「さーや!」
「沙綾」
「沙綾ちゃん」
「沙綾!」
ここは私の____。
♢♢♢
「ねえ沙綾!バンドやろうよ!」
中学三年生の春。放課後の教室。それはとても唐突なお誘いだった。
家の手伝いをするために帰る準備をしていた私の目の前に現れた彼女はキラキラした瞳で私に近づいてきた。目を丸くする私とは対照的で何事だろうと思ってしまう。
「えっと……急にどうしたのナツ」
とりあえず状況の読めない私はバンドをやろうと言ってきた張本人である海野夏希にそう返す。すると夏希ー私はナツと呼んでいるーはカバンの中から一冊の雑誌とDVDを取り出した。
「このバンドの演奏を見て、私感動しちゃったんだ!ガールズバンドってこんなにかっこいいんだって憧れたの!」
「へぇー……」
DVDはさすがに再生することができないからと私は雑誌をペラペラと捲っていく。一つのバンドに焦点を当て特集している雑誌のようだった。ライブの時の写真がメンバー全員分載っているみたい。
印象は、かっこいいなーくらいのとても薄いもの。だって紙面の上じゃライブの時にあるのであろう迫力も魅力も感じられない。バンドである以上音楽を通さなきゃ何か伝わるわけじゃないと思った。
「だから沙綾、一緒にバンド始めようよ!」
「ほんとに急だね。私、楽器に詳しいわけじゃないしバンドもあんまり知らないし他の人の方がいいんじゃない?」
本音だった。
バンドを始めるとなると、詳しいことはわからないけど練習をしてライブにも出たりするんだろう。私は家の手伝いもしなければいけないのだし練習できない日もある。楽器もろくにやったことはない。ナツがやりたいというのならできる人とやった方がいいだろう。そう思ったから発言したことなのに。
「私は沙綾とやりたいの!沙綾とがいいの!」
「えぇ……」
ナツの考えは私とは反対だった。思わず苦笑してしまう。
「文華と真結に話したら『沙綾がやるならやるよ』って言ってたの!だからお願い!」
文華と真結は元々ナツの友達。中一の頃に偶然三人が出掛けているところに居合わせて流れで一緒に遊んだ。それから連絡先も交換してよく連絡を取るほどの仲になっていた。別の中学に通っているけどナツのことだから声を掛けていると思ったら案の定だ。
「とりあえずその映像貸すから見てみてよ!それ見て、いいなって思ったらやろう!」
「んー。考えとくね」
正直バンドに興味はなかったけどナツが熱狂してマネしたがるのなら面白いのだろう。けどまあ、私がやることはないかな。
そんなことを思っていた。
♢♢♢
家に帰って店番を終えて家族全員で夕飯を食べる。弟と妹の面倒を見つつお風呂に入ってあとは寝るだけ。けど寝るにはまだ早くて、そういう時に限って学校からの課題も何もない。
だから私はカバンの中からナツから借りたDVDを取り出し、それを見るためにリビングに訪れていた。
髪を拭いていたタオルを首にかけ、準備していたホットココアを一口飲む。
まだ春先ってこともあって部屋の中は少しだけ冷えていた。
デッキにDVDをセットして再生する。確かナツはこのバンドはギター、ベース、ドラム、キーボードの四人で構成されていると言っていた。ボーカルはギターの人が務めているとか。
ボーカルのいないバンドはギターの人がやったりみんなで歌分けして回したりするとも言ってたっけ。熱弁された時はわからない単語も多くてハテナが頭に浮かんでいたけど。
「おねえちゃん。なにみてるの?」
DVDが始まってリビングに顔を出したのは妹の紗南だった。眠そうな表情で首を傾げている。
「バンドのライブ映像だよ」
「ばんど?なにそれ?」
「うーん。説明するのは難しいなー。一緒に見る?」
「うん」
映像を見ている間に寝そうだと思った私は紗南を足の間に座らせ画面に目を向ける。音量を少し下げれば丁度一曲目が始まるところだった。
そしてそれが、始まりだった。
お客さんの歓声が響く。ガールズバンドだけど女性のお客さんも多いみたいだった。
一曲目はテンションの上がるアップテンポな曲。ノリやすいその曲はみんな手を挙げて騒いでいる。終わりに近づくにつれて何度も何度も盛り上がりを見せるそれは音楽をあまり聞かない私にとっては新感覚だった。
しなやかに早く動く指、ベースを叩くように弾いて鳴らす音の心地よさ、綺麗で美しいその姿とかっこよくて迫力のある姿。
知らない世界だった。
