魔が創るは理想世界 (Rさくら)
しおりを挟む

日常

 

 

 

 

 

 楽しむという行為、それがなくても生きられるのか。

 おもしろきこともなき世をおもしろく、しかして、独りでは難しい。

 

 乾杯は、盃が複数あって音が鳴るのだ。

 

 

 

 

 

 朝。

 

 眠れぬ不死者には無関係な事柄を、ナザリック地下大墳墓の支配者であるモモンガは漠然と認識する。

 地下にある彼の私室に朝日が差し込むことは、例え西から太陽が昇ろうともあり得ぬこと。そしてそれ以上に、生ける骸骨の彼が微睡みから目を覚ますのは、もっと有り得ぬことだ。

 だがしかし、新しい一日の始まりであることはモモンガにも関係していることだ。

 支配者として、ナザリック地下大墳墓の全てを、“アインズ・ウール・ゴウン”を、未来永劫に護り続けるために、彼は今日も一日、働かなくてはならない。

 しかし、嘗て彼が重だるい微睡みから目を覚まし肉の体を引き摺って労働していた時とは違い、その労働に対してモモンガはそこまでの億劫さを抱いていなかった。

 支配者としての振舞いが、悲しいかな板についてきたというのもあるが、それだけではない。自身と限りなく立場を共にする仲間達が、今はいるのだ。

 後から帰還し紆余曲折を経てアインズ・ウール・ゴウンにそれぞれ納得する立ち位置を得た彼らは、モモンガと違い世界に積極的に関わっている。汚泥のような世界で違う形で苦しみ抜いて死に絶え転生した優しい仲間達は、この世界に二の舞を演じさせまいと精力的に活動しているのだ。

 種族特性故に感情が抑圧され、そしてアインズ・ウール・ゴウン以外が全て有象無象にしか思えないモモンガも、そんな彼らに引っ張られ、今は以前よりもどこかやる気が漲っていた。この世界全てを手に入れ、どのような手段を用いてでも、誰もが絶対に幸福である黄金の世界を創り上げようと奮起しているのだ。

 それは、物語の世界ですら描かれることもなさそうな、蜜よりも甘ったるい夢のまた夢に思えるような世界。しかしそれを、不死者は、異形の仲間達と肩を並べ、確かに夢みていた。

「……今日の予定は、午前にアルベドとデミウルゴス、それからユリの報告会。午後は予定なし、だったな」

「はい、モモンガ様、仰せの通りで御座います」

 アインズ様、改めモモンガ様当番であるメイドのシクススは、金糸を垂らし見詰めていた盤上から顔を上げ支配者を見つめ返して答える。その視線を受け止め、鷹揚に頷いたモモンガは、彼女が見詰めていた盤上へと視線を戻す。

 黒と白のリバーシブル模様の丸く平面的な駒が置かれた盤上では、黒が勝っている。その数の多さは、ぱっと見で分かるほどであった。

「シクススはオセロが強いと聞いていたが、本当だな」

「そんな、勿体無い御言葉……!」

 顔を真っ赤にして、慌てたシクススは頭を下げる。火照った頬を冷やそうとするかのように、メイドのそれとは思えぬ白魚のような指が、その両頬に添えられた。

 ナザリック地下大墳墓の支配者であるモモンガとそこのメイドであるシクススは、現在オセロを楽しんでいた。一本足の丸テーブル上で緑の盤上を間に挟んで、主とメイドは対戦中である。

 現在、ナザリック地下大墳墓内ではアインズ・ウール・ゴウンに二番目に帰還した、たっち・みーが原因で、ボードゲームが流行していた。

 私室などに適当に放置していたアイテムなどを最近やっと彼が整理を始め、そうして見つけたのが、様々な種類のボードゲームだったのだ。タブラ・スマラグディナにうっかり興味があるようなことを言ってしまい、彼が押し付けられた大量のボードゲーム類は、今はナザリック地下大墳墓内のあちこちに皆が楽しむため散っている。

 モモンガとシクススが対戦するオセロも、その内の一つだ。

 色々と成長を感じるなぁと思いながらモモンガはオセロの駒を手に取り、置いて、しまったなと思う。置いた後になって悪手であると気付いたのだ。

「……モモンガ様はお優しすぎます」

「そ、そうか?」

 わざと負けてあげたと思われていることに恥ずかしく思うも、彼女に花を持たせ負けるが得策かという思考も並行して行いながら、モモンガは余裕そうな見せかけの態度を崩さなかった。

「そういえば、最近また洋服作りが流行っているらしいな」

 パチリ。

「はい、稚拙ながら楽しくやらせて頂いております」

 ぱち、ぱち、ぱち。

「謙遜するな。今は皆がかなりの腕前だと聞いているぞ」

「お、恐れ入ります。皆にも伝えたら、きっと喜びます!」

 深々と頭を下げた後、シクススは盤上を眺め、顎に手を当て考え込む仕草をする。

「出来た物は、ユリの孤児院に寄贈しているらしいな」

「はい、外の材料で作ったものは孤児院に送っています」

 シクススが駒を置き一枚一枚丁寧に捲るのを見守りながらモモンガは、ユリが助かっていると嬉しそうに言っていたことを伝える。手を止め、ぱっと顔を上げたシクススは花が綻ぶように笑って喜んだ。

「そう言えば、ウルベルトさんからも素材を渡していると聞いたぞ」

「はい、そちらは貴重な物ですので本当は厳重に保管したいのですが……、何か作ったら見せてほしいと御願いされましたので、コサージュなど、ウルベルト様の御眼鏡に少しでも適う物を作っています」

 ウルベルトさんも扱い方が上手くなってきたなぁと内心で独りごち、友の成長にモモンガは感心する。そしてモモンガは、駒を裏返す作業に戻ったシクススに自分にも見せてほしいと頼んでみた。

「え、そ、そそんな! 至高の御方にお見せするようなものでは……!」

「お前達がデザインして作った物を見てみたいんだ。……ん? 待てよ、そう言えば以前シャルティアが今までに見たことがない飾りを付けていたな。ペロロンチーノさんはシャルティアに沢山衣装を持たせていたから、てっきりその一部かと思っていたのだが、もしかして……」

「お、お恥ずかしながら……、黒紅の薔薇に真珠とルビーの飾りが付いたコサージュでしたら、私達が作った物です、モモンガ様」

「ハハハ、そうかそうか、ちゃんとは見ていないが綺麗だったぞ? 今度、シャルティアに頼んでじっくり鑑賞させて貰おう」

「うう、勿体無い御言葉……! しかし、至高の御方に私共が作った物を見られるのは、やはり恥ずかしいです……!」

 またもや顔を真っ赤にして、とうとう顔を覆い尽くしてしまったシクススに、モモンガはクスクス笑う。しかし、少し間を空けてから、ああそうだなと短く零した。

「自分の創造物を時間が経ってから見るのって辛いよなぁ」

「?」

「あぁ、いや、なんでもない。さて、シクスス、これで終わりにしよう」

 パチリ、軽快な音がした後にまた駒が引っくり返っていく。骨の手が捲り終わり、盤上の勝敗が決定すると同時にモモンガは立ち上がった。

「新しい一日の始まりだ」

「はい、モモンガ様、今日もまた御身に良き一日を過ごして頂けるように務めさせて頂きます!」

 白磁の骸骨が歩いて行く後ろを黒衣のメイドは微笑を浮かべ追従して行く。

 とある支配者の、穏やかな一日の始まりであった。

 

 

 

 

 

 

 昼。

 

 食べぬ不死者には不要な食事を山盛り一杯食べる仲間を、モモンガは眺めていた。

 伽藍堂の骨の身が何かを食するのは、喩え昼の空が黒く染まろうともあり得ぬこと。そしてそれ以上に、生ける骸骨が空腹を覚え食事を欲するのは、もっと有り得ぬことだ。

 だがしかし、眼の前で大変美味そうにもりもりと食事をする姿を見せられれば、無関係のモモンガにもそれは大変羨ましいと思えることだった。

 

 今は、“冒険者都市ベイロン”と名を改め、亡国の都市だった頃より巨大化した都の支配者として、“騎士ベイロン”を名乗り管理する彼、たっち・みーは、今日も一日働くためなのか食事の手を緩めない。

 彼が手を伸ばし籠の中にある胡桃パンを取るのを、モモンガは何となく目で追う。嘗てモモンガがまだ生命体としてあった時に泥と石のようなものでしていた食事とは違い、彩りにまで気遣われた様々な温かい食事がラベンダー色のテーブルクロスの上には並んでいた。

 籠に盛られた焼き立てのパンに、厚く切られた根菜とベーコンのスープ、トマトソースのかかった鶏肉のグリル焼き。新鮮に輝くドライフルーツ入りのレモンドレッシングのかかったサラダ。そして、テーブルに所狭しと並べられた料理の中、中央に鎮座する牛のような見目の生き物の丸焼き肉は、とても巨大で火が中まで通っているとは思えない程だ。

 晴天の下で蔦に覆われ花で飾られたガラス製の屋根の下、食せぬ身になってから用意されたそれらを見てモモンガはまた苦笑した。

「……今のところ大きな問題もないし、順調のようですね」

 冒険者の修練場を遠目に見下ろして、モモンガは頬杖をつき、のんびりと視察の感想を述べる。アインズ・ウール・ゴウン魔導王としてモモンガは、たっちが外で支配する都市の見学に訪れていた。

 そして今は、たっちが気に入っている城の中庭で昼休憩を取っている。

 疲労のしない不死者であるため、休憩というよりかは雑談をするためのサボり時間であるが、上司が率先して休むべしとモモンガは割り切って考えている。

「そろそろ、“冒険者都市”と堂々と名乗っても良いでしょうか」

「当然ですよ。それどころか冒険者で知らない者はいないみたいですよ、“冒険者都市ベイロン”のことは」

 モモンガのその言葉に、騎士は食事の手を止め嬉しそうに異形の顔で破顔した。

 冒険者都市ベイロン、亡スレイン法国内の南東、広大な平野を塗り潰して存在する今はたっちが管理するその都は、奇妙な都であった。

 城塞の中に幾重もの壁があるのは本来は中央の本丸に近付かせないためであるのに、その都は中央の城までの大きく広い道が一本、綺麗に舗装され用意されていた。

 森を抜けて少し歩いた先の巨大な門を開けば、老人でも苦労しないような緩かで真っ直ぐな坂道が、城へと誘うように用意されているのだ。その奇妙な一本道を無視すれば左右にあるのは普通の城塞都市と変わらぬ光景であるため、まるでその道だけが唐突に現れ、街を塗り潰したかのようだった。

 そして、中央の城に近付くと不気味な声が聞こえてくるのもその都の特色である。

 それは獣の声であり、そしてモンスターの声であり、誰かの絶叫だった。安全な都市内で聞こえるはずのない音声が、その城の背後からは漂っている。

 そしてそれは、その都市が“冒険者都市”と名乗る所以だった。

 その都は城の背中側を、冒険者の鍛錬と試練の場として利用しており、数多のモンスターや獣をそこに飼っているのだ。

 モモンガとたっちが寛いでいる中庭は、中央の城の背後にあり、そこでは鍛錬場が見下ろせるようになっていた。

 ギガント・バジリスクが暴れ回り、それを懸命に相手取る冒険者達を遠目に眺めながら、モモンガとたっちはのんびりと報告会というよりも、雑談というのが相応しい会話を続ける。

「今は皆もすっかり慣れて、色々とスムーズになりました。私の教えた柔道の先生も増えましたし、薬学やサバイバル術の授業も教本が纏まってきましたし、冒険者の質は数段良くなっていると思いますよ」

「彼らの質が上がれば、もっと広い世界をより詳しく知ることができますから、楽しみですね」

 鍛錬場にて空に浮かび上がり魔法を放つ冒険者を眺めながら、モモンガはうんうんと満足そうに頷く。

「最近とても強い新人冒険者が現れました。試験結果は銀からのスタートですが、実際は金以上の実力です」

 口に入れた食事を水で流し込み、たっちがそう言えばと、モモンガに伝える。鍛錬場から目を離し、モモンガはそちらの話題に食いついた。

「へぇ、どんな冒険者ですか?」

「亜人種ですが、それを差し引いても強いですよ。体格も才能も恵まれていて、彼に冒険者の部隊と死の騎士を率いて遠くに旅立ってもらえたら心強いのですが……」

 言葉尻を濁した仲間のその様子を見て、モモンガは原因を予想してみた。

「もしかして、性格に難有り?」

「大当たりです。自信家で横暴、無茶をして突貫し目立ちたがる。チームを組む冒険者としては、失格ですよ。銀のプレートを渡された時にも一悶着ありましたし……」

 溜息を吐くもそこまで困り果てている様子ではないたっちに、モモンガはまたも予想し当ててみせた。

「何か手を打つ予定があるんですか?」

「えぇ、近々トブの大森林の探索に行かせる予定ですので、アウラとマーレに協力してもらって天狗の鼻を折ってきます」

「やり過ぎて再起不能にならないよう気を付けないといけませんね」

「えぇ、程々に、成長を促す程度にしないといけません。アウラとマーレなら問題ないとは思いますが、私も気を付けますよ」

 それから、とたっちがナイフとフォークを置き少し前に書類を持って中庭に現れていた執事に視線を向ける。

 主達の会話を邪魔するまいと音をたてず気配を殺していた執事は、恭しく一礼し、そして持参した書類をたっちに手渡した。

「件の書類をお持ちしました」

「ありがとう、セバス」

 その書類は、そのままモモンガへと手渡される。

「これが、一応目を通しておいた方が良さそうなタレント能力者一覧です」

 モモンガは受け取った書類を捲り、たっちは再度ナイフとフォークを構え分厚い肉塊を口に放り込む作業を再開した。

「……やっぱりンフィーレアのタレントは破格だったんだなぁ。そもそもアイテム関連のタレントが少ないし……」

「……そうですね。タレント管理も進んでどんな能力でも登録されるようになってきても、アイテム関連は珍しいです」

 中央の丸焼きから切り取った分厚い肉塊を飲み込んで、返事したたっちにモモンガは視線を遣り書類を机に伏せた。

 書面にあるタレント能力一覧よりも、目の前の大食漢の方がモモンガは気になってしまったのだ。

「それにしても、大きいですね。まぁ、デカいハムスターみたいなのがいるなら、デカい牛みたいなのがいても、おかしくないのかな?」

「これを狩るのは、なかなか楽しかったですよ。対獣の狩りも悪くないです」

 そう言った異形の口がまたガバリと花のように開く。大きなナイフとフォークで切り取られた丸焼きの肉塊はまた簡単に口内へと消えていった。

「最近は狩りをしているんですか?」

「えぇ、たまに。そうそう、それで体を動かしていて思ったんですよね、筋トレをしようかなって」

「筋トレ」

 たっちの口から出てきた意外なワードを思わずモモンガは復唱した。転生前も、そして転生後はより、モモンガには興味関心関係のない言葉だ。

「今なら鍛えれば鍛えるほど、筋肉がつく可能性だってあるでしょう?」

「うーん。そうなったら戦力増強だし、助かる、かな? でも“異形”ですからね、“不変”かもしれないですよ。それに、その肉体って人間みたいに筋肉がつくんですかね?」

「まぁ、物は試しですよ」

 そう言って、また口をガバリと開いて肉塊を口に放り込むたっちを見て、モモンガはふと思い至り指摘する。

「仮に変わるなら、逆も心配しないと駄目なんじゃないですか? 随分と沢山食べてますけど」

 正に文字通り何もない骨の腹部分を膨らんだように擦る真似をして、モモンガはくすくす笑う。

「一応午後に運動する予定もありますし、大丈夫でしょう。前に言ってた、冒険者との集団戦闘訓練、今日やるんですよ。八百人集まってくれたから、午後が楽しみです」

「……それ、足りますか?」

 人数も、運動量も、準備運動にすらならなさそうだとモモンガは心配する。

「騎士ベイロンとして戦うので、それに合わせ能力も装備も落としますから、まぁ、大丈夫でしょう」

 表向きの立場である、“魔導王の騎士ベイロン”として“アダマンタイト級の中でも上位”という設定で戦うならば、確かに問題はなさそうに思え、モモンガは成る程と頷く。

「いい運動になるといいですね」

 そう言ってモモンガは、先程の書類にちらりと視線を遣り、そしてまた頬杖をついて鍛錬場の方へと視線を遣った。

 しかし先程見かけたギガント・バジリスクも、冒険者達も既に消えており、勝ったのか負けたのか、それは少しだけ気になるなぁとモモンガはぼんやり思うのだった。

 

 

 

 

 

 晩。

 

 眠らぬ不死者には無関係な事柄を、燃え盛るような夕暮れを眺めながらモモンガは一日の終わりと共に認識する。

 生ける骸骨の彼に睡魔や疲労が襲い掛かることはない。一日の終わりであることも、今や悠久の時を生きるモモンガにとって、とても瑣末なことだった。

 支配者として、ナザリック地下大墳墓の全てを、“アインズ・ウール・ゴウン”を、未来永劫に護り続けるために、彼はこれからも働き続けるのだ。

 仲間達と共に、誇りを胸に抱いて。

 

 夕暮れと、その色を受けて変色した街並みを眺めモモンガは素直な感想を零した。

「綺麗ですねぇ」

「いい観光地になりそうでしょう? 夜景の演出も色々と考えているんですよ」

 友の賞賛を受けて嬉しそうに笑う悪魔、ウルベルト・アレイン・オードルがモモンガの隣に立ち満足そうに自身の管理する都を眺める。

 そんな彼らが眺める亡スレイン法国内の北西、 雄大な自然に囲まれたその都もまた、奇妙な都であった。

 以前は湖と崖に挟まれた僅かな土地にしかなかったその都は、今は湖を中心に綺麗な円形に広がっている。

 そして、嘗ては都を守るためにあった自然の要塞の上には、巨大な橋が今は複数掛けられていた。その橋は、近くの都や街道など、様々な方向から自由に繋がっている。

 戦時においてはメリットでもありデメリットでもあった“僻地”という特徴は、交通の便の改善で消えてしまっている。綺麗な装飾までされた洗練されたデザインのアーチ橋を歩き、都に入る門を開けば、すぐに湖と都が迎え入れてくれるのだ。

 中央に巨大な石を積み重ねてできた塔がある湖と、来訪者を愉快な気分にさせようと試みるような色彩豊かな建物が並ぶ町並み。普通の都市と何一つ違うそれらが直ぐに来訪者を迎える様は、まるでテーマパークのようである。

 しかし、そこに響くのは未だ主に工事の音であった。夕暮れ時に何処か物悲しく轟くそれは、仕事終了の鐘の音によって少しずつ小さくなってゆく。

「観光都市計画、そろそろ始められそうですね」

「復興に時間が掛かってしまい、申し訳ないです」

「気にしないでください。かなり壊れていたし、あの橋の建設とか時間がかかることばかりでしたからね、仕方無いですよ。でも、あの橋も、この街もとても凄いし、きっと大成功しますよ!」

 前向きな応援の言葉を送るモモンガに、ウルベルトも嬉しそうにお礼を述べた。

「それにしても……、こんなロマンチックな場所に、骸骨と山羊かぁ」

 何とも複雑そうな声を出しながら、モモンガは周囲を見渡す。

 湖のすぐ側に造られた高級飲食店の、大理石でできた二階のテラス席に、モモンガはいた。白亜の大理石と黒のソファ、アンティーク調のどっしりした机に敷かれたワインレッドのテーブルクロスは、シンプルながらもお洒落な雰囲気を醸し出している。夕日に照らされている今など、どこを切り取ってもまるで絵画のように美しい。

「確かに、悲しいですね。……ぶくぶく茶釜さんとやまいこさんがいれば、ロマンチックな夜になりそうでしたかね?」

「うーん……、百鬼夜行ですねー」

「あははっ」

 女性だが見目は異形であった仲間達のことを思い出し、モモンガはこれまた素直な感想を述べる。当人達が居ないからこそ言える悪口めいたそれに、ウルベルトも遠慮なく笑いソファから立ち上がると、モモンガに近づいた。

「あれが、以前伝えた国営の賭場です。今は内装の最終調整とスタッフの教育中です。勿論、アコギな商売はしません。程々に儲けさせ楽しく遊ばせる、そうしないと長続きしませんからね」

 テラスから向こうに見える大きな建物を指差して、ウルベルトは書面で報告した街の施設について案内を始めた。

「親であるオレ達のところに自動的に金が集まるシステム……。ふふ、本当に良いアイディアですね、さすがウルベルトさん!」

 遥か昔のことだが金策に苦慮したこともあるモモンガは、至極嬉しそうにしていた。そんなモモンガに、ウルベルトはまた別の施設を指差して自慢気に案内する。

「あそこはモモンガさんも喜んでくれるかと思います。国営質屋です。様々なアイテム、物品が向こうから来てくれますよ」

「わぁ、それはいいですね!」

 想像通り喜んでくれたモモンガにウルベルトは満足そうにしつつ、話を続ける。

「まぁ、実際は都合よく珍しいアイテムがくるか分かりませんが、可能性に俺達は賭けましょう」

「えぇ、それに、時間は沢山ありますし、楽しみが増えるだけ有り難いですよ」

 そうしてウルベルトの説明や相談が続き、モモンガがそれを聞き時折細かなところを尋ねたり、雑談に逸れたりしてゆくうちに、あっという間に夜が訪れた。

 すっかり暗くなり、星々と月の明かりが深く暗い湖に映る。その自然の鏡にモモンガは感嘆し、ブルー・プラネットさんに見せたいなぁとぽつりと零す。

「えぇ、本物の星を見せてやりたいですね」

「きっとずっと星を眺めて、静かに感動しますよ、すごく静かに泣きそうです」

「あぁ、それは想像できるな。確かに、そういう喜び方をしそうだ」

 そうして暫しの間、骸骨も悪魔も静かな一時を過していた。

 暫くして、メイド達によってテラス席のあちこちにキャンドルライトが準備されてしまい、ますますムーディーになってしまったことでモモンガとウルベルトが肩を震わせていたところに、第三者が現れた。

