Fate/Lost Shadow (宮城まこと)
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プロローグ

初めての二次創作です。既存サーヴァントや基本設定はなるべく公式と齟齬がないように調べながら作りましたが、「これ俺の知ってるキャラじゃない」や「公式と違う」と言ったご意見が当然あると思われます。その場合は初めてということでご容赦頂きたいです。
精一杯書いたのでほんの少しでも楽しんでいただけると幸いです。


『起きて。起きて、マスター』

 ――誰かの声がする。なんて優しくて暖かい声なんだろう。心が安らぐようだ。

『さぁ早く……』

 

 彼は星々が顔を覗かせている真夜中に目が覚めた。

 ――ここは一体どこなんだ。

 疑問が彼の頭を駆け抜けていく。どうして彼は仰向けになったまま、外の人通りの少ない道で寝ていたのか。彼はまったく思い出せないでいた。

 ――俺は、一体何をして。俺は一体、誰なんだ?

 彼が上半身だけを起こし、思い出そうとすると頭が割れんばかりに痛み出す。

 おそらく目が覚める前の記憶があったはずだ。だが頭は痛むばかりで何一つ思い出せず。頭の中に霧がかかっているようで気持ちが悪い。

 彼は一時の間ベッドになっていたコンクリートの地面から立ち上がろうとするが、しきりに頭が痛み、よろけてしまう。

 

 近くのレンガ造りで趣のある家に肩からよしかかり、一息つく。

 痛むのは頭だけで、それ以外の傷は何もない。かといって、頭部に傷が見られるかと言えばそうでもない。彼の記憶の混濁は一般的な記憶喪失と言って相違ない。記憶喪失に陥るにはいくつかパターンがある。一つ、頭を強く打ってしまって脳に障害が残っているパターンと、もう一つ、心的外傷による自己防衛的記憶喪失。だがこれは辛い記憶のみが欠落するので、後者の可能性は極めて低い。

 彼は壁伝いにたしかめるように歩き出し、辺りを伺う。誰もいない。家の中は常にカーテンで閉め切られているので見えない。

 ここにまともな住人がいるのか雲行きが怪しくなってきたが、まずは病院を探すことにした。

 記憶喪失と言っても、本人の関係のあることが欠落するので、一般常識や道具の使い方は覚えているのがほとんどだ。

 彼の近くで、こつんと足音がした。

 

 彼は立ち止り、音がした方向を向くと闇の中に一人の少女が立っていた。不気味さを拭えない彼だったが、ようやく出会えた一人目の住人。

 彼は歩いて来た方向を少しだけ戻り、路地にぽつんと糸が切れた人形のように立っている少女に話しかけた。

 もしかすると彼女が声の主なのかもしれないと、淡い希望を抱いながら。

 

「なぁきみ、ここが一体どこなのか教えてくれないか……?」

 

 しかし、少女は彼の問いかけには何も答えない。それどころか目の前の人間を見ていないのだ。彼は気味の悪さを払うためにもう一度彼女の肩に手を置いて話しかけようとした。

 

「え?」

 

 端的に言おう。この少女は人間ではなかったのだ。

 真っ黒な瞳に体温を感じさせない表情と肌。そして、手首の球関節。少女はまさに人形だった。

 

「うっ!」

 

 じろりと人形が彼を見つめ返してくると、彼は驚いて腰を抜かしてしまう。人形は動き始めてぴたりぴたりと近づいてくる。

 肌を刺すほどの恐怖を感じた彼は上手く立ち上がれず、這うようにして後ずさりする。

 人形は表情一つ変えずに逃げる彼の首を容赦なく掴んだ。

 

「がはっ!」

 

 万力で首を絞められているようだ。人形の力は凄まじく数秒後にでも、彼の首の骨をへし折ってしまいそうなほどだった。

 みしりみしりと骨が軋み、意識が朦朧とし始める。彼の視界が暗転しようとした瞬間だった。人形は飛んできた何かに頭を吹き飛ばされて動きを止めた。

 奇跡的に死の魔の手から逃げ出せた彼はすぐさま立ち上がる。人形の手形が赤く残る首をさすり、とにかく逃げることだけを考えて走り出した。

 目の前で何が起きているのかまったく理解できない。

 

「ぐっ!」

 

 逃げ出すために動き出した足が思わず止まってしまうほどの激しい頭痛が突如として襲いかかる。

 

「くそっ!」

 

 視界の天地がぐるりと回っているような吐き気を堪えて膝をつくが何も思い出せない。自分の名前も、どこで生まれ、誰に愛され、そして自分がどうしてここにいるのかも。

 

「驚いたぞ。まさかサーヴァントも連れずに歩いているマスターがいるとはな」

 

 混乱している彼の目の前に追い打ちをかけるように家の影から一人の深い黒色のスーツを身に纏った男が現れる。彼は息を飲んだ。目の前にいるこの男もまた人間ではない何かだ。

 

「何なんだ、あんたは――」

 

 男は問答無用にいつ間にか手にしていた剣で斬りかかってくる――という、現実と見紛うほどの鮮烈なイメージが影となって彼の視界に写る。理由も分からないまま、男が先ほど見た影の通りに動き始めた。

 避けろ。

 本能が叫んでいた。

 彼は手足が震えながらも必死に飛び退き、力だけで振り下ろした男の剣戟から逃れられた。

 男はほんの一瞬だけ表情を歪ませたが、獲物を狙う爬虫類のように鋭く冷たい目で彼を見つめる。

 

「それなりの能力はある……か」

 

 男は息を切らして様子を伺っている彼に向かって静かに歩み寄る。

 奇跡は一度だけ。二度目は無い。確実な死の足音が近づいて来ていた。

 男は最小限の動きで彼を斬りつける。だが、またしても相手の動きが先んじて影となって見えたのだ。身を翻して躱そうとするが、完全に回避できずに切っ先で左腕が切り裂かれ鮮血が飛び散る。

 男も三度切り損ねるような者ではない、彼に休む暇を与えずにすぐさま剣を振るう。

 見えていても体が反応できない。脳が命令を出しても結果が伴わず死ぬ。

 彼が死を覚悟した、まさにその時であった。

 

 

     ×     ×

 

 

 漆黒の戦装束を身に纏い、彼岸花のように赤い瞳をしている長い髪の女が、この街唯一の時計台の上に闇に溶けるかのように立っていた。

 彼女はれっきとしたサーヴァントなのだが、一つ問題があった。

 サーヴァントとは実在したまたは伝説上の英雄として聖杯に呼び出され、願いを叶える願望機である聖杯を勝ち取るために戦いマスターに仕える者のことを言うのだが、彼女には仕えるべきマスターはいない。否、正確にはいた。

 彼女が召喚され、マスターをその瞳に映した途端、彼女の元マスターはこう言った。

 

『勝った! 勝ったぞ!』

 

 それだけならばまだ良い。最高級のサーヴァントを召喚したのだ、許容の範囲内だ。この程度で機嫌を損ねるほど器量の小さな女ではない。問題は、次の言葉だった。

 

『それにイイ女だ! 最高じゃないか! こいつを好きにしても良いんだろう!?』

 

 男のこの言葉が彼女の琴線に触れた。半狂乱気味に喜ぶ男に嫌悪感を覚え、まず得意のルーン魔術で彼女から一方的に契約の結びを切り、そのあとで呆けた顔をしていた元マスターを徹底的に打ちのめし、温情で半殺しにしてきた。

 契約が切れ、顕現に必要な魔力がマスターから供給されることがなくなり、彼女はただこうして消え去るのを待っているのだが、しかし召喚された手前、ただ座に帰るだけでは面白くない。なので彼女は観光気分でこの街を回って見ることにしたのだ。

 そして時計台に立った途端に轟音が鳴り響く。

 

 ――始まったか。

 

 彼女は家の屋根から屋根に飛び移り、この戦いの様子を見てみることにした。ほんの気まぐれだった。彼女はその道中に記憶喪失の彼を見つけてしまったのだ。

 マスターだがサーヴァントを持たずに、ただ逃げ惑い懸命に死から遠ざかろうとしている。

 助けた道理は本人にも分からず、だだ彼女がその姿が愛おしく思えたのか、酔狂にも剣を持った男と彼の間に割って入ったのだった。

 

 

     ×     ×

 

 

 乾いた金属音が鳴る。彼がおそるおそる目を開けるとそこに、黒装束を纏った彼女はいた。

 

「サーヴァントだとッ!」

 

 男は割って入ってきた彼女を警戒し鍔迫り合いを早々に止め、瞬時に距離を取る。闇夜に浮かぶ真紅の槍を一本携えた彼女は横目で怯えている彼を見つめた。

 

「……お主は下がっておれ。だが、それ以上儂から離れることは許さん」

 

 そう言った彼女は男に向かって槍を構えて突き刺さるほどの殺気を放つ。いつの間にか尻餅をついていた彼はただ彼女の言う通りにするしかなかった。

 

「見たところ貴様、その男のサーヴァントではないな? 助ける義理は無いと思うが?」

 

 瞳は敵を睨みつけながらも男は終始落ち着き払った声で彼女に話しかけた。

 

「さてな。儂にも分からん。ただの酔狂だ!」

 

 彼女は言葉を言い終えると同時に強く踏み込み、男との距離を刹那のうちに詰め同時に槍を打ち込む。

 常人の瞳には写すことが叶わない速度で放たれた槍を男は剣で受け、またしても鍔迫り合いの様相となる。

 

「ならば酔ったまま死んでいけ!」

 

 男は力で強引に彼女を押し返し、槍を跳ね除けた。そして息もつかぬ間に剣を切り上げるが、それを彼女は身を翻しまるで踊っているかのように華麗に躱して、そのまま反撃に転じる。

 横薙ぎの一閃。男は身体を反らし辛うじて躱すが、彼女の意識の外から繰り出された鋭い蹴りが腹に突き刺さり三十メートルほど先まで蹴り飛ばされる。

 

「生憎、おいそれと死ねぬ身でな」

 

 彼女は捨て台詞のように口角を上げてそう言うと、ゆっくりと彼の方へ振り向き近づくが彼は反射的に逃げ出そうとする。

 

「これ、逃げるではない。儂はお主の味方だ」

 

 彼女が彼の足を止めようとすると、吹き飛ばされた男が今度は空中から現れた。

 

「おい上だ!」

 

 彼が咄嗟に叫ぶ。肩甲骨辺りからまるで竜のような翼が生えた男が怒気を孕んだ声で吼え、飛翔し着地する勢いそのまま剣を振り下ろす。

 本来なら回避するに値しない太刀筋を完全に見切った彼女は彼を抱きかかえ、彼を守るために斬撃を回避する。

 

「子守をしたままではいささか分が悪いか。お主、儂に掴まっておれ。死んでも離すでないぞ」

 

 女性の腕に抱きかかえられた彼は頷くしかなかった。

 

「逃げられるとでも思っているのか?」

 

 地面が深く抉れた道だったところに立っている男が睨むと彼女は不敵に笑う。

 

「フフ、逃げるのではない。儂が逃がしてやると言っておるのだ」

 

 彼女がそう言うと、男は殺気立てた剣で斬りかかる。すると彼女の『退避のルーン』が発動した。

 彼が目を開けると身体は空中にあった。

 状況が把握できない。先ほどまで翼を生やした男がいて、今自分を抱きかかえている彼女は逃走を図ろうとしていたはずだ。

 

「着地する。舌を噛むなよ」

 

 彼女は彼に囁くと屋根の上に音も無く静かに降り立ってみせた。

 

「ひとまずここまで来れば落ち着ける……わけでもなさそうか」

 

 彼女の四方はすでに囲まれていた。大量の人形によって。その数十三体。逃走した先に新たな敵がいるのは考えうる最悪の中でも選りすぐりのものだろう。

 

「儂ら用に改造された人形か。くだらん真似をする」

 

 彼を襲った少女型の人形。彼女は敵が行動を起こす前に先制を仕掛けた。

 抱いている彼を真上に投げ飛ばし、その手に顕現させた真紅の槍でまばたきもせぬ内に囲っていた人形たちの頭部を破壊して一蹴する。

 そして槍を手元から消し、落ちてくる彼を抱く。

 

「いっ、いきなり投げないでくれ!」

 

 おそらく、彼が彼女に問い詰めなければらないのは了承も得ずに空中に投げたことではない。だが、彼の口から勢いのまま出てしまったのだ。

 

「許せよ、あれは儂の客だ。ああする他なかった」

 

 彼女は静かに彼を降ろす。

 

「……なぁあんた、どうして俺を助けてくれたんだ?」

 

 当然の質問だった。彼の知り合いにこれほどの美女はいない。いや、今となってはその知り合いの顔すら思い出せないのだが。

 

「言ったはずだぞ、ただの酔狂だと。なに、二千年ぶりの乙女の気まぐれだ。お主があれこれと無粋に勘繰るものではない」

 

 彼女は妖艶に笑ってみせた。

 どうやら本当に敵ではないようで彼は心の底から安堵した。記憶が思い出せない中、頼れる人物など存在しないこの状況では、またとない僥倖だ。

 

「やれやれ。次から次へと。余程この朱槍(しゅやり)を所望しておるらしい」

 

 彼女が突如として現れた着物に羽織そして雪駄に袴という時代錯誤甚だしい格好の男に視線を向ける。

 

「やれやれってのはこっちのセリフだぜ。俺はあまり戦いたくなかったんだがなぁ」

 

 和服の男は後頭部をかき、まったくやる気のないため息交じりでこう言った。

 

「仕方ねぇ。ますたー殿の指示だ。やるしかねえみたいだな」

 

 和服の男はいつの間にか腰に携えていた刀を抜く。

 月光に映える美しい刀身。言わずもがな敵に伝わる名刀の息吹。彼女は槍を手元に召喚し、すぐさま構える。

 男はどこかたどたどしく刀を構えると、柄の感触を何度か確かめてから踏み込み斬りかかる。

 彼女が白刃を槍で受け止めてから、向けられている刀の凄まじさに改めて気がつく。魔力で鍛えられた名刀であることに間違いないが、切れ味は容易く神秘までも切り裂いてしまうだろう。

