“女難の対魔忍”暗躍譚 ―対魔忍RPGX HAERESIS― (holmint)
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Prologue

Devil's in her heaven.

All's right with the WORLD.


――未来は先へ進むものだと、同じ結末に収束するのだと誰が決めたのかしら?
たまにはこういう趣向もいいでしょう。同じやり方ばかりじゃ何も感じなくなるわ――


 

  A.D.(西暦)2083の初春。

 東京都内の某所。

 

 暗澹たる魔の気配漂う地下の城において、人ではない者同士の壮絶な殺し合いが行われた。

 

「・・・残敵もいない。どうやら、本当に奇襲は上手くいったようだな。」

 

 戦いを終わらせた女が1人、大理石で覆われた広い部屋の真ん中に立っている。そして周囲を見渡して敵の全滅を確認した後、独り言を漏らしながら息を短く吐いた。

 褐色の肌とピンク色の長髪を持つその女は、露出の激しい漆黒のボディスーツを身にまとい、鮮やかな赤が映えるマントを羽織っている。

ふと、女は数十という敵を斬り捨てた愛剣に沁みついた汚れを見やり、丁寧に手持ちの布で拭っていく。赤黒い血と臓物を撒き散らしながら、自身の四方至る所に転がる屍たちに一瞥をくれることもない彼女は、一見無警戒に突っ立っているようにも見える。

 しかし、それは誤りだ。たとえ敵の気配を感じていなくとも、彼女が敵地において気を緩めるなどということはありえない。他者を貪り食らって生きる魑魅魍魎が蠢き、弱肉強食が絶対の掟である魔界の中において尚、他と隔絶した実力を讃えられ畏れられる存在――魔界騎士と呼ばれるこの女剣士は、戦闘において油断や慢心という概念とは無縁である。

 その名はイングリッド。彼女は魔界の秩序を守る役目を負う魔界騎士であり、現世において一大勢力を誇る犯罪組織ノマドの総帥エドウィン・ブラックの秘書も務めている。

 今、イングリッドは地下深くに建てられた建造物の中にいる。吹き抜けの地下洞窟を拡張整備して造られたその施設は、外見こそ近代的な基地か研究所といった風情だが、中には所々物々しい魔法陣や髑髏に見える呪具が置かれ、カルト教団が集う秘密の集会場に思える。

 つい先ほどまでこの建物内では、人ならざる知的種族である魔族、厳密には一方はオークやトロールを中心とした魔族部隊、もう一方は淫魔のみで構成された集団が、血なまぐさい惨劇を演じた。とはいえ、戦闘の主役となったのは彼ら有象無象ではない。それら軍団全てを遊び感覚で相手にできる超常的な力を持った数名の者たち――イングリッド達高位魔族の実力が、勝敗を分けた。

 

「――・・・・・・の、イングリッド殿!」

 

 遠くから繰り返し名を呼ばれ、心底鬱陶しそうに顔を歪めるイングリッド。その理由は、声の主が普段から会話どころか近づくことさえ疎んじるような下衆だというだけではない。まだどこかに敵が潜んでいるかもしれないこの状況で、味方が余りに軽率なふるまいを繰り返しているからだ。

 

「おお!イングリッド殿、こちらにおられましたか。・・・ホホホ。無事、淫魔王を討伐なされたようですな。ブラック様には遠く及ばぬとはいえ、奴めも魔を率いる王の端くれ。さぞかし手ごわかったと推察いたしますが、よくあの化け物を一対一で仕留められました。ブラック様もさぞお喜びになりましょう。私からも、重ねてお祝い申し上げまする」

 

 一々耳障りな声でよく喋る――自らに話しかけながら小走りで接近してくる相手に目を向けることもなく、その男が話している内容も禄に聞いていない。あの男の声などイングリッドからすれば、耳音で害虫が這いずる音を聞かされているに等しいからだ。

 イングリッドに対して一方的に話しかけている男はフュルストと言い、彼女と同じくノマドに所属する高位魔族である。イングリッドが彼を嫌うのはその髪が薄い頭部や肥満体形のせいではなく、魔界の生物や技術を用いた魔界医療による他者の拷問・調教、あるいは策謀を用いて人を貶め嘲ることを生きがいとする、その下劣な性格故である。

 

「・・・おお、そうでした。イングリッド殿、こうして直接出向いたのは他でもありません。あの淫魔王が飼っていた女対魔忍のことです!あの朧めがこともあろうに、あれを自分のものにすると言って聞かぬのです!しかも、恐れ多くもあの女狐め、それが我らが主の命であるなどという戯言を抜かしておるのですぞ!イングリッド殿、如何ですかな、主の名を借りて我意を張るなどとは、臣としてあるまじき行為ではありませんか!?」

 

 何も反応を見せないのをいいことに、興奮して更に捲し立てるフュルストに対し、イングリッドは只々煩わしさしか感じない。どうやら幹部の一人である朧と何かしらで揉めているようだが、何故あの女と貴様の諍いを私が仲裁するなどという発想に至るのか、彼女には皆目見当がつかない。精々二人だけで争って諸共滅びてしまうがいい。そうすれば餞に一言ぐらいはくれてやってもいい――「様を見ろ」とな。

 

「・・・・・・イングリッド殿、聞いておられますか?」

 

 流石に何も返さないので訝しんだのか、言いたいことを粗方言い終わったのだろう。此方を伺うような言葉をようやくかけてきた男に対し、

 

「・・・知らんな。貴様らで勝手にすればよかろう」

 

 イングリッドは何の感情も込めずに一言そう言い放つと、これ以上話すことはないという意味を込めてその場から立ち去ろうとする。

 しかし、フュルストは彼女の意思を汲めなかったのか、納得していない様子で抗議する。

 

「な・・・!魔界騎士ともあろうお方が何たる言い様か!此度の淫魔王討伐作戦は、ブラック様直々に我々ノマド幹部へご下命なさったのですぞ!その指揮官に任じられたイングリッド殿には、作戦の指揮だけでなく、我らの戦利品についても差配する義務がおありになるはずです!それをそのような態度で蔑ろになさるとは、ブラック様のご命令を一体なん・・・だ、と・・・」

 

 フュルストの言葉が尻すぼみになったのは、イングリッドが自身の得物――魔剣ダークフレイムを彼の喉元に突きつけたからだ。今黄金を想起させる彼女の眼には、あらん限りの敵意と侮蔑が込められている。

 主の名を騙りその名誉を穢そうとする。イングリッドにとってはそれだけで相手を両断するのに十分な理由であるが、名目だけとはいえ同格の相手だけに、凡百の奴原と同じようにはいかない。胸の内に滾る激情をほんの少しだけ抑え、罵詈雑言を浴びせるだけで勘弁してやることにする。

 

「いつになくよく喋るな・・・戦いには碌に参加せず褒章だけ強請るとは、医者の分際で随分と大物になったものだな。でかくするのはその醜い腹だけにしておけ」

 

 あ・・・と何か言いたげな素振りを見せていたフュルストを、イングリッドは剣先が喉の皮膚に突き刺さるほどに押し込むことで無理矢理黙らせる。これ以上不快な音を聞かせるな、と言外に圧力をかける。早々にこの下らない話を終わらせようと、魔界騎士は可能な限り簡潔に言葉を紡いでいく。

 

「貴様の鈍い脳髄にも届くように、分かりやすく言ってやる。貴様ごときがあのお方の名を気安く口にするな。そして、たかが捕虜1匹ごときの処遇で喚くな。直接奴と話してケリをつけろ。できないなら大人しく引っ込んでいるがいい。・・・理解したらこれ以上騒がず、今すぐ失せろ。まだ何か腐臭塗れの妄言を垂れるつもりなら、喜んでその情けない頭から膾切りにしてやる」

 

 次は殺す。イングリッドはその意思を明確に宣言して剣を下げ、再び彼から視線を外す。その背中に向かって、懲りずにフュルストが妄言を発しようものなら躊躇なく斬りかかるつもりだったが、これ以上何を言っても逆効果にしかならないことが分かる程度には、男も分別がついたらしい。

 禿頭の魔界医師は憎々し気に舌打ちをして、空間転移の術を用いて瞬時に姿を消した。

 

「ふん、相変わらずの口だけが。…悪いわねぇ、『隊長』?つまらない禿の難癖に突き合わせちゃって」

 

 フュルストがいなくなったのを見計らったように、新たに2つの人影がイングリッドへ近づいてくる。

言葉を発した方はハイレグの対魔忍スーツを身に着け、巨大な鉤爪を装備した紫髪の女で、名を朧という。元は対魔忍だったが、今はノマドへ降り朧忍軍という名の私兵集団を率いている。実力もさることながら、目的のためには味方をも平然と殺戮する狡猾さと残虐さで悪名を轟かせている。

 もう一人はプロレスラーを思わせるレオタードを着た緑髪の女で、周りからはスネークレディと呼ばれている高位魔族だ。彼女は廃棄された人工島に存在する闇の街東京キングダムの地下で行われている非合法なショービジネス、カオス・アリーナの運営者で、イングリッドや朧らと同じくノマド幹部でもある。一見すると物腰柔らかい美女だが、笑顔のまま他者を八つ裂きにできる残忍な性格である。 

 

「まあまあ、ハイエナ参謀殿はほっときましょ。ブラックの許可は得ているとか何とか言っておいて、私たちが彼から何て言われて来たか全く知らないんだから…。で、奴は仕留められなかったのね?」

 

「・・・・・・ああ、止めを刺す寸前で転移した。悪足掻きに過ぎんが、追跡は無理だろう」

 

 私のミスだ。思わずそう呟きかけ、近くにいる者たちのことを思い出し寸前で呑みこむ。

 今回行われた淫魔勢力に対する奇襲作戦は、ノマド総帥エドウィン・ブラックより直接命を受け、イングリッド、朧、スネークレディ、そしてノマドの参謀であり魔界医師であるフュルストを動員するという、近年例を見ない程大規模なものであった。

 本来イングリッドの務めは主君であるブラックの護衛及び補佐だが、今は日本におけるノマドの本拠地と言える地下都市ヨミハラの管理を命じられている。実質、日本におけるノマドの活動はイングリットの采配に委ねられているも同然であり、その論理から言えば今回の作戦における指揮官は当然彼女となる。

 作戦に当たり、フュルストを除くノマド幹部3名が、上司にして主君であるブラックから受けた指令は2つ。

 日本において淫魔族勢力の本拠地と思われる、現在彼女たちがいる地下拠点を完全に破壊すること。

 淫魔の王が重用していると思われる、元対魔忍の女を生け捕りにすること。

 特に後者に関しては、可能な限り傷つけずに捕え、他者に奪われないよう厳重に保護せよとまで言う念の押しようだ。ここで言う他者とは淫魔や対魔忍は勿論、先ほど喚いていた魔界医師も含まれている。

 奇妙としか言いようがない指令である。敵勢力への襲撃を指示しながら、親玉の殺害よりも女一人の捕獲を優先せよという。これでは、女をとらえること自体が主たる目的としか思えない。

 非礼を承知で行った質問は、全て意味ありげな微笑と共に黙殺されたため、イングリッドにとって歯痒いことに、主の真意を全く掴めないまま戦場に立たざるを得なかった。

 とは言え、主命である以上は何をおいても遵守せねばならない。淫魔王に従う者共は欲望のまま他に深刻な害を及ぼしかねない危険分子である故に、その勢力を削ぐこと自体には彼女にも異論はない。

 結果として、女魔界騎士は心に疑義を抱えたままその戦闘能力を十分に発揮し、単独で上級淫魔含む敵対勢力の半数近くを斬り捨て、首魁たる淫魔王をも瀕死に追い込むという武勲を立てた。

 だが、とどめを刺す寸前に転移術が発動し、王の逃亡を許してしまった。奴の討伐を命令されたわけではいないが、淫魔族に戦いを仕掛けた以上、その頭目を逃したことは失策でしかない。

 徒に武張って一対一で戦うことに拘らず、誰かと共同で戦っていればあるいは・・・。

 

「ふ~ん。ま、いいんじゃない?必ず捕えろって言われてた女は確保できたんだし。そこから先は知ったこっちゃないわ♪」

「そうそう、さっさとあの牛女が眠ってるうちに戻りましょうよ。早速丁重におもてなししないとね…ククク。勿論、私たちなりの方法で、丁寧に、たっぷりとねぇ…」

「ふふ。調教するのはいいけど、オーク共にやるのは暫くナシよ。折角の淫魔王お抱えの肉奴隷なんだから…。はぁ、あの爆乳を揉みしだいて叩き潰して、血と乳ごとしゃぶりつくしたらどんな味がするのかしら…ウゥん、想像しただけで疼いちゃう・・・♪」

 

 同僚たちの悪意に満ちた猥談を聞き、魔界騎士はすぐさま自分の愚かな想像を一蹴する。連携なぞ端から望むべくもなく、それどころか常に背中に注意し続けることを強いられて、勝利できる道理がない。

 しかし、本当にブラック様は何を考えていらっしゃるのだろうか――イングリッドは更に思い悩む。

 捕えた女はかつて、最強の対魔忍として名高い井河アサギの右腕と呼ばれるほどの者だったと聞いている。その女が生きてノマドに囚われ、しかも東京にいると分かれば、アサギといえども容易に誘き出されるだろう。

 ブラック本人がそこまで明言したわけではないが、論理的に考えて人質以外の使い道ならば、こんな回りくどい形で捕えておく説明がつかない。実際彼女の世話を命じられた2人も、それが目的だと確信している。

 相容れない相手である以上、対魔忍とはいつか雌雄を決しなければいけない。だが、そのために今、ここまで淫魔族と事を荒立てる必要はあるのか?

 そもそも、総帥たるブラックは企業ノマドの仕事にかかりきりで、最重要拠点と言えるヨミハラを含め、日本での活動には左程興味を示している様子がない。彼の真意が読めないのはいつもの事だが、それにしても今回の作戦は唐突で、何となくではあるが、彼本人の意思というよりは…――

 

「・・・で、どうすんのさ隊長?予定通り捕まえた連中はヨミハラのアジトまで移送したし、もうここも埋めにかかっていいんだろう?」

 

 朧に話しかけられ、イングリッドは我に返る。よりにもよってこいつの声で・・・自嘲のあまり唇を噛み切ってしまいそうになるが、余計惨めになるだけだと気づき思いとどまった。

 

「・・・ああ、すぐに始めろ。もうここに用はない」

 

 余計な事を考えすぎた。イングリッドは首を軽く左右に振り、邪念を振り払う。

 完璧とは言い難いが任務が終了した以上、いつまでもこの湿っぽく、死骸から発せられる腐臭に満ちた洞窟に留まっても埒が明かない。外から応援を呼び、ここを封鎖する手はずも整えなければいけない。

 不安と疲労で摩耗した理性を振り絞ってそう指示を出し、『何あいつ?』『さあ、お疲れなんでしょ♪』という会話を必死に聞き流しながら、イングリッドは足早に地表へ向かう。

 道中、数分後には地の底に沈む戦場の跡地を、何気なく目に留めていく。

 ここは自然現象によってではなく、淫魔たちが現世を我が物にする為の前哨基地を建設するために、土地を掘り進めて作り出された人口の地下洞窟だ。

 しかも、基地建設に至るまでの準備も抜かりない。長い年月をかけて人間社会に溶け込み、富豪となって買い占めた土地に学園を創設し、校内を自分の配下や人間の協力者で固めてから、外部に怪しまれないペースで慎重に建設していくという周到さだ。そのため今まで他の組織はおろか、対魔忍たちを初めとする日本政府の者にも感知されていなかった。

 後1月程時間が経てば、この地下に巨大な基地が完成し、攻略には更に何倍もの兵力を要しただろう。そして淫魔王自身も、さらなる力を持ってイングリッドと対峙していたに違いない。その時、彼女が今回のように勝てていた保証はない。

 初め普通の人間サイズだった敵が、洞窟の天井に閊える程の本性を晒した時のことを、イングリッドは思い出す。今もなお彼女の手には、その巨体を纏う強固な魔力結界と、獣にしか見えない生身を斬り裂いた時の痺れる手ごたえが残っている。

 予測不能な奇襲を受け少なからず動揺した相手に対し、油断することなく最初から全力で力をふるった結果として、イングリッド自身は激戦を無傷で勝利した。

 だが、それは淫魔の王が弱いということを意味しない。同時にむざむざと逃げられたのは、彼女に僅かでも慢心があったためではない。だからこそ、絶好の機会を得ながらもとどめを刺せなかったという事実が、魔界騎士としての自負に満ちたイングリッドに、勝利の美酒を嗜む余裕を失わせた。

 数分かけて血生臭い地下から脱出し、思わずイングリッドははあ、と息を吐く。

 満月の光は、目を覆う程の惨劇が起こった土地であろうとも、何ら変わらぬ光をもって下界を照らしていた。何もかもを納得できないまま任務をこなした美貌の魔界騎士にとって、図らずも幾許かの癒しとなった。

 そう言えば、リーナはどうしただろうか。

 呼吸を整えたことで、イングリッドにも漸く他人の様子に気を遣う余裕ができた。この作戦にはイングリッド直属のノマド騎士団も複数人参加していたが、その中でも一人特筆できる有望な若手にして、イングリッドの一番弟子を自称する魔界騎士、リーナが先陣を切っていた。そいつを始めとして、イングリッド自身に忠誠を誓う者たちは、彼女が直々に労わなければならない。

 それにしても――イングリッドは部下たちが待機している場所へ歩みを進めながら、再び思考の闇へ囚われてしまう。彼女もそれが良くない事なのは重々承知しているが、自分以外に主の真意や状況について真剣に考える者がいない以上、どの道貧乏籤を引かざるを得ない。

 故に、彼女は答えの出ない問題を考え続ける。

 どうして、こんな事になってしまったのか――

 



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【第一章】
Main Story: Sakura 01


再開早々3か月もお待たせして、本っっっ当に申し訳ありません OTL


代わりにといっては何ですが、次話は今月中に投稿できそうです。
今回はとある回想のネタも含んでおりますので、何か分かった方はそのアフターとしてお読みいただくと幸いです。


(……考えるだけ時間の無駄、か。まずは、やることやらないとな)

 

 俺―ふうま小太郎は頭の中でそう結論付け、目を開く。

 初めてのベッドに寝そべり、見知らぬ天井を一人で見上げながら、俺は思わずため息をついた。

 対魔忍養成機関である五車学園の生徒にしてふうま一族の現当主、そしてつい3か月前に新設された独立遊撃隊の隊長でもあるふうま小太郎こと俺は、昨夜絶体絶命の危機に陥っていた。

 

 別にやばい目に遭うのは初めてじゃない。何なら一度は心臓を貫かれて死んだことすらある。

 しかし今回の危機は全く違う類のものだ。下手をすれば自分が自分じゃなくなって、今俺がいるこの家の主か、仲間であるはずの対魔忍に殺されていたかもしれない。

 

 嫌な想像に歯止めをかけるべく起き上がり、ベッドに座りながら上半身と両足をぐっと伸ばす。

 昨日はいろんな意味で疲れる日だった。一通り体を触りつつ自己診断をしてみるが、特に痛みや違和感は残っていない。倦怠感や頭痛といった体調不良も感じられない。何なら心なしか、いつもより晴れ晴れとした気分だ。

 さては出すモノ出しきってさっぱりしたか―等と朝っぱらからゲスい考えに苦笑していると、

 

「……お、おはよ。コーヒー飲む?」

 

 この家の主である女が、桃色のパジャマを着こみ、両手にコーヒーを持って部屋に入ってきた。

 サイボーグ化した四肢と風遁の術を使いこなす元対魔忍の女、甲河アスカだ。   

 今の俺にとっては昨夜の窮地から救ってくれた恩人でもあり、そもそも俺が酷い目に遭うことになった元凶でもある。

 

 本人も気まずさを感じているのか、いつもの勝ち気な態度や不敵な笑みは鳴りを潜めている。桃色の寝間着姿でモーニングコーヒーを差し出してくる様はまさに恋人のそれだが、四肢以外も機械化したかのように動きがぎこちない。

 

「ああ、おはよう。……それで、結局あの後どうなった。奴らの取引していた魔薬について、調べはついたのか?」

 

 コーヒーを受け取りつつ、あえて一先ず仕事の話を振る。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 

 

──俺が今朝を迎えたこの家は、今俺の目の前に座っている女、甲河アスカのもの―といっても彼女の所属組織であるDSO(米連の防衛科学研究所)所有のセーフハウスだが―だ。

 

 昨日、俺とアスカは都郊外の某所に存在する廃工場に潜入した。

 魔薬(魔界由来の技術で作られた違法薬物のことで、大抵人間界の麻薬よりヤバい副作用がある代物)取引の現場を押さえ、その流通元を突き止めるという彼女の任務に無理やり付き合わされたのだ。例によって光学迷彩を用いて五車内に忍び込んだ彼女に、文句を言う暇もなく一方的に事情を話して連行された。

 

 彼女としては、ダダでさえ不確実な情報をもとにした仕事で気が乗らないうえ、事件に絡んでいる人間が「反吐が出るほど」生理的にムリな連中らしく、どうせ空振りして嫌な思いをするくらいなら道連れが欲しかった―というのが本音らしい。

 そこでなんで俺なんだ──という突っ込みはするだけ無駄なんだろうな。

 

 そして、彼女曰く大して期待していない調査に2人して出向いたところ、何とこれが大当たりだった。魔薬のブローカーはこの手の犯罪としてはポピュラーにも程がある、嘗て魔界の何処其処に領地をもっていた有力な貴族(名前は忘れた)であったが権力闘争に破れ、人間界に落ち延びて再起を図るべく商売を始めた―というプロフィールを持つありきたりな魔族だった。

 

 ちなみにこれは事前情報として聞いていたわけではない。取引現場で盗み聞きしていたところ、頼まれてもいないのに自分からペラペラと身の上を放し始めたのだ。俺たちは勿論、取引相手の人間すら辟易するほど尊大な口調で、たっぷり20分は自分語りをやらかしていた。

 

 やれ「私は嘗て魔界の9大貴族に次ぐ大領主だった」だの、

 やれ「無能で破廉恥な家臣どもと悪逆下劣な簒奪者に実権と財産を盗まれた」だの、

 やれ「だがそんな私に『あのお方』は救いの手を差し伸べ、復権の機会を与えてくださった」だの、

 やれ「君たちも我らが覇道の一助となれることを光栄に思うがいい」だの、

 

 端的に言ってクソうざったい長話が5分くらい続いたところでアスカは痺れを切らした。彼女の機械化された腕に仕込まれたマシンガンをブーイングがわりに撃ち鳴らしてやろうとしていたが、俺がそれを制止した。聞くに堪えないというのは俺も同感だが、続けさせれば魔薬の出所やバックについても自白してくれるかも、と期待したのもあるし、このまま時間がたてば応援を呼んで工場を包囲してもらうこともできる。

 

 結果、この判断は裏目に出ることになった。結局奴は「あのお方」という言い方で黒幕の存在を示唆する発言はしたものの、流石にそいつの名前やプロフィールを探れそうなことは語らず、これからも永遠に証言はできなくなった。

 

 その時点でアスカには、一旦外に出て応援の手配をしてもらった。観たところ窓もなく、出入口は正面にしかない(不用心にも、中の連中はシャッターを開けっ放しで気にする素振りもなかった)倉庫のようだったので、仮に逃げられてもアスカと挟み撃ちにできるし、倉庫の外に仲間が来ていないか確認する必要もあった。つまりそれは、数分の間俺一人で取引現場を見張るというリスクを背負うわけだが、俺は問題ないと踏んでいた。

 

 別に俺自身の実力を過信したという訳ではない。現場には魔薬を持ってきたブローカーの魔族1人、その取引相手である人間の男は2人組で、信じがたいことに両方とも学生服を着ていた。

 

 現場へ向かう道中でアスカから聞いた話では、この2人は石山兄弟といい、彼女が通っている緑橋学園でも有名なワルらしい。いや、只の不良なんて可愛いもんじゃなく、学生の身分でありながら地元の半グレ集団をまとめ上げ、何と魔界絡みの武器売買や魔具の横流しで荒稼ぎしているという情報まで入っているらしい。

 

 そこまで分かってるなら捕まえれば……とはDSO側も考えてはいるのだが、どうやらこの兄弟の父親というのが現役の政商で、しかも結構な人脈と権力を持っている「悪い意味での」やり手らしい。そんな相手に米連の組織である彼女たちが表立って動きづらく、日本側にリークするのもまともにやっては圧力をかけられる可能性が高い。

 とは言え放置しておくつもりは毛頭なく、同じ学校にいるアスカをはじめとした人員を割いて兄弟の動向を監視し、言い逃れの効かない証拠を押さえ次第動くつもりだったようだ。

 昨夜の闇取引の情報も2人の動向を追っていたからこそ得られたもので、同時にその悪事を止める千載一遇の機会でもあった訳だが──

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 

 

「あ……ああ、そうね。さっき連絡した時に聞いた話じゃ、私があんたを助け出した後、ウチの調査班が来て色々調べてったみたい。……化け物になって襲ってきたブローカーと石山兄弟だけど、2人とも死体は普通の人間に戻ってたわ。変身した原因はまだわからないって」

 

 俺の意図が伝わったのか、アスカは俺の左にある棚にコーヒーを置いてベッドへ座り、俺と足を並べて話を始めた。

 

「俺を襲った女は? 何処のどいつか分かったか?」

 

 俺にとって最も知りたいことを質問するが、案の定アスカは「全然」と首を横に振った。

 

「そもそも、私があのウザいおっさんと兄弟だった化け物を倒して、寝てたあんたを近くのボロ小屋で見つけた時、傍には誰もいなかったし何もなかったわ。……取引のブツもなくなってたわけだし、気配を絶つのが上手い奴なら、私に気づかれずに逃げたとしても不思議じゃないけどさ」

 

 憮然とした表情のアスカを見て、案の定手掛かりのない現状を確認させられた俺は心の中でため息をついた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 今回しくじったのは俺だ。だが、俺は別に奴らをなめていたわけではない。

 任務自体はアスカから誘われたから参加したわけだが、事前にこいつだけでなくその上司である「仮面の対魔忍」からも、取引に関わる情報を聞くことができていた。

 果たして、事前情報通り買い付け人は人間の男2人。ブローカーである魔族は1人で武装も護衛もなし。見張るだけなら俺1人で十分で、アスカが応援を連れて戻ってくれば難なく取り押さえられる。その時の状況判断は今も間違ってなかったと思っている。

 

『…………ん?』

 

 そう、ブローカーの長話を聞いていたところまでは「いける」と確信していた。

 予想外の事態となったのは、ブローカーの話がひと段落し、彼が手に持っていたアタッシュケースから何かを取り出してからである。

 

『……!? ……な、何してるんだよ、おい……!?』

 

 瞬時に冷汗が吹き出すほどの急展開だった。

 端的に言うと、いきなりブローカーの魔族が、取引相手の石山兄弟を拳銃で撃ったのだ。

 全く想定できていなかった。数メートル離れた場所からでもわかるほど、兄弟はブローカーの演説にうんざりしてはいたが、取引がご破算になるほど揉めている様には見えなかったからだ。

 

 得意げに話しながら滑らかな動作でケースから拳銃を取り出し、反応すらできない兄弟の顔を撃ち抜いたブローカーの手際から考えて、交渉が決裂したが故の処置ではなく、最初から2人にそうする予定だったと考えるほうが自然だった。

 こうなると、むしろその動きを悟られないために、わざと無駄話を始めた可能性すら出てきた。

 

 だが、本当の「予想外」はここからだった。

 石山兄弟が驚愕の表情を浮かべ倒れたのを見届けると、そのブローカーは何と、自分の首筋に銃口を押し当てやがったのだ。

 そこで気づいた。ブローカーが持っているのは只のハンドガンではない。形状とシリンダーに装填されているもの―小さなカプセルがついた矢のような形状だ―から判断するに、所謂麻酔銃か、銃型の注射器だろう。

 しかも状況から察するに、恐らくあの中身は只の麻酔薬なんかじゃない。

 

『やばい、アスカを呼んでこないと……!』

 

 ここで俺は監視による情報収集を諦め、直接アスカを呼びに行くことを決意した。

 事前情報は間違いだった。この「取引」は明らかに常軌を逸している。

 最初から奴らを始末するために呼び出したのか、それとも何か別の理由があったのか。俺のいた場所からはブローカーの背中しか見えず、その表情すら読み取れない。

 

『……!!』

 

 この異常事態を知らせるべくブローカーから視線を外し踵を返したところで、俺はさらに驚くことになった。

 俺のすぐ後ろに女がいた。勿論アスカではないし、恰好から言えば彼女の所属組織―米連のDSOの職員でもない。俺としたことが、後ろに誰かいたことすら気づかなかった。

 

「…………誰だ、お前」

 

 悲鳴の1つも上げず、可能な限り小声で冷静に質問できたのは我ながら驚きだ。

 女は胸と脚部の露出が激しく、肌に張り付いた白黒のスーツを着ている。紫色の毛髪という特徴は分かるが、薄っすらとした月明りだけでは顔全体が見えない。

 状況からブローカーか石山兄弟の仲間と考えるのが自然だが、背後を取っていつでも殺すなり捕らえるなりできる状況にいながら、俺に一切手を出さなかった理由は分からない。

 

 構えつつ、腰に手を伸ばす。予定外の任務ということもあり、俺は大した武器を持ち歩いていなかった。常用している忍者刀一振りに、ナイフ代わりにもなる苦無を2つだけだ。一般人や雑魚を相手にするならこれで十分すぎるし、これで倒せない相手に会ったらまず逃げるのが上策だ。

 この時目の前にいた女は、間違いなく強者だった。その立ち姿には微塵の隙もなく、不思議なことに殺気をまとっている様子はなかったが、物言わず立ちふさがっている以上大人しく返してくれる訳はない。

 

『Uuuuahaamooh……Gubawwoooooo────-!!』

 

 背後から、鈍く濁った絶叫が聞こえてきた。膿が溜まって肥大化し、腐って穴だらけになった喉から絞りだされたような、嫌悪感と恐怖を与えるためとしか思えない不協和音の塊だった。

 

 考えられうる最悪の状況だ。恐らくブローカーが撃った「弾」の効力だろう。経緯は全くわからんが、兄弟はただ始末されたのではなく、モルモットの代用品にされたらしい。

 悍ましい声は、今はまだ1人分しか聞こえない。恐らくブローカーのものだろう。だがこのまま時間が経てば、吐き気を催す叫びの三重奏が始まるとみていい。

 

 意を決して忍者刀を抜き、じりじりと女に向けて距離を詰める。

 こちらが明らかな敵意を示しているというのに、彼女は何一つ反応を見せない。俺を侮っているのか、余裕の表れか。どちらにせよ、彼我の実力差から言えば傲慢だと批難はできない。

 

 状況は異常。頼れる相棒は近くにおらず、救援も自力で呼べない。おまけに慎重に行動できる時間的猶予は0といっていい、まさに八方塞がりの状況。だが「0」の状況下から、死に物狂いで万に一つの可能性を探し出すのも、俺の役割だ。

 敵が油断しているなら、猶更チャンスはある筈。そう信じて一気に間合いを詰めるべく、俺は女に向けて駆け出す──

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ──勿論、そんな都合のいい奇跡は起きなかった。間合いに入るなり女に一瞬で叩きのめされ、その後俺は心身ともに決して軽くない傷を負った。そこから数時間が経ち、「絞られ尽くした」ぼろ雑巾状態の所をアスカに救助され、夜中にこの家まで連れてこられたという訳だ。

 

「……確かに並の相手じゃなかったな。顔はよく見えなかったが、何か術を使う様子もなかった。単純に腕っぷしでのされちまったよ」

 

 アンタじゃ当然じゃない。

 そう言いたげなアスカの視線は気づかないふりをし、俺はカップを棚に置いて立ち上がる。

 

「うっ、う~~ん……」

 

 思い切り伸びをして軽い体操を行い、体のコリを少しでも解す。

 ベッドそばにある大きな窓から降り注ぐ陽光は、部屋全体を照らしていた。まだ夜明けすぐの時間だが、何十日ぶりに太陽を拝めたかのような気分だ。実に清々しい。

 ちらちらとこちらに向けられる熱い視線がなければ、だが。

 

「……昨夜の―」

「昨日のことは気にしないで。本当に、私も気にしてないから」

 

 話を切り出した俺の声を、アスカはピシャリと遮った。

 だがそうはいかない。昨夜俺がやらかした「コト」は、人倫に悖るだけでなく俺自身の美学にも反する行いだ。しっかりけじめをつけないまま有耶無耶にはしたくなかった。

 意を決して話し合おうと振り向いた直後、アスカが顔を真っ赤にして俺から視線を逸らしたのを見て、俺は瞬時にその理由を悟った。

 

「……俺のスーツって、今どこだ?」

「そ、そこらにあるでしょ。あんたが家に入るなり脱ぎ散らかしたんだから……!」

 

 それを聞くなり俺は慌てて部屋を出て、リビングに放ったままの対魔忍スーツを拾って着た。

 正直シャワーも浴びずに、この洗濯すらしてないぴっちりスーツを着るのは気が進まない。だが全裸で女の家をうろつくよりは遥かにましだろう。本格的に着替えるのは、家に帰ってからでもいい。

 今は身支度よりも、アスカと話すほうを優先したい。

 

 

 俺は昨夜、甲河アスカを犯した。無論故意にではなく、昨夜の女に捕まった際投与されたらしい「薬」によって、正気を失い性欲を暴走させられたためにだ。

 しかし加害者の俺が言うのは最低だが、昨夜の行為が一般に言われる「レイプ」と呼ばれるそれに当てはまるかどうか、つまり俺にその意志があったかどうかとか、事前の合意なく俺と性交したことで彼女が心身に傷を負ったかどうかとかは問題視していない。気まずい空気ではあるものの、彼女がそのことでショックを受けているかどうか位は言動で分かる。

 

 しかし、先ほども言ったようにこれは俺の、「男としての」ポリシーの問題だ。

 部屋に戻り、立ったまましっかりと頭を下げた。

 

「アスカ……昨夜はすまなかった。気にしてないと言ってくれたのは正直嬉しいけど、経緯はどうあれああいうことをした以上、謝っておかないと俺の気が済まないんだ。勝手な理由だけど、形だけでもいい。1度受け取ってくれないか」

 

 彼女が傷ついていないと確信しながら頭を下げる。これは甚だしい偽善かもしれない。

 昨夜のことがマジで正気な俺の意志で行われたことなら、この場で土下座どころか割腹したって許される事じゃない。いやそうでなくとも普通なら薬でおかしくなってたから、彼女も感じてたからなんていうのは最底辺の言い訳でしかない。

 だが卑怯でも偽善でも、この行為はこれからのためには必要な手順なのだ。

 

「……」

 

 アスカは、俺の下げた頭をじっと見ている。その表情は窺い知れないが、やはり怒りや軽蔑といった感情を浮かべてるようには感じない。謝って済むと俺が考えていないことは伝わっているし、彼女自身も俺に恨み、そして負い目といったものを本気で感じてはいないだろう、という俺の推測は、どうやら正しかったようだ。

 

 

 

 甲河(こうかわ)アスカ。人呼んで「鋼鉄の死神」。

 彼女は嘗て五車学園の校長にして対魔忍総隊長、「最強」の名を冠する井河(いかわ)アサギを輩出した井河家と比肩する勢力を誇った名家「甲河」一族の生まれであり、その次期当主となるように育てられていた。

 

 しかし、とある事件で彼女は家族親類のほぼ全員を、その後彼女自身も両手両足を失い、甲河家は事実上断絶した。

 アスカ自身は米連(アメリカ及び太平洋諸国連合) に渡って四肢をサイボーグ化し、今はDSO所属のエージェントとして、魔界の技術がこの世界に広まるのを防ぐべく活動している。

 その「事件」の経緯はいずれ詳しく述べるとして、重要なのは対魔忍である俺と、米連のスパイである彼女の関係は、現在のところ微妙な利害関係の上に成り立っているということだ。

 

 五車とDSO。お互い、魔の力から人間社会を守るという使命は変わらない。しかし組織が違う以上そのための方法論は異なり、時にはその違い故に敵対することもある。

 実際、俺自身が米連が魔界科学を使って生み出した人型生体兵器の処遇を巡り、彼女やその上役である「仮面の対魔忍」と意見を違え、直接戦ったことがある。

 両者が違う国の機関に身を置く以上、俺たち自身の思想だけでなく国家の思惑を抱えて戦わざるを得ないとい。その点を鑑みても、俺たちは只仲良く協力するというわけにはいかない。

 

 しかし、このアスカという女はそういう事情を知っているにも拘らず、任務中に初めて会った時から妙に俺への態度が馴れ馴れしかった。いやそれだけでなく、ちょくちょく自分から俺へ会いに五車へやって来ている。

 俺が忍術を使えない対魔忍なことを揶揄う様子もなく、むしろそんな俺が新設された部隊の隊長をやっていることに興味津々のようだった。

 

 俺の指揮や洞察力を見込んで、今日のように無理やり任務へ駆り出されることも幾度かあったが、明らかに俺より戦闘能力のある人間を呼ぶべき場面もあった。そのことを聞いてみても、何故かしどろもどろになって逆切れされる始末で、建設的な議論ができたためしはない。おいこれでいいのかちゃんと監督しろよ、とアスカの上司にお伺いを立ててみても、曖昧な笑みで流されるばかりでこちらも効果なし。

 

 そんな調子で2か月以上の間交流が続き、流石に鈍感な俺でも気づいた。

 何に、といえばつまり、甲河アスカが俺に向ける好意に、である。

 

 

 

 つまる所、俺は頭を下げて謝意を示しつつ、彼女の本音も確かめようとしたわけだ。

 何度か助けたり助けてもらったりした仲だが、体を重ねることで初めて、アスカという女の飾らない素顔を見た気がする。下品なことだが、そのことで俺自身の気分が高揚しているのも事実だ。

 だが、だとしたら猶更俺からの謝罪は必要だ。今回図らずも俺たちの関係は岐路に立たされた。俺にとっても彼女にとっても、極めて不本意な形で一線を越えてしまったからだ。

 

 俺とて男で、彼女は女だ。いずれ直接的な方法で情を交わすことを期待していたのは事実だが、今回は俺にとって最も唾棄すべきやり方でその願いを叶えてしまった。こうなった以上、どういう形にしろ俺は責任を取らなければいけない。

 そして、そこに微かでも蟠りがあるのなら、俺は2度とアスカに会うつもりはない。

 

「……で? もう体は何ともない?」

 

 え? と、俺は思わず顔を上げて聞き返してしまった。

 自分なりに結構悲壮な思いで詫びを入れたというのに、さらっと流されたと思ったからだ。

 

「体よ。痛いとか怠いとか、そういうのはないかって聞いてるの」

 

 アスカは再度俺に体調を尋ねた。やや気恥ずかしさを抱えていることを感じ取れるものの、その声から苛立ちは感じ取れず、本心から俺を心配しているように聞こえた。

 

「……ああ、大丈夫。助けてくれてありがとう。正直、お前がいなきゃどうにもならなかった。今回のことは、いずれちゃんとした形でお礼をさせてもらいたい」

 

 俺がそう言うと、アスカは意地悪そうにニヤッと笑い、「やっと言った」と呟いた。

 そして、俺が怪訝そうな顔をしていたのだろう。彼女はわざとらしくため息をついて、

 

「いや、昨日からずっと謝ってばかりじゃない。ここまで運ばれるときも、うわ言でずっと『すまない、すまないアスカ』ってさぁ。……別にいいけど、もっと他に言うことあるんじゃないかなあって」

 

 そこで、鈍い俺もようやく理解した。 

 どうやら、本当に俺は許されているらしい。思わず、表情も緩む。

 

「あ、勿論昨日からの諸々は絶っっっ対にオフレコだからね。もしばらしたら……潰しちゃうから♪」

「わ、分かってるって。そのジェスチャーはシャレにならないからやめてくれ……」

 

 照れ隠しなのか釘を刺したつもりなのか、アスカが右手でナにかを鷲掴みにするポーズをしながらそう言った瞬間、俺は表情筋の硬直を感じた。

 冗談だとは到底思えない。彼女の腕にかかればココナッツだってゆで卵同然だろう。実際口調は軽く微笑みさえ浮かべていたが、彼女の目は全然笑っていない。

 

「……そ、それにしても、何だったんだろうな昨日のあれは? 俺が見る限り、交渉が決裂したから殺されたって感じでもないし、ブローカーが自分まで撃つ意味が分からない」

 

 空気を変えたくて強引に話題を変えると、アスカも分からないという風に首を振る。

 そのまま彼女はベッドの上で足を延ばし、カップを両手で抱えてコーヒーを飲む。

 

「私もワケが分からないわ。アイツら兄弟はどうでもいいけど、ブローカーまで死んじゃったから背後関係がつかめなくなっちゃったし。それに使ってた魔薬がね、ちょっと普通じゃないのよ」

「普通じゃない?」

 

 今度は俺が首を傾げる番だった。

 そも「普通の魔薬」とは何ぞや、という話だ。俺の知識では、人間界で作られる麻薬と魔界原産の魔薬は、精製方法自体にさほど違いはない。その過程で特殊な呪術を用いたり、竜の鱗だの魔女の血液だのといった希少な材料を使う「特注品」もあるにはあるが、当然それらを大量生産するのは物理的に不可能だ。

 故に一般に流通するような魔薬の材料といえば、「こちら」の麻薬でいうコカやケシと同程度の環境で大量に栽培できる魔界産の植物が主流だ。それくらい生産が容易でなければ、今のように麻薬と対抗できるレベルまで広まることはなかっただろう。

 つまり、今回見つかった魔薬は、それらを材料にしたものではないということだろうか。

 

「何か未知の植物か、特殊な呪術が使われていたということか?」

「うーん。サンプルが落ちてた麻酔銃の中からしか見つかってないから詳しくは分からないけど、今まで見つかっているモノとは何もかも違うらしいわ。何なら、魔薬にすら見えないって」

 

 アスカいわく、その魔薬―らしき物体は液体とも気体とも言えないものらしい。

 人にはほぼ見えない程細かな粒子状の集合体で、見た目的にはマイクロマシンに近いらしい。

 だがその粒からは高濃度の魔力が検出され、まず間違いなく「魔のもの」ではあるとのことだ。

 

「粒子……ウィルスや微生物の類か?」

「詳しいことは今も分析中。多分全容が掴めたらそっちにも情報が行くと思うわ。……それはそうと、やっぱり私もちゃんと謝っておかなきゃね」

 

 そう言って、突然アスカがベッドの上に正座して頭を下げたとき、俺はあからさまに動揺した。

 

「こちらこそ、ごめんなさい。軽い気持ちで危険な任務に誘って、あなたの命を危険にさらしてしまいました」

「え。い……いやいや、いいって。俺がヤバい目に遭ったのは自業自得なんだし、さっきも言ったけど助けてもらったんだから、むしろ俺からお礼をしなきゃいけないと思ってるくらいで……」

 

 参った。すっかり調子が狂ってしまう。

 いつもは俺が危険な目に合ったところで気に病むことなどせず、むしろあっけらかんとした顔でだらしないわよ、だのしっかりしなさい、だのと宣うのが甲河アスカという女だ。

 確かに強引なスカウトだったが、最終的に承諾したのは俺である以上、どんな経緯であれ任務で危機に陥ったことを彼女のせいになどできない。

 

 まして、今回俺が敵の只中で一時的とはいえ孤立したのも、背後に敵が迫っていることに気づかなかったのも俺自身の不手際でしかない。俺の負傷や乱行に関してアスカが気に病む必要などないことは、彼女自身も分かっているはずだが……。

 

「……本当に、許してくれる?」

「ゆ、許すも何も……任務として引き受けたんだから、何があろうと恨みやしないよ。……あー、その後の事も考えれば、むしろ俺が責任取るべき立場だと思うんだが……」

 

 後半の内容は口にするのが恥ずかしい内容だったので、小声でもにゃもにゃと喋った。

 だがしかし、このアスカという女は聞き逃さなかった。

 

「ホントっ!? 責任取ってくれるの?! 撤回はなしよ!」

 

 瞬時に頭を上げ、飛び掛からんばかりの勢いで俺に迫ってきた。

 おい待て、何だその変わり身の早さは。

 しかも何だその満面の笑顔は、全然落ち込んでねえじゃん! 