メンバー紹介ではそれぞれの担当する楽器をひとフレーズずつ演奏するらしい。ギター、ベース、キーボードと続くまではよかった。そこまでだったらただいいバンドで終わったんだと思う。
並んでいる音の違う太鼓やシンバルみたいなやつを叩いていく。迫力があってかっこよくて、にやっと楽しそうに笑うその表情から目が離せない。カメラに気付いてウィンクをする。心臓が、バクバクと音を立てた。
時間にして約五秒。たったの五秒だ。そんな短時間の、言ってしまえばたかがメンバー紹介で私は心を奪われていた。
「おねえちゃん?どうしたの?」
「え?」
「さなのて、ぎゅってしてるから……」
私の方に振り返った紗南はそう指摘する。視線を手に移せば確かに私は紗南の手を握りしめていた。無意識のうちに握っていたらしい。慌てて謝って手を離そうとするも紗南はそれを離そうとはしなかった。むしろ嬉しそうに笑っている。そして私に背中を預けて足の間に座り直した。
また、私はその世界に戻る。
ギターもベースもキーボードもどれもかっこよくて素敵で、それでも私にはドラムが一番輝いて見えた。
ただひたすらに、ドラムを叩いているところを見て。好きだと思った場所を何度も繰り返して。
これはただの憧れかもしれない。
ただこのドラマーが好きなのかもしれない。
それでも私が、バンドでドラムをやりたい、って少なからず思ったのは事実だ。
♢♢♢
「ほんと!?一緒にバンドやってくれるの!?」
「うん。楽しそうだしやりたいなーって」
「あーあ。沙綾が陥落しちゃった」
「これはナツに付き合うしかなくなっちゃったね」
「なにそれ!私がワガママ言ってるみたいじゃん!」
休日。遊ぶ予定のあった私たち。私はみんなと合流でき次第『バンドがやりたい』と言えばナツは驚いたような顔をして、すぐに笑顔になった。
ナツが何かを突拍子もなく発言するのはいつものことで、それに付き合うのが私たちの役目。それは中学一年生の頃に初めて会った時から変わらないお約束。
だったら飽きちゃうまでとことん付き合ってあげようと思った。
「ちなみに沙綾はどの楽器がやりたいの?」
「私はドラムかな」
「……沙綾がドラム選ぶのってなんかすごい納得する。沙綾らしいって言うかさ」
「あーわかる。全体を支える感じとかドラムと似てるよね」
「沙綾にぴったりだよね」
そういうつもりで選んだわけじゃないけど三人にはそう思われているらしい。
なんだか褒められている気がしてはにかむ。
「みんなは?どの楽器やるの?」
「私はピアノ習ってたしキーボードかな」
「知り合いでベースやってる人がいるから私はベースがいい」
「なら私がギターだね」
みんなの担当楽器はすぐに決まった。即決まったわりにはなんとなくイメージ通りという印象を受ける。最初からこうなる運命だった気がした。
「バンドやるならボーカルも必要だよね?誰がやるの?」
「それはやっぱナツでしょ」
「えぇ!?む、無理だって!歌上手くないし、歌なら沙綾の方が!」
「いや、初心者にドラム叩きながら歌えって鬼じゃん……」
「諦めなよ。言いだしたのはナツなんだから」
「そ、そんな……」
悲し気で焦った顔をしているナツが私を見た。
ごめんねナツ。そんな顔されても私はその意見を了承できないから。
「頑張って」と言えばナツはうなだれながら「はい……」と言う。苦笑しつつも肩を叩いた。
「それじゃあ今日は目的地を変えて楽器屋さんに行こう!」
「みんな行くよ!」なんて言って突然に走り出したナツを慌てて追いかける。
春の追い風が私たちの背中を押していた。
♢♢♢
私たちのバンドライフが始まった。
とは言っても今までと大きく変わるようなことはない。学校も家の手伝いも当然のようにある。
ただ放課後の時間がたまに有料になったくらい。
「あー!全然上手くできないよ!」
「まあ始めたばかりなんだしできなくても当然だって」
「ナツ、焦らずに行こう」
「それはわかってるけどさ……」
「じゃあ一回休憩にしよっか」
バンドを始めて週に一回。お互いに練習してきたフレーズを見せ合う会を近くのスタジオでやることになっている。それが楽しみで私は普段の練習に励んでいた。
他の三人はそれぞれの楽器を購入。だが私はまだドラムを買えていない。理由としてはドラムは買っても置くところがないうえに家で叩いたら近所迷惑。高いから。
