄目だったわ」

 

「そうか、捕縛しないと駄目なのか……ハードルが高くなったな」

 

 彼女の秘密は殆ど無いだろう、信用を得る為に全てを教えてくれた訳だ。残り二人、パワーアップ出来ないのは辛いだろう。

 

『胡蝶さん、一人は食わせないと今の彼女には御三家を取り仕切る力が無いかも』

 

『む、だが別に困らないだろ?どうせ敵対する女だぞ』

 

『御三家のパワーバランスは崩れる、僕を擁した亀宮一族と勢力拡大を虎視眈々と狙う伊集院一族、今の彼女では抵抗出来ない。

だが陣取り合戦になれば余計な戦いが生まれ僕も巻き込まれる、阿狐ちゃんとは敵対したくない。

緩衝地帯として西日本の加茂宮は必要じゃないかな、戦いか増えれば呑気に子作りは無理だぞ?』

 

『ふむ、我は日本征服など狙ってないし加茂宮に貸しを作るのも良いだろう。最後に我等に喧嘩を売った九子が食えれば良い』

 

 脳内会話に勤しんでいたら何時の間にか一子様が正面から抱き付いて来た、気付かなかった。

 

「良いの?私は嘘をついていたのよ、しかも九子に近い存在……兄弟姉妹の魂と力を吸収したいと言った非情な女なのよ」

 

 彼女の背中をポンポンと叩く、一世一代の大勝負なのか単に事実を教えてくれたのかは分からない。

 だが彼女の嘘を上回る秘密を僕は抱えていて教えようとしない、そんな僕が彼女を責められようか?

 胸の中で小刻みに震える彼女の両肩に手を置いて優しく引き離す。

 

「僕は一子様に協力すると言った、僕等の安全の為に確実に九子を倒す為に。九子は蟲毒の呪いによる兄弟姉妹の食い合いじゃない、それ以外の霊能力者達も食うと言った。

でも君は違う、奴と戦う為に他の兄弟姉妹の魂を吸収するなら力になるよ。それで君が力を得て九子に対抗出来たり呪いが解けるならば問題無いさ」

 

 酷い嘘吐きだ、だが残り二人を食っても僕と胡蝶と互角、九子は食わせなければ大丈夫、加茂宮も滅ぼされる事も無い。

 ただ彼女が一人目を食べて心が病まなければ、九子みたいに奴の力に飲み込まれなければ……

 

「有り難う、榎本さん。凄く嬉しいわ」

 

「僕は君が敵対しない限りは味方か中立さ、契約し対価も貰うから当たり前じゃないか、そうだろ?」

 

 僕の問いに潤んだ目を閉じて上を向いて口を少し開いて……おぃおぃ、キス待ちは勘弁してくれ。後ろで高槻さんやモブ巫女さんが興味津々な感じで此方を伺ってるぞ。

 

「此処でキスしたら歯止めが効かないから無し、僕等に恋愛要素は無しって言ったよね?」

 

「信じられないわ、此処は優しくキスして抱き締めるでしょ!」

 

 いや僕はロリコンだし派閥違うし無理ですって!

 



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第269話

 父島を出発して丸一日モータークルーザーに揺られて伊豆大島に到着、船上では何もする事も手伝える事も無く食べるか寝るか広大な海を眺めるだけだった。

 あの告白の後、一子様は特に様子も変わらずベタベタもせず適度な距離と配慮をしてくれるので僕も変な気を使わずに済んで助かった。

 流石は略奪愛だけじゃない人身掌握術にも長けている、たまにスキンシップはしてくるが嫌味に感じる事が無いのが凄い。

 

 快適なクルージングを終えて見上げた大島は、父島とは違い本土から距離も近く観光地化されている。

 前回は一子様の下僕であるお土産屋の店主の所に行ったが今回は普通に観光ホテルらしい。

 入港するのでデッキに上ると既に一子様がモータークルーザーの先端に立っていたので横に並ぶ、一寸憧れているがタイタニックごっこはしない。

 

「今日は伊豆大島温泉旅館に予約を入れています、温泉に浸かり美味しい名物料理を食べて鋭気を養って下さいな」

 

 彼女は既に上陸の準備の為にパーカーとキュロットスカートに着替えている、船上ではビキニを何回か着替えて目の保養でしょ?と笑っていた。

 因みに高槻さんも水着姿だったがワンピースタイプだった、ハニートラップか単にサービス精神かは分からないがロリコンの僕は精神に僅かながらダメージを受けた。

 

「伊豆大島温泉旅館?大島って温泉出るんだ」

 

「火山地帯ですからね、三原山が噴火して島民全員が避難した事も有りましたよ」

 

 ああ、確かに噴火して島民避難のニュースを聞いたな、僕が未だ小学生低学年頃だったから1986年だ。

 四国の田舎に親戚を頼って引っ越して来た家族が居たな、確か同じ小学校に転校して来た男子が居たけど名前は忘れた。

 

「うん、思い出したよ。でもさ、港に出迎え多くない?」

 

 波止場には『大歓迎・我等が女神様』って横断幕が張られて二十人近い男達が居るけど、隠密行動は三郎を倒したから取り敢えずは気を使わなくて良いのか?

 南国特有の日差しと海の香りを全身で感じながら女神様に寄り添われているが、僕は彼等の視界には入って無さそうだ。

 流石は有料会員が四桁だけあり全国に青年から中年迄の広い層に一子様ファンが居る、いや下僕と言うかシンパと言うか……

 身の危険を感じて接岸する前に彼女から離れて高槻さんの隣に移動する、モブ巫女さん達が桟橋にタラップを設置すると周りに男達が集まり口々に歓迎の言葉を投げ掛けているな。

 

「怖い、三郎だって何とも思わない僕が今確かに恐怖を感じている。一子様の人心掌握術は殆ど洗脳に近いな、味方なら心強いが敵に回すと奴等も敵になるのか……」

 

 純粋に女神を信奉する無垢なる信者と言葉にすれば綺麗だが、実際は狂が頭に付きそうだ。

 現代社会でも数はそれだけで暴力だ、何も直接的な戦闘力だけで優劣を競えない、集団による情報戦(悪意ある噂話)での社会的な死は絶対に避けたい。

 

 (狂)信者達を従えた一子様の10m後ろを高槻さんとモブ巫女さん達に囲まれて付いて行く、コレはコレで美女に囲まれているのだが嬉しくは無い、だってロリコンだから。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 伊豆大島温泉旅館は旅館と言っているがホテルの方が似合う鉄筋コンクリート四階建で風雨に曝された外観は歴史を感じさせる風格が有る、敷地の庭は広く南国特有の椰子の木々が植えられ特産の椿も見えるが残念ながら時期が違い花は咲いてない。

 正面口の自動扉の前に六人の着物姿の仲居さんが並んで出迎えてくれた、入口脇の黒板には白い筆書き文字で『歓迎・加茂宮様御一行』と書かれ他にも何組かの宿泊客の名前が書かれている。

 亀宮さんの所は若宮リゾートグループが有り日本各地にホテルを経営してるが加茂宮はどうなのかな?

 

「いらっしゃいませ、加茂宮様。お待ちしておりました」

 

 和服の仲居さんの後ろからスーツ姿の支配人が現れて一子様を案内するが、彼の目にも狂信者の光を見た。

 

「春日井、世話になります。こちらは榎本さん、大切なパートナーだから失礼の無い様に十分に注意なさい」

 

「パートナー……で御座いますか?失礼しました、当旅館の支配人の春日井です」

 

 一瞬パートナーの件(くだり)で視線がキツくなったが、慇懃無礼に腰を90度曲げて挨拶をしてくれた。

 

「お世話になります、短期で一子様と仕事上のパートナーとして雇われた榎本です」

 

「おお、そうですか!コチラこそ宜しくお願いします。

当旅館の自慢は屋上の大露天風呂です、今は貸し切りですので存分に御堪能下さい。直ぐに夕食の準備を致します、先ずはお部屋に案内致しますので寛いで下さい」

 

 そう言うと仲居さんが手荷物を受け取り先導する、チェックインとかの手続きは不要みたいだ。

 案内されたのは最上階の角部屋と並びの四部屋、話し合いの末に角部屋401号室は一子様と高槻さん、真ん中の402号室が僕で次の403号室と404号室がモブ巫女さん達。

 一子様と二人で相部屋は本当に勘弁して欲しい、状況証拠が積み重なると嘘でも真実になる、全く迷惑な話だ。

 部屋の中に入り見回す、十二畳の和室と窓際には四畳程の板の間が有りソファーセットが置いてある、トイレと内風呂が有り冷蔵庫の中身はコーラとビールだけ。

 つまり最初から僕は独りで部屋割も決まっていたんだな、備え付けのドレッサーを開けて中からタオルを取り出し温泉に向かう、久々の温泉は楽しみだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 露天風呂は男女別々の室内大浴場とは別に貸し切りタイプの小さめの浴槽だが正面から海が一望出来る、遠くの沖合に漁船らしき船影が見える。

 新しいのは昨年屋上を改造して四つの個室タイプの露天風呂を造ったそうだ、総桧造りの浴槽に御影石の洗い場、天井は東屋風になっていて僕一人なら足を伸ばしても十分な広さが有る。

 念の為に鍵は掛けた、流石に一子様も風呂には突撃して来ないだろう、来ないで下さい。

 昔で言う硫黄の臭い、今は成分の硫化水素の臭いがするのが温泉に入っている醍醐味だな。

 簡単に身体を洗いタオルを頭の上に畳んで乗せる古来からの作法に則り浴槽に身体を沈める、三郎に撃たれた脇腹の傷痕が少し痛むが問題は無い。

 

「生き返るな、風呂は命の洗濯だって逃げちゃ駄目な少年も言ったっけ」

 

 両手でお湯を掬いバシャバシャと顔を洗う、流石のフルカスタムなモータークルーザーでも風呂は無かった、シャワーだけだったので本当に汚れを洗い流すだけで浴槽に浸かる事は無かった。

 父島で楓さんに世話になったが忙しかったから身体を拭くだけだったし、ゆっくり出来たのは久し振りだな。

 身体をのけ反らせて浴槽の縁に頭を乗せる、見上げた空は夕焼けの赤に染まりつつある、つかの間の休息を楽しむ。

 

「二子・三郎・五郎・七郎の四人は僕が食べて生き残りは一子・四子・六郎・八郎・九子の五人、だが九子は誰か一人を食べている。

四子・六郎・八郎の内生き残りは二人、一人は一子様に食べさせないと駄目だ」

 

『ああ、後一人先に食えば最悪でも力は互角だな、逆に二人共に九子に食われたら厳しい』

 

 僕の独り言に胡蝶さんが脳内会話で応えてくれた、確かに九子に三人食われたら四人食べた僕と胡蝶でも勝つのは厳しい。

 僕も胡蝶との混じり合いが進み当初よりも力が上がっているし雷撃の勾玉や赤目達も手に入れた、あと一人なら九子に食われても何とか大丈夫らしい。

 だからその後の事も考えて御三家のパワーバランスを保つ為に、一人は一子様に食わせる事にした。

 事件が解決しても加茂宮家が弱体化すれば、伊集院家が乗り出してくる、阿狐ちゃんは一族の繁栄に積極的だから何れ加茂宮家を吸収合併してしまう。

 だが新興の武闘派勢力だから地盤固めとかノウハウとかも無さそうだし最悪は亀宮家とも事を構えそうだ、常に戦わないと勢力の纏まりが維持出来ない可能性も有る。

 

 実際に一子様には感謝している、僕等だけでは他の派閥の当主と戦う事は難しく情報一つ集めるのも大変だった筈だ、協力してくれて報酬まで貰えるのだから一人は食わせてあげたい。

 

「いかん、逆上せた……もう出よう」

 

 掛け湯をして身体から温泉成分を洗い流してから露天風呂から出る、少し長湯してしまったみたいだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あら?長湯だったわね」

 

「やはり日本人は浴槽で足を伸ばして湯に浸かりたいですね、シャワーは味気無いのです」

 

 風呂上がりに部屋でコーラを飲んでいたら一子様が訪ねて来た、お供は居ない。

 彼女も温泉に入って来たのだろう、浴衣姿で髪を頭の後で纏めている、妙になまめかしいのに参る。冷蔵庫の扉を開けて固まる、中にはビールとコーラしかないが正解はどっちだ?

 

「ビールを頂こうかしら?」

 

 アサヒのスーパードライとグラスを二つ取りテーブルへと向かう、座布団に正座する洋風な美女は何とも似合わないモノだな。栓抜きは要らない、親指で押し上げる様に蓋を開けてグラスに注ぐ。

 

「あら?私を酔わせて何がしたいの?」

 

 悪戯っぽい目で見られたがビールは自分でリクエストしましたよね?

 一子様が自分の分のビールを注いでくれた、普通の男には絶対しない、彼女は男達に奉仕される側だからな。

 

「今後の方針かな、残りは三人だけど一人は九子に食われている、誰だか分からないとハズレを引いて時間を無駄にするよ」

 

 飲み干したコーラの缶をクシャクシャに握り潰す、ビー玉サイズに丸めてテーブルの上に置いてビールの入ったグラスを持つ。

 

「「乾杯」」

 

 カチンとグラスを合わせる、マナー違反だがコレはコレで楽しい。お互い一気に飲み干す、空いたグラスにビールを注ぎ合う、ノリは居酒屋だな。

 

「それで次のターゲットは決まっているかい?」

 

 美味しそうにビールを飲む彼女を見て思う、カクテルやワインが似合うのにビールも好きそうだな。

 

「榎本さんもビール好きよね?」

 

「ええ、洋酒は高いですし奢られるのに慣れてなくて、お互い貸し借り無しの関係で何十万円も奢られては気持ちが負ける。

ビールなら最悪でも一本二千円は越えないだろう、自腹を切っても大したダメージは無いから気が楽なんだ」

 

 そう言ってグラスを煽る、やはりビールはスーパードライ、次点でプレミアムモルツだな。

 正座から脚を崩して横座りをする、浴衣の裾を気にする仕草が妙に艶が有る、僕のロリコンフィルターが八割カットするが僅かにダメージを受ける。

 

「あらあら、相変わらず真面目で固いわね。だからこそ私は榎本さんを信頼しているの。そう言えば結衣ちゃんとはどう?」

 

「ど、どうって?いや、普通だよ。うん、普通かな」

 

 そうだった、彼女は結衣ちゃんが僕を異性として好いていると教えてくれたのだがイマイチ進展は無いんだ。

 だが今回の件が片付いたら、亀宮さんから婚姻届を返して貰って結衣ちゃんに気持ちを伝えるんだ!

 

『正明よ、世間一般ではソレを死亡フラグと言うらしいぞ。戦場から帰ったらプロポーズは死亡フラグの中でも最たるモノらしい』

 

『要らん現代知識に毒され過ぎだよ、胡蝶さん!』

 

 誰が何時の間にそんな知識を教えたの?学んだの?

 

「あらあら、保護者としては複雑みたいだけど結衣ちゃんも意気地無しね。榎本さんは奥手だし家族愛が強そうだからガンガン押さないと落ちないのに……」

 

 いえ、既に陥落しています、出来れば十六歳の誕生日に入籍し高校卒業と共に結婚式を挙げたいのですが世間が許さないのです。

 

「話を戻しましょう」

 

 温くなったビールを一気飲みし新しいビール瓶を冷蔵庫から取り出す、同じ様に親指で押し上げて蓋を開ける。

 

「少しだけ妬けるわね、でも真面目な話に切り替えましょう。

生き残りは二人、六郎と八郎よ。四子は負けたみたいね、彼女を支持していた祇園の有力者達の動きが怪しいのよ。九子は四子を食べただけで配下の取り込みには積極的では無いみたいだわ」

 

 ふむ、自分に絶対の自信が有るから先ずはスピード重視で敵対当主を食べてから、その後で派閥の地盤を固める気なのかな?

 



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第270話

 伊豆大島の温泉旅館にてつかの間の休息を得た、やはり日本人はシャワーより浴槽に浸かれる風呂が良い。

 風呂上がりのコーラを部屋で楽しんでいた時に、一子様が訪ねて来て今後の方針を話し合う、ビール片手にだが……

 

「四子は九子に食われた、本当ですか?」

 

「ええ、間違い無いと思うわ。四子は祇園の置屋を束ねていたわ、彼女の強味は接待力と祇園の有力者からの豊富な資金。

その有力者達が慌てて私に接触してきた、未だ詳しい話は聞いてないけど根拠としては十分だと思うわね。

私と違い自身は戦闘系の術者だったのよ、兄弟姉妹の中では単純な戦闘力は一番だったわね」

 

 その分政治的工作は苦手で、祇園の置屋での接待しか出来なかったけどと笑って締め括った。

 だけど祇園の置屋を使った接待と豊富な資金、自身も強力な術者だったか……

 九子が最初に四子を潰したのには意味が有るのかな、だが食った後に後ろ盾の祇園の有力者達を取り込まずに放置するのは疑問だ。

 

『取り込まれた奴は少なからず狂う、理路整然とした考えは出来難いと思うぞ。

だが強い奴には自然と人が集まって来る、利用したいのか強さに憧れるのか動機は色々だがな』

 

 突然の胡蝶の脳内会話だが慣れって怖いな、慌てる事も驚く事も無い。

 

『だが祇園の有力者達は九子じゃなく一子を頼った、又は複数の生き残り達に声を掛けたか?

切羽詰まった状態で、なりふり構わず縋るのも疑問だな、欲望渦巻く色街祇園の有力者達が何も考えない訳は無い。

四子を食った九子には与したく無い、残りの生き残りでは筆頭は一子様か……』

 

「ならば生き残りは六郎と八郎、二人の潜伏先は分かりますか?」

 

 残りは男二人、最悪一人は確保しなければ厳しい戦いを強いられる。一子様は僕のグラスにビールを注いでくれたのでビール瓶を奪い返杯する、彼女に慌てた様子は無い。

 

「六郎は本拠地である広島県の呉に、八郎は本拠地である岐阜県には居ないのよ。情報では関西空港から羽田空港に、その後新幹線で山形県に入ったわ。

巧妙に追跡出来る僅かな痕跡を残しながら移動して、今は北海道に潜伏してるらしいわね」

 

 今も追跡は行っているが彼女のファンクラブを総動員しても現在の潜伏場所迄は突き止められないそうだ、相当の隠密能力だが毎回痕跡を残すのが逆に変だ。

 

「常に移動して、しかも後を追える痕跡を僅かに残すか……痕跡自体が罠だと思うな、囮を追わされている懸念が有る。

片方は本拠地で待ちの状態、当然だが罠を張り巡らせて待ち構えているだろうね」

 

 ビールを煽る、両方共に罠を張り巡らせているけど前者は追っているのが本人なのか怪しい、後者は罠を張り巡らせて獲物が来るのを待っている。

 三郎は本拠地じゃなくて絶海の孤島に愛人達と共に逃げ込み隠れていただけだ。

 

「六郎を追って呉に行こう、八郎は囮を追わされて時間を浪費する可能性が高い。同じ罠なら食い破れる方が良いよ」

 

 兎に角時間が惜しい、小賢しい誘導する様な罠よりも待ち構えている迎撃系の罠の方が対処しやすい。

 

「六郎は呉市の鷺山(さぎやま)神社の氏子総代の一人、他の親族と共に鷺山周辺を支配下に置いているわ。

鷺山神社は広島県の県社、今は神社本庁の別表神社で旧呉市内の総氏神として信仰されている。八幡神として帯中日子命(仲哀天皇)を祀っている地元密着タイプの連中ね」

 

「総氏神で氏子総代か……」

 

 厄介だ、氏神とは昔は氏子達だけが祀った神で祖先を神として崇める事が多かった。

 その後、氏神の周辺に住みむ者達も祭礼に参加する様になり氏子達が増えていった地域ぐるみの信仰集団だ。

 日本は八百万の神々が居て、その曖昧さも有って氏神は鎮守や産土神と区別されなくなり混じり合う。

 同じ氏神を祭る人々を氏子中や氏子同と呼び、その代表者である氏子総代達を中心に神事や祭事が担われているんだ。

 某(なにがし)かの理由で土地を離れても信仰を続ける者を崇敬者(すうけいしゃ)と呼び、氏子と併せて氏子崇敬者と総称し勢力拡大に貢献している。

 つまり六郎は呉市を中心とした地域で有力者として君臨している、そんな奴が罠を仕掛けて待ち構えているのか……

 

「私の掴んだ情報では相当な人数が呉市内に集まっているのよ、六郎は地元では有力者、いえ支配者と言っても良い鷺山(さぎやま)家の跡取り息子なのよ」

 

「鷺山家、親族が鷺山神社の氏子総代を独占してるんだよね?地場密着の宗教は強いんだ、攻略には作戦を練らないと駄目だな」

 

 地域と密接な関係に有る宗教は根強い、霊能力者は少ないが普通の人々が信仰と言う名の結束で協力している。

 つまり御町内の爺さん婆さんから若妻や子供達まで協力者として六郎を助けるんだ。

 彼等は一般市民で素人、あくまでも信仰心からの行動だから僕等も危害を加える事は厳禁、巻き込む事すら躊躇する。

 僕も地域に密着した田舎の住職の孫だったから、地元に溶け込む宗教関係が、いかに厄介なのか分かるんだ。

 

「次の目標は六郎で決まりね、情報は集めておくわ。六時半から宴会よ、三階の大広間の『大島』だから間違えないでね」

 

 そう言って一子様は特に酔った感じもせずに自分の部屋へと向かった、短時間で瓶ビール二本を空けるとは驚いたな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 大宴会場『大島』は七人で使うのには勿体無い三十畳程の広さとステージを持っている、ステージは焦げ茶色の緞帳(どんちょう)が下りているが中にはモニターとカラオケの機材が有るらしい。

 そこに高そうな絨毯が敷かれてテーブルと椅子が配置されている、既に準備された料理は見事だ。

 

「榎本さんのリクエスト通りに伊勢海老のお造りに花咲蟹の釜茹、鮪の兜焼きよ」

 

 海老・蟹・鮪と来たか、しかも数が半端無い、鮪の兜焼きなんて大皿で三つも並んでいるぞ、普通に考えて二十人前か?

 他にも地魚の舟盛りやローストビーフとか和洋中華が混じり合い過ぎです。

 

「うん、嬉しいよ。でも先ずは乾杯しようか?」

 

 一子様なりに大食いの僕の為に無理をしてくれたんだろう、彼女ならフレンチとかイタリアンが似合うのに鮪の兜焼きの前に座ってるなんてレアモノだな。

 多分だが大食いって人種は初めてだから、取り敢えず大盛りな料理を沢山って感じで頼んだのだろう。

 僕的には単品が山盛りでなく色々な種類の料理を品数多く食べたい気持ちも有るけど、正直配慮してくれた事が嬉しい。

 

「そうね」

 

 皆にグラスとお酒が行き渡ったのを見てから軽くグラスを持ち上げる。

 

「私と榎本さんの新しい幸せな未来の為に、乾杯!」

 

 いや、それは否定させて下さい。洒落にならないから!

 

「「「カンパーイ!」」」

 

 華やかな女性達に囲まれた緊張を強いられる宴会が始まった、皆さんグラスに入ったビールを一気に飲み干してから部屋の隅に用意されたドリンクコーナーに向かう。

 冷酒・ビール・ワイン・ソフトドリンクは備え付けの冷蔵庫に入っており、ウイスキーや焼酎や氷にミネラルウォーターはテーブルの上に並んでいる。

 流石に若い女性達はビールが苦手なのかと思ったが、各々がビール瓶を取り出した。

 一子様もだが関西巫女連合は実はビール党が多い?

 

「はい、榎本さん。一献どうぞ」

 

 モブ巫女さんの一人がビール瓶を差し出して来た、自分用の空のグラス持参なのも好印象だ、最近は女性に御返杯もセクハラとかアルハラだと言われるご時世だし。

 

「有り難う御座います」

 

 グラスに入ったビールを飲み干してから注いで貰い更に半分位飲む。

 

「では御返杯を」

 

 モブ巫女さんの差し出したグラスにビールを注ぐ、一応接待的な気持ちなのだろう、モブ巫女さん全員がビールを勧めに来てくれた。

 

「榎本さんはビール党なんですね、では私も」

 

 モブ巫女さんの次は高槻さんだ、普段の独特な化粧を落としてナチュラルメイクな彼女も相当な美人さんだ。

 

「大体ビールばかりですね、頂きます」

 

 手持ちのグラスのビールを飲み干し空にしてから差し出す、立て続けに飲まされたが未だ大丈夫だ。

 酒の上の過ちは最大限に気を付けなければならない、ハニートラップの定番だし……

 

「では御返杯を」

 

 注がれたビールを一気に飲み干し「ふぅ」って色っぽく溜め息を吐かれたが、全く心は動かされない。大丈夫だ、鋼の精神(ロリコン)は平常運転だ。

 

 彼女の後ろには一子様が控えているが、何故か笑顔でワインの瓶を持っている、僕はアルコールのチャンポンは苦手なのだが……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結果的に今夜の宴会を振り返れば楽しかった、一子様と高槻さんは美人だしモブ巫女さん達も若く普通の女性達だ。

 接待の気持ちで接してくれるので楽しくない訳はない、例え僕が重度のロリコンでもね。

 だが胡蝶と混じり合った僕は頼めばアルコール成分は身体から飛ばして貰えるので酩酊する事は無い、それが六対一でも変わらない。

 それにモブ巫女さん達はお酒に強い訳でもなく、大体ビール瓶に換算して一人当たり五本目位でギブアップしフェードアウトしていった。

 

「榎本さん、アルコール強すぎです」

 

「本当に……あのビール瓶の山は何ですか?二ケース(四十八本)は空けましたよ」

 

 身体全体が真っ赤で呂律も怪しい高槻さん、既に座っている事も怪しくてグラグラしている。これ以上は急性アルコール中毒の危険性が有る。

 一子様は飲む量も抑えてたので頬を赤く染める位で未だ平気そうだ、手際良く蟹の身を解しては僕の皿に乗せてくれる。

 

「体質でしょうね、ですが明日に響くのでアルコールは打ち止めにしましょう。酔い覚ましにコーラを貰いますね」

 

 ドリンクコーナーから自分用のコーラと女性陣用の烏龍茶の瓶を持ってくる、自分で開けるから栓抜きは要らない。

 高槻さんは一口飲んでから下を向いて黙ってしまった、そろそろ危険域か?

 

「榎本さんは、何故私を助けようと思ったのかしら?普通なら対立派閥の当主は放置するわよ、幾ら九子が危険でも先ずは私達に戦わせて戦力を削ぐのが普通の考えだわ」

 

 自分のワイングラスに手酌で赤ワインを注いでいる、下を向いているので表情は見えない。

 

「そうですね、僕も一子様と会ってなければ見捨ててましたね。

対立派閥の勢力争いに好き好んで首を突っ込むのは馬鹿者の行動だ、亀宮からしてみれば御三家の一角が弱体化する絶好の好機、何故手伝うのかと痛くない腹を探られました」

 

 黙って見詰めてくるが納得していないな、途中で何度か理由は話したけど瞳術は使ってないが未だ秘密が有るなら話してくれって事か……

 

「本音と建前のどっちが聞きたい?」

 

「そうね、在り来りだけど建前から聞かせてくれるかしら?」

 

 そろそろ目を逸らしたい、黒い瞳に吸い込まれそうだ。

 

「建前は……九子は危険だ、我々霊能力者全体の敵。被害が拡散する前に早急に倒さなければならない、そこに派閥争いとか損得感情とか持ち込むな、かな」

 

 ニッコリ笑って次の本音を促された、毎回言ってるから聞き飽きたみたいだな。

 

「本音はね、名指しで僕自身や大事な人達が巻き込まれたから。

一子様の協力は渡りに船だった、加茂宮の当主達の情報に詳しく他勢力の本拠地である関西での行動がスムーズに出来る。

名古屋の事件で知り合えた君の人柄は少しだが知り得た、嫌いじゃないし互いに利益も有る。

正直に言えば無報酬でも良かったけど亀宮に配慮したんだ、巨大な組織には派閥が有り利益を求め過ぎて本末転倒な馬鹿な行動をする。

お前等の為に命を張るんじゃないのに口を突っ込んで偉そうに騒ぐ滑稽な連中だ。

でも僕等は互いを裏切る事は絶対に無いだろ?だから君と僕は一蓮托生で呉越同舟だ、命を賭けても悔いは無い」

 

『そして大事な者には我も含まれ他の当主達は我等の為に贄とする。だが目の前の女は守る、正明も悪よのう』

 

 悪代官みたいな例えは止めて下さい、だが一子様は僕の九割本音トークを信じてくれたみたいだ。

 七百年に及ぶ胡蝶と奴との因縁に決着を付ける為にも頑張るぞ。

 

 



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第271話

 伊豆大島温泉旅館での宴会で、僕の九割本音トークを聞いて信じてくれたのだろう。

 守りたい人を守る手段と覚悟と打算、それと亀宮一族(の一部)を信用していないリアルな話、その中に一応自分も入っている事を確認出来た。

 未だ引き抜きの余地が十分に有ると感じただろう、実際に加茂宮一族は先代の思惑と違い半数は胡蝶が食べてしまったから強大な当主は生まれない。

 それでも残り二人を食べた九子は脅威だが絶望的な戦力差ではなくなったのが救いだ。

 

 宴会の翌日に定番の旅館の朝食を食べた、焼き魚・温泉卵・板わさ・冷奴・ハムサラダ・味噌汁・味海苔と梅干しに漬物、ほうじ茶に御飯はお櫃(ひつ)で食べ放題。

 特に焼き魚はムロアジにエボ鯛、それにカマスと三匹が網の上で固形燃料を使い焼かれていた。

 味噌汁も豆腐とネギと定番中の定番で嬉しかった、日本人に生まれて良かったと感じる瞬間だよね。

 満腹感に満足しながらモータークルーザーに乗り込み本土へと戻った、目差すは六郎の本拠地である島県呉市。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 広島県呉市、現在の人口は約23万人だが第二次世界大戦時には帝国海軍の拠点として40万人を越えていた。

 古くは村上水軍が根城にしていた自然の要害だ、因みに海軍絡みのネタとしては京都府舞鶴市と共に『肉じゃが』発祥の地を名乗っている。

 横須賀市も『海軍カレー』発祥の地として全国区に売り出している、どうでも良いが僕は家庭のカレー派なのでスパイシーな物は好まない。

 呉の名の由来は一帯を包む連峰を「九嶺(きゅうれい)」と呼び、時間が経って訛り「くれ」となった、つまり何が言いたいかと言えば歴史有る古い街で六郎の実家である鷺山家は地元の有力者として根付いている。

 幸いな事に呉市は全国的にも観光地として有名で、他県から来ても怪しまれる事は無い。

 映画『男達の大和』で有名になった『大和ミュージアム』や退役した本物の潜水艦が展示してある『てつのくじら館』等、一部の人達には堪らないだろう。

 

「榎本さん、戦艦大和の展示スペースに宇宙戦艦ヤマトの模型が有りますけど?」

 

「大和繋がりでの展示じゃないですか?」

 

 今は一子様と二人で呉市内を観光している、大島から神奈川県の葉山マリーナに向かい新幹線にて当日に広島県入りをしたが直ぐに六郎の居場所が分かる訳でもない。

 先ずは情報収集も兼ねて市内観光をしている、囮として先方からの接触待ちも兼ねて。

 広島県入りしてから直ぐに、一子様の配下の何人かと連絡が取れなくなった、六郎の所在地を探していた連中とだ。

 六郎側は僕等が広島県に来た事を知っている、だが巧妙に居場所が分からずに何回か調査隊は罠に引っ掛かり戦闘不能にされている、つまり大怪我を負わされた。

 このままではジリ貧だ、コチラの人員だけが減らされて向こう側の情報は殆ど分からない、既に五日間も無駄足を踏み少なくない人数が戦線を離脱した。

 

「凄いわ、零戦の復元……でも思ったより小さいわね」

 

 大和ミュージアムは中央部分に戦艦大和の縮尺模型が有り、その周りが何階層かの吹き抜けになっていて見上げたり見下ろしたり出来る。

 別棟には零式艦上戦闘機やチハ型中戦車?や高射砲等の現物が展示されていて間近で見る事が出来る。

 海外の激戦区だった所から発見されて持ち帰り復元した零式艦上戦闘機を見詰める、素人目にも力強く美しく感じる、何時の時代も軍事兵器は最先端技術が盛り込まれるから。

 戦争云々や人を害する兵器云々は別として、男として見るのは楽しい、しかも美女同伴だからな。

 周りの連中がカメラを彼女に向ける度に鋭い視線で威嚇し、さり気なく身体で隠す、加茂宮の当主とのツーショットなど色々と問題だ。

 

「現在のジェット戦闘機と違いレシプロですから、でも詳しいですね」

 

 これ以上は時間も掛けられない、九子の動きが分からないから少し危険だが囮として一子様と二人で目立つ行動をしている。

 流石に一子様は駄目だ、彼女に何か有ればコチラの負けだ、最初は周りが懸命に止めた。

 だが彼女曰く自分の隣が一番安全だし僕と別れたら各個撃破されて負けると押し切った、勿論賛成だ。

 僕等は一子様を守りつつ六郎を倒し食う必要が有る、それは向こう側も同じだが地の利は圧倒的に不利。

 潜伏場所が見付からなければ向こうから来て貰えば良い、既に何人かを捕まえて僅かながらの情報を得た。

 捕まえた霊能力者は主力級も居て、胡蝶が摘み食いをしてしまったが……

 

『結局僕も同じ穴の貉(むじな)なのに、何が全ての霊能力者の為にだ』

 

『確かに我等は霊能力者達を食う、脅威には間違い無いが制御された力と本能に突き動かされる暴力とは違うぞ。まぁ我が言えた義理ではないがな』

 

 脳内で胡蝶に激励されてしまった、割り切るしか無いのだが皆を騙す秘密を抱えるのは辛い。

 

「どうしたの?酷い顔よ。戦争について悲しい思い出でも有るのかしら?」

 

 一子様が右腕に抱き付いて見上げてくる、胸を当ててるのは故意にだと思うが周りの視線が痛い、いや寧ろ殺意すら篭っている。

 この大和ミュージアムは色々な思いで来館される人々も居るが、趣味の方々も多く男ばかりのグループか男一人が多い。

 一子様は人の手で作り上げた芸術品と言っても良い完成された人工の美女だ、つまり注目度が半端無い。

 そんな彼女に抱き着かれるのが筋肉ムキムキのオッサンでは納得出来ないのだろう、怨嗟の目に最近慣れた。

 

「いえ、何でもないですよ。少しだけ焦りを感じてしまって……」

 

「確かに状況は一進一退だけど焦っては駄目よ、六郎の配下で主だった霊能力者は殆ど潰したわ」

 

 そうだ、向こうも僕等を襲撃して来た、目立つ様に呉市内を動き回り獲物が奴等が近付いたら人気の無い所に誘導して潰す。そして一子様という餌に引き寄せられて……

 

『正明、また来たぞ。今度は二人だな、それと霊能力の無い者達も多数来ているぞ』

 

『そろそろ痺れを切らして素人衆を使い始めたかな?』

 

 さり気なく彼女の肩を抱いて出口に誘導する、もう囮は十分だし狩りの時間に変更だな。

 

「また来たかな、霊能力者は二人だが雑魚も多いな……此処を出て港の方に行こうか?」

 

「本当に榎本さんの索敵能力は凄いわ、私という極上の蜜に引き寄せられる羽虫だけど段々と六郎に近付いている。でも素人の投入は頂けないわね、彼等は私の配下に相手をさせるわ」

 

 当然だが一子様の配下も呉市内に集まっている、先に戦った伊勢衆も参加している。

 僕等が囮として目立つ行動をすると情報が六郎側に行き捕縛部隊が来る、これの繰り返しだが駒が無くなれば六郎本人か側近が来る筈だ。

 加茂宮の当主連中には時間が無いのだが、逃げ回る八郎と違い六郎は理解している、だから本拠地に陣を敷いて迎え撃つつもりなのだろう。

 だが偽情報の拠点を潰し捕獲部隊も潰す、駒の少なくなった奴はどう動く?

 

 大和ミュージアムを出て港方面に向かう、ガントリークレーンや街灯それに鉄道のレールや防空壕と戦争遺構も多い。

 石畳で舗装された道を歩き海へと向かう、途中で倉庫郡を見付けて向かえば敵は包囲網を敷いて来た、中々連携が取れているな。

 一子様の手勢はファンクラブから百人、伊勢衆が二十人、伊勢衆に予備は居ないがファンクラブは損害を受けても常に定数が居るヤバイ連中だ。

 

『敵側の雑魚は四十人位だな、霊能力は無いがソコソコ鍛えてそうだぞ』

 

『つまり荒事専門か、なりふり構わなくなって来たね。コッチも真っ正面から来たみたいだな』

 

 倉庫郡を抜ける道の真ん中に二人の男が立っている、距離は20m位で一人は和服の小柄な老人でもう一人は学生服を来た高校生と思われる少年だ。

 

「鷺山銅掌斎(さぎやまどうしょうさい)久し振りね」

 

 一子様が歩いて近付く老人に声を掛ける、少年は三歩右後ろに付いて来る。

 

「久しいな、加茂宮一子殿。ソレが主(ぬし)の連れ合いか?」

 

 険しい顔をして見詰める一子様を見て鷺山銅掌斎と呼ばれた老人が強敵だと悟る、実際に霊力は漲ってるし何とも言えないプレッシャーも感じる。

 

「祖父様、親父殿の敵を前に呑気だな。捕まえて突き出すのに会話なんて必要ないじゃん」

 

「ふむ、忠臣(ただおみ)は親父殿の為に頑張れば良いのだ。大人には大人の対応というものが有る」

 

 鷺山の名前、祖父と親父、つまり六郎の父親と息子と言う訳か。家族も自分の権力争いに使うのか自主的に協力してるかは謎だが、二人共ヤル気だな。

 コチラも一子様の前に出る、彼女は直接攻撃力の低い後方支援型、コイツ等は無手だが接近攻撃型と見た。

 

「六郎は多くの養子を貰っているわ、我が子ではなく配下として。彼はその筆頭で忠臣(ただおみ)とは忠臣(ちゅうしん)と同義なの、二人とも古武術の使い手よ」

 

 実の父親や我が子迄も駆り出すか、業が深いな……

 古武術とは日本古来の武伎や武芸と呼ばれる物、剣術や柔術、居合術や忍術、砲術に捕手術とかの現代のスポーツ化した健全に競うスポーツではなく人を殺す技を使う、少し前には骨法とか流行ったな。

 

「二対一か、不利は認めるが簡単に勝てると思うなよ?」

 

 上着を脱いで一子様に持たせる、腕を捲り動き易くするのを黙って見ているとはサービス精神に溢れてるのか?だが互いの距離は10mも無い。

 

「良い筋肉だ、噂では防御とタフネスさを磨いてスピードを捨てたそうだな」

 

「技巧派か肉体派か、テクニックかパワーか、分かり易いのは助かるけど僕等には良いカモだよ。捕まらなければ一方的に嬲るだけさ」

 

 凄い自信だな、未だ二十歳にも満たないのに人を害する事に躊躇のカケラも感じつない。

 今回拳銃こそ持って来なかったが何時もの特殊警棒に大振りのナイフを仕込んでいる、だが刃物は控えて特殊警棒にするか。

 

「最後通牒だ、降参しろ」

 

「意味も無し、降参は死と同じ」

 

 僕の返事に爺さんが突っ込んで来た、早い!

 

 腰に差した特殊警棒を右手で振り抜くが屈んで腕の下を潜り懐に入られた、完全に開いた右腕を掴まれて捩られる、小柄な癖に力が強い。

 強引に力比べに持ち込む、不利と思ったのか両足で僕の腹を蹴り後ろに飛んだ。

 右腕にダメージは無い、特殊警棒を爺さんの顔目掛けて投げ付け、更に突進する。

 渾身の力で縦回転で飛んで行く特殊警棒を少年が50㎝程の金属棒で叩き落とす、良く見れば十手か?

 更に十手で突きを二回繰り出して来たので手の甲で弾く、霊力で強化したので痛みは感じるが怪我は無い……いや、違和感が有るぞ。

 

『正明、あの十手は霊具だな。触れる物に倦怠感を与える、何度も受けると疲労困憊になるぞ』

 

『なるほどね、十手使いは捕縛術使い、疲労困憊で無傷で捕まえたいってか?』

 

「なんて馬鹿力だ、体重を掛けてスピードを乗せて捻ったのに無傷だと?」

 

「それに特殊警棒も凄い力で投げていたよ、弾かれた僕の手の方が痺れてる。祖父様、コイツは人間か?熊か何かだろ?」

 

 義祖父と養子なのに連携が取れている、あの鬼童衆の斬達よりも強い。しかも未だ爺さんの方は霊能力者としての力は見せていない、少年同様に武術だけじゃない筈だ。

 

「悪いが熊は止めてくれ、躾の行き届いたクマさんってアダナを付けられた事が有るんだ」

 

「躾が?まさか、人食い熊の間違いだろ?」

 

 少年が飛び掛かってくる、縦横無尽に十手を繰り出すが基本は突きだ、しかも目や喉と急所を狙う嫌らしさ、庇うから当然十手に当たり疲労が蓄積されていく。

 

「俺を忘れるなよ」

 

 爺さんは柔術がメインで組み手を仕掛けてくる、主に体勢を崩させる様に、二人の連携は流石だが、そろそろ均衡を崩すか。

 

「赤目、灰髪、爺さんを抑えてくれ!」

 

『悪食、眷属の小さい奴を奴等の周りに集めてくれ』

 

 影から式神犬を召喚して爺さんを牽制、少年に狙いを絞る。今まで捕まえた奴等は一子様の瞳術でも六郎の居場所を教えなかった、いや知らされてなかった。

 だが自分の父親と養子なら逃がせば六郎に辿り着くかも知れない。

 

 



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第272話

 今回のターゲットである六郎の父親、鷺山銅掌斎(さぎやまどうしょうさい)と養子の忠臣(ただおみ)と向かい合っている。

 自分達の義父と息子の為に僕等に挑んで来るが、中々の連携と能力。

 単体での物理的攻撃力は鬼童衆を凌ぎ、養子の少年は霊具の十手を扱う。

 

「かなり叩いてるのに全然疲労してないよ、何故さ?」

 

「タフネスと防衛力は大したモノだが俺に付いて来れるスピードも有るとはな、前情報は偽りかよ。

だが身体能力は高くても技量は低い、付け込む隙は有るな……この式神犬を何とか出来れば」

 

 コチラを油断無く睨む爺さんの技量は高い、何とか掴もうとするがスルリと逃げられる。

 二対一、一子様は距離を置いて観戦しているが、その手にはボゥガンが握られている、彼女の射撃能力は高く矢には毒まで塗り込まれているんだ。

 だから二人も迂闊には近付かない、彼女の周りには捕縛結界が張られていて動きが鈍った時に撃たれて負ける、捕縛結界が効かない場合は得意の瞳術も有る。

 対人戦は苦手な力が弱いが機敏で器用な彼女らしい戦い方だ、心霊関係では神道系の巫女としての能力も高い。

 加茂宮の後継者として一の名を貰うだけの強さが有るのが彼女、加茂宮一子だ。

 

「赤目、灰髪、爺さんを牽制しろ!」

 

 第二段階の大型犬サイズの赤目達に爺さんを抑える様に指示をだし少年と対峙する、未だ未成年なのに肝が据わってるな。

 流石の爺さんも二匹の連携に手を焼いている、人間と違い四つん這いの犬に投げ技は使えない。

 迂闊に蹴れば足を噛まれる、対人を想定している技は封じた。

 

「高齢者は後回し、若輩者を倒す」

 

「オッサンがピチピチの十代に勝てっかよ!」

 

 3mの距離を飛び掛かる、今迄は手の甲で弾くだけだった十手を掴む、なる程ね……確かに握るだけでもビリビリと霊力を感じるが……

 

「効かないよ、霊具の効果は完全に封じている(胡蝶さんがね!)」

 

 確かに痛みは有るが打撲傷は順次回復してるし疲労の特殊効果も弾いている、後は適当に怪我を負わせて悪食の眷属と共に六郎の下へと帰れ。

 

「僕の捕縛術は十手だけじゃないんだぜ!油断したね、オッサン。喰らえ、黒縄(こくじょう)」

 

 懐から取り出した黒い組紐?布を編んだ紐?を取り出すと僕に投げ付けてきたので股間を蹴り上げる!

 男にしか分からない非情なる一撃、手加減はしたが二つある玉が身体に減り込む感触があった。

 

「むぐっ、オッサン……男として、最低……だぞ」

 

 思わず爺さんが両手で自分の股間を押さえた、僕は首に絡み付く紐を左手で掴み胡蝶さんの解析を待つ。

 

『ほぅ、霊具・黒縄か。捕縛系の霊具は使えるな』

 

『結構力が強いな、耐えられるけど、そろそろ辛いから引きちぎるよ』

 

『待て、使える霊具だ。我の支配下に書き換える』

 

 胡蝶さんが霊具に何かしたのか、首に巻き付いていた黒縄がハラリと解けた。

 

「あっ?オッサン、霊具返せよ!」

 

 蹴られて倉庫の壁に当たり尻餅をついて両手で股間を押さえる少年に文句を言われたが関係無い、確かに使い勝手は良さそうな縄だな。

 それに十手も落ちていたので拾う、刃物と違い持ち歩いても大丈夫か?

