もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。 (夜中 雨)
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《プロローグ》



・Fate……………………………clear!
・Unlimited Blade Works……clear!
・Heaven's feel ………………clear!
・Destiney Movement ←new!!




 

 

「アンタとはきっと、殺す殺さないの関係までいきそうだ」

 

 はじめは、とてもびっくりしたものだった。だってそうだろう? 初対面の女からいきなりそんな事を言われたのだから。

 それから、(わたし)の顔をジッと見て、ひとつ頷いて、「やっぱり、あたしの目に狂いはなかった」って。

 もう訳がわからなかった。

 だから、「貴女(あなた)どちら様?」って私が聴いて、それでやっと、アイツは名前を名乗ったのだった。

 

 美綴(みつづり)綾子(あやこ)という女は、とても変わった女だった。確かに時々(ときどき)本音(ほんね)が入ると口調が男っぽくなるけれど、今言いたいのはソコではなくて、そういうのではなくて————普通に考えて有り得ないほど、あの女は“物知り”だった。

 “物知り”という言葉を聞いたとき、人はどういう人物を想像するのだろうか。

 きっと、“歩く図書館”とかそんな感じの。あるいは“頭でっかち”とかだろうか。

 でも、あの綾子に限っていえば、そんなことはない。

 

 その程度ではない、と言うべきだろうか。

 

 知識がある、程度ではなく、知恵がある女だった。

 いつ作ったのかも分からない人脈を持っている女、でもあった。

 時々、“人ではない”ような、あるいは“枯れ果てたおばあちゃん”のような、そんな雰囲気を見せる女、でもあった。

 まあ、結局この物語は、そんな“へんな女”が登場する“へんな物語”だと言うことで、ひとつ勘弁(かんべん)してほしい。

 それから————

 

 それから、“プロローグ”だなんて、物語風に始めてみたはいいけれど、この物語はまだ終わっていないのだから、物語というべきではないと思う。

 だって、この物語が終わるのは、私たちが皆、死に絶えた時だけだから。

「それまではずっと続けていく」と、みんなで決めた物語だから。

 ———“物語”と言うものには必ず、始まりと終わりとがあって、どういう風に始まってどういう風に終わるかで、物語全体の意味付けが決まる。

 物語だけの話じゃない。

 歴史だって同じこと。

 今の政治家たちの政策が、正しかったか間違っていたか、効果があったか無かったか。

 そう言ったことは、その政策が及ぼす影響がぜんぶ終着したあとで、結末から逆算して初めて、読み解くことができるものだ。

 物語もそれと同じ、“良し悪し”と“意味”とを評価するためには、一度結末まで読み終えてしまわなければいけないのに、『この物語は終わらない』なんて()かすのだ。

 

 それはもう、物語ですらない。

 

 物語と呼んでいいものでは、決してないのだ。

 とにかく、私たちの物語はまだ終わっていない。

 私たちがそう決めた以上、物語はまだ続いている。

 続いてる以上、出来事の意味は変わり続ける。

 ———だけど、

 私たちの物語はまだ終わっていないけど。

 その出来事の意味は変わり続けているけれど。

 それでも、()()()()が終わってしまったこと、その事実だけは、今も変わらずここにある。

 

 “聖杯戦争”と、呼ばれる儀式が(おこな)われた。

 その最中(さなか)に事件が起きた。

 いや、『聖杯戦争そのものが既に事件だ』と言われると、何も反論はできないけれど。

 “聖杯戦争”は全部で5回行われたらしい。60年周期で4回と、10年空けてもう一度。

 その中で私が参加したのは、一番最後の5回目だけ。

 4回目はほとんど何も知らなかったし、それよりも前は生まれていない。

 今回私が語るのは、5回目の聖杯戦争のこと、その最中(さなか)に起きた事件のこと。

 

 それから、衛宮(えみや)士郎(しろう)のことだ。

 士郎はこの事件を通して、ついぞ何も変わらなかった。

 でも、何かに気づいたみたいだった。

 それが何かは、結局、分からずじまいだったけれど……。

 もっとも、桜のほうは思いあたる(ふし)があるようだった。

 問いただしてみても要領を得ない言葉ばかりで、私にはチンプンカンプンだったけれど。

 

 だから、私に出せる結論は一つだけ、『衛宮士郎が別人になった』ということだけだ。

 確かに、この事件の前と後とで、士郎自身は何ひとつ変わっていない。見た目も、考え方も、性格も……それなのに、私からみた衛宮士郎は明らかに別人なのだ。

 別人のように、見えるのだ。

 “男が恋をする”とは、こういうことを言うのだろうかと、あの時の私は思った。

 

 この世界には人の数だけ物語がある。

 同じ出来事でも、人の数だけ見方があって、人の数だけ解釈が違う。

 私から見たら悪いことでも、その人から見たら違うかもしれない、

 私から見たらおかしなことでも、その人とっては普通かもしれない。

 

 今回は、基本的に士郎の視点で物語が進む。

 私が口を挟むこともあるけれど、それは()()()、だ。士郎視点だけでは(わけ)が分からなくなると思ったトコロだけ。

 どうしてかと言うと、私や桜の視点をあまり多くしてしまうと、その都度流れが途切れてしまって、わかりにくいんじゃないかってのがひとつ。

 それから、士郎の事をもっとたくさんの人に知ってほしかったから。つまり———

 

 あの男は誤解されやすい。

 あの男はあまり好かれない。

 

 これまで、私も何度か話したことはあったけど、あまり、良く思われていないようだったから。

 理由は、よくわかる。

 士郎は未熟だ。

 “私を護ってくれる”という安心感が、あの男には欠けている。にもかかわらず、突っ込んで行くのだ。

 “かっこよくない”と、言いかえてもいい。

 私も女だ。“強い男”や“完成された男”の魅力は、言われるまでもなく知っている。後ろから抱きしめられるとか。うん、アレはクル。だから、“赤い弓兵”や“青い槍兵”、“金色の王様”の方が、士郎より断然かっこいいという、彼女たちの言い分もよくわかる。

 でも、

 それでも、いや、そうだからこそ。士郎の魅力を知ってほしいと、私は思った。

 だから今回、私は士郎の視点で話を進める。

 彼がどんな男なのか、彼がどれだけ頑張ってきたか。そして、彼の心がどれほど強いか。

 

 そうだ、これは私による、私のための盛大な惚気話(のろけばなし)だ。

「ギルガメッシュの方がかっこいい」とか()かす、あなたに対抗するための惚気(のろけ)(ばなし)だ。

 とは言っても、“常に優雅たれ”を家訓とする私としては、ただの惚気(のろけ)(ばなし)なんて負けと同じだ。相手を辟易(へきえき)させるだけのお話なんて、全然優雅じゃないし。

 

 だからこれは、あなたに対する、私からの挑戦状でもあるのだ。

 途中で飽きればあなたの勝ち、最後まで惚気(のろけ)られたら私の勝ち。私が勝ったあかつきには、私の気分が爽快になるという寸法だ。

 そんな訳だから、私は、私の持てる全てをもって、あなたの興味を引き続ける。あなたが飽きてしまわないよう、最後までちゃんと惚気(のろけ)るために。

 

 さて、前置きも長くなってきたところだし、そろそろ本題に入ろうかと思う。それは当然、このお話の主人公についてだ。

 このお話の主人公は当然、衛宮士郎。

 そしてこれは、美綴綾子の物語でもある。

 とはいっても、このお話は世間でいうところのダブル主人公ではない。

 主人公が二人いるのではなく、ストーリーが二つあると思ってほしい。

 惚気(のろけ)(ばなし)物語(ものがたり)、ひとつの出来事にストーリーが二つある、といったもので、つまりはどんな出来事でも、受け取り方が違えばまったく違ったものになる、ということだ。

 

 そして最後に、この惚気(のろけ)(ばなし)の結末は、やはりハッピーエンドが良いと思う。他人の不幸で惚気(のろけ)るほど、私の性格は悪くない。 

 

 さあ、長い前置きはこれにてお(しま)い。

 彼の話をするとしよう。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 衛宮士郎。彼はどういった人間か、と聴かれても、私はキチンとした答えを返すことは出来ないと思う。

 それは、私の中で答えが定まっていないから、ではなくて、初対面の人間にはどれだけの言葉を()えて聴かせても、きっと正しく伝わらない、誤解させてしまうのだろうな、というのがあるからだった。

 だから、私はいつも、こう答えるようにしている。

 

「あの男は変人だ」と答えるように。

 

 それは、衛宮士郎に対する理解の深さが、人によってかなり盛大に上下するからである。彼と学校の中でしか接点がないなら、彼についての評価はない必ず“良い人”か“優しい人”のどちらかに振れることになる。でも、一定以上の理解があるなら、そんな認識にはなりはしない。

 私としてはかなり辛辣な対応をしていると自認しているし、評価も割と辛めだと思う。

 実際、桜は最近、士郎を全肯定しそうな雰囲気を(かも)しているときがあるし、ヤツの師匠はヤツの師匠で、なんだかんだと弟子には甘い。そこら辺は三人でちょうどバランスが取れていると、思えてきた次第である。

 まあ、なんだ。色々と変な方向に話が逸れているかもしれないけれど、何が言いたいのかと言うと、つまり。

 士郎のことを知りもしないで、ぐだぐだ()かすアホどもを、はっ倒したいと言っているのだっ! 

 

「なぁ遠坂、そろそろ機嫌をなおしてくれないか。たのむよ」

「だって、アイツら許せないじゃない!」

「とは言っても、単に馬が合わなかっただけだ。目くじら立てるようなもんじゃないぞ」

 

「わたしも姉さんに賛成です。あんなの、先輩が悪いみたいじゃないですか」

 

 士郎のこととなると途端に意見が合わなくなることに定評のあるうちの妹も、今回だけは同意見のようである。当然だ、あんなこと言ってきたんだから。

 

「アイツら、あなたの事何て言ってたか忘れた訳じゃないでしょうね。“サンドバッグ”って言ってたのよ!」

 

 いうに事欠いて“サンドバッグ”ときたもんだ。そりゃー、普段温厚な私もブチ切れるってもんである。

 意味は、“暴言を吐かれても言い返さない”+“唾を吐かれても笑ってる”+“殴られても殴り返さない” = “やりたい放題し放題”、といったとこだろうか。

 地域紛争が起きたからって、ワザワザ駆けつけに行ってやったってのに。

 バカにしてる。

 奴らに手をあげなかった私は、褒められるべきだと思うんですけど。

 

 

 現在、関西国際空港。ゲートラウンジ。

 北九州行き、本日最後の便を待っているところ。

 時刻は午後7時回ろうか、というあたり。大量に並べられたプラスチックのイスの群れは、ガラス()りの窓の外に見える暗い夜空と窓の内側にある照明との光とに彩られ、ずいぶんと無機質に黒ずんでいた。

 その、一角。

 

「それだけじゃないんですよ、先輩。あの人たち、適当なこじつけと屁理屈で、全部先輩のせいにしてたんですっ!」

 

 椅子から立ち上がった桜が吠える。

 驚いた、普段から声を荒げるのを嫌うこの子が、まさかここまで大きな声を出すなんて。

 ここのゲートラウンジの椅子は全部が同じ方向を向いて設置されている。まるで学校の教室のように、前と後ろが存在する。

 私たちはその“左後ろの(すみ)”にいて、ラウンジの他の人間からは見えにくい場所に座っていた。

 私からは(まわ)りの人たちの背中が見えているものだから、大した事をする必要もないだろうと、簡単な認識阻害の結界だけを()って、飛行機に乗るまでの時間をつぶしていた。

 ———ハズだった。

 

 桜の大声に、周りの客たちが一斉に振り向く。

 桜が()えた部分だけで、不穏なニュアンスを感じとったのか、私たち三人ともに“好奇心”が突き刺さる。

 こんなことなら遮音結界も張っておくんだった。お陰で、まわりの視線がすごいのなんの。

 でもまぁ、今からでも遅くないか。ポケットから巾着(きんちゃく)(ぶくろ)を取り出して、中にあるターコイズの粉末を(つま)む。

 

 私は早口で呪文を唱えた。

 

「ああ、うん。それは、俺も知ってる———」

「知ってるなら! どうして先輩は何も言わないんですかっ」

「そこはほら、あの、ほら、なんと言うか……その」

 

 私は左手で頭をおさえながら、会話の聞こえる左側を盗み見た。

 士郎の奴は顔の横に両手を持ってきてワタワタと揺らしている。

 ……はぁ。

 まったくもって面倒な事だが、これから私たちがやらなきゃいけないことを思うと、こんなところで躓いてはいられないのだ。だから私は、“切り札”を使うことにした。

 立って論争している二人を横目に、プラスチックの椅子に脚を組んで座りながら、“士郎にも聞こえる声”で(ひと)(ごと)をつぶやいた。

 

「だいたい、綾子も綾子よ。いっつも私たちを見下したり(あなど)ったりするような奴らの所にばっかり送り込むんだから。

 アイツがどれだけ偉いか知らないけどね、こっちも限度ってものがあるのよ」

 

 わかる? 士郎。と、抱えた左手の指の隙間(すきま)から睨む。

 士郎の奴は綾子の話題にめっぽう弱い。この話題で愚痴ってやると、確実にこっちが勝ちを拾え———

 

「何言ってるんだ、遠坂。今、美綴の奴は関係ないだろ」

 

 …………はっ? 

 

「だいたい今は、こっちの紛争の話をやってるんであって、一般人の美綴はこの話には全然か———」

「関係ないワケ、ないでしょうがっ!!」

 

 今度は、私が立ち上がる番だった。士郎を真正面から()め付けて、詰め寄った。

 

 そう、関係ない訳がないのだ。あの女の影響力はかなりのものだし。

 そもそも、綾子の話題で士郎が怯むっての自体が気に入らないってのに、“関係ない”とか言いやがった! 

 

 でも、

 

「もういい、帰る! こっちくんな!!」

 

 こういう強引な言い回しは、ちょっとやり過ぎだっただろうか。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「桜、覚悟しておきなさいよ。士郎はあれで、結構根に持つタイプだから」

 

 時刻は既に8時過ぎ、飛行機の中。真ん中の通路より左側の窓ぎわの席で、雲に隠れて見えもしない夜景を眺めながら、桜に向かって呟いた。

 私の右、通路側からの物音が消えた。さっきまで、桜が重い鞄を(まさぐ)ってたみたいだったけど。

 

「それで十分なんです。少しの間でも、忘れないでいてくれたなら」

 

 その声の中には、いろいろなものが混ざって聞こえた。

 元々は桜が言い出したことだ、「聖杯戦争に先輩を巻き込みたくないんです」と。理由は、士郎がいつも無茶をするから。それに私が乗っかったのだ。「二人でさっさと終わらせてしまおう」と。

 そうして、士郎を置き去りにした。

 適当な理由をつけて士郎を動揺させ、暗示をかけて。

 

 だけど。

 桜の声には、それとは違う何かがあった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 高校二年の冬、私たちの聖杯戦争はこれから始まるのだ。

 士郎が首を突っ込めないように眠らせて、関西空港に置き去りにして、冬木に帰って来れないように()()()()()()()()()、綾子の奴を頼って欠席が進学に影響しないように手回しまでして。

 

 そうやって準備した聖杯戦争が近年稀(きんねんまれ)に見る大事件に発展するなんてこと、この時の私は、ちっとも思いつかなかったのだった。



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《第一話、聖杯戦争》

 

 

「———聖杯戦争?」

 

 なんだそれは。

 反射的に右隣を見やると、赤色の長いストレートを風に揺らしながら、彼女はチラリと、一瞬だけ俺を見た。

 

「聞いておらぬのか? あの二人が、以前から何かと準備をしていたというのに」

 

 俺、衛宮士郎が聖杯戦争のことを知ったのは、遠坂たちと別れてからさらに半日が経過した時のことだった。

 あの後、気がついたら朝だった。

 どうやら眠らされていたらしく、起こされてはじめて諸々(もろもろ)の事情に気が付いたのだ。

 

「なんにしても助かったよ。

 ありがとう須賀(すが)さん。なんとか、冬木には行けそうだ」

「そうか。だがひとつ訂正しておくとな、私の苗字はスカだ。スガではない」

「あぁ、そうだった……悪い。須賀(すか)さん」

 

 俺は横目で彼女を(うかが)う。

 赤毛をロングまで伸ばした彼女は、白いネックセーターの上から黒に近い臙脂(えんじ)色のジャケット、ボトムは茶色のワイドパンツ。

 胸元にはブランクルーンを(かたど)った木製のペンダント。

 そんな感じの格好で、運転席に座っている。

 なんというかさ、昼間とかに喫茶店のテラス席で脚でも組んでそうな感じの、カッコいい(ひと)なんだ。

 

 今、俺がいるのは赤いオープンカーの中、その助手席。

 運転席に座ってる赤毛の女性、須賀(すか)さんは、この車のことを“ロードスター”って呼んでいるから、そういう車種なんだと思ってる。

 今、赤いロードスターは高速道路を南下中(なんかちゅう)で、一路(いちろ)、九州地方へと向かっているというわけだ。

 

「それで、何の話だったんだ?」

「“聖杯戦争”の話だ、(たわ)け。ソレが、もうじき冬木で開催されると、そういう話だ」

 

 須賀(すか)さんは長い赤毛を風で踊らせながら、俺の方を(よこ)目見(めみ)た。その口元は、少し弧を描いていた。

 空は快晴。

 彼女はハンドルを撫でながら、楽しそうにフフッと笑った。

 

 須賀(すか)さんという人は、俺たちのアドバイザーにして協力者にして戦闘の師匠のような人だ。特にその戦闘技能には目を見張るものがあって、“武芸百般”というのだろうか、素手から暗器、銃撃戦まで何でもござれの達人で、おまけに歌と踊りも上手いという()(てつ)もない人なのだ。

 彼女と初めて会った時に名刺を渡されたのだが、そこに“お振り仮名”がなかったものだから、俺は彼女を「スガさん」と呼んでしまった。

 その結果、拳骨の一発と訂正の言葉が飛んできたのだが、今の今まで直せないまま、気を抜くと直ぐに濁点を付けて呼んでしまう。

 

 本人曰く、“スカ”という読みは“スガ”という読みよりも古いとかなんとかで、「スカの方が歴史があるのだ」「私のことはスカと呼ぶように」とのことだった。

 いや、他人(ひと)の名前の読みを間違えるというのは、それだけでめちゃくちゃ悪いことだが。

 

「まずそれがわからないんだ。なんなんだよ、“聖杯戦争”って」

「殺し合い、と聞いている。二人ひと組になって、七グループで殺し合いをするそうだ」

「それって、どういう経緯で勃発したんだ?」

「さて……な。冬木の伝統だと、私は聞いたが」

 

 伝統、つまりは昔からやってるということか。殺し合いと形容出来てしまえるものが、少なくとも、俺の生まれるずっと前から。

 

 俺の夢は“正義の味方”、だったりする。他人が苦しんでることに耐えられない性格(たち)だった。

 そんな訳だから、高校生になってからこっち、飢饉(ききん)が発生したり紛争が勃発したりした地域に行って、ボランティアでいろいろと駆け回ったりしているのだ。

 

「まぁ、お(ぬし)の投影魔術でカバー出来る範囲は広い。()()()()()()、遅れをとる事もあるまいて」

「? って事はつまり、俺は“合格”ってことで良いのか?」

「ああ、後は最後の試験を()って、私の修行は修了だ。良く、付いて来たな、士郎」

 

 須賀(すか)さんはもう一度、唇の端を吊り上げると、真顔になって車を止めた。

 

「———ふむ、渋滞か。すまぬな、士郎。これでは夜になりそうだ」

「いや、渋滞なら仕方ない。それを言うなら俺だって、起こしてもらえなかったら、今頃はまだ空港の中だったと思う」

 

 そう、空港だ。

 腕組みをして唸ってみる。どうして遠坂と桜の二人は、俺を眠らせる必要があったのか。

 今までだって、散々三人で戦場に行ってきた筈なのに。

 

「遠坂と桜。最近、何か変わったことはなかったか?」

 

 これは一度、聴いておかなきゃいけないことだ。

 

「さてな。イラクで最後にあった時は、そういった素振(そぶ)りはなかった(はず)だが」

 

 手掛かり、なし。

 彼女は気にするな、と言った。お前たちに乗り越えられない試練ではないから、と。

 

 車が、動き出す。

 

「とりあえず冬木市までは届けてやる。そこからはお前がやれよ、士郎」

 

 髪を()えさせる白のネックセーターは、彼女によく似合っていたと、俺は思った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「さて、冬木に戻ってきたはいいんだが」

 

 時刻はすでに夜になった。

 

 俺は、乱立するビルの屋上から、眼下に広がる街を見下ろしている。

 なんでそんな事をしているのかと言うと、それは今、俺の目に映っているモノが原因だった。

 そう俺は————剣戟(けんげき)を、目撃していた。

 “新都(しんと)”と呼ばれる、“急速に近代化が進んだ街”の外れ、取り残されるように存在する外人墓地の真ん中で、四つの人影が錯綜(さくそう)していた。

 

「遠坂のやつ、どうしてこんな」

 

 そのうちの一人が遠坂で、どうやら赤い外套の男と共闘しているように見える。

 

「これが、“聖杯戦争”というやつか」

 

 俺の立っているココから遠坂のいる外人墓地まではかなりの距離がある。それこそ、300メートルではきかないだろう。

 でも、これ以上近づくとマズい。感知される恐れも出てくる。

 300メートルも離れた人間を感知するなんて、それはもう並の人間ではない。

 注意が、必要だった。

 

 遠坂たちの敵となるのは“青い男”とパンツスーツの……多分女。身体(からだ)の軸の使い方、骨盤の操作が女性のそれだ。

 

 男女四人は急速にくっついたり離れたり、槍を振り回したり魔術をやったり、戦闘形態としては魔術師どうしのバトルのそれだが、圧倒的に規模が違う。

 

 普通なら、一瞬で100mを詰めたりしない。

 

 赤い外套を着た白髪の男、遠坂の相方と思われるそいつは遠距離主体なのだろうか。遠坂と入れ替わるようにして後ろに下がると、いつのまにか弓を持ち、いつのまにか矢を放つ。

 

 全部で七つ、その全てが必中であるとすぐにわかった。それ程に、綺麗な(しゃ)だった。

 

 避ける事は不可能だ。“すでに中っている七本の矢”には、それを躱す(すべ)がない。

 一見、対処できそうにも見えるだろう、拘束されてる訳でもなし。撃ち落とすなり避けるなり、出来る筈だと思うだろう。でも……

 

 これは、いつか覚えのある感覚だ。

 完全に呼吸を盗まれた一撃、感覚としては将棋で“詰み”になった時のソレに近い。そう、相手が()()()()を指した瞬間、己に対処の術なしを悟る。

 何も出来ない訳じゃないんだ。避けようとするなり迎え撃つなり……でも、その全ては間に合わない。ほんの一手、時間が足りない、()()()()()()()()()()。それが、呼吸を読まれるという事だから。

 

 矢は、パンツスーツの女性に向かって飛んでいく。それは、彼女が“居ついた瞬間”だった。

 ショートカットのその女性は、一瞬その矢を(かわ)そうとして、体が動かないことに気が付いた。

 

 筋肉で骨を動かすために、筋肉は収縮(しゅうしゅく)する必要がある。つまり、『次の瞬間に動かせる筋肉は、前の瞬間に緩んでいる筋肉だけ』である訳だ。だからアーチャーは、『矢を(かわ)すためには、“今縮んでいる筋肉”を使わなければいけないような位置』に矢を打ち込んだのだ。

 ゆえに、彼女は(かわ)せない。

 (かわ)そうとして硬直してしまったがために、打ち落とすことも出来なくなった。

 ならばこそ、その(のち)も、彼女が生きていく(ため)に必要なものは、ただ一つ。

 

 ————剣戟(けんげき)を、目撃した。

 青い男の赤い槍。

 どんな服なのかわからないが、全身()(さお)の男の手にある、魔力を(たた)える赤い槍。

 男は槍をぶん回し、その槍が、ひとつではない()(えが)く。

 一瞬の(のち)、全ての矢は落とされていた。

 

 ……。ひと息ついた、感じだろうか。ちょうど双方が、距離を取ったカタチになった。

 何かをしゃべっているらしい、口の動きが目に映る。

 だが俺に読唇術(どくしんじゅつ)(こころ)()は無い、話の内容は分からなかった。

 その時だ。男の(にぎ)る槍の殺気に、大気が震えたのは。

 

「——————————ッツ!」

 

 ドンっと、300メートル離れたここにも、魔力風が吹き荒れた。気迫が突き抜けていった。

 その気迫に目を見張る。

 有り得ない。

 俺も戦場にいたからわかる。コレは、殺気なんで生易しいものじゃない。

 殺気というものはもっと微妙で、相手が攻撃する瞬間、その一瞬に流れるものだ。

 そういうモノ、であるはずだった。

 心臓が萎縮する。

 ……ダメだ、力を入れると身体が居つく。だからダメだ。

 脊椎に凍った鉄を突き刺すような、感覚。

 .コレで良い。恐怖した時の身体操作だ

 、いつもやってきた事だ。

 脊椎に魔力を通して、そこに恐怖を溶かし込む。こうすれば、恐怖の中でも身体は動く。

 よし、動く。

 ここまでのは初めてだ。だからほんの一瞬、身体操作に時間をとられた。

 

 その一瞬で、世界が全く変わっていた。

 例えば、大気の中にも魔力はある。

 例えば、大地の中にも魔力はある。

 そしてそこにある魔力というのは、人間の中にある魔力よりもずっと、おおらかで溶溶(ようよう)たるものだ。

 当然、人がコントロールし得るものではない。

 それを、

 それを、赤の魔槍が根こそぎ喰らった。

 それを、呑み干してしまっていた。

 俺は刀剣には一家言(いっかげん)あって、戦場に身を置く者の癖か、無意識のうちに解析魔術を使うことが多いようで、あの槍も既に解析している。

 だからわかる。

 アレはマズイ。

 アレは、発動させてはならないものだ。

 そうなれば、必ず誰かが死ぬ事になる。

 

 槍の(まと)は赤い男か遠坂か。どちらにせよ、青い槍兵は手練れの男で、攻撃のタイミングも、対象すらも俺には読めない。

 ……だからだろうか、俺は

 いつの間にか手にある和弓に、矢を(つが)える。

 

 遠坂が()られる、そう思ったんだ。

 それだけの存在だった、それだけの戦いだった、それだけの魔力だった、だから俺は。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 走れ! 

 

 ——走れ!! 

 

 ————ただ走れ!!! 

 

 俺は路地裏を駆け抜ける。

 強化した脚で踏みしめる。

 人気のない小坂(こさか)をくだり、道なりに疾走する。

 振り返ってはいけない。

 体幹(たいかん)(ひね)るな、(じく)がぶれればそこで死ぬぞ! 

 感覚を研ぎ澄ませ。目は、障害物を避ける為だけに使えばいい。

 他の全てで殺意を感じろ。殺意は今、どこにむいている? 

 殺気の流れを感じとれ。その流れから身を外せ。

 

 相手を感じて、左脚を一歩ぶん、右へとズラす。

 俺の左手側、50センチほどの位置に、赤色の突きが抜けていった。

 

 遠坂は“狙撃手なんて知らない”って態度をとったと思う。こと戦場でのアイツの思考回路はよく知っている。たぶん、「白けたし、ここでお開きね」とか「再戦したいならいつでもどうぞ」とか、そんな感じだと思う。

 だから後は、俺が追っ手を巻いて、遠坂たちと合流するだけでいい。もっとも————

 

 

「オラァ——————ッ!!」

 

 撒ける気なんて、全くしないが…………。

 

 目指しているのは冬木中央公園だ。なんでも、10年前に大災害があって、一面焼け野原になって、それで縁起が悪いってんで自然公園とあいなった。

 あそこまで行けば、(ある)いは生き延びられるかもしれない。

 勿論、なんの手立てもない訳じゃない。禁じ手だと言われたが、それを使おうと思っている。

 これからやるのは一回限りの大博打、“禁じ手を俺に教えてくれた奴”すらも、どうなるかは分からないと言っていた。

 それを、使う。

 ……全く、自分の無才が嫌になる。

 後ろの奴は明らかに人間じゃない。とはいえ、俺はその“人間じゃない奴等”にも、太刀打ち出来なければいけないハズなんだ。

 正義の味方になりたいならば……

 それがこの(てい)たらくだ、本当に嫌になる。

 実際、後ろの奴らと真正面から闘えば、俺に勝ち目などない。

 かろうじて俺が生きているのはただ単に、逃げるルートを吟味していた事、スーツ女が槍使いほど速くはない事、それに加えて追っ手の二人が一般人に被害が及ぶことを嫌っているだろう事、コレら3つが偶々(たまたま)重なってるからだ。

 重なってなお、俺が生きているのが奇跡に思える。

 

 俺の戦闘スタイルは隙を(さら)す事から始まる。だいたいは頭か左腕が多いが、そうやって隙を晒してやると敵はそこ以外を狙えなくなってくる。

 どうあっても、隙のある場所を意識してしまうからだ。

 隙を晒す利点はもう一つあって、“隙を晒す場所”が致命的であればあるほど“それ以外の場所”は頑強なガードを作れる。

 “(かま)え”ってヤツはそういうものだ。どんな構えでも隙はある。むしろ隙があるから構えと言える。そういう点では、“隙のない構え”というのは“全身隙だらけ”と同じ事、()()()()()()の中にあってなお、相手の攻撃に対処できる身体を作れば、()れが“無構え”と言うヤツだ。と、いつか誰かに教わった。

 

 だからという訳でもないが、俺のスタイルは隙ばかりだ。隙を晒して攻撃を誘導し、それをかわす。

 

「どうするよ、バゼット。あのボウズやりやがるぜ。周りを気にしながら戦うのは面倒だ」

「そうですね。では、私も出ます。あの男の力量も、おおよそ見当が着きましたし」

 

 声が聞こえた。

 マズい。

 今までのは様子見だったのか。いや、どちらにせよ態勢を立て直されるとマズい、今ある“流れ”が切れたら終わりだ。

 上手くいかない時は何をやっても上手くいかない。逆に、上手くいく時は何をやってもだいたい上手くいく。そういう“流れ”ってヤツは戦場ではとても大事だ。

 

「それじゃあ、まあ……次でキめるか……」

 

 まさに今、“流れ”が途切れた。

 断ち切られた。

 だからマズい、次の攻撃はかわせない。

 そう、直感させられた。

 

 裏路地を走っている己の速度を維持したままで、右脚(みぎあし)を、振り上げる。その右脚の勢いを使って、自らの速度ベクトルを上方に修正する。

 ちょっとした身体技法だ、右脚を振り上げる事で左脚は自然に伸びて、家を二軒、跳び越えた。

 ……そして俺は終わりを悟った。

 既に均衡は崩れている。

 既に“流れ”は断ち切られた。

 そして、二人の攻撃を感知。

 幸い、ジャンプが間に合ったおかげで、攻撃のタイミングだけは制限できた。

 武術を学んである一定以上の力量を獲得すると、跳躍中の戦士への攻撃は非常に分が悪い事に気づく。“居着かない”という状態にあるとわかる。

 “居着かない”とは“居着く”の対義語で、“居着く”とは文字通り身体が地面にくっついてどうにも動かせない瞬間や状態を指す。

 ここで肝になるのは()()()()()()()()、というところ。そう、地面と身体とを切り離してしまえば“居着かない”状態を体現出来る。

 地面に居るヤツからすれば、空中にいる敵は基本的に狙えない、狙いが定まらないのだ。

 とはいえ、それは絶対ではない。絶対ではないが、かなりのリスクを背負うんだ。

 だからまず狙わない。

 じゃあ敵はどうにも狙えないのかといえば、そうではない。着地の瞬間を狙えるのだ。

 着地の瞬間は“居着かない”から“居着く”へとチェンジするから、だけでなく、その瞬間自分の脚は普段の何倍もの重さに耐えなければならないからだ。

 大きく居着く。

 とても、とても大きな隙となる。

 だからこそ、奴らは必ずそこを突きに来るはずだ。

 それに、()()()

 

「——————同調(トレース)開始(オン)

 

 撃鉄を上げ、引き金を引く。

 自らの魔力を、背骨を起点に起爆する。

 背骨を伝って上下に魔力を奔流(ほんりゅう)させる。

 そして意識が、自らの内に沈み込む。

 “投影魔術”、そう呼ばれる魔術技法が俺の賭けの正体だ。

 “投影(とうえい)”の名の通り、その魔術はプロジェクターのようなモノ。頭の中にあるイメージを現実世界に(うつ)し出すのだ。空想に魔力でカタチを与え、現実世界をほんの(わず)かに侵蝕(しんしょく)し、その存在を確立させる。

 ————そうして、俺の手に一振りの打刀(うちがたな)が像を結んだ。

 漆黒(しっこく)(さや)を左手で(つか)み、俺の右手は(つか)へとそえる。

 

「なにっ—————ッ!」

 

 声を拾った、気配の乱れも感知した。

 それは本当にほんの僅か、一瞬にも満たない刹那の停滞。その瞬間、彼らは直感に従って、“攻撃してイケるか否か”を判断したのだ。

 その、刹那の時間があればいい。

 居合術には時間の長短など関係ないのだ。

 “速い”も“遅い”もどうでもいい。

 時間がある、ただそれだけで、居合は既に完了している。刹那の()の内に終わるのだから。

 

「ッ——はっ!」

 

 吐息に乗せた、含み声をひとつだけ。

 時計回りに振り返りざま、左下から右上に逆袈裟に斬り上げる太刀筋で。

 俺の右から突いてきた槍と交差するように刃が走る。刃先では槍に絶対触れてはいけない、刃先で触れると刃(こぼれ)れするから、赤い槍と(しのぎ)を削る。

 

 刹那の()が終わる頃には、(しのぎ)は槍に触れていた。

 力はいらない、力で弾くわけじゃない。技を使ってあくまで軽く、(しのぎ)が槍に触れた瞬間、(しのぎ)でもって逸らした槍は、左側、スーツの女に流れていた。

 敵二人の目の色が変わる。

 俺は、脇目も振らず逃げ出した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「ハァ、ハァ…………ハァ—————っ」

 

 息を整える。

 魔力の流れを調整する。

 鞘はなくした。帯もベルトも巻いてないコート姿で“鞘引き”をかけたものだから、すっぽ抜けてしまったらしい。

 振り返れば敵がいる。

 敵の気配が感じられる。

 でも、やっと辿りついたのだった。

 

「随分と物騒な場所じゃねーか、おい」

「怨念の溜まり場、それも固有結界になりそうな程に凝縮されたもの、ですか」

 

 冬木中央公園。

 下草の生えた広い土地、外周には木々があり、それ以外はところどころのベンチだけ、そんな公園。

 ここは人が寄り付かない場所、だから来た。

 振り返る。

 俺の前には二人組み。

 一人は男、一人は女。

 男の方は青い髪に赤い瞳、さらには青い服を着ている。と言ったら語弊があるか。男の着ているのは、服というよりもボディーペイントに近い、青いウェットスーツのようなモノだ。得物は、赤く染まった槍ひとつ。まったく時代錯誤な男だ。

 女の方は黒のパンツスーツ、髪は赤紫のショートといったところ。両手に付けた黒いグローブから魔力を感じるから、あれが得物で間違いないか。

 さて、ようやく目的地にたどり着いた訳ではあるが、

 

「追いかけっこはこれで(しま)いだぜ、ボウズ」

 

 個人的には、ここからが本番だったりする。

 

 “禁じ手”。

 俺に許された唯一の勝機、可能性。

 とはいえ大規模な術式じゃない、すべて俺の中だけで完結する。

 魔術には“降霊術”という分野がある。

 神様とか精霊とか死者の霊とか、そういった現実世界では形にならないモノ、現実には干渉できないモノを“物の中”に呼び込むことで現実との接点をつくり、いろいろやる。

 そういうものだ。

 “召喚術”ともちょっと似ている。

 其は、魔力で(かたど)った器の中に呼び込むもの。精霊に、魔力で形を与えるもの。

 どちらにせよ“呼び込む対象”と接続出来なければ意味がなく、そこが一番難しい。

 だが今回だけは、それを気にせず行える。

 だからこその“禁じ手”だ。

 どうやら、俺の中には“何か”が埋まってるらしい。

 それが何かはわからない。でも、どうやら凄いモノらしい。

 “禁じ手”とは、それを己に降霊すること。

 まったく博打もいいとこだ。

 今までやったことがない。成功する保証などない。成功しても、何がどうなるかさっぱりだ。

 それでも、やらなければ死ぬだけだから。

 衛宮士郎よ、覚悟を決めろ。

 己の命を捨てる覚悟を。

 

 手に持つ刀を上段まで振り上げて、ゆっくりと中段の構えまで下ろす。

 先ずは時間を確保しないと、降霊なんて出来やしない。

 向こうも準備は万端みたいだ。青い男は槍を構えて、スーツの女はコブシを構える。

 

「——————同調(トレース)開始(オン)

 

 三人同時に踏み出した。

 

 禁じ手はまず、俺に埋まっているモノをそっくりそのまま投影することから始める。

 それから、投影したそれを解析して“使用者がその武器を使った時の技”を読み解いて、それを(ゆかり)にして持ち主を降霊させる。

 “憑依経験の降霊”と呼んでいるモノ。絶対絶命のピンチには、“俺の中にある物”を使ってそれをやりなさいと、聞いたことがあったんだ。

 

 手順は、言葉に直して三段ある。

 俺が一手を挟む時間を最低3回作らなきゃいけない。

 目の前の二人を相手に。

 

「シッ、ハァ———————ァア!!」

 

 槍による横薙ぎが来る。

 

「————フッ!」

 

 グローブに包まれた拳が迫る。

 

 こっちの武器は刀が一振り、対して向こうは槍一本に拳が二つ。

 力は敵が数段上、速さは槍兵がもっと上。

 打ち合えば刀が砕ける、弾いたりすれば連撃が来る。

 衛宮士郎に残された、活路はたったひとつ。

 

 腰を落として頭を下げる。

 足元のお金を拾うみたいに上半身を折りたたみ、それと同時に一歩右へ。

 横薙ぎの槍の一閃と、途中から、それが変化した突きをかわした。

 (もも)を引き上げる勢いを使って、地面に伏せる。

 四つん這いから転がって逃げる。

 これで、スーツ女の拳をかわした。

 これでやっと———

 

「そらボウズ! 今度はこっちが———ッ!」

 

 ———壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 四つん這いになった時に手を離した刀を分解、そのエネルギーを爆発に使う。

 原理的には原爆に近い……あれだ、相対論ってやつ。重さ=エネルギーってやつ。“重さ”を分解してエネルギーに出来るんだが、魔力でも似たようなことになる。

 流石に、放射線は出ないけど。

 

 刀が、爆発した。

 その爆風で距離をとる。

 感覚が飛んだ。

 五感すべてが一瞬消えた。

 思考にノイズが一瞬入った。

 爆風が収まりしだい顔を上げ、周りを見る。

 スーツ女を横抱きにした青い男を正面に見つけた。距離にして50mくらいだろうか。

 敵は、無傷か。

 こっちは、満身創痍だってのに。

 

「———————同調(トレース)開始(オン)

 

 今のうちに禁じ手の触媒を造ってしまおう。それが刀剣だったらいいんだけど? 

 

「あれっ? ……………………ガッ—————ッッツツ!!!!」

 

 身体が、縦にズレた。

 視界が、縦に真っ二つ。

 右と左がバラバラになった。

 魔力が、暴れる。

 

 痛い、とっても痛い。

 でも、痛みだけならまだマシだった。

 痛みだけなら、恐怖と同じやり方で克服できる。

 でも、あの方法は魔力を使う。

 そして、その魔力が制御できない。

 暴走、している。

 心臓に剣が刺さったみたいだ。

 

 見えない。

 上と下とがわからない。

 地面の感覚がなくなった。

 

「……………………………………ぅ、…………ァ……」

 

 耳が捉えた音も、判然としない。

 

「………………っ……ぉぅ、………………ッ…………………………」

 

 頬を撫でる()()()()が、少し冷たい……



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《第二話、Fate/Stay Night 》

 

 

「居合ってヤツを説明する時、三分割するのがやりやすいって言うの、覚えてるか?」

 

 道場の真ん中、(はかま)をはいて正座している俺の前に、一人分の人影があった。

 その人影も、俺と同じに(はかま)をヒラリと()いている。

 そいつは立ったまま、右手の、人差し指を一本立てた。

 

「アレだよアレ、“序・破・急”ってヤツ。始まりがあって、安定感の破壊があって、それで“無速”の抜刀になる」

 

 稽古(けいこ)()を着たそいつは女だけど、かなり男らしい喋り方をしている。

 

「三分割の3つ目、これをな、私たちは“離れ”って呼んでる」

「それって確か、弓道のと同じ名前だ」

「弓道射法の七節目、だろ。ワザと同じのを付けたんだ。だって、感覚は同じなんだから」

 

 彼女は和弓と真剣とを持って、弓と居合の感覚を、俺に実演してくれていた。

 

「難しい話は忘れていいから。ほら、やってみようぜ、衛宮!」

 

 そうやって笑った彼女の顔が、俺にはぼやけて見えていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 目が覚めた時、辺りは暗く、俯向(うつむ)きの頬に当たる下草は少し夜露に濡れている。

 

 夢の内容は、すでに(こぼ)れた後だった。

 誰の夢なんだったっけ。

 え〜っと、確か。

 

「あれっ? シキって誰だ」

 

 わからない。シキって誰だ? 

 というか夢って、いったい何を()たんだっけ? 

 と、その時———身体(からだ)が勝手に、左に跳んだ。

 

「————————ッツ!」

 

 奇襲かっ! 

 前回りのように受身を取りつつ魔力による空間把握……開けた場所だ。そして少し離れた場所で、莫大(ばくだい)な魔力が渦巻いている。

 ———知っている。

 俺は、この感覚を知っている。

 鳴動(めいどう)し、渦巻き、収束する魔力。

 衛宮士郎の左手側、10mほどの距離にある。

 その収束点に目を向ける。

 俺の目が認識したのは二つ。

 

 後ろ向きに吹き飛ぶ(あお)と、それを追いかける赤い槍。

 吹き飛ばされた蒼いドレスを着た少女と、それを追い打つ赤い槍を持つ男。

 青い髪の青い男は、身体(からだ)の右側に槍を保持して追いかける。左手は穂先(ほさき)(がわ)、右手は石突(いしつき)側を握ってる。上半身は地面と平行になるほどに倒して、槍を地面スレスレに構えていた。

 男が持つ、魔力が渦巻く赤い槍、その槍が一緒、強烈な赤に光った。

 

 それを目で追っている俺はただ、手を伸ばすことしか出来ない。

 アレは、発動させてはいけないものだ。

 アレが発動すれば、人が死ぬ。

 

 衛宮士郎は高校に上がってからずっと、暇があれば人助けをやってきた。

 衛宮士郎はいくつもの戦場を知っている。

 衛宮士郎は戦争の凄惨さを知っている。

 でも、未だに慣れないモノがある。

 でも、未だに受け入れられないモノがある。

 だから走った、間に合わないと知りながら。

 手を伸ばす、決して届かないとわかっていても。

 

 少女に放たれる赤い槍、アレはヤバい。

 俺は最早、無意識に槍を解析する。観ても何も変わらないって、自分が一番わかっているのに。

 槍の名は“ゲイ・ボルク”、一刺一殺(いっしいっさつ)の呪いの槍。呪いによって、相手に必ず当たる槍。一度当たれば、必ず相手を殺す槍。

 どんな呪いか、というのを言葉で言い表すと、“心臓を穿つという()()()()()呪い”といったところだろうか。留意すべきは()()()()()ってとこだ。

 過程は別に何でもいいんだ。胸側から突かれようが背中側から突かれようが、槍が勝手に爆走しようが、挙げ句の果てに空間が捻じ曲がって槍が心臓に当たろうが、そんなのは別に何でもよくて、呪いによって確定するのは“心臓を穿つという結果”だけ。

 心臓を穿つ過程の方は後から適当に決まるって事だ。“槍がひとりでに爆走すれば心臓を穿つ結果に繋がる”という事になれば槍は勝手に爆走するし、“空間が捻じ曲がる事実があれば心臓を穿つ結果に繋がる”という事になれば空間は捻じ曲がる。

 

 だから、“こうすれば防げる”っていう防御方法が確立出来ない。

 使い手を殺しても意味がない。心臓に当たるまで槍は爆走してくるだろう。盾を持っても意味がない。空間が捻じ曲がったり、槍が(むち)みたいになったりして、盾の隙間から心臓に刺さってくるだろう。だから、衛宮士郎は、少女を助ける(すべ)を知らない。

 

「“———————刺し穿つ(ゲイ)”」

 

 男が槍に魔力を注ぐ。

 槍から紅い光が漏れる。

 

「“—————————死棘の槍(ボルク)———! ”」

 

 男が槍を突き出した。

 この槍はかわせない。この槍は防げない。

 “そんな事は不可能だ”と衛宮士郎は知っていたから。

 

 この夜、俺は生まれて初めて、“運命が覆される瞬間”を見たんだ。

 突き出された槍が少女に迫る。蒼いドレスの金髪の少女は、何と、その槍を、彼女の持つ剣で弾いた。剣は透明だったからどんな剣か判らなかったけど、俺の目が解析した結果、ソレは確かに剣だった。

 少女から見て左から右へ、手に持つ剣で槍を弾き、軌道を逸らす。槍はそのまま少女の右側を通り過ぎる——————ワケがない。

 突き出した槍は心臓から逸らされた、なら“やり直せばいい”。

 時間の逆行、因果の逆転、事象の改竄(かいざん)。理由なんてなんでもいいんだ、どうせ後づけなんだから。

 槍の状態は元に戻った、それを突き出した瞬間に。

 そうだ、再び突き出す赤槍(せきそう)は、もう一度少女へ疾走する。

 ————瞬間、少女の剣がまた弾く。今度は右から左に向かって。

 穂先はついに出鱈目(でたらめ)を向いた。かなり勢いがついていたのか、男の腕ごと弾きだし、槍の穂先は後ろを向いた。

 

 そして何より、ドレスの少女は空中で、一度もバランスを崩さなかった。吹き飛ばされている時も、槍を左右に弾いた時も。だからこそ、今、この瞬間に、反撃のチャンスを掴めたんだ。

 彼女は(まん)()して、左から剣を薙ぎ払い———

 その身を槍が貫通した。

 

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)はかわせない、解っていた事だった。鞭のようにしなってでも、必ず対象を貫くことなど。

 そして、一度(ひとたび)槍が穿ったならば、穂先は無数に枝分かれ体内を蹂躙するという。その傷は決して、癒える事はないという。

 初めて見た時から、わかっていたハズだった。

 だから。

 

「躱しやがったのか! オレの槍(ゲイボルグ)を!!」

 

 だから俺は“少女が死を回避した事”が、とても信じられなかった。

 あの時俺は、能力の発動を確認し、少女の死を予見して、勝手に諦めてしまっていた。

 正に、未来予知めいた身体操作だった。

 少女の最後の薙ぎ払い、それはちゃんと、()()()()()()()が出来ていたのだ。

 しかし、触れたと言っても、それで槍が届かなくなる道理はない。だが現実として、呪いの槍は、彼女の心臓に届かなかった。

 どうやって、彼女が槍の呪いから、己の死という結果から、逃れる事が出来たのか、(つい)に俺にはわからなかった。

 可能性は幾つかあるけど、確かなことは、何もわからなかった。

 でも、俺はそれで良いと思った。

 

 理由なんて、わからなくでも良いと思った。

 

 この世に()る事象全てに、理由があるなんて事はない。彼女は今、“偶然”や“奇跡”と言ったものが確かにあるんだって事を、俺に思い知らせてくれた。

 

 本来に綺麗な、剣舞だった。

 惚れ惚れするような剣捌きだった。

 彼女の剣を見て俺は、運命の可能性ってヤツが見えた気がした。

 

 うん。

 

 とても良いものを見せてもらった。

 なら、お返しくらいはするべきだろう。

 

「おい、二対一は卑怯じゃないのか?」

 

 蒼い少女を護るように、槍男の矢面(やおもて)に立つ。視界の端で、追いかけてきたスーツ女の姿も見えた。

 漂う空気が弛緩する。

 よし。これですぐには、戦闘とはならないだろう。

 話し合いに、持ち込める。

 

「どう見ます? ランサー」

 

 口火を切ったのは、パンツスーツで短髪の女。槍使いに追いつくなりの発言だった。

 

「こっから先は泥仕合、消耗戦になるってこった。まぁ、それでも良ければ言ってくれや」

 

 ハァ、と息を吐いたのは、スーツ女だ。それは貴方の望むものではないでしょうに、とかなんとか。

 

「では、ここまでにしましょうか。ランサー、引き上げますよ」

「おうよ。じゃあなボーズ、セイバー。次はお互い万全でやろうや」

 

 槍を持っていない方、左手を上げて振っている。

 意外だ。退()かせるのは、もっと大変だと思ってた。

 俺も、仕切り直しに否はない。こちとら何もわかってないんだ。聖杯戦争やらなんやら、色々と整理しないといけない。

 後ろの少女も、治療が必要な訳だし。

 

 俺は、構えを解いて向き合った。

 

「助かる。こっちも、そうしてくれると有り難い」

「逃げるのか? ランサー」

 

 後ろから、少女の声が割ってきた。その声には気迫を感じる。

 槍が体を貫いた割に、元気そうでなによりだった。

 槍使いは肩をすくめて、半笑いで応答した。

 

「まぁ、確かにな。宝具を使った以上はどちらかが消えるまでやりあうのがセオリーだが……あいにく、この状況でそれをやると蹴り殺される未来しか見えねぇんでな」

 

 槍兵は、精悍な顔をニヤリとくずした。

 

「そっちはマスターとサーヴァント、どちらとも、オレたち相手に二対一で生き延びたんだ。なら、それくらいはあっても良いんじゃねぇか?」

 

 振り返って、2歩ほど歩く。

 すでに自然公園から帰りはじめているスーツ女を追いかけるかと思いきや、顔だけひねってこっちを向いた。

 

「オレはまだ死ぬのはゴメンだし、そっちは今も万全じゃねぇ。ここは一旦引いておこうや。まぁ、追撃するなら好きにしろ、オレは一向に構わなねぇぜ」

 

 面白い男だと、俺は思った。

 少女も、止める事はしなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 俺と少女は一先ず、公園から立ち去る事にした。

 この冬木が“戦争”なんてモノの舞台になっているのなら、一度戦闘が起きた場所に長居するのは得策ではないからだ。

 それに、聖杯戦争について、聴いておきたかったっていうのもある。

 彼女はいくらか知ってる見たいだったし、教えてほしいという、俺の願いも受け入れてくれた。

 

 なら、問題なのは一つだけ。今が深夜だって事だけだ。冬木の飲食店は軒並み閉まっているし、それ以外の店も同様だろう。

 取りあえず歩く。新都(しんと)の中心部に行けば、何かあるだろうか? 

