ザ・スペランカーズ ガラスの高校球児たち (GT(EW版))
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チームメイトは全員故障者リスト

 

 野球選手にとって最も重要なのは技術(テクニック)か、それとも体格(フィジカル)か。

 その二大要素のうちどちらか片方に絞るのであれば、それは当事者の経験によって意見が分かれるところかもしれない。

 しかし、いずれも大前提として第一に「健康な肉体」がなければ成り立たないことに異論はないだろう。

 才ある選手がいかに技術、体格に恵まれていようと怪我をしてしまっては本来の実力を発揮することは叶わない。野球を生業とするプロ野球選手になる為には才能が第一とも言われるが、卓越した技術や超人的な肉体は健康で頑丈な身体にこそ身につきやすいものなのだ。

 故にこそ、野球選手が活躍する上で「健康な肉体」というものは技術や体格を作り上げていく為の前提条件となる。

 

 

 その最たる一例が、ここ「私立硝子館(がらすかん)高校」の野球部だった。

 

 

 秀麗な富士山の姿を校舎窓から窺うことが出来るこの学校は、全国的にはサッカー部の活躍が有名だが、近年は野球部の運営にも力を入れている私立の進学校である。

 

 その野球部は今から三年前、元プロ野球選手を監督として招聘し、県内外から有望な中学選手のスカウトを積極的に行っている。設備面も大幅に改良し始め、校外に新しく増設した野球部専用の練習場は甲子園常連の私立校と比較しても遜色ないほどだった。

 

 優秀な監督に優秀な設備、そして優秀な選手も集まれば部の改革はスムーズに果たされた。

 

 それまでは一回戦で敗退か、良くて二回戦で敗退する程度の弱小チームだった硝子館高校野球部は大きく成績を伸ばし、二年生と一年生中心のフレッシュなメンバーで挑んだ昨年度夏の選手大会予選では、見事ベスト16にまで名を連ねた。未だ強豪とは言わないまでも、強豪になりうる可能性を確かに秘めていたのだ。

 

 

 

 ……そこまでこの高校のことを語れば、順調な躍進に見えるだろう。

 

 しかしこのチーム、勝利の数に比例して余りあるほど凄まじい勢いで怪我人を発生させていた。

 

 

 大黒柱たるエースピッチャーは昨年度夏の三回戦終了後、突如発症した肘の違和感により離脱。靭帯を傷めてしまい、今年度の三月に入ってようやくキャッチボールをすることが出来たほどである。

 

 キャプテンたる正捕手もまた、試合中中学時代に故障した右肩の痛みを再発してしまい、エースと共に力尽きた。

 

 一塁手(ファースト)は三回戦前日に左脇腹を疲労骨折していたことが判明し無念の離脱。

 

 二塁手(セカンド)は二回戦前日に不運な交通事故に遭い全治五か月。

 

 三塁手(サード)は二回戦開始前の練習中に左足を肉離れし無念の離脱。

 

 遊撃手(ショート)だけはレギュラーメンバーの中で唯一五体満足の健康体で大会を終えたが、その事実が何より深刻なチーム状態を物語っていると言えるだろう。

 

 左翼手(レフト)は元々中学時代から肩を壊していたのだが執念のフルイニング出場を果たす。その打棒から中心打者としてチームを引っ張っていたが、最後の試合ではキャッチボールすらままならないほど肩の具合は悪化してしまっていた。

 

 中堅手(センター)は彗星の如き俊足の持ち主だったが、三回戦にてダイビングキャッチを敢行した際、地面に胸部を強打したことで負傷。医師の診断の結果、今後のプレー事態にドクターストップを掛けられる。

 

 右翼手(ライト)は三回戦にてホームラン性のライトフライを捕球した際、勢い余ってフェンスに激突し骨折。それだけならまだしもこの男は日頃から何気ない段差につまづいたり自転車で事故ったり、仕舞いの果てにはドアノブに触っただけで突き指を多発する問題児だった。

 

 

 以上が硝子館高校レギュラーメンバーの惨状である。

 怪我の内容は選手自身の過失もあればやむを得ない事情もあったりと、全く嬉しくないバラエティーに富んでおり、私立硝子館高校はまるで何か邪悪なものに呪われているかのように次々と離脱者の山を築き上げていった。

 その結果、エースピッチャーの魂のピッチングによりどうにか三回戦まで突破することが出来たものの、そのエースすら最後には負傷してしまったことで、チームはショートとレフト以外全員控えメンバーで四回戦に挑むこととなり――結果、30点差を付けられる圧倒的なコールド負けとして昨年度の夏は終わった。

 

 

 そして怪我をしたレギュラーメンバーたちの中には、悲劇の夏から一年近く経った今もまだ復帰出来ていない者たちが多数存在している。

 

 彼らを指導する監督もまた、この負傷者続出の敗退の影響を受けていた。

 

 元プロ野球選手という得難い実績を持ち、それまで熱血指導によって選手たちを鍛え上げてきたチームの監督は、次々と襲い掛かる選手たちの怪我の原因が自身の指導のせいだと精神を病んでしまい、秋の大会を前に責任を取る形で退任してしまったのである。

 

 因みに当時の怪我人はレギュラーメンバーだけではなく、控えメンバーにも同様に頻発しており、退部者も続出していた。野球には怪我が付き物とは言え、この硝子館高校野球部のそれはあまりに度を超し過ぎていたのだ。

 

 

 絶頂時には60人以上の部員がいたチームも、今や三年生が2人、二年生が9人(内4人が今も離脱中)の計11人にまで落ち込んでしまった。新たに加わる新入生次第では、部の存続さえ危ぶまれる事態だった。

 

 

 さらにさらに、野球部の不幸は終わらない。

 退任した元プロ選手の監督に代わって新たに着任する予定だった新監督候補は、直前にセクハラ事件を起こし就任が白紙になった。理事長もこれには激怒。

 今もまだ後任の監督は決まっておらず、現在はやむを得ずキャプテンが事実上のプレイングマネージャーを務めている状態だった。

 

 そうして怪我人だらけの新チームで迎えた秋季大会は、当然のように一回戦コールド負けに終わった。

 

 このような体制では新年度を迎えた今になっても有望な新入生が入部してくれる筈もないだろうと、故障歴持ちメンバー多数の硝子館高校野球部は今、昨年度ベスト16のチームとは思えない窮地に立たされていた。

 

 

 しかし、それでも硝子館高校野球部には希望があった。

 

 

 何故ならば彼らは「怪我さえしなければ」という致命的な条件がつくものの、個々人の実力は非常に高いレベルにあったのだ。

 

 何かが上手く噛み合えば、再び浮上することが出来る筈だと……彼らは必死にリハビリを行っていた!