 

 苦痛で注意力も散漫な為か悪食の眷属たるチャバネの子供達が少年の服に潜り込む、追跡出来る仕込みも終わった。

 

「油断大敵よ!」

 

 一子様がボゥガンを少年に向かって撃つ、声を掛けて注意を引いてから撃ったので右手を犠牲にして何とか致命傷を避けた。

 

「忠臣!貴様等、孫に何しやがる」

 

 警戒しながら孫に近寄る爺さんだが潮時だろう、撤退するなら追わないが未だ泳がされてると気付くかもしれない。

 

「さて、素直に捕まれば悪い様にはしない。どうする?」

 

 降伏を薦める、素直に従えば一子様の瞳術で六郎の居場所を聞き出し、逃げても悪食の眷属が教えてくれる、つまり選択肢は無いのと同じだ。

 孫を労る様に背中を摩り腰を叩く、股間を蹴られると腰をトントン叩くのは何故だろう?

 少年は腕の矢を抜いて傷口を抑えている、最近の止血方法は傷から心臓に近い所を結んで圧迫せずに傷口を押して止血するのだ。

 

「降伏はしない、情報も与えない、そして恨みも忘れない。俺の能力はな、逃走にも使えるんだぜ」

 

「逃げれると思ってるのか?お前等の手下も全員戦闘不能らしいぜ」

 

 周りに散らばる手勢も全て制圧したみたいだな、だが雑魚の情報は不要なんだ、知らされてないから……

 

「ここ呉はな、俺の庭と同じだ。こんな抜け道も有るんだぜ」

 

 何かモゴモゴと唱えると爺さんの足元から白煙が広がる、霊能力だとすれば只の煙幕じゃない。

 咄嗟にハンカチで口を塞ぐ、霊能力なら毒位は使えるかも知れない、視界も封じられたので不意打ちに警戒するも気配が薄くなり分からない。

 爺さんは隠密系の術者なのか?

 

『正明、右側に気配を感じるぞ』

 

 胡蝶さんの呼び掛けに右側に注意を向けると、キラリと光る何かが飛んで来る!咄嗟に十手で払うと甲高い金属音がして棒手裏剣が……

 

「ちぃ、不意打ちも効かんか!化け物め、だが生きて呉から出れると思うな」

 

 思いがけない飛び道具に一子様に近付き周りを警戒する、暫くすると煙幕が晴れて周りを見渡せる様になった。

 

「マンホールの蓋が開いている、下水道に逃げられたのか」

 

 近くの海に流れる下水道なら太い、人一人位なら十分に逃げ込めるし悪食の眷属達の楽園でも有る、追跡に問題はなさそうだな。手に入れた、いや奪った霊具、十手と黒縄を見る……

 

「榎本さん、彼等を追えるのね?」

 

「ああ、大丈夫だが安全な場所を確保して欲しい。追跡には集中が必要で無防備になるからね」

 

「では拠点に戻りましょう……大分苦労させられたけど、動かす駒の数は負けてるけど、質は負けてないわ」

 

 そうだ、諜報員や連絡員、捜査員の数は圧倒的に向こうが上だが荒事になれば使える駒は少ない、コチラは一子様の配下と負かした三郎の元配下も使える。

 めぼしい霊能力者も殆ど潰した、後は潜伏場所に乗り込むだけだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 迎えに来たリムジンに乗り込む、後部座席は僕と一子様、運転手は高槻さんだ、何気に彼女は多機能だな。

 奪った霊具を調べる、黒縄は捕縛系の術具で自動的に敵に巻き付く、籠める霊力により長さと強度が変わる。

 十手は叩いた場所に疲労が溜まる、敵を弱体化するには十分だが部分的な筋肉疲労だから長期戦には有利だが速攻には弱い。

 動きを止める程の効果は無く精々が動かすと筋肉痛が酷く一瞬動きが止まる程度、黒縄と違い低レベルの霊具だな。

 

「鷺山家は霊具の収集でも有名です、特に黒縄は強力な霊具で何でも地獄に関連した能力を有するそうです。簡単に使用不能にした事が驚きですが……

僧籍を持つ榎本さんの方が地獄については詳しいとは思います」

 

 確かに黒縄は強力な術具だが使用者の籠める霊力により性能が変化する、あの少年より胡蝶の方が強かった、それだけだ。

 

「そうですね、黒縄は黒縄地獄の事ですか。

八熱地獄の中の二番目の地獄の事ですね、八熱地獄とは等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・阿鼻地獄と有ります。

黒縄地獄とは殺生と盗みを重ねた者が堕ちると説かれています。盗みの罪に絡めて捕縛なのか地獄の責め苦が熱した黒縄で叩くからなのか?」

 

 八熱地獄とは八階層の地獄で下に行く程罪が重く責め苦も酷くなっていく。

 

①等活地獄は殺生を犯した者が堕ちる。

 この中の衆人たちは互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺し合うという。

 

②黒縄地獄は殺生のうえに偸盗(ちゅうとう)といって盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちる。

 獄卒は罪人を捕らえて、熱く焼けた鉄の地面に伏し倒し、同じく熱く焼けた縄で身体に墨縄をうち、これまた熱く焼けた鉄の斧もしくは鋸(のこぎり)でその跡にそって切り、裂き、削る。 

 

③衆合地獄は殺生・盗み・邪淫を犯した者が堕ちる。

 多くの罪人が、相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、圧殺されるなどの苦を受ける。剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す。

 鉄の巨象に踏まれて押し潰される。

 

④叫喚地獄は殺生・盗み・邪淫・飲酒、ただ酒を飲んだり売買するのみならず、酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたり等ということも条件になる。

 熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。

 

⑤大叫喚地獄は殺生・盗み・邪淫・飲酒・嘘を犯した者が堕ちる。

 叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚(な)く。

 

⑥焦熱地獄は殺生・盗み・邪淫・飲酒・邪見(仏教の教えと相いれない事を広める)をした者が堕ちる。

 赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。

 

⑦大焦熱地獄は殺生・盗み・邪淫・飲酒・嘘・邪見・強姦した者が堕ちる。

更に赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。

 

⑧阿鼻地獄は最下層の地獄で殺生・盗み・邪淫・飲酒・嘘・邪見・強姦・両親聖職者を殺害した者が堕ちる。

 この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて2000年かかるという。

 前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦、1000倍もあるという。

 剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間なく受ける、背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。

 舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。

 

 以上が仏教で説く地獄の概要だ。

 

「他にも地獄の責め苦に関連した霊具が有るのですか?」

 

「確か『妖刀等活丸』だったかしら?手にした者の剣技を底上げするのと刃こぼれしても自動的に直るらしいわね。それと『焦熱杖』という火を生み出す杖が有ったわね」

 

 妖刀等活丸は等活地獄をモデルにしてるな、堕ちた罪人達が刀で殺し合う事からきている、焦熱杖は焦熱地獄か大焦熱地獄からきている、効果は読んで字の如くだろう。

 

「等活地獄に焦熱地獄がモデルか、確かに強そうだけど脅威にはならないよ」

 

「もしも手に入れたら全て榎本さんの物にして良いわ、勿論だけど十手も黒縄もよ」

 

 太っ腹なお言葉だが敵から奪った物だ、返せと言われても返さない、この後に鷺山家が一子様の配下に組み込まれても。

 だが言質は取れた、十手は微妙だが黒縄は使える、何か言われたら十手だけ返せば良いかな?

 

「そうですか、有難う御座います」

 

 そしてリムジンは広島県で拠点としている五十鈴神社系列の分社へと到着した、広い境内には見張りと警備員を配して警備を固めている。僕は本殿に通された、物理的にも霊的にも堅固に守られた場所だ。

 

「さてと、では相手の居場所を突き止めるか……」

 

 広い本殿の真ん中に胡座をかいて座り意識を悪食の眷属へと繋げる、彼等を見逃して三十分が過ぎた。少年の治療を考えても一旦拠点に帰ると思う。

 

『悪食、眷属に視覚を繋いでくれ』

 

 胡座をかいた足の真ん中に鎮座する悪食に頼む、此処なら覗かれても見えない筈だ。触角をヒクヒクと動かすと一旦視界が霞んでから再度ピントが合った……

 

『ドンピシャだ!何度も写真で見た男が見えたぞ。

他は爺さんと六郎だけか、他に見えるのは和室で掛け軸と湯呑み、既に少年の腕は治療済み、場所を特定出来る物は無いな、部屋も古い歴史を感じる和室だ』

 

 音声は拾えないので分からないが、六郎が少年を叱責し爺さんが庇ってる感じだな、養子の少年とは上手く行ってないのか駒としてしか見てないのか……

 ああ、何か捨て台詞を言い放って六郎が部屋を出て行ったか。もう見える範囲では場所の特定は難しい、周辺を探させるかな。

 



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第273話

 六郎関係者、父親と養子に襲われ撃退した。

 悪食の眷属を潜り込ませたので、中々尻尾を掴ませなかった六郎の潜伏場所を知るチャンスだ。

 既に六郎本人は確認した、父親と養子の少年とは上手く行ってない感じだが父親と養子は爺さんと孫として良い関係を築いている。

 確か力有る子供達を養子として迎えているらしい、つまり手駒として抱え込んでいると見るべきか……

 

 既に六郎は部屋から出て行ったし、残された二人や部屋から場所を特定する物は無さそうだ。

 眷属に指令を送り部屋の外を探索させる事にする。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 部屋からカサカサと素早い動きで障子に向かう、視界を共有してるので地を這うスピード感は凄い。

 先ずは廊下に出た、薄暗く長い板張りの廊下の幅は90㎝位で良く磨かれている。

 

『廊下の右側に進んでくれ』

 

 僕の指令に一旦天井まで上ってから下を見下ろす右側からは明かり見えるが左側は真っ暗闇だ、未だ夕方前なのに雨戸でも閉めているのか?

 天井を器用に走り明かりの方へ向かう、明かりの正体は台所と言うか立派な厨房だ。ステンレスの輝きの流し台や調理台、大型の冷蔵庫が二台並んでいる。

 

『旅館か料亭かな?大人数に食事を提供する施設には間違い無いな』

 

 部屋の隅に積まれた段ボールからは野菜が見える、つまり現在も利用されている施設か……

 冷蔵庫の扉に貼られたカレンダーは恵比寿ビール、下には星崎酒造と書かれているので念の為に社名と電話番号を控えた。

 奥の方に事務机が有りスタンドが点いている、この明かりが漏れていたのか。

 

『よし、机に向かえ』

 

 此処で羽根を広げて滑空した、そうゴキブリは飛べるのだ。

 事務机の上には固定電話にノートにメモ帳、それにノートパソコンにボールペンが置いて有る、だがパソコンやノートは開けないから無理だしメモ帳は白紙で何も書かれていない。

 

『参ったな、場所を特定する物が無い。外に出るか……』

 

 諦めて家の外に出ようとした時にホワイトボードを見付けた、色々と書かれているが団体客の予定みたいだ。

 

『日付別に団体客の名前が書かれている、西原商事八名、篠原氏法事十七名、関電社十一名……結構繁盛しているな、何日かは満席ってなってる。

後は幹事の名前と連絡先か、だが彼等に連絡して予約を入れた日を言っても店は教えてくれないな』

 

 一応分かる範囲の情報を書き留める、最悪は買収するかして聞き出すか。

 

『部屋の明かりが点いた、誰か来たのか?隠れろ』

 

 突然周囲が明るくなったのは誰か部屋の照明を点けたんだ、厨房にゴキブリが居れば退治されるので急いで隠れさせる。

 入って来たのは板前みたいな格好をしている、何やら冷蔵庫を開けているな……

 

『板前服の胸に刺繍で縫われた文字らしきモノが……割烹華扇、はなおおぎって読むのかな?』

 

 その後に数人の調理人が現れ料理の下準備を始めた、夜の来客の準備だろう。

 板前全員が胸に同じ華扇と刺繍で文字が縫ってあったので間違い無いな、一旦眷属とのリンクを切る、鈍い痛みが両目の奥に……

 慣れた事で大分視覚共有も長く出来る様になったな。

 

 スマホを取り出し『広島県 華扇』でキーワード検索をすると見付かった、普通にホームページも出している料亭だ。住所に電話番号も載せているな……

 

「電話か、確か事務机の上に固定電話が有ったぞ」

 

 予約客を装って確認するか、確か満席の日が何日か有ったと思い手元のメモ帳を見る……酷い字だ。

 仕方ないか、両目は視覚共有してるからメモ帳を見ながら書いてない、読めはするが大人の文字じゃないな、重ねてたり極端に右上がりだったり……

 

「だが今週末と来週末の金曜日は満席か、敢えて聞いて断られるか」

 

 場所が特定出来れば強襲すれば良い、だが六郎が居る事の確認と仮にも普通の料亭だからお客も居る、深夜か明け方だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一子様に携帯電話を用意して貰った、番号を特定されても困らない一般人を装える物だ。

 名義人は矢上裕也(やがみゆうや)、諜報部隊に属する中年男性だが普段は自営業で実際に若者向けのセレクトショップを営んでいる。

 また本殿に篭り先ずは借りた携帯電話に華扇の電話番号を打ち込む、それから悪食の眷属と視界を共有をする。

 厨房の固定電話を見れる位置に移動してから電話を掛ける、暫く呼出し音がして板前が受話器を取ると同時に繋がった。

 

『はい、料亭華扇です』

 

 間違い無い、これで場所は特定出来た。

 

『もしもし、ホームページを見て電話をしたのですが予約をしたいのですが……』

 

 緊張したのか渇いた唇を舐める、なるだけ自然に話す様に気を付ける。

 

『はい、何名様で何時でしょうか?』

 

 視界に写る板前がペンを取りメモに書ける準備をする、先ず記録してから予定の確認だな。

 

『来週末の金曜日、人数は八人です。出来れば六時か七時開始で空いてますか?』

 

 復唱しながらメモを取る、しっかりした従業員教育をしているな。

 

『ちょっとお待ち下さい』

 

 メモとホワイトボードを比べている、残念そうな顔だが満席なのは知ってるよ。

 

『申し訳ありません、その日は既に予約で埋まってます』

 

『そうですか、では結構です。お手数掛けました』

 

 そう言って電話を切った、これなら不審な電話として記憶には残らないだろう。

 視界共有で見ているが電話を切った板前も不審とは思わずに調理に戻った、後は襲撃計画を練るだけだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 場所の特定が出来たと一子様に伝えて貰う、同時にインターネットに繋がるパソコンも用意して貰う。

 場所を応接室に移動、既に一子様と高槻さんが座っていてモブ巫女さんがコーヒーとケーキを配る、モンブランだな。

 彼女達がコーヒーを飲んでいる内にGoogleで華扇を検索、周辺マップを表示する。

 

「それで、六郎の潜伏場所が分かったのね」

 

 ノートパソコンの画面を彼女達に見せる。

 

「ああ、場所は此処だ。料亭華扇、此処に六郎と襲撃してきた爺さんと少年も居たよ」

 

 実際に見て確認したから間違いは無いが移動した可能性も有る、だが建物周辺を探るのは向こうに気付かれそうだ。

 直前に悪食の眷属で確認しないと駄目だな、不法侵入をするからには万全の体制を敷かないと。

 

「一人で部屋に篭ったり携帯電話を貸せだとか、それで場所の特定が出来るなんて凄いわね」

 

「まぁね、方法は教えられないけどね。後は襲撃の方法と手順だ、不法侵入をするからには入念に計画を練らないと駄目だ」

 

 華扇は呉市の郊外にある閑静な住宅街の中に有る、前面は県道右側は専用駐車場、左側は雑居ビルで後ろは個人邸が並んでいる。

 雑居ビルの住所と名称で検索するとテナントとして入っているのは商社と呉服店の事務所だな、三階建だし常駐警備員は居ないし住居として使ってもなさそうだ。

 専用駐車場は問題無い、勿論使用しない。裏の民家が問題だ、騒ぎを聞いたら警察に通報するだろう。

 一応GoogleEarthのストリートビューで周辺も確認する、現地に行かなくても実際の周辺画像が見えるって凄いよな。

 

「あら、華扇ね。盲点ではなかったけど六郎の傘下企業よ、確か一度調べた筈だけど……」

 

「調べた後に移動してきたのでは?流石に見張りを張り付けてませんし」

 

 今回は父島に潜伏していた三郎と違い周りに一般人が多過ぎる、警察沙汰になれば完全に負ける。

 だが奴を人気の無い場所に呼び出す手段は無い、速やかに襲って食うしかないが一子様に潜入作戦は出来るかな?

 

「何ですか、その目は?もしかして私が足手まといだとでも?」

 

「深夜か明け方に侵入する、出来るだけ人数が少ない時間にね。

一般客と板前達が帰った後がチャンスだけど、仮にも当主の潜伏先だから護衛は居る筈だ。後は襲う側の僕等は完全に犯罪者だからね、警察沙汰になったら負ける」

 

「そうよね、六郎達は警察沙汰になっても被害者で済むけど私達は犯罪者ね。だけど事前に警察関係に圧力を掛ける事は可能よ、でも六郎に時間を与えて逃げられる危険性は有るわ」

 

 確かに言われた通りだ、悠長に警察関係に根回しをしていたら六郎に気付かれる。

 彼の協力者が警察内部に居る可能性も高い、上層部は抑えても地域密着なら末端から情報が流れる心配が有る。

 再度ストリートビューを確認する、周囲を囲むブロック塀は九段で高さは約180㎝、視線は隠せる。

 だが雑居ビルとの境にブロック塀は無い、境界ギリギリまでビルが建っているので隙間も50㎝有るか無いかだ。

 画像を見る限りでは三階迄は双方共に窓も無く手前を木柵か何かで塞いでいる。

 

 専用駐車場の出入口にはポールが立っているから閉店後はチェーンで侵入禁止にしそうだ、深夜に駐車したり人が居れば目立つ。

 問題は対岸のコンビニとマンションだ、コンビニの防犯カメラはレジと出入口に向いている、それとマンションはベランダに出れば丸見えだ。

 五階建で一階層に六部屋、少なくても三十世帯は居るだろう、つまり目撃される可能性は高い。

 侵入進路だが、やはり駐車場側のブロック塀を乗り越えるしかないな。

 問題は六郎に気付かれ逃げ出された時に、奴は強盗だと騒いで裏手の民家や道路に飛び出せば僕等は犯罪者として成立する。

 その後に警察署にでも駆け込まれれば現場検証で痕跡が見付かり指名手配、一時期にとは言え当主争いから脱落。

 やはり警察上層部に根回しは必要、出来れば胡蝶の単独侵入で済ませたい、今回一子様に六郎を食わせるのはデメリットが多い。

 

『胡蝶さんどうする?六郎を一子様に食わせるには条件が厳し過ぎるよ』

 

『正明、目的を履き違えるでないぞ。我等が加茂宮の当主争いの手伝いの真似事をしているのは宿敵を倒す為、今後の勢力バランスとかは二の次だ。

今は九子に食われる前に六郎を食わねばならぬ』

 

『そうだな、だが一子様は華扇への突入メンバーに強引に入ってくるだろう。

彼女も後が無い、生き残りは六郎・八郎・九子と後三人しか居ないからな。

拙い侵入技術では直ぐにバレて逃げられる、その場で戦いになっても時間を掛ければ警察が来て面倒な事になる。

僕等の理想的には単独で胡蝶に侵入して貰い六郎を倒す事だね』

 

 僕から500m離れられて身体を流動化出来る彼女ならではの侵入方法だ、いかに六郎とは言え胡蝶には敵わない。

 

『言い難いのだがな、正明と混じり合った事によりだな、その……我が単独で離れられる距離が縮まったのだ』

 

『え?聞いてないよ?』

 

 それって戦術の幅が狭まるよね?

 

『三郎を食って力が増した、それで色々と能力の効果や制限が変わったのだ。

我と正明の結び付きが強くなった為に互いが離れられる距離は縮まった、今は精々50mだな。

融合が進めば何れは10m位で固定だろう、だが正明の身体強化は比べ物にならぬ、一長一短だが強化した正明と二人で戦えるのだ。

色々と条件が変わるが徐々に教えていくぞ』

 

 レベルアップの恩恵による変化か、確かに胡蝶との結び付きが強くなれば宿主から簡単に離れられなくなるのが自然か……

 

『そうか、そうだね。胡蝶に任せ切りのお荷物にならないなら喜ぶべき変化だな。だが有効範囲が50mだと料亭の大きさを考えれば一緒に乗り込む必要が有るな……』

 

 最大50m直径だと100m、意外に狭いぞ、今迄と違い胡蝶との連携が必要になってくる。

 そして同行する一子様や他の連中に胡蝶の存在がバレる可能性が高い、だがこの先10mで固定になるなら関係無いと言うか……

 

『別に式神として公表しても構わぬぞ、元々我は人の手で造られし偽神、諏訪の和邇(わに)と呼ばれた存在。

特殊故に多用は出来ぬと言い含めれば良いだろう、実際に瑠璃姫と言う人型式神も居るのだからな』

 

 諏訪の和邇、あの犬養一族最後の試練の犬神も言っていた、700年も前に諏訪一族が人間の姫を呪術的に偽神に、人神に造り上げた存在……

 

『式神としてか……確かに赤目や灰髪を使役出来る実績は持てた、後は犬飼一族の遺産の銅板とかも手元に有るし根拠付けにはなるか。

だが仮にも師事した東海林さんには疑われるな、僕は駆け出し陰陽師だから、胡蝶さんクラスの式神を得られた事は不自然だ』

 

 素直に諏訪の和邇姫(わにひめ)と言っては駄目だ、文献とか残ってたら700年前の存在とバレてしまう。何か上手い理由を考えないと駄目だな。

 



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第274話

 胡蝶さんから重大な秘密を聞いた、僕と混じり合う事により色々と能力の効果や制限が変化してきているそうだ。

 確かに自分も人間の枠を外れ人外として変化しつつある、ならば僕と混じり合う胡蝶さんにも変化は有るのは当然。

 取り敢えず僕から単独で離れられる距離が500mから50mに縮んだ、最終的には10mで固定らしい。

 単独行動は出来なくなったが、役立たずで残されるより一緒に戦える事を喜ぶべきだろう。

 だが秘匿が難しくなったと言うか無理だ、何かしらの形で周りに教えないと駄目だろう。

 おおっぴらに公表はしないが仕事を共にする仲間には見せる事になる、隠し通すのは無理だ。

 

 だが式神として赤目達の動物とは違い見た目は美幼女を使役するって、人として問題視されるだろうか?それが問題だ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 胡蝶は諏訪地方の豪族である和邇(わに)氏の姫だったが、禁術により人が造り出した偽の神である人神(ひとがみ)として生まれ変わった。

 普段は愛くるしい美幼女だが戦う時は口から皮が反転し鰐(わに)に似た形状に変わる、この時は本当に鰐の顎を持ち敵を噛み砕く事が出来る。

 この最終形態は流石に人には見せられない、異質な存在として畏怖されかねない。

 人間は異物を恐れ嫌う、数の暴力とは少数の自分達とは違うモノを多数で排除する行為だ、今の僕ですら既に畏怖と嫉妬の対象だ。

 今は未だ人の枠内だが、これから大きく外れる事になる、注意は必要だな。

 

 胡蝶さんとの取り決めで式神として喚ばれた時は喋らずに額に護符を貼り顔を見せない事にした、衣装は巫女服で最終形態は無し。

 それでも強力な人型の式神には違いない、入手方法は犬飼一族の遺産として八ノ倉攻略の成功報酬だと言う事にする。

 実際は狛犬と言うか犬神だったが、使役出来るモノが居たのは嘘じゃない。

 東海林さんには最後の試練で手に入れた木箱を開けたら現れて、勝負を挑まれ勝ったら使役出来たと言う。

 犬飼一族300年の秘宝と言えば調べ様が無いので分からないだろう。

 

 今僕は誰も居ないライトバンの後部座席で精神統一をしている、襲撃に備えて六郎や他の護衛の場所と数を調べる為だ。

 時間が無い一子様は、その日の内に六郎を襲撃する事に決めた、僕も異存は無い。

 だが敵の正確な配置と状況を知る為に事前に悪食の眷属を使い調べている、華扇の平面図は一子様が建築局に手を廻し前回改装時の確認申請の図面を手に入れる事が出来たので助かる。

 後は図面の情報を元に虱潰しに調べれば良い、実際に隠し部屋とは言わないが不自然な出入口しか無い部屋が幾つか有る。

 四方が壁で出入口の場所が隣の部屋の床の間だったりする、これは掛け軸をめくると中に入れる忍者屋敷的カラクリ?

 後は中二階みたいな部屋や天井の部分を低い倉庫にしたりと増改築を繰り返した為に迷路みたいになっている。

 

『見付けたぞ、隠し部屋に一人で篭ってるのか……』

 

 最初に睨んだ床の間の奥の部屋に六郎が居た、ワイシャツにスラックスとラフな格好でウイスキーの水割りを飲んで柿ピーを食べている、だがその表情は硬い。

 奴の脇には日本刀が置かれているが、アレが一子様の言っていた『妖刀等活丸』かな?

 他にも場違いな簑笠(みのがさ)も置いて有る、多分だが霊具だろう。

 

『む、奥にもう一つ不自然な壁紙の部分が有るな』

 

 上手く一枚壁に見せているが扉状の筋が見える、円卓と座布団しかない狭く薄暗い部屋だと目立たないな。

 普通なら中に入って誰も居なくて隠れる場所も無ければ気付けない、上手く考えている。

 図面で確認した時は入口は一つだと思ったけど、奥は何だったかな?

 悪食の眷属に命令して一旦天井裏に上らせる、その後に扉の奥の部屋に天井伝いに移動させて天板の隙間から中を見る。

 

『隠し通路だ、幅は狭いが成人男性でも通れるだろう。外に出れるのかな?』

 

 一本道で真っ直ぐな廊下を歩くと直ぐに突き当たりとなり鉄製の扉が……

 これは眷属では開けられないが逃走経路だろうな、多分だが方向から考えると裏の民家側だ。

 住宅街に逃げ込まれたら隠れる場所も多いし探索には苦労する、ましてや相手は土地勘が有る地元民だ。

 

 因みに爺さんと少年も近くの部屋に待機して談笑している、この二人は血が繋がってないのに仲が良いな。

 だが実質三部屋先だから騒ぎが有れば直ぐに駆け付けて来る、この二人の戦闘力は確かだ。

 その他の連中は全部で男ばかり八人、大部屋で待機しているが二人組で巡回もしている、だが霊力は感じない。

 幸いなのは赤外線監視装置や防犯カメラの類は無い事か、侵入者に対する科学的な感知装置が無いとは無用心な事だ……

 

 こちらの戦力は一子様と高槻さん、モブ巫女五人の他に伊勢衆達を含めた配下が二十六人、合計三十四人が九台の車に分乗して周囲に待機している。

 だが敵に発見されない様に警戒して1km以上は離れている、配下の連中には全員で押し込めば勝てると言う奴も居たが甘いな。

 

『此処で逃がすと後は無い、九子が広島県に入ったと報告が有った、彼女の力は未知数だ』

 

 彼女は普通に新幹線のグリーン車で一人で広島駅に降りたそうだが、追跡した連中は途中で見失っている。

 影の移動が出来るから追跡は難しいだろう、あの神出鬼没な移動術は反則だろ!

 

『早々に直接対決したいがな、あの女も最後まで力を蓄えてから我等に挑んで来るだろうな』

 

 狂ってはいるが戦いに関しては研ぎ澄まされているのだろう、胡蝶の因縁の相手と混じり合っているのだから油断は出来ない。

 常識の通じない相手が理性のタガまで外している、しかも戦闘力は未知数だ。

 

『そうだな、奴の影を利用した移動方法は我でも感知し辛い、知らない内に接近されてる場合も有るぞ。

だが先ずは六郎だ、二人で乗り込み一直線に奴が隠れる場所に向かえ。

途中で邪魔する奴等は赤目と灰髪に任せるとしよう、配下の連中は建物を囲み逃げ出さない様に監視だな』

 

『そうだね、爺さんと少年、それと六郎の三人を僕と胡蝶、それと一子様の三人で迎え撃つ。胡蝶の存在を一子様に知られてしまうが仕方ない、上手く式神の振りをしてくれよ』

 

 まさか戦っている相手と同じ存在ですとは知られたくない、因みに胡蝶が僕の身体から離れても雷撃は使える。

 有る程度の回復力と人並み外れた身体能力、それに少年から奪った十手に黒縄、後は特殊警棒に大振りのナイフが手持ちの武器だ。

 赤目と灰髪は大型犬形態迄はOK、後は普通の式神札が百枚、これで飽和式神犬攻撃が出来る。

 

「それじゃ一子様に声を掛けて行きますか?」

 

 時刻は早朝四時丁度、日の出迄は約二時間、人間が一番眠りの深い時間帯だ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ライトバンを華扇から30m手前で停める、同行者は一子様だけだ。

 高槻さんは対人戦闘は苦手らしいので車で待機、連絡を受けたら直ぐに車を華扇の前に着けて逃走する段取り。

 一子様は何時もの正統派巫女服ではなく真っ黒な革ジャンに同じく真っ黒なスラックス、自慢の髪を纏めて帽子の中に隠している。

 更に黒の皮手袋にスニーカーを履いている、武器はボゥガンだけだが腕が確かなのは先の戦いで実証済み。

 人も車も通らないのを確認して車から降りる、吐く息は白い、明け方の冷え込みは身体を固くする。

 

「一子様、行くよ。奴等は未だ起きている、警戒しているのだろう」

 

「そうね、お互い後が無く時間も無い。六郎も九子が広島県に乗り込んだのは知ってる筈だから警戒もするでしょう」

 

 最も殆どの駒は潰したから僅かな配下しか居ないわねって怖い笑みを浮かべた、彼女は本当に怖い。

 既に三百人近いファンクラブ会員達が呉市に集結している、勿論殆どが一般人だが数はそれだけで脅威でしかも統率されている。

 

 警戒しながら道を進む全身黒系統で統一された服装の二人は目立たないが目立つ、一度見れば不審者として記憶に残るだろうな。

 事前に打ち合わせた侵入方法は駐車場側から塀を乗り越える事、この程度の高さなら彼女を抱えて飛び上がれる。

 駐車場入口のチェーンを跨ぎ中に侵入、街灯の明かりも届かない一番奥にするか……

 

「一寸我慢してね」

 

「え?ちょ、榎本さん?」

 

 彼女を所謂お姫様抱っこをしてブロック塀の上に跳び上がり内側に罠や危険物が無い事を確認して飛び降りる、降りる先に物が置いて有ったりすれば危険だし大きな音がして侵入がバレる。

 膝を折り曲げて衝撃を吸収すれば殆ど音を立てずに侵入出来た、ついでに屈んでいるので目立たない。

 

「もう、先に言っておいて下さいな」

 

「ちょ、もう大丈夫ですから離れて下さい」

 

 ガッチリ首に抱き着かれ耳元で喋られると息が当たって擽ったい、それに良い匂いがする。

 不法侵入の為に香水の類は付けてないから彼女の体臭か、嗅覚も強化されてるんだよ僕は!

 

 一瞬の油断の後に周囲を警戒する、確か二人組の巡回は外部も見ていた。出入りは厨房に面した扉だったから目の前だ、マズいぞ厨房に明かりが点いた……

 

「巡回の男達ね、私に任せて」

 

 扉が開いて屈強な男が二人、マグライトを片手に外に出て来た、一子様は立っているだけだ。

 

「なっ?女だと?」

 

「お前は誰だ?」

 

 警戒してポケットからスタンガンを取り出した男の両手がダランと下がった、二人共にだ。

 

『瞳術だな、敢えて目の前に現れて視線を合わせるだけで術中に陥れる、我等には効かぬが中々に使い勝手が良いではないか』

 

『これが最初の加茂宮家当主争いで一の文字を継いだ彼女の真骨頂だな、怖いものだ』

 

 全く精気を感じさせずに佇む男二人、既に術に嵌まり彼女の指示を待つ操り人形に成り下がった。

 

「次に交代する迄の時間は?」

 

「はい、十分程度です。外を見回り帰ります」

 

「中の護衛は何人?」

 

「我々の他に八人、内二人は六郎様の父上と息子です」

 

 躊躇せずに情報を話すけど彼等は抵抗する意思とかはないなかな?

 

「榎本さんの情報通り、流石だわ」

 

「君の能力の方が怖いぞ」

 

 殆ど洗脳に近い、問答無用で他人に言う事を聞かせられるって凄い能力だぞ。

 

「でも時間が無いわね、この男達の残りも支配下に置くわ。榎本さんは残り三人の術者の方をお願い」

 

「残りは六人も居るぞ、一子様だけじゃ危険だろ?」

 

「私は平気よ、この下僕達を盾にするし私は視線を合わせなくても格下なら支配下に置けるのよ。それが私の能力の最大の秘密なの……」

 

 なんだと?とんでもない能力だな、胡蝶ガードに感謝しきれないな。もし僕が彼女の瞳術に抵抗出来なければ、あの精気の無い連中みたいに下僕扱いだったのか?

 

「分かった、任せたよ。では僕等も本命を捕縛しに行こう。赤目、灰髪、おいで」

 

 自分の影から二匹の愛すべき式神犬を呼び出す、大型犬サイズだが頼もしい存在だ。

 

「赤目達は爺さんと少年の相手をしてくれ、僕は真っ直ぐに六郎の所に行くよ。一子様も無理せず彼等を肉の壁にして守りを固めてくれ」

 

 彼女が見えなくなった所で式神バージョンの胡蝶を呼び出す、これじゃ愛染明王を信奉する在家僧侶じゃなくて陰陽師だな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 先に赤目達が爺さん達が待機する部屋に乱入した、騒がしい音と怒鳴り声で分かる。僕も六郎が居る隠し部屋の前に立ち声を掛ける。

 

「探したぞ、六郎。隠し通路に逃げても無駄だ!」

 

 稀にピンチになると一目散に逃げる奴も居るので逃げ道は無いと告げる、勿論ブラフだ。

 一子様の配下が警戒はしているが当主の一人に勝てるかは疑問だ、これは既に隠し通路の存在がバレていると知らせる為だ。

 

「ふん、女の色香に騙された亀宮の熊風情が大口を叩くなよ」

 

 掛け軸を切り飛ばして出て来た六郎はワイシャツとスラックスの上から編笠を被り簑をマントの様に羽織り抜き身の日本刀を持っている、正しく仮装かコスプレだ……

 

「時代に合わない霊具って大変だな」

 

「煩い黙れ!」

 

 ああ、六郎も自分の格好が変だと気にしてたんだな。

 



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第275話

 加茂宮の当主の一人、六郎と直接対決に持ち込んだ。

 だがワイシャツにスラックスという洋服の上から日本古来の雨具である編笠を被り簑を羽織るのは、忘年会で行う余興みたいだ。

 しかも抜き身の日本刀、多分だが『妖刀等活丸』だと思うが正しくコスプレだな。

 

「俺を見て笑うな!この『朧(おぼろ)の笠簑』はな、俺が持つ霊具のコレクションの中でも凄いんだ」

 

 オッサンが真っ赤になっても嬉しくはないが警戒は必要だ、朧と言うからには隠密か認識障害かな?

 

「ああ、後は『妖刀等活丸』だろ?在家僧侶に地獄に因んだ武器を向けるとは業が深いな」

 

 八畳程の和室で向かい合う、胡蝶さんは式神バージョンで僕の右側に控えている。

 

「ほぅ?幼女式神か……さぞや三郎と気が合っただろう?何でも一子から鈴代の巫女長を与えられたらしいな、節操無しの生臭さ破戒坊主が!」

 

 は?楓さんの事が悪意有る噂で広まってるのか?風評被害も甚だしいぞ!

 

「誤解だが弁解する必要も無し、悪いが捕縛させて貰うぞ」

 

 呑気に無駄話は出来ない、腰に差した特殊警棒を右手に、十手を左手に持つ。

 流石に長物に十手だけでは心許ない、特殊警棒は特注品で長くて硬い。訳の分からない霊具を発動される前にケリを付ける。

 

「甘いぞ、生臭坊主!」

 

 横凪ぎに一閃、得物と腕の長さを生かした攻撃が簡単に躱された、いや擦り抜けたみたいな……

 狭い室内で長柄の武器を水平に振り抜いたのに当たらない、これが『朧の笠簑』の効果か?

 何度か特殊警棒を振り回すが、六郎は擦り抜ける様に躱す、まるで煙を相手にしているみたいだ。

 

 胡蝶さんとの事前打合せで声を掛ける迄は待機してくれと頼んである、自分の攻撃は当たらないが相手の攻撃も避けられる。

 

「ははは、全く手足も出ないか?そろそろ切り刻んでやるぜ」

 

 手に持つ日本刀で切り掛かってくる、霊具の能力で剣技が強制向上してるからか幾つか切り傷を負った。

 だが攻撃には『朧の笠簑』の効果は発揮されないのが救いだ、強化された動態視力で何とか躱せる、感知出来ない攻撃など悪夢だからな。

 

「しぶといな、何故筋肉達磨の癖に素早く避けられるんだ?」

 

「所詮は霊具で底上げした仮初めの技術だからだろ?」

 

 実際は五分にも満たない時間だが、お互い息が上がっている、殺し合いだから緊張を合わせても疲労は半端無い。そろそろ手詰まりだな、仕方ない。

 

「胡蝶、頼む」

 

 無言で控える胡蝶に声を掛けて連携する事に作戦を変更する、だが始めての連携だよな。

 

「ほぅ、人型の式神とは珍しいが幼女では戦闘力も低いだろう。素直に式神犬を使えば良いのに、なっ!」

 

 台詞の最後に合わせて攻撃を仕掛けてきた、狭い和室でドタバタと戦うのは避ける方向も限定されるので難しい。

 右側から振り下ろす日本刀を避けて特殊警棒を突き出す、だが喉を狙った攻撃は空を切る。

 霞む様に逃げる六郎だが胡蝶には『朧の笠簑』の効果は通用しない、巫女服なのに流れる様な足運びで接近し鳩尾に正拳突きを繰り出す。

 

「グハッ?ば、馬鹿な……通じ……ない」

 

 人体の急所に人外の力で殴られたのだ、胃液を吐きながら畳に膝をついた。

 

「ガハッ、何故だ……朧の効果が……」

 

 屈み込む六郎の顎に膝蹴りを撃ち込む、手加減はしているが容赦は無い。

 そのまま仰向けに倒れ込んだ、二発で沈む不甲斐無さを責めるか、二発耐えた事を称賛すべきか。

 

 胃液と鼻血で汚れた六郎を見て思う、やっぱり僕は何もしてない、胡蝶頼りなのを改善しないと駄目だ。

 手早く六郎の手足を針金で縛り身動きが出来なくし猿轡を噛まし霊具も脱がす、万が一自殺されても厄介だ。

 

「榎本さん、終わったみたいね。あら?可愛い式神さんね」

 

 このタイミングで来たならば戦いを監視していたな、赤目達の方も静かになったし爺さん達を無力化したんだな。

 

「ああ、犬飼の試練で手に入れた。見た目と違い接近戦が得意なパワータイプだよ」

 

 値踏みする様に胡蝶さんを眺める一子様だが、やらないぞ。

 そしてダミー情報を教え込む、胡蝶は万能型で接近戦オンリーじゃない、本来は呪術タイプだ。

 

「可愛いのに危険な娘なのね。あら、六郎も居たの?」

 

 蔑む様に見詰めるが、一子様のパワーアップの為に食わねばならないんだよな、見られるのも嫌だろうし席を外すか。

 六郎も自分の末路を理解してるのだろう、芋虫みたいに身体をくねらせて唸っている。

 腕時計を見れば突入から十二分が過ぎた、そろそろ撤収しなければ駄目だな。

 

「一子様、僕は外に出てるから早く食べちゃいなよ」

 

「有り難う、でも少し表現をソフトにしてよね。まるで私が肉食系女子みたいよ?」

 

 いえ、ガッツリ丸かじり肉食系ですよ。部屋を出る為に障子に手を掛けた時、背中に氷柱を押し込まれたみたいな寒気がした。

 

「さっすが、榎本さーん。九子、ドキドキが止まらなーい」

 

 おどけた台詞が背後から聞こえた、まさか振り向いた一瞬で室内に影の移動術で現れたのか?

 九子が床から50㎝位浮かんでいる、文字通り畳には直径1m程の影が有り中心に彼女は浮かんでいるのだ。

 

「影を通じた転移術かな?久し振りだな」

 

 さり気なく一子様の側に移動する、残念だが六郎からは離れてしまった、取り返すのは難しい。

 

「おひさーなのです。そうなのです、影を使った転移術なのですよ。でも不思議、一子よりも六郎よりも榎本さんが一番美味しそうなのです」

 

 それはだな、僕等が一番君達の兄弟姉妹を食べているからさ。

 だが今の九子は前に対峙した時より強く感じる、前回みたいに集団アイドルみたいな制服を着て髪型はツインテール、だが狂気を宿した瞳は薄く緑色に光っている。

 ニィと笑った口が妙に三角で怖い。

 

「ラブコールなら嬉しいが餌的な意味では嫌だな。そっちも大分パワーアップしてるが八郎を食べたのかい?」

 

 空中でクルリと回転してから腹に手を当てて笑い出した、見た目は少女なのに伝わる狂気が凄い、手に汗が……

 胡蝶が僕の後ろから抱き着いて身体の中に入る、彼女と離れてパワーダウンしたままでは勝てない。

 

『正明、ここでケリを付けるぞ!』

 

 一体化すると念話が出来る、これで周りに気付かれずに会話が出来る。

 

『そうだね、雷撃で牽制して接近戦を仕掛けよう。幸い『妖刀等活丸』は奪って持っている、最初から殺すつもりで仕掛けるぞ』

 

「四子のね、配下を皆さんを全員食べたのですよ。でもでも全然美味しく無かったのです、でも我慢して汚い六郎を食べれば更なる力を……」

 

 九子の言葉を遮り先制攻撃を加える。

 

「雷撃!」

 

 右手の掌に仕込んだ勾玉三個に霊力を送り込み、九子に突き出す!

 一瞬視界が真っ白になり爆発が起こる、だが掌から極太の雷が三本九子に延びて行ったのが見えた。

 爆発により埃が舞い上がり狭い室内で視界が悪くなる、一子様を小脇に抱いて後ろに跳び下がる。

 

「やってくれるわね……やりやがったな、テメェ!」

 

「おやおや?はしたない言葉使いだぞ、地が出たかな?」

 

 一瞬、ほんの一瞬悪寒が走り後ろに飛び下がったのが正解だった。

 さっきまで立っていた場所に九子が飛び掛かり伸ばした爪を突き立てていた、毒々しい赤い爪には文字通り毒が仕込んであるのだろう、刺さった畳から白い煙が立ち上る。

 

「集団アイドルかと思えば本性はヤンキーか?だが一気に決めさせて貰うぞ」

 

 九子は右半身に雷撃を喰らったのだろう、顔から胸に掛けて酷い火傷を負っている。

 良く見れば爪が伸びているのは左手だけで右手は火傷により指が炭化して半ばから無い、だが……

 

「その怪我を治癒出来るとはね、大した化け物だ」

 

 怪我をした部分がジュクジュクと治癒し始めた、回復力は高い。

 それに相当な痛みが有る筈なのに爛れた顔には憎悪しか張り付いてない、まさか痛みを感じてないのか?

 

「お前が言うかよ、銃で撃たれても無事なんだろ?お前だって十分に化け物だ!」

 

 ふむ、三郎との戦いの詳細も知られているな、又は犬飼一族の試練で土井に撃たれた方かな?

 狂人かと思えば事前調査もしている、不意打ちにも餌である六郎を庇う余裕も有る。

 切り札の雷撃をまともに喰らっても倒し切れずに回復力も半端無い、これが胡蝶と同じ存在か。

 

 だが不味いな、雷撃の音で周りも騒ぎ出したから時間が無い、消防署や警察署に通報されてたら十分以内に到着するだろう。

 

『正明、接近戦を仕掛けて掴め!』

 

『分かってる』

 

 妖刀等活丸を構えて突撃する、突きから横に払うが左手の爪で弾かれる。

 もう時間が無い、六郎に止めを刺してパワーアップだけでも防ぐか?と見せ掛けて隙を誘う方が効果的だな、絶対食べたいのだから。

 悪いが囮として利用させて貰う為に、器用に身体をくねらせて部屋の隅に移動した六郎に切り掛かる。

 

「それは私の餌だぁ!」

 

「隙有りだ、九子」

 

 庇う為に伸ばした右腕を切り飛ばす!

