魔法科高校の退学処分者 (どぐう)
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人物紹介
人物設定集
登場人物紹介
◯津久葉夜久(つくば よるひさ)
ㅤ特異魔法: 「精神構造干渉」
ㅤ今作オリ主。not転生者。
ㅤ大漢での一件の際、冷凍保存されていた真夜の卵子から生まれた子。だが、物質構造ではなく精神構造への干渉を固有の魔法として持っていた為に、真夜の愛情を受けられなかった。生まれてからずっと、津久葉家に預けられてはいるが、数々の彼の突発的な問題行動が理由で相互不干渉になっている。
ㅤ津久葉の秘術である「誓約」を津久葉冬歌よりも上手く行使出来るので、今作では彼が二人の魔法力を制限している。つまり、深雪のキャパシティで閉じた、達也の一部の魔法演算領域を解放する「鍵」は彼だけが任意で開けられる。
ㅤ基本的に彼の行動原理は「母親に認められたい」であるが、彼なりに合理的な考えで起こした行動は、他人から見れば不可解なことが多い。
ㅤ達也が「物質構造に干渉出来る」ことに嫉妬しているが、同じく四葉内で疎んじられている者としてのシンパシーを抱いてもいる。
ㅤ得意系統は放出系。干渉力、発動速度、作用範囲は普通の範疇に入る。
ㅤその分、精神構造に対する知覚力は優れている。そのお陰で、同じ魔法を持っていた深夜よりも細かい精神座標への指定が可能。理由としては、「エレメンタル・サイト」を持っているから。彼のそれは、達也のものと違って座標指定に特化している。
ㅤ第四研にて実験体の精神を弄る仕事を担わされている。だが、最近は反抗の意味で近づいてすらいない。なので、彼が「誓約」の鍵を維持し続けているのは、その時だけ真夜に褒められたからである。実の所、真夜もそれを分かってて褒めたのだ。
◯武倉理澄(むぐら りずむ)
ㅤ特異魔法: 「ワルキューレ」
ㅤ前作オリ主。転生者。
ㅤ四葉分家の一つ、「武倉」の長男。転生者故に、この世界の行く末を知っている。自身に降りかかるであろう面倒ごとを処理する為、本当は第一高校に通いたかった。しかし、一族が集中するので他校への進学を余儀なくされた。
ㅤ第五高校を勧められたが、あまり行きたくないという理由で第三高校に進学する。その為に、金沢魔法理学研究所の助手職を得た。
ㅤ吉祥寺真紅郎の研究室に所属しており、個人の研究テーマは「魔法式構造のパターンと変則」である。魔法理論の中で魔法構造学に手を出したのは、魔法工学は難し過ぎたから。最初は、CADを作って大儲けしようと思っていた。
ㅤ次期当主候補の一人であり、分家当主の後押しが最も強い。達也を止め得る魔法師の中で、一番彼寄りでない立ち位置だからである。
ㅤそして、本人も「司波達也の暴走を止めること」を自身の使命と思い込んでいる。その為、策を弄して、他人を勝手に巻き込ませることが多い。
ㅤ彼の固有魔法である「ワルキューレ」は精神干渉魔法にカテゴリされ、「精神に死を与える」効果を持つ。つまり、精神を「死」の状態に改変することで、肉体の死に波及させる魔法である。
ㅤまた、得意系統は加速・加重系の「重力操作」。その魔法特性的に干渉力は四葉随一を誇る。干渉力の高さに任せて魔法式を幾度も重ねることで、疑似的に「飛行魔法」レベルの空中移動を実現させることも可能。
ㅤ前作のアイロニーなので、正確には「『お兄様スレイヤー』スレイヤー」。けど、ダサいので「魔法科高校の退学処分者」に。こっちも同じくらいにダサい。
ㅤ理澄が平成ライダーでいう海東大樹と檀正宗のハイブリッドなら、夜久は妖怪ボタンむしりこと最高な人、名護さんをイメージして作った。
ㅤジオウキバ編で一ミリも出てない名護さんが、トレンド入りを果たしていた件。やっぱり、名護さんは最高です!
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転校編
入学編ならぬ、退学編
ㅤ司波達也は、本家から一員と認められてこそないが、一応四葉の血縁者で、現当主の四葉真夜の甥だ。
ㅤそんな彼は、国立魔法大学付属第一高等学校――通称、魔法科高校へ妹の深雪と共に入学した。この兄妹が進む道の前には少しも平穏は無く、波乱だけがはっきりとした形で現れるのだ。
ㅤそれは高校でも同じで、校内には一科と二科の壁が生んだ根深い差別問題を発端とするトラブルがあり、それは日々を昏く覆い尽くしていた。
ㅤある日、第一高校は、「学内の差別撤廃を目指す有志同盟」に放送室を占拠される。彼らは生徒会と部活連に対し、対等な交渉を要求。結果、講堂にて公開討論会が実施されることになった。
「一科と二科がほぼ同数……。意外だな」
ㅤ討論日当日。座席の埋まり具合を見て、達也はしみじみと呟く。風紀委員である彼は、有志同盟の行動を逐一警戒しなければならなかったのだ。
「それだけ、この討論会が生徒の関心を集めているということだ。ま、真由美目当てのヤツも居るかもしれんが……」
ㅤ誰に言ったでもない呟きに、返事が返ってきた。言葉の主は、風紀委員長の渡辺摩利だ。
「ファンが多いですからね……。あの人は……」
ㅤ蠱惑的な小悪魔スマイルを思い出してしまい、思わず達也は頭を振る。「本当の性格」を知っている彼にしてみれば、あの表情は厄介事を呼び寄せる予兆だ。
ㅤ何か面倒な事が起こらなければ良いが……。彼は切にそう願う。けれども、残念なことに彼の予感は当たってしまうことになる。
ㅤ第一高校生徒会会長、七草真由美は凛々しい佇まいで演説をしている。その清廉な雰囲気の前には、どんな反論も跳ね返されてしまうだろう。
「――人の心を力尽くで変えることは出来ないし、してはならない以上、それ以外のことで、出来る限りの改善策に取り組んでいくつもりです」
ㅤ力強く言い切る真由美の言葉によって、万雷の拍手が起こる。紛れもなく、会場の空気は一色に染まっていた。
ㅤしかし、一礼した彼女がマイクの前から去ろうとした時、異変は起こった。一人の一年生が急に壇上に現れ、横からマイクを奪い取ったのである。
「諸君! 論点をずらした姑息な話術に騙されるな!」
ㅤ開口一番、彼はこう叫ぶ。それによって拍手は途切れ、妙な静寂だけがこの場所を包む。会場内の誰もが呆けた顔で、少年を見つめることしか出来なかった。
ㅤ達也もそのうちの一人だったが、彼の心を占めるのは動揺ではなく意外感だった。というのも、彼はこの少年についての情報を、この場にいる誰よりもよく知っていたからだ。
ㅤ少年の名は、津久葉夜久。彼は、冷凍保存されていた四葉真夜の卵子を基にして生まれた。正真正銘、現当主の息子である。
ㅤ苗字が分家のものなのは、彼は生後すぐに津久葉家に預けられた為。その理由は簡単で、彼の固有魔法が母親の「
ㅤ望まれて生まれた子ではあったが、愛されはしなかった。それが、夜久という少年だった。
ㅤ達也にとっては従兄弟に当たる彼が、自分と同じ学校に入学していることは元から聞かされていたし、校内で偶に姿を見かけることも勿論あった。だが、彼がいつも行動を共にしているのは、入学してすぐに達也達二科生に因縁を付けてきた、あの森崎駿のグループ。それが意味するところは、津久葉夜久は「普通」の一科生だということ。
「そもそも、差別の始まりは当人らの意識などではない! 単なる制服の発注ミスであり、それを隠蔽する為に、差別を黙認しているに過ぎない。普通ならば、生徒会はすぐにでも学校側に抗議し、各二科生の刺繍代を負担する予算案を審議すべきなのだ。それが出来ないというのなら、独立組織というのも名ばかりで、彼らは単なる職員室の走狗と言わざるを得ないだろう!」
ㅤしかし、彼はこうして「同盟」側を擁護するような演説を行なっている。その辺りが、達也には腑に落ちなかった。
「環境が差別を作る。勿論、予算の不平等、一科生を優遇する項目が書かれた生徒会則……それらも、原因の一部ではある。けれども、我々は原点に立ち返るべきなのだ。考えてみたまえ! 何故、『花冠』と『雑草』という言葉が校内に蔓延ったのかを!」
ㅤ夜久の言動は勢いだけの部分もあり、事前に草稿を練っていたに違いない真由美のものとは違い、言葉の端々に粗さが目立っている。だが、その粗雑さが人々の心を動かし掛けているのも、事実ではあった。
「――それは、『平等に花が咲かない』からなのだ! ……そこを無視して、問題は解決しない。私立ではなく国策の学校である以上、教育の機会は誰もが得る筈のものなのだから。十師族であれ、第一世代であれ、魔法の才のある若者を優秀な魔法師に育てる……。それなのに、第一高校では入学前から『補欠』の烙印を生徒に押し付ける。つまり、本学のアドミッションポリシーは間違いなく不履行! 一科にしろ、二科にしろ、生徒が悪いのでは決して無い。傲慢さを隠そうともしない、このシステムが変わらない限り、確実にこの国の魔法教育は衰退する!」
ㅤ懸命に声を枯らす夜久の姿を見ながら考え込んでいた達也は、ようやく合点がいった。
ㅤ彼は本心から魔法師社会を憂いているのではない。単なる逆張りだ。きっと、このように騒ぎを起こす事で母親の関心を引きたいのだろう。
ㅤ硬直状態から立ち直った風紀委員達に、夜久が引き摺られて行く様子が、達也の居る場所から見えた。それを無表情で眺めながら、彼の短絡的な行動の空回り加減を達也は嗤った。けれども、同時に背反する感想も浮かぶ。
ㅤそれは、感情のままに行動出来るというのは、どれ程幸せなことか本人は知らないだろう……ということだった。
◆
ㅤ数日後、夜久は四葉本家に呼び出されていた。理由は言うまでもなく、先日彼が第一高校で起こした騒ぎについてである。
「貴方にも困ったものだわ……。冬歌さんには、ちゃんと釘を刺したはずなのだけれど」
「魔法絡みの騒ぎは二度とやめてくれ、でしたから。今回はそうではありません」
ㅤ夜久は朗らかな表情のままで、皿に盛られたアーモンドクッキーを摘む。しかし、アーモンドの欠片が刺さったのか、すぐに顔をしかめた。
「それに、相手は七草ですよ。特に問題は無いでしょう。他の二十八家に喧嘩を売るならともかく」
「……貴方ね、退学処分になったのよ? もう少し、己の行動を省みようという気持ちにはならないかしら」
「ずるいですよね、アレ。相手が七草だったから、追い出されちゃったんですよ。もしも、おれが四葉を名乗っていたら、なあなあで済まされたに違いありません」
ㅤ認知しないことに対する当てつけなのか、と真夜は思った。怒りで眉が僅かに動こうとするのを押し留めて、何とか猫撫で声を作る。
「……それは仕方ないことなのよ? 貴方を守る為にしていることなんだから」
「へぇ。それはどうも」
ㅤそれに対し、彼は生返事を返すのみだった。何故ならば、紅茶に入れたレモンスライスの果肉を、ティースプーンでほじくるのに夢中だったからである。
「……それで? 次はどこに通う気なのかしら? 私としては、もう家に籠っておいてくれた方がずっとマシなのだけれど」
「まだ決めてないですね。まぁ、一応学校には行きますよ」
「何処でも良いけど、貴方の為に使用人や家は用意しないわよ」
「別にどうぞ。寝床は自分で探します」
ㅤ親子とは思えない冷え切った会話が、この後も続く。
「――次こそは、まともに通ってくれることを願うわ。問題ばかり起こされて、こっちもたまったものじゃないんだから」
「起こしたくて起こしてる訳じゃないですからね。おれの周りが悪いんじゃないですか?」
ㅤ悪びれた様子も無く、夜久はヒラヒラと手を振って部屋を出て行った。控えていた葉山がそっと扉を閉じると、真夜は大きな溜息をついた。
「……こんなのばかりで、やってられないわ」
「そうは仰いますが。叱られたとしても夜久様は、息子の立場で奥様にお会いできることが嬉しくて堪らないのでしょう。微笑ましいではありませんか」
「あの子を息子だと思ったことは一度も無いわ」
ㅤ冷たい声で真夜は、葉山の言葉を払い落とす。
「子供が出来れば、幸せになれると思ったのだけど。そんなことは無かったわね。ただただ、苛つくだけ」
「せめて、『
「姉さんと同じ魔法を持って生まれたら、それはもう姉さんの子供だわ。結局、私は自分の子供を産めなかった……」
ㅤ爪のささくれをめくりながら、真夜は本音を零す。それは身勝手な言い分だったが、魔法師の価値観としてはそこまでおかしいものでも無かった。
ㅤ魔法の特質は次の世代に遺伝する。そうでなければ、調整体魔法師などは簡単に開発できない。真夜の子供であれば、物質の構造に干渉する魔法を持っていてもおかしくはない。けれども、夜久はその期待には応えられなかったのだ。
ㅤ四葉深夜が司波達也を愛せなかったように。
ㅤ四葉真夜もまた、自身の息子を愛せなかった。
◆
ㅤ見栄を張って出てきたものの、おれには全く手立てが無かった。転校の手続きなど、どうやるのかも知らない。津久葉の家に世話になっている形ではあるものの、小学生の時に学校一棟を破壊して以来は相互不干渉。「転校したいんだけど」と言っても、聞く耳を持ってくれなさそうだ。
ㅤとりあえず、本家の屋敷周辺をぐるぐると歩き回ってみるが、そう簡単にアイデアが湧き出てくる訳もなく。
「こんばんは、夜久さん」
ㅤ急に横から声が掛かる。声の方へ向くと、屋敷の壁に一人の少年がもたれ掛かっていた。
ㅤ全体的に顔立ちの整った男だった。元々の色素が薄いのか、光の加減で髪が茶色く反射している。それも相まって、彼の見た目はアイドル然としていた。
「武倉理澄……」
ㅤ四葉分家の一つ、武倉家。この家は「交渉」を請け負う家で、次期当主候補を保有している。長男である武倉理澄は、その次期当主候補であった。そして、候補者の中で、最も喰えない野郎なのである。
ㅤ次期当主候補は、現時点で6人残っている。四葉家における次期当主の選出は、完全な魔法の実力によるもの。その観点から見れば、おれ、この男、そして叔母様の娘――司波深雪。この三人が最終候補に残るのは確実。おれ達三人は、それぞれ強力な精神干渉魔法を持っているからだ。
ㅤその上、彼は四葉の中でも干渉力が卓越している。それは、彼の得意魔法が「重力操作」であるから。魔法の上書きには必要な干渉力が増大する為に、普通は空中移動できるだけの魔法の重ねがけは不可能になる。しかし、彼は常人よりも多く重複できるので、少々の間は空中で自分の身体を保持可能なのだ。
ㅤだが、一番脅威であるのは魔法ではなく、主に性格面であった。
「えぇ。覚えて頂けていたようで、何よりです。……確か、第一高校を退学処分になられたとか。あそこの校長は、人を見る目が無いようですね」
「わざわざ、それを笑いにきたのか。趣味の悪い男だな」
「嫌だなぁ。そんな失礼なこと、する訳無いじゃないですか。ましてや、御当主様の御子息相手にだなんて」
ㅤ……と、こんな具合である。ここまで人間の腐り切った部分を凝縮した奴を推す、分家当主達の考えが分からない。
「何しに来たんだよ。まさか、転校先を用意するとかじゃないだろう」
「いえ、そのまさかですよ。いくらなんでも、四葉家当主の子供が中卒というのは体裁が悪いですからね……。誰かがやらなきゃいけないなら、僕がやろうかと思いまして」
「何考えてるか知らねえけど、おれは借りを返したりしないぞ」
「いらないですよ。ロクなものが返って来なさそうですから」
ㅤ何かしらの目的はあるのだろうが、今の時点でおれが窺い知ることは出来なかった。だが、転校が出来るのなら僥倖だ。とりあえず、話の続きを促すことにした。
「まず、敬語をやめろ。同い年だし、何より腹が立つ。で、おれのことは『ヤク』と呼べ。親しい奴は、皆そう呼ぶ」
ㅤまぁ、親しい奴が居ないので、一度もそのような気安さで呼ばれたことは無い。言ってみれば、大嘘である。それに対して、彼はどう出るのか。良い反応を内心期待する。
「そう。それじゃあ、ヤク」
ㅤツッコミ一つ無しだった。意外と素直な奴なのかもしれない。彼は端末を取り出し、ある魔法科高校の公式サイトを画面に映す。
「第三高校。ここが、次の行き先だよ。僕も通ってるし、下手に他に通われるよりはマシだ。津久葉も君が東京から離れてくれて、ホッとするだろうし」
ㅤさりげなく、酷いことを織り交ぜる理澄。けれども、おれはその言葉の別の部分が気になった。
「三高に通ってたのか? てっきり、五高だと思っていた」
ㅤ次期当主候補の一人、新発田家長男の新発田勝成を理澄は兄貴分として慕っていた筈だ。彼の母校が五高だったから、彼も同じ所だろうと認識していた。
「あぁ……。勝成さんには薦められてたんだけどど、あまりパッとしなかったんだよね。どうやって断ろうか考えてたら、ダメ元で受けた金沢魔法理学研究所の助手のポストに付けたから。これ幸いと」
「そこ、一条の息が掛かってるんじゃねぇの? 良いのかよ、そんな所行って」
「産業スパイみたいなもんだよ。あそこは実質、旧第一研だからね。潜り込んだら、何か得るものがある筈だ」
「人間のクズじゃねえかよ」
ㅤ角が立たない断り方をする為に、産業スパイになる男。とんでもない奴である。
「というか、何出したら受かるんだ?」
「普通だよ。論文と志望理由書だけだから。審査は勿論あるけど、純日本人で魔法の素質がそれなりに高ければ大抵は通るんじゃない? 家の格が限られてくるし」
「へぇ……。よく受かったもんだ」
「今居るの、カーディナル・ジョージの研究室だからね。僕の研究は、『魔法式構造のパターンと変則』がテーマなんだ。あとは、加重系が得意なのもあるんじゃない」
ㅤ割とマトモな返答が返ってきた。顔採用とかでは無かったらしい。まぁ、研究所で何を顔によって判断するのか、という問題もある。
ㅤしかし、彼の誘いに乗るか否か。正直、危険だとは思う。だが、このままだとジリ貧なのも確か。だから、こちらを利用しようとしてるに違いない理澄を、逆に利用してやるのだ。彼のバックには分家、しかも黒羽や新発田などの有力な家がついている。
ㅤお母様に自分の存在を認めてもらう。
ㅤその為なら、この男と三高で学生生活を送るのも悪くない。そう思った。
ㅤ
ㅤ主人公はnot転生者。設定集は話が進み次第、随時更新する予定です。
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言いたいことは拳で語れ!
ㅤ第三高校は「尚武」の校風で有名だ。
ㅤだけれども、一高を退学処分された奴に積極的に絡もうとする奇特な人物はいないらしい。理澄にしたって、別に元々仲が良い訳でもないし、すれ違っても挨拶したりしないくらいだ。
ㅤだが、友達が居ないなりに、おれは普通に過ごしている。今のところは特に不満も無い。今日も校内のカフェテリアに残って宿題をしているところだ。
ㅤただ、一つだけ心配していることがあった。
ㅤそれは、九校戦に出場出来るのかということ。
ㅤ魔法師としての才能を、分家に押し込まれて隠されている自分の存在を、声高に世間に主張したい――そんな願いをいつも抱いているおれにとって、九校戦は誂え向きの舞台だった。
ㅤ一高時代と違って、三高では実力を隠していない。このまま普通にしていても、メンバーに選出されるとは思っている。けれども、理澄はおれが目立とうとすることを良しとしないだろう。彼は骨の髄まで「四葉」が染み込んだ男で、自分の力を隠すことに忌避感が無い。こちらの妨害をしてくる可能性もあり得る。それならば、すぐにでも行動をしなければならない。
ㅤそう思い立ち、すぐさま風紀委員会本部へと向かった。本部の扉を開け、目的の人物を探す。部屋には数人が書類仕事をしている。だが、そこまで数も居ないので、容易に見つけることが出来た。おれは目立つ茶色い髪の生徒を指差し、高らかに叫んだ。
「一条将輝! おれと模擬戦をしろ!」
ㅤその瞬間、場の空気が一気に凍る。武闘派の三高の癖に模擬戦が珍しいのか?と怪訝に思ったけれども、そうでは無かった。
「……あの、一条は俺だが」
ㅤ後ろから声がした。振り向くと、扉の所に一人の男が立っている。間違いなく彼の外見的特徴は、「クリムゾン・プリンス」のもの。
ㅤ暫しの間、無言で一条(?)と向き合うおれ。
「じゃあ、さっきのは誰だ……?」
ㅤ先ほど指差してしまった相手を確認しようとすると、向こうも端末から顔を上げた。
「僕と一条を間違えないでくれるかな……。ヤク」
ㅤ嫌そうな顔で、理澄がこちらを見ていた。彼が風紀委員だとは知らなかった。バレないよう、直接赴いたのに。大失敗である。
◆
「はじめまして。俺が一条将輝だ。君のことはよく知ってる。ここでもかなり有名だぞ? 七草に喧嘩を売ったせいで、退学処分にされた奴として」
「ふーん。結構売名になったのかな」
「そんな売名要る? 僕だったら、絶対要らないけど」
ㅤおれは一条と理澄を引き連れ、カフェテリアに戻ってきていた。「ここで騒ぐな」と、追い出されたからである。おれも所構わず噛み付くのは得策ではない、と分かっているので素直に従った。
「戦う相手をビビらせられるだろ」
「普通にカッコ悪いよ、それ」
ㅤおれの言葉に、理澄は呆れた様子を隠さない。
「――それにしても、そちらから来てくれるとはな。俺たちの間でも、九校戦に向けてお前を引き入れたいという話は出ていたんだ。な、武倉?」
「まぁね。だからこそ、一高を叩き出されたヤクをこっちに呼んだ訳だし。そうじゃなきゃ、顔見知りレベルの相手にそこまでしない」
ㅤおれの予想に反し、理澄は俺を九校戦の戦力に数えていたようだった。その点には、どうも違和感がある。
ㅤ四葉であることを隠したがる筈の人間が、心変わりする理由がわからない。おれの存在を目立たせてまで、他に隠したいものがある?
ㅤ一条が咳払いを一つし、話を切り出し始める。理澄のことも気になるが、まずはそちらを聞くことにした。
「……三高はここ数年の九校戦で、毎回一高に苦杯を舐めさせられ続けている。学校側もこれには忸怩たる思いを抱いていて、解決策を提示するよう風紀委員会にお達しを出した。まぁ、これは俺の存在が大きいとは思う。正確には『俺とジョージ』だけどな」
ㅤ自信満々なことである。生まれながらに「十師族直系」であることが人生に裏打ちされているのだ。
「確かに、俺とジョージが組めば無敵だ。けれども、校内の柵が本戦出場を妨げる。どこも『一年生は新人戦に出とけ』という不文律があるけれど、中でも三高は特にそれが顕著だ」
「つまり、問題児を逆手に取ろうと? おれに『本戦に出たい』と大騒ぎさせて、『コイツが出るくらいなら、一条の方が良いだろ』という風潮にする……。そういうことか」
「話が早くて助かる。――武倉、お前の予測通りだな」
ㅤこのアイデアは理澄が考えたらしい。一条を本戦に出すことが、彼の利益に繋がると考えれば良いのだろうか。
「元から異常者扱いされてる奴がやれば、一条は火の粉を被らずに本戦メンバー入り出来るからね。棒倒し本戦に一条、早撃ち本戦に吉祥寺、モノリス本戦に一条・吉祥寺コンビを捻じ込めれば、優勝の確率はぐっと上がる。出たいなら、ヤクも本戦に出てくれても良いし」
ㅤそれを聞いて、おれは少し考える。
ㅤ正直、自分を追い出した一高が優勝するのは気に食わない。それに、新人戦より本戦に出た方が目立てるのもそうだ。メリットはあれど、デメリットは殆ど無い。少々、上級生に睨まれる程度なら、いつものことだ。
「……条件がある。理澄も本戦のどれかに出て、優勝しろ。お前だけは高みの見物、なんてさせねえよ」
「えぇ……。僕、実技の成績そこまで良くないよ。一年だけの新人戦ならギリ入れる、程度でしょ」
ㅤ嘘つけ! この期に及んで、コイツは実力を頑なに隠そうとするのか。
「じゃあ、何で風紀委員なんだよ。三高の風紀は、実力無い奴は入れないんだろ?」
「あぁ……。それには訳があって」
ㅤ割って入った一条が、その辺りの細かい事情を説明し始めた。
「まず、教職員枠でジョージが風紀委員にスカウトされたんだ。だが、アイツは研究でかなり忙しいから、仕事を全部担ったらパンクしてしまう。でも、助手を勤めている生徒が同級生に居た。それなら、助手にも仕事を分担させて、名前だけでもジョージを置こうってなったんだ。――そうだろ?」
「……職場の序列を学校にまで持ち込まれるとは思わなかったよ。僕だって、暇な訳じゃあないんだ。研究以外のことを押し付けないで欲しい」
ㅤ研究所にわざわざ入ったりするからである。可哀想だが、自業自得だ。
「でも、金沢魔法理研は一条が資金を出してるんだろ。コイツは十師族。お前はそこら辺の魔法師。どうしようもない。実力ないのにコネで風紀委員会入りしたなんて、結構悪口言われまくってそうだな」
ㅤそう言ってやると、理澄はこっちを鋭く睨みつけてきた。「僕も十師族だぞ!」とか言いたいのだろう。苛立つくらいなら、手を抜くのをやめれば良いのに。
ㅤおれだって、一高の件では腹を据えかねている。だからこそ、次は実力を存分に発揮してやろうとしているのだ。追い出したことを、後悔させる為に。
「そこんとこどうなんだ、一条? コイツ、三高でめちゃくちゃ嫌われてんじゃねえの?」
「その傾向が無い……ということは、まぁ……。俺やジョージと居るから、別に何かされるって訳でもないが」
「うわー、かっこ悪。高校生にもなって、金魚の糞かよ。おれの方がまだロックだわ」
ㅤわなわなと震えだす理澄。煽った方が言うのも何だが、気持ちは分からなくもない。一番理不尽に感じているのは、本人である筈なのだから。
「……分かったよ! ――それなら、やってやろう! 一条! 模擬戦だ模擬戦! 僕はお前に勝負を申し込む!」
ㅤ手でテーブルの天板を思い切り叩いて、彼は椅子から立ち上がる。そのまま、一条の鼻先に人差し指を突きつけた。突きつけられた側は、目を白黒させている。一条にとって、今までの理澄は「ちょっと頭が回るだけの、まぁそれなりに普通の奴」だったのだろう。
「おい、待てよ。おれが先に模擬戦の申し立てしてるんだぞ。横入りすんじゃねえよ」
「は? 本戦出ろって言ったのはそっちじゃん。お前は模擬戦なんかせずに、適当に騒いどいてくれたらいいんだよ。何なら、一条よりも上級生に狙いを付けてくれよ」
ㅤ険悪な空気が漂い、近くのテーブルの人達もチラチラとこちらを見始める。それに気づいた一条は、何とかおれ達を取りなそうとした。
「じゃあ、とりあえず二人で模擬戦をしたらいいだろ? 演習林を取っといてやるよ。今日はもう無理だろうが、明日なら空けられる筈だ」
ㅤ彼の提案も尤もだ。特に反論することなく、それに同意した。
ㅤ実を言えば、おれは理澄との対戦経験が一度も無いのだ。彼は黒羽の双子や新発田の長男と一緒に訓練をしていることが多く、四葉の戦闘訓練では殆ど鉢合わせなかった。成り行きとは言え、一条と戦うよりも良かったかもしれない。
◆
ㅤ次の日、夜久と理澄は模擬戦が行われる演習林に居た。CADは昨日、武倉家の魔工師にどちらも調整させている。条件を同じにする為だ。プロテクターやヘルメットも身に付け、準備は既に万全。
ㅤ審判役を請け負った、高3の風紀委員長が注意事項を二人に告げる。
「死に至らしめるような攻撃、あるいは魔法。それらは禁止です。有効フィールドは演習林Bエリアのみ。そこから出ると、失格扱いになるので注意を。『跳躍』などで、演習林上空に飛び出すのも禁止です。それから――」
ㅤ――その様子は演習林周辺のカメラで撮影され、そのまま校内ネットで配信される。模擬戦がさかんな三高特有のシステムだ。映像は個人所有の端末でも閲覧可能になっており、画面右上に表示されるリアルタイム視聴数カウンターはかなりの数。
ㅤかの「退学処分者」と「カーディナルのおまけ」という変わった組み合わせの模擬戦は、三高生の関心を集めるのに十分だった。
ㅤそして、第三高校ダブルエースと名高い、一条将輝と吉祥寺真紅郎もこの配信を見る為に待機していた。
「ジョージ、これをどう見る?」
「うーん……。普段の武倉の実力から考えれば、厳しいんじゃないかな。でも、『今までが本当の実力』であればだね。津久葉夜久は、彼が本戦に出れると思ってた訳だろ?」
「まぁ、アイツが手を抜いていたとは限らないけどな。魔法は心理的な側面に左右される。高校入学前に何らかのトラブルがあって、それが無意識下で魔法力をセーブさせた可能性もあり得るんだ」
ㅤわざと魔法力を低くする――ということは将輝の常識の中に入っていない。だから、彼は自分が納得出来る理屈を立てようとする。
「勿論そうだよ。――でも、本音を言えば実力を隠してただけの方が良いね。彼には『
「そうだったな」
ㅤ真紅郎が理澄に研究用のダミーやノイズが混ざったものではない、実戦用「
「そういや、どうして武倉のことを買ってるんだっけ? 割と面白い奴だけど、お前のことだからそんな理由じゃないだろう?」
「うちの研究室のメンバーで僕以外に基礎研究をしているのが、武倉しかいないから。他は軍事系か魔法工学系の研究所出身。やっぱり花形だからね」
「ジョージの研究は脚光を浴びたじゃないか?」
「基本コードが注目されたのは、本当に運が良かっただけだし。だけど、基礎研究は技術発展の基盤としては一番大事な部分だ。だから、後進が居るのは、すごく嬉しいことなんだよ」
「ふーん……」
ㅤ少々、面白くなさそうな顔をする将輝。真紅郎は慌てて「いや、将輝は『尊敬』だから!」と言い、特にまだ代わり映えのしていない画面を指差す。
「――あっ、ほらっ! 始まるみたいだよ!? 多分……?」
ㅤその様子を見て、将輝は少し口許を緩めたあと、肩をすくめた。ポンッ、と自分の手のひらを真紅郎の肩に置く。
「いや……。始まるみたいだぞ?」
ㅤ端末には、演習林内部の様子が映し出された。ようやく、模擬戦はスタートしたようである。
「範囲も狭いし、すぐぶつかるだろうな。何より、武倉は足がかなり遅い。津久葉は……体育の測定で見たけど、結構早かったかな」
「開き直って自己加速術式を使うかもしれないけど、Bエリアは特に遮蔽物が多いからなぁ……。普通に危険だよ」
ㅤエリアが狭いのは本当で、二人が話している間に理澄と夜久は遭遇してしまっていた。先手必勝とばかりに、夜久がCADを操作。使った魔法は「スパーク」。薄暗い中を眩い光が駆け抜け、全てが理澄へと襲いかかる。だが――
「――領域干渉!? あの距離で無効化するのか!? 一撃で意識を刈り取れそうな威力だったのに……」
「干渉力が化け物じみてるな……。俺の『爆裂』は何とか通るかもしれんが……」
ㅤ反撃に、理澄が「
「あー、勿体ない。これなら、単一加重の方がマシだったね」
「分からないぞ。ジャブのつもりかもしれん」
ㅤ普通の攻撃では領域干渉を突破出来ないと見たか、夜久は圧縮空気弾を幾つも作り出した。移動した空気弾は理澄の干渉下に入ると、どれも動きを止めた。だが、加速に伴う強い風だけはそのまま残る。足場の悪いフィールドで、もろに突風を受けた理澄は足を滑らせた。
ㅤ容赦無く夜久は、そこに追い討ちをかける。精神干渉魔法「フォボス」を行使したのだ。この魔法は、想子光を媒体に精神に直接「恐怖のイメージ」を生み出させる魔法。この魔法を受けた者は、精神が著しく衰弱する。
「精神干渉魔法、だよな……。あれってアリなのか?」
「一応ルール上は問題無い……筈。今までそんな突飛な奴が居なかったんだろうね、きっと。流石は、一高退学処分者だよ……。多分、この先は規定に『情動及び精神に干渉する魔法は使わないこと』って入るだろうけど――って、あれ見て!」
ㅤ夜久の攻撃により精神にダメージを負ったと思われていた理澄だが、そうではなかった。
ㅤ彼の周囲は今、黒い半球で覆われている。これは、系統魔法「ミラー・ケージ」の効果によるもの。光の進行を反転させる定義が想子光にまで波及し、「フォボス」の効果を打ち消したのだ。
ㅤしかし、それこそが夜久の狙いだった。理澄の視界が閉ざされた間に、彼は「ドライ・ブリザード」によるドライアイス弾をばら撒く。そして、もう一度彼はCADのボタンに触れる。すると、理澄の足元に向けて電流が発生した。
「あれ、何処から出してるんだ?」
「地中だよ。電荷を弄って、擬似的に電極を作り出したんだ。『スパーク』は弾かれたからだろうね」
ㅤいくらなんでも身体に電流を流し込まれれば、どうしようもない。理澄は力尽きたように、地に倒れ臥す。けれども、彼は転んでもただでは起きない男だった。
「遅延術式!?」
ㅤ倒れた理澄の周辺にあった数十個程の小石に想子が送り込まれ、慣性を増大させた状態で、夜久目掛けて一気にぶつけられる。夜久は想定外の攻撃に為すすべ無く、されるがままだ。プロテクター越しであっても、やはりダメージは免れない。結果、どちらも戦闘不能状態に。
ㅤ遅延術式とはいえ、発動した時には既に理澄は動けなくなっていったので、模擬戦の判定としては負け扱い。一応、夜久の勝利という形になった。
ㅤ――配信が終了し、画面が暗転する。顔を寄せ合って端末を見ていた将輝と真紅郎も、大きく伸びをして立ち上がった。
「中々、見応えがあったな。問題を起こした不良生徒が転校してくると聞いた時は、どうなることかと思ったが……。津久葉のお陰で、武倉の実力も見れたわけだし」
「そうだね。世の中、意外と上手く回っているのかも」
「あぁ……。――さて! 二人を探しに行こう! 茜が見つけてきた、良い雰囲気の喫茶店があるんだ。そこでアイツらを質問攻めにしてやるんだ! さぁ行くぞ、ジョージ!」
ㅤ言うだけ言って、将輝は昇降口へと走っていく。真紅郎は急いで彼を追いかけた。
ㅤ……どこまでもついて行く。君は僕の将で、僕は君の参謀なんだ――心の中で、そう呟きながら。
ㅤ40話掛けて書いた前作主人公を、ボコボコにいじめるのめちゃくちゃ楽しいな……。実際、前作書いてた時も「嫌な奴〜!」って思ってたし……。でも、夜久も普通に嫌だよね。
ㅤクリプリとジョージの間の湿度高いな……。高くない?
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夢は逃げない
ㅤ模擬戦の後、念の為おれ達は医務室に向かった。だが、養護教諭は生憎不在で、自分で全てをやらなくてはならなかった。
ㅤプロテクターを外すと、痣がいくつか出来ていた。石をぶつけられたからだ。隣に座る理澄に恨みがましい目を向けると、「電流流し込む方が悪いと思うよ」と返してきた。
「意外と平気そうだな」
「情報強化で何とかね。でも、下からとは……。もしかして、知覚系持ってる? 『
「一応。エイドス視認の拡張スキル……って言ったら良いのか。座標の細かい指定を可能にする為に、分解能を上げるって感じ」
「なるほど……。結構便利だね、それ」
ㅤ呑気な感想を述べる理澄。
「ところで――」
ㅤそう口を開きかけた時、医務室の扉が勢いよくスライドされた。ボタン式なのに、わざわざ手で開けたようだ。
「ここにいたか!」
ㅤ一条がドスドスと大股でこちらに歩いてくる。その後ろには、吉祥寺も居た。
「良い試合だったな。面白かった。だが、お前達に聞きたいことがある。特に武倉!」
ㅤそう言って、一条は理澄と無理矢理肩を組もうとする。理澄は顔をしかめて、彼の腕を振り払う。
「うへぇ……。こうなると思ってたんだよなぁ……。吉祥寺、コイツ引き取ってよ。相棒でしょ?」
「残念ながら、今は将輝と同じ気持ちだよ。どうして、実力を隠していたのか……僕も気になる」
ㅤどう言い訳するのか、とおれは理澄の顔をチラと見た。だが、彼は平然として「実力を隠さないと、困るような家の生まれなんだ」と答えた。あまりにも、正直過ぎる。これには、おれの方が驚いてしまった。しかし、向こうはそれを違う風に受け取っていたのである。
「あっ……」
「ごめん、無遠慮だった」
ㅤ受け止め方の違いの理由が分からず、おれの脳内にハテナマークが幾つも浮かぶ。少し考えて、やっと意味が分かった。
ㅤ二人は、理澄が「
ㅤ本当に、詐欺師みたいな奴だ。口から生まれたという形容が、ここまでピッタリ合うのも中々居ないだろう。
「気にしなくて良いよ。ここでは、割と楽しくやってるし。――そうだ、今から皆で何処か寄ろうよ?」
「あっ、あぁ……。勿論! 良い店を知っている。そこに行こう。津久葉も来いよ。今日は全員分、俺が奢る」
「えっ!? 将輝、そんなの悪いよ」
「やった! 大感謝だよ、一条!」
ㅤ吉祥寺は遠慮していたが、理澄はとても図々しかった。そして、一条の肩に手を回す。さっき、振り払っていたのは何だったのか。
「良いのか?」
「構わない。津久葉、君からも話を聞いてみたい」
「あぁ。おれも三高について色々聞きたい。それに……理澄はこんな明るい奴だと思わなかった。それも驚いている」
ㅤおれの知る彼は、もっと嫌味で陰湿な男だった。分家に祭り上げられて、偉そうに踏ん反り返るイメージが強い。
「ちょっと変わってるよな。一緒にカラオケとか行ったら、コイツは謎の歌しか歌わない。インターネット黎明期の歌らしいけど、誰が知ってるんだ」
ㅤ一条の言葉に、理澄はすぐさま反論する。
「うるさいな! 僕が知ってるんだよ!」
「でも、僕も変わった趣味だと思うけどなぁ……。津久葉も思わない?」
「変だと思う。生まれる時代を間違ったんじゃないのか?」
ㅤそう話しながら、おれ達四人は校門を出る。誰かと放課後に寄り道するなんて、初めての経験だ。間違い無く、今回の模擬戦は人間関係を再構築させている。軽いノリで風紀委員会本部に押しかけたことが、ここまで繋がるとは思わなかった。
◆
ㅤ学校を出て向かったのは、「古き良き〜」と接頭語を付けたくなる雰囲気の喫茶店だった。「妹から聞いた」と言っていたが、一条の妹はデート用に紹介したのではないか。彼本人は意味を分かってない辺り、きっとモテるのに理想だけは高いタイプなのだろう。
ㅤそして、本当に一条は全員分の軽食代を奢ってくれた。そういうところを女に見せれば良いのに。男に見せてどうする。
ㅤおれを含めた皆はケーキセットを頼んだのに、理澄だけは「ケーキセットに好きなのが無い」と言って、単品のケーキとドリンクを別々に頼んでいた。ワガママな奴だ。黒羽や新発田が、コイツを甘やかしに甘やかしまくっているのでは無いか。
ㅤケーキを食べつつ、一時間程は喋っただろうか。思ったより楽しかった。その頃には、時間も時間なのでお開きになったが、本当は一条だけが帰る方向が違う。だが、吉祥寺は一条の家に寄るらしく、必然的におれと理澄が一緒に帰ることになる。
「なぁ、理澄」
「なに?」
「おれと模擬戦したの、わざとだろ」
ㅤ今考えると、あの時のキレ方はえらく雑だった。そもそも、コイツは厚顔無恥で図太い人間だ。いくら悪口を言われていようが、平然と引退まで風紀委員を務め上げていてもおかしくない。
ㅤ新人戦の枠には入っていたらしいから、彼は本戦に出なければならなかったのだろう。その理由は一体何なのか。
「……わざとだよ。僕には本戦に出なくちゃいけなかった。ヤクとは違う理由で、目立つ必要があったんだ」
「それ、何だったんだ?」
「聞きたい? じゃあ、ちょっと待って。車を回させるから」
ㅤそう言って、端末を操作し始めた。部下に連絡しているのだろう。少し待っていると、最新モデルの自走車が近くに止まった。
「乗りなよ。こんなとこじゃ、説明できないし」
ㅤ車に乗り込むと、理澄が運転手に向かって「適当に走らせといて」と言った。そして、端末をこちらに放り投げてくる。
「香港系国際犯罪シンジケート『
「これが、九校戦と関係あるのか?」
「ウチが優勝すると、この組織に莫大な金が入るんだ。簡単に言えば、賭けみたいなもの。その為に、一高へ妨害工作を仕掛けようとしている」
ㅤ端末で組織のデータを読む。ボスについてのデータは書かれていない。どうも、警察のデータバンクから引っ張ってきたもののようだ。
「まぁ、僕一高生じゃないし。放っとくつもりだったんだけど、ヤクがこっちにきたから。上手くやれば優勝を狙えるし、適当なダミーを挟んで僕も賭けに参加した。まぁ、他にも理由はあるっちゃあるけど、それが一番かな」
「金をむしってから片付けると」
「そう。公安にでも流そうか」
ㅤ確かに方法としては悪くない。何なら、満点の行動だ。だが、おれはそれを認めることは出来なかった。
「――それ、却下。九校戦の間は隠しきれても、結局分かる奴には分かる。三高の優勝が出来レースと思われたら、一高を完膚無きまでに叩きのめしたことにはならない」
「別に構わないだろ。噂が流れても、握り潰せば良い」
「妨害工作があったことは隠せない。『テロに屈せず戦った第一高校』となってしまったら、おれが目立たなくなるじゃないか!」
ㅤおれは理澄に詰め寄り、肩を掴んで前後に揺らしまくる。そして、自分の想子を活性化させた。
「『
「わかった! わかったから!」
ㅤ泡を食ったような反応で、仰け反る理澄。魔法を使えなくされたら堪らない、と言わんばかりに彼は慌てて首を縦にぶんぶんと振った。
「あーあ……。賭けた金、実質全部溶けたんだけど。穴埋めしないと……。――行き先を変更。とりあえず、空港に向かってくれる?」
ㅤ運転手に命令した後は一度も言葉を発さず、端末と同期した仮想キーボードを叩きっぱなし。おれは退屈になって、動画を見て暇を潰すことにした。
ㅤ数十分すると、空港に到着。足早に施設内を歩く理澄の後を、おれは急いで追う。明らかに通常の客用では無い通路を、ずんずんと進んでいく。ㅤ十分後には、旧神奈川県に向かう飛行機の中だった。言い出したのはおれだが、展開が早すぎる。
「あそこには、国防軍の飛行場があるから。そこから向かえば良い」
「軍の施設だよな? 普通に素性がバレないか?」
「大丈夫。助っ人を呼んでるから」
ㅤ飛行場に到着し、理澄は先に軽やかな足取りでタラップを降りていく。それに続いて、おれも地上へ降り立った。
「こんばんは。理澄さん、夜久さん」
ㅤ誰も居ないはずの空間から、鈴を転がすような声がした。周りの空気が一瞬揺らぐと、そこにはロリータファッションの少女が立っていた。
「こんな時間にごめんね。亜夜子ちゃん」
「お気になさらないで。他でも無い、理澄さんの頼みですから――夜久さんも、直接お顔を合わせるのは初めてですね」
ㅤ彼女は四葉分家の一つ、黒羽家の長女である黒羽亜夜子。そこまで面識は無いが、顔くらいは知っている。彼女の得意魔法は確か、「極致拡散」。気配を隠すのにはもってこいの魔法だった。
「津久葉夜久です。はじめまして、亜夜子さん」
「はい、はじめまして。黒羽亜夜子と申します。よろしくお願いしますわね。――では、行きましょう。車を用意させていますわ」
ㅤ敷地を出て、車で目的地へ移動。
ㅤ横浜グランドホテルは、この地域では一番ランクの高いホテルだ。内装も割と豪奢だし、接客も丁寧。客のリピート率も高いという。だが、そんな有名なホテルが、犯罪シンジケートにアジトを提供している……。嫌な世の中である。
ㅤ正面から堂々と入り、おれ達は従業員エレベーターに乗った。「極散」の魔法で気配を消せているので、この辺りはスムーズに事が運んだ。最上階に置かれた、隠し部屋への直通通路の扉に辿り着いたところで、理澄はおれに言った。
「『酸化崩壊』使える?」
「使える。……ドアを壊せば良いのか?」
「うん。僕だとブチ抜くくらいしか出来ないから。ここは隠密第一で行こう。亜夜子ちゃんもいるし」
ㅤおれは手首に巻いた腕輪型CADから、「酸化崩壊」の起動式を呼び出した。一瞬で魔法式を構築し、エイドスへ投射。金属製の扉は黒く変色して脆くなる。こうすれば、手でも取り外す事が出来る。取り外したそれを、廊下に立て掛けておいた。扉の向こうは、細長い廊下が続いていた。侵入者に先へ進ませない為かもしれない。壁には値の張ってそうな絵画が、幾つも掛けられていた。
「マグリット……の複製だな。本物は流石に持ってこれなかったか」
「最近、うちは本物を入手しましたの。お父様が欲しい、と言い出して」
「良い趣味だね。叔父様らしい。でも、どうせ絵の向こうに隠し部屋を作ったんでしょ?」
「えぇ。文弥が呆れていましたわ。私は結構、そういうギミックが嫌いじゃないのですけれども」
ㅤ黒羽の懐古趣味は、おれもよく知っていた。分家の中でも、黒羽家はとても派手な家だ。それは、「諜報」を請け負っている反動なのかもしれなかった。
「そういえば、何でおれ達3人なんだ? お前、部下とかいるだろう。呼ばなかったのか?」
「あぁ……。そっちは別口。『
ㅤ随分と根に持っているらしい。
「あと、少人数で片付けて撤収する方が早い。このホテルには金を握らせて、黙っといてもらう。最初から、ここにはアジトなんかなかったということで一つ」
「それ、もう脅しだろ」
「まぁ、そうとも言うね。僕達は貰うものだけ貰って、掃除はホテルの人にやってもらおう。餅は餅屋だ」
ㅤ確かに、清掃といえばホテルだろう。だが、何とも気の進まなそうな清掃活動だ。
ㅤ通路を更に進む。すると、亜夜子が「一度止まってください」と言った。
「恐らく、入り口には見張りがいると思いますので」
「了解。見張りは僕が片付ける」
ㅤ理澄がポケットから端末型CADを取り出す。コマンドを打ち込み、精神干渉魔法「ワルキューレ」を発動した。彼だけが使えるこの魔法は、精神に直接「死」を与える一撃必殺の魔法。彼はこの魔法で、次期当主候補の地位を掴んだ。
「あ、死んだね。じゃあ、行こう」
ㅤエイドスが改変されたのを感じ取ったのか、彼はのんびりとした声音で言う。
「なんか、軽くないか?」
「しんみりしてる場合でも無いでしょ。早く終わらせて、さっさと帰らないと」
ㅤ少し進むと、そこには死体が三体転がっていた。亜夜子と理澄が躊躇することなく、死体の服を漁る。
「あっ、ありましたわ。カードキー」
「これだけで開けられたら良いんだけど……」
ㅤ彼の懸念を余所に、カードキーを翳すと扉は開いた。亜夜子が「擬似瞬間移動」を使って、おれ達を一気に部屋の中心に移動させる。突如現れた闖入者に、「
ㅤその後、すぐに理澄が床に鉛直下向きの加重系魔法を掛けて彼らを気絶させる。そして、気を失った幹部ら全員の顔を確認し、一人の男だけ端に移動させた。
「ダグラス・
ㅤ彼は魚を捌くような気軽さで、ナイフを使って男達の頸動脈を搔き切っていく。「ワルキューレ」などの魔法を使わなかったのは、魔法で殺した際に残るエイドス改変の痕跡に気づかれることを恐れてだろう。
ㅤ仕事を終えたので、おれ達三人はホテルから撤収した。下に武倉の車が待機していて、理澄はダグラスとジェネレーターの死体を引き渡していた。
「ヤク。これを渡しとく」
ㅤひょいと渡されたのは、五万円が入ったマネーカード。何でこんなものを……と思っていると、彼はこう言った。
「それ、宿泊代と交通費。あげるから、自分で帰ってね」
「えっ、お前はどうするんだ?」
「黒羽に泊まるから。それに今日、文弥がボクシングの大会に出てたんだ。優勝したみたいだし、今からお祝いで焼肉に行く」
ㅤおれは、黒羽文弥の中性的な容姿を思い浮かべる。彼がボクシングをするのか。何だか、意外な感じだ。
「ていうか。おれだけ仲間はずれかよ? 横浜で放り出すなんて、酷くないか?」
「叔父様が居て良ければ、別に」
「……やめておく。あの人にはあまり会いたく無い」
ㅤそう言うと、亜夜子が微妙な顔をした。よく考えてみれば、黒羽貢は彼女の父親だ。これは紛れもなく、失言だった。
ㅤ彼らと別れ、おれは一度東京に向かった。泊まっても良かったが、そうできない理由があった。理澄が途中で置いて行こうとしたのは嫌がらせのつもりだったのだろうが、おれにとっては好都合なことであったのだ。今回のことについて、「スポンサー」に話をしておく必要がある。下手に話が拗れてしまう前に。
◆
「――というのが、今回の顛末でして」
ㅤ次の日、おれは純和室の部屋で正座していた。湯気が立った湯呑みと、皿に置かれた和菓子が脇にある。だが、おれはまだ手を出せていない。四葉の後援者であり、おれ個人の後援者でもある人間を前にして、そこまで失礼なことは出来なかった。
「……では、君が四葉本家に与したという訳ではないのかね?」
「えぇ。面白半分に付いていったというのが近いかと。何より、おれが四葉をそこまで愛しているとお思いですか? ――東道青波閣下」
ㅤ目の前の僧形の男は哄笑した。そして、横に除けていた湯呑みを手に取る。
「思わないねぇ。君は四葉に、十師族に、帰属すべきとは欠片も考えていない。だからこそ、君が必要なのさ――新しい魔法師社会の秩序に」
ㅤ東道閣下は茶を啜った。
「九島烈は失敗した。相互に監視し合う十師族は、足の引っ張り合いだけを生んだ。結局、国際社会の監視があるのだから、国内にはそこまでのシステムは要らなかったのだね」
ㅤおれも黙って、茶を飲んだ。まだ少し熱い。
「十師族は解体すべきだろう。数字を消し、全てを在野に紛れ込ませる……。まぁ、ある意味今の四葉か。そこから適当に人を選び、新たなる権力者を作れば良い。――その中心は、君になるだろう」
ㅤおれと閣下の目的は偶然にも一致していた。
ㅤ四葉から拒絶され、人体実験の道具としてしか扱われていないおれは、幸せそうな他の十師族の人間が憎い。七草真由美にしろ、十文字克人にしろ、一条将輝にしろ。勿論、武倉や黒羽、新発田などの分家連中もだ。だから、おれは十師族を破壊したかった。
ㅤ閣下は閣下で、十師族システムが形骸化していることや、国家機能が騙し騙しで動いていることに懸念を示している。日本の国力が落ちてしまったら困るからだ。
ㅤそもそも、裏の権力を使って各方面が好き勝手しているのに、この先も上手く回り続ける筈が無い。
ㅤ魔法師が、魔法師と非魔法師を管理する社会。それがおれ達の出した答えだった。
「期待しているよ。『四葉』夜久君……。この国を救えるのは、君しか居ない」
ㅤおれは一礼し、部屋を去る。
ㅤこの素晴らしい未来を、お母様は喜んでくれるだろうか。きっと、いつかは分かってくれると思う。
ㅤお兄様出したかったんだけど、出せなかった……。そろそろお兄様を登場させたい。文弥も名前だけだったので、そっちも。次こそ出します。
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奇跡を見ているか?