 この域に達しているのは稀有(けう)だ。この刀を打った者は人間の領域を遥かに超えている。

 彼女は刀を弾き、間合いを外さないまま、心臓を狙って人間が目視できる速度を軽々と超えた一撃を放つ。

 乾いた金属音が宵闇に沈む。

 和服の男は槍を紙一重で防いでみせたが、男の刀には亀裂が入り男自身も防いだ衝撃で背中から屋根に叩きつけられる。

 

「俺の刀にひび入れるとはな。おめぇさんのもなかなか良い槍じゃねぇか」

 

 早々に起き上がった男は亀裂の入った刀をどこか嬉しそうに見つめる。

 彼は戦闘中にあることに気がついてしまった。目の前にいる彼女の姿が足元から透けていることに。そのことは和服の男も気がついたようで、驚いた顔をしてこう言った。

 

「なっ! おめぇさん、まさか!」

 

 

 ――飛来。

突如として和服の男に一筋の光が降り注いだ。

 

「そこなサーヴァント! (オレ)について来い!」

 

 小汚い外套(がいとう)に身を包んだ男が、一際背の高い建物の屋根の上で彼らに向かって叫ぶ。どうやら、和服の男は先ほどの光の衝撃で屋根が瓦解し、地面に叩きつけられたようだ。

 彼女は彼を再び抱きかかえ、屋根伝いに外套の男の後を追う。

 

「お主、何者だ?」

 

 暫く戦線から離れた頃合いに彼女は男に尋ねた。

 

「そういう貴様は解りやすい。槍の英霊、ランサーよな」

 

 外套のフードの隙間から見える鍛えられた刃のように美しい横顔をしている男がそう言って屋根から地面に飛び下りると、そこには男の仲間と思われる青い瞳の女性がいた。

 

「連れてきたぞ」

 

 男が不服そうに言うと、色白で金髪碧眼(きんぱつへきがん)の彼女は礼の言葉を口にした。

 

「ありがとう、ジョーカー」

 

 ジョーカーと呼ばれた外套の男は、壁に背中からもたれ腕を組んで鼻を鳴らした。彼を助けるのに余程の力をつぎ込んだようにも見える。

 

「どうして儂たちを助けた? それなりの理由があるのだろう?」

 

 瞳から敵意が漏れ出ている彼女が質問した。

 

「あまり身構えないで。簡単な自己紹介をしましょう。私の名前はアルテシア。あそこの偉そうなサーヴァントはジョーカー。口は悪いけど、良い人よ。貴方は?」

 

 アルテシアと名乗る女性に名前を聞かれ彼は目を泳がす。

 彼に名乗る名前だとなかった。

 

「すまない、俺は……自分の名前が分からないんだ」

 

 彼は素直に謝ると、アルテシアは複雑そうな表情を浮かべる。

 

「貴方もしかして記憶が?」

 

 アルテシアの勘の良い言葉に彼は申し訳なさそうに頷く。

 

「これは込み入った話になってきたわね」

 

 彼女が顎に手を当てて頭を悩ませていると、先ほどまで黙っていたジョーカーが突然ひときわ大きな声で高らかに笑う。

 

「フハハハハハハハ! 滑稽よな! 危険を冒してまで助けた男が何の使い物にならないとはな!」

 

 肩を震わせて自嘲気味とも受け取れる笑いを、アルテシアが厳しい言葉で諫める。

 

「ジョーカー、黙りなさい。そもそも貴方の未来視で見えたのは彼で間違いないのでしょう?」

 

 ようやく笑うのを止めたジョーカーは、呆れた様子で話し始める。

 

「ああそうだ。だが流石の我でも、記憶喪失までは見抜けなかったわ。して、この男とアレはどうする? 貴様も知っておろうが、アレはそやつと正規に契約を結んだサーヴァントではないぞ?」

 

 ジョーカーとアルテシアの視線は、彼の後ろにいる彼女に向けられた。

 

「貴方のことを教えてもらえるかしら。綺麗な槍兵さん?」

 

 彼女はアルテシアたちの質問に静かに答えた。

 

「儂のクラスはランサーだ。故あってマスターとの契約を破棄しておる。これを助けたのもただの酔狂だ。安心しろ、儂もそこのジョーカーとやらも無理が出来る体ではあるまい。ひとまずこちらに戦闘の意志はない」

 

 ランサーと名乗った彼女は軽く両手を広げて、言葉通り戦闘の意志はないとアピールする。

 

「ランサー……ね。分かったわ、ひとまず貴方たちには交戦の意志はないと判断します。ついて来て。ここから少し歩いたところに私たちの隠れ家があるの。そこで彼に色々と話しておかないとね」

 

 アルテシアがそう言うと、ジョーカーが強い語気で反論する。

 

「おい、あやつらを招き入れるつもりか? 人が増えれば見つかる危険性も当然上がる。然るにあやつらも裏切るやも知れんのだぞ?」

 

 ジョーカーの言葉にアルテシアは笑みを零す。

 

「あの英雄の頂きとまで謳われた貴方が、ここまで慎重を期すなんてらしくないわね」

 

 彼女の言葉を聞いたジョーカーは見るからに苛立った様子で会話を続けた。

 

「そうではない。我たちの計画が破綻するやも知れんのだぞ。貴様の積年の執念も無駄になるのだぞ? 少しは冷静に考えろと言っているのだ」

 

アルテシアはジョーカーの方へと振り返る。

 

「大丈夫よ。貴方が視たんですもの。それだけで信用に足りるわ」

 

 アルテシアは断言した。彼が信用に足りうると。するとジョーカーは深い溜め息を吐く。どうやら彼女を折らすつもりだったが、逆に彼が折られてしまったようだ。苛立ちを通り越して心底呆れた様子で彼はこう言った。

 

「もう良い。好きにしろ」

 

 彼らはアルテシアの後を追い、彼女たちの隠れ家に招き入れられた。

 彼の頭の中は疑問符で覆い尽くされていた。

 ――この戦いはなんだ。どうして俺がいる。俺はどうしてこんな。

 彼がどれだけ記憶を無くしたことを悔やんでも、記憶の星屑たちが煌めくことは無かった。

 深い海に沈められていく感覚と似ている。答えが見えず、ただ暗闇だけが支配する。もがけばからまり、身体はいつしか黒に染められてしまう。

 

「さて、きみ。これから重要なことを貴方に話すわ。まず上着のポケットのどちらかに端末が入っていないかしら?」

 

 アルテシアは上着のポケットを指差す。彼も今まで逃げることに夢中で気がつかなかったが、ポケットの中身をまさぐると彼女の言う端末が入っていた。

 

「これか?」

 

 四角い箱のようなものだった。現代社会に流通しているスマートフォンと呼ばれている物によく似ている。彼はどうやら自分が何者か思い出せないが、物の記憶はきちんと思い出せるようだった。

 

「それはね、その日の開戦を知らせるものになっているの。ルールブックであり、加えて通信機器としても役に立つ。その端末に魔力を込めてみて」

 

 アルテシアに言われるがまま、本能的に身体の奥底に眠る魔術回路に魔力を通す。

 やはり彼の身体にはある程度記憶が残っているのだ。そして、端末に魔力を込めることは、彼が魔術師であることを同時に意味している。

 

「やっぱり魔術師であることに間違いなさそうね」

 

 彼の持っている端末に可視化した光る文字が音もなく浮かび上がる。

 

「貴方が巻き込まれているのは、実験的聖杯戦争。時計塔の魔術師たちは大聖杯戦争と呼んでいるわ。通常の聖杯戦争は七騎のサーヴァントを駆り、勝利者が決まるまで殺し合いを続ける。だけど今回は違う。この聖杯戦争は勝ち抜き戦なの。生き残った一騎だけが次の聖杯戦争に組みこまれる」

 

 端末に浮かび上がっていた文字はこの聖杯戦争に関してのルールだと理解できるのに、そう時間はかからなかった。

 

 一つ。この聖杯戦争に参戦した者は如何なる理由があってもこの島から出ることは許されない。

 

 二つ。戦闘を許可する時間は日が沈み、この端末に合図が来てから朝日が昇るまでである。

 

 三つ。昼間の戦闘は原則禁止とする。また故意に住民を傷つけた場合、罰則として令呪一画を剥奪することとする。

 

 四つ。二周目以降のサーヴァントは真名しか名乗れず、クラスという枠組みから解放される。

 

 五つ。周回中のサーヴァントは新たに加えられたサーヴァントまたは同じく周回中の陣営を撃破すると、敵マスターから令呪を一画奪うことが出来る。また一周目の陣営は、周回中の陣営を撃破すると令呪を一画奪うことが出来る。

 

 以上だった。

 文面でこそ言葉の意味は理解できるが訳が分からない。どうしてこんなことを。

 

「ルールは理解したようね。先ほども言ったけれど、これは実験的な聖杯戦争なのよ。この聖杯戦争を引き起こしている時計塔の本来の目的は大聖杯を使った根源への接続」

 

 時計塔。聖杯戦争。根源。彼には聞き覚えがあったが、理解できない単語が行き交った直後に激しい頭痛がまたしても襲いかかる。

 

「っ!」

 

 この痛みにも慣れてきたのか表情をあまり変えずに堪えることが出来たが、何も思い出せないままである。

 

「根源っていうのはね、この世界すべての叡智と言っても過言じゃないの。協会の連中はそのためなら命なんて惜しまない。この戦いを維持し続けるのに、毎月何百人のただの子どもやホムンクルスたちが生贄になっている」

 

 アルテシアは拳を握り、心のうちに潜む烈火の如き怒りを露わにしていた。

 

「私たちの目的は大聖杯の破壊と協会への復讐よ。そして貴方は、ジョーカーが予見した私たちに協力してくれるイレギュラー」

 

 頭が真っ白になっていた。自分が何者なのかも思い出せず、この狂った聖杯戦争とやらに巻き込まれていたのだ。とうに彼の頭で理解できる範疇を優に超えていた。

 彼が眩暈を起こしてふらりとよろけると、ランサーが背中を左手で優しく支えた。

 

「興奮気味で説明するのは良いがな、こ奴自身、自分が何者かすら知らぬのだ。そんなか弱き者に、あれやこれやと仕込むべきではないな、アルテシアとやらよ」

 

 ランサーがまるで影のようにするりと心に這い寄ってくる静謐たる声で話すと、アルテシアは俯き焦燥感に囚われている己を諫めるように深く息を吐いた。

 

「そうね、貴方の言う通りだわ。ごめんなさい、急に話を進めてしまって。今の話は無理に理解しようとしなくていいわ。……今日はここでお休みなさい。話はまた後日に。ジョーカーもそれで構わないでしょ?」

 

 彼女がジョーカーに確認すると、彼は両肩を竦めて好きにしろと返事をする。アルテシアが踵を返し、隠れ家から立ち去ろうとするが彼が額を手で押さえたまま呼び止められる。

 

「待ってくれ。俺が、あんたたちに手を貸したらどうなる?」

 

 アルテシアが驚いたように歩みを止め、腕を組みながら振り返った。

 

「貴方の記憶を取り戻す協力をしてあげられる。私たちはこの聖杯戦争おいて正当な参加資格を有していないイレギュラーだから表立って動けないけど、影ながら貴方のサポートもしてあげられる。……お願いしている立場なのにこれじゃダメね。素直に言うと、私たちと一緒に戦ってほしい」

 

 どくんと、心臓の鼓動が一際大きくなった。

 

「わかった。……だったらあんたに利用されてやるよ。それで記憶が取り戻せるなら、こんなふざけた戦いをぶっ壊せるならな」

 

 彼にとっては、聖杯のことはある意味どうでも良かった。一番はこの実験のような戦いのために人の命がないがしろにされているという事実だった。何故彼がここまでこの事実に憤りを覚えているのか分からない。

 ただ揺るぎない真実として、彼が戦うことを決意したのだ。

 

「なら私たちは今から協力関係よ。これからよろしくね」

 

 アルテシアは彼に歩み寄り手を差し出す。彼もその手をしっかりと握ると、ここに聖杯戦争に記されることのない影の同盟関係がここに築かれた。

 

「なら、そこの槍兵さんと再契約しないとね。貴方も問題ないでしょ?」

 

 再契約。サーヴァントを持たない彼は、他陣営と戦うために別のサーヴァントと契約しなければならなかった。彼にとって背中を任せ、運命を委ねるサーヴァントは後ろに立っているランサー以外に考えられなかった。

 

「儂は構わんが、お主はそれでいいのか?」

 

 

「あんたにも、助けてもらったお礼をしなきゃいけないだろ。あんたが消えかかっているのは記憶がない俺でも何となくわかる。礼をする前に消えられちゃ夢見が悪いからな。……ランサー、改めて訊く。俺と一緒に戦ってくれるか?」

 

 彼の想像が容易い殊勝(しゅしょう)な態度にランサーは可笑しそうに口角を上げ、宵闇に映える三日月のように(あや)しく微笑んで見せた。

 

「乗り掛かった舟と言うやつだ。だがお主、舵を取り間違えることは許さんぞ?」

 

 そして彼はアルテシアから教えてもらった再契約の詠唱を唱えながら、ランサーに右手の甲にある赤い花びらのような痣を向けた。

 

「――告げる! 汝の身は我が下に、我が命運は汝の槍に! 聖杯のよるべに従い、この意、この(ことわり)に従うのなら、我に従え! ならばこの命運、汝が槍に預けよう!!」

 

 痣が光り輝き、空気の渦が魔力を帯びて彼らの周りを包む。

 

「――ランサーの名に懸け誓いを受けよう。お主を我が盟友として、ここに認めよう!」

 

 アルテシアとジョーカーが見守る中、彼とランサーの再契約がなされた。存在が薄くなり透明に近づいていた彼女が明瞭に姿を現す。魔術回路を通して感じる圧倒的なまでの迸る魔力。これがサーヴァントの本来の力。

