リメイク作品集 ((╹◡╹))
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泥人形さん

【僕と剣姫の物語】より『親交』
 作:泥人形さん











 日付けは変わって翌日。

 週の中ほどにあたる木曜日の、午前十時を告げる鐘が鳴るほんの少し前。

 

 オラリオ北西部のメインストリート… 通称・冒険者通り。

 僕は嫌になるくらいに晴れた空の下、その冒険者通り中央にある噴水前のベンチに腰掛けていた。

 

 服装はいつものダンジョンに潜る時の鎧姿──ではなく、まぁそれなりに見れる今風のモノ。

 

 ……所謂、“待ち合わせ”というヤツらしい。無論、僕の発案などでは断じてない。

 

 僕としてはファミリアのホームから一緒に向かった方が効率的に思えたので、その旨を提案しようとした。

 すると、どうやらヴァレンシュタインから話を聞いていたらしいヒリュテ(妹)が「分かってない! 十華は何一つ分かっちゃいないよ!」と吠えだしてお説教を始めてきたのだ。

 

 曰く、デートには待ち合わせが必要なのだとか男が待つべきなのだとか待つべき場所は噴水前のベンチがいいのだとか、どこから仕入れてきたか分からない怪しい知識の数々とともに。

 それが今のこの結果につながっていることは言うまでもないのだが、無論、僕としても唯々諾々とそれを受け入れたわけではない。

 

 そもそもこれはデートではない。というかそれを受け入れてしまえば本当にデートのようになってしまいかねない、とせめてもの抵抗を試みてはみたのだ。

 ……試みてはみたのだが、他でもない彼女が当然聞き入れてくれるはずもなく、僕が女性に弱いという当たり前の事実を再認識するのみに終わってしまった。

 

 これが僕が一人寂しく噴水前のベンチで待機するに至った理由の全てだ。

 因みに今の季節は夏。それも時期的には真夏日にあたる。

 

 雨は勘弁ではあるものの、たまに訪れる曇りの日であればどんなに良かったことか。しかし、無情にも僕の頭上では灼熱の太陽が猛威を奮っている。

 降りかかる日光は確実に肌を焼き、照らし出された大地からはもうもうと熱気を立ち込めている。どこに出しても恥ずかしくない真夏日で… まぁ、なんだ。つまり物凄く暑いのだ。

 

 あと5歳は若ければ躊躇うことなく背後の噴水に飛び込んで思う存分に暑気を追い払っていたであろうは想像に難くない。

 吹き出る汗を拭いつつ、水を一口呷る。これがなければ今頃は熱中症になって倒れていたかもしれない。下手なダンジョンよりキツいってどういうことだ。

 

 内心で“待ち合わせ”なるモノをゴリ押ししたヒリュテ(妹)への抗議をこぼす。無論、現実で口にするほど僕も無謀ではないが心の中でくらいは許されて然るべき案件だろう。

 それにしても暑い。

 

 もう一度汗を拭って、強張った首の筋肉を解すために頭を回そうとしたところで上から──…

 

「……ごめんなさい。ちょっと、遅れちゃった」

 

 と暑さを追いやるような、決して声量は大きくないがよく通る涼やかな声が注がれた。

 その声につられて、顔を上げる。一瞬だけ声の主が誰か分からなかったけれど、この局面、この時間に声をかけてくる人間なんてのは一人しかいない。

 

 僕の眼の前に立っていたのは、やはり、アイズ・ヴァレンシュタインその人であった。

 だがしかし、いつもと様子が違う。いや様子と言うより、その、なんだ… 僕の反応を少し遅らせる程度には違っていたのだ。

 

 つまり、彼女もまた、今のこの僕と同様に普段ダンジョンに潜る時のような服装ではなく…

 

 金の刺繍が施された白い肩出しのトップスに、下は些か短過ぎるのではないかと思うくらいの裾丈の蒼いスカート。

 足は純白のストッキングに覆われているのだが、彼女の動きに応じて肌色が見え隠れする様子が目に眩しい。

 

 みっともなく心臓が大きく跳ねてしまったのを自覚する。散々デートだなんだと囃し立てられていただけに妙に意識してしまう。

 こんなことじゃいけない… 少しだけ熱の上ってきた頬を押さえて数秒、目立たぬよう深く息を吸ってから口を開いた。

 

「数分なんて遅れたうちに入らないよ。気にすんな」

 

 互いに「じゃあ行こうか」なんて言いながら歩き始めて、ふと立ち止まる。

 つられて足を止めたヴァレンシュタインが、僕の顔を覗き見る。

 

 ──女性の服装は必ず褒めてあげること。

 

 待ち合わせ云々の際に、ヒリュテ(妹)ほど騒がしくはなかったが真剣な表情で記憶野に刷り込むようにして語っていたヒリュテ(姉)の言葉を思い出す。

 小首を傾げながらこちらを見詰めていたヴァレンシュタインと、自然、視線がぶつかり合う。

 

 僕は「あー…」とか「うー…」とかいう無意味な言葉とともに何度か口を半端に開閉させてから、最後に咳払いを一つ。

 

「その服、似合ってる。すごく可愛い… と、思う」

 

 似合わないことを言ってしまった。

 

 ヴァレンシュタインは少しの間だけ目を見開いて固まる。

 そして一拍の後に真っ赤に染まった顔を俯かせてから聞こえるか聞こえないかの小さな声で、しかし、確かに「ありがとう…」とつぶやいたのが僕の耳に届いた。

 

 はぁ、まったく… 今日は暑いな! 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目的の場所… 三つの槌のエンブレムが刻まれた扉を開く。

 店としてよりも工房としての側面が強く出ている店内。

 

 入って程なく、如何にも職人といった風情のアマゾネスが声をかけてくる。

 

「いらっしゃい。今日はどういったご用件で?」

「あぁ。ちょっと無理させすぎちゃったから、見てもらいたくてさ」

 

 彼女の言葉に自分の武器を示しながら返せば、一つ頷いて「こちらへどうぞ」と奥の部屋へと案内される。

 通された部屋では、一人の老人が剣を丹念に磨いていた。

 

 ──主神・ゴブニュ。

 数あるファミリアの中でも商業系の… もっと具体的に言うのであれば武器防具全般の作成、整備を主としてこなすゴブニュ・ファミリアの主神だ。

 

 少なくとも僕の武器はファミリアの団員を通さずに彼ゴブニュに直接渡すという形で話がついている。

 ヴァレンシュタインについては知らないが、慣れた足取りでここまで着いてきた以上は彼女も僕と同じ待遇であるのは想像がつく。

 

 二人揃って彼に己の武装を渡した。

 

 僕が出したのは片方にだけ刃のついた刃物──所謂刀、というやつである。

 極東の方から輸入されてきたものであまり使っている冒険者は見かけない代物なのだが、僕は今なんとなくこれを気に入って愛用していた。

 

 そして僕の隣で彼女が差し出したのは蒼の装飾が入ったサーベル。

 

 デスペレートと名付けられたそれは、【不壊属性(デュランダル)】を付与された特殊武器(スペリオルズ)らしい。

 彼女曰く、【不壊属性(デュランダル)】がついていないとすぐに武器を壊してしまうんだとか。

 

 ……シンプルな感想として怖すぎるんだが。……壊すってなんだ? いや、なんで? 

 どんなちんけな武器だって鉄や鋼を使ってるし、そもそも一級冒険者ともなれば特殊な鉱石を使用してのオーダメイド品を注文したり買うことだって出来る。出来ないはずがない。

 

 そんな鍛冶師入魂の逸品であろうとヴァレンシュタインとしては、ぶっ壊す自信しか無いとか。えぇ… なんなの? 怖すぎるぞ。

 

「兄ちゃんの方は… こりゃあ派手にやったな。整備は結構かかるぞ」

「ん。まぁ、それは承知済み… 実際どのくらいになりそう?」

 

「ふむ、そうさな…」

 

 彼は自身の顎髭を一度撫でると、悩むようにそう言ってから刀身に指を滑らせた。

 

 ……改めて見てみれば僕の使っていた刀も結構刃がガタガタである。自分で思っていたよりも傷は付いているし… うーん、僕もヴァレンシュタインのことは言えないな。

 暫くそうやって眺めていれば、やがて検分は終わったのか彼は静かに告げてきた。

 

「早くても三日… ってところだな」

「うーん… おーけー、任せたよ」

 

 早くても三日… その言葉には少しだけ悩んだが、ダンジョンに潜る身で武器の手入れを怠れば命が幾つあっても足りないことはよく身に沁みている。

 まして武具関係のスペシャリストであるゴブニュファミリアの主神直々の言葉だ。僕よりもよっぽど武器については分かっているだろうと、お任せすることにした。

 

「……スペアはあるのか?」

「まあ、一応ね」

 

 スペアの武器なら幾らでもあるさと告げれば、彼は頷いて僕の刀を降ろした。

 

 次いでヴァレンシュタインの剣を手に取り、検分を始める。

 しかし、ほどなく彼は疑問符を浮かべたような表情でチラリとヴァレンシュタインの方に視線を向けた。彼女はそれに対し少し慌てた様子で小さく首を横に振っている。

 

 ……? はて、あの二人は一体何をしているのだろうか。

 

 ヴァレンシュタインの顔が紅潮して見えるのは、鍛冶場としての向きも強いここゴブニュファミリア内の室温が高めであることから考えてもそう不思議なことではない。

 ないのだが、二人して見つめ合って何をしているのだろうか? 

 

 ヴァレンシュタインは素早く首を横に振っているし、よく見れば目線がダンジョン内… それも遠征で強敵に出会った時のような真剣味のある色を帯びている。

 もしや、心で対話する術を会得しているのか…? ついに言葉という縛りを捨ててテレパシーに辿り着いたのか…!? 

 

 むむむ… なんだそれは! 非常に羨ましいぞ、僕にも是非教えて欲しい! いや、教えるべきだ! 

 僕がそう言葉に出そうとしたまさにそのタイミングで、ゴブニュの方が「はぁ…」と深く大きい溜め息を吐き出した。

 

「アイズ、おまえも三日後だ。そっちの兄ちゃんと一緒に取りに来い… ソレで良いな?」

 

 片眉を上げたしかめっ面の表情で、ゴブニュはヴァレンシュタインにそう尋ねた。

 尋ねられた当の彼女の方は「……ん。分かった、ありがとう」と破顔の表情とともにそれを受け入れた。

 

 そんな彼女の様子を見てますます渋面が濃くなったゴブニュは、そのまま僕に視線を移す。

 ()めつけられることほんの数秒… フン、と大きく鼻を鳴らした彼は「じゃあ仕事の邪魔だからもう出てけ。三日後な」と僕たちを蹴り出した。

 

 ……そう、文字通りに蹴り出したのだ。

 そこらの冒険者ならばいざ知らず、流石に神に向かって逆らえようはずもない。僕らは無抵抗のまま放り出され、無様に尻餅をついた。

 

「いったた… いつにも増して強引だったなぁ。……立てるか? ヴァレンシュタイン」

「……うん、大丈夫。ありがとう」

 

 先んじて立ち上がった僕は、ヴァレンシュタインへ向かって手を差し出した。

 彼女も躊躇なく僕の手を掴んでくれたので引っ張り上げて彼女を立たせる。

 

 線の細い彼女の手は僕のソレのようにゴツゴツしていなくて、なんというか、こう言うと変態染みているような気がしないでも無いのだが… その、スベスベしていて柔らかかった。

 

 急に今の状況が照れくさくなりパッと手を離し、さり気なく彼女から距離を取る。

 こういったことを一々気にするから周囲にからかわれるというのは分かっているのだが、どうしても気にしてしまうのが僕の悪いところだった。

 

 何となく自分の手の平を眺めてみる。

 

 仄かに残った感触を思い出すように握ったり開いたりしていれば──…

 

「……どうしたの?」

 

 こてんと首を傾げながらこちらを見ていたヴァレンシュタインに声を掛けられた。

 そこで僕はようやく自分の恥ずかしさを自覚して、誤魔化すように「何でもない」とだけ言葉を発して逃げ出すように歩き始めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それからおおよそ一時間と三十分ほどが経過して。

 

 デートと散々言われた割りには特段それらしいイベントも発生せず。

 それどころか冒険者として極めて模範的かつ健全なショッピングを続けていると、正午を告げる鐘の音が響いてきた。

 

 オラリオ中に陽気な音色が響き渡る。正午、十二時、お昼時。

 そうか、もうそんな時間なのか。不思議なほど早く過ぎ去った時間に思いを馳せていれば、隣から「くきゅる…」といった可愛らしい音が鐘の音に混ざって僕の耳に入ってきた。

 

 横を向けば、当然のように隣を歩いていたヴァレンシュタインと目が合った。

 互いに牽制し合うような暫しの沈黙。

 

 見つめ合っていた彼女は、ついに耐えきれなくなったのか、まるで早送りで茹で上がっているのかのように顔を真っ赤にした。

 

 ……うん。

 

 流石にここで「ご飯にしようか」と躊躇わず口にしてしまうような愚行を犯さないほどに、僕にも良識というものは存在している。

 なんと言ってもあのロキ・ファミリア一のプレイボーイたるフィン直々に、幼い頃より手解きを受けているのだ。

 

 ここは僕のエクセレントな会話術を駆使してヴァレンシュタインを恥ずかしがらせること無く、また違和感なく適当な小洒落た飯屋へと連れて行ってみせようではないか。

 

 さぁ、いくぜ! 

 

「……ご飯にしようか」

 

 無理だった。

 

 不可能であった。

 完膚なきまでに失敗してしまった。

 

 そもそも考えてみれば、僕はこれまで女性経験というものが皆無のままこの時まで過ごしてきたのだ。

 それこそ、こうして二人きりで出掛けるという状況にすら極度の緊張状態に陥ってしまうシャイボーイであることを失念していた。

 

 これが誤算ってヤツか… この僕としたことが、知らず知らずのうちに己の能力を過剰評価してしまっていたようだ。

 ダンジョンでは己の実力を過信した者から死んでいく。……そんなこと、とうの昔に分かっていたはずなのにな。

 

 少し遠い目をして夏真っ盛りの青空を見上げた。お空きれい。深呼吸をしてから、恐る恐るヴァレンシュタインに視線を移す。

 彼女は茹で上げられたかのような真っ赤な表情に加えて、今度は若干の涙目までプラスした上で「うぅぅ…」と唸りながら暫し僕を睨んだ後にしっかりと頷いてくれたのであった。

 

 何か… ごめんな。僕は心の中で謝った。

 

 

 

 

 

 

 

 適当に腹ごしらえを済ませた僕らは、今度は冒険者通りを離れ、フラフラと当ても無くオラリオを歩き回っていた。

 というのも、買うべきものは午前中に全て買ってしまっていたからだ。

 

 正直手持ち無沙汰であると言える(荷物はあるが)。

 にもかかわらず、僕らは『ホームに帰る』といういつもなら当然すぐに選んでいたであろう選択肢を未だ選べずにいた。

 

 何故そうしているのか、それは当の僕にもわからない。おそらくヴァレンシュタインにとってもそれは同じなのではないだろうか? 

 ただ、そう、強いて言うのであれば… 明確な目的もないままぼんやりとオラリオの景色を楽しんだり、露店を眺めたり、他愛ない雑談を交わす。そんな非効率的なことを彼女と二人でやることこそが他の何物にも代え難いのだ。

 

 それは僕ら二人にとってもイマイチ良く分からないような曖昧な、おそらくまだ形になってすらいない“ナニカ”こそが理由であったからなののかも知れない。

 

 ヴァレンシュタインは、ダンジョンのことになると途端に饒舌になる(これは少なからず僕も当て嵌まるが)。

 ジャガ丸くん(ジャガイモをすり潰し調味料と合わせてサクッと油で揚げたおやつ。コレがなかなか美味い)がこの上なく好きであること。

 

 青や白といった色を好むこと。

 お酒を飲むことを禁止されていて少し不満に思っていること。

 

 そういった、ともすれば「どうでも良い」と一蹴されてしまうような他愛ない話を聞くことがこの上なく幸せだったのだ。

 

 そう、『幸せ』だ。

 それは『楽しい』とか『面白い』とかそういった感情も確かにあるけれど、決してそれだけではなく。

 

 この時、僕は確かに『幸せ』を感情を噛み締め、心から味わっていたのだ。

 二人で話したいことはまだまだ尽きないのに、いつだって時間はほんの一瞬で過ぎ去ってしまう… そう感じてしまうほどに。

 

 

 

 

 

 

 時刻は夕暮れにほど近い頃合い。

 

 お昼過ぎに大量に購入したジャガ丸くんを未だに頬張りながら、彼女はこちらの話に熱心に耳を傾けてくれている。

 その時、不意に風が吹いた。

 

 彼女の金糸のような長い髪がふわりと舞って、ジャガ丸くんの包み袋へかかる。

 ヴァレンシュタインはムッと不機嫌そうに眼を細めて髪の毛を払ったが、まるで遊ぶかのようにその長い髪は彼女がジャガ丸くんを食べようとする度に横顔をくすぐってくる。

 

 ……ふむ。

 

「ちょっと待っててくれるか?」

 

 そう伝える。彼女が不思議そうな表情で、しかし確かに頷いたのを確認してから僕は走り出す。

 

 日も落ちてきた中であるが、目を凝らして周囲の露店を見回せば… あった。見事お目当てのソレを発見する。

 うん… まぁ、こんなモンでいいだろう。

 

「これ一つくれ。幾らだ?」

「うん? ……あー、それね。700ヴァリスだよ」

 

「おっけー、これお代ね」

「おう、毎度あり!」

 

 随分とガタイの良い兄ちゃんからソレを購入した僕は、やや早足でヴァレンシュタインの元へと戻る。

 彼女は先程の所からやや道の端の方に身を寄せ、不安そうに首を傾けながらジャガ丸くんをもっきゅもっきゅ頬張っていた。……ジャガ丸くんへの執念、すごいな。

 

 やれやれ、昼飯の時に気付ければよかったんだけど。

 彼女に真っ直ぐ近寄いて、僕はつい先ほど露天で買ってきたソレを差し出した。

 

「良かったら、これやるよ。……その、髪の毛、邪魔じゃないかなって」

 

 彼女の好きと言っていた青色に染められた紐状の絹物… 世間一般にはリボンと呼ばれるソレである。

 ヴァレンシュタインは呆然としたように数秒ほどそれを見詰めて、次いでハッとしたようにポケットからそろそろと何かを引き出した。

 

 それは髪ゴムであった。あまり使われた痕跡のない、如何にも新品然とした髪ゴム。

 

「………」

「………」

 

 無言のまま、互いに見詰め合う。

 

 ……いや、持ってんじゃねーか! てっきり持ってないんだと思って見栄張って買ってきちゃったんですけどー!? 

 いや、恥ずかし過ぎるぞオイ! フッ、ついにこの僕の気遣いが輝く時が来たか… なんて思ってた数分前の自分を殺したい! いや、もういっそ殺してくれ!? 

 

 ていうか、なにリボン見せられてから「ハッ! そう言えば…」みたいな顔してんだヴァレンシュタインぅううううううううううううう!? 

 

 おそらく僕の顔は今真っ赤になっていることだろう。僕はプルプル小刻みに震えそうになる身体を意志の力で抑え付けながら、そろっと差し出していた手を引き戻そうとした。

 その腕を掴まれる。

 

 誰に? 無論、言うまでもなく目に前にいたヴァレンシュタインその人に。僕がなにかを思う前に、その手の平の上から呆気無く掻っ攫われるリボン。

 

「あ、おい…」

 

 所在なさげにリボンを追おうと手を伸ばす僕を尻目に、ヴァレンシュタインは、そのまま慣れた手付きで己の流れるような金髪を一つにまとめて垂らした。

 瞬間、僕の世界が弾けた。

 

 

 

「えっと… 似合う、かな?」

 

 不安げに一通り髪を触ってから確かめるようにその場でくるりと回り、どこか恥ずかしそうにヴァレンシュタインは尋ねてきた。

 一つにまとめられた彼女の長い金髪が風に舞う。

 

 俗に言う、ポニーテールというやつであった。

 金糸の描く薄い(とばり)の向こうに覗くその白磁のように美しいうなじが、夕焼け色に染まる街並みにどこか場違いな… 非現実的なコントラストを生み出している。

 

 ──心臓が、バクリと跳ねる。

 

 髪型一つで、見え方はこうも変わるものなのだろうか。

 ……いや、違う。この時ばかりは髪型だけではない。

 

 照れているのか薄っすらと頬を朱に染めて、瞳は伏し目がちなままに、されどこちらを探るように見つめてくる。

 元より整いすぎているほどに整っている容姿であることも相俟って、それは絶大的な可愛さを放っている。

 

 ──────。

 

 情けないことに、思考は先ほどから吹っ飛びっぱなしだ。

 なにか言おうとは思うものの、言葉が出てこない。

 

 今のヴァレンシュタインの美しさ・可愛らしさをどうやって僕ごときの語彙で表現できるだろう。元から赤かった顔が、更に熱を増す。

 無理に口を開けば思いっきりどもってしまうことは間違いないだろう。

 

 僕は挙動不審になりつつある自分の様子を自覚しながらも、何度か口をパクパクとした後にゆっくりと閉じる。

 熱は頭にまで回りショート寸前。オマケにいつもなら無駄にスラスラと出てくる言葉が今は全く出てくる気配がない。

 

 ぼ、僕はどうすれば… そう一人葛藤を続けていると、ヴァレンシュタインは寂しげに(まなじり)を下げた。

 

「……やっぱり、私には似合わないかな」

 

 結んだソレを解こうとする… 瞬間、身体が動く。

 それは、もはや脊髄反射の領域であった。

 

 リボンを解こうとした彼女の細い手首を掴み、反動で倒れないように思わず彼女の身体を支える。

 それからほとんど無意識的に僕はヴァレンシュタインの髪を撫でて口を開いた。

 

「いや、すげー似合ってる。それこそ、筆舌に尽くしがたいほどに… 可愛い」

 

 オブラートも何も無い本音だった。伝えたいことの億分の一にも満たないけれど、それでも、ただただ感じたままのことがそのまま口から滑り落ちるように零れ出た。

 彼女の雪のように白い肌が、薄紅色に染め上げられる。

 

 そんな彼女の姿を見て、僕はようやく正気を取り戻した。

 

 ──やっちまった。つい脊髄反射で身体を動かしてしまった…。

 や、やばい… セクハラで訴えられても文句は言えないぞ、コレは!? いや、そもそも殺されてもおかしくはないよな!? 

 

 自身の死後の取り扱いについて思索を巡らせている僕の耳に、ヴァレンシュタインは震える声でそっと囁いた。

 

「あ、ありがとう… 嬉しい…」

 

 それだけでも信じられないことなのに、あろうことか、彼女は僕の手をギュッと握りしめてきたのだ。髪を撫で続けていた僕の手を取って。

 

 ──は? 

 

 瞬時に顔に血が集まって、戻ってきたはずの正気が再び吹っ飛ぼうとしたところで──…

 

「あー! 見て、お母さん! カップル! カップルだよ!」

「こら、やめなさい!」

 

 突如として割り込んできた見知らぬ少年の言葉に、僕らは同時にバッと距離をとった。

 少しだけ互いに視線を合わせて、やはり眼をそらす。

 

 ヴァレンシュタインの顔を真っ直ぐ見詰めることが出来ない。

 心臓はまるで全力疾走をした直後のようなおかしいスピードで早鐘を打っている。

 

 ……落ち着け。

 トントンと自分の胸を叩きながらクールダウンさせていく。

 

 そうして僕は思った。

 きっと… そう、きっと二人してたまたま脳味噌が茹だっていたのだと。

 

 この暑さと、ヴァレンシュタインの可憐さ。

 それ故に起きた僕の突発的異常行動に違いない。

 

 この三つが重なり起きてしまった不幸な… いや、むしろラッキー? 

 ……いやいや、やはり不運な出来事であり事故であったのだと。

 

 ──そう、思うことにした。

 

 これは偶然起こり得た、ともすれば奇跡的とも言えた瞬間であったのだ。

 そう思い込むことにして、彼女に手を差し伸ばす。

 

「……行こうか」

「……ん」

 

 ヴァレンシュタインは顔を赤くしつつも、当然のように僕の手を取ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん? 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()? 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 呆けたように違和感なく繋がれた手を見詰めて、それからヴァレンシュタインに視線を移す。

 彼女も同様だったようで数秒きっかり硬直した後に、ハッとしてから手を離した。

 

 互いにごめん、と謝って一緒の帰路へとつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──恐らく。

 

 これは飽くまで僕個人の予想や推測に過ぎないものでは有るが。

 やはり、僕らは急激に距離を詰め過ぎてしまったのだろう。

 

 なんだかんだ幼い頃から互いのことを知ってはいたが、結局こうして言葉を交わすようになったのはつい先日の話なのだ。

 

 それから止め時を見失ったかのように今日という日に至り、時間を忘れて言葉を交わしたものの…

 僕らの関係がどういうものかと考えれば、それは友人にすら満たない──いや、友人はギリ名乗れるか? とはいえ、その程度の仲でしかないのだろう。

 

 つい一昨日までは同じファミリアの団員であるとはいえ、近くて遠い他人のような関係であった僕らだ。

 そもそも幼少期からこっち9年間お互いに積極的に関わろうとしてこなかった、そんな特殊な関係性である僕らだ。どう考えても一般的ではない。

 

 ……だから、間違えた。

 距離を縮めようとするあまり、無茶をやり過ぎてしまったのだ。僕も彼女も勢いのままに行動してしまい、麻痺したままの頭で考えてしまった。

 

 その結果がこれである。

 

 僕は色々と反射的に動いてしまったし、彼女も僕の珍妙な動きに対応してきた。まぁ要するに… 正気に戻ったようで、その実まったく戻っていなかったということだ。

 そして今、ようやく戻ってきた。そんなところだろう。

 

 僕もヴァレンシュタインも判断能力が鈍ってしまっていただけだ。こういう日もあるだろう。互いの距離感を掴みあぐねていた僕らであればなおのこと。

 そろそろホームが見えてきたところで、「ヴァレンシュタイン」と彼女を呼ぶ。

 

「今日はすまなかったな。その、色々ご無礼を…」

 

 なんだか畏まってしまった。……いやいや、なんだよご無礼って。

 いやまぁ、ご無礼ではあったのだけれどもさ。

 

「……うぅん。私も、ごめんなさい」

 

 いや、ヴァレンシュタインが気に病むことはない。

 悪いのは概ねトンチキな行動を取ってしまった僕だろう、そう口を開こうとして。

 

 決して多弁ではない彼女が、言葉を続けようとしていることに気付く。

 

「でも、今日は楽しかった… よ? 十華のこと、いっぱい知ることができたから」

 

 そう言葉を紡ぎ、はにかむ。

 彼女の言葉、彼女の笑顔に胸の中が暖かいなにかで満たされていくように感じる。

 

「あ、あぁ… 僕も楽しかった。……その、ありがとうな」

 

 僕は端的にそれだけ返すと、ホームの扉を開いた。

 

 彼女と「それじゃあまた明日」と軽い言葉を交わして別れる。これで今日という一日は終わる。

 また明日からそれなりにスリルに満ちた、しかし、変わり映えのない日々が訪れることだろう。

 

 ……少し、ほんの少しだけ青いリボンの結ばれた彼女の後ろ髪に名残惜しげな視線を向けてしまう。

 それがどういう気持ちに由来するかまでは分からないけれど、せめて今日だけはこの気持ちを抱えたまま静かに終わらせたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに彼女はヒリュテ(姉妹)とウィリディスらに捕まっており。

 僕の前には我らがロキ・ファミリア主神であるロキが立ちはだかっていた。……それも、なんだか非常ににやけた面を晒しながら。

 

 ──因みにこれは豆知識なんだが。

 

 ヴァレンシュタインは、ロキの大のお気に入りだ。

 ついでに彼女は相当の主神(おや)バカであり、オマケに色恋沙汰は大の好物ときている。

 

 つまり何が言いたいのかって言うと。

 朝からずっとヴァレンシュタインを連れ回していた僕は、これからロキの執拗な尋問に遭ってしまうことはまずもって間違いないということだ。

 

「はぁ…」

 

 ままならぬものだ。一日の締め括りに、僕は深く重い溜め息を吐くのであった。



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水羊羹さん

【新人アイドルは吸血鬼】第七話
 作:水羊羹さん












 ……果たしてアレがファンなのだろうか、という根本的な疑問はさておいて件の出来事から幾日かが経過した頃。

 

「ククッ… いよいよか。待ちわびたぞ、我が眷属(ぷろでゅーさー)よ?」

 

 大仰に両腕を組み、少し得意気に胸を張りながらエミリアは言葉を紡いだ。

 無論ながら、常なる自信に満ちた笑みを忘れることはない。

 

 そう… 今日も今日とてレッスン漬けの日々を送ろうとしていた彼女のもとに、ついに初仕事の話が舞い込んだのだ。

 

「其方の献身ぶりは妾の目にも確かに留まっていたが故に、多少なり報いてやろうとこれまでの児戯には付き合ってきた」

 

 もっとも、エミリア自身としてはさっさとテレビなりラジオなりに出演してアイドル活動をはじめたかった。

 けれど、それに待ったをかけたのが他ならぬプロデューサーである。

 

 地力をつけるまでは認めるわけにはいかないと、あの手この手を駆使して説得を繰り返しエミリアをレッスンへと送り出していたのだ。

 当然、我が眷属(ぷろでゅーさー)とはいえ下賤な人間の言葉を素直に聞き入れる彼女ではない。

 

 ないのだが… かな子特製の苺ショートケーキをチラつかせられては是非もない。

 斯様な逸品を心からの好意とともに献上されてしまった以上は、それに応えてやるのも上に立つ者の度量。エミリア自身もそう考え、已むを得ず仕方無く現状を受け入れてきたのだ。

 

 なお、ケーキを満面の笑みで頬張る彼女の姿を見た杏が「ちょろすぎる…」と呟いたとか呟かなかったとか。

 しばしば飴につられている彼女も、そこの苺ショートケーキを嬉しそうに食べる幼い吸血鬼と大差ないのではないかという議論はさておき。

 

「しかし、耐え難きを耐えた雌伏の日々ももはやこれまで! ようやく妾の威容を全世界に知らしめる舞台が整ったというわけだな!」

 

 気を抜けば無意識に思いを馳せてしまい口の中に涎を溜め込みそうになる『かな子ケーキ』の残滓を振り払い、エミリアは今がその時とばかりに気勢を上げる。

 しかし、今回の仕事には相方のアイドルがいることを続いてプロデューサーから聞かされた彼女は頭に疑問符を浮かべた。

 

「む。妾一人ではないのか?」

 

 その(エミリアにしては)至極真っ当な問いかけに、プロデューサーはついと目を逸らすことで答えとした。

 明らかに疚しいことがあると物語る仕草。

 

 腕を組んだままのエミリアの片眉がピクリと持ち上がる。

 

「おい、貴様。……一体どのような了見でこの妾に不敬な態度を取るか申してみよ」

 

 より一層深く顔を背けるプロデューサー。

 さらなる追撃をエミリアが行おうとする間隙を縫い、そういうわけで当日はよろしく、と話を強引にまとめて事務所を出ていこうとする。

 

 流石にいささか無理矢理過ぎるそれに誤魔化されてやるほどエミリアもチョロくはない。

 

「えぇい、待たぬか! 一言あるなら胸に秘めず妾に…」

 

 裾を掴みプロデューサーの移動を阻止しながらなおも言葉を続けようとして… はたと脳裏にとある仮説が浮かび上がった。

 目を細め、常よりやや低めの声を出してプロデューサーに尋ね… いや、詰問をする。

 

「──あぁ。よもや貴様、不敬にも『妾一人では仕事ができない』などと考えたのではなかろうなぁ?」

 

 彼女のその予想はビクリと肩を震わせたプロデューサーの反応により、もはや確定的なモノへと姿を変えた。

 

 確かにある程度この世界の現状を理解したとはいえ、もともとエミリアは異世界出身の吸血鬼である。

 彼女を担当するプロデューサーが心配してしまうのも無理からぬことだ。いや、むしろ真っ当な心配に妥当なフォローであるとすら言えるだろう。

 

 ……とはいえ、それを他でもないエミリア本人が納得するかは別問題というもの。

 プロデューサーに向ける彼女の視線の冷たさが徐々に強いものとなり、それに呼応する形で事務所内にも冷風が吹き荒れはじめる。

 

「……そこを動くなよ、我が眷属」

 

 もちろん、唯々諾々とそれを受け入れるほどに殊勝なプロデューサーではない。

 裾を掴んでいたエミリアの手を優しく振り解き、じゃあそういうことで、と片手を上げた後に脇目も振らずに軽快な足取りで駆け出したのだ。

 

 鮮やか過ぎる一連の動きに一瞬だけ呆気にとられてしまい、思わず遠ざかるその後背を見送ってしまうエミリア。 

 

「ちっ、逃がすか! 貴様にはとくと妾の恐ろしさを刻み込んでやらねばならぬ!」

 

 しかし、それとて寸刻に満たぬ時のこと。我に返れば倍増された怒りとともに再起動を果たす。

 かくして急遽開催された鬼ごっこは、その後に通りがかった卯月に二人揃って怒られる、といういつものオチで幕を下ろすのであった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 そんなドタバタを乗り越えあっという間に時間は飛び、いよいよ今日は初仕事当日。

 

「……あら、来たわね。待ってたわよ、プロデューサー君」

 

 割り当てられた控え室に到着した二人を、先に到着していたであろう一人の女性が歓迎してくれた。

 見た目からして歳の頃は二十歳過ぎから二十代中ほどか? 彼女からは外面は勿論のこと、その内面からも清潔感が漂ってくるように感じられる。

 

 ちょうど化粧を終えたところだったのだろうか、そう内心で考えたエミリアの脳裏に『フレッシュなアイドル』というフレーズが一瞬だけ浮かび上がった。

 小走りで駆け寄り、お待たせして申し訳ない、と頭を下げるプロデューサーの頭を彼女… 川島瑞樹は笑顔でやんわりと上げさせた。

 

 すると見詰めているエミリアに気付いたのか、プロデューサーの横を抜けてゆったりした足取りで近付いてくる。

 

「それで、彼女が今日一緒に出演する子よね。たしか、最近プロデューサーにスカウトされたっていう…」

「うむ! エミリア・ヴァレンティヌスである! 妾の威光にひれ伏しても構わんぞ?」

 

「あら、じゃあそうしようかしら。ははーっ、エミリア様ばんざい!」

「うむうむ、そうであろう! 妾の恐ろしさがわかるとは、中々見どころがあるではないか! ハーッハッハッハ!」

 

 ノリよく敬う仕草をする瑞樹に、エミリアの中の自尊心がもりもり育まれていく。

 

 この世界に来てからは見た目相応の幼女のように扱われることが多かったため、久しぶりの敬意に笑いが止まらないのだ。

 すでにエミリアの中では、瑞樹への好感度は爆上がりしてストップ高となっていた。

 

 単純と笑うことなかれ。誰だって、褒め称えられると嬉しいものである。

 特に、精神年齢が幼い──正確には幼くなっている──のであれば、その賞賛は殊更に心地良いとなることであろう。

 

 しばらくごっこ遊びのような体で瑞樹に敬われいたく満足したエミリアは、ご満悦といった表情を隠そうともせず椅子に腰掛けて足を組んだ。

 

「其方、川島瑞樹であったか? 以前、見かけたことがあるぞ」

「覚えてくれて嬉しいわ。改めて、川島瑞樹、ピッチピチのアイドル二十八歳でーす♪」

 

「うむ。川島瑞樹… その名、しかと覚えたぞ」

「……無反応ってのは、それはそれで傷つくわね」

 

「……?」

 

 若干しょんぼりした瑞樹の様子に怪訝そうな表情を浮かべるエミリア。

 しかし疑問を覚えたエミリアが口を開くより早く、プロデューサーは瑞樹にエミリアのメイクをするよう頼んだ。

 

 瑞樹の方も既に気持ちは切り替えていたのか、プロデューサーのその言葉に否やはないと頷きながらも当然の疑問を言葉にした。

 

「もちろん、それは構わないけど… メイクさんにやって貰った方がいいんじゃないかしら?」

「フン! どこの馬の骨とも知らぬ輩に妾の高貴な肌を触れさせてやるものか。まぁ島村卯月や其方ならば、妾とて納得はできるがな。喜べ、川島瑞樹よ。妾に触れる名誉を与えよう」

 

「あー… なるほど。そういうタイプなのね、エミリアちゃんは。プロデューサー君、苦労してるわねー?」

 

 腕を組みふんぞり返るエミリアを見て、全てを察した様子の瑞樹。

 魅力的な流し目に苦笑いを一つ浮かべプロデューサーのお願いを受け入れて、早速彼女の顔に化粧を施していく。

 

 無論のこと嫌々ながらではなかっただろうが、しかし、それは途中から極めて楽しげな様子に様変わりする。 

 

「やだ、お肌のノリが違うわ。やっぱり、若いって武器よねー。私もまだまだ若いけど!」

「ふむ? 妾からすれば、其方も充分若いと思うがの。むしろ、それぐらいが若さと女の色気を備えた、均衡の取れている年頃であろうに」

 

 実年齢千年越えのエミリアからすれば、十代も二十代も誤差程度のもの。みな等しく赤子のようなモノに過ぎない。

 

 だから、考えるまでもなく自然とそういった言葉が出た。

 しかしそれを聞いた当の瑞樹本人はといえば目を大いに見開き、次いで素晴らしい持論を掲げる論者に出会ったとばかりに瞳を輝かせる。

 

 そしてメロメロに頬を緩ませたまま、矢継ぎ早にプロデューサーへと言葉を投げかけた。

 

「あら、あらあらあら! ねえねえ、聞いたかしらプロデューサー君! エミリアちゃんが私はまだ若いって! まぁ私自身も若いとは思っていたけど、エミリアちゃんも理解してくれて本当に嬉しいわ」

 

「のうわっ!? ……ええい、やめぬか! 妾の髪まで触れて良いと許可した覚えはないぞ!」

 

「あぁもう、そんなちょっと生意気なところも可愛いわ! エミリアちゃんがいい子すぎて、私、まだまだ若いけど涙腺が緩んじゃいそう。こんなに可愛くて、髪も綺麗で、ちゃんと正直な感想も言えて、偉いわぁ!」

 

 ──やはり、少しは気にしていたのか。

 

 普段、自分自身で年のことを笑いに変えたりする瑞樹ではあるがそれはそれ。

 やはりエミリアのような(見た目)若い子にお世辞抜きで若いと言ってもらえると嬉しいのだろう。

 

 明らかに、エミリアを見る目が好意的になっていた。

 どことなく世話焼きのおば… お姉さんに似ているな、と甲斐甲斐しく化粧を施す瑞樹を見てふと考えてしまったプロデューサー。

 

 そんな彼の邪念を敏感に察知でもしたのか、顔を上げてこちらを見やる瑞樹。

 

「プロデューサー君。今、失礼なことを考えなかったかしら?」

 

 ──とんでもない。

 

 ──いつも通りとっても可愛いアイドルだな、と考えていただけでございますとも。

 

「あら… もう、プロデューサー君ったらお上手なんだから!」

 

 とりあえず、この分ならエミリアとは上手く仕事ができることだろう。

 ……もしかしたら相性が悪い可能性もあったので、ほっと一安心だ。

 

 まだ多少不安は残るものの、この上はエミリアを見守っている必要性も薄くなった。であるならば、自分にできる仕事をするべきだろう。

 スタッフさん達にも、改めて挨拶しに行こう。その他に手順の確認などやるべきことは幾らでもある。

 

 そう考えてプロデューサーは今も仲良くじゃれ合っているエミリアと瑞樹の二人に声をかけてから、控え室を後にするのであった。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 無事に化粧も終わり、空いた時間で台本も入念に読み返した。そして今、エミリアは瑞樹と一緒にスタジオ入りを果たしていた。

 

 今回の番組は『輝け! アイドル対抗クイズ大会』。

 主に新人アイドルと付き添いアイドルの二人組で行う、対戦方式の所謂クイズバトルというものだ。

 

 なのでスタジオ内には当然、エミリア達の他にも何組かのアイドルの姿がチラホラと目に入る。

 大抵の新人アイドルは緊張気味に固まっている反面、リラックスした面持ちの付き添いのアイドルたちは各々のやり方で相方の緊張を優しく解きほぐしている様子であった。

 

「あらあら、初々しいわねー。私にもこんな時代があったわ。エミリアちゃんは… 大丈夫そうね」

「フン、妾をそこらの下賎な人間と同列に扱うのでない。この程度の行事に臆していたら、『あいどる』になどなれるわけがなかろう」

 

「わお、凄い自信ね。ペアを組む私としては心強いけれど、その自信はどこから来るものなの?」

 

 軽い好奇心を宿した瑞樹の問いに、エミリアは目を閉じる。……(まぶた)の奥に浮かび上がるは一人の少女。

 自分が初めて見た『ライブ』で、沢山のファンに囲まれながらも決して笑顔を絶やさなかった、かのアイドル。

 

『──初めてのお仕事、頑張ってください!』

 

 輝く笑顔と共に渡された、ピンク色のリボン。

 

 千年を超える時を生きていながら、コレが、エミリアにとっては二人目からのプレゼントだった。

 このまえ貰った四つ葉のクローバーの栞に、そのリボンをしっかりと結んでいる。

 

 それは今もエミリアのポケットに大事に仕舞ってあり、そこからは仄かに暖かみを感じていた。

 

 あの気高き矜持と、見る者を余さず笑顔にしてしまうかのような魔性。

 アレは歌によるものなのか? アレは踊りによるものなのか? アレは視線によるものなのか? アレは言葉によるものなのか? 

 

 恐らくは。

 そのどれもが正解でどれもが間違っている。アレは『彼女』であればこそで、そう… そのどれも全てが等しく『彼女』なのだ。 

 

「どうしたの、エミリアちゃん? なんだか、嬉しそうに笑っていたけど」

「いや、少し思い出していただけよ」

 

 不思議そうに尋ねてくる瑞樹の言葉に、我知らず陥っていた思考を中断させて口角を軽く持ち上げた笑みとともに言葉を返す。

 

「……それで、妾の自信の理由だったか? 簡単なことだ。妾が臆する理由がないからだ」

 

 大仰に腕を組み、得意気に胸を反らし、常なる自信に満ちた笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「あやつ… 島村卯月がいる(いただき)まで登るのに、こんなところで(つまず)くわけにはいかぬからだ」

「……卯月ちゃんに影響されたってわけか。ふふっ、卯月ちゃんは凄いわね。エミリアちゃんみたいな子も惹きつけちゃうんだから」

 

「なっ!? べ、別に妾は別に島村卯月に惹かれてなどおらぬ! 川島瑞樹よ、虚言は許さぬぞ!」

「そういうことにしておくわ。……でも、これだけは覚えておいて」

 

 ふと真面目な表情となる瑞樹。

 突然の変化に面食らうエミリアへと、静かに、言い聞かせるように語りかける。

 

「上を見るのは構わないわ。でも、ちゃんと前も見て。アイドルとしての先達者の言葉よ」

「う、む… 肝に銘じておこう」

 

 所詮は下賎な人間の言葉だと簡単に突っぱることもできた。実際、エミリアも最初はそう返そうとしたのだ。

 しかし瑞樹があまりにも真剣な表情で告げるので、その忠告を戯れ言と一笑に付すのは憚られた。

 

 少し気まずい空気になったものの、今度は茶目っ気ある表情を浮かべた瑞樹がウィンクを零して明るい声音で告げる。

 

「まぁ、せっかくの初仕事だもの。一緒に楽しみましょうね」

 

 瑞樹のその言葉に応じるかのように、タイミングよく番組がスタートした。

 まずは司会のトークからはじまり、続いて出演者の紹介に移っていく。

 

 たどたどしく自己紹介をする新人アイドルたちに、スタジオ内は暖かくも優しい笑い声を響かせる。

 どうやら今日のスタジオ内に詰めているのは良い人達のようだ。

 

 噛み噛みのアイドルを意地悪く弄ることもなく、愛のあるツッコミをしている。

 そうした和やかな空気のまま、エミリア達の番になった。

 

 司会がエミリアに自己紹介を促して、スタジオ中の視線が彼女へと集った。

 スタジオ内の全員から注目を浴びていることを感じ取ったエミリアは、ニヤリと好戦的に笑う。

 

「妾の名は、エミリア・ヴァレンティヌス。偉大なる吸血… コホン、偉大なる女である! 其方ら同業者はこれより飛躍する妾の偉業の始まりの一歩をともにすることが出来る幸運を、『すたっふ』とやらは妾の初出演の番組に選ばれた栄誉を各々噛み締めるがいい!」

 

 ババーン! という効果音がつきそうなほどに盛大な自己紹介を披露したエミリア。

 スタジオ内の空気が一瞬固まったが、直ぐにどよめきと拍手で迎えられる。

 

 それをさも当然といった様子で、心なし胸を張りながら尊大さ溢れる背伸びじみた笑顔で受け取る。 

 

 ……掴みのインパクトは上々だろう。ここまで強烈な個性を初っ端から見せられるのであれば、アイドルとしては及第点。

 こうしてエミリアの初仕事は、好調な滑り出しと共に始まる。

 

 あとは見事この個性を活かしたまま、視聴者からファンを作れるかどうかだが──…

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 軽いフリートークが終わったあと、いよいよ番組の趣旨であるクイズが始まる。

 

 流れとしては、司会が出す問題を目の前に置かれたボタンを押したアイドルが答える早押し形式だ。

 時折チャンスタイムといった名目で、ホワイトボードに答えを書く記述式もある。

 

 エミリアたちが所定の位置につき、全員が司会の言葉を待つ。

 

 この番組に参加する新人アイドルにとっては、この一問目がとても大事なところだ。

 ここで大きな存在感を示すことができればもはやこの番組を制したも同然… は言い過ぎだろうが、やはり与えるインパクトは大きなものとなることは想像に難くない。

 

 他でもない視聴者が一番注目しているであろう一問目。『今後』のためにも外すことは出来ない。

 

 その時を待ち構え、スタジオ内の空気が緊迫感に彩られる。

 ともあれ、まずは軽めのジャブといったところか。司会から簡単な問題が告げられる。

 

『──問題、日本で一番大きな都道府県は?』

 

「むぅ…」

「エミリアちゃん、わかる?」

 

 この世界に住まう日本人にとっては簡単な、問題であった。

 基本的に早押しボタンを押せるのは新人アイドルのみ。そのため、瑞樹はエミリアに助言をするぐらいしかやることがない。

 

 心配そうにかけられた彼女の声にエミリアが言葉を返そうとした時には、すでに別の組がボタンを押してしまっていた。

 

 もちろんボタンを押したその新人アイドルは元気よく北海道と答え、司会から「正解!」と言い渡される。

 

 軽快なBGMと共に鳴り響く、拍手の音。

 正解を告げられたアイドルはとても嬉しそうで、解答権を逃した別の組は悔しそうだ。

 

「……フン、先手は譲ってやったまでだ」

「まだまだこれからよ。頑張ってエミリアちゃん!」

 

「任せるが良い!」

 

 不満げに鼻を鳴らすエミリアを励ます瑞樹。

 その声を受けた彼女は、気持ちを奮い立たせて次の問題へと気持ちを切り替えた。

 

 耳を済ませる。

 司会が北海道の大きさなどウンチクを垂れているが、そのようなことはどうでもいい。

 

 ……次こそは、解答権を得て正解する。

 

 静かに待つこと暫し。ようやく、次の問題を告げられる。

 

『──問題、一年のうち、一番昼の時間が長い日は?』

 

 わかる! 

