けものフレンズR Remember (mono(もの))
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第1話 びょういん -1

1

 晴れ。早朝。

 空から見下ろす地上は薄く白く、雪におおわれている。かぶさる白の下に森の緑が見える。また急な岩肌を隠すほどには、雪はつもっていない。丘の起伏と変化があるのだ。朝の光に黒い影が長くのびる。静かではあっても、空高くからどこを飛んでいるのかを見失うほど、寂しい下界ではない。

 そう、早朝だ。これから時間をかけて太陽は高くのぼるだろう。それは彼女の動物としての記憶が知る、雪の地の太陽のありようと、そして伸びる影のありさまとは、異なってくる。サンドスターが日の光を弱めてくれても、それでも、湖に照りかえす太陽はまぶしく、雪はあまりに明るい。だから彼女はここジャパリパークでは早朝に好んで空を飛ぶようになったのかもしれない。

 森、川、丘、平原。川にかかる橋。橋の先の道。その道を走るちいさな影。彼女が向かう先に建屋がある。今はもう働く研究員もいない、ヒトのための施設。めずらしいことにその扉の外に立つ一つの影がある。しばらくするとその影は建物の外周を沿って動き出した。

 

2

 朝の空気のなかをイエイヌは走る。4つ足で飛ぶように。彼女の日課だ。天気のいい朝の光は、地をかけまわれと、彼女を突き動かす。そして彼女は走ると、悩みを忘れていられる。木々の横を通りすぎる。道の端や草木の上や影に残る雪。冷たい風が気持ちいい。どこまでも、いつまでも走りつづけられるような気がする。…待てるような気がする。

 白い息。イエイヌは施設にたどりつく。コンクリートの頑丈な建物。イエイヌは習慣として入口の扉の足もとのにおいをかぐ。おそらく今日も変わらないことを知るだろうとか、もはや頭に思いうかべることもなく。ところが、

 ――――ヒト!?

 イエイヌが止まる。2秒。左右を見て、もう一度入口の足もとのにおいをかぐ。どっちに?左だ。低い姿勢のまま4つ足の走りに移る。

 イエイヌは外壁の角を右に曲がる。建物の影が伸び、薄暗い。整備されていない土の上は、雪が残っていた。足あとだ、たどる。地上の奥にはだれもいない。足あとは外階段に続いている。イエイヌは階段をかけあがることにした。尻尾がバランスをとる。カンカンカン。金属音が響く。

 (まだ近くに?においの残る朝のうちに、はやく……っ!)

 

 

 施設の2階テラスの椅子に腰かけ、ぼんやりとおもむくままにスケッチブックを取り出していた少女の耳に金属音が入る。何かが来る?体が逃げ出すことを決めた。屋内へ入ると薄暗い。椅子に引っかかって、少女は手をつくためにスケッチブックを落としてしまう。少女は隠れるために拾わずに奥に向かう。

 施設の2階、その場所はかつての休憩スペース・オープンテラスであった。中には食事を供するための設備や物置が残されていた。

 

 

 外階段を一気に駆け上がったイエイヌは、臭いを頼りに少女が腰かけていた椅子にたどり着いた。白い息。弾む胸。

 (やっぱりヒト、たぶん子ども、女の子。ちょっとの間ここにいました? それもさっきまでいて…。)

 確信が、あるいは安堵が彼女を少し冷静にさせる。どこへ向かったのかは、落ちている見慣れぬもの:同じヒトのにおいのするスケッチブックが答えをくれる。奥だ。そしてなぜ奥へ向かったのかのヒントも。ずっと走ってきたから、まだ胸は弾んでいる。においを辿っていけば、隠れているとしても探しあてる自信はある。ずっと離れるように移動していたとしても、追いつける自信もある。けれど、

 (びっくりさせました・・・?)

 ヒトの女の子。においで具体化されたイメージが、彼女の動物としての深い記憶に働きかける。落ちつこう。どれだけうれしくても、ステイ、ステイ。そう教わったはずだ、そう仕込まれたはずだ。 

 うまれたばかりのフレンズだって、そうじゃないか。おびえてしまったり、そういうこともあった。

イエイヌは、少女がたぶんいると思う方向から目をそらし、細める。

「もし、もしもし」

 遠吠えではなく呼びかけるように、ワン、ワンワンと吠える。暗い室内に響く声。

「落としましたよー」

 スケッチブックをかかげて吠える。うらがわに文字。女の子の名前?それとも?もし文字が読めたら、ここで名前を呼ぶことができたのだろうか?そうすればもっと安心させられるだろうか?

 けれどそのイエイヌの心配は杞憂だった。反射的に逃げ、そして柱のかげに隠れた少女は、今はもうイエイヌの行動をのぞいていた。落としたスケッチブックをかがげる姿は、その少女にとって味方だと信じる十分な根拠になっていた。

「ありがとう」

「はいっ」

 声をあげた少女をイエイヌはとらえる。ふたりは歩み寄る。少女は薄暗い視界の中でも、イエイヌの歩くたびに揺れる尻尾と、頭の上の耳と、まだ弾む胸とをとらえる。そして真面目な、でも嬉しそうな笑顔も。

「どうぞ」

「ふふ、ありがとう」

 少女はイエイヌからスケッチブックを受けとる。ありがとうがうれしい。

 ……静かな雪つもる森の中、忘れ去られた施設の奥で、二人は出会った。

 イエイヌはスケッチブックを持つ少女の手をかぎ、足元をかぎ、首元をかぐ。少女の目に映る、耳、耳、尻尾。

「あなた、ヒト…ですね、会いたかったぁ~!」

 イエイヌは少女に抱きつく。わ、と少女は声をあげ、けれど反射的に抱きとめてくれた。そして撫でてくれた。うれしい。

「わわわ、よーしよしよし。…うんヒトだよ。あなたは?」

「はっ。そうでした。わたしはイエイヌです」

 ヒトの質問が本能的にイエイヌの理性を戻させる。イエイヌは抱きつくのをやめる。両腕をすっと伸ばし、両手を少女の抱えるスケッチブックに触れ、首をかしげる。

「イエイヌちゃん」

「はい」

 名前を呼ばれた、うれしい。

「あたしは、…あれ、あたしのなまえ?」

 不安げな顔を少し見せ、その後何かてがかりがないか、少女は持ちもののスケッチブックとバッグを見やる。イエイヌも目でスケッチブックをうながす。少女はスケッチブックの裏側を見やる。

「と、も、え?」

 かすれた文字を少女が読み上げる。

「ともえさん?」

「…。うん、あたしはともえ。はじめまして、イエイヌちゃん」

 少女は少しの間をおいて、けれど元気よく自己紹介をした。

「はい、はじめまして、ともえさん」

 

