ノスタルジック・ダブルクロス (宇宮 祐樹)
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『望郷の魔女/Nostalgic:XX』
01


よろしくお願いします


 

 ▼_ 授けられた力とは、何を意味するか

 

 

 十歳に満たないころだったと思う。俺──エーベルという人間は、自身が転生者だということを理解した。

 

 きっかけは、頭の中にある記憶だった。そこには今生きているこの世界とは違う、異様な光景が広がっている。立ち並ぶ鉄の塔。鋼鉄の馬。見慣れない服装に身を包む人々。そして、魔法にも似た何か。おそらく言葉で表すのなら転生する前の記憶、元の世界の記憶、というのが正しいのだろう。

 そして何よりも決定的だったのは、幼いころの俺がその光景に興味を示さない──つまり、それが見慣れたものだと認識できている、ということだった。

 

 頭の中に描かれたこの光景を、確かに覚えている。

 そして何故かその時から、自分の境遇を理解するようになった。

 

 憑依や転移ではなく、純粋な異世界転生なのだと思う。どこか懐かしさすら感じるその言葉が、腑に落ちた。だから前の人格というか、その記憶を持っている自分はいない。今ここにいるのは、エーベルという人間だけだった。

 

 前世はそれなりに普通の人間らしかった。

 普通の学生生活を過ごして、普通の大学を出て、普通の社会人として会社へ奉仕する。決して貧しくはないけれど、かといって豊かだった、と言えるわけでもない。その過程で俺はどうやら車に轢かれて死んだらしい。自分の事ではあるが、あまりにもあっけない死に方であった。けれど、悔しさはない。今生きているこの俺のことではないから、同情も後悔も、ましてや不満なんてあるはずもなかった。

 前世については、それくらいしか語れない。

 何もなかった。

 

 この体には力が宿っている。

 剣を振れば大木は簡単に倒れるし、魔法を使えば辺り一面が焦土と化す。魔力も他の人間よりはるかに多く保有していて、身体的にも何等かの加護が付与されている。子供のころから神童だともてはやされたけど、既にその時に俺は、それが誰かから授かった借り物の力だということを知っていた。

 前世の言葉を借りれば、チートというものらしい。

 その響きには聞き覚えが無かったが、持つ力は本物だった。

 制御できない力で何人も殺せば、そんなことは嫌というほど理解できた。

 

 俺には力があるだけだった。勇者にも賢者にも、果てには魔王になるつもりもない。よくあるおとぎ話のように世界を救うつもりもないし、世界を亡ぼす考えなんて持つはずもない。

 だって俺は何も知らない、この世界に生まれただけの人間なんだ。この力を望んだかどうか、それすらも分からないのに。

 だから俺は──俺は、逃げることを選んだ。

 親も、友人も、知り合った人間も。すべて捨てて、一人でいることを選んだ。

 それが俺にできる、唯一のことだった。

 

 ──本当に捨てたいのは、この力だった。

 記憶もすらも全て無くしてしまいたい。けれどそれは無理だった。

 だから、俺がいなくなればよかった。そうすれば誰も傷つくことはないから。

 たとえ前世の記憶を持っていたとしても、チート能力を持っていたとしても、今ここにいる俺はただの人間だ。世界を救う力も、世界を亡ぼす力も、俺にとっては何も知らずに与えられた、ただの力。

 それ以外に、俺を形容する言葉はないように思えた。

 

 

「あ、エーベルさん」

 

 起きてから間もなく。

 街のギルドへ赴くと、顔見知りの受付嬢がこちらへと声をかけてきた。

 朝焼けに輝く銀髪と、その中でも強く光る紅い色のひとみ。けれどどこか表情は柔らかいもので、頭から足先までしっかり整えられた制服に袖を通していても、親しみやすさが滲み出ている。

 

「おはよう、グレシア」

「おはようございます! 今日も一番乗りですね」

「ほかにすることが無いから。それに、顔見知りの方が話が早い」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 そう伝えると、彼女──グレシアは、含みの無い笑みを見せてくれた。

 少し過干渉に思える部分もあるが、全体的にはおっとりとした、優しい女性。その性格からなのか、はたまた見かけの珍しさによるものなのか、このギルドの中ではかなり人気のある受付嬢らしい。

 そんな彼女の勤務時間は朝から昼と夕方から深夜までらしく、朝の始めからクエストを受ける習慣が付いている俺と顔見知りになるのは、そこまで不思議なことではなかった。

 

「ええと、冒険者登録の更新はまだ先ですから、今日もクエストですね?」

「頼む」

 

 頭を下げると、グレシアがいそいそと机の下から分厚い書類を取り出す。表紙は緑で、それは中級用の依頼書を示す印だった。

 冒険者には上、中、下階級が存在し、俺は一番人口の多い中級に属している。色分けもされており、下からそれぞれ白、青、紫となる。

 下級は登録したての冒険者で、大まかに言えば採取や輸送任務にしか就けない雑用だった。抜け出すのも簡単で、一定の期間内に一定量のクエストをこなせば中級へと昇格することができ、そこから討伐案件への参加が許可される。

 しかしながら上級に昇格するにはかなりの難易度のクエストを達成しなければならなくて、更に受付嬢やギルドマスターからの承認も得られないといけない。それくらいに上級の能力というものは強力で、それこそ街の外へ派遣がされることも珍しくはなかった。

 そう言った意味で、中級の冒険者の数は多かった。

 

「……いつもより、討伐の案件が多くないか?」

「そうなんですよ。最近、西の森で魔物が活性化しているらしくて。被害もいっぱい」

「みたいだな」

 

 低級向けの薬草採取や薬品の輸送護衛が多く出回っている。報酬金もそこそこ良いあたり、医療品を街の外部へと手配したのだろう。

 

「でもこれはチャンスですよ、エーベルさん!」

「……つまり?」

「ほら、見てください。これ、最近のエーベルさんの依頼達成率なんですけどね?」

 

 どうして俺の個人記録を採っているかは置いておくとして。

 同じように机から取り出した一枚の紙を、彼女と一緒に覗き込む。

 

「ここ数年で受けた入り、ほとんど達成してるんですよ! すごくないですか!?」

「採取系しかしていないからな。討伐も一応こなしているが、どれも小型のものだし」

「それでも達成率は達成率です! だからあと一件、何か小さなクエストを一個でも達成すれば! エーベルさんも上級冒険者の仲間入りですよ!」

「そうか」

 

 いえーい、と間延びした声で喜ぶ彼女を、傍目に眺めながら。

 

「…………あら? 反応が薄いような?」

「上がるつもりは無いと何度も言ってるだろ。今のままで充分食っていける。それができるならそれでいい」

「でもでも、上級冒険者になると色々お得なんですよ? ギルドからの支援も色々ありますし、少なくとも住むのには困らないと思いますけど……」

「その代わり、他の冒険者が少ない街とかに派遣されたりするんだろ? そんな都合に振り回されるのは困るし、まして俺がそんなクエストを達成できるとは思えない」

「えっ……ええ。じゃあ、女の子もいっぱい侍らせられますよ?」

「そこは……単純に趣味じゃない」

 

 夢のある話だとは思うが、苦労もあると思う。

 

「……本当に上がられないんですか?」

「何度もそう伝えている」

「受付嬢からこんなにオススメするの、本当はめったにないんですよ? 他でもないエーベルさんだから、こうしているんです。そりゃ、ちょっと正規の手段からは外れるかもしれないですけど……でも、私が保証しますから」

「……すまない。気持ちは嬉しいし、可能ならそれを受け取りたい。けれど、俺よりも相応しい人間が居るはずだ。だから、その気持ちはその人へ伝えてほしい」

 

 それに、そうなれば必ず力を必要とされる。

 先に待つ未来は、既に見えていた。

 もう、逃げるのにも疲れたから。

 

「……なんかフラれた気分なんですけど」

「すまない。不快にさせたのなら、可能な限りで償う」

 頬を膨らませる彼女にそう伝えると、返ってくるのは溜め息だった。

「……わかりましたよぅ。決めるのはエーベルさんですもんね」

「助かる」

「はぁ、専属受付嬢とかやってみたかったんですけどねえ……」

「なんだそれ」

「はい、上級冒険者にだけあるシステムなんですけど、その人が受けるクエストを選んであげるんです。この人ならできる仕事なのか、逆にこの人には荷が重いとか、他の人でも出来るな、とか。そうやって選んであげることで、上級冒険者のクエストにおける事故を減らしてあげるんですよ。なにせ、上級は数が少ないですから。欠員を出さないよう、そうやって対策してるんです」

