あいえす城御前試合 (徳川さんちの忠長くん)
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オープニング

多分千冬姉が最強です。


 第一回モンド・グロッソ。

 この大会において、織斑千冬の試合を観たものは皆、「血飛沫を見た」と口を揃えて言う。

 ISの絶対防御を乗り越えて、人が人を斬る瞬間。彼女はそれを人々に幻視させた。

 織斑千冬という剣客の前では、世界有数の武術家、軍人、IS乗り、科学者、果てはISそのものでさえも、有象無象の案山子でしか無かった。

 

 まごう事なきブリュンヒルデ(世界最強)の誕生であった。

 

 

 3年後、第二回モンド・グロッソ。

 人々は再び訪れた蹂躙に恐れ慄きつつも、彼女の活躍をどこか心待ちにしていた。

 織斑千冬は怪物のようだった。織斑千冬は英雄のようだった。

 いずれにせよ、織斑千冬は世界最強だった。

 この大会でもその強さは健在だった。

 踏み込み、躱し、隣接し、斬る。

 弾き、突き抜け、逸らし、墜とす。

 鎧袖一触とばかりに瞬く間に試合を終わらせていく。

 準決勝も危なげなく一太刀で斬り伏せて、決勝に駒を進めた彼女を見て、観客達は予定調和の優勝を確信した。

 

「長く続いた第二回モンド・グロッソもいよいよ決勝戦! ブリュンヒルデの称号は未だ彼女のものなのか、それとも今日新時代が訪れるのかッ! 泣いても笑ってもこれですべてが決まるッ!」

 

 世界の誰もが、テレビの前で食い入るように見つめていた。

 おしゃまな少女は将来の自分を重ねて、大人達は輝いていた在りし日を重ねた。剣、機械鎧、世界最強。普段、IS興味を示さない男達も、この日ばかりは足を止めて三つのロマンに注目していた。

 老若男女国籍問わず、世界が一つになっていた。

 

「世界最強の剣! 止められるならこの女しかいない! イタリアの烈風ッ! 挑戦者の入場ですッ!」

 

 女性の実況とともに、ドライアイスが噴きあがり、入場口が白煙に包まれる。暴風が白煙を切り裂いて、一人の女が入場し──会場のボルテージが更に上がる。

 彼女のプロフィールがつらつらと読み上げられる中、女はもう一つの入場口を睨みつけていた。茨木童子の如き面構えであった。世界を獲らんとする隻眼であった。

 その眼光に、観客達の目も自然と一点に引き寄せられる。

 

「──説明不要! 最早彼女については皆様もご存知でしょう! それでは登場して頂きましょう! 第一回モンド・グロッソ優勝者! 現ブリュンヒルデッ! 織斑千冬選手の入場──ッ!」

 

 実況の女の絶叫が鳴り響き、鳴り響き、鳴り響き──。

 ──何も起こらない。もうもうと立ち込めていた白煙が消えても、そこには誰もいなかった。

 歓声は困惑へと変わり、困惑は動揺へと変わった。

 

 ──その瞬間、どこかで誰かのたが(・・)が外れた。

 

 

 

 決勝戦不戦勝という波乱から暫く。

 国際IS委員会。事実上世界を支配する雲上人の会合において、彼らは昨今の懸念について話し合っていた。

 

「あー、なんだ、つまり最近の世界的な治安の悪化は 織斑千冬の決勝戦棄権(・・・・・・・・・・)にあると?」

「信じられない事ですが、その可能性が濃厚かと……」

 

 ISの登場以降、世界情勢は大きく変化した。

 旧来の軍事力は最早意味をなさず、かつての超大国はその座から引きずり降ろされた。吹けば飛ぶような小国でも、IS一機手に入れるだけで、それなりの発言権を得ることができるようになった。

 マクロな視点だけでなく、ミクロな視点でも大きな変化が訪れた。

 言うまでもなく、女尊男卑の思想だ。国によって差はあれど、女性優位の風潮は暗黙のうちに認められていった。

 インドのカースト制において、聖職者を除けば戦士は最上位階級である。軍事力の保持者、戦える者というのはそれだけで特権階級なのだ。そして、ISは女性にしか動かせない。

 IS社会において、男性は社会的地位向上の切符を初めから持っていなかった。

 

 ISが世界に広まった当初、男女同権を謳う現代社会において、このような風潮が広まることは、多くの社会的な反発を招くと予想されていた。

 ところが、女尊男卑は男女問わず多くの人々に──消極的ではあるものの──受け入れられていた。

 多くの人々の予想を外し、歴史に逆行した思想が認められた理由は何だろうか?

 

「確かに彼女は強かった。それも途方もなく強かったですからねー。男性とか女性とか関係なく生物として強かったといいますか……」

 

 ──その理由はつまり、「織斑千冬が強すぎたから」である。

 

 第一回モンド・グロッソを観て、多くの男性は「この人には勝てない」と確信した。

 ざんばらりと敵を切り捨てる女武者に対して、自分が太刀打ちできるというイメージを誰も持てなかった。

 例えISが無かったとしても、自分の方が強いと胸を張って言えなかった。

 彼らは男性が女性に劣っているとまでは思わないものの、男性が織斑千冬に劣っているとは認めたのだ。

 織斑千冬を頂点とした女性優位の社会。

 彼らはその降伏文書にサインせざるを得なかった。

 

「それで、世界最強が居なくなったから暴れてやろう、と?」

「そこまでは言いませんが、ブリュンヒルデという神輿が汚れてしまった感は否めません。革命的な指導者が居なくなったようなものかと」

 

 ところが、第二回モンド・グロッソ。

 決勝戦に織斑千冬は現れず、ブリュンヒルデのタイトルは挑戦者に形式的に明け渡された。

 多くの人々が消化不良を抱えていた。

 口さのないものたちは、すわ買収だ、すわ陰謀だ、と思いおもいの中傷を重ねた。

 ──織斑千冬がいないなら俺たちでもワンチャンあんじゃね?

 実現可能かどうかはさておき、一部の抑圧された男たちはISに乗る女たちへの襲撃を頭の片隅に入れ始めた。

 未だ暴動には繋がってはいないものの、多くの人々が社会に漂うきな臭さを感じていた。

 

「もう一人の方はどうかね、彼女も今は世界最強だ」

「確かにそうですが、織斑千冬ほどの絶対性、英雄性は持っていないと考えられます。そして何よりも──」

 

 暴風の女は抑止力足り得ないのか?

 悲しいことに、彼女にはそれほどの影響力は無かった。

 確かに世界で五本の指に入るほど強いのは事実だ。しかし、絶対に勝つ、と誰もが心から信頼できるほどの強さを世界に見せつけることは出来なかった。

 表彰を拒否したことは、彼女自身の心の現れかもしれない。

 既に失冠したのにもかかわらず、今なお──あるいは未来でさえも──織斑千冬がブリュンヒルデ、世界最強と呼ばれていることからも、それは明らかだった。

 そしてその最たる理由として──

 

「織斑千冬に彼女が勝っていないことが最大の理由と思われます」

 

 ──二代目ブリュンヒルデは織斑千冬を打倒していない。

 全ての理由はそれに尽きた。

 

 

 

 ああでもない、こうでもない。

 会議は踊る、されど進まず。

 原因は分かったものの、根本的な解決策は一向に浮かばなかった。

 

「現ブリュンヒルデを織斑千冬級にまで押し上げるか、織斑千冬健在を示すか、詰まる所この二つしか無いのでは?」

「でしょうな。しかし、どちらも困難なのもまた事実です」

 

 方針が示され、会議は回る。

 

「パフォーマンスはどうでしょうか? 二代目が活躍する映像を世界に流しては……」

「恐らく無意味だろう。作られた映像では、筆舌しがたい圧倒的な感覚を表現できない。真っ当な脚本家では誰もが認める世界最強は表現できん」

 

「それでは織斑千冬に返り咲いて貰うのは?」

「難しい。彼女を祭り上げる大義名分が存在しない。その上、今の彼女はドイツの管轄だ」

 

「第三回モンド・グロッソを行うのが妥当かと」

「真っ当な意見ですが、三年間先延ばしにするのは極めて危険です。導火線にいつ火が着いてもおかしくありません」

 

「放置する、と言うわけにはいきませんよね……?」

「まぁ無理でしょうな。出血は早めに止めねばならんでしょう。多少のリスクもやむなしですよ」

 

「いっそのこと、女尊男卑を世界スタンダードにするよう声明を発表してみては?」

「不可能です! 多くの国がひっくり返りますよ!」

「……ジョークですよ、ジョーク」

 

 人間生まれたからには、誰もが一生に一度は夢見る「地上最強」。それを成し遂げた女に対して敬意を払う、というのは遺伝子に刻まれたミームなのかもしれない。マスコミを介さずに作られた世界普遍のルールに対し、解決策を示すことができずにいた。

 

 

「……えきしびしょんまっち(・・・・・・・・・・)、という形で行うのはどうじゃろうか?」

 

 停滞した会議を進めたのは、一人の老婆の声だった。

 古くはかの徳川将軍家に連なるものだと嘯くこの老婆、日本のみならず、大国の政界、財界にも手広くその手を広げており、無位無官にして、国際IS委員会に招聘されるという、大層奇矯な婆であった。

 

「第三回モンド・グロッソよりはハードルは下がりますが、どうでしょうか? エキシビションを開くに足る理由、道理が無いかと……」

 

 これまでの議論の中で、エキシビションという案は出なかったわけでは無い。しかし、その案は真剣に考慮されていなかった。

 というのも、エキシビションが真に効果的であるとは考えられなかったからだ。

 当然ながら世界的な戦いにする必要があるだろう。神輿を作るのに野良試合ではいけない。

 かといって、あまりにも正式な戦いにしてしまうと、それはモンド・グロッソと何が違うのか? となってしまう。

 また、ネームバリュー的な問題もある。エキシビションで勝利することがイコール世界最強に結びつかないのでは無いか、とする懸念もあった。

 

 至極真っ当な意見。

 それをこの老婆は蹴飛ばした。

 

「道理? 要らんじゃろう。織斑千冬が遊んでくれると言えば良い。我こそは織斑千冬を打倒せしめん者なり、と法螺ふく馬鹿どもが群がってくるわ!」

 

 にやりと相貌を歪めて、カカッと婆が嗤う。

 

「しかし、それはモンド・グロッソと変わらない! 権威付けが出来ません!」

「ならば、るーる(・・・)を変えればよい。そうさな──飛行、射撃武器禁止、などでよかろう。ほれ、差別化できた。それに、これは織斑千冬が最も得意とするるーる(・・・・・・・・・・・・・・・)じゃろう?」

 

 沈黙。筋が通っていなくも無い言い分。

 反論が硬直した瞬間に、老婆は毒をたらし込む。

 

「それにほら、お主らの国にもいるじゃろう? ──空は飛べず、銃も撃てない、でも強い。そんな武芸者どもが……? このるーる(・・・)ならそら、喰えるのでは無いか? 織斑千冬でも……?」

「──────ッ!!」

 

 居る。確かに居る。

 会場に居合わせた各国の政府高官の頭にそれぞれ誰かしらが浮かんでいた。

 

 ──彼女は空なぞ飛べぬという。人間は地に足つけて生きるものだ。宙を舞う武術など存在せん!、とのたまう飛行不適合者!

 

 ──彼女は銃なぞ撃てぬという。たかたが豆鉄砲では人は殺せぬ、直接切り殺してこその戦いよ!、とのたまう軍事不適合者!

 

 彼女達は今のIS社会の基盤にそぐわない。銃を使えない時点で軍の規格にあっていない。空を飛べないなんてものはそもそもISの用途に反している。

 ──だけど彼女達は確かに強い!

 その時会場にいたのは、喧嘩なぞ一度もしたことの無い、インテリを気取った女たちであったが、彼女達は自然とこう思った。

 

 ──観たい。自分の国の武芸者が、自分の知っているあの子が、他の国の武術家達を叩き潰すところが観たい!

 そして、願わくば──織斑千冬に土をつけるところが観たい!

 

 にやり、と女が笑う。

 にたり、と女が微笑う

 にへら、と女達が嗤った。

 

「さて、どうする? ──などと聞く必要も無いか。お主らのその面、鏡でも見せてやりたいわい」

 

 やろう。

 やろう。

 つまりはそういうことになった。

 

 

 

 エキシビションマッチの開催決定。

 ISにそぐわない、極めて特殊なルール下での大会の発表。

 反発は驚くほど少なかった。

 世界中の誰もが、かの決勝戦に納得していなかったのかもしれない。

 会場の調達、武芸者の調達、武器の開発。世界が慌ただしく動く中、日本の片隅、どこかの武家屋敷。一人の老婆と一人の女がとつとつと話している。

 

「──まったく。結局のところ、貴女が一番観たかったのでは有りませんか? 武芸者好きの徳川先生?」

「──カカッ! まぁそう言うでない。わしも観たい。彼奴らも観たい。みんなが観たい。それ、これぞうぃんうぃん(・・・・・・)というやつじゃろう?」

 

 悪びれる様子なく老婆が言うと、女ははぁ、と溜息を吐いた。

 老婆は湯呑みを傾けて、ふぅと一息つき、それに、と続ける。

 

「それに、何処ぞの小僧が言っておったぞ。

 ──俺が誘拐なんてされなければ、千冬姉は優勝していたんだ! 千冬姉が世界最強なんだ!

 とのことじゃが……?」

「──────ハハッ」

 

 ぎらり、と女が嗤った。

 獣のような笑みだった。

 

 



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成層圏下より愛をこめて
成層圏越え


選手紹介パート
IS度は70%くらい


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──あれこそが、我らが目指すべき星である、と。

 

 

 

「──でだ、ナターシャ。その博士先生は本当に使い物になるのか?」

 

 悠然と広がるネバダの荒野。

 建物一つない荒涼とした大地を、一台のキャデラックが走っていた。

 

「ええ、間違いなく。少なくとも、そこらの木っ端科学者よりはマシ(・・)だと保証するわ。お抱えのテスター含めてね」

「アンタの言うことだから間違いは無いんだろうけどねぇ……」

 

 ぶつくさと言葉を漏らしながらハンドルを切る黒スーツを纏った女。

 近頃開催が決定した、IS界最強の武芸者を決める大会。彼女は、その大会の自国代表を探し求めて、アメリカ全土を駆けずり回っていた。

 

「大人しくアンタみたいな優秀なパイロットが出るのが上等だとアタシは考えてるんだけど、実際のところどうなんだい? ナターシャ」

 

 黒スーツは助手席に座る女に水を向ける。

 ナターシャ・ファイルスという名の女は、黒スーツの女に対して、わかってないわね、と漏らす。彼女の顔には呆れ顔が浮かんでいた。

 

「あの大会に私達みたいな常識的(・・・)なIS乗りは適してないわ。所謂教科書的、軍隊的な戦術が一切使えないんだもの」

 

 飛行禁止、射撃武器禁止というルールは、彼女達のようなまっとうなIS乗りの良さを殺していた。

 ISの利点の一つに、UFOに例えられる程の、三次元的な機動力があるが、その機動力を生かす戦術として、高所からの攻撃、というものが挙げられる。重火器は言うに及ばず、近接武器に関しても、重力を味方につけて攻撃する、というのは極めて有効であった。そのため、IS同士の戦いではときおり、いかにして高所を取るかという、陣取りの様相が見られた。

 ところがこのレギュレーションにおいては、IS戦闘における常道が通用しない。飛ばず撃たずの戦いは、実質的にはISを纏っただけの格闘技に他ならなかった。

 女の説明を受けて、黒スーツはふぅと嘆息する。

 

「通りで軍属のIS乗り達が出場を辞退するわけだよ。素人同然のままで戦場に送られたんじゃそりゃそうなるわな。それで、ルールよろしく、キワモノの博士先生にお鉢が回ってきた、と」

 

 片手でハンドルを握りながら、黒スーツは手元の資料を流し見する。ナターシャの咎めるような視線を躱しつつ、女は資料の中身を口にした。

 

「アタシも車にはそれなりに自信あるんだ。こんなだたっ広い道路なんて、目を瞑っても事故るかよ。ええと、なになに。

 ステラ・ライヒ博士。飛び級でMITを卒業する天才で、幼い頃から奇想天外なイロモノを作り出して──おおぅ、IS関係の国家プロジェクトにも関わってるじゃねぇか」

「ええ、私の担当するあの子(・・・)にも携わっていると聞いているわ」

「ふーん。イスラエルとの合同開発にもねぇ……。ってうわぁ、八本足の研究、開発にも主軸で関わってるのか」

 

 確かにこれはキワモノだ。だがその分優秀でもある。

 女の脳裏には、スケールダウンした天災の姿が浮かんでいた。

 

 しばし資料を読み進めながら、女はキャデラックを走らせる。

 何も無い荒野だったが、遠目には、近代的であろう建物が見えてきた。研究所までもうすぐだった。

 資料を読み終わり、何を思ったか、黒スーツの女は窓を開けた。窓を通った風が、女達の頬を撫でる。

 

「──しっかしまぁ、いくら奇天烈な博士先生といっても、こんな僻地に居を構えなくてもいいだろうに。不便じゃないのかねぇ」

 

 愚痴をこぼす黒スーツに、助手席の女はああ、と理由を説明する。

 

「ええと、それはね。ステラ博士は優秀ではあるんだけど、その分強烈な方だから──」

 

 ドォォォオオン! 

 みぎゃーー! 

 わー! ごめーん!

 

 爆発音と共に、甲高い悲鳴が辺りに轟いた。

 研究所の中から、人型の何かが吹き飛ばされ、星になった。

 

「──つまりは、ああいうことなのよ」

「──なるほど、よくわかった」

 

 唖然とする女達を乗せたキャデラックは、研究所へと向かう。

 

 アストラ研究所。その看板はどこか煤けて見えた。

 

 

 

「だから博士! こんな欠陥品使えないじゃん!」

「なにおぅ! 一刺しすれば爆発して再起不能にさせる槍! どう考えても名作じゃないか!」

「刺した方まで再起不能になるんじゃ意味ないよ!」

 

 軍属の女達が研究所に着いた時、白衣を着た女とISを纏った赤毛の女がぎゃーぎゃー、わーわー、と言い争っていた。

 たじろいでいるナターシャをよそに、黒スーツは揚々と白衣に声をかけた。

 

「へい、ステラ博士。少しいいかい?」

「──ったく、この傑作の良さがわからないなんて、脳みそ入ってるの?

 ってなんだい? どうしたの、お客さん?」

「ああ、軍の者でね、博士にちょいと頼みごとがあって──」

「なになに! 軍の人!? またうちの傑作を持って行ってくれるの?」

 

 白衣の目がキラリと輝く。

 黒スーツが何を言う間も無く、女は「傑作」のプレゼンを始めた。

 

「それじゃあ、まずはこの自信作! 物に刺さると爆発する槍! 刺さってしまえば戦車でも一発で仕留められるぞ!」

「刺さった瞬間爆発するから持ち主も死んじゃうけどねー」

 

「それならこれはどうだ! IS装甲をも切断できるウォーターカッター発射装置! 残弾も拡張領域(バススロット)を使えば半ば無限に使えるぞ!」

「それ拡張領域(バススロット)の中身が水でビシャビシャになるじゃんか! 火薬が湿気るんだよ!」

 

「むむむ、ならば! 戦艦の主砲をモチーフにした大型大砲! 当たれば一撃でバラバラだぞ!」

「ISがただの飾りになってるって文句言われてなかったっけ? それ」

 

「しょうがない、秘蔵っ子! 一度爆発すると拡張領域(バススロット)から同じ物を引っ張ってくるグレネード! 中身の続く限り延々と爆発し続けるぞ!」

「相手が倒れても爆発し続けるって、ええっと、なんだっけ……、そう! 倫理的にNGってやつだ!」

「……ってなんだい君は! 大事なプレゼンだから邪魔するんじゃない!」

「博士こそそんな欠陥品を押し付けちゃだめじゃん!」

 

 ぎゃーわー。

 白衣と赤毛は、再びじゃれ合いに戻った。

 研究所を訪ねた女達は、顔を見合わせる。

 

「──こいつら、いつもこんな感じなのか? まさしく唯我独尊! って感じだが……」

「えぇ、まあ。文字通り自由! って人達よ……」

 

 落ち着くのにかかった時間、十分。

 

 閑話休題。

 

「それで、だ。博士。今回訪ねたのは、御宅の愛らしいお子さん達を引き取るためじゃない。もっとビッグなことだ」

 

 研究所組が落ち着いた後、来客用の卓を囲んで、腰を据えた黒スーツの女が話し出す。

 と同時、赤毛の女がカップに珈琲を入れて持ってきた。油で汚れている。汚い。

 

「──ああ、ご苦労。で、ビッグなことっていうのはなんだい? うちの傑作より凄いんだろう?」

「っと、その前に一応確認だが、この前のモンド・グロッソは観たか?」

 

 黒スーツと白衣は話しながら珈琲に口をつける。

 その様子を見た、ナターシャ・ファイルスはぎょっとした。

 

「勿論、観たさ。決勝戦以外は良かったよ。決勝戦? クソッタレだったね」

「同感だ」

 

 赤毛の女はナターシャにニコニコと珈琲を進める。押されてカップを手に取った彼女は、嫌そうにそれを飲んだ。

 美味い。

 

「それでだ。決勝戦の焼き直しをすることになったんだが。それに対して、博士。協力してくれないかい?」

「ふぅん。軍人さんがたには私のアートがわからないと思ってたんだけど、一体全体何があったのかい?」

「ああ、そうだな。アタシとしては、博士のアートは意味わからんが、今回の大会ではなんとも博士好みな感じになるらしい」

「──へぇ?」

 

 黒スーツの差し出した紙束を巡りながら、白衣の女は疑問を口にする。

 

「それで、私に何を作って欲しいんだい?」

「我々アメリカが、世界一であるという証拠だ。

 ──織斑千冬と篠ノ之束(・・・・)を超えるような物を作ってくれ」

 

 

 

 

 

 ステラ・ライヒは、自分の事を、常に一番星であると考えていた。

 幼い頃から控えめに言って天才(・・)であった彼女は、なんだかんだ言っても自分が一番凄いと思い込んでいた。

 

「もすもすひねもす〜。今回束さんが作ったのは、これ! 宇宙空間でもバッチリ活動できる天災的なスーツ! その名も──インフィニット・ストラトス!

 じゃあこれを見てもわからない凡人達のためにデモンストレーション始めまーす!」

 

 ── 天災(・・)を目の当たりにするまで、は。

 

 ISを作れ、とみんなは言う。──出来ない。

 ならばコアだけでも解析しろ、とみんなは言う。──出来ない。

 

 所詮人間レベルのステラでは、人外の域に差し込んだ篠ノ之束には太刀打ちできなかった。

 ステラは天才とは呼ばれていたが、結局のところ、偉大なる先人達の肩の上に立っているに過ぎず、たった一人でそれまでの「積み重ね」と肩を並べる「知の巨人」とは比べ物にならなかった。

 

 天災(・・)に鼻っ柱を叩き折られたステラは、それでも他と比べればまだ(・・)優秀であったため、ISの改修、開発などに携わっていくこととなる。

 星を目指していた女にとって、天災(・・)の残した泥を搔き集める作業は、酷く惨めに思えて仕方なかった。

 

 そんなこんなで鬱屈とした生活を送っていたある日、ステラに転機が訪れる。

 それは縁あって、国が徴用した、IS適性の高い少女達の教練を見学している最中であった。

 

「だぁーっ! もうっ! こんなの当たるわけないじゃん!」

「つべこべ言うな、エステル!」

 

 星の名を冠した、赤毛の少女であった。

 足を止めてその少女を観察していると、なるほど、その特異性が目に見えてきた。

 

 エステルは、書類上は非常に優秀なIS乗りであった。IS適性も当時としては珍しくBの上位であり、基礎的な運動神経も抜群。ISに乗るべくして生まれたような少女だった。

 

「おい! エステル! お前どこに向かっているんだ!」

「あれぇ? 教官! あっちに向かうんじゃなかったんですか?」

「お前は皆についていくことも出来んのか!」

 

 ところがこの少女、軍隊には大層不向きな人材であった。

 まず、銃を上手く扱えない。止まったままの的当てでさえ、悲惨な出来だった。いっそ銃で殴りつけた方がマシだった。

 次に、致命的なまでに、集団行動に向かなかった。あっちへふらふら、こっちへふらふら。悪気なく迷子になり、悪意なく迷惑をかけていた。

 鬱屈としていたステラでさえ、うわぁ、と思うような少女であった。

 ──だからこそ、気まぐれを起こしたのかもしれない。

 

「教練中申し訳ない。少々よろしいだろうか?」

「如何致しました、博士?」

「いや、なに。そのエステルという少女」

 

 ──うちで預からせては貰えないかい?

 

 

 要望はすんなり通った。

 それは、優秀な博士の珍しいわがまま、だったからかもしれない。

 それは、使えなさそうな少女が相手だったからかもしれない。

 ともかく、エステルという少女は、ステラという博士の預かりとなった。

 

「──というわけで、ようこそ、アストラ研究所へ。記念すべき二人目の所員だ」

「よろしくー。ってうわ! 何これ!」

「ってこら! 危ないじゃないかい!」

 

 エステルが興味を示したのは、一見なんの変哲も無いただのカードであった。

 危ないってどういうことさー! と不平を漏らす赤毛に、ステラは説明を始めた。

 

「つまり、あー、その、なんだ。所謂ジョークグッズだよ」

 

 曰く。

 むしゃくしゃしていたある日、暇つぶしにジャパニメーションを観ていた。ホビーアニメだった。銃で撃たれそうになったキャラクターが、手持ちのカードで銃を弾き飛ばしていた。

 ──これできるんじゃね? と思った。

 

「そんなこんなで作ったのがこの──なんでも切れるかも知れないカード、だよ。今思えばなんとも馬鹿馬鹿しい。こんなもんまともに扱えるわけあるまいに……」

「ふーん。じゃあ少し借りるね!」

「は?」

 

 シャキーン、ひょいっ、ヒュン、すぱっ。

 

 あっという間だった。ISを装着して、カードを持ち、適当に放り投げられたそれは、弧を描いて──ステラの愛車を切断した。

 

「……こっの────」

「うわー。凄いね、これ。意外と使いやすい(・・・・・)じゃん! ……って、あれ? ……博士?」

「──阿呆がーーーーッ! どうするんだいこの車! まだローンも残ってるんだよ!」

「ごめんなさいーーーーッ!」

 

 

 ステラにとっては降って湧いたような災難だったが、その実、エステルという少女の面白い特性が浮き彫りになった。

 

 それは、真っ当な武器を扱えず、イロモノ、キワモノほど感覚的、あるいは経験的に理解できるというものだ。

 

 エステルは件のホビーアニメを観たことがあるという。そのため、なんとなくこうやってたような気がする、という感覚に従った結果、カード斬鉄を可能にした、らしい。

 ステラはそれを聞き、──面白い、と笑った。

 

 

 この日より、そこそこまともだったアストラ研究所が、ビックリドッキリ兵器開発所へと変貌した。

 

 

 

 

 

「──博士、博士? アタシの声が聞こえているか?」

「──ああ、済まない。少々思考の海に潜っていた」

 

 天災(・・)を超える。

 その言葉を聞いた時、今までの人生がフラッシュバックしていた。

 一度折られたステラにとって、それはトラウマだった。逃避の言葉が口から零れ落ちた。

 

「目標は大変結構だけど、実際問題私でできると思うかい? もっと優れた研究者なんて広いアメリカだ、いくらでも──」

「──私が思うに、博士で駄目なら、他の誰でも駄目だと思うわね」

 

 ステラの言葉を止めたのは、今までずっと口を閉ざしていた、ナターシャだった。

 

「私はエステルと出会う前の博士のことは、少ししか知らないけど、エステルと出会った後の博士の奇行を見ていたら、こう思ったわ。

 ──篠ノ之束っぽいってね」

 

 私のような凡人では参考にならないでしょうけど。そう零して女は珈琲を啜った。

 カップについた油汚れを思い出し、しかめっ面をした。

 

「博士! やりましょうよ! 私も織斑さんと戦ってみたいです!」

 

 赤毛の女は能天気にそう口にした。天災、人外、巨人に挑む。そんなことを感じさせないほど、阿呆な女だった。

 けれども、その蛮勇は、ドン・キホーテのような女だった。

 それならこの女と共にある自分は、サンチョ・パンサなのか、と苦笑した。

 やろう、ステラはそう思った。

 

「──わかった。やろう」

「オーケー! わかった! 勝てる見込み、偉大なるアート(武器)の構想はあるかい?」

「──ああ、勿論。何せ私は」

 

 ──天才、だからね。

 

 

 

「然るに、織斑千冬と篠ノ之束、どうすれば二人同時に超えられると思う?」

 

 白衣の女は、珈琲のお代わりを受け取った後、三人に説明を始めた。

 

「どうって……、それは勝てばいいんじゃないのか?」

「実現可能かは置いといて、ISを一から作ってしまうのは……やっぱり無理よね」

「まぁそうだね。私にはISは作れない。それは嫌という程(・・・・・)よく分かってる。ただ、要するに、世間様から見て、篠ノ之束より凄い! と思わせれば勝ちだろう?」

 

 だったら、簡単じゃないか。

 白衣の女は、自身の相方に尋ねた。

 

「エステル。どうすればいいと思う?」

「んー? 篠ノ之博士より凄くなればいい? 篠ノ之博士が出来ることは博士にだって出来る、そう思わせるとか?」

「──正解」

 

 白衣の女はからからと笑った。

 なんだかよくわからないけど、赤毛の女も釣られて笑った。

 

「霊刀・雪片と単一仕様能力・零落白夜。これの模倣で行こう。こちらの武器(エモノ)はせっかくアメリカなんだし、これで行こうか」

 

 そう言って、女は立ち上がると、テレビデッキの近くに置かれたDVDを手に取った。

 パッケージには、「宇宙戦争」と記されていた。

 

「エステル。私達、それからこの研究所は、せっかく星を感じているんだ。たかたが無限の成層圏(・・・・・)ごときに押さえつけられるのもしゃくじゃないかい?

 ──そろそろ越えようか、成層圏」

「んー? わかった!」

「それじゃあ、うん。研究も兼ねて、今日はDVDでも見よう!」

 

 

 

 彼女(白衣)は天災に劣っている、と自覚している。

 彼女(赤毛)は綴じ蓋を見つけた、割れ鍋である。

 彼女達は比翼連理の鳥である。

 彼女達は成層圏の向こう側にふわふわ浮かぶ、二つの星である。

 

 アメリカ代表、光剣使い。

 星のエステル。

 

 

 



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齢四千の老虎

もはやIS度10%


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──これは天命である、と。

 

 

 

 北京から宿州へと向かう列車の中で、男ははっと目覚めた。

 うつらうつらとした寝ぼけ眼を手で擦りながら、男は空気を入れ替えようと窓に手を掛ける。

 窓の外、さぁさぁと流れる黄河を見下ろしながら、男はふと思索に溺れた。

 

 中国全土より、選りすぐりの武芸者を集めよ。

 全人代より発布された勅命を受けた時、男の頭には、一人の老婆が浮かんでいた。

 男には、武術のことなぞ、とんとわからない。二十年ほどそれらを齧った男であったが、その実、武術の真髄には、一寸たりとも近づけたとは思えなかった。それでも、テレビで見た織斑千冬の剣が、神域に達しているということは、朧げながら理解できた。

 仕事柄、武術家と呼ばれる人間を、男は多数知っている。しかし、織斑千冬に勝てるであろう女武術家、となると、大陸を離れ、華僑の者共に手を伸ばしたとしても、結局は宿州に住む、一人の老人しか頭に浮かばない。

 やはりかの虎、老黄しかおるまい。男はそう結論づけ、窓を閉じた。

 

 四時間ほど列車に揺られて、男は、宿州の寂れた農村部に立つ。

 北京のごみごみとした喧騒と比べて、ここはしんと静まり返っていた。

 久しく感じたことのない静けさに、いささか薄ら寒い物を感じながら、男は目的の家屋へと向かう。

 一面に広がった菜の花畑を抜けて、男は件の住居へと辿り着いた。

 一見すると、周辺の家々となんら変わりない茅葺き屋根の家。だが、庭先に置かれた数体の藁巻き──うち一つは中程から切断されている──と、玄関先の箒立てに、箒に混ざって立て掛けられた棍や棒が、一種異様な様相を見せる。

 男はまっすぐ玄関に向かい、扉をがんがんと叩き始めた。

 

「老黄、いらっしゃいませんか!」

 

 反応がない。殆ど無意識に、男は扉に手を掛けた。ぎぃ、と軋んで扉が開く。老婆の齢は、既に七十を超えていたことを、ここに来てようやく男は思い出し、ぞっとした。

 

「老黄! 老黄! ご無事ですか!」

 

 思わず屋内に怒鳴り込む。武芸者を捜しに来て、老衰した女を見つけるなぞ、笑い話にもなりはしない。一抹の不安を抱えつつも、男は家中を探し回った。

 その不安は結局のところ杞憂で、恐らく書斎だろうか、武術書の類が納められた部屋で、男は小柄な人影を見つける。

 

「ご無事でしたか。心配しましたよ……」

 

 声をかけられ、ぽかん、と男を見つめるこの老婆、名を阿蘭。黄 阿蘭という。

 腰は曲がり、顔は皺くちゃ。自身を訪ねる者の声が聞こえないほどには、耳が遠くなり、目も緑内障に半ば冒されていた。

 百人が百人、最早死を待つのみ、と断じるような、弱り切った老人。

 

 だが、その眼は爛々と輝いていた。

 中国武術会で、老黄、或いは老虎と呼ばれる女だった。

 

 

 

 

 

 今でこそ老虎などと呼ばれる阿蘭であったが、その生まれは貧農の娘であった。

 七人兄弟の末っ子の阿蘭には、二人の兄と四人の姉がいる。阿蘭が物心ついた時には、身体の弱かった彼女の母に代わり、姉達に面倒を見てもらっていた。

 阿蘭の家は大層貧しく、子供達がまだ産まれていない頃から、彼女の両親は爪に火を灯すような暮らしをしていたという。

 その為、阿蘭を含めた子供達がすくすくと成長することは、彼らの家計を食いつぶしていくことに他ならなかった。

 幸いにして、阿蘭の四人の姉達はすこぶる器量良しであったために、しばしば彼女らの土地の地主や、都の方の役人の下へ奉公に出ることで、僅かばかりの金子と、多少食いつなげるだけの穀物を得ることが出来ていた。

 当然ながら、阿蘭もまた、姉達と同じように奉公に出ることが期待されていたのだが、彼女はひとつ、重大な問題を抱えていた。

 というのも、彼女は姉達のように器量良しで美しいというわけではなく、有り体に言ってしまえば、醜いと言っても差し支えなかったのである。

 ろくに食を取れぬ生活であったからか、阿蘭の身体は小さく小柄で、鶏ガラのように痩せ細っていて、目の周りは落ち窪んでいた。その上幼き頃にぶつけでもしたのか、鼻が多少曲がっているという有様である。髪こそ姉譲りの美しい長髪を二つ括りにしていたが、その実この髪は、かつら用に売却することを目的とした、言わば財産であった。

 中国人、小柄で貧乳、ツインテールと要素を抜き出せば、かの偉大なる鳳嬢と似通ってはいたが、美しさ、愛らしさという観点では似ても似つかぬ存在であった。

 

 さて、この阿蘭。幽鬼さながらの見た目に違わず、大層寡黙で、必要なこと以外話そうとしない性格であった。反面、体格に似合わず、体力はある方なのか、農耕、家事炊事洗濯といった日々の仕事も淡々とこなしていて、女の働き手としては十二分に優秀であった。阿蘭の両親は、彼女が不器量であったことから、彼女の行く末をしてはいたものの、その働きぶりを考えるに、何処ぞの農家の倅が貰ってくれるだろう、とちょっぴりほっとしていた。

 

 そんなこんなで阿蘭14歳。

 阿蘭の両親が、そろそろ頃合いだろうと同じ年頃の農家の倅に渡りをつけはじめた時分。

 この頃、阿蘭は農耕の際、何処かしらかちらちらと視線のようなものを感じるようになっていた。

 別段特別なことをしている、という事もなく、ましてや彼女の見た目に惹かれる、という事も考え難かったので、自分に視線を向けられることを、阿蘭は大変不思議に思っていた。

 学のあるわけでもない阿蘭であったが、自分でわからないことはとりあえず人に聞いてみよう、と考えるほどの知恵はあった為、奉公から戻っていた二人の姉に聞いてみることにしてみた。

 

「姉様、姉様。最近何処からか視線を感じることがあるのですが、何か心当たりはありませんか?」

 

 ところでこの姉達。阿蘭にはあずかり知らぬことではあったが、いくつかの欠点を抱えていた。

 まず、この姉達は大変器量が良い。生まれが生まれなら、ヒロイン枠を狙える程度には器量が良かった。その為、奉公に出た先の地主や役人を見事に誑し込んで──本人達曰く大恋愛の果てに──妾の座に収まるほどであった。そして彼女達は皆一様に天然であった為、正妻との間柄もなぁなぁ(・・・・)で収まっていた。つまりは、彼女達は皆、万事を色事と結びつける、脳みそあーぱーな色ボケちゃんだった。

 次に、姉達は皆、末妹の阿蘭を目に入れても痛くないほどに可愛がっていた。

 阿蘭の手が化膿したと聞けば、やれ奉公先から医薬品をかっぱらっては治療し。

 阿蘭の股から血が出たと聞けば、やれ奉公先から小豆や米をかっぱらっては赤飯を炊いて祝っていた。

 そんな姉らに、視線を感じるなどと相談を持ちかけた阿蘭。彼女達の目には、悪い虫にせっつかれて震える美少女(当社比)の姿が映っていた。

 

「阿蘭ちゃん! 阿蘭ちゃん! 危ないですから明日はお家でゆっくりしてましょうねー」

「でも畑の面倒を見なくちゃ……」

「大丈夫よ阿蘭ちゃん! 私たちが代わりにやっておくからねー」

「姉様達土弄りの経験なんてありましたっけ……?」

「もちろん無いわよー。何かあったら近くの男手に頼んでみるから大丈夫よ、きっと」

 

 えぇ……。

 無知無学の阿蘭といえども、それはどうなんだろう、と思いはしたが、そこは偉大なる儒教精神。年長者の言うことにはとりあえず従っとけ、とばかりに姉達に一日任せることにした。

 心配ごとの無くなった阿蘭は、そのまま飯を食って、歯を磨いて、風呂に入って、寝た。

 基本姉二人に挟まれていた。

 

 

「で、どうするの?」

「戦いは数よ、姉上。かの孫子もおっしゃっているわ!」

 

 阿蘭が寝静まった後、姉二人は阿蘭に付き纏うストーカー(仮)の対策を考えていた。

 無論、この二人も恋愛ごとに関わらない事については、とんと知識が足りなかった。その為、人頭集めてローラーを掛ける、というゴリ押しを行う事にした。

 

「うちの阿蘭ちゃんがこわがっているんですぅー。どなたか助けてはいただけないでしょうかー?」

「どうかよろしくお願いしますー」

 

 軽い呼びかけを行った。

 凄く集まった。妻子持ちまで集まった。

 腰の曲がった老人が、どうれ儂も、と言わんばかりにすくりと立ち上がった。

 

 夕刻。

 即席の青年団を携えて、一人の男が現れた。

 筋骨隆々で顎髭、口髭を蓄えた、むくつけき男だった。

 

「それで、貴方は、いったい誰なのー?」

「某は、王龍。黄 王龍というものであります」

 

 王龍と名乗るその男、山賊のような風体をしていたが、話してみると、一端の知性を感じさせる男であった。

 過保護な姉達も、問題ないだろう、と判断するほどには理知的な男だった。

 姉の許しを得て、阿蘭は王龍に話しかけた。

 

「王龍さん。何故、私のことを見ていたのですか?」

「ふむ……。正直に申しましょう。某は、貴殿のその類稀なる精神と肉体に、非常に興味を惹かれております」

 

 ──お帰り願おうか?

 阿蘭はそう考えた。おそらく二人の姉もそう考えただろう。

 それを悟ったのか、男は慌てて付け加えた。

 

「阿蘭殿。貴殿には武に関する天稟の才があります!」

 

 

 

 天命。

 阿蘭の人生のうち、三度天命を知る機会があった。これがその一度目であった。

 王龍について行かねばなるまい、阿蘭は自然とそう悟った。

 

 王龍は都に居を構える武術家で、有望な弟子門弟を探して各地を放浪していた最中だという。

 その晩、王龍を携えて、阿蘭は両親を説得しに掛かった。両親ははじめ渋い顔をしていたが、最終的には出奔を認めてくれた。王龍の持つ金子に目が眩んだともいう。姉達は、「阿蘭がそれでいいならそれでいい」とだけ言った。

 ワクワクしていた阿蘭は、そのまま飯を食って、歯を磨いて、風呂に入って、寝た。

 二人の姉はぴったりと左右に寄り添っていた。

 

 翌日。

 善は急げとばかりに、阿蘭は旅立つこととなった。

 いってきます。いってらっしゃい。

 簡素な礼だった。

 

 王龍と共に都へと向かう。そんな阿蘭の背に、声が投げかけられた。

 姉だった。

 

 ──阿蘭! 一番凄くなりなさい! 私たちみんなが分かるくらい有名に、凄くなりなさい!

 

 ──わかった! 一番になる!

 

 

 阿蘭は上を向いて駆け出した。二度とは振り返らなかった。

 

 

 

 しばらくして、都に移り住んだ阿蘭を待っていたのは、生家と変わらぬ家事炊事である。

 数日経って、阿蘭はこれで良いのか、と王龍に尋ねた。

 王龍曰く、お主はまだ武家での生活に適応しておらぬ。しばしの間は慣れることから始めよ、とのことだった。

 

 なるほど、とは思ったものの、そこは14歳。反抗期!