 

 

 

 

 

 

【ザ・スペランカーズ ~少女と守る生命線(センターライン)~】

 

 

 

 

 

 

 

 蔦谷(つたや) (たけし)は私立硝子館高校に通う二年生である。

 幼い頃から野球にのめり込み、小中と白球を追い掛け続けてきた彼は今も野球部に所属している。

 彼は天才児――というほどではないが、地元ではそれなりに名の知れた選手だった。

 ポジションは内野の花形であるショートストップを務め、俊足巧打の打撃で一年生時から公式戦に出場している。

 そう、彼は昨年度の夏の大会ではレギュラーメンバーの中で唯一健康体のままフルイニング出場を果たした猛者だった。そんな彼はチームの中で一二を争う練習好きでもあり、この日も授業が終わってから一目散に校舎を飛び出し、颯爽と愛車のママチャリで路上を駆け抜けていた。

 ペダルを漕ぎ回すその顔は、有頂天とばかりの上機嫌だ。

 この日は蔦谷にとって、一週間ぶりの練習だった。

 

「ふぅー! 最高にテンション上がってきたぜぇ!」

 

 下り坂の勢いに任せながら、蔦谷を乗せた自転車が猛スピードで走る。

 練習着のままペダルを漕ぐ彼が今妙なテンションで吠えているのは、この一週間に溜め続けた「練習が出来ないこと」へのフラストレーションの解放だった。

 

 季節は四月の上旬。入学式が終わってまだ日も浅いこの季節に、不覚にも彼はインフルエンザを患ってしまったのだ。

 

 それ故に彼は新年度早々部活は愚か登校さえままならず、二年生になって最初の一週間を丸々棒に振るうこととなった。

 しかし一週間安静にしていた甲斐もあり、今やインフルエンザは完治。そうなれば部員の中で数少ない健康体の一人である彼が久方ぶりの練習に燃えるのは、至極当然の話だった。

 

 その気分、まさにテーマパークに来たかの如く。

 半分精神異常者みたいな顔をしていた。

 

 そんな彼が交通事故に気を付けながら向かっている先は、市街にある校舎から十キロほど南へ向かった場所にある野球部の練習場である。

 硝子館高校は私立校ならではの強みか、運動部に対して公立校以上に金を掛けている。

 学校の校庭とは別にサッカー部、野球部、テニス部等に関してはそれぞれの部活動の用途に合わせた専用のグラウンドを校外に構えており、もちろんナイター設備も万全である。

 

 ただ、今の蔦谷のように自転車で移動する際にそれなりの移動時間を要してしまうのは難点だった。

 それでも校舎から誰よりも早く飛び出す彼は、最も多く練習場に一番乗りすることで部員たちの間では有名だった。

 

 この日は信号に捕まる回数も少なく快適なサイクリングを行った蔦谷は、市街から外れた海沿いの場所に出てきたことでそのペダルを漕ぐ足を緩める。

 

 彼の目に映るのは緑色のネットに覆われた練習施設――黒土と人工芝が張り巡らされた広々とした空間は、私立硝子館高校が誇る野球部の練習球場施設だった。

 

 

「ほんと、練習場だけは名門校級だよなぁ」

 

 一週間ぶりに練習場に到着した蔦谷は、野球部員ながら生意気に思うほど立派なグラウンドを眺めながら、併設する駐輪場に愛車のママチャリを停車させる。

 荷台からエナメルバッグを下ろしながら、今日も一番乗りだと心地良い気分でグラウンドに入ろうとする蔦谷。

 

 しかしその時、彼は駐輪場に見慣れない二輪車が停まっていることに気づいた。

 

「あれ? なんだこのバイク……」

 

 それは、赤色の派手なカラーリングを施された中型のバイクだった。

 男心を絶妙にくすぐる、鋭角的なデザインをしたMT車だ。自然とその形に目を惹かれた蔦谷だが、過去に見覚えのないそのバイクに首を傾げた。

 

「このバイクは足利のじゃないな。誰のだろ?」

 

 硝子館高校は自由な校風であり、生徒によるバイク通学も認められている。

 野球部員の中にもバイク通学を行っている生徒はいた為、駐輪場にこのようなバイクがあること自体は不思議なことではない。

 しかし今蔦谷の前にあるトリコロールカラーのバイクを運転していた者は彼の記憶になく、疑問符が浮かんだ。

 新入生部員が乗って来た……とは考えられない。免許を取れるのは十六歳からだと、蔦谷は過去にバイク通学者から聞いたことがあった。

 

 二年生か三年生の誰かが新しく買ったのだろうか? そんなことを考えながら蔦谷は駐輪場を後にし、気を取り直して練習場へと向かった。

 

 

 

 練習場の鍵は開いていた。

 どうやら一番乗りはあのバイクに乗っていた誰かに取られたようだと、少しだけ出鼻を挫かれた気分で蔦谷は入り口から施設に足を踏み入れた。

 

「あ」

 

 

 ――そこで、彼は出会った。

 

 

 蔦谷が荷物のエナメルバッグを置く為、練習場のベンチに入った時、先にグラウンド入りしていた人物と対面したのである。

 身につけた腰のベルトを締めていたその人物は、今しがた制服から練習用のユニフォームに着替え終わったばかりの様子であり、ベンチに腰を下ろすなり彼はこの場に訪れた蔦谷の存在に遅れて気づいたように振り向いた。

 

「……ん」

 

 声変わり前の少年のような声を漏らしながら、その人物は少しだけ驚いたように蔦谷の目を見つめる。

 それに対して「うおっ」と大袈裟に見えるほど驚いたのは、蔦谷の方だった。

 

「あ、ああ! もしかして新入部員か?」

 

 見慣れない姿だ。そしてその容姿にこそ、蔦谷は驚いた。

 やや目尻のつり上がった大きな目に、ベビーフェイスな顔立ち。

 への字に曲がった口はどこか仏頂面に見えるが、それらを差し引いても容姿はすこぶる整っていた。

 しかしユニフォームが似合っていないというわけではないが、身体つきは一年生男子として見ても随分と華奢に見える。今はベンチに座っている体勢だが、おそらく身長は160センチもないだろう。175センチの蔦谷からは、余計に小さく見えた。