ㅤ横浜の問題を片付けた後、おれは上級生相手に模擬戦を挑みまくった。何を隠そう、本戦に出場する為だ。一条や吉祥寺、理澄も偶に出ていたが、連日戦っているのはおれ一人。いわば、エンターテイメントを毎日提供しているようなものだ。上級生は、そんなおれを馬鹿にして「決闘野郎」という変なあだ名を付けた。けど、気にしなかった。
ㅤいつも模擬戦に出ているのもあって、クラスメイトの何人かには少し話しかけられるようにもなった。「退学処分者」というインパクトも、そろそろ薄れてきたのもあるかもしれない。三高での生活は、おれにとっても中々悪くないものに変わってきていた。
ㅤそして、数々の根回しの末に、一年生の本戦出場は何とか認められることになった。実力の違いをあれだけ見せつけたのだから、当たり前だ。
ㅤスピード・シューティングに吉祥寺。クラウド・ボールに理澄。アイス・ピラーズ・ブレイクにおれと一条。モノリス・コードにおれと一条と吉祥寺。これだけ出場出来たら、十分だ。ちなみに理澄は、新人戦モノリス・コードに出場することになった。二分の一換算でも、優勝できれば高い点数が入るからである。
ㅤ代表メンバーが決まった後も、風紀委員は忙しそうだった。ユニフォームの発注したり、ルールブックを読み込んだり、やることは山程あるのだろう。
ㅤ7月も終わりに近付き、九校戦本番が近づいてきた。金沢にある第三高校は、九校戦会場に2日前から現地入りすることができる。とはいえ、練習場所には限りがあるし、そこまで大規模な練習はできない。その上、変に練習して怪我をするのが一番問題だ。なので、懇親会前日と当日は完全オフとなっている。
「……暇じゃね?」
ㅤ会場内の宿泊施設。その部屋のベッドに寝転がり、おれは端末でテキストを読んでいた。本当に何もすることがない。あまりにも退屈なので、机に向かって書き物をしている理澄に話し掛けた。
「そうかな。まぁ、あれだけ頻繁に模擬戦を吹っかけてたら、反動で暇に感じるのかもね」
「直近は練習もしていたけどな。とりあえず、何も出来ないのが……」
「本番前に大怪我、っていうのもよくある話だし。学校側の心配も分からなくはない。一高に勝たなくちゃいけないからね」
「勝つって言えば……。なんか、大会委員から届いてたよな。もしかして、あれはお前がやったのか?」
ㅤ一ヶ月程前、大会運営委員会からの文書が各高校に送られてきた。内容は「飛行魔法の使用禁止」や、「目潰しなどの危険行為の禁止」などのルールが追加されたことだ。
「今年就任した大会委員長のさ、不倫の証拠。僕、持ってるんだよね。だから、結構顔が利くんだよ」
「うわ、可哀想……」
ㅤ思わず、そう呟いてしまう。大会委員長の人生に幸あれ。
「でも、ソイツをそのポストに置いてあげたのは僕。感謝してほしいくらいだね。そもそも、不倫することがまず良くないよ」
「確かに……。けど、どうして急に?」
「九校戦のルールはガバガバ過ぎる。未来の後輩の為にも、整えておいた方が良い」
「はぁ……。それはまた……」
ㅤ決まりを更に厳しくするのが趣味なのか。とんだマゾヒストだ。普通なら、そのルールの穴を突こうとするだろう。
「でも、正攻法で勝たないと。そうだろ、ヤク?」
ㅤ反論の余地も残さない程に、徹底的に勝利する。それが、おれ達三高の目標だった。成る程、そういうことか。
「そういや、お前さっきから何書いてるんだ?」
ㅤおれは腹筋を使って起き上がり、壁際の机に寄っていく。ディスプレイには、ずらずらと文字が並んでいた。
「激励会の演説文。一条に読ませて、皆の士気を高めさせようと思って」
ㅤ顔を画面に向けたまま、理澄は言葉を返す。
「良いなぁ。演説とか羨ましい。おれじゃダメなのか?」
「普通に迷惑だから、やめて欲しい。メンバーのメンタルに甚大な被害が出そうだ」
ㅤ酷い言われようである。しかし、ここは聞き流しておこう。
「とにかく、目算がギリギリだからね。新人戦を完全に捨てて、本戦に絞るとはいえ限度がある。絶対優勝しなきゃ、OBとかからバッシングが来そうだ」
「いや、それは分かる。けど、行きのバスでこっそり見せてきた点数予想シート、新人戦女子の点数があまりにも低過ぎないか? お前、男尊女卑思想だったりしないよな? それなら、普通に付き合い方を変えたいんだが」
ㅤ理澄が「誰にも見せるな。特に吉祥寺には」というメッセージと共に送ってきた点数予想シート。その数字はあまりにも悲観的なものだった。一番点数が取れていないのは新人戦女子の項目。ほぼ全ての競技でトップ3を一高に取られると、彼は予測していたのだ。
「精一杯、女子を尊重した結果がそれだ。大体4位には入ってるだろう?」
「吉祥寺が前に書いてたやつは、もう少し点数は良かったぞ?」
「一高には達也がいる。アイツがエンジニアで出てくると、もう何もかも狂ってくる。恐らく、新人戦女子は結構出張ってくるぞ」
「あぁ、アイツか……」
ㅤ司波達也。血縁上、おれの従兄弟だ。しかし、彼は四葉の一族と見做されていない。序列の低い使用人などは、あからさまに彼を見下している。だが、彼は魔法工学に造詣が深い上、一部の魔法に限定するなら実力はかなり高い。
ㅤ特に、彼の持つ固有魔法の「分解」と「再成」は脅威だ。特に「分解」を応用した戦略級魔法、「
ㅤそれを防ぐ為に、彼には常時ストッパーが掛けられており、「
ㅤしかし、おれと達也の関係はそれだけに留まらない。一時期同じ学校に通っていたとか、彼と彼の妹に魔法を掛けたとか、そんな瑣末なこととは違う。
ㅤあまりにも、おれ達は正反対なのだ。
ㅤ叔母様の息子で、物質構造に干渉出来る達也。お母様の息子で、精神構造に干渉出来るおれ。これが、逆だったら良かったのに。
ㅤどちらにしろ疎まれるのであれば、物質構造に対する才能が欲しかった。お母様の魔法に似た魔法を使えるようになりたかった。ただ、お母様に褒めて欲しかった。
「深雪だけを担当してくれれば良いんだけど。そんな訳無いだろうし。出来る限りの手は打ったけど、五分五分だよなぁ……。手首でも折ってやろうか。あぁ、ダメだ。アイツはすぐに治しちゃう」
ㅤおれが柄にも無くセンチメンタルになっている間も、理澄はぶつくさと文句を言っていた。こっちの顔が見えていないからだろう。
ㅤ五分以上も彼は愚痴を零し続け、ようやく椅子をこちらへと回転させた。
「……勝とう。絶対に勝とう。ここまでやったからには、もう後には引けない。必ず、三高を総合優勝に導く」
ㅤ彼はそう呟いた。おれも、同じ気持ちだった。
◆
ㅤその頃、第一高校では明日の出発に向けて、校内で最終チェックが行われていた。選手は原則休みだが、役職を持っている生徒はそういう訳にもいかない。生徒会、風紀委員会、部活連の生徒、そして有志メンバーは今日も学校へ登校していた。
「何とか目処がついて、本当に良かった! もう、今年はバタバタだったものだから……」
ㅤ生徒会室では、真由美がだらしなく机に突っ伏していた。
「会長。いい加減、ちゃんとして下さい」
「あー……いいのよ、リンちゃん。ここには気心の知れる仲の子しか、居ないんだから。ね、達也くん?」
「何故、ここで俺に話を振るのかは分かりませんが……。まぁ、俺も市原先輩には同感です。仮にもレディが、そのようなことでは問題かと」
「れ、れれれレディ!?」
ㅤ達也の斜め上からの切り返しに、真由美は目を白黒させる。彼女は頭を抱えながら、「いや、嬉しくない訳じゃないけど……」とモゴモゴと口籠る。
ㅤ達也の横に座っていた深雪は、自身の身体を兄にぴったりとくっつけた。そして、拗ねたような口調で達也にこう言う。
「お兄様、私にはレディと仰ってはくれないのですか?」
「確かに深雪は、どこに出しても恥ずかしくない淑女かもしれないけど……。遠くに行ってしまうのが寂しいから、まだまだ子供でいて欲しいな」
ㅤ達也は深雪の柔らかな黒髪に自らの指を入れて、優しい手付きで梳いた。深雪は目を瞑り、彼の手に身を委ねる。
「その、いつも思いますけど……。司波君達って、本物の恋人みたいですね……」
ㅤその様子を正面から見る形になってしまった、あずさがしみじみと呟く。何なら、彼女の方が恥ずかしそうだ。
「あー! もう! 変な空気になっちゃったじゃない!」
ㅤ復活した真由美が立ち上がり、机をバンバンと叩いて、場の空気を何とか戻す。
「――さて。だけど、四月からの騒動を考えると、九校戦の準備が何とかなったのは本当に奇跡だわ。あんなの、前代未聞よ。あーちゃんの『梓弓』を二回も使うことになるなんて」
「えぇ……。私も、まさか使うことになるとは思いもしませんでした」
ㅤ真由美の言葉に、あずさは頷く。というのも、夜久の置き土産とも言うべきあの演説は、一高に多大な影響を残していったからだ。「制服の真実」を知ってしまった二科生らは、荒れに荒れた。
ㅤ怒りに任せて暴れ出すような、血の気の多い生徒も現れだした。同盟に参加するまではいかなかった生徒達も、心情は同盟寄りに変わっていった。
ㅤ魔法技能による差別を無くせ!
ㅤ全ての生徒に平等な教育を!
ㅤ一科生だけを優遇するな!
ㅤ――そのような主義主張を掲げた同盟の運動は、日に日に加速していった。
ㅤ校内の同盟の正体である「エガリテ」。その上位組織である「ブランシュ」を理澄が壊滅させていなければ、事態はもっとややこしいことになっていた筈だ。一高に入学出来なかった彼は「一度くらいは原作介入」と称して、ブランシュのアジトを襲撃していた。それは、ラッキーなことに一高を良い方向に転がしたのである。
ㅤ制服の件は、学校側の不手際であることが既に明らかになっている。格好の叩き相手を見つけた生徒達は、こぞって「体制側」を批判した。つまり、ターゲットは職員室や生徒会、部活連などである。
ㅤしかし、生徒会には「七草」、部活連には「十文字」がいるのだ。第一高校の校長である百山は、特別十師族を贔屓する人間では無いのだが、この状況では忖度をしない訳にもいかなかった。故に、職員室は重い腰を上げて、事態の収拾に動き始めた。
ㅤまず、校内の巡回の頻度を上げた。その為に風紀委員会の人員を倍に増やし、それでも足りない分は生徒会や部活連から人間を割くことで対処。だが、生徒だけでは抑止力があまり見込めず、やむなく教員も見回りのシフトに入ることに。それでようやく、暴動は収まりをみせた。
ㅤただ、この対処法だけだと、いずれは均衡が崩れるのは目に見えている。なので、一番に今回の騒動の遠因となった、津久葉夜久を退学処分にした。彼は学校だけでなく「七草」にも喧嘩を売っていたから、処分の理由は付けやすかった。
ㅤしかも、夜久は一科生だ。「学校の秩序を壊す者はコースによらず排除する」という強硬な姿勢を見せつけるには都合が良い。
ㅤ実際、夜久が退学した後は、二科生や同盟の動きも弱まってしまった。日和ったと言えばそれまでだが、彼らだって退学処分になるのは嫌だろう。
ㅤそして、そうなるのを狙っていたかのように、タイミング良く「校章刺繍注文フォーム」が学内ネットに設置された。二科生専用ではなく、全校生徒に向けた「私物に校章を刺繍するサービス」だったが。
「ですが、これがきっかけで、兄の制服に花が咲いたのは喜ばしいことです。――以前よりも、よくお似合いだと思いますよ、お兄様」
「大して変わりはしないだろう」
「いいえ! 私にとっては、とても大きな変化なのです!」
ㅤ深雪はまるで自分のことであるかのように、嬉しそうな顔をして胸を張った。
「けど、刺繍が付いたのは良かったわね。達也くんはエンジニアとして出る訳だし、懇親会の制服に校章が無かったら流石に困るじゃない。前のままなら、ブレザーを借りなくちゃいけなかったかも」
「そうですね。司波君も、折角なら自分の制服の方が良いでしょう」
「やはり借り物はサイズが微妙に違ってくるので、それはラッキーだったかもしれません」
「淡々としてるわねぇー。もうちょっと、素直に喜んだら良いのに」
ㅤ達也の悟りきったようなセリフを聞き、真由美が呆れたような顔をした。
「まぁ、退学した生徒も一応顔見知りでしたからね。手放しで喜ぶ訳には、というのが」
「えっ、そうだったの!? 全然知らなかった……」
「仲が良い、とかそういう訳では全く無いです。本当に言葉通り、顔を知っている程度ですがね」
ㅤ達也と深雪が夜久と会ったのは、沖縄戦から戻ってきた後の一度だけだ。その際に、彼は二人に「
「そうなんだ……。あの子、三高に転校したらしいのよ。深雪さんは女子代表だし、達也くんも担当する選手は皆女子だから、あまり関係は無いだろうけど」
ㅤ真由美は世間話の延長として、その話をしたのだろう。しかし、達也と深雪にとっては全く違う意味を持って、向かってきたのだった。
ㅤ第三高校に在籍する、四葉の血縁者が二人。偶然にも、彼らの立ち位置は兄妹と鏡合わせだ。どちらの学校に通っていても変わらない。二人を取り巻く波乱の日々は、入学から始まった。そして、それは校内という枠を超えて、学外へと飛び出していく。
ㅤこの時間を駆け抜けた先にある未来は、まだ誰も知ることは出来なかった。
ㅤ第一高校の対応はこの時代の情勢を考えたら、割とあり得るかな……?くらいの範囲に。対応としては満点とはいかない気もしますが、いまいちインパクトに欠けているような。現実の方がよっぽど酷いですからね。そこは、A◯Sって言うんですけど。
ㅤまほほんの卒業公演以来、「黒い羊」めっちゃ聴いてる。この話書くときも、BGMにしてました。
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走れ! Knight!
ㅤ懇親会当日の昼。昼食を兼ねて、三高の選手や応援メンバー、教員とOBOGなどを集めた激励会が行われた。このようなイベントは、三高の歴史でも異例だという。
ㅤ貸し切ったホテル内の宴会場は人でいっぱいだ。壁には「三高絶対優勝」と書かれた、大きな横断幕が掲げられている。理澄が書道部に書かせたらしい。この辺りの準備は、全て彼が取り仕切っていた。
ㅤ逆に、競技に関する準備にはほぼ関わっていなかった。あの点数予想シートも、彼が個人的に作成したものだ。
ㅤチームリーダーである風紀委員長、生徒会長、後援会代表と挨拶が続き、トリは一条の演説。理澄が練ったそれは、意外に好評。感極まって泣き出す人も居たほどである。
ㅤそして、おれはどうしても一条よりも目立ちたくて、昨日から演説させろと理澄に粘りまくっていた。その結果、「一条の演説の後にマイクを奪って、シュプレヒコールするのなら良いよ」という許しを得た。あの一高の事件をオマージュして、笑いに変えてしまおうという趣向のようだ。
ㅤとはいえ、本番でそれをすることに不安が無い訳では無かった。しかし、実際には大いにウケた。本当に良かった。恙無くプログラムは進み、激励会は終了した。終わったあと、何となく一体感が残った。それを見越して催したイベントではあるのだろうが。
ㅤ懇親会という名のパーティは、夕食の時間。それには、まだまだ時間がある。おれと理澄は、一条と吉祥寺が泊まる部屋に遊びに行っていた。
「武倉、あんなの良くやったね。卒業生もかなり呼んでたし……。『激励会開くから予算くれ』と職員室に言いに行った、って聞いた時はびっくりしたけど」
ㅤ吉祥寺が、先程の会についての感想を述べる。
「僕は、そういう仕事の方が向いてるから。食事の仕出しは、一条家が懇意にしてる店に頼んだけどね。――紹介してくれてありがとう、一条。おかげで予算を節約出来た」
ㅤ理澄が、一条に軽く頭を下げる。それに対して彼は「気にするな」と言い、ヒラヒラと手を振った。
「こちらこそ。今までに無い感じで楽しかった。来年もやりたいな、あれ」
「そう言うと思って、マニュアルは残してる。まぁ、続くかは結果次第だけど。盤外戦術の一環としては、悪くないと思うけどね」
ㅤ他の学校には無いイベントで、優越感や特別感を感じさせる。それによって、他でも無い「第三高校」に通っているのだ、という誇りを持たせたかったのだ。変に「一丸となって〜」や「三高の自覚を持って〜」と言葉のみで煽るよりは、場の雰囲気の力を借りた方が良い場合もある。
「思うんだけど、これ体育会系の校風があったからだよな。他の学校でやったら、あまり盛り上がらなかったんじゃないか?」
ㅤ三高は他の学校よりも、実技に力を入れている。雰囲気は体育科高校や、国防軍などに割と近い。卒業後の進路も、軍関係が多いのだ。
「ヤクの言う通りかもね。四高だったら、ウケなかったかも」
「確かに。三高で良かったよな!」
ㅤ一条が嬉しそうに言う。どれだけ、学校が好きなんだ。よく考えたら、彼のCADはスクールカラーの赤色。その上、私服も大体は赤だった。
「それにしても、一高は複雑だろうね。退学した生徒が三高にいるんだから。他の学校だって、津久葉のことは知ってるだろうし」
「良い宣伝になるんじゃない。『一高よりも三高の方が懐の深い学校だ』って。言っても、優秀な生徒は東京に集まりがちだから。金沢まで来るのはあまり居ない」
ㅤ金沢は別に田舎でも無いが、東京と比べてしまうとやはり微妙だ。しかも、敵国の大亜連合と新ソ連が、海を挟んで向こうにある。実際、過去に佐渡侵攻もあったので、「日本海側はやっぱり危ない」と思われがちだ。カリキュラムが実技偏重なのも、「危ない場所にあるので、自分で何とかさせます」という方向性もあるかもしれない。
「今年は俺とジョージが入ったし、武倉も津久葉もいる。けど、来年はどうなるか分からないしな……。活躍して、人を呼び込めたら良いんだが」
「その為には勝たないと。一高を下して、ようやく価値を見せられる」
ㅤおれ達は顔を見合わせ、頷き合った。おれは「一高に仕返し」だし、一条と吉祥寺は「次世代獲得」。理澄は、何を一番の目的としているか分からない。だが、「優勝」という目標だけは全員同じだった。
◆
ㅤホテルの大ホールを貸し切り、九校戦前のパーティは行われる。形式は立食パーティーの形式で、おれはこのタイプのパーティが好きだ。人と話さず、延々と食べ続けられるからだ。間が持たない、とかそんなこととは無縁の時間を過ごせる。
ㅤおれは悪い意味で顔が知られているので、ここでは変に目立とうとせずに、一条達と固まっていることにした。他校生は一条を見て、「クリムゾン・プリンスだぜ……」とか「カッコイイ……」とか言うので、他の有象無象には焦点が当たらない。正直、これは助かる。
ㅤ一条は上級生に連れられて、他校の生徒会長などに挨拶へ行く。すると、必然的に一緒に居るおれ達も付いていくことになる。つまり、一高の生徒会の面々との遭遇は避けられないのだ。しかし、同級生達はおれが出てくることによる「
「見ろよ一条。あの子、超可愛くね?」
「超って……。お前、いつの時代の高校生だよ」
「えっ、僕めちゃくちゃ超使ってるけど。日本語の最上級表現じゃん」
「武倉は時代がズレ過ぎなんだよ! 絶対、コイツの言葉使いもお前の影響だろ」
「そんなの、どっちでも良いんだって! ――見ろって。ホント、あの子可愛くね??? 顔が小さい。芸能人か?」
ㅤ同級生の一人が深雪を見て、はしゃぎ始めた。おちゃらけた性格の彼は九十九という男。名前の通りに百家の一つ、九十九家の生まれである。空気の流れを操る魔法を得意としていて、新人戦バトル・ボードの代表だ。
ㅤ彼に辛辣なツッコミを浴びせているのは、理澄と同じ新人戦モノリスのメンバーの水無瀬。「水」と付く癖に先祖を辿ると、土のエレメンツの系譜だという。水が無いから草が生えず、土が剥き出しになっている……という意味らしい。移動系魔法が得意で、掘り起こした土砂の塊をぶつける「陸津波」が得意魔法だ。
「――お前なんか絶対相手にされないって。あんな美少女、高嶺の花だろ」
「うるせー! 俺じゃ駄目でも、一条ならいけるかもしれないんだ! そのおこぼれを俺たちは貰うんだよ!」
「威張って言うことじゃねぇ。情けなさ過ぎるわ。しかも、俺たちを勝手に数に入れるな」
ㅤえらく馬鹿な会話が繰り広げられるのを、先程取ってきたチキンを齧りながら聞く。盛り上がっているのは、九十九一人だけだが。
「津久葉、元は同じ学校だろ? 接点とかさぁ」
ㅤあるにはある。しかし、言いふらすと面倒なことがやってきそうだ。
「別に無い。同じ学校、同じクラスだからって、絶対仲良くなるとか無いだろ」
「残念だ……。どうしたら良いんだよ!」
ㅤ九十九が頭を抱える。すると、彼の肩に理澄が手を置いた。
「諦めるな。まだ手はあるぞ……、九十九。直接話し掛ければ良いんだよ。よし、僕が呼んでこよう」
ㅤ元から知り合いであることを隠し、勇気あるパイオニア感を出している。これは、明らかに誇大広告だ。
「おい、武倉! 正気かよ!?」
「不審者に思われたらどうするんだ!」
「任せな。確実に任務をこなしてきてやるよ」
「お前、そんなことして……下手すれば死ぬぞ!!!」
「やめとけって!」
ㅤ混乱する仲間達にサムズアップを残し、彼は一高生の集まる場所へと歩いて行った。
「すげぇな、アイツ……。心臓が鋼で出来てる。事象改変したのか?」
「しかし、武倉が成功すれば……。俺たちは美少女とお近づきになれる!」
「付き合えるとは言ってないけどな」
「津久葉! それを言うんじゃない! ――って、どうしたんだ、一条? さっきから呆けた顔して」
ㅤ水無瀬の指摘で、おれも一条の異変に気付いた。彼はずっと、一高の方――つまり、深雪の姿を目で追っているのだ。
「あぁ……。将輝、さっき『彼女は誰なんだ?』って僕に聞いたきり、こんな調子でさ」
「一条が!? 珍しいな。普段なら、そんなのどうでも良さそうなのに」
「黙ってても、向こうから寄ってくるもんな。顔良し、実力良しで、一条の跡取り。何とも羨ましい……」
ㅤその時、理澄が深雪をこちらに連れて来た。皆は緊張して、時が止まったかのように固まる。
「一条、こちらが司波深雪さん。お前が三高のエースだって話したら、是非お会いしたいと」
ㅤめちゃくちゃ適当なことを言う理澄。深雪の表情を見るに、そんなことは一言も言っていなかったのだろう。
ㅤ一条は鯱張った動作で、深雪の前に立つ。
「はっ、はじめまして! 一条将輝ですっ!」
「初めまして、一条さん。司波深雪です。一高と三高は九校戦では敵同士。ですが、ひとたび舞台を降りれば、同じ魔法科高校の生徒です。一緒に頑張っていきましょうね」
「そうですね! 頑張りましょう!」
「えぇ。それでは、皆さん。私は失礼させて頂きます」
ㅤ深雪は丁寧に一礼し、さっさと戻って行った。ここに居るのが、物凄く嫌だったに違いない。多分、理澄は深雪と初対面であるという印象を一高側に付けたかったから、話し掛けて来ただけだったのだ。そのダシに一条を利用したのだろう。
ㅤぼんやりと突っ立ったままの一条を残し、おれ達は彼から離れてコソコソと話をする。
「おい、あれってさ……」
「馬鹿野郎! それを口にするな! 将輝が可哀想だろ!」
「お前ら、絶対本人に言うなよ。今一条に潰れられたら、計算が完全に崩れる。負けられちゃあ困るんだ」
ㅤ理澄の言葉に、この場に居る全員が神妙な顔で頷いた。
ㅤ一条の初恋は、恐らく叶わない。それは皆分かっていたが、九校戦の間は誰もそのことに触れないよう必死だった。もしバレたら、その時点で三高の負けは確定するからである。
◆
ㅤ夕食後、おれは一人ホテルの屋上に上がった。夜風は涼しいが、少し肌寒い。所々に配置されている街灯が九校戦会場を幻想的に照らしている。ベンチがあったので、とりあえずそこに腰掛けた。
ㅤ第三高校に来て、生活がこれまでとはがらりと変わった。確実に生きやすくなっている。目立ちたいと思って何か行動を起こした時、一高ではここまで望んだレスポンスは返ってこなかった。意外と、校風が合っていたのかもしれない。
ㅤ最初に一条などと関わった時は、憎しみを腹の底に抱えていた。彼らが羨ましいからだ。それでも、一条や理澄は十師族の割に気安いところもあった。理澄がおれを三高に呼んだ理由は、「三高が優勝する為」だったし、光の当たる場所で生きている筈の一条は、深雪に緊張して挙動不審になっていた。皆、単なる普通の人間だったのだ。
ㅤ何となく庭を散歩したくなって、屋上から飛び降りた。慣性制御魔法を併用すれば、安全に降りることが出来る。魔法師しかいないこの場所は無断の魔法使用も許されているので、使っても構わないのだ。
「うわっ!」
ㅤ落下地点近くには男子生徒が一人居た。彼も散歩中か何かだったのだろう。暗かったので、気づかなかった。危ないところだった。
「ごめん。大丈夫だったか?」
「何とか……。――って、あの退学処分の人!」
「あれ、知ってる?」
「現場を見たんだよ! 僕、一高生なんだ」
ㅤこんなところで一高生に会えるとは思わなかった。しかし、彼の反応も怖がるなどでは全く無くて、有名人を見た時のようなノリだ。何だか、複雑な気持ちである。
「あれは本当にびっくりしたよ。十師族、それも七草に喧嘩を売るなんて……。学校も辞めさせられてたし……。まさか、三高に居るとは思わなかったけど」
「知り合いに通ってる奴がいて、誘われたんだ。そうじゃなきゃ選ばなかったし、ラッキーだったな。――それじゃあ。お互い、九校戦頑張ろうぜ」
ㅤ適当に話を切り上げ、一高生くんと別れようとした時だった。彼は「待って!」と叫んだ。びっくりして、おれは足を止めた。
「……実は僕、代表でも何でもないんだ。僕は二科生でさ、九校戦には懇親会のバイトで来ただけで……」
ㅤ彼は拳を固く握り締めている。やばいぞ。地雷を踏んだかもしれない。どうやって逃げるかを考えていたら、それよりも早く彼は再び口を開いた。
「勿論、出れないのは悔しいし、魔法を上手く使えない自分が不甲斐無いといつも思う。――だけど、君のおかげで、必要以上には自分を卑下しなくても良いようになったんだ。君があの演説をしたから、一高の二科生制服には刺繍が付いた」
ㅤおれは目を瞬かせた。そんなことを言われるとは、思わなかったからだ。
「見た目だけなら、もう一科も二科も変わらない。変えてくれたのは、紛れも無く君なんだ。だから、本当にありがとう」
ㅤ正直、あの演説は自己満足だった。七草の演説の矛盾を突いて、大騒ぎしてやろう以外の動機は無い。退学処分になったのは想定外だったが、二科生のことを考えてやった訳ではなかったのだ。
「なんか、そう言われると照れるな……。褒めすぎじゃないか?」
ㅤ口から出てきたのは、そんな素直な感想。理澄だったら、こんな時に気の利いたことの一つでも言うのだろうか。
「僕はそれ程じゃない。二科生の中には、君のことをもっと神格化してる人も居るし。これは純粋な感謝の気持ちなんだよ」
「……いや。こちらこそ、ありがとう。――ところで、君の名前は?」
「一年E組の吉田幹比古。幹比古って呼んでくれ」
「そう。幹比古、来年は本戦で会おう。待ってるよ」
ㅤ握手を交わし、おれは幹比古と別れた。
ㅤホテルに戻る道を鼻歌を歌いつつ歩く。お母様に褒められるのとはまた違う充足感が、おれの中を満たしているのを自覚した。
「津久葉! やっと見つけたよ。どこ行ってたのさ?」
ㅤ廊下で吉祥寺に会った。どうやら、おれを探していたらしい。
「先生がアイスの差し入れしてくれてさ。メンバー全員に集合を掛けてるところなんだ」
「アイス!? いいな、それ」
ㅤどうやら、集合場所は風紀委員長の部屋らしい。おれは吉祥寺と連れ立って、そこへと向かう。
「……なんか、さっき見つけた時のことだけど。津久葉、嬉しそうだったね。何か良い事あった?」
「ちょっとな。――じゃっ、お先!」
「あっ! 待ってよ!」
ㅤ吉祥寺を置いてきぼりにして、思い切り廊下を駆けて行く。気分は最高だった。
ㅤ入学編は騙し騙し行ったけど、九校戦編からはモブにも名前を付けないと話を回しにくいので付けました。活躍するかもしれないし、しないかもしれない。原作で空気の「陸津波」くんにも名前をあげました。
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崩れた未来が目にしみる
ㅤ九校戦1日目は、本戦スピード・シューティングが行われる。それは当初の三高の目論見通りに、真紅郎が優勝した。上級生達も奮闘していて、男子の部は他に三年生が三位入賞。女子の部は一位こそ一高に取られたが、二位と三位には入ってきている。
ㅤそして、2日目のクラウド・ボールは理澄が優勝。他の代表メンバーも何人かは入賞はしているので、悪くない結果と言えるだろう。
ㅤとはいえ、まだ序盤。状況次第では一高に抜かれるから気は抜けない。それは一高側も同じで、虎視眈々と逆転の機会を狙っている。例年のように一校だけが大きくリードしている訳ではないので、先の展開が全く読めない。
ㅤしかし、3日目のアイス・ピラーズ・ブレイク本戦。そこで大番狂わせが起こった。最大の優勝候補であった十文字克人が、三回戦で夜久に負けて敗退したのである。これまでの九校戦で負け無しだった彼が「勝てなかった」という事実は、人々に衝撃を与えた。
「十文字君が三回戦落ちするなんて……」
ㅤ第一高校の控え室となっている天幕内では、真由美が顔を青ざめさせていた。彼女以外の生徒も、皆顔色は良くない。それほど、「十文字」の敗北は大きいものなのだ。
「しかも、当たったのは一条君じゃなくて、『あの』津久葉君だなんて……」
「驚きましたね……。あそこまでの実力を持っていたとは……」
ㅤ普段は冷静な態度を崩さない鈴音も、今日ばかりは歯切れが悪い。実は、問題があったのはアイス・ピラーズ・ブレイクだけでは無いのだ。バトル・ボードも、女子は摩利が優勝しているものの、男子の方は三高に取られている。気が滅入るのも、仕方のないことであった。
「どうりで退学処分が決まっても、態度が大きかった訳ね……。あれだけの才能があれば、何処の学校でも拾ってくれるもの」
「三高は実戦向きの魔法に特化していますからね。受け入れ先としては、良かったのかもしれませんが……。こちらとしては、あまり喜ばしいことでは無いかと」
「一条君以外にも、化け物みたいな一年生が何人も居るなんて。そんなの、私聞いてないわよぉ〜……」
ㅤ真由美が近くにあったパンフレットを丸め、机をバシバシと叩く。
「終わったことばかり見ていても、仕方ありません。気持ちを切り替えるべきでしょう。作戦スタッフを召集し、緊急会議を開かなくてはいけませんし」
ㅤ端末の電源を落とし、鈴音は淡々とそう告げる。そして、幕の向こうから様子を伺う、不安そうな顔をした一年生達に彼女は声を掛ける。
「本戦の借金を一年生の皆さんには、押し付けたくはありませんでしたが……。この状況では新人戦の点数が、そのまま優勝に懸かってきます。無責任で申し訳ありませんが、ここは皆さんに頼らせて下さい」
ㅤ一年生達は皆、押し黙っている。何と答えて良いのか、分からないのだ。
「……頑張ります!」
ㅤそんな中、雫が最初に声を上げた。いつもは口数の少ない彼女が、そう力強く言い切ったのは珍しいことだ。
「一高に入学する前から、私……何度も九校戦を観に行ってて! 先輩方と一緒に優勝したいって、ずっと思っていました! だから、絶対勝ちます!」
「わたしも同じ気持ちです!」
ㅤ雫に呼応して、ほのかもそう叫んだ。それがきっかけとなり、他の生徒達も口々に決意を述べた。
ㅤいつのまにか真由美が立ち上がり、鈴音の横に立っている。彼女は唇に笑みを浮かべ、全員の顔をゆっくりと見た。
「……皆さん、ありがとう。――全員で、優勝しましょうね!」
ㅤ真由美の言葉に、一年メンバー達の表情も緩む。暗かった雰囲気がそれなりに改善され、皆がそれぞれ天幕から引き揚げ始める。それを眺めながら、ポツリと鈴音が呟く。
「今まで、あまり実感が湧いていませんでしたが……。意外と、良いものですね。……後輩というものも」
「あれ。知らなかったの、リンちゃん? 後輩って、可愛いものなのよ?」
「そうですね。――ところで、後輩と言えば。司波君と司波さんは、何処へ行ってしまったのでしょうか?」
「……そういえば。すっかり忘れてたわね。まぁ、良いわよ。あの二人はそんなことで、動揺するタイプでも無いし……」
ㅤその言葉で、達也と深雪のことを片付ける真由美。どうせ、臨時の作戦会議で顔を合わせるだろうから、わざわざ会いに行く必要の無いのもある。
「さて! 摩利の所に行こうかな。せっかく優勝したのに、何だか悪いことした気になってるでしょうから……。思い切って、お祝いをしてあげた方が良いわ」
ㅤ真由美達は天幕を出て、会場の何処かに居る筈の摩利を探しに行くことにした。タイミング良く、服部もテントに戻ってきたからだ。仕事を押し付けたと言えなくもないが、真由美を敬愛している彼なら喜ぶだろう――その信頼を、後輩愛と言うのかどうかは……誰にも分からない。
◆
ㅤその頃、達也と深雪は部屋に戻って、男子アイス・ピラーズ・ブレイクの試合映像を確認していた。
ㅤ端末と同期させたモニターには、夜久と克人が激突した三回戦の様子が映し出されている。ランプが上から点灯していき、最後に青色のランプが点いた。その瞬間、魔法式がエリア内に吹き荒れる。1秒も経たないうちに、克人側の氷柱は全て溶けていた。夜久が行使した広域干渉魔法「ムスペルスヘイム」によるものだ。彼は、克人の「ファランクス」が発動するよりも早く、魔法を発動していたのだった。
ㅤしかし、夜久の魔法発動速度は極めて平凡。普通なら、克人よりも早く魔法式を展開出来ない筈であった。
「……間違いない。これはフラッシュ・キャストだ。手首のCADは使っているフリだ」
ㅤ四葉家の秘匿技術「フラッシュ・キャスト」。
ㅤ洗脳技術を応用した、記憶領域に起動式をイメージ記憶として刻みつける特殊な方法を使う。それによって、CADからではなく記憶領域から起動式を読み出すことを可能にするのだ。そして、起動式の展開・読み込み時間を省略して、スピードを大幅に短縮させる。
「でも、お兄様。フラッシュ・キャストはCADを使わずに、CADと同等のスピードで魔法を発動する技術ではありませんか?」
「普通ならね。恐らく、変数を固定しているから、少し速くなるのだと思う」
「サイズや威力などを固定していたとしても、座標は逐一決め直す必要があるのでは?」
「多分、それは試合開始前に決めておいたんだ。確か、夜久は『
ㅤイデア拡張スキル「
ㅤ達也であれば「分解」と「再成」の為に、物質構造の理解とエイドスの遡及が可能である。そして、夜久は「精神構造干渉」の為に、精神座標の精密な指定を実現している。その能力は、現実世界にも波及効果を表していた。つまり、それによって、起動式に変数を代入して座標を定義する手間を省いたのであった。
「それって、反則ではありませんか?」
「言ってしまえば、ズルだ。だから、一条とは戦わずに同率1位で終わらせたんだろう。2回もやるのは、流石にマズいからな」
「二回戦まで普通にCADを使っていたのはフェイクでは無く、十文字先輩と戦う為に温存していたという訳ですね……」
ㅤ深雪は納得したように、何度か頷く。
ㅤ二人がそう結論付けたところで、ドアのチャイムが鳴った。深雪は達也に一度目配せし、ドアを開ける為に席を立つ。
「やっほー、達也くん。それに、深雪もやっぱりここに居たのね」
ㅤ扉の向こうから、顔を覗かせたのはエリカ。その後ろには、レオや幹比古、美月も居た。彼らはぞろぞろと部屋の中に入ってきて、適当な場所に腰掛けた。
「あら、エリカ。どうしたの?」
「遊びに来たのよ。それに……。今年の棒倒し、あるでしょ。そのことで、美月が達也くんに聞きたいことがあるんだって」
「そうか。どうしたんだ、美月?」
ㅤあまり気は進まなかったが、一応達也はそう質問してみた。
「達也さん達は、同じ時間に女子バトル・ボードを観ていたんですよね? けど、エリカちゃんは観たく無い、って言って。だから、わたし達は男子棒倒しを観に行ったんですよ。それで――」
ㅤ達也の懸念通り、美月の疑問は「夜久はCAD無しで、魔法を使ったのでは無いのか?」ということだった。CADから出た起動式が、「ムスペルスヘイム」の効果が現れる前にキャンセルされたのを見たらしい。
ㅤ舌打ちをしたくなるのを、懸命に彼は堪えた。美月が悪い訳では無いのだ。悪いのは、夜久と理澄である。
ㅤ自分がフラッシュ・キャストを使ったのでは無いし、彼らの為に隠蔽に協力する義理は無い。だが、このままだと彼女は危ない――コンマ数秒の間に、彼はそこまで考えを巡らせる。
ㅤ当たり前だが、達也は理澄が転生者だとは知らない。故に、何かあれば本気で、理澄が口封じに動くと考えていた。そもそも、彼は四葉の同世代の中でも、一番「四葉らしい」人間だからだ。
ㅤ感情の希薄な達也は、美月が死んでしまっても本気で哀しむことは出来ない。けれども、数ヶ月一緒に過ごした仲間が亡くなって、平気な顔でいられるような人間にはなりたくなかった。何よりそんな態度を取れば、深雪が達也の在り方を思い出し、悲しみに囚われてしまうだろう。それは、彼にとっても辛いことだ。
「俺は映像で見ただけだから、正しい見解とは言えないかもしれないけど……」
ㅤそう前置きをし、達也は咄嗟に考えた言い訳を述べる。
「『ムスペルスヘイム』とマルチキャストで、自陣の氷柱を守る魔法を使ったんじゃないかな。いくら速く発動したとはいえ、成功しなかったら自分の陣地が危ないからね。だけど、成功したから、その起動式はキャンセルしたんだろう」
ㅤそんなことはあり得ない。それは、アイス・ピラーズ・ブレイクにおける、克人の戦い方の傾向を調べていれば簡単に分かることだ。
ㅤ試合序盤の彼は「ファランクス」で自分の陣地を守り続けるだけ。相手の繰り出す魔法を全て防ぎ切ったあと、攻撃に転じるのである。それだけ、高い魔法技能を持っているという自負の表れだ。
「なるほど……。そうですよね、自分の柱も守らないといけませんものね……。達也さんに訊いて良かったです。ありがとうございます」
ㅤしかし、人の良い美月は、達也の言葉を素直に受け入れた。自分よりも魔法に詳しい人間が言うのだから正しいだろう、という判断もあったかもしれない。
「――そろそろ、夕食の時間だな。こうして集まってるし、何か買ってきてここで食べようか?」
ㅤ細かいことを突っ込まれる前に、急いで話題を変える。
「良いじゃない。さんせー!」
「良いですね。そうしましょう」
「自動調理機、何処に置いてあった? 幹比古、覚えてねぇか?」
「ラウンジ近くに何台か置いてあったよ」
ㅤ食事を調達する為に、全員揃って部屋を出た。エリカ達の少し後ろを、達也と深雪は並んで歩く。深雪が達也の方を見上げ、前には聞こえないくらいの声で囁いた。
「深雪は嬉しいです。お兄様自身は気付いていなくとも……。お兄様はご友人を案じる、お優しい心をお持ちなのですから」
「そうかな? 自分では、よく分からないな……」
「そうなのです! お兄様は私の誇りなのですから!」
ㅤ気付かぬうちに、エリカ達は先に進んでいる。彼らは後ろを振り向き、「何か言った?」と尋ねてきた。
「何でも無いよ。――さぁ、行こうか。……深雪」
ㅤ達也は、深雪に右手を差し出した。彼女はその手を取り、嬉しそうに微笑んだ。
「……はい! お兄様と一緒なら、何処でも私は幸せです!」
◆
ㅤ僕――武倉理澄は転生者だ。その為に、前世の記憶を持っていて、この世界の行く末を知っている。
ㅤ今、僕達が生きる世界は、前世ではフィクション小説の中にあった。だから、人の命が紙屑みたいに軽く飛んでいくこの世界を、偶に現実だと思えない時もある。けれども、ここで生きて行かなくちゃならないのだ。
ㅤだが、この世界は僕の持つ知識とは、少し差異があった。
ㅤ御当主様の息子である、津久葉夜久の存在。
ㅤそんな人物は、原作には出てこなかった。勿論、原作に登場しない人間は幾らでも居る。真柴や椎葉、静といった分家の子供もそうだし、何より自分の存在もだ。しかし、何処か違和感を感じざるを得ない。
ㅤ四葉の子供は、精神的な成熟が基本的に早くなる。死と隣り合わせの過酷な環境に日々置かれているので、防衛本能が働くのだろう。皆、昔から大人びていた。
ㅤだが、夜久だけは違った。彼は普通の子供よりも、更に子供っぽい。良く言えば、感情豊か。悪く言えば、自分を律せられない。
ㅤ小学一年生の時、慶春会の会場だった和室を「プラズマ・ブリット」で破壊していたのを目撃したことがある。とにかく、誰かに構って欲しいのだ。
ㅤ高校生になっても、極度の目立ちたがり屋は治っていない。むしろ、悪化していると思う。魔法科高校を退学させられるなんて、どう考えてもおかしい。彼を三高に呼んだのは、津久葉家に「何とかしてくれ」と頼み込まれたからだ。優勝云々は後付けである。
ㅤ実際に話してみると、頭の回転も早いし、まともなところもあった。だけど、僕はまだ彼を信用すべきかは決め兼ねている。頻繁にスポンサー様と接触している点も、気になるのだ。
ㅤ原作の知識があっても、僕の人生はままならない。逆に、知っているからこそ、ここまで振り回されているのか。何だか、生きることが嫌になってしまいそうだ。
ㅤ九校戦3日目の夜のこと。僕は文弥に呼び出され、一緒に食事をしていた。
「周公瑾に逃げられた?」
ㅤ僕は思わず、手にしていたフォークを取り落とした。
「こちらが動くよりも、早く勘付いたみたいで……。ごめん、理澄兄さん」
「いや、文弥は悪くないよ。横浜グランドホテルの件を握りつぶしたから、逆に警戒されたんだろう。それなら、僕の責任だ」
「公安や内情とかが何も動いてない状況で、無頭竜を壊滅させてたからね。あれだけ手際良くやれば、逆説的に四葉の仕業って思われそうだし……」
「まぁ、それはそう。しかし、どうするかなぁ……。もう、国外とかに逃げてんじゃ無いの?」
ㅤ周公瑾を消してしまうつもりだったので、予定が完全にズレてきてしまった。日亜戦争を起こす為に、方々の組織間を折衝するエージェントの役割は彼が担っている。だから、殺すなり行方不明にするなりすれば、横浜侵攻の話は立ち消えになる筈だったのだ。
「後で調べたら、その時間にちょうど東南アジアに向かう輸送船があったよ。多分、それだね」
「どうせ、日本に舞い戻ってくるだろうけど……。もう、中華街には行かないだろうね。また一から、探し直しか……」
ㅤ下手すれば、横浜騒乱編は避けられないかもしれない。今から、憂鬱になりそうだ。
ㅤだが、今の達也は「
ㅤとりあえず、攻めに来た侵攻軍には、横浜からおかえり頂こう。その後は海軍でも出して、適当な場所を占領し、講和を結んでしまうのが一番早いか。早急に根回しをしておかないといけない。
「その辺は、姉さんが今洗ってるところ。明日にはここに来るって」
「ごめんね。本当なら、二人とも初日から居れたのに」
ㅤ文弥が亜夜子よりも一足先に会場にやって来たのは、僕にこの情報を伝える為だ。
「ううん、大丈夫。新人戦には間に合ったからね。理澄兄さんのクラウドは見れなかったけど……」
「あぁ、あんなのどうでも良いよ。あれはもう、クソスポーツだから」
「仮にも出場して優勝した競技なのに、酷いこと言うなぁ……」
ㅤ実際、クラウド・ボールはスポーツとしては、あまり楽しいものでもないのだ。
ㅤテニスじゃないので、コート内を走り回らなくても成立するのが、そもそもの前提としておかしい。コートの後ろの方に立って、飛んできたボールを無心でベクトル反転するだけ。どうも、作業的に感じるのだ。
ㅤ
「加重系魔法でボールを重くして、相手にぶつけてコート外に出すルールだったら、絶対楽しいのにね。それはレギュレーション違反になるんだよなぁ……」
「一体、理澄兄さんはクラウドに何の夢を見てるの?」
ㅤ尤もな指摘を受けてしまう。けれども、スポーツなのだから、もっと楽しい方が良いに決まっている。スリルは多い方が、観客も盛り上がるだろう。
「ところでさ。文弥は一高と三高、どっちを応援してくれるの?」
ㅤ食事をする彼の手が、ピタリと止まる。
「えっと……。その、一高かな。」
ㅤ幼馴染よりも、憧れの「達也兄さん」の方が良いらしい。こう返ってくるのは分かっていたけれども、少しショックを受けてしまった。
ㅤ主人公出せなかった。だけど、まぁ皆が主人公のことを話題にしてるので、実質居るようなもん。最後の理澄と文弥の会話は、横浜騒乱編へのフラグ。今作は大亜連合がゲストに来てくれるよ〜!やったね!