「なるほど、だからギルドマスターとかの許可が必要になってくるのか。それで、俺が上級になったら」

「推薦した私が専属になるってことですね。これからは朝だけじゃなくて、昼からでもクエストが受注できますよ? どうですか? ちょっと興味湧いてきました?」

 

 それなら、もし彼女に自分の持つ力を伝えられたら。

 もう、誰かを巻き込むことも──

 

「……いや、遠慮しておく」

「あら、私じゃ不満でしたか?」

「決してそんなことはない。むしろ君が付いてくれるなら嬉しい。けれど……やはり、やめておく。君も迷惑だろう」

「そんなこと」

「それに、君が専属になったら……その……周りが、色々と面倒そうだから」

 

 主に他の人間からの視線が怖くなる。

 それだけ、彼女は人気があった。

 

「とにかく、上級の話はナシだ。今は依頼を」

「むぅ、分かりました。でも、もし気になったらその時はいつでも声をかけてくださいね?」

「考えておく」

 

 口を尖らせる彼女に頭を下げながら、そのまま依頼書へと目を通す。

 先程も話に上がったように、近頃は魔物が凶暴化しているらしい。そしてその場は西の森付近であり、そこは俺がクエストを行う際に拠点としている場所でもあった。

 今出ているクエストもほぼその区域が指定されており、昼を過ぎるころには騒がしくなるだろう。だから今日は、出来るだけ早めに帰れるように、二、三件だけ採取のクエストを……

 

「……ん? なあ、これおかしくないか?」

「はいはい? どれです?」

 

 ふと目に留まったクエストが気になって、思わずそれを指で示す。

「この……薬草三袋分で、金貨三百枚というのは本当か?」

「……本当なんですかね?」

「こちらが聞いているんだぞ」

 

 首を傾げる彼女に、肩をすくめた。

 金貨三百枚。銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚と考えると相当になる。それこそ数ヵ月は食うのには困らないだろうし、それでも遊べるほどの御釣りが返って来るだろう。

 そんな大金が、たったの薬草三袋。

 せいぜい三十分ほどの作業には、明らかに釣り合わない金額であった。

 

「おかしくないか?」

「確かにおかしいですけど……でも、ここに書いてあるってことは必ずギルドの眼が通ってるはずですよ。流し見だとしても、絶対目につきますもん」

 

 そう言っているグレシアはけれど不安を拭えないようで、しかめっ面のまま依頼書とにらめっこを続けている。

 

「誰かのいたずらでしょうか? まったく、こんな迷惑な……」

「グレシア、もういい。確かめる意味も込めて受けることにする」

 

 だんだんと深くなる眉間に、思わずため息をついてそれを制した。

「けど、何があるか分かりませんよ?」

「誰かの調べによれば、クエスト達成率はそれなりに高いほうなんだ。そろそろ上級に昇格できる」

「……それとこれとは話が別です」

 

 む、と目を吊り上げながら、グレシアがそう制してくる。

「だが誰かが調査に行かないと、また別の人間が危険を冒すだろう。そのためにも、誰かが対処しておかないと」

「……分かりました。ギルドからの正式な調査依頼としても、あなたに依頼しますね。もし間違いであれば、怪我や金銭面での負担は全てこちらで請け負います。お願いしてもよろしいですか?」

「請け負った」

 

 自分の実力を過信している訳ではないが、それくらいの頼みなら聴く余裕はある。こうして長く顔を合わせ、それなりに信頼し合っている彼女だから、放った言葉だった。

 切り取られた依頼書へ自分の名前を記したグレシアが、それを机の上へ広げる。

 

「ではこちらの依頼ですね。期限は、ええと……本日の日没まで?」

「随分早いな。緊急か?」

「いえ、そうでもないですけど……ああ、それと待ち合わせも指定されていますね。西の森の入口、湖の前……これって」

「……いつも俺が行くところか。都合がいいな」

「何があるか分かりません。細心の注意を払って下さいね。それと、イタズラだったらすぐに引き返して、ギルドに報告してください。私も呼ばれたらすぐに駆けつけますから」

「ありがとう、気を付ける」

 

 こちらを見つめる真剣な瞳に、首肯で返す。

「そういえば、依頼者はどうなってるんだ? さすがに実名だったら特定もできるだろ」

「あ、それもそうですね。では、依頼者の欄を……かく、にん……」

 

 途切れ途切れになる彼女の言葉に、気になって依頼書を覗き込む。

 そこに記されていた、依頼者の名前は、

 

『メアリウィズ・サンダーソニア』

 

 そんな文字が、やけに綺麗な文字で刻まれていた。

 

 



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02

 

『絶対にいたずらです! いたずらですから! 行かなくていいんですって!』

 

 などと制する彼女を振り切ったのが、三十分ほど前。

 背中に両手剣と、腰にナイフだけの簡単な装備で赴いた俺は、湖沿いの小道を歩いていた。

 遠くには青々とした山が背の高い森から顔をのぞかせていて、そこには雲が薄くかかっているのが見える。天気は快晴。太陽は既に顔を出しており、心地よい日光の暖かさが全身へと伝わる。

 両手を軽く広げると、ふわりと吹いたそよ風が、全身を撫でた。

 

『こんな大層な名前がありますか! ましてや、この文字! 明らかに釣りです、詐欺です、出会いを目的としたイタズラですっ!』

 

「……メアリウィズ・サンダーソニア」

 

 ぽつりと呟いたその名前に、やはり思い当たる節はない。

 この街の冒険者とほとんど顔を合わせている彼女ですら知り得ない名前なのだ。俺が知らないのも当然だった。

 

『……エーベルさんはこんなの興味ないですよね? まさか、エーベルさんみたいなヒトがこんな軽そうな女と……ん? いやまて、なんで行く準備してるんですか? え? そりゃ依頼は依頼ですけど……あっ金!? いや金貨三百枚って絶対嘘……エーベルさん!? おい! 戻ってこい!』

 

 話を聞かなかったのは、申し訳なかったと思う。

 けれどそうしないと、行かせてもらえない雰囲気だったから。

 

「金貨三百枚……」

 

 女の方に期待している訳では無い。どちらかと言えば、金の方に期待は寄っている。

 無論、事実だとは思っていない。けれど、微かに希望は抱いていた。

 金貨三百枚。三百枚だ。数ヵ月はいい暮らしができる。その間にちゃんと金を稼げば、その後も余裕を持った生活ができる。下手をすれば、いま住んでいる宿屋を出て、家を買えるかもしれない。貯金と合わせれば、それも夢ではなかった。

 まずは良いものを食べたい。それこそ、日ごろの労いも兼ねてグレシアでも誘ってみようか。いつも忙しくしている彼女のことだ。たまには美味いものでも食わないとやっていけないだろう。後は武器や防具の整備もしておきたい。そろそろ新調も考えなくては。

 捕らぬ狸の皮算用、という言葉が、どうしてか記憶から蘇ってきた。捕るので問題はないのに。

 

「あと少し……金貨……」

 

 最後の大きな曲道を抜けて、森の正面へと辿り着く。

 こちらを今まさに呑みこまんとする、怪物のように開いた暗い森の入口。

 そこに俺は、一人の少女を見た。

 

 十と五を過ぎたくらいだろうか。少なくとも大人ではない、けれど子供らしさも感じられない、曖昧な見かけであった。背中まで伸びるくすんだ灰色の髪の毛と、冷めたような大人びた顔つきからは、どこか退廃的な雰囲気を感じさせる。

 袖を通しているのはゆったりとした薄いブラウスで、その上からはクロークを羽織っている。下は膝よりも上の丈の短いスカートで、そこから覗く両足は印象的なまでに細かった。

 ぎろり、と視線がこちらへ向けられる。その瞳は、ぎらぎらとした金色をしていた。

 そうして彼女は体をこちらへ向けて、腕を胸の前で組んだかと思うと、

 

「おっそい」

 