 好奇心に押されて、家事の合間に、阿蘭は道場の方をしばしば盗み見に行った。そこでは、弟子門弟の者共が、素手での組手を交わし、或いは武器を持って型に励んだりと、それぞれの修練を重ねていた。

 こっそりと見ていた阿蘭は、一人こう思った。

 ──あれ? なんだか私でもできそうな気がする?

 

 

 15歳。阿蘭は正式に武の門を潜ることとなった。

 

「では、阿蘭。これより、我らと共に武の道を歩む事を赦そう。懸命に励む事だ」

「──はいッ!」

 

 大の男たちに混ざって、型を修練し、多種多様な武具の使い方を学ぶ小柄な少女。異様な光景であったが、不思議と馴染んでいた。

 

「よろしくお願いしますッ!」

 

 成人男性との組手。小さな体格という優位を活かさん、と懐に潜り込もうとする少女。しかし、所詮は子供の浅知恵。容易く見切られ、がしり、と組み付かれる。

 

「参りましたッ!」

 

 

 他の門下生に勝てぬ阿蘭。その原因を思い切って聞いてみる。

 

「私って、どうして勝てないんだと思います?」

「どうしてって、そりゃ、こんなにちみっこいからに決まってるだろ」

「──ならッ! どうしたら大きくなれますかッ!」

「飯食って風呂入って寝るッ! ガキの成長なんて、そいつで十分よッ!」

 

 なーんだ。いつもやってることじゃん。

 悩みが解決してスッキリとした阿蘭は、そのまま飯を食って、歯を磨いて、風呂に入って、寝た。

 

 

 月日は流れて30歳。阿蘭の基礎は完成しつつあった。

 身長(タッパ)こそ伸びなかったものの、骨ばった肉体には、武術家らしく強靭で、女性らしくしなやかな筋肉が着いていた。

 「体」が出来上がりつつあった。

 

「先に開展を求め、後に緊湊に至る。阿蘭。某はかつて、はじめにそう言ったな」

 

 まずは大きく動いて一撃の威力の向上に努め、後ほど小さく引き締めて精密さを学ばせる。

 王龍は、自身が経験した事を、弟子達にも徹底させていた。

 

「お主は既に緊湊に至っている。無手は言うに及ばず、武器術も十分練り込まれておる」

「ありがとうございます」

「うむ。だがしかし、未だお主は、某の教えの域を出ておらん」

 

 王龍は白髪の混ざりはじめた口髭を撫でながら、「守破離」という言葉は知っているか、と阿蘭に問いかけた。

 

「はい。日本武術の教えですね。

 教えを『守』る。教えの枠を『破』る。教えから『離』れる。

 この三つを成してこそ、出藍の誉れである、と」

「そうだ」

 

 幼き頃は無知無学だった阿蘭も今や三十路。師の影響もあってか、それなりに知性を身につけていた。

 

「お主は『破』から『離』へと変わりつつある。そろそろ某の教えを超える時だ。その為に、お主は一つ、技を身につけねばなるまい」

「それってもしかして──」

 

 中国武術の深奥、その一つ。

 鍛え上げた「体」に練り上げた「技」が合わさった時に昇華する奥義。つまりは切り札。

 誰かに教えられたものなぞ、所詮は猿真似。

 歩んだ武の道の先にある、武芸者その人を表す技。

 称して──

 

「──────」

 

 ──『絶招』。

 

 王龍の話を聞いて暫く。

 自分の絶招とはなんぞや。

 阿蘭は、悶々と考え事をしていた。考え事をしていた。考え事を……。

 

「んー! わからん!」

 

 生来考える事を得意としていなかった阿蘭。いずれ見つかるさ、とばかりに放り投げて、飯食って、歯を磨いて、風呂に入って、寝た。

 

 

 阿蘭40歳。いよいよアラフォー!

 それらしきものはいくつか見つかれど、これだ、という技は思いつかなかった。

 

「老黄ー。ごはんですよー」

 

 十年のうちにめっきり老け込み、王龍は稽古場に立つ事も少なくなっていた。

 彼のことを、阿蘭は第二の父のように思っていて、その為か彼の介護も修行の合間に行なっていた。

 

「老黄ー。いないんですかー?」

 

 いつもなら、呼べば来る。来なくとも返事を返す。不審に思った阿蘭は、彼の部屋の扉を開けた。

 そこには、ただ、一枚の文が遺されていただけだった。文には、「黄の名と道場を阿蘭に残す。道を極めよ」と、たったそれだけが記されていた。

 

 文を読んだ後、阿蘭の心は凪いでいた。

 彼女の頭では、王龍が自身を訪ねてから今日までの記憶が、ぐるぐると駆け回っていた。

 半ば無意識に、阿蘭は道場へと向かう。そこはがらん、としていた。

 神と、祖霊、そして師に対して深くお辞儀した阿蘭は、一人藁巻きの前に立つ。

 

「──────ッ!」

 

 阿蘭の中で、なにかが「カチリ」とはまる音がした。

 無言のままに道場を後にする。

 彼女の背には、半身を失った藁巻きが寂しく揺れていた。

 

 最早戸惑う事もなく。

 阿蘭は飯食って、歯を磨いて、風呂入って、寝た。

 14の頃を思い出した。

 

 

 道場主となった阿蘭、50歳。

 「技」に関して、一応の完成を見た阿蘭は、後進の育成と、自身の修練に励んでいた。

 女だてらで道場主を務めることに茶々を入れる輩もいたが、そこはそれ、力こそ正義の業界だった。

 

 代わり映えのしない生活を送りながらも、阿蘭はこれでいい、と思った。

 末期の時まで武の道を進む。

 阿蘭が知った二つ目の天命だった。

 

 

 60歳。阿蘭、遂に干支を一周する。

 この女は俗世を知らぬ。

 この女は色を知らぬ。

 だが、この女は武を知っていた。

 この歳にして漸く、武の「心」とやらを悟りはじめていた。

 中国武術会に老虎あり! などと囃し立てられようとも、その心、最早動じない──

 ──つもりだった。

 

 

 70になったある日。

 最近世間が騒がしいな、と思いつつ、阿蘭は珍しくテレビを見ていた。女の「体」は最近がた(・・)が来ていて、全盛期と比べると、功夫が足りていなかった。

 なにやら、スポーツ大会でもやっているらしい。酒の肴にでもなるだろう、と女は軽い気持ちで見ることにした。

 

 初めに興奮した。

 ついで歓喜した。

 そして絶望した。

 

 まごう事なき神域の剣士がそこにいた。

 女には最早彼女との立会いすら望めなかった。

 自らに失望した女は、生家跡地へと戻り、ひっそりと自らの武を慰めた。

 

 

 

 

 

 そして今に至る。

 

 顔なじみの男の話を聞き、女の顔には、じわり、と笑みが広がった。

 体の不調。耳の不調。目の不調。

 それらを丸ごと解決できる、ISなる機械鎧があるらしい。嘘か真か、隻腕隻眼の女さえも立ち回れると男は語る。

 見た事も、聞いた事もなかったが、もとより中国武術は武具術も含む。たかが具足程度、使いこなせると確信していた。

 

 脳に血流が回る。

 心臓がばくり、ばくりと鼓動を奏でる。

 丹田は今にも爆発しそうだ。

 

 

 老虎はだん、と大地を踏みしめた。

 阿蘭が生涯受け取った、最後の天命だった。

 

 

 

 彼女は武に狂っている。

 彼女は老衰の果てに、「体」を欠いていた。

 彼女は機械鎧を持ってして、「体」を補う術を得た。

 彼女は「心」「技」「体」研ぎ澄ませし、老境の武芸者である。

 

 中国代表、中国武術家。

 老()、阿蘭。

 

 

 

 

 



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被虐の軍人

IS度60%
少々エロチックな内容です。


 織斑千冬を見て女は思った。

 ──その一太刀、さぞや気持ちよかろう、と。

 

 

 

 モスクワ駐屯地に併設する、ロシア正教会のシスター、ダリア・コトフは、その日、一人の信徒、友人を迎えることになっていた。

 軍基地に併設されたこの教会では、立地的な都合上、訪れる信徒もその大部分が軍人である。告解の際も、暴力を生業とする事や、他者を殺害する事への懺悔が主であった。神への願いもまた、自身と仲間の安全など、現実に根ざしたものが多い。

 昨今の風潮の煽りを受けて、極めて異例ながら、神父の代わりに教会で奉仕することとなったダリアにとって、彼女たちの告解を聴くのは、最早日常的なものと化していた。

 礼拝堂の中を掃除していたダリアは、ふと壁掛けの時計を流し見る。

 短針は三を指し示していた。

 建物の外では、雪煙がひょうひょうと舞っていた。

 

「そろそろ来る頃かしら……」

 

 清掃道具をてきぱきと片付けながら、ぽとり、と声を漏らして少し。

 ぎぃ、と扉を軋ませ、一人の女が神の家に立ち入ってきた。

 まず目につくのは、180を超えんばかりの身長と、腰まで垂れ下がった美しいブロンドの髪。ついで、左の眼下から頰にかけて通った、薄い切り傷の跡だった。

 雪と土、汗にまみれた軍装を纏ったその女は、粗野な風体であったが、そこには妖しい色気が同居していた。

 名をエレーナ・ソコロフというこの女こそ、今話の主役である。

 

 

 シスターからタオルを受け取った軍装の女は、「あぁ、どうも。ありがとう」と労をねぎらい、重ねて申し訳ないのだが、と前置きして、一つの要望を口にした。

 

「みぞれに濡れた服がダボついてかなわん。替えの服はあるから、シャワーか何か貸してくれないか?」

 

 シスターがエレーナに目をやると、なるほど確かに。軍服はぐっしょりと濡れていて、小さなタオル程度ではどうにもならないほどだった。

 自身のうっかり(・・・・)に気がついた女は、気恥ずかしげに「ええ、どうぞ、構わないですよ」と告げた。友人と言えども、この女、職務中は敬語を使うタイプだった。

 大層粗放な(さが)であった軍装の女は、以前にも、こうして教会の設備を無心することが度々あった。ありがとう、と一言残した軍装は、勝手知ったる、と言わんばかりにシャワールームへと向かっていく。

 ──ああいった男勝りなところが、年若い女達の気をひくのだろうか?

 そのようなせんなきことを考えて、軍装の行く先を目で辿ったダリアは、はぁ、と深々と嘆息した。

 シャワールームへ向かう床には、ぽたぽたと滲み出た雪が、小さな水溜りを成していた。

 

 

 水溜りを除かんと、物置に雑巾を取りに行ったシスターだったが、その時ふと視界に入った洗剤を見て、そういえば、と昨晩の事を思い出した。

 

「そういえば、シャンプー切れてたっけ……?」

 

 洗髪剤がなければ、エレーナも困るだろう。

 そう思い立つやいなや、ダリアはシャンプーの替えを持ち出し、シャワールームへと足を運ぶ。

 脱衣所には脱ぎ捨てられた衣類がごちゃまん、としていて、女のズボラさが滲み出ていた。

 

「エレーナー。シャンプー切れてませんでしたー?」

「ん? ああ、確かに切れてるな。すまないが持ってきてはくれないか?」

 

 エレーナとしては、適当に脱衣所にでもおいておいてはくれまいか、と意図してそう頼んだのだろう。

 だが、このダリアというシスター。生来そそっかしいところがあり、同性特有の気安さもあってか、何処ぞの朴念仁よろしく、シャワールームへと一気呵成に踏み込んだ!

 

「はい! そういうと思って、持ってき────ッ!」

 

 ダリアは思わず息を飲んだ。

 中で水滴を滴らせていたのは、金色の髪をした男装(?)の麗人────では当然ない。

 そこにいたのは、あいも変わらず、無骨な女だった。いくら友人とはいえ、シスターがその女の裸体を正面から見たのは──当然ながら──初めてであった。

 そして、そのからだには、無数の刀傷、打撲痕があったのである。

 もともと見えていた顔面は勿論、肩も、胸も、両の腕足も、腹部も、いや股の先から太腿に至るまで、まるで場末の芸術家がむちゃくちゃに筆を振り回し、色をつけたかのような、そうそうたる有様だった。

 とてもではないが、安全安心を謳うISの試合で受けた傷とは思えない。

 シスターは何事かを言おうと思ったが、意に反して、口はぱくぱくと動くばかりだった。

 傷だらけの女は、ああ、と深く溜息を吐くと、

 

「済まない、ダリア。目に悪い物を見せてしまった」

 

 と謝った。シスターは何事かを言おうと一瞬画策し、

 

「どうしたのよ、その傷! 何があったの!?」

 

 出てきたのはそんな、敬語も忘れた、つまらない言葉だけだった。

 

「──悪い。ダリア。頼む。その事も話すから、告解室で待っててくれないか」

 

 エレーナはダリアにそう頼み込む。

 男勝りな彼女らしからぬ、縋るような言葉だった。

 

 

 

 告解室にて待つダリアの脳裏には、先ほどのエレーナの裸身が浮かんでいた。

 美しさ、妖艶さより先に、痛ましさを感じさせる体だった。暴力にはめっきり縁のないシスターは、彼女の将来──とりわけ女としての幸せが心配になった。

 

「済まない、待たせた。よろしく頼む」

 

 ダリアの教会の告解室は、信徒の様子が見えるようなつくりとなっている。向かい側に、パンツルックの女が現れるのが見て取れた。ここに来てダリアは、目の前の女が男らしい服装を好む理由が、自身の傷を隠すためではないかと勘ぐった。

 信徒の話を聴く、という原則を忘れて、シスターは軍人に詰問した。

 

「どうしたのよ、あの傷! 何? 誰にやられたの!? そもそもどうしてあそこまで傷つくの!? ISって安全じゃなかったの? というか私知らなかったわよ!」

「ああ、うん、そうだな。ファンデーションとかで意外と隠せるんだよ、これが」

 

 最近はいいもの売ってるよこれが……、などとピントのズレた答えを返すエレーナを見て、ダリアは噴火した。

 

「だーかーらー! さっさと訳を言いなさい! 訳を! どうしてそんなに怪我しているの!」

「ええと、あー、そのー、なんだ、うー──あまり気持ちのいい話じゃないぞ。ドン引きしたりしないか?」

 

 男らしい女が見た事も無いほどに優柔不断になっているのを見て、ダリアはただただ呆れた。

 ──そこそこいい友人をやっていると思っていたのは、自分だけだったのか?

 

「引く訳ないでしょ! ……いや、内容によっては引くかもしれないけどさ、それでも、ほら、友達じゃない、私達」

 

 雪のように白い頬は、ほんのりと赤く染まっていた。

 エレーナは目の前の女の照れを、きょとん、とした目で見つめた。

 

「そうか……、よし。言うぞ」

「はい、どうぞ」

 

 すー、はー。すー、はー。

 深呼吸を挟み、軍人は告げた。

 

「──実は、これ、私の(へき)によるものなんだ。

 つまり、私──マゾヒストなんだ」

「──はぁ?」

 

 シスターの目はまんまると見開かれた。

 

 

 

 

 

「はじめに自分の性癖に気がついたのは、そうだな。10歳くらいの時だったかな」

 

 女の奇癖語りが始まった。

 女はタイタニック級の乗りかかった船だ、とそれに付き合うこととした。

 

「小さい頃ってしょうもない悪戯とか、よくするだろう? まぁ私はよくしてたんだが、そうすると、当然、叱られるだろう? それで、先生だったか、近所の大人だったか……。詳しくは覚えてないけど、大人に頰を張られたんだ。

 ──で、それがまた、気持ちよく感じたんだ」

 

 女は過去を思い出したのか、恍惚としていた。

 女は早速船を降りたくなった。

 

「それからと言うものの、私はちょくちょくと悪戯をして、体罰を受けに行ったんだ。勿論絶対にやってはいけないようなことはやってないぞ。ただ、今思うと、ギリギリのラインを見極めるのはここで学んだのかもしれない」

 

 女は武勇伝を語るかのようにしみじみと語った。

 女はドン引きしない、と言う宣言を撤回する準備を始めた。

 

「思春期に入るにつれ、流石に悪ガキの真似事をする訳にも行かなかったからさ、私は合法的に愉しむ為に、そういう環境に身を置こうと決心したんだ。

 ──以前語っただろう? 私がやってる格闘技、システマ。この時に、近場の退役軍人がやってた道場に転がり込んだんだ」

 

 女は当時を回顧して語った。

 女は件の軍人に深く同情した。

 

「ただシステマってやつがなぁ……。私の目的からすると、少しばかり外れてたんだ」

 

 女は語りだす。

 そもシステマとは、技を修める武術ではなく、身体の動かし方の総体としての武術であるという。

 システマとは、「一定に呼吸し続ける」、「心身ともにリラックスする」、「姿勢をまっすぐと保つ」、「常に動き続けて間合いをはかる」、という四つの要素からなる。

 日本で言うところの合気道であり、相手が武器持ちだろうと素手だろうと、男だろうと女だろうと、とにかく無傷で勝つことを主眼としている。

 

「これがなぁ……。才能とでもいうべきか? そういうものはあったのか、システマの骨子ってやつをなんとなく身につけたんだ。

 ただ、そう。試合に勝てども勝てども、私は気持ちよくない。一方的なサディズムは私の趣味じゃないな」

 

 女は訳知り顔でそう話す。

 女はなんだか悲しくなってきた。

 

「それで、当時の私は発想を逆転させたんだ。

 ──私がシステマに合わせるんじゃない。システマを私に合わせるんだ」

 

 ユリーカ! まさに天啓!

 アルキメデスもかくやとばかりに女は語る。

 当時のギリシア人はこんな気持ちだったのか? と女は思う。

 

「いやぁ、まさに目から鱗。あの時ばかりは自分で自分のことが恐ろしくなったよ。ユーリィ・ガガーリン並みの頭脳じゃないかと思ったな。

 システマは紙一重で避ける武術だ──それなら、もう一枚内側に踏み込ませてあげればいいんじゃないか、ってな。

 好みの相手がいたら、適当に殴るなり、切るなりさせてあげる。で、限界までいったら逆襲する」

 

 いやぁ、楽しかったなぁ。女は当時を思い出す。

 神の血でも呑まねばやってらんない。女は無性に口寂しくなった。

 

「──で。当然バレるわな。道場主の爺さんに追い出された。その時には、私の方が爺さんよりも使い手(・・・)だったからどっちでもよかったんだがな。

 それで、次の暴力的な受付先に、ロシア軍を希望したんだ」

 

 そう語る女はどこか誇らしげだった。

 こんなやつに守られてていいのか? 女は自国の安寧を憂いた。

 

「知っての通り、この頃からISが軍に配備され始めて、私もそれに配属されたんだけど。

 ──今でも思うが、あれはいいな。篠ノ之束ってやっぱり天災だわ。いくら斬られても撃たれても死なない! それでいて衝撃だけはきっちりと通る! 実物そのものって訳じゃないだろうが、十分良かった(・・・・)。ISのSってあれだな、SMのSだな。感謝してる。あれは天からの贈り物だな」

 

 天災に対する、世界で最も阿呆な感謝を女は捧げた。

 女は呆れて、じゃあなんでそんなに傷だらけなのよ、と問うた。

 

「それは、ほら、あれだ。肉と魚どっちが好きか? と聞くようなものだ。直接味わうのと、絶対防御越しに味わうの。どっちもいい(・・)ぞ」

 

 足し算を解くかのように女は答えた。

 女にはその答えがフェルマーのように見えた。

 

「最近一番良かったのはそうだな……。日本のKGBから来た『霧纏の淑女』! あの子はすごく良かったな。槍で刺して、ガトリングをぶっ放して、最後には爆発だぞ? それに生身でもなかなかやる。木刀に慣れてるのか? いい打撃だった。見た目も青髪が映える美人で、少しサディスト。扇子を握ったこしゃまな小悪魔。実に好みだ」

 

 国際親善を果たしたかのように女は語った。

 最早国辱ではないか、女は思った。

 

 女の性癖語りは、しばらく続いた。

 

 

 

 

 

「──それで? 今日告解に来たのもそのことなの?」

 

 一段落つき、シスターは軍人に問いかけた。

 長い段落だった。

 

「──そう、だな。ここだけの話なんだが、聞いてくれるか?」

 

 意を決して、エレーナは問いかけた。

 ダリアはゆっくりと、天を指した。

 

「ここをどこだと思ってるの? 神の家よ。秘密は守られるわ」

 

 ──当然、あなたの趣味(・・)の事もね。

 シスターがそう告げる。軍人はそうか、と独りごちて、話し始めた。

 

「モンド・グロッソの決勝戦を覚えてるか? あれの埋め合わせを、近い将来やるらしい。──それで、上からの指示なんだが、どうもその大会に、私を出そうって、話らしいんだ」

「へぇ? いいじゃない。出なさいよ。私には誰が強いかなんてわからないけど、いいとこまでならいけるんじゃない?」

 

 気楽に勧めるシスターの言葉に対し、軍人は苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 

「つまり、それが、さっきの話と繋がるんだけどな──」

「……あなたまさか──」

「──織斑千冬の剣。凄く気持ち良さそうじゃないか? いや、ブリュンヒルデだけじゃない。世界中から集まった強者(つわもの)だぞ? 絶対良いに決まってる。いやいや、やっぱり織斑だ。あの切れ長の目に睨まれながら斬られてみたい!」

「──っ、はぁーー」

 

 シスターはがっくりと項垂れた。ブリュンヒルデ級のため息だった。

 目を輝かせて自身の展望を語る軍人だったが、しばらくしてその目を曇らせて、こう続けた。

 

「──でも、やっぱりそれっていけない事だろう? 皆真面目なんだ。私ばかり愉しむ訳にもいかない。それに、もしバレたら祖国に迷惑がかかる」

 

 まさしくその通り。

 反射的に同意しかけたダリアだったが、ふと考えた。

 ──それで、いいのか? 

 自らの悪徳に悩む友人を、切り捨てて、本当に、それで、いいのか?

 

「本当はさ、よくない事だとはわかってるんだ。真っ当じゃない──」

「── 『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです』」

「──え?」

 

 ここは神の家。答えは神が知っている。

 

「いいじゃない。今は、正しくなくとも。いずれ、正しくなれば」

「……」

「確かにあなたのそれは悪癖だろうけど、主より与えられたものだし、仕方ないわよ。大事なのは、これからどうするか、じゃない?」

 

 ダリアはエレーナを見据えて、あっけらかんと言った。

 

「それに、バレなきゃいいじゃない。周りから見ても、普通そんなのわかんないわよ。もしバレそうになったら、強い人と戦うことが好きなんです! とでも言えば? そういう人たちの集まりなんでしょう? よく知らないけど」

「……」

「織斑千冬に斬られたい? いいじゃない。斬られた後、逆転、するんでしょ? 

 ──『願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです』

 チャンスが与えられたんだから、きっとそれは、正しい動機なのよ。主も仰っているわ! ……ええと、それに……」

「……ははっ」

 

 エレーナはダリアを見据えて、笑った。

 

「──ダリア」

「……何?」

「いいやつだな、お前」

「仕事よ、仕事」

「試しに、私を殴ってみないか?」

「はぁ? い、や、よ!」

「『誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』だろ?」

「右も、左も、どっちも打たないわよ!」

 

 

 

 彼女は痛みを愛している。

 彼女は悪徳を自認している。

 彼女は神と、神の使徒の愛に満たされている。

 彼女は赦しを求める、主の愛し子(いとしご)である。

 

 ロシア代表、システマ亜流。

 被虐のエレーナ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




筆者はロシア正教に精通しておりません。
宗教観の誤りについては、ご容赦、あるいはご指摘頂けると幸いです。


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地裏の濡羽

IS度というより「装甲悪鬼村正」度60%。
剣術浪漫回なので、長めです。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──その色は、アタシのものだ、と。

 

 

 

 日系ブラジル人であるユリ・ソフィーア・コンドウ・ガルシアは、物心ついた時から、リオデジャネイロのスラム・ファヴェーラで暮らしていた。

 彼女に両親はいない。

 無論、生物学上の親はいるし、なんなら両親の住むアパートメントだって知っていた。

 しかし、ストリートでは生きることに誰もが精一杯。知らぬ間に出来ていたユリなぞ、多少動けるようになれば、それで十分、とばかりに、齢一桁にして娘を放逐していた。

 ユリ自身も、そんな彼らを、真実親とも思っていない。何しろ彼らとの思い出を、一つたりとも持ってはいなかったからだ。

 風の噂で、親のどちらかが死んだと聞いても、ふーん、あっ、そう、と数秒頭に留めて、そのまま流すほどだった。親の死より、今晩の飯の方が重要だった。

 ところで、ユリは両親の名前さえ、頭の中に刻んでいない。その為、親のどちらかが日系人で、どちらがブラジル人なのか。はたまた、その他の人種の血が流れているのか、それさえもよくわからなかった。

 所属、という点において、彼女のアイデンティティは、実に希薄だった。

 ただ、太陽を呑み込むような、濡羽色(・・・)の髪だけが、彼女の価値を保証していた。

 

 

 ユリ本人は知らぬことであるが、神の視点から見て、彼女が12歳の頃。

 いつものように少女が鉄屑、食べ物、コイン──あるいは馬鹿な観光客──を探してファヴェーラを徘徊していると、いささか奇妙なことに気がついた。

 美しい髪の色をした彼女は、将来を期待させる瑞々しい果実。若々しい少女が、女らしい妖艶さを身につけつつある。そのアンバランスさに惹かれて、彼女と懇意(・・)になろうとする少年、あるいは大人の男達が時折群がってくることがあった。

 ユリは運動神経においても大器を抱えた少女であった為に、勝手知ったる路地を使って逃走、あるいは鉄パイプを用いた我流闘殺法で、近づく小蝿どもを蹴散らしていた。

 この少女、それをめんどくせー、とは思いながらも、まぁ、アタシの可愛さなら、当然だよな! と考えていた。傲慢が服を着て歩いているような女だった。

 ところが、今日この日は、厄介な信者が誰一人として見当たらない。

 

 ──ふぅむ。これは団体さんのカモ(・・)でもどこかからやってきたかな?

 

 市街地の方では大漁祭でも開催されているのか?

 この波に乗り遅れるわけにはいかぬ、とユリは観光客が訪れるであろう場所を、脳内で即座にリストアップして、目的地へと駆けて行った。

 第一候補であった、表の街とファヴェーラとの境目に位置するリストランテ──子供に甘いことで有名。ユリも時々賄いの世話になっている──に立ち寄った時、ユリは異様な光景を目の当たりにした。

 そこでは、リストランテのウェイターと観光客であろう団体と、ファヴェーラの同類。交わらぬであろう三者が、男女問わず、歓声をあげながら備え付けのテレビを凝視していた。

 テレビを見つめるアホ面の中に、ユリのよく知る顔が混ざっていた為に、これ幸いとユリは少年に声をかけた。

 

「ヘイ、ブラザー! 今日は何やってるの? ホワイトハウスでストリップショーでも開催中?」

「はぁ? 何言ってんだ──ってユリじゃねぇか! お前も見にきたのか?」

「アタシが女の裸を見てどうするんだよ」

「ばっか、お前! 知らねぇのかよ! 石器時代から来たのか?」

 

 ──モンド・グロッソの生中継だよ!

 

 少年の声は、少女の耳に、よく響いた。

 

「もんど・ぐろっそ? なんだ、そりゃ。チョコレートの賞か何か?」

「お前マジで石器時代から来たのか?

 ──ISは知ってるよな? 頼む。知ってると言ってくれよ?」

「ISぅ? あー、あの。金持ち婆のおもちゃだろ?」

 

 少女の知識量が伺える。

 少年はマジかよこいつ、と目をギョッと見開いて続けた。

 

「そうそう。その金持ちのおもちゃ。それで着飾ったグラマーなねぇちゃん達が、ズッコンバッコンとキャットファイトを繰り広げるお遊戯だよ」

「ふーん。そんなにエロいの?」

「とりあえず見てみろよ! それでわかるだろ!」

 

 これ笑うとこ?

 年増の乳繰り合いを見てなんになる。アタシの方が美少女じゃい! 少年に催促されて、少女は渋々テレビに目を向けた。無自覚の傲慢さが顔に浮かんでいた。

 

 えらい美人がそこにいた。

 

 冗談だろう? 少女は、女の武と美に圧倒された。自分より格上(・・)だ、と認識した。屈辱だった。

 テレビからはその女のプロフィールが流れてくる。

 日本代表。織斑千冬。

 濡羽色(・・・)の髪をした女が、スポットライトを浴びていた。

 

 

「ふーん。やるじゃん」

 

 織斑千冬が優勝を決めた時、ユリは恐る恐る感想を口にした。かろうじて、声は震えていなかった。

 

「かー、このオレもなぁー。ISに乗れればなぁー! きっと女の園に放り込まれて、美人なねぇちゃんとよろしく(・・・・)やれてたのによぉ! 知ってるか? ユリ、ISは顔審査をやってるらしいぜ? どいつもこいつも美人しかいやがらねぇ」

 

 隣にいるバカが、バカすぎてリラックス成分を出しているのかもしれない。

 

「はっはー! バッカお前! お前みたいなド三流が、ISなんて使えるかよ! ブリュンヒルデサマ(・・)の身内でもないと、そんな機会、あるわけないだろ! でもって、美人に使えるなら、アタシは当然使えるな! 一番間違いなしだわー」

「そこまで言う? んじゃあ今晩どう? 未来のブリュンヒルデ?」

「はッ! てめーのちゃち(・・・)な豆鉄砲なんざ、相手にしてられっかよ!」

 

 どさり。膝から崩れ落ちるバカ。

 言葉のナイフで一発K・O(ノックアウト)

 敗者をよそに、ユリはリストランテを後にした。

 ──今日の戦績、一勝一敗。

 

 

 

 第一回モンド・グロッソ決勝。

 この日以来、ユリの姿は、リオの片隅の日本人街でたびたび目撃された。この少女、何を思ったか、日本人学校の教師や、黒髪の娼婦の前に現れては、「よし」と一言残して立ち去ると言う奇行を繰り返していた。

 

「──もしかして、お前ってソッチ(・・・)系?」

「──はっ? な訳ねーだろ! この可愛いユリちゃんの遺伝子が残らないなんざ、ファヴェーラ史に残る損失だわ!」

「まっ、それもそうか。今日遺伝子残す?」

 

 無視。

 ──今日の戦績、一勝。

 

 

 数ヶ月後のとある日。

 ユリは、日々のゴタゴタを終えた後、日課のごとく、日本人街で黒髪の女への「辻斬り」を行おうとしていた。

 

 ──今日はこっちの道でも行ってみるかな。

 

 知らない道には入ってみたくなる。

 頭の中の地図が埋まっていないと埋めたくなってくる。

 遠いどこかで、「マッパー」と呼ばれる人種の血を継いでいたユリは、日本人街を巡る裏道を歩いていた。

 周辺の、ゴミ溜まりと呼ぶに相応しい路地と比べると、それなりに綺麗、と呼べるような裏道を抜けた先。

 

 ──そこには、ユリが見た限りではいっとう大きな、木造の日本式家屋が佇んでいた。

 玄関先には──文字だろうか? おバカなユリには読めなかったが、何らかの文字が記されていた。

 遠慮、常識、道理なぞかけらも知らぬこの女。ずかずかと敷地に押し入ったユリは、建物の奥で、がたんがたんと、何やら物音がすることに気がついた。

 興味を惹かれたユリは、音のなる方へと、そろり、そろりと忍び寄る。屋内にある道場施設の中、それを物陰からこそりと見れば、そこにあったのは、

 

「────────疾ッ!」

 

 ──風を切り裂いて剣を振るう、着流しを纏った白髪の老人だった。

 老人の手の中の刀は、窓辺から差し込む陽の光を反射し、ユリの目をしかりと刺した。

 老人の腰に携えられた鞘は、何らかの木地に漆が塗られた、濡羽色(・・・)を晒していた。

 

 ──欲しい。

 

 ユリは、心よりそう思った。

 何としても、自分の()としなければ──柄にもなく、欲求した。

 さて、どうするか、と頭を回したその時。

 

「──そこの(わらし)何用(なによう)か」

「──おー、おう。何だよ、(じじい)。気づいてたのか」

「言うに及ばず。そのような、餓狼の如き(まなこ)を向けられれば、ほんの赤子でも悟るわ」

 

 ばれちゃあ仕方ない。物陰からひょいと姿をあらわす。ユリの手には愛用の鉄パイプが握られていた。

 ユリが目を離していたほんの数瞬の間に、老人は刀を鞘に納めていた。

 

「あのさー。爺。大変申し訳ないんだけどさー──その刀、鞘ごとくれね?」

「ふむ──よかろう」

「マジで!? じゃあ……」

「儂を切り捨てて、持って行くがよい」

 

 思わず気色を浮かべたユリに、老人は武蔵坊の振る舞いを求める。

 ユリは「……後悔するなよ?」と一言呟くと、鉄パイプを正眼に構えた。

 それを見て、老人。近場の壁に立てかけられた、木刀を手にして、同じく正眼に構えた。

 ──っハッ! 舐めやがって! アタシじゃ(エモノ)は必要ないってか? 肩の一本や二本、覚悟しな! 

 ユリは腰を落として右脚を引き絞り、断! と地を疾駆する。先手必勝こそ、彼女が見出し我流の戦闘術理。鉄パイプをそのまま振りかぶる──。

 

「──ぅるるるぅあぁあ──ッ!」

「────────」

 

 目の前を黒が舞った。

 少女が辛うじて認識できたのは、鏡合わせに木刀を振りかぶった爺。爺が木刀をユリの鉄パイプに叩きつけたこと。鉄パイプはぐにゃりとあらぬ方向へとねじ曲がり、木刀がユリの肩と首の境目を(したた)かに打ち据えたこと。

 そして、老人の残した声だけだった。

 

 ──吉野御流合戦礼法、『打潮(うちしお)』。

 

 

 

 首元が痛い。

 ずきりという疼きを感じたユリは、はっと目を覚ました。

 首回りと額の上には、しとりと濡らされた、薄い布巾が掛けられていた。

 

「目覚めたか」

 

 老人の声が聞こえた。

 首のあたりに手を添えながら、ユリはガバリと上半身を起こした。彼女の口からは、思わず苛立った声が出た。

 

「──っチッ! いてぇな、おい! こんな可愛い子供にここまでやるか、フツー?」

「は、何が(わらし)か。随分と遊び(・・)慣れておる。一端の盗人ではないか」

 

 グゥの音も出ない。

 少女は一瞬声を詰まらせたが、振り切って求めた。

 

「……なぁ、爺さん。あの刀。やっぱりくれないか?」

「何を言うかと思えば、戯言を。また繰り返す──」

「それと!」

 

 諦めの悪い子供を諭そうとした老人。通りを説いたその語りを、少女は大声で押し止める。

 起き上がった上体は、そのまま老人の方へ倒された。

 

「それと! ……それと、だ。爺さん。頼みがある。一生のお願い。この通りだ。

 ──アタシにそれを……剣を教えてくれ!」

「……ふむ、何故だ。理由を述べよ」

 

 鋭い眼光が、少女の背中を貫いた。

 

「……少し前まで、アタシは自分のことを、世界で一番凄いやつだと思っていた。そりゃあ頭はちょっとばかし足りないけど、力も見た目も、そんじょそこらのやつじゃ、相手にならないと思ってたよ」

「……続けよ」

「ところが、ところがだ! 最近見たんだ。テレビの中で、アタシより強くて、アタシより美しい女が輝いてたのを。──アタシとおんなじ髪の色でだ!」

「……ふむ」

「アタシは思ったね。あれはなんかの夢だと。そこらじゅうを歩いてみれば、そぅら、見ろ! アタシより弱くて、アタシより醜い、同じ髪の色をした婆さんたちがあちこちにたむろしてるじゃねぇか!」

「……それで?」

「それで、だって? 爺さん。アタシはアンタを見た時も、自分より格下(・・・・)だ、と思ってたんだよ」

 

 ──ひどい自惚れだった。

 吐息とともに心を漏らす。

 老人の目を見据えた少女の目尻には、雫が溜まっていた。

 

「アタシはこの世界の片隅でさえ、一番じゃない! 多分この世界には、アタシよりも、爺さんよりも強い、あの女みたいな奴らがわんさかいるんだ!」

「──ならば、我流で鍛えればよかろう。何故、儂に言う」

 

 老人が問いかけると、少女は自分の髪を撫で付けて言った。

 

「──その武器、その技。日本の技だろう? ……アタシには、自分が誰かを証明するものが、この髪しかない。これしか、価値あるものを持っていないんだ。だから! 同じものを集めてるんだよ!」

「…………少し、待っておれ──」

 

 少女が本心を──おそらく誰にも話した事がないそれを──曝け出す。

 老人は、ユリに待つように命じた後、道場から姿を消した。

 少女の中では、期待と、怒りと、悲しみと、後悔と、欲望と──様々なものがぐるぐると、血脈に乗って、全身を駆け巡っていた。

 

 

 しばらくして戻ってきた老人の手には、一本の数打ちの刀と、奇矯な形をしたヘルメットが握られていた。

 老人は、刀をユリの目の前にぽんと放り投げて言う。

 

「──なんでもいい。その兜を、壊してみよ」

「……? は?」

「だから、なんでもいいと言ったのだ。その数打ちで、斬りつけても構わん。童の持つ棒切れを叩きつけても構わん。殴りつけようと、蹴りつけようと、好きにしろ。

 それを壊せれば、お主に我が剣術(しょうがい)を教えてやる──」

「──ハッ! 上等ッ!」

 

 ユリは立ち上がるとすぐさま、老人が投げ捨てた刀に飛びついた。

 刀を白鞘から抜き放つ。刃は妖しく鈍色に輝いていた。

 しばしそれに見惚れていると、老人は、兜を兜掛けに立てかけながら、ユリをおちょくるように言った。

 

「──どうした? それ(・・)で満足か?」

「──な訳ねーだろ!」

 

 未練ごと乗せて、刀を振り払ったユリは、それを大上段に構えて、兜を見据える。

 

 ──今のアタシには、整然とした技がない。下手に爺さんの真似をしようとしても、まだ(・・)、アタシにできるはずがない。単純だ! ただ! 力任せにでも押し斬るッ!

 

 両脚に力を溜めて。

 右脚を踏み出しながら、裂光の気合を込めて、少女は刀を斬り下ろす──。

 

 ──ジュィイイン──。

 金属の上で金属を滑らす、黒板を引っかいたような音が辺りに響く。

 呆然とする少女を尻目に、老人は飄々と近づき、少女の持つ刀先に目をやる。

 

「──おうおう。耳障りな音を響かす(のう)。刀が痛むぞ、刃こぼれするわい。

 ……で、どうした? 諦める(・・・)のか?」

「──まだだッ! アタシのやり方(スタイル)は、こんなんじゃなかった!」

 

 老人のからかいに、少女は白鞘に刀を収めながら、反論する。

 そのまま鉄パイプに持ち替え、兜掛けを引きずり、壁の近くに置き据えた。

 

 少女の流儀(スタイル)。我流闘殺法。

 環境を活かし、弱みを打ち消す事こそ彼女の理合い。

 彼女の戦場は、ごみごみとした路地裏が多い。付近に置物やブロック塀などが多く設置してある。だから──。

 道場の端まで歩いたユリは、鉄パイプを下段に構えると、そのまま兜掛けに向かって疾駆──ではない! 方針をずらして、ユリは兜掛け近くの道場の壁に向かって、助走そのままに(しょう)と跳躍する──!

 

 ── まだ(・・)アタシに(パワー)なんて無いんだ。だったら……。

 

 壁をガンと片脚で蹴りつけたユリは、そのまま三角飛びの要領で、兜掛けの方へと翻り──!

 同年代より遥かにマシとはいえ、大の大人には敵わぬ力。それを補うために、ユリが身につけた闘法こそ──

 

「──ユリちゃん流闘殺法、『 雪颪(なだれ)』ッ!」

 

 ──地球の重力を味方につけた、敵上段からの、打ち下ろし!

 

 ガギィと耳障りな金属音が聞こえた。

 左肩から地面に叩きつけられたユリは、思わず鉄パイプから手を離す。二度の衝撃に揺れる道場の中で、カランカランという金属音が響き渡った。

 

 さあ! どうだッ!

 勢いに負け、転がっていった兜を探して、ユリはきょろきょろと辺りを見渡す。

 

「……ふむ。見事。

 ──で、まだ(・・)やるか?」

「──ハハッ。マジかよ」

 

 そんな、老人の声が聞こえた。

 

 

 数刻。空に夕焼けが浮かぶ頃。

 汗まみれのべそまみれで、ユリは道場に横たわっていた。

 あれからずっと。ユリは様々な方法で破壊を試していた。

 ブロック塀に叩きつける。屋根の上から放り投げる。ひたすらに蹴りつける。あるはずのない(ひず)みを探す。

 どの方策も、成果をあげられなかった。

 

「──喃、童。どうする?」

 

 つきっきりでユリを見張り、時には彼女のオーダーを受けていた老人は、彼女の顔を覗き込んで、こう言った。

 まさしく万策尽きていたユリは、常なら出す事のない、泣き言を口にした。

 

「無理だろこれ! こんなもん人間が壊せるわけねーだろッ! バカじゃねぇのかッ!」

「──うむ。そうだ(・・・)

「──は? おいおい。おいおいおい。待て待て爺さん。今更何言ってんだ! アンタが壊せって言ったんじゃねぇかッ!」

 

 だから、そのあまりにもあっけらかんとした肯定に、ユリは思わず食いつく。

 向けられた詰問をよそに、老人は「貸してみぃ」と呟き、ユリの手に握られた、白鞘の刀を奪った。

 

「儂が手本(・・)を見せてやろう──」

 

 白鞘から刃を抜き放ち、奇しくも少女の始まりのように、大上段に振りかぶり──!