「こんばんは、お疲れ様です」

 鎧の音とともに現れた聖騎士に、骸骨も悪魔も気さくに返事する。

「あ、たっちさん、お疲れ様です」

「お疲れ様です。……山羊に骸骨に蟲か、ははっ、ロマンチックな夜だな」

「はい?」

 首を傾げつつも、たっちはモモンガとウルベルトが囲むテーブルの空いた一席に腰掛けた。

 モモンガが今までの事のあらましを伝え、そしてウルベルトが観光都市計画について改めて現状報告を行う。

「という訳で、平たく言うと人手不足です」

「こちらとしては雇用が増えるのは有り難いですね。元冒険者の引退した方々の引受先としてもいいですか?」

「あっ、そっか、そっちもありましたね。法国の生き残りを充てようかと思ってました。孤児院から生き残りがまた出て来る歳になるから、注意が必要とかデミウルゴスが言ってたし」

 モモンガの発言に、ウルベルトが首を横に振る。

「それは止めといた方がいいかもしれませんね。ここ、スレイン法国の宗教都市でしたから」

「えー。そうだったんですか」

「あの塔も、神様の像の瓦礫が材料ですよ。あぁ……、復讐心を持ってるヤツの炙り出しには丁度良いか?」

 夜と星を映し真っ暗闇になった湖を見詰めウルベルトが零した呟きに、モモンガがそれならばと提案する。

「じゃあ、注意が必要と判断された子供達中心にここで働くように、それとなく手を回すように指示出しておきますね。あ、たっちさんの方も受け入れできますか?」

 ダメ元でと問うたモモンガと、諦めていたたっちが拍子抜けする程に、ウルベルトはあっさり了承する。

「人手が足りないですからね。平気ですよ」

「そんなに足りないですか? 確かかなりの数が移住したと思いますけど」

「工事関係者は工事終了と同時に故郷に帰る者達もいますからね。それに何よりも、国営の賭場に、質屋にと、知らない仕事をさせますからね。合わなくて仕事を辞めたり変えたりする者も出るでしょうし、それに、サーカス団を作ろうと思ってますから。とにかく今は沢山雇っておきたいんですよ」

 なるほどと、たっちが納得し、モモンガが気になったところを問いかける。

「ウルベルトさん、サーカス団を作るんですか?」

「可愛いストライプ柄のテントもありますし、観光都市にショーは必要ですからねぇ」

「サーカスというと、ええと、ピエロ?」

「後は空中ブランコ、猛獣使い、曲芸師とかですね」

「全て訓練中ですがね」

「……ちょっと見てみたいな」

 モモンガはサーカス団に気を取られたが、たっちは別のところを気にしていた。

「ところで、ギャンブル依存症の対策も必要になると思うのですが」

 たっちの真面目な提案に、モモンガも思考を切り替え、少し考えてから同意する。

「そうですね。この世界の住人には、いきなりのことですし」

「俺は魔導国ならそこまで問題にならないとは思ってますがね」

 モモンガは同意したが、独り特に問題なしとした彼に、視線が集まる。

「依存ってのは、貧しいと起きるんだよ、たっちさん。満ちないから縋るんだ」

「……そうですか。それなら確かに、この国なら心配ないのかもしれないですが、対策はしておきましょう」

「……そうですね」

 以前と違い意見が違っても静かに歩み寄ることもできるようになった仲間達に内心嬉しく思いつつ、モモンガはそう言えばと、肝心なことを思い出す。

 それは、この観光都市の名前である。今の今まで、未定であり無名だった街にそろそろ名前をとモモンガがウルベルトへ名前を尋ねる。

 すると悪魔が、愉しそうに、嗤った。

 とても良いことを思いついたと、言わんばかりに。

「実は、この観光都市の名前をどうするかは決めかねていたのですが、今、皆さんと話していて決めました」

 そうしてウルベルトは、謳うように命名する。亡国の都市に、魔導国としての新しい名を。

「観光大都市、スレイン」

 その名を聞いて、片方は面白そうに、片方は呆れたようにした。

「まったく貴方らしい。しかし、それを亡国への慰めにするのは無理がありますよ」

「しかし相応しいでしょう。宗教も賭博も、見えない何か、奇跡に依存するものだ」

「それなら神より賭場の方が偉いですね、たまに救ってくれる。しかもお金で」

 クスクス嗤って天上の存在を小馬鹿にするモモンガに、諌める言葉をたっちが掛ける。

「モモンガさん、罰当たりですよ」

「はっ、ここまで言われて降りてこない神など」

「ウルベルトさん」

「はいはい」

 神への忠義でなく真面目さ故に苦言する聖騎士を、悪魔は適当にいなす。そして彼は、全て終わったと判断し、簡単に話し合いを終わらせた。

「それじゃあ、仕事の話はこれぐらいにしましょうか」

 ウルベルトが少し離れたところで待機していたメイドに片手を上げて合図する。恭しく頭を下げた彼女達は静かに移動し室内へと向かった。

 暫くして、ワゴンに載せられた料理とワインボトルが運ばれてきた。当然、飲食物関連は、たっちとウルベルトの前にだけ置かれる。それに今更どうとも思わぬモモンガだったが、目の前に厚手の群青色のグラスが置かれ、きょとんとしてしまう。

 そのグラスからは、爽やかで清々しい香りが溢れていた。

 それまで頬杖をついて夜景を眺めていたモモンガだったが、その骨の顔は仲間の方に向き直った。

「モモンガさんにも中身の入ったグラスを渡したくて」

「全員で乾杯しましょう、モモンガさん」

 ウルベルトが指し示す群青色のグラスの中には、香が入っていた。自分のために用意されたと解った白煙の満ちるグラスを、モモンガはその骨の手で持ち上げる。

「……良い香りですね、ありがとうございます、ウルベルトさん、たっちさん」

 その素敵な香りだけでなく、仲間からの気遣いにもモモンガは嬉しくなっていた。満ちることのないはずの伽藍堂の胸中が、何か温かなもので満ちたような気持ちに彼は浸る。

「ウルベルトさん」

「あぁ、どうも」

 ワインを注ごうとしていたメイドの手を止め、一言断りを入れてから、ボトルを受け取ったたっちが、ワインをウルベルトの差し出したグラスに注ぐ。同じように、ウルベルトも、たっちの差し出すグラスにワインを注いだ。

 そうして、彼らはそれぞれのグラスを掲げる。

 ウルベルトが持ち上げたグラスの中で、赤黒い液体が踊る。たっちが持ち上げたグラスの中では、明るい小麦色が波を立て、モモンガの持つグラスの中では香の煙が楽しげに揺れ踊っていた。

「「「乾杯! お疲れ様でーす」」」

 明るい声とグラス同士の衝撃が、重なり合って、響き合う。

 また楽しそうな笑い声が宵闇と揺れる蝋燭明かりの中で起こり、星々と暗い湖へと吸い込まれていった。

 

 それは穏やかで賑やかな、異形達の日々の一幕。

 

 日常。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嗜好

 

 

 

 

 

 他人の好みに嘴を入れるべからず。

 

 

 

 

 直方体の高さがある屋内には、左右に牢屋がずらりと並んでいた。その真ん中は吹き抜けで、最上階の三階にある牢屋まで一階から視認できる。薄暗いそこには、天井に一定間隔で設置された丸い天窓から外の光が降り注いでいた。雪に覆われた偽物の外界を反映したような、白い光が。

 その白い光が降り注ぐ一階の真ん中には、様々な道具と机と椅子が置かれている。

 金属製、木製、革製、武器、拷問道具、調理道具。様々な素材と道具があるが、どれもが血を吸い込んで赤黒く変色しているのは共通していた。

 そんな道具の向こう側、建物の最奥には、暖炉があった。何の変哲もない赤レンガで造られた暖炉には、薪が焚べられ、火が燃えている。

 そんな静かな空間にて音を出す存在は、僅かだ。パキパチと火が小さく爆ぜ鳴く薪と、ページが捲られる本、そして、人間が一匹。

「あ゛ぁああぁあっ!!」

 その悲鳴につられるようにして、牢屋のあちこちから啜り泣きが漏れ始める。そこに怯えや絶望から狂った人間が何かを呟く音も混ざり、悲鳴は、賑やかな合唱へと変わってゆく。

「あっ、ぎ、があぁっ、ッ! ぐ、あぁああッぁ!」

 スライムが、拘束されながらも暴れる男の皮を、肉を、神経を、骨を、ゆっくりと溶かしていた。それは男の手足の指先を這い、そこだけに留まっている。そのために死に至ることもできないで激痛から延々と逃げられずに男は叫び、悶えていた。

 暖炉の中で薪が崩れ、羽根ペンが羊皮紙の上を滑る音が流れる。絶叫をBGMにするにはあまりに長閑なそれは、その空間で唯一自由であり、そして平然としている悪魔が奏でていた。

 唐突に、何かが倒れ液体が飛び散る音がどこからか屋内に響き、遅れて小さな金属音も鳴った。

 本に目を通す悪魔は、それに反応しなかった。牢屋の扉が開閉される耳障りな金属音にも興味を抱かずに、本に視線を流す。

 悪魔は、三階から落ちてきて当たり前のように平然と着地した聖騎士が口を開いてからやっと、その顔を上げた。

「あいもかわらず悪趣味ですね」

「正義厨には言われたくないですよ」

 正義厨と悪魔から罵られた聖騎士のその腕には、姫抱きされた首無し死体があった。その死体の腹部分には、ちょこんと首が置かれている。

「これ、血抜きしておきますか?」

「ん? あぁ、別に良いですよ。それはその机にでも置いててください」

 言われた通りに、聖騎士は近くの机上に首無し死体とそれの首を置いた。そして、暖炉がある屋内の奥へと足を向け、腰の剣に手を伸ばした。

 そうして剣を抜き放った死刑執行官でもある聖騎士を一瞥し、悪魔は問いかける。

「その男、死刑にしますか?」

「これの罪状は?」

 さして興味もなさそうに、山羊頭の悪魔は視線を聖騎士から外して答える。

「強姦罪、それから暴行です。酔って二回目の暴行沙汰時に留置所で調査して記憶を確認したら、余罪がザクザク出たと報告が」

 しかも、被害を黙り泣き寝入りするような弱者や子供を狙ってと続いた言葉を聞き、聖騎士は、納刀した。何の迷いも無く。

 その様に悪魔はくつくつと笑う。口には出さぬが、聖騎士のそういうところが、悪魔であり人間でもある異形のウルベルト・アレイン・オードルは、嫌いではなかった。

「ウルベルトさんは、何か調べているんですか?」

 死刑執行官でもあり聖騎士でもある、同じ異形のたっち・みーは気の抜けた、プライベートの空気を漂わせて、雑談として問いかける。

 暖炉前の空いた椅子に腰を下ろすと、本を読みながら度々机上の羊皮紙にメモ書きを走らせているウルベルトの手元を、たっちは覗き込んでみた。

「……それは、……真面目に仕事していたんですね、ウルベルトさん」

「俺がサボリ魔みたいな言い方ですね。こっちもこっちで、それなりに忙しいですよ」

 罪人を減らす方法として、どのような法制度が整えば国民は犯罪に手を出さないのか、そもそも罪を犯すこと自体にデメリットを感じるのか、それらと魔導国の現状とを比較し不足している点が、ウルベルトがメモ書きをする紙面にはまとめられていた。

「留置所と刑罰が生温いせいで犯罪にデメリットを感じず、それが抑止力にならない原因かと思いますが、たっちさんは、どう思いますか?」

「そうですね……。えぇ、確かに、それは大きいと思います。何せ外の刑務所は宿代わりにしても良いとか言われてしまってますから。……せめて、食事の質は下げるべきかもしれないですね」

「げ、マジか。糞。食事の見直しが必要か。あー……、全刑務所に報告あげさせて、いやその前にどうするか対応方法を決めないといけないか。あー、糞。学校の方もうまく進んでないのに」

「学校ですか?」

 たっちからの問い掛けに、胸糞悪いといった風にウルベルトが吐き捨てるようにして何があったか語った。

「この間、学校で働いてるくせに、そこのガキに手を出した糞野郎が出たんですよ……。おかげで学校の増設計画が一時停止だ。糞が。ペロロンチーノさんを見習えって話ですよ。何でしたっけ……、YesロリNoタッチ?」

「それはそれでどうかと思いますが……、ふ、ははっ、懐かしいですね」

 懐かしい名前と彼なら言い出しかねない台詞に思わずたっちは笑ってしまう。それから咳払いをして、たっちは言葉を続けた。

「まぁ、しかし、それは大罪人ですね。悲しいことです。そのような人間がいることは」

 それから聖騎士はちらりと牢屋の方へと視線を遣り、ぼそりと呟いた。

「……ここの様子を伝えたら、抑止力としては最高でしょうけど」

 当然語られる訳の無い暗部のことを提案しながら、たっちは椅子に深く腰掛ける。

「冗談抜きに、たっちさんも考えてくださいよ」

 頬杖をつき睨んでくるウルベルトに、ふむと少し考えこんでから、たっちは答えた。

「……晒し首はどうですか?」

「……たまに、真顔で面白いこと言い出しますよね」

 ウルベルトの呆れたような、面白がるような言葉に、たっちは首を傾げる。

「まぁ、でも、一案は一案です。候補に入れておきましょうか」

「それはどうも。次の予定まで時間もありますし、死刑執行も終えましたし、協力しますよ。私は外の者達と話す機会がウルベルトさんより多いですし」

「……それじゃあ、留置所の現状と国民からの評価を聞かせてもらってもいいですか?」

「分かりました」

 たっちが語り始め、それを聞くウルベルトが耳を傾け、時折ペンをまた動かす。暫くして、たっちの言葉が途中で止まった。

「あのBGM、一旦止めませんか?」

 その言葉に、悪魔は面倒くさそうにしつつも指を鳴らす。その音と同時にスライムが動きを止め、そして人間の身体から退いた。

 絶叫は止み、疲れた嗚咽が流れ始める。

「これで良いですか」

「えぇ、それでは話の続きを」

 そうして異形の者達は、静かなBGMを背景に語らい始めたのであった。

 

 

 

 暫くして、一通り話し終え意見を出し終えた聖騎士は立ち上がった。

「さてと、そろそろ私は次の仕事に行きますよ」

「冒険者達からの報告書の確認ですか?」

「えぇ、今日が提出期限ですから、まだ提出していなかった者達もそろそろ出し終えてくれているでしょうし、終わったら練習試合の希望者達の相手をしないといけないから、急がないと」

 仕事のスケジュールをつらつらと並べ立てるたっちを、ウルベルトはじとりと睨みつけ問いかける。

「………………たっちさんさぁ、この前休み取ったのいつ?」

「え、と……」

「困惑するぐらい取ってないのかよ」

「いや、休息はちゃんと、」

「こういう仕事混じりの休憩時間とかじゃなくて、丸ごと一日の休み、オフのことを聞いているんですけど?」

「それは、その、……ここ暫く、そういう日は取っていないですけど……」

 困ったように言葉を詰まらせる彼に、ウルベルトは再度問いかけた。

「たまにはその堅苦しい鎧を脱いだらどうですか?」

「……そうですね」

 ガシャリと、たっちが俯くのに合わせて鎧が金属音を立てた。そんな彼を、白いシャツと黒いズボン、そして仄かに赤が滲む純黒に近いマントだけを纏うウルベルトは暫し見つめ、口を開いた。

「……俺はテメェが過労で死のうがどうでも良いし、寧ろテメェが過労で死ぬなんて面白いことになったら腹を抱えて笑い転げてやるがな」

 しかしそれでもと、渋々と言葉を続けた彼の語った理由に、たっちは息を呑む。

「モモンガさんが、心配してるぞ」

 責めるような雰囲気を纏わせた山羊の横に長い瞳孔が、金色の煌めきが、たっちのことを突き刺す。

「スレイン法国跡地にできた城塞都市の管理とそこを拠点にした巨大な冒険者組織、それを抱え込んで、あんたが何か、義務感とかから追い詰められて働き詰めなら、」

「あっ、いや、それはないです。うーん……、義務感に苛まれて、とかではなくてですね」

 緊張と攻撃性を内包したウルベルトの言葉に返ってきた、たっちの少し気が抜けた言葉に、山羊の瞳が瞬く。

 何か考え込み、言葉を探した後、たっちは頬を兜の上から掻くような仕草をして見えぬ顔が困っていることを表しながら吐露する。

「単純に、仕事以外にすることがないんですよ」

「……は?」

「元々ユグドラシルで戦うのがストレス発散になってましたが、この世界で戦っても特に楽しくないですし。他に趣味といったら……、身体を動かしたりすることですけど、この世界でスポーツジムに行く訳にもいかないですし……」

 露骨に、心配するような、気に掛けるような言葉を掛けて損したと、面白くなさそうにし始めたウルベルトはどうでも良さそうに提案する。

「樹液でも集めて舐めてたら良いんじゃないですか?」

「さすがにキレますよ、ウルベルトさん」

 たっちの異形としての種族を揶揄ってきたウルベルトに腹を立てつつも、彼は一呼吸置いてから心配性で気遣い屋のギルドマスターへの伝言を依頼する。特に何も問題はないのだと。

 その伝言を託されて、ウルベルトもようやっと真面目に提案を始めた。

「……まぁ、いざとなったらナザリックの子供達と何かスポーツチームでも作って遊んだら良いんじゃないですか?」

「うーん、それも手ですね。……ルールを教えるのには苦労しそうですが」

「後は花とか植物を育ててみたり、本を読んだりとか、ですかね」

「あぁ、それも試してみてもいいですね」

 ふむふむと新しい趣味について考え始めた彼に、ウルベルトがニヤリと笑ってまた一つ提案する。

「それから、音楽鑑賞とか、ですかねぇ?」

「……私は元々、音楽に造詣が深い訳ではないのですが、貴方とは趣味が合わないと思いますよ」

「は、それは何より」

 肩をすくめて言ったたっちに対し、笑顔を崩すことなく楽しげにウルベルトは言い放った。

「それでは、お疲れさまです、ウルベルトさん」

「そちらこそ。いつの日か、よい休暇を、たっちさん」

 こつり、こつりと足音がして、扉が開かれ閉められる。微かに入り込んできた冷気と雪は瞬く間に消えて、暖炉前の悪魔には届かなかった。

 そして聖騎士がいなくなった空間で、悪魔の指が音を鳴らす。

 粘体の蠢く音の後に、絶叫と、愉しそうな鼻歌が、流れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偏愛

 

 

 

 

 

 好きという感情は、全てを見失わせる。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第五階層の氷結牢獄。

 外に広がる白銀の世界のように、冷たく静かな薄暗い石造りの廊下に、足音が響く。

 蹄が、冷えた石畳を一歩、一歩、軽快に歩く音。それが澄んだ空気に吸い込まれ、静寂へと消えてゆく。

 仕事場である拷問室に辿り着いたウルベルト・アレイン・オードルは、他の部屋に比べれば明るく綺麗な室内を見渡してから、まず白の書類机へと向かった。

 焦げ茶の太くずっしりした脚を持つ椅子の真紅色した革張りに背を預け、彼は置かれていた魔法の燭台に手を翳して火を灯す。それから、机上に置かれている物に視線をさらりと流した。

 机の上にまとめられた書類は、彼の仕事を手伝う戦闘メイドのプレアデスの者達が残した物だ。主が別の仕事に携わっている時に、代わりに仕事をしてくれた彼女達が残した記録である。

 その書類を手に取る前に、ウルベルトは硝子製のシンプルな瓶の方へと視線を移した。

 そこには、薄紫の花が飾られていた。花弁の小さな花が集まって丸く大きく膨らむようなそれは、拷問室には似合わない随分と可愛らしいものだ。

 その花は、ウルベルトが切欠で始まった、仕事には無関係の習慣である。仕事を手伝ってくれる、戦闘メイドとはいえ女の子である彼女達にと、出先で見つけた綺麗な花を彼が飾ってみたところ始まったのだ。最初の花が枯れて片付けられた後に彼女達も飾り始めたため、今では花の交換日記のようになっている。

 そして今回は新しい花に加えて、花瓶の前に美しい羽ペンと手紙まで置いてあった。ウルベルトは早速そちらを手に取り、手紙を開いてみる。

 

『ウルベルト・アレイン・オードル様へ

羽ペンが古くなっておりましたので、新調いたしました。

お気に召して頂ければ幸いに御座います。

ソリュシャン・イプシロン ナーベラル・ガンマ エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ』

 

 羽先から根本にかけて深い赤の羽ペンは、銀の細かな装飾も素晴らしく、ウルベルト好みである。

 お礼をしなければいけないなと思いつつ、ウルベルトは手紙をアイテムボックスの貴重品ゾーンに仕舞う。後で私室にある個人的な収納ボックスに仕舞い直すのを忘れないようにしなければなと心に留めつつ、彼は幸せそうに微笑んだ。

「そういえば……、この間狩りに行くとか言ってたけど、その時の戦利品か、これは?」

 時間とエネルギーを持て余した仲間がナザリックの者達数名を引き連れて遊びに行ったことを思い出して、ウルベルトは独り言を零す。

 そして彼は羽ペンを一旦、丁寧に机上に戻すと、次に香炉へと手を伸ばした。

 蓋を開け横に置き、傍に置かれていた香に蝋燭の火をつけると香炉灰の中に置き、ウルベルトはまた腰を落ち着ける。

 これも初めは拷問室で仕事をさせる女性達への配慮だったが、今はウルベルトも好んで利用している。仕事内容の都合もあって、拷問室内ははっきり言っていい空気ではない。それを少しでもマシにするため、机上にて焚かれる香からは爽やかで気持ちが安らぐ香りが流れていた。

「……モモンガさんには、こういうのを用意するのも手か」

 また独り言を零してから、書類を手に取ると、悪魔は仕事に取り掛かり始めた。

 ウルベルトが不在だった間の実験体達の経過観察を確認し、考慮点を読み進め、彼はじっくりと目を通してゆく。

 そうして一通りの確認を終えると、立ち上がり、次に書類机に備え付けられている棚の右上に置かれたボードを手に取った。そして

紙をその上に置き、真紅の羽ペンも手にすると、彼は実験体へと歩み寄って行く。

 

 四×四の正方形に並べられた、十六人の被検体達。

 老若男女、バラバラの種類の知的生命体が横たわり浅く呼吸をしている。人間種だけでなく亜人種もいる彼ら全員が、手首と足を拘束されてベッドに横たわり、まるで病で床に伏しているような様子であった。

 彼らの傍にある小さな机上に置かれたインク瓶に羽ペンの先を浸し、そしてウルベルトは順番に確認を進めてゆく。

 カリカリ、カリカリ。羽根ペンが実験体の状態を書き留めるため動く音が静かな室内に満ちる。

 検体№05、高熱の症状五日目、脈が早く、意識は変わらず混濁状態、咳と喀血も継続、三日前腕に現れた斑点が首にも出現あり。

 羊皮紙に羽ペンを走らせ書き留めながら、ウルベルトはよしよしと、実験結果に満足そうに呟く。

 現在、彼が行っているのは、『疫病に見せかけた毒殺方法』の実験である。

 彼が担当する仕事の一つであるそれは、敵対者に対する手札の増強と、そして今後国民が増え過ぎた時に適度に間引く手段の一案として、実験が行われている。

 勿論、アインズ・ウール・ゴウンの名にかけて可能な限り全ての国民を幸福にするというのが目標のため、それは最終手段である。

 しかし、嘗ての仲間であるブルー・プラネットの怒りを買わない為にも選択を迫られた時には必ず行われる手段であろうことは、まず間違いなかった。あの荒廃した世界で消え去った自然を愛した彼が万が一にでも帰還した時に、自然破壊された世界を見せたくないというのは、モモンガとたっち・みー、そしてウルベルト全員揃っての共通認識だったのだ。

 あの世界では綺麗な建前と力不足のために解決できなかった、『増え過ぎた』という単純なる問題。しかしそれは、絶対なる支配者が居る世界では、いとも容易く解決される。

 『数を減らす』という単純明快なる解決策をもってして。

 幸か不幸か、化学や医療技術の発展していない全てが魔法頼りのこの世界では、アインズ・ウール・ゴウンが支配するようになってからも、病や怪我、獣や知能が低いモンスターによる被害によって相変わらず致死率は高い。

 そのため現状としては、『増え過ぎ』という問題は起きそうになかった。それは、世界にとっても、アインズ・ウール・ゴウンにとっても、幸運なことである。

「あぁ、そうだ。写真を撮らないとな」

 思い出し、板と羊皮紙と羽ペンを近くの机上に置いてから、ウルベルトはアイテムボックスからカメラを取り出した。そうして構えた彼は、首の斑点を撮影するのに邪魔な長髪に舌打ちする。

 めんどくさいなぁとぼやきながら、カメラから悪魔にとても似つかわしい鋭利な刃物へと、ウルベルトは持ち替える。

 そうして彼が実験体の頭に手を添え、刃物を滑らせようと構えた瞬間、悲しい事故が起きてしまう。

 バカンッ!!