 

「……あっ、お前さては」

「じゃあはい、これね!」

 

 こちらの気づきをまるで無視するかのような畳みかけで、自らの携帯を押し付けてきたアスカ。

 画面にはQRコードが表示されている。

 所謂アドレス交換の意思表示というわけだ。

 

「く…………ああ、もう仕方ねえなあ! 本当に必要な時だけ掛けろよ!」

 

「口は禍の元」

 この金言の真実味を今回「も」噛みしめることとなった。

 まんまと嘘の泣き落としに引っかかった俺は悔しまぎれの悪態をつきつつ、自分の携帯を取り出し操作して彼女の出してきたコードを読み取る。

 ベッドの上で四つん這いになって携帯を突き出してくるパジャマ姿の女が、獲物を捕らえた野良猫に見えたのはきっと気のせいじゃないだろう。明らかに「してやったり」って顔だ。

 

 俺がアスカの意図を直前に察知し、しかも自分から「責任を取る」とまで言ったにも関わらず、彼女の要求に対しあからさまに嫌な態度を取ったのには、然るべき理由が存在する。

 実をいうと、かれこれ1ヶ月程前からアスカからアドレス交換のお誘いは受けていた。だが、俺はその度にやんわりとお断りしていたのだ。

 美人から連絡を受ける術を態々自分から断つなんて勿体ないことをしていたのは、お互いの関係性を考慮してあまり親しくなり過ぎないように……なんて殊勝な理由ではない。

 

 端的に言って、面倒なことにこれ以上巻き込まれたくなかったのだ。

 そも現在アスカが度々五車に侵入して(今彼女は対魔忍じゃないんだからこの言い方で合ってるだろう……多分)俺に会いに来るのは、それ以外ダイレクトに俺へ連絡を取る方法がないからだ。

 

 だがしかし、これはさらりと流せるような問題ではない。

 上司のマダムなりアサギ校長なりから連絡を回せば……という野暮は言わないにしても、表向き部外者である彼女が何のアポも取らず五車に入ってきているのは、少なくとも体面上は歓迎されざることである。

 殊に町の警備担当者、そして警備を統括する立場でもある井河アサギにとっては、対魔忍の本拠地である五車への侵入が何度も繰り返されているというのは、彼女の所属組織と五車との微妙な関係も相まって、中々に頭の痛い問題なのだ。

 

 しかも、俺が独立遊撃隊の隊長になってからのここ3ヶ月で、アスカ以外にも五車への不法侵入は急増している。

 

 その中にはクリア・ローベル──日本の某機関で遺伝子操作や機械化を施された女の子で、その機関から何者かによって強奪されたのち、五車への刺客に仕立て上げられた。今は正気を取り戻し、広い家を持て余していた水城家にて居候中──のように、五車の存続を揺るがす脅威となりうる事案もいくつかあった。

 

 そういう経緯もあって、俺は警備関係者からの印象が悪い。別に、それら全てにおいて俺が直接的原因となっているわけではない。だが逆に言えば俺が原因の侵入事案がある度に、アサギ先生ですら態々俺を校長室に呼びつけ、苦笑交じりの説教を述べた後、始末書の提出を要請してくる程には問題視されている。無論、その侵入者が「かつての仲間」であっても、である。

 

 アスカの上司である、仮面の対魔忍に話したら? 笑って流されるに決まっている。そもそもそれで片付くようなら、アサギ先生辺りが既に連絡して対処されているはずだ。それで何も変わっていないということは……まあつまり、アスカに関しては事実上の黙認、俺への注意及び処分も体裁のために行われているだけに過ぎない、という事だろう。

 いや、だったらせめて説教だけにしてくれ。

 

 それならすぐに連絡先を交換すれば―と思うのだが、そうなったらなったで俺の負担は増すことは確実だ。今でさえ、特に今月に入っては今回の分を足して3回も、目の前にいるサイボーグ女に半分拉致の形で任務に連れ出されている。

 これでも忍び込む手間がある分、恐らくだが控えめになっているのだから、その箍が外れた場合どれだけの頻度で呼び出されることになるのか──今度は俺が頭痛を起こしそうだ。

 

 片や上司の小言と書類作成の手間、片やしち面倒臭い任務への連続出動。

 双方のリスクとデメリットを客観的に勘案した結果、俺は極めて冷静に実利を重視した選択をしていたに過ぎないのだ。

 だがしかし、我が賢明なる黙殺戦略は卑劣なる嘘謝罪奇襲作戦によって敢え無く瓦解した。

 指揮官としては憤懣やるかたない結果だが、敗軍の将は兵を語らず、粛々と読み取り画面という名の降伏文書に署名することに専念するのが、せめてもの美徳を示すことになる。

 そうとでも思わなきゃやってらんねえ。覚えてろよこのデカケツ女。

 

「……さて、そろそろ失礼するよ、長居しても悪いしな。……このまま出て行って、いいのか?」

 

 一応隠れ家なんだし、目隠しでもして送ってもらうべきか。そう思って聞いたのだが、

 

「どうぞ。表から大きい路地に出て、そこから北に真っすぐ行けば駅に着くわよ。案内しよっか?」

「い、いや、おかまいなく。そこまで面倒見てもらっちゃ悪いよ」

 

 一目見て分かる程るんるん気分な家主から、拍子抜けするほど親切な返答を頂戴した。

 どうも妙な気分だ。悪趣味な脅しをしながらも、俺が秘密を漏らすとは微塵も考えていないらしい。

 仮にも諜報部員がそれでいいのか……と思わなくもないが、疑われて物々しい対応をとられるよりは余程いいので、有難くその優しさに甘えることにする。

 

「じゃあ、またな。……まじで、任務への誘いは程々にしてくれよ」

「ふふ、分かってるって……あ、そうだ。折角だしさ、1つ聞いていい?」

「……何だ?」

 

 ふと思いついたように尋ねた後、アスカは少し間をあけた。

 すごく気になるが、とても尋ねづらいことを聞きたい。その逡巡はそう言っているも同然だった。

 

 

 

 

 

「んでんで? その後はぁ? やったの? 朝ックスしたの!?」

「先生……その質問は思いついても胸の中にしまっていてください。率直に言ってセクハラです」

 

 セクハラ度1000%の質問をしておいて、えー、なんでえ? と不服そうに頬を膨らませている金髪の美女がいた。業腹なことに俺の先生だった。

 その名は、井河さくら。五車学園の校長井河アサギの実妹にして、同校の教諭である。

 

「いやー、だってさぁふうま君。よく考えなくてもさ、アスカちゃんだよ? 君があの子んちに一晩一緒に泊まってナニもしなかったとか、そーんな話信じられるワケないじゃん?」

「だから、その件はノーコメントです。俺は何も言いませんので、先生は好きに妄想してくださって結構です。あ、妄想は自由ですけど俺を含む他人には絶対話さないでくださいよ。まじでセクハラで訴えますから」

「ぶー。だいじょぶだって、ばらしたりしないからさぁ、いいじゃん話しても。ね? お願い、さわりだけでもぉ……。ねねね、アスカちゃんのおっぱいって、やっぱ柔らかかった?」

「何と言われようがノーコメントです。……まさか、休暇だからって昼間っから飲んでるんですか?」

 

 そもそも「さわり」は本来聞き所、核心となる部分をさす言葉だ。そんなところを喋ったなんてあの巨乳ピンクサイボーグに知れたら、大事なタマと永久にさよならしなきゃならなくなる。

 そうなったらあんたも困るだろうに。

 

「の、飲んでないよぉ。あの後お姉ちゃんに1ヶ月の禁酒令出されちゃった。毎日3回アルコールチェックのデータまで送んないといけないんだよぉ? 厳しすぎない?」

「いえ、酔っぱらって生徒を逆レしたんですから妥当だと思います。あ、この妥当っていうのは相手が俺だからですよ? 他の奴にやってたら一発クビですからね?」

「う……そ、それについては、本当にすみませんでした。まさかあたしから手を出してたとは……はぁ、でもなんかさー、やっぱ折角の家デートなのに味気なくない?」

「デートって……俺にとっちゃ気の重い三者面談ですよ。この後アサギさんが来たらどんなお説教をされるか、考えただけで軽く眩暈する……」

 

 そう、俺は今、さくら先生が普段住んでいる借家に来ている。今回のデブリーフィング後、さくら先生本人に誘われた。

 喜んでその招待に応じた俺は、実家に戻って家族や友人に連絡した後、身支度を整えてその家を訪ねた。

 この集まりがさくら先生の発案ではなく、彼女の実姉が改めて3人で話し合う場を設けたかったのだということを聞いたときは、期待した分勝手に騙された気分になったが。

 

 

 

 アスカの家を出て、午前中に無事五車へと帰還した俺を待っていたのは、井河アサギ・八津紫・高坂静流という「3大巨頭」による、説教&事情聴取というヘビィなイベントであった。

 3人がかりの口撃を耐えしのぐのは尋常ならざる労力を消費したが、意外にも叱責タイム自体は10分もなかった(今回の任務失敗の反省文と、またまたアスカが無断で五車内への侵入したことの始末書の提出を言い渡されたが)。

 彼女たちとしても、今回発見された妙な魔薬の情報は全くの初耳だったらしい。

 

 俺はアスカから聞いたことをそのまま伝える形で報告を済ませた。その後、アサギ校長から精密検査を受けた後休養をとることを指示された。

 新型魔薬らしきものを投与されている俺が平常心を失い暴走したことは伝わっていたらしい(流石にその乱行の中身までは知らされていないようだが)。もしその影響が残っていたら任務はおろか学業すら覚束ず周りに迷惑しかかけないので、この措置自体に異論はない。

 

 唯一にして無視できない問題なのは、その検査担当者の人格なのだが……―。

 

「あはは。まあ、この前あれだけ怒ったんだし、多分だけど色々確認したいこと聞いたら終わるでしょ。あ、そいや忘れてたけど、検査の結果どうだった? ……というか、それにかこつけて何かされてない?」

「あ、やっぱそっちの方が気になります?……俺に異常はありませんでした。まあ検査なんだから血液やら尿採られるのは仕方ないですし、悪用は……されないと、思いたい、ですね。ええ……」

「うーん……むっちゃんに言って釘差してもらう? なんかふうま君、能力が覚醒して以来あいつに狙われてるんでしょ?」

「いやあ、これ以上ご足労願うわけには。それにそれ、彼に効果あるとは思えないですよ」

「あー、構ってもらえて喜ばすだけかぁ……ホント厄介だなぁ、あのドM」

 

 俺の検査を担当した、我が五車学園の校医であり悪名高きマッドなドクター、桐生佐馬斗のニヤケ面を思い出す。

 彼は元々世界最大の魔族組織ノマドの幹部フュルストに師事していた魔科医(魔界の技術や知識を使う医者のこと。大抵まともじゃない)だった。何かの任務で井河アサギと八津紫両名の手によって捕らえられた結果、五車で働くようになったと聞いている。

 

 自分勝手で傲慢、研究のためなら周りに迷惑をいくらかけようとお構いなしと、そのまま映画や漫画に登場できそうなくらい、完成された悪役科学者だ。

 素材すら不明な新型魔薬と、正体不明の異能。

 後者しかない時ですら、しつこく実験材料になることを迫ってきた桐生のことだ。垂涎の研究対象を2つも抱えた今の俺を前にして、元々持ち合わせがあるかどうかも分からない自制心を保ってくれるかどうかなど、推測するにも値しない。

 採取したサンプルも、絶対ただ検査に用いるだけでは済まない。

 

 そんな危険人物なら暴走しないよう監視するか、そもそも解雇か処分すればいい、とは誰でも思うだろう。

 

 まず馘首は絶対できない。誰にも邪魔されない環境で、100%碌でもない研究を始めるからだ。彼を雇って医療業務に従事させているのは、それをさせる暇を少しでも減らすためでもある。それとて現状十分に効果があるとはいえず、普段の仕事をこなすなら、研究が対魔忍にとって有益になるのならという条件で、半ば黙認している。

 実際、桐生がまっとうな医者としても非凡な存在であることは教諭陣も一様に認めており、彼が来て以来対魔忍の犠牲者は目に見えて減少していったらしい。この上なく危険ではあるが、利用価値が高い男なのも確かだ。

 

 リスクを考慮し殺害する……というのも結構な難易度と言わざるを得ない。敵だった時にあのアサギや紫が仕留めるのを断念し捕縛したという事実からして、桐生には只のマッドサイエンティストで片づけられない何かがあるという証左となる。

 俺は桐生の能力を知らない。だが奴の師匠だったフュルストの狡猾さ、そして高度な転移魔法の使い手という反則っぷりを鑑みれば、単に知識をため込み悪知恵が働くだけではないだろう。

 

 同様の理由で監視も難しい。師匠譲りかは知らないが桐生自身も中々に強かな奴で、俺たち独立遊撃隊の初任務も、五車から脱走した彼を連れ戻すことだった。

 こんな危険人物なので、監視は普段から相応についていた。にも関わらず、この男はこともなげにそれを搔い潜り、闇の町東京キングダムまで自力で辿り着いていた。五車に戻った後も、地下に設けられた専用のラボで怪しげな研究に耽っていることは、殆ど公然の秘密になっている。

 

 実際、彼の知的好奇心を満たす糧とされてしまった生徒も数多い。

 

「渡された頭痛薬を服用したらすぐに楽になったが、口からスライム状のゲロが出た」

「怪我した腕に試作の止血剤を噴射されたら、傷口から新しい腕が生えてきた」

「植物の成長を促進する肥料をもらい使ってみたら、狂暴化した野菜や花に襲われた」

 

 等々、俺の知る限りだけでも両手に余る被害者が存在する。

 

 まとめると、対魔忍にとっては何より貴重な魔界医学の知識を有する男だが、下手をすれば五車そのものを危険にさらす性格と技術の持ち主でもある。

 しかし勝手な研究や実験を抑止する方法は事実上存在せず、現状有益な部分のみを活用して危険性に関しては見て見ぬふりをするしかない、ということだ。

 そもそも、魔科医でありながら曲がりなりにも対魔忍の味方をする、というだけでも殆ど奇跡に近い存在なのだが、それには然るべき、というには些か邪すぎる理由が存在する。

 

「……折角ですから、俺も今まで聞きそびれていたこと、聞いていいですか?」

「あ~、この流れで言うと、むっちゃんと桐生のこと? ……んー、聞かせたいのは山々だけど、ごめん、流石に本人のお許しナシでは、ちょっとね」

「ま、それはそうですよね。……俺の勝手な推測だと、桐生先生が勝手をやり過ぎてノマドからも粛清されかけて、それを任務中成り行きで紫先生が助けることになってしまった。で、それを桐生先生が自分に惚れてるからだと勘違いして……って感じかなあ、と思ってたんですが」

「うー……あ、中らずと雖も遠からず、って感じかなあ。にゃはは」

 

 さくら先生にしては珍しい、心底困った表情を浮かべている。

 桐生はアサギ校長とまだ学生だった紫さんの2人によって捕らえられた、と人づてに聞いていたが、ひょっとするとその場にさくら先生もいたのだろうか。

 

「……まあ、ぶっちゃけ桐生先生が五車にいる理由の大半は紫先生なんですから、そのご苦労は

 察するに余りありますよ。紫先生も『桐生に何かされたら私に言え』って態々言うくらいですからね。俺で力になれるなら、少しはお手伝いしたいとは思います」

「あ、それはまじありがたいよぉ。……正直言うと、何だかんだであの2人がいいコンビみたいになってるの、ちょっと心配なんだよね。絆される、っていう程じゃないとは思うんだけど……」

 

 そう、桐生佐馬斗は八津紫に惚れている。しかもその惚れ方もちょっとイカレていて、完全に接し方が悪質なストーカーのそれなのだ。具体的には、研究中以外はほぼ毎日彼女との逢瀬やナニを想像して唐突に高笑いしたり体を捩りだしたりする。彼女の使ったタオルや筆記用具などを収集する。訓練中の彼女を隠し撮りする、等だ。……うん、普通にアウトだこれ。

 

 彼のキャラには合っているが、紫先生からすればたまったものではないだろう。しかも桐生自身は心底相思相愛の仲だと確信しているらしい。こういう所も悪質である。

 

 一応、本当に一応彼なりのラインは敷いているらしく、紫先生自身に媚薬や睡眠薬の類を盛ったり、脅迫して性的関係を迫ったりしたことは、五車に来て以来一度もないらしい。まあ正直「だから何だ」という話だ。

 彼が紫先生目当てで五車にいる以上、彼女は彼を制しつつも、完全に臍を曲げない程度には関係を維持し続けなければいけない。技術や知識は確かである以上、保険医でもある紫先生が桐生と交流を持つのは自然ではある。

 しかし、さくら先生の心配は杞憂だと俺は思う。

 どれだけ有能であろうと、こんな性格や言動の人間を恋愛対象としてみるほど紫先生の眼は節穴ではあるまい。事実桐生が目に余る勝手をするたびに、紫先生自ら乗り込んでいって物理的制裁を課し、悪しき研究成果や蒐集物は廃棄している。それをすら、彼自身は紫先生から贈られる精一杯の愛だと感じている無敵っぷりだから始末に負えないのだが。

 

「……大丈夫だと思いますよ。それならまだ、俺の方が脈ありますって。ははは」

 

 俺としては、さくら先生の悩みをほぐすための、軽いジョークのつもりだった。

 ジョークとして言うからには、そんなことはありえないという前提が俺の中にはあった。

 しかし、どうやらそれは彼女との共通認識ではなかったらしい。

 

「…………そっか。その手があった」

 

 まるで俺が世紀の大発明でもしたかのような口調で、彼女はそう呟いた。

「口は禍の元」

 今朝確かに噛みしめたはずの教訓が、胃から逆流して再び俺の口中に苦みを発し始めた。

 おいおいよせよ。そんなことあるわけないだろ。

 咄嗟に出るはずの否定の言葉が、何故か今は引っ込んでしまっている。

 

 その時、唐突にトゥルルル、という高い電子音が部屋に響く。

 電話のコール音だと気づいたさくらが席を立ちリビング内を歩いていくのを見送りながら、俺は自分の心臓を治める作業に専念していた。

 

 何が「そっか」だ。俺が、紫先生と? しかも、それをよりによってさくら先生が受け入れる? 

 俺は未だアスカの家で夢を見続けているのではないか。本気でそう疑い始めた。

 井河さくらが俺とセックスする仲にも関わらず、他の女が俺に魅かれるのを受け入れるどころか歓迎する奇特な性格なのは知っている。だとしても、さくら先生が親友の人となりや俺との関係を知っている以上、その発想はありえないとしか言えない。

 何せ、俺が性的関係を持っているのはさくら先生だけではない。さくら先生の姉にして紫先生の想い人たる、井河アサギもその1人なのだから。

 



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Main Story: Sakura 02

 

 俺は独立遊撃隊の隊長になって以来、種族や勢力を問わず、様々な人物と交流を深めた。

 それは現世(人間界)で唯一、魔界との行き来を可能にする「門」が存在する日本に存在する対魔忍の組織である五車学園の、新設された部隊の隊長であるという職責上の必要以上に、俺自身の好奇心に拠る所が多い。

 

 つまり外聞を憚らず言えば、単純な情報収集やコネクションの構築にかこつけて、美女と関係を持つことを考えているわけだ。

 

 そして、隊長業がスタートしてから初めての夏が始まろうといる今日、何故か奇妙なくらいにこの目論見が上手くいき、俺の欲望を満たす環境が着々とつくられつつあった。

 春まではさぼり魔のボッチ、忍法も碌に使えない落ちこぼれ陰キャ筆頭だったとは思えない女性関係の充実ぶりは、我がことながら理由が今一つかめず、うすら寒いものを感じる程だ。

 

 そんな、逆に今までの不遇は何だったんだと思うくらいのモテ期到来のきっかけになったのが、何を隠そうさくら先生だった。

 

 

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 端的に言うと、俺ことふうま小太郎は今年の春、井河さくらにレイプされた。

 普通の学校なら不祥事どころか完全なる刑事事件だが、幸いにも当事者同士が対魔忍なので無事話し合いによる和解が成立し、俺にとっては嬉しいことにその後も肉体関係を続けられている。

 

 事の始まりは今年―2083年の4月初旬、独立遊撃隊ができる3週間ほど前になる。

 

 とある休日の昼下がりのことだ。折角の花盛りだし花見でもするかと、満開の桜が見れることで有名な町内の神社近くにある広場に向かったところ、そこに先客としてさくら先生がいた。

 ブルーシートを一番大きな桜の真下に敷き、花見酒と洒落込んでいたようだ。

 

「んく、んく…………ぷは~っ! うーん、ごぞーろっぷにちみわたるぅ~……てかんじぃ? にゃははははは~!」

 

 間の悪いことに彼女はお一人様で、しかもすっかり酒で出来上がっていた。

 シートの上には、遠目ですらはっきりと散乱した酒瓶と缶ビールが視認できた。

 

 酔っ払いの相手など御免被る俺はすぐさま退散しようとしたが、更に運悪く後姿を彼女に見つかってしまい、呼び止められるだけでなく腕を掴まれ、強制的にその宴へ参加されてしまった。

 

「だいたいあ~の二人はさぁ……ヒク、わ~たしとしふぉと、どっちが大事なのよ~……ねえ、ふうま君! こんなのひどいっしょお!?」

「ええ……ほんとうにですね。さくら先生も大分ひど……イエ、ナンデモナイデスハイ。モウイッパイドゾー」

 

 呂律の回らない証言から推測するに、どうもアサギ校長、紫先生の2人と一緒に花見をする約束していたようだ。

 だが間が悪く、その2人とも急な仕事で外出せねばならなくなり、1人さくら先生だけが取り残される形になっていたらしい。

 酒に対し特別耐性があるわけでもなく、何ならそこまで好きなわけでもないさくら先生が夕方から浴びるほどの飲酒をかましていた理由は分かったし、何なら少しばかり同情もした。

 

 だがその憂さ晴らしのために、サボりだの落ちこぼれだのと、煩く後ろ指をさされることなく風流を楽しめる貴重な時間を教師に捧げるほど、俺は聖人でもフェミニストでもない。

 いい天気でよかったですね、名前つながりで桜が好きなんですか、等と適当に話しながら抜け出す隙を窺っていたところ、突然何の前触れもなく、先生から彼女の有無を尋ねられた。

 

 当然その時の俺はうだつの上がらない劣等生だったため、そんなのいる訳ないと答えた。

 

「え~ほんとぅにぃ~? ……むふふ、あやしーなぁ♪ えい♪」 

 

 するといきなりさくら先生が火照った体で俺の肩へしなだれかかって来たかと思うと、彼女の右手が股間に伸びてきた。

 その瞬間、むっちりとした柔らかい感触と花より香しい体臭、女の指先から与えられる静電気のようなピりつく快感が俺の脳を支配した。

 

 頭の中に白い靄が充満して完全なフリーズが起こり、驚く、という感情すら浮かばなかった。

 肩を大きく露出した春服の隙間から見える、豊かという言葉では足りない巨乳の谷間に俺の視線が吸い込まれている間に、さくら先生はズボンのファスナーをあけて俺の陰茎を露出させた。

 

 いくら何でも野外で……と焦り、そこで我に返った俺はさくら先生を制止しようとした。

 だが、おちゃらけた外面や言動とは裏腹に、五車全体で見てもトップクラスの腕前を持つ対魔忍である彼女の手を止められるはずもない。

 俺が成す術なくあたふたしている様をじっとりとすわった眼で眺めながら、さくら先生はゆっくりとペニスを撫でさすり、徐々に屹立するそれをからかってきた。

 

「うふん、流石、若いよね~♪」

「い……いや、さくら先生みたいな美女にこんなことされたら誰だって……っ」

「美女♪ 嬉しいこと言ってくれんねえ~……お、もうイキそ? やめてほしい? じゃ~あ、誰がふうま君の彼女なのかな~? ほ、ら♡正直に言ってごらん?」

 

 一体何を根拠に俺が彼女持ちだと決めつけるのか分からなった。

 泥酔した人間に理屈なんて無いのは百も承知だが、当時はあまりに突拍子もない発想に困惑させられ、適当な言い訳を思い浮かべる余裕すら無かった。

 

「だから……そんなの、いませんっ……くあっ!?」

「ふ~ん。強情だなあ……じゃ、もっと強めで聞いちゃおっかなぁ?」

 

 俺の面白みのない回答に焦れたのか、そう宣言したさくら先生は俺を押し倒し、そのまま肉棒丸出しで仰向けの俺を跨いで、彼女自身の下に組み敷いた。

 

 スカートの中に見える水色のパンツと黒いストッキングのコントラストが、それぞれの良さを引き出してよりエロい雰囲気を醸し出している。

 

 ちょうどいい塩梅に劣情を煽りつつ、ほのかな屈辱と気恥ずかしさを覚えさせるこの体勢は、想像するより遥かに胸を高鳴らせる。ここが誰に観られるかも分からない場所でなければ、だが。

 俺に野外露出の趣味はないのだ。

 

「ほぉ~ら♪ こうするとぉ、君の可愛い顔が、よーく見えるね♡」

「この……見るからに悪いおチンポぉ……私のおマンコで、しっかりと試してあげる♪」

「や、やめ、ううっ……!」

「ん、はぁあ~~♪ ……ふ、ふうま君のチンボ、私の膣中をぐりぐりしてくぅ、すっごぉ……♡」

 

 混乱する俺をよそに、酔いがさらに回ったのか真っ赤な顔に汗をじんわりと浮かべ、ワンピースとスカートをたくしあげたさくら先生は、俺のペニスへ腰を落とし、自身の膣で飲み込んだ。

 

 

 

 そうして、俺は自分の通う学校の教師に犯された。最早尋問という体裁すら、挿入後は遥か彼方へすっとんでいた。

 ただし俺の名誉のために言っておくが、この時に童貞でなくなったわけではない。

 

 その後、ひとしきり俺の上で腰を暴れさせたさくら先生は、きゅう、と膣で俺の剛直を絞り上げ、前に倒れ込む体を支えるために俺の胸へ手をつき、絶頂の悦びに体全体を波打たせた。

 

 びく、びく……と俺のモノが痙攣する度イッた余韻が更に増幅されるのか、彼女の太ももも痺れたれ鮪のようにぶるぶると小刻みに震え、はぁ、はぁ……と大きく息を吐いた。

 

 その時、俺の胸中に浮かんだ感情は何か。

 酔った勢いで自分勝手に絡んできた挙句、自身が教え導くべき生徒への強姦に及んだ女教師への軽蔑や復讐心か? 

 こんな花見スポットで情事に及んだ場面を、第三者に目撃され話が広まることへの恐怖か? 

 無論、そのどれでもない。

 

(……胸が見えないなぁ……)

 

 さくら先生はスカートをまくってタイツを半脱ぎし、健康的な生足とお尻を披露している。

 律動の勢いで緑色のワンピースが開け、レースが付いた水色の可愛らしいブラは見えている。

 だが、俺的にはその中身が最重要なのだ。

 

 俺は着衣エッチは好きだし、女性に騎乗位でリードされるのも興奮する。

 だが男たるもの、性交相手の乳首とヴァギナを鑑賞せずにフィニッシュするなど、はっきり言って片手落ちもいいところではないか。

 

 そんなポリシーに突き動かされるまま、俺はここで漸く自分からさくら先生を責め始めた。

 まだ自分が射精していないのに、女の方だけ先に絶頂したことも、まあ不満といえば不満だ。

 だがこの時は、そんな些事に全く気が回らないくらい、「お宝」2つの片割れを拝めていない口惜しさの方が余程抗い難かった。

 

「ふぁ……? あ、やぁん! ……にゃはは。やだふうま君、ずいぶんその気に……あん♪」

 

 ワンピースの下から右手を潜り込ませ、服越しでも綺麗な丸みを帯びる巨乳に指を這わせていく。

 

 さっきまでの本番でも、ぶるんぶるん、とまるでゼリーで出来ているかのように跳ねていた。

 この暴力的なまでの柔らかさとジューシーさを、高々布2枚ごときでは抑制しきれるはずもない。

 

 だが、それだけに期待感はいや増していく。

 

「ん! あ、そこ……! やぁん、服越しに乳首当てられちゃった♪ ちょっと、恥ずかしいかも……?」

 

 指先に、微かに干し葡萄のような感触が伝わり、我が意を得たりとばかりに摘まみ上げる。

 それだけで、さくら先生は大げさに身を捩じらせ、濡れた目でこちらを見つめてくる。

 

 思わず、生唾を飲み込む。

 元々本能のみを原動力として腕を動かしていたが、ここでさらに一段箍が外れた。

 

 シートの上に寝ていた上半身を起こし、ワンピースの裾を両手で掴んで脱がしにかかる。

 さくら先生は一切抵抗しなかったどころか、俺の意図を汲むや自ら腕を上げる始末だ。

 

 いい加減酔いが冷めないと取り返しがつかないですよ。

 俺は目前の神秘を探求することに夢中になりながら、そんな思考も頭の片隅には残っていた。

 さくら先生が隠し持つ2つの大山嶺、その景色を生で観られる直前までは、だが。

 

「ふぁん♪ えへへ、外で脱いじゃったぁ♪ ……ん~? 何ふうまくん、ひょっとして私のおっぱい見たいの? ……あはは、そんなに鼻息荒くして、もう……♪ ……いいよ、じゃ、ごかーいちょーう♪」

 

 そう言って、さくら先生はブラのホックに手をかけた。

 

「…………ごくっ」

 

 目の前に、極上の財宝にして世界最高の美食が広がっていた。

 

 いかなる高級レストランのフルコースを繰り出しても、この白桃の如き天然の乳袋と桜色の乳首から醸し出される、得も言われぬ甘美な魅力には到底敵うまい。

 本来赤子と恋人以外に使用する権利がないその突起は、母性と愛欲の絶妙なるコントラストをもって益荒男を誘惑し、聖人を幼児退行させる力があるのだ。

 

 それが、こともあろうに持ち主であるさくら先生本人の両手でもって俺の目前に掲げられ、さあ召し上がれ、と言わんばかりに差し出された。

 彼女の赤く色づいた顔に浮かぶ恍惚とした微笑み、興奮でハァ、ハァと少し荒くなった呼吸も、全ての仕草が俺を快楽の坩堝へ誘いこんでいた。

 

 

 

 そこからは、最早俺に人としての理性は欠片も残っていなかった。

 

「ん、んっ、ンー! あ、ああ、いいよぉ、ふうまくぅん♪ もっと、もっと私の乳首吸ってぇ。ポチっとした乳首フェラしてぇ、舐りまくって大きくしちゃってぇ♪」

「ん! んはぁ、はあぁ! いい、いいよぉ! もっと奥のほうまでついてっ! はめまくってぇ! あ、ああっ、い、いっっくぅうぅううぅ~!!」

「んじゅる、ふちゅ、じゅるる、ちゅぅ、じゅ~……! ん、ぱあ……! ……んはぁ♪ ふうま君の精液とぉっても濃いよぉ♪ 3回目なのに……ん、ちゅる、ドロドロで、喉の奥にへばりついてるみたい……ふふ♪」

 

 そこから2時間余りの時間、上半身は完全に裸で、スカートとずらしたパンツのみを身に着けたさくら先生を、性的に貪ることのみに俺の思考能力は費やされた。

 

 巨乳を両手でぐにゅぐにゅと変形させながら揉み上げ、片方の乳首を口で吸いつつ、もう一方の先端を指でカリカリと擦りあげる。

 四つん這いになったさくら先生に覆いかぶさり、ピアスごと耳朶を舐めて涎まみれにしつつ、重厚感と性的魅力に溢れたお尻をつかみ、貫かんばかりの勢いで腰を打ち付ける。

 膣内射精を2度ほど行った後、仰向けでぐったりとしたさくら先生を今度は俺が跨ぎ、自分でチンポをしごいて尿道内の残り汁を胸に振りかけ、彼女の顔を起こしてお掃除フェラさせる。

 

 そんなめくるめく快楽行為を続けた結果、さくら先生は酔い疲れて眠ってしまった。

 幸いにして、俺たち以外に花見客は1人も来ず、さくら先生が悪酔い特有の醜態―つまり嘔吐のことだが―を晒すこともなかった。

 この時の彼女はゲロなんぞを遥かに超える酷い有様ではあったが、少なくとも俺が後始末する手間が1つ増えなかっただけでも御の字というものだった。

 

 そして、あらゆる性的残留物に塗れてデロデロのまま熟睡するさくら先生を放置なぞ到底出来ず、苦心しながらも汚れを拭い服を着せることに成功し、何とかして夜が更ける前にさくら先生の家に送り届けられた。

 

 意識のない女性の肩を担いで歩くのは初めてで、存外体力を消耗した。当然この姿を誰かに見られても一発でジ・エンドだったが、結局最後までこの日の天は俺の味方でいてくれた。

 

 

 

 そんな事があった翌日、俺は素面のさくら先生と一緒に夕食を摂った。

 場所は五車の隣街であるまえさき市のファミリーレストラン。もちろん先生の奢りだ。

 

 俺はさくら先生を家まで運んでソファーに寝かせる時、タオル等を使って一応最低限の身繕いはした。しかし、流石にシャワーを浴びせるのは至難の業過ぎたから、匂いやら行為の跡やらはそのまま残ってしまった。

 たとえ記憶が全て飛んでしまっていたとしても、朝になって起きたさくら先生が、自分が昨夜何をしたのか気づかないはずがない。……そう、俺は考えていた。

 

 だから黙っていても良いことはない。そう意を決して放課後に話しかけてみたら、何とさくら先生は本気できょとん、としていた。

 

 驚くべきことに、彼女は昨日桜の下で飲み始めてからの記憶が皆無なだけに留まらず、朝起きてすぐに寝ぼけ眼のままでシャワーを浴びてしまったために、自分の体の異常に全く気付かなかったと言うのだ。

 

 最初はブラックジョークの類だと思った。

 記憶が飛ぶほど悪酔いしたなら2日酔いで起き上がるのも億劫になるのが普通だし、何よりあれだけ派手に盛りまくった後に何も違和感を感じなかったなんて、そんな話信じられるわけがない。

 

 だが、どうやらマジのマジで、井河さくらの脳内メモリに、あのご乱行の記憶やそれに伴う感触は1バイトたりとも記録されていなかったらしい。飲んだ翌日にしてはやけにあっさり起きられたことは、流石に少し不思議に思っていたらしいが。

 

「……あれ、もしかして私、酔っぱらって何かやっちゃった?」

 

 心配そうに俺の顔を見つめるさくら先生を見て、思わずずっこけそうになった。

 同時にこのまま秘密にしておいても……という悪しき囁きも聞こえた。

 だが結局は少しばかり逡巡した後、お互いのために話すべきだと結論付けた。

 

 何より、俺はこの時何処か不完全燃焼な気分になってしまった。

 あれだけのことをして、女のほうが何も覚えていないというのが気に障ったのだ。

 折角できた既成事実を共有し、関係を深める以外の発想はもう取れなかった。

 

 

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「いやー、あの時一部始終を聞いたさくら先生の顔ときたら。アサギ先生が亡くなったって聞いたぐらいのショックだったでしょ、あれ?」

「うん……あんま言いたくないけど、ある意味それ以上かも……。ほら、お姉ちゃんが死んでもお姉ちゃん自身に迷惑はかからないでしょ? そういう意味で……」

「あー、成程。……ま、そこから開き直ってアサギ先生もこの爛れた関係に巻き込むんですから、見かけによらずいい性格してますよね、ほんと」

「あー! それに関しては私だけのせいじゃないよねマジで! 誰がふうま家特性の媚薬まで持ち出せって言った!?」

 

 そして現在。

 俺はさくら先生の自宅にて、家主と一緒に風呂へ入っていた。

 

 俺が湯船に浸かり伸ばしている足の間に、さくら先生がお尻をつけている体勢だ。

 相手の匂いが間近に感じられる上に、スキンシップもこの上なくやりやすい。

 恋人ができたら、毎日でもやってみたいシチュエーションと言っていいのではないだろうか。

 

 例によって、今俺はさくら先生の体に手を回しておっぱいを支え持っている。

 派手に揉みしだいたり、乳首を摘まんだりはせず、ほとんど手を添えているだけだ。

 今は会話しながらお互いに記憶の整理をする時間であって、彼女を喘がせて思考を放棄させる時間ではない。それはそれとして手慰みは必要だが。

 

 

 

 先ほど紫先生のことについての会話が不穏な方向へ進みかけた時、ちょうど空気を読む形でかかってきた電話。その相手はアサギ先生だった。

 

 何故態々携帯にではなく家の電話にかけたのかというと、家で待つと言いつつ俺とこっそり別の場所にしけこんでないか確認するためだったらしい。

 どうやら俺との一件が明るみに出て以来、姉から妹に対する信頼度は著しく下がっているらしい。 申し訳ないが、被害者としてはちょっと同情しかねる。

 

 そして、その電話の内容をかいつまんで言うと、

 

「急に用事が入ったので、今夜さくらのとこには行けなくなった。この後2人で『どうする』かは任せるけど、ふうま君は病み上がりのようなものだし、明日の朝から2人にやってもらわないといけないことがあるから、余り夜更かしはしないように。晩酌したら極刑」

 

 俺とさくら先生の関係を承知している以上、これは事実上のお泊り許可であった。

 さくら先生自身もそのことを話すとき、期待による顔の紅潮を全く隠せてなかった。

 

 俺はその内容を聞くと、早速実家で同居している時子に連絡を入れた。

 俺の腹違いの姉であり、幼くして両親がいなくなった俺にとっては、実質母親のような存在とも言える時子は、その話を聞いてあからさまに口調が硬くなった。

 

 まあ確かに、事前に連絡なしに2日続けて外泊、しかも日ごとに別の女の家に泊まるとあっては、保護者としては文句の一つも言いたくなるだろう。

 俺は丁寧に謝罪を述べて、今度埋め合わせをすることを約束して電話を切った。

 これで溜息をつきながらもちょっと機嫌が戻ったあたり、あいつも分かりやすいことだ。

 

 その後は、俺から半ば無理やりゲームに誘って時間を潰した。

 さっきまでの話題について話す暇を与えたくないし、俺自身も深く考えたくなかった。

 

 さくら先生がゲーマーなのは、件のファミレスにおける雑談時に初めて知った。

 ストリーマーとして小遣いレベルを超えた収益を叩き出している、同級生の水城ゆきかぜ程ではないものの、先生も中々の腕前だった。

 

 ちなみにゆきかぜの得意分野はFPSだが、さくら先生は格ゲーがお好きのようだ。

 スピードや小技を駆使するよりもデカキャラ、投げキャラのパワーで相手を蹂躙するのがたまんないらしい。本人の戦闘スタイルとは魔逆なのが意外で興味深かった。

 

 その日の夕食は俺が作った。

 服やら書類やらお菓子やらが散乱するリビングと、洗ってない使用済み食器やカップ麺の容器が無造作に投げ込まれた洗い場を見れば、誰もが彼女を料理を任せたくはなるまい。

 冷蔵庫の中身は勿論空同然。何と食器用洗剤すら置かれてなかったために買い出しからして余計な時間を取られたが、調味料だけはそれなりにあったのは不幸中の幸いだった。

 

 ちなみに俺の得意料理は麺料理とカレーライスだ。特に蕎麦に関しては訳あって凝っていた時期があり店で出せるレベルとは言わないにしても、それなり以上の腕前だと自負している。

 とは言っても今日はそんなに仕込みを頑張る気にはなれなかったため、メニューは簡単に作れる焼きそばとポテトサラダにした。

 

 俺好みの濃い味付けがお口に合ったのか、さくら先生からは大絶賛だった。

 美味しいと思ってもらえたのは素直に嬉しいが、「おいしい……男の人に料理してもらうとか、私初めてだよ。なんか、感激……」と涙声でしみじみ言われたのには少々引いてしまった。

 普段の食生活と、これまでの交際経験を嫌でも想像してしまったからだ。

 

 そして現在は夜。俺から一緒に入浴することを提案してみた。

 期せずしてここまで普通の恋人みたいな空気をつくることに成功したのだから、この2か月間に経験のないシチュでいちゃつきたくなったのだ。

 

「え……えぇっ!? ……ん、うん。いい、けど……」

 

 付き合いたての少女みたいに動揺したリアクションを取り、何度も性的つながりをもった相手との入浴を恥ずかしがるさくら先生の事を、俺は素直に可愛いな、と思い微笑を浮かべた。

 

 

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「その、ふうま小太郎君……昨日は本当に、申し訳ありませんでした」

 

 深々と頭を下げ、神妙な口調で謝罪する井河さくらの姿を、俺はファミレスで初めて見ることになった。

 この時に至ってもなお泥酔時の記憶が全く戻らなかったにも関わらず、さくら先生は俺の報告を虚偽だと疑わなかった。

 俺の話が詳細で真実味があったというのもあるが、決定的な証拠の存在が決め手だった。

 

 さくら先生本人を家に送り届けた後で、俺は広場に戻って残ったものを片づけた。

 あんな乱行の跡をそのままにしておくのはまず道徳的に無理だったし、万が一痕跡からそこで起こったことを第3者に感づかれでもしたら、俺はともかくさくら先生の将来に関わるからだ。

 科学的手法による調査は無論のこと、五車にはそのような技術がなくとも、地面に落ちた汗や血液から人物を特定することのできる人間が複数存在するのだから。

 

 そして片付けにかかろうとした時、俺は自らの懐にその証拠があったのを思い出した。

 それはスマートフォンだ。俺はこの淫らな酒宴に誘われた際に、咄嗟にこれで音声を録音していたのだ。

 すなわち酔った勢いのまま俺にダル絡みをし、あまつさえ野外で生徒を押し倒してきた井河さくらの音声を、である。

 

 何故そんなことをしたのかと問われれば、本当に魔が差したとしか言いようがない。

 スマホの録音機能に考えが至ったのは、丁度ブルーシートまで連行されたタイミングだ。

 無論その時は、ここまで自体がエスカレートするとは考えもしなかった。

 

 他の生徒や先生に見つかって誤解されたときに使うつもりだったのか。それとも後日さくら先生本人に聞かせて意趣返しでもするつもりだったのか。

 今となっては自分でもよく分からない感情に突き動かされた行動だったが、結果としては最大限の効力を発揮したといえるだろう。

 

 

 

 だが、先生が狂態を晒した自分を認めた段階で、俺はその音声を彼女の見る前で消去した。当然バックアップもとってはいない。

 さくら先生の狼狽ぶりから見て、その音声で脅迫をかければ大抵のことは聞いてくれそうだったが、そういうのは俺の趣味じゃない。

 

 その時の反応から見て、さくら先生にとっても俺のデータ消去は意外な行動だったようだ。 

 全くもって心外だ。俺はそこまで小悪党に見られていたのか。

 

 そこで、俺はお互いに不本意ながらも始まってしまったこの関係を続けたいと話した。

 一切の婉曲表現を排して言えば、自分を強姦した教師に向かって、先生の肉体が忘れられないのでこれからも抱かせてほしいというお願いをしたのだ。

 

「……お……怒ってない、の……?」 

 

 俺の告白を聞いた時のさくら先生は、明らかに頭が正常に回ってなかった。

 只関係を求めるならさっきの映像をネタにすればいい話なのだから、態々消した後でそれを求めたことが解せなかったのかもしれない。

 

 つくづく、俺は見損なわれているらしい。大体怒っているなら最初に映像を見せる先はさくら先生本人ではなく、彼女の姉になっているはずだ。

 俺にはさくら先生を糾弾する気もなければ、この一件を脅しに使うつもりも毛頭ない。だが、このまま彼女が全てを忘れ、今までの日常を過ごすことを良しとするほど、俺は善良でもヘタレでもない。

 

「勿論怒ってません。だからさくら先生が嫌だというなら無理強いはしませんし、誰かに言いふらしたりもしません。…びっくりしたのは本当ですし、何なら少しばかり心配になりましたけどね」

 

「え……? ……! わ、私は別に」

 

「ええ、俺もそんなこと(・・・・・)はないと思います。さくら先生がはっちゃけた性格なのは有名ですけど、その手の淫行に走ったっていう噂は、全く聞いたことありませんからね」

 

 じゃあ猶更何故、その初めての「淫行」相手が俺だったのか。

 そのことを尋ねてみたが、気を取り直したさくら先生がいくら思い返しても、全く心当たりがないという。

 

「んー……そりゃ、ふうま君のことは昔から知ってたよ? お姉ちゃんがふうま家絡みで色々やってたのは知ってたし、その後ウチであったなんやかんやも、元をたどれば井河とふうまの抗争が大本の原因みたいなもんだしさ」

 

 

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 さくら先生が言う所の「なんやかんや」とは、今から14年ほど前に起きた井河における内紛のことだ。

 

 当時の対魔忍は今以上に一族の独立性が高く、家同士の抗争も激化の一途をたどっていた。

 誤解を恐れず言えば、その性質は日本のヤクザ組織に極めて近かったと言えるだろう。

 事実、当時魔のものを狩り人間世界を守るという対魔忍本来の使命よりも、他の家を追い落とすことによる立身出世を優先する者の数は、今とは比べものにならないくらいに多かった。

 

 そんな中、現状を改革すべく政府との繋がりを強化し、対魔忍の公的地位を確立することを目指す井河アサギ一派と、これまで通りの体制を維持し、その中で井河一族の繫栄を企図する井河長老衆の対立は、とある事件を機に決定的なものとなる。

 

 それが井河の内紛よりさらに1年前に起きた、ふうまによる井河への反乱である。

 現ふうま家当主の身でありながら恥ずかしいことに、俺はこの戦いが起きた詳しい経緯を知らない。

 

 だが結果として、この抗争によって当時の当主だった俺の父、ふうま弾正は死亡。

 時子たちの奮闘によりふうま家の滅亡だけは避けられたが、その時の凄惨な記憶は、特に俺たち敗戦した側にとっては、今に至るも深い傷跡となっている。

 

 だが、この時井河内部にも、この戦いに異を唱え、更に表立って俺たちの後見を引き受けることで身の安全を保証してくれた人がいる。

 それが何を隠そう、当主になって間もない井河アサギその人だったのだ。

 

 だが、その行いはふうま撲滅を主張していた長老衆の怒りを買い、その翌年には先に述べた井河内部が2派に分かれた抗争が勃発。

 

 その戦いそのものはアサギ先生たちの勝利で幕を閉じたものの、この争いによって生まれた怨恨は現在に至るまで、対魔忍の世界に長く尾を引くこととなった。

 アサギ自身もこれを機として、数年後に生き地獄と形容される程の壮絶な試練を与えられることになる。

 

 

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 それら抗争の詳細な経緯については、一旦置いておく。

 ここで重要なのは、アサギ先生が俺にとっては恩人であり、さくら先生も当時から俺たちの身の上を知っていたということだ。

 だが、だからといって彼女に俺を特別視する理由はない。

 

「勿論、私も一応関係者なわけだし、言いたいことはあるよ? でも、だからってふうま君を恨んだりするのは筋違いもいいとこだし、逆に『うわー、可哀そう』って大げさに同情するのも違うと思うしさ」

 

 そこで、さくら先生は注文したカフェオレを一口飲む。

 ちなみに、俺はコーヒーに関してはガキのころからブラック派である。

 だが、俺は注文したアイスコーヒーがテーブルに置かれて以降、口はおろか手すら伸ばしていない。

 

「大体、あれはふうまの反乱からしてさ、半分星舟のおばさんとかが仕組んだことだし、私の中ではもう終わった話だよ。だから、ふうま君にも特別な感情とかは全然なかった……はず、なんだけどなあ」

 

 そこまで話し、さくら先生は心底不思議そうな顔で首を傾げた。

 

「……じゃあ、俺としたこと自体は嫌ではない?」

「……その質問はかなり嫌なんだけど。……まあ、そこはあんまり、かなあ? あれ……うーん? とんでもないことしちゃった筈なのに、何だろう、この気持ち。これは……いや、でも何で? ……」

 

 

 回答内容が後半からしどろもどろになった所を見るに、さくら先生は今自身が抱いている感情を上手く処理できていないようだ。

 勿論彼女は優秀な対魔忍であり、多くの生徒に慕われる五車学園の先生だ。自分が教師としても大人としても取り返しのつかないことをした自覚はあるし、禁忌を犯したことへのショックは少なからず受けている。

 

 にも関わらず、無意識で俺と性行為をしたことには焦りや困惑、絶望ではなく、何故か説明不能な納得感や安心感を得てしまっているようだ。

 

 彼女の理性は、その感情を受け入れてはいけない、しっかり反省して償わなければいけないと確信しているのに、事態を楽観視する思いをどうしても拭い去ることができない。そしてどちらかと言えば、どこかこの状況でどこか落ち着いている自分にこそ戸惑い、自己を責める気勢が削がれてしまっている。

 

 更に彼女らしくないといえばそうだが、この事を決して他に知られてはいけない、なんとかして俺の口止めをしなければいけないという保身の感情すら、殆ど頭の中に浮かんでいないようだ。

 

「……ふうま君こそ、ホントにいいの? 私が言うのもホントに何だけど、お姉ちゃんなり時子さんに話した方が絶対にいいと思うよ。写真なんかなくてもしらばっくれたりしないよ、約束する」

「それは止めておきます。さっきも言ったとおり、確かに俺は昨日のことは驚いてはいます。ですが写真を消したことで分かるように、先生へ仕返しをしてやろうとか、これをネタに関係を強要する気はありません」

「そ、そう……いやだけど、こんな後で、そんな、続けようって言われても……」

 

 どうやら焦りこそあまり抱いてはいないものの、さくら先生の判断力はかなり鈍っているとみて間違いない。

 

 普通の男子生徒相手なら、「怒ってない、脅しもしない」なんて話は到底信じられまい。

 音声のコピーがないという証明は不可能だし、いかにさくら先生が五車中の男子が注目する容姿の持ち主だとしても、酔った勢いで力任せに関係を強要されれば、誰だって腹が立つものだ。

 

 つまりたとえ内心半信半疑だとしても、こんな話を聞き肯定の言葉を口にしている時点で、さくら先生は俺を不自然に信用しすぎている。

 口でこそ俺の提案を拒絶し、真っ当な対応を促そうとしているが、俺がその道を選択するとは内心露ほども期待していない。何ならこの後の展開や自分の本心にも、うっすらと察しがついているのだろう。

 

(……思った以上の効果だな。酔った勢いでシたとはいえ、ここまですぐ馴染むとはな)

 

 今まで酒に酔って不特定の誰かと性的交渉を持った経験はなく、俺に一生徒として以上の好意を抱いていたわけでもない。つまりこれは、さくら先生の意志や酒の力に関わりなく、何かしらあの行為に至らしめた原因があったということだ。

 

 そしてそれこそ、俺がここで一番に確認したかったことだ。

 さくら先生が不自然に迫ってきた時にもしやと思ってはいたが、やはり「あれ」の効果は絶大だった。酔っていればさくら先生程の人でも、抵抗はおろか知覚すらできない、という貴重なデータも取れた。

 

 内心ほくそ笑んでいるのがさくら先生にバレないように、俺は必死で真顔をつくる。

 

 俺があの場で何を考え、秘密裏に何を行ったか、目の前の先生が気づく可能性は0だろう。

 だがここで怪しまれたら、この美人教師との楽しい楽しい性活の日々は永久に幻となってしまう。

 折角手に入れた野望のとっかかりを、つまらないミスで台無しにするなど言語道断である。

 

「……ま、ですよね。そんなことなくても、こんな陰気でサボり魔の「目抜け」なんかに、さくら先生ほどの人がその気になるわけありませんし」

「いやいや、私はそういうの、ホントに気にしてないから。……まあ、サボりは立場上止めなきゃだけど、忍法は今できないからって気にする必要はマジでないんだよ。私の知り合いにもさ、君よりずっと年がいってから忍法が使えるようになった人知ってるし、その人今じゃ、海外で大活躍中なんだから」

 

 さくら先生は真剣な眼差しで、俺が自らを卑下した言葉を否定した。

 そういう顔をしている時だけは、彼女が優秀で誠実な先生に見える。

 

 いや、他人といる時はいつもおちゃらけて、任務や授業の最中でさえ本気なのかどうか分かりにくい人ではあるが、井河さくらの実力がアサギ先生や紫先生に引けを取らないということは十分に分かっている。

 事実として、俺も何度かピンチの際彼女に助けてもらったことがある。

 

 だからこそ、今回の「結果」は正に望外の僥倖といってよかった。

 その成果を確信した所で、漸く俺はコーヒーで喉を潤すことができた。

 

 

「……それって、八津九朗さんですよね。紫先生のお兄さんの。実は俺、あの人と友達なんですよね。最初はなんかとっつきにくそうだなあって思ってたんですけど、話してみたら意外と気が合って」

 

 その話は、自分のスキャンダラスな声を聴いた時と同等の衝撃をさくら先生に与えた。

 少なくとも、瞳孔の開き具合は全く同じだった。

 

「エ……と、とも、だち? 九朗さんと、ふうま君が?」

「ええそうなんです。2ヶ月くらい前かな、あの人が日本に帰ってきた時に偶然会って、その時趣味の話で意気投合したんです。さくら先生はご存じないと思いますけど、実は九朗さんってああ見えて──」

「え……ええ~っ!? うっそぉ、ホントに!? うわーいが~い。え、それってさぁ……──」

 

 共通の知り合いが持つ、彼女の知らない一面を話題に、そこから一気に話は盛り上がった。

 つい先ほどまでの重苦しい空気など、最初から存在しなかったようだ。

 

 俺から昨日のことを聞いた時、さくら先生は心の中で解雇はおろか、五車からの追放すら覚悟したはずだ。

 だが九朗さんの話で驚きまくり、時に爆笑するその姿には、その手の悲壮な未来を想像している様子は一切窺えない。どうやら気をそらすことにも成功したようで、俺は内心少しほっとした。

 

 その後1時間以上の雑談を重ね、彼女の警戒心や罪悪感が最大限薄れたと感じたところで、俺は本日最後のたたみ掛けを行うことにした。

 

「……それで、さくら先生。考えていただけますか? 俺と、これからもこの関係を続けること」

 

 女の返答は分かりきっていた。

 この場でされるか、少し後になるか。違いと呼べるものは、本当にそれだけだった。

 



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Main Story: Sakura 03

 

「──大体ねぇ! な~にが『この関係を続けたい』、だよ!」

 

 そして、ファミレスでの会話から3ヶ月程経過した現在。

 俺はさくら先生と同じ湯船に浸かりながら、俺の告白について受けた本人直々にダメ出しを食らっていた。

 

「そこはさぁ! 嘘でも『好きです、付き合ってください』とかでしょふつ~!? ほんっとふうま君てデリカシーないというか、オンナゴコロってもんが分かってないよね! 先生心配だよ、まったくぅ!」

 

 さくら先生は、俺の胸板に背中を預けて訳の分からない説教をしている。

 

 現状視線を少し下に向ければ、彼女のうなじ越しに豊か過ぎるおっぱい山の全景を一望できる。

 眼福という言葉では足りない幸せを運ぶ光景だが、話してる内容のせいで魅力が2割は減少している。

 

「はは、それは申し訳ない。……でも、あの場で好きだっていうのは逆におかしくありません? 怒ってないんでこれからもエッチさせて下さいってくらいが、納得できる落としどころだと思うんですけど……おぅっ!」

 

 さくら先生の大きな桃尻と腰のひねり込みを駆使したヒップアタックが腹のど真ん中に命中した。

 ある意味ありがたいが、普通に痛い。

 

「かー! ばっかだね~ちみは! だから噓でもいいんだって、ウソでも! 

