リトルアーモリー ~彼女たちの日常の一幕~ (魚鷹0822)
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憧れの灯火は消えなくて

指定防衛校の1つ、朝霧高校に通う豊崎恵那は、憧れていた姉、和花の死を知らされる。目標を失った彼女は、インターネットで調べた情報をもとに、ある場所へ向かう……。

女の子とホラーは非常に合う組合せだと、思いつきで書いた短編です。ホラー要素を含むので、苦手な方はご注意を。


 太陽が山々の影に沈む夕刻、緑の木々の生い茂る森の中を通る舗装された一本道。その路肩を、森に紛れ込むような迷彩模様のスカートとリボンという特徴的な制服に身を包んだ少女が、1人進んでいく。

 

 彼女の名を、豊崎恵那(とよさき えな)という。

 

 背中の真ん中辺りまで届く、普段なら美しかったであろう長い髪は、手入れがおざなりにされているのか枝毛が目立つ。目の下には隈ができ、表情は雲の少ない空と対照に曇っている。俯きながら歩いていることも、それに拍車をかけている。

 彼女はゆっくりとした足取りで、目的地を目指していた。なぜ彼女がこんな場所を一人歩いているのか、事の発端は数日前に遡る。

 

 

 今から20年近く前、突如この世界に現れた謎の生命体、イクシス。空間同士を繋ぐ謎の穴、ネストを通って出現する彼らに対し、警備強化のため、国は指定防衛校を設立し、未成年の志願者に軍事教練を施し、戦力化することを決定。

 戦闘が、日常の一幕となった。

 

 

 この道を歩いている少女、豊崎恵那も、指定防衛校の1つ、朝霧高校に通う生徒である。彼女の制服の迷彩模様のリボンやスカートは、朝霧高校の制服の特徴である。

 その彼女が放課後、護身用の拳銃のみを腰にぶら下げ、なぜこんな辺鄙な場所を歩いているのか。

 恵那は、右手に持っているスマホの画面に視線を落とし、指を滑らせて拡大する。

「姉さん……」

 彼女は、年の離れた姉、和花と共に写っている写真を画面に表示し、姉の部分を、人差指で優しく撫でる。

 

 彼女の年の離れた姉の、豊崎和花(とよさき のどか)が、イクシスに殺された。

 

 その連絡を聞いたとき、恵那は嘘だと思い信じなかった。

 姉は、指定防衛校の1つ、古流高校出身で、現役の幹部自衛官だった。学生時代の成績はよく、同級生は勿論、慕う後輩も多く、近所の人々からも頼りにされていた。

 

―――誰かを守れる人になりたい。

 

 年の離れた妹の恵那が、そんな姉の姿に憧れ、同じ道を目指したいと考えたのは、自然な成り行きだった。

 もっとも、和花の関心は、昔は銃と任務に向けられていたために、恵那には向けられていたとは言い難かった。だから姉の気をひこうと隙あらば銃にイタズラをしようとし、その度に和花に叱られた。

 そして恵那が指定防衛校に進みたいと打ち明けたとき、和花は反対し、2人は何度も言い合いをした。

 姉とは勝手な生き物で、自分が危険な思いをしたから妹にはして欲しくない。和花はそんな考えを抱いていた。

 恵那のことを心配しての言葉だったのだが、当時の彼女にはそれを受け入れることはできなかった。

 

―――姉さんは良かったのに、なんで私はダメなの!

―――姉さんのわからずや!

 

 何度も繰り返された言い合いの末、和花が遂に折れ、進学を認めたのだった。

 そして、恵那は自衛隊員の最大の供給先と言われる朝霧高校へと進学。姉と同じ自衛官を目指せる道のスタート地点に、ようやく立つことができた。

 

 姉の死を知らされたのは、それから半年もしない時期の事だった。

 

 姉の葬儀が終わってからも、恵那はその事実を受け入れることができずにいた。あの姉が死んだ。強く、かっこよく、厳しかったが、同じくらい優しくもあった。

 

 その和花が亡くなった。恵那の知らないところで、知らない間に。

 

 憧れた。姉のようになりたかった。そして、いつか自衛官になったとき、恵那は和花に言いたい言葉があった。

 

――――姉さんと同じ、自衛官になれたよ。

 

 だが、その憧れた姉はもういない。この世の、どこにも。

 恵那は、目指すべき目標を、それを伝えたかった相手を、永遠に失ってしまったのだった。

 「姉さん……」

 彼女はスマホを握り締め、目的地に向かって歩いていく。

「あった……」

 恵那は足をとめ、目的地を見定めた。

 トンネルの出入り口の脇に設置された、公衆電話のボックスを、彼女は見つめた。恵那はインターネットで検索し、ある記事を目にした。

 

「亡くなった人と話ができる公衆電話」

 

 日頃の彼女なら、嘘だと、気にもとめなかったに違いない。でも、そんな都市伝説のような記事でさえ、今の彼女はすがりつきたいものだった。

 

―――もう一度、もう一度でいいから、姉さんと、話をさせて。

―――声を、聞かせて。

 

 それが、彼女の気持ちであった。

 

 公衆電話の前に立つと、スマホに保存してきた情報と照らし合わせる。

「ここ、なの?」

 道路の路肩、トンネルの出入り口の脇に設置された公衆電話。なぜこんな森の中の寂しい場所に設置したのかは知るよしもないが、目的地がここであるのは確かなようだった。

 ボックスの扉を開けて中に入ると、スカートのポケットやベルトに吊り下げたポーチに手を入れ、電話の上に10円硬貨と100円硬貨をありったけ積み上げ、今では珍しいテレホンカードをいれる。

 受話器を持ち上げ、調べてきた番号を順番に恐る恐るプッシュしていく。

 最後の数字を震える手で押し、受話器から聞こえる音に耳をすませる。

 

「ザザザアアア・・・・」

 

 だが、ノイズが聞こえるだけ。それでも恵那は受話器を耳に密着させ、聞こえる音に全神経を集中させる。

「ザザザ、ザザ……」

 減っていくテレホンカードの度数、過ぎていく時間。聞こえてくるのは、雑音だけ。

―――やっぱり、ただの根も葉もない噂だったのかしら。

 恵那は俯き、表情を曇らせる。

「……姉さん、お願い。一度、もう一度だけでいいから……、話したい」

 彼女の目から雫が流れ、頬を伝って、地面にシミを作る。

 

「……声を、聞かせて」

 

 そのときだった。

 

『ザザザ…、…な。…な…の』

 雑音に混じって、聞き覚えのある声が、恵那の鼓膜を振動させた。

 彼女は顔を跳ね上げ、受話器を耳に押し付け、聞こえてくる声を聞き逃すまいと、神経を研ぎ澄ませる。

「……もし、もし」

『……えな。恵那なの?』

「ねえ、さん……」

 聞き間違えるはずがなかった。数え切れないほど聞いた声。年の離れた、血を分けた姉、和花の声だった。

「姉さん、私」

『やっぱり、恵那なのね。あなたがこの電話の噂を調べて来るなんて、思わなかったわ』

 恵那は両目に涙をため、こぼれそうになるのをこらえようとする。胸の中に色んな感情や伝えたい言葉が溢れ、張り裂けそうになる。

 姉に最後にあったのは数日前のことなのに、数年ぶりに声を聞いたような懐かしさを、彼女は感じていた。

「ぐす……。ええ、私も、そう思う」

 ふと顔を上げたところで、恵那の顔が凍りついた。テレカの残り度数が、3を示していた。話せる残り時間は、約3分。

 この通話が切れれば、もう和花と話せないのではないか。そんな不安がよぎる。すぐさま、積み上げた硬貨を鷲掴みにする。手からこぼれ落ちた硬貨が地面に落ちて、甲高い音を立てるのも気にもせず、彼女は手にした硬貨を次々投入口に入れるだけいれた。

『恵那、どうかしたの?』

「ううん、なんでもない」

 恵那はふと、和花に何を言おうか迷った。来る直前まで、彼女はこの電話の噂が本当だったら何を話そうか、ずっと考えていた。でも本当になると、何を話そうか言葉が出てこないようで、彼女は口を開いては閉じるを繰り返した。

 

「姉さん……、ごめんなさい」

『なんで、謝るのかしら?』

「昔、姉さんが古流の生徒だったとき、姉さんの銃に、私、何度もイタズラしたでしょ?」

 和花は答えず、沈黙がボックスの中に満ちる。

「ごめん、迷惑かけて。でも、私のこと、もっと気にして欲しかった。かまって欲しかった。寂しかった……」

『ええ、わかっていたわ』

「わかっていたの?」

『何年、あなたの姉をしていたと思っているの?』

 忙しい中でも、和花は恵那のことを、しっかり見ていた。

『私の方こそ、ごめんなさい。あなたが指定防衛校に進みたいって言ったとき、なかなか認めてあげなくて』

 お互いが譲れないものを持っていた。

 

 妹には平穏を送って欲しいと願った和花。

 姉のようになりたいと夢見た恵那。

 

 結局、折れたのは和花の方だった。

 

『……任務にいった仲間が負傷したことが、何度もあって。あなたが、あんなことになったら。そう考えたら、耐えられなくて』

「心配してくれていたのは、私もわかってる。それでも、私は姉さんみたいになりたかった」

 姉の前では恥ずかしいからと口にしなかった想いを、恵那は初めて告げる。

「姉さんみたいに、誰かを守れる人に、なりたいと、思ったの」

『私?』

「うん。古流の生徒だったときの姉さん、かっこよかったから……」

 姉に憧れ、姉と同じ自衛官を目指すべく指定防衛校に進学し、任務や訓練に明け暮れる毎日を送っていた。そんな中だった。

 

 和花が、任務で殉職したという報告を聞かされたのは。

 

「勿論、本職になってからも、かっこよかった」

『……そんなに思ってくれているなんて、姉冥利に尽きるわね』

「そして、そして、ね……」

 恵那は、そこから先が言えなくなった。その間も、和花は待ってくれる。

 電話がきれないよう、また硬貨を投入口にいれる。

「私も、姉さんと同じ、自衛官になったんだよって、言いたかった。傍で、そうなるまで、見ていて欲しかった……」

 視界がにじみ、こらえきれなくなった雫が、雨のように降り、地面を濡らした。

 

『……大丈夫よ。あなたなら、私がいなくても、きっと私みたいに……』

 和花は、一度言葉を切った。

『いいえ。あなたは、あなたの目指す理想の自分を、実現できるわ。だって……』

 電話の向こうで、息を吸う音が、僅かに聞こえる。

 

『私の、自慢の妹だもの 』

 

「…姉さん」

『こんなことを言うのは初めてね。あなたの前では私人と教官の顔を使い分けていたから、嫌なおもいさせてないか、不安だったわ。むしろ、私みたいになるもんか、って言われるかと思った』

「そんなこと、ない。どっちも、私の大好きな姉さんだから」

『あなたの口から、そんな言葉を聞くなんてね。やっぱり、妹って可愛いわ』

 不器用で、素直になれなかった恵那は、最後だからと自分の想いを吐き出していく。この時間がいつまでも続けば、そう思っただろう。

 でも、残った硬貨は、もう少ない。また電話をかけても、もう一度話せる保証はどこにもない。

『お互い、もう少し早くに素直になれていれば、もう少し、毎日が楽しかったのかしらね』

「私は…、姉さんと過ごした日々は、十分楽しかった」

 恵那の友人の1人、朝戸未世が、和花と恵那は顔つきや目元、胸の大きさなど見た目は似ていても、中身は似ていないと言ったことがあった。でも、2人は血を分けた姉妹。やはり、お互いを想うことは、同じだったのだろうか。

「……でも、できるなら」

 彼女は、口が震えるのを抑えながら、言葉を紡いだ。

 

「私、姉さんと、もっと、一緒に居たかった……」

 

 彼女は、自身の想いを、余すことなく伝える。

 

「教えて欲しいこと、話したいこと、まだ、いっぱい、いっぱいあったのに……」

 

 彼女の声に、涙声が混ざる。もう叶わない願い。それでも、わかっていても、その想いを、口にしないわけにはいかなかったのだろう。

 

『……恵那、私と、そんなに一緒にいたい?』

 

 ふとした姉の質問に、恵那は即答した。

「あ、当たり前よ!」

 電話ボックス内で、彼女は受話器に向かって叫んだ。徐々にボックス内に静寂が満ち、受話器の向こう側も、無音の状態がしばし続いた。

 

『……そう。わかったわ』

 

 姉の声色は変わっていないのに、どこか変わった雰囲気に恵那は違和感を覚え、背筋を嫌な汗が流れる。

 直後、恵那は背中に冷たくも、柔らかい感触を感じ、同時にお腹や胸のあたりに、後ろから腕を回された。

 

「……なら、ずっと、一緒にいましょう」

 

 耳元で囁くその声は、先ほどまで電話越しに聞いていた、聞きなれた、和花のものだとわかる。でも、すぐに疑問が彼女の頭に浮かぶ。

 

 葬儀で、恵那は和花の遺体を目にしている。

 

 なら、今彼女を抱きしめているのは誰だ?

 

 この声は、腕は、誰のものだ?