「ウルベルト様っ!!!!!!」

「のあっ!? あっ!!」

 よく壊れなかったなと褒めてやりたい程に乱暴に開かれた扉と乱入者の方に目を遣り、ウルベルトは怒りに声を震わせながら彼女の名前を叫んだ。

「アールーベードー!! お前っ、そんな淑やか美女みたいな見た目でノックして入室ができないのか!!」

「あら、ウルベルト様。随分と血生臭くびしょ濡れになって……、僕の身で出過ぎたことを申しますが、はしゃぎすぎなのでは御座いませんか?」

「お前が驚かせたから間違えて頸動脈切っちゃったんだよ!!」

 首筋の切り口から勢いよく吹き出してきた血液を顔面から滴らせながら、ウルベルトは盛大に怒鳴った。しかし顔を背けつんとしている彼女のその横顔は、美しいだけで全く反省の色はない。

「ったく、あーあ、せっかくの被検体が一体ぱあだ」

 ぼやきながらウルベルトは大きく裂けた首を悪魔の腕力で胴体から引き千切り、髪を掴んで首が見えるようにしてから片手でカメラを構えた。

「なによ、たった人間一体ぐらいで、器が狭いわね。そんなことよりも、私の恋愛相談にのってちょうだい!」

「お前なぁ……、オレの仕事を何だと思ってんだよ……。経過観察を見てるんだから、たったじゃねぇだろ」

 首の斑点を撮ることに成功し、生首を元の位置にもどしカメラをアイテムボックスに仕舞いながらウルベルトは、アルベドに小言を漏らした。

「それは……、……申し訳ありません、ウルベルト様」

 しゅんとした彼女に対し、これだから美女は狡いと思いつつウルベルトは謝罪を受け入れ、来訪理由の詳細を尋ねる。

「いけない、肝心の話を忘れるところだったわ! ウルベルト様、私は一体、何時まで我慢すれば良いのですか!?」

 先程までの表情も言葉も全て演技だったのか?という喉元まで出かかった疑問を飲み込み、ウルベルトは早々に面倒臭そうに返事する。

「んなこと言われてもなぁ……」

「そんな、無責任ではありませんか! ウルベルト様が押して駄目なら引けというから私はこのように堪えているのに……!」

 憤慨した様子のアルベドはウルベルトから顔を背けると、苛立たしげに呪詛のような独り言を零す。

「やっぱり押すべきだったのよ……! こんな山羊の言うことなんて無視して!」

「こらこら、待て待て。暴走するな、アルベド。後それから、俺に対する不敬はどうでもいいけどな、デミウルゴスとかに聞かれるなよ。お前達が殺し合いなんて悲しむし最悪怒るぞ、モモンガさん」

「そっ、そんなこと、言われなくても当然、気を付けるわよ! それよりも、押して駄目なら引いてみろ作戦は大失敗ではありませんか!?」

「うーん……、いや、まぁ……、押すにしろだな……」

 曖昧に誤魔化しつつ、ウルベルトは適当な言葉を探し始める。

 そもそもウルベルトからしてみればアルベドの恋愛はかなりの難問で、押そうが引こうが突撃しようが、さして変わりなく思えるのだ。勿論、それを言う訳にもいかないので口を噤み適当に誤魔化し、結果困ったことになっているのだが。

「押し倒して、服を剥いで、そして!?」

「いや、待て、それは止めろ」

 正直言ってウルベルトは、アルベドの恋愛を確かに応援はしているのだが、実らないのではと踏んでいた。

 なにせ相手は、あのモモンガだ。

 リアルでの親交が深かった訳ではないが、それでも感じ取れる程に異形になる前から女気のなかった様子なのに、男としての性器も失い精神沈静化まで備わってしまった今になって、どうやって恋をしろというのか。

 せめて彼が異形になる前から女好きならば、多少は勝機があったのかもしれない。アルベドはゲームキャラだっただけあって、かなりの美女なのだから。

 しかし、彼がゲーム以外の話題でノッてきたのは会社が辛いという愚痴ぐらいだった。話題になっているモデルとか女優とか、仕事先の気になる人とかそういった話題など全く聞いたことがないのだ。

 そんな彼が、男としての衝動も激情も失い損得勘定だけで恋愛を考えるようになって、一体どこに勝機を見い出せというのか。

 そのうえ、モモンガはタブラ・スマラグディナに対して未だに申し訳なく思っているのだ。アルベドについて話す時、「でも、タブラさんの造ったアルベドを、これ以上汚す訳には……」と彼は決まって口にする。あれは言い訳でなく、本当に今はいない仲間を懸念していての発言だということは、今のウルベルトには良く分かることだった。

「あー……、その、アルベド……、まずは……、そう、段階を踏め!」

 しかし、これ以上誤魔化しようがないのは事実なので咳払いをしてウルベルトは話をなんとか進めようとする。

「段階?」

 意味が全く分からないといった様子で、アルベドは首を傾げる。

 ウルベルトにとっても勢いで出しただけの言葉であり、意味は今から持たせる言葉だ。今更引っ込める訳にもいけないその発言を、ウルベルトは勢いのままに続けた。

「お前のやり方は強引で、短絡的過ぎるんだよ。好きだからって押し倒して、無理矢理して、後はどうする気だ?」

「子供ができればモモンガ様もきっと私との愛に目覚めてくださいますわ!」

「なんで普段の嫌になるほどの理詰めと冷静な思考が急に綺麗さっぱり消えていきなり超楽観主義者になるんだよ……。恋は盲目ってやつか?」

 謎の疲労感と脱力感に苛まれつつウルベルトは自身を叱咤し、頭を働かせ、それらしい言葉を続ける。

「アルベド、冷静にお前のしていることを振り返れ。そんなんじゃ愛は伝わらないぞ」

「そんな、どうして!?」

 食い気味に、前のめりで問い詰めてきた美女にさすがに若干引きつつ、ウルベルトはまた言葉を続けた。

「あー……、お前がしている、正妃の座を求めたり、世継ぎを求めたりってのは、それだけを聞いたら問題だって分からないか? モモンガさんはナザリック地下大墳墓の支配者だぞ?」

「問題……?」

「支配者の正妃の座と世継ぎを求める……、権力を狙う悪女の典型じゃないか」

「っ!? そ、そんな……!!」

 思った以上にショックを受けた様子で後ろによろめくアルベドに対し、今適当に絞り出した推測を口にしただけのウルベルトは少しばかり罪悪感を抱く。

「ま、まぁ、モモンガさんはアルベドのことを信じているだろうがな、支配者としてそういうことも考えてるのさ」

「で、では、段階を踏むとは、どのようにすればよろしいのでしょうか?」

 質問され、ウルベルトは思わず視線を彷徨わせる。

「それは……、やっぱり告白して、……あー、デート? とか?」

 何故自分がこんなこっ恥ずかしい答えをせねばならんのかと、ウルベルトは思わず煮え切らぬ骨の友に少しばかり怒りの感情を抱いてしまう。そんな謎の羞恥心と八つ当たりの気持ちに襲われている彼の前でアルベドは、静まり返り、硬直していた。

「アルベド……?」

「デ、デ、デ、デート……!!」

 そう呟いたアルベドの顔は、林檎のように真っ赤であった。

「わっ、私が、私めがモモンガ様と、デ、デート、だなんて……!」

「……そこで照れるのか」

 妙な脱力感に襲われたウルベルトは、実験体のうち一体が嘔吐し咳き込んだのに気付き慌てる。

「あー、やべえ。窒息死しちまう。いやもう限界か?」

 魔法で対処しようとスクロール片手に近付いたウルベルトは、生きようと足掻く実験体を冷めた眼差しで見ていた。

 その山羊頭の悪魔に、実験体はゆっくりと顔を向けると、唾を吐いた。しかし吐瀉物混じりの唾は悪魔に全く届かず、意味も無く床へと落ちる。

 にんまりと、愉しそうに悪魔は嗤っていた。

「ははっ、なんだ、随分と元気じゃな」

 ぐしゃっという音がして、そして、実験体は死んでいた。ウルベルトが言葉を掛けている途中で、いともあっさりと。

 鼻の上から先が白い骨と赤い肉、潰れた脳髄と転がる眼球で散らかったそれをウルベルトは見て、そして白い手袋を体液やら肉片やらで汚した美女をちらりと見遣る。

「……アルベド」

「か、勘違いしないでくれるかしら? 私の愛するモモンガ様のご親友に唾を履いた下等生物が許せなかっただけよ!」

 某鳥人間ならばはしゃぎそうな彼女の発言に、こんなにも嬉しくないツンデレがこの世にあるのかと、ウルベルトは思っていた。

 死にかけだったとは言え、実験体が二体もぱあになってしまったのだ。

 この実験の経過観察記録はウルベルトとソリュシャン、たまに手が空いているプレアデスのメイド達が引き受けているのだが、ウルベルトの担当した日にミスで二体死亡とは、あまりに格好のつかない話である。

 上司としてこれは如何なものだろうかと、遠い目をしてウルベルトは頭を抱える。

「そ、それで、デートの件なのですけど、」

「うん、まずは手袋を洗おうな、アルベド」

 被検体の死亡なぞよりも己がデートを優先する淫魔に対し、諸々を諦めた悪魔は落ち着いた声で窘める。

 血で真っ赤に染まった所々に肉片のへばり付く手袋で顔を隠してモジモジされてもあまり可愛くないなと、妙に冷えた頭でウルベルトは思っていた。

「デートはどのようなプランがよろしいでしょうか? モモンガ様がお好みになるのは、分かりますよね、ウルベルト様」

「いや、知らねぇよ」

 その手の話題を全くしなかったモモンガの好みのデートプランなど、ウルベルトが知る訳もない。そもそも彼がデートを好むようにも思えないし、そのようなことをする深い関係の人間を匂わせることもなかったのだ。存在するのかすら怪しい好みなど、分かる訳もなかった。

 そんなウルベルトに対して、使えねぇなと言いたげなしわくちゃの顔をアルベドは遠慮なく晒し、睨みつける。美貌が台無しのぶすくれた顔だが、彼女にとって美しいと思われたい相手のいない空間では、それは至極どうでも良いことらしかった。

「まぁ、適当に出かければ良いだろ。綺麗で眺めが良いところに。……俺が手掛けた観光地なんか良いんじゃないか? 夜景が綺麗なテラス席を貸し切りにしてやるよ。どうせまだ稼動してないから住人も少ねえしな」

 ウルベルトの提案に対して、やっとアルベドが嬉しそうな顔をする。その腰から生えた妖しい漆黒の翼も、素直に嬉しそうにしてパタパタと動いていた。

「綺麗な夜景を、モモンガ様と二人きりで眺めるなんて……。あぁ……、モモンガ様……」

 うっとりとした様子で妄想のデートに陶酔するアルベドは、腰の翼をますますはためかせて胸を高鳴らせる。顔もうっとりとした様で、汚れた手袋を脱ぎながらも何か淫魔に相応しい妄想に浸っているらしかった。

 ようやっと機嫌もよくなった彼女に対しやれやれと、ほっと一息ついたウルベルトは、彼女の機嫌がより良くなるようにと適当に言葉を続ける。

「まぁそれから、最後にキスでもすりゃ良いんじゃないか?」

「キャーッ!!!!!!」

 ドゴン。

 鈍い音がして、ウルベルトは目を見開く。

「あ、あら……、いけない、うふふ」

 さすがに引き攣った笑顔を零す淫魔の白く美しい素手は、鮮血や脳みその一部や脳漿やらで汚れていた。そして、彼女の近くにいた被検体№06は頭部を潰されて死亡していた。

「アルベド……、笑って誤魔化せると思ってるのか!?」

「もっ、申し訳ありません、ウルベルト様! す、すぐに新しい実験体を見繕ってきますので!」

 さすがに失敗したと焦り、開き直る様子もなくアルベドは慌てた様子で部屋から飛び出て行った。

 その背中を脱力した様子で眺めていたウルベルトは、随分と早く扉から物音がして俯いていた顔を上げる。

「あ、あの……」

 出て行った扉からひょっこりと顔だけ出しているアルベドは、しょんぼりとした顔をしているのもあって子供のようである。ちらりと見える扉を掴む手は、真っ赤で恐ろしいのだが。

 ウルベルトが首を傾げ何事かと尋ねると、恋する乙女は恥ずかしそうにしつつ、おずおずと申し出る。

「ウ、ウルベルト様……、あの、デートの時に何を着たら良いか、相談してもよろしいですか……?」

 困り顔をした彼女が不安そうにしながら小首を傾げるのを見てしまい、ウルベルトは嘆息する。これだから、美女はズルいなと。

 ウルベルトは何かを諦めたように、大きな溜息を吐き出す。

「相談にはのってやるから。早く三体、新しいの用意しろ、アルベド」

「! はい!」

 また子供のように破顔して、彼女は軽やかに廊下を走って行った。軽快な足音が、たったっと遠くに消えてゆく。

 全く仕方ないなと溜息を零しつつも、しかしウルベルトの口元は、優しく笑っていた。

 そうして彼はまた真紅の羽ペンを手に取ると、残る十三名の被検体達の経過観察の記録を再開したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

演技

 

 

 

 

 何かを演じて生きる、世界という舞台、私という役名、役割は、世界が決める。

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓に所属するNPCの中で、見た目が人間か亜人種に近い者達、もしくは人に化けられる者達には、現在、ある制度の利用が推奨されている。

 それは『外の世界体験制度』。

 誰が命名したのかそのシンプルな名前の通り、ナザリック地下大墳墓の外をナザリックの者達が体験できる制度である。その制度を利用すれば、人間もしくは亜人種として、密かに護衛をつけて偽りの身分で外界で暮らす体験ができるのだ。

 これは当然、モモンガとウルベルトが発案し、作り上げたものである。

 ナザリックの者達が反逆の意志を持つことが限りなく0に近いと解り、そして外の世界をアインズ・ウール・ゴウンが支配しNPCの身分偽装や護衛が容易くなったため、その制度は設けられた。

 ナザリック地下大墳墓の者達には、広い世界を知り、学び、アインズ・ウール・ゴウンをより良くするために成長せよ、と、それらしいことを言って何とか納得させたその制度は、制定されてから長い年月をかけて徐々に利用者数を増やしていた。

 それは経験と長い時間が齎した変化でもあり、そして彼らの分かりやすい欲望の現れでもあった。

 なにせ、利用した者は帰還後に直接、至高の御方々へと体験し学んだことを話す機会に恵まれる。しかも、至高の御方々と報告者しかその空間にはいないという、被造物としては贅沢すぎるような空間で。

 ナザリックの者達からは下心ありきで利用されているようなそんな制度だが、モモンガ達にはまた別の目論見があったため利用してくれるだけ有り難い話であった。

 その目論見とは、最低最悪の事態を想定しての備えである。

 想定し得る最低最悪の事態は、絶対に避けるべきであり、訪れてほしくない未来でもある。だが、未来の保証は誰もしてくれない。

 アインズ・ウール・ゴウンに敗北は許されないが、その可能性は未来永劫にあり続けるのだ。

 モモンガ、ウルベルト、たっちの敗北と死亡。その可能性は、未来永劫に存在し続ける。

 更には、復活が不可能である事態。その上で、ナザリック地下大墳墓の消滅が起きた場合とて、決して0%ではない。

 だからこそ、その最悪中の最悪の事態に備えてモモンガ達は可能な限り外の世界をナザリックの者達に見せることにしたのだ。

 最低最悪の事態が起きた時に、もしもナザリック地下大墳墓のNPC達が生き残ったら、高確率で後追い自殺をしてしまう。仮に、強く命令して生きてほしいとモモンガ達が願っても、その時に外の世界を知らぬのでは結局は生きていけぬのだ。

 そのため、外の世界で、人間や亜人種が、どのように生きているのか教えるために、モモンガ達はその制度を駄目元でも制定したのだ。

 彼らが外の世界を知り、独りでも生きてゆけるようにと。

 

 そして某日、その制度を利用しようと思うと口にしたのは、意外や意外、シャルティア・ブラッドフォールン。

 最も利用するはずがないと思われた、吸血鬼の戦乙女であった。

 

 

 

 その日、たっち・みーは、本を片手にナザリック地下大墳墓の第六階層に独りで来ていた。

 お世話係や護衛係に何重のクッションを挟んで断りを入れた彼は、独りの休日を満喫する予定だったのだ。

 日頃身に纏う鎧を脱ぎ武器も身に着けていない彼は、今日はゆっくりと過ごそうと思いたち片手に本を持っていた。

 陽光の下で草花の香りを感じながら読書と洒落込もうと、のんびりした思考の聖騎士は軽やかな足取りで腰掛ける場所を探して足を進める。

 そんな彼の視界にふと入ったのは、純白の大きなガゼボ。そしてそこにいる、気の合わない仲間の彼と、ダークエルフと吸血鬼だった。

 性格の不一致を極める彼一人だけなら無視しても構わないであろうし、彼も気にしないだろう。しかし彼の相手している彼女達は別だ。

 仲間であり部下であり監視対象でもあり今はいない仲間達の子供のような存在という、何とも濃い関係性のナザリックの者達。

 無視されたと勘違いされ変に気落ちさせてしまうのも問題かと判断し挨拶だけでも済ませようと、たっちは足をそちらに向けた。

「こんにちは、お疲れ様です、ウルベルトさん、それから、シャルティアと、アウラとマーレも」

 ウルベルトが腰掛ける場所から反時計回りに視線を移しながら、たっちは声を掛けた。

 そして、彼らのどこか暗い雰囲気を察して何か仕事の打ち合わせ中だったのではないかと懸念する。

「すみません、何か話し合いの途中でしたか?」

「いえ、俺もオフですよ。可愛い子供達の悩み相談を受けていたんです」

「悩み相談?」

 鸚鵡返しで尋ねた彼に、悩み相談をしていた吸血鬼がその偽りの美貌を困り顔にして悩みを口にする。

「……『外の世界体験制度』を、利用してみたいのでありんす」

 シャルティアのその言葉に驚いてしまい、思わずたっちは何も考えずに口走ってしまった。

「えっ。いや、シャルティアには無理じゃないか?」

「たっちさん、気持ちは分かるけど言い方。シャルティアが凹む」

 指摘され、泣きそうな顔でしゅんとするシャルティアを見てたっちは慌ててフォローする。 

「す、すまない、シャルティア! だが、ほら、得手不得手というのが誰にでもあるだろう?」

 謝りつつも、結局できるとは口にはしないたっちに、しかし周りの者達も苦笑で同意する。

「それで、私達が呼ばれたんです」

「だいぶ前だけど、僕達は外の世界を体験しましたので……」

 ダークエルフの双子が語り、たっちはそう言えばと話では聞いていたことを思い出す。たっちが帰還するより前の出来事のため詳細まで丸暗記はしていないが、彼らなら何も問題なさそうだと思ったことは、たっちは覚えていた。