 

俺たちがいるのは新都の郊外、とは言っても、この近くに海はなかった。冬木市の外人墓地は、新都のさらに奥、山際(やまぎわ)に存在している。

そんなところに大した施設があるわけもなく、蒼いドレスの少女と共に、新都の中心、オフィスビルの明かりが(まぶ)しい一角(いっかく)まで、わざわざ歩いてやってきた。

一瞬、手持ち無沙汰(ぶさた)になって、煌々(こうこう)(とも)る高いビルの窓明かりを見ながら、一人、首筋を()いている。

 ———まいった。いくらなんでも、初対面の男の家に誘う訳にもいかないし……。

俺は、隣の少女を覗き込むように、彼女の目を見た。

 

「悪い、この時間に案内出来そうなのが、ホテルくらいしか思いつかないんだ」

「私はどこでも構いません、マスター」

 

 俺に目を向けず、前を見て、金髪の彼女は、一定のリズムで歩いている。

 

「そのあたりも聴いておきたいんだ。しばらく時間を貰うぞ。えー、なんだ」

 

 しまった。そう言えば、名前を聴くのを忘れてた。

 俺は思わず、言葉に詰まった。金髪の彼女は、緑色の瞳で俺の目を見た。

 

「私の事はセイバーとお呼び下さい、マスター」

 

「わかった、セイバーだな。

 それじゃあ、俺のコトをマスターだって、そう呼ぶのもやめてくれ。なんと言うか、いろんなところがムズムズするんだ。俺の名前は衛宮士郎っていうんだ。だから、今度からはそっちで頼む」

「では、シロウ、と」

 

 それだけ言って、彼女はまた黙ってしまった。

 あまり、コミュニケーションが取れそうにない。俺もちょっと身構えてしまっているからか、会話が全然弾まなかった。

 

 到着したのは、冬木市ハイアットホテル。

 かなり高層型の典型的な四角いビルだ。

 

 こんな田舎の街には不釣り合いな程大きなホテルで、まるで、というか、実際高級ホテルな訳で、本来なら俺なんかのお金で足りるような場所じゃないハズなんだけど、実はここ、割とリーズナブルなんだ。

 

 何年も前に原因不明の崩落で、建物が吹っ飛んだらしい。

 当然事故物件扱いされて、かなり値切られたとかなんとか。

 吹っ飛んだ事を知っている近隣住民ならなおのこと、割安の値段で泊まれる訳だ。

 もっとも、このホテルの新しいオーナーも事あるごとにそれをネタにして、キャンペーンとかやってるみたいだから、商魂たくましいというかなんというか。

 

「ここ、割とセキュリティとかしっかりしてるから、ホテルごと爆破されたりしない限り、それなりに安全だと思うんだ」

 

 両手をコートのポケットに突っ込んで、ハイアットホテルを見上げながら、セイバーに質問する。

 さっきの槍使いみたいなのがいっぱいいるなら、それでも安心できないんだけど、野宿するよりは幾らかマシだと思うから。

 

「ここで良いか? セイバー」

 

 セイバーの目を見ると、緑の目で見返して、セイバーは頷いた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 冬木市ハイアットホテル、8階。

 部屋の広さは全部合わせて18平米。間取りはワンルーム、風呂トイレ別、大きめのベッドが一つ。

 かなり安く手に入れたせいか、装飾品その他の部屋を飾るモノは一切なく、壁紙は真っ白。汚れとかどうやってるんだろうか。

 部屋に備えて付けてあるのは、簡素なベッドと四角いテーブル、椅子がニ脚。

 部屋の奥にベッドがあって、入り口側にテーブルと椅子がある。俺たちは、椅子に二人して座っている。

 俺の対面にいる彼女、セイバーと名乗った少女は静かに、両手を膝に置いて座ってる。銀色の胸当ては外されていて、青いワンピースドレスだけになっていた。

 

「何もなしで悪いんだけど、手短に話してくれないか? そしたら俺は出て行くからさ、お前も安心出来るだろうし」

「ん? どうしてシロウが出て行くのです?」

「いや、どうしてって」

 

 頭を抱えた。

 

「えっとだな、セイバーは女の子だろ。だから、男の俺と一緒にいるのは問題ありって言うか——」

「何を言うのです、シロウ。貴方はマスターだ。ならば、むしろ一緒に居ない方が問題ではないですか」

 

 セイバーは目に力を込める。眉間にちょっとシワが寄った。

 

「マスターもヘチマもない。だいたい、セイバーは女の子なんだから、そう言うとこは気にしないとダメだ」

「ダメではありません! 女である前に私は騎士だ。そのような発言は騎士に対する侮辱です、シロウ」

 

 撤回を求めます、と詰め寄るセイバー。

 俺たちの間にはテーブルがあるから、ちょっと身を乗り出すだけだけど、気迫はちゃんと伝わってきた。だからひとつ、確認しなければならなくなった。

 

「ずっと、そう言う風に生きてきたのか? 」

「ええ、それが私です」

「……だいたい判った、セイバー。

 それじゃあ、聖杯戦争について話せるところだけでいい、教えてくれないか?」

「えぇ、では“聖杯戦争とは何か”と“マスターとサーヴァントについて”、お話しましょう」

 

 

 ◇◇◇

 

 

「元々、聖杯と呼ばれる万能の願望器がこの地にあって、マスターとサーヴァントは二人一組になって“聖杯に願う権利”を奪い合う。その権利を手にできるのは———」

「最後まで残った一組のみです」

 

 理解した、と頷いて、腕を組んだ。

 

「けど解らないな。聖杯戦争に参加する魔術師は()ず、聖杯とやらの能力(ちから)を借りて英雄を召喚するんだろ? でも俺、召喚なんてしてないぞ」

「しかし私はあの場に呼ばれた。それにシロウ、私と貴方は魔力のパスが繋がっています。ですので間違いなく、私のマスターはシロウなのです」

 

 そうか。まぁ、そこはもう終わった事、今更突っ込んでもしょうがない、か。

 これで、聖杯戦争の事も判った。

 

「よし。それじゃあセイバー、この部屋は自由に使ってくれ。二週間分とってあるから」

 

 そう言いながら立ち上がる。鍵はテーブルの上にあるから、見落とす事もないだろう。さっそうと肩で風を切り、玄関からト———

 

「なっ! 話を聞いていたのですかシロウ! 私は騎士です。死後に英霊となったモノだ! そんな気遣いは迷惑です!」

 

 ドアノブにかけた手を止める。

 果たして、後ろから聞こえる彼女の声に、どう返答したものか。

 

「何言ってるんだよ、セイバー。お前、槍で刺されたんだぞ! いくら魔力のゴリ押しで治癒してるからって、休まなくていいなんて事はない」

「それこそ無用なお節介です! この身は魔力で編まれたモノ……本質は精霊なのですから、休息など必要ない!」

 

 ドンっとセイバーがテーブルを叩く。部屋が、揺れた気がした。

 言いたい事はよくわかる。よくわかるんだが、だからこそ。その理屈は気にいらない。

 

「精霊だってことは、精神体だってことだろ。なら、やっぱり休息は必要な筈だ。俺が見張りをするから、部屋でゆっくり休んでてくれ」

「でしたらシロウも居て下さい。いざという時にマスターを護れないなど、サーヴァントとして有ってはならない事態です」

 

 俺は固まった。

 

「とは言ってもな、セイバー。俺は隣町に家があるんだ。聖杯戦争に参加するなら、準備は整えて置かないと————」

「ならば私も付いて行きます。マスターを護るのはサーヴァントの義務だ」

 

 はぁ、と溜め息がこぼれた。今のセイバーを遠坂たちに会わせてしまえば、休息の余地など無くなるだろう。ゴタゴタしている間、セイバーの性格では緊張しっぱなしな気がする。つまり、セイバーを休ませるには————。

 

 

 冬木市深山(みやま)町、そこに俺の家がある。

 衛宮邸に帰るのは朝になるな、と俺は思った。桜と遠坂、居てくれたらいいんだけど、と。

 






次回、Fate/stay night [Destiney Movement ]

———第三話、遠坂 凛


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《第三話、遠坂 凛》

 

 

 翌日の衛宮邸は、決戦前の緊迫した空気に満ちていた。

 

 その居間では、遠坂と藤ねぇにねだられて買った大きな座敷(ざしき)(づくえ)を、四つの人影が陣取っていた。

 うち、殺気を放っているのが二人、朗らかに笑っているのが一人、そして、

 

「——で?」

 

 威圧感マシマシの“あかいあくま”が一体。

 

「えっと、何が『で?』なのかさっぱりなんだが」

 

 座敷(ざしき)(づくえ)の向かい側、座ったまま笑顔で睨んでくる“あかいあくま”は遠坂凛という名前なんだが、その名の通りに赤色が好きで好きで、なにかと赤色を身に付けないと気が済まないという、正に“あかい”あくまなのだ。

 実際、今も赤のタートルネックだし。

 

「で? 今度はどこで女を引っ掛けてきたワケ?」

 

『そもそもなんで女を引っ掛けて来てる前提なんだよ』という切り返しはNGだ。前に一度やった事があったんだが、それはそれは酷い目に合った。

 その時に、もうその返しはしないって決めたんだ。いやマジで。

 

「そうだな。遠坂たちの戦闘にちょっかいをかけた後、手違いで召喚してしまったらしい」

 

 セイバーだ、と紹介する。

 

「セイバーのサーヴァント。真名(しんめい)はセオリー(ゆえ)明かせませんが、以後、お見知り置きを」

 

 俺の左で頭を下げたセイバーは、西洋の英雄とは思えない程、綺麗なお辞儀を見せてくれた。

 

「そんなワケだから、俺も聖杯戦争に参加するぞ、遠坂」

 

 遠坂と目を合わせて、俺は瞳に力を入れた。

 先に決意の表明だけでもしておかないと、これから、そんな機会は与えられない気がする。

 

「そら見ろ、だから忠告したんだ、凛。昨日の狙撃男は、その場で殺しておくべきだとな」

 

 これ見よがしに溜め息を吐く、黒いインナー姿の男。他の連中がコタツの(まわり)りに座ってるなか一人だけ、遠坂の後ろの壁にもたれて立っている。十中八九、コイツは昨日、遠坂と共闘してた奴だ。

 コイツもまた、人間ではありえない気配がある。サーヴァントととして呼ばれた英霊と言うやつか。

 俺はひとり、目を細めた。

 

「アーチャー、いくら貴方が私のサーヴァントでもね、言っていい事と悪い事があるわ。あまり私を、不快にさせないで」

 

 遠坂が釘を刺す。そういうとこ、遠坂は律儀だよな。と思った。

 チラリと遠坂の後ろを見ると、アーチャーの奴は首をすくめただけだったのだが。

 

 部屋の中が無言になった。だからここは、遠坂たちを問い詰める為にも一旦(いったん)、状況を整えてしまおう。と俺は、一度座敷(ざしき)(づくえ)を見渡して、明らかにおかしい二人の(かげ)を、視界に(おさ)めた。

 

「遠坂、桜。一応、二人も紹介して欲しいんだ」

「ハァ? 士郎、何を言っ———」

「わたしの名前は間桐桜、隣にいるライダーのマスターです。よろしくおねがいしますね、セイバーさん、アーチャーさん」

 

 桜が、遠坂の言葉を遮る。

 桜は原色があまり好きではない。淡い色の方が好みで、今日は白いシャツの上から淡い桃色のカーディガンを羽織っていた。

 そんな桜はほら、ライダーも。と隣に座っている女性を肘でつついている。

 

 それはとても奇妙なサーヴァントだった。流麗な紫の髪、柔らかな顔立ち、とても美人である事も相まって、()()()()()清楚という言葉がよく似合う。だからこそ、身に付けているモノが余計に異様に見えくる。

 一言でそれを言葉にすると“拘束具”だろう。

 ボディーコンシャス系統の服、黒色のそれは五体(すべ)てが別々のパーツで構成されている。チューブ状の黒の胴衣、二の腕まである同色の手袋には赤紫の輪っかがあしらわれていて、首に巻いているベルトの存在も相まって、それらが手錠首輪の類いに思える。

 それだけでも役満だってのに、このサーヴァントときたらこれまた赤紫の眼帯をつけているときたもんだ。

 眼帯と言うよりも“バイザー”か。“覆い隠し遮断するモノ”。魔術師には判る、アレは“封印”だ。牢獄にある鉄格子と同じ役割を果たすモノだ。囚人に“自らは囚われているんだ”と()り込む為に存在するモノ。

 総じて、囚われし巫女。

 神聖でありながら邪悪に()れている、そんな印象を受ける女性だ。

 

「サーヴァント・ライダー。サクラのサーヴァントです」

 

 ライダーが正座のまま、微動だにせず挨拶をおえた。

 うん。口数は、かなり少ない方らしい。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「さて。そこの馬鹿も沈黙に耐えかねているようだし、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 息を吐きながら、遠坂が口火を切った。

 全く、ヒドい有り様だった。

 何がヒドいって、ヒドい。

 遠坂は魔力を荒立ててニコニコしてるし、桜は口元だけ笑顔だし、二人いらっしゃるサーヴァントの方々はガンガン殺気をぶつけてくるし、それに耐えかねたセイバーは剣を抜こうとするし、アーチャーの奴はキッチンを漁り出すし。

 アレは一種の牢獄だった。うん、俺の精神を閉じ込める類いの。

 

 何とか脱獄を企だてていたら、看守トーサカが釈放してくださった。

 でも、まぁ。いつまでも感謝している訳にもいかない。桜と遠坂が俺を眠らせてまで遠ざけたかったモノ、それは聖杯戦争なんかじゃない筈だ。だって、魔術師同士の殺し合いなんてもの、吐き捨てる程に経験済みだ。そこは二人も判ってるから。

 そもそも、俺ひとりで魔術師相手に勝ち続けるなんて出来っこないし。戦う時は当然のように桜と遠坂もいたんだから。

 

 本題、それはつまり、“聖杯戦争の裏で進行しているナニカ”の事だ。

 

 一辺に二人ずつ腰掛けてもまだ少し余るくらいの大きさのコタツ。そこにマスターとサーヴァントのペアで座る。俺の目の前には遠坂とアーチャー、俺の左手に桜とライダー、右手の辺には誰もおらず、セイバーは俺の右隣に正座している。

 

「ひとまず士郎、あなたどうやって帰って来たのよ? 須賀(すか)さんの隙をつける程、あなたは強くないじゃない」

 

 俺は眉をよせた。……少し、おかしい。

 

「すまない。初っ(ぱな)から質問の意図が不明なんだが」

「そんなの、私たちが須賀(すか)さんに依頼したからに決まってるでしょう。ただ眠らせただけなら追ってくるのは判ってるんだから、保険くらいかけるわよ」

 

 アーチャーの淹れた紅茶を一口、口に運んだ。

 美味(うま)いなコレ。アーチャーの奴、紅茶淹れるのなんでこんなに上手いんだよ。

 

「俺が帰ってこれたのは須賀さんのお陰だぞ、遠坂。あの人が冬木市まで送り届けてくれたんだから」

 

 遠坂が、目を見開く。予想外の返答だったのか、それとも

 

「ふーん。ま、そんなところよね。士郎が須賀(すか)さんを抜けるワケないんだし。士郎の方に味方されたって考えるのが妥当か」

「姉さん。これってつまり、()()()()()ですよね?」

「桜も、やっぱりそう思う?」

「はい、思います」

 

 桜が沈んだ顔で俯いてしまった。遠坂は顎に手を当てて考えモードだし、やっぱり、何かあると思う。

 

「桜、遠坂。俺にも話してくれないか? 今、聖杯戦争の裏で何が起こっているのか、須賀さんに言付(ことつ)けてまで俺を冬木から遠ざけたかったのは何故なのか」

 

 それを聴くために、俺は戻って来たんだから。

 再び、沈黙。

 静まりかえったその中で、ポットを持って来たアーチャーが、遠坂のカップに紅茶を注ぐ。

 桜の表情には見覚えがある。アレは感情と戦っている時の顔だ。自分がしたい事、したくない事、自らの感情と頭の中の理屈とが戦っている、そんな顔だ。

 遠坂の雰囲気にも見覚えがある。アレは頭を振り回している時の感じだ。やりたい事は決まっているけど行動に起こす理由がない、そんな時に理屈を捻り出そうとしている時の感じだ。

 こういう時、二人とも似た者同士だよな、と思う。結局は、感情と理性との折り合いをつけようとしているワケなんだから。

 

「姉さん。任せても、良いですか?」

「良いのね? 桜」

「はい、姉さんの方が、うまくお話できると思うから」

 

 遠坂と桜が目を合わせて、頷きあった。何が何だかサッパリだけど。事態が、少し進んだみたいだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 遠坂の話の内容は、かなり衝撃的だったと言っていい。

 どうして俺を眠らせたのか、冬木に来て欲しくなかったのかって問いの答えは、とてもあっさり教えてくれた。

 

 ————士郎、桜はあなたに、死ぬ瞬間を見て欲しくなかったからよ————

 

 桜は死ぬために、聖杯戦争に参加していた。どうも始めから決まっていたらしいんだ、桜が聖杯戦争で死ぬって事は。

 避けられぬ死であるならば、せめて静かにひっそりと、それが桜の願いだったってこと。

 

 ————あなたは、追ってくるべきじゃなかったのよ————

 

 そもそも始めから間違っていた、と言われてしまった。

 サーヴァントたちの戦闘に割って入るべきではなかった。

 須賀さんに送ってもらうべきではなかった。

 二人を追ってくるべきではなかった。

 疑問を持つべきではなかった。

 そして、出会うべきではなかったと。

 

 ————私自身、詳しく知ろうとは思はなかったけど。そう言う意味では、桜は士郎と出会うべきではなかったのかもしれないわね————

 

 憎まれ口を吐いていた。

 

 ポットを持ったアーチャーが、遠坂のカップに紅茶を注ぐ。

 そのカップを手に取って、遠坂は紅茶で口を潤す。遠坂の口から、ため息が漏れた。

 

「それだけだったら、話はカンタンだったんだけどね。

 冬木に帰って来てからこっち、綾子と連絡がとれなくなってね。ちょっとキナ臭かったのよ」

「美綴か。そういえば空港でも、そんな事言ってたよな」

「ええ、今までの士郎は、綾子の話題に弱かったじゃない? そこで攻めればすぐに勝てたもの」

 

 俺はまぶたの裏を眺めた。

 なんだって遠坂はそんなに美綴にこだわるのか。確かに美綴はなにかと遠坂をライバル視しているけれど、あいつ自身は一般人だった筈だ。魔術とは縁遠い、武道が得意な女の子。

 なのに。

 その筈なのに。

 なんだって遠坂は、魔術の話題で美綴の奴を出すんだろうか。

 

「なあ遠坂、美綴は一般人だよな。魔術とは関係ない、一般人だよな」

 

 遠坂は持っていたカップを置いた。

 

「そう、そういう風に思ってたんだ。士郎は」

 

 またしても、遠坂と桜とでアイコンタクトをやっている。

 遠坂が、薄ら笑った。

 

「ねぇ、士郎。私と桜とが、綾子の奴は魔術師だって言ったら、信じる?」

「なんでさ。 俺、あいつから魔術師の気配を感じた事なんて一度もないぞ。魔術回路を開いていたら気づくもんじゃないのか?」

 

 とりあえず、反論してみる俺。

 何かがおかしいとは判る。でも、それが何かは判らない。こう言う時は遠坂に任せたら、ちゃんと上手くやってくれる。

 遠坂は理屈を付けるのが上手い。俺だと“なんか変だな”くらいにしか判らない事でも、それを遠坂に話すとたちまちに原因を突き止めてしまって、なおかつ一晩のうちに解決してしまった、なんて事もあるんだから。

 だから、喋れる事は全部喋って、質問には全部応えて、遠坂に判断を任せてみる。

 

「士郎。やっぱりあなた、記憶をイジられてるわ。それも飛びっきり厄介なヤツにかかってる」

 

 こういう風にズバッと解……け……っ……

 

「ちょっ、待ってくれ遠坂。俺が暗示か何かにかかってるって事か!? そんな、自覚なんてまったく————」

「無い、でしょうね。私だって気付かなかったもの。あなたと記憶の擦り合わせをして初めて違和感に気づいたワケだし。それって相当高度な術よ。周りの人間に違和感を抱かせないように記憶の改竄(かいざん)をやってのけるってのは」

 

 いつの間にか立ち上がっていたらしいので、もう一度座って姿勢を正す。きちっと正座をするだけで、心を静める事が出来る。

 こういう伝統ってヤツがあるのは、心と向き合う時にとても便利だ。形さえきちっと取ればメンタルに干渉することができるんだから。

 

「つまり、俺の記憶は全くアテにならないんだな」

 

 腕を組む遠坂は、悩みがちに口を開いた。

 

「逆に考えれば、士郎の記憶と私たちの記憶との相違点こそが術者の隠したい情報だって事になるんだけど」

「それじゃあ、生まれた時から順番に確認していくしかないってことか?」

 

 でも、そう上手くはいかないだろう。俺はおろか桜や遠坂にすら気づかれずに記憶の改竄(かいざん)をやってのける相手だ。どんなトラップがあるかわかったもんじゃない。

 さらに、俺の記憶の一切があてにならないときた。ぶっちゃけ、どういう選択をしても誰かに迷惑をかける状況になってしまった。

 

 これは弱った。衛宮士郎は誰かを助けないといけないのに。

 これ以上、衛宮士郎の所為で誰かが傷付くなんて事、絶対に在ってはならないんだから。

 

 巻き上がる炎。

 一面の焼け野原。

 あの時、衛宮士郎はたくさんの人に迷惑をかけて、たった一人だけが生き残った。

 それだけでも、既に大きな負債なのだ。

 一生かかっても返しきれない程の、大きな負債。

 だから、これ以上誰かを傷つける事はしたくなかったのに。誰かに迷惑をかけて、その結果が満足のいくものでなかった時、かけた迷惑に釣り合うだけの成果を積み上げられなかった時、一体どうなってしまうというのか。

 今ある負債を返しきる目処(めど)すら立たないくせに、これ以上の負債を積み上げる事など、許されはしないというのに。

 

 だったら、俺ひとりで取り組むべきだ。何も思いつかなかったけど、遠坂や桜に迷惑をかけるよりはよっぽどま——

 

「士郎! バカな事考えてないで、さっさと話せ! 時間が押してきてるんだから、余計な事考えてる暇なんかないでしょうが!!」

 

 遠坂の声に呼び戻された。

 当の本人はホラホラ話せって感じのジェスチャーまでして催促してる。こっちの事なんかお構い無しにガンガン先に進めてくる。

 それが、

 途轍もなく有り難かった。

 

「ありがとう、遠坂」

 

 これは、俺の悪い癖だ。

 

「助かった。危うく突っ走るところだった」

「そうね。まぁ今に始まった事でもないし、気楽にやってりゃいいのよ」

 

 俺の暴走を止めてくれるお前が、どれだけ凄い事をしているかなんて、きっと気づいてないと思うけど。

 なんて、思いながら紅茶を一口。

 やっぱり美味い。後でティーポットを投影して、アイツの使用経験を引き出してやろう。

 

「ともかく判った。俺の記憶を全部話すから、判定してくれ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 こうして、衛宮士郎の聖杯戦争が幕を開けた。

 俺の半生の中でも一際異彩を放つこの紛争は、俺の人生にとても大きな影を落とす事になる。

 

 そして、俺の人生の目標の一大転換点になるのもまた、この紛争だったんだ。






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第四話、聖杯問答


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《第四話、聖杯問答》

 

 

「あっ、大事な事忘れてた」

 

 遠坂が声を上げたのは、俺が記憶を一通り話し終えた後だった。途中で軽い昼食を挟んで夕方まで、俺と遠坂、時々桜。三人で話し詰めていた。

 

「サーヴァントにも聖杯を求める理由がある筈なのよね、危うく忘れるところだったわ」

 

 俺の対面で、人差し指をピンと上げ、遠坂は目を大きく開いた。

「せっかく集まったんだし格式張って話しましょうか」と。

 

 俺が記憶を喋っている(あいだ)にどういう訳か、藤ねぇ鎮圧用に隠してあったお茶菓子を発掘してきたアーチャーは、ついには冷蔵庫の中にまで手を伸ばしている。

 

 アイツは遠慮ってモノを知らないのか? 

 

 その為にもまずは腹ごしらえよ、との御達(おたっ)しで、目出度(めでた)く夕食と相成った。

 

 普段なら、昼食と夕食の当番を三人で変則のローテーションでやっていて、俺の時と桜の時はお互いが補助に入る、そんでもって今日の夕食は順番的に俺が当番のハズなんだが……

 

「何、小僧が長々と喋っていたのでな。物のついでだ」

 

 気がついたらご覧の有り様、アーチャーの奴が夕食を用意してやがった。それも割烹。

 俺が話し込んでいたとはいえ、いつの間に拵えたんだ? 

 というか、どうして割烹なんぞ作れてるんだ? 昆布締め後の酒塩(さかじお)とか古地(ふるじ)とか、あると知ってないと探そうともしないモノを使わないと出せない味だぞ、コレ。

 慌てて台所に駆け込むと全部キチンと整理してるし、白髪の男がドヤ顔してるし……。

 

 先ほどからずっと使っている座敷(ざしき)(づくえ)で夕食をとる。

 四角い机の対面に遠坂、左の辺には桜とライダー。俺の左隣にはセイバーがいて、アーチャーは給仕をしに台所にいった。

 出された料理を一口食べる。

 俺から出てきた感想は、(まわ)りとは()(ぎゃく)のようだった。

 

「アーチャー、貴方の料理はとても美味(おい)しいです。鯛はたい、大根はだいこんの味がして、なんと言いますか……食べ物が美味(おい)しい、とでも言いますか。その……兎に角、たいへん美味(おい)しいのです、アーチャー」

「そうか、それは何よりだセイバー。料理というのは相手の幸せを願って造るモノ。君のソレは、何にも勝る言葉だよ」

「それは、私としても嬉しいのですが、その———」

「鯛めしなら余りがある。一晩置くと風味が落ちてしまうからな、出来れば今日のうちに空にしてしまいたいのだが……」

 

 アーチャーがセイバーに目を送る。それを受けてセイバーが……なんと言うか、有り体に言って、とても嬉しそうな顔をしたんだ。

 

「そうでしたか! そうであるならば、是非おかわりをお願いします」

 

 耳から、セイバーの感情が伝わってくる。

 今、隣で顔を綻ばせながらご飯を食べている少女が、今の今まで“騎士だから”“亡霊だから”と自らを定義してまで成ろうとしていたモノを考えると……俺は、今のセイバーの方が好きだと思った。

 やっぱり彼女は、弾んだ声がよく似合う。

 

「ちょっとアーチャー、コレ凄く美味しいじゃない。もしかしたら———ううん、割と確実に士郎の造るソレより上よね」

 

 すごいじゃないアーチャー、なんて言って、俺の料理と比較しながら食べる遠坂。

 

「えっと……わたしは好きですよ? 先輩の造る御飯」

 

 と、フォローにならないフォローをする桜。俺だって分かってはいたんだ、自分の方が美味いだなんて、口が裂けても言えないって事は。

 

 ———料理には思想が宿る、料理人が込めたモノの残滓が感じ取れる時がある。アーチャーの造ったコレは、ただ純粋に“誰かの幸せを願った”モノだと嫌でも分かった。

 でも、負けを認める事だけは、どうしても出来なかった。それがくだらない子供の意地でだって事も、判った上で……

 

 

 ◇◇◇

 

 

「ご飯が美味しいって何にも勝る幸せよね。アーチャーのごはん、良かったわよ」

 

 ご馳走さまでした、と異口同音に声を合わせて、本日の夕食が終了した。

 

 時刻は午後8時を回っている。既に日も暮れた後、蛍光灯の明かりの下に俺たちは皆着席した。特に誰が決めた訳でもないんだけど、席順は夕食の時と同じになった。上座には誰も座ってなくて、入り口から見て俺たちが右側、遠坂たちが左側。桜たちは障子戸側の入り口付近に座っている。

 

「さてそれじゃあ、ここから先は聖杯戦争よ。あなたたちも召喚に応じたのなら、聖杯で叶えたい願いがあるって事よね、それをここで吐いて貰うわよ」

「ほう? これはまたどういう風の吹き回しだ、凛。他人の願いを知って諦めるようならモノであるなら、そもそも“戦争”などと称されはすまい」

 

 遠坂の横、俺の目の前で腕を組んでいるアーチャーが眉間にシワを寄せながら返答する。それに対して、遠坂のヤツは“ニヤッ”と笑った。

 

「あら、彼我の戦略目標を確認するのは大事な事よ? そうでなければ、敵と味方の区別すら付かないもの。それとも何? あなたは人に言えないような願いしか持ってないってワケ?」

「何故そうなる……」

「じゃあ、言ってみなさいよ。言い(はば)かる事なんて無いんでしょ? アーチャー?」

 

 少し体を引き気味にしながら遠坂はアーチャーを流し見る。その口元は歪んでいて……つまりは、俺の一番嫌いな表情(かお)だ。

 俺もよく知っている、遠坂が勝ちを確信した時の顔。どう足掻いても逃れる術は無いって判っていながら追い詰める、遠坂の十八番(おはこ)。これ以上生き恥を晒したくないならここで諦めるのが“吉”だと、俺は経験から学んでいるのだ。

 

「—————ハァー」

 

 アーチャーのため息。

 さすが英雄だと感心する。

 あるいは、遠坂の笑顔の中にあるモノを読み取ったとでも言うのだろうか………………ともかく、アーチャーの奴は顎を指でつまみ、少しうつむきながら声を上げた。

 

 

「そうだな、聖杯が真に万能であるならば、“恒久的な世界平和”など、どうだろうか」

 

 ————空気が凍った。

 

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………」

「—————むっ。やはりダメか…………まぁ、()による救いになど価値はない。今のは忘れてく——」

「そんな事はない! アーチャー、貴方の願いは尊いものです。“誰かに幸せになって欲しいという願い”、それは最も純粋なものではないですか。何も卑下する事はありません」

 

 セイバーが食い気味に身を乗り出してアーチャーをフォローする。

 いや、それよりも———

 

「は? 世界平和が願いだって?」

 

 ——と、気がついたら口にしていた。瞬間、アーチャーと視線が重なってしまう。

 

「どうした? 衛宮士郎。何を願おうと人の勝手だろう」

「………………ん? …………」

 

 なんだろう、何かが引っかかる。しかし、それは目の前の男の事ではない。もっと別、もっと以前の……

 

 もう、アーチャーなど見てはいなかった。そんな些事などどうでもいい。俺は今、何かとても大切なものの片鱗が、目の前を通り過ぎたような気がしていたから。

 

「………………っ…………」

 

 でも、それが何かわからない、記憶を探るが出てこない。何処かで見たか、何かで聞いたか、あるいは俺が言ったのか? 

 

「…………っ……ッウ、……………………か」

 

 俺が言った? なんのために? 考えろ衛宮士郎、“世界平和”をどこで見た? 俺は何を聞いたんだ? 

 

 ————士郎、誰かを救うという事は、誰かを助けないという事なんだ————

 

 何かがあった筈なんだ、今の俺が忘れている、過去の何処かで。だからそれ———

 

「シロウ!!」

 

 セイバーの声が鼓膜を揺らした。

 衛宮士郎は周りを見渡し、そして、注目を集めている事を知った。

 

「シロウ、アーチャーの願いがそんなに気にいらないのですか!」

「アーチャーがなんだってんだ?」

 

 むっ、話についていけない。彼女が何を話したいのか、俺にはてんでわからない。

 とりあえずセイバーの方を向いて、彼女の目を除き込む。目は口ほどに物を言うから、少しでも何かわかるかもしれない。

 

「彼の願いはとても尊い。それをシロウは鼻で笑った。どうしてそんな事が出来るのですか」

 

 彼の夢を(けな)す事は許さない、とセイバーの目が語ってる。

 ……どうも、アーチャーの奴が何かいい事を言ったらしい、それを俺が笑ったらしい。思考の海に潜ってる間に、口が勝手に動いたのか? 

 

「セイバー、大丈夫だ。アーチャーが何を言ったのか知らないが———」

「知らない、だと? …………シロウ、()()()()()()()()()()なのですね」

 

 ずっと、彼女の目を見ていたから、色が変わったのがよく見えた。今のセイバーの目の中に、衛宮士郎は映っていない。

 

「次は私が、聖杯にかける願いです」

 

 セイバーは既に衛宮士郎を見ていない。彼女は姿勢を正し、その相貌(そうぼう)は他のサーヴァントとマスターに向けられていた。

 

「———セイバーさん、『そちら側』って、どういう事ですか?」

 

 桜は時々、妙な気迫を見せるような時がある。“睨む”というよりは“じっと見る”といった風だが、今の桜もそんな気迫を見せていた。

 

「どうもこうもありませんよ、桜。私は以前にも“聖杯に関する試練”を行っています。何の因果か、そこで英雄を否定する男と出会った。そして、私と彼とはどうにも反りが合わなかったようなのです。決定的に」

「その“英雄を否定する人”と先輩は別人です。どうして一緒にするんですかっ」

「——私は“同じ”と見ました。同じなら、関わらない方がいい。人間、どうあっても()りの合わない人というのは存在するのです、桜」

「そんな……それじゃあ……」

 

 桜がうなだれる。その身体は、少しばかり小さく見えた。

 桜を見ていた遠坂が視線を切る。セイバーの目を見てひとつ頷いた。

 

「———私の夢、聖杯に託す願いは“ある選択を無かった事にする事”です。生前の私はひとつの間違いを犯した。それは取り返しのつかない事だったのです。…………それを、もう一度やり直したい」

 

 言い切った、セイバー。

 彼女の願いは、俺にも判る気がした。

 助けたい人がいた、でも助けられなかった人がいた。きっと彼女はそんな何かを、やり直したいと思うのだろう。

 セイバーの目線が左右に滑る。

 誰一人として異論は出ない。まあ当然か、異論を突きつけるには情報量が少な過ぎるし、聞き出そうとする者に対する予防線も張っている。

 ……生前は戦上手だったのではないだろうか。

 

「————私の望みは以上です。ライダー、貴女の願い、聖杯に託す望みは何でしょう?」

 

 そして最後のサーヴァント、ライダー。桜が召喚したらしい紫髪(しはつ)の美女はその見えぬ双眼でセイバーの姿を捉えていた。

 

「————そうですね。強いて言うなら……サクラの幸せ、とでもしておきましょうか」

「もしかしてそれは、“座”に居る時から桜に召喚される事が判ってたって、そう言う事? ライダー」

「リン、貴女は勘違いをしているのですね。そも、我々サーヴァントに拒否権などないのです。聖杯戦争は“守護者システム”を利用するモノですが、この“守護者のシステム”、召喚される者に拒否権などないものですので」

 

 私の望みはサクラと会った後に決めたものです、と静かな声で語るライダー。抑揚があまりないくせに、妙に首筋がゾクゾクする声だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 衛宮邸の居間の奥の(ふすま)を開けると、中庭が見える板張りの廊下に出る。その廊下と中庭とを隔てる物はガラスの扉だけだ。だから、ガラス扉を開けてしまえばそこは正に縁側、といった風情になる。

 中庭に脚を出して座ると、頭上には半月が輝いていた。

 

 ———俺は今、月夜にひとり。

 

 同盟云々の会議は終わった。ああやって軽い自己紹介が終わった後、ダラダラと雑談をして、キリのいいところでお開きとなったのだ。衛宮邸は部屋が有り余ってるから、自分の部屋の掃除をする事を条件にサーヴァントたちにも一部屋ずつ選んでもらった。

 セイバーの部屋は桜の部屋に近いトコ、ライダーの部屋の隣にある。俺の部屋からは居間を挟んで正反対だ。

 

 ———聖杯戦争の目標は元より、その過程についてさえも……お互い、話し合わない方が良いでしょう———

 

 セイバーとはその言葉を最後に分かれてしまった。

 前後の文脈は忘れたが、その言葉だけは未だ耳に残っている。“英雄を否定した男”っていう奴がどんな奴かは知らないが、セイバーはそいつによほど手酷くやられたようだ。

 

「————衛宮士郎」

 

 後ろから声がする。

 目だけで後ろを伺うと、白髪の浅黒い男の姿がそこにはあった。

 

「何の用だよ、アーチャー」

 

 振り返る事はしない。

 今はそんな気分じゃないし、何より振り返ると何故だか負けた気がするからだ。

 

「お前は何故、聖杯戦争に参加する?」

「……さっきも言ったろ、成り行きだよ」

「例えそうだったとしても、行動には目的が必要だ。だからこそ聴いている。

 聖杯戦争に参加すると決めた時、お前の心にあった物は何だ? お前は何の為に、聖杯戦争に参加すると決めたんだ?」

「……そんなの、俺の勝手だろ。何でお前なんかに……」

 

 月の周りに漂っている薄い雲を眺めていると、あの男鼻で笑いやがった。

 

「安心しろ、オレとて別に聴きたい訳じゃない。……だが、あの場で聖杯を求める理由を口にしなかったのはお前だけだからな。戦略上仕方なく、だ」

 

 ……たしかに、遠坂と桜もその辺りの事を口にしている。食後の雑談の中で何かの拍子に喋ったのだ。

 遠坂は“遠坂家の悲願だからとりあえず手に入れる”、桜は“聖杯自体に興味はない”。これだけでは判らないかもしれないが、その場に居た人達には納得出来るだけの答えを提示していた。

 

「俺は……」

 

 だから、俺の目標を聴きに来るのもわかる。俺だけが、何も口にしていなかったから。

 

「———俺は、聖杯に叶えて欲しい願いはないんだ。ただ、聖杯戦争が終わった時、犠牲は少ない方がいいと思った」

 

 今日は一段と風が強いのか、パンをちぎったみたいに立体感のある雲が、結構な速度で走っている。それも一つや二つじゃない。かなりの数が団体で押し寄せてきてるから、久しぶりに夜空を見上げた俺としては、かなり大迫力に感じられた。

 

「……それが理由か」

「ああ、みんなが幸せであれば良い。この世が平和であれば良い。……その為なら俺は、何だってする覚悟なんだ」

「————『何だって』と言うと、例えばこの町の人間の(ことごと)くを殺し尽くしたりする、と言う事か」

「何でそうなるんだっ!」

 

 思わず声を荒げてしまった。

 手のひらに爪が食い込んでくる。知らず、眉間にシワがよる。

 

「そんなワケないだろバカっ。犠牲は少ない方が良いって言ってるのに、何でそうなるんだ!」

「『何でもする』と言ったのはお前だろう、衛宮士郎。それとも、さっきの今でもう忘れたか、マヌケ」

「マヌケはお前だバカ! この町の人達が犠牲にならない為に、何でもするって言ったんだ。お前の方こそ忘れたんじゃないかバカ!」

 

 目に映るのは地面にだけ、中庭に敷かれた土だけだ。

 ……俺の目はもう、空を向いていなかった。

 

「————全てを救う事は出来ん。必ず何処かに綻びが出る。……そしてその綻びは、細かく()おうすればする程に大きくなる」

 

 ————誰かを救うという事は、誰かを助けないという事なんだ————

 

 ……アーチャーの言葉は、切嗣のそれによく似ていた。

 

「だからこそ大きく捉えろ。世界を救う為にはこの町の犠牲もやむなしと、割り切って考えるべきだ」

 

 理由はわからない。

 わからないけど、俺はこの時、アーチャーと俺との会話が、どこか噛み合っていない事に気がついた。

 全然違う事について話しているのに、似たような例えで話すものだから、結果的に相手の話したい事柄を勘違いしているような……妙な違和感。

 

「犠牲を肯定しろ、衛宮士郎。より多くの人を救うというのが、正義の味方だろう」

 

 だからきっと、この時の俺たちは、お互いが本当に言いたかった事に、最後まで気が付かなかったんだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ———襖の奥から声がする。

 

「何故それを聴くのですか、ライダー」

「あの男の事をサクラはいたく気に入っているようでして…………貴方のマスターの死はサクラにとっても不利益となりますから」

「だからといって、私の過去を詮索する権利など無い筈です」

「えぇ、確かに……それでも、聴いておきたいのです。貴方のマスターは英雄を否定する人では無いと、あの時に感じたものですから」

 

 ………………魔力を使えば気づかれる。だからここは古典的に、身体技術だけで気配を抑えなければならない。

 

 ———襖の向こうから畳を()る音。

 身動きしたのがどちらなのかはわからない。

 

 息はゆっくり。早くすると気配が漏れる。

 膝を抱えてしゃがみこむ。重心は低い方が断然いいから。

 

「……私は“英雄を否定する事”を同じだと言った訳ではありません。勿論、“世界平和を馬鹿にした事”でもない。私が同じだと言ったのは“自らが否定したものを馬鹿にする事”なのです。

 ……私とて、世界平和が夢物語だと理解しているつもりです。マスターは過去に、世界平和を目指す事で取り返しのつかなくなった事例を見てきたのかもしれない。……ですが、だからと言って他人(ひと)の夢を蔑んで良い理由にはならない。

 例えマスターがどれほど正しい事を聖杯に願いたいのだとしても、私は、その過程をどうしても、受け入れる事が出来そうになかったのです」

 

 セイバーの手のひらに食い込んだ爪の痛みさえ、想像出来そうな雰囲気だった。

 

「———よく、話してくれましたね。セイバー」

 

 ライダーのかけた言葉がひどく優しく聞こえたのも、きっと間違いではないだろう。

 

 そして、私はこれ以上を聞く必要もないだろうから、こっそりと撤退することを決めたのだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「結局、桜に先を越されたワケか……」

 

 自室の扉にもたれかかりながら、ひとりゴチる。

 

「あの()、これを見越してセイバーの隣にライダーを配置したのね」

 

 セイバーの部屋とライダーの部屋は襖で仕切られているだけだから、セイバーの事情を聴き出すのにこれ以上ない立地だと思う。

 

「まあ、思ったよりマシだったから、大丈夫かな。士郎のヤツ、仲良くなるのは大得意だし……」

 

 士郎の問題は大した事ない。ならば、私が本当に気にかけないといけないモノはただ一つだけ。

 

「———桜は聖杯として調整されてしまっているから、どの道長くは生きられない。この聖杯戦争で使()()()()()()()すこしは持つだろうけど、それでも1年がいいところ。既に子供を孕んだだけで生命活動に支障を来たしかねないトコロまできてる」

 

 それ程に酷い扱いを受けてきたのだ。

 私がそれに気づいたのは、既に手遅れになってから……

 

 ズルズルと、扉をこすりながら座り込む。

 

 今の私に出来るのは、()()使()()()()()聖杯戦争をいち早く終結させることだけだ。

 

 ————士郎にだけはバレないように。



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《第五話、間桐兄妹(きょうだい)

 

 

 2月2日の冬木市深山町は、綺麗な快晴をたたえていた。

 中庭の土は乾き、木々は青々と(しげ)っている。そこから、ガラス扉で仕切られた縁側のさらに内側を覗いてみると、居間の中で騒ぐケモノたちの姿が見えるだろう。

 朝食が豪華だとトラが吠え、金色のライオンは対抗するかのように米を平らげ、紫のヘビは焼き魚を()み込む。

 そんな、鳥獣戯画もかぐやという朝の大宴会を使ってやっと、藤ねえからサーヴァントたちの滞在を勝ち取る事に成功した。

 

「———ぅうう。なんか……遠坂さんに丸めこまれた気がする……」

「そんな事ありませんわ藤村先生。私たちの事も友達の事も、どちらの事も大切に考えてくださったのですもの、そんな先生を軽んじる筈ないじゃありませんか」

 

 なんてやり取りを聞き流しながら、俺はひとり席を立つ。食器洗いは台所にいる桜に任せて、縁側をかねた廊下へと踏み出した。

 右手には俺の自室につながる廊下。その突き当たりを左に折れたら自室が右手に有るんだが、自室を無視して直進すると突き当たりから外に出られる造りになっている。小さな下駄箱に常備してあるサンダルを履いて中庭に出ると、正面にいつも使ってる道場がある。

 そこに、サンダルを脱いで踏み入った。

 

 すりガラスを貼ってある引き戸をガラガラ開けると、一面板張りの空間に出会える。

 

 ———鍛錬自体はココじゃなくても出来るんだが、ココには神棚を飾ってあるせいか、修行効率が段違いだ。もちろん俺の勘違いという線もあるが、“鰯の頭も信心”から、誰にも言わない事にしている。そのうち本当になるかもしれないし……

 

 道場の奥、掛け軸の前に正座して。両手は腿の上で組み、そんでもって瞑想する。

 

 コツは呼吸をゆっくりやる事。遅ければ遅いほど効果ば高い。理想は息をしない事。息を止めたままで我慢するんじゃなくて、呼吸をゆっくりし過ぎて息をしなくなる事。今の俺には出来ないが、そこを目指して毎日瞑想をしている訳である。

 ちなみに、今は日課の瞑想ではない、逃げてきたのだ。

 昨日のことがあってから、上手くセイバーと話せなかったから、ひとまず雑念を消す為にココにいる。

 

 状況を整理する為に思考すると真っ先に出てくるのが、“アーチャーとは反りが合わない”と言う事。戦闘方針から料理の腕前、皮肉げな口調まで全部が全部、(しゃく)(さわ)る。

 これは仕方ないと割り切るしかない。3日前に遠坂に言った手前、俺が癇癪をおこす訳にもいかないからな。

 二つ目は料理の腕前で完敗している事、こちらはリベンジするに限る。絶対にする。俺の全勢力でもって、必ずセイバーに美味しいと言わせるモノを造る。

 三つ目は深刻だ、俺がアーチャーの夢を笑った事になっている。俺自身はそんなつもりは無かったが、今思い返してみると自分でもイラッとするような言い方だった。……うん、俺でも怒る。

 

 俺自身には聖杯に願いたいモノがない。だからセイバーの願いくらいは叶えさせてあげたいと思う。もっとも、()()()()()()()()()なんて上から目線で何事だッ、と自分でツッコミ入れたのは随分と記憶に新しい。それでも、セイバーの願いは綺麗だったんだから、俺が応援する事は間違いじゃないと思うんだ。

 ……それに、“借り”もあるし。

 

 その時、ガラガラッという音で現実に戻ってきた、どうやら道場の扉が開いたみたいだ。

 

「先輩、そろそろ仕度(したく)しないと遅れちゃいますよ」

 

 後ろから、声。

 掛け軸の方を向いている俺からすると真後ろより少し左、土間から声が聞こえたようだ。

 

「……悪い、桜。すぐ支度(したく)する」

「はい。そうして下さいね、先輩。藤村先生も、もう行っちゃいましたから」

 

 紫色のストレートの髪、耳が見えるよう左側だけ赤いリボンで結んでいる。華奢な体格の割に健啖家な彼女が、実は遠坂の実の妹だと知らされた時はびっくりして腰を抜かしたものだった。