 

「もう……、ゼッタイ二ハナサナイカラ」

 恵那の震える左手から受話器が滑り落ち、コードで釣られて揺れる。咄嗟に腰にぶら下げている9mm拳銃に手を伸ばすも、弾倉を装填していなかったことを思い出す。たとえ弾が入っていても、恵那が和花に銃口を向けるなど、できるはずもないが。

「怖がらないで」

 恵那は恐る恐る、顔をあげる。そして目の前の、電話ボックスを覆うガラスに写るものを見て、顔を引きつらせた。

 

「さあ、コレカラモ、ズットイッショヨ」

 

 恵那の目に入ったのは、肌が人形のように白く、体の至る所から血を流し、濁った瞳をしている和花、だったもの(・・・・・)の姿だった。

 

 

 数日後、恵那と連絡が取れないことを不審に思った未世たちが、位置情報を頼りに彼女を探し、あの電話ボックスにたどり着いた。

 現場からは、彼女のスマホと弾の入っていない9mm拳銃が回収されたが、恵那本人の姿は、どこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

「……って感じになると思うんですよ」

 満足そうにショートボブの髪を揺らしながら笑みを浮かべる女子高生、朝戸未世(あさと みよ)は話を終え、目の前の聴衆の反応を眺める。

 先程の彼女の想像の話を聞いた面々の反応は、様々であった。

 

 腰の辺りまで届く長い黒髪の少女、白根凛(しらね りん)は彼女を呆れ顔で見つめ、

 メガネをかけた上級生、西部愛(にしべ あい)は苦笑いを浮かべ、

 そして、ツインテールに髪を結った少女、照安鞠亜(てるやす まりあ)は愛の腕にしがみつき、小動物のように小刻みに体を震わせている。

 

「朝戸さん……、なんで、そういう話になったのかしら?」

 顔に苦笑を張り付けたまま、愛は問う。

「えっと……、なんで、でしたっけ?」

 本人もこうなった経緯を覚えていないのか、未世は首をかしげる。

「……きっかけは未世の、恵那は和花先生のことが大好きに違いない、っていう主張から」

「ああ、そうでしたね」

 納得したようで、未世は手のひらに、拳をポン、と打ち付ける。事の始まりは、単純なこと。

 

 夏期共同演習で同じ分隊となった豊崎和花先生の妹、豊崎恵那はツンデレのせいか、素直になれないのか、口では否定するが姉の和花のことが大好きに違いない。そう未世は考えた。

 

 だから、きっと姉がいなくなったら、後を追うだろうと想像した。

 

 今は夏の共同演習の夜、就寝前。

 

 夏は暑い。なら、怖い話で涼しくなろう。

 

 未世の主張を、ホラー風味にして話してみよう。

 

 このような流れで、先程の話が生まれたのだった。

 

 

「まあ、豊崎さんがお姉さんのことを好きなのは見ていてわかるけど、わざわざホラー風味の話にしなくても……。ほら、照安さんがすっかり震えてしまっているわ」

 鞠亜はこの話が始まってからというもの、すっかり怯えてしまい、先輩の左腕にしがみついて離れない上に、若干涙目になっている。

 日頃未知の生物、イクシスを相手に銃器で戦う指定防衛校の生徒が、怖い話で泣きそうになるとは不思議である。

 

「え~。だって、このテントの中暑いじゃありませんか。涼しくなるには、怖い話が一番ですよ」

「……照安さん、この後、眠れそう?」

「難しいかも、です」

 今日もいくつもの演習項目を終え、あとは就寝を残すだけだというのに、そんな時間に怖い話をされては眠れやしない。

「それにしても、よく即興でそんな話を思いついたものね……」

「……未世は想像力たくましいから」

「えへへ、照れますねぇ」

 褒め言葉と受け取った未世は嬉しそうに笑うが、相棒の凛はため息を吐きながら呆れ顔で彼女を見つめる。

「……褒めてない」

「恵那ちゃん、もう少し素直になってもいいと思うんですよ。勿論、ツンツンしている恵那ちゃんも好きですし、可愛いと思いますけど」

「……ツンデレは古い」

「いいじゃありませんか。不器用で堅物で、融通が利かなくても、一生懸命で真っ直ぐっていいと思うんです」

 全員恵那にたいして思い当たる所があるのか、ハハハと渇いた笑い声を漏らす。

「さて、足が痛いことですし、もうそろそろ寝ましょうか」

 怖い話が終わってすぐ眠れる彼女の図太さに苦笑いする周囲を横目に、未世は寝袋に入ろうとした。

 

「あ、さ、と、さ、ん」

 

 未世は、先ほど自分がした話と同じように、突如背後から回された腕の感触に、心臓が口から飛び出そうなほど驚き、目を見開いた。

「なんだか、ずいぶん興味深い話を、していたみたいね~」

 耳元で囁く声、背中に感じる柔らかくて大きな2つの感触。それらの情報から、未世の脳が、背後の人物を瞬時に特定した。

「え、恵那、ちゃん?」

「ええ、そうだけど」

 未世の背後にいたのは、先ほどの話の中心、豊崎恵那であった。不気味なほど、満面の笑みを浮かべて……。

「お手洗いから帰ってみれば、なんて妄想をぶちまけてくれているのかしら?」

「ええっと、これは、恵那ちゃんは和花先生のことが大好きに違いないってことを言いたかっただけで……」

「風評被害って言葉を、知っているかしら?」

「べ、別に恵那ちゃんの名誉を傷つけるようなことは何も……」

「だとしても、そんなホラーな話にする必要があったのかしら?結果、照安さんは怖がっているじゃない?何より、勝手に姉さんを殺さないで」

 姉のことをしっかり気遣うあたり、やはり好きに違いないとその場の全員は思うも、誰も口にはしなかった。

「さて、縁起でもない話をしてくれたり、風評被害を広めてくれた責任を、どうとってもらおうかしらね?」

 照れ隠しなのか、ツンデレなのかはわからないが、その怒りの矛先が未世に向けられていることは確かだった。

 未世を逃がさないよう腕に力を込めつつ、恵那は口の端を舐める。獲物を前にした、蛇のように……。

「あ、あの、恵那ちゃん。あまり密着すると、胸元の大きくて柔らかいものが押し付けられて……」

「……今の、セクハラよね?」

 恵那の目が、夜空に浮かぶ三日月のように、細められる。

「朝戸さん、あなた、さっき足が痛いって言っていたわよね?」

「え、ええ、確か、そんなことを……」

 今は夏の共同演習の最中。朝から晩まで行軍演習をしていれば、足も痛くなる。

「そう。なら、明日の演習に影響しては大変だから、マッサージをしてあげる」

「え?」

 言うやいなや、恵那はどこにもっていたのか結束バンドで未世の両手首を後ろで素早くまとめ、彼女を地面に転がすと靴下を両足から抜き取った。

「あ、あの、恵那ちゃん?」

 引きつった笑みを浮かべる未世に、彼女は満面の笑みを浮かべながら言う。

「大丈夫、姉さん直伝だから、あなたもきっと気に入ると思うわ」

 和花先生直伝とはどういう意味か、疑問を抱く未世をよそに、恵那は彼女の右足を両手でしっかりつかみ、ツボらしき部分を力いっぱいおした。

 

「いっ!!!!!!!」

 

 足から神経を伝って脳にその刺激が伝わった瞬間、彼女は僅かにのけぞり、顔に苦悶の表情を浮かべた。

「あら、ごめんなさい。ちょっと力加減を間違えてしまったわ」

 そのとき浮かべている恵那の、少し加虐性とイタズラ心がまざった笑みが、どこか和花先生に似ており、やっぱりこの2人は姉妹なのだと、未世はどうでもいい方向に思考が向く。

「今度は、もっと上手にするから」

 再びのけぞった。それによって制服のスカートが若干めくれ上がるが、それを気にする余裕はないらしい。

「そういえば朝戸さん。あなた、ツンツンしている私が好きらしいわね?」

 なぜこのタイミングでそんなことを、と痛みが引いていくのを待つ間に未世はぼ~っと考える。

 

「そんなに好きなら、思う存分ツンツンしてあげる」

 

 すると、恵那は腰のベルトから銃剣を抜いて、これみよがしに顔の前にかざした。それを見た未世は、顔を引きつらせる。

「あの、恵那ちゃん。冗談、ですよね?」

 彼女はにっこりと楽しそうな笑みを浮かべ、

 

「安心して。力加減はしてあげるから」

 

と言い放った。

「そ、そのツンツンじゃありませんよ!意味が違います!それに、それグサッって音が聞こえてきそうですよ!」

 身の危険を悟った未世は逃走しようとするも、両手は拘束されている上に、片足は恵那にしっかり掴まれている。

 そうしている間にもマッサージは続き、痛みが足の裏から走る。

「い、た、あ……。り、凛ちゃん!」

 未世はすがる想いで、幼馴染の凛に助けを求める。が、そんな彼女を凛は見下ろしながら、

「……足が痛いのなら、マッサージは有用。してもらえば?」

と静かに言った。

「これがマッサージに見えるんですか!明らかに拷問の類ですよ!」

「……口は災いの元。自業自得」

「薄情もの~。に、西部先輩、鞠亜ちゃん!」

 未世は頼りにならない相棒ではなく、先輩の愛と、友人の鞠亜に助けを求める。

 すると、鞠亜は立ち上がり、テントを出ていこうとする。

「未世さん……。さっきの話、私、怖かったんですよ」

 彼女は震えながら言う。

「ですから、未世さんも、怖い目に会ってください!」

 そしてテントから姿を消した。彼女に続いて、愛も立ち上がる。

「せ、先輩!」

 最後の希望を声に乗せ、未世は愛に呼びかけた。

「私は、照安さんが落ち着くまで、風にあたってくるわ」

 テントから出る直前、彼女は振り返った。

「朝戸さん」

 親指だけを突きたて、

 

「グッドラック」

 

とだけ言い残してテントを出ていってしまった。もう、助けてくれる人は、誰もいない。

「じゃあ、朝戸さん」

 未世は足元にいる人物にゆっくり視線を戻す。

「続けるわね。時間をかけて、じっくりと……」

 細められた瞳の奥に、楽しさをにじませながらいう恵那が、未世には処刑執行人に見えたという。

 テントの傍で涼む愛たちには、未世の悲鳴とも喘ぎ声とも、なんとも形容し難い声が聞こえてきたという。

 

 翌日、恵那のマッサージを受けた未世が、地面を踏みしめるたびに苦痛に顔を歪めていたのは、言うまでもない。

 

 

 



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憧れの姉の裏の顔

 指定防衛校の1つ、朝霧高校に通う生徒、豊崎恵那が男子生徒に告白されたという噂を聞いた姉の豊崎和花は、彼女の現状を知るべく話をする。
 あれから告白はされていないと答える恵那だが、その件の裏には、身近な人物の策謀があった……。




 今時めずらしい、とある純和風の日本家屋の一室。住人がリビングと呼ぶその部屋も、傍から見ればちゃぶ台と敷かれた座布団、畳、襖が主体という部屋でしかない。

その部屋には、急須で淹れたお茶をすする女性と、よく似た顔立ちの少女がちゃぶ台を挟んで座っている。

 女性の名を豊崎和花(とよさき のどか)。少女の名を豊崎恵那(とよさき えな)という。名前や似た外見からわかる通り、姉妹である。

 和花はお茶をすすりながら、チャンネル片手にバラエティー番組を退屈そうに眺める恵那に視線を向ける。

「はあ~。最近の番組はつまらないわね」

 コメディが好きな彼女からすれば、イギリスのように皮肉がきいてなくて退屈、という意味らしい。彼女はチャンネルを手に幾つか番組を切り替えるも、興味を引くものはなかったようでテレビを消した。

 恵那がチャンネルをちゃぶ台に置くと、和花はもう1つの湯呑にお茶を注ぐ。それを彼女のそばに置くと、和花は肘をついた左腕の手のひらに顔をおき、目の前の妹を見つめる。間もなく姉の視線が気になったのか、恵那は和花を見つめ、少し首をかしげる。

「何か、用?」

 妹の仕草に、和花は微笑む。

「恵那、聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

「何?」

 お茶を数回吹いて冷まし、湯呑に口をつけた彼女に、和花はいいはなった。

 

 

 

「あれから、彼氏はできたりした?」

 

 

 質問の直後、恵那は口に含んだお茶を吹き出した。

 

 

 お茶を吹き出すと同時に、飲んだ分が喉を通って変な場所に入り、吐き出そうと彼女は何度も咳き込む。そんな彼女を見かねた和花は、背中を優しくさする。

 恵那が落ち着いた頃、和花は元の位置に座りなおす。一方、向かいに座る恵那は、彼女を驚きと、非難をまぜた歪な笑みで見つめる。

「姉さん、なんで、そんなことを聞くの?」

「あら、可愛い妹の恋愛事情に、姉が関心を持ったら変かしら?」

「いつもは、可愛い妹、なんていわないくせに……」

「口には出さないだけ。言いたくなるときだってあるわよ」

 そんな姉を訝しみながら、恵那は咳払いをする。

「いきなり聞かないでよ……」

 いくら姉妹とはいえ、2人は性格が大分異なる。

 

 温和に見えて食わせ者の和花。

 冗談の通じない真っ直ぐな恵那。

 

 回りくどいと恵那には通じないと考えたから、和花は直球で聞いたのだが、場合によるようだ。

 

「それで、どうなのかしら?」

 和花は先を促す。恵那は湯呑をちゃぶ台におき、平静を装って応える。

「別に、あれ以降告白は受けていないけど」

 恵那は贔屓目に見なくても、可愛いし綺麗である。背中の真ん中あたりまで伸びる手入れの行き届いた綺麗な髪。整った顔立ちにシミのない肌。出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでいる、女性としての成長が少し進んでいる体。