 

「しかしお主にも名前がなければ、いよいよ不便よな。こう見えても儂は名付けが不得手でな……セタン――いやこれは無い」

 

 ランサーが彼に名前をつけるためにあれやこれやと頭を捻り迷っていると、水平線から太陽が昇ってきた直後に眩しいくらいの朝陽が部屋中に差し込んでくる。

 

「名前は、あんたが呼びやすいように決めてくれ」

 

 すると、ランサーが何か思いついたのか窓の外の太陽を見つめながら、一言。

 

「……朝陽」

 

 ランサーは彼の顔を真っ直ぐに見据えて、慈しみの面影すらある声色で改めてこう言った。

 

「お主の名は朝陽だ。うむ、実に良い。これからよろしく頼むぞ、朝陽」

 

 朝陽。不安と恐怖の夜を終わらせる優しく温かな太陽の光。それが彼の新しい名前だった。

 

「ああ。しばらくよろしく頼む、ランサー」

 

 こうして、聖杯戦争一日目が終わりを告げた。だがこれは彼――もとい朝陽にとって、これからどれだけの絶望が待っていようとも、記憶を取り戻す戦いの始まりでもあったのだった。

 



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Act.1
二日目 昼


一ヶ月に一回~三回程度更新していければと思っています。


 遠い夢を見ているようだった。記憶の水底に沈んでいったはずの、悲しい思い出。

 小さな男の子は、生まれながらにしてあることを宿命づけられてきた。魔術師として生き、魔術師として死んでいくこと。彼がこれから先抱くであろう幸せすら捨てて。

 彼は周りから祝福されて生まれてきた。否、この世界に産んでくれた母親を除いて。

 

『貴方なんて産まなければよかった』

 

 呪いの言葉だった。彼の輝かしい道が途端に崩れた瞬間だった。

 おおよそ彼に、魔術師としての才能があったかと言えばそうではない。どこまでも凡夫だった。花を美しいと思え、愛犬の死を尊ぶこともできる優しい子だった。

 彼の母はいつも泣いていた。一人夜にすすり泣いていた。彼女の悲しみを癒してやれる者などおらず、彼女は次第に壊れていった。

 時に、地獄はどこにあるのか。という問いをされたとして、多くの人は死後の世界だと語る。だが彼の答えは違った。

 地獄など目の前にある。

 その日は葬式だった。兄の、姉の、妹の、弟の。一度も会ったことのない兄弟姉妹(かぞく)たちの遺骸が燃やされ、土に埋められていく。良く晴れた空に誰かの慟哭だけが響いた。

 母は変わらず泣いていた。父は変わらず怒っていた。

 彼が五歳を迎えるとき、悲劇は起こった。母はベッドの上で死んでいたのだ。彼のことを一度も愛さず、彼のことを一度も抱きしめないまま、彼女は毒を飲んで死んだ。

 

 父は冷酷な人だった。

 いつも彼を殴り、蹴り、体中が痣になるまで魔術の特訓を受けさせられていた。

 床にこべりついている血反吐の跡。ここはきっと自分が来るよりもずっと前に誰かがいたのだ。

 彼は十歳になった。

 あの父の過酷な修行で生き残ったのだ。父は珍しく喜んでいた。

『これでようやく移植が出来る』

 あの人はそう言った。

 父とともに彼は地下室に向かっていた。だが、彼の手を誰かが掴む。

『お止めください! どうか──様だけは!』

 ──誰かは分からない。だけど、とても優しい人だった。

 

 地獄は、まだ続いているのかもしれない。

 

 朝陽は固いソファーの上で目を覚ます。時刻は午前十時。あの夜の出来事から六時間程度しか経っていない。

 ──まったく、妙な夢を見たものだ。

 誰の記憶なのか検討もつかない。彼の身体は綺麗なもので痣などまるでない。

 それに、地獄などどこにも無い。ただ少し痛んだ安っぽい部屋が広がっているだけだ。

 この部屋は、アルテシアに貸し与えられたものだ。返せとは言われていないが、綺麗に使えとは言われた。どうやら彼女は綺麗好きらしい。

 彼女からは本当に多くの情報を得た。

 まず初めに、現在勝ち抜いている陣営は六つ。それぞれ名の有る騎士や戦士だという。特に注意すべきは無精ひげを生やした男らしい。

 彼女たちも言っていた通り、表立って動けない。それぞれの陣営がどんな英霊を擁しているのかまでは、預かり知るところではない。この一騎を除いて。

 

 そのサーヴァントの名は、円卓最強の騎士との呼び声が高いランスロットだった。

 彼は馬を駆り、無毀なる湖光(アロンダイト)を使い戦場を駆け抜けていると。その陣営が倒した英霊の数はゆうに十を超え、すでに七周目に突入している。

 次にこの右手の痣。これは令呪(れいじゅ)と呼ばれていた。サーヴァントに通常三度だけ絶対的な命令を下せる聖杯戦争の参加権であり、サーヴァントという人知を超えた存在の手綱となっている。

 そして最後にサーヴァントが召喚された際に属するクラスの特徴を彼女は教えてくれた。

 

 まずは朝陽のサーヴァントが属するランサー。読んで字のごとく、槍を使い活躍した英霊がこのクラスに召し上げられ、敏捷性に長けている者が多い。

 次にセイバー。これも比較的分かりやすい、剣を使って活躍した英霊が当てはまる。扱いやすい能力と強力な宝具を有するため最優のサーヴァントと呼ばれ、召喚すれば限りなく勝利に前進する。

 次にアーチャー。弓、銃、または物を投げつけた英雄であればこのクラスに属する。単独行動というスキルでマスターが離れているもしくは、マスターからの魔力供給が行われずとも、二日は現界出来る。

 これが主要な三騎士。どれも強力な英霊が多く、聖杯戦争終盤まで勝ち残っているのは、三騎士であることが多い。実際に周回しているサーヴァントは三騎士がほとんどである。

 

 続いて、ライダー。高い対魔力と、絶大な宝具を持つことが特徴とされるクラスであり、何かしらに騎乗した伝説、武功があればこのクラスに属す。剣、騎乗槍を持っていることから、騎乗する前はランサー、セイバーに間違えられるケースも多々ある。

 そしてマスターの天敵とされるアサシン。暗殺の伝説があるならばこのクラスに属し、また気配遮断というクラススキルを保有する。直接的な戦闘は他クラスより劣っているとはいえ、気配遮断を駆使すれば、マスターをいともたやすく殺すことが可能だ。

 次にキャスター。魔術、錬金術に秀でた者が召し上げられることが多く、過去の有名な作家たちも召喚することが可能だ。クラススキルの陣地作成と道具作成で自分に有利な状況、場所を創り出し、搦め手を多用するクラスでもある。

 最後に、聖杯戦争において最も厄介になるクラス。それがバーサーカーだ。これと言った伝説がなくとも、英雄の道や人間の常軌を逸している者が、クラススキル狂化によって、理性と引き換えにサーヴァントとしての能力を底上げされ召喚される。故に人の話を聞かない者も多く、意思疎通が可能であったとしてもひとたび戦争が始まれば、敵を屠るまで止まらない狂戦士が属するクラスである。

 

 思い返せば、あのスーツの男も、和服の男もサーヴァントだった。

 あの二騎は一体どこのクラスに属するのか。

 一人はセイバー、果たしてもう一人は。いや、例外はいつだって存在している。剣を使うキャスターや、正面から戦うアサシンだっているだろう。

 特にこの聖杯戦争、あらゆる可能性を思議しなければならない。

 今のところ、情報が少なすぎる。朝陽は身体を起こそうとしてソファーから無様に転げ落ちる。彼が想定していたより肉体が披露していたのだ。

 

「何やら大きな音がすると思ったら、なんだお主が寝ぼけてソファーから落ちたのか」

 

 ランサーの声がする方向を向くと、逆さの世界で彼女は何の恥ずかしげもなく堂々と裸だった。

 

「なっ! あんた服はどうした!」

 

 朝陽が猫のように飛び起きて必死に目を逸らし、彼女の裸体を視界に入らないようにするが、彼女は自らの素肌を隠すつもりなどこれっぽっちもないようだ。

 

「おっと、すまぬな。なに、生きた人間と暮らすのは久し振りでな、ついうっかりとしてしまった」

 

 ほんのりと高揚した頬に濡れた髪。彼女がシャワー上がりなのは明白だが、服を着ないで男性の前に現れる女性がどこにいる。

 ランサーは意地悪な笑みを浮かべながら、ぱちんと指を鳴らして服を着て、長い髪と身体を瞬時に乾かす。

 

「ふむ、急ぎ拵えたにしては上出来よな。お主、どう思う?」

 

 朝陽はおそるおそる視線を彼女の方向へと戻すと、身体のラインがはっきりと分かるセーターとジーンズを履いていた。あの戦装束よりは目立つことはないが、それでも彼女の美貌ならばすれ違った男性の視線を独り占めしてしまうだろう。

 

「……ふ、服を作るのはすごいと思う」

 

 彼は素直に感想を言った。

 しかし、ランサーが求めているのはその感想ではない。

 

「たわけ! 誰が魔術のことを褒めろと言った! 似合っておるのか、そうではないのか申せ!」

 

 朝陽は彼女が求めている感想の意図がようやく理解できた。女性が着た服を似合っていると言われたいのは二千年生きても同じなのだ。

 

「すっ、すまん。よく似合っているよ、ランサー」

 

 彼が謝り彼女の服装を慌てて褒めると、心なしか彼女は満足気だった。

 

「そら、手を貸してやる。いい加減床から背中を剥がせ」

 

 身体の感覚にだいぶ慣れていたが、それでも彼一人ではまだ立ち上がれることすら難しい。彼女の差し出された手を取って、朝陽は立ち上がる。

 

「まったく。女の扱い一つ知らんとは、呆れた奴め」

 

 女性の扱いが上手くないのはきっと記憶がないからに違いない。そうだと信じている。

 朝陽はソファーに座り直すと、ランサーは腕を組み話し始める。

 

「マスターとなったお主に教えておかねばならぬことがいくつかある。心して聞けよ」

 

 真剣な表情をしたランサーの言葉に朝陽は固唾を飲んだ。

 

「まず、儂は元のマスターの契約を一方的に切った話はしたな?」

 

 朝陽はこくりと頷く。

 

「儂はな、その行為の罰として聖杯から制裁を下された。かいつまんで説明すると宝具は二度までしか使えんようにされてしまってな」

 

 宝具。あるいはその者の伝説を昇華したものであり、あるいはその者が生前や伝説の中で使っていた剣や槍と言った武具であり、あるいはその者自体でもある。

 英霊にとっては己を己と定義するものであり、マスターにとっては聖杯戦争における切り札の一つなのだ。朝陽も宝具のことはアルテシアに説明を受けている。

 その宝具が二度までしか使えないのは、この勝ち抜きの聖杯戦争において最も不利な条件だと言って差し支えないだろう。

 

「それって不味いんだろ!?」

 

 せっかく座り直したソファーから朝陽は思わず立ち上がり、ランサーを問い詰める。

 

「そんなに息を荒げるな。儂のようなサーヴァントならばまず、白兵戦で打ち負ける事は有り得ん。宝具の有無を差し引いてもただのサーヴァントならば仕留めるのも容易い。そもそも、いざとなれば奥の手も用意しておる。だから安心しろ。ここで儂からの提案なんだが──」

 

 そう言ってランサーは人差し指を朝陽の眼前に立てた。

 

「宝具使用のタイミングの一度はお主に預け、もう一度は儂の判断で打つというのはどうだ?」

 

 たしかに、戦いのことが何も分かっていない彼では、宝具をここぞというタイミングで有効的に発動できない可能性もある。

 ならば一度をマスターとしての面目を保つために彼の意志で撃たせ、もう一度は歴戦の勇士である彼女に任せるのが無難だ。

 

「分かった、それでいこう」

 

 朝陽も彼女の意見に賛成だった。そしてもう一つ彼に言わなければいけないことがある。

 

「うむ。それともう一つ儂は他のサーヴァントのように霊体化は出来ない」

 

 霊体化。サーヴァントの肉体は魔力の塊エーテル体で構成されている。ひとたび霊体化すれば他者には見えず、正体の判断を遅らせることができ、無駄な魔力を使わずに済む。

 もちろん、霊体化の言葉自体アルテシアから教えてもらった。

 

「だが安心しろ、朝陽。この幻視(げんし)のルーンのブレスレットをしている限り、サーヴァントであっても儂をサーヴァントと見抜けまい」

 

 そういうことなら。と落ち着いた朝陽はソファーに座る。

 

「しかしな、ひとたび戦闘に入ればこの効果はたちまち失せてしまうのだ。昼の間は儂もこの姿でいる、お主が案ずることなど何もない」

 

 ランサーも手首に巻いてあるブレスレットに視線を向ける。この小さなものにそれだけの効果があるとは思えないが、彼女の魔術は本物だ。その腕を疑う余地など有はしない。

 

「次にお主、服を脱げ」

 

「え?」

 

 彼女は唐突に真面目な顔をして恥ずかしさの欠片もなくそう言った。朝陽は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして呆けていると、いまいち勘の鈍い朝陽に少々苛立ちながら、ランサーは問答無用に服を脱がせようとする。

 

「ええい、良いから服を脱げというに。上半身だけでよいぞ。女に見られるのが恥ずかしければ、後ろを向いておいてやるから早くしろ」

 

 彼女は壁の方を向き、ため息をついて腰に手を置く。

 朝陽はゆっくりと服を脱いだ。昨日からシャワーを浴びてないので体臭だけが気がかりだったが、もとより彼女は死霊や幻獣種と言った人ならざる物を相手にしているので、まったく気にしていないというのが本音だった。

 

「脱いだぞ……」

 

 引き締まった身体。腹筋も適度に割れており、筋肉質な健康的な体つきをしている。

 

「うむ、では少し触る。我慢しろよ」

 