 

「きっ貴様ぁ、私の腕を切ったなぁ。許さない、許さないぞ」

 

 袈裟掛けに切り付けて更に返す太刀筋で横凪ぎに等活丸を振るが左手で掴まれた、掌から血が流れるが凄い力で離さない。

 両手で押し込んでいるのに微動だにしない、何て怪力だ、左手で触りたくても今手を離したら力負けするぞ。

 

「体捌きも力も互角、ならば雷撃で」

 

「させない」

 

 鳩尾に鋭い蹴りを喰らい息が詰まる、だが押し負けて距離を取られたら逃げられる。

 

「灼熱吐息(しゃくねつといき)」

 

 恥ずかしい往年の歌謡曲みたいな台詞を言って口から緑色の炎を吐き出した!

 

 射線が足元だった為にバックステップで避けた事を後悔した、隣接した廊下に障子を破って押し出された、つまり距離を取られた。

 

「くはっ、くはは。流石は榎本さんなのです、右腕一本取られたけど六郎は貰って行きますのですよ」

 

 形勢は不利と理解したのだろう、己の影を円形に広げ六郎の頭を掴んで引き寄せた。

 

「最後まで付き合えよ、逃げるとは怖気付いたか?」

 

 挑発するも焼け爛れた顔に笑みを貼付けている、何を言われようと六郎を手に入れた方が勝利者だ。

 

「八郎を喰ったら先に榎本さんだよ、一子は最後まで生かしてあげるのです」

 

「油断したわね、覚悟なさい!」

 

 僕の背中に張り付いていた彼女が飛び出してボゥガンを撃った。

 

「ムグッ?」

 

「お前、何故六郎を撃ったんだ?一旦引くのです」

 

 一子様の撃ったボゥガンの矢は六郎の首に刺さった、即死とは言わないが致命傷だろう。

 慌てて影の中に入る九子に追撃は出来ずに僕等も引き上げる事にした、因みに九子の腕は胡蝶が吸収したが僅かながら力が増したそうだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 帰りの車の中は重たい雰囲気に包まれた、苦労して捜し出した六郎を九子に奪われた。

 反省点は幾つも有る、拘束した時点で胡蝶に食わせれば、又は一子様が食う時も見張っていれば。

 IF(もしも)を話しても意味は無いし油断も有った。

 

「畜生、追い詰めながら奪われた。俺は何をやってるんだ!」

 

「榎本さん、荒れないで。六郎は止めをさしたから大丈夫よ、矢には毒を仕込んでたから……」

 

 隣に座る一子様が膝に手を置いて優しく慰めてくれるが、あの行動も僕に原因が有るんだ。

 

「有り難う、次は八郎を早く捜そう。もう油断はしない」

 

 一子様が六郎を殺せば力を奪えないと勘違いしたのは、胡蝶に食わせた三郎の死体から力を奪えなかったからの勘違いだ。

 あの場で一子様は六郎を食ってパワーアップする事より、これ以上九子をパワーアップさせない方を選んだ。

 もし九子に向かって撃てば僅かな隙を得られて胡蝶が追撃出来たかもしれない。

 

『変な考えは止せ、あの場では仕方ない。まだ挽回出来る、焦るなよ』

 

「ああ、次は油断しない。必ず九子を止めてみせる、必ずだ」

 

 思わず膝に置かれた一子様の手を強く握り絞めてしまった、珍しく赤面する彼女を見れて少しだけ和んだのは僕だけの秘密だ。



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第276話

 広島県呉市に拠点を置く六郎への襲撃、用意周到に準備を重ねて潜伏先の料亭『華扇』に攻め込んだ。当主の六郎を捕縛し手下は一子様が下僕にした、途中迄は完璧だった。

 だが影を渡る術を使う九子の襲撃を受けて、六郎は奪われてしまった……

 

 完全な油断と慢心だった、折角六郎を捕まえても目を離した隙に襲われて奪われた。

 しかも秘密主義が仇となり、一子様に間違った判断をさせてしまう。死ねば力は奪えないのは嘘なんだ。

 

 瞳術で支配下に置いた男達に後を任せて撤収する。六郎の父親、鷺山銅掌斎(さぎやまどうしょうさい)と養子の忠臣(ただおみ)は放置だ。

 雷撃で轟音を出してしまったから付近の誰かが警察署や消防署に通報されると動きが制限される。

 一旦引いて後から共闘の申し込みをするか、最終的に六郎を食うのは九子だから敵の敵は味方か最悪休戦で。

 

「おい、どう言う事だ?六郎は何処へ行った?」

 

「親父殿は?お前、俺の黒縄(こくじょう)と十手(じゅって)を返せよな」

 

 放置と決めた相手が出て来た、お互いに大凡(おおよそ)の状況は理解しているだろう、当主の六郎が九子に連れ去られたのだから……

 

 警戒しながらも情報を得る為に話しかけてくる、僕と一子様と元は自分達の仲間が一子様を守る様に取り囲んでいる、時間が限られているし長い話は無理だな。

 

「六郎は九子が乱入して連れ去った、残念だが生きてはいないだろう。一旦引き上げるが午後に連絡する」

 

「何だと、お前等の所為で親父殿が攫われたんだ!」

 

「まさか敵側の当主が二人も呉に来ていたのに分からなかったのか……」

 

 残りは一子様と八郎と九子の三人だけだ、八郎の本拠地は岐阜県だが常に移動しているので所在が掴めない、九子は影から移動するから余計に分からない。

 だが六郎の配下である鷺山(さぎやま)神社の氏子達を野放しには出来ない、九子は味方をも吸収し強くなっているんだ。

 

「鷺山銅掌斎殿、悪いが鷺山一族の明暗は貴方次第だ。敵討ちも良し、傘下に下っても良いが放置はしない。良く考えてくれ。

それと九子に負けた四子の生き残りの事を調べると良い」

 

 そろそろ時間だな、警察沙汰は嫌だから逃げ出すぞ。

 

「明日の午後二時に鷺山神社で待つ、それ迄に一族の総意を纏めておく」

 

「祖父様、こいつ等の言う事なんか聞かないでくれ」

 

「我等は日本霊能会御三家の一つ加茂宮一族、当主争いに敗れたならば取れる手段は服従か死だ。氏子総代としての立場もある、すまぬ忠臣よ……」

 

 祖父と義理の孫との温かい触れ合いを見て鷺山衆が少なくとも問答無用で敵対しないと分かった、先ずは撤退し此方も話し合いだな。

 一子様をお姫様抱っこして暗闇に飛び込む、抱えて走った方が早いんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 料亭『華扇』から逃げる様に前に停めたライトバンに乗り込む、少し走ったら車を乗り換えて拠点まで戻る事になる。

 最近は監視カメラが至る所に有るので注意が必要だ、コンビニのレジの防犯カメラも外部の歩道や車道をカバーしてる場合も多い。

 車を運転するのは一子様のファンの一人、運転手は顔が映る場合も多いので僕や一子様は後部座席に乗っている、沈黙が辛い。

 

「最後の詰めが甘かったわね、私が素早く六郎を食べてしまえば良かったのよ」

 

 いや、あのタイミングで現れたとなると九子は何処かで状況を確認していた気がする。早目に手を出せば一子様に危害が加わった可能性が高い。

 九子だが完全な戦闘系術者だ、炎を吐いたり爪が伸びたり何処のモンスターだよ。

 

「いや詰めの甘さは僕の方だな、一子様の食事が済むまで同席するべきだった、少なくとも不意打ちは防げただろう。

もう後が無い、九子よりも先に八郎を抑えなければ不味い。僕の切り札二枚が効かなかった、初見殺しは有効なんだけどね」

 

 隣に座る一子様がコテンと頭を僕の肩に預けて来た、気の強い彼女には珍しい事だ。

 

「あの式神少女と雷撃ね?でも腕から雷撃ってどうやって出すの?」

 

「いや手をニギニギしないでくれ、くすぐったいよ」

 

 右手を両手で握られるとくすぐったいんだ、以外と小さな手なんだな。派手なネイルは付けてないが形や色は綺麗だ、手入れは欠かしていないのだろう。

 

「だって雷撃よ、稲妻が走ったのよ。もしかして菅原道真公に関係してる?」

 

 いえ違います、犬飼一族の秘宝です。六ノ倉の試練をクリアーして貰った水晶の勾玉三個を掌に埋め込んでいます。

 

「そんな大物の御霊(ごりょう)の力を借りられる訳が無いですよ、雷神菅原道真公なんて早良親王(さわらしんのう)や

井上内親王(いのえないしんのう)と他戸親王(おさべしんのう)の親子クラスの偉大な御霊ですよ」

 

 実際は三個の勾玉を並べて巴紋とする事で神紋(しんもん)か寺紋(じもん)として力を引き出しているのだろう。

 地元横須賀市にも『雷神社(いかずちじんじゃ)』が有り火雷命(ほのいかづちのみこと)を祭っている、同様に雷を御神体にする神社は多い。

 

「それじゃ理由は何かしら?言わないとこうするわよ」

 

「くすぐったいって、止めて降参するって……」

 

 沈んだ気持ちが少しでも切り替われば良いと思うが、身を乗り出してまでオッサンの掌を両手で揉む美女って結構な羞恥プレイだぞコレは……

 

「そろそろ車を乗り換えます、準備して下さい」

 

「そう、分かったわ」

 

 楽しそうだった一子様の返事が事務的で平面的な声に戻った、こういう特別扱いをされると男って単純だからコロッと逝くんだろうな、僕は酷いロリコンだから平気だけど。

 乗り換え場所はトンネルの中、対向車線から来た白いワンボックスに素早く乗り換える、仮に追跡者が居ても来た道を戻るとは思わないだろう。

 最初に乗ったライトバンはそのまま山陽自動車道を通り一子様の本拠地である京都まで真っ直ぐ向かう、片道360km約四時間半のドライブだ。

 

 一旦本拠地に帰る事も考えられるから、この囮車は有効だろう。そして同時刻帯に一子様と僕は京都市内の傘下ホテルでファンの連中との懇親会を行った事になっている。

 実際に会場には一子様のファンが100人近く集まるので警察がアリバイを調べても全員が『間違いなくその場に一子様と筋肉が居た』と証言する。

 ファンの集いの内容を聞かれても直前に実際に行った事をそのまま話すから辻褄も合う、殆ど秘密クラブだから情報漏洩も無い。

 

「本当に怖いのは一子様だろうな……」

 

 最悪裁判沙汰になっても証人も弁護士も検察官も、裁判官でさえ彼女の支配下に置かれたら社会的にも法的にも抹殺される。

 

「え?何かしら?」

 

 ヤバい、独り言っていうか考えが口に出ていたか?

 

「いえ、何でも有りません」

 

「帰ったら反省会をして夜食を食べて休みましょう、八郎の情報は集めてるから鷺山衆と話を付けたら直ぐに向かうわよ」

 

「ああ、分かった。夜食はラーメンが食べたいな」

 

 折角広島に来たのだから人気の広島ラーメンが食べたい、西部の豚骨醤油ラーメンと中央部の醤油ラーメンを食べ比べたいんだ。

 特に西部の豚骨醤油ラーメンは具材もチャーシュー・茹でモヤシ・ネギ・シナチクとシンプルながら食べ応えが有る、そして何故か炒飯や餃子の他にオデンが有るのだ。

 なぜラーメン屋にオデンなのかは知らない、そして寿司屋のメニューに中華そばが有る、時間が有れば広島県のB級グルメ制覇を……

 

「私を放っておいて何を考えているのかしら?」

 

「えっと、ラーメン?」

 

 僕は花より団子なんだ、呆れた一子様が宿泊中のホテルに大量の出前を取ってくれた、鳥の名前に関連した超人気ラーメン店が何件も出前に応じてくれたのは謎だが。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日、鷺山衆の総本山である鷺山神社に向かう、前日栄養補給と言うラーメンを堪能出来たので満足だ、気力は充実している。

 初めて広島ラーメンを堪能した、少し伸びていたが十分にウマかった。特に鳥系と言われる老舗ラーメン店の味には感激したな……

 

「有難う、一子様。こんなに嬉しく思った事は久し振りだよ、凄く感謝している」

 

「嫌味を含めて注文したラーメン十七杯に炒飯十杯、餃子が百個以上を完食したのね……呆れを通り越して感動したわ」

 

 本日の送迎車はベンツ黒色、僕は黒っぽい背広が用意され一子様は真っ赤なドレスを着ている。傍から見れば特殊な職業の方とその情婦に見えるぞ。

 ゆったりした後部座席に座り車窓から景色を眺める、長閑な観光地だ……昨晩殺し合いをしたとは思えない。

 呉市は温暖な気候に恵まれた自然豊かな臨海都市だ、明治頃の建物の残っておりノスタルジックになるな……

 

「僕は食べて霊力を回復させるからね。美味しい物が食べれればヤル気も出るって事さ」

 

「花より団子なのね、私がこんなにも甲斐甲斐しく世話を焼く殿方なんて今迄居なかったのに、食べ物を優先するとは酷い扱いだわ」

 

 若干拗ね気味な一子様のご機嫌を取っていると鷺山神社に到着した、一般参拝客の入れる本宮の他に関係者しか立ち入れない奥宮(おくのみや)が有る。

 典型的な例としては山裾と山頂に二社に同一の祭神を祭る場合、山裾の神社を本社・本宮・下宮と呼び山頂の神社を奥宮・奥社・上宮と呼ぶ。

 

 鷺山神社は鷺山と言う山自体を神域として麓の本宮は一般参拝客用として、一族や氏子衆のみ立ち入れる奥宮が存在する。

 標高300m足らずの山だが、巧妙に隠した侵入者よけの仕掛けや陣が組み込まれている。決められた手順か順路を通らないと罠が発動するのだろう。

 運転している高槻さんは迷いなく車を走らせて15分ほどで山頂に有る奥宮へ到着した、余談だがGoogleマップの衛生写真で大体の建物の配置は確認済みだ。

 

 鳥居前に銅掌斎の爺さんだけが立っていて出迎えてくれた、殺意は無さそうだが未だ分からない。先に車を降りて周囲を確認するが爺さん一人だ。

 

「良く来られたな、加茂宮一子殿、榎本正明殿」

 

「ええ、来たわよ。鷺山銅掌斎、一族の話は纏まったかしら?」

 

 一子様の斜め前に立ち安全を確保する、僕等は当主であり息子である六郎を殺すつもりで襲ったんだ。恨まれて当然だ。

 

「そんなに警戒するな、儂等はもう敵対はしない。一族の長老としての立場で動かねば成らぬのだ」

 

 そう言って先に奥宮へと入って行く、後に付いて来いって事だろう。

 

「高槻は車で待機。榎本さん、行くわよ」

 

「了解した」

 

 躊躇無く後に続く一子様の斜め後ろを歩く、交渉事は嫌いじゃないが今回は加茂宮一族内の当主争いだ。

 邪悪な物の侵入を防ぐ髄神門を通り拝殿に入る、拝殿を抜けて本殿へ。拝殿とは人間の為の建物、神官が祭典を執行したり参拝者が拝礼をしたりする。

 本殿は神様の為の建物、祭神を安置している。僕は神道でなく坊主だが本殿に関係者一同が集まってるが良いのだろうか?

 

 鷺山衆の長老や氏子総代達が向かい合う様に座っていてその先に座布団が二つ置いてある、銅掌斎の爺さんは対面に座った。どうやら一子様は上座か……

 二つ並んでいるが警戒して一子様だけ座らせて僕は後ろに控える、何か有れば即対応出来る様に。

 

「見上げた忠熊振りだな。亀宮の懐刀と言われた榎本殿が、こうも加茂宮一子殿の為に動くとは信じられん」

 

 忠犬じゃなくて忠熊かよ、だが相当なレベルで僕の事を調べているのだろう。改めて参加メンバーを見渡せば高齢の者が十人、彼らが鷺山一族の重鎮達だな。

 

「共闘と思って下さい、僕は加茂宮九子と敵対している。邪魔する奴は排除する。加茂宮一子殿とは目的が一緒だから手を組んだ」

 

 流石に一子様とは言えない、完全に下僕扱いになるから。

 

「そうよ、態々この私が亀宮本家まで出張って口説き落としたんだから、対応に注意しなさい」

 

 その言い回しは色々な意味に取れる、流石は交渉に長けた一子様らしい。僕が彼女の頼みを聞いた事になった、つまり彼女は依頼人。

 

「ふむ、時間も無いし本題に移るか。早速だが我等鷺山一族を加茂宮一子殿の傘下に加えて欲しい」

 

 銅掌斎の爺さんが頭を下げると全員が平伏した、これで六郎の勢力は一子様の配下となったか。

 

「良いわ、認めてあげる。鷺山銅掌斎、一族を纏めなさい」

 

「はっ、我等鷺山衆一同、加茂宮一子殿の配下となり力となります」

 

 そりゃ四子の配下みたいに負けたら全員喰われちゃ堪らないからな、妥当な結果だろう。

 

 



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第277話

第277話

 

 六郎の配下の鷺山衆との話し合いは一子様の配下に納まる事で落ち着いた、実際に四子の一族みたいに皆殺しで喰われたら堪らないだろう。

 残りの当主陣は八郎だけ、彼の本拠地は岐阜県にある白山(はくさん)を信仰の山として崇める土着信仰の一族っぽい。

 色々調べたのだが、イマイチ良く分からないのが本音だ、石川県と岐阜県に跨る白山は霊峰として多くの信仰を集めている。

 717年(養老元年)に泰澄上人が開山したと言われ、905年(延喜5年)には古今和歌集の中で「しらやま」として詠われている。

 最後の噴火は1659年6月(万治2年)に噴火し周辺に甚大な被害を及ぼしている、その後に江戸幕府の直轄領となっている。

 昭和30年代には白山国定公園に指定され最近はパワースポットとして見直されている。

 

 だが八郎との繋がりが分からない、八郎の基盤が霊峰白山と白山神社の関係は無い。

 

 白山神社の祭神は菊理媛神(白山比咩神、ククリヒメのカミ)・伊弉諾尊(イザナミ)・伊弉冉尊(イザナギ)の三柱を崇めている。

 だが白山神社は全国に点在する、東北地方で17社・関東甲信越で16社と亀宮一族の支配地域では合計33社と少ないのだが、加茂宮一族の支配地域・岐阜県だけで21社・愛知県では60社と近畿地方82社の殆どを占めている。

 

 因みに伊集院一族の支配地域である四国と九州では合わせても10社と少ない。

 この数ある白山神社が八郎の逃走の手助けをしているかと言うと違うのだ、奴は加茂宮一族の中でも異端的存在らしい。

 

 電車を使った逃走、微妙に痕跡を残す。それは追跡者にあと少しで捕まえられると錯覚を起こさせる罠だと僕は考えている。

 だが何時までも逃げ切れる訳でもないし、逃げ勝ちも無い。既に残りは3人で一子様と九子は別格の強さだ。

 何か逆転の隠し玉が有るのか、単に逃げる事しか出来ないから逃げているのか八郎は何を考えているのだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 八郎の捜索は一子様の手の者(ファンクラブ)に任せるしかない、僕は人探しには向かない戦闘要員だ。

 だが八郎の本拠地である岐阜県の白山信仰について調べる事にした、一子様は鷺山神社に暫く滞在する事にしたので一室とパソコンを用意して貰う。

 

「先ずはネットで情報を調べるか、最後まで生き残っている八郎の秘密を調べるには奴の力を調べるのも一つの方法だ」

 

 妙に豪華な和室に置かれた机とノートパソコンがミスマッチだが仕方ない、しかも急須やポットとお茶の準備も万端だ。

 最初は巫女さんが部屋の隅に座ってお世話をすると言われたが丁寧に断って退出して頂いた。

 多分だが鷺山一族は一子様の傘下に加わったが、彼女が最も信頼してるパートナーと僕を紹介したのが原因か……

 

 白山信仰、加賀国・越前国・美濃国(現石川県・福井県・岐阜県)に跨る霊峰白山連峰は山岳信仰で有名だ。

 原始的な山岳信仰、「命を繋ぐ親神様」とも言われ水神や農業神として崇められている白山から齎される神水も信仰の対象。

 白山も水源とする川は九頭竜川に手取川・長良川流域を中心にしている。

 山岳信仰は修験者によって全国に広められて行き、白山は修験道として体系化して行った、俗に言う熊野修験と並ぶ白山修験だ。

 

 僕は修験道絡みが八郎の力の根源と睨んでいる、一子様も八郎の配下には山伏(やまぶし)が多いと掴んでいる。

 そして八郎のあだ名は仲間内では『カラス天狗』と言われ恐れられているとも掴んでいる。

 加茂宮の当主陣として八郎の名前を貰う前は若王子(にゃくおうじ)実篤(さねあつ)と言う大層な名前だ。

 

 この若王子だが、十一面観音や天照大神と同一視している宗派も有る。熊野那智大社大五殿に祀られる神様だが関連が有るのか?

 そもそも白神を信仰している筈だが熊野信仰も混じっている、実際にどうなんだ?

 

「調べれば調べるほど分からない、変に先入観が無い方が良いのか?」

 

「なんだ、肉体派の癖にパソコンで調べ物とはギャップが凄いぜ」

 

 六郎の養子だった鷺山忠臣(ただおみ)が部屋に入って来た、勿論近づいていたのは察知していたがノックも無しに……って襖じゃ無理か。

 

「使える物は何でも使う、現代の除霊は情報も重要だ。手っ取り早いネットで調べてから裏を取る、何か用か?」

 

 敵意が剥き出しだな、金的攻撃はしたし術具も奪ったから仕方ないか……

 

「昼飯だ、アンタって本当は一子様の情夫じゃないのか?あの女帝が男の為に動くとか信じられないぞ」

 

 凄い微妙な顔をしているが、変な噂はお断りだぞ。まるで亀宮さんから寝取られたみたいな扱いは嫌だ。

 女帝といか女王様だな、男は平伏す奴隷でしかない……と思われているだろう。

 

「僕と一子殿は協力者だ、共に九子に狙われているから利害が一致している。だが互いに見捨てはしない、一蓮托生・呉越同舟の関係かな」

 

「嘘だ、死ぬときは一緒で共に生き残ろうって亀宮一族の御隠居衆の前で啖呵を切ったって知ってるぞ」

 

 え?そんな話だったか?彼女が死ねば契約は無効だから共に生き抜いてから報酬を決めようだったと思うのだが……

 

「いや、違うぞ。そんな事は……」

 

「早く大広間に来てくれ。なんで俺が伝令なんだよ、しかも急所は蹴るし術具は返さないとか酷くないか?」

 

 さっさと背中を向けて着いて来いって感じで歩き出した、特に否定が出来ないので黙って付いて行く。

 

「なぁ?」

 

「何だ?」

 

 此方に顔も向けないが声質は真剣だ。

 

「本当に親父殿は殺されたのか?」

 

「ああ、加茂宮一族の当主争いとはそう言う事だ、殺し殺される関係だからこそ僕と一子殿は手を組んだ。油断すれば殺される」

 

「そうか……現代日本なのにな、生きるか死ぬかって何だよ」

 

 ポツリと呟いた言葉に彼が未だ学生だと気付かされた、特殊な家系に生まれても未だ未成年なんだ。

 

「日本霊能界の御三家の一角、加茂宮一族の次期有力者だろ。生き残りの爺さんを支えてやれよ。僕も好き好んで敵対はしないさ」

 

 亀宮一族は加茂宮が衰退しても積極的に支配下拡張には乗り出さないだろう、だが伊集院一族は阿狐ちゃんは違うな。

 彼女は新興勢力故に一族を纏める為にも攻めに転じる可能性が高い、一応九子を倒すまでは不干渉をお願いしたがどうだろう?

 

「へっ、アンタに言われる筋合いは無いけどさ。勿論祖父様を支えるのは俺の仕事だ」

 

「あの爺さんも良い孫を持ったな。必ず一子殿を勝たせて見せるから、お前も頑張れ」

 

 頭を軽く叩く、少しだけ年相応な笑顔を見せた。そう言えはこの年代の少年と話すのって初めてじゃないか?

 前に山崎不動産絡みの仕事で知り合った進藤貴也(しんどうたかや)は典型的な甘ったれニートだったし。

 

「なに?私を待たせて男同士でじゃれ合わないでくれるかしら?」

 

「「げ?一子殿(様)」

 

 あまりに遅い所為か態々呼びに来てくれた一子様が腕を組んで仁王立ちしていた、忠臣の怖がり方が異常だな。

 

「そんなに怯えるなよ」

 

「アンタ、華扇に張り付けていたウチの精鋭のなれの果てを知ってるか?ああは成りたくないぞ」

 

 精鋭?ああ、あの一子様の瞳術で支配下に置かれた連中か。あの後はどうなったんだろうか?聞きたくても怖くて止めた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一子様が用意してくれた昼食は広島県の郷土料理だった、前回は夜食で中華料理を振る舞って貰ったが今回は鍋か?

 座敷の中央に置かれた円卓には僕と一子様だけが向き合う様に座るらしく忠臣は知らない内に消えていた。

 

「さあ、どうぞ」

 

 割り箸を割って差し出してくれるのが嬉しいのか怖いのか……

 

「有難う。ははは、至れり尽くせりだね」

 

 割り箸を受け取り料理に挑む、メインは鍋みたいだがコレは牡蠣の土手鍋かな?

 土鍋の周りに味噌を塗り付けて牡蠣と豆腐と野菜を煮ながら食べる郷土料理だ、味噌は府中の白味噌で甘みが強い。

 我が家では結衣ちゃんが鍋奉行だったので自分では調理しなかったが、周りに塗った味噌を溶かしながら食べるのが正当らしい。

 

「はい、熱いわよ」

 

 鍋の具材を取り皿によそって貰ったが、ちゃんと味噌を溶いて味を調整してくれている。ゴージャス美人に鍋って違和感が凄い、普通は洋食か?

 

「うん、上手いね。この牡蠣は生じゃなくて下茹でしてるのかな」

 

「ええ、あとは地産地消で庄原の白ネギにアスパラガス、それと三原のわけぎに千浜にんじん。藤利の木綿豆腐の豪華鍋よ」

 

 豪華って鍋単価よりも君のお世話の方が高額請求で怖い、その笑顔の対価に僕が払える物が有れば良いのだが。

 

「ご飯物はね、アナゴ飯よ。付け合せに山豊の広島菜の漬物ね」

 

「高菜・野沢菜・広島菜だね、日本三大漬け菜とは嬉しいね。改めて頂きます」

 

 ここまで用意されたら後は残さず食べるしかないだろう、一子様の誠意には完食で答えるしかない。

 あとは無言で差し出された料理を食べる、流石にお酒は無いが何故かコーラは用意してくれた、世界の炭酸飲料コーラは牡蠣の土手鍋にも合うな。

 

 

 

「完食ね、毎回思うけど本当に霊力回復って食べ物なの?」

 

 凡そ十人前は有った料理を全て残さず完食した、相当に満足したが食べて寝てばかりじゃヒモと変わらないな。

 差し出された湯呑から日本茶を飲む、これも地産地消で世羅茶と呼ばれる広島県唯一の希少ブランド茶だそうだ。

 

「落ち着いた?気持ちが良い位に食べるわよね、鈴代楓が言っていた事が少し理解出来たわ」

 

「楓さんが?確かに島寿司は美味しかったけど他に何か言ってたの?」

 

「何でも有りません、さて仕事の話よ。私の手の者が追跡している八郎の動きだけど違う動きをしてるの、今回は痕跡じゃなくて直前まで追い詰めたのよ」

 

 直前まで追い詰めた?それは八郎の姿を確認したが逃げられたって事か?

 

 湯呑のお茶を飲む、今まで用意周到に追跡をかわしていた八郎が、此処にきて姿を見られる程に接近を許したと?

 

「偽物の可能性は?」

 

「無いと思うわ、でも不思議なのは取り巻きも居ないで一人だったのよ。最後に見つけた場所は神奈川県横浜市JR横須賀線保土ヶ谷駅構内よ」

 

 土壇場で僕の地元だと、しかも亀宮一族の勢力圏内じゃないか。

 

「見つけた状況は?」

 

「東海道新幹線に乗っている情報を掴み追跡、品川駅で横須賀線に乗り換えたのを確認して新川崎駅から配下が乗り込み車内を捜索。保土ヶ谷駅で気付かれて降りたのよ」

 

 凄い追跡劇だな、一体何人投入してるんだ?もしかしなくても鉄道職員が情報を流している、主に防犯カメラ映像か切符の購入記録か……

 考え込んでいて湯呑の中が空なのに気付かなかった、お代わりを注いで貰う、しかし陳腐なミスじゃないか?これは罠の可能性が高くないか?

 或いは本当に逃走劇に疲れてミスを犯したか?

 

「その後の動きはどうだい?JR保土ヶ谷駅なら僕も土地勘は有る、地元だからね。だけど今迄の八郎には考えられないミスだ、一子様の配下が優秀なのを差し引いてもね」

 

「罠よ、多分だけど私達と九子を共に誘っているわ。三つ巴に持ち込むか潰し合いをさせるか、大体そんな所よ」

 

 凄く嫌そうな顔だが、もしかして一子様と八郎って過去になにか有ったのかな?

 

「だが罠でも行かなければ駄目だな。直ぐにでも横浜に向かおう、幸い新幹線なら四時間で行ける距離だ」

 

「そうね、直ぐに手配するわ。その後の八郎の動きが掴めれば良いのだけど、今は報告は無いの」

 

 この戦いも終盤戦だ、詰めを間違うと僕と胡蝶でも危険だが急がないと九子に先を越されて喰われてしまう。流石に六郎を食ってパワーアップした九子に八郎まではやれない。

 ただ、一子様は今のままでも十分に強い事は分かった、洗脳能力が此処まで恐ろしいとは考えてなかった。

 

 忠臣が言った恐ろしさの訳、それは直立不動で一子様の後ろに立つ嘗ては鷺山一族の精鋭と言われた男達のなれの果てを見て実感した。

 



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第278話

 一子様の手下(ファンクラブ)から齎された八郎の情報。

 

「東海道新幹線に乗っている情報を掴み追跡、品川駅で横須賀線に乗り換えたのを確認して新川崎駅から配下が乗り込み車内を捜索。保土ヶ谷駅で気付かれて降りた」

 

 この最終段階で亀宮一族の勢力圏内で僕の地元に現れて痕跡を残す、僕らと九子をブツける罠だな。

 奴は僕達と九子の共倒れを狙っている、この三竦(さんすくみ)の状況では他の二つが消耗してくれるのが望ましい。

 だがこの条件は僕達と九子には当て嵌まらない、先に相手に八郎と接触されたら駄目なんだ。

 

「だから僕は八郎を捕まえる前に九子と決着を付けたいと思う」

 

 理想は八郎を一子様に食わせて戦力を増強して共に九子と戦い勝つ、だが八郎を食っても一子様が戦闘系能力を劇的に増強する保障は無い。

 一子様には話してないが、八郎の策に嵌った振りをして九子との戦いに雪崩れ込んだ方が良い。

 

 八郎の罠に踊らされて時間を無駄にして先に九子に八郎を食われるのが最悪のストーリー、九子さえ倒せば八郎だけなら一子様と配下(ファンクラブ)でも可能だ。

 流石の一子様の配下(ファンクラブ)も九子の足取りは掴んでない、影を使った移転の術を使える彼女を探して捕まえるのは至難の業だ。

 だから八郎の策に乗った振りをして誘き出して倒す、これが一番有効なんだが一子様は先に八郎は食いたいんだろうな……

 

 14時32分JR広島駅発の「のぞみ34号」のグリーン車に乗って3時間42分、新横浜駅に18時14分に到着、神奈川県に乗り込んだ。

 

「あの、腕を離してくれませんか?周りの視線がですね、突き刺さるんですが……」

 

「嫌よ、敵地に乗り込むか弱い女性に酷い対応よね」

 

 一子様の本拠地である16時14分に京都駅に停まった時に乗り込んできた新しい配下の四人は諜報部隊(ファンクラブ)ではなく珍しく戦闘系術者だ。

 しかも全員若い男性でイケメン共だ、ホームに降りると女性達の注目を浴びて黄色い声が漏れる程の。

 そんな連中が僕に鋭い熱視線を送っているので悪循環だ、珍しく一子様の注目度が下がり僕の注目度が上がる。

 

「ねぇ、あのイケメン達に熱い視線を送られている筋肉中年ってアレかしら?」

 

「腐の付く関係?ケバイ女が貼り付いてるけど間違い無くアレよね。ケダモノと貴公子って感じだわ」

 

「いや女王様を蛮族に取られた騎士達じゃないかしら?あの視線に情欲はないわね」

 

「あらヤダ、それは良い線行ってるわよ。女王様の方が蛮族にゾッコンみたいね。私より美人は皆死ねば良いのよ」

 

 酷い言葉が耳に刺さる、しかし最後の奴の呪詛の言葉は霊力みたいな何かが籠ってたな。もしかして同業者か?

 用意された黒のスーツは「タケオ・キクチ」のタグが付いているが所謂英国風スタイルは僕には似合わないと思うんだ。

 ネクタイからカフスボタン、革靴も靴下から下着まで全て一子様セレクトだ……完全にヒモだな。

 

 2番線ホームに降り立ち周りの乗客達からの奇異な視線をモノともせずに颯爽と僕を引っ張り歩く一子様と後ろに続くイケメン達、何の集団だか気になるだろう。

 エスカレーターを降りて新幹線改札口を抜けると直ぐに横浜線の5番ホームに繋がる便利な構造だ。

 

「一子様、我々は此処で一旦お別れです」

 

「分かったわ、後は本庄の判断で動きなさい。ここは亀宮の勢力圏であることだけは忘れずに」

 

 イケメン四人が横一列に並んで90度腰を曲げてのお辞儀って周り乗客の動きが一瞬止まった、こういう注目は集めたくないのだが……

 

「彼らは別行動なのかい?」

 

「ええ、あの子達は私の猟犬よ。独自に八郎を追いかけて貰うわ、期待は薄いけど手足は多い方が良いから。さぁ、榎本さんの自宅に行くわよ」

 

「何でさ?」

 

 ははは、なにかサラリと変な言葉が聞こえたが、僕も未だ若いつもりだが幻聴が聞こえるとはアレだな。右腕に抱き着く彼女を見下ろして聞いてみる。

 

「暫く結衣ちゃんに会ってない貴方への気遣い、それと純粋に気になるのよ。貴方達の関係が……さぁタクシーに乗るわよ」

 

「嫌だって、それは色々と不味いんだ。亀宮さんにだって自宅には招待してないのに」

 

 浮気がバレて自宅に突撃される情けない男みたいな感じが半端ない、大男がか弱い女性に引き摺られる様に新横浜駅構内からタクシー乗り場へと移動させられる。

 途中から諦めて隣を歩いている、ここで抵抗しても浮気バレ男としてツイッターとかで晒されそうで怖かったんだ。

 すでに何人かに写真を撮られたが、その都度一子様の瞳術でパパラッチは自分のスマホや携帯電話を踏み付けて壊す不思議行動を取っている、忠臣が怖いと言った意味がわかる。

 

「もしもし、結衣ちゃん?あら、桜岡霞さん?お久し振りね。ええ、いま新横浜駅よ。これから其方に向かうから準備を……女性のスマホを取り上げるのはマナー違反よ」

 

 この関西地方を牛耳る加茂宮一族の当主様は何時の間に僕の自宅の電話番号とか知ってるんだ?名刺交換してないよな?

 

「もしもし?桜岡さん、あのね」

 

『あら、榎本さん?加茂宮のご当主様と一緒にお帰りですの?』 

 

 久し振りに聞いたお嬢様言葉には多くの棘が含まれている、僕の胃と精神に多大なダメージが及ぶ。

 

「いやそのね、最後の標的が神奈川県に現れたので追ってきたんだって……一子様、もう少し説明をさせて下さい」

 

「お黙りなさい、女同士の電話に殿方が割り込んではいけません。もしもし桜岡霞さん、今夜は其方に私も泊まるから準備して下さいな。駄目なら近くのシティホテルのスィートに二人で泊まっても良いのよ?」

 

 いや君をホテルに泊めて僕は帰るつもりだったんだが……

 

「そうよ、私の気遣いに感謝なさいな。榎本さんが貴女達に会える様にしたのだから、分かったら準備しなさい」

 

 気持ちは嬉しいのだが、人心掌握術に長けた彼女の事だ何か他に思惑が有ると思うのだが?

 躊躇無くタクシーを停めて後部座席に僕を押し込んで隣に座る、密着し過ぎだと思います。

 

「横浜横須賀道路の佐原インターで下りて、その先は誘導するわ」

 

「はい、有難う御座います。急ぐなら第三京浜の羽沢ICから乗って狩場に抜けて良いですか?」

 

「構わないわ、急いでね」

 

 淀みない説明で自宅行きが決定してしまった。確かに結衣ちゃんには会いたい、一子様は前に横浜中華街で結衣ちゃんに会った時に彼女が異性として僕が好きと言った。

 だが僕が結衣ちゃんを異性として好きなのは知らない、気付いてない、僕の紳士フィルターは万全だからな。

 

 その一子様が敢えて僕の自宅に行って僕と会わせたいと言った、気遣い?誰に対してだ?

 

「何故と聞いて良いかい?」

 

 今は一蓮托生・呉越同舟の関係だ。直球で聞いても問題無いだろう。彼女の真意を聞いておかないと後で不味い事になりそうで怖い。

 無表情で窓の外の流れる景色を見ている、都会のネオンの中でこそ彼女の美しさは輝く。人工的に作り出された美女が一子様だ。

 

「今の貴方がね、少し不安定だからよ。状況は大詰めに来ているから最後の息抜きをして欲しい。多分だけど、それは結衣ちゃんにしか出来ないでしょ?」

 

 私と居ると何時も緊張しっ放しでしょって笑われてしまった、こんな気遣いをされると心にダメージがダイレクトアタックだ。

 不安定というか、一子様を切り捨てて自分が勝つのを優先した作戦を進めようとした時にコレか?一言も話してないし態度にも出てないから知られてはいない考え……

 

「参った、降参だよ。一子様は本当に良い女だよ」

 

「なら鞍替えなさいな、今なら伴侶として迎えてあげるわよ」

 

 ニヤリと笑う彼女は肉食獣だ、前と違い全然情に縋るとか女らしさを押し出している訳じゃない。敢えて加茂宮一族の当主の立場で言っている。

 

「先に出会った人が居るからね、叶わぬ夢さ」

 

「後悔するわよ?」

 

「何時も後悔しない様に動いても後悔しっ放しな人生さ。だが後悔も無い人生なんて詰まらないだろ?」

 

 そう見栄を張った、両親と爺さんの事については自分の中で割り切ったつもりだが確かに感情って奴は納得出来ない厄介な存在だ。

 

「そうね、精々強がりなさい。男の子でしょ」

 

 心の機微の理解について彼女程の理解者は居ないのかもしれないな、だが30過ぎのオッサンに男の子は無理が有るだろ?

 まいったな、会話が嫌じゃないんだよ。それっきり横浜横須賀道路の佐原ICを過ぎる迄は嫌じゃない雰囲気の無言だった。

 

「あっ運転手さん、下りたら突き当りを右に曲がって下さいな」

 

「はい、一子様」

 

 完璧な誘導で自宅まで到着した、だが何時の間にか運転手を支配下に置いていたよ。機密保持って言ったけど怖過ぎるだろ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 幾ら支配下に置かれているとは言え無賃乗車は出来ないので料金を払い領収書を貰う、税務署と戦うには領収書が大切だ。

 運転手は暫くすれば瞳術は解けてカップルを横須賀に運んだ記憶しか残らないそうだ。

 

 支払いで時間を取られた所為か車の停車音が聞こえたのか、桜岡さんと結衣ちゃんが玄関扉を開けて出迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ、一子様。お帰りなさい、榎本さん」

 

「いらっしゃい、一子さん。お帰りなさい、榎本さん。珍しい英国風なスーツですね?」

 

 桜岡さんは自身が所属する派閥のTOPなので表情が硬い、一方結衣ちゃんは横浜中華街で友好的に接していたから歓迎ムードだ。

 二人ともエプロンを着ているのは急いで料理を作ってくれたのだろう、流れてくる匂いは唐揚げだ!

 

「久し振りね、桜岡さん。結衣ちゃんも久し振りね、少し髪の毛が伸びたかしら?」

 

 さり気無く結衣ちゃんの髪の毛に触れて褒める、すっかり憧れのお姉さんみたいに見られている、怖いぞ一子様。

 

「外で立ち話も何だから中に入ろうか?お腹空いたよ」

 

 既に時刻は20時30分、もしかしたら夕飯は食べてしまって僕達の為に新たに作ってくれたのかな?

 

「どうぞ、入って下さい」

 

「狭い家だけど遠慮無くどうぞ」

 

 一子様を先に入る様に促す、ゴージャスな彼女が民家に入るって違和感が有るな。

 

「そんな事はないわ、広くても冷たい家庭なんて幾らでも有るわよ。ここは温かいわ、私には場違いな位に」

 

 おぃおぃ、その一言はキツイぞ。結衣ちゃんなんて何かを感じ取ったのか優しい表情になってるし。

 逆に桜岡さんの無表情が怖い、結衣ちゃんのお姉さんは私だけとか思ってないよね?

 無言で腕に抱き着かれたが、この懐かしい雰囲気は本当にリラックス出来る。傍から見れば不安定だったのかな?

 

「ただいま、桜岡さん。留守中なにか有ったかい?」

 

「小笠原親子が頻繁に顔を出す位かしら?あとは特に無かったですわ」

 

 魅鈴さんと静願ちゃんか、そう言えば最近メールしかしてなかったな。明日にでも少し電話するか。

 

「僕等の方は大詰めだよ。あと少し、あと少しでケリが付くよ。でもその前に腹拵えだ、唐揚げだろ?」

 

「ええ、生姜と大蒜をたっぷり効かせた特別製よ。帰るなら先に言って下されば食べずに待っていたんですよ」

 

 プリプリと怒る桜岡さんを宥めながらキッチンへと向かう、久し振りの結衣ちゃんと桜岡さんの手料理は楽しみだ。

 

「じゃ沢山食べるかな、ご当地名物も美味しかったけどやはり手料理も良いよね」

 

 この細やかな幸せを守る為にも九子は倒す、必ずだ。

 




難産でした、終わりに向けて色々考えては書き直しているので次話は少し遅れるかもしれません。


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第279話

第279話

 

 久し振りの我が家、戦友(フードファイター)の桜岡さんに愛娘(嫁候補)の結衣ちゃん、そして日本霊能界の御三家の一角、西日本を牛耳る加茂宮一族の当主一子様。

 この異常なメンバーが自宅の食卓で同じテーブルに座っている、向かい側に桜岡さんと一子様で僕の隣に結衣ちゃん。

 

「美味しそうな家庭料理だけど、どう見ても二十人前よね?榎本さんって大体十人前でしょ?」

 

 湯呑で日本茶を啜るゴージャス美人が不思議そうな顔をしている、実は桜岡さんも大食いなのを知らないのか?

 電話してから一時間位で用意してくれた料理は素晴らしいの一言だ、生姜と大蒜に付け込んだ唐揚げが1kg以上あるが付け込むだけでも30分はかかる。

 その他の料理としては鶏肉と青梗菜の治部煮風、鯛と大根の梅肉和え、キャベツの粒マスタードサラダ、千切り野菜と干し椎茸のスープだ。

 どれも以前作ってくれた20分以内の簡単レシピだと思ったが味は確かだ。

 

「僕と桜岡さんは互角の戦いが出来るフードファイターだ、これ位なら普通だよ」

 

「それは凄いわね、それが桜岡さんが榎本さんの琴線に触れた理由かしら?」

 

 なにやら呟く一子様の脇目に結衣ちゃんから大盛りの茶碗を受け取る、久し振りのマイ茶碗に気持ちが高揚する。

 家族団欒、そこに二人程混じっているが久し振りに味わう幸せなひと時を味わう。

 

 最後の一人である八郎を巡る争いは三つ巴の総力戦になるかも知れない、奴は微妙に僕と九子を誘導している感じがする。漁夫の利を狙うつもりか?

 

「いただきます」

 

 先ずは大振りに切り分けた鶏の唐揚げを一口で食べる、生姜と大蒜の風味が効いて美味い、そのままご飯を口一杯に頬張る。

 次は千切り野菜と干し椎茸のスープだ、好き嫌いの分かれる椎茸だが僕は好きだ。熱々なので息を吹きかけかながら啜る、こちらも美味い。

 

「気持ちの良い食べっぷりよね、私は料理は作らないから何となくしか分からないけど結衣ちゃんは嬉しいでしょ?」

 

「はい、榎本さんには私の手料理を沢山食べて欲しいんです」

 

 一子様のパスを受けて結衣ちゃんが僕の心のゴールにシュートを決めた……ヤバいな、一子様は僕が彼女に寄せる秘めた思いに気付いているな。

 輝く笑顔で配膳してくれる家庭的な女の子は人気なのが分かる、これを美少女がやっては威力倍増しだ。

 ニヤニヤ笑う一子様と不機嫌そうな桜岡さん、カオスな食卓だが構わずキャベツの粒マスタードサラダを食べる。

 

「ふむ、これは初めてだけど独特な辛みが有って美味しいね。ドイツ風料理かな?」

 

「いえ、簡単10分レシピで見付けたんです、ボイルしたキャベツは繊維を沢山含みますしボイルする事で野菜を沢山食べれますから」

 

 オッサンの健康を心配してくれるのが嬉しい、放っておくと好きな物を大量に食べるから栄養バランスとか考えてないからな。

 

「結衣ちゃんは幼な妻みたいね、甲斐甲斐しくて見ていても微笑ましいわ」

 

「そ、そんな事は……その……」

 

 一子様が爆弾を放り込んだ、一瞬で結衣ちゃんは真っ赤になってしまった。この話術は凄いが彼女は僕と結衣ちゃんをどうしたいんだ?