 今度は、誰よりも早くボタンを押せたエミリア。

 

『おお! さて、未来の大スターは一体なんと答えてくれるのでしょうか?』

 

 自己紹介の時の印象からか、そのように持ち上げてくる司会の野次と共に答えを促される。

 エミリアは自信満々な笑顔を浮かべて、声高らかに答えを述べた。

 

「答えは、炎聖の日だ!」

 

 スタジオ内に、微妙な空気が流れる。

 新人アイドル達は「なにそれ?」といった顔で互いに顔を見合わせており、司会は司会で困ったように頭を掻いている。

 

 隣に座る瑞樹がエミリアに声を掛ける。

 

「あの、エミリアちゃん。その炎聖の日って?」

「む? 妾の住んでいた世界… コホン、地域では太陽が一日中燃え盛る日があっての。その日に収穫できる作物は実が大きいことから、縁起が良い日とされておる。故に『炎聖の日』と… ここでは違うのか?」

 

 エミリアとしては自分の住んでいた世界での常識だったため、特に考えることもなく答えた。答えてしまったのである。

 しかし、どうやらやらかしてしまったらしい。

 

 新人アイドルの反応もキャラ作り凄いなと驚きもあれば、悪い反応では痛々しいといった表情を隠しきれていない。

 スタジオ内のスタッフ達もその多くが苦笑いを浮かべている。

 

 司会の方もスタジオ内の微妙な空気を察したのか「なるほど、よく考えられてますねー!」と持ち上げつつも受け流す方向で舵をとった。

 一人取り残された形になるエミリアはやるせない気持ちで一連の流れを見守っていた。

 

 そして小声でつぶやく。

 

「……もしや、妾は馬鹿にされておるのか?」

「違うわよ、エミリアちゃん。今回はたまたま間違えちゃっただけ。こっちでは『炎聖の日』じゃなくて、『夏至』って言うの」

 

 なんとか場を持ち直した司会がウンチクを話しているのをよそに、瑞樹は眉をひそめるエミリアを笑顔で宥める。

 とりあえずは瑞樹のその言葉に納得し、エミリアは気を取り直してクイズに挑むこととした。

 

 ……しかし、それからもエミリアは度々ズレた回答をしてしまう。

 

 頭ではわかっていても、気を付けようとしても、どうしても無意識に異世界での常識を答えてしまうのだ。

 始めの頃は苦笑いの空気で流してくれていたのだが、あまりにもエミリアが答えられないからか、次第にスタジオ内は二つの感情に別れた。

 

 新人アイドル達にとっては、エミリアが自分たちの回答を邪魔しているようにしか見えない。

 だから、彼女を胡乱な眼差しで見つめている。

 

 対してスタッフ達はこれはこれで使える、とエミリアに関しては好意的だ。

 しかし、徐々にツッコミにも遠慮がなくなっていきエミリア弄りが加速していく。

 

 そういった二方面の変化を敏感に感じ取ったエミリアは、不愉快さを覚えて内心の苛立ちを露わにしていく。

 組んだ腕の上で指を動かし、断続したリズムを刻み込んでいた。

 

「ミズキわかるわー! ……ごめんなさい、やっぱりわかりません」

 

 そんな最悪一歩手前の空気をギリギリのところで引き止めて崩壊させなかった功労者こそが、誰あろう瑞樹だ。

 自らを道化にしておどけてみせて、スタジオ内に明るい笑いを作りだす。

 

 老若男女を問わず笑顔にしてスタジオにフレッシュな空気を流し込む。彼女のおかげで番組がバラバラにならずに済んでいた。

 

 しかし、それとて一時しのぎに過ぎない。根本的なエミリアの機嫌をなんとかしなければ、いずれ限界を迎えることは火を見るより明らかであった。

 そう判断したからか、あるいはただ単に運が良かったからか。

 

 司会の声とともに一旦番組は終了となり、休憩時間となるのだった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「ちっ!」

 

 大きく足音を立てながら割り当てられた控え室に戻ったエミリアは、舌を打ちつつ乱雑に椅子に腰掛ける。

 そしてテーブルに置いてあったクッキーを1つ摘み、顔をしかめたまま口に放り込んだ。

 

「お疲れ様、エミリアちゃん。最初は誰だって上手くいかないものよ。だから、仕方ないわ」

「……川島瑞樹か」

 

 向かい側の席に腰掛けてそう声を掛けてきた瑞樹から、エミリアは少し気不味げに視線を外す。

 

 スタジオ内の空気の入れ替わりをも敏感に察した彼女が、瑞樹の立ち振る舞いを見てなにも気付かなかったはずがない。

 自身の苛立ちは理解しているし、それで瑞樹に迷惑をかけるばかりか尻拭いまでさせてしまったこととて百も承知。

 

 しかし、それを認めて素直に謝るのは彼女のちっぽけなプライドが許さなかった。

 そんな彼女が葛藤に悩む様子を優しく見守ると、瑞樹はゆっくり首を左右に振ってから柔らかな微笑とともに再度言葉を紡いだ。

 

「いいのよ、無理に謝らなくても。私がしたくてしたことだから」

「……そうか」

 

「そうなのよ。それに、後輩を助けるのも先輩の役目だしね… あら、プロデューサー君。どうぞー」

 

 ノックの音が響き、プロデューサーの声がした。

 それに応じてドアを開ける瑞樹。

 

 彼女の動きにつられてエミリアも視線を上げれば、プロデューサーの姿が視界に映る。

 

「プロデューサー君もお疲れ様。後半もまだまだ頑張るわよー!」

 

 控え室に入ってきたプロデューサーに、力こぶを作って見せる瑞樹。

 

 努めて明るくしようとする瑞樹の気遣いを感じたからかプロデューサーも気負いなく頷き、もちろん信じています、とだけ答えた。

 望んでいた答えだったのだろう、瑞樹の表情が花も綻ぶような満面の笑顔に彩られる。

 

 どこか羨ましげにそんな絵になる二人の様子を眺めていたエミリアのもとにもプロデューサーは近付き、気軽な素振りで声をかけてきた。

 

「……なんだ?」

 

 ──前半のエミリアの回答は中々良かったよ。

 

 その言葉にエミリアは耳を疑った。

 他の誰でもない彼女自身が己の不甲斐なさに腹を立てているのだ。

 

 そんな思いが、彼女の態度をより一層頑ななものにする。

 

「フン! 下手な慰めはいらぬ。……妾を余計惨めにするだけだ」

 

 けれど、そんな彼女の態度をまるでなんでもないことのようにプロデューサーは言葉を続けた。

 

 ──そんな事はない。エミリアからは真剣な雰囲気が伝わっていたから、それを見て惹かれた人は必ずいる。

 

 ──だから、ありのままの自分を出して後半もクイズに臨んで欲しい。

 

 それは塞がっていた目が開かれるような言葉であった。

 それでも、中々素直になれない彼女は否定の言葉を探してしまう。

 

「あまり妾の特異性を出すのは、我が眷属(ぷろでゅーさー)として困るのではなかったか?」

 

 ──初めは確かにそう思っていた。けれど、アイドルの個性を抑えつけるプロデュースはアイドルの輝きを曇らせる結果になってしまう。

 

 あぁ、そうか。

 

 ──流石に明かせない部分もあるが、できるだけエミリアにはのびのびとアイドルをして欲しい。

 

 自分らしく、ありのままの『エミリア・ヴァレンティヌス』としてアイドルをやっても構わないのか。

 

 いや、そもそも最初からそのつもりだったはず。なのに、そんな簡単なことも忘れるほどに──… 

 

「そうよー、エミリアちゃん。エミリアちゃんの回答は良かったし、それはスタッフ達も同じ気持ちだったはずだわ。だから、エミリアちゃんに話を振ったりしたんだから」

「……以前の妾であったならば『下賎な人間の囀りなど』と鼻で笑っていたであろうがの。中々して難儀なものだ」

 

 胸の奥にじんわりと染み渡るなにか暖かいモノの正体を探りながら、プロデューサーと、そして瑞樹と視線を交わす。

 常に浮かべていた、あの自信満々な笑みが今ここに蘇る。

 

 ──それだけここに馴染んだ、ということだろう。

 

 微笑みとともにそう告げながら、プロデューサーはエミリアに一つの手紙を渡した。

 

「む、なんだこれは…?」

「あら、もしかしてファンレター? 凄いじゃない、エミリアちゃん! 一体、どこでファンをゲットしていたの?」

 

「い、いや、妾にも覚えがまったくないが…」

 

 困惑しつつも手紙を開いて、目を通しはじめるエミリア。

 

「………」

 

 最初はどこか嬉しそうに読み進めていたエミリアであったが、やがて表情が徐々に複雑そうなそれへと変化していく。

 

 内容としてはエミリアに向けた熱い情熱と、アイドル活動を応援している、ありのままの貴女を見せてほしい、といった趣旨が記された純粋なファンレターだった。

 普通ならば、無条件で喜ぶべきだろう。

 

 しかし、エミリアはこの手紙の送り主であろう人物に大いに心当たりがあった。

 そしてそれは、ところどころに散見されるエミリアのドS姿が見たいという隠すつもりすら全く感じられない内容によって確信へと変わる。

 

「やっぱあやつからか、コレ!?」

 

 一声叫んでからプロデューサーに視線をやれば、ビシッと親指を立てて力強く頷かれた。

 そのポーズがなにより雄弁に事実を物語っていた。

 

 思わず頭を抱えてしまう。

 

「誰からかわかるの?」

「うむ、実はの…」

 

 瑞樹の疑問に、先日の智絵里と一緒に巻き込まれた件のことを話すと流石の彼女も困ったような苦笑いを浮かべた。

 

「なんていうか、熱心なファンができて良かったわね」

 

「やめぬか! 其方はあやつの姿を見ておらぬから、そのように気楽でいられるのだ。クッ… 純然たる好意だと理解しておるがゆえ、これを引き裂けないのが歯痒いものよ」

 

 ──ファンレターを貰って、嬉しくなかった? 

 

 プロデューサーにそう問われたエミリアは、言葉に詰まって目を逸らす。しばらく視線を彷徨わせ、羞恥で頬を赤く染め上げつつボソッと言葉を発した。

 

「……そんなことは、ない。不思議と、胸が暖かいのだ」

 

 これも智絵里が言っていた、嬉しいという気持ちなのだろう。

 心が陽だまりに包まれているような感覚で、ぽかぽかと微睡(まどろ)みたくなるような心地よさだ。

 

 無意識にポケットの栞を撫で上げ、その温もりを感じて微笑む。

 

「いい顔をするようになったわね、エミリアちゃん」

「……川島瑞樹。先ほどの妾の尻拭い、感謝する」

 

 今ならばと頭に思い描いたその言葉は、驚くほどにあっさりと口から出てきた。

 

 まさか、エミリアが感謝をするとは思わなかったのだろう。

 目を軽く見開いて驚きを露わにする瑞樹をよそに、彼女は挑発的な笑みを浮かべてプロデューサーを見やる。

 

我が眷属(ぷろでゅーさー)よ… 妾の好きなようにして、良いのだな?」

 

 ──あぁ、もちろん。

 

 プロデューサーが力強く頷く。

 

「ククッ… ならばとくと見よ! そして伏して崇めよ! 妾の飛躍する、その瞬間を!」

 

 手紙を丁寧に畳んだエミリアは、口角を吊り上げて備えつきのクッキーを口に含むのだった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

『──問題、この写真の生物はなんでしょうか?』

 

「それは、ヒカテリス山脈のみに生息されている氷獄鳥ではないか? やつは見た目の通り白い雪のような体色だが、身の危険を感じると青白く輝くのだ。ちなみに、輝いている間に仕留めた肉は絶品での、一説では氷獄鳥の肉を求めて、国同士が争ったという記述書があるほどだ」

 

 

『──問題、この空白に入る文字なんでしょうか?』

 

「そこに入るのは、“影”だな。最近この国の文字を覚えたが、これなら絶影という読みになるであろう? この技は一流の暗殺者のみが使える、影の姿すらも消す身を潜める奥義だったはずだ。以前この技を使えるやつと戦ったことがあるが、中々して歯ごたえある相手であったな」

 

 

『──問題、この曲を歌っているアイドルの名前は?』

 

「島村卯月だ!」

 

 早押しボタンを叩き付けて指名される寸刻すら惜しむように答えたエミリアは、軽快な正解BGMを耳にしてふんすと鼻から満足げの息を漏らした。

 初めての正解に、会場は盛大な拍手でエミリアのことを讃える。

 

 クイズ番組が再開してからのエミリアは他者の視線を気にすること一切止めていた。己の異世界知識を存分に見せ付け、それが外れてもそれがどうしたとばかりにどこ吹く風。

 あまりにも堂々としているものだから、スタジオ内の空気は徐々にエミリアのそれに染められていく。

 

 最初は「またかよ」といった空気だったが、今では次はどんな練られた設定(異世界では実際にあるものなのだが…)が飛び出てくるのかとみんな興味津々な面持ちで見守っている。

 エミリアを邪険にしていた新人アイドル達も、その個性の立ち具合を見て、ライバルであるにもかかわらず思わず尊敬してしまうほどに彼女の醸し出す存在感は圧倒的であった。

 

 こうしてまさにエミリアの独壇場のままクイズは終わり、結果発表の時間となる。

 スタジオが暗くなるとドラムエンドロールが流れはじめ、やがて一組のアイドルペアをスポットライトで照らす。

 

 照らし出されたのは当然エミリア達… なんてことはなく、堅実に点数を稼いでいた別のチームであった。

 

「なぜだ! 一番答えていたのは妾であったろう!?」

「そうだけど、ほとんど外していたじゃない」

 

「ぐぬぬぅ…!」

 

 瑞樹の言葉は厳然たる事実を示しているだけに、エミリアは地団駄を踏んで悔しがるしかない。

 実力行使に出ないだけ、成長したのだろう。……視界の端で、プロデューサーがハンカチで目頭を押さえていた。

 

 そんな風にエミリアが悔しがっていると、司会が「はい! じゃあ最下位のチームの方には罰ゲームを用意しております」と明るく告げてきた。

 無論、初耳である。参加者のアイドル達は各々互いの顔を見つめ合いながら戸惑いとざわめきを届ける。

 

 栄えある(?)最下位のチームは──…

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 ──お疲れ様。初めての仕事はどうだった? 

 

「……まずまず、といったところかの」

 

 わしゃわしゃとタオルで髪を拭いていたエミリアは、プロデューサーの問いかけに鼻を鳴らして答えた。

 

 その視線は終了した番組のステージを向いており、幼い横顔に一抹の寂しさが帯びている。

 最下位は、当然のことながらエミリアチームであった。

 

 罰ゲームの内容が熱湯風呂に飛び込むことだったので、お風呂嫌いなエミリアが顔を引き攣らせていたのが記憶に新しい。

 結局「嫌だ嫌だ」と暴れて逃げ回ろうとするエミリアを瑞樹が押さえつけ、一緒に熱湯風呂に入って熱がる… というリアクションで締められたが。

 

 まるで注射から逃げる子供とそれを連れ出そうとする母親のようなその構図に、スタジオ内はコントを見たかのような朗らかな笑いに包まれたのだ。

 

「……のう、我が眷属(ぷろでゅーさー)。本当に、これで良かったのか?」

 

 ──異世界知識のこと? 

 

「うむ。この世界の常識をある程度知った今となっては、妾の今日の振る舞いが異端であることも理解できておる。我が眷属(ぷろでゅーさー)からすれば、今後の活動がやり難くなるのではないか?」

 

 ──心配しないで欲しい。

 

 そんな彼女の問いかけに、プロデューサーはしかし、ゆっくりと首を左右に振ってその応えとする。

 

 ──貴女はただ自由にアイドル活動をしてくれるだけでいいのだ。そんな貴女を憂いなく目一杯輝かせるのがプロデューサーの仕事なのだから。

 

 笑みを浮かべてそう告げると、エミリアはタオルで顔を隠す。

 

「……頼りにしているぞ、我が眷属(ぷろでゅーさー)

 

 エミリアの口から出た、初めての言葉。

 

 ──あぁ、もちろん。

 

 今まで見下していた人間を頼ろうとしたことにプロデューサーの浮かべた笑みは一層深くなる。

 タオル越しながらその気配を感じたのか、背を向けたままのエミリアが早口で告げる。

 

「か、川島瑞樹も後始末を終わらせている頃であろう? 妾達も控え室に戻るぞ」

 

 早足で控え室に向かおうとしたエミリアであったが、一歩も進むことなくたちまち共演者のアイドル達に囲まれてしまう。

 彼女達は一様にエミリアの設定(本当は異世界の知識なのだが)を褒めており、もっと教えて欲しいと口々にせがんでくる。

 

「な、なんだ貴様ら。妾の邪魔をする… ええい、無礼な! 誰の許可を得て妾の身体に触れている! 我が眷属(ぷろでゅーさー)、こやつらをなんとかせい!」

 

 頼れる眷属に助けを求めながら、縋るような視線を向けるエミリア。

 その幼き少女の願いに対し、微笑を浮かべつつ力強く頷くプロデューサー。

 

 パァアアアア! と、表情に笑顔の花を咲かせたエミリア。

 そんな期待に満ちた表情の彼女の横を通り抜けて、そのまま控え室へと歩きはじめる。

 

 ──あぁ、心が痛い。とても心が痛いなぁ。

 

「き、貴様…! よもやとは思うが、まさか妾を置いて一人で逃げるつもりではなかろうな!? 待て… おい、耳を塞ぐな! 聞こえているであろう!?」

 

 ──これを機に、エミリアがもっと社交的になってくれたら嬉しい。

 

 ──アイドルが救助を願っても、プロデューサーは苦渋の決断で見守らなければならない時があるのだ。

 

「おい、待て! 妾を置いていくにぎゃあああああああ…」

 

 ──だからエミリアの声を聞き入れられなくとも仕方がない。ああ辛い、とても辛い。

 

 背後から響き渡る断末魔に合掌をしたプロデューサーは、瑞樹が待っているであろう控え室に向けて足を進めるのであった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 仕事からの帰り道。

 

 プロデューサーの運転する車の中で、エミリアはむっつりとむくれていた。以前と同じように窓に顔を向け、不機嫌そうなオーラを漂わせている。

 

「プロデューサー君、一体エミリアちゃんになにをしたの?」

 

 助手席にいる瑞樹が、呆れ顔でプロデューサーを見ていた。

 その問いに応えて事の次第を伝えれば、彼女はため息をついてますます呆れの色を深くした。

 

「プロデューサー君って、たまに意地悪になるわよね」

「……フン!」

 

「ほら、エミリアちゃんが機嫌を損ねているじゃない」

「妾は怒っておらぬ!」

 

「……プロデューサー君?」

 

 にこりと微笑む瑞樹の顔が怖かったわけではない。

 わけではないのだが、プロデューサーはエミリアに謝罪をした。

 

「…………けーき10個」

 

 ──必ず、用意する。

 

 ──だから、どうか機嫌を直してくれないだろうか。

 

「ま、まぁ… 元より妾は怒りを抱いていたわけではないがな! 我が眷属がどうしても… どうしても妾に献上品を捧げたいというのであれば、それに応えてやるのも妾の役目であろうな。うむ、うむ… であるからして、〇〇店のすぺしゃる苺けーきを十個用意する其方の功労は覚えておくぞ?」

 

 ──そのお店、確かショートケーキ一つで二千円以上するのですが? 

 

「ん? なにか言ったかの? すまんの、よく聞こえなかった。……ところで、妾に一言あるなら覚悟を決めて言葉を発することを勧めるぞ」

 

 ──なんでもないです。

 

「うむ! わかれば良いのだ!」

「あらら… ご愁傷さま、プロデューサー君」

 

 やはり、根っこは幼女の精神のままなのだろう。あっさりと機嫌を直し、鼻歌を奏ではじめるエミリア。

 予想外の出費に項垂れるプロデューサーを、瑞樹が口に手を当てて朗らかに笑っていた。

 

 それからは世間話に花を咲かせつつ、車は事務所へ走っていく。しばらく談笑していると、不意にエミリアが瑞樹に水を向ける。

 

「ときに川島瑞樹よ。其方は、何故アイドルになったのだ?」

「随分と唐突ね。んー、そうねえ… 簡単に言っちゃうと、アイドルなら私が手に入れたかったモノが手に入ると思ったからかしらね?」

 

「ほう? して、それはどのようなモノなのだ?」

「フフッ… それは敢えて言葉にしなくても、今のエミリアちゃんならわかっているんじゃない?」

 

 優しく微笑む瑞樹を見て、エミリアは照れくさそうに少し顔を背ける。

 赤く染まっている耳から察するに、どうやら図星だったようだ。

 

 ややあって、息を吐きだすとエミリアは瑞樹のその言葉に小さく頷いてみせた。

 

「……そうだな。その通りだ」

「あら、意外ね? エミリアちゃんがこの手の話題で素直に認めるなんて」

 

「妾も驚いておる。存外、それほどまでに『あいどる』というものが気に入ったのやもしれぬな」

「エミリアちゃんは、最初はアイドルになる気がなかったの?」

 

「……当初は、な。アイドルなど下賎な人間がやる下らぬものだと思っていた」

 

 当然のように浮かんだ瑞樹の疑問に、エミリアはどこか楽しげに頬を緩めて言葉を返した。

 

「だがこうして妾を慕う者から献上品を貰い、妾の行動一つで笑顔になる人間共を見ていると、だ。無様で滑稽であるが… それだけでなく、どこか清々しい思いになるのだ」

 

 プロデューサーと瑞樹に向けて自らの想いを素直に語るエミリアの横顔は今、年相応の幼い微笑を浮かべている。

 

 その言葉からはトゲがまったく感じられず、それこそバラのように可憐な笑顔だ。そんな彼女の言葉を耳にして、プロデューサーと瑞樹は同時に顔を見合わせた。

 考えていることは一緒のようで、知らず笑みが零れてしまう。

 

「どうした? ……二人して、唐突に笑ったりして」

 

 なんでもないとプロデューサーが答えれば、瑞樹も同意するように頷く。

 

「そうよー。エミリアちゃんの言葉がわかるわー…って、プロデューサー君と考えていただけだから」

「よくわからぬが、そういうものか…?」

 

「そういうものよ。それで、今のエミリアちゃんがアイドルを好きになったのはわかったわ。……けれど、アイドルをしていく上での目標とかはあるのかしら?」

「ふむ、目標… 目標か」

 

 プロデューサーとしてもそこは気になるところであった。

 無論、エミリア本人がアイドルを楽しんでくれているということはとても喜ばしいことだ。

 

 しかしただ楽しむだけでなく、どんな自分になりたいかを考えるのは大事なことだろう。

 ……果たして、異界の吸血鬼はなんと答えるのか。

 

 しばらく考え込む素振りを見せていたエミリアは、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。

 

「──世界を手に入れる」

「世界?」

 

「うむ! 妾は世界一の『あいどる』となって、世界中に妾の威容を轟かせてやる!」

 

 パチパチと目を瞬かせていた瑞樹だったが、直ぐに眩しそうに微笑む。

 

「……いいじゃない! 夢は大きくなくちゃね」

「フハハハハ! そうであろう、そうであろう! 妾が最強の『あいどる』となった暁には川島瑞樹、其方を妾の臣下として迎え入れてやろう! 感涙にむせび泣くがいい!」

 

 プロデューサーとしては、一人のアイドルにのみ肩入れすることはできない。

 エミリアの目標… 夢を応援こそすれ、積極的に手助けはできないだろう。

 

 しかし全ての担当アイドルにそうするように、エミリアの活動には全力を注ぐ。人知れず決意を固め、瑞樹と配下ごっこで遊んでいたエミリアに声をかける。

 

「む… どうした?」

 

 ──これからも、よろしく。

 

 様々な感情が込められたプロデューサーのその言葉を、はたして彼女がどのように受け止めたのかは不明であるが。

 エミリアは… 彼女はしっかりと頷く。

 

 そして真紅の瞳を輝かせながら、常浮かべているように自信に満ちた不敵な笑みを浮かべるのであった。

 

「あぁ、無論だ… 今後も妾を楽しませろ、我が眷属(ぷろでゅーさー)よ」



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masa ハーメルンさん

【自分勝手に生きた男が殺される話(仮題)】
 作:masa ハーメルンさん












「……ふぅ」

 

 万感の想いというヤツを込めて、息を吐き出す。

 

 今宵は満月。

 王侯貴族だって常ならば見上げるであろう夜空に浮かぶ真円を見下ろし、口角を釣り上げる。

 

 こいつは、どうにも悪くない気分だ。

 

 ……あん? あぁ、俺が誰かって? 

 なに、それは大して重要なことじゃない。

 

 どうしても気になるってんなら、そうさなぁ…

 スラムっつぅゴミ溜めに浮かんだゴミの一つだとでも思ってくれりゃ、それで構わねぇ。

 

 おいおい、怒るなよ。聞いてきたのはそっちだぜ? 

 ……はいはい、悪かったよ。すぐ調子に乗っちまうのは俺の悪い癖だな。

 

 さて、どこまで話したっけな? あぁ、そうそう… スラム出身ってとこだな。

 まぁホントにスラムで生まれたかどうかなんざ知らねぇよ。

 

 俺ぁ【ノンマン】だからな。知ってるか? 【ノンマン】って。

 ……まぁ、知らねぇワケもねぇか。

 

 そう、ご明答。

 このクソッタレな世界で【属性】の加護を持たずに生まれてきた忌み子ってワケさ。

 

 だから、分かるだろ? 俺の云いたいことはよ。

 スラムで生まれたノンマンなのか、それともノンマンだからスラムに捨てられたのかすら不明。

 

 ひょっとして、この俺がどっかの貴族の落し胤って可能性すらあるってこった。

 ここ、笑うとこだぜ? ……はいはい、悪かったよ。

 

 んでまぁ、スラム出身のオマケにノンマンだ。真っ当な仕事なんざあるわけねぇよな? 

 つぅかデカくなるまで『仕事』って概念すら知らずに生きてきたんだがな。

 

 あん? 親兄弟のような存在は? 孤児院は? ……あるわけねぇだろ、ンなモン。

 じゃあどうやって生きてきたかって、オメェ、そりゃ決まってんだろ。

 

 盗み、集り、奪い… その繰り返しさ。

 それすら出来ねぇ時分? さぁな。ゴミでも喰ってたんじゃね? 知らんけど。

 

 まぁスラムの記憶って言やぁ、生きるために誰かを騙し、虐げ、蹴落としてきた事ぐらいだ。

 あん? 真性のクズだ? おいおい… 今更誰に言われるまでもなく、よーく知ってるよ。

 

 でまぁ、スラムのノンマンってのは大抵が無気力に生きてるモンだ。

 きっとこのクソッタレな世界に諦めちまうんだろうよ。……しかし俺は少しばかり変わってた。

 

 何年も何年も、飽きもせず棒切れや盗んできた剣を振り回したり。

 なんか出ろって手のひらに力ぁ込めて念じてみたり。

 

 周りの連中が諦めて折り合いつけてっても、この俺はみっともなく足掻き続けたわけさ。

 ……成果なんざ出るわけもねぇ。そりゃまぁ当然だわな。

 

 俺一人が多少がんばって乗り越えられるような苦労なら、ハナっから誰も絶望なんざしねぇ。

 それでも諦めきれずに、ムカつきを日々の生存競争の中でぶつけながら燻ってきた。

 

 

 

 

 そんな俺に転機が訪れたのは、忘れもしねぇ、あの茹だるような蒸し暑い日のことだった。

 どうやら【呪術結社カースド】が属性を奪う方法を開発したらしい。

 

 そんな噂がスラム中を駆け巡った。俺の反応なんざ言うまでもねぇよな? 

 聞いたその日の晩のうちにゃカースドの門の前に立ってたぜ。……笑うなよ。

 

 その戸を叩いて徒弟になろうとは思わなかったのかって? おいおい、バカ言っちゃいけねぇ。

 アンタがカースドだとして金もねぇ、力もねぇただのノンマンに美味い目を見せてやるか? 

 

 賭けてもいいぜ、『ありえねぇ』ってな。

 仮に暖かく迎え入れられたとしても、そんなのは上辺だけの話だ。

 

 いずれ体のいい使い捨ての駒にされておしまいだろうよ。

 石持て追われるならまだマシさ。悪けりゃ口封じやら人体実験やらで殺されてもおかしくねぇ。

 

 大袈裟だと思うかい? だったら悪いことは言わない。

 スラムにゃ足を踏み入れんな。そんなザマじゃ最初の晩を越せるかどうかすら怪しいからな。

 

 っと、悪い悪い。カースドの話だったな? まぁ結論から言うとな、盗んでやったのさ。

 当然危ない橋を渡ったし、この手に染み込んだ血の量も増えちまったがね。

 

 失敗したら? まぁ途中でおっ死んでも一切後悔しなかっただろうさ。

 ノンマンのまま死ぬなら一度くらい夢を見てやる。そんな気持ちのヤツぁ意外と多いんじゃね? 

 

 それらしい道具をこの手に収めてカースドから脱出した時は震えたもんだぜ。

 恐怖とか後悔なんざじゃ断じてねぇ。これからの俺の未来、栄光の予感に心が震えたのさ。

 

 

 

 

 

 ところがどっこい。

 一夜明けてなんとも困ったことに、その道具の使い方ってのがサッパリ分からなかった。

 

 説明書を一緒に盗めたわけじゃないし、そんなモンがあるのかどうかすら分からん。

 そもそもあったところで俺は字が読めねぇときた。

 

 かといってカースドにノコノコと戻って使い方を聞くわけにもいかねぇからな。

 どうしたもんかと道具を隠し持ちながらぼんやりと大通りを歩いていた、そんな日のことだ。

 

 考え事をしてたせいか、人混みに真正面から押されて体勢を崩しちまってよ。

 前方不注意はお互い様だろうが、こちとらスラム育ちの荒くれもんでね。

 

 イライラが募ってたこともあって喧嘩上等と洒落込もうとしたわけだ。

 ところがもう一つムカつくことに、相手の方は俺に気付いてもいやしねぇ。こんな話があるか? 

 

 肩を掴んでこっちを向かせようとしたところで、ワッと歓声が沸き起こったのさ。

 思わずソッチのほうを見る。

 

 女がいた。

 

 年の頃は15,6ってトコかな? 

 ……まぁ特別綺麗ってワケじゃあないが控え目ながら華のある、そんな笑顔を浮かべてたよ。

 

 そんで気付く。俺が振り向かせようとしたガタイの良い男も、大通りに群がる人混みも。

 みんながみんな、その女に注目していたってことにな。

 

 俺は自分でもよく分からん妙な苛立ちに支配されながら、その女を睨みつける。

 ソイツはそんな視線に気付く素振りもなく、属性だろうな… 糸を使って人形を操りはじめた。

 

 滑稽だったぜ。世界を手に入れたかのような気持ちに包まれていたこの俺がだぜ? 

 どんなに視線に悪意を込めても、15,6といったガキの女にすら気付かれもしねぇんだ。

 

 あぁ、憎いと思ったね。無論、奪いたいと思ったとも。

 陽のあたる場所で大勢の人々に見守られながら思い思いの喝采を浴びるあの女の居場所をな。

 

 その時だった。ドクンと一つ、心臓が大きく鳴り響く。

 反面、頭の方は芯がスゥッと冷えていくのを感じた。

 

 すると、どういうことだろう。

 さっきまでは何一つ分からなかった、昨晩盗んだあの道具の使い方が自然と頭に浮かんだんだ。

 

 そこまで分かれば行動は早かった。

 俺は人混みを掻き分け、そっと女の背後に回る。

 

 何故分かったのか? どうして使えるのか? そんなことはもはやどうだっていい。

 俺の思考は『奪う』という、ただそれだけに支配されていた。

 

 皮肉なことに、ギリギリまで女に近付いても誰もスラムのドブネズミなんぞに注目をしない。

 だからそれを良いことに、俺はそっと道具で女に触れてみた。『奪う』という念を込めて。

 

 ……『何か』が流れてくるような感覚。

 フードで隠した影の中、俺はニンマリと喜悦の表情を浮かべた。

 

 あぁ、間違いねぇ。コレが、【属性】というものか。

 確かめるまでもなかった。俺の中に『力』がある。俺はついに【属性】を手に入れたのだ! 

 

 もしコレが勘違いであるというのなら、あぁ、喜んで騙されてやろう。

 結果を見ることなく、俺は人混みに背を向けて歩き出した。

 

 何が倒れる音、困惑する声、観衆のざわめきに、静かに漏れ聞こえる嗚咽の音。

 そのどれもが俺の予感を確信に変える色に満ち満ちていた。

 

 この日、俺は【非人(ノンマン)】という鎖から解き放たれて真の自由を獲得したワケよ。

 ……まぁ、そう思い込んでたってだけなんだが。

 

 ん? ……あぁ、それからの日々か? 語って聞かせるほど面白い話じゃねぇぞ。

 いやまぁ、当時の俺からすりゃめちゃくちゃ楽しかったが… わかったわかった、話すよ。

 

 つっても【属性】持ちから奪ってスラムで適当に【属性】バラ撒いての繰り返しでなぁ。

 一番傑作だったのはいけ好かない衛兵から【属性】引っ剥がしてスラムに叩き込んだ時だな。

 

 やっこさん半ベソかいて助けを求めてきてさ… あ、つまらん? はいはい、黙りますよ。

 あん? そもそもなんで【属性】をバラ撒くのかって? 持っておけば良いんじゃないかって? 

 

 知らねぇのか? この世には才能っつー残酷な山脈が厳然とそびえ立ってんだよ。

 ……あぁ、そうだよ。俺ごときの才能じゃ、【属性】は1つしか抱えられなかったの! 

 

 それなのになんで後生大事に【糸】なんて属性を抱え続けたのかって? さぁな。

 一つだけならもっと強い属性を選ぶだろうって? ごもっとも。バカだったんじゃねぇの。

 

 ……まぁ、そんなこんなでだ。

 

 

 

 

 

 好き放題に【属性】を奪っていった俺は、いつしか【簒奪者】なんて呼ばれるようになった。

 

 そんなある日のこと。

 ……月明かりの綺麗な晩だった。

 

 今日も今日とて好き放題をかましてねぐらへと向かう帰り道のこと。

 ふと目を凝らせば、普段通る道のすぐ脇に黒い何かがうずくまっている。

 

 野犬か何かかと道を逸れようとしたところ、黒い何かは俺に向かって飛びかかってきた。 

 ガツン! と身体に走る大きな衝撃。

 

「フーッ! フーッ! おまえが、おまえが悪いんだ。おまえが俺から【属性】を奪うから…」

 

 荒く大きな息。それは野犬などではなく確かに人間の男の声。

 男はなおもナイフのようなものを突き立てんと、グリグリと力を込めて抉り抜こうとしている。

 

 ……おいおい。まったく、ひどいことをしやがる。

 俺は震える手で男の肩を強く掴むと… 空いた方の手で拳を握り、その顎を強く撃ち抜いた! 

 

「ごはっ!?」

 

 体格に劣るとはいえ不意を狙った俺の一撃は、もんどり打たせるには充分。

 

 たたらを踏んだところを、具現化させた【糸】で足を掬い上げれば流石にたまらなかったろう。

 大きな音を立てて、男はゴミ溜めに頭から突っ込む羽目と相成っていた。いい気味だぜ。

 

 服の隙間から、俺の身代わりになってくれた道具だったものがパラパラと零れ落ちてくる。

 

「………」

 

 残念という気持ちがないわけではないが、流石に命には代えられねぇ。

 何処か遠い目付きで破片を眺めてから踏み潰した。ったく、それよりなんだコイツは? 

 

 黒い影… 男を一瞥する。

 恐らくは俺に属性を奪われた誰かが復讐を企てたのだろうが、何故、コイツは俺だと分かった? 

 

 月明かりを遮る分厚い雲が移動し、その隙間から一瞬だけ俺たちの姿を浮かび上がらせる。

 

「……!」

 

 目に付くのはゴミ箱で目を回している男… ではなく、地面に転がるナイフ。

 

 禍々しいオーラを放つ、見るからにヤバそうな代物。

 こんなもので狙っていやがったのか。

 

 思わず硬直してしまう俺を尻目に、いつの間にか目を覚ましていた男が駆け出す。

 ……俺にではない。ナイフに向かって一直線に。

 

 男が地面に転がるナイフに手を触れた直後、俺は男の手を踵で踏み抜いた。

 

「ぐあああっ!?」

 

 常ならば苦痛に呻く『敵』の声は耳に心地良かったかも知れない。

 だが、その時の俺にはとてもそんな余裕はありはしなかった。

 

 背中に流れるじっとりとした嫌な汗を自覚しながら、俺は口を開き、こう尋ねたんだ。

 

「このナイフ、誰から渡された? ……いいや、違う。これは、誰からの依頼だ?」

「誰がおまえなんかにごふっ!?」

 

 口応えの気配を感じた俺は、空いた方の足で勢いよくその顎を跳ね上げた。

 ピッと舞い散る鮮血が、スラムの壁や地面に新たな色を添える。

 

「いいか、勘違いするなよ。こうして『聞いてやってる』のは俺の慈悲だと思え」

「フゥー… フゥー…」

 

「ノンマンなんか誰も相手にするものか。おまえも体よく利用されているだけだ。分かるぜ?」

「………」

 

「だが俺は違う。おまえの痛みがわかる、苦しみがわかる、悔しさがわかる。何故か?」

 

 顔を近付けて、そっと囁いた。「俺もおまえと同じノンマンだったからだよ」と。

 男の瞳が驚愕に見開かれる。……俺をなんだと思ってたんだ、コイツは。

 

 といっても、まぁ、仕方ねぇことなのかもしれんわな。

【属性】を奪うようなバケモンがただのノンマンなんて、中々分からねぇモンかも知れねぇか。

 

 そして俺はダメ押しの一言を言ってやった。

 

「誓ってもいいが、俺を殺してもおまえの【属性】は戻ってこねぇ」

「……出鱈目を」

 

「さっき【糸】を出したの見たろ? 俺が2つも3つも【属性】を持てるタマに見えるか」

 

 そう言ってやれば見事に押し黙る。男の瞳が逡巡に揺れ始めた。

 ……才能の無さで納得されるってのも悲しいねぇ。

 

「おまえにそのナイフを持たせた連中は、いつまでも貸してくれるほど気前のいい連中か?」

「それは…」

 

「仮に無利子無期限で貸してくれるなんて都合のいい話があったとして、やれるのかよ?」

 

 ここぞとばかりに畳み掛ける。

 

 事実俺はコイツの才能なんて持っちゃいない。そもそもどんな才能だったかすら覚えてねぇ。

 だったら答えは一つだ。コイツもなるしかねぇんだよ。

 

「【属性】を取り戻すってなぁそういうことなんだよ! おまえもなるか、【簒奪者】に!」

 

 俺の絶叫を最後に、裏路地が沈黙に支配される。

 少し冷静さを取り戻した俺は言葉を続けた。

 

「この世界じゃノンマンなんてただ虐げられるだけの存在だ。『奪う価値』すらねぇからな」

「………」

 

「おまえも今はよく分かってるはずだろ? だったらせめてやり返そうぜ。俺たちノンマンが」

 

 耳が痛くなるほどの沈黙。

 男はやがて真剣な表情で俺を見詰めると、それでも首を確かに振ったんだ。……横に。

 

「……だったら俺は、ノンマンのままでいい」

 

 瞬間、頭に血が上がったことをよく覚えている。

 

 この男を殺す。殺さねばならない。

 ……それ以外のことが考えられなくなった。

 

「~~~~~~ッ! だったら望み通り、ブチ殺してやるよ! 【ノンマン】のままなぁ!」

 

 具現化させた【糸】を男の首に纏わり付かせると、男も覚悟したのかそっと目を閉じる。

 俺は激情のままに【属性】の力を開放しようとして──…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ゴフッ」

 

 背中に衝撃を受けた。

 

 血とともに『何か』が流れて、喪ってゆく感覚。

 まぁ、考えてみれば当然のことか。

 

 なんとも用意周到なこったと呆れたね。

 

「ナイフは… 2本、あったって… ワケ、か…」

「はぁ… はぁ… 返して! その【属性】は、アンタのモノなんかじゃない!」

 

「………」

 

 あぁ、もうダメだ。決定的になくなってしまった。

 確認するまでもない。

 

 未だ荒い息を吐く女に肘打ちをかます。

 笑えるぜ。色気のない悲鳴を上げて壁に叩きつけられ気を失いやがったからな。

 

 カランと転がったナイフを手に取ると、蹲っていたはずの男がそっと女を自分の背に庇う。

 俺に散々痛めつけられて、足に来ていてまだ満足に立てないだろうに… 健気なこった。

 

 鼻で笑いながら声を掛ける。

 

「そんなザマで勝てる気かい?」

「……難しいだろうな」

 

「なぁ、アンタは… いや、やっぱいいや」

 

 何もかもがバカらしくなって、ナイフを男に向かって投げつける。

 当てずっぽうで投げられた一撃はあっさりと狙いを逸れて壁に当たり、乾いた音を響かせた。

 

 怪訝そうな男の表情、気を失ったままの女の姿を最後に一瞥し月明かりの下を歩き出す。

 

 あーあ… 残念。

 まさか今の今になって気付くとはな。まぁ、俺の『糸』はもう切れちまった。

 

 好きなだけ歩いて、ちょいとだるくなったら地面に寝転がってこうして月を『見下ろす』。

 なんとも贅沢な話だろ? 

 

 こうして全てを見下ろせるようになった今だからこそ分かることってのもあるんだぜ? 

 どんな王族だろうと貴族だろうと、属性に縛られてこの世界では生きている。

 

 いや、なんだったら高い地位にあるヤツほどその重圧ってのは計り知れねぇモンなのかもな。

 だけど、そんなこのクソッタレな世界の中で唯一の例外がある。

 

 ……そう、俺たち【ノンマン】だ。

 誰も彼もが【属性】の鎖に縛られて生きる中で、例外的にお目溢しを貰っているのだ。

 

 ひょっとしてコイツはとんでもない贔屓じゃないだろうか? 

 そう考えるとなんだか妙に笑えてきてな… どうにも悪くない気分のまま眠れそうなんだ。

 

 あぁ、こんな気分で眠れるのは一体いつ以来かねぇ? あれは、そう──…

 

「誰も彼も【属性】の【奴隷】… みんなクソなら、笑って逝けるだけ俺は上等さ…」



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ベリーナイスメルさん

【二周目提督がハードモード鎮守府に着任しました】より『あらあら龍田さん②』
 作:ベリーナイスメルさん









 とっぷりと日も暮れた夜の鎮守府、その船渠(ドック)にて。

 湯船に浸かる一人の女性の姿がある。

 

 端正な美貌、均整の取れたプロポーション。

 白雪の如きそのきめ細やかな柔肌は、湯を浴びて仄かな薄紅色に染まっている。

 

 ……天龍型二番艦・龍田その人である。

 彼女は、今、髪をタオルでまとめながら物憂げな吐息を零していた。

 

 脳裏をよぎるのは、あの時の『彼』の… 提督の言葉。

 少し寂しげな横顔とともに吐き捨てたその言葉を、龍田はずっと胸の裡で反芻し続ける。

 

 その言葉が忘れられないのか、それともあの横顔が忘れられないのか…

 それは、他ならぬ当の龍田本人にさえ分からないことであったが。

 

 

 ──受けた傷ってのはな、その傷を与えたやつにしか治せねぇんだよ。

 

 

 彼女はこれまでの自分の在り方を振り返る。

 

 かつては怒りや悲しみ、そして天龍や第六駆逐隊を守りたいという想いが空回りしていた。

 やり場のない自身の感情を、荒ぶる衝動のままに発散したことだってある。

 

 姉である天龍が役立たずと面罵された時も、そして、この鎮守府にやってきた時だってそうだ。

 無論、その結果、悪循環の泥沼に陥ってしまうことはよく理解できていた。

 

 彼女はその優等生然とした見た目と裏腹に実は短気で粗暴、というわけでは勿論ない。

 むしろ優等生だからこそ、龍田はトコトン真面目かつ不器用で思い詰める女性なのであった。

 

 ゆえに、あらゆる負の感情がないまぜになったまま醸成され肥大化していく。

 ついには彼女自身一言で言い表せぬほどの感情が常に胸中渦巻く有様となったが、それでも…

 

 それでも、『あの時』冷えていく思考とともに浮かび上がった感情はハッキリ理解できた。

 

 

 

 

 

 

 殺意。

 

 そう… アレは他の感情など一切介在する余地のない、純然たる殺意。

 あの時、眼前で繰り広げられる光景を見て龍田は自問自答した。

 

 どうして『彼』が頭を下げているのか? 

 どうして『彼』が砲塔を突きつけられているのか? 

 

 分からない。龍田にとって、それは、理解できるはずもない。

 ……『彼』は何も悪くないからだ。『彼』は誰も傷付けていないからだ。

 

 誰のせいなのか? ……決まりきっている。コイツだ。

 ならばどうする? ……決まりきっている。排除だ。

 

 感情がただ一色の『殺意』に染め上げられる。

 思考によってではなく、息をするのと同様の自然な動作で龍田は艤装を展開しようとした。

 

 そんな龍田をそっと腕を掴んで止めたのが、彼女の隣で直立していた天龍であった。

 思わず抗議の視線… なんて生易しいものではない苛立ちをぶつけようとして息を呑む。

 

 歯を食いしばり、空いた手は、今にも血が滴り落ちそうなほどに強く固く握り締められている。

 天龍のその苦悩にギリギリで気付けたからこそ、龍田もなんとか思いとどまることが出来た。

 

 とはいえ、彼女に出来たのはそこまで。

 電の泣き声が耳に入ればいよいよ耐えられなくなり、弾かれるように執務室を飛び出した。

 

 向かった先は人気のない廊下。

 隠れるようにしながら乱れた息を吐く龍田の肩を気安く、けれど優しく叩く者がいる。

 

「よっ。ここだと思った」

 

 天龍だ。

 

 常浮かべるような頼り甲斐のある笑み。けれど、その瞳には今は涙が浮かんでいた。

 思わず龍田がそれを指摘すれば「おまえだって」と返される。

 

 その時、彼女は初めて自身が泣いていたことを自覚した。

 そんなこと、夢にも思わなかったものだから当然戸惑いの表情を浮かべる。

 

 第六駆逐隊に想いが届いたこと、忘れられてなかったことが嬉しいのは勿論言うまでもない。

 けれどこの涙は、きっと、そのどれでもなく──…

 

「天龍ちゃん、私… 悔しい…!」

 

 涙とともに零れ落ちた言葉が彼女自身の耳に届くことで、漸くその想いを自覚する。

 

 今度こそ役に立ってみせる。

 そう胸に誓っていたはずなのに、自身にあるのは気概だけで。

 

 結局今回も何も出来ないままただ救われるのみで、全部提督に押し付ける羽目になったのだ。

 龍田のやるせない気持ちは、一体いかばかりのものか。

 

「……あぁ、そうだな」

 

 天龍は嗚咽が止まらない自らの妹を抱き締め、その柔らかな後ろ髪を梳くように優しく撫でる。

 ゆっくりと、あやすように言葉を紡ぎ出す。

 

「悔しいよな、辛いよな、みっともないよな… 俺も同じだよ。だから、せめて──…」

 

 そしてそのまま龍田の頭を抱き寄せ、耳元で「俺たちで後始末はしようぜ」と小さく囁いた。

 

 その言葉を聞き龍田が驚きに目を見張るのは無理からぬこと。

 ……殺すのか? 思わずそう視線で問いかける。

 

「それこそまさかだろ? 大体、そんなことしたら提督の顔に泥塗っちまうだろうが」

 

 そこは天龍だ。妹の思考など言葉にせずとも伝わるようで呆れたような口調で返してきた。

 返す返すも道理である。

 

 提督が苦心して掴み取った今回の成果を台無しにしてしまいかねない。というか、する。

 己の短慮に龍田が赤面していると、天龍が「まぁ、気持ちは分かるけどな」と同意して続ける。

 

「なぁに… もう二度と提督の任に就こうなんて思わなくしてやろうってだけさ」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、天龍はそう締めくくった。

 

 

 

 

 それからの顛末など敢えて語るまでもないだろう。

 

 

 ──次は我慢しないから~。

 

 

 脅しとも啖呵とも取れる言葉を元凶の耳元でそっと囁けば、算を乱して逃げ出していく。

 小さくなっていくその背中を見送れば、龍田は心の中の澱が溶けたかのような心持ちとなった。

 

「受けた傷はその傷を与えた人にしか治せない、か…」

 

 そして今、湯船の中で「ほぅ…」と息を吐きながら龍田はひとりごちる。

 恐らくはそういうことなのだろう。

 

 第六駆逐隊だけではなく、姉である天龍も、そして他でもない自分自身も傷付けられていた。

 けれども今は以前ほど暗い気持ちを抱かなくなっている。

 

 きっとそれは、治ったのか… あるいは、治りつつあるということだろう。

 そう結論付けて、龍田は己を納得させる。

 

 勿論、第六駆逐隊のことも含めて問題はまだまだ山積みだ。

 他でもない人類の敵である深海棲艦だって、そういつまでも待ってはくれないだろう。

 

 それでも、きっと、大丈夫だ。無意識に笑みを浮かべる。

 

「また、提督頼りになっちゃうんだけどね~…」

 

 即座に頭に浮かぶのは『彼』の… 提督の姿。

 

 相変わらず案は浮かばないのに、安易に人を頼ってしまう己の頭の安直さに少々の自己嫌悪。

 行儀が悪いと自覚しながらも湯船に深く身を沈め、ブクブクと泡立たせてしまう。

 

 そして、考えるともなしに考えてしまう。

 

 なんだかんだと収まったものの、どうして提督は謝ったのだろう? 

 提督に謝る必要はなかったという考えは変わらない。

 

 けれども彼は、あの時、心からの謝罪をしていたように感じる。

 

 この鎮守府に異動したとは言え、言ってしまえばそれまでなんの関わりもなかった第六駆逐隊。

 そんな彼女たちのために、どうして彼はあそこまで心を痛めたのだろうか。

 

 龍田の頭に浮かんでは消えていく様々な出来事。

 

 

 

 

「のぼせるぞー?」

 

 そんな思考に没頭していたせいだろうか、掛けられる言葉とお湯への反応が遅れてしまう。

 バッシャーンと派手な音を立ててまともに命中し、軽いパニック状態に陥る。

 

「えっ! ちょ、天龍ちゃ… わぷっ!?」

 

 龍田の髪をまとめていたタオルが紐解かれ、艷やかな濡れ羽色が露わとなった。

 視線を向ければ案の定、そこには天龍型一番艦・天龍が立っていた。

 

 いつかの時のような悪戯っぽい笑みを浮かべる姉に向け、龍田は抗議の色を声音に滲ませる。

 

「天龍ちゃーん…?」

「あははっ! わりぃわりぃ! 折角の風呂で何難しい顔してんだと思って、つい… な?」

 

「もうっ!」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。

 全く悪びれない様子で湯船に浸かりにくる天龍の姿に、龍田も抗議するのがバカらしくなった。

 

 仕方ないという苦笑とともにため息を漏らせば、天龍がすかさず口を開く。

 

「おー! いい湯加減だなぁ。さっすが妖精、入渠も風呂もバッチリだ」

「ホントそうねぇ。うーん、染み渡るわぁ…」

 

「……なぁ龍田。なんかソレ、おばさん臭いぞ?」

 

 ピシリ、と空間が軋む音が聞こえた気がした。

 いきなりなんてことを言うのだろうか、この姉は! ……戦争か? 戦争をしたいのか!? 

 

 だが口車に乗ってはいけない。今にも折れてしまいそうな己の心を叱咤する。

 そして若干涙目になりながらも、グッと堪えた。淑女の意地であった。

 

 大丈夫、やれるわ。龍田は強い子だもの。

 そんな想いとともに精一杯の余裕の微笑を浮かべつつ、龍田はゆっくり息を吐き出し語り出す。

 

 淑女たるもの常に余裕を持って優雅たれ。口角がほんのり引き攣っているのはご愛嬌か。

 

「お… おばさんって何よもう、失礼しちゃうわぁ。ほらぁ、このお肌のハリをご覧なさい?」

「ハハッ、冗談だって! 可愛い妹が提督のために毎日せっせと磨いてるモンを貶せるかよ」

 

 しかし、追い打ちで(龍田にとっては)特大の爆弾が投下される。

 龍田の涙目に、赤面がプラスされた。

 

「ちっ!? ちちちちが、ちがっ… 別に発注欄にあった化粧水なんて全然気にしないしっ!」

「あぁ、そういや食い入るように見てたよなぁ。アレ、艦娘にも効果があんのかねぇ?」

 

「だ、だからぁ…!」

 

 その言葉に、なおも身振り手振りで弁解しようとする龍田。

 

 彼女によって立てられる水飛沫がバシャバシャと天龍の頭に盛大に降り注ぐ。

 先ほどの仕返しを充分以上に受けたなと感じつつ、彼女は手を振って面倒そうに口を挟む。

 

「……あーはいはい、俺が悪かったからそのへんにしとけって。ホントにのぼせちまうぞ?」

「だ、誰のせいで…っ!」

 

「あー? 俺のせいってか? 違うだろ? 強いて言やぁ提督のせいだろうに」

 

 ニヤリと男前な笑みを浮かべて問い返されれば、龍田とて「ぐぬぬ…」と押し黙るしかない。

 からかわれていたことに気付いて、ぷいっと顔を背ければ呵々大笑とともに頭を撫で回される。

 

 髪を乱された龍田が半目で睨みつけることで「おお怖い」とようやく天龍も距離を取った。

 

「んで、一体何を悩んでたんだ?」

 

 ひと心地ついてから、天龍が尋ねる。

 勿論散々からかわれながら素直に応じる龍田ではない。

 

「……知らないわー」

「だから悪かったって。……俺が入ってきたことにも気付かないほど考え込んでたんだろ?」

 

「………」

 

 つーんと拗ねる龍田に天龍は「ほれほれ、おねーさんに話してみ?」としつこく食い下がる。

 やがてやたらとお姉さんぶる彼女に根負けした龍田は、大きく息を吐きだすとポツリと零した。

 

「……提督はなんであの時謝ったのかな、って」

「うん? あの時って」

 

「ほら、元凶(アレ)が来た時の話。六駆の皆に謝ってたでしょ?」

 

 そこまで語れば天龍も「あぁ、アレか」と苦い表情を浮かべる。

 大事な思い出ではあるが、かといって愉快な思い出というわけでもない。

 

「ずっと考えてるんだけど、わからなくって…」

 

 ぼんやりと呟く龍田の言葉に、天龍は「なるほどな」と腕を組みつつ一つ頷く。

 そして自分なりの解釈を悩める妹に向かって告げることにした。

 

「……まぁ、アレだろ? 一言で言えば『責任を取る』ってことなんだろうな」

「責任?」

 

「まずアイツにとっての謝罪ってのは『頭下げて、許して、はいおしまい』ってのじゃねぇ」

「それは、えぇ… わかるわぁ」

 

 それは天龍に言われるまでもなく、龍田にも分かっている。

 

 元凶(アレ)の謝罪と彼の謝罪。

 同じ提督による謝罪なのに与える印象は全く違っている。恐らくは、その中身も。

 

 龍田の相槌に頷きつつ、天龍は更に言葉を続ける。

 

「今まで酷い扱いをしてきた『提督』って存在の一人として頭を下げてるのはあるだろうさ」

「……えぇ」

 

「でも、それだけじゃなくて… なんつったらいいか『これから』がアイツにとって大事で…」

 

 表現する言葉が上手く出てこなくて頭を捻っている天龍。

 

 そんな彼女の姿を見て、ふと、龍田の脳裏に浮かぶ言葉があった。

 心の赴くまま、彼女はそれを形にしてみる。

 

「その『今後への誓い』こそがあの人にとっての責任、ってこと?」

 

 誓い、約束… 様々な言い回しがあるだろうが、つまるところ、そういうことなのだろう。

 龍田自身、言葉にしてみてストンと腑に落ちるものを感じた。

 

 するとそれを聞いた天龍がニンマリと笑い、龍田の頭を抱き寄せ髪をクシャクシャと撫で回す。

 

「なんだよ、分かってんじゃねぇか!」

「ちょ、やめてってばぁ!?」

 

「……響なんかは何となく理解したのかもしんねぇな。何も考えていないようで考えてやがる」

「………」

 

「暁も、まぁ… そういう気持ちを向けられて、アイツなりに応えたいと思ったんだろうよ」

 

 沁み沁みと呟く天龍の言葉に、龍田も「……うん」と頷いた。

 

 腑には落ちた。落ちたけれど… 自分一人ではとても気付くことが出来なかった。

 分かっていると天龍は言ってくれたが、彼女の言葉がなければ幾ら考えても答えは出なかった。

 

 提督の言葉に乗せられた真意、想い… それらを受け取れなかった自分の不甲斐なさ。

 そしてそれらを理解している天龍に対して仄かに芽生えた嫉妬。

 

 それら全てを押し隠し、どこか遠くを眺めるような表情をしている自身の姉に龍田は尋ねた。

 

「……どうして」

「──ん?」

 

「どうして、天龍ちゃんは分かったの? 提督に教えてもらった、ワケじゃ… ないわよね」

 

 そうであって欲しいという感情とそうであって欲しくはないという感情のせめぎ合い。

 まるで、自分だけが提督のことを何も理解できていないかのような気持ち。

 

 天龍だけではない。

 自分だってこの鎮守府を、みんなや提督を守りたい気持ちは変わらないはずなのに。

 

 なのに、何故? なのに、何故? なのに、何故? 