 

「──吉野御流合戦礼法、『兜割(かぶとわ)り』」

 

 ──斬り降ろされた刀は、打ち合うや否や、刀身から真っ二つになり、折れた刃は、道場の天井へと突き刺さった。

 

「──斬れぬよ、これは。人間には斬れぬ。

 この兜は、かの劔冑(IS)に使われる鍛鉄を甲鉄として作られておる。

 これを斬れるということは、即ち劔冑(IS)をも斬れるということだ。そんなもの、最早真っ当な人ではない。化生(けしょう)か修羅の類よ」

「……は? じゃあ……なんでわざわざこんなことを……?」

 

 「判らぬか?」と老人は呟き、ユリを立ち上がらせる。

 

「ひたすらに自らの力を試し、ありとあらゆる万策を試し、それでもなお、届かぬものがある。

 ──人間だけ(・・)では不可能なこともある、と認める事。

 それこそが、この試しの目的よ」

「……はっ、なんだ、それ」

 

 らしからぬ努力をした。

 試す。壊せない。試す。壊せない。試す。壊せない。試す。壊せないッ!

 傲慢な少女は、その鼻っ柱を粉々に叩き壊された。

 だが、それでいい、それこそが目的だという。

 

「童。名をなんと申す」

「ユリ。ユリだ」

「よかろう。百合。我が剣術(じんせい)をお主に託す──」

 

 

 

「そういえば爺さん。聞きたいことあるんだけどー」

 

 数日後。門弟となったユリは、飯をかっ喰らいながら問いかけた。

 白米に味噌汁。魚の塩焼きに沢庵。

 ファヴェーラでは見かけない朝食だった。

 日本では、珍しくもない朝食だった。

 

「ふむ。なんだ」

 

 少女に箸の使い方を指導しながら、老人は応える。

 

「なんでIS素材の兜なんて珍しいもん持ってんの?」

「成る程。それはだな────」

 

 過去語り。

 曰く。老人は、古くは幕末。欧米の使節団に同行した、一人の男を祖に持つという。

 その男、何を思ったか、旅の始まりの米国にて、船を降りてしまったとのこと。

 

「それで、その男とISが、どう関係あるっていうんだ?」

「いやなに、なんとも奇怪なことだが、その男。使節の一員として、機織(はたお)りの者共の世話をしていたらしい」

「機織りって、あれか? 服の糸を縫うあれか?」

「うむ、そうそう。その機業(・・)よ」

 

 老人はからからと笑う。

 からから、からからと嗤う。

 

「それで、今ではその機織り共、先の大戦の折、大層稼いで、今では劔冑(IS)にも手を出せるほどの商いを成しておるのだ」

「ふーん。つまりは爺さんは、そんな凄いとことのコネクションがあるってことか?」

「そうとも。彼奴らとのこねくしょん(・・・・・・)を持っているのだ」

 

 自分で聞いておいて、そこまで興味がなかったのか、少女は沢庵を貪っていた。

 

「その会社って、今どこにあるの? ブラジル? それともアメリカ?」

「……さぁの。亡国(・・)にでもあるのではないか?」

「なんだよそれー、亡国ってことはもう無いじゃん!」

 

 

 

 そんなこんなで楽しく時は過ぎ。

 ユリが道場に棲み着いて二年ほど経った頃。

 昼間に水を飲み過ぎたのか、ユリは夜ふと目覚めて、厠へと用を足しに行っていた。

 用を済ませた後、寒さにぶるり、と身体を震わせ、寝具の元へと向かおうとしたユリだったが、縁側の方から何やら物音が聞こえてきた。

 

「どうした? 爺さん」

「む。百合か」

 

 そこでは、白髪の老人が、猪口から清酒を呷っていた。

 満天の星空だった。

 老人の横に座った少女は、彼とともに、無限に広がる成層圏を眺める。

 

「──なぁ、爺さん」

「なんだ?」

「爺さんの剣術。これって生身の人のためのものじゃないだろ?」

 

 猪口を傾ける手が止まった。

 

「なんかやってて思うんだけどさー。ISに最適化され過ぎてる(・・・・・・・・・)んだよね、これ」

「……」

「でもさー、爺さん。乗れないじゃん? 男だし?」

 

 「で、そこの所、どうなの?」とユリは徳利から、老人の猪口に清酒を継ぎ足しながら、問いかけた。

 

「──────儂は、劔冑(IS)に乗りたかった。ただ、儂の剣術(いっしょう)が、誰よりも強いと、証明したかった……」

 

 酒を受け取り、老人は深々と漏らした。

 年齢を感じさせる声だった。

 

「儂が乗れぬとわかっていても、それまでの剣を創り替えてきたのも、いつか、きっと、乗れると信じておったからよ……」

「……」

「遠く日の本から離れた地の裏で、日の本()の朝廷に対して我こそはブラジル()の『吉野』などと嘯いて……。まったく。滑稽よ喃……」

「……そっか!」

 

 ──じゃあ、乗れるアタシが(・・・・・・・)、代わりに証明してやるよ!

 

 老人は目を見開いて、傍の少女を見つめた。

 天の光を、濡羽色(・・・)が吸い込んで、微笑んでいた。

 

「爺さんが乗れなくても、誰よりも可愛いアタシなら、間違いなく使いこなせるって! 爺さんの剣術(かち)は────」

「そうか……、うむ、そうか……」

 

 光が二人を照らしていた。

 月下の誓いだった。

 

 

 

 彼女は自分の価値を求めていた。

 老人はただ、己が最強(じんせい)を証明したかった。

 彼女の師は、自らの剣術(かち)を、少女に託した。

 彼女は誓いを胸にした、地裏の若武者である。

 

 ブラジル代表、吉野御流。

 濡羽のユリ。

 

 

 

 

 



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閑話・ドイツの片隅にて

閑話は原作キャラ主役の話です。
IS度100%だな!




……原作キャラって難しい。


 

 

 武芸者たちの饗宴から、とくと離れて、ドイツはレーゲンスブルク。

 ドナウ川のほとりを、二人の親子連れが歩いていた。

 母親だろうか、サングラスを掛けた、黒いスーツをラフに着た長身の女は、どことなく鋭い剣のような風体をしている。短い黒髪を携えたそれは中性的な雰囲気を醸し出し、男から見ても、女から見ても、カッコイイ(・・・・・)と脊椎に訴えかけるような女だった。

 そんな女の後ろを、てこてことついて歩く子供。怪我でもしたのか、左目には眼帯をつけている。小さな少女が目を怪我するなど、通常なら万人が哀れむのだろうが、この子供の場合は話が違う。長い銀髪に背とあわせて、人形を思わせるような白い肌、開かれた右の紅い目は、見るものの深淵を覗き込むように美しい。

 未成熟な身体と熟成した色気が同居して、左目の怪我がなんとも妖しい危険さ(・・・)を醸し出す子供だった。

 

 何か見つけたのか、子供は女を追い抜き、街の中央の方へと走り出す。途中で振り返って、中性的な女に対し、少女は高らかに呼びかけた。

 

「教官! お疲れでは無いでしょうか! ひと休みいたしませんか!?」

 

 辺りの群衆が、思わず目をやるほどの大声だった。

 この子供はある種の事情から、一般常識に著しく欠けていて、街中で大声を出すことは、非常識に属するということを理解していなかった。

 その事について知っていた女は、苦笑しつつ少女の元へ駆け寄り、銀色の頭に手をポンと乗せた。

 

「馬鹿者。あまり街中で騒ぐな」

「はっ! 申し訳ありません!」

 

 最敬礼で女に従う子供を見て、人集りは更にどよめく。

 肉体的には最強を誇る女も、精神は普通なのか、顔に熱が集まるのを自覚しつつ、子供を急かした。

 

「反省は後にしろ、そこのカフェにでも入ろう」

 

 

 

 席に座った二人組は、まずはともあれ、ドリンクを注文した。

 子供の方は、世俗の文化に慣れていないのか、おっかなびっくりメニューと写真を見比べて、甘いりんごジュースを注文した。

 サングラスを外した女は、席に着くなり珈琲に決めたが、その実頭の中では、真昼間から浴びるようにビールを呑みたいなどと、背徳的なことを考えていた。

 

 ── こっち(・・・)では昼間でも、皆酒を呑んでいると聞いていたんだがな……。

 

 周囲で酒を呑んでいたのは、お年を召した方々が殆どで、良くておじさま方だけだった。子供に賄賂をあてがい、職務中に酒を呑むようなこの女でも、流石に気後れしたのか、そのような暴挙に出ることはなかった。現在の職場(・・)が、規律に厳しく、そういったことを許さなかったから、というのもあるだろう。

 だが、目の前に座る銀の少女の前で無様なところを見せられない、という見栄もあった。

 

 ドリンクが届いて、女達は世間話を始めた。

 

「──まずはともあれ。隊長就任おめでとう」

 

 初めて飲む甘い飲み物は大層美味かったのか、顔を綻ばせていた銀髪の少女。

 女に祝いの声を掛けられた事により、それはますます広がり、溢れんばかりの笑みを浮かべた。

 

「──はいッ! ありがとうございます、教官!」

 

 あいも変わらず大声だった。

 教官は慌てて「抑えろ、抑えろ」と少女に呟き、店内の人々に軽く頭を下げる。

 

「申し訳ございません……」

 

 しゅん(・・・)とする銀髪を見ながら、女は珈琲をずずと啜った。ひとしきり口元が満足した後、女は銀髪を嗜める。

 

「お前もこれからは部下を持つ事になる。これからの黒兎の隊長はお前だぞ? 一般常識に欠ける軍人なんて洒落にならん。中の国民からも、外の人間からも、黒兎という部隊そのものが危ぶまれかねん」

 

 ──仮に、だが。もし、この軍に染まりきった少女が、他国の民間人、あるいは重要人物に粗相(・・)をしでかしたら、一気にその国との情勢が険悪になりかねない。

 そうなってしまえば、状況を解決するために、国は隊長、そして部隊そのものの首を容赦なく切るだろう。

 縁あってこの兎の群れの調教(・・)を担当していた女は、目の前の親玉兎のみならず、他の兎たちともそれなりに知己になっていた。

 世界の多くの人から暴力的と考えられていたこの女は、実際のところは──とりわけ身内に対して──過保護であった為に、目の前の少女が苦しむことのないように、本心から叱っていた。

 

「──申し訳ありません、教官。私は、その、……」

 

 へこんでいた銀髪は、女の訓戒を聞いて、更に落ち窪んでいく。

 そのことの理由の一つに、この黒兎には、母親がいないことが挙げられるかもしれない。愛の鞭、という概念を知らない兎は、女の言葉に掛けられた意味は、失望、であると誤認した。

 少女は女に対し、弁明を口にする。

 

「……一般常識と申しましても、私は生まれが生まれ(・・・)ですし、その、一般に合わせるのは少々難しいかと……」

 

 この少女の生まれには、秘密がある。

 当初は当然だと感じていたそれも、周りにいる人々と話していると、度々見つかる齟齬から、何処かおかしいのではないか、と不安になっていた。

 自身の特異性に困惑していた少女に、中性的な女は、にかり、と微笑んで言った。

 

「大丈夫さ。お前はお前だ。生まれがどう(・・)とかは関係ない。言いたい奴にだけ言わせておけ」

 

 ──なにせ、私もそう(・・)なのだから……。

 空気に乗らなかったそれは、珈琲と共に飲み干された。

 

「……そうですか。教官が仰ることならそうですね!」

 

 少女にとって、自らに救いをもたらした女の言葉は、まさしく天啓だった。

 兎を導くモーセのようだった。

 

 

 

「────」

「────」

「────?」

「────!」

 

 軽食を摘みながら、談笑に耽る女たち。

 毒にも薬にもならないそれは、「伝達」という点では無意味だったが、銀髪の少女にとっては、他愛のない話でも、新鮮なことだった。

 一通り話した後、少女は気になっていたことを、女に向かって尋ねた。

 

「そういえば、教官。噂では、こちら(・・・)を離れるとのことでしたが……?」

 

 ──冗談ですよね?

 そんなニュアンスを含んだ言葉。しかし、それを中性的な女は肯定した。

 

「ああ、そうだな。上の許可も出ている。時期を見て、離れるつもりだ」

「──何故ですか!」

 

 少女は声を張り上げた。されども、迷惑にならぬほどの絶妙な声だった。

 女は銀髪の振る舞いに感心し、ケーキを突きながら話した。

 

「──近々日本に帰らねばならない」

「……それは、例の弟、とやらの件ですか?」

 

 銀髪は少しばかり、頬を膨らませて詰問した。

 この少女。目の前の教官の、会ったこともない弟に対し、強いジェラシーを感じていた。

 母親が自分以外の兄弟の面倒を見ていることに、嫉妬する気持ち、が近いだろうか。

 少女の純情を知ってか知らずか、女はひらひらと軽く手を振って否定した。

 

「いやいや、違う。ほら、例の大会だ」

 

 例の大会。

 大衆の耳を恐れて告げられた言葉を、兎のそれはしっかりと捉えた。

 

「ああ、あの。日本で開催されるのですか?」

「どうも、そうらしい。静岡──ああ、首都から少し離れたところだ──の土地を買い上げたり、埋め立てたりして、即席の会場を作るとのことだ」

 

 女が、今知り得ている大会の情報の中から、問題ないものを選別して伝える。

 

「どのような形で争うので? 教官が一人一人相手にするのでしょうか?」

「いや、違う。十六人だかで競わせて、最後に優勝者と私がエキシビションをする、という建前らしい」

「それはまた──」

 

 ──なんとも無意味なことを。

 銀髪の子供は、口から出そうになる言葉をぐっと堪えた。

 この少女にとって、最強とは、イコールで教官と結びつくものだった。その為、いかなる形式であろうと、結末は変わらないと確信していた。

 だが、その言葉を目の前の女に伝えることは憚られた。

 中性的な女は、普段見せないほどには、薄く嗤っていたからだ。

 恋する乙女のようだった。

 一番優れたものを求める殿様のようだった。

 勇者を求める魔王のようだった。

 

「──頑張ってください。教官!」

 

 必要あるかどうかはともかく、少女はそう口にした。

 他者に応援されることで、スペック以上の力を発揮する場合がある。女は少女に対し、常道を教えていた。彼女たちは、それを覚えていた。

 

「──ああ、そうだな。ありがとう」

 

 女は優しく微笑んだ。

 

「大会が終わったら、弟の所に顔を出そうと思うんだ」

 

 少女はムッとした。

 

 

 

 喫茶店を出て、女達は街の散策を再開した。

 少女は女に対し、自国の素晴らしいところを沢山知ってほしいと考えていた。

 女は少女に対し、普通の人々の暮らしぶりを沢山知ってほしいと考えていた。

 

 いくつかの店々を冷やかしながら歩いていると、少女の目に見慣れないものが止まった。

 路地裏で開かれた露店だった。

 興味を惹かれて歩いて行った銀色を見て、女はクスリ、と笑って追いかけた。

 

 

 ところで、本来(・・)どうだかは知らないが、少なくともこの世界(・・・・)においては、ある地点から、治安の悪化が懸念されていた。

 この女達は、そのあおりを受けることとなる。

 

 路地裏の奥深く。

 女が銀髪に追いついた時、彼女の色香に惹かれたのか、三人の若者が纏わりついていた。

 ──不味い。女の背がぞくりと震えた。

 それは、少女が男達に乱暴(・・)されることを心配した──訳ではない。

 ただひとえに、少女がやり過ぎてしまわないか、それが不安だった。

 

「おい、お前! ここは今から立ち入り禁止──」

 

 男達が獣欲を女の方に向けなおしたのは、果たしてどちらに幸か不幸か。

 

「──って、おい。ネェちゃん。この子の連れか? 代わりに相手してくれるのか?」

 

 チャラついた男だった。

 見張りか何かだったのか、入口側に最も近かった男は、女に対して高圧的に絡み始める。

 

「──すまない。連れだ。その子を返してくれないか?」

「だったら、預かり料って事でどうだ──」

 

 反射的、だった。

 胸元に手を伸ばしてきた男。その手首を逆に左手で掴み返し、男の片脚を根本から蹴り上げることで重心をぐらつかせ、そのまま石畳へと叩き落とす。頭をぶつけて後遺症が残らないように注意し、胴体を右手で支えながら、その実素早く全体を攪拌(かくはん)させる事で脳を揺らし、意識を刈り取った。

 周りで見ていた男の仲間達から見れば、女がいきなり男を地面に叩きつけたように見えた。

 少女に纏わりついていた男達は、弾かれるように女へと向き直る。

 

「──っテメェッ!」

 

 男の一人が、ズボンのポケットに入っていた、横流し品のコンバットナイフを取り出す。

 鞘に収められた刃渡り二十センチほどのそれは、人の肉などざくり、と切り落とせそうだ。

 男にとって、このナイフは、自らの要求を押し通すための、悪魔のパスポートだった。

 

 だからこそ、男は、今────

 

「──────抜くなよ?」

 

 ────目の前の悪鬼に、心底恐怖した。

 

それ(・・)を抜く、ということは、お前。もう、どうなってもいい、ということだな────?」

 

 じろり。女の目が、男の素肌を撫ぜる。

 根源的な恐怖に、男の野生は警鐘を鳴らす。

 されどもされども、何を怯える! 男の理性が、本能を退け、鼠が猫を嚙み殺すように、銀刃を煌めかせた────!

 

「ふはっ、へっ、へへっ、ふへへっ……。

 ────死ねゃ女ぁッ!」

 

 確かに鼠は猫を噛み殺した。

 ──だが、虎は? 獅子は? 鬼は? 龍は? ……それらをとんと凌駕するこの女は?

 

 最後に残った男は、鼠が地べたへ倒れこむのを見ていた。

 その様は、鍛えた目を持った、銀髪の少女だけが見ていた。

 

 男が刃を持った左腕を突き出すその刹那。

 半身を逸らしてそれを躱した女は、続けざまに己が左手を、男の腕に沿わせて、その先のナイフの柄をも掴む。と、同時。男の右手に握られた鞘も、背中越しに女の右手ががしりと掴み取り、ナイフと鞘の両方を奪い去る。

 ナイフを鞘に収めた女は、刃先と柄を逆手にひっくり返し、男が女の横を抜けて行く間に、後頭骨とうなじに二度、ととん、と柄をあてがっていた。

 蛮勇の男が旅立つまで、僅か数瞬の出来事だった。

 

 一人残った男のもとに、女は仕舞われたナイフを放り投げ、つまらなそうに呟く。

 

「──まだ、やるか?」

 

 今度こそ、残された男の全身は総毛立った。失禁、発狂、意識断絶。それらの恐怖に奇跡的にも打ち勝った勇者は、貧相な獲物を拾い上げ、二人の仲間を引きずっていった。

 

 囚われの姫は、魔王を前に、にこりと笑った。

 

 

 

 少々けち(・・)がついた二人旅だったが、銀髪のお姫様は、なんとも楽しんでくれたらしい。

 軍基地に連れ添ったとき、少女は全身で笑みを浮かべていた。

 兎の様子を思い出しながら、女は基地の近くに併設された、ゲスト用の官舎へ向かった。

 衛兵を抜け、昇降機を越え、女は根城の門の前に立つ。

 今日一番の意を決して、世界最強の魔王は扉に手をかける。

 

 部屋中に散らばる本! 書類! 空き缶! 衣類!

 

 

 そして たたかいが はじまった────!

 

 

 

 

 

 

 




作者の好みはお分かりでしょうが、作者のイメージする彼女はこんな感じです。


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常道不殺(杖道とは殺さないこと)

ISバトル回だからIS度は100%!
『魔剣』リスペクト。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──彼女は、私とは対極だ、と。

 

 

 

 剣術。

 それはただ、一つの目的(根源)にのみ向かって集約される。

 剣を振るって起こる結果なぞ──斬って殺す、それしかあるまい。

 故に、全ての剣技は、対象の殺戮に向けてのみ極められる。

 

 では、ここで、『魔剣の話をしよう』。

 そも、『魔剣』とはなんだろうか?

 

 それは星の息吹、輝命の奔流。尊き幻想を束ねし『勝利の聖剣』。────否。

 それは路を外れた非道の呪物。死狂いを束ねし『血吸いの妖剣』。────否。

 それは未来を司る銀の左手。皆の願いを束ねし『守護獣(ガーディアン)の大剣』。────否。

 それは蛇尾より生じた神の器。太陽の国を束ねし『叢雲(くさなぎ)の神剣』。────否!

 

 『魔剣』とは、聖剣に非ず。妖剣に非ず。光剣、大剣、小剣、絶剣、秘剣、神剣、魔剣──────『魔剣』とは、形ある一振りの剣に非ず。

 

 ──『魔剣とは、理論的に構築され、論理的に執行されなければならない』。

 

 『流れ星』、『無明逆流れ』、『昼の月』、『三段突き』、『雲耀の太刀』、『燕返し』────此れが、『魔剣』だ。剣術の極み、斬って殺す。殺傷理論、殺害論理。究極の一を極めし必殺絶死機構。

 

 さあ、『魔剣の話をしよう』。

 織斑千冬。織斑一夏。

 織斑の剣は、須らく『魔剣』だ。

 人と(IS)。人馬一体となった時に発現する単一仕様(ワンオフアビリティ)

 至った女と始まった男。

 彼らの『魔剣』こそ、斬った相手の防壁を、ただ斬って殺す零落白夜(一撃必殺)

 

 

 ──故にこそ、不殺(ころさず)が定められし、女の ()術は、例えその深奥まで極めたとしても、不殺(ころせず)が為に『魔剣』足り得ない。

 けれども、女は殺害ではなく、不殺(ころさず)を誓っていた。

 

 

 

 

 今回の大会において、日本という国は大変優位だった。

 織斑千冬という絶対王者を手持ちにし、王者は魑魅魍魎を乗り越えた優勝者とだけ闘うという、言ってしまえばスーパーシード。情報のアドバンテージも手にしたならば、彼女が敗北するなんて、誰一人として疑ってはいなかった。

 経済的においても、昏き伏魔殿に、徳川という怪婆が潜んでいる。ISが世界に広まるきっかけとなった、全世界によるミサイルの同時攻撃。その標的となった、IS時代始まりの地・日本こそが、この蠱毒を行うに相応しい、などと暴論をばら撒き、いかなる手管か、見事その権利と支援をもぎ取ってきた。議員、官僚といった政治屋共もそれに追従し、まさに温泉気分だった。

 その為、日本から出陣する二人目の(・・・・)代表は、究極的にはどうでもよく、周囲からあまり期待されていない。

 

「やはり、君が出るわけにはいかないのか?」

「すみませんが、大会のルールが、私の戦術と合っていないかと……。私が勝つのは難しいと思います」

 

 何処かの会議室で、官僚と女が話し合う。

 この官僚。実直な性格でのし上がった生真面目な男なだけに、必然性の薄い仕事であっても、最後にはやり遂げようとしていた。

 出場を期待された女は、緑髪眼鏡小身巨乳とどっ(・・)と要素が積み重ねられた女だった。性格も小動物然として、人畜無害そうな女。だが、侮るなかれ、この緑髪。日本の代表を期待されたこの女は、かの織斑千冬にも認められる銃士で、代表候補の小娘の一匹や二匹、纏めて平らげることのできる凄腕だった。その上、『魔剣』を思わせる絶技をも保持していた。

 

「愛用の武器が使えないとなると、君ほどの腕前でも難しいかね?」

「……ええ、そうですね。盾だけだと私の腕ではなんとも……」

 

 女の『魔剣』は絶殺空間の構築。

 鋼糸にて誘導した四枚の巨大盾で、敵の四方を囲んで、殺し間(キルゾーン)を作り上げ、そこに短機関銃をたらふく撃ち込むことで、跳弾と合わせて敵を確殺するという、顔に似合わぬ凶悪な『魔剣』だった。

 官僚が女の出場を求めたのは、偏にこの『魔剣』に魅せられたからだ。

 『魔剣』を振るった時、相手は既に死滅している。『魔剣』保持者は、見るものたちの一方に安心を、一方に恐怖を否応なしに与える。

 平たく言えば、これなら確実に勝てる、と思わせるのが『魔剣』の一要素だ。

 

「ムゥ。……代わりのIS乗りに、誰か心当たりはあるか?」

「──はい! 柊先輩なんてどうでしょう?」

「柊?」

 

 代案を求めた官僚に、緑髪は自らの先輩とやらを進めた。

 官僚は手元の資料を引っ掻き回し、女の名前を見つける。

 柊明日夢。

 さまざまな方式のIS戦闘演習に携われど、その勝率は五割から六割(・・・・・・)程の、取り立てて目立つ所のない女だった。強いて言えば、打鉄(うちがね)に乗っているのに専用ブレード『葵』を使わず、自前の棒を使っていることが多少目を引いた。

 

「──彼女か?」

 

 緑髪が勧めるにしては、なんとも凡庸な女だ。そう思い尋ね返すと、目の前の女はクスリと笑って、資料の一部にマーカーを引き始めた。

 

「先輩の凄いところは、一見わからないんですよね。──これならどうでしょうか?」

 

 女の差し出した資料を訝しげに見た官僚は、思わず「あっ」と口にした。

 

「こいつ、なんでこんな状況でも半々の勝率なんだ!?」

 

 遭遇戦。包囲戦。撤退戦。内通者戦。

 ありとあらゆる不利な環境下でも、天秤を揺らさない女がいた。

 

 

 

 建前でなんと言おうとも、ISには、スポーツの側面と、軍事力の側面があることは、今更否定できない。

 テロの時代において、ISが世に広まったことは、平穏を望む多くの人にとっては不幸なことだった。

 何しろ、ISは隠密性と破壊性の二つを兼ね備えた、人類史に類を見ない、最凶の兵器だからである。

 テロを行う際、賊徒が気を配る点の一つに、武器・兵器の調達がある。

 紛争地のように子供が榴弾を手に入れられるような環境ならいざ知らず、先進国でそれを行うことは非常に困難だ。銃の所持を許されたアメリカでさえ、真っ当なものは登録制になっていることからもそれは窺える。ましてや、かつての悲劇以降、空港等の国の玄関口では、それらの持ち込みが厳しく監視され、テロリストが武器を溜め込むことは難しくなっている。

 だが、ISは違う。たった500足らずの数で、世界を激変させたのは伊達ではない。

 IS乗り(ライダー)は、文字通り単騎で国と戦争が出来るのだ。

 ペンダントだか、装身具だかに偽装したそれを持って、何食わぬ顔で首都に入り込む。で、効果的な場所まで着いたらISを展開。

 後は爆発物でも毒ガスでもばら撒くといい。

 何しろISは、本来宇宙活動(・・・・)を目的としたものだ。極限環境において、装着者の身体の安全を保障したそれは、放射能だろうが、細菌だろうが、はたまた毒ガスだろうがものともしない。一当てすれば、都市機能、国家機能を麻痺させ、破壊し尽くすこともできる。自爆テロを安全に執行できるのだ。

 さらには、拡張領域(バススロット)を武器庫化しておけば、本来不可能なはずの、「テロリストの一人軍隊(ワンマンアーミー)」となることもできる。継戦能力においても、ISは狂気の産物だった。

 入手すれば、誰でも個人で国を落とせる。

 ISによるテロは、国家を殺せる『魔剣』だった。

 

 しかし、何処の政府も、手をこまねいているはずがない。

 目には目を。歯には歯を。ISにはISを。

 生身の人間には絶死の攻撃でも、同じISなら太刀打ちできる。

 日本も万が一、億が一に備えて、テロ対策の訓練を行っていた。

 柊の今日の訓練内容は、都市部の何処かに侵入したIS乗り(ライダー)を速やかに排除することだ。

 舞台は何処かの駐屯地に建設された架空都市。潜むは一人の反乱者。元同僚であることから、こちらの情報は筒抜けで、今日の鎮圧も把握されている。プレハブのビル街は、毒刃煌めく蜘蛛の巣へと変貌している。

 いつも通りの不利な状況。柊は戦場に降り立つや否や、付近のビルの物陰に隠れる。

 ISを初撃で確殺できる兵装は多くない。彼女の知る限りでは、彼女の対偶の女の剣だけだ。だが、それは絶対ではない。彼女が想定したのは──。

 

 ──狙撃無し。付近にも敵影無し。

 

 待ち伏せての、超長距離からの狙撃。

 2017年5月。現実(・・)において、カナダ軍の誇るスナイパーが、狙撃の世界記録を更新した。奇しくも「IS(イスラム国)」の兵士を撃ったそれは、その距離なんと3450メートル。

 生身でさえできるのだ。観測主要らずのハイパーセンサー、PICによる姿勢制御、パワーアシストによる反動の抑制。10キロ先、20キロ先。対物どころか、対IS銃級のゲテモノが出てくる可能性も零ではない。

 女は慎重に──いざとなれば、即時撤退も視野に入れて──辺りの探索を始めた。

 

 

 平地を舐めつけるようにゆったりと、しかして時には機敏に進む女。

 戦況が変わったのは、彼女のIS(相棒)がけたたましく警告を発したとき。

 上方より飛来したそれは、サブマシンガンから放たれた数発の銃弾。即座に杖を展開した女は、頭上に向かって円を描くように遮二無二それを振り回した。腕や脚、防御器官に数発は掠ったが、彼女の鎧は存外強靭だ。豆鉄砲の一つや二つ、物の数ではない。銃撃をやり過ごした女が、目的の潜むビル、その上層を見やれば、武器を持ったISが窓の奥へと引っ込むところだった。

 

 ──釣り、か。

 

 このまま入り口から駆け上がるのは愚の骨頂。然りとて、ただ漫然と飛ぶのも安牌ではない。PICによる飛行は、オートであれば粗雑に過ぎて、マニュアルであれば余計な意識を割かれる。本来人間に持ち得ない飛行という技能に、柊は自信を持たなかった。

 女はおもむろに杖をより長い物へ持ち替え、右手を引き絞って、消えた影の方へ思い切りぶん投げる。同時、息もつかせず女はビルの方へ疾駆し、ビルの壁を沿うように飛翔した──。

 

 もし相手が、窓辺付近に潜むような間抜けであれば、そのままそいつを突き穿つ一撃。

 窓ガラスを貫く槍と同時に女は内部へ侵入し、待ち伏せの敵を見越して杖を四方にぶん回しながら、素早く探査を走らせる。

 

 ──熱源無し、動体無し、機影無し。

 

 だが、まだだ。もしかしたら(・・・・・・)完璧な迷彩が施されているかも知れない。

 短い棒を装填した女は、人が潜むことが物理的に可能なスペースへ向けて、投げつけ、払い、突きを繰り出す。

 空を切る棒。無論、構わない。

 

 部屋の安全を確認した女は、10フィート程の棒を手に持ち、室外の探索に移る。

 言うまでもなく、ISに搭載されたハイパーセンサーの精度は極めて高い。だが(・・)、それを欺いたトラップがあるかもしれない。先進的(・・・)な技術が使われているかもしれない。赤外線、動作感知の爆発物、あるいは単純な落とし穴。棒を使って間接的に作動させるという古典的(・・・)な方法を、柊は未だに取り続けていた。

 たかたが三メートルの猶予。ただ、女にとっての安全域がそれだ。

 センサーを走らせる。センサー(10フィート棒)を走らせる。

 過剰なまでの執着こそ、柊の護身。

 

 それが身を結んだのは、階の調査を始めて少し。

 棒で叩いた床が、ぼろりと崩れ落ちると同時、上階から天井を突き破ってきた女が、剣を振りかぶって落ちてくる──。

 仮に落とし穴に脚を取られれば、墜落することは無くとも意識は割かれる。その瞬刻の揺らぎ(・・・)に斬りつければ、格上だろうと容赦なく殺せるだろう。テロリストの目指した『魔剣』は、理外の一撃に他ならなかった。

 だが、しかし、その程度の(なまくら)、警戒の雄たるこの女には通じない。

 三メートルの距離を使って、柊は探査棒を刀の刃に噛ませるように投げつけ、そのまま後方へ引き下がる。120センチほどの戦闘用の杖を取り出した女は、当てが外れてわずかに戸惑う敵手を確認するや否や、蛙のように地面を蹴りつけ飛びかかり、脳天へ向かってその手の太刀を振るった。

 ── 夢間神柊(むけんしんしゅう)流杖術“中段”にて、『雷打(らいうち)』。

 強かに側頭部を打ち据えた事で、襲撃者の防壁の強度は大きく下がる。が、これで終わりではない。生身なら昏倒するような一撃でも、シールドのエネルギーがある限り、IS乗り(ライダー)は亡霊のように闘い続ける。最早これまでと奇襲を諦めた敵手は、柊を構えた杖ごと断ち切らんと、自身の『葵』を振り切った──。

 

 ──勝った。

 剣士はそう思っただろう。たかが棒なぞ、刀で斬れぬわけがない。

 

 ……だが(・・)甘い(・・)

 

 これは、IS戦闘だ。

 通常なら、上下の関係にある武器種でも、IS用にチューニングされれば、全てが対等。

 なれば、こそ。

 ── 突けば槍、払えば薙刀、打てば太刀。杖はかくにも外れざりけり。

 あらゆる武器種に化ける(・・・)杖は、最強の一角に他ならないのではないか────?

 

 刀は杖に抑えられる。

 剣士の慢心を見た杖主は、彼女の剣を持つ手に向かって蹴りを放つ。それと同時、脚の先に短い棒を召喚した女は、勢いそのままにそれを蹴り飛ばすという小細工(・・・) を施した──。

 夢間神柊流杖術“赤枝”が崩し、『死超(しちょう)』。

 蹴りの速度に槍の質量が重なった攻撃。運動量の法則に則って、一撃の威力が導き出される。さらに、打点が小さくなったことから、その威力は女の手の甲ただ一点に集中した。

 つんざくような痛みに、思わず剣を手放す女。その後ろに素早く回り込むと、柊は杖の両端を握って、剣士の顎、首元にぐぃと引っ掛けた。

 ISの絶対防御は、操縦者の命に危険が迫った時に発動する。

 ならば────金属棒で首を絞められ、呼吸できないというのは、それ即ち発動条件に他ならない(・・・・・・・・・・)のでは……?

 

「夢間神柊流杖術・基本項『巻落(まきおとし)』」

 

 油断大敵を形にした女の口から出た、流派の名乗り。

 絶対防御が発動し、エネルギーが急速に減る。ジタバタと暴れる女だったが、杖術は警察組織にも用いられる捕縛術。同じ装備なら、行く末を決めるのは己が技量。

 杖を使うことに命を注ぐ女と、IS戦で首を絞められるという未知の状況に置かれた女。

 勝負は、決まっていた。

 

 

 

「なんで柊さんって、そんなに強いのに勝率があんまり高くないんですかー?」

 

 訓練後、敗者は問いかける。

 勝者は信念を口にした。

 

「──杖術は弱者の護身術。悪人を生かして捕らえる技。いたずらに自分から人を傷つけてはいけない。……私は『不殺(負けない事)』は得意だけれど、『殺害(勝つ事)』は性に合わないんだ──」

 

 

 

 彼女は不殺(殺さず)を誓っている。

 彼女の杖術理論は、殺しを含まないがために『魔剣』ではない。

 彼女はしかし、病的なまでに自分と誰かの安全を憂いている。

 彼女の天秤はそれ故に、『絶勝(100%)』を持たないが、『絶敗(0%)』をも持たず、ただひたすらに『中庸(50%)』を維持する。

 

 日本代表、夢間神柊流

 不殺(殺さず)の柊。

 

 




杖術に関して、元ネタの方を修めた方が万が一いらっしゃったら、申し訳ありません。
謹んでお詫び申し上げます。


……『魔剣』中毒患者かな?


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囚われた子猫

IS度は10%。
あいも変わらずリスペクト。
少しセクシャルです。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──ああ、あれが次の『顧客』か、と。

 

 

 

 完璧な人生などと言ったものは存在しない。

 完璧な絶望が存在しないように。

 女の人生なんてのは、まあそんなものだ。

 

 

 台所でスパゲティーを茹でているのは、モニカの『事業』の一環だった。背中の先では五十路を越えた一人の男が、M・J・Qのレコードを聴きながら葉巻を咥えている。

 漂ってくる煙に辟易としていると、スパゲティーが茹で上がった。すぐさまさっ(・・)と水に晒して、ミートソースを絡める。軽く散らした青豆は、彼女の好むアクセントだ。

 皿に乗せられたそれを持っていくと、男は彼女を見やって、ニヤリと笑った。

 

「やぁ、準備(・・)は出来たかい?」

「ええ、そうね。ばっちり(・・)だわ」

 

 彼らにとって、これは『事業』の前の前座(・・)でしかない。レコードの止められた部屋の中で、二人の麺を啜る音だけが木霊した。

 

「じゃあ、先にシャワーでも浴びてきなよ」

 

 晩餐を終えるや否や、男は彼女を急かす。

 それじゃあお先に、と言い残し、モニカは『仕事道具』を持って、バスルームへと歩いて行った。

 

 清めから戻ると、男は既にベッドに横になっていた。女が思わず、

 

「貴方はシャワー、浴びないの?」

 

 と問いかけると、男は笑って、

 

「ああ、ぼくはこのまま(・・・・)でいいや。君はどうだい?」

 

 と嘯く。やれやれ。苦笑したモニカは、せっかく纏った薄衣を惜しみつつ、男の方へと擦り寄った。

 部屋では橙色の光が幻惑していた。

 

 

 運動(・・)を終えて暫く、精根尽き果てたのか、男は寝具にうつ伏せで横たわっていた。

 

「大丈夫?」

「ああ、よかったよ。すごく(・・)ね」

 

 女が──儀礼的に──心配事を口にすると、男は女への賛辞を返す。モニカは男の右肩にしなだれかかり、一つ提案した。

 

「ねぇ、わたし。マッサージも得意なんだけど、どうする?」

 

 そりゃあいいや! 男が快諾すると、女はベッドから腰を浮かせて、男の体に向き直って座った。

 頭頂部、肩、二の腕、手のひら、肩甲骨、腰、尻、太もも、足先。全身を丹念に揉みほぐす女の細白指は、鍵盤を奏でるモーツァルトのようだ。天上の調べを受けて、男の意識はゆったりと微睡んでいく。

 

「次は首元だけれど……」

 

 女の声を聞いても、既に男は夢の中。

 軽く頰を撫でてそれを確認したモニカは、ベッドの脇へと手を伸ばし、女性用の『化粧ポーチ』から、薄い布に巻かれたそれを取り出した。

 それは、アイスピックではない。ただ、アイスピックに似た形状をしているだけだ。

 女の手のひらにすっぽりと収まる大きさで、先端では蜂の針が深く銀色に煌めいている。女は針先のカバーを外すと、一度男の首元に、そっと触れた。そのまま彼女は男の背中に体重を乗せずに馬乗りになる。モニカの心臓は、どくりどくりと、全身に命を運んでいた。

 モニカはメキシコの『個人事業主』だ。

 ある女が剣に、またある女が機械工学に災能(さいのう)を持っているように、モニカの指は人間の身体の本質を探し当てることに長けていた。それは、彼女が教育(・・)された事で、後天的に得たものかもしれない。結局のところ、鶏が先か、卵が先かなんてどちらでもいい。要は「出来る」かどうかだ。

 「出来る」女のモニカは、首に添えていた手を離すと、はっと息を止め、心を定め終えてから、握ったその手を優しく振り下ろした。ピックのお尻に向けて。

 

 パワーアシストなんて要らない──何故なら柔らかな針は、簡単に折れちゃうから。

 ハイパーセンサーなんて要らない──何故なら彼女の指は、何よりも繊細だと知っているから。

 PICなんて要らない──何故なら彼女の腕は、星の重力に逆らってないから。

 ISなんて要らない──何故ならこれ(・・)は、太古の昔からある人間の仕事だから。

 

 首元をするりと抜けた針は、人間の血管のなにか重要なところをも貫き、そのまま男の心の臓を停止させる。

 びくり、と男の身体が隆起した。男の筋肉の生涯における最期の仕事は、モニカの二つの太ももに微かな振動を伝える事だった。

 モニカはふぅ、とようやく人心地着くと、愛用の『仕事道具』を薄布で軽く拭い、そのままそれを包んだ。近くに置かれた『化粧ポーチ』に、役目を終えたそれをしまい込むと、彼女は置物(・・)の上からゆったりと立ち上がる。女にとっては、慣れた『事業』だった。

 

 ──これで、半分かな。

 

 行為(・・)を終えた女は、ショーツを履き、セーターを着け、元々来ていた普段着を完成させる。そしてそのまま、男の部屋をちょちょいと物色し始めた。

 机の中、本棚の陰、壁の切れ込み。男にとっては一世一代でも、女にとってはもうそれは体験済み(・・・・)だ。

 

「薬の隠し路に、お金の隠し場所、裏帳簿……うわぁ、軍へのタレコミなんかもやっちゃってる……」

 

 女の口から思わず出たのは、置物(・・)が遺した債務への呆れだった。

 もう動かないこの男は、彼女のお得意様である、とある会社(・・)の上役の一人だった。若手ながらも頭角を現し、業績を挙げては昇りつめ、遂には幹部の椅子を勝ち得た醜悪な男だった。

 ただ、うん。出る杭は打たれる。

 男は仕事はできたけれども、政治の方に疎かったらしい。古株達の目に留まった彼の元に、そうして送られてきたのがモニカだった。

 上昇志向の強かった男だ。何かあると思い探ってみれば、やっぱりそうだ。

 組織に対する背信が、ざくりざくりと出てくる。やれやれ、強欲さは身を滅ぼすらしい。

 女は嘆息してそう思った。

 

 全ての『事業』を終えたモニカは、ビジネスバッグに書類を詰め込み、男の部屋を後にする。ふと気になって食卓の方に目を向けると、スパゲティーの入った大皿が無かった。彼が片付けてくれていたらしい。「ありがとう」、感謝の気持ちを込めて、女は男の大好きだったレコードをかけてあげた。

 どうか安らかに眠れますように。

 テニスシューズを履いた女は、今日の『仕事場』を後にする。

 遺されたそれ(・・)は、ただひたすらに、ジャズの優雅な音を聴いていた。

 

 

 

「こんばんは、御嬢さん」

 

 女が『事業』の成果の報告に向かったのは、とある小さな酒場だった。店内に据えられたFMからは、軽快なオーケストラの音が流れている。──ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』。昔関わったことがあったっけ? 