 

『実は僕、舞い散る桜の花びらのように可憐で美しい貴女に、ずっと昔から恋していたんです。昨日は一夜の過ちだったとしても構いません。どうか、僕の想いを受け取ってください』

 

 とか言われたらさぁ~、流石の私もあの場で思わずOKしちゃってたよね! 分かる、ふうまクン!? 君は丸々1ヶ月以上、私とエッチできる機会をフイにしたんだよ? どう、そう考えたらすごい損じゃない?」

「な、成程。そう言われると……」

 

 この女教師、一度箍を外してからちょっとはっちゃけ過ぎである。

 

 あの状況でエッチしたいだの付き合いたいだの、そういう台詞を吐くこと自体が既にして異常だという考えはとっくの昔にすっ飛んでいる。

 大体「花びらのように可憐」な女は尻を武器に使ったりはしない。

 

 イケない経験を重ねるうちに生徒である俺とのセフレ生活にもすっかり順応し、その手の価値観も随分俺に毒されたようだ(怖いことにワンチャン素の可能性があるが)。

 ノリノリすぎて普段の倫理観まで壊れたりしていないか、こっちが不安になる。

 

「ふー……ま、私も何だかんだこうなっちゃった訳だからさ。ふうま君にはそれに相応しい男の子になってもらいたいわけよ。そうすれば、たとえむっちゃんだってイチコロ間違いなしだよ。何たって、私なんかと比べ物にならないくらい男に耐性ないんだからさ」

 

 今一番振られたくない話題を蒸し返された。

 どうも考えが読めない。やっぱりこれがさくら先生の本性なんじゃないのか。

 

「えー……いやあの、紫先生のあれは男に耐性ないというより、そもそも興味がないというか、男性そのものがあまりお好きではないというか……って、分かってて言ってますよね?」

「ふっふっふ、勿論分かるともふうまクン。むっちゃんが抱くお姉ちゃんへの恋心はさ、何も昨日今日芽生えたものじゃあないんだよ?」

 

 あれは10,いや20年物の秘めたラブだね。ワインなら丁度飲み頃って感じかな? にひひ。

 などと、上手くも何ともない喩えでドヤ顔されても返事に困る。

 

 つっこみもせず相槌も打たず、無言で話を続きを促す。

 すると流石のさくら先生も気まずくなったのか、ずっと首を曲げてこちらに向けていた視線を逸らした。

 

「まあ、ぶっちゃけ普通にいったら叶わぬ恋じゃん? むっちゃんは胸に秘めたつもりでぜんっぜん隠せてないのに、お姉ちゃんはスルーどころかその気持ちに気づいてすらいないし。第一、お姉ちゃんももうふうま君のなんだし、たとえむっちゃんでも『譲る』のは、無理……だよねぇ? ご・しゅ・じ・ん・さ・ま♪」

 

 セックスパートナーの浮気を容認するどころか実の姉を手籠めにする手助けを行い、今度は親友をその毒牙にかけることを画策する様は、正に悪女のそれだった。

 

 ワルい女もぶっとんだ女も嫌いじゃないしむしろタイプだが、何事にも許容範囲ってものがある。

 ましてつい先日その悪企みが露見して散々な目にあったばかりだというのに、この脳内桜色雌教師は全く懲りてない。いやそれどころか、更に取り返しがつかない事態を生み出そうとしている。

 

 こういうタイプの悪役が成功を確信した作戦に乗るなんて、控えめに言って自殺と同義である。

 言うなれば6面サイコロを1回振って、1から6までの目が出たら死ぬギャンブルをするようなものだ。

 

 この色ボケ巨乳対魔忍は、俺の脳には腐った精液しか詰まってないとでも思っているのだろうか。

 

「あー……俺的には女性を“もの”って言い方するのも、セックスしたからって束縛するのも、その人の良さを殺してしまうから好きじゃないですね。……大体、紫先生のガードはそれこそさくら先生とは比べ物にならない固さでしょ。何とか2人きりになれたとして、どうやって先生の意識をエッチするまでもっていくんです?」

「うーんそこだよねぇ~……あんま言いたくないけど薬も効果薄だし、逆に怒らせるだけって事になりかねないなー。こりゃ相当策を練らないと……」

 

 いや、そもそも手を出すことの是非を問うているんですがね。

 俺は溜息を軽くつき、さくら先生の邪悪な企みを中断させるべく乳房の愛撫を開始した。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 結局さくら先生と俺がお互い合意の上でセックスする関係となったのは、ファミレスでの話し合いから2ヶ月近くの日々が過ぎた5月の終わり頃だった。

 彼女が悩んでいたというよりは、その間お互いドタバタして時間自体がなかった、というのが正しい。

 

 学校教諭にとって、新学期の始まりはやることが立て込んで睡眠時間すら削られるのが通例だ。

 俺は俺で何の前触れもなく独立遊撃隊の結成が決定したことで、目的も生産性もないサボり生活に別れを告げ、隊の活動に精を出す必要があった。

 

 関係が進展したのは、丁度俺が五車町内にある幽霊城の調査任務に就いた時だった。さくら先生自ら同行を希望し、彼女の活躍で五車における淫魔の暗躍を阻止できたことで、任務は成功に終わった。

 

 そのデブリーフィングの後だった。彼女にこっそりと自宅へ誘われたのは。

 

 その時の井河さくらの表情は、俺が今まで見た中で一番蠱惑的な女の顔をしていた。

 年下の男、しかも自らの生徒を閨に誘うというタブーに直面し、顔中に照れや戸惑いの色を浮かべながらも、それでも尚期待と興奮を抑えきれないと言わんばかりの濡れた瞳が、こちらを見つめていた。

 

 欲望が抑えきれず、素面のまま一線を越えてしまったさくら先生を目の当たりにし、俺も喜びのあまり自然と邪悪な笑みを浮かべてしまっていたのを覚えている。

 

 初めて任務達成の報酬をもらった時も、ここまでの心地よい達成感は得られなかった。

 まあ初任務の時からずっと、成功報酬として得たボーナスの類は例外なく時子が預かり貯金しているのだから、そこに感慨もへったくれもないのは当然だが。

 

 その日、俺は初めて女性の家で一夜を過ごし、同時に初めて自分だけの力で女を堕とした。

 その晩感じた絶頂は……とても語りつくせないほど素晴らしいものだった、とだけ言っておこう。

 

 

 

 それからは、他人の目を盗みつつ、最低週に1日は2人きりになった。

 勿論五車内での密会は危険極まりないし、隣町のまえさき市も知り合いの目が多すぎる。

 自然と、別々に遠出をしてから現地で合流という形をとっていた。

 

 幸いゲームという共通の趣味があったため、都市部のゲーセンやショップで偶然を装って待ち合せれば、然程怪しまれずに逢瀬を重ねることはできた。

 

 その際電車代やらホテル代やらは先生持ちなのが、ヒモになったようで心苦しくはある。

 だが彼女自身はむしろ、傍から見れば貢ぎにしか見えないその経験をも楽しんでいるようだった。

 

 地雷を踏みそうなので聞けていないが、男のために何かを支払う、という行為そのものも初体験だったのかもしれない。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 そんな日々を重ねた今日。

 対魔忍井河さくらはすっかり俺との行為に耽溺し、日々順調に“深い快楽”を仕込まれていた。

 

「ふっ……うぅん。ふうま君、いつもながら上手……あぁん! ちくびぃ、そんな強くつぶしちゃ、んくうっ……!」

 

 両腕をさくら先生の脇へ通し、日焼け跡がついた外縁部から乳房を両方ともに掌で包み込みながら、中心部へ向けてやや絞り上げるようにしっかりと揉み込んでいく。

 快感に身震いした隙を見逃さず、人差し指と親指で頂点に位置する桜色の粒をシコリあげ、軽く捩じる。

 その瞬間さくら先生の背中が反り返り、一瞬太ももが痙攣して顎が上がった。

 

「ちょっとさくら先生、イクの早すぎです。乳首だけでこんな反応してたら持ちませんよ?」

「んんっ! んう、んんん……! ……い、いって、ないし……ちょっと、予想外の刺激でびくっただけ、だし……さくら先生をぉ……んっ、なめんじゃないぞぉ……?」

「ククク。そうですか……」

 

 胸を揉まれていて乳首イキするのが「予想外」だった……は通らない。

 おまけにそんな風に息も絶え絶えに話してしまうと、語外で強がりだと自白しているようなものだ。

 

 とはいえ本イキには程遠い、極々軽めのアクメだったことも事実だ。

 こういう場面で採るべき手段は、様子見や無駄口を叩くことではない。

 休憩の時間を与えず、ダウンするまで快感のラッシュを叩きこむことだ。

 

「あ……んひぃ! く、クリだめぇ! 今そこは、感じすぎちゃう……はひゃぁ! 指が膣中にはダメェ!」

「乳首ちょっと摘ままれただけじゃイケないんでしょ。ならこっちの突起も可愛がってあげないと……ね!」

 

 さくら先生が上の刺激に手一杯になった隙に、股間に手を潜り込ませる。

 

「あ! あ! あ、イク、イク、あ、あああぁああ~~~~~!!」

 

 ビンビンになった陰核にカリ……と爪をかけて傷つけない程度に引っ掻くと、さくら先生はあっさり平静を取り繕う努力を放棄し、派手に鳴きながら湯船一杯に体を伸ばした。

 俺と最初にベッドインした時から、彼女がこの両乳首+クリトリスの三点責めに耐えられた事例は無い。

 

 別に俺が超絶的技巧の持ち主というわけではない。

 “先生たちが姉妹揃って”、こういった刺激への耐性が低すぎるのだ。

 

 生来の敏感さに加え、過酷な任務で受けた「様々な」体験は、如何に治療を重ねても記憶ある限り心身を苛み続ける。

 日頃本人も漏らしているように、こうした女としての欲求を晴らしてくれる特定の相手もいないのだろう。

 

 実に勿体ない、そして失礼ながら、俺にとっては有難い話だ。

 

「……一回上がります? 湯あたりしちゃいますよ」

 

 目の前で喘ぐ女の体中から立ち昇る発情臭を鼻腔に吸い込みながら、俺はそう囁いた。

 ハーッ、ハーッと、顔を下げながら1㎞ばかり全力疾走をしてかのような荒い呼吸を続けるさくら先生は、

 

「…………だね。でも、その前に……!」

 

 そう言うや否や、さくら先生はオーガズムの余韻でぐったりとなっていた体を起こしてこちらに振り向くと、俺の首に腕を回して口付けをしてきた。

 

「んふ……ちゅぅ、じゅる、ちゅ……ちゅる、えろ……ちゅう……じゅ、ちゅっ……」

 

 さくら先生のキスは上手い。より正確に言うなら、舌の使い方が俺の知る限り一番エロい。

 下唇、舌、歯列、口底、口蓋、頬粘膜など、口の中のあらゆる部位を舐りながら不規則に動き回り、常に新鮮な気持ちよさを提供してくれる。

 

 フェラチオやアナル舐めの時も彼女はすごいテクを披露してくれるが、個人的にこの舌技が一番輝くのは口内で暴れさせている時だと思う。このピンク色の暴君による変幻自在な絡みは、自由になるスペースが広いほどその本領を発揮するからだ。

 

 純粋なテクニックだけを論じれば上の者はいくらか知っている。

 だが、さくら先生ほどに情欲と好奇心を込めて熱心に舌を駆使する女性とは、まだ出会ったことがない。

 

 男に対する奉仕の心というより、純粋にオーラルセックスでの交流がお気に入りのようだ。

 キス手コキ→パイズリフェラ→シックスナインの流れで行った前戯にかけたトータルの時間が、挿入してからの本番行為よりも2倍以上長かった夜もあった。

 

「んちゅ……にひひ、やられっぱなしはイヤだからね……ここらで……反撃開始だよっ……ちゅっ」

「ん……!」

 

 左腕を俺の首に回して肩ごと抱きながら、右手をペニスに回して上下に擦り始めた。

 案の定、イカされた分俺も射精させるつもりらしい。

 

 お互いの絶頂回数が同数であることに、彼女は強いこだわりがある。

 ゲーム感覚でセックスを楽しんでいるというのもあるが、年下の男に好き勝手されて自分だけ気持ちよくなってしまうということに、心のどこかで不安感を抱いてしまうようだ。

 

 シュッ……シュッ……シュッ……と、湯につかったままのペニスをしごくさくら先生。

 唾液の交換と舌の鍔迫り合いが合わさってとても興奮してくるのだが、やや物足りなさは否めない。

 

「……ん? もしかしてもうイキたい? むふふふ、ゼータクでドスケベのふうま君は、先生のお手てだけじゃもうチンポが満足できないのかなぁ~?」

 

 思わず表情に出てしまったのか、ニヤついた顔のさくら先生に煽られた。

 不覚を取ったのを胡麻化すために、再び彼女のおっぱいを撫でまわす。

 

「ええ……正直言って一回出したくはあります。でもお湯の中に……ってのはちょっとヤですね」

「にゃはぁ♪ ……じゃあ、どうしてほしいのかなぁ?」

 

 そう言い、さくら先生は急激にシコるスピードを速めた。

 虚を突かれた攻撃に体が硬直し、彼女の胸を愛撫する手も一瞬止まってしまう。

 

「ほらほら、このままお湯の中でピュッピュしたくないなら、私に何かお願いしなきゃいけないんじゃないかなぁ? ……さぁさぁ、恥ずかしがらずに言ってごらん、ふ・う・ま・君♡」

 

 ここぞとばかりに言葉責めをやり返してくる。

 こういう時のさくら先生は、いつもいたずらが成功した時特有の「ムフフ笑い」をするので、調子に乗っているのがすぐに分かる。

 

 だが、ここで意地を張って何か得があるわけでもない。

 俺もまたいつも通り、素直に欲求を言葉にすることにした。

 

「うくっ! ……お願いします……さくら先生の口の中で、射精させて下さい」

「ムッフッフ~。うんうん、素直におねだりできて大変結構! さて、と……うーん、ここで潜望鏡フェラっていうのも乙だけど……ま、今日は普通にしよっかな。ここに座ってくれる?」

 

 さくら先生はしてやったりとばかりの笑顔で、湯船の縁を軽く掌で叩く。

 俺が意を汲んで幅数センチほどの大理石へ腰掛けると、スッ、とその股間にさくら先生が顔を近づける。

 

「おお~。……うわっはぁ、やっぱこのおちんちん強烈ぅ~。ガチガチでピン、と上に伸びてて、出したい出したいってビクビク脈打って、おまけに火傷しそうなくらい熱い……もう、コレはホントに悪い子だなぁ♪」

 

 おっさんみたいな口調でペニスのレビューをしながら、さくら先生が亀頭を人差し指の先でツン、と突く。

 毎回初めて見るように驚くので、恥ずかしい反面少しばかり得意な気持ちになる俺がいるが、今はそんな優越感に浸る余裕はない。

 

 さくら先生、と名前を呼ぶと、焦らないの、とでも言わんばかりに彼女は指を振って応える。

 しかし先生も興奮が抑えきれないのか先端部を掌で包むと、ねろ~、と舌を肉竿に這わしていく。

 

 そのまま陰茎の急勾配を赤いナメクジが登りきると、凹みに付いた滓を削ぎ取るように傘の部分を一周し、頂点のクレバスに到達したと思った瞬間、真上から涎まみれの歯や頬ごと覆い被さってきた。

 

「んぐぅ……! ……ちゅぼ、んぐ……ん、ちゅぅ……んぼっ……ふうまふんのひんほ、おーぃひぃ……んふ」

 

 俺のモノが「大きい」のか「美味しい」のか判断はつかないが、どちらにせよ男心を擽る台詞だ。

 さくら先生はそのまま根元まで吸いつき、完全に陰茎を口内に収めると、勢いよく首を上下に振り始めた。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「──ねえふうま君。お姉ちゃんのこと、どう思う?」

 

 唐突にそんな質問をさくら先生から受けたのは、確か3回目のベッドインを済ませた後だったと思う。

 都内郊外の路地裏にあるラブホテルの室内で同衾している時、さらに言えば彼女が俺の腕を枕代わりにしてピロートークを楽しんでいる最中のことだった。

 

「……え、どう……って。いつも尊敬してますけど」

「尊敬ねぇ……エッチしたいとは思わないの?」

 

 それまでゲームの新作やら学園の課題やら、他愛もない話題に花を咲かせていたところにこれである。

 

 いやいきなり何を言い出すんですか、反射的にそう突っ込もうとした。

 しかしそのふざけた質問内容に相応しからぬ、先生のいつになく真剣な眼差しに気圧されて、喉まで出かかった言葉はそのまま口から漏れる前に消失してしまった。

 

 そして、思わずアサギ先生のこと―学園での姿や任務時のぴっちりした対魔忍スーツ姿、見たこともない派手な水着姿まで瞬間的にイメージしてしまい、想像上の艶やかさに生唾まで飲み込んでしまった。

 そんな様を見せては、最早答えないわけにはいかない。

 

「……いや、そりゃ美人だなとは思いますよ。まあその、本音を言えばお近づきになりたい、ですけど……。普通に考えてきっかけがないでしょう。僕や先生なんかとは比べられないくらいお忙しいですし」

「…………ふぅーん。きっかけさえあれば堕とす自信はあるんだ」

 

 じとーっ、とした目で俺を見つめるさくら先生。

 それが嫉妬や不満によるものだとしたら、自分から話題を振ったのに何たる理不尽だろうか。

「何とも思ってないですよ、俺が抱きたいのは貴女だけです」とでも言ってほしかったというのか。

 

「いや、そうは言ってないでしょう。アサギ先生は校長としても総隊長としても素晴らしい方で、恋人とかそういうの作ることに気が向けないってことです。…………あ。ちなみに、今付き合ってる方って」

「いないよ。だからこんな話をしたの」

 

 迂闊な発言の裏を取ろうと質問したら、最後まで言う前に答えが返ってきた。

 その時の口調は心なしか呆れや諦観という感情を含む、どこか草臥れた雰囲気を醸し出していた。

 

「単刀直入に言うとね。私はふうま君に、アサギお姉ちゃんも抱いてほしいの」

 

 上半身を起こし、こちらに顔を見せないようにして彼女はそう言った。

 明日一緒にピクニックしよう、みたいな気軽さで話すには重すぎる内容だった。

 

「…………理由を、お聞きしても?」

 

 俺がそう聞いたのは、至極真っ当な対応だろう。

 

 俺自身が、あわよくば自分のハーレムを築きたいと考えるほどの女好きであったとしても、抱いた女の方から他の相手を提案されるなんて想定はしていない。

 いくら俺が下半身でモノを考える男だとしても、流石にそんな都合の良過ぎる展開を考えて行動するほど精液漬けの脳みそは持ち合わせていない(期待すら全くしていなかった……といえば噓になるだろうが)。

 

 冗談にしては突飛が過ぎる話の内容にしてもそうだが、さくら先生の口調が硬いのにも違和感があった。

 こうした話題を彼女が振る時の態度としては、あまりにいつもと違う態度だったからだ。

 

 何せさくら先生は、五車でも有名な下ネタ女なのだ。

 自分が敵に捕まった時にどんな調教を受けたか、またどんな奴らの相手をさせられたか。

 本来なら一生モノのトラウマになって思い出すことすら憚られるような話題を、あろうことか授業中の笑い話としてサラっと暴露し、その場にいた生徒を男女問わずドン引きさせたという逸話すらある。

 

 と言っても、彼女が敵に捕まったのは10年以上前のまだ未熟な頃。

 先に捕らえられていたアサギ先生を救出しようと無茶な潜入を試み、その行動を完全に読んでいた敵の罠にかかった時、その1回きりだと聞いている。

 ノマドの大幹部である朧とアサギ先生は、この時から因縁があるらしい。

 

 詳細は知らない。当事者たちが皆語りたがらないからだ。

 だが噂等を通して断片的な情報を聞くだけでも、どういった類の“因縁”なのかは嫌でも察しがつく。

 

 何せこの任務でアサギ先生は、当時婚約までした男性を喪っているのだから。

 

「…………うーん。秘密♪」

 

 そう答えて振り向いたさくら先生の表情は、いつも通りの明るさを取り戻していた。

 だからこそ余計に、先程姉を俺に抱かせる提案をした時の違和感が気になった。

 俺を試すつもりで冗談を言ったとは、とても思えなかった。

 

「でもま、ぶっちゃけ言うと脈はあるよ。思わぬお手柄だったとはいえ、お姉ちゃんが独断で部隊長を任命するなんて滅多にないもん。普通は同僚とか先生とかの推薦を受けてから、本人との面談をして決めるもんだからね」

「……いや、それはあの状況が特例だらけだったというだけでしょう。二車が反乱を起こした以上、その責任は宗家の当主である俺が取るべき、っていう名目が立ったっていうのもありますし」

 

 

 

 俺が独立遊撃隊を率いるきっかけとなった、対魔忍の反乱と五車からの集団離反。

 4月が終わろうかという時に起きたこの事件の首謀者は、魔族の犯罪結社ノマドの幹部フュルストと手を組んだ、ある一人の若い対魔忍だった。

 

 それこそが俺の幼馴染であり、対魔忍の名門ふうま一門を統括する頭目衆“ふうま八将”の一角である二車家の当主にして、現在は五車から離反し独自勢力“二車忍軍”を率いる男、二車骸佐。

 

 道理を問うならば、あいつが五車で蹶起し今日までの仲間を死傷させたあの日の時点で、俺のふうま家当主としての道、そして対魔忍としての道は閉ざされたも同然だった。

 責任を取って引退するか、規則に照らし合わせた処罰を受けるか。

 いずれかの末路を覚悟してアサギ先生の前に立った俺に、彼女は第3の道を示してくれた。

 

 今からでも当主としての責任を果たし、彼を五車に連れ戻せ、と。

 

 それが、彼女の如何なる考えによって発せられた言葉なのかは、その時の俺には分からなかった。

 だが、このまま希望も刺激もない退屈を抱えたまま人生の幕を閉じるのは、俺としても願い下げだった。

 

 そう、隊長を引き受けた最大の理由は、ふうま家当主としての責任感や骸佐への友情ではない。

 謂わば棚ぼた的に降って湧いたチャンスを、折角だからモノにしたいという思いから。

 その日まで考えあぐねていた輝かしい将来への道が、何の前触れも無く開けた喜びからだ。

 

 

 

 だが、それはあくまで俺個人の欲望に過ぎない。

 

 隊長を引き受けた以上任務はしっかりとこなすし、その結果学園の先生や今まで俺を無能扱いしていた同級生たち、五車以外の魔に関する勢力の人々から評価を得ていく日々にはそれなりの充足感がある。

 その評価をもって、アサギ先生の期待に応えているという自負もあった。

 

 だが、だとしても俺への期待=俺への好意、という方程式にはどう考えても同意できない。

 それとも妹であるさくら先生しか知らない、アサギ先生の素顔はまた違うというのだろうか。

 

「まあ、あの時はそうするのがベストだったってだけで、それ以上でも以下でもなかったかもね。……でも、今はちょっと事情が違うんだよね、これが」

 

 そう言うと、さくら先生はベッドを降りて冷蔵庫に向かい、ビールとコーラの缶を取り出した。

 そのままガウンすら羽織ることなく戻ってきて、全裸のまま「はいコレ」とコーラを差し出してきた。

 

「……事情が違うっていうのは?」

 

 俺は缶を受け取り、ベッドに座ったままプルを開けて飲み始める。

 さくら先生はベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛け、ビールに口をつけず隣のテーブルに置いた。

 

「その前に聞きたいことがあるんで、正直に答えてねふうま君。私やアサギお姉ちゃんってさ、五車の中でモテてると思う?」

「……また突然ですね。……正直に言いますと、人気はあってもモテてはいないと思います」

「ほ、ホントに正直だなあ…………」

 

 率直な回答にショックを受けたのか、さくら先生は暗がりでも分かるほどがっくりと肩を落とす。だがこうなっては、俺も忖度をする気はさらさらなかった。

 

「お2人とも美人ですからね。チャンスがあったらモノにしたいだの、一晩でいいからあんな女とエッチしたいとか、そういう目で見る輩は多いでしょう。強くて頼りがいがありますから、女子人気も高いと思います。でもいざ付きあうとか、結婚なんて話を真面目に考えると、皆引け目を感じてしまって尻込みするでしょうね」

 

 さくら先生単体ではそう見えないことも多いが、井河姉妹は名実ともに五車の2トップであり、全ての対魔忍に頼られる存在なのだ。

 言わば五車における皆のヒロイン(守るべきものという意味ではない、念のため)とも言える。

 

 そんな2人に、果たして正面切って告白できるような剛の者がいるだろうか。

 仮に本人からOKをもらったとしても周りに知られればどんな目に晒されるか、子供でも想像がつく。

 

 特にアサギ先生に愛を囁くなど、考えれば考えるだけリスクがデカすぎる。

 

『悪いことは言わん。自殺ならもっと苦しまず、恥もかかなくて済む方法があるからそっちにしておけ』

 

 もし俺がそんなことをしようとしている奴を見つけたら、迷わず肩をつかんでこう忠告する。

 不死の肉体から振り降ろされる戦斧によって挽肉にされる最期など、想像するだけで身が縮こまる。

 

「もっと言えばアサギ先生は……ほら」

「ああ~……。確かにむっちゃんを何とかしてってのは誰でもキビシーかなぁ、あはは……。でも、ふうま君は今でもお姉ちゃんのこと狙ってるんだよね。しかも割とマジで」

「……その質問に、よりによって貴女の前で答えさせるって、これ一種の拷問じゃないですか?」

「それはYESってことでいいんだよね? じゃあさ、私がお膳立てしてあげてもいいよん?」

 

 その時笑顔でこちらを見つめていたさくら先生は、悪戯好きな少女という風にしか見えなかった。

 最高のサプライズかドッキリを思いつき、その内容を他人を説明し協力を仰ぐ時のそれは、およそ20代の女性とは思えない程、純粋で童心に満ちた表情だった。

 

「……あの、一応聞きますけど本気なんですよね? 今先生とこうしている俺に、アサギ先生とエッチさせる段取りを組もうとしている。その解釈で間違ってないですか?」

「いやいやふうま君。そんな難しく考えなくていーよ。私は単に、好きな男と女が結ばれる手伝いをしようってだけ。今のお姉ちゃんが自分から行くわけないからさ。妹としては、骨を折りたくもなるじゃん?」

 

 やろうとしていることは下世話だが、動機は驚くほど真っ当だった。

 姉と結びつけようとしているその相手が、自分が今までセックスしていた相手でなければ、だが。

 

「……何で、俺なんです?」

「お姉ちゃんが好きになったから。そう言わなかったっけ?」

 

 まるで物覚えの悪い生徒に繰り返し公式を説明する教師のような口調だった。

 

 念を押されなくともさくら先生の言っていることは分かるつもりだ。話している“内容”は。

 

 だがその“意図”は全く持って理解できない。お互いの認識している前提が噛み合っていない以上、どんなに魅力的な提案でも素直に頷くことはできない。

 

 大体何故、よりによって事後特有の気怠さが体に染み渡っているこんな時に、そんなハチャメチャな提案をしてくるのか。

 

「えーと……まず、どうして分かるんです? アサギ先生が俺のことを好きだって」

 

 最初にして最大の疑問点について尋ねると、さくら先生は膝をついて大げさにため息を吐いた。

『あーそこ分かんないかー』とでも言いたげな視線までおまけについてきた。

 

 

「……まあ、お姉ちゃんはむっちゃんみたいに分かりやすくないからしょうがないか。それに関してはまじで誓ってもいいよ。お姉ちゃんが、ふうま君のこと男として意識してるってことはね」

 

 具体的な根拠は一切語ってくれなかった。

『いやそこが一番知りたいんですけど!?』と突っ込みたがったが、どうせはぐらかされるだろうなと思い止めることにした。

 

「……そう、ですか。それは、素直に嬉しいですね。……いやでも、俺がさくら先生とこうなってるってこと、アサギ先生は知らないですよね?」

「知ってたら私たち、もうこの世にいないよ。……いや、それは言い過ぎかな? にゃはは。まあでも、間違いなくお説教は食らうね。私も謹慎くらいはさせられるかも」

「じゃあ、仮に俺がアサギ先生にアタックして成功したらどうするんです? さくら先生は、大人しく身を引くってことですか?」

 

 降って湧いた感情に任せて、随分と踏み込んだことをストレートに聞いてしまった。

 だがさくら先生は、またしても予想外の反応を見せた。

 

「えー? ふうま君、もう私の体に飽きちゃった? さっきまで夢中になってたこのおっぱい、もういらない?」

 

 そう言い、むぎゅっ、と自分の胸を寄せて上げるさくら先生。

 ただでさえハリと柔らかさを奇跡的に両立した美巨乳が、更に前に突き出されてしまう。

 

「……い、いや。だってそうなるでしょう? 俺がアサギ先生と付き合うってことは」

「あー! いけないなあ、ふうま君。この期に及んで自分の気持ちに嘘をつくのは」

 

 嘘? ウソって何だ? 

 その意味を俺が理解するより早く、さくら先生は瞬時に俺との距離を詰め、裸のまま俺の肩に腕を回して顔を近づけてきた。

 呼吸音すら聞こえる至近距離で、さくら先生はにゃはは、と笑う。

 

「さ、さくら先生……!?」

「確か、前にこうやってシた後に話したことあるよね。ふうま君の絶倫ぷりじゃ、絶対女一人じゃ満足できないって。血筋がどうとかじゃなく、キミ自身がそういう性格なんだって」

「! ……で、でもだからって……」

 

 それは、まぎれもなく俺の本心をついた言葉だった。

 その話が出た時は曖昧に流したつもりだったし、さくら先生にそれを打ち明けたことなど勿論ない。

 

 だが前述したように、俺の性癖はあくまで自分勝手な欲望に基づくものだ。

 それを実現したいと思ってはいても、他者にひけらかせる様なモノではないことぐらいは弁えている。

 

 まして自分からアプローチをかけた女性にそんなことを話すなど、その場で関係解消されるどころか、怒りに任せて物理的制裁を加えられても文句は言えない。

 

 “ドン・ジョヴァンニ”の例を持ち出すまでもなく、多情なことを隠すどころか誇りに思うような男の末路など、古今東西や虚実を問わず、破滅一択と相場は決まっている。

 もしこの国に一夫一妻制という法的障壁がなかったとしても、人間が社会的動物である以上本音と建て前は使い分けなければいけない。

 

「いいんだよー、ふうま君。正直になっても」

 

 そんな俺の内なる抑制を解すかのように、女の細い指が俺の胸板をゆっくりと撫でる。

 殊更快感を呼び起こす愛撫でもないのに、それだけで俺の心臓は早鐘のように脈打ち始めた。

 

「私はさあ、ふうま君にもお姉ちゃんにも幸せになってほしいだけだよ。だって外ならぬ私が言ってるんだよ、私とセックスして、お姉ちゃんともセックスしても、誰も裏切るこ

とにはならないって」

 

 止めろ。

 思わずそんな乱暴な言葉が口をつきそうなほど、その言葉は俺の思考と良心を揺さぶった。

 

「……絶対に怒るでしょう。さくら先生はともかく、アサギ先生は」

「うん、今のままだと100パーね。……その、さ。もう思い切って告白しちゃうとさぁ」

 

 さくら先生が伸ばした俺の足を跨ぎ、座布団代わりにして俺と顔を突き合わせる。

 お互いの吐息がかかる程の距離で、彼女は気まずそうに笑いながら続きを話す。

 

「いー加減、お姉ちゃんを胡麻化すのがきつくなってきてさぁ。こんなとこまで買い物に来るのはまあいいとしても、朝帰りが週一ペースなのは流石にまずかったなぁ……って」

「……え?」

 

 告白、などというロマンチシズムに満ちた言葉に続いて紡がれたのは愛欲に満ちた甘言などではなく、末期癌の告知よりもなお残酷な真実の発表だった。

 金髪酒乱女はこの期に及んではぐらかした言い方をしていたが、これはつまり、

 

「疑われて、るんですか? 俺とさくら先生の……こと」

「まだ確証はない筈だけどね。もし万が一誰かに尾行を頼んでたらもうアウト、今ここに乗り込んできたっておかしくない。……まあ、一発やるのを見過ごすわけないしそりゃないか、あはははは……!」

 

 あはは……じゃない。全く持って何もかも笑いごとに出来はしない。

 

 

 瞬間、俺の脳裏へと鮮やかに広がる絶望の未来。

 敵に向ける冷ややかな目で俺を見ながら、無慈悲に一閃を振るう井河アサギの姿。

 防ぐことも逃げることも適わず、踏みつぶされた蛆虫のように地面を倒れ伏す俺。

 

 それを見物し、あらん限りの嘲笑と罵声を飛ばす、骸佐たち二車の連中。

 俺に失望しきった侮蔑の表情を見せる、鹿之助や蛇子、ゆきかぜ、そして……────時子。

 

 

 

「……うっ!」

 

 思わず、我が身の安全を確認するように首筋を撫でさする。

 だがこの状況においても尚、我が愛棒は未だ屹立状態を解除していなかった。

 

 こんな想像をしておいて、よく勃起を維持できるものだと我ながら呆れかえってしまう。だが逆に言えば、今なお我が肉棒を支えるこの血の昂ぶりこそが、俺の精神安定上の最終防衛ラインかもしれない。

 これが萎える時が、即ち俺の心も折れて萎びる時だと言っても過言ではない。

 

「あーこらふうま君! そんなに顔青くしないの。大丈夫だって! 確かにこのままだと2人仲良く揃ってデッドエンドだけど、逆転の切り札を持ってるのは君なんだから!」

「切り札……まさか、俺のコレがそうだっていうんですか?」

 

 俺が下に指を向けると、そのとーり! と言ってさくら先生は俺にVサインを突き出してきた。

 

「ふうま君のそのハイパー兵器が勝利の鍵だ! これさえあればお姉ちゃんは、絶対にアヘアへのメロメロになる! 妹であるこのさくら先生が保証しよう! キミのおちんちんとテクが合わされば、あの最強の対魔忍すらも必ず堕ちる! ……はず!」

 

 やっぱりだ。いくら何でもノリがおかしすぎる。

 

 キャラに合わない硬めの口調とか、目まぐるしいテンションの変化とか、何の具体的根拠もない自信に満ちた発言とか、まさか先に絶望を味わって開き直った結果とかいうんじゃないだろうな。

 寒々しい仮定に考えが至り、今日一番の冷汗が流れるのを感じた。

 

「……で、何か策はあるんですか」

 

 様々な未来図を予想し、俺一人ではこのルートの解決策は見いだせないと結論が出た時。

 俺もまた都合の悪い事実から目をそらし、一切信頼できない彼女の案に乗ることで一先ずの安心を得ようとしたことを、一体何処の誰が責められるというのか。

 

 …………身から出た錆? 知るかそんなもの! ワームにでも食わせとけ! 

 

「んっふっふ~。分かってくれたようで嬉しいよ~ふうま君。実はね……──!」

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 かくして、俺は“最強の対魔忍”からの粛清を逃れるために、チンポと悪知恵だけを武器としてその最強に直接対決を挑むことになってしまった。

 ……うん、自分で言うのもホントアレだが頭悪すぎるなこの展開! 

 

 しかもさくら先生の立てた作戦というのが案の定……いや、想定を遥かに下回るお粗末さだった。

 最早これを作戦と呼ぶこと自体が「作戦」という言葉への侮辱に当たるレベルである。

 

 だが、幸いにして俺にはふうま一門が長きにわたって培ってきた女殺しの秘儀もあった。

 自爆覚悟でそれら禁じ手も駆使し、土壇場でさくら先生の“予想”もまさかの的中を見せたことで奇跡的な逆転劇を成し遂げた俺は、何とか今日に命を繋げられている。

 

 まあ、さくら先生が安心しきって口を滑らせた挙句、俺たちの逢瀬やら共謀やら何もかもがアサギ先生に知られてしまった結果、いっそ殺してくれと思う程の生き地獄を味わうというオチが待っていたのだが……。

 

 まあ、どんな嵐も過ぎれば事もなし。生きているだけで丸儲けだから文句はない。

 さくら先生だって、たかが禁酒と減俸だけで済んだのだからむしろ異例といっていいだろう。

 

 

 

 そんなこんなで今年の6月は、五車を代表する対魔忍であり井河姉妹を纏めて俺の女にするという、結果だけ見れば全対魔忍から袋叩きにされかねない程幸せなイベントから幕を開けた。

 

 だが、そんなハッピーなことばかり続かないのが人生というものだ。

 アサギ先生との初体験を楽しんでから2週間も経たないうちに、今度は初めての「死」という正反対の体験をしてしまった。しかも幼馴染の手にかかって、である。

 

 

 原因は、二車の「裏切り者たち」が起こしたテロ行為だ。

 

 この1ヶ月ほど前に蹶起し五車を脱出した骸佐たちは、俺の予想より早く次の行動を起こした。

 米連から盗み出された新型兵器「CD(クリーピング・デス)ウィルス」を使って、東京キングダム内にある中華連邦系組織の「龍門」が支配する地域を強襲、現地にいた幹部を殺戮してシマを奪い取ったのである。

 

 ウィルス兵器なんてヤバイブツを街中で使えば、無関係の住民にも多くの被害が出るのは明白だ。

 それを分かっていながらこのような非道を成すあいつの所業を見過ごせるわけがなく、情報を入手した俺たちもすぐに追跡を開始した。

 

 しかし、結果的に任務は失敗に終わった。ウィルスをみすみす使用されたばかりか骸佐本人も取り逃がし、俺はといえば奴に心臓を貫かれ、本来ならそのまま黄泉の国へ旅立つはずだった。

 

 だが、何の因果か俺は生き返った。最初はウィルスの影響を疑われたが自我ははっきりとしており、その次は俺自身の忍法がようやく覚醒したのか……と淡い期待を抱いたが、残念ながらそれでもなかった。

 

 はっきりとした原因は分かっていない。どうやら魔族の使う闇の魔法に近い力が働いたらしいが、俺や仲間たちの調査は前例が見当たらないこともあり、芳しい成果は上げられていない。

 

 

 

 話が前後する形になったが、実はこの戦いが起きるつい1週間ほど前、なんと俺は異世界に転移してしまっていた。

 

「ブレインフレーヤー」という、各次元を渡り歩いてはその原生生物を収集し実験という名の悪趣味なゲームを楽しむ、性悪にも程があるイカ型の異種族に目をつけられたために、俺たちの世界の過去によく似た別次元の世界に飛ばされてしまい、しかも危うく帰れなくなるところだった。

 

 一緒に飛ばされた“慙愧の対魔忍”秋山凛子先輩や、向こうの世界に住んでいた学生時代の井河さくらの手助けがなければ、あの「アルサール」とかいうクソイカに逆襲することは不可能だっただろう。

 

 だが、これも万事順調に進んで帰ってこれたわけではない

 その帰還に巻き込む形で、とんでもない「お客さん」までこちらに連れてきてしまったのだ……。

 

 

 

 





 なんか、色々理屈は捏ねまわしたけど結局勢いでアサギも堕としてしまったナァ…(苦笑)

 まあエロシーンの中身ならばともかく、導入や事前説明に文字を使い過ぎてもダレてしまうだけなのでご容赦ください。
 その代わりといっては何ですが、アサギ先生とふうま君の初めてのシーンは、甘い会話も含めて長めに書くつもりです。
 なんせ大好きなんでね、“あの”回想が(笑)


 ちなみに原作の時系列をごっちゃにしているので説明しておきますと、

 ・この話(7月の初旬)までにきらら、自斎とふうまは面識があります。
 ・沙耶NEOはさくら先生預かりになっています。でも気まぐれなのでよく他の面白そうな人の家へ泊まりに行きます(蛍と凛花の家が頻度高め)。
 ・まだ例の双子は五車に来ていません。つまりアミダハラにも行ってません。
 ・ジューンブライド関連は「何やかんやで」ファイナルのイベントまで全て発生済みです(原作とは順番や内容に違いはあります』。
 ・ふうまは4月の時点で童貞ではなく、6月に入ってからさくらやゆきかぜを含む、複数の女性と関係済みです。
 ・まだヨミハラへ潜入してないので、紅とは再会してません。

 こんな所でしょうか。
 多分まだ説明しきれていない部分が多く矛盾もどんどん出てくると思いますので、感想欄で遠慮なく突っ込んでくださると幸いです(笑)





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Main Story: Sakura & Saya





 

 

「──んほぉ! おあ、おふ、ふぅん! あ、イック、イクイクイクイクッ! お、おぅおぉぉぉ~~~~!!」

 

 些か波乱万丈と云うにも度が過ぎた6月が終わり、今は7月の頭だ。

 任務でまたしてもドジってしまった俺は上司から休養を命じられたにも関わらず、こうして教師との道ならぬ性活に励んでいる。我ながら懲りないことだ。

 

 

 

 風呂に入ってから1時間以上経つがまだ上がる気配はなく、それどころか行為はヒートアップしていく。

 普段俺の入浴時間は誇張抜きで烏の行水レベルなので、これでも異例の長風呂といっていい。

 無論、その計測タイムは一人で入っている時のものだが。

 

 まあそもそも長風呂とはいっても、今のように足だけ湯につけて性交に没頭しているのを「入浴時間」に含めるべきかは議論の余地があるだろう。

 今は湯船に立ったまま壁に手を付いたさくら先生を、バックで突きまくりイかせたところだ。

 

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……あっ、うっ……! ……も、もう……ふうま君タフすぎぃ……!」

 

 一度の絶頂程度では律動を止める気にならず、そのまま肉竿を膣内に叩きつけ続ける。

 右手は女の胸を鷲掴みにしつつ、左手は突っ込む角度に応じて腰やヒップを持つ。

 

 既にさくら先生の下半身は湯以外の液体でびちゃびちゃになっている。

 彼女のヒップは胸以上の張りがあり、俺の挿入に対して毎回跳ね除けんばかりに反発し続けている。

 

 だがその奥にある淫裂は、ブチュ、ブチュ……と涎を垂らして俺の肉棒を加え込んでいる。その媚汁の量たるや凄まじく、ピストンの衝撃で液が俺の腹や足にまで飛び散っているのが見える。

 

 パンッ、パンッ……という規則的な注挿音が、風呂場中に反響している。

 予め湿度の高い密室では音がよく響くという事実を知っていたとしても、いざ実音を聞くと予想以上の興奮を齎してくれる。

 

 分野を問わず、知識を経験で補足する行為は独特の達成感をもたらしてくれる。

 本だけ読んで全てを知り尽くした気になるのが勿体ないと俺が考える、最大の理由がこれだ。

 

「……考えてみれば、風呂場でこうするのは初めてですね。トイレでは前にしましたけど」

「ンッ、あっ、そ、そう、だね。おしっこする間ぐらい待ってればいいのに……あっ、ふうま君たら発情期のワンちゃんみたいにサカっちゃってさぁ。んぉっ! おぅ、んふぅ!」

「あれはさくら先生が悪いですよ。一発膣中出ししてノッてきたとこでいきなり『ごめんトイレ!』ですよ? 俺が“抜かず3発”する気満々だったのに知ってたくせに……」

「あん……あのねぇ。普通は3発どころか1発出したら……ん、少しは萎えて大人しくなるもんなの。自分の性欲が異常なんだっていい加減自覚してよ……こ、こっちが持たないって……の、っんぅ!」

 

 膣内のペニスにむしゃぶりつきながら、男の性豪ぶりに眉を顰める女。

 自分のことを棚に上げて……とは思うが、今話していた出来事については完全に俺が悪いと思っているのでそれを口にはしない。

 

 そう、この件に関しては珍しく反省している。

 いくら俺が性豪で相手がさくら先生とはいえ、流石に小用を足している最中の女性を相手の同意もなしに襲うというのは些か品性にかける行いだった、と。

 

 しかもトイレに押し入って性行為をするだけならまだしも、手始めにキスと胸揉みで抵抗力を奪いつつ体を持ち上げて便器の縁に足を付けさせ、そのまま飲尿プレイへと移行する始末だ。

 我ながら派手にやり過ぎた。さくら先生が相手でなければ確実に蹴っ飛ばされていただろう。勿論コトが済んだ後は平謝りした。

 

 とはいえその時すら、途中からはさくら先生の方がノリノリになって行為を主導していた気がするが。

 大体俺とセックスして彼女が先に参ったことなんて、初体験からこっち一度たりとも無いだろうに。

 

「……そう言えばずっと聞いてなかったんですけど、さくら先生ってバックが好きなんですか?」

「んぇ? ……あー、どうだろ。……ん、ふ。お尻とか腰とか掴まれて……ってのが興奮するのは確かだけど……まあ、ふうま君とするなら何でもキモチいーよ? ぁ、前後ろとか関係なく、ね……」

 

 ピストンの快感を受けて湿り気の強い吐息を漏らしつつ、こちらに振り向いてそう話すさくら先生。

 瞳も頬も、法悦の涙によってしとどに濡れていたが、その顔には可愛いものを見た少女のように朗らかで優しい笑顔を浮かべていた。

 

 急に歯が浮くような言葉を投げかけられて、首筋から熱いものが頭へ上がってくるのを感じる。

 そんな顔の火照りを胡麻化すつもりで、俺は腰振りを加速させた。

 

「イヒっ!? ……ふ、ふふ……照れちゃってカワイんだぁ。んふ、ふふ、んあっ、あはああん……!」

 

 俺の分かりやすいリアクションを笑うさくら先生を見て、更に顔の赤みが強くなる。

 

 逆効果なのは百も承知だったが、このペースアップはチンポの命令である以上逆らうことはできない。

 まさしく今の俺は、下半身でモノを考え下半身から先に動く状態というわけだ。

 

 せめて彼女も同じくらい恥ずかしい目に遭わせようと、Gスポットを重点的に責めるべく腰を前後だけでなく上下にもグラインドさせる。

 効果は抜群のようで、すぐにさくら先生は減らず口を叩くのをやめ、喘ぎ声と荒い呼吸のみを口から漏らすようになった。こうなると最早“メス奴隷化”一歩手前といった状態だ。

 

「おっ、おおぅ、んおぉ、そ、そこイイっ! ……あっ! あっ、ま、また、イキそう! ……ね、お願い、一緒にイこ? ふうま君と、一緒に、あああっ、い、イキたぃぃ……!」

 

 切なそうに哀願するさくら先生に応えるべく、両手で彼女の腰を掴んでスパートをかける。

 そして俺も限界を迎えたところで、期待に戦慄く子宮を圧し潰さんばかりの力を込めてペニスを突っ込み、精巣で焦らされ続けて濃縮された雄汁を一気に解き放つ。 

 

「あ、あ、あん! いぃ、んぉ! ……おぅ、おぉぉぉぉ~~~~! いい、イックゥゥゥゥ~~!!」

 

 少し溜めた後、肺にある空気を全て絞りだすかのような雄叫びを上げ、さくら先生は絶頂を迎えた。

 ドク……ドク……と俺の精液が膣内に流れ込むたび、柔らかさとくびれを両立させた女のウェストが絶頂を迎えた喜びで小刻みに震えているのが分かる。

 

「フゥ……フゥ……」

「あぁ……ふぅ、ン……いっぱい、射精ちゃったね……ん、ちゅっ♪」 

 

 繋がったままさくら先生の背中に体を密着させ、手を胸に回して抱きつきキスをする。

 そのままお互い膝をついて湯船に座り直し、体を温め直しつつ呼吸を整える。

 2人の心音と呼吸音以外、今の風呂場には一切の音が存在しなかった。

 

 お互いの体温を感じあう幸福でゆったりとした時間が数分程流れた後、俺から話を切り出した。

 

「…………出ましょうか」

「んふふ♪ そだね。……じゃあ、こっからはベッドで、ね♡」

「……ははは……どっちが底なしなんだか……」

 

 夜はまだ始まってすらいない。お楽しみはこれからだ。

 俺たち2人がくっつきながら立ち上がり、浴場から出た正にその時だった。

 

「ただいまー!」という元気な声が、さくら先生宅中へ響いてきたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 ふうま小太郎と井河さくらが性的睦み合いを続けているのと同時刻。

 東京湾内に浮かぶ人工島「東京キングダム」の一角にある小規模な商店街。

 そのほぼ中央にある路地で、2人の人物が対峙していた。

 

 一人は青い対魔忍スーツを身に着けた男で、名を土橋権左という。

 二車骸佐と共に五車へ反旗を翻した者の一人であり、二車家の執事を務めている。

 己が身の丈以上の槍を軽々と振るう武人でもあり、高度な土遁の術の使い手でもある。

 

「……ナニもんだ、貴様」

 

 権左がそう問いかけた人物は、彼が今までの人生で全く見かけたことのない異貌だった。

 

 黒染めの布服と急所を守る鎖帷子で出来た──巷間では“忍装束”と呼称されるであろうものを着こみ、手に手袋、足には脚絆を装備している。手袋も脚絆とも、当然と言わんばかりに漆黒である。

 更に顔には仮面をつけ、ご丁寧に黒頭巾まで被って頭も隠しているため、素顔はおろか男女の区別すら外見では判断できない。

 

 頭の先から足先に至るまで服装は黒で統一され、それ以外の色を身に着けることを一切拒絶したその恰好からは、死神と対峙したかのような不吉さが漂っている。

 

 着こんだ本人も、人らしい情動を全く感じさせない物静かさを保っている。

 権左が対面して以来一言も口を利かず、そういうマネキンだと云われたら信じてしまいそうなほどだ。

 

 それ故に、ただ1つ服装と真反対な純白の仮面が、そのアンバランスさと不安をあおる作り物の表情によって、一層身に着けている人物の非人間的な薄気味悪さを強調させていた。

 

 しかも只の仮面ではない。全体に胡粉が塗され、漆でコーティングされている。

 芸事に詳しくない権左でも一目で分かる程に、それはどこからどう見ても能面だった。

 

「……おい、まさか口が利けねえわけじゃあるまい? 死角からの一撃を躱したんだから、耳が聞こえねえって事もねえ筈だ。名前くらい教えろや」

 

 態と構えを解いて槍を地面に立てかけ、今までの緊張が嘘のように軽めの口調で話しかける権左。

 そのままナンパでも始めるかのような態度だが勿論油断しているわけではなく、即時攻撃へ移れるように足と腕の配置は迎撃体勢を崩していない。

 