「そう言えばアウラとマーレは制度体験者だったな。確か……、学生だったか?」

「はい、魔法学院の生徒に扮しました」

「え、演技がけっこう大変でした」

 アウラがニコニコと笑顔で答え、困り顔をしてマーレも返答する。その姿は成長したとはいえ、まだまだ学生、もしくは若手の魔法研究者として学園に潜り込めそうな様子だ。

「えぇ? あんたは絶対に私より楽だったでしょう、いつも通りだったじゃない!」

「えぇっ、そ、そんなことないよぉ……!」

 眉を下げる弟を揶揄い終えたところで、アウラがシャルティアにねぇと声を掛けた。

「そう言えばシャルティア、その見た目年齢だと、たぶん私達と同じ魔法学院の生徒として転入ってことになると思うけど、先生を先生として敬えるの?」

「なっ、なんで私が、私より弱い下等生物を敬わなきゃいけないのでありんすか!?」

「そういう設定だからよ!」

 アウラのまともなツッコミに納得いかないという顔をするシャルティアを見て、たっちはやはり無理な話ではないだろうかと思ってしまう。一日どころか授業一つ受け終わる頃には潜入が失敗してそうだと、口には出さないが考えていた。

「そもそもさ、シャルティア、偉そうにしたら駄目なんだよ? 実際どこに潜むことになるか分からないけど、全員と対等にね」

「はぁ? そんなの無理でありんす!」

「そ、その口調も変えないといけないかな」

「……それは、たぶん大丈夫であり、です」 

 随分と慣れ親しんでしまった口調は問題なさそうだが、肝心な所がてんで駄目そうな彼女の様子に周りはだいぶ諦めモードが滲んでいた。

 彼女自身があまりにも集団に溶け込むには厳しい気質を持ってる上に、護衛が彼女を全く止められないのだ。問題と問題と問題しかないような事態だ。

 口には出さないが珍しくたっちと全く同意見なのであろうウルベルトも、腕を組み悩ましげにしていた。

「うーん……、貴族制度があった頃なら世間知らずの貴族の娘って設定で誤魔化せたかもしれないが……」

 苦し紛れにウルベルトが呟いたが、それは無理だと分かっている口調であった。

「貴族制度が廃止されて久しいですからね。下手したら、まだ奴隷を飼っている貴族の末裔と思われて通報されかねませんし」

「だよなぁ……」

 乗りかかった船だと、たっちもガゼボ内のガラス製の椅子に腰掛け一緒に考え始める。しかし、シャルティアの見た目年齢から必然的に潜入先は絞られ、また吸血鬼の戦乙女の被虐趣味や性質を考えるとどこに潜入させるのにも躊躇してしまう。

 かなりの難題であった。

「少なくとも学生は止めましょう。もう日帰りで良いんじゃないですかね」

「たっちさん、やけくそになってませんか?」

「やけくそではなく、最初に言った通りシャルティアには向いてないと思うだけです」

「……まぁ、確かになぁ」

 きっぱり言い切った彼に対し、珍しくウルベルトも間を空けてから同意を示した。結局のところ、そこに帰結してしまう事実は認めざるを得ない真実だったのだ。

 項垂れる銀髪を見て、ウルベルトは慰めの言葉を掛ける。

「なぁ、シャルティア、無理はしなくていいんだぞ? ご褒美の帰還後の俺達とのお喋りが羨ましいなら時間を見繕ってやるし……」

「そっ、そうじゃないのでありんす!」

 声を荒げ、至高の御方の言葉を遮ってまで泣きそうな顔で否定した吸血鬼の乙女に、驚きの視線が集まる。

「わ、私も、成長したいのでありんす……。成長して、もっと、もっとお役に立ちたいのでありんすえ……。それに……、」

「シャルティア……」

ご褒美狙いだと決めつけてかかったことを反省し、ウルベルトは謝罪しその頭を撫でる。

そして彼は一つの案を思いつく。少し悩んだが、しょんぼりしているシャルティアを見て結局、彼はその案を口から出した。

「……シャルティア」

「ウルベルト様……?」

 きょとんとしながらシャルティアは、目の前で突然魔導王陛下の執事としての人間の姿に化けたウルベルトを見詰める。

「メイドに扮して外の世界を体験しよう」

「ええ!?」

「そ、それは無理じゃないですか、ウルベルト様!? シャルティアがメイドなんて!」

 素っ頓狂な声で止める周りを宥め、ウルベルトは聖騎士を指差した。巻き込まれた哀れな聖騎士を、若干ざまあみろなどと思いながら。

「御主人様役はお前だよ、たっちさん」

「えっ」

「俺とシャルティアが兄妹の従者役、貴方は遠方から来た坊ちゃん。どうですか、これなら完璧でしょう?」

 ウルベルトに肩を抱き寄せられたシャルティアが黄色い悲鳴をあげ、親切心から巻き込まれたたっちが固まっていた。

「…………え?」

 間抜けな聖騎士の声が零れ、その手からは本が落下した。

 

 

 

 冒険者都市ベイロンの冒険者組合に、そこには似つかわしくない服装の二人組が入ってきた。

 片方は、銀髪を後ろに撫でつけ釣り上がった金色の瞳を愉快そうに捻じ曲げた、美しい故に少し不気味な執事服の男。

 片方は、目深に被ったフリル付フードで顔はよく見えず、流れ落ちる美しい銀糸と黒のシンプルなエプロンドレスからメイドと分かる少女。

 しかし彼ら二人組が目立ったのはその様相故でなく、片方が執事ルドー、魔導王陛下の執事だったからであった。

「こんにちは、伝言に参りました」 

 彼らを迎えに慌てて奥から飛び出て来た組合長に、来訪者は口角を上げてにこやかに伝える。

 歪んだ笑みなのに美貌であるため少しばかり奇妙に感じる彼に、曖昧な愛想笑いを返し組合長は深々と頭を下げる。

「わざわざ陛下の執事様からお御足を運び御報告頂き、有難う御座います。どうぞ奥の部屋へ」

「一介の執事にその様に謙らないで下さい。このまま立ち話で構いません。簡単な言伝ですので」

 左様ですかとすぐに納得し立ち話で済ませようとした組合長は、何故かメイドの少女に睨まれたように感じ、ちらりとそちらを盗み見る。しかし、隣の執事から肩を抱かれると少女は顔を俯かせてしまったために、真偽の程は確認できなかった。

「本日、魔導王陛下の紹介で剣技を教える予定だった騎士が来れなくなったのです」

 その報告に驚いた後、何かトラブルでもあったのかと心配そうにする組合長に、執事はますます口角を釣り上げ、笑い混じりに返答する。

「ご安心を。唯の食中りです」

「食中り、ですか?」

「えぇ、その辺の樹液でも拾い舐めしたのでしょう」

「は? 樹液、ですか?」

「身内ネタのジョークです、お気になさらず」

「は、はぁ……」

 困ったような顔をして曖昧に笑う男に、にんまりとした笑顔を一切崩さずに執事は言葉を続ける。

「それから、これは私の妹、名前はティアと申します」

 そう言って、執事ルドーがフードを外し、顕になった少女の顔に、周りからどよめきが起こる。

「兄である私が言うのも何だが……、美人だろう? だから、ついつい構って甘やかしてしまって、ティアも全く兄離れができていないんだ。私も今でも過保護になってしまう。そのせいか、少し世間知らずで人見知りになってしまったんだ」

「……」

 兄の言葉を証明するかの如く、少女は俯きどこからも視線を逸した状態で黙り込んだままである。

「それでは、黄金の輝き亭に私達はいるので何かあれば気軽にご連絡を。騎士殿の具合がすぐに良くなるようなら講義をするが、芳しくなかった場合は体調が落ち着いた頃に一旦帰ることになるかと思う」

「畏まりました。集まった冒険者達には私共から説明しておきましょう」

「お手数をおかけ致します」

「とんでも御座いません」

 組合長に頭を下げたルドーに少し遅れて、少女も辿々しく頭を下げた。

 頭を上げて、少し乱れた銀糸を整えた彼らは、少女の方はまたフードを目深に被り、お大事にという優しい言葉を掛けられながらその場を去って行った。

 

 組合の外に出て、舞台が整ったことに、ウルベルトはひとまずの安堵の息を吐く。

 魔導王陛下の執事、それが溺愛してる妹となれば自ら藪蛇を突く馬鹿は現れまい。噂話は勝手にまわってくれるだろうから、周囲からシャルティアに関わるなど馬鹿な真似をする者は一先ずいないだろう。

「……あっ、あんな場所で立ち話をさせて、挙げ句の果て、御方に、あ、あ、頭を下げさせるなんて……!」

「ティア。病弱で世間知らずでお淑やかなティア。怖い顔をしたら駄目だぞ」

「っ! は、はい……、申し訳ありません」

 頭を撫でられながら諭され、怒りに歪ませていた顔を直ぐにしょんぼりさせた少女を金の瞳が横目で伺う。

 後はシャルティア自身の問題かと、ウルベルトは見た目だけは繊細なその肩をぽんと軽く叩き、頑張れと応援の言葉を送った。

 

 

 

 晴れ渡る青空。高い高い空に登り詰める雲達。風は優しく頬を撫で、芽吹く新緑が鮮やかで眩しい。

 そんな麗らかな場所で、悪魔と吸血鬼は洗濯物を干していた。

『主人が独りになりたいと言い出し部屋を追い出されやることが無くなったので手伝いたい、病弱で世間知らずの妹にも良い経験になると思うので……』

 そんな言い訳を並べ立て、美形と魔導王陛下の執事という立場をふんだんに活かし、ウルベルトとシャルティアは宿の手伝いをしていたのだ。

 大きなシーツを物干しロープにばさりと引っ掛けるのは、背が高い銀髪の美丈夫。いつものキッチリ着込んだ執事服姿ではない。上着は近くの柵に引っ掛けられ、シャツとベストだけで、袖も雑に捲くられている。

 隣では銀髪の少女が、くちゃくちゃに丸められまとめられている山盛りになった濡れたシーツを解し、絞り、シワを延ばしつつ隣の男に渡すべく待機していた。

 男はその妙に端正な顔の口角を釣り上げ鼻歌でも歌いそうに楽しそうにしていたが、少女は不服そうな顔を上手く隠せずにいた。

「お疲れ様、ルドーさん、ティアちゃんも」

「ありがとうございます」

「あ、ありがとう、ござい、ます」

 そんな彼らに、シーツの波の向こうから女性がにこやかに声を掛ける。宿で働く女は籠に山盛りの野菜を抱え、簡単に挨拶を済ませると当然すぐに宿の裏口へと向かって行った。

「至高の御方に何と言う態度……!」

「ティア、演技は大事だぞ、モモンガさんも似たようなこと言ったことなかったか?」

 ぎくりとして我に返った様子の少女が、今度は力無く困ったように零す。

「弱いふりでありん、……ですか、ルドーさー、に……、兄様」

「弱いふりというか、仲間のふりだな。拷問も洗脳も魔法も便利だ。だが絶対じゃない。万が一の時に使える手札は残しておくこと、自分の手札は見せないこと、これで面倒は増えても、不利になることはないだろう?」

「し、しかし、時間がかかることになりんすよね?」

 恐る恐る問い掛けた彼女に笑いかけ、怒ってもいないし不機嫌でもないことをアピールしながらウルベルトは答える。

「あぁ、だが、時間は私達には無限にある。それに、“無理に話させる”のと、“自ら望んで無警戒に話す”のでは情報の質が違う。それに何よりも、街に住んでいる者達の意見を聞くには拷問なんて手段は選べないからな」

「……。申し訳御座いません、おそらく私はあまり理解できていない、です……」

 シーツをウルベルトに渡し、また丸まった塊をほぐす作業に戻りながらシャルティアは溜息を吐く。

「至高の御方々はまことに凄いです……。ペロロンチーノ様も、何を考え、一体どのように戦っておられたのでしょう」

「いやー、アイツは頭使うより結構直感頼り派……、あっ」

「え?」

「あー……、いや、えっと……」

 ついうっかり素直に話してしまいウルベルトは頭を抱える。

 しかし、直感が鋭いというのは強ち嘘ではない。

 ペロロンチーノは何故か、ネカマやネナベを嗅ぎ分けるのは上手かった。それに調子に乗ったネトゲの姫が近々炎上しそうな雰囲気を察する謎のスキルも持っていた。

 勿論、そんな役に立たないスキルの話だけでなく戦闘時にも妙に勘の働く男であった。

 なんとなく胡散臭いと感じる嗅覚を持ち合わせており、そこは軍師たるぷにっと萌えも時折参考意見として使っていた程だ。

「ま、まぁ、何と言うか……、感性という奴だな。ペロロンチーノさんは理屈抜きで強かったんだよ」

「さすがはペロロンチーノ様でありんす!」

 思わずといった風に、自身の創造主をキラキラした瞳で賞賛するシャルティアに、ウルベルトは安堵の息を吐く。

 しかし、これでペロロンチーノは帰還した時には賢ぶる必要はないのだと思えば、ウルベルトは若干帰還するかも分からぬ仲間のことを羨ましくも思ってしまう。

「そういえば、前に相談してくれた時のことなんだがな、成長するだけじゃなく、それにって言ってたよな」

 存在しない仲間への勝手な恨み節は適当に切り上げ、シーツを洗い紐に引っ掛けながらウルベルトは思い出して問い掛ける。そして横目で彼女が暗い顔をしたのを見て、話題の選択を誤ったことに気が付いた。

「いや、すまない。言いたくないなら、言わなくていいぞ」

「い、いえ、そのようなこと……」

 言葉では否定しつつも、逡巡する素振りを見せ、そして吸血鬼の乙女は、まるで恋する乙女かのように睫毛を伏せ口を開いた。

「……ずっと、考えてしまうのでありんす。ウルベルト様がご帰還された時の、……あの事件から、ずっと、私は……、ペロロンチーノ様がご帰還され、もしも、もしも、……モモンガ様を、ペロロンチーノ様が」

「シャルティア、自分が言えた立場じゃないが、考え過ぎだ。ペロロンチーノさんと私とモモンガさんが仲が良かったのはお前も知るところだろう」

「はい……、ですが、不安でありんす」

 ウルベルトが、シーツを地面に落とし、シャルティアの細い肩に手を置く。しかし彼女の俯いた顔は沈んだままで、声も弱々しく震え続けた。

「私は、……結局決めきれないのでありんす。今、モモンガ様とウルベルト様にもしものことがあった時、私は、どちらの、誰も味方もできないでありんす」

 ぎゅっと、小さく白い手が握り締められる。ウルベルトは唯それを見ていた。

「だから、外の世界に来たでありんす。以前モモンガ様が成長の機会をお与えになってくださったのも、外の世界でありんした。だからまた、何か、学べるのではないかと思って……」

「シャルティア……、いい子だな」

 ウルベルトは、そう声を掛けるしかできなかった。

 彼女が利用した制度の目的、そしてウルベルト達が提示した可能性と彼らに求めること。それらを思えば、ウルベルトが彼女にこれ以上声掛けすることも、提示することもできない。

 シャルティアがシャルティアの意志で、決める道を、見守るしかできないのだ。

 

 

 

「ルドーさん、ティアちゃん、これ、よければ食べて。ご主人様も、お腹の具合が良ければどうぞ」

 シーツを干し終え、土で汚したのも魔法で綺麗にして、仕事を完遂した執事とメイドが部屋に戻る途中、またもや笑顔の女性が彼らに話し掛けてきた。彼女の手には大きな皿があり、そこにはミートパイが三切れ載っていた。

 少し冷めたそれをウルベルトは丁寧に受け取り礼を述べ、続いてシャルティアもメイドらしく、ウルベルトの真似をして礼を口にした。

「一応、これもメリットだな。相手の善意で何もしないでこっちに利益がくる」

 部屋に入り、ウルベルトはシャルティアに皿を差し出す。

 シャルティアはそれを一瞥し、そして手に取り口に入れた。

「……あんまり美味しくないでありんすね」

 そのシャルティアの返答に、思わずウルベルトは笑ってしまった。

 

 そうして長閑とも感じられるシャルティアの外の世界体験生活は、ゆるやかに流れていった。

 そんなある日、腹痛で寝込む騎士がいる部屋で大声があがる。

「いや、早すぎやしないか!?」

「私もそう思いますが、しかし、側で見守って甘やかしていても外の世界体験とは言えないですよ。一応見張、ごほん、護衛も付けてますから安心でしょうし」

「任せてください、ウルベルト様!」

 いつの間にか話しは進んでいた様子で、肝心のシャルティア自身もやる気を漲らせ胸を張って主張している。もはやウルベルトが何か苦言を呈し今更止めることなどできない雰囲気だ。しかしそれでも、失礼ながら彼女を完全に信頼できず心配してしまう彼は、膝を床についてその可愛らしい顔を覗き込む。

「本当に、独りでお使いできるのか、シャルティア……?」

「任せてほしいでありんす! お金の使い方もバッチリでありんすよ!」

 きっぱりと、自信たっぷりに堂々と言われてしまえばウルベルトにもこれ以上余計なことは言えない。彼女を信じ、送り出すだけである。そうだと解っていても心配なのも事実で、ウルベルトはシャルティアにせめての見送りの言葉を送る。

「いいか、上から目線で命令しないんだぞ」

「はい!」

「人間がぶつかっても寛大な心で許せ。スリとか、まぁ治安がいいから大丈夫だろうが、万が一いても、首を切り落とすとか手首を切り落とすとかも駄目だからな?」

「分かりんした!」

「寄り道とかしないで帰るんだぞ!? あと、無理だと思ったらすぐに帰っておいで。努力は認めるし褒めてやるからな!」

「ありがとうございんす!」

「ウルベルトさん、そろそろ甘やかし過ぎです」

 心の底より吸血鬼の乙女を心配する悪魔と、そんな主君の気遣いに感涙する僕の横で、酷く冷めた言葉が飛び出る。さすがに呆れたといった風に、聖騎士は腕を組み冷めた眼差しで彼らを見ていた。

「馬鹿野郎、たっち!! 女の子が初めて独りで買い物に行くんだぞ!? そりゃ心配するだろ!?」

「実際危険に晒されているのは今市場にいる何も知らない無辜の民達ですよ」

 たっちからの痛烈など正論の一言に、しかし過保護モードに入っているウルベルトすらも流石に反論できなかった。一言一句、聖騎士の言っていることは事実だ。ウルベルトが心配するところも、実際はシャルティアが失敗してしまい凹んでしまうことを一番に危惧していた。

「任せてくんなまし! この数日、ウルベルト様とともに人間どもと対等に過してみせた今、お使いぐらい容易くこなしてみせるでありんす!」

 そう言って、自信満々な様子のシャルティアは独りで宿の部屋から出ていった。買い物かごと買い物メモを持つ一人のメイド、ティアとして。

 彼女が出ていって少しして、無言で悪魔も聖騎士も息ぴったりで動き出す。遠隔視の鏡を悪魔が取り出し、設置された鏡の前に聖騎士によって二脚の椅子が置かれる。そのまま彼らは無言でそこに腰掛けそして、鏡に映る銀髪のメイドを見守り始めたのであった。

 

「ふふん、後は果物を買って帰れば完璧であり、んんっ、……完璧ね!」

 買い物メモと、膨らんだ買い物かごを一瞥し、シャルティアは上機嫌になる。

 人間が馴れ馴れしくしてくるのは、未だ癪に障る。だが、この数日間は挨拶やらを行って多少は慣れてきたこともあり、すぐに頭に血が上る程ではなくなった。

 それに何よりも、あの偉大なる至高の御方たるウルベルト様が人間と関わる時に笑みを絶やさないでいるのだ。実際腹の中では人間どもに声を掛けられ虫酸が走り怒りで腸が煮えくり返る程に違いないであろうに、御方は笑みの仮面を貼り付けている。

(至高の御方々はほんにすごいでありんすえ……。配下の私も、見習ってこれぐらい耐えてみんせんと)

 そこまで思考を巡らせて、シャルティアは少し俯いてしまう。

 結局、我慢や振る舞いを偽ることは覚えられたが一番の目的は叶えられていないことを思い出してしまったのだ。

 万が一のことがあったとして、自分はどうするのだろうかという迷い。真っ暗闇の道の先。それらは一切、何一つとて晴れていない。

「キャー! かわいい〜」

「どっちにしようかなぁ、悩んじゃう」

「どっちも素敵!」

「選べないわよね!」

 キャイキャイとはしゃぐ声が不意に聞こえシャルティアは顔を上げる。

 彼女の視線の先には、安いアクセサリーを売る露店の前にいる女の子が二人いた。紫色の水晶のネックレスと、金の細い腕飾り、それらを見比べ女の子達は楽しそうに選択を迷っていた。

 彼女達がどう選ぶのか、どのように判断するか気になり足を止めたシャルティアだったが、思いの外女の子達は長考だった。なかなか煮え切らない彼女達に、シャルティアはついイライラしてしまい、そしてとうとう怒鳴りつけてしまった。

「ちょっと、どっちにするか早く決めなさいよ!」

「え、何……?」

「誰……?」

 胡乱げな女の子達の顔に、身勝手極まりない話だがシャルティアはますますイライラしてしまう。ままならない事態。そんなもの、その手で全て粉砕してきた彼女の弱々しい理性が、徐々に血に溺れてゆく。

「イライラしていたから、ちょうどい」

 言葉が途切れた謎のメイドに、女の子達は首を傾げる。メイドは頭をすっぽり覆うフリル付きのフードをかぶり直すように両手でこめかみを押さえ俯き黙っていた。

「申し訳ありません……、……あの、えっと……、私も少し、迷っていて……、その、」

 上目遣いで様子を窺う可愛らしい顔をした少女を見て、打って変わって女の子達はテンションを上げた。頬を染め、眉を下げる困り顔を見て、盛大な勘違いをしたのだ。

「ヤダ……、もしかして恋の話!?」

「きゃー、かわいい!」

「こっ、恋!? そんなんじゃ、」

 素っ頓狂な声を出し否定する姿も、勘違いしている女の子達には少女の可愛らしい照れ隠しにしか見えない。話は勝手に進んでゆく。

「うんうん、それでそれでー、迷ってるって何かな?」

「もしかして、素敵な人が二人もいるとか!?」

「そ、そうであり、です。どちらの方も比類なき御方……、素敵な方々。どちらも大事で……、私に選ぶことなんて……」 

 顔を手で覆い、女の子達は感極まった様子で前のめりでシャルティアの話を聞いていた。

「苦しい選択を迫られてるんだね……。どっちかを選んだら、片方を捨てることになるものね」

「あら、両方を手に入れても良いじゃない」

「ええっ、浮気?」

「バカね、片方は恋人、片方は友達よ」

「えー、それは成り立たないでしょ〜」

「やってみなきゃ分からないじゃない!」

 意見が別れた彼女達を、ぽかんとしてシャルティアは見詰めていた。

「両方……?」

「そうよ、両方よ! 二兎を追う者は一兎をも得ず、なーんて言うけどやってみなきゃ分かんないじゃない。罠を上手く使ったり協力者がいたり魔法を使ったり、手段なんていっぱいあるわ。チャレンジよ!」

