カースト上位の腐女子な彼女 (颯月 凛珠。)
しおりを挟む

プロローグ

 ──スクールカースト。

 

 語源はヒンドゥー教における身分制度。その頂点に君臨するは僧侶や司祭など、その国を支配する上流の人々だ。その制度に見立てて、学校での生徒間の序列を人は皆そう呼んでいる。

 そのカースト上位に所属する生徒は、いわば陽キャの中の陽キャ。オタク気質な男女はおらず、クラスのリーダー的存在である。彼らの存在がそのクラスの明暗を分けると言っても過言ではない。

 つまり、彼らの言うことは絶対。従わなければクラス全員を敵に回すことになる。そんな恐怖を一高校生が耐えられる訳もなく、皆心の中では否定しつつも、表では肯定して、そのしきたりに従わなければならない。

「おはようございます、海斗くん」

「おー、美奈おはよう」

 ただ朝の挨拶を交わしただけなのに、輪の外側の生徒達がチラチラとそちらに視線を向ける。その視線の先には、男女三人ずつの計六人組がいた。彼らこそが、このクラスのカースト最上位の面々だ。

 彼らの生態としては、親しげにファーストネームを呼び合い、ボディタッチは日常茶飯事。スカートは膝上二十センチが当たり前。パンチラさえもネタにして、互いに弄って笑い合っている。

 挙げたものだけを見ても、決して耳ざわりの良いものでは無いだろう。だが、思春期真っ盛りの高校生達にとっては、異性と話したり触れ合うことは、RPGゲームでいうレアな武器や防具を身につけて見せびらかすこと。つまり一種のステータスであり、自慢要素なのだ。

 自慢が出来た方がモテる。こういう浅はかな考えを持つのが思春期の学生というものなのだ。

「ねぇタクくん! シュタバの新作見た? 絶対映えると思うんだけど、今日の放課後行かない!?」

「へー、新作出たのか。でも悪い、パス。今日はバイトなんだ」

「えー! いいじゃん! バイトなんかサボっちゃいなよ〜!」

 だから皆当たり前のように自分を売る。自分と一緒にいることはステータスになるぞと、身体を使って、言葉を使って表現するのだ。

 俺の傍らにいる女子の邪魔にならないように気を付けながら、彼らのその光景を眺める。

「カズくん達はどう? 一緒に行かない?」

 そんな俺の視線に気付いたのか、一人の女の子が短いスカートの裾を翻して、俺の机に両手を叩き付けてくる。俺は内心では「うるせーな……」と思いつつ、表面上は笑顔で返事を返す。

「あー、悪い。今日はヒナと約束があってさ」

「ごめんね、優子ちゃん」

 俺の机に腰を下ろしている女子生徒──ヒナが、申し訳なさそうに手を顔の前に立てる。

 俺達の返事を聞いた女の子は、心底残念そうに頬を膨らませると、

「そっか〜。ヒナちゃんとカズくんが来れないなら今日はやめておいて、次みんなで行ける時に行こ!」

 と、次の約束を取り付けるかのように声を上げていた。その声の大きさに、本を読んでいた数人の生徒がビックリしたように顔を上げて、こちらを見ていた。

 別にここにいる六人に聞こえる程度の声の大きさで良いと思うのに……こういう所でもこの手の女子は目立とうとするのか。

 彼女に変わって心の内で彼らに申し訳ない、と謝っておく。

 頭上では、ヒナが「アハハ……」と困ったような笑顔を彼らに向けていた。彼女もきっと同じ気持ちだったのだろう。

 俺は一つため息混じりに息を吐いた後、未だに俺達の返事待ちの優子に向かって、まるで猫を追い払うかのように手の甲を前後に揺らす。

「予定が合えばな。ほれ、授業始まるからはよ席戻れ」

「むぅー、カズくんが冷たーい!」

 優子があざとく頬を膨らます。

「和樹くんが冷たいのは、いつもの事だと思いますよ」

 優子に席に着くように指示を出していただけなのに、いつの間に近付いていたのか、美奈と呼ばれていた女子生徒が、優子の隣で口元に手を当てて、まるで俺を悪者扱いするかの様な目でクスクスと笑っていた。

「……それは聞き捨てならないな」

 そんな彼女に、俺は苦笑い気味に返事を返す。

「あら、ごめんなさい。怒らせちゃいました?」

 数瞬前までは笑っていたのにも関わらず、今度は目元に涙を溜めてウルウルとし出す美奈。その表情は、上気した頬と相まってとても高校生とは思えない魅力を醸し出しているようにも思えた。

「いや、全然。ほら美奈も、さっさとカバン置いて席に着けって」

 でもまぁ、どうせあれもこれもこいつの演技だから、それさえ分かっていれば気に留める必要も無いのだが。

 俺がテキトーにあしらったことが気に食わなかったのだろう、彼女は直ぐに涙を引っ込めると、ハァーっと深くため息をついて、コチラをじろりと睨みつけていた。同時にその妖艶な魅力も消え去り、高校生然とした雰囲気へと戻っていた。