 相手が今の様を隙と見て仕掛けてきたら、瞬きする間に突き殺す。

 そのつもりでカマをかけたのだが、“黒ずくめの能面”は返答どころか身じろぎすら全くせず、直立不動で彼を見返すばかりである。

 

「……んだよ、ノリ悪いねえ」

 

 これはどうだ、とばかりに顔を右手で覆い溜息を吐く権左。だが、相手の反応はない。

 危険を承知で視線まで切って尚何もしてこない相手に、彼は内心本気で辟易し始めた。

 

 

 

 五車を離反した対魔忍、中でも二車家に所縁のある者が中核メンバーを占める「二車忍軍」。

 彼らは首領たる二車骸佐の下、この「東京キングダム」に辿り着いて以降日々勢力を拡大している。

 

 大小様々な闇の勢力がひしめくこの街では、暴力沙汰や抗争は既に日常の一部である。

 だがその争いが個々人の問題を超えて組織間の縄張り争いにまで発展した時、血で血を洗う凄惨な殺し合いの末に一つの組織が姿を消し、他の組織は強化されることになる。

 

 明文化された法の効力が及ばないこの町においては、力によって定められた不文律が全てを決める。

 強者の理論が通らない場所はなく、勝った者がルールを自由に決められるということだ。

 

 そんな中でも、ゾンビガスとも呼ばれる兵器、CDウィルスを用いた襲撃という“イカれた”手段でシマを浚い、しかもその抗争相手が中華連邦系黒社会でも最大手といわれる「龍門」だったということもあり、骸佐や権左たち「二車忍軍」の名は瞬く間にキングダム中の悪党達へと広まっていった。

 

 そんな評判も後を押してか、彼ら二車の勢力基盤は僅か3か月足らずにして驚異的な伸張を見せた。

 当初は、抗争としても余りに無法な手段を使った事への反感も強く、組織とは直接関係のない住民からも嫌悪をもって迎えられた。

 

 しかし、こうした逆境は然程時間をかけずに解消された。

 かつての支配者よりも身かじめ料を少なくし、勢力内における過度な乱闘や悪質な犯罪を取り締まるだけで、人々はあっという間に手の平を返して彼らを賞賛し始めたのである。

 

 元来こうした町に済む者には、総じて弱肉強食の理論が浸透している。

 如何なる手段も結果によって正当化されるという意味では公平な価値基準を共有しているともいえる。

 

 モラルや遵法精神が何の役にも立たない環境の中で生きる人々の順応力を、骸佐達は理解していた。

 だからこそ、その風紀に即した調略を計画・実行し、表面的で利害関係込みとはいえ、短期間で人々の信頼を得ることができた。

 

 そうして、二車の面々は上手く龍門の支配圏をそっくりそのまま奪い取り、人々に自らの支配を認めさせることに成功した。

 徐々に現地で彼らの傘下に加わることを申し出る連中も増え始め、客観的に見ても順風満帆な成り上がりを果たしたと判断できるだろう。

 

 目指すはこのキングダムにおいて絶対的な権力を誇る、「4強」と呼ばれる他勢力に匹敵すること。

 そしてゆくゆくは町全体の支配者となり、名実ともにふうまを超える「家」を構える。

 

 それが二車骸佐の野望であり、彼がかつて主と定めた「目抜け」への決別を完全に果たし、過去を捨て去る道を選ぶための第一歩でもある。

 

 その実現を可能な限り速めるために、彼らはノマドのような連中とも手を組んで仲間殺しに手を染め、無差別に住民を巻き込むと知りながらバイオテロを実行した。

 

 最早後戻りはできず、立ち止まることすら許されない。

 それらを全て覚悟した上で、骸佐は魔道をひた走る決意を固め、権左達もそれに付き従うと決めたのだ。

 

 

 

 権左と能面の間に殺気を込めた沈黙が流れ、風さえ吹かない無音の空間が広がる中。

 突然、能面の背後に位置する地面が、スライムでも落ちたかのように不規則に蠢いた。

 

「……! よせ雫っ!」

 

 権左が叫んだ直後、蠢く影からバレーボール程の大きさがある黒い球体が飛び出してきた。

 その球体はゆらゆらと不安定な揺らぎを見せながら、そのまま風船と同じように空中へ浮かんだ。

 

 黒い絵具で空中に描いたかのようなフォルムをしている球体が、能面の顔がある高さまで浮上した──かと思うと、次の瞬間にはパァーン、という鋭い破裂音と共に、能面から離れるように四散し飛び散った。

 

 すると球体の中から、黒い飛沫と共に人影が1つ飛び出してきた。

 人影は吹っ飛ばされた勢いのまま空中で回転し、しゃがみながら普通の地面へ着地する。

 

「…………ええ? 今何やったの、そいつ。僕の闇が吹き飛ばされたんだけど」

 

 想定外な方法で迎撃されたことに憮然としつつ、襲撃をかけた人影は立ち上がった。

 その正体は、黒と紫を基調とした戦闘服に身を包む少年だった。

 

 あどけない眼差しと童顔と読んで差し支えない面立ちを持ち、義務教育すら終えていない年齢にしか見えないその少年は黒崎雫といい、権左と同じく二車忍軍の幹部である。

 

 雫はふうま一門に多く存在する系統の能力“邪眼”を有しており、その名を“盲目の赤蛇眼”という。

 これは雫自身の影から“闇の雫” と呼ばれる物体を生成し、宙に浮かせる能力である。

 

 “闇の雫” は重力や衝撃といった外部の影響を受けることなく浮遊し続け、ある程度の距離ならば彼自身の意志で移動させる事も可能だ。

 また雫本人は、“闇の雫” 自体の大きさに関わらず体の全体あるいは一部を自在にそこへ入れ、また入った所とは別の“闇の雫” から、距離や位置関係を無視して出ることもできる。

 

 これを用いた変幻自在の攻撃で相手を翻弄し意識の外からの攻撃で仕留めるのが、「二車忍軍」の最年少幹部である黒崎雫の基本戦法であり、初見の相手はまず防ぎようのない必殺技と言える。

 

 今の攻撃はその“基本”に則り、“闇の雫”内部に体全てを潜めた上で万全の態勢で奇襲を行ったつもりだった。能面の後ろを取った時点で、雫本人は既に勝ちを確信していた。

 

 だが、結果はまさかの失敗に終わる。

 雫が苛ついたのは、単に“闇の雫”を潰されたからだけではない。

 自分の得意技がジャブでも払うような気軽さで防がれたにも関わらず、敵がそれを成しえた原理が全くわからなかったからだ。

 

 二車の中でも突出した戦闘センスと身体能力を持ち、自らを天才と称して憚らない雫にとって、邪眼の力は絶対的に信用できるものであった。

 稀に勘のいい奴がマグレで死角からの攻撃を避けることはあっても、力の源たる“闇の雫”そのものを破壊される等ということはあり得ない筈だった。

 

 だが、今彼らの目の前にいる能面は明らかにその不可能を実現した。

 

(…………雫のやつが「出てきた」瞬間だ。何をやったかは分からんが、足を引いて後ろに素早く手を出した。それで野郎の拳に触れた瞬間、“闇の雫” が水風船みてぇに弾け飛んだ)

 

 少し離れた位置に経っている権左は、雫より引いた視点から今しがたの攻防を観察できた。

 だが月明りが殆ど無い今夜は、商店街の柱に据え付けられた街灯以外に頼れる明かりはない。

 権左の眼力をもってしても、能面の攻撃手段を看破することは厳しい状況である。

 

 普段ならネオンや店内から漏れる明かりによってもう少し見渡しがいいのだが、今は全ての店が閉じられ、周りに済む者は全て家の中に引き籠っている。

 この路地にいる人物も、動いているのは彼ら3人だけだ。権左が来るまで能面の相手をしていた彼の部下や気の荒い住人達は全員道端に転がっており、殆どが失神している。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 そもそもこの戦いは、突然この街に現れた正体不明の能面が、二車のシマであるバーの中で荒くれ者共と突然乱闘を始めたのがきっかけである。

 

『訳の分からん面を付けた奴が暴れている』というマスターの連絡を受けた権左が現地へ急行すると、彼の通報にしては珍しく嘘でも誇張でもない状況が繰り広げられていることに驚いた。

 このマスターは、粗暴さと底なしの性欲がウリなオークにしては珍しく気が弱く揉め事を嫌うため扱いやすいのだが、商品に手を付けるほどの酒好きかつ、街でも有名な法螺吹きでもあるからだ。

 

 件の店で起こっていたのは喧嘩、というには些か一方的な暴力行為だった。

 酔いに任せて乱闘に参加した一般人、それなりの場数は踏んできたであろうオークや魔人、更には騒ぎを見て駆けつけてきたであろう権左配下の対魔忍、それら全員が男に殴打されたらしき傷を負ってノックアウトされていた。

 

 見た所全員息はしているようだが、能面の方は傷はおろか衣服が乱れた様子すらない。

 圧倒的な実力差を察しざるを得ない状況だった。まさしく大人と幼児の戦いだっただろう。

 

 そんな惨状を見るや否や、権左はすぐさま頭を戦闘モードに切り替えた。

 土遁の術を用いて道路から土塊を削りだし、自らそっくりの土人形を2体形成する。

 そいつらを本体より先に仕掛けさせた上で、自分は更に術を用いて土中に潜行し、完全に相手の死角を突ける位置へ移動する。

 

 初撃から「決める」腹積もりで、権左は能面へと交戦を開始した。

 

 こんな時間にこんな場所で暴れるような奴が、今更話し合いでケリを着けるような物分かりがいい性格である可能性はほぼ無い。

 大体恰好からして自ら不審者だと名乗っているようなものだ。こういう輩と進んで交渉をするほど権左は酔狂ではなく、この現場を見て様子見や出し惜しみをする程鉄火場に不慣れなわけでもない。

 

 まずは確実に仕留め、脅威を排除する。身元の確認はそれからでも遅くはない。

 街の治安を預かる者の職責をもって、彼は理性的に能面を始末することを決めた。

 

 

 

 だが冷徹な権左の観察眼をもってしても尚、能面の戦闘力を正確に計れてはいなかった。

 能面は鋼鉄製らしき小手と手甲を身に着けているが、銃や刀剣はおろか寸鉄1つ装備していない。

 

 にも関わらず、分身達のコンビネーション攻撃を足の運びと体の反らしだけでいなし、死角かつ土中からの槍すらもあっさりと躱してみせた。 

 それだけではなく、長物である槍の攻撃を掻い潜って懐に入り、権左の分身たちをそれぞれ拳の一撃だけで粉砕してのけたのである。

 

(!! ……こ、こいつはやべえ……っ! 手練れなんてもんじゃねえぞ……!)

 

 自信をもって仕掛けた術と戦法が初見で破られたのみならず、殆ど素手同然の相手に追い詰められたことで、自他ともに認める戦闘狂の権左も流石に面食らった。

「クロスレンジでやり合うのは分が悪い」と直感し、後方に跳んで能面との距離を取ると槍を構え直し、敵の接近に合わせてカウンターを放つ戦法に切り替えた。

 

 だが、彼が予想していた追撃は何時まで経ってもこない。

 それどころか今しがた自分を殺そうとした相手と向き合っているというのに、殺意はおろか敵意すら感じ取ることができなかった。

 

 まるで人形かロボットと対峙しているような気分にさせられたが、権左は目の前の能面が間違いなく血の通った達人だと確信していた。

 それ程に今能面が見せた戦いぶりは見事なものだった。ドローンやアンドロイドの類にあんな動きができるとは、彼には到底思えなかったのだ。

 

「……ナニもんだ、貴様」

 

 だからこそ権左はこの能面に初めて興味がわき、判断を撤回してまで相手に話しかけたのだ。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 だが、権左の問いに能面が返答することはなく、雫が応援に来て尚状況が好転する様子は見られない。

 権左は再度の攻撃を仕掛けるタイミングを見つけられず、今にも飛び出しそうな雫を声や視線で制するのが精一杯だった。

 

 権左自身、2人がかりで挑んで負けるとは思っていない。

 だが敵の実力、特に土中からの槍や“闇の雫”からの奇襲を初見で看破した絡繰が不明な以上、迂闊な攻撃は予想だにしない犠牲を生むことになりかねない。

 

 バーで乱闘した相手には明らかに手加減しているところから見て、能面が無益な殺生をするタイプではないことは窺える。

 だが、本気を出さざるを得ない状況になって尚、敵の命を気遣うような博愛主義者に見えないのも確かだ。 むしろ立ち居振る舞いから推測するに、真剣勝負に一切の情けは無用と信じる手合いだろう。

 

(……こんな戦いじゃ死ねねえよな、流石によ)

 

 権左は心の中で苦笑する。

 

 彼や雫は、今の二車にとって欠かすことの出来ない戦力である。

 自分たちが捨て石になって主や組織全体にとって確実なリターンがあるというならともかく、彼らの命はこんな素性も知れない闖入者との戦いで散らしてよいものでは決してない。

 

 故に、能面が確実な隙を晒すか奴の能力が判明するかしない以上、こうして睨み合う以上の名案はなかった。

 だが、こうして突っ立っているままでそんな機会が訪れるとも思えない。

 

 ここで他の幹部──性格や実力から言えば彼らと同じ二車の一門であり、普段雫のお目付け役をしている楽尚之助か八百比丘尼あたりが望ましい──が来援に来てくれれば話は変わる。

 腕に覚えがある(雫ほど自信過剰ではないが)権左としては屈辱的な話だが、その希望に縋る以外、今は確かな勝ち筋を見いだせなかった。

 

 

 

 だが、そんな膠着状態は思いもよらない展開で崩れることとなる。

 

「……失礼。電話に出させてもらうぞ」

 

((………………は?))

 

 おおよそ権左と雫にとって信じられない事態であった。

 初めて能面から人間の声──低さから言って男だろう──が聞こえたと思ったら、何とそいつは戦闘中にも関わらず懐から携帯端末を取り出し、誰かからの着信に応答し始めたのだ。

 

「俺だ。首尾はどうだ?」

『ああ、お疲れ様。こっちは今片付いたわ。二車骸佐は留守の上、幹部連中は貴方たちの陽動に引っかかって皆いないんだもの。あっけなさ過ぎてつまらないくらいだわ』

 

 思わず権左と雫は顔を見合わせる。お互いに「何だこれは」とでも言いたげな表情だった。

 今まで全く隙がないことを忌々しく思っていたが、これは逆に隙を晒し過ぎである。

 2人共に待ちわびた絶好のチャンスだというのに、権左はおろか雫さえ困惑の余り足が動かなかった。

 

 

 

 おまけに能面はただ通話するだけでなく、態と2人に会話が聞こえるようにスピーカーで話相手の声を出力している。

 挑発のつもりなのか、或いは彼らに会話の内容を聞かせるのが目的だとでもいうのだろうか。

 

「……あ? おい待て。今なんつった?」

 

 うっかり気が緩んで聞き逃すところだったが、電話の向こうにいる相手──こちらは声色からして女だろう──が話した「陽動」の一語は、権左としては絶対にスルー出来ないものだった。

 

『……え? ちょっと待って。もしかして貴方、近くに二車の連中がいるの?』

 

 その声が聞こえたのだろう、電話相手の女は明らかに動揺しだした。

 だが、それに対する能面の回答は実にあっけらかんとしたものだった。

 

「ああ。つい今しがたまで戦っていた。だがもうこれでこちらの狙いは分かったことだし、彼らも急いで戻るだろうから、そっちは撤収を急げ。こっちは仕掛けを作動させる。詳しい報告は後で聞こう」

『…………』

 

 女は言葉を返さず息を呑む音だけが聞こえた。

 男の能天気さに呆れたのだろう。権左は少しだけ女に同情した。

 

「どうした? もう切るぞ」

『……え、ええ。それじゃあ』

 

「どうした?」じゃねえよお前がどうかしてるんだよ。

 珍しく権左と雫の思考が完全に一致した瞬間だった。

 

 

 

 そんなありえない状況で通話を行った能面が携帯をしまい、権左に視線を戻す。

 すると、今までの無反応は何だったんだというくらい、気さくな口調で向こうから話しかけてきた。

 

「まあ、そういう訳だ。俺達が派手に暴れて注目を集め、今の仲間が情報を本拠地から盗み取る。その作戦は無事終了した。つまり俺の方には、これ以上お2人さんを足止めする理由はなくなったわけだ。ちなみに、俺たちがそこまでして盗んだ情報が何なのか、お前さん知りたいか?」

 

「…………ああ、是非聞きたいね」

 

 槍を構えたまま、そう権左は答える。

 敵の話を全面的に信じることはないが、芝居だと断じるには少々手が凝り過ぎている。

 

 能面の話を信じるなら、雫以外の応援が来ないのは奴のような敵が他にも街中で暴れているために手が回らないからということになるが、現状それを確かめる術が権左側にはない。

 

 まさか、目前の相手を真似して携帯を使うわけにもいかない。馬鹿らしいが、こちらが通信しても仕掛けてはこないと思いこませて裏をかく為のポーズである可能性は捨てきれない。

 

 ペースに乗せられているようで不本意だが、今は少しでも会話から手掛かりを掴むしかない。

 通信での会話にも出てきたように、今この東京キングダムに二車骸佐がいないことは事実なのだ。

 権左が常以上に慎重な対応を強いられている、その最大の理由はこれだった。

 

「その前に確認しておくが、お前らがこの地にいた『龍門』の連中を排除しその権益を奪った時、奴らが隠匿していた“玩具”の殆どは売っぱらって金に換えた。それは間違いないな?」

「……さあね、その辺は俺が担当したわけじゃないんで、詳しくは知らねえな」

「そうか。その中に『馬超』というコードネームを与えられた生物兵器があった。見た目は単なる女型の化物に過ぎず、狂暴な本能のままに周りの人間を襲う」

 

 権左の惚けた回答なぞ意に介さず、と謂わんばかりに能面は話を続けた。

 

「だがそいつには単なるモンスターと見なすには恐ろし過ぎる秘密があった。チャイニーズ共は近年遺伝子細工やらクローンやらに凝っていてな。馬超はその息がかかった闇組織のブツだ。とんでもない“両親”を持っているのは想像に難くあるまい。……そこのボウヤ、お前はこいつの“親”が誰か知ってるか?」

「はぁ? ……んなの、僕の知ったことじゃ「だろうな、だが今回は知っておいたほうが良かったのは間違いない。何せお前らの主ときたら、その最高にヤバい代物を碌に調査も対策もせず、どこぞの厄介な好事家へ売り飛ばしたんだからな」

 

 今度は雫の回答を遮って説明を始めた。

 顔は見えないが、心なしか話し始めの時より能面のテンションが高くなったように聞こえる。

 

「全く、そいつが廻り回って自分たちに牙を剥くとか考えなかったのかね。……まあ、手元に置いておくのも物騒過ぎるし、何より金が入用だったのは仕方あるまいな。残ったウィルスの除去や感染者の治療、その為には結構な費用が必要だ。『あれ』はさぞかしいい値で売れただろうよ」

 

 そう語る能面の口調は彼らの所業を嘲笑うかのようでもあり、同時に教師が生徒の失敗を諭すかのようでもあった。

 どちらにせよ、そんな語り掛けは2人の神経を逆撫でするのみだったが。

 

「最初から連中のカネを当てにした作戦である以上、多少のリスクはやむを得ないだろうが……それにしたって乱暴だよな。お陰で自勢力内では兎も角、他からの評判は最悪だ。獣王会……だったか。隣の地区に構えているあの連中なんて、今にもお前たちに報復したそうだが?」

 

「そんな事」は、権左達も最初から想定済みだった。

 ウィルス兵器の使用により、龍門の構成員だけでなく他勢力の人間をも巻き込むことについては、作戦立案の段階で身内からも懸念する声が出ていた。

 

 いくら闇の町での勢力争いがルール無用だといっても、人として許容できるラインはある。

 

 まして、それまでは曲りなりにも対魔忍を名乗っていた自分たちがそのような蛮行を行えば、反動による不信と批難はより大きいものとなり、支配するどころか街全体を敵に回すことになる可能性とてある。

 権左自身、主命とはいえこの作戦に思う所が無かったわけではない。

 

 だが、血生臭い砂をかけてまで五車から出奔した“二車忍軍”が独立して活動するためには、一刻も早く根拠地となる場所、配下の者達を養う経済基盤が必要であることもまた明白だった。

 

 だからこそ、ノマドの連中に借りを作ってまで“シマ”を手に入れる最短距離を突っ走り、事を成しえた後は全力で後始末にかかると決めたのだ。

 

 罵倒されようと唾を吐きかけられようと、必ず結果で悪評を覆して見せる。腕ずくで俺たちを排除しようというならば望むところだ、こちらも実力でもって応えよう。

 二車骸佐にその気概があればこそ、部下である権左達もその意志に沿い、敢えて外道働きも厭わず闇の住人となる道を進んでいるのだ。

 

 故に、この能面の諭すような口上は許容しがたいものであった。

 知らず、権左の槍を握る手にも余計な力が入る。無事に帰すつもりは最初からなかったが、今や何としても目前の能面を叩き割らずには、彼に宿った激情は収まりそうもなかった。

 

「……お前に何が分かる、とでも言いたそうな面だな? ああ、気持ちは分かるよ土橋権左。今の五車に、そしてあの“目抜け”には、俺も言いたいことが結構ある」

 

 そこで、権左は目の前にいるこの男の素性に気が付き、瞠目した。

 五車のことは兎も角、あのふうま家当主を“目抜け”と呼ぶ人間はかなり限られる。

 

「……お前、対魔忍か?」

「おや、まだ気づいていなかったのか。……ま、とはいっても俺は、お前たちとは些か以上に立ち位置が異なる。野良犬になって腐肉を漁るくらいなら、飼い犬として上等な餌にありつきたいって信条なもんでね。だからこれを機会に、ちょっとお前らに聞いておきたいことがあるんだがな」

 

 そこまで話した所で、能面は一呼吸分溜めを作った。

 もって回った彼の物言いの所為で、権左と雫は急にクサい芝居を見せられている気分になった。

 しかもそのクサさとは腸が煮えくり返るような怒りを想起させる、不快極まる腐臭だった。

 

 

 

 

「―どんな感じなんだ? 自分で点けた火を消して感謝され、殺した人間の家族から与えられた金で飯を食う気分っていうのは? ……おっと」

 

 

 

 

 そこまで聞いて、ついに雫のの我慢が限界を迎えた。

 余程頭にきたのか“闇の雫”を使うことすらせず、足による踏み込みだけで一息に能面まで迫る。

 その勢いを乗せて右手の鉤爪を突き出し、彼の喉首を引き裂かんとするも──。

 

「……おいおい、ボウヤ。ここは怒らずに反省するもんだ。お前らが今日まで何人殺したか、何なら数えて教えてやろうか?」

「く……うるさい!! お前なんかに骸佐様の何が……! ぐぁっ!」

 

 能面はあっさりとその攻撃を右手で掴んで無力化し、激高する雫が口上を述べきる前にその喉を左手で握り、雫の発声と呼吸を遮る。

 

「骸佐様の、だと? ……人の話はきちんと聞くもんだぞ黒崎雫。今はお前の“罪”について話してるんだ。どう言い訳しようと、お前たちが二車や龍門とは何の関係もない命を奪った事実は変わらん。お前は自分の罪悪まで主に背負ってもらうつもりか? そこまで介護してもらわなければ立つことも出来ないようなガキが、俺に勝てると思っているのか?」

 

 正論や質問を畳みかけて委縮させ、反論しようとする意志を挫く。

 その圧迫面接の如き説教は、高慢な年長者が年下を叱る時特有の手法だった。

 

 上から目線で話されれば、雫のような少年は必ず反発する。

 能面はそれを知った上で語り掛けつつ、まるで自分の小ささを思い知らせるようにぐい、と首を掴んだまま目線以上の高さに雫を持ち上げる。

 

 頸動脈と気道を絞められた雫は「放せ」の一言すら言えないまま上を向き、酸素を求めて喘いだ。

 邪眼を発動し“闇の雫”を使うだけの集中力すら、今の彼にはないようだ。

 半ば無意識に手足をバタバタと動かした時、鉤爪が何度か能面の腕や胴体を切り裂いている。

 

 本来なら痛手を与えられるであろうその抵抗は、能面の着こんだ黒い服に斬り跡をこそ残してはいるが、皮膚自体には跡どころか出血すら見られない。

 斬撃は装束のみならず、その下に着けられた黒のボディーアーマーや小手を貫通し、間違いなく身体まで届いているにも関わらず、である。

 

 無理やり病院に連れていかれ駄々をこねる幼児のような有様に、能面は「フッ」と嘲笑を漏らす。

 

「……悪いが子どもの相手は苦手でな。後のお叱りは他の奴にやってもらうといい。じゃあ……なっ!!」

 

 この程度の挑発で我を忘れ、術の使用もせずに突っかかる者に興味はない。

 その台詞は胸にしまい、能面はただ行動で自分の意志を雫に伝えることにした。

 

 すなわち、人間を槍に見立てた大暴投によってである。

 首を掴んだままその場で横方向に一回転し、遠心力と肩の力を最大限活用したスローイングは過たず斜め上方向への直線運動となって作用し、黒崎雫を宙へと放った。

 

 綺麗に槍投げと同じ軌跡を描いて空中に放り出された少年の肉体は、槍どころか野球のボールすら滅多に経験しない距離を飛ぶことになった。

 

 予想外の飛行体験をする羽目になった雫は気が動転して、悲鳴すら碌に上げられなかった。

 彼はヒューッ、という風切り音だけを残し、街上空に広がる暗闇へと飛ばされて姿を消した。

 

「…………まじかよ」

 

 手を出し損ねた権左はこの光景を見て、ただ呆気にとられるしかなかった。

 

 彼が何より魂消たのは能面が今しがた見せた、小柄とはいえ人間一人を数十m以上遠くへ投げ飛ばす膂力であるが、それより前に披露した反応速度と耐久力も十分驚嘆に値するものだった。

 

 雫の装備した鉤爪は単なる金属製ではない。

 主たる刃は出力によって長さを調整できるエネルギーブレードであり、人間が素手で防ごうなどとすれば腕ごと切り裂かれるしかない。

 

 にも関わらず、能面は爪状に形成された高出力レーザーを握りしめ、雫の攻撃をいとも簡単に受け止めてしまった。

 たとえ耐熱性の装備を付けていたとしても、仮に相手が人間でなくとも、そんなことは不可能のはずだった。

 

 しかも雫が喉を絞められ藻掻く際、腕や胴に鉤爪が当たっても尚能面にはダメージがなかった。

 この事を考えれば、奴の強さは単に頑丈な装備を着こんでいるとか、鋼のように肉体を鍛えているとかの問題ではない。

 明らかに人の領域を外れた、権左が予測もできない「何か」を持っているとみて間違いない。

 

 であるならば、猶更この情報を主や仲間に伝えねばならない。

 単に分が悪いというだけでなく、既に権左の方にもこれ以上戦う必然性は無かった。

 相手が帰るというなら、猶更深追いは無用である。

 

 このまま能面を見逃して勝ち逃げされるのは癪だ。

 だが権左にとっては、無駄死にして主や仲間に迷惑をかけることの方が余程業腹であり、それは自らの存在意義を否定するに等しい暴挙なのである。

 二車家執事となったその時より、土橋権左の命や名誉は彼自身のものではない。

 

「……どうやらお互い意見が一致したようだな。結構、では俺は帰らせてもらうよ」

 

 そんな権左の思考すらお見通しなのか、能面はそう言うなり踵を返した。

 そして槍を構えた男に向かって背を向け、そのまま路地の奥へと無造作に歩いていった。

 

 今となってはこれを油断と考えられるほど、権左は素人でも狂犬でもなかった。

 だが同時に、主や自分に対し讒言を吐いた相手を笑って許せるほど、彼は温厚でも鈍感でもない。

 

「……おいあんた、せめて名くらい言っていけよ」

 

 それは断じて親しみや敬意故の発言ではない。

 名前も知らなければ探し出して殺すのに不便だという、極めて殺伐とした理由でしかない。

 

「ふ……生憎、俺は名前なんぞ必要のない世界の住人でな。どうしてもというなら、そう……『鴉』とでも呼べばいい。……あ、そうだ。折角ここでお前と会ったんだ。一つ忠告しておこう」

 

 問いかけた権左に背を向けたまま、能面は何の手掛かりにもなりそうもない適当な名をあげた。

 しかしその後、何か言いたいことがあったのを思い出したらしく、体を後ろに振り向かせた。

 

 夜の闇に紛れて体の輪郭がぼやけ、まるで能面だけが宙に浮かんでいるように見える。

 それは最早ホラー映画のワンシーンを見せられているかのようで、只管に不気味な光景だった。

 

「他所者と組むなら十分に注意するんだな。『鶏口となるも牛後となるなかれ』、なんて言うつもりはないが、知らぬ間に組織ごと誰かの捨て駒にされていた、なんてオチは俺としてもつまらんからな。……ま、精々頑張ることだ。立場上応援は出来ないが、お前たちの息災くらいは祈っといてやるよ」

 

 権左の体中から漏れだす殺気をものともせずに、纏う雰囲気に合わない軽薄なアドバイスを残し、今度こそ能面は完全に街の闇へと溶けていった。

 

 次に会ったら殺す。必ず殺す。

 人によっては負け惜しみにも聞こえる決意を胸に刻み、権左はその背を黙って見送った。

 

 数秒後、能面に投げ槍扱いされた黒崎雫が顔を真っ赤にして戻ってきた。

 “闇の雫”によって落下の衝撃は殺せたらしく、その身体に外傷は全くなかった。

 しかしどうやら幼さ故に天井知らずな少年のプライドは、泣きたくなるほどに傷つけられたようである。

 

 だが雫と同程度以上にキレている二車家執事は、その顔を見ても慰める言葉は一切かけず、代わりにその湯気が立ちそうなほど血が上った小さな頭へ、一発の拳骨を見舞った。

 

 更に思わぬ攻撃を受けて雫が頭を押さえ、「何すんだよ!」と叫びながらその場に屈んでいる隙に、

 

「うるせえ。今日のザマは百之助とおばばに知らせとくからな。精々絞ってもらえ」

 

 それだけを吐き出すように告げ、足早にアジトへと戻っていった。

 誰が何処をどう見ても、それは大人げない八つ当たりそのものだった。

 

 

 

 

 

 こうして、東京キングダムにおける一夜の「小競り合い」は幕を閉じた。

 ほぼ同時期、権左達とは別の場所で「二車忍軍」の幹部や構成員と交戦中だった「謎の集団」も、まるで幻だったかの如く瞬時に姿を消した。

 

 また、権左達以外が到着した現場においても死者は1人も出ていなかった。

 重症者も合計して10名に満たず、一番酷いもので肋骨や鼻骨の骨折だったと報告された。

 

 明らかに、陽動をかけていた者達の手加減が見て取れた。

 無論余計な犠牲を出さないという人道的配慮だけでなく、怪我人を増やしたほうが多く時間を稼げるという打算もあったであろうが。

 

 その後二車忍軍総出で必死の捜索が行われたが、「鴉」と名乗った能面の男を含め、襲撃を掛けた「集団」の足取りや素性は洋として掴めなかった。

 また彼らの本拠地にあるデータサーバーを調べたところ、何者かが不正な手段でアクセスし、中のデータをコピーした形跡が見つかった。

 

 そのコピーされたデータとは、彼らが売却した龍門の“資産”と、売り先である顧客の情報だった。

「鴉」は、確かに真実を話していたのである。

 

 

 

 

 

 

 

「──ふ~ん。で、言い訳はそれで終わり?」

 

 拝啓 ふうま時子様。

 長い間お世話になりましたが、今日でお別れになるかもしれません。

 その理由が物理的な死なのか社会的な破滅によってなのかは、今のところはまだ分からないが。

 

「……い、いやだってさあ。『遊びに行ってくる』って言って日が暮れても帰ってこないときは、今まで大体泊まってきてたじゃん。いつもと違う流れになったんなら連絡入れてくんないと、こっちにも予定ってもんが……痛ぁっ!」

 

 ぎち、と拘束の締め付けが強くなり、さくら先生が情けない悲鳴を上げる。

 今現在彼女は金属製の触手によって両手足を縛り付けられており、全く身動きが取れない状態だ。

 

 そして、つい数分前までさくら先生と交わっていた俺はと言えば、真っ裸のまま床に正座させられている。

 寝室の床はやけに冷たく、風呂から上がったばかりというのもあって妙に肌寒い。

 

 その眼前には、彼女をぐるぐる巻きにしている張本人──背中から金色の触手を6本生やしたピンク髪の少女が、見るもの全てを虐げずにはいられないとでも言わんばかりの嗜虐的な笑みを浮かべて仁王立ちしていた。

 

 

 

 この少女の名前は沙耶NEO。「NEO」までが本名だが、親しいものは皆「沙耶」と呼ぶ。

 

 彼女は元々米連の研究者たちによって作られた人造魔族であり、戦闘用の触手を装備され残虐性と闘争心を強化された兵器として、向こうではモルモット同然の扱いを受けていたようだ。

 

 だがある日、極秘で行われた日本某所における実験中に職員や警備部隊を殺害し脱走。

 俺はその回収任務をDSOに所属する“仮面の対魔忍”に依頼され、彼女を追った。

 

 だが実際に沙耶と会った時、この少女の境遇やこの先の処遇を考え、五車で保護すべきという考えに至り依頼主らと対立した。

 

 その後血生臭い“紆余曲折”を経て、沙耶は無事五車の保護下におかれた。

 

 そして現在、沙耶はさくら先生の家へ居候している。さくら先生は「えー何でよー!? ふうま君ちで預かればいいじゃん!」と渋ったらしいが、最終的にはアサギ先生が総隊長権限で押し切った。

 

「居候がいるのに男を自宅に呼んだのか……」という非難には、先生は強く「No」と答えるだろう。

 実際いつもの彼女なら今この家にはいない筈だし、俺も説明を聞いてそう思ったからお誘いに乗った。

 

 どういうことかというと、この沙耶という女は見た目通り勝手気ままで、家で落ち着いて暮らすというのができない性分なのだ。

 

 米連の研究施設から脱走したのも良心の呵責などではなく、実験ばかりで外出はおろか他人とのお喋りすら碌にできない毎日に飽き飽きした、というのが最大の理由らしい。

 退屈を嫌い、一所に落ち着かず、一旦夢中になると他のことが目に入らなくなる。まるっきり猫みたいな奴だ。

 一応今俺たちがいるこの家を自宅と認識してはいるみたいだが、では実際週の何日この家に帰ってきているのかといえば、恐らく多くても3日といったところだろう。

 

 それ以外の日はどうしているのかというと、町内で目を付けた“友達”の家に転がり込んでいるらしい。

 

 

 

 生物兵器となるべく作られただけあって、沙耶NEOは闘争と殺戮を何より好む。

 五車に来たばかりの頃は、“遊び甲斐”のある相手を見つけては手当たり次第にちょっかいを出していた。

 流血沙汰となって、さくら先生と被害者家族が揉めるという、割と洒落にならない事態にもなったことがある。

 

 そんな過激で残酷な性格なら、あっという間に敵視され孤立する──かと思いきや、意外と仲の良い人間はすぐできていた。

 バトルジャンキーなシリアルキラーという割とどうしようもない性を持つ沙耶だが、そんな彼女だからこそ放っておけない、というお人好しも結構いたということだ。

 

 米連やアスカを敵に回してまで彼女を助けた俺が言うのもなんだが、この町は親切な奴が多過ぎる。

 対魔忍とは人に牙を剥く魔を倒す正義の味方である、というパブリックイメージに照らし合わせるならむしろ自然なことというべきなのかもしれないが、理想と現実は乖離するのが世の常でもある。

 

 しかし実際この町には正義感が強い上に、沙耶と“遊べる”だけの実力者がざらに住んでいる。

 さらに言えばそんな真面目な奴らの中でも、問題行動を起こす者や、集団に馴染めない者を正すのが自分の使命だと確信している存在、所謂「委員長キャラ」は特に沙耶との相性が良かった。

 

 それは、彼女が根っからの“悪人”ではなかったというのも大きな理由だろう

 

 確かに沙耶は常に戦える相手を物色し、他人を傷つけると興奮するヤバい女だ。

 だが戦闘時以外の沙耶は言動こそ物騒だが、性根は素直で無垢な少女そのものであり、キリングマシーンとなるように苛烈な意識矯正を受けていたとは思えないほど、人格自体の破綻は見られない。

 

 実際、他人に注意されれば割と言うとおりにするし、驚いたことにやり過ぎた相手には頭を下げて謝罪し、町中で戦ってものを壊してしまった時は頑張って直そうともする。

「あーあヒマ、誰か殺したいなあ」とかいう独り言を結構な頻度で呟いてはいるが、外見の怖さを乗り越えて話してみれば案外「カワイイ女の子」って印象を受ける奴だ。

 

 ……いや、勿論趣味嗜好の時点で、一般社会の基準では完全にアウトである。

 “意外と”可愛いところがあったとしても、沙耶が監視や制限も無く伸び伸びと生きていてはいけない存在なのは変わらない。

 

 まあそんな理由で、沙耶の周りには彼女がやり過ぎないように見張り、大事になる前に制止し仲裁するタイプの女―男は下心丸出しなので全員瞬時に蹴散らされている―がよくいるようになった。

 

 特に「喜瀬蛍」と「紫藤凜花」はお気に入りのようで、蛍先輩からは暴れるたびに折檻と説教を喰らい、凜花先輩には 煙遁の術であしらわれつつも可愛がられているようだ。

 前者はともかく、後者がこういう対応をするのは意外だった。案外子どもが好きなのかもしれない。

 

 

 

 ―で、その沙耶は今日の昼頃、蛍先輩と遊んでいる事をさくら先生に連絡した。

 監視をしやすくする為に持たせている携帯を使い、彼女がさくら先生宛に電話を掛けてくる時はいつもその話であり、先生はこの時点で察しがついた。

(あ、今日は蛍ちゃんちに泊まるんだな)、と。

 

 事実、今までこの電話をした沙耶は、そのまま遊び相手の家に転がり込んで一晩過ごすのが定番だった。

 一言も伝えずにそうしていたんだ。今日みたいに「夕飯だけもらった後帰ってくる」というなら、沙耶の方にそう連絡する義務が生じるだろう。

 

 少なくとも、いくら「家に帰ってきたら知らぬ間に家主が男を咥えこんでいたから」といっても、世話してくれている人間を拘束して相手の男を辱める権限なぞ、この触手女に与えられる道理はない……筈なのだが、

 

「ふうまもさぁ、何か私にいうことない? この前凜花に聞いたよ、むかし間男は逆さ吊りにしてちんこを焼きごてで潰されたんだって。やっちゃうよ沙耶、めんどいから焼かずに刺すけど」

「怖いわ! ってか間男じゃねえよ、お前と先生は夫婦じゃないだろうが!」

「そうだそうだ、どっちかっていうと沙耶ちゃんがお邪魔虫……んぐぅ!」

 

 口にまで触手が巻かれ、さくら先生がもごもごとしか声を発せられなくなった。

 いよいよ孤立無援となった俺に向かって、沙耶が腰に手を当て立ったまま顔を近づけてくる。

 

「そんな態度取っていいのー、ふうま? この事を他の人にバラしたら、いったいどーなるのかな?」

 

 くひひ、と可憐ながらも邪悪な笑い声を浮かべる沙耶。

 

 普段は「カワイイ女の子」だと言ったが、殺し合いをしている時と、こういう悪ふざけをしている時の沙耶は正に“悪魔”と呼ぶにふさわしい振る舞いを見せる。

 人の弱みに付け込んでマウントを取る様には、ベテラン虐めっ子の風格さえ漂っている。

 

 事実今の状況下において、俺の立場は非常に弱い。

 いくら姉公認の仲(なし崩しにだが)であり、他と比べて“そういう関係”に寛容的な五車にあっても、教師と生徒の姦通は立派なスキャンダルである。

 

 おまけに俺は忍法も使えないのに、いきなり新設部隊の隊長に任命された「目抜け」であり、さくら先生は俺を大抜擢した五車学園校長の実妹である。

 俺たちの関係が漏れた時、一体何人の純朴な奴が俺の“裏口就任”を疑わずにいてくれるだろうか。

 

 下手をすればアサギ先生の進退にも関わる重大事である。

 俺が望んで始めたことで彼女に迷惑はかけられない。万難を排して流出を防ぐ責任がある。

 

 それはつまり、この関係をネタに脅されれば大体従わざるを得ないということだ。

 沙耶がこの事情をどこまで認識しているかは不明だが、脅迫している以上俺とさくら先生の肉体関係が“良くない”ことだと分かっているのは確実だ。

 

 ちなみに沙耶を救出した俺や、五車に来てから今日まで面倒を見ていたさくら先生の破滅は、即ちそのまま彼女の立場が悪化することも意味するのだが、多分そこは理解していないだろう。

 

「……何をすれば許してくれるんだ。三回転してワンと鳴けばいいのか」

 

 そう答えると、沙耶には首を傾げられた。どうやらこのウィットな返しは伝わらなかったらしい。

 

 ここで最低なりに開き直って「俺がどこで誰を抱こうが勝手だ! 文句があるなら勝負しろ!」くらいの啖呵を切れれば恰好はつくのだろうが、生憎俺は勝ち目ゼロの戦いはしない主義だ。

 そして、俺にはさくら先生との関係以外に、沙耶に対して強く出れない理由がもう1つあった。

 

「……ふうまさあ、この前私のこと好き勝手に犯したよねえ、さくらとこういう関係なのに」

 

 今一番聞きたくなかったことを言いながら、沙耶が俺の膝に足を乗せる。

 それだけで情事を強制的に中断させられた敏感な肌が、大げさにびくっ、と反応を返す。

 

「私、別にさくらには怒ってないよ? 『ただいま~』って言ったの無視されたのには、ちょっとムカッてきたけどさ。ここさくらんちだし、誰とナニしようが私の邪魔じゃなければ別にいいよ。……で、も」

 

 首元に冷たい感触がはしり、火照りを冷ます以外の理由で汗が俺の頬を伝う。

 いつの間にか首筋に沙耶の触手が回され、獲物を嬲るように首筋を先端でちろちろと撫でられる。

 その気になればいつでも頭を串刺しにするなり、締め付けて頸椎をへし折るなりできる体勢というわけだ。

 

「あなたは話が別だよね~♪ 私に内緒っていうのも、私が住んでるこの家で留守中にっていうのも駄目じゃん。私、仲間外れにされるのも隠し事されるのも嫌いなんだよね~。2人共知らなかったみたいだけど」

「……お前以外とスるときは、一々許可を取れとでも?」

 

「他の女とされるのは嫌い」、とは言わなかった。

 つまり沙耶が抱いている怒りの焦点は「俺がさくら先生とセックスしたこと」ではなく、「沙耶に内緒でセックスしたこと」にある、と推測できたからこそ、俺はこんな軽口を返した。

 

「え~何それ。毎日ふうまから『今日誰々とエッチするんだけどいいかな?』ってメッセージくるの? ……ぷっ、あははははははは、何それ面白~い!! ……あ~でもいいや。後でウザくなりそう」

 

 勝手にウケられて勝手に冷められた。

 一笑い起こして場も和むかな、なんて期待も少しはしたが、俺もさくら先生も拘束は解けてない。

 

「そうじゃなくて、もっとシンプルな提案だよ。つ~ま~りぃ……ま・ぜ・て♡ってこと」

「……ああ、そういうことか」

 

 ここまでの流れで何となく予想はついていたが、いざ言われるとここまでげんなりするとは。

 俺も大概好き者だが、嬲って足蹴にしてきた相手と3Pするような非常識さは持ち合わせていない。

 

「さくらもいいよねぇ? ここ……まだ物足りないって感じだしぃ」

「……? おい、何を……」

 

 沙耶は俺の首に1本、さくら先生の拘束に3本の触手を使っている。

 そして残り2本で先生の脚を広げて地面から浮かせ、その濡れに濡れた外陰部をはっきりと見せる。

 いつもながら見事なコントロールだが、不穏なものを感じた俺は声で沙耶の意志を問いただそうとする。

 

 しかしその言葉を言い終わる前に、沙耶はとんでもないことをやらかした。

 最後に残った一本の触手を、躊躇うことなくさくら先生の淫裂に突き込んだ。

 

「……!! ンンッ、ングゥ──ー!!」

「おい馬鹿ふざけっ……っ!! くそっ!」

 

 俺が立ち上がって止めようとするも、踏みつけと首の触手でいとも簡単に押さえられてしまった。せめてもの抵抗と思い両手で触手を引き剝がそうとするが、案の定びくともしない。

 先生の絶叫も聞く耳もたず、ジュプ、チュグゥ、ズズッ……と水音と軽い摩擦音を奏でながら、触手は先生の膣内に侵入していく。

 

 一見スムーズに入っているようだが、沙耶の触手は張型じゃない。

 鋼板すら貫通し、人間を抱えて投げ飛ばせる程のパワーを持った兵器である。まかり間違っても女性器に突っ込むなんて蛮行が許されていいわけがない。

 

 大体触手の先端部は鋭い刃状になっていた筈だ。

 操縦者がどれだけ力加減をしようが、膣内部で動かせば膣襞や子宮口をズタズタに切り裂くだろう。

 

 目を伏せたくなるような惨状を想像し、全身から血の気が引くのを実感したところでしかし、俺はさらなる違和感に気づいた。

「待てよ、だったら入れた時点で既に手遅れのはずだよな?」と。

 

 明らかにさくら先生の膣口は触手の直径よりも小さい。だからどんなに愛液が滴っていようが、ねじ込まれた時点で大出血が起きて然るべきだというのに、今もってその様子はない。

 いや、そう言えばいきなりの事で動揺してしっかり形を確認できなかったが、先生に突っ込まれた触手は他と形状が違った様な……。

 

「えへへー。何ふうま、さくらのアソコがバラバラになると思った? ざんね~ん、今ナカに入れたのは特別製なの。先っぽが他のコと違ってね、こう丸くなってて、しかもゴムみたいに柔らかいの」

「な、何でそんなモンが……」

 

 沙耶のジェスチャーを交えた説明を聞き、俺は納得するどころか疑問が増えた。

 彼女の触手は米連製のワンオフ装備で、五車に来てからもメンテこそされているが基本はそのままである。

 俺の記憶では先端の形状は全て同じものだったし、そんな改造を施されたなんて話も聞いていない。

 

「にひひ、実はキリューにお願いしてみたの。あんまり五車の人たちと遊ぶ時にケガさせてばっかなのもあれだし、

 あんまり痛くない感じにできないかな~って。ね~これ見て、いい感じなの♪」

 

 聞きたくなかった事実を告げ、沙耶はさくら先生の胴体を縛っている一本の先端をこちらに近づけてくる。

 見てみると、確かに先端部分が刃でなく黄色い球体で覆われている。しかも先端だけではなく胴の部分も、表面の素材が同色の何かに変わっている部分がある。

 

 改造を受けた部分は、他の触手より2周り以上細く、他とは全く違う柔軟な素材で覆われている。

 形状のイメージは、刀身を丸ごとスポンジで包んだ竹刀、といったところだろうか。

 

 触手の元を目で追うと、どうやら装置の下部から出ている2本だけがこうなっているらしい。

 根元から途中までは他と同じ形状なのを見るに、どうやら本体を削り表面を柔らかい素材で覆うことで、殺傷性を抑えつつ装置へ収まるように調整したようだ。

 

 表面を触ってみると、先端も胴もゼリーのような手触りがする。指で押すと簡単に凹み、放せばすぐ元に戻る。

 本体が包まれているため芯の感触はあるが、不思議なことに触手本来のゴツゴツした硬さは一切感じない。

 その理由はおそらく、触手本体と柔らかい皮膜の間に2,3㎝くらいの厚みで満たされているジェル状の物質だろう。ヒット時の衝撃を抑えるための緩衝材ということだろうか。

 

 

 確かにこれなら万一急所を殴られても、対魔忍の肉体ならば死ぬことはないだろう。桐生博士の仕事らしい、妙に凝った仕上がりだ。

 だが、それだけに俺の不安はより強くなった。あの変態が善意のみを理由として、この手の依頼を引き受ける訳がない。何か悍ましい探求心に満ちた、邪悪な仕掛けが隠されているに違いない。

 

「ングっ!? ふ、ふう、ほぁに、こへぇ! オフッ、ンンン、ンンンンン~……!」

 

 と、さくら先生の声色が微妙に変わった。

 さっきまでは苦悶と恐怖のみが籠っていた喘ぎ声が、今は急に困惑を含む甘い音に変わり始めた。まるで、本物のバイブを突っ込まれた時のようだ。

 

「あー、効いてきた? ……いや何でもね? この中に溜まってるのが特殊な媚薬らしくて、ゴムのとこが濡れるとちょっとずつ溶けて染み出して来るんだって。だからまあ、オマンコの中に突っ込まれればそうなるよね~って」

 

 沙耶は、新しく買ってもらった玩具を友達に自慢するかのような口調でそう言った。

 あの変態マッド野郎、やっぱり“こういう使い方”を想定した改造をしてやがった。

 紫先生にチンコロして八つ裂きにしてもらおう。俺は脳内でそう固く決意した。というか、沙耶の方も確信犯じゃねえか!