 今彼女は、女子高生という、大人と子供のどちらでもない、可愛い少女のような部分と、綺麗な女性の部分が共存している時期。

 そんな彼女なら、浮いた話、恋愛話の1つや2つはあると誰もが思うであろう。だが、あいにく彼女の通う指定防衛校は、役割の違いから、共学でも男女は分けられている。なので、出会いは意外なほどに少ない。

「本当に?」

「本当だって」

 そんなある日、彼女はどこぞの男子生徒から告白をうけた。その場では返事を返さなかったが。

 保留して後日返事をするつもりでいたものの、歩哨任務の最中に偶然その男子生徒に出くわし、銃を持っている姿を怖がられて、告白を撤回していったのだった。

 

「そう。恵那なら、また別の人からされているものと思ったけど」

「いいのよ!今は色恋沙汰にうつつをぬかしているときじゃないし!」

 一般的な勉学に加え、戦闘教練もする指定防衛校は、確かに訓練に任務と毎日が多忙である。休日に招集がかかることもあるため、プライベートな時間というものは、どうしても一般的な学生に比べ少ない。

 そうなれば、出会いの機会も減ってしまうというもの。

「でも、姉としては妹がモテないっていうのも、それはそれで悩みなのよね」

「気にしなくていいの、私の恋愛事情は!」

「でも姉さん、気になるわ」

 いつになく攻勢に出てくる和花に、恵那はどう答えればいいか迷う。

「だからもういいって!」

 そして、彼女は叫んだ。

 

 

「私には姉さんがいるもの!」

 

 

 一瞬時が止まり、2人のいる空間が凍りついた。恵那は勢いに任せて発した自分の言葉の意味を悟ったのか、顔が赤く染まり始め、次第に震え始めた。

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。でもそれって、いわゆる姉妹愛?それも恵那って、そういう趣味や嗜好があるの?姉さん、詳しく聞きたいわ」

 姉の言葉の意味を理解するにつれ、恵那の顔は、湯気が出そうに見えるほど赤さを増していく。

「心配しなくても、恵那くらい可愛いいなら、きっといい人が現れるわよ」

「だから、今は……」

「でもいきなり、結婚します、なんて言わないでね。恋人ができたら、姉さんに必ず一言、相談して頂戴ね」

 恵那の言葉などまるで聞こえていないように、和花は一人で話を進めていく。

「~~~もう!わかったからこの話はおしまい!」

 和花のペースに飲まれそうになる前に、恵那は叫んで強引に話を打ち切った。ショート寸前の彼女の脳はまともに思考などできず、そう叫ぶのがせいぜいだった。

 そして目の前に置かれた湯呑を掴むと、注がれたお茶を一気に飲みほした。すると間もなく、彼女のまぶたが下がり、まどろみ始めた。

「あれ、なんか、眠く……」

「訓練続きで、疲れているんじゃないかしら?」

 和花の言葉が届いたのかは定かではないが、恵那はちゃぶ台に突っ伏し、そのまま可愛い寝息を立て始めた。

 

 

 

 

 目の前で眠る妹を、満面の笑みを浮かべながら眺める和花は、表情を変えずに恵那に近付き、床に静かに横たえる。そして、彼女が使っていた湯呑の中身を手早く処分すると、素早く戸締りを確認し、リビングに戻って障子を閉める。

「……あれ以降告白はなし、か」

 床に寝そべり、寝息を立てる恵那の傍に座った和花は呟く。

「まあ、このまま一生無くても、構わないのだけれど」

 リビングで1人、和花は微笑み、恵那を頭のてっぺんからつま先まで、じっくり、なめるように観察する。

 自分に似ていても、可愛げのある顔、大きめの胸やお尻、くびれた腰、綺麗で長い髪。

「ほんとに、綺麗になったわね」

 和花は彼女の体のあちこちをいたわるように撫でる。

 幼いころから成長を見守ってきた、たった1人の大事な妹。最近は次第に体が丸みをおび、色気が出てきて、確実に女性の体になりつつあった。

 和花は恵那の前髪をかきあげ、おでこに唇を一瞬だけ触れさせた。妹を見つめる姉の目は、どこか、泥沼を思わせるほどに、濁っていた。

 そんな瞳で恵那を見つめつつ、和花は呟く。

「恵那、心配しなくても、あなたに近づく悪い虫は、お姉ちゃんが全部撃ち落としてあげる」

 指定防衛校は、男女が分けられるため、悪い虫がつきにくいと言われる。それは、和花にとって好都合だった。

 恵那が受けた告白だが、それを男子生徒が撤回していった裏には、和花の策謀があった。

 

―――銃を見た程度で怖いと逃げ出す男に、恵那は渡さない。

 

 年が離れていても、言い合いをしたことがあっても、銃にイタズラされそうになったことがあっても、和花にとって彼女は、血を分けた妹。要するに、可愛いのだ。目に入れても、痛くないほどに。

 彼女が指定防衛校に入学したとき、和花は不安と安心が入り混じり、複雑な心境だった。日々任務で危険な目に会うかもしれない。その一方で、悪い虫がつく可能性はない。

 そんな複雑な心境だった和花にとって、恵那が告白されたという事実は、寝耳に水だった。

 彼女ほど可愛くて綺麗ならば、そんなことがあって当然と思う一方、大事な妹を任せられる男なのか、それが最も気になった。

 それを確かめるべく、恵那に告白してきたという男子に試練を課すことにしたのだった。 

 和花は自分のもつあらゆる情報網やコネを惜しみなく使い、妹に告白してきたという男子を調べ上げ、計画を即座に立て、実行に移した。

 

 最初の試練は、銃が平気かどうかを知ることだった。恵那の将来の夢は、和花と同じ自衛官。なら、銃を見た程度で逃げ出すようでは論外。そう考えた彼女は、その男子生徒の通学路と、恵那の歩哨ルートがかぶるようシフトを組んだ。

 そして、その結果は知っての通りである。

 

「はあ~」

 和花は、天井を見上げ、天にも登るような幸せそうな表情を浮かべる。

「私には姉さんがいるから、ねえ……」

 先ほどの恵那の台詞を反芻し、和花は頬を赤らめる。

「あの堅物で不器用な恵那が、正面からそんなこと言ってくれるなんて、嬉しいわ~」

 彼女は、ポケットに隠し持っていたレコーダーを取り出し、大事そうに両手で包む。

「後でちゃんと保存しておかないと」

 そして、再び床で可愛い寝息をたてている妹を見下ろす。

「恵那、安心して。たとえこの後告白がなくても、お姉ちゃんがいるから」

 そして一人、静かに呟いた。

 

 

「だって、あなたは、私の(もの)だもの」

 

 

 軟弱な男に、大事な妹は渡さない。恵那が欲しいなら、まずは自分を乗り越えてみせろ。それが、和花の考えだった。

 和花は恵那の腰と膝の裏に腕を回し、彼女を持ち上げる。

「あなたにつく悪い虫は全て撃ち落とすし、あなたが願うなら、なんだって手伝ってあげる。だから……」

 

―――少しくらい、味見してもいいわよね?

 

 和花は彼女を抱えて一人、家の廊下を静かに歩いていく。床板が軋む音が一定の間隔で響き、彼女が自室に入ったところで、家の中は、静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ていうことは、ないんですか?」

「ないわ」

 古流高校の制服に身を包み、ショートボブの髪を揺らす生徒、朝戸未世の話した妄想話を、和花は即座に否定した。

 元々、未世は和花先生に用事があって彼女の城たる保健室にやってきた。そして話が弾み、先程の妄想話をしたのだった。

「そうなんですか?」

 不思議そうに、未世は首をかしげる。

「妹の恋愛事情に、職権乱用めいた手段を使って介入したり、姉妹が家族以外の感情を抱くというのは、漫画とかドラマとかでしかない内容よ。現実には、そんなことありえない」

 一人っ子の未世には想像しづらいのか、首をかしげる角度が深くなる。

「そうなんですか?恵那ちゃんが密かに男子と付き合っていて何も話してくれないとき、調べるために持てる手段全てを使うってことはないんですか?」

「ないわ」

「どこかの国では、恋愛と戦争では手段は選ばない、なんていいますよ?」

「……恋愛は戦争じゃないわ」

「可愛いすぎる妹を前に、現実と自分の気持ちとの間で葛藤するってことはないんですか?」

「ないわ」

「じゃあ、妹はあげないぞ~、とかは?」

 和花は矢継ぎ早に質問をしてくる未世を前に、困った笑みを浮かべる。この年頃ならば恋愛話に興味を持つのは不思議ではないが、未世の場合は少し違う方向に向かっている。

「……まあ、恵那のことが可愛いっていうのは否定しないけど、だからといって色恋沙汰にまで介入するのは良くないわ。彼女も、一人の意思を持った人間だもの」

 恵那と出会ってから、未世は思っていた。

 

 恵那が和花を好きなのは明らかだが、逆はどうなのか。

 

「じゃあ、今すぐ恵那ちゃんに彼氏ができても、それは認めるんですか?」

 一瞬、和花の体が硬直した。

「それは、……恵那自身が決めることね。まあ、どんな彼氏であれ、妹を幸せにしてくれるなら、姉としては歓迎よ。彼女の意思は、尊重しないと、いけないもの」

 和花の表情は曇り、どこかさみしそうな色をにじませる。

「いいんですか?試練を課して試したりしなくて?恋に障害は付き物、なんていいますよ」

「それこそ、ドラマのネタね」

「そういうものなんですか?」

「それから、朝戸さんの話のようなことを恵那にしたら、私は捕まるわ。冗談抜きで」

 未世の妄想の中で、和花は恵那のお茶に睡眠薬を仕込んだり、盗聴したり、果ては自室に連れ込んでいた。

 こんなことを現実でやれば、いくら家族といえど、犯罪であるのは明らかだった。

「そうですか……。恵那ちゃんは先生大好きですから、もしかしたら受け入れてくれるかもしれませんよ?」

「……想像してごらんなさい。規則や決まりにうるさい彼女なら、迷うことなく私を警察に突き出しそうじゃない?こんな姉さんいらない、とか。ちゃんと罪を償ってきて、とか」

 未世は、あははと渇いた笑いを漏らす。夏の共同演習で一緒の分隊になって以来、未世は恵那を見続けているが、最初に抱いた印象は委員長っぽい、というものだった。

 規則や規律にうるさい彼女なら、身内贔屓などしないだろう。そう考えれば、ありえそうではあった。

「姉妹愛って難しいですね」

「それは姉妹愛っていうのかしら?」

 和花は苦笑する。

「まあ1つ言えるのは、妹が嫌いな姉はいない、ということかしら」

「なるほど」

 未世は頷き、出されたコーヒーの紙コップに口をつける。

「ところで朝戸さん、今の私の言葉、誰にも言わないで頂戴。特に恵那には、ね?」

「はい、勿論です」

 念のため、和花は未世に釘を刺しておくのであった。

 

 

 未世が去っていった保健室で一人、和花は大きく息を吐き出す。

「天然に見えて、勘は鋭いわね」

 先程の話、ありえないといったものの、和花は実際、限りなく近いことを既にしていた。妄想だと流したが、話を聞いていたときの和花は、頭の中を覗かれているようで、内心冷や汗をかいていた。

 未世なら、いつか本心を見抜かれてしまうかもしれない。

「余計なことを話さないか、監視する必要があるわね」

 和花はスマホを操作し、関係者にメールを送信した。内容は無論、朝戸未世に目を光らせろ、というものだった。

 

 

 

「ていうオチはないんですか?」

「ないわ」

 またも未世の妄想は否定された。

「はいはい、妄想はそれくらいにして、早く部活に行くか、帰宅しなさい」

「は~い」

 未世は一人、今度こそ帰路へついた。

 



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対象も関係も人それぞれ

 とある男子生徒から告白された件が噂になり、クラスメイトからの質問責めにあう豊崎恵那。彼女はその状況から脱出するべく、クラスメイトの百瀬理子を連れて屋上へ向かう。
 そして食事をしながら話す2人だが、理子の発したある言葉に恵那は衝撃を受ける。



 キャラの口調は推定で書いているので、人によっては読んでいて違和感を感じるかもしれません。あと、少しキャラ崩壊気味です。
 
 最後までお付き合い頂けたら幸いです。


 朝日が登り、1日が始まる。とある学校の教室に、制服に身を包んだ1人の少女が入る。彼女は教室に入るなり、目を輝かせるクラスメイトたちに詰め寄られた。

 

「ねえ、告白されたって本当?」

「ねえねえ、受けたの?どうしたの?」

「どんな人だった?素敵な人?カッコいい人?」

「どう返事するの?ねえ。もうしたの?」

 

 噂好きで恋愛に興味を持つ年頃のクラスメイトたちから、機関銃のように雨あられと浴びせられる質問を、彼女は貼り付けたような、若干引きつった満面の笑みで軽くいなし、自分の席へとたどり着くと、支給された銃を、机の横にあるラックに固定する。

 その後も休み時間が訪れるたびに、彼女は周囲から質問という名の銃弾を浴びせられ続けた。そして昼休みが訪れると、クラスメイトたちに迫られる前に、彼女は教室を脱出。屋上に向かって一目散に廊下や階段を駆け抜け、屋上へつながる塔屋の扉を勢いよく開け放つ。

 屋上に降り立った彼女は空を見上げ、頭を両手で抱え、

 

 

 

「ぬうああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 

 

 と日頃の行いや傍目委員長っぽく見える雰囲気からは、想像し難い叫び声を上げたのだった。

 