 振り返ったランサーは有無も言わさず、朝陽の身体を触り、何かを確認しているようだった。彼は自分に触れている柔肌に胸を高鳴らせながら、彼女の様子を伺った。

 

「こっちを向け」

 

 ランサーの指示に従い朝陽が顔を上げると両手を両頬に添えられ顔を固定される。目と目が合い、鼻先が触れ合ってしまうほど接近され、彼女の朱い瞳に吸い込まれそうになってしまう。すると彼女は一際驚いた顔をして、彼の顔をようやく離した。

 

「もう服を着ても良いぞ」

 

 朝陽は理由こそ解らないが胸を撫で下ろし、ほっとして言われた通り服を着直す。

 

「お主について分かったことがある。座ったままでよい、心して聞けよ」

 

 自分自身では分からない何かを明確に気付いた彼女の言葉に朝陽は記憶を探す手掛かりになればと神経を集中させた。

 

「まず、お主の身体には魔術師ならば誰もがある魔術刻印なるものが見当たらない」

 

 ──魔術刻印。

 

 一口で説明するのは骨が折れるが、簡単に言えばその家代々引き継がれている魔術の結晶である。魔術回路をエンジンとし、魔力というガソリンを入れて、刻印という車を動かすとイメージしたほうが幾らか分かりやすい。

 家を継ぐ者だけに刻まれる、魔術刻印は詠唱をせずとも魔力を流しただけで行使でき、本人がその魔術を覚えてなくとも発動が可能となる。

 もちろん、中には刻印を受け継いでいない魔術師もいる。だがこの聖杯戦争と言う、いわば家名を上げるために行われている戦いに魔術刻印もしてない者が代表者として呼ばれるだろうか。

 魔術刻印には便利な点が多く、戦闘ではその強みを如何なく発揮できるだろう。朝陽の場合、本当に何もないのだ。元から期待などされていないように。

 

「魔術刻印さえあれば、お主がどういう魔術師でどういう人生を歩んできたか大方掴めるのだがな。残念ながら、この線でお主の記憶を探すのは無理そうだ」

 

 そうか。とうなだれる朝陽だったが、ランサーの話はまだ終わっていなかった。

 

「そう落ち込むな、なにも分からずじまいだったわけではない。お主のその眼のことだ」

 

 彼女は、朝陽の複数の色が混じったような瞳をしている双眼を指差す。

 

「俺の眼……?」

 

 ランサーは腕を組み直し、彼の問いに答えるため話し始める。

 

「お主のその両目。魔眼の類のものであった」

 

 ──魔眼。

 

 これも付け加えて説明しておこう。魔眼とは、外界の情報を得るための器官である眼を、外界に働きかけることができるように作り替えられたものである。

 魔眼というのは、半ば独立した魔術刻印に近いものであり、独りでに魔力を生み出し行使できるという特徴を持つ。極めて珍しい器官である。その効力は様々で、ある者は見た者を歪めたり、ある者はモノの死が見えたりと、多種多様である。

 魔眼は強力であるが故にときに本人の制御下に収まらない場合もある。術者から体内魔力(オド)を勝手に引き出し、暴走に至る。

 

「良いか、その眼のことは誰にも話すでないぞ。儂とお主だけの秘密だ」

 

「アルテシアにもか?」

 

 ランサーは念を押してもう一度言う。

 

「ああそうだ。その眼はお主にとっての武器だ。手の内を晒すなどたとえ仲間であっても容易にしてはならぬ。分かったな?」

 

 彼女の言葉に朝陽はゆっくりと首を縦に振る。

 

「そうと決まれば、まずお主にルーンを教えてやらねばな──」

 

 ぐう。となんとも気の抜けた音が部屋中に響いた。音の正体は朝陽の空腹を訴える腹からだった。

 

「真面目な話をしているところすまん。昨日から何も食べてなくて……」

 

 朝陽は申し訳なさそうにそう言うと、ランサーは力が抜けたように微笑む。

 

「そうだな。まずは腹ごしらいをせばな。東洋のことわざにも、腹が減っては戦は出来ぬという言葉があるぐらいだからな。よし、昼食とするか」

 

 

 朝陽たちはこの街の市場に来ていた。行き交う人も多く、この市場を中心にしてこの街は成り立っていると言っても過言は無い。

 この度の聖杯戦争の舞台、島国エデン。聖杯戦争のためだけに作られた国、そして街。この国は完全に魔術師協会通称時計塔と大聖杯の管理下にあり、住民たちも事情を知っている本物の人間か、役職を与えられ全うするホムンクルスか、精巧に作られた人形である。

 気温は常に二十度前後に設定されており、快適に過ごせるようになっている。雨の日も雪の日も、彼らの指先一つで決まる。

 今日が晴れていてもいきなり雪が降り出したり、豪雨に見舞われるといったことが起こるのだ。

 

 聖杯戦争の舞台はこの国全体なのだが、この街が中心地であるためここに陣を構える陣営も多い。もちろん、朝陽もその一人である。

 朝陽は昼食を摂る前に夕食の買い物も済ませようと、市場の至る所に目線を配る。

 

「安いよ、安いよ! 獲れたての魚だよ! 買った買った!」

 

 大きな声で新鮮な魚をたたき売りしている店や、

 

「この服は、最上級の絹で出来ておりまして。とても肌触りが良く」

 

 一人の客に熱心に服の素材の良さを解いている者もいれば、

 

「お兄ちゃん待って」

 

「早くしろよ、置いて行くぞ」

 

 兄弟が市場の人混みを避けて朝日の横を走り抜ける。この街はたしかに生きている。だが、疑問があった。

 聖杯戦争の舞台にするのならば、わざわざ人を住まわせる意味などないだろうと。時計塔の魔術師連中が視たがっているのはあくまでも『根源』のはずだ。一体どんな真意があるのだろうか。

 

「おい朝陽、あの果実なんてどうだ。儂はあれが食べたい」

 

 隣で歩ていたランサーが、果物を売っている露店を指差す。

 ランサーの言う通り、一際綺麗でとても美味しそうだ。金ならば上着のポケットに少々入っている、無駄遣いは出来ないが、あの果物の味を知りたい。

 朝陽も彼女の意見に賛成して、果物を買うことにした。彼らは店に近づき、果物を手に取ろうとした瞬間。別の誰かの手が朝陽と重なる。

 

「あっ!」

 

 朝陽が驚いて手を離すと、黒髪の男の方も慌てて手を離す。

 

「申し訳ありません。とても美味しそうな果実だったのでつい」

 

 先に男の方が頭を下げてきた。

 

「俺の方こそすまなかった。気にしないでくれ」

 

 男の格好は実に奇妙なものだった。白い手袋に執事服とまるでどこかの女王か貴族に雇われているかのようだった。

 

 朝陽はこの果物を譲るべきか、譲らぬべきか迷っていた。ランサーがどうしても食べたいと言っていたこともあり、引き下がろうにも引き下がれない。

 すると、ランサーが口を開いた。

 

「その果実、貴方に差し上げます。元はと言えば私の我が儘で食べたいと言っただけですから」

 

 ──私? 儂じゃなくて? 

 いやいや、間違えているのは一人称だけではない。話し方も口調もまるで別人だ。隣にいるのは一体誰なのだ。

 

「良いのですか!?」

 

 執事服の男は心の底から喜んでいるのか、ぱぁっと表情を明るくした。

 

「ええ。貴方もそれで良いわよね?」

 

 ランサーのあまりの豹変ぶりに言葉を失っている朝陽だったが、ようやく我を取り戻して何度も頷く。

 

「あっ、ああ。大丈夫だ」

 

 引きつった笑顔になったが、うまく誤魔化せているだろうか。

 

「ありがとうございます!」

 

 男はもう一度頭を下げて礼を言った。

 朝陽はランサーに袖を引かれ、今までの進行方向とは逆の方向に歩き出した。

 

「待って下さい!」

 

 男に大きな声で呼び止められ、二人は思わず歩みを止める。

 

「ぜひお礼をさせてください。ご昼食がまだ済んでいないのでしたら、この近くの店で奢らせていただけませんか?」

 

 だが、男の提案をランサーは朝陽と腕を組んでこう断った。

 

「いいえ、お気持ちだけで結構です。ごめんなさい、私、彼とデートの途中なの。それじゃあご縁があればまた会いましょう」

 

 ランサーは淑女よろしくの慎ましい笑顔を浮かべて、朝陽と腕を組んで人混みの中に消える。

 男の視線が消え、十分に離れたところで彼女はようやく腕を組むのを止める。

 

「なんだったんだよ、さっきの」

 

 朝陽は当然の質問をした。まだ何も思い出せない彼からすれば、契約したサーヴァントが突然まったく知らない女性の人格に変わってしまったと錯覚してしまう。

 

「朝陽、儂からの忠告だ。顔の良い男と女は容易く信じるな。先ほどの男、なにか裏があると見て間違いない」

 

 ランサーが歩きながら腕を組み、訝しげな表情をしてあの男の影を嫌うように言った。

 

「それってあんたも入るのか?」

 

 朝陽は雑踏の中で立ち止まり、ランサーに真面目な顔をして問う。

 ランサーが振り返ると、長い髪がふわりとなびく。彼の冗談とも受け取れる質問に対して、ほんの少しだけ呆れたように表情を緩ませる。

 

「馬鹿者め。儂は顔が良いだけでなく、性格も良いのだ。そういう者はいくら信じても構わんぞ」

 

 彼女は前を向き、再び朝日を連れるようにして歩き出した。

 

 ×     ×

 

 執事服の男は、紙袋を片手にしたまま、海岸線に隣接したこの島国随一の高級ホテルの前に来ていた。フロントのホムンクルスたちを一瞥し、このホテルの最上階にある最高級スイートルームに向かうために、VIP専用エレベーターに乗り込む。

 ここのスイートルームは最上階すべてがスイートルームなのだ。一泊百万はくだらず、連日宿泊となるとかなりの莫大な金額がそれだけで動く。

 エレベーターの目的の階へ到着を知らせる音が鳴り、スイートルームに足を踏み入れる。そこには彼の帰りを待つ無数の使用人たちが廊下の壁際にずらりと並んでいた。

 

「お帰りなさいませ、執事長」

 

 顔の整ったホムンクルスのメイドが近寄り、彼の持っている紙袋を受け取り、頭を下げて後ろに下がっていく。

 

「それで、我が王に変わりないか?」

 

 彼は決して立ち止まらず外出用のジャケットを脱ぎ、メイドに預け、室内用のジャケットに袖を通す。彼の質問に他のメイドが答える。

 

「はい。お変わりありません。只今お部屋にて午後の読書の時間をなさっています」

 

 男は更に一見、汚れていないように思える手袋と靴まで履き替え、主人が待つ大きな扉の前で歩を止める。

 

「報告ご苦労。下がって良いぞ。みないつもの業務に戻ってくれ」

 

 彼の鶴の一声により、使用人たちはそれぞれの持ち場に戻る。そしてネクタイの緩みを正し、一回、二回とノックをした。

 

「エドガーです。只今戻りました」

 

 エドガーと名乗る男は、ドアの向こうの主人の言葉を待った。

 

「お入りなさい」

 

 優しい女性の声がエドガーに入室の許可を出し、彼はドアノブを握りドアを引いて部屋に入る。

 見渡す限り豪華絢爛の装いをしているのだが、その中でも目を惹くのは天蓋付きのベッドだった。カーテンで主人の姿は閉ざされており、影だけが右に左に動き続けている。おそらく服を脱いでいる最中だ。

 

「申し訳ありません、お召し代えの最中でしたか」

 

 エドガーは頭を下げ、今一度出直そうかと考えを巡らせていたところ、着替えている彼女が引き留める。

 

「いえ、良いのよ。(わたくし)が入れと申したのですから。それで、街の様子はどうだったのかしら?」

 

 メイド二人に着替えさせていた彼女はようやくカーテンの袖から、すらりとした手足と美しく整った姿と顔を出す。

 長く整えられた髪。目元を強調した化粧。雪のような白い肌そして肌と同じく真っ白なワンピースドレスが気品を着ているかのようだった。

 

「こちらにいらっしゃい。紅茶を楽しみながらゆっくりとその話を聞かせてもらうわ」

 

 彼女は宝石などが散りばめられた豪華な椅子に座ると、メイドに紅茶を淹れるように指示を出す。エドガーは彼女の隣に立ち、街での些事を報告する。

 

「街自体に怪しげな仕掛けなどはしてありませんでしたが、索敵用の悪霊に人形などが至る所を徘徊していおりました。恐らくながら、キャスター陣営の仕業と見て間違いないありません。次に、おかしなマスターを一名見つけました」

 

 最後のエドガーの言葉に、彼女の紅茶が入ったカップに伸ばした手がぴたりと止まった。

 

「おかしなマスター?」

 

 止まった手を動かしてカップを掴んだ彼女が改めてそう訊くと、エドガーは──。

 

「左様でございます。マスターにも関わらずサーヴァントすら連れておらず、紅い瞳が目を惹く女と街を歩いておりました」

 

 端的にエドガーが報告すると、彼女はどこか可笑しそうにくすくすと笑い始める。

 

「いかがなされましたか?」

 

 エドガーの困惑した表情をしり目に、彼女は紅茶の匂いを(たしな)み一口だけ飲んでから声色を明るくして話す。

 

「気にしないで。ただ貴方が妙にその女のことを詳しく話すから、どれほどの美しさか考えてみただけよ」

 

 エドガーは眼を見開き驚いた表情をして頭を下げる。よりにもよってこの人の前で誰かを美しいと称してしまったことは、何よりも不敬に他ならないのだ。

 

「いいえ、貴方様がこの世で一番美しいお方であります。貴方様の前で誰かを引き合いに出すなど、(わたし)の不徳の致すところでございます。何なりとこの愚かな私に罰をお与えください」

 

 厳罰を受ける覚悟を決めて息を飲むエドガーに、彼女はこう言い渡した。

 