 

 蔦谷は見覚えのない彼の姿を見て、自分がインフルエンザで休んでいた間に入部してきた新入生の一人なのだろうと当たりを付ける。

 寧ろマネージャー希望者と答えてくれた方が納得出来るほど華奢な彼は、蔦谷の問いにコクリと小さく頷きを返す。

 

「……あんた誰?」

 

 そして、無礼な調子で問い返す。

 無表情ながらも微妙に警戒している様子が窺える彼に、蔦谷は野良猫みたいだなと苦笑を返す。

 彼が新入生ならば無礼千万も良いところの態度であるが、その点について蔦谷は特に気にしない性分だった。お互い初対面なら、先輩として後輩相手に余裕を見せるべきだろうという心持ちで自分が最初に名乗ることにする。

 

「俺は蔦谷(つたや)蔦谷剛(つたやたけし)、二年生だ。あだ名はTSUTAYA。ポジションはショートで、一応このチームのレギュラーなんだぜぇ?」

 

 ニヤリと笑みを溢しながら小粋なジョークを交えつつ、ついでに己の立場を自慢しながら蔦谷は自己紹介をする。

 言いながら荷物をベンチに下ろすと「次はお前の番だぜ」と、新入生らしき彼に名乗りを促す。

 彼は猫のような目でじっと蔦谷を見据えた後、鈴を転がすような透き通った声で言い放った。

 

「あんたもショートなんだ……ボクは美月(みづき) (ひかり)。二年生」

「光……ヒカリねぇ……」

 

 女みたいな名前だなぁと思いながら彼の名前を聞くと、蔦谷はその後に続いた彼の学年に驚く。

 

「っていうかお前、二年生だったのか!」

「……ん」

「てっきり一年の新入部員かと思ったぜ」

 

 二年生と語った美月光という少年を、同学年である蔦谷は過去に見た記憶がなかったのだ。

 少し頭に来るが、これほど美形と呼んでいい同級生がいたのなら、学年内で有名になっていてもおかしくはない。光の姿は大袈裟ではなく、蔦谷にとってはそれほどの美少年に見えていた。

 そんな彼の疑問を解消する説明を、彼――美月光は簡潔に告げる。

 

「転校生」

「ああ、なるほど! そうか、転校生か……珍しいなぁ」

 

 華奢な体格や見慣れない姿から、入学してからまだ間もない一年生かと思っていた蔦谷だが、どうやらこの少年は新年度を機に他所の高校から転校してきた同級生だったようだ。

 盲点だった彼の答えに納得すると、今度は蔦谷の頭を強い好奇心が襲った。

 

「転校する前の学校でも野球やってたのか? ポジションはどこ守ってたん?」

 

 同級生ならば尚のこと、わざわざ言葉遣いの無礼を咎めることはないかと、蔦谷は気さくに親交を深めるべく転校生との会話に講じる。

 光は詰め寄る蔦谷を前に鬱陶しそうにするわけではないが、笑みを浮かべることもなく質問に答えてくれた。

 

「色々」

「ほう、色々ねぇ。ユーティリティープレイヤーって奴か」

「守備には、自信がある」

「やるねぇ! それは楽しみだ」

 

 依然仏頂面で語る光に、蔦谷は笑みを溢す。

 チームは今怪我人だらけで監督もいない惨状だが、戦力になる二年生が加わってくれたのなら喜ばしい限りだ。

 そんな切実な思いで蔦谷は彼の転校入部を歓迎したが……その思いは次なる彼の発言で硬直した。

 

「だが、ここではショートを守りたい」

「……は?」

 

 澄んだ目をした美少年めいた顔で、光が蔦谷の目を直視し、宣言する。

 それはチームの正遊撃手を務める彼に対する、宣戦布告と呼んでいい一言だった。

 

 

「ボクがショートストップだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私立硝子館高校――それはガラス細工で出来ているかのように、脆く儚い野球部である。

 

 この怪我人だらけのチームを立て直す第一歩となったのが……後にチームの生命線(センターライン)を守り合うこととなる、少年と少女(・・)の会遇だった。

 

 

 

 

 

 





 最近小説が思うように書けなくなって辛いです……ということで、初心を思い出す為に野球小説を連載します。フラフラした作者ですが、宜しければお付き合いください。


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マネージャーは全員男

 

 夕日が沈み始め、照明に灯かりがともり始めたグラウンドで甲高い金属音が響き渡る。

 

 右打席に立ちながら内野各ポジションに打球を打ち分けていくのは、私立硝子館高校野球部によるノックの風景だった。

 各ポジションにそれぞれ待機している内野手は二人ずつ。

 仮入部中の新入生を含め、内野陣の守備練習は合計八人で行っていた。

 後方の外野人工芝ではそれとは別途に外野ノックが行われており、男子マネージャーたちがノッカー役と補佐をそれぞれ務めている。

 

 この硝子館高校野球部。地元では怪我人続出によるチームのグダグダぶりで有名だが、逆に考えればグダグダであるが故に他の私立校よりも各部員に活躍のチャンスがあると言える。そう考える者はやはり一定数いたのだろう。今のところ野球部に仮入部している入部希望者の人数は案外多く、幸いにして過疎で困り果てるようなことはなかった。

 

 

 それに加えて硝子館高校野球部は、怪我人だらけでもなお練習に必要な人数だけは十全に確保されていた。

 と言うのもこの野球部は選手の総人数に対してマネージャーの数が不釣り合いなほど多く、計七人と妙に充実しているのだ。

 

 野球部に所属するマネージャーたちは皆、元々は選手として部に所属していた者たちである。

 彼らが選手の立場からマネージャーに転身することになった理由は、例によって怪我による離脱や前監督によって行われた猛練習に耐えられなかったという珍しくもない挫折だった。

 しかし彼ら七人は選手として戦うことを諦めた今でも野球に対する情熱を失っておらず、リタイアした者たちでサポートチームを結成し、裏方として部員たちを補佐する立場に就いたのである。

 

 それがこの硝子館高校野球部の名物であるマネージャー連合「ザ・スペランカーズ」だった。

 