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アンビバレント・アバウト
ㅤおれ達は一条の部屋に集まって、新人戦の点数結果を難しい顔で眺めていた。元々、何個か一位を取られることくらいなら想定していた。一高は決して、弱小校などではない。
「全てじゃないとはいえ、新人戦女子で上位三つを一高に取られるとは……」
ㅤ吉祥寺は沈痛な面持ちで、競技名が書かれた部分をタップしている。
「早撃ち、棒倒し……。二つとはいえ、全部取られたのは痛い」
ㅤ理澄の予想が当たった形となる。司波達也は明らかに、三高の邪魔をしてきているのだ。いや、邪魔をしているという感覚も無いかもしれない。
ㅤ彼は目立とうと考えなくても、目立つことが出来る。
ㅤ片手間に行うことが、世界を驚嘆させるから。
ㅤだからこそ、彼の才能を人々は理解せざるを得ない。どうやって折り合いをつけるかが、それぞれ違うだけだ。
ㅤ司波深雪は、崇拝することで。
ㅤ黒羽文弥と黒羽亜夜子は、憧れることで。
ㅤ武倉理澄は、同じフィールドで戦わないことで。
ㅤ過程はどうあれ、彼らは「彼」を心底理解している。
ㅤ――でも、おれはどの方法を選べば良いのだろう? まだ、答えは出せていない。
「早撃ちとかは、確かに北山って子の魔法力は卓越してた。だけど、他の二人はそうでもない」
「棒倒しもそうだよ。北山さんが使った『共振破壊』と『フォノンメーザー』、司波さんが使った『
「あの競技の担当者は……司波達也。アイツは何者なんだ?」
「それなら、もう調べてきたよ」
ㅤ理澄が、さも最初から準備していたかのように、話し始める。彼は、こういった演出をするのが非常に上手い。
「彼は一科生ではなく、二科生だ。三高でいう、普通科だね」
「ということは、担当教師がいないってことか!? よくそれで……」
「まぁ、普通なら基準を下回る魔法師の才能は、その時点で出涸らしみたいなものだよ。だけど、BSなどの一点特化した奴っているからね……。そういう意味では、紛れもなく彼は天才だ」
ㅤ魔法に分類されない特殊技能を持つ、BS魔法師。「BSの一つ覚え」と揶揄されることもある彼らだが、特定の分野に限るならば、極めて優秀な結果を残すこともある。達也も、無理に分類すればBSに入るかもしれない。
「なぁ、理澄。奴のCAD調整は、他とどんな違いがあるんだ?」
ㅤおれは個人的な興味で、そう尋ねてみた。
「調べた限りだけど、ツールは全く使っていない。完全マニュアル調整だ。あと、起動式をアレンジ出来るらしい」
「は!? 起動式をアレンジ!? もう、完全におかしい部類だっ!」
ㅤ理澄の言葉に、吉祥寺が裏返った声を上げる。そして、頭を抱えながら、後ろのベッドに倒れこんだ。
「ジョージ。それはどの辺りがおかしいんだ?」
「全部だよ! 変に素人が書こうものなら、脳に極度の負担がかかるような代物しか出来ないんだから! あれだけの結果を出せるようなのは、業界でも中々お目にかかれない」
「だけど、ジョージならアレンジくらい出来るんじゃないか?」
「出来るけど、僕はやりたくない。魔法力を失うようなことになったら、責任を取らなくちゃいけないんだから」
ㅤ保身まみれの台詞だったが、理解は出来た。研究所の正規メンバーで、自身の研究室まで持っている立場なのだ。面倒ごとなんて、真っ平御免だろう。
「それは仕方ない。ジョージの存在は唯一無二だから。――じゃあ、武倉。お前は?」
「僕に出来るのは、術式をダウンロードしてくるところまでだね」
ㅤそれは、全く出来ないのと同じだ。
ㅤとはいえ、おれも魔法工学なんか、何も知らないのだが。あれは難し過ぎて、何を言っているのか分からないのである。適当に魔法をぶっ放す方が楽だし、何も考えなくて良いのだから。
「そもそも、そういう一条はどうなんだよ?」
「全然ダメだ。普段から、家の人間任せだからな」
ㅤ三高生は割合脳筋ばかりだが、理由はそれだけではない筈だ。
ㅤ基本的に九校戦は、パワーと才能でゴリ押すもの。だから、一高と三高が一応双璧扱いされるのである。エンジニアの腕で大きく左右されるとは言うが、それは差が拮抗している時だけ通じる理論だ。それが通るならば、四高が毎回優勝していないとおかしくなる。
「今からエンジニアのことを考えたって、どうしようもない。ミラージを取られてしまったら、新人戦優勝は一高に譲る形になるだろうが……」
ㅤ空気を変えるべく、おれはこれまでの話をまとめる。すると、理澄が目を丸くした。
「ヤクが、そんなマトモなことを言うなんて……。『一高に勝てないなら、選手を直接ボコってこよう』くらい言うと思ってた」
「その発想の方が最悪だ」
ㅤおれのことを、頭のおかしい奴だとでも思っているのか。全くもって、失礼である。
ㅤ三高が優勝することで、七草と十文字を擁する筈の一高の評判を下げることが本来の目的なのだ。それは回り回って、十師族の評価下げに繋がる。そのまま、最終的に第四研だけを生き残らせて、おれがその遺産を引き継ぐ。スポンサーの援助をおれ経由でしか繋がらないようにすれば、十分可能な芸当である。
ㅤつまり、総合優勝が一番重要。すぐに忘れられてしまうような新人戦の勝利など、向こうにくれてやる。
「津久葉、それは止めておいてくれよ。三高が失格になりそうだ」
「何で、そんな釘をさすんだ。んなことしねぇよ」
「いや、退学になったことあるんだから……」
ㅤ思ったよりも、退学というのは人生に付いて回るらしい。彼らの忠告に対し、おれはため息だけを返した。
◆
ㅤ新人戦モノリスは、三高の独壇場だった。特に、ステージが渓谷や草原などの、開けた場所だった時は最高であった。理澄の「擬似瞬間移動」の連続行使によって、メンバー全員が、相手校モノリスまで10秒ほどで飛び、ディフェンスを強引に突破。放たれる魔法を全て領域干渉や障壁で無効化して、モノリスをすぐに開けてしまった。
ㅤ理澄と水無瀬もそうだし、もう一人の選手も第一世代だが魔法技能は優秀だ。「九校戦はパワーと才能」ということを、分かりやすく体現した形になる。
ㅤ一高との決勝戦も、やり方は滅茶苦茶だった。三高モノリスに向かって、自己加速術式で走ってきた森崎を、「擬似瞬間移動」で上空に打ち上げたのだ。哀れ、彼は見当違いの場所に移動させられたのである。だが、観客には物凄くウケていた。
ㅤまた、ミラージ三位には三高生が滑り込めた。その理由は、深雪が新人戦に出場しなかったからだ。一高も、流石にマズイと思い始めたのかもしれない。だが、そんな対策をされてしまったら、こちらも困る。
ㅤ飛行魔法をレギュレーション違反にされてるとはいえ、深雪はもしかしたら優勝するかもしれない。そうなると、おれ達がモノリスで優勝しなければ、逆転を許される。ギリギリの状況だ。
ㅤ決勝戦まで駒を進め、一高との戦いは目前となった。控え室におれ達が詰めていると、理澄が急にそこへと入ってきた。
「……やばいね。司波深雪は優勝したよ。三高は四位で、5点しか入らなかった。ミラージで出来た、一高との差はマイナス40点」
ㅤ現時点での本戦の点数は、一高・240点、三高・295点。新人戦が、一高・235点、三高・200点。完全にデッドゾーンに入っている。
「これは一高も気合を入れてくるな……。津久葉に負けてるから、十文字も挽回しようと考えてるだろうし。というか、師族会議の通達で『十師族の威厳を見せろ』みたいな話が、十文字家には回ってきていた筈だ」
「まぁ、向こうの事情は関係ない。こっちも勝たなきゃいけない理由がある」
ㅤおれは立ち上がり、試合場所――今回は草原フィールドである――に歩き出す。一条と吉祥寺も、慌てたように続く。後ろで理澄が、気楽そうに手を振っていたのが見えた。コイツは競技が出終わったから、他人事なのだろう。
ㅤ決められたルートを移動し、モノリス近くで待機する。そして、ポジションの最終確認をした。遊撃は一条で、ディフェンスが吉祥寺。オフェンスはおれだ。
「……絶対に勝つ」
ㅤ開始のブザーが鳴る前、おれは口の中でそう呟く。
ㅤ――数秒後、ブザーの音が会場中に鳴り響いた。
ㅤ試合開始だ。始まった瞬間、おれと一条は自己加速術式で走り出す。障害物が無いことが分かっているから、脳内処理の限界を超えたスピードだ。
ㅤ周りの様子など、何も見えない。それはつまり、向こうも変数定義が非常に困難だということ。しかし、事象改変を知覚し、おれ達は術式をキャンセルした。
「障壁魔法!」
ㅤ一高モノリスを守る十文字が、遠くから障壁を生成したのだ。このままだと、これ以上は進めない。
ㅤおれは「
ㅤ先へ進もうとした時、ドライアイス弾がこちらに飛んできた。それを、一条が「偏倚解放」で吹き飛ばす。
「津久葉! 先に行け! ここは俺が片付ける!」
「了解! 頼むぞ!」
ㅤ一条は地面の下を精密に照準する能力は持たないが、発散系統は得意だ。障壁と地面の間ギリギリを狙い、発散系魔法を使えば大丈夫だろう。それに、一高選手側が使う魔法も、彼の領域干渉で押し潰せる。心配することは、全く無かった。
ㅤもう一度、自己加速術式を使い、モノリスに向かって駆け抜ける。多分、相手もおれを邪魔したいだろうが、一条が使ってくる「
ㅤモノリス前には、十文字が仁王立ちしていた。先手必勝とばかりに、「スパーク」を放つ。しかし、それは防がれてしまった。おまけに、普通の障壁魔法ではなく、「ファランクス」だ。
「……随分、過大評価されたものだ」
「アイス・ピラーズ・ブレイクでお前は、俺を倒した。『ファランクス』で不足はあるまい!」
ㅤ地中からの「エクスプローダー」を試みたが、あえなく失敗。干渉力が先程の比では無い。理澄でも、これを破れるかは怪しい。
ㅤとりあえず、半球シールド型の「ファランクス」からの領域干渉が届かない場所から、一回り大きい半球状の範囲を「
「……!」
ㅤ彼は確実に焦っている。このままだと、酸素中毒になるのは目に見えているからだ。しかし、「ファランクス」を解除する訳にはいかない。かといって、空気まで遮断してしまうと途中で酸欠に陥る。これが実戦ならば、「攻撃型ファランクス」を使えば良い話なのだが――
「――がふっ!」
ㅤ急に、おれは見えない壁に突き飛ばされた。不意打ちによって、地面を無様に転がる。これは、まさか……。
「攻撃型ファランクス!? レギュレーション違反だろ! クソ野郎!」
「この『ファランクス』は防御型魔法に分類されている! 決して、違反ではない!」
ㅤそんな言い分、詭弁だ。十師族だから、許されているんだ。おかしいだろ、こんなの。
「俺は十師族の一員! こんな所で、負ける訳にはいかないのだ!」
「うるさい! 数字が付くのが、そんなに偉いか! 十師族の直系は、そんな立派なものかよ! それなら、何で――!?」
ㅤ――おれは、それになれないんだ。その言葉は、無理に飲み込んだ。
ㅤゆっくりと立ち上がる。先程の重たい攻撃によって、身体はとても痛い。本当は立ちたくない。だけど、ここでは終われないのだ。
ㅤ手首のCADに手を伸ばす。向こうは、最後の悪あがきと思っているだろうか。CADから起動式を読み込む。遮音フィールドを自分の周りに生成した後、振動魔法で作った嫌な音――あの、黒板を引っ掻くような音だ――を、大音量で周りにばら撒いた。
ㅤ今、観客達は、パニックかもしれない。しかし、そんなこと知るものか。「ファランクス」は物質非透過。音と光は、そのまま通す。
ㅤ勿論、それだけではない。マルチキャストで、精神干渉魔法「マンドレイク」を重ねている。想子フィールドは作っていても、想子が生む音は防げない。こちらは前方150°の範囲が元から決まっているので、多分バレない筈だ。十文字の方も、音が生んだ不快さを恐怖と勘違いするだろう。
ㅤ睨んだ通り、彼の「ファランクス」は途切れた。そこを狙い、おれは「スパーク」を送り込む。為すすべなく、彼は地に伏した。
ㅤ一拍置いて、終了のブザーが鳴る。一条は宣言通り、倒しておいてくれたらしい。もしかしたら、吉祥寺かもしれないが。
「……おれの勝ちだ!」
ㅤ拳を大きく振り上げ、空に向けて叫んだ。太陽の光が眩しくて、思わず目を細める。
ㅤこの夏は、きっと忘れられない。
ㅤ九校戦の総合優勝は、三高に決定。お兄様になんか勝てないので、かなり苦労した。やっぱり、さすおに。一高を簡単に倒せそうに書くのは嫌だったから、ものすごく人格者な面を強調したので、「オリ主サイドの性格クソ過ぎじゃない……?」って思ってしまった。
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エキセントリック
ㅤフィールドから退場した後、すぐに天幕テントに戻る気にもなれずにいた。何というか、余韻をまだ大事にしたかったのだ。
ㅤ適当に歩き回っていると、キッチンカーが並んでいる場所に行き着く。その近くには、一人アイスクリームを食べている知人――つまり、理澄が居た。
「何してんだよ」
「見たらわかるでしょ。アイスを食べてる。僕、チョコミントが好きで」
ㅤ聞いてもいない味の好みを言って、彼はスプーンを口に運ぶ。ちなみにおれは、その味は嫌いだった。歯磨き粉の味がするのだ。
「あっ、ちょっと。これ持って」
ㅤ食べかけのアイスを手渡してきた。おれは無言でそれを持つ。すると、彼はCADを操作して、遮音フィールドを構築する。フィールドを作ってすぐ、アイスをおれの手からひったくった。
「優勝できたね。十文字の『ファランクス』を破るとは。流石にもう無理かと思ってた」
「まぁな。人間、やれば何でもできるらしい」
「今頃、師族会議は大騒ぎだ。どの家も必死になってお前の素性を探っているだろう……四葉以外は」
ㅤ彼はそう言いながらも、アイスを食べるペースは落とさない。掬っては食べ、である。
「ふーん」
「それで、だ。ヤクの十師族をぶっ倒すという"大活躍"によって、御当主様も色々考えたみたい。今、ここに2つの道が開けている」
ㅤ理澄は思わせぶりな口調でそう言い、おれの目の前で二本の指を振った。
「一つ目はある意味、朗報かもね。津久葉夜久を『現四葉当主の息子、および次期当主』と公表する道……」
「公表!? 本当に……?」
ㅤ涙が溢れそうだった。
ㅤお母様はおれを見ていたのだ。息子として……もしかしたら、もう一度最初からやり直せるかもしれない。
「出自を隠さないということは、これからは存分に目立っていいということだよな?」
「今までも散々好き勝手だった気はするけどね」
ㅤ非常に彼は何か文句を言いたげではあったが、おれは気に留める事はなかった。
「一応、二つ目も教えておくよ。『十文字を倒したのは偶然、と言い張って普通の生活を続ける』という道。まだ時間はあるから、ゆっくり選ぶといい」
ㅤ選ぶまでもないだろ、と言い返す前に彼はスタスタと去って行ってしまった。消化不良の気持ちを残したまま、おれはそこに立ち尽くす。
「――津久葉! やっと見つけた! 何で戻ってこないんだよ!」
ㅤ不意に、おれの名を呼ぶ声が。振り向くと、一条がそこには居た。
「一条、何してんだよ? 主役はちゃんとテントに居ろよ」
「その主役を探してこい、と先輩に追い出されたんだよ。今日の主役は……津久葉、お前だろ」
「おれ?」
「当たり前だ。優勝の大貢献者なんだから。ほら、行こう。三高のみんなが待ってる」
ㅤさらりと言われた言葉が衝撃的だった。
ㅤ家名を出さなくとも、ナンバーズでなくとも、「夜久」という個人に価値を見出してくれる誰かは存在するのだと。
ㅤ自分は一体、何者であるべきなのか。このまま、おれは「四葉夜久」を選んで、良いのだろうか。急に迷いが浮かんだ。先程まで、迷うことは一つもなかったのに。
「……あぁ。そうだな」
ㅤ東道閣下、または「スポンサー」達は、きっと四葉の道を望むだろう。四葉家内でのおれの立場が安定することで、干渉をさらに強めることができる。彼らが目指す「秩序」の構築も進んでいくことだろう。それは自分自身も願っていたこと――けれども、"そんなもの"の為に今を手放してしまう?
◆
ㅤ夕方の閉会式。三年生達に続いて、おれ達三高生はぞろぞろと会場に向かう。三高は優勝校だからか、他校生が気を遣って道を空けてくれた。やはり、優勝は良いものである。
「――津久葉……少しいいか」
ㅤそんなパーティーを楽しむ気持ちに水を差してきたのは、少し前に雌雄を決したばかりの十文字克人だった。
「スカウトとかならお断りだ」
「いや、少し話したいことがあってな。場所を変えよう」
ㅤ強引な男だ。ちょうど持っていた炭酸ジュースのグラスを投げてやろうかと思ったが、一応思いとどまる。近くに居たウエイトレスにグラスを渡し、おれは十文字の後ろに続く。会場の外、庭の人気の無い場所で彼は足を止めた。
「つまらない話ならすぐに帰る」
「案ずるな。すぐに済む」
ㅤホテルの広い庭に、今はおれ達しか居ない。ホールから聞こえる微かなBGMが、寂しさを感じさせる。
「――津久葉。……お前は、十師族だな?」
ㅤ短いそれには、言葉以上の圧力が込められている。だが、おれは屈しなかったし、屈する必要もなかった。
「もし、おれが十師族だとしたら……。貴方が格下の魔法師に負けた、という事実を誤魔化すことができる。そんな事の為に、そもそもあり得ないような質問を?」
「……いや、違う。お前は俺に勝った。最強の魔法師の一角を担う十師族に、お前は勝利したのだ……。――それ故、お前も十師族という立場に立たなければならない」
「ふーん。見合いの斡旋か。お節介なことで」
ㅤおれは肩をすくめた。やっぱりつまらなかったじゃないか。もう帰りたい。
「例えば、そうだな……。七草なんか、どうだ?」
「正気か? 七草に一高を追い出されたのに?」
「お前を受け入れるとなれば、七草家が折れる形になる。悪い話ではないだろう」
「……断る」
ㅤ考えるまでもなかった。おれは四葉で無いと嫌なのだ。十師族に価値は何にも見出していない――その答えが浮かんだ時、自分の中の矛盾に気付いた。
ㅤおれは、十師族になりたい訳じゃ無い。お母様に愛して欲しいだけだ。形だけの「息子」になって、自らの望む未来はあるのだろうか?
「そうか。気が変わったら、いつでも言ってくれ」
ㅤ彼はそう言い残し、去って行った。勝手な奴だと思いつつ、おれも会場へと戻る。そして、三高生の皆が集まっている場所へ向かって歩き出す。
ㅤもう、答えは決まっていた。
◆
「――えっ、やっぱり四葉バレはしないことにした? どういう風の吹き回し?」
ㅤ九校戦、および夏休み明けのこと。三高の適当な空き教室に理澄を呼び出し、結果を伝えていた。
ㅤ結局、おれは四葉真夜の息子であることは公表しないことにしたのだ。このまま魔法師コミュニティに紛れ、普通の魔法師として生きる。つまり、今の人生を受け入れようということ。何だか、それも良い気が今はしていた。
「あぁ、なんか文句あるか?」
「無いけど……なんなら、割と好都合ではある。カバーストーリーを作らなくて済むから。それに作ったからって、みんなにそのまま信じてもらえる訳じゃ無い。色々と工作が必要なんだ」
ㅤなるほど、「四葉夜久」としての知り合いだったなら、どういう出会いをしたのか誤魔化すことが彼には必要だった訳だ。
「こっちは逆に色々あったけどな」
ㅤおれは東道閣下との共闘関係が解消されたことを理澄に告げた。彼はそれらの事情を全て聞いたあと、納得したように頷く。
「なるほどね、お前が達也と同じ立場になっていなかった訳だ。それほどに『精神構造干渉』を、スポンサー様も手元に置きたかったと」
「それだけじゃない。あの人達は『魔法師コミュニティの一元化と、それによって政官財システムの全てを一手に掌握すること』を目的に動いている。けど……魔法師を纏め上げる題目が今のところ無い以上、単なる机上の空論のままだ」
ㅤだからこそ、スポンサーはおれを選んだ。
ㅤかつての「アンタッチャブル」のような――つまりは大漢崩壊時代のように四葉を暴走させ、既存の魔法師社会に反旗を翻す為の――苛烈さと軽率さを買われていたというだけ。
「まぁ、とりあえず……おれが四葉内での地位を蹴ったことでスポンサーとの関係は悪化。とはいえ、四葉の中でも問題は解決した訳でもない」
「最悪だね。どう考えても、選ぶべきじゃなかっただろ。ヤク的には」
ㅤそうだな、と頷く。だからこそ、これからのことには問題が山積みだった。
「……就職とかどうしよう。魔法大学は推薦でどうにかなるだろうが」
ㅤスポンサーの斡旋を当てにしていたので、このままだとワーキングプアの未来しか見えない。とはいえ、他のナンバーズの傘下魔法師になるのも癪だ。かといって、魔法と関係ない職に就きたくもない。
「非合法な仕事でもしたら? 暗殺とか。特に黒羽は仕事が多過ぎてキャパ崩壊寸前らしいし、いくつか横流しして貰えるように頼んであげるよ」
「要らん」
ㅤそんな馬鹿話をしている時、急に理澄の端末がけたたましく音を鳴らした。
「うるせぇな」
「いや、これは緊急用の着信音なんだけど……――!」
ㅤ画面を確認したあと、彼は急に顔を青ざめさせた。
「どうした?」
「……七草の狸、やりやがったよ――お前と御当主様のDNAを勝手に鑑定して、ご丁寧にも本家に結果を送ってきたそうだ!」
ㅤ端末をこちらに放り投げてくる理澄。それを見ると、確かにその旨が端的に書かれているメールが表示されていた。
「予想外過ぎる……七草だぞ? 四葉の情報保護システムを破れるとは思えない」
「正攻法じゃないんだろう。知ってる奴が知らない奴に教えるのなら、ハッキングも何も必要ない。どうせ、九島烈辺りだろう」
「九島烈が?」
ㅤ九校戦前のパーティーで何か挨拶をしていたことを思い出す。初手で精神干渉魔法をかましていたので、「変なジジイだな」とは思ったものの、それ以上のことは特に思わなかった。
「あの人、『可哀想で魔法が良くできる子供』が大好きだからね」
ㅤおれを見て「可哀想」と思うということは、ほとんどの事情を知っているということだ。
「多分、ウチ的には七草の捏造という形に着地させるだろう。それが一番都合が良いからね。ただ……あちらもそれが分かった上でカウンターを仕掛けてくるはずだ」
ㅤ恐らく、彼というか彼の実家が七草との交渉テーブルを握るのだろう。武倉は「交渉」を一番得意とする、四葉でも異色の家だ。
「師族会議でバラす、ってか?」
ㅤそう、と理澄は首肯した。
ㅤ嘘か本当かなどは、あまり関係がないのだ。疑惑さえあれば、それを議論の場に持ち込めてしまう。
「それを避ける為に交渉するとして……きっと、ヤクと七草家当主の面会の場を設けるくらいはカードとして切らないと無理だろう」
「マジかよ」
「だって、こっちは四葉の縁者とは口が裂けても言えないんだから。『七草が一高から追い出したんだし、まずは謝罪しろよ』で押し切るしかない」
「……面倒だな」
ㅤ心を入れ替えて、真っ当に生きようとしたところでこのザマである。この世に神がいるとするならば、よほど捻くれているらしい。
ㅤ
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こどもたちのジレンマ
ㅤその日は朝から憂鬱だった。というのも、七草家現当主――つまりは、七草弘一との面会があるからである。行きたくないに決まってるし、ギリギリまで抵抗したのだが、やっぱり行かないままはマズいのも分かっていた。
ㅤ家の近くに迎えにきたコミューターで、七草家の本邸へと向かう。四葉の村とは違って、明るい雰囲気の洋館であった。玄関近くまで歩いてくると、非常に見覚えのある人物が現れた。一高を退学することになった原因でもある――まぁ、あちらもとばっちりだったのだろうが――七草真由美であった。
「ようこそ、我が家にいらっしゃいました。お久しぶりね、津久葉くん。九校戦の時は、とても驚かされたわ」
「一高が弱すぎたんですよ」
ㅤそう言うと、真由美は一瞬だけピクリと顔を動かした。客人をもてなすホストとして、苛ついた感情を表に出す訳には行かないと思ったのだろう。
「……応接間へどうぞ。まもなく、父も参りますので」
ㅤ変に無駄話をしないで、案内役という役目だけを果たすことに決めたらしい。そのまま、応接間へと通された。
ㅤしばらく待っていると、七草弘一が部屋へと入ってきた。写真などで見る通り、彼はサングラスをしている。「どこでも掛けてるんだな、コイツ」という感想を抱きかけたところで、着けていないといけない理由を思い出した。
ㅤ彼もまた、おれと同じように「四葉真夜」の残滓を追っているのかもしれない。
「――似ているな……特に目の辺りが真夜にそっくりだ」
ㅤおれの前のソファに腰掛け、弘一は開口一番にそんなことを言った。
ㅤお母様に似ている、それは初めて言われたことだった。四葉にいる人間は、誰も言ってくれなかったから。
「……」
ㅤけれども、ここで何か反応するのは問題があることも分かっていた。
「いや、最初に話すべきことは別にあったな」
ㅤわざわざ席を立ち、潔く彼は深く頭を下げる。こういう時、どうすればいいのか分からない。なので、何もできなかった。
「――津久葉夜久君、君を結果的に一高から追い出してしまったことは、本当に申し訳なく思っている。もしも君が望むのなら、百山先生に便宜を図ってもらえるように口添えするが……」
ㅤ彼のその態度からは、本気の謝意が伝わってきた。
「結構。三高では割と楽しくやってるんで」
「そうか。なら、他に困っていることがあるなら言いなさい。手助けできるようなことなら、最大限応えよう」
「……そもそも。前はああいう態度だったのに、おれが『四葉真夜の息子かもしれない』というだけで急に掌を返すのはおかしくないか?」
ㅤあからさま過ぎではないかという、おれの指摘に、椅子に座り直した弘一は「その通りだよ」と悪びれずに答えた。
「君が単なる魔法師であるなら、さほど興味はないね。真夜の息子であることに価値がある」
ㅤ四葉家は一切認めていないことなのに、おれが息子である前提で話を進め続けている。実際、本当のことではあるのだが。
「――だからこそ、夜久君の抱えてる問題を解決してやりたいのさ。……君が母親から認知してもらえるようにね」
「恩を売って、貸しを作ろうとでも? お断りだ」
「別に見返りは求めないさ。単に他家の隠蔽疑惑を十師族として糾弾したいだけなのだから」
ㅤ弘一はそう言い、「まぁ、考えておいてくれ」と続けた。
「余計なお世話だ。人のプライベートに口出すな」
ㅤおれはそう言い残し、席を立った。帰り道がよく分からなかったので、「
ㅤという訳で、七草弘一との面会はめちゃくちゃな終わり方をした訳である。そして、もう二度と会うものかと決意した――しかし、七草家当主が「狸」だの「策士」だの言われる所以はあるものである。
ㅤ確かに彼は四葉家との約束通り、おれの秘密を師族会議には公表しなかった。
ㅤけれども、三高が設置されている北陸方面を管理・監視している一条家当主――一条剛毅にはそのことをもう既に伝えていたのだ。
◆
「――津久葉、事情を話して貰おうか。それに、武倉も」
ㅤ固い表情で、おれ達を見回しているのは一条将輝。彼の横には吉祥寺もいる。
ㅤなぜ、こんなことになったのだろうか。一条達に連行される途中、理澄が「七草にしてやられたね」と書いたメモをこっそり見せてきた。どうやら、彼にとっても想定外の事態らしい。
「……何の話? いきなり呼び出しておいて」
ㅤ理澄が不満そうに唇を尖らせる。とぼけられるうちはとぼけ続けよう、という作戦なのだろう。おれもそれには同意だった。
「コイツに四葉の縁者の可能性があるという話だ。元からコイツと知り合いだったのなら、お前もその辺りのことは知ってたんじゃないのか?」
ㅤコイツ、と一条はおれを指差した。そして、彼は手元の端末へと目を落とす。恐らく、おれについての何かデータが映し出されているのだろう。
「改めて見てみれば、津久葉……お前のPDはあまりにも不自然すぎる。親族についての項目は何も情報がない。ただ『津久葉夜久』という戸籍が単体で存在するだけだ」
ㅤおれは四葉を名乗れず、仮の名字として「津久葉」を与えられただけだ。なので、書類上は分家としての津久葉家と一切関係していない。
「親に認知されてないからな」
ㅤそんなことを馬鹿正直に説明する訳もなく。言える部分だけを明かし、PDの不足を認める。
「だから、今はその親の話をしたいんだろ! 要は――」
ㅤはぐらかされていると感じたのか、一条が目に見えてイライラし始める。そんな時、今まで沈黙を貫いていた吉祥寺が軽く手を挙げた。
「――将輝、ちょっといいかな」
「どうした、ジョージ?」
「僕たち……というか、実際は将輝だね。一条家が、どういう理由で素性を問い質せねばならないか。その情報を一体どうするのか。それを2人に説明するのが、まずは筋じゃないかな。このままじゃ、警戒されるばかりで欲しい答えは手に入らないと思うよ」
「確かに……」
ㅤ親友の言葉に、一条も落ち着きを取り戻す。うん、と一度頷き、おれ達に向き直った。
「津久葉の話を持ってきたのは七草家だ。前提として……七草が提供してきた情報は、真偽こそはともかく公的な信頼性には欠けていて、ゴシップと大差ない。だから、これをソースに四葉へ問い合わせするのは厳しい。モラル的にも問題だ」
「だが、師族会議の極秘議題としては出せるんだろ?」
ㅤそれこそ、四葉が一番警戒していたことだったのだから。
「あぁ、けど……」
「そうはしないんだろ?」
ㅤその時、理澄が口を挟んだ。以前あれほど怖れていたこと――その為におれを七草家にまで行かせた――なのに、何とも余裕綽々の顔である。
「まぁ、そうなるな……議題に出すのは簡単だ。けれども、それをしてしまうと四葉との関係が悪化する。このまま知らない振りをする方がマシだろう」
ㅤ七草は元から確執があるので、別に失うものが無かっただけだ。普通の考えなら、「アンタッチャブル」に正面から喧嘩を売る愚行はしまい。なるほど、そういうことだったのか。
「特に大義名分も無い上に、あの大漢の一件があるから何処も突っ込みにくい。そうするしかないよね」
「……満足してるところ悪いけど、まだ話は終わってないよ」
ㅤ吉祥寺が理澄に釘を刺す。よく考えてみれば、何も事態は解決していなかった。
「あー……あのね、ヤクの戸籍を作ったのは僕の身内なんだよ。だから、ちょっとばかり事情を知ってた訳」
ㅤ身内は四葉であるから、あながち間違ってはない。
「めちゃくちゃ非合法なことしてるじゃないか、お前の家」
「生きていくためには必要なんだよ」
「なんか、ごめん……失言だったな」
ㅤ一条が申し訳なさそうな顔をする。
ㅤそういえば、理澄は「エクストラ」を詐称していた。魔法師社会からあぶれた彼らの現実を知っていれば、数字を失わなかった者は罪悪感を持つことを知っているからだろう。悪辣な奴だ。
「……纏めると、一条家は四葉の問題に関しては不干渉を貫く。ただ、うちの管理地域で行動される以上、事実関係を本人に直接確認したいというのも本音だ。津久葉の口から真実を聞いたとしても、どうせ裏付けは取れないだろうが」
ㅤここまで来たら、言ってしまうしかない。あちらがここまでの譲歩をする以上、こちらも応えるのが義理だ。四葉側は「息子を名乗る狂人がいるだけだ」と言い張るだろうし、有耶無耶になるのは目に見えていた。
「……お察しの通り、おれは四葉真夜の息子だ」
ㅤ一条と吉祥寺が揃って息を呑んだ。頭では分かっていても、実際に告げられると衝撃だったのかもしれない。
「でも、四葉とのメッセンジャー的な役割は担えないぞ。絶縁状態だから、連絡もほぼ取れない」
「それは問題ない。余程のことがない限り、魔法協会を通した方が拗れないからな」
「そうか。それじゃあ……改めてよろしく」
ㅤおれは一条に右手を差し出す。すると、彼はその手をしっかりと握り返してくれた。
「よろしくな。夜久」
◆
ㅤ夜久が素性を明かした日の夜。四葉本家の執務室では、真夜が葉山から報告を聞いていた。
「――以上が、今回の件についての理澄様からの報告でございます。危なげなくはありましたが、何とか乗り切られたようですな」
「そう。……夜久――あの子も何を考えているのかしら。あれだけ認知して欲しがっていたのに、その餌をぶら下げた途端に嫌がる。全く分からないわ」
ㅤ真夜は眉を潜め、端正な顔を少しばかり歪ませた。彼女には、夜久の心情を何も理解できないのだ。
「まともな当主教育でもさせれば、落ち着くと思ったのだけれど。上手くいかないものね」
「命令なさればよろしかったのでは? 率直に申し上げまして……奥様が夜久様に選択の余地を与えたのは意外でございました」
「自分で選ばせないと文句を言うでしょう」
ㅤ夜久が「四葉夜久」の道を受け入れたなら、仕事のやり方を山ほど詰め込ませるつもりだった。もちろん、真夜が教えるのではない。専用の講師にさせるのだ。だから、嫌がって逃げ出さないよう、彼の言質を取る必要があったのである。
「そうですか……では、夜久様は次期当主の内定からは外れるということで?」
「えぇ、どうしようもないもの。けれど、『四葉』的には、姉さんの魔法を手放すことはできない。このまま、飼い殺しにするしかないわね」
ㅤ精神構造干渉魔法。真夜にとって、その魔法は彼女の姉のものだ。夜久のものではなく、単に姉の魔法を引き継いだだけ――そう思い続けている。
「――理澄さんに伝言しておいて頂戴。ちゃんと手綱を握っておきなさい、とね」
「かしこまりました」
ㅤ葉山は一礼し、真夜の居る執務室を去る。動画通話用の部屋へ移動しようとしたが、その必要は無くなってしまった。
「おや、理澄様。こちらにいらしていたのですか?」
「はい。研究所の方に用事があったので……」
ㅤ研究所というのは、もちろん四葉の村の地下にある研究施設のことだ。金沢魔法理学研究所に在籍している今でも、彼はたまに自分の実験の為に四葉の機器を利用している。
「どうです? 夜久様のご様子は」
「正直言って、謎ですね……御当主様への反抗という理由だけではないのでは? 今回の一件は」
「つまり、彼の心情に何かしらの変化が現れたと」
ㅤこの葉山の推測はそれなりに的を射てはいた。
「とはいえ、彼が人間的に成長したのならば……喜ばしいことではありますな。親がいなくとも、子供は立派になっていくのやも知れません」
「本当にそう思ってます? 葉山さんも、アイツが子供のままでいることを望んでいたのではないかと考えていましたが」
ㅤ主人である真夜の不興を買うことを分かっていても、葉山は比較的夜久に優しかったのである。その理由というのは――。
「――理澄様はお耳がよろしいようで」
「相手よりも情報を得て、イニシアチブを握れ……そういう育て方をされましたからね。僕には今まで育ててくれた親がいます」
ㅤ理澄と葉山の視線が交差した。先に勝負を降りたのが葉山であったのは、やはり年の功だろうか。
「私は真夜様の側近であり、四葉家の人間です。夜久様を案じる気持ちは、嘘偽りのない本心なのですよ」
「えぇ、分かっています。言ってみただけですから」
ㅤそんな無邪気な言葉を聞き、葉山は好々爺らしい優しげな笑みを浮かべた。今の彼は、四葉家を自分の居場所だと感じている。そして、四葉の子供達を心の底から慈しんでいるのであった。
ㅤ夜久や達也、深雪、そして他にも――アンタッチャブルな一族に生を受けた、「四」の哀れなるこどもたち。
ㅤ歪んだ境遇で懸命に生きる姿は、かくも美しい。
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横浜騒乱編
夢はサブリミナル
ㅤ論文コンペの時期が近づいてきたからか、「発表者募集」とコピー用紙に黒字で打ち出された、無味乾燥なポスターが校舎の壁に何枚か貼られ出した。代表者のセレクションを行うため、それにふさわしい論文を募っているのだ。
ㅤだが、脳筋で溢れた三高だからだろう。あまりコンペに意気込んでいる生徒の姿は、さほど見かけない。九校戦の時の方がよほど盛り上がっていた。
ㅤけれども、数少ない頭脳派達も――吉祥寺や理澄のことだ――やる気は全くなさそうだ。放課後には2人とも、おれや一条と一緒にずっと駄弁っている。論文を書いているようには、全く見えない。ある日、おれは理由を尋ねてみた。
ㅤ
「あんまり出たくないんだよ……論文コンペに」
ㅤ吉祥寺の答えは、あまりにもあっさりしたものだった。出たくない、って何だ。
「まぁ、どうせ論文出さなくてもさ。出てくれって言われるんだろうな〜。まともな候補者居なさすぎて。ね、吉祥寺?」
「だろうね。そうなったら……――アレでいいかい? 酸素を加重系の重ね掛けで金属酸素にするので」
「いいんじゃない? 酸素ボンベ、山ほど余ってるから。誰だよ、あんなに発注したスタッフ」
ㅤ理澄と一緒になって、明らかな内輪ネタで盛り上がっている。どうしていいか分からず、おれと一条は互いに顔を見合わせた。
「ジョージが武倉と関わって、どんどん不真面目になっている……昔はそんなんじゃなかっただろ!」
「いや、元からでしょ。コイツ、しれっと図書館のプロテクト破ろうとして、教頭先生に大目玉喰らってたじゃん」
「お前、そんなことしてたのかよ……」
ㅤ下手したら退学寸前のことを起こしているではないか。おれは退学させられたのにと思うと、本当に解せない。これこそ、一条の威光か。
「でも、大丈夫なのか? ジョージだって、急に発表ってなったら困るだろう。論文くらいは……」
「一晩で書けるよ。先行論文とか引用しなくても怒られないし、質疑応答も全く無いからね。発表慣れしてるなら、ぶっつけ本番で大丈夫なんだ」
ㅤそういうものなのか。おれは論文コンペの実態を初めて知ったので、何とも言えなかった。
「大体あんな変な発表会するから、魔法大で下手な論文を書く学生が多発するんだよ。……そもそも、募集から選考までが短すぎる。あれじゃあ、落書きみたいな文しか書けない」
「実際、『論文コンペしに来たの?』は魔法学研究者が文章を貶す時に使う常套句だしね。あれ言われると心に来るよ。基本コードの論文は何度も書き直さなくちゃで、本当に辛かった……」
ㅤ彼らの話を聞いているうちに、ふとある考えが浮かんだ。
ㅤおれが論文を書いて、コンペに出場するのである。研究レポートは四葉の研究所で書いたことはあるものの、論文を書いた経験は一度もない。でも、論文コンペのレベルを聞く分には行ける気がした。何なら、理澄達に手伝って貰えば良い。
「――なぁ、聞きたいことがあるんだが」
ㅤ思いついたアイデアを言うと、三人は目を丸くした。
「……悪くはないんじゃないかな。津久葉がやりたいなら、アドバイスくらいはするよ」
ㅤ何度か頷き、吉祥寺はそのように言った。他に出てくれる人物がいるなら、それで構わないのだろう。
「けど、テーマはどうするんだ? ジョージ達と夜久じゃあ、得意魔法とかも全く違うだろう」
ㅤ一条が尤もな疑問を呈した。確かに、おれは加重系はあまり得意ではない。系統魔法なら放出系が得意だが、それもそこそこという感じだ。
「簡単だよ。おれの得意魔法……精神干渉系の論文を書けば良い」
「バカだろ。なんで、自分から『四葉』感を押し出そうとするのさ」
「隠してる感を出してる方が怪しい筈だぜ? 堂々としてたら良い」
ㅤ理澄の言葉にそう反論する。四葉であることを隠さなければならない筈の奴が逆に精神干渉魔法を見せつけたならば、逆に違うかもしれないと周囲は思うに違いない。
「それは本人の決めることだから、俺は別に構わないと思うが……ジョージはどうだ?」
「精神干渉系なら理論だろ? それなら、来年の京都会場の時の方がウケやすいよ。横浜の年は、派手に実験機を使うものが賞を取りやすい傾向にある。今年は様子見で、来年にしたら?」
「嫌だ。絶対、今年やるんだ」
ㅤ皆が揃って呆れた顔をする。
ㅤそして、おれの固い意思を感じたのか、理澄は「僕、もう知らない。やりたいならやれば」と投げやりに言った。
◆
ㅤ九校戦前に理澄や夜久の手によって、組織の瓦解まで追いやられた「無頭竜」。壊滅までの手際の良さから、裏事情に詳しいものは、それが四葉の仕業だと勘付いていた。
ㅤ周公瑾もまた、そういった「鼻が利く」人間の一人である。だからこそ、すぐさま彼は東南アジアへと逃げ出した。しかし、華僑コミュニティの柵ゆえ、数ヶ月もしないうちに中華街に戻らざるを得なかったのだ。故に、彼は日本へと舞い戻ってきた。
ㅤ輸送船から密猟グループの船に乗り換え、都市部地下の整備用ルートを介して侵入するという、非常に手の込んだ密入国だ。とはいえ、元いた自分の店を使うのは危険過ぎる。知人の持つテナントの一部を間借りして、彼は隠遁生活をしていた。外から認識できないよう、明かりを絞った室内はとても暗い。ゆらめく蝋燭の炎だけが、この部屋唯一の光だ。
ㅤそこで彼は一人、骨牌を弄びつつ、今後のことについて考えていた。
(……地下の監視が増えていますね。私が一度このルートで侵入した以上、二回目以降の使用は厳しいでしょう)
ㅤ元崑崙法院の人間であった周は古式系の術者だ。修得している技術の一つに、「鬼門遁甲」というものがある。これは時間と方向の組み合わせで意識に干渉する魔法であり、意識誘導によって自らの居場所を読めなくする効果を持つ。
(予定が狂って残念ですが……手引きする予定だった方々は、揚陸艦で入国して頂きましょう)
ㅤけれど、魔法は魔法だ。その時こそ認識することができなくても、優秀な魔法師であれば「魔法が使われていた」ということは分かる。二度目は確実に仕留めようとするだろう。特に四葉配下の魔法師であれば。そんなリスクを周は負う気にはなれなかった。
ㅤそして、この勘は正しかった。
ㅤ武倉家――つまり、理澄は持ちうる人脈を使って警察や千葉家をまず動かした。その上、諜報工作を得意とする黒羽や追跡魔法を得意とする真柴などの分家にも声を掛け、万全の態勢で周の捜索を行なっている。再び彼が地下で「鬼門遁甲」を使用していたならば、見つかってしまう可能性は高かっただろう。
(レリックの回収も後回しです。まずはスケジュール通りに横浜一帯を戦場に出来るかだ……)
ㅤ戦争の手引きと同時に進める予定だった仕事――国防陸軍が保持する「
ㅤけれども、華僑とのバランスで緩かった筈の港の警備が非常に厳しくなっている。強襲揚陸艦をすり抜けさせる為、正規の輸送船を大量に送って、警備局の処理能力をパンクさせる必要もあった。他にも無駄な用事が増えていて、正直レリックどころではないのだ。
「……かの国とこの国が戦争になれば、少しくらいは世界も面白いものになるでしょう」
ㅤ誰もが自らの利権を得る為に争い、疲弊し続ける世界。周や周の仲間達はそんな世界を見たいのだ。彼らの残り少ない人生を、ただ理想の実現に費やしている。
ㅤ争いが全ての時代になれば、今は息を潜めている「四葉」も表舞台へと飛び出すに違いない――その喉元に噛み付けたなら、どれほど甘美なことだろうか!