 気づかないだろ普通。二人との“赤の他人です”ってカンジで振舞ってたんだから。

 

 土間でサンダルを()いてすぐ部屋へと向かう。特に汗をかくような事もしていないからシャワーを浴びる必要もない。そのまま自室で制服に着替えてカバンに必要なモノをぶち込んだ、昨日の内に机の上に整理してたから出来た芸当でもある。

 

「うわ、もう七時半じゃないか! って事は、ギリギリまで待っててもらったって事だよな……」

 

 駆け足、駆け足。全速力で玄関へ走る! 全速力でも足音を立てないよう、身体が上下にブレないように気を使ってしまうのは、最早(もはや)癖になっているから。俺としてはどんどん癖になってほしいところでもある。

 

「———ちょっと士郎! 遅れたらどうするのよ!」

「すまん遠坂、準備に手間取った」

 

 なんて掛け合いながら下駄箱に直行。靴に足を入れ、パパッと踵を整えて。この間実に3秒とちょっと。

 

「悪いな、待たせて」

「大丈夫ですよ先輩。まだ間に合う時間ですから」

 

 遠坂がドアを開け、桜が続き、俺が閉める。振り返って覗いたドアの向こう、玄関に、セイバーはいなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 登校中、俺が桜に“聴いた事”が、全ての引き金だったのかもしれないと、今になってそう思う。

 

「なあ、桜。昨日言ってた美綴の事、本当なのか? 魔術師だって話」

「はい、美綴先輩は魔術師です。それもすごい魔術師なんですよ?」

 

 桜がはにかんだ。

 俺から一歩だけ離れて、両手を後ろで組んでしまって、頭の裏を見るようにして、記憶をたどって答えてくれた。

 

「美綴先輩は時計塔で“黄色”の称号を貰ってて“冠位(かんい)”の(くらい)にいるんです。公式な理由はたしか…………“東洋の一地域でしか使われていないマイナー魔術である結界術を、歴史上初めて、キチンとした西洋式の魔術体系に組み込んで構築(こうちく)した事”———らしいですけど、本当のところは降霊術で“根源”に行く方法を協会に教えたからだって噂です」

「なんというか……聞くほどに凄いな、それ。——本当に美綴なのか?」

 

 俺の知ってる美綴綾子という女性とは、かけ離れてると言うか……

 

「はい、間違いなしです。先輩や姉さんとずっと一緒に魔術を頑張ってて、すごく強くて、合宿のお話しはすごくおもしろいんですから」

 

 えへん、と胸を張る。カバンを片手持ちにしてまで腰に手を当てるあたり、実に楽しそうで何よりだ。

 ———でも、

 

「すまない。説明して貰って悪いんだが。……どうしてもまだ、美綴が魔術師だって納得できない自分がいるんだ」

 

眉間(みけん)()む。「うーん」とうなる。

そんな俺を桜は真っ直ぐに見てくれている。

 

「———いいです、先輩がそう思うならそのままで。

学校での美綴先輩は、先輩の記憶の通りの人ですから、先輩が悩むことなんてないんです」

 

 桜が目を細めて、頬を上げていた。

 無理をして笑ってるなと、すぐに判った。……無理をして笑ってる時、桜の笑顔は怖くなるんだ。

 

「美綴先輩、少し前から休んでるから、それも心配なんですけど……」

「———そういえば遠坂が、『美綴と連絡が取れなくなった』って言ってたよな」

 

 そこに、遠坂が割り込んできた。

「————士郎は、“士郎の記憶改竄事件”の容疑者が、今話題なってるその綾子だって事だけ、覚えておけば十分よ」

「わかった。とりあえず、そうさせて貰う」

 

 前から肩ごしにこっちを見てる遠坂に頷く。

 ……後で、慎二にでも聞いてみるか。桜の兄貴をやってる慎二にも、一応聞いておこうと思う。だから今は、ただ会話を愉しむ為に、次の話題を持ち込む事にした。美綴の事をこれ以上追求しても、得るものはあまりなさそうだったし、遠坂や桜にとって美綴綾子という存在は“すごい魔術師”なんだって事がわかっただけでも良かったと思う。

 

「なあ遠坂、アーチャーやライダーは今もそばにいるんだよな?」

「そうだけど? どうしたのよ、急に」

「———いや、ただ……英雄って言っても、色んなヤツがいるんだなって思ってさ」

「そりゃそうよ、パッと思いつくだけでも結構な数いるじゃない」

「そっちじゃなくてさ。英雄としての輝きというか、それぞれの英雄たちが持っている迫力みたいなモノが、あんなにも違うとは思わなかったから」

 

「先輩って、時々へんな見方ですよね?」

「俺も、自分が正常じゃないって事はわかっ———」

「違いますっ。 わたし、そう言う意味で言ったんじゃありません。先輩の見方ってすごいってことです」

「…………見方が、凄い?」

 

 桜という少女は、こう何年も一緒に過ごしていると、たまによくわからない発言をする事がある。けど、それは支離滅裂なワケじゃなくて、もっともっと掘り下げて聴いていくと、思いもよらない所で重なり合うからだと(わか)るようになった。

 

「———普通の人には、英雄としての輝きなんてわかりません。先輩の言う“英雄の迫力”も、殺気や、サーヴァントとしての格の事じゃないですよね?」

「ああ、なんて言うのか、英霊の性質……みたいなモノなんだけど……」

「だからすごいんです。先輩はわたしと同じ物を見ても、わたしとは違う景色に見えるんだろうなって……」

 

 言いながら、桜は遠くを見るように前を眺める。

 ———今の桜にはこの通学路が、一体、どんな景色に見えているのか。

 なんて、ぬくぬくと浸かっていた俺の感傷は……

 

 

「———結局、“士郎は変わりモノ”って事でしょ?」

 

 と言う遠坂の無慈悲な一言で、コナゴナに打ち砕かれたのだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「美綴ぃ? なんで僕に聞くんだよ、衛宮」

 

 何故か慎二は、驚いているみたいだった。

 今日は珍しいくらいご機嫌ナナメだったから、何かあったのかと声をかけて見たのだが、質問した瞬間、慎二の顔から感情が吹っ飛んだ。

 

「なんでも、最近登校してないとか何とか、そう言う話を耳にしたから、慎二に聴いてみようって思ったんだ」

 

 桜は彼女がすごい魔術師だったと言ってたけど、それでも彼女は、俺にとっては凄く気の合う奴だから。

 だから信じられなくて、それで放課後、人が少なくなってから、慎二にぼかして聴いてみたのだが———

 

「……ふーん。ま、僕ならあんな事があった後に、学校になんて来れないけどね」

 

 不穏な言葉、聞き捨てならない言葉が聞こえた。当然俺は、何か知っているならどんな事でも聞いておきたい。

 慎二の座る席の机に手をついた。自然と、指先に力が入る。

 

 ————いやあ、びっくり。衛宮って、自分に当てるのは上手いのよねぇ。でも、武人たるもの、どんな時でも力みは厳禁だぜ。今、肩に力が入ってるからさ…………そう、ココ……ゆっくりと、抜いてみて————

 

 いつか、道場で聞いた声が(よみがえ)る。俺がまだ弓の引き方すら知らなかった頃、彼女に教えてもらった時の声。よく“ここに力が入ってる”と触って見せてくれたっけ。二の腕に触って、「ここの力を抜いてみて」って……

 

 嫌な予感がする。でも、急いではいけない。力んではダメだ。

 

「『あんな事』って、何があったのか、詳しく、教えてくれないか」

「ん——? ああ、衛宮って綾子とデキてた? ……けど、良かったじゃん衛宮。もうずいぶん愉しんだ後だろ? キマった女なんか気にする事ないって」

 

 クスクスと慎二が嘲笑(わら)う。

 ……おかしい。魔術師かどうかを確認する為に話しかけたのに、なんか、へんだ。

 

 ———どんな時でも力みは厳禁だぜ———

 

「あいつ、家出したらしいじゃん。なんでも新都の方をほっつき周ってたって話も出てるしさ。綾子のヤツ、今頃そこらの路地裏ででもキマってるんじゃないの?」

 

 いや、僕は何も知らないけどさ、と嘲笑(わら)う慎二。

 

 …………何も知らないなら『あんな事があった後』とは言わない筈だ。

 

「ほら、綾子って胸大っきいじゃん。男受けすると思うんだよね。そんなヤツがさ、どんな風になってるか興味あると思わない? 衛宮」

 

 右肘を机について、手の甲の上に頬を乗せた状態でニヤリ、っと笑う慎二。

 

 ———どんな時でも力みは厳禁だぜ———

 

 ……そうだ、力んじゃいけない。それは美綴に教えて貰ったモノを穢す事になる。

 

「———ああ、桜は昨日休んでたんだっけ。じゃあ衛宮も知らないか……二年のヤツらはまだ微妙だけど、他はもう綾子の話で持ちきりだぜ。随分な噂になってるし、これで学校に来たらどうなるんだろうねぇ」

 

 ———どんな時でもりき———

 

「———あいつ必死に笑うんだぜきっと……ああっ、見モノだよな。エ、ミ、ヤッ」

 

 ドン!! っという音で目が覚めた。

 

 気づけば慎二の机は割れていて、俺のコブシは痛かった。

 

「——————ハァ、ハァ……ハァ」

「何するんだよ衛宮。コレ、壊していいと思ってんの?」

 

 ……何も言えない。

 口を開くと衛宮士郎は間桐慎二を罵倒する。力を込めて拳を握り締めていなければ、慎二を殴っているかもしれない。

 

 ———それはできない。美綴に会ってから武人としての心得をずっと聞かされ続けてきた。“武人たるもの、相手が誰であろうとも、弱者であろうが強者であろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()”と。

 

 悔しかった。不甲斐なかった。

 それは慎二を殴れないからではない。その理由がイヤだった。

 美綴に教えて貰った心得がある。でも、それが全てじゃないんだ。

 そもそも、衛宮士郎に誰かを殴る権利なんてない。誰かを罵倒する権利なんてない。

 

 ———慎二は美綴に何かしたかもしれない。

 それでも、衛宮士郎に比べれば、まだマシだと思ってしまった。何百人もを見殺しにして、誰かひとり助けなかった。そんな人間と比べれば、間桐慎二は遥かに“善”だ。

 俺のような悪人に、誰かを裁き罰を与える権利なんて、カケラ程もないんだと、そう思ってしまったが為に慎二を殴れず、美綴の居場所も聞き出せなかった。

 

 それが何よりも悔しかった。

 

 ……もう慎二は教室にいない。

 

「……ハァ…………ハァ……ハァ」

 

 胸を鷲掴みにする、動悸(どうき)が早く治まるように。

 

「……ハァ……ハァ、ハァ」

 

 走り出す、美綴に早く会うために。

 右脚を踏み出すと、壊れた机を踏んづけてこけてしまった。

 ……痛い。

 右脚の太ももに、何かのカドが当たったみたいだ。

 ……心臓が痛い。頭は回らない。ケガの具合を確認している時間など、俺にはない。

 起き上がろうと左脚を踏み出して、転がっている机の脚に滑ってしまった。

 両腕を使ってはって進む。左の肘を床に押し付け、肩に思いっきり力を込める。

 ……やっと進んだ。歩くよりもずっと遅いけど、とてつもなく遅いけど、それでも、ほんのすこしだけでも、前に進む事ができた。

 

 ———衛宮士郎は役に立たない。本当に大切なモノをこそ、お前は取りこぼす事になる———

 

 誰に聞いた言葉だったか。須賀さんだったか赤い弓兵か……それとも、いつぞやに会った黒い神父か。

 何故か今、その言葉が脳裏によぎって、何故かそれが、とても悔しかった。

 

 だからがむしゃらに肘を動かして、だから何も考えないように、歯を食いしばって這いずり続けて、ちょうど前方のドアをくぐった時、誰かに助け起こされたんだ。

 

「衛宮っ! どうした! 何があった!!」

「————あぁ、一成(いっせい)か……起こしてくれて助かった。……どうも立ち上がれなかったみたいでさ」

 

 一度立ち上がって仕舞えば、もう転ぶ事も滑る事もない。衛宮士郎の両脚はいたって普通に機能していた。

 ……良かった、これで走れる。これで、美綴に会いに行ける。

 

「その様な事より、“何があったか”と聴いているのだ!」

 

 一成の顔は教室の中を向き、その目は壊れた机を睨んでいた。

 

「アレは間桐の席だな。衛宮、あの男と何があった?」

「つい、力んじまったみたいなんだ。悪いけど、一成が片付けておいてくれないか?」

「……片付ける分には構わないが、いつも温厚な衛み——」

「それじゃあ頼んだ一成。俺、行くとこあるから!」

 

 一成を置き去りに走り出す。

 

 心当たりはひとつだけ、後はシラミ潰しに探す他ない。

 間桐の屋敷、いつだったか遠坂が『あそこは危険よ』と言っていた。遠坂ほどの魔術師が“危険”と思う場所、もしも、そこにいたならば……

 

 何かとても大切なモノが、壊れてしまいそうだった。






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第六話、間桐 臓硯


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《第六話、間桐 臓硯》

 

 

 短刀を一閃、眼前に漂う“澱み”を切る。

 何歩か進んで、振り返って横一閃、纏わり憑いて来た怨念を切った。

 

 ———俺は、今洋館の中にいる。廊下の上に立っている。

 足元は赤い絨毯、右手には両開きの四角い窓。そこから、赤黒い夕日が俺の足元を照らしていた。

 目の前にはT字路があり、左右に分かれた廊下の先、左手の方が気持ちが悪い と感じた。

 ちょうど目の前、T字路の連結部に掛けられている油絵には拷問の様子が描かれている。

 ———ここは洋館の中でもかなり奥まったところとは言え、女を拷問している絵を飾る奴がいるという事でもある。

 左手を伸ばし油絵に触れると、女性の“想い”が流れてくる。それは決して、絵画の中の女の声ではありえない。

 現実に居た女性の声だ。

 ……この人は、油絵に描かれた()と現実の自分との区別すら、つかなくなったのか。

 

 右手の短刀に力がこもる。

 

 油絵を格子状に切り裂いて、左に曲がる事にした。

 

 ……マズい。

 何がマズいって、マズい。

 

 衛宮士郎にとって、この場所は鬼門だ。今はまだ、“聖骸布で作った袖”が俺の心を護っているが、それも時間の問題だろう。

 俺が身につけている“聖骸布の袖”というのは、真っ赤なコートの袖だけを切り取ったようなもの。それを制服の上から左腕に装着している。その材料は確か…………“聖バルバラの聖骸布”とか言ってたっけ?

 

 ————いいかい衛宮。この聖骸布はね、拷問のようなモノ、つまり“精神を犯し苦痛を与えるモノ”や“苦痛を与える事を目的とする悪意”に対する防壁として働くものよ。

 つまり、聖バルバラの聖骸布は“外敵からの攻撃から身を守る”のではなく、“外界からの悪意や侵食から心を守る”…………衛宮は精神防壁が無いんだから、肌身離さず持っておいてよ————

 

 その聖骸布を持ってしても止めきれない程に濃密な悪意と怨念。

 中央公園とはワケが違う。あそこのはただ、“無念”や“悲しみ”、“苦しみ”や“痛み”といった“漠然としたモノに対する残留思念”だった。

 でも、この屋敷にあるものは違う。

『私の嫌がる(さま)を笑っているのが怖い』、『虫が身体を這いずり廻るのがイヤだ』。そう、ここにある思念は全部、“怖い”“苦しい”と助けを求める声ばかりだ。

 

 ……こんなに近くで助けを求める人たちに、衛宮士郎は十七年間も気が付かなかった。それは、あの災害の夜に周りの人々を見捨てた事と、一体何が違うと言うのか。

 

 ———衛宮士郎に霊感はない。だが、俺には精神防壁が存在しないので、霊障の類いはかなり重く発症する。衛宮士郎が怨念の類いに触れてしまうと、怨念の思念に染まってしまうのだ。つまり、さっきの怨念の声は、“その場にいる時の衛宮士郎の思考”そのものだという事。

 この聖骸布を手に入れるまでは戦場におもむくだけで、鬱になったりPTSDを発症したりという事が日常茶飯事だった。もっとも、それを隠す事くらいは出来るから、気付かれる事はなかったが。

 

 衛宮士郎はまたひとり、助けを求める人を斬り捨てる。怨念と一緒に壁を這いずる虫も切ったが、アレも良くないモノだったから、捨て置いても構わないだろう。

 

 またひとつの怨念を斬り、またひとつの(よど)みを()つ。こんな作業は、本来なら魔術師には必要ないものだ。遠坂みたいな優秀な魔術師なら、魔術回路に魔力を通すだけで防げるようなモノでしかない。でも、その程度のモノですら防げないから、左腕の聖骸布は常に持ち歩いている必要がある。

 

 

 洋館の二階、地下へと繋がる隠し階段を覗き込みながら、衛宮士郎は歯噛みしていた。

 

 そこは暗い階段だった。灯りなどない洋館の一角、地下へと続く石階段。

 底は見えない。ただ暗がりへと続いているだけ。

 辺りを見渡すと豪華な調度品やら綺麗な絨毯(じゅうたん)やら……それらと比べて、あまりにもお粗末なデキの階段。

 

 ————何となく、判る。

 ここから先は次元が違う。これまで見てきた、この屋敷で斬り捨ててきた澱みや怨念が涼風(すずかぜ)に思えるほどに、澱み、(こご)っている。

 

 ———僕ならあんな事があった後に、学校になんて来れないけどね———

 

 ここにだけは居て欲しくない、けれど他の手がかりもない。結局、衛宮士郎には“この呪いの中に入る”という選択肢しか、存在しないのだ。

 ……だったら、刃物を振り回す事に意味なんてないのか……

 

「—————投影(トレース)完了(オフ)

 

 短刀の鞘を投影、納刀する。

 これより先は“斬る”とか“清める”とか以前の問題だ。

 踏み出せば異界、そう思うより他はない。斬り、突く、なんて密度ではなく、刃物など意味もない—————海の水を切ったところで、何も変わりはしないのだから。

 

 左手を手刀にして身体の真ん中に持ってくる。自らの正中線を護るように、ほんのわずかでも、俺の心が死なぬようにと……

 

 

 一歩踏み出すと発狂し、二歩目が出ると心が死ぬ……階段の下はそんな場所だ。

 しかし、心が死んだ人間を、見分ける方法など有りはしない。だったら、何も変わらないのと同じじゃないか。

 

 ———衛宮士郎に霊感はない。故に自分の状態がどうなっているかなど、判りようもない。

 だけど、今はそれが有り難かった……自分の全てを無視したままに、突き進む事ができるから。

 

 呼吸を整えてから、左足で、一段下る。

 

「———美綴、お前が何かを隠しているのかどうなのか、俺にはてんでわからないけど…………」

 

 どうか無事であってほしいと、思わずにはいられなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ……頭が痛い。

 

 頭痛までしてきやがった。怨念にあてられたのか澱みに呑まれたのか、どちらにせよ、体調は万全とは程遠い。

 

 俺がこの地下蔵に足を踏み入れて最初に思った事は“吐き気がする”って事だった。車酔いしたみたいになって、今では頭痛も発症している。

 

 ————衛宮士郎に霊感はない。つまり、俺の身体に現れる症状は一般人と同じものだ。

 足を踏み入れた瞬間に吐き気をもよおす部屋に踏み入った事はあるだろうか、空気を吸うだけで頭痛がする空間にいた事はあるだろうか。

 

 途轍(とてつ)もなく気分が悪い。蔵の中を這いずり回る虫とは別に、この空間そのものが衛宮士郎を侵しにきている。

 

 ……蔵。

 

 …………倉庫。

 

 ………………そこは、とてつもなく()()()()()空間だった。

 

 

 

「————良かった」

 

 けれど……

 

「—————美綴がいなくて、よかったッ!」

 

 ここには、美綴綾子の姿はなかった。

 それだけが、救いだった。

 

「——————————ッツ!!」

 

 …………そして、気づいた。

 俺は今、ピンチではないだろうか。

 

 この地下空間は石で出来ている。

 まるで巨大な岩盤をくり抜いたかのように継ぎ目の見当たらない石の壁には整然と、無数の“マド”があいている。当然、地下倉庫に窓を開けたところで、外など見えるはずもない。実際、この空間にある穴も死者を埋葬する為に使われているようだった。穴の中には数々の棺桶が入れられている。

 

 しかし、士郎がこの穴を“マド”だと認識したのには訳がある。士郎は解析魔術を使い、この空間の構造を調べたのだ。

 結果、この空間はさらに大きな空間の中にある檻のようなものだとわかった。

 ……ちょうど、もっと大きな空間の中に、窓穴の無数にあいた石造りの小さな部屋が仕切られてあるようなものなのだ。

 

 辺りを見渡す。

 マドの外、暗闇の向こうは見通せない。

 

 …………構造としては尋問室か実験場か……この場合意味するのは、二者間に圧倒的な有利不利の差が生まれているという事。

 人間は地下蔵のマドを自由に行き来出来ない。大きさ的には通れなくもないが、通る為には身をかがめたり飛び上がったりしなければならない。一方、辺り一面に蠢めいている虫たちは、マドを自由に行き来できるのだ。

 

 この差は大きい。

 

 虫たちが今、俺を襲おうとした場合、このマドは俺を閉じ込める檻としてのはたらきを見せるが、俺が虫たちを殺そうとした時、このマドは俺の動きを制限する足止めとしてはたらく筈だ。

 虫は簡単に通れるが人間には通りずらい、無数にあいたマドの穴。

 この空間は、虫たちにとっては最高の狩場となるだろう。

 

 ———今襲われたなら、()して生きては帰れない。

 

 制服のベルトに挟み込んでいた短刀を抜き放った。

 腰を落として周りを警戒する……が、一向に襲われる気配もなしだ。

 もっとも、この虫たちが襲う気だったなら、俺はすでに死んでいるだろうが……

 

 キイキイキイ……と音がする。床を這いずる虫の声だ。

 仲間に何かを伝えたかったのか、一部の個体が激しく身をよじらせたかと思うと…………全く、動かなくなった。

 

 ————虫の声も聞こえない。

 

 

 

 

 …………ここは唯、静寂が支配していた…………

 

 俺は不用意に動けない。

 虫は何故か動かない。

 

 俺が一方的に警戒していると———俺の魔力が持って行かれた。

 

「————なっ!」

 

 虫に喰われたかっ————と思って見渡しても、俺の魔力が虫たちに流れている様子なない。こう見えても魔術師の端くれだ、目の前で魔力を引っこ抜かれたら流石に判る。

 

「虫じゃないとすると…………セイバーか!」

 

 確かセイバーは俺と魔力のパスが繋がっているって言ってた筈だ。つまり、俺とセイバーは使い魔の契約で結ばれている。セイバーが魔力を大量に消費する事態に陥ったなら、俺から魔力を引っこ抜く羽目になる。

 

 マズい、セイバーが戦闘している! 

 

 石階段を駆け上がる。

 石段。周りの石壁に沿うように、ぐるりと存在するそれの最上段、地下蔵の天井まで上がった時、綾子の事を思い出した。

 

 とっさに立ち止まり、蔵の中を見渡して、美綴綾子の姿を探す。

 

「—————いる筈もない……か」

 

 さっき散々探した後だ、床にへばりついている虫も蹴散らして捜索した。この空間の中には居ない————居るとするなら、それは……

 

 

「…………これが終わったら美綴の家に行って、病院にも行ってみる」

 

 決意する。

 そこにも居なかったなら、もう一度—————

 

 

 地下蔵から顔を背けた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 言葉にするなら、それは嵐のような剣戟だった。

 

 たった二人、たった二振の剣戟が、暴風のように思えてくる。

 

 冬木大橋の近くにある、海浜(かいひん)公園。夜に覆われたレンガの上で、二騎のサーヴァントは闘っていた。

 どんな経緯で彼女がここに居るのかなんて皆目見当もつかないけど、その嵐のような剣戟は、やっぱり、見惚れるほどに綺麗だった。

 

 ———後になって思い返せば、俺が見惚れたのは“セイバーの剣の上手さ”に、ではなかったと思う。

 確かに、セイバーの剣は“上手な剣”ではない。極限まで無駄を省いた“達人の剣”でもない。本当に上手な達人は、もっと簡単に剣を振り上げ、もっと上手に相手をいなす。

 だからきっと、俺が綺麗と思ったモノは、もっと別のモノだったのだと、後になってから思ったのだ。

 

 この時俺は、最後までずっと傍観していた。自分の名誉の為に言っておくが、別に気後れしたわけでも、怖れをなしたわけでもない。その必要を感じなかったと言えば言い訳に聞こえるかもしれないが……確かにこの戦闘に、俺の入り込む余地など欠片もなかったんだ。

 

 ———鈍色の巌のような大男と戦っていたセイバーの元に、アーチャーとライダーが、助けに来たとこだったから。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「アーチャー! ライダーを引っ張ってここから離脱! 見張っておきなさい!!」

「————了解した。マスター」

 

 こちらを振り返ろうとするライダーをアーチャーが強引に引っ張っていくのを魔力と気配で確認して、目線は奴から逸らさないまま、魔術刻印に魔力を通した。

 

 ……ここまでは奴の思い通りだろう。とはいえこの状況では、そうする他に無いのだが。

 

「ふむ……流石は遠坂の秘蔵っ子、と言ったところか」

 

 表情のない、顔。

 

「とっさの場面でも、戦況の把握が出来るとは……」

 

 鉄面皮であるワケではなく、シレっとしていて感情が読めない、澄まし顔。

 

「———だが、既に必要なモノは手に入れた。どれ、ここで“手打ち”にする気はないかな?」

「冗談! …………諦めるワケないじゃないっ」

「そうは言うがな遠坂嬢。ほれこの通り、桜はワシの手の内にある。お前さんの負けじゃ」

 

 カカカッと笑う、若草色の着物の老人。

 顔はしわくちゃで髪の毛も無くて、杖をつかないと歩けないほどに腰も曲がっているけれど、私にとってはこの老人が、とてつもない強敵だった。

 それはこの老人が魔術師だから————ではない。その程度で苦戦する程、遠坂凛はヤワじゃない。

 

 理由はひとえに、桜が人質になってるからだ。

 

 衛宮邸の中庭の地面から、うじゃうじゃと出て来る蟲、蟲、蟲。

 士郎のお父さんが仕掛けてあった、外敵を(しら)せる“魔術鳴子(まじゅつなるこ)”も鳴りっぱなしだ。

 

 解ってるわよ! ここに侵入者がいる事ぐらい。目の前に蟲のジジイがいるんだし、そんな事、とっくの昔に気づいてる。

 

 

 

 

 ———この戦いは、始まる前から負けていた。

 

 最初の異変は莫大な魔力反応だったのだ。冬木大橋の方からやって来る未知の魔力反応、それが殺気を振りまいているともなれば、セイバーを止められる者はいなかった。

 マスターである士郎がまだ帰ってない状況では力ずくで抑えるワケにもいかなくて、結局は放流したのだけど、セイバーはその魔力に向かってすっ飛んで行ったのだけど、良かったのか悪かったのか………………襲撃は、一瞬だった。

 気付いた時には負けていた。

 

 突然、居間に座っていた桜が痙攣した、と思った瞬間———

 私は、彼女をつき飛ばすことに成功していた。

 そのお陰で、いつの間にか湧いてた蟲から、桜を遠ざけられると思ったのに……

 家の中で襲撃されたら一先ず外に出る事が、一つのセオリーになっている。だから私は、桜を外につき飛ばしたのだ。居間の扉を突き抜けて、中庭へと桜を飛ばした。

 とっさに震脚を使ったけど、衝撃は身体を貫通させた。桜に外傷はないはずだ。

 対応も完璧に近いモノだった。

 

 …………なのに、

 

 私は、桜を護ると誓ったのに……

 

 カランカラン、と鳴子の音を聞いた時には、全てがもう手遅れだった。

 桜が息を呑む音と、キイキイという蟲の鳴き声。

 

 ————間桐桜は、間桐臓硯に捕まっていた。

 

 

 

 現在は、衛宮邸の中庭で一対一。

 時刻は夜、向かい合って対峙している。

 

 奴の蟲は私に効かない。結界を張っているからだ。近付いてくる蟲を全部、燃やすように設定してある。

 

 私の魔術は放てない。桜が人質になっているから。私の魔術は直接攻撃が主だから、射線上に桜がいると撃ちにくくなるのだ。

 

 人質とはいっても、よくドラマなんかで目にするように、背後から手を回して首に———てな感じではない。地面からポコポコ出てくるキモい蟲、手のひら大のソレが連なって桜を空中に縫い付けているのだ。位置はハゲジジイの正面、私が直線に魔術を放つと必ず桜に当たる位置。

 こうしている間にも蟲は増え、桜の身体をよじ登る。

 

 ……すでに、膝から下は完全に見えなくなってしまった。

 

 何をされたのか知らないが、桜の目には光がない。薄く目は開いているのに、その()に生気が感じられない。

 

 私は一体、どうしたら……

 

 桜を取り戻す術はある…………けど、ソレを仕掛ける隙がない。

 状況は、膠着(こうちゃく)していた。

 

「いやはや大したものよ、未だに勝つ気でおるとは……」

 

 時間稼ぎのつもりか、臓硯は話しかけてくる。

 

「先程、ライダーを遠ざけたのも……ワシが桜の令呪を使える可能性に思い至ったからじゃな?」

 

 …………燃やす、燃やす。

 近付いてくる蟲達をただ丁寧に燃やしていく。そうする事で遠坂凛は、臓硯の言葉に惑わされないよう、己を律していた。

 

「ワシもな、桜には自由にしてもらいたかったのだ。衛宮の倅と仲良くやりたいならそうすれば良いとな。

 ……だが、残念ながら状況が変わってしまってな。至急、桜を回収せねばならなくなった」

 

 ライダーを呼び戻す事は出来ない。臓硯が令呪をどう使うのか判ったものではないからだ。

 だからこそアーチャーを付けた、ライダーの監視と臓硯への抑止力として。令呪を使うために桜に干渉するのなら、その隙にお前を滅するぞ、と牽制する必要があったから。

 

「—————美綴綾子」

 

 一瞬、身体が緊張したのがわかった。多分、指先がピクッと動いてしまった、気がする。

 

 ———臓硯が、笑った。

 

 カッカッと、とてもとても愉快そうに。

 臓硯はアゴを上げていて、その顔色がよく見える。

 

「おおぅ、怖い怖い。そう睨まれると、この老体が竦み上がってしまいそうじゃ」

 

 アゴを下げ、顔を伏せる。その表情が影になった。

 

「あの小娘の相手をするには、この老体では荷が勝ちすぎるのでな。やはり、桜には協力して貰わねば……」

 

 …………マズい。

 マズいと判っているのに、打開策が浮かばない。

 時間が経てば経つほど、桜の状況は悪くなるばかりだ。

 

 桜は、もう腰まで蟲に埋まっている。

 ……不自然に、痙攣している。

 猶予などないというのに…………私は、どうすれば!? 

 

 痺れを切らして、ガントを放とうと指先に魔力を溜めた時…………私の魔力が霧散した。

 

「———なっ—————ッ!」

 

 確認するために右手を覗き込もうとして…………首が動かないのを、知った。

 

「—————やれやれ、やっと効いたか。並みの魔術師ならば5秒もあれば落ちるというのに……」

 

 90°傾いた視界の中で、臓硯の奴がため息をついた。

 ……いつの間にかこけている。

 倒れた時の衝撃も無かった。つまり、触覚も死んでいる。

 

「安心すると良い。その毒はお前さんの身体(しんたい)を傷つける類いのモノではない。

 そもそも、魔術刻印を持つ魔術師に対して、その体を害する毒が効果を発揮する事などないからな。魔術刻印は、己が所有者の身体(しんたい)を害する、あらゆるモノを受け付けない」

 

 臓硯が、こっちを見下しながら喋り出す。

 

 …………こいつ、わかっていながら! 

 

 ———確かに、今の臓硯には私の魔術刻印を押し切るだけの“神秘の深さ”も“魔力量”も無いだろう。それがわかっていて、なお毒が効いたというのなら、この毒は魔術刻印に弾かれない“巧妙な毒”だってコト。

 

 でも…………こんな話をすることに意味なんてない。

 コイツはただ私を見下し、桜を見せつける為だけに、まだ此処にいる! 

 

「冗談じゃないわよ……」

 

 死なせたくない。

 苦しんで欲しくない。

 あの時、綾子のヤロウに無理矢理戦場に放り込まれて、やっと、私たちはもう一度出会う事が出来た。

 

 ……不意な事から、桜の受けた苦痛を知った。その時に、桜を護ると決めたのだ。

 

 今度こそは絶対に、と……

 

「———私は、まだ、何もしてない……」

 

 ……指先が、やっと動いてくれた。

 

「———私は、桜の姉さんなのに……」

 

 その感覚、指先の感触を基点にして、左手を地面に固定する。

 指先は地面に触れた。手首の感覚はないけれど、目で見る限り、ちゃんと地面に付いている。

 

「———まだ、あの娘に何もあげてない!」

 

 ……後は、腕を一本の棒のように使えばいい。手首を支点にして、ワイパーのように腕を使って上体を起こす。だからッ—————

 

「———桜は絶対、アンタなんかに渡さない!」

 

 ……最後まで、間桐臓硯は動じなかった。私を見下ろしたまま、ずっと……愉しそうに笑っていたのだ。

 

「————ふむふむ、娘にしては、えらく大した意気込みじゃ。だが、その体では何も出来まい」

 

 そして、チラっと桜を見てから、大爆笑を始めやがった。

 “呵々大笑(かかたいしょう)”という言葉は、こういう時に使うのだろうか…………それはそれは愉快で愉快でたまらない、という風に上を向いて、笑い声の嵐を放っていた。

 

 —————とても、痛かった。こんなに悔しい事なんてない。

 どうしても助けたい人が目の前にいて、苦しんでいるのに何も出来ない。そんな自分が不甲斐無かった。でも………………いや、“だから”と言うべきだろうか。

 

 だからこそ、その時の私は視野狭窄に陥っていて、周囲の変化に気が付かなかったのだ。

 周囲の変化に、ついて行けなかったのだ。

 

 

 

 桜の周りを這いずって、アリ塚みたいになってた蟲が————爆発、炎上した。

 

 そう、それは突然に訪れた。

 

「なっ—————————ッ!!」

 

 臓硯のそれは声にもならず、その対応は後手後手だった。

 臓硯の左手、杖をついてない方の手を桜に向ける。いや、桜の周りの蟲に向けたのもしれない。とにかく、桜の方に向かって突き出した手のひらを、握りこむ。

 

 ———しかし、何も起きない。

 

 燃えた蟲はのたうちまわる。

 そして、臓硯の命令には反応しない。

 やっと気付いたらしい臓硯が、後ろに飛び退(とびしざ)ろうとして———爆散した。

 彼の頭部が。

 さらに、衝撃から顔を仰け反らせ、たたらを踏む臓硯の、胸から上が吹っ飛んだ。

 

 

「……………………………………はっ?」

 

 私の頭がフリーズしていたと気付いて、ここは戦場だと思い出したのは、臓硯の立ち位置からいくらか離れた中庭の端っこ、土蔵の入り口のところまで、何者かに移動させられた後だった。

 

「ま、焼夷弾程度だと燃やしきれないよねー」

 

 私の後ろで響く声。

 振り返ってみると、そこには————

 

「慎二! アンタなんでここにいるのよ!?」

「なんでとは心外だなぁ、遠坂。命の恩人に対してその口の利き方はないんじゃない?」

 

 ニヤッと、私の嫌いな笑い方をする、間桐慎二がそこにいた。

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第七話、間桐 慎二


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《第七話、間桐 慎二》

 

 

「慎二! アンタなんでここにいるのよ!?」

「なんでとは心外だなぁ、遠坂。命の恩人に対して、その口の利き方はないんじゃない?」

 

 ニヤッと笑う、慎二。

 その姿は制服に包まれている。カバンは置いてきたのか、今は持っていないようだが……

 

「———まあ、(なん)にしても助かったわ。慎二」

 

 手をついて立ち上がる。臓硯の手前、いつまでも寝そべっている訳にもいかない。

 慎二の隣に並び立って、スカートに着いた砂を払って、靴下を太腿まで引き上げてから、慎二の持ってるソレを見た。

 

「貴方は、味方って事でいいのよね?」

「当然じゃないか! 僕が敵に見えるのかい?」

 

 これ見よがしに、手に持つソレを肩にかける。慎二は、土蔵を背にカッコつけて立ったまま、臓硯の体を睨んでいた。

 

「———ソレ、“鉄砲”よね?」

 

 私も、黒のミニスカートのポケットからルビーを一つ取り出しながら、慎二と戦力の確認をする。

 

 ———頭が爆散した臓硯は、倒れたままで動かなくなった。

 

「ボルトアクションライフルってヤツだけどね。コイツには、“スプリング・フィールド”って名前があるんだぜ?」

 なんて言いながら、肩にかけてある細長い鉄砲を揺すっている。

「興味ないわよ、鉄砲の名前なんて」

 

 桜は私の足元に、私を中心に発生する結界の内側で眠ってる。

 これで一先ずは安全になった。

 

「———————サッサと、アイツぶっ飛ばしてやろうじゃないの!」

 

 未だに臓硯は生きている。

 魔力を見ればすぐにわかる。

 一度手合わせして判ったけど、アレはもう頭を潰しても死なないだろう。

 

「慎二、手を貸しなさい」

「構わないよ、遠坂。僕は元々そのために来たんだし」

 

 “取って置き”があるんだ、と時間稼ぎを提案してきた。こちらとしても否はない。どうやったら倒せるのか、見当ついてなかったし。

 

 臓硯の、体が波打つ。倒れたままでゾワリゾワリと。

 やっぱり、と呟いた。間桐臓硯が立ち上がったのだ、中庭の中心で、まるで演技でもするかのように、ユラリユラリと。

 ユラリユラリと。

 その頭は、欠けている。

 断面から、血は出ていない。

 …………代わりに、数多(あまた)の蟲が、のぞいていた。

 手のひらサイズの、数多の蟲が……

 

「………………そう、そう言う事だったの。アイツはとっくに、人間を辞めていたっていう訳ね」

「今更気づいたのかい? 遠坂。アレはもう、ただの蟲の塊さ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 何度目だろう、その存在に見惚れたのは。

 いつからだろう、それを“尊いもの”だと、思うようになったのは。

 

 

 

 ————光の粒が、舞い上がる。

 

 思い想いに舞いては踊る。

 

 黄金に彩られたその無数の輝きは、儚くも、夜空(そら)星空(そら)へと立ち昇る。

 

「……ホタルでも、見てるみたいだ」

 

 そう口にしてからだ、順序が逆だと気づいたのは。これらの光粒(こうりゅう)がホタルに似ているのでななく、ホタルがこの光粒(こうりゅう)に似ているから、あんなにも人々に愛される。俺たちは幻想的だと思うのだと。

 

『この世界のすべてから』、そう表現してしまえるほどに沢山(たくさん)の地面から、光の粒は溢れ出す。

 

 俺の居る場所は高台になっていて、海浜公園で闘っているセイバーたちを見下ろす格好になっている。だから、久遠川や海の上も良く見える。海の上、川の中からですら立ち昇るその黄金の輝きに、俺は、人々の想いを垣間()た。

 

 

 

 そんな時だ、隣に、誰かが居る事に気がついたのは……

 

「————やはりコレは、(じか)に観るに限るな」

 

 声に驚いて振り向くと、そこに外国人が立っていた。

 髪は金色、瞳も金色、上質な皮のジャケットとズボンは真っ黒に染めた、長身の男がそこに居た。

 

 振り向いた姿勢そのままに固まる俺、その俺を気にもしない色白(いろじろ)の男。

 俺の首筋に汗が垂れる。

 

 一瞬の膠着、それを破ったのは、金髪の男の方からだった。

 

「『———輝ける、彼の剣こそは、過去・現在・未来を通じ、戦場に散って逝く総てのツワモノたちが……今際の際に(いだく)く、哀しくも(とうと)い夢』」

 

 黄金の光に囲まれて、黄金の男が高らかに(うた)う。両手を広げ、堂々と。

 

「流石はホムンクルスか、純粋は者は(こぼ)れる言葉も純粋だとは思わぬか?」

 

 なぁ、下郎。と、男が俺を捉えた時。

 ———この時、男が俺の存在を“人”だと認識したのだった。

 

 黄金の男は一歩、前に踏み出した。我が物顔で、眼下の景色を一望する。

 

「『その意志を誇りと掲げ、“その信義を貫け”と(ただ)し。

 今、常勝の王は高らかに、手にとる奇跡の真名を(うた)う。

 其は————』」

 

 黄金の男の視線の先。

 釣られて同じ方向を見た先。

 遥か彼方の幻想の世界で、セイバーの謳う真名に、俺は言葉を失った。

 

 

「“————約束された(エクス)”」

 

 

 黄金の剣が振り下ろされる。セイバーの保持するその剣は、刀身が黄金に輝き、その発する光はまるで夜空に輝く月の光のようだった。

 

 ———月明かりは、夜空の星を侵略しない。太陽の光のように星々を覆い隠し、己の存在を誇示することなど決してしない。

 にもかかわらず、闇夜を照らす、(ともしび)となる。

 

「“——————勝利の剣(カリバー)—————!! ”」

 

 そんな彼女だからこそ、人々は想いを託し、強者(つわもの)たちはその呼びかけに応えるのだと、俺は思った。

 

 

 

 ———彼女は、月光(げっこう)のような(ひと)だった———

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 その瞬間は唐突だった。

 

 私が臓硯の蟲を焼き、慎二がライフルでその体を吹き飛ばす。そうして幾ばくかが経過した時、突如として臓硯の体から微かに金色の光が、ほんの僅かに見て取れた。

 まるで蟲と蟲との間から、何かが漏れ出てきたかのように。

 

 ———それは、とても清らかな魔力だった。

 

 だから私は直感したのだ。これこそが、慎二が待ち望んだ瞬間なのだと。

 

 

 銃声、そして機械音。

 慎二がライフルを撃ち込んで、マガジンを入れ替えたのだ。

 

「どうした? その程度では効かぬぞや、慎二」

 

 間桐臓硯がニヤリと笑う。慎二が吹き飛ばした心臓も既に完治している。傷口を蟲が埋めたのだ。

 

 その身体は、全てが蟲で出来ていた。

 

「———だったら、取って置きのを使ってあげるよ」

 

 慎二は今まで、マガジンにライフル弾と散弾をランダムに入れ、それで当然のように応戦していた。それはきっと凄い事なのだろう。なんとなくだけど、分かる。

 

 確かに慎二は天才だった。

 だからこその、違和感だった。

 

「ほう、“取って置き”とな?」

 

 臓硯が少し興味を示す。

 慎二のヤツは、銃を構えてニヤリと笑う。

 

「取って置きも取って置き、“奥の手”ってヤツさ。確実に、アンタを殺し切る一発だよ、爺さん」

「たとえ、其れが事実だとしても、じゃ————」

 

 ————のう、慎二————

 

 臓硯の目玉が光る。

 その頬が釣り上がる。

 

「———()()()()、ワシに言う愚を覚れぬとは、間桐の血も落ちたものよ」

 

 臓硯の、体が波打つ。

 周囲の蟲にも魔力が走る。

 蟲同士の回路が繋がり、一つの巨大な魔術回路網を形どる。

 

 そして、その魔力の高まりが最高潮に達した時、一発の弾丸が、放たれた。

 

 それは過たず心臓を貫き——————視界に在る全ての蟲が、弾け、血を吹いて絶命した。

 

「———————っ—————、——!」

 

 臓硯の声は、聞こえない。

 

 全身から緑の血を流し、ただ口が動くだけ。

 既にその体は、機能を停止していたのだから。

 

「—————」

 

 言葉をなくした。

 信じられない事に、魔術回路も持たないはずのこの少年は、たった一発で、あの怪物を殺したと言うのか。

 

「さて、これでとりあえずは一掃したかな?」

 

 慎二はライフルを肩に担いで土倉の壁に背を預けるようにして、一息を入れていた。

 

「これが奥の手…………」

 

 凄い、としか言いようがない。

 

 顔を動かして辺りを見回す…………動いている蟲はいない。

 臓硯を確認する…………魔力反応もない。本当に、ただの屍のようだった。

 

 衛宮邸の中庭は、そこにウジャウジャいた蟲は、全て死骸となっている。

 

 ふう、とこちらも一息ついて、小さなルビーをいくつか投入、結界の火力を上げて周囲の蟲を焼き尽くす。

 魔力を生成していない()()()()なら、この中の魔力でも事足りる。

 

 ——赤。

 ———あか。

 ————アカ。

 (あか)の火が、視界全てで舞い踊る。

 

 続いて小粒のエメラルドを投入。上昇気流を発生させて、蟲の腐臭を上に散らした。

 

 ピュ──、と口笛の音。

 

「やるねー、遠坂」

 

 いつものようにヘラヘラと笑う慎二の顔をキッ、と睨み付けたのだった。

 

「なんなのよ、今の。明らかに魔力がこもった一撃だったじゃない!」

「そうカッカするなって、ちゃんと説明するからさ」

「ホントでしょうね!?」

 

 思わず身を乗り出して、慎二に詰め寄ろうとした時、視界の端でナニカが動く気配を感じた。

 丁度、私の足下付近、二、三歩の距離。慎二に詰め寄ろうとした私から見ると、左側の地面の上で、桜が身じろぎしていたのだ。

 

「—————! っ桜!」

 

 慌てて駆けつけようとして、その右腕を掴まれる。

 思わず振り返り、声を荒げて慎二に抗議を…………、

 

 

 —————慎二は、桜を睨みつけていた。

 

 

 

「————どうしたんですか? 兄さん、そんなにも恐い顔をして」

 

 そうして、桜が立ち上がる。

 土蔵の壁に手をついて、不安定な体を支えるように、その(おもて)を上げたのだった。

 

「———————」

 

 

 ———この時、遠坂凛は、桜の下に駆け寄らなかった。

 駆け寄れなかった訳ではなく、駆け寄らなかった。

 

 慎二は何故、己の腕を掴んだのか。

 慎二は何故、桜を睨んでいたのだろうか。

 

 結局のところ、これは“勘”というやつなのだろう。

 

 —————“違和感”を、感じたのだろう。

 

「———貴女、桜よね?」

 

 故に、その問いこそが、ボーダーラインだった。

 理性と感情との、境界線。

 理想と現実との、折り合いをつける為の言葉。

 

 凛は慎二に腕を掴まれたまま、俯いたままで、問いかけた。

 

「当たり前じゃないですか。私ですよ、わたし」

「………………あら、面白い冗談ね」

 

 

 ————この展開も、考えていなかったわけじゃない。

 間桐の魔術は蟲を扱うモノで、その特性が“束縛と吸収”だと聞いた時、頭によぎったモノでもあるからだ。

 でも、だとしても…………

 

 

「————だったら何故、貴方の声はそんなにも(しわが)れているのかしら?」

 

 桜は一度目を見開き、楽しそうに()()()()()()()()

 

「そうかそうか、既に声帯は変質しておったのか」

 

 それはこちらの落ち度じゃった、と桜は続ける。

 その声は最早、聞き慣れたものではなくなっていた。

 

「———桜が最後まで間桐臓硯……マキリ・ゾォルケンに逆らえなかったのは、()()()()()()だったのね」

 

 俯いたままで、私は言った。

 少しの間、顔を上げる訳にはいかない。この局面での泣き顔は、決定的な隙になるから。

 

「桜は絶対、暴力で屈する()じゃないもの」

「この(むすめ)はよく持った方じゃよ。実にしぶとい(むすめ)じゃった。十年間躾け続けてようやっと、ほんの僅かな綻びができた程度じゃからな」

「————————ッ!!」

 

 考える。

 俯いたままで考える。

 奥歯を強く噛み締めて、涙を枯らしたままにして、桜を、助け出す事を考える。

 

 ————すると、撃鉄を上げる音がした。

 

「———————!」

 

 マズイ。

 感じた本能もそのままに掴まれた右手をふりほどき、身体を反転しながら顔を上げ、音の元凶を確認した。

 

 慎二が桜に、銃口を向けるのを、確認した。

 だから、私は、無意識のままに動いていた。

 

 

 ———それは、銃口から護るかのように。

 両手を広げ。

 私は慎二に背を向けた。

 

「————ッ」

 

 口を閉じ、歯をくいしばる。

 けれど、臓硯の———桜の顔を見る事はやめなかった。

 目は、つぶらなかった。

 

 

 ————これが失策だという事は理解している。でもどうしても、身体が動いてしまったのだ。

 たとえ目の前の器に、()()()()()()()()()()()()()判らなくても、身体が動いてしまったのだ。

 

 気配で、慎二が驚いたのが判った。

 

 ———銃声は聞こえなかった。

 

 けれど今度は目の前の、桜の顔が、歪んだ笑みを形作った。

 

「マヌケな娘じゃ!」

 

 口が迫る。

 桜の、口が迫る。

 可愛く開いた桜の口が嘲笑を連れてやってくる。その口の中にナニカが見えた。

 