「え~、そうかなぁ。屁理屈だと思うよ~、無理でしょ~」

 意見の食い違いから対立し言い合いを始めてしまった女の子達だったが、シャルティアはそれどころではなかった。彼女はまさに、目から鱗が落ちている真っ最中であった。

 片方を選べばもう片方は選べない。そんなこと、一体誰が決めたのだろうか。いやそもそも、決まっていたとしてそれがシャルティアに一体何の関係があるのだろう。

 残酷で、冷酷で、非道な、可憐なる化け物に、強いられるべきルールなどある訳がない。

 答えはずっと前に出ていたのだ。どちらも愛しく大切であるという、揺るぎない答えが。

「人間にしては、良いことを言ったでありんす! 両方ほしい! それが私の答え! やってみなきゃ分からないでありんす!」

 突如、人が変わったように叫び高笑いする少女を、市場の者達がぽかんとして見遣る。そんな視線など、当然意にも介さずに、シャルティアは、自身が出した揺るぎない答えを唯一忠誠を誓う御方々に伝えるべく駆け出した。

 その顔は、とても晴れやかに、笑っていた。

 

 

 

「……めちゃくちゃなスピードで駆けて行きましたね、シャルティア。少なくとも人間には無理なスピードで」

「……荷造りと痕跡消去しましょう。変な噂と注目を集める前に」

「そうですね……」

 一方その頃宿では、珍しく息ぴったりな悪魔と聖騎士が後片付けを始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初恋

ウルベルト・アレイン・オードル様から“ツアレ”の名を貰ったモブが出ます。
今回ばかりは、魔が注シリーズ読まないと訳わからないかもしれません。


 

 

 

 

 

 君は死に、自分は生きる。唯それだけ、なのに。

 

 

 

 

 

 悲しい訳ではない。

 しかし、そう思うことがどこか言い訳であるような気がして、悪魔は顔を顰める。

『ウルベルト様に会えて、本当に……、幸せでした』

 最後に聞いた言葉は、経過した時相応に嗄れていた。

 彼女の秘めた想いを伝える声も、その言葉の意味に反し、老いた声であった。

『──────』

 自室に飾られていた真紅の薔薇と、その深緑の葉に、ウルベルト・アレイン・オードルは視線を遣る。

 その緑と、そこに映りこんだ炎の赤。苦々しいが、そうとも言い切れぬ記憶がウルベルトを襲う。

 そんな物思いにふける彼の耳に、丁寧なノックの音が届く。入室許可を出せば扉が静かに開き、そしてそこには忠誠心の厚い悪魔が立っていた。

「御前失礼致します、ウルベルト様」

 入室してきた声も所作も全てが洗練された己が創り出した悪魔を、ウルベルトは一瞥する。

「……如何がされましたか」

「なに、ちょっとした、……は、そうだな、ペットロスさ」

 創造主の微かな変化も見逃さず様子を尋ねてきたデミウルゴスに若干苦笑しつつ、ウルベルトは茶化した様子で返答する。

「件の辺境にて反抗する亜人族討伐の視察は、延期なさいますか?」

「いや、何も問題はない。少し待て、すぐに行く」

 扉の方に声を掛け、ウルベルトは、その手に持つ使い古された白い義足を棚の引き出しの中に仕舞い込む。

 そして仕事に向かおうと部屋を出ようとした彼は、飾られた薔薇を横目に見て、また記憶を揺さぶられる。

 嘗て幼き頃には抱き上げたこともある彼女の深い緑の瞳を、悪魔は思い出していた。

 

 

 

 

 

 エ・ランテル。

 それは、魔導王陛下の軌跡が始まった誉れ高い超巨大都市。始まりの尊き都として不滅の繁栄と栄華を誇る、黄金の都。

 遥か昔の魔導王陛下統治前と違い、今では様々な種族の者達が集まり、また円形闘技場や図書館、公立学園など、様々な施設が揃っている豊かな都だ。

 その殆どの施設が魔導国内で初の施設であり、始まりは試験運用のため造られた施設であった。当然、試験期間はとうの昔に終了しており、今ではどれもが歴史ある施設として誰もが挙って利用しようとしている人気施設である。

 そういった背景もあり、エ・ランテルの市場はとても色彩豊かで賑やかであった。

 それは売り物のことだけでなく、利用者達もである。老若男女どころか種族も職種も、そこにはてんでバラバラの者達が集まっている。

 円形闘技場に挑戦予定の冒険者。図書館を利用しようと訪れた学者や、魔法使い。そして、学園寮から出かけて来た休日を謳歌する学生達。さらには観光客に商人。属国から派遣された要人とその護衛。各公共施設に勤めている者達。そんな彼らの関係者や家族やらを含めれば、歩く人だかりは当然、物凄いことになっていた。

 騒音とも呼べるような喧騒の中、そこでは様々な文化が渋滞していた。

「……はぁ」

 そんな市場を遠目に眺めながら、一人の小さな少女は溜息を吐き、迷子のように周りを伺う。

 しかし別に、少女は迷子ではない。エ・ランテルに暮すようになってから数日経ち、寮への帰り道も当然ちゃんと知っている。

「……どうしよう。私、馴染めるのかな」

 噴水広場にあるベンチで独り言を呟き、少女は都市に見合わぬ規模の小さな古い城を見上げる。

 その城は、『始まりを忘れぬように』という思慮深い陛下の意向でエ・ランテルが陛下の支配下に入る前の状態を保っている。

「……陛下がたまにいらっしゃるというお城。そんな都市に暮らせるなんて、嬉しかったのにな……」

 少女は愚痴を零して、また溜息を吐き出してしまう。

 昼時も過ぎたのに盛り上がりを未だ見せる中央通りの道沿いの店々とは正反対に、少女はどんどんと滅入っていた。

「そりゃ、エ・ランテルの信じ難い華やかな話は故郷に居る時から耳にしてたけど……」

 旅の商人や冒険者達から話を聞く度に、毎回その夜は巨大都市の賑やかな市場や円形闘技場での戦いを妄想し、ベッドの中で興奮していたものだ。

 だからこそ少女は、エ・ランテルにある国立学園に奨学金で通えるように努力に努力を重ねたのだ。

 孤児院に通い詰め、そこに務める先生や、孤児院に極偶に訪れる美しいメイド服の優しいお姉さま方にも勉強を沢山教わった。夢のため、必死だったのだ。

 そして、その努力は実り、夢は叶った。彼女は晴れてエ・ランテルに設立されたアルファ国立学園の奨学生になれたのだ。

 そのため本来ならば、少女は歓喜に震え大喜び真っ最中のはずなのである。

 しかし実際は、全く真逆の状態であった。

 都の巨大さ、活気、集まった種族の多さとその文化、美しく立派な建物がずらりと並ぶ圧巻の光景は、想像以上過ぎて少女を萎縮させてしまったのだ。

 小さな地方の村から出てきた少女は、巨大すぎる都にすっかり怯えてしまっていた。

「……自分がエ・ランテルに行きたいって言ったのに。沢山エ・ランテルの話を聞いて、勉強だって見てもらったのにな……」

 憧れの都市に来たのに、怯えて尻込みばかりする自分に少女はますます俯くばかりだ。

 慣れない知らない場所での生活をたった独りで始めることに、今ではもう期待や希望はなくなってしまっていた。

 胸の内には冷たい不安しか残っていない。

 つい、ますます俯いてしまい、泣きそうになってしまった彼女の耳に不意に優しい声が届く。

「どうかされましたか?」

「えっ」

「ちょっと……、少し見て回るだけだって話だったじゃないですか」

「まぁまぁ、ルドーさん。次の予定まで時間はありますし」

 奇妙な格好で言い争う三人組に、少女は固まってしまう。

 一人は仮面の上から真っ白なフードを深く被っており、もう一人も真っ黒な布を顔に巻き付けて金の瞳だけ晒し顔の大部分を隠していた。一人は深紫のゆったりとしたローブ姿で、仮面をつけている。

「……あっ、ぼ、冒険者の方々、ですか?」

 風変わりな格好の珍しくない都市内でも、それでもどちらかと言えば怪しい見た目に分類されるであろう彼らの職業に気づき、少女は納得する。

 『未知を求めよ』、魔導王陛下の御言葉通りに冒険をする彼らは、『見知らぬ世界と出会っても好意的に振る舞うべし』という、これまた慈悲深い陛下の御言葉に倣い日頃からとても思慮深い行動をする。

 だから、女の子が独りでベンチにぽつんと座って泣きそうな顔なんかしていたため、優しい彼らは心配をしてくれたのであろう。

「ご、ごめんなさい! 何でもないんです、本当に!」

 心配させてしまったと謝る少女は、ついほろりと涙を流してしまう。不安だったところに不意打ちで優しくされてしまい、涙を堪えきれなかったのだ。

「大丈夫ですか?」

「っ、ごめ、んなさい……、しっ、心配をかけて。実は、さっ、最近引っ越して来たばかりで、この都市に慣れるのかなって不安になっちゃって……」

「あぁ、その制服、新入生か。……うん、我ながらやっぱり良いデザインだ」

「へ?」

「いや、何でもない」

 首を傾げつつ少女は、自分が学園の制服を着ていることを思い出す。そして思わず、学生寮で未だ誰にも声を掛けられていないことも思い出してしまう。

 不安の種をまた別に思い出してしまい瞳を潤ませた彼女の耳に、優しい声が届いた。

「彼女に街を案内してあげませんか? 街を知れば少しは不安も解消されるでしょうし、我々にも時間と理由がありますし」

「たっ、んんっ、ベイロン殿、いいかっこしいも程々にしてくださいよ」

「こういうのも偶には良いじゃないですか」

「まぁ偶には、第三者の意見も必要、ですかね」

「……分かりましたよ」

 あまり歓迎されていない空気なのは、少女も流石に察していた。しかし人混みに気圧されて見て回れていなかった街を案内してもらえる誘惑に我慢できずに、結局お言葉に甘えることにしたのだった。

 

「美味しい……!」

 ふわふわの砂糖菓子を口にして、思わず叫んでしまった女の子は顔を真っ赤にする。それから慌てた様子で御礼を伝えるも、二名からは変わらずあまり興味なさそうに、一名からは丁寧に気にするなと返されて終わってしまった。

 あれから、様々な店や情報を紹介され、これからどうしようかと右往左往していた少女はだいぶ自信と気力を取り戻せてきていた。

 文房具など学生相手に商売をしている雑貨店を数多く紹介してもらい、さらには子供の小遣いで食べられる程度の甘味屋までいくつか案内してもらったのだ。

 その内の一つに、持ち帰ることが前提の小さなお菓子や食べ歩きのお菓子専門店があった。そこで女の子は、白くてふわふわした砂糖菓子や沢山のキャンディやクッキーを買って貰ってしまったのだ。

 さすがに申し訳ないだの、こんなに食べ切れないだの女の子が喚くのも無視して彼らは店の品全種類を買い上げ、そしてそれらを少女に全て押し付けてきた。

 無理をしている様子もなく自然と金貨を出す彼らには、会計する店主も流石にぽかんとして呆気にとられていた。

 そうして与えられた菓子の感想を求められれば、少女に今さら拒める訳もない。感謝を幾度も伝えてから一口目は緊張しつつ、二口目からは大喜びで瞳を輝かせながら少女はパクパクと食べ始めた。

 食す度に喜色満面になる少女は、自分が満足そうにすると嬉しそうにする彼らの優しさに気付き、感動してしまう。

「やっ、やっぱり、エ・ランテルに来て良かったです! 聞いていた話通り、冒険者の皆様は魔導王陛下の御心の体現者……、慈悲深く思慮深い方々なのですね!」

「……冒険者のハードルが随分と高くなってないか、騎士殿」

「低いよりは良いでしょう、執事殿」

「なりたがるヤツが減ったら、どうするんだよ」

「……少し教育方法の見直しをします」

 眉間に皺を寄せた金の瞳の人と白いフードを被る人、彼ら二人は静かにヒソヒソと何やら話し始めた。

 顔を隠したそんな二人組に対して首を傾げる少女に、今度はローブを着て杖をつく魔術師らしき男が淡々と話し掛けてきた。

「他には、どんな話を聞いたことがあるんだ? ……悪い噂とかも、あるのかな?」

「わ、悪い噂なんて、ある訳ないですよ! エ・ランテルは夢のような都だとしか聞いていないし、敢えて言うなら、その、学園が狭き門だってぐらいですかね、えへへ、勉強すごく頑張りましたから」

 そう少女が答えると、今度は金の瞳だけを晒している者と魔術師との間で、ヒソヒソ話しが始まった。

「そこまで厳しい設定にしてたっけ?」

「あんまり関与してない、というか、すみません、見てなかったですね……。担当者が真面目だから、ってのもあるのかな」

「帰ったら選考書類のチェックですか」

「試験内容もですかね……」

「希望者が多すぎるとか?」

「とりあえず全体的事情からも把握しなきゃ駄目ですね……」

 何やら話し込んでいるが何事だろうかとまたまた首を傾げる少女に、今度は真っ白なフードを被る仮面の人が話し掛けてきた。

「しかし、君はそんな難しい試験に合格したのだから、とても優秀なんだろうね」

「い、いえ、そんなっ、た、たぶんタレントがあるから、それで、」

 タレントという言葉に反応し何か期待するように見てきた彼らに、少女はまたも慌てて否定する。

「あっ、でもタレントって言っても、すごく微妙で……、視力が人より凄いってだけなんですけど……」

「何か本当のモノが見えたり、とか?」

「本当の物……? え、えっと、あそこの看板の文字が読めますけど……」

 遠くの看板を指し示す女の子に、三者が一斉にくすりと笑う。

「ソイツはすごいな、冒険者達が斥候に欲しがるぞ」

「まぁ、そんなすごい能力なら最初に会った時に悲鳴あげられちゃいますよ」

「それもそうでしたね。しかし、冒険者が欲しがりそうなタレントであることは違いありません。君、将来の候補に冒険者も入れてくれないかな?」

「ぼっ、冒険者の方々は尊敬してますが……、私は視力が良いだけで強くはないし怖がりなので、きっと無理ですよ、あはは」

 笑って誤魔化す女の子に、冒険者と言えばと、慌てた様子で金の瞳を晒す彼が懐から懐中時計を取り出した。

「そろそろ円形闘技場に行きましょう。試合の時間だ」

「もうそんな時間でしたか。君もおいで、入場料は私達が払ってあげるから」

「そっ、そんな受け取れません! 唯でさえこんなに色々買って貰ったのに……」

「どれも大した金額じゃない。いちいち気にするな」

 鬱陶しいとすら言いたげな金の瞳の人を、真っ白なフードを被る仮面の人が窘める。

 しかし確かに、彼らが高給取りの冒険者であるならば菓子代は勿論、そこまで高額に設定されていない闘技場の入場料にいちいち騒ぎ立てられるのは逆に面倒だろう。人の厚意に甘え過ぎるのと同じく、遠慮し過ぎるのもまた失礼であると、何かの本で少女は読んだこともある。

「あのっ、あ、ありがとう御座います!!」

「いいから気にするな。対価だ」

 しかしそれでもせめて強い感謝の気持ちを伝えたくて、少女は力強く礼を述べる。それに返されたのはやはり淡々とした返事で、しかし身に覚えのない言葉もあったため少女は首を傾げる。

「対価? でも、私は何も、」

「ほら、早く円形闘技場に行こう。試合が始まってしまう」

 あっさりと話を遮られ、少女は円形闘技場へと、何かと不思議なところばかりの彼らと共に行くことになったのだった。

 

「確かいつもこの辺りで見かけますよね」

「えぇ、次の通路辺りだと思いますよ」

 円形闘技場に観戦者として入場した少女と三人組は、なぜか席へは向かわず外縁の大きくカーブする廊下を延々と歩いていた。

 良い席でも探しているのだろうかと、勝手の分からない少女は大人しく菓子を両腕で抱えながら着いていく。しかし、彼らが足を止め視線を送る先を見て、少女は大きく目を見開くこととなった。

 足を止めた彼らが指し示す先に、女の子達が沢山いたのだ。しかも彼女達は、少女と同じ服装の、学園服を着た者達だ。その中には見覚えのある顔まで揃っていた。

「ほら、行って来い」

「さっきのは値段も味も良い店だ。学生寮の誰かと一緒にまた来たら良い」

「その為には最初に誘わないとな」

 続々と言われ恩を受けた彼らから背中を押されれば、少女に前に出ない選択肢などあるわけがなかった。

 震える足を叱咤し、手汗を恥ずかしく思いながら少女は、一歩、前へと踏み出した。

「あら、貴女、同じ学園の子?」

「はっ、はひ! 新入生でふっ!」

 滅茶苦茶噛んだ。

 顔を真っ赤にして逃げたくなるも両腕いっぱいの菓子と、先程背中を押された感触が少女をそこに何とか食い止めた。

「こんにちは、覚えてる? 同室の私のこと」

「あっ、は、は、はい! わ、わ、私ッ、緊張してっ、うまっ、うまく喋れなくって! その、挨拶がっ!」

「あははっ、いいよ、いいよ。というか私もドキドキしてて上手く返せなくて、ごめんね?」

「そ、そんな……! あっ、あの、これ一緒に食べませんかっ」

「あらあら、こんなにいっぱい……」

「なんだか悪いわ、お金出すわよ」

 とても良い子に育っている女の子達が揃って綺麗な財布や小銭入れを取り出すのを見て、少女は慌てて首を左右に振った。

「あっ! えっと、これはあちらの方々がくれた物で、って、アレ!?」

 少女が振り返れば、彼らは綺麗さっぱり居なくなっていた。てっきり見守られているものと思っていた女の子は少し脱力し、そして顔を青褪めさせた。

「どど、どっ、どうしよう。居なくなっちゃった。こ、こんなに良くして貰ったのに……、ああっ、私、名前も聞いてない!」

 慌てふためく少女から事情を聞いた同じ学園の仲間達は優しい慰めの言葉をかけ、そして彼女の手からお菓子を受け取った。

「元気を出して。ひとまずこれは、有難く頂きましょう?」

「そんなに目立つ冒険者ならきっと見つかるさ!」

「そうよ。私達も協力して探して、一緒にお礼するわ」

 にこにこと笑って一緒にお菓子を食べてくれる新しい友人達に、少女は少しばかり視界を潤ませた。

 冒険者の彼らには、本当に感謝してもしきれないなと思いながら、少女は疑問を口にする。

「あの、席には座らないの?」

「そうなの、目的が試合じゃないからね」

「ここが一番良く見えるのよ、陛下の貴賓席が」

「新入生よ、運が良ければ最高の御尊顔を拝めるぞ?」

「御尊顔?」

 先輩方の話によると、円形闘技場に魔導王陛下が来訪される時、御側付が二人いたりいなかったりするらしい。

 御側付は、純白の鎧で全身を包んだ騎士と純黒の執事服を纏う執事。そのどちらか、もしくは両者ともに陛下の隣に立ってご観覧されることがあるという話だった。

 陛下御来訪は当然、事前に通達があるが、御側付の来訪までは流石に通達がないため、そこは運という訳だ。

 そんなお喋りをしていた少女達は、周囲が立ち上がり一斉に拍手をし始めたため顔を上げた。陛下専用の貴賓席を見上げれば、そこには誰からも敬愛される魔導王陛下がいた。

「ほら、あそこに魔導王陛下が!」

「運がいいな、新入生! 御傍付の方々が揃っているぞ!」

「遠目だけど、やっぱりルドー様かっこいいわぁ〜」

「キャーッ、こっち見ないかしら!」

「えっ……」

 彼女達が騒ぎ立てる対象を見て、少女は固まる。その美丈夫の持つその金の瞳は、少女にとって見覚えのあるものだった。

「あーあ、兄さんが言ってたベイロンの冒険者組合騒動に私も居たかったなぁ。ルドー様を間近で見たかったわ〜」

「でもさぁ、その騒動の噂、なんか変な尾鰭も付いてるじゃない。病弱の妹がいたとか、その妹が目に見えない速さで駆けたとか」 

「その後すぐにルドー様達が居なくなったとか何だか滅茶苦茶だし、偽物だったんじゃないの?」

「えー、そんなことあるのかなぁ」

 横でキャイキャイはしゃぐ乙女達とは真逆に、少女は独り頭が真っ白になって固まっていた。ぽろりと落としてしまったクッキーの最後の一口を、横から勿体無いと注意されるのも、少女にはどこか遠くから聞こえてくるようであった。

「やっぱり格好いいわよね、ふふ」

「えっ、いや、」

「分かるわ、見惚れちゃうよね」

「そのっ、そんなことより、あのっ」

「偶にしか来られないから、貴女、ラッキーよ」

 陛下とお付きの二人、先程出会った三人組。そして、同じ金の瞳。様々なことがいきなり一気に合致し符合してしまい、少女は完全にパニックだった。

「あの御方は……!!」

「何者なのかしらねぇ」

「やっぱり陛下と同じ不死者って噂通りなのかな」

「美の神様だって噂まであるじゃない」

「あははっ、あったわね、そんな噂も」

「あ、あの御方は、ひっ、人じゃないのですか?!」

 確かに異常に美しい見目だが人の見た目をしている金の瞳をした執事を、再度少女は見詰める。

 そして、目があったような気がして心臓を跳ねさせた彼女の耳にまた、信じ難い言葉が届く。

「だって、私の祖母の──も、あのルドー様だったのよ?」

 そう言って笑う学園の先輩である彼女の瞳は、美しい緑色であった。

 

 

 

「よかったですね、さっきの子、友達ができたみたいで」

「あぁ、……そうだな」

 来賓席にて、適当に手を振るモモンガを挟み犬猿の仲である二人組は安堵した様子で会話をしていた。

「おや、珍しい。素直に祝福するだけとは」

「五月蝿えよ」

「でも、本当に珍しいですね」

 モモンガにまで指摘され、それからウルベルトは溜息を吐き出す。今までちゃんと見ていなかったため、まさか居るとは思わなかった自分の元ペットの親族に、少し彼は動揺していた。