「むぅ……。やっぱり和樹君には効きませんね。まぁ、いいでしょう。今回は素直に従います」

「いつもそうしてくれ」

 ハイハイ、と適当な返事をしながら自分の席に戻っていく美奈。ホント、見た目と中身のギャップが凄まじいやつだな……。

 机に置いてあった鞄を机の横に掛け、頬杖をつく。先程まで俺の席の近くにいた皆は、俺が美奈と話している間にいつの間にか解散していたらしく、ヒナを合わせた全員が自分の席で自分の好きなことをしていた。

 一番後ろの席で彼らの背中を見る。

「一緒に居るといい奴らなんだけどなぁ……」

 周りに聞こえないように注意しながら、深くため息をつく。

 スクールカースト。現代の若者が生み出してしまった、学校生活における身分制度。

 ──俺はそんな身分制度の、最上位に位置している。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カースト上位の隠しと賭け事。

どうも、颯月凛珠。です。初めましての方は初めまして。過去作を見てくださっていた方はありがとうございます。
今回は久しぶりの連載型のオリジナル小説を投稿していこうかなっと思っております。いつも通りプロットも無く、自由気ままに書いており、まだまだ拙い文ではございますがどうぞ、ご愛読のほうよろしくお願いいたします。
それでは、どうぞ。


 キーンコーン……と告げる授業終了を告げる鐘が鳴る。

 

 その音で我に返った。どうやら、いつの間にか寝ていたようで、ノートには歪な黒い線が縦横無尽に駆け巡っており、いかに自分が変な寝方をしていたのかを物語っていた。消そうにも下の文字を覆うように引かれていたので、ため息をついて断念した。後で誰かに見せてもらって書き直すとしよう。

「諦めも肝心」と教科書を閉じ、背もたれに寄りかかってグッーと伸びをする。流石に腕を上げて大胆に伸びをするのは、鐘が鳴った今でも教授を続けようとしている世界史担当の教師にこっ酷く叱られるだろうと思い、やめておいた。

 開け放した窓から心地良い風が入り込み、俺の頬を柔らかく撫でる。

 その風を受け、窓の外へと視線を移す。

 風は、俺が思ったより強く吹きさらしているらしく、運動場の片隅に宿る木々の枝を激しく揺らし、舞い上がる砂ぼこりと相まって、まるで一緒にダンスを踊っているかのようにも見えた。俺はその光景をただ観客のようにボーッと眺めていた。

 

 しかし、それもつかの間のことで、風はすぐに止んでしまった。その事に少しの寂寥感を覚える。

 

 

 

 教師の授業はまだ続いていた。授業終了のチャイムが鳴ってから既に三分は経過しているんだが……。

 諦めた手前、また教科書を開いてノートを取るのも面倒なので、まだ授業を続けるであろう残り数分は、やはり窓の外を眺めることに徹した。

 流石に正午を過ぎると陽も高く、最近の気温上昇と相まって冬服では暑さを感じるほどだ。

 だから最近は学校指定のブレザーを羽織ることも少なく、既に数人の男子は長袖のワイシャツの袖を折って、夏服のように着こなしていた。女子の間でも、ブラウスを着ることもなくなり、ワイシャツの上にそのままブレザーを羽織るというスタイルが目に見えて増えてきている気がする。現に、運動場前のベンチでお弁当箱を広げて談笑している女子生徒達も、ブレザーの下にワイシャツだけの簡素な様相をしていた。

 そろそろ厚ぼったい冬服ともしばしの別れをしなければならない時期になっていると、ひしひしと痛感する。

 

 ウチの高校の女子の制服は、紺を基調としたブレザーで、スカートは灰色。ピシッと揃えられた折り目は、清楚感を醸し出すには十分なもので、ハッキリ言うとめちゃくちゃ可愛い。それは男女共に認める事実だ。だから、それ目当てでこの高校を志願する生徒も多く、その影響か校内はその制服に見合う華のある女子ばかりだ。

 

 つまり、俺ら男子からすると眼福の極みであり、勉学や理不尽な学校生活へのモチベーション維持にもなっていたのだ。それらが季節のせいで見れないとなると、些かながら残念な気持ちになるのは仕方がないことであろう。

 

 

「この年ローマは五賢帝時代の中で最大の領土を統治する事になり……」

「せんせー、もうチャイム鳴ってるんですけどー」

 

 その声に、窓から教室内へ視線を戻すと、人の列の中の誰かが教師に向かって文句を言っていた。それに乗じてか、数人の生徒が調子づいたように言葉を続ける。

 

「時計の見方分からないんですか〜?」

「早くご飯食べたいんだけど~」

「授業時間割にちゃんと従ってくださーい」

 

 私語厳禁で静寂に満ちていた教室が、途端に耳が膜を帯びるほどの騒音に包まれる。皆が比較的興味ない世界史で、しかも四時間目なのだ。大事な昼休みがそんなことの為に削られてしまっては、皆の反感を買うのは必然だろう。

 

 その騒音の中で、ある者は夢の中から引き起こされて眼を擦り、ある者は「やってらんねー」という風に教科書を投げ込むように仕舞い、見覚えのあるやつに関しては弁当箱を構えて今にも席を立とうとしていた。いや、お前に関しては準備早すぎだろ。

 

 ここまでの批判を受けてもなお、教壇に立つ教師は話し足りないのか、黒板と時計を苛立たしげに交互に睨みつけていた。しかし、生徒たちにはもう授業を受ける気がないと分かったのだろう、大きくため息をつくと、