 開口一番、そんな言葉を吐き出した。

 

「すまない、少し話が立て込んでいて」

「それでも遅すぎるわよ。余計な詮索なんかせずに、さっさと来てくれればいいのにあの女ったら、余計なマネを……」

 

 がりがりと爪を噛み始めて、少女が忌々しそうにつぶやいた。

 

「だいたいあんた、慎重さが過ぎるのよ。自分ならできるって分かってるのに、自分でしようとしないし。あと、他人を気にかけすぎ。だからあの女もあんたに過保護になってるのよ。言っておくけど、その優しさが、あなたの一番悪い所よ。世界はそこまで平和じゃないの」

「……なんでそこまで言われなければいけないんだ」

「決まってるじゃない、今まで全部見てきたからよ」

 

 今まで、ぜんぶ。

 言葉の意味は分かるけれど、本意が分からなかった。

 

「……おい、いたずらだったなら帰るぞ。ギルドにも報告しておくからな」

「そんなわけないでしょ。私があなたをここに呼んだのよ。エーベル―ジュ・フィルライン」

 

 呟いたその名前は、かつて捨てたはずもの。

 また何人もの人間を殺した、忌々しい名前でもあった。

 

「……何故だ? どこでその名前を知った?」

「言ったでしょ。今まで全部見てきたって」

 

 二度目に渡されたその言葉が、ひどく現実味を帯びて俺の肩へ圧し掛かった。

 

「……目的はなんだ」

「別に怯える必要はないのよ。殺そうとしてるわけじゃない」

 

 からかうように頬へ手を添えながら、彼女が薄い唇を開く。

 

「あなたが欲しいの」

 

 気づけば彼女は、既に俺の目の前へと迫っていて、その細い指先で頬をなぞっていた。

 

「な──」

「ずーっと探してたの。あなたを……いや、正確にはあなたみたいな存在を、ね」

 

 頭を埋め尽くすのは困惑で、それは段々と大きくなっていく。

 どうして彼女は俺を欲するのか。なぜ彼女は俺のことを知っているのか。浮かぶ疑問が頭の中をかき回していて、吐き気すらも込み上げてくるようだった。

 太陽のようにぎらぎらと光る瞳が、こちらを覗く。

 

「八百年間、ずっと待ってたの。このために生きてきた。このために一人で耐えてきた」

「君は……」

 

「全部知ってるわ。あなたが産まれたところも。持ってる力のこと。あなたの頭の中も、全て」

 

 伸びる指先は、こちらの首元へとあてがわれて。

 

「だから……絶対、私のものに──」

 

 そうして振りぬいた足が、彼女の像を揺らめかせた。

 幻影魔法。暗闇のような霧が当たりを包み込む。背中から抜いた両手剣を構えると、黒い霧は一転へと集中し、再び彼女の形を成した。

 

「ひどい人。女の子に手を上げるなんて」

「そうでなければ殺していただろうに」

「だから、殺すつもりはないの。あなたの体を使ってあげるだけ」

 

 そう語る彼女の手に、魔法陣が浮かぶ。

 次の瞬間、彼女の背後から幾多もの鎖が、まるで水面から浮かぶように顕れた。

 

「……その理由が分からない」

 

「分からなくてもいいのよ。あなたはただ、私にその体を捧げればいいだけ」

 

 鎖が飛翔する。

 剣を肩に構えて、勢いよく振ると、それは瞬く間に光の粒になって消えた。それを掻き分けながら地面を蹴って走り出し、剣の柄を強く握る。

 振りぬいた刀身は、彼女の前に投影された魔術式へ大きな傷をつけるだけだった。

 淡い光の向こう、彼女が薄く笑っているのが見える。

 

「怖いの?」

「……信用できない」

「信用とかそういうのはいらないの。まあでも、無理やり従わせる方が楽かもね」

 

 傷ついた魔法陣をかき消しながら、彼女が新たな魔法陣を映し出す。地面に展開したそれを勢いよく踏みつけると、周りの大地へ波打つような歪みが伝播していった。

 ふらつく足場へと剣を突きたてると、視界に暗闇が映る。

 それは、こちらへと飛んでくる漆黒の槍であった。

 

「ッ!」

 

 抜いた剣でそれを弾き、続けて飛んでくる槍の切っ先を、もう片方の手で受け止める。血の滲む手のひらで蠢くそれは、瞬く間にその形と槍から狼のようなものに変えて、その牙を俺へと向けた。

 開かれた口へと剣の柄を噛ませて、体を地面へ叩きつける。霧散する暗闇は、同じような暗闇の狼を何匹も従える彼女のほうへと戻っていった。

 

「かわいそうに。そんな風に何人も殺しちゃったのね」

「違う……俺は、そうでは」

「ええ、それも知っているわ。分かるわよ。一人で寂しかったことも」

「……何が、分かる」

 

 勝手に力を与えられて、知らぬうちに命を奪って。

 誰からも理解されずに、逃げるだけしかなかった俺の事を、誰が──

 

理解(わか)るわよ。あなたの悲しさも、孤独も、全て」

 

 駆けてくる狼を何匹も薙いで、一歩一歩、進んでいく。

 既に力を使うことに、抵抗はなかった。

 最後になった一匹の首を腕でつかみ、それを地面へと叩きつける。そうして喚く口へと剣を突き立てると、吠える声は黒い霧となって溶けていった。

 

「なぜこんな真似を……」

「信頼できないって言うから。きちんと従ってくれるなら、こんな面倒なこともしないんだけどね」

 

 かざした手のひらに再び魔術式を映し、そのまま右へ薙ぐ。それに応じるように魔法陣が彼女の背後に何枚も複製されて、その一つ一つから、今度は大きな鉄の杭が、こちらへと撃ち出された。

 剣を地面に突きたてて、真上へと体を浮かす。数舜前まで自分の居た場所を巨大な鉄が貫いたのを確認すると、その上に着地したのち、彼女の方へと駆けだした。

 

「甘い」

 

 彼女が手を握ると同時に、足場にしていた何本もの鉄が歪み始めた。

 まるで液体のようになった鉄の杭が、俺の脚へと絡みつく。そうして見上げるそこには、魔術式に座りながらこちらを見下ろす、いかにも退屈そうな彼女が居た。

 

「やっぱり知識は皆無なのね。魔術式が消えるまで油断するんじゃないわよ」

「あまり使ったことがない。……本職じゃないんだ」

「あれだけ沢山の人を殺したのに? 謙遜も凄いわね、大魔術師サマ」

 

 全身に力を流す。

 身体を流れる魔力は鉄の枷を砕き、地面を少しだけ震わせた。

 

「まあ、そうね。それだけの力があるなら、技術とかの話も無視できるわね」

「そうか」

「で? 次は何を見せてくれるの?」

 

 その言葉に応えるように、左手から魔法陣を開く。

 それをすり抜けるようにして地面を駆けると、握った剣が炎を纏った。

 

「……それ、初級魔法」

 

 掲げた炎の剣を、勢いよく振り下ろす。

 雲を突き抜けるほどの、炎の柱が立ち上がった。

 業火が辺りを包み込み、木々が焼け落ちる音がする。燃え盛る炎の光が目を焼いていて、眩しさに目をこすりながら、再び剣を構えた。

 

「出鱈目ね。まるで、駄々をこねる子供みたい」

 

 揺れる炎の中で、彼女がそう呟く。

 再び力を込めると、切っ先から伸びる炎が、また勢いを増して燃え盛る。

 

「次は無い、と思う」

「そうね、次は無いわ」

 

 薄く笑う彼女の背後で、暗闇が蠢いた。

 広がる黒い霧は俺達と炎を完全に遮断して、瞬く間に俺と彼女だけを包み込む。

 

「何のつもりだ」

「言ったでしょう、逃がさないって」

 

 蝕むように、暗黒が青空を埋め尽くす。

 そうして、完全に闇へと包まれたその瞬間──体から力が抜けていくのを感じた。

「な……!」

「あなたの記憶も、力も確かめられた。間違いない。あなたならきっと、私を救ってくれる」

 