 

 

 誰のせいで広まったのか、クラスメイトたちから質問という銃弾を浴びせられている渦中の人物、豊崎恵那は空に向かって叫び声をあげるという奇行を行った後、180℃回れ右をし、来たばかりの屋上を足早に去っていった。

 

 

 

 

 

 

「恵那が突然走って教室を去っていき、屋上で叫び声をあげたかと思えば戻ってきて、問答無用で私の手を引っ張って屋上に連れて行くから何事かと思えば……」

 言葉に少々の不満を織り交ぜながら持参した弁当をつつくのは、恵那と同じ迷彩模様のスカートにリボンが特徴の朝霧高校の制服に身を包み、綺麗で、立派なおでこをお持ちの少女。

 

 名を、百瀬理子(ももせ りこ)という。

 

「周囲の質問に耐え兼ねて教室を脱出したはいいものの、食事を忘れた上に、1人は寂しいから私を連れ出した、と……」

「……丁寧な解説は普段はありがたいけど、あまり声に出さないで」

 頬を若干赤らめつつ、俯き加減で恵那は言う。

「……迷惑だった?」

 彼女にしては珍しく、弱々しく、沈んだ声だった。

「迷惑ではないぞ」

 理子は即答する。恵那は笑みを浮かべた。

 

 

「むしろいい機会だ。一緒に食事をとるということによって、お互いの親睦が深まる。それは、有事の際、円滑な連携を可能にする。いいことだ」

 

 

 そんな返答をよこす理子を前に、恵那は笑みを崩してため息をはく。

「……相変わらず、作戦行動第一主義ね」

「それのどこがおかしい?我々指定防衛校の生徒は、自衛隊の下部組織であり、地域防衛という重要な役割を任せられているし、そのために銃の携帯も許されている。それだけに、命令や規律は絶対遵守だし、有事の際円滑に連携できるよう、日頃から訓練だけでなく、人間関係を広めるなど努力を続けることも大事だ」

 恵那は、またため息を吐いた。

 彼女は、生真面目を通り越して、堅物の域に達している。

 どんなときも作戦第一、ルールは絶対遵守。それが理子という生徒だ。

 

 政治家の父をもち、彼女自身は将来の自衛官を目指すべく朝霧高校に入学。今は機甲科職に進みたいと考えているらしい。

「それじゃあ理子、あなたの目から見て、さっきまでの質問攻めはどう思う?」

 登校した瞬間から休み時間、先程まで恵那は質問の嵐に晒された。

 

 

 彼女がとある男子生徒から告白を受けたという噂は、誰の口から広まったのか、クラス中の人間が知っていた。

 もっとも、その男子生徒とは後日歩哨任務の最中に出くわした。そして銃を持っている恵那の姿をしばし眺めた彼は、

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 と言って告白を撤回していったのだった。そのオチを、隣りにいる理子は知っている。

 

 

「いいことじゃないか?恵那が振られたのは残念だが、その話題で周囲は日頃、堅物で近寄り辛い恵那に関心を持ち、接触してきた。交友関係は広いに越したことはない。これを機に周囲と慣れ親しみ、いつ何時、彼らと組んでも問題ないよう仲を深めればいい」

 理子は、後に演習で恵那が組むことになる朝戸未世たちが委員長みたい、と口を揃えて言う恵那以上の堅物で、上下関係や規律にやかましい。

 後に恵那は未世たちに対し、委員長みたいとは彼女のようなことをいうのだと、何度か理子を未世たちに会わせようと考えたらしい。

 

「振られてない!こっちが答えを保留している間に、向こうが一方的に告白を撤回していっただけよ!」

 

 理子の、恵那が振られた、という部分に反応し、彼女は吠えた。少し力を入れて。でもそんな彼女を理子は、いつもと変わらぬ目で見つめる。

「残念だが恵那、振られたことに変わりはない」

「振られてないわよ!」

「振られたんだ」

 恵那は理子を敵視する猛獣のように、視線を鋭くし、呼吸が荒らさを増す。

「冷静に考えてみたらどうだ?」

 理子は弁当を食べる手を緩めず、黙々と話を続ける。

「告白してきた男子生徒は、恵那の魅力よりも、銃を持つ恵那の恐怖に屈して告白を撤回した。これが振られたでなくて、一体なんだ?」

「ぐっ……」

 恵那は押し黙った。理子の考え方をすれば、振られたと言えなくもない。銃という絶対的な暴力を持つ恵那から感じる恐怖と、彼女単独の可愛さなどの魅力。その2つを男子生徒は天秤にかけた。

 

 結果、恐怖が上回った、と。

 

 

「まあ、いいわよ」

 恵那はいつもの表情に戻り、理子の横に腰掛け、自分のお弁当をつつき始める。

「あんな程度で逃げ出す腰抜けじゃあ、どうせ長続きしなかっただろうし」

 おかずの唐揚げを箸でつまみ、口へ運ぼうと持ち上げる。

「それに、今の私たちに大事なのは、訓練と任務。色恋沙汰にうつつを抜かしているときじゃないわ」

 未知の敵、イクシスと戦うために指定防衛校の生徒は存在する。である以上、任務は何物よりも優先されるし、そのための訓練も重要なもの。

彼女たちは日々座学や訓練、任務に追われ、多忙な日々を送っている。休日に招集がかかる場合もあるため、プライベートの時間はどうしても一般学生に比べ減ってしまう。

「一理あるな」

「理子もそう思うでしょ」

 指定防衛校が設立され、銃をもつ社会人や学生が現れても、銃規制の名残か関わりの少ない人間からすれば、未だに銃が非日常の一部で、怖い存在だという考えはある。

なので、恋愛をする対象としては嫌煙される傾向にある。

 指定防衛校の男女で付き合えば、恵那のように銃を持っているからと怖がられることはない、が別の問題が発生する。

 

 指定防衛校は共学であっても、役割の違いから男女が分けられているため、出会いは少ない。おまけに、男子は卒業後に志願すると、帰還後は一定の待遇が保証されるとはいえ、前線に赴くことになる。

 そうなれば遠距離恋愛が確定してしまう。なので、恋愛話に興味を持つ年頃であっても、実際に付き合い続けるということは容易な話ではない。

 恵那が質問攻めにあったのも、そういった話題にクラスメイトが飢えていたせいかもしれない。

「だから、私たちに恋人なんて、今いなくて当然で、これからもいらないのよ」

 そういってやせ我慢をするように話を締めくくろうとした恵那は、唐揚げを口の前まで持ち上げ、

 

 

 

「恋愛対象ならいるぞ」

 

 

 

 口に入ることなく落下し、無事弁当箱へと着地した。

「まあ、恵那にもいつかいい対象が現れるだろう。だから先日のことは気にせず……」

 恵那は、頭から冷水をかぶったように体を震わせ、表情筋を引きつらせ、さびた戦車の砲塔のようにぎこちない動きで理子に振り向く。

「えっと、理子……」

「なんだ?」

 黙々と箸を進める理子に、恵那は問いかけた。

「今、なんて?」

「なんだ?」

「今、なんて言ったの?」

 首をかしげながら、彼女は言う。

「恵那にもいつか……」

「違う!その前!」

 鼻先が触れそうなほど顔を近づける彼女に、理子は物怖じせずに言った。

 

「恋愛対象ならいるぞ」

 

 2人の間をしばしの間、静寂が包む。その上空を、鳥が鳴き声を上げて何度も旋回している。

「……ホント?」

「本当だ」

「悪ふざけ?」

「言っている顔に見えるか?」

 恵那はしばし理子の瞳を覗き込み、間もなく離れた。少なくとも、今の彼女がタチの悪い悪ふざけを言っているようには見えなかったらしい。そもそも、彼女は極度の堅物。そんな冗談をいうような人間ではない。

 それでも信じきれないのか、恵那は理子を半目でじと~っと見つめ続ける。そんな友人を見て彼女はため息を吐く。

「信じられないなら、放課後に確かめるか?」

「え!?会えるの!?」

「ああ。どこに出しても恥ずかしくないからな」

 すると理子は弁当箱に蓋をして包みをし、立ち上がるとスカートについた塵を叩き落とし、支給されている89式小銃を掴んだ。

「では、放課後に」

 屋上を去ろうとした理子は、塔屋に入る直前に振り返った。

「恵那、早く食べないと、あと10分で昼休みが終わるぞ」

 理子に指摘され、左手首にはめた時計を覗き込んだ恵那は、慌てて弁当箱の中身を胃の中に押し込み、悠々と去っていく理子の後を追ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「で、何で私が一緒にいくことになったの?」

 理子を先頭に、その後ろに続く2人の生徒。1人は恵那。もう1人は三つ編みに縛った髪を揺らす生徒。

「浜中先輩も興味ありませんか?」

 浜中詠美(はまなか えいみ)。恵那と理子の先輩で、キャリアウーマンや科学者のような、理詰めで考えるような雰囲気を、見た目から連想させる。

 それは間違ってなく、彼女の得意分野は、迫撃砲などの弾道計算である。

「興味はあるわよ。あんたたちといると、退屈しないし」

「でしょう」

「それにしても、恵那がよく堅物だといっている理子に、恋人ねえ」

「先輩!言い方!」

 恵那の悲鳴のような声が響く。

「別に間違ってないじゃない?」

「堅物は間違ってませんけど、それだと、私が理子が堅物だと周囲に吹聴しているように聞こえるじゃありませんか!それに、彼女に恋人がいるのがおかしいって言っているようにも聞こえます!」

 詠美は迫撃砲の弾道計算はできても、自身の言動が周囲に与える影響は計算できないようである。

「よく恵那は私のことを堅物なんていうが、恵那も十分堅物だぞ」

「そうね。類は友を呼ぶっていうものね」

「私は普通です!」

 すると、理子と詠美は顔を見合わせ、

 

「恵那が」

「それを言うの?」

 

 と、呆れられてしまった。

 

「なんですか、その呆れているような態度は」

「……呆れているんだけど」

「まあ、恵那のこういう所は嫌いじゃないが」

 3人は言い合いをしながらも、理子を先頭に目的地へ向かっていく。

 

 

 そして、昇降口を出ると、理子は学校の正門ではなく、敷地内の一角へむかって歩いていく。理子の後を追いながら、恵那は疑問を抱く。

 理子の父親は政治家。彼女の恋人になるということは、将来その地盤を引き継ぐ可能性がある。そんな父親のメガネにかなう男子など、そこいらにいるのだろうか。

 理子は昼休みに、どこに出しても恥ずかしくない、と言っていたが。

「ねえ、理子。どこへ向かっているの?校外じゃないの?」

「校内だ」

「校内?」

 理子の言葉に、恵那は首をかしげる。校内には女子生徒しかいないはず。

「校内ってことは、もしかして理子の恋人って、女子せ」

「先輩!それ以上はいけません!」

 恵那が悲鳴をあげた。詠美は、思わず両耳を手で塞いだ。

「そんなに叫ばなくても……。恋愛のあり方は人それぞれでしょ?」

「その心の広さは尊敬しますけど、公共の場で言わないでください!」

「なによ~」

 すると、彼女は口角を釣り上げ、楽しそうな笑みを浮かべながら、恵那を見つめる。

「もしかして恵那、変な想像でもしていたの?」

 先輩の言葉の意味を察したのかは定かではないが、即座に恵那は、

「してませんよ!」

 と否定する。

 頬を赤らめる恵那を、詠美は微笑ましいものを見る目で眺める。

「恵那、もしかして、男子に振られたのがショックでその道に目覚めたの?」

「目覚めてませんよ!」

「あら、何とは言ってないのに。あなたは何を想像したのかしら?」

 姉の和花さえ、冗談が通じない、と言わしめるほどに真っ直ぐすぎる恵那は、詠美にいいように遊ばれている。

「2人共、想像するのは勝手だが、目的の場所についたぞ」

 2人は、理子の視線の先を、同時に見つめた。

 

 

「……へ?」

 

 

 恵那の口から、声が漏れた。

 そこは、朝霧高校の一角にある、生徒が使用する車輌などを停めている場所。そして理子はその中の1つに近寄った。

 

 

「これが私の恋愛対象、偵察バイクだ」

 

 

「……は?」

 

 

 恵那は開いた口がふさがらなかった。

「これのどこが恋人よ!」

 叫ぶ恵那に、理子は話し始める。

 

「何を言う?私は偵察バイクがきっかけで、機甲科職に就きたいと思った。つまり惚れたわけだ。そして私は、この偵察バイクの使い方を学び、相棒に、戦友になりたいと考えた。戦友同士の間にのみ芽生える戦友愛は、恋人同士の恋心や、その次の段階の夫婦愛よりも強いというぞ」

 

 確かに、戦場から帰還した兵士の中には、戦友愛は夫婦愛よりも強いと、証言する者がいる。命のやりとりをする、死と隣り合わせの環境でのみ芽生える繋がりは、何ものよりも強いのは想像に難くない。

 

「だがまだ、私は偵察バイクの乗り方を学んでいる途中だ。偵察バイクの戦友にはまだなれていない。私が惚れ、扱い方を学んでいる段階。つまり乗りこなしたい対象と一方的に見ている初期の段階、恋愛対象というわけだ」

 偵察バイクに手を添えながら、理子は自信満々に言い切った。何か間違っているか、とでも言いたげな顔で……。

 

 思えば、恵那は最初に聞いた段階で気づくべきだった。

 

 理子はなにも、恋人(・・)、とはいっていない。あくまで、恋愛対象(・・・・)、だと言っただけだ。

 