 終わりなき螺旋階段の如くグルグルと回り続ける龍田の思考。

 

 縋るような彼女の表情に何か感じるものがあったのか、天龍は船渠(ドック)の天井をゆっくり見上げる。

 そのまま視線を動かさず、まるで独り言のように語り始めた。

 

「俺はな、アイツの最高の道具になりてぇんだ」

「……道具?」

 

「あぁ」

 

 その声があまりにも優しかったから、自身に宿り始めた黒い感情も忘れて聞き入ってしまう。

 そんな龍田の様子を知ってか知らずか、天龍は言葉を続ける。

 

「仮にアイツが俺に命を差し出せと… いや、アイツがそんなこと言う訳ねぇか」

「………」

 

「そうだな。この身体を求められても、か? ……あぁ、喜んで差し出せるさ」

「かっ!?」

 

「まぁ俺如きの身体じゃあ満足してもらえねぇかも知れねぇけど… って、どうした?」

 

 いきなりなんてことを言うのだろうか、この姉は! この姉は! 

 真っ赤になりながら慌てて首を左右に振る龍田。

 

「にゃ!? にゃんでもないわー!」

「? まぁ、そんなワケで… 俺は提督の意思を、想いを貫き通す為の道具になりてぇんだ」

 

「……あ、うん。そこで真面目な話、続けちゃうんだ」

 

 噛んでしまった。死にたい。

 身体をプルプルと震わせ、若干遠い目をしながらそんなことを考える龍田。

 

 そんな妹の様子を見て、少し吹き出しながら、天龍は言葉を発した。

 

「だから誰よりアイツの言葉と想いを理解してぇと思ってる。そしてなるんだ、一振りの刀に」

「……刀に?」

 

「あぁ。あのクソみてぇな提督や深海棲艦にも負けない、折れない、歪まない。そんな刀に」

 

 真っ直ぐ、まるで目の前に提督がいるかのように真摯な瞳で語る天龍。

 

 きっとあの提督は、天龍が… 彼女が自ら道具となる道をよしとはしないであろう。

 そう頭では理解しつつも、龍田には、天龍の迷い無き表情がとても輝いて見えた。

 

 

 ──天龍ちゃんはきっと、提督の想いそのものになりたいんだ。

 

 

 天龍のその表情を見て、龍田は人知れず笑みを浮かべる。

 

 提督の想いを背負って海を征き、彼の抱く想いを実現したい。

 きっと、それこそが天龍がこの海に託した願いなのだ。

 

 だから今更改めて宣言するまでもなく、彼女にとって提督に全てを捧げるのは当然のことで。

 

「アイツはさ。何処か、ちょっと狂ってる」

「えっ?」

 

 だから唐突に発せられたその言葉に、反応が少し遅れてしまった。

 

「考えてもみろよ? 俺や龍田に限らず… 六駆に至るまで、アイツは俺たち艦娘のために我が身を簡単に犠牲にしようとしやがる」

「それは、えぇ… 確かに…」

 

「考えたくもねぇが提督がその身を犠牲にしなきゃいけねぇ状況ってのは確かにあるかもしれねぇ。だが、そういうのは普通は艦娘たちが軒並み倒れたその後の話だ。だから俺たちが着任した時だって、時雨たちの盾にでもなんでも使うのが常道のはずだった… 実際、俺はそうなることも覚悟してた」

 

 龍田とてソレについて考えなかったわけではない。

 天龍同様に、自分を囮に使うだろうと考えていたしソレが妥当な考えだったと思っている。

 

 しかし、しかしだ──…

 

「そう、アイツはそうしなかった。アイツはそういった負債を全部テメェで抱えこんで結果を出した。確かに作戦は成功、万々歳だったけどな… でも、そんなの艦娘の名折れだろ? 海を、日本を守護するはずの艦娘が提督一人支えられないなんてよ」

「……うん」

 

「アイツが傷つくなんて許せねぇし認められねぇ。だから俺はアイツの道具に… 意志を貫く為の刃になりてぇんだ。アイツが自分を犠牲にするなんて考えるまでもなくあらゆる困難を切り払って易々とアイツのやりたいことを実現しちまう、そんな道具にな」

 

 いつになく多弁な、しかし誇らしげな姉の姿を、龍田はどこか遠くの出来事のように感じる。

 

 彼女がそんなことを考えていたのに自分はどうだったか? 

 俺の理解力のなさを棚に上げ、つまらない嫉妬の感情に溺れそうになっていただけではないか。

 

 そんな鬱屈した感情が思わず口をついて出る。

 

「……すごいな、天龍ちゃんは」

「はぁ? なんだ藪から棒に」

 

「私と違ってすごいなって… 何も出来ない私とは全然違うもの。ちょっと、羨ましいかも…」

 

 龍田が心底羨ましそうな言葉とともにジッと天龍を眺めた。

 一方、天龍はと言えば呆れたようなため息を漏らす。

 

 そして自身の頭をガシガシと掻いてから、如何にも不本意そうに言葉を絞り出した。

 

「……バッカ。羨ましいって、そりゃこっちの台詞だっての」

「え?」

 

「まさか、ぜんっぜん気付いてなかったとはなぁ… まぁ龍田らしいっていうか」

 

 想定もしていない返答だったのだろう、思わず小首を傾げてしまう龍田。

 そんな妹の様子に再度ため息を吐き、天龍は観念したように語って聞かせるのであった。

 

「おまえが時雨やら夕立やらと楽しそうに笑ってるトコを見た提督、どんな顔してると思う?」

「……え、今なんでその話が?」

 

「すんげー嬉しそうな… いや、幸せそうな顔してんだよ。俺にゃあんな顔させられねぇよ」

 

 天龍から告げられた言葉に思わず呆然とする龍田。

 

 その台詞の意味を理解するにつれ、徐々にその頬が真っ赤に染まる。

 天龍はと言えば、ザバッと立ち上がり龍田に背を向けて湯船から出ようとする。

 

「……はぁ。ほんっと、おまえにゃ敵わねぇよ」

「ちょ、ちょっと天龍ちゃん!?」

 

 オロオロと狼狽えながら自身に湧き起こる感情を処理できず、姉を呼び止める龍田。

 

 どうしよう? どうしたらいい? 

 それを知ってしまった自分は、今後、どうすべきなのか? 

 

 背を向けたままでも、そんな妹の様子が手に取るように伝わってくるのだろう。

 天龍は、笑みを浮かべながらもう一つ、言葉を付け加えた。

 

「俺にしてもそうさ。おまえが笑ってくれてるから、心置きなく刃になりたいと思えるんだ」

「天龍ちゃん?」

 

「……だから、これからもよろしく頼むぜ? 龍田よ」

 

 龍田はその言葉に、みっともなく「え、あ、うん。こちらこそ…?」と返すのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 天龍が立ち去り、船渠(ドック)に静寂が戻る。

 

 それでも、龍田の鼓動は煩いほどに鳴り響いていた。

 胸のドキドキがこめかみまで昇ってくる。

 

「……胸、煩いなぁ」

 

 自身のそれにそっと手を当てて、つぶやく。

 

 苦しい。慣れ親しんだはずの胸の痛み。

 けれども、この鎮守府に来るまでに感じてきたそれと違う、とても幸せな痛み。

 

 その幸せを噛み締めながら、龍田は誰にともなく囁く。

 

「天龍ちゃんが困難を貫く刃になるのなら… 私は幸せを守る盾になるよ」

 

 今日の今日まで何も出来ない無能な自分だと思っていた。

 今日の今日まで何も思い浮かばない無様な自分だと思っていた。

 

 けれど笑おう。笑い続けよう。どんな苦境にあっても。

 それが他でもない、心から大切な『彼』にとっての幸せとなるのなら。

 

 この日、鎮守府の片隅で一人の女性が静かに『誓い』を胸に抱く。

 

「うん… あなたの創る幸せを守り抜きたいから」

 

 晴れやかなその表情は、見る者を思わず幸せにするであろう輝きに満ち満ちていた。



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アオヤギさん

【デスゲームで勝ち残った少年は滅びた世界を創り直せる神になった】
 作:アオヤギさん













 手にしていたものを猛る想いそのままに床へと叩きつけた。

 

 それは、プレゼントとして用意した可愛いあざらしのヌイグルミ。

 ……そして、今はもう必要のなくなったもの。

 

「ハァ、ハァ… こんな世界、滅んでしまえばいい」

 

 涙など、とうの昔に枯れ果てた。

 それでもなお尽きることのない煮え滾る感情は、胸の中で渦を巻き醸成されていく。

 

 ここはもう自分の部屋の中だ。取り繕って我慢する必要なんてもうない。

 

 そんな計算があったのか、なかったのか──…

 気が付けば、衝動のままに部屋にある全ての物に手当たり次第に破壊の限りを尽くしていた。

 

 思い出の写真立ても、愛用のマグカップも何もかも全て。

 明日使うはずのノートも教科書も破り捨て… 特に、進路希望調査書を執拗にバラバラにする。

 

「進路希望調査書? ……ハッ、バカバカしい」

 

 もっともらしい『希望』なんて言葉で飾ったそれを破りながら皮肉げな笑みを浮かべる。

 親や教師に限らず、誰も彼もが自分自身が心の底から願っている希望を聞く気などないのだ。

 

 ほどほどで破壊を切り上げ肩で息をしていると、ふと誰かに見られているような気がする。

 

 なんとなくそちらに顔を向ける。

 するとそこにはあざらしのヌイグルミが床に鎮座し、ジッとこちらを見詰めていた。

 

 さきほど力任せに床に叩きつけていたソレである。無論、こちらを見ているのは偶然であろう。

 まるで悩みなどないような脳天気な愛嬌のある笑顔。それが、今は、無性に腹立たしい。

 

 だから、もう一度掴み上げて… 強く、強く、地べたへと叩きつけた。

 

 もう何もかもどうでもいい。いっそ全て壊れてしまえばいい。そんな想いごと、力を込めて。

 

「こんな世界… 滅びてしまえ!」

 

 怨嗟、悲憤、そして憎悪…

 そんなドロドロした感情全てを乗せた声は、自分以外誰もいない部屋に呑まれ虚しく消えゆく。

 

 ……そのはずだった。

 

『──ならば、君が新たに創り直せばいい』

 

 本来ありえないはずの“誰か”の反応。

 

 続いて世界は光に包まれて… そうして、その日、滅びを迎えた。

 創世のための滅びを。滅びのための滅びを。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ──―

 

 ──

 

 ―

 

 あれからどれだけの時間が経過したことだろう。

 

 白い… どこまでも白い、今やお馴染みとなった部屋の中で一人立っている。

 いや、『一人』という表現は正しくもあり間違ってもいる。

 

 何故なら…

 

「……おめでとう。最後まで勝ち残った君が、この新たな世界の『神』だ」

 

 目と口だけがついた球体。

 そんな不愉快な物体が、さも愉快そうに癪に障る笑みを形作っているからだ。

 

 そのお話の相手は当然俺である。

 

「まさか君が生き残るとはねぇ… いかにも最初のゲームで死にそうなタイプだったのに」

「………」 

 

「いやぁ、いよいよボクの勘も鈍ったのかな?」

 

 愉快そうなのは目と口ばかりでないようだ。

 ペラペラとよく回るその減らない舌に至るまで嫌になるほど表現され尽くしている。

 

「………」

 

 常ならば神経を逆撫でされていたであろう言葉にも、今や反応する気力すら湧かない。

 この白い部屋には、最初は俺以外にも多くの連れてこられた若者がいた。

 

 しかし、今はもう俺しかいない。何故なのか? 

 死んだからだ。俺以外は誰一人残らず。

 

 ……いや、その物言いは正確ではない。俺の所業を考えれば卑怯に過ぎる物言いだろう。

 正確には『殺した』のだ。この俺が、一人残らず。

 

 そんな俺の内心などお構いなしに球体はつらつらと語り続ける。

 

「人は大なり小なり死の間際にその本性と本質を顕わにする存在だが… 君は特に顕著だった」

 

「肉体、頭脳、駆け引き… それら全てが他のプレイヤーより優れていると実証したんだよ」

 

「初期値は冴えなかったのにね… まさか実戦の中で成長するタイプがいるとは思わなかった」

 

 決して球体の言葉につられたわけではないが、これまでの道程を胸中で振り返ってみる。

 

 俺より強い人間もいた。俺より賢い人間もいた。俺より駆け引きに優れた人間もいた。

 正気のままでは勝ち残れなかっただろう。狂気に落ちればここには立っていなかっただろう。

 

 肉体、頭脳、心… それら全てを秒単位でヤスリで削っていくような戦いの果て。

 薄氷を踏み続けるような死闘を潜り抜け、俺は最後の一人となるまで生き延び勝ち残ったのだ。

 

「……これで晴れて君は『滅びた世界を一から創り直せる神の座』を手にしたわけだね」

 

 俺の回想が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、そう告げる球体。

 世界を滅ぼし俺たちにゲームを強制したソレは、楽しみを抑えきれぬ様子で白い火花を散らす。

 

 いつしか部屋を覆っていた白い壁は消えて、何も存在しない深い闇が部屋の外に露わとなる。

 

「この闇から、君は自分の望んだ通りの世界を創ることができる」

 

 ……このゲームに集められた若者は、誰もがみな等しく世の中というものに絶望していた。

 恐らくはそういう連中をわざわざ選んだのだろう。

 

 だからこそ、彼らは望んだ。

 自分の思い通りの… 理想の世界を創ることのできる神の座を。

 

 その境遇こそが、誰も侵すのこと出来ない強い動機となって互いを殺し合いへと導いた。

 

 ここまでは球体か、その上にいるかどうか分からない黒幕の読みどおりの展開だっただろう。

 ……そう、ここまでは。

 

「さあさあ、教えてくれ新世界の神よ。君はどんな世界を望むんだい?」

 

 答えを急かす球体への返事は既に決まっている。

 そもそも『最初』から何一つ変わっていないのだから。

 

 俺の望む世界。それは──…

 

「このままだ」

 

「──は?」

 

 ガランとした空間に、乾いた言葉がこだまする。当然、その声の主は球体だ。

 ヤツに表情というものがあれば、さぞや間抜け面を晒していたであろうことは想像に難くない。

 

 そんな益体もないことを考えながら、ため息混じりに俺は言葉を繰り返す。

 

「だから、このままだ。……新世界なんて創らない。滅んだままでいい」

 

 最初からそう言っていたはずだ。

 

「……信じられない。ここまで来て滅びを望むのかい? 世界は君のものになったんだよ?」

 

 あぁ、そういえば他のプレイヤーたちはそうだったな。

 自分が、自分だけが幸せになれる世界を望んでいたっけ。

 

 ……だが、俺はそんなものに興味はなかった。

 

 だから飽くまで繰り返す。

 

「聞こえなかったか? このままだ」

 

 その言葉に呆れたのか、それとも怒ったのか… 球体は、なおも言い募ってくる。

 

「わからないな。世界を創る気がないなら、なんで勝ち残ろうと?」

「他人に殺されたくなかっただけだ。自分の命は自分で面倒見る」

 

 俺が滅びを望んでいるからといって、みすみす勝ちを譲ってやる理由にはならない。

 

 いよいよ俺が本気だというのを悟ったのだろう。

 球体は鼻白んだ様子を声音に隠そうともしないまま、俺への嫌味を口にする。

 

「つまり、君は安心して自殺をするためだけに他のプレイヤーたちを皆殺しにしたわけだ?」

「確かに最初はそうだったけど、ゲームを進めるうちにそれだけじゃなくなったさ」

 

「……というと?」

 

 あんな連中の望む世界なんて創らせたくなかった。それに尽きる。

 このゲームで改めて実感した。世界は、人類は滅びた方がいい。

 

 自分が生き残るためなら人間は何でもする。

 他人を利用することも、騙すことも、裏切ることも。

 

 俺がみんなを守ってやると公言する強い男がいた。

 ソイツから最初のターゲットに選ばれたのは一番弱い俺だった。

 

 みんなで生き残る方法を探そうと声を上げている女がいた。

 ソイツも最後には我が身可愛さに俺を殺そうとしてきた。

 

 そして、世界を出汁にそんな連中を集める『催し物』だって金輪際お断りだ。

 永遠に消えて無くなって欲しい。

 

 だから、あぁ、だから徹底的に破壊した。部屋もゲームも、そう考えれば変わらない。

 ここで俺が滅びを願えばこのゲームは終わる。世界はこのまま消滅して終わる。

 

 鬱憤を吐き出すようにそう告げれば、球体は「なるほど」といかにもつまらそうな声を漏らす。

 

「ボクとしては興醒めだけど… 神がそうお望みなら仕方ない。そういう選択もアリかもね」

 

 それでいい… もう醜いものを見るのはたくさんだ。

 あとは俺が消えれば、本当にこれでおしまいだ。

 

 しかしその時、ふと誰かに見られているような気がした。

 

 なんとなくそちらに顔を向ける。

 するとそこにはあざらしのヌイグルミが白い床に鎮座し、ジッとこちらを見詰めていた。

 

 俺の視線の動きに気付いたのか、球体が「ああ、それか」と口を開く。

 

「君を招く際に、君の足元にあったようだから一緒に転移させてしまってそのままだったね」

 

 続いて、「これから滅びる世界の最後の遺品ということになるのかな?」などとうそぶいた。

 

 ゆっくりとした足取りでソレに近付き、拾い上げる。

 あざらしのヌイグルミ。アイツに… 妹にプレゼントするはずだったもの。

 

 世界の滅びより先に命を散らせてしまった、たった一人の妹。

 

『お兄ちゃん、病気が治ったら水族館に行こう。でね、あざらしをまた一緒に見るの。約束!』

 

 ──任せろ。俺が医者になって必ずおまえを治す。そしたら一緒にあざらしを見に行こうな。

 

 ……結局、一緒にあざらしを見にいくという約束は果たせなかった。

 それでももう一つの、医者になるという約束だけは果たしたかった。

 

 だけど教師は言う。おまえでは無理だ。もっと現実を見て、地に足をつけた選択をしなさい。

 親も言う。妹のことは忘れておまえの人生を歩みなさい。アレはどうしようもなかったんだ。

 

 誰も彼も、俺のやりたいことを夢を邪魔しようとしてくる。

 心からの願いを無理だと決め付ける。

 

 身の丈に合った生き方をしろ。現実を見ろ。夢を見るな。

 ふざけている。なぜすぐに大人は諦めろと言うのか。希望を抱くのがそんなに悪いことなのか。

 

『お兄ちゃんなら絶対にお医者さんになれる。わたし、信じてるから』

 

 たった一人、あの世界で俺の夢を応援してくれていた妹は… もういない。

 アイツがいなくなったその時に、あの世界で生きる理由なんて失われた。

 

 あとはもう、「世界なんて滅べばいい」という実感を新するためだけに生きる毎日だった。

 それなのに──…

 

『お願い、お兄ちゃん。たくさんの命を救える人になって』

 

 このあざらしのヌイグルミを見ていると、思い出したくないことまで思い出してしまう。

 

「なるほど、その妹とやらが君にとって生きる理由だったのか」

 

 それ見たことか。

 

 いかなる手品を使ったのか球体がこちらの思考を読み取って口を挟んできた。

 これ以上聞いてはいけない。なのに、続く言葉を耳でとらえてしまう。

 

「ならば、そう望めばいい」

 

 そう、そのとおりだ。

 ただ望むだけで、『ソレ』が実現できるところまで来ている。

 

「最愛の妹を蘇らせることも、邪魔な存在を消し去ることも今の君ならば望みのままだ」

 

 今の俺ならば、かつて『そう願ってやまなかった世界』を手にすることだって出来る。

 改めて思い出した、俺の、たった一つの希望。 

 

「改めて聞こうじゃないか。……さあ、新世界の神よ。君は、どんな世界を望む?」

 

 俺は……

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ……まったく、やはり人間は度しがたい生き物だね。

 

 結局、世界は新しく創られた。それ自体はいいさ。

 けれどそれは、ボクが来る前となんら変わり映えのない世界だった。

 

 ……まさか、すべて元通りにするよう願うなんて思わなかったよ。

 あの殺し合いゲームで自分のことを騙して、殺そうとしてきた連中までをも蘇らせるなんてね。

 

 ならいっそのこと妹も蘇らせてやればよかったのに、彼はそうしようとしなかった。

 そうして世界は、まるで、滅びなんて最初からなかったかのように元通り。

 

 もっとも、何も変わり映えないとは言ったものの彼自身には変化があったようだ。

 

 彼はゲームを通じて様々な生と死に触れた。

 歪な形ではあったけれど、それらの経験は彼と彼の夢にとって大きな糧となったらしい。

 

 もちろん彼だって、あるがままを受け入れて世界の存続を望んだわけじゃない。

 むしろ最後まで葛藤をしている様子でさえあった。

 

 彼が望みさえすれば、ボクは本当に妹と平穏に生きられる世界を用意するつもりだったけど。

 それでも、彼は妹との約束を果たすために戦う道を選んだようだ。

 

 まあ、精々頑張るがいいさ。

 ボクとしては釈然としない結果だが… この愛らしいあざらしに免じてその決意を尊重しよう。

 

「……素敵なプレゼントをありがとう。がんばってね、お兄ちゃん」

 

 全てが溶けゆく暗闇の中で、ボクは不格好ながら必死に生きる『彼』を想って言葉を紡いだ。



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NeoNuc2001さん

【吸血鬼の憂鬱(魔法使いの消失)】より『第三話 The Fifth?』
 作:NeoNuc2001さん









「こんばんは。良い夜ね」

 

 私は挨拶が好きだ。

 

 私が確かにここにいるということ。あなたに確かに向き合っているということ。

 それらを示す、簡単で便利でおまじないだから。

 

 挨拶をすることで相手は嬉しくなる。

 挨拶を返されれば自分も嬉しくなる。

 

 だから私は挨拶をする。

 気さくで、優しく、ちょっぴり可憐で、茶目っ気溢れる夜の挨拶を。

 

「あぁ、こんばんは。人の身でありながら、よくぞここまで」

 

 思った通り、挨拶を返してくれる。

 

 ゆるりと優雅に持ち上げられた口角から幼気な牙が覗く。

 きっと嬉しいんだ。

 

 生まれたてで物の道理がまだ分からないかもしれない、と危惧していたけれど杞憂だった。

 年齢より、容姿より、きっともっとずっと大きな経験をこれまでもしてきたのだろう。

 

 やはり挨拶は良い。相手も笑顔。私も笑顔。

 私はその嬉しさに乗っかる形で更に言葉を続ける。順調に挨拶を交わせたならば次は会話だ。

 

「門番の人とは一悶着あったけど、貴方に会いたいと言ったら喜んで通してくれたわ」

「ほう、美鈴を破ったか。……まぁ、よい。それで? 私に一体何用かな」

 

「まぁ、うん。貴方というよりは貴方の妹… そう、フランちゃんに用事があるのだけど」

 

 そう伝えれば目の前の少女… レミリア・スカーレットはまじまじと私の姿を見てきた。

 驚きや困惑、微かな焦燥といった感情が『視えて』くる。

 

 ……なにかおかしな格好をしているのかしら? 

 生憎と貴族階級の礼儀作法なんて知識程度のものだけれど、精一杯の身嗜みはしてきたはずよ。

 

 やや大きめのとんがり帽子。ツバの先端にはタリスマンをあしらいお洒落に飾り立てている。

 灰色と黒の布地を重ねた少し地味だけど落ち着いた服の下には、暗緑色のロングスカート。

 

 これでも友好的な挨拶を心掛けて引っ張り出した一張羅。高級感はないが下品でもないはずだ。

 あ、この髪かな? 長くてクルクルした白の癖っ毛が野暮ったくて睨まれているのかなぁ? 

 

 いや、でも、これは別に寝癖そのままってわけでもなくて出来る限りの努力はしておりまして…

 

 そんな私の胸中の葛藤などお構いなしに彼女、レミリアは問いかけてきた。

 

「……一体何者だ?」

「ん?」

 

「あの子のことを知る者は限られる。……口にする者はもっと少なく、私か親友くらいだろう」

 

 ……あぁ、そのことか。

 

 確かにそれはそうだ。疑問に思って当然だ。

 いけないいけない。『視える』からと言ってこちらが横着をしていい理由にはならないもの。

 

 楽に慣れ過ぎると当然のことと思って見落としてしまいがちな落とし穴。

 反省しないと。自戒の気持ちを込めながら口を開く。

 

「多分本来なら気にすることはなかったと思うんだけど… フランちゃんが『視えて』、ね」

「! なるほど、『千里眼』か。だとすれば…」

 

 うんうん、いいねいいね。正しいヒントを渡せば即座に理解してくれる。

 やはりこの子は真っ当に賢い。挨拶も返してくれたしポイント高いわ。

 

 更に上向きになった機嫌のままに、私はやや胸を張り、歌うように声高らかに宣言する。

 

「そう、私は種族としてではないれっきとした『魔法使い』アリス・マルティーク!」

 

 そしてウィンクを一つしながら「よろしくね」と付け加える。うん、バッチリ。

 

「………」

 

 眼の前の幼い吸血鬼は唖然とした表情を浮かべて固まってしまった。

 

 ついに… ついに言ってしまったわ。これ以上ない、最高のキメ方で。

 そう、私が『魔法使い』だって! 

 

 魔女でもない本来の意味での魔法使いとなれば、吸血鬼とはいえ驚きは隠せないでしょう? 

 私は胸を張りつつも、横目でチラリとレミリアを盗み見するように観察する。

 

「……成る程、やはり。であるならば、これまでの出来事にも説明が付くというもの」

 

 必死に平静を保って見せているようだけれど、流石に声に滲む僅かな震えは隠せない様子。

 

 フフン、そうでしょう? もっと褒めて! もっと褒めて! 

 なんたって『魔法使い』だもの。響きからして別格よね? 

 

 こう、ピカピカッてしててキラキラッてするような名前って子供心にズババッて来るものね! 

 どんな天才だって、どんな悪人だってきっとそれは変わらないはずだもの! 

 

 ミッションの完全達成を確信した私は、得意満面の笑顔のままに言葉を続ける。

 

「というわけで、フランちゃんに会わせて欲しいのだけれど?」

「……良いだろう。フランに会わせてやろうとも」

 

 わーい、やったー! 

 挨拶も返してくれるし、話も分かるしでレミレアちゃんマジで最高の… あれ? あれれ? 

 

 レミレアさん、なんで貴方の手の中に膨大な魔力(オド)の塊が渦巻いてらっしゃるのでしょう? 

 

「但し! この私、レミリア・スカーレットを倒すことが出来るならばなぁ!」

 

 ……WHY? 

 

「あと私の可愛い妹を気安く愛称で呼ぶな! 殺すぞ!! 死ね!!!」

 

 レミレアさんから突如発せられる支離滅裂な言動の数々。

 

 どうやら気付かぬうちに虎の尾を踏んでしまったことだけは理解した。

 破壊の暴威を振り撒く真紅の槍が眼前に迫る中、どこか他人事のようにそんな考えが浮かぶ。

 

 ──だから、どうした。

 

 私は気を取り直すと改めての笑顔を浮かべつつ、帽子を深く被り直す。

 そして虚空から愛用の杖を『取り出す』と、彼女の『挨拶』に向き合うのであった。

 

「よーし! いいよ、一緒に戦おうか!」

 

 

 

 ──

 

 

 

 私ことレミリア・スカーレットは今、大の字に寝転がるという無様を晒している。

 部屋の惨状と同様にボロボロに成り果てた姿で。

 

 指一本動きそうもない。

 それはもはや、言い訳のしようもないほどの完膚なきまでの敗北であった。

 

 勢い込んで仕掛けた戦闘は、主に私にとって惨憺(さんたん)たる結果を刻む形と相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時まで、私ことレミリア・スカーレットは、確かな勝算を己が胸中に宿して挑んでいた。

 

 開幕の挨拶とばかりに怒声とともに投擲した我が赫槍、スピア・ザ・グングニル。

 牽制用とは言えまともに命中すれば命をも刈り取るであろうソレを、ヤツに向かって抜き放つ。

 

 仮に迎撃されようと今始めている魔術詠唱の妨害となれば良し。

 いかな魔法使いといえ、ロクに魔力の乗ってない魔術や体術に如何ほどの驚異があろうか? 

 

 確かにヤツの詠唱は早い。言の葉も拾えぬほどの高速詠唱。あるいは神言の域のソレだろう。

 だが、それでも遅い! 呑気に詠唱を続けるヤツに迫る槍の速度を遠隔操作で更に加速させる。

 

 ヤツとて魔法使い。その看板に偽りがなければこの程度で倒せる相手ではないだろう。

 しかし、この一手から畳み掛ければ勝機は此方に大きく傾く。

 

 加えて私にはとっておきの切り札が存在していた。──【空想具現化(マーブルファンタズム)】。

 

 相手が如何なる魔法を使おうと、私が一言「消えろ」と唱えれば──…

 いや、ただ念じるだけで如何なる魔法であれ効果を発揮することなく消し去る万能の切り札。

 

 その上で仮に因果を操る者だとしても、私には運命を操る能力がある。……負ける道理はない! 

 

 とはいえ、相手は厳重に隠蔽を施したはずのフランの存在を看破し美鈴を倒したほどの強者。

 高位の吸血種が持ち得る空想具現化能力にも、当然、何らかの対策を講じている可能性は高い。

 

 いや、なにより… なにより『この程度の試練は乗り越えてもらわねば、それこそ嘘だ』。

 油断も慢心もなく、眼前の標的を見据える。こちらは手練手管を以てその策を封殺するのみ。

 

 ……さぁ、どう出る? 

 

 渦巻く魔力量から見て、ヤツめの詠唱中の魔術は魔法とまで行かずともそれに程近い大魔術。

 槍ごと消し去る攻性魔術か? ならばよし。予定通り次なる魔力を練る間も与えず轢き潰そう。

 

『Eternal Ray』

 

 ヤツは速度を増した赫槍に詠唱が間に合わぬと判断したのか顔を上げ、突如、詠唱を破棄。

 前に突き出すように掲げた手のひらから迸る、一条の閃光。……槍の相殺を狙ったか。

 

 高速神言にすら迫る速度で詠唱したかと思えばそれを破棄し、新たな魔術を発動させる。

 なるほど、中々に器用なものだ。……だが甘い。

 

 即座に次の一手に移る。

 

 スピア・ザ・グングニルを大量生成、『魔法使い』の周囲に無数に展開させる。

 初手の小手調べのモノより遥かに鋭く、多く、速く、運命操作の必中効果も付与したモノをだ。

 

(ヤツからすれば魔術で攻撃しているハズが逆に攻撃されていた、という状況なワケか…)

 

 口角が上がるのを止められない。

 ヤツは強敵だ。実践的な動きをするし、使えぬ大魔術に見切りを付ける決断力も見事の一言。

 

 だからこそ窮地を招く。真祖たる吸血鬼がただ死に難い怪力だけが取り柄の種族だと思ったか? 

 膂力は言うに及ばず、思考力や記憶容量も遥かにヒトという存在を凌駕するのだ。

 

 故に、速度も支配する。相手にくれてやる時間などない。大魔術は使わせない。魔法も無論だ。

 

「くたばれ、魔法使いッ!」

 

 スピア・ザ・グングニルがその赫をより紅く染め上げるのを期して、号令を下す。

 ここまでが須臾の一時。ほんの一瞬。

 

 ここで気付いた。……気付いてしまったのだ。

 

「………!」

 

 驚愕に目を見開く魔法使いの姿を。

 そして… そして、なにより。

 

 我が赫き槍を消し去って、なお、衰えることなくこちらに向かって飛翔してくる光条に! 

 

「な…!?」

「よ、避けてぇー!?」

 

「なにを…!」

 

 その忌々しい光条をただ『見て』、念じる。

 

 ──消えろ…! 

 

 即席とはいえ、それなりの強度を備えて具現化した槍であった。

 絶対たる過信はないものの、それでもあの魔術を相殺するか打ち勝つであろうと踏んでいた。

 

 その当て推量がものの見事に外れてしまった。いや、ただ打ち負けるだけならばまだいい。

 けれども、その勢いに一切の減衰の気配が感じられないのであれば話は変わる。

 

 ……いくら真祖とはいえ直撃はまずい。

 

 隠し持っていた切り札を早くも晒してしまうのは癪に障るが、抱え落ちほどの無様もない。

 空想具現化を開帳し、程々の速度で飛翔する光条に消えるように命じる。

 

 ……結果は、不発。

 

(バカなッ!? ありえんッ!!!)

 

 眼の前で起こった現象を理解するなり、考えるよりも早く身体が動く。

 無様に地べたを転がって、光条を避けてやり過ごす。

 

 幸いにして追尾の魔術は付与されていなかったようだ。

 屋敷の壁をまるで最初から其処に何も存在しなかったように貫通、というより消失させていく。

 

 埃を払いながら立ち上がる。

 眼前には驚くべき… いや、今となっては驚くに値しない光景が広がっていた。

 

「いきなり槍がいっぱい出てきた時は驚いたけど、マジカルパワーでどうにかなるものね~」

 

 そこには一歩も動かなかったであろう魔法使いの姿があった。

 その周囲に刺さっている無数のスピア・ザ・グングニル。

 

 それらは綺麗に円形状に床に突き刺さっている。

 破壊も散乱もされていない様子からは、定めたとおりの『運命』の軌道を描いたことが伺える。

 

 つまり、魔法使いは『回避』を選択したということになる。

 だとすれば、それは妙な話だ。

 

 純粋な体術は勿論のこと、空間転移を含めたあらゆる回避方法をも上回るのが私の運命操作。

 つまり、現存する技術及び魔術体系では『回避』という手段を実現することは不可能。

 

 ならば、それは──…

 

「第五魔法、か…」

 

 現存している魔法は第二、第三、第五の三つのみ。

 第一、第四は既に失われ、第六は未だ現れていない。

 

 そして先程の現象と合致するのは第五のみ。

 

「わぁ、すごい! まさか、こんなすぐに当てられるとは思ってもみなかったわ」

 

 心底驚いたような表情と口ぶりで魔法使いはうそぶく。

 ……果たして、実際にそうなのかは分からない。

 

 こんなお気楽な相手に苦戦を強いられるのは慚愧の念に耐えないが、全ては私自身の責任だ。

 大きく息を吐き、ゆっくりと頭を振ると私は言葉を紡いだ。

 

「我が名はレミリア・スカーレット… 改めて貴様の名を聞こう、魔法使い」

「さっきも名乗ったのだけどね。私の名前はアリス… アリス・マルティークよ」

 

「そうか、アリスか」

 

 魔法使い… アリスが妖しく微笑む。片目を閉じ、舌を出している。余裕かそれとも作戦か。

 

 認識を改めなければならない。そして事実を受け入れなければならない。

 私は彼女を、アリスを侮っていたのだ。

 

 そもそも魔法使いが魔術に詠唱を必要とするだろうか? ──答えは勿論NOだ。

 だとすれば、先ほどの詠唱はなんのためにあったのか? ──魔法の発動のためだ。

 

 恐らくはそれと並列して無詠唱で魔術も発動させていたのであろう。

 私の空想具現化を無効化したのは魔術に魔法をコーティングさせたために発生したこと。

 

 運命操作を付与したスピア・ザ・グングニルを防いだのも、第五魔法による時空干渉の効果か。

 ……器用だ器用だとは思っていたが、想定の遥か上を軽々と行かれた気分だ。

 

 良かろう。優雅な魔術勝負ではそちらに軍配が上がったことは認めよう。

 だが、荒々しい格闘戦ならばどうかな? 今度は爪を使い、接近戦を試してみようか。

 

「ゆくぞ、アリス! 早々に朽ち果ててくれるなよッ!」

「今度は格闘戦か… よし、格闘技は師匠に教えてもらったから得意だよ!」

 

 雄々しく突撃する私を杖を構えたアリスが迎え撃ち、そして──…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……まぁ、その、なんだ。今に至るというわけだ。無論、ただ敗北したわけではない。

 

 吸血鬼である私との体力勝負に付き合ったのだ。アリスとて無事ではない。

 その肌の随所に無数の擦過傷が刻まれており、今や肩で息をするほどに呼吸も乱れている。

 

 とはいえ負けは負け。完敗だとも。それは認め、受け入れよう。

 

 空想具現化をもう少し上手く使えれば。運命操作をもう少し上手く使えれば。

 そんな思いがないと言ってしまえば嘘になるが、届かなかったのは事実なのだから。

 

 あの出会いの晩からぶっ通しで戦い続けて幾日が経過しただろう。

 吸血鬼から見れば瞬きほどに短い付き合いにもかかわらず、もう一生分(なぐ)り合った気がする。

 

 体力切れを起こすなど一体いつ以来のことか… ともすれば生まれて初の快挙かもしれない。

 もう指先ひとつすらも動かない。

 

 あぁ、こうなってしまってはいよいよ仕方ないか。

 名残惜しい気持ちはあれど引き止めるのは余りに無粋。恥知らずに尽きるというもの。

 

 なにより吸血鬼にして夜の貴族たる私の矜持が許さない。だから、出来る限り堂々と(のたま)う。

 

「さぁ、私を殺してフランに会うがいい」

 

 私では届かなかった。でもフランならば… あの子の力ならばアリスに届き得る。

 

 私が殺されたとなれば、いよいよフランも本気になるかもしれない。

 其処に私が削った体力に刻んだ無数の傷という要因があれば、いよいよ現実味を帯びてくる。

 

 目を閉じてその時を待つ。しかし、投げかけられた言葉は──…

 

「いやいや、殺さないよ。何言ってんの」

「なんだと…?」

 

「だから、殺さないって。だって、もう私の勝ちでしょ?」

「む。しかし、美鈴を殺ったのだろう? ならば…」

 

「いやいや! 門番は大変だねぇとか、立ちながら休んでみたらとか世間話しただけだって!」

 

 今の体勢からでは見えないが、口ぶりからアリスが手を左右に振っている様子が目に浮かぶ。

 いや、それはおかしい。何故ならば…

 

「では、あの殺意に満ち溢れた光線は一体何だったと? 直撃すればただではすまなかったぞ」

 

 というか死んでいてもおかしくなかった。

 

 私の推測どおりならばあの魔術は、魔法によるコーティングで減衰をしない性質となっていた。

 つまり継続あるいは永続してダメージを貰う羽目になっていた。アリスの魔力で。

 

 たとえ吸血鬼であっても元の機能を取り戻すまでの回復は数十年単位でかかっていただろう。

 

「あ、それは… その…」

 

 急に口ごもり、恐らくではあるがアリスはそっと視線を逸らした。

 

 それを受け、私は空間に己が怒気を漂わせる。

 霧化のちょっとした応用だ。その意味するところは「さっさと吐け」である。

 

「いや、開幕の一撃で驚いちゃってコントロールを間違えて… ほんっと、ゴメン!」

 

 パァンと音が鳴り響く。恐らく手を合わせて謝っているのだろう。

 

 ……怒る気も失せるというもの。怒気を文字通りに霧散させて、大きく息を吐いた。

 完膚なきまでに負けたというだけでなく、手加減もされていたとなればもうどうしようもない。

 

 それに、アリスには敵意がないということも改めて理解した。

 

「……わかった。私の負けだ」

「ということは?」

 

「フランの所に今すぐ案内するのが道理なのだろうがな… なんせ身体が全く言うことを聞かん」

「あ、あはは…」

 

「責めている訳ではないが後日にして貰えると有り難い。無論、部屋はこちらで用意させよう」

 

 これ以上、駄々をこねても恥の上塗りをするばかりでしかない。

 あるいは美鈴もこの展開を狙っていたかもしれないがな。

 

 子供のような見た目であることは否定しないが、精神までそれに殉じるのは無能の極みだろう。

 そんな私の内心の葛藤を知ってか知らずか、アリスは能天気に口を挟んでくる。

 

「わーい! あ、でも吸血鬼用のベッドはちょっと… 棺桶とかなのかな…」

「なに、心配するな。ここは吸血鬼以外も住む館… ちゃんと人間用のベッドも用意してある」

 

「やったー! 久しぶりのふかふかベットだー!」

 

 ふかふかとまでは言ってないのだが… 呆れのため息を呑み込み、唯一動く口で部下を呼ぶ。

 

 私を見たときギョッとされたが、まぁ良い。いや、良くないか。

 もしかしたら反乱が起こってしまうかもしれないのだから。

 

 ……まぁ、その時はその時だ。美鈴やパチュリーにどうにかしてもらおうじゃないか。

 

「彼女を客人の部屋にお通しするように。失礼のないようにな」

 

 部下が恭しく返事をし、アリスを案内していった。さて私も休憩を、と… 身体が動かんな。

 ……もう、ここでいいか。

 

「しかし、魔法使いか。……かなり良い駒を手に入れたものだ」

 

 あぁ、彼女ならば… なにかあった時のブレーキに… なって、くれるだろう…

 

 

 

 

【少女睡眠中.】



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ほりごたつさん

【東方穿孔羊】より『序章 羊な店主』
 作:ほりごたつさん






 


 その日は深い霧に覆われていた。時刻は宵の口に入ったところか。コツコツとハイヒールの音を鳴らし、石畳の道を往く者が一人。

 

 女だ。……訂正しよう、『黒い女』だ。

 

 細身を一層際立たせる黒いパンツスーツを身に纏い、赤地に黒のタッタソールチェック柄の長袖Yシャツを着こなしている。そればかりか細めのネクタイまでにも黒を合わせている。

 

 いっそ偏執的なほどに全身を黒で揃えている彼女は、まさしく『黒い女』と呼ぶに相応しいだろう。夜の闇に紛れるような格好で軽快に歩いているが時たま立ち止まり、後方を気にするような素振りを見せる。

 

 それがまるで偶蹄目の堅い蹄を打ち鳴らすかのような反響音を響かせて、乾いたリズムを夜が漂い始めた街外れに振り撒いているのだ。

 

 立ち止まる際には右手で携帯していた、持ち手の部分が捻れた象の牙のような誂えになっている愛用の円匙(えんし)… 所謂スコップを穿つように石畳へ突き立てる。

 そうしてそのまま、霧の奥深くにぼんやりと立っている真っ赤なお屋敷を焦点の定まらないような赤い瞳で眺める。

 

 手持ち無沙汰の左手でクルクルと癖の強い肩にかからないくらいの長さの黒髪を掻きあげてみせる。

 頭の両サイドから生える、大きな巻角をそっと撫でることも忘れない。象牙色をしたエスカルゴの殻のような巻きのある、彼女の象徴でもある羊の巻角だ。

 

 ……そう、『黒い女』の其れ等は明らかに普通の人間とは異なる外見的特徴を示していた。

 

 そして歩き出し、立ち止まり、振り返って、髪を弄って、巻角を撫でる。そしてまた歩き出す。

 いい加減にその繰り返しにも飽いてきたのか、女がついに口を開く。

 

「先ほどからやけに視線を感じますが、女の夜歩きを見つめるなど… やれやれ、種族としての性分でしょうか? 致し方ないのでしょうね」

 

 それは彼女の他に誰もいないこの寂しい夜道において、紛れもない独り言であっただろう。

 されど相手に届くと確信しているかのような咎める色が、その声音には乗せられていた。

 

 遠くから感じるような、彼女の周囲で烟る霧そのものから感じられるような、そんな曖昧だが慣れ親しんだ妖かしの視線を感じながら彼女は進む。

 目的地へと一歩ずつ。石畳に軽快なリズムを響かせながら。

 

 

 

 

 

 ……その足音が止まったのは一軒の建物の前。

 その建物の正面扉のドアノブには、『シーカーズ・コフィン -CLOSED-』という文字が彫られた分厚い木の板が掛けられている。

 

 街外れとはいえ中心部からさほど遠くはなく、普通の人間だって訪れることが出来るこの建物こそが彼女の店であった。

 

 細身の彼女にはやや取り扱いに困りそうな重厚なる一枚板で出来た正面扉のドアノブを掴み、軽々と開ける。

 そして其処に掛けられている木の板を『CLOSED』と彫られているソレから『OPEN』と彫られたソレへとひっくり返し、無人の店舗内へと足を進めるのであった。

 

 店内ははっきりと暗い。

 

 宵の口だからというわけではなく、たとえ昼間であっても灯りを灯さないと奥まで見えないような造りである。

 彼女のように慣れた者や夜目の利くような者であれば別だろうが、そうでない者にとっては灯りなしには一歩も動けないような店であった。

 

 灯りがなくとも彼女は慣れきっていて支障はないが、客にとってはそうではないだろう。

 開店した事を外に知らせるように天上から下がった取り外し可能な小さいランタンに火を入れれば、ボッと響く小さな音の後に揺れる灯りが店内を薄ぼんやりと照らし始める。

 

 ランタンの淡い光に照らされて少しだけ明るく見える褐色の肌。

 髪も肌も身に着ける衣服も黒ばかりだが致し方がない。彼女は黒羊から成り果てた妖かし、住まう地域の伝承に宛てがうなら悪魔と呼べる種族なのだから。

 

 少し話すならば彼女は元々唯の黒羊に過ぎなかった。

 野生の個体ではなく人に家畜として飼われていた唯の羊だったのだが、大昔にある儀式に捧げられてから悪魔として身を成してそのまま長く過ごしているらしい。

 

 人間が様々な文化体系を持ち文明を発展させることにより『黒ミサ』や『サバト』となどの所謂“黒魔術”と後に呼称される一連の信仰や儀式も誕生したという。

 そして如何なる不運かそれに使われる生贄として選ばれてしまったのがかつての彼女である。そうして悪魔に捧げられて以来、今のような姿となっているというわけだ。

 

 今の儀式ならスケープ・ゴートの言葉よろしく山羊(ゴート)を贄とするのが常だ。

 しかし悲しい哉、彼女が羊として生きていた時代に用いられていた儀式はお世辞にも洗練されているとは言えず確たる手順も定まってはいなかった。

 

 結局グルグルと巻いた角と体毛の黒がなんとなく禍々しい、悪魔らしく見えるなどという些細な理由で彼女が選ばれた。

 よく分からぬままに儀式で捧げられて首を落とされ棺に収められた彼女… 元・生贄の羊の悪魔が商売などしているのもそんな儀式の流れがあった事が関係しているらしい。

 

 手慣れた様子で開店準備を手際良く整えていく。スーツの上着は脱いで入り口横のコートハンガーに掛け、三つ揃えのベスト姿となった羊の女性。

 今でこそ穏やかに暮らしている彼女も大昔(かつて)は誰彼構わず手当たり次第に人を襲い、荒れ狂っていた時期もあったらしいがそこはそれ。悪魔(ヒト)に歴史あり、といったところか。

 

 ……開店準備を始めて程なく、重たい扉がギィと音を立てて開かれた。

 

 待っていたのだろう。

 先ほど視線を纏わり付かせていた『霧』と同一の魔力の流れを感じさせる美麗な男が一人、入り口より姿を見せて店内に足を踏み入れる。

 

 今夜一人目のお客様。

 

 そしてその表情や纏う雰囲気から今宵一人目にして今宵最後の商談相手となるだろうそのお客様をもてなそうと、女店主はカウンターに備えられた椅子を引いて恭しく迎え入れた。

 預けたハットを店主がコートハンガーに掛けるのを横目に、男は勧められた席に優雅に腰掛ける。

 

 それから慣れた仕草で腰を据えると軽く足を組み、両手も合わせて、纏う空気を変化させた。

 訪れた男… 青年と言って差し支えない彼が話す姿勢を見せると、迎えた彼女もカウンター越しに向かい合う形で席に着く。

 

 妙齢の女性にしてはやや長身な彼女よりもさらに頭一つは高い容姿端麗な青年は、彼女と目が合うと丁寧な挨拶の後に商談が始まった。

 

「……して、坊ちゃま。こんなに『早い時間』からのご来店とは、何か急ぎの御用でも?」

 

 本題に入るや否や口火を切ったのは女店主の方だ。

 その言葉に男は優美な曲線を描いていた眉をしかめると、呻くような言葉を漏らす。

 

「急かすようにその背を追い立てていた非礼は詫びよう。だから、いい加減に『坊ちゃま』は止めてくれ。今は私が当主なのだ… そろそろ覚えてもらいたいものだが?」

 