 どうでもいいことを振り返りながら、モニカは早速男に書類の類を渡す。

 

「はい、どうぞ。これでよかったかしら?」

 

 渡された書類束をパラパラと流し見た男は、ふんと軽く鼻を鳴らすと、女に対して労いを言い渡す。

 

「ああ、ご苦労さん。確かに、受け取ったよ」

 

 まぁ、君が仕損じるとも思ってはいないがね、そう目で伝える男。モニカはそれを無視して、身を翻そうとする。

 

「まぁ、待ってくれ、御嬢さん。少しばかり、話そうじゃないか」

「……今日の『仕事』は終わったはずだけれど?」

 

 足を止めて、訝しげに口にする女。

 それに対して、男は人生を語った。

 

「そう言うんじゃない。急いては事を仕損じる。あの若造もそうだろう? 老骨を労わると思って、少しばかり付き合っちゃくれんかね?」

「……わたしの時間は高いわよ」

「そりゃあ、勿論! 御嬢さん程の美人なら、わしも懐を惜しまんさ!」

 

 クハ、と笑う男に体を向けて、女は席に着き直した。

 

「それで、一体次は、何の『仕事』なの? ……と言うより、こんな所でしてもいい話なの? 誰かに聞かれたら、不味いんじゃないかしら?」

「はっは、それは早計だよ、御嬢さん。睦言を交わすなら、静まり返った所ではなくて、雑踏の響く街角で、だ」

 

 確かに。

 バーの中にはそこそこの客がいるが、誰も他人になんて目をくれちゃいない。店内を奏でるオーケストラは、十分すぎる耳眩ましだ。

 少しばかり感心するモニカを、男は揶揄った。

 

「やれやれ。御嬢さんは、そう、何だったか……」

「『個人事業主』」

「そう、『個人事業主』。それなんだから、わしに言われずとも、それくらい知っておくべきじゃないかね?」

「……反省するわ」

「うむ、結構」

 

 娘を嗜めるような男。

 

「で、結局。何の話なの? まさかほんとうに世間話だとでも?」

 

 話を戻した女。

 それを見た男はコートの内ポケットをゴソゴソと(まさぐ)り、少し皺のついた一枚の写真を差し出した。

 そこには、極東の戦乙女の姿が写っていた。

 

「……彼女がどうかしたの?」

「誰だか知っているかね?」

「ブリュンヒルデ」

「正解だ、御嬢さん」

 

 軽快に言葉を交わしているが、女の背には、薄く汗が流れていた。

 モニカはISに乗ったことがある。彼女の『事業』関連で、それに携わった男がいた。幾ら女しか乗れないISだろうと、業界全てが女なんてあるはずがない。

 そこには女がいて、男がいて、人間の営みが広がっていた。それが世界だ。

 女のIS能力はそこそこ。運と環境さえかみ合えば、代表候補くらいにはなれるかもしれない。だからこそ、モニカには剣客の領域が理解できた。

 あれは、魔物だ。訓練を積んでモニカが『個人事業主』になった。ところが、あの女は『個人事業主』級の実力を最初から持っていて、それを更に研ぎ澄ませたもの。

 そんな狂域をモニカは予感した。

 そんな女に勝てるわけがない。例え、生身でも。

 

「……彼女ってノーマル(・・・・)よね? だとしたらわたしは役に立たないんじゃないかしら?」

 

 変なジョークならよしてくれ! と言わんばかりに女は男へと確認する。

 それを聞いて、男は軽く手を振った。

 

「いやいや、違うとも。何も彼女に御嬢さんをあてがうつもりはないさ」

「まぁ、そうよね」

「もっとも、彼女がノーマル(・・・・)かどうかは保証しないがね。彼女の周りに男っ気は無い。唯一対等の、あのうさぎさん(天災博士)とは大変仲がよろしかったそうで」

「……冗談よね?」

「そう、悪い冗談。イッツ・ア・ジョーク!」

 

 正しく手玉に取られている。

 憤慨する女を余所に、男は一口ギムレットを口にした。

 酒も飲まずに何やってるのか。

 女もメニューから目に入ったものを注文する。銘柄はキティ。今日は甘口。

 

「それでいいのかい? 子猫さん。いつもはもっと大人らしく──」

「『仕事』終わりよ、これで十分だわ」

「──なるほど、なるほど。これは失礼」

 

 閑話休題。

 

「──それで、結局の所、わたしは何をすればいいのかしら?」

 

 モニカは話を前に進めた。それを聞いて、男も同調する。

 

「──実の所、御嬢さんには、とあるISのお祭りに参加してもらうことになった」

「お祭り?」

「そうさ、みんな揃って集まっての世界大会」

 

 第二・五(にーてんご)回モンド・グロッソみたいなものさ。

 愉しそうに語る男に、女は血相を変えて食いかかる。

 

「世界大会って! わたしが出るはずないじゃない! 『本業』に支障が出るわ! それに! あのブリュンヒルデに勝てると本気で思ってるの!? だとしたらあなたの目────」

「────御嬢さん」

 

 トーンを落とした男の声に、女の喚き声はせき止められる。

 

「これは、もう、決まったこと(・・・・・・)なんだ。わかっているだろう? 君は断れないさ」

「……」

 

 聞き分けのない子供に言うように、噛んで含めるように。ただ男は事実(・・)を口にする。「それに」、男はそう続けた。

 

「なぁに。誰も彼女に勝てなんて言わないさ。あんなクレイジー・ガール」

「……そう」

「だからそう震えるんじゃない。わしも彼女も、怖くはないよ、御嬢ちゃん?」

「……わかってるわよ」

「なら、結構」

 

 両者はグラスを傾ける。

 口の中は、ほろ甘く、ほろ苦い。

 

「今回の興行には莫大な金が動く。それにうちの会社(・・)も乗っかろうと思って」

「それで、わたし?」

「裏の方で、うちと取引のある機業(・・)さんが、随分な賭けをしているようじゃないか。胴元としても客としても、儲けたくてね」

 

 男は嗤って告げた。

 

「誰も君が勝つとは思ってない。だが、うちがサポート(・・・・)しよう。あるいは君の『本業』でもいい」

「力を合わせて優勝しろと?」

「それがベストだが、大事なのは馬の倍率(・・)だ。そう気負わなくてもいいよ」

 

 男は口元を手で拭って、女の目を見て、薄くそれを歪めた。

 

「この大会が終わったら、御嬢さんをうちの会社(・・)の『嘱託』から外そうと思う。最後の『一大事業』だ。励んでくれたまえ」

 

 笑う。微笑う。嗤う。嘲笑(わら)う。

 男の前で、モニカは唇を噛み締めた。

 

 

 

 彼女は『個人事業主』という建前である。

 彼女はしかし、男に囚われている。

 彼女はけして強くはないが、彼女の会社(・・)はその分優秀(・・)だ。

 彼女は自由を求める、一匹の子猫である。

 

 メキシコ代表、バーリ・トゥーダー(なんでもやれる女)

 氷刺のモニカ。

 

 

 

 

 




こういう枠も必要かな、と。


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ママはグラップラー母鬼(バキ)ッ!

恐れていたIS度2%。



 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──あの女、私の『餌』にしてやるッ! と。

 

 

 

 ジャンヌ・ハマーは、グラップラーであるッ!

 身長190センチ、体重120キロッ!

 チェスト(バスト)98・ウエスト72・ヒップ89ッ!

 何処からどう見ても筋肉ダルマなその女、薄く刈り上げた頭もあいまって、レディースデーにやんわりと断られる事数十回ッ!

 右の剛腕が唸ったら、男だろうと吹っ飛ばす!

 丸太の脚が震えたら、車だろうとぺしゃんこよッ!

 巌のようなその身体。ぐぃと(りき)んで見せたなら、その背に宿るは鬼の貌ッ!

 バラエティに取り上げられては、「織斑千冬とどっちが『地上最強の女』?」などと問いかけられるのはもう辟易ッ!

 男にびびられ、女にびびられ、オーガと呼ばれしこの女。

 一度家に帰ったならば────

 

「──ママー。お帰りー!」

「ただいま。シシー」

 

 ────何処にでもいる、ただの一人の母親である。

 

 

 

 ジャンヌの一生は、その始まりから大きかった。

 帝王切開にて母体より産み出された赤子の体重は、その時既に6.5キロ。ギネス記録にも迫るその子供は、成長してもビッグだった。

 一時期彼女の面倒を見た保育所のスタッフは、とある雑誌の記事にてこう語った。

 

「……ええ、彼女を初めて見た時は、驚きよりも先に恐れがありましたね。だって考えても見てくださいよ? ハイハイしている赤ちゃんたちの中に、小学生みたいな子が混ざっているんですから! しかもあの子、ジャパンのスモウ・レスラーみたいに周りの子を押しのけてるんですよッ! 将来どんな子になるかわかったもんじゃない!

 ……すみません、訂正させてください。今の彼女みたいになるとは、ある意味では想像してました」

 

 そんな彼女は、小学校、中学校と進むにつれて、その特異性から、周りの男子たちに虐められることとなる。

 

「やーい。やーい。デカブツー。男女(おとこおんな)ー──あべし!!」

「カッちゃん! よくもやったな、ブサイク──ひでぶっ!!」

「ふっ、二人とも! ぼくは負けないぞ! この鬼女(おにおんな)──たわば!!」

 

 手刀断空、デコピン一撃。

 まるで継母たちに虐められる、灰被り姫のようなジャンヌ。武闘会(ぶとうかい)を夢見る彼女には、ある一つの趣味があった。

 

「────♪」

 

 如雨露(じょうろ)から土に水を撒く少女。

 そう、彼女の趣味は花を育てることである。

 

 ──優しい人になりなさい。

 

 両親にきつく言われたその言葉。なにを血迷ったかジャンヌは、

 

「優しい人はみんな花を育ててる。なら、花を育てれば優しい人になれるって事だ!」

 

 などと勘違いし、以降ガーデニングに精を出す。

 そういう意味じゃない。

 それを見た両親は、呆れつつも、悪いことでもないか、と思い直して続けさせることにした。

 

 

 三年が過ぎ、五年が過ぎ。

 蕾だった少女は、大人の女へとすくすくと。

 そう、すくすく、すくすく、すくすく、すくすく──もういい! 

 とにかく巨大に成長することとなる。

 見るからに「暴力」なその女は、半ば導かれるかのように、ボクシングジムの門を叩いた。

 すわ殴り込みか? 蜂の巣をつついたようにどったんばったん大騒ぎする事務職員たち。

 無事入会すると、当然のごとくヘビー級に割り振られる鬼。

 ちょうどいい相手が見つかるかな? 

 そう期待していたジャンヌにとって──

 

「グェーッ」

「サヨナラ!」

「ヤッダーバァアァァァァアアアアア」

 

 ──そこは思ったよりも拍子抜けだった。

 テクニックや戦術の入り込む余地のないほどに、ジャンヌの身体の、いわば生物としての「格」が違ったのである。

 彼女は僅か数ヶ月で、ボクシングに飽きて(・・・)しまった。

 上質な『餌』を求めて彷徨うジャンヌ。そんな彼女の脳裏をふっと掠めたのは、祖国ギリシアの、一人の賢人の言葉だった。

 

「不完全なレスリングと不完全なボクシング。この二つの競技が合わさったものこそ、これパングラチオンである!」

 

 ほうほう。なるほど。

 もうボクシングは終わった(・・・・)。ならば、次はレスリングにしようか。

 女は街の地図をひっくり返し、レスリング教室へと殴り込む──。

 

 数ヶ月後。

 

「うわらば!!」

「ぬわーーっっ!!」

「なんじゃこりゃぁあ!!」

 

 飽きた(・・・)

 女にとっては、ボクシングもレスリングも、どちらもたいして変わらなかったのである。

 姿形が変わろうとも、強いものは強い。

 それが女が導き出した世界の解答だった。

 

 自らの──暴力的な──欲求が満たされない彼女は、プロモーターの依頼で闘いがてら、唯一の趣味であるガーデニングに勤しむこととなる。

 そんな折、彼女は馴染みの園芸店──看板娘には、数年かけて慣れてもらった──に、植物の種を買いに行った。

 目的の種は残り一袋しかない。ジャンヌはその極太な指を、すくりと伸ばして、

 

「──────あっ」

「──────えっ」

 

 誰かの指と、ジャンヌの指が、そっと触れ合った。

 ────その日、少女は運命に出会う。

 

 

「────────」

「────────」

 

 ジークと名乗る紅い目の男は、植物学者の卵であった。小さな頃から花が好きだった少年。地元でも有数に頭の良かった彼は、名門・アテネ大学の生物学科にて、植物の研究に携わっているという。

 その男は、女と対極の存在だった。

 男は、小柄で、病弱で、頭がとても良い。

 女は、大柄で、強靭で、頭は少し弱い。

 住む場所も違えば、生きる世界も違う。本来であれば、百度人生を繰り返そうとも、決して出会うことのなかったこの二人。

 

「貴女もアネモネを?」

「……ええ。私、ガーデニングが趣味なんですが、恥ずかしながらこれを育てるのは初めてで……」

「安心してください。アネモネは育てるのはそこまで難しくありません。今から育てれば、四月頃には、赤や白、紫の綺麗な色を見せてくれますよ」

 

 そんな彼らを結びつけたのは、たった数粒の植物の種だった。

 

「でも、本当に私が貰っていいんですか?」

「いいんです。僕は研究用に欲しかっただけですから。花たちにとっては、きっと、貴女に育ててもらう方が幸せでしょう」

 

 そう言って立ち上がり、店を去っていく男。

 ジャンヌは過ぎ去ってしまったその背中に、思わず手を伸ばした。

 

 ──彼女の人外じみた心臓が、どくり、と動いた。

 

 それから二人は、時折その園芸店で顔を合わせることとなる。

 偶然(・・)店で顔を合わせては、植物のことを話したり、自身の近況を語り合ったりする。時には店を出て、植物園を散歩したり、喫茶店でお茶を楽しんだりもした。

 クスリ。看板娘は二人を見て、笑う。

 

 

「それで、それで! ジャンヌさん! デートはどうだったんですか!?」

「あれはそんなんじゃないって……」

「またまたー。誤魔化しちゃってー」

 

 当初はジャンヌの事を見ただけで、顔が引きつり目に涙を溜めていた看板娘。だが、しかし、今は立場逆転!

 元より肉体全振りの、鬼のようなこの女、(いじ)ると意外と面白い。顔を真っ赤にしてわたわた(・・・・)と慌てるジャンヌ。

 看板娘はいつぞやの仕返しを続けた。

 

「そう言えばー」

「ん?」

「いえ、再来週の日曜日。空けておいてくれるか、とジークさんが仰ってましたよ」

「……そう。教えてくれて、ありがとう」

「いえいえー。今後ともご贔屓にー」

 

 約束の日。

 いつものように、ギリシアの街を楽しんだ二人。

 少し違うところといえば、男が夕暮れ時に、女を貸し服屋へと連れて行ったこと。

 

「実は今日、フランス料理のグランド・メゾンを予約しているんだ」

 

 毎日がタンクトップ、ダメージジーンズのジャンヌは、ドレスコードなぞ欠片も知らぬ。

 入店御免を言い渡されぬために、男は衣服を特注していた。

 さて繰り返そう、ジャンヌ・ハマーという女。

 身長190センチ、体重120キロッ!

 チェスト(バスト)98・ウエスト72・ヒップ89ッ!

 ミシミシと音を立てんばかりの、エレガンスなネイビーのドレス。

 首元に巻かれた真珠のネックレスは、猛犬を繋ぐ首輪のようで。

 引きつった顔を浮かべる店員をよそに、男は女にこう告げた。

 

「────綺麗だよ」

 

 

 一人の男と一体の修羅、フレンチ最高級店を襲撃する。

 思わず声をかける支配人に、「何か問題でも?」と返すジーク。

 確かにドレスコードには引っかからない。引っかからないが、その、なんだ……。

 店の雰囲気的にどうなんだろうか?

 葛藤する店員一同をよそに、男はジャンヌを連れ立って歩く。

 あばたもえくぼ。そんなところか、いやそんなレベルか?

 

 優雅? に食事を楽しむ二人。

 上品に食べる男。女も育ちは悪くない。テーブルマナーは十分だ。

 スープを飲もうと持ったスプーンが、小さすぎておもちゃに見える。いざやってきたスペシャリテ、羊の肉を食べるその背後には、百獣の王が浮かんで消える。

 問題といえばそんなところか。

 デザートを平らげ食後酒をいただく。

 女の指先に摘まれたワイングラスは、今にも末期の悲鳴をあげそう。彼の犠牲をとんと無視して、ジークはジャンヌに語りかける。

 

「──今日は楽しかった?」

 

 ええ、とても。

 笑顔を浮かべる一匹の鬼。

 ──笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である。

 まるで獲物を狙う獣のようだ。その顔を見れば、誰しも人間に残された野生を呼び起こさずにはいられない。

 だがしかし、目の前の男だけは、その本質を理解していた。

 

「今日のお礼に、そう思って……」

 

 と、取り出されたるは宝飾の箱。

 ぱかりと開かれる箱の中に、咲き誇るは赤い大輪の花。

 

「……アネモネのブローチ」

「そう。これを君に」

 

 ルビーで模った赤いアネモネ。その花言葉は、

 

「────『君を愛す』。結婚しよう」

「ええ、喜んで。王子様」

 

 ガラスの靴は履けないけれど、灰被り姫は無事見初められました、とさ。

 

 

 そんなこんなで二人は結婚。

 教会での神前婚を終えた後。披露宴が行われる。

 

「──新郎、新婦、御入場です!」

 

 白いタキシードを纏った男は、どこからどう見ても王子様。

 白いウエディングドレスを纏った女は、どこからどう見ても王女様?

 

 新郎来賓の席に座るは、白髪眼鏡の賢人がずらり。

 新婦来賓の席に座るは、筋肉モリモリマッチョマンの変態達。一人可憐に咲く看板娘は、どこか所在無さげ。

 

 姿形も関係も、何もかも違うひと組の夫婦。

 男は身体は弱く、力も足りず、だが頭は切れる。

 女は頭が弱く、粗野粗暴だが、その肉体は強靭だ。

 知は力なり。力は知なり。

 古代ギリシアの哲学者プラトンは、時代を代表する哲人王にして、世界最強のグラップラーだった。

 彼らのどちらか一人では、知者にもなれず、益荒男にもなれず。

 不完全な男と不完全な女。これら二つが合わさったなら────

 

 ────これぞまさしく、二体で一体の哲人であるッ!

 

 

 

 結婚してからというものの、二人の生活は順風満帆だった。

 男は山へ研究に。女は川で時間無制限デスマッチ! だって、すぐそこで血を落とせるから。

 シシーという可愛らしい娘──お父さんに似てよかったね──にも恵まれた二人は、仲睦まじく暮らしていた。

 

 ──だが、彼らの旅に、突如として時化(しけ)が襲いかかる。

 

 凶報。

 病院に駆けつけたジャンヌに告げられたのは、ジークが突然倒れたとのこと。

 死因、心不全。享年三十。

 

「────────ッッ!!」

 

 あまりにも早過ぎる別れだった。

 

 

 それからというものの、ジャンヌの生活は荒れ始めた。

 プロモーターからの依頼を受けては、相手をジークの連れ添いにする日々。……無論、殺してはないが。

 そんな折、彼女がボロボロになって──服だけ──家に帰ると、夜遅いのに家の灯りが点いていた。

 そこで待っていたのは、彼女の可愛い小さな娘。

 

「──ママ。お帰り……」

 

 女は幼女の紅い目に、今は亡き()を写し見た。

 

「──────」

 

 抱きしめる。

 もう二度と、喪いはせぬ、喪わせはせぬ。

 光なき新月の夜。二人(三人)の家の光は燦然と輝き、消えた。

 

 

 

「織斑千冬とどっちが『地上最強の女』?」

 

 大衆の抱くこの疑問に、遂に決着のつく日が来た。

 プロモーターが運んできたのは、とある大会の参加チケット。

 ジャンヌには、ISの操縦経験など殆ど無い。精々が、国が行った国民検査で、監督官を叩きのめした程度だ。

 だが、尋ねよう。森の賢人(ゴリラ)に重しを乗せたとして、素手の人間が勝てるのか?

 女の領域は、もはやその域だ。

 

 

 女と生まれたからには、誰でも一生の内一度は夢見る「地上最強の女」──。

 グラップラーとは、「地上最強の女」を目指す格闘士のことであるッ!

 

 

 

 彼女はグラップラーであるッ!

 彼女の胸には、運命の花が咲き誇っている。

 彼女の家には、運命の忘れ形見が残っている。

 彼女は夫亡き今でも、二体で一体の哲人だ。

 

 ギリシャ代表、グラップラー。

 半哲人のジャンヌ。

 




範馬勇次郎×三流少女漫画なんて考えた奴は誰だぁっ!!


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暴風とバカ

IS度80%。
燃える闘魂。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──ししょーの暴風、刻みつけてきますッ! と。

 

 

 

「私が大会に出られないって、いったいどういうことサッ!」

 

 イタリアの首都。ローマの庁舎。

 国政に携わる者たちが日夜勤める建物の中。

 その一室、ISに関する決め事をする場所で、赤色の暴風が巻き起こった。

 

「……どうもこうもない。君は大会には出さんよ」

 

 着物を着崩した暴風の女、彼女に向き合う銀縁眼鏡の女は、ただ決定事項を口にする。常人なら怯まざるを得ない気迫。それを柳のごとく受け流した眼鏡は、淡々と続けた。

 

「いいじゃないか。ブリュンヒルデ。君が今の世界最強だ。大会の結果がどうなろうと、君の看板は揺るがない」

「……だけれど、それはあくまで暫定。名目上のことさネ。本心では誰も私のことをそう思っちゃいない。あんただってそうだろう?」

 

 思わず喉を詰まらせる眼鏡の女。それを見た暴風は、畳み掛けるように投げかけた。

 

「ここで私が優勝すれば、誰もが認めるブリュンヒルデになれるんだ。イタリアだってそっちの方がいいだろう? 大人しく私を──」

「──────なら、聞くが」

 

 暴風の説得は、眼鏡の女に断ち切られる。

 

「なら、聞くが。君は、本気で、あのブリュンヒルデに勝てると思っている(・・・・・)のかね?」

「────ッ!」

 

 今度は隻腕の女が口を詰まらせる番だった。

 

「実の所、私たちは先のモンド・グロッソの決勝戦があのような形で終わってもらって、ホッとしているんだよ。君は強い。ああ、確かに強い。

 ──だが、織斑千冬に勝てると、私たちは確信していない」

「……」

「風を操る力と、相手を一撃で仕留める力。同じクロスレンジで戦うなら、どちらが勝つかは火を見るように明らかだろう?」

 

 眼鏡の女は風の女に、簡単な足し算を教えるかのように諭した。

 

「ブリュンヒルデという看板は、利用価値が高いんだ。ここで無くすわけにはいかない」

「──でもッ! 私にだって勝算はあったサ! 戦法がうまく噛み合えば、きっと私だって勝てるはずサ──」

きっと(・・・)? はず(・・)?」

 

 話にならんな。眼鏡は首を軽く振りながら、女の盲目を詰る。

 

「もしそれで、君が負けてしまった後、イタリアがどうなるか考えたことがあるかね? 勝敗不明の賭け事に、大金をベットするわけにはいかん。

 ──もし負けるということがあると、それは勝負の時の運という言葉では済まないのだよ」

 

 眼鏡の弱腰な言葉を聞いて、隻腕の口からは竜巻が吐き出された。

 

「──闘う前に負ける事を考えるバカがどこにいるんだよッ! 出てケッ!」

 

 

 

「でっ、それでッ! ししょーはッ! そいつをッ! 追いッ! 出したんッ! ですッ! かッ!」

「ああッ! そうサッ! ネッ!」

 

 数日後、イタリア某所のIS訓練用アリーナにて。

 二人の女がISを纏って、拳と言葉を交わしていた。

 二つのISは同型、同カラーリング。

 ただ、師匠と呼ばれた女のISの右腕の部分。そこには、精巧な機械鎧(オートメイル)が取り付けてあった。

 

 額、米神、首、人中、心臓、鳩尾!

 弟子の女が両の拳を、急所に向かって遮二無二に抉りこむ。

 捌き、捌き、捌き、捌き、捌き、捌き、返し!

 自身を狙う弾丸を丹念に掃除した師匠は、返す刀で弟子の右肘を殴り抜いた。

 

「──うわっ!」

 

 右腕が天高く真上にかち上げられた弟子は、身体のバランスを大きく崩す。

 ガラ空きになった脇元に潜り込んだ暴風の女は、余っていた右腕を振りかぶって、深く大地を踏みしめた。

 アッパーカット。

 機械腕が弟子の顎に添えられ、動かし、飛び上がらせる。ISのパワーかはたまたこの女の地力か、弟子の女の身体はふわりと重力から解き放たれた。

 

「……ッ! それでも──」

「──甘いサッ! 舌噛むなよッ!」

 

 ISのPICを作動させて状況を立て直そうとする弟子だったが、師匠の方が一枚上手だ。

 弟子を宙に浮かせた右腕を真後ろに回し、その勢いを用いて女の左足が、獲物の後を追いかける。

 続けざまに繰り出されたムーンサルトは、開かれた弟子の股の間から侵入し、その爪先は相手の背骨をしかと蹴りつけた。

 

「────ッ!?!?!?」

 

 顎、恥骨、背骨に打撃を受けて、下からの衝撃により脳が揺れる。その上、案の定自らの舌を両の歯の間に挟んだ女は、全身を同時に巡る痛みに激しく悶絶する。

 

「へもげっ!?」

 

 奇声をあげて地面に叩きつけられた弟子に対し、空中でひらりと華麗に一回転を決めた師匠は、がぁと女を叱咤した。

 

「ホラッ! なんだいッ! そんなザマじゃあのブリュンヒルデには勝てっこないさネッ!」

 

 

「ししょー。少しくらい手加減してくださいよー」

 

 訓練を終えて少し、ポニーテールの女がツインテールの女に頼み込んだ。

 

「手を抜いたりしたら、あんたの訓練なんかになりゃしないサ。──そらッ!」

「ぅお、と、と。ありがとうございます!」

 

 投げられたスポーツドリンク入りのペットボトル。やや落としそうになるもしっかりとそれを受け取った弟子は、師匠に大声で礼を言う。

 いいってことさネ。そう言うかのように、師匠は左手をヒラヒラと振った。

 特に何を言うこともなく、そのまま二人は並んで近くのベンチに腰掛ける。

 

 師匠と呼ばれた女は、長身で赤いツインテールが腰元まで伸び、日本風の着物をだらけて着ていた。だが、そんな事よりも目を引くのは、右目の眼帯と右腕の違和感。見るものが見れば、着物の右先には厚みがないことがわかるだろう。

 一方左隣に座った弟子は、中肉中背で、同じく赤い髪をポニーテールに束ねている。服装も師匠と同じように、似た色合いの着物を──ややしっかりと──身につけていた。

 ──ただ、そう。並んで座ると特にわかるが、この女には、なんとも色気が足りない。師匠が大人の花魁を思わせるのに対し、弟子は天真爛漫なちびっ子っぽさがあちこちから漏れ出ていた。

 

「……あんた、その服、あんまり似合ってないネ。私が言うのも何だけどサ……」

「!! なんですってー、ししょー! これ元はと言えば、ししょーがくれたんじゃないですかー!」

「いや、まあ。そうだけどネ」

 

 隻腕は弟子の方を見やる。そこには、ぷりぷりと膨れっ面をして、手足をバタバタと動かす餓鬼がいた。呆れて嘆息をつく。

 

「この和服をもらって、その日眠れないくらい嬉しかったんですからね!」

「ああ、うん、よく覚えてるよ……」

 

 その日の光景をまぶたに浮かべた暴風は、思わず笑いがこみ上げて、ふっと旋風を噴き出す。

 

「『わーい! ししょーとお揃いだー! いぇーい!』って……。 いったい何歳児なんだい、あんたは」

「ししょーよりも年下でーす! いぇーい! 私の方が若いー! ししょーのおばさーん! としまー! わかづくりー!」

「なんだってー!」

 

 都合よく(・・・・)左端に座っている弟子にヘッドロックを決めながら、女は出会った当時のことを回想した。

 

 

 

 三年前。IS時代黎明期。

 白騎士事件に端を発したIS時代の幕開けから暫く経ち、世界の国々の技術進歩を比べ合うため、開催された第一回モンド・グロッソ。

 とはいえ、未だノウハウも何もない。手探りで各国が作り上げた機体は、どこもかしこも似たり寄ったりな作りをしていた。

 ISによる慣熟戦闘を、どこの国もまともに成し遂げておらず、空戦ドクトリンのような戦術思想も碌に発展する前。

 IS環境(ハード)の状況が横並びな初代大会において、最も重要視されたのは操縦者の技量(ソフト)の面だった。

 そこに出場したのが、当時はまだ右目と右手が付いていた、赤い暴風の女である。

 国内の選考を突破して、代表の座に立った彼女。徒手格闘、近接戦闘を主軸とした女の戦術論理は、武器開発に携わる技術屋どもにも優しかったらしい。女の要望と余った予算に応えて作り上げられたのが、初代『暴風』である。

 心身十分機体十分。優勝の核心を胸に、女は大会へと出陣した。

 

 ──そこで起こったのは、赤色の『暴風』がたった一本の『桜』に負ける、という異常事態である。

 

 女はその日のことをよく覚えていない。ホテルの部屋の床に寝ていたのか、はたまた路地裏のゴミ箱の中に顔を突っ込んでいたのかさえも記憶にない。

 ともかく、女は荒れた。まさしく暴風だった。

 

 それから先、女は『桜』をなぎ倒す為に、ありとあらゆる修練を重ねることとなる。

 ひたすらに身体を苛め抜き、技を研ぎ澄まさせる。

 戦術設計を練り直し、勝つための方策を作り直す。

 死狂った生活を送り始めた。

 

 そんな折、女に一つの朗報が舞い込んでくる。彼女の半身である『暴風』。そのバージョンアップがなされたとのことだ。

 二代目『暴風』を前にした時、女は『桜』に勝つ光景を幻視した。

 

 ──青写真は、その直後、吹き飛ばされる。

 

 女の意識が目覚めた時、視界と身体に少しの異常を感じた。

 辺りを見渡せば、意味深な計器に、白いカーテン。彼女の身体には、なにやらチューブが繋がれている。どうやら何処かの病院らしい。身体に違和感を覚えつつも、ベッドの近くのナースコールを押した。

 すぐさま駆けつけてくる白衣の集団。気分はどうだ、などと簡単な応答を繰り返した果てに、集団のリーダーらしき男が、沈痛な面持ちで彼女に告げた。

 

「どうか心を落ち着けて聞いてください。先のISの実験で、貴女は事故に巻き込まれました。そして、その際に……」

 

 貴女の右腕と、右の眼球は、致命的なまでに損失してしまいました。

 

「……は?」

 

 そう言う他なかった。

 信じられない。信じたくない。信じるわけがない。

 左手を右腕に伸ばす────無い!

 左手で右頭部の包帯をほどき捨ててそっと触れる────無いッ!

 

 狂乱する女を宥めたのは、用意されていた注射針だった。

 

 

 退院まで暫く。

 精神安定剤とカウンセラーの厄介になり続けた女。

 病院から出た女の足が向かったのは、近くを流れる川。その橋の上だった。

 

 片目でしか観ることができない──立体視できない身体では、接近戦なんて不可能だ。

 片腕しかまったく動かせない──僅か左手一本で、リベンジマッチなんて馬鹿げてる。

 

 ──生きてて意味、あるのかネ……。

 

 女が今後の進退(・・)を考えて、川底を覗いていると────

 

「────ぶみゃぁぁーぁぁッ!」

 

 ────女の横をするりと抜けて、川に落ちる一匹のバカがいた。

 

「────ッッ!」

 

 弾かれるように後を追う。

 川の水は身を刺すように冷たい。

 片腕をなくして、バランスを取るのは困難だ。

 その上! バカな餓鬼を片腕で抱えては!

 

 女が子供と共に生還できたのは、ある意味奇跡だろう。

 

「──ブハッ、はっ、はっ、はー。……何をやっているんだ! このバカ!」

 

 叱りつける大人に対し、子供は不思議そうに告げた。

 

「……ふ、ふっ、ふー、ふー。いやね、あのね、おねーさんがこわい事考えてそうだったから、あぶないよーって教えてあげようと思って!」

 

 それで、やってみたの! 満面の笑みを浮かべる子供。

 ──バカか? こいつは。

 いや、バカだ。間違いなくバカだ。底知れぬバカだ。バカの世界チャンピオンだ。

 

「……ああ、うん。そうかい。よくわかったサ。二度とやらないよ、こんなバカな事……」

 

 ──私もバカだった。それも、このバカを超えた一番賞のバカだった。

 

 女の精神が別のことで落ち込んでいると、子供が「あっ!」と、女の顔を指差して叫んだ。

 

「おねーさん。IS選手でしょー。すげー。いいなー。前見た時かっこよかったよー」

 

 すげー、握手してー握手ー。と左手を(・・)差し出す子供。

 反射的に手を握り返した女は、歯切れ悪そうに口を動かす。

 

「でもおねーさん、ISに乗るのやめようかネ、って……」

「えー! なんでー! ISって選ばれた女しか乗れないんだよー! 三丁目のみっちゃんも乗りたいって言ってたよ」

「……みっちゃんって誰だい──こういう訳サ」

 

 女は濡れた眼帯を指差し、右の布切れをパサパサと振る。

 それを見た少女は──女にとって──思いもよらぬ事を口にした。

 

「んー、そっか。

 ──じゃあ、私を弟子にして!」

「……ん? えぇ、ああ、うん、はい」

「いぇーい! 暴風二号!」

 

 弟子ができた。

 

 

「ISって歩くの難しくないですかー?」

「教科書なんて捨ててしまいな。感覚サ、感覚。いつも歩くようにやってごらん」

「はーい。分かりましたー。──へもげっ!?」

「いつも転んでるのかい、このバカ!」

 

「ししょー! 猫飼っていいですか! 猫! かがやけー、って感じのこの白いの!」

「……別にいいんじゃない? 好きにするさネ」

「ありがとー。ししょー!」

 

 ペットショップで猫を引き取った日の帰り道。

 

「あっ! うちペットダメだった! ししょー代わりに飼ってあげてー!」

「今気がついたのか、このバカ!」

 

 シャイニィちゃん。暴風の家の子になる。

 

 

 どんてんさわぎの時は流れる。

 一面の雲だった女の心の中に、暴風が吹き荒れる。

 

 仲のいい技師が、銀の腕を創ってきた──なんでも、今までの操縦の癖に合わせて最適化したらしい。

 チームメイトのIS整備士が、ハイパーセンサーを調整していた──俺の目より上等なもん作っときましたよ! なんて笑っている。

 

「ね? ししょー。続けてよかったでしょ?」

「……ああ、そうさネ。……このバカ」

 

 

 

「痛い! 痛い! ししょーギブギブ!」

 

 弟子の悲鳴を受けて、暴風は記憶の旅を終える。

 ごめん、ごめん、と腕を離すと、女はいつも通りのバカ面を晒していた。

 この女は、確かにバカだ。餓鬼にも劣る特級のバカだ。

 それでも、ただのバカじゃない。

 時に狂人が真理を悟るように、この女も何かしらの事を知っている。

 そして、何よりも────

 

「なあ、バカ弟子。私の代わりに大会に出るさネ?」

「……ええ! 出ますよ! 一号の仇は二号が取ってきます!」

「じゃあ、二号が負けたら、V3の私が出るサ」

「──なんですとー!」

「嫌なら勝ってこい! ロゼ!」

 

 ────この女は、暴風の弟子サ。

 

 

 

 彼女はまごう事なきバカである。

 彼女はしかし、真理を知っている。

 彼女は一人の徒手格闘者である。

 彼女は世界最強たる『暴風』の弟子だ。

 

 イタリア代表、暴風門弟。

 勇風のロゼ。

 

 

 

 

 

 

 

 




暴風さんの過去とキャラと口調がぐちゃぐちゃに……。

原作的に、ここで千冬姉と戦わせるわけにはいかんかったんや!


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閑話・◾︎◾︎◾︎流剣術術理之巻

IS度100%。
過去捏造説。閑話というより短編では?


 

 ──何者でもない誰かの幸せは、遥か彼方の日々に過ぎ去ってしまった。

 

 

 数年前。少女がまだ幸福だった頃。

 家に帰ると、そこには父がいて、母がいて、姉がいた。

 外に遊びに出たら、そこには男の子がいて、お姉さんがいて、皆がいた。

 少女の心には、かつての思い出が今も色褪せずに残っている。

 

 少女の生家は、神の社を護る一族だった。

 その神社は、純粋な神道というわけではなく、どちらかといえば土地神信仰を祖とするものであるが、元より神道は八百万。概ね同じものと言って差し支えないだろう。

 ところで、神道と剣には密接な関係がある。

 かつて、災厄の蛇の尾より取り出された神剣は、今もなお熱田の地に奉じられている。

 神剣より生ぜし形代は、今もなおその国のレガリア、王権の象徴の一つとして扱われていることからも明らかだろう。

 そんな訳で少女の家でも、代々剣の術を受け継いできた。

 神社では盆と正月の年二回、祭りを催すことになっている。その際、社の巫女が「剣の巫女」として、神楽を舞うのがしきたりだった。

 それ故に、少女が実家の剣術を学ぶのは、半ば必然だっただろう。

 だが、少女が剣の術を修めることを決めたのは、決してそんな消極的な理由ではない。

 

 ──皆に対して、剣の術理を教える父がいた。

 ──疲れたでしょう、と水を配る母がいた。

 ──こんなもの天災には必要ない! とぶーたれる姉がいた。

 ──いいからお前もやるんだ、そう姉を叱咤するお姉さんがいた。

 ──一緒にやろうぜ、そう誘ってくる男の子がいた。

 

 そこには、皆がいた。そう、いた(・・)んだ。

 今は、もう。誰もいない。

 

 

 ()の事件を姉が起こした時、少女にはそれがどういうことか、よくわからなかった。

 姉が何がしかをかちゃかちゃと創っていて、お姉さんが時折その手伝いをしている。そんな様子を見ていても、へーすごーい、程度しか頭が働かなかった。何しろ当時はまだ、幼子だ。

 だからこそ、その事件の後に、少女の前から姉が姿を眩ませた時、少女は呆然とした。

 

「──ねぇ! おねーちゃんはどこに行ったの?」

 

 父や母に問いかけても、黙して語らず口をつぐむばかり。彼らには、姉のしでかしたことの重大さがよくわかっていたのだろう。

 姉の行方が分からなくなって数日後、自宅に突如、黒服の男達が押しかけてきた。

 両親が黒服達と話をする間、少女は自分が泣いていたことを覚えている。

 その日の夜、少女は父から告げられた。

 

「──父さん達、一緒にはもう暮らせそうにないんだ……」

「────え?」

 

 少女の脳内に、白色の闇が無限と広がっていった。

 ──意味が、分からない。理解できるはずもない。

 両親の戯言は、少女の耳をするりと抜けて通った。

 

 こうして少女は、成層圏貫く箒星から、何者でもない誰かになった。

 

 

 少女には、アメリカの承認保護プログラムを模した特例法が適応されることとなった。

 苗字を変え、名前を変え、戸籍を変え、住む場所を変え。

 かつて少女が少女(・・)だった記録が、次々と塗り替えられていく。

 慌ただしい日々の中で、少女が姉弟に別れを交わすことができたのか、それさえ分からない。

 少女が割り当てられることになったのは、なんの変哲も無い夫婦──勿論政府の関係者だ──の一人娘という役割だ。

 

「××ちゃん、これからよろしくね」

「────はい。よろしくお願いします」

 

 身に覚えのない名を呼ばれる。

 これから先、誰とも知れぬ男女と、仲良く「家族」をやらねばならない。

 幼心にもそう悟った少女の眼からは、水滴がぽとりと溢れた。

 

 

 幸いにして、その「両親」は、少女のことをよく慮ってくれた。

 それは、誰かの姉に媚を売っているのかもしれないし、少女を哀れんでのことかもしれない。あるいは、少女のことを本当の「娘」のように可愛がっているということもありうるだろう。

 新しい「家族」に慣れ、「家」に慣れ、土地に慣れ、環境に慣れ。

 政府の傘の下ではあるが、学校にも通うことのできるようになった少女。

 世間では、依然として誰かの姉が作り上げた機械鎧が話題となっている。

 そんな折、少女は友達に鑑賞会に誘われる。

 

「ねぇ××ちゃん! 一緒に見ようよ!」

「──私がか? あんまり好きじゃないんだが……」

「一度見てみれば気が変わるって! さぁ、行こう!」

 

 それは誰かの家族をバラバラにした元凶であったからかもしれない。

 半ば本能的に、機械鎧に対する嫌悪感を持っていた少女だったが、友人の強引な誘いにより、機械鎧の祭典を共に見ることとなる。

 祭典の名は、第一回モンド・グロッソという。

 

 

 少女は機械鎧に興味がない。

 各国のそれらを見て歓声をあげる友人をよそに、少女はコップに入ったジュースを飲む。

 

「──××ちゃん。もしかして、本当につまらない?」

「いや、そこまでではないが……。苦手なんだ、ああいうのは」

「確かに鉄砲とか痛そうだよねー?」

 

 見当違いな同意を示す友人。

 剣を齧っていた少女は、何もそういった暴力に怯えているのではない。それはただの感傷だった。

 

「あっ、でもでも! そろそろ日本の人が出るらしいよ! すっごく綺麗な人だったから、そんなに怖くないと思うし!」

「……ふぅん」

 

 たいして興味がわかない。

 少女の中の美しさ、原風景は、嘗ての道場の中だったから。

 ろくに期待もせずに、少女はテレビをぼんやりと眺める。

 入場してくる日本の選手。さてどんなものか、と少女が酷評する気でいると────

 

「──────ッ!」

 

 ────そこには、『桜』を纏った「お姉さん」の姿があった。

 

 手からコップが零れ落ちる。

 「みぎゃーー!!」と悲鳴をあげる友人をよそに、少女はテレビにかじりついた。

 間違いない。見間違えるものか。聞き違えるものか。

 その名前。その姿。その立ち振る舞い。何よりその剣!