「……は、唯、幸せそうだなと思っただけですよ」

 制服を着た乙女達の方へと、ウルベルトは視線を送る。そして、祖母に少し似ている横顔の女の子を、僅かな時、見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 群衆の向こうに浮かぶ、鉄によって縦にいくつか区切られた夜空の光。

 だいぶ後から“月”という名前を知ったそれを時たま見かけることが、その頃の私の唯一の慰めでした。

 

 私はいつも、暗くて、冷たくて、寂しい所に独りで居ました。

 ひもじいということも苦しいということも私は知らず、唯ひたすらに日々を、引きずられながら、受け入れながら、唯、存在をしておりました。

 そんな日々が永遠に続くのだと漠然と思っていた頃、急に外の世界が騒がしくなりました。今までには無かった騒々しさが長く長く続き、聞いたこともないような大きな嫌な音もして、そしてある日、嘘のように静かになりました。

 数日経ち、今まで死なない程度に世話をしに来た人も来なくなり、私は這いつくばって扉に近づき何度も木の板を叩きました。

 何度も何度も何度も、叩いて、叫んで、鳴き叫んで、それでも誰も現れないことに、外の静かさに、私は、絶望しました。

 暗くて、冷たくて、寂しいところで、やっと私は絶望したのです。

 そうして人が来なくなって、虫が私を食み出した頃、現れたのは、人ではありませんでした。

 その当時の記憶は、幼かったということもあり明確ではありませんが、しかしあれが人のシルエットではないことは確かに覚えています。

 その人ではない存在が、私を人ではなく何か物珍しい生き物のように扱っていたのもぼんやりと覚えていますが、そんなことはどうでも良いのです。

 その御方は、私に優しくしてくれた。

 私を綺麗にしてくれた。私の身体を這っていた虫を殺し、ご飯を与えてくれた。殴ったり蹴ったりせずに、抱き上げてくれた。

 それだけで、私には充分だった。

 それだけで、その御方を私は、愛した。

 心の底から、愛しました。 

 

 

 

 成長に伴い合わなくなる義足。それが孤児院に入ってからの私の、密かな喜びでした。

 

 ほんの時折孤児院に来訪される魔導王陛下の執事、ルドー様。銀髪の歪な笑みが美しいその執事様は、本当に、極偶にしか現れない方でした。

 しかし、そんなルドー様は、私の義足のサイズが合わなくなると作り直すために必ず来られました。

 義足の調整をしてもらうため、長く彼を独占できるその時間は私にとって至福の時でした。

 薄っすらと私は、彼が夢の中で見る私を助けてくれた山羊頭の御方ではないだろうかと思っていました。しかし確かめる勇気も出せず記憶も朧気になる一方で、私は、結局追い詰められてから漸く勇気を出したのでした。

 

「やぁ、ツアレ、久しぶりだ。成長してすっかり義足調整が要らなくなってしまったね。それなのに用事とは、何事かな」

 孤児院を見て回る陛下の執事様に、理由もないのに二人切りにしてもらい、私は告白をしたのです。

「……孤児院を出る前に、やはりハッキリさせたくなったんです。貴方様が、私を救ってくださった御方だと、私は思っています。これが、誤りなのか、私は知りたい」

 思い込みなのか、夢なのか、朧気な足元をしっかりさせたくて、震える声で私は問いかけました。

「……黄昏時」

 沈黙の末、執事様が呟かれた言葉も、続けられた言葉も、私は一言一句覚えています。

「私の故郷の国の古い言葉で、“黄昏時”は“誰そ彼時”、暗くなり始め、隣にいるのが誰かも分からない時と昔は言われていたらしい。逢魔が時、魔に出会う時だともな」

 心臓が高鳴り、期待に頬が紅潮した、あの時。あの瞬間は、永遠でした。

「だからこれから見るのは……、幻だ」

 一瞬、ほんの一瞬でしたが、それでも確かに見えたのは、自分を救ってくださった、抱き上げてくださった異形の御方。

「あぁ……、ずっと……、ずっとお会いしたかった……!!」

 まともに話すことも考えることもできなかったあの時にできなかったことを、必死に伝えたのも、覚えています。

「この私の全ては、貴方様のものです! 貴方様に、私は無償の愛を捧げます!」

「……悲しいことを言わないでくれ、ツアレ」

 そして、あの御方の寂しそうな笑顔も記憶から消えません。

「君はこれから、“当然の如く”、幸せになってくれ。“当たり前に”自分自身のためだけに生きてほしい」

 あの時と同じく、あの御方は、私を見ながら何か別のものをご覧になっている様子でした。

「片足がなくとも、環境に恵まれなくても、誰かに救われて生きたとしても、それでも、それを“当然”のこととして、自分のために生きて、幸せになってくれ」

 命令ではなく、祈られてしまい、動揺したのを覚えています。そう、あれは確かにあの御方の祈りだったと私は思うのです。

「否定してくれ、不平等で恵まれない世界で生きることこそが、誤りなのだと。……俺のために、証明してくれるね、ツアレ」

「勿論です、私の、神様」

「ハハ、神様か……。俺は、悪魔だよ」

「どちらでも、構わないです」

 この意志は不滅だと、この時からずっと私は感じていました。

「どちらだっていい……、何だって構わない……、貴方様が貴方様であることに変わりはないのだから」

 そう、貴方様だった。

 あゝ、私はずっと、夢ではないのだと確かめたかったのです。

 ずっと夢のようだったのです。あの苦痛も虫に食まれたことも空腹すぎて何も分からなくなったことも貴方様に抱き上げられたことも人が焼ける匂いを嗅いだことも。

 あまりに、現実感がなくて。

 しかしあれは本当のことで、そして貴方様の愛も本当だった。

 それが、堪らなく嬉しい。

「貴方様の、本当の御名前は?」

 その問いに答えはなく、揶揄うような声が返され、そして日は沈み、私の前からは誰もいなくなりました。

「それは、死が二人を別つ時に」

 その声は、まるで幻のようでした。しかし私の心は全てを信じていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、来て下さったのですね」

「来るって、分かっていたかい?」

「義足が汚れたり壊れたりすると、綺麗な白い義足を、直ぐに送ってくださいましたから……」

 揺れ動く蝋燭の灯火。ベッド脇に置かれた木製椅子が腰掛けられ、ギシリと鳴く。

「……幸せな人生だったかい」

「はい、満ち足りた人生でした……。最期に貴方様が、迎えにまで来て下さった」

「はは、俺は悪魔で、死神ではないんだがな。それに、どうせなら最期は家族に看取られた方が良いだろう」

「どちらにしろ、幸せなことです」

「くくっ、暫く会わないうちに食えなくなった。老獪になったかい?」

「どうでしょう……。しかし私は、貴方様の前では若く美しくありたいものだわ。貴方様ばかり、ずっと美しいのだから……」

 老婆の視線が、銀髪の歪な笑みを描く美形の執事に緩やかに向けられる。すると銀髪の美丈夫の姿が溶け、そして山羊頭の悪魔が姿を現した。

 しかし、それでも彼女の幸せそうな眼は一切変わらず、悪魔も困ったように笑うばかりだ。

「我儘にもなったな、ツアレ」

「……ええ、ですから、最期ですので、この老いぼれに、恥ずかしい告白をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「おやおや、何事かな」

「……貴方様は、私の、──────」

 その言葉に、悪魔は目を見開いた。そして、静かに口角を上げる。

「……では、俺からも約束の告白をしようか」

 ギシリと椅子がまた鳴く。老婆の耳元で悪魔が囁いた。

「あぁ……、ウルベルト・アレイン・オードル様……」

 幸福そうに、悪魔の名を老婆が謳う。

「ウルベルト様……、貴方様に幸多からんことを、お祈り致しますわ」

「ありがとう、おやすみ、ツアレ、もう疲れただろう」

「はい……、ありがとう御座います」

「……ツアレ、君の義足を、貰っても良いかな」

 ベッド脇に置かれたホコリを少しかぶっている義足に、老婆は苦笑する。

「どうぞ。私はもう……、立って歩くことも叶わない身ですので」

「……ありがとう、ツアレ。良い夢を」

「私こそ、心より感謝致します、ウルベルト様。貴方様に、幸多からんことを……。ウルベルト様に会えて、本当に……、幸せでした」

 悪魔が蝋燭の火を消し、部屋に暗闇が訪れる。しかしその部屋は、窓から差し込む満月の月明かりによって仄かに明るく、柔らかな空気が流れていた。

 その光に照らされる老婆もまた、穏やかな顔をして眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと、ずっと、貴方様の名を知りたかった。

 ずっと、ずっと、貴方様の名をしかと呼びたかった。

 貴方様が悪魔でも、神でも、何でもかまわない。

 

 だって、これは、唯の初恋なのだから。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

相談

 

 

 

 

 心中を打ち明かせる存在とは、有り難いものである。

 

 

 

  

 某日、友であるウルベルト・アレイン・オードルから相談したいことがあると言われ、当然モモンガは気楽に快諾した。

 

 さしてそこまでの苦労もなくモモンガは暇を見繕い、ウルベルトと日時を打ち合わせ、約束する。

 そして約束の日に約束の時間より少し前に、モモンガは約束の場所に訪れた。ナザリック地下大墳墓の第九階層にある相談事を持ち掛けてきた、友の私室に。

 その部屋の扉を開けるまで、モモンガは特に何も気負ってはいなかった。

 相談事、と言っても、ウルベルトが仕事の報連相時以外のプライベートに持ち掛けてくるそれは、趣味の話を指し示す。

 昔なら、慣れぬナザリック生活における愚痴や悩み相談の可能性もあった。だが、今はすっかり趣味の話ばかりだ。

 アイテム作成におけるデザイン案や、外の施設に設置するトラップの中身など。その他私事で、どちらがいいか決めかねた時にウルベルトはモモンガに相談してくる。雑談混じりの気楽なそれは、つまりは遊びの延長線でしかなく、だからモモンガも深く考えずに何時もの通りに入室したのだ。

「………………ウルベルト、さん?」

 入室して、部屋の奥に足を進めたモモンガは、机に突っ伏している友の名を戸惑いながら呼んでみた。

 豪奢で無駄にキラキラと明るいはずの室内も、気のせいか暗く鬱屈した空気になっているようだ。それは彼の真っ黒な軽装の私服が醸し出す雰囲気ではなく、確実に部屋の主が落ち込んでいるせいであった。

「……モモンガさん、相談があるんです」

「えっ、えぇ、だから来たんですけど……、大丈夫ですか?」

 予想外の陰鬱な空気と重苦しそうな彼の言葉に、モモンガは戸惑ってしまう。

 恐る恐るとウルベルトと向き合う形で着席し、何を相談されるのかとモモンガの心は冷や汗をかいていた。

「……本当は、……たっちさんに相談すべき事案なんでしょうけど……」

「ええっ!? ウルベルトさんがたっちさんに相談って何事ですか!?」

「だから最初にモモンガさんに相談してるんですよ……!!」

 思わず驚愕してしまったモモンガに対してウルベルトも大きな声で返す。その声の雰囲気から、彼ができるなら純銀の聖騎士に相談しないで済むなら済ませたいと心底思っているのが感じとれた。

「………………エントマが、」

「エ、エントマが……?」

 これまた少し意外な名前が出てきて、モモンガは無い唾をこれまた無いはずの器官で飲み込むような仕草をする。

「……反抗期、かもしれない、んです」

「………………。……はい?」

 たっぷりと間を開けて、そしてモモンガは唯、聞き返した。それはそれは呆れた声で。

「最近、あんまり俺と遊ぼうとしないし、甘えてこなくなったんですよ……! 一緒に料理しようかと誘っても言葉を濁されて忙しいとか言われるし! これが所謂、お父さんと一緒にパンツ洗わないでとかいう反抗期ですかね!? エントマもお父さんと一緒に拷問したりハンバーグやウィンナーやビーフシチュー作ったりしたくない、みたいな時期になっていると思いますか、モモンガさん!?」

「落ち着いてくださいウルベルトさん、ちょっとオレ、情報に付いて行けてないです」

「あぁ、すみません……。取り乱してしまいました」

 前のめりになっていた体を椅子に戻し、ウルベルトは落ち着くためにか紅茶に手を伸ばす。

 友の味わう紅茶の香りを少しばかり頂きながら、“ビーフシチュー”は“ビーフ”で作ってないから名称が変わってくるんじゃないですかと、頭に過ぎった意見をモモンガは却下し、友の悩みを真剣に吟味してみた。

 ヒューマンシチューは存外語呂がいいと、頭の片隅で思いながら。

「……反抗期というより、遠慮しているだけじゃないですか?」

「遠慮? 俺に?」

「うーん。ウルベルトさんだけじゃなくて、ナザリックの皆に対しても、かな? 自分だけが寵愛を受けて心苦しい、とか……?」

「あー……。一応モモンガさんに注意されるからナザリック全員を気に掛けるよう意識していたつもりだったんですけど……」

 顎髭に手を伸ばして考え込み、ウルベルトは困ったように零す。

「でも……、そうですね……。一旦エントマとは距離を置いて、他の奴らと遊びますよ」

 解決したとは言えなくとも、多少はすっきりした様子のウルベルトとは反対に、入れ替わるようにして今度はモモンガが悩み始めていた。

「うーん、でも、反抗期かぁ」

「モモンガさん?」

「年頃の子供って考えたら、やっぱり経験者に話を聞いておいた方がいいかもしれませんね」

「モモンガさん!?」

 友の止めようとする悲痛な声を無視して、モモンガは〈伝言〉を起動させた。

 

「モモンガさんが急に呼び出すから何事かと思いましたよ」

 そうして現れた、過去に子供を持ったことのある貴重な経験者は片方から来訪に感謝され片方からは不満そうにされながらも着席する。

「すみません、急に」

「いえいえ、気にしないでください。大した仕事はしていませんでしたから」

「別に来なくても良かったんですけどねぇ〜」

「ウルベルトさん」

 さして気にした風もなく、たっちはモモンガから聞いた事情から淡々と推測を述べた。

「そうですね……。年頃、と言ったら変かもしれませんが、もしもエントマが成長しているのなら、気恥ずかしいんじゃないですか? 今までが幼い自我しかなくて素直に甘えていたけど、少し大人になって、父親に甘えるのが恥ずかしくなったのかもしれませんね」

「……エントマ、俺の娘じゃないぞ」

 何やらほんわかした空気で嬉しそうに語るたっちに、冷めた眼差しとツッコミが差し込まれる。

 そんな捻くれたウルベルトを、やれやれと言わんばかりの空気でたっちは微笑しながら窘める。

 空気は優しいが、異形のそれは不気味であった。

「そんな風に可愛がってるじゃないですか。血の繋がりは関係ありませんよ、親子の繋がりには」

「げ。寒イボの出るような綺麗事だな。だいたいテメェは俺がエントマを可愛がってると聞いてロリコンなのか、とか聞いてきた口でよく言えるな」

「ハハッ、ウルベルトさん、貴方は喧嘩を売らないと気が済まないみたいですね。いいですよ、ただし私は貴方と違って口が悪くないし舌もペラペラと動かないので、直接戦闘で勝負をしましょうか」

「おー、上等だ。たっちさんの脳筋にあわせて、戦ってやろうじゃねぇか。その無駄に小奇麗な蟲面、お似合いの土塗れにしてやるからよ!」

「あー! もうっ、なんでそうなるんですかっ、話、戻しますよ!」

 久方ぶりの喧嘩勃発を慌てて仲裁し、モモンガは立ち上がっていた二人に座るようにキツく言い聞かせる。

 前よりは頻度が減ったが0にはならない喧嘩に、いっそのことどこかで発散させた方が良いのではないかとモモンガは思案する。

 その思案もひとまず脇に避け、モモンガはエントマのことを口にした。

「兎にも角にも、構い過ぎない、ということでいいですか?」

「まぁ、暫くは放置、構わないのが上策なのは間違いないかと。プレゼントを渡して機嫌を取ろうとかもせず、放置ですよ」

 最後はウルベルトに対して念押しするように付け加え、たっちは言葉を締め括った。

 そんな彼の発言を聞いてモモンガは伝え忘れていたことを思い出し、そういえばと口を開く。

「たっちさん、ナザリックの皆に時々プレゼントを渡しているらしいですけど、物はあまりオススメしないですよ。あの子達、本っ当に、俺達から貰った物を決して捨てませんから」

 暫し間を空けてから、指摘されたことの意味に気付いたたっちが唸り声を上げる。

「……それは、考えていなかったです」

「気を付けないと子供達の部屋が捨てられない物でいっぱいになっちゃいますから、一緒に居てあげるとかが結局良いんですよね」

 さすがにナザリック地下大墳墓がゴミ屋敷になることはないだろうが、いざ捨てる時にはどれ程悲痛な顔をするか、やっと思い至ったモモンガの懸念する事態にたっちは顔を顰め、そしてさらに思い至ったことに声を荒げる。

「……まさか、食べ物も食べてないのか!?」

「魔法で保存してほしいとお願いしに来た子供達は説得して食べさせましたよ。たっちさん、食べ物を渡す時は『どんな味だったか感想が聞きたい』って一言足したら良いですよ、あと『残さず食べるんだぞ』って念押ししてください」

 経験から淡々と語るモモンガに、たっちは頭を抱えつつ感謝を伝え今後は気を付けると言葉を零した。

 まぁ、分からないですよね、と苦笑するモモンガも、そして何も言わないウルベルトも経験者なのだとたっちは感じ取る。

 こうしたふとした時に、たっちの知らぬ月日の経過は顔を覗かせるのだ。

 ナザリック地下大墳墓ごと異世界へと転移して、そしてNPCが心を持ち動き出してから数百年。これから先、反抗期も、もしかしたら独り立ちだって有り得ない話ではないのかもしれないなと、たっちは空想する。

「……仮に反抗期だとして、良いことじゃないですか、ウルベルトさん。彼らが成長してるって意味なんですから」

「別に悪いことだとは思ってないですよ。エントマが自分から考えて何か行動した……、それが嬉しくない訳ではありませんから」

 複雑そうにするウルベルトの横顔に、親らしさのようなそれが滲むのを感じ取り、たっちは苦笑する。

「それでは、私はそろそろ仕事に戻りますね」

「呼びつけちゃってすみません、たっちさん」

「気にしないでください」

 立ち上がり去ろうとする呼びつけてしまった仲間に対して、モモンガは最後に一言声を掛ける。

「たっちさんも、何かあれば相談してくださいね」

「ありがとう御座います、モモンガさん」

 悩みは今のところ特別にないが、相談できる相手がいる事実にたっちは安堵する。

 思えば、モモンガが四苦八苦しながら来た道を、さらにウルベルトも加わってだいぶ綺麗に均された道を、たっちは悠々と歩んでいるのだ。

 今更ながら恵まれているなと、たっちは仲間の彼らの有り難さを再確認した。

「モモンガさん、ウルベルトさん、お疲れさまです」

「はいはい、お疲れさま」 

「お疲れさまです、たっちさん」

 去り際の挨拶を済ませてから、たっちはアインズ・ウール・ゴウンのギルドの指輪による転移魔法を発動させる。

 そうして騎士は、とある秘密の場所へとこっそり向かったのであった。

 

 彼は、予め彼女と約束していた第六階層の地に降り立った。

 たっちが鍛錬のため利用中ということにしており『立ち入り禁止』にしている場所は、安全のためという名目で森の奥まったところにある。

 その鍛錬場に到着してからさらに、茂みの中へとたっちは迷い無く分け入る。

 暫く茂みの中を木々に付いた目印を頼りに進み、そして彼は駆け寄る小さな足音とそれから姿を視認して足を止めた。

「たっち様……!」

 焦燥する愛らしい声の主を安心させるため、たっちは微笑みその頭を軽く撫でる。

「大丈夫、バレていないよ、エントマ」

「よ、良かったですぅ……。てっきり隠し事がバレたのかとぉ」

 そこには、ウルベルトとモモンガとの話題の中心人物たるエントマ・ヴァシリッサ・ゼータがいた。そして、彼女の背にはまだ制作途中である庭園があり、蟲達が忙しなく、しかし静かに働いていた。

「まぁ、仕方のないことだけど、エントマが素っ気無いとは言ってたかな」

「ええっ! や、やっぱり至高の御方に隠し事なんてしたからぁ、ああっ、ウルベルト様にそんな想いを抱かせてるなんてぇ…!」

「大丈夫、大丈夫。プレゼントを完成させてウルベルトさんに見せてやれば、全部解ってくれる。それに大喜び間違いなしだ」

 頭を抱えてあたふたしているエントマを落ち着かせるため、たっちはまたその頭をぽんぽんと撫でてやる。

 変わらぬ面の顔だが、ほっとした様子が伝わりたっちもまたほっとする。

「相談できる相手がいるのも嬉しいが、プレゼントを送る相手がいることも嬉しいものだな、エントマ」

「はいっ、たっち様!」

 みんなー、がんばろぉ!と、仲間の蟲達に力強く声掛けし駆け出したエントマの背中を見守りながら、たっちは少しウルベルトを羨ましくも思う。

 しかし、それ程に想われている彼は、それに見合う努力をしてきた結果なのだと思えばそれは所詮、嫉妬にしかあらず、たっちは苦笑してしまう。

「たっち様ぁ!」

 そんな物思いに耽る聖騎士に、明るい声が掛けられた。

「ご協力、ありがとう御座いますぅ!」

 その言葉に、たっちはふわりと破顔した。異形の蟲の顔だが、それでもそれは、とても暖かな笑顔であった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狩猟

 

 

 

 

 

 狩りという名の、命を奪うゲーム。道徳の是非など、仲間と笑いあえればそれで良い。

 

 

 