 人間であれば一瞬で心奪われるであろう美貌と強大な魔力を見に宿す美丈夫が、羽織るマントが床に触れることも気に留めず椅子に腰掛けて女を嗜める。

 この男こそ、先ほど女性が振り返った先に遠くにぼんやりと視界に映った紅いお屋敷の現在の当主であった。

 

 彼がわざわざこの店に足を運ぶのは稀なことである。

 普段であれば店主である彼女を呼び出して屋敷で話すのが常であり、彼に限らず貴族的な気質を持つ者は概ねそういった振る舞いを望む。

 

 だが例外的に、彼自らが訪れる場合もあるにはあった。

 それは決まって大事な案件を抱えている時などの自ら姿を見せるだけの理由があり、そして店主に正式な仕事の依頼をしようとする場合であった。

 

 おそらくは今晩もそういった理由で訪れたのだろう。

 

 女店主の方は長丁場となる覚悟を既に固めており、空いている手で開店準備の続きに取り掛かっている。

 今宵最後の客人となるであろうと予測はしているものの何事にも例外はつきもの。準備をしておくに越したことはない。長年慣れ親しんだルーチンワークに苦痛もない。

 

 手を動かしながら相槌を撃つように言葉を紡ぐことなど朝飯前だ。

 

「そうは仰られましても、ヨチヨチ歩きをされていた頃にはおしめをお取り替えした事もあるのですよ? 先代様や私めの後をヨタヨタと付いて回っていたイメージが強くて、中々…」

「父上は既に亡くなったのだ。それに私も直に親となる… いつまでも幼子扱いは控えていただきたいのだよ、アイギス=シーカー」

 

 苦笑する美丈夫がアイギス=シーカーと呼んだ者。羊の悪魔である彼女こそがこのお話の主人公であり、この店舗の女主人である。

 

 彼女は穏やかに話を合わせつつ手慣れた様子で棚や引き出しから仕事道具の数々を取り出しては、カウンターに並べ始める。

 鋏やナイフに裁縫用の針、先の曲がった鉤棒や天然炭酸ナトリウム等趣味の一貫も含めたそれら数々の品は、彼女の手先でまるで魔法のように華やかに誇らしげに飾られていく。

 

 しかし子が生まれると聞き、カウンターから坊ちゃまと呼んだ者へと視線を移した。

 

「左様ですか。それはそれはおめでたい! ……いつ頃に?」

 

 僅かな困り顔を見せて話す美丈夫の口元で目立つ牙を眺め、淑やかに笑みながら彼の子の生誕を祝福する。

 

「……後一月もすれば臨月となるだろう」

「なるほどなるほど… それで居ても立っても居られずに、当店に早い時間から訪れたと」

 

「ゴホン! まぁ、なんだ。もう少し表現に気をつけてくれれば有り難いがね」

 

 苦いものを口に突っ込まれたかのような表情で注文をつける青年の言葉などどこ吹く風。

 喜色を浮かべた表情に乗せる言の葉は軽やかなものとなる。

 

「生まれる前から子煩悩なのは先代様に似られましたね… 良い事です。親になるというのならもう坊ちゃまとはお呼び出来ませんね、スカーレット卿」

 

 スカーレット卿と呼ばれると背筋を伸ばす美男子。

 

 改めて説明しよう。

 彼こそ若くして没した先代より家督を継いだ男、遠くに見える紅い屋敷『紅魔館』の主にしてこの地一帯の夜を統べる王、そして… 吸血鬼の長とも呼べる程の大妖怪である。

 

 そんな彼を相手にして気安く坊ちゃまなどと呼ぶアイギスは、なるほど厚顔かつ無礼な悪魔であるのだがこれにも理由があった。

 彼、スカーレット卿が全幅の信頼を置いて身を預けている棺桶こそは他ならぬアイギスによる作だからである。

 

 先代が全盛期を迎える前から付き合いのある棺桶職人で羊の悪魔アイギス=シーカー。

 スカーレット卿が物心がつく前より存在し、齢は数千年だと本人は嘯いているものの詳しい所は秘して語らぬのが彼女という悪魔であった。

 

「さて、ここまで話した以上は改めて言うまでもないのだろうが… 棺桶を一つ、用立てては戴けないだろうか?」

「スカーレット卿。……お客様が一商人めに媚びへつらってはなりませぬ。どうか紅魔館の主として不遜にお命じくださいまし」

 

 アイギスの言葉に、青年の真紅の双眸が見開かれる。青みがかったヴァンパイアの銀髪がランタンの灯りで輝き美しさを増している。

 頼むのではなく申し付けろと言い返された。

 

 その言葉を受けて微笑を浮かべる。

 

 紅魔館こそはその名前だけでも付近一帯の有象無象を震え上がらせる真の化け物の巣窟。

 その屋敷を主として今後背負っていくのであれば、相手が誰であろうと『真の化け物どもの当主』らしい姿勢を示せというアイギスからのささやかな心配りに気付いたからだ。

 

「……私から言い出したのにこれではかたなしか。ではアイギスよ… 我が子の為の棺、全霊を持って誂えよ」

 

 組んだ手に少しばかりの力を込め、尊大に命を下す夜の王。

 

「畏まりましてございます、サイズは貴方様の幼き頃と変わらずで宜しいですね? 貴方様のお子なれば育つまで千年はかかるのでしょうし」

 

 大袈裟な態度で注文した彼に対して、変わらず淑やかな笑みを浮かべたままに了承の意を示すアイギス。

 羊の浮かべる笑みの裏には、過日の思い出が今なお色鮮やかに思い描かれている。

 

 今やスカーレット卿となった彼の棺を誂えよと申してきた先代の姿が今の光景に何処か重なって見えてしまい、つい懐旧の笑みがこぼれてしまうのを止められないでいた。

 そんなアイギスの笑みを見ても不遜な態度を変えないスカーレット卿だったが、しばらくすると「余計な事は早く忘れてくれ…」と聞き取れないほどの小声を漏らしてしまう。

 

「たどたどしい足取りで私の後を追ってくる愛らしいお姿を忘れる事など出来ませぬ。それに、椅子を引かれ促されて素直に座ってしまうようではまだまだ」

「もてなしを無碍にするのは──」

 

「マントを引きずったまま座るなど紳士とは言えませぬよ? コートハンガーもあるのですから」

「む…」

 

「お子の事で頭がいっぱいだというのは素晴らしい美徳であるとは存じます。なれど、今後は今少し身形や態度についてもお気になされた方が宜しいかと僭越ながら申し上げます」

 

 普段であれば礼節を重んじる吸血鬼で、椅子を引かれたとしてもマントを羽織ったまま腰掛けてしまうような失態は演じないスカーレット卿である。

 しかし今回の件はその彼をして礼儀作法を忘却の彼方に追いやってしまうほどの慶事であったらしく、身形などは後回しのままに話し始める形となってしまったようだ。

 

 幼い頃から互いに見知っており、何らかの祝い事や棺の新調の際には館に姿を見せていたアイギス。

 こと彼女に対しては、この地の夜を治める偉大な吸血鬼といえどもただの商人相手というより縁遠く年の離れた身内といった雰囲気を感じているのだろう。

 

 嫌味ではあるが正論である注意の数々を受け、苦々しい表情でアイギスを見詰めるスカーレット卿ではあったが言い返す様子はない。

 ここで言い返したところで他の事… 例えば幼少時代にアイギスに対して行った可愛い悪戯のことを掘り返される運命でも見えたのかどうかは定かではないが、ともかく強くは出ない。

 

「やれやれ… アイギスの前だと、私はいつまでも幼子だろうか? これでは妻にも子にも示しがつきそうにないな」

「これから示せるようになれば宜しいのですよ、先代様も貴方様が生まれると分かった折には慌てておいででしたよ? ……えぇ、それこそマントもハットも外さぬほどにね」

 

 淑女のような笑みを絶やさぬままに、眼前の紅魔館の当主の視線をコートハンガーへと自らの赤い瞳を以て誘導するアイギス。

 視線の先にあるハットを認め、スカーレット卿は「どうやら私は、父よりは冷静なようだ…」と小さく呟いた。

 

「先代様は先代様です。そして貴方様は貴方様なのだから、貴方様として貴方様のままに奥方様やお子様にとって誇れる主におなりになってください」

 

 弱気なことを呟くスカーレット卿に、そう、改めての老婆心を見せるアイギスだった。

 

 

 

 ~少女製作中~

 

 

 

 時は流れ、紅魔館の主がアイギスの店を訪れてから幾許かの夜を超えた頃… その真夜中。

 ばたばたと騒がしい紅魔館にアイギスの姿があった。

 

 吸血鬼に仕える従者が下品にならない程度の小走りに駆け回る屋敷の中、一人テーブルについて優雅にブランデーを楽しみ賑やかな産声はまだかと楽しみに待っているようだ。

 

 命という名の依頼で作り上げた棺は十日ほど前に納品していて既に屋敷の中にある。

 ヨーロッパイチイという固めの木材を厚く贅沢に使い、縁取りを紅く染めて光沢が出るまで磨きあげた小さな棺。

 

 依頼をしてきた当主が幼い頃に使っていたモノにデザインを似せて作ったが、中は少し違っていた。

 現当主であるスカーレット卿の時は安眠できるよう落ち着いた黒のベルベットで仕立て上げたのだが、今回のソレは真紅のベルベットで仕立て上げた、内も外も真っ赤な物だった。

 

 無論そのような奇抜に過ぎるデザインのこと、納品時には当然のように派手過ぎるとお叱りの声を受けたもの。

 しかし「誇りある家名を表す真紅(スカーレット)を気に入らない事はないでしょう」と申し開きを述べれば最終的には「まぁ、娘ならば赤でも良いか…」と納得の意を示していた。

 

 そんなスカーレット卿も数時間前まではアイギスの視界の先、彼の奥方様が詰めている寝所の前を行ったり来たりしていたが、少し前からその寝所に入ったまま出てこなくなっていた。

 

 本来は真祖であるノスフェラトゥが出産に立ち会うなど極めて稀なケースであろうが、そこはアイギスである。

 先代様はもっと慌てていて生まれた子供以上に騒いで喜んでいたなと昔の記憶を思い起こしていると、やおら赤子の泣く声が紅いお屋敷全体に響き渡った。

 

 寝所の奥からよくやったという男性の声と穏やかだが少し疲労感のある女性の声、出産を受け持っていた従者達が忙しそうに動き回る音が聞こえてくる。

 

「無事にお生まれになったのであればなにより。……おめでとうございます、坊ちゃま」

 

 アイギスは騒ぎの中に掻き消えてしまうような誰にも聞こえない声量でそう呟くと、手にするブランデーグラスに祝辞を述べてグラスを小さく掲げた。

 

 赤みがかった琥珀色のアルコールを緩く回して口に少し含み、慌ただしい屋敷の中で外様という身分から一人落ち着き払う。

 しばらくそのまま過ごして慌ただしさも一段落した頃、寝所から薄いピンクのお包みに包まれた何かを大事そうに愛おしそうに抱いた夜の王がゆっくりと歩んでくるのが見えた。

 

 先代の表情を思い出させる現当主のご尊顔を拝しながら、祝辞を述べようと立ち上がり穏やかに笑むアイギス。

 無事生まれたという嬉しさを隠さずに、顔を綻ばせている話す当主に「お疲れ様でした」とその労をねぎらった。

 

「疲れなど… 妻の努力なければ元気に生まれてくれなかったのだ。私は何も──」

「仰る通りですとも。されど男親はこれからが大変になりますので、折れぬよう労いの先払いと受け取っていただければ… そして御息女様の御生誕、誠におめでたき事と存じます」

 

「ありがとう。名は既に考えていたのだ… 聞いていってくれるか?」

「それは光栄です。主殿に似た紅い瞳と美貌を持つ御息女様、御名はなんと付けられたのですか?」

 

「レミリア… この子の名前はレミリア=スカーレットだ」

 

 レミリア=スカーレット、それが紅魔館に誕生した長女の名前だそうだ。

 うっすらと生える髪も父上に似た青みがかった銀色の髪。紅魔館のシャンデリアに照らされて眩しそうにしているが髪がキラキラと輝いてなんとも美しい。

 

 夜の王である両親の寵愛を受けてこれからどのように育っていくのか、期待に胸踊らせて「レミリアお嬢様」と呼べば盛大にぐずり始めてしまった。

 出会いからこれではと幸先に不安を覚えるアイギスだが、今赤子を必死にあやしているスカーレット卿の姿を見て、彼との出会いもそういえばこんな感じであったなと考えを改める。

 

 そう考えれば、こんな形の出会いもそう悪いものではないだろう。

 これから長い付き合いになるレミリア… 永遠に紅い幼き月を優しい表情で見詰めながら、アイギスは静かに笑みを浮かべるのであった。



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天杜灰火さん

【いつかのあなたに、胸いっぱいの幸せを】より『第一話『いつかのあなたに』』
 作:天杜灰火さん




 
 


 星が今、終わりの時を迎えようとしている。

 

 神宿りし最果ての地に楔のごとく打ち付けられた『塔』の、その頂上。

 世界全てが見渡せるのではないかと感じさせるほどの、その場所で。

 

 星の滅びを彩るかのように唄声が一つ響き渡っている。

 まだ幼さすら感じさせる少女の声だ。

 

 暁光と星の煌めき、そして宇宙。

 それら全てを浴びて、それら全ての狭間に立ちながら少女は詠う。

 

 星の瞬く空に陽光を混ざり合うかのように、朝と夜が溶け合うかのように。

 その唄声は、ゆらりゆらりと世界をくゆらせながら染み込んでいく。

 

 ……不意に唄声が止む。

 

「──夜明けまであと少し、ですね」

 

 何かを惜しむような、懐かしむようなそんな声音。

 

 振り返ると黒髪がふわりと靡く。

 巡らせた視線の先には彼女自身の他にもう一人、少女の姿があった。

 

 黒髪の少女は柔らかい声音で言葉を紡ぐ。

 

「また一日がはじまります。今までと同じように… でも、今までとは違った形で」

「………」

 

「悲しい時代は、もうおしまい。みんなが穏やかに暮らしていける世界はすぐそこです」

「………」

 

「えぇ。きっと、手を伸ばせば届くほどに」

 

 もうひとりの少女は言葉を返さない。

 黒髪の少女は笑顔のまま、言葉を更に重ねる。

 

「だから、わかりますよね? あなたが、なにをすべきなのか」

 

 ──笑顔のままで。

 それは… その笑顔は、今にもかき消えてしまいそうな痛々しい色に満ちていた。

 

 語りかけられていたもうひとりの少女が、くしゃりと顔を歪める。

 

「……わからない。わからないよ、なにひとつ」

 

 哀しみをたたえた少女の瞳から、虹が零れる。

 そう、少女は不思議な虹彩を宿していた。

 

 瞳は光をよく返し、角度によって様々に色を変える。

 赤や青に見えることもあれば、時に金や銀にも変化して見えることのあるそれは小さな宝石のようであると言って差し支えがなかった。

 

 独特な風貌は瞳だけではなく髪色にしても同様であり、色の細い光のようでいて、先端へ進むにつれ不思議な虹色を帯びてゆく。

 おおよそ常人ではありえない翠と虹で構成されたかのような髪色を、彼女は持ち合わせていた。

 

「わかりたくなんか、ない」

 

 心の奥底から絞り出された声。

 それを聞いて、黒髪の少女は微笑を浮かべたまま困ったように眉尻を下げる。

 

「……えへへ。気持ちは嬉しいけれど、だめですよ。わたしたちの旅は、今この瞬間のためにあったんですから。もう誰も苦しませないために。やっとみんな、幸せに──」

「『みんな』? ……その『みんな』の中にあなたはいるの? たしかに世界の『みんな』は幸せになれるかもしれない。でも、そこにあなただけがいないなんて」

 

 翠と虹の少女はポツリとつぶやいた。

 

「そんなの… 私は、やだよ」

 

 静寂の世界の中で、彼女の声は小さくともハッキリと響き渡った。

 対する黒髪の少女はやはり困ったような笑顔のまま言葉を返す。

 

「誰かを助けて終われるんです。それは、わたしにはもったいないくらい幸せな最期だとは思いませんか?」

「……そんなわけ、ないでしょ」

 

 黒髪の少女の言葉を切って落とす。

 

 限りなく静かなものでありながら果てしなく重い感情。それが込められた声であった。

 本来黒髪の少女が抱くはずであった、抱くべきであったはずの感情──憎悪──を代弁するかのように、翠と虹の少女はまくし立て上げる。

 

「平和になった世界を、誰よりも見たがってたのはあなたでしょう? あと少しで、一緒にそんな光景が見られるって… だから、ずっと、ずうっと、あなたが一番がんばってたのに。なのに…」

 

 少女の双眸から虹の雫がこぼれ落ちる。

 いつしか少女は泣いていた。煌めく朝焼けの中でより美しい輝きを撒くかのように。

 

 そしてそれ以上に彼女の心は暖かくも優しい光を秘めている。

 黒髪の少女には誰よりもそれが分かっていた。

 

 叶うことならば、その雫がこれ以上零れ落ちぬように強く抱きしめてあげたい。

 ……けれど、それをすることは出来ない。許されない。

 

 だから、黒髪の少女は苦笑いのままで。

 ともすれば伸ばしてしまいそうになる腕を抑えながら軽い声音で応える。

 

「それは、仕方ないことなのかなって」

「仕方ないって、そんな──!」

 

 翠と虹の少女の叫び。それは最後までは続かなかった。

 

「……ごめん」

 

 代わりに、かすれた小さな涙声が零れ落ちる。

 

「私たちのせい、だもんね」

 

 先ほどまでの激情を何処かに置き忘れてきてしまったかのような淡々とした声。

 そっと、目を伏せる。

 

「私が一番、あなたのがんばりを見てきたはずなのに」

「………」

 

「なのに、私が… 私たちが──」

「………」

 

「ごめんなさい」

 

 それは許しを求める声… ではなかった。

 

「ごめんなさい…」

 

 今までの旅路。黒い少女のこれから迎えるであろう最期。

 そして、その後に訪れる未来。

 

 すべてに想いを馳せ、きっと自然に零れた声なのだろう。

 虹の少女は、ずっと「ごめんなさい」と繰り返している。

 

 それは赦しを求める声ではなく、自らへの罰を求める言葉。

 謝ることでしか、自分を罰せられないかのように少女は繰り返す。

 

「……泣かないで」

 

 黒髪の少女は笑顔のまま、しかし、泣きそうな表情で告げる。

 思わず伸ばしかけた手は、けれど、二人を繋ぐことはない。

 

 ほんの僅かな距離なのに、彼女の涙を拭ってあげることも安心させてあげることもできない。

 それが悔しくて。

 

 それなのに、これで良かったんだとも思っていて。

 ぐちゃぐちゃな心のまま、せめて言葉だけでも届きますようにと、少女は笑う。

 

 だから、精一杯の笑顔で少女は己の心を謳い上げる。

 

「泣かないでください。あなたに、世界に、幸せになってほしいから、わたしは今ここにいるんです」

「──」

 

「あなたたちは、ずっとこの世界を支えてきた。同じように支えてくれる人もいないまま、ずっと、ずっと……。

 でも、こんなわたしがそう在れるのなら。少しでもみんなを、助けられるのなら。

 なにより、あなたの笑顔を守れるのなら。わたしのぜんぶを捧げたって、これっぽっちも惜しくはないんです」

「──」

 

「だから、笑っててください。あなたの幸せが、わたしにとっての幸せで、救いで… 願いなんです」

 

 黒髪の少女は、そう言って自分の胸にそっと手を当てた。

 大きく息を吸い込んで、融けゆく星空よりもはるか遠くの彼方へと視線を向ける。

 

 わたしが恋したこの世界を。

 わたしが愛した彼女の姿を。

 

 願わくば、いつまでも忘れないでいられますように──。

 叶わない祈りだと知っていながら、少女はそう思わずにはいられなかった。

 

「ねえ、□□□」

 

 黒髪の少女は、翠と虹の少女… 親友の彼女の名を呼んだ。

 

「わたしといっしょに、詠ってくれませんか?」

 

 □□□と呼ばれた少女は、しばらく、黙っていた。

 静かな時間が流れた。

 

 虹の少女が答えた途端に、世界は救われる。

 だから黒の少女は、彼女の答えを待っている。

 

 けれど同時に、この時間がずっと続いてくれれば良いのになとも考えている。

 さっきの言葉は嘘ではない。黒髪の少女の紛れもない本心だ。

 

 だから、二人の時間はこのやり取りが最後となることであろう。

 そんなことだけが分かってしまうからこそ、答えなんて聞きたくなかった。

 

 彼女が答えない理由も、きっと同じだと良いな。黒髪の少女はこうも考えている。

 けれど、いつまでも沈黙を保ち続けるだけの猶予などこの世界には残されてはいない。

 

 だからこそ──

 

「……うん。わかったよ、■■」

 

 永遠に続けばいいと互いに願っていあた一瞬が、当然のように終わる。

 

「いっしょに、詠おう」

 

 □□□と呼ばれた彼女の声には、未だに涙色が混じったまま。

 今にも崩れ落ち、立ち上がれなくなってしまいそう。

 

 それでも… それでも彼女は、笑ってくれていた。

 笑顔というには、あまりにも空々しい悲痛に満ちた表情であった。

 

 その表情を目にした時、黒髪の少女の心に、ひゅっと穴が空いた気がした。

 

「──っ」

 

 胸に走ったこの冷たい痛みを、どのように表現すれば良いのか。

 それさえ分からないほどの、悲しみと痛みであった。

 

 ただ、それがどうしようもなく耐え難いことだけは間違いなかったのだ。

 わたしは、これから、消える。

 

 彼女たちを助けられるならそれでいいと──いや、それがいいと思っているのに。

 

 なぜ、こんな結末になってしまったのだろう。

 なぜ、彼女にこんな顔をさせてしまっているのだろう。

 

 心が、ずっと嗚咽を漏らし続けていた。

 

 ……けれど。

 

「──はい」

 

 いや、『けれど』ではなく『だからこそ』。

 

「ありがとう、ございますっ!」

 

 精いっぱいに、笑ってみせるのだ。

 

 たとえ、別れで二人の物語が終わるのだとしても。

 いいや、『だからこそ』最後に見てもらう表情は素敵な笑顔であって欲しいから。

 

「世界が」

 

 最後の詩が、創まる。

 

「あなたが」

 

 世界の終わりに、二人だけのささやかな詩声が響きはじめる。

 

「どうか、幸せになれますように──」

 

 その音色は終焉を切り拓き、新たなる世界への標となるのだろう。

 一陣の風が、さあっと音を立ててその場を駆け抜けた。

 

 風の後を追うように、二人を中心にして白百合の花が一斉に咲き誇った。

 塔の岩肌が優しい色合いの白百合の花々に抱かれて、白く染まる。

 

 二人の詩は、きっと残り続ける。

 いつか世界を幸せで覆い、満たすまで。

 

 だからまた、会える日が来る。

 それまで、ずっと、待っている。

 

 想いを、約束を、その詩に乗せる。

 

「さようなら」

 

 黒の少女は、ぽつりと最後にこぼした。

 例えまた会えるその時には、もうなにもかもを忘れているのだとしても。

 

 わたしが、わたしでなくなっていたとしても。

 あなたが、あなたでなくなっていたとしても。

 

「わたしの、世界で一番大切な友達」

 

 あなたはいつまでも、わたしにとってかけがえのない存在だから。

 

 黒の少女が呟いた途端、唐突に□□□の姿が消えた。

 どこまでも広がる白百合の花畑と、黒の少女だけが残る。

 

 他には、なにもない。

 どこまでも、いつまでも続く、少女ひとりだけの世界──。

 

 少女がここから出ることはない。

 いつか心を亡くすその時まで。それが少女の役目だから。

 

 静かに膝をついた。

 

「……夜明け」

 

 太陽が昇る。……現し世に昇る本物の太陽、その影だ。

 時からも見捨てられたこの場所では、太陽も空の半ばでピタリと止まり、偽りの輝きをもたらし続けるのだろう。

 

 これからも。黒き少女の、この終の寝床で。

 

「ねえ、見えていますか?」

 

 別れは、とっくに終わっている。

 だから、この声はもう届くことはない。

 

「平和になった世界が。新しい夜明けが… あなたには、見えていますか?」

 

 それでも、わかっていても、聞かずにはいられなかった。

 崩れ落ちた少女の頬を、温かい雫が伝う。

 

「わたしも、あなたと一緒に見たかったなあ…」

 

 いつか心を亡くすその時まで? ──否。少女の心はとっくに限界を超えていた。

 

 □□□の前では決して零すことのなかった弱音。

 それを堰き止める壁は、もう崩れ果ててしまっている。

 

「ずっと、一緒にいたかったなあ…」

 

 虹の少女への愛が、そのまま裏返しになってしまったかのような虚無感。

 震える体を抱きながら、ひとつひとつ、後悔を指折り数えていく。

 

 白百合の花弁が、ぽたぽたと少女から降り落ちる雨を弾いてゆく。

 

 全部終わってしまった。

 なにもかもが手遅れだった。

 

 ──だから、言えた。

 

 すべてを失ってようやく、少女は誰でもない自分のために泣くことができたのだ。

 

 明けた空が続いているその場所で。

 きっと、世界の全てが色褪せてしまうその日まで。

 

 

 ◇

 

 

「……ラちゃん? ねぇ、メラちゃんってばっ!」

「──ぁ」

 

 遠くをぼんやり捉えていた視界が、まるで急に近付いてきたみたいに鮮明になった。

 思わず息を呑んで飛び起きる。

 

 すると不安げな少女の顔が、ちょうど触れ合いそうなほどの真近くにあって思わず面食らう。

 

 白くてすべすべで、同じ女の子としてもちょっぴり羨ましい、疵ひとつない肌。

 萌え出る草木のように明るい色をした翠玉色の瞳。

 

 瞳と同じ色をした髪を肩の辺りまで伸ばし、三角巾でまとめあげている。

 同性だとしても、近くで目を合わせるのはちょっと心臓に悪いくらい可愛らしい女の子。

 

「……り、リリーちゃん? どうしたんですか?」

 

 メラは思わず声が上擦ってしまうのを自覚する。

 

 目の前の少女の名はリリー。

 星の神様を由来とするその名は、どこか不思議な響きを帯びている。

 

 聞き覚えがあるわけでもないのに、胸が暖かくなるような妙な懐かしさを感じさせる響き。

 その名と響きが、メラは好きだった。

 

「あ、やっと返事してくれた」

 

 リリーが腰に手を当てれば、纏っている緑と白のエプロンドレスもふわりと揺れる。

 

 ロングスカートの柔らかな輪郭は、リリー本人の性格と相まってか、人懐っこい印象を与えた。

 実際、いつもふわふわニコニコと素敵な笑顔を絶やすことのない女の子である。

 

「『どうしたんですか?』じゃないよー。もう五回は呼んだんだからね?」

「えぇっ!? ……ご、ごめんなさい。ぜんぜん気付きませんでした」

 

 怒っている… というよりも、少し不安そうな声。

 無視されたことについては気にしていないのか、あるいはそれ以上にメラが心配な様子であった。

 

 心配してくれたことに対する嬉しさと申し訳なさが半分ずつ。メラは素直に頭を下げる。

 

「それはもういいんだけど… どうしたの? あんまり気分が良くないとか?」

「ううん、そういうわけじゃないんです。ただ… 今日は、例の『夢』を見ちゃったみたいで」

 

 てへへ… と笑った瞬間、リリーの表情に浮かぶ不安の色がより一層深まった。

 

「メラちゃん、それって──」

「あぁ、でも大丈夫です。いつも通り内容はよく覚えてないですし… なんとなく引っかかっちゃって、ちょっと考え込んでただけですから。心配してもらうほどじゃないですよ」

 

「……うーん、なら良いんだけど。あんまり無理はしないでね?」

「えへへ、ありがとうございます。気をつけますね」

 

 ──昔からよく『夢』を見る。

 内容についてはあまり覚えていないのだが、目覚めた瞬間、いつも「あぁ、あの『夢』を見ていたんだ」と確信できる不思議な感覚が残っていた。

 

 だから多分、今日も『夢』を見たのだと思う。

 

 ただ『夢』の内容について思考を巡らせると、なぜだかこんな風に、ぼーっとしてしまうのだ。

 何度も呼びかけられてなお気付かないとなると、今回はよほど重症だったらしい。

 

(……今日は)

 

 果たしてどんな『夢』を、見たのだろうか? 

 いつだって、『夢』の内容は思い出せない。

 

 けれどその『夢』の中で感じた気持ちの名残が、ずっと胸の中で燻っているような気がした。

 大半は、理由さえもわからない哀しい想いだけが残っている。

 

 ならば今日の『夢』は、どうだったのだろうか。

 不思議なことに、それさえも思い出せない。

 

 何かを確かに感じた気がするのに、それすら思い出すことを心が拒んでいるようであった。

 

「メラちゃんは今包丁持ってるんだし、あんまりぽけーってしてると危ないよ?」

 

 リリーがメラの手元を指差す。

 その先を視線で追えば、小さな手が包丁を軽く握っていた。

 

 調理用のものだが、人の皮膚くらいならあっさり切り裂ける鋭さを持っている。

 しっかり注意していないと、簡単に怪我をしてしまうだろう。

 

 そんな包丁を握りながらメラは一言。

 

「……ほえ? あっ、そういえばわたし、朝ご飯を作ってる最中なんでしたっけ?」

 

 ぽーっとした言葉を漏らした。

 あまりといえばあまりなその言葉に若干肩を落としつつリリーが尋ねる。

 

「……ほ、本当に大丈夫? なんなら代わろうか?」

「い、いえいえっ! そんなに心配してもらわなくても大丈夫ですよっ。もう意識ははっきりしてますしっ」

 

 メラは真っ白なエプロンを着けて、包丁をその手に持ち。

 視線を降ろせばまな板と鍋に加えて、様々な食材が確認できる。

 

 白いエプロンの下には、彼女独特の衣装を身にまとっている。

 

「着物の帯、緩んでたりしない?」

「………。し、してませんっ! その辺もばっちりですからっ!」

 

「今、ちょっと確認したよね?」

「……うぅ。だって、前みたいに町中でほどけちゃうと困りますし…」

 

「あー… あ、あれはちょっと大変だったねー…」

 

 メラがエプロンのしたに身にまとっているのは、着物と呼ばれる古い衣服である。

 ただし、一般的な着物とはやや異なる形をしているようだ。

 

「着物のことについてはぜんぜんわからないんだけど、帯ってあんな簡単に緩んじゃうものなの?」

「うーん… どうなんでしょうね? わたしの場合、こっちに伝わってる着物とはだいぶ形が違うって聞きましたし」

 

「あ、そういえばそんなこと前に言ってたね」

「わたしの着物は生地が薄めで、下なんてスカートになってますけど、本当はこんなのじゃないみたいですよ。

 旅に出る前、袖を切り取ってスカートもちょっと短くしたので、今じゃこれを本当に着物って呼んで良いのかもわからないです」

 

 ひらひらと揺れるスカートの裾を摘みながら、メラは苦笑いした。

 昔は足首に届くほど長いスカートだったのだが、動きやすさを考慮して膝のやや上にまで短くしてある。

 

 足の露出が多くなって恥ずかしいは恥ずかしいのだけれど、歩き易さには替えられない。

 袖も完全に切り取ってしまっているので、腕はおろか肩まで丸見えとなっている有り様だ。

 

 まさに原型をとどめぬ魔改造とはこのことであろう。

 もっとも外に出掛ける際には外套を羽織るため、別にどうというわけでもないのだけれども。

 

「あのぶかぶかした袖とか長いスカートも可愛かったんだけどなぁ…」

「ふぇっ!? ……ほ、褒めてくれるのは嬉しいですけどっ。でも、あんなに袖が大きいと外套羽織れないじゃないですか。スカートの丈も、今のリリーちゃんのより長くて本当に歩きづらかったんですよ?」

 

「えへへ、わかってるって。それに、今のメラちゃんも充分すぎるほど可愛いしねっ!」

「……~っ!」

 

 かああっ、と頬に血が昇る。

 メラもリリーに負けず劣らず肌の色が薄い方なので、頬が紅潮すればすぐにバレてしまう。

 

 リリーもその反応を楽しんでいる節があるのか、にこにこ笑いながらメラの頭を撫でる。

 

「ああもう、ほんとにメラちゃんは可愛いなーっ!」

「……そ、そうやってわたしをからかうの、良くないと思いますっ!」

 

「からかってなんかないよー? 本心からそう思ってるしっ!」

「余計悪いですよっ! もーっ、お料理してるんですから邪魔しないでくださいっ!」

 

「てへへ、ごめんごめん…」

 

 舌を出しながら離れたリリーに「まったくもう…」と、苦笑しつつため息をこぼす。

 お尻まで伸びたメラの黒髪が、さらさらと揺れる。

 

 瞳も、髪と同じ黒色である。

 この地域で、黒髪黒目の人間は珍しい。

 

 これほど長い黒髪を持っているとなれば尚更で、町を歩けば相応に人目を惹く。

 目立つのは好きではない。

 

 ただ『ある理由』から、人目を惹くのを敢えて狙って伸ばしているという部分もあった。

 

「でも、本当に無茶しないでね? 簡単なことなら手伝えるし、遠慮なく言ってくれていいんだよ?」

「気持ちは嬉しいですけど、お料理はわたしのお仕事。二人で決めたことですし、リリーちゃんは気にしなくていいですよ」

 

 夜空色の髪を揺らし微笑みながら告げると、リリーは途端に申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「ううっ、ありがとうメラちゃん。……ごめんね、私がお料理できないばっかりにっ」

「ううん。誰にだって得意不得意はありますし、いつも助けてもらってますから。これくらいはさせてくれないと、逆にわたしの方が拗ねちゃいますよ?」

 

「私の妹が良い子すぎて辛いよ…」

「リリーお姉ちゃんには負けますって」

 

 お決まりの冗談を交わして、二人で笑い合う。

 二人の血は繋がってはいない。

 

 以前ふとした拍子に『顔立ちは二人とも優しそうでなんとなく似ている』と言われたことがあるけれど、その程度。きっと偶然だろう。

 メラの髪と目は真っ黒で、リリーの髪と目は鮮やかな翠だ。

 

 けれど今となっては二人でこうして寝食を共にし、旅をし、同じ苗字を背負っているのだから、『姉妹』という表現もあながち間違っていないと感じられた。

 親友でもあり、姉妹でもあり──そして、とにかく大切な人。

 

 少なくともメラは、そう強く感じている。

 そして願わくばリリーにとってもそれは同じであったなら嬉しいな、と彼女は思っていた。

 

 そんな彼女の内心を知ってか知らずかリリーが口を開く。

 

「でも、やっぱりメラちゃんがお料理してくれるとだいぶ食費が浮くねー」

「食材自体は『森』からたっくさん採れますからね。ちょっと悪めの食材なら、ほとんどタダみたいなお値段で買えますから──」

 

「あとは調理さえできれば、お金はぜんぜんかからない。メラちゃんがいてくれて本当に助かってるよっ!」

「毎日お店に調理をお願いすると、結構高くついちゃいますもんね…。その分、わたしなんかとは比べ物にならないくらいおいしいお料理を作ってくれますけどね。

 ……もし口に合わなかったら、いつでも言ってくださいね? 味付け、もうちょっと工夫してみますから」

 

「ううん、メラちゃんのお料理はお店に負けないくらいすっごくおいしいから大丈夫っ! 私、毎日楽しみにしてるもん!」

「え、えへへ… そうですか? なら、良かったです」

 

 はにかみながら、メラは調理を続けた。

 

 食材とは星から滲む恵みのひとつ。

 町のすぐ近くに存在する『森』──むしろ『森』の近くに町が作られた、という方が正しいらしいが──からは、多種多様な食材が採れる。

 

 この星に住まう生き物は、人も含め皆それを食べることで命を繋いでいる。

 命を持たず、それでいて栄養を多く備えた星の食材は、生命が生き延びる上で欠かせないものだ。

 

 古く伝えられる伝承では、星からの恵みが絶えた時、命はいつかほかの命を喰らうことになるのだという。

 

 即ち──『殺し』。この世界において、決して赦されざる禁忌中の禁忌である。

 誰もが禁忌を犯し… 殺し殺され、そうして命を繋ぐ地獄のような世界こそ、星の恵みが絶えた結末なのだと伝承は語る。

 

 想像するだけで、心が冷たくなるようだった。

 

「……ええと。それでね、メラちゃん」

「はい、なんですか?」

 

 食材を切って、鍋に放り込んだところでリリーに声をかけられた。

 焦がさぬよう鍋から目を離さないままに返事をする。

 

「さっき、私がメラちゃんに声かけた理由なんだけど… 今日って、私もメラちゃんもお仕事入ってたよね?」

「えぇ、はい… 最近は毎日ずっとお仕事ばかりですよね。昨日のお仕事も夜中まで長引いちゃいましたし… リリーちゃん、体は大丈夫ですか?」

 

「私は大丈夫。ただ… その、メラちゃん。私たちのお仕事ってそれぞれ別の案件だけど、約束の時間はたしかおんなじくらいだったよね?」

「はい、たしかお昼くらいだった気がしますね」

 

「そうだよねぇ…」

 

 視界の端で、なにやらリリーが腕を組んで考え始めた。

 

「……ねえ、メラちゃん。私、思ったんだけど」

「はい」

 

 やがて顔をあげたリリーは、どこか難しい顔をしていて。

 だからこそメラも素直に相槌を打ち。

 

「──もしかしてもう、約束の時間なんじゃない?」

 

 そうしてリリーは、衝撃的なことをさらりと告げるのであった。

 

 まさか… いや、しかし、そんな。メラは思わず小首をかしげ尋ねかえす。

 

「……はい?」

「今日もメラちゃんに起こしてもらっちゃったけど、すっごい目が覚めてるんだよね。昨日は日付が変わったあともしばらくやることがあって、お互いなかなか寝れなかったでしょ? なのにこんなに目が覚めてるのはおかしいなあって……」

 

「それ、一周回って目が覚めちゃってるだけじゃないですか…? わたしが起きてそこの時計を確認したらいつも通りの時間でしたし、お昼まであと四時間以上あるはずですよ。

 もお、リリーちゃんったら変なこと言わないでください」

 

 震えそうになる声を抑え込む。

 リリーのいつもの冗談に違いない。そう思って、苦笑を浮かべながらお鍋をかき混ぜる。

 

 ……けれどリリーの表情は晴れないままで。

 

「……その時計、さ。さっきから時間変わってなくない?」

 

 今度こそ、ぴたっ、とメラの動きが止まった。

 宿の部屋に置かれている大時計を見る。

 

 たしかに、メラが起きた時とまったく同じ時間を指していた。

 既に顔を洗ったり歯を磨いたり着替えたりしてそれなり以上の時間が経過しているのは明白。

 

 にもかかわらず、不思議なことに時計の針は少しも進んでいない。

 

 その事実に気付いた時、どこか遠くから、鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 

「……今の鳥さんの鳴き声って、朝じゃなくて昼頃によく聞かない?」

 

 言われてみればその鳴き声は、昼頃にばかり聞いている気がする。

 あの鳥の鳴き声が聞こえたらそろそろお昼時だとか、そんな話を町の人が言っていたような気もする。

 

 つまり…──

 

「……太陽、なんかやけに高くない?」

 

 ことん、と火のついていない場所に鍋を置く。

 無言で窓まで歩いて、外を見た。

 

 メラたちが泊まっている部屋は宿の二階にある。

 ここからなら、レンガで造られた建物や彩り豊かな可愛らしい屋根の姿がよく見える。

 

 石畳の路地には、今日もたくさんの人々が行き交っていた。

 そんな人々を照らす太陽はもはや地面から程遠く、むしろ空の真ん中にあるような──。

 

 メラは目を伏せながらゆっくりと振り返る。

 

「……ご」

 

 やがてそっと顔をあげると…

 

「ごめんなさい、寝坊しましたああああああっ!!」

 

 涙目で叫んだ。

 

 

 ◇

 

 

 ──『星に愛された生命』というものが、この世界には存在する。

 その言葉は、奇跡を詠い、心を繋ぎ、想いを紡ぎ、命を救う。

 

 口を開けば、花が咲き、風が吹き、雨が降り、虹がかかる。

 彼らは、世界と共に生きる存在だ。

 

 故に誰よりも半歩ほど自然に近く、その言葉には奇跡を起こす力が宿っていた。

 彼らがそんな力を振るう理由は、たったひとつ。

 

 ──誰かの、幸せのため。

 

 古い歴史書──『星書』を紐解いてみれば、彼らはいつだってその力を誰かのために振るってきたことがわかる。

 簡単に人を従えられるだけの力を持ちながら、けれど決して私利私欲には走らない。

 

 それどころか、自分のために使うことさえほとんどしなかった。

 そんな度の過ぎたお人好したちは、だからいつだって、人々の尊敬と親愛とを集めていた。

 

 けれど時代がくだるにつれて、人はそんな力を振るわずとも生きていけるようになった。

 年々その力で生きていこうとする人間も少なくなって、昔のように、英雄と持て囃されることもなくなった。

 

 それでも彼らは、今でも時折ふらりと現れるのだ。

 あらゆる生命の味方で、大いなる自然の友達で、底抜けに優しくて。

 

 世界を愛し、だからこそ世界に愛される存在。

 人はそんな彼らのことを、今も敬意と親しみとを込めて、こう読んでいる。

 

 ──『詩詠』、と。

 

「ご、ごめんなさいっ… 遅れました!」

 

 ここノルフィの町に、たったひとつだけ存在する孤児院──『ノルフィ孤児院』。

 その門前で、幼い少女特有の高く甘やかな声が響き渡った。

 

 孤児院の人々がその方を見遣ると、黒い髪を長く伸ばした女の子が息を切らして門へと駆け寄ってくるところだった。

 幼気な、まだ十歳ほどでしかないように見える少女。

 

 しっとりと烏の濡れ羽色の如き長い黒髪と、深い黒色の瞳は、この地域ではとても珍しいもの。

 そればかりか、その装いもまた人目を惹くものだった。

 

 その服は『着物』を改造したもので、可愛らしさと動きやすさを重視しており、幼い少女が着ているととても微笑ましく見える。

 そこに彼女は、その上からゆったりとした袖口の開いた真っ白な外套を羽織っていた。

 

 後ろから見れば足首の少し上まで覆われている様子であった。

 黒の着物と、その上に羽織った白の外套。闇色の髪と目をして、だが肌はきめ細やかに白い。

 

 黒と白のみで構成されたような少女。その名を、メラという。彼女は人々に近付くなり…

 

「はあ……はあ……ほ、本当にすみま……ぜぇ……」

 

 言葉を四苦八苦絞り出し、膝に手をついて深呼吸をし始めた。

 

 かなり無茶をして走ってきたらしいことは、誰の目にも明らかだった。

 そんな彼女の姿を見た人々が、密かなざわめきとともに囁きあう。

 

 ──女の子? 

 

 ──なんで『今』、ここに? 

 

 ──孤児院の子なのか? 

 

 普段は穏やかな空気が流れているノルフィ孤児院だが、今や多くの人間が集まっていた。

 孤児院の経営費用を負担している『教会』の聖職者や、同じく聖職者の中でも子供を教え導く教師、直接の管理者である院長を始め、他にもかつてこの孤児院を我が家とした人々などである。

 

 立場は異なれど、その誰もがこのたび孤児院に起きた異変を憂い、またその解決を望む人々であることは疑いようがなかった。

 

「どうかお気になさらず。……『あなたがた』が夜遅くまで仕事をされているのは、我々も存じております」

 

 小さな老爺──子どもたちと共に孤児院に住まう院長である──が、一同を代表し一歩メラへと進み出る。

 普通の子供に対する態度ではなかった。周囲のざわめきが、一段大きなものとなる。

 

「むしろ我々の無茶を聞いていただき、感謝の言葉もございません」

「……ふー。いいえ、わたしの力がお役に立つのならぜひお手伝いさせてください」

 

 息を整えたメラは、丸く大きな瞳で院長をまっすぐに見た。

 闇色の長髪をふわりと揺らし、柔らかな笑みを浮かべる。

 

「わたしたち『詩詠』は、そのためにいるんですから」

 

 人々が抱いていた疑念は、他ならぬメラの言葉によって得られた答えから驚きへと変化する。

 

 ──詩詠だと!? 

 

 ──この子がか!? 

 

 これほどに幼い詩詠など、そうお目にかかれるものではない。

 メラたちがノルフィの町にやってきてから二週間。

 

 ノルフィの町は規模で言えば大都市には負けるが、決して狭い町とは言えない。

 メラたちの名が広まるにも二週間では少しばかり足りない。

 

 ノルフィの町には定住している詩詠がいない。

 だから旅の詩詠がやってきているという噂こそすぐに広まったものの、その正体がこんなにも幼い少女であると知っている人間はごく僅かであった。

 

「やはり、リリー殿は…」

「うっ! ご、ごめんなさい。リリーちゃんの方も外せない仕事だったみたいで… 今日はわたしひとりなんです。あ、ただあっちが終わったらすぐ応援にくるとは言ってくれたんですけど…」

 

「左様ですか…」

「……え、えっと。やっぱり不安ですよねっ? そうですよねっ!? やっぱりわたしじゃあ頼りないですよねふええごめんなさいごめんなさいごめ」

 

「お、落ち着いてください。そんなことは考えておりませんゆえ… そも、無茶を言ったのはこちらなのですから」

 

 涙目になって謝り倒すその様子を見る限り、一番不安なのは誰あろう当の本人であるらしかった。

 

「うぅ… ごめんなさい、取り乱しました…」

 

 しばらく院長になだめられてようやく平静を取り戻したメラは、くるりと辺りを見回す。

 

「それで、この方々は…」

「この孤児院の関係者です」

 

 メラの表情が変わる。

 真っ直ぐに、しかしたしかな責任感を纏った真摯なものへと。

 

「ええと… 依頼をいただきました、コロネメラン・ハッピーメイカーですっ。ここの孤児院には個人的に遊びにきたりして、すっごくお世話になりました。よろしくおねがいしますっ!」

 

 声はかすかに震えていて、体もどこか強ばっている。

 礼儀正しさよりも『やはり緊張しているんだな』ということを確信させる挨拶だった。

 

「どうかそう気負われずに、普段通りになさってくださいませ」

「で、ですけど…。その、こんなにたくさんの人たちから解決を望まれてるって思うと、どうしても… うぅ…」

 

 これが平時であれば微笑ましく映ったかもしれない。

 しかし今はその愛らしいとも言える仕草には、いささかの不安を呼び起こさせるものがあった。

 

「あ、あのっ!」

 

 人々が暗澹たる気持ちに包まれようとしていたその時。

 切実な表情で、メラよりも更に幼い小さな少女が一歩踏み出した。

 

 メラの前へやってきた彼女は、震える声で告げる。

 

「こ、これ、本当は言うなって、リノお姉ちゃんに言われてたんだけど… でも、言わなきゃって、思っててっ! リノお姉ちゃん、まだ、帰ってこなくてっ…」

 

 少女の瞳には涙が浮かんでいた。尋常の様子ではない。

 

 だが言葉の断片からいくつかの情報を読み取ることはできる。

 既に幾人かは、『もしや』とその可能性に気付き、顔を青くしていた。

 

 そして彼らが気付くのと同時に──あるいは少しだけ早くなにかを察したのか──メラの表情が変わった。

 

 先ほどまでの、良くも悪くも子供らしい表情から一転。

 

「──落ち着いてください」

 

 メラは、少女へ向けてそっと微笑んだ。

 優しさと同時に、見ているだけでどこか安心してしまう『なにか』を感じさせる笑顔であった。

 

「ゆっくり深呼吸をしましょう? いっぱいいっぱいになっちゃってると、伝わることも伝わりませんから。はい、すー、はー、ですっ!」

「う、うん… すー、はー…」

 

 二人で何度か深呼吸を繰り返す。

 メラが目を細め、にっこりと笑顔を浮かべた。

 

 つられて少女の表情も綻び笑顔が浮かぶ。

 

「大丈夫です。わたし、ちゃんと聞いてますからね」

「……うん、ありがとう。もう、ゆっくり言える気がする」

 

「そっか。ちゃんと落ち着けるなんて、偉いです」

「え、えへへ…」

 

 メラはそっと膝を曲げて視線を合わせ、少女の頭を優しく撫でた。

 

「それで、リノさんがどうしたんですか?」

「……えっと。メラお姉ちゃんがくる前にね、こっそり入っていっちゃったの。リノお姉ちゃんが、『あの中』──花畑に」

 

 果たして、何人かが──そしてきっと、メラが予想していた通りであろう言葉が返ってきた。

 メラがやってきた時とは比較にならないざわめきが広がる。

 

 リノはこの孤児院に住む少女で、少しばかり気が強い。

 メラとそう変わらない歳でありながら性格は真逆のお転婆かつ怖いもの知らず。

 

 元気いっぱいな女の子で、だからこそ町の人間には可愛がられていた。

 いや、『とある特技』もあってちょっとした有名人でさえある。

 

 そんなリノが『あの中』へ入っていくことも、その性格から考えれば不思議ではないのだが。

 

「……それは、本当なのか」

 

 しかし、他でもない院長は信じられないという声をこぼした。

 

「リノお姉ちゃんは… その。メラお姉ちゃんがここにくること、嫌がってたみたいなの。だから、自分で解決するんだって、言ってたの」

 

 孤児院に住んでいる人間ならば知っていることだが、メラとリノは仲が悪い。

 より正確に言うのであれば、リノが一方的にメラを嫌っていた。

 

 だから、メラが解決にやってくると聞いたリノが良い顔をするはずもない。誰もが、わかっていた。

 しかしその誰もがいくらリノでも今回ばかりは我慢するだろうと、そう思い込んでいた。

 

 その結果が、これであった。

 院長がくぐもった声で困惑とともに言葉を発する。

 

「リノも『あれ』を目にしていたはずだ。むしろ『あの力』を持っている分だけ、リノが一番怯えていた。しかも、花畑を作ったのはリノ自身。一番大事に思っていたのもあの子だったはずだ。

 だというのに、なぜ──」

「……だからこそ、でしょうか」

 

 怒りからではなく、しかし、決して穏やかでもない感情を押し殺しながら言葉を続ける院長。

 彼の疑問に対し、メラは曲げていた膝を伸ばして静かな声で答えた。

 

「自分にとっていちばん大事だからこそ、わたしに土足で踏みいってほしくなかったのかな、って。

 ……リノさんも、きっと頭の中では『危ない』ってわかってたと思います。でもそれ以上に、わたしが嫌いだったんでしょう」

 

 リノは孤児院の子どもたちののまとめ役である。

 彼女自身もそれを自覚していたのか、気は強くとも、年齢の割には大人びた少女であった。

 

 ……けれど、リノはまだ子どもなのだ。

 周りの人々は、それをきっと忘れていた。

 

 もとより私情に囚われるなと言う方が、無理な話だったのかもしれない。

 

「むぅ、なんということだ。私がもう少し気を配ってやっていれば…」

 

 そのことを正確に言い当てられ、同時に、目先の異変に囚われ少女への配慮を怠った自身の至らなさに院長が思わず悔恨の声を上げた。

 

「だから、わたしが助けにいったとしても、良い顔はしてくれないんでしょうね。逆に怒らせちゃうかもしれないです」

「……メラ殿」

 

「でも」

 

 弱気な表情を見せる院長を前に、メラは、強く言葉を繋いだ。

 

「だからって、このまま放ってなんておけるわけないです! ちょっと──ううん、すっごく残念ですけど……リノさんと友達になるのは、あきらめます」

 

 その顔に、どことなく寂しげな苦笑が浮かぶ。

 メラはふうっと大きく息を吐いてから、リノのことを教えた少女に「ありがとうございました」と礼を告げ、そして院長を見た。

 

「院長さん。どうか案内と、詳しい状況のご説明をお願いします」

 

 その表情は先ほどまでと同じ柔らかさで、しかしどこかが違う。危なっかしさは、完全に消えていた。

 何故ならば、そう──

 

「わたしにリノさんを、助けにいかせてください」

 

 それはたしかに、詩詠の顔であったのだから。

 



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王者スライムさん

【貴方の顔を笑顔に】
 作:王者スライムさん


 人生というのものは何が起こるか分からない。

 

 なるほど、一々ごもっとも。

 至言であると心から認めよう。

 

『だから精一杯楽しんで生きよう』

『だから目一杯注意して生きよう』

 

 色んな言葉に繋がるし、そのどれもが等しく正解なのであろう。

 

 私自身にしても、そう大きくはそれら先達の考えから逸脱するつもりはなかった。

 精々が『その時その時が幸せだったら良いんじゃないかな?』程度だ。

 

 ……あの時までは。

 

 ところで、実際にその時その時に幸せを実感できる人はどれくらいいるのだろうか? 