これは父さんたちやナツたちとも話して決めたことだから納得しているしスタジオでは楽器の貸し出しもしているから練習する分には何も問題ないという結論に至った。上手くなったらドラムを買ってもいいと言われたのだから頑張りたいものである。
それぞれ楽器から手を離し、飲み物を買うためスタジオの敷地内に併設されているカフェに向かった。
注文した商品を手にイスに座れば真っ先にナツが机になだれ込む。私たちは苦笑していた。
「バンドって、大変なんだね……」
「むしろ簡単だと思ってたことに驚きだよ」
「いや別にそうは思ってないけどさ、一曲弾けるようになるまで意外と道のり長いんだね」
「まあ始めたばっかりだしこんなもんじゃない?ナツはどこまで弾けるようになったの?」
私たちが練習している曲はナツが憧れたバンドの曲だった。最初にこの曲をやりたいと言われた時は早すぎず遅すぎず、初心者の私たちにとって初めて奏でるにしてはちょうどいい難易度なのだろうと思ったっけ。
「私は楽譜見ながらゆっくりだったら一応……一番までは、なんとか……」
「歌が入ったらまだまだだけどね~」
「もうー!それはわかってるよ!」
「これからだから頑張ろうよナツ」
「そういう沙綾はほとんど完璧に叩けてたじゃん。どこで練習してるの?」
「普通に家だよ。古い雑誌並べて叩いてる」
きっとこの曲を私がすぐに覚えてしまったのはあのドラマーに少しでも追いつきたいと思ったから。あの人と同じように叩けるようになれば私もあんな風にかっこよくなれる気がしたから。なんて言うのは子供っぽいかもしれない。
「これは私たちも負けてられないね。文華、真結、打倒沙綾だよ!」
「沙綾倒してどうするの?」
「私たちの大切なドラマーがいなくなっちゃうけど……」
「そ、それは困る!」
「あははっ、なにそれ」
くだらないことで笑って、なんでもないことで笑いあって、それがただ楽しくて仕方なかった。
「よーしみんな!写真撮ろう!」
「おっ、いいね。思い出たくさん残そう」
「ナツにしてはいいアイディアじゃん」
「じゃあはい。撮るよー」
カシャっというシャッター音。スマホには時間を切り取られ静止している私たち。みんないい笑顔をしていた。
グループに送っておくねと言うナツの言葉に私はトークアプリを開いた。
私たち四人のグループ。グループ名には『仲良し四人組』の文字。それを見て私はふと思うことがあった。
「ねえ私たちのバンドの名前、どうしようか」
私の発言に三人は顔を見合わせる。そこからわかるのは何も考えていなかったということ。私も同じだから偉そうなことは言えないが。
「練習に必死で何も考えてなかった……」
「けどそうだよね。バンドやるならバンド名は必須だよね」
「沙綾何かアイディアある?」
突然そんなことを言われたってバンド名は思いつかない。
スタジオを借りてる時間にも限りがあるから今日は練習に戻って各自で考えてくることになった。
♢♢♢
「……バンド名って、難しいね」
ナツの声に私たちは頷いた。
日を改め集まった私たち。私の家の私の部屋でローテーブルにそれぞれ辞典とノートを広げている。ノートにバンド名の候補を書いてはこれじゃないと頭を抱え、氷なしの飲み物だけがどんどん減っていく。
「みんな何か思いついた?」
「そう言うナツは?」
「えっとね。『cosmos』『Lily』『Blossoms』」
「めっちゃ花じゃん」
「全然思いつかなくて花の名前で調べてた」
「ちなみに花言葉は『cosmos』が調和、乙女の純真、『Lily』が純粋、無垢、『Blossom』が精神の美」
なるほど。花言葉から調べるって手があるんだね。
「いいとは思うけど、なんか私たちのバンド名かって聞かれると頷きにくいかな」
「そうなんだよね……真結、パス」
「え?私?私は『Venus』かな」
「まさかの女神。私たちにそんなイメージなくない?」
「Venusって響きがいいよね」
「これはドラマの影響かな」
悪くはないけど私たちはそんな神々しい人たちじゃないと思う。
「そう言う文華は何にしたわけ?」
「『包み焼きハンバーグ』」
「食べたいんだね!?」
「『水ようかん!』」
「食べたいんだね!!」
乾いた笑い声が口からこぼれた。
「で、沙綾は?何か思いついた?」
ナツに言われ私はノートに視線を移す。
一行目にはバンド名候補と書かれているがそれ以降は真っ白。何も思いつかなすぎだ。