 飛び掛かってくる彼女に思わず剣を盾にするけれど、伝わる衝撃に体が浮かんだ。

 力の感覚はない。それは今までに味わったことのない感覚で、違和感の中に少しだけ、新鮮さのような、喜びのようなものを感じていた。

 飛ばされた体は、木に打ちつけられる。鈍い痛みが、全身へ広がった。

 

「どういう……」

「言ったでしょう、知っているって。あなたのその力についても」

 

 ふらふらと立ち上がる俺に、彼女がそうやって言葉を投げる。

 

「あなたは自分では知らないでしょうけどね、それはいわゆる神からの贈り物。神託、とでも言えばいいかしら。生きている限り、あなたはその力を纏う事になる。神からの贈り物、と言ったけど、呪いみたいなもの……そうね、呪いの方が正しいのかしら」

 

 面倒くさそうに髪をかき上げながら、彼女が言葉を続ける。

 

「でも残念、この結界の中じゃそれは使えない。私のような魔女に、そんな神の恩恵なんて与えられるはずがない。ましてこの私の魔力の中じゃ、そんなものが届くはずもないわ。ほら、私って嫌われ者だから」

「く、そッ」

「あら、ひどい。感謝されてもいいはずなのに」

 

 振りかざした剣は、驚くほどに軽くて。

 持ちうる限りの力を込めた俺の剣は、彼女の細い腕に、いとも簡単に受け止められてしまった。

 

「な……!」

「驚くことないわよ。力を持たないあなたなんてこんなものよ。至って非力な、ただの人間」

 

 血の一滴も流すことは無く、彼女は受け止めた剣を握って、後ろへ捨てる。

 一歩、一歩と近づいてくる彼女を、俺は拒むことすらできなかった。

 いや──拒もうと、しなかった? 

 

「良かったわね、殺せなくて」

「……君、は」

「もういいのよ、怯えなくても。あなたは私に使われるだけでいい。それで救われる。もう誰も傷つけることなんて、ないんだから」

 

 頬へ、手が添えられる。

 その仕草には、どうしてかやさしさが籠もっている気がして。

 

「覚えておきなさい、エーベルスト・フィルライン」

 

 開いた唇が、かつての名前を紡ぐ。

 

「私は、居場所を求める者。孤独に追われ、かつての原風景を追う、望郷の魔女──メアリウィズ・サンダーソニア」

 

 ふわり、と彼女の手が、両目を覆う。

 それと同時、視界が暗闇に覆われて。

 

「やがて、新たな世界へと降り立つ者の名よ」

 

 その呟きと同時に、意識が沈んでいった。

 

 




こいつメインヒロイン
ケリドウェンみたいなのを想像してもらえるとメチャクチャ助かります


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03

 

 次に目を開けると、見えたのはくずんだ木の天井だった。

 

「……ここ、は」

 

 見慣れない小さな部屋だった。深い赤色の絨毯に、淡い茶色の樹の壁。横たわっているのは大きなベッドで、その傍の手の届くところに、机がひとつ。他は特に目につくものはない。

 誰かの家であろうか。そもそも、俺はここに来る前に何をしていたか。

 どうしてか疲れ切っている体を動かすこともできずに、ただひたすらに考える。

 最後に残っているのは、にたりと笑う彼女の――

 

「あら、おはよう」

 

 かけられた声には、聞き覚えがあった。

 背中までに届く灰色の髪に、ぎらぎらと光る金色の瞳。立ち振る舞いはふらふらと、まるで病人のような雰囲気を感じさせながらも、その双眸はこちらを捉えて逃がそうとはしない。

 どこか蜥蜴とか蝙蝠とか、そんな陰うつさを感じさせる少女であった。

 その名は。

 

「メアリ……ウィズ?」

「メアリで結構。それより紅茶には砂糖? それともミルク?」

 

 彼女が持っているトレイには、小さなカップがふたつ、白い湯気を立てていた。

 

「……砂糖を、みっつ」

「甘党ね。太るわよ」

 

 そんな小言を言いながら、メアリが手のひらに魔法陣を映し出す。それを白いカップの上へとかざすと、そこから三つ、白い角砂糖が紅茶へと落とされるのが見えた。

 机の上へそれぞれのカップを置きながら、メアリは椅子へと腰を下ろす。俺も体を起こして出された紅茶へと手を伸ばすと、彼女と対面に座るよう、木の床へと脚を下ろした。

 椛色の液体を喉へと流し込むと、ほんのりとした甘みが伝わってくる。

 

「どうかしら」

「……美味い」

「そう、良かった。こうして出迎えるのは初めてだから、少し不安だったの。ああ、何か甘いものでも要る? 起きたばかりだろうし、必要でしょう」

「迷惑でないのなら」

 

 真横に開いたままの魔法陣に手を入れて、そこから皿に載せられたクッキーが現れた。

 

「……作ったの、か?」

「一応ね。初めてだから、上手くできたかは知らないけど」

「…………」

 

 乱雑に積まれたそれの中からひとつを指先でつまんで、口の中へと運ぶ。

 存外、香ばしい薫りだった。

 

「旨い」

「どうも」

 

 くすり、と息を零しながら、彼女が頬を吊り上げる。

 その笑い方は、蛇に似ていた。

 

「落ち着いた?」

「どうにか。けれど、疑問は晴れない」

「そう」

 

 それに答えることもせず、メアリはただ紅茶を啜るだけであった。

 やがてしばらくの間をおいて、問いかける。

 

「……どういうことだ?」

「何が?」

「全てだ。君が、俺を欲しいと言ったこと。君が、俺の記憶と力について知っていること。そして、今こうして君と机を囲んでいること。俺には何もわからない」

 

 カップを受け皿へと置いて、メアリがこちらをじろりと睨む。

 

「生意気ね、ただの人間風情が、この私のことを知ろうっていうの?」

「少なくとも、目的は。そして、出来る事ならそれに協力したいとも思っている」

「……どういうつもり?」

「知りたいだけだ。君のこと……そして、俺自身のことも」

 

 カップを傾ける彼女の手が、ぴたりと止まった。

 

「思うに、君は俺よりも俺の事を知っている」

「当然ね。あなたの記憶のことも、力の事も、私にかかれば全部透けてみえるわ」

「ああ、そうなのだろうな。俺の孤独すらも君は知っていた。そしてそれを理解できるとも」

 

 戦いの中、怒りの狭間に聞こえた呟き。

 それが、どうしてか俺の心に強く縫い付けられている。

 

「……そんなこと、覚えてたのね」

「確かに覚えている。初めてだったんだ。そうやって、理解されることが」

 

 純粋に目を向けてくれる者がいなかった。皆を騙して生きていた俺に、そうして理解してくれる人間は少なかった。誰も俺を理解しようとは、してくれなかった。

 けれど、彼女は俺の全てを知っている。

 

「その場しのぎの嘘かもしれないわ。それこそ、あなたみたいな人間を憐れんだのかも」

「少なくとも、俺はそうは思わない」

「…………ほんと、生意気ね。私が誰だか知ってるの?」

「メアリウィズ・サンダーソニア。ちゃんと覚えている」

 

 あの時、炎の中で輝く金の瞳は、そこに確かな光を灯していた。

 眉間にしわを寄せて、いかにも不機嫌そうに振る舞っていた彼女は、けれど息を一つ吐くと、疲れたように肩をすくめて見せた。

 

「情けをかけるつもりは、なかったんだけど」

「なら、どうしてそう言ってくれた?」

「……似てたのよ、私と。勝手な妄想の話だけどね」

 

 かちゃ、とカップが置かれる。中身は既に空になっていた。

 

「……力には、それを使う方法があると、考えている」

「あなたは、それを知らなかった」

 

 続けようとした言葉が、メアリに遮られる。

 やはり彼女は、俺よりもはるかに、俺の事を知り尽くしているようだった。

 

「まあ、当然と言えば当然ね。その力は前世のあなたが望んだのか、それこそ神の気まぐれによって与えられたのか知らないけれど、それは今のあなたが望んだものではない。そう、本当に――呪いのようなものなのだから」

 

 嘲るように、けれどどこか忌々しく、彼女がそう語る。

 

「……そうだとしても、俺が故郷の皆を殺したのは、事実だ」

「でも、それはあなたの意志ではない」

「そうだ。俺の意志でなければ、誰かの意志でもない。ただ、無意味に死んでいった。それで……俺は、逃げた…………逃げることだけしか、許されなかった」

死んでいった彼らに頭を下げることもできず、ただ拒絶されて。

 

