名前「の」ない怪物――多元存在化する「楪いのり」(ふたば学園祭妖怪合同本寄稿文) (石神三保)
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名前「の」ない怪物――多元存在化する「楪いのり」(ふたば学園祭妖怪合同本寄稿文)

「ソー」

ファルセットの歌い出しとともに彼女は現れる。

綾瀬声(※花澤香菜)を貶めるために、或いは自身の新曲マーケティング(いのりマーケティング略していのマ)のために。

ピンク色のグラデーションがかかった髪、金魚服と呼ばれる特徴的な装い。

 彼女の名は楪いのり。二○一一年の第四クールよりノイタミナ枠で放送された、ギルティクラウンのメインヒロインであり、その正体は主人公の姉を復活させるための肉体に生まれた、苟且の思念体である。本ストーリーでは主人公の姉から肉体と思念を取り戻し、主人公を救うために命を散らして物語は終わった。

 そしてその思念は肉体の軛から解き放たれ、その後キャラクターとして数奇な運命を辿ることになるのである。

本論では二次裏imgにおける楪いのりの存在、そして二次裏以外に置ける楪いのり像について論じていく。

 

――楪い「の」りと言う名前「の」魔力――

 

日本では、「の」を重ねて様を付けることによって、のの様、のーの様、のんのん様等、呼び方に差はあるが、全国各地の方言で、月やお守り神様などを指し示す言葉として使われている。これらによく似た言葉が、アイヌ語でノンノ(尊きもの)として存在することから、「の」とは、おそらく縄文時代に遡る古来より畏怖すべき、この世ならざるものの名として使われてきた言葉であると考えられる。

また神に捧げる言葉は祝詞(「の」りと)と言う。人は神の祝福を受けたいとき祝詞をあげてイノリを捧げる。そして人は神の裁きを願う時、呪詛(「の」ろい)を唱えてオノリを捧げるのである。

ノリとは神と現世を繋ぐ絆である。ハレの絆を望むのがイノリであるならばケの絆を望むのがオノリであろう。表のノリと裏のノリ、オノリもまた神との絆を作る祈りの一形態なのである。沖縄地方では「ノロ」と言う巫女が、神からの託宣である宜り(ノリ)を受け、神と人とを結んでいる。

 奇しくもその、い「の」りと言う名が、彼女のその後の運命を決定づける、需要な符丁であったのだ。彼女はその名からして、この世ならざる異形の「モノ」として存在することが宿命づけられていたと言えよう。

 「ノリ」から発せられた魔の言葉がノロイである。そして呪いは生者とともに生き続け、その存在を誇示するのである。

 そして彼女は、その宿命に従うように、電子空間において、霊界における残留思念のように振る舞い、生き続けることになったのである。

 

――復讐の「オニ」から誕生したいのり…さん――

 

それでは、彼女は何故新たな運命を背負うことになり、生き残っていったのか、その生い立ちから検証してみる。

ギルティクラウンのストーリー上、彼女は消え去る存在のはずだった。だが、篠宮綾瀬が放った、たった一言により、彼女はぬぐい去ることが出来ぬ怨念を抱き、消える去ることの出来ぬ身となってしまう。

「みんな『は』久しぶりよね」

たった一言、助詞一つ、「は」によって、ストーリー上で楪いのりが消え去った後の世界で何が起こったのか、如実に示してしまったのである。負けヒロインであるはずの綾瀬が、楪いのりと永遠を誓ったはずの男と懇ろになっていたことが、明確に示されていたのである。

その一言によって彼女は怨霊、特に嫉妬心を具現化した鬼となったのである。「オニ」の語源は「オヌ」(隠)であると言われている。また「隠祈り」からオノリが生まれたと考えられる。そしてその怨嗟の念から「チカラ」が生まれオノリノチカラとなる。まさに彼女の「いのり」と言う宿命づけられた名と、キャラクターとして日陰者となり、隠遁を強いられた事による「オノリ」が結合し、楪いのりはオノリノチカラを獲得して、顕現に至ったのである。そして彼女は、匿名掲示板の二次裏imgで「オニ」として転生するのである。

平安時代以前の「今昔物語」「平家物語」「太平記」では、鬼が女性の形をして、人にコンタクトを取り、危害を加えようとする姿が描写されている。そしてそれらの物語は中世に入り、能として舞台芸能化され、女が変貌した鬼の姿として、般若と言う形になる。女性の情念への畏怖が、鬼と言う形代に結実したのである。