 そんな彼らは時にノッカーや打撃投手、リハビリトレーナーやスコアラー、ブルペン捕手等を務め、縁の下から選手たちを支えている。全員マネージャー歴は浅いが研究熱心であり、見学や仮入部に来た新入生たちが引くほどプロ意識の高い集団だった。

 「監督もいなくなっちゃったし、全員選手復帰してくれてもええんやで」、とはプレイングマネージャーたるキャプテンが彼らに掛けた言葉だが、彼らは彼らで今の立場に満足しているらしい。

 そんなマネージャーたちの中で最もノックの上手い三年生の打田マネージャーが、いかにも鬼コーチめいた厳ついサングラスから輝きを放ちながらゴロを打ち分けていく。

 

 ショートから二塁ベース寄りに転がって来たその打球を、素早いダッシュで反応した蔦谷のグラブがショートバウンドで掴み取る。

 ゴロを軽快に捌いた蔦谷は素早く右手にボールを持ち替えるとスナップを効かせて送球し、危なげない軌道でファーストのミットへと叩きつけた。

 

「ふっ……蔦谷は問題なさそうだな」

「はい! 完全復活、パーフェクトTSUTAYAですぜ!」

 

 インフルエンザにつき一週間もの間練習から離れていた蔦谷だが、ショート守備の感覚はその程度のブランクで忘れるものではなかった。

 足腰も肩肘も絶好調だとノッカーの声に応じると、振り向きざまに同じポジションを守る美少年に対してどや顔を披露する。

 

「ん、上手いね」

「まっ、当然っしょ?」

 

 美月光――転校生の野球部員もまた、蔦谷と同じくショートにて内野ノックを受けている。

 ノックと言う守備練習には、初めて見る選手の実力を測るのに丁度いい要素が含まれている。

 特にショートストップと言えば守りの要だ。守備に定評と自信のある蔦谷は同じポジションを狙う転校生に対し、自らの実力を誇示するように自慢の守備力を見せつけてやった。

 そんな蔦谷のどや顔に一瞥くれた後、きゅっと帽子を締め直した光がグラブを挙げるなりノッカーにボールを要求した。

 

「お願いします」

 

 ノッカーの打田マネージャーはその要求に応じると、自らの左手でトスを上げノック用の細長いバットを振り抜いた。

 

 流石は名ノッカー、痛烈な打球だ。打球を見て蔦谷が高みの見物を決め込むように光の動きを見つめる。

 

 鋭く三遊間を破ろうと地を這うその当たりは、ヒットになっても仕方が無いと言える酷な打球に思えた。

 しかし光の守備範囲はこともなげに追いつき、痛烈打球は逆シングルで繰り出した光のグラブに収まる。

 

「よっ、ほっ」

 

 そこから流れるようにボールを持ち換えた光は、軽いジャンプで体勢を直しながら右腕を横手に払う。

 光が放った送球は低い軌道で一塁に向かっていくと、ワンバウンドでファーストミットに捕球された。

 アウト――と言っていい処理速度だろう。ヒット性の当たりを眉一つ動かさず捌いてみせた光は、何食わぬ顔で蔦谷の後ろに戻っていく。

 

「う、上手いじゃねぇか」

「……別に、普通でしょ」

「あ、ああ、そのぐらいやってくんなきゃな!」

 

 一目見た瞬間、思わず見とれてしまった。

 光は当たり前のようにやってのけたが、今の処理は簡単なプレーではない。今のような逆シングルからのジャンピングスローは、ショート守備の腕の見せ所と言って良いプレーだった。

 果たして自分にも同じ動きが出来たか……と思うと、蔦谷の胸中は穏やかではなかった。

 自分からショートストップを奪うと豪語した彼の発言は、彼自身の実力に裏打ちされたものだったのだと蔦谷は理解した。

 

(このチビ……狙うならセカンドにしろよ!)

 

 小物的な言葉を胸に仕舞いながら、蔦谷は病み上がりの身体は関係ないとばかりに気を引き締めて次のノックを受けていく。

 

 一年生から試合に出続け、ショートのレギュラーとしてスタメンに定着していたところで現れた転校生である。

 張り合いのある競争相手が出てきたと言う意味では良い刺激にもなるが、競争に負けてあっさりとレギュラーを奪われるなど到底許されることではなかった。

 

「さあ来ーい!」

 

 ノックの順番がセカンド、ファースト、サードと内野を一周した後、再びショートに戻って打球が走る。

 蔦谷の中では既に、試合は始まっているも同然の意識だった。

 

 

 

 

 そうして何球、何十球とノックを受け続けていくと、この日の守備練習は一旦の区切りがついた。

 この時間の中で美月光の守備を間近に見ていた蔦谷が彼に感じたのは、最初から最後まで一切の無駄な動きがないということだった。

 彼は自分と比べれば身長は小さいし歩幅も狭い。にも拘わらず、彼の守備範囲は蔦谷のそれよりも一回り上にあったのだ。

 その要因は彼の、未来予知のような一歩目の速さにあると見える。正直に言うと内野手として是非ご教授願いたいレベルであったが、それは今の蔦谷にはプライドが許さなかった。

 そんないかんともしがたい心境が表に出てしまっていたのか、蔦谷の様子に気づいたチームメイトが声を掛けてきた。

 

「おうおう、さっきのノック、病み上がりのくせに随分気合い入ってたな」

「馬鹿、病み上がりだからだよ。腑抜けたプレーで一年や転校生に舐められてたまるかってんだ」

 

 休憩時間中水分補給を行っていると、先ほどのノックでは一塁で彼の送球を受けていた二年生、清田力也の言葉に蔦谷が言い返す。

 彼自身、目の前で堅実な好守を披露する光に、触発されるように激しい運動量でノックを受けていたのは事実だ。

 そんな病み上がり早々気合十分な蔦谷は、自分が休んでいた間のことで清田に問い掛ける。その目はマイペースにベンチに腰掛けながら、ちびちびと水筒の水をすすっている美少年の姿に向いていた。

 

「……アイツは何なんだ? お前から見て、どんな選手に見える?」

「ん、美月のことか? ははーん、TSUTAYAさんともあろうものがアイツのことが気になるのか?」

「チームメイトなんだし当たり前だろ。しかも俺の前でショートストップ宣言しやがったんだからな」

「おお、早速宣戦布告かまされたのか! そりゃいい!」

「よかねーよ見せ筋野郎」

 