 

「……今日は終わり。次の授業までに今回の復習をしておくように」

 

 と、不機嫌そうに荷物をまとめて、黒板も消さずに教室を後にしていった。

 

 その瞬間から椅子や机が一斉にガタガタと動く音が鼓膜を震えさせる。やはり皆お腹が空いていたのだろう。教科書を片付けるのももどかしく、いつものグループで机をくっつけて、あれやこれやと談笑を開始していた。

 

「ごはんだー!」

 

 俺もみんなに倣い、机の上に置いてあった世界史の教科書を机の中に仕舞っていると、ものの一番に昼食の準備を終えていた女子生徒が、そのグループ群の間を縫うように走り抜けて俺の机をバンッと叩く。

 

「ほらみんな、早くごはん食べよ!」

「分かったから耳元で叫ぶな。あと顔近い」

 

 顔と顔が触れ合う寸前まで接近してきたので、顔を背けつつ息が当たらない程度まで距離をとる。

 

「別にこれくらい普通だよ? ほら、さっさと机の上片付けて!」

 

 彼女──真澄優子は男女間の間柄を全く気にしない、言わば性に無頓着な子だ。それに加えて、素直で分け隔てなく誰にでも話しかけ、極めつけには無駄に明るいため、よく男子を勘違いさせているらしい。

 

「優子、そんなにカズにベタベタしてると瞳奈子ちゃんに殺されるぞ?」

 

 そんな俺らを見兼ねた拓海が、小柄な優子の頭をポンポンっと撫でつつ、さり気なく彼女を俺から遠ざけてくれる。

 

「んにゃ、頭ワシワシするな〜! 私は子供じゃなーい!」

「とか言いつつ結構嬉しそうだな」

 

 俺のツッコミにアハハっと笑いつつ、その手を止めることの無い拓海。対して優子は少しだけ頬を赤くしつつ、近くにあった椅子に不機嫌そうに腰を下ろした。

 

「流石拓海。よく飼い慣らしてるな」

「だろ?」

 

 自慢げに胸を貼る男子。いや、マジで飼ってんのかよ。

 

 俺の前の席を移動させて机同士をくっつけると、いそいそと弁当箱の包みを開き始める二人。次いで二人同時に「いただきます」とあいさつをすると、優子は女子とは思えないくらい豪快に、拓海は手のひらに収まるくらいのおにぎりにかぶりついていた。俺はそれを頬杖を突きつつ欠伸をしながら眺める。

 

「ってか和樹今日は弁当じゃねーの? 無いなら早く購買行かないと売り切れるぞ?」

 

 口をもぐもぐと動かしながら拓海が俺に問う。

 

「ん? 弁当だよ」

「んじゃあ、早く食べろよ。あの根暗眼鏡のせいで、ただでさえ昼休み削られてんだから」

 

 そう言いながら、弁当箱をつつく拓海。根暗眼鏡とはあの世界史教師のあだ名だ。縁の大きい黒メガネに、目が隠れるほど長い前髪。何かを決めるときに優柔不断でオロオロしだすせいで、彼は生徒からそう呼ばれている。

 

「あるっちゃあるが、今俺の手元にはないんだよ」

「と、言うと……?」

 

 優子が首をかしげて、頭にはてなマークを浮かべる。

 

「要するにヒナが──」

「カズくん」

 

 俺の言葉を遮る聞きなれた声に、後ろを振り向く。そこには両手に持った包の片方を俺の方に突き出している瞳奈子の姿があった。

 

「お待たせ」

「ん。サンキュ、ヒナ」

「いえいえ。たまーになら、今日みたく作ってきてもいいんだよ?」

「それは味次第だな」

「なにそれひっどーい」

 

 瞳奈子が口元を軽く押さえて、コロコロと笑う。彼女は自身の弁当箱を俺の机の上に音もなく置くと、隣の子に「ごめん、机借りてもいい?」と了承を取ってから、埃を立てないように慎重に机を運び出す。許可もなくいきなりドカッと座ったどっかの男女二人とは大違いだ。

 

「なるほどなぁ、和樹は愛妻弁当かぁ」

 

 拓海が羨ましそうに呟く。

 

「愛妻ではないけどな」

 

 それに対して、ツッコミを入れながら、弁当箱を開く。

 

 中にはハート形にケチャップが乗ったハンバーグやきんぴら、ハムやレタスなど、栄養の事も愛情の事もきちんと考えられた、いわゆる百点満点の光景が繰り広げられていた。その内容の良さに、拓海と優子が「おぉ……」と感嘆の声を上げる。

 

「え、えへへ……ちょっと頑張っちゃった」

 

 瞳奈子が自分の髪をクルクルと指に絡めながら、恥ずかしそうに呟く。小さい頃からの、彼女の照れ隠しの癖だ。

 

「これを愛妻と言わずになんというんだ?」

 

 拓海に震える声でそう言われて、うーんと首を捻る。

 

「……なんだといわれても、ただの弁当だろ」

「和樹くんって中々酷い方ですね」

「うおっ!?」

 

 誰もいないと思っていた背後から声がして驚いて振り向くと、午前中の授業に参加していなかったはずの女子生徒が蔑むような顔をして俺を見下ろしていた。

 

「あら驚かせちゃいました?」

「おー、美奈。仕事おつかれさん」

 