その点では、女性特有の嫉妬心を残してしまった人のような「モノ」(オニの語源と言われる)という点で、楪いのりは鬼の原型そのものと言っても良い存在である。

そして怨念を抱いた彼女は、ひたすら綾瀬に呪いの言葉を浴びせかける鬼となったのである。「綾瀬は足が臭い…」「綾瀬はワキガ…」「綾瀬は尻をかきながら屁をする…」等々、怨念に対しては少々みみっちくて陰湿な復讐が、誰が見ても自作自演(ジエン)の体で行われたのである。

このような所行と、ギルティクラウン第六話の劇中「その感じ嫌やめて…」と急に他人行儀になった主人公をたしなめた事から、「」達は畏怖を込めて「いのり…さん」と呼ぶようになったと考えられる。imgにおけるいのり…さんが産声を上げた場面であった。

imgにおいて、並の怨霊化したキャラクターであれば、「ジエン」で呪詛を吐き尽くしたところで成仏し、数多あるアニメの忘却の彼方へと旅立っていったであろう。

だが彼女は、オノリノチカラに強く導かれていた。恵まれない境遇のキャラクター達の怨嗟の念がオノリノチカラとなり、imgに集団を形成する。そしてまさに、偶然ではあるが、オノリノチカラによって集まっていたキャラクターの中に、彼女が怨念を向ける綾瀬と同じ声(綾瀬声)のネッサがいたのだ。因縁であろうか、ネッサもまた実体を持たない情報思念体であった。そして因縁が深いことに、「ノイタミナ」「思念体」「綾瀬声」と言う強烈な繋がりを持っていのり…さんの前に立ちはだかったのである。その因縁によっていのり…さんのオノリノチカラは増幅し、オノリノチカラによって導かれた因果が、彼女に目的と個性を与え、電子空間で存在を確固とし、強い姿を与えたのである。この時からいのり…さんは、ステキマーケティング(ステマ)などの自演の技を習得し、そして綾瀬声が関わる、ありとあらゆるスレッドに出没するようになっていったのである。

だが、オノリノチカラを増し自演をすれば、怨念を向けるべき相手であるネッサ(綾瀬声)に懐かれると言うジレンマに陥ってしまった。天真爛漫なネッサのキャラクターは、怨念を向けても空振りに終わるため、多くの場合「ソイヤ」といって関わりを終わらせようとしてしまう。皮肉にも怨念が、綾瀬声の情念を呼び寄せたのである。

そして彼女はこの情念からの逃げ場を探した。ここでもう一つ彼女の持つ属性が、新たな繋がりを生む。それは「ノイタミナ」であった。ノイタミナ繋がりで同じ声が茅野愛衣であり、残留思念そのものの幽霊である本間芽衣子(めんま)に拠り所を求めたのである。その新たなノイタミナの繋がりで、同じノイタミナ繋がりのネッサとの距離を置こうとしたと考えられる。

そして、その繋がりにより、いのり…さんの姿に新たな変化が生じたのである。

 

――大衆化するいのり…さん――

 

劇中でも成仏し、imgにおいても成仏しかかっていためんまの足首をガッチリと掴み、引きずり下ろし、いのり…さんは居候生活をいつの間にか始めたのである。めんまとの奇妙な共同生活が始まり、いのり…さんの進化が始まった。

めんまは、親よりも先に死んだ子供である。したがって、賽の河原で回向の塔を作るため、石を積み鬼に崩される事になるのだが、めんまはその代わりに、娑婆で稼いだ貯金をいのり…さんによりいつの間にか崩されるのである。貯金の使い道は、綾瀬声のCDを流通させないための買い占め(綾瀬声対策)であるが、その効果は知れないと言う点で、めんまにとっては救いの無い話である。

いのり…さんは、めんまとの関係においては鬼そのものになるのであるが、やることがめんまのお金を使って綾瀬声の邪魔をするという、いささかしみったれているため、家主と穀潰し程度の関係という、鬼というよりは家に居着いた貧乏神と言う存在になってしまった。

この現象は、鬼の大衆化として考えることが出来る。鬼は平安時代より後の中世において、おなじみの姿形を与えられる。キャラクター化されることによって様々な寓話に登場し、畏怖すべき異形の存在から、より身近な日常の悪役(モノノケ)として大衆化していったのである。

そして、いつの間にか居着く存在。このタイプには幸福を呼ぶ座敷童、不幸を呼ぶ貧乏神がいるが勝手に上がり込んでおにぎりを食らい、主の財産を使い潰す点では、ぬらりひょんに近い物の怪であると言えよう。