 

「一子様、もうその辺で。あと結衣ちゃんご飯お代わりね」

 

 このまま放置すると色々とヤバい状況になりそうなので会話を断ち切る為にご飯をお代わりする、久し振りの手料理は本当に美味いな。

 その後は出された料理を完食するまでニコニコと微笑むだけだったが、結衣ちゃんが完全に心を許しているのが分かる、古風なお嬢様の桜岡さんとは違う気さくな現代風美女か?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 食後、女性陣はそのままガールズトークに突入し僕は風呂場に押し込まれた、浴室とキッチンは壁一つしか隔ててないので会話は無理でも笑い声位は聞こえる。

 自然な笑い声だ……特に一子様の話術ならば問題無いのだろう、完全に結衣ちゃんを味方に付けたな。

 丁寧に身体を洗い浴槽に身を浸す、僕サイズでもユッタリ出来る特注品だ。

 

「正明よ、もう良いから養い子を喰ってしまえ。相性的には亀女か梓巫女だが、狐に獣化出来る子供達も榎本一族の繁栄には面白いだろう」

 

 自分の腹から美幼女の上半身が生えれば誰だって驚くだろう、思わず仰け反ってしまい湯の中に頭を突っ込んでしまった。

 

「ケホッ、何を言い出すんだよ。確かに望みはソレだけど子供達が獣化出来るかは分からないだろ、それに現代社会では生き難いだろう」

 

 僕は自分の子供達に同じ様な退魔師にはしたくない、この世界の不条理さと危険さを理解しているから。出来れば普通の生活と幸せを……

 

「それは無理だ、お前やお前の子孫達に安寧な生活は出来まい。今の自分の立場を考えろ」

 

「僕の立場か……」

 

 東日本を牛耳る霊能御三家の一つ亀宮一族の第十二席、御三家全ての当主と面識が有り武闘派として知られている。現在は加茂宮一族の後継者争いに加担中。

 そんな僕の子供達が、この世界と無縁で安全に安心して暮らせるか?無理だな、相応の力を持たないと守られるだけの存在となり自由が無くなる。

 世の中の重要人物の親族だって同じだと割り切る事も出来るが、守るのが自分と胡蝶だけでは何時かは破綻する。

 

「如何すれば良い?」

 

「我の存在意義を忘れたか?我は榎本一族の繁栄の為に生み出された人神で『諏訪の和邇(わに)』と呼ばれた存在だぞ」

 

 そうだった、胡蝶は僕の遠い祖先が生み出した人神だった。そして信仰を集め崇める事で力を増す存在だ。

 

「つまり榎本一族を増やせば自動的に胡蝶の力は強まり子供達にも加護を与える事が出来ると?」

 

「そうだ、産めよ増やせよとはそういう事だ。我の力も制約により制限があるのだ、一族が増えれば力も増す。今は正明と生贄だけで遣り繰りしてるのだぞ」

 

 まるで家計を支える奥さんみたいな発言で一気に微妙な雰囲気になったが、子を孕ませろ発言の本当の意味を知った。

 胡蝶に科せられた制約と制限か、700年前だと鎌倉時代末期で衰退し始めた陰陽道だが未だ強い力を持っていたんだな。その最高傑作が彼女だ。

 

 僕も陰陽道を学び始めたから触りの歴史は調べた、最初は聖徳太子が「陰陽五行思想」の凄さを知って朝廷内の陰陽寮を設けたのが始まり。

 その後、奈良時代には国家の機密機関として国政を左右する占いや地相を読み活躍した。

 そして平安時代には国家機密集団から民間へと広まり有名な「安倍晴明(あべのせいめい)」が登場、安倍家と加茂家の二家が陰陽寮を掌握する。

 民間に広がった陰陽道は多種多様な変化を生みだし流行り始めた「御霊信仰」が後押しをする、魑魅魍魎を祓うのは陰陽師しか出来ない事だったから……

 

 そして鎌倉時代には大分衰退してきたが足利将軍家が重用した事により、その勢力は維持されていた。この時代が胡蝶が生まれた時代だ。

 陰陽道の緩やかな衰退に歯止めを掛けたかった御先祖様が、自分達陰陽師が子々孫々まで繁栄するのを願い榎本一族の為に制約を設けて縛り付けたんだ。

 まぁそれを忘れた御先祖様の所為で、両親と爺さんが殺されたのだか自分なりに飲み込んだので今は良い。

 

 その後、戦国時代に突入するが他国を攻めたり攻められたりするのに陰陽道の占いは合わなかったのだろう。

 そして戦国時代の覇者で有る豊臣秀吉は陰陽師に興味が薄く、宮廷内陰陽道も庇護を無くし廃れてしまった。

 その後、権力を握った徳川家康は陰陽道に興味が薄い所か取り締まりまで始めて統制していった、土御門家を新たな陰陽道の宗家として勢力を縮小しつつも生き延びたんだ。

 もはや政治には影響を与える事が殆ど無くなった陰陽道だが民間では相変わらず盛んに活動していた。

 ついに終焉の時を迎えるのが明治時代だ、中国から伝わった陰陽道は迷信として扱われ代わりに西洋文化が広まる事となる。

 

 だが、それは表向きな時代の流れで実際は「亀宮家」と「加茂宮家」は連綿と政治の中枢と複雑に絡んで生き延びていたんだ。

 未だに強い勢力と発言権を持つニ家に最近「伊集院家」が台頭し御三家として日本を三分割し霊能分野で活躍している。

 

 だが昨今の陰陽師のイメージである呪術だが、実は陰陽寮に所属する陰陽師達ではなく同じく朝廷内に存在していたと思われる呪禁師の事らしい。

 彼らが陰陽寮に統合されて今の呪術を扱うイメージが確定した、本来の陰陽師は占いや地相を読んだり天文や暦を管理するエリート集団だった。

 

 そして現在僕が練習している式神はカリスマ陰陽師である安部晴明の流れを組む神陽(しんよう)流派、陽香(ようか)家の東海林さんに師事している。

 

 「ヤバい、のぼせそうだ。来客が居るのにホストが長湯じゃ駄目だよな、気を付けないと……」

 

 浴槽内で考え事をしてしまった、壁に付けた防水式のデジタル時計は風呂に入ってから既に30分以上が経った事を示している。唯でさえ一番風呂に入っているのに男の長湯は微妙だよな。

 掛け湯をしてからタオルで体に付いた水滴を拭き取る、最近少し下腹に贅肉が付いてる気がするので鍛錬するか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お待たせしてしまい申し訳ない」

 

 着替えて髪を乾かす前にキッチンに顔を出す、余り待たせるのは悪いので急いだのだかテーブルを囲みお茶を飲む見目麗しい女性陣は微妙な雰囲気だ。

 後ろを向いている一子様の表情は見えないが、結衣ちゃんはご機嫌で桜岡さんは固い笑顔だぞ。

 

「あら意外に長湯なのね、一緒に居た時は烏の行水だったじゃない?」

 

 その言葉に結衣ちゃんと桜岡さんが反応した、まるで一緒の部屋に泊まったみたいな言い回しだぞ。

 

「正明さんはお風呂好きなんです、一緒に温泉旅行に行くと必ず三回は大浴場に行きますよ。風呂上りにマッサージするのが私の楽しみなんです」

 

 一子様の牽制も純粋な結衣ちゃんには通用しない、逆に僕と結衣ちゃんが何度も温泉旅行に行って風呂上りにマッサージをしていると切り返してきた。

 

「あら、そうなの?凄い筋肉の彼にマッサージなんて大変じゃない?」

 

「いや、仕事で行くときは警戒してるから呑気に長湯をしないだけだよ」

 

 一子様と言葉が被ったが両方に打ちのめされた桜岡さんが落ち込んでいる、そんなに一緒にお風呂に入りましょうオーラを送らないで下さい。

 しかし結衣ちゃんは完全に一子様に好意的だな、大人しく人見知りのこの娘がこんなに直ぐに心を開くとは驚きだが瞳術での魅了じゃない。

 

「そ、それは……でも私も温泉旅行に一緒に行きたいです。今度計画しますわ」

 

「そうですね、皆で一緒に行きましょう。箱根や奥湯河原は行ったので、今度は熱海とか行ってみたいです」

 

「ふふふ、関西にも良い温泉が沢山あるわ。そうね、今の仕事が一段落したら皆で行きましょうか?そうね、日本三古湯の有馬温泉なら私の経営する旅館が有るのよ」

 

 桜岡さんの言葉に善意のみの結衣ちゃんが止めを刺す、そして一子様が追撃し完膚なきまでに二人で温泉旅行は流れたので安心した。

 個人で老舗温泉街に旅館を持つとか流石は日本霊能業界の御三家TOPだな、財力が半端無いぞ。だが此処で参戦すると色々と約束を結ばされそうでヤバい、撤退だ!

 

「じゃ僕は疲れたから部屋で休むね。結衣ちゃん、桜岡さん、一子様をお願いします」

 

 不甲斐ないとは思うが、すごすごと私室に戻る事にする。幸い小型冷蔵庫も有るので風呂上りのコーラは確保している。

 女性陣の楽しそうな旅行プランを聞きながら二階に上がる、危険そうになったら小笠原母娘や晶ちゃんとかも誘えば良いや。

 

 



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第280話

 

 最終決戦前に自宅で結衣ちゃんの心温まる家庭料理を食べて風呂に入り気分転換が出来た、これから先は八郎と九子との死闘だ。

 現状では八郎は神奈川県に潜伏しているらしい、一子様も今まではファンクラブを使っていたが四人のイケメンで構成された『猟犬』を投入。

 目標である八郎を追い詰める為に動き出した。

 

 一子様的には今の僕は不安定らしい、だから最後の息抜きの為に自宅へと強襲し強引に泊まる事になったのだが……

 

 「もう朝か……確かに慣れ親しんだ自分の布団は良く寝れるな。肉体的にも精神的にも休めたか」

 

 枕の脇に置いてある電子音を鳴り続ける携帯電話の目覚まし機能を止める。時刻は朝の七時丁度、布団から起き上がる、羽毛布団は軽くて快適だ。

 寝間着用のスエットから白色のポロシャツにカーキ色のチノパンに着替える、流石に一子様が居るのに寝間着姿で会うのは不味いだろう。

 

 部屋から出ると良い匂いが漂ってくる、キッチンでは女性陣の賑やかな声も聞こえるが三人で調理してるのかな?

 階段を下りて先ずは洗面所に向かい顔を洗い歯を磨く、タオル掛けには自分用の他に三枚のタオルが掛けられている。

 

「これは最近の結衣ちゃんのお気に入りの制菌防臭加工のホテルスタイルタオルだな、一子様の事を相当気に入ってるな」

 

 お米や日本茶が大好きな結衣ちゃんは特定の物に拘りが有る、最近のお気に入りが南青山の今治タオルで色々と揃えている。

 電気カミソリで髭を剃り櫛で髪型を整える、鏡の前でチェックするとニヤけたオッサンが鏡の中から見詰めている。

 

「身嗜みはOKだな」

 

 最終チェックをクリアーしたのでキッチンへと向かう、どうやら結衣ちゃんが一子様に料理を教えているみたいだな。

 

『薄くスライスした玉ねぎの上に焼いたメカジキを乗せて、最後に甘酢タレを掛けるとですね、十分位で味が馴染むのです』

 

『なる程ね、この人参の味噌金平(みそきんぴら)も美味しそう。僅か三十分で調理できるなんて結衣ちゃんは凄いわね』

 

『私だって結衣ちゃんに習ってますから、この牛肉と豆腐のすき煮は榎本さんの大好物なんですよ』

 

 一子様、結衣ちゃんから絶大な信頼と言うか憧れと言うか、瞳術を使ってないのに凄い人心掌握術で桜岡さんが劣勢な気がする。

 

「おはようございます、良い匂いですね?」

 

「あら、おはよう榎本さん。ゆっくり休めましたか?」

 

 三人お揃いのエプロンをしているが、結衣ちゃんは制服で一子様はデニムのシャツワンピを着て腕を捲っている。桜岡さんはFOXEY(フォクシー)の新作ワンピだ。

 何も朝食の支度で気合を入れたファッションをしなくても良いだろうに……

 

「はい、やはり自宅は心休まりますね。旅先ではどこか気を張っているのでしょう」

 

 食卓のテーブルに付く、四人掛けのテーブルが全て埋るのは久し振りだろう。

 

「本日のメニューはメカジキの煮ひたしに牛肉と豆腐のすき煮、それに味噌金平です」

 

「朝から豪華だね、凄く美味しそうだ」

 

 桜岡さんがご飯を大盛りにした丼を渡してくれた、汁物は昨日の残りのジャガイモと油揚げとモヤシの味噌汁だな。

 僕の隣に結衣ちゃん、向かい側に一子様、その隣が桜岡さんだ。流石に関西巫女連合の上位組織の長の一子様には逆らえないみたいだな。

 

 こんな日常の幸せを続ける為にも……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝食後、自宅だと桜岡さん達に重たい話を聞かれる可能性があるので横須賀中央の事務所に一子様と移動する。

 まさか電車で行く訳にもいかずタクシーを呼んでの移動だ、一子様は電車でも構わないと言ったが霊能業界の御三家の一角の当主様を通勤ラッシュの京浜急行に乗せられない。

 

「自分の事務所なのに久し振りに来たな……」

 

「ねぇ?表札の(有)E・P・Rって何かしら?」

 

 引っ越し先に初めて入った猫みたいに色々と調べている一子様の最初の質問は表札か。

 

「Enomoto Psychic Research (エノモト サイキック リサーチ)略してE・P・Rだよ、郵便局への登録も同様の名前で申し込んでいるので普通に郵便も届く。

心霊調査事務所なんて胡散臭い看板を正直に掲げるのは色々と問題になるからね、世間体を慮ったんだ」

 

 一応有限会社の体を成している、資本金は300万円で社員は自分一人でも大丈夫。所轄の労働基準監督署にも届出を出している零細企業の社長なのだ。

 ポストに入っていたのは公共料金のお知らせとDMに宅配ピザのチラシ、それにマンションの管理人からエレベーターの定期点検のお知らせか……

 

「ふーん、社会に溶け込んでいるのね。本当にこんな人材が在野に埋もれていたなんて驚いたわ。亀宮は上手くやったわね」

 

 FAXは何も受信していないな、あとは留守電とメールのチェックだけど一子様を放置は駄目だな。

 

「珈琲と紅茶、日本茶に缶ジュースが有るけど何が良い?全部安物だけどね」

 

「そうね、缶ジュースって何かしら?」

 

 書棚に収められたファイルの背表紙を見ていた一子様が缶ジュースに食付いたぞ、もしかしてお嬢様だから下々の飲み物に興味深々か?

 冷蔵庫に入っている銘柄を確認するが適当にコンビニで買って来たからな……

 

「えっとね、コカコーラに午後の紅茶レモンティー、黄金鉄観に日本冠茶、それと生姜炭酸だね」

 

 キリンの別格シリーズの三種類を買ってたの忘れてた、でもこれを一子様に出すのは不味いのかな?不味いよな?

 

「面白そうね、生姜炭酸を貰うわ」

 

「え?平気かい?自分で言って何だけどチャレンジャー過ぎない?」

 

 この生姜炭酸だが普通のジンジャーエールと思っていると大怪我をする、キリンの別格シリーズは産地や製法に拘りがある。

 これは国産の生姜をすり潰した物が贅沢に入っているので、正直キツイ生姜味で和風テイストを醸し出している逸品だ、何故か飲む前に一回転させるって書いてある。

 

「変わった物が飲みたいのよ、普段だったら絶対飲ませて貰えないから」

 

 そう寂しそうに笑うのを見ると何故かドキドキする、彼女の人心掌握術や異性を籠絡する術は強力だな。気を付けていても引き込まれる。

 取り敢えず包装紙を取ってゆっくりと缶を一回転させてテーブルに乗せる、キャップも外した方が良いかな?

 

「なんで炭酸飲料を一回転させるの?」

 

「いや、取扱い説明書に書いてあったんだ。飲む前に一回転させると美味しいってさ、何でだろうね?」

 

 アルミキャップをゆっくりと回して開けるとプシュっと炭酸ガスが出たが泡が漏れる事は無かったので差し出す。

 

「有難う、初めてだわ」

 

 珍しそうに一口飲んで……アレ?変な顔をしたぞ、初めて見た一子様の変顔だぞ。

 

「その、ごめんなさい。日本茶を貰えるかしら?」

 

 どうやらお気に召さなかったみたいだが、彼女の知らない一面を見れたので良かったのかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 パソコンを使わせて欲しいと言われたので予備のノートパソコンをソファーセットに持って行く、無線式だから本体だけ持っていけば使える。

 パソコンを操作しながら携帯電話でなにか指示をだして居るのだが、どうやら民間に設置してある監視カメラのデータを流用しているっぽい。

 昔は監視カメラは名前通り監視や防犯の為の意識が強かったが、現在は高感度監視カメラの画像を専用ソフトに取り込む事で人の通行パターンや消費行動を調査する事が出来る。

 

 そしてマーケティング向けの需要が増えた事により民間の監視カメラの映像データをリアルタイムで転送し解析する会社の幾つかを一子様は抑えているみたいだ。

 ネットワークに接続しサーバーに蓄積してある過去のデータも同時に検索させている。

 特に駅前に多いコンビニと喫茶店チェーン店からのデータは有効らしく、画像解析ソフトに八郎のデータを取り込んで検索させる事で出没場所を特定する。

 そしてファンクラブの人海戦術による索敵は意外に効果が高い。今回の出現場所から神奈川県の川崎から横浜地区に重点を置いて捜索させている。

 

 一時間程電話とパソコンで指示をしていたが、どうやら最新情報を手に入れたみたいだな。

 

「榎本さん、見て。八郎の姿を捉えたわ、この場所はJR横須賀線田浦駅構内よ。次が国道16号線のコンビニ、その後が横須賀港湾合同庁舎ね」

 

 やはり一子様の信者はJR東海にも食い込んでいるな……いや、ヤバい情報だから指摘するのは止めよう、藪蛇になりそうで怖い。

 

「確実に誘っている、僕のホームに態々(わざわざ)現れたって事は色々調べられてるな。しかも田浦駅近くの倉庫街は最初に九子と戦った場所だ」

 

 鬼道衆の穿(うがつ)斬(ざん)と薙(なぎ)の三人を倒したのも田浦港の近い倉庫群だった、偶然じゃないだろう。つまり最初に戦った場所を最後の戦場にしたい、これなら九子も誘われて来るだろう。

 

「つまり私達と九子を戦わせて漁夫の利を得たい、又は同士討ち目的?全く嫌らしい奴だわ」

 

 凄い嫌そうな顔だな、しかし八郎の誘いを受ければ九子と確実に戦える。事前に仕込みが出来るホームグラウンドでだ。

 これは一見僕が有利に思えるが、八郎より先に九子と戦う事を選ぶ様に思考を誘導されてないか?奴は僕らと九子を戦わせて弱らせる作戦か?

 

「でも少し変だ、八郎は僕等と九子を先に戦わせたいのだろう。確かに戦う場所が特定出来れば色々と準備が出来るから有利だ」

 

 自分の執務机に座っていたが一子様の前のソファーに移動する。

 

「思考誘導ね、でも私達の有利は変わらないわ。万全の態勢で九子と戦える、仮に八郎が干渉しても負ける事は無いでしょ?」

 

 人外対決となる僕と胡蝶対九子の戦いに八郎が干渉してきても瀕死の状態でも負けないと思う、少なくとも一子様は戦いに参加させないから無傷で対応出来る。

 

「そうだ、幾ら九子と潰し合っても弱体化しても八郎が確実に生き残りに勝てる保証は無い。逆に九子を食べれば一子様は更に強くなる、八郎は詰みだよ」

 

 一子様が腕を組んで考え始めた、思考誘導されてると分かっていても敢えて罠に乗ったと言う事は出来るが、それでも八郎のメリットが無いのが気になる。

 生き残り三人はもう後が無いんだ、勝てばパワーアップで負ければ喰われる。なのに八郎は勝負を最後にしたがっている。

 

「罠だけど単純じゃない、二重の罠の可能性が有ると榎本さんは考えているのね?」

 

「そうだ、生き残りを掛けた戦いで逃げ回ってる八郎にしてはお粗末過ぎる作戦だ、当然裏が有る筈だよね。もう失敗は出来ないから最悪を考えるべきだ」

 

 二人して向き合って考えても中々良いアイデアは生まれない、気分転換に買い置きの銘菓を取りにキッチンに向かう。

 冷蔵庫には『津山ロール』の抹茶クリームと『函館スナッフルス』のチーズオムレットの二種類で、スプーンを使わないで食べれるチーズオムレットを選ぶ。

 

「お茶請けに『函館スナッフルス』のチーズオムレットだよ、2000年に函館で地元の食材を使ったチーズケーキを売り出したけど名前を変えたんだ。航空会社の客室乗務員から口コミで広まって今では全国区の銘菓だね」

 

 一箱八個入りだが二個が一子様で残りが僕の分だ、そしてチーズオムレットに合うのは午後の紅茶レモンティーは譲れない。

 

「ふぅ……食に拘りが有るのは分かりますが、榎本さんと居ると体重管理が甘くなるので心配だわ」

 

 ふむ、確かに桜岡さん基準で他の女性の事を考えるのは駄目らしい。でも八郎対策で頭を使うので糖分は必要なんだ。

 包装紙を剥いて一口で食べる。美味い、この滑らかな舌触りと甘すぎない上品さが人気の秘密だろう。

 

「敢えて八郎の誘導に乗るとしたら戦いの場所は倉庫群だよな、人目を避けられるので動き易い。九子も同じ考えだと思う、因縁の場所だから……」

 

「始まりの場所って事ね、私も分かる気がするわ」

 

 当然だが八郎もそう考える、ならば仕込みをするか既に終えているかだな。田浦倉庫群は倒産した倉庫も多いが海上自衛隊関連の施設も多い、港も近いし移動ルートは多岐にわたるな。

 国道・電車・船舶と豊富な移動ルートが有り攻め易く守り難い、先に待ち構えるか後から攻めるかも問題だ。

 

「先ずは八郎の動きを探っている連中を田浦倉庫群周辺に集中させよう、どうせ他に出没しても搖動だろ?」

 

「本命の場所に集中するのね、上手くすれば何か仕掛けているのを探れる訳ね。分かったわ」

 

 最終決戦場所が決まった、敢えて八郎の罠に乗ってやろう。

 



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第281話

 ご無沙汰しております、丁度一年振りの復活です。お待たせして大変申し訳有りませんでした。
 今回は久し振りなので状況確認の部分が多いです、投稿ペースとしては月一回か二回程度だと思います。完結まで十話前後を予定しています、その後に後日談的なIFエンドの予定です。



 一子様を横須賀中央の事務所に招き今後の方針を話し合った、残りは八郎と九子のみだが九子は四子と六郎を喰って力を付けている。

 当初の予定だと加茂宮の当主九人の内、二人食べたら互角で三人食べたら勝てないと考えていたが、胡蝶も四人(二子・三郎・五郎・七郎)食べた事で計算が合わなくなっている。

 油断した事により六郎は喰われた、良い所まで追い込んで最後の詰めが甘く脇から掻っ攫われたんだ。

 

 そして二回九子と対面したが1回目は逃げられて2回目は引き分けた、出し惜しみも油断もしなかったが胡蝶と雷撃の切り札二枚をもってしても勝てなかった。

 影を使った移動術も脅威だ、追い込んでも隙を見せれば逃げられる。幸い右腕は切り離したが、再生している可能性もあるんだよな……

 

 一子様のパワーアップも必要だ、八郎は生きたまま捕まえて食べさせる必要が有る。

 九子を食べさせるのは難易度が高い。強敵だし胡蝶に食べさせる事を前提として戦う方が楽だ。楽というか九子相手に生け捕りなんて余裕は無い。

 

 最近の八郎は逃げているだけじゃなくて痕跡を残して此方を誘導している、しかも亀宮の勢力圏内で僕と九子の因縁の場所にだ。

 

「ねぇ一子様。八郎ってさ、岐阜の白山(はくさん)が本拠地の土着信仰の一族だよね?霊峰白山と白山神社と関係有る?」

 

 白山神社の祭神は菊理媛神(白山比咩神、ククリヒメのカミ)・伊弉諾尊(イザナミ)・伊弉冉尊(イザナギ)の三柱を崇めている。

 全国に点在する系列の神社は、東北地方で17社・関東甲信越で16社と亀宮一族の支配地域では合計33社と少ないのだが、加茂宮一族の支配地域・岐阜県だけで21社・愛知県では60社と近畿地方82社の殆どを占めている。

 その利を捨ててまで神奈川に進出したきたんだ、罠なのは分かっているが八郎の力の根拠が知りたい。

 

「有るわ、白山神社というか白山信仰ね。八郎は山岳信仰の修験者だったのよ、本名は若王子(にゃくおうじ)実篤(さねあつ)と言いカラス天狗の異名を持っていたわ」

 

 白山信仰、加賀国・越前国・美濃国(現石川県・福井県・岐阜県)に跨る霊峰白山連峰は山岳信仰で有名だ。

 原始的な山岳信仰、「命を繋ぐ親神様」とも言われ水神や農業神として崇められている白山から齎される神水も信仰の対象。

 白山も水源とする川は九頭竜川に手取川・長良川流域を中心にしている。

 山岳信仰は修験者によって全国に広められて行き、白山は修験道として体系化して行った、俗に言う熊野修験と並ぶ白山修験だ。

 

「八郎の配下には山伏(やまぶし)が多いって言ってたよね、カラス天狗と言われたからには意味が有る筈だ。剣術が得意とか?」

 

「牛若丸伝説ね、幼少時代の牛若丸に剣を教えたのはカラス天狗だと伝えられているわね。でも八郎の場合は迦楼羅(カルラ)天の方らしいわ」

 

 迦楼羅天だと?京都三十三間堂の二十八部衆の迦楼羅天は猛禽類の顔に山伏の衣裳で背中に羽根が生えている、まさにカラス天狗と同じ容姿だ。

 だが奈良の興福寺の八部衆の迦楼羅天に羽根は無い。そもそも天狗はインドの神様である神鳥ガルダが仏教の守護神となり、八部衆から二十八部衆に変化していった。

 「かるら」はパール語に由来し漢訳では食吐悲苦鳥(じきとひくちょう)と書くが、八郎との関連は何だろう?

 

「私も加茂宮の当主争いに参加する迄は知らなかったのよね、地味な男だったし興味も薄かったから。掴んだ情報では毒蛇を扱うらしいのよ」

 

 毒蛇?蛇使い?困った様に一子様の様子を見ると、本当に八郎の情報は少ない。故意に力の源を隠していると見た方が良いな。当主候補になる位だから能力は高い筈だ。

 

「毒蛇か、文字通りならマムシとかコブラとか毒を持つ蛇だけど仏教では違う捉え方が有る。仏教での毒蛇は、雨風を起こす悪龍で煩悩の象徴なんだ。迦楼羅天は毒蛇(悪龍)を食べて民を守る神なんだ」

 

「博識ね、流石は現役在家僧侶だわ。でも八郎と迦楼羅天のイメージは繋がらないのよ、そんな大層な神の加護を持ってるとは思えないわ」

 

『迦楼羅天の加護持ちってどんな力を持っているのかな、胡蝶は分かるかい?』

 

『神の加護か?迦楼羅天の加護持ちとは過去に戦った事が有るぞ。たしか口から『迦楼羅焔』と呼ばれる粘つく炎を吐いたんだ』

 

『粘つく?纏わり付く炎だと現代のナパーム弾みたいな物かな。あれは主燃材料のナフサと増粘剤のパーム剤を1対50の比率で混ぜた物だったかな?それでナフサとパームを混ぜてナパーム弾って呼ばれた殺戮兵器だ』

 

『九子の『灼熱吐息(しゃくねつといき』とか言う緑色の火炎と同じだな、加茂宮に憑いている奴は同じ様な炎を扱えたぞ』

 

 九子のアレか、往年のアイドルみたいな名前だったな。本人は48人グループアイドルみたいな恰好だし、アイドル好きなのか?

 

「先代当主の加茂宮の力を兄弟姉妹で分けたんだろ?先代当主ってどんな奴だったのかな?」

 

 力の源が特定出来れば対処はし易い、だが三郎は植物を操り六郎は術具を多用した。五郎や七郎は身体強化と多種多様だ。

 少し話し込んだので脳がカロリーを要求している、お茶請けで出した『函館スナッフルス』のチーズオムレットは完食していた。残りは『津山ロール』の抹茶クリームか……

 

 キッチンに向かい冷蔵庫から『津山ロール』を取り出す。包装紙を取り除き4cm幅で切り分け一切れは一子様、残りは僕が食べる。糖分は頭脳労働には必須なのだ。

 

「はい、津山ロールの抹茶クリームだよ」

 

「半分で良いわ、もう私の一日のカロリー摂取量を超えてるの。榎本さんと結婚すると確実に太るわ」

 

 人工的に作られた現代最高の美人である一子様には、色々と制約が有りそうだ。細かく聞くのは無粋なので、今度は低カロリーのスィーツを用意しておこう。

 豆乳マフィンとか、おからクッキーも良いかな?だけどヘルシーなスィーツって微妙に物足りないんだよな、やはり身体に悪い物の方が美味しいんだよな。

 

 スプーンで三分の一を掬って口に入れる、抹茶って日本人好みの味だよな。一切れを三口で完食する、甘さ控え目だが生クリームは高カロリーなので一子様は微妙な顔だ。

 

「美味しそうにバクバク食べられると、私の鋼の自制心にも罅が入りそうだわ。先代の加茂宮保(たもつ)はね、一言で言えば合理主義者だったわ」

 

「合理主義者か……物事の結果に無駄が無い様に事前に進め方を検討し最短で最高の結果を求めるのか。だが今回の件は博打に近くないかな?誰が生き残るか未知数だったはずだよ」

 

 御三家当主としては正しい姿だとは思う、当主が正しい道程で導いてくれるなら配下は安心だ。反面分の悪い事はしない。つまり冒険しないから面白みが無い、情よりも能力を優先する。

 遊び心が全く無いから人としての付き合いは浅くなる、深い人間関係は結べないだろう。だから子供が沢山いるんだな、恋人や妻への愛情は少なく自分の有能な後継者を作る為に蠱毒を仕込んだ。

 

「私も最初は榎本さんも合理主義者だと思ったわ、除霊の方法に無駄がなくて最短で効率良く対処するし。名古屋の件もそう、結局自分で全て計画して行動して結果をだした。御三家当主の私達なんて本当は要らなかったでしょ?」

 

「いや誤解だぞ、僕はだな……」

 

 人差し指で口元を押さえて黙らされた、指に付いたクリームをペロリと舐めるのは恥ずかしくなるから止めて下さい!

 

「今は思ってないわよ、情に厚い榎本さんは合理主義者とは真逆よ。貴方は自分の大切な人を守る為には非情になれる、隠した獣性を剥き出しにして邪魔者を排除するわ」

 

「躾の行き届いた熊さんだからね、だが最終手段に出る前には幾つかの手順は踏むよ。今回の件は特別さ、残り二人は確実に殺す。八郎と九子、数字が一番低い奴等が一子様と当主の座を争う。本当に加茂宮保は予想していたのか?」

 

 生前は合理主義者と言われた、確かに巨大組織のTOPとしては正しい姿だ。経歴も合理主義者その物で、効率的に配下を使い除霊を達成していた。

 一子様も認める程にだ、その加茂宮保が仕掛けた一世一代の後継者選抜試練で既に六人の我が子達が喰われている。僕は八郎や九子を脅威と感じていたが、本当は加茂宮保の思惑を知らないと駄目なんじゃないか?

 

「加茂宮保が今際の際に私達兄弟姉妹を枕元に呼んだ時、殆ど親の愛情など掛けて貰えなかった私達に最後に言った言葉はね……『全てを奪え、それで意味が分かる』だったわ」

 

「兄弟姉妹全員の魂を喰えば全ての意味が分かるって事かい?分散した能力を全て手に入れなければ分からないのか……」

 

 不味い、最初から破綻してるぞ。既に僕が四人も食べちゃってるから全員の魂なんて無理だ。残り二人の内、八郎は一子様に食べさせるが九子は胡蝶に食べさせる。

 

『つまり謎は永遠に謎な訳だな……正明よ、心に刻んでおけ。この女は狂う可能性が有る、全員喰って終了の生き残りゲームが既に破綻した。終わりの無いゲームの参加者は果たして正常でいられるか?』

 

『強制的に蠱毒と言う呪いを掛けられたが不完全な結果になった訳だな、古代中国の医学網目25巻によれば蠱毒を用いた者は一定期間の内に殆どが死ぬと書かれてたな。一子様は僕と胡蝶の中の二子達の存在には気付いていない』

 

 未だ誰も食っていないから普通だが、八郎を食わせた後に九子みたいに狂ってしまったらどうする?僕以外で誰かを食ったのは九子だけ、僕は胡蝶のお蔭で単純なパワーアップだけだが九子は四子を食ったからか狂った。

 もし一子様が狂ったら?瞳術で他人を思い通りに動かせる彼女の枷が外れたら?僕の中に有る他の存在に気付いたら、僕を食おうとするだろうか?

 彼女は国家乗っ取り位は簡単に出来る能力だぞ、僕は最悪の場合は自分の幸せの為に彼女も食わねば駄目なのか?

 

「どうしたの?そんな怖い顔で黙り込んで……安心なさいな、私達は絶対に勝ち残れるわ」

 

「そうだね、僕等は勝ち残れる。残り二人、油断しなければ絶対に勝てるさ」

 

 僕は一子様を好ましく思い始めている、問題の多いお嬢様だが悲劇で終わる終幕なんてお断りだ。残り二人は確実に倒す、その後で蠱毒の呪いを解けるか調べなければならない。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結局八郎の力の源は分からなかった、幾つかヒントは有ったが決定的な物じゃない。修験者であり若王子(にゃくおうじ)実篤(さねあつ)と偽名みたいな本名、それとカラス天狗の異名を持つ。

 毒蛇を扱うらしいが、この時代で毒蛇って微妙だよな。一応解毒薬?いや、それはゲームの中の単語で実際は抗毒血清だっけ?でも噛まれた蛇の毒性により種類が違うから万能の抗毒血清は無いんだよな。

 

「毒蛇?あれ、知り合いに居たぞ。凄い毒蛇通が、いや毒蛇本人か。伊集院阿狐ちゃんに聞けば毒蛇関連は分かるけど、接触は難しいよな」

 

「榎本さん?他の女の事を私の前で言うとは勇気が有るわね?」

 

 しまった、彼女も敵対する御三家の当主だ、迂闊だったな反省……

 

「ゴメン、悪かった。でも毒蛇と言えば阿狐ちゃんだろ、八郎の扱う毒蛇は種類が分からないと抗毒血清が用意出来ないんだ。まぁ大きな病院に行けば大抵揃っているから大丈夫かな」

 

 即効性の有る毒でもメディカル胡蝶なら大丈夫だろう、だが他の連中は違う。もしも一子様とか高槻さんが噛まれたら、胡蝶で治せるだろうか?

 考え事をしていたら一子様の携帯電話が鳴りだした、着信音が黒電話とは女性として珍しい。僕は除霊中は無音のバイブレーター機能で、その他は黒電話にしている。

 短い言葉を交わしている、相手はイケメン四人組の猟犬だっけ?

 

「榎本さん、八郎が現れたわ。場所は三笠公園内、記念艦三笠の前よ」

 

「何だって?此処から1km圏内だぞ、見付かったのも確信犯的な行動じゃないのか?」

 

 三笠公園は日本の都市公園百選と日本の歴史公園に選ばれた横須賀市有数の観光地だ、その中で記念艦三笠は目玉の観光スポット。

 日露戦争で活躍した連合艦隊の旗艦だ、東郷平八郎大将が座乗した……

 

『そんな観光豆知識など要らん、早く行くぞ!』

 

「一子様、行きましょう。ここは僕のホームグランドだ、ノコノコと出て来て無事で居られると思うなよ」

 

「そうね、罠を疑って尻込みをしても意味は無いわ。行きましょう!」

 

 ここからタクシーを捕まえて行けば五分で行ける、猟犬達も貼り付いて監視しているから上手く行けば接触出来る。罠でも食い破るしかない。

 



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第282話

お待たせしました、難産でしたがなんとか掲載出来ました。次回は未定です、年内には何とか……年度内には完結を目指します。


 今まで逃亡を続けていた八郎が神奈川県に現れたと思ったら、僕のホームである横須賀市で発見された。

 どう見ても罠だ、罠なのだが後が無い一子様としては追いかけるしか選択肢は無い。

 既に後継者候補は三人しか残って無く、一子様は一人も食べて居ない。その分は僕が四人も食べたからだ、反省はしてないが後悔もしていない。

 

 場所は三笠公園、日本の都市公園百選と日本の歴史公園に選ばれた横須賀市有数の観光地だ。その中で記念艦三笠は目玉の観光スポット。

 日露戦争で活躍した連合艦隊の旗艦だ、東郷平八郎大将が座乗し日本海海戦にてロシア海軍バルチック艦隊と戦い勝利し記念艦として今日まで保存されている。

 栄光ある戦艦だが、その晩年には色々と問題が有る事は有名だ。日露戦争が終結し修理の為に佐世保港に寄港したが……

 

 水兵が弾薬庫の前で信号用アルコールに火を付けて匂いを飛ばして飲むという悪戯の最中に弾薬庫に引火し大爆発、死者339人をだして沈没した。

 戦争では旗艦として活躍し敵を倒して日本を守った戦艦も、水兵の悪戯が原因で沈没するという悲劇。

 海軍凱旋式には戦艦敷島が代わりに旗艦となった、修理には三年掛かり1908年4月24日に連合艦隊旗艦に復帰。

 

 第一次世界大戦では目立つ活躍も無くワシントン軍縮条約により廃艦が決定、1923年9月20日に帝国海軍から除籍された。

 だが日本国民に愛されてた戦艦三笠は国民の嘆願により解体を免れて記念艦として横須賀にて保存が決定した、世界で唯一現存する前弩級戦艦である。

 

『くどいぞ、その観光豆知識は要らぬと言っただろうが!』

 

『いや、日本人として言わねばならない情報なんだよ!ちゃんとタクシーに乗って現地に向かってる最中だから良いじゃんか』

 

 現在は事務所から飛び出して流しのタクシーを捕まえて三笠公園に向かっている、駅前を通過し134号線に合流。三笠公園入口の交差点に入り神奈川歯科大学の前を通り抜ければ到着だ。

 

「運転手さん、お釣りは要らないよ」

 

 公園入口の手前でタクシーを停める、720円の基本料金に対して千円札を渡してタクシーを降りる。お釣りも領収書も受け取らずにタクシーから降りると正面に東郷平八郎の銅像が見える。

 その先には広場となり右手側に売店が有り、その先に接舷された戦艦三笠が見える。 更にその先には東京湾唯一の猿島に渡る観光船の船着き場が見えるが……

 

「八郎の気配は無い、この付近に霊能力者は居ないよ。また逃がしたかな?」

 

 感知範囲には八郎どころか霊能力者すら居ない、また攪乱する作戦か?焦りは隙を生みやすい、八郎は一子様を焦らせて最悪の隙を突く作戦か?

 目の前には走りながら近付いてくる『猟犬』のイケメン四人しかいない、彼等が奴を発見し通報してきたのだろう。

 周囲を警戒するが敵意も感じない、此方を散々引っ掻き回してくれるな。自分でも焦りを感じる、これだけ挑発されても相手は尻尾も掴ませない。これは不味い流れだ……

 

「一子様!」

 

 猟犬が整列する、悔しいがイケメンは息が乱れてもイケメンだ。イケメンは悉(ことごと)く滅べば良いんだよ。

 

「それで、八郎は何処に行ったのかしら?」

 

 それなりに周囲に一般人が居る中でイケメン四人組が揃って頭を下げる相手は絶世の美女と筋肉ダルマの野獣だ、当然だが視線が集まるので周囲を見回す事で視線を逸らせる。

 

「それが猿島に向かうフェリーに乗っているのを確認しました」

 

「奴は一人だけの単独行動でした」

 

 猿島だと?一人で逃げ場のない無人島に行ったのか?

 

 猿島は東京湾に浮かぶ大腿骨に似た形をした自然島だ、僕も何度か結衣ちゃんと観光に行った事が有る。

 周囲約1.6km、三笠公園からは2kmも離れていない。フェリーなら約10分で到着する、狭いとはいえ自然豊かな場所だから隠れる場所も豊富だ。

 日蓮にまつわる逸話も多く、過去には霊場としても有名な島だった。我々霊能力者にとっては色々と仕込める場所であり、先行されたならば罠を張っている可能性が高い。

 

「一子様、どうする?罠の可能性が高いぞ、てか確実に罠だな」

 

「罠でも飛び込まないと目的は果たせないわ、行きましょう!お前達も同行しなさい」

 

 イケメン猟犬四人と僕と一子様だけでか?猟犬は霊能力者ではない、一子様と僕の六人だけだが大丈夫か?本当に不味い流れだぞ、一子様の焦りがヒシヒシと伝わってくる。

 

『正明よ、誘われているなら乗るべきだ。罠など食い破れば良いのだ、八郎は九子と違いパワーアップはしていない。我々だけで十分に対応可能だぞ』

 

『胡蝶が言うなら乗り込むけど、猟犬達四人は大丈夫かな?』

 

 彼等は鍛えてはいるが一般人枠だ、霊能力者と渡り合えるかは疑問なのだが……八郎の能力も解明されてないし不安が募る。

 自分の装備を確認する、特殊警棒二本と背中に仕込んだ大振りのナイフ。陰陽道の防御札と式神札、それと清めた塩だけだ。胡蝶に悪食、それに式神犬である赤目と灰髪だけか。

 

「ちょ、一子様!慌てないで」

 

 目を離した隙に観光フェリーの舟券窓口に猟犬を並ばせて、自分は売店で何かを買っている。手に持った品物はミネラルウォーターの500mlペットボトルとタオルか、確かに無人島だし必要かな。

 買い物を済ませて猟犬の一人に荷物を渡した、この辺は女王様だな。全員分の舟券を買って貰いフェリーに乗り込む。

 

 乗客は我々六人だけで直ぐに出発した、往復1300円で片道15分の船旅だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 往路の船旅、乗客は我々だけだ、30人乗りほどのフェリーは屋根しか無く窓は硝子が入っていない枠だけだ。潮風を感じて外の景色を見ろって事だろうか?

 途中で復路のフェリーとすれ違うが乗客が誰も乗っていない、つまり八郎は未だ猿島内に居る訳だな。何処かに隠れて罠を張っている可能性が高い、探すにしても手付かずの自然島だ。

 原生林に隠れられたら見付けだすのは無理だな、感知は出来ても逃げられたら追いつけるか分からない。僕は都会派の霊能力者だからサバイバル術は学んでいない。

 

「あと五分で猿島に到着します。忘れ物の無い様に注意して下船して下さい」

 

 船内アナウンスに従い乗り降り場所の船尾に移動する、近付く桟橋とその先に見えるには島内唯一の売店と食堂。それに海水浴場として整備された砂浜、あとはハイキングコースの入口か……

 船が桟橋に横付けされてロープで固定される、僕が警戒しながら最初に降りる。まぁ人目の有る場所で襲って来るとは思わないが注意が必要だ、木製の板を並べた簡素な桟橋は陸地まで30m程伸びている。

 僕が先頭を歩き次に猟犬二名、一子様が続いて最後尾にも猟犬二名の一列で歩く。

 

「あれ?復路の客を乗せずにフェリーが出航したぞ」

 

 おかしい、フェリーは到着すると復路の客を乗せる為に30分は停泊する筈だ。乗客が居なくても出航の時間を変える事は無い。

 気になって周囲を確認すれば、売店も食堂もシャッターが閉まっているし周囲に誰も観光客が居ない。フェリーが運行している限り売店や食堂が休む事は無い。

 今更違和感に気付いた、フェリーの1時間に一往復しかしない運航時間の違い。直ぐにフェリーが出航して後を追える事の異常さに気付けないなんて……

 

「不味いぞ、罠だ!僕等はこの島に隔離されたぞ」

 

 追い込んだんじゃない、追い込まれたんだ。

 

 不意に後ろを歩く猟犬の一人が倒れた、見れば胸から血が滲んでいる。発砲音は聞こえなかったが、ライフルによる狙撃か?