3

「ここどこだろう?」

 ともえは施設の中と、そしてテラスとを見やる。そしてテラスへ向かっていく。興味をもったものにまっすぐに近づいていくともえをみて、子どもだなと、そんなことをイエイヌは思う。ともえは記憶が定かではないようだ。それは生まれたばかりのフレンズにはよくあることだった。

「せつげんちほーのわたしのなわばりです!」

 ともえは日のあたるテラスに出て、少しまぶしそうにしながらイエイヌをふりかえる。イエイヌはほこらしげだった。

「ほうほう、おじゃまします」

「いえいえ~。ほら、あの火山。あそこからサンドスターが出ます。そして動物に当たってフレンズが生まれます」

 テラスからは遠くキョウシュウエリアの火山が望める。けれどサンドスターは最近降ってはいなかった。火山を両手で望遠鏡を作り覗いたり、四角く切り取ったりしていたともえは、フレンズと聞いてイエイヌに振りかえる。

「フレンズ?イエイヌちゃんも?」

「はい」

 生まれた瞬間を覚えているわけではない。イエイヌも、元の動物のときの記憶の多くを忘れている。ヒトといたこと。ヒトに仕えていたこと。幸せだったこと。待つように言われたこと。それらを覚えているだけだ。イエイヌはともえも同じなのかな、と思う。

「あ、なんか思い出してきた、フレンズってそう、ともだち!それで、耳とか、尻尾とか、動物のかわいいやつ!」

「はい!」

 さすがヒトである、たくさんのことを覚えているのかもしれない。

「少し待てば、ともえさん、いろいろ思い出すかもしれません」

「うん、ありがとう、イエイヌちゃん」

 ありがとうがうれしい。と、

 ――――グゥ

 おなかのなる音がした。

「なっちゃった」

 ともえは恥ずかしそうにおなかをおさえる。

「まずはおいしいものを食べましょう、ついてきてください」

「うん」

 イエイヌは笑顔で外階段へ向かう。ここは彼女のなわばりで、そして朝夕の散歩のコースだった。

 

 ふたりは階段を降りる。と、ともえは階段をすべり落ちそうになり、慌てて手すりをつかむ。そんなともえをイエイヌは心配そうに振りかえる。慎重にふたりは階段を降りていく。

 

「ちょっとお待ちくださいね。いま掘りますから」

 外階段を降りた先、イエイヌはともえのバッグの半分ほどの大きさの紙袋を掘りだした。袋をあけて、じゃぱりまんを2つ取りだし、ひとつをともえに渡した。

「どうぞ」

「ありがとう、いただきます」

 ふたりは階段に腰かけて、そしてともえはじゃぱりまんをほおばる。冷たい、けれど。

「おいしい!」

「うれしいです~。もぐもぐ」

 イエイヌもじゃぱりまんを食べる。おいしい。

「もぐもぐ」

「もぐもぐ」

「ごちそうさまでした」

「はい、ごちそうさまでした」

 そう言って顔を見合わせて、ふたりはなんだか楽しくて、笑いあってしまった。

 

4

 じゃぱりまんを食べたともえは傍目にも元気がわいたようで、雪の積もる草花だ、空だ、山だ、と視線を変えながら建物の入り口へ向かっていく。

「この中の、カプセル?でおきたんだ」

 ともえは扉をあける。外が明るくなってきたからこそ、建物の中は薄暗い。

「カプセルですか?」

 イエイヌにとって意外だった。扉から出てきたことは臭いで予想はしていたが、中になにか、それこそヒトが関わるような何かがあったとは。ヒトの施設だと知って、だからこそなわばりとし、こまめにヒトとのにおいや手がかりを探してきていたのだ。ただたしかに、施設の中にある数々のヒトの物体は、彼女にとって機能や意味が理解できるものではなかったわけだが。

「そうこれ」

「あいてます!」

 そう、開いていた。ともえが1人中に入っていられる程度の球状の物体が、開いていた。そしてサンドスターが敷きつめられて、光り輝いている。中からはともえのにおいがした。イエイヌはこれまで、開くようなものだと全く思わなかったし、もちろんヒトのにおいは何度嗅いだってしなかった。中のサンドスターで生まれたのか、それともずっとヒトが中にいたのだろうか。

「それで、出かけなきゃって思って」

 イエイヌにとって、それは少し気にかかる言いまわしだった。イエイヌ自身の、ヒトを待たなければ、という想いを言葉に変えた形に似ている気がした。

「ここがともえさんのおうちでしょうか?」

「…ここが、あたしの、おうち……ではないと思う、うん」

 ともえは改めていろいろと球状の物体の周りと施設の壁と、天井とを見まわす。記憶が定かではないことをふまえると、むしろはっきりとした否定に近かった。

「生まれたフレンズは過ごしやすいちほーを探してそこで暮らします。ともえさんはヒトのおうち。ここはヒトの”びょういん”です。違うのかもしれません」

 サンドスターの敷きつめられた球状の物体なら、中で落ち着いて眠れるのかもしれないが、建物としては寒いし、暗いし、イエイヌは少なくともここに住みたいとは思えなかった。

「そっか、住むところを探す旅か、うん!」

「わたしはヒトのおうちで暮らしてます、いっしょに行きましょう!」

 両手をにぎり胸元で構えたともえに、すかさずイエイヌが声をかけ、ともえの手首をつかむ。言葉に出したら、抑えていたものがあふれたかのように。けれどイエイヌの表情や言葉に必死さが宿るよりも前に、

「すごい!行ってみたい!」

 ともえもまたイエイヌの手首をつかみ、そして握手に変わる。

「はい、案内します!」

 その手を軽く引く形で、イエイヌは施設の入り口に向かう。ついていくともえ。手のぬくもりが、イエイヌに、無事にともえをおうちへ案内せねばと決意を新たにさせた。そうだ、新しく生まれたフレンズには、他にも教えてあげたほうがよいことがいくつかあるのだ。

 

 雪の残る道をともえとイエイヌは歩く。最初はついていっていたともえだったが、おうちの方向を聞いてからは先を歩き出していた。というのも、

「イエイヌちゃん、あの白い山って雪かな?」

 見えるもの、聞こえるものがともえにとって新しいもので、興味をひかれて仕方ないからのようだった。

「そうです、ゆきやまちほーですね、キレイでちょっとさむいです」

「おぉー行ってみたい、あっちの緑の山は?」

「向こうはさとやまちほーですね、おやさいを作っていて、じゃぱりまんになります」

 びょういんからおうちまでは、歩きやすい道が続いている。ヒトのものだからだろうか。と、ある木の根本の臭いをかぐイエイヌ。異常なし。朝と同じくセルリアンのにおいや痕跡のないことを確かめる。そうした彼女の動きを見て、あらかた見える風景について聞いていたともえの興味がイエイヌに移る。