 森の違いなど、やはり自分には分からないなと、たっち・みーは周囲を見渡して思う。

 なんとなく違う種類であることや、全体的にどれもがトブの大森林に比べ大きく、明るい色の花々が多いことは見て分かる。だが、それ以上の詳細な何かは全く分からなかった。

「何か良い発見があると良いな」

「そうですね、たっち様!」

「きっ、綺麗なお花とかあったら、持ち帰ってモモンガ様に、お、お見せしたいです」

 左右から相槌を返すダークエルフの双子に微笑ましさを感じながら、聖騎士はまた一歩鎧を鳴らして前へと踏み出した。それから、特に警戒する理由もないかと長閑な空気に判断して、その手を左右の双子に差し伸べる。

 差し伸べられた御方の手に、双子の階層守護者達は目を見開いて驚く。そして、恐る恐るとダークエルフ達はその手甲と革手袋に覆われた無骨な手を掴んでみる。

 すると優しく握り返され、彼らはドキドキとしなからも歩き始めた。暫くして歩調が小さな自分達に合わせられていることにも気が付き、双子達は擽ったい想いに晒される。

 たっちに追従するナザリックの仲間達の羨望の眼差しを受けながら、アウラ・ベラ・フィオーラもマーレ・ベロ・フィオーレも、にこにことしたまま歩いていた。

 

 ナザリック地下大墳墓から見てかなり南下した土地にある名も無き大森林。

 たっちはナザリックの者達を引き連れ、そこに足を踏み入れていた。

 冒険者達からの報告を受けて知ったそこは、地元民も深部には立ち入らず、冒険者達も疲弊していたため調査していない未知の領域だ。

 そして今、冒険者達が作成していた転移のポイントを利用し、ナザリックの者達はそこに苦も無く訪れていた。

 訪れた理由は、これから先、冒険者と調査員達が調べるより前に森に本当に何も無いのか確認の探索のため。そして、狩猟のためだ。

「そういえば、それぞれ狩りの狙いはあるのか?」

 振り返って、たっちは付いて来たナザリックの面々を見渡す。

 たっちの後ろから粛々と付いて来ていた中で、目視できる者達は三名。コキュートス、そしてソリュシャン・イプシロンとナーベラル・ガンマだ。

 巨大な樹木が生い茂るせいで晴れているのに薄暗い森の中、大きな二足歩行する昆虫の見目をした彼とメイド服の美女が並んでいるのは、何とも奇妙な光景だ。

 コキュートス単体ならまだしも、メイド服の彼女達は森林探索に向かない見た目すぎて違和感がとても強い。恭しく一礼するその姿は、どこかの館にいる方がそれらしかった。

「綺麗な鳥の羽根がほしいですわ。ウルベルト様がご使用されている羽根ペンが傷んできたので、僭越ながら新調させて頂きたいのです」

「メイド達が装飾具を作る際の材料を欲しがっていたので、その分も可能なら調達したいと思っております」

 メイド達の希望を聞いたたっちの右隣から明るい声で次の要望が飛び出した。

「はーい、毛皮がほしいです! いい動物がいたらですけど!」

 ここまではスラスラと要望が出てきたが、残された二名は考え込んだ末に希望らしき希望は出してこなかった。

「……私メハ、御方ト狩リヲ楽シメレバ、ソレデ」

「ぼ、僕も……、えっと、ほしい物はないです。綺麗なお花ぐらいかな」

「そうか、分かった。それじゃあ、コキュートスとマーレはソリュシャンとナーベラル、アウラのそれぞれの手伝いを頼む」

 了解の意を示し、コキュートスとマーレは頷く。

 そうして、たっちはまた周囲を伺いながら歩みを再開した。

「まぁ、本来の目的はこの森の調査だが……」

 そうひとりごちると、たっちはちらと横を見る。視線を受けたアウラが、不思議そうにこてんと首を傾げた。

 冒険者達からの調査報告書は事前に調査参加者達に配り、仕事前の打ち合わせもして来ている。未開の森への来訪目的は間違いなく森の調査、仕事だ。しかし実際はアウラとその護衛だけで事足りるような仕事であることは、周知の事実である。それ以上は余剰戦力であり、半ば遊び目的であることもだ。

(……実際は遊びに来たような状態だよなぁ。いや本当に打ち合わせの時から気が緩んでいたしな……。まぁ、偶には息抜きしないと心配させてしまうみたいだし、それに、)

「お前達も楽しそうなら、それでいいか」

 ナザリックの者達を眺め、そう独りごちて、たっちは自身を納得させる。

「アウラ、何かめぼしい報告はあったか?」

 隣のアウラに、たっちは問いかける。ちょうど彼女が使役する獣の内一匹が戻り、森林内について報告をしてきているところだった。

「いいえ、何も無いです。遺跡どころか人がいた痕跡も全く報告無し。この辺りの住人が森の奥へは滅多に立ち入らないって話は、嘘じゃないみたいですね。それから……」

 戻ってきた獣が先導するように歩き出したのを見て、たっちはそれに追従する。当然たっちに続いて、ナザリックの者達も歩き出した。

 暫くして、突然ぽっかりと森の中に開いた空間が目前に見え、一行は警戒し一旦脚を止めた。

 たっちもその両手から双子を解放し、剣の柄に手を伸ばし構える。

 まず始めにアウラがスキルを使い周辺を伺いながら、そこへと近寄った。そのすぐ後ろに居るのは補佐役のマーレだ。そして残りの皆も身構えながら、そろりとそれに近づく。

「……これか」

「はい、こういう大きな何かが通った跡の報告がいくつかあるので、あの話も嘘じゃないみたいです」

「この辺りは巨木ばかりで小さい草木が生い茂ってないなとは思っていたが、これのせいか。あの話が事実なら、地元民が滅多に立ち入らないのも納得だ」

 地面と森に線を引くように、一直線に森を抉ったような跡の上でたっちとアウラは話し込む。その足元には、若木と草花をなぎ倒し踏み倒し、地面を抉った巨大な四足獣の足跡が残されていた。

「! たっち様、来ます!」

 アウラが接近を察知し叫び、近くの巨木の影へと彼らは急ぎ退避した。そうしてすぐに誰もが体感できる地鳴りが届き、そして獣の猛々しい足音がたっち達に近づいてきた。

 そうして、近くを通り過ぎた話には聞いていたそれを見て、たっちは驚愕する。

「……本当にいたのか。巨大な牛」

「あれも話通り、何もしなければ物凄い勢いで走り去って行くだけでしたね」

「とりあえず……、進行方向に行ってみて生態調査だな。ハムスケみたいに一匹だけしか存在しないレアなら、下手に狩ったらモモンガさんに怒られる」

 たっちの言葉にナザリックの者達が了承の意を示し、そしてふと疑問を抱いたマーレが首を傾げる。

「あ、あれって、ハムスケみたいに話ができるのかな、お姉ちゃん」

「んー……、どうだろうね、大きさはハムスケより少し大きいぐらいだったけど……」

「言われてみれば、そうだな……、会話ができるのかどうか……。皆はどう思う?」

「仮に話ができるとして、森の中をああも無意味に駆け抜ける知能ではまともな会話ができないのではないでしょうか」

 ナーベラルの口から出てきた冷静な意見に、周りがしんと静まり返る。

「た、確かに……」

「あはは、ト、トロール程度の知識だったらちょっと困っちゃうね」

「トロールか……。報告であまり良い話は聞かなかった名前だな」

 先程までは会話ができれば何かしらの情報が期待できるのではと思考していたたっちだったが、その願いは今は綺麗サッパリ消えてしまっていた。

 どうか話せませんようにと、面倒を避けるため祈りながら、そうして仕事のためと一歩たっちはまた歩み始めたのであった。

 

 開けた場所が現れ、たっちは感嘆の声を漏らす。

 円形の窪地になったそこは、巨木が無い背の低い草原であった。鬱蒼とした森を抜けた先であることもあって、そこはとても明るく、まるで輝いているかのように感じられる。

 窪地の中央には水がずっと湧き出ており、森の動物達が思い思いに寛いでいた。

 たっち達の出現に対して動物達は僅かに距離を取っただけで一斉に逃げ出したりはしなかった。人間など敵対動物が現れない場所のためか、警戒心がどの動物も薄い様子だ。

「た、たっち様、ここは、人為的に出来た場所、ですよね?」

「あぁ、この綺麗な円形はそうだろうな。何か強い攻撃で大地を抉ったのだろう。しかしこの植物の生え具合だと……」

「かなり前の話ですよね、きっと」

「ひとまず周囲を探索してみよう。各々この場で探索をしながら狩りをしてくれ。何かあったら、私に連絡を」 

「たっち様、お手伝い致します」

「えぇ、私達も周辺を調査しますわ」

「少し周りを見て回るだけだ。そんなに手伝いは要らないよ」

 ついうっかり、きっぱりと断わってしまった後にたっちは失態に気づく。振り返れば、要らないと拒否されたことで顔を俯かせるメイド達がいて慌ててたっちはフォローを入れる。

「そ、それに、ソリュシャンとナーベラルには目的があるだろう? 私は狩りも楽しみに来たんだ。二人の邪魔はしたくないから、な?」

「わ、私達のことを気遣ってくださるなんて、なんと御優しい……。さすがは至高の御方。しかし、」

「い、いいからいいから」

 モモンガやウルベルトならばもっと上手く切り抜けただろうかとも思いながら、たっちはメイドの言葉を遮る。

「コキュートス、二人に協力を。あと、もしものことがあればだが、ナザリックに撤退して救援要請をしてくれ」

 そう言うとたっちは、さっとアウラとマーレの元へと歩みだした。

 そうして、たっちとアウラとマーレ、それからコキュートスとソリュシャンとナーベラルは各々の目的のために動き出したのであった。

 しかし、巨大な牛が知能を持たないことは即刻分かったため、たっち達の興味はあっという間に人為的に造られた円形の窪みへと移る。

 いくつかの窪みを通り過ぎ、それからちらっとたっちは背後を伺う。たっちはメイド達が突っ立ってこちらを見詰めてなどいないだろうかと懸念していたが、幸いそのようなことはなくてホッとする。

 

「あの赤い鳥、綺麗ねぇ」

「私が魔法で撃ち落としましょうか、ソリュシャン」

「ありがとう、ナーベラル。あっ、でも、それだと鳥が焦げちゃうわ。コキュートス様、申し訳ありませんが、お力添えをして頂けませんか?」

「ウム……、ソウシタイノハ山々ダガ、シカシ私ガ攻撃シテハ、アノ鳥ハ粉々二ナルノデハナイダロウカ」

「それもそうですわね……。困ったわ。狩りってとても難しいのね」

「ウルベルト様に贈る物にしては、脆弱すぎるかと思います」

「でも、今回はあくまで装飾品、羽根ペンの材料だもの。弱さには目を瞑ってあげましょう?」

「……気付カレズニ近付キ、鳥ノ脚ヲ酸デ溶カシ身動キヲ取レナクシテカラ、羽根ガ汚レナイヨウニ殺スノハドウダロウカ」

「素晴らしいですわ、その手でいきましょう」

「後は近付く方法ですね」

「弱イ生キ物ハ気配二敏感ダ」

「一気に近付き、逃げられる前に仕留めるしかないですわね」

「次ノチャンスガアルトハ限ラナイ……。慎重二イコウ」

 

 会話が聞こえないが何やら盛り上がっている様子に、たっちは微笑ましく思う。

「コキュートス達も楽しんでいるみたいだな。鳥の観察をしている」

「そうですね、たっち様!」

 良かった良かったと独り言を零してから、たっちは周囲をまた改めてぐるりと観察してみた。

「……どうやら、何発もここに撃ち込んだみたいだな」

「何発か撃って、それからこの窪地の真ん中にあのアイテムを転がしたのでしょうか。……一体何の意味が?」

「特に意味はなかったんじゃないかな。あのアイテムもそこまで貴重な物じゃないしな」

 たっちの視線の先では、“ダグザの大釜”の水バージョンと言ってもいいアイテムが窪地の真ん中に転がされていた。湧き出ているのはゲームと変わらず何の効果もない唯の水であろう。だからこそ対価なしに無限に水を出し続けるアイテムなのだから。当然そのため、レアアイテムではない。無限の水差しも持ってるなら不要と感じてもおかしくないアイテムである。

(森の奥でこんな攻撃を乱発……、大きな戦闘の記録も伝説もないとなると、試し撃ち、だろうか? ……プレイヤーが、ここに来ていたのか?)

 その想像は、悪くない仮説だとたっちは思えた。たっちも転移したばかりの頃には、自身が持つ装備とその力の確認をしたのだから。

(……独りだった、のだろうか)

 何やら黙り込んでしまった聖騎士を左右から不思議そうに覗き込むダークエルフの双子を見て、たっちは自身に問いかける。

(もしも、私独りしかこの世界にいなかったら……、その時は今のように、せめてこの世界は救おうと努力できていただろうか)

 その問の答えは、たっちには明確なものに思えた。

 誰か独りを救えても、世界は救えなかったのではないだろうかと、たっちには思えてならなかったのだ。

「あれ? あそこだけがらんとしてますね、何でしょう?」

「本当だ。ど、動物が、いっ、いないね」

 気になる場所を見つけてトテトテと奥へと駆け出して行った双子に、その子供らしさに微笑ましく思いながらもたっちは後を追いかける。

「こら、アウラ、マーレ、あまり離れるな。一応警戒しよう。私の後ろに居なさい」

 足を止めた双子の前に、彼らを庇う形でたっちは前に出る。

「……たっち様は、御優しいですよね」

「優しい、か。そんな風に振る舞えているのなら良いのだが……、それよりも、急にどうした?」

「たっち様は、怖い方なのかと思っていました。あのような宣言をされたから……」

「ぼ、僕も、僕達のこと、モモンガ様やウルベルト様のこと、お、お嫌いなのかと、思ったんです」

 思い切った言葉は発言者自身とその姉も傷つけたようで、双子は揃って暗い顔を俯かさせる。そんな彼ら双子のそれぞれのまだ小さな頭を優しく撫でてあげながら、たっちはこほんと一つ咳払いをした。

「……まあ、若干一名違うとも言い難い奴がいるが、それは置いといて。……私は、お前達のことを、皆を、仲間のことを、大切だと思っている」

 ぱあっと明るくなった純粋な子供達に、しかし騎士は毅然とした態度で事実を突きつける。

「唯きっと、愛してはいない」

 子供達の表情がころりと変わる。

 大切だけど、愛していない。

 矛盾するような言葉に、彼らはおろおろとするばかりだ。

「モモンガさんのように、全てを投げ捨ててまで盲目には愛せない。きっとモモンガさんは、ナザリックの皆が自殺する以外のことなら何だって、許してしまうだろう。だけど私は嫌なんだ」

 だからこそ私は傲慢だと悪魔に謗られるのだろうと、心の中で自嘲しながらたっちは言葉を続ける。

「正しくないこと、そうあらねばならないものが歪むことは、認められない」

 そうたっちが言い切るのと、轟音が轟いたのは同時であった。

「アウラ! マーレ!」

「はい!」

 その轟音原因究明よりも先に、たっち達は自分達に突っ込んで来たパニックになった様子の巨大な牛の一匹を躱す。

「大丈夫か!?」

「問題ありません!」

「た、たっち様は!?」

「こちらも問題ないが……、先ほどの巨大牛の様子が……」

 たっちは何故か動物が一匹も居なかった地帯に突っ込んで行ってしまった巨大な牛の様子を見て、警戒していた。明らかに、何か様子がおかしかったのだ。

 そこは少し離れていて植物で分かりにくかったが同じく窪地になっていたらしい。突進した巨大な牛は穴に足を滑らせ、ドスンと大きな音をたてた。そうして舞い上がった煙は何故か薄紫色で、それに取り巻かれた巨大な牛は何故か暴れ始め鼻息荒くし始めたのだ。

「! こっちに来るぞ! 構えろ!」

「はいっ!」

 先程までは無かった敵意と殺意を漲らせ、巨大な牛はたっちとアウラ、そしてマーレへと突っ込んで来る。

「様子がおかしいです、たっち様! たぶん、狂戦士みたいになっちゃって理性がない状態です! 調教できません!」

「それならば、切り伏せるだけだ!!」

 鞘から剣が抜き放たれ、そして騎士が鎧の重さを感じさせぬ跳躍をみせた。青空を背景に、赤いマントがはためき、そして剣の切っ先が煌めいた。

「《切断》!!」

 手加減し過ぎかというたっちの杞憂を嘲笑うかのように、巨大牛の首と胴があっさりと離れる。血飛沫の雨が、さぁっと通り過ぎた。

 先程まで生きていた肉体が土に倒れ伏し、その上に静かに聖騎士は降り立った。その白銀の鎧を、血で滴らせながら。

「……私が、死刑執行官になったのは、つまりこういうことだ」

「え……」

 唐突な言葉と、そして向けられた血濡れた切っ先にダークエルフの双子達がさあっと顔を青褪めさせる。

「自我もなく、唯意味もなく殺すだけの存在になってしまったら、それはもう“モモンガさん”ではないんだ」

 その切っ先が本当に指し示している場所が分かり、アウラとマーレは少しばかり気を緩めた。そして彼らは、先程まで近くで草を食むだけだった巨大な牛の生首に視線を遣る。

 確かに、正気を失ったその姿は唯の動物でなく、倒すしかないバケモノであった。

「……モモンガ様は、御優しいから、」

「……うん」

 意味もなく殺す行為、それがモモンガの好きではない行為であることは双子もよく知っていた。そして、そんなことを許し行うモモンガを想像したら、少し哀しくなることにも気付く。

「……たっち様も、同じ、ですか?」

「勿論だ。きっとその時には、モモンガさんと、それから嬉々としてウルベルトさんも私を殺しに来てくれるだろうな」

 巨大な牛の胴体から降りて血振りをしてから納刀し、たっちは少し離れた所から双子へと言葉を続けた。

「アウラ、マーレ、君達にとって私は認められないだろうが……」

 諦めの気持ちを抱いて言ったたっちの言葉を、しかし力強い声が遮った。

「至高の御方には、誰にも死んでほしくないです! だけど、優しくないモモンガ様を見るのも、嫌です。至高の御方が殺し合いなんて、見たくないです……!」

「……私もだよ」

 そんなものは一度きりで充分だと、俯くたっちは足音が聞こえ顔を上げる。

 アウラとマーレが、自ら血まみれのたっちの手を握り締めるのを見て聖騎士はハっとする。彼らは守られるばかりの子供でなく、守護者でもあるのだと。

「……アウラ、マーレ、これからもモモンガさんを、そして良ければ私も、君達が支えてくれないかな」

「ぼ、僕達が、ですか?」

「ああ、ナザリックの皆に、私達を助けてほしい」

「っ、は、はい……!」  

 にこやかに双子が返したところで、背後から慌てた様子のコキュートスとナーベラル、ソリュシャンがやって来る。

「たっち様、お怪我は!?」 

「申し訳ありません! 魔法に下等生物があそこまで驚くとは思わずに……!」

「シカシ、見事ナ太刀筋デ御座イマシタ……」

 銘々わいわいやって来た彼らの賑やかさに、たっちは思わず吹き出してしまう。

「私は大丈夫だ。それよりもっと大変なことがあるぞ」

 たっちの言葉に周囲はきょとんとする。たっちが指差す先には、ごろんと大きな首なし死体が横たわっていた。

「コレの血抜き作業だ。狩ったからには責任を持って使い切らないといけないからな。皆、協力してくれ!」

 たっちの依頼に、当然全員から了承の言葉が勢い良く飛び出てくる。

「これの作業が終わったら、鳥のハンティングだな」

「ありがとう御座います、たっち様」

「狩りというものは思っていた以上に大変で難しいのですわね、勉強になりましたわ」

「動物のことなら私に任せてよね」

「ぼ、僕も、頑張ります……」

 そうして彼らは、仕事と称して訪れた森での狩りというゲームを存分に遊んでからナザリックに獲物を携え帰還した。

 

 尚、その後に提出された報告書には、とても簡素に“めぼしい存在なし”とだけ書かれた物が提出されたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仕事

 

 

 

 弱者を抱える強者の悩みなど、誰も知らず。

 

 

 

 

 

 それは、とある悪魔の仕事に明け暮れた一日。

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層にあるウルベルト・アレイン・オードルの私室にて、カチャリと金属音が鳴る。

 ナイフとフォークが並べて揃えられているのを確認し、主から離れた所で控えていたメイド達は一斉に動き出す。

 彼女達が目指すのは先程まで優雅に朝食を頂いていた山羊頭の悪魔の傍。彼に使用されたカトラリーや、皿、パンが少し残っている籠である。

 朝食を食べ終えた口元をナプキンでさっと拭い、悪魔のウルベルト・アレイン・オードルは優しい声音でメイド達に美味しかったよと微笑み告げる。

 下げている途中だった物をカタリと鳴らして、耳まで真っ赤になったメイド達は緊張しつつも嬉しそうに礼を述べた。

「紅茶を注いだら、下がって良い」

「畏まりました。ストレートで宜しいでしょうか?」

「いや、レモンを」

「すぐにご準備致します」

 わらわらと嬉しそうに奉仕する彼女達を見て、ウルベルトは某エロゲ大好き鳥人間なら大喜びの光景だろうなとこっそり思う。そして心中で疲労からの溜め息も、一つ。

 本来なら飲食不要のウルベルトが時たま行う朝食を摂る行為は、尽くしたがりのメイド達への褒美であり、半ば仕事のようなものでもあった。

 紅茶が準備され、ウルベルトの周りに控えていたメイド達は口惜しそうに、ゆっくりと頭を下げ退室してゆく。最後のメイドが出て行き扉が閉まりきったところで、やっとウルベルトは肩の力を抜くことができた。

 独りになった部屋で、悪魔は漸くリラックスして紅茶を味わう。

「……確か今日は丸一日、仕事の予定が入っていたな」

 カップから漂う良い香りを堪能し一息ついてから、ウルベルトがそう零した瞬間、扉がノックされる。

 入室許可を出せば、予定通り自慢の息子が背筋を伸ばして入って来た。

「御前失礼致します。報告書を持って参りました」

「ありがとう、デミウルゴス」

 礼など勿体無いと謙遜をしながらも、悪魔は誇らしげに胸を張り、その銀のプレートに覆われた尻尾を嬉しそうにゆらりと振る。そして主の側へと歩み寄った彼は、その手に持つ分厚い書類を机上に置いた。

 その置かれた分厚い紙の束は、ナザリック地下大墳墓の外、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の教育機関と刑務所の担当官からの報告書の集まりだ。その書類には各地区の学生や囚人の生活環境について、まとめられている。

 その分厚さを一瞥し、手に取るより先に思わずウルベルトは眉間に皺を寄せてしまう。

「……デミウルゴスは既にこれに目を通したのか?」

「はい、ウルベルト様。それから……、申し訳御座いません。勝手ながら加筆修正し不要と判断した箇所は削り、まとめさせて頂きました。各機関からのナザリックの者ではない者達からの報告書故、御身に目を通して頂くのに適う物では御座いませんでしたので」

「いやいや、よくやった! しかし、まとめてもこの量か……」

「……宜しければ、私めが済ませておきましょうか? ナザリック外のことになど、わざわざウルベルト様の御手を煩わせずともよいのではないでしょうか」

 喉から手が出そうなほどの最高の、正に悪魔の提案に、しかしウルベルトはぐっと耐えて首を横に振った。

「お前に甘えてばかりじゃ情けないし、モモンガさんに怒られちまう。それに……、たっちの野郎からもグチグチ何か言われかねないしな」

「申し訳御座いません。出過ぎた真似を致しました」

 頭を深々と下げたデミウルゴスに、ウルベルトは苦笑する。そして頭を上げるように言い、隣に着席するように命令した。

「……そ、それでは、失礼して」

 おや、と危うくウルベルトは口から出してしまうところだった。

 最近なだめまくって漸く隣の席に座るようになったデミウルゴスは、それでも至高の御方の隣に座すなど不敬だと一度は固辞することが通例だった。それなのに先程は素直に腰掛けたデミウルゴスを、思わずまじまじとウルベルトは見てしまう。

(……毎回断るのも不敬だとでも考えるようになったのか?)

