駄天使の堕とし方 (いくも)
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駄天使の恋事情

 

 天使は恋ができない。

 

 誰かに恋するということは、一人を特別に扱うということだ。そいつのことだけを考えて、そいつのためだけに動く時間がどうしても必要になってくる。デートの時、プレゼントを買う時、そいつと子作りするとき。

 

 小さい時によく親や教師にいわれただろう。「好き嫌いしないように」と。天使の所業というのは、まさしくそれだ。好き、嫌いが入る余地がないし、入ってはいけない。

 なぜなら誰かや何かを特別視した瞬間、そいつの中で、世界の中で、天使とか神様とは意味がなくなるからだ。自分を見ずに他の誰かだけ見る神に、誰も祈ることは無いだろう。

 

 つまり博愛なんてものは究極の利他主義であり、誰も愛さないことに等しい。誰かの特別になるのも、誰かに特別を与えるのも、それは悪魔の所業だ。神に属する者は等しく誰をも愛して赦す。それがそいつらの正道だろう。神とか天使とかが存在するのなら、という話だが。

 

 昼休みの屋上。俺が弁当を食いながら適当にそんな話をすると、給水タンクの上から声が降ってくる。

 

「ほー、春辺。だから天使は恋ができない、と」

「知らん。ただの俺の想像と妄想だ」

 

 ふむふむ。同級生の天真=ガヴリール=ホワイトは、ノートパソコンをピコピコとやりながら頷く。

 

「あー、あれだな。この国の言葉で言えば、当たらずとも遠いですって感じだな」

「おい、ネトゲ周回の暇つぶしに何か話せと言ったのはお前だろう。面倒くさくなってるんじゃない。あとそれを言うなら、当たらずと雖も遠からず、だ」

「本当に遠いからしょーがないだろ。ったく、人間界のことわざってのは不便だな。柔軟性がない」

「お前の勝手で先人の知恵を歪められてたまるものか」

 

 もぐもぐ。ピコピコ。元来お互いおしゃべりな方ではない。昼休みの屋上に沈黙が降り、咀嚼音とキーボードの音が響く。

 

 俺、春辺陸亜と天真が屋上で偶然居合わせてから、一カ月。天真は口うるさい同級生と先生の目を逃れるため、ここでネトゲをしているそうだ。どうやって入ったかを問い詰めても、「天使だから」の一点張りだ。俺がここに入る手段も褒められたものではないから、問い詰めてはいない。

 それからなんとなく、さながら獣同士が縄張りを主張するように。昼休みのひと時を互いに、好き勝手に過ごしていた。

 その過程で彼女にリクエストされ、互いの暇つぶしに今のような話を話すことがあった。主に話し手は俺だ。天真と言えば話を聞いているのかいないのか、大体が適当に相槌を打って終わる。俺も所詮暇つぶしに過ぎないため、真剣に聞いてほしいわけでもない。

 

 自前の卵焼きに箸を伸ばす。今日の卵焼きは出来がいい。程よく付いた焼き色は、ことさら食欲をそそる。甘過ぎず辛過ぎず、ちょうどいい塩梅になっていることだろう。

 

 さて、いただきま――

 

「おい、春辺」

「……なんだ。」

 

 しかし至福の卵焼きタイムは、天真の呼びかけに遮られる。精々嫌味に見えるよう眉を寄せ、顔を上げる。彼女もまた不機嫌そうに眉を寄せ、給水タンクの上から顔を覗かせている。

 

「お前、私が恋をしたがってると思うか?」

「いや、まったく」

「即答かよ。で、それはなんでだ?」

「それはお前が、自分は天使設定をどこまでも貫く痛い中二病患者で――ってごへっ!?」

「誰が設定だ。中二だ。天誅くらわすぞコラ」

 

 俺の顔面に上から降ってきたマウスが直撃する。もちろんネズミではない。天真のパソコンのマウスだ。クソが。

 俺はそのマウスを握りしめ、思いきり投げ返す。『あうっ』という可愛らしい悲鳴とともに、マウスは見事その額に命中する。ストライク。

 

「これのどこが天誅だ!暴力(物理)でしかないだろうが!人がお前の与太話に付き合ってやってんだから、飯くらい静かに食わせろバカ野郎」

「ちょっ、おま、人のマウスなんだと思ってるんだ!お前と違って天使たる私と、ネット上の国を救うこのマウスは、替えがきかないんだよ!丁重に扱えクソ野郎」

「Amaz〇nで980円のマウスと同列でいいのかお前は……天使としてそれでいいのか……」

 

 おでこをさすりながらマウスの汚れを払う天真に、俺は思わず頭を抱える。天真はそんな俺を死んだ目で見下し、先ほどの会話の続きを切り出す。

 

 彼女曰く、恋ができない理由とは。

 

「帰ってネトゲ、朝方寝る。起きたら学校、寝不足で学校で寝る。帰ってネトゲ、たまにバイト。この生活のどこに、恋人作ってそいつと戯れる時間があるってんだ。私はお前みたいな童貞拗らせた男子と違って忙しいんだ」

「学校と週一のバイト以外、暇な時間しかないだろうがバカ天使」

 

 話を聞いた時間を返せ。

 

 こいつの話を聞いてると、まともに食事をしたり風呂に入ったりしているかも怪しい。俺は栄養失調で、しかも臭い女の近くにいたくはない。

 天真は俺の言い草に大げさなため息を吐く。給水タンクのはしごを下り、俺の前に立つ。

 俺の名誉のために言っておくが、スカートの中身は覗いていない。他の人間ならいざ知らず、パンツだけ先に高校デビューを果たしたこいつの場合、履き忘れているパターンもある。流石にそれは洒落にならない。

 

「じゃあ逆に、春辺。お前は自分が万が一、いや億が一恋愛できると思うか?」

「思わない」

 

 また即答する俺に、天真は目を瞬かせる。

 

「というか、恋愛する気がない。奇しくも俺もお前と同じだ。そんなことをする暇はない。勉強にバイト、ゲーム、アニメ、イベント。時間も金も、いくらあっても足りない」

「どうもお前を見ていると、そんな言葉のわりに、今言ったどれにも真剣になっていないよーにみえるけど」

「……勉強もバイトもやらなきゃいけないからやってるだけだ。それに、誰しもが本気で趣味に時間を費やしているわけじゃない」

「ふーん、そんなもんかね。人間界の娯楽は、こんなに面白いのに」

「普通の高校生なら、そんなものだろう」

 

 へー。また適当に相槌を打ち、天真は俺の隣に腰掛ける。その瞬間、揺れる髪からふわりと柑橘系の香りが漂い、柔らかい空気が一瞬だけ俺たちの周囲を包む。

 やはり、彼女は変わっていない。入学当初の流れる柳のような金髪はいまや見る影もないし、生活も学業も交友も滅茶苦茶だ。それでも、彼女の本質は底に眠ったまま揺らがない。

 

 天真=ガヴリール=ホワイトは、やはり――

 

 一瞬の思考。しかし彼女の前では、そんな油断が仇となる。

 

「ぼーっとしてんなよ、春辺。卵焼きいただきっ」

「おまっ、人のもの勝手に食うのは泥棒――って、楽しみにとっといたハンバーグまで!天使とか自称するのも大概にしろ。お前やっぱり悪魔以下だろうが!」

「あーあー、また罰当たりなこと言いやがって。こちとら天子学校主席の天子様だぞ。今なら崇め奉ってその弁当を供えるというなら、天国くらいには行かせてやる」

「……縁起でもないことを言うな。というか弁当一個で済む安い天国、行きたくもない」

「まあ、そのくらいじゃお前に天国は無理だな。天使に暴力を振るうとか心が汚れすぎてるし」

「先に暴力振るったのはどっちだおい」

 

 天国。その響きに一瞬ドキリとする。そう。そんなところ、行きたくもない。

 

「春辺。春辺陸亜」

 

 思ったより近くにいたその声に、一瞬ドキリとした。すべてを見透かすようなその碧眼から、思わず目を逸らす。

 

 駄目だ、我慢できるだろうか。

 

「なんだ」

「なんだじゃない。天使とか天国とか、今日はそんな話をする日じゃなかったのか」

「終わりだ終わり。お前の中二にいつまでも付き合ってたら、こっちまで中二が伝染る」

 

 なんだとこの野郎。彼女のそんな返事を期待していた。そのタイミングでチャイムが鳴り、今日もこの時間はおしまい。教室に戻り、こいつとは他人になる。

 