「イエイヌちゃんを知りたいな。そうだ」

 ともえはそう言って、その自分の言葉で何かを思い出したのかカバンを開けだす。ともえがカバンから取り出したのは、使い込まれた本だった。

「動物図鑑だよ」

 表紙に書かれている文字を読んだからか、それとも記憶がはっきりしているのか、ともえはそう言った。イエイヌは頭のいいフレンズが実際に本を読んでいるところを見たことがある。そして本来はヒトの持ちものであったことも知っていた。ともえは彼女らフレンズより、慣れた手つきで本を読んでいるように見えた。

「イエイヌ! ヒトと共にいきる動物。ヒトが見ているものを一緒に見ることができる。長く走りつづけるのが得意。群れを作って狩りをする。薄いにおいをかぐことができるだけでなく、コミュニケーションもできる。汗で体温を下げるのが苦手で、呼吸で体温を下げる。考えることも覚えることも上手。たいせつなともだち」

 ともえが読み上げ、イエイヌもそのともえの視線の先を追っていく。

「イエイヌちゃんすごい!」

「なんか、照れちゃいます」

 得意なことを誉められるのは、うれしい。

「ヒトのたいせつな友だちなんだね」

「はい、わたしイエイヌはヒトと一緒に暮らすフレンズです」

 誇らしげにイエイヌは答える、けれど。

「でも、ヒトはパークにいなくて、おうちでずっと留守番をしていました」

 ヒトはいた、はずなのだ。それはアフリカゾウが教えてくれた。そしていなくなってしまっていた、いや出かけていった。戻ってくるつもりであっただろうと。ただアフリカゾウも彼女自身が、ヒトのフレンズを見たことはないと言っていたけれども。

「寂しかったね…」

 ヒトはパークにいない。子どもであるともえにとって、本来危機的なことを意味する情報でもあるかもしれなかった。けれど哀しげなイエイヌへの同情が勝っていたのだろうか、ともえはそう告げる。

「でも、いいんです、ともえさんに会えましたから」

 イエイヌは涙ぐんでさえいた。その涙をともえは見る。

「わたしもイエイヌちゃんの友だちだよ、会えて嬉しいよ」

 明るく、当たり前のように、ともえはそう告げた。

 

5

 雪の残る道をともえとイエイヌは歩いて。橋の袂で川の水を飲んで、休憩して。また歩いて。二人の影が少し短くなって。けれど日が完全に昇る前に2人はイエイヌの住むヒトのおうちのエリアにつくことができた。ヒトのエリアを示すアーチをくぐる。

 ともえにとっては長い距離だったのだろうか。言葉に出さないが、疲れを感じさせる呼吸と足の運びに変わっていた。もう先行もできていない。それを心配してイエイヌが振りかえると、ばつが悪そうにともえは言った。

「ずっとあそこで寝てたからかな。もっと歩けたと思うのに」

「もう少しです、ゆっくり休憩しましょう」

 ともえはあそこで生まれたばかりではなかったのか。フレンズ化以前の記憶が夢のように感じるのか。イエイヌにとって、ともえがヒトであるならば、元々そこはこだわるところではなかった。ただイエイヌの知識の中では、ヒトはイエイヌの自分と同じく長い距離を歩くあるいは走ることを得意とする動物であった。ずっと寝てたから、あるいは生まれたばかりだから、力が落ちていて十分に動けないならば、なおさら守らなければならないと考える。

 もう少しの言葉通り1階建ての小さな家の集まる集落が見えてくる。家の日陰には雪が残っている。びょういんと異なり、小綺麗だ。イエイヌが住んでいるからだろう。

「どうぞ中へ」

 イエイヌは家の扉を開けてともえを中に促す。

「おじゃまします、イエイヌちゃん」

 ともえも家に入る。

「ささっ、あちらのいすにすわってください」

「…ふうー」

 背の高めな丸テーブルの周りに3脚の椅子があった。ともえはその1脚に座って、足と手を伸ばす。ともえは、ベッドを見て、窓を見て、天井を見て。それからスケッチブックとペンを取り出していた。

「お湯にはっぱをいれたやつをお出ししますね、ヒトはおちつきたいときはそうしてたのです」

 そう言ってイエイヌはお茶を用意しにいく。尻尾をふって。鼻歌交じりで。

「イエイヌちゃんを描いていい?」

「はい」

 イエイヌは、絵をフレンズが描くことを知っていた。タイリクオオカミが描いたというマンガも見たこともある。

「ど~ぞ」

「いただきます」

 ともえのカップに注ぎ、ついでイエイヌは自分のカップにも注ぎ、イスに座り、お茶を飲む。おちつきたいのはともえよりもむしろ自分なのではないかと思いながら。

「…ふう。すーっとするいいにおいだね。おいしい。ありがとう」

「いえいえ」

 記憶に刻み込まれた光景。ヒトがにおいを楽しんでいたこと。彼女にとってにおいは、ものごとを判断するためのものだ。食べられる、食べられない。危険、危険ではない。そうではなく、におい自体には鈍感なヒトが、お湯の温かさや時間にこだわって、飲む瞬間のにおいを楽しむために引き出そうと努力している姿を見て、とてもとても不思議に思ったのを覚えていた。

「この辺りはずっと昔、何人ものヒトがいたんです。細かくは覚えていないのですが」

「うん」

「ヒトとわたしは一緒によく遊んでいました。楽しかった」

「うん」

「でも、ある日、みんないなくなってしまって。家にはそれでもヒトとわたしはいて。そしてヒトと家を守るんだと命じられたと思うんです」

 ヒトを守ること、ヒトとのすみかを守ること。それ自体はそもそもイエイヌという動物にとっての使命であり、そのときに初めて言われたことではなかっただろう。

「うん」

 ともえにとって、ヒトの情報は興味深いものであるはずだった。けれどともえは質問をしなかった。

「ずっと昔です。それに何か大切なヒトとの約束があったんです。でも忘れてしまった。きっと命令です」

 イエイヌは、忘れてしまっていても自分にとって大切な約束だというなら、それはヒトの命令だったに違いないと思えた。深刻にならないように、どうしましょうね、と笑ってみて、

「…うん」

 ともえはその命令を忘れたことを、咎めも許しもしなかった。ただ静かに聞いてくれていた。

「あたしも、いっぱい忘れちゃってるんだ。ともだちと大切な約束もあった気がする。えへへ」

「ふふふ」

 もしかしたらずっと昔、ここの家々のどこかに住んでいたヒトの子どもが、ともえと友だちだったのかもしれない。ともえもこの集落にいただろうか?そこまでは記憶にない。もしかしたら、ともえこそが待っているこの家のヒトなのかもしれない、けれどそうではないかもしれない。