 拓海がそう言うと、蔑み顔から一転、彼女は「ありがとうございます」と可愛らしくニコッと笑うと、スカートの裾を抑えつつ、瞳奈子の隣の誰も使ってない椅子に姿勢よく座った。

 

 彼女の名前は柏崎美奈。可愛らしい声音で物腰は柔らかく、長く伸ばした黒髪も相まって、学校中の男子から『女神様』と奉られている。しかし彼女はそのことに嫌悪感を抱いているらしく、奉っている男子とは会話もしたくないと憤っていたが。

 

「もうすぐクランクアップなんだっけ?」

「はい、明日の撮影で私の出るシーンはすべて終わりですね」

 

 彼女は最近注目を集めている女優で、今度有名な監督の映画に出演するそうだ。今日はそれの撮影だったらしく、顔に少しだけ疲労の色が見える。

 

「あんま無理するなよ」

「……可能な限り、体調には気を付けていますよ」

 

 拓海の心配に、拗ねたように唇を尖らせ。ぶっきらぼうに言う。多分俺らには分からない苦労やストレス、何より女優としての彼女なりのプライドがあるのだろう。

 

「それにしても、瞳奈子ちゃんが急にお弁当作ってくるなんて珍しいですね」

「うぇ!? そ、そうかな?」

 

 急に話を振られて、瞳奈子が驚いたように言う。

 

「少なくとも私が学校に来ているときは一度も見たことがありません」

「確かに、言われてみればそうだな」

 

 美奈の言葉に、拓海が卵焼きを一口で頬張りながらウンウンと頷く。

 

 彼らの問いかけに対し、瞳奈子は手に持ったお茶のペットボトルに口をつけつつ、

 

「昨日、カズくんとの賭けに負けちゃってね。その罰ゲームとして、私が作ってきたってこと」

 

 と、少しだけ悔しそうにそう呟いていた。

 

「そうなんですね……。ところで、その罰ゲームの内容って何だったんですか?」

 

 今度は俺の方に意味ありげな視線を向けながら、話を振る彼女。なんかコイツ、今日はやたらと他人の話を聞きたがるな……。でもまぁ、特に秘密にするっていう内容でもないし、ここは別に正直に話しても良いだろう。

 

「ありきたりなやつだよ。『勝ったほうが負けたほうの言うことをなんでも一つ聞く』ってやつ」

「あら、それで和樹くんは今日のお弁当を希望したんですね」

「まぁ、そうだな」

 

 俺が同意すると、美奈がため息と共にヤレヤレと首を横に振る。

 

「……意気地なし」

「は?」

 

 何を言ってるんだ、こいつは? 

 

 その真意を問おうと、美奈の方を向く──直前に美奈が座っていた椅子からガタッと音を立てて立つと、俺の傍まで来る。

 

「お、おい……どうし──」

 

 問うより早く、彼女の細く綺麗な腕が俺の胸元に伸びてきて、その手が俺のシャツをガシッと掴んだ。

 

「なんで瞳奈子ちゃんのナイス☆バディを堪能できるかもしれないチャンスを、こんなことの為に不意にしてるんですか!? バカなんですか? バカなんですよね!?」

「いやほんと何言ってんのあんた!?」

 

 今をトキメク有名女優とは思えない発言に、つい声を荒げてツッコんでしまう。日頃ストレスが溜まっているとはいえ、ここまで欲求不満を露わにする女の子が果たして今までいたであろうか。……ていうか性格変わりすぎだろ。

 

「ナ、ナイスバディなんかじゃないよ〜、美奈」

 

 現役女優の言葉に、顔を赤くして見悶える瞳奈子。そんな彼女を傍目に女優が俺に顔を近づけると、コソッと耳打ちをしてくる。

 

「多分、瞳奈子ちゃんはそういう意味も込めて言ってたんだと思うよ? 和樹くんの貞操観念どうこうじゃなくて、ちゃんと瞳奈子ちゃんの気持ちを汲んであげなきゃ」

 

 最後にフッと耳に息を吐きかけられ、背中に嫌な電撃が走る。恨みを込めてそちらを見ると、現役女優は唇に人差し指を当てて笑顔で自分の席へと戻って行った。

 

 変なプレッシャーから解放されて、崩れた襟を整えながら息を吐く。

 

 友人のことを思っての発言なんだろうけど……。果たして美奈はどれくらい瞳奈子のことを考えて発言したのだろうか。

 

 机を並べて談話する皆を一瞥する。

 

 皆は、どれくらい瞳奈子のことを知っているのだろうか。少なくとも俺は、ここにいる誰よりも瞳奈子のことを知っていて、誰よりも大事にしているという自信がある。

 

 それなのに、何も考えてないだの失礼だの、言いたい放題言いやがって……。

 

 

 

 弁当箱に最後に残ったハンバーグの一切れを少し苛立たしげに貪りながら、俺は昨日の”賭け”の時のことを思い出していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女の姿と、腐った思考。

 人は出会いと別れを繰り返す。泣いて別れを惜しむ人もいれば、笑顔で出会いを迎える人もいる。

 

 それが一番多いのはこの春という季節だ。花々は綺麗に咲き誇り、その下で新入生達が友達や親と写真を撮っている。もちろん、皆満面の笑みをたたえている。

 