 今日もそんな風に終わり、続くと思っていた。

 

「違うな。やっぱりお前は天国には行けないよ」

 

 その時は、突然だった。

 

 彼女の右手が俺の背中に伸びる。

 

 やめろ。

 

 そんなことを思う間もなく、それは引きずり出される。

 

 現れたのは、翼。

 

 片翼は漆黒よりも深い黒。人を魅惑し、虜にする。

 片翼は純白よりも輝く白。人を先導し、神への下へと導く

 

 地獄よりも醜悪で、天使よりも美しい。それを持つ存在を、彼らはこう呼ぶ。

 

「やっぱりか。なぜこんなところにいる。――堕天使」

 

 一カ月。彼女と共にした一カ月、そこそこうまくやってきたと思う。しかし彼女の目を欺き続けることはできなかった。流石に優秀な天使だけある。内心の焦りと裏腹に、妙に納得している自分がいる。その真っ白な彼女の両翼をみて、安心している。

 

 やはり、天真=ガヴリール=ホワイトは、俺とは違う。

 

「駄天使に、そんなことを言われたくはないな」

 

 昼休み終了のチャイムが鳴る。校庭にいる生徒、廊下にいる生徒が駆け足で教室に戻る。屋上には俺と天真だけが――堕天使と駄天使だけが残される。

 

 俺には目的がある。たとえ相手が天使だとしても、退くわけにはいかない目的がある。しかし、いくら目的のためとはいえ。緊張感無く思い出したように頭をボリボリと掻く天使をみて、ため息を抑えられない。

 

 駄目天使と堕天使が恋をしなければならないとは、悪い冗談である。

 




春辺陸亜(はるべりあ)。主人公の名前はアナグラムです。ヒントは堕天使の名前で。無理矢理とかキラキラネームとか言わないでください。はい。
このくらいの文章量で続けていければなぁと思います。ちなみに本作ではガヴリールがヒロインですが、私自身はラフィエルが一番好きです。かわいいし、あとおっきい。なにがとは言いませんが。


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堕天使の約束

 

 

 俺、春辺陸亜は、堕天使と「何か」のハーフである。

 

 幼少より母、ベリアルの手ひとつで育てられた。父が誰かは知らない。人間か、神か、天使か、それとも悪魔か。母にいくら問い詰めても笑ってかわされるだけであり、まともな答えが返ってきたことは無い。

 

 母ベリアルは、堕天使である。その名は天界、地獄、人間界全てにそこそこに轟いているように思う。天界にも地獄にも知り合いが多い(らしい)し、地上の文献でも彼女について語られた文献は数えきれない。

 その名は「悪」を意味する。姿は美しく淫らであり、しかし誇り高い。そしてそのすべてが虚飾である。文献にはそんな大層な伝えられ方をしている。

 

 しかしその実態は、ただの享楽主義のバカである。

 

 今日もまた、天上からバカの声が聞こえる。

 

「りっくん?ちょっと、りっくーーーん。今日もちゃんとガヴちゃんと会ってきたの?」

「母上よ。それについてだが、今日は知らせがある」

「……りっくん、母上って誰?」

「……」

 

 母上は咎めるように声を荒げ、リビングに沈黙が降りる。天上から聞こえていた母の声は近づき、俺の部屋の天井に、光る穴が空く。スタリ。白銀の髪を翻し、彼女は地上に顕現する。

 

「ママって呼んでくれなきゃヤダ!」

 

 裸の幼女は、地団太を踏んで駄々をこねた。

 

 はぁ。思わずため息が出る。

 

「母上、またそんな悪趣味な格好を……せめて分別ある大人として、何か着るくらいしてくれ」

「ぶー、今日は天界にいたから、こういう格好の方が周りのウケもいいんだよーだ。それに私歳取らないし。永遠の9歳だし」

「だからと言って精神年齢まで合わせることないだろう」

「いーのいーの、天界のお偉方なんてロリコンの変態ばっかりなんだから。夢壊しちゃわるいでしょ……よいしょっと」

 

 手をひらひらと振り、母上は椅子に腰かける俺の膝に座る。彼女は自分の意のままに姿を変えることができる。それこそ赤子から老婆まで、老若男女問わず変えられる。今の幼女姿は良く見るものではあるが、一応それにも理由があったらしい。実際にはほぼ気分の問題だとは思うが。

 

「ふー、今日も疲れた。で、りっくん。ママにどういうお話があるって?」

「そうだ母上、聞いてくれ」

「マ・マ」

 

 母上は膝に座りながら俺を見上げ、にっこりと笑う。にらみ合うことしばし。彼女の表情には一切の変化がない。どう見ても天真爛漫な幼女そのものだ。しかし、年季が違う。彼女は望みを通すまでてこでも動かないだろう。俺は今日一番のため息を吐く。俺の目的のためにも、少しでも要求は呑んでおいたほうがいい。

 

「……………ママ」

「りっくん素直だから好き~~~~~~~!!!!」

 

 母上は俺に向き直り、その小さな体躯をいっぱいに俺にむぎゅっと抱きつく。その凹凸のない体では何も感じはしない。たとえ大人の姿でも何も感じることは無いが。母親とは不思議なものだ。

 

 ようやく話を聞く気になった母上に、俺は静かに本題を切り出す。

 

「天真に俺の正体がばれた」

「まじ?」

「まじ」

「なにそれやっばーい。りっくんしっかりしてるようで相変わらずドジっ子~」

 

 母上は俺の失態を聞き、ニヤニヤと笑いながら俺の頬を引っ張って遊ぶ。やべえ、殴りてえ。

 上げかけた拳を何とか抑え、震える声で続きを話す。

 

「で、母上との約束なんだが、堕天使だとバレても問題はないだろうか」

「別にー。そもそもガヴちゃんなら勘づいちゃうと思ってたし、別にいいよ。りっくん深刻な顔してたから何かと思ってたけど、そんなことだったんだ」

 

 母上はテーブルの上のせんべいをかじりながら、興味なさげにつぶやく。俺にとってはそんなことでは済まされない。

 

「いいのか?今まで誰にもバラしたことなかったのに、よりによって天使なんかに知られて」

「だからいいって。りっくん堕天使って言っても半分だし。そもそも天使にバレたのまずかったら、りっくんはもうここにはいないでしょう?」

「う……まあ確かにそうだが」 

 

 俺は珍しい母上の正論に反論できない。本当にまずかったら俺は今頃、塵と化しているだろう。

 

「で、バレたってことは、ガヴちゃんとちょっとは進展あったの?ほらほら~、お母さんに言ってみなさい~」

「うぜえ……」

 

 ウリウリと肘で俺の腹をつつく母上に殺意が湧くが、あれもこれも目的のため。母上に話すために、今日の屋上を思い出す。

 

 

 

 

 

「で、春辺。お前は一体、なんだ?」

「なにって言われてもだな……」

 

 屋上。あの後結局教室には戻らず、俺は天真に正座をさせられ、詰問された。翼はもうしまっているが、背中はまだ妙にこそばゆい。

 

「まあ、見ての通りだ。堕天使もどきってところだ」

「もどきって……つまり、なんだ」

「なんだと言われてもな」

 

 その問いは、俺だって知りたい問いだ。何せ父親の顔も、名前も、種族すらわからないのだから。

 

「俺にわかる範囲で言えば、母親は堕天使だ。父親は知らん。人間かもしれんし悪魔かもしれんし天使かもしれんし神かもしれん。母親曰く、いるにはいるらしい」

「なるほど。だからお前から変な気配がしたわけだ」

「変、とは」

「なんか私と似たような、聖なる側に属してるのに汚れてるような、性根が腐りきってるような、そんな感じだ」

「ただの悪口じゃねえかおい」

「冗談だよ、冗談」

 

 天真はみじんも笑わず、正座した俺をまじまじと見る。その視線に居心地が悪くなるが、彼女の口ぶりにはたと思い当たる。

 

「ということは、お前は以前から俺を警戒していたわけか」

「まあ、人間だらけの学校にお前みたいなのが混ざってれば、いやでもね。最も私以外の三人は気づいてなかったみたいだけど」

「三人……?まあいい。じゃあ昼休み毎日屋上にいたのも」

「そ。突然とんでもないことされても後で面倒だから、ネトゲのついでに見てただけ」

 