 

 かつての誰か(少女)が戻ってくる。

 テレビを見ては、俯き、肩を震わせ、嗚咽をあげる少女。

 自室にジュースをばら撒かれた友人は、一言文句を言ってやろうと思っていた。が、その様子を見て、舌に乗った言葉を急遽切り替える。

 

「どうしたの? ××ちゃん」

「いや、違う。目にゴミが入っただけだ」

「……もしかして、あの人と、知り合い?」

「──────。そんなはず無いさ。昔何処かで見たことあるかもしれないけど、知らない人だ」

 

 そうだ。彼女と少女にはなんの関わりもない。

 あったのは、何処かの誰かと彼女の間だけ。

 

 ──だけど、女と誰か(少女)思い出(剣術)は、まだ繋がっていた。

 

 

 自宅に戻るなり、少女は「両親」に剣を習うことをねだる。

 あまりにも突拍子のないことだけに、普通は間を開けるところだろうが、そこはこの「両親」──あるいは政府──、すこぶる少女に甘い。

 それは言うまでもなく、誰かの姉のせいだ。

 世界中のあらゆる高名な心理学者が分析をしたが、かの兎博士の精神状態を誰も理解できなかった。

 奇妙奇天烈、突飛な言動を繰り返す一方で、恐ろしく論理的な思考を持っている。

 狂人に刃物を持たせるなとはよく言うが、博士の場合、狂人なのかその真似事なのかもよくわからない。その上、振り回すのは核ミサイルだ。

 誰かの姉にとって少女は、鎖なのか逆鱗なのか、はたまたどうでもいい塵芥なのか。誰にも判断がつかなかった。

 そのため、少女の要求は概ね受け入れられる。

 

 こうして少女は再び剣の道を歩み始めることとなる。

 早速近くの剣道教室に通い始める少女。自分には多少の経験があると、余裕風を吹かせていた少女だったが……。

 

「××ッ! もっと集中して、気合いを入れろッ!」

 

 あまりにもブランクが酷い。

 1日の休みを取り戻すのに三日かかる、とはよく言われるが、少女も(・・)の事件以降、剣を握っていなかった。精神に肉体が追いつかず、竹刀の重さで剣先がぷるぷると震える。

 その上、かつての知識との微妙な違いが、少女を苦しめた。

 剣術と剣道。一文字違いで、同じ剣を扱う。

 だからと言って、全く同じものではない。

 竹刀を使い、競技として、精神を鍛えるための剣道。第三者から見たポイントを重視するスポーツ。

 真剣を使い、術理として、相手を屠るための剣術。敵を斬り殺すための理論構築を目的とした殺人術。

 この二つに優劣は存在しないが、違いそのものは確かに存在する。

 本来、少女に剣道は必要のないものだった。

 しかし、今の少女はその両方を求める。

 

「××。お前、なんで剣道始めたんだ? 昔、古流の剣術かなんかやってたんだろう?」

「……よくわかりますね」

「そりゃあ、お前。最近はあれ(・・)のせいでそっちの方が流行ってるからな。一経営者としては、同業他社の情報は仕入れんとな」

 

 練習の合間、少女と道場主が話す。

 道場主曰く、最近はかの剣客に惹かれて、一種のブームが巻き起こっているらしい。なかでも、戦闘に活用できる剣術を志す女性が多いとのこと。

 で? なんでわざわざ剣道を?

 問うた道場主に、少女は決意を答える。

 

「──全国を獲る為です」

「まぁ目標は高い方がいいわな。でもそれは動機(・・)じゃねーだろ。手段(・・)だ」

 

 鋭い追及に、少女は苦笑を漏らす。

 

「えぇ、そうですね。実の所、有名になりたいんです」

「なんで? 目立ちたがりってわけでもないだろ?」

「──私の名を知らしめる。昔、付き合いのあった知り合いに、『ここに私はいるぞ』と伝えたい。その為には、これが一番近道だった。

 ……不純ですか?」

 

 おずおずと不安そうに漏らす少女に、道場主はニヤリと笑った。

 

「いや、構わん。全国(てっぺん)獲ってこい」

 

 

 

 時は流れ。

 少女の錆は、ゆっくりと剥がれ落ちていく。

 未だ名刀とは言えぬ(なまくら)だが、竹光よりはマシになった。

 自身を研ぎ下ろしていく少女。それをよそに、世界には再びかの大会が訪れる。

 第二回モンド・グロッソ。

 あいも変わらず、少女は機械鎧が苦手だ。自身の適性がCランクだったことに、落胆ではなく安心したことからもそれは窺える。

 だが、かの「お姉さん」の姿は是非とも見たい。

 ──いや、私はあれ(・・)を見たいわけではないから……

 などと自らに言い訳しつつ、テレビを待ちわびる少女。

 大会開幕。

 

 歓声の中、剣を振るう「お姉さん」。その術理には、今は失われし「◾︎◾︎◾︎流剣術」が未だ息吹いている。

 ◾︎◾︎◾︎流剣術は、女性のための戦闘術理だ。

 彼女の生家である◾︎◾︎◾︎神社には、女性のための刀が奉納されている。

 一般的に、女性は男性より非力だ。だからこそ、◾︎◾︎◾︎流は、それを補う為に発展してきた。

 

「──◾︎◾︎◾︎流は、敵を断ち斬る剛剣にあらず。敵を流し斬る柔剣なり」

 

 かつて誰かの父は皆にそう術理を説いていた。

 「お姉さん」の剣は、一見すると一撃必殺の剛剣だ。だが、その立ち回り、理論構築は柔剣のそれである。

 力が強くとも、弱くとも、結局のところ、斬ればお終い。ならばその一殺を実行するための論理組立。「お姉さん」の単一仕様(ワンオフアビリティ)と◾︎◾︎◾︎流の術理は、この上なく噛み合っていた。

 大会一日目を終えて、予選が終わり残すは本戦のみ。

 無性に剣を振りたくなった少女は、道場へと駆け込んだ。

 

 

 無茶を押し通して道場の中に一人立つ少女。

 その身体には面も防具もなく、その手には竹刀の代わりに木刀が握られている。

 かつて誰かが修めた術理。離れていたが、もともとこちらが彼女の古巣だ。

 

 木刀を素振り、血流を回してギアを入れる少女。

 身体の錆は既に落ちている。後は……。

 ずさり。

 少女が思索に耽っていると、ふと、誰かの気配、足音を幻知した。

 刀を構えて門の方へ向き直る彼女。

 ゆらりゆらりと迫り来る幽鬼。

 

「……お前は」

 

 その眼前には、あの日と比べて成長した「男の子」が立っていた。

 「男の子」の手には、彼女と同じように木刀が握られている。少女を睨み倒したその顔には、凶相とも取れぬ笑みが浮かんでいた。

 口も交わさず、少女と「男の子」は立ち合いに転じる。

 少女は剣を正眼に構えて、隙を求めて左右に脚を引く。

 「男の子」もまた剣を正眼をとってどっしりと応えた。

 対称の構え。

 男と女。体格差。

 「男の子」の幻影は、今の少女より遥かに大きい。

 不利は明白。何かしらの優位を築かねば……。

 少し待ち、追われた(・・・・)少女は「男の子」に奇声を上げて迫り、その左肩から袈裟懸けに────。

 

「……駄目だ」

 

 ────一死。

 少女が刀を大上段に構えた直後。

 「男の子」は剣を中段から下段に落とし、刀の向きを逆に翻して、斬りかかった少女の股から天へと切り上げた。

 

 ──◾︎◾︎◾︎流剣術、『空裂(からわれ)』。

 「先の先」ではなく、「後の先」より空を斬り裂く。

 股座から斬り殺された(・・・・・・)少女は、自身の不明を「男の子」に詫びる。

 

「──済まない。剣道(ルール)に毒されすぎていた」

 

 剣道において、時間の空費は戦意無しと見なされ反則を取られる。睨み合いの最中、時間に追われた(・・・・)少女は、隙の見えぬ相手に斬りかからざるを得なかった。

 一方剣術にそんなものはない。互いに剣を構えたまま、どちらも手を出さずに時間が過ぎ去ることがよくあるように、敵の隙を斬り捨てることこそ肝要。

 ◾︎◾︎◾︎流のみならず剣術総ての理合を忘れていた少女に、「男の子」は呆れを見せる。

 

 二度、剣を構える剣客ども。

 再び正眼に構えた少女に対し、「男の子」は剣先を(そら)に向け、顔横で握った八相の構え。

 

 ──意趣返しか?

 

 少女は訝しむ。

 バランスのとれた正眼に比べ、八相は持久戦にのみ優れた構え。守りは薄く攻め筋も少ない。狙い手はそのまま振れる逆胴か──。

 一秒経ち、二秒経ち。

 互いの目線。視線。剣先。足先。胴着の揺らぎ。動きの起こり。

 恋人同士がそうするように、二人は相手のことを知り求める。

 幾秒経ったか、少女の米神から流れた汗が板間に落ちて──

 

 ──やはり袈裟!

 

 先ほどの少女を焼き直すかのように疾駆する「男の子」。

 少女もまた同じように下段──ではない。

 身長、リーチ差は歴然としている。彼女の刀が巻き上がる前に、「男の子」の刀が血の花を咲かせるだろう。

 さすれば少女は刀先を迫り来る「男の子」の首に向け、低く踏み込み──

 

篠ノ之(・・・)流剣術、『雨月(あまつき)』────」

 

 ──その 刀身(箒星)喉笛(成層圏)を貫いた。

 

 突き通った剣先から、紅い雨垂れがぴしゃりと落ちる。

 「男の子」の首から刀を引き抜き、軽く払って血糊を落とす少女。呼吸器官を突き殺され(・・・・・・)床に斃れた「男の子」は、「それでいい」と少女に笑う。

 

 篠ノ之箒(・・・・)織斑一夏(・・・・)を覗き込んで、笑った。

 

「──ありがとう、一夏。またやろう(・・・・・)

 

 

 

 




原作一巻へと続くお話。
箒ちゃんが一夏君に怒った理由付け。

束さんとのホットライン? 裏奥義『零拍子』? 小太刀二刀流?
……おいは恥ずかしか! 生きておられんごっ!


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継ぎ接ぎだらけの『仮面(ペルソナ)

問題児。クロスオーバータグの主犯。『 』回。
この作品世界に、小説『インフィニット・ストラトス』、『駿河城御前試合』は存在しません。
他はあるものとないものがあります。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──『さあ、撃たせろ。やれよ、楽しませてくれ』、と。

 

 

 

「──あんたなんて、産まなきゃよかったッ!」

 

 少女の記憶に残る、最古の言葉は、恐らくそれだ。

 

 

 カナダのトロントで生まれたアシュレーは、母親と、その時々の「父親」との三人で暮らすことが、比較的多かった。

 アシュレーの母親は昔から大層色狂いで、若い頃から夜毎に男を乗り換え(・・・・)てはその男の庇護にあずかる、という生活を送ってきた。

 そんな放蕩な暮らしぶりが祟ってか、母親にとっては不運な事に、的中(・・)してしまい、生まれてしまったのがアシュレーという少女である。

 女に残された最後の母性なのか、娘は無事この世に足をつけることとなったのだが、この母親、すぐに娘のことを忌々しい、と感じるようになった。こぶ(・・)付きである、というのは、市場価値的に大きな損失だ。とはいえ、既に世界に捕捉されている少女のことを葬る事は憚られたのか、母親は少女のことをやっかみつつも、最低限に生かしていた。

 女は食虫植物のように美しい容姿をしていたために、失点付きでも男の(しとね)に潜り込むことが出来た。が、そこでの少女の扱いは、まさしく悲惨だった。

 実の母からは、自身の営業(・・)の障害でしかなく。小間使いのように扱われ、碌な愛情も注がれない。

 義理の「父」にとっては、邪魔な「付属品」でしかなく。まともな奴は殆どいない。「父」の中には、酒に酔って少女に手をあげるような者もいた。それを見ていた母親が表面上はどうあれ、内心では少女がいたぶられる事に仄暗い愉悦を感じていたことが、拍車をかけただろう。

 少女のことを邪険にしながら情事にふける「両親」。彼らを見ながら、少女の歪な人格は創られた。

 

 「両親」は信頼できない。

 そんな環境において、少女が自らの依存先を外に求めるのは、なかば必然だ。

 生き延びたアシュレーは学校に通う年齢になる。

 母親の面影のあるアシュレーは、良くも悪くも御近所では既に有名だった。その為彼女は、大人の社会からやんわりと排斥される。

 が、それは子供の世界では関係ない。

 

「アシュレー! 遊びに行こうぜ!」

「……うん!」

 

 幼い頃、人間は無垢だ。風聞に染まらぬ彼らは、売女の娘でも仲間に迎えた。

 家以外の新しい関係を得る。他人との繋がりを築く。

 少女のひび割れた心は、確かにそこにある信頼、絆でゆっくりと埋められていった。

 

「私たち、友達だよね……?」

「いきなりどうしたの? アシュレー。当たり前じゃん」

「……そっか!」

 

 一年が過ぎ、二年が過ぎ。

 成長を重ねて思春期に入り、かねてより付き合いのあった一人の少年の事を、アシュレーは気にかけていた。その少年、カーストの上層に位置する男にも関わらず、昔から欠陥付きの少女に良くしてくれて、少女は彼に対し、「友愛とも恋愛とも取れぬ」感情を微かに抱いた。

 スクールライフ。薔薇色の青春を送ろうとした最中、事件は起こる。

 

「なぁ、アシュレー。放課後少しいいか?」

「ん? いいけど?」

 

 きっかけは、件の少年から、呼び出しを受けたことだった。

 その日は周りの友人達も、アシュレーの方をニヤニヤと眺めていることが度々あり、そのことを彼女は不思議に思っていた。

 繰り返すが、彼女は「恋慕の情」というものを理解していない。

 せめて、精神の成熟する二年先、あるいは友愛というものを知らぬ二年前なら結末は違ったのかもしれない。

 割鏡不照。覆水は決して盆には返らないが。

 

「……あのさ、オレと付き合────」

 

 少年の恐らく生涯初であろう告白。

 顔にはドギマギとした表情が浮かび、緊張で血管が浮き出るほど強く握られた拳には、冷や汗がやんわりと伝う。

 少年の、これまでを賭けた一世一代のオール・イン。

 それを受けた彼女が────

 

「──────嫌ッ!」

 

 ────幼い頃から見続けた、「両親」の獣欲と感じてしまったのは、単なる悲劇だ。

 無論、少年にそんな邪な感情はない。この少年は、まごう事なき好青年である。

 年頃につき、小さじ一欠片分はあるかもしれないが、少年の心は、愛や絆のような、綺麗な言葉で語れるだろう。

 ただ、少女はその特殊な生涯において、そんな概念を知り得なかった。

 少女の中には、友人との愛(フィリア)だけがあり、男女での愛(エロース)は穢らわしい汚物に他ならない。

 フラッシュバック。

 ……アシュレーの濁った目には、少年の姿に、彼女の「父親」たちの姿が重なって見えた。

 反射的に、少女は片腕を前に突き出す。

 

「っ、いてっ」

 

 環境のせいで肉づきの悪い腕から繰り出されたのは、テレフォンパンチにも劣る何か。

 しかし、そのハートブレイク・ショット(純心を破る拳)は、少年を確かに怯ませた。

 

「──ごめん、待ってくれ!」

 

 痛みと失意にたたらを踏む少年をよそに、アシュレーは行方をくらませた。

 

 

 走る。走る。走る。

 トロントの街を、行先も決めずにがむしゃらに走るアシュレー。

 付近の人々が怪訝そうな目で見つめるのも気がつかない。

 ──裏切られた。信じてたのに、信じてたのにッ!

 そう誤認する少女のガラス玉からは、大粒の涙が零れ落ちる。

 アシュレーには、情愛を求める少年が「父親」のように見えていた。

 アシュレーには、自身を嗤う友人達が「母親」のように見えていた。

 アシュレーにとって、彼らはもう信頼できないものになっていた。

 彼女の心を保護していた、少年達との友情、絆はバラバラに崩れ落ちて、むき出しの虚無だけが残る。

 木の根に躓いて転んで、擦り傷を作る。

 土に足を取られ転んで、片っぽの靴を落とす。

 泣きっ面に驟雨(しゅうう)が刺し、少女の全身はずぶ濡れだ。

 

「────?」

 

 気がつくと。

 本能が雨を避けたのか、少女がたどり着いたのは、町外れにある廃ビルだった。

 アーネンエルベと言う名の廃ビル。文字通り誰かの遺産なのか、景観を阻害するのにもかかわらず中々取り壊されない。

 割れ窓よろしく、近くの悪ガキかホームレスが暮らしているのか、そこには嫌に生活感があった。粗大ゴミのデスクやベッドは勿論、発電機まであるのか冷蔵庫まで設置されている。雑誌や灰皿の置かれたそこは、ワンルームのアパートと言われても信じてしまうかもしれない。

 心身ともにボロ雑巾になり、半ば自動操縦状態のアシュレーは、そんな部屋を一つずつ見ては離れ、見ては離れ、

 

「────ッ!」

 

 とある部屋の壁に貼られた、アニメキャラがセクシャルなポーズを取っているポスターを見て狂乱した。

 彼女の「母親」の立ち振る舞いと、そっくりだった。思わず駆け寄って、その女の顔から股までを引き裂く。

 見渡せば、どんな変人が暮らしていたのか、そこは誰かのサブカル部屋。

 「母親」と同じ商売(・・)のるつぼと錯覚するアシュレー。彼女にとっては、嫌悪感の巣窟のような場所だった。

 狂気のままに、少女は性的な枕を投げつけ、精巧な人形を踏みつけ、本棚から書物を叩き落とす。

 目的もなく、怪獣のごとく暴れまわること数分。

 床に落ちた本は埃にまみれ、置かれていたオーディオは雑音を奏でる。枕からは腹綿(はらわた)が漏れ出て、全てのポスターは紙吹雪。

 部屋の一部と引き換えに、精根尽き果てた少女は、ベッドに力なく倒れ臥す。

 ベッドすらも、アシュレーにとってはトラウマの一つだ。

 彼女は現実からは逃れられない。

 天を仰いだ彼女は、苦悩の独り言を漏らす。

 

「もう嫌だ。生きていたくないよ……」

 

 「両親」との間には元から何もない。

 友人達との友情は、既に失われて。

 彼女の絆は砕け散った。最早彼女を支えるものは、一つもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『いつか気がつく。君の人生は、目が覚めているだけで楽しいのだ』」

 

 ──調子外れの音響機器から、幻の応えが流れた。

 

「……え?」

 

 思わず上体を起こし、きょろきょろと首を振る少女。

 ──やはり気のせいか。自分に声をかける人なんて、誰もいない。

 未だ、絶望を盲信するアシュレー。

 幻想を探す彼女が辺りを見渡していると、部屋の片隅、魔の手の及んでいない一角。

 そこにはまだ無事な、漫画や雑誌、文学、DVDやゲームが残されていた。

 歩み寄る少女、焚書しようと皇帝の如く検閲をする。

 ……が、それらの群体は、思ったよりも不快(・・)では無い。

 

 むしろそれらは、彼女に残った心の破片に火を灯し、赤々と燃やし始めた。

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 

 

『立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか』

 

 『機械鎧(オートメイル)の錬金術師』が、少女を叱咤する。

 ──私も歩いていけるのかな……。

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 

『なんとかなるよ、絶対大丈夫だよ!』

 

 『カード蒐集の魔法少女』が、少女を激励する。

 ──なんとかなれば、大丈夫ならいいな。

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 

『この世界はあなたの知らない面白い事で、満ち満ちているわよ。楽しみなさい』

 

 『新世紀の軍人参謀』が、少女を誘う。

 ──私はまだ何も知らない。何も楽しんでない。

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 

『僕は諦めたりしない、飽きたりしない、捨てたりしない、絶望なんかしない!』

 

 『超高校級の希望』が、少女に啖呵を切る。

 ──私も(人生)を諦めたくない! 飽きるほどにも、捨てるほどにも楽しんでなんてない! 絶望なんて、したくない!

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 アシュレーは何かを求めてページを捲る。

 捲る。捲る。捲る。捲る。

 ただひたすらにページを捲る。

 

 

 ──そこには夢があった。希望があった。

 友情が、努力が、勝利があった。

 彼女の知らない物語があった。

 彼女の知らない幻想(現実)があった。

 

『物事に良いも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる』

 

 アシュレーの心を空想の殻が覆っていく。

 彼女にとっては、最早現実なぞ信頼の置けるものではない。

 だが、それがなんだ。それは悪いことなのか?

 これは逃避ではなく転進である。

 

『いのち短し、恋せよ乙女。いざ手をとりて──』

『君恋ふる 涙しなくは 唐衣。胸のあたりは 色もえなまし』

『月が綺麗ですね──』

 

 死んでもいい、彼女は先ほどまでそう思っていた。

 その言葉に新たな意味が添えられる。

 アシュレーは今、まさにこの瞬間、その感情を理解した。

 少女は彼らに、世界に恋をしたのだ。

 

『人は生まれたときから偉大なのではない、成長しながら偉大になるのだ』

 

 幻想との絆を少女は紡ぐ。

 彼女の始まりは屑だ。塵芥だ。

 しかし、彼女の終わりまでそうとも限らない。

 『海賊王』、『火影』、『やさしい王様』、『ポケモンマスター』!

 スタートは落ちこぼれでも、彼らは輝かしい未来へと歩んでいる。ならば、少女にだって出来ぬはずはない!

 捲った物語(人生)最果て(ラフテル)で。

 彼女の先達たる、『未来の海賊王』が叫ぶ。

 

『「行きたい」と言えェ!!!!』

 

 彼女は虚無(ゼロ)だ。何も持っていない。

 彼女自身の人生からは、返す言葉が何もない。

 

「……………………『生ぎたいっ!!!』」

 

 ──だから、少女は他人の言葉(仮面)を、咄嗟に自身に貼り付けた。

 

 古代ローマの楽劇において、演者が他者へ化ける為に用いたとされる物。

 とある心理学者によって、それが今では心を覆う鎧として定義づけられた。

 それは他者との関係によって付け替える役割。

 それは自身を護る空想の仮面──

 

 アシュレー()誰か()誰か()アシュレー()

 

 全書を閉じて、アシュレーは廃墟から外へと踏み出す。

 雨はいつの間にか、上がっていた。

 からりとした青空だった。

 

 

 

 数年後、バンクーバーの闘技場にて。

 一人の少女がISを纏っていた。

 ISの機種はラファール・リヴァイブ。

 出荷時は空白だが、多種多様な武装を付け替えて、操縦者独自の色彩を出す専用機。

 空っぽの少女。空っぽのIS。

 何者でもない彼女らは、仮面次第で何者にでもなれる。

 

「『──── 投影、開始(トレース・オン)』」

 

 少女が呟くと、その両手に『白黒の陰陽剣』が現れる。

 無論、少女にも武器にも特別な力は何もない。

 投げつけた中華剣は、引き合うことなく真っ直ぐと飛ぶ。

 贋作にも劣る猿真似、ただの仮面だ。

 しかし、コミックの物真似だと嗤い、自分の方が上等だと嘯く相手がいたならば、少女はきっとこう言うだろう。

 

「──『おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?』」

 

 少女の中で、幻想は現実に優る。

 幻想に救われ、憧れた少女にとっては、二つの価値は反転する。

 彼女は、空想の仮面を被った『仮面(ペルソナ)使い』。

 武術の基本は師の模倣だ。

 『重い亀道着』をその身に纏って、『感謝の正拳突き』を物真似る。

 『召喚技』を再現しようと、『高速切替(ラピッド・スイッチ)』を練り上げる。

 たかが猿真似。されど猿真似。

 さすれば、模倣を続ける少女のそれは、最早一種の武術体系に他ならない。

 『山吹色の突撃槍』をその手に具現化させた少女は、高らかに謳い上げる。

 少女の仮面なら、きっとそれを目指すはずだから。

 

「『何を隠そう、()はISの達人だ!』」

 

「『“海賊王(ブリュンヒルデ)”に!!! オレ()はなるっ!!!!』」

 

 

 

 彼女は空っぽの虚無(ゼロ)だった。

 彼女はあの日以降、物語(幻想)との絆を紡いでいる。

 彼女は今も、ひたすらに模倣を積み上げている。

 彼女は継ぎ接ぎの仮面を着けた、能動的多重人格者だ。

 

 カナダ代表、『ものまね士』。

 『仮面(ペルソナ)使い』、アシュレー。

 




※能力クロスではありません。ただの真似っこです。

※特殊空間・廃ビルは作劇上の都合による摩訶不思議領域です。

※歌謡曲『ゴンドラの唄』は既に著作権が切れており、パブリックドメインです。

※『書溜め、キレた!!』


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蜃気楼の錬装士

評価並びに推薦、誠にありがとうございます。感無量です。
IS度は高いけど文がとっ散らかってるかも。
ラファール回。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──剣一本で空を飛ぶ? そんなに単純じゃない、と。

 

 

 

 ISがこの世に現れた時、被害を被ったものは何だろうか?

 世の半分の男性たち? それもある、が一般の人々の日常とISという超科学との間には、そこまで関連性はない。

 体制の変化に飲まれた政治家? 無くはない、が時流に対応できた者もいる以上、それは甘えだろう。

 最も被害を受けた者の一つ──それは、戦闘機乗り(パイロット)だ。

 

 ──大昔、砲兵は戦場の神と呼ばれた。

 陣地攻略、陣地防衛。海上から陸地へ、陸地から海上へ。

 運用次第で戦場の旗色をガラリと変えるそれを、いつの世の権力者も重視した。

 古代は兵隊の陣形を蹴散らすのに使われ、将軍は『お台場』などと嘯き、北の国は畑産のもの(自国の兵士)よりもこれを崇める。

 ──少し前まで、戦闘機乗り(パイロット)は戦場の神と讃えられていた。

 空から一方的に殴りつける。敵の生産拠点を、防衛陣地を無視して叩く。

 高所を取った方が優位という新常識。

 航空支援という戦術は、それまでの二次元的な戦場観に、新しい一本の軸を加えた。

 ……以上のことを深く実感したければ、映画『プライベート・ライアン』でも観ればいいんじゃないかな?(ダイレクト・マーケティング)

 

 軽い冗談はさておき。

 現代の神、その熾天の座は、ISのものである。

 使える武器はナイフから銃、果ては未来兵器まで多種多様。

 絶対防御の壁を踏破した人類は、未だ存在せず。

 未確認飛行物体さながらの機動性は、かつての空の王を地に叩き墜とした。

 ISという兵種は、攻防速の三種全てにおいて完璧な、矛盾なき武器種である──無論、量産性と選民性を除いて。

 時代は次代の神による王権神授へと移ったのだ。

 

 

 ……だが彼らは、戦闘機乗り(パイロット)達はそれに納得したのだろうか?

 管制は工房は整備士は設計者は、本当に天の位を譲り渡したのだろうか?

 

 天災(太陽)に蝋を焼かれ、土に塗れたイカロス達。

 彼らが再び蒼空を目指した、そんなお話。

 

 

 

「デュノア社長。我々の悲願を、貴方に託しますよ」

「此方こそ、長年のあなたがたのご協力に感謝いたします」

 

 ヨーロッパ、フランス。

 今をときめく、デュノア本社ビルの会議室にて。

 時代の寵児たる男と、敗残兵たる中年の男が、同じ円卓を囲んでいた。

 

 世界に選ばれた男の名をアルベール・デュノアという。

 女性優位が叫ばれる昨今の情勢。

 その中枢たるIS業界において、世界屈指の成功を収めた益荒男。フランス政府の覚えもよろしく、国の行く末をその双肩で背負って立つ男。

 IS業界最大手、世界シェア第三位を誇るデュノア社を一代にて築き上げた立役者。

 この男は紛れも無い成功者だ。

 

 一方、ここにいる名代の中年と、会社で帰りを待つその仲間達。落ちぶれた男達である彼らの間には、共通点が一つある。

 それは、彼らが航空軍事産業に携わっていて、とある一つの会社に勤めているということだ。

 IS全盛期の現代、予算配分は大きく変化している。

 元来金食い虫たる戦闘機に費やすよりも、IS開発とパイロット養成に金を注いだ方が、ローコスト・ハイリターンであると世論も政府も考えている。

 軍縮されたことにより、航空関係者は一様におらはい箱となりつつあった。

 助成金の額も日に日に削られていくばかりの残り香達。

 彼らは皆紛れも無い敗北者だ。

 

 成功者と敗北者。天に翔んだ男と地に堕ちた男。

 本来交わることのない男達。

 とある旧世代(新世代)遺物(傑物)が、そんな彼らを結びつけた。

 

 ──鎖の名をラファール(疾風)という。

 

 ラファール。

 この名を聞いて、世の中の多くの少女達が頭に描くのは、第二世代型デュノア社製IS、ラファール・リヴァイブだろう。

 少しばかり年嵩の、妙齢の女性達ならば、同じくデュノア社製第一世代型IS、ラファールを思い描くかもしれない。

 いずれにせよ、現代におけるラファールとは、 拡張性に優れた(・・・・・・・) デュノア社の誇るIS、という意見が主流だ。

 だが白騎士以前の有識者の間──あるいは軍事オタクの間では今でも──において、その名は別の意味を指す。

 ラファールとはISではない、戦闘機の名だ。

 

 フランス・ダッソー社製戦闘機、ラファール。

 ネイビーの色をした機体が生まれたのは、激動の世紀の最期の年。

 西暦二千年の年の瀬という、まさに一つの時代が終わるその時に、疾風は雲を切り裂いた。

 ヨーロッパの共同軍事開発的動乱──今で言うところのイグニッション・プランに相当する──に振り回された一翼の鳥。

 かの戦闘機の分類はマルチロール機。

 多種多様な装備を換装する(・・・・・・・・・・・・)事で真価を発揮する、拡張性に優れた(・・・・・・・)多用途戦闘機である。

 しばしの間、この銀翼の鳥は欧州の空を楽しんだ後、日の本より来たる白翼の騎士に狩り捕られることとなる。

 政府より無事御役御免を言い渡された疾風だが、関係者達はそう容易く納得しなかった。

 

 ──もっと、こいつに空を飛ばしてやりたいッ!

 

 プロペラの時代から空に拘ってきた渡り鳥。欧州共同体から単独抜け出て、疾風を創り上げた技術集団。

 彼らにとって、空は誇りである。人生である。

 極東から突然やってきた天災に、フランスの空を好き勝手にさせるわけにはいかない。

 勿論、彼らとて世界有数の科学・技術者だ。

 ISと戦闘機。二つの間の数字の差は、天文学的過ぎて埋めることはできない。

 

 ──だから彼らは、飛び立つ時を待つ、一匹の鳳雛に渡りをつけた。

 

 アルベールは類稀な幸運の持ち主だった。

 偶然か運命かはたまた世界の意思か、ISのコアに関わる事が出来た彼は、そのままIS産業の一角に携わることとなる。

 しかして困った事に。

 アルベールには足りないものがわんさかあった。

 まず金がない。ISといえど、類型は兵器だ。とかく金がかかる。まだ(・・)なんの成果もなく、成功者ではない男では、十分な資金が捻出できない。

 次に人脈だ。彼の元には、優秀な技術者も、突飛な開発者も、剛毅な工場主もいない。つまるところ、従順な手足が無く、頭だけしか動かせない。

 そして、ノウハウだ。人型兵器といっても、そこらの少年兵に銃を持たせるそれとはわけが違う。ISとは、既存技術と未来科学のハイブリッドからなっている。未来は勿論、今の(・・)アルベール達では既存知識でさえもやすやすとは使いこなせない。

 最も重要なコアはある。コアだけはある。コアだけしかない。

 彼独力での開発事業は困難だった。

 

 ──だから彼は、かつて空を飛んでいた、燕の群れに手を伸ばした。

 

「──本当に手を貸してくれるのか!」

「無論です、アルベール社長。やりましょう!」

 

 成層圏下の地の底、フランスの下町での同盟だった。

 

 このような経緯で作られ、発展を遂げたのが、ライト兄弟からなる文明の積み重ね、航空産業という巨人の肩に立つIS。

 かつての戦闘機・ラファール(疾風)の流れをくむ名機。

 デュノア社製マルチロールファイター。

 ラファール・リヴァイブ(疾風の再誕)である。

 

 

 

「ところで、社長。うちから出向しております彼女(・・)についてなのですが……」

「ああ、彼女はよくやってくれてますよ」

 

 定例会を終え、簡素な雑談に励む男達。

 その日の話題に上がったのは、某社からデュノア社へと出向している一人の女性についてだった。

 デュノアの躍進の陰には、来客の男の会社が行った様々な投資があった。

 株式や銀行への口利きによる直接、間接を問わない資本投下、自社の技術者や工廠の貸し出し。その中の一つに、お抱えのテストパイロットの人材派遣があった。

 ISは高価なドレスでは無く、人型の戦闘機に近似した存在である。絶対防御を含む搭乗者保護機能こそあるものの、ズブの素人が乗りこなせるものではない。

 高いスペックを十全に活かすには、高G、気圧差、三次元環境といった、地上とは異なる特殊環境に適応できる人間でなければならない。

 IS黎明期における、女性戦闘機乗りの人数は数える程で、民間含めても、全体の一割にも満たない。当時そういった人材は、干草の針、砂漠の金だった。

 パトリシア・ロジェは渡り鳥の会社が保持していた、まさしく貴重な戦闘機乗り(パイロット)にして、潜在的IS乗り(パイロット)である。

 

「そうですね。もうすぐ演習の始まる頃合いです。よろしければ……?」

「是非、顔を出させていただきます」

 

 

 控室の扉が開いた。

 中にいた管制、観戦の女達は、少し緊張した面持ちで二人の男を見やる。自社の社長たるアルベールと、持株会社の男。雲上人の二人が突然来たともなれば、その反応も当然か。

 

「──様。アルベール社長。どうぞ」

 

 と、幾分か肝の座った一人の女が話しかけた。

 ショコラデ・ショコラータと呼ばれる奇矯な女は、演習場を見下ろす一枚ガラスの中央ど真ん中の席に、男達を誘導した。

 ああ、すまない、ありがとう。と言葉を掛け、男達は腰を下ろす。彼らが席に着いたのを確認したのち、小間使いに給仕を頼んだ女は、男達の横の席に座った。アルベールとショコラデは、雇用者・被雇用者の関係ではあるものの、替えが効くか否かという点を踏まえれば、ある意味で対等である。

 男達が実務的な人間を好むというのも相まって、解説を務める際には、席横に陣取ることが普通だった。

 いつものように、来客の男がショコラデに問いかける。

 

「それで、だ。ショコラデ嬢。パトリシア嬢は例の御前試合で、勝ち抜けると思うかね? 空を飛べず、銃も撃てないというのは、我々にとっては辛い条件と思うのだが」

「そうですね……」

 

 女は口を濁した。実際問題、勝てるかどうかを女は保証できなかった。デュノア社の設計思想は、中距離での銃撃戦が主体だ。航空力学をベースとしたマニューバ等も、このレギュレーションでは使えない。

 なんと答えたものか……、そう悩む女をよそに、ガラス越しに眼下を見つめたアルベールは、静かに口を挟んだ。

 

「──勝てますよ、彼女は」

 

 目下では、向かい合う女がふたり。

 女達の間に広がるは、僅かに三十間程の隔たり。

 片方の女の手には、アサルトライフル『ヴェント』が握られており、敵手を喰いちぎるのを今か今かと待ち望んでいる。

 もう一方の眼鏡の女は、全くの無手。無為無策の羊のように、棒立ちになっていた。

 赤い眼鏡は、どこかパイロットゴーグルのように見えた。

 観戦者の要望を受け、管制の女がブザーを鳴らす。

 開始の号令が施設内を走った。

 

 

 

 女達の潰し合いは、銃手が主導権を握る形でスタートした。

 数発の銀弾が、パトリシアを襲う。

 第一の掃射を終えて、局面が落ち着いてから、来客の男は「ショコラデ嬢。やはり銃を持っている方が有利なのかな?」と解説を求める。

 ショコラデは、軽く咳払いをした後、頭の中で説明を纏めた。一見すれば、距離というアドバンテージを活かした銃手の圧倒的優位。しかし、それは表面上の優位に他ならない。デュノアの女は解説を始めた。

 

「必ずしも、そうとは言い切れません」

「ふむ。それはあの盾で防げるからかね?」

「それも理由の一つですね。『ガーデン・カーテン』の防御力は折り紙つきです。『ガルム』ならともかく『ヴェント』では有効打は与えられないでしょう」

「それでは、先程までの一連の流れは失着だったと?」

「……恐らくは。勿論、高速切替(ラピッド・スイッチ)による攻撃の誤認を狙っている可能性も捨てきれませんが」

「一つ、と言ったが、他の理由とはなんだね?」

「やはり、距離を詰められたのが致命的かと」

 

 言葉につられて、男は計器を見やる。

 確かに、六十メートル程の距離が、半分近く縮まっていた。

 

「少しのダメージとの交換で、距離を詰められてしまっています。中距離を保つために引き撃ちすることも可能ですが、地上戦では限度があるかと」

「なるほど。だが、彼女は武器を持っていない。徒手格闘の使い手だったか……?」

「それは──」

 

 クスリと笑って女は説明しようとしたが、不意に「仕掛けます」と呟いた。言葉につられた男が目を凝らすと、無手の女が姿勢を落として疾駆した。反射で銃手は引き金を引く。

 銃弾をけしかけられたゴーグル女は、右手を前に軽く払う。その手にはいつの間にか、銀剣が握られていた。

 

「ああ、そうか、高速切替(ラピッド・スイッチ)か」

 

 男が言葉を漏らす。眼下では、既に銃を持つ者なぞ消えて、両者ともに『ブレッド・スライサー』なる近接剣を示しあっていた。

 女達は剣をぶつけ合せ、鍔迫り合う。金属火花が、女達を彩った。

 同じラファール。同じ武装。完全なるミラーマッチ。

 彼我を分けるのは、やはり技量だ。

 敵手の女が、相手の剣を叩き折らんと脳が筋肉に伝達したその瞬間。

 パトリシアの剣が霞のごとく(・・・・・)掻き消えた。

 

「なっ──────ッ!」

 

 絶句する男をよそに、ゴーグル女は再出現させた剣で敵手を薙ぐ。力が暴発した女はたたらを踏んでおり、姿勢が崩れてしまっていて、剣陣は丁度眼球付近を閃いた。

 たまらず男は問いかける。

 

「あれは一体どういうことかね!?」

「── あれも、高速切替(ラピッド・スイッチ)によるものです」

 

 答えを返したのは、逆隣に座るアルベール。

 闘いに目を凝らしながら、男は続けた。

 

「剣がぶつかる瞬間に武装を拡張領域(バススロット)に差し戻し、隙を作り出して高速切替(ラピッド・スイッチ)で再展開。すると、相手から見れば蜃気楼のように武器がすり抜けたように見えるわけです」

「──。確かに有効な戦術でしょうが、机上の空論めいていやしませんか?」

「ですが、彼女はできる。それが全てです」

 

 そうアルベールは断言する。

 ガラス越しでは、先の一撃がターニングポイントとなったのか、一方的な展開になりつつあった。

 距離を取りつつ引き撃ちを重ねた銃手は、ごつり、と嫌な感触を背中で浴びる。

 演習場の端の端。壁にまで下がりきってしまっていた。目前に迫るはゴーグル女。

 

「ラファールを最も活かす方法は、高速切替(ラピッド・スイッチ)を仔細なく運用すること。これが我が社の導き出した結論で、彼女の取っている方策です」

 

 胸を張ったデュノア社社長の眼下で、一機の疾風が瞬いた。

 銃弾を機体付属盾で逸らし、防ぎ、受け流す。敵手の銃撃を掻い潜る女の左手には、一本のナイフが逆手に握られている。そして懐まで潜り込んだ女は、小さなナイフを両手で振るった。

 ゆらり。

 ナイフが揺らめく、と同時、既に銀刃はそこにはなく。代わりに見えるは死神の大鎌。

 ゴーグルよろしく赤黒く塗られたそれは、銃手の胸元にあてがわれる。掬い上げるように脇下で壁と噛み合わされた鎌先は、深く壁中に差し込まれた。

 最早脱出不可能。

 銃手を捕らえた女は、相手の腹にピンと伸ばした五本の右指を向ける。

 手首を回転させながら、弓のように引き絞られる右腕。それは東洋に伝わる貫手の構え。ただし、女に空手の経験はない。あるのはただ一つ────

 

「──────疾ッ!」

 

 ──── ラファール(疾風)を乗りこなす技量のみ!

 解き放たれ、疾走する女の右腕に、無骨な鱗の殻が蜃気楼のように纏わりつく。灰の鱗から伸びて手の甲の上に添えられたのは、一本揃えの盾殺し(シールド・ピアース)。女の指先が柔らかな肉を貫くと同時、杭打ち機がガコリとノッキングする。古くより風と共にある女は、肉体を添え物に、ただ十全に機体を使いこなすだけ。

 

 敵手の腑を食い破らんと突き出されたのは、これぞまさしく人を越えた捻り貫手(ISによるパイルバンカー)────ッ!