 

「んん! んんぐぐ、ぁあしぇ、んんん~!!」

「……う~ん。多分放せって言ってる? やだなあ、そんなのダメにきまってるじゃん♪ 何せ……」

 

 沙耶はサディスティックな笑顔のまま触手を伸ばし、さくら先生をベッドまで運び押し倒す。

 そのまま先生の脚を開かせたまま、背中から下だけを浮かせた体勢―所謂まんぐり返しをさせた。

 すると触手の動くスピードが上がり、ぐちゅぐちゅと、攪拌された水の音がより大きくなる。

 

「お楽しみは……これからなんだから♪」

 

 ぐちゅうっ、と一際大きな音が鳴り、触手がもっと先生の奥へと埋まっていく。

 

「ンムッ、ンンンンンンンンンンン~~~~~~!!!」

 

 依然口を塞がれたまま、さくら先生はあらん限りの力で絶叫した。

 すると、先生の身体に巻かれていた通常の触手たちも縛り方を変えた。

 

 1本はそのままお腹に巻きついたまま、2本目は手を頭の上に持っていきつつ縛り、3本目は胸に絡みつつ乳首を先端で弄りだした。

 先生はほぼ上下逆さまの体勢になりながら触手が身体中に纏わりついているせいで、まるで触手型のエロ下着でも着せられているかのような格好になる。

 

「ン……♪ さくらのナカ、ぬるぬるで……ズポズポ入っちゃう……んぁっ、乳首もこ~んなピンッってして……何時間ふうまとシてたの? ……はぁ、中に入ってるこのドロドロ……さくらのじゃないよね? うわ~、すごいエッチ……」

 

 沙耶も触手越しに、さくら先生のいやらしいひくつきや情事の跡を確かめて感じているようだ。

 触手5本を駆使し、先生の身体全体を淫らに弄びつつ、両手で自らの胸を揉み股間を摩っている。

 

 ジャプ、シュル、ジュルリ、ブチュッ……と、触手が肌に触れて淫唇をなぞり、膣襞を抉る音が響く。

「んっ、あっ、あっ……」という微かな喘ぎ声、「んんっ! ん~~~!」というくぐもった叫びがそれに混ざる。

 

 触手プレイに悶える褐色美女と、その触手を操りながら息を荒げてオナニーする美少女。

 図らずも、どんな裏風俗でもお目にかかれないような高度なSMレズプレイを間近で見物することになった。

 だが蚊帳の外に置かれた俺としては、この幸運を喜んでばかりもいられない。

 

 触手はスキンで保護された部分だけでも、先生の身長を優に超える長さがある。確かにあの柔軟性ならば、加減を間違えて腸がぶちまけられる可能性は低いだろう。

 だがそれにしても、沙耶の行為が乱暴であることは変わらない。改造触手の直径は他と比べて細くなっているとはいえ、一般的なディルドよりは遥かに太いのだから。

 

 今、さくら先生のマンコ内部は相当な力で押し広げられているはずだ。たとえ触手から染み出した媚薬の効果で痛みや圧迫感より快感が勝っていたとしても、その負担は無視できるものじゃない。

 故に俺は沙耶に対し、せめてこの乱行だけでも止めさせるよう説得を試みた。

 

「……なあ、もう前戯は十分じゃないか? こっちも結構辛いし、そろそろ本番に行かないか?」

 

 生唾を飲み、もう辛抱堪らないという口調で沙耶に“次”の行為をさせてくれと懇願する。

 我ながら半分演技じゃないのが度し難いが、せめて俺だけでも自由にならなければ事態を好転させられない。

 

 望まぬ触手プレイを受けているさくら先生には申し訳ないが、ここは場の雰囲気に乗ったふりをして様子を窺う以外に手はない。

 触手に仕込まれた媚薬というのがどれくらいの強さかは分からないが、沙耶の隙を見てさくら先生の拘束を解けばまだ攻守逆転の目はあるだろう。俺だけでは、沙耶を止めるなど不可能だ。

 

「え~? あんなに出したのにまだ物足りないんだ? ……うっわ~、もうそんなビンビンにしちゃって恥ずかし~♪ さくらがあんなになってんの見てコーフンしたんだ? ふうまってば、ヘンタ~イ♪」

 

 うるせえ! 誰のせいでこうなったと思ってんだ! 

 そう怒鳴りたい気持ちを堪え、さも図星を指摘されたかのように言葉を詰まらせ、気まずそうに横を向く。

 沙耶を油断させるには、可能な限り奴の思い通りに事を運び調子に乗らせなければならない。

 

 だが、このまま沙耶のいいようにされっぱなしで終わるわけにはいかない。

 俺はともかく、彼女の世話をしてくれているさくら先生の株をこれ以上下げる訳にはいかない。

 

 必ずどこかで反撃し、大人の威厳というものをこの淫乱ピンクに嫌という程分からせてやる。

 その為なら、一時の恥辱くらいは何でもない。

 

「ハメたいんでしょ? んひひ、い~よ♪ た・だ・し──」

 

 沙耶はそう言うと、ずっと俺の膝の上に置いていた左足をスス、とスライドさせ股間に近づける。

 肉棒まで脚が届いたかと思うと亀頭を軽く足先で弾き、そのまま脚で扱くのかと思いきや更に上へと持っていき、いきなり胸板を足蹴にして正座中の俺を床に倒した。

 

「ぐふぅ……!」

 

 急に動いても喉が絞まらないよう、ちゃんと触手の長さは調節してくれたようだ。

 それはありがたいが、この展開は非常にまずい。自由になった脚部と腕に力を入れて立ち上がろうとするが、その前に沙耶が俺にのしかかって動きそのものを封じてきた。

 

「ふうまが挿入れるのはぁ~……こっち♪」

 

 ずぷぅ、と沙耶のマンコが俺の淫棒を咥え込んだ。反応する暇もない程の早業だった。

 指や舌で慣らしていないにも関わらず、産道やラビア、クリトリスまで濡れ切っていた。

 どうやら傍目から見た以上に、俺たちへの責めで欲情していたらしい。

 

「んん、はぁ~♪ やっぱりこのチンポ、いい~! ……あ~、もうビクビクしてる。まだ膣中に挿入れたばかりなんですけど~? ホントしょうがないなぁ、このそーろーチンポは♪」

「だれ……が、早漏だっ……!」

 

 沙耶の煽りに反論しながらも、俺は内心で自分の不甲斐なさを噛みしめていた。

 事実として軽く5、6発は射精した後にも関わらず、こいつの膣内に挿入した瞬間に暴発しかけたからだ。

 

 沙耶のマンコはさくら先生と違い、膣壁が吸盤みたいにペニスへ吸いついて蠢き、射精させるために休みなく刺激を与えてくる。どこまでも残酷に精を搾り取るその様はまるでサキュバスのそれだ。

 

 ……いや、俺自身には淫魔の知り合いはいても、まだ彼女たちと閨を共にした経験はない。あくまで伝聞や文章に基づく推測に過ぎないが、この無邪気さ故の残忍な搾精はそう例えるに値するだろう。

 沙耶にとっては殺戮も強姦も“遊び”でしかない。こいつに良心はあっても常識はないのだから。

 

 

 

 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ……という規則的なピストン音と、ジュル、チャプッ、ズリュ……と、濡れたモノ同士が擦れ合う音が寝室中に響く。

 

 太い触手を嚙まされ、「んぐ、んぐ」とくぐもった喘ぎしか漏らせないまま凌辱されるさくら先生と、一方的な膣の暴力に膝を屈し腰を震えさせる俺。

 情けないが今の俺たちは怪物に饗された生贄同然だ。最早威厳もへったくれもない。

 

「んっ……だいたい、さぁ……! 一緒に住んでる私が『ただいま』って帰ってきてさ、返事もせずにこそこそしてるって酷くない? 不安になって中に入ったらさぁ、2人して慌てて着替えてるし。そんなの見せられた私の気持ち分かる? ねえ?」

 

「そ、れは、悪かった……だが、ちょっとやり過ぎじゃないか? 大体お前っ……俺らに会うなりなんつったよ?」

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 丁度風呂から出るタイミングで沙耶の帰宅を察知した瞬間、俺と先生は軽いパニックに陥った。

 俺なんか酷いものだ。とにかく服を着て、ただ家で晩飯を頂いてゲームしてたって風を装う、という結論を出して動き出すまでに、脱衣場でたっぷり5秒はフリーズしていた。

 

 だが偽装工作は間に合わず、2人して着替えながら寝室に向かっていた所を触手女に発見された。

 2,3秒間ほどのきまずい沈黙の後、

 

『あー! 見ぃちゃった見ぃちゃった♪ ウワキ現場はっけーん!!』

 

 それが、俺たちと廊下で出くわした沙耶の第一声だった。

 同居人の情事を見てショックを受けている奴のリアクションか、これが? 

 

 せめて言い訳だけでもとさくら先生が何事か話そうとした瞬間、問答無用とばかりに触手が彼女の身体にまとわりつき、そのまま寝室へ連行された。

 

 そして始まったのが、この触手をふんだんに使った拘束調教のフルコースというわけだ。

 確かに俺たちの対応も悪かったし、沙耶が怒る理由は正当だ。

 

 しかしその後の所業を加味すれば、善悪の収支はチャラどころか沙耶側のマイナスだろう。

 許可なく桐生博士の改造を受けたり、いつも碌に連絡もせずに他所で寝泊まりしていることを含めれば、逆にこっちが沙耶をお仕置きする権利さえあると思う。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 とはいえ、俺がその権利を主張するのは現状不可能と言っていい。

 

「あっ! うん! はぁっ……ふうま、イキそう? このザコザコおチンポ、もうビューってしちゃう? 生意気マンコに扱かれっぱなしで、情けない負け犬の射精しちゃうの? うっわ~……キモ♪」

「グッ……ふざ、け……うぁっ!」

「あっあっあっ! ほらふうま、ちんこの先っぽチュコチュコ吸うよ? ここ弱いんでしょ? ……それともこのまま私の子宮ガシガシついて、よわよわ精子いっぱいかけちゃう? この前みたいにさぁ!」

 

 沙耶は俺の乳首を抓みながら扱き上げ、腰のグラインドと襞のバキュームを更に激しくする。

 全力疾走でもしたかのような息の荒さからして、言葉ほど沙耶の方にも余裕はないのだろうが、虚勢すら満足に張れない今の俺ではその弱みを突くことさえ覚束ない。

 

「あー、私もイキそ……ねえまた私の膣中に出す? それとも全部飲んだげよっか? このくっさいキンタマでできたクソザコザーメン、全部無駄打ちしてごっくんしちゃう? ねえ、どっちがいいのぉ?」

 

 腰を上下だけでなく前後にも揺らしながら沙耶が尋ねてくる。

「イキそう」とか言っておいて、随分と上から目線で提案してきやがる。

 

 どうやら沙耶はすっかり“勝ち”を確信しているらしい。これから好きなだけ腰を振りたくって性欲を満たしつつ、俺が情けなく吐精して悔しがる様を存分に鑑賞しようって腹だろう。

 

 

 

 だが残念だったな沙耶、調子に乗れるのはここまでだ。

 俺に跨って暴虐を尽くす悪魔娘の腰を掴み、“その瞬間”を待つ。

 

「ぐっ……そうだな、俺は……」

「うんうん、俺は? …………あ、あれ? 何か、身体が……」

 

 俺は……「俺だけ」では、沙耶を懲らしめることができない。

 だが幸いなことに、俺には心強い味方が一人いる。

 

 下ネタとコイバナが大好きで、酒乱でズボラで能天気だが、ことこういうシチュエーション―いい気になって無防備を晒した魔族女の動きをこっそり封じたい時には、無類の頼もしさを誇る対魔忍がここにいる。

 その名を、井河さくらという。

 

「──ふっふっふ~……。よーくも好き勝手やってくれたなぁ。でも、ふうま君に夢中で私の縛りが緩んだのに気づかないとは迂闊だねえ、沙耶ちゃん?」

 

「さ、さくら……? わっ、何これ……え、影ぇ!?」

 

 見ると、黒く平面状の物体―沙耶自身の影が体まで伸びてきて、足にしがみ付いている。

 だが見た目通り足を取られているだけでない。手や頭、触手までもが一切の動きを封じられている。

 これこそ影を操り敵を攻撃する、さくら先生の忍法だ。

 

「にゃはは~、これぞ“影遁・影縛り”ってね~。実はこういうの、あ~んま得意じゃないんだけど……―」

 

 さくら先生はそう言いながら、影を操って沙耶を俺から引き剥がし、自分の前に立たせる。

 そして動けない沙耶の背中から抱きつき、お返しとばかりに指で乳首を捏ね繰り回す。

 その目はさっきまでの沙耶に負けず劣らず、嗜虐的な光を放っている。

 

「くっ、うぅ……! ……え、ちょ、待って何それ!? やめっ「待ちませ~ん♪ そぉ……れっ!」! ひぐっぅ……!!」

 

 制止を完全無視したさくら先生は両手で沙耶の腰を掴んで固定し、何かを彼女のマンコに突き入れた。

 俺からは沙耶が壁になって全体が見えないが、それはさくら先生の股間から伸びているように見える。

 もちろん、先生はふたなりじゃない。

 

「……ペニスバンドですか。触手から抜け出して何を探してるかと思いきや……」

「あはは~、ごめんね待たせちゃって。ホントは触手突っ込まれた時点で反撃したかったんだけど、小競り合いになって、ふうま君怪我させたらまずいと思ってさぁ。沙耶ちゃんに見られてちゃ、ああいう風に……」

 

 そこでさくら先生が後ろを指さしたので、俺もそちらに目を向ける。

 先生の背後にあるベッドでは、先ほどまでと同じように1人の女が触手責めにあっている。

 

 だが、さっきまでと決定的に違う点が1つある。その“女”は先生のような日焼け肌を通り越し、頭から煤を被ったかのように全身が真っ黒で、時折靄のようにフォルムが揺らめいている。

 当然、これもさくら先生の仕業であり、影から自分そっくりの分身を作り出し、操ることができるという術だ。

 

「分身と入れ替わるタイミングもなかったしねー。……さぁて、どうしてくれよっかなあ、この性悪娘はさぁ」

「……っ!」

 

 さくら先生が沙耶の顎を掴んで舌なめずりをすると、沙耶は分かりやすく動揺していた。

 その時“影遁・影分身”が解除され、さくら先生を象った影人間は消滅した。

 突然責める相手の姿が消えた触手たちは状況が掴めないのか、所在なさげにその場でくねくねしている。

 

 

 

 “影”を操ることができるさくら先生は、沙耶が自分への注意が逸れたのを見てまず“影分身”を生み出し、自分は影に逃れることで分身と位置を入れ替えた。

 

 そして“影分身”が自分の身代わりになっている隙に、こっそりと部屋の隅へ移動して諸々の“道具”を取り出した。

 そして今、傍若無人な触手娘に対し、このように万全の状態で反撃を開始した―と、こういう流れだ。

 

 俺が沙耶の注意を引いたのを察知して、さくら先生はすぐさま動いてくれた。

 お陰で俺が情けなく暴発する前に、この悪戯好きな触手女を捕らえられた。

 

「ひぎっ! やぁ、あん、あぅ、んあっ! さ、さくらぁ、はげ、し、いぃ……ああんっ!」 

「はぁん? なーにしおらしくなってんのさぁ! やられた分は、きっちり返させてもらうから……ねっ!」

 

 一転攻勢は成功した。今さくら先生は沙耶をベッドに手をつかせ、後ろから犯している。

 パンッ、パンッ、パンッ……と尻に打ち付けられる音と、濡れそぼったヴァギナから零れるジュプ、ジュル……という水音がハーモニーを奏で、只でさえエロティックなレズレイプの風景をより扇情的なものに仕立て上げている。

 

 溜飲の下がる眺めではあるが、さくら先生のバック突きがやけに手慣れているのが些か気がかりだ。

 

 さくら先生は受け上手なタイプだったと思うのだが、余程沙耶の所業に腹が立ったのか、それとも媚薬の効能で性欲が暴走しているのだろうか。

 それに、部屋にペニバンが常備してあるというのも知らなかった。もしや、そういうことをするパートナーがいたのだろうか。相手というのは、まさか……──。

 

「──お~いふうまく~ん、何ボサッとしてんのさ! まだヘバってないんでしょ? こっち来なって~」

 

 さくら先生の声でハッと我に返り、痺れかけの足を軽く揉んで立ち上がる。

 2人の所まで歩み寄ると、沙耶の触手制御装置を手で取り外す。

 沙耶の白い背中全体が露になると、すっかり魔族っぽい部分がなくなり、普通の女の子に見える。

 

「……なんか、随分手慣れてますね、さくら先生」

「え……? ああ、これ? いやー別に慣れてないよ。纏め買いセールの時に買ったはいいけど、使い道無くてさぁ。いくらキミでもこれ出したら引いちゃうかなあって思って、今まで見せなかったの。だから、実は今日が初使用」

「……まあ、俺にソッチの趣味はないですけどね」

 

 ケツ穴は入れるもので入れられるものじゃない。

 逆アナルの良さが全く理解できない俺にしてみれば、ペニバンを女に出されても困るのは確かだ。

 

「それと、な~んか沙耶ちゃんに責められんのはムカつくんだよね~。何だろう、妙に刺激が強いっていうか、頭の中がザワザワするというか……だから、こうして滅茶苦茶にやり返したくなるんだよ……ねっ!」

「な、何それぇ……!? んぁっ! あひぃ、んんっ……ああっ、はあああぁっっっっ!!」

「あ、イった」

 

 トドメに最奥を突かれた瞬間、沙耶の腰が軽く痙攣し、絶叫とともに顎が仰け反って天井に向けられる。

 それが終わると支える腕に力が入らないのか、ぽすっと顔をシーツに埋め肩で息をし始めた。

 

「ふ~っ……うーん、クリに当たって気持ちイイことはいいんだけどなぁ……。やっぱ双頭ディルドの方が良かったかなあ……」

 

 じゅぽっ、という音を立てて沙耶の膣からシリコン製の人工ペニスを引き抜き、竿の部分を撫でるさくら先生。

 どうも中の感触が分からないまま女を犯したと言う事実に、あまりしっくりきた感じはしていないようだ。

 

 俺は生まれた時からペニスと育ってきた男の1人だが、もしここの感覚が一切なくなったら……と想像すると確かにぞっとする。

 人生を儚むほどの絶望……まではいかないが、今みたいにセックスを楽しめないのは間違いない。

 

「ペニバンにもあるんじゃないですか? 責める側にも張型が入るタイプとか、バイブ機能ついてるやつとか」

「セール品になかったんだよねぇ~。態々定価で買うのはちょっとアレだし……。ま、いっか。ふうま君はどうする? 場所代ろうか? それともぉ……私と続きする?」

 

 さくら先生はそう言いつつ、俺の肉棒を撫でさすり、尿道口を親指で擦る。

 細められた目つきといい手つきといい、完全にヤる気満々の態度だ。膣内にかけられた媚薬のせいもあって、まだまだ挿入られ足りないらしい。

 

 実を言えば、俺も射精前に抜いたままのせいで結構疼きが残っている。

 だが流れから言えば、これを解き放つ相手はさくら先生ではないだろう。

 

「いや~、折角だからこいつで色々試しましょうよ。道具はまだあるんですよね? この際ですし、あるもの全部使っちゃいません?」

 

 俺の提案に、さくら先生は意味深な笑みを浮かべ、

 

「えぇ~全部ぅ~? いやいやそんな、沙耶ちゃん壊れちゃうってぇ……もー、ふうま君たら鬼畜なんだから~♪」 

 

 と言いつつ、追加の道具を取りに行った。

 あくまで俺に乗せられた形にしたいんだろうが、スキップまでしたら本音がバレバレである。

 

 

 

「はひぃ、んふぅぅっ、あはあぁぁあぁっっ! も、もうゆるひれぇ……んぶっ!」

「おいおい、『混ぜて』っていったのはお前だろう? だったら最後まで、付き合ってもらう、ぜっ……!」

「そーそー。私たちこっからが長いんだかんね~。オールナイトは覚悟してもらわないと……んっ、いいよそこ……もっと激しく舐めて……ああいいっ、沙耶ちゃん上手っ……んっ!」

 

 そこからは、沙耶の望み通り夜明けまで3Pが続けられた。

 提案されたときは呆れていたクセに立場が上になるとノリノリなあたり、俺たちも相当現金だ。

 

 俺がバックでアナルセックスをしつつ前の媚肉をバイブで抉り倒すと、さくら先生はベッドに座りながら、ペニバンを外した秘裂を沙耶の口元へ近づけ、半ば強制的にクンニリングスをさせる。

 

 ジュルジュルと陰唇を舐めまわし、足元に愛液溜まりをつくらんばかりに溢れる蜜を啜る沙耶。

 困惑と悔しさで瞳に涙を浮かべているものの、舌遣いは以外に丁寧で的確に敏感な部分を刺激している。

 

 2穴を掘られつつそれだけの愛撫ができるのだから、大した奉仕精神の持ち主と言わざるを得ない。

 ペチャ、ピチャ、チュル……と舌が膣内の襞を刮ぐ度、さくら先生はピクン、と腰を震わせている。

 

「んっ…そういえば聞き流してたけどさぁ、ふうま君沙耶ちゃんとヤったの?」

「あ、ええ……何か俺が外で本読んでたら、いきなり迫ってきまして。どうも誰かから噂を聞いたらしいんですよね。俺があちこちで女に手を出してるって」

「噂、ねえ……んっ。で、どんな風にしたの? もしかして、そん時に触手プレイに目覚めた?」

「目覚めてません。そん時はメンテだったみたいで、今みたいに装置は外してました。バトルできないんで暇だったから、態々俺を探してちょっかいかけてきたんでしょう。……まあ装置なしでも力はそのままですから、そのまま強引に外でさせられたんですけど」

「え~それはよくないなぁ。ダメだよ沙耶ちゃん、ふうま君とするならせめてどっか屋内じゃないと。今彼は隊長さんなんだから、他の人にそういうとこしてるの見られたら問題になるんだからね! 分かった?」

 

 いや場所の問題じゃねえし、あんたが言っても説得力全然ねえよ! 

 ツッコミが喉まで出かかったが、言えば話をややこしくするだけだと気づき、慌てて飲み込むことにした。

 

「ぷぁ……んむ、はい……ごめん、なさい。はぁっ、んはぁん、はぁぁん……これ、からは、さくらの家でする……」

「え、ここ? …ん~まあ、モノ壊したり大声出さなきゃ……うん、いいよ」

「ちょっと、いいんですかそんな許可だして!?」

 

 舌奉仕を一旦やめ、しおらし気な口調でズレた謝罪をする沙耶。

 それを受けて、自宅をヤリ部屋扱いすることを実質許可したさくら先生。

 思わずツッコんでしまったが、果たして本気なのか? 

 

「いや~マズイはマズいけど、もうエッチしちゃったし。ふうま君ちは絶対ダメでしょ? 時子さんがいるし」

「え、いやそりゃまぁ、そうですけど……」

 

 我がふうま家の執事にして、俺の姉代わりとも、母親代わりとも言えるふうま時子。

 あいつが今のこの様を見たら何て言うだろうか。まあ、間違いなく怒りはするだろう。

 

 彼女は家族の中でも、俺の素行には人一倍厳しい。何かにつけ俺に当主らしい振る舞いを求めて口煩く説教を述べるだけでなく、俺の小遣いを含め、ふうま家の財産一切をきちんと管理している。

 そんな品行方正を旨とする生真面目な執事が、こんな危険極まる女との性的関係、まして同棲など認めることはないだろう。

 

 “今の同居人”がウチに来た時も、時子が事情を理解してくれるようになるまでは大分揉めたのだから。

 

 時子に関してもう1つ言うなら、俺と寝た後も全く態度が変わらないのには驚いた。

 彼女と近い立場にいるふうまの女、例えば災禍は明らかにスキンシップの回数が増えたし、天音なんか翌朝の浮かれっぷりはこっちが恥ずかしくなるくらいだった(その後時子にマウント取りに行って一悶着あったらしい。俺は関わりたくなくて離れていた)というのに、だ。

 

 

 まあ、あの時は少々気まずい初体験だったのは間違いない。珍しいくらい時子が疲れた様子だったので、それを労わるという口実で俺から迫ったからだ。

 時子も嫌ではなかっただろうが、心から悦べる心境とはいかなかっただろう。

 日々執事としての責務を抱えながらも、俺に対しては絶対に弱いところを見せまいと四六時中気を張っていたのだから。

 

『──今日のことは、どうかお忘れください……──』

 

 事を済ませて同衾する際、眠る前に時子がそう俺に言っていたのを思い出した。あれは主君に情けないところを見せてしまった、自分への戒めでもあったのかもしれない。

 

 事実、翌朝俺が起きた時既に時子は寝床の中におらず、昨夜何事もなかったかのように朝食を作っていた。

 俺も彼女の意を汲み、その時はいつも通り接した。

 

 とは言え俺は釣った魚には存分に食わせてやる主義なので、その後何度か時子を誘っている。

 勿論仕事がある時は言わないし、時子の方も口ではいつも断りつつ俺を窘めているが、顔から悦びを隠しきれていない。

 

 結果的に“同居している男女としては”まあまあ適切な距離感と言えるだろう。

 “姉弟”としては……知らん、興味がない。

 

 

 

 ふうまが女好きの家系であり、俺がどういう意図で女性と接しているかは時子も承知している。要は節度を守れているかどうかが問題なのだ。

 そして厄介なのは、今の俺は主観的に見てもヤバい程ハメを外しまくっているということだ。

 

「まだ時子さんには言ってないんだよね? 私やお姉ちゃんとこうなってること……」

「ええ……あいつのことだから何か勘づいてるかもしれませんけど、俺に何か言ってきたことはないです」

「ふーん。……沙耶ちゃん、分かってると思うけどふうま君や私とこうなったことはぜぇっっっったいに内緒だよ? もし漏らしたら……そん時はこんなお仕置きじゃすまないかんね」

「ぺろ、ちゅる、くちゅ……う、うん。分かった、内緒にする」

 

 さくら先生の舐め犬と化した沙耶が、いつになく弱弱しい返事を返す。

 さっき「バラすぞ」と脅された身としては簡単に信じられんが、さくら先生の気迫に押されているところを見ると、年上の同性には弱いのかもしれない。

 それとも影で動きを操られ、好き勝手にぶっ通しで犯されるのは相当堪えたのだろうか。

 

 どちらにしても、この隙に厳然たる上下関係を叩きこめば、俺も沙耶からナメられなくてすむかもしれない。

 俺はこれをチャンスと感じ、改めて強く腰を振り沙耶の体内を侵略し始めた。

 

「んひぃ! ああ、ふぁっ、んはあぁっ! ふ、ふうまぁ……そこ、は、げ、しっ、んはああぁんっ!」

「んぅっ!? にひひ、ふうま君はげしー♪ もう我慢できなくなったかなぁ? んんぅ、そこ、もっと……!」

 

 上の口をマンコで塞ぎつつ、下の口をチンポとバイブで攪拌する。

 ぐちゅり、じゅくっ、じゃぷっ……と淫らな音を立て、マンコと尻穴の両方で生殖液が掻き混ぜられ泡立つのが見える。

 

「くっ……ほら、一回射精すぞっ……!」

「んちゅうっ! ぷちゅっ、んはぁっ……い、いいよ、ふうま。中に、沙耶のアナルマンコの中に……せーえきいっぱいぶっかけてぇ……んんぁ、イく、イクイクイクぅっ! ああん、はぁあぁぁぁぁぁぁあああ~~~!!!」

「んんんっ! わ、私もイキそ……んんっ、んいいっくぅ~~! ……ああんっ!!」 

 

 直腸の奥にまで届く熱烈な射精をかました瞬間、沙耶とさくら先生もほぼ同時に達した。

 プシャアッ、という噴射音をシンクロさせ、2人ともに小便のような潮を吹いていた。

 

「はぁーっ……はぁーっ……はぁ……上手だよ~沙耶ちゃん。ふうま君もいっちゃった?」

「ええ……。じゃ、次はどうします? ローションとか蝋燭とかありますけど、使います?」

「ん~まぁ、そこらのヤツはおいおいね。えーとね、私一回やってみたかったことあるんだ~…んひひ、こ・れ♪」

「あぁ……“産卵プレイ”ってやつですね? じゃあ折角ですからお2人一緒にどうぞ。先生も自分で試してみたいでしょ」

「あ、いいの? じゃあお願いしよっかなぁ♪ んふふ、じゃ、仲良く並んでシよっか、さ~やちゃん♪」

「え……ええ? な、何その丸いの? そんなのオマンコに入れるの……? ひゃっ、冷た……っ!」

 

 恐らく、朝になればこれからの事を考えて憂鬱になり、もう何度目か分からない後悔をする羽目になるだろう。

 だがまあ、今はそんな先の事を憂う必要はないだろう。

 何せ“夜”はまだ、これからなのだから。

 



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Main Story: Rinko / Rin 01

「あ~あ、酔ってもないのにまたやっちゃったよ……お姉ちゃんになんて言おう……」
「ヤッた事は報告しなくてもいいんじゃないですか? 他に実害が出たわけでもないし」
「…………そうだね。とりあえず黙っとこう、うん。あ、後桐生はシメる。ていうか潰す」
「ですね……。紫先生にも話すとして、触手はどうしましょう? 処刑する前に戻させます?」
「う~ん…………アレはいいんじゃない? ほら……プレイの幅、広がりそうだし♪」
「えぇ…………(全然反省してないなこの人)」






 

 

 ―2083年8月某日 早朝 

 

 

 東京新国際空港ターミナルビル11階にある、カフェテリア「Moonlight Lady」。

 対魔忍・八津九郎は、外国から飛行機に乗って帰国した時に必ずここを訪れる。

 頼むのは決まってフレンチローストのブラジルコーヒー、言うまでもないがブラックである。

 

 ここの味が気に入っているというわけではない。単に機内から最短で来られる場所だからだ。

 九郎にとっては、ここでコーヒーを飲むという行為そのものが、日本の地を踏んだという実感を己が身に刻み込み、張り詰めた緊張感を解すための儀式なのだ。

 

「お待たせいたしました。ご注文のブラジルコーヒーでございます」

 

 ウェイターが注文の品を机の上に置いた瞬間、ピピピ、ピピピ……と携帯端末の音が鳴り響く。

 禿頭にサングラスの大男という、只でさえ周囲に威圧感を与える九郎の眉間に深い皺が刻まれ、普段以上の威圧感を無節操に振り撒く顔になる。

 

 読んでいた新聞紙を乱雑に畳み、たった今自分の元へ運ばれてきたコーヒーの隣に放り出す。

 それを見たウェイターは緊張した面持ちでちらりと九郎の顔を見て、足早に持ち場へ戻っていった。

 

 九郎は、耳障りな携帯端末のコール音が嫌いだ。

 だからといって態々好きな音楽に変更するようなことも、面倒なのでしない。

 本来はこんなモノは携帯すらしたくないのだが、それでは仕事が回らないので仕方なく持っている。

 

 そんな訳で、九郎は今日も軽く不機嫌になりながら携帯をポケットから取り出し、電話に出る。

 もっとも、今回腹が立っている理由は音の所為だけではないが。

 

「……太郎、掛けるにしても飲み終わってからにしろ。今日日ストーカーでも礼儀くらいは弁えるぞ」

『いやぁ、コーヒーブレイク中にすみません。お久しぶりなのに不躾で申し訳ありませんが、至急九郎さんにお伝えしたいことがありまして』

 

 九郎はふん、と鼻を鳴らし、左手でカップを取り口へ運ぶ。ちなみに九郎は両利きである。

 

 彼には電話を取る前から分かっていた。電話の相手が何者で、何の理由で席に着く前から自分を監視していたのかを。

 そして、この相手―彼が太郎と呼んだ男は、常に厄ネタしか持ってこないということを。

 

『それにしてもよく私だとお分かりになりましたね。コール音とか、変えてらっしゃらないんでしょう?』

「その白々しい台詞はテストのつもりか? 何ならそっちへ行って穴を2つばかり増やしてやってもいいが」

『ははは、相変わらず物騒な方だ。……でもそうですね、お互い忙しい身ですし手短に行きましょう。詳細は今からメールで送ります。音声ファイルを添付しますのでご確認ください』

「断る。俺は外務省の使い走りなんぞするつもりはない。お前の飼い主にもそう伝えろ」

『“旅団”の件であっても……ですか?』

 

 “旅団”。その単語が電話相手の口から出た瞬間、すっと九郎の全身に緊張が走る。

 この時、九郎の周囲に客や従業員がいなかったのは幸いだった。

 もしいれば彼の全身から漏れている、獲物を食い殺す直前の肉食獣に似た獰猛な殺気に当てられ、最悪その場で失神していたかもしれない。

 

「……一応聞くが、政府の対応に変化は?」

『野党の……いえ、矢崎議員の力が働いている限りは変わりません。今は再来月に予定している総選挙に期待するしかないというのが、大臣と総理の見解ですね』

「見解……ハッ! 随分と御大層な言い回しが好きになったな。「ボクらは神田様と米連様の飼い犬です」って言うのがそんなに難しいか?」

『その暴言、間違ってもウチの大臣には聞かせないでくださいよ。首が物理的に飛びます……多分私の』

「おお……数年ぶりにお前の口から面白いジョークを聞いた。めでたいから話だけは聞いてやるよ」

 

 そこで初めて、心から愉快そうに九郎は笑った。

 もっとも彼を知らない者には、まるっきり映画に出てくるシリアルキラーの笑みにしか見えなかっただろう。

 

『……それはどうも。どうかジョークで済む範囲でお願いします。……南の方は、如何ですか?』

「波穏やかなれども風は強し、という所だな。……そろそろアミダバラへ発つ時間じゃないのか?」

『これはこれは、私のスケジュールまで気にかけていただいて。……仰る通りですので、失礼します」

 

 

 

「ああ、最後に1つ。今朝は妙に検査やら警備やらが厳しいようだが、何かあったのか」

『……ああ。今は問題ありません。先月未明に、ここでとある対魔忍と魔界騎士、それにDSOの“死神”が派手に暴れましてね。その影響がまだ続いてるってだけです』

「おいおい太郎くん、そういう面白そうな話を先に言え。どうせお前もその場にいたんだだろう、詳しく話せよ」

『(えぇ……さっきの気遣いは一体……?)……いやぁ、大したことじゃありませんよ。ただ私は……──」

 

 その後、電話相手の男は九郎の執拗な質問に誠実な回答をしつつ搭乗口へ駆けてゆき、搭乗予定の飛行機にギリギリで滑り込むことに成功した。

 

 自分の帰国時間を把握した上カフェ近くで待ち伏せ、態々コーヒーを飲む直前に依頼をしてきた“クソッタレ”へのささやかな復讐を失敗した九郎は、軽く舌打ちをした後タクシーに乗り、駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 同日 午前

 五車学園 校長室内

 

 

「……はぁ。暗殺ですか、俺を」

 

 今この部屋の中には、俺―ふうま小太郎と八津紫先生、それに井河アサギ校長がいる。

 学校が休みにも関わらずアサギ校長直々に呼び出しを受けた俺は、挨拶もそこそこに切り出された話の内容に面喰い、つい気の抜けた声を上げてしまった。

 

 だってそうなるだろう。

「自分を暗殺しようとしている奴がいた」なんて、朝食を終えてから1時間もしないうちに聞く話じゃない。

 

「何だそのふやけた返事は。一大事なんだぞ、もっと緊張感を持たんか」 

 

 予想通り、即座に同席していた紫先生がこちらを睨み態度を咎めてくる。

 それを聞いて苦笑いしながら、アサギ先生が彼女の怒りを宥める。

 

「まぁまぁ紫。いきなりこんな事言われても実感湧かないわよ。……詳しい話をしても、いいかしら?」

「え……ええ是非聞かせてください。……しかし暗殺って、何処の誰がそんな事を?」

 

 そこでアサギ先生は、話すのを躊躇したのか唇を閉じ、ほんの少し間を作る。

 だがすぐに思い直して口を開き、説明を開始する。

 

「言いにくいけど……五車の生徒よ。貴方の上級生である男子3名が貴方を襲撃するつもりだったみたい。多分、貴方は顔も名前も知らない子たちね」

 

 そこでアサギ先生が目くばせに紫先生が頷きで答え、来客用の机においてあるノートパソコンの電源を点ける。

 すると部屋のライトが消えてカーテンが閉められたので、何が始まるか察した俺が部屋の隅からキャスター付きのホワイトボードを運んできて、入り口側に立たせる。

 紫先生がそのまま操作を続けると、PCに内蔵されたプロジェクションプログラムが作動し、ホワイトボードへ記録された映像を投影し始めた。

 

 表示された画面はこの学園にある教室内をビデオ撮影した映像であり、その中央に五車の制服を着た男が3人いるのが分かる。画面に表示されている日付は昨日のものだ。

 アサギ先生の言う通り、映っている連中には全員見覚えがない。

 

「4日前に同級生からのタレコミがあった。こいつらが放課後の教室で何やら不穏な話をしているとな。

 映っているのが素行の悪い連中というのは私も知っていたし、話してくれた生徒も偶然外を通りかかっただけだが、「殺す」という単語をはっきり聞いたらしいのでな。すぐにこうして、カメラを設置した」

 

 教室を撮った映像がある理由を、紫先生が説明してくれた。

 暗い部屋の中でも、普段以上に険しい表情を浮かべているのが容易に想像できる口調だ。

 

「で、昨日になって動かぬ証拠を撮られた……と。秘密の話なら家ですりゃあいいのに」

「同感だ。あえて集まるならここの方が安全だと思ったのかもしれんがな。……こいつらの会話、聞くか?」

「ああいえ、音声は結構です。どうせ『忍法の使えない口だけ目抜け野郎が隊長なんてありえねえ』とか、『どうせ先生コマしたんだろ、部下に裏切られた無能当主サマはよ』とか、でしょう?」

「…………ああ、概ねそうだ。実を言うと、私もこれ以上聞く気がなかったので助かる。では……」

 

 紫先生はキーボードを操作し、ミュート状態で動画を再生させる。

 態度から察するに、紫先生は先に映像を確認し、画面から聞こえてくる悪言に相当ムカついたようだ。

 

 他人が聞いていないと思って、俺を任命したアサギ先生のことも相当罵ったのかもしれない。もしそうなら、よく紫先生が自制できたものだ。こんな薄いノートPCなんか、紫先生の台パン一発でスクラップ確定だろう。

 

 画面の中で、俺を暗殺しようとしているらしい連中は憎々し気に顔を歪め、日頃の不満を好き勝手に吐き出して幾許かのストレスを発散している。

 この集まりがあったのが撮影された日だけでないのなら、一体合計で何時間ほどこうしているのだろうか。

 

 対面で「死ね」と言われた経験もある身としては、こういう顔の手合いが放つ文句は大体予想がつく。

 無論気が滅入るだけなので、答え合わせをする気は一切ない。

 

「──……まぁこの辺までは、鼓膜が腐るような戯言を言い合っているだけだ。他に言いふらしたりSNSにアップしたりしているわけでもなし、私たちの耳に入らなければ特に咎めることもないが……ここだ」

 

 映像を一時停止し、画面内のある一点を指し示す紫先生。

 そこには、非生産的な駄弁り場を開いていた男一人が取り出した、瓶らしき物体が見える。

 映像越しでは中に入った物体がピンク色に見えるということ以外、詳細な情報は読み取れない。

 

「……ジュースとかじゃないですよね、中身」

「だったら態々止めるか。……ここからは声も重要なので聞け。安心しろ、お前への悪口はもう殆ど言ってない」

 

 彼女らしいぶっきらぼうな気遣いの言葉を述べられた後、音声付きで動画が再生される。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

『それにしてもこいつはすげえ力だなオイ! これならよぉ、アサギ校長にだって勝てるかもしれねえぜ!』

『ハハハ……そいつは夢見すぎだって。っていうか飲むのもほどほどにしとけよ。分かってると思うがそれはヨミハラのヤクなんだ、何入ってるか分かったもんじゃねえ』

 

 瓶をもった男がそれを陶酔した目で見つめながら宣う妄言に、軽い忠告を与える別の男。

 どうやら一人はしゃいでいる男がグループのリーダー的ポジションらしいが、残りの2人はそれほど気乗りしているわけではなさそうだ。

 

 瓶を握りながら得意げに話す男に対し、2人は机に腰掛けながらそれを聞き流している。

 彼らは表情も明らかに呆れ気味だ。仲間と一緒に日ごろの不満を吐き出したくても、実際何かを仕出かす意欲はなさそうに見える。

 

『つか、ホントに誰にもバレてない系? 押収品リストの量はごまかしといたけどよ、一昨日静流先生に聞かれたぜ俺、「本当に、他には何もなかった?」って』

『あーそれ俺も。……やっぱなんか大げさだよな? ヨミハラから逃げたヤク中魔族一匹捕まえんのに、対魔忍を10人以上動員するなんてよ。偶々俺らが網張ってたとこに来たから、そいつを手に入れたわけだけど……』

『だからよ、こいつは運命なんだよ! 神サマが俺に授けてくれたのさ! この力であいつを……裏切り者の目抜け野郎を殺せってな!』

 

 どうやら話が核心に迫ってきたらしい。

 瓶を持つ男が大仰なポーズをとりつつ、仲間の観客に演説を行いだした。

 しかし革命家気分な友人に対する2人の反応は、今まで以上に冷めている。

 

『あのよ、それ系の話なんだけどよ。まさかとは思うけど他で言ったりしてねえだろうな。最近クラスの奴らさ、何か俺らを見る目が変な気がすんだけど』

『……ていうかもうぶっちゃけ聞くけど、まさかお前マジでやるつもりか? そういうのはここだけのジョークにするって、最初に集まった時言ったよな?』

『ああ、言った。……あの時は力がなかったからな! こいつが手に入った以上、もうこんなとこで管を巻くだけで済ます必要はねえ! 後は行動あるのみだ! ……お前らも、こいつをヤれば分かるぜ!!』

 

 そう言った瞬間、男は持っていた瓶の蓋を開け、中の液体を2人に振りかけた。

 その2人は顔にかかったものを拭いながら『馬鹿野郎ふざけんな!』『頭おかしいのかテメー!』と悪態をつく。

 

 だが、数秒後に事態は急変する。

 

『ぎゃああああああ!! か、顔が……俺の顔がぁああー!!!』

『な……何だ……何か、何かが俺の中をぉーっ……がああ痛ぇええ──ー!!』

 

 液体を浴びせられた顔からボコッという音と共に皮膚が膨れだし、2人は悲鳴を上げながら体の異常を押さえようとする。苦痛を感じているかは定かではないが、相当な恐怖体験であることは間違いない。

 

 しかし、すぐに患部を押さえた手も膨張を始める。

 まるで腫瘍の群れみたいな盛り上りが次々と体表に出始め、同時にその部分以外の皮膚が硫酸をかけられたかのようにぐずぐずと溶けだしている。

 

『……あ? 何だこれ。こんな風になるって聞いてな』

 

 最後まで言う前に、瓶を持った男子生徒の命は尽きた。

 別の男子一人の腐った右腕から何か棒状のものが飛び出てきて、そいつの眉間を貫いたからだ。

 

 その後も2人の体は膨張と腐敗を繰り返しながらどんどん形を変えていき、10秒ほど経過したころには最早原型が分からない程に変わっていく。

 

 人としての意識が残っているのかどうかは分からない。辛うじて頭部と思しき部分は形を保っているが、口は悲鳴を上げていた時のまま力なく空きっぱなしだ。

「あ……あ……」という声が時折聞こえてくるが、それが彼らの断末魔なのか、それとも単に喉から空気が漏れたがために出た音なのか、判別を付けることはもうできない。

 

 そして、2人の“変身”は異変が起きてから数十秒で完了した。

 

 友人の頭を貫いた男の方は、巨大な人面ハリネズミに変わった。手足はネズミと同じくらいのサイズ感になったが、背中を中心に、教室の床から天井まで届きそうな長さの針がびっしりと生えている。

 針といっても、一本一本が人間の体を貫通できる鋭さと強度はある。映像から見るに、直径2,3㎝という所か。太いフェンシングのサーベルが何百本と伸びている、といえば分かりやすいだろうか。

 

 もう一人は、正確な描写は難しい不定形の存在になった。

 最初は腐肉で出来た胴体に、下半分が溶けた人間の頭部が乗っかったスライムに見えた。

 しかしその後、ぶるぶると全身が震える度に球体やキューブ状、クモやサソリ、或いは口から猫の手が何本も生えた分類不能の怪物など様々な姿に変わり、一向に形が定まらないまま地面で波打つように蠢いている。

 

 ハリネズミが体を動かすと、針が頭部から抜けて瓶を持っていた男が床に倒れる。

 人間だったモノ2匹は動き出すと、少しの間周囲を見渡した後、お互いをじっと見つめ合いだした。

 

 自分が化物になった自覚はあるのか、そもそも自意識などというものが存在するかすら不明だ。

 映像越しに見るだけでも背筋が冷たくなる、不気味な姿の化物2匹はしばらく睨み合った後──唐突に唸り声をあげながら戦いを始めた。

 

「G…………guwhooaaaahaaaaaaaaaa‼‼」

「ケ……ケケケ……ケイケケイ……ケケケケケケイケケケケ……ケ……」

 

 顔らしきものは残っているが、既に人語を話す術は失ったらしい。

 意味不明の咆哮と鳴き声を上げ、原始的な暴力衝動に突き動かされるまま2匹は乱闘を始めた。

 

 ハリネズミになった男が鋭くなった歯でスライム男に噛みつき、左目と鼻の一部を齧り取る。

 するとスライムの方はバッと体を広げ、ハリネズミの本体を丸ごと包み込み始めた。

 粘性の強そうな体が針で串刺しになるのも構わず纏わりつくと、ハリネズミの方も不快に思ったのか甲高い鳴き声を上げ、バタバタともがいて脱出を試み始めた。

 

 しかし、柔らかいスライムを身動きだけで剝がすのは至難なようだ。

 針によるダメージも全くない様子で、抵抗を意に介さずスライムはハリネズミの体を刳るんでいく。

 

 やがて針以外の部分がすっぽりとスライムの中に収まったかと思うと、ジューッという音が聞こえてきた。

 肉が焼ける時に似たその音がしたと思うと、スライムからボコボコと沸騰したみたいに泡が立ち始め、2匹ともに体の至る所から煙が出て、急速に体が崩壊し始めた。

 

 針が体から外れてバラバラと落ち始め、ハリネズミ本体を取り込んだスライムは泡立ちながら徐々に体積を縮こませていく。時々スライムの中から弱弱しい鳴き声は聞こえるが、特にハリネズミの体が激しく動く様子はない。

 あるいは、中に入った時点で体を動かすことすらできないのだろうか。

 

 そのまま融合体の崩壊と縮小は進み、最後は泡が弾けるように体が2つに裂けた。

『ケ……ケィ……ケケ……ケケケィ……』と、耳にへばりつく様なスライムの鳴き声だけが最後まで聞こえていた。

 

 結局、薬品をかけられてからの惨劇は2分と経たないうちに幕を閉じた。

 3人の人間があっという間に命を落とし、その内2人は人であった頃の姿すら喪ってしまった。

 後に残ったのは塵同然のサイズまで崩れた針の欠片と、頭に穴が開いた1つの死体だけだ。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 そこで、紫先生が映像を停止し、校長室内の明かりがついた。

 あまりに見たものがショッキング過ぎて、溜息すら誰もつかない。

 頼むからフィクションだと言ってくれ、俺は思わず心の中でそう願ってしまった。

 

「…………酷い映像ね」

 

 やや間を置いてアサギ先生がぼそりと呟き、やや放心した表情でデスクの椅子にもたれかかる。

 反応を見るに、校長もこの映像は初見だったらしい。

 

 俺も頭が真っ白になっている。とりとめのない思考が脳内に浮かんでは泡のように消えていく。

 自分が通っている学校でこんな悍ましい事があったという現実を、まだ完全に受け入れられていない。

 だがそんな中でも、いくつか気になる事もあった。

 

「……あ、あの。2人が変身する前にかけられた液体。これはもしかして、俺が見たものと……?」

「……ああ、恐らく同じものだ。注射されるか振りかけられるか、どちらにせよこんな短時間で人間の姿を変えてしまう薬物なぞまともじゃない。完全に同一でなくとも、用いられた魔の技術は共通しているだろう」

 

 魔薬入り麻酔銃で人間の兄弟を撃ち、自分の頭を同じもので撃った魔族の売人を思い出す。

 あの時俺が“女”に拉致された後、アスカは化物となったこの3人と交戦し倒したとのことだが、その時はこの男子生徒達のように消滅せず、元の人間体に戻ってから死亡したらしい。

 同じクスリが使われたのなら、今回とその時の違いは何だろうか。

 

「……3人と聞いていましたけど、俺を本気で殺すつもりだったのは1人だけみたいですね。これを見た限り、他の2人は完全な被害者だ……こいつ、なんで俺を恨んでたんです?」

 

「全く分からん」と紫先生は即答した。

 

「映像を見る限り、こいつらは元々3人で集まり愚痴を言い合うだけだった。ところが、1人の馬鹿が力を得てそれだけでは満足できなくなり、鬱憤を直接お前にぶつけようと考えた。そして乗り気でない他の2人にも協力してもらうために、クスリをかけて同じ力を与えようとした。ところが……」

 

 紫先生がシーク機能を使い、丁度2人がクスリをぶっかけられたシーンから再生する。

 先生はそのまま数秒程等速で動画を流し、訳も分からず化物にされた哀れな男が変身し、長い針を腕から飛び出させて加害者を殺害するシーンで停止させる。

 

「自分が化物にした友人に殺されるという、因果応報な結末を迎えた。……そして残念ながら、変化した2人も間もなく死亡、つまり事件の当事者がいなくなったという事だ。友人やクラスメイトに話を聞いてはみたが、正直芳しい成果は──」

 

 コン、コンと、ドアを叩く音がする。

 アサギ先生が「どうぞ」と声をかけると同時に、ドアがやや性急な速度で開けられる。

 

「遅くなって申し訳ありません。……あ、どこまで話されました?」

「……まだ映像を見せただけだ。そっちの調査は、何か進展があったのか?」

 

「それはもう」と微笑を浮かべながら室内に入ってきたのは、香坂静流先生だ。

 

 彼女は五車学園の英語教師にして現役の対魔忍、それも“花の静流”の異名を持つ実力者だ。

 担当の英語以外にも数ヶ国語を流暢に話し、更には博士号まで取得している俊才でもある。何でも器用にこなし、あらゆる経歴の人間になりすませるその能力をフルに活かし、敵組織等への潜入任務に就くことが多い。

 

 まあ多くの人間はその頭脳よりもその美貌、特に頭部以上のボリュームを誇るバストとヒップばかり注目してしまうだろうが……実際静流先生の使う“木遁の術”には、篭絡に用いる技も数多く存在している。