「さーて、今年は可愛い子沢山いるかなぁ?」

 

 ──そんな新入生達を、下卑た目で見る輩が一人。

 

「海斗……。お前はどうしてそんな考えしかできないんだ」

 

 俺は、わざとらしく大きなため息を吐いてから、隣の輩──伊崎海斗に向き直る。

 

 海斗とは小学校低学年からの付き合いで、当時からかわいい女の子に目がないやつだった。それが今現在、高校二年生に突入しても全く変わってはいなかった。

 

「逆に聞こう、なぜカズはそういう考えができないのか、と。普通に定番行事だろう! "入学したての可愛い子探し"なんて」

 

 興奮しているのか、新入生達より明らかに頬を赤らめている。……こいつだけは春の桜じゃなく、秋の紅葉なんじゃないか? 

 

「そんな新入生が困るようなことはしねーよ」

 

 新入生から目を背けるように窓に背中を預け、そう答える。

 

「ちぇっ、つまんねーやつ」

 

 俺とは相対的に、窓から身を乗り出して新入生達に手を振る海斗。果たして、誰か反応してくれてる人はいるのだろうか。

 

「ていうか、俺さっさと帰りたいんだが……」

 

 未だに身を乗り出す海斗に向けてそう告げる。在学生は午後にある入学式のため、授業自体は午前中に終わっている。つまり、こいつが新入生を見たいと言い出さなければ、こんな時間まで残っているなんてことはなかったのだ。

 

「なんだよ。一人で帰っていれば良かっただろ」

 

 それに対して、こちらを見向きもしないで答える海斗。

 

「えぇ……一人で帰るの暇だから嫌なんだけど」

 

 海斗の方を見ながら、小声で呟く。

 それが聞こえたのか、海斗は窓から身を引いて俺に向き直ると、ヤレヤレといった感じに首を振った。

 

「お前は本当に、小学生の時から変わんねーな」

 

 いつもとは違う、どこかイタズラめいた顔をしながら俺の手を取ると、グイッと顔を近づけて耳元でそっと呟いてくる。

 

「それで? 本音はなんだ?」

 

 その声にゾクゾクと体中に何かが走る。それは、悪寒ではなく──『悦び』であった。

 俺はゴクリと喉を鳴らすと、彼に身体を預け、半自動的に口が開く。

 

「お前と一緒に帰りたかったんだよ……」

 

 そう、俺は彼のことが好きなのだ。そして──

 

「……帰って、何をするつもりだったんだ?」

 

 彼の手が俺の頬をなぞる。

 

 ──彼もまた、俺のことが好きなのだ。

 

 彼の手に、俺の手を重ねる。彼の手は春のように優しく、暖かかった。

 

「それは──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————————————

 

 

 

 

 

 —————————

 

 

 

 

 

 —————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──遡ること昨日。

 

「ねぇねぇ、カズくん。今回のは中々イイ感じに書けたと思うんだけど、どうかな? どうかな!?」

 

 今まで静寂に満ちていた部屋に、異常に活気に満ち溢れた声が響き渡る。

 

「……」

 

 そう質問された俺は、彼女の顔、ディスプレイに表示されている原稿と順々に見やってから、リクライニングの背もたれに寄り掛かる。俺が見る度にパァっと明るくなるその笑顔は、普段は可愛らしいものなのだが、今ではただの嫌悪の対象でしかない。

 一応弁明しておくと、俺──笹崎和樹の現在地は学校でも無く、海斗の隣でもなく、彼女の部屋である。

 わざとらしく一つ大きく溜息をついた後、背もたれの反動を利用して椅子から立ち上がり、その勢いのまま彼女の頭に手を当てる。サラサラとした甘栗色の髪が指股に絡まり、手の甲がくすぐったい。

 チラリと彼女の顔色を伺うと、先程見た時より更に笑顔を輝かせていた。この様子だと、恐らく褒めて撫でてくれるとでも思っているのだろう。目を細めて今か今かとワクワクしているのが手に取るように分かる。

 だから俺は、彼女の期待に応えるようにそっと手に力を込める。もちろん、笑顔も忘れずに。

 

「良いわけねーだろ!? 自分がホモに仕立てあげられているストーリーを読んで、どう反応しろと!?」

 

 ──所謂、ドラゴンクローである。

 

「いたっ。えっ!? ちょっ! いたたたっ!!」

 

 可愛らしい笑顔から一転、困惑と痛みにより目を白黒させる彼女。

 

「ちょっとタンマタンマ! 今の撫でてくれる流れじゃないの!?」

「どうしてそう思えるんだ……どんだけお前の頭の中お花畑なんだよ」

 

 何故この状況で撫でられると思っていたのだろうか。呆れを通り越してむしろ尊敬の念すら覚えてしまう。

 

 ちなみに、この涙目で脳内お花畑の女の子が、この部屋の主、奈木瞳奈子。こいつとは小学生の頃からの昔馴染みであり、不本意ながら俺の彼女でもある。

 

「わ……私はカズくんと居られるだけでいつもお花畑……だよ?」

「……」

 

 彼女の頭を掴む力をさらに強める。

 

「ちょっ! 無言で力込めるのやめて! それ以上はめり込む! めり込むからぁ! 謝るから離してぇ!!」

 