 最後の一撃は、酷く重い。

 

 

 

 数日後。

 パトリシアは社長室を訪れていた。手には先の戦闘の報告書と、用いた戦術考察が纏められている。

 彼女の最近の仕事はそれだ。ラファール・リヴァイブでの戦闘におけるマニューバ構築と、高速切替(ラピッド・スイッチ)を用いた戦闘術理の発展。

 遠い未来ならいざ知らず、今この瞬間において、ラファール・リヴァイブを最も使いこなせるのはこの女である。

 

「────報告は以上です」

「そうか。御苦労だった」

 

 男は報告を聞き終えると、手元の書き物に舞い戻る。

 

 

 部屋を出たパトリシアの網膜に焼き付いていたのは、社長の記していた可愛らしい一枚の便箋とどこかの家族の写真立て。

 それから、机の上の花瓶に飾られた、一輪の秋桜(コスモス)だった。

 

 

 

 彼女は、かつてラファール(疾風)のパイロットだった。

 彼女は、その資質をISで活かしている。

 彼女は、ラファール・リヴァイブ(疾風の再誕)の第一人者である。

 彼女は、IS企業・デュノア社の礎となる女だ。

 

 フランス代表、錬装士。

 蜃気楼のパトリシア。

 

 

 

 




「速報です。本日未明、仏国・デュノア社が『IS学園の男性操縦者はラファールを使え。さもなくばシャルロット・デュノアを強制送還する』との声明を発表しました」
※ネタです。


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殺人サラブレッド

本話にはグロテスク、猟奇的、とりわけ人倫に背く描写が含まれます。ご注意下さい。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──おいしそうね、と。

 

 

 

 陰謀論。

 世界で○○なことが起こったのは、××のせいである。そんな与太話をまとめ上げた、大衆娯楽のジャンルの一つである。

 例えばユダヤ人、例えばフリーメイソン、例えば亡国機業、例えば三百人委員会。

 この世はいろんな影の集団に支配されている……らしい。彼らは世界の裏側で、様々な計画に暗躍している。

 例えば世界のネットワークを傍聴する装置開発、例えば国家元首暗殺、例えば人工地震の発生。

 どれも実現可能かどうかなんて、わからない。

 ただ「人間の想像することは、人間が必ず実現できる」なんて言葉もある。

 宇宙人との接触、天候の操作、遺伝子組換えの私物化。

 

 ……あるいは究極の人類の創造計画、なんてのもあるかもしれない。

 

 至高の計画の残滓。零落したもの。

 今回のお話は、そんな感じ。

 

 

 

 ドイツ、某所、某研究所。

 病的なまでに磨き上げられたコンクリートの廊下を、白衣の男女が歩いていた。

 

「──本当に例の怪物を使うんですか?」

 

 髪を刈り上げた男が、自らの怯えを口にした。瞳孔が開かれた目はきょろきょろと辺りを見渡し、唇はやや青白く染まっている。

 未だ人体を切り刻んだことは片手ほどしかない、呆れるほど人倫に則った、真面目でウブな男だった。

 男の問いに、女はいささかの呆れを交えて答える。

 

「勿論よ。やや不安定だけれど、あれ程の完成度の検体は他には無いわ。……首輪も付けてあるのに、何が不安なの?」

 

 不思議そうに小首を傾げる女。

 彼女の白衣には、落としきれない赤い染みがついており、腰ポケットからは銀光するメスが顔を覗かせていた。研究所に長らく勤めている女は、最早ここ以外の生活が考えられないくらいに、立派なマッド・サイエンティストである。

 男女は、明るく照らされた施設稼動部から、薄暗い区画へと渡った。

 男が何気なしに手を壁に這わせながら歩くと、指先には少しの埃が覆いかぶさった。

 

「うぇぇ。こっちの方、誰も掃除してないんですか?」

「さぁね。わざわざこっちまで来てそんなことする変人なんているの? 精々餌やりくらいが関の山でしょ。昨日ボーナスが支給されたそうよ」

 

 私も給料上がらないかしらねー? などと嘯く女に、男は心底同意した。

 心労を患うほど激務の割に手当てが少ない。そんな辞められない職場だった。

 一瞬、ボーナスとはなんぞや? という疑念が、男の脳裏を掠めた。

 

 男達は閉鎖区画の深奥へと進む。

 ツンと鼻をつくホルマリン臭が薄れ、代わりに鉄錆染みた赤黒い匂いが鼻腔を刺激する。

 思わず荷物からマスクを取り出して顔に付けた男に対し、「早く慣れなさいよ」と女は冗談交じりに軽く指導する。

 男が生来培ってきた善性・倫理は、女に対し、幾分かの誤ちを指摘した。一方で、男が身につけた狂気は、女の金言を歓迎した。

 

 陽の当たらない施設を歩いて少し。

 やがて、研究者達は伏魔殿の最深部へとたどり着く。

 そこにあったのは、なんの変哲も無い一つの扉だけだった。

 扉には鉄窓も鉄格子もなく。何処かの会社の会議室の扉と言われても不思議では無い。

 ただ、その薄壁の向こう側から、むせ返るような死臭が漂ってくるのが、一種のアンバランスさを醸し出していた。

 扉に触れるのを男が躊躇するのを尻目に、女は右手の甲で二回コツコツと扉を叩いた。

 

「リザー? 入ってもいいかしら?」

「んー? 今食事中だけど大丈夫ー?」

「ええ、勿論。それじゃあ失礼」

 

 ガチャリ。

 鍵が開かれ、ドアノブが回され、正気の扉が開け放たれる。

 内外の気圧差に押されて、赤々とした空気が外界に解き放たれる。

 男は──たとえマスク越しであったとしても!──体感したことのない様な恐ろしい濃度の血臭を受けて、卒倒しそうになった。

 ──この奥は危険だ。危険だ。今すぐに帰るべきだ。さぁ、早く! 速く! 疾く!

 男の脳が、心臓が、脊椎が、動脈が、警鐘をけたたましく鳴らす。

 だが、そんな本能とは裏腹に、蝋で塗り固められたかの様に男の脚はピクリとも動かない。それどころか、その右腕は、男の意に反して、女の背へと伸びる。

 白衣の端をちょんと摘んだ男に対し、女は振り返って面倒くさそうな顔をした。女の目は、賢人が凡俗を見るような憐れみを帯びていた。その凍えた眼差しに、男の反骨心は燃え上がる。

 男は意思を振り絞って、女の白衣の背皺から指を離した。

 女の後に続くように、男は正常の門を潜って────

 

「────ッ! ……うげぇ、げぼっ、ゴホッ」

 

 ────その蛮勇に酷く後悔した。

 男の口からは、彼が朝食に食べた牛肉やら豚肉やらをぐちゃぐちゃにミキサーにかけて、胃酸とブレンドしたものが吐き出される。胃液によって半ば溶かされたそれは、たまらぬ刺激臭を発しており、空気中の血液と混ざり合うことで、なんとも言えぬ腐臭を放っていた。

 男が命を吐き戻すのを見て、白衣の女と部屋の中に居た一人の女は、不快そうに距離をとる。室内の女は「汚いなぁ」と愚痴った。

 ……だが、もしこの場に善良な一般市民を連れてきたならば、そいつは間違いなく男ではなく、室内の女から逃げ出すだろう。

 女は食事中だと言っていた。

 だから手にはナイフとフォークが握られている。それはいい。

 男の醜態に動揺したのか、食材をひっくり返してしまっている。それも構わない。

 だが、その食材が問題だった。

 男はその食材についてよく知っていた。

 男はその食材の生前の姿についても、少しばかりの想像がついた。

 男はその食材を一昨日も昨晩も今朝も目にしている。

 男が右腕に力を込めると、その食材の同類がピクリと動いた。

 

 ──それは人間の腕だった。

 

 

 

 

 エリザベートと言う名の女は、真っ当な生まれではない。

 彼女に父親はいない。強いて言えば、精子バンクの貯蔵庫だ。

 彼女に母親はいない。強いて言えば、研究室の試験管だ。

 彼女はドイツ軍が創り上げた、最強の兵士、その残骸、成れの果てである。

 

 遡ること十数年。

 とある機業がもたらした神域の設計図は、世界中の科学者たちを狂気へと駆り立てた。

 ××計画。

 世界の裏側の人々が組み上げた、まさしく神をも恐れぬ所業。人間としての究極、ハイエンドを創り上げんとしたプロジェクトである。

 紆余曲折あって、プロジェクトは少しの成功とともに頓挫することになったのだが、その計画の一部分が、世俗へと払い下げられることとなる。

 これには世界中の多くの政府、軍、研究所が飛びついた。倫理の二歩先三歩先を行く計画に、人倫に縛られた研究者達は抗いがたい魅力を感じたのだ。ドイツ軍は、そんな蝿達の一匹である。

 

 研究に取り掛かるにあたって、ドイツの研究者達はいくつかのチームに分けられた。これは、最強の兵士へと至るアプローチを複数に分けることで、成功の可能性を上げるための方策である。

 そんなわけで、そのうちの一つのチームは、研究者達の中でも一等狂った──頭のネジを総取り替えしたような──奴らばかりが集められた掃き溜めとなった。

 彼らが膝突き合わせて最初に行ったのは、定義の擦り合わせ──即ち最強の兵士とはなんぞや? という統一見解の構築だった。

 

「スーパーマンのようなタフガイ」

「違うな。装備でいくらでも補強できる」

「コンピューター紛いの卓越した頭脳」

「ノーだ。それは前線の兵士には必要ない」

「あらゆる兵器を十全に使いこなせる才能」

「却下。スキルは後天的に習得できる」

 

 紛糾する議論。

 最強、という言葉は、あまりにもファジーすぎた。何をもってして最強なのか、明確な水準はどこにもなかった。

 ああでもない。こうでもない。

 あらかた意見が出尽くして、少しの沈黙が支配する議場。すくりと手を挙げたのは、一人の年若い──比較的まともな──研究者だった。

 狂人達の眼球が研究者を貫く。

 

「あのー。兵士の資質ということで、一つ思いついたんですけど……」

「なんだね。早く言いたまえ」

 

 ごくり。議席の上座に座る男から急かされて、研究者は思わず唾を飲む。

 そして、おずおずと己が意見を述べた。

 

「……最強の兵士って、つまりは人を問題なく殺せる(・・・・・・・・・)兵士のことだと考えたですが、どうでしょう?」

 

 ──それが、悪魔の引き金だった。

 

 

 

 殺人。人が人を殺すこと。

 創作物において、ファストフードのように消費される行為だが、現実においてはそのハードルは極めて高い。遺伝子に刻まれたミームなのか、人は殺人という禁忌を犯す事に、本能的な忌避感を覚える。

 とある書物によれば、銃を持った兵士のうち、躊躇いなく敵を射殺できるものは、全体の僅かニパーセント程しかいないそうだ。

 多くの人々は──例え敵を目の前にしても──人を殺す事に抵抗を覚える。その抵抗感を削るために、兵士たちは何千、何万と人型の的への単純な「的当て」を反復訓練で行う。そして、上官からの命令によって、半ば機械的に職務を遂行する。あるいは、人間の基準に棚を作り、隣の仲間こそが人間であり、敵は悪魔か畜生であると暗示をかける事で、忌避感を軽減する。

 ……そうして作り上げられた兵士であっても、殺人による精神的ストレス及び精神疾患は避けられない。これは、ベトナム戦争における帰還兵のPTSD発症率や、薬物・アルコール依存症患者の割合からも明らかだろう。

 神は同族殺しを御許しになってはいないのだ。

 ただ、最強の兵士ともなると、そういうわけにはいかない。

 『魔剣』が敵手を斬り殺すことを至上命題とするように、最強の兵士には敵兵を問題なく殺害してもらわねば困るのだ。

 その目的を達成する為に創り上げられたのが、エリザベートという女だ。

 

 

 優秀な陶工が、土から拘って焼き物を創るように、女の素体も、その遺伝情報から選別されて作られた。

 人を躊躇なく殺せる人であれ!

 腐敗した祈りの元に集められたのは、人類史に残るシリアルキラーの種子。

 遺伝上の父親は、遠く米国にて、「満月夜の食屍鬼」と呼ばれた魚の男。

 遺伝上の母親は、自国ドイツの産み出した、歴史の汚点たる「収容所の魔女」。

 何処かの機業の手によって保存されていた彼らの遺伝情報は、問題なく狂科学者達の手へと渡った。

 悪魔合体、狂気配合。優生学的観点で掛け合わされる殺人鬼の資質。

 試験管の中で産み出されたのは、人喰い鬼と拷問魔女の合いの子だった。

 

 朱に交われば赤くなる。優秀な個体であっても、凡俗に周りを囲まれていれば、瞬く間に暗愚へと堕ちてしまう。教育とはかくも偉大なるかな。

 殺人鬼の雛は優秀な兵士(・・)と成るべく、物心ついた時から熱心な指導を受けていた。

 幼子が知育番組を観るように、少女が魅せられたのは裏社会に蔓延る猟奇的なスナップフィルム。普通人がスポーツ等で体の動かし方を学ぶ年頃に、彼女は肉の解体法を叩き込まれ。習うより慣れろと言わんばかりに、リザの前にずらりと並べられたのは、ひと、ヒト、人!

 口を塞がれ物言えぬ肌色の肉塊達。彼らの来歴は、誰とも知れぬ浮浪者や、制度上処理(・・)できない犯罪者。人権を剥奪された彼らは、軍によって掬い取られ、こうして少女の食卓に並べられた。

 集団的ヒステリー、狂気の感染。研究者達は、究極の兵士と言う名の悪魔の製造を最早辞められなかった。それは後ろ暗い研究に、頭のてっぺんまでどっぷりと浸かっていたというのも理由の一つだが、倫理の先にある達成感と神をも恐れぬ背徳感に酔っていたのもまた事実だ。

 天性の資質かはたまた調練の成果か。

 研究者の庇護の下で、エリザベートはすくすくと悪辣に育つ。気がつけば少女は、神のそれではなく、人間の肉と血を欲する存在になっていた。

 初めは銃、続いてナイフ、最後には素手で。命じられるがままに少女は人間を解体した。嬉々と嗤いながら、獲物の血肉を文字通り啜る少女の貌には、躊躇いや嫌悪などはどこにもない。スポーツ科学を元にした軍隊的な肉体改造を行い、様々な武器にも熟達し、兵士としての適性を磨いていくリザ。

 その行く末、極め付けは、ISの起動にも十全に成功したことだだだ。

 研究員達は、「やった!」と全員が肩を叩き合い、喜びを露わにした。彼らは、その猟奇的な製造手法から、他の班の連中から鼻つまみ者にされてきた。そんな周りの連中の検体「ラウラ」でさえ、ISには適合せず、手術も失敗に終わったことを知っている。

 ナノマシンを体内に埋め込む? ハッ! 所詮機械混じり、人間を極めることを辞めた愚物ども。その程度の中途半端では、人間のハイエンドには至れんよ!

 そう言って、嫌われ者達はゲラゲラと嘲いあった。喜びの一部分は、自分たちが手塩にかけて育てた一人娘が、エリート達の子供を上回ったことが原因かもしれない。親心などと言う殊勝なものは持ち合わせていなかったが、研究結果を誇る気持ちと年単位で赤子から見続けてきた歪な愛情が、笑い声にブレンドされていた。

 エリザベートも、一緒になって微笑っていた。

 

 少女の倫理観を、異形のものとして成形し終えたある日のこと。

 研究者が戯れに、リザに友達役の少女を提供した時に事件は起こった。それは単なる遊びではあったが、少女に外付けの倫理観を身につけさせる第一歩でもあった。

 意外かも知れないが、リザはこれまでに研究者達の命令に背いたことは一度もない。刺せと命じられれば刺す。撃てと命じられれば撃つ。

 少女が生来持ち得た動物的本能からか、教育の一環で行われた刷り込みによるものか。由来は不明だが、少女は研究者達の命には粛々と従う。そこに異論は一切挟まれない。

 殺せと言われて殺せる人間。彼らの目指した究極の兵士、その先駆けとエリザベートは成り果てた。それ故に、少女と一緒に遊べというリザにとっては不可解な命令にも、疑念の余地なく従う。

 

 リザの部屋に連れてこられたのは、ぐったりと眠った一人の少女。研究者に抱き渡されたリザは、自分のベッドに彼女を横たえる。

 一時間待ち、二時間待ち。研究者がゴソゴソと何かしらを持ってくる間、リザは少女の寝顔をにこにこと眺めていた。彼女からしてみれば、同年代の生きた人間(・・・・・)を見たのは初めてだ。好奇心がひどくそそられる。

 数刻が経って、漸く少女が目覚めた時、リザは思わず彼女に抱きついた。

 

「────おはようっ!」

 

 目を白黒とさせる少女。彼女の視点から見てみれば、街を歩いていたら、いつのまにか意識が遠くなり、目覚めるや否や見知らぬ少女に抱きつかれる。率直に言って、意味不明だった。狂乱してもおかしくはない。ただ、目の前に自分と同じ年頃の子供がいたと言うのは、少女の不安を幾分か和らげた。

 リザをやんわりと引き剝がしながら、少女は問いかける。

 

「……ごめん離れて。ここはどこなの? って言うかあなたは誰?」

「私? 私はエリザベート、リザって呼んで? それで、ここは私の部屋だよ?」

 

 要領を得ない回答。

 だが、天真爛漫なその様子を見て、少女の警戒は少しずつ解きほぐれる。元より悪意に晒されることなど短い人生で殆ど無かった子供である。少女は身の危険をすっかりと忘れて、自分のことを話し始める。リザは研究所の外のことを知識でしか知らなかったので、彼女の話にたいそう食いついた。

 みるみるうちに仲良くなった二人。少女が辺りを見渡せば、そこにはぽつねんと置かれたおもちゃ箱。研究者が先程持ってきたものだった。

 家の事情で、リザは銃や刃物は知っていたが、子供用玩具なんて知らない。これなんだろう? と不思議そうにカードを取り上げるリザ。そのあどけない、間抜けな面構えを見た少女はクスリと笑った。

 トランプをしたり、ボードゲームをしたり。

 少女は所々リザに教えながら、室内で遊び始める。初めての体験だったが、そこは頭の出来は人造のリザ、最初はコテンパンに負け越したものの、時間が経てばルールも攻略法も理解した。

 なんで急に強くなったのー! とむくれる少女に、リザはからりと笑って「私頭いいから」と返す。あっけらかんとしたその返答に、思わず少女は笑い返した。

 子供達は、そうしてあっという間に仲良くなっていった。リザは少女に初めての感情を抱いていた。少女が同様に感じたそれは、友情という言葉で表された。

 彼女達が仲良くなることは、奇しくも研究者の思惑とも見事に噛み合っていた。友情などという世迷い言を今はもう狂科学者達は信じてはいないが、人間を縛る鎖になることは理解していた。彼らにも、人倫に関する知識は一通りあったのだ。ただそれを科学の発展の為と、土足で蹴飛ばしただけで。

 少女達の戯れを見ていると、かつて捨て去ったはずのそれらを思い出したような気がした。

 

「──次は何するー?」

 

 楽しい時間は過ぎて。一通り遊びを終えて、リザは少女に問いかける。少女はリザにすっかり心を許していたが、流石にその問いにはお茶を濁した。

 

「……ごめんね! もう帰らなくちゃ!」

 

 部屋の壁に架けられた時計は五時を示している。少女も、そろそろ帰らなければまずい時間だ。とは言え、帰れるかも判然としない。少女が家に帰れるかどうかは、目の前の女の胸先三寸だった。

 少しの沈黙が続いて、ベッドの上に腰掛けていたリザは答えを返す。

 

「──んー! そっか!」

 

 鷹揚と認めるリザ。

 その判断は、研究者達とも一致していた。少女の身元はしっかりとしている。方々と口裏は合わせてあるものの、浪費するわけにもいかない。丁重にお帰りいただく予定だった。それに、我が子同然の娘が無垢な少女を殺すところは、あまり(・・・)見たくない。

 研究者の安心をよそに、少女はリザに礼を言う。

 

「ありがとう! また遊ぼうね!」

 

 喜色満面の少女に、腰の後ろに手を回したリザは微笑み返した。

 少女はリザに背を向けて、部屋のドアへと歩いて向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──リザはその無防備な背中を、ベッド端から取り出して、後ろ手に握った肉切り包丁で薄く薙いだ。

 

「──────!?!?!?」

 

 痛みでアドレナリンが過剰分泌され、脳汁が駆け巡る少女。そんな少女を押し倒し、続けざまにリザは膝裏の腱を斬りつける。

 絶叫。

 心臓の鼓動に合わせて、血流が体外へと押し出される。包丁の切っ先には赤白い肉片がこびり付いていて、ポタポタと床に染みを作っていた。凶行に及んだ女は少女の踝に蹲り、ふくらはぎを舌で舐める。出血で赤く塗られた頰は、醜く妖艶に歪んでいた。

 

「──痛い痛いッ!!!」

「少し大人しくして」

 

 ジタバタと身体をくねらせて暴れる少女。脚が不自由なそれは、蟲のように手を振り回している。

 リザは唇を少女のふくらはぎから離して、肉切り包丁を平に構えた。

 ゴッ、ガッ、ごつり。

 右の二の腕、脇腹、太もも。少女の肉体にリザは鉄板を叩きつけた。丹念に丹念に。丹念に丹念に。

 力強く叩きつけられたそれらの部位は、薄く引き延ばされ、無残な有様となっている。右腕は無理に力をかけたのか、骨が折れ曲がり、肉と皮を突き破って白く露出していた。太ももを叩くたびに、先に斬られたアキレス腱からは、ぴゅぅぴゅぅと肉混ざりの噴水が跳ね上がる。

 その滑稽さに、リザは「アハハ」と少女らしく笑った。

 絶え間なく続く蛮行。あまりの激痛に、少女の脳が防衛機能を働かせたのも無理はない。ブレーカーを落としたように少女の意識はすとんと落ちた。眼球はあらぬ方向を向き、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

 

「──もう()っちゃったの?」

 

 そう言って、リザは少女の涙を舌先でちろちろと丹念に舐めとる。既に血を啜っていた為に、その行為は少女の顔に死化粧を施した。

 一通り味わって満足したのち、リザは少女の体に覆いかぶさるようにのしかかった。全身を擦りあわせ、擦り付けたリザは、少女の両頰に手を当てて見つめ合う。

 

「──ちゃん。また遊ぼうね」

 

 約束を紡いだリザは、自身の顔を少女の顔に近づける。鼻先と鼻先が触れ合うのをよそに、リザの唇が少女の唇を軽く啄んで────

 

 

 ────薄桃色のそれを食いちぎった。

 

 がりっ、むしゃむしゃ、ごくん。

 ああ、おいしいわ。さすが私のおともだち。

 

 

 

 研究者達が現場に駆けつけた時には、既に少女の身体の三割ほどはなく、丁寧に切り取られて何処かに消えていた。少女を抱きしめていたリザの口元は、ひたすらに赤い口べにが塗られていて、晴れやかな笑みを浮かべていた。

 リザにとって、少女は初めての友達だった。

 リザにとって、彼女は既に特別な存在だった。

 リザにとって、それは誰にも命じられることのなかった行為、いわば彼女のはじめて(・・・・)だった。

 少女の中では、友愛と愛情と殺害と捕食は、シームレスに繋がっていた。

 

 ──それを見て、研究者達の酔い(・・)は一瞬で冷めた。

 

 これは兵士ではない、これは娘ではない、これは人間ではない!

 ここまで来てやっと、漸く、研究者達は過ちに気がついた。

 絶句する男達をよそに、リザは少女を啄ばみ続ける。笑い続ける。啄ばみ、笑う。喰らい、嗤う。

 ガリ、ガリ、グシャリ。

 アッハッハッハッハッ────!

 

 

 

 それ以降、エリザベートは触れ得ざるものとなった。

 少女の首には、爆弾の詰められたチョーカーが巻かれ、今も研究所の最奥でにこにことただ笑っている。処分することも検討されたが、命令には従うこと、何より莫大なサンクコストが惜しまれたことから、ドイツ軍人の軍籍が与えられ、とり置かれることとなった。

 

 彼女が解き放たれる契機となったのは、ドイツ軍に異邦人が立ち入ったことだ。織斑千冬と言う名のエイリアンは、軍のあらゆるものをひっくり返した。

 繰り広げられる蛮行。席を追われかねない嵐に苛立った汚職高官は、ある時声を荒げた。

 

「死ねッ! 織斑ッ! 誰でもいいから殺してくれッ!」

 

 言葉にしたとはいえ、本当に殺意を抱いていたかは定かではない。単なる感情の発露だったかもしれない。

 だが、それを聞きとがめた狂人の生き残りがいた。

 

「リザ。織斑千冬を事故に見せかけて殺してちょうだい」

「ああ、なんて綺麗なひと。──ちゃん程じゃないけど、おいしそうね」

 

 

 

 彼女は産まれながらの殺人鬼だ。

 彼女は愛も、友情も知っている。

 彼女は同じくらい殺し方も、食べ方も知っている。

 彼女は織斑千冬のことが好き(・・)になってしまった、可愛らしい(おぞましい)少女だ。

 

 ドイツ代表、シリアルキラー。

 血濡れのエリザベート。

 

 

 




本小説に実在の団体を誹謗中傷する意図はございません。ご容赦願います。

ガールズラブタグっていらない……よね?


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薄氷舞踏

IS要素うす味。
一部差別用語が含まれております。ご注意下さい。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──いっしょに、踊りましょう、と。

 

 

 

 踊る。踊る。幻惑に踊る。

 イベリアの地に棲みつくジプシーの女は、釜の上で妖艶に微笑う。彼女の血族は土地の者共と血を混じえ、その身体には金の髪と碧の眼が備わっている。

 踊る。踊る。幻影と踊る。

 女は鳥の様に舞う。カルラ、迦楼羅。遠き地の神の名を持つ女の正体は、果たして聖鳥か邪蛇か。揺らめく姿は、陽炎だ。

 踊れ、踊れ、幻覚と踊れ。

 

 

 

 ──アレーナの中央で、カルラは踊る。

 スペインはマドリード。沈まない国よろしく、太陽がさんさんと降り注いでいる。

 万来の喝采が向けられるのは、一人の女。

 顔半分を仮面で隠し、青の騎士服を纏った女性。彼女の美貌もさることながら、それにも増して目を引くのは、黒色のつば帽子、左手に握られた銀の針。しかし、何よりも目立ったのは右手で振られた、赤マント・ムレータ。彼女達のトレードマークだった。

 闘技場の門が開く。瞬間、賑やかしたる男達によって、一頭の益荒男がカルラに嗾けられた。彼は獣の様だった。彼は真実猛獣だった。

 カルラの額から、目元、鼻筋にかけて、冷や汗がたらりと抜ける。女にとって、ここでの踊りは珍しくないことだったが、今回のお相手は中々どうして、格別だ。

 女の眼に映るは、雄々しくいきりたった二本の角。コロッセオに差し込む光によって、その図体は黒光りした姿を観客達に見せていた。お預けを食らった獣は、頭に血が上り、ふんふんと鼻息を漏らす。今にも女にむしゃぶりつかんばかりだ。

 その様子を見たカルラは、全身をぶるりと震わせる。それは怯えか、怯懦か? 否、快楽と武者震いだ。目の前の雄は、女の同業者を幾人も再起不能にしてきた。彼女とて男の肉体を胎に食らえば、同僚達の後を追うだろう。彼はまさしく、悪魔の名を冠されていた。

 だが、仮面で隠された半分で、女の口元は大きく裂けて上がる。彼女にとって、これは三割仕事で、七割趣味だ。生死の境目、薄氷の上で踊る。地獄の釜の蓋でステップを刻む──そして相手を釜の底へと叩き落とす。自分の命をチップとして誰かを陥れるのは、酷く楽しい。

 悪辣な女の享楽だった。

 

 カルラ・ヴェイユ、二十八歳、狂人。

 ディアブル、八歳、狂牛。

 出会って数秒。年齢差、二十。異種族。僅かばかりの逢瀬が始まる。

 

 

 セーフティーが外され、猛牛は自由の身と化した。会場を包む声援が一層大きくなる。猛牛は、自然においては味わうことのない爆音を聞いて、幾度か目のパニックを起こす。身体ごと首を振り、血走らせた目を辺りに向ける。敵は何処だ、何処だ?

 狂乱する悪魔に対し、女はセオリーよろしく赤布をひらりと右面で緩く振り、半身に構える。

 

「さあ、いらっしゃい?」

 

 冗談半分の軽口を交えながら、女は身体をくねらせ、舌先をちろちろと動かした。左足靴のつま先をコツ、コツ、コツと地面につけて、全身にビートを刻む。

 ひらひらひら、ちろちろちろ、コツコツコツ。

 以心伝心。音と動き、二種のカルラの挑発が通じたのか、猛牛は顔中の血管をいっそう赤く染めた。後ろ足で砂を掻きながら、足りない脳で猛牛は考える。

 ──あのニンゲンは酷く、不快だ。前に潰した奴らと比べてもなお!

 豪と嘶き、猛牛は標的に向かって一心不乱に突き進む。その目の先には、ひらひらと振られる一枚の布。

 

「────」

 

 数々の理不尽を貫いてきた彼の一対の角は、布を通り越して、奥に隠れるニンゲンごと、突き通した。と、猛牛は誤認した。

 

「──ふっ、と」

 

 パートナーとのダンスの様に、黒牛に密着しながらも、女は紙一重でその突進を避ける。右手の赤布は破られない様に上に振られ、角の先端から頭、胴体の上をするりと撫ぜた。

 と、同時。赤布に隠された針、左手のエストックが、陽光を反射して顕となる。

 すれ違いざまに、女は手首を二度動かした。

 左目直下と、鼻の外皮。二箇所に銀閃が差し込まれた。破られた血管からどろりとした血が吹き出て、エストックを赤く染める。

 一交差。このやり取りは、カルラの完勝だ。けれども、その肉体の造り、耐久がまるで違う。一度でもボディーブローを受けたなら、女の舞台は崩落するだろう。

 両雄は再び向き合う。赤布に隠された銀剣の先端からは、敵手の命がぽたぽたと零れ落ちる。だが、そんなものは知らぬと、猛牛は目を赤く滾らせる。心の臓の弱い者は、最早立つことさえ許さぬ。そう主張せんばかりのおびただしい野生だった。

 カルラは全身をぶるりと震わせた。

 まごう事なき、笑顔が浮かんでいた。

 

 二交差、三交差。四度五度と繰り返される二人の交わり。

 添え物の黒牛をよそに、赤布をはためかせながら女は踊る。

 額、耳、目元、鼻先、頰肉。ちくりちくりとエストックに刺されたその顔は、黒と赤のコントラストで彩られていた。すれ違いざまに胴を撫でるカルラに対し、猛牛の怒りの火種はより一層激しく燃え盛る。観客の声援を浴びながら、カルラと猛牛はクルクルとワルツを披露した。

 ウノ、ドス、トレス。ひらり、きらり、ぐしゃり。躱して、突き刺して、傷つける。

 テンポよく、しかして確実に、牛の生命が削られていく。

 この瞬間が、カルラにとっての一番の報酬なのだ。僅かなミスで死に至る恐怖の中で、他者を痛めつける快感。命を天秤に乗せた時特有の、ひりつく様な感覚はカルラに生を実感させる。

 テンポを刻みながら、紙一重の回避で牛の角をグレイズさせる女。陽光に炙られながらの死闘は体力、精神力を加速度的に奪っていったが、その顔は喜色満面。気力だけは際限なく湧き上がってきた。

 一方で、怒りは募るばかりだが、度重なる出血によって最早最大限のパフォーマンスを発揮できない猛牛。彼にとって、この場で踊る事は本意ではない。理不尽に受け続けたダメージによって、その敢闘精神に陰りが見えてきた。

 猛牛の目に怯えの色を見たカルラは、手を振って闘技場端の係員に軽く合図を送る。

 

「──カルラ! OKだ!」

 

 数秒後、カルラに対して返答がなされる。女は、エストックをしゃんと振って、それに答えた。

 十二時の鐘がなる。二人だけの舞踏会はそろそろ閉幕。

 会場のアナウンスが、観客を煽る。それに合わせ、女は血塗られたエストックを高々と太陽に向けて突き上げた。

 会場のボルテージは最高潮の盛り上がりを見せる。古代ローマのコロッセオと聞き違えんばかりに、老若男女問わず、人々は蛮声を上げる。

 いよいよフィナーレ、ファエナの時間だ。

 猛牛は命を搾り出して女へと駆け込む。顔の急所をひたすらに針で突き刺され、疲労が蓄積しきった益荒男。彼の演舞は、これから先は見る影もなく衰えるだけだろう。

 だから、カルラは速やかに引導を渡す事で、彼の最期に華を添えるのだ。

 土煙を上げながら向かってくる猛牛に、カルラはいつものように回避するのではなく、顔に向かってムレータを投げつける事で答えた。

 ばさりと牛の顔に赤布が絡みつき、視界を閉ざす。

 

「お疲れ、様」

 

 生じた一瞬の間隙、女は余さず使い切る。

 顔にかかった赤布を尻目に、女は腰を落として牛体に肉薄し、その肩口を掠め刺し切った。肩の骨の間を通った銀の針は、奥底に隠された大動脈に突き刺さる。エストックが振動し、内部で軽くかき混ぜられ事で、猛牛の命をかろうじて繋いでいた蜘蛛の糸はずしゃりと掻き切られた。それはまさしく、致命の一撃だった。

 牛が最期に感じたのは、敵手の労いの言葉と、肩先を走る灼熱。

 勢いよく吹き出した鮮血はその黒体を四肢に至るまで赤く染め上げる。肉体を伝って足元に溜まった血液は、黄泉へと渡る赤い靴の様に見えた。

 

 

 

 ──場末の酒場で、カルラは踊る。

 太陽が西の山の奥底へと隠れ、街は人工の灯りに彩られる。

 昼間のカルラは闘牛士だが、夜のカルラは可憐なる蝶だ。ダウンタウン、ネオン街の片隅で、女は歓声を向けられていた。

 此度の仕事着はジプシーの民族衣装。エキゾチックな踊り子の服。

 演劇台の上で、独り女はスカートをはためかせて踊る。赤布がひらひらと宙を舞い、酔漢達の注目を集めた。酒に酔った男たちの視線を一身に浴びて、カルラは手を捻り、腰をくねらせ挑発する。

 踊りというのは、肉体操作の一つの極致だ。体一つで美を表現するには、自身の肉体を百パーセントで使いこなせなければならない。その修練は、武の極北へと至る旅路と同一だ。武人が全身を凶器とするように、頭の頂点から足の指先まで、その全てを余さず掌握してこそ、一流の踊り子である。

 カルラの技量は、いうまでもなく一流だ。

 時に舞台上で、くるくると可憐に回って舞う女は、花も恥じらう少女の様で。時に床に倒れ伏し、はしたなくスカートをたくし上げる女は、淫らに観客を誘う情婦の様で。可愛らしさと美しさを同居させたカルラは、浮ついた観衆を手玉にとって、艶めかしく薄氷で踊る。

 踊りは彼女の人生と共にあった。流浪の民の末裔たる彼女にとって、まさしく芸は身を助ける。遠く離れた極東の地で、忍者と呼ばれた技能集団がそうしたように、彼女たちもまた特異な技能を発展させてきた。舞踊は、その中の一つである。大衆に受け入れられるため、権力者に取り入るため、武器を持って戦う際の型とするため。踊りは、芸術表現の他にも様々な利用価値を持つ、万能ツールだった。ジプシーという被差別民族の生まれたるカルラは、他者に先んじるために、そういった技能を必要とし、身につけていた。

 

 音楽の切れ目、カルラは台を降りて観客に微笑を振りまく。

 馴染みの客と言葉を交わしながら、一杯のカクテルを受け取るカルラ。果実混じりの酒を呷りながら、知り合いたちと談笑に耽る。

 ふと見渡すと、珍しいものを見つけた。それは酒を呑むのも忘れ、妖艶に踊る女に溺れていた、一人の新参者だった。

 面白い、とカルラは酷薄に微笑う。自身に群がる男たちからするりと抜け出た女は、すぐさま若者の元へ近づくと、あわあわと慌てる男にしなだれかかって、耳元で囁いた。

 

「──いらっしゃい、お客さん?」

 

 吐息と混ざった声に、顔を赤く染める男。女はその様子にクスクスと声を漏らした。他人を弄ぶのは、酷く愉しい。この若者は、カルラにとって揶揄いがいのある男だった。

 カクテルを呑み干し、グラスをテーブルの上に返すと、女は男の鼻先をちょんとつついた。

 そのほっそりとした指はひんやり冷たかったが、男の茹だった顔の温度は、ますます上がった。

 

「呑み過ぎないように、注意しなさいな?」

 

 笑い混じりに、女は冗談を口にする。男の顔は真っ赤に染まっていた。無論、酒が回ってのことではない。

 男を揶揄って遊ぶカルラ。彼に向けられた助け舟は、ピアノの伴奏だった。お仕事の再開だ。ありがとね、と女は声を漏らし、男の額に軽く口付ける。そのままカルラは男にニコリと笑みを落として、再び舞台へと舞い戻った。

 数瞬の戯れ。呆気にとられ、呆然とした男の目に移ったのは、艶やかな女の後ろ姿。衣装は首筋から背骨に沿ってぱっくりと開いており、ランプで妖しく照らされた柔肌はみずみずしく輝いている。

 女の色香か、酒の魔力か。酔いがまわって、酔いが回って。

 男のまぶたがひとりでにとろりと落ちていく。久方ぶりに、男は()に溺れた。

 

 

 

 ──どことも知れぬ場所で、カルラは踊る。

 深夜、地下。お天道様が見ていない時間、場所。下品な電光に彩られた舞台には、一組の男女が上がっていた。

 そこは、昼間のアレーナと比べてもなおいっそう騒がしく、血なまぐさい。強いて違いを挙げるなら、飛び散る血液が獣のものではなく、正真正銘人間のものである、という程度。

 向かい合う二人は、同様の白服を着て、首元や胸部には防具を取り付けている。互いの手には、一本の剣、フルーレが握られていた。一見すれば、表舞台のフェンシングと然程変わりはない。

 だが、たった一つだけ明確な違いがある。

 それは勝敗が外部に依存しているか、否かだ。彼らの防具には、電子回路などという便利なものはつけられていない。幾度刺されようとも、ブザーが戦いを終わらせることはない。立会人はいるものの、彼がルールを監督することはない。必要であれば、目潰し、金的さえも許容するだろう。

 お綺麗なレギュレーションなど存在せず、勝敗はひとえに、リザインか死しかありえない。タイミングを誤れば、纏うスーツは白装束と成り果てる。

 ここに集まったのは、どいつもこいつも人の生き死にが見たい、腐敗した金持ちばかり。

 世界中で開かれる機織りどもの催し事。これはその一つだ。闘鶏や闘犬のようなおままごとではなく、等身大のダーティーな賭け事。機業の顧客は、ワイン片手に人間が傷つけ合うのを観戦するのが大好きな連中ばかり。

 狂っているという点においては、当然ながらそれは死合う二人も同様だ。カルラはここに、ひりつくような空気を吸いにやってきた。命を削って肉を突き刺す感触を得にきた。目の前の男が金に困ったか、戦闘狂かは知らない。だが、二人とも同程度には死狂っていた。

 筋肉質の男と色鮮やかな女。単純に考えれば、男の方が優位だろう。が、そんなつまらない常識は、ここにいる誰一人として持っていない。

 男だから? 巨漢だから? だから強い?

 それも指標の一つだが、それだけで勝敗は決まらない。強い方が強い。それでいい。

 シンプルな獣の論理が、会場を支配していた。

 独特の緊張感、血を目前にした高揚感に、観客たちはガヤガヤと声をあげる。まさしく暴発寸前の会場に、舞台に上がった一人の男が冷や水をぶちまけた。

 

「────構え」

 

 審判役の声が、会場に響く。それは小さな声だったが、会場のざわめきを駆逐し尽くした。

 しんと静まりかえる場内。ゴクリ、誰かが唾を飲み込む音が、やけに大きく耳に残った。

 フルーレを握るカルラ、彼女の左手は酷く汗ばんでいる。目の前の男も、剣先がちらちらと揺らいでいる。

 ──同じか、同じか。

 男女は、たった一つの、同じ思いを共有した。

 ここはまさしく薄氷の上だ。

 

「始め────」

 

 カルラは幻の赤布をはためかせ、踊り始める。

 

 踊れ、踊れ、幻想に踊れ。

 

 

 

 彼女はジプシーの踊り子だ。

 彼女は時に牛を、時に人を突き刺す剣士だ。

 彼女は命の恐怖と快楽に溺れている。

 彼女は地獄の釜が凍っても、薄氷の上で踊り続ける。

 

 スペイン代表、フェンサー/踊り子。

 薄氷のカルラ。

 

 




本文中でジプシーと表現されている箇所は、正確にはロマと表現すべきです。
音楽等の芸術表現の場合、グレーゾーンとされておりますが、ご不快に思われるかもしれません。お詫び申し上げます。
DQ4のイメージがなぁ……。

しばらく更新遅くなりそうです、ご容赦!