 蔦谷のアピールポイントが守備ならば、清田の自慢は高校生離れした筋肉にある。意味も無く己の上腕二頭筋を見せびらかすように腕を組む能天気な清田の姿が、何か無性に苛立たしかった。

 そんな彼は一瞬意味ありげな目で光と蔦谷の顔を交互に見やった後、蔦谷の質問に答えた。

 

「美月ね……アイツは一言で言うと「職人」だな。ノックで見た通りの守備職人だ」

 

 チームとしては頼もしいが、蔦谷としては面白くない話だった。

 

「俺は初日からアイツがミスしているところを見たことがねぇ。モノが違うっていうのは、俺よりお前の方がわかるんじゃないか?」

「……やっぱり、いつでもああいうレベルの守備が出来る奴なんだな。まぐれだったら良かったのに……」

「おう、俺たちの中で一番上手いんじゃないの? ははは、二年生の即戦力が来て大助かりだぜ!」

「勘弁してくれよ。こっちはポジション被ってるっていうのに」

「悪い悪い! でも、いい競争相手が出来て良かったじゃないか」

「まったく……」

 

 そんなお前に特性のプロテインをやろう、と脈略なく筋肉教への勧誘をしてきた清田の手を突き返しながら、蔦谷は軽く溜め息をつく。ファーストのレギュラーであるこの筋肉野郎は気楽なものだと、身長186センチ、体重95キロの姿を恨めしく見つめた。

 清田は高校生の一塁手としては理想的なほど恵まれた体格を持ち、一桁台の体脂肪率からなる絞り込んだ筋肉はチーム屈指の長打力を生み出している。

 昨年度こそ例によって何度も怪我でスタメンを外れることはあったが、今はこうして練習に復帰し充実した毎日を過ごしている。そんな彼はチームにとって外せない必要戦力であり、怪我さえしなければレギュラーが約束されている男だった。

 

「まあなんだ。お前ならショートの競争に負けてもセカンドなりコンバートすれば試合に出れるだろうさ。だってお前、病気はするけど俺らの中で珍しく怪我しないし」

「そうだな。じゃあ、今度お前が離脱した時はファーストにコンバートしようかね。戻ってくる頃にはお前の席ねーから覚悟しろよ」

「やめろ」

 

 そう軽口を叩いてみせるが、蔦谷としてはショートに対して拘りがあり、おいそれとコンバートに動く気はさらさらない。

 今しがたの証言と先ほどの練習から美月光という転校生(ライバル)が相当な守備力を持っていることはわかったが、レギュラー選手に求められるのは守備力だけではないのだ。

 野球は点を取り合うスポーツである以上、レギュラーショートたるもの守備だけではなく高度な打撃力も必要なのだ。

 

(見てろよ……力の差を見せつけてやんぜ)

 

 一年生からショートで試合に出ていた蔦谷は、決して天才と言われていたわけではない。

 しかし天才に及ばないまでも三拍子揃ったバランスの良い選手だと、前の監督から評されていた。

 名手とは言えないながら守備が上手く、チーム一とは言えないまでも足が速い。そして打撃もまた、チームで五番目以内には確実に入っていると自負していた。

 

「よーし、休憩終わるぞー。次は予定通りバッティング練習な」

「よしきた!」

 

 お誂え向きにも、次は打撃の練習である。

 プレイングマネージャーを務める三年生キャプテン古川が機材箱からキャッチャー防具を掴みながら周りに声を掛けると、部員達は威勢よく返事を返しそれぞれのポジションに散っていった。

 

 一方でショートの守備位置ではなくその場に一人残った蔦谷は、この心に燻る思いを胸にキャプテンに申し入れた。

 

「キャップ! 最初、俺打っていいっすか?」

「ん、構わんよ。仮入部連中も含めて、どうせ全員打たせる予定やし。バッティングピッチャーはそうやな……今日はマネージャーの誰かに任すより、一年にやらせてみるか」

 

 メガネを掛けた一見優しそうな外見をしているキャプテン古川はあっさりと蔦谷の申し入れを受け入れると、次に打撃投手の指名を行う。

 

 白羽の矢が立ったのは、これ見よがしに両肩をグルグルと回しながらベンチ前で待機していた派手な金髪男だった。

 

「篠原ー! 投げてくれるか?」

「え? マジっすか!? うおーやります! マジやっちゃいますよ俺! うはっ、篠原くんデビューキタコレ!」

 

 赤いグラブを右手に嵌めている金髪の男は、現在仮入部中の身分である新入生の一人だった。 

 彼はどうやら中学時代投手だったらしく、この指名を待っていたのか、意気揚々とマウンドに向かっていった。

 

「キャップ、今年の一年も変っすね」

「お前が言うな。お前らも大概酷いからな。……まあ、アレもああ見えて悪い奴やない……と思う。それに、中々面白いボールを放るピッチャーやったぞ。チャラいけど」

「くっそチャラいっすけどね」

 

 チャラい。そう、仮入部の投手経験者はチャラかった。

 髪は肩口よりも長いロン毛で、毛先まで派手な金色に染められている。軽薄そうな顔つきと言い、見るからにお調子者そうだった。

 

 

 ――野球部は全員坊主頭でなければならない――と言うようなしきたりは、令和三十年の今では随分と下火になっている。

 

 

 ある年を境に連盟が中心となってもたらされた高校野球界の大規模な改革によって、かつて平成以前まで蔓延っていた従来の伝統や文化は大きく見直されることとなったのだ。

 そんな変化の中で移り変わっていったものの一つが、このような「球児たちの頭髪の多様化」である。

 もちろん今でも洗髪が楽なこと、夏の暑さに対する対策という合理的な理由から坊主頭に刈り上げている者は多いが、今や甲子園大会でも坊主頭でない選手は珍しくなくなっていた。

 

 ここ硝子館高校野球部の面々もまた、蔦谷やキャプテンを含めほぼ全員が非坊主頭の球児だった。

 

 しかしそんな寛容な時代においても田舎の不良の如き金髪のロン毛とくれば、やはり一般的な高校球児とは違うアウトローな存在だった。

 

「もちろん、本入部したら金髪はやめさせるけどな」

「そっすね」

 

 キャッチャー防具をその身に着け終えたキャプテンが苦笑交じりに言うと、蔦谷が引きつった顔で相槌を打つ。

 硝子館高校野球部キャプテン、古川 伸太(ふるかわ しんた)。丸渕メガネの似合う彼は見た目こそ国民的猫型ロボットアニメにも出てきそうなおっとりとした風貌だが、締めるべきところはきっちり締める男だ。