 ギブギブ! と、涙目になりながら俺の腕をパシパシ叩いてくる彼女。それを見ていると、流石に少しだけ俺の良心が居た堪れなくなったので、パッとその場に離してやる。

 

 いきなり支えの無くなった彼女の身体は、たどたどしく後ろによろめくと、そのままベッドの上に崩れ落ちた。その際に、ベッドの片隅に置いてあったクマのぬいぐるみが音もなく床に落ちる。

 

「ひ、酷いよカズくん! 乙女になんて扱いするんだ!」

「その言葉、乙女の部分を彼氏に変えてそっくりそのまま返してやるよ」

 

 ぐぬぬ……と何も言い返せない様子で下から睨みつけてくる瞳奈子。

 

 黙ると可愛いのに、口を開けば残念って、ホントこいつのことを言うんだなって思った今日この頃。

 

「大体、始まり方はかなり良かったのに、なんでそこから強引にこういう展開に持っていったんだよ……」

 

 呆れた声でそう問い掛ける。彼女は、ボサボサになった茶色の髪を手櫛で整えつつ、先程の涙目はどこへやら、自信満々にすくっと立ち上ると、フフンッ! と鼻を鳴らすと、意外とある胸を張る。

 

「こういう展開が好きだからに決まってるじゃん……私が!」

「読者じゃないんかい」

 

 俺自身よく分かってないところもあるが、創作作家って読者のニーズに応えていくものだと思っていたんだが……。どうやらコイツは違うみたいだ。

 

「読んでくれる人の事とか考えないのか?」

「考えない。創作なんて自己満足なのだよ、カズくん」

「お前なぁ……」

 

 彼女は掛けてもいないメガネをクイッとあげる動作だけ見せて、ノートパソコンを閉じる。

 

「小説、もういいのか?」

「うん、いつでも書けるからね」

 

 そう言いながら、いそいそと床に落ちていたクマのぬいぐるみを抱きかかえて、ベッドに腰掛ける。彼女の腕の中に収まるそれは、俺がまだ小学生の頃に誕生日プレゼントとして渡した物で、この年になってもまだ大事にされているのは、少しだけむず痒く、どこか気恥ずかしかった。

 

「隣、いい?」

「ん、どーぞ」

 

 瞳奈子がこちらを見ることもなく返事をする。了承を得たので、俺は小さく「失礼」と声を掛けてから彼女の隣に腰掛け、制服のポケットからスマホを取り出して画面を開く。ただの気恥ずかしさからの逃避なのだが。

 

 暫くはお互いの時間がゆったりと流れた。

 

 俺は友人たちからのメッセージの返信を行い、彼女も時折スマホを眺めてはいたが、基本的にはぬいぐるみと戯れていた。その戯れの中、時折可愛らしい声で「えいやー」やら、「クマ吉」やらという単語が聞こえてきて、その愛らしさに自然と頬が緩んだ。

 

 気づいた時には、スマホから目を離して、彼女の横顔を盗み見ていた。

 

 きれいに整った目鼻立ち。それを助長するかのように曲線を描く長い睫毛。かわいらしく笑う度に窪む頬。本当、ルックスだけ見ればそこらの女優にも負けず劣らずの美貌を持っているんだなと、贔屓目無しにもそう思う。

 

 

 

 ベッドに上半身を倒す。先程まで近くにあった小さな背中が、この角度からはとても大きく感じ、シャツからうっすらと透ける下着の紐が、肩甲骨の辺りで隆起しているのが見て取れる。

 

 なんだかんだ瞳奈子の事を否定してきてしまったが、隣の少女は俺の彼女なのだ。俺の手の届くところにいて、その明るさで俺を元気づけてくれて、それでいていつも俺を慕ってくれる──大切な存在。

 

 ──そう考えていた俺は、無意識に彼女の背中に手を当てていた。

 

「……? なぁに、カズくん」

 

 不思議そうな顔をして、彼女が”クマ吉”と一緒にこちらを振り返る。彼女の純粋な瞳を見て、自分のやっていることがどこかやましいものに感じて、慌てて手を放す。

 

「いや、なんでもない」

 

 彼女にそう告げる。しかし、明らかに嘘であり、それは彼女に当然ばれていることだろう。

 

 俺が追求された時の言い訳をどうにか絞り出している間、彼女は一度ぱちくりと目を瞬かせてから、首を少しだけ傾げた後、”クマ吉”を抱きかかえながら、俺と同じように足を外に放り出して、ポスンっと後ろに倒れ掛かかってきた。

 

 彼女の顔が、文字通り目と鼻の先にある。

 

 このままあと数センチ近付けば、唇が触れ合う距離。

 

 カーテンの隙間から暖かな日の光が差し込み、二人が寝転がるベッドを明るく照らす。換気のためか、窓が少しだけ開いていて、そこから吹いてくる風にカーテンがきれいな弧を描いて靡く。

 

「ねぇ、カズくん」

 

 その光景を背景に、艶のある唇が動く。彼女から微かに伝わる吐息が俺の肌を掠める度、俺の血の巡りを加速させ、その大元の心臓が、耳元でドクンドクンと早鐘のように打ち鳴る。

 

「……なんだ?」

 

 できる限り平静を装って、返事をする。

 