 当然のように言ってのける天真に、思わず頬がひきつる。こいつに近づこうとしていたこの一カ月、逆に俺は観察されていたわけだ。思えばあの何でもない会話も、俺という存在を判断する指標になっていたのかもしれない。

 

「で、天使学校主席の天子様として、消滅でもさせるか?報告でもするか?仲間呼んで袋叩きというのもあるか」

「別に、何もしないよ」

「は?」

 

 天真は興味なさげに俺から視線を外し、パソコンに向き直る。

 

「だから、何もしないって。あんた別に悪巧みしてるわけでも、なりたくて堕天使になったわけでもないんでしょ?」

「だが、一応半分は堕天使だぞ。ほら、このように」

「チッ、うっとうしい。翼をしまえ翼を。その黒いの見てるとむかむかするんだよ。もぐぞ」

 

 ハエを払うように手を振りネトゲに熱中する天真は、いつも通り駄天使そのものだ。

 しかし、こいつは心の底では天使であろうとしている。それをこの一カ月で、俺は知っている。俺のような存在、面倒ならさっさと滅せば良いのに、わざわざ観察していることからもわかる。こいつは自分で言うほど、「天使」が抜けてはいない。

 

「なぜだ」

 

 疑問は自然と口を突いて出た。天真はパソコンから振り返ることもない。

 

「ヴィーネに言わせれば、私は駄天使だからな。悪事をしてない堕天使もどきを取り締まるほど、暇じゃない。それに」

 

 グルン。天真は機械のように顔をこちらに向ける。四つん這いのまま這い寄るように俺に近づく。その距離は息がかかるほどに近い。だからなんで風呂入ってないのにいい匂いがするんだこいつは。

 

 濡れた瞳を揺らし、ガヴリールは俺を見つめる。

 

 思わず、息が詰まった。

 

「お前がいなくなると、私の弁当がないからな」

「……は?」

 

 呆ける俺に、天真はケタケタと笑う。

 

「お前の弁当で取れる栄養はバカにならない。ヴィーネに弁当まで頼むのも流石に悪いからな。……あ、童貞だから勘違いしたか?」

「……ああ、見逃してくれてありがとうバカ天使様。お世話になりついでに、小学生より凹凸が少ないその体のどこに勘違いする要素があるか、今すぐに教えてもらっていいですかね」

「あ?ケンカ売ってんのかこの堕天使の成り損ない」

「こっちの台詞とはこのことだなこの落ちぶれ天使が」

 

 屋上に、火花が散った。

 

「果てろ堕天使」

「死ね駄天使」

 

 

 

 

「なんでそうなるの……」

 

 天真と俺の顛末を聞いた母上は、珍しく頭を抱えた。まて、俺にだって言い分はある。

 

「あいつとは合わない。多分生理的に受け付けない。母上、今からでも条件を考え直してくれないか」

「だーーーーめ。ガヴちゃんもりっくんも、私のお気に入りなんだから」

 

 俺の懇願を母上は0,1秒で却下する。机を思いきり殴りそうになる気持ちを何とかこらえる。感情的になるな。この母のわがままは今に始まったことではない。

 

「お気に入りだとなんで駄目なのか、教えてもらっていいか」

「えーそんなの決まってるよぉ」

 

 母上は幼女の体躯で俺の膝の上で飛び跳ね、腰に手を当てる。

 

「駄天使と堕天使!こんなにぴったりな二人はいない!あとガヴちゃん可愛いから、私の義娘にしたいし」

「おい?今思いっきり自分の欲望が口に出てた気がするんだが?」

 

 ピューピューピュー。母上は口笛を吹きながら素知らぬ顔をする。全くこの母は……。

 

 思わずため息が出る俺に、母は笑う。

 

「ま、別に私はいいんだよ。りっくんがいつまでも、その中途半端な存在なままでも」

「……それじゃ困るからこうして努力はしている」

「そだよねー、りっくんは早くなりたいんだもんね」

 

 その笑みは、悪魔の微笑みと言って差し支えなかった。

 

「普通の、人間に」

 

 俺と母上の約束、というか、母上が高校に入った俺に持ち掛けた賭け。

 

『天真=ガヴリール=ホワイトを虜にし、恋に堕とせ。ならば春辺陸亜を真っ当な人間にする』

 

 今までそんな交渉を持ち掛けたこともない母上の、最初の交渉。恐らく最初で最後となるだろう。

 

「さ、というわけで、この調子で明日も頑張りましょー!りっくん♡」

 

 その幼女は俺に手を振り、天井の光る穴へと飛び込む。リビングには俺と、彼女の食べかけのせんべいだけが残る。

 

 萎びたせんべいを握りつぶし、俺は宣言する。

 

「あのくそババア、いつか殺す」

 

 俺が人間となる日は、まだ遠い。

 



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勤勉な悪魔の闖入

 

 俺がまだ紅顔の美少年だった幼稚園時代。俺には婚約者が3人いた。

 幼稚園の時はまだ俺の力はそこまで重いものではなく、「〇〇君と結婚する!」程度のものだった。

 

 生意気盛りの小学校時代。俺には彼女が6人いた。

 その頃はまだ男女関係など理解していなかった。女子からの「好き」という気持ちをすべて受け入れていたら、見かねた教師から指導された。

 

 思春期に突入した中学校時代。数えきれないほどのラブレターを受け取るようになった。

 自分がなかなかにモテるのだということを自覚し、俺は浮かれていた。ファッションに興味を持ち、勉学に励み、スポーツに興じた。

 そして俺が最も有頂天だった中学二年生。この世がすべて俺の思い通りになるとすら思っていた。

 

 厄年の始まりとも知らずに。

 

 その年から、俺の受難は顕在化した。

 

 電車に乗れば女に痴漢された。吐き気がした。

 学校に行けば、勝手に付き合うことになった女子たちのケンカに巻き込まれた。なぜか俺が教師に再三注意され、男子には目の敵にされた。

 そして、とある下校途中。見知らぬ女に包丁で刺された。

 

 それからも女難は続き、心身共に限界が来るのはすぐだった。

 

 母親曰く、俺の女難は半端に持っている堕天使の力のせいらしい。母ベリアルの「悪徳、淫ら、不埒」という要素が、半端に俺に受け継がれているとのことだ。

母は息をするようにそれを使いこなすが、完全な堕天使ではない俺には、使いこなすどころか制御することもできなかった。

 

 高校では精々目立たないように眼鏡をかけ、地味な髪型にした。部活には入らず、勉強も最低限しかしない。親しい人間は作らない。そのように三年やり過ごすつもりだった。

 

 しかし言い渡された、母との賭け。俺はすぐにその提案に乗った。母ベリアルは気まぐれな、本物の堕天使だ。本性はただの悪魔だ。口では俺のことを可愛い可愛いとは言っていても、それは所詮ペットや玩具に対するそれと変わらない。

 

『天真=ガヴリール=ホワイトを恋に堕とせ』

 

 母の動機も目的もどうでもいい。利用されていようと関係ない。それでただの人間になれるのであれば、しがみつくしかない。所詮天使でも悪魔でも、堕天使ですらない俺には、天界にも魔界にも居場所はない。俺はここで、人間界で生きていくしかない。

 

 たとえ、誰かを騙すことになろうとも。

 

 

 

 

 

「今日も相変わらず死んだ魚のような目だな、春辺」

「鏡を見てからものを言え、天真」

 

 天真に正体がバレた翌日。彼女は何食わぬ顔で屋上に現れた。今も給水タンクの上に横たわり、パソコンを弄っている。何かしらのアクションを予想していた俺は、あまりにもいつも通りの彼女の姿に拍子抜けした。

 

「時に、春辺よ」

「なんだ」

「人はなぜ勉強をしなければならないのだと思う?」

「まんま中学生のような質問だな、中二病患者の自称天使君」

「おい、堕天使。消滅させられたくなかったら、今すぐ私の質問に退屈しない答えを返せ」

 

 太陽の照る屋上に冷たい声が響き、弁当を食す俺の足もとに天使の弓が深く突き刺さる。深さにして20センチくらいは刺さっている。刺さってたらまあ死んでるな、これ。

 いろんな意味で彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。俺はホールドアップし、ため息を吐く。

 

「わかった、わかったからその物騒なもんを今すぐ下ろせ。

勉強する理由、だったか?そんなもんは簡単だ。人間じゃなくたってわかる」

「ほう。して、それは?」

「勉強ってのは、証であり、免許であり、証明だよ」

 