 もう誰も傷つけないよう、俺は彼らに背中を向けた。

 そうすることが俺に許された、たった一つの道だった。

 

「……だから、知りたいの?」

「ああ。それで初めて、俺は彼らの前へ……彼らを殺した男である、エーベルスト・フィルラインとして、立つことができる」

 

 自分のことを、何も知らなかった。このエーベルという存在も、今の俺には分からない。

 けれど、彼女はそれを知っているのだろう。

 

「君は、俺が欲しいと言った」

「そうね」

「なら、俺の全てをくれてやる。この力も記憶も、君に受け渡すと誓う。君の目的を叶えるために、尽力することも約束しよう」

 

 かすかに息を飲む音が、聞こえた。

 

「その代わり、俺の事について教えてくれ。この力と記憶、そして……君の言う神について。そして俺を……彼らの前に立たせてくれ。死んでいった彼らのために」

「……この私と、契約しようと言うの? あなたみたいな人間風情が?」

 

 ぎろり、と紅い瞳がこちらを睨む。 

 深くため息を吐いた彼女はその双眸をこちらへと向けたまま、ゆっくりと脚を組んだ。

 

「あなたを殺すかもしれないのよ? それこそ、道具みたいに使うかもしれない」

「君は殺さないと言った。けれど、もし……俺の命が必要になっても、それを止めはしない。それで俺のことを知ることができて、彼らの前に立てたのなら、俺に悔いはない」

「バカね、本当に。私の目的も聴かないで。私が大量虐殺を望んだらどうするつもりだったの? あなた、悪の片棒を担ぐことになるのよ?」

「俺の苦しみが分かるのなら、そんなことは望まない。そう、信じている」

「…………ふん」

 

 見定めるようなその細い瞳の奥には縦に刻まれた瞳孔が覗いていて、それが獲物を前にした蛇のような雰囲気を感じさせる。背筋が少しだけ、寒くなったような気がした。

 やがて少しの時間を置いて、薄い唇が開かれる。

 

「……私の目的は、居場所を探すこと」

 

 語る彼女は、既に俺ではなく、どこか遠くを見つめているようだった。

 

「ずっと、一人だったの。誰からも受け入れられずに、ただ否定され続けた。故郷も、住むところもみんな失って、逃げてきた」

「魔女だから……いや、魔女になったからか?」

「そう。気に入らないけれど、元々私は数多と同じ人間なの。あなたのような、ね」

 

 右手をこちらへと突き出しながら、メアリが自嘲気味に笑う。

 細い指先の向こうには、憂うような少女の顔があった。

 

「八百年」

「……それは?」

「私が独りだった時間。その間、この世界は私を否定し続けた」

 

 想像もつかないような、長い時間だった。それこそ、狂ってしまいそうなほどに。

 天井を見つめる彼女の顔は、疲れ切っているようにも見えた。

 

「だから思ったのよ。私はこの世界の住人ではない、って。ここは私のいるべき世界ではない。もっと……もっと、別のところに、私の本当の居場所があるって」

「それが、俺の記憶の世界か?」

「おかしいと思うかしら?」

 

 首を横に振ると、眼だけをこちらに向けて、彼女はくすりと笑みを浮かべた。

 

「では契を交わしましょうか。エーベルスト・フィルライン」

 

 向けられた手のひらから、淡い紫の光が迸る。

 

「何を」

「ただの契約の形よ。別にあなたが裏切るとは思っていないけれど、こうした方が分かりやすいでしょう? あなたはもう私のもの、ってこと」

 

 にやり、と頬を吊り上げながら、メアリがそう告げる。それと同時に、彼女の背後から紫色をした魔力の鎖がずるりと伸びてきて、俺の右腕へと絡みついた。

 ぐい、と鎖が引かれ、それと同時に腕が彼女の方へと伸ばされる。持っていかれた左腕は彼女の指先にかすかに触れて、その途端に、俺と彼女を隔てるようにして、一枚の大きな魔法陣が浮かび上がった。

 

「私の望みは、ここではない別の世界へ至ること。そして、あなたの望みは、死んでいった彼らの前に立つこと。そのために私はあなたへ知識を与え、あなたは私へその全てを捧げ、そうして契りは結ばれる」

 

 刻まれたいくつもの模様が、波打つように変わっていく。それは虫が蠢くようにも見えて、その向こうに見える彼女の顔は、どこか少しだけ、辛そうにも見えた。

 つぅ、と彼女の頬を、何かが伝う。

 

「望郷の魔女、メアリウィズ・サンダーソニアの名に於いて契約を。まだ見ぬ原風景を望む者と、追憶の中の原風景を望む者に、その果てを――望郷は、ここに交わされる」

 

 その言葉と同時、左腕を縛っていた鎖がはじけ飛んだ。

 きらきらとあたりを紫の光が舞って、それが雪のように舞い落ちる。それを掻き分けようとして左手を掲げると、俺はそこに紫色の結晶が飾られた、一つの腕飾りがあるのを見た。

 

「……これが、形か?」

「そう。別にお互いのことを見れるわけでもないし、何かしらの制約があるわけでもない。けど、自分のものには自分の名前をつけておくのが普通じゃなくて?」

 

 さらりと髪をかき上げながら、メアリがそう告げる。

 

「あなたはもう、私のもの。これからよろしくね? エーベルスト・フィルライン」

 

 その右腕には、俺と同じ様な紫結晶の腕飾りが、鈍く輝いていた。

 

「……ところで、このクッキーは結局なんだったんだ。毒もなにも入ってないように見えたが」

「別に何でもないわよ。ただ私が焼いただけ」

「なぜ?」

「だって、あなたは、ここに来た初めての人だもの」

 

 ひょい、と口の中に、それを一つ投げながら。

 

「来客はもてなすのが、普通じゃないの?」

 

 



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04

 

「……というわけだ」

「はあ」

 

 赤レンガで構成された、二階建ての大きな建物。内装は酒場とカウンターを合わせたようなものであり、半ば集会所のような形をとっている。それがこの街で唯一の冒険者ギルドだった。

昼時の今はちょうど皆がクエストに言っており、ちらほら午後からのクエストに待ち合わせている人がいるくらい。そんな中、いつも通りにグレシアの居る受付へ赴き、事情を話すと、彼女はどうしてか不満そうに頬を膨らませていた。

 

「つまりこうですか? 今回のクエストは、そちらの女性があなたの気を引くためにいたずらで依頼した、と。その理由が、一緒にクエストを受けたいから……」

 

 聞いていても無茶苦茶な話だと思う。無理やりにも程がある。

 しかしながら、彼女を巻き込みたくないという意思の方が強かった。

 

「……ねえ、なんか私があんたに惚れてるみたいな言い方なんだけど?」

「いいか、頼むからこの時だけは黙ってくれ。話がこじれる」

 

 こちらを睨む彼女に、小さな声で呟いた。

 

「……別に、冒険者登録をするのに問題はありません。そのための資格とかはないですからね」

「助かる。それなら、すぐに――」

「その前にまず言うことがあると思いますけど? そちらの方も、エーベルさんも」

 

 きっ、と睨むグレシアに、メアリがこちらへ向けていた視線を返す。それぞれが虎と蛇のようだった。

 

「私? なんで? あんたに言うことなんてあるわけないでしょ。何様のつもりよ」

「それはこちらのセリフですが? よくノコノコと顔を出して来れましたね」

「は?」

「なに?」

「……俺が悪かった」

 

 そろそろ互いが互いの胸ぐらを掴みそうになって、思わず口を挟む。

 紅色と金色の瞳が、同時にこちらを向いた。

 

「エーベルさん、こちらが例の魔女ですか」

「よく分かったな」

「ナメないでください。こんなに魔力をダダ漏れにしてる人、分かるに決まってます。それに今その確証を得た時点で、冒険者登録なんてできません」

「いや、それは少し困――」

「何よあんた、自分のヘマを棚にあげる気? というかそもそも、私に侵入される時点でよく運営できてたわねこのギルド。ちょっとは魔法の対策した方がいいんじゃないの? 