 正直に言って俺はこの時期待してしまっていた。そんな雰囲気でないのは自分でも十分承知しているつもりだが、思春期の男女が部屋に二人きり、どうにもそういうこともあり得るかと、少しばかりの覚悟を胸中で決めていた。

 

「ゲームしよ!」

「……は?」

 

 ──だからこそ、彼女の唇から発せられた言葉が、あまりにも期待外れで、間の抜けた返事をしてしまった。

 

 彼女は、俺のそんな考えも露知らず、ベッドの反発を利用して「よっ!」という掛け声とともに立ち上がると、ガサゴソと棚の一番下に設置してあった赤と黒のボーダーが入った箱を漁り始める。

 

 

 

 何を考えているんだ、俺は……。

 

 

 

 そんな彼女の背中をボーッと眺めながら、自責の念を抱いでいると、彼女が「おっ!」と少しばかり嬉しそうな声を上げた。

 

「久しぶりにこれ、やらない?」

 

 彼女がお目当てのゲームを手にこちらを振り向いて、ムフーっと満足げに息を漏らす。

 

「あ、あぁ」

 

 俺はどうにも彼女を直視出来ず、満足気に吐く息を避けるかのように身を捩らせながら言葉を返す。

 

 彼女は俺の返事の度合いなどさほど気にしていないのか、巷で有名なバンドの曲を鼻歌で歌いながら、テキパキと準備を進めていた。

 

 その間に、俺が無意識にしでかした事を振り返る。

 

 簡潔に要約すると、俺は瞳奈子相手に無意識に発情していた、のだ。

 

 ……俺が、こいつに? 

 

 そう考えただけでボッと顔に熱を帯びる。それを冷ますためにブンブンと勢いよく首を横に振る。その際に布団についていた彼女の香りを思いっきり吸い込んでしまい、先程の羞恥と相まって少しだけむせ込む。

 

 いや、世間一般では恐らく彼女に発情するのは至って普通のことだ。でも俺は違う。こんな、酷くいえば悪趣味な女に発情してしまうのは些か不本意だ。俺は認めない。

 

 認めない、認めないぞ〜……と恨み言のように頭の中で唱える。

 

 自己暗示でどうにか落ち着きを取り戻した頃には、既に瞳奈子はテレビの電源をONにして、ゲーム機のコントローラーの青の方を手に持って準備万端、という風にテレビの前にペタンと座っていた。

 

「さっ、カズくん、やろー!」

 

 ……決してやましい意味に脳内変換なんてしていませんよ。

 

 流石にそこまで準備されては断れる訳もなく、「ハイハイ」と返事をしながら、彼女と同じように赤い方のコントローラーを手に持って、彼女の横に腰掛ける。

 

 ……いつまでも変なことを考えていても仕方が無い。ここは気持ちを切り替えてゲームに集中しよう。

 

 心の中でそう誓い、目の前の画面に視線を向ける。そんな俺に、彼女が思いついたかのように一言。

 

「ねぇねぇ、何か賭けしようよ。負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞く! なんてどう?」

 

 おう、なんだお前、誘ってんのか? 気持ちの切り替え? 集中? なんですかそれ。

 

 とりあえず脳内で彼女に悪態をつく俺の中の悪魔を思考の波で一掃した後に、いつもの声音で彼女に接する。

 

「……ありきたりだな」

「その方が面白みがあるじゃん! ね? やろーよ!」

 

 瞳奈子が満面の笑みで、髪を揺らしてこちらを見る。彼女の方が座高が低いので必然的に彼女が見上げる形になり、髪の毛から香る女子特有の良い香りと相まって、どうにも魅力的に見えてしまい、反射的に少しだけ身を引いて距離を取る。

 

 どうしてこう、こいつはこんなに突発的なのだろうか。

 

 思えば彼女がボーイズラブを好きになって、小説を書き始めたのも突然のことだった。

 

 彼女曰く『なんか友達に勧められて、見てたらハマっちゃった』だ、そうで。本当、ちょろ過ぎて詐欺に合わないか不安で仕方がない。

 

 テレビの大画面に映し出されるキャラクター選択画面。彼女はその画面を食い入るように見つめて、まるで品定めをするかのように慎重にキャラクターを選んでいる。

 

 既にいつも使うキャラクターで決定していた俺は、コントローラーを布団の上において、先ほど瞳奈子が出した賭けのことについてもう一度確認を取る。

 

「負けた方が勝った方の言うことを聞く、でいいんだよな?」

「うん、そーだよ! ……何? 今更怖気づいても駄目だよ?」

「まぁ、別に怖気付くことはないんだけどさ……」

 

 最終的に「キミに決めた!」と、どこかで聞いたことがあるような掛け声と共に、ずんぐりピンクなキャラを選び、同時に嫌な笑みを惜しげもなく向けてくる瞳奈子。恐らく本気で勝ちに来るつもりなのだろう。

 

「そのお願いって、なんでも、だよな?」

「うん、なんでも、だよ」

 

 気味の悪い笑顔で言う。言質を取った俺は、ベッドに放り出しておいたコントローラーを後ろ手に回収して、ステージ選択画面でランダムへとカーソルを持っていく。そしてそのままスタートボタンを押す。

 

「でもお前、このゲームで俺に勝ったことないじゃん?」

「そんな余裕かましてられるのも今の内だよ、カズくん」

 