 ————この()に及んでようやっと、遠坂凛は目を閉じた。自身の終わりを確信した。

 頭では解っていた事だ。ここで桜が死ぬ事が、()()()()()()最善なのだと。

 

 でも、納得出来なかった。

 ただ、それだけの事だった。

 

 目を瞑り、視界を閉ざす。

 迫り来る桜の気配。

 桜とは違うナニカの気配。

 それが己に到達した時自身の全てが終わると知って、それでも、諦めたワケじゃない。諦めたワケじゃないが、自身が助からない事を理解もしている。

 だからこそ目を閉ざしたのだ。コレは私が選び取った選択肢だし。それ以上に、桜に殺されたのだとは絶対に思いたくなかったから。

 

 故に、その声を聞き取ったのは偶然ではない。

 自分の死を、未来の現実を認めたが故に、私の身体がある程度リラックスしていたからこそ

 

 

 

「————————Time alter(固有時制御)double acce(二重加速)!」

 

 

 慎二の声が聞こえたのだ。






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第八話、美綴 綾子


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《第八話、美綴 綾子》

 

 

 聞こえたそれは、慎二の声で……

 

 

「——————Time alter(固有時制御)double acce(二重加速)!」

 

 

 明らかに、魔力の篭った詠唱だった。

 

「—————うっ……そ……」

 

 驚いて目を見開いた、その先に。

 私の瞳が映したモノは、右隣に立つ慎二、彼の左指が、蟲をつまんでいた。私の、鼻先で。

 

 ソレは、一匹の蟲だった。

 小さな、豆の様な蟲だった。

 体の割に、大きな棘のある蟲だった。

 精子の様な、長い尾のある蟲だった。

 

「………………やっと捕まえた、ジイサン」

 

 いくらかの静寂、その(のち)に慎二は、声を漏らした。

 

「コレでやっと、僕もあのステージに立てるって訳だねぇ」

 

 全く、手こずらせやがって、と悪態をつきながら、慎二は汚物(むし)を広口瓶に詰め、コルクで栓をして、その上から紐で結びお札を貼って封をした。

 

 ———明らかに、“一人前の魔術師の手際”だ。

 目を細める私をチラリと見て、説明するからさ、とだけ口にする。木陰に投げ捨てていたであろうスーツケースを持ってくると、月明りの下、土の上でそれを開け、慎重に瓶を仕舞い込んだ。

 

「————ありがとう、慎二。助かったわ」

 

 しゃがみこみ、私に背を向ける慎二。その背中に語りかける。

 

「貴方が来てくれなかったら、今頃わた———」

「遠坂には腐るほど借りがあるんだから、生きててくれないと僕が困る」

 

 パチリと音がして、スーツケースが閉じられた。全ての工程を終えた慎二は、しゃがんだままでこちらを向いた。

 

「——————それでも、コレを借りだと思うならさ…………一つ、頼みたい事があるんだ」

「頼み事、ですって?」

「そう、僕から遠坂への、一世一代の頼み事だよ」

 

 またしても、ニヤッと笑う。

 そんな慎二を見ながら、驚いた、と口にする。まさかあの人畜無害な慎二が、こんな取り引きめいた真似をするなんて。

 

 数瞬、世界が闇に包まれる。

 月が雲に隠れたのか、明るかった周囲が、ほんの数瞬闇を持つ。

 

 そして、世界が光を取り戻した時の事。

 

 

 

 —————慎二は、遠坂 凛に土下座していた。

 

「お願いだ、遠坂。桜を、桜を助けて下さい。

 何でもするから、だから…………桜を助けて……」

「え? ちょ……慎二、だって桜は———」

「まだだ! まだなんだよ遠坂。ソコに閉じ込めたゴミなんてのはどうでもいいんだ。そうじゃなくて…………

 あの悪魔が、綾子のやつが、桜を地獄に突き落とそうとしてるんだ!」

「…………は?」

 

 困惑する。

 とりあえず慎二を立たせようと近づいて、その肩に手をかけたら、慎二のヤツは深々と頭を下げた。

 それはもう深々と。

 地面に、額を付けながら。

 

「ぜんぶはなす! 僕の知ってる事は全部話す! 遠坂の言う事は何でもやるから、だから桜を…………」

 

 なんて事を言い出した。

 何でもする、とか。

 全部話すから、とか。

 そんな事を延々と、まるで壊れた機械のように。

 

「全く、こっちもさっぱりだってのに……」

 

 右手を広げ、顔を覆う。

 ハァ、とひとつ吐息を吐いて、“遠坂 凛”を身に纏う。

 

「とりあえず、中に入らない? ここで話す事でもないでしょうしね」

「————ッ! それは、遠坂——」

 

 やっとこさ、顔を上げた慎二には、

 

「ええ、話くらいは聞いてあげるわ」

 

 特大の笑顔が見えてた筈だ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「————凄い」

 

 としか言いようがなかった。

 俺自身の語彙力不足ってのもあるが、たった今目にした光景が俺の予想を遥かに上回るものであった事も、複雑な感想が出てこなかった理由だろう。

 

「当然だ下郎。あれこそは、世の民草供の願いの結晶、(オレ)の蔵にすら無い一級品だぞ」

 

 草葉の陰に……隠れる事もなく堂々と屹立(きつりつ)する金髪の男。

 高低差もあり、若干以上に離れているとは言え、こうも堂々としているのは如何なものか。

 

「って言うか、お前は誰なんだよ?」

 

 金の瞳が、一瞬、こちらを射抜いた。

 と同時に、その頭上の空間が揺らぎ、黄金の波紋を描く。

 

「………………この(オレ)を目にして尚、相貌を見知らぬと言うのなら、その首今すぐ切り飛ばす(ところ)だが……今の(オレ)は機嫌が良い。『ここで貴様を殺してくれるな』と嘆願されてもいる…………故に、寛大な心で一度だけ見逃してやる。

 

 ———失せろ、贋作者(フェイカー)

 

 尊大な男の言葉と共に、何かが一つ飛んできた。

 

「っ———————!!」

 

 ——銀色の剣だ。

 そうと理解した瞬間(とき)には既に、俺の身体は動いてくれた。

 

 横に跳ぶ。

 勢いそのままに受け身に移行し、半回転後腕の力で身体を跳ね上げさらに跳躍、坂道を、木々の間を、転がるように駆け下りた。

 

「—————」

 

 耳をすますが聴こえない。

 気配も感じず、追撃もない。

 ヤツの口にしたあの言葉、「見逃す」のソレは本当だったのか、男が追って来る事はなかったのだった。

 

「なんだったんだ? 今の……」

 

 俺だってそれなりには鍛えてるんだ、攻撃意思が丸出しの、これ見よがしに波打たせている金色の穴からの射撃なんてモノ、そう易々とは当たらない。けど……

 

「あの穴から覗いたモノ、俺に向かって飛んできたモノ…………」

 

 それは尋常じゃない魔力の篭った、“宝具”と呼ばれる代物だった。

 

「魔術師か? にしては思考回路がおかしいしな……」

 

 一度遠坂たちに相談するか、と思う。

 しかし、事はそれだけではすまなかった。

 

 そう……木々の下、道無き道を下っていると、突然に、魔力が膨れ上がったのだ。

 

 其処は、俺の目指す場所。

 駆け下りようと思っていた場所。

 

 セイバーたちの、いる場所だ。

 

 ……全く、次から次へと。

 

「訳が分からない。置いてけぼりにされた気分だ!」

 

 叫ばずにはいられなかった。

 一段と速度を上げて、衛宮士郎は駆け抜ける。

 

「兎に角、事態は把握しておかないとな……」

 

 独り言のように呟いて、衛宮士郎は急行する。

 トップスピードを維持したまま、木々を避け、藪を飛び越え、段差を飛び降りる。

 そして終に、視界が開けたその先に、セイバーたちの姿があった。

 

 冬木海浜公園。

 本来なら、花壇の花は咲き乱れ、足元には色とりどりのレンガがあって、潮風が気持ちいい、そんな場所。

 けれど今は、無残だった。

 足元のレンガは吹き飛び、街灯は無残にひしゃげ、クレーターが空いている。

 極め付けは一直線に海へと伸びる、一筋の破壊痕。

 その出発点に、三人の英霊が立っていた。

 

「セイバ──!!」

 

 俺が駆け寄ると、あいも変わらずアーチャーの奴が不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「随分と遅い到着だな、衛宮士郎。そして何も解っていない。独断専行の挙げ句に同盟相手を危険に晒すか……これは、縁を切らなければ何をされるかわかったモノではないな」

「何が言いたいんだよアーチャー。言いたい事があるならサッサと言った——」

御二方(おふたかた)、内輪揉めは程々に……目の前には危機が迫っているのですから、目を背けてもいい事はありませんよ」

 

 俺たちの(言葉の)殴り合いにそそくさと割り込んできたのは、紫色の髪の美女、つまりライダーだ。彼女はバイザーに隠れて見えない瞳で一点をずっと見つめている。ここから少しばかり遠く、地上から四メートルくらい高い場所。俺たちに注意している間すら、目を離さない徹底ぶりだ。

 それはつまり、それだけのモノが有るという事。

 よくよく考えてみれば、俺は爆発的に高まった魔力を感じてこの場に急行した訳だが…………たった今、一瞬とはいえその存在を忘れていた。

 俺が遠坂のように“うっかりの呪い”にかかっていると考えるのは現実的ではない。加えて、いくつかの戦場を潜り抜けたお陰か、気を抜いてはいけない場面というのは把握しているつもりだ。それは目の前のアーチャー(こいつ)も同じだろう。

 にもかかわらずこうなったという事は、そうなるだけの“力”が働いた、という事か? 

 

 俺の視線が、ライダーのそれをなぞって動く。予想が正しければ、その先にあるモノこそが…………

 

 

 

「———久しぶりじゃない? ねぇ、衛宮。元気そうで安心したよ」

 

 ニカッと、まるで猫のような笑顔を見せる、美綴綾子がそこにいた。

 

 

 

 

 衛宮士郎にとって美綴綾子という女性は、“仲のいい一般人”といったところだろうか。

 私立穂群原学園の三年生、俺がかつて所属していた弓道部の現部長。そして何より、魔術やら神秘やらとは全く無縁な、平和に暮らす大人びた少女。

 よく同級生に「お母さん」やら「お婆ちゃん」やら言われるたびに「あたしはそんな歳じゃない!」と言い返し、後でこっそりヘコんでる。そんな、何処にでもいる女の子なんだ。

 

 だからだろうか、俺は“美綴”と“魔術師”という二つの単語を、ずっと繋げられないでいた。

 いや…………繋げたくなかったんだろう。

 

 

 その美綴が今、制服姿で木の上に立っている。

 

「美綴、おまえ——」

 

 木っていうのは見て判るように、先端にいく程に枝が細くなっているものだ。当然、木の天辺も先端だ、その枝はとても細いはずなんだ。それなのに、当然のようにその上に立つ事が出来る、その事実に妙に納得する自分がいた。

 

(えにし)の流れを見るに、そっちの金髪のがあんたのサーヴァントでしょ。衛宮、また随分と面白いのを引き当てたわね」

 

 顎に指を当ててフムフムと頷く美綴。その姿は、あまりにもいつも通りだった。それは、魔術だとかサーヴァントだとかの話をするのが彼女にとっては日常だという事。

 

 そう、ここまでのものを見せつけられて、やっと俺は———

 

「美綴……お前、無事だったんだな」

「うん? 無事も無事、ピンピンしてるじゃない…………にしても、やっぱり()()なのねぇ。もうちょっと、気概ある男だと思ってたけど……」

 

 衛宮も、この程度が限界か。と腕を組んだ美綴は、仕方ないか。と呟いて、俺たちの前に降り立った。

 当然、サーヴァントたちは警戒する。今も各々の武器を構えて攻撃しようと踏み込むが……

 

「—————!」

 それは誰の驚きだったか、サーヴァントたちが一瞬、硬直した。

 否、()()()()()()()のだ。

 

 アーチャーが舌打ちをして、一歩二歩と引き下がる。セイバーとライダーも動かない。その事実に、俺も言葉を失った。

 程度の差はあれ、三体のサーヴァントは攻撃しようとしていた筈だ。アーチャーなんかは特にだが、すでにモーションに入っていた。白黒の双剣を呼び出して、振りかぶっていた訳だ。それを()()()()()()()()()()()()

 その(かん)、美綴がやった事はひとつだけだ。唯、瞳をサーヴァントに向けただけ。

 

「他に、飛び入り参加は?」

 

 美綴は何事も無かったように言葉をつなげる。一般人では見切れないほど高速で動くサーヴァントを抑え込む、あり得ないほどの現象が、何事も、無かったように。

 

「……では改めて—————時計塔(ビックベン)が一角、冠位(グランド)の称を(いただ)く者、“例外の黄色(エクストラ・イエロー)”美綴綾子———」

 

 フワリ、と(たお)やかに礼をして、彼女の瞳が俺を射抜いた。

 交わった視線を越えて、美綴の瞳が琥珀に輝く。

 瞳の色なんて、普段は意識することもないけれど、闇夜に浮かぶ琥珀の瞳はゆらりゆらりとゆらめいていて……何故か、俺の心を不安にさせた。

 

「——ねぇ、衛宮。今日はさ———」

 

 

 頭が上がり、全貌(ぜんぼう)が見える。

 彼女の笑みはどこか妖艶で……

 

「———人類を、滅ぼしに来たんだぜ」

 

 …………ちょっとだけ、カッコよかった。

 

 

 

「————フゥゥ」

 誰からともなく、息を吐いた。

 呑まれていたと言うべきか、一気に主導権を握られた気がする。

 

「———『人類を滅ぼす』ときたか。これは、あまり穏やかではないな」

 

 やはりというべきか、口火を切ったのはアーチャーだった。他の二人は役割に徹してるというか、こう言う場面で多くを語る性格ではない。その点アーチャーはまず口から入る事が多い。英雄としての経験がそうさせるのか、あるいは生来の性分か、まずは言葉でもって相手を揺さぶり、隙を作ろうとするヤツだ。

 

「それで? 私たちは一体どこから信じればいいのかね?」

 

 ……だから友達いないんだよ。俺は勝手に決めつけた。

 

「別に、信じてもらいに来たわけじゃないぜ。アーチャー、コレはさ———」

 

 そこに、一陣の風が吹く。

 

「———戦線布告なのよ」

 

 その風は、俺たちから美綴へ向かって吹いていて、アーチャーの外套を揺らしたソレが美綴の身体へと吹き荒ぶ。彼女の髪はやってくる風によってうなじも(あら)わに舞い踊り、猫にも似た琥珀の目が僅かながらに細くなる。

 

「聖杯は、私が貰うぜ」

「……成る程な。君は、聖杯戦争の参加者というわけか」

「まさか? 私があんな悪趣味なイベントに参加する筈ないでしょ。私の目標は聖杯によって叶えるんじゃなくて、聖杯戦争を使って叶えるんだ。

 つまり、聖杯戦争そのものを利用して人類を滅ぼすってわけ」

 だから、私はマスターじゃない。美綴はその両手の甲をこちらに向けて、令呪のなしをアピールする。

「———ならば貴様は、ここで死ね!」

 

 再度、アーチャーが一歩踏み込んだ。二色の双剣を両手に束ね、横薙ぎを二重に、地面と平行に二本並んだ、双剣による二重斬撃。

 それを、俺は……

 

 

「…………同調(トレース)開始(オン)

 

 鋼の薙刀を地面に突き刺し、それを両手で把握して、長い長いその柄でもって、二本の剣を受け止めた。

 ドン、と手に衝撃がくる。強化魔術をかけていても、やはり宝具には勝てないらしい。あの一瞬で、柄の半ばまで断ち切られた。

 

 ……この武器はもう使えない。ささくれ立った長柄モノなんて使った日には、手に刺さって隙になる。そんなモノでサーヴァントと戦うなんて、命が百あっても足らないだろう。

 

「……なんの真似だ、衛宮士郎」

「それはこっちのセリフだ、アーチャー。お前、美綴を殺そうとしただろ」

「そこの女は脅威だ。加えて、世界を滅ぼすと口にした。ならば、世界の為にも、女をここで殺しておくべきだ」

「なんでそうなるんだ! まだ何もやってないのに、殺すなんて間違ってる!」

「“より多くの人間を救う”というのが正義の味方だろう。

 ……全ての人間は救えない。ならば、全体を救う為に少量の人間は見殺しにするしかない…………この女は今『人類を滅ぼす』と言ったのだ。故に! まだ行動を起こしていない今こそが、人類を救うチャンスなのだと何故解らない!」

 

 膝を曲げ、しゃがむ。

 ———瞬間。薙刀の柄が切られた。二歩後退。弾き飛んだ石突き側は完全に無視して、(きっさき)側を再度補強・強化してから、正眼に構えて上半身を防御した。

 

「“疑わしきは罰せず”、推定無罪の法則を忘れたのかよ! 美綴のどこに、犯罪の証拠があるってんだ!」

「証拠ではない、脅威であると言っているのだ、戯け! そこの女は、サーヴァントをすら殺し得る、一度(ひとたび)動けば、手に追えなくなるのだぞ!」

 

 アーチャーは左前の半身(はんみ)構え、黒の陽剣・干将をこっちに真っ直ぐ伸ばして構え、白の陰険・莫耶は顔の前で寝かせて構える。

 そして——

「その女は、秩序を乱し得る意識を持つ。紛う事なき———悪だ」

 

 沈黙、膠着。

 下手に動けば殺される。それが痛いほど良く判る。この構えを本の僅かでも崩せば、一瞬で。

 

 ヤツの言葉は、正しい。美綴はこの状況で冗談なんか言わない奴だし、サーヴァントを押し留めた不思議な能力も持ってるし……きっと、「人類を滅ぼす」って宣言は事実だと思う。

 セイバーとライダーも、明らかに美綴を警戒している。美綴が変に動かないように、武器を構えて見張ってる。

 そう、場違いなのは俺だけだった。明らかに“取るべき行動”に反している。

 

 ———正義の味方になりたいならば、俺は美綴の敵になるべきだったのに……

 

 自然、薙刀を持つ手に力が入る。柄が半分になったけれど、投影はまだ壊れていない。無論、こんなヒビだらけの幻想では、英雄の宝具に勝てはしないが。

 それでも。

 それでも、諦めたくはなかったのだ。

 俺が今()め付けている、目の前の赤い男のように。

 

 

 

 膠着した状態というのは、それが最も安定しているからそうなるんだ。囲碁で言うなら“セキ”の状態。先に動いた方が不利になる……宝具強度の関係で、間違っても勝ち目は無いんだけど。

 

 何が言いたいかっていうと、膠着状態を崩す一番簡単な方法は外部から介入だって事だ。この場合、美綴に動く気が無いのなら、それは———

 

 

———日々の鍛錬の成果だろか。俺が意識する事なく、体が勝手に飛び退いていた。

 

 殺気を感じて飛び退いた先は、偶然にもセイバーの隣だった。美綴から見て左斜め前、アーチャーの右手に着地した俺は、当然の事ながら、さっきまで居た場所を確認して、そこに突き刺さっ———

「……嘘だろ」

 

 突き立てられた三本の槍。それは、透き通るような(あか)だった。

 

 ———ゲイボルグ、因果逆転の呪いの槍。でもコレは、ランサーの持っていたものじゃない。それをコピーした贋作でもない。むしろ、こっちの方が本物だった。

 

 ザッ、と地面の擦れる音。

 美綴の隣に着地した人物を見て、みんながみんな驚いていた。

 サーヴァントの三人はクラスの重複にも似た現象に。つまり、既にランサーのサーヴァントを確認しているのに、目の前に現れたのが槍を携えた者だったから。

 でも、俺の理由は別だった。降り立った彼女が、俺の知り合いだったから……

 

「そうか……須賀(すが)さんは、美綴の仲間だったんだな」

 

 黒と赤紫の布を一枚ずつ重ねたような、身体に張り付く薄い服。ストレートの赤い髪。突き立った槍の内、一本を手にこちらを睥睨(へいげい)するその顔は、確かに彼女そのものだった。

 

「いつも言っているだろう、儂の名はスガではないと。士郎、私の名は———スカサハだ」

 

 その言葉に反応したのは、意外な事にセイバーだった。セイバーは俺をチラッと横目で見てから、言葉を発した。

 

「———スカサハ。ケルト神話、クーリーの牛争い(トィン・ボー・クルーニャ)の物語の一節に登場する、影の国の(あるじ)、アルスターの女王。()の“光の御子”の師として名高い無双の戦士。ですが……」

 

 セイバーは須賀さん(スカサハ)の素性をひとつひとつ確認する。見えない剣を両手に構え、その切っ先を彼女に向けて。

 盗み見たセイバーの顔はまるで、あり得ないモノを見たような……

 

「ですが貴女は、英霊の座にいない筈ではないですか! 

 そも、サーヴァントになり得ない筈の貴女が、なぜ!?」

「ほう、知っていたか。加えて、戦の機微をわきまえている……かつては、さぞかし良い戦士であったろう。

 いや、今も……か。苛烈でありながら涼やかでもある、均整の取れた二面性は戦士として二重マル——」

「話を逸らさないで頂きたい!」

「……自らを、場に合わせる技には疎いようだな。上に立つには今ひとつだ。良い輝きを持ってはいるがな、指導者には恵まれなかったか」

 長ずれば、儂を殺し得る輝きであるのに…… と、ため息をついたスカサハは一転、セイバーから視線を切った。

 

「さあ、此方(こちら)の準備は整ったぞ。綾子よ、其方(そちら)も上々であろうな」

「当然でしょ。聖杯の器は手に入れたし、バーサーカーは蟲にくれてやった。あっちも決着してるようだから素体の浄化も終わったときた。

 だからここに、全ての準備は整ったってワケ」

 

 美綴は、スカサハから一歩前に出て、俺たちに戦線布告した。

 

 

「———さあ、“パンドラ計画”を始めようぜ!」

 

 ———人類滅亡計画を———

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第九話、パンドラ計画


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《第九話、パンドラ計画》

 

 

 ———それは、少し前の出来事だった。

 

「お前が好きだ、綾子」

 

 衛宮邸からほど近い武家屋敷。綾子の邸宅(ていたく)に士郎が訪ねて来たと思ったら、開口一番(かいこういちばん)、門の前で、士郎はそんな事を言ったのだった。

 

 最近お気に入りのオレンジの(いろ)無垢(むく)を着て、石畳の上、(かわら)屋根(やね)のついた木製の大きな門の下に突っ立っている綾子が、士郎の唐突な告白を()()むのに、何秒かの時間がかかった。

 

「……そう。ありがとな、士郎。

 でも、その(おも)いには(こた)えられそうにないな。(あたし)には色々と、“しがらみ”ってのが多いから」

 

 真っ直ぐに、綾子を見つめる士郎の瞳。そんな士郎の瞳を見て、綾子は知った。士郎はきっと、綾子の秘密に気づいてしまった、ということに。

 だから綾子は首を振る。

 士郎のそれを否定する。

 

「第一さ。(あたし)と士郎は、存在からして相容(あいい)れない。

 (あたし)が死ぬのか、士郎が死ぬのか、あるいは二人ともが息絶(いきた)えるのか。

 ———両方ともが生きる道なんてのは、最初から()りはしないんだ」

 

 綾子は、士郎をまっすぐに見て、自分の胸に手を当てた。

 

「美綴綾子という存在は、ただ()るだけで人を殺す。(あたし)が生きるということと、世界の破滅はイコールなんだ。

 今は必死で抑えているけど、それもいづれ限界がくる。

 ———そう遠くないうちに」

 

 だから、(あたし)が生きていると、そう遠くないうちに世界を(ほろ)ぼす。

 

「だから(いな)だ、士郎。

 (あたし)の気持ちとは裏腹に、(あたし)たちの運命は繋がってない。

 (あたし)がそうなった時、その瞬間に、士郎の夢を永遠に、踏みにじることになる」

 

 想いよ届けと、綾子は笑った。

 

「———(あたし)も、士郎が好きだ。

 だからこそ、士郎と一緒にいたくない」

 

「よく(わか)った」と、士郎が(うなず)く。

 

「でも……。それでも俺は、お前が好きだ」

 

 綾子と士郎の、目と目が合った。

 士郎の目には一切の揺らぎもなくて、それを見たから、綾子は心に決めたのだろう。

 綾子は時間を稼ぐため、少しの(あいだ)目を閉じた。

 

 ———やっぱり士郎と、一緒にいたい。

 でも、士郎が士郎として生きる以上、(あたし)(あたし)として生きる以上、二人は決して相容(あいい)れない。

 それでも、一緒にいたいというのなら———

 

「“師匠”として、これは。

 一肌(ひとはだ)()がないといけないな」

 

 ひとつ頷いて。それから綾子は、士郎に、ひとつ提案をした。

 右の人差し指を一本立てて、ニヤリと笑って。

 

「なあ士郎、“誓約(うけい)”をしようぜ」

「……はっ?」

 

 目の前の士郎のポカンとした顔。それがちょっと面白くって、笑ってしまった綾子は、左手で口を押さえながら、士郎に説明するのだった。

 

「“誓約(うけい)”っていうのはさ。“結果(けっか)”と“原因(げんいん)”とを(むす)ぶことによって、“結果(けっか)から原因(げんいん)(うらな)うモノ”だ。

 ———(わか)りやすく言えば……。

 例えば受験をして、合格発表を見に行くとするだろ。その時に『受かっていますように』って念じるんじゃなくて、『もし、私が行くべき学校であるならば、合格させてください。もし、私が行くべき学校でないならば、落として下さい』。

 そうやって、“受験の合否という結果(けっか)”によって、“自分の行くべき学校かどうかという原因(げんいん)”を(うらな)うこと。

 それを“誓約(うけい)”っていうんだぜ」

「それで、この流れでなんで誓約(うけい)になるんだよ」

 

 士郎がため息をついた。

 そんな反応が面白くて、綾子はまた、笑う。

 

(あたし)が、士郎の記憶を封印する。

『もしも(あたし)たちが()()げる運命にあるのなら、士郎の記憶を戻してください』って念じてさ」

 

 (わか)りやすいだろ? と言って、左目を閉じてウィンクをした。

 すると士郎は間髪入れずに、一切の迷いもなく、(うなず)いたのだ。

 

(かま)わない、やってくれ」

 

 そんなだから、そんな士郎だったから。この時綾子はその先に、足を踏み入れることが出来たのだろう。

「ちょっと()いよ」と、士郎の腕を引っ張り込んで、倉庫の中まで連れて行った。倉庫といっても、板張りの床の上に木で出来た本棚が天井までを埋め尽くし、大量に並んでいるだけの部屋だった。それでも二十畳くらいスペースはあるから、それなり以上の書類はあるが。

 その、一番奥。後付けされた電灯の明かりを頼りに、こじんまりした一角に、士郎を案内した。

 本棚と本棚とに挟まれていて、電灯の光は影になっている場所だった。その向こうは壁で塞がっていて、本棚は天井まであるし、窓もないので日の光も届かない。

 

「ここだぜ、士郎」

 

 左手で士郎を引っ張りながら、綾子は、天井からぶら下がっているランプの(ひも)を引っ張った。

 “カチッ”と落としてがして、電球がついて、綾子の手元をオレンジ色の光が照らす。

 士郎が詰めてきたせいで左の肩が士郎に触れて、ランプが、二人の影を床に落とした。

 綾子は、ちょうど目の高さにある棚から、一冊の巻物(まきもの)を取り出した。

 その表紙を士郎に見せる。士郎は、読み上げた。

 

御稜威(みいづ)()の……家系図?」

「厳密には、“家系(ひょう)”って言った方が、いいかんじだけど」

「っていうか綾子。“御稜威(みいづ)”ってのは、流派の名前じゃなかったのか?」

 

 目だけを動かして綾子を見る士郎を、綾子は真っ直ぐに見返した。

 

「この“御稜威(みいづ)”こそが、士郎にどうしても教えたかった。

 ———(あたし)の、最大の秘密だ」

 

 綾子は、巻物を(ひら)く。

 巻物の終わり、一番最後に記された名前、御稜威(みいづ)家の最後の当主(とうしゅ)の名は、“御稜威(みいづ) (しき)”と、書いてあった。

 

 左手で巻物を裏から支え、右手の人差し指でその名を(しめ)した。

 

(いにしえ)の日本では、霊的な契約には必ず“名前”を(もち)いていた。

 良くも悪くも“(しゅ)”ってヤツは、強力なモノほど対象の“本当の名前”を必要とするんだ。

 ———つまり、“真名(しんめい)”を知られることは、知られた相手に対して霊的に無防備になることと同じだった」

 

 “御稜威(みいづ) (しき)”の文字を見つめている士郎を、綾子はそっと横目で見た。

 士郎は、気づいてないようだった。

 

(あたし)にも当然、真名(しんめい)がある」

 

 それがこれ、と。綾子は巻物の文字をなぞる。

 

 ———“御稜威(みいづ) (しき)”———

 

「“(しき)”ってのはさ、結構すごい名前なんだぜ」

 

 “(しき)”とは、“何かを()くようにして、一定の空間を自分の意識の制御下におくこと”を指す。

 当然ながらこの“空間”は、修練(しゅうれん)を積むに(したが)って、より広く、より綿密(めんみつ)なものになる。

 そしてこれが、綿密になればなるほど、その空間内の相手の心身(しんしん)を自在に操れるようになる。

 要は、より強い結界を張れるようになる、ということだ。

 

 こうやって、自分の周囲に結界を張って、実際に相手の体と接触するよりも前、向かい合っている段階で相手との繋がりを作ることを“()(むす)び”というのだ。

 

(あたし)真名(しんめい)、“(しき)”は、繋がり合う最初のカタチ。日本の()(きょう)の、最も深いところにあるもの。伝統により、伝えることの許されない名。

 これを、士郎に(あず)ける。

 ———いつかきっと、全てを思い出せるように」

 

 綾子の視線が士郎とかぶる。

 士郎も、綾子を見返していた。

 

「……この名は絶対、忘れない」

「バーカ、忘れて貰わないとこっちが困るんだ。

 それじゃ“誓約(うけい)”にならなくなる」

 

 そうして綾子は、士郎から自分の記憶を抜きとった。

 でも、話はこれで終わりじゃない。

 だって綾子には見えていたから。“(しき)”の名を、思い出せない士郎の未来が。『お前たち二人は()()げる運命にない』という、神のお告げが。

 

 だから綾子は、出来るだけ士郎が思い出しやすくなるように、フィールドを調(ととの)えることにしたのだ。

 それが、“表の理由”。

 

 ———という事は、“裏の理由”もあるということ。

 それこそが“パンドラ計画”。たった一筋(ひとすじ)の希望を、残すための計画だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……パンドラ計画?」

 

 俺は素手だ、須賀さん(スカサハ)の槍から逃げた時に薙刀を手離してしまったから……かと言って投影している暇もない。今敵対しているこの二人なら、俺が投影する一瞬で、三度はこの首を断ち切れるから。

 ……まあ今の美綴なら、内容を教えてくれるという確信もあったから、聴き返したりなんかしたんだが。

 

「そう、パンドラ計画」

 

 美綴は左手で髪に触りながら、周囲をサラッと一瞥(いちべつ)した。

 

「ギリシア神話に出てくる贈り物の名を持つ女(パンドーラ)に持たされた箱、それと同じ事をしようと思ってね。私が扱うモノはギリシアとは直接関係ないんだけど、結果はそっくりになる筈だから、この名を使ってるってワケ」

「……それは、災厄を振りまくって事か?」

「そう、私は聖杯を使って“この世全ての悪”を世界にばら撒く。アンタが私に負けたなら、その瞬間に世界が終わる」

 

 俺の疑問に律儀に答える美綴だったが、その返答に、俺は唇をひき結んだ。

 

「何と言うか……それはダメだ、美綴。俺は———正義の味方を目指す者として、その計画とやらは……どうしても、認められない」

 

 目に、力を込める。

 

「俺は、正義の味方になりたいんだ」

「——知ってるよ、だから(あたし)がここに居る」

 

 笑う美綴、睨む俺。

 

「……なら俺は、あんたを止める。美綴に、そんな事はさせられない」

 俺の頭じゃ、動機はちっとも解らないけど、それでも……

「お前には、笑っててほしいからな」

 

「…………そうか、それを聞けて良かったよ。衛宮、コレで私は————」

 トッ、と軽い音をたてて美綴は、一歩前に身をさらす。

「———心置きなく世界を壊せる」

 

 戦局は、その瞬間に決まって(おわって)しまった。

 アーチャーが双剣を手に斬り込んで……しかし、スカサハがゲイボルグで突き、弾き飛ばす。そのまま地面に刺さったもう一本(ゲイボルグ)を引き抜いて、二槍流でアーチャーを追撃———セイバーとライダーが、それぞれに槍を受け止めた。

 二騎が押し留め、出来た隙にアーチャーが後退、矢を射る。狙いは美綴、でも———

 

「…………やはりか」

 

 その矢は全て、ただ一瞥(いちべつ)()れてしまった。

 琥珀色のひと睨みで。

 

 

 ……何が起きた!? あり得ないぞ!

 目の前の赤い男は弓兵のクラスに割り当てられるだけあって、(しゃ)の腕は一級品だ。———“(あた)る”、それを戦闘中に平然と繰り出すのだ。その腕前は常軌(じょうき)(いっ)している。

 弓道における命中、つまり“(あた)る”というのは“的を狙って弓を引いた結果、矢が的にあたる事”だと思うかもしれないが、実際は微妙に違う。そもそも“狙って()る”というのが間違いだ。弓というのは、的に(あた)った後に矢を離すもの。先に結果を確定させてから原因となる行動を起こす。故に、矢を放つ瞬間には既に、矢は的に(あた)っている……

 アーチャーの奴はその領域に達している。つまり奴が射かけた瞬間には、美綴に(あた)ることは確定していた。

 にもかかわらず、矢は()れた。

 それは本来あり得ぬ事。矢を躱すなら、アーチャーが放つより先に動き出さないと間に合わない筈なのに……

 

 あり得ない事。

 それを可能にする為に美綴がやった事、多分それは……

 

「へぇー。やるじゃん、衛宮。たった二回で当たりを付けてくるなんてさ」

 

 美綴の瞳はより一層、この暗闇の中、とてもとても輝いていた。

 

「——そうよ、私の目は特別製でさ、“モノの(えにし)”が見えるんだ。現在(いま)から過去へと繋がるモノ、現在(いま)から未来(さき)へと繋がるモノ。そして当然、人と人との繋がりだって……」

 

 

 ———(あたし)の目には、全部映ってるんだから———

 

 

 今の美綴は活き活きしている。今まで俺が見てきた“弓道部部長の美綴綾子”とは雰囲気が違っている。

 

「なあ、美綴……」

 

 きっとコレが素なんだと思う。

 

「……ひとつだけ、聴いてもいいか?」

 

 気がついた時、俺はアーチャーをも追い越して、先頭に立っていた。

 

「———当然。待ってたんだから」

 

「……判った、それじゃあ質問だ。

 —————美綴……お前、今愉しいか?」

「もちろん、最高の気分よ」

 

 答えを聞いて俺は頷く。

 …………よし、心は決まった。

 

「戦線布告、受けるよ。要は負けなきゃいいんだろ? だったら俺が、美綴を止めてみせる」

「———わかった、それじゃあ、次会ったら殺し合いだぜ、衛宮。準備くらいはしておけよな」

 

 言って、美綴は(つい)(きびす)を返す。彼女は久遠川の河口に向かって、足を踏み出したのだった。

 

 ———そうだ、信号だけは守っておきなよ———

 

 なんて、関係ない事を口にして……

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「貴様には戦略的思考というモノがないのかね! 貴様のせいで、我々がどれ程の被害を(こうむ)ったと思っている!」

「……何が言いたいんだよ、アーチャー」

「周りの人間は、交渉担当者より甘い事を言ってはならない。担当者よりも厳しい条件を提示し続けなければならないのだ。 ……判るか、衛宮士郎。そんなことをすれば、『アイツがああ言っているのだからそっちの条件でもいいのだろう?』と、必ず不利な条件を迫られるのだぞ。貴様のやった事はな、ただの邪魔だ」

 

 わざわざ人差し指を突き出してコッチに向けてくる。言い方がいちいち高圧的だ。

 だいたい、奴の言っている事を理解するのとそれを納得する事は別だし、納得するのと「受け入れたい」と思うかどうかもまた別だ。

 

「……言ったろ、『俺は正義の味方になる』って」

「“戦略”というものを理解できない愚か者が、か?」

「……うるさい」

 

 アーチャーの言葉は、きっと正しい。

 それはきっと、駆け引きの常道だ。交渉担当者以外の人間が、担当者よりもきつい条件で交渉しろと口々にこぼせば、それは相手への牽制になる。『今の担当の条件を飲まなければ、より過激な者が交渉しにくるのだぞ』と。

 

 ……そうだ、アーチャーは正しい。

 

 拳を作り、力を込める。

 アーチャーの奴を()め付ける。

 

「それでも俺は、美綴を殺したくない」

「——ハッ、マヌケか貴様は。確かにあの女はお前の友人かもしれん。だがな、それが世界を滅ぼすと言うなら話は別だ。彼女を殺し世界を守る、それが正義の味方だろう」

 

 ————そうだ、アーチャーは正しい。

 より多くを救う為に少数の誰かを斬り殺すという考えは、驚くほどに合理的だ。

 

「それとも何か? これから殺人を犯そうという人間を、みすみす見逃すとでも言うつもりか?」

「違う! ……でも、殺さずに取り押さえる事も出来る筈だ」

 

 半眼になって見下してくるアーチャーに俺ができる反撃は、睨む事だけだった。

 

「それができるのは彼我の力量に()()()()差がある場合だけだ。強くねければ行えん————そして貴様は、弱い」

「———ッ!!」

 

 ————そうだ、アーチャーは正しい。

 間違っているのは俺の方だ。

 

 言葉では反撃出来なくて、何かないかと周りを見るも…………誰もいない。

 

「…………そうか、アイツら帰ったのか」

 

 俺の言葉につられたのか、アーチャーも辺りを見回していた。

「当然だろう、貴様のお遊戯に付き合っている時間はない。それに我々は、もっと大切な戦いの最中だったのだからな」

「……そうかよ、じゃあもう勝手にしろ!」

 

 ———それは最後の強がりだったのだろう。何も出来なくて、何も言い返せなくて……だからそれだけ言い残し、帰るために踵を返して———

 

「……ああ、勝手にするとも。ちょうどお前を、目障りだと思ったところだ」

 

 ——殺気。

 

 ————反転。

 

 とっさに投影した一振りは、奴の一刀に粉砕された。

 

「何するんだ!」

「…………」

 

 奴はカチャっと音を立てて、右の短刀を握り直すと、

「製作者は貴様か……(なまくら)だな」

 なんて事をこぼしやがる。

「『折れず曲がらず、良く切れる』というのが、日本刀の題目だろう…………なのに貴様のそれときたら——」

 

 フッ、と鼻を鳴らし

「折れやすく曲がりやすく、おまけに切れにくい刀ときた。一丁前(いっちょうまえ)に魔剣として打ち出したようだが———その能力もガラクタだ」

 

「……だったら、何だってんだ」

「その程度の剣製で、よくオレの前にたてたものだ。貴様では、何も成せないというのにな」

「———!」

 

 疾走する二刀、迎え撃つ折れた刀。

 …………一撃、二撃。

 

 俺はなんとか二撃持たせた、折れた刀を囮に(ほお)って視線をさえぎる。そして、新たに一振り投影する。

 横薙ぎ一閃、狙いは側頭。

 奴の二刀に粉砕される。その隙に……

 

「————停止解凍(フリーズアウト)掃射(オープン)

 

 投影し、待機させている剣弾三つを撃ち放つ。それを奴は、順番に三つ砕きやがった。だが、これで……

 

「———間合いを計り距離を取った……か。だがそれでどうなる、武器の性能差は歴然だ。その(なまくら)を使い続けると言うのなら、貴様にはもう、勝ち目はない」

 

 そんな事知るか。装備の性能差を己の力量で覆してきた奴を、俺は知ってる。だからコイツのいうことは的外れだ。だいたい……

「————お前」

 

 そこで気づいた。

 

「———話を逸らそうとしてるんじゃないのか?」

 

 コイツ……

 

「——どうして、俺を殺そうとする」

 

 ————どうして、俺の刀の能力を見抜けたんだろうか。

 

「何が理由だ、アーチャー」

 

 ——どうやって、製作者が俺だと気づいたんだろうか。

 

「理由などとうに知れたこと。貴様が、目障りだからだ」

「——お前……『目障りだから』で、誰かを殺そうとするってのか!?」

「当然だとも。私は美綴綾子を始末したい、お前はそれを阻止したい……そら、貴様が生きていたのでは我々の勝利が遠退いてしまう」

 それに、と鼻を鳴らすアーチャーは、俺に向かって言い放った。

 

「世界を滅ぼそうとするあの女は、明確な悪だ。正義の味方を目指す者が、何故悪に味方する?」

「ッ…………それは……」

 ……唇を噛む。

 そうだ、正義の味方になりたいと言いながら、俺は悪人(美綴)の味方をしている。

 

「正義とは、民衆の総意がしめすもの。全体(民衆)の救いと個人の救いとは別のモノだ。その二つは決して両立しない」

 

「“一人でも多くの人間を救う”、それが正義の味方だろう……この世全ての人々と、美綴綾子という一個人、切り捨てる陣営など始めから決まっている……」

 

「——それが受け入れられないのであれば、今すぐにでも此処で死ね!」

 

「………………」

「ここで死ね、衛宮士郎。すべての人間を救う事は出来ない。全体を救う為には少量の人間は見殺しするしかない……お前も戦場を駆け抜けたことがあるのだったな。ならば覚えもあるだろう…………このあたりでやめておけ。正義の味方など、目指すべきモノではない」

 

 

 ◇◇◇

 

 

「———これでゆっくり、お話し出来るんじゃないかしら。間桐くん?」

「…………ああ、なんでも聞いてくれ。桜が無事なら、それで良いんだ」

 

 衛宮邸、居間、コタツの中に対面で。

 窓と障子は全部締め切り、桜は隅に横たえた。

 

「そうね……じゃあ先ずは、どうして魔術を使えるのか、そこから教えてもらおうかしら。確か、貴方の代で魔術回路がなくなったから桜を養子に欲しがったんでしょう?」

「……確かに、僕に魔術回路は()()()()。それを理由にして桜を貰ったから当然だけど、その当時はなかったんだ」

「『その当時は』って事は、つまり今は()()って事よね。なんでよ」

 

 すると慎二は、指を組んで口を隠した。

 

「……貰ったんだよ、綾子にさ。いや…………正確には、魔術刻印を貰ったんだ」

 

 

 慎二の話を要約すると、つまりはこう言うことらしい。

 血が絶えたと言っても、間桐には魔術回路の跡がある。となると、その“跡”を力強くでこじ開けてしまえば良い…………とは言うものの、ただ莫大な魔力を通せばいいというわけでもない。そんな事をすれば慎二の肉体の方が耐えきれなくなる。

 だから、綾子は裏ワザを使った。

 前回の聖杯戦争終了後、冬木に慎二が帰って来てすぐ。桜が受けた陵辱を目の当たりにしたその日の夜に、慎二は綾子とあったのだと言う。

 

 ———桜を、助けたいかい? ———

 

 ———助けて……くれるのか? ———

 ———まさか。でも、助けさせてやる事は出来るぜ。慎二が、望むならね———

 

 そう言って綾子は、一枚の“皮膚”を慎二に渡した。

 其れは、人間の皮膚だった。

 ————食べろ、慎二———

 

 ———でも、これって……———

 ———人皮(じんぴ)でしょ。人の皮膚じゃない———

 ———こんなの……食べてどうなるんだよ———

 ———皮膚自体に意味はないのよ。だって、必要なのは刻まれている刻印の方だからね———

 

 魔術刻印。

 魔術師たちが己の子孫に受け継がせる、先祖代々の成果の結晶。

 

 ———アンタにはまだ、“マキリの跡”がある。それをこじ開けるのに魔術刻印ほど適したものはないじゃない。幸い、間桐の魔術特性は束縛と吸収なんだし。吸収にいたっては“喰らう”ことで最も強力に発現する。これには性的なモノも含まれるから、桜は今も陵辱されているんだけどね。

 ……ともかく、今回は前者を使うわ。つまりは口蓋(こうがい)によって喰らう事。その魔術特性のお陰で、アンタは晴れて魔術師になれる。そう、その皮を喰いさえすれば、もう魔術師なのよ。あのジイさんと、同じ土俵に上がれるんだぜ———

 

 

「僕が皮を食べたとき、綾子のヤツがなんかやってさ。痛みに呻いて気絶した後目覚めて見れば———」

「…………そう、そう言う事だったんだ」

 

 

 ———“その皮”を食べたのは最近だと言う。いくら臓硯が老いたといっても、慎二の魔術回路が開通すればさすがに気づく。だから聖杯戦争が始まって、綾子が場を引っ掻き回すまで待っていた……らしい。

 

 

 ……考えろ、遠坂凛。

 綾子の引き起こしたこの訳の分からない状況を、見事に整理する道筋を。

 その為に必要なピースの数を……

 

 必ず、この状況には裏がある。裏があると直感している。だったら————

「だったら慎二。それじゃあ、『綾子が桜を地獄に〜』ってのは?」

 

 慎二は落ち着いている。慌てても仕方ない事をわかっているのだろう。普段から、自分のことを天才だと言い張るだけの事はある。

 

「綾子が突然、世界を滅ぼすなんて言いやがった。その儀式の材料として……桜が、必要だからなんだとか……」

 

 …………びっくりした。

 まさかこいつが、コレを理由にあげるなんて……

 

「うん? いきなりで訳が分からないのは判る。でも———」

「そっちじゃないわよ、慎二」

「——へ?」

 

 そう、私が驚いたのはソコじゃない。

 こいつは……慎二は桜が世界を滅ぼす材料になる事に絶望すると知っている。その事に驚いたのだ。だって其れは——

 

「よく見ているのね、間桐くん?」

「なっ…………なんだよ遠坂、気持ち悪いな」

 慎二が“うげっ”という顔をする。

 私は少し笑ってしまった。

 

「でもま、その儀式に桜が必要なんだとしたら、守り通せばこっちの勝ちよね?」

「それが出来たら苦労はしないよ!」

 

 声を荒げる慎二。

 ま、無理もないか……(かた)や消えかけていた魔術回路を強引に開いた没落家系の魔術師、(かた)や時計塔にて“イエロー”の称号を得ている歴史ある呪術師の一族。

 正面切って守り通せるとは、コイツも思っちゃいない……か。

 

「にしても、どうやったのよ? 間桐臓硯なんて、そう簡単には()められないと思うけど……」

「そこはホラ、僕は綾子の計画を途中まで知ってるからさ。それに便乗させて貰ったんだよ」

 

 慎二は言う。

 計画では、元々臓硯には退場してもらうつもりだったと。臓硯は、自分が弱いと知っている。だから最後まで待ちに徹する。綾子的にはそれが嫌だったらしい。

 バーサーカーのマスターを捕獲して、そのサーヴァントを押し付ける。臓硯に拒否権はないも同然だ。拒否したら———桜を殺し、ついでに間桐邸を、地下の蟲蔵を破壊するようバーサーカーに命じると、令呪でもって命じると、綾子に脅されたというのなら。

 

 ———バックアップとして必要なんだ。だからこの女、イリヤスフィールは貰っていくぜ、臓硯。その代わり、ソコのバーサーカーはくれてやるから、好きに使いなよ———

 

 バーサーカーは大食らいだ。

 それが彼の大英雄、ヘラクレスだと言うのだから、魔力の消費量は桁が違ってくるだろう。

 

「だから、臓硯は焦る。その時の奴にはバーサーカーを自害させるか、さっさと誰かにぶつけるかくらいしか選択肢は無かった筈なんだ。そうなるように、綾子のヤツは準備してたから……」

 

 バーサーカーを手に入れた臓硯は、士郎を狙っていたらしい。バーサーカーをセイバーに当てて、桜から士郎を引き離そうとしていたそうな。

 

「だから、その前に一手打ったんだ。学校で衛宮を焚き付けて、間桐の屋敷に特攻させた」

 

 それを知った臓硯は大喜びで計画を変更、士郎だけでなく私や桜のサーヴァントまで足止め出来るこのタイミングを逃すまいと、桜を攫いにウチを攻撃しに来た……と。

 

「臓硯の奴は焦ってたんだ。綾子のヤツ、桜が欲しい事、全然隠してなかったしね」

「そう……つまり、突然に舞い込んできた戦力を、使わない手は無かったって事ね」

 そうして、罠と解っている状況で、その中心に飛び込まなければならない程に、追い詰められていた……と、言うことか。

 

「……でも、どうして士郎なのよ?」

 

 コイツの話を総合すると、どうも臓硯は士郎を異常に意識している。バーサーカーを士郎に当てがうつもりだったと言う話を抜きにしてもだ。結局臓硯は私を桜から引き離すよりも、士郎を桜から引き離す事に重きを置いた。それは結果が示している。でも……

 

「どうして士郎だったのよ? 私でもライダーでもなくて?」

 

「……なんだよ遠坂。そんな事も分からないの?」

 

 急に慎二はいつもの笑みを浮かべた。

 ……あの、ムカつく笑顔だ。

 

「そんなの簡単じゃないか! 何も難しくなんてないさ。……それはつまり、美綴綾子って女が——」

 

 

 ————衛宮の師匠だからだよ————

 

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]


———第十話、最果ての男


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《第十話、最果ての男》

 

 

 振り下ろす。

 

 ——振り払う。

 

 ———剣を躱し、斬りあげる。

 

 事ここに至って、ヤツは俺を殺しにきている。

 今までだってそうだ。何かにつけて俺にいちゃもんをつけてきた。その意味が、やっと解った。

 剣と剣とを打ち合って、初めて分かった。

 打ち合い、切り結んだ剣の先から、ヤツの経験と共に記憶まで流れてきたからだ。

 

 ……最初は、似た事を考える英霊だと思った。

 次に、その人生に驚愕した。

 そして最後に、やっと気付いた。

 やっと判った。

 

 これだけの人生(もの)を見せつけられて、初めてオレは———

 

 

 ————この男が、(自分)末路(答え)と知ったのだ。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「———“衛宮の師匠”か…………成る程、そういう事ね」

 

 臓硯か士郎を警戒した理由として、“綾子の弟子だから”というのは極めてわかりやすい。

「つまり臓硯が怖がっていたのは士郎ではなくて——」

「そう、綾子だったってワケさ」

 

 

 臓硯は綾子の計画が、自らの不利益になると知っていた。それも超ド級の……けれど戦えば負ける、絡め手も通じない、となれば焦りもするか……と思う。

 …………うん、大体わかった。これで流れは、おおよそ掴んだ。

 ココから私が動くのに、足りないものは殆どない。欲を言えば、綾子がどうしてそんな事をしようとしたのかも知りたいけど、慎二も知らないみたいだし、それは自分で掴むとする。

 

 ……ちょうど、サーヴァント達も帰って来たみたいだし。

 

 

「サクラ! ご無事ですか!?」

 と、ライダーの声。

 ……驚いた、あの大人しそうなライダーがこんな大声を出すなんて。

 

「ライダー、そう焦らずとも良いでしょう。凛とアーチャーとの念話によって、桜の安全は確認されているのですから」

 と、セイバー。

 ……うん、さすがはセイバー、と言うべきか。事ここに至っても最優の名に恥じぬ冷静っぷりだ。

 

「二人ともお帰り、 待ちわびたわよ。アーチャーは士郎と一悶着ある見たいだけど、桜のこと、先に始めちゃいましょうか」

 

 私の言葉に、セイバーがだけが反応した。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「ほぅ? 成る程、“前世の自分を降霊し、憑依させる事でその技術を修得する”……か。だが、オレとの打ち合いで得た技術(それ)も、まったくもって活かせていない」

 

 ヤツは俺を鼻で笑って——

悉く(ことごとく)が期待外れだ、衛宮士郎。

 …………もっとも、初めから期待などしていなかったがな」

 ———その二刀を振り下ろす。

 

 ガードは、しない。

 ガードは出来ない。

 俺が持つのは日本刀だ。打ち合えば、折れるは必定。

 ……故に、ここで俺は受け流す。

 

 ———各流派に各々(おのおの)存在する“受け流しの型”。使用される状況にある程度の違いはあるものの、その全てはある一つの目的の為に存在している。

 

 

 ———それはねぇ、衛宮。相手の剣を躱せるようになる為にあるモノだ。つまり———

 

 

 “受け流しの型”でもって、型通りに受け流すのが第一段階。

 次に、ほんの少しだけ()()動き出す。

 そうすると、受け流す時の衝撃が少しづつだが軽くなるのだ。

 理由はわからない。けれど、思い出せる言葉ならある。

 

 ———それは間合いの問題なのよ。“受け流しの型”ってヤツは、キッチリと型どる事によって、相手の間合いを外すもんなんだから。いい? アンタの手の内にある剣は、ソレが出来るまでの補助に過ぎないのよ———

 

 カシッ、と擦れ合う音がした。アーチャーの二刀は流れ、俺の刀は受け流すと同時、頭上にあった。

 攻防一体。

 受け流す動作はいずれ、剣の振り上げに吸収される。そして……

 

 ———頭上のソレを振り下ろす。

 だが…………俺の刀は砕け散った。

 

「——————なっ——ッ!」

 

 ……速い。

 ヤツの二刀は確かに流れた。にもかかわらず、その双剣は戻っていた。

 戻って、俺の刀を砕いていた。そして……

 

「—————ハッ!」

 

 気合い一閃、ヤツの二刀は再び迫る! 