◆
ㅤおれが書いた「精神の所在と認識」という論文は、三高の選考を見事通過した。
ㅤ実験機を使わないので、用意すべきものはスライドのみ。そして、発表者はおれ一人だから、特に擦り合わせなども不要だ。スムーズに説明できるように練習をしておくだけで良い。
「……よくこれを書き上げたね、津久葉。結局、僕らの助けはいらなかったじゃないか」
ㅤ論文のPDFを眺めながら、吉祥寺がそのように言った。
ㅤ確かに彼の助けを借りたのは、文章の組み立てにミスが無いかの確認程度だ。内容自体にアドバイスは貰っていない。
「だが、大胆な仮説だな。『精神はヒトに認識された時だけ表出する、いわゆる幻に過ぎない』だなんて。まぁ、俺に精神干渉魔法の適性は無いから本当のところは分からんが」
ㅤ一条が文章を読み、そんな感想を述べた。
ㅤそもそも精神の所在というのは、とても曖昧なものだ。おれは精神の座標を認識できるが、それが精神そのものだという実感はない。対応するボタンという感覚が一番近いような気がする。
ㅤ要は、精神などというものは目に見えて存在しないのだ。けれども、人は感情などを表に出すことはある。心は確実にある筈――つまり、「心」の影響を受けとる受容器の改変こそが精神干渉系魔法の実態なのかもしれない。
ㅤ実際、魔法演算領域は起動式に反応して魔法式を半自動的に構築するのだ。今でこそCADの機能に頼るが、本来ならば自分で起動式を組まねばならない。
ㅤ無意識領域にある起動式と相補的に結びつく受容器官が魔法演算領域であり、それは精神受容器の一部であるという考え方もできるという訳だ。
ㅤこの辺りは理澄の書いていた論文を参考にした。彼の研究テーマは「魔法式構造のパターンと変則」。魔法適性の有無は起動式の想子型が演算領域の形と噛み合うかどうかだ、というアプローチ方法の非主流派魔法構造学である。
「――ところで、理澄はどこ行ったんだ?」
ㅤそういえば、今日は彼の姿を目にしていない。一条の家にも来ていないということは、他の場所で何かをしているということだ。
「なんか『研究が進まない』って言って、休暇を取ってた。学校も休んでるし、旅行でも行ってるのかな?」
「武倉は自由人だからな。まぁ、論文コンペまでには帰ってくるだろう」
ㅤそんな話を聞いているうちに、自分の中で合点がいった。恐らく、四葉関連の仕事をしているのだろう。これまでも用事がある度、適当なことを言って誤魔化していたに違いない。何だか可哀想だ。
「そうか。――コンペ中、風紀委員は会場警備をするんだったよな?」
「あぁ。横浜は中華街が近いだろ。だから、よく生徒とのトラブルが起きるんだ」
ㅤ魔法科高校生に絡む輩が多い為、しっかり対処しなければならないということらしい。それなら横浜で開催するのをやめたらいいのにと思うが、魔法協会が立地している関係上、変更をすることは難しいようだ。
「とはいえ、シフトはちゃんとあるからな。三高の発表の時は、俺たちも見に行く」
「そうだね。楽しみにしてるよ」
「おぉ……ま、見とけよ。きっちり優勝して帰ってくるぜ」
ㅤおれは親指を立て、自信満々にそう答えた。
ㅤもう既に各校の発表者は開示されている。だから、自分の従兄弟も代表になっていることを知っていた。ならば、彼よりも目立つだけだ――
ㅤ――そして、お母様にみつけてほしい。
ㅤその為なら、「夜久」はここにいるのだと声高に叫びつづける……いつだって
ㅤこの時のおれはそんな気持ちだけでいっぱいだった。
ㅤでも、それが叶うことはなかったのである……「希望」は打ち砕かれ、業火と破壊に包まれて「地獄」と化してしまう――そう、横浜は戦場へと変わり果ててしまうのだ。
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10月の戦場に飛び込んだ
ㅤ例年、三高生は横浜にある論文コンペ会場まで大型バスで移動するらしい。けれど、今年は少し違う。もちろんバスではあるのだが、20人前後が定員のマイクロバス。大きな実験機を運ばないので、風紀委員と見学希望の生徒数名だけが乗っている。本来なら、補助スタッフが何人も付いてくるのだという。
「……なんか狭いな。――なぁ武倉、この数なら現地集合で良かったんじゃないか?」
ㅤ風紀委員長である3年の先輩が座席越しに、理澄にそう尋ねる。
ㅤ委員長の名前は、百目鬼大我。百家の一つである、百目鬼家の次男だ。彼の父親は魔法協会関東支部長なので、結構大物の家の出身である。
「僕も現地集合で良いかなとは思ってたんですけど、それをしちゃうと職員室から交通費が貰えなくなるんですよ。それに大型と違って、このバスはレンタル料安かったんで……残りを打ち上げ代に使います」
「じゃあ、良しとするか。――おい、一色! お前ら一年女子で食べたいもの決めて良いから、今のうちに相談しとけ!」
「わかりました」
ㅤ一色、というのは師補十八家の一色愛梨のこと。風紀委員でもある彼女は、一年女子ではトップの成績を誇る。おれと同じクラスなのだが、あまり関わりは無い。見た目が派手で怖そうだから、こちらからも話しかけることはしない。
ㅤけれど、まず気になる事があった。何故、打ち上げの決定権が彼女らにあるのか。おかしいだろう。
「ちょっと、百目鬼先輩!? 今日の代表、おれ! おれが決めるべきでしょ!」
ㅤあわてて文句を言うと、「津久葉は九校戦のときリクエストしただろ」と一蹴された。
「悪いが、今回はわしらが好きに決めさせてもらうぞ? 案ずるな、おぬしも気に入りそうな所にしてやる」
ㅤ四十九院沓子が身を乗り出し、こちらに声を掛けてきた。彼女は明るい性格をしているので、割あい話をする機会も多いのだ。
「いいのか?」
「構わぬよ。――栞もそれでいいじゃろ?」
「私はどうだっていいわ」
ㅤ端末に目を向けたまま、そう言うのは十七夜栞。一色と同じように、彼女にもおれは怖いイメージを持っているので、せいぜい挨拶程度の関係でしかない。
「ねぇ、十七夜! そんなクールぶらなくてもいいでしょ。前に研究所でやったバーベキューで、散々飲み食いしてたじゃ……ってぅわっ!」
ㅤ理澄が軽口を叩いている途中で、言葉を急に途切れさせる。想子塊が飛んできて、彼の顔前で破裂したからだ。
「……武倉、ちょっと黙って頂戴」
「ごめんなさい」
ㅤ十七夜は金沢魔法理学研究所の研究員ではない。けれども、テクニカルスタッフという立場ではある。所内にある訓練施設を使う代わりに、計測された自分のデータを提供するという契約で研究所に籍を置いているのだ。その為、理澄や吉祥寺とは比較的話している姿を見かける。
ㅤまぁ、吉祥寺はともかくとして、理澄は大抵しょうもないことしか言っていないが。というより、彼は女子と話すときはいつもそんな感じなのである。前に「僕は深雪と仲が悪いんだ」と言っていたが、原因は推して知るべしだ。
「だけど、栞はよく食べる方よね。見た目からは想像つかないけれど……」
ㅤ薄く笑みを浮かべた一色が十七夜を少し揶揄う。すると、彼女は拗ねたようにそっぽを向いた。
「――そういえば、やっぱ来てるんですかね? あの一高の美少女! なぁ、一条も気になるだろ?」
ㅤ同じく風紀委員会である2年の先輩――佐久間という第一世代の男子生徒だ――が一条に話を振る。
「し、司波さんのことですかっ? い、いやぁ……別に!」
「すごく気にしてるじゃないか、将輝」
ㅤ一条の顔色が赤や青に忙しく変わっていく。初心な反応は、見ていて非常に面白い。笑っていると、ポケットの中に入れていた端末が震えていた。理澄からだ。隣の席なのに、わざわざ何を送ってきたのだろう。
『一条も報われない恋路で気の毒だね』
ㅤチャットには、こんな一文が送られてきていた。
『ウチに「一」を入れることは無さそうだもんな。秘密保持的にも』
『基本はスポンサー側の血を入れるからね。僕達も、いずれは何かしら言われるよ』
ㅤ魔法師は早婚が推奨されている。次世代に進むほど、魔法力が上がる傾向にあるからだ。けれども、おれはあまり気が進まない。自分もまた、お母様と同じことをしてしまったら……という不安がいつもあるのだ。
「……魔法師ってのは、難儀な生き物だよな」
ㅤおれの呟きに、理澄も「そうだね」と頷いた。
◆
ㅤ一高の発表のあと、三高に順番が回ってくる。そろそろ準備を始めて大丈夫だと、まだ一高生が残っているが壇上へと移動する。端末をモニターに繋げたりと、細かい作業を手早く進めていく……だが、その手を止めざるを得なくなった。いきなり轟音と地響きが起こったからだ。間髪入れず、けたたましい警報音が鳴り響く。
「何が起きたんだ?」
ㅤ思わず、問いが口から溢れる。答えを求めていた訳では無かったが、すぐに疑問は解消された。達也が結構大きな声で独り言を言っていたからだ。
「装甲車両が走行する時の音だ。あと、ロケットランチャーの爆撃音も聞こえるな。……敵襲か」
ㅤどうすべきか迷う暇は無かった。ホールの出入り口から、武装した人間が5名ほど雪崩れ込んできたからだ。
ㅤそれを目にした瞬間、咄嗟にCADへ指を走らせる。おれの発動した精神干渉魔法「ワン・コマンド」によって、襲撃者は動きを止めた。この魔法は、想子波によって対象者の意思を支配するものだ。「動くな」という命令を出した為、彼らは指先一つ動かせない。
「――やっちまえ!」
ㅤ一番反応が早かったのは三高生数名で、それぞれが一気に魔法を行使し、相克を起こすことなく効果を表させた。
ㅤ吉祥寺は「インビジブル・ブリット」で襲撃者の身体に打撃レベルのダメージを負わせ、一色が「神経攪乱」で彼らを行動不能にする。そして、一条が振動・減速系魔法「
「……助かった。『ワン・コマンド』じゃあ、1分程度しか止められないからな」
「いや、こちらこそありがとう。夜久のおかげで、敵にライフルを撃たれなかった」
ㅤ壇上から降り、三高の皆と合流する。理澄が何処からかロープを持ってきてくれたので、それでゲリラ兵らしき襲撃者を縛り上げた。
「……百目鬼さん、この後はどうされますか? 一高は現地集合だった為に移動手段を持たないので、生徒をシェルターに避難させる予定にしていますが」
ㅤ十文字克人がこちらへ歩いてきた。
ㅤ今年は共同警備チームの纏め役が、百目鬼だったので――九校戦のモノリス優勝校が、チームリーダーを出すのが不文律なのである――一応方針を尋ねに来たのだろう。
「三高生は脱出させます。ただ、ここから直接ではなく魔法協会に一度移動しますけれど……支部に父がいるので、装甲車を融通してもらいます」
「分かりました。では、こちらの方は俺に任せてください。……御武運をお祈りしています」
ㅤ彼はそう言い残し、一高生が集まる方へ去って行った。
ㅤすぐさま、百目鬼は点呼を取り始める。三高生が全員居ることを確認したのち、彼は声を張り上げて言った。
「――お前ら、魔法協会へ行くぞ! CADをサスペンド状態にしておくこと! そして、攻撃よりまずは防御だ! 対物障壁を忘れるな!」
ㅤおれも特に異論は無かったので、そのまま着いていく。道中でも何度か襲撃に遭ったが、何とか対処して目的地へと辿り着いた。一条の「爆裂」で大抵は片付けられたし、他のメンバーも戦い慣れていたのでパニックもさして起こらなかったのもある。
ㅤ魔法協会で脱出に向けての用意を始めようとした時のこと。
「……俺は義勇軍に志願します。だから、横浜に残ります」
ㅤ一条が真剣な顔で、そう切り出した。
ㅤ十師族としての生き方とか、きっとそんな陳腐な理由だろう――などと考えていたら、彼は宣言の後、おれの方へと顔を向けた。
「津久葉、お前も一緒に来い! 言っておくが、俺は十師族だからって戦場に出る訳じゃない。戦える力があって、その力で誰かの命を救えるからだ。それはお前も一緒の筈だろう」
ㅤ魔法力は血の濃さに依存しがちだ。故に、魔法名家などというものが成り立つ。
ㅤけれども、一条はそれを理由にしなかった。いや、「誇り」自体は彼も持ち合わせている筈。だが、そこでは無い所での戦う意味を、おれに提示してきたのだ。「十師族として生きられなかった」としても、逃げる理由に使ってはいけないのだと。
「……分かった」
ㅤおれは戦場に出ることを決意した。誰かを救いたいとか、そんな殊勝な心がけは全くない。でも、一条の言葉は道理が通っていて納得できた。
「年下に熱いことを言われちゃ、立つ瀬が無いな……俺もここに残る。他に志願する奴は?」
ㅤ百目鬼の言葉に、数人が手を挙げる。殆どは上級生であり、1年は一色のみだった。
「……残ります。怖くない訳はありませんが……私は、十師族に続く師補十八家の家柄です。やらねばならぬことは、果たさねばなりません」
ㅤ彼女は「有力魔法師らしい」理由での志願だった。それもまた、一つの選択だろう。
「無理しなくてもいいんだぞ?」
「いえ、大丈夫です。――栞と沓子も気をつけてね」
「そちらこそ……」
「無事に帰ってこれるよう、祈っておくからな」
ㅤ女子三人は互いに手を握りしめ、励まし合っていた。
「――本当なら、将輝と一緒に行きたい。だけど、僕が死んでしまったら、研究室は解散することになる。そうしたら、所属してるポスドクや助手達が皆露頭に迷ってしまうから……研究室の長として、彼らの生活を保障する義務が僕にはある」
ㅤ吉祥寺は葛藤した顔で、そのように一条へ告げていた。
「あぁ、ジョージの分も戦ってくる。任せておけ」
「ありがとう」
ㅤ彼らは拳を軽くぶつけ合う。爽やかな光景を横目に、おれはふと理澄を見る。
ㅤ普段は戦いとは関係ない仕事ばかりしている彼は、実のところ四葉でも一二を争うレベルの戦闘魔法師であり、荒事にも滅法強い。特にしがらみも無いのだし、戦いに参加しても良さそうなものなのに。
「おい、お前はサボりかよ」
「馬鹿。脱出組も戦場を抜けるんだよ? 戦闘要員が残ってないとマズいだろ」
ㅤ確かにそうである。吉祥寺だけでは、少々心許ない気もした。
「……まぁ、死なないように頑張って。致命傷を『戻す』ことは、僕らには出来ないんだからさ」
「分かってる」
ㅤ普通は怪我をしても、すぐに治すことは出来ない。治癒魔法も割と気休めで、「治りを早くする」という効果でしかない。
「――とにかく、やるしかないんだ」
ㅤ今後の方針が固まったので、各自がそれぞれ動きだす。
ㅤある者は戦闘服を調達し、ある者は脱出ルートを確認する。準備が全て終了し、最後にもう一度おれ達は集合した。
「――全員生き残って、三高でまた会おう!」
ㅤ別れの言葉は、そのような明るいもので締められた。暗い雰囲気は、体育会系の三高生には似合わない。まだ打ち上げも出来ていないのだから、おれ達はきっと生きて帰る。そんな未来を信じることができた。
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さよなら殺意
ㅤ横浜は、全てが変わってしまっていた。
ㅤミサイルが撃ち込まれたからか、道路は瓦礫だらけ。もはや、元の街がどのようなものだったかも分からない。
「ひどいものだな……」
ㅤ百目鬼がそう呟いたあと、おれ達の方へと振り向く。
「一般市民の避難はほぼ完了している。だから、俺達がやるのは直立戦車のお片付けだ。さっき決めた分担を守って、魔法式が被らないようにしろよ。一個ミスると、全員お陀仏だ」
ㅤ直立戦車は「対歩兵用人型有人機動兵器」であり、地雷や対戦車ライフルを想定した複合装甲板で全体が覆われている。だが、あくまで「対人兵器」であって、車体は軽い上に火力も装甲もかなり貧弱。通常の戦車どころか偵察警戒車でも対応できる。
ㅤけれども、これが国によっては主力兵器として採用されているのには、理由がちゃんと存在する。それは「人型」という点だ。
ㅤ実は、直立戦車はゴーレム魔法の亜種によって強化する前提で使われている。中東欧の古式ゴーレム魔法をブラッシュアップした術式により、滑らかな機動性と戦車以上の戦闘力を付与するのだ。また、必然的に魔法師が搭乗するので、全体に領域干渉や情報強化が掛かる。
ㅤだから「対魔法師用掃討兵器」という認識が近い。そもそも、歩兵に魔法師が混ざってる場合への対処から生まれた兵器なのだ。
「――来たぞ!」
ㅤ話しているうちにも、十数台の直立戦車が列を成してこちらへ突撃してくるのが見えた。
ㅤ重機関銃がフルオートで連射される上、たまに榴弾も飛ばしてくる。瓦礫を利用してそれらを避けながら、CADでそれぞれが魔法を掛けていく。
ㅤ前方については、この中で一番高い干渉力を持つ一条が、「爆裂」を使って一気に潰す。気化したガソリンがこちらに飛ばないよう、気体運動を減速させる障壁魔法を全員に掛ける。流石に一人では厳しいので、百目鬼を含めた上級生数人で分けて行う。一色が収束・移動系複合魔法で気化ガソリンを含んだ空気塊を前方へと送る。
ㅤそして、メインディッシュはおれの担当だ。放出系魔法「スパーク」によって起こした火花で、火を付けて爆風へと変える! 巻き起こる炎の旋風が、直立戦車を吹き飛ばした。
「……よし、上手くいったな」
「油断するな! まだ敵は残ってる!」
ㅤ先程の爆風によって、殆どの直立戦車は「人型」では無くなっている。恐らく戦闘継続は可能だろうが、ゴーレム魔法での強化は不可能。ならば、一条でなくとも装甲を抜ける。
「移動系のみだぞ! 直接掛ける奴だと、相克が起きる!」
ㅤ地面の土砂――割れたアスファルトなどを硬化魔法で強化して、移動魔法で思い切りぶつける。数分もしないうちに、直立戦車は全てスクラップと化した。
「よし、次は大型装甲車両を片付けに行くぞ!」
「了解です!」
ㅤ魔法師の戦闘というのは、意外と地味なものもあるのだ。急な白兵戦などにおいては、自分や自分の周囲だけに魔法を掛けて戦う。けれども、普通は相克を起こさず大規模な効果が得られるよう、事前に発動する魔法を割り当てる。事実、三高の実戦演習も「突発的戦闘への対処」と「グループワークによる戦術立案」の二種類に分かれていた。
ㅤ故に、魔法の副次的効果を理解して、多彩に操る魔法師が一番求められる。国外・国内問わずライセンス基準が、一点特化のBS系に厳しいのはそれが理由なのだ。
ㅤ現代の戦場に、英雄は必要ないのかもしれない。
◆
ㅤ三高の脱出組が乗る装甲車に、ゲリラ兵が移動魔法を掛けようとする。理澄が慌てて領域干渉でそれを塗り潰す。
「やば……やっぱり来たね。こんな車で移動してるって、割と『訳あり』だからか。自分達で言うのも何だけど」
ㅤ魔法科高校生を含め一般市民は、船や普通の大型バスなどで避難している。コネがなければ、装甲車などには乗れる訳がないのだ。敵もそれを理解しているから、「大物」狙いで襲撃しようとするのだった。
ㅤだが、魔法は効かないと判断したのか。次は、装甲車の側面にRPGを撃ち込んでくる。障壁魔法で強化していなかったら、装甲板に穴を開けられてしまっただろう。
「……もう、やってらんない! ――十七夜、一回出るから後で乗せて!」
ㅤゲリラ兵を倒してしまおう、そう理澄は決めた。そして、運転中の十七夜――彼女は大型車両を動かした経験があると言って、運転役を買って出ていた(車高の高い乗り物は空間把握能力の訓練に役立つらしいが、明らか公道での走行は違法である)――に彼は声を掛ける。
「置いて帰ろうかしら」
「それ、マジでやめてよ!」
「待って、武倉! 僕も行く!」
ㅤ車より一回り大きい障壁魔法で弾丸が車内に入らないようにして、理澄は軽やかに車外へと飛び出す。吉祥寺もそれに続いた。
ㅤ移動装甲を維持したまま、自己加速術式と「跳躍」でゲリラ兵達の中に突撃する。魔法師がライフルを持った相手に突っ込んで行くとは思わなかったのだろう。あちらは泡を食っている。
ㅤ相克を防ぐため、攻撃に使う魔法は2人とも「インビジブル・ブリット」だ。基本コードを軸にした魔法は部分干渉であり、誤爆を防ぐことが出来る。
ㅤ着弾ポイントの面積を小さくして圧力を高めた「インビジブル・ブリット」を敵の四肢へ連続発動し、手足をめちゃくちゃに折ってしまう。複雑骨折どころか、神経にもダメージが入り、もう彼らは動けない。
「小さい魔法式とはいえ、何度も発動するのは面倒だね」
ㅤなんとか掃討を終え、CADを軽く叩き理澄はぼやく。
「一つの点からいくつかポイントを自動設定するよう改良した方がいいかも。帰ったらやろう」
「式に収束系を混ぜて、着弾点が偏るようにした方がいいのかな……でも、そうすると重くなるよね」
「基本コード系術式の売りである『発動の容易さ』が潰れるのもなぁ」
ㅤこんな状況で呑気に魔法式のアレンジの話ができる彼らは「マッドサイエンティスト」なのかもしれない。
「――早く追いかけて戻らないとね。十七夜のやつ、ほんとに置いていきそうだから」
「武倉の普段の行いが悪いんじゃないかな……」
ㅤ装甲車とはかなり距離が出来てしまっている。地面すれすれを移動する「跳躍」で、2人は出来るだけ最短距離で車へと戻ろうとしていた。
「……!?」
ㅤその時、理澄は装甲車――正確には燃料タンクに「振動加速系」の術式が掛けられる兆候を感じた。このままだと車は爆発するかもしれない。中にいる仲間達がそれに気付いているのかまでは、こちらからは窺い知れなかった。しかし、気付いていなかったとしたら……。
(この距離だと、領域干渉はマズい)
ㅤ彼の魔法特性ゆえに、干渉力こそ四葉随一を誇る。ただ、パワーで押し切る分、細かい照準は非常に苦手だ。特に遠過ぎる対象に対しては、大雑把な掛け方しかできない。周辺の魔法を全て塗りつぶしてしまったら、次の対処に間に合うか分からなかった。
(もう仕方ないか)
ㅤ刹那の間にそこまで考えた理澄は、あまり取りたくはなかった選択肢を選ぶ。CADに触れる時間も惜しく、手のひらを相手のいる方角へと向ける。
ㅤ精神干渉魔法「ワルキューレ」。精神に死を与える魔法。霊子を辿って術者の精神に照準を合わせ、彼はその魔法を放つ――手応えで精神の「停止」を確認し、軽く息を吐いた。
「ねぇ、今のってさ……」
ㅤ吉祥寺が奥歯に物が挟まったような言い方で、そのように問いかける。
ㅤエイドスの改変を感じ取れるのが魔法師。自分が使えない魔法だとしても、どこが変質したのかは感覚的に理解できるのだ。
「……僕の魔法なんだ」
ㅤ対して、理澄は簡潔に答えた。
ㅤ要領を得ない返答だが、吉祥寺は理解出来てしまう。「人を殺す」という用途だけにしか使えない魔法を使いこなしている意味。武倉理澄という少年は、魔法師社会の闇と共に生きているということだ。
「――ねぇ、武倉。いつか、すごい発見をしようね」
ㅤ吉祥寺は多くは語らず、明るい希望だけを告げた。
ㅤそして、彼が日のあたる場所で生きていけますように、と心の中で祈る。昔、自分は「一条将輝」に人生の全てを救われた。そんな風に、理澄にも「救い」が現れるといいなと思ったのだ。
◆
ㅤ大型車両の片付けを終え、おれ達は分担して敵魔法師兵を追っていた。そんな時、おれの端末に着信が届く。こんな時になんだよと思いつつ、音声操作で電話に出る。
『もしもし、ヤク? 生きてる?』
「お前か……出なきゃ良かった。まぁ、電話してくるっていうことは脱出出来たんだな」
『うん。それでさ、「周公瑾」って男をそっちで見てない?』
ㅤ理澄は妙な質問をしてきた。そんな男、おれは知らない。
『ウチ……というか、黒羽の捜索網をすり抜けた忌々しい奴だよ。そして、「崑崙法院」の生き残りだ――この騒ぎに乗じて、横浜にやって来たという目撃証言があるんだけど……見つけたら、即殺してくれて構わないから! それだけ!』
ㅤプツリ、と通話が切れる。あちらも合間を縫って慌てて掛けてきたのだろう。
「崑崙法院、か……」
ㅤ思ったよりも静かに、その単語が口から出る。
ㅤお母様に悪夢を齎した巨悪。そして、おれを不幸な境遇に落とし込んだ元凶――それこそが、崑崙法院だ。
ㅤお母様を傷付けた人体実験に、彼が関わっていたのかは定かではない。けれど……許せない。これはもう理屈の次元を超えていた。
「……」
「――夜久! 中華街に残兵が多数逃げ込んでいるらしい! 引き渡しするよう勧告するから、一緒に来てくれ!」
ㅤ一条がこちらへ走ってきたので、喉元まで出た言葉は空に掻き消える。おれは、何を言いたかったのだろう。
「……あぁ」
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
ㅤ彼は心配そうな顔をした。だけど、流石に理由は言えない。
「平気だ。早く行こう」
ㅤまずは、やるべきことをやるべきだ。そう自分に言い聞かせ、己を奮い立たせる。
「あまり大人数で行ってもアレだからな。他の人達は、魔法協会の警備に向かうらしい」
「確かに。それでいいんじゃないか」
ㅤ中華街は東西南北、四つの方角にある大きな門が主な入り口だ。そこを閉じてしまうと、ビルの隙間くらいしか通路はない。その上、その隙間もパイプなどが通っており、よほど体が柔らかいなどの技能が無いと通れないだろう。
ㅤつまり、中華街と外を隔てるのは結果的に門だけということだ。
「門を開けろ! さもなくば、侵略者と内通していたものと見做し、しかるべき対応を取らせてもらう!」
ㅤ振動系魔法「拡声」を使って中華街に向けて、一条が警告を発する。最悪の場合は、強行突破をする心積りなのだろう。だからこそ、おれにも同行を求めたに違いない。
ㅤまぁ、まともな対応なんて期待しても無駄だ。投石や、下手すれば魔法。その辺りが飛んでくるだろうと覚悟し、警戒したまま待つ。だが、ゆっくりと門が開き出したので、拍子抜けしてしまう。
「……周公瑾と申します。あぁ……いえ、本名ですよ?」
ㅤ20代くらいの中性的な容姿の青年が、拘束した侵攻軍兵を数人連れて、門から姿を現した。
ㅤけれども、おれは敵兵のことなど気にならない。だって、周公瑾といえば……さっき理澄が言っていた名前ではないか! そう理解した瞬間、頭の中で思考が廻りだす。無意識のうちに、魔法式が構築される。
ㅤおれの魔法、おれだけの魔法――精神構造干渉魔法「マギ・インテルフェクトル」。魔法師のアイデンティティを破壊し、魔法力を失わせる為の術式。
ㅤそれが、周公瑾の魔法演算領域を変性させた。彼はもう魔法を使えない。普通の人間と、何も変わらないのだ。
「なっ……」
ㅤ周は自分の身に何が起こったのかに気付いたようだった。青ざめた顔で、口をパクパクとさせている。
「お前、一体何を……!?」
ㅤ一条が叫ぶが、無視をする。おれは周に近づき、彼の胸ぐらをぐっと掴んだ。
「お前らはどうして、お母様を狙ったんだ? そうじゃないといけない理由は、どこにあったんだ?」
ㅤその言葉に、周は顔をキョトンとさせた。予想もしていないことだったのかもしれない。
「答えろ!」
ㅤおれはそう凄み、返答を待つ。すると、彼は肩を震わせて笑い始めた。
「ふふふ……そうですか。貴方、『息子』なんですね! これは驚いた……! 『四』に終わらせられたのなら、私のこの結末も許せるというものです!」
ㅤケタケタと壊れたおもちゃのように笑い続ける周。
「……けれど、まだまだ甘ちゃんだ! 私はあの事件以前に、あの組織から追い出されていましたが。それでも、奴らの動機くらい分かります」
ㅤ彼はそこで一度、言葉を切る。そして、怖いくらいの真顔でその続きを述べた。
「『誰だって良かったし、どうだって良かった』のです。興味のあるサンプルがあって、それがちょうど手の届く範囲にあった……試してみたくなるでしょう?」
「――お前ッ!!!!!!」
ㅤそんな理由で、そんなくだらない理由で。
ㅤお母様は苦しまなければならなかったのか。
ㅤ叔母様は傷付かねばならなかったのか。
ㅤ何とも、やるせなかった――思わず、周の首を手で掴む。思い切り握ると、筋がみちみちと鳴った。
「殺してやる……」
ㅤゴムパイプを潰すみたいに、首をきゅっと締め付ける。このまま死んでくれ――
「――やめろ、夜久!」
ㅤ一条がおれの肩を掴み、周から引き剥がした。
「……重要な被疑者だ。この後の為にも、殺しちゃいけない」
ㅤ止められると分かっていた。理澄なら止めなかっただろう。だけど、いま側にいるのは一条だ。
ㅤそれに、意味もないのだ……コイツ1人を殺したところで、溜飲など下がらない。だって、国ひとつ滅ぼしても、四葉は幸福になれなかった。
「うぅ……!」
ㅤ渦巻く感情をどう整理したらいいのか分からなくなり、おれは地面に踞って大声で泣いた。
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優しくするより憎んでほしい
ㅤ国防海軍の特殊部隊が強襲揚陸艦を制圧し、戦闘終了を宣言したのは夜の10時ごろであった。
ㅤ戦いが終わっても、全てが元どおりになる訳ではない。様々な後処理が待っている。捕虜の尋問、遺体の回収、その他諸々……。けれども、おれ達のような民間協力者は特に仕事もない。手伝いたければ手伝えるだろうが、今は何も手につかなかった。
ㅤだから、おれは魔法協会のロビーにある椅子にただ座っている。ここは避難民達が家族などの安否を確認する為の集合場所になっており、多くの人々がひっきりなしに足を運んでいた。
「……悪かったな」
ㅤ隣に座る一条がポツリと言った。多分、周公瑾の殺害を止めたことを気にしているのだろう。
ㅤ結局のところ、周は死んだのだ。奥歯か何かに毒を仕込んでいたらしい。あっけない幕引きであった。
「いや、気にするなよ」
ㅤ別に彼は何も悪くない。真っ当な思考の持ち主ならば、誰だっておれの行動を止めた筈だ。
「それでもだ。お前を深く傷付けたことには違いない」
ㅤしばらくの間、沈黙が続いた。このままだと堂々巡りなのが、どちらも分かっていたからだ。
「そういや、陸軍の……何だったか。実験特殊部隊が中華街に、あの後に突入したらしい。海軍に美味しいところを取られたからかな……」
ㅤ数分たっぷり経って、一条がようやく別の話題を提供してきた。
ㅤ陸軍の実験特殊部隊。もしかして、従兄弟が所属していた所だろうか。
「その部隊ってさ――」
ㅤ独立魔装大隊とか言ったりするのか、と尋ねようとした時。ある女性の声がそれを遮る。
「――こんな所で機密情報を話すのは感心しないわね」
ㅤ振り向くと、軍服姿の女性が居た。初めて見る顔だ。けれども、一条は彼女を知っていたらしい。
「藤林さん……でしたっけ?」
「えぇ。お久しぶりね、将輝くん。……えっと、そちらは?」
ㅤ彼女がおれの方に目を向けたので、自己紹介をする。
「津久葉夜久です」
「はじめまして、藤林響子です。よろしくね、夜久くん」
「藤林さんは、九島閣下のお孫さんに当たるんだ」
ㅤ一条がそんな補足を入れた。確かに名字だけ聞けば、「九」の血縁だと分からなかっただろう。
「あぁ。九島閣下って、あの変なジジイか」
「ばっ、馬鹿野郎! ――すみません、藤林さん。コイツ、根はいい奴なんですけど……」
「ふふふ、気にしないで。確かに孫の私から見ても、祖父は変な人だわ」
ㅤ響子はおかしそうに笑うのみだった。割と失礼なことを言ってみたつもりだったのだが、怒ったりなどはしないようだ。
「まだ時間ある? せっかくだし、お話ししましょ」
ㅤそう言って、魔法協会の奥へと進んでいく。おれ達は顔を見合わせ、彼女の後に続いた。協会内にある会議室で、適当に向かい合って座る。そもそも、何のために呼ばれたのか。
「貴方達の推理通り、ウチは海軍にお鉢を奪われちゃったのよ。中華街のお掃除は必要だったし、結果的には良かったけれどね」
「やっぱり、そうだったんですか……」
「でもね、本来海軍戦力は沖縄あるいは北海道に集中している筈。何処かが圧力を掛けて、海軍特殊部隊の訓練ルートを変えていたのよ」
ㅤ何処かと言っているが、そんなことができるのは十師族以外に無い。つまり、響子は「どこの家がやったのか知ってる?」と聞きたい訳だ。それが、一条かどうかも確かめたかったのだろう。
「少なくとも、一条家にそのような事実はございません。自分の言葉だけでは信用できないならば、父に直接問い合わせて頂いても構いませんよ」
ㅤ一条がきっぱりと言い切る。確かに日本海側ならともかく、横浜方面に回す意味は無い……そんなことを考えていると、不意にある事実に気づいた。
「そもそも、密かにルートを変えさせていたということは……侵攻を予期していながら、わざと情報を隠蔽していたということですよね?」
「えぇ。そうなるわね」
ㅤそのことについて尋ねると、彼女も頷いた。同じところまで辿り着いていたようだ。
「さっき、将輝くんには一応質問したけど。実際のところ、こんな芸当が出来る家は限られてくるわ。関東に地盤を持っていないと。つまり、七草、十文字。あるいは、四葉……」
ㅤ響子の「四葉が関わっているのではないか」という推測は当たっているだろう。論文コンペ前、理澄はずっと欠席していた。タイミングが完璧過ぎる。
「……何処の誰がやったのかは知りませんが。こんな戦争を起こされて、おれだって迷惑してるんです。おかげで、コンペで発表できなくなった」
ㅤおれに「精神干渉魔法」の発表をさせない為に、四葉は大陸情勢を放置しておいたんじゃないのか。何だか、そんな風にも思えてきた。いや、それは穿ち過ぎか。
「本当にそう。迷惑な話よね――2人とも、今日はありがとう。あと、新潟基地行きの軍用機があるから乗って行ったら?」
ㅤおれ達はその好意に甘えることにした。そろそろ、家に帰りたかったからだ。そして、ここまで親切にしてくれる響子の目的は、最初からこちらとの接触だったのだろう。だけど、見込み違いだ。
ㅤ前提として、戦闘やそれに類する裏仕事は畑違い。元々は「実験体の精神を弄る仕事」を担当していた。最近は、第四研に近づいてすらいないが。また、四葉との関係はよろしくない上、唯一のメッセンジャーである理澄も必要なこと以外は言ってこない。
ㅤそういう意味では、おれは普通の魔法師なのである。コネも使っていなければ、何の意味も為さないのだ。
◆
ㅤ夜久と将輝との話を終えたあと、藤林は暫定的に設置された中華街内の独立魔装大隊本部へと戻ってきた。
「お疲れ様です」
ㅤ藤林の帰還に気付き、すぐさま敬礼をしたのは達也だ。彼はムーバルスーツ姿だが、フルフェイスのヘルメットだけは外している。待機中で暇だからか、テーブルでCADを弄っていたらしい。調整用の機械が幾つか側に置かれていた。
「達也くんの従兄弟に会ってきたわよ。見た感じは、普通の男の子ね」
ㅤ彼女は達也の隣に座り、開口一番にそう告げた。
「あぁ、夜久ですか」
「スカウトも兼ねようかなと思っていたんだけどね。一条の御曹司がいたから諦めたの」
「良いんですか、それって」
ㅤ独立魔装大隊および、大隊の所属する第一〇一旅団は「十師族に依存しない戦力」を増強することが目的である。だから、達也の「本末転倒ではないか」という指摘も正しかった。
「まぁ……大丈夫じゃないかしら」
「適当ですね。とはいえ、乗らないと思いますけど。彼の魔法は戦闘向きじゃない」
「そうなの? 九校戦で十文字くんを倒していたのに」
「詳細は言えませんが……『魔法師として』ならば、四葉特有の色が一番出ていますよ」
ㅤ四葉家の本質は、精神とは何かを追い求める研究機関だ。その視点から見れば、夜久の「精神構造干渉」は紛れもなく王道。そして、深夜が持っていたものよりも精度が高い。
「そんなこと言ったら、私だって戦い向きの魔法とは言い難いわよ。戦闘だけが魔法じゃないわ」
「これは一本取られましたね」
ㅤ揃って笑い合う、達也と響子。部隊の中でも年が近いからか、2人は割と姉弟のような関係なのだった。
「――藤林、戻っていたのか」
ㅤ隊長である風間玄信少佐が姿を現した。彼は立ち上がって敬礼しようとする部下達を手で押しとどめる。
「やはり、市街地戦は厄介だな。魔法や爆弾で吹き飛ばす訳にもいかん」
ㅤ風間は椅子にどっかりと腰掛けると、疲れたように溜息を吐いた。
ㅤ日本へ侵攻してきた兵達は、中華街で匿ってもらうつもりで逃げ込んだのだろう。それを利用して「中華街に攻め込んだ敵兵から、民間人を保護する」というお題目を立て、大隊は中華街に突入したのである。そして、あちらが反撃してきたのを理由に戦闘を行ったのだ。
「民間人とゲリラの区別が付きませんからね。こちらは受け身に廻らざるを得ません」
「『再成』のおかげで損害は最低限まで抑えられたがな……恩に着るぞ、達也」
ㅤ達也は静かに頷く。彼の魔法によって、隊員らの傷を戻していたのだ。
「この後はどうしましょう?」
「一〇一の別部隊が引き継ぐ。それに、公安のほか各組織がガサ入れのチャンスだといきり立っている……鉢合わせする前に引き揚げるぞ」
「了解です」
ㅤ独立魔装大隊は、魔法装備を主装備とした実験的部隊であり、その性質上機密レベルが高い。おいそれと所属を明かせないので、別部隊に折衝を任せることにしたのである。
「それにしても。真田さんが残念がっていたわ。『サード・アイ』の実戦投入が出来なかった〜って」
「使い所がありませんでしたからね。仕方ないですよ」
ㅤ微笑みながら達也は返事するが、内心では忸怩たる思いを抱えていた。
ㅤどうあれ、大規模な『マテリアル・バースト』は使えない。夜久の行使した「
(……本当に哀れだよ、夜久)
ㅤだからこそ、達也は深雪を連れて四葉を出なければならない。自分の叔母――真夜を絶対に倒さねばならない。
ㅤ四葉が崩壊した時、夜久も母親から解放される。そうなれば、きっと全てが解決するのだ。
◆
ㅤ横浜に戦火が広がった日の夜。
ㅤ真夜は、四葉本家の邸宅内にある一室に足を運んでいた。その部屋に自由に入れるのは、ほんの一握りの人間のみ。部屋を管理している使用人ら数人と真夜、そして葉山だ。四葉の血縁でも、真夜の許可を取らないと入ることは許されない。
ㅤ部屋に入ると、清潔な白いベッドが一番に目に入る。その他には大した家具もなく、室内は殺風景な印象だ。ベッドでは1人の女性が眠っており、彼女の容貌は真夜にとてもよく似ていた。
「姉さん……」
ㅤ様々な感情を奥底に込め、小さな声でそう呟く。
ㅤ眠っている女性は、真夜の姉である深夜だ。彼女は、3年前――沖縄海戦の時からずっと眠り続けている。想子感受性が飛び抜けて高かった深夜は、アンティナイトのノイズによって、想子体に大ダメージを受けた。元々、過度の魔法行使で弱っていた身体だ。故に、彼女の命は風前の灯であった。
ㅤしかし、解決する方法が無いわけではなかったのだ。肉体と想子体のズレによって身体に不調を起こしているのであれば、魔法演算領域を閉じてしまえば良い。そうすれば、意識的に行わない限りは、周囲の想子を取り込んで体内を循環しなくなる。けれども、その選択は「魔法を喪う」ことと同義だ。そのような酷な宣告をしていいのか。誰もが迷っていたのだ。
ㅤある日のこと。病床に臥せっている深夜が、急に甥に当たる夜久を呼び出した。人払いがされていて、その時に2人がどのような話をしたのかは誰も知らない。だが、その後には深夜の魔法力はもう失われていた。理由を夜久に訊ねても「叔母様が誰にも言うなと言った」の一点張りで話にならない。
ㅤでは、深夜に訊けば良い話だったのだが、それも叶わなかった。そもそも、想子体へのダメージを和らげたとしても、弱ってしまった身体が急に治る訳でもない。ただ単に、これ以上悪くなるということは無いというだけなのだ。数日後には、彼女は意識を保つことも難しくなっていた。主治医曰く、「体力が戻らない限りは目覚めないだろう」ということだ。
(このチューブを抜いてしまったら、姉さんは呆気なく死ぬのよ)
ㅤ点滴や人工呼吸器の管を見つめ、真夜はそんなことを考える。姉は生命維持装置に頼って、無様に生きながらえているのだ……簡単に殺せてしまう。何回もそんな想像をした。でも、踏み出せない。今までの人生、たくさん人を殺しているのに。
ㅤ自分は心の何処かで、深夜が目覚めるのを待っているのか。本当は和解したいと思っているのだろうか。遥か昔のように、仲が良かった姉妹に戻りたいと――
(――違う!)
ㅤ真夜は勢いよく首を横に振った。綺麗にセットしていた髪が少し乱れる。
(そんな訳ないじゃない……私達は憎しみあっていたんだから)
ㅤ唇をきゅっと歪め、複雑な笑みを浮かべる。そして、深夜に語りかける。
「そうよね? 酷い姉妹だわ、私達……」
ㅤもちろん、返事は無い。だから、勝手に返事を考える。そうして、真夜は1人で納得して頷く。3年もの間、彼女はここへ来るたびに何度も何度もそれを繰り返していた。
「また、来るわ」
ㅤそう言い残し、真夜は姉の元を去る。今日も殺せなかった……と思いながら。
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今が思い出になるまで
ㅤあの戦争――横浜事変のあと、国内に九つあるすべての魔法科高校は休校となった。
ㅤ妥当な判断だろう。その時はしっかり気を持っていた生徒達が、帰還後にPTSDになってしまう事例も多発している。このまま魔法実習を強行すれば、ドロップアウトが増えてしまう。つまりは、魔法力の喪失だ。
ㅤとはいえ、おれはそういう状況とは無縁だ。生まれが生まれだからだろう。「死」の第四研と戦場、どちらの空気もさほど変わらない。
ㅤ休みなのをいいことに、一日中ベッドでダラダラと過ごす。HARの設定を弄って、食事を枕元まで持って来させれば完璧。優雅な休日とはこのことだろう。
「……そういえば。叔母様の容態はどうなのかな」
ㅤすることが無いと、考え事ばかりしてしまうものだ。記憶がぐるぐると巡って――叔母様に呼び出された日のことを思い出していた。
◆
ㅤあの頃のおれは中学一年生だったが、ずっと四葉の村に住んでいた。
ㅤというのも、津久葉家がおれの世話に匙を投げて以降、第四研で寝泊まりすることが常となっていた。研究所にいた理由は簡単で、本家の邸宅には足を踏み入れることを許されなかったから。また、分家との繋がりが薄い為に泊めてくれる親戚もいない。単なる消去法である。
「――夜久様。御当主様がお見えになられています」
「えっ?」
ㅤけれど、本当に珍しく――何なら、最初で最後だった――お母様がおれの住む部屋へやってきたことがあった。
「深雪さんと達也さんの演算領域に『
ㅤ部屋に入るなり、お母様はそう言った。
ㅤ端的な言葉だったが、すぐに理解できた。少し前から、「誓約」の魔法を練習するように言われていたから。第四研にある実験体で何度か試し、その全てを成功させていた。その結果を見て、おれを認めてくれたのだろう。
「やってくれる?」
ㅤ一も二もなく頷いた。お母様のお願いならば、おれは何だってやる。たとえ、それがどんなに非道なことであっても。
「ありがとう。私は良い息子を持ったわ」
ㅤ微笑んだお母様は、とても優しい声で言う。
ㅤだけど、すぐに能面みたいな表情になった。一瞬の幻のようなそれ。本心なのか、嘘なのか。誰も答えを教えてはくれない。
(どうして、こんな魔法で生まれちゃったんだろう)
ㅤ何度も考えたことだ。「
「……じゃあ、お願いするわ――この子達よ」
ㅤ部屋のドアが開いて、2人の人間が入ってくる。これが、従兄妹達との初めての邂逅だった。
「お前が夜久か」
ㅤ兄の方が最初に口を開いた。見れば分かることを一々確認するのか、と思いながらも返答する。
「あぁ、そうだよ」
「そうか」
ㅤ会話はそれだけだった。妹の方は何も言わない。ただ、おれを静かにじっと見つめるのみだ。
ㅤ2人を部屋の端に並んで座らせる。おれはCADを手に取り、彼らの魔法演算領域に向けて「
ㅤおれにとっては、見慣れた景色でもある。たいして苦労もせずに、演算領域を閉じてしまえた。
ㅤやったことは簡単だ。まず、達也の魔法演算領域の形を一部変えて、深雪の魔法演算領域と繋ぐ。それによって、2人の無意識領域で決定される変数が同期できる。すると、深雪は達也の演算領域内も自分の変数で定義が可能だ。そして、魔法を制限する術式で、達也の「分解」に制限を掛ける。
ㅤたったそれだけのことであり、この一連の工程を一つの魔法式で集約している。おれが魔法を維持する限り、彼らの演算領域は封印されるのだ。
「終わったぞ。さっさと帰ってくれ」
ㅤおれはそう言って、彼らに背を向けた。兄妹が部屋から去っていく音が聞こえる。もう出て行っただろうと思い、そっと振り向く。
「……お母様?」
ㅤ一緒に戻ったと思っていたのに、お母様はまだ部屋にいた。何も言わずに、こちらへと近づいてくる。
「いい子ね。……その魔法、絶対に終わらせてはダメよ?」
ㅤ白くて冷たい手が、おれの頬を柔らかく撫でる。今、すごく親子みたいだと思った。
「うん」
ㅤやっぱり、嘘でもいいや――だけど、思うのだ。
ㅤ仮初の愛でこんなに嬉しいのなら、本当の愛はどれほど素晴らしいものなのだろう?