「この鞄を持ってパークに出かけたいな、出かけなきゃって思うんだ」

 ともえはスケッチブックを見て、そう言った。

 ヒトはイエイヌと同じくらいヒトとの約束を大事にする動物だと、イエイヌは知っていた。約束にかかわることなら、ヒトを引きとめることは難しいだろう。ほかでもないイエイヌがほかの親しいフレンズたちの近くに住むことをせず、これまで使命を守り続けてきたように。イエイヌはともえに、いつまでもここで一緒に暮らしましょうと、言ってしまわないでよかったと思った。

「あ、でもしばらくはここにいるよ!…いいかな?」

「もちろんです。ヒトのおうちですから。わたしのためにもいてください。…それにともえさんはパークを旅するには、力がおとろえています。教えることもあるんですから」

「わ、わ、なんだろう」

 セルリアンがそうだ。そしてじゃぱりまんをもらえるようラッキービーストに会わせないといけない。イエイヌのためにヒトについて調べてくれているフレンズたちにも紹介しなければ。あるいは何か、ともえにとっての情報があるかもしれない。

「まずはいっぱい遊びましょう!」

「うん!」

 焦ることもない。でも永遠でもない。ともえとイエイヌのいっしょの暮らしがこうして始まった。

 

6

 脚のつかれが軽く取れるまでともえは絵を描くのを進めて、そして淹れたお茶が飲みきるころ、イエイヌは下絵を見せてもらった。たしかに自分、イエイヌである、すごいものだ。そしてともえはイスを引いて立ち上がり、遊ぶぞ!と両手を空に上げた。待ってましたと、さっとイエイヌは動いて、フリスビーを両手にかかえてともえに渡した。

「投げてもらえませんか」

 フリスビー遊びならともえへの脚の負担は少ないだろう。そしてイエイヌは目一杯走ることができる。最高の解であるとイエイヌは自信たっぷりに思った。2人は家の外に出て、ともえはフリスビーを投げる。

「えいっ」

「はっはっはハグゥ!」

「すごい!」

 ともえからの指示を受け、フリスビーを追いかけ、そして戻ってきたら誉められる。

「次を」

「じゃああっち」

 ともえはイエイヌが視線を向けたところ、次投げてほしいところに、ほどよく変則的に投げてくれた。ちょっと遠い、ちょっと速い。そんな風に。ともえなりに自分の体を確かめているように。

「えいっ!」

「おお、取れた!」

「投げ方が上手なんですよっ」

 その日はそんな風にけっきょくフリスビー投げを日が沈むまでして、くたくたに疲れた2人はその後ぐっすり眠った。

 次の日は朝から細かく雪が降っていた。2人はびょういんへ向かうのとは別の散歩コースを進んでいった。ある木の根本を嗅いだイエイヌは、警戒して告げる。

「セルリアンです。気をつけて、ともえさん」

「うん。食べられないようにしなくちゃ」

 臭いからはおそらく小型だと思われた。

「見つけました。隠れましょう。見えますか?」

「わ、赤い!」

 予想の通り、小型のセルリアンだった。1体。道を横切っていく。近づいてはこない。

「あれは小型です。石も見えていますし、わたしでもきっと倒せます。もし気づかれたらですけど」

「あたしはとにかく逃げる」

「はい」

 驚いてすくむということもなく、落ち着いてともえは答えてくれた。

「よく出てくる場所があります。わたしは臭いで調べます」

「あたしはほかのフレンズに聞いて覚えて、近づかないこと」

「そうです」

 訓練は大事だ、と真面目なイエイヌは思う。幸いセルリアンはそのままどこかへ行ってしまった。

 次の日とその次の日は風が強く、雪も降っていて、2人は家の中で過ごした。

「最近雪が多いです」

「よし、絵を進めるね」

 その次の日の朝、ようやく風と雪は止んでいた。晴れている日が貴重かもしれない。2人は再びびょういんを調べに行った。

「やった、地図があった」

「なるほど、これが地図ですか」

 前日に家でともえはスケッチブックに描いて見せていた。鳥のフレンズでもないのに、空から見ているようで、便利に思えた。ちほーと、ヒトの施設が簡単に書かれていた。

 ともえは他になにか便利なものがないか探しつづける。2人は車庫にてバイクを見つけるものの、バイクは動くことはなかった。

「これ、乗り物かな?」

「またがって滑り降りたら速そうです」 

「平らなところも走った気がする。あたしもイエイヌちゃんくらいの速さで走れたらなあ」

 そうこうしていると日も傾き始めてしまった。2人は帰る。家につくと、さわさわと雪を進む音がする。

「ボス!二人分じゃぱりまんください」

 じゃぱりまんを運ぶラッキービーストが家に来ていた。

「おお、これがボス、かわいい」

 近づいていったともえをラッキービーストが見上げる。新しいフレンズのときそうであるように、じっくり見て。

「ハジメマシテ、ボクは ラッキービーストダヨ、ヨロシクネ」

 そしてそうでないことをした。

「はじめまして、あたしはともえ、よろしくね」

「え?ボスってしゃべれたんですか?」

 イエイヌは驚いた。というのも今までラッキービーストが話しているのを見たことがないからだ。ただ彼女にとって、ボスはボスで、おそらくヒトに関係するよくわからないものの一つという位置づけではあって、不思議なことをしているのはいつものことではあった。

「…ケンサクオワリ。シンキトウロク。ボクは サプライの ラッキービーストダヨ。パークガイドの ラッキービーストは サトヤマチホーニイルヨ」

「さぷらいのラッキービースト?」

「ココは研究エリアダヨ。サプライのラッキービーストはフレンズにじゃぱりまんを配ルヨ。パークガイドのラッキービーストはパークを案内スルヨ。」

「パークに出かけたいと思ったら、パークガイドのラッキービーストに会えばいいんだね」

「ソウダヨ。サトヤマチホーニイルヨ」

「ありがとう!」

 断片的な情報を残して、ラッキービーストはまた雪の道をさわさわと進んでいった。

 

 イエイヌは家のキッチンから袋をもってきて、そして入っていた最後の2個のじゃぱりまんを取り出して、1つをともえに渡した。さきほどラッキービーストから受け取ったじゃぱりまんを代わりに袋に入れていく。とりあえず8個ある。

 2人はじゃぱりまんを食べる。明日はどんな天気かな。これからまた雪が振りそうです。そんな話をしながら。ラッキービーストってなんだろう。わたしたちはずっとボスって呼んでましたけど、おそらくヒトがつけた名前でしょうか。そんな話をしながら。