以後、綾瀬声バスターズとして、茅野愛衣の演ずる役と綾瀬声の共演がある毎に、そのキャラクターを巻き込んで、めんまと綾瀬声対策を始めるのである。

ついには粗探しをするため、綾瀬声が主演するアニメをくまなくチェックし、関連グッズを買い占める。姿は見えずともアニメ実況スレに現れ、綾瀬声の声が聞こえれば「卑しい…」などと自演をし、そのためにあらゆる場所に拡散して存在する、まさに二次裏にとっての物の怪である。

その様は、まるで愛しているかのごとくの執拗さである。それは愛が憎悪の始まりであることの裏返しであるため、その様に見えるのだろう。

そして、その怨念が実ったのか、まさに奇跡であるが、ついには綾瀬声主演のアニメに、「楪いのり」として関係を持つに至るのである。奇しくも綾瀬声が主演の「PSYCHO―PASS―サイコパス」のエンディングテーマに、いのり…さんが所属するバンド「EGOIST」の曲が抜擢されたのである。それはいのり…さんがimgの世界以外でも、その存在が拡散していく性質を持っていたことを示しているものであった。

 

――名前のない怪物EGOIST楪いのり――

 

楪いのりは復活を果たす。それは、彼女がメインボーカルのEGOISTというバンドが、近未来的なイメージであり、楪いのりが思念体であるという自由さから生まれた、ノイタミナ内でのタイアップであった。そのEGOISTの3rdシングル「名前のない怪物」は、楪いのりの復活をイメージした曲であり、葬送を想起させるプレリュードから始まった後、復活をするかのようにアップテンポな曲に転調する。曲調だけではなく歌詞も彼女の復活を示唆しているのである。

EGOIST楪いのりは最終回の後、思念体となって平行世界を旅し続けているという。そして平行世界の数だけ楪いのりは存在し、歌を歌い続けるという。この性質は、「楪いのり」という情報を軸に、人と人の繋がりによって伝播する意思、つまり「ミーム」の性質を持っているのである。

ミームとは、「利己的な遺伝子」を著したリチャード・ドーキンスが提唱した、音楽のように生命現象を媒介せずに伝わっていく、無形の情報単位の事である。ドーキンスは「脳のコピー」と言っていたが、ある意味でそれは憑依現象とも言えるのである。

憑依現象とは、同じ考えに至る並列化であると言える。二次裏では、各々が行う僅か数行をアップロードするという並列化した意思が、まるで残留思念のような現象として現れ、そこに何か憑依したものが存在しているかのように見える。

二次裏img以外の世界でも、別の分岐から並列化した意思、まさに音楽によって楪いのりは具現化を果たすのである。音楽によって彼女は命を得て、その後5thシングルまでタイアップを続け、新しい楪いのりが生まれ続けたのである。

これは楪いのりという単位を持ったミームが、全く別々な場所に伝播し、それぞれの場所で独自の進化をし、人々がその存在を受け継いだ明かしと言って良いだろう。

余談ではあるが、復活後の楪いのりからは、髪留めが無くなっており、これは留まることからの解放を示唆しているのではないかと考えられる。

 

――いのり…さんのその後――

表の世界でEGOISTのボーカルとして復活後、いのり…さんはオノリノチカラによって得たステキマーケティングを応用し、彼女の曲がかかる度にEGOISTを褒め称え、CDの購入を促す、いのり…マーケティング「いのマ」をちゃっかり始め、商売の鬼になった。

なおいのマで得た収入については、一切綾瀬声対策に使っていないようであり、余裕があるのにめんまのお金(めんマネー)を浪費して家計を窮地に追い込んでも平然としている。まさにエゴイストである。そんな自分の稼いだお金に頼らない、たくましい存在として生き続けている。今後も綾瀬声との対決が、続いていくのだろうと考えられる。

 

このようにいのり…さんは「カミ」「オニ」「モノ」「思念体」「ミーム」と多面的な性質を見せ、そしてひょうひょうと生き残る様は、まさに名前のない怪物であると言えよう。

名前が無いのが「」であるが、名前のない怪物のいのり…さんもまた「」といえるのかもしれない。

そう「」達に「いのりの思いが伝わってきた…」のである。

 

参考文献

谷川健一『魔の系譜』講談社 1984

馬場あき子『鬼の研究』筑摩書房 1988

リチャード・ドーキンス[著] 日高敏隆[ほか]訳『利己的な遺伝子・増補新装版』紀伊國屋書店 2006

 



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