◇
ㅤけれども、おれに「誓約」の魔法式を学ばせていたこと。そして、その魔法を行使させたこと。それらは、本来の術者――叔母様の死期が近いことを意味していたのだ。それから1ヶ月もしないうちに、叔母様の病状はひどく悪化したらしい。何度か、使用人達が噂しているのを耳にした。
ㅤある日のこと。急に「深夜様が会いたいと仰られている」とメイドに言われた。
(それにしても、叔母様が何の用なんだろう)
ㅤ伊豆にある四葉の別荘へ向かう車に乗りながら、おれはそんなことを考える。今まで特に叔母様と関わりがあった訳でもない。お母様とよく似てはいるが、全くの別人。特に思い入れは無かった。
ㅤ別荘は山奥にあるから、車でもとても時間が掛かる。最初は起きていたけれど、眠くなって寝てしまった。だから、何時間移動したのかは分からない。気づけば、もう目的地であった。
「……こんにちは。叔母様」
ㅤ通された部屋に入ると、叔母様はベッドの上で起き上がっていた。本を読んでいたらしい。サイドテーブルには、栞の挟まった文庫本が置かれていた。
ㅤガーディアン――元々担当していた桜井穂波が死んだ後、後任の者が送り込まれた――は部屋に居なかった。おれは身内であるし、問題無いと判断したのかもしれない。それとも、叔母様が「入らなくて良い」と言い含めたのか。
「来てくれたのね」
ㅤ叔母様は椅子を指差した。座れ、ということらしい。
「……真夜は元気かしら?」
「さぁ、あんまり会わないから……」
ㅤ沈黙がこの場を支配する。こういうことは言っちゃいけないのだろうか。
「そうだったわね――貴方は私の魔法を引き継いでいるんだから」
ㅤそして、私の犯した罪も。叔母様はそう続けた。
「犯した、罪?」ㅤ
「私はね……自分の魔法で、真夜の記憶を全部意味のないものにしちゃったの。良かれと思ってよ? でも、それは間違いだった」
ㅤ事情は何となく知っていた。けれども、叔母様本人の口から直接聞いたのは初めてだ。
「……真夜は、決して私を許しはしないわ。だけどね、いつかあの子が貴方を愛すことが出来るようになれば。少なくとも……私の魔法を許してくれたことになるの」
ㅤおれを通して、叔母様はお母様を見ていた。
「だからね、貴方が生まれてよかった。私の命が尽きても、精神構造干渉魔法は無くならない。これからも、真夜と向き合えるから……」
「……ふざけるなっ!」
ㅤ叔母様に限らず、みんな一緒だ。誰もが、精神構造干渉を「四葉深夜の魔法」と言う。
ㅤでも、精神構造干渉は誰かから貰った訳では無い。確かに、この魔法によって多くの哀しみを抱えていてる。もっと他の魔法だったら、と思わない日はない。それでも、「夜久」という人間を確立するアイデンティティだから――
「――おれの魔法だ!」
ㅤある考えが、頭をもたげた。
ㅤ叔母様から魔法が消えてしまえば……皆、おれを否定するようなことを言わないんじゃないんだろうか? 無意識にCADをポケットから取り出す。
「CAD!? 貴方、まさかっ!」
ㅤ起動式が演算領域を回り、魔法式として投射される。
ㅤ精神構造干渉魔法「マギ・インテルフェクトル」。発動したそれは、叔母様の「魔法師としての人生」を消し去った。
「どうして……」
ㅤおれは呟いた。どうして、こんなことしてしまったんだろう。あまりにも突発的で、意図したことではなかった。叔母様は想子に酔ったのか、頭を抑えている。
「――奥様! どうされましたか!?」
ㅤ勢いよくドアが開き、泡を食った様子の女性が転がり込んできた。間違いなく、深夜のガーディアンだ。
ㅤやってきたということは、魔法を発動したのはバレている。もはや、言い逃れはできない。
「心配しないで、莉子。私が頼んだことだから」
ㅤ最初に口を開いたのは、叔母様だった。
ㅤおれは目を丸くする。そんな事実は、全くもって存在しないのだ。
「ですが……」
「私が言ってるのよ。納得できない?」
「いえ……」
ㅤ莉子――彼女は「桜シリーズ」第一世代の桜宮莉子という――は、はっきり言い切られると反論出来なかったようだ。どうすることも出来ず、彼女は部屋から出て行った。
「――さて。やってくれたわね」
「ごめんなさい……」
ㅤ謝って済む問題でない気はしたが、素直に謝罪をした。
「でも、私には勇気がなかったんだわ……。死んでしまうことで、真夜の弾劾から逃げるつもりだった。自分の問題なのにね」
ㅤポツポツと叔母様は話し始める。懺悔の言葉だった。
「いずれは……全部向き合わないと。――あのね、夜久さん。これだけは聞いて? 真夜が子供を作れるかもしれない、って聞いた日……本当に嬉しかったのよ」
「あの子が良い母親になれなかったのは、きっと私のせいね。姉なのに、見本を見せてあげられなかった」
「深雪のこと、魔法以外で褒めてあげたことがあったかしら。どうして、今まで気づかなかったのかしらね?」
「どうだって良くは無かった。だけど、あれくらいキツく当たらないと、周囲は納得しなかったわ。ガーディアンという立ち位置があって、ギリギリ保たれる均衡なの」
ㅤ長い話だったし、感情のままに話題が転換していく。
ㅤおれは黙って、その全てを聞いた。合いの手を入れるのは無粋だと思ったから。
「――貴方が生まれてきて、本当に良かった」
ㅤ先程聞いた言葉と似通ってはいたが、重みが違った。
「これからも辛い思いをさせるでしょうけれど……真夜に思い出を作ってあげて。それができるのは、貴方しか居ないの」
「叔母様……」
「私が話したこと……誰にも内緒よ。そして、今日のことも内緒。私が生き延びる為に望んだことにするわ」
ㅤそうして、叔母様は優しく微笑んだ。涙を流しながら、おれも笑った。
◆
「……思い出、出来てるのか?」
ㅤ高校生になって、色々なことがあった。
ㅤ一高の退学に、三高への転校。三高での九校戦優勝など。おれにとっては、印象的な出来事であるだろう。けれど、お母様にとっての思い出になるのか。
ㅤだが、叔母様の願いだ。奪ってしまった思い出を埋めることで救ってあげて欲しい――そう言われたら、やるしかない。
「――あっ、電話鳴ってる」
ㅤ端末に着信が入っていたことに気づく。布団の中で音が籠っており、聞こえにくくなっていたのだ。
「もしもし」
『夜久、起きてるか? どうせ、暇してるだろ? ウチの家でゲームしないか? ジョージと武倉も来てる』
ㅤスピーカー越しに一条の明るい声が聞こえた。
「まぁ……行ってやってもいいぞ」
『何なんだ。夕飯までに来いよ。待ってるからな』
ㅤそこで、通話は切れた。さて、今から行くべきなのか。夕飯までにということは、ご飯を食べていけということだ。
ㅤ一条家の食事をご相伴に預かることは何度かあった。当主夫人の一条美登里が腕を振るって作る料理は、味が良くてとても美味しい。理澄や吉祥寺は「研究所の食堂はマズいから」という理由で、かなりの頻度で食べに来ていた。
「HARで調理できる料理には限りがあるし……。たまには、違うものが食べたい気もするな」
ㅤ布団から出て、服を外出用のものに着替える。鞄に荷物を適当に詰め、玄関の扉を開けた。
「……ねぇ、叔母様。今、おれはあんまり辛くないよ」
ㅤ夕焼け空を見上げて、おれは呟く。
ㅤ決して幸せではないし、お母様は未だに向き合ってくれない。それでも、悲しみを偶に忘れられる時がある。
ㅤ三高の皆で食事をする時。一条達と一緒に遊ぶ時。理澄のくだらない悪巧みに渋々付き合う時――自分自身の悩みが不意に消え去るのだ。
(お母様にも、そんな時があるのかな)
ㅤあって欲しい、と願う。一瞬でも……過去の苦しみから解放されて、それがお母様の安らぎになれば良い。
「――あっ、いたいた! おーい!」
ㅤ急に大きな声が聞こえた。目を向けると、理澄と一条、吉祥寺の姿が。
「散歩がてら、ヤクを迎えに来たんだ。ゲームも疲れてきたし」
「何のゲームやってたんだ?」
「VRのシミュレーションゲームだ。ジョージが知り合いの教授から貰ってきたらしい」
「魔法で街を破壊するゲームだよ。監修していたのに横浜のアレで発売延期になったから、ってモニター代わりにくれた」
ㅤ確かに、そんなゲームを今発売したら世間から非難轟々だろう。
「面白そうだな。おれもやりたい」
「言うと思った」
ㅤ一条の家に向かって、皆で歩き始める。夕陽はもうすぐ沈みそうだ。暗くなる前に、と早足で歩いた。
深夜のガーディアンはオリジナルの「桜」シリーズ。裏設定では、前作で主人公のメイドだった「桜宮菜子」の血縁上の母親に当たります。
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来訪者編
黙ったままではいられない
ㅤ魔法科高校も、流石にずっと休校という訳にはいかない。スケジュールも詰まっているので、再開しないと一年で規定のカリキュラムを終えられないからだ。高等学校で学ぶ一般科目の上に、魔法系カリキュラムを上乗せしているので、どうしようもなくタイトな時間割なのだ。
ㅤ一般科目はライブ授業ではなく映像授業なので、動画を個人の端末へオンライン配信すれば何とかなる。けれど、魔法系はそうもいかない。魔法実技は学校の設備が必要だし、理論の授業動画は学内端末からしかアクセスできないのだ。だから、何とかして授業を開始させねばならなかった。
ㅤという訳で、三高も対面授業が再開した。家にいても暇だし、始まったことは大いに喜ぶべきことだ。
ㅤ登校準備をしていた朝のこと、葉山さんから映像通話が来た。リビングの画面に映像を映し出し、話しながら朝食を食べる。内容は「USNAに動きがある」ということだった。どうやら、四葉の縁者の存在についての真偽を判断する為らしい。要は、おれのことだ。
「USNA? それはまた変なところから」
ㅤジャムをたっぷり塗った食パンを齧りつつ、おれはそんな返事をした。
「七草か一条が使っているメールを覗き見されたのやもしれませんな。それを真に受ける、かの国もかの国ですが」
ㅤつまり、四葉の係累が第三高校に通っていることがバレたと。だが、葉山さんは割と落ち着き払った態度だったので、このことは許容範囲なのだと理解できた。
「留学生を送り込むそうですよ。しかも、交換留学でない大盤振る舞い。ここ最近の情勢では、あり得なかったことです」
ㅤ魔法師の海外への移動は原則禁止されている。過去には、「魔法因子の掛け合わせ」という目的で海外交流が盛んな時期もあった。けれども、亡命などのトラブルが多かった為に廃止されてしまったのだ。強い魔法師がいなくなるだけでなく、魔法技術も流出してしまう。それは、どの国も避けたいことであった。
「第三高校に?」
「魔法大学と第一高校、第二高校も対象だそうです。この辺りは、カモフラージュでしょう」
ㅤそう言ったあと、葉山さんは改めて居住まいを正す。
「――理澄様に対処をお願いしてはいます。とはいえ、スパイだからといって殺す訳にも参りません。そんな行動は余計に相手の神経を逆撫でするだけ……ですから、夜久様も『慎重な行動』を心掛けて下さいね」
「おれはいつだって慎重ですよ」
「それは良うございました」
ㅤ彼はニコニコした笑顔を崩さない。だけど、その完璧な表情管理の下では「信じられない」と思っているに違いなかった。今までのおれの行動を考えれば、無理もないことである。
「ところで、お母様は……」
「真夜様は、今日の師族会議の為にご準備されています。夜久様に直接お伝えすることが叶わない故、私がご連絡した次第です」
ㅤ本当はお母様が連絡しようとしてた、は明らかな嘘。でも、葉山さんが気を遣ってくれているのが分かるから、おれもわざわざ何か文句を言おうとは思わない。適当に礼を言って、通話を終えた。そろそろ、学校へ行かなくては。学校の近所に住んでいるから、1限目が始まるギリギリでも本当は大丈夫だ。けれど、専科――三高での一科生を意味する――では朝礼があり、遅れると反省文を書かされてしまう。それが嫌なので、ちゃんと真面目に通っている。
ㅤ教室に入ると、殆どの生徒が揃っていた。クラスメイトに「おはよう」と挨拶し、おれは教壇の前に立つ。皆が不思議そうな顔でこちらを見る。行動の意図が分からないからだろう。
「――USNAからウチにスパイが来るらしいぜ! 何かは知らないが、ここへ調査しにくるとかそういう話だ!」
ㅤ先程聞いたことを、おれはクラスで思い切り喧伝した。こんな面白い話、言わないでいられるだろうか? 理澄とはクラスが違うから、止められることもない。言いたい放題である。
ㅤおれの話を信じているかは知らないが、そういう話題を好戦的な三高生はとても好む。「一条を狙おうってのか?」だの、「よし、USNAと全面抗戦だ!」だの、教室はとんでもない大盛り上がり。途中で担任が入ってきたが、皆の話を聞いてそれに関連する話題へと変わった。朝礼そのものに遅刻したら怒るが、それ以外では非常にノリが良い担任なのだ。
「……ところで、津久葉。その話をどこから聞いてきたんじゃ?」
ㅤ四十九院が根本的な疑問を尋ねてくる。その質問を待っていた。とはいえ、「四葉からです」は普通にマズい。葉山さんに怒られる。
「理澄から聞いた。アイツ、情報通だからな」
ㅤクラス中の視線が集まる中、おれは良い笑顔でそう言い切った。
ㅤ今日の理澄は、三高中で質問攻めにされるに違いない。きっと、彼は頭を抱えることだろう。そして、お母様にもめちゃくちゃ怒られろ。
ㅤこれくらいしないと、今朝の嫌な気分は吹き飛びそうになかった。
◆
ㅤ横浜の一件についての対応、という名目で開かれた臨時師族会議はオンラインにて開かれた。本来ならば、魔法協会関東支部で行われる。けれども、まだ全システムを稼働できる状況ではない為にそれは取りやめとなった。
ㅤそして、今回の議題は「横浜事変における四葉家の隠蔽疑惑」について。九島家がいくつかの情報に基づいて出したものだ。だが、四葉家当主――四葉真夜は何とも余裕綽々であり、「結果的に対処できただけ」と堂々とした態度で開き直る。
「――では、四葉家に隠蔽の意図は無かったと?」
ㅤ九島真言の問いに、真夜は薄く笑みを浮かべたまま頷いた。
「えぇ。共有した資料を見て頂くとお分かりになられるかと思いますが、今回の話は春の一件に遡ります」
ㅤ他の当主達へ画面共有で見せたものは、反魔法団体「ブランシュ」の資料。
「魔法科第一高校内で暗躍していた『エガリテ』という組織の元締めが『ブランシュ』です。今まで特に大きな動きが無かった為、公安は静観していましたが……。今春、一高内が反魔法思想に塗り替えられる騒ぎがあり、検挙に動かざるをえなくなりました。そして、こちらに『依頼』を」
ㅤ実際のところ、その依頼を受けたのは「黒羽」だ。それを理澄がやりたがったので、黒羽貢は彼に実行役を任せたのだ。次期当主としての「実績」作りにもちょうど良かった。
「少し待ってくれ、四葉殿。関東地方、特に都内は七草家と十文字家の領分だろう。なぜ、貴家が?」
ㅤ七草弘一は軽く手を挙げて発言をする。それに対し、真夜は少し鼻を鳴らして反論した。
「そもそもの原因は、反魔法思想を持つ生徒と七草家との間で起きたトラブルではありませんか。七草家にこの件を任せると、遺恨が残る可能性があるというのが公安の判断でした。十文字殿も御子息が第一高校に通われていたので、同じ理由で避けたそうです」
ㅤトラブルと聞いて、苦虫を噛み潰したような顔をする弘一。彼にしてみれば、迷惑を被っただけなのにという思いが少しあった。
「まぁ、それは尤もだ……。けれども、そもそも十師族の戦闘行為は師族会議にて全ての家が共有すべきもの。なぜ、今まで明かさなかったのですか?」
ㅤ真夜の言葉に納得はしたが、十文字和樹はその中にある違和感を見逃しはしなかった。
「それは勿論、四葉家はその仕事を請けなかったからです。流石に十師族の縄張りに他の十師族が入るのはよろしくないでしょう? なので、結局どこが担当したのかまでは知りません」
ㅤ分家が請けた仕事は、本家の預かり知らぬこと。実態はともかく、書類上は全く血縁関係がないのだから。
「だけど、途中まで乗った話ですもの。気にはなるでしょう? なので、情報だけは集めました。すると、ブランシュの支援者に元『崑崙法院』関係者がいることが発覚しましたの」
ㅤ場の空気が一気に凍る。彼女の口から出た「崑崙法院」という単語。それは、「あの事件」を想起せずにはいられない。
「崑崙法院は我々四葉家と因縁が深い……事情を聞く為に捕縛できないか考えていました」
ㅤ作り物のような笑顔のまま、真夜は言葉を重ねる。
「――そして、いくつかのセクションにご協力頂けないか、とは声を掛けました。それだけのことですわ」
「……事情は分かります。それに四葉殿のお気持ちを考えれば、少しばかり無茶をしてしまうのも仕方ありません。だが、海軍はいささか大袈裟すぎやしませんか?」
ㅤ十師族内でも比較的四葉寄りの立ち位置を取っている六塚温子が、真夜に寄り添いながらも言うべき苦言はきちんと呈した。
「海保が信用出来なかったからです。横浜事変においても、明らかな不審船を見逃しています。彼らの仕事ぶりには問題があることは明らか。――それに、海保の方にも以前に一度お声掛けしていますのよ。その時は、ターゲットに国外逃亡されましたが」
ㅤこれでも信用できるか?という問いに、誰も答えられない。
「内部で何か問題が起こっている可能性がある、か……」
「やはり華僑との繋がりが出来てしまっているのでしょう」
「海保だけでないのではないか? 他にもあるはずだ」
ㅤもはや、四葉家よりも別のことへ問題は移ってしまった。とはいえ、そっちの方が大事なのだ。
ㅤ最終的には、疑わしい組織内の浄化の為に情報を精査して、対処に当たってもらうということで、師族会議は決着がついた。
◇
「――というのが、師族会議であったことだ」
ㅤ一条家当主の一条剛毅は、息子の将輝に事の次第を伝えていた。
ㅤつまり、四葉家は自分達の用事の為に独自で動いていたこと。そして、それが偶然にも横浜事変の役に立ったこと。また、発覚した深刻な内部腐敗の問題のこと。これらによって、四葉は「十師族に相応しい行動をしていたか?」という糾弾を全て躱し切った。
「いつも思うが……言い訳が上手いな、四葉って」
「そういうことを考える担当が居るのかもしれない。昔は七草殿の方が口が上手かったんだが……」
「一高の件を出されると、やっぱり分が悪いか」
ㅤ七草の面子が潰れた、という理由で1人の生徒が退学処分になったのだ。もちろん本人だって悪いし、一高側の非常に杜撰な対応など、様々な事情が噛み合った結果ではある。とはいえ、七草家はこれらが関係する話題で強気に出れない。
「ところで、どうだ? 彼らの様子は。特に、四葉殿の息子じゃない方だ」
「夜久は分かるが、武倉も? アイツはエクストラの家系なだけだろ?」
「いや……あの後に、改めて調べたのだがな。武倉という家は、魔法技能開発研究所由来では無かった。遡れば百家のどこかに辿り着くらしい、程度の家だ」
ㅤ武倉に限らず、四葉の分家は「百家支流」レベルの家柄に偽装している。数十年前まで遡って、家系図などを弄ってあるのだ。そこまでしないと、出自を隠すということにならない。
「ただ、息子の理澄は養子らしい。だから、十七夜家の令嬢と同じなのかもしれないな」
ㅤ四葉家次期当主になる可能性のある分家の子供達は、皆「養子」という形で戸籍に登録していた。もしも当主に選出された際に、四葉の血を引く家として世間にバレると大問題だからである。
「なるほど」
「ただ、武倉というのは『業界』では有名な家ではある。要は、何でも屋ってやつだ。武器ブローカーの三矢に海外の顧客を紹介したりとかな。他にも政治献金をかき集めたり、広告代理店の真似事をしたり。何かと多方面に顔が広い」
「……確かに、夜久の戸籍を作ったと言っていたしな」
「四葉も厄介だが、ああいう手合いも別の意味で厄介だ。あまり気にしすぎることは無いが、心の何処かに留めておけ」
ㅤ剛毅はそう言って、息子との話を締めくくる。けれど、将輝の方はまだ父親に言いたいことがあった。
「悪いが、親父……もう少し、話しても良いか?」
「何だ?」
「その武倉が、『USNA政府が各魔法系教育機関に留学生を送り込むらしい』という情報を掴んでいる。親父は何か知らないか?」
ㅤ剛毅は難しい顔をして、黙り込んだ。たっぷり数分は時間を使い、再び口を開く。
「正直な話……それは初耳だ」
「俺も単なる噂話だと思っていたんだが、今の話を聞いて……ちょっと、な」
「確かにな。一応、少し調べておく。……言ってくれてありがとう、将輝」
ㅤその情報が本当ならば、かなり大変なことだ。臨時師族会議の開催を魔法協会へ要求することも視野にいれねば――そう考えつつ、剛毅は将輝に頷きかえした。
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ロスト・センチメンタル
ㅤ三高にUSNAのスパイがやってくる――そんな話は、二学期の終わりに留学生を受け入れるという告知があったことで現実味を帯びた。とはいえ、冬休みを挟むので噂も沈静化するだろう。元はと言えば、おれが撒いた種ではあるのだが。
ㅤ冬休みも普段の休みと同じように、皆で集まって遊んだ。また、夏と違って宿題の免除は無い。問題集を終わらせる為に、通話を繋いで宿題を進めたりもした。
ㅤそして、正月。朝早くから、初詣の為に神社へと赴いた。空気が冷たくて、口から吐く息が白くなる。
「めちゃくちゃ寒い!」
「そうだね。だけど、雪が降らなくて良かったよ」
ㅤ一緒にいるのは吉祥寺だけで、一条と理澄はここにいなかった。
ㅤ理澄は四葉家の慶春会に参加する為、大晦日の数日前に帰省している。「一年で一番お小遣いが貰える日だから行かないとね」と、本人は嬉しそうに言っていた。そして、一条は家で客人をもてなす仕事に駆り出されていた――どうやら、一条家では多くの客人を迎えて、新年のお祝いを盛大にするらしい。一応誘われはしたのだが、流石に断った。
ㅤそれに、おれは寝正月の方が馴染み深い。慶春会は出禁になっていたからだ。
「吉祥寺は良かったのか? 一条の家でお祝いしなくて」
「大晦日と正月は、研究室のみんなでテレビを見るくらいでちょうどいいんだ。のんびりしたいしさ」
ㅤ彼も似たような理由で、一条の誘いを断っていた。という訳で、2人だけで神社へと足を運んだのである。
ㅤ賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らす。二礼二拍手一礼。もちろん、願うのはただ一つ。
「何をお願いした? 僕は研究が上手くいきますように、だけど」
ㅤその問いに、「お母様と仲良くなれますように」だと正直に答えた。嘘をつくと、願いが遠のく気がしたから。
「お母様、って呼んでるんだ。意外」
「笑うなよ。おれは結構良い生まれなんだぞ」
「そうだね……でも、親がまだ生きてるだけで羨ましいよ」
ㅤそういえば、中学生の時に吉祥寺は佐渡島に住んでいたと前に聞いた。その頃は、佐渡侵攻が起きた時期とぴったり一致する。彼の親は、新ソ連兵に殺されてしまったのだろう。
ㅤ返すべき言葉を見つけられなくて、石畳にある亀裂の数をただ数えた。
「……悪いな」
「ううん。それによって、人生で最高の相棒と出会うことになった。その運命を掴む為には、両親の命すら差し出さねばならなかったのかもしれない……だけど、たまに考えるんだ。佐渡侵攻が無かったら、どんな生活をしてたかなってね」
ㅤ湿っぽい空気になってしまった。とはいえ、この状況で急に空元気を出すのも変だ。黙りこんで、境内を歩く。
「……あの人、とても目立ってるね」
ㅤあちらも沈黙に耐えかねていたのだろう。吉祥寺がそっと話しかけてきた。
ㅤ彼の視線を辿って目を向けると、怪しげな金髪碧眼の少女がいた。キョロキョロと周りを見渡す行動も怪しいのだが、何より参拝者らの目を引くのはその服装だ。今どき誰が着るのか、というようなミニ着物を彼女は着ていた。
「何だ、コスプレ撮影か?」
「それにしては、カメラマンが見当たらないけどね」
ㅤじっと見ていると、不意に目が合った。その途端、少女は急に走り出す。「見つかった!」と言わんばかりの態度だ。
「追いかけてみるか」
「えぇ!?」
ㅤおれと吉祥寺は走って、少女の後を追う。逃げられてしまうことは無かった。何故かと言えば、彼女は履いていた高いヒールのせいで、地面にすっ転んでいたからである。
「大丈夫か?」
ㅤ手を差し出してやると、少女はヨロヨロと立ち上がる。
「……ありがとう。助かったわ」
ㅤそう言って、彼女は澄ました顔をする。勝手に逃げて勝手に転んだだけなのに、その事実は元から無かったことにしたらしい。
「私はアンジェリーナ=クドウ=シールズ。最近、日本へ来た留学生よ。長いから、リーナで良いわ」
「もしかして、君は第三高校に……?」
ㅤ留学生という言葉で、吉祥寺がそう尋ねる。
「えぇ、そうよ」
ㅤ少女――リーナはあっさりと頷く。
ㅤ第三高校へ留学してくる人間、つまりはUSNAのスパイだと言うことだ。しかし、スパイにしては詰めが甘すぎやしないか。こっちが心配になるレベルだ。
「新学期はよろしくね」
ㅤその呑気ぶりに、何だか気が抜けてしまう。
「あぁ、こちらこそ。まぁ、三高は良いところだぜ」
ㅤ少なくとも、それは本当のことだ。スパイの任務があったとしても、彼女は楽しめるのではないだろうか。
◆
ㅤ正月も瞬く間に過ぎ、三学期がスタートした。
ㅤ何とか宿題も提出出来たので、おれはホッとする。問題集がやけに多くて大変だった。理澄はギリギリまで終わる気配が見えなかったようで、四葉本家の屋敷で部下に宿題を手伝って貰ったらしい。その部下の人も可哀想だ。
「――津久葉。どう見ても、あんな可愛い子がスパイの訳無いだろ……」
ㅤおれ達の視線の先には、三高制服を着た金髪の少女――アンジェリーナ=クドウ=シールズの姿が。生徒会役員に連れられて、校内を案内してもらっているようだ。
「知らねぇよ。おれだって、聞いた噂を言っただけだ」
ㅤクラスメイトの言葉に、おれは投げやりに答える。
ㅤ今の三高を賑わすのは、もちろん留学生の話題。USNAからやってきたリーナは、あっという間に校内のマドンナとなった。綺麗な顔立ちなのだが、髪型がツインテールであり、それが親しみやすさにもなっている。
ㅤ一色と一緒に並べば、金髪ツインの揃い踏みになるかと思いきや、あちらは最近髪を切ってショートボブに変えた。なので、髪型被りを見ることは叶わない。
「ジョージと夜久は、正月に一度会ったんだよな? アンジェリーナ=クドウ=シールズさんだ」
ㅤ昼休み。食堂のテーブルで待っていると、一条がリーナを連れてきた。理澄と吉祥寺を含め、5人で食事をする。
「USNAか……。海外なんて行ったことないから、想像もつかないや」
「魔法師の海外渡航は禁止されてるからね。国外の魔法研究者ともオンラインでしか会ったことないよ」
「それにしても、スパイが来るかもみたいな噂があったけど……全くそんなこと無さそうで、本当に良かったよ。武倉、お前どこから聞いてきたんだ」
「家の取引先。流石にソースは言えない」
「どうせ、変なデマ雑誌の記者だろ。それかインターネットの掲示板」
ㅤ理澄は真面目くさった顔で答えるのを、おれがわざと混ぜっ返し、ネタに変えて終わるはずだった――リーナが動揺した態度を見せるまでは。
「どうした、リーナ? 調子悪いのか?」
ㅤそう尋ねると、彼女は慌てて表情を取り繕う。
「いえ。まさか、私がスパイと言われてるなんて思わなくて……」
「変なことを言って、ごめんなさい。三高生は、そういうくだらない話題で盛り上がりがちで……嫌な思いをしないように、皆にもそれとなく釘を刺しておくよ」
ㅤ一条がそうフォローしたことで、その場は丸く収まった。彼女も「気にしてない」と言ってくれたので、話題を他のものに変えて、また和やかに昼食は進んだ。
「リーナって、九島閣下の親戚なの?」
「それ、さっきも聞かれたわ。日本ではとても有名なのね。……そうよ、私の祖父がクドウ将軍の弟に当たるの」
ㅤ日本では常識――十師族当主の名前くらいは何となく知っている――の十師族の枠組みも、海外ではそう有名ではないらしい。
「そういう縁もあって、私に留学の話が来たみたい。日本語も少しは話せるし」
「なるほどな」
ㅤカバーストーリーとしては、それなりに出来ている。感心していたら、理澄と目が合った。どうやら「後で話がある」と言いたいようだ。
「ところで、リーナは今どこに住んでるんだ?」
「学校の近くのマンスリーマンションよ。家具や家電が全部揃ってるから、すぐに住めて良かったわ。初めて来た国で、買いに行くのは大変だものね」
ㅤ現代の物件であれば、HARが元々入っているのが殆どだ。それにHARの性質上、家電や家具もセットになっている。わざわざ別々には導入しない。こんなことは一般常識だ。それはきっと向こうの国でも変わらない。
ㅤやはり、リーナは普通の生活をしていないのではないか。スパイ……にしては微妙なところだが、何か特殊な事情を抱えているのは間違いなさそうだ。
◆
ㅤ放課後。おれは理澄に呼び出されて、校内の男子トイレに来ていた。流石にリーナも入ってこれないからだ。遮音シールドを張り、端でコソコソ会話する。
「――十中八九、彼女が『アンジー・シリウス』だね」
「シリウス、って……あの?」
ㅤアンジー・シリウス。USNA軍最強の魔法師部隊「スターズ」の総隊長であり、国家公認戦略級魔法師「十三使徒」の1人。
「うん、そのシリウス」
「とてもそうは見えないけどな……」
「スターズの総隊長は純粋な魔法力のみで決まる。まぁ、それでもあの若さは異例だけどね」
「いや、見た目の話だよ」
ㅤどう見ても、あんな見た目の軍人がいれば騒ぎになるだろう。どこからどう見たって、未成年にしか見えない。
「あぁ……それね。多分『
「だが、なんでそんな大物をわざわざ? 本業がスパイの奴、いくらでもいるだろうに」
「簡単なことだよ。四葉というアンタッチャブルでも、『ヘビィ・メタル・バースト』を打ち込めば死ぬだろ」
ㅤそんなアメリカンジョークみたいな気分で考えているのか。確かにそんなもの撃たれたら、おれだって普通に死ぬ。というより、別に戦略級魔法じゃなくたって死ぬだろう。
「暗殺が目的なのかね」
「最悪の場合はそうだろう。けど、恐らくは拉致が第一目的。……という訳で、僕がヤクの護衛役として暫くは一緒だ」
「護衛って言ったって、学校の外はどうするんだよ。常に一緒にいたら余計変だろ」
ㅤそうなると、理澄と四葉との関係が露呈するかもしれない。それはそれで問題になる筈だ。
「……ょそうするんだよ」
ㅤ理澄がモゴモゴと小さな声で言う。聞き取れなかったので、「なんて?」と聞き返す。
「だから! 女装するんだよ!」
ㅤ女装……この男がやるのか。面白過ぎるだろう。想像するだけで面白い。
ㅤおれは腹を抱えて大笑いする。呼吸困難になりそうだった。
「――で? その時の名前は? 理澄のままじゃ、意味ないだろ」
ㅤ散々笑ったあと、おれは話を本筋に戻す。理澄は憮然とした顔のまま、その問いに答える。
「メロディ。黒羽と仕事をする時に使うコードネームなんだ」
「コードネーム、ねぇ……あそこらしいセンスだ」
ㅤ黒羽の双子、その弟の方も女装させられているのではなかったか。黒羽家当主の趣味が終わっているような気がしてきたが、そうではなく多分「プライバシー保護」なのだろう。それに弱そうな見た目の方が、敵の油断も誘える。
「家にいる分には大丈夫だと思うよ。特にヤクの住む地域は学生街だ。夜も明るいし、戦闘には不向きだと思う」
「じゃあ、人気の少ないところに行けば良いんだな」
ㅤ理澄は嫌そうな顔でため息を吐いた。
「そう言って、首を突っ込もうとするからさ……僕が女装してまで、お前と一緒に行かなきゃダメなんだよ」
「嫌なら来なくてもいいぜ」
「放っておいたら、『マギ・インテルフェクトル』を使うでしょ。そんなもの、ホイホイ使われちゃ困るの。しかも、USNAの魔法師相手に」
ㅤ早々に切り札を封じられてしまった。あれを使えないとなると、攻撃手段は放出系に絞られてくる。
「横浜事変の時はさ、ゴタゴタしてたから……魔法の詳細は特に周囲に分からないけど。実際、僕も『ワルキューレ』を使ってる」
「へぇ、使ってたのか」
「固有魔法は組み上がるスピードが速いからね。――って、そろそろ戻ろうか。ずっと居座るのも変だ」
ㅤ密談を終えて、トイレから出る。ここまでしなければならないのは面倒だ。けれども、今のおれにはUSNAの監視が付いているのだろう。しかし、拉致は流石に嫌である。お母様と本当に別れてしまうではないか。だけど、おれは一つ気になることがある。
ㅤもしも、おれがUSNAに連れ去られてしまったら――四葉は総力を挙げて、迎えに来てくれるのだろうか。一国を滅ぼしてくれるのだろうか。
(答えはもう分かりきってるか)
ㅤそんなセンチメンタルな感情は、今の四葉にはもう存在しないのだろう。残っているのは、過去の苦しみと後悔だ。
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合理的よりも感情的に
ㅤリーナは自分の住むマンションに戻ってすぐ、同居人――生活面でバックアップをしてくれている、シルヴィア・マーキュリー・ファースト准尉に弱音を吐いていた。
「もう、私は無理です……。だって、『スパイ』って学校中で言われてるんですよ! 本国の情報統制が失敗しているとしか思えません!」
ㅤテーブルに突っ伏して、メソメソするリーナ。
ㅤたくさんの不安を抱えて、異国にやってきたのだ。そして、いきなりのスパイ呼ばわり。当たっているだけに、偶然だと笑い飛ばせない。もうターゲットにバレているのではないだろうか……そんなことも頭を過ぎる。
「流石にあり得ませんよ……。気にせず、堂々としていたら大丈夫ですよ」
「シルヴィは行ってないから、そんな呑気なことが言えるんです……! もし本当に露呈しているなら、大事なんですからね!」
「いや、あの『ヨツバ』なのですよ? 我々の動きを知っているなら、とっくに動いている筈です。けれども、襲撃なども今のところはみられません。情報漏れは無いと見るべきでしょう」
ㅤアンタッチャブルとまで言われる、あの悪名高い四葉家である。なのに、特に動きは見られない。つまり、まだ気づかれてはいない。シルヴィアはそういう論理で、リーナを元気付けた。
「そうですよね……。ごめんなさい、なんだか弱気になっていたみたい」
「一気に環境が変わりましたからね。仕方ないです。……もちろん、リーナがちょっぴり子供なのも理由にありますけど」
「ちょっと!」
ㅤシルヴィアは慰めだけではなく、からかいの言葉も混ぜてきた。リーナは不満げに頬を膨らませ、唇もツンと尖らせる。
「もう、そういうところですよ。――ところで、ターゲットはどんな感じでしたか? 『夜の女王』の息子でしょう?」
ㅤこのまま拗ねていたら、話も進まない。それはリーナも理解していたから、彼女は素直に問いに答えることにした。
「……彼、本物なのですかね? あまりにも『らしくない』というか……実力を隠しているようにも見えなくって」
ㅤその感想を抱いたのは、午後の歓迎会を兼ねたレクリエーションのとき。一年生達で魔法を使ったミニゲームを行ったのだ。そのゲームは「単純な移動系魔法で金属製ボールの制御を奪い合う」という簡単なルール。リーナは持ち前の高い魔法力で、十師族直系の一条将輝と互角の戦いを繰り広げた。けれども、ターゲットの夜久相手には彼女がまさかの全勝。心から悔しそうに――怒ってCADを叩きだす夜久を見て、拍子抜けしてしまったのである。
ㅤ実際、四葉直系の割に夜久の演算能力はそれほど高くない。深雪や理澄どころか、新発田勝成にも劣るレベルだ。精神に関する魔法に魔法演算領域のリソースを多く割いている為、他の分野に関しては「優秀な魔法師」の範疇に留まる。だから、フラッシュ・キャストの併用などの搦め手を使うならばともかく、単純なスピード・干渉力の勝負ではどうしようもない。
「ペンタゴンの調査資料では、『彼は認知されていない』とありました。もしかしたら、魔法力の問題から彼は重要な立場でないのかもしれません。特に護衛もつけないで一般社会に紛れていることへの説明も付きます」
「なるほど。それは一理ありますね。それならば、説得次第で『亡命』後に積極的に情報を提供してくれる可能性も……」
ㅤ想定していたプランは、不意打ちで夜久を襲撃して拉致するというシンプルなもの。四葉の血統の魔法因子だけでも有用である故に採用された乱暴すぎる案だが、研究に協力してくれるのならばありがたいことだ。
ㅤとはいえ、今の段階では皮算用に過ぎない。だが、それでもリーナは少し安心することができた。
◆
ㅤおれは一条家に遊びに来ていた。夕食も食べていけと彼は言うので、ご相伴に預かることに。キッチンからは出汁か何かの良い匂いがする。食事が出てくるまで、おれは一条と色々駄弁っていた。
「理澄や吉祥寺は? 研究が忙しいのか?」
ㅤおれの監視をすると言っていた割に、理澄は側には居ない。抜け出すことが出来なかったのだろう。あるいは、そうすぐにスターズは動かない筈だという判断か。
「ジョージ達は魔法大の留学生との交流があるらしくてな。それで来れないらしい」
「へぇ。大変なんだな」
「あーあ。真紅郎くんに会えないなら、意味無いよ〜」
ㅤ一条の妹の茜が、テーブルに皿を並べながら嘆く。彼女は吉祥寺に恋する乙女なのである。
「お前はジョージに家庭教師を頼んでる癖に……。ちょっと会えないくらいで贅沢だな」
「乙女心は繊細なのー! 毎日、真紅郎くんに会ってる兄さんには言われたくない! だいたい、何の権限があって、あたしの恋路を邪魔するのよ!」
「だってなぁ……。このままだとジョージは小学生に手を出す、やばい男になってしまうし……」
「言っても、4歳差だろ? 別に問題ないんじゃないか」
ㅤおれは茜の肩を持ってやった。好きだと言ってるんだから、ハッキリさせてやれば良いのにと思っているからだ。
「夜久さんは話が分かる! 兄さんもこの紳士ぶりを見習ったら?」
ㅤ茜が目を輝かせ、兄に文句を言う。しかし、一条の方はすげない返答をするのみ。
「もしもコイツが紳士なら、日本中の魔法科高校生が退学処分になってしまうな」
「うるさいな。あれは七草が悪いんだ」
「そういえば、夜久さんって一高を追い出されて三高に来たんだったね。すっかり忘れてたけど」
ㅤ5月の終わり頃に一高を退学になり、編入試験を受けたのが6月初め。思えば、三高生としての時間の方がもう長いのだ。
「――将輝が家に連れてきた日は、一体どんな子なのかと思ったがな。今は真紅郎君や理澄君共々、息子の良い友達で居てくれて嬉しいよ」
ㅤ不意に会話に入ってきたのは、一条家当主の一条剛毅であった。夕食の時間になったから、やってきたのだろう。
「……どうも。お邪魔しています」
ㅤ剛毅はおれの素性を知っている。そう思うと、毎回顔を合わせるのが少し緊張するのだ。
「ゆっくりしていきなさい」
ㅤ彼は静かに頷いて、そう声を掛けてきた。
ㅤおれに父親はいない。生物学上はもちろん存在するが、お母様の卵子が一番安定するものが遺伝子工学の観点から選別されて選ばれたのみ。単なる番号を付けられた試験管だ。
ㅤだから、「父親」という概念はあまり身近なものでなかった。何だか、変な気分になってしまう。
「――さて、皆が揃ったところで! ご飯にしましょうか」
ㅤ美登里の言葉で、夕食の時間が始まる。茜や瑠璃――一条家の末っ子だ――に揶揄われる一条を見て笑ったりして、楽しい食卓となった。
ㅤ食後のデザートを食べていたとき、急にリビングの大型モニターが点く。誰も操作していないのに、画面に砂嵐が映る。
「誤作動?」
ㅤ誰かが呟いたとき、画面が切り替わった。すると、仮面を付けた黒フードパーカーの人間が映し出される。その仮面は、前世紀カルチャーにありがちなアニメキャラのものだ。奇妙なその見た目は、十師族が住む家にハッキングを仕掛けるという行動とマッチしておらず、なんとも言えない不気味さを感じさせる。
『ハロー。ジュッシゾク・イチジョウファミリーのみんな……で良いのかな?』
ㅤ流れてくる音声は少年の声だ。だが、加工されている可能性もあるので分からない。
「誰だ? まず、ウチのホームオートメーションシステムをハックできるなんて……」
ㅤ映像は録画データらしく、剛毅の問いに答えることはなかった。
『僕は「七賢人」と名乗っていてね。USNA政府や軍などに情報を提供している、いわゆる情報屋みたいなものかな。イチジョウの人間なら分かると思うけど、「あの情報」を流して日本への調査を仕向けたのも僕だ』
ㅤあの情報。多分、おれの出自に関することだ。
『ただ、ゲームステージはイチジョウの管理する地域。USNAのエージェントを自由にウロウロさせちゃうのは、ちょっとアンフェアだよね? だから、少しばかりプレゼントだ。――奴らの目的は「ターゲットの拉致、最悪の場合は暗殺」さ』
ㅤ謎の人物は高らかに笑い出す。そして、画面は黒く暗転。
『手助けするも良し、見捨てるも良し。エンディングは君次第! では、良いゲームを!』
ㅤ最後は音声のみで、このようなセリフで終わった。
「――ふざけた奴だ!」
ㅤ映像が流れ終わって、一条がそう吐き捨てる。
「一体、何だってんだ……ゲーム? 馬鹿にするのも大概にしろ!」
「落ち着きなさい、将輝。――夜久君、君はUSNAに狙われているのだな?」
「少なくとも、そういう話は聞いています」
ㅤ女性陣が驚くのを余所に、おれは知っていることを答えた。
「ふむ……」
ㅤ葉山さんは理澄に対処を頼んだと言っていた。つまり、USNA相手に政治的な駆け引きを行う筈だ。そして、スターズに手を引かせる。
ㅤだから、一条に情報が渡る前にけりをつけるつもりだった筈だ。しかし、現状ではUSNAのアレコレが伝わってしまった。謎の人物によって。
「……一条の管理地域で同盟国とはいえ、他国のエージェントに好き勝手やらせるのは好ましくない。しかし、あちらも簡単に尻尾を掴ませはしないだろう」
ㅤ剛毅は将輝の報告から、ここ最近のUSNAからの入国者データを集めていた。けれども、今「七賢人」を名乗る謎の人物からの情報を聞くまで、四葉とUSNAの小競り合いに気付けなかったのだ。
「証拠が無ければ、我々も動くに動けない。だが、今の君は将輝の友人だ。だから、出来る限りのことはしよう」
「今回の件で今後開かれる師族会議で、ターゲットの名前を上げない、と約束して頂ければそれで十分です」
「ふむ……確かに、七草殿辺りがうるさいだろうしな。ターゲットは研究所ということにでもしておこう」
「ありがとうございます。確約はできませんが、今後『便宜』を図るように伝えておきます」
ㅤこの会話内容で薄々バレそうな気はするが、剛毅は決定的な「四葉」というワードを出さなかった。これが彼の誠意なのだろう。それが分かったから、おれは素直に礼を言った。後で理澄をどやして、お母様に報告させよう。
◆
ㅤ魔法大生との交流を終えた理澄は、幼馴染の文弥を呼び出して情報共有をしていた。
「――今回の一件は、USNA側が『シリウス』を暗殺する為に企てられたものだって?」
「結局のところ、これは政争なんだよ。スターズ総隊長という地位に、戦略級魔法持ちの『シリウス』をあてがったことに抵抗する勢力……当たり前だけど、それは存在する」
ㅤ四葉の係累「ごとき」の調査に、シリウスを動員する意味などない。単に、異国で孤立させるためだけだ。
「正確にはアンジー・シリウスを推した、ヴァージニア・バランス大佐の派閥を蹴落とす為だよ。シリウスが死ねば、軍内部のパワーバランスは大きく変化する」
「けど、戦略級魔法師だよ? 戦力として手元に置いておきたい、って普通なら……」
「叔父様たちは、達也をどうしようと思ってる?」
ㅤその指摘に、文弥は俯いてしまう。分かりやすい例が、あまりにも身近にあった。
「五輪澪のような虚弱体質ならばともかく、健康体な戦略級魔法師は危険過ぎる。それに、シリウスは総隊長になれるくらいだ。間違いなく、現代魔法においてもエキスパート……平時でも便利使いできるけど、その意味は戦略級魔法をその辺に放置しているのと同じだ」
ㅤ魔法師だって、人間だ。自由を持つ権利はある。理澄もそれは分かっているが、戦略級魔法師に対して恐怖を抱く人々への理解はあった。なぜかといえば、その感情は彼を可愛がる分家当主達が抱く思いと同じなのだから。
「シリウスを恐れているからこそ、夜久さんを使って暗殺を成し遂げようとしてるってことか」
「アイツの戦闘力を調べる意図もあるだろうけどね。四葉が殺してくれるなら御の字、無理ならば自分たちで……ってとこだろう」
ㅤどちらにせよ、任務失敗でのMIAとして処理されるということだ。
「まぁ、他にも色々理由はあるんだろうけど……それらが複合した結果かな」
ㅤ理澄の脳裏には、エドワード・クラークの姿が浮かんでいた。反シリウス派――要は反魔法系の一派だ――を嗾しかけることで、スターズと四葉との相打ちでの消耗を狙う作戦とも考えられる。また、アークティック・ヒドゥン・ウォーもエドワードとロシアの戦略級魔法師――イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフが組んで行ったことだろう、と彼は推測していた。
「それで、ウチはそのバランス?って人をバックアップするんだっけ」
「そう。四葉は全面的にバランスを助ける。当分の間、シリウスを保護することも含めてね。ちょっと前に、亜夜子ちゃんがUSNAに行ったのはそれが理由」
ㅤ文弥の双子の姉である亜夜子は、少し前にUSNAへと渡っていた。それは、バランスとの交渉を進める為だったのだ。本当は理澄が行くつもりでいたのだが、「学校を休み過ぎると不自然」という理由で変更された。
「そうだったんだね。姉さん、笑うだけで全然教えてくれなかった」
「アメリカが反魔法主義に染まっても困るからね。僭越ながら、我々がお手伝いしてやろう……って訳。亜夜子ちゃんと入れ違いに、勝成さんが渡米して反魔法団体を潰しまくる。それまでの間、僕達はシリウス暗殺計画が遂行されないように妨害するんだ」
ㅤ要は、黒羽・武倉・新発田の有力分家が勝手にする仕事ということだ。四葉本家が命令したのではない。そもそも、真夜が夜久の為だけに動くなんてあり得ないのだ。このタイミングに合わせて分家側が提案したプロジェクトを、損得勘定で一応許可した程度のことである。USNA中枢とのパイプは、あって困ることはまず無い。
ㅤ納得したように、文弥は何度も頷く。そして、あることに気付いた彼は理澄に問うた。
「夜久さんには、この作戦について言ってるの?」
「言ってない。教えたら教えたで、めちゃくちゃな理屈で邪魔してきそうだし……」
ㅤ夜久の思考は、「真夜の気を引けるか」だけである。だからこそ、合理的なものの考え方は彼の脳内に介在しない。
ㅤ言葉に出すことなく、理澄と文弥は思いを一つにする。それは、困ったものだ……という心からの嘆きであった。
ㅤ
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願いごとの叶う日はいつ?