 

 一瞬だけ体が硬直し背中に嫌な汗が浮き上がる、此処で立ち止まれば何もせずに殺される。直ぐに気持ちを戦闘用に切り替える、先ずは身を隠す事が最重要だ。

 

「銃撃だ、売店まで逃げるぞ!」

 

 猟犬の三人が取り囲んで守る一子様を強引に抱きかかえる、ここで動かずに警戒しても無駄だ。

 

 一子様を抱きかかえて売店に走り出す、桟橋は身を隠す障害物がなにも無い。素早く周囲を見回すが狙撃が出来るポイントは向かい側の山の中しかない。

 先ずは身を隠す事が重要、撃たれた猟犬は残りの三人が担ぎあげていた。何か所か桟橋の木板が弾け飛ぶ、やはり狙撃だ。僕等は霊能者として戦っているのに近代兵器を使うな!

 

「オラァ!」

 

 鍵の掛かっていた扉をヤクザキックをかまして破壊し、そのまま中に転がり込む。店の奥のレジ台の後ろに回り込み入口を警戒し、抱きかかえていた一子様を下す。

 応援を呼ぶ為に電話しようと携帯電話を開けば、圏外だと?ジャミングされているのか、相当準備をして誘い込んだのか?

 

 数秒遅れて猟犬が売店に転がり込んでくる、狙撃された男を近くの床に寝かせて傷の確認するが……

 

 レジ脇に置いてあったLEDライトを取り出す、小型のキーホルダータイプで猿島のロゴが書かれている安っぽい物だが使えるかな。

 口に手を当てるが、既に呼吸をしていない。親指と人差し指で瞼を開き眼球を照らす、睫毛反射・対光反射(直接反射、間接反射)が無い。

 胸に直接耳を当てて心音を聞こうにも音がしない、多分だが即死に近かったみたいだな。狙撃された傷跡を見れば左胸から銃弾が入り背中に抜けたのか。

 

「即死に近いから苦しまなかったと思う、気休めだけどさ。それと携帯電話が使えない、電波妨害までしてくるとは相当準備していたな」

 

 開いた瞼を閉じる、名前も知らない男だったが死に顔は穏やかだ。多分だが何も分からない内に亡くなったのだろう。

 

「井上、仇(かたき)は取るわ。必ずね、だから先に地獄で待っていなさい。直ぐに八郎達を叩き落とすから」

 

 一子様が井上と呼ばれた男の額に手を当てて、彼の死を悼んでいる。だが襲撃は終わらない、僕等は敵の罠に入り込んだ獲物だ。生き残る為に八郎を殺すしかない。

 売店はガラス貼りで敵が侵入してきたら防ぎ様が無い、気休めに商品棚やテーブルを窓際に並べる。中の様子が分からないだけでも効果は有る。

 後は使える物を物色する、玩具のLEDライトだと心細いので海上自衛隊仕様のマグライトが有ったので全員に配る。猿島は旧日本海軍が基地として使用していた戦争遺構だ。

 防空壕や地下通路、閉鎖されているが旧発電所や兵舎も残っているので照明器具は必要だ。

 

「観光地だからな、武器になりそうな物は少ない。怪我した場合を考えてタオルやウエットテッシュ、ミネラルウォーターとか鞄に詰めて持ち出すよ」

 

 僕が外を警戒している間に猟犬が売り物の鞄に必要な物を詰め込んでいく、それと事務所スペースに簡易キッチンが有り包丁を持ち出してきた。

 タオル・ウエットテッシュ・ミネラルウォーター・マグライト・ライター・ガムテープにチョコレートとかの菓子類、それに武器が包丁か。対人なら包丁でも戦えるか?

 

「室内では消火器も十分な武器になる、煙幕や目潰しだね。売店に立て籠もるのは心許ないな」

 

「榎本さん、こんな物が有ったけど使えるかしら?」

 

 む?防犯用カラーボール発射装置だと?

 

「コンビニとかで置いてある防犯用カラーボールをガス圧で打ち出すのか、異臭と特殊塗料を付着させるのか。装填は二発で飛距離は15mか、コレは使えるね」

 

 この手のカラーボールは直接犯人に当てても割れないから地面に叩き付けて飛沫を付けるか、逃走する車に当てるのが普通だがコレは直接犯人に当てられる。

 しかし売店で武器を探すとか、何処のパニック映画だよ。ゾンビ相手なら祓う事も出来るけど、相手は銃を持った人間だぞ。

 何故か軍手が置いてあったのはバーベキューとかで使うからかな?一応着火剤も持って行く事にする、流石に放火はしないが何かに使えるかも知れない。

 

 各々が黙々と準備をしている、簡易バリゲードの隙間から外部を伺うも敵は近付いてこない。無警戒に接近してくれば、雷撃を喰らわせて倒す予定だが上手くは行かないか……

 

「榎本さん、このまま籠城してもジリ貧じゃないかしら?」

 

「そうだね、ジリ貧だけど迂闊に外に出れば狙撃されるよ。消火器を使って煙幕を張っても難しい、ハイキングコースに逃げ込んで身を隠すか敵を探すか迷うな」

 

 売店から食堂に抜けて、その後方のハイキングコースの入口までは15mは有る。幾ら消火器で煙幕を張っても煙幕ごと撃たれたら当たる確率は高い。

 だが夜陰に紛れるにしても未だ昼間だ、そんなに此処に居座るのも難しい。銃器で武装している相手に、一子様を守りながら勝つのは難しい。

 

「我々が陽動しますので、榎本さんは一子様とハイキングコースに逃げ込むのはどうでしょうか?」

 

「2km程度なら泳いで渡れます、いくら妨害電波を出しているとしても島から離れれば大丈夫でしょう」

 

「此処にいても時間ばかりが過ぎてしまいます、敵が近付いて来ないのは榎本さんを恐れているからでしょう。なので積極的に接近すべきです」

 

 流石は忠犬、いや猟犬か。確かに居座っても時間が経つだけで意味は無い。だが猟犬三人を囮としてハイキングコースに逃げ込んでも状況は好転しないぞ。

 身を隠す場所が無いし土地勘も無い、一応だが猿島MAPは見つけたがデフォルトしてるから大まかな位置しか分からない。

 

「どっちも分が悪い賭けだよ、出来れば此処で一子様を守って貰い僕だけが攻め入る方が効率的だが……」

 

「嫌よ、私も榎本さんと一緒に行くわ」

 

 そうだよな、八郎を食わないと駄目な一子様が僕と別行動など受け入れないよな。また九子が現れて折角倒した八郎を奪われるのが嫌なんだ。困った、進退窮まったって奴だな。

 

『待て正明、お前のサバイバル技術は凄いが敵は生きた人間じゃないぞ』

 

『生きた人間じゃない?だが銃撃だぞ、霊体が銃器を使うとか聞いた事が無い』

 

 しかも一人じゃない、桟橋で撃たれた時は少なくとも二人は居たと思う。連続で射撃は可能かも知れないが1秒未満で桟橋の床板に穴が開いた。

 機関銃とかなら可能だが、単発の狙撃ライフル銃では1秒未満で連射は不可能だと思うんだ。それに狙撃の腕は未熟だった、プロの暗殺者じゃないとは思ったが霊体?

 

『八郎はライフルで武装した霊体を操れる?そんな事が出来るのか?』

 

 不味いな、一子様を守りながら霊体スナイパーを探して倒す。人間と想定して動く事が出来ない、霊体など神出鬼没だから此処に籠っても防げないじゃないか!

 

 



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第283話

長らくお待たせしましたが連載を再開します。三日間連続投稿し、次話は7日から毎週月曜日に投稿します。本編完結まで9話、それ以降はIF END で何話か考えています。
完結までお付き合い、宜しくお願いします。


 八郎を追い詰めたと思ったが、逆に東京湾唯一の無人島に誘き寄せられて追い詰められた。

 妨害電波なのかスマホは使えない、逃げ込んだ売店の事務所の電話も使えない。唯一の移動手段であるフェリーも八郎の管理下に置かれている。

 奴は逃げ回っていたんじゃなくて、僕の本拠地で罠を張って待っていたんだ。

 地元なら負けない、自分の方が詳しいと油断を誘ったんだ、僕等はまんまと八郎の罠に嵌った。

 

『ねぇ、胡蝶さん。霊体ってさ、ライフルとか扱えるんだ?』

 

 売店の窓際に移動し、カーテンの隙間から外を伺うが敵は見えないし感知範囲内にも居ないみたいだ。

 

『可能だろ、前に日本刀に取りついた悪霊とチャンバラ擬きの事をしたじゃないか。だが今回の奴は撃たれた銃弾も霊体だ、故に弾切れはなさそうだな』

 

 日本刀を持った悪霊?僕が狂犬と呼ばれていた時代に、夜な夜な古戦場に現れた戦国時代の悪霊の事か?でもあの日本刀は実体が有った、錆びだらけだったけど……

 たしか落ち武者狩りに有った連中の刀剣類が刀塚に纏めて納められていて、その供養をしていた家族の相続問題で放置されて御霊が悪霊化したんだ。

 強い怨念を宿した一本の日本刀が落ち武者狩で無念の死を遂げた持ち主の霊を呼び込んだんだ。確かにボロボロの日本刀を使い襲ってきたが祓ったら更にボロボロになり朽ちた。

 

『付喪神みたいな存在か……物に宿る霊体を操るとなると、犬飼一族の犬の使役霊より強力だぞ』

 

 プロの狙撃手でなく生前ライフルを使っていた死者の霊を使役している、だから狙撃の腕は生前の技量に準ずるんだな。

 これって職業軍人や暗殺者、競技ライフルの上位者やプロのハンターとかの連中だったらヤバかった。

 理屈で言えばもっと強力な武器でも可能なのか?例えば対戦車ライフルとかバズーカ(携帯式ロケット弾発射器)や最悪の場合は戦車とか……

 

『バイクや車に宿る悪霊も居る、戦車だろうが戦闘機だろうが理屈的には可能だろうな』

 

『八郎の能力は対人戦としては最悪な部類だな、今狙撃している連中以外にも居ると思った方が良いだろう』

 

 何故、これだけの力を持ちながら三人に減るまで当主争いに参加しなかったんだ?三郎や六郎なら十分に勝てるぞ。

 

「榎本さん、どうするの?別行動は嫌よ、私も一緒に行きますからね」

 

 外の様子を伺いながら胡蝶さんと脳内会話をしていたら、不安そうな一子様が腕に抱き着いて来た。彼女を守りながらライフルを扱う悪霊を祓う。

 祓う為には存在を確認し、接近戦を仕掛けるしかない。雷撃の有効射程範囲は精々15mから20m、ライフルの有効射程距離は30口径で300m位だっけ?

 だけどライフル弾の最大到達距離は3000m位は有る、島の高台からなら何処でも狙撃できる。いや障害物が多いから無理か?

 

 最高標高は40m程度だが島の殆どは森林と岩場、僅かな浜辺は有るが森の中に逃げ込めば狙撃から逃れる事は可能だ。

 先程の猟犬達の提案を考え直す、井上が死んで残りは三人。一人は対岸まで泳いで増援を呼んで来る、囮は二人で僕が一子様を抱えて敵の凶弾から守る。

 猟犬の三人を見る、全員が死をも決意してる。これがカリスマ女帝の腹心か、全員が美形で一人はハーフっぽい美形か。美形は悉く滅べとか言える雰囲気じゃない。

 

「一子様、確かにこのままではジリ貧だ。敵の総戦力が分からないから、ここで籠城しても押し切られる可能性が有る」

 

「そうね、バリケードも心許ないし突入されて乱射されたら負ける可能性が高いわ。時間を稼いでも応援が来ても銃撃されたら負けるから意味が無い。連絡手段を絶たれたのは痛いわ」

 

 囮として式神犬の札が三十枚有る。だが中型犬サイズだと僕等の身体を狙撃から隠す事が出来ないんだ、赤目と灰髪の戦闘体型なら可能かも知れないが切り札だし簡単には切れない。

 流石に鍋やフライパンでは銃撃は防げない、素早く動いて狙われない様にするのが一番だ。最悪の場合は即死級の致命傷にならなければ二発や三発なら当たっても僕は死なない。

 方針は決めた、素早くハイキングコースに逃げ込む。後は障害物を生かして逃げ回り敵を見つけて倒すしかない。

 八郎は一子様を食うから絶対に何処かに隠れている筈だ。問題は此処は戦争遺構でも元海軍基地だから隠れ場所は多い事か……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 嫌な流れを仕切り直す為に脱出方法を話し合う。時間も無いから迅速に、だが独り善がりな作戦では皆が納得しないだろう。

 猟犬達は一子様の安全が最優先で、自分達は死ぬ気だが無駄死には納得しないし認めないだろう。

 何故か一子様が僕の膝の上に座り、猟犬達は僕達と向かい合う様に座っている。姿勢を低くしているのは狙撃に対する安全の為だ。

 

「やはりハイキングコースに逃げ込むしか生き残る手段は無い、だが君達を囮にしても見晴らしの良い此処じゃ各個撃破で撃たれて終わりだ。だから一子様を中心にして全員で逃げる」

 

 先程の銃声から考えて敵は複数居る、二人か多くても三人。狙撃者が三人は危険だ、命中率は低そうだが既に井上が殺されている。下手な鉄砲も数撃てば、だな。

 

「消火器で煙幕を張ろう、視界が悪ければ一子様が狙われる確率が下がる」

 

「応援要請はどうする?やはり一人は泳いで対岸に向かうべきじゃないか?」

 

「島内マップによれば崖に面している場所も有る。一子様を守ってハイキングコースに逃げ込んでから泳いで行けば良くないか?」

 

 む、的確な判断だな。だが海面は障害物が何もない、良い狙撃の的になってしまうぞ。それに増援が戦力になるかと思えば微妙なんだよな、敢えて人員を割く必要が有るかな?

 

「増援は心強いが戦力としてカウント出来る人材を直ぐに呼べるか?見晴らしの良い島だし船で来る応援は直ぐに分かるぞ、下手に人員を割くより全員で八郎を倒した方が良くないか?」

 

 遅かれ早かれ定時連絡が無ければ不審に思って捜索するだろう、僕等の行動は猟犬が何処か他の協力者達に連絡していた筈だ。

 呑気に船に乗って応援に来ても良い狙撃の的だ、FRP製の船では隠れても銃弾は防げない。スチール製でも同じ、軍艦クラスの装甲を持つ小型民間船なんて無い。

 前に乗せて貰った国産の特注品高級クルーザー、イグザルド45コンバーチブルのフルカスタムでも無理じゃないかな?

 

「む、榎本殿より強力な術者が居るかと言われれば二線級の連中ですが……」

 

「僅か四人で一子様を守れるかとは思えません、増援は必要です」

 

「だが定時連絡が無ければ捜索するだろう、四十分前に連絡したから次は二時間二十分後。少なくとも三時間連絡が無ければ捜索を始めるぞ」

 

 三時間毎に定時連絡か、組織って大変だよな。此処を脱出して増員を呼ぶにしても一時間は掛かる、誤差は二時間程度だと悩むな。

 少ない戦力を更に割いて増援を呼ぶか、時間が経てば確実に来る増援を待つか?誤差二時間を長いと取れば増援は必須、後は自分達で大切な一子様を守れる自信が無いか……

 

「危険を犯して増援を呼びに行っても約2kmは泳ぐ事になるぞ、50mを四十秒として約2kmなら二十七分か。結構速いな、水泳が得意ならもっと早いか?」

 

 そもそも狙撃を避ける為に細かく左右にジグザグ動けない水泳は、格好の的にならないか?潜水?何秒潜れるんだよ、息継ぎで水面に上がった時に撃たれるぞ。

 

「最優先は一子様の安全確保だ、我々では心許ない。やはり増援を呼びに行きましょう」

 

「自分は学生時代に水泳部でした、25mで十五秒を切ります。此処からなら二十分で向う岸まで行けますし、もしかしたら途中で携帯電話が使えるかも知れません」

 

「だが今の守りを薄くしてどうする?確実に来る増援を待ちつつ、一子様を守る事の方が大切じゃないか?」

 

 ふむ、猟犬内でも意見が分かれたな。増援二票に現状維持一票、僕は現状維持に一票。つまり同数票か?ならば決定権を持つのは一子様だな。

 彼女の決定には猟犬達は従う、だが僕の意見をゴリ押しすれば何時か不満が溜まり爆発する。こんな極限環境で仲間内で反発とかは控えたい。手堅く彼女に決めて貰おう。

 どちらにしても僕には猟犬達に命令する事は出来ない、一子様を通してなら可能だが仲間内で不満を溜めてどうする?彼等は彼女が最優先で彼女の安全を中心に動く、出来れば目的達成も考慮に入れて欲しい。

 いや、危険度が上がる提案はしないな。それに目的達成の担当は自分なんだ、やはり彼等は一子様の安全のみ考えて動いて貰った方が効率的かな……

 

「応援を出す、賛成二票に反対二票か……同数だし、一子様に決めて貰おう。その方が皆が納得するだろ?」

 

「あら?ズルイわね、女に決めさせるなんて酷い男だわ。でも、そうね……現状の戦力を減らして迄、時間が経てば来る増援を急いで呼ぶ必要は無いわ。今は安全を確保し時間を稼ぐ、そして八郎の捕獲は榎本さんに任せるわ」

 

 チラリと睨まれたのは決定権を委ねた事に対する意趣返しか?だが彼女が力強く言い切った事で猟犬三人には不満は無いみたいだな、僕の責任は重く圧し掛かるが当初の通りだから関係無い。

 今は守り易くする為にも此処からの脱出が重要だ、島内MAPを見て避難先に考えたのがトンネル。此処はレンガ積みのトンネルで中央付近に幾つかの小部屋が有る、弾薬倉庫や兵舎として使っていたらしい。

 利点はトンネル故に出入り口は二箇所しかなく監視がし易いし守りも堅い、まさかトンネルを崩す攻撃など出来ないだろう。敵も僕等を倒す為にはトンネル内に進入するしかない、時間が経てば増援が来て不利になるのだから。

 

 欠点も有る、敵は複数だからトンネルの二箇所の出入り口は見張られる。ノコノコ出て行ったら狙撃されて終わり、つまり完全に袋のネズミ状態だ。数で押し込まれたら厳しいが一子様を守るには最適だろう。

 残りの防御地点は戦前から使用し今も現役な発電機棟、資料館に高射砲陣地跡の建物くらいかな?だが建物に逃げ込んでも此処と大差無い、だから却下だ。武器が有る訳でもないし、選ぶ意味は無いだろう。

 後は避難壕や自然の洞窟も有るが奥行きが短いので簡単に押し込まれる、後は島内MAPでは分からない。森に逃げ込んでも樹木は完全に狙撃から守ってくれない。僕の単独行動なら有りだが一子様を守りながらは無理だ。彼女も山歩きは苦手だろうし……

 

 目的地が決まればルートだが……売店からハイキングコース迄の移動だが机や椅子、パラソルしか障害物の無いウッドデッキ上を20mほど走らなければならない。普段は売店で買った物を食べるスペースだな。

 ハイキングコース入り口は森の入り口だ。左右に樹木が生い茂っているので入り込めれば身を隠す障害物は多い。最初の銃撃の弾道を考えればハイキングコースまで逃げ込めば死角になっている、敵は移動するしかない。

 デフォルメした島内MAPでは正確な距離は分からないが、トンネル迄は200m位だと思う。緩やかな坂道になっており途中から明治時代のレンガ造りによる要塞エリアで目玉観光スポットだ、某天空の城の雰囲気と似ているらしい。

 

 レンガ積みの要塞部分は道が折れ曲がっている、これは侵入者対策だろう。直線だと直ぐに重要地点に到達されるから時間を稼ぐ為と、見通しを悪くして警戒させて進軍速度を落とす為かな?僕等にとっては厄介だ、敵が潜んでいる可能性が有る。

 途中に明治時代に建てられた煙筒(えんとつ)の有る発電機棟が有る、当時は石炭を燃やして発電していたが今は軽油かな?流石にコストが掛かるから海底ケーブルで電気は引いていない。

 その先に資料館が有るが、コレは昭和の大整備で作った物で観光コースの休憩所としての役割も有る。島の文化財的な遺構や歴史的資料を見て下さいって配置だな。だけどトイレが無いのは失敗だと思うんだ。

 

 公衆トイレは船着場の売店にしかない、他は我慢しろっていうのか?いくら自然を守る為とはいえ、野外で済ませちゃう連中は多いと思うぞ。特に男の場合は大人も子供も小さい方は野外でも楽に出来るから……

 トンネルを抜けると断崖絶壁を階段で降りて岩場に出れる、海鳥の繁殖地になっているので上手くすれば可愛い海鳥の雛が見られる。あとは鎌倉時代に日蓮聖人が修行した洞窟だ、現在の千葉県から鎌倉に布教に行く際に嵐となり白い猿が猿島に誘導し難を逃れた。

 猿島の名前の由来となる出来事らしい、更に嵐が収まる迄の間に滞在し修行した洞窟が見学出来る。日蓮聖人は安房の国、房州(ぼうしゅう)だから今の千葉県鴨川市の小湊(こみなと)の出身。

 

 千葉県鴨川市にある日蓮宗の大本山、清澄寺(せいちょうじ)から鎌倉に布教に行ったのか……僕も僧籍に身を置く者だから知識は有る、他宗派関係者から結構な回数の襲撃を受けたんだよな。松葉ヶ谷法難や小松原法難は有名だ。

 結局の所、時の幕府に他宗派との公場対決を願ったが結果は負けた。死罪は免れたが佐渡へ流罪となるんだ、この三年間の流罪中に『開目妙』や『観心本尊妙』を著述し『法華曼荼羅』を完成させた、人生の契機だったのだろう。

 

「思考が逸れた、準備をして売店を出るぞ。行き先はトンネル内に有る弾薬倉庫と兵舎だ、堅牢で出入り口は限られるから敵も攻め込むには姿を晒す事になる。反面僕等も袋のネズミだが増援を待つには最適だ」

 

「消火器を撒いて視界を悪くしましょう。一子様を中心に先頭を榎本さん、左右と後ろは僕等が守ります。最悪は榎本さんが一子様を抱えて逃げて下さい、僕等で肉の盾になります」

 

「そうだな、悔しいが戦力の要は榎本さんだ。僕等は一子様を守る事に専念するだけだ」

 

 逃げる際は後ろが一番狙われ易い、それを自分達で担い身体を張って盾になるか……イケメンは悉く滅ぶべきだと考えていたが、彼等の忠誠心は本物だな。命を賭けられるのなら信じるしかないだろう。

 僕に向ける嫉妬の視線は気にしない、イケメンに熱い視線を送られても困惑しか無いよ。全く勘弁して欲しい。一子様も感動した様子で彼等を見ている……あれ?視線が三角関係じゃないか?

 猟犬→僕→一子様→猟犬だ、嫌な関係図だな。うん、この件は忘れよう。そっと視線を逸らして窓の外を伺う、今は攻めて来る感じはしないが残された時間は少ない。

 

「念の為に背中に雑誌とかまな板とか仕込んでおくんだ、気休めだが……ん?銃弾も霊体、防御札って利くかな?念の為に仕込んでおいてくれ」

 

 気休めかもしれないが自作の防御札を全員に渡す、上手くすれば利くかもしれないし精神安定剤位にはなるかな?

 



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第284話

 八郎に猿島に誘い込まれて、幽霊スナイパーに襲われている。此方の被害は猟犬の一人、井上が射殺された。

 猿島唯一の売店に逃げ込んだがジリ貧だ、プレハブ造りの売店の壁では銃弾は防げない。ダメージ覚悟で攻め込まれたら一子様を守り切る自信がない。

 いや僕が肉の盾として守れば霊体銃弾でも数発は守れるが、何発も撃たれては保たない。八郎に辿り着く前に射殺体となり負けるだろう。

 

 応援を呼ぶにも御丁寧に携帯の電波を妨害している、近くには米軍基地も海上自衛隊の港もあるのに電波妨害?相当の下準備をして僕等を誘い込んだんだ。

 先代当主、加茂宮保(かもみやたもつ)の仕掛けた次期当主選抜の為に仕掛けた兄弟姉妹を使った蠱毒を仕掛けた。自分の子供達を競わせて共食いさせて最後の一人を後継者にする。

 人として親としては最低の部類だが、日本霊能界の御三家の一角の当主として家の存続の為には正しい。古参の亀宮と新参の伊集院、気を抜けば勢力減少待った無しだったのか?

 

 亀宮さんは勢力争いに積極的じゃないけど御隠居衆は違ったもんな、今回の件でも相当な要求をしたみたいだし。星野家とか星野家とか……

 八郎を一子様に食わせる事が出来れば、能力の底上げは可能だ。多分だが九子との戦いは熾烈になるから一緒に戦う事は不安を感じる、守り切れる自信がないし何より……

 

『何より我が食うからだ、奴には借りが有る。我が直接引導を下さないと気が済まぬ』

 

『いきなり思考に割り込まれると驚くぞ!それと此処を出て新しい篭城先に移る、トンネル内にある旧日本海軍の弾薬庫か兵舎だが堅牢だし敵の侵入ルートを限定出来る』

 

『ふむ、前門の虎後門の狼か……確かに狙撃は防げるな、直進の筒であるトンネルなら姿を見せないと銃撃出来まい。どちらにしても我等は接近戦を挑まねば駄目だからな、誘き寄せるしかない』

 

 切り札の雷撃の攻撃範囲は精々10m、それ以上だと命中精度が下がる。攻撃力特化の単発雷撃と、広域制圧の拡散雷撃。これが勝利の決め手になるだろう。

 赤目に灰髪は強力だが、九子には食われる可能性が有るから接近戦は仕掛けられない。他の式神犬は大丈夫だが牽制程度にしか使えない。

 特注品の特殊警棒に大振りのナイフ、式神擬態の胡蝶が使える戦力だ。霊能力戦に霊体でも銃とか持ち込むなよな、三郎なんて地雷まで用意していた。法治国家日本でだぞ、どんな入手ルートだよ?

 

「榎本さん、準備が出来たわ」

 

「良し、ジグザクに走ると陣形が狂う。真っ直ぐに全力でハイキングコース入口まで走るぞ」

 

「了解です。もし最後尾の僕が倒れたら見捨てて走れ、そしてケリィが代わりに最後尾を守れ。清須は最後まで一子様と行動を共にしろ」

 

「本庄、お前……」

 

「リーダー……」

 

 猟犬全員の名前が分かった。亡くなった井上にリーダーの本庄、多分サブリーダーの清須。そしてハーフだと思っていたのがケリィ、彼が一番下っ端みたいだな。

 確かに最後尾は一番危険だ、敵に背を向ける訳だから。それをリーダーが率先し、もしもの時にサブに引継ぎ指示をだしておくか……

 本来ならリーダーは最後迄生き残って欲しい、まぁ彼等の決めた事だから尊重はする。もしかしたら事前に役割分担は決めているのかもしれない。一子様の配下って狂信者ぽくって怖いや。

 

「狙撃は山側からだと思う、そっちに消火器を噴いて視界を霍乱する。残念ながら少し風が有る、気持ち右側に噴いて風の流れで拡散させよう」

 

 僕の説明に全員が頷く、さて行動開始だ。消火器の黄色い安全ピンを抜いてホースを外して手に持つ。入り口に築いたバリゲートごと蹴って扉を開け、そのままレバーを強く握り消化剤を噴霧する。

 思った以上に勢い良く白い消化剤が散布されるが噴霧距離は3mか4m程度だ、ホースを左右に振って拡散するが十五秒程度で空になった。だが大分視界が白い煙で覆われたぞ。

 空になった消火器を力一杯反対側に投げる、地面に落ちたと同時に狙撃され穴だらけなったが命中率は悪そうだ。

 

「走るぞ!」

 

 掛け声と共に走り出す、両手を顔の前でクロスして頭部を守りながら一子様との距離が離れない程度の速さで走る。もどかしい、僕が一子様を抱えて走った方が速いが肉の壁で守れない。

 猟犬達は流石に慣れているのか、彼女の身体が狙撃されない絶妙な位置取りで囲んでいる。ウッドデッキを走り抜けた所で階段が有る、僅か三段程だがスピードが落ちてしまう。

 そよ風でも消火器の煙を吹き流すには十分だったのか煙幕が晴れてしまった、そして狙撃が開始される。足元に着弾して弾けた、命中率上がってないか?

 

「本庄さん?」

 

「おい、本庄?」

 

 叫び声に振り向くと、リーダーの本庄の右肩と右太股から血を流して倒れる所だった。そして倒れた背中にトドメの一発が……クソったれ!

 海老反りに身体が跳ねた後に動かなくなった、助けたいが時間が無い。早くハイキングコースに逃げ込まないとヤラれる。一瞬止まりそうになる足を動かす、今は本庄の犠牲を無駄に出来ない。

 直ぐにケリィが最後尾に移動する。此処からは砂場で走り難い、砂に足元を取られるんだ。残り20mの障害物の無い直線を急いで走る、敵からの狙撃は……止まった?何故だ?

 

 いや、一旦止まったが右側……つまり一子様狙いじゃなく、清須の方に狙撃が集中している。何故だ、何故狙いを一子様から外すんだ?生け捕りを考えているのか?

 ハイキングコースに入った所で一子様をお姫様抱っこして更にスピードを上げる、今度も狙撃が止まった。弾切れか?いや銃弾は霊体だから弾切れは有り得ない。じゃあ霊力切れか?

 ケリィやサブリーダーの清須、僕も十分に狙えた筈だ。なのに一子様を抱きかかえたら急に狙撃が止まるなんて事が有るのか?まさか逃走方面に伏兵でも居るのか?

 

 一子様の頭に右手を添えて守る、整備が行き届いてないのか伸びた蔦が顔に当たって痛い。だが十分に距離は稼げたし、胡蝶レーダーにも反応が無い。取り敢えずは逃げ切れたみたいだ。

 森の中のハイキングコースを抜けると要塞エリアだ、此処は切り通しみたいな谷間の両脇にレンガ積みの壁が有る。某天空の城の廃墟そっくりな風景、レンガ積みの壁に絡む蔦。

 整備はさせているが基本的には当時のままだ、狭い通路を一列に並んで走る。レンガ造りの廃墟の中を美女を抱えて走るとは、映画か漫画の主人公みたいだ。

 

「有った、トンネルだ。中に入るぞ!」

 

 ぽっかりと開いた真っ黒なトンネルに入るのを一瞬だけ躊躇した、地獄への入り口みたいに感じたからだ。僧侶の僕が地獄に入る?笑えない冗談だな。

 地獄落ちは確定している、だが現世に居る内は幸せに生きて老衰で大往生と決めている。結衣ちゃんと結ばれる前に地獄に落ちる事などお断りだ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 レンガ積みのトンネルは湿度が高く温度が低い、驚いた事に人工の照明器具が無いぞ。観光地として整備しているのに出入口からの明かりだけで終わらせているのか?

 警戒しながら小走りに進む、トンネルの天井には空気抜きか採光の穴が開いており昼間は明るい。だが曇りや夜間は視界が悪くなるだろう。もっとも午後五時には閉鎖だから必要ないのか?

 湿度が高いからかトンネル内の床には所々に水溜りが有る、壁はレンガ積みだが床はコンクリートだ。パチャパチャと水音をさせながら中央付近までくると左右に扉を見付けた。

 

 古い鉄製の扉、全体的に錆が浮きリベットが打ち込まれている。取っ手はハンドルを下げて開けるタイプだ。鍵穴が見えるが施錠されているのか?

 もし鍵が掛かっていれば最悪だ、流石に鍵開けは出来ないから壊すしかない。唯一の入り口を壊したら篭城の意味がない。覚悟を決めてハンドルを握り回して扉を手前に引く。

 ギギギと鈍い音がして鉄製の扉が開いた、中から冷たく黴臭い空気が流れてくる。天井に明り取り兼通風孔が開いていて室内を照らす。何もないレンガ積みの壁が剥き出しだ。

 

「少し待ってくれ、安全を確かめる」

 

 右側の扉を開けたままで一人で入る、中は10m四方の正方形の狭い空間。大戦時から有りそうな古びた木製の棚が一つだけポツンと壁際に置かれている。

 壁には今では懐かしい、碍子(がいし)引き配線か?白い陶器の円柱みたいな物が均等に四列並んでいる、そこに引かれた配線は所々切断されていて機能していない。照明器具も裸電球を捻じ込むタイプ?

 残念ながら電球自体が付いてない、電気も通じてないから点かないだろう。左側の扉は施錠されている、同じ様な扉だし間取りだと思うが、何故此方だけ鍵が閉まっている?倉庫か何かか?

 

『正明よ、中に何か有るな。呪術的な何かだ』

 

『呪術的?危険な物かな?状況からして八郎が仕掛けた物だと思う、他には考えられないぞ』

 

 ガチャガチャとハンドルを回しても開く訳が無い、今は一子様の安全確保が重要。先に右側の部屋に避難させるか。

 

「一子様、此方の部屋に入って下さい。隣の部屋に呪術的な仕掛けを感じますので、僕は調べます。ケリィと清須は前後の見張りを頼む」

 

「ちょっ、此処まで来て別行動は嫌よ。私も榎本さんと行動を共にするから」

 

 強引に左腕を捕まれて抱き付かれた、これじゃ護衛も出来ない。一子様は僕から離れる事に不安を感じているな、もう八郎と九子しか当主候補は生き残ってない。

 離れていた時に倒されたら食う事が出来ない、今までの失敗を考えても別行動は嫌だって事だな。幸いだがトンネルは直線で見通しは良いので気を付ければ奇襲は防げる。

 文句を言っても始まらない、掴んだ手に力を集めてハンドルを回して強く引っ張る。すると僕の怪力でハンドルではなく扉と枠を固定する蝶番が音を立てて外れた。此方はビス固定なので弱かったんだな。

 

 枠から外れた扉は盾として使える、感じからして現代の防火扉と同じ確か1.2mm程度の厚みが有りそうだ。合わせても3mm以下、ライフルの弾なら紙程度の気休めだが視線は隠せるし威力は減らせるか?

 昔のニュースで浅間山荘事件でジュラルミンの盾を二枚重ねても犯人の銃撃は貫通したって聞いた事が有る、斜めに持って弾くのも有りか?だが銃弾は霊体だし普通とは違うか?

 

「榎本さん?その凄い力で扉を外したのは良いけど、何を固まっているのかしら?」

 

「思考を止めるのは危険です、片手で鉄の扉を持ち上げているのは凄いが今は一子様の安全を最優先にして欲しい」

 

「ああ、済まない。この扉が防弾の盾にならないか考えていたんだ、ライフルだと10mm位の鉄板は撃ち抜けるから厳しい。先ずは僕が入るから外で待機してくれ」

 

 室内は同じ大きさ同じ作りの部屋だが右隅に不自然にガラクタが積まれている、土嚢袋に脚立に薪みたいな木片に枯葉の詰まったビニール袋か……

 怪しいな、不自然にならない様に周囲に有る物で何かを隠した感じだ。当然だが怪しい気配も同じ場所から感じる。このガラクタの中に呪術的な何かが有る。

 

『胡蝶さん、何か分かる?』

 

『む?反魂(はんごん)の外法みたいだな、此処から何かに繋がっている霊的な絆が見えるぞ。三本だな・・・・・・取り敢えずガラクタを退かすぞ』

 

 反魂?それって死者を蘇らせて操るって事だろ?そんな漫画みたいな事が出来るのか?ゾンビやキョンシー、それともグールみたいなアンデットモンスター?急に変な方向に向かったな。

 取り敢えずガラクタを慎重に退かす、物理的な罠が仕掛けられている可能性も有る。退かした瞬間に弓矢が飛んで来たりとか。犬飼一族の試練で経験したし注意は必要だな。

 

『グールはアンデットモンスターじゃない、ゲームのし過ぎだぞ。奴等は中東の砂漠に生息する悪魔だ、人間の死体や子供を攫って食べる。まぁ実際は盗賊や犯罪者、墓泥棒の別称らしい。お前の蔵書の中のアラブの伝承に書いてあったぞ』

 

 え?胡蝶さん、僕の蔵書とか何時読んだのさ?あれって単にRPGの背景を知りたくてBOOKなOFFのワゴンセール100円で買った本だった筈、未だ読んでないんだけど……

 特に罠は無くガラクタを全て退かした、中には大き目な真っ黒のスーツケースが有った。サムソナイトの軽量タイプだな、同じ物を持っているからわかる。鍵は三桁のダイヤル錠だが当然施錠されている。

 だけどファスナー固定だから、ファスナーの部分を切り裂けば空けられる簡単な構造だ。背中に仕込んだ大振りのナイフを取り出し、ファスナー部分の継ぎ目に突き刺して切り裂く。中に入っていた物だけど、これは何だ?

 

「壊れた古いライフル?メーカー刻印はカルカノM1938?これってイタリア製の軍用ライフルだ、他にはM1カービン?これはアメリカ製の同じく軍用ライフル、他のは服?軍服だ、古いしサバイバルゲームで着る様な第二次大戦中の古い……」

 

『胡蝶さん、これって本物なら第二次世界大戦で実際に使用された物だと思う。これを反魂の素材として使ったって事は、襲ってくる連中は第二次世界大戦中に実際に戦争に参加した連合軍兵士が蘇った事になるよ』

 

『そうだな、戦争経験者とは厄介な亡霊を蘇らせてくれたものだ。人殺しに躊躇しない、日本は敵国だったし日本人は殺す相手だった』

 

 襲ってくる霊体の核であるコレを清めれば反魂の法は解除出来る、だが敵は三体じゃない。狙撃の銃弾数を考えれば他にも同じ様な仕掛けが有る筈だ、だが探して処理する暇は無い。

 カルカノM1938に左手を翳す、ギュポって音がしてライフル銃を吸い込んだ。同じ様にM1カービンと旧アメリカ軍の物らしいカーキ色の軍服も吸い込む、これで八郎が仕込んだ三体の亡霊は消滅した。残りは何体居るのか分からない。

 空になったスーツケースの内側に貼られた御札がハラリと落ちてきた、触媒の核を失い御札の効果が無くなったのだろう。陰陽術とも毛色が違う御札だな、何の宗派のだ?

 

「一子様、敵は八郎が反魂の外法で呼び出した第二次世界大戦中に日本と戦った連合軍の兵士の亡霊だ、三体は祓ったが他にも居る。この仕掛けが何処に隠されているか分からない」

 

「戦争経験者の怨霊が敵なの?八郎め、反魂の外法とか禁術に手を出したの?なんて愚かなのでしょう」

 

「八郎批判は後回しだ、敵は核となる遺品が有る限り倒しても蘇るだろう。術者の力量次第だけど、実際に不死身と考えた方が良いかな。全く厄介だ、忌々しい位に有効だよ」

 

 襲ってくる怨霊の事も対策も分かったが遺品探しに時間を割く訳にはいかない、此方の勝利条件は一子様の生存が最優先で八郎の捕縛はその次だ。だが日本人を無差別に襲う連中なら八郎も危険に巻き込まれる。

 奴は既に猿島から逃げ出している可能性が高い、この島自体が隔離された罠だったんだ。まんまと僕等は誘き寄せられた嵌った訳だな。

 だが一子様を殺すだけじゃゲームの勝者にはなれない筈だぞ。その身に宿した力を食わねば意味が無い筈なのに、八郎は自身も危険に晒される罠を仕掛けた?それとも自分は安全な方法でも有るのか?

 

『胡蝶さん、どうしよう?厄介な相手だよ』

 

『ふむ、反魂の外法か……少々難しいが理解出来ない事も無いぞ』

 

 理解?この外法を解除する方法でも探せるのだろうか?だが探す為には島中を動き回らないと駄目で、敵は何処に潜伏してるか分からない。後手後手に、回って危険な状態だぞ。

 

 



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第285話

 八郎が仕掛けた罠、それは遺品を利用した反魂の外法。呼び出されたのは第二次世界大戦時に連合国軍に兵士として所属していた者達だ。

 彼らにとっては日本人は敵国の国民、問答無用で撃ち殺しに来る。既に猟犬の井上と本庄の二人が殺された、残りはサブリーダーの清須と下っ端のケリィだけだ。

 ケリィが敵の銃弾に晒されないのはハーフだからか?見た目は白人に近いから敵国の国民認定はされないのか、何となく不自然だった銃撃の謎が分かる気がする。

 

 胡蝶が八郎の仕掛けた反魂の外法の解読をしている、解除方法は核となる遺品の浄化だが探し出すのは厳しい。此処に隠された物を見付けたのは偶然だ。

 イタリア製の軍用ライフルのカルカノM1938と、アメリカ製の軍用ライフルM1カービン。それに古い多分だがアメリカ軍のカーキ色の軍服を胡蝶が吸い込み浄化した。

 残りは多分だが全部で五~六体だと思う、つまり後二箇所に隠された遺品を見付けて祓わねば奴等は倒せない。猿島は周囲約1.6km、東京湾唯一の無人島で小さいが探すとなると広い。

 

「取り敢えず此処に居ても無駄だ、隣の部屋に移ろう。外した扉は即席の盾として使おう」

 

「私達が交代で見張りをします。榎本さんは一子様を頼みます、最悪は僕等を見捨てて逃げて下さい」

 

「勝利条件は一子様の生存、もう猿島に八郎は居ないでしょう。僕等は罠に嵌められた。悔しいが厳しい状況です」

 

 猟犬の生き残り二人が悲壮な決意を語ったが、夜になれば彼等の力が増すだけだ。長期戦は不利、篭城して増援を待つにしても生き残れるか分からない。

 ライフル銃で武装した怨霊なんて聞いた事が無い、昼間も活動出来るし今の所弱点は核となる遺品の浄化のみ……厄介な相手だ。現代日本では霊能者は銃撃戦などしない、しかも物理攻撃が利かない怨霊。

 八郎め、猿島に隔離したのは街中で銃の発砲音が聞こえたえら警察沙汰の大騒ぎになるから陸地から2km以上も離れた無人島に誘い込んで情報封鎖したのか。

 

 だが八郎が既に猿島に居ない事は疑問だな、奴だって呪いの影響を受けている筈だ。このまま一子様が死んでしまっては力が吸収出来ない、それは当主争奪戦に負けると同義だ。

 つまり今此処で一子様を倒しても力を吸収しなければ、九子に食われる事になるんだぞ。駄目だな、思考が定まらないでブレブレだ。今は生き残る事を最優先にして、八郎が現れたら倒す方向で行動しよう。

 ん?一子様が左腕に抱き付いてグイグイと部屋の中に引っ張るが、僕との力の差で微動だにしない事に怒ったみたいで軽く腕を叩かれた。

 

「早く入りましょう。敵だって私達を見付ける為に動き回っている筈よ、呪術的な探査方法が無ければ目視で探すしかないわ」

 

 扉が無事な部屋に全員で入る、問題は片開きなので扉を開けても吊り元の反対側しか見れない事だ。顔を出せば見れるが相手に見付かる、それでは隠れている意味が無い。幸いだが逃げて来た方は見れるので追跡者が居れば分かる。

 取り敢えず隠れる事が出来た為か全員が床に座り込んだ、コンクリート製の冷たい床が気持ち良い。持ち出したミネラルウォーターを飲む、緊張していたのか500mlのペットボトルを一気飲みしてしまった。

 気が付けば清須が上着を脱いで、一子様が床に直座りしない様に気を配っていた。流石は猟犬だな、気遣いが違う。イケメンに世話をされる美女って、本当に女王様みたいだな。

 

 考えるには糖分が足りない、売店から無断で持ち出したチョコレート菓子を取り出して食べる。久し振りにキノコの山を食べたがタケノコの里と好みの意見が分かれる所だな、僕は両方好きだ。

 手持ちの武器を確認する、特殊警棒に背中に仕込んだ大振りのナイフ。売店から持ち出した包丁は怨霊相手には効果が無い、防犯用カラーボール発射装置も今は使えないだろう。

 バーベキュー用の着火剤は……怨霊相手に浄化の炎は有効だ、燃えやすいガラクタも有ったが量が少ないから焚き火程度しか出来ない。狭い場所での放火は自分も巻き込む事になるから却下だな。

 

『正明よ、奴が使った反魂の外法だが仕組みは大体分かった。山岳信仰は修験者が用いた反魂丹(はんごんたん)の悪用だな』

 

『え?反魂丹って有名な富山の薬売りが広めた食中りや腹痛に利く胃腸薬だよね?黄蓮(おうれん)とか甘草(かんぞう)とか熊胆(ゆうたん)とか、それっぽい霊薬を混ぜた的な?』

 

 反魂の術は平安時代後期の西行が、人恋しさに高野山で人骨から人間を造った話は有名だ。遺品と人骨、似ているがコッチは肉体の無い霊体。

 それにアレは創作なのが濃厚だ、同じ西行が書いた撰集抄(せんじゅうしょう)も近年に西行が書いたという体にして別人によって著されている事が分かったんだ。要は二次創作みたいなものか?