 

 かくいう私は幸せだ。間違いなく幸せだった。

 トラックに轢かれたけど彼が私を胸に抱いてくれているから。

 

 程無く死んでしまう命だろうけれども。

 最期に見た景色が私を想っている彼であっただけでも充分にお釣りが来るというものだ。 

 

 あぁ、私は幸せだ。胸を張ってそう言える。

 けれども私はこうも考えてしまった。

 

 果たして彼は幸せなのだろうか、と。

 

 だって、彼は泣いているのだ。

 さっきまでのデートで見せてくれていた笑顔は今や見る影もない。

 

 私がこうなってしまった現実を、ただひたすらに悲しんでいるように見える。

 それは、きっと不幸せなことだろう。

 

 ああ、せめて彼のこの顔がいつもの笑顔であったなら。

 きっと私も何思い残すことなくあの世に旅立てただろうに。

 

 それだけが、たった一つの、私の心残りで…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 

 そうして私は永遠に意識を失う… はずだった。

 しかし、そうはならなかった様子である。

 

 いつもの癖でまぶたを擦りながら、耳障りな機械音を止めようとスマホに手をのばす。

 ……私は生き残れたのだろうか? 

 

 あの怪我では到底助からないと思っていたけれど、処置が早かったか医者の腕が良かったか。

 医学の進歩に感謝を捧げつつロック画面を確認した私は素っ頓狂な声を上げることになる。

 

「あれ? この日付って…──」

 

 ……一体どういうことだろう。

 

 スマホの画面に表示されている日付けに間違いがないなら、それはデート当日のもの。

 そう、私が事故に遭ってしまう『あの』デートの当日なのだ。 

 

 状況を把握するにつれおかしいことだらけの現状に気付く。

 日付けはもとより、運良く命を拾えたにせよ目覚めた場所が病院ではないのはおかしい。

 

 そう。目覚めたここは勝手知ったる我が家… の、ベッドの上である。

 知らないうちに入院し知らないうちに退院をしていた? それこそまさか。

 

 一応後遺症などがないか確認するため、ベッドから這い出て少し身体を動かしてみたものの。

 まるで何もなかったのかのように身体は普通に動いてくれる。

 

 頭を触ってみても、針で縫っているように感じるところはない。……これは一体? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピロンッ! 

 

 突然鳴り響いたスマホのアラーム音に跳び上がりそうになる。

 明滅する画面に視線をやればメッセージが一通。

 

 ……差出人は彼であった。

 

 彼ならば今のこの状況についてもなにか知っているかもしれない。

 そうでなくとも、今の私と同様にこの状況に困惑して連絡をくれたのかもしれない。

 

 いずれにせよ何らかの進展は見込めるだろう。

 そう考えていた私の淡い期待は、儚くも崩れ去ることとなった。

 

 スマホをタップしてその文字を確認した私は、思わず硬直しまう。

 

『今日のデート楽しみだな』

 

 なんの変哲もないはずのそのメッセージを、私はきっと誰よりも知っていたから。

 

 忘れるはずもない。

 だって、これは昨日のデートの当日朝に送られたはずのメッセージなのだ。

 

 ……もしかして。

 ある一つの考えに至った私は、すぐにスマホを操作してニュース欄を開いて確認する。

 

「やっぱり…!」

 

 そこに載せられていたニュースのうち幾つかに私は心当たりがあった。

 これも、あれも『昨日の』ニュースであった。

 

 昨日のニュースが、あたかも今日初めて報じられたかのように掲載されていたのだ。

 私の困惑は疑念に変わり、今、確信へと至った。

 

 ……昨日に時間が巻き戻っている。

 

 神か、悪魔か、はたまた謎の科学者によるものなのかどうかは知るすべもない。

 

 しかし、どうやらそのナニカは私のたった一つの心残りを解決する手段を与えてくれた。

 そのことだけはもはや疑いようがなかった。

 

 直接会ってありがとうと言えるものならば心ゆくまで感謝の気持ちを伝えたい。

 しかし何処の誰かによるものかも見当がつかぬ現状ではおおよそ現実的とは言えない。

 

 なにより、今の私にはもっと大きな使命がある。

 せっかく得られたチャンスだ。しっかりと利用させてもらうことにしよう。

 

 昨日はあの道を歩いていたからトラックに轢かれてしまった。とすれば…──

 

「……『今日は』別の道に行くように誘導すれば解決ね」

 

 そう思うと、少し胸が高鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……面白かったね、あの映画」

「ああ、最後のオチは最高だったな!」

 

 彼と二人で笑い合う。

 

 デートする場所を水族館から映画館に変えることを提案し、彼も応じてくれた。

 戻る前の『今日』は、アザラシが見たくて水族館に行ったのだけれど。

 

 もう一度アザラシは見たからデートコースを変更したことに未練はない。

 むしろたったこれだけのことで、死を回避できるというのなら儲けものだ。

 

「……手、繋ぐか?」

「うん!」

 

 ああ、なんて私は幸せなんだろう。

 そう実感したその時のこと。

 

「おい! あんたら危ない!」

 

 ──えっ? 

 

 声の方向を見上げると、私の頭上に大きな看板が落ちてこようとしていた。

 ああ、これは間に合いそうも…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 

 スマホのアラーム音を聞きながら目を覚ます。

 画面を確認すれば日付はデートの当日。……失敗だ。

 

 けど、またこうやって日が時が戻っている。

 それは何度でもやり直せる、ということではないだろうか。成功するまで。

 

 ならば、何度でもやり直すしかない。……彼と私の幸せのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 

 恒例となりつつあるアラーム音で目が覚める。

 音を止め、私はベッドの上で次のデートコースを考える。

 

 これでもう三度目… いや、まだ三度目だ。

 そもそも『三度目の正直』なんて言葉だってある。

 

 ならば、この日が勝負とも言えるはずだ。……きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 

 アラーム音で察する。

 だが、諦めない。

 

 幸せをどんな困難も乗り越えずに手に入れられるはずがない。

 私は、きっと幸せを掴み取ってみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 

 既に聞き飽きてきた機械音で目を覚ます。

 今回もだめだった。

 

 けれど可能性はゼロではないはず。諦めない心こそが一番大事なはずなのだ。

 何より私には『次』がある。他の人には『それ』がなくとも私には…──

 

「………」

 

 そこまで考えて、愕然としてしまった。 

 ……今、私は『何を考えていた』? 

 

 私に『次』があったとして、他でもない『彼』はどうなるのか。

 そもそもの話、私は一体何が心残りだったのだろう? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 

 思い出せ。

 

 私は一番最初に意識を失う前に、何を思っていた? 

 彼が笑顔だったらと、きっとただそれだけを願っていたはずだ。

 

 それなのに、一体何故…? 

 ……ふと思い返せば、彼との最初の出会いを思い出せない。

 

 それどころか、他の記憶についても部分部分で欠けているようにも感じる。

 まるで、そこの部分だけを虫食いにされたみたいに全く思い出せない。

 

 まさか、これが時戻しの代償とでも言うのだろうか? 

 ……更に彼との記憶を忘れなければならない? 

 

 そんなのって、そんなのって… いいや、違う! 

 考えを改めろ、私。

 

 私が事故に遭って死ぬことが、超常なる存在に定められた運命であるならば。

 私がすべきは、運命から逃げようとするのではなく…──

 

「……運命に、立ち向かう!」 

 

 デートの場所は最初の水族館に戻そう。久しぶりにアザラシを見たくなった。

 彼と並んで歩くデートコース。涙が溢れそうになる。 

 

 忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。

 

 彼との思い出。彼の温もり。彼がくれた言葉。私が彼の物ということ。

 そのなにもかも全てを。……そして、私と彼が二人で一人だったことを。

 

 忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。

 

 この残酷な『今日』はいつまで続くの? 

 

 私はいつまで繰り返すの? 

 

 彼はどうやったら『あの瞬間』に笑ってくれるの? 

 

 私はどこまで記憶を失くしているの? 

 

 私はどうしたらいいの? 

 

 どうすれば笑ってくれるの? どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば…! 

 

 答えてよ、答えがないのに丸つけなんかできないよ。

 これがマークシート式なら埋められた答えを見付けることができたのかな? 

 

 ……そもそも最初から『答え』なんてあったのかな? 

 

 不安と焦燥、そして絶望。

 そんな感情に呑まれそうになっている私に彼が声を掛けてくる。

 

「海の生き物って不思議な生き物が多いんだな」

「そうだね、凄かったよ」

 

 今日で最後のデートだ。

 ……最後のデートにしなければならない。

 

 立ち向かうと、そう決めたのだから。

 

「なぁ、疲れてるように見えるけど大丈夫か?」

「……うん。へーき、へーき!」

 

「……手、繋ぐか?」

「……ううん。このままがいいかな」

 

「……そっか、分かった」

 

 ごめんね、手を繋いでたら巻き込むかもしれないから。

 ……腕時計をみる。

 

 そろそろトラックが…… 来た。

 いつも通り、私たちに突っ込んできている! 

 

 私はこの期に及んで『どうするか』をまだ決められていなかった。だからだろうか? 

 

「危ないっ!」

 

 咄嗟に声を出し、身体が動いてしまった。

 

 隣にいた彼を突き飛ばす。

 そして、当然の帰結と言うべきか突撃してきたトラックに吹き飛ばされるのは私だけ。

 

 ……あーあ、もっと巧くやれたのかも知れないのに。

 私ときたら肝心なところでいつもこうだ。

 

 なんて、そんなことはこれまでの『繰り返し』で分かりきっていたか。

 

 彼とはかなり離れた場所に身を投げ出されてしまう。

 衝撃が身体を走り抜ける。泣きそうなほど痛い。今回は即死ではなかったらしい。

 

 まったく、私に力を貸してくれたナニカはほとほと意地が悪いと見える。

 けれど、これでいいんだ。

 

 彼の笑顔は見れないけれど、私は、精一杯立ち向かった。だから、きっと、これでいい。

 ……ううん。これが、いい。

 

 そうして、私は意識を…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピビ ピッピビ──

 

 平凡なアラーム音が私の耳に届く。

 緩やかな風が私の髪をくすぐる。

 

「そのスマホ、まだ使っているんだな?」

「うん。なんだか手放せなくて」

 

 彼の声が隣ではなく、背中から響いてくる。

 

 今日は待ちに待ったデート。

 車椅子に座っている私を、彼は優しくエスコートしてくれている。

 

 今日は思い切り甘えてみようと思う。

 無論、愛想を尽かされないように注意しながらだけれども。

 

「……それで、さっきの話の続きを聞かせてくれる?」

「ああ、いいよ。さて、どこまで話したっけかな」

 

「もう、忘れないでよ。『私たちの最初の出会い』についてでしょう」

 

 ごめんごめん… と、はにかみながら彼はゆっくりと語り聞かせてくれる。

 

 目が覚めた時は何もかも忘れ果てていた私だけど。 

 記憶にもないはずの彼を、心から大切に思えていた。

 

 そして彼の笑顔を見るたびに私は思うのだ。『守り通せて良かった』と、心から。

 きっと、辛いことや理不尽なことなんてこの先いくらでも降り掛かってくることだろう。

 

 けれど私は心に決めている。何度でも、どんな状況でも立ち向かうって。

 そして、彼と沢山の『思い出』を積み重ねていくのだ。彼と私の二人の『笑顔』のために。

 

 ……『今日(これまで)』も、『明日(これから)』も。



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クラゲ伯爵さん

【お持ち帰りでよろしいですか?】
 作:クラゲ伯爵さん


 ここは妖怪・化生にとって最後の楽園かもしれない幻想郷にあるとされる魔法の森。

 人体に有害な胞子を撒き散らす傍迷惑なキノコが生い茂る場所でもある。

 

 その森の境い目付近。

 普通の人間ならば好んでは近付かぬであろう場所に、その店は門を構えていた。

 

 看板には『香霖堂』と銘打たれている。

 辺鄙な場所に建つ、このさびれた古道具店『香霖堂』こそが今回の物語の舞台となる。

 

 

 

 

 

「……はてさて、どうしたものかな」

 

 店主・森近霖之助が視線を店の片隅へと向けながら、そうつぶやいた。

 視線の先にあるのは、店内の決して小さくないスペースを占有する『あるモノ』。

 

 ウェディングドレスである。

 香霖堂の片隅でマネキンに着せる形でそれは飾られていた。

 

 いわゆる花嫁衣装といえば、年頃の女子ならば誰しも一度くらいは夢に見るものだろう。

 そこのウェディングドレスの他にも、白無垢といった日本由来のものもその一種か。

 

 形こそ異なれども、それら衣装に向けられる想いというものは共通するものであるはずだ。

 

 それは、いわば『幸せの象徴』。

 

 誰かに恋し、愛し愛されての恋愛感情。その行く末にして終着点。

 結実の一つの証としての意味が、それら結婚衣装に込められていると言っても過言ではない。

 

 はずなのだが…──

 

「所詮、衣装は衣装。喜び勇んで店に飾り付けたものの、どうにも持て余し気味だな…」

 

 ため息交じりに店主は独りごちる。

 

 さてこの店主だが、少しばかり不思議な力を持ち合わせている。

 その名も『道具の名前と用途がわかる程度の能力』。

 

 多くの幻想郷の人間にとってはガラクタに過ぎない『外』の世界の道具。

 こちらの技術力を遥かに上回る高性能な道具の価値を正しく把握し運用することが出来るのだ。

 

 ……使い方を理解するにはある程度の試行錯誤が求められるわけだが。其処は置いておこう。

 

 

 

 つまるところ、今彼の目の前に置かれている衣装も『外』から流れてきた商品の一つというわけである。

 

 他の色が一切混ざらぬ純白のヴェールに、ドレス。

 名称を『ウェディングドレス』、用途が『結婚式に着る』という正真正銘の花嫁衣装だ。

 

 幻想郷では極めて珍しいであろうそれを発見した時は密かに心躍ったものだ。

 名称は勿論のこと、用途もすぐに把握できた。使用法が分からなく難儀するような類の道具でもない。

 

 だからこそ、そのまま回収して店内のスペースを無理矢理に捻出して飾ったのだが。

 

「はぁ… 冷静に考えれば、古道具屋まで来てわざわざ結婚衣装を買おうという変人は居ないな。良いものが手に入ったと、少々浮かれすぎていたかもしれない」

 

 そうなのである。

 

 木箱の中に収められていたこの婚礼衣装は、彼の目をして非常に良い代物であると理解できた。

 だからこそ商品として展示したのだが、いかんせんここは『香霖堂』である。買い手の目処が全くと言って良いほど立たなかった。

 

 いや、若干の興味を示した客(?)もいるにはいたのだが…──

 

「あら、霖之助さん。こちら、『出世払い』にしてあげるから保管しておいてくれない?」

 

「こーりん! いいなコレ! でも大きさがちょっとな… 使う日まで取っておいてくれよ!」

 

 論外である。

 

 いつになるかもわからない結婚式のために、延々とドレスを取り置きしていては保存費用だけで足が出る。

 流石にどんぶり勘定の森近霖之助とて無視のできない大損を被ることは、火を見るより明らかであった。

 

 埒のあかぬ『取り置き要望』や『出世払い希望』をあしらうのにもいい加減疲れてきた頃、彼はならばと一つの条件を提示した。

 

 それは『このドレスをその身で着て帰ってもらう』ということ。

 

 これはなんとも名案に思えた。事実、無茶な要望を出していた客人(?)も悔しそうに口を噤んで静かになったのだから。

 彼自身、我ながら冴えた解決方法を提示できたと自画自賛していた。……その時までは。

 

「ドレスの似合う妙齢の女性で、近々結婚の予定があり、店から里までの移動をものともしない。……ここまで条件をつけたはいいが、今度は誰も買えなくなってしまったとはなんとも間の抜けた話だな」

 

 論外は己もであったか。自嘲気味につぶやいてみても、時既に遅し。

 買い手の目処もつかないまま、かれこれ一週間もドレスを飾り続けることになる始末。

 

 精緻な縫製技術が目を楽しませていた期間など、とうの昔に通り過ぎた。

 いや、正直言って今は邪魔なのだ。

 

 それなのに妙に存在を主張してくるからこそ自然と目を向けてしまう。……悪循環である。

 そんなわけで値下げを繰り返しに繰り返し、ついには引き取ってくれるなら誰でも良いと言外に告げているような値段となってしまった。

 

 ……それでも買い手はつかないのだ。

 

「あぁ、困ったなぁ…」

 

 幾度漏らしたか知れぬため息交じりの愚痴は、いつもどおりに香霖堂の壁や床に染み込まれる。

 はずだった。

 

「何をそんなにお困りなのでしょう?」

 

 鈴の鳴るような澄んだ美しい声とともに、霖之助は誰かの気配を感じ取る。

 それは、『先ほどまでは彼の他に誰もいなかった』はずの店内に新たな闖入者が訪れていることを意味していた。

 

 視線を上げ、声の主を確認して彼は口を開いた。

 

「……咲夜?」

 

 虚を突かれたとは言え、我ながら少々間抜けな問い掛けだったかも知れない。

 内心でそんなことを霖之助が考えていると知ってか知らずか、咲夜と呼ばれた女性は表情を少し綻ばせる。

 

 汚れ一つないメイド服をピシッと着こなした銀糸の髪を靡かせるクールな美貌。

 完全で瀟洒なメイド… 紅魔館の『悪魔の従者』こと十六夜咲夜がそこに立っていた。

 

「はい、咲夜です。おはようございます、霖之助さん」

「『おはよう』というには些か暗すぎる時間だとは思うのだけど、どうだろう?」

 

「あら? お嬢様にとっては『おはよう』の時間ですもの」

「……そこは君が訪れた哀れな道具屋にとっての時間に合わせて欲しかったよ」

 

 そして二人して笑い合う。

 軽口を叩き合うなど、この二人にとってはもはやお馴染みとなった恒例行事。

 

「フフッ… では改めまして、こんばんは。霖之助さん」

「あぁ、こんばんは。咲夜」

 

 彼女、十六夜咲夜は香霖堂の常連である。

 

 常連と名が付く存在はそれなりに多いものの、彼女はその中でも極めて貴重な「きちんと買い物をしてくれる上客」なのだ。

 その実績は幅広く、ティーセットからロケットの部品まで今まで多くの取引を交わしてきた。

 

 同時に霖之助自身も、彼女個人と良好な関係を築けていると自負している。

 だからこうして営業時間外に訪れられたり音もなく店内に侵入されても笑って許せて、あまつさえ軽口を叩き合えるほどの関係になったのである。

 

「とはいえ、せめてドアベルくらいは鳴らして欲しかったかな」

「もし眠っていたなら、起こしてしまうのも忍びないと思いまして」

 

 きっと彼女はその言葉通り、霖之助が眠っていたら来た時と同様に音もなく立ち去っていたであろうことは想像に難くない。

 そんなことを考えながら霖之助は更に言葉を続ける。

 

「その気遣いはもっと別の場所に向けて欲しかったなぁ…」

「別の場所と言いますと、例えば?」

 

「……ちゃんと営業時間内にドアベルを鳴らして入店する、とか」

「でも霖之助さんは起きてますもの。ですから、今は営業時間内でしょう?」

 

「いやいや、そうなると眠っていた時の事を心配しているというのがおかしくならないか」

「霖之助さん、『半球睡眠』ってご存知?」

 

「確かに僕は半妖だけれどね。あいにくと海豚や海鳥の類とのそれじゃあないんだよ」

「流石、博学ですのね。私は可愛いと思いますよ?」

 

「勘弁してくれ。……以前売ったぬいぐるみは好評なのかい?」

「妹様の宝物になりました」

 

「そいつはなんとも素晴らしい。薦めた僕としても鼻が高い」

 

 咲夜との会話は一事が万事この調子である。ポンポンと一見軽妙に、しかし無軌道に会話のテンポが飛び回る。

 お陰様と言うかなんと言うか、当初は困惑した霖之助であったが、今やすっかり彼女独特の会話のペースにも慣れてしまって今に至る。

 

 頭の回転が早すぎる彼女は、会話の中にも度々冗談を仕込ませる。

 それら1つ1つに気を取られてしまうと、会話はあらぬ方向へと進んでしまうだろう。

 

 言葉の応酬を愉しむならば、無軌道な彼女のペースに合わせてもいいだろう。

 

 だが何か目的をもって臨む場合、きちんと会話の趣旨を明確にするならば。

 そうした場合であれば咲夜もきちんと応えてくれる。

 

 ……まぁそういったことが理解できる程度には、霖之助にとって彼女との付き合いも長くなったということだ。

 

「それで、今日は何をお求めなんだい?」

「油の買い取り願いですね」

 

「おいおい、香霖堂は油の不良在庫がたんまり溜まっていることは君も知ってるだろう?」

「でも此処より高く買ってくれるお店は知りません」

 

「本来は売り手の募集すらしてないつもりなんだがね…」

 

 この上また不良在庫を抱えるのかと渋る霖之助。

 そんな彼の反応を予測していたかのように、咲夜は両手を合わせながら提案する。

 

「でしたら一緒に焼きたてのスコーンなどいかがでしょう?」

「あいにく紅茶のような気の利いたものは出せないが、それでよければ」

 

「あら? 確か以前、取り置きをしていませんでしたか」

「貧乏神巫女に持っていかれたよ」

 

 咲夜の指摘に苦虫を噛み潰したかのような表情で応える霖之助。

 そんな彼の姿に咲夜もくすくすと笑みをこぼす。

 

「まぁ緑茶と紅茶の原材料は同じものですし、問題ありませんね」

「その理屈は納豆と醤油を同じものというようだが… っと」

 

 フッ、と気付けば。……二人の目の前にティーセットとスコーンが現れた。

 

 おそらく咲夜の能力である『時の流れを操る程度の能力』を利用した、タネも仕掛けも本当にないマジックだろう。

 相変わらず便利な能力だが、少々こちらの心臓に悪いのが玉に瑕といっただろうか。

 

「ところでお召し上がりながらで結構なのですが…」

「ん?」

 

「えっと…」

 

 途端、咲夜はちらちらと視線を泳がせる。

 まるで何かを言い淀むかのように口ごもっている姿は、いかにも普段の彼女からの様子からは程遠い。

 

 はて、この店内に彼女をして冷静さを失わさせるような違和感があっただろうか? 

 思考とともに視線をめぐらせて、霖之助はその心当たりを視界に収めた。

 

「あぁ。ひょっとして、『アレ』のことかい?」

「……はい」

 

 今も店内の決して小さくないスペースを陣取っているウェディングドレス。

 それを指差し尋ねれば、チラチラと横目で見ながら咲夜が小さく頷いた。

 

 他の追随を許さないほどの存在感を放つそれは、確かにまだ咲夜には見せてなかった気がする。

 

「その… まさか霖之助さんに、そう言った趣味があったとは思いませんでした」

「……待ちたまへ。何だか分からないが君はきっと大きな誤解をしている」

 

「いいえ、いいえ。たしかに幸せの形は人それぞれ。ですが霖之助さんが着るにはいささか、その、サイズが…」

「ちょっと待て。落ち着こうか。凄まじい勘違いをしているところ悪いが、僕にそんな趣味はない」

 

「えっ!? でも似合うと思いますよ!?」

「ありがとう。まったく嬉しくないけれど。……はぁ、それは売り物だよ。着て帰れる相手限定の、だけどね」

 

 淡々と諭された咲夜はと言えば、未だに驚いた表情が戻らないでいる。

 本気で霖之助が花嫁衣装を着たいと勘違いしていたのかも知れない。

 

 出来ればいつもの冗談であって欲しかった。

 いっそ真偽を確かめてみたい気もしないでもないが、そこで思い切り肯定されては立ち直るのに暫しの時間を要することは明らかであろう。

 

 そこまで考えた結果、森近霖之助は全力で目の前の問題から目を背けることを決定した。

 考えても仕方ないことは考えない。これもまた、幻想郷を生き抜くために必要な考え方なのだから。

 

 そんな空気を察したのか、咲夜の方も気を取り直して霖之助に質問を始めた。

 

「着て帰る、ということは一点ものなので?」

「ある程度の採寸はサービスするが、正直言って持って帰ってくれるだけでも有難いよ。スペースをとって仕方ないんだ」

 

「でもお高いんでしょう?」

「それがなんと。今なら超絶格安価格でご提供させていただいております」

 

 霖之助は近くに置いてあった算盤を手に取り、ある程度の見積もりを指し示した。

 その額を見て咲夜が口元に手を当てて目を丸くする。……中々の演技派である。

 

「まぁ! お安い!」

「そして更に今回だけの特別サービスとして、着付けを無料で行わせて頂いております」

 

「なんて至れり尽くせりなのでしょう。ここまでやってもお値段そのままなんて!」

「いえいえ、それだけではございません」

 

「まだ何かあるのですか!?」

「本日香霖堂にご来店頂いたあなただけに、特別にこの収納用ケースをプレゼント!」

 

「ええ! そんなすごい!」

「そう本体のドレスとヴェール、収納用ケースに加え、採寸と着付けを無料でご提供……」

 

「それでお値段は?」

「本日だけの格安プライスがこちら!」

 

「これはお買い得ですね!」

 

 唐突に始まった茶番にもかかわらず当意即妙の掛け合いで応じてみせる咲夜。

 そんな彼女であったが唐突にトーンを落としてつぶやいた。

 

「……はい。全然、欲しくなりませんね」

「そうだね」

 

 そうだね。現実は非情である。

 

 まぁ、わかりきっていた話である。

 というか流れで採寸と着付けまでサービスすることになってしまった。

 

 が、大した問題でもないので霖之助もそこはスルーする。

 

「というより、霖之助さん?」

「うん、何かな?」

 

「嫁入り前にウェディングドレスを着ると、婚期が遅れるって話はご存知?」

「菫子くんに聞いたよ」

 

「つまり知らなかったということですね、まったくもう…」

 

 額を抑えながら呆れたようにため息を漏らす咲夜。

 

 冷やかし対策には抜群の威力を発揮する文句も、購買意欲の低下にまで結びついては意味がない。

 気がついた時にはご覧の有様である。

 

「やれやれ… あまり気は進まないが、これ以上ここでドレスを腐らせていても仕方ない。埃まみれになる前に奥に片付けるとしようかな」

 

 ドレスを片付けるために霖之助が腰を上げようとしたその時である。

 

「ところで、店主さん?」

 

 何故か余所行き用の声となった咲夜に止められたのだ。

 怪訝そうな表情とともに霖之助が振り返る。

 

 咲夜はそんな彼の表情を指摘することなく唄うように言葉を綴る。

 そして…──

 

「せっかくですので、油の他に買い取って欲しいものができたのですが」

「……それは?」

 

 にっこりと、満面の笑みで、自分自身を指差した。

 

「うん。……うん?」

 

 霖之助の思考がオーバーフローを引き起こした。

 

 

 

 

 

 

 笑顔のまま、彼女は言の葉を紡ぎ続ける。

 

「無限に油を消費できる超有能メイドです。お買い得ですよ?」

「いや、うん。労働力なら間に合っているのだけれど…」

 

「ええ。ですから『ウェディングドレス』を『着て帰る』一番冴えた方法がそれですもの」

「…………?」

 

 森近霖之助は困惑していた。咲夜の言いたいことが、わかるようでまるでわからない。

 なぜ彼女はマネキンの後ろに立ちつつ、自分へと期待したような目を向けてくるのだろうか? 

 

 そんな彼の様子に笑顔から一転、拗ねたような表情を浮かべる咲夜。

 

「本当にわからないのですか?」

「……すまない」

 

「では察しの悪い店主さんに代わって! 察しの悪い店主さんに代わって! この紅魔館のスーパー美少女メイド長様が説明しましょう!」

「うわぁ… ここまでハツラツとしたドヤ顔、久し振りに見たよ。……あとなんで2回言ったのかな」

 

 ヴェールが髪の毛にかかっていて、あたかも被っているかのよう。

 

 そこで、ふと、ドレスのサイズが咲夜の背丈にぴったりではないかと気がつく。

 途端、霖之助の中に『彼女のドレス姿が見たい』という気持ちが湧いてくる。

 

「そもそもドレスは結婚した相手に見せたいものです。家まで着て帰れば、それだけで価値がだだ下がりです」

「まぁ、それはそのとおりだね」

 

「いくら価格が素晴らしくても、一生に一度というブランドとは比べようもありません。女の子の夢はそんなに安くありません」

「ごもっとも。まったく反論のしようがない」

 

「ですがここにいるのが店主さんだけで、着るのも店主さんに見せたい相手ならば… 『着て帰る』っていう条件を満たせると思いませんか?」

「は? いや、いやいや待ってくれ。それはつまり…──」

 

「霖之助さん」

 

 珍しくも動揺を顕にした霖之助の動きを押し止める、静かで澄み切った声音。

 そこに込められた想いは真剣の一言。

 

 マネキンの後ろから声がする。

 純白のヴェールに隠れて、咲夜の顔は見えてない。

 

 だが、その耳は赤く染まっているように見えた。

 

「……メイドの嫁は、いりませんか?」

「──ッ!?」

 

 ああ、なるほど。たしかに、それは冴えたやり方だ。

 香霖堂に着て帰る、という選択肢に霖之助も改めて思い至る。

 

「…………」

 

 フッ、と気付けば。霖之助の目の前にいるのは、純白のドレスに身を包んだ少女。

 

 白のヴェールの奥底に隠された表情は、少女の伴侶たり得る相手だけが知ることのできるもの。

 かすかに覗く桜色に染まった頬が、期待と不安の両方を醸し出している。

 

 ああ、世の中の新郎はきっとこんな気分を味わうのだろう。

 人生の絶頂期にも似た高揚を彼は今、噛み締めている。

 

「咲夜」

「……霖之助さん」

 

 二人は真剣に互いを見つめ合い。そして…──

 

「ちょっとだけ考える時間をください!」

 

 店主・森近霖之助の渾身の土下座が香霖堂店内に炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんてこともあったわね、ヘタレ店主さん」

 

 緩やかな時の中、語らい合う二人。

 

「笑わないでくれよ。あの時は何もかも準備が足りなくて真剣な君に返す言葉が全然思いつかなかったんだから」

「もう、私はいつだって大真面目なのに」

 

「それは骨身に染みたとも。……あぁ、本当に心の底からね」

 

 それは常変わらぬ軽口の応酬のようでいて。

 

「……ひょっとして結婚式が伸びに伸びたの、あの時の出来事が原因だったりするかしら?」

「関係ない、と願うばかりだよ」

 

「周回遅れのドレス姿だもの。今度は余さずその目に焼き付けてね?」

 

 でも、何処か『あの時』までには含まれなかった甘やかさも感じさせて。

 

「……ああ、今度は失敗しないよ」

「ううん、私はアレが失敗だなんて思ってない。だって真剣に受け止めようとしてくれた結果でしょう? だから、嬉しかったわ。本当よ」

 

「…………」

 

 それが幾重にも世界を輝かしく感じさせてくれる。

 

「フフッ、ねぇ霖之助さん」

「何かな咲夜」

 

「メイドの花嫁は、お持ち帰りでよろしいですか?」

 

 花も綻ぶような美しい笑顔。

 

 今や『幸せの象徴』に包まれた花嫁に、新郎はゆっくりとその手を差し出すのであった。

 



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ケツマンさん

【現実世界にポケモンをぶち込んだらサバイバル系B級パニック物になってしまった】より「1-OP 日常」
 作:ケツマンさん


 建て付けの悪い扉がギィギィと音を立てている。

 まるで嵐に遭ったかのように散乱した室内。

 

「………」

 

 男… いや、まだ年若い『少年』とも言える人物が室内で足を組んで腰掛けていた。

 程よく脱力しているように見せかけて、その視線は鋭く一点を見詰めている。

 

 視線の先にある雑巾のほうがまだ幾分マシに思える()()()れの上には、申し訳程度の穀物類。

 生米や傷んだ小麦といった、本来あるべきだった世界では見向きもされないような代物。

 

 だが他でもない『この世界』において、今やそれらは純金にも勝る価値を持つ貴重なものだ。

 

 

 

 

「──来たか」

 

 少年は静かに腰を浮かし、音が響き渡らぬよう口の中で転がすようにつぶやく。

 ……『あの日』以来、こうした注意にももはや慣れてしまったものだ。

 

 決して少なくない出費を支払った甲斐あってか、『撒き餌』に釣られて獲物がやってきた。

 

 ──『小鳥』だ。

 

(……悪くない)

 

 心中で少年はつぶやく。大きすぎず、小さすぎず程良い獲物だ。

 美味しそうに穀物類を啄む『小鳥』の姿。それは一見長閑(のどか)な光景であるように錯覚させる。

 

 しかし体長は約30cmながら、『小鳥』は見た目からは信じられないほどの力を持つ。

 まともに体当たりを受ければ大の大人とてただではすまない。

 

 決して容易い相手ではない、そんなれっきとした『モンスター』なのだ。

 命を賭けて臨まねばならない相手が『手頃』な相手とは、変われば変わるものだ。

 

 とはいえ、今考えるべきは如何にあの『獲物』を狩るか… その一点に尽きる。

 自嘲気味になりそうになる思考を切り替える。

 

 改めて獲物が餌に夢中になっていることを確認。

 

(行け)

 

 然る後に、少年は自身の膝下で気配を殺していた『相棒』へとハンドサインを送った。

 

 水色がかった体色に見るからにプニプニとした感触の丸みをおびた身体。

 明らかに犬や猫といった、我々にとって普段から馴染み深い生物ではない。

 

 少年のサインに『相棒』は身体全体で器用に頷くような動作を一つ。

 そして見た目にはそぐわぬ俊敏な動きで小鳥の背後に飛び出し、すぐさま攻撃を加えた。

 

 まず初撃は成功。

 

 そして運良く、その一撃で『小鳥』は羽根か何処かを痛めたらしい。

 一時的なものかも知れないが、即座に高く飛び上がり逃げ出そうという気配は見られない。

 

 これは僥倖だ、と少年も内心で『相棒』の手柄に喝采をあげる。

 

「今夜は焼き鳥だな」

 

 正確には、『今夜も』である。

 

 なんせ食料節約と狩りの練習のために連日連夜、あの『小鳥』の肉ばかり食べているのだ。

 辛抱強い己と『相棒』の胃袋に、拍手を送ってやりたいくらいだ。

 

 などと、にべもないことを考えながら少年は肩にかけていた『得物』を右手で握り込む。

 壊れた竹箒の枝先に、包丁をダクトテープで括り付けただけの粗末な手製の槍だ。

 

 しかしそれこそが、今や少年にとって『相棒』と並ぶまさに命を預けるアイテムなのである。

 彼は槍を手に音を立てないように注意しながら移動して、そっと裏口から外へと出た。

 

 自身と相棒のねぐらであるボロ小屋を出て『小鳥』の視線に入らぬように大きく迂回する。

 

 相棒は『小鳥』との戦闘を続けており、上手く注意を引いている。

 

 小器用に地面を蹴飛ばして砂をかけてきたり、その鋭い嘴で敵を突き刺そうと俊敏かつ苛烈に攻めかかっていく。大分カッカしているようで、ベージュがかった明るい茶色の羽毛を逆立ている。

 

 対する少年の相棒は、それら攻撃の尽くを機敏に飛び跳ねて躱し絶妙のタイミングでカウンターを決める。目潰し攻撃の砂かけは間合いを見切り、木造民家程度なら大きな穴を空けてしまいそうな鋭い嘴攻撃も不思議な『反射』のような技で跳ね返してしまう。

 

 戦闘が始まってからおおよそ2分あまり。相棒は擦り傷を負ってはいるものの未だに余裕。

 対して『獲物』である茶色い小鳥は満身創痍の有り様となっていた。

 

(……そろそろ楽にしてやろう)

 

 息も絶え絶えと言ったボロボロの小鳥の背後、少年は音もなく近付き得物を構える。

 西陽に照らされた影が新たに地面に浮かぶ。

 

 事ここに至り、『小鳥』はようやく己の背後から迫りくるもう一人の刺客の存在に気付いた。

 慌てて体勢を整えようとする… が、遅い。

 

「悪いね。俺も生きる為なんだ」

 

 

 

 

 

 

 少年は汗ばむ手でしっかり握り締めた粗末な槍を力一杯、『小鳥』の喉元へと突き立てた。

 刃は小鳥の体内へと食い込み、軟らかい骨をへし折った感触が両の手に伝わってくる。

 

 致命の一撃。

 

 つぶらな瞳から光が失われ、くすんだガラス玉のような色へと徐々に変化していく。

 切り裂かれた身体からはドクドクと濃厚な血液が流れ出ており、今も羽毛を汚し続けている。

 

「おっと、いけない」 

 

 余計な血を撒き散らして別の厄介な『モンスター』を引き寄せるのは悪手だ。

 

 少年は慎重に『獲物』から槍を引き抜くと、チラと今回も大活躍だった相棒に目を向ける。

 すると彼(もしくは彼女)のヌイグルミのように小さな身体が一瞬真っ白な光に包まれたかと思えば、まるでガッツポーズのように両腕を振り上げピョンピョンと無邪気に跳ね回り始めた。

 

 これも今やすっかりお馴染みとなってしまった光景だ。

 きっと小さな相棒は身体に力が(みなぎ)って仕方ないのだろう。

 

 

 

 

 

 

「レベルアップ、おめでとう」

 

 育成ゲームでもあるまいし、『現実』でこんな言葉を口にすることになるとは。

 そんなことを考えながら、少年は殊勲の『相棒』の頭を優しくなでてやる。

 

(……全く、人生どうなるか分かったもんじゃない)

 

 槍の刃先の包丁から、『小鳥』の血がポタリと零れ落ちて乾いた地面を汚す。

 粘つく血の混じった砂埃が、汗に濡れた少年の頰にもベッタリと纏わり付いてきた。

 

 夕暮れ時にしては眩し過ぎる太陽が、たった今死んだばかりの『小鳥』の身体を焦がし始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや何度目と数えるのも馬鹿らしくなるほどに繰り返されてきた、狩りの光景。

 平和は崩れ去り、こんな光景こそが今や『この世界』では当たり前のものとなっていた。

 

 そう… 『あの日』を境として。




・ポッポ ことりポケモン(ノーマル/ひこう)
味わいは淡白。普通の鶏肉より身は硬め。
丸焼きにしても美味だが、酒に漬け込んで身を柔らかくしてから唐揚げにするとより美味である。


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アーマードコアの新作さん

【俺はみほエリが見たかっただけなのに】より「おまけルート四本ME エミカスは無事1人で転校したようです」
 作:アーマードコアの新作さん


 ──月──日

 

 

 

 ──フィンランドのカモメはでかい。

 

 いつだったか観た、とある映画の冒頭のシーンでの台詞だ。

 オバサン3人が主役の特に山も谷もないなんてことない話だったけれど、あののんびりとした雰囲気が嫌いではなかった。

 

 そして『丸々太ったカモメが港をのしのし歩く姿を見ていると、小さい頃に飼っていた…』と続くのだが。……なんだったか、確かここで猫の名前が挙げられるのだ。

 

 残念なことにそれがどんな名前だったのかまでは失念してしまったけれど。

 丸々太ったカモメが映画のようにのしのし歩く姿を眺めながら、そんなことを考えている。

 

 本来なら昔を思い出すことでしんみりとした気分に浸りそうなところだろうが、さにあらず。

 むしろ頭の中身は、今やこれ以上ないほどの疑問符によって埋め尽くされていると言っても過言ではない。

 

 そう、フィンランドのカモメはでかい。

 だがここは日本だ。

 

 ふざけてるの? と思われるかも知れないが、ここ、継続高校のカモメは確かに丸々と太っているのである。いや、確かにフィンランドっぽいイメージの学園艦ではあるけれど。

 

 力を入れるべきところは果たしてそこか? そこなのか? 

 俺は決して流されることなく、これからも疑義を呈していきたいのだ。……心の中で。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 こちらに引っ越してから早二週間が経過した。

 当初は航路の違いによる気候の変化やあまりにも独特な学園生活のスタイルに振り回されることこそ多かったものの、慣れればなんてことはない。

 

 今ではすっかりとこの学園艦に溶け込めていると自負できるほどに至った。

 

 

 

 コトは、全て計画通りに進んでいる。

 全ての責任を負い黒森峰を去った。そう、『全て』だ。

 

 それは本来の流れとは異なり、みぽりんが黒森峰に残ったままの状態となることを意味する。

 それが一体何を意味するのか? 今更説明するのも野暮というものだろう。

 

 そう、濃厚なみほエリパートへと移行するのはもはや時間の問題。

 それだけは、もう、間違いない。

 

 ……ひょっとして既に? 

 

 まさに天才過ぎる所業。

 上手く行き過ぎて怖いくらいだ。いや、そうでないと困るわけだが。

 

 

 

 継続高校での生活も概ね順調だ。

 

 特に住み込みのバイト先も見付けられたのは僥倖の一言に尽きる。

 少ないながらも収入もあるのは嬉しいものだ。

 

 久方ぶり戦車道から離れ、随分と暇ができてしまったこともあり学業の方も問題はない。

 近頃は『とある事情』により料理の練習にも力を入れている。

 

 あとは密やかな趣味ではあるが、最近ダミー日記に少々凝っている。

 

 痛々しいことこの上ないまさに黒歴史そのものが凝縮されたような一冊。

 しかしどうして、これがなかなかに面白い。まるでルークの日記を書いてるような気分を味わえるのだ。

 

 

 とはいえ全てが順風満帆というわけにもいかないのが世の常。何点か困ったことも相応にある。

 ……住み込み先の店の主人が唐突に消えたのだ。

 

 いや、わけがわからないと思うかもしれないが事実なのだ。コレが。

 

 近所の人曰く放浪癖があるらしく、宝くじで当てた30億近い資産を使って唐突に世界を旅することがこれまでも度々あったのだとか。……なんで店の経営なんてしているの? 

 

 電話は問題なく繋がるのが不幸中の幸い、と言うべきか。

 

 店は開けても閉めてもこちらの好きにして構わないとのこと。

 給料と生活費については毎月所定の口座に振り込むが、店を開けるからには客に失礼のないものを提供するようにとのこと。

 

 いやいや、無責任を極めすぎているだろう? 

 今こうして書いていても改めてその時のことを思い出し、ため息を吐いてしまいそうになる。

 

 こういうのもフィンランドカラーってやつなのだろうか? 

 ……いや、大半の人はそんなことはないだろう。そう信じたいものだ。

 

 そんなわけで俺は今、この食堂『Ravintola UMINEKO』の代理店主となってしまっている。

 

 営業日は平日午後五時から七時までで、土曜日のみ正午から午後七時までの営業スタイルだ。

 そして気になる定休日は日曜日と、後は店長(つまり今は俺だ)の気分次第。

 

 ……永久就職したいくらいにぬるい職場である。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 なんとなく責任を感じ、学業を終えた後に『店主不在』と『auki (営業中)』の二枚の札を吊るしておく。大半の人々は店内で勉学に勤しむ俺と札を見て通り過ぎていく。

 

 実に平穏な時間だったが唐突に来店を知らせるベルがその終わりを告げた。

 入店してきた客はミカだった。本当に心臓が止まるかと思った。前触れがなさすぎてひっくり返りそうになった。

 

 そして、それを押さえ込んだせいで不意に見つめ合う形となってしまう。

 暫しの沈黙の後になんとか再起動を果たし、俺は練習していたフィンランド語の『Tervetuloa(いらっしゃいませ)』を言えたのであった。

 

 いただいた注文は珈琲。これに関しては少しばかり自信があったので、それなりにしっかりしたものをお出しできたのではないかと思う。

 

 それにしても生ミカ、初めて見たわけだが。まぁ、うん、なんというかね?

 

 やっぱりすげぇよミカは。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 あれから毎日ミカがくる。どうやら珈琲をお気に召していただけたようだ。

 放課後、(ここ)に来てはコーヒーを啜りつつ心ゆくまでポロロンしていく。

 

 いや、うん。

 営業時間外でも平然と入ってくることだけはちょっとどうかなと思わんでもないけれど。

 

 なので最近は、ミカと同じ空間でポロロンを聴きながら勉強や料理の練習をする日々である。

 これはミカファンにとって、千金を積むこととなろうとも望むべき得難い経験だろう。

 

 ……こういう時、転生できてホントに良かったと俺はシミジミ幸せを感じてしまうのだ。

 

 

 

 しかし、ミカか。

 果たしてミカには一体どのようなCP(カップリング)がいいのだろう。

 

 彼女に出会ったその時から、俺はそのことばかりを考えている。

 時に勉学に励みながら、時に料理の練習をしながら。

 

 いや、勿論ミカみほは言うまでもなく好きだ。大好きだとも。

 しかしこの世界は、みほエリなのだ。みほエリこそが世界の選択なのだ。

 

 となれば…

 やはりここは、とある説から生まれたロマンあるミカありを推すべきですかね。

 

 

 

 こんなことを書いていたせいだろうか? 

 ふと、黒森峰にいるみほとエリカの様子が気になってしまった。

 

 これを書き終えたら2人に電話をしてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 今日はミカがアキとミッコを連れて来店した。……休業の札を下げていたはずなのだが。

 アキにペコペコと謝られたのは貴重な経験である。よって許す(弱い)。

 

 珈琲をお出ししたあと、予定通り店長にオススメされたシナモンロールの練習に取り掛かる。

 のだが、視線の圧がすごかった。……視線の圧がすごかった。

 

 そんな圧に他でもない俺が抵抗できるはずもなく、三人に提供することとなった(無料)。

 

 アキとミッコはおいしいおいしいと言って頬張ってくれた。

 一方でミカはいつもの涼やかな表情で無言だった。

 

 ……ただ、一番たくさん食べてくれたのもミカだったことをここに追記しておく。

 

 やっぱりすげぇよミカは。

 

 みほとエリカにグループ通話をかけてから今日もお休みすることとする。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 驚いた、すごく驚いた。驚きすぎたので思わず2回書いてしまった。それほどに驚いた。

 部屋に入ったらミカがいたもんだから飛び上がるほどにびっくりした。

 

 そして冷蔵庫にしまってあったはずの練習作のロールケーキを綺麗に平らげていたものだから、俺はさらにおでれーた。

 呆然としているうちに優雅に口元を拭ったミカは「ごちそうさま」とだけ言い残し華麗に窓から去っていった。

 

 

 

 ……これは普通に犯罪案件では? そう思って、流石に店長に警察に相談するべきか確認したら笑いながらいつものことだと言われてしまった。

 

 それでいいのか。

 いいらしい。

 

 流石フィンランドだ、つよい。

 

 いや、日本だよここ! 

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 フィンランドの名産といえば、なにはともあれサーモンを挙げる人が多いだろう。

 ザリガニやニシンもあるが、トナカイ肉は流石になかった… と思いきや冷凍輸入されたものが普通に売られている。摩訶不思議過ぎる。

 

 シュールストレミング? 忘れろ。アレは我らには救えないモノだ。

 

 ともあれ学園艦『継続高校』は、その強すぎるこだわりが随所に感じられる仕様なのである。

 

 

 

 ならば、当然と言うべきかなんと言うべきか。

 フィンランドリスペクト精神が異常なまでに強いこの艦で、サーモンは人気の品だ。

 

 日本産のサーモンのはずなのにやたらとデカイのだ。食いでがマシマシである。

 なので今日はサーモンとほうれん草のクリームパスタを晩御飯にした。

 

 ミカは当たり前の様にそこにいたので2人分作り一緒に食べることとなった。美味しかった。

 

 

 

 ……おかしいよな、これ? なんで普通にいるの? 変でしょ絶対。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 サウナ、サウナである。おっさんの大好物サウナである。

 近所に大きなサウナ風呂施設があるという噂を聞き、興味を惹かれた俺はならばと一汗流しに行ってみることにした。

 

 そして中に入ると例の三人組、ミカ・アキ・ミッコがズラリと並んで汗をかいていた。

 ミカも珍しく驚いた表情をしていたのでこれは本当に偶然なんだろう。

 

 

 

 やや微温(ぬる)めのサウナの中でじっくり汗をかいていると、ミカに戦車道について話を振られる。

 どうやら前々から俺のことは把握していたらしい。まぁ継続とは試合をしたこともあったから、きっと、そのつながりから俺の事故のことも聞いていたのだろう。

 

 

 

 戦車道はやめるのかと聞かれたので、まだ答えは決まってないとだけ返しておいた。

 ぶっちゃけた話、目的を果たした以上はもうやらなくてもいいわけだがあれはあれで楽しい。

 

 それに将来再開すれば、また、みぽりんとエリカとの話のタネになるかもしれないし。

 

 

 

 サウナから上がった後は三人とも何故か俺についてきて、珈琲を淹れる事となった。

 湯上がりの食事は重くてもいけないが少ないのも物足りない、と言う事でサーモンスープとバジルパンで済ませることにした。

 

 

 

 気のせいだろうか? なんだか最近は彼女らの専属コックと成り果てている気がする。

 ……気のせいであって欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 正直に認めよう。最近はもうミカと一緒に飯を食わないことの方が少ない。

 

 そしてここまでくれば俺も察しがつく。

 ミカはおそらく誰かに言われて俺の様子を見にきている。

 

 そんな命令に従うタイプの人間ではないと思うが、どういうわけか素直に従っているらしい。

 おそらく彼女にも都合があるのだろう。ここはオトナのヨユーで知らん振りを決め込んでおこう。

 

 

 

 みぽりんと電話をしたが、とても寂しがっている。

 

 聞こえますか、みぽりん? エリカを、エリカを頼るのです…(エコー)

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 なんで?????????? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 昨日は大変だった。

 

 

 

 部屋に戻るとミカが泣いていた。オマケに思いっきり抱きしめられたのだ。

 はい、この世からピロシキ案件ですね。分かります。

 

 しかし、事情については分からなかった。尋ねても口を割ろうとしない。

 なのでとりあえずしばらくはそのままにして、落ち着いた頃合いを見計らって脱出し、秘蔵のルアック珈琲を角砂糖マシマシでお出ししてなんとか落ち着かせた。

 

 それにしても泣き顔のミカとは貴重なものを見た気がする。

 しばらくして落ち着いたミカは、取り乱したことを謝罪して「今日は帰る」とだけ言い残して去っていった。

 

 

 

 さて、どんなケジメをすればいいのかな? 