ㅤUSNA――つまり、スターズとの激突。
ㅤそれを語るには、夜中に理澄とコンビニへ夜食を買いに行こうとした時から始めねばならない。
「女装するんじゃなかったのか」
ㅤ理澄は数日前から、おれの家に上がり込んでいた。警護と監視を兼ねてなのは明らかだ。だからこそ、コンビニに行くだけでも彼は付いてくるのである。だが、今のおれ達の服装はジャージ。理澄はその上に、ボア素材のブルゾンを羽織っている。どこからどう見ても、男2人にしか見えないだろう。
「一条家も結局噛んでる訳だし……警戒にそこまで力を入れなくて良くなった。逆に、ウチや黒羽の人員の存在に気づかれる方が厄介だ」
ㅤ以前に、「七賢人とかいう奴が一条に四葉のトラブルをバラした」ということを理澄に話した。それによって、作戦の方向性が変わったらしい。詳しいことは聞いていないので、どう変化したのかは知らないが。
「確かに、一条家配下の魔法師はウロウロしてるもんな。名目としては、横浜事変を理由にした警戒辺りだろうが」
「でも、一条方面から僕も知ったというテイで『友達が心配だから』という誤魔化しが効くし。これはこれで、ラッキーだったかもね」
ㅤCADをポケットに突っ込み、玄関から外へと出る。ここから先は、突っ込んだ話は出来ない。扉を開ける前に振り向き、言ってしまいたいことを言う。
「あんまり心配してないくせにな」
「心配してるよ。お前がいなくなったら、達也と深雪に掛けた魔法は解けてしまうんだから」
ㅤその言葉で何となく予想がついた。おれに警護を付けるようにしたのは、お母様ではなくて分家連中であると。葉山さんは、やっぱりおれに気を遣っていた。
「……まぁ、いいや。おれもUSNAに連れ去られたら困るし」
ㅤあちらの都合とはいえ、こちらも得をしているのだ。おれ単身でスターズと事を構えれば、中々苦しい状況に追い込まれた筈である。
「あっ、サブ端末忘れてきた。マネーカード持ってるか?」
ㅤコンビニの前まできて、おれは忘れ物に気付く。電子マネー派なので、マネーカードを持ち歩かないのだ。
「あるよ。僕はカード派だから」
ㅤ現代のコンビニは無人であり、金銭のやり取りは自動精算機で行う。そして、入り口でマネーカードを差し込むか、電子マネーシステムと同期させるかで、店内に入ることができる仕組みだ。万引き防止の為に導入されており、そのまま商品を持ち去ると警察に通報される。
ㅤ電子マネーアプリは端末情報が抜かれる可能性があるので、用心深い人間は支払い用のサブ機を持ち歩いている。
「差しといてくれよ」
「僕に払わせる気でしょ……」
ㅤ彼は仕方なさそうな顔で、財布からマネーカードを取り出す。そして、差込口にカードを入れた。ゲートが開き、店内へと足を踏み入れる――その時だった。
「……!」
ㅤ店の奥から人間が飛び出してきた。帽子とマスクをした大柄の男だ。浅黒い肌をしている。
ㅤ待ち伏せされていたのか。けれど、こんな場所で仕掛けてくるとは。思ったよりも金沢の警備態勢が厳しく、とうとう痺れを切らしたのかもしれない。
ㅤけれど、おれ達がこのコンビニへ行くことを何故知っている? 答えはその場で出てこなかった。
「――Activate! "Dancing Blades"!!!」
ㅤ男がそう叫んだ瞬間、ナイフのようなものが何本も彼の懐から飛び出した。
(あれはダガー!?)
ㅤしかし、ダガーはおれ達に刺さることなく反転した。理澄の魔法によるものだ。持ち前の干渉力でダガーに掛けられた相手の魔法を塗り潰し、改めて加速魔法を掛け直したのだろう。
ㅤ普通ならば、障壁魔法で感知した物理エネルギーを相殺する形で加速系を使う、という二段階での対処を求められる。おれだって、1人ならそうした。
「逃げるぞ!」
ㅤもちろん、おれも何もしていなかった訳ではない。ダガーが飛んできた時点で、手近にあった商品を店の外に放り投げている。万引きシステムの性質上、監視カメラの映像が警察へと転送されている筈だ。
ㅤ公共の機器による情報収集に係るプライバシー侵害の防止等に関する法律――通称「一九八四法」によって、街路カメラ利用の申請はかなり厳しい。あとで「怪しい男に襲撃された」と訴えても、その証言だけでは街路カメラのデータ検索に許可は出ない。けれども、別件で映像証拠があるならば話は別だ。
ㅤ警察関係者は皆、一九八四法に苦渋を舐めさせられている。街路カメラを調べられるならば、おれのしたことも厳重注意で済ます。何なら、こっそりと礼も言ってくるだろう。
「おい、そっちに行っていいのかよ?」
ㅤ理澄が人気のない公園の方へと走っていくので、並走しながら尋ねる。
「人の多いところだと、ややこしいことになるだろ! どうせ、他にも集まってくるんだから!」
ㅤ一条傘下の魔法師などが参戦してくることを考えてらしい。人が多くなると、誤射の可能性も上がる。魔法が一般人に当たりました、なんて洒落にもならない。
「!?」
ㅤ公園に辿り着いた途端、違和感を抱く。このまま立っていると危険だという感覚に従って、おれ達は「跳躍」で上空に飛び上がる。勘は外れなかった。
(これは『ムスペルスヘイム』……)
ㅤそれなりに得意魔法だからこそ、分かる。おれが使うものよりも威力が高い。スピードも規模も、桁違いだ。
ㅤ間髪入れず、仮面の女が襲いかかってきた。今使われた魔法の術者だろう。おれは「マンドレイク」を使って、女の動きを鈍らせる。確かに、その魔法で間合いを取る時間は取れた。だが、相手は自分の周囲に「サイレントウェーブ」を掛けて、再び攻撃を仕掛けてくる。コイツ、相当の手練れだ。
「クソッ!」
ㅤ理澄は先程の男と交戦している。この女は、おれがケリをつけないといけない。けれど、正面から戦う必要は無かった。というより、ダメージを与えるタイプの精神干渉魔法は対策されている。だから、使っても意味は無い。
ㅤある精神干渉魔法を発動し、遊具の陰に隠れる。この魔法は、視覚情報を固定する。一定の時間、相手の記憶を更新させない。「そこにいた」という情報を定着させ、空間認識を阻害する。魔法名は、端的に「記憶固定」。第四研発の精神干渉魔法としてはポピュラーだ。
「理澄は置いて帰るか……」
ㅤおれと違って、あちらは戦闘向きの魔法師。多分、やられて死ぬことはないだろう。
ㅤ悠々とした足取りで、公園を出て行く。仮面の女は、それに気づくことはない。認識が歪められているので、周囲の状況と結びつけられないのだ。
「もう寝よう」
ㅤ時計を見ると、一時を回っていた。夜食を食べ損なったが、仕方ないことである。家に戻って、さっさと布団に入った。
◆
ㅤ夜久に置いていかれた理澄はといえば、戦闘をとっくに終了していた。
今晩の戦闘は、狂言であったのだ。日時を決めてこそいなかったが、公園に誘導したのは意図的なもの。ここには、理澄の部下が構築した人避けの結界が張られていたのだ。
「お疲れさまです。中々、やりますね」
「そちらこそ。やはり、ヨツバのエージェントなだけはあります」
ㅤ襲撃してきた男――ラルフ・ハーディ・ミルファクと彼は気安く話していた。この二人は、元々グルだったのである。先回りして待ち伏せしていたのも、単に行く場所を理澄が事前に伝えたからに過ぎない。しかも、コンビニの監視カメラは事前に「システム障害」という名目でオフラインになっていた。
ㅤラルフはUSNAで総隊長代行をしているベンジャミン・カノープスの命を受けて、リーナの亡命を助ける任務を帯びていたのだ。要は、バランス派閥の人間ということである。
「――ラルフ、一体どういうことですか?」
ㅤその様子を見て、リーナが鋭い視線で睨みつける。どう見ても、内通のシーンだ。そう思うのも無理はない。
ㅤしかし、ラルフは落ち着き払った態度だ。そして、リーナにある単語を告げる。それは、彼女が出立前にカノープスから聞いた「合言葉」であった。「誰を信用していいか判断がつかない時、その言葉が標になる筈です」と言われていたのだ。
ㅤそれを聞いたならば、彼女はラルフを信用せねばならない。
「……信じましょう。ワタシはベンを信頼していますから。だから、貴方の行動に意味があると考えます」
「ありがとうございます。……総隊長殿、落ち着いて聞いてくださいね。今、スターズ内部では不和が起こっています。そして、総隊長殿の身に危険が及んでいるのです」
ㅤカノープス少佐殿からのメッセージです、とラルフは小さな手紙を取り出した。リーナはそれを受けとり、文章に目を通す。
「暗殺……? しばらく、日本に身を寄せろ? ヨツバと取引は済んでいる……」
ㅤ衝撃の事実が並んでいたが、何とか彼女は全てを飲みこんだようだ。
「敵を騙すには、まず味方から……その為に私もマーキュリーも、総隊長殿には真実を告げておりませんでした。お許し下さい」
ㅤリーナの暗殺が突発的に起こらないよう、彼女の周囲の人間だけは、何とかマトモな人間が捻じ込まれていた。日本で一緒に暮らしていたシルヴィアもそうだ。
「いえ、謝る必要は無いわ。ラルフ、私の手助けをしてくれていて、本当にありがとう。ベンにも、お礼を言っておいて頂戴ね」
「かしこまりました」
ㅤ話が纏まったところで、再び理澄がラルフに話しかける。
「さっきまで、他の場所で反シリウス側の人員と一条家の人間が交戦していたようです。数人ほど拘束されたようなので、日本での作戦継続は不可能……という訳で、我々の仕事も終わりということです」
「そうですね。――総隊長殿をよろしくお願いします」
「もちろんです」
ㅤラルフと理澄は固く握手をする。数ヶ月間とはいえ、一緒に仕事をしたパートナーだ。そうして、彼はリーナに「お元気で!」と言い残して、この場所を去っていった。
「――さて。また明日、と言いたいところだけど。夜も遅いし、家まで送って行くよ……リーナ」
「えぇ! ワタシの正体、知ってるの!?」
「当たり前でしょ」
ㅤ理澄は呆れた顔をして、「元の姿に戻ったら?」と言う。ようやく、リーナは「
「……学校では知らない振りしようと思ったのに」
「それは残念」
ㅤそこからは、特に会話も無しで歩いていく。彼女がシルヴィアと合流したのを確認して、理澄は踵を返す。そこに、一台の自走車が停まった。
「――理澄様。お乗り下さい」
ㅤ運転席の窓から、彼のガーディアンである青年――名瀬北斗という名である――が顔を出した。
「あっ、北斗。お疲れ」
ㅤドアを開けて乗り込むと、すぐに車は走り出す。運転しながらも北斗は、別働隊だった黒羽についての報告を彼にする。
「黒羽様による、スターズや一条家の誘導は上手くいったようです。文弥様は『ダイレクト・ペイン』で助太刀されていましたし」
「それは良かった。一条が絡み出した時はどうなることかと思ったけど、何とか収まるところに収まったね」
ㅤ四葉の係累の存在という情報が漏れ、拉致寸前までいったところで、それを逆手に取った作戦を立てて成功。これを大戦果と言わずして、何と言うのか。
「ただ、そろそろ夜久様にもお伝えした方がよろしいのでは?」
「そうなんだよねぇ……」
ㅤ分かってはいる。しかし、夜久は「狂言だったから、お母様が心配してくれなかったんだ!」などの理屈を捏ねて怒りそうである。
「御当主様も、一体アイツの何が気に入らないのかな……」
ㅤ理澄個人としては、真夜も夜久を受け入れる必要があるのではないかと思わなくもない。けれども、意見するなんて怖くて無理だ。彼にとって「四葉真夜」は恐怖そのもの。何度顔を合わせても、緊張してしまう。
「お気の毒ですよ、夜久様は……。生まれてくる場所は選べませんからね」
「それはそうだけどさ」
ㅤ真夜の息子として生まれ、一度も母親に愛されたことの無い少年。けれど、いつかは……そう願い続けて過ごしている。その姿は、あまりにも哀れだ。そのことを考えると、とやかく言えなくなってしまう。
ㅤ津久葉家が問題ばかり起こす彼に手を焼いたのも、結局は真夜の問題に行き着くからだ。彼女に変わる気が無いのなら、子供を注意したってどうしようもない。性格を落ち着けるには洗脳くらいしか無いが、それは同時に魔法力を下げてしまう。だからこそ、最終的に放置するしかなかったのだ。
ㅤここ最近の夜久は落ち着いているが――今後、どうなることやら。理澄はそう思い、頭を抱えた。
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人生に中指を立てた
ㅤ日本に残ったリーナは、しばらくはそのまま生活を続けることになった。最終的には、四葉家管理の島に住む予定だが、留学期間を狭めるのは難しかった――圧力を掛けることは簡単だが、四葉家によってなされたと分かると意味がない――ので、3学期いっぱいまでは三高に籍があるのだ。
ㅤ同居人だったシルヴィアは、本国へと引き揚げていった。作戦そのものが「なかったこと」になり、日本に居てはならなくなったからだ。彼女は本当のことについて黙っていたことを何度も謝り、「元気でいてくださいね」と言い残した。
ㅤ話し相手がいなくなった途端、部屋は妙に広くなる。寂しさを紛らわしたくて、テレビを点けてみた。朝のニュース番組では、アナウンサーが先日の出来事から始まるニュースを読み上げている。
『USNA籍の不審船を日本海側で発見』
『スターズ総隊長の交代劇。前シリウスは実験部隊への配属か』
『「同盟国」USNAが日本で行った極秘作戦』
ㅤここ最近、日本を騒がすのはUSNA絡みのことばかり。自分もそのUSNAの人間だった筈なのに、画面の向こうで語られているのは、少しも実感が湧かないことだった。
(……まず、本当に狙われていたのかしら?)
ㅤ話し相手がいないと、悩みが堂々巡りする。
ㅤ本当は、「シリウス」を排除する為、周囲が自分を騙していただけなのではないか。あの時、自分は丸め込まれただけなのではないか――つまり、USNA軍から放逐されたのではないのかという疑念だ。
ㅤ部下の前では毅然とした対応を取っていた彼女も、今は単なる高校生の少女だ。不安ばかりが大きく膨らんでいく。
(ベンやシルヴィとも連絡は取れないし……)
ㅤカノープスの指示によって、四葉家に身を寄せたリーナ。だが、名目上は自分の意思で亡命したことになっている。だから、誰とも通信することができない。真実が明かされることを恐れ、あちら側が番号などを全て変えてしまっているのだ。繋がらない端末は、更に不信感を煽る。
(軍に入ったあと、電話どころか手紙すらくれなかった。けど、悲しくなかったわ)
ㅤ膝を抱えたまま、昔のこと……自分が軍人になるまでのことを思い出していた。
ㅤ10歳足らずの時、リーナは軍人養成課程のスクールへ徴兵された。魔法の才能があるという理由だけで、親と別れての生活を強制されること。側から見れば、不幸な出来事だったのかもしれない。
ㅤけれども、彼女にとっては救いでもあった。何故なら、生まれ育った家庭は良いものではなかったから――彼女の同世代を上回る魔法の才能と類稀なる美貌。どちらも素晴らしい神からの贈り物であったが、それ故に両親は自分達の子を「本当の子と思えない」と感じてしまったのだ。
ㅤ親達が精一杯、娘を愛そうとしたのは確か。でも、子供は親の心の機微を敏感に感じとる。「愛されていない」という自覚が、いつも彼女の心にはあった。
ㅤだから、USNA軍は初めて「自分を受け入れてくれた」場所だ。入隊する頃にはもう、ステイツへの愛国心は家族を守るも同然の意味となっていた。
「だけど……また、『要らなく』なったの?」
ㅤ決定的な言葉が口から溢れでた途端、リーナの目から涙が溢れ出る。拭おうとするが、止まるものでもない。
ㅤ再び、「家族」に捨てられた――もちろん、これは真実でないのだ。しかし、彼女の中では唯一の筋の通った論理だった。もう必要とされてないのか、と考えれば考えるほど、絶望感が増してゆく。
ㅤ誰もがリーナに対して、言葉足らずだったのだ。
ㅤカノープスは、文面ゆえに真意を伝え切れなかった。シルヴィアやラルフなどの部下達は、脱出準備に追われていて、あまり気に掛ける余裕もなかった。また、リーナは年下の子供ではあるが、それでも彼らの「上司」であったのだ。彼女自身の弱さを想像するのは、どこか難しいところがある。
ㅤその上、これからの庇護者である筈の四葉家はもっと酷かった。彼らにとって、リーナはUSNA交渉における道具でしかない。「回収」した後は、大した説明もしなかった。
「――学校、行かないと……」
ㅤふと時計を見れば、家を出る時間になっている。ちゃんと通わなければ、不審に思われてしまう……そう自分を叱咤し、ノロノロとした動作で制服に着替える。先行きも分からないまま、学生の振りをするのは辛くてたまらなかった。夜久や理澄と顔を合わせて、今まで通りの態度でいられるだろうか。進もうとしない足を無理やり動かし、彼女は家を出た。
◆
ㅤ悲しかった。全てが狂言だったなんて。
ㅤ心のどこかで、おれは「お母様が心配してくれるのではないか」と思っていた。分家が主導したことであっても、おれの警護への許可を出したのはお母様。それが「息子だから」でなかったとしても、魔法が惜しかったとしても良かった。四葉にいて欲しい、と思っているならば――けれども、何もかも違った。USNAとのパイプを繋ぐ方が大事だっただけだ。おれの存在は、さして重要でない。
ㅤ希望は、何度も打ち砕かれている。もう慣れたものだ。
ㅤため息をついて、理澄からのメールを閉じた。別に、彼には怒ることもない。最初からスタンスが違うのは知っている。利害の一致、刹那的な友情。それはそれで、心地良く思う。
ㅤ一人で抱え込むよりは、ずっとマシであるから。三高生としての生活で、おれはそんな事実を知った。心の痛みを忘れさせる、モルヒネのような絆。根本的な解決にならない現実逃避だ。
ㅤ学校に行こうとして、マンションのアプローチから地上を見た。特にさしたる理由はない。何となく、覗いてみただけ。
「……あれは、リーナか」
ㅤ迷いがあったのは、彼女の様子があまりにおかしかったから。フラフラと弱々しく歩いている。髪も結えておらず、手櫛で梳かしただけのようだ。
「――おい、どうしたんだよ!」
ㅤ階段を駆け下り、声をかけてみる。彼女は振り返り、おれに縋り付いた。どうしていいか分からず、なすがままになる。
「……お願い! ワタシをUSNAに帰して!」
「遅れてきたホームシックか?」
ㅤ軽い冗談で返したが、そんなどころではなさそうだった。
ㅤしかし、どうして帰りたいのか。彼女は自らの意志で亡命をしたのではなかったか。なんだか気になり、おれは事情を訊くことにした。
「――それで、帰るってどういうことだ?」
ㅤおれ達は、部屋の玄関に並んで座る。とりあえず、学校は休むことにした。1日くらい休んでも大丈夫だ。
ㅤ周りの目が無くなった途端、リーナはズビズビと泣く。けれど、おれの問いには答えてくれた。
ㅤ
「違うの、本当は帰ったってどうしようもないの。だって……もう居場所なんか無いのよ」
ㅤティッシュで鼻をかみつつ、彼女は訥々と己の境遇を語る――要約すれば、「自分はUSNAに切り捨てられたかもしれない」ということだった。
ㅤ確かに、USNAは四葉とのパイプを作る為、リーナから「シリウス」の看板を剥ぎ取ったのだ。四葉の思惑はともかくとして、支援者は彼女に良かれと思い、工作を行ったのだろう。しかし、彼女自身はそんなことを望んではいなかった。軍に人生を支配されてでも、国の為に最期まで戦い続ける。それで構わなかったのだから。
(そんな……)
ㅤリーナを可哀想だとも思う。でも、同情よりも今は衝撃の方が大きかった――信ずるものの為に尽くしても、救われるとは限らない。
ㅤガツンと横から殴られた気分である。どうしようもなくて、頭がクラクラして吐きそうだ。思わず笑ってしまった。
「……何笑ってるのよ」
ㅤ目を擦ることで涙を拭っていたリーナは、こちらに顔を向けた。鼻の頭が少し赤い。
「いや?」
ㅤおれは騙し騙しの逃げで、どうにかしようとしていた。しかし、その道すらも答えが見えてしまったのだ――もう分かっている。
(おれに、お母様は救えない)
ㅤこれまで、ずっと尽くし続けた。けれど、もう最初から限界だったのだ。
ㅤ叔母様は、新しい思い出を作ってやれと言った。自分には不可能だから、と。でも、どだい無理な話で……「あの日」から、お母様の時間は止まったまま。未来など、ありえない空想に過ぎないのだ。
ㅤお母様の幸福は、過去にしか存在しないのだから。
「お前と、おれの人生はよく似ているよ――特に、報われないところが」
「……失礼ね」
「間違いでもないだろ」
ㅤ互いに闇を抱え、どん底で傷を舐め合う。今のおれたちにはお似合いだ。
「ねぇ。今ここで、『ヘビィ・メタル・バースト』を発動したら、どうなるかしら……」
ㅤ彼女は、不意にそう呟いた。そして、慌てたように「冗談よ? 撃てるスペックのCADも無いし……」と誤魔化す。
「やってみろよ」
「え?」
「戦略級魔法はともかく、何か適当に撃ってみろよ。『自分はここにいるんだ!』って。帰る場所も無いなら、何したっていいじゃないか」
ㅤ現状の不満に対するカウンター。
ㅤ不幸自慢をすれば、許されるというものでもない。けれども、そうするしか無かった。鬱屈した感情をどうにかしたい。
「でも……」
「――じゃあ、お前は良いのかよ! 生きてる意味も分からず、死体みたいな人生を過ごしても!」
ㅤ堰を切ったように、言葉が溢れ出る。
「おれは嫌だ! こんなクソみたいな人生なんて!」
ㅤ自分が生まれたことが、そもそも間違いだったのだ。四葉であるとか、お母様と向き合うとか――それは本当の問題では無かった。
「そんなこと、ワタシだって知ってる! 人生がどうしようもなく最悪だってこと!」
ㅤリーナはCADに手を伸ばした。瞬時に、魔法式が展開される。プラズマの閃光が舞い、玄関が吹き飛んだ。外の景色がよく見える。
「……」
ㅤリーナは自分のしてしまったことに驚き、ぽかんとした顔をしている。
ㅤ開いた壁の穴から、おれは地上へと飛び降りた。まだ上にいる彼女へ向けて、おれは言う。
「模擬戦でもしよう。2人揃って、退学とかなろうぜ!」
ㅤ精神干渉魔法「エンセオジェン」を発動する――脳神経を介して幻覚を見せる魔法。そして、副次的にアドレナリンを大量放出させる効果もある。どうしようもない現状を忘れ、享楽的に生きるしかなかった。
「望むところよ!」
ㅤ彼女はようやく微笑んだ。
ㅤどちらも得意系統が放出系だから、プラズマがバチバチと散る。周りへの被害も気にせず、魔法を撃ちまくった。途中で警察などが止めにきたが、認識阻害で逃げ出して何度も暴れ続ける。
ㅤとにかく楽しかった。おれ達は笑い転げながら、CADを操作する。1人じゃないだけで、心強かった。
「――いい加減にしろ!」
ㅤそんな時。空気弾がおれ達へと大量に降り注いだ。見れば、一条と理澄が立っていた。騒ぎを聞きつけ、学校から飛んで来たのだろう。
「何が不満なのか知らんが。ウチの管理地域で好き勝手暴れるな。流石に、正式な書面で抗議させてもらう」
「好きにしろよ。本家に送ったって、無視されるだろうしな」
ㅤ険しい顔の一条へ向けて、そう吐き捨てる。
「リーナも一体どうしたんだ。学校を休んだと思えば……」
ㅤ理澄がそう尋ねたが、リーナは不敵な笑みを返す。
「貴方の――ヨツバの言いなりになんてならないわ。だってもう……どうだって良いもの」
「四葉!? シールズさん、それは一体……」
ㅤ一条がそう言った途端、理澄が魔法を発動して気絶させた。黙らせようとしたのだろう。
ㅤけれど、そのせいで彼はおれの魔法に対処出来なかった。使ったのは、精神干渉魔法「ルナ・ストライク」。あちらは想子ウォールで術式の効果を和らげる。でも、おれが最大出力で放った魔法。ダメージは免れない筈だ。
「ぐっ……」
ㅤ案の定、理澄は呻き声を上げた。追い打ちに、おれは精神干渉魔法「ランドエスケープ」を発動した。この魔法は、相手の深層心理を表出させる。少しは精神ダメージを受けているので、効果があるだろうと思ってのことだ。
「……!?」
ㅤ驚いたことに、彼の心象風景は恐怖に塗りつぶされていた。逃げ出したい、耐えられない、怖くて仕方ない――意外なほどの負の感情を感知して、おれは拍子抜けする。
ㅤ鳥の鳴き声のような高い声がした。それは、理澄の口から出ているもの。彼は気が狂ったように、地面を爪で掻き毟っていた。指先は血塗れだ。
「あの……彼、どうしちゃったの?」
ㅤリーナが引き攣った顔でそう尋ねてきた。聞かれても、おれだって分からない。
ㅤ戸惑いつつ、しばらく理澄の様子を見ていた。彼の体が何度か想子光に包まれるが、魔法式は途中で崩壊する。最初は意味が分からなかったが、途中で合点した。「ワルキューレ」を自分に使って、失敗しているのだ。
ㅤ魔法師には、高い自己防衛本能がある。自らを傷つけるような魔法は、無意識下でキャンセルしてしまう。
「……死にたがってるのか」
ㅤ何故かは知らないが、彼の深層心理は「恐怖と自傷」で占められていた。「四」というコミュニティに生きる故の不幸。可愛げのない理澄にすら、それは存在したのだ。そう思うと、可哀想になってきた。
ㅤおれは彼を抱え上げ、リーナの方を見た。
「そろそろ逃げるか。認識阻害を使えば、検問も抜けられるだろ」
ㅤ都内辺りまで行ってしまえば、逃げることが出来るだろう。後のことは、これから考えれば良い。
「……彼も連れて行くの?」
「嫌か? 別に置いて行っても構わないが。重たいし」
「こんなになっちゃったから、ちょっと気の毒だし……良しとしましょうか」
ㅤそうと決まれば、とおれ達は歩き出す。鬱憤ばらしをしたからか、足取りも心なしか軽い。歌い出したい気分だった。
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世界にサヨナラを
ㅤ精神干渉魔法「記憶固定」で、目撃者の記憶を改竄して、北陸地区から早々に逃げ出す。警察や一条家の追手ならなんとかなるが、四葉まで話が回ると厄介だからだ。
ㅤキャビネットに乗る際は、リーナの「仮装行列」が役に立った。顔や身体を変えられるからだ。ただ、日本人の見かけでは無い。価値観が違うから当たり前である。しかも、彼女は架空の人間を作るのは苦手らしく、どれも既存の人間を基にしているという。それを聞いて、元の人間の知り合いがいたらどうしようと少し不安になった。
「気にすることはないわ。売れてない地下アーティストの顔よ? 知ってる人なんて稀なんだから」
ㅤリーナ――今の姿は、浅黒い肌に黒髪だ――が呑気そうな口ぶりで言う。
「詳しいんだな。売れてないのに」
ㅤそして、おれは金髪で緑の目をした優男風の姿になっていた。
ㅤついでに、キャビネットの床に転がっている理澄は、ヒッピーみたいな見た目にさせられている。「この姿にしておけば、死にそうな酔っ払いに見えなくもないから」という理由らしい。
「顔のモデルにするには、ちょうど良いのよ。たまに動画を見るわ。けど、パフォーマンスは本当に最悪。下手過ぎて、工場に住んでるみたいな気持ちになるわ」
「へぇ……」
「ところで、この人……本当におかしくなっちゃってそうだけど。大丈夫なの?」
ㅤ彼女は理澄を指差し、心配そうな顔をした。
ㅤ彼は「ワルキューレ」を自分に掛けて死ぬことが叶わないと気づいたのか、次は自分の爪で首を掻き切ろうと何度も引っ掻き続けている。
「大丈夫……な筈だ。まさか、ここまで効くとは思わなくてだな」
ㅤ精神干渉魔法というものは、どれも危険なものと一纏めにされがちである。けれども、この類の魔法はいくつかの分類に分けられる。
ㅤ一つは、情動干渉の魔法。使い手こそ選ぶものの、割とポピュラーな魔法だ。簡単な洗脳なら出来てしまうという点では危険だが、精神へのダメージは少ない。
ㅤ例外は「ルナ・ストライク」くらいだろう。精神に直接ダメージこそ与えるが、これは情動干渉系だ。本質としては、幻影によるショックで意識の抑圧を緩めて精神を暴走させるもの。その暴走によって、結果的に精神へダメージを与えるのだ。
ㅤ二つ目は、精神に直接干渉する魔法。殆どは固有魔法であり、定式化されているものは少ない。
ㅤ先程使った「ランドエスケープ」は、第四研で開発された魔法であり、現在の使い手はおれしかいないはずだ。深層心理を表出させる、という言い方をしているが、エイドスの一時的な改変で「無意識領域を意識領域に情報を書き換える」という解釈が正しい。その為に蓋をしていた感情が、一気に襲い掛かってくるのである。
「……あっ、収容されたな」
ㅤキャビネットの長距離用トレーラーへの収容動作が終了した、というアナウンスが流れた。
「ラウンジに行くとジュースが飲めるぞ。行ってきたらどうだ?」
ㅤ長い間乗ることになるので、トレーラー内はそれなりの設備が整っている。ラウンジもその一つだ。
「そうするわ。……ヨルヒサはどうするの?」
「コイツが起きても困るからな。ここに残っておく」
ㅤリーナは軽く頷き、キャビネットから出て行った。しばらく、端末をみて時間を潰す。
ㅤふと視線を落とすと、急に理澄と目が合う。ようやく、正気に戻ったらしい。血走った眼が、こちらを睨み付けている。
「……何だよ。そんなに自分の思い通りにならなかったことが不満か?」
ㅤおれがリーナを唆して叛逆させたと思っているのか……そう思って尋ねた。
「――……お前に僕の気持ちが分かる筈ないっ!」
ㅤ理澄の叫びに、おれは冷静に言葉を返す。
「分かる訳ないだろ。四葉の為に生きてるような、お前の気持ちなんか」
「そうでもしないと、僕はこの世界で生き残れなかった! 四葉の人間として生きるしか、手段は無かったんだ! 正気に戻ったら、耐えられる訳がない!」
ㅤ生まれたくなんかなかったのに、と泣き出す理澄。
「――それで? だから、何だっていうんだ?」
ㅤ彼には、彼なりの「弱さ」があった。それに対しては、共感できなくもない。生まれてしまった不幸を嘆くこともそうだ。
ㅤけれど、彼は「四葉内での自分の立場」を失うことを恐れている――生きることが怖いんじゃない。自分の持っているもの全てを失って、生きていく自信が無いだけだ。
ㅤその拠り所を無くしたとき、彼はどうするのか。
ㅤ興味をもって、おれは魔法を行使した――精神構造干渉魔法「マギ・インテルフェクトル」。魔法師を非魔法師に変える、最低最悪の魔法。
「……別に、お前の作った環境は悪くなかったよ。それなりに楽しかったしな。このまま分家側に付けば、割とマトモな生活も出来たんじゃないか。けどな――」
ㅤそこで、言葉を一度切る。でも、それじゃあダメなのだ。
「――結局、この世界そのものが問題なんだよ。理不尽そのものが形作った、この世界が。見ないふりをしていても、現実は常に教えてくれる」
ㅤ四葉家内では、「魔法の価値」でしか存在意義を得られない。けれど、お母様はその魔法ゆえに、おれを酷く厭っている。二律背反の「生きづらさ」への答えは、誰も教えてくれない。
ㅤ世界は、あまりにもおれに厳しすぎる。
「……そうだね。けど、世界の終わりなんて僕は見たくなかった。こんな酷い世界でも、終わらせたくなかった。でも……失敗しちゃったね」
ㅤCADを投げ捨て、理澄は立ち上がった。完全に諦めたからか、表情は思いの外晴れやかだ。
「じゃあね、マザコン野郎。僕は全てを失ってなお、這って生きるような勇気はないんだ」
「どうする気だ?」
ㅤ彼は薄く微笑むと、端末で誰かに電話を掛けた。話し振りから、どうやら通話相手は彼の部下らしい。
「――うん、いま送った住所へ適当に攻撃してくれたら良いから。……今まで、ありがとう」
ㅤ通話を終えると、理澄は座席に黙って座った。会話も特になく、ただただ静寂がキャビネット内を包んでいる。
「――!」
ㅤ急に、理澄の輪郭が揺らいだ。
ㅤあっ、と言う間もなく、彼が生きていたという痕跡は無くなった。何も知らなければ、幻影を使って逃げたとしか思えなかっただろう。
「分解、か……」
ㅤ司波達也の持つ、究極の分解魔法。それによって、彼は死んでいった。何故、そんな死に方を選んだのか。おれには、何もわからない。
「……じゃあな、馬鹿野郎」
ㅤ死は、悼んでやるべきだろう。おれは小さく手を合わせた。
「――お待たせ! 持ち出せるメニューがあったから、買ってきたわよ! ……って、あれ? 彼はどうしたの?」
ㅤジュースや軽食の載ったトレーを持ち、リーナがご機嫌で戻ってくる。彼女は狭い車内を見渡し、理澄の不在に気づく。
ㅤ彼の臆病さを表現するならば、死んでいったという言葉は不適当だ。だから、短くこう答えた。
「アイツなら、逃げたよ」
◆
ㅤ夜久とリーナが引き起こした問題により、四葉家本邸は上も下も大騒ぎであった。しかし、唯一の例外が。それは、四葉家当主――真夜の執務室である。
「あら、理澄さんが死んだ?」
ㅤ紅茶のティーカップに口をつけ、真夜は少し驚いた顔で葉山へ問い返した。
「達也殿からの報告でございます。深雪様の身辺に危険が及んだゆえ、咄嗟に『分解』を行使し……後で確認すると、それが理澄様であったと」
ㅤ司波邸に極めて攻撃性の高い魔法が発動される気配がしたため、達也は「精霊の眼」を辿り、全ての関係者を「分解」した。それにより、理澄と彼のガーディアン、他数名が亡くなったという。
「まぁ、次期当主候補が一人減ってしまったわね。――分家の方達は、どう言っているの?」
「武倉はもちろんのこと、黒羽が相当な怒りようで。達也殿を四葉から排除すべきだと、こちらへ猛抗議を」
「理澄さんに非が全くない、というのならば、それも一つの選択肢でしょうけれど。攻撃したのは、確かなのでしょう?」
「達也殿が虚偽の申告をしていなければ、そうなりますな」
「じゃあ、放っておきましょう。どうでも良いわ」
ㅤ本当にどうでもよかったのか、真夜はのんびりと「紅茶のお代わりを貰えるかしら」と葉山に言う。
「それで、夜久様のことでございますが……」
ㅤ紅茶を差し出しながら、葉山がおずおずと主人に告げる。
「何かしら?」
「これまで一条家が見て見ぬ振りをしていたのを良いことに、放置して参りましたが……流石に今回の件は問題でございます。師族会議に持ち込まれる前に、手打ちにする必要があるかと」
「……仕方ないわね。藍霞さんを呼び出してくれるかしら?」
ㅤ渉外は武倉家の担当ゆえ、彼女に任せる必要があった。
「それが……理澄様の死で、大変なショックを受けているご様子で……。とても、交渉を出来る状態では無いかと」
「そうだったわね」
ㅤ大きくため息を吐く真夜。どうして、面倒なことは揃ってやってくるのだろう……彼女は何だか腹が立ってきた。思わず、CADに触れる。
ㅤ「夜」が生まれ、一筋の光条が流れる。
ㅤ真夜の固有魔法「流星群」が、ティーカップとテーブルを貫いた。
ㅤ廊下で控えていたメイドが慌てて部屋へと入り、ホウキなどで掃除を始める。真夜が癇癪を起こしたときは、すぐに片付けないと自分も殺されてしまう。それを知ってのことだった。
「お気持ちは分かりますが、真夜様……」
「分かってるわよ」
ㅤその時、葉山の端末が軽く震えた。「失礼します」と彼は言い、部屋の隅で通話に出る。
「――いえ、流石に……。だが……いや、仕方ありませんな。奥様にお繋ぎします」
ㅤ顔色悪く、葉山は真夜に報告する。タイミングは最悪だったが、言わない訳にもいかない。
「申し訳ありません、奥様……。夜久様が、どうしてもお電話をと」
「嫌よ。さっさと切って頂戴」
「しかし、夜久様は『繋いでくれないのならば、次は都内で暴れる』の一点張りでして……」
ㅤこの状況でそれをされると、隠蔽が非常に厳しい。理澄の死によって、分家が瓦解しているのだ。あまりにも、手が足りな過ぎる。
ㅤそのことを理解したから、真夜は諦めてスクリーンの前に立った。
『お久しぶり、お母様』
ㅤ画面の向こうの夜久は、いつも通りの笑顔だ。
「……私も忙しいのよ。貴方の相手をする暇は無いわ」
『理澄が死んだからだろ? 一条とのトラブルを解決するカードが出せない訳だ。』
「……どうして知っているのかしら?」
『そんなことはどうでもいいだろ。――なぁ、お母様……おれ、勘違いしてたよ。頑張ったら、貴女のことを救えるって。そう思ってた。けど、間違いだったんだな』
「……なに?」
ㅤ真夜が身構えるが、夜久は寂しい笑顔で言葉を続ける。
『ごめんなさい、お母様』
ㅤマズい、と思った時にはもう遅かった。想子の奔流が、真夜の身体を包む。幻影の衝撃を受け、彼女がカーペットに崩れ落ちる。
「奥様!」
ㅤ葉山が必死に叫ぶが、平凡な魔法師である彼にはどうしようもない。
ㅤ夜久は精神構造干渉魔法で、真夜の精神に干渉した。そして、真夜の知識――過去に深夜に書き換えられた「記憶を知識に変えた精神部位」の部分を抹消したのだ。
『……最初から、こうすれば良かったんだ。おれが息子だから、ダメだったんだ』
ㅤ夜久はそう呟き、ブチリと通話を切った。画面はブラックアウトし、もう何も言わない。
「奥様……」
ㅤ倒れ込んだ真夜を起こすべく、葉山がそっと近づく。
「――あら、葉山! 姉さんがどこに行ったか知ってる?」
「へ……」
「一緒におやつを食べる約束をしていたのよ! 弘一さんの話がしたくって、楽しみにしていたんだけど……姉さん、すっぽかしたのかしら」
ㅤ無邪気な態度で、姉や元婚約者の話をする真夜。その姿は、葉山も非常に見覚えがあった。
「ま、まやさま……!?」
ㅤ昔の。「あの事件」の前の……四葉真夜の姿だ。
「そうよ、わたしは真夜よ。――どうしたの? なんだか、老けたみたいに見えるわ! 疲れてるんじゃない? あっ! お父様のところへ行って、葉山にお休みを頂戴って言ってあげる!」
「いえ、大丈夫ですから……大丈夫」
ㅤ懐かしい思い出が蘇り、葉山は泣きそうになる。本当に現実ならば、救われるというのに……。
ㅤ実際は、何も変わりは無い。事態は改善していないのだ。でも、もはやどうしようも無かった。
「変なの。泣いてるじゃない」
「えぇ、変ですな……」
ㅤこうなった以上、四葉本家はもう無理だ。けれど、奥様だけでもお守りせねば――葉山はそう考えた。
ㅤ彼は「スポンサー」から四葉家へ送り込まれた、所謂スパイである。いざという時、四葉家をコントロールする為の立場。しかし、今の彼にできることは少ない。優先すべきことは、一つだった。
「……真夜様、聞いていただけますか」
ㅤ彼は、かつての主人に語りかけた。
ㅤ貴女に会わせたい人物がいらっしゃいます、と。
めちゃくちゃ嫌われてきたし、個人的にも邪魔だったから殺しました。
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悪夢から逃げられない
ㅤ現代は情報化社会である。
ㅤ故に、ぼんやりしていても様々なことがすぐに耳に入ってくるのだ。適当にニュースサイトをピックアップすれば、師族会議についてのゴシップが沢山流れてくる。
「――師族会議、四葉は無断欠席を続けてるらしいぜ。一条家が『誠に遺憾』という声明を出したらしい。けど、今は誰も対応できないんじゃないか」
ㅤコンビニで適当に買った朝食を食べつつ、おれはそんな話をリーナにした。
ㅤおれ達は今、都内のビジネスホテルに滞在している。理由は簡単で、宿泊費が安いからだ。端末の自動支払いシステムは足がつくので、マネーカードか現金しか使えない。そのせいで、割とギリギリの生活だ。
ㅤ死んだ理澄のCADにマネーカードが数枚挟まっていたので、おれはそれを拝借して使っている。けれども、そろそろ使用期限が近づいてきていた。マネーカードは一定期間を過ぎると、残金が口座に戻る仕組みになっているのだ。
「貴方が……ヨツバのボスを倒したのよね?」
「倒した、というのは人聞きが悪いな。おれは、お母様を救ったんだ」
ㅤどうせ夢を見るなら、良い夢の方がいい。だから、悪夢を消し去った。それだけのことだ。
「それで、その師族会議?というのは日本では相当重要なのね。魔法師社会の方針に影響を与えるレベルと聞いたし」
「極秘ではないから、今回はそこまで重要でもない。でも、おれ達の件が議題だったと思うからな……」
「まぁ……あれだけ破壊したものね」
ㅤ素性は公開されていないものの、「過激派魔法師によるテロ」として大きく報道されていた。反魔法主義者がいきり立つようなネタだ。魔法師排斥の世論が加速していくかもしれない。
「七草なんかは、四葉を十師族から脱落させる良い機会だと睨んでいただろう。けれど、その前にこっちは勝手に瓦解した訳さ」
ㅤただ、そのことは外野には分からない。何かしらの目的を持って、地下に潜ったのでは……今、彼らは猜疑心でいっぱいの筈だ。
「けど、これからどうするかな……。ちょっと、考え無しにやり過ぎた。問題は色々あるが、主に金銭面が悩ましい」
ㅤ何をするにも、金が必要ということに直面していた。
「真面目に働いてみたら? 短期のバイトとかで」
「身分証明書がいらない仕事に限るとなると、暗殺とか産業スパイとかになるぞ」
ㅤ昔に理澄が冗談で「黒羽の仕事を回してあげようか?」と言っていたのを思い出した。あれもきっと、同じような仕事内容だったに違いない。
「世知辛いわねぇ……」
ㅤその時。急にイヤな感覚がした。首の後ろの産毛が逆立つような、そんな妙な気分。それを感じた途端、おれはリーナに思い切りつき飛ばされた。
ㅤ瞬間、窓ガラスに亀裂が走る。リーナの展開した対物障壁が、破片が散乱することを防ぐ――その一連の情景を、おれは横倒しになった視界で見ていた。
(敵襲!? 何処の差し金だ?)