 そういう理子に対し、恵那は唖然とし、詠美はお腹を押さえながら笑いをこらえている。

「そっか。じゃあ、私は迫撃砲が恋人になるのかしらね?」

 お腹を押さえ、笑いをこらえつつ、詠美は言う。

「そうですね」

「じゃあ、恵那は89式小銃かしら?」

「かもしれません」

「よかったわね、恵那。裏切らない恋人といつも一緒ね」

 詠美が恵那の肩を何回か叩くも、彼女はフリーズしている脳で、

「89式が、恋人……」

とだけ呟いた。

 

「そもそも、世間には仕事が恋人、戦車が恋人、なんて言う人がいるくらいだ。銃が恋人でも、迫撃砲でも、バイクでも問題はあるまい。尽くせば尽くすほど、丁寧に扱えば扱うほど、相手は必ず応えてくれる。理想的な相手ではないか?」

「そうね、恋愛の形は人それぞれだものね」

 真面目に答える理子、笑いをこらえている詠美のペースに、恵那はついていけない。

「もっとも、浮気でもして粗末に扱うと、交通事故や暴発事故という形で報復してくる怖さはありますが、私は丁寧に扱うし、尽くすから問題ない」

「まるでヤンデレね」

 詠美はもはや口元を隠そうともせず、笑いこけている。

「ホント、あんたらと一緒にいると、退屈しないわ」

 楽しそうな2人の会話が頭上を行き交う中で恵那は、

 

 

「あんたに聞いた、私がバカだったわ……」

 

 

と呟いた。

 

 

 

 後日、夏の共同演習の分隊で組んだ未世や、姉の和花によって、男子生徒から振られた件をからかわれることになるのは、もう少しあとのことである。

 

 



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積もり積もった末に・上

ある日、古流高校に通う白根凛は、幼馴染の朝戸未世の理解者の彼女を呼び出す。
空き部屋で2人きりという状況下で、凛が彼女を呼び出した理由とは……。


以前投稿した「2つの道、彷徨う弾丸」の後日の話になります。長くなってしまったので、上・下に分けます。

*ホラー要素、若干残酷な表現を含みますので、苦手な方はご注意下さい。


 

 

 

 床ドン、というものをご存知だろうか?

 

 床を足でドンドン蹴ること?

 床を銃でドン、と撃つこと?

 床にロケットランチャーを撃ち込むこと?

 床に爆薬しかけて爆破すること?

 

 正解は最初の、床を足でドンドン蹴ること、である。間違っても残り3つのような物騒な意味ではない。

 もっとも、今では意味が変化し、時折漫画などで見られる、好きな女子を男子が床に押し倒す行為のことを言う。

 相手を壁際に追い詰める壁ドンに並び、女子が男子からして欲しい行為の1つであるという話がある。

 

「あの~、ちょっと……」

 

 茜色に染まる空、遠くに響く部活中の生徒たちの喧騒。そんな風景から離れた静かな部屋の中、2人の生徒が向かい合う。

 1人は床に押し倒され、もう1人は相手の足の間に膝をつき、両手首を片手で押さえつけている。いわゆる、床ドンの状態である。

 これが異性同士なら、理想の状況かもしれない。だがあいにく、どちらも同じ制服を着ている同性同士、まして女性同士では、一部を除き需要はない。

「その、あの……」

 床に倒されている生徒が何度呼びかけても、見下ろす相手が口を開く様子はない。

 床に押し倒されている生徒を、風原凪(かざはら なぎ)、見下ろしている生徒を、白根凛(しらね りん)という。

 

 

―――なんでまた、こんな状況に……。

 

 

 

 同級生で特殊戦科所属の凛から、2人で話がしたいとスマホにメールが届いたのは数十分ほど前のこと。

 そして指定されたこの空き部屋で待つこと数分。

 部屋に入ってきた凛が後ろ手でドアに鍵をかけると、無言でにじり寄ってきた。凪は不審に思い、後退った。だが、床に置かれていたダンボールに足を取られ、尻餅をついた。

 その隙に彼女は一気に距離をつめ、凪の両手首をつかんで床に押さえつけ、今の状況に至る。

 

 

―――あんな一件があったし、もう少し警戒するべきだったかな……。

 

 

 背中に当たっているのが壁か、床かの違いはあるが、以前彼女は、屋上に同じように呼び出され、塔屋の壁に追い込まれ逃げ場を絶たれたことがあった。

 今は両手首を押さえつけられ、逃げ出すことはできない。部屋が施錠されている以上、助けは望むべくもない。

「……それで、私をこの部屋に呼び出した理由は何ですか?」

 凛の真意が何であれ、この状況を変えるには彼女の目的に応えるしかない。

「……あなたに聞きたいことがある」

 その言葉に息を飲み、じっと待つ。彼女が2人でなければならない状況下で聞くことなど、詰問にも近い内容に違いない。

 以前屋上に呼び出されたとき彼女は、なぜ同じ夢を持っていた学友、朝戸未世(あさと みよ)を裏切ったのか、という本人がいる前ではおおよそ聞けない内容で迫ってきた。

「聞きたいことには答えますから、とりあえず、座って話しませんか?」

 床と凛に挟まれている状況を嫌がったのか、座ることを提案したが、

 

「……ダメ」

 

 と否定されてしまった。

「なんで!?」

 凪が体を起こしそうになったのを、凛は押さえつける。

「……こうしておかないと、あなたが逃げるから」

「逃げませんよ!」

 その言葉に、彼女の瞳が刀のように細められる。

「……以前屋上に呼び出したとき、隙を見て逃げ出そうとしたのは誰?」

 否定できない指摘をされ、凪は押し黙る。やむなく、この状態で話を進めることにする。

「それで、聞きたいことってなんですか?」

 彼女は、鼻先が触れそうなほど顔を近づけてくる。

「……本当はわかっているんじゃないの?」

「わからないから聞いているんです」

「……胸に手を当てて、よく考えてみれば?」

 だったらあなたが押さえている私の両手を離してください、というツッコミを凪は飲み込む。しかも今回は、凛の首元を飾る制服のリボンで両手首を縛るという念のいれようである。

「……まあいいか。時間も勿体ないし」

 凪は黙って、凛の言葉を待つ。

「……あなたはもう一度、未世と同じ夢を目指す。そう決めたのは確か?」

 首を縦に振って頷く。凪はクラスメイトの未世と、イクシスと仲良くできる方法を探す、という夢を共有していた。だが、彼女は任務中に再会を望んだイクシスに出会い、殺してしまったことで、夢を捨てて未世から離れた。

 その後、彼女の説得や幾つかの出来事を経て、もう一度同じ夢を目指すと、2人の道は重なった。

「……なら、どうして」

 凛の目が細められ、向けられる視線が鋭さと冷たさを増す。でもその表情には、どこか悲しさがにじんでいる。

 

 

 

「……未世が、今も不安がっているの?」

 

 

 

「……へ?」

 凪は表情を緩め、呆気にとられた。

「……未世は不安がっている。あなたが、またいつか離れてしまうんじゃないかって」

「不安がって、いるんですか?」

 凛は頷いた。

「あなたが離れないようにするには、どうすればいいかって、何度も聞かれた」

「でも、とてもそんな風には……。未世さんは会えば背中に飛びついてきたり、スキンシップはしていますし、休み時間はよく話してますし……」

 

「……自慢か」

 

「自慢じゃありません!現状ですよ!」

「……そう。まあ、私の知らないところで何しているかは後日ゆっくり問い詰めるとして」

 後日、己に待ち受ける回避不可能な運命に気が重くなる。

「……でも、未世が不安がっているのは事実」

「そ、そんなに不安がらなくても……」

 凛は今度は、カっと目を見開き、凪の瞳を、頭の中を覗きこむように迫る。

 

「……ロクに理由も告げず未世を、ある日、突然、急に、見捨てたのは誰?」

 

「ごめんなさい……」

 

 同じ夢を持っていたのに、彼女はある日、突如未世を見捨てた。あのときの、彼女の悲しみに歪む表情は、今も忘れられない。

 だが、普段はあの元気が服を着て歩いているような未世が不安がるなど、おおよそ想像できなかったが、付き合いの長い幼馴染の彼女がいっているということは、嘘ではないだろう。

「……だから責任もって、未世の不安を取り除いて」

「取り除いてって……、どうやって?」

 現状、彼女は未世と時間を過ごすときを増やしているし、スキンシップだって受け入れている。

 最近は、胸やお腹、太ももを触るなど過激さを増し、相手が凪でなければ警務に通報されるレベルにまで来ている。

「今できることはしていますし、凛さんの勘違いじゃ……」

 凛が、見開いた目を瞬く間に鋭く細める。

「……そう」

 彼女は静かに言った。

「……なら、実際感じてみるといい」

 静かな廊下に足音が等間隔で静かに響き、彼女たちの部屋の前で止まる。

 

「……彼女の不安を」

 

 直後、ドアの鍵の開く音がし、引き戸が開けられた。

 

「凛ちゃ~ん、こんな所に何のよ……」

 

 ドアを開けたのは、先ほどの話題の中心人物、朝戸未世だった。

 彼女は目の前で繰り広げられる光景を見て、銅像のように固まる。

「あ、あの、未世、さ」

 すると、未世は素早く部屋に入って扉を締めて鍵をかけ、すかさずスマホを取り出し目の前の光景、凛と凪の状態を撮影した。

「ちょ!ちょっと!」

 かざされたスマホがどけられると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

「凛ちゃん、凪ちゃん、2人してこんな場所で、何をしているんですか?」

「み、未世さん。これは、その……」

 先日の屋上の時と同じように、現状をどう説明したものか、必死になって脳を働かせる。

「……凪を問い詰めていた」

 困惑する凪をよそに、凛が静かに応える。少しばかり、不敵な笑みを浮かべて。

 

 

「……また、未世を見捨てるのか、って」

 

 

 その瞬間、部屋の中のもの全てが凍りつき、時が止まったような錯覚に陥る。

 間もなく、凛は凪の上からどき、彼女は立ち上がって未世に歩みよる。手首を縛っているリボンはほどいてもらえなかったが。

「あ、あの、未世さん。さっき凛さんが言ったのは」

「凪ちゃん」

 固まっていた未世が、ゆっくりと顔をあげ、視線をあわせる。

「……私、あれからずっと、不安だったんですよ」

 途切れながらも、彼女は言葉を紡ぎ始めた。そのときの未世の表情に、凪は釘付けになった。

「……あなたがまた、いつか、私から、離れてしまうんじゃ、ないかって」

 彼女はゆっくりとした口調で言う。

 

 

 底の見えない泥沼のように濁り、焦点の合ってない虚ろな瞳で、凪を見据えながら。

 

 

「だから、一緒に時間をすごしたり、しているんですよ」

 彼女は突如足を一歩踏み出し、距離を詰めてきた。

「でも、不安がなかなか、消えなくて」

 また一歩踏み出す。それに合わせ、凪も一歩下がる。

「凪ちゃんは、もう私を、見捨てたり、しませんよね?」

 底のしれない濁った瞳で、未世は凪を捉え続ける。

「え……、も、勿論、ですよ」

 いつもの彼女とは明らかに異なる雰囲気に、体がこわばり、心臓の拍動が次第に早まっていく。

「……でも、不安は消えなくて。どうすれば、いいんでしょうねぇ」

 亡者のようにおぼつかない足取りで迫る未世、後退る凪。距離は一定だが、狭い室内。すぐに終わりがやってくる。

 脳内では、この場からすぐに逃げろ、そう警報がなっているが、逃げ場はない。

 壁際までもう距離がないことを悟り、凪は歩みを止める。未世は、少しずつでも距離を詰めてくる。そして2人の間が1mほどにまで近づいたとき、足を止めた。

 

 

「あ、いいこと思いつきました」

 

 

 突如、先程の雰囲気が嘘のように、彼女は夏空のように晴れやかな笑みを浮かべた。

「何を、ですか?」

「凪ちゃんが私から絶対に離れていかない方法です」

 彼女は両目を大きく見開き、凪を視界に収める。明るい笑みとは反対に、濁った瞳で。

 絶対にいい方法などではない。

 不安に取り憑かれた者が考える、相手を逃がさない方法。その言葉を聞いて脳裏に、鎖、手錠、監禁という言葉がよぎる。

 もっとも、それらだったらまだ可愛かった方かもしれない。

 想像だにしない言葉が、歪んだ笑みを浮かべる未世の口から放たれた。

 

 

 

「あなたを……、タベチャエバイインデスヨ」

 

 

 

「……え」

 凪は、未世の発した言葉が理解できなかった。その真偽を確認しようとした瞬間、彼女が飛びかかってきた。

 両肩を捕まれ、床に押し倒される。背中を打ち付けた衝撃に顔をしかめていると、未世は凪の首元のリボンとシャツの前を手荒な手つきで外し、口をゆっくりと開ける。

 そして、首の付け根の左側に歯を突き立てた。

「み、未世さん!」

 首元からの痛みや、彼女の信じられない行動に戸惑いつつも、引き剥がすべく手を突っ張る。だが、両手首は凛のリボンで縛られたまま。それでもなんとか力を込めて彼女を遠ざけようとするが、巨木のようにビクともしない。