「では罰として私を崇め奉りなさい。元より私がこの世界で一番美しいことは、私が一番良く知っているわ。でも私はまだまだ美しさに磨きをかけるつもりよ。それには他人の賛辞の言葉が必要なのよ」

 

 彼女は艶やかな髪をなびかせて、自信満々な表情をしながら宣言した。自分こそ世の女性の頂点に立つと。たしかに彼女は健康的な肌の艶と張りと引き締まった身体に程よく膨らんだ胸をしておりまるで彫刻のような美しさをしている。

 ここで、女性の美しさを敢えて定義するならば、黄金比はもちろんのこと現在で言うところの、美の定義を照らし合わせていこう。

 まず、顔がいかに整っているか。一つに美男と美女の定義において、顔が平均的であることがあるという。目が離れすぎず、口が大きすぎず、鼻が低すぎず高すぎず、また潰れていないこと。

 そして次に声である。一説によると人間は個人に好意を抱くとき、まず先にその人の声から発展するというものだ。どんなに顔が整っていても、発せられる声が美しくなければ一般的な価値というものは下がってしまうだろう。

 

 特に気をつけるべきは、体型である。肥満体型では本来持っている美しさの半分の魅力すら出せてないだろう。この彼女は日々の食事にも注力しており、太らないサーヴァントの身体であっても、生前の努力を弛まない姿勢は貫き通している。

 あとは性格という見えないものだが、必ずしも美しさに直結しているとは限らない。

 個人の心の底の妖しさにこそ、美しさを最大限引き出せる、スパイスとなるのだ。そう、彼女はすべてにおいて一番なのだ。

 

「冗談はさておき。エド、貴方の方はマスターだとバレていないんでしょうね?」

 

 彼女は横目でエドガーを嗜めるようにそう言った。

 

「ええ。もちろんですとも、我が王よ」

 

 彼は左手の手袋を取ると、盾のような紋章──否、令呪がたしかに彼の手の甲に刻まれていたのだ。

 

 

 彼女を召喚したのはつい先日、四日前のことだった。この聖杯戦争は特殊なルールなのだが、その中でも特異なのは召喚の際の聖遺物がなくとも、英霊が召喚できるという点だろう。聖遺物を用意しない召喚は本来ならばマスターの精神性などによって似通ったサーヴァントが呼び出されるのだが、今回は大聖杯にあえて負荷をかけてる目的のため、完全にランダムとなっている。

 その結果、エドガー・セバスチャンが召喚したのは、アサシンのサーヴァントだった。

 

『私はファラオ、クレオパトラ。アサシンのクラスを冠するサーヴァントよ。さぁマスター、この世で最も美しく偉大な王である私に(かしず)きなさい?』

 

 神とも思えるほど美しさと偉大さを持つ彼女に、エドガーは何も言わず跪く。

 このお方こそ、彼が待ち望んでいた永遠に忠を尽くすべき主人。不本意ながら仕えている貴族のために聖杯戦争に参加したが、参加しただけの価値はここに有った。

 

『私はエドガー・セバスチャンと申します、我が王よ。これより貴方様に全てを捧げ、その御身体朽ち果てるまで永久(とわ)にお仕え致します』

 

 セバスチャン家は代々魔術師貴族に仕える使用人を排出する一族である。魔術師というよりも、魔術使いであり、主人の剣となり盾となる存在だった。が、彼は父親の命令により、先述の通り元々仕えていた貴族の代わりにこの戦いに参加したのだ。

 彼にとってまさに、運命の出会いだった。

 朝陽とは違った信頼関係。主と従者という形ではあるが、切れぬ絆が二人を繋いでいるのだ。

 

 

 ×     ×

 

 

 朝陽は昼食を摂るために、噴水が中央にそびえる公園の近くにある喫茶店に来ていた。朝陽は一番安いランチセットに、ランサーはサンドイッチにコーヒーを注文し、横の椅子に紙袋を置いてテラス席にて気持ちの良い日差しを浴びながら早速ランチを頂くことにした。

 

「おいお主、それだけで足りるのか?」

 

 たしかに、朝陽の食事は、二つのバターロールにベーコンエッグと世の成人男性の一度の摂取量の半分も満たせていないだろう。

 

「何を頼んでいいかわからなくてな。好きだったもの一つ思い出せない」

 

 彼の脳裏を掠める誰かとともにした食事の風景。一切れのパンに冷めたスープ。必死になっていつの記憶なのか探ろうとするが、ずきりと頭が痛む。

 

「ッ!」

 

 頭を押さえて頭痛が収まるのをただ待つ。何か思い出しそうだったが、あと一歩届かない。歯がゆさを感じながらも、ランサーとの会話を続ける。

 

「そういうあんたも、それだけで足りるのか?」

 

「ふむ、本来ならサーヴァントにはこういった食事の類いは必要ない」

 

 彼女はそう言いながらサンドイッチを上品に千切り、口に運ぶ。

 彼女の言う通り、サーヴァントには食事は必要ない。ますたーから送られる魔力があれば現界できるのだ。ときにサーヴァントにとって食事はマスターとの信頼関係を深める為や、生前の習慣、趣味として摂るケースが多いが、今回はどうも違うらしい。

 

「だが、余程儂らを戦い続けさせたいのか、これらの食べ物すべてに魔力を回復する魔術が施しているのだ。故に、食えば食うほど魔力が回復するのだ。お主から儂に供給されている魔力も十分とは言えない。つまりだな、お主はもっと食わねばならぬ。そら、このハンバーガーとやらはどうだ? とても美味そうだぞ?」

 

 ランサーは良かれと思ってか、朝陽の了解も得ずにウェイトレスを呼び止め、彼の制止も聞かず注文する。

 

「それにな、食事時にまで辛気臭い顔はするな。お主の気持ちは分からんでもない。儂も二千年は生きている身でな、過去の子細などほとんど覚えてはおらぬ。それよりも大事なのは今だ。お主は過去に生きているわけでなかろう? 好きだったものを一つ思い出せぬのなら、好きだと言えるものを二つ作れば良いのだ。よいな?」

 

 彼女の言う通りだった。過去はたしかに大切だ。だが、朝陽は過去に生きているわけではない。一番大事なのは現在なのだ。それを疎かにするならば、本末転倒もいいところだ。

 自然と、朝陽の響くような頭痛は治まっていた。

 しかし、これで食べられるかどうか彼自身でも分からない。大量の食べ物を胃に入れること自体を身体が拒んでいるようだった。

 

「それじゃあ、食べるか。何事も飯を食ってからだよな」

 

 朝陽はひとり微笑むと、無理矢理にでもバターロールにかぶりつく。

 様子を見つめていたランサーも春の日差しのように笑みを浮かべて、サンドイッチを食べ続ける。

 

「だけど今度から金を使う時、俺に聞いてくれよ。有り金は少ないんだ」

 

 朝陽が意外と値が張るハンバーガーを無断で頼むというランサーの暴挙とも言える行動を咎めると、彼女は珍しくむきになって言葉を返す。

 

「なっ! お主も女々しい奴だな! 過ぎたことは気にするなと言っているだろう!」

 

「それとこれとは別だろ!」

 

 彼らがテラス席にああでもないこうでもないと不毛な口喧嘩をしている二人に声をかけてきた意外な人物がいた。レンガ造りの町並みから浮いた、大きな紙袋を抱いている時代錯誤の和服の男。

 

「おっ、昨日闘った姉ちゃんじゃあねぇか。こんなところで、ますたーと楽しくお食事かい?」

 

 ランサーと朝陽は勢いよく和服の男の方を向くと、彼女の方は睨みつけ、殺気を押し殺さず男に向けながら警戒した。

 

「おおっと、昼間の戦闘はご法度だぜ? それに俺もますたー殿も買い物の帰りなんだ」

 

 和服の男がそう言うと、彼の後ろから黒髪の女性がふらりと現れる。

 刀の切っ先のように凛とした目をしている彼女が、この男のマスターなのか。たしかに、彼女の右手には十字の令呪がある。

 

「どうしたの、セイバー……ああなるほど」

 

 日本語を話す彼女はランサーの顔と身構える朝陽の右手を見て、一人で納得していた。

 

「あんたも、マスター……なのか?」

 

 朝陽が固唾を飲み込み、黒髪の彼女を見つめながら問いかける。偶然居合わせたウェイトレスは剣呑な雰囲気を察して静かに持ってきたハンバーガーを置いて立ち去ってしまった。きっと修羅場だと勘違いしたに違いない。

 

「……否定はしない。そういう貴方はどうなの? 連れている女性はサーヴァントに見えないけど?」

 

 彼女は朝陽の顔を目を細めて何かを調べるように見つめながらそう言うと、和服のセイバーが口を挟む。

 

「いんや、俺と戦ったのはこの姉ちゃんで間違いないぜ? どういうわけだが、今の姉ちゃんからはサーヴァントの気配は感じねぇが」

 

 セイバーの言葉で、じっと朝陽のことを視界に留めていた彼女はランサーのブレスレットに視線を向ける。

 

「ああなるほど。そういうことね」

 

 彼女は一瞥(いちべつ)しただけで、ランサーがルーン魔術で姿を偽っていると理解した。危険だ、彼女は危険だ。朝陽の背筋に一気に冷や汗が滴る。

 

「自己紹介がまだだったわね。私の名前は(ひいらぎ)(けい)。今夜の戦いは面白くなりそうだわ」

 

 と、継は嬉しそうににやりと口角を上げる。

 朝陽が初めて出会う正当なマスター。彼が呆然としている間にも、女同士のプライドのぶつかり合いが水面下で行われていたのだった。

 

 

 ×     ×

 

 

 二日目の夜の戦闘が始まる前に、ある男のことを語っておかなければならない。

 ラインハルト・ブラックウェル。彼はブラックウェルを代表する魔術師の一人だった。時計塔では名の知れた魔術師一家であり、優秀な研究者や人形師を多く輩出してきた。彼もまた、優秀な人材の一人だった。

 

 しかし、彼は純真な少年時代で二度と立ち直れない大きな挫折を経験する。

 到底魔術師としても人形師としても、決して手の届かない人物の存在が彼の自尊心を大きく傷つけた。

 彼は正道から急激に歪んでいった。身寄りのない少女の一部分を人形に改造するなど、非人道的な研究を成功するまで繰り返した。果ては処女の女性を生贄とし、人形にこの世ならざる者の魂を入れようと画策していた。

 だが、彼はブラックウェル家の息子としてだけ評価されていた。誰も彼の実験も彼自身のことも正当に評価しなかった。

 そしてラインハルトは、この聖杯戦争に参加することを決めた。ブラックウェル家の息子としてではなく、ラインハルトとして認められるために。

 右手の甲に携えた左右非対称の羽根のような令呪を携え、前途洋々にサーヴァントを召喚した。

 

『素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師アルスバーグ──。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。

 ──閉じよ(みたせ)。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

 繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する。

 ──我がブラックウェルの血を持って告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いは此処に。我は常世(とこよ)(すべ)ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊(ことだま)を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!』

 

 彼の呼び声に応えたのは、なんと現在は朝陽のサーヴァントとなっているランサーだった。

 

『クラスランサー。お主の声に応え参上した。問おう、お主が儂のマスターか?』

 

 そしてラインハルトは高揚したまま、彼女の癪に障ることを言ってしまい半殺しにされた。

 ルーン魔術で契約を切られたと同時に手始めに臀部(でんぶ)を触ろうとした腕を折られ、腹部に膝で蹴りを入れられて頬も比較的強く殴られ、蹲ったところでサーヴァントに逃げられた。

 彼の世話をしていた奴隷たちは慌てふためきながら、彼を救護しようとしたが、彼の高すぎるプライドがそれを許さなかった。

 ラインハルトは、無謀にも再度サーヴァントの召喚を試みたのだ。

 結果、彼は見事にキャスターのサーヴァントを召喚したのだった。恐ろしいほどの執念。同じ轍を踏まないように祈りながら男性の英霊を召喚し、うつ伏せにという屈辱的な格好をしながらマスターという座に食らいついてみせたのだ。

 

『問おう、貴方が私のマスター……なのか?』

 

 魔術師というよりもキャスターは騎士と呼ぶ方が正しかった。清廉(せいれん)な雰囲気の佇まいと知的な光を瞳の奥で輝かせている。

 その後すぐにラインハルトはキャスターに助けられ、一日目の夜に戦線離脱とはならなかった。

 

 

 ×     ×

 

 

 そして二日目の夜。朝陽にとっての聖杯戦争が始まる。

 街は昨夜のように静まり返り、昼間の活気が嘘のようだったが、見には見えない魔術師たちの使い魔が跋扈しているに違いない。

 開戦の知らせはとうに来た。戦う術を持たない朝陽にとって戦場に立つだけでも危険極まりない行為だが、サーヴァントだけをしかも女性だけを戦場に赴かせ、自分だけ安全なところに避難しているのは、彼の性分に合わない。

 これから共に戦うのだ、彼女のことをもっと知りたい。

 朝陽の前を歩く彼女が立ち止り、彼の方を振り向く。

 

「お主にこれを渡しておく」

 

 彼女はポケットから何やら文字が刻まれた石を朝陽に手渡した。

 

「これは?」

 

「これは儂がルーンを刻んだ石だ。これに魔力を通し、敵に投げつけるだけで効力を発揮するものだ。無くすでないぞ?」

 

 彼女の特製ルーン石を五つほど朝陽は受け取った途端に、前方から途方もない魔力の塊が現れ、五感にひりつく緊張感を訴えてくる。

 

「敵だ。儂から余計に離れるなよ」

 

 月の光と僅かばかりの街灯に照らされ闇夜から現れたのは、朝焼けのような金色の髪に白銀の鎧とそして傷一つない剣を片手にしたサーヴァントと思われる男だった。

 

「ほう、騎士とな。やれやれ剣を持つ奴が多すぎてどれがどのクラスか分からんな。して敢えて訊こう、お主は何者だ?」

 