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閑話・ヒロイン願望

原作キャラ回。改変多数です。


 

 『自反而縮。雖千万人。吾往矣』

 孟子曰く、「自らの行いを省みて正しいと思うならば、たとえ大勢の他者に否定されようとも、己が道を行くべし」と。

 好漢、英傑、修羅、外道。中国四千年に燦然と連なる綺羅星、 その多くがかの思想に沿った生き様を見せている。

 織斑一夏という男は齢十歳にして、隠しきれない英雄性、武侠たる片鱗を見せていた。

 

 

 

 お日様がろくに顔を出す前の明朝。

 少女は庭先で一人、身体をいじめ抜いていた。

 両脚を軽く広げて腰を落とし、両腕を肩の高さまで引き上げて正面に構える。馬歩站樁と呼ばれるこの姿勢は、文字通り馬に乗っているかのような様相だ。神槍・李書文より長らく伝わる、李氏八極拳の系譜。その末席に連なる彼女もまた、基礎基本より武術体系に入門する。

 深く地面に根を張って、微動だにしない。腕はいつでも前につき出せるように、脚はいつでも前に踏み出せるように。正面に浮かぶ敵を睨んで、少女は理合を究める。

 丹田に意識を集中させて立つ女。彼女はこれを、かれこれ数十分は続けている。身体中にじんわりと汗が浮かび、構えられた拳と、体重を支える下肢はぷるぷると限界を伝える。

 一度でも気を抜いてしまえば、あっという間に膝から崩れ落ちるだろう。少女は意識的に腰を深く落とし、心身の鍛錬を重ねる。筋肉は既に根を上げている。重心は骨だ。深く大地と一体化し、少女は仙骨でもって立った。

 天才肌の少女にとって、小手先の技術、「技」はすぐに身につけられるものだった。だからこそ求むるは「心」と「体」。一朝一夕では身につかぬそれらを、彼女も彼女の師も重要視した。

 

「──よいか、鈴よ。李氏八極拳の術理とは、一に敵を確実に仕留める力を養うこと。二にその一撃を絶対に相手に当てることだ」

 

 鈴は姿勢を保ちながら、師の言葉を脳髄で反復する。

 

「お主は身体が小さい。男のみならず、並みの女でさえ、単純な力比べでは叶わんだろう」

 

 だが、問題ない。呵呵と師は笑って続けた。

 

「大地と合一するのだ、鈴よ。地球の重力をものにすれば、人一人の力なぞ所詮は誤差に過ぎん。お主も神槍や老虎の域に達すれば、そのちんちくりんな身体でも巨漢に勝ることができるやもしれん」

 

 じんわりとした夏の陽気が、鈴の体を締め上げる。鈴の鼻先から、背骨から、肘から、玉のような汗が滴り落ちる。土の地面は、彼女の身体から流れ落ちた雫でほのかに湿っていた。

 だが、激痛の淵にあってなお、その眼は涙に濡れぬことなく、爛々と前を見据えていた。

 

「道半ばで戦うならば、お主ではまだ誰にも勝てぬだろう。お主の境遇では、重力から離れて戦うこともあろう。その時は、技を使ってよい。必倒の為に、剣で補強してもよい。必中の為に、目に見えぬ弾丸を放ってもよい」

「──だが、忘れるなよ、鈴。たかが小手先だけの薄い武術なんぞに溺れてくれるな。

 功夫だ。功夫を積み上げるのだ、鈴よ──」

 

 

 

 凰鈴音という少女が日本に来て初めて受けたのは、無自覚な悪意だった。

 自分たちが思っているよりも遥かに、日本人は外国人に対して厳しい。単一民族、単一言語、島国と三拍子揃った、極めて内向的な国民性。外国人、稀人との接触に乏しい彼らは、自分たちと違うそれらを、度々異物として捉える。

 郷に入っては郷に従え。観光客程度ならまだしも、自分たちのテリトリーに移住してくるならば、それ相応の態度があろうと皆で嘯く。

 小五の時、転校してきたばかりの鈴は、緩やかな排斥を受けていた。

 揶揄い、中傷、嘲笑。足りない知識を繋ぎ合わせて、ようやっと聞き取った日本語の内容がそれでは、つくづく救えない。鈴の耳に入ってくる雑音は、その殆どが彼女の存在を否定するものだった。人種、言語、名前と言った鈴を鈴たらしめるパーソナルなデータを冒涜されることは、鈴の人間性が貶められているのと同義だった。

 鈴の脳髄を、心胆を、精神を、遅効性の毒が回っていく。するすると真綿で首を締め付けられる。彼女自身にはどうすることもできず、蜘蛛の糸に絡め取られる感覚を覚えた。

 鈴を緩慢に殺そうとしていたのは、学校社会というコミュニティに巣食った、一匹の集団心理(化蜘蛛)だった。

 誰か一人、鈴を嫌う悪役がいるわけではない。鈴の持つ致命的な何かが、鈴を虐める要因となっているわけではない。学校という狭い社会の風土そのものが、鈴を追い詰めていた。

 いよいよもって彼女の心身を、いじめという病が冒し尽くすまであとわずかという時──

 

「────やめろッ!」

 

 ──織斑一夏という剣客は、元凶となる集団心理(化蜘蛛)に、ずんばらりんと大上段に斬りかかった。

 今まさに鈴をからかっていた、いじめの元凶の一翼たる少年たち。彼らに対し、ニー・アタックを手土産に颯爽と躍りかかる織斑少年。

 野良犬相手に表道具なぞ使ってたまるか、と自身の納めた剣術理法、戦闘術理を用いず、ステゴロで乱闘に挑む少年。殴り殴られ、机椅子を蹴り散らかして暴れまわる子供達。すぐさま駆けつけた教員に取り押さえられ、両成敗を受けたことでその日は一件落着、と相成った。

 

 翌日、鬱々としながら鈴が登校すると、

 

「おはよう!」

 

 と名も知れぬクラスメイトが挨拶をしてきた。これに鈴は驚いた。つい昨日まで、彼女はクラスにおける中庸派、積極的に虐めてはこないものの、関わりを持とうともしないタイプだったからだ。

 それからも、昨日まで遠巻きに見つめていた学友たちが、自分から続々と話しかけてくる。しかもそれは罵詈雑言などではなく、なんてことない日常の──彼女が欲して止まなかった──会話だった。

 形容しがたい、「鈴を受け入れる空気」がそこには漂っていた。

 

「よぉ、鈴。おはよう」

 

 遅れてしばらく、織斑一夏という男がやってくる。鈴にとって、昨日までで明確に味方と呼べる者は彼だけだった為に、思わず口から問いが溢れた。

 

「アンタ、何かやったの?」

「──? 何が?」

 

 クラスメートに手を回したのか、と言外に問いかける言葉に対し、織斑少年は不思議そうに小首を傾げて問い返す。その言葉は、心が顔に出やすい少年だからこそ、何より信じられた。

 事実、織斑少年は昨日の乱闘以外、一切何もしていない。だがその一気呵成な暴れっぷりは、煮え切らなかった少年少女の心に火を灯した。

 いつものように「なんとなく」鈴を揶揄おうとしたガキ大将を、どっちつかずを気取っていた少年が諭す。

 

「──もう、やめないか?」

「やめるって何をだよ?」

「何って……、凰へのあれやこれやだよ。

 ……別に、あいつそんなにムカつく奴でもないじゃん?」

「………」

 

 クラスのあちこちで、このような光景が見られた。

 元々、別に誰も鈴を嫌ってなんていない。別に誰も鈴を虐めたいわけじゃない。ただ周りの皆がやっていたから何となくやらなきゃまずいかな? という漠然とした空気に従っていただけだった。

 そんな異端者をなじって遊ぶ流行り病(ブーム)は、織斑一夏という特効薬を処方され、快調へと向かっていた。

 過激派を穏健派が宥め、どっちつかずの人間は、一方的な雰囲気が弱まったことで鈴に歩み寄る。

 鈴という個人が、コミュニティの一員として、確かに受け入れられた瞬間だった。

 

 立役者の少年が、少女に笑いかける。

 その時の少女の心は、九割の恋心と、一割の混沌が占めていた。

 

 

 

 それから数年が経ち。

 異邦人たる少女は日本という国土に適応しきっていた。

 未成熟だった身体は僅かながらも成長し、あどけない笑みから煌めく八重歯は、独特の愛くるしさを演出した。子供から大人への成長──身長やスタイルは別として──途中の溌剌な少女は、今この瞬間を楽しんでいた。

 彼女の隣には、築き上げた人の輪がある。さばさばとした剛毅な性格は、女子生徒のみならず、男子生徒にも概ね受け入れられ、コミュニティの中心に鈴はいつのまにか居座っていた。彼女本来の明るい気質が、燦然と発揮されていた。

 朝、登校時間にて。

 

「──一夏! 早く行くわよ!」

 

 制服を身につけた少女が、少年を置いて駆け出す。声をかけられた少年は、苦笑して少女を追いかけた。

 陽光に照らされたアスファルトを蹴りつけて走る少年。

 はなたれ小僧の腕白小僧だった少年は、発展途上の甘いマスクを身につけて、世の少女たちを魅了する。その身体こそ細身だが、一皮むけばぎゅうぎゅうとした筋肉鎧が見て取れて、凛々しく精悍な機能美がそこにはあった。

 ただ雑然と肉体を鍛えるのではなく、幼童の頃に叩き込まれた鍛錬を無意識的にこなした少年。彼の全身は多少錆びついてはいるものの、一つの完成形への道のりを歩んでいた。それは、華美な装丁などを省いて人を斬ることに特化し尽くした、一本の刀であった。

 

 学校に着いた少年達、時計を見れば、朝礼の時間まではまだまだ時間がある。

 「なぜ急いだのか」と少年が問えば、「え? なんとなく?」と少女は返す。少女は脊椎で動いている。考える前に、手を出すタイプだ。今回の行動にも、特に意味はなかった。

 無駄に体力を浪費させられた少年は、がっくりと項垂れて、額から溢れる汗を拭った。

 自らの席に腰を下ろした少年の元に、件の少女が駆け寄ってくる。そのまま近くの席を占領した少女は、少年と膝突き詰めて話し始めた。

 

「────」

「────」

「────?」

「────!」

 

 少年少女は、ぺちゃくちゃと駄弁る。

 今日の朝ごはん、昨今の政治情勢、歴史の宿題なんだったっけ、たまには剣でも振りてぇな……、IS/VSってキャラ差酷くない? 中国一弱なんだけど? 日本イタリアと露骨に格闘機優遇なのは俺もどうかと思う、射撃機なんてどうせ使いこなせないでしょアンタ。

 取り留めのない雑談は、無闇矢鱈にあちこちへ流転する。転がり続けた話題は、昨今話題のとある大会へとむけられた。

 

「──千冬さん、今回の大会も出るんでしょ?」

「ああ、そうだな」

「あれ、一周回って卑怯じゃない? 強すぎて誰も勝てないでしょあんなの。禁止カードじゃない。出禁よ、出禁!」

 

 少女の咆哮は、ある種の真理を突いていた。

 少年の姉である剣豪は、人類の到達点へと辿り着いている。素人目でも、誰が勝つかなんて明らかだ。海外のブックメーカーでは、単勝のオッズが低すぎて場が流れるという珍事が頻発していた。

 控えめに言って、ドッグレースにティラノサウルスをぶち込むような暴挙だった。

 少年はあははと苦笑いを漏らしながら、でもさ、と続ける。

 

「でもさ────千冬姉の剣舞、見たいだろ?」

 

 結局のところ、世論が望んだのは、そういうところだった。織斑千冬という名のプリマドンナが美しく踊るための舞台劇場。大衆の抱くモンド・グロッソとは、そういうものだ。

 

「それにさ、知らない奴が勝つよりも、身内が勝つほうが楽しいじゃん?」

「──それもそうね。アタシ中国代表の顔も知らないし」

 

 そういうものだ。

 

 

 数ヶ月後、織斑姉弟は、モンド・グロッソの舞台へと旅立っていく。鈴も付いて行きたかったが、関係者でもない以上それはできなかった。

 少年少女が喚き合っているうちに、出立の時間と相成った。鈴は、馴染みの国家代表に、大声で声援を送る。

 

「──千冬さん! 頑張ってください!」

 

 剣客は、後ろ手に手を振って、軽く答えた。

 なんの気負いもない後ろ姿だった。

 

 あっという間に試合当日。

 むしゃくしゃしながら、お茶の間のテレビを占領して、少女はポテチ片手に観戦する。たった一枚スクリーン越しというだけで、どうにも熱狂が薄く感じる。

 行きたかったなぁと未練がましく呟きながら、鈴は何処とも知れぬ代表の潰しあいを、胡乱げに見つめる。

 いろんな人がいた。剣、短銃、槍、狙撃、格闘。確かに強い、自分にはできない。でも、千冬さんには勝てない。少女はそう直感した。織斑千冬という頂点捕食者に喰われるための上質な餌の品評会。すごいなぁとは思っても、優勝しろ、と熱意を上げて応援する気にはなれない。

 

「──勝者、日本代表、織斑千冬」

 

 事実、彼女の前に敵は無かった。どんなに武器に自信を持とうと、どんなに距離を離そうと。全てが無意味だ。

 疾風怒濤、一刀両断。現代に蘇った人斬りの前に、全ての競技者達はなすすべも無く斬り捨てられた。

 大会初日が終わって二日目。

 対戦相手はより厳選され、洗練されていた。国家代表たる維持と尊厳をかけて、自国の科学と技量の極値を、全世界にまざまざと見せつけていた。が、織斑千冬という神域にとっては、その徒労は無意味だ。

 直剣使いと対峙しては、斬撃に合わせて霊刀を振るい、剣腹を叩いてたたらを踏ませ、懐へと潜り込む。相手が蹴りや掴みと言った対応を取る前に、右上段から雪片を斬りおろし、流れるように袈裟、逆袈裟斬り。呆然とする相手の脇を、するりと抜けた女は、しゃんと刀を払って納刀する。

 後に残るは、胸元にVの字を晒して倒れる骸のみ。

 銃器使いはなお一層相手にならない。銃口を向けた時、剣客の姿は既にそこにはない。多くの武術家が摺り足等の技術を用いて行く先を誤認させるように、彼女の動きには、前兆、起点、おこりが存在しない。移動、停止、方向転換の合間が読めない彼女に対し、偏差射撃を決めるのは、ともすれば世界征服よりも難しい。やけっぱちの銃弾ばらまきも、斬鉄剣よろしく斬って捨てる。必死に立ち向かう銃手の姿も、側から見れば駄々っ子のようで。

 剣聖が手を伸ばして三尺少しは、彼女の領土だ。

 人も、剣も、銃弾も。王の許可なしに立ち入ることは許されない。

 まさしく暴君の振る舞い。その姿に、鈴は、ファンは、世界は、織斑千冬が優勝トロフィーを掴み取るという予定調和を、幻視した。

 

 

「────────!?」

 

 決勝戦。

 織斑千冬が現れない。蛮声の響くスタジアムは、一言で言えば狂乱だ。

 観客は今や爆発寸前の暴徒と化して。実況解説は役目を放棄し、うわごとたわごとを口にするばかり。アリーナを見れば、イタリア代表の暴風がスタッフに掴みかかって罵声を浴びせている。

 誰もかれもが平静を装うことすらできていなかった。

 テレビの中継が途絶え、しばらくお待ちくださいという無機質な文字列が画面上に浮かぶ。誰かが音声を切り忘れたのか、報道室の混乱が、公共の電波に乗せられていた。

 しかし、恐らくこの番組を見ていた誰もが、そんなことを気にする余裕はなかっただろう。

 それは、凰鈴音も同様だった。

 彼女がブリュンヒルデの座から降りるということに、正直言って実感がわかない。織斑千冬という異常性は、ISという異常性と一緒くたに受け入れられていたのだ。寝て、起きて、朝食を食べて、ISは女性にしか乗れず、織斑千冬はブリュンヒルデ。

 林檎が木から落ちるように、水が下流へ流れるように、ISは超科学の産物で、織斑千冬は世界最強。そんな時代が、始まりの日からずっとずっと、続いてきたのだ。

 世界は、織斑千冬がブリュンヒルデでない世界に、全くの無知だった。

 

 鈴の漂白された頭には、誰とも知れぬ男女の声が、電波を通して聞こえてきた。

 その手に握ったコップからは、飲み残しのコーラがだらだらと床に漏れていた。

 

 

 数日が経って、彼女達がブリュンヒルデ失墜という幻想をようやく肌で感じた頃。

 彼女の想い人が西の地より帰国した。

 織斑姉は、そこにはいなかった。

 織斑弟は、そこにはいなかった。

 そこにいたのは、自信に満ちた面構えをライヒの地に置き忘れて帰ってきた、うらぶれた一匹の痩せ犬だけだった。

 何があったのか問い詰めてやろうとか、優しく励ましてやろうとか、そう言った考えは、鈴の頭から吹き飛んでいった。

 無言のまま、二人は織斑少年の家に向かう。

 荷物を床に置いて、鈴がソファーに腰掛けた時、立ちっぱなしだった少年は、唐突に懺悔を始めた。

 

「────聞けよ」

 

 それは、かつての少年には似つかわしくない金切り声だった。

 

「あの日何があったのか、なんで千冬姉が負けたのか、聞けよッ!」

 

「……どうしたの(・・・・・)?」

 

 少女が面倒くさそうに胡乱げに問うと、少年は堰を切ったように話し始めた。

 

「あの負けは、俺のせいなんだッ! 俺が変な奴らに拉致られて、それを助けるために千冬姉は試合を捨てて助けに来たんだ。俺を、俺なんかを……。

 ──無価値だったッ! 付け焼き刃の技術なんかじゃ、銃には、大勢には、ISには勝てないッ!

 千冬姉が駆けつけるまで、俺は部屋の隅で、震えて待つことしかできなかったんだ……。俺なんかじゃ! ……俺なんかじゃ千冬姉みたいに強くなんてなれない──」

 

 少年が心情を吐露する。

 それを聞いた少女は、いつの間にか用意していたお茶を口に含むと、淡々と切り返した。

 

でしょうね(・・・・・)

「………は?」

「当然じゃない。そんなこと、聞く前からわかってたわよ」

 

 一服した鈴は、きゃんきゃん喚く負け犬に目を見やって話し始める。

 

「千冬さんが負けるはずなんてない。ましてや、大事な試合をサボるような人なんかじゃない。試合よりもっとずっと、大事なことがあったんでしょ。

 ──あの場所にあった千冬さんの大事なものなんて、一夏。アンタしかいないわ。

 ブリュンヒルデなんてチャチな肩書きなんかより、家族を大切にするのは当たり前よ」

 

 それにさ、と鈴は一夏の目を見つめて叱りつけた。

 

「アンタが誘拐されるのなんて、ある意味当然じゃない。将を射んと欲すればまず馬を射よ。弱点を狙う方が楽だなんて、猿でもわかるわよ。

 自分が、弱かった? 無価値だった? ハッ、アンタ新聞もテレビも見ないの?

 ── だから(・・・) ISは世界最強で、女の方が強いのよ。

 アンタがどんなに鍛えても、ISに乗れない限り(・・・・・・・・・)、アンタは弱いまんまよ」

 

 少年を罵倒した少女は立ち上がって、ツカツカと相手に歩み寄り、そのまま少年の目の前に立つ。

 精一杯背伸びをして顔と顔とを近づけて、女は男に啖呵を切った。

 

「──だから(・・・)

だから(・・・)、あたしが、ISに乗れないアンタの代わりに、仇を取って、最強になってあげるわよッ!」

 

 その時の少女の心は、六割の心配と、二割の呆れ、一割ずつの苛立ちと混沌が占めていた。

 

 

 『自反而縮。雖千万人。吾往矣』

 孟子曰く、「自らの行いを省みて正しいと思うならば、たとえ大勢の他者に否定されようとも、己が道を行くべし」と。

 好漢、英傑、修羅、外道。中国四千年に燦然と連なる綺羅星、 その多くがかの思想に沿った生き様を見せている。

 凰鈴音という女は齢十二にして、武の神域、機械乗り達の頂点、ブリュンヒルデ(世界最強)への果てなき道を、今まさに歩み始めたのだ。

 

 

 

 一割の混沌。その正体はヒロイン願望。

 それは王子様の助けを求めるお姫様(ヒロイン)なんかじゃなく。

 それは主人公の寵愛を求める攻略対象(ヒロイン)なんかじゃなく。

 それは両雄並び立つもの。比翼の鳥、連理の枝のように。

 織斑一夏(ヒーロー)に背中を預け、共に戦う凰鈴音(ヒロイン)こそを、彼女は目指すのだ。

 

 

 

 

 




師って誰だよ(困惑)

一夏君ISについて全くの無知だった説は、流石に情報社会では難しいので破棄しました。

李書文で『拳児』がよぎったあなたは僕と握手!
『Fate』が頭をよぎったあなたも僕と握手!


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巨人ころし

「忠長殿。何ぞ、投稿が遅れたのか」
「おお、青山殿。現実の戦に手間取りまして御座いますれば……」
「御託はいい、忠長殿。正直に申せ」
「成る程。お見通しでしたか。然るに、あすとりっどなるこの女。大変書き記すのが難しく──」
「──御託はいいと申したぞ。お主も心の臓を曝け出して応へるがいい」
「……実は、はめるんなる書を読み漁っておりました」
「あいわかった。皆の者、切り捨てい!」

 駿河城を訪れた上使青山大膳幸成は、はめるんなる書に記されたいくつかの小説を読み取ると、眉皺を緩めて、

「ふむ、面白い」

 と呟き、忠長のお気に入りを漁りせしめた。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──かの巨人を廃し、今の時代を終わらせなければ、と。

 

 

 

 スカンディナヴィア半島に位置する一国。

 ノルウェイの森の中。細長い湾岸から形成されるフィヨルドの上で、一人の女が跳ね回っていた。

 PICを作動させ、水上をホバーさせるように滑る女は、時折森の中に消えては、鬱蒼と茂った木々の合間をすり抜け進む。武装を全て虚空にしまい、速度を全く落とすことなく、無手で森林を滑空し続けた。

 小枝をすり抜け、藪中を突っ切り、木の幹を蹴り抜くことで強引に方向を転換しながら、女は目的地へと突き進む。彼女の通った跡には、草木や石ころが跳ね上がり、水面は通り道の軌跡を描いて、獣道と流水は一本のレールとなっていた。

 森林霧中、水面直上、絶景の風景を風切り進む打鉄。機体表面上の黒鉄模様と、水鏡から照り返された太陽光が乱反射を起こし、周囲の存在にアトランダムに突き刺さる。澄んだ水面とメタリックな金属光に倍加された陽光は、観客の目を容易く焼きつけるだろう。

 しかし、心配ご無用。此処には人っ子一人いやしない。

 それは此処が自然環境の奥深く、というのも理由の一つだ。

 それは此処が軍事施設の奥深く、というのも理由の一つだ。

 ただし、それは本筋ではない。直接的な監視がおらず、機械と計器によってのみ計測される理由。それは──

 

「────せぇいッ!」

 

 ただ単純に、危険だからだ。

 さっと武器を抜き撃ち。一閃と共に、女がステップを刻み始める。彼女のそれは、人間の本能、脳髄に干渉し、オレキシンやノルアドレナリンを過剰分泌させる危険行為だ。

 彼女の剣舞は、人外へと振るう為の理に満ちていて、それ故に域内の人間には、強いストレスを感じさせた。

 拓けた湖の中心で、アストリッドは独り、思うがままに武装を翻して踊る。IS備え付けのパワーアシストを通して、彼女の武器が空気の断層を描いて回った。

 その度に、160センチちょっとの彼女の全身は影に隠れ、一部の視点からは時折姿すらもかき消えた。アストリッドの姿を覆い隠したのは、右手に握られた彼女自身の武装だった。

 

 ──それは剣というにはあまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把過ぎた。

 それは、正に鉄塊だった。

 

 両手剣と呼ばれるカテゴリーからはあまりに逸脱したそれ(・・)は、全長二メートル越え、幅広五十センチ、厚みにして五センチ。重量二百キロを優に超える鉄塊は、最早斬撃武器の域にあらず、質量兵器に他ならない。生身の人間が使うことを露とも想定していない、狂った代物だった。

 彼女が鉄剣を一太刀振るえば、豪と世界が振動する。横薙ぎからの斬りおろし。技術を一切用いない流しの剣技でも、空気は割れ、水面は裂ける。剣圧にどかされた水原子が宙を舞い、水底の小石がぱっくりと砕けた。

 上空より降り注ぐ突発的な剣閃水飛沫の中で、女は水を滴らせて佇む。

 

 ──これはいい、実にそれっぽい(・・・・・)

 

 くつくつと声を殺して笑う女。忘我の彼方から彼女を引き起こしたのは、通信機越しのダミ声だった。

 

「アストリッドォ!! どうだぁ、そいつはぁ!!」

「うるさいよ、ゴン爺。そんなに声を荒げなくても聞こえてるって」

 

 数年かけた今でも機械慣れしていない老人に苦笑する。男と出会ってからしばらく経つが、そんなところは何一つとして変わっちゃいない。老人が機械に怒鳴りつけた後、いつもの通りなら──

 

「──もう、お爺ちゃん! いつも言ってるでしょ! そんなに大声出さなくても聞こえるってぇ!」

 

 そらきた。通信機の奥から聞こえる声に、若い女のそれが加わった。

 ぎゃーぎゃーわーわー。爺と孫娘の戯れ声をBGMに、女は右手に握った鉄塊を眼前まで掲げてじっと見つめる。

 岩盤からそのままくり抜いてきたかのような、装飾の一つもない無骨で粗雑な剣。新素材、新技術、何するものぞ! 科学の時代に逆行した、職人の髄が染み込んだ打ちっ放しの鉄剣は、さりとて彼女の好みによく馴染んだ。

 

 ──弓、槍、そして剣。そう言った武器こそが、まさしく戦乙女(ヴァルキュリア)っぽい。だから、私はそれらを使おう。

 

 趣味と適性、思い出と夢。いろんなものをペースト状にして練り込んで、一言で言えば、ただの好みだ。

 納刀。女が握り込んだ右手に力を込めると、鉄塊は剣先からきらきらと光に還って(量子化して)いく。虚空の鞘に剣を納めると、戦乙女は地上へと降り立った。

 

 アストリッドが湖のほとりに着陸して、手首の関節をぷらぷらと回して休んでいると、ようやく決着ついたのか、孫娘が女に声を掛ける。

 

「……ごめんなさぁい。アストリッドさぁん、待たせちゃってぇ」

「ええ、構わないわよエリカ」

 

 女の眼前には、通信機越しに赤面しているであろう少女の顔が浮かんだ。

 

「早速なんだけど、それで……」

「──それで、どうだったぁ、そいつぁ?」

 

 少女の通信に職人が割り込んで問いかける。

 女は男に一言返した。

 

「充分」

「そうかぁ!」

 

 女はニヤリと相貌を凶悪に歪める。きっと職人も、少女さえもそうだろう。

 女は詳しく所見を綴った。

 

「単純に、程よくデカいね。無骨で、愚直。朴訥だけど殺意に満ちてる」

「だろおぅ? 火力で叩き潰すことに全てをかけてる。余計な機能なんて付けちゃいない。お前さんのリクエスト通りよおぅ!」

 

 ジークフリードもかくやの強弓。オーディンもかくやの大槍。

 大木を歪めて、鉱石を溶かして。物語に修飾された空想上のトンデモ武装。龍を殺す武器と言われて、それを大真面目に作り上げる狂気を、職人は携えていた。

 

「それで、私がちゃぁんと、IS仕立てにチューニングしておきましたよぉ」

 

 中世の遺物を形と機能を損なわずに、インフィニット・ストラトスという最先端の戦場へとお色直しする。

 無理、無茶、無駄、無謀な技術。誰も必要としない大道芸だが、その事のみならば、少女の技量は天に迫るほどだった。

 

「それじゃ、後は私が使い熟すだけね」

 

 

 

 日本の子供が昔話を寝物語に聞くように、英国の子供がマザーグースを嗜むように。アストリッドはノルウェーに古くから伝わる神話伝承、題して北欧神話を溺愛していた。

 ──知識を追い求めるためには、字の如く身を削っても構わないと行動する主神。

 ──怪力乱神、筋骨隆々でありながら、禍々しく着飾り女装を強行した雷神。

 ──母の愛によって不死性を得ながらも、ただ一つの弱点が蟻の一穴となって倒れた光神。

 ──時に助言、時に悪略、大地を駆け巡った神謀が、世界終焉の引き金となった悪神。

 善悪問わず、混沌秩序、悲喜交々な登場神物たち。単純な勧善懲悪ではない、一重二重と積み重なった世界観。多神教特有の人間らしさに彩られた神々は、人間らしかったが故に、幼き少女の心を魅了した。

 

「私、大きくなったら、ヴァルキュリアになる!」

 

 多種多様な神々の中でも、彼女がとりわけ惹かれたのは、死の先に待つ戦乙女だった。

 それはまだ、ヴァルキュリアの名になんの含みもない、機械鎧が出回る前の話だった。

 歪みなど存在しない、平和な時代だった。

 

 

 アストリッド、十六歳の夏休み。

 両親の枕元で眠るのはとうの昔に卒業しつつも、幼き憧憬を今も胸に携えて。アストリッドはいつもの様に惰眠を貪っていた。

 さもありなん、時間は未だ明朝五時前。いくら田舎育ちの彼女といっても、動き始めるにはいささか辛い時間だ。そもそも彼女は朝が弱い。子供の頃から遅起きとして母親を困らせてきた。

 一年前のこの時期もそうだった。一ヶ月前も一週間前もそうだった。無論、昨日も目覚めたのは七時手前だった。きっと明日もそうだろう。

 だが、その日ばかりは定跡を外れていた。

 

 突如として、ジュゥィィィーーーンと機械が軋む音が、夢の中で微睡む少女に襲いかかった。

 

「────!? ぬべらっ!?」

 

 突然の大音量にアストリッドは叩き起こされ、ベッドから滑り落ちる。

 木の床に腰を強かに打ち付けて悶絶する少女。彼女の耳には、続けて警報音が家の外から鳴り響いた。

 それは聞き覚えこそあるものの、真っ当な使い方など想定していなかったもの。

 つまりは避難警報の音だった。

 

 即断実行。

 水道の水で目尻を濡らしたアストリッドは、パジャマの上に衣類を羽織り、身だしなみもそこそこに屋外に飛び出る。

 家の外に出た彼女は、周囲の風景を見渡しながら、近場の避難所である集会場へと向かった。

 

 ──? 火事じゃない。土砂崩れ? いや、雨も降ってない……。

 

 彼女の家の車両でできた轍を踏みつけながら、少女はあたりに目を凝らし、脳を回す。

 

 ──地震? 多分違う。私には分からなかったし、そんなことがあるなんて聞いたこともない。

 

 彼女の周囲に広がるのは、いつもと変わらぬ牧歌的な故郷。朝日に照らされた緑草は青々と輝いている。

 だからこそ(・・・・・)、不安だ。

 彼女の眼前には、何の異常も見当たらない。それはつまり、彼女の知らないところで、彼女の知らないナニカ(・・・)が蠢いているのでは──?

 漠然とした無知は、負の方向へと思考を巡らせる。

 

「──アストリッド!」

 

 不安に駆られた少女の名を呼んだのは、作業着姿の男女。アストリッドの両親だった。

 朝っぱらから牛舎で作業をしていただろう二人の衣服は汗と土で少々汚れ、清掃を終えたばかりだったのか、鼻をつくような牛糞の臭いが漂っている。

 いつもならしかめっ面の一つでも浮かべるところだが、その時アストリッドは、普段と変わらぬ両親の姿にひどく安心した。

 

「──父さん! 母さん!」

 

 声を上げて、アストリッドは両親の元に向かう。買ったばかりのスニーカーが、土に塗れて赤黒く染まった。

 

「父さん、一体全体何があったの?」

「さぁな。父さんたちにも正直わからん。役所の連中なら、何か知ってるだろうが……」

「それより、二人とも。早く行きましょう?」

 

 再開の喜びもそこそこに、家族は避難場所へと足を進める。幾分か軽やかな足取りだった。

 

 

 集会場に近づくにつれ、人の数がぽつぽつと増えてきた。決して広いとは言えない田舎暮らし。顔なじみばかりがそこかしこに所在なさげになっていた。誰もかれもが、顔に不安を浮かべていた。

 そんな中に、アストリッドは見覚えのある栗毛色の髪を見つける。嬉しそうに駆け寄った少女は、後ろから話しかけた。

 

「おはよー、シル!」

「……」

 

 返事がない。

 

「どうしたの? 何かあった? というか何があったの?」

「……」

 

 返事がない。

 たまらずアストリッドは、友人の正面に回り込む。

 シルと呼ばれた友人は、携帯端末を握りしめて震えていた。

 

「……本当に、何があったの?」

「──に、なるかもしれない」

「──え?」

「だから、ひょっとしたら! 戦争になるかもしれない!」

 

 その声は、朝霧の中で響き渡った。

 

 騒めく周囲をよそに、アストリッドはシルの横から、携帯端末の画面を覗き見る。それは映画の一幕のような、けれども実際に行われているニュースの生中継だった。

 ノルウェイ政府を含む、世界同時多発的な、大陸間弾道ミサイルの発射。世界の誰もが予期し得ないままに、唐突に第三次大戦への導火線に火がつけられたのだ。

 明朝の警報も恐らくそのせいだろう。ミサイルの発射先が全て極東だから恐らく安全だが、さりとて絶対ではない。

 アストリッドは、不安そうにする友人の背中を撫でてあげた。そうすれば、少女自身の不安も、多少は紛れる気がした。

 

 誰もかれもが、ニュースの報道を食い破らんばかりに見つめている。

 どれ程の時間が経っただろうか。ニュースに進展があった。

 ミサイルは奇跡的に、その全てが日本領海上で迎撃され、死傷者どころか負傷者でさえ一人たりとも存在しないという。

 そんな正確無比な情報が、犯行声明に糊付けされて、全世界の電波に乗せられていた。

 

 兎耳を付けたロリータファッションの少女が嘲るように嗤って説明を始める。

 曰く、全世界のミサイルを発射したのは自分だ。

 曰く、自分の子飼いの剣客によって、全て斬り伏せたから安心していい。

 曰く、剣客が纏った鎧は、既存の技術体系に属さない異端技術によって造られている。

 曰く、かの異端技術の結晶は、女性にしか扱えない。そしてこれを世界にばら撒こう。

 

「──なんだ、それは」

 

 アストリッドの口から漏れ出たのは、陳腐にもほどがある言葉だった。

 比喩抜きで世界を滅ぼすことのできる女がいる。女のもたらした技術体系は、歪んだ差別を生み出すことが目に見えている。何より女はそのことになんら痛痒を抱いてはいない!

 これから先、平和だった世の中は、激動へと巻き込まれるだろう。

 まさしくこの瞬間、世界の関節が外れてしまった。

 兎耳の道化師が、悪戯に角笛を吹き荒らした瞬間だった。

 アストリッドは、混乱した頭で、それでもどうにかしたい(・・・・・・・)と決意した。

 

 

 

「それじゃ、後は私が使い熟すだけね」

 

 アストリッドの技量は、正道から道を踏み外し過ぎている。普遍的で最優たる銃器の類を切り捨て、格闘戦に優れたコンバットナイフを切り捨て。仮に達人どもの対人戦に混ざったならば、結果はゆうに見えている。

 だが、そもそもIS戦闘は対人戦なのか?

 目には目を、歯には歯を、化け物には化け物を。適材適所。

 ISという人間サイズで人間の形をした怪物と戦うにあたって、既存の武器、既存の技術は必ずしも最適解とはなり得ない。

 アストリッドの仮想敵は──。

 

「そういやよぉ。儂らぁ、まだそいつの名前を決めちゃぁいないんだが。なんかいい名前、あるかぁ?」

「……ふぅむ。そうだね。どんな感じの名前がいい?」

「頭の中にぱぁっと浮かんだイメージを、そのまま名前にすればいいんですよぉ」

 

 アストリッドの、ヴァルキュリアの仮想敵は巨人。人間大に押し込められた、機械鎧の巨神兵。

 なればこそ──

 

「──うん。わかった。

 なら、この剣の名前は『巨人ころし』にしましょう」

 

 

 

 彼女はあの日、巨人の蛮行を目撃した。

 彼女に相対する巨人は、人類史が束ねた(・・・)集合知、その肩の上に立ったよりも更に高くに聳え立った叡智の巨人。

 彼女はいずれ来たる終焉を食い止めることを望んでいる。

 彼女の目標は、文字通りの巨人殺し、ジャイアント・キリング。世界を灼き尽くさんとする天災(巨人)を、滅して鎮めることだ。

 

 ノルウェイ代表、奇剣使い。

 巨人殺しのアストリッド。

 




人物評は作中人物によるものです。必ずしも真実とは限りません。

難産。組み込もうとしたエピソード数と文字数がかみ合わない。
というかこれから先皆難産。設定が初期に組み上がった連中なのに……。


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戦慄女王の剣

IS感薄め。
タイトルから何からリスペクト回。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──刀一本だなんて、ロックだねぇ、と。

 

 

 

「LA────♪」

 

 場末のライブハウスで、音楽が奏でられる。ベーシストの調律の元、ドラムが激しく乱れ、かき鳴らす。ギターの音に乗せて、ボーカルの女が気炎を上げた。

 彼女達は今はまだ無名の、けれども才能の萌芽を感じさせる新進気鋭のロックバンド。

 

「────♪」

 

 舞台の熱狂に合わせて、ボーカルの女はマイクスタンドの底部を蹴り上げた。ステージに備え付けられたスタンドマイク。ろくに手入れもされていない老朽化したそれは、たまらず悲鳴をあげ、接着面を残して捻れ折れる。金属棒が跳ね上がり、断面は光を反射して各々の目を刺した。

 突発的なアクシデント。ドラムの手が一瞬止まり、ベーシストはハッと息を飲む。

 だが、ボーカルは止まらず歌い続ける。

 ギターの女がさりげなく近寄り、小声で「大丈夫?」と問いかける。返答はない。ボーカルの女はより一層声を張りあげることで無事と続行をアピールした。

 機材破損。だがそれがいい(・・・・・・・)。程よく肖っている。

 女はマイクスタンドを激しく動かし、集音器に顔を近づけて高らかに歌い上げる。

 ボーカル女の破天荒さを知っているバンドメンバー達は、一つ苦笑を漏らして演奏を続けた。

 

 ライトアップされた会場の中で、女達は勇猛に、静謐に、壮観に、楽しげに歌う。

 一曲二曲と歌い終えて、数十分のパフォーマンスも遂に終わりを迎えようとしてた。

 ラストナンバーの演奏の前の小休止。地面に置かれたボトルを煽って喉を潤した女は、「皆に行っておくことがあるッ!」と声を張り上げた。

 

「悪いなー! 皆ッ! (あたし)たちのライブは今日をもってしばらくお休みだ!」

 

 観客達は今までとは違った方向にざわめき始める。熱狂的な追っかけの女が、身を乗り出して金切り声をあげる。

 

「冗談でしょう!? メアリーッ! まさか活動終了なんて言わないでしょうねッ!?」

 

 ファンの悲鳴を拾い上げたボーカルは、女の方に目を向けると、少しはにかんで答えた。

 

「ごめんなハニーッ! 私にちょっとばかし、お上から仕事が来ちまった。解散なんてしない! 少しの間、充電するだけさッ!」

 

 興奮と羞恥で顔を赤らめる女をよそに、ボーカルは言葉を続ける。

 

「オーラィ、目先のことなんて後後、まだ今日のライブは終わっちゃぁいないさッ! これが充電前最後のナンバー、思いっきり発散していこうッ!」

 

 ドラマーがスティックを叩きあわせて拍を刻む。

 観客達は此処一番の盛り上がりを見せた。

 

 

 ラストナンバーを歌い上げる。

 観客と演者が一体となって歌うそれは、祭りの締めに相応しい楽曲だった。

 熱狂冷めあがらぬ中、ライブが終わって、観客が舞台上の女達に声援を投げかける。

 

「よかったぞ!」

「次のライブはいつなんだ!?」

「なぁ、メアリー。あんたの仕事ってやっぱり──」

 

 賞賛の声の中、ボーカルの女が右腕を振り上げる。ステージ上を端から端まで駆け回った後、中央に戻った女は、マイクに口を寄せて話し始めた。

 

「応援ありがとーッ! 次のライブはまたいつか、予定は未定だ!

 ……おっと、そこのお兄さん方、関係者かい? 乙女のプライベートをあんまり言いふらすもんじゃないぜ、手が後ろに回っちまうかもな」

 

 ウインクをパチリと落として女は告げる。

 冗談めかした台詞だが、その言葉がまぎれもない真実だということを、観客達は誰も知らない。

 左手で頭をガシガシと掻き、まあいいやと一言こぼすと、女は「まぁ、せっかくだし身の上話ってやつでもしようかなッ!」と語った。

 

「仕事について、詳しく話すことはできないが、それっぽいことを話してみよう」

「なぁ、皆! 最近女が偉いだの、男が劣ってるだの煩わしくないか!? 性別を傘に来て偉ぶってるアバズレどもを、何も変わっちゃあいないのにおどおどしている玉なしどもを見ていて虫酸が走らないか!?」

 

 切り込み一閃。観客達は、ハッと目を瞬かせる。

 今は女尊男卑の時代。男尊女卑の時代から、男女平等を通り越して先に進んだ時代の過渡期。

 体制に反逆して、新しい価値観を持ち込む姿勢。それ自体は実にロックな姿だったが、内容そのものが果てしなく、ダサかった。

 「差別は良くない」という常識の元で育った若者達。テレビや映画にも人種問わず出演する世の中において、今の世間の風潮は、方向性こそ違えど旧態依然とした昔々に逆行するようなものに他ならなかった。

 賛同の声が上がる会場で、女は持論を語り出す。

 

「そうだろう? 私は何も全部が嫌いってわけじゃない。篠ノ之博士なんて最高にファンキーでクールだと思うぜ。アリスの格好だってかなりイカしてる。私もキャロルはガキの頃に読んでたからわかるさ。

 ……何? どうせお前には似合わない? 馬鹿野郎、目薬ちゃんと差してこいッ!」

 

 ギターの女が入れた茶々に、ボーカルはツッコミを返す。

 舞台上の戯れに、笑いが巻き起こった。

 

「えぇと、あぁ、どこまで話したか。そうそう、篠ノ之博士がすげぇロックンローラーってことだったか? まぁそういうわけで、私自身ISに思うところは特にない。だが、女尊男卑なんて考え方には、女の私がいうのもなんだが、言いたいことがいくつかある。時間がかかるから一言で言うなら……。

 ──クソだね、あんなもんッ!」

 

 言い切った。

 世界の誰もが慢性的に抱えつつも、空気感に押されて言えない言葉を女はマイクに乗せて、朗々と謳いあげた。

 

「女はISに乗れるから偉いぃ? 生物的に女の方が優生ぃ? ハッ、テメーの脳味噌にはハギスでも詰まってんのかよッ!?