 彼女も訓練を受けている指定防衛校の生徒。並の女子高生とは違う。

「み、未世さん!や、やめて!」

 首の痛みが増す中、彼女は必死に叫ぶ。

「大丈夫ですよ。これでイツデモ、ドンナ時でも、一緒デスカラ」

 だが、彼女は人間を喰らうゾンビのように止まらない。体内に取り込まれれば、髪の毛は排出されないとか、彼女の血肉の一部になるとかいうが、本当かは誰も知らないし、そんなものはヤンデレ小説の中だけで十分だ。

 

 

 未世に噛まれながら、凪はぼ~っと思う。自分の行いは、彼女をこんなにしてしまうほど、不安を与えてしまったのか。

 それほどに、たった一度とはいえ、突然見捨てたことは、彼女に大きな衝撃を与えてしまったのだと悟った。ふと視界の端に、凛の姿がうつる。

 未世に噛まれている凪を、彼女は冷たい目で、黙って見下ろしている。近づいてくると、そばにしゃがみ、静かに言った。

「……これが、あなたがした行いの結果。ロクに理由も告げず見捨てたせいで、未世がどれだけ悲しんだか、今も不安を感じているか、わかる?」

 頷くこともできず、凛の言葉をただ聞く。

「……だから、その罪は償って」

 冷凍庫の冷気のように冷たい声で、ニヤつきながら彼女は言った。

 

 

 

「……未世に、食べられてしまえ」

 

 

 

 その言葉を最後に、凪の意識は、暗闇に包まれていった、

 

 

 

 



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積もり積もった末に・下

想像した話を終えた白根凛は、誰にも言わなかった心情を初めて吐露する。
日頃は飄々としている彼女が抱えていた、誰も、幼馴染の未世さえ知らなか
った彼女の内心とは……。




 

 

 

 

「……っていう未来が待っているかもしれない」

 

 

 床に押し倒された状態のまま、凪は背筋を震わせた。

「あの~、その食べられるっていうのは、胃に収まるって意味ですか?それとも、それ以外?」

 

「……前者」

「そこは後者って言ってください!」

 

 空恐ろしいことを平然と言う目の前の学友に、彼女は底知れぬ恐ろしさを感じた。

「……食い意地の張った未世と、食べごたえのある体をしているあなたが組み合わされば、そうなるのは必然」

「食べ応えのある体ってなんですか!初めて聞きましたよそんな総評!」

 凛は空いている方の手で、凪の凹凸がはっきりしてきている体の、首の下から太ももあたりまでを撫でる。

「……まあ、さっきの想像は話半分として」

「半分なんですか!」

「……本当にそうなっても、私は助けに入らないから」

「なんでですか!凛さんは未世さんの相棒でしょ!彼女を止めてくださいよ!」

「……原因はあなた。自分でなんとかして」

 先程の話は、幸いなことに凛の想像であった。

 

 要するに、彼女は未世が不安がっているから、その原因である凪に責任もってなんとかしろ、と言っているわけである。

 

 出来なければ、彼女に食べられてしまうぞ。

 

 そんな状況になっても、助けには入らない、ということも含めて。

 

 

 

「逆に、私から聞いてもいいですか?」

「……何?」

「凛さん、私に冷たくないですか?」

 少しの間、部屋を静寂が支配する。

「…………気のせい」

「今の少し長めの間は何ですか?」

 すると凛は、バツが悪そうに視線を逸らす。日頃彼女は飄々としているか、朝なら眠そうにしている。そんな彼女が、凪に対しては警戒するか、冷たいか、瞳の奥で灼熱の炎を燃えたぎらせるか、希に優しさを見せる等、感情的な面を見せている。

 その違いは、どこから来ているのだろうか。

 

 

「……あなたが悪い」

 

 

「え?」

「……あなたが、悪い」

「私、何かしましたか?」

「……胸に手を当てて、よく考えてみれば?」

「だったら両手を離して、リボンをほどいて下さい」

「……ダメ」

 両手を縛られ、押さえられたまま、凪は思い返す。自分が、彼女にしたことを。

 

 凛の相棒の未世を見捨てた。

         

         裏切った。

         

         銃口を向けた。

         

         スキンシップが激しい。

 

 そこまで考えて、思考を中断した。

 

 

 ――――ダメだ、思い当たる節がありすぎる……。

 

 

 思い当たる理由の多さに額に冷や汗をにじませる彼女に向かって、凛は静かに言った。

「……不安なの」

 いつも見せない、曇った表情の彼女を前に、黙って言葉を待つ。

 

 

「……あなたが、未世の隣りを、奪ってしまうんじゃないかって」

 

 

 彼女は静かに話し始めた。

「……私は、未世と小さい頃から、ずっと一緒だった。中学で、一緒に部活で汗を流したりもした」

 現在、凛は学内で最も訓練が過酷な特殊戦科所属のために、部活に入っていない。その代わりか、未世は凪を陸上部に引き入れようと勧誘を繰り返し、先日は入部をかけて飯田莉彩と追いかけっこをすることになってしまった。

「……いつも、未世と一緒にいることが当たり前だった。でも、古流に入って状況が変わった」

 凛は凪を見下ろす。イクシスを見るときと同じ、鋭い視線で。

 

 

「……未世と同じ夢を持っている、あなたが現れたせいで」

 

 

 イクシスと仲良くなれる道だって、きっとある。未世の抱く夢。

 

 

 でも、それはイクシスを殺してしかるべき、という世間の常識に反している。周囲は聞く耳を持たないか、流すのが普通で、目の前の凛でさえ、未世にその夢は理想論だと言って諭している。

 意思疎通ができたためしのない敵と仲良くなる方法を探し、試みるなど、危険極まりない行為に他ならない。

「……指定防衛校に入って、現実のイクシスに出逢えば、未世は夢を諦めてくれると思った。でも、実際にはならなかった」

 両手首を握る凛の手に、力が込められる。

 

 

「……あなたの、あなたのせいで」

 

 

 静かな怒気が込められた声が、静寂のみちる部屋の中に響く。

 イクシスに出会い、殺意を向けてくる個体に何度も出逢えば、未世は夢を諦めるだろうと、凛は考えていた。

 だが、同じ夢をもった凪との出会いにより、彼女の思惑は頓挫することになってしまった。

「……でも都合よく、あなたが未世を裏切ってくれた。諦めるように言ってくれた。未世の泣いている顔を見るのは辛かったけど、これで諦めてくれると思った」

 凪は幼い頃に出会い、再会を臨んだK9、ハルを殺したことで、未世から離れた。

 支えとなる理解者がいなくなれば、彼女は孤独になる。そうなれば、折れるのは時間の問題だった。

「……でも、未世は諦めなかった。それどころか、あなたを取り返した」

 紆余曲折を経て、未世は彼女を、同じ道へと引き戻した。

「……私は思った。未世にとってあなたは、そんなに大事だったのかって」

「そうなん、ですかね……」

「……そして」

 凛の目が、鋭さを増した。

「……以前にもまして、イチャイチャと……。幸せな様を見せ付けられる私の身にもなって」

「だから、スキンシップは朝戸さんからですよ!」

「……あなたもまんざらでもない、って顔しているくせに」

 彼女の鋭い視線が、急に緩み、俯いた。

「……私は不安だった」

 彼女は言った。消え入るような、か細く、震える声で。

 

 

「……未世はもう、私のことなんて、いいんじゃないかって。あなたがいれば、一緒に夢を目指すあなたがいれば、私は、いらないんじゃ、ないかって……」

 

 

 それはおそらく、凪が聞いた、初めての凛の心情だったかもしれない。

 

 幼馴染で、一緒にいるのが当たり前だった未世と凛。でも、付き合いが長くても分かり合えない部分はある。そんなときに、その部分を認めてくれる人物が現れた。

 いつも隣りにいるのが当たり前だったのに、気づけば未世の興味は凪に向けられていた。凛は何年もかけて、未世の隣りという定位置を、築き上げてきたのに。

 一度は離れた凪を、未世は必死になって引き戻した。そんな2人を見て、凛は自分の立っている足場が無くなるような不安を抱いた。

 

 

 彼女に自分の定位置を、奪われるのではないか。

 

 未世にとって、自分は代わりのきく軽い存在だったのか。

 

 このまま、未世が手の届かない場所へ行ってしまうのではないか。

 

 

 でも、この気持ちを未世には言えない。だから、その脅威となっている凪にぶつけた。未世の隣りという、自身の定位置を守るために。

 彼女を警戒し、時に冷たくすることで、自分の居場所を守っていたのかもしれない。

 

 

「……あのですね、凛さん」

「……何?」

「その気持ちを、未世さんに打ち明けてはどうですか?」

「……言えない」

「先日私に、何で未世さんを頼らなかったの、って言ったのは誰ですか?」

 凛は口をつぐみ、そっぽをむく。

「2人の関係は、少し弱い部分を見せたくらいで壊れるほど、脆いものなんですか?」

「……そんなはずはない。でも」

 長年かけて築き上げた、一見すれば強固に見える人間関係でも、些細なことで瓦解してしまうことはある。瓦解するくらいなら、多くは現状維持を望む。心の中で、無理をすることになっても。

 

「1つ言いますけど、未世さんが私を取り戻そうとしたのは、あくまで私が、理解者、だからですよ」

 

 今度は、凪が表情を曇らせる。

「未世さんにとって、私はあくまで、同じ夢を抱く同士ってだけです。他にも同じような人が現れたら、今の位置を奪われる可能性があります」

「……そんなこと」

「ないとは言えません。未世さんは、私自身を見ているわけじゃありませんから」

 彼女は、凛を見つめ返す。

「そこが、私と、凛さんの違いです」

 

 未世にとって、凛は代わりが効かない、たった1人の幼馴染。

 

 だが、凪は違う。同じ夢を抱く同士であるだけ。他に同じ目標をもつ者が現れたら、今の関係が崩れてしまう可能性はある。

 

 未世は、誰とでも仲良くなろうとするから。

 

「私は、凛さんが羨ましいです。未世さんは私の、夢を共有する学友、という看板を気に入ってくれていますが、凛さんに対してはあくまで、あなた自身を、気に入ってくれているんですから」

 

 それは、あまりにも大きな差だった。

 

「そんな私が未世さんの隣り、あなたの位置を奪うことも、脅かすことも、できるわけありません」

「……そんなこと、言わないで」

 凪は目を丸くした。

「……未世は、そんな子じゃない。あなただから、未世は引き戻した。あなただから、彼女は一緒に夢を目指したいと考えた。あなたにしかない何かが、必ずある」

 そんなに簡単に乗り換えができるほど器用なら、未世は銃口を向けられてまで、危険を冒してまで、和花を頼ってまで凪を一緒の道に引き戻さなかっただろう。

 それは、付き合いの長い凛だから、わかることだった。

「そうですか?」

「……絶対」

「未世さんのこと、よく知っているんですね」

「……だてに長く一緒にいるわけじゃない」

「なら、不安がる必要なんて、ないんじゃないですか?」

「……そうかも」

 部屋の中がしばし静寂に包まれる。

 

「そんなわけで、不安が解消されたところで、そろそろ手を離してもらえませんか?」

 この状況の終息を期待した彼女だったが、

 

「……ダメ」

 

 と淡い期待は砕かれてしまった。

 

「なんでですか!?今のはお互いの思っていることを打ち明けて、理解し合って終わるシーンじゃないんですか?」

「……それはそれ、これはこれ。あなたが未世の不安を解消するって約束するなら離す」

 普段飄々としているだけに、凛は場の空気に流される方ではないようだ。

「だから、何をすれば」

「……選択の余地はない」

 でなければ、未世に食べられる未来が待っているぞ、と暗に告げている。そして数分後、冷たい目で見下ろす彼女はいった。

 

 

「……いずれにしても、未世を悲しませた罪は償ってもらう」

 

 

 直後、ドアの鍵の開く音がし、引き戸が開けられた。

「凛ちゃ~ん、こんな所に何の……」

 ドアを開けたのは、先程の話の渦中の人物、朝戸未世だった。

 彼女は目の前で繰り広げられる光景を見て、銅像のように固まる。

「あ、あの、未世、さ」

 すると、未世は素早く部屋に入って扉を締めて鍵をかけ、すかさずスマホを取り出し目の前の光景、凛と凪の状態を撮影した。

「こ、これは、一大事です」

 凪はまた弱みが1つ増えたことより、これからどう事態が進むのか不安に感じ、体を震わせる。

 先程の凛の妄想話と、始まりが同じだ。

 もし彼女の想像が現実になれば、それに近いことがおこれば、まずい。

 

「それで、凪ちゃん、凛ちゃん。これは一体、どういうことですか?」

「こ、これは、その……」

 選択肢を間違えれば、デッドエンドに直行だ。先程の話が現実になるとは思えないが、このままでは別の意味でもまずい。選択肢選びは慎重に行わなければ。

「あのですね、未世さん」

「……凪を問い詰めていた。また、未世を見捨てるのかって」

 

 

――――凛さん!ちょっとおおおおおおおおおおおお!