「……ごめん。何も思いついてない」
「いやいいよ。まだ時間はあるんだし」
「こういうのって私たちを表すような名前でしょ?そう考えたら適当にはつけられなくて……」
「まあそうだよね」
「けど何が私たちらしいとかわからなくて」
私たちを表すような名前。何があるんだろう。そう思いながら私は国語辞典に手を伸ばしパラパラと捲っていく。
「そう言えば沙綾。この前貸した小説って読み終わった?」
「あっ、うん。読み終わってるよ。返すの忘れてた。ちょっと待ってて」
文華の言葉に小説を借りていたことを思い出した。学校は違ってもバンドで会っているのにどうして忘れていたんだろう。
私は国語辞典の今開いているページに栞代わりに紙を挟んで立ち上がる。本棚に置いていたその小説を取って文華に渡した。
「これどうだった?面白かった?」
内容はバスケ部で頑張る先輩とそれを応援し続ける主人公の恋愛もの。最初は上手くいっていたのにちょっとしたすれ違いから疎遠になっちゃって、だけどやっぱり好きだって気持ちが溢れてしまう。そんな王道のスポーツ恋愛小説だった。
私はあまりスポーツものを見ないんだけどこれは結構面白かった。
「面白かったよ。先輩がケガしちゃって寄り添おうとするんだけど弱いところを見せたくないからって突き放しちゃうところの心理描写とかどんなに距離が離れても応援し続ける主人公の想いの強さとか、すっごく良かったと思う」
「それならよかった。貸した甲斐があったね」
「うん。ありがとう」
不器用だけどかっこいい先輩が想っているのは主人公だけって考えると少しだけ主人公が羨ましかった。
恋愛がしたいわけじゃないけどこういう恋愛ならしてみたいかなって憧れてしまう。
「沙綾。お茶のおかわりちょうだい」
「はいはい。お疲れ様」
バンド名を考えて疲れたのかナツは机に突っ伏してグラスを私に向けていた。そんなナツからグラスを受け取ってお茶を注いでいく。
元々頭を使うより身体を動かす方が得意なナツのことだ。知恵熱とか出なければいいけど。
「ナツって困ったら沙綾に頼るくせあるよね」
「へ?何が?」
「困ったら沙綾に任せればどうにかなるんじゃないかって思ってるじゃん。沙綾がナツの母親みたいに見える」
「は、母親って……」
「さ、さすがに四六時中面倒見るのはちょっと……」
「沙綾に拒否された……!!」
ごめんねナツ。だけど私はこんなに大きな子供を育てた覚えはないから。
せっかく身体を起こしたのにまたガクリと項垂れるナツの肩を真結はポンポンと叩いていた。
「まあ支えられる時は支えるよ。私たち仲間なんだし」
「沙綾!そういうところ大好き!」
「単純だね」
「そうだね」
今日も平和でいつも通りの日常だ。
再度私たちはバンド名候補を探す旅に出る。こうがいいとかああがいいとか、色々なアイディアを出しては消して全員が納得のいく名前を捜索する。
そう言えば、と私は隣の国語辞典に目を向けた。
さっき紙を挟んだままのそれ。喋っていてすっかり開くのを忘れていた。紙を挟んだページを開いて読んでいく。
そしてそこにあったその言葉を説明する一行。それがものすごく心に刺さった。
「火花……」
「え?」
「沙綾?」
「バンドの名前、火花はどうかな」
私の提案に三人は首を傾げた。
「えっと?なんで火花?」
「火花って、石や金属などが激しくぶつかって瞬間的に発する火って意味があるんだけどそれって私たちに似てるんじゃないかと思ったんだ」
「私たちに似てる?」
「うん。だって私たちは仲間だけど同時に競い合うべきライバルでしょ?だからこそぶつかり合ってその時に生まれる火花って言うのは私たちのバチバチな関係だとか私たちがいないとこうはならないと言うか。
そういう関係性だとかを表すなら『火花』は私たちに合ってるんじゃないかなって思って」
私が説明すれば意味が分からないという表情が一変して三人が笑顔で顔を合わせていた。これは手ごたえあり。
「いいじゃん!火花!私たちにぴったりだよ!」
「うん。私もいいと思ったよ」
「さすが沙綾だね」
「ありがとう」
みんなが喜んでくれるのは嬉しい。けど褒められているのは少しだけ恥ずかしかった。
「けどバンド名が『火花』って言うのはそのまますぎるよね」
「確かに……他の言語にしてみる?」
その言葉と共に全員がスマホを操作し始めた。