 ──おおっと、こりゃ失礼。そこのハニー、スコッツの生まれか? ハギスが美味しいってんならそりゃお嬢ちゃんのママが神業シェフってだけのことよ。紹介してくれ、言い値で雇ってやる」

「余談はさておき、だ。ヤク中論者どものラリっぷりにはまだまだ言い足りないことがあるが、皆が餓死っちまうだろうから今日はこの辺にしておこう。

 色々とムカつくが、一つだけどうしても我慢ならないことがある。何より、そう何よりだ」

 

 女はマイクから口を遠ざけると、息を深く吸い込んで吐き出した。

 

「──何よりッ! 私たちの親愛なる女王陛下に訳知り顔で同意を求める馬鹿どもに、何か思うところはないかッ!? ユニオンジャックがそんなクソどもの旗印として扱われていることをどう思うッ!?」

 

 ふざけるなッ! ──男が手を挙げて怒る。

 冗談じゃない! ──女もボーカルの意見に同意した。

 

 イギリスは今、国際世論において、「女王を戴く先進国」、「女尊男卑の急先鋒」としてのリーダーシップを発揮することを半ば求められていた。女王自らがそのような言動をしていないのにもかかわらず、だ。

 イギリスの国民達は、慣習からなる考えかたと、ノブレス・オブリージュを体現する女性の振る舞いもあいまって、自国の君主を深く愛していた。

 だからこそ、女王が高々政治思想の──それも共感しにくく古臭いそれの──出汁に使われ、海外の自称(・・)フェミニストどもに軽んじられる事に、皆苛立っていた。

 質の異なる熱狂が巻き起こるクラブハウス。ボーカルの女は、人々の意見を手早くまとめあげ、収集をつける。

 

「オーケー! よくわかったッ! それならこの(わたくし)自ら、偉大なる女王陛下の剣として、世界にユニオンジャックを翻して来てやるよッ! そいつが今回の仕事の一つだ、見かけたら応援よろしくなッ!」

 

 

 

「お疲れ様です。メアリー」

「悪いな。デリラさん。私たちの趣味に付き合わせちゃって」

 

 数時間後、ライブハウスの舞台裏。

 資材置き場の片隅で、バンドメンバーが休んでいる中、ボーカルを一人の女が訪ねていた。

 黒スーツを纏ったその女には、ライブハウスで管を巻く姿が絶望的なまでに似合わない。シティを風切って歩き、金融取引に精を出す姿こそが適切だろう。

 そんな女がわざわざ場末のライブハウスに訪れたのは、偏にボーカルの女とスーツの女が、すこぶる古い(・・)仲だったからだ。

 

「別にいいですよ、それくらい。趣味くらいで文句は言いません。友達(・・)なんですよね? 私たち?」

「あー、よしてくれ、デリラさん。若気の至りだ。おしめの世話までしてもらった人に言うべき言葉じゃ無かった。勘弁してくれ……」

 

 加齢によって顔中に刻まれた小皺を歪めて、くすくすと笑って揶揄う黒スーツの女に、ボーカルの女は辟易として返す。

 ボーカルの女が思春期の頃に失敗して以来、そのことは常に揶揄いのネタだった。

 談笑に耽りながらも、黒スーツの女は甲斐甲斐しくメアリーの世話を焼く。

 汗を拭き、化粧を手早く落とし、スキンケアを最速で済ませ、仕上げとばかりにライブ衣装から私服へと着替えさせる。

 

「それでは行きましょうか、メアリーお嬢様(・・・)

「ええ、デリラ。行きましょう」

 

 ライブ会場を、一組の主従が立ち去っていた。

 

 

 

 メアリーは騎士の男を源流に持つ、世襲貴族のお嬢様だ。

 現当主は上院に席を持ち、イギリス王室の覚えもいい。先祖代々、長きにわたって莫大な土地を管理してきたその家は、戦後間も無くの緊縮政策にも耐え切って、今では不動産や株式を転がして儲ける金策上手だった。

 貴族の家名として、オルコット家と共に真っ先に挙げられるほどの家柄。上流階級に生まれて、何不自由なく生きていくことができるはずだったが、それでもメアリーは昔から窮屈な思いをしていた。

 家族が嫌いなわけでも、家の事業が嫌いなわけでもない。だが、「型に嵌められる」という感覚そのものが、少女の精神を締め付ける。

 

 お嬢様らしく過ごせと家庭教師は言う──それは「私」じゃなくて、顔のない「お嬢様」の生き方だ!

 慎ましく生きよと周囲の賢人達は言う──私はそんなつまらない生き方をしたいんじゃない!

 

 女王に仕える騎士としての生き方。家訓に概ね同意しながらも、煮え切らない抑圧感を抱える少女。

 メアリーの価値観に風穴を開けたのは、世界常識をものともしない天災主従だった。

 ミサイルの飛び交う映像を背景に、児童書から抜け出てきた少女は活き活きと笑う。彼女は、ともすれば世界中の誰よりも、自由な人間だった。

 博士の傍で仕える騎士は、寡黙にミサイルを斬り払う。彼女の知っている、理想の騎士がそこにはいた。

 ──カッコいい。幼心に、少女は彼女達に惚れ込んだ。

 

 そして彼女の方向性を決定付けたのは、ラジオのビルボードチャートから流れる一曲の歌だった。

 足音と手拍子という、環境音から始まる音楽は、ミュージカルや賛美歌といった、形式張った音楽にばかり触れてきた少女にとって、酷く新鮮で、思わず体が釣られて動き出す。

 それは、子供が、若者が、老人が、薄汚れた顔つきで、されども楽しげに歌い上げる協調の歌。彼らは電波越しの少女に向かって問いかける。

 

「俺たちはロックだろう? さあ、お前も歌えよ!」

 

「──ええ、そうね。私も世界を、アッと言わせて見せるわ」

 

 少女はドレスを翻し、自分の部屋を飛び出した。目的地は二つ。

 一つは、貴族階級向けに公募されていた、ISの選考会への応募。

 そしてもう一つは、

 

「──すみません、初心者向けの楽器って、何かありませんか?」

 

 細々と営業を続けてきた、街の楽器屋さんだ。

 

 

 

 話を現代に戻して。

 黒スーツの女の運転の元、ライブハウスから自宅に帰宅した女は、ロールス・ロイスから降り立ったその足で自室へと向かう。

 貴族としての責務、書類仕事を果たさねばなるまい。

 愚にもつかない男達からの、彼女の家柄へ向けたラブコール。実入りが少ないそれらに、女は丁重にお断りを入れる。

 ロンドン金融街からの、彼女の預金へと向けたラブコール。投資信託は専門家を噛ませたい、女は結論を出さず、書類を保留する。

 親愛なるオルコット家御令嬢からの、メアリー自身へ向けたラブコール。舞踏会(・・・)のお誘い。メアリーは少し前に行われた舞踏会(・・・)を思い出した。

 

 王家が所有するアリーナにて向かい合ったのは、国の行く末を左右する大貴族の娘二人。

 空を飛ぶ少女が纏っているのは、天上から滴り落ちた雫をそのまま加工したかのような、オーダーメイドの蒼き衣。その手に携えたのは、どこか英国面を感じさせる最新先鋭の光学兵器。

 地を這う少女が身につけたのは、二束三文のレディメイド。だがしかし、極東の騎士も身につけるそれは、質実剛健を鎧に落とし込んだような代物だ。両の手で握りしめたのも、なんの変哲も無いブロードソードとバックラー。剣盾鎧の三つの装備は、騎士に伝わる由緒正しき戦備え。

 共に一時代を築き上げた英国の象徴をその身に宿した少女達。

 ブザーと共に、少女達は一気呵成に斬りつけた(撃ち放った)

 

 当時を振り返って、女は思う。

 

 ──互いにカウンター主体の理論派が先手を取り合っちゃあ、世話ねぇわな。

 

 15世紀のイタリア人が、「武術とはすなわち幾何学である」と言い放って以来、ヨーロッパ武術は論理法則によって成り立っている。相手の数式を解き明かし、環境要因の変数を入力することで、カウンターという最適解を導き出す。ただ斬りつけるだけの蛮族では、肉体的優位が取れない相手には決して勝てない。

 王国騎士剣術も、英国式銃撃メソッドも、源流は一つの同じものだ。剣と銃と言う差はあれど、本質的にはミラーマッチのようなものだった。

 畑違いの同門との戦いはひどくそそる、そそるが、時期が悪い。遠距離兵装との戦いは、将来的には必要不可欠ではあるものの直近的には寧ろ害悪だ。遠距離攻撃が来るかもしれない、と言う制約式は、女の動きを阻害する可能性が非常に高い。

 断腸の思いで、メアリーは丁重にお断りを入れる。今は若干差別的な気質もあるが、メアリーにとってオルコット家御令嬢は大切な友人の一人だった。

 

 最後に見えたのは、国が彼女へ投げかけた、近接戦闘巧者達との乱取りのお誘い。即断即決、メアリーは参加のサインを施す。

 

 全ての書類の面倒をみた後、メアリーは従者に書類の一切を渡した。

 最後に記した手紙をみて、デリラは心配げに主人に尋ねる。

 

「お嬢様。大変失礼ではございますが、実際のところ、私たちは勝てるのでしょうか?」

 

 不安そうな従者の問いかけに、お嬢様はからりと笑って答えた。

 

「心配すんなよ、デリラ。ハッ、お上品にとはいかないだろうがね。世の中のファッキンどもが足りねぇ頭でわかるように、脳味噌を月まで──いいや、水星(マーキュリー)までかっ飛ばしてやるよ。

 ──(あたし)たちがチャンピオンだってことをさ」

「お嬢様、口調、口調」

「……あっ。うふふ、さてなんのことかしら? (わたくし)何か言いまして?」

 

 

 

 彼女は由緒正しき、貴族の生まれの女だ。

 彼女は鬱屈した時代に風穴をあける、一人のロックシンガーだ。

 彼女は剣と盾を構えて戦う、勇敢な騎士の末裔だ。

 彼女は結局のところ、ユニオンジャックに忠誠を誓った、偉大なる女王陛下の剣にほかならない。

 

 イギリス代表、女王の剣。

 旋律のメアリー




セイバーリスペクトの騎士王√とシド・ヴィシャスリスペクトのヤク中√。
選ばれたのは折衷案の戦慄の女王√でした。設定を足すのは簡単でも引くのは難しい。

歌詞は問題ないと思いますが、不備があった場合、ご指摘頂けると幸いです。


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齢五百万の若虎

セルフオマージュ。
虎よ! 虎よ!


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──あいつ、怖い! だから(・・・)喰いたい! と。

 

 

 

 パキスタンの国家代表候補生は、その日、未知の状況に直面していた。

 彼女のIS稼働時間は、ゆうに数千時間にも及ぶ。業界の中でもまずまずと言っていい経験だった。

 この練習時間は、世の一流スポーツ選手から見てみれば、噴飯ものだろう。とあるアメリカのジャーナリストは、「一流の人間として成功するには、実に一万時間の積み重ねが必要だ」と、俗に「一万時間の法則」と呼ばれる法則を提唱した。それに従えば、彼女を含めたIS乗りの多くは、未だ道半ばにさえ至っていない。

 しかし、それは致し方のないことだ。練習時間の少ない理由は、偏にISコアの尋常ならざる希少性に起因する。

 ISコアの総数は、世界に僅かに五百に満たない数しか存在しない。単純に国の数で割ったとしても、一つの国に二つか三つが関の山だ。そこからさらに、IS学園といったIS委員会保有のものや、企業所有の研究道具、表舞台の闇から闇に消えた代物を母数からさっ引くと、実際の流通数はさらに少ないだろう。

 国家間のパワーバランスもあいまってか、日本やアメリカのようなIS先進国を除いて、ISコアを複数個保有している国はほとんどない。事実、パキスタンのような途上国の多くが、国会としてISコアを僅かに一つしか持たない。

 環境的特異点たるIS学園への入学を、国外のVIP達が望むのも宜なるかな。ISを動かし得るチケットは、新年をウィーンフィルの管弦演奏を聴く権利と比べてもなお、勝るとも劣らない価値を持っている。

 パキスタンの選手は、正選手と後輩の三人で一つのISを使い倒していた。日常の中にISの練習を織り込むのではなく、ISの稼働スケジュールに合わせて、日常の段取りを組む。ISを動かす八時間がベストコンディションとなるように、明朝だろうが深夜だろうが、生活のリズムをそっくりそのままずらして暮らす。

 そういった涙ぐましい努力を積み重ねてIS軌道に習熟し、海外の経験者達からIS戦闘のイロハを学び、彼女はひとかどのISライダーになったのだ。

 そうして臨んだのが、さる第二回モンド・グロッソの拡張大会予選。南アジア代表というただ一枠を求めて、近隣諸国が文字通り潰し合う。

 モンド・グロッソに匹敵する大会。これは多くのIS途上国にとって、大きなチャンスだ。今の世の中は蛮族の時代、英雄の時代。IS戦闘で強い国、ひいては無双の選手というのは、それだけで強力な外交カードとなりうる。大会でいい成績を残しさえすれば、発言権が大きく増して、ISコアを引っ張ってくることができる。IS環境が向上さえすれば、ますます強くなることができる。富国強兵のインフレーションが巻き起こるのだ。

 近接武器に絞った大会ルールは、イギリスのような遠距離兵装主体の国家を締め出し、飛行禁止というレギュレーションはすべてのIS乗りに平等に枷をはめる。レーザー銃や空間停止兵器のような、トンデモ装備は使うことができない以上、比べるのは科学技術力ではなく生身の人間の技量。この大会を置いて、途上国がのし上がる可能性は残されていなかった。

 この日のために、国家プロジェクトとして、彼女達はありとあらゆる対策を重ねてきた。

 対戦相手のデータ収集はもちろん、モンド・グロッソ等の過去のIS戦闘を分析し、間合い毎に適した戦術補正をISコアの補正コンピュータに叩き込む。生身でも近接武器と戦えるように、国の中から有数の使い手を探し出して、鍛錬を施させる。

 副選手だった彼女がこの日参戦するのは、予選大会までの完成度が、早熟な彼女の方が高かったという主な理由のほかにも、正選手のデータを秘匿するという隠れた策略のせいでもあった。

 対戦相手国であるインドの情報も仕入れてある。人数こそ多いものの、パッとした選手は一人もおらず、流動的に多くのぽっと出が戦っている。その様子では、基礎的な習熟度は比べるまでもない。事前予想では、格下とされる国だった。

 人事を尽くし、天運もいい……はず。まさしく万全。

 でも、だからこそ────目の前の対戦相手は、ありとあらゆる定跡からしてみれば、まさしく埒外のものだった。

 

「Grrrr──────」

 

 彼女の目の前の敵は、四つ脚で地面を捉え、唸り声をあげていて。

 それはまさに獣のようだった。

 

 

 

 IS元年。白騎士事件が世界を揺らす中で、一つのニュースがお茶の間を賑わせた。

 舞台はインド。マナス国立公園の密林の奥深く。

 発見されたのは、当時十歳程度の少女。しかしてただの迷子と思うなかれ。

 ──その少女、虎に育てられ、生きてきたという。

 

 これは、その少女とやがて「家族」になる夫婦のお話。

 1930年代の初め、インドがまだ英国の一領土だった頃のこと。

 二人のイギリス人男女が、インドの地で産まれた。大戦直後の激動の時代において、彼らは帝国(インド)で出会い、共和国(インド)で結婚し、王国(イギリス)で生活を営む、と三つの体制を駆け抜けた、実に奇妙な生涯を送ってきた。子供も既に皆自分たちの家から巣立った後で、楽しみといえば、孫達を可愛がることくらい。老境に差し掛かった彼らは、ブリテン島にて和やかな余生を送っていたが、ひとつだけ思い悩むことがあった。

 それは、自分たちのもう一つの故郷である、インドの地でもう一度だけ暮らしてみたい、という思いである。彼らのアイデンティティはユニオンジャックの下にあったが、まぶたの裏の原風景は、英国から遥か遠く、アッサムを貫くブラムプトラ河の流れに揺蕩っていたのだった。

 ラジオを聴きながら、過去のアルバムを眺めて過ごす。孫達に教えてもらったパソコンを弄っては、インドの風景をデスクトップに掲げる。誰が見ても、未練が丸わかりだった。

 

 変わらぬ暮らしを続けながらも、どこか心ここに在らず、そんな鬱屈した日々を過ごしていたある日。

 息子の一人が、話があると言って自宅を訪れたのを、夫婦は揃って歓迎した時のことだった。

 久しぶりの滞在に気を良くした老婆は、腕を振るって様々な郷土料理を作る。

 老爺と息子は、酒を酌み交わし、料理を摘み、近況を語り合った。

 孫娘の事、老夫婦の生活のこと、最近の世相のこと。

 そんなおり、話は息子の仕事のことへと移った。息子は貿易系の仕事に携わっていて、だからこそ、彼は両親に対して切り出した。

 

「なぁ、親父。お袋。……インド、行かないか?」

「────」

「実は俺、長期の出張が決まってさ、あっちの方に滞在しなきゃならないんだよね。子供達は置いて行くにしても、一人だと色々心配だってウチのカミさんが言うんだよ。一体全体、何がそんなに心配なんだか」

「──お前、私たちのために……?」

「違うさ。栄転だよ、栄転。海外支社でキャリア積まないと、うちは出世できない構造なの。

 ──二人がよければ一緒に連れて行くけれど、どうする?」

 

 数日後、老夫婦は航空機のチケットを予約した。

 

 実に五十年ぶりに訪れたインドの地は、都市部こそかつてとは様変わりしてきたものの、辺境に移るにつれて、時間が止まったような風景を見せつけてくれた。

 息子の案内に従って、大きな不動産屋の門を叩いた老夫婦。

 どこか不安になって、「ちゃんと話を通してあるのか? 空いている家はあるのか?」と問えば、「なぁに、すでに渡りをつけてあるさ」と息子が返す。

 その事はズバリ真実で、彼ら三人は不動産屋のスタッフから歓待を受ける。聞けば、息子が勤める会社の子会社に近い存在で、社員として優遇してくれるとのこと。

 話もそこそこに、条件を詰めた彼らは車に揺られて郊外へと赴く。

 しばらくしてたどり着いたのは、近隣の街から離れて車で十数分後のこと。アッサムの草原の中に、ポツンと佇む一軒のこじんまりとした煉瓦造りの家。マナス国立公園にほど近いそこは、自然に溢れていて、老夫婦のオーダーに即したものだった。

 家の中には家財道具の一式も揃っており、今日からでも住むことが可能とのこと。

 

「どう? この家? 俺は仕事場に泊り込むことも多くなるだろうから、二人で自由に使っていいよ」

 

 車で立ち去る息子の後ろ姿を見て、老爺は「……馬鹿め」と呟いた。

 

 それから数ヶ月が過ぎ。彼らはすっかりかつての自分達を取り戻していた。ロンドンと比べて肉体を動かす機会も格段に多く、錆び付いた体はみるみる健康になっていく。

 そんないつかのこと。丸い月が浮かんだ夜の日。

 ベッドの上で寝ていた老婆は、家のどこかでガタガタと物音がするのを耳にした。

 断続的に続く物音。すわ強盗かと不安になった老婆は、隣で寝ていた夫をゆり起こす。

 

「……あなた、あなた」

「………………んんぅ。どうしたんだ、一体?」

「何か変な音がするんだけど、見てきてくれない?」

 

 そうして彼らが目撃したのが、食糧庫を漁る、獣のような全裸の少女だった。

 

 数日ごとに、少女は老夫婦の家を襲撃した。

 あいも変わらず夜中に忍び込み、食料を食べ去っていく。声をかければ脱兎のごとく逃げ出し、思い切って手を伸ばせば噛み付こうと歯を剥いて唸り声を上げる。

 だが、それでも改善された点もあった。

 当初は袋に入った生肉をそのまま食べていた少女だったが、今では皿に乗せられた焼いた肉を食べる。手掴みで食べることと、おかわりを求めて付近を漁るのは要練習だろう。

 物陰から彼女の様子を覗いていた老夫婦は、少女の様子を見て、クスクスと顔を見合わせて笑った。

 

 そんな奇妙な交流が、一年にもわたって続いた。

 

「ヘレン! ご飯よー!」

「──うぅ、ああ、お、はよう! おば、あちゃん! にく!」

「肉じゃなくて、ご飯といいなさい──はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 

 老夫婦が驚いたことの一つとして、ヘレンと名付けられた少女が、非常に頭が良かったことが挙げられる。初めに聞いた単語はなんだったか、観察に勤しむ老夫婦に近づきてきたヘレンは、徐に老夫婦に言葉(・・)を投げかけてきたことから、夫婦の会話を聞き取った少女が、それを覚えていたことが発覚した。

 それだけでなく、時折人間らしい所作も発揮するようになり、暖炉の火や刃物といったものも怖がらなくなっている。彼女の足取りもよくよく観察してみると、家からほど近い場所に縄張りを移していて、殆ど同居しているようなものだった。

 長らく過ごして情が湧いたのか、あるいは単に子供を可愛がる気質だったのか、老夫婦はヘレンの面倒を甲斐甲斐しく見てあげていた。

 食事を与え、服を与え、住処に手を入れ、言葉を教え込む。

 ヘレン自身もそれを受け入れ、彼らの元で人間のように(・・・)振る舞った。

 

 気がかりだったのは、一年前と比べて、栄養価の高いものを食べて、体も大きくなっているというのに、時折辛そうな表情を浮かべていることだった。

 

 ヘレンの調子が悪い。

 心配した老夫婦が、事情を話して馴染みの医者に診せると、医者は淡々と診断した。

 

「肉体的には問題ありません。心因性の病でしょう」

 

 呆然とする老夫婦をよそに、医者は続ける。

 

「元々ストレスだったんでしょう。ヘレンさんにとって、人間社会に適応するとはまさしく檻の中に入れられたようなものです。今の環境は、あまりいいとは言えないのかもしれません」

「……それでは、あの子を森に還さなければならないということですか? いくら今まで過ごせていたと言っても、それはただの奇跡なんですよ? 今のヘレンが無事でいられる保証なんて、どこにもないでしょうッ!?」

 

 思わず医者の胸ぐらに手を伸ばす老爺。ハッとして押しとどめ、「すまない」と声を漏らして深くうなだれる。

 医者は彼に、まだ方法は残されています、と提案した。

 

「──大変失礼な例えなのですが、動物園の虎だって、檻の中に押し込められていたとしても、健康に過ごせています」

「それは、つまり……?」

「ええ、彼らの方策を真似しましょう。適切に運動させてあげるのです。できれば彼女が虎だった頃のような──」

 

 医者の話を聞いて、老爺の脳裏を駆け巡ったのは一つのことだった。

 それは、現代という文明社会において、唯一許された暴力行為。相手の息の根を止める暴挙と、絶対安全の謳い文句が同居する奇妙な舞台。密林の王者たる彼女にふさわしい狩りの対象、上質な「獲物」が現れる狩場。

 ──つまりはIS戦闘である。

 

 

 

 近隣諸国の代表がこぞって参加した選抜大会。多種多様な戦術が飛び交うそこでも、ヘレンの狩りは異様だった。

 ISによる戦闘では、あらゆる攻撃にシールドに対するダメージ判定が生まれている。それ故に、様々な特殊兵装を用いたとしても、原理上シールドを削ることが可能だ。とはいえ、殆どの選手は、近接武器を用いるが、あるいは単に銃器を使うだろう。一部の変り種が徒手格闘に拘って暴れ倒すくらいだ。

 当然ながら、ISは科学の極致、人間が人間と戦うための機械鎧に他ならない。牛刀で鶏を捌かないように、ISを用途外に用いることは、希少性から許されなかった。

 それ故に、世の中の誰も、ISを纏った獣との戦い方を知り得ない。考えたことすらない。

 ──それが、野生への慢心だ。

 地を這うように四つ脚で駆けずり回るヘレンを、パキスタンの選手は捉えられない。自分の膝よりも低い位置から襲いかかる相手をブレードで上段から斬りつけるのは、タイムラグも相まって非常に困難だ。剣を翻して下段から斬りあげたり、或いは草を刈るように横薙ぎに振るって工夫するが、地面を跳躍する獣を人間は未だに斬り伏せられない。紛れ当たりが起こりそうになるも、前足で的確に剣腹を叩かれて対処され、逆に体制を大きく崩される。

 虎は一瞬の間隙を狙い、獲物に向かってひた走る。

 ヘレンのフィニッシュブローを予想できた人物は、本人と関係者を除いて誰もいなかった。

 

 獣は勢いそのままに、人間へとタックルを仕掛ける。膝から太もも、腹胸といった上半身へと体重を順番にかけていくことにより、ヘレンは哀れなパキスタン人を土の上へと押し倒した。

 人間の二本の腕を関節から押さえつけて、靭帯を束縛する。腹の上に馬乗りになったヘレンは、いやいやと首を振るパキスタン人の顔に、自分の顔を寄せ──強烈な頭突きをお見舞いした。

 目の前で火花が弾け、チカチカと星が暗闇を舞う。

 意識を混濁させ、抵抗が弱まった女。ぐったりとした顔はわずかに傾き、健康的な首筋が露わになる。ぴくぴくと動く血管は己が職務を全うし、命を運んでいた。

 獣は、その命を糧とする。

 

 喉笛に噛み付く、血飛沫(火花)が飛び散る。

 喉笛に噛み付く、血飛沫(火花)が飛び散る。

 喉笛に噛み付く、血飛沫(火花)が飛び散る。

 喉笛に噛み付く……最早、獲物は動かない。

 

 それは紛れもなく捕食だった。

 

「Roar────────rar!!」

 

 ヘレンは高らかに雄叫びをあげる。

 

 会場は、しんと静まり返っていた。

 両親だけが、満足そうに笑っていた。

 

 

 

 彼女は密林で育った一匹の獣だ。

 彼女はそれ故に、文明社会では生きられない。

 彼女にとって、IS戦闘は自分を呼び覚ます狩りの一環だ。

 彼女はその身に野生を押し込めた、人型の虎だ。

 

 インド代表、密林我流。

 猛虎、ヘレン。

 

 




ISコアの数ってどうなってるんだよ問題。
467のうち戦闘用322に研究用145、学園分は研究用でカウントするとして、各国で均等割したら1.6個。
大国2、小国1が自然……? でもドイツが10持ってるらしいからG20ラインに10ずつ渡して残り122とするか。
内戦のある国に渡さなければギリギリいける……? それでも一つしか使えない国は実質飾りでしょ。
──束さーん! 五倍くらい追加で作ってー!? 

シールドに歯でダメージを与えられるというのは独自要素です。
実際ダメージ判定の基準がよくわからんのじゃ。


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女王の鞭

当作では武器戦術を考えるにあたって、既存の流派戦術を参考資料にしております。

……鞭術なんてなかった。それが更新速度低下の始まりでした。


 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──わたくしが次の女王になるのですわ! と。

 

 

 

「オーホッホッホッ!」

 

 マレーシア、クアラルンプール。

 照りつける太陽のもとで、一人の女が高笑いをあげる。

 絵本に出てくる女王のような立ち振る舞いを見せる女、ソフィアという名の女こそが、IS競技におけるマレーシアの代表だ。

 

 彼女のことを一言で表すなら、「画竜点睛を欠く」以外に無いだろう。

 

 血統──ソフィアという女、何を隠そうクアラルンプール広域に広がる、サファリパークの経営者の娘である。マレーシア観光業界のフィクサーとまで呼ばれる彼女の父は、それ相応の社会的地位と権力を握っている。

 金と人脈。それらを含めて、いずれはその跡目を継ぐと考えられている彼女もまた、白を黒に変える程の力を持っていた。

 美貌──先祖が入植者である彼女には、ヨーロッパ系の血が多分に入っている。金髪碧眼、透き通るような白い首筋、すらりとした手足、なだらかなボディライン(大平原)

 万人が羨むような、美しい容姿を生まれながらに備えていた。

 知性──マレーシアの観光業界を一手に背負った彼女の一門。そんな家に生まれたからか、ソフィア自身も極めて高度な教育を受けてきた。

 齢三歳にして始まった、経営者となるための帝王学。彼女は与えられたそれらをスポンジのように吸収し、自身の骨肉へと変えてみせる能力を持っていた。

 身体機能──優良な食事からなるバランスのとれた栄養バランスが良かったのか、マレーシアのサファリという自然溢れた環境が原因なのか、現代スポーツ科学の賜物なのか。はたまたそれら全てを複合した結果の産物なのか。

 彼女の肉体性能のそれは、同年代の女性平均を大きく上回っていた。

 そして、IS適正──語るに及ばず、Aランク。天恵の幸運は彼女を手放さない。

 初めてISを纏ったその日から、ISの指導教官との模擬戦に引き分けたという逸話は、業界では今も語り草になっている。

 

 国の中枢に食い込む権力を持ち、関連法案を数日で全て暗記し遵守する程度に馬鹿では無い。ISを動かすのに支障のある体ではなく、マスコミ映えする相貌を身に纏っている。

 そして何より、ISに、ひいては天に愛されている。

 彼女がマレーシアの代表となるのは、半ば必然のことだった。

 

 ここまでのソフィアならば、称するに「完璧」だろう。

 だが彼女には一つの悪癖、或いは欠点と呼ぶべきものがあった。

 

 

 

 夏の暑い時。ある日のこと。

 ソフィアはいつものように、実家が経営するサファリパークに足を運んでいた。

 一般的に、権力者が現場を訪れることをスタッフは好まないだろう。

 しかし、彼女の場合においてのみ、それは当てまらない。

 何しろ、彼女がサファリに初めて来園したのは、僅かに四歳の頃である。その時より彼女は、暇さえあればサファリに足を運んでいた。

 いくら現場主義の経営者が好まれないと言えども、よちよち歩きの子供が訪れるのを拒む大人はそうはいないだろう。

 また、ソフィア自身も、権力を傘に着て横柄に振る舞うというわけでもなく、実家から与えられた「おべんきょう」の一環として、真摯に振舞っていた。

 幼児が尋ね、大人が答える。

 そんな関係を、かれこれ十年以上も続けていたのだ。

 経過する年月は、頻繁に訪れる幼子を、年が経つにつれおしゃまな子供へと変え、快活とした少女へと変え、やがて美しい女性へと変えていく。

 古参のスタッフからしてみれば、最早ソフィアは第二の子供と言って差し支えのない存在だった。

 

 関係者用、VIP向けのスタッフルームにて。

 ソフィアは来園客の様子を見ながら独りごちる。

 

「最近はお客様の風貌も様変わりしてきましたわね……」

「えぇ、えぇ、そうでごさいますね、ソフィアお嬢さま」

 

 誰かに聞かせる気もなかったただの独り言。そんな彼女の呟きに応えたのは、彼女に対し、長年連れ添ってきた「ソフィアお嬢さま担当係」。彼女の護衛兼秘書の老婆である。

 老婆は女に対し、真面目くさって問いかけた。

 

「しかるにお嬢さま。何故お客様の客層が様変わりしたのか、お分かりになりますかな?」

 

 老婆が質問を続ける。

 形を変えて幾度となく繰り返されてきた、老婆による「授業」だ。

 ソフィアは頭の中の算盤を弾いて答えた。

 

「そんなこと、当然わかりましてよ、ばあや。わたくしがこのサファリパークを訪れて、かれこれ十五年になります。その中で、この園の──いいえ、この国の社会的風土が変わった原因なんて、一つしかないでしょう。

 ……ISの台頭と(・・・・・・)それに伴う社会常識の変化(・・・・・・・・・・・・)。つまりはそういうことですわね?」

「えぇ、えぇ。正解でございますとも、お嬢さま」

 

 十年前より、サファリパークの女性客の割合が、年々増加している。

 このことについて、イスラム教とISの関係は、決してゼロではないだろう。

 元来、マレーシア国民のほとんどは、イスラム教徒である。中東のそれと比べて、緩やかと言われている東南アジアイスラム教だが、それでも厳しい戒律は守られるべき代物だ。

 年に一度、健康なものは断食を行うし、一生に一度は、彼らはメッカへと巡礼を行う。ハラールに属さない食事を彼らは取らないし、偶像崇拝は言語道断だろう。

 そして、男女ともに、いくつかのルールに従うことが求められている。

 女性に対するルールの中に、「女性はみだりに肌を晒してはならない」、「女性は一人で出歩いてはならない」というものがある。

 これら戒律は、女性の心身を保護するために定められたものである。

 かつての時代において、女性というのは、立場が非常に弱いものだった。

 そう、かつて(・・・)の話だ。

 現代に時代が移るに連れて、男女同権が囁かれるようになり、IS新時代の今はもはや、女性の権利の方が上回っている。

 教義としての戒律は守られるべきものだが、社会通念としてのそれは、天災によって最早粉々に破戒されつくしてしまった。

 今のイスラム教では、女性が肌を晒して一人歩きをしていたとしても、必ずしも咎められることはなくなっていた。

 そのような情勢の中で、女性たちはかつて出来なかった事を率先して行い始め、その中の一つが、おひとり様でのサファリパーク来園だった。

 

「さて、と。ばあや。もういいかしら? わたくしもそろそろ行かせてもらいますわね」

 

 しばしの社会勉強も兼ねた問答の末、ソフィアは立ち上がって要望した。

 

「えぇ、えぇ。構いませんとも、お嬢さま。

 ……しかし、お嬢さま。僭越ながら申し上げますが、まだお嬢さまはお諦めになっていないので?」

「当たり前でしょう? このわたくしに従わないなんて、たとえ獣畜生であっても、許されない事ですわ!」

 

 サファリパークの動物の元へ向かうソフィア。

 彼女の手には、一本の鞭が握られていた。

 

 

 

 苦い、記憶。

 それはソフィアの魂に刻まれた、敗北の歴史だった。

 当時四歳のソフィアは、敬愛する父の指示に従い、彼の経営するサファリパークへと赴いていた。

 

「ソフィアお嬢さま、御来園誠にありがとうございますッ!」

「みなさま、おでむかえごくろうさま!」

 

 誰もが彼女に傅く。彼女は彼女の世界の王女様。

 少女は、両親の次に自分が一番偉いと思っていたし、誰もが彼女に従うともまた思っていた。

 彼女がお付きのものを多数従え──実際には子供向けの区画へと誘導されて──向かった先にいたのは、白いモコモコの群れだった。

 あどけない目をしたモコモコ。それを見たソフィアの心は、まさしくときめいた。

 

「そこのかた! あのどうぶつは、なんというおなまえなのかしら?」

「あれは山羊にございますね。

 ……よろしければお触りになりますか?」

「ええ、そうね。あなたがどうしてもというなら、しかたなくさわってあげるわ!」

 

 そわそわ、ソワソワ。

 見るからに触れたそうな顔つきをした少女。

 それを周囲の大人たちは、微笑ましげに見ていた。

 そんなこともつゆ知らず、少女は山羊に号令をかける。

 

「さあ! わたくしのもとへきなさい! やぎたち!」

 

 ────────。反応がない。

 

「きこえていらして? このわたくしがいっているのですよ?」

 

 ────────。反応がない。

 なにせ、山羊だ。

 人間の言葉なぞわかるわけがないし、仮にわかったとしても、人間の権力関係にいちいち配慮しないだろう。

 ソフィアは彼らののほほんとした顔つきに苛つき、罵声をあげる。

 

「────ッ! あなたたち! わたくしのいうことがきけないのね!? だったら『ちゅうばつ』がひつようだわ!」

 

 覚えたての言葉を使って叫び、突撃する少女。スタッフの止める間も無く彼女は山羊の群れに塗れた。

 

「ぬわっ、このっ、おとなしくしなさい!

 ……あっ、やめてっ、スカートかまないで! このっ、やめっ、やめろーっ!」

 

 

 屈辱だった。

 畜生風情に侮られ、集られ、揉みくちゃにされることも。

 それまで自分を恐れていた家臣たちが、自分と動物たちを見て、クスクスと笑っていたことも。

 家に帰り着くなり、少女は腹心の部下に喚き立てる。

 

「ばあやッ! あのどうぶつたちが、わたくしにぶれいをはたらきましてよッ!」

「えぇ、えぇ。それはそうでしょうとも、動物に人間の立場なんて、わかりませんよ」

 

 皺だらけの顔を歪めて笑う老婆。

 彼女に対し、地団駄を踏みながら、少女は質問を重ねた。

 

「それなら、どうぶつたちは、どうやったらわたくしのいこうにしたがうというの?」

「はて? そうでございますね……。

 サーカス団などでは、猛獣使いが鞭を使って従えると聞きます。そのような方法でどうでしょうか?」

 

 老婆にとっては軽い冗談だった。

 そのため、小さく「むち、むち」と呟く少女を見逃したのは、ただの不幸な行き違いだ。

 

 書斎にて、月に数度行われる、父親からの直接授業が行われていた。

 ソフィアにとって、これは勉強ではなく、一種のご褒美だった。

 ソフィアが問題を解いている間、父親は書庫の本を読む。

 彼女の問いかけを受けてようやっと顔を上げ、片手間ながらに答えを返す。

 ともすればそっけないとも言える関係だが、これが彼らの団欒だった。

 そんな折、ソフィアは父親に問いかける。

 

「ねぇ? おとーさま。『むち』ってなんのことかしら?」

 

 ドンガラガッシャーンッ!

 本を棚から取り出そうとしていた父親は、その質問に思わず手を滑らせた。

 複数冊の本がまとめて棚から転げ落ちる。

 ひどく狼狽して父親が聞き返した。

 

「ソッ、ソフィア? どうしてそんなことがきになったんだい?」

「えっとね、サファリのやぎっていうどうぶつがね、わたくしのいうことをきかなかったの。それでばあやにどうすればいいのってきいたら、サーカスのむちみたいにすればって」

「ああ、そうか。そういうことか。

 ……うーん。絶対にそうなるとは言えないけれど、そういう絵本を用意しておくよ」

「やったぁ! おとーさま! ありがとう!」

 

 感極まって父親に抱きつくソフィア。きつく抱き返した父親。

 彼らの中を引き裂いたのは、父親の胸ポケットから鳴り響く無粋な着信音だ。

 父親は携帯電話を引き抜いて電話に出る。

 彼の顔は、だらしない父親から経営者の男へと様変わりしていた。

 

「そうか。わかった。すぐさま向かう。私が来るまでに資料をまとめて置いてくれ。

 ──それじゃあ、僕は先に行くから、ちゃんと勉強しておくんだよ?」

「わかりましてよ、おとーさま! おしごとがんばってね!」

 

 娘の言葉に微笑み、額に一滴キスを落として父親は戦場へと向かった。

 残された少女は、父親がばら撒いた本を集め始める。

 そんな中から──

 

「……あら? これ? 何かしら?」

 

 ──革製の鞭を持って、黒いレオタードを纏った豊満な胸持つ女性の写真集が出てきたのは、最早喜劇だ。

 

 これ以降、ソフィアの中で、動物を従える=鞭を持っている=女王様=父親に好かれるという等式が成り立ったのである。

 

「貴方! ソフィアになんてこと覚えさせてるの! しかも、こっ、この本! やたらと胸の大きな女ばかり集めて!」

「ごめん、ごめんよ! 君がこの世で一番綺麗だよ!」

「どの口で言うかッ!」

 

 成り立ったのであるッ!

 

 

 

 ソフィアがISの装備を選定する際、ちょっとしたトラブルがあった。

 

「──それなら、わたくしの使う武器はこれに致しますわ」

 

 女が手に取ったのは、前振り違わず、鞭である。

 彼女からすれば、迷うことのない当然の選択肢。

 だが、セオリーから見てみると、極めてイレギュラーの選択だった。

 

「ソフィア様。本当によろしいのですか?

 ──なにしろ、鞭ですよ?」

 

 実の所、鞭という道具は、武器としては不適格である。このことは人間が積み重ねた闘いの歴史が、純然たる物理法則からも明らかだ。

 『握力×体重×スピード=破壊力』。

 諸兄ご存知、「花山の定理」

 さる超A級喧嘩師が定義し、人生を賭けて証明した戦闘方程式。

 この方程式に、鞭の持つ武器特性を代入すると、鞭の不合理性が見て取れる。

 

 握力つまりは硬さ────しなやかな鞭には、硬さというファクターは存在しない。

 体重つまりは重さ────後述する速度を達成するために、重量は極力落とされている。

 スピードつまりは速度──三要素のうち、唯一優れた鞭の優位性だ。生身の人間が振るってなお音速を超え得るだろう。

 

 速度に重点を押しすぎて、それ以外の要素が完全に死んでしまっているのだ。

 戦場で用いられたような「はがねのよろい」はもとより、「かわのよろい」、ともすれば「ぬののふく」でさえ突破できない。

 いくら裸の相手に通用しようが、戦闘では何の役にも立たない。殺傷道具としては、致命的なまでに無用なのだ。

 重さを補うために金属を取り付ける場合もあるが、それは最早鎖分銅やフレイルといった別の武器種となってしまう。

 武器としてみると、鞭はまさしく欠陥武器だ。

 それこそ、動物への調教か、あるいは人間に対する苦痛を与える道具としての役割しか持てない。

 だが、そういった事実を踏まえてなお、女は鞭に魂を預ける。それは、単なるこだわりというだけではなかった。

 

「貴女。頭が硬いのね。IS戦闘を既存の常識で測るものではなくてよ?」

 

 IS戦闘の勝敗は、シールドエネルギーの残量で決定づけられる。

 そう、IS戦闘において、勝敗は極めてデジタルなものとして管理されるのだ。

 鞭は痛みを与えることに特化して、殺傷能力に乏しいと人はいう。

 だが、IS戦においてはシールドを削れれば、武器の形を問わない。極論すれば、当ててさえしまえばいい。

 その論理構築が正しければ、「人力でソニックブームを発生させうる鞭という中距離武器」は、飛び道具禁止の環境下において、無類の強さを誇るのではないか────?

 

「わたくしは、この鞭で、世界を従えてみせますわッ!」

 

 ヒュン。

 風鳴音が鳴った。

 その場の誰も、音の出所を目撃できなかった。

 

 

 

 彼女は生まれながらにして、多くの人々を従えてきた。

 彼女はしかして、動物たちを従える威光を持ってはいない。

 彼女は今日も鞭持って、野生に挑む。

 彼女はサファリの動物たちを、ひいては世界を従える女王になりたいのだ。

 

 マレーシア代表、ウィップクイーン。

 風打のソフィア。

 

 

 

 

 

 

 




政治と宗教と野球の話はするなと言われております。
ただ、ISによって変わった世界というサブテーマの小説において、イスラム教は取り扱わざるを得ませんでした。

お嬢さま言葉難しい、難しくない?
セッシーインストールしたけどこのレベル。


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