 こんなにも、新しい出会いと明日を、楽しそうに望む目を見ていられるのか。

「あたし、さとやまちほーに行こうと思う」

 じゃぱりまんを食べ終えて、ともえはそう切り出す。

「はい、ゆきやまちほーを越えていくことになります。ご案内しますね」

 イエイヌは驚かずに、そう答える。

「いいの!?あ、でも」

 ともえは驚いて、イスから立ち上がる。それはイエイヌが、家を守るのを使命と言ったのを覚えているからだろう。そう、1人ででも、行こうと思ったのだ彼女は。

 イエイヌはイスを降り、ともえの前にひざまずく。ともえが主人であるかのように。けれど。

「ともえさんは、…たぶん主人ではありません」

 ヒトの大人の男の臭いとシルエット、それが主人だ。あるいは傍らの黒い髪のヒトの女の子とも、ともえは違う。遠いあやふやな、けれどもきっと大切な記憶との齟齬を、忠実なイエイヌは無視できない。…シンキトウロクと、ラッキービーストがともえを新しいヒトだと、新しくじゃぱりまんを配る対象としたことも、過去の彼らではないことを示してしまっているようにも思う。

 ともえも同じようにひざまずく。イエイヌと目線があう。

「あたしは、イエイヌちゃんのともだちだよ」

 出会った日と同じ強さで、まっすぐにともえは言う。それは主人でないことの強い肯定だ。彼女なら、主人であったことを忘れることはないのだと、イエイヌはそう信じてしまっていいように思えた。

「はい。でもきっと、ずっと、待って、願っていたヒトです」

 何日も、何年も、ただただ使命として、叶うことを知らずにヒトを待ち続けてきた。かつての記憶の主人ではなくても、ヒトと共に生きることができるのならば。イエイヌのフレンズとして、これほど幸せなことはないのだろう。

「うん。あたしはいっしょに来てくれるなら嬉しいよ。いっしょに行こう」

 ともえはイエイヌの手を取り、立ち上がり、引き上げる。イエイヌは地に、家に、自分をつなぎとめていた心の鎖が、このともえと結ぶ手に変わったように感じた。だから、寂しさや畏れもない。

「はい、いっしょにずっと、かならずお守りします」

  ヒトを守ること。それは確かにイエイヌが命じられたことであり、ヒトとのすみかを留守にしてもすべきことであるはずだ。

 ともえに引き上げられたイエイヌの視界に、窓の外に降る雪が映る。部屋の明かりを反射して白く輝いている。最近の積雪だと、ゆきやまちほーを越えるのは、ともえ1人では心配だった。

 

 雪はその翌日も振りつづける。2人は地図を見て、さとやまちほーまでのヒトの宿泊所を確認する。危険な道はどこか。イエイヌの昔話。ゆきやまちほーに住むフレンズの話を2人はする。

 2人の旅の出発はさらにその翌日の、早朝。天気は晴れ。

「1週間ありがとう。これからもよろしくね」

 ともえはイエイヌを描いた絵をイエイヌに渡した。

「わ、すごい!」

 笑顔のイエイヌと、お茶を淹れるイエイヌが描かれていた。それと、文字。ともえが言うには、イエイヌの主人へ留守を伝える文が書かれているらしい。訪れたらわかるように、机の上に置いていく。きっとイエイヌの主人は見てくれるだろうか。

 イエイヌの主人へ。ともえと出かけてきます。イエイヌ。

 

 出会った日の朝のように、影が長く伸びる。

 真っ白な道に並ぶ足跡。

 



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第2話 ゆきやまちほー -1

 真っ白な道に並ぶ足跡。

 イエイヌとともえはイエイヌのなわばりであるせつげんちほーを離れ、ゆきやまちほーへ向かっていた。

 ともえがゆきやまちほーへ向かうのは、さとやまちほーに行くためだ。さとやまちほーに行くのは、ガイド機能を持つラッキービーストに会うためだ。ガイドラッキービーストを探すのは、ジャパリパークを旅をするためだ。旅をする理由は、…イエイヌには分からない。旅自体がすでにともえの「好き」、根源的な自発的な感情なのかもしれない。あるいは、イエイヌは、ヒトもヒトとの約束を大事にする動物だからこそ、忘れてしまった約束がともえの旅に関係しているのかもしれないと思う。

 イエイヌが一緒に行く最大の理由は、目覚めたばかりのヒトの女の子のともえを、守るためだ。それが本能と、使命だ。もう一つの理由は、ただ一緒にいたいからだ。ヒトと。ともえと。旅を楽しそうに語る目が、イエイヌは無視できなかった。ともえが遠くを望めば、本能がイエイヌに同じところを見るようにさせる。視界に入ってはいても意識することも忘れたものを、もう一度意識するのだ。発見の喜び。感情の同調。きっと自分にとっても楽しい旅になるという幻想を抱く。そして、おそらく幻想ではなく、予測、あるいは未来そのものなのだろう。…最後の理由は、独りで待つのはつらいからだ。

 せつげんちほーとさとやまちほーの地理関係は、鞍を挟んだ形をしている。2人の前には高い山脈が左右にそびえている。そこもゆきやまちほーと呼んでいるが、この山脈部は寒すぎる。フレンズも多くはいない。鞍点である丘、針葉樹林の広がる高度の低いところを、2人は越えていく予定だ。

 徒歩で体が温まり早朝の寒さにも慣れた頃、針葉樹林帯に入る手前にて、旅の最初の出会いは空からやってきた。

「おでかけですか?イエイヌさん、…と?」

「マガモさん」

 旅の最初の出会いは、マガモのフレンズだった。

「ともえです、よろしくね。マガモちゃん」

「はい、ともえさん、マガモです」

 シンプルな自己紹介がよかったのか、マガモは嬉しそうだ。

「あたしたち、これからさとやまちほーにいくところなんだ」

「旅ですね! 案内…したいところですが、私も旅の途中です、残念です」

 それでも同じ日に旅を始める仲間がいるのは、なんとなく嬉しかった。心強いというか。それはおそらくここのところ雪が続いたからだろう。

 マガモは少し寒そうに体を縮こませて言う。

「もうすこしあたたかいちほーへ渡ろうかと思いまして」

 マガモは夜に渡りを行う。日中の旅に付き合ってしまえばマガモ本人の旅が続かない。

「ちょっと最近寒いですね。そうだ、マガモさん。ともえさんはヒトなんです。わたしの探していた」

 ときどきこうして旅に出て、そしてまた戻ってきてくれるマガモに、イエイヌはヒトの情報について尋ねていた。

「わ、よかったじゃないですか。うん、たびさきでフレンズに伝えておきましょうね」

 マガモはイエイヌの意を汲んでそう答え、飛行を開始する。

「おねがいします」

「はい、おみやげ話ができてうれしいです」

「またね、マガモちゃん」

「はい、お二人とも、また」

 そう言い残してマガモは飛び去っていった。

 次の出会いはゆきやまちほーの針葉樹林帯に入ってしばらくしたところだった。鬱蒼と、まではしてはいない林だが、起伏もあるためせつげんちほーに比べて視界が悪い。イエイヌはいっそうにおいにも気を配っていた。だからこそだろう隠れているものに気づくのが早かった。