 ギシギシと軋むくらいコートローラーを強く握る彼女の顔は、いつになく本気だった。

 

 三つのカウントダウンの後に、ゲームが始まる。

 

 こいつの罰ゲームなんて、何をしでかすか分からない。もしかしたら、「BL小説のお手伝い」なんてやらされる可能性もある。そんなのノーマルな価値観しか持っていない俺からしたら堪ったもんじゃない。

 

 それなら、俺の威厳を保つ為にも……今日だけは本気でやってやろうじゃないか。

 

 そう思いながらいつもより手元に集中する。

 

 決して邪な命令をしようなんて、全くこれっぽっちも、天地がひっくり返っても無いのだが。

 

 傍らに置かれた"クマ吉"が、つぶらな瞳でヤレヤレといった感じに見てきている──ような気がした。

 

 こうして、俺と瞳奈子の負けられない戦いの火ぶたが切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————————————

 

 

 

 

 

 —————————

 

 

 

 

 

 —————

 

 

 

 

 

 

 

 と、まぁ、これが弁当事件の事の顛末。

 

 ここまで説明すればわかると思うが、この勝負は俺の勝ちで、しかもちゃんと罰ゲームはそっち方面のことを考えていた。けれど、俺がチキンだったせいで妥協案ということで弁当を作ってほしいとお願いしたのだ。……つまり、美奈が言っていたことはあながち間違えではなく、寧ろ図星過ぎて俺の心を深く抉りとっていたのだ。ハイハイ、どうせチキンですよ~。

 

 それと、もう一つ。

 

 目の前で化粧品やら駅前のスイーツ店やら、楽しそうにガールズトークを繰り広げる瞳奈子を見る。彼女は、俺の視線に気づくとニコッと笑って胸元で小さく手を振ってきた。

 

 彼女はいわゆる『腐女子』を隠しているリア充……つまり”腐リア”なのだ。それは俺だけが知っていることであり、これから先彼女と別れない限りは誰とも共有されない事実であろう。

 

 皆に明るく、美人でスタイルも良い、正に”PERFECT WOMAN”が、実は腐女子で、クラスの男子たちであられもない妄想をしているなんて、いったい誰が想像するだろうか……。

 

「カズくん、どうだった?」

「ん? どうだったって、なにが?」

 

 目の前の瞳奈子にそう問われ、反射的に疑問を返す。彼女は話を聞いていなかった俺に対して不機嫌そうに頬を膨らませると、

 

「お弁当」

 

 と、ボソッと呟いた。あぁ、なんだ。お弁当の感想か。

 俺は一つ咳払いをしてから、彼女の目を見つめる。

 

「あぁ、凄く美味しかったよ。またいつか頼みたいくらいに」

「えへへ……お粗末さまでした」

 

 褒められたことが嬉しいのか、仄かに頬を赤くして体を左右にくねくねと揺らしていた。

 

「私、砂糖吐きそうです」

「熱々すぎてツッコむ気も起きないな……」

 

 俺たちの空気にあてられたのか、美奈と拓海が同時に溜息をつく。彼らの痛いものを見るような視線をできる限り無視しながら、弁当箱の包みを片付けて瞳奈子に返す。彼女は軽くなった弁当箱を嬉しそうに受け取ると、自分の弁当箱と一緒に鞄の中に仕舞った。

 

「んじゃ、みんな食べ終わったわけだし、解散ってことでいいな?」

 

 気を取り直してそう言うと、他の四人も「異議なーし」と返事をして、席を立つ。

 

「次の授業って確か移動教室だったよね?」

「確か……化学ですからそうですね」

「課題ってなんかあったっけ?」

「特にはないと思いましたが、確か『授業開始五分前には着席しておけ』とは言っていましたね」

「え、それって……」

 

 授業開始は十三時十五分。不安を胸に時計を見上げると、時計の長身は今にも『2』に到達しそうなところをさしていた。まったく気づいていなかったが、俺らのグループ以外の生徒たちは殆ど教室に残ってはいなかった。いや、なんで気づかなかったんだよ俺ら。

 

「ヤバっ! 早く準備しなきゃ!」

 

 優子と瞳奈子が慌てて教科書を出して、教室のドアへと向かう。一足遅れて遅れてしまった俺も、出来る限り急いで鞄から教科書とノートを探していると、悠々とした歩調で自分の席へと向かう美奈が目に入った。

 

「美奈も急がないと遅れるぞ?」

「私は教室に行く前に、先生に登校した旨を伝えてきます」

 

 俺の忠告に、彼女はスンっとした顔でそう言ってのけた。……ってことは、つまり? 

 

「私は、いつ登校しても自由ですからね~。先生に登校を伝えていない私は、まだ『お仕事中』ってことなんです」

「正当な理由があるのは羨ましいなクソ!」

 

 屈託のない笑顔で言う彼女に、怒りと焦りを込めた口調で吐き捨てる。彼女は俺に言われたことを特に気に留める様子もなく自分の机に腰かけると、時計を指差す。

 

「ほらほら、遅れちゃいますよ? 急いでくださいね……ってもう遅い気がしますが」

 

 手を振る美奈の背後で俺を見捨てるかのように、無慈悲に授業五分前の予鈴が鳴った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。