「自分でやっておいてよくそんな言葉が吐けますね。もしかして魔法の使い過ぎでお頭がやられたんじゃないですか? それならここじゃなく病院に行ってくださいね」

「グレシア、そこらへんに……」

「大体っ! エーベルさんもエーベルさんですっ! 私、行く前にちゃんと忠告しましたよね!? なのになんで行っちゃうんですか!? それに! こんな! 面倒くさい人まで連れてきて!! もおおおぉぉぉぉおお!!!」

 

 がばり、とカウンターに伏せながら、グレシアがそう叫ぶ。後ろのほうがざわざわと騒ぎ始めるのをよそに、メアリがとても面倒くさそうにこちらを向いた。

 

「うるさいわねこの女は」

「お前は少し黙っててくれ……」

 

 確かに元はと言えば俺のせいでもあるが、それはともかくとして。

 やっと見つけた自分の手掛かりなのだ。それを逃すわけにはいかない。

 

「……グレシア」

「なんですか」

「悪かった。その……明かすことはできないが、俺にとって大切なことがひとつ、分かりそうなんだ。だから、すまない。我儘を言っているのは承知だ。だから顔を上げてほしい」

 

 身勝手なことはわかっているが、それでも。

 大勢の人を傷つけないためにだれか一人から嫌われるのであれば、後悔はしなかった。必要なことならば、それも受け入れられた。

 やがてグレシアは、ゆっくりと顔をこちらへ上げて、

 

「……商店街のパフェ全制覇」

「わかった」

 

 うなずくと、彼女は深いため息をついてから、こちらを見上げた。

 

「……今回だけですからね。私とエーベルさんだから良かったものの……ほかの人だったら、冒険者資格を剥奪されてますよ? 本当に勘弁してください」

「ありがとう。恩に着る」

「まったく……」

 

「で? 話は終わった?」

 

 ずい、と俺の体を退けながら、メアリがグレシアへ言い下ろす。

 

「早く冒険者の登録、してほしいんだけど」

「あなた……いい加減に……!」

「メアリ、まだ黙ってろ」

「早くしてよ、こっちは時間ないの」

「ぐ…………! ンの……!」

「……クレープの屋台も制覇するか?」

「パンケーキもですッ!」

 

 そう叫びながら、グレシアが勢いよく何かの書類を机の上へ叩きつける。それと同時に投げられたペンを、メアリは自分の瞳の前で受け取った。

 

「これに記入すればいいのね」

「……はい。わからなければエーベルさんに聞いてください」

「最初からそう言えばいいのに」

 

 軽く返事をしたかと思うと、メアリは机の上へと乗りあげて腰を下ろす。どうやら立っていることすらも疲れたらしい。机の半分を占拠されたグレシアは、怒りを通り越して、泣き出しそうな表情でこちらのことを見つめていた。

 

「……初めてですよ、この仕事しててこんな目にあったのは」

「まあ、俺もだ。ここまで身勝手な奴に会ったのは」

 

 自由奔放というか、なんというか。それに伴う力を持っているということが、一番タチが悪いと思う。

 でもなんだかんだでまじめに書類は記入しているらしく、しばらくペンの走る音だけが聞こえてくる。

 

「……そういえば、お前の魔法ならこんな登録をしなくても済んだんじゃないのか?」

 

 ふと思いついた疑問を口にすると、視線を下に向けたままで、メアリが答えた。

 

「そりゃ書類上はできるけど、実際に人に会うとなるとできないでしょ。あんたたちも実際に私のことを怪しいって思ったじゃない。何度もごまかすよりも、こうして正直に登録したほうがいいってわけ」

「……なるほど」

「それに、信頼は得ておかないといけないの。それが薄いものだとしてもね」

「どの口が言いますか」

「あんたには言ってないわよ」

 

 その言葉とともに、メアリが書き終えた書類をグレシアへと投げつける。鋭い投擲だった。けれど彼女はそれに動じず、むしろ半ば強引に受け取って目を通すと、静かにうなずいてメアリへと口を開いた。

 

「登録を確認しました。メアリウィズ・サンダーソニアさん」

「何よ、早かったじゃない。もっとサクサクやりなさいよ」

「……では、冒険者の証として、登録盤を」

「ああ、身分証みたいなのね」

「メアリさんは登録したての冒険者なので、最低ランクの白色ですね」

「白? それって何?」

「簡単に言えばオメーは駆け出しの素人のペーペーの役立たずのゴミだよカス野郎ってことです」

「ああ!?」

 

 がたん! と机の上に乗ったまま、メアリがそう声を荒げる。思わずその両手を羽交い締めた。

 

「落ち着けメアリ……!」

「どういうことよ!? 私が最低ランクってふざけんじゃないわよ! ぶっ殺すぞ!?」

「そもそもお前、グレシアどころか俺以外の人間に力を見せてないし……分かるわけないだろ!」

「それにしてもよ!? これだけ魔力出してんのよ、少しは察したらどうなの!? 私が只者じゃないってことくらいわかるでしょ! それくらいの融通は利かせるべきでしょうが!」

「登録できただけいいだろ! 時間はあるんだから!」

「だからって……ってかこいつ! さっきからこんだけ魔力で威圧してんのに全く動じないんだけど!? そのほうが異常じゃないの!? さてはあんた只者じゃないわね!? 笑ってないで何か言いなさいよ!」

 

 きー、と叫ぶメアリに対し、グレシアは不満ながらも怯えている様子はない。それどころか、これだけ大きな魔力を放っている彼女のことを、うっとうしく思っているようにも見えた。怪訝な目がそれを感じさせた。

 

「とにかくー、メアリさんはいまド底辺のトーシロ冒険者なんで。適当に薬草摘みにでも行ったらどうですか? 自分で依頼したみたいに。ほら、薬草摘みっておばあちゃんでもできますし。カスでもできますよ」

「この……! 誰がそんなみみっちい仕事するかっての! 薬草摘みなんて貧乏人のする仕事よ! そんなことばっかやってる人間、ロクな人間じゃないわ! 人生楽しくないゴミがやるモンよ!」

 

 意図せずに俺を貶すのをどうか止めてほしい。

 

「……薬草摘みが嫌なら、ほかの狩猟系の依頼はどうだ。ゴブリンとか」

「ああ、ありますよ。エーベルさんが朝から向かった森の近くに、ゴブリンの巣があるみたいです。オークもいるそうですし。初心者なら危険ですけど、エーベルさんがついてるなら、まあ」

「秒で終わるわよ。それに、あんまり稼げないでしょ」

 

 俺の手をようやく振りほどきながら、メアリはそうつまらなさそうに言った。

 

「それよりもほら、なんか他のクエストないの? 金回りのいいやつ」

「……あるにはありますよ。輸送護衛任務。五日間で金貨六十枚のものが」

「なんだ、あるじゃない。それ受けたいんだけど」

「メアリさんはド底辺の役立たずなんで受けられませ~ん」

「ころす」

「まて!」

 

 瞬時に右手へ魔法陣を開いたメアリを、思わず止める。

 

「じゃあこいつに受けさせなさいよ! ほらアンタ! さっさとクエスト受ける!」

「……すまない。俺も受けられないんだ。このクエストは上級で、俺は中級だから」

「ああ、そうだったわね。……本当になんで上級に上がらないの? こんだけ長い間冒険者生活やってるのに」

「そこに関してはメアリさんと同意見です。上級に上がれば、このクエストも受けられますよ。パーティメンバーの階級は関係ないですから、メアリさんも受けられますし」

 

 いいだろう、好きでやってるんだから。これ以上高望みはしない。

 しかしながら、今回ばかりはそれで流すわけにはいかなくなってきた。メアリのこともあるし、今月も厳しいので金はできるだけ稼いでおきたい。それに何より、俺の記憶が関わっている。

 今まで散々逃げてきた。力を使うことを恐れて、それから目を背けていた。だがもうそれは通用しない。現実を受け止める必要がある。どれだけ残酷であろうが、それを受け入れなければ。

 逃げるのにも、もう疲れた。

 そろそろ前進するべきなのかもしれない。

 

「……まあ、五日間で金貨六十枚はかなり効率がいいな」

「ですねえ。輸送ルートとしてもあまり危険なところはありませんし。途中、山を抜けるときに山賊とかと遭遇しそうですが……正直、エーベルさんくらいなら一人で何とかなりますよね?」