 

 

 彼女は心の中で悲鳴をあげた。不安に駆られているという未世にそんなことをいえば、どうなるか。

「そうなんですか」

 なぜか満面の笑みを浮かべ、弾んだ声で答えた彼女は、一歩、また一歩と近づいてくる。

「凛ちゃん、彼女を離してあげて」

 凛は素直に従い、凪の両手首を離して立ち上がった。彼女も床からその場に立つ。手首を縛っているリボンは解いてもらえなかったが。

「凪ちゃん……」

 ゆっくりと、未世が口を開いた。

「……私、あれからずっと、不安だったんですよ」

 ゆっくりと、彼女は言葉を紡ぎ始めた。

「……あなたがまた、いつか、私から、離れてしまうんじゃ、ないかって」

 凛の想像の通りに彼女は話を進める。想像と現実との一致に背筋が寒くなる。違う点といえば、未世の瞳は濁っておらず、普通であるということだ。

「だから、一緒に時間すごしたり、しているんですよ」

 未世は突如、足を一歩踏み出し、距離を詰めてきた。

「でも、不安がなかなか、消えなくて」

 また一歩踏み出す。それに合わせ、凪も一歩下がる。

「凪ちゃんは、もう私を、見捨てたり、しませんよね?」

「それはもう、しません!」

 最悪の結末を回避するため、大丈夫だと強調する。

「わかってますよ、あなたがまた裏切るわけ、ないって。でも、それでも、なんでか不安なんです」

 彼女はゆっくりと歩を進め、歩み寄る。

「どうすれば、いいんでしょう?」

 眼前で、彼女は少し俯いて何かを考える。凪の背筋を、嫌な汗が流れていく。

 

「あ、いいこと思いつきました」

 

「なにを、ですか?」

「凪ちゃんが私から絶対に離れていかない方法です」

 額から冷や汗が吹き出し、おでこや頬を伝わる。凛の妄想話ではこのあと、

 

 

「あなたを……、タベチャエバイインデスヨ」

 

 

 となったが実際はどうか。

 鎖か、手錠か、監禁か、その他の何か。

 彼女は固唾を飲んで見守る。

 

「凪ちゃん……」

 凪は未世の言葉を黙って待つ。そして、彼女は言った。

 

 

 

「印をつけさせてください」

 

 

 

「……へ?」

 何のことか理解できず、凪は頭の上に疑問符を浮かべる。

「凪ちゃんが私から離れない証明として、印をつけさせて欲しいんです」

「まあ、それくらいなら……」

 食べられるよりはマシか、と思ったのも束の間。印を付けさせて欲しい、なんてどういう意味なのか、それを知ろうと頭を働かせる。だが、未世の方が早かった。

 彼女は凪の両肩を掴んで床に押し倒し、混乱する彼女をよそに制服の首元のリボンを解き、シャツのボタンの上2つを外す。

「あ、あの、未世さん!?」

 未世は笑みを浮かべたまま、彼女の縛られたままの両手首を押さえ、顔を近づけ、口を開けて、

 

かぷっ、

 

っと首の付け根左側に噛み付いた。

といっても、噛み切る強さではなく、甘噛みするような強さで。

「ちょ、ちょっと!」

 視界の端にふと、凛の姿が見えた。凪が未世に噛まれている様を、凛はじっと見つめている。

 傍から見れば少々倒錯的な、背徳的な、一部にしか需要のない光景だが、そんなものを前にしても、彼女の表情に変化はない。

 宣言通り、止める気はないらしい。そして彼女は、静かに言った。

 

 

「……未世に、食べられてしまえ」

 

 

―――ええ、食べられそうですよ!今、まさにね!

 

 

 頭の中で叫ぶも、それが相手に聞こえることはない。その間にも、噛む力は増していく。

「み、未世さ、ん。ちょ、ああああああああああああああ!」

 室内には、獲物として猛獣に食われる哀れな指定防衛校の生徒の小さな悲鳴が、児玉した。

 

 

 

 しばらくし、ようやく未世は満足げな顔で離れた。当然のごとく、凪の首の付け根には歯型がしっかりついていた。

「これでよし、です」

「よし、じゃないですよ……」

 凪は付けられた歯型を撫でようにも、制服の乱れを直そうにも、両手首が縛られたままであるため、ただうな垂れるしかなかった。

 ついた歯型を、未世は人差指で軽くなぞった。

「これは、あなたがまた、私を受け入れてくれたっていう証明です。印があれば、凪ちゃんもそれを思い出して、離れていこう、なんて考えませんよね」

 恋人同士には、独占欲ゆえに体のどこぞにマークを残し、自分のものだと示す場合があるという。これも、それに似たことなのだろうか?

 

「それは、そうですけど。人に見られたらどうするんですか?」

 歯型がついたのは首元の左側。日頃はシャツが隠してくれるとはいえ、暑さ故に制服が薄くなるこの時期、見られないという保証はない。

「……大丈夫、キスマークに比べれば、誤解は与えない」

 凪の両手首を縛っているリボンを解きながら、凛は言う。

「歯型も十分誤解を招くと思うんですけど……」

「……元を正せば、あなたが原因。これくらい、甘んじて受け入れて」

「……はい」

 ようやく自由になった両手で制服のシャツのボタンをとめ、乱れを直しつつ、彼女は言った。キスマークくらい小さければ、絆創膏などを張ってごまかすことができるが、流石に歯型を隠せるほど大きなものはない。

「これで安心です」

 未世は、太陽のような笑みを浮かべている。彼女の不安を払拭するのに、これくらいですむならいいかと、彼女は思う。

「……でも、歯型はじき消える。いいの?」

「大丈夫ですよ。更新として、消えたときはまた噛めばいいんですから」

 不穏な会話が聞こえ、彼女は身震いする。

 

―――それって、ずっと噛まれ続けるってことですか?

 

と言葉にはだせなかった。

 自分が原因なだけに、凛の言うとおり、凪はこのことを甘んじて受け入れるよりほかなかった。

「では、帰りましょう!今日、新作スイーツの発売日なんです。早く帰宅して着替えて、街へ繰り出しましょう!」

「……相変わらずの甘いもの好き」

「ホント、好きですね」

「訓練ばかりじゃ味気ないですよ。たまには砂糖みたいに、甘い思いをしても、いいと思うんです」

 すると未世は、座り込んでいる凪に右手を差し出した。

「行きましょう」

 彼女は未世の手を取り、立ち上がった。かつて離してしまった手のぬくもりを感じながら、もう離さないように、彼女は少し力を入れて握り返した。

 

 

 

 後日、大きめのガーゼで歯型を隠そうと試みたものの上手くいかず、目撃したクラスメイトに色々聞かれ、豊崎教官に詰問され、事情の説明に苦労することになったのは、言うまでもない。

 



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望まぬ未来にならないように

短編集ですが、この話で一応完結とさせて頂きます。
もう少しですが、お付き合い頂けたら幸いです。


 

 

 嵐のように降り注ぐ弾丸の雨。その雨がふりつけた敵は、体内に流れる赤黒い体液を飛散させ、肉を削ぎ落とされ、生命力が確実に削られていく。

 狼や犬を思わせる姿をしたそれらは、銃弾を散々撃ち込まれた末、地面に倒れこんだ。

「イクシスK9、沈黙」

「完全に沈黙したか確認を、周囲を警戒、残敵を確認」

 迷彩服に身を包んだ、1人の女性自衛官が、部下に指示を飛ばす。彼女は部下が散るのを確認すると、構えていた89式小銃の銃口を下げ、そばに倒れている2人の少女を見下ろす。

 2人は、迷彩模様のスカートにリボンという特徴的な制服に身を包んでいた。だが、シャツは血で染まっていて、元が何色であったのかわからない。迷彩模様のスカートも、所々赤黒く染まっていた。

 彼女は89式をスリングで後ろに回すと、2人に向かって手をあわせた。

「ごめんなさい、間に合わなくて……」

 静かに、彼女は呟いた。

「怖かったでしょ……、痛かったでしょ」

 応援要請が入り、急いで駆けつけたものの、要請をしてきた指定防衛校、朝霧高校の1年生ペアは、イクシスに殺された後だった。

 迫る足音に、彼女は振り向く。部下が、銃を手に近づいてくる。

「一尉、確認されたK9は沈黙。残敵なしです」

「……了解」

 表情を引き締め、部下に言った。

「撤収する。彼女たちの認識票、装備を回収。遺体は……」

 彼女は、その先を言いよどんだ。

 

 

「……遺体は、そのまま。かかって」

 

 

「……了解」

 部下は曇った表情で、命令を遂行していく。

 

 

 

 作業を終え、トラックの助手席に乗り込んだ彼女は、曇で覆われた空を見上げる。トラックに揺られ、駐屯地に戻る道中も、ずっと見上げたまま。

「そういえば、一尉は朝霧高校出身なんでしたっけ?」

 運転席からの声に、目だけ向ける。

「……ええ。死んだ彼女たちと、同じ制服を着ていたわ」

「きっと一尉のことですから、ルールや規律にうるさくて、委員長みたい、なんていわれてませんでした?」

 上官に対してタメ口をきけば、普通は咎められる。だが予想に反し、彼女はクスクスと笑った。

「どうかしたんですか?」

 異生物でも見るかのような表情をしている部下に向かって、彼女は言った。

「あなた、私の友人と同じこと言っているわ」

「そう、なんですか?」

 軽く頷くと、再び視線を外に向ける。

「懐かしいわ。委員長っぽいって言われたことも、あの制服を着ていたことも」

 彼女はどこか遠くを、過去を見ているような目で、空を見つめる。

「それで、そのご友人は、今も元気なんですか?」

「……元気な人もいるけど、死んだ人もいる」

 部下は、しまった、と言いたげな顔をした。部下に対して、彼女は手をふって問題ないと意思表示する。

「気にしないで。もう、15年近く前のことだから」

 それっきり静寂が訪れた。その間、彼女は空を見上げつつ、呟いた。

 

 

「もう、15年も、経つのね……」

 

 

 助手席に座る女性自衛官、豊崎恵那一尉は、雲に覆われた暗い空を、見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 周囲が暗くなったころに、ようやくその日の仕事を終え、恵那は帰宅した。ずっと住んでいる日本家屋の玄関を開けると、そこには2足の靴が並んでいた。1足は、革靴。もう一足は、ミリタリーブーツ。それを見た彼女は、足早に家に入った。

 廊下を早足で進み、灯りのともる部屋のドアを開け放った。すると、彼女と似た顔立ちの女性が、座布団に座っていた。女性は恵那に向かって微笑む。

「おかえりなさい、恵那」

 その女性に向かって、彼女は言った。

「ただいま、姉さん」

 

 豊崎和花。恵那の姉である。和花がお茶を淹れたコップを差し出すと、恵那は中身を一気に飲み干した。

「慌てなくても、お茶は逃げないわよ」

「そういう気分だったの」

 そんな妹に微笑ましいものを見る視線を送りつつ、和花は2杯目を注いだ。

「珍しいね、家に帰ってくるなんて」

「あなたと彼女、2人きりにしておけないもの。たまには帰ってきてもいいでしょ」

「私はいいけど、仕事は?」

「問題ないわ」

 恵那が学生時代、二尉だった和花はあれから昇進したものの、今は何をしているかは恵那もしらない。

 機密らしく、身内にもあかせないという話である。姉が変なことに巻き込まれていないか、それが気がかりだった。

「そういうあなたは、どうなの?」

 すると、恵那は表情を曇らせた。

「……今日、歩哨に出ていた朝霧の1年ペアが、死んだ」

 和花も表情を曇らせ、静かに「そう」と言った。

「応援要請があって、すぐ出たんだけど、間に合わなかった」

「恵那、こんな言い方したくないけど、一回一回気にしていたら、あなたが先にまいってしまうわよ」

「……わかっては、いるんだけど」

「難しいわよね」

 2人の間に、沈黙が訪れる。

 

 

 恵那が指定防衛校生徒だったのは、15年近く前の話。その当時は、まだ平穏と呼べる時間があった。

 だが、それから数年後、敵、イクシスによる大侵攻がおこった。防衛戦で食い止めていたはずの彼らが突如、世界各国で、大軍となって現れた。彼らに対し、世界はロクに対応できず、多大な人的被害を出すことになった。

 日本も例外ではなく、現れたイクシスの大軍を前に、自衛官、指定防衛校の生徒、民間人が多く亡くなり、生活圏は狭まり、農地や工業地帯なども多くが失われた。

 

 それから負け戦続き。今となっては、指定防衛校は実質軍人養成校となり、姿が大きく変わった。

 かつては多くが志願者だったが、今ではイクシスとの戦闘で身寄りを無くした戦災孤児が珍しくない。さらに、工業地帯の多くが失われた結果、街は失業者で溢れ、生きるために、子供を自衛官にする親も珍しくない。

 子供を戦力に出せば、家族の生活がある程度保証されるからと、孤児を自分の生活のために引き取り、戦力として差し出すケースさえあった。

 歩哨任務も、危険度は格段に跳ね上がった。残された人々は、限りある資源で生活していくために、かぎられた場所にあつめられ、フェンスや壁で囲って、安全地帯を作った。

 歩哨任務は、その安全地帯の外へ行き、イクシスを迎撃、或いは囮となって引き離すという任務に、姿を変えていた。

 毎日、日常的に死者が出る。入学間もない生徒が、一週間もたたずに死亡することは、もう珍しくなくなっていた。

 

 

「そういえば、玄関に彼女の靴があったけど!」

 恵那は玄関にあった2足の靴のことを思い出す。和花は、人差指を唇にあて、静かにするように示す。彼女は隣りの部屋を指差した。

 静かに襖を開けると、そこには1枚の布団がしかれていた。その上には、朝霧の制服に身を包んだ1人の少女が、沈むように眠っていた。

 恵那は彼女に寄ると、起こさないように静かに右手をとり、両手で包んだ。

「よかった……」

 起こさないように、でもしっかりと、少女の手を握った。

「……今日、ゲートの前で倒れていたのを、回収されたそうよ」

「3日も……、頑張ったね」

 2人は、眠る少女を見つめる。

 この少女は、2人の実の娘ではない。両親をイクシスとの戦いで亡くした、戦災孤児だった。

 和花は彼女の両親と交流があったようで、天涯孤独の彼女を放置できず、恵那と2人で育てることに決めたのだった。今は、朝霧高校の1年生だ。

 そんな彼女は、3日前に任務のため、ネストシードが確認された場所まで出向き、その後行方がわからなくなった。

 司令部によると、戦闘が開始されて間もなく、彼女を含む分隊員全員と交信ができなくなり、全滅したと判断された。救助に行こうにも、工業地帯の多くが失われた今、救助のためにヘリを飛ばすことは容易ではなく、車でいくには遠すぎる場所だった。