英語、中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、イタリア語。色々調べてみたけどピンとくるものはあまりない。この考えじゃ見つからないのかなと諦めかけた時。
「ねえ!CHiSPAってのはどう!」
ナツのその発言の後、きっとみんな同じことを思ったのだろう。
笑顔でナツを抱きしめた。
♢♢♢
全部大文字じゃなくてIだけ小文字にしようという意見を取り入れた結果、バンド名は『CHiSPA』に決まった。バンド名が決まって、みんなして嬉しくなって、担当楽器にかける熱が高まって。『火花』のように、私たちは切磋琢磨していった。
気づけばバンドを組んでから二か月も経っていて、楽しい時間が過ぎるのは早いものだと実感する。
いつの間にか弾ける曲も一曲から二曲になっていた。
そんな初夏。
「みんな、商店街の夏祭りでステージに立たない?」
それが崩壊への始まりだった。
♢♢♢
商店街の夏祭りは毎年八月半ばに行われる。私は商店街に住んでいることや純と紗南に誘われることもあって毎年参加していた。だからこそそこにあるステージというのはすぐにどんなものかわかったし怖気づいてしまう。
だけど目標があるからこそ成長できるというのもあるだろう。だから私は出てみようよと真っ先に言った。それにみんな付き合ってくれた。
この時に出なければよかったって、何度思ったかわからない。
約一ヶ月の練習期間。その間に完成させたものを合わせて合計三曲。話し合いの結果それをステージで披露することになった。
準備は満タン。憧れに近づくために何度もスタジオに足を運び、私は家の手伝いを休んでまで練習を重ねてきた。
絶対に成功する。始まる前からそう確信を持っていた。
「うわっ、マジでうちの親来てるし」
「こっちはカメラ持ってきてるよ」
「ど、どうしよう緊張してきた」
ステージ裏から観客席を覗く。そこにはたくさんのお客さんの姿があった。ナツたちは家族の姿を見つけたみたい。だけど私は見つけられなくて。
夏祭りに来たら純と紗南が屋台の食べ物をねだって時間通り帰れないことなんてしょっちゅうだった。今回も母さんが振り回されているんだと思った。
だから「もうすぐ始まる」という意味を込めて電話をしたのに。
聞こえてきたのは純と紗南の泣き声。動揺する私の耳に届いたのは母さんが倒れたという事実だけ。
衝撃的でステージに立てる余裕は一瞬で消し飛んだ。
早く母さんのところに行かなきゃ。
けどライブは?
家族のところに行かないといけない。
だけどだからってナツたちとがんばったじかんをむだにしたくない。
どっちを優先すればいい。
「沙綾?」
「ナツ……」
「何かあった?」
優しすぎる口調に私は電話口で聞いたことを話した。
「何してるの!早く純たちのところに行かないと!」
怒鳴りにも近いその声に私は衣装のまま走り出した。
流れる涙は母さんを心配してのものか、それともナツたちへの謝罪か。もう覚えてはいない。
病院に着いて、付き添っていた父さん、純、紗南と合流した。涙に濡れる二人の顔が私の胸を締め付ける。父さんは私を怒ることなく、母さんの様態を教えてくれた。
お医者さん曰く貧血らしい。ただ体が弱いのに家のことを頑張りすぎたんじゃないかと言っていた。
そこで私は自分の過ちに気付いた。
私がバンドの練習に時間を割きすぎて家の手伝いを疎かにしたから母さんは倒れたんだ。母さんの体調も考えずに走って、限界だってことに気づけなくて、そもそも全く気にしていなかったことが問題で。
私のせいだ。母さんが倒れたのは私のせいなんだ。
それなのに誰も私を責めなかった。
私が悪いのに「沙綾はわるくないよ」って言ってくれた。言わせてしまった。
そんな自分を私はただ恨んだ。
♢♢♢
「よかった。お母さん無事だったんだね」
次の練習日。私はナツたちに謝りたくてスタジオに行くとすぐに母さんのことを聞かれた。
大丈夫、軽い貧血だったから。
そう伝えれば安心した表情を見せる三人にさらに申し訳なさが増した。
「……ごめん。初めてのライブだったのに台無しにして」
「う、ううん!大丈夫!なんとかなったから!」
「えー?あれはなんとかなったって言うの?」
「ねえ聞いてよ沙綾。ステージに立ったら夏希テンパっちゃってさ」
場を盛り上げようとして、ステージに立てなかった私のためにその時のことを明るく伝えようとする三人。
その楽しそうな表情が、羨ましかった。