「そこにいるのは、…ホワイトライオンさんですね」

「はわわ、雪の中でもみつかるとは、さすがイエイヌさんです」

 ともえをかばうように念のため前に出たイエイヌの前方、雪の塊からホワイトライオンが現れた。もっともイエイヌの視線の先とホワイトライオンの現れた場所は違っていて、しっかり隠れられていたわけだが。

「ともえです。白い、もふもふ。全然気づけなくて驚いちゃった」

「ホワイトライオンです。誉めてくれてうれしいです、ともえさん」

 ホワイトライオンは雪の中に隠れるのが好きなようだった。

「ボスを脅かそうとして、寝ちゃって、気づかれなくてじゃぱりまん食べそこねたりします」

 そして自虐なのか自慢なのかよくわからない自己紹介をするのだった。

「2人はいってらっしゃい。ボスを待ちますー」

 そしてまた雪の中に隠れ始めるのだった。

「いってきます、ホワイトライオンちゃん」

「いってきます、寝ちゃだめですよ」

 そう別れてしばらく歩いて振り返ってみれば、やっぱりどこに隠れてしまっているのかわからないのだった。

 

2

 そして3度めの出会いは、ホワイトライオンと別れて1度朝の休憩をして、日も高くなってきたところだった。休憩のポイントは地図通りだ。道は間違えていない。それに何度かイエイヌも通ったことのある道だ。このまま予定通りなら、ヒトの使っていたとされる小さな小屋へ、お昼後には着くだろう。そう思っていた矢先であった。

 あるはずの渓谷にかかる橋がなかった。

「ええー!」

「橋がありません!」

 ともえが見下ろすと、そこには橋であっただろうものが雪に埋もれていた。イエイヌもつられて下を見る。…高さがある。周囲も、ちょっと無理して渡れそうなものではない。

「別の道から行きましょう」

「うん、まだまだ歩けるよ」

 頼もしい表情のともえ。その時。

 近くの茂みから音。飛び出す影。

「――ともえさん!」

 橋に気を取られていた。こんなに近くに。セルリアン!?

「え、あ、」

 茂みから、ヒトの背丈ほどの高さに跳躍した影。速い。視線で追う。薄暗い森で輝く金色の目とともえの目が合う。2つ。攻撃的な、狩るものの、射抜く黒い瞳にともえ自身が映る。間に入ろうと飛び出すイエイヌも映る。そこで目の輝きが急に静まる。

 何かに驚いたかのように。何かに気づいたかのように。…あるいは我を取り戻したかのように。

 飛び出してきた大きな人影は空中で器用にバランスを取って、ともえの前に4つ足で着地した。

 それはフレンズに見えた。虎のフレンズだ。落ち着いた優しい目だ。けれど何か困惑も目に宿る。直立姿勢に戻りながら、彼女はガオッと吠えて、喉を抑える。

「アムールトラさん、ひさしぶりです」

 虎のフレンズの姿を認めたイエイヌは警戒を解く。

「待ってー」

 茂みのむこうからガサガサと音を立てて、もうひとりのフレンズの声がする。新しく現れた影は、

「マンモスさん」

「あ、イエイヌちゃん、ひさしぶりです」

 あたたかそうな毛皮を身にまとった、マンモスだった。アムールトラは抑えた手を胸の高さまで下ろして、頼るような視線をマンモスに向ける。

 身をこわばらせたのは一瞬で、落ち着いた優しい目を見たともえは、持ち前の好奇心ですでに目を輝かせていた。イエイヌの横に出る。

「あたしはともえです。はじめまして。アムールトラちゃん、マンモスちゃん、よろしくね」

 深くうなずくアムールトラ。

「こちらこそはじめまして、ともえちゃん。アムールトラちゃんは今、言葉が出せないかぜを引いているんです」

「そうなんだ。無理しないでね」

 喉の抑え方は痛々しかった。そういう風邪もあるのだろうか。イエイヌにとっても初耳であった。

 深くうなずくアムールトラ。言葉を出さなければ平気らしい。よかった。

「おふたりにまた会えてうれしいです。そうだ、さとやまちほーに行ける道をごぞんじですか?」

 橋が落ちたのは最近のように思われた。ただ2人はここに過ごすフレンズだ。詳しいだろう。

「ここ壊れたのですねー。向こうの道から行けます。それに今日はユキヒョウちゃんの巣に泊めてもらうといいと思いますよ」

 答えはあっけなく得られた。渡りに船とはこのことだろう。

 三度深くうなずいたアムールトラは、率先して歩き出す。うでが大きくしっかり振るからか、王者の虎が4つ足で歩くような威厳が感じられる。そして手でともえとイエイヌを招く。ともえはもう警戒心なくアムールトラについていった。

 

 

 マンモスとともえ、そしてイエイヌが会話し、先行するアムールトラが時々振り返って静かにうなずく。歩きながらおおよその位置を聞いてみると、実はユキヒョウの巣は、ヒトの簡易宿泊所らしい。ともえの持つヒトの地図の印と一致しているようだった。

 4人はお昼ご飯の休憩を取る。食べてゆっくり横たわるアムールトラ。目を閉じる。

「アムールトラちゃんを知りたいな。アムールトラ。体が大きく、寒い地域で過ごすトラ。群れをつくらず茂みから跳びかかって狩りをする。力が強く、大型の草食動物なども単独で倒すことができる。ネコ科では珍しく水浴びを好み、泳ぎも得意とする」

 アムールトラは、耳をぴくぴくとさせて、特に否定もしない。合っているのだろう。

「それは、本ですか」

 マンモスが興味深そうに尋ねる。

「動物図鑑だよ。フレンズの元の動物のことが書かれているの」

「ともえさんはヒトなんです」

 アムールトラが首を持ち上げてともえをじっくり見る。驚いたように。マンモスは、

「イエイヌちゃんが探していた動物!良かったですねー」

 マフラーと腕でイエイヌを抱きしめた。

「はぐぅ。ありがとうございます。ともえさんは、文字もたくさん読めますし、すごいんですよ!」

「えへへ。うん、そしてともだちの印をつけていくんだ」

 ともえは動物図鑑のアムールトラのページに丸を描く。

「アムールトラちゃんは、セルリアンハンターなんです。なんでも、変な粘液にやられてしまったとかで言葉が出せないんです。元々お喋りではないですけれどもね」

 動物図鑑はフレンズ図鑑ではないのだ。アムールトラの代わりにマンモスが彼女の紹介をした。少し照れくさそうに、アムールトラはまた頷いた。

 図鑑の説明をともえは読み上げた。大きな牙の説明で、長いもみあげをマンモスは自慢する。自分の好きなところが書かれている図鑑か。いや、逆か、特長が自分の好きなところになるのがフレンズなのか。