 不可抗力だったとはいえコレは確実にケジメ案件である。

 

 とりあえず右手の小指を逆ポキした。

 派手に痛かったが罪が洗い流されてゆくのを感じた。

 

 ……小指1本折れるだけでも日記って書くのに難儀するモノなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 おかしい。ミカがおかしい。

 あのミカが俺の調理の手伝いをするなどと。

 

 アキもミッコも呆然としていた。だよな? そういう反応になるよな? 

 というより、なんだか俺を見る目が変な光を帯びている気がする。

 

 一体あの夜になにがあったのだ。俺は真剣に真実を知りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 ──月──日

 

 

 

 今日はお客さんが来なかった。

 

 というか基本的に例の三人か、彼女らに連れられた戦車道メンバーくらいしかやってこないのだが。そして、その彼女らを含めた戦車道メンバーはといえば模擬戦で試合に出かけていたのだ。

 

 相手はなんと黒森峰。

 古巣との対決なので少し反応に困る。果たしてこの場合、どちらを応援すれば良いのだろうか。

 

 

 

 晩御飯にはせっかくなのでと大盤振る舞いしてトナカイ肉のステーキ。

 かーなーりー食べ応えがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『彼女のことを見てあげてほしい』

 

 

 

 最初は大恩ある『校長』にそう言われたから、仕方がなくだった。

 

 誰かに従うというのは性に合わない。

 それも多くの時間を割かねばならない仕事。

 

 なぜそんなことを私に任せたのかは分からない。

 だが了承してしまった以上、仕事は仕事。

 

 なので私は『校長』が店主をつとめる一軒の食堂を訪れた。

 

 

 

(ここに例の生徒が、ね…)

 

 

 

 黒森峰がプラウダに決勝で敗退した主犯とされ、半ば追い出されるように転校してきたという元黒森峰生。その名前には聞き覚えがあった。

 

 ──天翔エミ。

 

 確か模擬戦で戦った時は一年ながらレギュラーとして、副隊長車の装填手を務めていたはずだ。

 

 

 

(……様子を見るといっても、何を見ればいいのだろう)

 

 

 

 自殺でもしないよう見張ってやれと言うのであれば、あいにくと自分では力不足だ。

 四六時中見張れるほどの時間もないし、なによりそんな義理もない。

 

 出来てせいぜいその様子を校長に伝えることくらいだ。

 そして私が確認するのも『そもそも事が終わった後』である可能性が高いだろう。

 

 ……当初の私は、そんなことを考えるくらいにはやる気というものが存在しなかった。

 

 

 

「まぁなるようになるか」

 

 

 

 渋っても仕方がない、という消極的な理由で私はドアベルを鳴らし店内へと入った。

 音を聞いたのか件の生徒らしき子がこちらへと視線を向ける。

 

 

 

(……小さいな)

 

 

 

 彼女は、高校生とは思えないほどに驚くほど小柄な少女であった。

 

 艶やかな黒髪を後ろで束ねていて、どことなくスッとした印象を抱かせる。

 自分よりゆうに頭二つ分は背の低いであろう彼女は、暫しこちらを呆然と見詰めた後、やや慌てたように立ち上がった。

 

 

 

Tervetuloa(いらっしゃいませ)

 

 

 

 なぜか綺麗な発音のフィンランド語で歓迎されてしまい、少しばかり面食らってしまった。

 

 てっきり我が身を襲った不幸に打ちひしがれているのかと思っていたけれど、慌てて水の入ったグラスを用意する姿からはさほど悲壮感は感じられない。

 とりあえず席につき暫し様子を伺ったものの、どう見ても店の手伝いをする生真面目な小学生、程度の印象しか抱けなかった。

 

 

 

「こちら、メニューになります。ただいま店長が不在でして、お出しできない品も多いのですがどうぞご了承ください」

 

「……珈琲をもらおうか」

 

 

 

 味には期待できないがとりあえず注文をして、一息つく。

 

 この調子なら心配はなさそうだし、飲み終えたならさっさと帰ろう。

 最低限の義理は果たせただろうから。

 

 暇つぶしにカンテレを鳴らしながら外を眺める。

 天気模様は薄曇り、運動をするにはちょうど良さそうだ。

 

 

 

「お待たせしました」

 

 

 

 ぼうっとしていたらいつの間にかできていたらしい。

 

 香ばしい匂いを漂わせる珈琲がテーブルに置かれていた。

 泥水をすする覚悟だったから、少しばかり驚いた。

 

 

 

 ……まあいい、さっさと飲もう。

 カンテレの手を止めて、カップの(ふち)にそっと口付ける。

 

 

 

「………!」

 

 

 

 美味しい。……とても、美味しい。

 

 コーヒー自体を今までさほど多く飲んできたわけでは無いけれど、その中でも一番と言ってもいい味だった。

 香ばしい匂いに珠の様な舌触り。

 

 気がつけばカップの中身は空っぽになっていた。

 

 

 

 ……なんだか悔しい気がして、私は料金を置いてそこを立ち去った。

 そして夜、その味わいが私の脳裏で思い起こされる。

 

 

 

 気付けば次の日、私はまたその店を訪ねていた。

 次の日もその次の日も、またその次の日も。

 

 他の戦車道メンバーも誘ってみた。

 誰もがその珈琲の味を気に入っていた。

 

 ……少しばかり悔しいことに、きっと私もその1人だったのだろう。

 たまに練習作として出されるシナモンロールにアップルパイ。そして珈琲。

 

 どうやら私は、すっかり彼女の珈琲の中毒になってしまっていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「うぇ、ミカさん!?」

 

 

 

 夜中になって、部屋に忍び込んでいたところを見つかってしまう。

 天翔エミは素っ頓狂な声を上げて仰け反っていた。

 

 まあ、確かに驚くかもしれない。

 

 だが私とて校長に部屋のものは自由にして構わないと言われている。

 小腹が空いていたのだから、仕方がないだろう。

 

 とはいえ、気まずいのも事実は事実。ゆえに、さっさと立ち去ることにする。

 ……そういえばこのロールケーキ、ナマモノだから日持ちはしないだろう。

 

 つまり冷蔵庫に入ったのは最近、ということになるわけだ。

 もし、彼女が食べる予定のものだとしたら少し悪いことをした。次の日にまた訪ねて謝ろう。

 

 

 

 ……と思っていたのだが。

 部屋で待っていた私を見ると彼女は何も言わずに私の分まで夕食を作って、一緒に食べることになった。

 

 

 

 ……おかしいな? コレは絶対そんな流れではなかったと思う。

 黒森峰の風習かなにかなのだろうか。

 

 そして更に日は進み…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

「え?」

 

「わっ」

 

「お」

 

 

 

 休日にサウナを訪れて汗を流していたら、彼女… 天翔エミとまさかの遭遇を果たした。

 向こうも驚いている様子なので、この出会いは完全に偶然によるものなのだろう。

 

 

 

 ややぬるいサウナの中。暫しの間、全員無言。

 ちらりと横目で見た彼女の体は華奢で、少し力を入れれば折れてしまいそうなほどにか細い。

 

 果たして、なぜあのような体で装填手なんて過酷な役割を勤めていたのか。

 

 

 

 ……あるいは、装填手以外にはもっと適性がなかったのかもしれない。

 

 

 

 もし、そうだとすれば…──

 

 彼女はそんな体躯と才能のハンデを背負いながらも、名門・黒森峰に入れるほどになるまで…

 そして、その黒森峰で一年で選手に選ばれるまでに一体どれほどの努力を積んだのだろう。

 

 

 

 そして、そしてその努力が全て無に帰してしまって…

 

 

 

「エミ、君は戦車道は再開しないのかい?」

 

「え?」

 

 

 

 そんなことを考えてしまっていたからだろうか? 

 暑さで頭が茹だっていたこともあり、つい、らしくもなく口を滑らせてしまったのだ。

 

 ……我ながら無神経極まる質問だった。

 そう思い撤回しようとしたところ、当の本人があっさりと答えてしまう。

 

 

 

「まだ答えは決まってないです」

 

「……そうかい」

 

 

 

 今、彼女は狭間を揺れ動いているのだろう。

 

 自分が追いかけ続けてきた夢への道を再び走り出すか。

 ……それとも、この事故を機に見切りをつけるのか。

 

 

 

「戦車道には、人生の大切なすべてのことが詰まってる」

 

 

 

 そんな彼女の想いに期せずして触れてしまった時。

 

 思わず私は、自分が戦車道に感じる思いを打ち明けてしまっていた。

 一体何故だろう? 

 

 なんとなく、私は彼女に戦車道をやめて欲しくないと思っている。

 

 

 

 たとえ… そう、たとえ辛い思いをしたとしても、きっとそれを乗り越えるだけの情熱を彼女はまだ秘めていると信じたかったのだ。

 だからだろうか? 気付けば、そんならしくもないことを口走っていた。

 

 

 

「……ありがとうございます」

 

「珍しい、ミカがちょっと熱いね!」

 

「確かに、なかなかみないなーそういうところ」

 

「……」

 

 

 

 三人にかけられた言葉に、思わず顔が熱くなった。

 

 

 

 と言うか、これは、のぼせている!!! 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、私は彼女と夕食を共にし続けた。

 日に日に腕を上げていく彼女をみるのが少し嬉しくて、しかし、それは同時に戦車道という彼女にとっての芯とも言える部分を削り取っていく苦行のようにも感じられて。

 

 ……彼女は今、不安定だ。

 夢と現実の狭間で打ちのめされて、それを必死に覆い隠してはいる。

 

 けれど、それがいつ限界になるかもわからない。

 

 

 

 そこで『あぁ、なるほど…』と腑に落ちた。

 きっと校長は、これを危惧していたのだろう。

 

 だとすれば、その見立てはまさしく慧眼というより他はない。

 非常にデリケートな問題なのだから。

 

 彼女が果たしていずれどちらかの道を選ぶにせよ。

 傍で見ている者… いいや、支えられる者が必要となるはずだからだ。

 

 

 

 けれど、私は彼女に戦車道という夢を諦めて欲しくない。失望して欲しくない。

 そうした想いが日増しに心の中で強まっていくのを感じていた。

 

 

 

 『私だって』やれたのだから。

 だから、彼女もきっと、きっと…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も助けてくれない

 

 

 

 みんながわたしのせいにする

 

 

 

 

 

 

 

 ぜんぶなくなっちゃった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぁ、ぁ」

 

 

 

 震える体を抑えられない。

 溢れる涙を止められない。

 

 

 

 私は… 私は一体、何をしてしまったんだ? 

 何も知らなかった… 何も、何も、何も。

 

 出来心で覗いてみた、一冊の分厚い本。

 この一冊の日記帳の中にだけ明かされていた、彼女の心の中の深い闇。

 

 自己嫌悪が心を淀ませ、澱みが導くさらなる絶望。

 

 

 

 私は… 私は何も知らないくせに、彼女になんてことを言ってしまったんだ。

 彼女がコレまでの人生全てを賭けて戦車道に打ち込んでいたことは理解していたはずなのに。

 

 己自身を完全に否定されて、打ちひしがれて、そして逃げてきた先で。

 少しずつ自分の心を癒していた、弱り切っていたそんな彼女に。

 

 

 

 ……私はなんで、軽々しくも『あんなこと』を言ってしまえたのだろうか。

 

 

 

「ミ、ミカさん、どうしたんですか?」

 

「ごめん、ごめんね… エミ、ごめんね…」

 

 

 

 私を見つけたエミを思わず抱きしめて、そして謝り続けた。

 くだらない自慰行為にも等しい、自分を許したいがための情けない贖罪行動。

 

 

 

 

 

 

 

 許せない。

 

 

 

 許さない。

 

 

 

 許してたまるものか。

 

 

 

 己自身も許せない。それは当然だ。

 

 

 

 だが、それ以上に彼女をここまで貶めた汚い論理を許せない!! 

 

 

 

 何も、何も変わっていない!! 

 

 『島田』と過去に道を違えたあの時と、汚い大人どもは何一つ変わっていやしないッ!!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、よろしく頼む」

 

「……あぁ」

 

 

 

 広い草原で顔を合わせる両校の生徒たち。いずれも戦車道の選手たちである。

 本日は継続高校と黒森峰の戦車道チームによる模擬戦の開催日。

 

 両校でそれぞれ隊長を務める西住まほと、名無し… 通称ミカは互いに言葉を交わしていた。

 まほはミカの様子に違和感を覚えていたが、それがなんなのかまでは確信に至っていない。

 

 

 

「……? 試合前にすまない。一つ、聞きたいことがあるのだが…」

 

「一体何かな? こちらはもう早く始めたくてウズウズしているんだけれどね」

 

「手間はとらせないつもりだ。その… 天翔エミを知っているだろうか」

 

 

 

 気まずげに尋ねたまほの言葉に、ミカはぴくりと肩を震わせた。

 柳眉が跳ね上がったミカに気付かぬまま、まほは更に言葉を重ねる。

 

 

 

「こちらで事故が起こった後… 彼女はそちらに転校したと、聞いた。……そちらでは元気でやっているのか、何をしているか、もし何か心当たりがあれば教えてくれると」

 

「それを語ることに意味などない」

 

「……?」

 

 

 

 まほは、過去これほどまでに強い激情を込めた言葉を吐くミカを見たことがなかった。

 灼熱の憎悪を瞳に宿した継続高校の隊長は、まほをギロリと睨め付ける。

 

 

 

「彼女を見捨てて庇いもしなかった連中に、今更、心配をされたところでエミも迷惑だろうさ。……違うかい?」

 

「それは…」

 

「な、あんた…ッ! 何よ、その言い草はッ!?」

 

「正論を言ったまでだ」

 

 

 

 ミカのあまりの言葉に噛み付くエリカの抗弁もバッサリと切り捨て、取り付く島もない。

 両校の選手たちにも何が起きているのか理解できていない。否、理解が追いついていない。

 

 ただ一つ。

 

 

 

 ミカがここまで怒っているところなど、黒森峰女学園生はおろか継続高校生徒であろうと誰も見たことはない。それだけはハッキリしていた。

 

 

 

「これ以上話すことはもうないよ。……さっさと始めよう」

 

 

 

 踵を返すミカに慌ててついていく継続生徒たちを見送る黒森峰のメンバーたち。

 しかし、その士気はあまりにも低い。

 

 

 

(覚悟しろ、全てめちゃくちゃにしてやる)

 

 

 

 ミカは、そんな彼女たちを一瞥することもなく、心の奥に闇の焔を灯す。

 自分にはやらなければならないことができた。

 

 そのための第一歩として… 今日の試合を、圧勝する。

 

 

 

(見ていろよ、戦車道という競技に巣食う地位と栄誉にたかる肥え太った豚どもめ… 全員だ。全員引き摺り下ろして、地獄に落としてやる…ッ!!!)

 

 

 

 一度灯された嚇怒(かくど)の炎は決して消えることはない。

 この日… かつて『島田』から出奔した一人の悪魔が、哀れなる同胞(なかま)の姿を目にしたことで怒りに震え覚醒することとなる。

 

 

 

 そしてこれこそが…──

 

 

 

 

 

 

 

 鬼神西住と名無しの死神の、長きに渡る因縁を結び付ける最初の一戦となったのである。



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焼き鯖さん

【東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜】より「消えぬ怨恨」
 作:焼き鯖さん


 拝啓 我が敬愛する御父上並びに御母上

 

 お変わりなくお過ごしでしょうか。

 

 今そちらでは鈴虫が音を鳴らし、山の樹々も秋めく頃合いかと思われます。

 静葉様、穣子様を奉る豊穣祭はもうお済みでしょうか。

 あるいは今まさにその準備に大忙しといった時期かもしれませんね。

 何かとお忙しい御二方の御時間をお取りしてしまうこと、誠に心苦しい限りでありますが、どうかご一読のほど賜われれば幸いに存じます。

 

 この文を受け取られ、また、ご覧になられているということは、既にいなくなった私の部屋の片付けを済ませ、ある程度の御心の整理もお済みになられた時期かと推察申し上げます。

 その節は御迷惑をお掛け申し上げ、誠に申し訳ありませんでした。

 御二方に種々の面倒ごとを押し付ける形となりました我が身の未熟さ、まさに汗顔の至りと申し上げるばかりです。

 

 さて、この度この文を御二方に寄越した理由は唯一つ。

 

 なにゆえ私が御二方の許を離れるに至ったのか、その経緯を我が両親である御二方に知っていただきたかった故に他なりません。

 親不孝者の世迷い言を、とこの文をお破り捨てになられるのでしたらそれも結構。

 ですがもし一欠片の情なりを未だお持ちでしたら、どうかこの文に目を通していただければこの親不孝者めは幸いに存じます。

 

 進めるうちに御二方がともに戯言と切り捨てられた事柄についても記すことと相成りますが、どうか未熟故の至らなさとご寛恕賜われればと存じます。

 


 

 そもそもの事の起こりは三年前… 春と申し上げるにはまだ幾分肌寒い時候の頃でした。

 

 その日は珍しく、午後にちろちろと小雪が降っておりましたことを記憶しております。

 私はそんな日に一体何をしていたかといえば、一人、木々が青々と茂る妖怪の山の麓を歩いておりました。

 

 普段滅多に外出しない私が何故よりにもよってそのような危険な所へ、と問われますれば些か返事に窮してしまいます。

 自分の中でもあの時の出来事は未だ奇妙不可思議な記憶であり、理由も(あずか)り知らぬことなのですから。

 

 強いて申し上げるならば、『何か強いものにいざなわれ当て所もなくさ迷い歩いていた』とでも言いましょうか。

 ともかく、私はふらふらと麓を歩いていたのです。

 

 どの位歩いていたでしょうか。

 

 気が付けば何処までも続くと思われていた森の樹々がいつしか消えておりました。

 そしてぽっかり口を開けた大穴が、まるで私を待っていたかのように目の前に現れたのです。

 

 好奇心に負け、私は頭を突っ込む形でその穴の中を覗き込んでみました。

 穴の先は何処までも暗く深く、底が見えません。

 

『これは一度足を踏み外してしまえば、一生地に足をつく事は叶わないだろう』

 

 そう感じさせるほどに、深く果てしない印象を私に抱かせました。

 

 ですが、大穴が私に抱かせる恐怖はそればかりではありません。

 身の毛もよだつ雄叫びや断末魔の声、果ては何者かの下卑た笑い声が穴の底から絶え間無く響いてきます。

 

 これが世に言う地獄の入り口か。私はすっかり参ってしまいました。

 恐怖が全身を走り抜け、外気の寒さと相俟って堪えきれないほどの震えを私にもたらします。

 

 歯の根が噛み合わずカチカチ音を鳴らします。

 そんな自分の立てる小さな音すら穴の中の『何か』に気付かれるのではと気が気ではありませんでした。

 

 兎にも角にも此処から離れなければ。

 震えながら後退りを始めたちょうどその時、突然何者かが私の肩を叩き声を掛けてきました。

 

 いかにも可愛らしい少女の声でした。

 

 里にいるお団子屋さんの娘ともなんら変わることのない、普通の声でした。

 ……だからこそ恐ろしい。その時の私は、そう感じました。

 

 地獄の鬼か死神が私の命を狩りに来たのではあるまいか。

 こんな一笑に付されかねない思い込みに囚われ、情けない叫び声を上げながら逃げ出したのです。

 

 なんとか玄武の沢まで辿り着き、河童の方々に頼み込んで里まで送ってもらいました。

 その後のことについては御二方のご記憶にも残されているのではないでしょうか。

 

 御二方の心配の言葉と有り難いお説教を受けつつ、安心感に包まれたことを私も覚えております。

 人間とは現金なもの。そこで初めて私は愛読している本がなくなっている事に気付きました。

 

 恐らくはあの時のゴタゴタで落としてしまったのでしょう。

 臆病な私は、どうせ既にあの声の主に持ち去られているだろう。何より雪に濡れて読めなくなっているかもしれないと考え、あっさりと取りに行く事を放棄してしまいました。

 

 とはいえお気に入りの本であったこともまた間違いはありません。

 そのためにしばらくの間は溜息が増えてしまい、御母上に要らぬ御心配をお掛けしてしまいましたことは慙愧の念に耐えません。

 

 これが私と彼女の──さとりさんとの最初の出会いでした。

 


 

 先に申し上げました通り、私はあまり外出する事を好みません。

 御二方も御存知の通り親しい友人はおりませんし、里の中にもこれといって惹かれるものがなかったからです。

 

 里の外に出ようにも危険な妖怪が横行闊歩していると聞き及んでいましたので、あの小雪の午後以外は特に出ようとも思いませんでした。

 そんな生来の気性に加え愛読書をなくしてしまったという落胆が拍車をかけ、私の引き篭もり癖は以前にも増して顕著になりました。

 

 これはそうした日々が続いた、ある晴れた日の昼下がりのことでございます。

 

 気鬱を紛らわすため自室で「えすえふ」なる分類の本に目を通していましたところ、部屋の戸を叩く音が聞こえてまいりました。

 御父上が仕事の手伝いを申し伝えに来たのかと扉を開け、私は大層驚く羽目になりました。

 

「やぁやぁ、毎度お馴染み。清く正しい射命丸です」

 

 烏の濡れ羽色をした美しい髪と大きな翼を持った女性が、にこやかに手を振りながら私に挨拶をしてきたからです。

 

 反射的に私は彼女の手を引いて半ば強引に部屋に引き込みました。

 その服装、なにより外見の特徴からして彼女が鴉天狗であることをすぐ理解したからです。

 

 申し上げるまでもなく御二方、特に御父上は大の妖怪嫌いであることを公言して憚りません。

 見つかってしまえばたとえ不可抗力と言えど、面倒な事になるのは火を見るより明らか。

 

「おやぁ? いかにも積極的ですねぇ。でも、嫌いじゃないですよ。……そ・う・い・う・コ・ト」

 

 尤も当の彼女は状況を理解しているのかしていないのか、大胆不敵にもこんなことを宣い私を大変に脱力させたものです。

 

 初めて出会った相手の酔狂に乗るほど、当時の私も心の余裕があるわけでもありません。

 居住まいを正し要件を尋ねれば、射命丸と名乗った妖怪はつまらなさそうに唇を尖らせつつ(ここは本当に鴉みたいでした)丁寧に包装された包みを差し出してきます。

 

 これは? そう尋ねれば届け物とのこと。しかし私には心当たりがありません。

 中身について話すよう促してもニッコリ笑顔ではぐらかすばかり。これにはほとほと困り果てました。

 

 いつ御二方が自室を訪れるか分かりませんし、この奇妙な来訪者は居座り帰ろうともしない。

 かてて加えて力で妖怪には敵うはずもありません。まさに八方塞がりでありました。

 

 降参し「さっさと帰ってくれ」「悪戯をするならばしろ」と、そんな気持ちで包みを開けてみると、なんとそれは先だって紛失したと思っていた我が愛読書ではありませんか。

 そんな莫迦(ばか)なと慌てて手に取り、パラパラと頁をめくって確認します。

 

 所々文字が滲んではおりましたが充分閲覧には耐えられるほど綺麗な状態であり、大切に保管されていた様子がうかがえます。

 しかし、誰がどのように? そもそもどうして私のもとに送り返してきたのでしょうか? 

 

 狐につままれたかのような心持ちで目の前の『配達員』に視線を向けると、彼女はその疑問に答えるかのようにニヤニヤと本の巻末部分を指差します。

 

 ……なるほど、確かにこの保存状態からすれば不自然な膨らみがこの本にはありました。

 雪解け水でも吸って紙がふやけた、というわけでもない様子。

 

 巻末を開いてみますと、丁寧に封をされた一通の文がはらりと床に落ちました。

 拾い上げて封を切り文に目を通します。

 

 そこには、女性らしい柔らかな書体でこのように書かれておりました。

 

 

 

『こんにちは。

 

 突然お手紙を差し上げることになり申し訳ございません。

 知り合いに頼み、貴方の落とされた本とともにこの文をお届けしております。

 

 私は先日、旧地獄の入り口にて貴方に声を掛けさせていただいた者です。

 あの時、貴方は酷く怯えていらっしゃいましたね。

 

 恐らく強すぎる妖怪の氣に当てられてしまっていたのでしょう。

 なんとかしたいと思い、いきなり肩に触れてしまったのが間違いでした。

 

 もう少し間を置くか、あるいは物陰から声を掛けるに留めるべきだったかも知れません。

 私の浅慮がために貴方を怯えさせ、傷付けてしまったこと、深くお詫び申し上げます。

 

 

 追伸

 

 貴方が落とされましたこちらの本、実は私も持っているのです。

 面白いですよね。諧謔(かいぎゃく)に富んでいて文の運びも素敵ですし。

 

 私自身も手慰みに本を書くこともあるので、参考にしている部分も多くて。

 それがまさか、あんなところで同好の士に思いがけず出会えるなんて。

 

 とても嬉しかったです。

 

 そして、状態から貴方がこちらの本を大切にされていることも伝わってきました。

 どうかそんな貴方がこれからも素敵な本と出会えますように。

 

 古明地さとり』

 

 

 

 読み終えた瞬間、えもいわれぬ高揚感と幸福感が私の全身を強く包み込みました。

 御二方も、特に御母上には御存知の通り私の趣味である読書の理解者はそれまで皆無でした。

 

 やっと仲間が見つかったという喜び。

 なにより手紙の主の、相手とその書物を慮る心優しい対応に強く心を打たれたのです。

 

 続いて込み上げて来たのは、彼女に返事を書きたいという強い衝動。

 こんな素敵な人との縁をこれっきりで終わらせたくはない。

 

 さとりさんは一体どんな本を読んでいるのだろうか。自分の好きな本には一体どんな感想を抱くのだろうか。

 それを知りたいという強い思いが、ふつふつと湧き上がって来たのです。

 

 

「一週間後にまた来ますから、それまでに返事を書いておいてやってくださいな」

 

 

 射命丸さんもそれを見抜いていたようでした。

 

 そう言って、部屋から去って行こうとする彼女の羽根を捕まえて(これはかなり失礼な態度であったと後ほど猛省しました)、すぐに書き上げるからと文に取り掛かりました。

 私は恐らく呆れていたであろう射命丸さんには目もくれず、無我夢中で文を書きます。

 

 内容は本を送り届けてくれたことへの感謝。そして普段はどのような本を読んでいるのか教えて欲しいといった質問と、他の自分の愛読書について粗筋を添えて紹介したり。

 それから… お返事をお待ちしています、という期待半分恐れ半分が混じった結びの挨拶だった気がします。

 

 

「ではまた一週間後に。……情熱的な人間だとは思っていましたが、まさかここまでとは」

 

 

 うんざりした表情で、しかし、それを受け取ってくれた射命丸さんには悪いことをしました。

 

 そして、それからきっかり一週間後。再び射命丸さんがやってきました。

 彼女が文を持ってきてくれた時の喜びと言ったら、それはもう言葉に出来ないほどで。

 

 手紙の内容は私が彼女へ宛てた文と本の紹介への感謝と、彼女の好きな本について。

 そして「私でよければ喜んでお願いします」というごく簡潔なお返事。

 

 ただそれだけでも、充分に私の心は天高く舞い上がるような気分となりました。

 こうして、射命丸さんのご協力のもとで私とさとりさんの秘密の文通が始まったのです。

 

 以降の私は、御二方にとってはまるで人が変わったように見えていたかもしれません。

 毎日毎日虚空をぼうと見詰めては笑みを浮かべたり、用もないのに出掛けることが増えたり、時に銭を無心したり。

 

 私が自覚がある分だけでも、かように奇妙奇天烈な行動の数々。

 他人の目からは果たしてどのように映ったのかなど、論ずるにすら値しないことでしょう。

 

 今にして思えば、当時の私は御二方にただ反抗したかっただけだったのかもしれません。

 

『里の大地主としてゆくゆくは我が家を継ぐように育て』

 

 幼い頃よりそう言い聞かされ、勉強と習い事に明け暮れていただけのこの鬱屈した環境に。

 

 ところで私が子供の頃に、御母上より御父上と御母上の馴れ初めを聞かされた事があります。

 恋愛結婚だったそうですね。

 

 一目惚れで、地主の御父上としがない三文文士だった御母上が身分違いの大恋愛。

 当然、本家は強く反対をする。しかし熱愛中の御父上は聞く耳を持たない。

 

 ついには『この人と結婚出来なければ家を継がない。何処へなりと出てゆこう』と言う父上の啖呵に折れる形で本家がお認めになり婚儀を果たした。

 

 そう、とても嬉しそうにお話をされていましたことを、つい昨日のことのように覚えております。

 何故このような話を今になって? とお考えになられるかもしれません。

 

 ですが、これは後に語る事への前置き。どうかお付き合いの程をお願い申し上げます。

 それでは改めて続きをお話し致しましょう。

 


 

 それは、『あの日の出来事』が起こるちょうど五ヶ月前の冬の日の事。

 

 私がさとりさんから文を受け取った日からその日まで、私たちの文通が途絶えることはありませんでした。

 射命丸さんも呆れながらも配達人を続けてくれて、最初は一週間間隔だったやり取りもやがて5日、3日と狭まり続け、ついには隔日となるに至り射命丸さんに悲鳴をあげさせたものです。

 

 内容は殆どお互いが好きな本を紹介すると言う素っ気ないもの。

 とはいえ彼女が旧地獄という場所に住んでいる為、地上の様子もなるたけ事細かに伝えるように心掛けてはいました。

 

 夏も盛りになった時は、蝉が大合唱を始めたからうるさくてどうにも読書に集中出来ませんと書き。

 紅葉舞う辺りに銀杏の匂いが立ち込める季節になった時は、縁側で山の紅葉を楽しみながら読書に耽っておりますと書き。

 

 それら取り留めのない報告に対してとても楽しそうにしていた事が、彼女の返事からも良く伝わってきました。

 

 そうして文通を重ねているうちに、ふと、彼女の姿を一目見たいという気持ちにかられている事に気が付きました。

 同時に、何故あの時振り返っていなかったのだろうかという過去の己を責める感情が湧き上がってもきたのです。

 

 考えれば考えるほどに答えが出ずに深みに嵌っていくような感情。

 溜息が増え、気鬱な表情をお見せしてその節は大変な御心配をお掛けしたことかと存じます。

 

 気晴らしにと散歩を勧められて、断る気力もないままに里をぶらついていると明るい囃子の音が私の耳に届いてきました。

 見れば初々しくも互いを想い合う様子を見せる夫婦(めおと)が、祝言をあげている様子でした。

 

 幸せな門出へと向かおうとしている二人に目を細めながら心の中で祝福を捧げている時に、ふと。

 私とさとりさんが二人であの場所に立っていたなら、それはどんなに幸せなことだろう。

 

 そう、本当に何気なく思ったのです。

 

 

「………」

 

 

 何を莫迦な、と思う(ひま)とてあればこそ。

 同時になにかがストンと胸に落ちるような、そんな思いが私の胸中を駆け巡ります。

 

 まさにその時、私はさとりさんに対して自身が抱く感情についての正体を知り得たのです。

 一度その感情を自覚すれば、あとはそんなに時間はかかりませんでした。

 

 あの人に会いたい。あの人の鈴の音が鳴るような声がまた聞きたい。

 好きなものはなんだろう? どのような表情(かお)をして食べるのだろう? 

 

 そんな想いで私の心は千々に掻き乱されました。

 大恋愛をした御二方にとっても馴染みの深い感情であることでしょう。

 

 私は彼女に──さとりさんに恋をしていたのです。

 

 悶々とした生活の中で悩み抜いてきた彼女に抱く感情について、ついにその答えを得た。

 だからといって生活は改善し元通りになるのか、と言えばさにあらず。

 

 あいも変わらず眠れぬ日が続きます。

 あれだけ好きだった読書も、幾ら読んでも頭に入る事が殆どなくなってしまいました。

 

 それを自覚して以来、彼女の事を想わぬ日は一日もないと言い切れる位にあの人に恋い焦がれていたのです。

 

 とうとう我慢が出来なくなった私は、ある日、思い切ってさとりさんとお会いしたいと言う旨を文へとしたためました。

 本と季節のこと以外を話題に書くなど初めてのこと。胸が高鳴り緊張が抑えられません。

 

 書き終わり射命丸さんに手渡す時ですら、顔を真っ赤にして手が小刻みに震える始末。

 お陰様と言うべきか。その場ですぐ彼女にバレてしまい、去っていくまで散々にいじり倒されてしまうことと相成りました。

 

 しかしニヤニヤとした表情で私をイジる彼女の顔に、何処かしら憂いの表情が見え隠れしていることにも気付きます。

 その理由がなんなのかまでは、当時の私にはうかがい知れぬことでもありましたが。

 

 手紙を送った後は、ひたすら彼女の姿を想像する毎日です。

 

 射命丸さんから聞き出した話によればさとりさんはとびきり可愛らしい女の子とのこと。

 文からは大人びた落ち着きと思いやりが溢れていたので、その情報に驚いた反面、彼女の教養高さにますます好感を抱く結果となりました。

 

 ところで外の世界では、私のような人を「ろりこん」と言うそうです。

 なんでも差別表現の一種として機能しているとか。

 

 であるならば、背丈が子供並みに小さい成人女性を好きになった人はみな「ろりこん」と揶揄され被差別の憂き目に遭っているのでしょうか。

 俄には信じ難い話ですが外の人間は数え切れないほど多いとも聞いています。ある程度数を間引くための抑制機能の一種なのかも知れませんね。

 

 閑話休題。

 

 文を送ってから、早三ヶ月の時が経過していました。

 私自身、文を送ってから一通も彼女からの返事が来ていないことには既に気が付いています。

 

 風邪でも引いたのだろうかという不安が胸をよぎりましたが、即座にそれは否定しました。

 竹林に腕の良いお医者様がいる事を知っていたからです。

 

 私同様に、彼女自身が中々の『お嬢様』であることはこれまでの文からなんとなく感じ取れました。

 なので、仮に病気になったとしてもきっと腕の良い医者にかかれるだろうと考えたからです。

 

 ならば何故? 

 

 私は部屋中をぐるぐると歩きながら考え始めました。

 そして、もしかすると変な手紙を送った私に気分を害してしまったのかという最悪の考えが頭を掠めたます。

 

 声もなく青褪めたちょうどその時、いつものように自室の扉が忙しなく叩かれました。

 扉を開けるとすっかりお馴染みとなった射命丸さんが転がり込んできます。

 

 紅葉の柄がいくつも刺繍された襟巻きをしており、勝手知ったる態度で部屋の火鉢に手をかざし始めました。

 

 

「やれやれ… こんな寒い冬の日に手紙をよこすなんて、さとりさんも意地悪ですよねぇ」

 

 

 そして、そうぼやき始めます。

 

 どうやら外の気温は予想以上に低いらしく、雪は降ってはいないもののその寒さは尋常ではないのだとか。

 小さく震える彼女が哀れに思えてきて火鉢の上で暖めていた御茶を湯呑に入れて差し出すと、ありがたがってチビチビと口に含み始めました。

 

 震えが収まった頃合いを見計らい、私は射命丸さんに手紙を催促します。

 彼女は少し躊躇ったそぶりを見せましたが、観念したのか私に手紙を差し出してきました。

 

 久方ぶりのさとりさんからの文です。嬉しくないはずがありません。

 しかし手渡されたそれがやたらと分厚いことに気付くにつれ、何やら只事ではなさそうだと直感しました。

 

 すぐに封を切って中を見ると、十数枚にも及ぶ便箋が入っていました。

 よくよく見ると一枚一枚の便箋が違っています。

 

 何度も悩みながら書き直し、その度に便箋を変えている彼女の様子が伺えました。

 その内容は… いえ、これをお読みの御二方には既に御存知の事なので詳しくは語りません。

 

 そしてなにより、その文は『もう私の手元にはない』ため詳しく記すことも出来ません。

 なのでかいつまんでのみお話しましょう。

 

 内容は返信が遅れた事への謝罪から始まり、次に彼女の正体… 彼女は『さとり妖怪』であり、地霊殿で鬼である星熊勇儀さんという鬼と共に旧地獄を支配しているという事。

 旧地獄に住む者は皆地上の者たちに嫌われている事。

 

 迫害にあい、実の妹さんの『第三の瞳(サードアイ)』が閉ざされてしまった事。

 その他諸々の事情から私に会う事は出来ないという事。

 

 そのかわりに自身の写真を同封するという事が書かれていました。

 手紙の最後には、胸元に紐のようななにかで繋がれた大きな目を持つ私の想像より何倍も可愛らしい少女の写真が入っておりました。

 

 読み終えた瞬間に私は自分自身の無知を知り、衝撃に心が打ちのめされて膝から崩れ落ちました。

 何故ならば、私は今の今までさとりさんと文のやり取りをしておきながら旧地獄のことを単なる幻想郷の区画の一つとしか考えていなかったのです。

 

 その先入観を持ったまま、ろくに調べもせずにこんな手紙を送りつけ、さとりさんを傷つけ苦しめてしまった。

 そう考えると、私がした事はなんと愚かな事だったのでしょう。

 

 その時になって、ようやくあの時見せた射命丸さんのどこか浮かない表情の謎が解けました。

 私のそんな心を察したのでしょう。

 

 

「すみません。文を受け取られるたびに笑顔を見せるお二人の様子に言い出せず…」

 

 

 射命丸さんは申し訳なさそうに頭を下げて謝ってこられました。

 普段の私なら、ここで彼女の心遣いに感謝の意を示せたかもしれません。

 

 

「……射命丸さん、どうか返事を書くのは少し先にさせていただいて構いませんか?」

 

 

 ですがその時の私にはそれが出来ず、ただ壁を見つめながらそう淡々と呟くばかりでした。

 その時の射命丸さんがどんな顔をしていたかは分かりません。

 

「……了解しました」

 

 ただ、返事の声が少し沈んでいたのと。

 

 それと、いつものように愛読書の頁を撒き散らしながら疾風の如く飛び出していくのではなく… 重い足取りで部屋から去っていった様子から、察するに私と同じ位に沈んだ面持ちをしていたのだろうと想像することしか出来ません。

 

 扉が閉まる弱々しい音を聞くや否や、私は肘を文机に乗せながら頭を抱えました。

 

 あんな手紙を出してしまった以上、お詫びの品も用意しなければ申し訳が立ちません。

 下手な返信をしてはそれこそ誠意を疑われるだけなので、慎重に文も選ばないといけません。

 

 が、それ以上に私の気持ちをさとりさんに伝えるべきか否かという悩みが心の大半を占めていました。

 彼女の正体がさとり妖怪だと知った時、一瞬ながら嫌悪に似た感情が通り過ぎました。

 

 私が本当に彼女の事を好きならば、さとり妖怪という種族なぞ単なる違いに過ぎない筈なのです。

 そんな些細な事に嫌悪感を抱いてしまった自分に、果たしてこの気持ちを伝える資格はあるのでしょうか、と。

 

 もしかすると、私が抱いていると信じた『それ』は愛や恋などという高尚な感情ではないのではないか? 

 その晩は自己嫌悪に苛まれ、まんじりともしないまま夜明けを見ることとなりました。

 


 

 さとりさんからの手紙を受け取ってから、私は大いに悩みました。

 

 女の子であれば菓子は嫌いではないだろうという私の浅知恵から、菓子折りは大きな候補となりました。

 

 果たしてどのような菓子折りを送ればいいのだろうか。

 果たしてどのような文面にすればいいのだろうか。

 

 何度も受け取った手紙を出しては考え、消しては考えを繰り返していました。

 しかしこれといった品も文も思いつかず、悶々とした日々を過ごしていました。

 

 そんなある日の事でした。

 

 今日もこれという品が見つからず溜息をつきながら人里を歩いていると、ある雑貨屋が私の目に留まりました。

 興味本位で中を覗くと、あまり派手ではないものの洒落た意匠の首飾りや腕輪がとてもお手頃な価格で売っておりました。

 

 その中でも一際私の目を惹いたものが、花柄の装飾が施された桃色の耳飾りでした。

 他の作品に比べ派手さはないものの、丁寧に作り込まれたことが分かる意匠。

 

 その控えめな美しさこそが、写真で見たさとりさんの姿に私の中でぴったりとはまりました。

 一目見てこれだと思った私は、菓子折りの事などそっちのけでこれを購入し、ホクホク顔で店を後にしました。

 

 さて次はどのような内容の文をしたためようかと久方振りに前向きな気持で思案しながら歩いていると、大勢の武装した男達が屋敷方面からぞろぞろと歩いてくる姿を目撃しました。

 

 虫の知らせとでも言いましょうか。

 普段なら妖怪の討伐に向かうのだろうなと気にも留めないはずですが、その一団とすれ違った時に言いようのない嫌な予感が襲ってきました。

 

 まるで何かに急き立てられるかのように家路と急ぎ、その予感は的中したことを知ります。

 何かが焦げるようなそんな匂いが漂っており、私の焦燥感を否が応でも加速させました。

 

 草鞋を脱ぐのももどかしく自室に上がれば、隠してあった筈のさとりさんからの手紙が忽然と消えていたのです。

 

 私は大いに驚き、そして悲しい事実を確信しました。

 

 本当は泥棒にでも入られたかと疑いたかった。

 ですが、仮にも大地主の我が家がそんなザルな警備をするはずがありませんね? 

 

 その後のことは御二方も御存知の通りでしょう。

 私はすぐに、その日は家にいる筈の御父上の元へと足を運びました。

 

 御父上は御母上と共に居間でお茶を飲んでおりました。

 いつもは見せない私の顔に若干驚きの表情をみせつつも、どうかしたのかと何食わぬ顔で問いかけられましたね。

 

 私は荒い声でどうして自室があんな状態になっているのかと尋ねたことと記憶しております。

 すると御母上が困ったような表情で御父上の方を見詰め、それに押し切られるように御父上が訥々と語り始めました。

 

 

「……おまえの様子がおかしいことは、最近、気になっていた」

 

 

 そこで私が留守の隙に部屋に入ると、文机の上に置いてあった手紙を見つけた事。

 その送り主がさとり妖怪である事に気づき、私の安全の為に里中の腕っ節を雇っていた事。

 

 偽の手紙を書いてさとりさんを人里の門前までおびき寄せた事。

 箱に保管していた文はつい先程、私がいない時を見計らい全て燃やしてしまった事。

 

 

「おまえももうすぐ大人なんだから妖怪という危険な種族と関わるより、少しは家を継ぐ者として自覚をしなさい」

 

 

 最後に御父上は不機嫌そうに締めましたね。

 

 その時の私の心情は、失礼ながら御二方には決して想像することはできないでしょう。

 怒りと焦りがぐちゃぐちゃに入り混じり、自分で自分が解らなくなるような激しい衝動。

 

 私は震える声のまま、いつ手紙を送ったかと尋ねれば。

 手紙を受け取って数週間後に書いて、嫌々ながら射命丸さんに渡したと御父上に代わり御母上はお答えになりましたね。

 

 私は更にその作戦の決行はいつだと尋ねると、再度、御母上が今日だとお答え下さいました。

 その答えを聞いた瞬間に衝動が稲妻のように走り抜け、弾かれるように私は部屋から飛び出して行きました。

 

 御父上が背中の向こうから何か怒鳴っていたようでしたが、そんな事はどうでもいい。

 その時は、ただただ、さとりさんの安否を祈るばかりでした。

 

 ……脇目も振らず、一心不乱に走り続け、やっと里の門でたどり着きました。

 

 門前では先程すれ違った男達が数人で誰かを囲んで殴る蹴る等の暴行を加えており、残りの数人が邪魔されないように見張っている様子でした。

 私の姿に気づいた男の一人が、脇をすり抜けられないようにと私を地面に取り押さえます。

 

 なんとか逃れようと必死に抵抗する視線の先に、綺麗な桃色の髪がちらと映り、思わず私は平静さを失い(それまであったのかというと疑問ですが)彼女の名前を叫びました。

 男たちの動きが一瞬だけ止まります。

 

 その隙に彼女になんとか逃げるよう伝えるため口を開こうとしましたが、取り押さえていた男に手拭いを被せられそれは叶いませんでした。

 それを合図に男達は再度彼女を袋叩きにし始めました。

 

 

「どうか安心してくださいよ」

 

 

 もう一度抜け出そうと身をくねらせた時、私を取り押さえていた男が耳打ちをしてきます。

 

 

「あなたが魔性に魅入られているとご両親は大層心配なさっておいででしたぜ。二度とあなたにゃ近付かせねぇ、その警告のためにこうして俺たちが身体張ってるんでさぁ。なに、気張る必要はありゃしません。後はどうかお任せくだせぇ」

 

 

 嘘ですよね。

 

 御二方とも私という商売道具が使い物にならなくなるのを恐れ、金で荒くれ者を雇い暴力でさとりさんを遠ざけるように仕向けたのでしょう? 

 彼女に抵抗の意志がないからこそ、それを見抜いて博霊による退治ではなく彼らを使うことを選んだ。

 

 ……あぁ、それとも既に博霊には断られたのでしょうか? だとしたら当然ですね。何の害意もない妖怪を博霊は退治したりはしないでしょうから。

 

 やがて男達の動きが落ち着き、これが私達の働きぶりですよと言わんばかりに動かなくなった彼女から離れました。

 初めて見るさとりさんの姿は酷いものでした。

 

 着ている服は土に汚れ血に塗れ、僅かに見える手や足には打撲痕や切り傷がこれでもかと言う位につけられていました。

 特に酷かったのが顔で、写真で見た可愛らしい顔は血で赤く腫れ、瞼には大きな青痣が出来ていました。

 

 この怪我では早くても数ヶ月は完治までに要することでしょう。

 

 

「害悪め!」

 

「気味が悪いんだよ!」

 

 

 荒くれ者達の下卑た笑い声が聞こえます。私は悔しさのあまり泣き出しました。

 

 そして、あの時に感じた感情はやはり恋なのだという事を自覚しました。

 もし私がさとりさんの事を嫌悪しているのであれば、御二方が雇ったならず者どものように嘲笑い、彼女に罵声を浴びせていたでしょうから。

 

 ですが私のあの時の感情は、彼女を救いたい・守りたいというただその一心であったと確信できます。

 御二方が彼女にした仕打ちは決して許せません。

 しかしこれまで私を育ててくださった御恩とあの時私の気持ちを定めてくださったことに関してだけは、御二方に心よりの感謝を申し上げます。

 

 一通り笑い転げた後、私を抑えていた男が引き上げの指示を出します。

 男達は私のことすら忘れて、みな満足気な表情で里の中へと入って行きました。

 

 後に残されたのは、私と動かなくなったさとりさんのみでした。

 

 

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 

 私はすぐに彼女のそばに駆け寄り、頭を地面に擦り付けて謝りました。

 

 

「今回の事は全て私のせいです。貴女に会いたいと綴ってしまったばかりに貴女に嫌な思いをさせ、あまつさえこのような仕打ちまで…」

 

 

 罪悪感と後悔、そしてとめどなく漏れ出る嗚咽により言葉にならない。

 ただただ、胸中で詫びる。

 

 全て私の責任です。

 どうか私を殺して下さい。

 貴女のその憎悪のまま私を殺して下さい。

 それが私の出来る唯一の贖罪です。

 

 綺麗なはずだった彼女の肌にこびりついてしまった土と血を、そっと手巾(ハンケチ)で拭い続けます。

 すると不意に、何かを拾う音がしました。

 

 視線をやれば傷だらけのさとりさんの手の中にいつの間に落としていたのか(恐らくあのならず者に取り押さえられた時でしょうが)、私が買った耳飾りが入った包がありました。

 そして傷が痛むのでしょう、表情を歪ませながらゆっくりと立ち上がりました。

 

 さとりさんは何も言いません。

 ただ、全てを見透かすような三つの目で私を見るばかりでした。

 

 そして優しい笑顔を私に見せると、ふらふらな足取りでその場を去る動きを見せます。

 

 

「無茶はしないでください! せめて…」

 

 

 医者に向かうよう、そして私が付き添う旨を彼女に告げようとしました。

 しかし彼女は振り向き、もう十分ですよと言う風に身振りで私を制止するとそのまま歩いて行きます。

 

 そして、私は…──

 


 

 さて、長々と語りましたこの手紙ももうすぐで最後です。

 御二方共、ここまで長らくお疲れ様でした。

 

 ひょっとしてあの日以来『神隠し』に遭った私を、御二方とも血眼になって捜してくださっていたのかも知れません。

 そういった可能性と今まで育てていただいた御恩、加えこの一連の出来事に対する意趣返し。

 

 それら諸々を込めまして、貴方方にこの文を送らせていただきました。

 どうぞかくなる上は『あの時』のように燃やしていただければと存じます。

 

 さぁ、私が言いたい事はもう書き終えました。

 最後に貴方達に私から別れの挨拶をさせていただきます。

 

 それではごきげんよう。もう二度とお会いすることはないでしょう。

 

 

 かしこ



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先島すをーさん

【北風と。】
 作:先島すをーさん


 朝ということもあり、少し風が肌寒く感じる。

 

 十一月も残りあと僅か。

 東の空に低く顔を覗かせたばかりの太陽は、今のわたしにはひどくまぶしく映る。

 

 だから真っ直ぐ前を向くのが辛くて、俯いたまま足を動かす。

 ふらふらと、幼子みたいに定まらぬ足取りで、所在なさげに自転車を揺らしながら進む。

 

 平日の朝は人気がなくて、幸か不幸か、誰もそんなわたしを見咎める様子はなかった。

 

 

 気の向くままに任せて、辿り着いた先は湖沿いの遊歩道。

 その隅っこに自転車を止める。

 

 木曜日。時刻は午前八時二十五分。

 わたしがそんな時間にここにいるわけを、きっと誰も上手に説明することはできないだろう。

 

 お弁当を作ってくれた母さんも。

 お仕事で忙しい父さんにも。

 厳しくてこわい先生にも。

 

 それから…

 

 それから、たぶんきっとわたしにも。

 

 本当にわからない。だから困っている。

 

 木枯らしはやっぱり冷たくて。

 ここにいるのが正しくない、ってことだけは、なんとなく教えられている気がした。

 

 そりゃそうだ。

 

 

 

 わたしは、生まれて初めて学校をサボったのだから。

 

 

 

 風邪が治らないから、とか。家族旅行に行くのだから、とか。

 そういう言い訳を使ったことはある。

 

 でもこの日のそれにはそんな言い訳すらない。

 ……本当に、ただの、理由もないズル休み。

 

 いまどき欠席連絡はホームページからもできるので、いざとなればそう難しいものでもない。

 

 母さんにはいつも通り学校に行くと伝え、学校には腹痛で休むと連絡した。

 わたしは二つの嘘を同時に吐くことで、一日限りで自分の居場所を隠したのだ。

 

 

 

 木曜日の一時間目には数学があって、予鈴が鳴るとすぐに先生が入ってくる。

 そして哀れな『今日の生け贄』を選ぶのだ。

 

 運悪く選ばれた数人のクラスメートはその時間中ずっと、意地の悪い質問を立て続けに浴びせ続けられる。

 答えられないときつく怒鳴られ、それはもうねちねちといびられる。

 

 何人かは泣かされたのを知っている。わたしは歯を食い縛って耐えていた。

 

 

 

 あえてベンチではなく原っぱにハンカチを敷いて腰を下ろす。

 湖のほうから吹き抜けてくる風になんとなく目を細めてみたりする。

 

 ……やっぱり落ち着かない。

 

 だって普段なら自分の席に向かっていて、戦々恐々しながら予習ノートを見返していたから。

 なんだか胸のあたりがざわつくので鞄からノートを取り出し、形だけでも同じことをしてみる。

 

 

 

 理論武装のメモでびっしりのページをひとしきり眺め、結局ぱたりとまた閉じる。

 

 今日はもう怯えなくていい。

 こわい勉強だって、復習すれば何てことはない。

 

 考えてみればこれはそう、自由、というものなのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 はて? 