 素直に座ったがド緊張している様子なのは変わらぬ悪魔を横目で盗み見しつつ、書類をさっそくウルベルトは捲り始めた。

 報告書を読み進め、時折隣の悪魔と言葉を交して、ウルベルトは仕事を進めてゆく。

「……成る程。こうもあちこち待遇がバラバラなのは問題だな。こっちとこっちを比較したら、同じ刑期で天国と地獄だ。ここの担当者は厳しい奴なのか?」

 朝昼ともに豆のスープに小さなパン、晩にやっと魚が一匹付いてくる刑務所と、朝昼晩ともに季節の野菜スープとパンを数種類、それからメインに肉か魚料理が付いてくる刑務所を比べウルベルトは溜息を吐き出す。

「その者については私も気になりましたので調べました。生まれ育ちから、私怨の可能性が御座います」

「……こいつは急いで統括する管理者、管理部門が必要だな」

「それなのですが、各機関の連携や総合的対応をナザリック側が行うことにも限界がきていると思われます」

「外に全体を統括する部署を作るか? けどナザリックとの完全切り離しは勿論避けるよな? ドッペルゲンガーでも潜ませるか?」

「影の悪魔も潜ませ、私の部下に遠隔からの見張りもさせるべきかと愚考致します」 

「ふむ……。……学園の卒業生を使うか」

「……成る程、そういうことで御座いますか」

(あ、やべ。またデミウルゴスが凄い勘違いし始めたっぽいぞ。学園の卒業生なら頭がいいし忠誠心も高いだろと思っただけなんだけどなぁ)

 それでは早速、草案をまとめ手配をしたいと思いますと嬉しそうに言うデミウルゴスにウルベルトは任せたぞと、何を任せたのかいまいち分からないまま伝える。

「申し訳御座いません、ウルベルト様。〈伝言〉が届いたので少し席を外してもよろしいでしょうか?」

 当然許可を出したウルベルトは、デミウルゴスの会話、口ぶりから、丁度いいタイミングで次の仕事が始まったのだと感じ取る。

 案の定、二言三言それらしい言葉を伝えて話し終えた悪魔は振り返ると、にこりと笑った。そうしてまるで次の事務作業を開始するかのように淡々と、彼は上司に報告を行う。

「ウルベルト様、そろそろコキュートスの担当する件の戦争が開始するようです」

 デミウルゴスからの報告に、やはりかとウルベルトはにやりと嗤う。主の愉しそうな笑みに、従者は嬉しそうにして言葉を続けた。

「貴賓席は手配済みですので御安心くださいませ」

「さすが、出来た息子だな」

 書類を机に放り捨てるとウルベルトは立ち上がり、次の仕事へと足を進めたのだった。

 

 

 空が高い平野、長閑な黄緑色に相応しい牧歌的な風景の素朴な土と藁と煉瓦で出来た茶色の家々。その村よりも大きく遠く広がる畑に挟まれた、これまた広大な草原。

 その背の低い草原には今、兵士達が集まっている。人間種の彼らの顔に浮かぶのは、分かりやすい億劫そうな陰鬱な顔。仕方無く武器を握っているのだと、その顔は雄弁に語っている。そんな顔に相応しく、その武具も貧しい冒険者の方がまだマシな格好をしているであろう見窄らしさだった。

 用意されていた立方体の巨石の上で、ウルベルトは化けた姿の銀髪をなびかせながら遠くのその光景を眺めていた。

 執事服も、無駄に美しい嗤う顔も、金の不気味な瞳も、その男の何もかもが長閑な光景にも戦争にも似つかわしくない。

「どうぞ御観覧席に」

 デミウルゴスがその革手袋の指先で、戦場には相応しくないと思える豪奢な椅子を銀髪の彼に案内する。

 それを見てウルベルトは思わず呆れたように笑った。

「俺は今、魔導王陛下の執事でしかないんだが……、まっ、いいか」

 そして腰掛けたウルベルトは、改めて戦地を俯瞰する。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国側が用意したアンデッドの軍勢と相対して草原にて立つ兵士達は、遠目からでも分かるほど見窄らしく、怯えている。彼らの背後にある鬱蒼とした高い山が、ナザリックと相対していている存在の中で一番どっしりと構えていた。

 しかしその山でさえ、魔導国軍総大将のコキュートスの手にかかれば容易く粉々に砕け散るのかもしれないなと、ウルベルトは何となしに思う。

「コキュートスが哀れだな。あんなのが相手では興も乗らないだろう」

「仰せの通りでありんすえ」

 悪魔の後ろから同意の声が上がる。その声にも、敵への嘲りが滲み出ていた。美しくも酷薄な微笑を浮かべた吸血鬼の乙女も、ウルベルトと同じくこれから仕事に取り掛かる仲間に同情していた。

「コキュートスがほんに哀れでありんすえ。あんな兵とも呼べぬモノが階層守護者の相手なんて、勿体無いぐらいでありんす」

 見目だけは可憐な彼女、シャルティア・ブラッドフォールンがくすくすと嘲嗤う。そんな彼女は不意に笑みを引っ込め、刺すような視線を向ける悪魔をちらりと見る。

「………………それでは、残念でありんすが私はナザリックに帰還致しんす。……デミウルゴスがどおぉおしても、“御方と自分だけ”で、観覧したいと言うでありんす故……、ふふ」

「なっ、シャルティア、わざわざ言わなくても良いことを!」

「御礼は後で構わないでありんすよ〜」

「シャルティア!」

 珍しく慌てた様子で大声を出すデミウルゴスの頬は、赤く染まっていた。

 そんな彼を見てシャルティアは、してやったりといった風にニヤニヤ嗤う。そうして彼女は、デミウルゴスとウルベルトをナザリックから連れて来た時と同じく〈転移門〉を使い逃げるように素早く帰還して行った。

 そのやり取りをぽかんと見ていたウルベルトが、暫しの間を開けてから声を上げて笑いだす。

「ハハッ、なんだなんだ、デミウルゴス、そんなに俺と一緒に居たかったのか?」

「もっ、申し訳御座いません!! 不遜な我儘を抱き、その、」

「どうしたどうした? 最近一緒に遊んでないから寂しかったのか?」

「う……、その……、す、少しばかり嫉妬してしまいまして……」

 嫉妬。

 叡智溢れるナザリック随一の頭脳を持ち常に冷静沈着な悪魔らしからぬ言葉に、ウルベルトは首を傾げるばかりだ。

 なるべく平和的に世界を征服する方向で話を進めている今、ナザリックの者達に求められる力は主に智慧である。そのためナザリック随一の智慧者であるデミウルゴスは、ナザリックの者達から羨ましがられる立場であれど、決して嫉妬する側ではないはずなのだ。

 しかし、続いてデミウルゴスの口から出た言葉に、ウルベルトは彼もまた他のナザリックの者達と変わらない質なのだと気付かされた。

「その、至高の御方と、あまり一緒に居られる機会に恵まれなかったので……」

「…………あぁ、そっか。お前は手が掛からないからなぁ」

 デミウルゴスは、問題を全く起こさないし我儘も滅多に言わない。

 遥か昔に外の世界体験制度を利用した時すらも、問題なく済ませるどころか副産物でナザリックが抱えていた問題を解決したうえに秘密裏のコネクションを幾つも作り帰ってきたほどに有能な男だ。しかしそれは即ち、外の世界体験制度でたっち・みーとウルベルトの二人組で対処することになったシャルティアとは真逆に、彼はあまり構われることもなかったということでもある。

「……そう言えば、色々と任せ切りで最近はあまり話もしていなかったな」

 珍しく頬を染め我儘を言う息子に、悪魔は申し訳なく思いつつも破顔する。とうとう自分から強請るほどに我慢させたのは申し訳ないが、あのデミウルゴスが自分も構ってほしいと拗ねてるのかと思うと、どうしてもその可愛らしさが可笑しくもあったのだ。

「アハハっ、すまないな、デミウルゴス。よし、今日は俺とデミウルゴスだけで楽しく仕事しような」

「──ッ!! は、はいっ、身に余る光栄です!」

 嫉妬を吐露したことに少し不安そうにしていたデミウルゴスだったが、創造主に優しく思いの丈を受け止められると、嬉しそうにその声を弾ませた。思わずといった風に瞳は見開かれ、曝け出されたダイヤモンドの眼球が陽光を受けてキラキラと輝く。その様は、悪魔が抱く歓喜の強さを表しているようでもあった。

 尻尾を力強く振り続けるデミウルゴスに、ウルベルトがまた微笑ましく思った時、ヒヤリとした空気が流れる。それは来訪者が漂わせた物であり、悪魔達にとっては様々な意味で親しみ深い冷気であった。

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国総大将、コキュートス、御約束通リニ参リマシタ」

「よく来てくれた、コキュートス。今回の戦争だが……、」

 一旦言葉を切りウルベルトは眼前の戦地に目を遣り、そして言葉を再開した。

「……やはりお前は前に出なくて良い。後ろからアンデッドを指示するだけで構わない」

「カシコマリマシタ。ソレデハ、アンデッドノ軍ダケヲ進軍サセマス」

「宜しく頼む」

「御方ノ望ムママニ」

 一礼しコキュートスが場を去った後、暫くして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国から戦争開始の合図であるラッパの音が鳴り響いた。そして無数のアンデッドが、矢の形で平野へと駆け出して行く。相手方も渋々と覚悟を決めた様子で、やけっぱちの様な雄叫びを上げながら進軍を開始した。

 ウルベルトと、その傍らに立つデミウルゴスは、コキュートスの部族殲滅の任を見守り始める。しかしその眼はどこまでも冷めていて、彼らは淡々と戦争という名の業務のスケジュール進行具合を確認するだけであった。

「……やはり一方的だな」

「仰せの通りかと」

「意見がまとまらなかったことも、既存の恐怖に勝てなかったことも、哀れとしか言えないな。……ところで、背後の奴らは動くと思うか?」

「偵察報告から察するに、あまり知能が高い者達ではありません。平野の従僕達が使えないなら自分達がと、安直に動き出すかと」

「まぁ、派手にやろう。派手なパフォーマンスと圧倒的な差を見せつければ、この辺り一帯やりやすくなるだろうさ。……見学者は?」

「……まずまずの客入りの様子です」

「そうか。……ん? 撤退か?」

 ナザリックのアンデッドによる一方的な攻めが暫く続いてから、やっと戦場の動きが大きく変わった。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国に敵対する全ての兵士、それどころか隠れ潜んでいただけの住民まで一斉に背後の山へと向かって引き始めたのだ。そして次の瞬間、山の中腹から光の筋が天へと打ち上がる。

「あれが例のアイテムか。結構早くに出してくれて助かったな、デミウルゴス」

「左様で御座いますね」

 淡々と言いながらウルベルトは、その光を目で追いかけ、そして地上の逃げ惑い続ける兵士や村人達を一瞥した。

「どうやら全て報告と予定通りみたいだな」

「はい、全てがつつがなく進んでおります」

 空中で光の玉が花のように拡がる中、悪魔達は淡々と確認を済ませてゆく。

 彼らの上から降り注ごうとしているそれは夥しい量の光の矢であり、高所から広範囲に行われる無数の攻撃は、かなりの威力が想定される代物だ。その恐ろしさをおそらくは知っているのであろう平野の民達は、既に悲鳴を上げている有様だ。

「〈隕石落下〉」

 しかし、デミウルゴスが放った魔法により脅威は簡単に唯の火花に変わった。

 花火の様な矢の中心手を貫いた隕石は九割方の矢を消し去り、残りは唯の燃えかすへと変えてしまう。そうして隕石が、地上へと落下しようとしたその瞬間──

「〈朱の新星〉」

 ──それは、消し炭となった。

 平野で泣きながら倒れ伏していた誰もが唖然として、その光景を見上げていた。

 全ての矢を粉砕し散らせた巨大な燃え盛る岩石が、壮絶なる炎の力をもってして消し去られた光景を。

 圧倒的な、力を。

 しかし、その力を解き放った者達はどこまでも冷めきった様子で、戦争という名の仕事を片付けてゆくだけであった。

「コキュートスに伝令。山林に潜む奴らを全員見つけろ。抵抗するなら慈悲深き死を。ナザリックに唾を履くなら、捕縛しろ。いつも通り、総大将とか情報を持ってそうな奴らは全員捕縛だがな」

 影の悪魔が走り去るのを見送るウルベルトに、デミウルゴスが声を掛ける。

「あれらは如何が致しましょうか」 

 デミウルゴスの視線の先、先程まで泣いたり喚いたりと忙しかった平野の者達が平伏しているのを見て、ウルベルトはつまらなさそうに返す。

「いつも通り、受け入れろ。アインズ・ウール・ゴウン魔導国は慈悲深き美しい黄金の国だ。その名に嘘偽りないようにな」

「かしこまりました」

 配下の悪魔やアンデッド達にテキパキと支持を出すデミウルゴスに、ウルベルトがそれからと言葉を続ける。

「デミウルゴス、お前はコキュートスを追いかけろ。山中でのコキュートスとその配下の指揮権をお前に委任する」

「し、しかし斯様な場所に御身独りにする訳には……!」

「それなら問題ない」

 そう言ってウルベルトが〈伝言〉を飛ばし相手と会話をし終えて、暫くした後、〈転移門〉が開いた。

「守護者統括、アルベド、馳せ参じました。ウルベルト様」

 鎧姿の彼女は膝を付きウルベルトに頭を下げた後、立ち上がると未だ困惑の色が隠せない悪魔の方へと面を向けた。

「安心なさい、デミウルゴス。私がウルベルト様を御守りするわ。……それとも、私では不満かしら?」

「勿論、その様なことはありませんよ、アルベド」

 告げる言葉とは裏腹に逡巡を滲ませるデミウルゴスは、しかしウルベルトに頭を下げ命令を承諾する。そして命令を遂行すべく彼は、翼を広げ飛翔し、先行するコキュートスの軍隊を追いかけ飛び去って行った。

 そうして、巨石の上には人間に化けたウルベルトと鎧姿のアルベドだけが残される。執事服の美丈夫と無骨な鎧姿の女戦士。一見ちぐはぐな彼らはしかし、飛び去った悪魔の影が小さくなると揃って肩の力を抜いた。

「……モモンガ様から離れることになっちゃったじゃない、せめて玉座の間に戻りなさいよ! と、言いたいのはよく分かったから睨むなよ、アルベド」

「嫌ですわ。何のことでしょう、くふふふふふ」

「言っとくけど戻らないぞ。ナザリックの子供達に何かあったら俺が敵を皆殺しにする必要がある」

「チッ」

「舌打ち……」

 ウルベルトはじとりと隣に立つアルベドを見遣る。

「お前も遠慮がなくなったなぁ。まぁ、腹に一物抱えてニコニコ笑われるよりマシだけどな」

「ふふ、秘め事のある女もまた、魅力的なのでは?」

「俺はそういう面倒な女は御免だね」

 ウルベルトが吐き捨てるように言うのを見ていたアルベドが、少し考え込んだ後に不意に問いかける。

「……ウルベルト様、まさか私に惚れておられますか?」

「いきなり面白いことを言い出すなよ。紅茶を飲んでたら吹き出すところだったぞ」

「あら、そんな面白い絵面を見られなかったなんて、とても残念だわ」

 心底残念そうに言う彼女が紅茶を準備すれば良かったと呟くのを聞いて、本気だなとウルベルトは内心思う。距離的には見えないと思うが、支配者を鞍替えしたばかりの者達の前でそんな情けない姿を晒すことにならなくて良かったなと、ウルベルトは心底ホッとした。

 そんなことを考えるウルベルトの視線の先を見て、アルベドは眉間に皺を寄せる。

 平野では、先程まで戦争兵だったアンデッド兵達が打って変わって救援活動の真っ最中だった。飛び火による小火の消火に、怪我をした兵達の救援、投降した者達の確認と保護。先程まで切り結んでいた相手であるが、弱い人間の彼らは流されるがままに魔導国の保護を受け入れていた。

 そんな、忙しなく働く亡者達の狭間でうろうろする人間を、淫魔は羽虫のように見下し不快に感じていた。 

「……あんな者達まで、アインズ・ウール・ゴウンの加護に入れずとも良いのに」

「強者が弱者を守るのが務めだとでも思え、アルベド」

「……。随分と御優しいのですね、ウルベルト様。貴方様も私と同じく下等生物を踏み潰すのがお好きかと思っていたのに」

「俺は踏み潰す対象は選ぶんだ。あんなモノを踏み潰して、何が楽しい?」

「では、何を踏み潰すのがウルベルト様はお好きなのかしら?」

 食べ物の好みを聞くような気軽さだなと思いつつもウルベルトは答える。

「……傲慢なヤツ、だな」

「それでは、お山の大将をしていた者達など、お楽しみ頂けるのでは?」

「ハッ、どうだろうな。コキュートスとデミウルゴスが向かったんだ。しおらしくなって下山して来るかもしれないぞ」

「……それもそうですわね」

 ウルベルトの指摘に、さもありなんとアルベドは嘆息する。

 しかし暫くして、デミウルゴスが生かして捕らえて来た亜人達は、皆揃いも揃ってとても生き生きとしていた。猿要素強めの人間、そんな感想をウルベルトが内心で抱いた相手は唾を飛ばしながら顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

「貴様らぁ!! この俺はなぁ代々この辺りの平野を統べる、山の王たる存在ぞ!」

「薄汚れた大嘘つきの余所者が!」

「ココ最近あちこちで噂話を聞くが、あんなの嘘に決まってらァ! 偉そうにズカズカと俺達の土地に来やがって!」

 アルベドが、ちらりとウルベルトの方に視線を遣る。鎧の向こう側からも感じるその視線に、ウルベルトは肩をすくめた。

「……どうやら、趣味と仕事が両立できそうだな」

「それはそれは、よろしゅう御座いましたね。それではデミウルゴスも無事に戻りましたし、私は玉座の間に戻らせて頂きますわ」

 ウルベルトが〈転移門〉を作成すると、アルベドは挨拶もそこそこに、そそくさと門を潜り抜け愛しい殿方の元へと直行した。

 その背中を見送った後に、ウルベルトはコキュートスとデミウルゴスに向き直り、それぞれの功績を褒め称える。そしてコキュートスには、戦後処理をお願いする我が儘を追加する。これからデミウルゴスと遊ぶ為だと我が儘を侘びた主に、配下は喜んで全ての仕事を引き受け嬉しそうな友にも温かい言葉を送った。

「良カッタナ、デミウルゴス。時ニハ仕事ヲ忘レルコトモ大切ダト私モ、モモンガ様ニ指摘サレタコトガアル。ユックリ遊ブト良イ」

 銀の尻尾を揺らす悪魔はキラキラした瞳で友へ感謝を述べ、そして創造主にも重ねて感謝を伝える。

「そうだ、コキュートス、今度の休暇に手合わせしよう。今回のお礼だ」

 息子ばかりを可愛がってはいけないなと、自省したウルベルトが提案すれば、場の温度が数度下がった。

「オォ……! ソレハナント!」

 興奮したコキュートスが冷気を振りまき、亜人の数名が黙りこくる。そんなことなど無視して、異形達はにこやかに会話を続けていた。

 そして、友の嬉しそうな姿に満足し、また思いがけない褒美を授かることとなったコキュートスは一礼の後に足取り軽く去って行った。

 巨石の上には、とても楽しそうな悪魔の親子と置いてけぼりの無視され続けている亜人達だけが残される。

 喚く亜人達に向き直り、悪魔達は口角を上げる。

「さて、デミウルゴス、遊びと言っても仕事も兼ねてる。情報はちゃんと引き出さないとな」

「勿論です。心得ております」

「しかし遊びながら、楽しみながら仕事をしちゃいけないというルールもない。いや寧ろ、仕事こそ楽しみながらやるべきだろう」

「嗚呼、流石です、ウルベルト様、それでは何をして遊びましょうか? 指は十本、腕は二本、脚も二本。沢山楽しめそうですよ」

「嗚呼、デミウルゴス、一先ずこいつらから要らない物を取り除こう。目も足も手も、話すのには要らないからな」

 無邪気な子供のような嗤い声と、美しく澄み渡る青空、そして優しく世界を照らす太陽。

「さぁ、楽しい楽しいお仕事の時間だ」

 捕われた亜人達は、その太陽が最後の温かさであることなど知らぬまま冷たい地獄へと堕ちていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。