 そうでなければ不幸な出来事があったとはいえ、高校生でプレイングマネージャーなど務めていない。

 

 閑話休題。

 

 捕手のポジションについたキャプテン古川のミットに向かって、チャラ男がマウンドから投球練習を開始する。

 彼は左投手(サウスポー)だった。セットポジションから二段モーションの溜めを作ったチャラ男が、マウンドからオーバースローで白球を投げ放つ。

 バシンッと音を上げて古川のミットに収まっていく彼のボールを横から見る分には、確かに面白いモノを感じた。

 

「新入生にしちゃ結構速そうだな」

 

 伊達にチャラついてないようだと蔦谷は彼の脳内評価を改める。

 その球速は、大体130キロと言ったところか。

 この時期の高校一年生としては中々の速球であり、確かに将来への期待を抱けた。

 体格に関してはまだ細いが上背は170センチ台後半ほどあり、エースがリハビリ中の今は頼もしく見えた。

 

「準備OKッス先輩! よろしチョリーッス!」

「しかしほんとチャラいなコイツ……」

 

 笑顔で奇怪な挨拶をする新入生の態度に呆れながら、蔦谷は右のバッターボックスに入る。

 足元をならしながらバットを右肩に担ぐと、一週間ぶりに体感した打席の空気を楽しんだ。

 

「サウスポーが相手なら、スイッチヒッターの本領発揮ってね」

「ああ、そういやお前無駄に両打ちやったな」

「無駄じゃないです」

 

 蔦谷はこのチームで唯一のスイッチヒッターである。

 相手が右投手であれば左打席に入り、左投手であれば今回のように右打席に入る。

 そんな蔦谷はマウンドに立つ新入生の姿を見据えると、彼の名前を改めて問い掛けた。

 

「お前、名前はなんて言うんだっけ?」

「俺っちは篠原(しのはら) (すすむ)ッス! 雄太(ゆうだい)と呼んでもいいっすよ!」

「なにそれ」

 

 チャラい新入生……篠原は何だかよくわからないあだ名を提案してきたが、蔦谷はやんわりと拒否し本名を記憶する。

 篠原進なのに雄太。雄大ではなく雄太などと言われれば、もはや意味がわからなかった。

 

 そんなやり取りは始めからなかったかのように扱われ、実戦形式の打撃練習が開始する。

 

「三打席交代な」

「了解っす」

 

 面をつけた古川がキャッチャーボックスに腰を下ろし、ミットを構える。

 蔦谷がオープンスタンスの構えからバットを構えると、篠原がセットポジションから右足を大きく振り上げた。

 グリップを握る手が自然と強まる。

 やはり打席に入った時の胸の高揚は、学生の本分である授業とは比較にならないほど心地良いものだった。

 

 



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転校生はボクっ子守備職人

 振り上げた右足に二段の溜めをつけたモーションから、勢いのあるボールが内角に食い込んでくる。

 クロスファイヤー。一球目から物おじせず投じてきたそのボールを、蔦谷は迷いなくバットを振るうことで洗礼を浴びせに掛かる。

 ついこの間まで中学生だった投手の球としては、悪くない速さだ。しかし高校野球が発展し続けている令和30年の時代、130キロの速球も今や地区予選レベルで見慣れている速さだった。

 故に、対応はそれほど難しいものではない。

 遠慮なく踏み込んで腰を回転させた蔦谷のバットは打撃投手篠原の直球を捉えると、打ち返した打球は彼の真横を抜けていった。

 

 センター前へ向かっていくゴロヒット。ミートの感触は思ったほど良くはなかったが、ブランク明けのワンスイング目としては上出来だろうと蔦谷は笑みを浮かべ――次の瞬間、驚きに固まった。

 

「ほい」

 

 確実に二遊間を抜けていく筈だと疑わなかった蔦谷の打球は、ショート美月光のグラブにあっさりと収められたのである。

 飛び込むまでもなく軽々と捕球してみせた彼は余裕を持ってボールを一塁へと送球し、蔦谷の一打席目を凡退にせしめた。

 

「パネェ」

 

 そんなショートの守備に対し、打たれた篠原が衝撃を受けたような顔で賞賛の声を漏らす。

 本来であればその賞賛は初見でヒット性の当たりを打った自分に向けられる筈だったのにと、蔦谷は憎々しげに光の姿を睨んだ。

 

「あと二打席」

「……ムカつく」

 

 ノックの時から彼の守備力は見ていたが、こうして打者の視点に立つとより一層彼の守備範囲が驚異的な広さであることがわかる。

 そしてもしも自分がショートだったならば、今の打球は抜けているだろうと認識している自分が蔦谷には悔しかった。

 

「こんにゃろめ!」

 

 二打席目。

 今度はもっと速い打球を打ってやると、ショートの光への対抗心を燃やした蔦谷が力を込めて篠原の初球を強振する。が、ボールの感触はするりと抜けていくように空を切った。

 蔦谷が捉えたと思った瞬間、篠原のボールが膝元へと沈み、そのスイングから逃がれたのだ。

 打撃練習にも拘わらず……いや、打撃練習だからこそ、変化球を交えてきたのであろう。

 その空振りは熱くなっていた蔦谷の頭を冷静に引き戻してくれた。

 

「……チェンジアップか。サウスポーのチェンジアップっていうのは、どうも打ちにくいな!」

「ええ球やろ? ついでに言うと、アイツはこれとスライダーとカーブを同じぐらい投げ分けられるぜ」

「マジっすか。それなら、夏の大会に使えるかもしれないっすね」

 

 チャラ男の金髪新入生、篠原進。見た目は高校野球を舐めているようなチャラさだが、実力は即戦力になり得る素材なのかもしれない。

 彼に対する認識を改めた蔦谷だが、次なる二球目を思い切り引っ張り、痛烈な当たりを左へと弾き返した。

 

「ヒエッ」

 

 球種、コースは最初の球と同じ内角のストレート。

 バットの芯に捉えた蔦谷の打球は矢のようにサードの左を通り抜けていくが、ラインからほんの僅かに外れたファールボールだった

 目の覚めるような当たりを見た篠原がマウンドから喜怒哀楽激しく声を漏らすが、一方でその打球を飛ばした蔦谷は思ったよりも内側に食い込んでくる彼の球質に気づいていた。

 