 天真はいまいち納得いかないのか、顎を突き出して先を促す。まいった、面白い話でもないんだが。

 

「人間ってのは多かれ少なかれ誰かに認められ、社会の中で生きてかなきゃならない。そのためには誰にでもわかる物差しが、『努力の尺度』になるもんが必要になる。それには勉強が最適ってだけの話だ」

「?入った大学がそいつの人間性を証明してくれるってか?」

「ま、早い話がそうだ。学生証を眺めて『この大学に入るくらい自分は努力した』って実感が、人間には必要なんだよ」

「でも私はいい大学に行きたいわけじゃない」

「だが高校に、学業のための場にいるからには、お前はここで認められなくちゃならない。それを放棄するなら、もうお前はここにいる意味はない。嫌なら、あっちにさっさと帰ればいい」

 

 俺は人差し指を指し、照りつける太陽へと向ける。天真は苦々し気に反論する。

 

「だが、勉強をせずに認められている人間も、この世には大勢いる」

「それも真理だ。だが往々にしてそういう道は、勉強をすること以上の努力や苦悩を求められる。甲子園に出られる人間は高校球児の0.25%。プロになれる人間は大学生含めて0.03%。それだけで生涯飯を食える人間は、さらにその中のほんの一握りだ」

 

 弁当片手に五限の英語に備えて単語帳を眺め、俺は適当に言葉を吐く。

 

「だから賢い大人たちは口をそろえて言うんだろうな。『若いうちに勉強しろ』と」

「ふーん。納得はしてやるが、面白い話じゃないね」

「さいで」

 

 だからつまらんと言ったろうが。勉強は大抵つまらんものだ。俺からすれば、面白いはずの趣味を仕事にする方が、よほどつまらない人生になると思うが。

 

 天真は給水タンクから降り、俺の背中にもたれて弁当をのぞき込む。

 

「あー、しょーもない話聞いた。つまらん話ついでにその唐揚げ寄越せ」

「ふざけんな、だれがやるか。というかこれ、ニンニクマシマシ労働者階級向けの味付けだぞ。うら若き女子高生が口にしていい食べ物じゃない」

「いーでしょ。私も二日くらい風呂も入ってないし、労働者階級みたいなもんだよ」

「いつの時代の労働者階級の話をしてるんだお前は」

 

 臭いから。そう返そうとし、言葉を飲み込む。俺は極力虚言は吐かない。臭くないから余計腹立つんだよなこいつ。なんでいい匂いするんだよ。ふざけんな天使。

天真は俺の体を揺すり弁当を強奪する機会をうかがっているが、そうはいかない。そう毎回栄養源を取られてたまるものか。

 

 いつもの押し問答が続く昼下がり。突然屋上に甲高い声が響き、屋上の扉が開かれた。

 

 そこには、ぷりぷりと怒りを露わにした黒髪の女生徒が立っていた。

 

 彼女は天真を見つけ、詰め寄る。

 

「ガヴ!あんた昼休みのたびにちょくちょくコソコソとどこ行ってるかと思ったら、こんなとこでネトゲして!五限の予習したの?宿題もあるんだから早く教室に――って、え?」

 

 矢継ぎ早にまくし立てる黒髪の彼女はようやく俺の姿に気づき、声を落とす。

 

「えーっと、同じクラスの、春辺君、だよね?」

「いかにも」

「こんなとこで、なにを?」

「見ての通り、昼食をとりつつ英単語のおさらいの最中だ」

「そっか。ごめんね、お邪魔しちゃって」

 

 彼女は本当に申し訳がなさそうに目を伏せ、手を合わせる。なんと、どうやら黒髪の彼女は同級生らしい。申し訳ないが、まったく覚えていない。この一カ月、俺の関心の内にあったのは、この昼休みの天真との時間のみだ。教室では女子と関わらぬよう、男子に目をつけられぬよう、一言も発していない。

 

 彼女の言葉から察するに、天真が急に『なぜ勉強を~』などという話をし始めたのも、このせいだろう。予習と宿題をやっていないだけだろう。ただの現実逃避じゃねえかこの中学生駄天使が。

 

 まだ俺に話しかけようとする彼女を遮り、天真が口を開く。

 

「ヴィーネ、どしたのこんなとこまで」

「どしたの、じゃないわよ!あんたこそちゃんと、次の英語の宿題と小テストの予習したんでしょうね!?」

「してない。というか私は生涯勉強をしない。主にこいつのせいで」

「この駄天使がっ!!!!!って春辺君、このバカにどんな入れ知恵したの!?」

「俺に話を振られても困る。というか天真、さっき言っただろう。勉強はしたほうがいい。この名も知らぬ少女もそう言ってくれている」

「そうそう、名も知られてない私も――って、私の名前知らないの!?一カ月も同じクラスにいるのに!?」

「ヴィーネ、こいつの薄情さと人見知りっぷりは普通じゃない。多分クラスの人間誰もこいつと話したことないぞ。気にするな」

 

 本気で肩を落とすヴィーネなる少女に、天真は肩をポンポンと叩く。失敬な。俺もそこまで薄情ではない。厭世を気取り、クラスメイトと距離を置く痛い奴だと思われても面倒だ。俺は弁解する。

 

「そんなことは無いぞ。俺は天真とはこうして話しているし、昼休みを毎回共にもしている。クラスで話すのはこの天真だけだが、故に誰とも話していないわけではない。単純に今は天真以外の人間に興味がないだけだ。勘違いのないように」

 

 母との約束も、いつまで有効かわからない。何せ気まぐれな堕天使が相手だ、今はそれ以外に、『天真を堕とすこと』以外の些事にかまけている暇はない。

俺はふんぞり返って彼女たちを見るが、ヴィーネなる少女は目を瞠り口に手を当て、なぜか天真は押し黙っている。ヴィーネなる少女の目が数度瞬き、天真の沈黙がしばし続く。

 

 そして、ヴィーネは絶叫する。

 

「え、えーーーーーーーーーー!?ガ、ガヴったら、いつの間にか、か、彼氏とかつくっちゃってんの!?」

「バ、バカ!バカヴィーネ!そんなわけないだろ!つーか春辺!お前もなんでそんな誤解されるような言い方するんだよ!」

「誤解って、何がだ。俺には興味のないものに時間を使うような趣味はない。それはお前も知っているだろう。単純にお前を気にしているからこそこうして――」

「あああああああああああ、だからそういうとこだってば!もういい、お前もう喋んな!余計ややこしくなる!」

 

 ぜえ、ぜえ、ぜえ。天真は大声を上げたからか、顔を真っ赤にして俺の口を塞ぐ。いつになく余裕のない天真に、俺も何も言うことができない。ヴィーネだけがなぜか薄い笑いを浮かべ、俺と天真を見比べている。

 

 そういえば。俺ははたと思い当たる。俺はクラス内で存在を消し何も見ないようにしていることから、俺以外の存在と接する時の天真を知らない。彼女の余裕のないこの態度も、ひとえにヴィーネなる少女がいるせいなのかもしれない。

 

「じゃ、若い二人の邪魔してもあれだし、私はそろそろ――」

「だ、か、ら!そんなんじゃないから!わかったわかった宿題と予習でしょ!?やってやるよやってやりますから早く教室に行きましょうヴィーネ様!」

「あら、別にガヴがここで彼と過ごしたいというなら、櫃休みくらいは邪魔しないけど――」

「そんなんじゃないって言ってんでしょ!!いい加減にしないと天誅くらわすよ!?――じゃ、じゃあな春辺!また昼休みに」

 

 天真はヴィーネの口を塞ぎ、足早に屋上を立ち去った。あんな余裕のない天真は初めてみた。少しは他社との干渉も考慮し、彼女と付き合っていくべきかもしれない。しかし。俺は彼女たちが去った屋上で、思う。

 

 ヴィーネ。そう呼ばれる少女は天真を見つけた瞬間、その頭に悪魔だけが持つ『角』が宿った。

 

 それを思い出し、俺はため息を抑えることができない。

 

 どうやら、この学校にいるのは天使と堕天使だけではないらしい。

 



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腹黒い天使の闖入

 

 勝てば官軍負ければ賊軍、という言葉がある。

 

 たとえ道理に背こうと勝った者こそが正義、負けたものが悪であるという考え方だ。これは戦争においては非常に合理的であり、ある種正しい考え方ではある。

 