 話が逸れたが名古屋での不老不死の件とは違う、あれは多分だが神話級の相手だった。今回は外法、それも修験者が用いた反魂丹の悪用?

 

『表向きに広めるモノと裏向きに広めないモノが有る、奴は裏向きなモノに伝手が有ったんだな。だが西洋の怨霊を引き込むとは、呆れて良いのか応用が有ると褒めるべきか……』

 

『少なくとも敵対してるんだし現状追い込まれているので褒めたくはない。富山県には霊山である立山連峰も有るし、真言密教で有名な大岩山日石寺も有る。可能性は有ったのか?でも八郎との繋がりが分からない』

 

『今から他の罠を探しても無駄だな、勝利条件は一子の生死。奴が死ねば正明の負け、生き残れば正明の勝ちだ。それには此方も同様の兵士を呼び出せば良い』

 

『同様の兵士?旧日本軍の兵士達を呼び出すのか?』

 

 胡蝶の提案を考えてみる。第二次大戦中に実際に戦争を経験した怨霊に立ち向かえるのは、同じ様に戦争に従軍した旧日本軍兵士なのは分かる。

 敵側が日本人を敵国と捕らえて民間人でも平気で銃撃する様な連中だ、今の戦力では勝つのは厳しい。僕だけなら生き残れるかも知れないが、一子様が死んだらゲームオーバーだな。

 加茂宮一族は九子が当主となり、全ての霊能力者の敵となる。それは避けなければならない未来予想図。だから胡蝶の提案に乗るしかない。

 

『でもどうする?確か途中に資料館が有ったな。あそこなら遺品と言うか、この島で見付かった当時の水筒や薬莢、シャベルやヘルメットも展示されているだろう』

 

『当時の物だからな。持ち主は戦死していなくても寿命で亡くなっているだろう。死者に鞭打つみたいだが、現状では手段を選んではいられぬ』

 

 方針は決めた。第二次大戦中の敵国の怨霊には、旧日本軍の英霊に対処して貰うしかない。安寧な死後の世界から現世に呼び出し過去の大戦の相手と戦わせる。

 自分で決めた割には酷い。だが選べる手段は少なく、効果を考えれば一番良い方法だと思ってしまう。終わったら鎮魂の読経を行いますので協力をお願いするしかないか……

 一子様と目を合わせる、方針は決めたが彼女を納得させないと駄目だ。折角の安全圏を確保したのに僕が資料館に移動しなければならない。此処に残すか、一緒に移動するか?

 

 一子様と生き残りの連中を見れば長距離を走った為に息が乱れているので整えている、戦意は失ってないし体力的にも未だ大丈夫だろう。

 怪しい八郎の動きの意味を考えるのは後回しにして今を生き抜く事をするしかない。幸いだが対抗手段は胡蝶が見付けてくれた。八郎と同じ事をするのが少し不本意だが贅沢を言える状況じゃない。

 行動を移す前に、一子様に説明は必要だ。何でも秘密主義で独断専行は集団行動の中では不和を招きかねない。それは避けるべき問題だ、一子様至上主義の猟犬達も納得しないだろう。

 

「一子様、時間が無いから手短に説明する。八郎が仕掛けた反魂の外法だけど理解出来る、敵は核となる遺品を使い第二次大戦中の連合国兵士を呼び出した。対抗するには此方も旧日本軍の兵士を呼び出すしかない。

幸いと言って良いかは疑問だが途中に有った資料館には当時の遺品が展示されている」

 

「榎本さん、それは死者への冒涜じゃないかしら?」

 

 真面目な顔と口調で返された。彼女は既に安らかな眠りについている英霊達を再び現世に呼び寄せて戦わせる事に嫌悪感が有るのか?自分が生きるか死ぬかの時に偽善じゃなく意見を言える。

 流石は加茂宮の後継者で一の名前を継げるだけの事は有る、霊能力者は心霊関連について色々な考え方が有る。使役霊を良しとしないか、だが他に効果的な手段が無いのも実情。このままだとジリ貧だぞ。

 此処は僕が泥を被って話を進めるしかないな、彼女は拒絶したが僕が強行した。この流れなら一子様の評価が落ちる事は無いが、僕との協力関係は微妙になるかな?でも綺麗事は嫌いじゃない。特に自身の命を賭けている時は本音だろう。

 

「そう思って貰って構わない。だが……」

 

「榎本さん、その方法を実行して下さい。責任は護衛として存在している自分達の不甲斐無さ、足を引っ張る事しか出来無い自分達の所為です。お二方には不本意でしょうが、お願い致します」

 

「ケリィ、清須。貴方達、私に意見するの?」

 

 む?無表情で言葉にも抑揚が無かったが、感じからして相当怒っている。自分の意見に反発した事か?それとも配下に泥を被せる事を嫌ったか?

 不満そうに腕を組んでいるが、感じからして後者だな。不甲斐無い自分に配下が気を遣う事に対して反発した、そんな感じだ。人身掌握術に長けた彼女の事だから、配下に泥は被せない。

 責任を下に押し付ける連中は人望を集められない。瞳術だけでない、猟犬連中は自分の命より、一子様を重要視している。責任転嫁などする者に心酔などしないよな。

 

「一子様、考えている暇は無さそうだ。悪いが君を勝たせる為に、自分が生き残る為に強行させて貰うよ。先ずは核となる物を手に入れる為に資料館に向かう」

 

「榎本さんまで……分かりました。でもこの方法を実行させる判断を下したのは私よ。貴方達じゃない、全て私が決めて私が実行させるの。そこは勘違いしないでね」

 

「一子様……」

 

 ケリィ達が感動で目を潤ませている、確かに上司としては良い部類だろう。中々自分の責任だと言い切れる者は居ないからな。まぁ彼女の一番の強みは瞳術よりも配下との絆や結束かも知れない。

 あのファンクラブと言う名目の狂信者達の集団は怖すぎる。洗脳に近いが、能力使ってなくて普通に美貌で虜にしているし。一般人でも数が多ければ脅威となる、特に情報収集は数の利点は大きい。

 結局の所、一子様に全ての責任を負わせる形になってしまった。ならば確実に勝たねばならない。例え外道と言われても、今は勝ち抜く事を考えよう。

 

「方針は纏まった。では行動に移す。先ずは核となる品物の確保の為に、資料館に向かう。あそこの展示品が使えるけれど、侵入するには奴等に気付かれずに行動するしかない」

 

「発電機棟の先の建物ね。少し距離があるけれど、全員で行くわよ」

 

 確かに戦力を分散させる意味は無い。ケリィを一子様に貼り付けておけば一応狙撃は安全だが一方向しか効果は無い。正面は僕で後ろはケリィ、一子様を挟めば安全率は上がる。

 清須を三番目にすれば更に安全率が上がる。だが左右からの攻撃には無防備、そこは僕の(胡蝶)の索敵能力に頼るしかないか。遠距離からの狙撃に対応する、かなり厳しい。

 最悪は僕が肉の壁として的になり守るしかない。ケリィや清須では一発で致命傷だが、僕ならばダメージは負うが即死は防げる。生きてさえいれば、胡蝶が傷を治してくれる。

 

 

「良し。包囲網が敷かれる前に移動しよう。先頭は僕、次が一子様。次が清須で最後尾はケリィだ。左右の警戒をして、敵が居たら教えてくれ」

 

「急ぎましょう。幸い敵の怨霊は移動は遅いし索敵能力も低そうだから、此処を凌げば十分勝機は有るわよ」

 

「「はい、一子様!」」

 

 一子様の建設的な意見に、清須とケリィのヤル気が増したみたいだな。移動力も索敵能力も未知数なのだが、水を差すのも士気が下がるし余計なお世話だ。

 強力な怨霊の移動能力は正直な所、分からない事が多い。瞬間移動紛いの事も出来るし、空中を飛んで移動する事も出来る。常識では測れない摩訶不思議な連中だ。

 幸いと言うか、今回の怨霊は飛び抜けた異常な能力は無いが、実際に戦争を体験した兵士達だ。平和ボケした僕等が想定するより強いだろう、それが徴兵された一般人でもだ。

 

「外した扉は盾として持って行く、強度的には銃弾は防げないが視界を遮る事位は出来る。じゃ行くぞ!」

 

 直接撃たれればダメージはキツイが鉄製の扉を貫通した後なら威力は下がる筈だ。それに視界を塞げばピンポイントで頭を狙うとかも無理だ。

 狙撃は頭部か心臓を狙って一発で戦闘不能にするか即死させるか、凄腕の狙撃手はそうするらしい。まぁゴルゴな13クラスが居るとも思えないが念の為にだ。

 四人一列で小走りに目的地に向かう、今の所は胡蝶の索敵に引っ掛からない。奴等の移動は徒歩程度とみても良いかも知れないな。ならば勝機は有る。

 

 奴等を倒し、何処かで監視している八郎を見つけ出して倒す。逃げてばかりの奴が直接的な罠を仕掛けて来たならば……

 近くに潜んでいて僕等を始末した後で、一子様を食おうとするだろう。この兄弟姉妹を争わせる蟲毒の呪いに掛かっていれば、絶対に食いたくて我慢出来ない筈だ。

 九子との最終決戦の為にも、自分の能力を高めたい。ならば一子様を食うしかない。最後まで逃げていた八郎の思惑は分からないが、怨霊を嗾けて倒して終わりは無いだろう。

 

 さて、奴は何処に居るのか?何処から監視しているのか?今は感じないが、そろそろ動くだろう。九子が乱入してくる前に何としても倒したいんだ。

 




次話は来週7日から毎週月曜日連載となります。


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第286話

 八郎の仕掛けた罠を食い破る方法、外法と評価してしまった反魂の法を実施する。一子様も思う所があるのだろうが、全てを自分の所為だと言い切った。

 彼女の覚悟を無碍には出来ない。僕の出来る事は速やかに、旧日本兵の遺品を手に入れて同じ反魂の法を使いピンチを乗り切り敵を倒す事だ。

 幸い遺品の場所は分かっているし、反魂の法のやりかたも胡蝶が学んだ。この場から移動し資料館に行き展示物を利用する。

 

 終戦から70年以上経っているのだから、戦後生き延びた人も鬼籍に入っているだろう。安らかに眠る英霊を自分の都合で使役する。最低だが生き延びる為だ。

 だがトンネルの中の弾薬庫から資料館に戻るには距離が有る。此処を抜けて発電機棟の更に先の建物だ。走れば五分弱だが、狙撃を避けての五分の移動はキツイ。

 フランス積みのレンガで出来たトンネルの中を警戒しながら小走りで進む。なんでも現存するフランス積みの建築物は四件だけらしい。

 

 通称「愛のトンネル」も今の僕等からすれば「地獄へ向かう洞窟」だな。全長90m、出口が見えてきた。

 

「トンネルの外に出る。周囲を警戒してくれ」

 

「任せろ、一子様は我等猟犬部隊の生き残りが守ってみせる!」

 

 一列にて素早く進む。先頭は僕で次が一子様、次が清須で最後尾はケリィだ。盾代りの外した扉を右手で持ち斜め前に構える。視界は塞ぐが気休め位の防御力は有る。

 胡蝶さんレーダーでも感知出来ない距離に居るみたいで、少しは安心出来る。接近し触れば食えるのだが複数居るし、食ってる時に他の奴が、一子様を狙撃したら終る。

 彼女は僕と違い急所を撃たれたら即死だろう。そうしたら僕等は負ける、この加茂宮の後継者を決める戦いは、要は生き残りゲームだから……

 トンネルを抜けて切り通しを走る。上からの狙撃にはピッタリの場所だ、左右を警戒しながら進むが敵は感じない。逆に不安になる、奴等は何処にいった?

 

「良し、発電機棟だ。資料館までもう少しだぞ」

 

 要塞施設がチラホラと見える。当時のままの兵舎や倉庫、平時に来ていれば興味津々なのだが今は敵が陰から出て来るのを警戒するしか考えられない。

 

『正明、敵だ。先方100mに二体。急に現れた事を考えると移動方法は生前と同じじゃないな』

 

『つまり壁抜けや瞬間移動も有ってか?僕にも見えた、狙撃して来やがったぞ!』

 

 キラッとマズルフラッシュが見えた。本来は発射火薬が銃口付近で燃焼する現象だが、霊的な銃でも再現するのか?

 咄嗟に盾代りの扉を正面に構える。だが狙撃手としての性能は低いのか構えた扉には当たらず、付近の床石が弾けた。戦争経験者でもゴ○ゴみたいな天才狙撃手は居ないか。

 後ろの一子様も気付いたみたいで、僅かに声を上げたが直ぐに押し留めた。流石に肝が据わっている、普通なら自分が銃の標的になっていると感じたら恐れるだろう。

 

「大丈夫、敵の狙撃能力は低い。移動している目標の命中率は本職の狙撃手でも低いから、気休め位には安心してくれ」

 

「全然安心出来ないわ。でも本当に当たらないものね?」

 

 続けて2回狙撃されたが盾として構えた扉に当たったのは一発だけで、しかも端近くで貫通した。やはり威力は削いでも殺傷能力までは奪えないか。

 発電機棟を通り過ぎて資料館に向かう時に、窓硝子が割れて中から飛び出して来たのは骸骨みたいに痩せ衰えたシャツに半ズボンを履いたイタリア兵か?

 たしか第二次世界大戦の初期は貧弱な装備しか無くて、威力の低い壊れ易い武器を使用していた筈だ。そして奴は僕等の前に躍り出て銃身の長い……不味い、ブレダM30軽機関銃か?

 

「食らえ!」

 

 亡霊がブレダM30軽機関銃を構える前に、手に持っていた扉をフリスビーの要領で水平に投げる。回転する長方形の物体は亡霊を腰から二分割にする。

 そのまま走り出して亡霊の頭を左手で掴み。心の中で『胡蝶、頼む』と思えば、メキャメキャと嫌な音を立てて掌に吸い込んでいった。残されたのは砂まみれて錆付いたブレダM30軽機関銃だけだ。

 多分だが、アフリカ戦線で使用され壊れた物を反魂の法の核にしたのか?見ていると霧の様に無くなってしまった、具現化出来るのは本体が存在してる間で食われれば消滅するのかな?

 どうでも良い豆知識を一瞬だけ思い浮かべたが今は正面から狙撃されている最中で、盾を無くした状態だよ。

 

『正明、建物に入れ。核の反応が有る、奴等が急に現れたのは此処に核が有るからだ。霊的な絆が三本の延びていたが、今は倒したので二本だな。近くで集中しないと見えないのが難点だ』

 

『分かった。近くに来たら自動で迎撃かよ。なんて嫌な事を平気でする、八郎の奴は準備万端で僕等を此処に誘い込んだのは間違い無さそうだ。だが何でさっき通った時は反応しなかった?』

 

「一旦中に入る、このままじゃ良い的だ」

 

「でも、逃げ込んで篭城しても……分かったわ、榎本さんを信じる」

 

 発電機棟の扉は木製で南京錠で施錠していたので、前蹴り一発で扉を破壊し先に一子様達を入れる。狙撃は行われたが、当たる事は無かったのが幸いだ。

 直ぐに突撃されない様に、近くに有った工具を入れている木製棚とスチール棚を倒して入り口を塞いて室内をグルリと見回す。そこそこ広い室内に近代的な発電機がポツンと設置されている。

 近代化により発電機も小型化した為だろうか?隠された核を探す、大して隠す所など無いがパッと見回す程度では見付けられない。怪しい木棚やロッカーは倒した時に中身を確認したが、工具やオイルしか入ってなかった。

 

『ふむ、隠し場所には苦労した様だな。正明、天井の中だ。霊的な絆の細い線が見える』

 

『天井?昔の作りだから点検口なんて無いぞ。アレかな?天井板を外した形跡があるな』

 

 壁に立て掛けてあったアルミ製の脚立を使い四方の釘かビスが真新しい天井板を力尽くで壊す、今は緊急事態なので許して下さい。後で一子様の伝手で必ず直しますから。

 天井板を外し脚立の最上段に登り天井裏を確認する。直ぐ近くに襤褸布に包まれた何かが有る。掴んで引っ張りだす。中には長い物が入っていて襤褸布を巻き付けたみたいだな、結構重いぞ。

 

「何かしら?もしかして反魂の法の核かしら?」

 

「そうみたいだな。嫌な気配がするかと思えば当たりだった訳だ。イタリア製のブレダM30軽機関銃に旧ソ連製のモシン・ナガンのM1891か?M1944かな?それと軍靴の片方?」

 

 軽機関銃に狙撃銃か、核として直球の銃器を使うとはな。だがこれで襲って来た三体は倒した事になる、左手を翳して壊れた二丁の銃と軍靴を吸い込む。最初の狙撃を考えて、残りは多くても三体前後だろう。

 一子様がタオルをペットボトルの水で濡らして首に当ててくれた?なにかと思えば痛みを感じたが、今更痛みがか?自分で触ってみれば確かに粘着性のヌルヌルした感触……あれ?血だ。

 

『落ち着け、正明。直ぐ直すから安心しろ、あの命中率の悪いと思った狙撃だが掠っていたんだな。的の大きい正明だから当たっても不思議じゃないか』

 

『いや、胡蝶さん。首筋に掠るだけでも大問題だったぞ!下手したら頚動脈損傷とか、ヘッドショットでも狙ってたのか?』

 

 ゾッとした。流石の胡蝶でも、頭を吹き飛ばされたら治療など不可能だろう。油断した心算は無いが、何処かで慢心していたか警戒が緩んでいたか。気を引き締めないと駄目だぞ。

 未だ敵は二人も残って居る。八郎を倒しても最大の難敵である九子が無傷で残っている。六郎を食い更にパワーアップした彼女は、一度僕等に負けて逃げ延びた。次は相当警戒し準備をしてるだろう。

 八郎と九子の連携や協力は無い、手を組んだ相手を最後に食うんだ。そんなリスクを背負ってまで共闘する意味は無いし、もし共闘しても倒した一子様はどちらが食うかで揉める。

 

「有難う、一子様。弾が掠ったみたいだね。気を付けないと駄目だ、気を引き締めよう。幸い近くの怨霊は核を失ったので消えた、早く資料館に行って味方の英霊を呼ぼうか」

 

「本当に、気を付けてくれないと駄目よ。私達は二人で生き残るの、それが約束でしょ?」

 

 いや契約です。二人で生き残ってから報酬を考えようって話ですよね?後ろを見て下さい、ケリィと清須が僕を視線だけで殺すって感じで睨んでますから!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その後は問題無く資料館に到着した。まぁ小走りで三分と掛からない距離だったが、近代建築で入り口の扉が頑丈なので苦労した。流石に明日からも遣う硝子の自動扉を壊したら問題だろう。 

 展示物は当時の写真がパネルで展示してあり、世界と日本の動きの比較年表や何故か当時の電化製品や食器類が有るんだ?目的の遺品類は再奥の硝子ケース内に展示してあった。

 錆付いた銃弾に一部が凹んだヘルメット、戦地から家族に宛てた手紙には国を思い家族を思う事しか書かれていない。戦時中だし機密情報とか書けない事も多かったのだろう。

 

『胡蝶さん、この手紙を核に使うのは止めよう。外道な事をするのだけれど、最低限の守るべき事は有る。この手紙に綴られた気持ちは悪用出来ないよ』

 

『生きるか死ぬかの瀬戸際なのに甘い考えだな。だがこの手紙には強い意志が残されている、祖国と同じ日本人を守る強い意志がな。それを使わぬのか?』

 

『それでもだよ。私的な事で失ってはいけないモノなんだ、他にも使えそうな物が有るよね?この薬莢とか壊れた丸眼鏡に、水筒とか双眼鏡とかさ』

 

『やれやれ、日常品にも念や意志は残るが弱いのだぞ。まぁ愛しい下僕の願いだし叶えてやるのが、我の優しさだな』

 

 無言で展示物を見詰めて、胡蝶さんと脳内会話に勤しんでいた。一子様は何も言わずに待っていてくれたが、清須とケリィは急かす様な視線を向けている。

 仕方ない、始めよう。展示物を納める硝子ケースは当然だが施錠してある。開けるには鍵を壊すか硝子を割るかだが、時間が無いので硝子にガムテープを貼って飛散しない様にして軽く叩く。

 ヒビさえ入れば後は破片を外していけば中身を取り出せる。胡蝶さんの霊視では反魂の法に反応してくれそうな物は、ヘルメットに眼鏡と水筒。そして何故か軍票みたいな紙?

 

「核と成り得る物は四つ、それで旧日本軍の英霊を呼び出す。一子様も良いね?」

 

「ええ、構わないわ。私の責任で私が決断したの。それを忘れては駄目よ」

 

 未だ責任は自分に有ると主張している。この辺は凄く義理堅いのだが、ケリィや清須など感動で泣いているよ。男泣きって奴だろうが、せめて涙は拭いてくれ。

 遺品らしき核を取り出し床に置く。後は胡蝶さんが読み取った術式で反魂の法を実践するのだが……この外法を僕が使えるとか知れ渡ったら不味いので、情報操作は一子様に頼もう。もうコレが報酬でも良い位だよ。

 

 西行の伝承では鬼の法術を真似たとされる。先ず断食が必要で一週間飲まず食わずで身を清め無人の荒野に生き返らせたい人の骨を並べる。この時点で今から行う遺品を核とする反魂の法とは違う。

 遺骨に砒霜(ひそう)を塗りハコベとイチゴの葉を練り混ぜ骨に塗し、頭部にはサイカイの葉とクムゲの葉の灰を塗り込む。その後で疊の上に移動させて約一ヶ月放置、最後に仕上げとして母乳を煮ながら祈祷する。

 これで骨に血肉が舞い降りて生き返るらしい。だが今回の邪法は亡霊として使役する為で厳密には反魂の法とは言えない、使役霊の召喚術の方が近い。

 

『胡蝶さん、頼んだ』

 

『ふむ、任せろ……偉大なる過去の武士(もののふ)達よ、子孫の為に今一度現世に身を委ね我等の力となれ……』

 

 胡蝶さんの唱える呪文は、現代風にアレンジされている。仏教の経を読む訳じゃなく、神道の祝詞を唱える訳でもない。途中で理解出来ない言語に変わったが、僕では全く理解出来ない。

 だが効果は確実に現れている。核となる遺品の周囲に金色の粒子が現れ天に昇っていく、神々しい様子だが邪法を使っているんだよね?これ本当に八郎が使っていた反魂の法なの?

 金色の粒子は次第に数が多くなり広がってきた、そのまま直径1m高さ2m位の円柱状となり内部に人の姿が現れ始めた。段々と実体化して半透明の旧日本軍兵士、将校や仕官の軍服じゃないな。

 

 肩章は赤地に黄色の星が三つ、上等兵か?英霊が四柱、静かに立っている。カーキ色の略帽を被り防暑衣を着て、足にはゲートルを巻いている。武装は三八式歩兵銃に銃剣、腰に手榴弾っぽいものが吊るされている。

 あと身長は160cm前後だろうか?意外と背が低いんだな、残念ながら顔はぼやけていて人相は分からない。だが力強さは感じる。現代人では経験出来ない戦争体験者の凄みだろうか?

 思わず息を呑んでしまう。僕は柄にも無く緊張している、今から英霊たる彼等に第二次大戦中の敵国の怨霊を倒す様に頼まなければならないんだ。

 

『そうだ、時間も限られているので早く敵を倒す様に言うんだ。あと、正明の後ろに隠れている男は敵じゃないと言ってはある。術式により、正明の願いを聞く様になっているが今は待機だな』

 

『ケリィの事か……そうだった、敵の怨霊から攻撃されないって事は味方認定だ。呼び出した旧日本軍の英霊からすれば敵国の民間人か』

 

「第二次大戦中に活躍した英霊達よ、当時の敵国の兵士が亡霊となり蘇り我等に危害を加えようとしている。我等を守り敵を討ち倒して欲しい」

 

 緊張して喉がカラカラだが、何とか舌を噛まずに言えた。英霊達は頷くと、三八式歩兵銃を構えて素早く外に飛び出して行く。直ぐに発砲音が聞こえたが、敵側の狙撃していた亡霊が接近して居たのか?

 十発近い発砲音が聞こえた後、音が聞こえなくなったので外の様子を伺う。英霊達が横一列に並んでいるが怪我は無さそうだ。敵を倒したのかと聞けば、頷いてくれた。しかし未だ居るらしい。

 八郎め、何体の亡霊を反魂の法で呼び出したんだ?一柱の英霊が指で指した方向、切り通しから脇道に抜けて坂を上がった先は……

 

「展望台か砲台跡だな。どうやら残りの怨霊と八郎は、其処に居るみたいだ」

 

「榎本さん、最終決戦ね。彼等の力を借りて、八郎を倒しましょう」

 

 ああ、八郎は此処で倒す。だが九子も現れる予感がするんだ。展望台、昔行った事があるが今は老朽化の為に立入り禁止の筈だな。過去には子供向けの特撮ドラマで、敵側の秘密基地にも使われた場所だ。

 八郎さんよ。アンタも其処を秘密の隠れ家にしたのかい?それとも準備万端待ち構えているのか?まぁ良いか、最後の戦いと行こうか?食うか食われるかのね。

 



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第287話

 八郎が使っていた、過去の亡霊を使役する反魂の法をアレンジして偉大なる過去の大戦で亡くなった英霊の力を借りている。呼び出しに応じてくれた英霊は四柱。

 当時の日本の成人の平均身長は今よりも低かったらしく英霊達は身長160cm前後、カーキ色の略帽を被り防暑衣を着て、足にはゲートルを巻いている。良く戦争映画で見る姿だな。

 武装は三八式歩兵銃に銃剣、腰には手榴弾ぽぃ物を吊るしている。肩章は赤地に黄色の星が三つ、上等兵らしい。

 

 この四柱は生前も同じ部隊だったみたいで連携が取れている。敵の亡霊二体を簡単に倒した手際の良さは、初めてとは思えない。当たりを引いたな。

 英霊が山頂の展望台か砲台跡を指差した、物言わぬ彼等の意思表示は敵の居場所を教えてくれたに違いない。砲台跡は円形の基礎だが展望台は鉄筋コンクリート造の2階建て。

 過去には子供向けライダーシリーズの特撮番組で敵側の秘密結社のアジトとして撮影に使用されていた。八郎が隠れるには丁度良い場所だろう。

 

 最終決戦の予感がする。英霊四柱が力強く素早く走っているので、後を追うだけでも大変だ。だが必ず八郎が居る予感がする、いや霊感か第六感か?

 一子様も何かを感じたのか、疑問も文句も言わずに後ろを走っている。整備された歩道から土が剥き出しの獣道を抜けて、石で組んだ階段を登れば少し広い場所に出た。

 奥には朽ちかけて立ち入り禁止となった展望台、その2階展望部分に中年の男が立っている。その周囲には六体の亡霊、その核は展望台の中か?

 

「ほう?お前も反魂の法が使えたのか?しかも敗戦国の兵士を蘇らせるとはな、馬鹿なのか?」

 

「ふざけるな、護国の英霊だぞ!貴様それでも日本人か?」

 

 シニカルな笑みを浮かべる落ち着いた地味目なイケメン中年、コイツが八郎か。岐阜の白山(はくさん)が本拠地の土着信仰の一族。山岳信仰の修験者で本名は若王子(にゃくおうじ)実篤(さねあつ)、カラス天狗の異名を持つ。

 山伏を配下に持つと聞いているが、今回は使役した亡霊だけだ。周囲に他の人間の気配はしない。事前情報では毒蛇を使役するらしいが今回は使用していない。野外で山の中など、今毒蛇を使わないで何時使うの?

 優雅に外部階段を下りて来る。まるで無警戒だと思ったが、奴を取り巻く様に六体の亡霊が動く。軍服を見れば全てアメリカ兵、八郎は世界最強の軍隊の亡霊を自分の守りに残したのか……

 

「久し振りね、八郎。最後まで逃げ回っていたと思ったら、どう言う風の吹き回しかしら?」

 

「ふん、一子か。亀宮を頼るとか、お前には加茂宮のプライドが無いのか?売女には困ったものだな」

 

「他国の亡霊に頼る、お前も日本人としてのプライドは無さそうだな」

 

 三人が三様の嫌味の応酬だが、奴はアメリカ兵の亡霊の配置を変えて、僕も合わせる様に英霊の配置を変える。後は腰のポーチから式神札を十枚取り出す。力は弱いが弾除けにはなる。

 三郎との戦いで実証済みだ。配置としては最前列に英霊四柱、その後ろに僕と一子様。清須とケリィは彼女の左右を守る。あと周囲が林と草むらなので、悪食と眷属を集める。

 奴は毒蛇を操る。何匹か分からないが、悪食は猿島中の眷属を集めつつ自分の影の中からも眷属を召喚出来る。有る意味では最強の昆虫、金属以外は何でも食べる悪食の眷属なら生きた蛇など餌でしかない。

 

「はっ?腐れ坊主め。なにが日本人だ、なにが国粋主義だ。お前等の考えは古いんだよ、歴史有る一族の末裔?カビの生えた古臭い家の因習など糞食らえだ」

 

 コイツ、日本霊能界の重鎮で御三家の一角、西日本を支配下に納める加茂宮一族の当主の一角で、当主の座を独占する為に戦っているんじゃないのか?兄弟姉妹の生き残りゲームの参加者だろ?

 中学生みたいな反抗期に陥った男の顔は醜い、目が血走り口から泡を吐いて怒鳴っている。何かが致命的におかしい、八郎が僕と一子様を罠に嵌めて猿島に誘い込んだのは何故だ?

 散々逃げ回っていたのに最後には自ら警戒網に引っ掛かり、逆に罠に嵌められた。その手腕は認めるし亡霊部隊も大したものだ、此方は仲間の猟犬二人を失った。だが何故最後の詰めが甘いんだ?

 

「祖国を思う心に古いも新しいも無い。それに我等霊能者に古き因習など付きものなのに拒絶するとかさ、その歳で厨二病を患うなよ。それともパクッたバイクで走り出し学校の硝子を割る口か?」

 

「ふざけるな!もう親父の敷いたレールなんて走れるか。俺は一子を食ってアメリカに渡る、新しき大陸で成功するんだよ。古臭い黴の生えた当主の座なんて、九子にくれてやる」

 

 煽ってみたら想像以上に食い付いた。八郎も蟲毒による影響で性格に異常をきたしているのか?楓さん情報だと、前から横暴だったが当主間の抗争が始まってからは特に性格が粗暴になっていったそうだ。

 一子様には今の所は変化が無い。何故三郎や八郎、九子も性格が凶暴化しているのか?謎ではあるが、先代の加茂宮当主でさえ理由は分からないだろう。この蟲毒を使った生き残りゲームは既に破綻している。

 そして八郎だが、まさかと思っていた九子と裏取引をしている可能性が有る。当主の座を九子に譲る、一子様だけ食えれば良い。それを条件に共闘してる?筋は通るが内容は滅茶苦茶だ。

 

 お前達は最後の一人になるまで食い合う様に言われているし、九子もそうだと言った。つまり兄弟姉妹が全員敵で、九子は一子を譲らないし八郎も食う筈だ。お前の計画は最初から無理が有る。

 自分の周囲に悪食の眷属の配置が終った。悪食経由で毒蛇が二十匹位周囲に集まっているらしい、やはり二重の罠か。奴の操る蛇を包囲する様に悪食の眷属が配置されている。その数は一万匹を超える。

 胡蝶レーダーには八郎以外の人間は捉えていない。つまり八郎は人間の仲間を同行していない、準備はさせたが直接的な行動は自分だけで行うのか?九子は影を利用して移動するから、直前まで感知出来ない。

 

「そろそろ決着をつけようか?」

 

「ふはは、面白い。そんな貧相な亡霊で、世界最強の兵隊に勝てるか?所詮は負けた連中だぞ」

 

「国力が桁違いに違う相手に戦いを挑んだんだぞ、誇りに思うだけで卑下したりはしない。今は加茂宮の当主争いの最中だ、其処に変な思惑を混ぜるな」

 

「負け犬、いや負け熊か?じゃあ死ね、最強の軍隊に蹂躙されて死にやがれ!」

 

「また拳銃か?近代兵器に頼るな。お前達は霊能者としてのプライドを持てよな」

 

 またか、八郎も懐に隠していた拳銃を取り出して構えた。何故、霊能力者同士の戦いに銃器を使う?確かに最強の対人兵器かも知れないが、霊能力者としてのプライドは無いのか?

 此方も式神札を正面に撒き散らす、空中で犬神化して即席の盾とし銃撃を防ぐ。悪食の眷属が一斉に毒蛇に襲い掛かり、奴の眷属を無力化する。残された戦力はアメリカ兵の亡霊のみ。

 六体の敵に向かい、英霊達は三八式歩兵銃に銃剣を装備し、発砲せずに突撃していった。二人ずつに分かれ三人の敵に向かい頭を下げて前傾姿勢で走り出す。

 

 凄い、最初の突撃で銃剣で下から掬い上げる様に正確に喉を突き刺す。痩せ細りぼやけた感じのアメリカ兵が刺された勢いで身体が持ち上がる、それを強引に振り解くと首が千切れたぞ。

 無傷の二体が左右からドラム式の短機関銃、M1928を構えてフルオート乱射した。至近距離からの銃撃に怯む事無く、英霊達は銃剣を構えて突撃、胴体に銃剣を突き刺したが……そこで力尽きたのか光の粒子となり薄れて消えた。

 有難う、幾ら胡蝶の力を使えるといっても、銃器で武装した実戦経験の有る本職軍人を六人も相手にしたら勝てなかった。更に一子様やケリィに清須も守って?無理だったな。

 短機関銃の射線が左右に分かれてくれたので僕等は被弾しなかったが、僕も八郎も其方に意識が向いてしまい動きが止まってしまった。『正明、呆けるな!』胡蝶の脳内叫びで我に返る。

 

「英霊達よ有難う。現世の敵は自分で倒す……雷撃!」

 

「ふざけるな、お前の方がファンタジーだぞ。魔法かよ」

 

 八郎は式神犬を撃つ事を止めて、僕は式神犬の制御も忘れた。なんとも間抜けだが、一瞬で意識を戦いに戻して再起動する。

 式神犬を突撃させて意識を向けさせてから雷撃を放つ。八郎は事前に僕が雷撃を使える事を知っていたのだろう、手を向けた瞬間に右側に跳んで避けた。流石は当主の一人、凄い反応速度だ。

 だが雷撃は単発じゃない、連続使用が可能なんだ。逃げた八郎を追う様に、雷撃を撃ち続ける。二発目で背中に当たると雷撃は左足を通り大地に抜けた。そのまま倒れ込むが、此処からが本番だ。

 

「清須、ケリィ!周囲を確認し、一子様を守れ。来るぞ、九子が必ず来る」

 

 一子様を中心に三角形のフォーメーションを組み、ジリジリと八郎に近付く。服は焦げて炭化した素肌が見える、二百万ボルトの直撃だから即死だろう。

 素早く八郎を一子様に食わせたい。だが影の移動が可能な、九子の不意打ちが怖い。一子様が負ければそれで終わり、僕等は敗北する。だから無警戒に近付けない。

 心配のし過ぎだったか?八郎の近くまで辿り付いた、これで一子様が手を伸ばせば八郎を食える。早く食わせて事後処理をしよう、米軍基地の近くで発砲騒ぎとか笑えない。

 

「不味い、八郎ごと取り込むつもりだったか!」

 

 八郎を中心に一瞬で直径5m程の影の円が浮かび上がる。咄嗟に一子様の腕を掴み後ろに飛び去る。

 

「清須?ケリィ?」

 

 だが猟犬二人は間に合わずに、影に足を取られる。既に膝まで埋まってしまった。泥沼に嵌った様に足が抜けず、動くと余計に沈み込む……悪循環だ。

 

「榎本さん、おひさーなのです。八郎を倒してくれて感謝です」

 

「貴様、九子」

 

「ここで倒す、一子様の為にも。僕の為にも、後悔はしない」

 

「五月蝿いです」

 

 影の円の中心に浮き上がる九子だが、禍々しさが増えている。右腕が無くしかも右半身が火傷で爛れている、脅威の回復力でも重度の火傷は治せなかったのか。

 その分凄みがました、右目だけが真っ赤に光っている。清洲とケリィが事務所から持ち出した包丁で攻撃するが、左腕の一振りで弾かれ意識を失ったみたいだ。

 そのまま影の中に沈んで行く。助けたいのだが、九子が僕から視線を外さないので下手に動けない。不味い、八郎の身体も沈んでいく。そして八郎の力を取り込んだのだろう。

 

「きゃは、力が漲ってきた。来ましたよ、今なら榎本さんも美味しく食べれそう。一子は最後、そこで見てなさい」

 

 最後のパワーアップを済ませたのだろう、爛れていた火傷がジュクジュクと蠢き治っていく。今攻撃すべきかとも思うが隙が全く無い。不味いぞ、完全にパワーアップした。

 狂っても女性なのだろう、懐から手鏡を取り出し自分の顔を確認している。完治した事に満足したのか、狂気を孕んだ凄惨な笑みを向けてくれる。何故か右目が赤く光っている。

 

「きゃは、榎本さんにヤラれた傷が治ったよ。右手は復活しないのが残念だけど、これで仕返しが出来るかも。怖い?ねぇ私が怖い?」

 

 正直に言えば怖い。火傷の傷は治ったのに、顔に影が降りて目が光っている。何処のバンパイアだよ?だが右手が復活しないのは良かった、多分だが胡蝶に食われたからだな。

 生き残りの式神犬は僅か、周囲の林の中には悪食と眷属一万匹。だが全然足りない。この正真正銘の化け物を倒すには全く足りてない。

 自分の影から、赤目と灰髪を呼び出す。既に戦闘隊形で左右に侍る、威嚇の為に口を開けて唸っている。胡蝶は身体の中から出さない、自分が弱体化するから。

 

「久し振りだな、九子。正直に言えば怖い、お前は人外の化け物と化したんだぞ。怖くて堪らない、早く滅ぼしたいんだ」

 

「きゃはは。そう、私が怖いの?不思議、本当に不思議、何故一子よりも榎本さんが美味しそうに思えるのかな?かな?」

 

 それは君の兄弟姉妹を四人も食べたからだろうな。何故か加茂宮の当主達を一番食べているのが僕だ、さぞかし美味しそうに見えるのだろう。

 此処が正念場、決戦が東京湾唯一の無人島とか、シチュエーションはバッチリだ。ここで倒さないと、ここで逃がしたら、もう僕等に勝ち目はない。

 

「勝負だ、九子」

 

「ええ、榎本さん。楽しい楽しい戦いの始まりね。きゃは!」

 

 両足を肩幅で開き相手の動きを見逃さない様に睨み付ける。左手に式神札、右手に大振りのナイフを握り締める。結衣ちゃんとのハッピーブライダルの為に、幸せの礎(いしずえ)となれ!

 

 此処で貴様を倒す。異論は認めない。

 



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第288話

 ついに最終決戦、加茂宮当主の内、生き残りは一子様と九子の二人。八郎は僕等が倒したが六郎と同様に九子に取られた、彼女の影の移動からの奇襲は防げない。

 警戒に警戒を重ねたが最後に取られた。だが奇襲を受けて、一子様が食われるよりはマシだ。当初は三人食われたら負けだと思ったが、此方も食ってパワーアップしている。

 条件は互角、だが準備万端ではなく此方は連戦だ。九子はどう言う方法かは分からないが、遠距離から僕等を監視し最適なタイミングで攻めてくるので厄介だ。

 

 決戦の場所は東京湾に浮かぶ唯一の無人島『猿島』、旧日本海軍の施設が有る戦争遺構として有名な場所。某天空の城の雰囲気を味わえる横須賀市の誇る観光名所だ。

 現在此方の戦力は僕と一子様のみ、清須もケリィも奴の影に飲み込まれて生死不明。九子には仲間は居なさそうだ。胡蝶レーダーにも引っ掛からない。

 一子様のサポートメンバーが異変を察知して救助に駆け付ける迄には暫く掛かる、その前に九子を倒す必要が有るんだ。

 

「榎本さん、今回は負けないよ。広島では悔しい思いをしたけれど、今回はパクッと食べちゃうからね。きゃは!」

 

「語尾がおかしいぞ?中々に禍々しい雰囲気だな。何故オデコから鼻に掛けて影になっている?何故右目が赤く光る?口から白い煙を吐く?」

 

 一子様が後ろに下がり、その前に赤目と灰髪が入り防御を固める。今回、赤目達の役目は彼女の護りと牽制だ。下手に襲わせると逆に倒されそうで怖い。

 円を描く様にお互いが動く。八郎を吸収し雷撃の怪我は完治したみたいだが、失った右腕は生えない。肘から先が無く服の袖がダラリと下がっている。

 左手に式神札、右手に大振りのナイフを握り締める。式神札に霊力を潅ぎ込み、何時でも式神犬を召喚出来る様に準備。襲うタイミングを計るが。九子には隙が無い……

 

「きゃは!来ないならコッチから逝くよぉ」

 

 いきなりしゃがみ込み四足状態になったと思えば、勢い良く蛙の様なジャンプで飛び掛って来る。反射的に右手の大振りのナイフで横薙ぎにするが、当たらない?

 重力に反して更に上に跳ぶ事で回避、そのまま首筋を噛もうと口を開いて襲って来た。何故か人の口の中にギザギザの牙が並んでいる。

 右腕を振り切った形なので反応が鈍い、肩を持ち上げて首筋を庇う。鋭い痛みが肩の肉を噛み切られた事を教えてくれる、見れば服が破れ三本の筋から血が出ている。

 

「せぃ!」

 

 膝を突き上げる様にして接近して来た、九子の腹に一撃を入れる。身体を九の字にして吹っ飛んだ、上手く入ったみたいだ。口から涎と血を撒き散らしている。

 相応のダメージを食らわせたと思ったが、直ぐに体勢を整えて獣の様に四足で着地。真っ直ぐ飛び掛って来たのでヤクザキックで迎え撃つが、身を捩って避ける。

 そのまま膝に抱き付いた。目と目が合う、九子はニタリと笑い左人差し指と中指を唇の前に持って行き必殺技を唱える。開いた口から光が漏れる。

 

「灼熱吐息!」

 

「こん畜生がぁー!」

 

 首を傾ける事で直前で回避、もみあげが少しチリチリと燃えたが気にしない。左フックの要領で殴り飛ばす、短い右腕だけでガードしたが、小柄で軽いから吹き飛んだ。

 いや僕のフックを受ける前に横に飛んで衝撃を緩和しやがった。足場の無い空中で自在に動けるってなんだ?しかもしっかりと左爪で右足を引っ掻いてくれた。

 これで肩と右足に噛み傷と引っ掻き傷が出来た、毒でも仕込んであるのか傷口が燃える様に熱い。そう言えば前に伸ばした爪から毒を垂らしていたな。『胡蝶』が直ぐに解毒してくれるから無駄だよ。

 

「くふっ、流石は榎本さん。毒が効かないなんて信じらんなーい」

 

「大分獣じみた動きだな。退化してるんじゃないか?」

 

 小柄な身体を生かした素早い動きで翻弄されている。僕も人外じみた動きが出来る筈なのに、目では追えても身体が付いていけない。九子の特殊能力は獣じみた身体能力強化か?