「アイツのストレート、微妙にカットしてますね」

「そういう癖玉なんやろ。真っスラって奴やな」

 

 篠原のストレートは正直なストレートとは性質が異なり、カットボールのように手元で動いているのだ。

 その個性とも言える癖球は、磨けば光りそうなものを蔦谷は感じた。

 そんな篠原は投げっぷりよく三球目、四球目と次々に持ち球を投入し、打者の蔦谷に堂々と挑んでいく。

 そこで見ることができた彼のカーブ、スライダーと言った球種は、各「そこそこ」といった具合のレベルだった。目を見開くほど素晴らしいわけではないが、実戦で使えないほど粗末なものではない。ボールゾーンへと逃げていくそれらのボールを冷静に見送ると、蔦谷はストライクゾーンに入って来たボールを逃さず振り抜いていく。

 

 そんな蔦谷が弾き返した会心の打球は――またも、ショートのグラブに好捕された。

 

 今度はライナー性の当たりだった。レフト前に落ちていくクリーンヒットになる筈だった打球を、光が低身長を補って余りある大ジャンプを披露しもぎ取ったのである。

 

 完璧なヒットを捕られた瞬間、蔦谷は思わず打席から「は?」と理解しがたい声を漏らした。

 

「かっけー……美月先輩マジかっけーっす!」

「猫かよ……」

 

 それはまるで平成末期にブームを起こしたらしいサーバルキャットを彷彿させるかのような素晴らしいジャンプ力だった。

 その鋭敏な反応速度と言い、彼に二本のヒットを奪われることになった蔦谷は何の冗談だと彼の実力に対して目まいを覚える。

 

 蔦谷がショートのポジションを死守する為には、こんな守備力を持った相手に勝たなければならないのだ。

 

 出会って初日でこうも焦らされたのは、蔦谷の野球人生上、初めての経験だった。

 そしてその焦りが、この打撃練習で最後となる三回目の打席に悪影響を及ぼした。

 

「うぇーい! 篠原君マジ打たせて取るピッチング!」

 

 そう自画自賛しながら目の前に転がったピッチャーゴロを捌いたことで、打撃投手篠原がこの打席への勝利宣言を発する。

 三打席の打球は美月光を意識しすぎたが故の、力んだ結果によるボテボテの当たり損ないだった。

 結果的に三打席全て凡退に終わる結果になった蔦谷だが、彼の視線は投手に対してと言うよりもやはりショートに向けられていた。

 

「……キャップから見て、俺とアイツはどっちが上手いっすか?」

「はは、言わんでもわかるやろ。一応、お前が下手なわけじゃないとは言ってやるけどな」

「むう……」

 

 蔦谷のプライドを考えてか、キャプテンの古川は美月光への評価を遠回しに答えたが、蔦谷にとってその言葉は十分すぎるほどわかりやすかった。

 

 美月光の守備は、自分とは比べ物にならないほど上手いということだ。

 

 相手の実力は素直に認める。それが蔦谷剛のポリシーである。

 そんな蔦谷に対してたった二回の守備機会で力の差を見せつけた光は、彼の野球人生において最強のライバルと言っていい存在だった。

 

「蔦谷、ショート守れ。美月と交代な」

「ウス」

 

 三打席を終えたことで打者交代となり、バットとヘルメットをベンチに置いてきた蔦谷はその手にグラブを持ち替えながらショートの守備位置へと駆け出していく。

 そんな蔦谷と入れ替わり、キャプテンの指示を受けた光が打席に向かっていく。

 部で貸し出している中で最小サイズのヘルメットを被ってきた光の姿は、高校二年生でありながらもリトルリーガーのように小さく頼りない。

 しかしショートのポジションから彼の姿を注視する蔦谷の頭には、既に彼に対する侮りはなかった。

 

「実は打つ方は下手なんです……ってオチなら笑えるんだけどな……」

 

 チームとしては守備も打撃もイケる完璧超人の方が喜ばしいのは当然の話だが、同じポジションを競おうとする立場である以上、蔦谷にとっては一つでも多く欠点を晒してほしいところだった。

 そんな複雑な心境な彼に見据えられながら、美月光はマイペースに左打席に入り、一旦帽子を外して打撃投手に会釈する。二年生ながら、後輩に対して随分礼儀正しいことである。

 

(さあどうする? お前はどういうバッターなんだ美月!)

 

 期待と不安、そして恐怖に駆られながら蔦谷は腰低く構え、打席での彼の対応を窺う。

 光はどうやら右投げ左打ちの左バッターのようだ。スタンスを狭めに取りながらバットを寝かせて構えた彼は、大人しめな打撃フォームから摺り足気味にステップを踏むと、篠原の初球を鮮やかに弾き返した。

 

「っ――」

 

 一閃――外角低めのスライダーを初見で打ち返した光の打球が、鋭い軌道で三遊間を襲っていく。

 外角打ちの教科書のような華麗な流し打ちである。サードの横を悠々と通り抜けていった打球に、蔦谷は頭から飛び込んでグラブを伸ばす――が、捕れない。

 グラブに掠ることもできなかった光の打球は当たり前のようにレフトの前に転がっていくと、文句のつけようがないヒットになった。

 

「あ、あいつ……こっちを狙ってやがるな!」

 

 打球の行方を無感情な目で見つめていた光の眼差しが、一瞬だけ蔦谷の視線と交錯する。

 その瞬間、おそらく被害妄想であろうが、蔦谷には彼が嘲笑っているように見えた。

 

 「俺はお前のヒットを簡単に捕れるが、お前は俺の打球を捕れないんだぜ?」と――そう言っているように。

 

「くそったれめぇ!」

 

 二打席目――光が打ち返したのは、またも初球だった。

 今度の球種は内角低めに曲がり落ちてきたカーブである。ショートの頭上を襲う鋭い当たりは、奇しくも蔦谷の二打席目と似たような打球だった。

 蔦谷もまたジャンピングキャッチで掴み捕ろうとするが――光の打球速度は想像以上に鋭く、彼のジャンプが到達した頃には既に左中間へと抜けていた。

 まごうこと無きクリーンヒットである。

 

「これが高校野球のレベルかぁ……マジッパネェ」

 