 1度ならずその絶技を経験した身としては、彼女の術中に嵌って尚正気を保てる男がもしいるなら、是非ともお目にかかって教えを乞いたいものだ。このままやられっ放しは性に合わない。

 

「おはようございます、静流先生」「あらおはよう、ふうま君♡」と挨拶を交わしたところで、ふと気づく。

 

「……ん? そう言えば動画の中で、生徒の1人が静流先生の名前を口にしていたような……」

「……そう。実は今回の事件、発端は私が主導した任務なの。校長、調査の件も含め、改めてこの場で報告しても宜しいでしょうか」

「ええ、お願いするわ静流。実を言うと私も、まだ詳しい経緯は知らないの」

 

「畏まりました」と手に持っていた赤いビジネスバッグを開け、中からファイルを取り出す静流先生。

 ファイルの中身は紙に書かれた4部の報告書だ。それを静流先生は俺たち全員に配る。

 

「任務自体の報告書はアサギ校長もご覧になっていますが、ふうま君もいますので改めてそこから。事は先月、ふうま君たちがヨミハラに潜入して佐郷文庫の護衛任務に当たった日の、丁度1週間前に遡ります」

 

 その語りだしに、俺は思わず紙を持つ手に力を込める。

 だが今それを蒸し返すべきではないと己を戒め、すぐに平静を取り戻す。

 

「その日ヨミハラでは、とある薬物中毒者の出没情報が出ていました。まあそれ自体はよくあることなのですが、これは少し事情が異なります。どう異なるかは、2枚目にある写真を見ていただければ分かると思います」

「……何度見ても酷いな、これは……」

 

 紫先生がその写真を見て声を上げる。

 俺も目を見開いた。そこには上半身の右半分が結晶の欠片のようなもので覆われ、口が尋常ではない大きさに裂け、目玉が飛び出て触手状に伸びている、グロテスクな人間サイズの怪物が映っていた。

 そのまま原型が残っている下半身に履かれたズボンの汚れ具合から見るに、元はスラムで暮らす浮浪者の1人だったのだろう。

 

「恐らく原因は、ふうま君が以前遭遇したものと同様のものです。この男性がその魔薬を摂取した経緯は今も不明ですが、とにかく彼は突然こんな姿になってスラム街で暴れだし、多数の死傷者を出しました」

 

 静流先生は普段英語教師だけでなく、魔界の住人がひしめく闇の地下都市ヨミハラで情報収集のためにバーを経営している。

 更に驚くべきことに、彼女はあの魑魅魍魎が跋扈する町の自治会長をも務めている。普通の住人にはともかく、それなり以上の実力と地位にある者たちには半ば正体を勘づかれているにもかかわらず、である。

 

 正直いつ眠っていられるのか分からないレベルのオーバーワークに見えるが、本人曰く「続けるコツは柔軟なスケジューリングと他人を上手く使う事、後は適度なストレス発散ね♪」らしい。

 

 そういった立場上、彼女は対魔忍でありながらヨミハラの顔役ともいえる存在であり、事実上この町を統治しているノマドを始めとして、有力な魔族勢力とも表面上穏やかな関係を築いているらしい。

 だがその権限と引き換えに、こうした問題が起こった時は真っ先に対処する義務も生じる。

 

「現在までの調査によると、この新しい魔薬は特殊な鉱物を粉末にしたもののようです。使用方法は吸引や摂食だけでなく、水溶性なので血管注射も可能。多幸感や性的感度上昇といったオーソドックスな効能のもの以外に、一時的な身体機能、または異能力の向上が起こるタイプもあるようです。しかしそれを使うと……」

「こんな化物になる副作用もある、と……。服用した者は皆こうなるの?」

「いえ、全員というわけではないようです。さらにこの魔薬は根本から既存のものとは違うようで、科学的手法や魔術を用いても検知できません。知識がなければ写真の通り、キラキラと光る砂としか理解できないでしょう」

 

 俺は報告書にプリントされた、新型魔薬の写真を見る。

 

 透明のチャック付きポリ袋に入れられたその粉は、全体的には薄いピンク色に発光しているが、部分部分で見ると群青色やクリアホワイト、アクアブルーやライトイエロー等、様々な色をしているように見える。

 これが光の屈折によるものなのか、原料となっているという鉱物が元々複雑な色合いをしているのかは分からないが、見ていると不思議な気分になる物質なのは間違いない。

 

 ヤバいクスリだと言われればそうにも見えるし、観光地の物産展で売っているような土産物にも見える。

 スノードームにでも入れればさぞ見栄えがいいだろう。 

 

 しかし次の報告を聞いて、そんな暢気な感想は吹っ飛ぶことになる。

 

「そして問題がこの鉱物の名称ですが……バイヤーはそれを『対魔石』と呼んでいたようです」

「……え、なん、何ですって?」

 

 その辺の事情を聴いていない俺だけが、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 だって驚くのは当然だろう。よりにもよって『対魔』って名称を付けられた鉱物が魔薬の原料になっているなんて、俺たちからしたら立派な名誉棄損だ。

 おまけにそんなクスリを使った生徒が化物に成り果てたなんて、2重の意味でスキャンダルじゃないか。

 

「『対魔石』なのよ、ふうま君。簡潔に言うと、この鉱物は高純度の対魔粒子で構成されていてね。名称自体は妥当と言えばそうなんだけど、この粉からは普通の粒子とは異なる性質も見つかったわ。3ページを見て」

 

 そう言われて書類をめくると、そこには『対魔石』の分析結果が数ページにわたって書かれていた。

 

 俺が分からない専門用語を省いて説明すると、この対魔忍を貶めるためとしか思えない名前のけしからんブツは、先の説明でも言及されていた通り特殊な鉱石を砕いて粉にしたもののようだ。

 だがその鉱物の出所は分かっていない。ウチの魔科医である桐生博士だけでなく、外部の有識者にも片っ端から意見を求めてみたが、レア度の高い魔石に似ているということ以外は分からなかったらしい。

 

 さらに不可解なことに、この鉱物は未知の技術で凝縮された、ほぼ純度100%の対魔粒子で構成されている。

 対魔粒子とは、文字通り俺たち対魔忍が使う力の源であり、この粒子を身に纏ったり放出することで忍法を使用している(最も俺は忍法を使えないため、いまだにそこはイメージでしか理解していないが)。

 

 とは言え、我々自身もこの対魔粒子なる物質についてそれ程知悉しているわけではない。

 人は歩行のメカニズムを理解しなくても歩けるし、駆動原理を知らなくても自動車を運転できる。

 同様にそれぞれの適性に合った忍法のイメージとそれを実行できるだけの素養さえあれば、後は勝手に術が発現し、使い方は自然と頭の中に閃いてくるもの……らしい。

 

 今の俺に縁遠い話は兎も角、確認が必要な事は尽きない。

 

「この粉は間違いなく対魔粒子なんですか? 確か対魔粒子って人為的に固めたりはできない筈ですし、俺の知る限り粒子自体をこういう風にして使う対魔忍もいなかったと思うんですが……」

「ええ、その通り。成分は間違いなく対魔粒子だけど、製造方法も、人を怪物に変えてしまうプロセスも今は不明。シュヴァリエやミリアムにも聞いてみたんだけど、彼女たちも対魔粒子がこんな風になるなんて、見たことも聞いたこともないそうよ。サンプルは手に入ったけど解析も難しいし、正直手詰まりって感じね……」

 

 静流先生のやれやれ、と言いたげにこめかみを押さえる仕草を見て、俺も頭を抱えた。

 

 今先生が名を挙げた「シュヴァリエ」、「ミリアム」の2人はそれぞれ東京キングダムとヨミハラに居を構える、俺が知る中でもトップクラスに博識な魔女だ。

 およそ魔に関わることで彼女たちの知らないこととなると、最早聞く当ては全て絶たれたといっていい。

 つまり、今のところ『対魔石』を誰がどのように、何の目的で作ったのか知る術は無い、ということだ。

 

「この対魔石とやらの正体を探るよりも、今は流通を阻止することを先決したほうが良さそうね。五車の生徒さえも被害を受けたとなると事は一刻を争うわ。そっちの調査はどう、静流?」

「そちらの方は順調です。次のページをご覧ください。……映像でも生徒たちが話していたと思いますが、彼らは皆件の魔薬中毒者捕縛の任務に就いており、さらに言えば人気のない場所に誘導されたターゲットを包囲し、最終的に捕らえたチームのメンバーでした」

「その時に、押収した対魔石入の魔薬をちょろまかしたというわけか……全く、ふざけた奴らだ。生きてさえいれば相応しい報いを受けさせてやったものを……!」

 

 額に青筋を浮かべて憤慨する紫先生に、アサギ校長が再び「まあまあ」と宥めに入り、静流に「続けて」と先を促す。

 それを見て、静流先生は微かに苦笑を浮かべる。

 

「えー、3人のプロフィールは資料の通りですので説明は割愛します。ふうま君を狙った詳しい動機については今も調査中ですが、無視できない新情報が一点。捕縛任務から昨日までの間に少なくとも3回、彼らは揃って私的にヨミハラを訪れています。更に未確認の情報ですが、彼らが同じ娼館に入っていく姿を見たという目撃証言があります。それが下に写真のある……」

「『アンダーエデン』……また厄介なところに……」

 

 アサギ先生が頬に手を当て、苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべる。

 紫先生も、憮然とした顔をしつつ今度は声を上げようとしない。

 俺は不勉強なことにこうした店の知識は大して持っていないため、そうした反応の真意がつかめない。

 

「……この流れで話すってことは、単なる娼館じゃないんですか、ここ?」

「いえ。表向きは本当にただの娼館よ。規模も人気もヨミハラではトップ、オーナーは少々強引な経営手法を取ってはいるけど内外で目立ったトラブルはなし。でも……そうね、もしここが魔薬の取引に使われてるんだとしたら、単純に踏み込んで調査するってわけにはいかなくなるわ」

「……ああ、そうか。任務で横領できる薬の量なんてたかがしれてますもんね。どっかで新たに手に入れてると考えるのが自然か……」

 

 任務時、押収した物品のチェックをする対魔忍だって馬鹿じゃない。もし中毒患者の手元に薬物がなかったら、一通りの調査をして在処を見つけているはずだ。

 映像での発言も併せて考えるなら、あの3人(服用していたのは1人だけのようだが)は一番に見つけた薬を全て着服せず、怪しまれない程度に抜き取って実際より過少に申告していたということになる。

 

 実際どれだけの薬をがめたのかは知らないが、例え1人分でも数回やれば無くなる程度の量だろう。

 一度その快楽を味わってしまえば逃れられず、続けて更に欲しくなるのが違法薬物の常である。そして禁断症状の苦しみから逃れるためならば、どんな凶行に手を染めてでもブツを手に入れようとするのが人間の性だ。

 

 しかし実際に使っていた馬鹿も含め、あの3人がその“リスク”をきちんと理解できていたかは怪しい。

 もし証言通り雁首揃えて直接ヨミハラに行き、しかも娼館で薬を買い込むなんて真似をしていたんだとしたら、対魔忍になって何も学んでいなかったに等しい。そこら辺の一般人にも嗤われるレベルの阿呆だ。

 

「仮にこの3人が『アンダーエデン』で魔薬を買っていたとして、彼らはその情報をどこから手に入れたんです? 静流先生だって、未だにここがその取引場所だって確証を持てていないんでしょう?」

「フフ、相変わらず鋭いわね。でもごめんなさい、その情報元はまだ特定できてないの。私も彼らのヨミハラでの行動を辿って裏を取ろうとしたんだけど、分かったのは『アンダーエデン』がヨミハラでいたく人気だっていうことぐらい。取引はおろか、従業員がその手の薬を扱っているっていう噂すら聞けなかったわ」

 

 アサギ先生が椅子から体を起こし、肘を机に置いて考え込む。

 

「それは……変ね。静流ですら確証が持てない情報を、彼らはどうやって知ったのかしら?」

「ですがそれで、逆に『アンダーエデン』が絡んでいる可能性は高くなりました。あそこがヨミハラに持つ影響力は甚大です。その気になれば幾らでも隠蔽はできるでしょう。住人に金を撒いて口止めするのも、です」

「うーん……紫先生の仰ることは分かりますが、そうだとしたらちょっと凹みますね。私の“手管”より金の力が勝った、ということになりますから。それに影響力とこの証言だけでは、容疑者を絞る材料としては弱いですね」

「それもそうね……と、いうのが現状なのよ。ふうま君」

 

 唐突にアサギ先生から話を振られ、一瞬反応が遅れる。

 いや正直に言えば、アサギ先生からの連絡を受けた時点から嫌な予感はずっとしていたのだが。

 

「……もしかして、俺たちにこの捜査に加われと?」

「でなきゃ、こんな時間に呼び出したりしないわよ。といっても、当面は静流が普段していることのお手伝いといった形になると思うわ。『アンダーエデン』の件もそうだけど、あのヨミハラという街は迂闊に手を出すわけにはいかないの。もう少し時間をかけて調査して、確証が掴めてから──」

 

 と、その時だった。

 

「そういう迂遠な作戦にこいつは向かんよ。むしろ不確定要素を呼び込んで収拾がつかなくなるだろうな」

 

 突然校長室の入口から聞こえてきた低い声に驚き、室内の視線が一点に集中する。

 そこにいたのは、灰色のコートに黒のズボンという、季節感という概念に中指を立てているとしか思えないファッションに身を包んだ禿頭の大男だった。

 

 ゴーグルじみたサングラスをかけた顔、浅黒い肌と筋骨隆々の体格は、拭い難い威圧感を周囲に放っている。傭兵か殺し屋か用心棒か、とにかくその手の裏稼業に手を染めていなければあり得ない風体だ。

 まあ対魔忍も裏社会の人間だろうと言われれば否定できないので、実に「らしい」恰好とも言える。

 

「兄様……!?」

 

 紫先生が驚きと喜び、そして僅かだが確かな緊張を含んだ声で男の名を呼ぶ。

 そう、彼は八津紫先生の兄、八津九郎だ。

 普段は海外における魔族の活動に対応するため諸国を転々としており、日本には滅多に帰ってこない。家族である紫先生ですら、こうして直接会うのは数か月ぶりだろう。

 

「あら……早かったわね。こっちには夜に顔を見せるって言ってたと思うけど」

「予定が変わってな、よくある事だろう。……今話に出ていた“対魔石”のことだが、俺も軽く心当たりを当たってみたが収穫はない。どうも俺たちが把握している以外の、全く新しいルートで国内に持ち込まれているらしい?」

 

 九郎さんのその話を聞き、静流先生が怪訝な顔をする。

 

「“対魔石”は海外で作られていると……? 失礼ですが、九郎さんはその情報をどこから……?」

「ソースは明かせないが、信頼できる筋からだ。おまけにその流通には、そこそこの数の企業家や政治家が絡んでいるらしい。石の性質や製法については、本当にどこからも情報が出てこない。本当に鉱物なのか、人工的に作られたのか、それすら誰も知らんそうだ」

 

 そう言いながら九郎さんは室内に入り、アサギと応接机をはさんで対面に設置されたソファーに座る。

 実質進展のない報告を受け、束の間重く静かな沈黙が校長室を支配する。

 だが次の九郎の発言で、一気に場の空気が変わることになる。

 

「だがその真実を知っている人物に心当たりはある……。俺はこれからそいつを当たってみるつもりだ。このふうま家ご当主と一緒にな」

「……え、俺と?」

 



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Main Story: Rinko / Rin 02

 

(―校長室でふうま小太郎たちが『対魔石』についての会議を終えてから数時間後。

五車町内の秋山家近くにある「逸刀流(“斬鬼の対魔忍”秋山凛子の属する流派)」道場内にて)

 

「うわぁ……。佐那さん、鬼壱あずささんってホントに凄い剣士ですね。凛子先輩と互角なんて」

「ん? ああ、まぁな。……っつーかあたし的には剣より足捌きのほうがビックリだわ。何度もやり合って動きが読めるにしたって、どうやってあいつの空遁を術もなしに躱してんだ?」

「へ、蛇子にはどっちも雲の上過ぎて分かんないや……足固めてガードくらいしかやることなさそう……」

 

 

「おいーっす。あずささん、いますー? ……お、ゆきかぜ達もいたのか。おーい姉貴ー、あずささんいたー!」

「おいおい何だ神村ぁ、道場にいきなり入ってきてその態度はぁ? 一発しごいたろか……って、あれ、東じゃん」

「馬鹿声がでけーよ。道場なんだからちっとは行儀よくしろ……お、佐那もいたのか、おはよーさん。休日に押しかけてわりー、ちょっと用事があってな。……おーいあずさ、ちょっとこっち来いやー!」

 

 

「……ん、神村? それにあの人は……」

「…………珍しいところで会うものだ。凛子、すまないが少し休憩しよう。どうやら私の客らしい」

「あ、はい! じゃああず姉、私はお茶を用意します。後でお時間がありましたら、続きをお願いしますね!」

「……ふっ。ああ、もちろんだとも」

 

 

「……で、お前は何しに来た」

「んだよ、相変わらず陰気な奴だな。態々こっちに来てやったんだから笑顔の一つくらい……まぁいいや。おらこれ、ウチの校長からだ。こっちの用事ついでに届けてやったんだ。ありがたく思いやがれ」

「…………ああ、頼んでおいた呪符か。成程、一応礼は言っておくべきなのかもしれんな」

「かもしれん、じゃねえよありがとうぐらい言えよこの野郎! ……って、こんな漫才してる暇じゃねえんだ。おい舞華、こっちの用事は済んだんだ。さっさとお前の彼氏紹介しろよ」

 

 

「「「か、彼氏ぃ!?」」」

「な……あ、姉貴まだ言ってんのか! だからあいつはそんなんじゃねえって言ってんだろ! 偶々買い物先でばったり会って、荷物持ちさせただって……!」

「お前が只の男友達や舎弟を家に上げたりするか! 今までギャルファッションにばっか夢中でソッチの気なんざ一切なかったくせによ! 大体なら何であたしに隠すんだよ、えぇ?」

「そりゃ……姉貴が見つけ次第ぶん殴るとか言うからじゃねえか。……つか、さらっとバラすなやギャルの事!」

 

 

「…………ま、舞華ちゃんってギャルに憧れてたの(小声)?」

「さ、さぁ……お姉さん? が言ってるんだからそうなんじゃない? (小声)佐那さん、この人って……」

「ああ、神村東。正真正銘舞華の姉だよ。……おーい、お二人さん。姉妹喧嘩の続きはウチの店でやろうや。……あたしも詳しく聞きてえしなあ、その彼氏の話はよぉ?」

「「(あ、悪ノリした)」」

「だ、だから違うってぇ……!」

 

 

「お待たせしました。お茶で……ん? 騒がしいですが、如何しました?」

「聞く必要はない。犬も食わんような話だ。……凜、こちらの用事は済んだ。お茶を頂いたら夕食まで続きをしよう」

「あ……はい! よろしくお願いします、あず姉!! ……あ、皆もどうぞ飲んでくれ」

「あ、はーい! 私たちの分もありがとうございます、凛子先輩」

 

 

「早めに白状したほうが身のためだぞコラ、いいからこの前部屋にあげた男が誰なのか言えって!」

「部屋に入れたのかよ! そりゃあ言い逃れできないねえ。……って、おいまさか、それってあいつじゃ……」

「あん? 佐那お前、心当たりあんのか?」

「だ、だから誤解なんだって! あいつは……その、彼氏とかじゃなくってよぉ……!」

「え? ……ちょっと舞華ちゃん、その男の人ってまさか……!」

 

 

 

 

 

 

 ────2083年8月某日 夕刻

 

「へぇ、九郎さんも結構苦、っ……へぇっくしゅ!」

「ん、冷房か? ……いや違うな、誰かに噂されたか」

 

 突然きた鼻のむずつきが抑えられず、俺は思いっきりくしゃみをぶちまけてしまった。

 すいません、と運転手である九郎さんに謝りつつ車のセンターコンソールに置いてあるティッシュを一枚手に取り、鼻をかむ。使用したティッシュは後部座席に置いてあるゴミ箱に入れた。

 

 五車学園での会議に、今運転手を務めている盲目の対魔忍、八津九郎氏が参加してから数分後、詳しい事情説明もないままに(これはいつもの事なので気にしていないが)彼の愛車に連れ込まれ、現在はひたすら高速道路を西へと進んでいる最中だ。

 

 九郎さんの私物であるこの車は、車高が普通より高く一回り程サイズが小さいワンボックスカーといった外見だ。車内で寝泊まりすることも多い彼の生活スタイルに合わせ、様々な設備が取り付けられており、後部座席が快適なベッドへと変形するだけに留まらず、荷台には調理器具やテントも収納されている。

 

 車体自体も、銃弾や爆発などの衝撃にも耐えられるようにかなり独自の改良が施されており、改造した本人曰く『そのまま戦場でも使い物になる』程度にはカスタム済みらしい。俺は車に詳しくはないが、八津九郎という男のプロフェッショナリズムには全幅の信頼を置いているので、たとえ彼の目が見えてなくてもその運転に不安を感じることもなければ、彼の成すことに疑いを差しはさむこともあまりない。

 

「……それで、お前の方はどうなんだ。井河姉妹とは上手くいってるんだろうな」

 

 唐突な質問に、はい? と聞き返すととぼけなくていい、と硬い声を返された。

 外には一切漏れてない筈だが何処から聞きつけたのだろう。それとも会議中の雰囲気から察したのだろうか。

 

「別にお前の性生活そのものについてあーだこーだ言う気はない。お互いの仕事に支障が出ない限りはな。紫にはまだ勘づかれていないんだろう?」

「……ああ、はい。さくら先生もそれには注意してるんで、今は問題ないと思います。……あの、やっぱり機を見てこちらから切り出すべきですかね?」

「はっ……莫迦な。話してどういう反応を期待しているんだ、お前は? あいつが『そうかおめでとう。3人とも幸せにな』なんて言う可能性があると思ってるのか」

「いえ、まさか……! リスクは覚悟の上でしたから俺が責められるのはいいんです。せめて紫先生の矛先があの2人に向かないようにできれば、ぎりぎり軟着陸と言えるかなー、なんて」

 

 それを聞くと九郎さんはフンッ、と鼻を鳴らした。明らかに俺の短慮を嗤っている。

 当たり前の反応だとは思う。お互いの立場を考えればたとえプライベートな問題であっても、九郎さんには俺や井河姉妹の言動に意見する資格と義務がある。

 

 九郎さんは海外で活動することが多く五車には滅多に現れないため、その名前さえ多くの者は知らない。

 増してかつて井河アサギの右腕として知られた“幻影の対魔忍”―ゆきかぜの母親でもある水城不知火が行方不明の今では、実質的に対魔忍のNo.2と言って差し支えない人物であるということを知る者は、本当に一握りの人間だけだ。

 

 そんな彼が、暴露されれば五車最大のスキャンダルになるであろう俺たちの関係を快く思わないのは自然だし、俺が叱責で済まない所業を働いている自覚は十二分にある。

 いや、しかしそれにしても──

 

「……九郎さんだって、俺がこの“技”を使う事には賛成だったじゃないですか。まあ最初の相手がさくら先生だったのは俺も予想外でしたし、そこからなし崩しでアサギ先生も、ってなったのは認めますけど。あの2人のそういった事情が不安だとも言っていたと記憶していますが?」

「俺の想定では紫→さくら→アサギの順番で、それもアサギを堕とすのに紫を加担させていた。それなら内部の問題はほぼなかったからな」

「……は? な、何ですかその順番?」

 

 余りに人でなしの発言過ぎて、一瞬自分の耳が信じられなかった。

 普通兄ならこういう時「妹には手を出すな」と釘をさすものじゃないのか。

 

「あいつは堅物で規律を重んじるが貞操観念に厳しいわけじゃない。どういう形であれアサギと結ばれる、という誘惑には勝てんのだから、自分から憧れの人に手を出したという負い目もあればお前の乱行には目をつぶると思っていたんだが……こうなっては逆に意固地になりかねん」

「え、ええ……?」

 

 極めてフラットな口調であんまりな話を続けられ、今度こそ俺はただ困惑するしかなかった。

 九郎さんはそんな俺をちら、と見えていない筈の横目で見て、今度は愉快そうにふっ、と笑った。

 

「非常識だという自覚はある。……が、少なくとも桐生とこのままなし崩しになるよりはましだと思うが」

「いや、そんな毒入りよりは腐った飯の方がまだマシ、みたいな言い方されても……」

 

 さくら先生と同じ内容の台詞を言われて、こちらとしては苦笑するしかない。

 美人とあれば誰にでも下心を抱き、女を落とす手管に長けた小僧の方がストーカーで触手まみれのマッドサイエンティストよりは「まだまし」だという話なら……まあ、正論と言えなくもないのかもしれないが。

 

「大体そんな詭弁で、紫先生は納得しないでしょう。このまま隠していたって、いずれは露見しますよ。あの3人は単なる同僚じゃありませんし、何なら紫先生の方はもう不審に思ってるかもしれません」

「……まさかお前、今からアサギと紫の仲を取り持とうとか考えてるんじゃないだろうな。それだけは考え直せ。今からじゃどうやっても拗れるぞ。妹はもちろん、アサギの方も決していい顔はすまい」

 

 敬愛するアサギ様がふうまの若僧と、しかも自分に隠して情を通じ合わせていた。

 確かにそれを知れば、八津紫という女性がどのような行動をとるか予想はつかない。恐らくショックで塞ぎこむだろう、それか俺を亡き者にしようとするのもまあ想定内、最悪の場合は俺や校長を巻き込んで心中しかねない。

 

 そんな形で五車頂上決戦が勃発するなんて最悪にもほどがある。だが、そんな可能性が冗談で済まされない程に、八津紫の抱くアサギへの愛情は重い。紫先生本人はあくまで本心は内に秘め、尊敬する上役として接しているつもりだし、当のアサギ先生の方ときたら片思いされてることすら気づいてはいない。そしてそれを傍目に呆れながら面白がるさくら先生というのが、これまで彼女たち3人の関係性の構図だった。

 

 だが俺という異物が間に挟まったことで、その過去には永遠に戻れなくなってしまった。

 悪いことをしたとは思っていない。過程に些か以上の問題は在れど、2人ともに俺とセックスしたことを後悔してはいないし、どういう形であれ俺と男女の関係を結ぶことが互恵的な作用を齎すと信じられたからこそ、教師であるあの姉妹がこの不純異性交遊を容認しているのだから。

 

 アサギ先生にしても、周囲が思っているような強い女じゃないことを俺は知っている。

 

 別に“最強の対魔忍”という称号にケチをつけたい訳ではない。彼女は単に腕っぷしが強いだけでなく、生まれ持ったまっすぐな心と辛い経験からの教訓が合わさり、如何なる時も対魔忍総隊長、五車学園校長としての振る舞いを忘れず、正しくあろうと己を律している。実力も人格も、10年以上にわたり対魔忍のトップを務めつづられただけの器であることに疑念はない。

 

 だが、アサギ校長に畏敬の念を抱く者の大多数は知らない。彼女が10年前、対魔忍としての責務と別れ自らの愛に殉じ、何者でもない只の女として生きようと決意したことを。

 そしてその結果、一生添い遂げようと誓うはずだった人を失い、心に深い傷を負ったことを。

 

 井河アサギという女は、一度恋愛でトラウマを負っている。

 それ故に公平で勇敢、規律には厳格だが柔軟な対応力も兼ね備える正義の味方然とした態度を保ちつつ、心の中には常に寂しさを抱え、尚且つそれを晴らすことに怯えてもいた。

 

 あれだけの美貌を持ちながら、30を過ぎても恋愛話が噂すらしないのはそのせいだ。

 もちろん周りの男が端から諦めてしまっているという事情はある。どんなに自信過剰な対魔忍でもあの「最強」に迫れるほど無謀な者はいない。そもそも過去を知る身内は、そうした話を振ることすら躊躇うだろう。

 

 単なる肉欲で声をかける者など歯牙にもかけず、力を知る者は欲情する前に委縮する。

 俺とて、アサギ先生が無意識に抱く警戒を解きほぐすのには相当に骨が折れた。幼き頃から積み重ねた知己のよしみ、そして故合って身につけた技術と知恵がなければ敢え無く玉砕していただろう。

 

 15という年齢の差など、彼女の嘆きを受け止める事に比べれば大した問題ではない。

 だからこそ、彼女と性交渉を通じて心を通わせられたのは、俺にとっても大きな意味があった。

 少なくとも「決してこの女の思いを裏切らず、この女に相応しい男になろう」という決意を抱かせる程には。

 

「今の俺にとって優先すべきなのは、アサギ先生とさくら先生です。そのためにも、紫先生をただ不幸にするわけにはいかないってことですよ。さくら先生も、これに関しては結構マジっぽいですし」

「ふん、端からハーレムルートしか考えていない連中はこれだから……。まあ、血脈から考えればお前が漁色家になるのは宿命だ。俺としてはその性を、俺の思い描く未来図の中で最適な潤滑油として活用できれば文句はない。八津家の女一人、その為の礎になるのなら安いものだ」

 

 勿体ぶった台詞を聞いて、今度は俺が鼻を鳴らす番だった。

 真意を隠すために敢えて露悪的な言い回しを使うというのは俺も時々やるが、そのやり口を知っている身からすれば少々滑稽にも見えてくるというのが困りものだ。

 だがそれを抜きにしても、俺としては突っ込まざるを得ない部分が今の台詞にあった。

 

「そんなに言い繕わなくても、妹さんの事を案じているのは分かってますよ。そちらも、出来る範囲でいいのでアフターケアの方はお願いします。……ていうか、血筋のことは関係ないでしょう。確かに守備範囲は広いですけど、俺は親父みたいに誰彼構わずという訳じゃ……」

 

 ない―と、言いかけた俺の言葉を「いや、ふうま弾正のことではない」と九郎さんが遮った。

 

「確かに彼は気の多い男だったが、保険のかけ方もケツの拭き方も十分に心得ていた。お前のように特殊な房術を修めたわけではないが、愛人同士の諍いも深刻なものは起きず、私生児によるお家騒動も起きなかった。お前に言うのもあれだが、甲斐性のある善良なプレイボーイだったわけだな」

 

「善良なプレイボーイ」というパワーワードの響きに、思わず吹き出してしまう。

 

「はは、何ですかその単語……健康にいい煙草、いや子供向けアダルトアニメくらい矛盾に満ちた単語ですね」

「まあ、女にモテるだけでなく、同性や子どもからも人気だったということだ。もちろんふうま一門の、だがな。俺が引き合いにしているのはさらに前の世代……そうだな、弾正の曾祖母にあたる女の事だ」

 

 思わぬ昔話をされ、俺は首を傾げた。

 親父のひい祖母ちゃんということは、つまりは現当主である俺から数えて4代前、少なくとも100年近く前の人間という事になる。

 

「……すいません、その人のことは良く知らないんですが。ていうか、うちに女性の当主がいたんですか?」

「何だ、意外と不勉強だなお前。……ああ、まあしかし当然か。彼女はふうまにとって存在してはいけなかったもの……謂わば一族にとって最大の黒歴史と言っていい。大方、当時の連中が記録を全て抹消したんだろう」

 

 ますます疑問が湧く説明をされてしまった。

 当主の座を追われるならまだしも存在した記録を消されるなんて、一体その人は何をやったというのか。そして、そんな曰くのある我が家の歴史を何故九郎さんが知っているのか。

 

「あの、九郎さんはどうして―」

 

 その時、ピリリリリ……と俺の携帯の着信音が響いた。

 しまった―心の中で舌打ちをしながら、急いでズボンのポケットから携帯を取りだし、話し相手に了解を得ることもせず通話に出る。彼がそんなことより、着信音が鳴り続けることの方が気に障るタイプだと知っているからだ。

 いつもこの車に乗るときはマナーモードにしていたが、今日はうっかり忘れてしまったらしい。

 

「もしもし。…………はい? 何だ、蛇子か? いきなりそんな剣幕で喋られても分からん…………あ、ああ。確かに舞華の家には行ったよ。街中で偶然会っただけなのに、あいつが買い過ぎたってんで荷物持ちさせられて……え? それだけ? って……まあ、お茶とお菓子くらいは貰ったし、色々話したけど…………いや、してねえよ。……ああ、お茶飲んだだけ。何かお姉さんが帰ってきたってんで窓から追い出されちゃったしな。…………ああ。何もなかったって。………………あ、そうなのか? じゃあそのお姉さんにも、その辺ちゃんと伝えといてくれ。今人と会ってるんだ…………いや、男だけど。仕事の話中なんだ……ああ、じゃあな。2人に宜しく言っといてくれ」

 

 そこで通話を終え、携帯端末をポケットに戻す。

 

「人気者は大変だな。……神村の姉が五車に来てるって?」

 

 通話を終えた瞬間、不機嫌どころか愉快そうな笑みを浮かべながら九郎さんが話しかけてくる。

 彼の耳を持ってすれば隣の電話内容を聞き取るくらいなんでもないだろうが、正直気分は良くない。

 

「……ええ、そうらしいですね。お知り合いですか?」

「知人と呼べる間柄ではあるな。あの女は神村の修業が嫌で家を飛び出し、今は五行学園で教師をしている」

「五行? って言うと……あの陰陽師がいるっていう?」

 

 予期せぬ新情報が飛び出し、思わず不機嫌になったことも忘れて聞き返してしまった。

 

『五行学園』―俺の記憶が確かなら、京都の六波羅という地にある学校だ。

 俺の所属している五車学園とは名前だけでなく、創設目的や運営体制も酷似している。ただし向こうは対魔忍ではなく、陰陽師を育成し魔の脅威に対抗する組織らしい。

 

 正直同業者とは言え詳しい情報は把握していないし、俺自身今まで陰陽師に直接会ったこともない。

 関西最大の犯罪都市アミダバラにある魔界へと繋がる門を守護する結界は彼らが拵えたものであること。また俺たちが東京キングダムやヨミハラに住む者たちに目を光らせているのと同様に、彼らも当該都市における治安維持を現地の協力者と共に行っていること。知っているのはそう言った基礎知識くらいだ。

 

 本拠地が東西に分かれているからと言って、別に五車と五行は縄張り争いをしているわけではない。

 実際アミダバラには五車の人員も常駐しているし、人材交流の名目で向こうの教師がこちらに来たり、任務によっては直接協力する事もあるようだ。

 しかし舞華の姉さんがそこで教師をしているとは、初耳だし意外過ぎる繋がりだ。

 

 そういえばこの前ゆきかぜから、凛子先輩の姉貴分に当たる剣士があの学園にいると聞いたことがある。“慙愧の対魔忍”と呼ばれる先輩をも凌ぐ華麗な剣技の使い手らしいが、一体どんな超人なのだろうか。

 

「ああ。無論あいつに素養があった訳じゃない。五行に所属し、術を施された武器を振り回しているから陰陽師と呼ばれているだけだ。……まあ、実戦でそこらの術者より頼りになるのは確かだがな」

「へ~ぇ! 随分型破りな人だな。……あ、もしや今から会いに行く『当て』って、五行の人ですか?」

「いや違う。彼らの専門は結界と国内の固有魔生物……所謂『妖怪』だな。出所も分からん魔石のことなんぞ、余程の実害が出ない限り興味を持ったりはせん」

 

 向かうのはアミダバラだ―そう言いながら九郎さんはハンドルを傾け、左の車線へと車を向ける。

 カーナビ(運転手には無用のものなのに何故か標準より高性能なものを搭載している)を見ると、200m程先にドライブスルーが見えた。そう言えばそろそろいい時間だし、腹ごなしはしておきたい。

 

「向こうに着いたら忙しくなるしな。……ま、蕎麦でも一杯手繰るとしよう」

 

 どうやら2人の意見は一致しているらしい。俺は無言で頷いた。

 

「……ところで今更ですけど九郎さん、いつもは走る時って窓開けてたと思うんですけど、今は音声案内も外の音も聞かずにどうやって運転を? いつもの超感覚ですか?」

「ん? 東海高速の構造くらい記憶しているに決まっているだろ。この道なら居眠りしてたって運転できるぞ」

「…………やっぱあんた超人だわ。忍法とか関係なしに」

 

 




 いつもの事ながら投稿が遅れまして大変申し訳ありません。
 環境の変化に慣れるのが思いの外大変で、ここ1、2ヶ月はまともに話が進んでいませんでした(汗)年は取りたくないものです…。

 今回いつもよりかなり短いですが、今月からはなるべく更新の頻度を上げられるようにスケジュールの調整をしていきたいと思います。
 何卒今後とも、宜しくお願い致します。


 …ゼルダ発売までにもう1話上げられるといいなあ。


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Main Story: Rinko / Rin 03

──八津九郎とふうま小太郎が犯罪都市アミダバラに到着する少し前。
 対魔剣術「逸刀流」道場内。


「……変わった? 私がですか、あず姉?」
「ああ、無論いい意味でだぞ。剣を振るっている時だけでなく普段の立ち居振る舞いも、以前より自然体で余裕が感じられる。逸刀流や五車の模範たれ、と無駄な力みをすることがなくなった」
「そう……ですか。それは多分、ふうまのお陰かもしれませんね」

「ふうま……ふうま小太郎の事か? あの若いふうま家当主の」
「ええ。今は新設された独立遊撃隊の隊長でもあります。本人は忍法が使えないとのことですが、目端が利く男で、先生たちも知らないような魔物や魔界技術の知識も持っています。何度か任務を共にしたことがあるのですが、その際いくつか参考になる助言をもらいました。それが良かったのでしょう」

「助言……それはどんな?」
「そう、ですね。主には私の空遁……空間転移や五感跳躍以外にも、私では思いつかないようなアイデアをもらいました。後は……ええと、恥ずかしながらその、男性との付き合い方を、少々……」

「! ……ふふっ、成程。その変貌は男を知ったが故、か。噂だがその若当主、相当な女好きらしいじゃないか。免疫のないお前を誑し込むなど容易いだろうな」
「べ、別にそういう訳では……彼は良い友人です。それは、口さがない連中の戯言です……よっ!」

「おっと……ふふ、今のは危なかった。だが、別に悪口を言った覚えはないぞ。女好きな男は嫌いではないし、お前をそういう風にした彼は確かにいい男なのかもしれん。……しかし、お前が家の者以外の男と親しくなるとは以外だ。これも単なる噂だが、レズだと生徒内で言われるくらいには男っ気がなかったろうに」
「な……! あず姉、いくら貴女でも怒りますよ!」

「もう怒ってるじゃないか。剣が、乱れてるぞ……!」
「くっ……! あっ……!?」



「焦って距離を取ろうとしているのが見え見えだったぞ。私がもし敵なら剣を払い落とすだけでなく、腕も斬り落とされていただろうな」
「……すみません。戦いの最中で心を乱してしまいました」

「気にするな、私も意地悪を言った。実戦形式かつ能力を使いながらの戦いで、後輩のお前に不覚を取るわけにはいかんのでな。それに、何度も仕合をした私だからこそ突けた隙だ。お前の技が鈍ったわけではない」
「それでも、負けは負けです。これで私の10敗……ですね。勝負はあず姉の勝ちです」


「ふむ……賭けるものを決めずに10先を始めてしまったが、今決めた。ふうま小太郎と何があったか、馴れ初めから詳しく聞かせてもらおうか。男に興味のなかったお前が如何にして堕とされたか、興味がある」

「えっ……いや、あの、別に私と彼は男女の関係というわけではありません! 以前ちょっとした事件に巻き込まれた時に縁ができて、それ以来たまに相談をし合っているというだけで……!」

「相変わらず嘘が下手だな、凛子。これも単なる噂だが、お前とふうま小太郎がまえさきの商店街を一緒に歩いていたのを見たと、お前の取り巻き女子の1人が話していたぞ。しかもそのまま、ホテル街の方へ2人で歩いて行ったとも言っていた」
「な、見られっ!? ……ちょっと待ってください。確かにまえさき市で彼と同行しましたが、あれはアルバイトをした帰りに偶然会っただけですし、ホテルへ向かってもいません。その子の勘違いでしょう」

「ふむ、ではデートしたのは間違いないのだな」
「デッ?! …………い、いえ。そういうのでは……ない、と思うのですが……」

「ふーん。では、ふうま小太郎には何の感情も抱いていないのか? 男との接し方について相談したのは、本当は彼が好む振る舞いを知りたかったからではないのか?」
「えぁ、そ、それは……男のことは私から相談したわけではなく、話の流れでそうなっただけで……それに、彼はゆきかぜや鬼崎と仲が良いようですし…………私が、入り込む余地なんて……」


「ふふ……あっははは!! 何だ、思った以上に本気じゃないか。くくっ、あははははっはは……!」
「…………そんなに、笑わないでください。正直言って、自分でもよく分からないんです。これが本当に、そういった感情なのかどうか。男を意識するというのは、一体どういう事なのか……」

「ふふふ……成程、それはすまなかった。まあ、戸惑うのも無理はないか。せめてお前に男の兄弟でもいれば、話は違ったんだろうがな」
「兄弟、ですか。兄弟弟子なら何人もいますが……それとはやはり、違うものなのですか?」

「ああ、ちがうな、全く違う。……そう言えば、お前とは長い付き合いだが、恋バナなんて一度もしたことなかったな。よし、今日の鍛錬はここまでにして、その辺ゆっくり語らうとしようじゃないか。まずは湯浴みだな。汗まみれの体では恋バナも何もあったものではない。行くぞ、凜子」
「あ、はい………………恋バナ…………」





 

 俺がアサギ先生の『過去』を知ったのは大分昔、誰から聞いたかも覚えていない程子どもの頃だった筈だ。

 

 それを知って、同情や憤りより先に俺の胸に去来した感情、それは確か──義務感だった。

 そんな寂しい思いをしているなら、俺があの人を慰めなければ、元気にしてあげなければ―と。

 

 馬鹿な話だ。道端で泣いている子どもに手を差し伸べる感覚で、自分なら“最強の対魔忍”のトラウマを晴らせると思っていたのだから。当時の俺はふうま一族のガキ大将みたいなものだったから、一緒に遊べば彼女も元気になる、くらいに考えていたのかもしれない。

 

 こんな幼稚な記憶、正直今すぐにでも忘れたいが、そういう黒歴史程しつこく脳内にへばり付いてしまうものだ。本当に、思い出とは厄介極まる。 

 

「俺は笑わんよ。例え子どもの戯言だろうと、叶えた以上は本物だ。アサギもそのことに関しては心から喜んでいるはずだ。あいつはそういう、純な心にめっぽう弱いからな」

 

 盲目の対魔忍、八津九郎から唐突にそんな優しい言葉をかけられて、俺は暫し面食らってしまった。

 

 今俺と九郎さんはサービスエリアで、少し早めの夕食を摂るべく注文した料理が来るのを待っていた。

 ちなみに俺は天麩羅蕎麦で、九郎さんはかけ蕎麦(ネギ抜き)を頼んだ。

 

「……そういうもんですかね。これで真実アサギさん一筋だったら、恰好もつくんでしょうけど」

「それはお前の器量次第だな。籍を入れ、家族という社会的単位を形成するつもりなら浮気癖は問題になる。だが今のところこの国では、同時に複数人の女性と関係することそのものは違法ではないからな」

 

 俺は痛いところを突かれ、気分を紛らわすために水を一杯飲む。

 たかが18の餓鬼に、所帯という概念が現実味を帯びてしまうことは恐怖でしかない。

 

 セックスしておいて結婚は絶対嫌だ―とか、普通に考えれば終わってる感性だという事も自覚はしている。

 だが今の暮らしを始めてから、公私ともに順調なのも確かなのだ。我儘だ微温湯だと言われようが、体に合ったライフスタイルを完全に変えてしまうこと自体にも強い心理的抵抗がある。

 

 だからこそ関係を深めても責任を口にしなさそうな相手とばかり関係を持ち、万が一にも『出来ちゃった』なんて事にもならないよう細心の注意も払っている……うん、どう考えても屑の所業だなこれは。

 

 そんな俺の怯懦と自嘲を見透かされたのだろう。

 おいおい──と苦笑が漏れてきそうな表情で、九郎さんが言葉を続ける。

 

「お前は只の学生でもなければ一般的な対魔忍でもない。忍法が使えないということが実戦以外ではディスアドバンテージにならないように、お前は指揮とコミュニケーションに専念すればいい。そう言っただろう」

「ええ。……初めて聞いた時はまさか、こういう意味だとは思いませんでしたけどね……―ありがとうございます」

 

 そこで注文した品が届き、俺たちは食事を始めた。

 2人とも食事には集中したい性質なので会話はせず、黙々と椀の中のものを平らげた。

 大盛りの蕎麦を3分も経たずそれぞれの胃の腑に収めた後、俺たちはお茶を啜りながら会話を再開する。

 

「……俺って、昔からそんなスケベに見えてました?」

「俺達が初めて会話した時、お前はたしか15だったな。まあ、その時は年相応の風貌だったさ。今みたいに好色のオーラをまき散らしてはいなかったな」

「ど、どんなオーラですか、それ……!?」

 

 これが全く冗談に聞こえないのが、九郎さんの恐ろしいところだ。

 八津九郎という対魔忍は、視覚が失われて“不死覚醒”の忍法が使えるようになると同時に、第六感とでも言うべき超感覚を会得した。それは喪われた感覚を他で補おうとして聴覚や嗅覚が鋭敏になった―という事ではなく、一種の超能力に近いものだ。

 

 彼は目が見えてなくても、周囲の人物や物体が持つオーラみたいなものを色彩のある風景として捉えることができる。1世紀ほど前に流行ったレトロフューチャーを舞台にしたSFによく登場する、黒いモニターにポリゴンで描かれた古臭いレーダー図や、荒い画素数の立体映像。イメージとしてはそういったものが近いらしい。

 

「まあぶっちゃけて例えてしまえば、映画の『マトリックス』で救世主に覚醒したネオ・アンダーソンに見えてたアレだよ。あそこまでビカビカ光っちゃいないがね」

「……身も蓋もない補足どうも。で、今の俺は九郎さんから見れば女好きのオーラを発していると?」

「おいおいマジに取るなって。俺はニュータイプでも霊媒師でもないし、この力は千里眼や心眼とは全く違う。魂の色なんて見える訳ないだろ」

 

「……でも幽霊は見えるんですよね?」

「それとこれとは別だ。一般に幽霊と呼ばれるものは死者の精神波が土地に根付いた魔力、或いは人為的魔術によって形を成し、現世に定着させられている、精神生命体とでもいうべきものだ。だから実体を『視る』ことはできるが、専用の装備がなければ触れることはできないし、相手の状態が安定していなければ話すこともできん。別にこの力も万能というわけじゃないし、俺の霊感が強いというわけでもない」

 

 そう言うと残ったお茶を一気に飲み、九郎さんは席から立ち上がった。

 俺も続いて立ち上がり、勘定をするべくレジへと向かう。九郎さんが当然のように、俺の分も払ってくれたのは嬉しかったので丁重にお礼を言ったが、何故か微妙な表情を向けられた。

 そのままトイレで用を済ませてから、2人並んで車に戻る。

 

 

 

 

「それで、結局誰なんですか? 今日会いに行く人って」

「さっきも言った通りアミダバラにいる。ま、向こうのご意見番だな。喰えない婆さんだがあそこでは一番信頼できる。そこで成果がなければ諦めて、野暮用を済ませてお前を五車に送り、俺は空港へ直行する」

「え? 九郎さんは家に帰らないんです? 随分戻ってないんじゃないですか?」

 

 そう言いながら俺は車に乗り込み、シートベルトを締める。

 九郎さんは個人的な信条により、仕事で運転する時はベルトもドアロックもしない。警察に見つかったらどうするんだ、と聞いたことがあるが「そんなヘマをした事は一度もない」らしい。

 

 最近は高速の至る所に高性能カメラが設置されているし、道交法を守らず捕まるのはヘマとかそういう問題ではない気もするが──信条ならまあ、仕方ないか。

 

「連絡は定期的に取ってるさ。紫の奴は遠慮して滅多にしてこないがな。実を言うと向こうでの仕事をほっぽり出して帰国したんでな。なるべく早く戻らんと向こうの仲間に殺されかねん」

「あ、そうなんですか。……態々急に帰国するほどに、この『対魔石』の案件は重要だと?」

 

「当然だろ、単に俺たちのイメ損なんて問題じゃない。お前も散々人間が化物になるところを見てきただろうが、あれは魔界基準でもドーピングなんてレベルを超えている。恐らくだが、お前でも適量を投与し続ければアサギと互角に戦える身体能力を身に着けるだろう。そういうものが世に出回り始めてるんだぞ」

「そんな……!」

 

 衝撃的すぎる話だった。五車での会議で出た情報で、『対魔石』が対魔粒子の結晶化したものという情報は確かに出ていた。

 そんなものを摂取すれば忍法の威力や身体能力の向上が見込めるというのは容易に想像できるし、映像で見たように過剰な摂取によって肉体の変貌や崩壊が起こるというのもあり得る話ではある。

 

 だが、よりにもよって“あの”アサギ先生に匹敵する力を得られるというのは俄かに信じがたい。

 単身でマフィア組織を壊滅させたり、武装した数百人規模のオークを全滅させる。

 あの石を使えば、そんな出鱈目なジャンキーがあっさり量産されるというのか。

 

 もしそんなものが国内の魔族や反対魔忍の集団に渡ったら、パワーバランスの崩壊どころではない。誇張抜きで五車存続の危機じゃないか。

 

「まあ、大抵はオーバードーズで死ぬか、そうでなくても肉体のパワーアップについていけず精神が崩壊するだろうがな。『あれ』は間違いなく、そういった障害を乗り越えてしまっていた」

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 九郎さん曰く、最初に海外で『対魔石』らしきものが見つかったのはアフリカの某国だそうだ。

 

 1週間ほど前、とある反政府組織の戦闘部隊に所属する民兵や傭兵たちが、ある日突然狂暴化して無差別に街や集落を襲い始めた。

 