 ランサーの服装が私服姿からあの戦装束に変わり、手に真紅の槍を持つ。

 

「我がクラスはキャスター。急ごしらえでな、少々本来のクラスと違えている。だが手加減は無用だぞ、朱い瞳のランサー」

 

 彼女たちの視線がぶつかり合い凄まじい火花を散らす。朝陽は回路を通してランサーの魔力の高ぶりを感じながら、第二夜開戦の一撃が交わされるのを見守った。

 



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二日目 夜

 闇と殺意だけがこの空間をしていた。漆黒に消える火花と乾いた金属音。たった五分の間にどれだけの命のやりとりが交わされたのだろう。

 朝陽はランサーの後姿を見守っていた。

 彼女に敗走は無く、また敗北も無い。

 サーヴァント同士の攻防は宝剣、宝槍のぶつかり合いとなる。それ故に近くで戦いを観戦するなどもってのほかなのだ。高純度の魔力のぶつかり合いによってマスターが耐えきれないという場合も往々にして有り得るのだ。

 だが、彼らもまた魔術師なのだ。記憶を無くしている朝陽でさえも己の身の守り方は心得ている。

 ともに戦場に立ち、駆けるとはそういうことだ。

 サーヴァントの敗北はマスターの敗北となる。

 一度でも恐怖に身を竦めて力を弛ませたのならば、死が彼らを捉えるだろう。

 死など、傷など恐れるな。置き去りにしろ。その先に勝利はある。

 ランサーは槍を構え直し、キャスターの剣を受け止める。またキャスターも、彼女の槍を刃に接した瞬間に相手の力をいなしている。

 両者の実力、技の冴えは拮抗しているように思える。朝陽が戦いにおいては素人だからそう言えるのだろうか。

 否、戦いはたしかに拮抗している。

 常人ではおよそ瞳に捉えることなどできない、高速の攻防においてキャスターとランサーはこの力の均衡を破ることは叶っていない。

 

 だが、真相は至ってシンプルだった。

 互いにまだ本気を出していないのである。

 破れないのではなく、破らないのだ。

 相手の手癖、攻撃と反応速度を見極めるためにあえて手を抜いているのだ。

 聖杯戦争において、宝具の存在を隠すのは何よりも重要な事だ。ひとたび真名解放し躱されるようなことがあれば、真名が発覚してしまうだけではなく、宝具の性能も知られ容易く対策を講じられてしまうのだ。

 ランサーは槍を振り回してキャスターとの距離を取り、一呼吸置く。

 

「お主、キャスターのわりには良く動く。儂の槍でも穿つのに少々骨が折れる」

 

「言っただろう、本来はクラスが違うと。私がキャスターのクラスに甘んじているとはいえ、この剣の冴え、鈍る道理ではないのだ」

 

 キャスターの持つ剣の鏡のような清らかな刀身が、月の光をまるで湖畔の水面のように反射する。

 

「ふむ、ならば儂も少し本気を出すとしよう──」

 

 ランサーの全身から目視できるほどの体内魔力(オド)が溢れ出す。近辺家屋の窓ガラスがひび割れ、ついには粉々になる。

 彼女にも似た、どこか影の有る魔力。対して、キャスターが解放した魔力はどこまでも潔白の二文字が良く似合う。

 対局の色を持つ魔力同士が両者の中央付近で絡み合い、やがて静かに消え去る。

 

「ゆくぞ」

 

 キャスター、ランサーともに地面を舗装しているコンクリートが砕けて散るほどの万力を足に込めて駆け出す。

 刹那のうちに一撃が重なり合う。

 衝突した瞬間に周囲の空気が弾け飛び、強烈な風が朝陽に襲いかかる。単純な威力の話ならば先ほどの倍は容易く出ている。

 彼女が槍を横薙ぎに払うと、キャスターが剣で受け止め、力をいなして接近を試みる。しかし、彼女の懐に入る前に、ランサーは身体を半歩引いてキャスターの追撃を躱すと空間を引き裂くように槍を振り下ろす。

 地面が捲り上がり、粉塵が舞い上がる。

 

 ──如何にもな鎧の癖に良く動く。

 

 キャスターは防戦に徹していた。自ら近づくことは極力せず、ほんの僅かな隙にのみ己からの攻撃を許している。

 ランサーが攻撃を仕掛けた。家屋の壁を駆け上がり、逆さになりながらもキャスターの脳天を目掛けて槍を放つ。

 意表を突かれたキャスターは、身体を急いで飛び退かせ首の皮一枚で躱すことに成功するが、額が削れて綺麗な横顔に血が滴る。

 間髪入れず、ランサーは追撃に移行する。

 先に地面に着いた槍に重心を預けて、妖艶に舞う踊り子のように身体を捻らせてそのまま槍で薙ぎ払う。

 キャスターも負けじと二度目の攻撃を剣でいなすと、堪らず彼女との距離を開けた。彼女は着地すると悠然に槍を構え直す。

 

「今の一撃を躱すか」

 

「あの程度でやられるほど、私が軟弱な戦士に見えるか?」

 

「いやなに、お主の実力を測ったのだ」

 

「慢心だな。その驕りは勝利を足元から崩すぞ?」

 

 キャスターの言葉に、彼女はにやりと笑う。

 

「驕りではない。久方ぶりの戦いでな、少々昂っておるのだ。許せよ」

 

 キャスターは額から滴る赤い体液を拭い、魔力を持ってその傷を一時的に縫う。まだ底が見えない戦いに朝陽は固唾を飲んで見つめるしかなかった。

 

 だが──。

 

「オイオイオイオイぃ! 何やってんだよ、キャスター!」

 

 この静寂の戦場に、似つかわしくない粗野で大きな声がここぞばかりに轟く。キャスターの背後の闇から現れたのは、キャスターのマスター、ラインハルト・ブラックウェルだった。

 彼は金色の髪を右に左に揺らしながら、包帯で右腕を吊られていたが、自分のサーヴァントへの怒りで表情を歪ませていた。

 

「誰かと思ったら貴様か。なるほど、土壇場でこのキャスターを召喚したのか」

 

 ランサーは侮蔑の表情をラインハルトに向け、キャスターには憐憫の目線をくれた。

 

「ランサー、てめぇだけは絶対にブッ殺してやる! マスターである俺を裏切りやがって!」

 

 ラインハルトは歯を食いしばり、今度はランサーに対する怒りで身体を震わせている。事情を把握していない朝陽にとっては目の前で起きている出来事を理解するのに時間を要した。

 

 ──あいつもしかして。ランサーが言っていた。

 

「ほう、儂を殺すか……大きく出たな三下風情が」

 

 彼女の瞳に宿るこれまでにない明確な殺意。朝陽も魔術回路を通して灼けるような魔力の迸りを感じた。

 ランサーから放出される魔力は次第に周囲にまで影響を及ぼした。地は砕かれ、レンガ造りの家屋たちは悲鳴を上げて軋んでいる。それだけではない、朝陽の見ている彼女の背が歪み始めている。

 いや、正確にはランサーを取り囲む空間すべてが歪み始めているのだ。

 洪水のような魔力の渦が彼らを蝕む。

 このままでは、マスターだけでなくここに住んでいる者たちにまで被害が拡大する。

 唐突に朝陽の脳裏に過る幼き死体たち。血の池にひとりぽつんと立っている。

 

 ──やめろ。やめろ。やめてくれ! 

 

「ランサーやめろ!」

 

 彼は初めて彼女に対して怒号を飛ばした。

 

「!」

 

 彼の悲痛な叫びがランサーに届いたのか、魔力の渦は夜霧のように霧散する。周囲の歪みが元に戻りこれで大地の悲鳴は止められた。

 

「……すまなかった、儂としたことがつい熱くなってしまった。助かったぞ、朝陽」

 

 ランサーは振り返ることはせずにキャスターを睨み付けたまま朝陽に礼を言った。

 

「なんだよ、驚かせやがって……おいキャスター、遊びは終わりだ! 宝具を開帳しろ!」

 

 ラインハルトがそう告げると、キャスターはため息交じりで一度剣の構えを解き、呼吸を整えてから両手で剣を握る。

 

「そういうことだ。手加減は出来なくなった、これからは()りにいかせてもらう」

 

 キャスターが改めて握った剣から清々しい風とともに大量の魔力が溢れる。

 

「『穢れなき清剣(オートクレール)』解放!」

 

 彼の剣は宝具の類であった。魔術師というクラスには見合わず、真昼の青空のような胸を透く剣の輝きは聖剣にも匹敵しうる。

 

『穢れなき清剣』はキャスターの生前愛用していた剣の名前である。放出した魔力はやがて一本の剣に集約され、圧倒的破壊力を生み出す。

 さすがのランサーも脅威を感じ、槍を構えて相手の宝具に神経を尖らせて最大限警戒する。

 

「気を抜くなよ、ランサー」

 

 キャスターがこの戦いで初めて先手を打った。走り出すための一歩すらランサーには視認できなかったのか、一気に距離を詰められ、清剣(せいけん)が容赦なく襲いかかってくる。

 回避不能な一撃に対してランサーが防御の体勢を取り、槍で剣を受け止める。が、集約された膨大な魔力が解放され眩い閃光とともに彼女を包む。

 朝陽は腕で目を焼かれぬように視界を覆いながらもランサーの安否を願う。

 

「ランサー!!」

 

 彼の叫び声は、辺りを埋め尽くす青い光に掻き消されていったのだった。

 

 

 ×     ×

 

 

 キャスターが宝具を解放する数分前、彼女は駆ける。駆ける。駆ける。

 自らの影を置き去りにせんとばかりに、帯刀している彼女は全速力で走った。

 柊継は朝陽と同じように別陣営に襲われていた。こちらからは目視できないだが、あちらからはこちらの姿は丸見えなのだ。この特徴を持っているクラスならば知っている。

 アーチャーだ。姿が見えないほどの離れている距離に加えて、先ほどから彼女を追いかけるような弾丸が飛来している。

 

 これは不味い。

 こちらはセイバー。名の通り剣を使う英霊である。このアーチャーとは根本的に相性が悪い。相手はわざわざ近づいてくる阿呆ではないはずだ。

 そもそも剣を使うアーチャーなどいるはずなどない。

 対して、彼女たちは近づかなければ攻撃できない。完全に後手を踏まされている。

 

「ますたー殿、また来たぜ」

 

 セイバーが霊体化しながら念話で継に注意を促す。

 

「分かってるってば! 貴方も少しは避ける手伝いしなさいって!」

 

「そう言いなさんなって。若いうちから小じわが増えるぜ?」

 

 セイバーが憎まれ口を叩いていると、継は後頭部を狙って飛んでくる弾丸を視界に入れずに方向転換して躱して路地に入り込み、落ち着くために壁にもたれかかる。

 

「貴方ってこういう時、本当に役に立たないわね」

 

 彼女は切らしている呼吸を整え、セイバーに小言をぽつりと呟く。

 

「仕方ねぇだろう? 俺は刀を打つことしか出来ねぇ。戦闘はおめぇさんに任せるって契約の時に言ったろ?」

 

「ええだから、そんなこと言った自分の発言に後悔しているのよ!」

 

 彼女はもう一度呼吸を整えて、腰に携えている刀に手をかける。いつでも抜刀できる準備はしている。だがそれは前提条件で敵が目の前にいなければならない。

 姿が見えなければこの刀もただの鉄塊だ。

 ──落ち着け。

 この勝負、冷静さを失えば確実に負ける。

 姿が見えなければ晒してもらうだけだ。あの弓兵にこの白刃を突き立てなければ気が収まらない。

 

「セイバー……貴方にお願いがあるの」

 

「ん? なんだよ改まって」

 

 継がセイバーの疑問に答える。

 

「貴方は飛んでくる弾丸の方向を全部報告して。私が全部躱して斬りつけてやるから」

 

 常人ではおよそ考え付かない、否、考えたとしても行動に移さないであろう作戦を提示した継に対してセイバーが豪気に笑った。

 

「ぶははは! イカれてんなぁおめぇさん。だけどそこが気に入ってんだよ」

 

「ええ。多少イカれてないと勝てないのよ、この聖杯戦争ってのは」

 

 セイバーにつられて彼女も笑う。

 覚悟は決めた、作戦も立てた。あとは、実行するだけ。

 継は全身に魔力を回した。滞りなく、潤滑に。

 どくんと、心臓に焔が灯ったように熱くなると次第にその熱は全身に巡っていく。

 

「──行くわよ」

 

 彼女は再び走り出す。

 路地から身体が出た途端に見計らっていたかのように狙い済ました弾丸が襲いかかる──。

 

「西の方角だ!」

 

 セイバーが叫び、継は弾丸の軌道を完璧に見切り紙一重で躱しながらも加速する。

 一足(いっそく)二足(にそく)。そして三足(さんそく)へと。

 

「お次は北だ!」

 

 想像の範囲内だ。アーチャーは弾丸を吐き出すたびに、居場所を掴まれないように常に移動している用心深いサーヴァントだ。

 だがこうして弾丸を躱し続け、距離を詰め続ければいずれ追い詰められる。

 敵も相手取るのはサーヴァントだけだと踏んでいるはずだ、だからこそ彼女のこの行動に意外性があり虚を突ける。

 たとえ距離を離すことを常に心掛けていたとしても、サーヴァントが移動するよりも早く追いついてみせる。継にはそれだけの自信があった。

 

 柊継。彼女は日本の魔術師一族の末裔だ。柊家は栄華を極めていた時代はとうに過ぎ、陰陽術や妖術、そして魔術と姿を変え世俗に潜んでいたが、百年前から零落の一途を辿っている。

 そして最悪の中、彼女は生まれた。

 男児で無かったが、彼女には有り余るほどの才能があった。かつての栄光を想起させるほどに。

 しかし、柊家には彼女に継がせるはずの魔術刻印は一つしかなかった。平安の時代より存在していた柊の歴史はほとんど費えてしまったのだ。

 彼女は一族復興のために己を鍛えた。いや、鍛えさせられた。友人も作らず、ただひたすらに、孤独に耐え抜いて技を磨いた。

 努力の結果はすぐに表れた。

 