 左対左だろうと関係なく、渾身の投球がことごとく打ち込まれていく光景に、彼の打球を振り返り見た篠原がほえーと間抜け面を晒す。

 だがこの時、篠原は……いや、蔦谷もまだ本当の意味で光の実力を理解していなかった。

 

 

 

 

「……クセ球は嫌いだな……狙ってた当たりより、ちょっとズレる」

 

 左打席からぼそりと呟いた美月光は、二打席目の内容に納得がいっていない様子だった。

 そんな彼の様子に唯一気づくことができたキャプテンの捕手古川だけが、美月光という二年生選手に末恐ろしいものを感じていた。

 

「おいおい、天才か……」

 

 彼の実力は、高校野球のレベルに非ず。

 言うならばそれは高校野球の中でも際立ってずば抜けた才を持つ、「超高校級」の天才なのだと。

 

 

 

 

 

 テンポ良く進んだ次なる光の三打席目もまた、当然のようにショートの横を抜けてセンター前へと落ちていった。

 今度は低めに上手く決まった篠原渾身のチェンジアップをすくい上げ、またしても蔦谷の守りを越えていったのである。

 

 三回のスイングで三本のクリーンヒットをマークした彼女は、最後の打撃にだけは満足したように頷くと、心なしか上機嫌そうに打席から去っていった。

 

 そんな彼女が見せた三打席打撃は、小さく華奢な身体だろうと全部バットの真芯で捉えれば関係ないのだと示すような、いずれも痛烈な打球であった。

 

「よし、美月はセカンドと交代な」

「了解っす」

 

 三打席を打率十割で終えた光は、守備に戻り今度は別のポジションと交代する。

 駆け足でグラウンドに戻ってきた彼に対して、蔦谷はハンカチを噛むような思いで言い放った。

 

「こ、これで勝ったと思うなよー!」

「……?」

 

 今日のところは負けを認めるが、俺はお前にポジションを譲る気はないんだからね! 勘違いしないでよね!と、まるで平成二十年頃に流行ったような口調で言い放った蔦谷に、光は困惑の表情で首を傾げる。

 同じポジションを争うことになった二人の初日は、周囲からしてみればどこか一方通行な関係に見えたという余談である。

 

 

 

 

 

 

 練習が終わり、病み上がりであることを忘れいつも以上に身体を追い込むことになった蔦谷はクタクタな足を引き摺りながら用具を片付けると、ベンチに戻り仲間と共に着替えながら帰り支度を行っていた。

 今日は自身の立場を脅かすかつてない強敵の出現に狼狽えてしまったが、それが彼のハングリー精神に火をつけることになったのはチームにとっても喜ばしい傾向と言えるだろう。

 そんな彼は練習の汗が染み込んだシャツを脱ぎ、裸の上半身を晒したところで、いつの間にかベンチの中から等のライバルがいなくなっていることに気づいた。

 

「あれ? 先輩、美月の奴どこ行ったんすか? もう帰ったのか?」

 

 練習が終わるなり一言も無く即帰宅とは、随分と素っ気ない奴だ。そう思いながら問い掛けた蔦谷の言葉に、同じく学生服に着替えていた古川が答えた。

 

「どこって、更衣室に決まってるやろ」

「んー更衣室っすか? ここで着替えりゃいいだろうに、変な奴だな」

「えっ」

「えっ?」

 

 日没が過ぎた上、人気も野球部員以外ないようなグラウンドのベンチだ。一々グラウンドの外にある更衣室まで行って着替えるのも面倒だろうと何の気なしに呟いた蔦谷の言葉に、古川のみならずその場にいた一同全員が固まった。

 そんな彼らが浮かべているのはいずれも呆れ顔である。

 

「そりゃねぇっすよ先輩」

「美月の着替えを見たいとはやはり変態か……」

「な、なんだよお前ら! そんなに変なこと言ったか俺?」

 

 各部員たちから軽蔑の眼差しを向けられたことを、蔦谷は心外に思う。

 そんな蔦谷の顔を見て、「お前まさか……」と古川が状況を察し目を丸くした。

 今この時、美月光という野球部員に対して、彼らの間には大きな認識の齟齬があったのだ。

 

「蔦谷……お前まさか、気づいていないのか?」

「え? 気づかなかったって、何がです?」

「そりゃお前、美月はどう見てもおん……」

 

「ボクがどうかしたんですか?」

 

 呆れた目で蔦谷の顔を見据える古川が言い掛けた直後、彼らの会話に一人の少女(・・)が割り込んできた。

 

 学生服に着替えて更衣室から戻ってきた美月光その人が、蔦谷たちの前に現れたのである。

 その声に反応して蔦谷が振り向いた瞬間、彼の呼吸は止まり、頭蓋骨を撃ち抜かれたような衝撃を心に受けた。

 

「へあっ!?」

 

 スカート。

 学校指定のブレザーと合わせて着用した光の装いは、紛れもなく私立硝子館高校の「女子生徒」が着る制服だった。

 練習用ユニフォームを脱いでその服装になった彼女(・・)の姿は、どう見ても男子生徒ではない。

 その時になって初めて知った事実を、蔦谷は未だ混乱している頭で彼女に問い掛けた。

 

「お、お前女の子だったの!?」

「ん……そうだけど」

 

 ショートカットの黒髪と言い、ボクという一人称と言い……ボーイッシュな雰囲気や胸部の慎ましさ、何より野球選手としての能力の高さから、蔦谷はこの時まで彼女のことを肉体的成長の遅い男子として認識していたのだ。

 しかし改めて見ればどう見ても女子生徒である。はっきり言ってクラスメイトの誰よりも制服が似合っている可憐な姿に、蔦谷の心拍数は不思議な反応を見せていた。

 

「先輩クソ鈍いッスね。女の子にそれはどうかと思いますわ」

「う、うるせー!」

「…………?」

 

 チャラ男的外見の篠原から正論で指摘されると、蔦谷は自らの羞恥心を誤魔化すように着替えを済ませていく。

 そんな彼らの会話から要領を得ない当の光はと言うと、狼狽える蔦谷の態度にこてんと首を傾げるばかりだった。

 

 

 ――美月光は野球少年ではなく、野球少女である。

 

 

 これは、そんな彼女と共にグダグダな野球部が立ち上がり、いつの日か満足(サティスファクション)へと至っていく物語である。

 

 





 次回からスぺ要素を出していきたいと思います。


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