 現地の警察や正規軍も対応を試みたが、銃弾を食らっても平然と戦い続ける常識外れの強靭さに手を焼き、何より手足が砕けても狂気の笑みを浮かべて敵兵が襲い掛かってくるという異常な光景に現場は騒然となり、やがてまともな戦いにならなくなった。

 

 そこで、各種のコネを通じて現地政府の黙認を得た後、九郎さんたちが協力者とともに鎮圧に乗り出した。

 一般人の部隊に包囲と通行規制を任せ、虱潰しに怪物と化した兵士たちを倒していったのだ。

 

 殆どの兵士は理性をなくし只破壊をまき散らすだけの暴徒と化しており、中には肉体が溶けたように崩壊したり、常とは異なる場所から腕が生えたり等、最早人間とは呼べない姿をしている者もいた。

 しかし、どれも九郎さん達を手こずらせるような連中ではなく、作戦の途中までは半ば駆除作業に近かったという。

 

 だが、その中に1人“規格外”がいた。

 初見ではその男も、他の兵士と同じように正気を失っているだけに見えた。銃器はおろかナイフすら携帯していなかったが、服装が周りより派手で軍帽を被り、正規品のアーマーもしっかりと着こんでいたため、部隊の指揮官か組織の幹部だったのかもしれない。

 

 しかし向こうがこちらを認識し、襲い掛かってきたその動きを見て、瞬時に九郎さんはその認識を訂正した。

 見て―というのは中々微妙な表現だが、この場合は2つの意味で正確ではない。元々何も映さない彼の瞳だけでなく、目よりも鋭敏に周囲の状況を掴む彼の超感覚をもってしても、戦闘を開始した瞬間の敵を捉えきることができなかったからだ。

 

 一瞬だけとはいえ、近接戦闘中に敵の姿を見失う―戦場においてそれが死に値する失態であることは明白であり、まして八津九郎にとっては対魔忍になって以来初めての経験だった。

 

 気づかぬままに接近され、咄嗟に防御した腕を掴まれるという事態に陥り、九郎さんは己が油断していたことを悟った。心の中で舌打ちをしつつ、刹那の間に意識を切り替え反撃に移るが、そこで驚愕の事実に気づいた。

 

「服を再度見ると、赤いと思っていた軍服の色は全身にびっしり付いた血によるものだった。戦いで傷つけられたからか、と思ったが、服のどこにも傷を受けた跡は見られない。つまりその血は全て返り血だったわけだ」

 

 更に観察してみると、その化け物になった男の体にさらなる異常を発見した。

 激しい戦いを経たのは乱れた服を見れば一目瞭然だが、それにしては手足や頭部の皮膚が綺麗過ぎたのだ。

 九郎さんにはその不自然な体の有様に心当たりがあった。何せ、彼自身も馴染み深い状態だったからだ。

 

「試しに一発斬りかかってみたら直ぐに確証が取れた。俺の斧やナイフ、仲間が撃った弾丸による傷さえ瞬時に塞がっていたからな。……ふっ、流石の俺も顔が半分切り取られた奴に全力で組みつかれるってのは初めての経験だった。『自分』と戦ったやつらの気持ちが嫌でも分かったよ」

 

 人ならざるアンデッドの群れと化した兵士たち、そしてそのボスであるヤク中のバーサーカー。

 殺した人間の血肉を食らっていたわけではないからグールやヴァンパイアとは呼ばないが、どちらにせよ一般人からすれば悪夢としか言いようのない連中数百人を、九郎さんたちは一晩かけて鎮圧に成功した。

 

 その作戦所要時間の内実に7割以上は、先述の疑似的な不死身と化した対魔石の完全適合者たち『数人』との戦いに費やされたという。

 

「倒すのは大変だったが、後始末にはまた骨が折れた。何せ向こうの現場は魔界の連中や対魔忍の事なんぞ碌に知らんからな。百人以上はいた怪物をわずか数人で始末した俺たちも、連中からすりゃ人ならざる者に見えたようだな」

 

 ま、それは何にも間違いではないが―そう言って九郎さんはニヤリと笑った。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「……そんな大事な話、さっきの会議でしなくて良かったんですか?」

「後で報告書は出すさ。あの場であれこれ突っ込まれるのが鬱陶しくてな」

「え、ええ……」

 

 報告をすっぽかした理由のあんまりさに思わず絶句し、これからの事を考えて思わず溜息を漏らした。

 他の奴がこんな真似したら叱責じゃすまないだろう。俺だったら間違いなく罰則ものだ。

 

 一番情報を欲しがってた静流先生辺りはマジ切れだろう。

 それなりに任務で共に行動したが、未だ本性を見たことないあの英語教師が激昂する様を想像し、俺は軽く頭を抱える羽目になった。ああいう人ほど、本気で怒ると手が付けられないとはよく聞く話だ。

 

 うちの『女性3人衆』の中でも、最も怖いのはお説教が多い時子でも、常日頃その時子に対して喧嘩腰な天音でもなく、誰に対しても物腰柔らかな災禍だというのは家族の共通認識だからな。

 

 

「……それで、そいつらには『対魔石』が使われていたと?」

「その通り。もう少し詳しい裏話をすると、だ。その反政府組織っていうのは同じアフリカの巨大軍需企業から軍事的支援を受けていてな。『フリーダムオブアフリカ(F.O.A)』っていうんだが……聞いたことあるか?」

 

「……たしか、本社は南アにあるんでしたっけ。向こうじゃ珍しく強化外骨格の開発に熱心だというのは聞いたことがあります。テロ屋と繋がりがあるっていうのは初耳ですけど」

 

「はっ。その手のコネがない武器屋がアフリカで生き残れやせんよ。だが問題なのはこの会社にとって最上位のお得意様は、俺たちが相手した現地のならず者じゃない。もっとあくどくて、喧嘩が滅法強い超大国だ」

 

「米連、ですか」

「正解。……ま、正確に言うなら米連の中でも、特に東南アジアで幅を利かせている連中だ。そいつらとこの会社は昔から仲が良くてな。資源採掘やら紛争やらを利用して、一緒にぼろ儲けしてる。で、今や米連における軍事関連の最大手と言えば……」

 

「ノマド……でしょう? 態々もったいつけなくてもいいでしょう、そんな分かり切ったこと」

 

 ──『ノマド』。

「遊牧民」の名を冠するこの組織は、表向き米連でも有数のコングロマリットとして知られている。

 米連の首都ニューアークに本社機能を構え、重工業、精密機器製造、企業コンサルタント、資源採掘、軍事兵器開発・販売など様々な事業をグローバルに展開している。

 

 が、無論俺たちにとってはそんな表看板よりも遥かに、裏の顔の方が重要である。

 総帥たる吸血鬼エドウィン・ブラックの下、圧倒的な力を背景に世界中の裏社会に影響力を伸ばしつつある、恐るべき魔の組織という実態の方が。

 

「正確に言うと、『F.O.A』と『ノマド』が直接繋がっているわけではなく、国務省の下部組織である『特務機関G』が間を仲介している。積極的に魔界技術を応用したCS―サイボーグソルジャーを生み出しているこの組織にとって、ノマドからもたらされる技術と、人体実験をやりたい放題なアフリカとの繋がりは欠かすことができん」

 

「『G』ですか。連中のサイボーグとはヨミハラで戦いましたよ。アキラか日本人ではないのに何故か関西弁で話すふざけた言動の奴でしたが、実力は確かでした」

 

 名は……ヘスティアとか言ったか。

 こてこてすぎて現地の人間ですら忘れたような関西弁を使いこなし、両腕から超高熱の火炎放射をしてくる女サイボーグだった。俺は言うまでもないが、閉所で戦う羽目になったら九郎さんでもタイマンは厳しいかもしれない。

 

 

「……ヨミハラといえば。あれから佐郷文庫のことは、何か掴めたのか」

 

 唐突に話題を変えられ、答えに窮する。

 いつか聞かれるだろうと思っていたが、いざ突かれると胸に鈍い痛みを感じずにはいられない。

 幸いなことに丁度トンネルに入ったことで、車内にいるお互いの表情も見えなくなった。

 

 ──佐合文庫。

 かつてふうま宗家に仕えていた対魔忍であり、15年前にふうま一門が起こした”反乱“が鎮圧された後は里を脱し、米連へと逃げ延び『特務機関G』によってサイボーグ化手術を施される。

 

 その後は『G』の尖兵として働く傍ら五車や日本政府への復讐を果たすため活動していたが、ある日一人娘が死んだことを知り、それまでの全てが虚しくなり戦意を喪失。

 

 せめて娘の墓参りだけでも行いたい、その一心で組織を抜け、宿敵である五車への投降を決意した。無論そのような背信を『G』が許すはずもなく、過酷な逃避行の末、文庫は昔の伝手を頼ってヨミハラへと流れついた。

 

 そんな彼を機密保護と粛清のために差し向けられた追っ手から守り、五車へと連れ帰る。

 それが先々週、俺たち『独立遊撃隊』が総隊長井河アサギから直々に受けた指令であり、かつての忠臣とその息子が数年ぶりの再会を果たすという、予想すらできなかった再会の機会でもあった。

 

 だが、任務自体は成功裏に終わったにもかかわらず、俺は文庫と“その日”以来会っていない。

 それどころか、彼の生死すらも確かめられてはいない。

 

 

「…………やっぱり、何かご存じなんですか?」

「ほう、なぜそう思う?」

 

 口をついて出た質問にも、さらりと微笑を交えて流される。

 根拠が何もないことがとっくに見抜かれているわけだが、こちらも確信した。

 やはりこの人は真相を知っている。

 

 こういう時、八津九朗はハッタリを言ったり、知らないことをはぐらかしたりはしない。

 そして、俺から確証を得る術もない。だから、迂遠でも1つずつ状況を確認し、彼の気まぐれか温情かによって、何か情報をポロリしてくれるのを期待するしかない。

 

「俺達が佐合文庫を引き渡した時、紫先生の様子は明らかに変でした。まるであの時、彼が銃撃されるのが分かっていて、その現場から俺たちを遠ざけたいかのような……」

 

 そう、文庫は銃撃されたのだ。しかも、俺たちの目の前で。

 自動車に乗って護送される彼を鹿之助、蛇子と一緒に見送り、最後に手を振って別れようとした、正にその時だった。頭部に一発を喰らい、すぐさま彼は地面に倒れた。

 

「着弾後銃声が聞こえたことからして、使用されたのはスナイパーライフル、数百メートル離れた場所からの狙撃で間違いないでしょう。撃たれた瞬間はよく見えませんでしたが、紫先生はすぐさま護送役の人たちに文庫を運ぶ指示をして、俺たちには伏せていろ、と怒鳴っていました。……二発目が来るかもしれない状況では、余りにも無防備です」

 

 ふん、と鼻を鳴らす九郎さん。

 

「場所がヨミハラの出口すぐの道路というのも不可解です。あの辺は魔族も寄り付かない廃墟しかなく、武装した人間が出入りすれば嫌でも目立ちます。……そして俺たちは、紫先生が盾になってくれながら射線の通らない地下へ戻り、呼ばれた応援が周囲の安全を確保した後に五車へと帰ってきた……」

 

 それが、我ら独立遊撃隊にとって初となるヨミハラ潜入任務の顛末である。

 雇われた傭兵の裏切り、サイボーグである文庫の機能限界、賞金目当てに群がる敵。

 ひっそりと付いてきた『援軍』の助けもあったとはいえ、これだけの悪条件に晒されながらよくやったとは思う。

 

 それだけに、最後の最後で喰らった卓袱台返しはかなり心にきた。

 しかも自分たちの手を離れた瞬間、あまりにも怪しい状況での惨状であったために余計引っ掻かかっている。

 

 たとえ先生方から「気にするな」と言われても……いや、だからこそ謎を明らかにせずにはいられない。あれで気にしないのは無理だろう。

 

「お前は、俺の妹や校長が文庫を謀殺したと考えているのか?」

 

 微笑を浮かべたまま、盲目のドライバーはえげつない質問を被せてくる。

 冷房の効いた車内にも関わらず汗が流れているのを感じたが、俺はなけなしの勇気をもって首を横に振る。

 

 状況だけを見るなら、裏切り者を確実に始末し情報の漏洩を防ぐするために五車が謀った―そういう見方もできなくはない。

 

 作戦後の俺に一切を隠しているのもそれならば説明はつく。そしてだからこそ、俺は最初にその可能性を否定することができた。

 アサギ校長はそういう「キャラ」じゃない。万が一それが目的なら紫先生や俺を関わらせることなく、全て自分で殺ろうとするだろう。今の俺にもそれくらいは分かる。

 

 そう口に出して説明はしなくとも、九郎さんにはお見通しらしい。

 俺が無言で否定したのを見て、微かにだがほっとした様子を見せた。

 

「ならいい。もしそういう疑いを持っているのならさっさと晴らそうと思ってな。……全く、あいつらもこういう腹芸は不得手だと自覚してるなら、さっさと話せばいいのにな」

 

 やっぱり何か知ってるんじゃないか。

 追求しようとした俺を、九郎さんは「おおっと」と大げさな手振りまで加えて制する。

 

「悪いがアサギが話す気にならん限り、俺の口からは何も聞けんぞ。……それに、今のお前は奴の居場所より、この後敵がどう動くかを気にしたほうがいい」

 

 え? と首を傾げる俺。

 今の「居場所」というワードからして、言外に文庫の生存は確かめられたのは嬉しいことだ。

 さりげなくだがちゃんとヒントはくれるあたり、なんだかんだ九郎さんもお優しい。

 だが、その後に続く台詞の意味はよく分からない。

 

「敵って……佐郷を追っていた連中の事ですか?」

「そうとも言えるし、違うともいえる。あの男が只の抜け忍……いや、亡命者ではないことはお前も分かってるな。奴が五車を離れてからヨミハラに来るまでの線を辿ってみろ。もう少ししたら、奴らの方から直接接触してくる筈だ。その時、恐らく知りたいことも分かるだろう」

 

 結局、九郎さんは思わせぶりなことだけ言って、決定的な情報をくれることはなかった。

 だが今の忠告によって、結果的に俺は五車始まって以来の危機を脱することができた。

 しかしその「危機」すらも、長きに渡る戦いの序章でしかなかった──。

 

 

 

 

 

 ―ふうま小太郎と八津九郎が「アミダバラ」に到着する2時間ほど前。

 同都市内の某所に存在するとある一軒家から、爆発音が響き渡った。

 

「―……げほ、ゴホッ、こほっ……! ……ちょっと、ミチコ! あんた何……けほっ!」

 

 家中に立ち込める黒煙の中から、1人の女性が逃げ出すように屋外へ飛び出してきた。

 艶のある黒い長髪を灰らしきもので白く染め、涙目になりながら咳き込んでいるが、その姿さえ絵になるほどの美女である。

 しかし彼女が只者ではないことは、腰に差した一本の刀を見れば幼児にも理解できるだろう。

 

 その美女が振り返り睨んだ先には、美女と同じく白に染まったメイド服を着た女性が一人いた。

 彼女は増え続ける白煙や立ち込める異臭を意に介さず、右手で盆を掲げながら黒髪の美女へ向かって歩いてくる。

 盆の上には皿が1つあり、みたところ煙はその皿から立ち上っているようである。

 

「ちょっとアンネローゼ! せっかく作ったんだから食べてよ、ほら! ちょっと風変りだけど焼き具合は悪くないでしょ?」

「焼き具合とかそれ以前の問題でしょ……! 大体何入れたの、それ? まだ煙吹いてるじゃない!」

 

 盆を持ったメイド姿の女は立腹した様子で、煙塗れの皿を剣を持つ女に差し出す。どうやら自分の作った料理を食べてもらえないことに腹を立てているらしい。

 

 だがアンネローゼと呼ばれた女の方に、それを食するという発想は一切ない。

 

 そもそも彼女の常識から言って、煙を吹きながら生臭い匂いを放つモノを食わせるべき相手は人の口ではなくゴミ箱だ。

 おまけに、目の前にいる作り手は卵焼きどころかカップラーメンすらまともに作れないレベルの料理下手。

 しかも人間ではない故に、ヒトの味覚が全く理解できないという手合いだ。

 

 何故味が分からないという自覚が本人にもあるというのに、事あるごとに料理―と呼ぶには烏滸がまし過ぎるナニカを自分に食べさせようとするのか。

 アンネローゼが長年付き合いになる相棒の、一番理解できない所だ。

 

「いいじゃん煙くらい! お腹に入れば同じだって!」

「何と何が同じだって言うのよ……。大体ねえ、あんたが魔女をどういう風に考えてるか知らないけど、明らかな爆発物を口に入れるのは……―」

 

 そこでアンネローゼの声が止まり、後ろを振り返る。

 そこにはいつもと同じ家の景色、夕焼けの空が包み込む都市アミダバラが広がっているように見える。

 

 だが、彼女の勘と嗅覚はそれ以外の『何か』を感じ取っていた。

 この街に薄汚れた闇へと引き込もうとする、得体のしれないナニかの存在を嗅ぎ取ったのだ。

 

「ミチコ、悪いけど晩飯はキャンセル。ちょっと出かけてくるから、家の片づけやっといて」

「え? ちょ、何いきなり? 何かヤバいのがいるんなら私も……」

 

 唐突な展開に戸惑いつつも、相棒の様子から只ならぬ事態であることを察し、同行を申し出るミチコと呼ばれたメイド姿の女性。

 彼女の名はミチコ・フルーレティ。この魔族と犯罪者が犇めくアミダバラで探偵業を営むアンネローゼの相棒にして、彼女と契約した悪魔である。

 

「疲れて帰ってきて煙まみれの家に入れっていうの? それに、戦いになるかどうかは分かんないわよ。何か妙な気配がするってだけ。……ほんとにちゃんと掃除しておいてね。それと、今度はせめて家を汚さないものを作って頂戴」

 

 そう言って、アンネローゼのミチコの返答を聞かずに街へと駆けて行った。

 

 彼女のフルネームはアンネローゼ・ヴァジュラ。

 アミダバラで活動する探偵であり、魔剣『金剛夜叉』を振るう魔女剣客でもある。

 裏社会では、最も天下無双に近い女としてその名を知られている。

 

 

 

 

 

 拝啓 五車の皆様。

 橋を渡ったその先は、灼熱地獄でした。

 

 初めてのアミダバラに着いて早々、そんな陳腐な言い回しが口から出そうになったが、幸いにして俺にそんな余裕はなかった。

 灼熱地獄の名の通り、街路のあちらこちらから火の手が上がっていたからだ。

 

 しかも只の火災ではない。

 家屋や空地の草花等は一切延焼せず、道にだけ大きな火柱が立っているからだ。

 

 天空まで届かんばかりの高さがある火で出来た柱が、そこかしこの道に生えている。

 それらは燃え広がることも勢いが収まることもなく、その場にずっと立ち続けている。

 大通りには余さず生えているところを見るに、その数は10は下らないだろう。

 

 車内からも感じられる熱気と空気の薄さで、喋るどころか呼吸すら辛い。

 突然別世界に放り込まれたような気分になり、軽く脳がパニックを起こしているのを感じる。

 

 しかし頭の片隅では、危機に陥るほどに冷静な思案を巡らしている自分がいる。

 如何なる状況においても打開策の検討や状況判断に務められるようになったのは、指揮官としてそれなりの場数を踏んだ賜物というやつかもしれない。

 

「……一応聞きますけど、これって異常事態ですよね?」

「アミダバラに火祭りの風習はないし、常日頃街から火災が起きる程世紀末でもない。……状況を把握するぞ、ついてこい」

 

 そう言い、九郎さんは車を適当な路肩に駐車した。

 街の中心部に近づくほど火柱の立つ密度が濃くなり、これ以上来るまで接近するのは危険と判断したのだろう。俺もその判断には賛成だ。

 

 俺たちは降車し、熱気を避けながら街の中を進んでいくことにした。一瞬車が心配になったが、すぐに無駄な心配だと悟った。

 何といっても八津九郎の車だ。そこらのチンピラが手を付けようものなら存分に後悔する事になる仕掛けが施されているだろう。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺と九郎さん、男2人旅の目的地であるここアミダバラは、大阪湾内に浮かぶ人工島都市だ。

 東京キングダムと同様の工程を経て作られたここは、東京湾上に新たな都心を生み出すためにつくられたかの“王国”と、その建造目的も似通っている。

 だがこちらは始まる前から躓いた東の同輩とは違い、当初は都市として順調な滑り出しを見せた。多数の商業施設とレジャー施設、研究設備が立ち並び、関西の交易や技術開発における新世紀の中心都市として発展。発足後数年で日本第三位の経済規模を誇るまでに成長した。

 しかしアミダバラの繁栄は、実に不条理かつ悲惨な方法で崩壊することになる。

 十数年前に勃発した『半島紛争』の煽りを食らい、ミサイル攻撃の標的となって壊滅的な被害を受けたのだ。

 煽りを食らった―とはいうが、未だにアミダバラが攻撃された正確な理由は分かっていない。

 俺自身一度気になって、結構な時間と労力を用いて(授業をブッチしてまで)調査したことがあるが、結局の所確かなのは、

 

 ① アミダバラに着弾したミサイルは全部で8発、その全てが多弾頭型だった。碌な迎撃態勢が取られなかったのは、電波吸収体等のステルス技術が用いられたためと見られている。

 攻撃は地形を変えるほどの被害をもたらしたが、搭載されていたのは核弾頭ではなく、通常弾頭だった。発射地点が当時戦地だった半島の北部なのは確実だが、どの国で製造されたミサイルかは不明。

 

 ② この都市の研究地区で開発されていた最先端技術が米連に渡ることを恐れた中華連邦が、親密な関係だった半島の独裁政権を唆して攻撃させた、というのが現在の定説である。

 しかし事件当日の内に中華連邦はもちろん、実行犯と見られた政権首脳部もこの件に関する関与を公式に否定しており、紛争後軍事独裁政権の崩壊とともに他国へ亡命した軍幹部や政治家たちも「そういった作戦は行われていない、攻撃と自分たちは無関係だ」と証言している。

 

 ③ 日本政府は②の定説に関しては否定も肯定もしていない。それどころかこの攻撃に関しては一貫して「調査中である」と述べるだけで、現在に至るも具体的な公式見解を表明していない。

 隣国で起きた紛争の最中自国の都市が一方的にミサイル攻撃され、しかもその発射地点が国交を断絶していた敵国の勢力圏内だった。本来これだけで非難声明を出す根拠としては十分にも関わらず、である。

 当然この対応は国内中から非難され、世論だけでなく野党や与党内部からも真相究明を要求する声が上がった。それでも政府は沈黙を保ち、当時の閣僚達は今でもこの件に関しては何もコメントを残していない。

 

 ④ ②で挙げた説を含め、アミダバラが攻撃された理由については様々な憶測が交わされた。

 しかし、攻撃後の廃墟からは証拠となるものは一切残されていない。

 ミサイル着弾後、都市の7割は壊滅し、特に商業及び研究施設があった地点は人間や施設の原型が判別不可能なほど徹底的に破壊されていたという。

 また監視カメラの映像や破壊された施設の見取り図、被害者の個人情報も含め、事件に関連するデータは日本政府によって厳重に秘匿されており、一般人は閲覧不可能となっている。

 生存者に対する事情聴取や取材なども幾度かなされたものの、確認された限りその全員が軍事や諜報には何の関わりもない一般市民であった。

 消失した地点に職場があった者も何人か生き残っていたが、彼らも他の被害者同様、攻撃を受ける理由には一切心当たりがないと証言している。

 また自社含め当該地区の企業や研究施設が軍関係の仕事をしていたという話は噂ですら聞いた事がなく、それらしい人間が出入りしたのを見たこともない、とも話している。

 

 ──と、要するに「詳しいことは一切分からない。日本政府は恐らく真相を知っているが隠している」という、余りにも当たり前の事実だけだった。

 これほどの事件でありながらあまりにも謎だらけで、逆にどうとでも筋書きを立てられるからだろうか。

 事件後数年はこの件に関するドキュメンタリーや報道特番が腐るほど大量に制作された。時には余りの過激さやプライバシーに欠ける表現を叩かれつつも確実な人気を獲得し続けた挙句、この事件を題材にした映画やドラマも両手で数えきれないほど存在している。

 ネットにも穴だらけの前提に基づく自説を掲載した記事やブログ、SNS上においては議論という名の罵倒合戦やレッテルの貼りつけ合いが繰り広げられた跡がそこかしこに残っていた。

 被害者の正確な数すら公になっておらず、未だどこからの攻撃かすら確定していない。どれだけ外野がもっともらしい根拠を並べて好き勝手な結論を出そうと、それらは結局野次馬根性から発した雑音に過ぎない。被害者達からすればミサイルよりも憎らしいことだろう。

 そんな訳で、調べども調べども芳しい成果は出ず、唯々社会の無情さを思い知らされて気分が悪くなるだけだったので、公文書館の記録を漁ったあたりで資料探しは打ち切った。

 俺一人の調査で謎が解けると期待するほど浅はかでもないが、とは言えここまで何も分からないと無性に悔しさがこみ上げてきたのも事実だ。

 いっそ誰かに聞いてみるか、とも考えたが、身内である対魔忍でこの件に詳しい人物などとんと心当たりがない。当然現地の人間や政府筋に知り合いなぞいるはずもなく、万が一当てがあったとしてもこんな若造に何か話してくれる道理がない。

 唯一希望が持てる目前の禿男にもダメ元で聞いたことがあるが、

 

「俺は何も知らんし、調べる伝手も存在しない。暇潰しでやるなら止めておけ。今以上に腐るだけで何も成果は得られんぞ」

 

 と、きっぱり無駄だと宣告されたことで諦めがつき、俺はあっさりとこの件から手を引いた。

 



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Main Story: Rinko / Rin 04

 


 

 

 ……話が大分それたが、とにかくそういった散々な経緯を経て、我らが新天地アミダバラは西日本屈指の大都市から一転、日本の大きな厄介者へと成り下がってしまったわけだ。

 その上死体蹴りどころか汚物を塗りたくるかのように、事件の数年後には地下深くに潜んでいた魔界の門が開き、魔族たちが廃墟と化した地上へ流入した(実はこれこそ狙ったかのようなタイミングで起こったのだが、その話についての詳細はまた今度)。

 よりもよってな事態のために対魔忍を含め政府の対応は非常に鈍く、結果次々と人魔問わず無法者がここに住みつき、門が開いてから1年も経たぬ間に島全体がスラムと化した。

 手をこまねいている間に最悪のどん底を更に突き抜けてしまい、遂に日本政府はアミダバラ全域を「廃棄都市」に指定──手に負えないので匙を投げたという意味だ──して、事実上日本国の領土として統治することを諦めてしまった。

 その後数年は案の定、アミダバラ全域で血生臭い利権争いが続いた。

 だが現在は「魔術師連合」なる組織や、五行学園の上層部を中心とした合議制に基づき、曲りなりにも秩序だった自治が行われている。

 少なくとも、復興が全く進んでいない「廃墟地区」に近づきさえしなければ、観光ガイド付きでツアーが開かれる程度には人の出入りも安定しているらしい。

 かくして魔族と人間のミックス丼と化した現在の魔都アミダバラは、常にきな臭さを孕みつつもそれなりに平穏で賑やかな都市としての顔を取り戻しつつある。

 同じく魔に支配された街でも、ヨミハラや東京キングダムとは比較にならない程治安も安定しており、珍しもの好きな一般人が絶えず観光に訪れるくらいには発展もしている。

 つまり、街路から火柱が立ちまくっているこの景色は、通常ならあり得ないという事だ。

 現在のアミダバラは、この町の基準に照らしても非常事態なのは間違いない。

 となれば、偶然遭遇した一人の対魔忍として、この惨状は見過せない。

 街がこんな様では情報収集どころじゃないというのもあるが、可能な限り迅速な解決を目指すほかあるまい。

 

「とはいえ、どこから手を付けましょうか…………あ、容疑者みっけ」

「ふむ、これで事件解決となればいいが。……おい。生きているか、西園寺炎斗? まだ息をしているなら返事をしろ」

 

 車を置いて数百m歩いたところで、俺たちは歩道の隅に寝転がっている人影を発見した。

 なんだか出会い頭に随分な言い草だと思うが、まあ許容範囲内だろう。

 何せ今出会った人物なら、今絶賛殺人火祭り会場と成り果てたアミダバラの現状を、彼一人で作り出せてしまうことは確かだ。

 そして何より、この手の冗談を笑って受け流してくれそうな気の良い兄ちゃんでもある。

 

「……んだよ、誰かと思ったら珍しい顔じゃねえか。そんなわきゃねぇのは承知で聞くが、援軍ってのはあんたらか?」

 

 眠っていたのか気絶していたのかは定かではないが、「彼」は目を覚ました。

 唐突な質問を返されたが、俺と九郎さんはこの台詞からおおよその経緯を察した。

 道端に寝転がっていた―ボロボロになった服から察するに、十中八九戦いによる疲労が原因だろう―この男は西園寺炎斗。名前から察する通り、火遁の術使いの対魔忍である。

 もさもさな毛襟が特徴的なパンクな服装と手元に置かれているギターだけ見れば、ライブ帰りか、或いは二日酔いのミュージシャンかと間違えそうな風体だが、実力は確かだ。

 俺が炎斗本人と直接会うのはこれが初めてだが、彼の弟である爆斗は俺と同学年であり、ちょっとした騒動をきっかけに交流を深めた仲でもある。

 それ程家族の話をしたことはないが、彼が兄を誇りに思っているのは言葉の端々からよく伝わっていた。能力的にも人柄的にも、目標とする存在がすぐ身近にいるのはいいことだ。

 

「ああ、勿論違う。だが今はお前の応急処置と情報収集が先だ。……おいふうま、ぼさっとしてないで起き上がらせてやれ。恐らく上腕と肋骨が逝ってるはずだ」

 

 そう言い、九郎さんはジャケットの内側から医療キットを取り出した。

 慌てて俺は炎斗の脇に腕を通し、介護士のように優しく彼の上体を起こす。

 

「えー、と……失礼します炎斗さん。初めましてがこんな形で何ですが、ふうま小太郎です。弟さんにはお世話になってます」

「へ、ご丁寧にどうも。こっちもあんたの話は聞いてるぜ。こっちこそ、時代遅れのバカの面倒見てもらって悪ぃな。……っつ、すまねえな。初対面がこんな様で」

 

 起こされただけで顔を顰めた所から見るに、確かに炎斗は浅くない傷を負っているようだ。しかし俺の観察眼では、流石に服越しに見て負傷個所の特定は不可能だ。

 ホントに透視とか千里眼はもってないんだよな、九郎さんって? 

 

「で、一体誰のバースデー・パーティーをしていた? 火遁衆がどいつも派手好きなのは今更だが、アミダバラをケーキに見立てるってのはちとやり過ぎだろ」

「へっ、へへへ……いっ! 痛ぅ……、九郎さんよ、肋骨折れてんの知ってんなら笑わせねえでくれよ頼むから……生憎そういう出し物じゃねえんだよ。俺が珍しくマジになるぐらいにはシリアスな問題でな」

 

 ジョークを飛ばしつつ、医療キットから包帯と湿布を取り出し、炎斗の治療を行う九郎さん。

 大きめの携帯か葉巻入れにも見える手の平サイズの救急箱には、外見からは想像できない程様々な道具が詰め込まれている。

 俺みたいな半素人にも分かる、衛生兵ばりの手際の良さだ。特殊部隊に籍を置いた人はこういう訓練をみっちりされているから、戦闘以外でも本当に頼り甲斐がある。

 もし無人島に何か1つだけ持っていけるなら、“九郎えもん”以外ありえないね。

 少なくとも井河姉妹と紫先生には同意してもらえるはずだ(後者の方はこんな質問した瞬間キレて殴られそうだが)。

 

「この炎は、所謂苦肉の策ってやつよ。野郎がこの街を出るのだけは何とか阻止したくてな。……まあ、ちょっと想定外に広がっちまったけど、な」

 

 西園寺炎斗。

 彼は五車の火遁の術使い達によって構成される部隊、“火遁衆”の玖番隊筆頭であり、その主任務はアミダバラに常駐し、ここの自治組織に協力して治安維持と情報収集に務めることだ。

 何でも普段は街を縄張りにしているギャングに扮し、“デスフレイム団”なる組織名を名乗っているらしいが……まあネーミングセンスや彼自身のバンドマン然としたファッションは兎も角、仕事ぶりは至って真面目らしい。

 

「ほぉ、お前がこの様になるとは余程だな。何者だ、その相手は?」

 

 この口ぶりから見るに、九郎さんから見ても炎斗は相当優秀な部類の人間らしい。

 下手人について尋ねられると、炎の使い手であるロックな対魔忍は気まずげに視線をそらした後、風体に似合わず煮え切らない態度で幾分か逡巡し、

 

「あー……何ていうか、だな。冗談みたいな話だが、全身を顔まで黒いラバースーツに包んだ女……うん、まあ、多分女だ。得物は鉤爪と鞭だったな」

 

「……ラバースーツ、って、あのぴっちりとした奴ですか?」

 

 俺の問いにも気まずそうに苦笑する炎斗。

 どうやら彼自身も、自分で見たものがまだ信じきれてないようだ。

 

「ああ、そうだ。SMクラブとかで見かける本格の黒いやつな。ご丁寧に丸い口枷までしてやがったよ。流石に俺も魂消たぜ。最初はどこの店から逃げ出してきたんだと思ったが……―」

 

 炎斗の供述を纏めると、その全身ラバー女を最初に見かけたのは彼の部下らしい。

 今日の正午前、日常業務の一つである廃墟地区の見回りに出た2人組が、何かの研究施設跡に立っているそいつを見つけたようだ。

 質の悪い白昼夢でも見てるのかと思いその場に固まっていたら、向こうから彼らを視認するや否や、何の前触れもなく襲い掛かってきた。

 訳が分からなすぎる展開だが、その対魔忍たちも木偶の坊ではない。セオリー通り一人が前に出て敵の足止めをし、一人が通信機で応援を呼んだ。

 自分たちの力を過信し2人だけで対処しようとしなかったのは流石だが、残念なことに、この変態女が非常識な部分は恰好だけではなかった。

 玖番隊の本部が受けた通信から読み取るに、一人が敵の姿を呆れ声で報告している間に相棒がやられ、通信していた者も動揺した隙を突かれそのままやられてしまったらしい。

 通信が繋がってから切れるまでの時間はおよそ15秒足らず。文字通り瞬殺だった。

 すぐさま炎斗の号令で『デスフレイム団』のほぼ全員が出動し、戦闘が行われた現場に急行したが、そこには2つの死体以外、何の痕跡も残っていなかった。

 この時点で既に、炎斗達にとっては腸の煮えくり返る事態だっただろう。

 だが問題はそこからだった。

 

「すぐに町中を捜索したさ。何せンなけったいな恰好した女だ。探さなくたって向こうから目撃情報が飛び込んでくる、そう……思ってたんだが……」

「……一向に見つからなかった、と」

 

 九郎さんがそう言いながら、炎斗の左腕に包帯を巻き終えた。

 炎斗は自身の傷を包帯越しに撫でさすりながら、悔しそうに俯いた。

 

「どんな絡繰りかはしらねえが見事な隠形だったぜ。逃げられるのを嫌って捜索範囲を広めに取ったのも災いしてな、人数がばらけた所を順番に各個撃破、って方法で6人もやられちまった。そこで俺一人が囮になり、部下たちは全員で固まって出た所を包囲する、って作戦に切り替えた。上手く奴さんを釣れたまでは良かったんだが……―」

 

 隊長であるこの男の現状を見れば凡そ分かるが、上々な結果とは行かなかったらしい。

 女の素振りを見るに、炎斗側の作戦を見透かした上で敢えて誘いに乗った節すらある。そう苦々し気に彼は呟いた。

 

「思いっきり暴れられるように廃墟地区の隅っこに誘導できたのも俺たちが上手かったわけじゃなく、向こうがこちらの思惑を察して乗ってきたからだろうな。その理由までは分からんが……。まあ、その後面目なく逃がしちまったが、それなりの手傷は負わせられた筈だ。最終的に不利を悟って逃げたのは向こうだったしな。……ま、SM嬢相手にその様かよっていわれりゃ返す言葉もねえが……おっ、そうだそうだ。大事なことを言い忘れてた」

 

 そこで炎斗は俺たちに「すまねえな、助かったぜ」と礼を言いながら立ち上がった。

 そして、未だ収まる気配のない路上の火柱に視線を向けながら、

 

「で、その後行方をくらました奴さんを追うために俺らは再び町中に散って、俺はあれを仕掛けに来たって訳だ。アミダバラの外に出るなら、この通りを抜けて橋を通るのが最短だからな。……ああ、言うまでもねえが海は無理だぜ。五行の奴らが張った結界があるからな」

 

 アミダバラは自治に関わっている各組織によって、人の出入りは常に監視・制限されている。

 俺たちが島に渡るために何気なく通ってきた連絡橋にも、監視カメラだけでなく、出入りする者を識別する結界や魔術式が仕込まれていると、九郎さんが教えてくれた。

 炎斗たちの出くわしたその変質者が、誰にも気づかれずこの人工島から脱出するのはほぼ不可能というわけだ。

 

「あの炎は俺特製でね。近くに対魔忍やら魔族やらがいると、術者である俺の手に小さな炎が燃え上がってそれを教えてくれるって寸法だ。謂わば火遁でできた探知機ってわけよ」

 

「“炎唱”の応用か。相変わらず火遁使いにしては器用な奴だ。だが、それにしても派手過ぎじゃないか。非常事態とは言えこんな術を使えば、連合や五行の連中が怒るだろう」

 

 随分失礼な物言いだが、これでも彼なりには炎斗の事を称賛しているのだろう。

 

「へ、かもな。一応こっちから連絡はしておいたんだが……いや、言いたいのはそこじゃなくてな。本来、この術はこんなデカくなることはねえってことさ」

 

 俺や九郎さんが訝し気な顔を向けると、炎斗は折れてない左腕を伸ばして頭を掻き、

 

「俺自慢の術ではあるが、こいつはそもそも攻撃力はねえ。ホントは手で包めるくらいの大きさで浮いてるはずなんだが、何故か今日に限ってこんなになっちまう。おまけに……」

 

 炎斗は顎と肩でギターを挟み込んで固定し、片手で器用に音を鳴らす。

 しかし、人間サイズを遥かに超える炎は何ら変化をみせず、風で揺れつつもその勢いは一向に収まらない。

 

「……な? 付けられたはいいけど消せねえんだこれが」

「……え、それ結構深刻な問題じゃないんですか?」

 

 苦笑し、参ったなこりゃとでも言いたげに首を振りながら、言外に俺の問いに首肯する炎斗。

 自分の術を自分で解除できないというのは、単に不便や危険だというだけに留まる話ではない。感覚的には、自分の左腕が勝手に動き出し、しかもそれを右腕では抑えられないという事態に近い不快感と恐怖を覚えるものらしい。

 とはいえ術が制御不能になること自体は珍事という程でもなく、極度の疲労や負傷による消耗が原因でまま起こることではある。だが、今の炎斗はその条件に当てはまるとは言い難い。意識はしっかりとしているし、骨折してはいるものの歩行や言動に問題はなく、彼自身も何故術が正常に機能しないのか分からないようだ。

 

 しかもそういう場合、論理的に考えれば発生する術はいつもより弱くなる筈だ。

 今回は発動した技が強すぎて後から制御できていないという、何とも奇妙な事態になってしまっている。術を覚えたての学生が似たようなミスをよくやらかすが、彼本人の反応を見るにその自覚もなさそうだ。

 

「怪我や疲れが原因でないというなら、外的要因か? 何か身に覚えはないのか、炎斗」

「それが全くねぇんだ。少なくとも、あの変態ヤローと戦ってるときは何も異常はなかったし、奴を追跡しがてらここらにこの術を仕込んでいた時も、調子は別に悪くなかったしよ……」

 

「調子が悪くなかったって……骨折れてるんですよね? しかもさっきまでそこの道端にぶっ倒れてましたけど、それで異常はなかったんですか?」

 

 重ねて言うが、俺の医療技術はさして高くない。五車の授業で習う程度の応急手当や診察の技術は一応身に付けてはいるが、専門職レベルには到底及ばない。だから正直炎斗の体がどれ程のダメージを負っているか正確には分からないが、一般的に言って肋骨や腕が折れている人間はまともに動くことはできないし、戦闘なぞとても覚束ない。

 対魔忍に一般人の尺度を当てはめることができないのは百も承知だが、それにしたって今の彼は立派な重傷者である。

 だが彼は痛みこそ感じているものの、骨折自体はまるで苦に感じていないような口ぶりだ。

 俺の指摘を受けて、ようやく炎斗自身も自分の異様さを自覚したようだ。

 

「……あれ、そういや何か、俺妙に元気だな。正直今でも、疲れとかは全然感じてねえ。……あ、でもそういや、この路地に炎を仕込んだ後、急に眠気が襲ってきたんだ。オールナイトでライブやった後みたいな感覚かな、近いのは。こう、ふっと気が抜けちまってよ」

「典型的な術の暴走だな。耐用限界を超えて酷使したエンジンと同じ状態になったわけだ。……お前、そのラバースーツの女に何か変なことをされなかったか?」

 

 は? とでも言いたげな顔を九郎さんに向ける炎斗。

 いや、そういう意味じゃなくてな、と九郎さんは話を続ける。

 

「そいつと交戦した時、見てくれ以外に何か不審な点はなかったかと聞いているんだ。例えば突然息を吹きかけてきたとか、体から汗以外の何かを分泌していたとか、そういうのだ」

 

 ふむ、と頬に手を当てる炎斗は、「そう……言われてもなあ」と、困ったような声を上げる。

 俺も九郎さんの意を汲み、その言葉を引き継ぐ形で質問を重ねる。

 

「炎斗さん。実は俺たち、とある新型魔薬の情報を求めてここに来たんです。これはオフレコなんで他には黙っておいてほしいんですが、既に五車の中にもそれの被害が出ているんです」

 

「何だと……?」と驚愕の顔をこちらに向ける炎斗。

 踏み込んで機密情報を漏らしてしまったが、ちらりと見た限り九郎さんにそれを責める素振りは見られない。

 

「しかもこの薬は只快楽を得られるだけじゃありません。使い続ければ人を化け物に変えてしまうっていう代物なんです。一刻も早く出所を押さえ、流通を止めなければなりません。……で、そのラバー女ですが、ひょっとしたらその魔薬をやっているのかもしれません」

 

 無論その確証は全くない。

 手練れの対魔忍達を手玉に取る実力と、一目でわかる異形。

 無理矢理関連性を挙げれば確かに怪しく見えるだろうが、何せここはアミダバラだ。

 町の外、あるいは『向こう側』からひょっこり様子のおかしい猛者が流れて来ることなど日常茶飯事だし、そういったことに対応するために炎斗達はこの町に住んでいるのだ。

 だが同様に、そいつが『対魔石』とは関係ないと証明できる根拠もない。ならばこれが成り行きで巻き込まれた騒動だとしても、事の真偽確認も含めて対応するのが俺たちの任務と言えるだろう。

 

「どうでしょう、何かそれらしい素振りはなかったでしょうか。炎斗さんは任務柄、相手がヤク中かどうかを見分けるのも、よくやっている事と思いますが……?」

「まあ、な。この町にいやがる野郎の1,2割はその類だし、あんまり広まるようなら取り締まらなきゃならねえからな。……つってもなぁ、なんせ顔まで隠してたんで、あいつがそういうのキメてたかどうかまではなぁ、まあそうだとしたら色々と説明はつくが……あ」

 天を仰いで記憶を辿っていた炎斗さんが、不意に動きを止めた。

 何か思い出しましたか? と聞く俺に、釈然としない表情を向けながら、

 

「いや、そいつが鞭を使ってたってのは話したよな? えらくキレのいい鞭さばきで、この愛機が絡めとられねえようにするのには苦労したんだが……今思うと、なんか変だったんだよな」

 

「変? そいつの見た目以上にか?」

「いや見た目が一番ヤバかったのは変わんねえよ。そうじゃなくて、その鞭がなんていうか……うーん、説明が難しいけどなんつうの、こう……俺たちをただ攻撃してるってだけじゃない感じがしてな」

 

 という要領を得ない証言をされた訳だが、それを聞いて俺はある事を閃いた。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい仮説だが、現状を説明できるものはこれしかないとも思わせる、そんな思い付きだった。

 

「もしかして、その鞭で攻撃されたら力が増したんじゃないですか?」

「…………ああ、理屈は分からねえが、今思うとそうとしか考えられねえんだ」

 

 ビンゴ。

 昔から直感は働くほうだと自負しているが、特に悪い予感はほぼ外れたことがない。

 我ながら自慢にもならない経験則だが、危機管理には役に立つ。

 俺と九郎さんは、そこで顰めた顔を突きつけ合わせて無言の内に確認し合う。

 どうやら向こうも考えは同じようだ。俺たちは来るのが遅かったみたいだが、何とか最悪の事態だけは防げるかもしれない。

 

「その女の鞭を食らうと、力が増したような気がする……それが、この異常に強力な火遁の術を生み出した原因なんだとしたら……やはりこれは、その新型魔薬が絡んでいるかもしれません」

「え、おい……まさか、あの鞭にか?」

 

 ギョっとした顔を俺と九郎さんに向ける炎斗。

 知らず知らずのうちに、訳の分からない魔薬を食らってたなんて話を聞かされれば無理もない反応だろう。

 

「あくまで可能性の話だ。もし本当にその鞭に何かが塗布されていたとして、何のために、という疑問も残る。単に敵を強くして戦いを楽しみたいマゾ……なんていう馬鹿な理由ならいいんだが」

 

 そこで九郎さんは、ジャケットの内ポケットから携帯端末を取り出す。

 彼は空港から五車に直行した後でこのままここへ来たので、今はお馴染みの対魔忍スーツではなく、完全に私服だ。

 俺にしたって、休日に学校へ呼び出されてそのまま連れてこられた訳なので学生服ですらなく、スラックスにTシャツというオフスタイルで鉄火場に来てしまっている。

 正直お気に入りのコーデなので何処かしらが燃えたりしていないか心配だが、着替えに時間を消費できる状況でもない。

 

「……俺だ。今アミダバラにいる。……ああ、連絡はいってるんだな。なら話は早い。まだ断定はできんが、アレが絡んでいる可能性が出てきた」

 

 端末から漏れ聞こえる声から察するに、通話の相手はアサギ先生のようだ。

 どうやら俺たちが五車を出てから、入れ違いにどこかのタイミングでアミダバラの異変が向こうにも連絡されていたらしい。

 

「ああ、電源は切ってた。……運転中だったんだ、仕方ないだろう……こっちに来て早々に、偶然玖番隊の隊長と合流できてな、話を聞くことができた。あくまで勘だが、ふうまも怪しいと睨んでる。…………上原が? 何故ここに…………うむ……いいだろう、こっちで可能な限り対応する。そっちからの応援を待っていては手遅れになるかもしれん。…………それは分からん。情報不足だからな……ああ、分かってる。連絡はするし、後で報告書も書くさ。……ああ、分かった。ふうま、校長からお前に、だそうだ」

 

 何か俺にも伝えることがあるらしい。

 俺は九郎さんから端末を受け取り、通話を代わる。

 

「もしもし」

『あ、ふうまくん? ごめんなさい、折角の休日なのにこんな事になってしまって』

 

 開口一番謝罪の言葉を受けて、「いえいえいえとんでもないです!」と焦った返事を返す。

 アサギ先生の声音から単に部下の休日を潰してしまったことへの申し訳なさ、以上の感情を感じ、それが周りの2人(特に炎斗)に勘づかれたりしないか、訳もなく心配になったのだ。

 客観的に見れば、そんなことがバレる可能性など存在せず(そもそも九郎さんには端からばれてるし)、むしろ俺の態度の方が余程不審がられるだろう。

 禁断の恋愛というのは、思った以上に人を神経質にさせるらしい。

 

『そちらの話は聞いたわ。予想よりも大分悪い方へ進んでるみたいね』

「ええ……敵は、武器に新型魔薬を使用している疑いがあります。西園寺炎斗さんからも、敵の攻撃を受けた後で術が強くなったという証言を得られました。態々敵を強化するような真似をする意図は不明ですが、このまま放置するのは危険だと思いますので、自分たちで対処します」

『……分かったわ。既にこちらからも、専用の対策チームを編成して派遣したところよ。アミダバラに居てその敵と交戦した者たちには、後で精密検査を受けてもらう。貴方たちも、くれぐれも気を付けてね。何かあったら、九郎を盾にしてくれていいから』

 

 はは、了解です……と苦笑を漏らしながら、知らずに盾役に任命された男をちらりと見る。

 

『本当に気を付けてね。今更言うまでもないけど、貴方は既にその魔薬を投与されている可能性が高い。検査では異常が出なかったけど、今度その影響を受けたらどうなるかは分からない。ひょっとしたら、貴方の“あの力”に反応して、もっと強い反応が出るかもしれないわ』

 

 “あの力”とは、俺が二車骸佐に心臓を貫かれて発現した異能の事だ。

 詳しいメカニズムは不明だが、死ぬ筈だった俺はその力によって生き返り、大抵の負傷なら数秒(長くても1分以内)に治るようになった。

 紫先生や九郎さんの“不死覚醒”と似たようなものだが、発現時に黒い靄のようなオーラが発生する点、いつも閉じている俺の右目が赤く光るなど、違いはいくつかある。

 最初は俺の忍法がついに……などと淡い期待を抱いたのだが、調査の結果その夢は一言の元に切捨てられた。

 曰く、これは魔族由来の能力らしい。

 実の所、俺の力が忍法ではないといえる根拠が何か、そもそもその能力と忍法はどう違うのか、俺自身はよく分かっていない。

 検査を受けた後一通り説明は受けたが、医療的な専門用語が多く半分も理解できなかった。

 そもそも対魔忍が使う『対魔粒子』も魔族が使う『魔力』も、使用者によって名前を使い分けてるだけで大した違いはない、というのが俺の認識だし、実際そう思って構わない、と桐生やその他の専門家からもレクチャーを受けたことがある。