 だが世の中では、特にこの国において、それは奨励されない場合もある。その精神は、例えば相撲、柔道、剣道、弓道、合気道のような武道に現れる。

 礼節を重んじ、試合前、試合後の『約束事』こそを重視し、時にそれは勝敗よりも重い。モンゴル人の横綱が横綱らしくない相撲で非難されることなどざらにあるし、弓を射て中ろうと、射る姿勢、内容が悪ければ評価はされない。人間には結果だけを見て良しとしない価値観があり、それは他の動物とはかけ離れて異なるものであろう。

 

 今日も今日とて昼休みの屋上。ネトゲで味方が下手なせいで負け、罵詈雑言をパソコンに投げまくる天真に、俺はそんなことを話す。うるさすぎて次の授業の小テスト範囲の古文単語が頭に入ってこないのだ。天真は無言で俺の話に耳を傾け、気づけば給水タンクの上からシュタリと俺の横に降り立っている。その碧眼がじろりと俺を睨む。

 

「だから何が言いたい、春辺」

「人間は動物とは違う。勝敗以外のことに価値を見出し、自分の人生の糧にすらしようとする。そういう余裕をもって生きられる人間になりたいな、という話だ」

「あ?勝たなきゃ意味なんてねーんだよ!ふざけやがって、今月いくら課金してると思ってる!あのへたくそタンクとヒーラーのせいで速攻で前線崩壊、中衛も使えねえし、私たち後衛アタッカーまで火の海……」

 

 うぅ……ネトゲの惨状を思い出したのか、天真はがっくりと綺麗なorzとなり、小さく泣き始めた。そんなに悔しかったのか。俺自身あまり勝敗に拘らない質なので、その気持ちは正直わからない。先ほどは偉そうなことを言ったが、そこまで何かにのめりこんだことがない。その常とは違う情けない姿は、流石に憐憫を誘う。

 

「あー、その、なんだ。俺にはその気持ちはわからんが、まあ、気にすんなよ。次があんだろ」

「……謝って」

「は?」

「今すぐ偉そうなこと言ったの謝って!私が負けたの謝って!クソ味方引いたの俺のせいだって謝って!」

 

 何を言ってやがるこのクソ天使。しかしその声にいつものふてぶてしさはなく、震えてすらいる。小さな体躯は年齢のそれよりもはるかに小さく、頼りない。

 

 震える瞳としばしにらみ合い、天真の目じりに雫が溜まり始める。はぁ。腹の底からため息が出る。いつものおふざけ程度ならいいが、俺の目的のためにも、本気でこいつの不興を買うわけにはいかない。

 

 それに、泣いた女は何よりも面倒だ。

 

「すまなかった。俺が悪かった」

「……もっと」

「お前は悪くない。すべて周りが悪い」

「……足りない」

「お前は頑張った。その努力を讃えてやれなくてすまなかった」

「……ほんとに?」

「ああ。負けて泣くほどやったんだ。本気になれるものがあって羨ましい」

「……わかった、赦す」

 

 目元を余った制服の袖でごしごしと拭い、天真はちょこんと俺の横に腰掛ける。まだしおらしく目を伏せ、うなだれている。普段からこのくらい大人しければ扱いやすいんだが。

 

 もぐもぐもぐ。昼休みの屋上には咀嚼音しか聞こえない。いつものピコピコという天真のパソコンの音が聞こえない分、単語練習にも身が入る。目が単語をしっかりと捉え、脳に刻まれる。記憶力は悪い方ではない。赤点をとらない程度には覚えておかなくては。

 一つ覚えページをめくり、また戻り、確認。単語帳に目を落としたまま、残しておいた卵焼きに箸を伸ばす。

 

 が、その箸は見事に空ぶる。

 

 横を見ると、ハムスターのように口に物を詰め込んだ天真がいた。

 

「おー、お前の卵焼きやっぱうまいな。お前が罪を悔い改めた証として、供え物を天子様が受け取ってやったぞ。感謝しろ」

 

 ガハハ。彼女は者を口に詰め込んだまま、豪快に笑う。

 

 少しでも優しさを見せた俺がバカだった。

 

「死ねこの駄天使!吐け!今すぐ吐き出せ!返せ俺の卵焼き!」

「ぐ、ぐえっ!?やめろ、マジで吐く、吐くから!おま、今そんな揺らして首絞めたら……おええええええええ」

「うわっ!?きったねえな駄天使!近寄んな!風呂入れ!歯を磨け!顔洗え!」

「たまには風呂入ってるし顔洗ってるわ!つーか誰のせいで吐きそうになってると……おええええええ」

『ぎゃあああああああああ!!!!!!!』

 

 再び天真がえづき、屋上に悲鳴が重なる。俺は吐きそうになる天真から逃げ、天真はゾンビのように俺に追いすがる。なんでこっちに来るんだこいつは。やめろ、こう見えて俺は綺麗好きなんだ。ちょ、というか、弁当でべたべたの手で掴むなアホ。近寄んな。

 

 しばし茶番が続き、俺も天真も、その人物の来訪に全く気付かなかった。

 

「あらあら~楽しそうですね~。ヴィーネさんに聞きましたが、本当にガヴちゃんここにいたんですね~」

 

 俺と天真は同時に振り返る。屋上の入り口にいたのは、銀髪の少女。目はニコニコと狐のように細められ、所作のところどころに高貴さが滲む。

 

「あれ、ラフィエル?何してんのこんなとこで」

「ふふ、ガヴちゃんが最近屋上で面白いことしてるって聞いてきたんですが――」

 

 ラフィエルと呼ばれた少女と俺の距離が縮まり、彼女は耳打ちする。

 

「やっぱり、悪い虫がついてたようですね」

「――ッ!?」

 

 殺気。俺が感じたのは恐らくその類のものだ。首筋にナイフを押し当てられるような、そんな感覚。

 しかし彼女を見ても、そこには先と何も変わらない笑顔だけだった。

 

「ガヴちゃーん、さっきヴィーネさんが呼んでましたよ。先生がガヴちゃんの提出してない国語の宿題でカンカンに怒ってるって。行ったほうがいいんじゃないですか?」

「ゲ、あのハゲか……あれ怒らせるの流石にヤバいか……はぁ。行ってくるわ」

「はい、いってらっしゃいです~」

「ちょ、天真、待って――」

 

 バタン。しかし無情にも屋上の扉は閉められる。その扉に手をかけていたのは、ラフィエルだ。ガチャン。ついでのように不穏な音が聞こえた気がする。

 

 後ろ手で鍵をかけたラフィエルは、ニコニコと天使のような笑みを俺に向ける。

 

「さて、春辺君、でしたか?」

「ああ、そうだ」

「最近ガヴちゃんと親しくしているそうで」

「親しくってわけじゃない。人嫌いがそれぞれ好き勝手に、ここで昼休みを過ごしてるだけだ」

「へぇ。でも先ほどは随分仲がよさそうに見えましたが」

「さっきのはただのトラブルだ。お前も天真の知り合いなら躾くらいはしといてくれ。勝手に人のもの食べちゃいけません、と。じゃあな」

「何逃げようとしてるんですか~?お話はこれからですよ?」

 

 流れるように俺は手をあげ、屋上の扉を開けようとする。しかし、いまだ笑顔のラフィエルに手首をつかまれ、阻まれる。

 

「まあ前置きはこれくらいでいいでしょう。面倒は嫌ですし、あなたも『こちら側』のようなので単刀直入に聞きますが」

 

 笑顔がここまで怖いと思ったのは、初めてではなかろうか。

 

「あなた、一体『何』ですか?」

「何、とは」

 

 質問が漠然とし過ぎている。冷や汗を気取られぬよう頭に手をやり、思案する素振りを見せる。

 

「とぼけないでください。ガヴちゃんが、今のガヴちゃんが、ただの人間にここまで近づくとはとても思えません。それに、おかしいのはそれだけじゃない」

「と、言うと?」

「私の目には、ここにいるガヴちゃんもあなたも、視えなかった。今のガヴちゃんが私の目を欺ける結界を張れるとも思えない」

「何を言ってるかわからんな。結界?視えない?お前も天真みたく自称天使の中二病患者か?」

「煽って論点をずらそうとしても見え見えですよ~」

 

 その金色の瞳に射すくめられる。また彼女と俺の距離が縮まる。

 