 

 俺の手に刀は無い。柄を残して、砕け散ってしまったからだ。

 投影するには時間が足りない。

 

 …………武器はない。だが……

 

 

 俺はもう一度、“受け流しの型”を敢行(かんこう)する。

 

 ———“受け流しの型”ってヤツは、キッチリと型どる事によって、相手の間合いを外すもんなんだから———

 

 手を振り上げる動作、それ(振り上げ)に必要な体捌き。胸が落ち、腰が倒れる。そして———

 身体(からだ)は既に、迫る二刀を躱しているのだ。

 

「——フッ———!」

 振り上げた手をそのままに、掌底でもって打撃を入れた。

 ……だが硬い。

 身体強化をかけた腕でも、まともにダメージが通らなかった。

 

 

「……無駄だ。貴様程度の肉体をいくら強化したところで、人間とサーヴァントの、そしてオレとお前との、この差を埋めるにはまるで足らん」

 

 棒立ちで喋るアーチャー。

 それは余裕の表れか、それとも……

 

「その程度の実力で正義の味方に成るだのと、よくもまあ口にできたものだ。

 …………見たのだろう? 衛宮士郎。オレの記憶と経験を……ならば分かる筈だ、お前がこの先どれほどの地獄を歩むのか。そしてその果てに、どれほど醜悪な化け物に成り果てるのかを」

「…………ああ、確かに見た。お前の信じるもの、お前の信じたもの…………そして、その果てに何を失ったのかも……」

「そう、オレはお前の理想だ。お前の夢は、初めから(いだ)いてはいけなかったと理解できた筈だが?」

 

 

 ———それは、救われるはずのない人間だった。

 どれだけ多く見積もっても、百に満たない命だった。

 彼らを救おうとした男はいた。だが、男では救えぬ筈の人々だった。男の実力では、到底届かぬ筈の者たちだった。

 

 だが、彼らは男に救われた。そして次第に、男は“英雄”と呼ばれ始めた———

 

 

 ———英雄。

 人を超えた者たちに与えられた称号。

 では、英雄たる資格とは何か。

 英雄とそれ以外とを隔てる要素。つまり、英雄の定義とは何か。

 

 ———それはきっと、難しい話じゃないんだと思う。

 多分、“運命を変えられるか否か”なんじゃないかな。要はアレだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そこが境目なんだと思う。

 

 

 

 ———それで…………誰も泣かずに済むのなら———

 

 

 方法・力の(みなもと)は、大した問題じゃないんだ。重要なのは、ソイツが運命を書き換える事が出来たか否か。

 

 ———契約しよう、我が死後を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい———

 

 それは、定まった筈の運命を変更すると言うこと。英雄という称号は、本来なら助けられない者を助けた(あかし)だ。

 規模は小さくとも、どんな手段を用いたとしても、変えられない筈の災厄を打破したのなら————

 

 そして、その奇跡の代償として、世界は“守護者(エミヤ)”を手に入れた。

 

「守護者というのは唯の掃除屋だ。その時点において人類を滅ぼし得るモノを、善悪を問わず殲滅する殺戮者…………そんなものに、お前はいずれ成り果てる」

 

 

 ……もう、何度目かもわからないアーチャーの剣。横薙ぎ一閃に迫る一刀を俺は()()()()()()

 もちろん、「躱せなかった」と言い訳もできる。不意を突かれたとか、会話の最中(さいちゅう)に切りかかられた、とか…………でも、きっとそうじゃない。

 俺は心で負けたんだ。精神の戦いで敗北したから、身体(からだ)がついていかなくなった。結局は、俺の心が弱かったと言う、それだけの話。

 

 俺は敗北した。命懸けの戦闘では、勝者が敗者の生殺与奪を自由にできるのが常道だ。そしてアーチャーは俺を殺したい。過去の自分を消し去りたい。

 ……だから、その先は火を見るより明らかだろう。アーチャーは俺を殺す。その手を止める事はない。

 

 

 

 —————————、

 

 —————もし、

 

 ——もしもその後も、俺が生きている未来があるならば、其れは———

 

 

「———アーチャー!」

 

 何度も俺を助けてくれた、“清らかな(あお)”がそこにはあった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「——セイバーか、まさかこのタイミングで現れるとは……オレもつくづく間が悪い」

「当然です。サーヴァントとはマスターを護るものですから」

 それで……? っと、見えない剣を構えるセイバー。

 

「何故、私のマスターを殺そうというのです」

「…………それが望みだからだよ、セイバー。オレはこの瞬間を待ち続けた、この男を殺す事だけを希望にした…………元より聖杯に興味はない………………そんなオレが召喚に応じた理由、抱いた望み、ソレは———」

 

「……何故、彼なのですか? そもそも、この聖杯戦争に彼が参戦している事など知りようが———」

「ある。…………ああ、良く知っているとも。この男がどう言った訳でこの儀式に参加し、それを契機に……どんな怪物に成り果てるのかも」

 

 アーチャーが笑った。でも……

 

 けれどアーチャーのその笑みは、今までとは随分と違っていて……例えば——

 

「当然だろう? 全く……オレはなセイバー、聖杯戦争での己の行いを後悔しなかった時間など…………一瞬たりともありはしないと言うのにな」

「アーチャー……その言い方、それではまるで…………」

 

「——そうだ、オレの真名(しんめい)はエミヤ。衛宮士郎」

 

 

 ———そこの出来損ないの、汚れきった成れの果てだよ。セイバー———

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ———それはひとりの人間が、己の存在そのものを憎悪するまでの物語だった。

 

 

「全ての人間を救うと言うのは、都合のいい空想(おとぎ話)だ」

 

 

 ……ヤツは言った。

 

「オレの足跡を見たお前なら、ソレが判るはずだろう? ……そう、お前の未来は確定している。そのまま先へ進むと言うなら、それはオレに成ると言う事だ。お前の望む理想の先に、ココ以外への道はない」

 

「オレはお前の理想の姿だ。ソレが嫌なら自害しろ。そうすればオレも消える」

 

「判ったか、セイバー。だから、それが理由だよ…………別に、何かが変わると信じている訳じゃない。ただの憂さ晴らしで、下らない自己満足だ」

「…………アーチャー。つまり、貴方は——」

「これで話は終りだ、セイバー。そこをどいてくれ、でなければその男を殺せない」

 

 アーチャーの殺気にセイバーが反応する———そう、その肩を、とっさに俺は抑えていたんだ。

「——いいんだ、セイバー。今までだって大活躍だったじゃないか。こんなにも頑張っているんだから、これ以上あの男の戯言(ざれごと)に付き合う必要なんかない」

 

 彼女の肩をたたきながら、俺はセイバーの前に出る。

 

「これ以上、義務感なんかで俺を護る事なんてないんだ。セイバーはここで見ててくれ。決着は俺がつける、言い訳なんか出来ないように一対一でぶっ飛ばす。だから———」

 

 

 ———そこまで頑張る事はないんだ。セイバーは、女の子なんだから———







次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]


———第十一話、士郎vs士郎


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《第十一話、士郎 対 士郎》

 

 

 ———そこまで頑張る必要はないんだ。セイバーは女の子なんだから———

 

 

 何やらセイバーが絶句しているうちに、反応したのはアーチャーだった。

「そら、マスターもああ言っているぞ、セイバー。オレとしても、君と戦いたくはない」

 アーチャーは一歩、二歩、都合(つごう)三歩、前に進んで——

「ここに来て、セイバーに邪魔をされては(かな)わないからな」

 

 俺からみて、セイバーを眺めるアーチャーの表情は……ありきたりだけど、とても優しげですらあった。

 

「神髄を見せよう、セイバー。厳密には君ではないが、それでも……」

 アーチャーはその右拳(みぎこぶし)を胸へとかるく押し当てた。

 

 

「——————I am the bone of my sword(身体は 剣で 出来ている)

 見せつけるように。

 或いは、ただ、誇るように。

 

「セイバー! これは君への花向けでもあり、そしてオレの答えでもある」

 

 ———“Steal is my body, and fire is my blood ”———

 

 何も起きない。

 変化もない。

 唯、アーチャーの詠唱だけが、朗々と———

 

 ———“Unknown to death, nor known to life ”———

 

 状況は動かなかった。

 誰も何もしなかった。

 ただアーチャーの声を聞き、ただ詠唱の先の(おとず)れを———

 

 ——“Yet, those hands will never hold anything ”———

 

 赤い外套の英雄は、胸の前で握った拳を、その中のモノまで、解き放つように———

 

 ———“So, I as play. UNLIMITED BLADE WORKS ”———

 

 そうして、世界は染められた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ———術者自身の心象風景でもって周囲の空間を侵食する大禁呪、固有結界。

 三流魔術師を自認する俺でも知っている“最も到達可能性の高い魔法級事象”。

 術者によって結界の内部構造がガラリと変わり、術者自身の過去や経験、そして(えにし)などによって内部法則すらも決定される一種の極小世界。術者も含め、固有結界内に存在するすべてのものは、その結界固有の法則に無理矢理従わされる。

 

 平たく言えば、自身の心に形を与えて、その中に術者の指定した対象を引きずり込む魔術とも言える。

 ここで重要になってくるのは“術者自身の心に形を与える”というところ。つまり、今、俺たちが立っているこの世界は、アーチャーの心そのものだっていう事だ。

 

 

「……()()()()()()、貴方が最期に手に入れたモノだと言うのですか、アーチャー」

「そうだ、セイバー。これがオレの歩みの果て、正義の味方を目指した衛宮士郎の死に場所だ」

「……アーチャー、貴方は———」

「知っているとも。君が何故やり直しを求めているのか……そんな君への僅かばかりの返礼だ」

 

 空一面に雲がたゆたい、隙間からオレンジの陽が差している。

 そのオレンジが反射して、地面が所々輝いている。

 ———それは剣だ。

 見渡す限りの荒野に、数えきれないほど大量の剣が突き立ったいる。俺たち三人はちょうど平地になっているところに立っていて、俺からみて正面、ちょうどアーチャーの真後ろが小高い丘になっていた。

 

「セイバー、その小僧も言っていたが、邪魔だけはしないでほしい。どうしても、オレはその男を殺さなければならない」

「それは……」

「君にも覚えはあるだろう? 過去の選定をやり直したいと願った君なら、私の考えもわかる筈だ。

 ———そう、私は……自身の行いを後悔している。正義の味方など目指さなければ良かったと。そう言う意味では、私も君と同じかな」

 

 過去の選定のやり直し。

 セイバーがそれを叶える為に聖杯戦争に参加していると言うのなら、彼女は何一つ満足していなかったことになる。自身がかつて積み上げて来たすべてのものを、何一つ。でも、それは———

 

 

 

「——————同調(トレース)開始(オン)

 

 打刀(うちがたな)、日本刀を投影する。

 幸い、セイバーの立ち位置は俺とアーチャーの間にはない。どうやら、固有結界に取り込む際に立ち位置を調節できるらしかった。

 

「———ほう? この状況でまだ剣を構えるか。愚だな、衛宮士郎。この固有結界の意味を、履き違える貴様でもあるまい」

「ああ、見えているさ。この世界にある刀剣は(すべ)て、お前が記録しているものだってことくらい」

 

 会話しながら脚を動かす。

 前へと進む。

 

 そうとも、衛宮士郎は理解している。こと剣製において、俺では奴に届かない事など、とうの昔に理解している。

 

 距離はおよそ50メートル。

 

 だから、距離を詰める必要があった。遠距離からの撃ち合いでは勝ち目がないなら、距離を詰めて叩っ斬るよりほかにない。

 接近戦における斬撃の応酬の中にのみ、衛宮士郎の勝機がある。

 そうやって、半分くらい近づいた所で、アーチャーはふと口を開いた。

 

「衛宮士郎。貴様は一度終わったように見えたがな。どう言う風の吹き回しだ? 

 先のオレとの問答で、決着は付いたと思っていたがな」

「ああ、確かに俺は動けなかった。お前の言葉をそっくりそのまま受け入れていた。

 けど、なんでだろうな———セイバーの姿を見たら、どんな事でも、出来る気がしたんだ」

「そうか……だがそれでどうなる。オレとお前の差は歴然だ。立ち直ったところで、結果はすでに見えている」

「そんなの、やってみないと判らないじゃないか。だいたい、お前の言葉は正しい。お前はずっと、そんな地獄を見続けてきたんだろうさ。でも————」

 

 

 ———でも、違和感を覚えた。奴に言葉で追い詰められていた時は気づかなかったけど、一息ついた今なら判る。

 奴の語った言葉、奴の道理に何も間違いは無いはずなのに、明らかに何かがおかしい。

 

「そうだ、何かは判らない。判らないけど、お前の考え方はどこかおかしい」

「何を今更。衛宮士郎の思考が破綻しているのは———」

「そうじゃない、俺が言いたいのはそこじゃなくて—————アーチャー、お前、勘違いしてるんじゃないか?」

「……勘違いだと?」

 

 既に、そこは剣の間合いだ。だが、構えることはしていなかった。

 二人とも、剣を下ろして———

 

「アーチャー、お前は……なんと言うか、とても多くのものを失って来たんだよな」

「それは、少し違うな。オレは何も失わない様に意地を張ったから、こうして今、ここにいる。だから、結局のところ、私が失ったものはない」

 

 ——————“Unknown to death(唯の一度も敗走はなく)”——————

 

「ああ、そうか。お前は結局、唯の一度も諦めることをしなかった……」

「いや、諦めることをしなかったのではない。()()()()()()()()()()と言うべきだ」

 

 アーチャーは少し目を細めて、

「だからこそ、オレに残ったのは後悔だけだった。そもそも、始まりからして間違えていたのだと。

 正義の味方になろうとすればするほど、理想の正義を求めれば求めるほどに、事件の中核にいる何人かを殺さざるを得なくなる。

 無力であった当時のオレが、沢山の人を救いたいと願うなら、行き着くところはいつだって同じだった」

 

 アーチャーの方が背は高い。少し俯いた奴の視線が、俺のそれと重なった。

 

「一番最初、オレの持つ原初の記憶。それは一面の焼け野原と涙を流す切嗣の顔だ。その顔がとても幸せそうだったから、憧れただけ」

 

 ———いいかい、士郎———

 

「その理想は破綻している。お前は、正義の味方になどなるべきではない。お前はいずれ、選ばなければならなくなる。正義の味方が救う事が出来るのは、正義の味方が助けた者たちだけなのだから……」

 

 ———誰かを助けるという事は、誰かを助けないという事。……正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ———

 

 ……

 

 …………

 

 ………………。

 

 

 見つけた。

 やっと見つけた、アイツを切り崩す突破口を———

 

 今、自分の表情がどうなっているのか判らないけど、奴の怪訝な顔を見る限りでは、きっと笑っているんだと思う。

 

「アーチャー、お前もやっぱり、衛宮士郎だったんだな」

「————何?」

「だってそうじゃないか。正義の味方を否定して、英雄になんて成るべきじゃないって言って、爺さんとの約束を捨てるように迫って、自分の辿った道をどれだけ悪しように語っても———やっぱりお前は衛宮士郎だ」

 

 俺ひとりだけ納得してもしょうがないが、それでもやっぱり快感だった。今まで散々煮え湯を飲まされてきたあのアーチャーが気づかなかった事に俺が気づいた、というちょっとした優越感だ。

 

 ゆっくりと深く、息を吸う。

 ここからが正念場だ。ここがアーチャーの心象世界である以上、心でアイツを打ち負かさないと意味がない。

 元々、能力では圧倒的にこっちが下なんだ。心でアイツに勝たないと、勝負にすらなりはしない。だから、せめて……

 

「『全体の救いと個人の救いは別のものだ』と、お前は言ったな。『その二つは絶対に両立しない』とも」

 

「事実だ、衛宮士郎」

「いや、事実じゃない。そこが違和感の正体なんだよ、アーチャー」

 

 さらに一歩、脚を運ぶ。アーチャーと視線を合わせたままに、もう一歩。

 

「アーチャー、“それ”にはいつ気づいたんだ? “それ”は誰に教えられた?」

 

 そう、全ての始まり、全ての矛盾点はここにある。俺もアーチャーも、二人揃って間違えた。

 どうして、全体を救うか個人を救うかを決めなければならないのだろう? 

 どうして、どちらかの陣営にしか味方してはいけないのだろう? 

 どうして、いつもいつも、二者択一なのだろうか。

 

 そしてそれは、一体全体、いつから俺たちの中にあったのだろうか。

 

 

 ———何度も、夢に見ていた。

 

 それは爺さんとの別れの夢で、衛宮士郎が生まれた夢だ。

 

 ———子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた———

 

 アーチャーの奴は呪いだとでも言いそうだけど、俺にはそうは思えなかった。

 あの夜があったから、衛宮士郎は今日まで生きて来れたと思う。そうじゃなければ、とうの昔に壊れていたとも。

 

 ———ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ———

 

 だから、自分の成れの果てを見た今になっても、俺はやっぱり、爺さんには感謝している。

 人間に憧れる人形のような人生だけれど、俺は———

 

 ———誰かを助けるという事は、誰かを助けないという事———

 

 だけど、そんな俺を救ってくれた爺さんが、どういう理由でそう結論づけてしまったのか。

 きっと、本当に救いたかった筈のものを救うことが出来なかったんだろう。どれ程の犠牲の果てにその結末を迎えたのか、想像することしか出来ないんだけど。

 

 ———正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ———

 

「アーチャー、俺は———」

 

 ———そんな事、もっと早くに気づけば良かった———

 

「—————(すべ)てを、救えると思う」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ———人は心ある生き物だ。だから、考えるじゃなく感じるんだと。命ではなく心の話と。

 

 この世界は残酷だ。思い通りになることなんて一つもなくて、誰も代わってくれなくて。他人に何を言っても、その人は変わってくれないし、世界なんてびくともしない。

 

 だからこそ、表側を見るんじゃないんだ。

 物事の裏にある人の心に、ルールではなく人の想いに、心を馳せることだって、きっと出来る筈だから。

 

 なんて———、

 

 

 新都にある数多のビル群、その一角。

 乱立する摩天楼の屋上に彼女は在った。

 

 ビルの屋上、その端っこ。

 海浜公園を向いたまま、何するでもなく立っている。

 穂村原学園の女制服、肩まである栗色のストレートボブ。闇夜に輝く琥珀の瞳……

 

「———それだけは、教えてきた筈だけど……」

 

 美綴綾子は、視線を切った。その戦場から背けるように……

 

「古き良きを嘆き憂い、若者たちを(さと)すのは年寄りの役割だ。だから(あたし)が、過去を懐かしんじゃいけないと……解ってはいるんだけどね」

 ———ねぇ、ギルガメッシュ? 

 

 と、後ろにいる黄金に聴く。その金ぴかはいつからいたのか、何を見たのか。

 

 美綴綾子の琥珀の瞳が、少し細まる。

 フッ、と。ため息なのか自嘲なのか、どっちつかずの仕草の後に、彼女は口を開いた。

 

「遥か(いにしえ)の日本には、法律や法典のような“(ことわり)めきたるもの”は何もなかったんだ。だから、その世の人々は心のままに動いてた。それでもね、世の中は大らかに、大過(たいか)なく治ってたんだ。

 森羅万象は人の思惑を遥かに超えた大きなもので、人の知恵の及ばないところにあるから、人の狭い理屈で捉えきれるものじゃない。

 憲法や道徳と言った仰々しいものなど在っても無意味であり、そう言ったものが初めから無かったが故に、日の本は長い間、うまく治っていた。それなのに……」

 

 彼女の、華奢なその手に力がこもる。

 

「秩序が生まれ、科学が生まれ、法律が生まれ、善悪が生まれ……世界はどう動いているのか、どう廻る()()なのかと、頭で考え始めてから、人は堕落し、悪意は肥大したんだ」

「———だがな、綾子。現実に目を向けるがいい。

 “人を殺してはいけない”という思想が一般化したのは、たった数百年前のことだ。

 それにな、現在(いま)ですら人間は自らをランク付けする。この世を文明国と非文明国に分類し、文明国は()()()()()()()()()()()()と考える。

 ……どこまでも脆弱でくだらぬ獣よ」

 

 後ろから聞こえる裁定者の言葉に、綾子は楽しげに、少し笑った。

 

「ルールを設けなければ事の善悪を測れない程、人間は愚かな生き物じゃないぜ」

 

 

 ———普通なら、道理に基づく説得によって“己”を抑制すれば、理論上、世の中の争いは無くなる筈だと考える。

 でも、考えてみてほしい。道徳によって抑制しても、内面の“己”が消滅するわけではない。己の欲、感情的な衝動は、依然として心の中に在り続けるのだ。

 そうである以上、“己”同士の争いそのものは無くなりはしないし、それが道徳という建前の影に隠れている分、争いはより巧妙で陰湿なものになっていく。

 だから、人間が感情を本質としている以上、道徳は悪意や争いを助長するモノになりかなない。

 

 ———ならば、実際はどちらだったのだろうか。憲法、法典、道徳は悪意の抑制に役立ったのか、或いは……

 

「でもね、ギルガメッシュ。(あたし)の眼には、まだ名残が見えてるんだ。美しかった当時の日本、その残滓を感じとることが出来るんだ。

 だったら、人間の善性に賭けてみよう、って」

 

 ———世界(すべ)てをぶち壊し、秩序と悪意をすり潰す———

 

「人の世界を消滅させて、あらゆる法が意味を無くせば、人間は心と向き合わなければならなくなる。

 理性に押し潰されてた人の心が本来の形を取り戻した時、この世は地獄になるかもしれない。

 ……でも、『光輝くものは常に暗闇の中から生まれる』ように、パンドラの箱の中からあらゆる災厄を取り出してはじめて、希望を見つけることが出来たように……」

 

 息を吸い、吐き出した後で体を回す。

 黄金の王と向き合って、美綴綾子は宣言したのだ。

 

(あたし)はこの計画で、人が“本当に大切なものを見つけられるようになる”方に賭ける。

 ———ねぇ、ギルガメッシュ。この賭けに、乗ってくれるかい?」

 

 風が吹き、髪が舞う。

 ギルガメッシュの黒のレザーが、風に吹かれて揺れていた。

 

「馬鹿者、この(オレ)は裁定者だぞ。ものごとの是非は総て、(オレ)が決める」

 

 ギルガメッシュが(きびす)を返す。

 ビルの端に足をかけ、その相貌をこちらに向けて———

 

「———やって見せよ。この(オレ)が、手ずから見定めてやる」

 

 その淵から身を投げた。

 

「……あらら、行っちゃったよ。気まぐれな王様だこと」

 

 フフッと笑ってもう一度、士郎の闘いに目を向けて、

「パンドラ計画が成功すれば、士郎が正義の味方に成らなくてもいい。そんな世界が、出来るかもしれない……なんて。

 ……そうすればさ、お前は結婚でもしてさ、そいつの味方になればいい」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 咄嗟(とっさ)に、打刀の投影を(はた)す。

 振り向き様に頭上に構える。

 次の瞬間、地面と水平に構えた刀が、半ばから砕けてしまった。原因は———

 

「——————ハァァァア──ーッツ!!」

 

 迫り来る二刀。

 初撃を躱し、二撃目を防ぐ。

 だがこれで、先程投影したモノが柄と鍔だけになってしまった。最も、俺はこの刀を投影してから、ずっと右手でしか扱っていない。

 ———だから左手が空いている。

 

 剣の間合いにいるヤツには、もう一歩踏み込めば拳打も届くと言うものだ。

 

「——————ハッ!」

 気合いと一緒に魔力も乗せた掌底を一発。

 勿論、効くとは思っていない。俺の目的は———

 

「…………チッ」

 

 ———奴との間合いを離す事だ。

 

「——————投影(トレース)開始(オン)

 二刀を構えるアーチャーに、無構えで対峙する。

 

「俺は正義の味方になる。その為に、お前をここで打ち負かす」

「……『総てを救う』だと? そんな事が出来るのならな……オレがとっくにやっている!」

 

 アーチャーが踏み込んできた。

 上段からの縦一閃を“受け流し”てやり過ごし、カシッという音を残して、今度は俺が、刀を縦に振り下ろす。

 アーチャーが左手の一刀で防御しようとしたところで、瞬間、俺は足元まで沈み込んだ。

 

 ———日本刀にて、“打ち合い”は禁物だ。

 和包丁を落としたところを見た事がある人はわかるだろう。刃が欠ける。それも、恐ろしいことに、1ミリ以上も欠けたりするんだ。

 これをキチンと処理する為には、刃先から刃元まで、全て均一に1ミリ分研ぎ進めないといけない。

 その大変さは、わかる人には解るだろう。

 

 ———日本刀にて、打ち合いは禁物だ。

 それを回避する為のモノが、各流派それぞれに、キチンと伝承されている。

 身をかがめることで、刀の速度を殺す術。

 

 

 アーチャーが後ろに跳ぶのと、俺が行動に移るのは同時だった。

 しゃがむ時、身体に掛かる重力や重さを利用して斜め上に跳び上がる。

 身体を捌き、身を捻り、アーチャーが着地する瞬間には、その右側面に移動していた。

「—————————ッツ!!」

 

 また、間合いが離れてしまった。

 一足で、剣の間合いに踏み込める。しかし、今は確かに間合いの外に。

 

「……まさか、その(なまくら)に、この身を傷つけるだけのポテンシャルがあろうとはな」

 

 アーチャーの右腕、その二の腕に一筋の傷。

 

「ああ、言ったろ。何でも出来る、そんな気がする」

「……なに———それは“気のせい”と言うものだ。総てを救う事など、出来る筈もない」

「そこだよ、そこなんだよ、アーチャー。確かに、総ての人々の命を救う事は出来ないかもしれない。

 でも、()()()()()()()()()()のだとすれば、何も不可能な事じゃないんじゃないか?」

 

 ———人は心ある生き物でしょ。だから、命でじゃなくて心の話よ———

 

「俺は正義の味方になる。お前がどれだけ否定しようと、俺は、この道を行くと決めたんだ。

 

 ———だって、俺の夢を『頑張れ』って応援してくれた人が居るんだから」

 

 だから、

 

「お前に、負けてなんかやるもんか。“座”にでも籠もってじっと見てろ! 

 お前の出した議題の答えは、俺が、生涯をかけて証明する! 

 俺は絶対間違えない。諦める事もない。

 ———だって、前から導いてくれる人、隣を走ってくれる人、背中を押してくれる人に……同じ夢を、追いかけてくれる人も居るんだ」

 

 だから……

 

「———だからッ———!」

 

 

 その後は言葉にならなかった。

 だから全力で駆け抜けて、全力で剣を振り抜いた。

 どうなっているのかも分からない。

 何も考えず、何も思わず。

 剣が無くなったら投影し、二刀が迫れば受け、躱し。

 いつ攻撃したのか、何処へ脚を運んだのか……何も分からないままに、唯アーチャーを見つめている。

 

 そして、ついに———

 

 

「—————全く、どこまでも度し難い。まさか、こんな結末になろうとはな……」

 

 眼前にはアーチャーがいる。それは今までと変わらない。

 違いは———そう、その肩から脇腹にかけて、袈裟筋に一本、刀傷が走っている事。

 

「…………勝った、のか?」

 

 手元の刀が綻びていく。

 息を乱して、しゃがんだ姿勢から起き上がれない。

 

「…………真逆(まさか)、今回は引いてやろう。だが、これで勝ったとは思わない事だ」

 衛宮士郎。と言葉を残して、立ち去ろうとするアーチャーを見る。

 その背中、風にはためく赤い外套を見ていると……不意に、この胸に去来するものがあった。

 

「最後に、ひとつだけ……聴いてもいいか、アーチャー」

「———なんだ、衛宮士郎」

「アンタが英霊になった……きっかけ、その始まりに、違和感を覚えたんだ。

 ———だから、答えろ。アーチャー、お前が死後を捧げてまで、救いたかった数百人のその中に——————桜はいたのか?」

 

 一瞬の、空白と沈黙。

 

「…………つくづく、気に喰わない男だな。衛宮士郎」

「アーチャー、アンタは“鉄の心”を持っているわけじゃない。今の闘いでそれが判った。

 お前はどんな状況になったとしても、桜を殺せる人間じゃない。

 それにさっき言ったじゃないか。『何も失わない様に意地を張ったから此処に居る。何も失ったものはない』って」

 

 それはつまり———

 

「……間に合わなかったんだな」

「いや、それは違う。()()()()()()()()()のだ。私は彼女に希望を抱かせてしまった」

 

 間に合ってしまったかなとこそ私は此処に居ると、アーチャーは言った。

 桜は()()()()()()()()()()()()()()のに……と。

 

「もしも間に合わなければ、私は正義の味方になる事もなく、こんな醜悪な化物に成り果てる事もなかったかもしれない。

 きっと私は、誰かを助けてもいい人間ではなかったのだろう。

 

 ———これが私からの教訓だ、衛宮士郎。衛宮士郎という人間は、大切な人を救おうとすればする程に、周囲に災厄を撒き散らす。

 おぞましいものに成り果てる。

 だから、正義の味方になど、成るべきではなかったのだと……」

 

 そう、桜を救おうとしたから。

 桜を、救おうとしてしまったから。

 衛宮士郎は桜を救ってもいい人間ではなかったのだと。それなのに、傲慢にも救おうとしてしまったから。

 

「……それは、どうい———」

「それからは、数を基準に人を救うようになった。己の心が信用できないと悟ったからだ。陣営の数を見比べて、より多い方に味方した。自らの感情に目が眩み、二度と被害を増やさぬようにと」

 

 アーチャーは自分の掌を見つめていた。

 奴が、そこに何を見たのかは分からないけど、きっと、大切な何かがあった筈なんだ。

 ギュッと握りしめた掌の中に、かつてあったもの。それは、差し出した手を取ってくれた時の温もりか、或いは————

 

「果たして、私は誰を救いたくて、その戦場に(おもむ)いたのか。

 この手で切り落とし、この手で殺した人をこそ、救いたかった筈なのにな」

 

 ———その言葉を聞いて、もう一つの疑問の答えも見つかった。

 

 フゥと、肺に溜まった淀みを吐き出し、立ち上がる。

 未だ背を向けるアーチャーにどうしても言わなければならないことが、できた。

 

「———アーチャーお前、後悔してるのか?」

「そうだな、確かに私は後悔をしている。しなかった時などない」

「そうか…………、でも俺は、お前は間違ってなかったと思う」

 

 俺の言葉に

「…………何?」

 振り返りかけ、寸前で止まり、ちょうど首だけ捻った格好になったアーチャーに、俺はちゃんと笑う事が出来たと思う。

 だってそれは、正義とは何かという事で、救うとはどういう事かという話だからだ。

 

「—————最近、思い出した事がある」

 

 今度は俺が掌を見る番だった。

 それはいつの話だったか、誰に言葉をかけられたのかは、霞んで思い出せないけれど。

 

 ———正義とは、“自分が正しいと思っている事”だから———

 

 人は心ある生き物だ。だから、考えるんじゃなく感じるんだと、理屈ではなく心の話と。

 この世界は残酷だ。思い通りになる事なんてひとつもなくて、誰も彼もが救われない。

 

 ———本当にそうなのか? 本当に、奴に切り捨てられた人々は皆がみんな絶望したのだろうか。奴に殺された人間は、全員が奴を恨んだろうか。

 

『命なんてどうでもいい、先ずは心を救いなさい』と、誰かに言われたことを思い出した。

 最初はずいぶんと反発したものだけど、その後戦場に赴くようになって、いくつか気づいたことがあった。

 

「戦地に居る人々の中には、自分よりも、自分の大切な人に生きていて欲しいと願う人が沢山いるって事だ」

 

 海で溺れそうな時、見つけた一枚の木板を取り合う二人が赤の他人だったなら争いも起こるかもしれないが……もし、母と息子だったならどうだろうか。例え木板に掴まれるのがひとりだけだったとしても、相手を突き飛ばして己が生きようとは思わない筈だ。

 

 俺はそういう人たちに、戦地で出逢うことができた。

 

「自分が信じた者の手で殺されるなら、それは結構な幸せだと、そう言ってくれた(ひと)がいたんだ。

 誰かの為に死にに行くのは決して悪い気分じゃないと、笑ってくれた(ひと)がいたんだ」

 

 ———なぁ、アーチャー———

 

「お前が殺したその人は、誰かに何かを託して逝けたか? 

 託された者の心をこそ、護ることは出来たのか?」

 

 ———きっと俺は出来たと思う。ほかの何も判らなくでも、これだけは解る。だってコイツは未来の自分そのものだから。

 

「なら、お前は間違ってなんかなかったさ。その人たちにとってすら、正義の味方だったんだから」

 

 






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第十二話、綾子の浄眼


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《第十二話、綾子の浄眼》

 

 

「全員揃ったわね」

 

 衛宮邸、その居間の中。

 真ん中にデンと鎮座しているコタツを囲んで、俺と遠坂とサーヴァント三騎が座っていた。

 桜は隣の部屋で今も寝ている。後遺症など無いとは言うが、昨日、この家でも戦闘があったらしくって、その時の疲労で休んでいる。

 

「一応、今後の打ち合わせということで呼んだわけだけど……その前に先ず、サーヴァントの三人には伝えておかなきゃいけない事があるから、先に言わせて貰うわね」

 

 コタツの毛布を深く掛けた遠坂が、ひとつ話を切り出すのだった。

 

「———それは、綾子の眼の能力(ちから)についてよ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 空が白み始めてきた頃、俺たちは家にたどり着くこと出来た。

 最も、本当の困難はここから始まった訳で……

 

 どういう事かと言うと、遠坂が、玄関で仁王立ちをしていた訳だ。

 そうとは知らずにノコノコと帰路に着いた俺たちは、まさに門をくぐった瞬間、笑顔を貼り付けたアクマと出会った。

 

 結論から先に言うと、俺たちは遠坂に()()()()()許してもらえたんだが、それまでが非常に長かった。

 疲れ果てて布団の上に倒れこんだ時にチラッと確認した限りでは、俺が正座していた時間は30分くらいみたいなんだが、疲労と恐怖の相乗効果で、どうにも5倍くらいには感じられた。

 

 そんなこんなで、既に時刻は10時半。

 学校という職場に向かわなければならない筈なのに、これじゃあ既に遅刻だな、なんて言ってしまったが運の尽き。

 今の今まで遠坂は、ニッコリ笑ったままだった。

 

 

 ———そして、今。

 コタツの各人の手前には、各々の湯呑みとお茶菓子が乗っている。

 それが全員に行き渡ったところで、遠坂がさっきの言葉を紡いだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「綾子の瞳は浄眼に分類される能力を持ってるの。つまり、“見えないものを見る能力”ね。

 問題は何を見るか、なんだけど———綾子の場合は“(えにし)”を見るの。人と人との繋がり、結びつきの事なんだけど、つまり何が怖いのかって言うと……ええっと……」

 

 右手を顎に当てたまま固まってしまった遠坂は、その目線を天井に向けて、ゆらりゆらりと動かしている。

 眼の動きにつられて遠坂の顔まで揺れ出したものだから、なんだか可笑しくて、つい笑ってしまった。

 

「ちょっと! 何笑ってるのよ、士郎! 言っときますけど、私はちゃんと解ってるんですからね!」

 

 目尻(まなじり)を吊り上げた格好でキッ、と俺を睨めつけて……ついでにアーチャーも睨まれていた。

 

「大体、アイツの能力は“難しい”のよ。概念が解りづらい事に加えて、綾子の奴が能力(ちから)の全貌を明らかにしてないし……」

「確か、美綴の眼は(えにし)を見るって言ってたよな。なら、まずはその(えにし)って奴を説明してくれないか。

 直接の説明が難しいんだったら例えでもいいんだ。ほら、神話とかに絡めてさ」

「神話ねぇ。神話って言っても、みんなが知ってる神話なんてそんなに沢山ないじゃない。有名どころは聖書に出てくる奴とか、ギリシア神話の…………」

 

 その瞬間、遠坂の目の色が変ったのがはっきり見て取れた。

 有り体に言って、今の遠坂はとてつもなくキラキラしていた。

 

「———そう!」

 ズビシッ、と効果音が鳴りそうな勢いで腕を振り上げ、人差し指で俺を指す。

「例えば、メデューサという怪物は、ギリシア神話の中でペルセウスに首を切って殺されているわよね。

 もし私たちが、時間移動が出来るなんらかの魔術を習得していてね。過去に戻って、当時のギリシアに行けたとしても、それを覆すことは出来ないのよ。何故なら、()()()()()()()()()()()()

 

 ズズっと湯呑みを傾けて一息ついた遠坂は、ゆっくりと続きを、語り始めた。

 

「人理定礎の話、前にも一度したわよね? つまりはそう言う事、細かなところは変えられても、一度決定した“多くの物事に影響を与える事象”は変わらない。

 理由は簡単よ。

 解りやすく言うのなら……そうね、運命と呼ばれるもの、その流れは()()()()()()()()()()()からよ」

「さっぱり解らないんだが……」

「なら諦めなさい、士郎。

 ———綾子はね、『“(えにし)”は未来から過去に向かって流れてんのよ』なんて言ってたの。『原因は全て未来にあって、そこから伸びる(えにし)によって現在(いま)が決まる。(あたし)にはそれが見えてるんだ』って……」

 解る? なんて、さっきはにべもなく流したくせに、こう言う時だけ確認してくるんだもんな……

 

 意趣返しに溜め息をひとつ。そして、

「美綴に見える(えにし)ってヤツと運命とが、同じ性質を持っているってことか?」

「うん、良く出来ました」

 遠坂はついに満面の笑みだ。

 

「いい? (えにし)と運命は本来別物。でもね、とりあえずは、同じものだって考えてた方が解りやすいわ。そして、ここまで来れば、もう終わったようなものよ」

「あー、いや……もうちょっと説明してくれると、助かるというか———」

「つまり!」

 

 ここで割って入ってきたのは、意外にもアーチャーだった。

 いつもの如く、遠坂の後ろで適当な柱にもたれ掛かっているアーチャーが心なしか俺を睨んでいる。

 

「つまり、あの女は未来を見る能力を持っている、ということだろう。未来からやって来る流れを見るなら、当然その眼は未来へと向けられているのだからな」

「流石ねアーチャー、その通りよ。綾子には、未来が見えるの」

 

 ———これが、遠坂がどうしても言わなければいけないと思った事。

 居間にみんなを集めた理由。

 

「悔しいけど、私には対策が思い浮かばなかったわ。アイツとはライバルだから、いざと言う時の事も考えてはいたんだけど……結果はお察し。

 だから、その辺りを話し合いたいのよ。私のプライドにこだわって無駄に出来る時間は、もう無い筈だから」

 

 遠坂の顔には影が差していた。学校でも、いつも美綴と張り合っていたから、 俺も見て知っているから、言葉にしなかった遠坂の情動も判るような気がしていた。

 

「では、此方からも幾つか提示するべき特徴がある」

 

 遠坂が口火を切ったアーチャーに頷く。今更恥ずかしくなったのか、湯呑みで顔を隠していた。

 

「昨晩の我々の戦闘においてだ。

 昨晩の戦闘で、我々は不可解な現象に見舞われた」

 

 ああ、あの時の美綴との戦いは不可解な事ばかりだった。

 アーチャーの攻撃モーションを打ち消したかのような技。

()()()()()()()一射を外させた事。

 

「高位の魔眼は術者の脳味噌とセットとも聞く。

 もしも、バロールの魔眼の持ち主がいたのなら、その者は“死”に触れる事が出来る筈だ。“死”を見る眼を持っているという事は、“死”を理解する脳を持っているという事でもあるからな」

 

 腕を組んだまま、アーチャーは顎を上げた。

 

「恐らく、今回のソレとて同じ事。

 美綴綾子という少女が、(えにし)を見る眼を持っているというのなら、それは同時に、(えにし)や運命といったモノに直接干渉出来る能力を持っているという事でもある」

 我々ではどう足掻いたところで、理解を得ることが出来ない筈の概念というものを、真に理解することが出来ると言うのなら、干渉する事もまた、不可能では無いだろうさ。と……

 

「……そう、そんな事まで出来るんだ、アイツ」

 

 やっと湯呑みを置いた遠坂が、溜め息と一緒にそうこぼす。

 

「未来を見るだけじゃなくて、運命そのものに干渉して来るのなら……対処のしようが無いじゃない」

 どうしろって言うのよ……と、遠坂が俯いていると。その正面に音も無く、紅茶が置かれた。

 

「煮詰まった頭で考え混んでいても仕方があるまい。一息入れたらどうだね、凛。

 丁度、紅茶が入ったところだからな」

 それに———と、アーチャーが後ろ、障子の向こうを見返るのと、ライダーが音も無く立ち上がるのとが同時だった。

 

 

 

「———サクラ、起きたのですね。お体の調子はどうですか?」

「うん、今はまだ、何もわからないけど……わたしは大丈夫だから」

 

 なんて言う声を障子ごしに聞いていると、アーチャーに手で追い払われた。

「行ってこい、衛宮士郎。凛の方は私に任せておくといい」

 

 

 ◇◇◇

 

 

「姉さん! わたし今、とっても体が軽いです!」

 

 中庭をサンダルで子供のように走り回る桜が、遠坂に向かって手を振っている。

 寝込んでいたという事もあって、出で立ちは簡素な白いワンピースだが、今の桜からはむしろ無邪気なわんぱくが感じられた。

 

「『煮詰まった頭で考えていても仕方がない』———うん、確かにそうね。ここはひとつ、張り切って遊ぶと、しましょうか!」

 

 それに呼応するように、何やらガッツポーズをしている遠坂。

 我がチームの司令塔が遊ぶと決めたなら十中八九俺も駆り出されるんだろうな、と思うとアレだ。でも、楽しそうな桜を見ていると、それも良いんじゃないかと思えてくる。

 

 

「そうと決めたら早速出かけるわよ! もうすぐお昼なんだし、時間もあまり無いんだから!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 本日は2月3日、いくら節分とはいえ平日真っ盛りの火曜日である。つまり、どういう事かと言うと……

 

「……良いのかよ、遠坂。俺たち学生だぞ」

「細かいことは気にしない。遊ぶ時はパーっと羽目を外さないと」

「いや、ほら。周りの視線が……」

「そこはほら、こんな美女・美少女が四人もいるんですもの。注目されて当然じゃないかしら」

 自分で言うか? 普通……

 

 

 ともかく、俺たちは隣町に繰り出していた。

 小洒落た喫茶店でお昼を済ませた後、都内を散策して、駅前のあずみ書店に立ち寄ったところで、ライダーの雰囲気が変わったのを目敏(めざと)く見とがめた遠坂が大型書店に案内して、それから夢遊病者の如く本棚の迷路を突き進むライダーを俺が追っているという訳だ。

 背の高い本棚の壁。それが、人2人分くらいスペースを開けて、左右にずらりと並んでいる。

 俺がいるのは壁の手前側、本棚の上の貼り紙には“ヨーロッパ史”と書いてある。

 ライダーがいるのはこの壁の一番奥、さっき見た標識によると、どうやら世界各国の神話の本が置いてあるらしい。

 

「こんなところに居たのか、ライダー」

「士郎、あまり声を張り上げないように」

「……ああ、すまん」

 

 ライダーにたしなめられてしまった。

 彼女は手の上でハードカバーを開けたまま、眼だけをこちらに向けていた。そこにはタマゴ型の黒縁メガネが輝いている。

 

「みんなは隣の喫茶店に入って行った。『ここで寛いでいるから好きにして良いですよ。満足したら帰って来なさい』って、桜からの伝言だ」

「そうでしたか。それは、ご迷惑をおかけします」

「良いんだよ、元々気分転換なんだから。それより、なんの本を読んでたんだ?」

「……気になりますか?」

「正直、かなり気になる。俺も本は読むんだが、それは勉強として、だったから。娯楽としての読書ってのは考えた事もなかったんだ」

「そうでしたか……」

 と言いながら、ライダーは隣にいる俺に表紙を見せてくれた。

 

「“ケルト神話から読み解くイギリス史”?」

 また面白いものを選んでるよな。

「ていうか、ケルトってイギリスの神話なのか?」

「何を今更……イギリスにキリスト教が伝来するより以前、あの一帯はケルト的な文化・風習によって回っていたのですから」

「そうか、それでセイバーの奴、ケルト神話にああも詳しかったんだな」

「ええ。彼女、騎士王がブリテンの王となっていたのは5世紀頃ですから、まだキリスト教の影響も無かったでしょう。キリスト教がブリテン島に伝来したのはどう見積もっても、西暦590年よりも後のようですし」