「いいなあ。こんな風にわたしも、ともだちのことまとめてみたいですー」

 マンモスを含むゾウのフレンズ達の記憶力はよい。ヒトを探すイエイヌは何度となく彼女たちを頼ってきていた。そしていつも彼女たちはそれに答えようとしてくれていた。覚えることが好きなのだろう。

 



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第2話 ゆきやまちほー -2

3

「わらわはここから雪景色を眺めるのが好きでの、ともえにもお勧めじゃ。今日は泊まっていくとよい」 

「ありがとうユキヒョウちゃん」

 針葉樹の森を登っていった先に、ユキヒョウの巣はあった。木造の家屋。4人くらい住めそうな広さだが、調度品はほとんどなく、宿泊所、臨時的な拠点といった方がよいだろう。壁は厚く、窓も調理場に1つ、明り取りの窓が2つと、小さく少ない。けれど、向かいの山に向かった側だけ、縁側が設けられていた。厚い引き戸。おそらく建てた者も、ユキヒョウのようにこだわりがあったのだろう。

 向かいの白い山に雲がかかる。眼下の白化粧した森。

 縁側で4人を迎えたのは灰色の着物を着たフレンズ、ユキヒョウだ。マンモスに簡単に事情を告げられた彼女は、快く宿泊の許可をした。気に入った雪景色の見られる場所に滞在しているだけで、ユキヒョウ自身のものという意識はないらしい。ゆきやまちほーの外のフレンズと会うのは珍しいのだと、ともえとイエイヌを歓迎した。イエイヌも会うのは初めてになるフレンズであった。

「わたしは走り回りたくなります」

「あ、あたしもー」

「ふふふ」

 自分と異なる反応が面白いのか、ユキヒョウはそう静かに笑うのだった。長旅の後だというのに元気だ。あるいはだからこそ長旅をするのか。

「マンモスちゃんはどう?」

「晴れた日の雪景色ですか?…のんびり出かけたくなりますね」

 その質問自体が意外なようで、けれど自分の中に答えのあったマンモスは嬉しそうだった。

 アムールトラはユキヒョウと同じが答えだと言わんばかりに、座るユキヒョウの後ろに寝そべりウインクをする。

 日差しが暖かい。

 

 お昼寝を始めたアムールトラとユキヒョウにつられるように、イエイヌもうとうとしていた。動物図鑑の、アムールトラとユキヒョウがどちらもトラ属であることをともえとマンモスが話している声がしていた。それから心地よいペンの走る音がする。インクのにおい。ともえのそばで自分だけ眠っているときと、条件づけられてきて、それだけで幸せをかみしめそうになる。10分?20分?そんな時間が経つ。

「それはなんじゃともえ?」

 静かに尋ねるユキヒョウの声がする。

「これは絵だよ。雪景色を描いているの。残しておけるんだよ」

 静かに答えるともえの声がする。

「面白いフレンズじゃ。よきかな。特に今日は雪が一段と深いのじゃ」

 ヒトを知らないユキヒョウは、素直な感嘆をともえに告げる。キレイじゃのう、とそのまま雪に感嘆する。

「はい、覚えている中で一番雪が積もっていますねー。寒いから溶けないで積もっていっているみたいです」

 静かに語るマンモスの声がする。と、ペンの走る音が止まった。

「それで橋が落ちたのかな」

 静かにつぶやいたともえの声は、ゆきやまちほーの雪に吸い込まれていった。

 イエイヌは体を起こして、ともえの顔を見る。マンモスと、ユキヒョウと、同じように起き上がったアムールトラとも目が合う。

 そしてミシッと音がして5人は天井を見上げる。ミシッ。

「ユキヒョウちゃんの巣の雪下ろしって、しないといけないかも? ううん、泊めてくれるお礼にさせてほしい!」

 お昼寝タイムは終わり。雪下ろしの時間が始まった。

 

「屋根の上から雪を下ろす役と、下で雪を運ぶ役があるんだ」

「高いところは得意じゃ。屋根の上はわらわとアムールトラに任せるとよい」

「おねがいします。わたしは運ぶのは得意ですねー。下で雪を運びます」

 ユキヒョウとアムールトラはするすると屋根に登り、爪で雪を切り分け落としていく。次々に積み上がっていく雪を、マンモスはあっさり運んでしまう。

「わ、すごい」

「ね、すごいですね」

 イエイヌも下で雪を運ぶ役目だ。まずはマンモスの運ぶ道を歩きやすいように寄せていく。マンモスが雪を動かすが、それでも降りてくる雪のほうが多そうだ。がんばらないと、とイエイヌは思った。

 ともえは自分も何かできないか家の中を探すことにした。ここはヒトが使うことを想定した宿泊所だ、それだったら。屋根で待ちになっているユキヒョウに一度来てもらう。2人は土間にスコップとそりを見つける。それから、壁に書かれた見取り図。間取りと思われる四角い図形に、それらをつなぐような線の連結。ユキヒョウは覗き込み、わからないと仕草で示した。

 しばらくして、イエイヌのところにスコップとそりを持ってともえが帰ってきた。成果はあった、という笑顔でともえは手をふってくる。ヒトが雪下ろしのために使っていた道具なのだろう。

「あたしも集める、イエイヌちゃんがそりで運んでくれる?」

「はい!」

 イエイヌはそりにつながる頑丈に編まれた縄を体にかけてみる。それで引っ張ってみるとどれだけ雪がのせられていても運べそうな気がした。これで雪を遠くまで運ぶことができる。屋根組とのバランスも取れるだろう。すっと屋根に跳びのったユキヒョウが満足げに言う。

「わらわたちも退屈せずにすみそうじゃな」

 バランスを取って雪を下ろす。うまく集めて雪を運ぶ。雪下ろしはその身体能力の高さから危険の少ないフレンズたちには、面白い催しものになった。とはいえもちろん重労働でもある。各々は適宜休憩を取りながら雪下ろしを進めていく。

 ようやく屋根の1面が終わろうというところだった。イエイヌがそりを引いていると遠くから休憩中のともえの声がした。

「イエイヌちゃーん、みんなー、ちょっとこっち来てくれるー?」

 家の裏手から駆けて出てきたともえが手をふってイエイヌに、マンモスに、そして屋根の上のユキヒョウとアムールトラを呼びかける。

「はい、どうしました?」

 家の裏手になにかあるのか。イエイヌが向かってみる、ともえは隅の方に走っていき、そして、何かの前にたった。ともえの前には地面から突き立った金属の管。

「ここね、温かいんだ。このバルブを回すと熱い蒸気がこの管を通って天井を回って、雪が溶けるみたい」

「ほうほう、…すごいですね」

 イエイヌはともえの指し示す指の先と視線の先を追ってみる。様子を見にこちらの屋根に来ていたユキヒョウとアムールトラと目が合う。お湯を流していく感じだろうか?でもお湯が天井に登るのはなんでだろう?蒸気だから?蒸気ってええとお湯から出ているものだったか。なんであれ熱いものが流れるなら雪が溶ける、と思われる。たしかに雪が溶けるならすごい。