「ならここを隠していたのはあなたしかいない。でもあなたからはなんの力も感じない。ヴィーネさんもそう言っていました。おかしいですねぇ」

「俺はお前ら中二病とは違うぞ。善良な一般市民だ」

「感じないほどその力が小さいのか、感じられないほど大きいのか、さて、どっちでしょうね」

 

 俺の話なんか聞いちゃいない。にしても、そのセリフはどこか淫靡だからやめたほうがいいと思われる。

 

 彼女は見定めるように俺の目をのぞき込む。知らずのうちに体が硬直する。チャイムが鳴ったのか、グラウンドの男子たちが校舎に戻っている。

 しかし屋上だけは静寂に包まれていた。結界。俺はようやくそれに気が付く。よく見ると薄い膜のようなものが屋上を覆っている。こんなもの、さっきまではなかったと思うが。

 それに驚く俺に、ラフィエルは拍子抜けしたようにため息を吐く。

 

「ま、いいでしょう。あなたは私の結界にすら気づいていなかったようですし。少なくともガヴちゃんとあなたを隠していたのは、あなたではない。と、とりあえず納得することにします。……ああ、これはここでの会話を聞かれないために先ほど張った結界です。あなたたちを隠していたものは、今はその痕跡もない」

「ふーん。なかなか設定も細かいな」

「ふふー、あくまでシラをきりますか。そうですか」

 

 はは。ふふ。屋上に一組の男女の不気味な笑い声が響く。

 

「ま、クラスメイトとしてこれからは仲良くしよう。ラフィエルさん」

「ええ、こちらこそよろしくお願いしますね。春辺君」

 

 ラフィエルはもう話はないのか、踵を返す。

 

 扉に手を賭けようとする直前、彼女の十字の髪留めが落ちた。ラフィエルは身をかがめてそれを取ろうとする。

 

 しかしその瞬間、音がした。

 

 ビリッ、プチン。

 

 ピリ?破れるようなものはここには何も――

 

 何が起きたか理解できずにいると、屈んだままのラフィエルはプルプルと震え、動かない。

 

 右手は十字の髪飾りを持ち、左手はその豊かな胸を必死に抱えている。

 

 彼女の前に回ると、白磁のようなその肌は耳まで真っ赤である。

 

 ああ、と、俺は初めて理解した。

 

 胸が大きいのは得ばかりではない、という女性の言い分は真実であると。

 

 彼女はギ、ギ、ギと壊れかけの機械のような動きで俺を見る。俺はそんな彼女に、今度こそ満面の笑みを浮かべる。

 

 その笑みを見て、彼女の顔は絶望に染まる。

 

「……お、お願いします。このことはどうぞ内密に……内密にお願いしたく――」

「天真―――――――――!!!!!!!!聞いてくれ!!!今ラフィエルのブラが屋上で――」

「や、やめてええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」

 

 屋上で嬉々とした大声と悲鳴が混じる。

 

 貧乳は正義である、とは誰の言葉だっただろうか。

 




ラフィエルが好き過ぎてこんなんになっちゃった。ヴィーネ推しのみんなごめんね。


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愚直な悪魔の闖入

 

 馬鹿は風邪をひかないと言う。

 

 さて、こんなことが現実世界でありえるだろうか。馬鹿の基準にもよるが、馬鹿ならば寒空の下薄着で遊びまわり、帰っても手洗いもうがいもせず、いかにも普通の人間より風邪を引きやすく思える。

 

 ではなぜこの言葉は世に広まったか。俺はこう考える。馬鹿は風邪をひいても気づかないのである、と。馬鹿だから自分の現状を正しく把握できず、先のことを考えて行動ができない。結局微妙に具合が悪いまま過ごし、長引かせる。

 

 そしてそれは別に悪いことではないとも、俺は思う。病は気からとも言うが、馬鹿と呼ばれる人種にも強みはある。社会に出れば体調関係なく働くこともざらであるし、知らない間に風邪が治っているのであれば、医療費も浮く。免疫力も高まる。

 

 それに少なくとも、自分が賢明だと思っているクソガキよりはいくらか好感が持てるし、周りから愛されることだろう。

 

 昼休みの屋上。今日は快晴、とは言い難い。おどろおどろしい厚い雲に空は覆われ、雨も降っていないのにかなり薄暗い。

 

 いつもと変わることなくパソコンを弄る天真は、顔だけこちらに出してニヤニヤと笑う。

 

「へー、春辺。小賢しいクソガキってのは、例えばお前みたいのを言うのか?」

「ま、大体合ってる。俺とかお前とかの話だ」

「調子乗んな殺すぞ堕天使」

 

 上から飛んでくるマウスを軽く投げ返す。そう何度も同じ手にはかからん。というか、俺は事実を言ったまでだ。俺とか天真とかは、まさしく大人や目上に嫌われる小賢しいクソガキだろう。

 

「で、急に馬鹿についてなんか話せってのはどういうことだ」

「あー、私の知り合いにも一人底抜けの馬鹿がいてだな。今朝も犬とメロンパン取り合ってたの思い出して、つい」

「へぇ。同じクラスか?」

「まあそうなんだけど……ってお前、あの馬鹿にも気づいてないのか!?やっぱおかしいんじゃないの?」

「別にそいつに限ったことじゃない。お前以外のクラスメイトの顔も名前も知らん」

「……そういうことを真顔で言うのは、確かにクズ男って感じだな、お前」

 

 なぜか頬を朱に染め、天真は呆れたようにため息を吐く。

いや。俺は思い直す。最近は少しばかり増えたか。ヴィーネとラフィエル。天真が彼女らを名前でしか呼んでいないため、フルネームはまだ知らない。

 

「にしても犬とパンを取り合うとは。なかなか愉快そうな人間だな」

「まあ見てて飽きないやつではあるよ。人間じゃないけど」

「え?」

 

 俺は思わず天真の顔を見る。

 

 もしかして、また?

 

「ちょ、待ちなさーーーーーーい!!!!!」

 

 ガタン!その時屋上の扉が大きな音を立てた。俺と天真の視線はそちらに向く。

 

 そこには、白い犬がいた。

 

「あ、あんた、いい加減にしなさいよ!何度も何度も何度も何度も!私の大事なメロンパンを取ってって!今日という今日は未来の大悪魔、胡桃沢=サタニキア=マクドウェル様がきっちりと躾を――って、あれ?こんなとこで何やってんのガヴリール」

 

 訂正。メロンパンを咥えた白い犬と、見るからにわかるバカがいた。

 

「お前また犬に昼飯取られてんのか。どれだけバカなんだこのバカは」

「なっ!あんたバカバカって、天使の分際で大悪魔様になんて口のきいてくれちゃってんのよ!」

「バカバカバカバカバカ」

「バカって言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!――おごっ!?」

 

 胡桃沢は叫ぶと同時に天真につかみかかろうとするが、ひょいとよけられ俺の横に顔面から突っ込む。

 それでようやく俺の存在に気付いたのか、あら、と俺を一瞥する。

 

「あんた、誰?」

「まず体勢を整えてから喋ろうか」

 

 胡桃沢は顔面から壁に突っ込み、尻を突き出した状態で俺に話しかける。見えるぞ、紫の布切れが。

 パンを犬にとられ、友人にバカと連呼され顔面を殴打し、見知らぬ男にパンツを見られる。あまりにも不憫なバカに、俺は思わず手を差し出す。

 

「ふ。進んで手を貸すとは、気が利くじゃない。いいわ、あんた、私の配下にしてあげる!光栄に思いなさい!」

「それは結構ですバカ悪魔」

「だからバカって言うなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 胡桃沢は腕を回し俺に殴りかかろうとするが、ひょいとよけるとまた壁に顔から激突する。ピクリ、ピクリと体がけいれんしているが、大丈夫だろうか。

 

「おい、天真。このバカ放っておいていいのか」

「いい、いつものことだ。このバカ悪魔、頑丈だけが取り柄だからな。この程度じゃ壊れん」

「悪魔ってのはヴィーネさん以外初めて見たが、彼女とは随分と違うな」

 

 まだピクピクと痙攣している胡桃沢を見て、俺は思う。彼女は常識的であり、天真のような駄天使の面倒を見ようとしていることから、良識的にも見えた。

 

「あー、それはどうかな。ヴィーネはヴィーネで問題アリだからね」

「問題、とは?」

「天使よりも優しくて真面目で勤勉な悪魔ってどうよ」

「なるほど」

 