「な、なるほど……しかし、よくそんな本を手に取ろうと思ったよな。俺なんかじゃ、探し当てる事も出来ないだろうし」

「———そうですね」

 なんて気の無い返事を返しながら、ライダーはパタンと本を閉じ、元々収まっていたであろう本の隙間に差し込んだ後、人差し指をスライドさせながら次の本を探している。

 そんなライダーが左手で抱き抱えている本があった。

 

「なあライダー、手に持ってる本、ちょっと見せて貰ってもいいか?」

「ええ、荷物を持って頂けるのでしたら」

 

 そう言いながらも、ライダーはそれを渡しくれた。

「あれ? 一冊じゃないのか……」

 右手の人差し指、それから目線は背表紙の上をスライドさせつつ、渡された本は4冊あった。

 

「“ケルト神話”に“アーサー王ロマンシア”、それから“ギリシア神話”が2冊もあるぞ……」

「ああ、その2冊は編纂された時期が違うのです。

 うち一冊は一度ローマ文学として輸入され、そこから欧州に流布されたものを翻訳してあります。つまり、近代文学・恋物語としてのギリシア神話ですね。

 ですがもう一冊は、アポロドーロスのギリシア神話は少し違います。この著者が伝承として()ったところのモノは純粋に古いギリシアの著述なのです。簡単に言うと、こちらの本はギリシア神話の原典とでも言いましょうか……純粋な、他の文化の影響を受けていないギリシア神話なのです」

 最も、私はもう一つ古いものを探していたのですが……と、自分の作業を止めないまま、口だけで俺とお喋りしている。

 

「…………」

 圧倒された。

 ちょっと本の話を振ると5倍くらいになって帰って来る。ライダーにこんな特技があったなんて。

 俺が感心しているうちに、また一冊見つけたみたいだ。本を開いて、目次を眺め、それから一つページをめくった。

 瞬間、彼女の目が見開かれ、眉間を寄せて細められる。

 

 それが、あまりにも寂しそうだったから……

「ライダー!」

「…………っ! どうしましたか? 士郎」

 振り向いた、ライダーに

「『どうしましたか』じゃないだろう! なんで、何でそんな悲しそうなんだよ」

()()()()()()()()

「なっ! …………」

「———いえ。なにぶん、自覚がないのもで———」

「お客様! ……お静に、ほかのお客様もいらっしゃいますので」

 ———後ろから声。

 

 女性店員にたしなめられてしまった。声が大き過ぎたらしい。人差し指を口前で立てて、強めの語調で注意された。

 

「あ、あ〜。…………すいません、すぐ出ますんでッ。

 行くぞライダー」

 

 腕を引っ張る。意外にも、ライダーはすんなり付いて来てくれた。

 前だけを見てズンズン歩く。レジ前に並んでやっと、ライダーが、小さな声で口を開いた。

 

「士郎、申し訳ないのですが…………本を、返しそびれてしまって……」

「ダメだ。それはきっと、ライダーが持ってないとダメなやつだ。

 理由はうまく言えないけど、それだけは買うべきだと思う」

 

 強引に本を奪い取り、俺が預かってた4冊の上に重ねて、3歩進んで店員に渡した。

 

「———これ、全部ください」

 

 この時初めて見えた表紙。その本のタイトルには“アマゾネスと蛇と馬”と、刻まれていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「やっと来た! 随分と遅かったじゃないの。これ、紅茶も3杯目よ」

 

 私もうお腹ちゃぷちゃぷ〜と、お腹をさする遠坂が出迎えてくれた。

 当然ながら、遠坂の座っている席には他のみんなも揃っていて、アーチャーにいたっては思いっきり睨んでくる始末だ。

 

 いちいち嫌味を突っ込んでくるアーチャーをなんとかいなし、遠坂が桜の「体を思いっきり動かしたいです」に乗っかってバッティングセンターを所望して、アーチャーの助言を受けて急激に成績を上げたセイバーに負けるのが嫌だからと、さらにボウリングの勝負まで言い出して…………結局、夕飯の支度をしないといけない事を理由に使って帰路に着いた時には、西は日の入り東は月夜。大空は、綺麗なグラデーションになっていた。

 

 …………と、

 

「———士郎」

「なっ——————ッ!」

 

 やばい……何がヤバいって、やばい。

 急に耳元で囁かれたもんだから、背筋がゾクゾクしている。現在進行形だ、進行形でやばい。

 

「ラ……ライダー、さん? もうちょっと、こう……頼む、心臓に悪い」

 左耳を抑える、顔が熱い。

 

「? …………何がですか?」

「な、なんでも……ない。すまん……」

 

 さも不思議そうにされると、こっちが困る。

 顔を反らしながら喋ったものだから、言葉も、伝わってないかもしれないし。

 

「どうして謝るのですか? 士郎には何もされていませんし……」

「本当になんだもないんだ。それで、どうしたんだ? 続けてくれ」

「そう言うのでしたら……。士郎、先程はありがとうございました」

「『先程』と言うと———」

 

 ———振り返った俺と、ライダーの視線が重なった。

 

「書店での一件です。あの時は本を買っていただき、ありがとうございました」

「良いんだ、ライダー。俺だってライダーのこと、少しは知ることが出来たんだから。そのお礼だと思って受け取ってくれ」

「そうですか、それはなんとも———甘美な響きですね」

 

 今度はライダーが顔を反らしてしまったから、どういう表情してるのかわからないけど———

 

「ありがとうございますね、士郎。

 ———とても、嬉しかったものですから」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「———ねぇ、桜。今日は楽しかった?」

 

 みんなで並んで歩く中遠坂の唐突な質問に、それでも桜は、先頭を歩いたままクルリと反転して満面の笑みを見せてくれた。

 

 

「———はい。こんな日が、ずっと続いて欲しいです!」

 

 






次回、Fate /stay night[Destiny Movement ]

———第十四話、誘拐事件


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《第十四話、誘拐事件》

 

 

 それは唐突に訪れた。

 

 

 遠坂の『パーっと遊びましょ』宣言から4日ほどだったある日、前日までは学校に行ったり、修行したり、本屋に行ったり、はたまた魔術の研鑽を積んでいたり、それまでからして考えられない程ゆったりと時を過ごしていた。

 そんな中おとずれた、土曜日の事だった。

 

 

 ———カラン、カラン———

 

 

 ちょうど朝食を食べ終わった辺りだろうか。

 桜が皿洗いをしていると、まるで鳴子の様な音が響きわたった。

 

 ———カラン、カランカラン———

 

 

 衛宮邸は静かになった。或いは、『空気が変わった』というべきだろうか。生活音の全てが消え、シーンと静まり返る屋敷の中に声が響く。

 

「おーい!」

 

 少しハスキーな少女の声。

 

「誰かいないのーー!」

 

 美綴綾子の、声だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 衛宮邸の表門、その片側だけを直角に開いて、そこから「おーい」と叫んでいる袴姿の彼女の元に最初に姿を見てたのは、桜だった。

 

「ふーん、中々いい覚悟じゃない」

「部長には、猶予を、頂きましたから……」

 

 両手を体の前で重ねて、俯きながら、表門まで歩いて来る。

 

「やっぱり気づいてたんだ」

「はい。わたしが悩んで、選べるように……」

「うん、そこまで解ってるなら話は早い。で、どうするの?」

「わたしは————」

「ダメェ——————ッ!!」

 

 少女の悲鳴。

 それと同時に黒い球、ガンドの呪いが降り注ぐ。

 

 

 ——————と。

 

「——————“サンギ・ヒツギ・ホウヒ”———」

 

 美綴綾子は右手で手刀を型どると、前に一線(いっせん)振り下ろし、次いで左右(うし)ろに振り下ろし、

 

「——————“フロウサイレキ”———」

 

 そして最後にもう一つ、ガンドの来たる上空に向け、横一線に手刀をなぞると———

 

「……嘘、でしょ?」

 

 ガンドの呪いが、ひとつ残らず蒸発した。

 脚力を強化してひとっ跳びで来た凛が、桜の隣に着地するのと、綾子が目の前の2()()()()()()()()のとが同時になった。

 

「ッチ。桜、とりあえず離れるわよ。此処は流石に近すぎる」

 そう言って、桜の腕を引こうとして———スカッた。

 

「——————え?」

 

 周りを見て気づく、自分が玄関前にいる事に……桜が門の近く、綾子の前にいる事に……

 綾子の瞳が、琥珀に輝いてる事に———

 

「そう、それがアンタの能力ね」

「言ったでしょ遠坂。『殺し合う関係になる』ってさ」

「そっか。未来も見えるんだっけ、貴女。でも、それにしちゃお粗末ね、こうして————時間稼ぎを許すだなんて」

 

 そう、凛の台詞が終わった時、その背後には三騎のサーヴァントが揃っていた。

 

「遅れてすまない、凛」

「反省会は後! 今は———」

「ああ、判っているとも」

 

 アーチャーが干将・莫耶を投影する。

 他の二騎も、既に準備を終えていた。

 腰に手を当てた美綴綾子はそこに反応した。

 

「へぇー。アーチャーを弓兵として使わないんだ」

「当然でしょ。その“眼”を持っているアンタに宝具じゃない矢は当たらない。この家は気に入ってるから被害は最小限で抑えたい。それに、()()()()()()()()()()()()()()、戦力を遊ばせておく理由はないわよ」

 

「うんうん、流石は遠坂」などと頷いている綾子の背後、門の外の空間が歪み、ねじ曲がった。

 そうやって出来た穴の中から、2つの人影が歩いて出てきた。

 

「よく見つけたわね、小娘」

 

 その人影のうち1人、黒いフード付きのローブを頭から(かぶ)ったった女が進み出て、凛を見ながら綾子に喋った。

 

()()()貴女のライバルたり得ると言うのは、(いささ)か過大評価じゃないかしら」

「そう? キャスター。もうポテンシャルは揃ってるんだし、開花してなけりゃこんなもんじゃない?」

 

 綾子は左手を顎に添え、その肘を右手で支え、首を傾げる。

 キャスターはそのローブの下でフフフと笑った。

 

「そう言うもの? まあ、相手がこの程度なら、仕事が楽で助かるのですけどね」

 ———では参りましょうか、お嬢さん———

 

 キャスターが桜に手を出す。その手を———桜がとった。

 

 

「——————ッ———つ———!」

 

 動かない、動けない。

 凛やアーチャー、セイバーも含めて、誰一人として動けなかった。

 サーヴァントたちは武器を構えたまま、凛はポケットに手を突っ込む寸前で、それぞれに固まっている。

 

「空間ごと固定したのですもの。時間稼ぎにはなるでしょう」

 

 桜の手をゆっくり引いて、歩き出すキャスター。

 桜がキャスターの隣に来たところで反転して、綾子の横を通って門をくぐる。瞬間に、

 士郎が腕を切り落とす。

 

 古い伝記の中には、恐ろしまでの身体能力を持つ人が多数存在する。気がついたら近寄られていたとか、気がついたら刀を奪われていたとか。そう、武術の達人の逸話を紐解けば“気がついたら……”と言う描写が驚くほどに多い事に気づくだろう。

 凛とて、気がついたら士郎が後ろに立っていて“声をかけられて初めて気づく”という事が何度もあった。

 他の国の伝説にある武術家・兵士の言い伝えはもっと豪快で大掛かりなものであるのに対して、この国の人間が「凄い凄い」ともてはやし賞賛するのは、(もっぱ)らこの“気がついたら”なのである。

 

 しかし、遠坂凛は知っている。

 戦場において“気がついたら”はそれなりに信頼できる武器になることを。

 ミスディレクション。マジシャンなどがタネや仕掛けを観客から隠すために用いる、視線誘導のテクニック。

 だが士郎は、自分の行動を隠すのにこのテクニック(ミスディレクション)を必要としない。

 故に、こと奇襲において、彼は最強の切り札()()るのだ。

 

 ———しかし、それは———

 

()()()()()()()()()()だが。

 

 今、キャスターは門の外にいる。手を引かれる桜はまだ門の中。繋がれた手はまさに門をくぐるっている最中(さなか)

 “気がついたら”近づいていた士郎がいつの間にか小太刀を振り下ろしている。

 ———だが、小太刀に刃は付いていない。

 根元から切り落とされているからだ。

 

「つまらぬ仕事かと思っていたが……」

 

 三人いる敵の中で反応したのは一人だけ、“気がついたら”引き抜かれていた恐ろしいまでの長刀を手に、桜の後ろに立っている。

 

此度(こたび)の現界、愉しめそうでなによりだ」

 

 白い着物に馬乗り袴、紺の陣羽織を羽織っている男。

 頭の後ろでポニーテールに結んでいる、烏の濡れ羽色の髪。

 

 抜刀の際右手一本で保持していた長太刀に左手を添えて、俊速(しゅんそく)、左から右に横薙ぎに払う。

 だか、士郎には届かない。斬撃の瞬間跳び下がり、斬線の外に脱している。

 

「———っ! ……」

 

 陣羽織の男の眼前に縦回転する小太刀の柄。ちょうど彼の正中線を捉えて回るソレに意識を割いたその隙に、士郎は潜り込んでいた。

 

 ———彼の足元に。

 

「—————————」

 

 音もなく、気迫もなく、気配すらない踏み込みから、手に在る二本目の小太刀を縦に、下から上に斬り上げる。其れを———

 

「よくぞ止めたな、小太刀の少年。そのまま小太刀を上げていれば、首が飛んでいたものを。一息で、間合いの外まで退がるとは———素晴らしい身のこなしだぞ」

 

 ———だが、此方の仕事も時間稼ぎでな———

 

 言うが早いか男も一息に跳び退がり、後ろ向きで門を跳び越えてしまった。

 その行動を目で追っていた士郎は———笑った。

 

 鎖が伸びる。

 重りの付いた鎖が迫り、侍サーヴァントの右腕を捕縛しようとする。が、長刀の柄頭を重りに当てた侍は鎖を弾いた勢いをそのままに、迫るセイバーの剣を流した。

 

 ———その瞬間に重なるように、破裂音が辺りに響く。

 

「あのバカ! アンタのソレは切り札なのにッ……」

 

 静寂の中、凛の声だけが響いて消えた。

 セイバーはライダーと士郎と横並び、その後ろに凛とアーチャー。

 三騎と二人の視線の先には、空中に固定された円状の魔法陣によって止められた、一発の弾丸がある。

 

「なるほど、弾丸そのものに己の起源を封入しているのね。面白い構造だわ」

 

 キャスターのサーヴァント、その頭部から1メートルほど先の空間で。デタラメに組み替えられた魔法陣が自己消滅した。

 支えがなくなって落ちて来た弾丸をその手に収め、しばらく眺めた後、キャスターはそれを適当に捨てた。

 

「どうやって封入したかと思えば、まさか骨粉を入れるだなんて。落ちるとこまで落ちたわね」

 

 宙を掴んだ右手が握りこまれると、彼女は身の丈をこえる杖を持った。あたかも、空中から取り出したように。

 

 セイバーが飛び出す。見えない剣で切りかかる。

 だが、キャスターの方が早かった。その長い長い魔法の杖で、地面をトンッとひと突きすると、瞬間に消えてしまっていた。敵のすべてが———

 

 

 ◇◇◇

 

 

「遠坂、結果はどうだ?」

「まだ三工程も残ってるんだけど?」

「あっ…………すまん

 

 

 桜を連れて行かれてからと言うもの、俺たちは大忙しだ。

 ———訂正、遠坂が大忙しだった。

 

 桜を守り通せば俺たちの勝ち。作戦会議で遠坂はそう宣言した。

 だが同時に、それがいかに難しいかも力説した。

 現状、サーヴァントの突破力を無力化するだけの防御を固める事は不可能だ。聖杯戦争の、期間中でなければやりようもあるかもしれない。美綴相手にそれをやるのがいかに難しいにしても、だ。

 だが聖杯戦争にばサーヴァントがいる。この時点で桜を死守する方法が敵の撃破に限られてしまう。

 こちらの拠点が一方的に知られている状況で、それを成すには———

 

「“待ち”の一手よ。

 敵は必ず仕掛けてくる。桜が欲しいんだもの、当然よね? だったらこちらの戦術はほぼ1つに限られてくるわ」

 

 気分の問題よと、赤いフレームの伊達眼鏡をかけて人差し指を立てた遠坂は、こちらから索敵するのは悪手だと言った。

 

「私達はもう監視されていると思いなさい。そんな状態で索敵のためと少数で行動なんてしてみなさい。格好の的よ。撃破されに行ってる様なものじゃない」

「俺たちには美綴側の戦力情報がほとんど無いんだもんな」

「そう、最初からとても不利なの。だからなんとしても()()()()()()()()()()()()()()。チャンスは一度、奴らが桜を(さら)いに来た時、戦闘の間に糸を結ぶわ」

 

 ———例え桜を護れたとしても、その戦闘で何の情報も得られなかったと言うのなら、私達の敗北が確定すると思いなさい———

 

 

 

「———っ。よっしゃ捉えた!」

 

 あれから半時間はたっただろうか。やっと、遠坂が()えた。

 

 中庭の地面に棒を使って作成した即興の魔法陣に、遠坂の手持ちの宝石を10個ほど流体化させ流し込み、ライダーと共同で“糸を辿った”のだ。

 

 事前に遠坂から渡されたマーカーは宝石だった。(もっと)も、手渡された物というのは、ドロドロに溶けた宝石の入った石の器だったわけだが。

 器の中身、ドロドロの宝石に両手を漬ける。そうすると一定期間、その手で触れたモノにマーキングするという代物だ。

 

 けど、先の戦闘では問題があった。

 

「まさか、あの()が綾子につくなんてね……」

 

 遠坂は、両手で顔を覆っている。その両手の甲には三角ずつの令呪があった。

 

「ああ、サーヴァントとの契約の白紙化。それも桜の方から一方的に……令呪を引っぺがされた可能性はないのか? 遠坂」

「もしそうなら、契約ごと持ってかれてる。私がライダーと再契約なんて、出来ない筈だもの。

 (もっと)も、そうだったなら、ライダーのパスを通して一瞬で居場所を抜いてたけどね」

「…………そっか」

「戦闘では誰も触れられなかった。桜の衣服に縫い付けておいた私の髪の毛を使ったから、こんなに遅くなったのよ。アンタがマーキング出来てたら()ぐだったんだからね!」

 ()ぐよ()ぐよと、詰め寄る遠坂にちょっと笑って、その頭をポンと撫でた。

 

「な、なによ?」

「いや———精神は回復したみたいだと思ってさ」

 

 一度目を見開いた遠坂は、フッと笑った。

 

「行くわよ士郎! お姉ちゃんに相談もなく綾子についた事、取っちめてやるんだから!」

「———ああ、行こう」

「私達はまだ負けてない。首の皮一枚繋がってる。だったら、桜を取り返して理由を取っちめてから綾子を倒して、それで終わりよ!」

 

 遠坂は歩き出す。途中、テーブルの上あったアーチャーの紅茶を一気飲みして、颯爽(さっそう)と。

 玄関を抜ければ、慎二を含めて全員が(そろ)っている。

 

「目的地は円蔵山—————」

 

 遠坂が宣言した。

 

「桜を、奪還するわよ!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「よく来たねぇ、王に連なる(くらい)の方々」

 

 美綴綾子の挨拶に、誰一人返す者はない。

 いや、ギルガメッシュだけがただ一人、鼻を鳴らして威張ってみせた。

 四人が集まったのは地下にある小部屋だ。壁は地面が剥き出しで、木の柱を組むことで補強している。

 四角い小部屋の中に机がひとつ、机の上にランプがひとつ。

 

「今日集まってもらったのは他でもない。渡すものがあるからよ」

 

 彼女は馬乗り袴に覆われた脚を前に運び、左手に持っていた巾着袋を机に乗せた。

 机の上で輝くランプは、四角い机の四方に(たたず)む4つの影を4つの壁に投影していた。

 

 綾子が巾着の紐を解く。中から虹色で星型八面体の結晶石が多数出て来た。

 

「これは“(えにし)の結晶石”と言ってね、大聖杯から魔力を(かすめ)め取って、(あたし)の眼で判別した(えにし)の概念を、魔力を(のり)に結晶化させたモノ。

 つまり、今誰かと繋がっている(えにし)、それを辿(たど)ることの出来る石。

 (えにし)は未来から現在へと繋がっているから、未来を手繰り寄せることができるんだ。使い方は令呪に近い。

 コレは“未来を確定させる概念が結晶化したもの”と考えてもいい」

 

 ———例えば、「〇〇のそばに行きたい」と望んだとすると、“その想い”によって方向付けられた“(えにし)”がその人物との繋がりを辿り、中に込められた魔力によって瞬間移動すら可能になる。

 

 綾子はその中の一つを取り上げて、自分の眼に透かしてみせた。

 

「この“(えにし)の結晶石”、使い方は数限りなく存在する。

 霊基の復元もなんのその、割と何でも出来るからね。

 でも、|()()()()()()()()()()使()()()()()は一つだけ、それが何かは…………解っているみたいだね」

「———成る程な」

 

 金色の王が虹色の晶石を二つ手に取る。

 

「ふむ、何が起きようともそこに居合わせなければ手出し出来ぬ故、(オレ)には関係ないと高を(くく)ってはいたが…………成る程、コレは悪くない一品だ」

 

 闇色の女王も二つ手に取る。

 

「私は千里眼を持たぬ故な、直接見た訳ではないが……お主から聞く限りにおいては、(わし)も参加した方が良さそうだな」

 

 そして、

「あまり気は乗らないのですけれど……。コレも契約ですものね?」

 

 フーディットローブの魔女だけは、それを四つ手に取った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ———『己を低く見積もるな、されど他者を(おとし)むべからず』だ———

 

 いつかの、先輩の言葉。

 

 ———誰かが不幸になるくらいなら、俺がそうなった方が百倍良い。

 でも、それはきっと……一番辛い役割を、誰かにおしつけることだと思う———

 

 

 そう、この世で一番辛いのは“自分の大切な人が不幸になる事”だと、思えるようになってきた。

「そんな事無い、自分の不幸が一番辛い 」と言う人もいるだろう。

 ただわたしは、先輩と一緒にたくさんの地獄を見てきて、いくつもの悲劇に立ち会って、その中で一番辛そうだった人たちはいつも、自分自身の事ではなかった。

 だからと言って、それを理由に秘密(蟲蔵でのこと)を打ち明けなかった、という訳でもない。

 確かに、先輩は他人の不幸にとても敏感な人だ。わたしがそうであると知ったなら、きっとわたし以上に悲しんで、わたしを力一杯抱きしめた後で、きつく叱ってくれると思う。

 それこそ(先輩が悲しむ事)が一番辛いから、という身勝手な理由ではないと、わたし自身は思っている。

 

 だから、そうじゃない。

 そうじゃなくって……ただ、気に喰わなかっただけだ。

 

 だって、それを知った先輩はずっと、一緒にいてくれると思う(知っている)から。

 わたしが苦しんでいたと気付かなかった自分を責めて、己の鈍感さを呪って。

 そうして、「誰かひとりを救えない奴が、世界を救える筈ないじゃないか」とか何とかうそぶいて。それから、わたしと死ぬまで一緒にいてくれると、自惚れでなくそう思うから、決して彼には明かさなかった。

 

 ———だってそんなの、わたしが負けたみたいじゃないですか———

 

()()()()をすれば、それ以降ずっと、わたしが姉さんと会うたびに、()()()()したのだと思い出させられる事になる。

 罪悪感ではない、劣等感を抱いたままで生きていく羽目になる。

 

 

 ———それだけは、嫌だったのだ。

 

 こんな時、先輩の事をよく知らなかったら良かったのに……と思う自分は、きっと善人にはなれないのだろう。

 先輩の事をよく知らなければ……“わたしを選んでくれる”という確信を未だに持っていなかったなら……もしもそうだったなら、わたしはきっと——————

 

 

 ◇◇◇

 

 

「桜は強いわよ。私より、何百倍も」

 

 衛宮邸から出陣する前に、遠坂は俺に教えてくれた。

 

「桜はね。自分に合わないモノを受け入れる為に、自分の存在を変えたのよ。器の形を間桐臓硯に合わせる事で、あの男を受け入れた。

 それは強くないと出来ない事よ」

 

 とびらの前に立つ俺に、自室の椅子に座った遠坂が流し目をくれた。

 

「人はね、自分の存在の崩壊を何より(おそ)れる生き物なのよ。強姦されて辛いのは、無理矢理やられるからだけじゃないの。

 確かにそれも嫌だけど、それ以上に、自分が何か得体(えたい)の知らないモノに成ってしまいそうで、今までの自分が塗り潰されてしまいそうで……

 “死ぬのが恐い”って言うのも、結局はそういうことでしょう? 

 “自分が消えてしまうのが恐い”、“その後どうなるのか、その得体(えたい)の知らなさが恐い”って」

 

 遠坂は、さっきアーチャーが入れて来た紅茶、もう冷めてしまったそれを一口。

 カップをソーサーに戻す時()った、カチャっという音が遠坂の部屋に響き渡った。

 

「もしも……もしも私が桜だったなら、『痛いのは自分が悪いからだ』って、『恐いのはわたしのせいだから』って、()()()()()()()()()()かしら」

「———ああ、遠坂は凄いからな。やろうと思えば出来ると思うぞ、俺は」

「そう? やっぱり優しいのね、士郎は。

 ……でもね、私はしようとしないだろうと思うのよ。自分が塗り潰される恐怖を、受け入れようとはしないだろうなって」

 

 答えることが出来なかった俺に、(つい)に遠坂は向き合った。

 椅子の上でお尻を回転させてこっちを向いて、両膝に手を当てて俺をみて———

 

「そんなモノ、受け入れる必要なんてないんだと、他人は言うかもしれない。でもね、コレは士郎が一番よく判ってると思うけど、それこそ(受け入れる事)幸せに生きる為の第1歩、人生の極意ってヤツなのよね、きっと。

 私は士郎と旅をしてきて、そう言ったモノの大切さ、天才の私に足りないものを見ることが出来るようになったと思うのよ」

 

 

 ———だからね、士郎———

 

 あかいあくまはニヤリと笑って———桜に宣戦布告するのだった。

 

「桜をぶん殴ってやろうじゃない! 士郎を見くびるんじゃないわよって。

 その程度でなびく男だと思われちゃ、私の沽券(こけん)にかかわるわ」

 

 ——————? 

 

「…………? なんでさ」

 

 

 






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第十五話、円蔵山の戦い


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《第(十三)話、女怪(じょかい)メドゥーサ殺人事件》



遅くなりました。
それと、サブタイトルを変更しています。





 

 

「お茶が入りましたよ、士郎」と、メドゥーサは言った。

「———ああ、いま行く」と、俺は返した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 本を読むのはめんどくさいと気づいたのは、そろそろ三時を過ぎようかという頃だった。

 俺の部屋、(たたみ)の上で本を読むこと数時間。俺は目頭をもんでいた。

 本を読むのに疲れてしまったのだと思う。読んだものが頭に入らないとか、目が上滑りするとか、そんな感覚で、ただ文字を目で追うだけなのに、こんなに大変だとは思わなかった。

 

「その本は読む必要ありませんよ、士郎」

 

 メドゥーサの声が割り込んで来たのは、ページを睨んでいる時だった。

 

「二行目を読む必要はありませんよ。本文の一行目を読んで『二行目を読みたい』と思わなかったなら、それは今の貴方にとっては不要な書物だと言う事です」

 

 俺の部屋の隅っこに座っているメドゥーサは、本を持ったまま手を伸ばし、ちゃぶ台に本を置いて、次のを手に取りながら、少し笑った。

 そうか、とこぼして、もう一度本に目を通す。

 やっぱりダメだった。目が、本の文字の上を滑ってしまう感じがする。思い切って本を閉じた。ちゃぶ台の空いたスペースに置いて、乱立する本の塔の上の一つを、適当に取り上げた。

 タイトルを見る、“ケルト巡り”。石でできたドデカい十字架のようなモノの前に知らないおじさんが立っている。そんな表紙を眺めること少し、本を開いて本文を読んでみた。

 

【我々は、言葉にしないと伝わらないと考えてしまう節がある 】

 

 閉じる。

 気が抜けたのか、少しため息をこぼしてしまった。本当にこれで良いのか、と思う。一行目を読んだだけでやめて良いなら、何十冊も積み上がっているこの本の摩天楼も、一瞬でなくなりそうなものだ。

 

 

 ———人生には、いつまでも色あせない黄金の1ページがある。

 ほかの事は全部忘れてしまったのに、何故か、その瞬間のことだけは覚えている、そんな1ページが———

 

 

「なあ、メドゥーサ」

 

 これは、まだ誰も欠けていなかった時、俺がメドゥーサと過ごした、最期(さいご)の数日間の物語。

 

「もう一度、本屋に行こう」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ライダーは、桜たちと一緒に街に繰り出したあの日の朝、遅めにとった朝食の席で、唐突に真名(しんめい)を公表した。

 

「私の真名(しんめい)はメドゥーサ、ギリシア神話に登場する蛇の化け物、女怪(じょかい)メドゥーサです」

 

 バイザーの奥の相貌(そうぼう)に動きはなく、能面のように固まっている。ライダーはちゃぶ台の一角で正座して、腿の上に両手を置いて、かしこまって話し始めた。

 

「私は、自らに定められた運命、“いつか怪物になる”というソレによって擬似的に、魔獣としての怪力を行使できます。

 つまり、力の前借りですね」

 だからこそ、デメリットもあるのです。とため息をついた。

 

「私自身が(すで)に一度、怪物に成り果てた後だということ。魔獣ゴルゴーンの力を使えば使う程、魔獣化が進行してしまうのです」

 

 つまり、全力での長期戦闘は望めないという事。

 つまり、強敵のと戦闘では肉体が崩壊しかねない事。

 ゆえに、一人では桜を護りきれそうにない事。

 

「私に出来ることなら、何でもしますので、どうか……お願いします」

 と、ライダーは締めくくった。

 

 

「どうか、なんて言われても、諦めるしかないんじゃない?」

 

 反応したのは、まず遠坂だった。いつものように、右手を(あご)に当て、右肘を左手で握っている。

 

「そもそも、魔獣化ってなんなのよ」

「魔獣というのは、私が辿(たど)った物語の果て、“形なき島”で自らの姉妹すら喰らい()くした怪物の事です。そうなった私には、おそらく敵味方の区別はつきません。命あるモノは溶かし、喰らい、その周囲一帯を“鮮血神殿”へと書き換える、見境(みさかい)のない化け物です」

「令呪で、抑えきれるモノでもなさそうね」

「えぇ。三画すべてを使っても、そう長くはもたないでしょう」

 

 そうして、数秒の沈黙がただよったこの空間で、今まで最も無口だった男が、口を開いた。

 

「たとえ(わず)かでも、令呪で無理やり抑え込めるんだったら、方法がないワケじゃない」

 

 ニヤっと笑って、上から目線で、いつもと何も変わらぬ態度で、

「みんな、僕の家名を忘れたの? マトウは、令呪システムの考案者だぜ」

 

 目を細めて、慎二はさらに、唇の(はし)を吊り上げたのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ありがとうございます、士郎」

 

 メドゥーサが、そう言った。

 

「私の事情に、こんなにも付き合っていただいて」

 

 大量の、紙袋と共に。

 

「何言ってんだ、俺が好きでやってるんだから、メドゥーサが気にやむことなんてないじゃないか」

 

 紙袋から取り出した大量の本をそれっぽく分類し、俺の部屋に積んでいる既存の本と見比べて、似た分野そうなところに平積みしておく。

 とはいえ、今買ってきた本もそうだが、昨日買った本もかなりの数だ。こうなると分類が難しい。買う本自体は完全にメドゥーサに任せているが、このメドゥーサ、「お前が心を失わずに、かつ強制されなくてもいい方法を探したいから、お前のことを教えてくれ」って言ったら、

 

 ———私が語れるのは体験だけです。貴方が連れて行ってくれると言う場所まで、それだけでは不足でしょう。

 ですので、一緒に本を読みませんか? ———

 

 といった具合に、大型書店に連行された。

 俺にはただカゴ持ちをさせて、そろりそろりと本を置いていくメドゥーサは心持(こころも)ち楽しそうだった。無表情が崩れていると言うか、いつもの(けん)が取れていると言うか。

 

 ———お茶が入りましたよ、士郎———

 

 居間からメドゥーサの声がする。

 

「ああ、いま行く」と、俺は返した。

 

 

 居間でお茶を飲む俺とメドゥーサ。茶菓子は帰りしな買った鯛焼きだ。

 

「どうです? 昨日今日と読書ばかりでしたが、そろそろ嫌になりましたか?」

 

 鯛の頭を()み込んでから、メドゥーサは聴いた。

 それに対して俺は、メドゥーサの入れてくれたお茶で口を(うるお)して、二度三度呼吸してから、声に出した。

 

「確かに、最初は面食らった。買ってきた本の中に小説やマンガなんて一つもない。評論・神話分類学・歴史書・宗教学、かろうじて物語の(てい)をなしているのは神話の本だけときた。

 でも、嫌になったっていう訳じゃないんだ。なんて言うかな……意味もわからないまま、意味もよくわからない本を、それも、似通った物事について書かれた本をこうもたくさん読んでいると、な。著者は、熟考しながら本を書いてるんだって事が、だんだん分かってきたように思う」

 

 メドゥーサについて書かれた本が三冊あれば、三冊とも、違う描写の仕方をしていた。当然、ペルセウス神話の捉え方も、みんな違った。みんな、自分の経験と知識を総動員して神話を読み、考えていた。

 だから、ジャンルの違う本を読んで、まったく違う切り口で、でも同じく、ギリシア神話が登場する。

 だから、彼ら(著者)はギリシア神話を読んでいて、その最中(さいちゅう)、その向こうに、こっちを見る他の誰かと、目が合うんだ。

 

「それに気づいた時、感動したんだよ。小説を読んで涙を流すのとは違って、その感動を言葉で表すのは難しいんだけど」

 

 鯛焼きの、最後に残った尻尾を食べる。

 商店街の外れにあるこの鯛焼きは、尻尾の中まであんこがあって、そのあんこがプチュっと(あふ)れてきて、俺は甘さを誤魔化すように、(ぬる)めのお茶で口を洗った。

 

「それは良かったです」

 

 既に、鯛焼きを全部()()したメドゥーサは、湯呑みを両手に感想を述べた。

 その笑顔があまりにも眩しかったから、目を()らしつつ話題を変えた。

 

「今頃、他のみんなはどうしてるかな」

「確か、魔獣と化した私を確実に自害させる為の封印を作る、と」

「昨日の朝から一日かけて、慎二がマトウの資料を遠坂の家に運び込んでたもんな」

 

 昨日、隣町まで繰り出した遊びの最中(さいちゅう)、慎二はずっと一人で、せっせと資料の運搬をやってたワケだ。今現在は、桜や遠坂と封印を作っている最中だろう。

 セイバーは桜たちと一緒にいる。

 魔術師三人にサーヴァントが二人、単独行動さえなければ、護衛はなんとかなりそうだけど。

 

「正直、あの封印だけは、出来上がって欲しくないよな」

「そういえば、凛と慎二が封印の内容を詰めていた時も、ひとりだけ猛反対していましたね。なぜそんなに、士郎は反対なのですか?」

 

 そう、あの時、俺は猛反対した。どう考えても遠坂に口で勝てるワケないのに、さらに慎二までついているとなると、反対しても負けるのは明白だった。

 それでも、反対した。

 

「だってお前、震えてたじゃないか」

「そうでしたか? いつも通りだと思いますが」

「そう見えた、気がしたん……だけど」

「それは、根拠とするには(いささ)か不十分では?」

 

 ズズッと湯呑みを口元に当てて、メドゥーサは目を少し見開く。その四角い瞳孔から逃げるように、今度は逆に顔を(そむ)けた。

 

 座敷机(ざしきづくえ)の向こうから、ハァーっとため息。

「感情で突っ走っただけでは?」

「そ、そんな事はない。ちゃんと考えてる」

「どのようにですか?」

「ホラ、俺は正義の味方になりたいんだからな。大勢の誰かを救うためには、まず、目の前のひとりを救わなくちゃいけない」

 

「———では」

 メドゥーサを見てみれば、彼女は目を伏せていた。両手を太腿に置いている。

 

「では、私を救えば世界は滅び、世界を護るには私を殺さなければならないとしたら」

 

 そして、

 

 —————士郎は、私を殺してくれますか? —————

 

 震えていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ツッかれたーーーッ!」

 

 ベトッと、座敷机(ざしきづくえ)に突っ伏す遠坂。

 

 キッチンにいるアーチャーは、俺の隣で紅茶を蒸らしている。

 その横で、俺はアナゴを開いていた。

 

(しょう)海老の仕込みは終わりました、先輩」

「解凍中のヤツは?」

「それも終わってます、先輩」

「じゃあ、玉ねぎの皮むきと……メカブを頼む」

「はいっ」

 

 俺はアナゴの、最後の一尾の頭を落とした。

 目釘を引き抜き、頭を捨てる。アナゴの背びれを切り取りながら、チラッと目線だけで左を見た。

 桜はメカブを洗っている。ボウルに入れてゴシゴシと。その横に、皮のむけた玉ねぎもある。俺は急いで、アナゴの腹骨を(そぎ)ぎ取った。

 仕込みは時間との戦いだ。余裕はまだある。とは言え、桜が隣にいるこの状況では、先輩の威厳を守るための戦いだった。

 

「そこまでだ、小僧」

 

 そんな時だ、アーチャーの声が割り込んできたのは。

 

「アナゴのヌルヌルはおいておけ。———そう、その皮に付いているヤツだ。ソレは、付いていた方が(うま)く仕上がる」

「なんでさ。アナゴのヌメリは落としてナンボ、そうじゃないのか?」

「フッ———」と、鼻で笑いやがった。

 

「貴様は、和食が得意だと豪語(ごうご)していた筈だが……魚の事すら、何も知らないらしい」

「ッ————っそこまで言うなら、アナゴもお前が揚げてみろよ、アーチャー」

「よかろう。では、貴様などでは到底たどり着けぬ高みというものを、教えてやる」

 

 

「あのー、先輩?」

 

 アーチャーへの視線を切って、バッ! とふり向くと、両手を後ろ手に組んだ桜が苦笑していた。

「えっと。お野菜の仕込みも全部、終わらせちゃいましたっ」

 所在なさげに傾けた桜の顔が、先輩の威厳の失墜を、ありありと物語っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 網を敷いたバットに、揚がった天ぷらを乗せていく。油がポタポタとバットに垂れる。それを目で確認しながらコンロのツマミを調節、油の温度が上がらないように少し弱める。

 箸をギュッと握り締め、バットを片手に、居間の座敷机へ。膝と腰とを軽くかがめて、その流れでバットから天ぷらを取り出し、各々(おのおの)のお皿によそいながら、素材の名前をおごそかに告げる。

 

「最後の一品(ひとしな)は、“菜の花”です」

 

 菜の花。

 春の山菜ではあるのだが、その走りはこの時分に出回り始める。八百屋さんで菜の花を見かけた時の“春を先取りした感じ”、「ああ、もうすぐ春が来るんだな」って感じが好きで、最後の一品(ひとしな)に持ってきた。野菜の天ぷらは、秋の終わり頃のものから順に揚げて、季節の移り変わりを演出した……事になっている。それぞれがああだこうだ言いながら食べているから、一切(いっさい)気にされてないのだが……。

 

 ()にも(かく)にも、ほろ苦い春の天ぷらで、俺のコースはひとまず終わりだ。

 この後は、アーチャーのヤツが天ぷらを揚げる。

 

「なるほど、貴様の力量は把握(はあく)した」

 とだけ言い残して、アーチャーはキッチンの向こうに消えていった。

 

 居間とキッチンの間にある、カウンターになっているところに置いてあった箸と皿一式を持って、先ほどまでアーチャーがいた場所に座る。

 隣に座っている遠坂に、聴いておきたい事があった。

 

「遠坂、封印はどうなったんだ?」

「とりあえず、別の神話の大地母神を使うことに決めたわ」

 

 むっ、と唸る。なるほど、とは言えなかった。

 

「何で大地母神が出てくるんだ? メドゥーサは蛇の怪物なんだろ」

 

 そうすると遠坂はマジマジと俺を見て、ため息をついたのだった。

 

「メドゥーサはかつて、ギリシア神話よりも古い神話でね、大地母神だったのよ」

「そうなのか? だったらギリシア神話でもガイアみたいな立ち位置にいそうなもんだが」

「さあね。そこは私も知らないわ。でも、同じ権能を持つ神の力を流用すれば、他神話の神の力を打ち抜ける。一時的に相殺出来るから、それを使う。

 メドゥーサの神性なんか、()れども(なき)(ごと)しだし、魔獣化によって霊基が変質するタイミングで発動するよう調整すれば、なんとかね」

「そうか」

 

 お茶を飲む。それ以上は何も、言えなかった。

 

「こういう戦いがあるとは、知りませんでした」

 

 と言ったのはセイバー、角を挟んで左斜め前にいる彼女は、神妙な顔をしていた。

 

「剣を交えぬ、戦い。戦いとは、お互いの主張をぶつけ合うものとばかり思っていましたが、これは」

 

「どうでしたか? 先輩の料理は」

 

 遠坂の向こう、俺から見て右斜め前にいる桜は、自身の隣に座るメドゥーサに聴きながら、白ごはんを食べている。

 

「ええ、とても」

 

 メデューサは、湯呑みをスッと持ち上げた。

 

 

 

「さて、まずは海老だ」

 

 やって来たアーチャーは、菜箸(さいばし)で海老を摘み上げ、素早く全員に配膳した。すると横のヤツの気配が変わった。右隣に座る遠坂が目に見えて上機嫌になったのだった。

 

「勝ったっ」

 

 遠坂は、戦いに参加してなかった筈なんだが。

 

 

 ズズズッとお茶漬けをかき込んでから、茶碗とお箸をトンと置く。一呼吸おいてから、遠坂は宣言した。

 

「アーチャーの勝ちね」

 

 同卓の面々を見渡すと、桜は天丼、メドゥーサは天茶(てんちゃ)、セイバーは天丼を食べ終わってアーチャーに天茶を催促していた。

 

「衛宮、何年も料理から遠ざかってたサーヴァントに負けるなんて、サボりすぎなんじゃないの?」

 

 俺と向かい合って正面に座ってる慎二は、時々毒を吐きながら天茶をすすっていた。

 

「ま、“霊基縛り”のメドも立ったし、どっちにしろ衛宮のまーけ。初めっから出来もしない事をやり続けるなんて、とんだマゾだよね」

 

「なぁ、慎二。ソレって、メドゥーサへの封印のことか?」

「アレッ。何? あの雌ヘビのこと名前で呼んでんの? 