 ユキヒョウとアムールトラが屋根から降りるのを見届けて、ともえは力強く宣言する。

「回してみるね」

 ともえがバルブを回す。キリキリと鳴る音に混じって、小さくコォっと音がなる。バルブの先のパイプの周りの雪が白から透明に変わる。雪が溶けていく。

「ともえちゃん、氷が溶けてますねー!」

 すると、このまま屋根からずるずると雪が落ちてくるのだろうか?そうイエイヌとマンモスが期待したところだった。彼女らの鼻が異常をとらえる。

「温泉のにおいがします、もれているのかも」

 臭いをおって走り出したイエイヌをマンモスが追いかける。やっぱり屋根の上だ。イエイヌがどこから登ったものか迷っているとマンモスと目が合う。

「いきますよーっ」

 マンモスは、イエイヌのふともとをつかんですっと持ち上げ、投げ上げた。屋根の上に4つ足で着地するイエイヌ。イエイヌは臭いを、パイプをたどっていく。

「ユキヒョウちゃん、このパイプってほかにあるのかな」

「このつつに意味があるとはのう…、あっちじゃ」

「見つけましたー!」

 イエイヌの言葉を受けて、ともえは一度バルブを閉じてユキヒョウの案内する家の中へ向かった。それから間もなく交換用のパイプや止め具と、それから必要な工具を見つけることができた。

 屋根の上にマンモスの助けを借りて上がったともえと、アムールトラ、イエイヌで、漏れた箇所の修理をする。不安定な屋根の上でパイプを持つのはアムールトラ。漏れた箇所を示すのはイエイヌ。修理をするのはともえだ。万一のためにマンモスが下で待機していてくれている。

 屋根の上からはこうげんちほーと、向かいの山と、そしてさとやまちほーが望める。

「よし、今度こそ。ユキヒョウちゃんお願い!」

 ユキヒョウがバルブを回す。イエイヌはにおい漏れがないことをうなずいてともえとアムールトラに伝える。

「どれ、暖かくなってきておるのじゃ」

「ではでは、落ちてきた雪に潰されないところで待ちましょう」

 屋根の3人も降りて離れ、5人は待つことにした。日差しが暖かい。屋根の上の雪が滑り落ちていくのは、それから長い時間はかからなかった。どさ、どさと落ちていく雪を見て、5人は喜ぶのであった。

 

 屋根から下ろした雪を片づけた頃には、山の夕暮れは早かった。あっという間に夜。

 朝早くから旅をしてきたイエイヌとともえは深く眠りについていた。よりそって眠る2人を夜行性のアムールトラとユキヒョウ、そしてマンモスが優しく見守る。

「みんなありがとうなのじゃ。ともえは不思議な動物じゃなあ」

 ユキヒョウは寒くないようにと、ともえとイエイヌの腕を抱く。

「イエイヌとともえは、明日早くに出発するそうじゃ。わらわはそうじゃなあ」

 ユキヒョウの確認をするような視線に、アムールトラとマンモスは笑顔でうなずいた。

 

4

「慣れぬ道じゃろう、わらわたちが案内しよう」

「ありがとう、うれしいな」

 翌朝、ユキヒョウの巣を5人は出発する。ユキヒョウとアムールトラが先行する。こうげんちほー、ゆきやまちほー、さとやまちほーを結ぶ元あった橋のある道と違って、踏み固められていない針葉樹林の下を進む道だ。ユキヒョウとアムールトラは大きな尻尾で不安定な場所でもバランスを取りながら、岩場を跳び跳ねて進む。そうしてともえとイエイヌの歩きやすい道を教えてくれる。倒木があればそれをマンモスとアムールトラがどかす。

 山道はそれでも過酷だ。小さな泉のそばで休憩を取る。早めのお昼となった。

「ともえちゃんはお食事後も絵を描いたりできるんですねー」

「うん、あの景色の絵と、3人のことも描いておきたいんだ」

 食後にのんびりとくつろぐ4人と対照的に、ともえは熱心に絵を描いていた。ともえは休憩で絵を描くのだ。イエイヌには、自分がうとうとする合間で大きく進んでしまうともえの絵は、例えるなら魔法のような、否、ヒトの不思議そのものに感じられた。

「どれ、あの絵は完成したのかい」

 ユキヒョウがともえの正面から4つ足で近づくと、ともえはスケッチブックを裏返してユキヒョウに見せる。自信作のようだ、目が輝いている。

「うん」

「ほう、よく出来ておるな」

 縁側で雪景色を見るときと同じように、ユキヒョウの目も輝く。

「それでね」

 いいかけたともえをユキヒョウがさえぎる。

「絵を見て、この景色とわらわのことたびたび思い出すのじゃぞ。旅の先のフレンズにも見せてやるとよい。そしてまたこの絵と、いろんなともえが描いた絵を見せにくるのじゃ」

 輝いた目のまま、ユキヒョウは楽しそうに、そうともえに告げた。

「…うん、わかったありがとう」

 ともえが抱えるスケッチブックには、昨日のゆきやまちほーと3人のフレンズが切り取られていた。

 

 3人の案内のおかげで、イエイヌとともえは渓谷を渡る橋を無事見つけることができた。ここが3人との別れる場所になる。

「ありがとう、ユキヒョウちゃん、マンモスちゃん、アムールトラちゃん。またね!」

「いってらっしゃい、また会いましょう」

「たっしゃでな」

「どうもありがとうございました」

 暖かな日差しの下、ユキヒョウ、マンモス、アムールトラの3人は、イエイヌとともえが見えなくなるまで手をふり続けた。

 見えなくなったところで一息ついてユキヒョウは上げた手をそのまま伸びをする。

「わらわは帰って寝るのじゃ」

 あくびをするユキヒョウに、アムールトラもあくびで応える。伝染ったようだ。3人は笑う。

 

「つぎ会えたときはアムールトラちゃんともおはなしもできるといいな」

 ともえはふりかえる。けれどももう橋も3人も針葉樹林の奥で見えない。

「はい、やさしい方ですよ」

「うん、さとやまちほーではどんなフレンズとともだちになれるかな。ガイドのラッキーちゃんも」

 向かう先は緑の山。振りかえれば白い山。

 隣には笑顔のともだち。冒険をして気づく、2人だと心が温かいと。




ようやくともえちゃん像がかたまってきました。
1話がイエイヌのお話なら、2話がともえのお話。
絵を描かせるために休憩が多くなってしまうのですが、この辺りやっぱり難しい。


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