♢♢♢
「沙綾のこと、どうしようか」
「家のこともあるもんね。時間ズラす?」
「それがいいね。その間私たちは自主練ってことで」
練習に遅れて行った日、話していたのは私のこと。悩んで、私のために動いてくれるのは嬉しかった。だけどそれは私を含めたうえで話してほしかった。隠さないでほしかった。
♢♢♢
それから練習の時間が一時間遅くなった。しかもその理由も用事ができたからという、あくまでもナツたちの都合で変更になったことになっていた。
私が原因だというのはわかっているのにそれを隠して。私のせいじゃないと言いたいのだろうけど私には逆効果だった。
練習に出られない日が多くなった。
母さんに無理をさせられないから父さんに頼んで前よりも店番の日を増やしてもらった。その分バンドの練習ができなくなった。
ナツたちに話せば「仕方ないね」と言って受け入れてくれた。週一以上は絶対に集まれてスタジオで練習できたのに、気づけば私が参加できるのは二週間に一回になっていた。それでもナツたちは私に笑いかけてくれた。
その優しさに耐えられなかった。
家の手伝いを終えて今までならドラムの練習ができていたのに家にいてもドラムの練習をする前に疲れて寝てしまう。
ナツに借りたままのバンドのDVDは机の上に放置されて何ヶ月も見ていない。
やりたいのにできなくて。そのせいでナツたちに迷惑をかけている。だったらいっそ、新しい人を探してほしかった。
「私、CHiSPA抜けるよ」
そう告げた時の三人の悲しそうな今にも泣き出しそうな表情は脳裏に焼き付いて忘れられない。
♢♢♢
夏祭りのステージに出ようとしなければよかった。否、出ようとしてよかった。
出ようとしなければ母さんが無理してることに気づかなかったのだから。
ナツたちに迷惑をかけたままバンドをやっていた。
練習に出られない人間に付き合う必要はない。
ナツたちにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
だからこれは、正しくて仕方ないことなんだ。
そう自分に言い聞かせた。
♢♢♢
中学を卒業して、また新学期を迎える。高校生になった。
とは言え中高一貫の花女生の私にとって新しさみたいなものはない。制服も校舎も生徒も大して変わらない。
この三年も今まで通り過ごすのだろう。そう思いながら登校した。
校舎入り口に張り出されていたクラス替えの紙。その紙を見るためみんな集まっていた。
私もその一人となるために歩を進める。
1ーAに私の名前があった。同じクラスにナツの名前がないことに安心している私はきっと最低だ。優しすぎる友だちにそんなことを思う日が来るなんて思っていなかった。
「あっ!」
「ご、ごめんね」
隣の子と肩がぶつかった。慌てて謝ればそこにいたのは見たことのない子。猫のような耳を髪で作っていた。
「いい匂い」
「へ?」
「パンのいい匂いがする!」
「あー。うちパン屋だから」
朝からパンに囲まれて来たから制服に匂いが染み付いたのだろうか。自分ではわからなかった。
そんなことを思っていると誰かの腹の虫が鳴いた。犯人は彼女らしくえへへと後頭部を掻いていた。
「急いでて朝ごはん食べてなかったんだよね…」
「そうなんだ。いる?パンじゃないけど」
私がポケットに入れていた飴を差し出せば彼女は笑顔でそれを受け取った。
可愛い笑顔だと思った。
「名前なんて言うの?クラス何組?」
「山吹沙綾。A組だよ」
「おぉ!同じクラスだ!私戸山香澄!一年間よろしくね!」
彼女、戸山香澄と出会ったのはきっと神様のちょっとしたイタズラだって私は今でも思ってる。
「戸山さんって外部生だよね?どうしてうちに?」
「香澄でいいよ。理由はね、妹がここに通ってて文化祭に来たことがあるんだけど楽しそうだったから。あとは制服が可愛い」
「大事」
「それに高校生って新しいことが始まりそうじゃない?」
「んー。どうだろう。私は内部生だから何かが変わりそうな気はあんまりしてないかも」
「そう?」
明るくていい子。それが香澄と話した印象。何に対しても新鮮な反応をしそうな彼女は私と話してる間も笑顔を崩すことはない。偽りのなさそうな笑顔が羨ましい。
「なんだかキラキラドキドキすることが見つかりそうだよ!」
けど変な子ってことに間違いはなさそうだ。
♢♢♢