 初めに説明するが、彼女はどこまでも基本に忠実だった。基本に始まり、基本に終わる。それが彼女の理念であり、生きるための指針でもあった。

 魔術師にとっての基本技術は主に身体強化が挙げられる。彼女は身体強化を極めた。必要以上に。

 彼女が十八を迎えた頃、ある到達点を迎えた。

 極みという途方もない高み。彼女はいつしかそこに立っていた。

 おそらく、人間の数十倍の速さで動け、人の数十倍遠くまで見え、人の数十倍強い。

 彼女の魔術は一足二足と、徐々に身体の動きと魔力の回転率を上げていく。最大十足までだが、十足に到達すると彼女は三騎士のサーヴァントに匹敵しうる力を持つ。

 

 五足までであればキャスター、アサシンといった直接的な戦闘に不慣れな相手にならば肉薄することが可能になり、十足にもなると条件次第でバーサーカーやセイバー、ランサーも同等に闘える。

 彼女の魔術に名前はない。やっていることはそれだけ基本的な事なのだ。

 

「見つけた! 一気に加速する!」

 

 移動している最中の敵をようやく視認できた。段階はすでに五足へと到達している。

 ついにアーチャーを追い詰めた。

 最後の弾丸が放たれる前に継は飛翔。漆塗りの空に天高く舞う。相手はこの街の教会の屋根に着地しようとしている。

 相手の着地とともに同時に、継は人の面影が僅かに残っているサーヴァントに向かって抜刀し、斬りつけた。

 アーチャーは持っていたスナイパーライフル、リー・エンフィールドで斬撃を防ぐが、狙撃銃は真っ二つに折られてしまう。

 アーチャーは継の刀を身体をのけ反らせて首の皮一枚で躱し、飛び退いて距離を作る。

 

「おいおい、どうしてくれんだよ。結構お気に入りの銃だったんだけどなぁ」

 

 アーチャーは真っ二つに両断された狙撃銃を見つめ、肩を竦めて笑う。

 

「これじゃあもう直せねぇな。アリアにまた怒られちまう。おい、どうしてくれんだよ。これじゃてめぇの首を持って帰るしかなくなるじゃねぇか」

 

 アーチャーは人間の面影が残る女性のサーヴァントだった。

 何故彼女を人間の面影が残ると表現したのか。それは彼女の特徴的な容姿によるものだった。

 アーチャーの側頭部に角が生えていた。片方が折れており、片方が天を突いている。胸元が開いている服装をしており、大きな胸を他人に見せつけているようにも思える。

 加えて男勝りの口調に、使っている武器は弓ではなく銃。

 こんな英霊聞いたことがない。

 銃を使う英霊ならば近代の英霊だと決まっており、等しく人の見た目をしている。

 だが目の前にいるサーヴァントはまさしく悪魔のようだった。

 

「まさか突っ込んでくるのが人間とはねぇ、ちょっと驚いたぜ」

 

 アーチャーはリボルバー拳銃、トーラス・レイジングブルを魔力で創り出し、拳銃を握る。

 おそらく装填してある銃弾も魔力で編んだものだろう。

 

「だがよ、この距離で俺とやり合って勝てるとでも思ってんのか?」

 

「試してみる?」

 

 アーチャーのリボルバー拳銃による早打ちと、継の居合抜きによる早抜き。

 力だけではない速さの勝負。

 張り付く氷のような恐ろしいほどの静寂。月の光が僅かに陰ると、臆することなく継が仕掛ける。対するアーチャーも、彼女の顔面に狙いを定めて引き金を引く。

 ──閃光。

 真昼の太陽のような輝きがアーチャーと継を包み込む。この光はここではないどこかのサーヴァントによる宝具の一撃だと悟るのに、二人ともそう時間は要さなかった。

 

 

 ×     ×

 

 

「ランサー!」

 

 朝陽は腹の底から叫んだ。

 彼女からの応答がない。素人目の彼にもあの宝具と呼ばれるキャスターの剣による一撃が、尋常ならざるものだと理解させられた。

 閃光が途切れると、想像以上に悲惨な光景が目の前に広がっていた。

 凄まじい魔力によって発せられた閃光の熱量によって周りが焼けただれている。

 しかし、どうしてか朝陽には傷一つなかった。

 

「情けない声を出すな。儂はまだ生きておる」

 

 彼女の背中が物語っていた、彼女が身を挺して宝具から朝陽を守ったのだと。

 

「私の『穢れなき清剣(オートクレール)』を受けてもなお、折れぬその槍、その意志、敵ながら見事なり」

 

 キャスターは剣を払い、ランサーに賛辞の言葉を贈ってから再び剣に魔力を集約させていく。

 朝陽は驚愕した。

 ふざけるな、あれだけの一撃を連続的に放てるというのか。これではランサーの身が持たない。マスターである自分が何か策を考えなければ。

 

「……朝陽よ、お主は儂が負けると思っているのか?」

 

 ランサーが振り返らず彼に尋ねた。自分が負けると思っているのかと。

 朝陽は、はっとした。

 マスターである自分が相棒であるサーヴァントの勝利を疑ってどうする。自分たちの敗北の姿を想像するなど三流以下のすることだ。

 信じろ、仲間を。疑うな、勝利を。

 朝陽はかぶりを振る。

 

「勝て、ランサー。あんたに命を預ける」

 

 朝陽からは見えなかったが、彼女が心なしか笑ったように見えた。

 

「だ、そうだ。儂はなんとしても勝たねばならなくなった。キャスターよ、覚悟はよいか?」

 

 ランサーが膨大な魔力を紅の槍に込めると、キャスターが思わず身構えてしまう。戦略的に優位に立っているのにも関わらず。

 キャスターの目の前からランサーが音もなく消えた。

 ──(はや)い。

 切り合いを始めたころとはまるで比べ物にならない。移動したと視認出来たところで、ランサーはキャスターの感覚よりも先に心臓目掛けて槍を放つ。

 

「くっ!」

 

 宝具を解放してなければ、防御すらままらなかっただろう。

 キャスターは辛うじて槍を剣で退(しりぞ)けるが、互いの武器に込められた魔力同士のぶつかり合いにより、身体が弾き飛ばされた。

 彼の清剣が宝具というならば、彼女の手に持つ魔槍(まそう)もまた宝具なのだ。

 宝具と宝具のぶつかり合いはまさに天災。

 弾かれたキャスターは体勢を整えて剣を構えるが、ランサーは陽炎の揺らめきの如く、瞬く間に姿を消す。

 ──どこから来る。

 次の一撃は意外にも彼の側面からだった。

 命の灯火を薙ぐように放たれたランサーの攻撃をキャスターはまたしても紙一重で躱す。

 宝具を解放し、一度は優位に立ったはずの清廉な騎士は再び防戦一方となってしまった。

 

「何故だ……どうして勝てない!? こっちは宝具を使っているんだぞ!」

 

 ラインハルトは徐々に押され始めているキャスターを見つめ、歯を食いしばりながらやり場のないどす黒い感情を吐き出す。

 歯がゆさは苛立ちに変わり、そして最後に怒りとなる。

 ラインハルトは勝つための手段を選ばなかった。

 騎士同士の高潔な戦いなど知るものか。こうなったらマスターを直接狙ってやると。

 

「キャスター! 死んでもランサーを抑えろ! 俺はマスターを狙う!」

 

 ラインハルトはキャスターに向かって叫び、鼻息を荒くしながら、つかつかと早歩きで朝陽との距離を詰める。

 

「御意に」

 

 キャスターは戦い方を変えた。敵を倒すのではなく、足止めをするために。攻撃を捌き続け、適所で攻撃を加える。先程と同様の攻防一体のスタイル。

 

「よいのか? 怪我をしているマスターを戦わせても」

 

「私はただマスターの指示に従うだけだ」

 

 キャスターもランサーも高速を超える攻防の中でも、言葉をいくつか交わす。

 

「そちらこそ良いのか? 私の見立てでは、戦いが得意なマスターだとは思えないが?」

 

 キャスターの問いかけにランサーは不敵に笑う。

 

「なに、私のマスターは簡単に殺されるタマじゃないさ」

 

 

 キャスターがランサーと交戦している間に、マスター間でも戦闘が始まった。

 

「あの女のマスターになったのが運の尽きだ。ここで死んでもらうぞ」

 

 ラインハルトが折れていない左の手を上げると、物陰から厚いアタッシュケースを持った人影が飛び出してくる。

 

「俺の名前は、ラインハルト・ブラックウェル。お前は?」

 

 白い肌をした女性のホムンクルスがラインハルトに傅き、アタッシュケースを彼に献上するような形で手渡す。

 

「俺の名前は……朝陽だ」

 

「アサヒ……? ったくどこの馬の骨か分からん奴にここまで手こずるなんてなぁ」

 

 互いに名乗ると、ホムンクルスが何も言わずに一歩前ラインハルトの前に出る。

 

「代々ブラックウェル家に伝わる決闘に基づいて名乗りは上げた、次は武器を抜け。ランサーのマスター」

 

 彼の眼は真剣だった。

 確実に朝陽を殺すつもりなのだろう、決闘というルールに基づいて。

 朝陽はポケットからルーン石を取り出した。

 

「はっ、ルーン魔術か。また随分と古臭いものを使うな」

 

「次はあんたが武器を抜く番だ」

 

 ラインハルトの安い挑発に乗らずに、朝陽は淡々と戦う準備を整えていく。これが彼にとって初めてのマスター同士の直接対決。なおさら負けるわけにはいかない。

 

「武器? ああ、俺の武器はすでに抜いてある」

 

 開戦の狼煙は不意に上がった。

 まずホムンクルスが踏み出し、右腕から人体を容易く切り裂けそうな厚い刃が飛び出して斬りかかってくるが同時に朝陽の魔眼が発動した。

 動きは寸分違わず影が教えてくれる。

 朝陽は飛び退いて回避するが、前髪の先が僅かに散らされる。

 想定していたものより動きが早い。

 この朝陽の魔眼──名付けるならば先明(せんめい)の魔眼にも弱点がある。それは使用する当人の能力に依存してしまうことだ。

 たとえ敵の動きを把握してしても、身体がついてこなければ反応が叶わない。

 対して、ラインハルトの魔術は人形を使役することにある。

 

 人体に対しての改造。

 それこそが彼の最も得意とする分野である。

 本来戦闘向きではないホムンクルスに対して武器を仕込んである人形の腕や足に取り換えることによって、戦闘用ホムンクルスは短命という弱点を克服することが出来る。

 瞬間的な火力や、ホムンクルスの出来栄えなどはもちろん劣るが、この二つの点を除いても、ホムンクルスの人形化は実用的だと言える。

 二人の魔術の相性は悪いと断言して差し支えないだろう。

 最低限な肉体強化がやっとな朝陽と、人形になっている手足が壊れない限りいくらでも戦い続けられるホムンクルス。

 魔力の消費も考慮すると朝陽の勝利は薄い。

 

「そらそら、逃げるだけでは決闘にならんぞ?」

 

 ラインハルトが逃げ惑う朝陽を見て冷笑する。

 彼の言う通りだ。逃げているだけでは戦いにならない。

 朝陽は逃げるための足を止め、握りしめているルーン石に魔力を込める。

 攻撃が来るのが分かるのならば、攻撃に合わせて反撃することも可能だ。

 カウンター。

 これこそが朝陽の見出した勝利への道筋。ホムンクルスは義足となった両足で飛び上がり、右腕の刃で斬りかかってきた。

 失敗すれば死が待っているだろう。だが、振り切るように朝陽は動き出す。

 刃を恐怖ともに躱し、ホムンクルスの腹部か胸部のどちらかを狙ってルーン石を叩き込む。

 

 ──アンサズ。

 

 炎が吹きあがり、ホムンクルスの身体を一瞬だが覆い尽くし、魔弾のような衝撃でホムンクルスを五メートルほど先へ吹き飛ばし相手を背中から地面に叩きつけた。

 ランサーが刻んだルーン石には二つの役割があった。

 一つ、現に使ったように炎を引き起こすもの。

 二つ、炎と同時に魔弾をぶつけるもの。

 直接石をぶつけても、石を投げつけてようとも、効力は十二分にに発揮する。

 朝陽は心の中で彼女に感謝した。

 

「チッ、油断しやがって。おいさっさと立て!」

 

 ラインハルトが怒号を飛ばすと、ホムンクルスはゆらゆらと立ち上がる。

 彼女の服は焼けており、腹部の皮膚も火傷を負っている。常人が戦える状態ではないのだ。どうして彼女は立つ。痛みを感じないのか。

 

「止めろ。その子は戦える状態じゃないだろ」

 

 朝陽の敵に同情した台詞に、ラインハルトは失笑した。

 

「フハハハハハッ! おいおい今度は何を言い出すかと思えば。いいか? ホムンクルスに自分の意志なんてない。命令されたことをただ実行するだけなんだよ! 俺が戦えって言ったら戦う。それがこいつらの存在理由だ」

 

 彼が嘘偽りを言っているとは思えない。紛れもない事実なのだ。だとすれば、目の前にいる幼気(いたいけ)なホムンクルスは壊れるまで、いや壊れても動き続ける。

 痛いと叫ぶことすら出来ずに。

 直後。朝陽にまたしても激しい頭痛が襲いかかる。最悪のタイミングだ、一体何が引き金になっているというのだろうか。

 彼が痛みで表情を歪ませると、ホムンクルスは攻撃を仕掛けてきた。

 

「クソッ!」

 

 朝陽は躊躇してしまった。ポケットのルーン石を使用することを。

 相手も多少なり傷を負ってくれたおかげで、鈍った攻撃を簡単に回避できたが、反撃には転じなかった。

 だが疲弊する身体では避け続けられない。

 待っているのはいずれにせよ死。

 このままでは殺されてしまう。

 その時だった。

 目にも止まらぬ速度で黒髪の女剣士はホムンクルスの義手を切断した。

 