 なんだよ衛宮、あの体目当て? ヤったんなら感想聞かせろよ、どうだったんだよ、な———」

 気づくと、慎二の肩に、刃物が突き付けられていた。

 

「その行為が、どういうモノかはさておいて、だ。

 それは、食事時に()する話ではあるまい」

 

 茶碗を左手に、アーチャーは亀甲模様の付いた白い刀身の短剣、干将を慎二の肩に置いている。

 右肩を見てため息を吐いた慎二は、背中を丸め、頬杖をつくのだった。

 

 夕食も終わり、それぞれの部屋に帰りしな、メドゥーサがアーチャーにボソッと「ありがとうございました」と言っているのを、俺は聞いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 俺がその本を見つけたのは、ほんの気まぐれだった。

 ちょっと聞きたいことがあって、メドゥーサの部屋を訪ねた時のことだった。

 

 ——— “アマゾネスと蛇と馬”———

 

 メドゥーサに招き入れられた時、彼女が読んでいた本がソレだった。

 部屋の一角に正座して左の肩を壁に預けるようにして、ハードカバーを読んでいた。

 

「それは」

「ああ、この本ですか? “あの日”貴方に買っていただいたものです」

「いや、そうじゃなくてさ。どんな本なのかってのが、気になったんだ」

「タイトルの通りです。ギリシア神話に登場するアマゾネス達と、彼らが信仰していた、蛇と馬の神についてです。

 読んでみますか?」

 

 メドゥーサが差し出してきた(ソレ)を、腰をかがめて受け取った。

 

「———それで」

 彼女は下から、俺の目を覗きこんだ。

 

「どのような用事だったのですか?」

「ああー。なんでもない」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———第一章、怪物にされたメドゥーサ———

 

【メドゥーサはそれほどの悪だったのだろうか】

 

 背中に、壁の(たい)らさを感じながら、本を開いた。ちょうど、自分の頭の後ろあたりにある窓から刺してくる日の光がページを照らした。

 

【醜い怪物に変えられてなお、地の底でひっそりと過ごしていた()の女神はなぜ殺されなければならなかったのだろう】

 

 “あの日”、メドゥーサの顔色を変えた文章がどのあたりのページにあるのか、予想はつかない。

 ページの上に(うつ)り込む自分の影を()けるように、頭をずらした。

 

【「美しかった」という理由だけでは説明のつかない何か、もっと……】

 

 本を閉じた。

 この本、“アマゾネスと蛇と馬”を書いた人は、メドゥーサという女神は美しかったから怪物になったワケじゃないと言っている。メドゥーサを殺したい誰かが先にいて、アテナ云々(うんぬん)は後付けだと。なんでもよかったんだけど、ただ、メドゥーサが綺麗だったから……と。

 

 俺は本の表紙を見た。そこには、美しい女神(ひと)がいた。(あお)い色のストレートを腰の手前まで伸ばした、瞳の大きな白い服の女神(ひと)が。その左手は、白い馬を撫でている。

 翼もなく、角もない。純白の馬だ。

 

「メドゥーサじゃない。よな」

 

 この本の中では、ただ“女神”とだけ呼ばれている。ほんのちょっとだけ憶測のように書かれていたモノ。

 ため息をつく。

 

「メドゥーサを殺すために、アテナはメドゥーサを怪物にした。その原因になった女神がいる、かもしれない。ということか」

 

 ギリシア神話より古い神話体系に存在した、太古の女神。本の中ではただの推測として、根拠のないまま作り出された、架空の女神。

 

「でも、もしそんなヤツがいるのなら」

 

 部屋を見渡す。たった数日で作り出された、本の牙城を。

 

「何か、手がかりになるかもしれない」

 

 魔獣化の原因を、見つけるために。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一度物事を整理しようと、俺はまず、ギリシア神話の本のページを開いた。かたわらのちゃぶ台にノートを開き、疑問点を洗い出す。

 

 どうしてアテナは、こうも執拗にメドゥーサを貶め、殺そうとしていたのか。

 どうしてメドゥーサだけが、ゴルゴーン三姉妹の中で成長することができたのか。

 

 一つ目は、神話の中にのっている。メドゥーサの髪が綺麗だったから。資料の中には、メドゥーサはアテナの髪よりも私の髪の方が綺麗だと自惚(うぬぼ)れたから、と書いてあるものもあった。

 二つ目は、神話の中にはのっていない。手元にある二種類のギリシア神話、どちらにも書いてなかった。

 

 手元にある二冊のギリシア神話。桜の快気祝(かいきいわ)いに外出した時、立ち寄った本屋でメドゥーサが手に取ったこの二冊は、見比べてみると少しづつ違いがある。メドゥーサ(いわ)く、この二冊は編纂(へんさん)時期が違うらしい。

 例えば、ペルセウス。新しいの方の(ヤツ)では、ペルセウスの父親はゼウスだということになっている。変身能力で金色(きんいろ)の液体になって、夜、壁の隙間から侵入して、ダナエという女性が寝ているところを起こさずに交わったらしい。

 古い方のギリシア神話では、ダナエの叔父のプロイトスとの子供である説も一緒に掲載(けいさい)されている。

 物語としてのギリシア神話と、歴史資料としてのギリシア神話、といったところか。原典にだけ記されているものもある。

 

 次に、俺の部屋にうず高く積まれた本の塔を(にら)んだ。幸い、歴史・神話考察の本は大量にある。だが、ギリシア神話より古い神話についての本は、ほとんどない。メソポタミア神話のことが少し書いてある本があったくらいか。

 

 現在の情報はこれだけだ。だから、情報を集めないといけなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「なぁ、メドゥーサ」

 

 その足でメドゥーサの部屋に行った俺は、彼女にことの真偽を聴いてみた。畳の上に座り、同じく正座している彼女に本を返しながら表紙の女神について問うと、わからないと返ってくる。アテナの呪いについても、よくわからないと返答された。自身の魔獣化はゆっくりと進行していったから、それが本当にアテナに()けられたモノだという証拠もない、と。

 

「私は、幼い頃からあの島で暮らしていました。“名もない島”、そこで姉様たちと、三人で」

「アテナって言う女神は、どんな奴なんだ?」

「いえ、それも。私個人としては、面識などなかったのです。私の髪についても、自慢した記憶もありませんし」

 少しうつむきながら、左手で髪の毛を後ろに払った。シャラっと垂れた前髪が、目元に影を落としていた。

「あっ。ですが、姉様たちに褒められて、浮かれていた時期もあったかもしれません」

「うーん。ならさメドゥーサ。ギリシア神話の神って、その程度のことで怪物にして殺そうとするのか?」

「ええ、わりと。貴方も読んだと思いますが」

「ああ、たくさん出てきた。でも、被害者は大抵、人間だったろ?」

 

 そう、ギリシア神話の神は驚くほど死なない。特にゼウス。

 そのことを指摘すると、彼女は黙ってしまった。

 

「確かに、ギガースたちを除いて神々は不死身ですね」

「でも、お前は不死身じゃなかったったんだろ?」

「ええ、私だけが、このような大女(おおおんな)なのです」

 

 結局、メドゥーサに聴いても、肝心の女神のことはわからなかった。そもそも、その女神が関係しているかどうかもわからないんだが。

 ペルセウス神話には、隠されたモノなんて初めからなかったってこともあり得る。そうなりゃ詰みだ。昨日の慎二の言葉通りなら、メドゥーサの封印が完成するのは時間の問題になってくる。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「そこに立って、ライダー」

 

 遠坂邸、地下室。

 即席の机やら燭台やら、資料やら本やらが全て部屋の隅に寄せられている。日の光の届かぬそこでの唯一の光源は、凄惨(せいさん)と輝く魔法陣の光だった。二重の円の中に五芒星と(くじら)座を模した図形、そして八芒星みたいな図形が並んで描かられている。その三点からそれぞれ三色の光が漏れ出していた。その三色の光が混ざり合い、外周の二重円は刻々と色を変えながら虹色に輝いている。

 

 メドゥーサが立っているのは、魔法陣のすぐ手前(てまえ)

 

「五芒星が五大元素、八角の星がイシュタル、(くじら)座はティアマトを表しているの」

 

 遠坂は、握り締めた右手の隙間からポタポタと輝く液体を垂らしながら説明する。

 

「メソポタミア神話を使って、魔獣を縛るクサビを撃ち込むのよ」

 

 魔法陣の魔力が渦巻き、紙の資料がバサバサと音を立てる。その内の一枚が、風によって舞い上がった。

 真っ白な服を着た桜が、遠坂の隣に並んだ。

 

「ライダー」

「了解しました、桜」

 

 メドゥーサが足を運んで、魔法陣の真ん中に進んだ。振り返る。下から光に(あお)られた紫の髪が重力を無視してフワフワと舞い、紫色のバイザーに隠れた顔は能面のように動かない。

 

 そして、遠坂が詠唱する。

 

「白くて黒く、赤くて黄色い。アルフィディウスの水銀と、再誕の白き月の石。

 (きよ)(たる)(うち)、王冠の穴に声を打つ」

 

 ギュッと、メドゥーサの全身に力が入ったのがわかった。光はいっそう強く、髪の毛は逆向きに、勢いよく逆立(さかだ)った。

 

「フォンス・オルクス・フルグルス、(フォンス)(オルクス)稲妻(フルグルス)

 テミスの(いかり)、かくて再び」

 

 遠坂は右手に宝石を握りこんだまま、左手を桜とつないだ。

 桜は唯一空いている左(てのひら)をメドゥーサに向けた。メドゥーサは胸を強調するかのように力なくのけぞり、儀式の魔力を受けてか否か、桜の令呪三画が、花弁のように赤く光った。

 

 声が重なる。

 

「「その名を碑文(ひぶん)に、我が令呪をその四肢(しし)に。

 未来を縛れ、大地(だいち)天空(てんくう)の過去の(ごと)くにーーーっ!!」」

 

 魔法陣から上に向かって逆巻(さかま)くように拡散していた魔力の光が、乱回転しながら収束し、メドゥーサの鎖骨と胸の谷間との間に集中し、胸元に赤黒い刻印が刻まれた。

 術者二人はフラフラと腰を下ろして、メドゥーサは気絶したのか仰向けに頭から倒れ落ちる。士郎は、メドゥーサの頭が地面につく直前で、彼女を抱きしめることに成功した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 アルトリア・ペンドラゴンは、己がマスターに声をかけた。

 

「マスター」

「ん? どうしたんだ、セイバー」

 

 何もない和室の真ん中に、布団が一式。隣に士郎が座っている。この部屋は居間の隣にあって、ふすまを(へだ)ててつながっている。

 

「いえ、『先輩をお願いします』と、サクラに言われたものですから」

 

 その部屋の真ん中、布団の上で横たわっているのはライダーのサーヴァントだ。彼女の両目は、儀式の時と同様に紫色の目隠(めかくし)をしていて、魔眼の発動を抑えていた。

 掛け布団はかかっていない。その男好きする肢体(したい)は、紫ぶちの黒いボディコンで強調されていた。

 アルトリアはふすまの前に立ったまま、布団のそばであぐらをかいている士郎に忠告しているのだった。

 

「マスター、サーヴァント同士の戦闘では一瞬の判断の(あやま)ちが命取りになります。休息を」

「ああ。言われてみれば、少し、体が重いかもしれない。わかった、素振りでもして体調を整えてみる」

 

 ノロノロと立ち上がった士郎に、アルトリアは思わず声をかけた。

 

「マスタ──っ」

「どうしたんだ? セイバー」

 

 声をかけてから、内容を考えてなかったことに気づいたアルトリアは、大急ぎで頭を回転させた。

 

「マスターは、どうしてこうも、ライダーを助けようとしているのですか?」

「正義の味方になるためだ」

「そう言う事ではない。どうして、助けを求められてすらいない者を、助けようと言うのですか」

 

 ふすまに手をかけた状態で固まっている士郎は、視界の上の方を眺めた。

 

「“正義の味方は、助けを求められてからしか動けない”。これはルールみたいなものだ。望みもしないモノを押しつけて『救いだ』って言ってたら、そんなの、独裁にしかならないからな」

 

 この時、ずいぶんと久しぶりに、二人は目が合ったのだと思った。

 

「男ってのは、自分が成長する事に喜びを感じるんだ。辛い時・苦しい時でも、できないかもしれないと思っていた事が出来た時、男は嬉しくなる。だからそんな時、つまり困難に突き当たった時は、手も口も出さないで欲しいんだ。『お前なら、この程度()えていけるだろ』って、遠くからただ眺めてくれるのが、一番力になる」

 

 士郎は目を細める。

 

「でも、遠坂や桜を見て、色んな人たちと紛争(ふんそう)をかけ抜けて、女性はどうも違うらしいと思った」

 

 力なく笑った。

 

「だから俺も、頑張ってみようと思ったんだ。それだけだよ、セイバー」

 

 そう言って、士郎は出ていった。閉じられるふすまの音だけが響く。

 少しの(あいだ)、そこに突っ立っていたアルトリアだが、このままではラチが開かないし、桜からの依頼も果たせそうにない。ふすまを開けて、居間()に出た。

 居間を突っ切って廊下に出ようとした時、障子の向こうから二人ぶんの声が聞こえた。一人は士郎だ。先に部屋を出た士郎がそこで誰かに捕まったのだろう。反射的に固まってしまったアルトリアの耳が、もう一人の声をとらえた。

 

「まさか本当に、『もう終わった』などと思っているとはな。

 衛宮士郎」

 

 間違いない、アーチャーの声だ。

 

「うるさい、ほっといてくれ」

 何のようだよ、と士郎が語感を強める。それに対してアーチャーの方は笑みでも浮かべてそうなくらいに、静かだ。

 

「衛宮士郎。お前が探している者が神霊の(たぐ)いであるならば、その痕跡は人間程度がそう易々(やすやす)と消し去れるものではない」

 

 障子()しの雰囲気で、士郎が(いぶか)しんだような気がする。

 

「神話とは物語だ。その物語を書き終えた後で、登場人物を、それも大地母神なんぞというキャラクターを抹消し、一切の矛盾なくプロットを調節できるとは、とても思えん」

 

 アルトリアは、その障子を開けるのをやめた。ライダーが寝ている部屋まで戻ると、玄関の近くの扉から出られるから。

 反転し、一歩踏み出した。

 

「必ず、その痕跡(こんせき)は、神話の中に刻まれている」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 結局、どうにもならなかった。

 アーチャーの話を聞いたあと、俺はそのままメドゥーサの部屋に直行し、無断でギリシア神話二冊を手に取り、最初のページをガバッと開けた。

 それからのことはあまり覚えていない。一日中文字を追っていた気もするし、ほんの数分だった気もする。確かなのは、カランカランという音で気がついたという事。

 魔術鳴子(なるこ)。“侵入者あり”の合図だった。

 

「誰かいないの〜」と美綴の声がする。同時に、家の中をバタバタと走り回る気配。

 サーヴァントたちが迎撃に出るならと、俺は裏から回ることに決めた。

 中庭から外に出て、(へい)沿()ってぐるりと半周、建物の影に隠れながら玄関の先、門をうかがった。

 玄関前に遠坂、その後ろに三騎のサーヴァント。対するは美綴とその後ろに二騎のサーヴァント。

 

 奮戦むなしく、桜は連れて行かれ、慎二の起源弾は止められた。桜の服に縫い付けていた遠坂の髪の毛を探知したところ、円蔵山(えんぞうざん)に反応あり。

 俺たちは桜を取り返し、美綴の世界滅亡計画を阻止するために、全戦力で襲撃した。  

 

 

 それは、星を(まつ)る祭壇だった。

 

 円蔵山に到着後、遠坂の探知を頼りに山肌を歩くこと少し、中腹にある洞窟を見つけ、大空洞に繋がるというその横穴を、遠坂を先頭に進んでいった。

 何の妨害もなく、その終点に行き着いた。

 果てのない天蓋と、正面にある壁の如き一枚岩。

 その一枚岩の上辺(うわべ)から、魔力の赤い光が見える。

 ここからそこまで、距離にして約一キロメートルといったところか。

 その中間地点、一枚岩との間あたりに、巫女服を着た人影があった。

 

「遅かったじゃない、衛宮」

 

 近くまで行くと、綾子は手に持つ薙刀を、くるりくるりと回してみせる。

 背丈を()えようかという薙刀の朱色(しゅいろ)()が、キラリと赤い糸を引く。

 薙刀の刃が円を描く。

 

「儀式は全部、終わったぜっ」

 

 トン、と軽い音を立てて、その石突きを地面に落とし、門番が(ごと)く仁王立ちした。

 

「アンタ、桜に何したってのよ」 

 

 遠坂が、問いただす。

 

「簡単な話よ、不要なモノを(うつ)し取ったんだ。

 (あたし)は大聖杯に巣くう“アンリ・マユの呪い”が欲しかった。でも、肝心の呪いは大聖杯と癒着(ゆちゃく)しててね、そう易々(やすやす)と離れてくれそうになかったからさ」

 

 ———間桐桜を鋳型(いがた)にして、アンリ・マユを抜き取ったんだ———

 

 大聖杯という物体は、ザックリ分けて三つの要素で構成されていた。と、美綴はいう。

 

 一つ目は、冬の聖女と呼ばれたアインツベルンのホムンクルス、ユスティーツアという個人。

 二つ目は、大聖杯という機能を持たせる為に拡張された聖杯としての機能。あるいは魔術回路と天のドレス。

 そして三つ目が、第三次聖杯戦争の(おり)に持ち込まれた“唯、悪であれ(アンリ・マユ)”という呪い。

 綾子はここから、二つ目と三つ目とをユスティーツアから引き剥がしたと言う。

 

 イリヤスフィール(バーサーカーのマスター)は聖杯として完成された存在だ。人としての機能と引き換えに、ホムンクルスの子に聖杯としての機能を付加したモノ。

 間桐桜は、大聖杯と繋がった後の小聖杯のカケラと同化し、アンリ・マユの呪いと繋がっているモノ。

 

 綾子は自身の眼でもって、“イリヤの聖杯としての機能”と“桜の中にあるアンリ・マユとの繋がり”を把握して、マーキングした。

 そして、神代(かみしろ)の技を持つキャスターとスカサハと三人がかりで引っぺがし、それぞれを封印する。

 

「こうして、大聖杯は解体された。あの魔方陣はもう聖杯としての機能を持たない、だだのガラクタってワケだ」

 

 綾子のやつは仁王立ちのまま淡々と解説する。隙のひとつも見せる事なく、重心の一切をぶらす事なく。

 

「ねえ、綾子?」

 

 隣にいる遠坂が声を上げた。

 俯いたまま、顔を上げない。

 心なしか魔力が鳴動していて、左腕の魔術刻印が服越(ふくご)しに光って見える。

 

「大聖杯から引き剥がしたっていう、アンリ・マユの呪いは……一体どこに封印したの?」

「ああ、アレか。そりゃ〜勿論(もちろん)、間桐の中に封印したぜ。(うつ)し取ったって言ったじゃん」

 

 ———それが一番安全だろ? ———

 

 その言葉を聞くが早いか、遠坂がガンドのガトリングをお見舞いしていた。

 “ドドドド”というより最早(もはや)“ズガガガ”という勢いで、何十発もの弾丸が放出、着弾した。

 だが、無傷。

 遠坂のガンドは、ただのひとつも当たらない。

 

「ッ——行動開始!」

 

 

 円蔵山(えんぞうざん)の戦いは、こうして切って落とされた。






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第十五話、Destiny(ディスティニー) Movement(ムーブメント)


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《第十五話、Destiny(ディスティニー) Movement(ムーブメント)

 

 

「ッ——行動開始!」

 

 円蔵山の戦いは、こうして幕を開けた。

 

 俺たちは、山の中腹に存在する大空洞の中にいる。日の光の届かぬ洞窟の奥の奥、張り付けにされているのは、捕らえられた桜と、イリヤスフィールと呼ばれる女の子。

 二人がいるのは巨大な一枚岩の上。ここから500mほど進んだ上で、壁のような岩を登らないといけない。

 立ちはだかるのは巫女装束の美綴ひとり、とは言え油断はできない。一枚岩の上に、おそらく誰かいる。

 

「散開ッ!」

 

 遠坂と掛け声で、一斉に走り出す。

 遠坂・俺・慎二・セイバー・アーチャー・メドゥーサ、計六人が、各々(おのおの)違うルートをとって、美綴を横目に駆け抜ける。

 美綴が目をつけたのは俺だった。彼女の横をすり抜ける時、正面から刈り取るように放たれた薙刀のなぎ払いに対して、後ろに飛び、かわす。なぎ払いのモーションから次の構えに移行する瞬間、隙を見つけた。

 だから俺は、そこに斬り込もうと一歩目を踏み出した。

 

「——————投影(トレース)開始(オン)

 

 体の左側に打刀(うちがたな)を投影、黒い(つか)を右手で持って横一閃、居合のように斬り付けようとして———やめた。

 急いでもう一歩後ろに下がる。下から(たて)一文字(いちもんじ)の斬り上げを、間合いの外に出てやり過ごした。

 

 その時、

 

「おい、どうなってんだよ! 綾子!」

 慎二が狙撃銃を構えながら叫んでいる。その立ち位置がそもそもおかしい。

 慎二だって、俺たちと同じタイミングで走り出していた。美綴の横を通り過ぎるあたりまでは確認していた。なのに、まだ、俺の隣にいる。

 

 他の面々も同じだった。

 全員が一斉に、同じタイミングで走り出し、美綴に妨害された奴が時間稼ぎを買って出る。そしてその役は、俺が当たった筈だった。

 だったら、これだけの時間が過ぎた今、()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、そんなのはまずあり得ない。

 

「まあ、どう考えても、原因は一人しかないじゃないの」

 

 遠坂は宝石を三つ、左手の指に挟んでから言った。

 

「空間転移か空間置換か、それとも他人の固有時制御か。どれにしろ、馬鹿みたいな話ね」

「うーん、いい線行ってるんだけどねーー。残念ながら全部ハズレ。

 答えはコレよ、コレ」

 

 遠坂の問いに対して、美綴は律儀に答えるようだ。

 薙刀を左手で保持し、右手を巫女服の懐に忍ばせる。

 取り出したのは、一つの、懐中時計だった。

 

「ディスティニー・ムーブメント。それが、この礼装の名前。そして、今の違和感の正体でもあるワケさ」

 

 それは、(つや)やかな黒の懐中時計だった。

 鎖を持ってぶら下げたソレは(ふた)の中心部が透明で、中の針が見える仕組みだった。

 カチッ、と音がして、その蓋が開いていく。

 

 それは、不思議な時計だった。

 真っ暗な背景に、濃く青く光る文字盤。文字盤に書かれているのはローマ数字ではなくルーン文字だし、文字盤と同じように青く輝く針は五つもある。どう見ても、時間を測定するモノではない。

 

因果天運(ディスティニー)調律機構(ムーブメント)(あたし)唯一の魔術礼装にして、概念礼装。有する能力は、“運命の調律”」

 

 カチッ、と音がして、全ての針が止まった。

 瞬間、左手一本で薙刀を振るい、左から右に横なぎに払った。その斬撃は俺たち六人全員に、()()()()()当たった。

 俺は打刀(うちがたな)で薙刀を(はじ)いた。遠坂は薙刀をかわし、慎二は狙撃銃についている銃剣で、三騎のサーヴァントもそれぞれの武器で薙刀を弾いた。

 薙刀の刃は一つしかない。斬撃が飛んで来たわけでもない。一度しか薙刀を振るわなかった。でも、六人はそれぞれに斬撃に対処する必要があった。

 

「今一度、アンタ達六人の運命を、(あたし)の運命と同調させ(調律し)た。(あたし)の攻撃はそれぞれに当たるし、アンタ達の攻撃も、(あたし)に当たる」

 

 パチン、と懐中時計の(ふた)を閉じて(ふところ)に入れた。クルクルっと薙刀を回して、左足が前、左半身の腋構(わきがま)え、刃は後ろ。

 緋袴がふわっとゆれた。斬撃が来ると感じた瞬間、美綴はおもむろに左手を伸ばし、空中を掴んで、引っ張った。

 急に、(えり)が引かれる。前につんのめりそうになって、とっさに左足を一歩踏み出す瞬間、美綴のヤツは左半身から反転、右半身になりながら足元をなぎ払った。

 

「ッ———!」

 

 間合いは遠い、が、当たらないなんて思えなかった。左足の外側に突き立てた刀にガキッという感触。薙刀の刃はそのままスゥーと引いていく。

 周りを見渡す。

 遠坂は無事、セイバーとメドゥーサも。慎二は右すねを切られていた。アーチャーは左手で遠坂を抱えて()げ、その腹を切られていた。

 美綴は、薙刀の刃をスルスルと後ろに持っていき、右半身の腋構えに移行した。

 

「そんな、多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)だなんて」

 アーチャーから解放された遠坂は、左手の宝石の一つを右手に持ち替えた。

 

「だから、違うって言ったじゃん。あのお爺さんも時間旅行の真似事くらい出来るでしょ。でも、ソレは本質じゃないし、厳密には時間旅行でもない———ほら、そんな感じよ」

 

 ニッ、と覇気を込めた笑みを浮かべ、右半身のまますり足で一歩、右足を前に送り、その足が地面を(つか)むか(つか)まないかのギリギリで、スッと引っ込めた。

 セイバーが斬り込んできたからだ。魔力を一瞬だけ、ジェットのように後ろに噴出し初速を得たセイバーは、勢いを殺すことなく、不可視の剣を袈裟斬りに放つ。

 それを美綴は(かわ)してみせた。右足を引っ込める反動で左足をさらに左に送り出し、その動作の中で左に1mくらい移動して、流れるように左半身に移行しながら(ぎゃく)唐竹(からたけ)に斬りあげる———のを、セイバーの剣が上から(おさ)える。

 

「やはり。攻撃する前に刃を止めれば、問題無いようですね」

「へえ、やるじゃんセイバー。そんじゃ、コレはどうよ」

 

 美綴は刃を引いた。薙刀でもって刃を引くということは、石突きが前に出るということ。そう、石突きでブン殴る———と見せかけて、セイバーが反応しようとした瞬間、薙刀の刃で後ろを突いた。

 

 俺が真っ先にやったのは、慎二の後ろの空間を刀で斬り裂くことだ。右足を包帯でグルグル巻きにしている慎二の後ろからやって来る突きを弾く。同時、メドゥーサが俺の後ろを攻撃してくれた。俺はあわててメドゥーサの腰を抱き、引っ張る。メドゥーサの後ろから来た攻撃は、かすっただけで()んだみたいだ。

 確認すると、みんな無事だった。アーチャーは弓を構えていて、腹の傷も(なお)っている。

 矢が三本放たれた。が、薙刀の一振りで粉砕されて、俺たちは斬撃の処理に武器を振るうハメになった。

 

「どお? いい感じにチューニング出来てると思わない?」

 

 美綴は構えをそのままに話しかけてきた。

「それに、そろそろ終わるハズなんだけど」

 

 遠坂は“うっかり内臓の魔術刻印”をギュインギュイン言わせているが、攻撃はしない。今は()だ、ためている。

 

「何がよ?」

「か・く・に・んっ」

 

 語尾にハートマークでも出てきそうな感じに笑う美綴。

 ズンッ、と音がしたかと思ったら、俺たちは上からの重圧で地面に押しつぶされていた。

 全身に等しく強化魔術を通す。腕立てのようにググッと体を持ち上げ、地面との間に右足を突っ込む。なんとかして顔を上げた。来るだろう攻撃に備えてようとして……体が動かないことに気づく。空間が、固定されている。

 

「まぁ一応、契約ですから?」

 

 視界の上から、まるで風船が降ってくるみたいにゆっくり降りてきたのは、紫色のローブを(まと)った女性のサーヴァント。フードは外れていて、そのローブは翼のように広がっている。中のドレスはわずかに風ではためいていて、青っぽいストレートの髪に横にとがったエルフ耳、赤紫の口紅をしていた。

 

「確認は、しておきましたよ」

「おっ、ありがとねぇキャスター。(あたし)一人じゃどーも不安でさぁ」

「それはどうでも良いのですけれど」

 キャスターと呼ばれた彼女は、その後ろに三人の人間を浮かべていた。透明なタンカに乗っているように仰向けになっている三人のうち一人は桜だ。残り二人は銀髪で、両方とも女性。一人は大人でもう一人は子供、親子だろうか。

 

「さっさと終わらせてしまいましょうか、メェディウム(μεντιουμ)

「いや〜っ。それにしてもまッ———」

 ゴゥッ! と、セイバーの魔力が吹き荒れる。

 

「はぁぁぁああっ!」

 セイバーを中心に魔力の渦が発生する。空間の固定をほつれさせ、銀の具足があらわになって、蒼いドレスがはためいている。ギュッと剣を握り締めた瞬間、魔力は爆発的な威力となって、大空洞をかけぬけた。

 

「アーチャーーっ!!」

 

 遠坂の悲鳴にも似た合図を聞いたアーチャーが矢を一本放った。セイバーの魔力でほつれたとは言え空間固定は健在(けんざい)で、矢は途中の空間に固定される。

 

 ——————壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 魔力を自壊させることで固定空間に穴が開く。キャスターの意識がアーチャーに振られた瞬間、セイバーは力をフッっと抜いた。

「なっ——————?!」

 キャスターの視界からセイバーが消えた。まずい、目視できない攻撃を(ふせ)ぐのは下策。ならば——と、即座に転移魔術を起動、転移先を適当に設定、したところで、アーチャーの動きに気がついた。

 アーチャーが発散した魔力が渦巻き、その矢に収束している。大きな黒い洋弓に装填(そうてん)されたドリルのような刀身の剣。

 アレはまずい。撃たせてはいけない。

 即興の防御は確実に抜いてくる。なら、転移を早めるより他はない。

 キャスターの転移開始と螺旋剣の発射は同時だった。

 背中から倒れるように消える寸前、キャスターが感じたのは二つ。空間をねじ切りながら飛んでくる螺旋剣、自分の胸に当たるか当たらないかの所で急速に崩壊し始めたその魔力と、(おのれ)襟首(えりくび)を掴んだ、誰かの手の感触。

 

 キャスターに着弾すると同時に、アーチャーの矢は大爆発した。それはもう、大空洞をゆるがす程に。

 

「アーチャーー!!」

 遠坂が吠えた。

「桜を巻き込んで、とうするつもりよ!」

「その辺は私も考えている。

 魔術で運ばれていた三人には、それぞれかなり強力な防性結界に(まも)られていた。加えて、彼女たちよりも高い位置で爆破したのだから、おそらく、そう大きな傷は負うまい」

 

 それよりも、とアーチャーがこぼす。

「すまない、ココを壊せなかった」

「洞窟を破壊する気だったの? アーチャー」

「ああ、脱出経路が一本しかないというのは、この場合、こちらとしては不利だからな」

 

 したり顔でうそぶくアーチャーを、俺は睨みつける。

「アーチャーお前、セイバーが死ぬところだったじゃないか!」

「あぁ、その点は褒めてやる、小僧」

「お前ッ!」

「だが、そのお陰で、敵サーヴァントを一体(ほふ)ることに成功し———」

 

「悪いね、衛宮。その期待には、答えられないかな」

 

 爆炎がおさまった先、その効果範囲よりさらに向こう、片膝を立てて右手を地面につけている美綴がいた。左手でキャスターを抱えている。

 俺が使った令呪の一画は、完全に無駄だったということだ。

 

「こちらが一手(いって)(そん)か」

「そういうコトッ」

 

 アーチャーのつぶやきに上機嫌に返しながら立ち上がり、キャスターを(はな)した。美綴は、念入りに体の具合を確認するキャスターにどっちが早いか尋ねると、「彼よ」と返ってくる。

 

「じゃあ、計画通りに」

「ええ、(わか)りましたわメェディウム」

「うん、選手交代ね———行くよ、小次郎」

 

「了解つかまつった」

 

 岩棚の上から人影が跳んで来る。ソレは姿勢のいっさいを乱さずに、いかにも軽く降り立った。袴姿(はかますがた)に紺色の陣羽織(じんばおり)濡羽色(ぬればねいろ)の髪をポニーテールに結んだ男。こいつもサーヴァントだった。

 隣で慎二が舌打ちして、狙撃銃を背負い、(ふところ)からナイフと拳銃(トンプソン・コンテンダー)を取り出した。

 キャスターが後ろに下がり、美綴が前に出て小次郎と並び、三角形のフォーメーションとなった。キャスターの後ろには桜たちがいる。対してこちらは、セイバーとメドゥーサが前衛、俺と慎二が真ん中、遠坂とアーチャーが後衛だ。

 自分自身に念入りに強化魔術をかけながら、待つ。慎二がナイフを逆手に構え、後ろでは弓を引き(しぼ)る音がする。一触即発。視界に映る陣羽織のサーヴァントがスルッと一歩踏み出した瞬間、後方、大空洞の入り口付近で爆音が鳴った。

 

「ふむ。帰って来てみれば、またぞろ面白そうなモノを……」

 

 振り返ることはしない。多分、殺されてしまうから。だか、声色だけでも良く分かる。

 

「さぁて、私はどうすれば()い? 綾子。此奴(こやつ)らを———殺せばそれで足りるかな?」

「うん、ザックリ言えばそうなんだケド。この場合は“(うつわ)”の方が大事だからさ、悪いんだけど、キャスターと先帰ってくれない?」

「よいだろう。協力すると言ったのは(わし)だ、そのくらいはやろうともさ」

 

 まるで瞬間移動のように、キャスターの隣に現れる。赤毛に、抜群のプロポーション。体の線が綺麗に浮き出る赤紫の布の服。右手の槍は、薄く(あか)く輝いている。

 

「帰るぞ、キャスター」

「ずいぶんとお早いお帰りで。さぞや簡単だったのでしょうね」

 

 スカサハが、キャスターの腕を掴んだ。

 

「させるか!」

 アーチャーが反応する。先程と同じ螺旋剣が、もう一度放たれた。青い閃光を引きながら走る一振りの剣は、しかし、着弾する前に迎撃された。

 

「————突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)

 

 衝突する。青く輝く螺旋剣と、赤く輝く投擲槍(とうてきそう)

 それらは、お互いを食い破ろうと突き進み、ほんの数瞬拮抗(きっこう)し、爆発した。

 爆音と突風、衝撃波が駆け抜ける。耐えきれず、慎二と俺は吹っ飛んだ。勢いに任せてゴロゴロ転がって、受け身をとって立ち上がる。残り香のように漂う煙。その向こうに、スカサハとキャスターはいなかった。

 

「ちょっ、アーチャー! 桜を探して!」

「すまない、凛。迎撃された(すき)に逃げられてしまった。おそらくは転移魔術だろうが、()がわるいな」

 

 遠くの方で遠坂の声を聞きながら、転がっている慎二を助け起こす。セイバーとメドゥーサは小次郎と呼ばれた剣士と戦っていて、遠坂とアーチャーは距離を離して美綴と睨みあっていた。

 

「クソっ」

 慎二は立ち上がりざまに悪態(あくたい)をついた。

「どうするよ衛宮…………最悪だ」

 

 遠坂と合流した時、この状況でも遠坂は、勝つ気でいるみたいだった。

「いい三人とも、この計画は綾子が主犯みたいだから」

「起源弾さえブチ込めばそれで終わるんだ。綾子の隙くらい作っとけよ、衛宮」

「…………ああ……」

 

 打刀を投影、剣士と打ち合っているセイバーたちの後ろにつく。美綴はセイバーたちを挟んで反対側。

 

「いくわよっ!」

 

 遠坂の掛け声と共に、撃ち放たれるガンドの呪い。機関銃の如く連続掃射されるそれらは、セイバーやメドゥーサには効かない。対魔力のスキルを高ランクで保有する二騎のサーヴァントには、三小節以下の魔術はどうあがいても無効化される。が、アサシンのサーヴァントと目される(さむらい)にはそれがない。ゆえに、遠坂のガンドは、敵にだけ効果を与える呪いに()ける。

 当然、まともに当たったところで、ヤツにも大したダメージはないだろう。だが、セイバーとメドゥーサを相手取っているこの状況では、わずかな怯みも命とりだ。

 

「打ち払え、風王鉄槌(ストライク・エア)!」

 

 サムライが遠坂を斬ろうとしてガンドを(かわ)したタイミングに合わせて、セイバーが宝具、風王結界(インビジブル・エア)を開放。聖剣に(まと)わせた風をなぎ払いながら撃ち出した。

 

 走りだす。

 

 サムライが風王鉄槌(ストライク・エア)の効果範囲外に離脱。結果、美綴までの道が(ひら)いた。

 体を前に倒していく。スピードが上がる。美綴まで一直線に駆け抜ける。俺の横をガンドの嵐が追いこしていく。

 美綴は俺の間合いに入った。俺は打刀を振り上げる。右一足(ひとあし)をすり足で出しながら、唐竹割りにたたき下ろした———が、手応えはない。

 美綴は俺の正面にいる。が、剣の間合いにはいくらか遠い。薙刀の刃が、()を描きながら降ってくる。

 

 ———いい? 士郎。綾子が“動く”かどうかだけ、見ておきなさい———

 

 さっき遠坂と合流した時、言われた事があった。

「動かなかったら、余裕が持てるかもしれないから」

「なんだか判りにくい言い方だな、遠坂。もっと噛み砕いてくれないと、俺には解らないぞ」

「だから、さっき綾子が言ってたじゃない『(ゆう)する能力は、“運命の調律”』だって。

 いい、士郎。今、セイバーとライダーがサムライと戦ってるわ。でも、綾子は()()()()()()()。つまりセイバーとライダーの攻撃は綾子に届かない。なら綾子の攻撃も、こっちまで届かないのよ」

 

 ———だからね、士郎。綾子が無駄な回避動作を始めたら気を付けなさい———

 

 ()を描いて降ってくる、その薙刀の刃を、俺は……

 刀身を地面と水平にして、頭上で受ける。

 

 ———そうじゃなければ、調律を外してる(音は狂ってる)と思うわよ———

 

 刃が、止まった。

 打刀の刀身に、触れるか触れないかのところで、薙刀が止まった。

 俺は左半身のまま刀を頭上にして、美綴も左半身で、相手は薙刀を振り下ろした格好だ。

 硬直した。二人とも動かないままで、時間だけが過ぎていく。刀身どうしが触れ合っているところから、相手の、次の動作を予測し合う。この間合いだと俺が有利だが、読み損じれば即座に死ぬ。

 だが、コレで良い。

 いや、コレが良い。

 ———と、美綴の視線がそれた。

 好機だ。

 膝を抜き、腰をかがめ、重力を使って下に加速する。ちょうど尻餅をつくような感じで数センチだけ後退して手応えを消し、一歩引いた右足で地面からの反動を受ける。俺が再加速、再前進する瞬間と重なるように発砲音が耳に届いた。

 慎二の起源弾。わずかに遅れて俺の突き。

 慎二の起源弾は必殺の銃弾だ。相手の魔術回路をズタズタにして、めったやたらに繋ぎ直し、魔術を暴発させるらしい。その発動条件は、慎二が放った起源弾に、相手が魔術で干渉すること。

 ならば、“運命の調律”とやらがどんな魔術であれ、起源弾に干渉した時点で、俺たちの勝ちが確定する。

 それは一瞬だった。一瞬、美綴の動きが止まった。そして、そのタイミングで突きが入った。

 だが、すべてが終わった時、俺は、失敗した事をさとってしまった。

 

「———見事(みごと)

 

 俺の後ろで、サムライの声。

「“見る”ことで押し留める(すべ)があろうとは、()(ほど)、興味深いものよ」

 

 美綴が消えた。

 気がつくと50mほど離れていて、左手にサムライを抱えている。そのサムライは既に下半身が石になって、胸に穴が()いていた。

「すまぬな、綾子姫(あやこひめ)。どうやら、ここまでのようだ」

 美綴がサムライを横たえる。アーチャーが何発か矢を放つが、どれもが逸れて、美綴の後方に抜けていった。

 サムライが、フッと笑った。

「『ならば、逃げ道を囲めばいいだけのこと』か。確かにコレは、逃げられんな……」

 

「よっしゃッ!」

 遠坂のガッツポーズが目に浮かぶようだ。目の前で粒子となって消えていくサーヴァントを見ながら、そんな事を考えていた。

 

「あー、ちょっと気が抜け過ぎてのかな」

 

 サムライを横たえた時の姿勢のまま、美綴は薙刀を拾った。

 

「そっちのサーヴァントも一つ潰すね。じゃないと、割に合わないからさ」

 

 クルッと回して刃を下に、薙刀を地面にサクッと刺して、美綴は懐中時計を取り出した。

 

(かま)えて! なんか来るわよっ!」

 

 遠坂の合図で、俺たちはそれぞれの位置を確認する。お互いにカバーし合えるように。

 美綴は懐中時計の文字盤を見ている。カチッ、カチッ、という音がやけに耳に飛び込んできた。

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ

 ドンッという発砲音と、慎二の舌打ち。二発目の起源弾だった。

 美綴はフゥーっと息を吐いた後、パチッと音を立てて、懐中時計を閉じ、胸にしまった。

 

「なんだよ、なんなんだよアヤコッ! お前今、干渉したよな? 魔術で干渉しやがったよなっ! 

 なら、なんで立ってんだよ、潰れてろよオォイ!」

「うるさいぞ、間桐。少し黙ってろよ」

 

 美綴は歩き出した。こっちに向かってゆっくりと。

 一歩、二歩……あれ? 

 美綴はメドゥーサの前にいた。左脚を前にして、半身をきって脇構え、薙刀の刃を後ろにしている。

 一閃。

 

「士郎!」

 遠坂の声が聞こえる。でも、問題はそこじゃない。メドゥーサを抱えて離脱した俺の腕のなかには、左脇腹から右肩までななめに切られたメドゥーサがいる。俺は無傷だ。

「メドゥーサっ、おい!」

「し、しろう。すみまっ———ッ」

 美綴を見た。薙刀を振りかぶった状態から、縦に一閃。俺はメドゥーサに覆いかぶさる。

 

「まっ、こんなもんか」

 

 そう言って、美綴はUターン。俺たちから離れていく。遠坂のガンド、アーチャーの矢、少し遅れてセイバーの斬撃。どれ一つとして、美綴には当たらない。アイツは避けてすらいないのに、俺たちのあらゆる攻撃が素通りしていく。

 美綴が顔だけ振り返り、俺たちを見渡した。

 

「どれだけ削れるのか、見ものだな」

 

 発砲音。慎二が(わめ)く。美綴の姿が揺らいだ。体そのものが薄れているのだ。スゥーっと、空気に溶けていくように、美綴は消えてしまった。

 

「アーチャー、綾子のヤツ、まだここにいる?」

「いや、少なくとも目視では確認できん。目標、完全にロストだ。

 サーヴァントを一騎づつ削った。形だけを見れだ痛み分けだが、内容は完敗だな」

「そうね、むこうの拠点もわからないし」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 メドゥーサに異変が現れたのは、ひと段落ついた頃だった。

 

「マスター、無事ですか?」

「ん? ああ、俺は無傷だよ、セイバー。だけど」

「ええ、ライダーは重症ですね。ですが、心臓も霊核も健在(けんざい)です。リンが遠隔(えんかく)で治癒を(ほどこ)しているようですし、戦線復帰は不可能ではないでしょう」

 

 こっちに来たセイバーと話していると、メドゥーサが少し身動きした。

 

「メドゥーサっ、おいメドゥーサ! 返事をしろッ、なぁ!」

「ちょっと、士郎。治癒かけてるんだから、あっち行ってなさい」

 ドスドスとやって来た遠坂に押しのけられるようにして、メドゥーサから引き離され———俺はメドゥーサの声を聞いた気がした。

 

「…………にげっ……て……、今すッ……ぅぁぁぁああああーー!!」

 

 遠坂とセイバーの腕をつかんで()びずさるのと同時、メドゥーサの体が、爆発した。

 蛇だ、と思った。鱗のない紫色の蛇だと。メドゥーサの体の傷から、それが大量に噴出している。メドゥーサの右肩から袈裟懸けに切り傷、左肩から逆袈裟の傷。彼女の服、黒のボディコンにX(エックス)を刻むその傷から、紫色の大量の蛇が、勢いよく吹き出している。

 湧き出る蛇は俺たちのいっさいを無視して、メドゥーサの体に纏わりついて、締め上げていく。

 胸の下あたりから出てきた蛇がシュルシュルと下半身に巻きついて、胸の谷間あたりから出てきた蛇は胸から上に絡みつく。

 メドゥーサに駆け寄ろうとした俺はセイバーと遠坂にはがいじめされ、その(あいだ)にも蛇はどんどん増えていく。辛そうな声、苦痛に歪む顔、目をおおい隠すバイザーの隙間から、メドゥーサの涙を、俺は見た。

 巻きつく蛇の数が多すぎて、もはや団子のようになった時、ソレは黒く岩のような質感に変化して、卵の殻のようになった。

 

「アッ——————ッッツ!」

 

 遠坂が悲鳴を押し殺した。遠坂の左手の令呪、ハマグリの貝殻を円形に三つ並べたような形の令呪が、焼けたように赤く光っている。遠坂は右手で左手の令呪を抑えて、俺たちに声をかけた。

 

「“霊基縛り”の封印術が作動してる。ライダーの霊基が変質したのよ! 何かくるっ!!」

 

 ゴォォォォッ! という地鳴りのような、あるいは大気の鳴動(めいどう)するような音の後、ピキピキと殻がひび割れていく。割れ目の中から(くら)い光が漏れ出てきている。黒くて(くら)い、影を作らぬ光の束が、割れ目を左右に押し開くように、中から、黒くテカる紫色の触手が現れた。遠坂の左手にある、桜の令呪が輝きを増し、岩石の卵の中にあるモノと共鳴している。大量に出てくる紫の触手は、出てきた(はし)からほつれ、(ただ)の髪の毛になってしまった。

 結局、岩石の卵の(から)が全部壊れてしまう頃には、池のような髪の毛の海となった。

 さらに、髪の毛たちは一点に収束していく。

 そうして、ひとりの女性が生まれ落ちた。

 髪の毛が常識的な量に落ち着いた頃、髪の毛の海の中にあったモノを見ることができるようになったからだ。

 メドゥーサの面影がはっきりと残るその相貌(そうぼう)。さらに肉感的になった胸。両手両足は青銅(にぶい金色)の鱗に覆われていて、指先は鉤爪(かぎづめ)になっている。

 

「よっしゃ! (おさ)え込んだっ!」

 

 遠坂が吠える。左手を握ったままつき出して、その手首を右手で掴んで、そのまま左手を天高くつき出した。

 

Anfang(セット)

 Ich(イッヒ) deklariere(ディクラーリィ) der(ディァ) Befehlszauber(ヴェフィーェル ヅァウヴァー)……“令呪に告げる ”! 

 Ein(エン) neuer(ノィヤ) Nagel(ナァグル)

 Ein(エン) neuer(ノィヤ) Gesetz(グゼッツ)

 Ein(エン) neuer(ノィヤ) Verbrechen(フェアブレッヒェン) !」

 

 キィン、という金属音とともに、遠坂の左手から赤い魔力が拡散、空間に溶けていく。

 

「ゴルゴーン、自分で自分を封印しなさいっ!」

 

 カシャン、と、ガラスの割れるような音。ゴルゴーンのいる空間が充血したように赤くひび割れた、と思ったら、すでに元に戻っていた。

 

 そして、青銅(にぶい金色)の指先がぴくりと動いた。右手の鉤爪(かぎづめ)が地面を掴み、ゆっくりと、ゴルゴーンは起き上がる。

 

「うそっ! これでも止まらないなんて」






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第十六話、自陣探索


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《第十六話、自陣探索》

 

 

「ゴルゴーン、自分で自分を封印しなさいっ!」

 

 メドゥーサの霊基に打ち込まれていた封印術と、遠坂の令呪との重ねがけ。

 

「うそっ! これでも止まらないなんて」

 

 俺たち五人が見つめる中、体を起こしたゴルゴーンは、半分崩れた正座をしていて、右手も地面についている。髪の毛がゆらゆらと(うごめ)き、まとまって三匹の蛇となった。

 

「だが、これは好機だ、凛。見たところ、髪の毛の蛇で索敵している。ヤツ自身は盲目(もうもく)だろう。封印のおかげか、魔力もほとんど感じない。楽に、仕留められる」

 

 アーチャーは黒白の夫婦剣、干将(かんしょう)莫耶(ばくや)を投影、中段に構えた。

 

「お(あつら)()きに、オレは対魔獣宝具の投影が可能だからな」

 

 俺は緊張しようとして、失敗した。肩の力の抜けた状態で、いつもの呪文を、唱えた。

 

「——————投影(トレース)開始(オン)

「やはりか、衛宮士郎」

 

 薙刀を投影した俺は、ゆっくりと歩いて、ゴルゴーンとアーチャーとの(あいだ)に立つ。

 

「アーチャー、お前はずっとそうやって、正義の味方をやって来たのか?」

「それは、『救えぬモノを削ぎ落としてきたか?』、という意味か?」

「違う。『用済みになった人々を次々に切り捨てて来たのか?』という意味だ」

 

 俺は薙刀を円をかくように縦に一閃、後ろから迫ってきた髪の毛の蛇を弾き飛ばす。俺の動作を見たアーチャーは、ニヤリと笑った。

 

「さて、どうだったかな。生憎(あいにく)と記憶が摩耗(まもう)していてね、忘れたよ。とうの昔に」

 

 アーチャーの隣にいる遠坂は、右手の指に宝石を挟んだままだ。

 

「士郎。ここでゴルゴーンを殺せば、令呪が二画、手に入るわ。

 いい? 感情の問題じゃない、戦略の話よ。それを踏まえた上で、そっちを選択するってわけね」

「ああ、俺はやる」

「そう、じゃあ士郎。どうにかしてソレ、持って帰ってよね」

 

 慎二は鼻を鳴らした。

「どうでもいいけど、僕を巻き込むなよ衛宮」

「ありがとう、慎二。助かる」

 

 慎二はもう一度、顔を(そむ)けて、鼻を鳴らした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 アルトリア・ペンドラゴンには、判断できなかった。

 

 音をたてて扉が閉まる。

 比較的強めの足音を立てながら、遠坂凛が廊下(フローリング)を歩くのを、後ろからついていく。

 

「慎二っ! ケガは?」

 

 居間で、座りながら、右足の手当てをしている間桐慎二に、乱入してきた遠坂凛が問いかける。慎二は、自分の右足を恐る恐るさわってから、凛の顔を見上げた。

 

「魔術刻印がここまで便利なモノだったとはねぇ。遠坂、もう繋がってる」

「準備は?」

「アタッシュケースに詰まってるよ」

「そう……」

 

 フゥ、と息を吐く凛。肩を脱力させ、腰に手を当て、顔を上げた。

 

「いくわよ、慎二。資料は全部うちにある。綾子も、これで終わりとは思えないから、次の一手(いって)の予測と対応。

 行くわよ」

 

 

 遠坂邸のリビングに、アルトリアは一歩踏み入った。壁には絵画、床は赤を基調とした絨毯で、部屋の真ん中にアンティークローテーブルが設置してある。慎二は、ローテーブルの奥側に置いているサロンソファにドカンと腰掛けた。

 

「セイバーも座っていたまえ。凛も、そろそろ上がってくる頃合いだろう」

 

 言うが早いか、アーチャーはキッチンへ行ってしまった。それを見送って、アルトリアはローテーブルの手前側、バルーンバックチェアに腰掛けた。

 少しして、ドカン! っという音がした。振り向くと、凛が、ドアを蹴り開けてリビングに入ってくるのが見えた。左(わき)に木箱を抱え、右手の上には本や資料がうず高く乗っている。

 

「ありがと、セイバー」

 

 アルトリアが凛から木箱を受け取ると、凛は右手に積み上がっている本の塔をローテーブルに置く。アルトリアが木箱を返還、凛はそれも、ローテーブルの端に置いた。

 慎二も交えて三人で、ローテーブルをいっぱいに使って、資料の仕分けをやっていると、アーチャーのため息が割って入ってきた。

 

「やはりこうなったか。ああ、分かっていたとも」

 

 トレース・オン、と呟いて、こげ茶色のコーヒーテーブルを投影、それぞれの椅子の横に設置して、その上にティーカップを置いてまわった。

 

「ありがとうございます、アーチャー」

「いや、君が気にすることではないさ、セイバー。もとより、こうなる気はしていたよ」

 

 アルトリアは、コーヒーテーブルからソーサーを取り上げる。紅茶(ブラックティー)だ。スンっと、鼻から空気を取り込んだ。

 名も知らぬ花の香りの消えた後、甘い残り香がふわっとたなびく。

 ティーカップを持ち上げる。明るい朱色(しゅいろ)が波紋を作った。唇をつけて、一口すすった。

 

「おいしいです、アーチャー。ええ、とても飲みやすい」

「ならば、入れた甲斐(かい)もあると言うものだ」

 

 アーチャーが、口の端だけで笑う。アルトリアには、とても幼い笑顔に見えた。

 

「というかコレ、ウチのじゃないでしょ」と、凛。

 猫足の付いた椅子、サロンチェアで脚を組んで、ソーサー片手にカップをもう一度傾けた。

 

「なに、商店街の銘茶本舗(めいちゃほんぽ)で見つけてね。気に入ったので仕入れてみた。

 ああ、感想は結構。先に進めてくれたまえ」

 

 アーチャーは凛から視線を切って、腕を組んで(うつむ)いている。口元はほころんでいた。

 凛は、アーチャーをチラッと見て目を逸らし、やおら背筋を伸ばし脚を正した。急に真面目な顔つきにして、話し出した。

 

「とりあえず、桜の探知は失敗したわ。手を替え品を替え、いくつか試したけど、全部ダメ。慎二、セイバー、アーチャー、なんでも良いわ。お願い、力を貸して?」

「ええ、必ず。

 ですが、手がかりとなりそうな物は提示できません。魔術師の視点で、絞り込むことは可能ですか?」

「って言うか、慎二。あなた、綾子の計画について知ってるって言ってたじゃない」

「『途中までは知っている』って言ったんだ。

 いいか遠坂。僕が知ってるのは、“桜を使ってアンリ・マユを抽出しようとしている事”と、“アンリ・マユで世界を潰そうとしている事”だけだ。他は知らない」

 慎二は両膝の上に両肘を置き、両手を組んで口元を隠していた。

 

「となると、アンリ・マユの呪いを放出・拡散させるための儀式を必要とするハズよね?」

「ああ、どんな方法で桜の中に封印したか判らないけど、“桜の中が一番安全だから”って理由なら、相当厳重に閉じ込めた筈だからね」

 

 凛が右手を軽く握って、顎に当てて考えている。

 

「対策としてパッと思いつくのは、大量の使い魔でのローラー探知かしら」

「範囲は絞れよ遠坂。広すぎる。そんな面倒なの、やってらんない」

「かと言って、大規模な儀式に耐えうる土地なんて限られてるわよ。片手の指で足りるわね」

「遠坂。それ、外したら終わるよ」

「あーー」

 