ㅤ思考が回るが、答えは出ない。
ㅤけれど、都内に地盤の無い一条がこんな短時間で探し当てるのは不可能だろう。それならば、七草辺りかもしれない。とはいえ、推測に過ぎないから分からないが。
ㅤ窓の外から襲撃者――小柄な女性であった――が、部屋の中へと飛び込んできた。彼女は目にも止まらぬ速さで動き、リーナの懐へと飛び込んでくる。このスピードで動けるということは、自己加速術式を使っているのだろうか。
ㅤけれど、少女の攻撃はリーナに当たらない。「仮装行列」で座標を変えていたのだ。既に彼女は少女の背後へと回っていた。
「Activate! "Dancing Blades"!」
ㅤリーナが叫ぶ。見覚えのある魔法だ。案の定、ナイフが一斉に飛び出してきた。しかし、少女は冷静にそれらを避ける。驚くべき反射神経だ。
「……!」
ㅤ精神干渉魔法を掛けようと、おれは少女を「精霊の眼」で見た。すると、ある事実が発覚――彼女は、魔法師ではない。
ㅤそれならば、これは何だというのだ。異常なスピード、身体操作……。常人のものとは思えない。
(マズい!)
ㅤ少女がバネのように跳ね、こちらへと向かってくる。何とかしないと。
ㅤおれは「ルナ・ストライク」を行使した。ダメージを受けたのか、少女の動きが止まる。すかさず、背後に回っていたリーナが少女の首筋にナイフを当てた。
「……降参だ。アタシのパワーなら、今からでも素手でアンタの首を捻じ切れるよ。けど、その前に後ろの奴に殺されちまう」
ㅤ少女が男勝りな口調とともに、両手を上げた。おれは拘束系の魔法、つまりは移動系魔法「停止」で彼女の動きを完全に止める。それを確認して、リーナがナイフを相手の首から離した。
「アタシはナッツ。暗殺者というか……そうだな、『忍者』というのが近いか」
ㅤオー、ニンジャ?とリーナが言う。吹き出しそうになったが、何とか堪える。
「忍術遣いとは違うのか?」
「違う。アタシは魔法なんか使えやしねぇよ」
ㅤ少女――ナッツはそう言って、軽く肩をすくめた。
「津久葉夜久、だよな? アンタには恨みはないよ。ただ、仕事を依頼されただけだ」
「雇い主は?」
「……」
ㅤその問いには、彼女は押し黙る。依頼主は明かせない、というプロ意識があるらしい。
「別にいいぞ。魔法で聞き出すだけだからな」
「魔法師ってのは、何でもアリだな……言うよ、言えば良いんだろ?普段はナッツで通ってるが、本名は榛有希。全員が忍者で構成されている、政治的暗殺結社『亜貿社』の社員だよ。ただ、実はウチの会社の上はヤバい奴らでな……」
ㅤナッツ、もとい有希はそこで言葉を一度切り、溜めを作った。
「――裏社会の闇の闇。悪名高き『アンタッチャブル』の一族、その裏部隊。そう言えば、分かるか?」
「なんだ、黒羽だったのか」
ㅤ一条や七草と違って、まだ動機が分かるだけマシだ。
ㅤ理澄の「自殺」の理由がおれにあるのではないか、と彼らは推測したのだろう。それか、お母様を「救った」ことについてか。記憶の一部を消去する魔法を使える術者は、四葉におれしかいない。
ㅤ四葉分家は特に身内への執着が強い。けれど、彼らも今は余裕が無い筈だ。よく手駒を動かせたな……というのが正直なところである。
「黒羽を知っているのか?」
ㅤ厨二めいた言い回しをしなくとも、分かってくれたかもしれない――そう気づいたのか、少し恥ずかしそうに早口で話す有希。
「親戚だよ」
ㅤ殆ど顔を合わせたことは無いので、あまり思い入れは無い。だが、有希は顔をサッと青ざめさせた。
「マジかよ……アンタも『四葉』の人間か。おかしいと思ったんだ、アイツが報酬を前払いするなんて!」
ㅤアレの同類と事を構えるなんて、まっぴらごめんさ。彼女はそうも続けた。
「アレ?」
「……司波達也だよ。アンタも知ってるだろ? 親戚なら」
「特に面識は無いけどな」
「アタシはアイツを殺し損ねたせいで、ヤミに飼われることになったんだ」
ㅤヤミ。確か、黒羽ではコードネームを使用しているという。リズム=メロディであったように、単純な言葉遊びが命名の法則の筈だ。それならば――黒羽文弥が有力である。その彼が、普段と違って子飼いに報酬を先に渡した。
ㅤその理由を考えようとしたとき、何かがチラッと光った。有希の端末に着信が来たのだ。
「出てもいいぞ」
ㅤ移動系魔法を解除する。逃げようとしても、リーナが何とかするだろう。
ㅤ有希は小さく頷き、端末を操作した。
「――もしもし、クロコ? 悪いな、ちょっと失敗しちまったよ……いや、話すのは大丈夫だ。何だよ――えっ、黒羽家が会社から撤退した!? それどころか、消息も掴めない?」
ㅤスピーカーに変えろ、とジェスチャーする。有希はそれに応じたので、端末のスピーカーの音に耳を傾けた。通話相手は男のようだ。
『えぇ。大口のスポンサーが消えた訳ですが、社長的には都合が良いでしょうね……』
「一体、黒羽に何があったんだ? ……そもそも、ヤミの奴はどうやら情報を隠蔽していたらしいぞ。今回の的――四葉の縁者だとさ。的本人が言うにはな」
『なるほど、お家騒動的な。最近出回ったゴシップと照らし合わせると……四葉家内でゴタゴタが起きていたのかもしれません。彼らも、こちらへ弱みを見せたくなかったのでしょう』
ㅤ男の推測は割と真実をついている。この察しの良さから考えるに、彼は裏社会の情報屋でもしているのかもしれない。
「アタシ達は黒羽に切り捨てられたということか……。今日日、ペットの破棄は条例で厳しく取り締まられるっていうのにな」
『そのようですね。これから先は、たぶん厳しいですよ。我々は黒羽に近かったですからね』
「最悪だな。かといって、抜け忍はロクな目に遭わないのがセオリーだ――」
ㅤさっきから言葉のチョイスがいちいち面白い。
ㅤ会話を聞いて、リーナが小さく口笛を吹く。やはり、忍者が好きなのかもしれない。
ㅤ電話が切られたあと、リーナが最初に口火を切った。
「――ねぇ、ヨルヒサ。このニンジャを助けるってのはどうかしら。ニンジャの会社を乗っ取るのよ」
ㅤとんでもないことを言い出した。流石に、おれも驚かないではいられない。
「は?」
「え?」
「このままだと、ニンジャも行くところが無くて困るじゃない。それに、ワタシ達も特にアテがない訳だし」
ㅤ確かにそうだと、おれは納得した。手の中のCADをポケットに捻じ込む。
「洗脳一つで済むしな。やるか。――ナッツ、とか言ったな。抜け忍になりたくなかったら、会社に案内しろよ」
「おい、そんな簡単に結論出して良いのかよ……」
「思い立ったら即行動がモットーだからな」
「明るいモットーをこんな最悪に感じたことないぜ……」
ㅤ相棒も合流させていいか、と有希は尋ねたあと、疲れたように深い溜息を吐いたのだった。
◆
ㅤ今の日常が、ずっと続くと思っていたのに――窓の外を眺めながら、文弥はそう小さく呟いた。
ㅤ全てが崩れていった。四葉家は、もはや過去のものだ。
ㅤ現当主の四葉真夜が、一族の統率が困難になってしまったから。彼女は、もう全てを忘れてしまっている。いまや、中身は単なる12歳の少女なのだ。
ㅤそんな真夜と、昏睡状態のままである姉の深夜は、葉山の手引きでスポンサーの元へと引き取られた。また、本家の中でも調整施設を担当していた者や、精神干渉系を中心に研究していた者――要は津久葉家である――は、スポンサーに囲い込まれた。使える、と「元老院」に判断されたのだ。
ㅤけれども、四葉の私兵でしか無かった自分達は違う。つまり、バックアップしてくれた本家がなくなれば、力を失ってしまうのである。
ㅤ師族会議の弾劾から逃れるべく、四葉との縁を切らねばならなかったのが何よりの証拠だ。「四葉の裏仕事」を担当していた黒羽家――もしも表舞台に引きずり出されれば、好奇の目で見られるのは間違いなかった。故に、夜逃げ同然で逃げ出す必要があった。
ㅤそして、それは黒羽だけに限らない。新発田や武倉、他の分家にも言えることだ。特に武倉などは、完全に空中分解しているらしい。でも、今の自分達には手を差し伸べてやることも不可能だ。
「……文弥、大丈夫?」
「うん。心配かけてごめんね、姉さん」
ㅤいつもなら、文弥を揶揄う姉も心配そうに声を掛けるのみ。
「……こんなになっちゃうなんてね」
ㅤ亜夜子が小さな声で呟いた。文弥も同じ気持ちだった。
「理澄兄さんがいたら、こういう時……どうしてたかな」
「案外、四葉家を乗っ取っちゃったりしてたかも。『チャンスだ!』って言って。それで、他の十師族も丸め込んじゃうの」
「あはは……そうかもね。きっと、そうだ」
ㅤでも、理澄はもういない。
ㅤ生きた痕跡すら残さず、この世から去ってしまった――司波達也の魔法で。
「僕、怖いよ……。理澄兄さんがどういう理由で、死にたがったのかは分からないよ。だけど、何も考えずに殺しちゃうなんて」
ㅤ気付いて、止めてくれれば良かったのに。そんな心の叫びは、きっと彼には届かないだろう。
ㅤ文弥も亜夜子も、達也とは仲が良かった。慕っていたと言っても良い。それなのに。いや、だからこそ……忘れていたのだ。彼の「異質さ」を。
「理澄さんは忘れていなかったんだわ、ずっと。深雪姉さまを害するようなことをすれば、間違いなく……達也さんは自分を殺すだろうって」
ㅤだから、人生に絶望したとき……その手段を選べた。未遂に終わらない、完璧な自殺の方法として。
「僕には無理だ。こんなに追い詰められているのに……。それでも、『生きたい』って思っちゃうんだ!」
ㅤいま、黒羽の屋敷はほぼ無人である。
ㅤ貢と使用人の殆どは、理澄の弔い合戦に向かったからだ。また、黒羽以外の分家からも多くがそれに参加している。
ㅤしかし、弔いというのは少し違うかもしれない。彼らは「四葉の人間」として、最後まで生きたかったのだ。かの「大漢報復」のように……それが自己満足であったとしても。
「そうね……私達は何者にもなれなかったわ」
ㅤ亜夜子も悲しそうに目を伏せた。双子達は、父親と運命を同じくすることはどうしても出来なかったのだ。死にたくなかった。
ㅤ達也を許せない気持ちもあるが、復讐をして満たされるとも思えない。天災のようなものと思うしかなかった。幼馴染が殺されたことも、これから父や部下達が死んでゆくことも。
「行きましょう。――黒川達が待ってるわ」
ㅤ亜夜子と文弥に付いていく使用人は、たったの二人。文弥の教育係であった黒川白羽と、亜夜子の元ガーディアンであった矢作瑞穂だ。残していく子供達の為に、貢が選んだ「一番信頼できる部下」であった。
ㅤ今から4人は東北――「六」の管理地域に向かうのだ。新発田勝成が伝手を使い、六塚の傘下に入ったので、その縁で声を掛けて貰ったのである。勝成と双子達は、理澄を介した知人でしかない。けれども、彼は行き場を失った親戚を放っておけなかったのだろう。
「うん……」
ㅤ文弥は不安そうな顔のまま、姉の手を握る。亜夜子もまた、その手をギュッと握り返した。
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別離編
君は友達だから
ㅤ亜貿社へと向かう途中で、有希の相棒であるらしい情報屋――鰐塚単馬と引き合わせられる。見た目は地味な男だ。けれど、黒羽からいくらか情報は貰っていたとはいえ、おれ達を探し当てたのである。なかなか凄腕の情報屋に違いなかった。
ㅤリーナが「ニンジャ村出身?」だの、「ニンジャって若く見えるのね、ワタシより年上だったなんて」だのウザ絡みをし、有希が「殺されてぇのか?」とガンを飛ばす――そんな小競り合いをしている彼女らを尻目に、おれは鰐塚から話を聞く。
「社長室は建物内部に位置しており、外からの侵入はできません。そして、社員であっても部外者の引き入れは禁止です。せいぜい、入れても応接室までですね」
ㅤそれも稀ですがね、と彼は冷静にコメントした。
「入る分には問題ないんだよ。認識阻害を使えば良いからな。一番ネックなのは、洗脳が効きやすいか……忍者の異能ってのは、魔法じゃないんだよな?」
ㅤ本人曰く、有希は先天的に「
「えぇ。でも、ナッツだって例外中の例外ですよ。基本は皆、単なる人間です」
ㅤ非魔法師の口から出た、人間という言葉。それは、魔法師との壁を感じさせるもの。
「……人間じゃない奴らのこと、やっぱ怖く感じるのか?」
ㅤ魔法師は、自分の魔法に絶対的な自信を持っていることが多い。だから、おれの「マギ・インテルフェクトル」は、魔法師にクリティカルなダメージを与えられる。「非魔法師になってしまう恐怖」はそれ程のものなのだ。荒事よりも交渉が得意だった理澄ですら、魔法を失うと絶望したのだから。
「怖くはないですよ。なんていうか……別の世界の人? そういう感じです。こんな裏業界にいる以上、それなりに魔法師とも関わりますよ。それでも、『あぁ、なんか違うね』と思う程度です」
「そういうもんか。非魔法師は全員、反魔法主義者だと思ってたぜ。最近はデモもよくやってるしな」
ㅤまぁ、原因はおれなのだが。テロの実行犯の正体も明かされず、捕まりもしなかったら怒りたくなるかもしれない。
「必要悪ですよ。外国に侵略されたりして、今の仮初の平和が無くなるよりは……国防を担う魔法師達の事実上不逮捕特権を呑み込んで生きた方がマシですから」
「マシ、か……」
ㅤそもそも、おれは魔法師社会が好きではない。けれども、魔法師達に対する消極的論は何とも言えない気持ちになった。
「――ここが亜貿社です。古いビルですが……一棟ぶち抜きですからね。景気は良いと言えるでしょう」
ㅤ確かに古いビルであった。適当に魔法でも撃てば、崩れるのではないかと思う。
「じゃ、行くか……」
ㅤおれはコートのポケットに手を入れたまま、建物内へと一歩踏み出した。認識阻害の術式を掛けているので、特に問題なく進む。そして、社長室の前で足を止め、CADに指を走らせた。
「よし、これで大丈夫だ。黒羽の記憶があるから、割と弄りやすかったな」
ㅤ社長――両角来馬の記憶に干渉し、「黒羽に代わって、四葉関連の担当者が来る」という認識を植え付けたのである。
「……ナッツ、社長におれ達を適当に紹介してくれ」
ㅤそして、洗脳の効果を完全にするための指示を出す。魔法だけでは、どうも効き目が薄いのだ。周囲情報から認識を歪めさせないと、非魔法師でもかかりにくい。相手が忍者だというのなら、尚更慎重にせねばならなかった。
「どう説明すれば良いんだ?」
「おれは、黒羽に代わる四葉の新エージェント。それで、リーナは新入り忍者で」
「ニンジャ! ワタシが!?」
ㅤリーナが嬉しそうに声を上げた。好きなだけでなく、結構なりたかったらしい。
「こんなナリの忍者がいるかよ……」
「あら。ステイツでは21世紀前半から今に至るまで、ずうっとニンジャブームなのよ? ワタシもシュリケンを投げたことあるわ」
「知らねぇよ!」
「まぁまぁ、ナッツ……」
ㅤ鰐塚が有希を押し留める。なんとか落ち着いたので、社長室へとゾロゾロなだれ込む。
「おや、君たちは誰だね?」
「……社長、こちらが撤退した黒羽家に代わる、四葉家エージェントの津久葉夜久さんです」
「おぉ、そうだったな。すまん、忘れていた。――いやぁ、態々ご足労下さって……」
ㅤ騙されてくれたようなので、そのあとは適当に相槌を打つ。
ㅤおれの口座を新しく作り、そこへ役員報酬を支払うこと。リーナを社員待遇で会社に置くこと。ついでに、有希の給料を上げること。諸々を取り決めて、社長との交渉(こちらが一方的に言っただけだが)を終える。「政治的暗殺結社の経営理念云々〜」と、とにかく話が長くて大変だった。
◆
ㅤ亜貿社の寮は、会社がアパートを買い上げて設置されている。おれはそこに住むことにした。ビジネスホテルでの生活は必要に迫られてだったが、どちらにせよ人の多いところに紛れる方が安全であったりもする――自衛手段がある者には。
ㅤ社員となったことで偽装戸籍を入手したリーナは「仮装行列」を使って、好きにバイトをしている。忍者体験は3日ほどで飽きたようだった。
ㅤある日のこと。おれが部屋へ戻ると、2人の人間が勝手に上がり込んでいた。鍵はかかっていたので、明らか不法に侵入している。
「何の用だよ、一条……それに吉祥寺」
ㅤCADを持ったまま、おれ達は対峙する。先に力を抜いたのは、一条であった。
「……戻ってこいよ」
「え?」
「やってしまったことは問題だが、今なら四葉家を理由にして解決できる。前田校長も、『このまま退学にするのは惜しい』って、処分を保留しているんだ。だから……」
ㅤ反省して、やり直せ――そう言いたいらしい。
ㅤ普通の魔法師であったなら。単にちょっと粋がって、悪いことをしてみた学生であったなら。彼の言葉に頷けたかもしれない。
ㅤでも、津久葉夜久は世間から見れば「四葉」の魔法師だ。自分は利用される価値のある人物だとも分かっていた。
「……四葉を十師族から脱落させて、暫定管理だった東海地域を七草と一条で分割するんだろう。その為に、おれの存在が必要だった。四葉を再建しないと始まらない」
「それは……」
「でも! 将輝は……お前のことを思って! 校長だってそうだ!」
ㅤそうなのだ。きっと、本人は善意で言っている。そこに、沢山の思惑が重ね掛けされているだけで。
「でも、ここで頷く訳にはいかないんだよ。おれは別に、家がどうなろうと知らん。けどな……お母様が憎み、愛した四葉を汚せない」
ㅤ手に力を込め、CADを握りなおす。彼らもまた、警戒の色を強める。
「四の系譜の魔法師は……二つのタイプに分かれている。ユニークな固有魔法を持つタイプ、あるいは精神干渉魔法に強い適性を示すタイプ。おれは、ある意味両方だな」
「何が、言いたい? ――まさか!」
ㅤ一条がハッ、と何かに気づいた顔をした。ご名答、とおれは人差し指を向ける。
「おれの魔法は『精神構造干渉』。その中でも、魔法演算領域を閉じる魔法が一番得意でな。魔法を失うか、それでも強行突破するか……。好きな方を選ぶと良い」
「……」
ㅤCADを掲げて、おれはニヤリと笑う。彼らは、一体どうするのだろうか。
「魔法を失っても、茜や瑠璃がいる。一条家が断絶することは無い。だから、恐れることは――」
「――……将輝、帰ろう」
ㅤ勇ましい一条の宣言に対し、異を唱えたのは吉祥寺であった。
「けど、ジョージ……それじゃ」
「僕は魔法がないと……何もできないんだ! だって――」
ㅤ究極の選択を前にして、彼はそう叫んだ。
「――両親が死んだ後、僕は一条家に拾って貰えた。それは、僕に魔法の才能があったからだ。利用価値があったからこそ、君の側に居ることが許された……魔法を失った時、僕に何が出来る?」
「お前……そんなこと」
「いや、知ってるよ。将輝はね、きっと僕がドロップアウトしても……友でいてくれると。けど、そんな惨めな立場を! 何より、僕自身が許せない!」
ㅤそれは、彼の苦悩だった。どうして自分が「一条将輝の友人」で居続けられるか。その意味が分かっている故の。
「まぁ、それが妥当な判断だよな。理澄の奴も……魔法を失って、自ら命を絶ったよ。『全てを失ってなお、這って生きるような勇気はない』ってな」
ㅤおれはラックから端末型CADを取り出す。何となく、これは捨てられずにいた。唯一残った、彼の生きた証だったから。
「死んだ、のか……!?」
「あの、武倉が?」
「あぁ。……アイツが生きていたなら、お前らの望むような『四葉』が実現していただろうさ」
ㅤ理澄というより、分家の方針は「マズいものを裏に押し込める」であった。おれの「精神構造干渉」や司波達也の「マテリアル・バースト」などを隠したまま、他家との協調路線を進めていっただろう。日本の国防を担い、社会奉仕を行うといったキャンペーンを打ち出して。
ㅤ彼が難癖つけて五高に進まなかったのも、同世代の十師族直系との関わりを必要としたからに違いない。
ㅤそして、それは正しい判断だったとは思う。
ㅤ今の「アンタッチャブル的路線」が黙認されているのも、お母様の存在ゆえである。四葉真夜が世界の理不尽を一手に引き受けた被害者であるからこそ、誰も口を出すことが出来なかった。でも、代替わりしてしまえば許されなくなる。
「けど、社会に必要とされない魔法を持つ者は……排除されてゆく」
ㅤ第四研で実験体を弄り回し、静かに一生を過ごす――クリーンな四葉家が確立したなら、おれの人生はそうなることが確定だった。
「確かに、お前の魔法は冒瀆的なものかもしれない……。でも、言わなければ分からない。現に、俺達も今まで知らなかった!」
「分かってるさ。理澄を排除した以上……新生四葉家当主になる分には、何の問題もないことくらい」
「だったら……」
ㅤ一条が言葉を重ねる。彼の気持ちも分かるが、それでも頷けない理由があった。
「言っただろ。お母様が生きた『四葉』を否定出来ないって」
ㅤ地獄より罪深く、不幸せの蠱毒だった第四研。子供のうちから殺人を教え込まれ、倫理観を歪ませる場所。
ㅤ誇るべき生まれで無いことなど、分かり切っている。でも、おれはお母様に産んで貰ったことを誇りに思う。たとえ、自分しか覚えていなくとも。
「おれのことをまだ友達だと思うなら、帰ってくれ。帰らないなら……もう、お前らは敵だ」
ㅤCADを握り直す。「
「……帰るか、ジョージ」
「将輝……。ごめん、僕のせいで……」
ㅤ2人は、おれに背を向けた。玄関まで数歩歩いたところで、一条が言う。
「……本当は、俺も魔法を失うことが怖かった。情けないよな。相棒の手前、見栄を張っただけだったんだ」
「そうだと思ったぜ。――じゃあな」
ㅤ友人を見送り、おれはドアをゆっくりと閉める。
ㅤこの日、おれは第三高校を退学することになった。人生二度目の退学だ。
◆
ㅤ四葉家崩壊の余波は、司波兄妹にも無縁では無かった。
ㅤ理澄の弔い合戦と称し、黒羽貢を筆頭に分家の人間達が達也を襲ったのことも、その一つだ。四葉の魔法師であった彼らは皆、高レベルの魔法師であるのは確か。けれども、達也の敵では無かった。1日足らずで、全員を対処することはできた。
(しかし、それが陽動だったとは……予想外だった)
ㅤ1日――つまりは24時間、達也を足止めすること。それこそが目的であったのだ。
ㅤ達也を襲撃する前、彼らは他の人物らの殺害を行なっている。それは、国防陸軍第101旅団長、佐伯広海少将およびその手駒の軍人数名。そして、フォア・リーブス・テクノロジーCAD開発第三課の社員らだった。
ㅤ司波達也の戦力になり得るコネを排除し、「再成」が不可能になるまで時間を稼ぐ。この作戦には、敵ながら天晴れと達也も思ったほどだ。
ㅤ第三課が存在しなくなったこと。四葉家という後ろ盾が無くなったこと。それらのために、達也はFLT本社で再び働かされそうになった。要は、実験器具のリカバリー要員である。
ㅤしかし、そんな危機的事態から彼を救ったのは、意外な人物――友人でもある北山雫の父親、北山潮であった。親の都合で一高を退学するかも……という話を軽くしたところ、それを聞いた雫が両親にどうにか助けられないかと相談したのである。
ㅤそのおかげで、達也は北山家の専属CAD魔工技師という名目で、いくらか生活の援助をしてもらうことが出来た。今は父親の持つ家から引っ越し、兄妹で都内のマンションで生活している。
ㅤ失ったものは多くあるが、忌まわしき四葉家から2人は解放された。それだけでも、喜ぶべきことなのかもしれない……楽しそうに食事の用意をする妹の様子を見て、達也はそんなことを考えた。
「そういえば、お兄様」
ㅤ食材を切る手を止めて、深雪が話し始める。何かを思い出したのだろう。
「どうした?」
「今日、雫が言っていたのですが……。近々開催されるパーティに、私達を招待したいそうです。確か、新しくできるタワーの竣工記念パーティだったかと」
「いま建設中のタワーと言えば……東京オフショアタワーかな。魔法師との共存をテーマにしていて、実際に魔法師も安全装置に関わっている。中々新しい試みじゃないかな」
「魔法師が関わっているなんて、とても珍しいですね。――それで、パーティは……」
「参加しよう。雫の父上には世話になっているし……そうでなくとも、友人の誘いだからな」
ㅤ達也の言葉に、深雪はパッと顔を輝かせた。
「そうですね! 後で伝えておきます!」
「うん、頼むよ」
ㅤ妹の嬉しそうな表情に、達也も顔を綻ばせる。
ㅤガーディアンという立場に縛られなくとも、お前を絶対に守ってやる――そう、彼は決意を新たにしたのだった。
アニオリのストーリーが良かったので輸入。黒羽の双子がかわいすぎて、本作で可哀想な目に遭わせたことを「ごめん……」って思った。
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抱きしめられたら
ㅤ一条達との決別後、十師族関係の追手の姿は殆ど見なくなった。ほんの時折、七草の手の者らしい魔法師を見かける程度である。
ㅤ師族会議が四葉家を廃嫡することにしたのか、「スポンサー」がおれに干渉しないよう各所へ圧力をかけたのか。
ㅤ後者の推測が正しいと分かったのは、それから少し日にちが経った頃。ある人物が、おれを訪ねてきたことで分かった。
「――貴方がわざわざ来るとは思いませんでした」
「いまや、私は単なる老人に過ぎないのですよ。そう大した者ではありません」
ㅤおれは部屋のテーブルを挟んで、懐かしい人物と向き合っていた。客人は元四葉家筆頭執事――葉山さんである。茶などは無いから、とりあえず水を入れたコップを出しておく。彼は手をつけなかった。
「……お母様は元気ですか」
「えぇ。遠い未来へ来てしまった……とは理解しているようです。眠り続けている深夜様のことでは、やはり悲しまれていますが……」
「そうですか。お母様にとって一番馴染み深い人ですしね、叔母様は」
ㅤけれど、それも時間の問題だろう。いつか……いつかは、叔母様も目が覚める。そうしたら、きっと大丈夫だ。
「それでですね……夜久様。よろしければ……真夜様に、会いませんか?」
「え?」
「もう……真夜様は貴方のことを覚えていらっしゃらないのです。このままでは、何とも寂しいことではありませんか」
ㅤ考えないようにしていたことだった。
ㅤもう一度、お母様に会う――でも、全てが「無かったこと」になっても、おれの罪は消えない。素知らぬ顔で、関係性を作り直すことは正しいと思えなかった。
「……やめておきます」
ㅤおれは短く、そう言った。お母様の為にも、会わない方が良い。そのように言葉も重ねる。
「――!」
ㅤけれども、葉山さんはおれの言葉に激昂した。
「いい加減にしなさい!」
「……」
「貴方は怖がっているだけです。『親子』という柵が無くなって尚、真夜様に嫌われるんじゃないかと。そうやって、怯えるだけで良いのですか! 夜久様は!」
ㅤ正論だ。あまりにも、正しくて……逃げ場がない。
「それでも……会えません。お母様には」
「夜久様……!」
「おれ、怖い……。今でも、怖くて仕方ない。お母様の記憶を消したところで、結局何も変わらないんじゃないかって」
ㅤそのあとは、葉山さんの言葉に何も答えなかった。答えを出すことが恐ろしいから。そして、彼は困った顔をしたまま、帰っていった。最後に「決心したら、教えてください」と言い残して。
(おれを叱っただけ、踏み込んでくれたんだと分かってるけどな……)
ㅤ葉山さんは使用人だった。だから、あんなにも自分の感情を出すことは無かったのだ――あの人がどれだけ優しいのかなんて、分かっている。でも、無理やりに引っ張って欲しかった。「自分で決断」したくなかった。
ㅤ後悔の気持ちを抱えて、おれは泣き続ける。
「――どうしたの?」
ㅤ何時間経ったのだろう。窓の外は暗くなっていた。
「……リーナ?」
「バイト先で賄いを沢山貰ったから、お裾分けしようと思って……だけど、どうしちゃったの?」
ㅤおれの方へと近寄り、彼女は目が合う高さまでしゃがみ込む。かさり、とビニール袋が床に落ちる。
「ふふ、前の時と逆ね。……大丈夫?」
ㅤ頬が温かい。リーナの手が、おれの顔を挟んだのだ。掌の感触は昔を思い出させる。お母様の手は、とても冷たかった。
ㅤ吸い込むような蒼い目を見つめ、過去の全てを話していく。聖母像へ懺悔するように。
「――怖いのは当たり前よ。だから……ワタシはね、全部忘れることにしたの。両親も、軍の人間も……ワタシの中ではみんな死んでるの。人から負の感情をぶつけられるかもって、不安に思わなくて良いもの」
「おれも忘れたいよ……でも、誰も忘れられない」
ㅤそうでなきゃ、なぜ「誓約」を維持したままなのか。そして、なぜ理澄のCADを処分しないのか。自分はいつだって中途半端で、優柔不断なんだ。
ㅤやるせない感情をどうにかしたかった。おれは、リーナを巻き込んで床に倒れ込む。
「……いい?」
ㅤ耳元で小さく呟いた。何でもいいから、救って欲しい。一瞬だけでも。自分のカサついた唇を舐め、顔を近づけた。
◆
「――好条件のバイト?」
ㅤ牛丼をかき込みながら、おれはリーナにそう問うた。疲れた体に甘い牛肉の味が染みる。
「そう。緊急時に東京オフショアタワーの動力源として常駐する仕事よ」
ㅤ下着姿のまま、リーナが端末を左手で操作する。右手は箸を握っているからだ。彼女はローストビーフ丼を食べていた。
ㅤ画面に映し出された文字を読むと、三交代制の勤務体制らしい。日勤・準夜勤・夜勤のどこかに入って、待機するだけの簡単な仕事。放出系魔法で柱を支える制震ダンパーの摩擦を減らしたり、移動系魔法で柱を回転させたりするようだ。
「他の人を紹介すると、時給が少し上がるっぽいのよ」
「まぁ、魔法師なんて数が少ないからな……」
ㅤ使用する魔法の系統を指定していたら、尚更そうだろう。特に放出系は魔法式がやや複雑なので、加速や移動に比べればもっと少数だ。
「しかも、その殆どは公務員になる。そうでなくてもナンバーズに組み込まれるからな」
ㅤこの仕事も内容的に、まともな魔法師はつかないだろう。アルバイトとしては待遇も悪くないし、時給だって高めだ。だが、魔法科高校や魔法大学を出てまで就きたい職でもない。エクストラのように脛に疵持つような……魔法師社会から爪弾きにされた奴が行き着きそうだ。
「来てくれる?」
「いいよ、別に。どうせ暇だ。そういうところなら、CADの調整機もあるだろうしな」
ㅤここ最近、CADの設定を弄っていない。三高には自動的にアジャストしてくれる装置があったのでそれを使っていたが、今は使えないので放置気味だ。魔法が使えないことはないが、そろそろ何とかした方が良かった。
「あーそうね。ワタシも思ってたのよ」
ㅤ自分用に調整されてないCADでも、それなりに魔法を発動できるのが優秀な魔法師だ。けれども、やはり違和感は拭えない。
ㅤCADの為に働こうか、と意見が一致する。スタイラスペンを走らせ、二人揃って履歴書を記入していく。そんな時、部屋のチャイムが鳴った。ドアを開けると、小柄な人影が。
「よう。お前らが何しようが勝手だけどよ……近隣住民が文句を言ってる。程々にしろ」
ㅤあと空気が悪い、換気してくれ。そう言いながら、有希が部屋へと押し入ってくる。
「ウチにアポ取ってきた奴がいるんだけどな……」
ㅤ適当な場所に座った彼女は、本題をすぐに切り出した。
「ソイツはカン・フェールと名乗っている。どうやら魔法師らしくてな……魔法絡みは話が面倒そうだから、ちょっと手伝って欲しいんだ」
ㅤ鞄から紙束を取り出し、机に並べようとする。丼の器を持ち上げ、おれ達はスペースを作った。
「魔法師ねぇ……」
ㅤカン。漢字ならば姜。名字的に大亜系だろうか。もちろん、本名を名乗っているかもわからないのだが。
「おそらく、ターゲットは東京オフショアタワー建設プロジェクトに関わっている人間だと考えられる。そんなことをチラッと触れていた」
ㅤつい先程、話題に上ったワードが出てきた。それゆえ、何となく興味が湧く。
「さっき、このタワーでバイトしようかって話してたんだ」
「バイトぉ? 何だよ、チケットもぎりか?」
「違うわよ。あのね……」
ㅤリーナが有希に「魔法師を募集しているバイトがある」という話と、タワーについての説明を行う。
「いちいち魔法で動かしておかないと倒れるって、随分と難儀なビルだな……」
「普段は電気が動力源だ。でも、非常時に電気が切れると魔法で動かさないとダメなんだ。これ、結構ヤバいぞ」
「何もしなくても基本は倒れない建造物であってくれよ……」
「尤もだな。元から欠陥構造なのに、魔法で無理やり成立させようとしているのが丸わかりだ」
ㅤ一応地下はシェルターになっているらしいので、タワーが崩れても生き残れはしそうだが。何なら、ビル付近にいるよりも、安全ではあるだろう。しかし、崩れる前提なのは問題ではないか。
「ふーん。アタシはその辺には近づかないことにするよ」
ㅤとりあえず明日の依頼人に会う時、おれが同席するという話で纏まった。どういう理由で彼が暗殺を依頼してきたのか、改めて尋ねようということだ。
◆
ㅤ次の日、おれは鰐塚と一緒に依頼人と対面していた。ある喫茶店にて、端の方でおれ達はコソコソと商談をする。
ㅤカン・フェールという男は、なかなかに男前な見た目だ。長髪を後ろで束ねており、手首には腕輪型CADが。このご時世に、堂々と身につけている人は珍しい。
「ここの会社、『アンタッチャブル』と繋がっているという噂を耳にしたのですが……本当ですか」
「随分と直球の質問なことで」
「貴方がたも、こういう商売だ。どうせ、私の素性は調べ終えていらっしゃるでしょう」
「えぇ。『進人類フロント』の方だとは存じておりますよ」
ㅤ鰐塚がニコニコした顔で、カンの言葉に頷く。相手が持っているであろう思想を考えると、彼は呑気に頷いている場合ではない気もする。まぁ、客商売だから仕方ないのか。
ㅤ進人類フロント。魔法至上主義の急進的団体であり、「魔法師こそが人類の進化系である」と唱えている。
「なら、お話は早い。是非、我々の活動を承認して頂きたいのですよ」
「今の彼らは、ほぼ機能不全状態……そんな噂が耳に入っていないとは言わせませんよ」
「ご冗談を。あの『アンタッチャブル』ですよ? 決起に向けて、地下に潜ったに決まっている」
ㅤ聞く耳を持たない。彼は自分の都合の良いことだけを信じるタイプなのだろう。
「承認、までは分かりませんが……彼らが貴方がたの活動に抗議する、ということは無いでしょう。それだけはお約束します」
ㅤこういう手合いは、耳障りの良い言葉で誤魔化すに限る。おれの言葉に、彼は満足げな顔をした。
「それで十分です」
「では、本題へと移りましょう。『処分』したい商品は何でしょう?」
「東京オフショアタワー建設プロジェクト関係者です。魔法師を使い潰すことしか考えていない、人間の屑達です……」
ㅤ関係者を暗殺することで、建設自体を中止させる目論見らしい。しかし、それは無理な気がする。もう建てかけな訳だし、何人死のうが続行するだろう。とはいえ、そんなことは教えてやらない。適当に「そうですか」と答えておくのみ。
ㅤおれはCADの調整の為に、真面目に働こうとしているのだ。こっちが暴れたい気分の時に、暴れてくれたら良いものを。何とも、タイミングが悪過ぎる。
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正しさを教えてくれ
ㅤ最終的に、カンと亜貿社との間で契約は結ばれなかった。しかも、こちら側からの拒否。後々の遺恨を残さないよう、おれがわざわざ彼の記憶を改竄までしたのだ。「暗殺という小さな解決策では、事態は何も解決しない」という考えを植え付けておいた。多分、亜貿社に行ったことは「みみっちい発想」だったと反省しているに違いない。
「北方潮の何がダメだったんだ? 協賛してた魔法協会のトップも殺せるっていうのに、単なる一会社の社長にビビるのは変だろ」
ㅤ指定したターゲットの1人に「北方潮」がいたこと。それが、暗殺計画をストップする理由だった。彼はホクサングループの代表であり、国内でも有数の資産家だ。彼自身は非魔法師だが、魔法師と結婚したことをきっかけに、魔法産業にも最近力を入れているという。とはいえ、新規参入ゆえにCAD開発や魔法式開発などの花形産業に加わるのは厳しい。だからこそ、タワーという前例のない事業に出資したのだろう。
「的の近しい人間の1人……それが問題でした」
ㅤ鰐塚が苦虫を噛み潰したような顔で言う。ひどく言いにくそうな口振りだが、おれは言葉の先を促す。
「司波達也ですよ。昔……ナッツがやらかしまして。それで手痛い目に遭ったんです」
「なんか、前に軽く聞いたな」
ㅤおれを狙ったときにも、「司波達也」について話していた。よほど、酷い目にあったのだろう。
「魔法の詳細については、私は分からないのですが、文弥様の話では……『達也兄さんが殺そうと思ったなら、どこにいても殺せるんだから』という話でした。何とか生き残っているのだし、わざわざアレを刺激することはない。そういうことです」
「なるほどね……」
ㅤ納得したおれは、深く頷く。どうやら、黒羽文弥は「例の魔法」を持つ再従兄弟を誇っていたらしい。今でも、それは変わっていないのだろうか。少し気になった。
「ちなみに、これは興味本位なのですが……」
「何だ?」
「貴方だったら、逆に殺せるんですか? あの『司波達也』を」
ㅤ殺せるのか。その問いをきっかけに、頭の中でシミュレーションが廻る。
「……殺せるかもな」
◆
ㅤ東京オフショアタワーの建設は進み、3月終わりにはほぼ完成。全長約2千メートルの超高層タワーは、東京の新たなシンボルマークとなったのだ。
ㅤそして、4月7日――タワーの最上階では、竣工パーティーが開かれていた。
ㅤおれとリーナは、地下35階にある待機室で駄弁っていた。遮音フィールド程度の魔法なら、使用を許されているので張っておく。職場の設備で調整したことで、CADも今はずっと使いやすくなった。
「しかし……あの、カンという男。アイツの言ってたことも、強ち間違いではないのかもな」
ㅤ待機室を見回し、おれはそう呟いた。豪奢な部屋、動画などの娯楽。ここでぼんやりしているだけで、それなりの給料になるのだ。待遇は言うほど悪くない。けれども、非常時の仕事内容――魔法に関してのケアが本当に杜撰なのだ。
「専用CADすら置いていないなんてね。バラバラに柱を回せっていうの? タイミングが合わないと、どうしようもないわよ」
ㅤリーナがコンビニで買ってきた菓子を摘みながら、魔法設備関係の文句を零す。
ㅤ電気が供給されなくなった場合、移動系魔法でホイールを回転させねばならない。その為のCADは自弁らしいのだ。それは無茶過ぎる。
「しかも、普段は業務が無いわけだし。ぶっつけ本番で、息が合う訳ないでしょう?」
ㅤ魔法は繊細なものだ。現代魔法は特にそうで、相克を避ける為に協力は難しい。だからこそ、三高などでは「コンビネーション魔法による戦術」による実戦演習があった訳で。
ㅤ普段から好き勝手しているおれが言うのも変だが、基本的に一般魔法師はコミュニケーションを密にしておいた方が良い。そして、皆が使える平易な魔法を確認しておく。そこまでしてやっと、魔法による共闘が可能になるのだ。
ㅤ強力な固有魔法は属人的なものであり、そんな魔法師は数少ない。四葉にはゴロゴロいたけれども。ところが、魔法師全体の割合で考えると固有魔法頼りの魔法師は1割以下だ。
「術式を分けないと、長時間の魔法維持は厳しいだろうに……」
ㅤ数人の魔法師での協力は定石でない。例外は、儀式魔法の魔法陣システムを転用した、大型CADによる分担だ。
ㅤ儀式魔法は、古式系の精霊魔法に近い。想子情報体を介し、エイドスの改変を行う。魔法師が行うのは無系統魔法による、情報体の継続的な活性化だ。いかんせん、情報体は1人で処理するには負担が大きすぎる。故に、数人で動かす必要があるのだ。
「きっと、高いからね。調整機も良い機種じゃなかったということは、予算とかが厳しいのかしら……」
ㅤ魔法陣は高い。手描きというのもあるが、特定の改変を行う情報体を生む為の画像パターンが複雑なのだ。単一系の簡単な魔法であっても、大掛かりなものとなってしまう。
「『魔法師との共存』というお題目だけが先行したんだろ。魔法協会も金を出してくれそうなネタだ」
「共存、ね……。そんなの、理想論だわ」
ㅤその通りだ。魔法師同士ですら、分かり合うことはできない。おれもリーナも、魔法師社会から零れ落ちているのだから。
「――随分と言いたい放題ですね。俺も同感ですが」
ㅤ不意に、声が割って入った――割って入る? おかしい。遮音フィールドを掛けていた筈なのに。
「急にすみません。耳が良いもので」
ㅤ声の主は、横に座っていた青年からだった。20代後半、といったところだろうか。
「……耳が良いだけじゃないわよね。遮音フィールドに隔てられた声を聞くスキルなんて、なかなかお目にかかれないわ」
「正確には、フィールドで減衰していく音の波長を聞き分けているんです」
ㅤ剣呑なリーナの視線にも動じず、青年は肩をすくめるのみ。
「俺の名前は、
「四葉の人間か」
ㅤおれを「夜久様」と呼ぶこと。導き出せる答えは一つだ。
「元は、武倉の魔法師でした。理澄様亡き今、もう帰るところは無いのですがね。今は、進人類フロントに所属しています」
ㅤ青年――瑠綺は、おれ達の前の椅子へと座る。
「まぁ、一点特化の魔法師を拾ってくれるところは少ないですからね……消去法ということです」
ㅤ瑠綺は、堂々と目の前にある菓子を食べ始めた。「夜久様」と言ってはいたが、態度はまるで最悪だ。
「カン・フェールの素性はご存知ですか?」
「本名は岬というらしいな。大陸系じゃなかったようだ」
「えぇ。本当の字は別で、『三咲』。……三のエクストラですよ」
「エクストラ?」
ㅤリーナが首を傾げた。馴染みのないワードだからだろう。
「十師族が開発された研究所にいた実験体の……そうだな、いわゆる失敗作だ。非人道的な魔法特性を持って生まれたゆえ、闇に葬られてしまった。魔法黎明期の負の遺産だよ」
「ヨルヒサも割と、とんでもない魔法を持っている気がするけど」
「まぁ、それはそれだ」
「第四研は、元より闇ですからね。社会から離れていたゆえに、迫害されることもなかっただけです」
ㅤ古巣なのに言いたい放題だ。意外に思い、その理由を問う。
「俺は中途雇用なんですよ。元は『
ㅤFighters for the Evolution of Human Raceの頭文字を取って、 FEHR。最近、バンクーバーで正式承認されたとかいう魔法師保護団体だった筈だ。
「軍に徴兵されるレベルにない、魔法因子保有者のコミュニティ……スターズ時代の資料で見たわ」
「その通りです。ただ、どうも肌に合わなくて……」
「魔法師保護団体なのに?」
「社会の中で『魔法遣い』として、溶け込む必要がどこにあるのかと。魔法を自由に使いたいだけなら、そういう場所に身を置くしかありません」
ㅤそれゆえ、四葉家へと就職した。どうやってかは知らないが、何か方法があったのだろう。
「そういう点では、進人類フロントはマシですよ。『フェール』を名乗る割に、好き放題魔法を使わせろ!という主張ですからね」
「なるほど、フェールという名はFEHRから取っていたのね」
ㅤエクストラの血統に生まれてしまった岬は、FEHRの思想に共鳴したのだろう。だから、意識してそんな偽名を使っているということ。
「だが、進人類フロントの方がマシか? 魔法協会・師族会議の連名で『過激派魔法至上主義者団体』と批判されているんだぞ」
ㅤ彼らが内心どう思っているかはともかく、世間に認められている団体ではないのだ。正式承認されているFEHRの方が真っ当ではある気がする。
「法を無視して魔法を使いまくるなら、それ相応の制裁は必要でしょう」
ㅤ魔法を自由に使いたい。けれど、差別されるのは嫌。そんな魔法師の矛盾した主張を、瑠綺は心底憎んでいるらしかった。
「実際、夜久様も落ちぶれている訳ですからね」
「うるさいな。それは元からだよ」
ㅤ追手は減った為に、素顔で街を歩けてはいるが、まともな魔法師コミュニティには加入することは無理だ。魔法協会などにノコノコ行けば、普通に拘束されるだろう。
「――それで、用は何だ? わざわざ、元雇い主の知人に接触する必要がお前にあるか?」
「……今から、このタワーでテロが行われます」
「テロ?」
ㅤおれは目を見開く。隣でリーナも驚いていた。
「魔法に対する粗雑な認識の告発……の筈だったんですがね。結局、暴走してこんな有様です」
「何をやるんだ?」
「タワーを爆破して折ります。――それだけはお伝えしておこうかと。一方的に知っていただけですが……何だか目覚めが悪いので」
ㅤそう言い残し、彼は去っていった。おれ達は顔を見合わせる。別に職場が無くなろうとどうでも良いが、CAD調整機の所在をまた1から探し直しだ。
「……あの男、なんだか胡散臭かったわ。何か、別の目的があるみたい」
ㅤおれも同意見だった。「スポンサー」系統の匂いがする。そう考えたとき、ピースが繋がった。
「……十師族の破壊、だ」
「え?」
「閣下は魔法師社会の刷新を目的としていたんだ……。四葉はスポンサーの目論見通り、在野に散らばった」