「あん、たは……」

 

 彼女はラインハルトから朝陽を守るように彼の前に刀を収めて仁王立ちした。

 

「貴様ッ! 勝負の邪魔をするつもりか!?」

 

 予期せぬ乱入者でうろたえるラインハルトに、彼女は凛とした目つきでこう言った。

 

「私はね勝負は好きよ。その結果死ぬのも結構。でも、これじゃあ勝負にすらなってないじゃない。一方的な暴力は一人の人間として看過できない」

 

 柊継。彼女がラインハルトに向かって刃を向けたのだった。

 

 

「立てる?」

 

 彼女に言われ、朝陽は自分が知らない間に尻餅をついてしまっていることに気がつく。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 朝陽は地面に手を着き、ラインハルトと継を警戒しながら立ち上がる。敵である彼女がどうして自分を助けてくれるのか、理解できなかった。

 

「教えてくれ。どうしてあんたがここに?」

 

「こいつを叩きのめしてから教えてあげる。セイバーも貴方のサーヴァントの援護に向かわせたわ。今は味方よ、信じて」

 

 継は刀の切っ先をホムンクルスとラインハルトに向け瞳に敵を映して、宣言する。

 

「貴方も奥の手を出しなさい。改造したホムンクルス如きでは、私は止められないわよ」

 

「くっ、おいお前! 何ぼさっとしてやがんだ! さっさと動け!」

 

 ホムンクルスは斬られた右腕を抑えて、両の義足の踵とすねから腕同様に刃が飛び出す。

 ホムンクルスもまだ戦意を失っていない。否、失うことを許可されていない。彼女は戦うことでしか生きていけず、戦うことでしか死ぬことを許されていない。

 彼女たちはほとんど同時に動き出す。

 ホムンクルスは足を蹴り上げ、装備されている刃で継の柔肌を切り裂こうとする。が、継は刀で苦もなく捌き切る。朝陽も一目で察した。

 両者には超えることのできない実力の壁があると。

 ホムンクルスの彼女がまるで踊るように連続で攻撃を加えるが、その一切が継に決して届かない。

 継は僅かに大振りになった蹴りを躱して刀を返し、峰でホムンクルスの脇腹を強打する。くの字に身体が曲がった瞬間に首に一撃を叩きこむと、ホムンクルスの身体は地面に勢いよく叩きつけられ完全に静止した。

 

「言ったでしょ、奥の手を出しなさいって。私とこの子じゃあ勝負にすらならないのよ」

 

 彼女の言葉にラインハルトは下唇を噛み、悔しさで表情を歪ませながら大きく肩を震わせる。

 

「クックックッ。ハハハハハ! 良いだろう! 死ぬことが望みなら、そこの男と一緒に殺してやるよ!!」

 

 ラインハルトが吠えると、直前にホムンクルスから手渡されたアタッシュケースを前に突き出す。

 

「傑作──モンスター」

 

 ラインハルトがぼそりと呟くと、アタッシュケースが突如として独りでに開く。中からおぞましい魔力とともに現れたのは、モンスターの名の通り、およそ人とは思えない怪物だった。

 二本の足で立ち、丸太のように太い二本の腕と背中から生えているもう二対の腕。口から飛び出している牙に滴る涎。筋骨隆々な巨躯に加えて血走った眼で朝陽たちを睨む。

 

「GAaaaaaaaa……」

 

 怪物は唸声を上げ、朝陽たちを威嚇する。

 

「フン、驚いて言葉もないか。これこそが俺の傑作のひとつ、モンスターだ! 人間の型を残しながら理性を消し、我が研究の粋を集めた。行け、手始めにそこの生意気な小娘をブチ殺せ!!」

 

 ラインハルトは余裕綽々に自慢話をしながら怪物に戦う命令を下した。

 怪物は()えながら走り出す。

 このままでは、いくら腕が立つと言っても継の小さな身体では捻り潰されてしまう。

 朝陽は継の前に立つ。彼女は紛れもなく今は味方だ。ならば、身体を張って守る。助けられた借りは返さなければ気がすまない。

 朝陽はポケットからルーン石を取り出し、先ほどより多くの魔力を込めて怪物に投げつける。

 

「!?」

 

 驚愕する怪物を覆い尽くす炎。だが、朝陽の抵抗は敵を殺しきれるほどでは無かった。

 怪物の体表を覆っていた炎が消え、火傷の傷の痛々しさが残ったまま怪物は朝陽たちに迷わず走ってくる。朝陽が力不足を痛感した瞬間、継が彼の脇からするりと風が吹き抜けるように駆け出す。

 

「助けてくれてどうもありがとう。でも、貴方が狙うのはあっちの男でしょ?」

 

 彼女はそう言って微笑む。

 継は全身を魔力で強化した。ちなみに彼女の魔術を捕捉すると、通常の状態が零足だとすると、三足までは急激な加速または減速が可能なのだ。

 そして三足。もはや常人では三秒も瞳に映していられない速度に達している。彼女は怪物が振り上げた丸太のような腕を紙の如く切り裂く。

 出血を伴う傷となったが、怪物は火傷とともに即時再生を始める。

 

「再生!? まったく面倒ね!」

 

 継が戦っている間、朝陽もラインハルトと戦うことを覚悟した。ポケットからもう一度ルーン石を取り出して、ラインハルトに接近する。

 

「チッ、仲間が増えたくらいでイキがるなよ!」

 

 朝陽はルーン石をラインハルトに投げつけるが、彼の魔力障壁(しょうへき)によって防がれてしまった。

 ラインハルトの左腕の肘から先は宝石が複数内蔵し、改造された義手だった。朝陽のルーン石を防いだのは、彼の義手の甲に仕込まれた宝石魔術だった。

 

「人形師が本体で戦えないとでも? 甘いんだよ、てめぇはさぁ!」

 

 ラインハルトは掌を向け、小振りで彩り豊かな宝石を銃弾のように打ち出す。もちろん朝陽も魔眼にも見えていたが、すべては避けられず彼の腹部に一つだけ直撃する。

 

「ガハッ!?」

 

 朝陽よりも練度の高い魔力での魔弾。耐えられない激痛が襲いかかる。

 朝陽が吹き飛び、背中から地面に叩きつけられた。

 反応できなかった。

 宝石魔術とは、宝石に込めた魔力によって効果を得る魔術である。通常は人の手による投擲などが主流なのだが、ラインハルトは義手から宝石を高速で射出しているのだ。

 朝陽の魔眼を持ってしても、すべて避けるのは不可能に近い。

 朝陽は直撃した腹部を押さえながら立ち上がる。

 幸い、内臓破裂や骨折は引き起こしていない。

 激痛で呼吸が辛いが立てなくなるほどでは無い。だが、また宝石を射出されては身が持たない。

 残るルーン石は二つ。

 たとえ投げつけたとしてもまたラインハルトに防がれてしまう。ならば勝つ方法は一つ、直接彼に叩き込むしかない。

 

「立てたとしても、息も絶え絶え。そんな状態でどうしようって言うんだ。命乞いをしろ。そうすればてめぇを人形に改造するだけで許してやるよ」

 

 ラインハルトはよろけながら立ち上がる朝陽を見つめ、勝利を確信したのか、肩を大きく震わせながら(なぶ)る目つきでそう言った。

 

「こいつよか良い駒になるんじゃねぇか?」

 

 地に伏せ、もう戦えないホムンクルスに対してラインハルトは靴底を執拗に彼女の頬に擦り付けた。

 ホムンクルスの虚ろな瞳が誰かと重なった。

 焼けたフィルムのように途切れた記憶の中で、朝陽はあの虚無なる瞳を見た覚えがあった。助けを求めることも逃げ出すことも許されない、囚われた瞳。

 

「──どけろ」

 

「は?」

 

 朝陽は拳を固く握りしめ、怒号を飛ばす。

 

「その足をどけろって言ってんだよ!!」

 

 彼は激昂していた。

 この沸々と心の底から這い出る感情が一体どうして現れたのか、朝陽は知っている。

 継が言っていた通り、戦って死ぬことを享受している者ならばその人間の生き死にに文句などない。だが、戦うための道具として死ぬ覚悟を、死ぬ選択を受け入れていないしていない無垢な者たちを利用しているのならば、許すことなどできない。

 ──たとえ、この身朽ち果てようともそんな暴挙止めてみせる。

 朝陽の全身から体内魔力が溢れ出す。

 

「くっ、なんだこいつ!?」

 

 ラインハルトは思わず一歩だけ後退りして朝陽との距離を取った。

 ──何を逃げている、相手は足元にも及ばない三流魔術師だぞ。

 ──三流魔術師のはずだ、なのにどうして冷や汗をかいていている。

 

「調子に乗るなよ!」

 

 ラインハルトは義手を再び突き出した。

 

「死ねぇ!」

 

 ラインハルトの言葉とともに義手から宝石が射出された。

 A級の宝石を用いた魔術。直撃すれば敵の身体は粉々になりこの世界から消え失せる。そして、躱すことができない高速射出。

 義手に負荷こそかかれど、決死の一撃だ。

 放たれた宝石が朝陽の目の前で割れ、魔力のドームを創り出す。中は高濃度に圧縮された魔力の渦。どんな大魔術師でも無傷で防ぐことは不可能。

 ラインハルト対朝陽の勝負は、これにて決着。かと思われた。

 だが、宝石魔術の効力が弱まった瞬間。

 朝陽が並の魔術師では反応できない速度で渦から飛び出した。

 彼の身にかかっているのは、魔術師ならば誰でもできる強化の魔術なのだが、他者と一線を画すほど高位だったのだ。

 

「馬鹿な!? 何故無事でいられる!?」

 

 ではここで、朝陽があの宝石魔術を受け、どうして傷が少なかったのかの答え合わせをしよう。

 もちろん、ラインハルトの宝石は高速で打ち出された。だが、宝石の軌道は当然朝陽の魔眼にも見えていた。そして咄嗟に発動した身体強化の魔術で飛んできている宝石にルーン石をぶつけたのだ。

 宝石はルーン石にぶつかり、彼の前で炸裂。魔術の影響が無かったわけではないが、肉体の原型は留められ、さらに高位の身体強化魔術を肉体に施し、効力が弱まったと同時、最もラインハルトが油断している瞬間に攻撃を仕掛けたのだ。

 ラインハルトは舌打ちをして、義手の拳を握ろうとしたが、義手の反応がコンマ数秒遅れる。

 

「まさか──」

 

 義手の不具合。元より義手は身体と密に連携をとるため、メンテナンスや調整を細やかにしなければならない。彼は義手に負荷をかけすぎた。ルーン石の防御に、高速で宝石を射出、極めつけはA級の宝石の行使。

 宝石に蓄積されていた魔力は義手にほんの僅かに悪影響を及ぼす。本来ならば気になるほどでは無い。だが、戦闘においてはまばたき程度の心の乱れが、命取りとなる。ラインハルトは拳を今度こそ握り、朝陽に向かって思い切り振り抜く。

 しかし、拳の軌道も朝陽の眼には見えていた。

 ラインハルトの拳を躱し、彼の鳩尾(みぞおち)にルーン石を直接叩き込む。

 魔力の煌めきとともに炎が上がり彼の身体は魔弾の衝撃によって大きく後方へ吹き飛んで行き、散々足蹴にしてきた地面に二転三転と転がる。

 

「やったのか……?」

 

 朝陽はラインハルトの戦闘不能を確認する前に膝から崩れ落ちる。彼もまた傷を負い、想像以上に疲弊しているのだ。

 

「てめぇ……ふざけやがって……」

 

 これ以上にないほど完璧に全力のルーン石を見舞ったラインハルトが身体を起こそうとする。だが激しく咳き込み喀血(かっけつ)し地に伏せる。

 

『ここは引きましょうマスター』

 

 念話でキャスターが彼に撤退を要求してきた。

 

「ふざけんな……俺に、こいつら如きに恥をさらせってのか……」

 

『ええそうです。死んでは汚名を晴らすことは出来ません。生きていれば、この度の恥じも(そそ)ぐことができましょう。マスター、ご決断を』

 

 ラインハルトは義手を地面に弱々しく叩きつけた。

 これを撤退の合図と判断したキャスターがラインハルトの元に颯爽と現れ、彼を担いだまま朝陽を一瞥して何か意味のある笑みを浮かべて飛び去った。

 

「どうやら片付いたようね」

 

 あの怪物を傷を負うこともなく倒した継がそう言いながら血の付いた刀を払い鞘に戻す。彼女の背後には手足と首を切られた、暴れていた姿など見る影もなくなったただの肉塊があった。

 

「立てる?」

 

 彼女は朝陽に向かって今度は優しく手を差し伸ばす。

 

「すまない……」

 

 朝陽は彼女の伸ばされた手を握り、やや警戒した面持ちでゆっくりと立ち上がる。

 

「どうしてあんたが俺を助けてくれたんだ?」

 

「それは儂も是非聞かせてほしいな」

 

 キャスターとの戦闘を終えたランサーとセイバーがマスターの元へ集まる。

 ランサーはそっと傷ついた朝陽を継の元から自分の腕の中に引き寄せると、訝しげな表情で尋ねた。

 

「ランサー、無事だったか……」

 

 朝陽が彼女の横顔を見つめ、目立った傷も無い様子の自分のサーヴァントの帰りに安堵していると、ランサーは彼の額を人差し指で弾く。いわゆるデコピンだった。

 

「馬鹿者め。マスターであるお主がこんなに傷ついてどうする。修行が足りんな、修行が。明日は覚悟しておけ。みっちり私が鍛え直してやる」

 

 ランサーが怒っているように思えた。朝陽の胸を透く懐かしい感覚。似たような経験を一体どこでしたのだろうか。思い出せないが、朝陽は力なく笑った。

 

「すまん。これから……気をつけ、る」

 

 そこで、彼の意識がぷつりと途切れた。

 



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