 上手く僕と一子様が直線になる様に位置取りしている、攻撃を避けたら後ろの一子様を襲うつもりか?赤目と灰髪から緊張した意識が伝わってくる。九子め、式神犬にもプレッシャーを放っていやがる。

 一瞬で足元に影を浮かび上がらせて、そのまま潜り込む。そして死角から浮き上がって攻撃してくる。地面にしか影が浮かび上がらせないのか、何とか先に影を見付けて避ける事は出来るがジリ貧だな。

 

 防戦一方かと思えば、そうでもない。影から現れる時は頭や手から延びて来る、つまり視線が塞がっているから此方の攻撃も当たる。だが決定的なダメージは無い、双方が回復術を持っているから。

 次第に影の攻撃が距離を置く様になり、遠距離から顔だけ出して火炎放射とか嫌らしい攻撃に切り替えたが、此方も雷撃で応戦するもやはり決定打に欠ける。

 意外と正々堂々なのか言った事は守るのか?最後に食う宣言をした、一子様には手を出さない。だから少しだけ余裕が有る、自分も一子様も守りながらじゃ相手にならない。

 

『胡蝶さん、ジリ貧だぞ。どうする?手持ちの武器も大振りのナイフと式神札も手放しちゃったから、特殊警棒しかない』

 

 火炎放射と雷撃の打ち合いを終えて浅く早く呼吸をする、身体が酸素を欲しがっている。九子も少し離れた位置で影から全身を表した、向こうも息を整えている。

 

『む、我を解き放って全力で逃げ……ても無駄だな、先に正明がやられてしまう。八郎を食ったら此処まで強化されるとは、さてどうするか?』

 

 向き合う僅かな時間で息を整え体調を完璧に近付ける、どうしても素早い動きで対応する場合は息を止めてしまう。五分と満たない戦いで、もう息が上がって苦しい。

 それは九子も同じらしく、いや向こうは火炎を吐いているので余計に酸欠なのかも知れないな。だが未だ余裕が有りそうだ、身体を仰け反らせてニタリと笑っている。悪役染みたポーズが似合うな。

 強敵、最大の強敵だ。胡蝶と同化し力の使い方を覚え始めて少しは自信が持てたのだが、木っ端微塵に吹き飛んだ。無傷で勝とうとか甘い考えだった。

 

『ダメージ覚悟で捕まえるか?肉を切らせて骨を断つ的な?毒は無効化出来るし、火傷も治療出来る。あの爪さえ気を付ければ?』

 

『効果が有るとは思えないな、最初の爪の一撃で致命傷だぞ。未だ雷撃乱れ撃ちの方が倒す確率が高い、だが命中率は三割未満というところだな。奴め、手の動きで雷撃を避けれるみたいだ』

 

『信じたくないな。雷撃なんて放たれたらコンマ何秒の世界で命中だろ?』

 

『気を逸らすしかない。周囲の悪食の眷属を一斉に襲わせる、その隙をついて雷撃を食らわせる。腰のポーチに式神札は残ってるか?』

 

『む、十枚かな?最初しか使ってないし霊力込めた式神札は手放しちゃって周囲に落ちてる。遠隔操作でも式神犬化出来るけど、数秒掛かるよ』

 

 九子がニヤニヤと此方を見ている。余裕か?舐めプか?だが奴の周囲に丁度良く式神札が三枚落ちている。式神犬で攻撃して同時に悪食の眷属の飽和攻撃、そして雷撃で止めを刺すか。

 

『よし、方針が決まったな。ヤルぞ、時間が経てば我等が不利だ。奴は影で移動出来るが我等は出来ない、そろそろ敵も味方も増援が来るだろう』

 

『準備万端な奴の増援と、碌な準備もしてない僕等の救出部隊とでは戦力に差が有る。しかも国家権力が介入してきたら逃げられない、急ぐしかない訳か』

 

 数回深呼吸をして息を整える。悪食に命令して眷族を九子の周囲に移動している時、奴が左右をキョロキョロと見回している。もしかして悪食の眷属に気付いたか?

 その僅かな隙に式神札に意識を集中する。既に霊力は込め終わっているので具現化するのに時間は掛からない、タイミングを見計らう。3……2……1、今だ!

 

「式神犬よ!九子を襲え」

 

「きゃは!甘い、甘いですよ。榎本さん」

 

「九子、食らいなさい!」

 

 む?一子様が隠し持っていた、防犯用カラーボール発射装置を使いカラーボールを撃ち込む。残念ながら避けられたが、少しは注意を引けたか?

 

「あまーい、激甘だって。そんなボールには当たらないよ」

 

 三匹の式神犬が一斉に襲うも、僕から視線を外さないで左腕だけで殴り付ける。カラーボールは当たればペンキ塗れになるのが分かっていたのだろう。大きな動作で距離を取って避けた。

 式神犬は一撃でダメージが許容を超えて式神札に戻ってしまうが……カラーボールに注意を向けて、その後は僕ばかり見てると周囲の警戒がおざなりだぞ。

 式神犬の能力は低い、それこそ九子なら見ないでも対応出来るだろう。実際に時間稼ぎの為に少しずつ時間をずらして襲わせた、カラーボールはその後で同時なら更に良かったかな?

 一秒刻みの時間差だが奴は余裕が有り口元は歪に笑っている。実際に九子の身体能力は大したものだ、全てを避けて笑っている。だがね……

 

 その余裕が敗因だよ。周囲に一万匹以上の眷属が隠れている、その気配を感じた筈なのに何故無警戒でいるのか?一匹一匹は弱いが、数の暴力と不快生物の怖さを思い知れ!

 

「悪食!眷属一斉攻撃、暗黒の波に飲まれろ」

 

「ひゃう?く、黒い小波(さざなみ)が、キャー来るな!来るな、寄るな、触るな、引っ付くな。ゴキ○リいやぁー!」

 

 あの九子が両手で自分の身体を抱き締めて恐怖している。遠慮も慈悲も無く次々に九子に張り付く、女性の大敵黒いアレ。無茶苦茶に身体を動かし振り払おうとしている。

 一部は服の中に入ったのだろうか?九子が左手で首元の服を掴んで力尽くで引っ張る。ボタンが弾け跳んで開き、真っ白な飾り気の無いブラが丸見えだ。

 物凄い罪悪感が僕の胸を締め付ける。女性に対しての拷問としては最低の部類だろう。慈悲など無いのだろう、悪食の眷属はスカートの中にも入り込んだみたいだ。このままでは強制野外ストリップだぞ。

 

「こら、ドコに潜り込んでいる。そこはちがう、やめろ。ショーツの中は駄目なんだって!だめだめだめだって、やだやだやだ。こんなのやだぁー!」

 

「九子、悪いが僕の幸せの為に死んでくれ……雷撃、最大出力!」

 

 右手を突き出し埋め込まれた三個の勾玉に霊力を込める、巴紋の形に配置された水晶の勾玉が光り輝く。

 頭と呼ばれている丸い部分の打点に霊力が集まり、尾と呼ばれる細い部分に力が集まり轟音と共に雷が飛んでいく。

 昼間でも一瞬周囲を真っ白にして視界が塞がれる。これが唯一の弱点だろうか?音と光で目と耳が利かなくなるんだ。限界まで霊力を注ぎ込んだので二秒間は放出出来た。

 

「あがががっ……ふざけんな!やり直しを要求する。こんな終り方が、許され……るもの……か……」

 

 最大出力、連続二秒間の雷撃の放出をまともに浴びた、九子は左肩に受けて右足から大地に雷が抜けたのだろう。斜めに服が焦げて燃えている、小さな身体だから胴体の半分近くが炭化しているな。

 未だプスプスと音を立てて赤い火の粉が身体から立ち昇る、それでも二本の足でしっかりと立っていられるのは意地なのか根性か?左右に身体がグラついている、だが倒れない。纏わり付いていた眷族達も、今は全て引き上げた。

 赤く不気味に輝いていた右目から光が消えた。何か、何かを言おうとして口が動いている。だが吐き出した血が焼け焦げて張り付いているのか言葉にならない。

 

「加茂宮九子、最強の敵だった。最後に言い残す事が有るなら聞こう」

 

 胡蝶の因縁有る相手の狂気に飲まれた少女だが、間違いなく今迄の敵として最強だった。殆ど弱点は無く悔しいが、八郎を食った事により僕と胡蝶よりも全てにおいて勝っていた相手だ。

 そんな最強で最狂な彼女が怖がったのは、か弱い女性の年頃の女の子が普通に怖がる黒い昆虫だった。だれがゴ○ブリをアレほど恐れて焦り無防備になると思っただろうか。

 彼女も父親である先代加茂宮の当主の蟲毒の呪いによって狂わされた被害者なのだろうか?非情ではあるが、僕は自分の大切な人を守る為に年端も行かない女の子を殺すと決めた。

 

「かはっ……喉が焼け付いたみ……たいで上手く喋れないけど、榎本さんに負けた……なら良いかな。一子に負けた……なら我慢出来な……いよ」

 

 一歩一歩ゆっくりと近付いてくる。無傷な左腕を伸ばして、僕の方に近付いてくる姿は哀れを誘う。僕が博愛精神溢れる慈悲深い男だったら、抱き締める場面だろう。

 実際に一子様も神妙な顔をして、事の成り行きを眺めている。本来なら直ぐにでも止めを刺して食いたいだろうに我慢している。だが僕の中の『胡蝶』が激しく警戒している。

 危害を加えない、瀕死の状態で近付いてくる。もう直ぐに死にそうだ、本来なら最後の言葉伝えたい為に残された全ての力を振り絞っている。そう見えるだろう。

 

「榎本さんみたいに……強い男が、居たなんて反則……だよ、本当に……一子が羨ま憎らしい……だから……」

 

 既に瀕死、もう反撃すら出来ないと思う。此方に伸ばした手も力が入らない為がブルブルと震えている。武士の情け、最後位は……

 

「恨んでくれて良い。どうせ先に地獄に行くんだろ?後から追いかけるから、五十年位待っててくれよ」

 

 倒れ込んで来た彼女を抱きとめる、その左手の爪が伸びて僕の首筋に真っ直ぐ伸びているのをかわし、左腕を抜き手の状態にして心臓部分に突き刺す。

 ドクドクと動く心臓を握り潰し、序に胡蝶さんが九子の力を吸い取るって?ええ、胡蝶さん、空気読んで!今それやっちゃ駄目な行為だから!

 

『我だとて空気は読む、吸い取る力は九子が奪った者達だけ。コヤツの力は残しておく、一子に吸わせるが良い。せめてもの偽神の情けだよ』

 

 なんだか端から見れば、九子と抱き合っているみたいだな。まぁ彼女の背中から僕の左腕が突き出ていて、心臓を握っているスプラッターな状況だけどね。

 九子の右目が輝きを取り戻し真っ赤に光るが、徐々に暗くなっている。彼女も僕が力を吸い取る事が出来る事に気が付いたみたいだ。

 普通の左目が驚いた様に見開き、諦めた表情になる。嗚呼、もう力が尽きそうだ。段々と身体が硬く冷たくなっていく。今度こそ本当に最後だな、もう命の灯火が消える。

 

「きゃは!九子、五十年も待てないかも、かも。でも待ってるよ、必ず来てよね」

 

「最後の最後まで諦めないとはな。流石だよ、だが心臓を引き抜かれたら流石に再生は出来ないだろ。先に地獄で待ってなって」

 

 ゆっくりと九子の身体から左腕を引き抜き地面に横たえる、凄い生命力だな。心臓を握り潰して力を吸い取ったのに、未だ浅いが呼吸している。だがもう時間の問題だ。

 この状態で漸く、一子様が近くに近寄って来た。警戒はしている、だがもう反撃する力が無い事は分かっているのだろう。当主を競った兄弟姉妹の最後の一人の最後を看取る。

 片膝を付いて、九子を見下ろす。その表情は複雑だ、後悔?哀れみ?怨恨?何だ?暫く顔を眺めた後で抱き上げた、その顔は後悔と慈愛か?もしかして狂う前は仲の良い姉妹だった?

 

「嫌な女、結局男に縋って勝ち抜いたのね?一子姉さん」

 

「そうよ、九子さん。これが私の生き方だから、先に地獄に行ってなさいな。榎本さんと後から笑いに行くから」

 

 一子様が九子の両目を掌で閉じる。それと同時に九子の力を吸い込んでいるのだろう。抱いていた彼女の左腕が力なく垂れた、完全に命の灯火が消えた。

 姉妹として、長女と末の妹として、彼女達には僕には分からない絆があったのか?一子様の目から涙が流れる。それは浮世離れした美しさだった。

 此処に加茂宮の時期当主争いに終止符が打たれた。勝者は一子様。彼女が西日本を牛耳る霊能御三家の新しい加茂宮の当主となった。

 

「有難う、榎本さん。お礼は後で……でも今は……」

 

 正面から抱き付かれたが、流石に空気を読んで受け止めた。振り払いはしない、ロリコンだって肉親を失う悲しみは分かるから。

 五分程抱き合って泣いていただろうか?一応目を閉じて受け止めていたが、機械音に気付き目を開けると器用に片手でスマホを操作し自撮りしていた?

 

「一子様?何を撮影したのかな?」

 

「別に?記念です。特に他人には見せないから平気よ、大丈夫大丈夫だから。身分違いのラブロマンス、東洋のロミオとジュリエット?」

 

「全く安心出来ないんだけど?ロミオは勘違い自殺するし、ジュリエットも後追い自殺するじゃん!」

 

「知りません。後始末したら、亀宮本家で結果報告と話し合いよ。後は任せて、結衣ちゃんに甘えておきなさいな」

 

 するりと腕の中から逃げ出し距離を置かれた。しかも操作して画像データを何処かに送信した?もう、あのスマホを奪っても無意味だ。してやられた。

 残された九子の死体を辱める事など出来ない、胡蝶さんに頼んで何一つ残さない様に食べて貰う。死体を残す事など出来ない、当主争いに負けたのだから懇ろに葬るとも思えない。

 何人もの当主候補と、それを支える一族の霊能者達の敵(かたき)だからね。僕が食べてしまうのが一番良いだろう。遺体がなくとも、一子様が勝者には間違い無いのだから。

 



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第289話

 加茂宮の新当主を決める蟲毒の呪法を用いた生き残りゲームの勝者は一子様に決まった。結局九人中七人は胡蝶が食べて、一子様は九子しか食べていない。

 だが一人でも食べれば能力の底上げは出来たみたいだが、本人は釈然としていない。九子の強化と自分の強化を比べて、その差が分からないからだろう。九子は最初に一人食べた状態であったが、既に狂っていて強かったぞ。個人差があるのか、一子様が現状でも狂わない理由なのか?今となっては分からない、永遠に分からないだろう。

 心配していた生き残りゲームの根幹が既に壊れた状態での勝者である彼女の精神に異常をきたすのか?は特に変化も無く普通の精神状態だ。謎は謎のままだな、誰にも分からないだろう。

 

 猿島の決戦の後、一子様のファンクラブの連中が後始末に大挙して現れ、僕はする事が無く丁重に帰された。後始末が終ったら一緒に亀宮本家に報告に行く。それで今回の騒動はお終い、胡蝶の因縁の相手を屠れたしパワーアップも出来たので満足だ。

 それまでは、結衣ちゃんと日常の幸せを楽しんでいなさい甘えておきなさい。あと、最後に九子に優し過ぎた理由は追求するから覚悟しなさいと言われたが解せぬ。

 抱き締めたと言っても左腕で心臓をぶち抜いていたんだぞ。何処に優しさが有る?アレか、地獄で待ってろって言葉か?それは優しさとは違う命を奪った相手に対する配慮だよ。女性は理不尽だと言う言葉が蘇る、なる程心理だな。

 

 だが、そんな理由は新生加茂宮一子様には関係無いのだろう。僕も一子様と九子の関係が知りたい、最後の会話は実の姉妹の様な……

 いや今はそんな事は後回しだ。取り敢えず結果をメールで知らせた後、隠密行動で後始末をする関係でマナーモードにしていたのだが、気付いたら着信が三桁になっていた。同一人物からだ、この短期間で数分おきにか?

 怖い、九子と命懸けの戦いに勝ち抜きパワーアップした僕が携帯を片手に脂汗を掻きながら固まる姿を見た、一子様の不審者を見る目がキツイです。

 

 あと一子様の自撮りした写真のデータですが、お願いだから削除して下さいませんか?

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 個人所有の漁船で、猿島から北下浦漁港まで送って貰った。これもアリバイ作りで、そのまま三笠公園のフェリー乗り場に行ったら疑われるだろう。こう言う地味とも思える行動の積み重ねが大事なんだよ。

 北下浦漁港は神奈川県東部、東京湾に面していて全長4kmの長い砂浜が近くに有る。最近海岸全域が侵食を受けて砂浜が減っているとニュースで流れたのを覚えている。田舎の寂れた漁港、だから注目度も低い。

 丁度刺網漁から戻って来た漁船の群れに紛れて接岸、上下合羽を借りて漁師の振りをしてそのまま休憩用の小屋に入り着替えてから最寄の駅に向かう。

 

 最寄駅は京浜急行線の京急長沢駅か京急津久井浜駅、どちらにしようか迷うも一番近い京急長沢駅に向かう。北下浦小学校と北下浦中学校の側を抜けて駅に向かう。

 湘南長沢グリーンハイツのマンション群を抜ければ、島式ホームの高架駅が見えた。一日七千人弱しか乗り降りしない、比較的閑散とした駅だが一応駅周辺には小規模ながら商店街を形成している。

 バスロータリーかと見間違える程、駅前広場は広い、その周辺には信用金庫に郵便局、農協に個人商店が連なっている。目撃者を減らす為に何処にも寄らず真っ直ぐにホームに向かう。

 

 直ぐに京急久里浜駅止まりの電車が来たので飛び乗る。電車内がガラガラ、数人の学生と主婦らしき中年の女性。彼等から離れた場所に座り漸く一息つけた、全身から力が抜けていく。

 

『胡蝶さん、一子様はどうなるんだろう?』

 

『む?他の女を心配している場合か?着信の返事はしてないんだろ?』

 

 そうだった、慌てて携帯の画面を見れば更に着信数が二桁入っている。電車内ではマナーモード、社会人として常識。

 だが降りたらどうする?掛け直す?それともメールで今日は疲れたから明日報告するってメールする?電車内での携帯電話・スマートフォンの使用は自粛、ポケットにしまう。

 厳つい男が携帯電話の画面を睨んで冷や汗をかいているのが面白かったのか?学生達が此方を見て笑っていたが、睨んだらそそくさと隣の車両に移動していった。男子高校生め、オッサンの動揺する姿が楽しいのか?

 

『電話したくない。今連絡したら強制的に千葉の亀宮本家に召集パターンだよ。今夜はゆっくりと、結衣ちゃんの手料理を食べて休みたいんだ』

 

『まぁ良いか。我も七百年の因縁有る相手に引導を渡せたから満足だ……二人分食い損ねたが、良しとしてやる』

 

 うん、そうだね。一子様は生き残ったし、九子の力は彼女が食った。これで彼女も西日本の霊能者を束ねるだけの力を得たんだ。人身掌握術だけでも問題ないのに、自身も強大な力を得た。

 加茂宮一族は磐石の態勢を整えた、配下も鷺山衆や五十鈴宗家とか、楓さん達鈴代家も新しく臣従した。配下の質も悪くない、十分に当主としてやっていけるだろう。

 これで義理も果たせたし縁も細くなるだろう、流石に対立派閥の当主と今後も懇意にとはならない。それ位の分別は有る、暫くは大人しくしてほとぼりの冷めたあと、結衣ちゃんとの仲を進展させて……

 

「あ、京急久里浜駅に着いた。乗り換えよう」

 

 流石に着信が有って明日まで掛け直さない訳には行かない、だが衆人環視の中で電話もしたくない。一度横須賀中央の事務所に戻ってから、落ち着いてゆっくりと電話しよう。

 逃げでも先送りでもない、環境を整える大事です。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 京急久里浜駅から京急横須賀中央駅までは電車で十分程度、直ぐに到着する。そそくさと電車を降りて事務所の有るマンションまで移動する。近くの猿島で凄惨な事件が有ったのだが街は特に騒がしくもない。

 マンションから猿島は見えないが、特に報道ヘリが飛び交っている訳でもない。一子様の隠蔽工作は順調なのだろう。政府機関やもしかしたら米軍関係者にもファンクラブが居そうで怖い。

 現代日本で最強なのは、数多くのファンを持ち操る、一子様かもしれないな。僕だって国には逆立ちしたって勝てないのだから。彼女の洗脳術が、九子を食べた事でパワーアップして無い事を祈ろう。

 事務所に到着、事務所の留守番電話にも鬼の様な着信が有る、FAXまでも大量の紙を吐き出している。この分だと、パソコンメールも同じ状態だろうか?怖い、だが電話しなければなるまい

 

 亀宮さんに……震える指でアドレス帳から彼女の電話番号を選択してボタンを押す。繋がった、コールが……

 

「もしも」

 

『榎本さん!酷いです、何度も電話してメールしてファックスして、それでも駄目なら今から自宅に向かおうと思っていました!』

 

 ワンコール目で繋がり、言葉を遮られて捲くし立てられた。あらゆる連絡方法を試みて、最後の手段で突撃するつもりだったらしい、間に合って良かった。

 

「ごめんね。隠蔽工作中だったからマナーモードにしてたんだ。そのままコッソリと猿島から脱出して、北下浦漁港から京急電鉄に乗って横須賀中央の事務所に戻って来たよ。依頼は達成した」

 

『知ってます。加茂宮の一子から連絡が有りました。明日の朝十時に此方に来るそうですから、榎本さんも今晩から泊まりに来て下さい。嫌なら私が其方に泊まりに行きます』

 

 え?何で?今夜は結衣ちゃんの手料理を食べて英気を養ってから、二大派閥当主との戦いに挑む所存なのに前日乗り込みって?

 

「いやいやいや、色々有って疲れてまして。今夜は自宅でゆっくりしたいんです」

 

『あら?今から最寄の役所に行っても間に合うかしら?戸籍謄本と実印と身分証明書と・・・・・・』

 

 婚姻届は夜間窓口が有るから基本的に二十四時間受付可能、そして戸籍謄本は委任状で問題無し。つまり婚姻届に印を押してしまったら、僕の意思など無意味に行政機関に提出可能なんだ。

 恐れていた事が現実になってしまった。一難去って又一難、現実は非情。このまま亀宮本家に行って、亀宮さんを宥めすかして婚姻届を奪わないと駄目なのか?高難易度ミッションの連続か?

 

「えっと、今からだと…・・・最終便に乗って、金谷港に到着が二十時位だと思うんだけど」

 

『分かりました。金谷港に二十時ですね?迎えに行きますから、逃げないで下さいね?』

 

「う、逃げないって。何故逃げると?」

 

『一子様から素敵な写真を頂きました。東洋のロミオ様の言い訳を楽しみにしていますわ!』

 

 え?一子様?あの危険な写真を亀宮さんに送ったの?何故さ、東洋のロミオって僕に勘違い自殺しろって事?駄目だ、あの様子だと修羅場る。説得が通じるか疑問だ。

 現在時刻は夕方十六時過ぎ。速攻で自宅に帰り、結衣ちゃん成分を補充し十八時半には自宅を出て久里浜港に向かわないと間に合わない。迎えを寄越すならば自家用車では行けない。

 二時間弱しかない。加茂宮一族の当主連中と戦って勝利を収めたのに、一子様と亀宮さんの対応が酷い。気持ちは分かるし可愛い嫉妬だとも分かる、だけど緊急招集は酷くない?

 

「兎に角帰ろう。結衣ちゃんも学校から帰って来てる筈だし、顔だけでも見ないと元気が出ない……」

 

『いっそ婚姻届を出してくれれば、正明は亀宮一族の当主の連れ合いだ。その方が色々と都合が良くないか?いや良い、軒先を借りて母屋を取るだ!目指せ東日本の覇者』

 

『そんな乗っ取り計画は無い!』

 

 思わず机に突っ伏す、胡蝶さんの計画が実行されたら亀宮の御隠居衆との凄惨な権力争いが勃発する。一子様も阿子ちゃんも頼まないのに参戦してくれそうで怖い。

 そんな日本霊能界のトップ争いに参戦したくもない。そろそろ第一線を引いてのんびり暮らす計画が初っ端から破綻した、最悪だ。

 胡蝶さん?やりませんよ、やりませんからね?って応えてよ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 濃い一日を終えて帰宅した。この後、もう一戦あるのだが、今は安らぎを求めたい。急ぎタクシーで帰宅し、玄関の扉を開く。家の中から漂う匂いはフライかな?

 「ただいま」と声を掛けて靴を脱いで上がる。台所からパタパタとスリッパの音を鳴らしながら愛しの、結衣ちゃんが出迎えてくれた。

 私服の上からエプロンを付けて、タオルで両手を拭きながら現れる姿は歴戦の主婦の如く貫禄が有るのに可愛い。最高だ、これが僕の求めている安らぎだよ。

 更に後ろから、桜岡さんも同じくエプロン姿で現れた。此方は手にオタマを持つというあざとい仕様だが、大切なフードファイター仲間だから嫌じゃない。

 

「改めてただいま。一子様の依頼は達成したけど、これから亀宮本家に報告に行かなきゃ駄目なんだ。久里浜港発の最終便で向かうから、十八時半には出掛けたいんだ」

 

「おめでとうございます。正明さんもゆっくり出来るのですね?直ぐに夕飯の支度をします、今夜は海老とササミのフライに海藻と豆腐のサラダに胡瓜の薄切り中華風スープです」

 

「サラダは私が作りました、海藻のチョイスに拘ったんです。地元走水のヒトエグザに沖縄産のクビレヅタ、千葉産のハバノリに豆腐はマルトウの絹ごしです!」

 

 桜岡さんの意気込みが凄い、確かに海藻と侮るなって事で産地に拘ったのか。豆腐は最近、結衣ちゃんが横浜で見付けた名店マルトウの絹ごし豆腐か……

 胡麻ドレッシングは成城石井の「なんでもいけるドレッシングシリーズ」だが、それは厳密には料理とは言わない様な?いやサラダも立派な料理だよね。

 結衣ちゃんのササミフライは大葉やチーズ、シソ梅肉と数種類を準備しているので飽きがこない。余ると翌日にチキン南蛮とか味を変えて出してくれるんだ。

 

「じゃ沢山食べるよ。派閥絡みの仕事はさ、終った後が大変なんだよ。今回は特に二大派閥を跨いで仕事を請けたからね。暫くは書類作成と事後処理だな」

 

 苦笑いを浮かべて誤魔化す、本当は今晩から修羅場が待っているんだ。一子様は本気で僕の引き抜きを考えているんじゃないか?それは約束が違うと思うんだよ。

 あの写真を見せたら未だ亀宮さん止まりだと思うけど、星野家の当主辺りが騒ぎ出すだろう。あと一子様の協力に反対した鳥羽家と新城家かな。

 まぁ毎回契約を結んでから仕事をしてるし、変な所からの引き抜きや干渉を嫌っただけだからな。今なら亀宮一族の一部と揉めても大丈夫な実績は作れた筈だ。

 



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第290話

 亀宮さんから緊急の呼び出し、解決当日に呼び出さなくても良いと思うのだが理由が酷い。一子様が、あの写真を送りつけたみたいだ。牽制?嫌がらせ?それとも……

 亀宮さんも少し常識から逸脱した行動が伺える。数時間で三桁に届く着信とかさ、現代社会のルールで判断すればストーカー疑惑濃厚ですよ。勿論だが、心配してくれているのは分かる。

 だが彼女の手元には署名と捺印を済ませた『婚姻届』が有る。委任状など捏造出来るし、亀宮一族の権力を使えば僕の戸籍謄本だって手に入る。後は実印と身分証明書だけあればOK。

 

 僕と亀宮さんは日本政府が承認し保障する夫婦関係となる訳だが、僕は結衣ちゃんと結婚したいので即日離婚協議に入る事になり亀宮一族との関係が悪化する。非常に不味い状況だ。

 胡蝶の言う『庇を貸して母屋を取られる』じゃないが、亀宮さん以外の連中が反発するだろう。当然だ、当主の伴侶は自動的に序列第二位となり他の連中は玉突きで序列が下がる。

 僕に反対か中立の連中だって既得権を侵されたと反発するだろう。結果的に亀宮一族と敵対してしまい、身を守る為に他の御三家を頼る事になる。困った事に加茂宮一族も伊集院一族も受け入れてくれるだろう。

 

 つまり加茂宮の支配体制が強化された、一子様を中心に固まった状態だと御三家同士の争いの天秤はどちらに傾くか分からない。誰も手を取り合わないとは思うが、今迄通り三竦みとも思えない。

 必ず動きが有る。救いとしては、一子様には時間が必要で阿狐ちゃんは地理的な問題と戦力が足りない。直ぐに御三家戦争勃発とはならない……筈だよな?嫌だぞ、折角落ち着いたのに今度は日本全土の覇権争いとか。

 心配なのは、亀宮さんの強行姿勢だが妙に焦っている感じがした。一子様を警戒していたのに、あの写真を見せられたら普通に怒るよね。ご隠居様や風巻のオバサンを巻き込んで、他の連中にバレない内に処理する。

 

 高難易度ミッションだが、何とか誤解を解いて『婚姻届』を回収する。達成出来ない時、僕は自分の了承も得ずに妻帯者となる。それは勘弁して欲しいんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜の久里浜港から金谷港までフェリーで向かう、19時45分の最終便の為か利用者は定員の二割も居ない。愛車キューブをガラガラな駐車スペースに残して船外デッキに登る。

 横須賀の街の夜景を見ようとしたが、浦賀水道を行き来するライトアップされた他の船も綺麗だな。18時前なら夕日を見ながらのサンセットクルーズだが、今は夜景を楽しんで焦る気持ちを抑えるしかない。

 御手洗と滝川さんから、亀宮様が黒い笑みを浮かべながら『一子死すべし慈悲は無い』と言い続けていて怖いとメールが来ている。風巻姉妹も亀宮本家に詰めているらしい、彼女達からのメールには『浮気は犯罪』と書かれていた解せぬ。

 

 夜風に吹かれながら約40分の船旅は終了。愛車キューブに乗り込み下船開始の放送を待つ、気分は死刑囚か?いやいやいや、難題を乗り越えた功労者の筈なのに扱いが雑で酷い。

 一応は亀宮一族に利益を齎せた今回の仕事だが、感情的な面で最後の最後で駄目出しを食らった気分だ。売店で買ったコーラを一気飲みする、未だ冷たく炭酸が喉を通る刺激が素晴らしい。

 気分を切り替えて車のエンジンを始動、誘導員の合図に従い下船する。微妙に揺れていた船内から揺れない大地に移動した事に安心する。桟橋付近から広い駐車場スペースに移動しハザードを点けて駐車する。

 

 金谷港のターミナル周辺には、土産物屋や個人経営の飲食店が散在している。僕が到着した事を何処かで監視していたのだろう、直ぐに携帯電話に着信が有る。

 

「亀宮さんからか……もしもし」

 

『榎本さん、予定通りに到着しましたね。そこで待っていて下さい。滝沢と向かいます』

 

 そう言って電話が切られて、直ぐに後部座席のドアが開いた。左右から乗り込む女性二人、右側が滝沢さんで左側が亀宮さん。直ぐに亀ちゃんが具現化して首を伸ばして僕に巻き付く。

 凄く怯えて何かを訴えているのだが、多分宿主の異常な行動に怯えているのだろう。亀宮さん、亀ちゃんが怯えていますと言おうとバックミラーに映る姿を見て理解した。

 

 やべぇ、ハイライトが仕事してねぇ。職務怠慢だ、何処に逃げ出した?

 

「今晩は、榎本さん。それとも旦那様と呼んだ方が良いかしら?」

 

「ははは、何を言っているか分からないが、取り敢えず双方の誤解を解こうか。僕は今後、加茂宮一子さんとは絡まないし依頼される仕事も極力請けない、OK?」

 

「大変良く出来ました。では私達の愛の巣に向かいましょう」

 

 御免なさい、言っている意味が斬新過ぎて僕には理解出来なかったよ。愛の巣って何?あそこは亀宮一族の本拠地だよね?当主の愛の巣違うよね?

 だが今は何を言っても無駄だと理解した。亀ちゃんが僕の頬に頭を擦り付けているのは、宿主に恐怖して言う事を聞いてあげてって催促だ。僕も亀ちゃんとの意思疎通が可能になったのか?

 ギアをドライブに入れて周囲を確認、サイドブレーキを解除しアクセルをゆっくりと踏み込む。金谷港サービスセンターから国道127号線に合流し保田方面に向かう、金谷漁港を抜けて明鐘岬を通過。

 

 内房なぎさラインのトンネルを抜けて元名海水浴場の脇を通る。対向車と一台も擦れ違わないが、前後に黒塗りのベンツが護衛している。ベンツ2台に挟まれる国産ファミリーカーキューブ、シュールな光景だろう。

 保田から国道34号線に乗り換え横根峠に向かう。前は保田の番屋食堂で陽菜ちゃんと楽しく昼食を食べたのに、今回はハイライトが職務放棄した亀宮さんとドライブだ。滝沢さんが緊張で固まって微動だにしない、目だけが僕を非難するのは何故?

 鴨川市方面に抜ける長狭街道を走る。途中コンビニの明かりが真っ暗な夜道の途中で現れたので躊躇無く駐車場に車を入れる。ウィンカーで前後のベンツにはコンビニに寄ると伝えるのを忘れない。

 

「休憩します。何か買ってきましょうか?」

 

「あら、コンビニですか。私も降ります。普段はコンビニなんて寄らせて貰えないですから」

 

「そ、そうですか。セブンイレブンは色々と新商品が入荷してますから、見るだけで楽しいですよ」

 

 駐車場に愛車キューブを停める。車外に出ると直ぐに、亀宮さんも降りて腕を絡めて来た。見上げてくる視線には、やはりハイライトさんが居ないので怖いです。少し距離を置いて、滝沢さんも降りた。

 亀ちゃんが気を利かせて……え?亀宮さんの身体の中に入らずに、車内で待機?いやいやいや、霊獣亀ちゃんは守護獣ですよね?宿主から離れちゃ駄目でしょ?

 前後を警護していた黒塗りベンツから、御手洗と筋肉同盟と方丈家の当主の方丈さん?随分と豪華な護衛だが、護衛対象と微妙に距離を置いているのは何故でしょう?

 

「方丈さん、御無沙汰しています。御手洗も久しいけど、何故距離を置いている?」

 

「いや、だってお前アレだろ。痴話喧嘩は他人に迷惑を掛けないでやるのが大人の対応だと思うんだ。巻き添えは嫌なんだが職務上仕方ないと言うか……」

 

 厳つい男達が及び腰だが、ハイライトが逃亡した亀宮さんが怖いのか?僕も怖いが、仮にも御前達の主人だよね?何とかして欲しいんだ、掴まれた腕に胸を押し付けられて苦しいんだぞ。

 缶ホルダーに差していた空のペットボトルをコンビニのゴミ箱に捨てて店内に入る、店員が『いらっしゃいま……せ』と言葉を詰まらせる。ゆるふわ巨乳美人に厳つい中年男性陣の来店に、一気に緊張がピーク?

 僕等はクレーマーでもバカッターでもないので、店内を移動する所を防犯カメラのモニターで確認しなくても大丈夫です。方丈さん、店員を睨んで威嚇しないで下さい。彼は一般人ですよ。

 

「最近の清涼飲料水は変わっていますね?大人のキリンレモン?では此方は子供のキリンレモン?アルコール入りなのでしょうか?」

 

「いや甘味が少なくてスッキリした飲み心地とか?レモンの皮の苦味も仄かに入っているらしいですね」

 

「ペプシブルーハワイ?コーラやペプシって黒色では?ウナギノボリソーダ?ウナギエキス抽出した栄養ドリンクって?」

 

「透明なコーラも有るんですよ、味は個人の好みに左右されますが。ウナギノボリソーダは僕も初めて見ますが、メーカーさんはタバコ産業の会社ですね。健康に悪そうなタバコ会社が健康飲料を作るのか?」

 

「つまり味は二の次で話題性でしょうか?あら、おっきくなぁれ?パストアップ補助飲料?女性ホルモンを刺激して?胸なんて大きくても良い事なんて無いのに変ですね」

 

 うん、それは世の中の大勢の持たざる女性達を敵に回す、『持てる者だけが言える台詞』です。なので回答はスルー、僕はペッタンコ派なのでバストアップ補助飲料など要らない。

 だが、滝沢さんが食い付いた。君も標準以上に持てる者なのだが、陽菜様の為にとか止めてくれ。陽菜ちゃんは、あのままで良いんだよ。余計な事はしない、自然の姿が一番なんだ。

 亀宮さんは興味を失ったみたいで、清涼飲料の冷蔵ケースから離れて隣の冷蔵ケースを食い入る様に見ているが……不味いぞ、あれはアルコールの棚だ。

 

「榎本さん、ストロング系缶チュウハイのベスト10ですって!アルコール7%って低くないでしょうか?」

 

 ガチで酒好きな、亀宮さんは安いチュウハイとかは飲まないのだろう。炭酸が苦手だからビールも飲まないし、ウィスキーやワインを飲んでいれは7%は弱い部類か。

 ストロングゼロに氷結ストロング、7%に12%だけど飲むと結構酔うんだよな。甘い系のチュウハイは女子にも人気だが、酒豪亀宮さんには興味が薄いのか直ぐに棚に戻して日本酒を見始めた。

 ふなぐち菊水一番しぼり?何その男らしいチョイス?もしかして今夜は晩酌に付き合え系?不味い、酒を飲ませると絡む系だぞ。

 

「あら?スピリタス、コンビニでも置いてるのね。値段は500mlで2160円?安いのね、榎本さん、コレを買います。割って飲むと美味しいんですよ」

 

「ウオッカですか?アルコール度数96%!喫煙しながら飲んではいけませんって、気化して引火するからじゃん!駄目です、消毒用アルコールより酷いので却下!」

 

 お酒の話題で盛り上がった為か、亀宮さんのハイライトが一時帰国して仕事を始めてくれた。だがスピリタスは駄目だ、96%とか割らずに飲んだら口や喉が炎症するぞ。

 割るにしても焼酎程度なら四倍、日本酒程度なら六倍、そんな危険なアルコールは許可出来ない。そのまま火炎瓶じゃん。柳の婆さんなら喜びそうだな、日常品で直ぐに火炙りギャハハだってさ。

 棚に並ぶ他の商品を見る。地方のコンビニってフランチャイズなのに店長の好みで商品を仕入れるから、たまにトンでもない物が普通に売ってるよね。それが地域に受け入れられて売れるんだよ。

 

「危ないお酒は止めましょうね?こんなオッサンが愛飲する様な物は却下です。そうですね、無難に久米仙に澪スパークリング、それと加賀鳶にしましょう。あとコーラと午後の紅茶かな」

 

 むくれる彼女の背中を押してレジに向かう、途中でツマミを適当に見繕う。ビーフジャーキーにウズラの燻製、干しホタルイカに割けるチーズ。ド定番の商品をカゴに入れてレジへ。

 待ち構えていた店員さんが、引き攣った顔でバーコードを読み込んでいる。後ろに並んで無駄に威嚇している困ったちゃん達は先に車に戻っていて下さい。

 料金を払い領収書を貰う。何となく領収書の遣り取りは身体に染み付いているんだよな、個人事業主根性って奴だ。宛名は本来は駄目なのだが無記名で貰う、複写じゃないし大丈夫だろう。

 

「さて今夜は、榎本さんの言い訳を聞きながらの宅飲みを開催します。憧れだったんですよ、宅飲みって。最近アニメで見まして一人晩酌じゃなくて宅飲み、お洒落ですよね?」

 

「ああ、あの四人の女性達がシェアハウスで毎晩酒を飲むアニメですね。たまに見ましたが、水曜日のネコの回は楽しめました。ビールはスーパードライ派ですが、水曜日のネコは好きです」

 

 毎回色々な酒を飲んで紹介する、酒メーカーコラボアニメかと思ったんだ。駄菓子メーカーコラボっぽいアニメもやってたが、実際は違ったんだよな。

 結衣ちゃんと居間のテレビで一緒に見たのだが、お洒落な結婚プランナーやショップの販売員。外資系OLに大学生と美人ばかりで現実味が無いですねって酷評だったのを覚えている。

 だが共通の話題で盛り上がった為か、亀宮さんのハイライトが時差ボケから回復して仕事を円滑にし始めた。もう少し、もう少しで通常モードに移行出来る頑張れ!

 

「宅飲みですか?滝沢さんは強制参加、風巻姉妹も強制参加。五十嵐さんも誘って、保護者は方丈さんと御手洗な。逃げる事は許さないから、亀宮さんと楽しく宅飲みするよ。ああ、亀宮さんは五十嵐さん達にお誘いメール送って」

 

「はい、分かりました。でもお酒足ります?もっと買った方が良くないでしょうか?」

 

「大丈夫です。五十嵐さん達に持ち込みして下さいって送りましょう。宅飲みとは持ち寄りも良いですよね?」

 

「なるほど、参考になりますわ」

 

 亀宮さんのハイライトが完全帰国、もう出国手続きは許可しない方向で纏まりました。完全勝訴、あとは酔い潰して何とか婚姻届を亡きモノにしてしまえばミッションコンプリート!

 



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第291話

 亀宮さんの瞳のハイライトが職務放棄し関係者を恐怖のドン底に叩き込んだが、コンビニで色々な商品について語り合った事で何とか職場復帰させた。

 方丈さんや御手洗、滝沢さんが安堵の息を吐いた。だが一番安心したのは亀ちゃんだった、グリグリと頭を頬に擦り付けてくれたが基本的に痛い。親愛と信頼の情が痛いです。

 滝沢さんが目元をハンカチで押えているのは、恐怖から開放されたから?御手洗、男泣きは止めろ。亀宮さんが不審がっている、例え彼女が原因でも一族の当主なんだから敬え。

 

「榎本さん、何故彼等は泣いているのでしょうか?」

 

「亀宮さんが現代人のオアシスである便利なコンビニにも気軽に行けない事を悲しんでいるんだよ。また来よう、飲み物だけじゃなく御菓子や惣菜パンとかも色々有って楽しいよ」

 

「そうだったんですか?それにしては安心感が滲み出ていないでしょうか?」

 

 肩をポンポンと叩いて愛車キューブに押し込む。方丈さん達の復活には暫く時間が掛かるが亀宮本家に着く前には復活するだろう。グッと親指を突き立てているので、同じく親指を突き立てる。

 あと亀ちゃん、車外に出ては駄目だから。店員さんが目を擦って二度見したけど、勘違いか見間違いで自己完結しそうだな。頭振ってるし、精神の安定の為に良い方法だよ。

 その後は車内で時事ネタを交えた会話を行い問題無く亀宮本家に到着、僕専用の駐車スペースに愛車を停める。亀ちゃんが器用にコンビニ袋を銜えて建物の方に飛んで行く、実は宅飲み楽しみにしていた?あと僕以外にも皆さんも買い物してたのね。

 

「さて行きましょうか?持ち込みで宴会なんて久し振りですよ」

 

「持ち込み宴会じゃないです!宅飲みです、お洒落じゃないので間違わないで下さい」

 

 ナチュラルに腕を組まれても気にしなくなってしまったが、当主の奇行をスルーする配下の連中って?立ち止まっていたら、亀ちゃんが器用に頭を押し付けて歩けと促された。押さなくても行きますって、大丈夫だから。

 亀ちゃんとも意志の疎通が出きる様になったが、霊体しか食べないと聞いていたがコンビニの摘みに興味津々みたいだ。もしかしたら、胡蝶みたいに悪食って言うか何でも食べれるんじゃないかな?

 栄養吸収に効率が良いのが霊体なだけで、何でも食べれるんじゃないかな?カミツキガメって悪食らしいから、基本的に何でも食べれそうなんだよ。今夜色々と試してみよう、調理師免状を持つ御手洗に何か作らせるのも良いな。

 

「はいはい、宅飲みですね?亀宮さんさ、亀ちゃんって人の食べ物って食べさせて大丈夫かな?八王子の時は霊体しか食べないって言ってたけど、なんか食べたそうだよ」

 

「さぁどうでしょうか?亀ちゃん、普通の料理も食べたい?」

 

 コクコクと頷いているので食べれるみたいだな。食べなくても大丈夫だけど嗜好品として食べたいのか?まぁ若宮の婆さんにも確認した方が良いだろう。旧家とは一般人では理解出来ない決まりが有るから、迂闊な事は出来ない。

 もしかしたら、力を振るう条件に精進潔斎中とか、不要な物を食べさしたら駄目だったとか。霊獣亀ちゃんが昇天してしまったら、700年続いた亀宮一族が途絶えてしまうし……

 いくらなんでも、そこまでは考え過ぎかな?亀宮さんもそうだが、旧家の御嬢様とか上流階級だから下々の食べ物は与えません食べませんとか?亀宮さんを大人の駄菓子屋に連れて行って合成着色料や添加物塗れの駄菓子を食べさせたら……

 

「うーん、食べられそうだね。でも確認の為に、若宮の婆さんに聞いておくか。無用なトラブルは嫌だからね」

 

「榎本さん、亀ちゃんの保護者みたいですよ。なにか面白いですわ」

 

 保護者?僕としては、700年も付き合っている君達が知らない事の方が驚きだぞ。いくらでも知る機会は有っただろうし、崇める霊獣の事は良く調べるんじゃないの?

 亀ちゃんが嬉しそうに頭をグリグリと、僕の腰に擦り付けるのは人と同じ物が食べられそうなので嬉しいんだと思うんだ。霊獣だって700年以上生きていたって人と違っていたって、美味しい物を食べたい気持ちは一緒だよ。

 滝沢さんや御手洗達が信じられないモノを見る様な表情をしているのは、霊獣亀ちゃんを神聖視し過ぎていたのかもしれない。亀宮当主にしか懐かない特別で不可侵な存在、そんな存在に気安く接する僕に驚いたんだろうな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結果的に亀ちゃんに霊体以外の食べ物を食べさせる事は容認された。過去の当主達も食べさせていた記録が有ったそうだが、基本的に相当懐くか心休まる環境じゃないと飲食はしないらしい。なんとも不思議な霊獣様だ。

 男性陣は、僕と御手洗に方丈さんの三人だ。そう言えば亀宮一族で同性の知り合いって、御手洗達筋肉同盟の他は赤目達の事でお世話になっている湊川さん位しか居ない。他は敵対か中立、いや無関心か?