香澄はすぐにクラスの中心になった。私の中学の頃の同級生が多いこのクラス。言えることはワイワイはしゃぐタイプの人たちはもちろんいる。けど誰かが引っ張って行くって言うよりはみんなで力を合わせて進んで行こうって人たちが多い気がした。だからこそ香澄みたいな存在はありがたい。
新学期が始まってすぐにある文化祭。それはクラスの中を深める目的があるのと同時に新学期から楽しいことをして学校を盛り上げようという狙いがある。
そんな文化祭の実行委員副委員長になってしまった。やる予定はなかった。けど委員長である香澄に誘われてクラスメイトからも期待されてやらざるを得なかった。
別にやりたくなかったわけじゃない。それで帰りが遅くなるようなことになるのが困った。
案の定、今その状況に陥っていた。
「香澄。大丈夫?」
「大丈夫……」
実行委員の集まりで会議室に集まっていた私たち。会議も終わり、隣を見れば香澄は机に突っ伏していた。何故か唸っているから思わず苦笑してしまう。
「さーやは会議中何言ってるかわかった!?」
「え?わ、わかったけど……」
「だったら指示出しお願い!何すればいいの?」
この子は多分、話を聞いてわかってるような気になってるけどいざとなってみると何もわかってないタイプの人間だ。間違いない。
「とりあえずクラスでやりたい出し物を書いて出せばいいんだよ」
「じゃあ私バンドやりたい!」
「っ……」
その言葉に私は息を飲んだ。
香澄から話を聞いていたのだからバンドを始めたってことは知っていた。だけどまさか文化祭の出し物として出すなんて言うとは思っていなかった。
「ね、さーや!いいと思わない?」
「……それは香澄たちがステージで披露するやつじゃないかな。これはあくまでもクラスでの出し物だし」
「あ、そうだよね!その申請ってどうすればいいの?」
「本当に何もわかってなかったんだね……」
バンドと聞いて歪になる顔は苦笑の下に隠して接する。香澄はきっと私が違うことに気づかない。気づいたって、意味は無い。
私は何を言われてもバンドに入る気はないから。
「もしバンドやることになったら絶対見に来てね!」
「……うん。応援してるね」
だから私は、また嘘を重ねる。
♢♢♢
「香澄にはわかんない!バンド組んでても練習に行けない!みんな私のことばっか!それでいいの!?一人だけ楽しんでいいの!?いいわけない!!」
初めて友だちに怒った。
私の都合で本来なら怒鳴る必要もなかったことだって頭では理解していた。だけどそれを理解しようとするほど今の私に余裕はなかった。
バンドはやりたい。当たり前だ。だって好きだから。あの空間も仲間と築き上げられる音楽も全部が好きで。絶対ライブでしか感じられない熱量もあるはずだからそれを味わいたいのに、過去の自分の過ちが今の私の行動を妨げる。
結局のところ私は怖いんだ。
また誰かに迷惑をかけてしまうのが。
また家族の涙を見るのが。
また、私のせいで大なしにすることが。
私のことを早く諦めてほしかった。
じゃないとまた過ちを繰り返すかもしれないから。
また一人で笑いたくはないから。
それなのに。
「なんでも一人で決めちゃうのずるい!……一緒に考えさせてよ」
そんなの卑怯じゃない。
私の心が揺らぐようなこと言わないでよ。
♢♢♢
星の鼓動は私の心を揺さぶる。ダメなのに。
私にドラムをやってくれと頼み込んでくる。
バンドやらない?って問いかける。
一緒に進んでほしいと言ってくる。
私だってやりたい。
けどそれで繰り返してしまうのは怖い。
誰かに迷惑はもう掛けたくない。
私の想いはそれだけ。
「沙綾。行ってきて」
母さんの言葉に首を振る。それでも母さんは優しく微笑む。私の頭を撫でた。
「沙綾は優しいね。母さんにもみんなにも。その優しさを自分に向けてあげて」
「……できないよ」
「沙綾ならできるよ。沙綾の周りには沙綾のことを助けてくれる人たちがたくさんいるから」
母さんが背中を押す。
「俺もいるよ」
「紗南も」
純と紗南が手を引く。
父さんは少し遠くから私のことを見守っていた。
あぁ。もう、我慢しなくていいかな。
「……行ってきます」
「「「行ってらっしゃい」」」
家族の笑顔を見て私は走り出した。
今年の文化祭も賑わっている。それが学校に着いて真っ先に思ったこと。スマホで時間を確認すれば香澄たちのバンドのステージ開始時間は過ぎていた。
お願い、間に合って!