ㅤ魔法テロを通じて、魔法師の排斥運動を押し進める。そして、その混乱の中で生き残るのは……強い魔法師だけ。それを再び、スポンサーが拾い上げるのだ。
「要は、おれは今でもアイツらに踊らされていたってことだな」
ㅤやはり、一条の話に乗るべきだったか。おれは舌打ちをする。でも、それはそれで何かが違う。
「スポンサーって? ヨツバとは違うの?」
「四葉家"の"スポンサーということさ。その殆どが、古式魔法の系譜だ」
ㅤ強い魔法師を作り出すには、遺伝子工学を基にした「交配」による開発が早い。故に、魔法技能師開発研究所が稼働したのだ。けれど、昔は――今も遺伝子操作は忌避されている。古式魔法の大家は「穢れ」を内に取り込むことこそ忌避したが、それでも手元に戦力を置きたがった。それが「第四研」のはじまりだ。
「さっきの男……名字が東雲だったろ。あれは、四葉家の素体を出している家系だ」
ㅤ武倉家に送り込まれていた辺り、瑠綺は本家の人間ではなさそうだ。監視役、あるいは工作員。遮音フィールドを無効にするといった、諜報のスキルを持っていたことからも分かる。FEHRから四葉家に移ったというより、あの国で調査をしていたとみるべきだろう。
ㅤそして、理澄がおれの動きを鈍らせたかった訳だ。彼は、あの家を心から愛していた。それゆえ、四の「終わり」を誰よりも恐れたのだ。四葉家の崩壊は、すぐそばにあったのだから。
「でも……そんな人がなぜ、ヨルヒサに情報を?」
「そう、それが謎なんだ。おれに止めさせたかったのか?」
ㅤカン・フェールの素性、進人類フロントの野望。教えてもらえなければ、知ることも無かった。
「――違う。カンを暴走させたのは……おれだ!」
ㅤ記憶改竄の際、適当に嘘の記憶を差し込んだ。構成員の過激な思想を宥めていたシーン――それを確か、彼が意見に同調していたことへ書き換えた。だから、進人類フロントは暴走している。
ㅤ今なら、意味が分かる――瑠綺は礼を言いに来たのだ。「思い通りに動いてくれて、ありがとう」と。
「……どうしよう。おれ……」
ㅤ蒼い顔で、リーナに縋り付く。彼女はまだ、この状況がよく分かっていないようだった。「どうしたの?」と言わんばかりの、優しい顔でおれを抱きとめた。
「――……どこへも逃げられてない」
ㅤ自由になりたかっただけなのに。自分の力で、社会へ飛び出したかっただけなのに。どうして、世界は何度も「間違いだった」と突きつけるのか。
ㅤ部屋が急に暗くなった。一拍置いて、アラームが鳴り響く。無機質なブザー音は、何も答えを教えてはくれない。
ㅤ
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絶望のはじまり
ㅤリーナは、おれを長いこと抱きしめはしなかった。なぜなら、部屋に異変が現れたから。ガスが流れ込んだ気配をおれよりも先に感知し、CADに手を伸ばしたのだ。
ㅤ灰色をした靄のようなものは、不自然な位置で留まる。粒子の大きい気体を通さない障壁のせいで、広がり切らなかったのだ。
「……睡眠系ね。人体に害は無いけれど、体に入ったら一発だわ。対魔法師用に開発された特殊ガスかしら? それなら、どうしてこんなものが……」
ㅤガスの正体に気づいたリーナが、不思議そうに首を傾げた。
「このタイプは、粘度が高くて中々飛散しないの。ずっと障壁を張るのも面倒だし、早く移動した方がいいわ。――歩ける?」
「うん……」
ㅤ手を引かれて、おれは渋々歩き出した。本当はもう動きたくなかったけれど、そういう訳にもいかないのは分かる。リーナは「仮装行列」を発動し、自身とおれの位置をずらし始めた。
「別にそこまでしなくても良くないか」
「この先で、何があるか分からないじゃない」
ㅤおれの意見を一蹴し、リーナは慎重な足取りで進んでいく。こういう言動を見ると、本当に軍人だったんだなと思う。「アンジー・シリウスはもう死んだ」と彼女はよく嘯くが、染み付いた習慣は未だ離れないのだ。
「さっさと脱出しましょ。テロに巻き込まれた時って、災害と違って危険手当とか付くのかしら……? 賃金規定に書いてあった?」
「知らん。そんなの見てない」
「ヨルヒサは、もう少しそういうことを気にした方が良いと思うわ」
ㅤ呆れたような顔をし、リーナはおれを嗜めた。
ㅤ意外にも、彼女は細かいことを気にするタイプだ。とはいえ、何でも切羽詰まってから気づく――ツメが甘いのは変わりないので、どっちもどっちな気がする。まぁ、要は似たもの同士ということだ。
「――!?」
ㅤあと少しで地上だ、という時。階段の途中でおれ達は足を止めた。ある人物が行く手を阻んでいたから。
「カン・フェール……」
「眠ってくれたならば、説明する手間が省けたのですがね。ですが、ここまで来たのです……。是非、我々の理念を聞いて頂きたい」
ㅤカンは大袈裟に両手を広げ、芝居掛かった口調で話し始めた。こちらの反応など、お構い無しである。
「――魔法師は、理解のない非魔法師に虐げられている。謂れのない迫害を受けながらも、魔法師達は国外の脅威からこの国を守っているというのに。国防軍だけでは、もはや戦力を維持できないからだ。戦闘義務もない一般魔法師の『協力』を評価すらせず、経済的・社会的に追い詰めているのは許されることではない!」
ㅤ彼が熱く語るそれは、魔法師社会の現実だった。コミュニティに所属しないと、魔法師は生きることすら非常に難しい。
ㅤおれやリーナだって、騙し騙し生きているだけだ。亜貿社の不透明な資金の流れを嗅ぎ付けられたら、捕まらない為にも逃げ出さねばならない。おれの魔法で追手の記憶を弄り続ければ、長い間潜伏は可能だろう。逆に……だからこそ、罪は重なり続ける。
「だからこそ、魔法力の有無で国民を二層に分ける必要がある! ナンバーズに限定された特権を、全ての魔法師達に!」
「……その『魔法師の為の社会』で、エクストラの魔法は何の役に立つ?」
ㅤ気持ち良く話していたカンが、おれの言葉で黙りこんだ。鋭い視線が、真っ直ぐこちらを射貫く。
「――馬鹿にするなっ! 自分の魔法は……」
「他魔法師の演算領域に干渉し、魔法を使うよう誘導する魔法。通常のマルチキャストと違うのは、複数の魔法を別々の演算領域で処理できる点。それによって、威力は大幅に上昇する」
「そっ、そうだ! だから……」
「ソーサリー・ブースターで十分じゃないか、そんなもの。それなりに使える魔法師を催眠状態にするより、D・E級レベルの魔法師をバラして機械にする方がマシだ」
「……!」
ㅤおそらく、彼は人生でこのようなことを何度も言われ続けてきたのだろう。だって、本当に有用な魔法ならば、それなりに普通な人生を送れている筈である。
ㅤ意味の無い魔法だからこそ、理解されない。それなのに、自分の魔法を使いたくて仕方ない。生まれ持った才能を、誰かに評価してほしいだけなのだ。社会に、同世代に、お母様に。
「……だが。そもそも、お前の願いは叶わないぜ」
「何故だ?」
ㅤ怪訝な顔で、彼はそう尋ねてきた。しかし、その言葉を発した途端、フリーズしたかのように動きが止まる。
「――そこまでです」
ㅤスポンサーの手先であり、四葉家素体・古式系の魔法師……東雲瑠綺が立っていた。CADを手にしており、何かしらの方法で彼を止めたのは明らかだ。
「意外と聡い方だったんですね、夜久様は。てっきり、我々に乗っかって大暴れして下さると思っていたのですが」
「お前……」
「まぁ、どちらでも良いんですが。既に外では構成員と警官隊が交戦中ですし。『魔法師の起こした史上最悪の事件』として、歴史に残るのは確定しています」
「さっきから、一体どういうことなの? ワタシ達は何に巻き込まれていて……こんなことに? 魔法師がそれなりに受け入れられる社会の、何がダメだっていうの? 貴方だって、魔法師でしょう?」
ㅤ訳がわからない、と言わんばかりのリーナ。
ㅤそれはそうだろう。だって、スポンサーの目的は従来の魔法師増産計画に真っ向から突っかかるもの。国際情勢も無視した、狂っているとも言えるアイデア。
「コイツらはな……魔法師を『飼いたい』んだよ。だから、人間扱いする訳にはいかないんだ」
ㅤ魔法師が、魔法師と非魔法師を管理する社会。
ㅤ以前――東道青波と共におれは、そのような題目で「十師族の破壊」を目論んでいた。あの頃のおれは分からなかったけれど、最終目標は「古式魔法師の復権」であったのだ。
ㅤ十師族のルーツは、研究所のモルモット。先祖を辿れば、多かれ少なかれ遺伝子を操作されている。スポンサーの彼らは、そんな人間を排除することが目的だった。四葉という飼い犬を使って。
「そんな、そんなことって……」
「当たり前だろ」
ㅤリーナの言葉を、瑠綺は遮った。先程と口調も変わっている。
「遺伝子操作? 受精卵の調整? デザイナーベイビー? 人の手によって作られたものが、"我々"のような純粋な人間と同じ訳がない」
ㅤさも当然のように言い放つ様子を見て、リーナがギュッとおれの手を握った。おれも握り返してやる。
「……それがお前の本性かよ」
「嫌悪感もまた、人間らしい感情だよ。普段は押し殺していたけどね。――改めて、自己紹介しよう。東雲は母方の名で……本当の名字は『十六夜』。もう分かるだろう?」
「百家最強の魔法師……十六夜家か」
ㅤ十六夜家。伝統ある古式魔法の名家だが、現代魔法を積極的に取り入れることで強化を図った家だ。十師族を頂点とする魔法師管理システムに最後まで異を唱えた家でもあり、調整体や数字落ちに対する差別運動の最右翼でもあった。
「ナンバーズだなんて、そもそも後付け。元より数字が名前にあっただけなのに、研究所の開発番号と混同されてしまった。百家だなんて、嬉しくもなんともない称号だ」
「てっきり、東雲の分家だと思っていたぜ。理澄の下についてたんだろ?」
「武倉理澄については、監視しなければならなかったのさ。アレが動くせいで、破滅的な四葉が安定志向に進みそうになっていたからな」
ㅤ魔法も厄介だったし死んでくれてよかった、と彼は呟く。
ㅤ確かに「ワルキューレ」は、ただ一点「人を殺す」という点では屈指の性能を誇っていた。だからこそ、四葉分家の希望であったのだ。
「……」
ㅤ理澄を自死に追い込むことで、図らずともスポンサーの追い風へとなっていた。何とも、やってられない気分だ。
「――お前らが進人類フロントの代表者か?」
ㅤ急に別の声が割り込んだ。
ㅤ振り返ると、そこには2人の魔法師が。おれは、彼らのことをよく知っていた。
「司波達也……。それに、司波深雪」
「意外なところで再会したな。津久葉夜久、お前が首魁か?」
「いいや? リーダーはそこにいるコイツさ」
ㅤおれは未だ固まったままの男――カン・フェールを蹴り飛ばし、達也の側へと移動させた。彼は少し屈んで、左手を軽く翳す。
「……死んでいる。心臓が止まったのか」
ㅤどうやら、瑠綺は普通に殺していたらしい。数字落ちのことなど、本当に人間と思っていないのだろう。
「まぁ、いい。この男のエイドスで大体のことは分かった。今回の事件は、お前がこの男の記憶を書き換えたことが理由にあるようだ」
ㅤ深雪を危険に巻き込んだんだ。それ相応の落とし前は付けてもらう……。彼はそう続け、特化型CADの銃口をこちらへと向けた。引き金が引かれ――。
「――は、?」
ㅤ達也が一瞬、呆けたような顔をした。魔法が発動した、という手応えが無かったのだろう。リーナの「仮装行列」が、「分解」の照準をずらしたのである。
ㅤおれはそのチャンスを見逃さなかった。彼らの魔法演算領域に干渉する。常時動かしている魔法だから、すぐにリンクは可能だった。
ㅤつまり、「誓約」の魔法式の出力を上げて、演算能力を大幅に縮小させたのだ。少なくとも、人体を消滅せしめる威力は出せない。
「……貴様!」
ㅤ憎しみの篭った声で唸る達也。おれは無視して走り出す。
ㅤ時間があれば、「マギ・インテルフェクトル」を使いたかった。けれど、照準を合わせるのは時間が掛かるし骨が折れる。隙を見せるのは憚られた。
「リーナ、逃げるぞ!」
ㅤ自己加速術式を掛けて逃げる。這う這うの体で、地上まで上がっていく。
ㅤ冷気がすぐそばまでやってきていた。深雪の魔法力は高い。ロックを掛けてやっても、A〜B級魔法師レベル。気を抜けば、氷点下の世界に呑み込まれるだろう。情報強化と領域干渉を目一杯掛けて、必死に出口まで走った。
ㅤ
「――お前も付いてきてんじゃねぇよ!」
ㅤリーナとおれが逃げる横で、何故か瑠綺も追いすがってきていた。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
「テメェらが撒いた種だろうが! 肉壁になるくらいの気概を持て!」
「いいのか? この後、絶対にお前らは俺に礼をいう筈だがな!」
「どういうことだ!?」
ㅤ瑠綺はポケットから呪符を取り出し、祝詞らしき言葉を唱え始めた。
「……ビルを折るために用意していた仕掛けだ。数ヶ月前から、事前に大規模結界を張っていた!」
ㅤその瞬間、大地が大きく揺れた。日本でよく見られる災害の一つ――地震だ。瓦礫が崩れ落ちて、先程までいた場所が様変わりする。
ㅤところが、一歩遅かった。達也は深雪を庇いながらも、既に地上へと飛び出してきていた。
「間に合わなかったか」
ㅤ瑠綺が舌打ちする。
ㅤ今の達也は、魔法を満足に使えないはず。純粋な体術のみで対処したのか。
「……古式武術の一つ、『縮地法』だ」
ㅤ聞いてもないのに、ご丁寧にも使った技術を教えてくれる達也。いや、教えたくなるほどにおれ達が唖然とした顔をしていたのか。分からない。
ㅤけれども、おれはすぐ冷静になった。何とかしなければいけないと、「マギ・インテルフェクトル」を"CADで"発動した。
「――!?」
ㅤ起動式が、砕け散る。想子の奔流に掻き消されたのだ。
「使うだろうと思っていたさ」
ㅤ坦々とした声で、達也はおれにそう言った。
「どんなに強力な魔法であろうと、起動式の露出は避けられない。現代魔法師は、そのルールに縛られている」
「そうだな。だが、それを回避する方法もあるぜ」
ㅤおれはCADでの発動と並行して、魔法式の構築を行なっていた。もうそろそろ発動できるだろう。
「あぁ、自力で魔法式を組み立てることだ。でも――無意味だろうがな?」
「は?」
「このフィールドでは、深雪が領域干渉を敷いている。故に、魔法そのものが存在できない」
ㅤ笑いたくなった。彼は、勘違いをしている。自分の妹が、兄を信頼している故のミスがあるというのに。
ㅤ確かに、深雪は今持ち得る全てのリソースを領域干渉に割いている。息も絶え絶えで、今にも倒れそうな顔。それでも、CADに手を添え続けている。覚悟を背負ったそのパワーを前に、リーナですら魔法を抑えられていた。
「そうはいかないぜ! 残念だったな!」
ㅤおれの得意魔法が、達也の無意識領域と意識領域を分断する。ルートを魔法式が通ることが不可能になり、イデアへ投影することが出来なくなる――実質的に、魔法師は魔法師でなくなるのだ。
「何故……?」
「お前の妹は、無意識のうちに……領域干渉の選択から外していたんだ」
ㅤ達也が魔法を使えなくならないよう、普段から深雪は気をつけていたのだろう。今、それが仇となった。
「あ、あぁっ……! 私は、なんてこと……」
ㅤ深雪の顔が絶望に染め上げられた。事実に耐えられなくなったのか、彼女はヨロヨロと地面へ膝をつく。
「深雪! ……深雪!」
ㅤ達也が慌てて駆け寄り、妹の名を何度も呼んで身体を揺すった。おれ達はそれを尻目に、その場を去る。長居は無用だった。
ㅤタワー近くにいる警官隊などにバレないよう、認識阻害を使って脱出する。いつのまにか、瑠綺は居なくなっていた。
「ねぇ、ヨルヒサ……ワタシ達、どうすれば良いのかしら。魔法師を貶めようとする相手もまた、魔法師だなんて……」
ㅤ帰り道。夕食を買って帰る道中、リーナがおれに尋ねてきた。
「……おれも、まだどうしたらいいか分からない。けど、一つだけ言えることがあるぜ」
「なに?」
「なんか、大丈夫な気がするんだよな。今のおれは1人じゃないから」
ㅤ彼女は微笑み、「そうね」と言う。
ㅤもう日が沈みそうだ。どちらか言い出すでもなく、家まで早足で進む。
ㅤそして、その裏で……魔法師排斥運動は加速していく。東京オフショアタワー崩壊は始まりに過ぎなかったのだ。
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罪を数えて生きろ
ㅤ数日後。深雪は、達也の魔法科高校退学手続きを代理で行っていた。もちろん、兄が嫌な思いをして欲しくないと思ったからである。
ㅤ彼女は事務室を訪れ、職員に達也のIDカードを差し出す。あっさりとした態度でそれを受け取る職員。去年にあった激動の出来事など、忘れてしまったかのよう。自分にとっては忘れることなど決してあり得ない兄の偉業も、他人だとこんなものか……深雪は悲しくなった。
「――深雪っ!」
ㅤ今日は、入学式の打ち合わせもしなければならない。仕事を投げ出す訳にはいかないけれど、なんだか気分が重かった。それでも、自分を奮い立たせて生徒会室へと向かう。
「雫……それに、ほのかも」
ㅤ既に先客が居た。しかも、今一番会いたくない二人。案の定、彼女らは暗い顔で深雪に謝罪の言葉を述べた。
ㅤとはいえ、これが初めてではない。数日前にも、雫の父親である北山潮を含めて、深雪達の下へ謝罪に訪れていた。
「本当にごめんなさい。私が達也さんを誘ったせいで、こんなことに……」
「待って! 私が達也さんに来て欲しくて、強引に誘ったから……責めるなら、私も!」
「……ううん、貴女達は悪くないの。少しもよ」
ㅤ全て、私のせい。
ㅤ深雪は誰かに懺悔したかった。でも、言える訳がない。四葉が消え去った今、逆に四葉の血縁を明かすことは危険だ。そんなことくらい、分かっていた。
ㅤ自分の罪を数えてくれる人は、どこにもいない。達也すら、深雪を責めなかった。優しさが逆に、心に鋭く刺さる。
「だけど……」
「お兄様を哀れむのはよして。全てを失った訳じゃないのよ」
ㅤ夜久の「マギ・インテルフェクトル」は、人の無意識と意識の間にある領域を分断する魔法だ。つまり、事故などによる一般的な魔法技能喪失とは少し違う。
ㅤだから、達也は未だに「精霊の眼」や想子を操る無系統魔法は使える。それどころか、「人造魔法師実験」の為に意識領域に後付けされた仮想魔法演算領域は健在。ルートを介さないまま、魔法式をエイドスに投影するからだ。
ㅤ要は、彼が魔法科高校を退学する必要は無かった。学校で「分解」や「再成」を使うことなんて稀なのだから。このまま魔法工学科に進んでも、支障なんてあるはずもない。けれども、そうしなかった。
「本当はね、お兄様は高校なんか通う必要無かったのよ。私が寂しいから、付いてきて欲しかったの」
ㅤ事実とは少し、違う。
ㅤ達也は妹の為に生きなければならなかっただけだ。「分解」と「再成」という魔法ゆえに。神の如き力を持ってしまったせいで、息苦しい生き方を強いられていた。
ㅤけれども、それら無き今。達也を縛る必要はどこにもない。真の意味で、兄妹は互いに解放されたのだ。
「でもね、そろそろ……兄離れをする時期なのかも」
ㅤそれこそが、深雪から兄への精一杯の罪滅ぼしだ。
「実は……お兄様はね、魔法大学に飛び級するの」
「え?」
「どういうこと?」
ㅤキョトン、とした顔をする雫とほのか。
「書き溜めていた論文を送ったら、すぐに入学許可が下りたそうよ。さすがは、お兄様だわ」
ㅤ自分に言い聞かせるように、深雪は二人に告げた。死すら超越する力が無くとも……敬愛すべき兄なのだと。
「すごい!」
「達也さんって……ほんと、私達よりもいつも上を行くよね」
「えぇ。だから……気にせず、仲良くしてね」
ㅤ深雪は二人に微笑みかけた。
ㅤ兄を解放した今、彼女は自分の生き方を見失っている。残された高校生活は、改めて自身を見つめ直すいい機会だ。そう思いつつ、新入生のデータを端末から引き出した。
◆
ㅤ案の定と言うべきか、魔法師排斥運動は日に日に進んでいる。反魔法的な内容の記事は毎日のようにネットに出ている上、ワイドショーなどの番組も魔法師批判にシフト。
ㅤ挙げ句の果て、親魔法師派国会議員の収賄疑惑――七草家縁者から多額の献金を受けていたというニュースが世間を騒がしていた。
「――ですから! すぐにでも七草家を糾弾すべきなんですよ! 一条先輩には、正義感ってものが無いんですか!」
「馬鹿! 疑惑の段階で抗議文を出してみろ! もし事実でなかったら、大変なことになるんだぞ!」
「七草家ですよ! 絶対やってるに決まってます!」
ㅤ将輝に詰め寄るのは、師補十八家・七宝家長男である七宝琢磨。彼は三高への入学を予定しており、金沢まで引っ越してきていた。将輝も今まで面識こそ無かったものの、後輩になるのだからと積極的にサポートをしてやることにしたのだ。
ㅤ今日も将輝は自室に琢磨を招いて、高校で習う内容を先取りして教えてやっていた。
ㅤ七宝家の本拠地は都内近く。それなのに、琢磨が三高を受験した理由は夜久にあった。
ㅤ例の「七草家と正面切って戦い、第一高校を退学処分された」話を聞き、彼は色めきたった。自分も一高を入学してすぐ七草家に喧嘩を売ろう……そして、退学処分を受けよう――そんな風に彼は考えていた。
ㅤ息子のめちゃくちゃなアイデアを聞き、七宝家当主の拓巳は流石に仰天。「それなら最初から三高に行け」と叱り付けたのであった。
「絶対、勝手に七草家宛の手紙とか送るなよ! お前の親父さんからも、『しっかり見張っておいてくれ』と頼まれてるんだからな!?」
「……っ、親父が!?」
「当たり前だろ! 入学前から一高退学を検討する息子、心配で仕方ないに決まってる!」
ㅤ将輝が琢磨の説得に骨を折っていた時、乱暴めなノックの音が。
「……将輝っ! 大変なものを見つけたんだ!」
「吉祥寺先輩!」
「ジョージじゃないか。どうしたんだ?」
ㅤ血相変えて走り込んできたのは吉祥寺。ただならない親友の様子に、将輝も意識を切り替える。
「研究所に残っていた武倉の遺品を整理してたら……。こんなものが見つかったんだ」
「手紙?」
ㅤ吉祥寺の手には、白い封筒が。「第三高校のエース達へ 武倉理澄」と汚い丸文字で書かれている。この筆跡は、間違いなく理澄の書いた文字だ。
「武倉理澄って……少し前に金沢で起きた魔法師によるテロでMIAした、あの人ですか?」
「あぁ、実は四葉家縁者でな。アイツがいなくなるギリギリまで、知らなかったことだが」
「変わった奴だったけどね。よく学校も休んでたし。今考えれば、四葉の何かしらに関わっていたんだろう」
ㅤ将輝と吉祥寺は友人のことを回顧した。本音でぶつかることは最後まで無かったけれど、短い期間ながらも思い出は多く残っている。
「けど、その四葉も今はどうなっているのか」
「お家騒動があった、っていうのが専らの噂ですよね。本当なんですか?」
「あぁ、お前は知らなかったか。せっかくだし……」
ㅤ夜久は四葉真夜の息子であること。そして、それによって四葉家の継承を発端とした何がしかの問題が起き、崩壊が起きたのだろう。そんな推測を将輝は琢磨に語る。
「……けれど、崩壊って言ったって。四葉家を継ぐことができる人は誰もいないんですか?」
「実際、やろうとしたさ。けれど、圧力がかかった……」
「圧力?」
「親父が言うにはな。詳細は知らん」
ㅤ将輝は話しつつ、手紙の封を破って開けた。吉祥寺と琢磨が横から覗き込む。
「これは……」
「武倉が研究してた『魔法式構造のパターンと変則』に関連するものだ。基本コードの研究を進める為に、アイツは魔法式記述の酷似する部分をAIで自動認識させるシステムを作っていたんだ」
「そんなことできるんですか?」
「従来は無理だった。魔法式の文法は変則が多くて、似てる部分なんて殆ど無いから。基本コードが中々見つからない理由も、それだったんだけど……」
ㅤ理澄の開発したシステムは、大雑把に似ている部分を集めて効果を逐一確かめ、それらをカテゴリ分けすることで作成したものだ。
ㅤ四系統八種全てを網羅することはまだできていないが、「加速・加重」「収束・発散」といった比較的単純な魔法は同システムで解析可能であった。
「いわば、基となる魔法式の共通部分を自動認識して、スーパーコンピュータで変数を書き込む。エイドス上で処理されたそれを、魔法演算領域で一部待機させて『ループ・キャスト』で連続して発動させる。それによって、単純な魔法でも出力を飛躍的に上昇することができる……!」
「待てよ? 『ループ・キャスト』ってフォア・リーブス・テクノロジーの秘匿技術じゃないのか? それをどうして……あっ!」
ㅤ文面に目を通すと、「四葉にデータが置いてあったからパクった」との記述が。
「四葉が盗んだのか……」
「あるいは、実はFLTが四葉傘下か」
「でも、あそこも大量の変死体が出たとかいう噂ありましたよね? あり得る話じゃないですか?」
ㅤ仮にFLTが四葉の関連企業なのであれば、何か第四研に繋がる研究データを入手することができるかもしれない――「死」の魔法師工場とまで呼ばれた、魔法技能師開発第四研究所。機密性が高いという理由で、未だ一切情報が明かされていない。
ㅤ少年らしい好奇心を刺激され、3人は顔を見合わせて頷き合った。
◆
「……忖度するだろうから、逮捕とかは無いだろうな。だが、そのせいで更に炎上する」
ㅤ十師族・七草家の収賄疑惑。十中八九、事実だろう。とはいえ、何とか有耶無耶にする筈だ。少々無理があろうとも、十師族ならできてしまう。
ㅤ寝転びながら端末で情報サイトを見ていると、隣で寝ていたリーナが何かを思い出したように言った。
「ナッツが言っていたわ。親魔法師派の議員を暗殺してくれ、って依頼が相次いでいるって。断ってるらしいけど」
「断っている、ということは……昔からの取引相手ではないのか?」
「素人も素人、完全な一般人。どこかから噂を仕入れて、ネット経由で依頼してくるの」
ㅤそれは、なかなか興味深い話だった。
ㅤ魔法師に対する反感がかなり伝播しているということ。けれども、魔法師そのものに対する恐怖は未だあるということ。これらが、「殺し屋に依頼する一般人」というアンバランスな事態を生んでいる。
「正義感、なのかね?」
「そうでしょうね。歪んでいるけど」
「亜貿社みたいな裏社会でもマトモな所は、まぁ動かないだろうが。けど、魔法関係者殺しを請けるのも出てくるんじゃないか?」
ㅤ今までの勢力図を無視して、殺し屋稼業に参入してくる団体が増えそうである。何なら、魔法師による魔法師殺しも。
「あとは、素人に武器を売る人間とか? どんどん治安が悪くなっていくわね。――でも、日本国内でこんなことしてて……大丈夫なのかしら? 他国に付け入る隙を与えるんじゃないの? そうなったら、あちらも困るんじゃないかしら」
ㅤお前が言うか、というツッコミを入れたくなったが、その言葉の代わりに説明をしてやることにした。
「策はあるんだろう。アイツら、手だけは長いからな。『妖』を海外に放ったりするんじゃないか」
「アヤカシ? デーモンとか……ゴーストとか、そんなののこと? あっちにもエクソシストくらいいるわよ。どうしようもなければ、スターズも協力要請くらいするんじゃない」
「デーモンを祓うエクソシストか。現代魔法学で考えれば、似たようなカテゴリに分類されるだろうけど……古式系の厄介なところは、『約束』の存在だ。ルールを知っていれば単純なシステムも、分からなきゃどうしようもない」
ㅤ要は、伝承を理解していなくてはならないということ。そうでないと、余計に拗れる場合が多いだろう。しかも、派閥が多く分散しているので判断が非常に難しい。
ㅤ他のアプローチ――例えば、現代魔法でも対抗できないことはないが、それも一握りの強力な魔法師のみだ。
「詳しいのね。意外」
「四葉時代は、スポンサー側に付いていたからな。それなりに事情は知ってる」
ㅤおれを嫌うお母様に代わり、四葉家内の立ち位置を東道青波が保証してくれていた。一族内の不和を抑える必要性があったのもそうだが、自分のルーツにも理由があった。
ㅤ不安定な冷凍卵子の受精率を上げる為か、精子はナチュラルなもの――十六夜家縁者の精子を使用したらしい。この家だけは、先祖を遡っても遺伝子操作の例が一度も無いからだ。
ㅤつまるところ――おれには、十六夜の血も流れている。
「その、スポンサーっていうのは一体何? ずっと気になってるのよ」
「正式名称は、『元老院』。人ならざるモノを封印・管理する集団だ。その特殊性ゆえに表に出ることは無いが、一部の権力者とは密接に結びついている。いわば、裏の支配者という感じだな」
「……アニメの設定みたいだわ」
ㅤリーナが苦笑いする。確かに、話だけ聞けばそう思うのも当然だ。
「そういう奴らだからこそ、政治工作は十師族なんかよりも上手い。現代魔法師の奴隷化もすぐそこまで迫ってるな」
ㅤおれはそう言いつつ、近くにあった袋に手を伸ばした。昼食代わりのポテトチップスが入っていたはずだ。
「言ってることの割に、呑気ね」
「未だ利用されてたのは癪だが、こうなればどうしようもないからな」
「自衛するしか無い、ってことね」
「一番良いのは、スポンサー側につくことだけどな」
ㅤポテトチップスを口に放り込む。人工的な味わいが舌先を刺激する。
「どういうこと? ヨルヒサも聞いたじゃない。あの男の言葉……」
「十六夜瑠綺の奴は、過激なことを言っていたが……魔法師管理の締め付け具合は、派閥によってバラバラの筈だ。多分、アイツは樫和派の人間だろう」
ㅤ元老院のシステムには、四大老というものがある。簡単に言えば代表者で、発言権が特別強い4つ家の当主が担う。
ㅤその一人である東道青波がおれに協力していたのは、十六夜家を子飼いとする樫和主鷹に対抗する為。歴史は浅いものの強力な魔法師である四葉と、血統が長く続いている十六夜。その両方の血を継ぐもの。おれの存在は、彼にとって都合が良かったのだろう。
ㅤ古式魔法師の復権が叶った後、四大老の誰が主導権を握るのか――結局は、政治の話なのだ。
「だから、葉山さんがおれを呼び戻そうとしてるんだ。ただ……お母様に会うのもなぁ」
ㅤ手についた粉を舐め取り、おれはため息をつく。
「――本当に、それでいいの?」
「え?」
ㅤ思いもよらぬ言葉に、おれは固まらざるを得なかった。
「このまま、成り行きに任せるだけで……いいの? 」
ㅤ返事に詰まってしまったおれを見つめ、リーナは真剣な表情で言葉を重ねた。
ㅤ何だかずるい、と思う。何も分からなさそうな顔をして、おれが本当にやらなきゃいけないことを教えてくる。
「魔法をお母さんに褒めて貰いたいんでしょう? その為に、ヨルヒサはこんな世界で諦めずに生きているんじゃないの?」
ㅤだって、ワタシ達って死んだ方が楽じゃない――彼女はあっけらかんと言い放った。
「うん……だけど、おれのことを忘れてる」
「でも、貴方のお母さんに変わりは無いじゃない。今みたいに逃げて、逃げて……それでいいの? 向き合う勇気が無いからって」
ㅤ黙り込んだまま、おれは宙を睨む。
ㅤやるべきことは、もう分かっていた。こんなことをしていても仕方ない、ということくらい理解できる。
ㅤもはや、一歩前に踏み出すしかないのだ。
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君のために此処にいる
ㅤわたしの名前は四葉真夜。
ㅤ十師族・四葉家の一員なんだけど……その四葉家はもう「存在しない」よう。詳細はよく分からない。だって、知らないうちに遠い未来に来てしまったから。姿見でみる自分も、シックなデザインのドレスが似合う大人だ。どうしてだろう。
ㅤ周りの環境だって、何もかも変わっている。葉山さんはもうおじいちゃん。それに、動画で見た弘一さんは、もはや知らない人みたいに見た目が違う。変なサングラスを掛けたおじさんだ。
「……姉様は、今日も目が覚めないのね」
ㅤマグカップに並々注いで貰った紅茶を飲みながら(マナー違反は承知の上。でも、一気にたくさん飲みたいのだ!)、わたしはそう呟いた。
ㅤ今の生活になってから、周りの人間は口うるさくない。次期当主にふさわしい振る舞いを、とかも言わないから、毎日のびのび楽しく過ごせている。けれども、やっぱり姉様とお喋りしたい。病気らしいけど、早く治ってほしいな。
「しかし、これでも安定しているのですよ。真夜様が、毎日お声を掛けられるようになってからは」
「そうなの? やっぱり不思議だわ。仲違いしてただなんて」
ㅤ前の「わたし」は、どうやら姉様の距離を置いていたのだそう。そんなの信じられない。わたしは姉様が大好きだし、姉様だってわたしのことが大好きな筈なのに。
「ちょっとした……ボタンの掛け違えのようなものですよ。けれども、時は遡りました。やり直すことくらい、容易いものでしょう」
ㅤ葉山さんは何だか意味ありげなことを言いながらも、お皿にクッキーをたくさん盛ってくれた。アーモンドクッキーだ。
「あれ? 量が多いわね。わたし、こんなには食べられないわよ」
「いえ、今日はお客様がいらっしゃるのですよ。貴女に会いたい、という方が」
ㅤいつもに増してニコニコしている。ここまでご機嫌なことは珍しい。良くも悪くも、フラットな性格だから。
「ふーん……。誰なの?」
「それは会ってのお楽しみということで――おや、いらしたようですね」
ㅤ扉が開く。現れたのは、男の子だった。
ㅤセンター分けの髪は、烏の濡羽みたいな黒。右目の下には涙ぼくろがある。そして、驚くべきことに姉様にそっくり――つまり、わたしとも似ているということだ。
ㅤ彼はわたしをみて、一瞬だけ泣きそうな顔をした。唇をわずかに震わせ、彼は口を開く。
「はじめまして。おれの名前は……四葉夜久です」
「……夜久様は、四葉家唯一の生き残り。そう表現するのが"今"は正解でしょうか」
ㅤ葉山さんが彼の背を押し、わたしの向かいにある椅子に座らせた。
「……」
「、……」
ㅤ沈黙が続く。ティーカップ越しにチラリと前を見るけど、彼はずうっと押し黙ったまま。頼みの綱の葉山さんといえば、「ごゆっくり」と笑顔で部屋を出て行った。
「あの……貴方って、わたしの弟になるのかしら?」
ㅤ無言の時間に耐えかねて、おずおずと話を切り出す。
「……弟?」
「えっ、あ……わたしと顔がそっくりだし、『四葉家最後の』って聞いたし……。年下だし……」
ㅤどうしたらいいか分からなくなり、とにかく頭の中にあることを捲し立てる。話しているのは自分なのに、どんどん混乱してしまう。
「それに、姉様が起きてくれなくて寂しいから……きょうだいがいてくれたらいいなって」
「――いいですよ」
「えっ!? いいの?」
ㅤ夜久は、ようやく薄い微笑みを浮かべて頷いた。怒ってないんだ、と思ってホッとする。
「……よろしくね。姉さん」
「うん。よろしくね、夜久」
ㅤアーモンドクッキーを摘む。そして、彼のお皿に入れてあげた。
「食べましょ? お話したいことも……たくさんあるわ」
「うん!」
ㅤ久しぶりに、楽しい時間が過ごせそうだ。胸が弾む。ここに姉様も早く混ざって欲しいな……とわたしは思った。
◆
「へー。『弟』になっちゃったの」
ㅤリーナがニヤニヤした顔で、こちらを揶揄う。面白がっているのは明白だ。おれは苦し紛れの反論を吐き出す。
「……だって、仕方ないだろ? 向こうはおれのことは覚えていないんだぜ。いきなり息子ですってなっても」
「それもそうね。で、魔法は褒めてもらえたの?」
ㅤぐ、とおれは言葉に詰まる。最も聞いて欲しくない質問だった。
「――……ちゃった」
「なんて?」
「拗ねちゃったんだよ、お母様」
「どうしてよ」
ㅤおれはため息をつき、リーナに向き直る。
「伯母様とお揃いだから」
「あぁー……」
ㅤ手を額に当て、唸るリーナ。海外ドラマのワンシーンのようだ。
「まぁ、でも。……良かったじゃない、一応」
「お母様がおれを見た、という点ではな。けど、おれ達がスポンサー側についたそもそもの理由を覚えているか?」
「えっと、何だっけ?」
ㅤおれはため息をついた。肝心なことを忘れている彼女のポンコツさに少々呆れてしまう。
「古式魔法師がのさばるのを何とかしなくちゃいけないだろ? それで、内部から何とかしようって話だ。おれもお前も、お母様も現代魔法師なんだから」
「ヨルヒサはそういうオカルト魔法師じゃないの? 血筋がどうこうって言ってたじゃない」
「古式魔法なんて一つも使えないぞ?」
ㅤ十六夜の血を引いているのはその通りだ。けれども、古式系の術なんて教えられていないので使えるわけがない。
ㅤそれに、四葉……特に本家はCADを使用した魔法を優先して習得する。戦闘魔法師として育てられてもいないから、四葉の戦闘訓練も大して受けていないけれど。
「使えないんだ」
「あぁ、使えない。だがな……」
ㅤ指先で、自分の頭を軽く叩く。頼りないようで、今のところ「これ」が一番の武器だ。
「古式系の伝承やルール……それは知っている。このことは、古式魔法師に対する大きなアドバンテージとなり得るぜ」
ㅤファジィさが古式魔法の肝だ。不可解で不明瞭であればあるほど、強さが増幅されてゆく。逆に、「分かって」いれば然程問題ではない。
「なるほど……。けど、ヨルヒサって賢かったのね。魔法理論とか、苦手そうだと思ってた」
「……忘れられないんだよ。脳に焼き付けられたものは」
ㅤ四葉家の研究ノウハウやレポート、メモに至るまで……全てを幼少期に植え付けられた。「精神構造干渉」を持つおれは、精神の真髄を研究する為に不可欠な存在だったのだ。研究に投入しないという選択肢はない。しかし、のんびり教えている暇も無いわけで。だから、無理矢理覚えさせた。それだけのことだ。
「だから、おれの存在こそが第四研のバックアップという訳だ。でも、完全じゃない」
ㅤそう言いつつ、おれは移動系魔法で重たい金属製扉を退けた。瓦礫が多いので、動くだけで一苦労である。
ㅤ今のおれ達は、廃墟探索をしていた。FLTの旧研究施設を彷徨いている。旧、の訳は分家の人間らが最期の嫌がらせとばかりに破壊しまくったからである。分家はロクなやつがいなかった。
「ここにそれがあるっていうの?」
「分家の研究データが残っている可能性がある」
ㅤ四葉分家は、独自に研究員を雇って何かしらやっていた。純粋な研究が目的というよりかは、技術の活用から利益を確保する方が重要視されていたようだが。
「それを探し出すのが、何かの役に立つの?」
「見てみないと分からん。無いよりは――」
ㅤおれはそこで言葉を切る。いや、切らねばならなかった。不意に、鈍痛が身体中を走った。脂汗を流しながらも、CADに指を走らせる。
「リーナ、想子ウォール!」
ㅤそう叫びつつ、自分も魔法を発動する――精神干渉魔法「脳内麻薬」。読んで字のごとく、脳内に多幸感をもたらす魔法。そして、これは「ダイレクト・ペイン」の痛みを紛らわせるのに一番有用な魔法であった。
(……黒羽の双子が、なぜこんな所に?)
ㅤ電気もついていないので暗い中だったが、羽根のようなものが途中で勢いを失って落ちてゆくのが見えた。リーナの領域干渉が阻んだのか。
「ぐっ……、かはっ!」
ㅤ腹部に圧迫感。何者かに殴られた。痛みは魔法で紛らわせているが、衝撃は直にやってくる。その勢いのまま押し切られ、はっきり言ってこちらは劣勢だ。
「ヨルヒサ! って、あぁ!もう!」
ㅤあちらも自分のことで手一杯のようだった。「ダイレクト・ペイン」による痛みのせいで、十全のパフォーマンスができていないのだろう。彼女は、敵から飛ばされるコンクリート片などを必死で躱していた。
「クソ……」
ㅤこの痛みの中では、「マギ・インテルフェクトル」を冷静に使えない。あれは意外と集中力を必要とするのだ。しかも、今は「脳内麻薬」を連続発動している。それでも痛いのだ。
「……お前だけは絶対許さない」
ㅤ目の前の相手――黒羽文弥は静かにそう言った。
「なるほど。兄貴分の敵討ちってか?」
「――違うっ! 僕はお前を殺すつもりはない」
ㅤ鈍痛が更に強くなった。こちらも「脳内麻薬」を増幅させて耐える。
「ただ……もう僕たちはどうしていいか分からないんだ」
ㅤ文弥は涙を流していた。見れば、その横の少女――亜夜子も窶れた顔をしている。着ている衣服も昔見たような派手な服装でもなく、量販店で買ったような安物のトレーナーとジーンズであった。
「新発田さんの好意で、六塚に移ることになっていたんだけどね。移動途中で襲撃された。どこかから漏れたんだろう。……ガーディアンも死んだ」
ㅤいくら四葉の魔法師とはいえ、多数の魔法師に囲まれれば厳しい。這う這うの体で逃げ出し、今に至るのだという。
ㅤそうなると、新発田勝成が怪しいのではないか。自分達が安全に逃げ出せるよう、双子を利用した可能性もある。実際のところは分からないが。少なくとも、文弥も亜夜子もその線を疑ってはいるのだろう。だからこそ、自分達だけで六塚の管理領域に行かなかった。そういうことだ。
「……ここに残ってた研究データは他の奴が持ってったよ。僕らは黙ってそれを見てた。もう、どうでも良かったからね――殺したいなら、殺せば?」
「死にたいのか?」
「ううん、別に。生きたいよ、今でも。ただ、諦めてるだけ」
ㅤその表情に、あの日の理澄がよぎった。
ㅤ彼もそうだったのだろう。人はあまりにも弱い。全てを失ってしまえば、生きる希望を見出すことはできないのだ。
「……つまんね」
ㅤ両手をあげて、降参のポーズをする。「脳内麻薬」だけは維持しているが。
ㅤ文弥の眉が吊り上がる。怒りからか、小刻みに震えている。おれを睨みつけ、彼は怒気を孕んだ声で叫ぶ。
「つまらないって何だよ! 勝手なこと言いやがって!」
「そうとしか言いよう無いだろ」
「……そうだよ、僕たちはつまらない人生を生きてた。大人に言われるまま、人を殺してきただけだ。……別に今だって、罪の意識とか無い。でも、そのことを『異常』だと世間はきっと扱う。何も変わってない筈なのに」
ㅤほぼ洗脳に近いものだったとしても……人を殺せば、罪人に変わりはない。それを赦してくれるのは、四葉だけだった。身内を愛する限り、彼らは「正常」でいれたのだ。
ㅤ世間と隔絶していた本家とは違い、分家はそれなりに社会と関わっていた。それ故に、常識とのギャップに悩まされたのだろう。今なら、「正気に戻ったら、耐えられる訳がない!」と叫んだ奴の気持ちも分かる。
「まぁ、悪かったなとは思うよ。『おれを肯定してくれる居場所じゃなかった』って理由で、四葉をめちゃくちゃにしたことはな」
「いや、正しかったんだよ。あんな家、成立しちゃいけなかった。だけど……」
ㅤそこからは、言葉にならなかった。文弥は崩れ落ちるように、床に倒れたからだ。気力だけで保っていたのだろう。
「文弥っ!」
ㅤ今の今までリーナと交戦してた亜夜子が、弟の身を案じ、攻撃の手を止めた。もちろん、彼女はリーナの手によって拘束される。
「苦戦させられたわ。身体も痛いし……。――何か、言いたいことある?」
「……文弥だけは助けてあげて」
ㅤそう言うと、彼女は俯いた。弟思いの姉なのだ。
「一つ、聞いてもいいか? データを取りに来た奴がいたって話。あれ、誰だ?」
「……おそらく、一条家でしょうね。一条将輝が居たもの」
「アイツかよ……」
ㅤカッコつけて決別したのに「くれ」とは言いづらい。舌打ちをしたくなった。
「……お前、スパイとか得意だったよな?」
「え、えぇ。そういう仕事はしていたけれど……」
「『四葉の元関係者』と名乗って、一条家に入り込めるか?」
「出来ないことはないでしょうけど……多分、上手くいかないわよ。初期ならともかく、現時点では抜けた人間達が情報を多数売った筈。私に四葉との血縁関係がある、という公式なデータも存在しないし、私を受け入れるメリットは無いんじゃないかしら」
ㅤ秘密主義であったゆえに、逆に存在証明ができない。だから、後ろ盾を失ったが最後、にっちにもさっちにもいかなくなる。
「持ってく土産なら、いいのがあるぜ」
ㅤそう、理澄のCADだ。四葉随一の戦闘魔法師が遺したそれは、研究材料として一級品だろう。
「――分かったわ、任せてください。……それで!? 文弥はどうするの?」
「アイツはもう、『異常が正しい』場所に置いてやらないとダメだろ。……安心しろ、悪いようにはしない」
ㅤとりあえず、亜貿社に放り込んでおこう。元上司をいびれて、ナッツも喜ぶに違いない。文弥には災難な話かもしれないが。
ㅤそれに、今は魔法師殺しの依頼が多い。リーナがそのせいで結構駆り出されているが、一人増えれば彼女の負担も減る。
「……ありがとう。――ごめんね、文弥。私、姉さんなのに……貴方に辛い思いばかりさせちゃったわね」
ㅤ亜夜子は、気を失ったままの文弥の手を取り、優しく両手で包み込む。
ㅤその光景を見て、居場所を失ってなお今日まで二人が生き延びられた理由が分かった気がした。
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