 宅飲み会場は亀宮さんの私室で行う事になった。あの池の中に建つ金閣寺みたいな豪華な建物は、過去の当主の趣味らしいが金ピカって成金趣味丸出しというか自己主張が凄いと言うか……

 

 備え付けのキッチンが有り、買って来た惣菜系の摘みを御手洗が温めてくれる。温めだけだが参加している女性陣には若干の不安要素が有る。要は料理関係に不安要素しかないから手は出させない。それが双方にとって幸せなんだ。

 参加者は女性陣が宅飲み主催者の亀宮さん。滝沢さんと強制連行された薄幸な五十嵐さんに元気一杯な風巻姉妹。五十嵐さんは急な呼び出しでの参加の為に挙動不審だが、風巻姉妹は日本酒持参で張り切っている。

 持ち込み酒OKにした為か、五十嵐さんも用意してきた様だが流石は御嬢様。1965年DRCロマネ・コンティを持ってきたよ、もう一本はボトル保護カバーから出した時に1971年製ってラベルが見えた。

 

 ロマネ・コンティの1970年代は素人でも知っている当たり年で、1971年1975年1976年は特に入手困難で高額なんだ。その中でも1971年は1本300万円以上もするプレミアワインだ。1965年だって150万円前後はする。流石は生粋の御嬢様、金銭感覚が庶民とは違って異次元レベルだ。

 

「五十嵐さん、そのワインは宅飲みには不適当だよ。多分だけどコンビニで買ったウズラの燻製やビーフジャーキーを摘みにガバガバ飲んだら、ワイン通達が発狂するよ。この澪スパークリングで十分だよ、一応ライスワインかな?」

 

 一杯当たり30万円とか笑えない、一気に酔いが醒めるぞ。これが生粋の金持ちの感覚か?僕は庶民派代表で最近漸くプチ金持ちになったが、庶民派根性が抜けてないから受け入れられないんだ。方丈さんは気にしていない様だが、滝沢さんや御手洗は同じ気持ちだな。

 ワイン一杯が手取り月収に近いとかさ、未だ素面だから手が震えてるよ。これが酔っていたら分からない、所謂酒の上の過ちってやつだ。酔っ払うと気が大きくなったり判断力が低下するから、結構な大きな間違いを起こしやすい。

 

「そうですか?折角御当主様に誘われたのですから、所有する一番良いワインを持って来たのですが……駄目出しされてしまいました、これが世間知らずって事ですね?」

 

 うわっ、五十嵐さんが涙を浮かべてしまった。一子様と違い自由に涙を出せないから本気で悲しませてしまった。女性陣の視線が絶対零度の冷凍ビームみたいに突き刺さる。

 

「駄目ですよ、榎本さん。女の子を泣かしたら。ごめんなさいしなさい」

 

「えっと、ごめんなさい?」

 

 凄く悲しそうな顔をさせたうえ泣かせてしまったので謝罪したが、流石に宅飲みで2本合わせて500万円のワインなんて飲めないよ。それは然るべき時と場所で飲みましょう、貴女の就任式で振舞うレベルですよ。

 この空気をぶち壊す様に、御手洗が手際良く購入した摘みを皿に盛っている。どうやら買い置きの摘みも持ち込んでくれたらしく、ファミ横商店街お母さん食堂の惣菜……中華三種盛り合わせにシャキシャキ明太蓮根サラダ、小松菜にキノコの白和え。

 お、高野豆腐の煮物盛り合わせまで有る。滝沢さんが真っ赤になってアウアウしているけど、このオッサン臭い摘みって、もしかしなくても彼女の買い置きだな。御手洗をポカポカ叩いているから間違い無いだろう。

 

 滝沢さんも風巻姉妹もだが、基本的に自炊せずに食事は出前かコンビニで済ますらしい。前時代的で悪いが、料理の出来ない女性は婚期を逃すぞ。その点で言えば、結衣ちゃんは完璧だ。和洋中何でもOK、掃除・洗濯・裁縫も問題無い。

 完璧美少女の結衣ちゃんと残念気遣い美女の滝沢さんを比べるのは可哀想だよな、そこは反省しよう。宅飲みだから気楽にストロング系缶チュウハイもグラスに注がずにそのままで飲む事にする。アルコール度数が高いけど大丈夫かな?

 女性陣はチュウハイ系、男性陣はビールで滝沢さんは梅ッシュか。風巻姉妹は最初から日本酒かよ。しかも持ち込みの……初亀?亀宮だけに亀の名を冠した日本酒か、縁起物だし丁度良いのか?

 

「そうだ、亀ちゃんも飲むだろ?何が良い?持ち込まれた日本酒だと、初亀に鶴亀に笑亀(しょうき)に……皆さん亀好きなんだな、確かに亀は永代続いて繁栄する様にって縁起物だから?ん、笑亀が良いのかい?」

 

 首を伸ばして器用に一升瓶を咥えた。亀ちゃんは豪快に一升瓶のまま飲むのだろう。胡蝶も前に日本酒を一升瓶のまま飲んでいたから大丈夫だろう、縁起物だし御神酒的な意味でも霊獣様に捧げます的な?

 

「全員に酒は渡ったかな?」

 

「今回の乾杯の音頭は、榎本さんですよ。私達は何もしていませんから」

 

 む?少し拗ねているのか?何時の間にか隣に座り袖を掴んでいる、亀宮さんが見上げながら乾杯の音頭を取れと言って来た。確かに今回は亀宮一族は本拠地で留守番だったし応援は断ったからな。

 しかも敵対している他の御三家、加茂宮一子様に協力して、一族の当主の座を賭けた戦いに協力したとあっては面白くもないか。一時的には弱体化するが、加茂宮一族は一子様を頭に直ぐに勢力を取り戻すだろう。

 そう考えれば余計な事をしたと思われるな。特に亀宮一族で僕に敵意を持つ連中は、敵に協力して塩を送った位に考えているだろうな。強ち間違いじゃない、一子様が狂わない限り、九子の宿した力を食べた彼女は強大になった。まぁ今は良いだろう。

 

「それじゃ乾杯しようか。今回の依頼も無事に達成出来た事に感謝して……乾杯!」

 

「「「「「かんぱーい!」」」」」

 

 何となく分かってはいたが、名古屋での打ち上げと同じ様な感じになった。要は酒乱の集まりだ、今回の一応の主役の僕に酒を持って一斉に集まって来たよ。宅飲みだろ、打ち上げ違うよね?

 宅飲みを始めて二時間、そろそろお開きにしたいので周囲を見回す。五十嵐さんは早々に酔っ払い、ソファーを独占して寝てしまった。規則正しい寝息が悪酔いしていないと分かるから安心だ。寝言で初音様の馬鹿って連呼しているが誰だ?

 滝沢さんは例の如く早々に酔っ払い絡み酒となり、僕に抱き付いて梅酒を瓶ごとラッパ飲みしたのち渡り廊下に吐きに行ったきり戻って来ない。風巻姉妹はお互いに差しで日本酒を注ぎ合って轟沈し、呆れた母親に回収されて退場。

 方丈さんと御手洗は、気付いたら居なかった。つまり逃げ出した、数少ない同性の連中は僕に気付かれずに居なくなりやがった。理由は分かる、その存在が僕の両隣に居て現在進行形で絡んでいるから。まさか亀ちゃんが亀宮さんと同じく酒乱だったとは!

 

「そんなに頭を擦り付けられると痛いから、もう少し優しくしてくれるかな?いや、甘噛みしろとは言ってないからね」

 

 亀ちゃんは全体的に薄いピンク色に発光している、まるでオーラを纏っているみたいだが完全な酔っ払いだな。だが飲んだ酒の量が凄い。樽酒って個人だと中々お目に掛かれないし、個人用だと精精小さい1升や2升のミニ鏡開き用の樽だけど……

 まさかの4斗樽(72リットル)だよ。鏡開きイベント用だと上げ底で半分位しか入っていないけど、これは日本酒が満載。本当に4斗(72リットル)入っていた。それを亀ちゃんは頭ごと突っ込んで飲み干した。

 ウワバミって言葉を思い出すが、実は大蛇の事で大きいから酒も沢山飲むんじゃない?的な事らしく、どちらかと言えばヤマタノオロチの伝承の方が大酒飲みに合っていると思う。

 

「榎本さぁん?飲んでぇますかぁ?」

 

「ええ、飲んでますよ」

 

「ほんとぅ?まだ飲めるんじゃないのぉ?」

 

 呂律が変な亀宮さんが身体を左右に揺らしながら迫ってくるが、頭も前後に揺らし始めたぞ。これは相当酩酊してる、もしかしなくてもヤバイ領域まで逝った?守護獣と宿し主が両方酩酊って大丈夫なのか?

 両手に空の日本酒の一升瓶を持っている、亀ちゃんもそうだが二人は日本酒党だった?そろそろお開きにして休ませないと駄目だな。自分は酒量は控えたが、それでもスーパードライ500mlの缶を六本飲んでいる。トイレが近くなるのが問題だ。

 

「えぃ」

 

「え?」

 

 ポスンって感じで僕の膝の上に頭を乗せて来た、所謂(いわゆる)膝枕だな。オッサンの膝に需要が有ったとは驚いたが、限界に達したのか可愛い寝顔を見せて寝てしまったよ。僕以外全滅、幾ら亀宮本家の中とは言え少し無用心では?

 亀ちゃんまで後ろから僕の右肩に頭を乗せて寝始めた、霊獣が酒に酔ってイビキをかきながら熟睡?困ったな、動けない。大した重さじゃないが、動けば折角気持ち良く寝ている二人が起きてしまう。

 なるべく身体を動かさない様にしながら、亀宮さんを見ると酔って熱くなったのかブラウスのボタンが上から三つも外されて胸の谷間が丸見えだ。高級なブラジャーに包まれた肉塊の間に……何か挟まっている?

 

 「白地にピンクの文字、これは婚姻届だ。何故に胸の谷間に隠している?峰不○子か?確かにプロポーションなら引けを取らないが悪女的な意味で言ったら真逆だろ?」

 

 千載一遇のチャンスだ。周囲は酒に酔って全滅している、今なら誰にも邪魔されずに署名捺印済みの婚姻届を回収出来る。やるしかない、端から見たら酔った女性の胸を揉もうとしている変態か屑だな。だがやるしかないんだ。

 そっと右手を伸ばし親指と人差し指で折り畳まれ胸の谷間に挟まれた婚姻届の端を掴む、成功したが大変危険な体勢だな。ゆっくりと引っ張るが汗で湿ったのか?引っ張ると胸の肉も一緒に持ち上がる、餅みたいに弾力が有り柔らかいな。

 

「落ち着け正明。思考が変態だぞ、僕はツルペタはにゃーん派だ。巨乳とは相容れない紳士だろ、落ち着け大丈夫だ」

 

 更に慎重にゆっくりと引っ張ると胸の肉も引っ張られる、何処まで延びるんだ?婚姻届がスポッと抜けたら反動で胸の肉がバウンドした、迷信では胸の肉の中には男の夢と希望が詰まっているらしいが少し理解したぞ。

 

「あんっ!」

 

「ちょ、何て声を出すんだよ?もしかして起きた?」

 

 紳士諸君、あれは悪魔の肉塊だな。堕落する、アレは駄目な肉塊だ。何故か分からないが心臓がバクバクしている、緊張してるからで他意は無い。巨乳に踊らされてなどいない、僕は冷静だ冷静な紳士だ。

 

「ミッションコンプリート、婚姻届は頂いた。コレは処分する」

 

 残しておくには危険過ぎるブツだから可及的速やかに処分する。具体的には丸めて口の中に放り込み咀嚼する、気の所為かも知れないが仄かに甘かった。紙って甘いんだな、彼女から出される何かの影響か?いやいや、紙は甘い、だから山羊も食べるんだ。

 

僕には達成せねばばらない事が有る、亀宮さんには悪いが待てない。時間が過ぎると危険な事は理解した、もう待てないんだ!

 




次話で本編完結です。その後は各IFルートエンドの予定ですが、もしかしたら次話は遅れるかもしれません。


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第292話

本編完結

 

 翌日の昼前に加茂宮一子様が報告に来たのだが、何かしら異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。初っ端から双方の当主の詰問から始まった。

 瞳術と人身掌握技術で他人を操る事に長けた、一子様に対応したのは亀宮さんだけ。その亀宮さんも最初から敵認定の一子様には厳しい対応をしていたし、九子を食って強化された一子様も真っ向勝負だったらしい。

 だったらしいとは、僕はその場には居なかった。女同士の話し合いに殿方は不要だそうです。

 

 だが亀宮さんの護衛として、胡蝶は参加した。一応女性と言うか見た目は幼女の女の子だから参加資格は在る。一子様も式神札を額に貼った状態の彼女は見ていたが使役霊だと思っていた筈だ。

 こんなに自我が有り強力だとは思っていなかったらしい。

 結果的に亀宮一族は当初の約束通りの報酬を貰い、僕は何故か亀宮さんが代理で交渉した結果……諸々含んで五千万円の報酬となった。亀宮一族からも同額を貰い合計一億円、宝くじでも当たらないと縁のない金額だ。

 

 貰い過ぎと最初は断ったが、それでも少ないと何故かその時だけは、亀宮さんも一子様もタッグを組んで説得された。双方同額の報酬じゃないと差が付くので嫌なのが最大の理由らしい。

 まぁ貰えるものは貰う事にしたが、今回の依頼は非合法の為に正規の報酬じゃない。支払う方は使途不明金扱いだな、理由は政治献金とか得意先へのリベート等で処理される。

 勿論税金も多くなるが、彼女達からすれば大した金額ではないのだろう。僕への恩が少しでも売れれば儲けモノ程度なのか?流石は日本三大霊能一族だけの事はある。

 

 彼女達への挨拶もそこそこに、僕は結衣ちゃんの待つ自宅に帰った。もう待てない、時間が過ぎれば過ぎるほど取り返しの付かない結果になると確信したんだ。

 だがそこで問題が発生する。彼女は未成年で未だ中学生だし、法的に結婚が可能な16歳未満。大袈裟なプロポーズは控え目で大人しい彼女が引いてしまう可能性が高いから難しい。

 相手は未だ女子中学生だから、彼女の気持ちを考えなければ最悪の場合は傷付けてしまう。それは避けねばならない、例え振られてもだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 結衣ちゃんの強い要望により、僕が定期的に通っている竜雲寺(りゅううんじ)に同行する事になった。今は亡き師匠の墓に定期的に読経に来ている事と、業者に維持管理を頼んでいるので現場の確認を含めてだ。新たな劣化部分が報告されたら現地を確認し対応の判断しないと駄目だから。

 富山県の辺鄙な場所にある竜雲寺は、僕が初めて霊能者として修行した寺であり、唯一の師匠が家族と眠る場所でもある。北陸地方の中心部にあるが交通手段は限られる秘境と言っても過言では無い場所だ。正直、限界集落なんて生易しい所じゃない。周囲にも廃村が多い。

 電車だと在来線を乗り継いで半日掛かるので車で行く事にした。自家用車でと思ったが、結衣ちゃんが僕が疲れる事と深夜バスに乗りたいと言ったので横浜シティエアターミナルから22時5分発のJAMJAMライナーJX401便という深夜バスを利用した。

 

 まぁそれなりに快適ではあった、前方はゆったり3列シートで後方は左右2列の一般的なシート。中央部分にトイレ有り。休日でも大人6000円と微妙に安い値段だが大体鉄道の半分の価格設定だろうか?

 足元も広くフットレストも有りスリッパにアイマスクも完備されていて結構楽しめた。コンセントも有り携帯の充電も可能、シートを倒せば快適な夜のドライブだろう。

 結衣ちゃんは、亀宮さんの影響でか?水曜どうでしょう?に興味を持ち、サイコロシリーズの深夜バスに大変興味を持ったのが今回の原因だ。あれは非常に過酷な旅なのだが、見ると自分も深夜バスに乗りたくなる呪いでも有るのだろうか?

 

 正直に言えば、自分も深夜バスには興味が有ったから許可したんだけどね。結衣ちゃんも僕の体格を考慮して、三列シートが有るから僕に我侭というお願いをしてきたので無下には出来ない。希望を叶えるのが男としての正解だ。

 午後22時5分に横浜シティエアターミナルを出発し、途中休憩を二回挟んで早朝6時20分に富山駅北口に到着。約8時間半の長距離バスの旅、バス中央のトイレ脇の2列シート部分に乗ったのだが、割とトイレを使用する人が多くて何度か目が覚めた。

 臭いはまったく漏れてないけど、カーテン越しにでも人の移動とか扉の開閉音は分かるから。リクライニングシートは快適だったけれど、やはり慣れない深夜バスの所為か起きたら身体がバキバキだったので柔軟運動をして身体を解した。

 

 そのままJR富山駅に入り、少し時間を潰してから朝7時から開店する立ち食い蕎麦『立山そば』の暖簾を潜る。お店の人が僕と結衣ちゃんの関係を一瞬だけ訝しんだみたいだが、笑顔を浮かべる彼女を見て良好な関係性だと理解したのだろう。

 

「いらっしゃいませ!」と笑顔で大きな挨拶をしてくれた。立ち食い蕎麦と言いながら店内にはテーブル席も有り、開店早々の為か客は僕等しか居ない。注文して料理を受け取り、自分でテーブルに運ぶシステムだろう。

 壁に貼られたメニュー表を確認して券売機に向かう。結衣ちゃんはメニューの写真を見比べて悩んでいるのは、小食だから気になる料理を厳選しているのかな?僕が居るから食べ切れなくても大丈夫なのだが……

 どうやら地元名産の押し寿司が気になるけれど、山菜蕎麦も食べたいのだろうか?サイドメニューには、お稲荷さんやおにぎりもあるな。そばとうどんは暖かいのも冷たいのもあるのか。確かに悩むかな。

 

「僕は海老天蕎麦と押し寿司のマスとブリの両方を頼もうかな。トッピングは白海老天にしよう」

 

 慣れない車内で寝た為か、あまり食欲が無いので何時もよりは少なめにする。本調子なら五杯はいけるのだが、これも加齢の所為だろうか?まさかな?胡蝶と融合したお陰て肉体的スペックは向上してるから、大丈夫だよね?

 

「むぅ?では私は山菜蕎麦とマスの押し寿司にします」

 

 合計で1510円か。千円札を二枚用意して券売機に投入、ボタンを押していく。富山のうどんは柔らかくて癖になるそうだが、今回は暖かい蕎麦にする。食券を店員に渡し調理状況を見ながら待つ。『てぼ』と呼ばれる湯切り器に蕎麦を投入。

 大型の寸胴に入れて茹で始める。蕎麦を茹でている間に押し寿司を小皿に取り分けて、寸胴から『てぼ』を引き抜き豪快に上下に動かして湯切りをして丼に投入。意外に薄い出汁を注いでトッピングを乗せていく。素早い、調理開始から三分も掛かってない。

 プラスチックのトレイに乗せれば完成。『お待たせしましたっ!』と元気良く差し出してくれる。両手で持って席まで移動すると、後続のお客さんが店に入って来た。早朝に可愛く美少女なお客さんが居るので、少し驚いていたな。

 

「へぇ、カマボコは特製なんだね。立山って文字が入っているよ」

 

「そうですね。山菜蕎麦には二枚も入ってますよ」

 

 言われて見れば、僕の丼には一枚だが結衣ちゃんの丼には二枚乗っている。チラリと店員を見れば笑顔でサムズアップしてくれたが、開店早々に美少女が来店したからサービスか?そうなのか?

 正直な所、立ち食い蕎麦と思っていたが美味かった。結衣ちゃんも汁を全て飲み干していたので、料理の好きな彼女的にも満足な味だったのだろう。ご馳走様と言って店を出る際に、結衣ちゃんが僕の腕に抱き着いたのが不審だったのか騒がしかったが無視した。

 言われなくても分かってますよ。でもそんな遠慮が危機的状況まで放置した原因だと理解しているから、周囲が騒いでも通報されても関係無いんだよ。僕にはもう、時間が無いんだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 在来線を数駅で降りて駅前でレンタカーを借りる。目的地までのバスの本数は一日に三往復しかないので車で行くのが効率的なのだが、それでも一時間半近く掛かるんだ。本当に不便な場所に有るよね。

 市街地を抜けて山道に入り道路のアスファルトが段々と劣化してきて民家や人工物が無くなった頃、道の端に標識だけのバス停を発見。目的地は少し先の階段を登った場所に有る。此処からでも山門は見える。専用の駐車場というか道路脇に三台程度停められる空き地が有る。

 一応定期的な草刈りと除草剤の散布は頼んでいるので利用出来る。当然だが他に車など停まっていない。こんな田舎に廃墟マニアや廃寺マニアなど来ないだろう。一応『関係者以外立入禁止』と『監視カメラ警戒中』の看板は掲げている。

 

 実際に監視カメラや警報装置も設置しているし定期的に記録も確認して貰っているが、異常が確認されても管理会社の社員が駆け付けるのは頑張っても二時間後位だからね。

 二人で並んで石段を上る。その上に山門が有るが此方は閉まっている。隣の小さい潜り戸のバカでかい南京錠を開けて中に入る。小さな境内、石畳みの参道。こじんまりとした本堂と隣の母屋、その裏庭にある元々は小さな無記名の墓石だったが、僕が立派な物に建て替えた。

 興味深そうに、それなりに整備された境内を見回している。一応だが他にも鐘もあるしお手水場所も有るし、何故か来客用のトイレまで有るんだ。昔は墓参りに来た信者さんが使っていたのだろうか?今は廃寺となり誰も利用しないが……

 

 定期的に業者に整備をして貰っているし防犯の巡回も頼んでいるので廃寺でも荒れていない。悟宗さんと妻と息子が眠っている場所だから管理は確り行っているが、やはり人が住まないからか母屋の方は少しずつ痛んでいる。

 思い出のまま風化する迄は維持管理を頑張るが、僕が死んでしまったら子供達に託す事になるのかな?子孫の負担は減らしたいから、僕も死んだら此処に眠るのが良いだろうか?

 家族三人が眠るのだから、少し位は豪華にしても罰は当たらないと思うんだ。結衣ちゃんと墓前に向かい、生花を供えて大好きだった日本酒の剣菱を供える。裏庭も手入れがされていて、此処が廃寺だとは思えないだろうな。

 

「ようやく到着しましたね。こんなにも自然豊かな場所だったんですね」

 

「確かに自然豊かだけど文明から隔離されていると思うよ。ここってさ、電気は通じてるけど水道は無いから井戸水を使用してるし下水は有れどもトイレは汲み取りだし。ある意味ではサバイバル生活?」

 

 線香をあげて合掌し読経する。悟宗(ごそう)さん、ご無沙汰しています。紹介します。彼女が僕のお嫁さん予定の結衣ちゃんです。もう本当に早くプロポーズして結婚のしないと危機感が凄いんですヤバいんです。亀憑きさんとか梓巫女さんとか、色々ヤバいんです。

 一心不乱に読経し心の中で、悟宗さんに愚痴を言う。心の中の悟宗さんは、ニヒルな笑顔で親指をグッと上げた後で思いっ切り下に向けた。痴話喧嘩を持ち込むな?知りません、貴方だって奥さんの死後に風俗三昧だったじゃないですか!これも厳密に言えば浮気では?

 写真でしか知りませんが、貴方の奥さんですが美人ですが相当気が強そうな方でしたよ。あの世で夫婦喧嘩してませんか?息子さんが呆れていませんか?長い読経を終えて一礼する。兎に角、今日は僕に力を貸して下さい。

 

「正明さんが御師匠様のお寺に連れて来てくれたのって初めてですね。竜雲寺ですか、凄い自然が豊かで静かな所……あっ?あの茂みから顔を出しているのって狐ですよ!」

 

「うん。そうだね。この辺にも野生の狐が居たのか。尾が太くて長い、キタキツネと違って足の先が黒くないからホンドキツネかな?」

 

 キツネ関連については、狐憑きの結衣ちゃんを引き取る時に色々と調べて勉強したんだ。同時に子供の養育や教育の件も調べたけどさ。現代の子育ては大変、だけど彼女は真面目で大人しく反抗期も無くて育て易かった。

 いやいやいや、僕が育てたとか烏滸がましい。元々彼女が優秀だったから、僕は少しの手助けをしただけ。今度、結衣ちゃんのお婆さんの墓前にも行って報告しないと駄目だな。

 左腕に抱き着いてきた、結衣ちゃんの頭を撫でる。サラサラした髪の毛の感触が心地良い。そんな僕等を見詰めていた狐が、急に後ろの藪に逃げ込んだ。脅したつもりは無いのだが、危険な奴だと思われたのかな?

 

「まぁね。一段落したし報告かな。結衣ちゃんにはさ、悟宗さんにちゃんと紹介しておきたかったんだ」

 

「正明さんの御師匠様ですか。立派な方だったんでしょうね」

 

 立派か?うーん、破戒僧の類だよな。酒と女が大好きだったし、毎週風俗遊びしてたし。でも尊敬出来る人ではあった、悟宗さんが居なければ、今の僕は居なかっただろう。

 だが第二の師匠で二人目の親父には変わりなく、人生の転機を与えてくれた人。問題児の西崎さんとの繋がりを作ってくれたし、その後の吉澤興業っていうかヤの付く事業の、親っさんや軍司さんとの繋がりが出来たりとか。

 狂犬時代という黒歴史が始まった切っ掛けと思うと、懐かしい様な恥ずかしい様な?セピア色の思い出?いや黒歴史ってヤツだろうか?ふふふって思わず笑いが込み上げてくるな。

 

「うん、師匠で第二の親父でもあったよ。立て続けに家族を亡くした僕の面倒を見てくれて、霊能者として一人前に育ててくれたんだ。悟宗さんが亡くなった時は少し荒れたかな」

 

 後は独学だったし誰かに学ぶとか無かったし、そもそも胡蝶が居るから当時の関係では同業者は避けるべき事だった。悪神を憑依させているとか、普通だったら退治されるべき側の存在だな。

 少し荒れたは随分と消極的な言い方をしたが、実際は相当荒れたんだよな。今思い出しても恥ずかしい黒歴史『狂犬』とか仇名を付けられるってドレだけ厨二病だよ最悪だよ。

 しかも情報社会の今なら少し調べたら分かるんだぜ。若宮の婆さんとか風巻のオバサンとか摩耶山のヤンキー巫女とか、僕の素性を調べて色々と知っているんだよ。思い出したら恥ずかしくて堪えようとしたら顔に力が入って変な感じに……

 

 え?腰に衝撃が?結衣ちゃんが腰に抱き着いてきたけど?どどど、どうしたの?何が有ったの?

 

「正明さんは一人じゃないです。私が居ます。ずっとずっと一緒です。だから泣きそうな顔をしないで下さい」

 

 ごめんね。変顔で泣き顔じゃないんだ。勘違いなんどけど抱き着かれて嬉しい。結衣ちゃんを落ち着かせる為に頭を撫でる。その後に彼女の両肩に手を置いてかがんで視線の高さを合わせる。嗚呼、結衣ちゃんはこんなにも小さいのか。

 

「うん、ありがとう。結衣ちゃんに聞いて欲しい事が有るんだ。僕はね、ずっと前からね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君の事が好きだ。家族愛とか友愛とかじゃなくて、異性として君が好きだった。ロリコンとか幼女愛好家とか後ろ指差されても良い、世間的に抹殺されても良い。純粋に君の事が好きなんだ。だから、だから結婚しよう。

 

 

 

 




2021年も今日で最後ですね。コロナが続き大変な一年でしたが、この一年は本当に良い事も悪い事も色々有りました。
私生活も仕事もコロナの関係で随分と変わりましたが二年も続けば慣れるし、問題無く乗り越える事が出来ました。これも読者の方々のお陰です。
数年放置した自分勝手に書き殴る素人小説に何年もお付き合い下さり有難う御座いました。今回の話で一応、本編は完結とさせて頂きます。
明日はヒロイン別のIFエンドその1、亀宮さん編を投稿しますが続きは暫く開きます。
本編も完結ですが色々とアイデアは有り、新章を書くかもしれませんが、もう一つの連載が完結してからです。

向こうの作品は毎年最後は来年こそ完結をするする詐欺を行っていますが今年もやります。ええ、またやります。

今年一年間、本当に有難う御座いました。来年も宜しくお願いします。


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IFルートその1 亀宮さんEND 東日本の夫婦覇者爆誕!

IFルートその1 亀宮さんEND 東日本の夫婦覇者爆誕!

 

 亀宮さんの瞳のハイライトが職務放棄し関係者を恐怖のドン底に叩き込んだが、コンビニで色々な商品について語り合った事で何とか職場復帰させた。

 方丈さんや御手洗、滝沢さんが安堵の息を吐いた。だが一番安心したのは亀ちゃんだった、グリグリと頭を頬に擦り付けてくれたが基本的に痛い。親愛と信頼の情が痛いです。

 滝沢さんが目元をハンカチで押えているのは、恐怖から開放されたから?御手洗、男泣きは止めろ。亀宮さんが不審がっている、例え彼女が原因でも一族の当主なんだから敬え。

 

「榎本さん、何故彼等は泣いているのでしょうか?」

 

「亀宮さんが現代人のオアシスである便利なコンビニにも気軽に行けない事を悲しんでいるんだよ。また来よう、飲み物だけじゃなく御菓子や惣菜パンとかも色々有って楽しいよ」

 

「そうだったんですか?それにしては安心感が滲み出ていないでしょうか?」

 

 肩をポンポンと叩いて愛車キューブに押し込む。方丈さん達の復活には暫く時間が掛かるが亀宮本家に着く前には復活するだろう。グッと親指を突き立てているので、同じく親指を突き立てる。

 あと亀ちゃん、車外に出ては駄目だから。店員さんが目を擦って二度見したけど、勘違いか見間違いで自己完結しそうだな。頭振ってるし、精神の安定の為に良い方法だよ。

 その後は車内で時事ネタを交えた会話を行い問題無く亀宮本家に到着、僕専用の駐車スペースに……あれ?NO.12がNO.2に変わってない?暗いから見間違えかな?

 

「その、屋敷に入ってから教えようと思ったのですが……実は、その……」

 

「滝沢さん?その話は後で私からしますので、今は内緒ですわ」

 

「内緒?今は?滝沢さん?それに方丈さんも御手洗も何故先に行くのかな?」

 

 怪しい、絶対に怪しい。NO.2は御隠居衆筆頭の若宮の婆さんだ。それが僕の駐車場の番号に変わっているとなれば?最悪の予想が脳裏を過ぎる、つまり万が一に当主の伴侶が現れたら……

 僕の腕を優しく力強く抱き締める彼女を見下ろした瞬間、全てを悟った。何故なら完全勝訴した筈のハイライトさん達が全員亡命していたからだ。亡命、つまりもう戻って来ませんって事だ。

 クーデターしやがった!約束を反故にして己の欲望を優先した事で、ハイライトさん達を追い出した。ハイライトさん達は身の危険を感じて国外脱出しやがった!他国に亡命しやがった。

 

「亀宮さん?もしかしなくても騙したな!」

 

 僕の腕を抱く両手に力が入った、もう離さないぞ的な意志をヒシヒシと感じる。亀ちゃんが器用に両前足で自分の目を覆っている、もうどうにもなりませんってか?

 

「違いますわ、騙してなどいません。預かった大切な書類を行政機関に提出した報告を未だしていなかっただけです。大切な話ですから、落ち着いた場所でしたかったのです……旦那様?」

 

『でかした亀憑き娘よ!これで庇を貸りて母屋を奪うだ』

 

『引用違う、庇を貸して母屋を取られるだ!つまり恩を仇で返されたんだ!』

 

『何を言っているのだ?恩を受けたのは、正明の方だぞ。亀憑き娘は自分の一族が今回の件で足を引っ張らない様に牽制した、その方法が婚姻じゃないか。仇で返すな諦めろ、梓巫女も狐憑きも妾として囲え。旧家の主の特権だな』

 

『違う、何となく違わない気もするが全く違う!』

 

 脳内会話に集中した所為で反応が遅れてしまった。逃げようとしても、方丈さんと御手洗達に囲まれている。滝沢さん、土下座しないで。望まない土下座は脅迫だから、罪悪感半端無いから。

 

「逃がしませんわ、旦那様。此処は私達の愛の巣、五月蝿い方々には退場を願いました。星野に山名は悉(ことごと)く厳しい処分を鳥羽と新城は、当主の新しい伴侶を受け入れてくれました」

 

 不味い、逃げられない。そもそも胡蝶が乗り気だから、身体を支配されて勝手に動かされているから。なに彼女の腰に手を回して屋敷に入ろうとしてるのさ!

 亀宮さんもそんなに嬉しそうな顔をしないで、ハイライトの全く無い満面の笑顔怖いから。方丈さん達も諦めが肝心とか言って、拍手して迎え入れないで下さい。僕の意志じゃない、意志じゃないんだ。

 屋敷の入り口の前に、若宮の婆さんと風巻のオバサンが満面の笑みを浮かべて先頭に居る。残りの御隠居衆も整列している、五十嵐さんは壊れた笑みで井草さんは含みの有る笑み。

 鳥羽と新城の当主の二人は、何故か包帯を巻いている。もしかしなくても、亀宮さんと亀ちゃんが暴れたんだな?恐怖を浮かべた目で僕を見るな、お願いだから見ないで下さい。

 

「亀ちゃん?え、亀ちゃんまで土下座しないで!亀宮一族の守護霊獣を完全支配とかしてないから?乗っ取り違う、勘違いだ!」

 

 亀ちゃんが器用に前足を屈めて土下座みたいな形になって首を下げている。止めて、守護霊獣が四つん這いで土下座とか止めてよね。亀ちゃんは亀宮一族の崇める象徴なんだから!

 

「榎本さん、いえこれからは婿殿と呼ぶべきでしょうかの?」

 

 若宮の婆さん、憎らしい位に下種な笑顔を浮かべやがって!なにが亀宮様は安産型ですだ、意味不明で困る。

 

「霊獣亀様に認められし者、御当主の伴侶として迎えられし。亀宮家700年の中でも歴代当主と結ばれた方は三人しか居ませんでした。まさか今代で四人目を迎える事が出来るとは感激です」

 

 風巻のオバサンも一族に代々伝わる話が本当だったなんて!みたいにわざとらしく驚かないでくれ。

 

「榎本さん、予知をしました。亀宮一族の繁栄、霊獣亀様の他に榎本さんの守護神様が両翼となり亀宮様と榎本さんを盛り上げる。我が一族の繁栄は今日から始まるのです、目指せ全日本制覇!」

 

 五十嵐さん?空気読んで、僕の顔を見れば分かるよね?なにが歴史が動いた的な番組のナレーションぽく言ってるの?しかも胡蝶の事がバレてるみたいだけど、日本制覇とかしないよ。

 

「まさか亀宮様と婚姻の約束をしているとは驚きですわ。無事に生きて帰ってこれたら結婚しよう!とは、フラグ回収乙って事ですね?」

 

 井草さん、下ネタオバサンかと思えば、フラグ回収とか言わないで!それ死亡フラグの上位だから、そして僕と結衣ちゃんとのハッピーブライダルがバツイチに変わった瞬間だから。

 ロリコンとして生き抜いてきた僕の信念が、今死んだ。そう、フラグは回収されたんだよ。紳士としての僕が死んだ、死んでしまったんだ。

 

「さぁさぁ、私達の愛の巣に入りましょう。旦那様は我が一族の序列第二位、皆さんも宜しいですわね?拒否するならば、星野と山名の後を追わせますよ?」

 

 ハイライトさん、帰って来て。亀宮さんが病んでしまうから、未だ間に合うから。僕の貞操は散らされるけど、戸籍は汚れたけど、命に関わる問題だから職場放棄しないでよ。

 僕は未だ身体が自分の意志で動かせない、胡蝶の支配下になってるから。鷹揚に頷いているけど、僕の意志じゃないから。胡蝶さん、いい加減に身体のコントロールを返して!

 

『いやだ。我と正明が、東日本を牛耳る亀宮一族を乗っ取った記念日だ。今夜は祝いだ、子孫繁栄子宝成就。我を奉(たてまつ)れ、されば一族は繁栄せん。700年前の誓いが今果たされたのだ』

 

 駄目だ、胡蝶も諏訪の和邇(わに)として人為的に榎本一族の繁栄の為に造られた偽神。その本懐を遂げる最善手が、東日本最大の霊能一族の伴侶となる事だ。

 胡蝶は止まらない、700年の誓いとか言われたら止められない。結衣ちゃん、ごめん。養子縁組をして、家族として幸せにするから。お嫁さんには出来なかったけど、愛娘として生涯大切にするから……

 

 

「「「「「婿殿、宜しくお願いします」」」」」

 

「大丈夫です。桜岡さんも囲って良いですわ。私も独り占めとか考えていませんが、加茂宮の一子だけは駄目です。あと伊集院の阿狐も駄目ですから、他は妥協します。私、病んでないですし独占欲も薄いんです。

岩泉氏の別荘での誓いが叶うなんて幸せです。私、あの時二人に宣戦布告したんです。榎本さんは私と結婚するから手を出すなって、その誓いが叶って嬉しいです」

 

 ははは、ありがとう。日本霊能界御三家の残りの当主二人に宣戦布告してたんだ。それは誓いじゃないよ、御三家TOPが僕の取り合いをしていたなんて初めて知った。

 でも日本制覇に動かないよね?僕は、一子様とも阿狐ちゃんとも戦わないぞ。ゆるふわ御嬢様だった、亀宮さんがヤンデレ化してしまった。もう誰にも止められない。

 

『正明、良かったではないか。本妻が妾を公認した。コレで梓巫女も狐憑きも男女も霊媒女も妾として囲えるぞ。勿論だが、我も妾の一員として御奉仕してやろう。現代でハーレムとは剛毅だな』

 

『やめて、もう僕のライフはゼロです。少し落ち着いて考えよう、今は亀宮さんをヤンデレから元のゆるふわな御嬢様に戻す事からだよ』

 

 明日には、一子様も来るんだ。この状況を知ったらどうなるか?今から胃が痛くなってきた。取り敢えず、今夜はゆっくりと休もう。細かい事は明日考える、問題の先送りでも構わない。

 

「ははは、もう遅いから今日は休もうか?明日は加茂宮の一子様も来るから大変だよ」

 

「はい、旦那様。今夜は一杯可愛がって下さい。明日、一子さんに見せ付けましょうね?」

 

『任せろ!正明の性癖は我が変更可能だからな、今夜は子孫を仕込む大切な性夜となるだろう、榎本一族の繁栄が今夜から始まるのだ。目指せ日本一の大家族!』

 

 それ、五十嵐さんも同じ事言ったぞ。もう良いか、これも幸せの形だが明日は修羅場るだろう。今夜中に、桜岡さんと結衣ちゃんには連絡して事実を伝えておくしかない。

 嬉しそうにオッサンの手を引き屋敷に招き入れる彼女を不覚にも可愛いと思ってしまった。これが本当の気持ちなのか、胡蝶によって変化させられた気持ちなのかは分からない。

 だが少しも不快じゃない、つまりそう言う事なんだな。亀宮さんは悪い子じゃないし魅力的な女性だし、胡蝶との約束もあるし…・・・何だ、言い訳してるけど幸せなんじゃないか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 亀宮さんの猛攻を防ぎ切れずに性夜してしまったが、胡蝶も参戦する乱戦になってしまった。もう内堀も外堀も埋まってしまったので、結婚に反対する者は居ない。

 亀宮さんが桜岡さんに電話で説明及び妾交渉を行ったらしく、僕の携帯に僅かな嫌味と妾じゃない此処の屋敷に同居を了承するメールが届いた。気持ちの整理が終るまで直接話すのは控えたいとも書いてあった。

 結衣ちゃんの件は複雑だ。最初は養子縁組で話を進めようとしたが、乱入した胡蝶さんが狐憑きであるから一般人と結婚しても不幸になるので一緒に囲ってしまえと言い出して本妻の余裕でOKを出してしまった。

 

 そのまま、結衣ちゃんにも連絡してしまい結果的に、結衣ちゃんも亀宮本家での同居に了承。桜岡さんと一緒に引越しますとメールが来た、同じく気持ちの整理の為に暫くは一人にして欲しいと……

 亀宮さんの行動力が凄いって言うか、若宮の婆さんや風巻のオバサンが協力しているのでスムーズに進む。だが僕は奥さんの実家に浮気相手を連れ込む最低な浮気者って事だな。

 元々悪意有る噂が広まっていたので、発表した瞬間に亀宮一族の女性陣からは総スカンを受けそうだ。一族からも霊力の強い女性を選んで宛がうとか言い出して困っている、亀宮さんも浮気なのに乗り気だ。

 

 なんでも僕の魅力を一族の連中に分からせる為だとか。そういう気遣い本当に要らないです、勘弁して下さい。風巻姉妹とか最初は嫌がっていたのに、何故か今はノリノリだし?

 一族での序列が上がるとか収入アップとか、下世話な理由だよ。愛人なんて日陰者なのに、母親である風巻のオバサンも容認している。霊力の高い子供を授かりたいとか、母娘で欲望に塗れているし。

 着々と、胡蝶の望んだハーレムが形成させつつある。僕に出来る事は亀宮に依頼させる仕事を問題無く終わらせるだけだ、昼間は馬車馬の如く働き、夜は子作りに精を出す。端から見れば評価は割れるだろうな。

 

「旦那様?黄昏(たそがれ)ていますが、どうしました」

 

 亀宮本家の中の亀宮さんの私室っていうか池の中の御殿が夫婦の愛の巣で二人で住んでいる。桜岡さんや結衣ちゃんは本家の中に部屋が有り、用が有る時は通う事になる、平安時代かって思うよな。女性の部屋に通うとか……

 池に掛かる橋の上で水面を見ながら考え事をしていたら、知らない内に彼女が隣に居た。そのまま二人で池の中で泳ぐ、亀ちゃんの眷属達を眺める。最近では在来種のニホンイシガメが増えている。甲長25cm程度のオレンジ色をした美しい亀だ。

 他にもクサガメも居るが、これは最近では在来種じゃなくて江戸時代以降に朝鮮半島や中国から渡って来た外来種らしい。真っ黒で格好良いのだが、色々と難しいな。あとスッポン、眷属の中では攻撃力の高い連中だ。

 

「ん?亀宮さん……いや、梢さんか。状況に流される自分の事を考えていたんだ。そんな顔はしないでくれ、最終的に納得はしているんだ」

 

 結婚しても姓は亀宮にはしていない、今流行の夫婦別姓。榎本一族の繁栄を望む、胡蝶さんに配慮したんだが一族からは良くは思われていない。亀宮家に婿入りしたのに何を勝手な事を的な?

 だが胡蝶さん的には榎本一族の繁栄が、亀宮一族の繁栄になってしまっては本末転倒。そもそもの彼女の力の源が曖昧になり善に傾いていたのに悪神に極振りしちゃうから駄目なんです。

 並んで池を見下ろす。何となくだが心が休まる。つまりそう言う事だ、梢さんを選んだが幸せには変わりない。まぁハーレムっぽくなったが、子供が生まれる度に胡蝶の力が増える。これが一族を増やすメリットか……

 

「ふふふ、そうですか。嬉しいですわ」

 

 彼女の腰に手を回すと身体を寄せて来た、最近は魅麗さんみたいな妙な色気が出て来たんだよな。本妻として、桜岡さん達を仕切るからか腹芸も覚えてきた。若宮の婆さんも褒めていたし、相当の成長スピードか?

 これから亀宮一族は、怒り狂った一子様が率いる加茂宮一族と事を構える事になる。伊集院阿狐ちゃんとは不可侵条約を結んだ、彼女は中国地方を欲しがっているし亀宮は関西圏を欲している。

 やはりというか壷毒の影響で、一子様の性格に変化が出て来たみたいだ。好戦的になっていて、伊集院一族にもチョッカイを掛け始めたんだ。余談だが楓さん達、五十鈴神社系の巫女達が亀宮に亡命して来た。

 

 一子様が楓さんが僕を奪うとか手を出したとか妄想により危害を加えて来たとか……若宮の婆さんが受け入れを強く希望したのは、内部分裂を助長して有力な者達の引き抜きをし易くしたのだろう。

 正気を失った、一子様は九子と同じ末路になりそうで怖い。だが今の僕は、亀宮一族の当主の伴侶として行動しなければならない。近い未来、榎本一族は繁栄する。亀宮一族と共に日本の半分を勢力下に置くだろう。

 美しき妻と多くの愛人、人外の相棒を手に入れた僕の人生は勝ち組だが人としては最低の本妻公認の浮気野郎だろうな。それも自分が選んだ?いや、強制的に選ばされた人生か?いやいや間違い無く自分で選んだんだって。

 

「そうだ、正明よ。我を崇め我と共に繁栄するのだ。榎本一族の繁栄こそ我の使命、それが七百年の時を経て現実のモノとなるのだ。目指せ、日本制覇!亀もそう言っておるぞ」

 

 亀ちゃん、胡蝶さんに首根っこを抑えられて涙目で頷いているけどさ。君は亀宮一族で一番偉い霊獣なんだから、胡蝶さんの使役獣じゃないんだから。もう少し待遇の改善をする様に頑張るよ。

 

 ご免ね、亀ちゃん。

 

 



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