 優しさも真面目さも勤勉さも一般には美徳だが、なるほど悪魔基準ではそうもいかないか。

 

「なら悪魔の中のエリートというか求められる像は、あのバカみたいなのか?」

「そんなわけないだろ。悪魔があんなバカだらけだったら、今頃魔界は存在してない」

「それは違いない」

 

 わっはっはっ。俺とガヴリールは顔を見合わせて笑う。すると足元からすすり泣く声が聞こえる。

 

「グ、グスン、だから、バカバカバカっていうなぁ……」

「悪かった、流石に言いすぎた。立てるか?」

「あ、ありがとう。ふふん、あんたやっぱりホントは私の配下になりたいんでしょ?今なら特別に第一の配下にしてあげても――」

「天真、バカは扱いやすくて助かるな」

「だろ」

「あんたらなんて大っっっっ嫌いよ!!!」

 

 うわあああああああああん。自分のメロンパンのことも忘れ、胡桃沢は走って屋上を去る。そのあまりに悪魔らしくない後ろ姿を見て、思わず笑いが漏れる。

 

「面白い奴だな、あいつ。胡桃沢と言ったか」

「だから言ったろ、見てて飽きない奴だって」

 

 笑う彼女に、頷きを返す。

 

 俺は賢明なクソガキも好きだが、懸命な大バカも好きだ。あのタフさもひたむきさも愚直さも、彼女の大切な個性だと言える。周りの目を気にするあまり関りを遮断した俺には、それがとても眩しく見える。

 

 彼女はいくら笑われようと、独りであろうと、自らの目標を口に出してきたのだろう。言霊とも言うが、彼女ならひょっとして、いつかは。そう思わせる何かが、胡桃沢にはある。

 

 その真実はただのバカか、それとも、さてはて。

 

「本当に面白い奴だ。つい反応が面白いからからかってしまったが、今度は少しばかりゆっくりと話したいもんだ。興味が湧いた」

 

 なあ、天真。そう横の天真に呼びかけようとするが、彼女はこちらを見ていない。話しかけても反応がない。見れば肩が少し震えている。

 

「どうした?天気も悪いし、少し冷えるか?」

「……うるさい。春辺のアホ。バカ。タコ」

「突然罵倒されるいわれはないんだが」

「うるっさい。話しかけんな」

 

 天真は今度は俺に小さな背を向ける。うーむ、見事に機嫌を損ねてしまった。堕天使という悪の存在が悪魔に興味を持つのは、やはり天使の目線からはいただけないのだろうか。正確には堕天使でもないのだが。

 

 彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。これまでの様子から彼女たち天使や悪魔には俺の力は届かないようだから、堕天使として彼女を堕とすことはできないのだ。

 

「悪かった。あれだ、話すならラフィエルさんの方にしとくか。あの人は天使だろ?」

「……」

 

 しかし天真の機嫌は一向に直らない。なんだか悪化しているような気さえする。まいったな、天使でも駄目か。彼女にとって自分と同じ種族と交友を持つのは、好印象だと思ったのだが。

 

「……今度卵焼きやるから機嫌直せ」

「ハンバーグもつけて」

「調子に乗んな」

 

 天使と言うのは、どいつもこいつも食い意地ばかり張っているのだろうか。

 




結局サターニャもヴィーネも好きなんですけどね


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天使と悪魔の集う食堂

 「シャー芯貸して」と、授業の度に手を合わせてくる人間がいる。

 

 俺も数多くの友人がいた頃は、たびたびそんな頼みを聞いていた。頼んでくる人間は大抵固定されており、彼らは毎度当然のように俺から一本のシャー芯を借り受ける。

 

 しかし、どうだろう。俺は何か釈然としない。「貸して」という言葉とは裏腹に、貸したシャー芯一本が返ってきたことは一度もない。逆に断ろうものなら、シャー芯一本も『貸さない』自分が、いかにも器の小さい人間に見える。

 

 シャー芯を『貸す』ことを疎む人間の器が小さいのか、シャー芯を『貸して』という人間の面の皮が厚いのか、果たしてどちらなのだろう。

 

「つまり、だ。春辺。お前は何が言いたい」

「なに、今ので伝わらなかったのか?」

「まったくわからん」

 

 昼休みの食堂。天真は俺の金で買った天ぷら定食のエビの尻尾をかじり、首をひねる。俺はから揚げ定食についてくる味噌汁をすすり、ため息を吐く。全くこんなこともわからないとは、天使と言う輩は人間のことなど何もわかっていない。

 

「『貸した』奴はいくらでも、いつまでもそれを覚えている。『借りた』やつはそんなことはすぐ忘れようとする。平気で踏み倒す。俺は基本的に、書面抜きで貸したものは返ってこないことが当然だと考える」

 

 付け合わせのたくあんを頬張り、俺は人差し指を立てる。

 

「だから俺に物を借りようとするときは、『貸してくれ』ではなく、『恵んでくれ』と言えと俺は言う」

「やっぱりわかんないな。そんな言葉遊びに何の意味がある」

「違う。これはいつもの言葉遊びじゃあない、簡単な話だ。貸したものは返ってこないなら、俺は『こいつになら貸したまま返ってこなくてもいい』と思う奴にしか、ものを貸さないことにしているだけだ」

「それが、そいつにいいように利用されていてもか?」

「ああ」

「催促もしない?」

「もちろん」

 

 天真は俺の金で買ったデザートのプリンに舌鼓を打ち、いかにも話半分に俺の話を聞く。

 

「貸し借りってのはそんな単純な話じゃない。どんだけ面の皮が厚い奴でも、踏み倒している罪悪感は残るものだ。その自覚があれば、相手は俺を避けるようになる。そしてその状態で俺が不意に近づけば、相手は知らずの内に俺の多少の無理は聞くようになる」

「お前、性格悪いな。友達いないだろ」

「お前にだけは言われたくないな」

 

 俺は最後に残しておいたから揚げに手を伸ばし、話を締めくくる。

 

「つまり俺がモノを貸すのは、返ってこなくても将来的にリターンを回収できると思った相手だけだ。お前もその自覚をもって――ってお前、それ俺のラストのから揚げえええええ!!!!!」

「ん?これだけ最後に残してるから、嫌いなのかと思ってたわ。うまかったぞ。残すのはもったいない」

「てめえ、本当に俺に金借りてる自覚あんのか!!!さっさと返せ!!!」

「十秒前のお前に聞かせてやりたいな、そのセリフ……」

 

 思わず目の前の天真の肩を揺さぶる。距離が少しあるため微妙に手が届かない。彼女はプリンを堪能しながら、目を細めて俺を見る。

 

「ガ、ガヴ。あんた流石に春辺君にお金返しなさいよ……」

「そうですねー。こんな得体の知れない男に貸しなんて作ったら、後で何を要求されるか分かったものではないですし」

「そ、そうよ!そこの私の第一の配下の言ったことはよくわかんなかったけど、とにかくガヴリール、あんたちゃんとお金は返しなさいよ!踏み倒すことは、どーとくてきに良くないんだから!」

「わ、わかってるよ。ヴィーネもラフィエルもバカも。ちゃんと金は返すって」

「だから誰がバカじゃあああああああああ!!!」

 

 ギャーギャーギャー。俺以外の天真、ヴィーネ、ラフィエル、胡桃沢の四人は、食堂の一角で姦しく騒ぐ。……なぜこうなった。

 

 

 話は今日の昼休み前まで遡る。

 

 

 昼休み。屋上前の踊り場。俺、春辺里亜と天真は顔を見合わせる。

 

「天真、今日は重大な話がある」

「なんだ」

「なんと、だな」

「うん」

「弁当を家に忘れた」

「は?」

 

 踊り場の空気が凍る。天真は声を震わせる。

 

「は、春辺、今お前はこういったのか?弁当を家に忘れた、と」

「いや、間違いなく、一字一句違うことなく、そう言ったな。弁当を家に忘れた」

「ふむ」

「うむ」

 

 天真は飛び切りの笑顔を俺に向ける。

 

「春辺、お前は知らなかったかもしれないが、私は昼休みの栄養を、お前の弁当をつまむことで当てにしているんだ」

「天真、それは知らなかった。知らぬうちに当てにされていたとは。でも俺のようなどこの馬の骨ともわからない男が作った弁当を、今をときめく女子高生に食わせるのは気が引ける。今度からは遠慮してくれな」