 

 自由。……自由ってなんだろう。

 その二文字が頭のなかをぐるぐる回って、回って、回って… 回るだけ。

 

 脳細胞の灰色のところにはいっこうに染みてくる気配がない。

 あぁ、きっと。これはゲシュタルト崩壊に違いない。

 

 やがてその回転も慣性を失い、所在なさげにわたしの中で転がってしまう。

 自由は転がったままじっとこちらを見る。……見ている、だけ。

 

 

「……ハァ」

 

 

 ついぞ耐えられなくなって、わたしは頭の中でそいつを蹴飛ばすことにしたのであった。

 

 

 

 

 自転車を押して進む。

 向かう先は家か学校か、はたまた別のどこかなのか。

 

 きっとそれはわたしの背中を押してくる、この北風だけが知っている。



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Kuonさん

【Unseen Scarlet String】
 作:Kuonさん


 店に閑古鳥が鳴いている時、ふと窓の外の景色を眺めている時間が多くなった。

 

 特段、面白い景色が目に入ってくるわけではない。

 代わり映えのしない、いつもの鬱蒼とした魔法の森の境い目付近だ。

 

 だが、僕… 森近霖之助にとってはそれで構わない。それだけで事足りる。

 眺めた景色の向こうに浮かぶ『彼女』とのやり取りを、ただ追想するのみなのだから。

 

 

 

 

 ──果たして、いつからだろうか。

 僕がレミリア・スカーレットという少女に惹かれ始めたのは。

 

 出会いの記憶はつい昨日のことのように覚えている。

 きっかけは、コンコンと上品に響くノックの音。

 

 そも、この店に訪れる客は勝手知ったるとばかり乱暴にドアを開けていく者が大半。

 興味を惹かれ、思わず返事をして開けてしまっても無理からぬことだろう。

 

 するとそこには、まるで人形のように可愛らしい少女が日傘をさして佇んでいたのだ。

 紫色の髪に赤い瞳、そして蝙蝠のような黒い翼。恐らくは吸血鬼。

 

「ごきげんよう、ご主人。今、こちらの店は開いていて?」

 

 上品な、まるで鈴を転がすかのような声音に理知的な色を織り交ぜ語りかけてくる。

 貴族なのにわざわざ店先まで足を運んでくれた、そんな彼女を『客人』として迎えたものだ。

 

 事実、出会って程なく彼女は素晴らしい上客となってくれた。

 様々な商品に興味を持ち、金払い良く買い取ってくれる。

 

 とはいえ彼女は金にあかせてなんでも買い漁るのでなく、本当に優れた物のみ手に取る。

 やはり貴族としてその知識と目利きは確かであった、ということだろう。

 

 だから僕としても生半可な知識では宣伝文句にならないことを、すぐに理解した。

 他の客にもするようなおざなりな態度では、彼女の興味を惹くことなど到底叶うまい。

 

 らしくもない商売用の笑顔を貼り付けて、似合いもしない不慣れな敬語で薀蓄を披露する。

 

 そんなある日のことである。

 

 

「先日のお話、とても興味深かったわ。貴方さえ良ければ続きを聞かせてくださらない?」

 

 

 どうやら僕の語った話のいずれかが、いたく彼女のお気に召したらしい。

 上客のたっての願いである。勿論僕としても否やがあるわけでもない。

 

 二つ返事で了承し… それ以来、彼女はこの香霖堂を訪れる頻度を増していった。

 特に買う物がなかったとしても暇を見ては訪れ、適当に時間を潰していくのだ。

 

 サービスが行き過ぎて面倒なことになってしまった、とその時は正直そう思ったものだ。

 

 

 

 

 

 しかし、内心で面倒ごとに辟易していた時期などあっという間に過ぎ去っていった。

 

 僕は道具から得た様々な知識をもとにした考察を彼女に披露するようになった。

 彼女もそれに応えるように、これまでの生で磨き抜かれた知見で補い会話に参加してくれる。

 

 話し合う内容もいつしか道具に限らず、お互いの能力や外の世界など多岐に渡っていた。

 僕たちは、気付けばすっかり意気投合し気の合う議論仲間となっていたのである。

 

 交流を重ねれば重ねるほどに、僕の中で彼女の存在は大きなものへと変化していく。

 

 次に彼女がこの店を訪れてくれる日は一体いつになるだろう? 

 彼女… レミリア・スカーレットと話す日を心待ちにしている自分の姿を自覚してしまう。

 

 彼女と過ごす大切な時間は、僕の心の隙間を沢山の幸せなもので満たしてくれた。

 

 しかし、彼女はどうだろう? 

 僕と過ごす時間を、果たして彼女は楽しいと思ってくれているだろうか? 

 

 時折紅魔館に招待されたり、二人で外出したりするようにもなった。

 その折々で見せてくれた彼女の様々な笑顔に、嘘はなかったと信じたい。

 

 異性の親友と呼べるほどの仲になって初めて──僕は、彼女を好いていることを自覚した。

 

 

 

 ……彼女(レミリア)と過ごす日々が永遠になればと願ったのだ。心から。

 

 しかし現状に甘んじていては僕の想いが彼女に届くことはないだろう。それこそ永遠に。

 

 

 今夜、告白しよう。

 

 

 そう決意して僕はレミリアを酒宴に誘い、今に至る。

 

 香霖堂の縁側に二人で腰掛けて、月を眺めて戯言を言っては笑い合い。

 そうして、刻々と夜が更けていった。

 

 

 楽しい時間だった。……それと同じだけ、苦しい時間でもあった。

 

 酒の力を借りて幾度となく話しかけようと試みる。

 しかし「ままよ」と思った瞬間、消えきらない臆病な自分の一欠片がそれを押し止めるのだ。

 

 

(もし、今の心地よい関係が崩れてしまったら…)

 

 

 そんな考えが脳裏をよぎった瞬間に、なけなしの勇気は跡形もなく消え去ってしまう。

 

 嗚呼、まったくもって救いようがない。

 この腰抜け、意気地なし、根性なし。

 

 心の中であらん限りの罵倒を自分自身へと浴びせかける。

 苛立ちを紛らわすように酒をあおり、僕はさらなる自己嫌悪の渦へと(しず)んでゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 その時である。

 

 

「──霖之助」

 

 

 鈴を転がすような声音が隣から耳朶を打ち、僕の意識は現実へと引き戻された。

 

 

「覚えているかしら? ……以前、貴方が『運命を見てみたい』と私に言った時のこと」

 

「あぁ、勿論だよ」

 

 

 ……忘れるはずがない。

 彼女との思い出は、そのなにもかもが僕にとっては掛け替えのない大切な宝物なのだから。

 

 僕は自身の唇の端が持ち上がりつつあるのを自覚しながら言葉を重ねる。

 

 

「『運命を操る力を持つ君には、一体この世界はどんな風に見えているんだい?』」

 

 

 一字一句あの時と違わぬ僕の語り口調に、彼女は満足げな笑みを浮かべる。

 つられるような形で僕も表情が綻んでしまう。

 

 

「あれからパチェと一緒に、私の運命操作の力を研究してね。見つけたのさ、他者に運命を見せる方法を!」

 

「それはすごいな」

 

 

 素直な気持ちを込めた僕からの称賛に、彼女はフフンと得意げに胸を張る。

 パタパタ動く翼がその高揚感を如実に伝えており、それを微笑ましく思いながら、彼女に更に言葉をかけようとした。

 

 その瞬間──酔いが僕の口を滑らせた。

 

 

「運命を見ることが出来れば、将来結ばれる相手なんかもわかるのかな?」

 

 

 辺りは沈黙に包まれる。

 

 そしてはたと気づく。……なんてバカなことを口走ってしまったのか、と。

 似合わぬことを口にしてしまった自覚した途端、僕の心に羞恥の感情が湧き上がる。

 

 ひょっとしたら今、僕はとても恥ずかしい状況なのではないだろうか? 

 臆病な僕は混乱した思考のままに、なんとか釈明しようとそれだけを考える。

 

 そして壊れたブリキ人形のような固い動きでレミリアに視線を向け… 思わず息を飲んだ。

 想像に反して彼女は少しも笑ってなどおらず、ただ真っ直ぐにこちらを見ていた。

 

 酒精で色白の肌を仄かに紅潮させた、幼いながらも整った容貌。

 普段の印象とは異なる艶やかさを纏った彼女の、一種異様な美しさから目が離せない。

 

 

「──運命の相手、知りたい?」

 

 

 ふわりと膝の上に何かが乗る感触。

 いつの間にか目の前にレミリアの顔があった。

 

 

「知りたければ見せてあげる。でも一つだけ約束して」

 

「……約束?」

 

 

 今や喉がすっかりカラカラになっているのを自覚している。

 それでも、なんとかその言葉だけを絞り出す。

 

 彼女は… レミリア・スカーレットは薄く微笑むような仕草で囁くように続きを告げた。

 

 

「──見えた運命を、信じて」

 

 

 彼女の発言の意図が読めない。

 

 

(見えた運命を、信じる?)

 

 

 僕だって彼女の言葉を信じたい。なんだって受け入れたい。

 それこそ、いつものように議論を交わしている状況だったら二つ返事だっただろう。

 

 けれど、けれどだ。

 

 

(もしも、僕とレミリアが離別する運命が見えたとしたら?)

 

(もしも、僕以外の誰かがレミリアと結ばれる未来が見えたとしたら?)

 

 

 浮かぶのは最悪の未来予想図ばかり。

 心臓が早鐘を打ち、思考がカラカラと空転する。

 

 

(嫌だ。そんな運命は受け入れられない)

 

 

 彼女からの提案を拒絶するのは簡単だ。

 一言告げれば分別ある彼女のこと、無理強いすることなく引き下がってくれるはずだ。

 

 

 

 だけど。

 

 ……同時にこの上なく確信していることもある。

 今彼女の能力を受け入れねば、僕は、彼女に想い伝える資格を永遠に喪ってしまうだろう。

 

 彼女の能力から『逃げた』者に、それを告げる資格などあろうはずもない。

 きっと一生この想いに蓋をしながら生きていくことになるだろう。……死ぬまで。

 

 その確信にも似た思いが、僕を苦しめ自縄自縛に陥らせる。

 

 

(一体どうすれば…──)

 

 

 

 

 

「………?」

 

 

 その時、微かな震えが僕の意識を僕自身の深い懊悩から逸らす。

 間近にいるレミリアの様子がおかしい。

 

 瞳は薄っすら潤んでおり、拳は固く握られ、翼は不規則に揺れている。

 なにより身体が小さく震えている。まるで何かに怯えているかのような──

 

 

『知りたければ見せてあげる。でも一つだけ約束して』

 

『──見えた運命を、信じて』

 

 

 脳裏に木霊するさきほどのレミリアの言葉。

 パズルのピースがカチリとはまる感触。雷に打たれたかのような衝撃が走った。

 

 そもそも最初から気が付いて然るべきだったのだ。

 他でもない彼女には、最初から僕の運命の相手が見えていたということを。

 

 その上で僕に『運命を信じて欲しい』と願ったのだとしたら。

 それは、『見えた運命』が彼女にとって否定されたくないものだったからだ。

 

 根拠はない。ただのみっともない独り善がりの自惚れなのかもしれない。

 

 

 

 

(……だが、それがどうした!)

 

 

 それが、それこそが『彼女の望む運命』であるのなら。

 僕が歩みを止める理由など、何処にもありはしない。

 

 彼女のことを想えば僕の中の臆病の虫はすっかり鳴りを潜めてしまったようだ。

 現金なものだと内心で苦笑しながらも、彼女の瞳をしっかりと見詰めて僕は口を開いた。

 

 

「──信じるよ。君が見た運命を、僕も見てみたい」

 

 

 もしも彼女に、僕らが共にある運命が見えていたとしたら。

 そんな願いを込め、小刻みに震えていた彼女の手を取りそっと静かに囁く。

 

 

「……フフッ。契約成立、ね」

 

 

 レミリアはまるで悪魔のように(実際に悪魔なわけだが)不敵な笑みを見せる。

 けれども、僕にはそれがなんだか安堵の微笑みのようにも見えた。

 

 緊張が解けたせいか、二人揃って長い息を吐く。

 それがなんだか可笑しくて、また二人揃って吹き出してしまう。それがとても心地よい。

 

 

(これで良かったのだろうか?)

 

(……あぁ、きっとこれで良かったのだ)

 

 

 未だ確信なんかは持てていない。持てようはずもない。

 なぜって僕が考えたことは全部が全部、自分にとって都合のいい推測に過ぎないのだから。

 

 けれども、それで構わない。もはや迷いも恐れもいずこかへと消え去っていた。

 晴れやかな気持ちで夜空の月を見上げる。その時、優しい風が僕らを撫でるように吹き抜けた。

 

 

「そういえば、具体的にはどうやって他者に運命を見せるつもりなんだい?」

 

 

 遅まきながら浮かんだ疑問をぶつければ、返ってくるのは悪戯っぽい笑顔。

 

 そこでようやく僕は、自分が置かれている状況に違和感… いや、既視感を覚えた。

 なぜ気づかなかったのだろう。

 

 レミリアは縁側に座る僕の膝上に跨り、抱き着くような姿勢で見つめてきている。

 

 これはそう、あれだ。

 どう見ても僕の血を吸う時の体勢である。

 

 

「言ってなかった? 私の魔力を注入して一時的に運命が見えるようにするの」

 

「言ってなかったね」

 

「あら、それはごめんなさい。……フフッ、後遺症とかは無いはずだから安心なさい」

 

 

 悪い予感が的中して胸中で思わず頭を抱える。

 薄々勘付いてはいたが、いくらなんでも荒業過ぎないだろうか? 

 

 

(だがまぁ…)

 

 

 惚れた弱みというものだ。

 

 なにより彼女に振り回されるのはいつものこと。

 仕方ない。全く以て仕方がない。

 

 僕はあっさりと白旗をあげる。

 

 

「……お手柔らかに頼むよ」

 

「んっ♪」

 

 

 苦笑交じりの了承を受けるや否や、彼女は愉しげに僕の首筋に牙を突き立てた。

 もうちょっとこう、躊躇いとかそういうものはないのだろうか。

 

 ……戯れに吸血されたことは幾度かあったものの、今回はいつものそれとは違っていた。

 僅かな快感と痛みに加えて、体に何かを流し込まれる感覚。

 

 それが確かな熱を持って、彼女との繋がりを感じさせてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たしてその後僕らが何を見たのか、多くは語るまい。

 ただ一つ言えるのは…──

 

 指に結ばれた赤い糸を手繰った先には、まるで天使のようにはにかむ紅い悪魔がいたこと。

 そして、『二人』の運命は今も重なり共に歩んでいるということ。

 

 さて、そんなことを思い返していると『彼女』が不意に振り返り僕に囁きかけてきた。

 

 

「見えたでしょ? ──『赤い糸』」

 

 

 ──Fin.



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桜エビさん

【カイロス Summer Days】より「お祭り騒ぎ」
 作:桜エビさん


 そうしていよいよ迎えた祭りの当日、エアルは町へと繰り出していた。

 しかしながら、その表情には若干の憂鬱さが見え隠れもしている。

 

 原因はすっかりと白夜が馴染んでいる、ここテンポシルワの町並みにあった。

 

 パッと見た限りでは、果たして、今が昼なのか夜なのかすら時計なしでは分からない。

 まさに『真昼のごとき』明るさが昼夜を分かたず町を照らし続けているのだから。

 

 普段なら深夜と呼ばれるような時間帯に、子供が出歩いていたりもする。

 

 何もおかしいことではない。

 この町の住民にとっては、それこそが昔から続いてきた白夜との付き合い方なのだ。

 

 しかし、エアルにとってそれは…──

 

 

(どうにも、なぁ…)

 

 

 そんな夜が切り取られたような光景に対する違和感が、どうしても拭えないままでいた。

 

 この町の人間はこんな光景を当たり前のように受け入れている。

 それは当然のことだろう。

 

 彼らはこの町で生まれ、育ち、今日までの時間を過ごしてきたのだから。

 それがなんだか、自分と町の人との埋め難い溝を見せ付けられたかのような心持ちになる。

 

 そんな鬱屈した気分に上手く折り合いを付けられぬまま、彼は今日という日を迎えたわけだ。

 

 

「……考えすぎだ」

 

 

 流石に祭りの当日にまで辛気臭いを顔をぶらさげているのも、無粋の極みというものだろう。

 

 恐らくは白夜に馴染みの薄い地域で育ってきたが故の感性の違いだろう。

 軽く頭を振って独りごちると、そう納得することにした。

 

 

 

 

 

 

 エアル・フェルドは拾われ子である。今の家族との間に血の繋がりはない。

 とある事情から世界各地を転々とする暮らしを送っている。

 

 一時期気不味い関係にあった時期もあるにはあったが、基本的に家族仲は良好。

 だというのに自身を拾った場所を尋ねる時だけ、妙に歯切れが悪くなるのだ。

 

 

(まさか仕事にかまけるあまり何処で拾ったか忘れているってことは… ない、よな…?)

 

 

 ふっと脳裏をよぎった予想に、「あの義父ならばありえるかも…」と溜め息を一つ。

 と、そこに。

 

 

「おー、エアル! きたかー!」

 

 

 馴染みのある声。続いて背中に響き渡る衝撃。

 思わずよろけてしまい、そのまま数歩進んだ先で振り返り下手人を睨み付ける。

 

 

「……強すぎだ、バカ」

 

「わるいわるい! いやー、調子乗ったわ」

 

 

 案の定、そこには照れくさそうに後頭部を撫でるヨアキムの姿があった。

 今の彼は北欧によく見られる民族衣装をまとっている。

 

 周囲を見渡せばなるほど、彼同様に民族風の衣装を纏った男女が他にも大勢目に入る。

 どうやら考え事をしている間にいつの間にか祭りの会場へと到着していたらしい。

 

 ここ町の中央広場には町中の人々に加え、休日ということもあり観光客の姿も多く見られる。

 それらの人の輪の中心には今、つい先日組み上げられたばかりの塔が鎮座していた。

 

 

「へぇ、これが…」

 

「この塔を囲んで輪になって踊る… それがこの町の夏至祭のメインイベントさ」

 

 

 エアルは思わず塔を見上げ、言葉を漏らす。それを拾う者がいた。

 ヨアキムではない。

 

 振り向くと、そこには義父の仕事の都合で知り合った男性の姿があった。

 今着ているモノこそこの町に馴染んだ民族衣装だが、普段はツナギ姿で良く会う男性だ。

 

 

「君も来てくれていたんだね、エアルくん。結構なことだ」

 

 

 エアルの義父の知り合いでAGの整備士であるスティーグ氏だ。

 引っ越しを何度も繰り返していた苦境の時期に、わざわざ会いに来てくれたこともある。

 

 そんなエアルたちにとっては少し特別な知り合いであった。姿勢を正し、挨拶をする。

 

 

「スティーグおじさん、こんにちは。……えぇ、はい。友達に誘われまして」

 

「あ、どうも。スティーグさん」

 

 

 挨拶をする二人にスティーグ氏は目を細めながら二度、三度と頷いてみせる。

 

 そこまで広くはないテンポシルワの町のこと。

 特別付き合いが深いとまでは言わずともヨアキムとスティーグは顔見知りでもある。

 

 スティーグはヨアキムに近付き、肩を叩きながら握手を交わす。

 

 

「エアルくんのお父さんとは古い友人でね。ヨアキムくん、どうか彼をよろしく頼むよ」

 

「うっす! 任せてください!」

 

「ちょ、ちょっと! 止めろって、ヨアキム! ……スティーグおじさんも!」

 

 

 妙に張り切ってみせるヨアキムを慌てて止めようとするエアル。

 そんな必死さが二人の笑いを誘う。

 

 周囲の人々も微笑ましそうに視線を寄越す者が数名。

 エアルが顔に血潮が集まってしまうのを感じて押し黙った。

 

 祭りの陽気に当てられたのだろうか? 

 そんな二人の調子に若干疲れ気味にしていると、不意にスティーグ氏が疑問を口にする。

 

 

「それで、君も踊ってみるのかな? エアルくん」

 

「え、いや… 俺は衣装もないですし…」

 

「ハハッ、町に来て日が浅い人にまで無理は言わんよ。観光客だって参加できるのだから」

 

 

 思いもよらなかった言葉にタジタジになってしまう。

 そもそもエアルは踊りがそんなに得意ではない。

 

 まして彼にとって、こんな大勢の人前で踊るなど気が進まぬこと以外のなにものでもない。

 

 

「そう、ですね… 気が向いたら…」

 

「そうかそうか。是非やってみると良い!」

 

「え? いや、その…」

 

 

 曖昧な形で断ろうとしたのが、かえって悪い方向に作用してしまったらしい。

 小学校(エレメンタリースクール)時代の何年かを過ごした日本式の断り文句は、もう二度とこの町では使うまい。

 

 エアルは内心で強く決意する。

 

 

「おっと、家族をだいぶ待たせてしまっていたな。……それでは、そろそろ失礼」

 

 

 こうしてスティーグ氏は二人に挨拶をすると、足早に立ち去っていく。

 

 確か彼の家には自分より一つ歳下の娘がいたな、と思いながらエアルはその背を見送った。

 そんな彼の隣に立っていたヨアキムが、肘で脇を小突いてくる。

 

 思わず何事だという視線をやってみるが、ヨアキムは特に悪びれた様子もなく口を開く。

 

 

「踊ってみたらどうだ?」

 

「いや、でもな…」

 

「スティーグさんの言うとおり参加自由だぜ。衣装が気になるならレンタルもあるしよ」

 

 

 どうしたものか、とエアルは唸りながら考える。

 

 恐らくだが、まだこの町に来て日が浅い自分を二人とも気遣ってくれているのだろう。

 そんな二人の好意を無にするだけの強い理由が自分にある、というわけでもない。

 

 

(かくなる上は、お祭りらしく二人の好意に乗っかる形で楽しんでしまおうか…)

 

 

 エアルがそう考えてヨアキムに了承の返事をしようとした時。

 

 

「あ、踊りにはパートナーが必要なんだけど。おまえいなさそうだし、俺でいいか?」

 

「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶対に嫌だ。

 繰り返す、絶対に嫌だ。論外である。

 

 我が心は(ある意味で)固まった。ありがとう、ヨアキム。絶対に踊りたくない。

 決して折れぬ鉄の意志を以て二人の好意を足蹴にすると、たった今、決めた。

 

 エアルはそう考え、口を開こうとした。

 

 

「……エアル?」

 

 

 しかし彼が言葉を発するそれより早く、涼やかながらも凛とした声が彼の耳朶を打った。

 

 振り返る。

 この辺りではあまり見かけないショートの銀髪の上に麦藁帽を乗せたワンピース姿の少女。

 

 エアルはつい先日、遺跡にともに潜ったその少女の名前をつぶやいた。

 

 

「……カレン」

 

 

 少女… カレンは小さく肯いた。

 こうして出会うまで、エアルは彼女がこの場に来る可能性を完全に失念していたのであった。

 

 見詰め合ったまま沈黙する形になる。

 そんな止まった時を動かしたのは、再びとなる悪友(ヨアキム)からの背中への張り手。

 

 

「だから、いたいっての!」

 

 

 抗議の声もなんのその。

 ヨアキムは笑いながらエアルの肩を引き寄せ、耳元でそっと囁く。

 

 

「わりぃわりぃ。それよりなんだよ! いつの間にかパートナーを用意してるなんて!」

 

「パッ!?」

 

「しかも結構可愛いじゃないか。おまえも隅に置けないなぁ、このこの!」

 

 

 なんかとんでもない勘違いをしているな、このヨアキム野郎は。

 だからおまえはヨアキムなんだ。

 

 そんな思いを込めて『彼女はただの観光客だ』と説教しようとした時、音楽が鳴り響く。

 

 

「おっと、前奏がはじまったか。悪いな、時間取っちまって!」

 

「ヨアキム」

 

「よし! この花冠をくれてやるから彼女をちゃんと踊りに誘えよ!」

 

「おい。聞けよ、ヨアキム」

 

「じゃあな! 後で報告期待してるからな! 絶対踊りに誘ってやれよな!」

 

 

 呼び止める暇もあればこそ。

 

 疾風の如き勢いで(気を利かせたつもりなのだろう)ヨアキムは遠ざかっていく。

 後に取り残されるエアルとカレン。

 

 無理やり持たされた花冠が所在なさげにエアルの手の中で揺れている。

 

 

「あんの、野郎…」

 

 

 もはや影すら見えなくなった友人の消えた方角を睨みながら、万感込められた息を吐く。

 

 すると不意になにかに引っ張られる感触がした。

 その方向を見ると、カレンが服の裾を引っ張りながらじっとエアルを見上げていた。

 

 深く澄み渡る、まるで吸い込まれそうな綺麗な瞳に思わずたじろいでしまう。

 

 

(一体なんと声を掛けたものか… いやいや、あの野郎の戯言を真に受けてどうする…!)

 

 

 声も出せず、しかしカレンの瞳から目も逸らせぬままに言葉を失うエアル。

 再び、無言のまま見詰め合う二人。

 

 ……今回先に動いたのはカレンの方であった。

 

 彼女は更に一歩近付き、小首を傾げながらエアルに問い掛けてきた。

 

 

「踊る?」

 

 

 先ほどのやり取りが聞こえていたのだろう。

 エアルは悪友を恨みながら頭を抱える。

 

 そして気付いたのだが、今、周囲の目が痛い。

 なにか微笑ましいものを見るような、そんな視線が自分たちに絡み付いてくるのを感じる。

 

 ここで「いや、踊りませんよ?」などと言える空気ではない。

 ついにエアルは観念し、大きく息を吐くと花冠を彼女の麦藁帽の上に乗せて手を差し出した。

 

 

「一曲踊っていただけませんか? ……俺でよければ、だけど」

 

 

 なんともしまらない誘い文句になったものだ、と内心で自分にダメ出しをしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 踊りのひと時が終わり、中央広場から人通りの少ない道を二人で並んで歩く。

 

 

「ゴメン。俺、ここの祭りは初めてだからさ… 案内できるほど詳しくはないんだ」

 

「ううん、大丈夫。この町で祭りをやっていたのは『たまたま』だったから」

 

 

 エアルは声には出さぬものの驚きの表情を浮かべる。

 この時期にこの町に来るということは、名物の夏至祭目当てだと思い込んでいたからだ。

 

 

(ならば彼女は一体何故この町に…?)

 

 

 そんな思考の海に浸りそうになった時、カレンが振り向きながら口を開いた。

 

 

「でも不思議。エアルの言い方、まるでこの町の人じゃないみたい。……何故?」

 

「……痛いところを突くなぁ」

 

 

 何気ない、しかし当然のものと言えるであろうカレンの疑問。

 それはエアルにとっては耳に痛い話題でもあった。

 

 とはいえ秘密を貫くほどのものではない。頭を掻きながら、ボソボソ零すように話し始めた。

 

 

「……俺の義父(とう)さん、さ。もともとはSRの技術者だったんだ」

 

「SR? シュタールリーゼ、と呼ばれるあの人型の重機?」

 

「そう、そのSR。……だれど俺の物心ついたちょうどその時期に『ある事件』が起きた」

 

 

 空を仰ぎながら言葉を続ける。

 

 

「『ワシントンの悲劇』」

 

「………」

 

「それに使われたSRは、パルクール競技用として義父(とう)さんが納品したものだったんだ」

 

 

 エアルはどこか遠くを見続けたまま、淡々と話し続ける。

 物心ついたばかりの時期と言ったにもかかわらず、彼は澱みなく言葉を紡いでいる。

 

 

義父(とう)さんが泣いたところを見たのは後にも先にもこの時だけだったよ」

 

「………」

 

義父(とう)さんは責任を取って辞めるつもりだったみたいだけど、軍から声をかけられてね」

 

「それで?」

 

「軍用SRの開発に参加することになった。……正しいこととは思ってなかったみたいだけど」

 

 

 少し悲しそうな笑顔を浮かべ、言葉を補足する。

 

 

「……多分、自分のSRにかける思いを汚された復讐だったんじゃないかな」

 

「復讐?」

 

「いつだって、義父さんは人のためにSRを作っていた。だから…」

 

 

 少しだけ間を置いて「だから、許せなかったんだと思う」と締めくくった。

 

 いつしか気持ちと同様、エアルの視線は地面を向いていた。

 隣を歩いているカレンが今、どんな表情をしているかも分からない。

 

 だから殊更明るく見えるように微笑んで見せる。

 

 

「それで家族揃って世界を股にかけて引っ越し続けてるってわけ。ここにも一回来てる」

 

「そう、なんだ…」

 

 

 ふと気付けば、先日二人が出会った遺跡のすぐ近くにまでやってきていた。

 

 特に考えることなく会話に集中していたせいで日頃のバイト先に足が向かっていたらしい。

 気まずくなった空気をほぐそうと、あわててエアルが切り出す。

 

 

「……何も考えずに歩いてたら遺跡の前まで来ちゃったな。引き返すか」

 

「いいよ、もう一回行こう」

 

 

 思ったより強い口調でその提案は取り下げられた。

 

 

(……気を使わせてしまったか?)

 

 

 エアルはそっと横顔を盗み見るも、カレンの表情からはその真意は読み取れない。

 とはいえ彼に否やがあるわけではない。

 

 彼女がそう言うのならばと彼らは坂道を進み、そしてあの時同様に遺跡の前に立つ。

 

 

「またこの遺跡に二人で入るなんてね…」

 

 

 木々のさざめきの中、二人は端末を片手に遺跡の中に入っていく。

 風向きも日差しもあの日と大きく変わらない。

 

 

「今日は周りを見ながら行きたいな」

 

「了解。……なら、こことかどうかな?」

 

 

 エアルはパンフレットの一角を指さす。

 

 彼の顔と自分の顔の距離も気にも留めず、カレンは身を乗り出すように覗き込む。

 自身の肩に彼女の髪がかかり、仄かに甘い香りが漂った気がした。

 

 整った顔立ちをしている。贔屓目抜きに、美少女と言って差し支えないだろう。

 先ほどのヨアキムの冷やかしと、踊りをともに踊った一時を思い出し頬に熱が集まる。

 

 エアルは動揺を悟られないよう、涼しい表情を続けるカレンにガイドらしく説明を行う。

 

 

「昔、ここに食物を置いておくと腐敗が遅くなるってことに気づいた人がいた」

 

「腐敗が… 『遅く』?」

 

「時間の異常とまでは気付かなかったみたいだけど。食料保存庫として使ってたらしい」

 

「わかった、そこにいこう」

 

 

 二人して肯き奥に進もうとしたその時、静寂に包まれた遺跡に突如轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それより数十分ほど遡ったテンポシルワの町西部、監視塔にて。

 

 休憩室に集まった兵士が思い思いに寛ぎながら駄弁っていた。

 

 

「曹長、まーたその本読んでるんですかぁ? 休憩とは言え読み過ぎでしょう」

 

「別にいいだろ。何度読んだって面白いんだからよ」

 

 

 監視任務に就く者とはいえ当直ではない以上、彼らも基本的に休むことが許されている。

 

 

「知ってる物語を何度も読んで飽きない曹長が羨ましいですよ」

 

「分かった分かった。そんな俺を讃えてコーヒーの一杯でも運んできてくれると嬉しいな」

 

「ハイハイ」

 

 

 そもそも戦時中ではない今、彼らにそこまでの緊張を求める出来事は起こり得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……はず、であった。

 

 

「持ってきましたよ曹長… 曹長? ……おい、誰か! てきしゅグァッ!?」

 

 

 その認識はついぞ変わることのないまま、この世界は、彼らを飲み込んだ。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 スクランブルの警報が鳴り響く基地。

 

 

「畜生! 一体この町に何の恨みがあるってんだ、あの賊どもは!」

 

「さぁな、口からクソ垂れてる暇あったらとっとと乗れ! アモル!」

 

 

 慌ただしく響き渡る軍靴の音。賊へ不満をぶつける荒々しい声の数々。

 唐突に破られた平穏は兵士たちを戸惑わせるには充分であった。

 

 ある種の予兆を感じ取っていたアモルですらも戸惑いは隠せないでいた。

 

 基地に標準配備されているAG『ACH-05 ミラム』。

 立ち並ぶそれらの中から愛機を選び、そのセットアップを行いつつ彼は思考する。

 

 

(監視を連絡前に無力化し、そのまま機甲戦力を電撃的に市街地に進軍させるだと?)

 

(……これが、ただの賊であるもんかよ!)

 

(練度の高い兵、特にスナイパーなんてPMCか軍隊から引っ張ってくるしかねぇ)

 

 

【セットアップ完了 メインフレームオンライン スクランブル認識 出撃用意ヨシ】

 

 

 考えがある程度まとまると同時に、AIが合成音でセットアップ完了を報告をしてくる。

 

 

(……チッ、タイムアップか。まぁいい、あとは戦場で見極めるさ)

 

 

 アモルは目の前の戦闘に思考を切り替える。

 

 

「こちらアモル。ジャッカル2、出るぞ」

 

『ジャッカル2、出撃よろし! ゲート開放!!』

 

 

 白夜の輝きが愛機、ミラム・サーペントを照らす。

 

 これから飛び込むのは惨事の真っただ中。

 町に住む人々が避難をする中で彼らを庇いつつ戦闘することになる。

 

 

(町を襲ってまで賊のバックは何がしたい? ……まさか、ただの略奪などとは言うまいな)

 

 

 ミラム・サーペントは、ローラーとスラスターを全開にして戦場の大地へと躍り出た。



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東方兎流陽寿さん

【噛ませ犬でも頑張りたい】より「弱虫アニキ、GETだぜ☆(なおボールは…)」
 作:東方兎流陽寿さん


 よう、俺ヤムチャ。

 

 

「お前は… カ、カカロット…? カカロットなのかッ!? いや、そうに違いない! ハハッ、なんてこった! 顔といい、髪型といい、まるで親父の生き写しじゃないか!」

 

「なんだコイツ」

 

 

 今、目の前では感動的なシーンが展開されている。

 

 幼い頃に引き離された二人の兄弟が、こうして遠い宇宙の果て(ちきゅう)で再び巡り会えたのである。

 ただ状況についていけない悟空をはじめピッコロを除いた他のメンバーは若干引いている。

 

 カメハウスでのパーティの真っ最中にいきなりおかしなことほざいて飛び出していったと思ったら、ピッコロと妙なオッサンを連れて戻ってきたのだ。

 悟空なんかは「よっ、久しぶりだな!」と片手をあげたがクリリンや武天老師様たちは驚き叫び声を上げても仕方がない。……ブルマには「またか、おまえ」って目で見られたが。解せぬ。

 

 それに加えて謎のオッサンが悟空を謎の名前で読んで勝手に感動に打ち震えている。

 事情を知っている俺でなければ困惑してしまうのも無理からぬ事であろう。

 

 すまない。……みんな、すまない。

 悟空の助けを求めるような視線が胸に痛い。周囲の視線もビシバシと突き刺さってくる。

 

 とりあえず落ち着いたら事情を説明しようかというところでラディッツが口を開いた。

 

 

「フフ… ハハハハハハ! 貴様と会えて嬉しいぞ、カカロット! さあ! 今こそオレたち兄弟が力を合わせ、地球人どもを根絶やしに…」

 

「狼牙風風チョップ」

 

「ガッ!?」

 

 

 おいカメラ止めろ。

 俺の新技『狼牙風風チョップ』が、おかしなことを口走る前にその意識を刈り取った。

 

 狼牙風風チョップは相手の頭にチョップするだけの命にも地球にも優しい技。

 実質、岩山両斬波みたいもんだな。床にめり込んでるし。

 

 他のみんなは首を傾げている。……よし、聞こえていなかったようだ。セーフ! 

 

 

「き、貴様ぁ! よくも、このオレ様に…」

 

 

 お、復活しやがった。

 

 穴が空いた床から這い上がり、血管が切れそうな勢いでこちらを睨んでいる。

 俺はため息を吐きながら順を追って説明してやることにした。

 

 

「……あのな、立場ってのを弁えといた方がいいぜ? 今、お前は捕まってるんだ。こうして生かして貰ってるだけでもありがたく思うべきなんじゃあないか?」

 

「ハッ! 貴様らなんぞこのオレ様にかかればミジンコ同然だ! 待ってろ、今すぐ皆殺しにしてやる!」

 

 

 あー… コイツ、多分アレですね。

 多分死の淵から(仙豆さんのおかげで)蘇った時にサイヤ人の特性でパワーアップしたことで、慢心してやがるな? 

 

 ダメだこの兄貴… 早くなんとかしないと…! 

 しょうがない、現実を見せてやるとしますかね。

 

 

「これ、なーんだ?」

 

「ッ! それはオレのスカウター! 返せッ!」

 

 

 俺が取り出したスカウターを見るなり奪い取るラディッツ。

 それに抵抗せずすんなりくれてやり、装着するまで待つ。

 

 それにしても、その慌て方がまたなんとも小物っぽい。

 ホントそういうところだぞ? ……だからこそシンパシーを感じてもしまうわけだが。

 

 内心の考えを表情に出さないようにがんばりつつも、俺はラディッツに話し掛けた。

 

 

「さて… 察するに、そのメガネみたいなのは人の強さを測定できるマシンなんだろ?」

 

 

 他のみんなが驚いたような表情を浮かべ、ラディッツが装着したスカウターに注目する。

 ピッコロも「フン」と鼻を鳴らしながらも否定はしない。

 

 そんなみんなの様子を横目に見ながら、俺は言葉を続ける。

 

 

「それで自分の氣と俺の氣を測って比較してみな。格の違いってのが分かるはずだぜ」

 

「何を訳のわからんことを… む!? オレの戦闘力が1750まで上がっているだと!? そうか… そうか、これがベジータたちの言っていたサイヤ人の特性というものか! くっくっく… なるほど、こいつはいいものだ…!」

 

「マジか…」

 

 

 俺は思わず声を上げてしまう。

 

 サイヤ人の特性のことに気付かずにその態度だったのか、おまえ。ある意味すげぇよ。

 いや、なんとなく程度なら感じて取っていたのかも知れないがそれでも… なぁ?

 

 というか、1750って…──

 

 

「フッ、怯えるにはまだ早いぞ。親切なオレ様が特別に教えてやろう! 先ほど、その緑のと激しい戦闘を繰り広げていた時のオレの戦闘力は1500だった。……この意味が分かるか?」

 

「………」

 

「この短期間に一度に戦闘力が250も上がったうえに、何故か体力も万全だ。つまり、どう足掻いてももう貴様らに勝ち目はないということだ! ハーッハッハッハッ! 絶望しろ、ゴミどもがッ!」

 

 

 絶望したわ! 

 

 なんでおまえサイヤ人の特性を発揮したくせに250しか戦闘力上がらねぇんだよ! 

 単純計算してナッパさん超えるまでにあと10回は瀕死にしないといけぇねぇじゃねぇか! 

 

 割りに合わねぇよ! 本当に戦闘民族サイヤ人か、おまえは!? 

 

 俺の怒りの震えを恐怖と取ったのか、ラディッツが機嫌よく言葉を続ける。

 

 

「さて、貴様はさっき面白いことを言っていたな? なんだったかな… スカウターで見れば格の違いが分かるはず、だったか? フッ、確かに分かるだろうな。良かろう、現実を見せてやる!」

 

 

 めちゃくちゃ良い気になって俺の戦闘力を測ったラディッツの動きが止まった。

 まるで、信じられないものを見たとでも言い出しそうな雰囲気で目を見開いている。

 

 そしてワナワナと震えだした。

 

 

「せ、戦闘力2200… だと…!?」

 

 

 えっ、1.5ラディッツ!? それナッパさんにも勝ててないじゃん…。

 

 まあ氣も開放してないし、俺式界王拳もどきとか使えばまだまだ伸びるけれどさ…。

 もっと修行のペースを上げないとベジータには勝てねぇな…。

 

 すっかり沈黙してしまったラディッツを余所に、我関せずと壁に寄りかかっていたピッコロさんはここで俺の方をギロリと睨んでくる。

 

 おお… 怖い怖い。

 

 

「へー… 便利な機械だなー。なっ、いっちょオラのも測ってくれよ!」

 

「あ、ああ…。カカロットは… 戦闘力453。まぁ、妥当といったところだな。サイヤ人としては最下級レベルだが」

 

「ほえー、ヤムチャとそんなに差が開いてたんか! こりゃウカウカしてられねぇな!」

 

 

 そんな楽しそうに差を埋めるとか言わないでくれ。めちゃくちゃ怯えてしまうだろ、俺が。

 

 一方、俺とラディッツの会話を聞いていたみんなは強さが分かるということでラディッツに自分の戦闘力を測ってもらおうと殺到していた。

 とはいえ自分の弟である悟空(カカロット)ならばまだしも、ラディッツ目線からすれば他の連中は未だ侵略対象の下等種族に過ぎない。

 

 しばらくは嫌そうに顔を(しか)める程度にとどめていたが、ついに堪忍袋の尾が切れたのかやおらクリリンにむかって拳を振り上げる。

 

 

「ええい、馴れ馴れしく近付くな! この下等種族め!」

 

「おっと! ピーピー!」

 

 

 その拳がクリリンの顔に突き刺さるより早く、ラディッツに異変が生じた。

 腹を抑え悶絶するラディッツ。

 

 フッフッフッ… 恐らく今のあいつにはとんでもない腹痛が襲いかかっているに違いない。

 

 

「ぐ、ぐおおお… う…ッ!」

 

 

 そのただならぬ様子に周囲のみんなも揃って首を傾げている。

 しかしブルマだけは心当たりがあるのだろう、小声で俺に耳打ちをしてきた。

 

 

「ヤムチャ、もしかしてこれって…」

 

「ああ、PPキャンディさ」

 

 

 ブルマの問い掛けに肯いて答える。聞こえたのだろう、背後でウーロンがビクリと震える。

 そう、何を隠そうこのPPキャンディこそラディッツ引き入れのための俺の切り札。

 

 かつて仲間になりたてのウーロンを躾けるためブルマが使った禁断のアイテムでもある。

 ウーロンにとっては思い出したくもない記憶に違いない。

 

 そんな禁断のアイテムをこいつが気絶している間に砕いて飲み込ませておいたわけだ。

 

 ラディッツの性格上、力で言うことを聞かせるのはそう難しいことではないだろう。

 しかしそれが出来るのは現状は俺とピッコロだけ(悟空ならすぐに追い抜きそうだけど…)。

 

 だが、これならば。PPキャンディならば。

 

 どんな状況であっても、そして、どんな人物であってもラディッツを封殺することができる。

 

 

「……『どっち』の?」

 

「3000倍の方」

 

「さっきからの物騒な発言聞く限りピッコロ系なんだろうけど流石に気の毒になってくるわ…」

 

 

 俺がラディッツに服用させたのはかつてブルマが作り出した濃縮3000倍のもの。

 俺の浮気対策(完全に誤解だが)のためにはっちゃけた封印指定の代物であった。

 

 1つしかない鬼札だから勿体ない気持ちがないわけじゃないが切るならばここだろう。

 それを確認したブルマは俺を責めるような視線で見詰めてからため息を吐いた。

 

 ……いや、だってさ。

 普通のだったら耐えられるかも知れないだろ? 仮にもサイヤ人だしコイツ。

 

 俺だって10倍とか100倍とかちょうどいいのがあったらそれを使ってたよ、きっと。

 

 

「と、トイレならそこの部屋じゃが…」

 

「どけぇっ!!」

 

 

 流石に見かねたのか武天老師様がトイレの場所を指差して教える。

 

 ラディッツはピッコロと戦っていた時以上の必死の形相でトイレへと駆け込んだ。

 ……必死さが滲み出ているな。

 

 さて、ラディッツがトイレで格闘している間に俺たちは俺たちで話を済ませておこうかね。

 

 

「あの、ヤムチャさん。さっき… あのオッサンが自分は悟空の兄貴だとか言ってましたけど、本当なんですか?」

 

「よっし。んじゃ、まずは話を整理するか」

 

 

 差し当たっては、まずラディッツの名前から。

 そういえばここのみんなに名乗ってなかったよね、ラディッツ。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 取り敢えずサイヤ人とかいう尻尾を生やしたアホみたいに強くて好戦的な連中がいて、実は悟空はその一族の一人っぽくて、更にラディッツは悟空の兄という線が濃厚で、他にも二人サイヤ人がいて、ラディッツはサイヤ人三人衆の中でも最弱で、残る二人はドラゴンボールを狙ってこの地球に向かっていることなどを教えた。

 

 俺、がんばった。

 

 

「へぇー… それは大変ですね」

 

「……危機感が足りてないな」

 

 

 間延びしたクリリンの反応に思わず頭を抱えてしまう。

 

 いやまぁ分からんでもない。戦士というのは危機感がないと強くなれないもんだ。

 (ヤムチャ)だって原作の危険極まりないこの後の展開を知っている、という危機感がなければ戦闘力は200に届くか届かないかだっただろうしな。

 

 ただ、理解は出来るがそれはそれとして悠長にしている時間がないというのも事実だ。

 この危機感の無さは俺とピッコロが揃ってラディッツをあそこまでコケにしてしまったのが一因でもある。

 

 本来ラディッツは悟空の命を引き換えにしてなんとか勝利をもぎ取ったほどの強敵であった。

 しかし、この状況下においてはその脅威が実感できないのも無理からぬ事だろう。

 

 ヤムチャさん、ちょっぴり反省。

 

 

「うぅ、クソが… なんでオレ様がこんな目に…」

 

 

 ここでトイレでの死闘を乗り越えたラディッツ先生が無事(?)に生還した。

 先ほどまでよりも若干やつれているように見える。

 

 死線を乗り越えたわけだが流石にこれで戦闘力は上がらないらしい。……チッ、残念だ。

 

 まぁ効果は出ている様子だし過ぎた高望みは良くないな。

 俺はそう気を取り直してラディッツに頼み事をする。

 

 

「ラディッツ、ちょうどよかった。ちょっとそのスカウターとやらでここいる全員の戦闘力を測ってくれないか?」

 

「ふ、ふざけるなよ! 誰が貴様なんかの… ま、待て! さっきのはやめろ! わかった、やるから!」

 

 

 俺が人差し指と親指を唇に咥えようとする直前、ラディッツはそう叫んで慌ててスカウターを起動させた。

 

 うんうん、素直でよろしい。これからもその調子で頼むよ、君ぃ?

 ついでにスカウターの通信は切らせておく。

 

 これから話す内容にはベジータたちに聞かれると困る内容もあるからな。

 

 

「どれ… そこのハゲ頭が322、ジジイが150、そっちの女が4。で、カカロットのガキが30。それから… なに、どういうことだ!? 緑色の貴様は戦闘力1700だったはず…ッ!」

 

「俺たちはその戦闘力とやらを自由に操れるんだよ。こっちじゃ『氣』って呼んでるけどな。そのスカウターとやらは確かに便利だが、俺たちのようなのを相手にする時は、場合によっちゃ付け入る隙にも繋がるぜ?」

 

 

 ピッコロを始めとする地球戦士の特徴を教えながらも、ラディッツに戦闘力の変化についてさりげなくレクチャーしておいてやる。

 俺って優しいな。ヤムチャさんマジぐう聖。

 

 そして、ここからはクリリンたちに危機感を植え付ける作業を行わねばならない。

 

 

「さて、クリリン。お前と悟空の戦闘力の差は100くらいあったというわけだな。お前と、悟空で、『100』の差だ。そしてあのラディッツの戦闘力は1500… 今は1750だっけか? そこに一体どれほどの絶望的な差があるのか、これで理解できただろう?」

 

 

 先ほどまで気楽だったクリリンの様子は激変し、ダラダラと冷や汗を流し始めた。

 やっと理解したのだろう。サイヤ人という敵の強大さに。

 

 ……まあ、クリリンたちも原作よりは強くなってんだけどね。

 だが俺は手を緩めない。これでもまだ全然足りないくらいなのだ。追い打ちをかけてやる。

 

 

「それでだ、ラディッツ。お前のお仲間のサイヤ人の戦闘力はどんぐらいなんだ?」

 

「だ、誰がそんなことを… ちょ、やめっ、分かったッ言う! 言うからそれは止めろぉ!」

 

 

 俺が口笛を吹く仕草を見せるとラディッツはたまらず降参した。

 

 

「ハァ、ハァ… ハゲのナッパってヤツが4000、ベジータってチビが18000だ」

 

 

 4000と18000… その絶望的なまでの数値が否応なしに現実を突き付けてくる。

 クリリンなんて、そりゃもうあんぐりと顎が外れんばかりに口を開いていた。

 

 ……いやまぁ俺だって何も知らない状態でこんなこと教えられたらそんな顔してただろうさ。

 これだからサイヤ人って連中は嫌いなんだ。

 

 

「フン、『格の違い』が分かったか! 貴様ら如きがどう足掻こうがあいつらには勝てん!」

 

 

 格の違いという言葉を強調してラディッツは吠える。……気にしていたんだろうか。

 ヤツの一言でカメハウスには重い雰囲気が立ち込めた。

 

 ある二人と原作を知っていた俺を除いて、だが。

 

 ウチのサイヤ人とナメック星人はそんな絶望的な話を聞いても元気なもので、逆にムンムンと闘志を溢れ出させてゆく。

 

 

「そんじゃ今からでも修行を始めねえとな! へへー、4000と18000か… オラ、ワクワクしてきたぞ!」

 

「フン、どんな猿野郎が来ようと同じことだ。揃ってガタガタにしてやる。そしてその次はヤムチャと孫悟空! 貴様らの番だ…」

 

 

 頼りになる異星人組である。

 だが、いくら頼もしいとはいえこの二人におんぶにだっこというのも情けない。

 

 俺は俺で地球人代表として引っ張っていこうじゃないか! 