「見た瞬間に消し炭にしてやるわ。山ごと焼いてやる」

「素人が何か言ってますね」

「あんたから燃やしてやろうか?」

 

 いい加減煽り合うのをやめてほしいところである。

 

「でも、上級に上がるにはまだクエストひとつ足りないんだろ? だったらメアリ、他のクエストを……」

「ああ、それなら問題ありませんよ。だってもう達成してるじゃないですか」

「ん? 何を……」

 

 問い返す俺に、彼女は指先をメアリに向けて、

 

「ほら、いたずらした人の特定。私が出したクエスト、ちゃんと達成してますよ」

「……口約束なんじゃないか?」

「事実は事実ですから」

 

 こういうところで融通を利かせてくるのが、グレシアらしいというか。

 上手く乗せられたのを実感したのは、彼女がにんまりとした笑みを浮かべていたからだった。

 

「……わかった。頼むよ。上級への昇格手続き、頼んでいいか?」

「お任せください! すぐに終わらせちゃいますね!」

 

 懐にしまっておいた登録版を差し出すと、彼女はそれを両手で受け取りながら、にっこりと微笑んだ。

 

「……これで受けられるようになったの?」

「ああ。お前を連れて行くこともできる。クエストの依頼基準はリーダーの級に依存するからな」

「そ。ならさっさと受けちゃって。私そろそろ疲れてきたから」

「……久しぶりの外出だからか?」

「あいつが散々私のことを煽ってくるからよ!」

 

 そのまま放り投げたペンを、グレシアが顔の前で受け止める。そのまま登録版へいろいろと記入していくと、彼女はまた笑顔を浮かべながらこちらを向いた。

 

「ではこれで上級冒険者への昇格が完了ですね。それでは紫の登録盤を」

「ああ。……本当にありがとう。こちらの我儘に付き合わせてしまって……」

「構いませんよ。埋め合わせしてくれるって約束しましたし。それに、エーベルさんが上級になるってことは、それ相応の理由があるんでしょう? だったらその背中を押すのが、これからの私の役目ですから」

 

 登録盤を取ろうとした手が、彼女の両手に包まれて。

 

「これからは専属受付嬢として。よろしくお願いしますね、エーベルさん」

 

 



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05

 

「何なのよあの女は!」

 

 ギルドでの会話も終え、戻ってきた俺の部屋にて。

 ドアを蹴り破って侵入したのち、彼女は鬼のような形相でそう叫んだ。

 

「おい……」

「この私を誰だと思ってるのよ!? 魔女よ、魔女! あんなカスみたいな人間とは違うのよ! それなのに!」

「おい」

「何なのよあのナメ腐った態度は!? ええ!? あーびっくりした! びっくりしてブチ殺しそうになったわ! 自制した自分を褒めるべきね!」

「おい」

「だァーーッやっぱダメだ! 自制できねえ! 今すぐ殺しに行ってやる!」

「おい!!」

 

 さすがに椅子を持ち上げ始めたので、そろそろ止めておくことにした。羽交い絞めにするのも仕方がなかった。

 

「はなっ……離せオラァ! あんたも殺されたいの!?」

「最悪それでもいい! 頼むから部屋を吹き飛ばすのだけはやめろ! 他人に迷惑をかけるな!」

「じゃあ私は迷惑かけられてもいいっていうの!? はァームカつく! 差別よ差別! この世界にインターネットがなかったことを感謝しなさいよね!」

「そもそもお前は怒られても仕方ない立場にいるだろうが!」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……………………!!」

 

 さすがにその自覚はあったのか、犬とか何かみたいなうめき声を上げながら、彼女はようやく落ち着いてくれた。

 

「……納得したか」

「フン!」

 

 返答代わりに俺の手を振りほどくと、彼女はそのまま俺のベッドへと腰を下ろす。そうしてとても重たいため息を吐いたのち、足を偉そうに組んでから語り始めた。

 

「……まあ、あいつを殺すのは後でいいとして」

「殺すな」

「今は別の話よ。そう、クエスト。詳細とか話しなさい」

 

 思いっきり目の前で説明していたはずだが、案の定聴いていないらしい。苛立って眉間に皺を寄せる彼女に、グレシアから渡された書類を取り出した。

 

「今回の内容は護送任務だ」

「護送? みんなで遠足するやつ?」

「……光景が似ているのは何となくわかるが、そういう言い方はやめろ」

 

 その道の人間が聴いたら助走付きで殴られる。

 

「五日間だ。何の支障もなく送り届けることができでば、金貨六十枚……」

「あーもう、そういうのは任せるから。私が何をすればいいかだけ教えて」

「一般的なものと変わらなければ、配置された場所を守ればいい。山賊とか、そうしたものに襲撃された場合は場面に応じて無力化。あとは……泊まりになるからな。いろいろ持って行かないと」

 

 他にも注意事項は色々あるが、メアリの強ささえあれば説明はいらなかった。とにかく、輸送する物資さえ無事であれば何も問題はない。そういった意味では単純な任務だた。

 

「で? 護送ってどこからどこまで?」

「ああ、地図を取ってくれないか? ベッドの横の棚にあるはず」

 

 そう言うと、意外にも彼女は何も言わずに、備え付けた棚から地図を出してそのまま広げてくれた。

 

「近隣にある都市のエルネイアから、山を一つ跨いだ先にあるレーベルという国までだな。道もできるだけ魔物の少ない場所を通っている。この山さえ越えることが出来れば、他は心配いらないだろう」

「ふーん」

 

 何気なしに呟きながら、しかし彼女はこちらの目をのぞいて、

 

「不審な点は?」

「……なぜ?」

「だって、あんたさっきからずっと考えてるでしょ」

「それは……」

「どれだけあんたのこと見てたと思ってるのよ」

「……それもそうか」

 

 その言葉さえなければ、かなり信頼できた。

 この際プライバシーがどうのは置いておくことにして。

 

「上級冒険者というのは、おそらく俺のようにある程度の力を持つ者の集まりだ」

「そうね。ま、私には劣るだろうけど」

「このクエストは、その上級冒険者を対象としてエルネイアからその付近のギルドへと通達されたものだ。加えてこの条件と報酬金なら、多くの上級冒険者が集まるだろう」

「私みたいな下級でも受けられるだろうから、実際はもっと少ないだろうけど」

「だとしても」

 

 彼女の開いた地図の、今回の護送ルートを指でなぞりながら。

 

「上級冒険者を集める理由は何だと思う?」

 

 かなり何度の高い護送任務ならまだわかる。しかし今回のものは、それこそ中級でも簡単に任務の達成が可能な、程度の低いクエスト。たかが五日間、山を越えるためだけに貴重な上級冒険者をこれだけそろえる必要が果たしてあるのだろうか。

 

「……輸送物が危険だとかは?」

「それも考慮しておくべきだろう。だが、これは……」

 

 上手く言い表せない。違和感というか、得体の知れない恐怖というか。

 

「とにかく、このクエストには何か裏があるんだと思う」

「じゃあ止めておく?」

「……それは」

 

 やめてもいい。危険から遠ざかった方が、平和な生き方をすることができる。

 けれど、それで前に進めるだろうか。彼女の望む場所へと歩き出せるだろうか。

 それにお金も欲しい。

 

「杞憂だろう。俺の考えすぎなのかもしれない」

「そう?」

「それに、例え問題があっても、それを打ち破ってしまえばいい」

「……良いこと言うじゃない。そういうの大好きなのよ、私」

 

 口元を吊り上げながら、彼女が笑う。獲物を前にした蛇のようだった。

 

「それなら、そのための装備をしておかないとね」

 

 そのまま地図をたたんで立ち上がると、メアリが宙へと手を翳す。

 

「装備?」

「そ。あんたまさか、そのチンケな剣で行くつもりだったの?」

「……この方が慣れてるんだ。それに、強力な武器を持ったところで」

「羨ましいわ。そんな悩み、私も持ってみたいのに」

 

 嘲るように笑う彼女へ答えようとしても、それ以上を続けられなかった。

 

「鬼に金棒、って奴かしら。あんたの頭の中で言うんなら」

「……それも少し違う。鬼にはなりたくない」

「なら、何になりたいの?」

 