「絶対にやなこった」

 

 あはは。うふふ。二人の間に春の日差しよりも柔らかな空気が流れ、天真は当然のように言う。

 

「昼飯が無いなら食堂に行くしかない。でも私にはその金がない。春辺、私に金を貸せ」

「絶対に嫌だ」

 

 

 

 

 そして話は現在に戻る。俺と天真が食堂に向かうと、そこには先日合ったヴィーネ、ラフィエル、胡桃沢の三人がいた。せっかくだから、というヴィーネの言葉により、俺と天真もそのご相伴にあずかることになった。

 

 俺と天真の会話を先ほどまで黙って聞いていたヴィーネが口を挟む。

 

「にしても、ガヴー。ほんと仲いいのね、春辺君と。あんたが男の子とこんな話してるところ初めて見たわ」

「そんなんじゃないよ。ただ私の愛しのネトゲ空間にこいつが居座ってるだけだよ」

「あんたはゲーム以外のことにも少しは関心を持ちなさいよ……あ、春辺君、ごめんね?こんなののわがままにつき合わせちゃって」

「ちょ、やめてよヴィーネ、頭押さえるなって。私は別に悪いことしてるわけじゃないし」

 

 ヴィーネは天真の頭を押さえ、頭を下げる。しかしその謝罪は的外れである。

 

「ヴィーネさん、さっきも言っただろう。俺は踏み倒されてもいいと思ったやつにしかものを貸さない。こいつになら、別に踏み倒されても騙されてもいい」

「きゃっ、それって……」

「……」

 

 俺はこいつを恋に堕とし、虜にしなければならない。そのためには少しくらいの貸しを作っておくことは、決してマイナスには働かない。

 しかしヴィーネは俺の言葉に目を輝かせ口を両手で覆い、天真は俯いてしまう。その反応から見るに、どうやら俺の言わんとすることはうまく伝わっていないらしい。人外との会話はやはり少し難しい。

 

「そうですねー。こんなろくでなし、少しくらいは痛い目に見たほうがいいかもしれません。ガヴちゃん、やっぱり踏み倒すくらいはしても罰は当たらないかもです」

「ああ、ラフィエルさん、そういえば今日はあれのサイズは大丈夫?破れたりしない?こないだの屋上だと、ちょっとサイズが小さかったみたいだから――」

「ごめんなさい余計なこと言わないからそれは勘弁してください春辺さん」

 

 ラフィエルは即座に九十度に頭を下げる。彼女は俺があの時の屋上の話を持ち出すと、すぐにこうやってしおらしくなる。恐らく、彼女にとってそれが恥ずかしいという以前に、自分の「完璧」という類のイメージが崩れるのが嫌なのだろう。

最もそれすらも自分を小さく見せ、俺を油断させるための演技なのではないか。その下げた顔は、俺の見えないところでどんな表情を浮かべているのだろう。彼女は得体が知れない。

 

「でもさー、あんたらさー」

 

 もぐもぐもぐ。スタミナ定食にがっつきながら、胡桃沢は横から口を挟む。

 

「昼休みも一緒に居て、こんなとこまで一緒に来るなんて、なに?付き合ったりしてんの?」

 

 食堂の一角が、静寂に包まれる。

 

 多分、胡桃沢自身は何も考えてはいない。彼女は自分の抱いた疑問を、純粋に口に出しただけだ。その証拠に、今もガツガツとスタミナ定食をかきこんでいる。

 

 しかし、それは他の人間にとっては小さな問題ではない。ヴィーネは先日から俺と天真をキラキラとした目で見てくるし、ラフィエルに至っては俺を監視していると言っていいだろう。下手なことを言えば、いろんな意味で大変なことになるのは目に見えてわかる。

 

 さて、どうしたものか。

 

「別に何でもない」

 

 冷たく、事務的に言ったのは天真だった。

 

「私はこいつで昼の時間を潰してるし、こいつは小賢しい話をして日頃の鬱憤を紛らわせる。それだけだ。ヴィーネとラフィエルが思っているようなことじゃないよ」

「……そう」

「そうですか」

 

 ヴィーネは天真の様子に拍子抜けしたようにコクコクと頷き、ラフィエルはいつものようにニコニコとした笑顔を浮かべるのみだ。わかっているのかいないのか。

 

「あ、私次の授業で日直の手伝いあるから、早めに戻るね」

「私も次の授業の予習確認しておきたいので、戻りますね~」

「ひょ、ひょっとまひなはいよ~」

 

 ちょ、ちょっと待ちなさいよ。まだスタミナ定食を食していた胡桃沢はそう言いたかったのだろう。食器をもって立ち上がるヴィーネとラフィエルの後に続く。ああ。今日は胡桃沢と少し話もしてみたかったのだが。

 

 結局食堂の一角には、俺と天真だけが残される。

 

「……」

「……」

 

 二人の間に沈黙が降りる。

 

 さて、どうしたものか。俺は首をひねる。どうやら天真はご機嫌が斜めらしい。先ほどのヴィーネとラフィエルへの天真の短い応答だけでも、それはわかる。

 もういいと。お前たちには関係がないと。天真はそう、彼女たちを否定した、ように俺には見えた。

 

 だが、俺にはその理由がわからない。彼女の機嫌が悪いままでは、俺の目的に差し障る。

 

 恐る恐る、俺は不機嫌な天真に尋ねる。

 

「えーっと、天真。何か不都合なことでもあったか?」

「……」

 

 天真は口をとがらせ、目を合わせない。やはり少しおかしい。

 

「天真、何か文句があるなら早く行っておけ、その方が面倒も少ない」

「……」

「天真、我慢は体に毒だぞ」

「……」

「天真、言いたいことを言わないことは、必ずしも美徳というわけでは――」

「――だから!」

 

 ビクリ。突然発せられた声に、思わず肩が震える。食堂の人間の目が一斉にこちらに向く。天真は俯いたままでいるためか、それに気づかない。

 

「あんた、それやめてよ」

「……なんのことだ?俺は頭が良くない。はっきり言ってもらわないと、わからない」

 

 不意に天真と俺の距離が縮む。彼女はテーブルに身を乗り出し、俺もうつむく彼女の声を聞こうと体を伸ばしていた。

 

 吐息がかかるほど、彼女の顔は近かった。

 

「だ、から……」

 

 距離の近さと周りの目に今更気づいたのか、天真は身を縮こめる。

 

「その……」

 

 絞り出すように、天真は言う。

 

「天真って呼び方、やめてよ……」

「は?」

 

 俺の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。彼女の名前は天真だったはずだ。天真=ガヴリール=ホワイト。それが彼女の本名だ。間違ってはいないはずだが。

 疑問を口に出すと、彼女は俯いたまま渋々と口を開く。

 

「だって、ヴィーネのことはヴィーネさんって呼んでるじゃん。ラフィエルのことはラフィエルさん。なんで私だけ、天真なわけ?」

「それを言うなら胡桃沢のことも俺は胡桃沢と呼んでるが」

「あのバカは問題外!大体あんた、あいつのことバカとしか呼ばないじゃない」

「そんなことは――」

 

 思い当たって、閉口する。確かに俺は、胡桃沢を直接名前で読んだ覚えはない。しかし別にヴィーネとラフィエルのことだって、呼びたくてファーストネームで呼んでいるわけじゃない。単純に天真が彼女たちをファーストネームでしか呼んでいないから、ファミリーネームもミドルネームも知らないだけだ。胡桃沢の場合は自分のフルネームを開口一番名乗ってくれていたのが助かった。

 

「天真、やはりそれは誤解だ。俺は――」

「て、ん、ま?って、だあれ?」

 

 にっこりと彼女は俺を見つめ、もうその表情は動かない。厭世的な彼女がここまで頑なになることは珍しい。

 

 しばしにらみ合い、彼女の瞳が潤み始めた頃。俺は両手を上げる。

 

「悪かった。ファーストネームで彼女たちを呼んでいたことに他意はない」

 

 彼女だけを見て、俺は言う。

 

「ガヴリール。俺の特別は、今のところお前だけだ」

「よろしい。その殊勝さこそ、堕天使もどきにふさわしい」

 

 ガヴリールは、今までに見たことのない笑顔を浮かべ、得意げに言う。

 

 その笑みを見て、俺は思ってしまう。

 

 やはり天真=ガヴリール=ホワイトは、天使である。

 

 ただし、多少意地汚くはあるが。

 

 



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