 

 

「今は『故意的に(こううんにも)』界王様が地球にいらっしゃる。あの人の教えと重力室さえあればきっと今よりも強くなれるだろう。天津飯と餃子… 一応ヤジロベーも呼んでみんなで修行を受けてみようぜ」

 

「は、はは… やるしかないですよね。ハァ…」

 

 

 クリリンが乾いた笑いを浮かべる。決心はついたようだ。

 天津飯と餃子に関してはさらに修行のモチベーションを上げることだろう。そういう奴らだ。

 

 ヤジロベー? お前強制参加な。マジで猫の手も借りたい状況だからな。

 

 そして、最後に…──

 

 

「ラディッツ、お前も立派な戦力だ。こっち側で戦ってもらうぞ。ちなみに拒否権はなしだ」

 

「なぁ!? お、オレなんかが奴らに勝てるわけがないだろう! わざわざ殺されるような真似はせんぞ!」

 

「大丈夫だ。お前はもうアイツらに見捨てられている。どうせ見つかっても殺されるだけだろう? なら一緒にアイツらぶちのめそうぜ? な?」

 

 

 肩を叩いてそう勧誘する俺の言葉を「何が大丈夫だ! ふざけるなぁ!」と激昂しながら遮り、手を振り払う。

 

 そのガッツ、なかなかいいね。そう思いながら俺は更に説得を続ける。

 

 

「仮に殺されなくても今よりもっと酷い扱いになるだけだろ? そんなんでいいのか?」

 

 

 その言葉に「ぐぬっ…」とラディッツが苦虫を噛み潰したような表情を作り黙り込んだ。

 ラディッツ自身、少なからず自覚もあるのだろう。

 

 というかこの頃のベジータなら、例え殺さなくてもパシリから奴隷に強制クラスチェンジ待ったなしだよな。

 

 

「なら俺たちと一緒に修行して、少しでも強くなって迎え討った方がいいだろ?」

 

「ぐぬぬ…」

 

「敵の敵は味方って言うじゃないか。俺もピッコロも悟空も一緒に戦ってやるし、他のみんなだってまだまだ伸び代がある。な、悪い話じゃないだろ。一緒にがんばろうぜ?」

 

 

 ラディッツはまだ納得のいかない様子ではあったが、現状では自分の未来は決して明るいものではないことを改めて悟ったのだろう。畳み掛けるような俺の説得を前に低く項垂れるのであった。

 

 これにてミッションコンプリート。

 一蓮托生。お互いがんばっていこうじゃないか、ラディッツくん。



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ユウマ@さん

【レミリア、家出するってよ】より「レミリア、家出するってよ」
 作:ユウマ@さん


 ──お姉様なんか、大ッ嫌い! 

 

 

 頭の中でその言葉がぐるぐると反芻している。

 そして私はカウンターに片肘を立てながら、幾度目になるかも分からないため息を吐いた。

 

 今までほとんど足を運んだことのない香霖堂とかいう店の片隅。

 私は陰鬱な表情で普段以上に身を小さくしながら、そこに隠れるように腰掛けている。

 

 とはいえ、決して存在が消えてなくなったわけではない。

 現に店主の森近霖之助は目録の査読をしながらチラチラと見咎めるように視線を寄越す。

 

 とうとう私は降参し、殊更なんでもないことのように振る舞いつつ言葉を発するのであった。

 

 

「さっきからチラチラとなんだ、店主。淑女(レディ)の顔を覗き見るのは礼儀に(もと)ると思うが?」

 

「それは失礼。しかし、店に来るなり何も買わずため息を吐き続けられてはね…」

 

「ハッ、なんだなんだ。運気が下がるとでも? まったく、パチェみたいなことを言う!」

 

 

 友人(パチェ)の名前を出すとともに先ほどのモヤモヤがぶり返し、荒々しい皮肉を口にしてしまう。

 それをどう受け止めたのか、店主は長いため息を吐きながら頭を掻きつつ席を立つ。

 

 ──呆れさせてしまっただろうか? 

 

 少しばかりの不安に苛まれる私を余所に、奥でなにやらガチャガチャやっている。

 と思ったら、いつの間にか粗末なティーカップが湯気を立てて私の前に置かれていた。

 

 香りですぐにそれと分かる安物の茶葉だ。そもそも血の一滴すらも入っていないだろう。

 なにもかも屋敷で咲夜が淹れてくれたものとは比べるべくもない。

 

 しかし、(かたく)なになりかけていた私の心が解きほぐされていくようなそんな感覚を覚える。

 

 

「……まったく、なんでウチに来るのやら」

 

「フン。ここなら多少は落ち着けそうだからよ」

 

 

 内心のそんな考えなどおくびにも出さず、私は髪の毛をすきあげながらそう言ってのけた。

 

 ……そして私は、『永遠に紅い幼き月』ことレミリア・スカーレットは。

 湯気を立てるティーカップを前に、ポツリポツリと事の経緯について語り始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠

 

「フラン、いい加減になさい」

 

 

 いつもの紅魔館の、いつもの私の部屋で。

 そこで私たちは、テーブルを挟んで互いに睨み合っていた。

 

 

「どうしてっ!? 私だって外に行きたいっ! お姉様と一緒に行きたいのっ!」

 

「……あのね、フラン。私たち吸血鬼は、日光を浴びると灰になってしまうの」

 

「お姉様は日傘を持ってお昼も出歩いているじゃないっ!」

 

「そうね。でも貴女が日傘を差しても、すぐにそんな事忘れて放り出してしまうでしょう?」

 

 

 私は落ち着き払った態度でフランの… 妹の言葉を封殺する。

 いつものことだ。

 

 ……私はまだ、彼女を外に連れ出した事はない。

 

 館内での行動を自由にしてから、幾度となく外出許可をせがまれてきた。

 活発なこの子のことだから当然想定されるべき反応。

 

 それを却下して。

 

 

「ただでさえ貴女はお転婆なんだから、あまりみんなを心配させないで。ね?」

 

「うー…!」

 

 

 いつもなら、完全に納得しないまでもある程度は大人しく聞き分けてくれる… 筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……なんで」

 

 

 なにかから零れ落ちたかのようなフランの声。

 それに誘われて声の方に視線を向ける。

 

 すると、そこには涙目の彼女が大きく開いた手をこちらに向けていた。

 

 

「フラン…?」

 

「なんでお姉様はいつもちゃんとお話を聞いてくれないの!?」

 

「それは…」

 

「私以外は、みんなみんな… お姉様だって! 外に出ているのにっ!!」

 

「ちょっと。落ち着いて」

 

「そんな言う事を聞いてくれないお姉様なんか…──」

 

 

 私が腰を上げ、彼女の隣に移動しようとするよりも早く…

 

 

「──お姉様なんか、大ッ嫌い!」

 

 

 止まる暇もあればこそ、そう叫んで部屋から飛び出していく。

 

 直後、背後から轟音が響いた。同時に身体を揺らすかのような振動。

 振り返って見ると、部屋の壁にごっそりと穴が空いている。

 

 のみならず、支えるものがなくなった壁がこちらへ向かって倒れてこようとしていた。

 

 

「くっ…!」

 

 

 即座に床を蹴り、翼を広げ部屋の入り口まで文字通りに飛んでいく。

 

 壁はそのまま崩れて、先ほどまで私が腰掛けていた席もろとも瓦礫の山に呑みこんでゆく。

 

 フランに駆け寄ろうと腰を浮かしていなければ。

 そして、背後の異常に気付くのが遅れていれば果たしてどうなっていたことやら…

 

 

「お嬢様! ご無事ですか!?」

 

 

 内心で安堵の吐息を漏らすのと、咲夜が駆け付けるのはほぼ同時であった。

 

 

「私は無事よ。……あの子、フランは?」

 

「来る途中ですれ違ったから後を追ったけれど、ダメね。部屋に閉じこもってしまったわ」

 

「……パチェ」

 

 

 そこに、こういう場面には普段あまり顔を出さない友人の声が響く。

 

 

「あの子の怒鳴り声… 図書館まで聞こえたわよ、レミィ」

 

「そう…」

 

 

 ドアの先を見遣りながら深いため息を吐く。

 

 たまに喧嘩をするにせよ、ここまでされるのは久方ぶりと言える。

 それこそ館内の行動を自由にしてからは初と言っていいだろう。

 

 そこで思案気な様子で部屋の様子を眺めていたパチュリーがポツリと言葉を漏らす。

 

 

「我慢の限界、といったところだったのかもね…」

 

「──え?」

 

 

 やけに胸の奥にまで響いてくるようなその言葉に、我ながら間の抜けた返答をしてしまう。

 

 

「あの子は溜め込んで溜め込んで… それから、爆発させるタイプだから」

 

 

 それは、確かに。

 

 

「レミィ。あなた却下するにせよ、その後のケアをろくにしていなかったんじゃなくて?」

 

「そ、れは…」

 

 

 返す言葉もない。

 黙りこくった私の様子を無言の返事と受け取ったのか、パチェは長い長いため息を吐いた。

 

 ……そんな彼女の仕草は、失望されたと私が受け止めてしまうには充分で。

 

 

「とにもかくにも、今は二人とも頭を冷やすこと」

 

「………」

 

「特にレミィ、貴女はあの子の姉として今後もっと立ち居振る舞いに気を付けるべきね」

 

 

 パチェの言葉は正論だ。

 

 当主として至らぬことをした私の過ちを指摘し、正しき道を提示してくれている。

 それは分かる。

 

 だから私が今すべきことはその言葉に肯き、落ち着いて冷静になること。そうすべきだ。

 

 

 

 

 だが。

 

 

 ──お姉様なんか、大ッ嫌い! 

 

 

 フランから… あの子から初めて言われたその言葉が頭を(よぎ)る。

 悲しみか、はたまた怒りによるものか… 形容し難い感情が胸の中を荒れ狂う。

 

 

「……レミィ?」

 

 

 パチェが尋ねてくる。

 顔を伏せながら己が牙を砕かんばかりに歯軋りしている私の様子を不審に思ったのだろう。

 

 感情の色が乗せられることのない、常に冷静で心地よい声音。

 決して声量は大きくないが、よく澄み渡る彼女の声に幾度となく救われてきたものだ。

 

 それでも、今の私を落ち着かせるには程遠くて…──

 

 

「良いわ。……頭でもなんでも冷やしてくればいいんでしょう!」

 

 

 気付いた時には、私は日傘を手に壁の穴から外へと飛び出してゆく。

 

 

「お嬢様!」

 

「レミィ!」

 

 

 咲夜とパチェの声が聞こえる。

 

 心配そうな様子の二人に後ろ髪を引かれる思いがないでもない。

 けれど、今更引き返せるものか。

 

 そのまま大きく翼を広げて、私は当てもなく幻想郷の空へと飛び立つのであった。

 

 それで…──

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。行くあてもなくしばらく彷徨った結果ここに到着した、と」

 

「……大きく否定はしないけれど。言い方には気を付けなさい、人間」

 

 

 やや呆れた色を乗せた店主は私の事情をそんな簡単な一言でまとめてしまった。

 

 全く忌々しい。

 大きく間違ってはいないというのが、なおのこと忌々しいではないか。

 

 興味も失せてしまったのだろう、目録を再びペラペラとめくり始めながら店主が口を開く。

 

 

「外出ねぇ… 夜は平気なんだろう? なら夜にでも出掛ければ良いじゃ無いか」

 

「夜は出たがらないの、『夜は暗くてつまんない』なんて。……ホントに吸血鬼なんだか」

 

「なるほど。風光明媚な幻想郷だけど、その夜は暗いからね。楽しみも半分以下だろう」

 

 

 フランの言葉に同意するように語る店主の声が癪に障る。

 

 一体おまえはどちらの味方なんだ! 

 そう問えば『どちらの味方でもない』と飄々と答えてのけるだろう。

 

 だからイライラしながらも我慢してやっているのだが。

 そんな私の努力を知ってか知らずか、店主は言葉を続けてくる。

 

 

「しかし、ホントにそんな理由なのかい?」

 

「……何がよ」

 

「外出を禁じる理由さ。傘を放るお転婆だからって本気で思ってるわけでもないんだろう?」

 

 

 目を通していた目録をパタリと閉じて、こちらに視線を向けてくる。

 

 適当にあしらう事も出来る。

 しかし眼鏡の奥の金の瞳に何処か見透かされている気がして、隠すのも馬鹿らしくなる。

 

「いちいち知ったふうな言い回しが気に食わない店主ね」

 

「それはどうも」

 

 

 片眉を上げながら軽く受け流す。私の嫌味もどこ吹く風だ。

 忌々しい人間を横目に冷めた紅茶を飲み干しながら、私は語って聞かせてやることにした。

 

 

「知ってのとおり、私はフランを閉じ込めていたわ。……あの異変で、霊夢たちが来るまでね」

 

 

 勿論あの子が部屋から出てからは、出来る限り言葉を尽くして話をしたつもりだけど。

 

 それでも、フランは閉じ込めていた私を恨んでいるかもしれない。

 いや、それだけならばまだいい。

 

 どんな理由があろうと彼女を幽閉することに決めたのは私自身なのだから。

 彼女の怒りも、恨みも、憎しみだって私が一人で背負うべきものだ。

 

 だって、そうでしょう? 

 

 いくら話を重ねようとも。この世に二人きりの姉妹として家族の時間を取り戻そうとしても。

 彼女を閉じ込めてきた時間はあまりに長すぎた。

 

 せめてそれくらいはしてやらねば、姉などと名乗れたものじゃあない。

 ……しかし、しかしだ。

 

 もしも、フランが自由を手に外の世界へ飛び出してしまったら? 

 今度こそ私の手の届かない所に行ってしまうのかもしれない。

 

 この空は私がフランに寄り添うには、あまりにも広すぎるのだから。

 あの子はあの子なりに大切なものを見付けて新たな幸せを見付けるかも知れない。

 

 それは歓迎すべきことだろう。けれど、ならば一体誰が彼女を守れるのだろう? 

 

 再び掌から『それ』が零れ落ちてしまった時、拾い集められるほど私は強いのだろうか。

 

 

「……なるほど。君なりに妹を思って手の届く所に、という事か」

 

「フン。醜い独占欲と笑いたければ笑いなさい」

 

「いや、それはある意味で仕方ないことだろうさ。笑いはしないよ」

 

「………」

 

「ただ、恵まれている君に嫉妬してしまう気持ちがないわけではないけどね」

 

「……どういう意味かしら?」

 

 

 心なしか睨むような視線で店主を見る。

 いつの間にやら、店主は小道具のような何かを取り出してそれを静かに眺めていた。

 

 ……朧気ながら見覚えがある。

 そう、確かアレはパチェと図書館でよくじゃれ合っている…──

 

 

「……確か、ウチによく来る本泥棒のやつだったかしら?」

 

「そう、魔理沙のミニ八卦炉だ」

 

 

 そう、確かそんな名前だった。何故ここの店主がそれを持っているのだろうか? 

 そんな私の疑問が伝わったのだろうか、若干懐かしそうな視線で語り始める。

 

 

「……今は調整の為に預かっているけれど、元々これは僕が作ったものでね」

 

「あら、貴方も盗まれたの? 災難ね。一応死んだら返すつもりみたいだけど」

 

 

 店主は「ちがうよ。そう思うのも無理はないけどね」と首を左右に振って軽く苦笑い。

 

 良かった。

 友人の友人を始末してくれなどと依頼されたら寝覚めが悪い話になるところだったから。

 

 

「僕は魔理沙を小さい頃から知っていてね。それこそ僕と兄妹の様な関係だったと思う」

 

「へぇ… あの白黒にも兄弟がいたのね」

 

「あぁ… その魔理沙が家を出る時、この八卦炉を渡したのさ。せめてもの護身にってね」

 

「ふぅん…」

 

「……その時は、彼女が魔法使いとして成長するとは夢にも思っていなかったよ」

 

 

 どこか懐かしそうに… それでいて寂しそうに店主は語る。

 なるほど、当初はそういう見立てだったのか。

 

 紅魔館を我が物顔で襲撃してきた白黒盗っ人の図と結びつかないが誰にでも幼い時代はある。

 

 しかし、その白黒も今や…──

 

 

「うん、今や異変解決者の一人として幻想郷でも上位にいる。君のところのメイド同様ね」

 

「そうよ。咲夜は私の自慢のメイドだからね」

 

「……何だかんだ部下想いではあるんだねぇ、君も」

 

 

 なんだか失礼なことをしみじみと呟かれてしまった気がする。

 私を何だと思っているのだろうか、この眼鏡は。

 

 そもそも一番のお気に入りと言っても差し支えない咲夜を粗略に扱うはずがなかろう。

 じっとり睨みつける私から咳払いをしながら視線を外しつつ、店主は言葉を続ける。

 

 

「ともかく。……魔理沙は異変のたびに存分に魔法を駆使して、解決にあたっている」

 

「そうね。忌々しいけれど私の異変もそれで防がれたことは認めざるを得ない」

 

「……けれど今の僕は、そんな彼女のことをただ遠くからしか見守ることしかできない」

 

 

 微かな自嘲の色を込めて放たれた言葉にハッとする。

 

 

「僕は人間と妖怪のハーフだ。けれど君達みたいな戦う力は持っていない」

 

「それは…」

 

「彼女を導くことも追いかけることも、魔法を使えず空を飛ぶことも出来ない僕には不可能だ」

 

 

 ……「でも」と店主は私を、いや、『その背後』を指さした。

 そこには、私のコウモリ状の羽根が生えている。

 

 

「君にはその羽根がある」

 

 

 そして、そう言ったのだ。

 

 

「自由に空を飛ぶことも出来るし、妹さんと弾幕ごっこだって出来るだろう」

 

 

 そう、そうなのだ。

 あまりにも当たり前過ぎて、気付かなかったこと。

 

 彼の、森近霖之助の言葉に込められた無力感に気付かなかったわけではない。

 でも今私がすべきは、そんな彼に同情して古傷を抉ることでは断じてない。

 

 だからこそ、ニッと笑いながら、私も唄うように言の葉を吟じる。

 

 

「フランが退屈な紅魔館から外の世界に飛び出ていったらどうしましょう?」

 

「追い掛けて、その手を掴んでやればいいんじゃないかな」

 

「あの子はお転婆だもの。届かない場所にまで飛んでいってしまうかもしれないわ」

 

「大丈夫、お転婆具合なら君も負けてない。きっと追い抜けるさ」

 

 

 おかしくなって笑ってしまう。

 お転婆なんて誰かに言われるなど、果たして何百年ぶりのことだろう。

 

 

「あら、ひどい。でも、なんでそう思えるの?」

 

「だって君は、『紅い月』なんだろう?」

 

 

 シンプルな答えだが、悪くない。

 及第点だ。

 

 だから私もとびっきりの不敵な笑顔で返してやろう。

 

 

「えぇ、そうね。私は誇り高き夜の王。妹一人より高く飛ぶ事位、容易いことだわ」

 

 

 いつも本を読んでばかりで、店から出ることすら滅多に無い店主の言葉とは到底思えない。

 けれど、その言葉は何故か私の胸に素直に響いてきた。

 

 

「そいつは何より。……君もそう思うだろう? 自慢のメイドさん」

 

「…え?」

 

 

 不意に出された単語に固まってしまう。

 と同時に、ドアが開く音。

 

 ぎょっとしながら振り返れば、そこには困ったように苦笑いを浮かべる咲夜の姿があった。

 

 

「さ、咲夜!? アンタいつから…!」

 

「妹様を出さない理由の辺りから。……御二人のお話に割って入るのは忍びなかったので」

 

「……!」

 

 

 急激に顔が熱くなる。

 

 店主しか居ないとしても随分らしくない事を口走った様な気がしてならない。

 実際、咲夜と店主は共に苦笑いでこちらを見ていた。

 

 

「あー… もう! 帰るわよ、咲夜!」

 

「ふふっ… かしこまりました、お嬢様」

 

 

 そのまま、店を出ようとして。

 ふと思い出した事があり、私は店主に向けて振り返った。

 

 

「ああ、そうそう。……さっきあなたが言っていた話だけど」

 

「何だい?」

 

「あの本泥棒、パチェの所に行くとアンタの話ししてたりするらしいから」

 

 

 ね? とばかりに咲夜に視線をやれば、彼女も苦笑いで肯いた。

 呆気にとられたような表情を浮かべる店主に構わず、私は言葉を続ける。

 

 

「アンタも気にかけられてるみたいだし、そんなに遠くに行った訳でも無いんじゃない?」

 

 

 そんな私の言葉に、店主は困ったような控えめな笑みを浮かべた。

 

 

「……そうなら、良いけれどね」

 

「それだけよ。一応、世話になったわ。じゃあね、店主… いえ、霖之助」

 

 

 扉を開けると、外は日が落ちかけていた。

 念の為に傘を差して、咲夜と並んで紅魔館への空を飛ぶ。

 

 

 

 

 

「お嬢様」

 

「何?」

 

「妹様の件ですが、お嬢様が飛び出してすぐ妹様も部屋から出ていらっしゃいました」

 

 

 それは喧嘩をした私と顔を合わせたくなっただけだろう。

 私がいなくなれば部屋に籠もる理由もなくなるというだけの話だ。

 

 わざわざ報告してくれた咲夜には申し訳ないが、紅魔館に帰るのが気が重くなってしまう。

 重いため息を吐いている私の様子に気付いたのだろう。

 

 咲夜が「いえ…」と言葉を続けてくる。

 

 

「お嬢様が飛び出していったことをお知りになって、すごく慌てていて…」

 

「?」

 

「御自身も飛び出していこうとされるのを、パチュリー様に引き止められておいででした」

 

「……」

 

「ですから、その… 妹様もお嬢様の事を心配こそすれ、恨んでなんかはいないかと」

 

 

 思わず苦笑が漏れてしまう。

 

 

「……まさか、従者にそんな事言われるなんてねぇ」

 

「も、申し訳ありません。出過ぎた真似を…」

 

 

 私のその言葉に、咲夜は慌てたように頭を下げてくる。

 それにもう一度だけ小さく笑って、私は前へと向き直った。

 

 

「……良いのよ。私も、フランともっと話をする機会が必要みたいね」

 

「レミリア様…」

 

「今度、ピクニックでも行こうかしら? その時は、咲夜、お弁当用意してくれる?」

 

「……ええ、もちろん!」

 

 

 二人、笑いあう。……帰ったら、フランに謝ろう。

 そして、一緒に外に出る話をしよう。

 

 そんな思いを胸に、はるか遠く紅の空に染まる紅魔館へと私たちは飛ぶのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎

 

「ねー、お姉様ー。……まだー?」

 

「ちょっと待ちなさいフラン、私にも準備があるのよ!」

 

 

 急かすフランに返しながら、私は慌てて装いを整えている。

 

 

 ──いつもと同じ服なので構わない。

 

 

 そう言ったのだが、咲夜が許してくれなかったのだ。

 ……よし、これで大丈夫。

 

 最後に軽くひと通りチェックをしてから、外へと出る。

 外には既に咲夜と、お弁当の籠を持ったまま頬を膨らませたフランが待っていた。

 

 

「お姉様おーそーいー! そんなんじゃ日が暮れちゃうよー!」

 

「まだお昼にすらなっていないのに、日が沈むもんですか。まったく…」

 

 

 とは言え、フラン同様に私も今日のお出かけは楽しみにしていた。

 思えば、こうやってフランと一緒に二人きりで出掛けるなどこれが初めてのこと。

 

 今まで出来なかった分、より多くの様々な場所を見て回りたい気持ちで一杯だ。

 

 

 

 

 

「……お二人とも、傘をお忘れですよ」

 

 

 期待に胸を膨らます私たちに、咲夜がそっと傘を差し出してくる。

 いつも差しているそれより随分大きい、一本きりの傘。

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、咲夜。……じゃあ、行きましょうか」

 

「うんっ!」

 

 

 元気いっぱいの笑顔で頷くフランと、片手ずつで傘を支えて。

 フランにとっても私にとっても初めての二人きりの空に、今、私たちは飛び立った。



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プロッターさん

【バトラーと私】より「あなたに尽くしたい」
 作:プロッターさん


 そのメールを見るやいなや、俺は行動を開始した。

 

『すぐそちらに向かう』

 

 やや素っ気ない文面かも知れないが、今はそれだけを急いで返信する。

 クローゼットを開けて寝間着から私服へと着替えた。

 

 デスクの上の財布を手に取り、スマホと一緒にポケットに突っ込む。

 そして、後は駆け足でホテルを飛び出した。

 

 ここで彼女と会うことが出来なければ全てが終わってしまう。

 そんな確信めいた予感に突き動かされるままに、俺は夜の学園艦を駆け抜ける。

 

 向かう先は学園艦側部公園。

 そこは俺と彼女、アッサムにとってはきっと特別な場所のはず。

 

 二人で日の出を見て。彼女の夢を聞いて。

 そして俺たち二人が友となることを誓い合った、そんな思い出の場所だ。

 

 メールで待ってくれるように頼んだのだから、などという打算は一切頭に思い浮かばない。

 たとえこの足が棒きれになって折れてしまおうが、今、彼女に会えるならば構うものか。

 

 ドス黒い曇天が立ち込める中を、俺は一心不乱に走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 程無く公園に辿り着いた。

 俺は息を整える暇すらもどかしく、周囲を見渡してアッサムの姿を求める。

 

 やがて、海の面したベンチに腰掛ける一人の少女の姿を確認した。

 長いブロンドヘアーを青いリボンで纏めている。……間違いない、アッサムだ。

 

 俺は彼女の方へとゆっくりと近付いていく。

 すると、所在なさげに街灯に照らされている彼女の姿の『ある特徴』に気付いた。

 

 紫のサッシュ・ブラウスにスキニージーンズ。

 初めて2人でデートした時の格好とまるで同じなのだ。

 

 しかし、それは彼女だけではない。

 よくよく確認すれば、この俺もデートの時の全く同じ服装をしてきている。

 

 ただの偶然とはいえ、そんな符号が嬉しくなってついつい小さな笑みがこぼれてしまう。

 なんだか背中を後押しされた気分となる。

 

 ……そして、俺は意を決してアッサムに声を掛けた。

 

「アッサム…」

 

 彼女はその声に反応して顔を上げると、俺の方へと視線を向けた。

 

 その表情は、見る人によっては普段と変わらない凛々しい表情のようにも映るだろう。

 しかし今の俺には、そんな表情が、無理して取り繕ったものにしか見えない。

 

「その、ごめんなさい。こんな時間なのに急に呼び出したりして…」

 

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、彼女はぎこちない笑みのままに言葉を紡ぐ。

 

「構わないさ。言っただろう? 『すぐに向かう』って」

 

「……本当に、ありがとう」

 

 気にするなという意味も込めて多少おどけた調子でそう伝える。

 

「隣にかけても?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

 俺たちは二人並ぶ形でベンチに腰掛けて… そして、沈黙が訪れる。

 

「………」

 

 無言の世界。海から吹いてくる夜風が俺たち二人の体温をさらっていく。

 

 恐らくアッサムは今、秘めてきた感情を吐き出すことに葛藤を感じているのだろう。

 いかにジョークを愛するとはいえ、彼女は根が真面目で責任感が強い人物だ。

 

 ……オレンジペコやルフナの言う通りならば、アッサムはある程度俺に心を開いている。

 俺だってアッサムはもちろん、家族や学校の友人といった心を開いた相手はいる。

 

 しかし、どんなに心を許した相手にだって言えないことなんていくらでもある。

 想いを共有している近すぎる仲間だからこそ、言えないことだってあるはずなのだ。

 

 だが、それがどうした。

 

 確かに俺は男だから、戦車道という女の嗜みの競技では部外者も良いところだ。

 専門的なことに口出しする資格なんて何一つとしてありはしないだろう。

 

 けれど、アッサムが一生懸命がんばってきたことは知っている。

 俺の目に映る彼女は誰よりも努力して、輝いて、みんなのために懸命に取り組んできた。

 

 そんな彼女が感情を押し殺すことが正しい世界というのならば、俺は喜んで間違えてやる。

 

「……試合、惜しかったな」

 

 だから、彼女には悪いが停滞した時を壊すための言葉を投げかける。

 

 それは彼女の取り繕った仮面を壊すような行為。

 それは彼女に深く刻まれた傷口を抉るような行為。

 

 アッサムを大事に思う俺にとって、だいぶ覚悟の要ることだった。

 

 横顔にアッサムの視線を感じる。

 しかし俺は彼女の視線に応えることなく、ただ眼前にある広大な海を眺めるのみ。

 

 俺にはこんなちっぽけなきっかけを作って、後は待つことしか出来ない。

 彼女が自らの感情を吐き出すその時を。

 

 

 

 

 

 やがて彼女も俺から視線を外し、俺と同様に海を眺めながらポツリと声を漏らす。

 

「……勝てなかった」

 

 アッサムが、膝の上で己が手をギュッと握りしめる。

 

「……私は、今回の試合に向けて、黒森峰のデータを徹底的に分析した」

 

 握りしめたその手が、小さく震え始める。

 

「戦車も、その戦略も、陣形や、指揮系統だって… 全部、全部…」

 

 俺は震える彼女の手を、横からそっと包み込む。

 

「……シミュレーションは欠かさなかった。作戦だって、いくつも考えた」

 

 ついに、彼女の声まで震え始めた。

 

「けれど、最高に勝率を高めてもたったの40%。……それが私の限界だった」

 

 アッサムの声に嗚咽が混じり始める。

 

「それでもダージリンは、オレンジペコは、みんなは… 精一杯その40%に賭けてくれた」

 

 彼女の瞳にはいつしか涙がたまり、溢れ出た雫が頬を伝っていた。

 

「……なのに、勝てなかった」

 

 涙は止まらない。

 零れるそれらとまるで一体化したように彼女の言葉も、また、止まらない。

 

「みんな、私の作戦を信じて戦ってくれた。なのに…」

 

 アッサムが俯くと同時に俺の頭に水滴が一粒、落ちてくる。

 

「……それが、どうしようもないくらい、悔しくて」

 

 彼女の涙に呼応するかのように、ポツポツと雨粒が降り始めた。

 舗装された赤煉瓦に、幾つものシミができる。

 

「……一体、何が、間違ってたんだろう」

 

 雨の勢いが増してゆき、アッサムの声は小さくなってゆく。

 涙は流れたままだが、それでも声を押し殺して、泣くのを必死に堪えている。

 

「……どうして、負けたんだろう」

 

 それでも涙交じりに漏れ出たその言葉は、雨音の中に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 俺は、所詮は戦車道においては一介の給仕に過ぎない。

 

 確かに一度だけ砲手を務めたことがあるにはある。

 かといって、乙女の嗜みである戦車道について男の身で口出しなど出来ようはずもない。

 

 こんな時だけ、俺は自分の性別のことを恨まずにはいられなかった。

 もし俺が女だったら、彼女の仲間として喜びも悲しみも真の意味で共有できただろう。

 

 けれど部外者の俺じゃ、何か適当な言葉でアッサムを慰めることすらできやしない。

 

 

 ──よくがんばったね? 

 

 ──俺はアッサムががんばっている姿を見ていたよ? 

 

 ──みんな一生懸命戦っていたさ? 

 

 

 どんな言葉をかけようとも、上滑りするような薄っぺらさしか感じられない。

 それでも雨の中、無言で泣き続ける彼女になにかしてやりたくて…

 

 

 

 

 ──気付けば俺は、彼女の肩をそっと抱き寄せていた。

 

 普段の俺からは到底考えられないような行動。

 驚きとともに我に返る。

 

 本来、俺は、謝罪とともに彼女から手を離すべきだったのだろう。

 しかし、そこで気付いてしまった。

 

 アッサムの小さい身体が震えていたのだ。

 雨のせいで冷たくなりながら、震えていたのだ。

 

 だからだろうか? 

 今更彼女を突き放すなんて、とてもじゃないが出来なくて。

 

 俺は当然そうすべきであるかのように、彼女を全てから守るために両手で包み込んだ。

 

 

 

 

「……ぅ」

 

 それで感情の堰が切れてしまったのか、アッサムは俺の胸の中で声を上げて泣き始める。

 

 彼女の悲しみが具現化したかのように雨脚も強まってくる。

 ……そのおかげと言うべきか、彼女の泣き声は胸を貸す俺の耳にしか届いていないようだ。

 

 あぁ、それでいい。

 

 今のアッサムのこの悲しさを、悔しさを、受け止められるのは俺しかいないのだから。

 誰にだってこの役目を譲ってなんかやるものか。

 

 泣きじゃくるアッサムの頭を撫でて、その感情を全部吐き出すよう促す。

 それに応えるかのように、しばらくの間、アッサムは俺の胸の中で泣き続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい。みっともない姿を見せてしまって」

 

「いや、大丈夫だよ」

 

「一体、いつぶりになるのかしら。……こんなに声を上げて泣いたのは」

 

 自分の内にある全ての悔しさや悲しさを吐き出したのだろう。

 そして、アッサムは俺の胸からそっと離れた。その様子を見て、思わず言葉が漏れる。

 

「……少し、安心できたよ」

 

「?」

 

 俺の言っている言葉の意味が分からない、というふうにアッサムが首をかしげる。

 少し躊躇ってから、俺は、口を開いた。

 

「……アッサム、試合で負けたことを気に病んでいただろ?」

 

「……えぇ」

 

「それで、心の中にずっと蟠りを抱えているんじゃないかって… 心配してた」

 

 俺は言葉を続ける。

 

「でも、さっきアッサムは泣いてくれた」

 

「………」

 

「それで、アッサムの中にあるモヤモヤが全部吐き出せたんじゃないかって思ったから」

 

 そう言われて気付いたのだろう、アッサムは自らの胸へと手をやった。

 二度、三度頷いてから顔を上げる。

 

 いつもの凛とした表情とは少し異なる、どことなくスッキリした柔らかい表情。

 

「……そうね。私も水上に溜まっていたことを全部言えて、スッキリした」

 

「なら、良かった」

 

 自然と、二人で見詰め合う形になる。

 

「……くしゅんっ」

 

 しかし、それは小さなくしゃみによって中断される。言わずもがな、声の主はアッサムだ。

 そこで俺たちは二人揃って雨のせいでびしょ濡れだったことに気付く。

 

 俺は急いで羽織っていた夏用ジャケットを脱いで彼女の頭を雨から守りながら、提案をする。

 

「いつまでもこの状態ってのもなんだな。早く身体を拭かないと」

 

「えぇ、そうね。このままでは風邪を引いてしまうもの」

 

「そっちの寮まではここからじゃ遠いだろう。俺が泊まってるホテルに来るか?」

 

「………」

 

 アッサムが赤くなって俯いてしまって初めて、俺は自分の失言に気付いた。

 誓って言うが下心からの提案ではなかった。

 

 が、年頃の女性にデリカシーのない発言をしてしまったことに気付かぬほど野暮天でもない。

 どう取り繕おうか苦慮している時に、アッサムが、蚊の鳴くような小さな声で囁いた。

 

「……行く」

 

 

 

 

 

 

 

 ホテルに到着し、俺の部屋にあがる。

 

 部屋に備え付けられているバスタオルでアッサムの髪や顔、身体を拭く。

 

 流石に服を脱がす事はしない。

 服の上からポンポンと叩くように拭くだけだ。

 

 俺も自分の髪や顔を軽く拭っていると、電気ケトルが湯が沸いたことを告げてくる。

 緑茶の素をカップに入れて湯を注いだだけの簡素なお茶を、アッサムに手渡した。

 

「ありがとう」

 

 アッサムはベッドに腰掛けた状態でそう言って御茶を受け取ると、一口含んで息を吐く。

 

「落ち着いた?」

 

「えぇ、もう大丈夫」

 

「そうか」

 

 そして、再び沈黙。

 

 けれどそこには公園の時のような気まずさは無く、むしろ何処か心地良さを感じる沈黙。

 緑茶をチビチビ半分ほど飲んでから、アッサムが緩やかにつぶやいた。

 

「水上」

 

「ん?」

 

「私… 全国大会が終わったら伝えたいことがあるって、そう、言っていたわよね?」

 

「……あぁ、そうだったな」

 

 流石に気になる女の子からのその前振りに、知らぬふりを決め込めるほど朴念仁でもない。

 アッサムはそんな俺を見て、クスリと小さく微笑む。

 

「本当は、優勝してから伝えたかったんだけど… ね」

 

「うん」

 

 アッサムは、言い淀む。

 自分の手の中にあるカップをギュッと握って、少し逡巡の構えを見せる。

 

 しかし、いよいよ覚悟を決めたのか真っ直ぐ俺を見詰めて…

 

「水上は、人に尽くしたいって立派な夢を持ってる」

 

「………」

 

「水上は、こんな私のことを可愛いって言ってくれた」

 

「………」

 

「水上は、いつだって私の事を気にかけてくれた」

 

「………」

 

「そして… 私のことを心配してあの場所を来てくれた。……私の本音を聞いてくれた」

 

 俺は何も言えない。

 

 アッサムは今、意を決して自分の中にある最後の気持ちを告白しているのだから。

 だから彼女が全てを出し切るまでは俺が邪魔をするわけにはいかない。

 

 我知れず、ギュッと、膝の上の拳を握りしめる。

 

「私は、あなたの事が好きです。どうか、私と… 付き合ってください」

 

 その言葉を聞いて、顔を抑えて天井を仰ぎ見る。

 

 胸中を駆け巡るのは自分に感じる情けなさ、彼女に全部言わせてしまった罪悪感。

 ……そして紛れもない喜びと幸福感。

 

 唐突な俺の行動にオロオロした様子を見せているアッサム。

 俺は前述した様々な感情を乗せた深いため息とともに、言葉を吐き出す。

 

「はぁ、先に言われちゃったか」

 

「……え?」

 

 真っ直ぐ、彼女の澄んだ瞳を見詰める。

 俺の不甲斐なさから先手は取られてしまったが、だからといって言わない理由にはならない。

 

「アッサム」

 

「………」

 

「俺も、君のことが好きだ。……愛している」

 

 アッサムの瞳が涙で潤む。

 

 それは、きっと、先ほどまでの悲しき涙を拭い去る喜びに満ちていると信じたい。 

 俺は、小さく笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「俺でよければ喜んで。……どうか、お付き合いをさせて下さい」

 

 アッサムの瞳から、また、一筋の涙が零れ落ちた。

 

「……はい」

 

 そしてアッサムは、俺へ顔を向けたまま静かに瞳を閉じる。

 

 此処から先は言葉すら無粋。

 俺もアッサムの顔に自らのそれをゆっくりと近付けていき… やがて二人の影が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……キスより先のことなんて、出来るはずもない。

 

 アッサムはいくらか持ち直したとはいえ、今、精神的に不安定な状態だ。

 何より、“そう言う事”をするのには万が一の責任が生じる可能性だってあるのだ。

 

 俺にはその責任を負うだけの器量なんてない。……今は、まだ。

 

 時間にすれば恐らく一分にも満たぬほどであろう、ほんのわずかの、短い逢瀬。

 それが過ぎ去って俺たち二人は名残惜しそうに、互いに唇を離す。

 

 考えてみれば、こうして互いの唇同士を重ね合わせるキスは初めてだ。

 

 これまでだって額や頬へのキスはしてきたというのに、そのどれとも違うと感じる。

 なんだか心が繋がったような、自然と満たされたような、暖かな感覚になる。

 

 

 

 

 ──いつしか、外の雨は止んでいた。

 

「寮まで送っていくよ」

 

「そこまでしてもらわなくても、私なら一人でも大丈夫よ」

 

「いいんだ。夜はやっぱり危険だし… それに、俺が送りたいんだ。……ダメか?」

 

「……う、うん。ありがとう」

 

 そんなやり取りを経て、今、二人は夏の夜道を手を繋いで歩いている。

 雨降り後独特の、あのアスファルトの香りが辺りに漂っていた。

 

 夜とは言え蝕むような熱気はそこかしこに残っている。

 けれど今こうして二人の時間を過ごせるのであれば、それすらも心地よく感じてしまう。

 

「……次の日曜日、空いてる?」

 

「うん」

 

「じゃあ… デート、する?」

 

「もちろん」

 

 アッサムの提案に俺は一も二もなく頷いた。

 ついこの間まではデートをするのにもおっかなびっくりで、相応の勇気が必要だったのに。

 

 ……我ながら結構図太くなったものだ。

 

 ちょっと前までの自分たちの姿を思い返して、内心で苦笑いをする。

 やはり互いの感情を確認して、そして、想いが通じ合ったというのが大きいのだろうか。

 

 決して会話の数が多いわけではないが、何気ない会話でも心が暖かくなる。

 二人でこうしているだけで、全てが満たされたような幸せな感情が湧き上がってくる。

 

「辿り着いた、な」

 

「……えぇ」

 

 けれど、それも寮に辿り着くまでの俺たちにとっては余りにも短い時間で。

 

 どちらからともなく手を離し、見詰め合う。

 彼女は別れ際に控え目な笑顔で『また明日』とだけ短く告げると、寮へと戻って行った。

 

 名残惜しく彼女の背を見送ってから、ホテルへと続く道を進み始める。

 

 

 

 

 

 道すがら空を見上げると、雲の隙間から星空が見える。

 立ち止まり、誰にともなくつぶやく。

 

「……残り、1ヶ月とちょっとか」

 

 そう。俺が給仕としてこの聖グロリアーナにいられる期間は3ヶ月のみ。

 既にここに来て一ヶ月と少々が経過している。……残る期間は1ヶ月と数週間のみ。

 

 その期間が終われば、俺は潮騒高校へ戻ることとなる。

 それは、アッサムとまた離れ離れの生活へと戻ってしまうことを意味する。

 

 ……ならば、その時までにもっと思い出を作ろう。もっとアッサムと過ごそう。

 

「明日からは、どう過ごすかな」

 

 そんなことを考えながら、俺は、再びホテルへと続く道を歩き始めるのであった。



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紲空現さん

【東方古物想】より「002アリスとティータイム」
 作:紲空現さん


 ベッドの中で目が覚める。

 

 どうやら過去を思い出そうとしている内に眠っていたらしい。

 

 きっと、それら一つ一つはごくありきたりな話なのだろう。

 それでも私にとっては大事な記憶だ。

 

 失くしたくもあり、失くしたくなくもある。

 

 だからだろうか、どうにも所々うろおぼえになっている。

 それでも、いつか思い出さねばならない時が来るのかも知れないが。

 

 その時はきっと思い出すに違いない。

 だったら今は、記憶に蓋をしたままにしておこう。

 

 ……無理やり再生したいとは、思わない。

 

 

 寝ぼけたままの胡乱な頭で布団から這い出る。

 

 軽くだけ支度をして外へと出てゆく。

 今日はのんびり森を彷徨い歩いてみようか。

 

 ひょっとして、誰か知り合いに出会えるかもしれない。

 仮に会えなかったとしてもそれはそれで構わないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は昼だというのに、相変わらずこの森は鬱蒼としていて暗い。

 そんな場所を勝手知ったるとばかりにフラフラ歩いている。

 

 時折じめついた木々の間に生えているキノコを見つけ、見つけた端から採っていく。

 

 

 

 お、また毒キノコ発見。

 なんと言ったかな… 凄く真っ赤で、まるで燃えているかのような形状。

 

 とりあえず義肢である金属製の左手で回収し、厳重に封をしておく。

 たぶん、まともに触るだけでも不味そうな奴だ。

 

 白黒の魔法使いが素手で触ってしまい手が爛れてしまった、という噂を聞いた気がする。

 

 そのまま近くの水で…

 残念ながら見当たらなかったので河童謹製の冷蔵収納箱から水を取り出す。

 

 私自ら改造して容量を増やした特別製の冷蔵収納箱だ。

 右手で取り出した水をキノコに触れた左手に注ぎ、その毒を洗い流す。

 

 しかしながら、水がきちんと冷えているのかどうかまではあまりよく分からない。

 ……なんか触れてる感じはあるのだが。

 

 

 

 

 そんなことがあったが散策を再開する。

 

 のんびり歩いていると、偶然にも霖之助に遭遇する。

 どうやらあちらの方は無縁塚の方に向かっているところらしい。

 

 彼もこちらの姿を認めると声を掛けてきた。

 

 

「やあ、君か。一昨日はすまなかったね」

 

 

(ん、一昨日? まあ適当に合わせようか。……最近多いなぁ)

 

 

「いえいえ。貰うものは貰えたし、それでいいよ」

 

「そうかい。まぁ、まだ例のものは見つかってないんだけどね…」

 

「そいつはご愁傷さま」

 

「見付かった時は… 多分取り返せないだろうから、その時は連絡だけ入れるよ」

 

 

 なるほど、下手人は白黒ということか。

 

 

「分かった。そしたら、家の方に行ってちょっとオハナシしてくる」

 

「あぁ、うん… まぁ程々にしてやってくれよ」

 

 

 引きつった苦笑いを浮かべながら、霖之助はそんなことを言ってくる。

 はて、なにを言っているのだろうか。さして変なことはしてないはずだが。

 

 ちょっと笑顔で歩み寄るだけだ。

 家から飛び出そうとしたら扉や窓が開かない状態を再生するだけだ。

 

 箒に乗ったら墜落した時の状況を再生するだけだ。

 あとは真正面からニッコリ笑いながら見詰め続けるだけだ。

 

 一部の危険な妖怪に比べれば至って善良で友好的な手合いだと自分でも思う。

 むしろ良心的と言ってもいいだろうに。

 

 逃がす予定? 勿論ないけれど? 

 

 ……まぁ、本気で抵抗されたらきっとあっさりと逃げられてしまうだろうけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 霖之助とも別れてのんびり歩き続け、はや数時間。

 森を彷徨い続けていたら、上海人形を見かけた。

 

 

「シャンハーイ」

 

 

 こっちに向かって手を振ってきたので、そちらに寄っていく。

 彼女の方でなにかこちらに用でもあったのだろうか? 

 

 そのまま上海について行くと、アリスの家まで辿り着いた。

 上品ではあるが相変わらずこじんまりとした家だ。

 

 樹木が拓けた光差す場所に家を構えているために他の場所より明るく、暗い印象は無い。

 とはいえ基本一人で暮らしているので、本人の印象は少し暗めかもしれない。

 

 ……まぁ、私もあまり人のことは言えないが。無表情が基本だし。

 

 

「……シャンハーイ?」

 

 

 おっと、扉を開けて招いてくれている上海人形を待たせてしまったようだ。

 彼女に軽く礼を言いつつ、私はアリスの家の敷居をまたぐのであった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、今、私はアリスの家の中で紅茶を囲んでいる。

 詳しくは分からないが、落ち着く香りが辺りに漂っている。

 

 

「今日は、どんな用事で出歩いていたの?」

 

「ただの散策かな。酒を飲み過ぎて起きたのが昼前で、特に用事も無かったから」

 

「そうなの。まぁ、ゆっくりとして行きなさいな。私も暇だし」

 

「そう? それではお言葉に甘えまして」

 

 

 それからゆったりとした時間が流れる。

 合間合間に、ポツポツと、あまり高い頻度では無いものの会話が挟まる。

 

 

「それで、最近はどうしているのかしら?」

 

「のんびり機械修理したりとか散歩したりとかかな? あと無縁塚で落ち物拾いしたりとか」

 

 

 アリスが聞いてくる。

 あまり頻繁に会っているとは言えないこの親しい友人の質問に、近況の話をさらりとする。

 

 

「無縁塚に行っても大丈夫なの? あの辺は、あまりいい噂を聞かないわよ」

 

「意外と大丈夫かな。別に取って食うような奴がいる訳でもないしね」

 

「あら、そうなの?」

 

「うん。幻想郷が隔離されてからすぐは居たけど、今となっては見かけないし」

 

 

 窓からは光が差し込んで明るくなった森が見え始める。

 ……ここには静かで暖かい時間が流れている。

 

 

「外部からはたまに道具が漂着するぐらいで、誰かが来たりはしないかな」

 

「本当に? 平和になってきたのね。……また、人形さんが落ちてたら教えてね」

 

 

 アリスはちょっと驚いたような表情でこちらを見詰めてくる。

 事実、一時期に比べれば変な輩は減ったように思う。

 

 時々迷い込んだ人間が襲われているのを見かけたりはするけど。

 とりあえず目の前で発生した時は助けるようにしているが、後は放置だ。

 

 そんなことを考えながら、こちらからも話を振ってみる。

 

 

「うん、いいよ。ところでそっちは?」

 

「こちらも似たようなものよ。ゆったりと過ごして、人形を作って操ったり、研究したり」

 

「ほうほう」

 

「……あとは、たまに人里で人形劇をしているわ」

 

「おお、人形劇か。気になるね。しかし、人里に行っても大丈夫なの?」

 

「ええ、まあ。里の代表格というかなんと言うか、慧音という人にも許可を貰えてね」

 

 

 そう、微笑みながら話してくる。既に定期的な公演もしているとのことだ。

 それを知って眺めれば、彼女も以前よりも少しばかり明るくなったように見受けられる。

 

 ……やっぱり人間は凄いな。

 

 とはいえ私が人里に向かえば、主に容姿のせいで大騒ぎにしかならない気がする。

 中々に難しいものだ。

 

 そんなことを考えながら、私はアリスに向かって口を開いた。

 

 

「流石じゃない。で、そんなアリスにちょっとお願いしてもいいかな?」

 

「あら、何かしら? 都会派の私に言ってごらんなさい」

 

「それはね…──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓の外を、金色と、最近少し銀色が混じってきている髪をした友人が歩いていく。

 彼女との別れはいつだって寂しいが、今はその寂しさよりも衝撃が強かった。

 

 

「……まさか、あんなお願いをしてくるとはね」

 

 

 ハァ、と深いため息を吐いた。

 

 

「私の夢にはいい影響があるかもしれないけど、流石に… ねぇ」

 

 

 私は如何ともし難い表情のまま、額に手を当て考える。

 しかし、他でもない友人のたっての願いだ。そして実行しなければ不味いことになる。

 

 となれば…

 

 

「……するしかないのかしら、ね」

 

 

 そして、今日の友人が見せた笑顔を思い出す。

 

 

「あんなふうに笑えるなんてね。……いつ見ても、少しだけ羨ましくなるわ」

 

 

 姉たちの話をしてくれた時の友人の笑顔。

 その時は、明るい笑顔を浮かべていた。

 

 ……すぐに、寂しさと暗さの混じる笑顔になってしまったけれど。

 

 

「そういえば、詳しく過去の話を聞いたことは無かったかもしれないわね」

 

 

 先ほどの話では、博霊大結界が出来た頃にはあそこに住んでいたような口振りだった。

 ……まぁこちらも出来る直前ごろに来たから、同じくらいの時期かもしれないけれども。

 

 いつか、話を聞ける機会は来るのだろうか? 

 でも彼女が何某かの辛い目に遭ったことは想像に難くない。

 

 だとすれば無理に聞き出すべきものでもないだろう。

 

 ならば友人として私が彼女に出来ることなど、一つしかない。

 彼女が再び家族や友人たちと無事に会えることを願うこと、それくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 窓の外は明るくなってきているが、家の中は少しばかり暗くなった気がしなくもない。

 

 

「……はぁ」

 

 

 それは気の置けない友人が家を去っていったからだろう。

 私はもう一度、少し憂鬱なため息を吐いた。……だから暗いなどと言われるのかも知れない。



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