 現在、指定防衛校の生徒の多くは、負傷しても余程の要人の家族でもないかぎりは見殺しにされるのが普通になっていた。装備は回収されるが、遺体は回収されない。装備は回収すれば、それをつかって誰かが戦える。でも、遺体は利用できない。

 

 それが、今の常識になっていた。

 

 15年前までは、「身近な英雄」扱いされていた指定防衛校の生徒だが、今はただの囮、捨て駒扱いされる程度でしかなかった。

 報告をきいたとき恵那は、愕然とした。また、自分は大事な人を失ったのだと。でも、彼女は帰ってきた。全身の至る所に包帯が巻かれ、負傷しながらも、諦めず帰ってきた。

「おかえりなさい」

「起きたら、また言ってあげなさい」

「ええ」

 恵那は、静かに少女の手を置いた。

 

 

 

 襖を閉め、2人は向かい合って座る。

「姉さん……」

 和花はだまり、恵那の言葉の続きを待つ。

「この戦いは、いつまで続くのかしら」

 和花はだまる。室内には、時計の秒を刻む音が、異様に大きく響く。

「……終わりなんて、あるのかしらね」

 注がれたお茶の液面に、静かに波紋が立つ。

「まるで、終了条件のないサバイバルゲームね」

「昔も、似たようなこといってなかった?」

 イクシスが現れてから、もう30年以上になる。なのに、未だ人類はイクシスが何を目的としているのかも、何も分かっていない。殲滅しようにも、敵は底なしに現れる。

 人類は、確実に破滅へと向かっている。

 もはや、どちらかが滅びるまで、終わらない。可能性が高いのは、人類の方だった。

 ふと、恵那の脳裏に、1人の人物の記憶がよぎった。

「姉さん……」

 恵那は、呟くように言った。

 

 

「彼女が生きていたら、こんなことに、ならなかったのかしら?」

 

 

 彼女は襖の向こうで眠る少女を見通すように、襖を見つめながらいった。

「あの子が生きていたら、彼女たちに、戦争が、誰かが死ぬのが当たり前で、平穏のない日々なんて、残さなくてすんだのかしら……」

「でもしか話に、意味はないわ」

 お茶を口に運び、唇を軽く湿らせる。

「でも、恵那の言うとおりかも、しれないわね」

 和花は天井を見上げ、どこか遠くを、遠い記憶を思い起こす。2人は同じ人物を、頭の中で思い浮かべていた。

 

 

「朝戸さんが生きていたら、違う未来に、なっていたかもしれないわね」

 

 

 和花は俯き、消え入りそうな声で言った。

 

 

 朝戸未世。恵那とかつて多くの任務を共にした、古流高校の生徒。

 

 

 イクシスと仲良くできる道を探す、対話を試みたいと願い、日々努力していた。

 

 彼女の願いは、少しずつでも実現しつつあった。恵那が朝霧高校の1年生だったとき起こった、古流高校文化祭事変。

 あの中、未世はイクシスとの意思疎通を成功させ、友好関係を構築できる可能性を、おそらく、世界で初めて証明した。

 あの大事件の片隅で見出された、小さな希望の光りは、その後大きくなり、世界を、照らすはずだった。

 

 あの事件の年の、終わり頃のことだった。

 

 未世が、任務中に亡くなったのは……。

 

 

 施設の地下に隠れたイクシスを討伐する任務の最中、司令部に応援要請をしようと、未世は一人、西部先輩の命令で離脱した。その後、現れない救援に、増えるイクシスを前に、恵那たちは撤退を決め、地上に出た。

 

 

 そこで分隊のメンバーは、血まみれになった未世を、見つけたのだった。

 

 

 その後、彼女を欠いた状態でも、恵那は凛や鞠亜、西部先輩たちとの付き合いは続けた。でも、集まるたびに、寂しさを感じずにはいられなかった。

 

 彼女を失ったことを皮切りに、イクシスとの対話、講和を求める勢力は、どんどん減少していき、世界は、イクシスは殲滅してしかるべき、という考え一色に染まった。今も、それは変わっていない。

 たとえ、殲滅が不可能であると、誰もが認めるしかない状況であっても、だれも、振り上げた拳を、下ろすことができなくなっていた。

 

 

 恵那たちは、後の世代に、わずかでもあった平穏を、残すことができなかった。

 

 

 

「朝戸さんが今の状況を見たら、なんていうのかしら」

「……そうね」

 

 でも、死んだ人間は言葉を紡がない。答えは、永遠に出ない。彼女が殺された。その事実だけが、恵那や和花、凛や鞠亜、愛たちの心に杭となって突き刺さり、今も彼らを、後悔の念で、過去に縛り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ていうことになるかもしれないのよ」

 

 腕を組んで仁王立ちしながら話を終えた豊崎恵那は、目の前で椅子に腰掛けた未世を半目で睨む。

「えっと、つまり、どういう意味ですか?」

 未世は人差指で頬をかきながら、恵那に問いかける。

「つまり、あなたが死んだら、折角証明した希望の灯火は消えて、人類は破滅に向かっていくかもしれないって話よ」

「……なんだか、話が随分壮大になっているような」

「ありうる話よ」

「大げさですねえ、恵那ちゃん。というか、想像力たくましいですね」

 笑みを浮かべる未世を、恵那はキッ、っと睨んだ。鋭くなった彼女の視線に、未世は首をすくめる。

「要するに、夢を実現させるためには、命が大事。だから、もうあんな命をかけたギャンブルをするなって、言っているのよ」

 彼女は未世に顔を近づけ、満面の、目が笑ってない笑みを向ける。

「わ・かっ・た?」

「は、はいいいぃぃぃぃぃ」

 さらに顔を近づけ、彼女の瞳を覗き込むように目を見開いた。

「反省しているの?」

「し、しています……」

「なら、いうことがあるんじゃないのかしら?」

「言う、こと?」

 恵那は未世の返答を待つ。でも、彼女は何を言えばいいか考えながら、首をかしげている。

「わからない?」

「えっと……」

 明るい笑みの背後から漏れ出す、どす黒い怒りのオーラに押されながら、未世は言った。

 

「……ご、ごめんなさい、です」

 

 未世は謝罪の言葉を言いながら、頭を下げた。彼女の前には、恵那だけでなく、凛や鞠亜、西部先輩、分隊のメンバーがいた。

 彼女たちがいるのは、古流高校の空き教室。凛はともかく、なぜ恵那たちがここにいるのか。その目的はただ一つ。

 

 

 未世への注意喚起、もとい説教であった。

 

 

 先日、この古流高校で起こったイクシスの襲撃、古流高校文化祭事変の中で、恵那たちは、知能を備えた人型イクシス、キュレーヴと戦うはめになった。そのとき、キュレーヴが未世たちに向かって、手榴弾らしきものを投げた。咄嗟に凛や恵那たちは机の影に隠れたが、未世はしなかった。

 彼女曰く、閃光手榴弾(フラッシュバン)だと確信していたから、というのが理由だった。結果的に未世の予想はあっていたが、もし違っていたら、あの場で彼女は死んでいた。

 そんな現場を見せられて何も思わないはずがなく、あの場で構わず凛は未世の胸倉を掴んで睨みつけていたし、恵那も次やったら殴る、といった。

 だが、それで終わりではない。未世がこんなことを今後しないように、報告を聞いた西部先輩含め、分隊全員でもう一度注意をしよう、ということになったのだった。

 

 

「……朝戸さん、本当に反省したのかしら?」

 いつもは包み込むような暖かい笑みを向けてくれる愛だが、今の笑みは、氷のような冷たさを感じさせるものだった。

「し、しました……」

「もう危険なマネ、しない?」

「し、しません!」

 愛の冷たい微笑みを前に、未世は体を震わせる。

「本当かしら?」

 首をかしげ、疑いの眼差しを送ってくる。

「ほ、本当ですよ!ま、鞠亜ちゃんは、信じてくれますよね!?」

 未世がすがったのは、2本のツインテールを揺らす少女、照安鞠亜。だが、彼女は不機嫌そうに頬をふくらませ、半目の状態で未世を見つめる。

 

「……信じられません」

 

 きっぱりと言い放った。

「ま、鞠亜ちゃ~ん」

 日頃、怒った感情を表に出さない彼女でさえ、今回の件は相当頭に来ているようで、すがりつく未世に対してそっぽを向く。

 西部先輩には疑われ、鞠亜には拒絶され、恵那には説教をされる。凛は、そんな未世を少し離れた位置から、冷たい目で眺めている。

「朝戸さん」

 愛が未世に近づいた。

「以前言ったと思うけど、あなたの夢は、本当にこの戦いを終わらせることができるかもしれないのよ?」

 イクシスとの対話を実現させ、ゴールを見出すことができる可能性を秘めた彼女の夢。イクシスとの戦いが始まって20年近く経つ現在、人類は未だ終了条件さえ見いだせていない。

 未世の夢は、そんな状況に終止符を打ち、事態を進展させることができるかもしれない。

「そのあなたが死んだら、だれがその夢を実現させられるっていうの?その結果、もしかしたら豊崎さんのいうような未来が、本当に訪れることになるかもしれないのよ?」

「そ、そんなおおげ……」

 愛と恵那のジト目に負け、未世は言葉を切った。

「大げさじゃないわ。あなたが証明したあのイクシスとの対話の実現は、それほどの大きなものなのよ」

「豊崎さんの言うとおりよ」

 2人に詰め寄られ、未世は俯く。

「豊崎さんがいうような未来になることを、朝戸さんは望むのかしら?」

「いえ、そんなことは」

「じゃあ、望まない未来にさせないためにも、必ず生き残ること」

 愛は、未世の両手を優しく包む。

「わかった?」

「……はい」

「それに、私の分隊から死者を出す、なんて嫌よ」

 部下や後輩が死ぬ。それは、想定される事態ではあっても、受け入れられるかは別問題だ。愛は、すくなくともそれを望まない。

「私だけじゃない。みんな、誰かが死ぬ瞬間を見るなんて、ごめんよ」

「……はい」

「もう危険なマネはしないって、約束して」

「や、約束します!」

 室内に反響するほどの大きな声で、未世は言い切った。

「なら、お説教はここまでね。みんな、いいかしら?」

 愛が恵那たちに振り返ると、全員が頷いた。それを見て、未世もホッと胸をなでおろす。

 

 

「それにしても、恵那ちゃん想像力たくましいですね」

「はあ!?」

 未世による反撃が始まった。

「まさか、恵那ちゃんがあんなSFめいた未来の話をするなんて意外でした」

 珍しい動物を見るような楽しそうな目で、未世は恵那を見つめる。

「だって!ある程度具体的かつ説得力を持たせないと、朝戸さんはわかろうとしないでしょ!?」

 先程の話は、恵那の想像上の話であった。

「……でも15年後とか、任務の変化とか、結構内容が凝っていた」

「恵那さんて、日頃からそういう物語を考えたり、作るのが好きなんですか?」

「意外な趣味ねえ。以前は皮肉の聞いたコメディが好きとか言っていたのに」

「さっきの話は即興で考えたものです!日頃は任務や訓練で頭がいっぱいです!」

 そう恵那は吠えるも、未世の口角が釣り上がる。

「即興ですか?私が共同演習でした怖い話に、勝るとも劣らないと思いますけど?」

「……真面目なリアリストかと思っていたけど、恵那もやっぱり年頃」

「夢見がちな女の子ですね」

「可愛い面が、また一つわかったわね」

 いつの間にか、皆が微笑ましいものを見る目で、恵那を見つめる。おかしい。この場は、未世に注意喚起を促すための場であったはずなのに。

「~~もう、私のことはいいですから!」

 話題を打ち切ろうと顔を赤く染めながら腕を振り回す彼女だが、それも愛たちにとってみれば、微笑ましいものだったようで、笑みは崩れなかった。

「と、に、か、く!朝戸さん!」

 恵那は、獲物に噛み付こうとする猟犬のように、未世に向き直った。

「前にもいったけど、次あんなマネしたら、グーで殴るわよ!或いは、89式のストックでどつくから!」

「は~い」

「ほんとにわかっているの!?」

「わかってますって~」

 わかっているとは思えないような表情で、未世は返す。

 

 この恵那の想像上の話が、現実となるか否かは、誰にもわからない。

 そんな未来がやってくるのかどうかは、彼女たちの、その時代を生きる人間の、努力次第なのだから。

 でも、そんな未来がやってこないことを、彼らは心の中で願うのだった。

 




ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございました。書いたことがない
キャラクターに挑戦してみたのですが、口調を想像したりすることは難しいです。


今回の短編集には後日談や思いつき、書いてみたいと思っているネタなど色んな
ものを詰めてみました。

この内容では日常の一幕ではなく、妄想と現実では?、と思いましたがこの話で
完結とさせて頂きます。

また投稿する機会がありましたら、よろしくお願い致します。


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