人混みを避けながら校内を走る。普段なら風紀委員に注意されるけど今は気にしている場合じゃない。
耳に届く香澄の歌声を生で聞きたかった。
「いやー最高だったね!」
「けどナツ危なっかしいところあったよね」
「そ、それは言わないでよ……」
「よかったと思うよ?」
「なんで疑問形……」
「っ……」
体育館に着く寸前で私は足を止めた。目の前の私に気づいた彼女たちは会話をやめて私を真っ直ぐ見つめている。乱れた息を整えて私もみんなを見つめる。
向き合わなければいけない。
それなのに言葉が出ない。
深呼吸をして、覚悟を決めた。
「ナツ、文華、真結。私____」
「楽しかったよ」
「え……?」
「沙綾とのバンド、楽しかった。沙綾は?」
ナツの言葉で蘇るのはあの頃の記憶。
ただ憧れて、始めたのはいいけど難しいことばかりで、だけどそれが少しずつでも日に日にできていくから達成感があって、昨日よりも今の自分が成長しているのが嬉しくて。
みんなと、笑いあっている時間が、楽しかった。
思い出せば自然と流れる涙。それに耐えながら想いを伝えた。
「楽しかった!楽しくて、大好きだったよ……!!」
ナツたちが安心したのがわかる。いっそう涙が零れ落ちた。
「それだけ。みんな待ってるよ」
「……うん」
「あの、これ」
私の方に歩いて来てスティックを差し出す人物。花女の制服だけど私は見たことがなかった。
「新メンバーのさとちゃん!」
「大人しそうだけど演奏は派手」
「そ、そうかな……」
「ありがとう。借りるね!」
さとちゃんは恥ずかしそうに頬をかいていた。
涙を拭いて、受け取って、体育館に足を踏み入れた。
「さーや!」
「沙綾!」
「沙綾ちゃん!」
体育館の扉が開いたのとほぼ同じタイミング。マイク越しに聞こえた私を呼ぶ声。
飛び入りなんて受け入れてくれるかな。
そう思いながらステージへ向かう。
驚いた三人に対して市ヶ谷さんは何故か余裕そうに笑っていて少しだけ安心する。
香澄に手を伸ばせば嬉しそうに笑ってくれた。
「ちょ、できんの?」
ドラムを調整している時に言われた言葉。
「どうだろ。一回聞いただけだし、多分ボロボロ」
私は天才じゃないから一回聞いただけで覚えられるほど容量はよくない。だけどそこはアドリブで繋ごうかな。
「そこは気持ちで」
「一緒に頑張ろう」
その声に頷く。
私の初ステージ。あの頃は完璧に弾くことが大切なんだと思っていた。
けど。
「お待たせしました。聞いてください。STAR BEAT〜ホシノコドウ〜」
ドラムのカウントから始まる。そこから徐々に集まっていく他の楽器の音。スティックを落としそうになる。演奏ははっきり言ってあの頃と比べ物にならないくらい下手くそ。それでも楽しくて、やっぱり私はドラムが大好きなんだと再確認する。
ふと客席を見た。
始めてみるそこは色んな色の海が広がっていて感動する。こんな素晴らしい景色を今まで見られていなかったなんて、過去の自分に自慢してやりたいくらいだ。
最高のライブだった。
一生、忘れられない。
♢♢♢
今まで生きてきて後悔していることはないのかと問われるとそれは嘘になる。何度だって弱い自分を恨んだ。
けどその後悔があったからこそ乗り越えられたものがある。乗り越えた先にはそこで出会えた仲間がいた。
それがなければ絶対に交わらなかったその線。その線でキミたちとの絆を結べたのなら。
そう考えるとあの中途半端で何もできていなかった過去の自分も好きになれそうだ。
♢♢♢
「おーい沙綾。こんな所で何してるんだよ」
思い出に浸っていた私を現実に引き戻したのはバンドメンバーの有咲だった。可愛い衣装に身を包んだ彼女は昔よりもだいぶ大人びている。
「もう本番始まるぞ?」
「ごめんね。……少し昔を思い出してて」
「昔?」
「みんな出会って、私がPoppin'Partyに入るまでのこと」
「あぁ。あの頃はすげぇ色々あったからな」
有咲が私の隣に立って景色を眺める。そんな彼女の横顔を見つめた。
「有咲はすごく怒りっぽかったもんね」
「からかうなよ」
「昔よりも可愛くなったし?」
「はいはい、ありがとな」
口調は変わらない。それでも丸くなっているのは明確。すぐに照れちゃう有咲を見れなくなったのは残念だけど成長したってことにしておこう。
「今日のライブ、海野さんたちも観に来るんだろ?」
「うん。初めての対バンだし、それにその相手が私たちの憧れだからね」
「今の心境はどうですか山吹さん」
「そうですね。緊張で心臓がバクバク言ってます」
ふざけたやりとりで笑いあった。
ここは私の居場所。
仲良くなれてよかったって心の底から思うよ。
ライブ開始十分前。隣には大好きなバンドメンバー。そしてそれを見つめる憧れの人たち。
「今日は負けないから」
「私達も負けません!」
担当楽器同士で固い握手を交わす。憧れの人が目の前にいるのはやっぱり変な感じだ。
「山吹さん」
「はい?」
「今日は全力で楽しもうね」
「____はい!」
私の大切な仲間たちへ。
最高のライブを届けよう。
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