 ならば一体何をもって俺の力は『忍法』ではない、と言えるのか。

 その理屈は分からないが、実を言えばそれを納得できるだけの感覚は得ている。

 どういうことかと言うと、これが自分自身の力ではなく、誰かから与えられているもの、そしてこれを使うと、なにかしらの不吉を呼び込むという事が分かる。

 それがこの能力そのものの性質なのか、これを俺に与えたものの悪意を感じ取っているからなのかは分からないが、軽々に頼るわけにはいかないという確信を得るには十分だった。

 

「最大限注意しますよ。ああ、そうだ。例の件、どうなりました?」

『……それ、今聞くこと?』

「ええ、モチベの問題ですから。で、どうなんです?」

『…………予定は取れたわよ。来週の金曜、1日空けたわ』

「ありがとうございます、俄然やる気が出てきました。では後ほど」

 

 最後にちょっとした確認を行って通話を切り、端末を九郎さんに返す。

 九郎さんは真顔のまま「程々にな」とだけアサギ先生に小声で伝え、相手の返事も待たずに通話を切った。

 

「……さて、悪いがお前の盾役は謹んで辞退させてもらう。どうやら別件でここに来ていたのは俺たちだけじゃないらしい。上原燐……知っているな?」

「鹿之助のお姉さん……あ、いや従姉妹でしたっけ。彼女もこちらに?」

 

 さり気なく会話を盗み聞きされたのをカミングアウトされた。

 俺は赤面するのを必死に堪え、会話をつなぐ。

 

「ああ、何の用かは知らんがここにいるのは間違いないらしい。炎斗、知ってたか?」

「いや、来る予定があるってことも聞いてねぇ。つまり……仕事で来たんじゃねえって事か?」

 

 さぁな、と肩を竦めつつ、九郎さんは装備と時間のチェックを行う。

 上原燐、通称“電輝の対魔忍”。

 井河・ふうまに次ぐ対魔忍の名家「上原家」の対魔忍であり、俺の親友、上原鹿之助の従姉妹。

 アサギ校長からも一目置かれる実力と、厳しくも公平かつ丁寧な指導に定評があり、教師・生徒問わず人気の高い人だ。

 時折妙に細い目を俺に向けてくるのが気にはなるが……すごくいい人だというのは俺から見ても分かる。何より超が付くほどの美人だ。

 

「プライベートで態々この町へ……知り合いでもいるんですかね?」

「かもな。兎も角俺は先に行って、彼女を見つけそのラバー女を確保する。ふうまは炎斗と共に一旦そいつのアジトに行け。他の火遁衆と合流し、現在の情況を把握しろ」

 

 口調自体はフラットだが、有無を言わさぬ迫力を感じる指示だった。

 今回は独立遊撃隊の任務ではない以上、現場で作戦を決める権限は先任である九郎さんにある。俺としても、それに異論はない。

 

「……了解。何か分かったら、逐一連絡します。可能な限り通話には出てくださいよ」

「言うまでもない。炎斗、すまんがそいつの案内を頼む。炎の柱に関しては、今は何もしなくてもいいだろう。威力は予想外でも、延焼する心配はなさそうだしな」

 

 正確に操られた「火遁の術」は通常の炎と違い、術者が狙ったもの以外を燃やすことはない。

 今街路に生えている火柱も今見る限り、威力こそ想定外であり傍迷惑な暑さを維持しているが、忍法の性質そのものから外れた様子はない。少なくとも現時点では、放置しても町に被害は出ないだろう。

 無論何も関係ない住民にとっては、堪ったものじゃないだろうが。

 

「あ、ああ……こんな様の俺が言うのも何だが、あんた一人で大丈夫なのかよ?」

「頼りにしてくれていいですよ。俺はともかくこの人は、アサギ校長の次の次の次くらいには強いですから」

 

 さらりと言ったおれの台詞に吹き出す炎斗。

 ウケ狙いで言ったつもりはないが、彼のツボには嵌ったらしい。

 

「はっ、ははは……! そりゃ心強ぇや。あんたのことは聞いてるぜ、八津九郎さんよ。悪いが、今は頼りにさせてもらう」

「……間の2人が誰かは大いに議論したいところだが、まぁいい。道中気を付けて行けよ」

 

 そう言うと、九郎さんは彼の巨躯をフル稼働させ、そのままオリンピックにも出場できそうな速度でアミダバラの町を駆けていった。

 まあ実際、彼が出ようもんなら一度に取得したメダルでオセロができそうだが。

 

「……じゃ、俺たちも行きましょうか。炎斗さんの部下も、アジトにいるんですか?」

「ああ、怪我した奴らはその筈だ。元気な奴らはそこかしこに散って捜索を続けてると思うが……さて、何人残ってるかね……」

 

 肩を貸そうかと思ったが、処置の甲斐もあってか炎斗さんの足取りは軽く、補助の必要はなさそうだ。そのタフさに頼もしさを感じつつも、これも『対魔石』の影響かもしれない、と思うと嫌が応にも警戒せざるを得ない。

 何とも複雑な心境で、短い男2人旅が始まった。

 





 今回イベの妊娠アサギ校長可愛すぎて参るね。
 11連で来てくれたし末永く可愛がります。
 ただ書こうとしてたシチュを先にやられてしまったのは、少しだけ「(ノ∀`)アチャー」
 という感じです…。


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Sub Story : Madame Mask & Asuka


 皆様、大変お待たせしております(汗)。
 まさか年末年始にここまで忙しくなるとは思いませんでした…。 

 今回はどうしても書いておきたかった幕間の話になります。
 


 ──2083年某日 日本某所

 DSO(防衛科学研究室日本支部 ラボ 

 

「──……では、最終チェック完了ということで。お疲れさま、アスカ君。上がっていいですよ」

「はーい。……あれ、戦闘用の義肢じゃないの?」

 

 DSO所属の女サイボーグ、甲河アスカは退屈なメンテナスから解放された。

 そして彼女専用に誂えられた義体調整用チェアから2時間ぶりに立ち上がり、手足の動かし方を思い出すようにぶらぶらと無造作に振りながら開口一番、訝し気な声を上げた。

 

「何言ってるんです。貴女明日からオフでしょ。今からそれを付けたら二度手間になるだけですよ」

 

「えー、日付変わるまでは仕事中でしょ。緊急の呼び出しとかあったらどうすんのよ」

 

 両手を腰に当てて目を細めながら、メンテナンスと調整を担当した男性技官に文句を言うアスカ。

 一見プロ意識に溢れた発言のようだが、単にマシンガンやらミサイルランチャーやらがついた腕の方が彼女の好みだという事を知っている彼は、肩を竦めながら応答する。

 

「その時は迅速に対応しますよ。貴女以外の要員で手に負えなくなったらね。……ああ、呼び出しで思い出しました。所長がお呼びですよ。メンテ終了後すぐに所長室まで、だそうです」

 

「え? ……なんか、やらかしちゃったかな、私?」

 

「さあ……行ってみれば分かるんじゃないですか」

 

 そう言ったきり、メンテを担当した技官はチェアに隣接したモニターに視線を向け、忙しなくキーパッドで何かを入力し始めた。多分メンテ結果を報告するための書類を作成し始めたのだろう。

 あからさまな我関せず、という彼の態度にむかつきはしたものの、上司の呼び出しとあらば無視するわけにはいかない。面倒だからといって、いつまでもスルーできる相手ではないからだ。

 

(にしてもこのタイミングで何の話かしら…………ん~ダメだわ。ぜんっぜん思いつかない)

 

 あれでもないこれでもない……と、過去の記憶を掘り返しながら呼び出された理由を推理しつつ、支部内の廊下を歩いていくアスカ。

 途中ですれ違う職員たちへの挨拶もおざなりに、怖い上司への対応方法を思案していく。

 直近の任務内容から支部での勤務態度、学校の成績を含む私生活のことまで思い返してみたが、やはり改めて緊急に呼び出される程のやらかしをした覚えはない。

 逆に言えば、任務に出る度に何かしらの小言は聞いていた気はする。だが、まさかオフの前にそれを蒸し返してお説教をする程、自分の上司は陰湿じゃないだろう。

 もしそうだったらマジでバックレてやる―内心そんな決意を固めて参じた所、

 

「それで、どうだったのかしら? 愛しのふうま君との初体験は?」

 

 挨拶もそこそこにそんな爆弾を投下され、座っていた椅子から転げ落ちんばかりの衝撃を受けたのだった。

 

「な……なん」

 

 何で知ってるのよ。そんな文句すら喉を出ないほどの動揺を抱えるアスカを余所に、彼女の上司―「仮面の対魔忍」とも「マダム」とも呼ばれる妙齢の女性は、薄い笑みを浮かべて自らの部下を見つめる。

 

「知らないわけないでしょ。監視カメラはないけど、セーフハウスの使用履歴はこっちで確認できるのよ。あの子と2人きりで意気揚々任務に出かけて行った後に、彼が朝帰りしたって情報が入れば、ああこれはついに……って話になるわよ、そりゃ」

 

 迂闊だった……アスカは心の中で舌打ちした。

 

 “鋼鉄の死神”と呼ばれ、かつては対魔忍の名門甲河家の跡取りだった甲河アスカは、つい先日処女を喪失した。初めての相手が好きな男性だったのは、一般常識から言っても彼女の仕事における様々なリスクを勘案しても、至上の幸運であったと言える。

 しかしながらその経緯は、決して手放しで喜べるようなものでなかったことも事実だ。

 

 ことは数日前、アスカがふうま小太郎と新型魔薬の取引現場を押さえる任務についた時に遡る。

 廃工場での潜入任務時、中から異様な叫び声が聞こえたにも関わらずふうま小太郎から連絡がこず、こちらからの呼びかけにも応答しないことを不審に思ったアスカは、彼の合図を待たず再度工場へ入った。

 突入早々、吐き気を催すほど不気味に盛り上がった肉塊の化け物2匹と遭遇したアスカは面食らいつつも、持ち前の義体と風遁を用いてそれらを細切れにして無力化。その他の脅威がないことを確認し相棒の捜索を続行するも、工場内に彼女以外の人物は既にいなかった。

 結局周囲を探し回ったところ、その工場から建物を2つ挟んだ廃屋の一室でふうまを発見。両腕を胴体ごと縛られ衣服は乱れていたものの、目立つような傷は見られなかった。

 ひとまず安心し、「何やってんのよもう」と軽口を叩きながら共に撤退―しようとしたところで、ふうまから「離れろ!」と強めに怒鳴られた。

 アスカが事情を聞くと、彼は痛めつけられてこそいないが一服盛られたらしく、しかもその薬は超強力な媚薬なのだという。この縄を解いたら、アスカ相手に何をするか分からない。だからこのままにしておけ、と彼は言うのだ。

 自白剤ならともかく、何でそんなものを……と思いつつも、猶更放置するわけにはいかず、ふうまの忠告を無視する形で彼の縄を解いた後、呻く彼に肩を貸しつつその場を離れた。2人とも敵がどれだけいるのか分からず、新型魔薬の在処も不明な今そこに留まるのは危険だと判断したからだ。

 ちなみに、ふうまを襲った者の正体は未だ不明である。彼は『何処かで見覚えのある女』と言っていたが、薬の影響もあって記憶が曖昧であり、詳しくは思い出せないようだった。

 

「で……そんな状態の男と2人きりになったら、案の定相手は狼になっちゃいました、と……。そっちからの報告書には『彼をセーフハウスに連れて行って介抱した』としか書かれていなかったとおもうけど?」

 

「か、書ける訳ないでしょ! そんな事!」

 

 それもそうね、等と言いつつ、マダムがアスカを見る目はいやに楽し気だ。

 仮面をつけて目は隠していても、口角が上がっているのは隠そうともしていない。

 

「……で、何よ今更。あいつに何か言ったの? それとも五車に抗議でもした?」

 

「え? いやいや、そんなまさか。むしろ謝らなきゃいけないのはこっちの方でしょう。こちらの仕事に部外者を巻き込んでおいて、みすみす危険な目に遭わせちゃったんだから」

 

 う……と言葉に詰まるアスカ。

 確かに元はと言えば、今回の新型魔薬に関する捜査は完全にDSOの作戦であり、こちらから五車へ正式な協力の依頼を出したわけでもない。

 任務を請け負ったアスカが完全に恣意的な勧誘(一般的には拉致ともいう)を行ってふうまを連れ出した以上、もしその身に何かあれば単なる責任問題では済まされない事案である。

 それくらいの理屈はアスカにも分かる。だが、それにしても、という思いもある。

 

「……にしたって、何か思うとこないワケ? あたしがその……こう、なっちゃった事については」

 

「あるわよ。だから、一応確認しておこうと思って。それで、気持ち良かったの?」

 

「な……何よそれ!? 言う必要ないでしょ、そんな事!」

 

 軽くヒステリー気味になって叫ぶアスカに対し、まあまあと手で制する仮面の対魔忍。

 まるで幼児をあやすかのような仕草を見て、増々アスカの頭には血が昇っていく。

 しかし、そんな怒りなどどこ吹く風と言わんばかりに、上司の方は涼しい顔を崩さない。

 

「だから一応だって。向こうは射精すもの出せばすっきり……で済むけど、女の方はそうもいかないからね。万が一あなたが痛いだけっていう結果に終わってたら、流石に私も何か言わなきゃなあとは思ってたのよ。……まあ、どうやら完全に杞憂だったみたいだけど」

 

 にやにやしながらデスクに指を置き、何かをなぞる様に指を動かすマダム。

 その仕草が妙に癇に障ったアスカは、用意された椅子から立ち上がってズカズカと歩き、仮面の対魔忍愛用のデスクまで近づくとダンッ、と大きな音を立てて両手をついた。

 そのままデスク越しに上司と睨み合い、凄むように顔を相手に近づける。

 

「マダムに何が分かるっていうのよ。まさか、カメラは付けてないなんて言っておいて、実はこっそり覗いてたんじゃないでしょうね!?」

 

「ふふ。必要ないわよ、そんなの。あなた気づいてる? すごーく赤くなってるわよ、顔。蛸みたい」

 

 え、と反射的に手を頬に当てるアスカ。

 感覚素子も最新鋭のものを使用されている彼女の義手は、確かな顔の火照りを伝えている。

 そういえば先程からやけに部屋の中が暑く感じていたが、熱源は自分だったらしい。

 

「本気で怒る時は逆に冷める性格だものね、あなた。それにあの日の朝、私との定時連絡中もあなたずっと浮かれてたじゃない。実を言うとね、あの時結構我慢してたのよ私。思わず『おめでとう』って言っちゃいそうだったから」

 

「な……」

 

 絶句して棒立ちするアスカを放置して、マダムは唐突に椅子から立ち上がる。

 部屋の隅にある戸棚からウィスキーの入った瓶とガラスのコップを取り出し、コップへ酒を注いでいく。

 

「それでも今の質問に『気持ちいいわけない』とか『ふざけないで』とか返してたら、『あら、意外なことにあんまり良い初体験とはならなかったのかしら……』って思う余地はあったんだけどね。そんな照れ顔ではぐらかされたらもう、ね。……はい。改めて、おめでとう」

 

 そう言って、アスカにグラスを一つ渡すマダム。

 半ば無意識にアスカがそれを受け取ると、マダムは勝手にチン、とグラスを合わせて乾杯し、自分だけさっさとその中身を飲み減らしていく。

 そのまま椅子に戻るかと思いきや、態々机に腰掛けアスカの横顔を面白げに見るマダム。

 アスカからは完全に揶揄われているようにしか見えない。

 

「本当はもっと早く話したかったんだけどね。流石に仕事で忙しい時にこんな話を振るのもどうかと思って、オフに入るこのタイミングにしたの。……あら、まだ釈然としない感じ?」

 

「すると思ってんの……私も一応聞いとくけど、これ飲んでいいのよね?」

 

 私まだ未成年だけど、とはあえて言わなかった。

 保護者による無言の同意が得られたことを確認すると、軽く深呼吸した後、カッと目を見開き一気にグラスを傾ける。納得はしていないが、抵抗することは諦めたらしい。

 実を言うと、アスカにとって飲酒はこれが初めてではない。マダムがいない時を見計らい、彼女の経営してる「クラブ・ペルソナ」に置かれている商品をこっそり頂戴したことも幾度かある。

 とは言っても、それら全ての代金は、ほぼ全ての分がこっそりアスカの給料から差し引かれているので、この件に関してもマダムの方が一枚上手なのだが。

 

「ぷはーっ……てゆーか、何におめでとうなの、これ」

 

「そりゃあなたの初めてに、よ。ホントはお赤飯でも炊くべきなんでしょうけど面倒だし、小豆はそんなに好物じゃなかったでしょ。だからこれが、代わりってワケ」

 

「…………念のため言うけど、犯されたのよ、私」

 

「魔薬で理性を失ってた以上、厳密に言えばそうなるわね。じゃあ上司としてでなく保護者として聞くわね。初めてがこんな形になったこと、まだ後悔してる? ふうま君の事、許せない?」

 

 マダムの質問に対し、アスカは無言で返答することしかできない。

 口は何か言いたげにむにゃむにゃと動くが、意味のある言葉は出てこない。

 理性の無いままに初めてを奪った男への罵倒も、それを茶化す上司への抗議も、結局は婉曲的な惚気にしか聞こえないと悟ったのだろう。内心マダムはそう考え、更に笑みを深くした。

 なんだかんだ言っても、結局本心は変わっていないようだ。普通は百年の恋も冷めるような非道を働かれたというのにこれなのだから、相当この“病”は重症なようだ。

 

「……言っとくけど、別に付き合うわけじゃないからね」

 

 その言葉が、彼女なりに精一杯搾りだした強がりだったのだろう。

 吹き出しそうになるのを堪えつつ、マダムは軽い調子で話を合わせる。

 

「あら、そうなの。てっきり彼をこっちに引き抜こうとするんじゃないかと思ってたけど」

 

「……できるの、そんな事?」

 

 この質問でついに我慢しきれなくなり、破顔してあははは、と笑いだす仮面の対魔忍。

 笑われた方はさぞ気分を害しただろうが、マダムからすれば少しくらい勘弁してほしくなる。

 こんなに可愛らしいアスカを見るのは随分と久しぶりなのだから。

 

「ふふふ……残念だけど無理ね。アサギが彼を手放すとは思えないし、彼もそんな気分にはならないでしょう」

 

「『責任取って』って言っても?」

 

 予想していなかったその言葉には、流石のマダムも一瞬顔を引きつらせた。

 マダムの方は完全に冗談だったのだが、ひょっとしたらアスカの方はそうではないかもしれない。

 何年も面倒を見てきたこの子の感情を読み間違えたのか……それは仮面の対魔忍にとって、公私の両面から看過できない失策をしてしまったのではないかという恐れを想起させた。

 アスカの声と表情からは、まだどちらとも判断できない。故にマダムの方も、多少慎重に言葉を選ぶ。

 

「……まあ、彼はああ見えて義理堅いから、多少心は揺らぐかもね。でも、もう気付いてるんでしょ? あの子がそういう関係になってる女が、あなただけじゃないってこと」

 

 或いは余計意固地にさせてしまうかもしれない。

 そのリスクを懸念しつつ、マダムは目の前の少女にとって耳の痛くなることを言った。

 案の定、内心理解はしつつも改めて指摘はされたくなかったのだろう。アスカはデスク前の椅子に座り直すと、グラスの縁を指でなぞりながらじっと酒で出来た水面を見つめ始めた。

 

「具体的に誰と、っていうのは私も知らないわよ、流石に。でもまあ1人や2人って感じはしないわね。血には抗えないって言うべきかしら。それとも最近はああいうのがモテるのかしらね~。見た目ワルそうで中身純朴っていうのが」

 

「純朴? ……あいつが?」

 

 マダムによるふうま小太郎の人物評が単純に腑に落ちないらしく、怪訝な声を上げるアスカ。

 再びグラスに口を付けて喉を潤し、マダムは話を続ける。

 

「あなたは2人きりで会うことが多いから分からないかもね。同性の友達といる時とあなたといる時とでは別人よ、彼。年相応って言えばいいのかしら。彼も女の子の前ではカッコつけたくなるってことかしら」

 

 ああそれと、と言葉を付け加えるマダム。

 微かに浮かべる笑みの意味が変わったのを、その時アスカは気づかなかった。

 

「私と2人きりで会う時はまた違う顔を見せるわね。母性か庇護欲か、あるいは加虐心かもしれないけど、兎に角そういうのを擽るのが上手いのよね。所謂年上キラーって、ああいうのを言うのかもしれない」

 

 それを聞いた瞬間アスカは目を見開き、すぐ細め、眉間に皺を寄せる。

 ふうま小太郎が目前の上司と2人きりで会ったことがあるというのも、この2人がプライベートな話をしたことがあるというのもアスカにとっては初耳だった。

 そして今のマダムの口調に、アスカは単なる親しみ以上の何かを感じた。

 あるいはそれが、「経験」による成長によってなせる洞察だったのかもしれない。

 

「……マダム、あなたまさか」

 

「ああ誤解しないで。誓って私はふうま君とそういうコトはしてないわ……『最後』までは、ね」

 

 そう言ってマダムは、自分の濡れた唇の輪郭を誇示するように、ゆっくりと指でなぞる。

 その仕草を見たアスカは思わず生唾を飲んだ。自分にとって直属の上司であり、長年生活の面倒を見てくれた彼女に、今までに感じたことのない淫靡さを感じとったからだ。

 謂わば現在の自分にとって、最も母親という立場に近い人の“女”としての貌に突然直面してしまい、面食らってしまったといってもいいだろう。

 最後まではしてない? じゃあどこまでやったのよ? 

 アスカがそのように追求するのを些か以上に躊躇せざるを得なかったのも、アスカとマダムの親子とも師弟とも同僚とも言い難い、微妙かつ絶対的な関係が大きな原因である。

 聞けば、もう2度と今までのように接することはできないかもしれない。

 そんな事態に陥ってしまうことへの恐怖が、急激にアスカの積極性へブレーキをかけた。

 それを恐れる程度には、アスカは目前の女性に信頼を寄せているのである。

 戸惑いを隠せないアスカに対し、困らせている張本人は慈愛に満ちた微笑みを向ける。

 しかし続けて話したえげつない内容は、少なくとも聞かされた相手には慈悲や温情というものは一切感じられなかった。

 

「敢えてこんな形でカミングアウトした意味、分かる? これでもあなた達2人の仲を本気で応援してるのよ、でも現状の正確な把握は必要でしょ。あなたが懸念している以上にライバルは多いということよ。……そんなに睨まなくてもほんとに一線は越えてないわよ。流石にあなたと“姉妹”になる気はないから」

 

「そうなったら流石にここ辞めるからね、マジで」

 

 そう言うと、2人は暫し見つめ合う。

 その光景はまるで古典的な恋愛ドラマのワンシーンのようであった。男を取り合う年の離れたライバルが火花を散らし合っている姿にも見えたが、やがて緊張した空気が緩むと同時に、

 

「あはは……ばっかみたい。何やってんのかしら私たち」

「ホントよ。あ~可笑しい。あはっ、あははは……」

 

 アスカとマダムの両方が吹き出し、先程までとは比べ物にならない大きな声で笑いあう。

 自分たちが置かれている状況が余程ツボに入ったらしい。つい数分前にアスカがこの部屋に入るまで、こんな展開になるとは両人ともに予想していなかった。

 そのギャップにやられてしまい、どうしてもシリアスな空気を保つことができなかった。

 相手を茶化すためのネタにされたふうま小太郎がもしここにいれば冷や汗ものだったであろうが、言ってしまえばたかが男1人のことで拗れるほど、この2人の信頼関係は脆くない。

 本当にムカついたのならどんな形であれやり返すのが甲河アスカであり、アスカが本当に傷ついたときは何を置いても味方になってくれるのがマダムである。それは今更確認するまでもない、長年2人で暮らしてきた中で培われた共通認識であった。

 

「あ、そう言えば聞き忘れてたわ。いかに攫われて薬物を使われたとはいえ、アスカに大して酷いことしたのは事実じゃない? ふうま君からそのことについて、謝罪とかはなかったの?」

 

「あったわよ。朝になって落ち着くなり深々と頭を下げてたわ。正直無茶苦茶にされたことよりソッチの方がちょっとむかついたかな~。だからアドレスの交換で手を打ってあげた。前は散々嫌がってたけど、こうなったらノーとは言えないでしょ」

 

 ふふん、と大戦果を挙げたかのように得意がるアスカを見て、マダムは苦笑する。

 

「あらあら。それでチャラにするなんて、あなたも大概お人好しねぇ。……それで、その後は?」

 

「え? あ~……そう言えば、あれから連絡とってないわね。結構忙しかったっていうのもあるけど……これで私から連絡するのがね~……なんか、負けた感じしない?」

 

「いやそれは分かんないわよ。あなたから連絡するために聞いたんでしょうに……。何、いざいつでも話せるとなったら恥ずかしくなった?」

 

「あ~、ていうかまぁ……え、とね。その……ホント、誰にも言わないでよ?」

 

 元よりマダムの方に外部へ漏らすつもりが皆無なのはアスカも分かり切っている。

 にも関わらず念押しして話を続けるのを躊躇うことの真意を察し、マダムは黙って席を立ち、ボトルを持って部下の元へ歩み寄る。

 黙ってウィスキーのお代わりを貰い一息で喉に流し込むと、心底恥ずかしそうに告白し始めた。

 

「…………その、今話したら思わず誘っちゃいそうでさ。こういうのって2回目が重要っていうじゃない? 向こうは多分その、初めてがあんな感じだから絶対自分からは言ってこないと思うから……。でもこのまんまなのも癪だし、仕事も結構忙しかったし、それで……」

 

 そこで言葉に詰まり、グラスのぎゅっと握りしめるアスカ。

 一瞬だけ割られないかを心配し、目の前の少女が加減はしているのを確認してから、仮面の対魔忍はふう、と息を吐いた。安堵ではなく、やれやれ、という意味の溜息だ。

 

「らしくないわねえ……っていうのは流石に酷かしらね。こっちとしては任務に支障がないなら介入すべきではないんでしょうけど……。良かったのよね? 彼とのセックス」

 

 しばしの硬直、そして無言の頷きによって返答するアスカ。

 さらにそれで何か吹っ切れたのか、言わなくてもいい補足説明をし始めた。

 

「初めてだからさ、痛いんだろうなって思ってたし、最初はホントにふざけんな、って思ってたんだけど……なんかもう、一回イったらどうでもよくなっちゃって。……途中からは自分で上になっちゃって、あいつも正気になってたけどもうお構いなしでさ……結局、そのまま朝方までずっと……」

 

「完全に嵌ってるじゃない……初めてで朝までやりっぱなしって相当よ?」

 

 そこまで話せとは言ってない、と言わんばかりに右手で仮面を覆い眉間をおさえ、首を軽く横に振るマダム。

 世話をしてきた女の子の初体験を赤裸々に語られるのは、彼女にとっても精神にくるものがあった。面白い話には違いないのだが、一気に聞くと胸やけか胃もたれを起こしかねない。

 

「だって、あいつしつこいんだもん! どんなクスリの所為か知らないけど話も聞かずに強引に服剥がしてきたし、前戯とかなしにあのクソバカでかいちんこ挿れてくるし、結局夜明けまで硬いままだったし、それで……―!」

 

「分かった。分かったからその辺でいいわ。……で、目が覚めたらちょっと気まずい空気になったけど、彼の謝罪とアドレスの交換で決着した、と……。それであんな気分よくなるんだから、ホント現金ね」

 

「……そんなに機嫌よかった? その日の私」

 

「それはもう。風も起こさずに何処かへ飛んでいきそうだったわよ。朝までシテたってことは睡眠も碌に取ってなかったんでしょう? 逆にそれでハイになってたのかもしれないわね」

 

「うーん……確かに疲れとかは特になかったかなあ。興奮、っていうのとはまた違う気がするけど……」

 

 アスカは少し釈然としていないようだが、ともかくマダムの話は終わった。

 部下である未成年の手からアルコールを取り上げると、速やかに酒瓶諸共片づける。

 取られた方からは未練がましい目を向けられたが、円滑に供述を取るための道具として与えた以上、その必要がなくなった後も餌を与え続ける様な無駄を、仮面の対魔忍はしない。何といっても、この高級スコッチ・ウィスキーは彼女のお気に入りなのだから。

 

「ま、彼とのことは好きになさい。五車とウチの関係が拗れるような事態にならない限り、私からは支援も邪魔もしないから。……どうしても応援してほしいなら、交渉次第では聞いてあげてもいいけど?」

 

「交渉?」

 

「そうね……今月私のとこにくる書類を半分引き受けてくれるなら、私が個人的に彼とのデートをセッティングしてあげるわよ。もちろん、どこかで一泊も許可するわ」

 

「……それ、デートっていう名の出張任務を押し付けられるだけじゃないの?」

 

「あら、信用ないわねえ。でもそっちでいいっていうなら、3分の1で手を打つけど?」

 

「大して変わんないじゃない……10パーでどう?」

 

 疑いつつも、“鋼鉄の死神”は上司の話に乗り出す。

 彼女も何だかんだ内心ではずっと、“彼”との仲を進展させるきっかけを欲してはいたのだ。

 

「それじゃこっちが大して変わらないわよ。30」

 

「15、いいじゃない。どうせ私に回せるのなんて、本国へのどうでもいいレポートか、特に重要じゃないけど形式上確認が必要なやつでしょ。そんなの片づけてあげた上に遠出の任務も引き受けてあげるんだから、むしろ感謝してほしいわ」

 

「あら言うじゃない。いつもの貴女みたく迷惑をかける必要がない形で、彼と2人きりになれる時間を作ってあげるっていうのよ。せめて25%は引き受けてもらわないと」

 

「ゔっ……じゃあこういうのどう? 書類20%と、前言ってた内部調査の任務、あれも引き受けるわよ。その代わり、任務抜きの純粋な休日プランでお願い」

 

「ふーん……少しは駆け引きが分かってきたみたいね。いいわ、それで手を打ってあげる。内部調査を始めるのは休暇明けからで構わないわ。アルベルタから引き継ぐ形になるから、彼女も交えてブリーフィングね。……じゃあ、はいこれ」

 

「……何よ、その束」

 

「何って書類よ。引き受けてくれるんでしょ、2割」

 

「そっちも休みの後に決まってるでしょ! じゃ、お疲れ様でした!」

 

 そう言いつつ、そそくさとオフィスから退出する甲河アスカ。

 休暇終了後、彼女は自分のデスクに出来ていた“山”を見て、憤激と絶望の籠った絶叫を上げる事になるのだった。

 



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Main Story: Rinko / Rin 05

―アミダバラに向かう道中、八津九郎が運転する車内にて。


「……何? 俺より強い対魔忍?」
「ええ。こういう話は九郎さんとしたことなかったなあ、ってふと思いまして」
「話すネタが無いなら黙ってりゃいいだろう。沈黙に耐えられないタイプだったか、お前?」
「いえ、単にこういう話が好きなんです。『キー坊とバキだったらどっちが強い?』とか『歴代最強のガンダムは何か』とか」

「あー……まあ、気持ちは分かる。……ちなみにお前はアサギと俺、どっちが強いと思うんだ?」
「いやぁ~、ここで『そりゃ九郎さんでしょう』なんておべっか、俺が言うように見えます? ……妹さんとはどうなんです? 俺的には紫先生がNo.2なんですけど」
「家庭の事情でノーコメントだ。大体お前な、ランク付けなんて軽々しくできるほど、今いる対魔忍たちの能力をちゃんと把握してるのか?」
「え? まぁ……目ぼしいものは大体。最近は過去の人物とか伝説とかも調べてます。超レアな忍法に目覚めた子が同級生として転入してきたんで、それについて調べがてら色々とね」
「レア……ああ、“心物合神”の子か。あれは慎重に扱えよ。覚醒した経緯も含めて中々に厄介だぞ」

「ええ、ちょっと資料を漁るだけで危険性は十分理解しましたよ。……話を戻しますけど、さくら先生とはどうです? あの人普段はあんな感じですけど、実力はトップクラスで間違いないですからね」
「お前もしつこいな……。実際の強さ云々はともかく、俺が敵わないと思った人間は2人だけだ。一人は心願寺幻庵。もう一人は俺に戦いのいろはを叩きこんだ男……まあ、師匠と言って差し支えあるまい」
「へぇ……幻庵殿はともかく、九郎さんにも師と仰ぐ人がいるんですか。脳に直接戦闘プログラムをインストールして生まれたんだって話、半分ぐらいは信じてたんですがね」
「馬鹿か。別に人工子宮から産まれてもいないし体は完全に生身……おい、それ言ったのさくらだろ」
「え!? ……あ~いやぁ、どうだったかな。えーと……確か一緒にサイボーグが出てくるSF映画を見てた時、流れでそんな話をしたような……あ、別に九郎さんの事とは言ってなかったかも?」
「胡麻化しヘタか。あいつはマジで……」

「あ、ああ! その師匠ってあの人でしょう。確か対魔殺法の達人で、アサギ先生にも近接戦闘を教えたっていう……えーと、名前は確か、桃知……」
「桃知東洋、な。お前ホント初歩的なとこがちょくちょく抜けてるよな。井河であいつの名前知らないなんて言ったら、モグリか健忘症だと思われるぞ」
「いや、俺ふうまですし……その桃知さんはご存命ですか? 俺、会ったことないんですけど……」
「公には病死、ということになっているな」
「…………そうですか。ちなみに、それは井河の内紛が起きる前に?」
「後だ。……まあ、ぶっちゃけ失踪だよ。紫の比じゃないくらい堅物で融通が利かない男だったからな。対魔忍のあり方についても、かなり強めの思想を持っている男だった」
「所謂過激派ですか。でも、その口ぶりだとアサギ先生への叛乱には参加してないんですよね?」
「政府の介入を受けることも、利権にしか興味のない長老共も同じくらい嫌悪していたんでな。スタンス的には、井河の佐郷文庫とでも言うべきか」

「成程……失踪後の足取りは、分かっているんですか?」
「分からん。……いや、恥ずかしい話だが本当に分からんのだ。極まった理想主義かつ潔癖症の男だが、砂漠だろうが南極だろうが生き延びられる奴だ。死体を確認しない限りは、生きていると思ったほうがいい」
「もし、また姿を現した時は……その、敵になっていると?」
「“俺たちの”味方になることはまずあるまい。……万が一、いや億が一もそんな可能性はないだろうが、もし姿を見たら真っ先に俺へ知らせろよ。間違ってもお友達と相手しようとなんぞするな。無駄に死人を増やすことになるぞ」

「…………アサギ先生でも、敵わない?」
「一対一なら、アサギは負けまい。だが……いや、俺が言うべきことではないな。今のは忘れろ。……あ、分かってるとは思うが―」
「勿論、アサギ先生には聞いたりしませんよ。……もし口が滑っちゃったら、『九郎さんから聞けって言われました』って言えばいいんですよね?」
「そうなったら対抗措置として、お前の部屋のハードディスクに保管してある“お宝”は全部消えると思え。それとも水城ゆきかぜか、相州蛇子あたりに送ればいいか?」
「へっ?」



 

 アミダバラに平穏な一日などというものは存在しない。

 人と魔が入り混じって生きるこの街は常に諍いや揉め事が絶えず、おまけにやたらと強烈な個性と実力を兼ね備えた迷惑な連中が跋扈しているために、一度争いが起これば殆どの場合当人だけでなく、周りにも被害を齎す。故に、そういったトラブルメーカーを制し、街全体のパワーバランスを保つ存在は合法非合法を問わず求められ、この街を維持したい者たちからは重宝されている。

「魔術師組合」 や「五行学園」によって一定の秩序が確保された現在にあって尚、このアミダバラが再び混沌の「廃棄都市」になるのを防いでいる力、その最たるものは個人経営の探偵や用心棒といった街の「便利屋」達であり、当人たちにもその自負はある。

 それはアミダバラで(色々な意味で)最も有名な探偵にして、個人主義の魔女剣客である、アンネローゼ・ヴァジュラであっても例外ではない。

 たとえ普段は依頼以外の揉め事を積極的に無視し、オフと決めた日は朝から酒浸りになって自他楽に暮らす自由人であっても、街そのものの危機には敏感に反応し、自らの全力をもってその根源を断ち切る。  

 そう思う程度には、アンネローゼも混沌の魔都に愛着がある。

 

「……何これ? 戦争でもあった?」

 

 とは言えそんな覇気に満ちた女傑でも、面食らう事や立ち竦むこともある。今アンネローゼの眼前には、そんな希少な彼女を見ることができるだけの情景が広がっている。

 すなわち、常人であれば目を覆いたくなるような惨劇の跡である。

 

「これ、あの喧しいロッカーのとこの奴らよね……うわ、ゲロ踏んじゃった」

 

 遠目に煙が上がっているのが見えた場所まで進み、人気のない廃工場が立ち並ぶ地区まで辿り着いた途端、

 アンネローゼは通りに人が列をなすかのように倒れ伏している光景を見た。 

 ほぼ全員が体の何処かしらから血を流しているし、中には嘔吐だの失禁だのをしている者までいる。それらが流した不浄な混合液が染み込んだ街路に足を踏み入れ、流石の魔女剣士も顔を顰めた。

 倒れている人間は彼女から見て10人以上確認できる。如何にも忍者然とした恰好や装備から見て、彼女とも顔見知りである火遁衆―「デスフレイム団」なるギャングを装っている対魔忍の連中だと見当がついた。

 顔を覗き込んでみると、明らかに平気な様子ではないが呼吸はしているようだ。虫の息といっていい程の重体になっている者もいるが、今のところ事切れる様子はない。

 

「死んではいなさそうね。気絶してるだけか……悪いわね、救急道具は持ってきてないのよ。手遅れになっても恨まないでよね……一応、おばあちゃんには連絡しとこうかしら」

 

 義理人情にはあまり興味がないアンネローゼだが、一応の同業者に対して最低限の礼儀を果たす気にはなり、ポケットから携帯端末を取り出す。

 掛ける相手はノイ・イーズレーン。この町を仕切っている「魔術師組合」の重鎮であり、組合だけでなく五行学園や五車学園といった他の組織にも顔が利く切れ者だ。

 普段は観光客相手の土産屋「魔法堂」の店主であり、一見すれば置物のようにも見える小柄な老婆だが、年老いた今も尚アミダバラ随一の魔術師と呼ばれる腕前は健在であり、どんな悪党もこの店に手を出そうとはしない。

 アンネローゼも初めてこの街に来た時から、この「おばあちゃん」には幾度となく世話になっている。別に師匠や後見人といった関係ではないが、孤高であることを好む彼女には珍しく、心から敬意を払い慕っている相手だ。

 

「…………あ、もしもしおばあちゃん。私よ、アンネローゼ。……え? ええ、そう。よく分かったわね。今その地区にいるんだけど、道中に怪我人が大勢倒れててね。私じゃ手が足りないから、おばあちゃんから人手を集めてもらおうと思って……包帯? そんなの持ってないわよ。私には必要ないもの」

 

 通話先から呆れたようなため息が漏れる。鉄火場に身一つで飛び込むアンネローゼを咎めているようだが、愛刀「金剛夜叉」さえあれば誰にも負けることはない、と本気で信じている彼女にとっては大きなお世話でしかない。

 

「だってこんなになってるとは思わなかったもの。何とかなりそう? ……ああ、組合の連中ね。でもいいの? 後で貸し借りどうのこうので揉めたりしない? ……お客? 誰が? …………対魔忍? 何でおばあちゃんのとこに……ええ、分かった。じゃあ私は先に進むわね。嫌な予感がするのよ……何かはわからないけど、ほっとくとどんどん情況が悪くなりそうな気がしてね。……ええ、いつもの。……大丈夫だってば。それじゃあ、こいつらの救助はよろしく。……はいはい、また後でね」

 

 頼りになる老魔女との連絡が終わり、そのまま道なりに進むアンネローゼ。

 単に倒れた人間が見えるほうに進んでいるだけで確固たる根拠があるわけではないが、その足取りに迷いはない。こういう時、彼女の勘が外れたことは一度もないからだ。 

 怪我人の山を見つけてから100m程進むと、周りの建造物よりも一つ抜きんでて大きい廃工場の近くに辿り着いた。アンネローゼはそこで、今までより更に意外な男が意外な状態でいるのを発見した。

 

「……炎斗? あなた、どうしたのこんなとこで? また悪酔いでもした?」

 

 そう言う彼女の視線の先には、先程まで通っていた道に転がっていた半死人たちの頭目、「デスフレイム団」団長の西園寺炎斗がいた。

 いつも飄々として笑みを絶やさず、頼まれもしないのにギターをかき鳴らす傍迷惑さはどこへ捨てたのか、亀裂だらけのアスファルトにへたり込んで苦しそうに唸っている。

 左腕が包帯と三角巾で支えられているのを見るに折れているようだが、その部分が痛むせいで座り込んでいるという風には見えない。何か身体の芯から苦痛を感じているような表情を浮かべている。

 

「……よぉ、魔女剣客の姐さんじゃねえか。意外に早えご到着だな……生憎、今日はそんなアホな理由で無様を晒してんじゃねえんだ。そっちから来たって事は、俺の部下たちが倒れてんのも見ただろ。かなりヤバい事態だぜ今はよ……あんた、ここに来るまでに全身ラバースーツの女に出くわしたか?」

 

「は? 何言ってんだこいつ?」と口にこそ出さなかったが、そう言いたいとはっきり読み取れる不審気な顔を向けるアンネローゼ。

 しかし炎斗にとっては冗談でも何でもないため、至って真剣な顔で話を続ける。

 

「何言ってんだって自分でも思うさ。だが俺もあいつらもその女にやられたんだ。……アンタ、この騒ぎを聞きつけて来たんだろ。恐らくその女は今工場の中にいる。行くんなら止めやしねえが、十分注意しな。下手すりゃアンタでもやばいぜ」

 

「あらそう? それは楽しみね。まあ貴方はさっさとアジトに戻って治療でも……あなた、誰?」

 

 そう言いながら女探偵が訝し気な顔を向けた先には、工場の方から小走りで駆けてきた一人の男がいた。

 青みがかった短髪が特徴的で、鉄火場に似合わないラフな私服を着ているその男は、アンネローゼや炎斗より若く、十代の青年に見える。

 今まで「デスフレイム団」の構成員、そして街中でも見かけたことのない顔だ。銃や剣といった武装も一切身に着けておらず、強者特有のオーラや覇気も感じない。通りすがりの観光客と言われれば納得してしまうような風貌であり、アンネローゼからは場違いな存在にしか見えない。

 

「あぁ……俺から紹介するぜ姐さん。こちらふうま小太郎。ついこないだ新設された五車の独立遊撃隊を率いる隊長さんだ。若いが、指揮者としちゃアサギ総隊長のお墨付きだぜ。ふうま、こちらはアンネローゼ・ヴァジュラ。このアミダバラで探偵をやってる凄腕の姐さんだ。『金剛夜叉』って物凄え剣の使い手でな。ここらじゃ無双の魔女剣客で通ってるおっかねえ人さ」

 

 痛みに頬をゆがませながら、双方を知る者として紹介を買って出る炎斗。

 相変わらず、見た目に合わない律義さね……等と魔女剣客が考えていると、ふうま小太郎と紹介された青年は頭を下げて挨拶をする。

 

「初めまして、ふうま小太郎です。あの、探偵という事は、アンネローゼさんは依頼を受けてここに?」

 

「ん? ああいえ、別に。なんとなくきな臭い匂いを感じたから来ただけ。……それより、この騒ぎの犯人がその……ラバースーツを着た変態女ってのは確かなの?」

 

 アンネローゼの質問に、ふうまと炎斗は顔を見合わせて苦笑する。

 彼らも質の悪い冗談みたいな話をしているという自覚はあるらしい。

 

「ええ……俺は直接見たわけじゃないんですけど、炎斗さんや他の人が大勢やられてますのでそこは間違いないでしょう。俺たちは一旦情報を整理しようと炎斗さんのアジトに行ったんですが、そこで団長のいない隙を狙って襲撃をかけられていたのを知りまして……慌てて部下の人たちがその女を追いかけていった跡を辿ったら、路地で彼らがやられているのを見つけたんです」

 

「見た目からは考えられねえ程狡猾な奴さ。アジトに詰めてた部下達を挑発して外に誘い出し、孤立して連携が乱れた所を仕留めていく……お陰でアジトに残った少数を除いて皆やられちまった。何とか仇を討ちてえが、俺もこの様でよ……全く、情けねえぜ」

 

 忌々しそうに自分の胸を押さえる炎斗。自身や部下を痛めつけた女に対して、というより、そんな相手に何もできない自分の不甲斐なさをこそ恨んでいるように見える。

 

「ふーん、腕だけじゃなく頭も良い相手って事ね。……あれかしら、あんたの部下たちを釣り出して倒していったのは、団長であるあんたへの挑発も兼ねてるのかしらね。で、それに乗せられたあんたはまんまとやられたってわけ?」

 

「いえ、炎斗さんのこの怪我は少し前に、その女を包囲して戦った時にできたものです。その時はあと一歩まで追い詰めたみたいなんですが、逃がしてしまったようで……潜伏も上手い相手みたいですね。それと、今体調が優れないのは単に傷が痛むというだけではないみたいです」

 

 そこでふうまは何かを確認するように炎斗に向かって目くばせをする。

 ギターを片手で抱えた団長はそれで察したらしく、無言で頷く。歯を食いしばって脂汗を流しているところを見るに、本来は声を出すことすら億劫なほど辛いようだ。

 

「まだ確定したわけじゃないんですが、敵はどうやら魔薬を使っているようです。しかもその使い方というのが、得物の鞭に塗って毒代わりにするという方法らしく、炎斗さんが苦しんでいるのはその禁断症状によるところが大きいみたいなんです」

 

「……何で態々魔薬を? 普通に毒使えばいいじゃない」

 

「それは分かりません。……実は、俺がこのアミダバラに来たのはその魔薬について調査するためなんです。

 件のラバースーツ女が単なるジャンキーなのか、それとも魔薬の売り手なのかは不明ですが、情報を得るために何とかその女は捕まえたい。……差し出がましいとは思いますが、協力していただけないでしょうか」

 

 ふむ、とアンネローゼは頬に手を当て、改めてふうまを観察する。

 値踏みするような視線を向けられても、ふうまは別段気分を害した様子はない。

 

「……それは私に対する依頼って事でいいのかしら。言っとくけど私、安い仕事はやらないわよ」

 

「あー……報酬については改めて相談させていただくってことでいいですか? 何分今は持ち合わせがなくって……何なら、デスフレイム団からの依頼って事でこちらと交渉していただいてもいいんですが」

 

 その台詞は完全に寝耳に水だったらしく、不服そうな顔をふうまに向ける炎斗。

 しかし、彼からしても今他に頼れる者はいないらしく、抗議の声を上げることはなかった。

 

「……ま、確かにその辺の話は後でいいわ。その変態女があの工場にいるのは確かなのね?」

 

「はい。近くまで行って偵察してきましたが、中に誰かがいるのは間違いありません。戦闘らしき音も聞こえていたので、俺たち以外の誰かと争っている可能性も高いです。正直俺だけじゃ手に負えませんが、アンネローゼさんがいるなら心強いです」

 

「……あなた、対魔忍の隊長さんなのよね? それにしては何というか、普通の男の子って感じなんだけど」

 

 アンネローゼのその言葉に、先程とは感じの違った哀愁が漂う苦笑で答えるふうま。

 未成年の男らしからぬ、長年積み重ねた苦悩が初対面のアンネローゼにも感じ取れる、そんな表情だった。

 

「実は俺、忍法が使えないんです。色々あって人より頑丈な身体とちょっとした力は持っていますが、基本的なスペックは一般人と変わりません。まあそれなりに訓練は受けてますんで、ぎりぎり足手纏いにはならないくらい……ってとこですかね」

 

「ふーん……よっぽど指揮官として優秀なのね。なら、私が先行するってことでいいわね? まあ元々そうするつもりだったけど……。中であんたの面倒までは見れないわよ、それでも付いてくる?」

 

「……いいんですか? てっきり邪魔だから待ってろと言われるかと……」

 

 はっ、と笑い飛ばすアンネローゼ。ふうまの卑屈な態度への呆れと、自分の目が節穴だと思われたことに対する怒りの両方を含む反応だった。

 

「いくら私でも、この炎斗と部下たちを纏めて捻る相手に単身突っ込むほど無謀じゃないわ。そいつの情報を何も持ってないしね。それに、あの井河アサギが無能力者を隊長に据えるとも思えない。別にあんたたちの事情には詳しくないけど、そのくらいのことは分かるわよ。……で、どうするの?」

 

 その言葉を聞いて一瞬目を大きく見開き、照れくさそうに苦笑いを浮かべたふうま。

 しかしすぐに決意と自信を秘めた目でアンネローゼを見つめ、しっかりとした口調で返答する。

 

「行きましょう。相手は鞭と鉤爪を使います。先程も言った通り武器には魔薬が使われてますから、かすり傷を負うだけでも危険です。中は崩れたりする心配はなさそうですが、陽の光は殆ど入っていません。日没までそう時間もないですし、トラップや待ち伏せには十分注意しましょう。……明かりは持ってます?」

 

「いいえ、でも私は大丈夫よ。夜目は利くほうだし、一応だけど透視の魔術も使えるから」

 

「成程。では、前衛はお任せします。俺も一応携帯のライトはありますが、なるべくこれは使わないようにしましょう。敵にも位置がばれますしね。……あ、そうだ。炎斗さん」

 

 ん? と顔を向ける炎斗に近づき、耳元で何事か囁くふうま。

 それを聞いた瞬間ぎょっとした顔を向け、小声で「まじかよ……?」と呟く炎斗。

 ふうまはすまなそうに顔の前で手を立て、

 

「辛いのにすいません。でも中の状況が分からない以上、保険は必要ですから。……勿論、出番がなければそれでいいんです。案外あっさりケリがつくかもしれませんし……ね」

 

 

 




…すいません。時間の都合で今回はここまでですorz
次回こそエロシーンから始まりますので、どうかよろしくお願いします


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