 純粋な問いかけであった。そしてまた、心に刻み込まれるような言葉でもあった。

 力から逃げてきて、記憶からも逃げてきて、何者でもなくなった。俺は一生、このまま生きていくのだろう。大勢の人間を殺した現実を受け入れることなく、出会う人間全てに嘘をつきながら、この生を終えるのだと、そう思っていた。

 何者にもなれないと決めつけていた。今までの自分を変えることから、逃げてきた。

 けれどもう、逃げるのにも疲れた。

 

「殺すのではなく……何かを、守るための、存在」

 

 口から洩れたのはそんな陳腐な、けれど憧れるような在り方。

 

「誰かの命を奪うのではなく、誰かの命を助けられるような存在に、俺は成りたい」

 

 俺の言葉に、彼女は強い視線で応えてくれた。

 

「やっぱり私の目に狂いはなかったわ。作っておいてよかった」

「何を……」

「あんたをそうするためのもの。殺すためじゃなくて、守るためのものよ」

 

 そして彼女が指を鳴らす。

 それと同時に魔法陣は収束を始め、やがて虚空から形を現したのは――

 

 ぼとぼとぼと、と。

 

「なんだ、これは」

 

 指先ほどの、小さな破片だった。それが無数に魔法陣から生み出されて、最終的に俺の腰の高さまでに積み上げられた。何というか、土の入ったバケツをひっくり返したようだった。一瞬、彼女の嫌がらせか何かかと思った。

 足元に転がるそれを拾い上げると、深い紫色をしているのが分かる。鈍い輝きを灯すそれは、けれどぴくりとも動こうとはしなかった。

 

「……いや、本当になんなんだ、これは」

 

 思わず二度目の問いかけを返すと、彼女は指をはじきながら、

 

「あんたの武器よ」

 

 その瞬間、床に敷き詰められた無数の破片が、急激に動き始めた。

 蠢く蟲のようだった。破片のひとつひとつが何かに導かれるように動いていき、一つの形へと収束する。それは定められているようではなかった。例えるなら流水とか、粘土とか、そうした不定形のものの形を整えるようにも見えた。

 そして最後に、俺の持っていた破片が飛んで行き、欠けていた穴を埋める。

 

「……盾、か?」

 

 俺と彼女の前に現れたのは、確かに一枚の盾であった。自らの背丈ほどの、対になった二つの辺だけが長い、六角形のもの。ひどく無機質なものであった。

 

「どう?」

 

 宙に漂うそれへ手をかけながら、メアリは俺へと口を開く。

 

「魔導集積盾、って名前にしようかしら? 男ってこういうのが好きなんでしょ?」

「……どうなってるんだ、これ」

「積み木遊びと同じよ。違うのは、パーツのひとつひとつに魔力を感知する術式があるってこと。つまり、使用者の意思に応じて形が変わるってワケ。たとえば」

 

 メアリがそう指を鳴らすと、盾の表面が波打ち始め、輪郭が円形へと変化する。また同じように指を鳴らせば、今度は長方形に。次に指を鳴らすと、今度は三つに分かれ、それぞれが六角形、円形、長方形の形を成した。

 最後にメアリが指を鳴らすと、最初の六角形へと輪郭が戻る。

 

「固定値……盾がその形を維持できるかどうかは使用者の魔力に依存するわ。変形の速度も同じ。つまり、あんたが使えば最強ってわけ。分かりやすくていいでしょ?」

「……これを使うのか」

「当たり前よ。あんたのために作ったんだから」

「俺のために?」

 

 頷いて、彼女が盾の内側をこちらへ向ける。

 

「……別に強調するわけじゃないけどね。あんたの苦しみくらい分かってるつもりよ。だからその苦しみから救ってあげようとも思った。私にだってそれくらいの器量はあるの」

「それで、これを」

「残念ながら私には魔術(コレ)しかなくてね。でもあんたには(ソレ)しかない。ならせめて、腐らないようなものを、って思って。まあその、アレよ。ただの気まぐれ。それよりも」

 

 ん、と彼女が、また盾を内向きにしたままこちらへ突き出して、

 

「……うん?」

「うん? じゃなくて着けてみなさいよ。ほら、腕出して」

「着けてみろと言われても、持ち手も何も……」

 

 びゅるん、と。

 もはや触手のように伸びた破片の塊が俺の腕を捉え、そのまま盾が右腕に装備される。それに驚いて思わず右手を引いたけれど、外れることはなかった。

 

「いいわね、ちゃんと稼働してる」

「……危ないだろ、これ」

「あんたにしか反応しないように作ってるから大丈夫よ。言っとくけどそれ、特注品だから。壊したらどうなるか分かってるわね?」

「肝に銘じておく」

「それでどう? 重たいとかある? 今なら聞いてあげるけど」

 

 重さはあまり感じなかった。けれど、別の重さを感じた。

 

「ありがとう」

「……何よ、それ」

「今なら聞いてくれると言ったから」

「バーカ」

 

 言葉と同時に、メアリが俺のことを蹴りつけた。

 

「……ま、受け取ってくれたならそれでいいわ。私だってあんたが暴走してクエストに失敗するなんて望んでないし。というか、渡したからにはちゃんと成果出しなさいよ」

「ああ、それはそのつもりだ。しかし……」

「何よ、まだなんか文句あるの?」

「いや、文句というか、聴きたいんだが……」

 

 未だに腕に張り付いた盾を指で示しながら。

 

「これはどうやって外すんだ?」

「……は?」

「だから、どうやって外せばいいかと聞いている」

「いや、どうもなにも魔力を流すのやめればいいのよ。いつも通り術式を解除すれば」

「……?」

 

 彼女の言っていることが分からなくて、思わず首を傾げてしまう。

 

「……ちょっと待って。あんたいつもどうやって魔法使ってるの?」

「どうもなにも、こう、頭の中で思い描けば……」

「術式を介さずに魔法を発現させてるってこと!? 私がこんだけ努力して習得したのに!? やったなお前! ナメたなお前! 」

「な、ナメるも何も、俺はこういう方法しか……」

「ああクソっ! クソっ! このチート能力が! 一回死んでしまえ!」

 

 一回死んでるからこうなってる、とは口にしないようにした。

 

「ああもう、とにかく貸しなさいよ! 無理やり引っぺがせば……」

「ちょ、ちょっと待て! まだだ、まだ何か変な……」

 

 そうやって、メアリが盾へ手をかけたその瞬間。

 突如として変形した刃が、彼女の頬を切り裂いた。

 

「………………」

「………………」

「………………」

「…………なるほどね」

 

 ぶち。

 

「お前私がこんだけ必死こいて武器渡したってのにどういうことだ!? ああ!? テメーは恩を仇で返す事しか知らねえのか!?」

「だ、だから使い方が分からなくて……今もどうしてこうなったか」

「明らかに自己防衛機構が働いてるからだろうが! そんなにこの盾を手放したくないのか!? ああそうですかそうですか! もう私に触らせたくないんですか!」

「そうじゃない! 分かった! 分かったから、ちゃんとした外し方を……」

「とりあえずそこ座れェ!」

 

 頭の上から拳を叩きつけられて、思わずその場に正座する。

 

「……そういえば確かに、あんたは魔法が使えないって言ったわね」

「ああ。こんな魔法を使う道具も初めて触って……」

「いいか? 私がいいと言うまで二度と口を開くなよ?」

 

 主導権は彼女に会った。逆らうことなどできなかった。

 

「仕方ないから、私が魔法を教えてあげる」

「…………」

「基礎の基礎だけどね。まあ、その盾が使えるくらいには教育してあげるわ」

「…………」

「ありがたいことなのよ? この望郷の魔女に魔法を教えてもらえるなんて」

「…………」

「…………」

 

 …………。

 

「返事はどうしたァ!?」

「分かった!!」

 

 鬼のような形相だった。女性がする顔ではなかったと思う。

 

「とにかく、今夜は寝かせないから。明日の朝までぶっ続けで行くわよ。それくらいしないと足りないし」

「今夜……? ちょっとまて、まだ四時だぞ」

「文句あるんか?」

「いや……ない……」

 

 蛇に睨まれた蛙、というのが記憶の中から浮かんできた。

 かくして。

 

 



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