 凛は慎二の視線から、逃げるように紅茶を一口。一度口から離してもう一口。今度はググッと全部飲み干して、立ち上がった。

 

「結論出たならサッサと動く!」

 

 真っ赤なコートをガバッと羽織って、「ホラ行くわよ!」と発破をかけながら、暖色のマフラーを適当に巻いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……リン」

 

 夕方、遠坂邸リビング。茜色に染まる夕日のせいで採光用の白いカーテンがオレンジ色に(にじ)んでいる。

 アルトリアは後ろから、遠坂凛に声をかけた。ソファに腰掛け、両手でカップを持って紅茶を飲んでいる、遠坂凛に。

 

「うん?」と、首だけひねってこちらを向き、続きを(うなが)す凛に、ずっと疑問だった事を聴いた。

 

「リンは、マスターとは長い付き合いだと伺いましたが。どうしてこうも、()りが合わないのですか?」

 

 そう、士郎と凛は仲がいい。

 アルトリアの知る限りにおいて補足するなら、“普段は仲が良い”と言うべきか。何も無ければ、とても気の合う二人だと思う。だが、一度(ひとたび)何かあれば、(またた)()に仲(たが)いしてしまう。

 あの時、魔獣ゴルゴーンを封じ込めた時もそうだ。アーチャーがゴルゴーンを殺そうとしたのは、おそらく凛に配慮して。美綴綾子の思惑通りにこれ以上の厄介を抱え込んでいては、桜を救えないと判断したから。

 

「確かに、マスターはアーチャーに勝った。そうである以上、あの場面で正義について持ち出されては剣を収めるより他に無い。ですが———」

「セイバー」

 

 遠坂凛のエメラルドグリーンの綺麗な瞳が、夕日を受けて輝いている。アルトリアからは左半分した見えない顔は、少し、イラついているようだった。

 

「一応、誤解の無いように言っておくけど。あの戦いは、士郎が勝ったわけじゃないわ。アーチャーが納得して、ただ、引き下がっただけなんだから」

 勝手なこと言わないでくれる? と、彼女の瞳は語っていた。

 凛はアルトリアから視線を切って、目を伏せた。

 

「士郎は、壊れてるのよ。紛争地域で義勇軍その他のヤツらと一緒に戦ったこともあるんだけど、そこで馬の合わなかった奴らに“人形(プログラム)”なんてあだ名されてた。

 それは私も、(まと)()てると思ってる」

 

 凛はカップを置いて、ソファの背もたれに左肘を乗せ、アルトリアと向き合った。

 

「アイツは5歳の頃、大災害に見舞われた。それだけなら“何処にでもある悲劇”で終わるんだけど、アイツの場合は少し違ってた。アイツは、その大災害の唯一の生存者なのよ。分かる? セイバー。

 大災害の死者、のべ500人。その(すべ)てを見捨てて、たった一人だけ生き残った男の子」

 

 ———そんなモノ、イエスの十字架と同じじゃない———

 

 凛がこぼしたため息が、アルトリアにははっきり聞こえた。

 

「アイツはそれに罪悪感を感じてる。贖罪(しょくざい)意識と言い換えてもいい。そんな十字架を背負ったアイツは、“自分を捨てて、周りの人を優先させる”。そんな、男になった。

 つまり、“正義の味方”ね」

 

 凛が、立ち上がる。アルトリアに向き直った。

 

「誰かのためになりたいという想い、誰もが幸せであって欲しいという願い。そんなモノを()いたまま、アイツは今を生きている」

 

 一歩、二歩、三歩。アルトリアの前まで来た凛は、身長差から少し見下ろす感じになった。

 

「それの、なんて(みにく)いんだって話」

「……リン。貴女(あなた)はそれを、(みにく)いと感じるのですか」

 

 震える声で尋ねたそれを、凛は無視した。

 反転し、アルトリアに背を向ける。

 

「士郎となんで反りが合わないのか、って言ったわよね? そんなに難しいことじゃないわ。単に真逆(まぎゃく)なのよ、私たち」

 

 アルトリアの相槌(あいづち)も待たずに、そのまま続けた。

 

「事態への対処、その初動がいちいち正反対なのよ。ゴルゴーンの時もメドゥーサの時も綾子の時も、聖杯戦争への参加理由も。当然、それ以前からずっと、何かある(たび)にアイツは私と違う道を行く。分かる? セイバー。アイツ一度も、私の決定に“はい”って言わないのよ。“そうだな”って言ってくれた事も無いのよ。

 だから、反りが合わないなんて、当然じゃない?」

 

 凛は歩き出した。重心のブレない綺麗な歩法、まるでバレエダンサーが舞台上で舞っているかのような。宮廷貴族の歩法のようで、その実、隙のない実戦的な歩き方で。

 凛はドアを開けた。

 アルトリアから凛の表情はうかがえない。夕方というのも相まって、凛の顔は、完全に影になっていた。

 

「セイバー。士郎はね、“一度決めたことは()()()()()()”し、“自分を勘定(かんじょう)に入れていない”。一見解りにくいけど、それはアーチャーも(おな)じなのよ」

 

 半歩、右足だけをドアの外側に出して、顔だけで振り向いた、遠坂凛は、真っ赤に燃えていた。

 

「そりゃ(みにく)いわよ。アイツら、誰かを護ると決めたら守り通すだろうし、その為に自分が使えるなら生きてもいるでしょうけどね。それは別に、自分がその人と一緒にいたいからじゃないのよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。アイツら、本質的に偽善者なのよ」

 だから士郎を置いて来た、と凛は語る。今回もしかり、聖杯戦争に参加する時もしかり、と。

 

「別に、見捨てようってわけじゃないわ。でも、ちょっと疲れたから。だからね、セイバー」

 

 ———これ以上詮索(せんさく)しないで———

 

 勢いよくドアが閉る。アルトリアは立ったまま、追いかけることをしなかった。

 

「プログラム、ですか」

 

 士郎の蔑称(べっしょう)として使われていた言葉。凛の長ったらしい講釈よりも、その一言の方が印象的だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 アルトリアが台所に立っている士郎を見ると、いつも同じイメージが頭をよぎる。

 

 ———何はともあれ(メシ)(メシ)———

 

 そんなイメージ。

 士郎は食事をとても大事にしていると思う。そういえばアーチャーも、紅茶を入れたりお茶菓子を用意したりしていたような。

 衛宮邸の居間の座卓に正座して、台所の士郎を眺めながら、アルトリア・ペンドラゴンは“衛宮士郎”について考えていた。

 

シロウ

「ん? どうしたんだ? セイバー」

「いえ、なんでもありません。それよりマスター、今はゴルゴーンについて奔走(ほんそう)しているとの事ですが、具体的には何をしているのですか?」

「うーん。『何を』と聞かれると、『何もしていない』と答えるしかない。実際、成果は何も無いからな」

 

 トントントン、と小気味いい包丁の音が聞こえてきた。さらにはグツグツ煮える音。アルトリアは、こういう音が好きだと思った。なんと言うか、落ち着くのだ。

 自分(シロウ自身)が話をぶった斬ったのを感じたからか、今度は士郎から話しかけてきた。

 

「今日は、他には誰もいないんだよな」

「ええ。リンもシンジも、今日は遠坂邸で(いただ)くと。アーチャーが護衛がてら買い出しに行っていましたから、何も心配はいらないかと」

「セイバーは、さ。こっちで良かったのか?」

「はい。シロウは私のマスターですから」

「あー、そうか。そうだったよな、忘れてた」

 

 士郎が土鍋を持ってくる、アルトリアの目の前にセットされた鍋敷きの上にそれを置く。少し小さい、一人用の土鍋だった。

 

「本日のメニューは、味噌煮込みうどんです」

 

 士郎は、土鍋の(ふた)を取り去った。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 夜、月明かりの(した)。アルトリアの姿は中庭にあった。

 士郎は自室で読書をしている。ギリシア神話関連の本も積み上げて、ノートに神々の関係図を書いたりしながら(うな)っていた。

 

 中庭から見える位置に土蔵(どぞう)がある。

 アルトリアが土蔵(どぞう)のドアを開けると視界いっぱいに張り巡らされた赤い鎖が見て取れる。(ほの)暗く、わずかに発光する赤い鎖。その鎖が縛るのは、土蔵いっぱいの巨体だ。いや、本体はさほど大きくはない。170cmほどの女体。だがその存在は、土蔵いっぱいに広がっていた。

 

「貴様か、セイバー」

 

 彼女の声は透き通り、エコーのように響いてくる。

 

「こんな場所に、なんのようだ」

「いえ、気になったものですから」

 

 アルトリアが土蔵の中に入る。するとすぐに、髪の毛が伸びてきた。シュルシュルと這いずってくる髪の毛、その先端が編み込まれていく。そうして、アルトリアの目の前で鎌首(かまくび)をもたたげた。

 

「ゴルゴーン。貴女は、自らがゴルゴーンになる前のことを覚えているのですか?」

「何っ?」

「貴女がメドゥーサという、ライダーのサーヴァントであった時のことを、まだ、覚えていますか?」

 

 数多(あまた)の鎖によって土蔵の中心、ちょうど真ん中、空中に(はりつけ)にされている彼女、ゴルゴーンがゆっくりと、その目を(ひら)く。

 その瞳は、わずかに輝きを取り戻していた。少しして、おおよそ人とは思えない四角形の瞳孔がアルトリアを確かに捉えた。

 

「既に忘れた。そんな、昔の話はな」

 

 アルトリアとゴルゴーンは瞳を合わせる。別に睨み合っているわけではない、ただ視線が交錯(こうさく)している。

 

「それで? 何を知りたい、娘。退屈しのぎだ、答えてやらんでもない」

「…………」

 

 返答につまる。アルトリアとしては、なにがしかの明確な理由があってここにきたわけではなかった。聖杯は既に分割され、敵の本拠地はつかめないまま、『おそらくはもう一度どこかで儀式をするだろう』という目算はあれど具体的な日時も場所もわからない。アルトリアには魔術師としての技量もなく手持ち無沙汰(ぶさた)。士郎は何かやっているが、いまさら後ろにくっついて回るには距離を取り過ぎた。

 そして、少しだけ士郎が気になる。原因は二人の戦い、士郎vsアーチャーの戦いだった。そこで、士郎とアーチャーが同じだと知った。

 自分と同じだと。

 

「いえ、マスターが助けてようとしている。そんな貴女(あなた)が、気になったものですから」

「この私に何用かと思えば、そんなことか。諦めろ、貴様ではどうにもならん」

 

 返答につまる、だが今回は逆だ。話の内容が繋がらない、訳の分からないことを言われて、一瞬、ゴルゴーンの言葉を飲み込むのに時間がかかった。

 

「何を———」

「“救えない”と言ったのだ。貴様ではどう足掻いても救いきる事など不可能だとな」

「何の話をしているのですか! 私はシ———」

「衛宮士郎の話だろう? あの男の知識は残っている。正義の味方になりたい、だったか。だからこそ、貴様はあの二人を意識しているのだろう? 己と重ねて」

 

 ゴルゴーンが身をよじった。赤い鎖がジャラジャラっと鳴って、彼女の肌に触れている箇所から煙がジュッと立ち昇り、素肌に、火傷の跡を残す。まるでイエス・キリストの像のようにT字に吊られているゴルゴーンは、身じろぎしたことでさらに鎖がきつくなり、本格的に鎖が全身を縛り上げた。

 

「全く、女々しい奴め。貴様がどう足掻いたところで、ブリテンの滅びは一切(いっさい)変わらん。“やり直し”とて同じ事。やり直したところで、あの剣は貴様以外を選びはしない。貴様以外を選んだところで、やはりブリテンは滅ぶだろう。

 アレは“人々に滅ぶことを望まれた国”だ」

「なんだと?」

 

 この獣は、『ブリテンは望まれて滅びた』と言ったか。

 衝動的に左手を伸ばし、胸元にある金属製の胸当てをつかもうとして———結界に弾かれた。バチッという音を立ててアルトリアの手を弾いた稲妻のような魔力光は、それなりの威力を持って、アルトリアを一歩下がらせた。

 

「フッ。小娘だったが、あの女の手腕は確かなものだな。私が外に干渉できぬという事は、其方(そちら)から此方(こちら)にも干渉できぬという事か」

 

 左手の指の先、結界に触れたところを見る。煙がたなびいてはいるが、問題ない。だが、今以上の威力でゴルゴーンを殴りつけようとしていたらどうなっていたか。アルトリアは直感した。この結界は、攻撃の威力が大きくなるほどに弾く力も大きくなるのだと。

 

「強引にいけないこともないですが」

 

 ゴルゴーンを見ると、彼女は目を閉じていた。

 アルトリアは呼び出していた不可視の剣を消し、土蔵(どぞう)から出るために扉を開けた。

 

「セイバー。ブリテンの救いを望むなら———まず、世界を滅ぼすよう聖杯に願い出るといい」

 

 アルトリアは扉を閉めた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「どうしたんだ? セイバー」

 

 翌日、朝食のあと。お皿を洗っている士郎がアルトリアに聞いた。アルトリアは机を拭き終わった布巾(ふきん)を持って士郎に返した。

 

「どう、とは?」

「なんというか、悩んでるようだったから。中庭の方もボーっと見てたし」

 

 士郎はありがとうと布巾(ふきん)を受け取り、水に潜らせて揉んでいく。その作業を後ろから見ながら、アルトリアは独白した。

 

「ちょうど、時間がポッカリと空いてしまって、それで、夢を見るのです。過去の夢、かつての自分の誤ちの夢を」

 

 士郎が布巾(ふきん)をギュッと(しぼ)る。その中からこぼれる水を、無性(むしょう)(すく)い取りたくなった。

 

「シロウは、アーチャーと相対(あいたい)した時、何を思い、あの言葉を返したのですか?」

 

 ———アーチャー。俺はすべてを、救えると思う———

 

「あー、あれか」

 

 士郎は布巾を干して、自分の頬を人差し指で軽く()いた。

 

「あれはそもそも、終わりの決まってるケンカだったからな」

 

 終わりというのは結末のこと、勝負の結果ではなく、その後に訪れるもののこと。

 

「俺が勝ってもアイツが勝っても、その先なにも変わらない。ただお互いの原点を確認し、わずかばかりの()さを晴らした。

 だから、セイバーが思ってくれているような、特別なモノはなにもないんだ。アレは、自分の手で自分の顔を殴りつけたようなものだからな。殴った手も殴られた(ほほ)も、別になにも変わらない。

 そりゃ、殴られた頬にアザくらいはできるだろうけど、それもいずれ消えていく。そういうモノだったから」

 

 士郎が笑った。そういえば、士郎は時々こんな風に笑っていると、アルトリアはふと思った。こんな風に、困ったように笑っている。

 

「セイバーは、その、ブリテンの王の選定をやり直したい、んだよな」

「ええ。私は、王になるべきではなかったのです。私ではブリテンを救えなかった。ならば聖杯によって、私よりもふさわしい人物が王になれば、あの結末も変わったのだろうか、と」

「それは、なんというか、難しいな。でも、俺にも一言言わせてもらえるなら———たぶん、セイバーは正しかったんだと思う」

「はい、私は正しかった。正しさばかりを考え、ヒトの心を理解しようとしなかったのです」

「あーいや、そうじゃなくてさ。セイバーはたぶん、正しく王様だったと思うんだよ」

 

 そう言って士郎はまた、笑った。困ったように、寂しそうに。

 

「セイバー、この聖杯戦争が終わったら。一度、ウェールズを見に行かないか? そこで聴くんだ、『アーサー王は君たちにとってどんな王さまだった?』ってさ。

 そうしたら、セイバーが気にしてることなんて全部分かるんだから、だから聖杯に願うのは、その後でもいいんじゃないか?」

 

 自身の体が、震えているのを感じた。腰のあたりからゾワゾワゾワっという感覚が背中を駆け上り、首筋が震える。

 ああ、なんで。こんなにも簡単な

 

「良いですね。行きましょうシロウ。この聖杯戦争が終わったら、一緒に」

「あー、それでさ、セイ———」

 

 右手を上げて士郎をさえぎる。

 アルトリアは静かに息を吐き出した。魔力をうっすらと全身に纏わせる。感じ取れる魔力の塊、この質は人間ではない。

 サーヴァントだ。

 

「誰かが、来たようです」

「『誰か』って、遠坂か?」

「そこまでは(わか)りませんが」

 

 言って、アルトリアは歩き出す。士郎に慌てていると思われない程度に、されど最速で。自分の杞憂(きゆう)であればいいのだが……

 衛宮邸の玄関は引き戸である。

 これはマズいとすぐに気づいた。(ひら)き戸であれば、ノブを回しつつ戸を押して、その影に隠れて両手をフリーにできるのだが。引き戸は必ず片手が塞がってしまう。戸を開けた瞬間に奇襲されれば不利になる、と。

 アルトリアは己の武装を展開した。蒼いドレスに銀色のブレストプレート、右手には風王結界(インビジブル・エア)を纏わせた聖剣エクスカリバー。左手は引き戸の取手に、そして———

 一気に扉を開け放った。

 

「はっ?」

 

 衛宮邸の玄関口で剣を構える完全武装のアルトリアは、一人完全に浮いていた。

 

「おっ、出迎えがセイバーとは」

「あまり、歓迎されてはいないようですが」

 

 ランサーとそのマスター(バゼット)がいる。

 ランサーは私服だ。黒いレザーパンツに白いTシャツ、なんか現世に溶け込んでいる。そのマスター(バゼット)は礼服だ。三ツ揃えのパンツスーツをしっかり着こなしている。

 そんな二人が凛と一緒に、門の手前で談笑していた。

 

「どういうことですか、リン」

「どうもこうもないわよセイバー。簡潔に言うと、同盟を組んだってとこかしら」

「おう、一時休戦ってコトで。しばらく頼むわ、セイバー」

 

 ランサーが笑って手を振っている。そんな風景に思わず、頭を抱えるのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「はっ? 聞いてないぞ」

「そりゃまぁ、今言ったからね」

「…………。アーチャーには何て言ったんだよ」

「『マスターの決定に逆らう気?』って」

「…………」

 

 アルトリアには、士郎のため息が印象的だった。

 士郎が頭を抱える。やけに様になっていた。

 

「えーっと、どういう経緯こうなったかは、聴いていいんだよな」

「ええ、それを話しにきたんですもの」

 

 座敷机(ざしきづくえ)を挟んで凛と士郎が向き合っている。アルトリアは士郎の隣、ランサーとマスターは凛の隣に。

 凛によれば、ボロボロで倒れていた二人を保護したとのこと。ランサーの真名を聞いていた凛は、師匠(スカサハ)のいる向こうに付かれたらマズいと大オファー、二人の治癒を条件に一時休戦し自陣に加えたとか。

 そして、拠点ごと壊滅したランサー陣営の居場所は、

 

「それで、完治したから顔見せにね」と、凛。

「そんな訳でよ、しばらく世話んなるわ」と、ランサー。

「よろしくお願いします」と、バゼット。

「ハァー」と、士郎。

 

 なんと言うか、このチームの上下関係がよく判ると思うアルトリアだった。






次回、Fate/stay night [Destiny Movement ]

———第十七話、士郎の見つけたもの


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《第十七話、士郎が見つけたもの》

 

 

「しかし、()れば()るほど、面白い娘よなぁ」

「ん? 何が?」

「この娘だ。綾子、この娘はあまりにも(いびつ)。まさに奇跡としか言いようのない一品だ」

 

 ナイフを動かしてステーキを切りながら、ギルガメッシュが口にする。

 

「ああ、まあね。出来ることはやっておこうと思って。そうなると判っていても、そうしない理由はないでしょ」

 

 対面する綾子は巫女服のまま、石造りの豪奢な椅子に座っている。この部屋の内装は全てウルク式だった。椅子も机も祭壇も、この部屋の全てがウルク第一王朝時代の様式にのっとってデザインされているのに、綾子は巫女服、食卓の上には現代食。その二つだけが浮いていた。

 綾子は、部屋の中で浮いているモノの一つ、湯飲みを持ち上げて口に運んだ。

 

「それで? こっちは勝手に進めるけど、そっちはどうすんの?」

「フッ、俗物に染まったな綾子。この(オレ)に、そのような問答は不要であろうに」

「ま、形式美ってヤツよ。()えるもの全てスルーしたら、面白くないじゃない? 

 (あたし)みたいなのにとって、楽しむってのは割と大事な事だから」

 

 ギルガメッシュが口に運びかけていたステーキを止めた。1秒か2秒、そのまま固まったかと思えばすぐに再起動し、ステーキを皿に戻して席を立った。

 自分の飲みかけのゴブレットを持ち、赤ワインを一気飲みしてゲートオブバビロンの中に放り込んでから、一言残して立ち去った。

 

「ことの(ほか)、有意義な昼食であった」

 

 見送った綾子は、その場で湯飲みを傾けズズっと熱いお茶を飲み、石造りのテーブルに置いてから、そちらの方を見ないまま、桜に声をかける。

 

「起きてるんでしょ、桜」

「…………」

 

 返事はない。綾子から見て左手に、人を横たえる祭壇があった。直方体の祭壇、そこに桜は寝かされている。魔術的に固定されて、ずっとそのまま。

 

「どう? “悪”を(はら)んだ感触は。まあ、孕むといっても概念的な話だから、アンタの子宮は空っぽなんだけど」

 感覚的には似たようなもんでしょ。と、綾子も立ち上がった。

 

「…………」

 

 無言の桜を一瞥(いちべつ)して、部屋の入り口から出て行こうとして、初めて桜が、その喉を震わせた。

 

「美綴部長」

「うん?」

「どうして……わたしだったんですか?」

 

 部屋の入り口で綾子は止まった。そのまま入り口付近の壁に背を預けて腕を組む。

 

「そりゃ、アンタが異常だったから、かな」

わたしが……異常……

「そ、アンタは明らかに受け入れ過ぎで、我慢強過ぎる。その精神は明らかに人間離れしていたからね。

 普通なら、三日かな」

 

 三日あればどんな女でも終わってる、と綾子は言う。どんなに気の強い女でも我慢強い女でも、三日あれば狂ってる。と

 

「だからアンタは異常だった。だってもう十一年でしょ、有り得ないわよ」

 

 壁に預けていた背を離し、桜の元まで歩いて行った。

 桜の視点から見ると、自分の視界にヌッと顔が現れたように見えたろう。綾子は桜を覗いていた。

 

「だから、実験してみる事にしたわけだ。

 アンタは、“神に()()()()()者”なんじゃないかってさ」

 

 この時初めて、桜の表情に変化があった。その眉間にシワがよるのを可笑(おか)しそうに笑うと……

 

「“普通の人間が別段重きを置かぬ(モノ)、どうでもよかりそうな(コト)”。そんなのを、馬鹿正直(しょうじき)に守り続けるヤツのことよ。アンタみたいなのを一言でいい表すなら、そうね、“日常世界そのものを否定できる人”。そういうヤツを“神に()()()()()者”って言うのさ」

 

 綾子が顔を上げて、桜の視界から消えてしまった。

 

 ———正直(しょうじき)の、頭の中に神やどる。ってね———

 

 桜以外がいなくなっても、最後の言葉だけは部屋の中に響いていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ランサーが来てからは大変だった。部屋の振り分け、急きょ増えた昼食の準備、ランサー陣営とのコミュニケーション。中でも特に大変だったのは、暇を持て余したランサーがセイバーと一騎討ちをしようとしたこと。

 

「———よっ、とりゃっ——————ハァァァアッッ!!」

 

 俺があわてて中庭に来てみると、ランサーとセイバーが手合わせしていた。ランサーが槍をぶん回しセイバーを攻め立てる。セイバーはゆっくりと後ろに退がりながら(かわ)し、剣で弾いていた。そこに、槍の穂先(ほさき)が縦に落ちてくる。セイバーが左に躱す。ランサーが槍を引こうとして、それをセイバーが剣で(おさ)える。

 

 “橋掛(はしがか)り”。『剣と槍とで戦えば槍が圧倒的に有利だ』と言われる白兵戦の世界において、最もポピュラーな“対長柄武器(ながえぶき)用攻略戦法”。長柄武器を剣で抑え、そのまま柄に沿()わせるように手元を刈り上げる技の事。

 ランサーが引いた槍のスピードとセイバーの前に出るスピードが完全に一致した。衛宮士郎はその瞬間をたまたま目にして、世界が、切り取られたように錯覚した。

 セイバーとランサーとでは、ランサーの方が断然速い。でもこの瞬間、この一瞬だけは、両者の速度が完全に一致していた。なんのことはない。ただそれだけなんだが、一瞬、見入ってしまった。

 

「はっ!」

「———んっ!」

 

 間合いに入ったセイバーが、槍の()から剣身を離して切りかかる。その軌道状に石突きが割り込んでくる。ランサーが槍を立ててカードしていた。

 セイバーの剣が振り下ろされる。それは真っ直ぐ立てられた槍に当たる。と、思った瞬間。彼女はランサーの右隣にしゃがみ込んでいた。剣を右肩でかつぐような形でしゃがむセイバーに反応して、ランサーが突きを放った———時にはもう、そこにいなかった。

 

「———ッ!」

 

 ランサーが突きを放つのど同時、彼の右斜め後ろ、少し上空から、セイバーの剣が袈裟懸(けさがけ)けに———。

 

「ほぅ、流石(さすが)はセイバー。そうこなくっちゃな」

「それはこちらも同じです、ランサー。噂に(たが)わぬ俊足(しゅんそく)ですね」

「おうよ! こちとら速さ(それ)だけが取り柄なもんでな」

「ご謙遜(けんそん)を。貴方(あなた)の槍の、並々ならぬセンスと執念、感服した」

 

 言い合う二人は、いまだ構えを解いていない。剣を構え、槍を構えたままで。称賛しているのか、隙を探しているのか、腹の内をさぐっているのか。

 その時、俺の耳が足音を捉えた。後ろからここに向かってくる足音を。

 

「ランサーっ! こんなところで何をしているんですか!?」

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツ、ランサーのマスター。遠坂の差配でここに住うことになった彼女が、キッチリとスーツに身を包んで現れた。

 

「ランサー、わかっているのですかっ。我々は居候(いそうろう)なんですよ!」

「そりゃまぁ、一応同盟だしな」

「だったら!」

 

 バゼットさんが掴みかかる。ランサーの両肩をガッチリ掴み、前後にゆすろうとしたのだろう。バゼットの両腕が動いているが、ランサーが全然動かないので逆にバゼットがガクガク揺れている。

 

「どうしてっ! そう何時間もたたないうちにこうも騒ぎを起こせるのっ」

 

 ランサーが左手で首の後ろを()いている。コレはアレだ、『面倒になったなー』なんて思ってる顔だ。

 コッチにも少し時間があることだし、俺は暇つぶしも兼ねて提案してみることにした。

 

 

「いや美味(うめ)えな、オイ!」

 ランサーが(どんぶり)片手に吠える。

 

「士郎君、私たちまでご馳走になってしまって……」

 バゼットさんは小さくなってしまっている。

 セイバーを盗みみると、こちらも美味しそうに食べてくれるもんだから、仕込んだかいがあるというものだ。

 

「シロウ、この時期にイクラを食べることが出来るとは、思ってもみませんでした」

「毎年大量に仕込んで冷凍してあるんだ。年中イクラが食べたいって言われて、試行錯誤した結果だな」

 なんにせよ良かったよ、と締めくくる。こういう風に急遽(きゅうきょ)人数が増えた時のために、いくつかこういったモノを冷凍していたりするワケだが、やはり何時(いつ)も味が劣化していないかドキドキしながら出すことになる。

 

「しっかし、ボウズの剣はおもしれーな。前やった時も驚いたが、今回もそうだ。スピードもパワーも劣ってやがるのに、なんで()められるのかがわからねぇ」

 

 急遽(きゅうきょ)用意したイクラ丼がきれいサッパリ無くなったころ、湯飲みを持ったランサーが切り出した。その言葉に反応したセイバーが正座をしたまま、少しだけ、胸を張っていた。

 

「ええ、明らかに劣る筋力と魔力。さらに、シロウの投影する剣では、我らサーヴァントを強引にねじ伏せることも出来ない。にもかかわらず、シロウの剣は我らに届く。ただ、“達者である”というだけで」

「“(うま)さ”、ただ(うま)いだけでサーヴァントの“速さ”と張り合うこともできるたぁ、新発見だぜ。

 なぁボウズ、ありゃどういう原理だ? 魔力も使わないただの剣術が“固有時制御”の領域に届きかけているってだけで大事件なんだが」

 と、ランサーは俺の肩を叩く。

 ヒリヒリする肩をさすりながら、俺は唸った。

 

「なんて言えば良いのかよく分らないから、俺の言葉で悪いんだけど」

 と、前置きを入れた上で、顎に手を当て、次の言葉を探していた。

 

「結局は“間合い”なんだよな。“間合い”さえちゃんと把握(はあく)しておけば、相手が二倍速・三倍速でも、十分に対応可能なんだ」

「とは言ってもよ。(いく)らか距離が伸びたところで、さほど変わるモンじゃねえだろ。サーヴァントと人間じゃ、元の速さが違いすぎる」

「違うぞ、ランサー」

「何がだよ。違わねえだろ、俺たちゃマスターから魔力貰ってんだ。この体も魔力で出来てる。比較にはならねえよ」

「ああ、いや。ソコじゃなくて」

 

 両手を顔の前で振りながら、ランサーの(げん)を訂正する。

 

「剣道用語に“一足一刀(いっそくいっとう)の間合い”なんてのがあるから勘違いされやすいんだが、“()”ってヤツは本来語源として、時間感覚を表す言葉なんだよ。

 “間に合う”、“間があく”、“間を外す”。

 “間髪(かんぱつ)入れず”、“間一髪(かんいっぱつ)”、“鬼の居ぬ間に洗濯だ”」

 

 ほらな。と、周りを見る。三人とも、バゼットさんも頷いてくれた。

 

「だから、“間合い”って言葉も、本来は時間感覚を表すモノだ。聖杯からの知識にあるなら……野球を想像してくれないか? プロ野球の場合、ピッチャーの投げる球は時速150キロ(くらい)出ることもあるよな? けど、人間はそれほどのスピードでは走れない」

 

 人間の走るスピードよりも、野球ボールのスピードの方が圧倒的に速い。じゃあ、バッターはボールを打てないか、というとそうではない。それは、バッターが自分の正面にボールが来てからバットを振り始める訳じゃないからだ。振り始めるのはもっと前。振り始めた瞬間ではまだ、ボールはバットの当たる距離には無い。

 圧倒的に遅い“人間”が振るうバットがボールに当たるのは、タイミングが合うからだ。空振った時、バッターにボールが当たらないのは、バッターボックスの位置がボールの弾道からズレているから。

 

「俺がやっているのは、原理的にはコレと同じなんだ。セイバーやランサーの攻撃軌道から一歩ズレる。セイバーやランサーが俺の剣に当たる距離に入る一瞬に重なるように、その瞬間、そこに刀を置いているんだ。

 ほら、美綴と一緒にいたサムライのサーヴァントもやってたろ? 日本武術的には基礎挙動(きょどう)だからな」

 だから、固有時制御うんぬんは違うと思うんだけど。と、付け加える。

 

「簡単に言っていますが、シロウ。それは、私たちの攻撃を全て見切っていなければ到底不可能な技術ではないですか。

 我々、サーヴァントの攻撃の(すべ)てを」

 

 セイバーは俺の湯飲みにお茶を足しながら首を(かし)げた。

 

「シロウはどうやって、我々サーヴァントの攻撃を見切ったのです?」

 

 それはかつて遠坂と、仲違いした議題(ぎだい)だった。

 

「未来を、感じるときがあるんだ」

「それは直感のようなものなのですか?」

「直感かどうか判らない。俺は、直感を感じる時の感覚が判らないからなんとも言えない。

 でも、俺の感覚的には、“未来が見える”とか“未来を予測した”とかじゃない。なんて言うか、“未来にフライングした”感じなんだよ」

 

 ランサーが顎に手を当てた。うーん、と悩んで口を開いた、

 

「“フライング”とはまた、分かりにくいな。どんな感じだ?」

「“自分の過去の体を動かしている感じ”、あるいは“自分だけ先に未来の出来事を体感している感じ”

 感覚的にはどっちも同じなんだが」

 

 例えば、さっきランサーと模擬戦をやった時、俺はランサーが槍を突き出すのを確認してから身を(かわ)した。ランサーの攻撃を確認してから動くって事は、俺の皮膚に突き刺さる直前に理解が追いつくって事だ。そして、()()()()()()()()()()()。それはどう考えても(かわ)しきれるタイミングじゃない。でも、模擬戦ではそれで躱した。

 

「肉体の動きには(ほころ)びがある。動作から動作につなげる時、新しく動作を始める時、肉体の動きは一瞬(ほころ)び、一瞬止まる。それは、どれだけ速く動けたって変わらない。どれだけ“正確”で“細やか”に動けるかって話なんだよ」

 

 動きを“正確”で“細やか”にしないといけないのは、何も武術だけじゃない。音楽だってその代表だ。例えばピアノひとつとっても、ただ一音、ひとつの鍵盤を押し下げるだけでも、プロと素人は全然違う。それは当然、指先の動きが違うからだが……つまり、指先が鍵盤に触れてから下まで押しきるまでの間の、指先の動く1センチばかりの距離を()()()()()()()()が、プロと素人との境目だ。

 強く始めて弱く終わる、弱く始めて途中を強くし最後は弱い。

 そう言うことを鍵盤を押し下げる1センチの間にやれてしまう。

 ピアノを聞く人にとってはひとつの音にしか聞こえないが、指先が割れている音だと、そのひとつの音が素人には無い深みを持って聞こえてくる。

 ピアニストの場合もドラマーの場合も、ギタリストの場合だって、問題になってくるのは、どこまで体を細かく割れているのかなのだ。人間は自分の体を使って時間をカウントする(わけ)だから、体を細かく割って使う事は、時間を割って使う事に帰結(きけつ)する。

 

 俺は右手を前に、スーッと伸ばした。

 

「“その1秒を切り(きざ)む”んだ。“自分の身体(からだ)を切り(きざ)む”んだ。

 “体の割り”をどんどん細かくしていくと、身体(しんたい)時計(どけい)における時間感覚が(みつ)になってくれる。周囲の時間の流れがゆっくりに感じられる。(おのれ)の目の前にいる相手の動きが緩慢(かんまん)に見えてくる。

 そういう術理が確かに存在する。だから、最終的には、スポーツでも音楽でも武術でも、身体(からだ)をいかに細かく(きざ)むかが重要になってくる。

 相手よりも自分の方が動きを細かく(きざ)んでいれば、相手に感知されないままに、駆け抜けることが出来るんだ」

 

 この場にいる三人が三人ともが、眉間にしわを寄せている。セイバーがひとつ(うなず)いて、口を開いた。

 

「先ほどシロウと模擬戦をした時もそうですが、美綴綾子との戦闘でもサムライのサーヴァントとの戦闘でも、威力も魔力も速度も、(すべ)て私の方が上回っていた。なのに、攻めきれなかった。それがコレなのですね。

 彼らは、私には感知できない時間の隙間(すきま)を移動していた」

「ああ、日本武術では強くなる事を目的としてないんだ。あらゆる流派において奥義のされるワザには、必ずコレが関わってる。

 “速い”じゃなくて“早い”。相手がカチッ、カチッというペースで時間を(きざ)んでいる時に、俺はカチカチッ、カチカチッってペースで(きざ)む。つまり、タイミングが違うんだ。拍子(ひょうし)が細かく、速く(きざ)まれる。

 そうすると、相手は(ひと)コマか(ふた)コマ、遅れてしまう。

 そして、相手の動きはゆっくりに見える」

 

 ズズッと、セイバーの入れてくれたお茶をすする。言い訳をするように、俺は笑った。

 

「昔、誰かに言われたんだよ。『そうやって時間(からだ)(きざ)んでいくと、時間的にフライングができる』って」

 

 ———真っ直ぐ突っ込んでくると、分かっているのに(かわ)せない。攻撃を当てたと、確信したのに避けられる。衛宮(えみやー)、アンタがそう感じてるって事は、(あたし)はアンタより、未来にいるって事なんだぜ———

 

「そいつは……状況的には、多分美綴なんだけどな」

 

 ———アンタが見ている(あたし)は、(あたし)からすれば残像のようなモノ、過去に残った虚影に過ぎない。

 ほら、あるじゃん。時代劇とかでさ、何十人とかの敵に囲まれて、バッサバッサ倒していくヤツ。最近じゃあ、主人公は切り傷とかいっぱいあって、息も上がってる方がリアルだろう、とか言われてるけど。

 アレはさ、実際は全然違うんだよ。ただの虐殺なんだよ、アレ。一方的な殺戮(さつりく)だった。

 だって、“時間的にフライング”してるんだぜ。時代劇の主人公は何秒か先の未来にいるんだ。時間感覚が遅れてるヤツらじゃ勝てるわけ無いじゃん。

 相手(主人公)は常に、何秒か先の場所にいるから、斬りかかっても当たらない。

 時代劇の主人公にすれば、こんなの、()え物切りと変わらない。首を差し出してくるヤツを、順番に斬り殺すだけの簡単な作業に他ならない———

 

「俺たちが倒そうとしてる美綴綾子という存在は、俺よりもずっと未来にいる。だからせめて、“未来に存在する敵を攻撃する方法”を、見つけないといけないんだ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「んで、コレがゴルゴーンか」

 

 その後、ランサーを土蔵(どぞう)に案内した。眠るゴルゴーンを目の前にして、俺たち四人が隣りあって並んでいる。

 

「今は寝てる。夜になって封印が弱まると起きてくるんだ」

「セイバーのマスター、刻限は今日の(よる)でよろしいですか?」

 

 バゼットさんはゴルゴーンを封印している術式に興味があるみたいだった。

 

「ああ、遠坂が言うには、封印式と令呪の重ねがけでも一日しか持たないらしい。封印時(ふういんじ)に一画、昨日の夜に補強で一画。今夜十二時をもって、三画目の令呪で自害させる、と」

「ならよ、三画目の令呪も補強に使えば、明日の夜まで伸ばせんじゃねーの?」

「『それだと士郎が妨害して戦闘になるじゃない!』って。だから俺では邪魔できない令呪による自害を使うみたいだ」

「あー……」

 

 ランサーが遠くを見ている。つまり、おもいっきり目を逸らした。

 

「我々は同盟関係です。私たちも手伝いましょう」

 

 バゼットさんが振り向いて、俺の目を見て一歩近づく。彼女の差し出した手を、俺は取った。

 

「ありがとう、バゼットさん。よろしく頼む」

 

 

 実のところ、メドゥーサを助ける計画は第一段階で止まっている。

 メドゥーサが怪物になるきっかけを作った太古の女神、ギリシア以前の大地母神。それを見つける事すらできていない。アーチャーはギリシア神話の中に痕跡があると言っていたが、何度読み返してもわからなかった。

 

「なるほど」

 

 ところ変わって俺の部屋。小さなちゃぶ台を囲んで四人、俺の説明を受けていた。

 ちゃぶ台の上には、俺の作成した神々の関係図を広げている。

 そして、ランサーが吠えた。

 

「何のメドもついてねーじゃねーかッ!」

「だから焦ってるんだ。焦れば余計に頭が回らなくなるから逆効果だし」

「じゃあ何で呑気に昼メシなんか食ってたんだよ」

「なんだよ。食事の時間は大切なんだぞ」

「あー、そういう事じゃねーんだが……まあいいや。そら、ギリシア神話()を貸せボウズ、俺も読んでやる」

 

 ランサーがちゃぶ台の上の“ギリシア神話”を取り上げる。あぐらのまま、(ひざ)(ひじ)をついて読み始めた。

 そんなランサーを横目に見ながら、バゼットさんが切り出した。

 

「私もギリシア神話は(たしな)んでいます。ですが、そんな痕跡(こんせき)見当たりませんでしたが」

「だから困ってるんだ。俺たちでは当たり前になり過ぎて、見落としてるものがあるかもと思って、何度も読み返してはいるんだが」

「ほかの方法は検討しましたか? 魔術的に元に戻す方法などは?」

「それは遠坂が諦めた。なら、魔術にうとい俺がそう短時間で思いつけないと思う」

「そう、ですか」

 

 バゼットさんは黙りこみ、ちゃぶ台の上の関係図を眺める。

 するとセイバーが隣に寄ってきて、小さな声で耳打ちされた。

 

「シロウ、どうしてアーチャーの言う通りに、ギリシア神話から探そうとするのです?」

「あー、それはだな。他の本、この前メドゥーサと本屋に行った時に買った本は現代人が書いた本だからな。どうしても証拠に欠ける、最終的には神話から見つけないといけないんだ。だから、アーチャーの言うようにギリシア神話の中にあれば、一気に前に進めるんだ」

 

 あまり、納得はしてないみたいだった。

 セイバーと肩を寄せ合い、ランサーが手に取らなかった方、“恋愛物語としてのギリシア神話”を読んでいると、ランサーが不意に声を上げた。

 

「しっかし、ギリシア神話なのに“メドゥーサ”ってのは違和感あるな」

「何がおかしいんだよ、普通だろ。まっとうな英霊じゃないか」

「何言ってやがる。“メドゥーサ”ってのは、サンスクリット語で“女性の知恵”を表す名だろうが。ギリシア神話の中にサンスクリット語語が出てくるもんでな、疑問に思っただけだ」

 

 …………。なんだって? 

 

 ちゃぶ台をドンっと叩いて立ち上がり、ランサーに向かって声を上げた。

 

「ランサー! それはどういう———」

「聖杯の知識だ。現代のインドにおける二十二の指定言語の一つだからな、オレにも知識が回ってきたみたいだ。

 にしても、この神話の中の神霊は驚くほど死なねえな」

 

 俺は、ちゃぶ台の向こうで顔を上げたランサーを見た。彼の顔は差し込む夕日によって(かげ)り、影になっていた。

 

「そうなんだよ、ほとんど死なない。神霊に分類されてた存在がギリシア神話内で死んだのはメドゥーサくらいなんじゃないか?」

「は? なに言ってやがる、メドゥーサが登場するずっと前に死んだヤツがいるじゃねえか。いつ生まれたかもわからねえくせに、真っ先に殺される神様がよ」

 

 気がつけば、俺はランサーの隣にいた。なかば押しのけるようにして、その手に持っているギリシア神話の一ページ、ランサーの指差すその文字を見た。

 

 俺は———

 

「———やっと見つけた」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 夜、土蔵(どぞう)の前。柔らかい月明かりが照らす中庭の端っこ。

 セイバーと二人で、ここにいる。

 

 土蔵の扉に手をかけて、顔だけ(かたむ)けてセイバーを見た。セイバーは俺の顔を見返して、(まばた)きをひとつ。

 そして、俺は土蔵(どぞう)()を開けた。

 

「それで、私を殺す算段はついたか? 士郎」

 

 凛と響く声がする。数多からまる赤い鎖のその奥に、(はりつけ)られていても、彼女の声は透き通っていて、とても美しいと、衛宮士郎はもう一度、確認した。

 

「やっぱり、やっぱりお前は綺麗だよ、ゴルゴーン。

 お前自身は卑下(ひげ)するけれど、俺にはやっぱり綺麗に見える」

「何が言いたい」

 

 その言葉に(こた)えるように、セイバーと二人、土蔵の中に歩いていった。

 

「ずっと、気になっていた事があった。“どうしてゴルゴーン三姉妹の中で、お前だけ成長する事ができたのか”、それから“どうしてお前は、アテナに呪われなければならなかったのか”

 それが、ずっと疑問だった」

「考えた事もない。あったとしてもとうに忘れた。そんな事より、もう時間がない。あの小娘は優秀な魔術師だが、令呪こみでもコレが限界だ。むしろ称賛すべきだぞ、士郎。人の身でこの化生(けしょう)を、二日も封じ込めたのだからな」

 

 ゴルゴーンの顔を見上げる。彼女の瞳を見返して、俺はきっと笑っていた。

 

「関係ないわけじゃないんだ。ゴルゴーン、これはとても重要で、そして、俺たちは勘違いしてたんだから」

「勘違いも何もない。“私を殺さなければ貴様らが死ぬ”というだけだ。死にたくなければ私を殺せ」

 

 そうだ。そうだろうとも。だが、だからこそ俺はここにいる。

 思わず伸ばした右手の指が、対ゴルゴーン用の結界に弾かれる。バチっていう音を上げたその指を見てから、俺はゆっくり、彼女に告げた。

 

「俺には、お前が女神に見える」

 

 ゴルゴーンの目をもう一度見ながら、俺ははっきりと言葉にしたんだ。

「この問題は、結局それだけの話なんだ」と。「俺たちはずっと、お前を怪物だと勘違いしていた」と。

 もし、もしも、今言った事が正しいとするなら、ひとつの疑問が生まれてくる。もしも“メドゥーサやゴルゴーンは怪物”だというのが間違いで、本当は女神だというのならば、どうだろう。『昔はアナトリアの女神だったかもしれないが、ギリシア神話でメドゥーサは怪物になった』というのが俺たちの勘違いで、ただの思い込みだというのなら、どうだろう。どうして(みな)、今の彼女を怪物だと認識しているのだろうか、という疑問が、湧いてこないだろうか。

 

「それは、ギリシア神話において、お前が怪物として描かれているからだ」

 

 “認識の改変”というのは、とても強力な呪いである。特に、その人の性格や過去の出来事を、事実をまじえて()(よう)に改変された場合は、解呪(かいじゅ)の難易度が極端に跳ね上がり、本人が何を言おうとも、その全てを曲解されてしまうだろう。そして、この“認識改変の呪い”とてもいうべきものには、それを効率的に拡散させ()る最高の概念礼装が存在する。

 

 物語だ。

 

 そう、物語というのは、人々が最も受け入れやすい情報拡散ツールなのだ。そして何より重要なのが、“人は毎日、物語に出会う”ということ。

 人間という生き物の現実認識は、その全てが物語として把握(はあく)されている。人間の記憶は、物語の形で保存される。

 そして、人間の知る出来事の多くは自分自身で経験したものではない。隣町で起きた事件のニュースも百年前の科学者の功績(こうせき)も友人が書いた同人誌も全て、言語を使って出来事どうしを連鎖させ、()()()()()()()報告したものであり、それが本当にあった事なのかどうかを知ることは、完全にはできないのだ。

 物語から外れてしまった出来事はどうやっても知ることはできないし、物語から外れてしまった情報は想起することすらできなくなる。

 ギリシア神話においてメドゥーサが怪物として描かれた以上、“怪物としてのメドゥーサ(ゴルゴーン)”しか知ることはできないし、たとえ彼女の名前がメドゥーサではなかったとしても、物語において“そう”としか記されていない以上、“メドゥーサ”と“怪物としてのメドゥーサ(ゴルゴーン)”以外の名を、俺たちが記憶に留めて続けておくこともまた、できないのだから。

 

 (ゆえ)にもし、物語によって真名(しんめい)の認識改変をされたなら、その物語が聖書と並ぶほどの古典中の古典であったなら、世界の思想・文芸・芸術に多大(ただい)な影響を(およ)ぼしている書物(しょもつ)であったなら、そんな物語によって真名(しんめい)を書き換えられた女神は、怪物として描かれた女神は、いったい、どうなるのだろう。どうなってしまうのだろうか。

 “アテナの呪い”とは、つまりそういうモノなのだった。

 でも、

 

「やっと見つけた」

 

 今度こそ俺は手を伸ばす。遠坂の結界に弾かれないようにゆっくりと、だが確実に。

 右手の指先が結界に触れる。バチっという音と共に放電のような魔力光が走る。

 いける、衝撃は許容範囲内だ。

 さらに指先の速度を落として、ゆっくりとゆっくりと、ゴルゴーンに向かって進ませる。指先はまるで電気を(まと)っているような感じになり、魔力光は断続的に輝き続ける。

 バチバチッという音と光にさえぎられながら、その向こうにゴルゴーンを見ながら、もう一度手を伸ばしながら、声を放った。

 

「お前の名はゴルゴーンなんかじゃない。メドゥーサですらなかったんだ」

 

 そうしてやっと、俺の手は今度こそ、彼女に触れた。

 

 

「—————お前は、メーティスだ」






次回、Fate/stay night [Destiny Movement ]

———第十八話、運命の夜


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《第十八話、“原初の女神の物語”》



 題名だけを変えました。


 

 

「お前は、メーティスだ」

 

 遠坂の結界を突き抜けて、俺はもう一度、彼女に(さわ)った。

 その瞬間、土蔵(どぞう)は、(あお)い光に包まれた。

 とっさに手をかざし光を遮る。俺のかざした(てのひら)の先、その光の発生源で、ゴルゴーンが分解されていく。

 なにも、ゴルゴーンの体が消えていく訳ではなかった。だが、明らかに分解されていた。

 分解されたそばから再構成され、全体としては、一見、なにも変わってないように見える。しかし、一瞬ほつれ、また結び直された魔力の塊はもう、以前とは別物だった。

 

 赤い鎖が、消えている。

 そして、かつてゴルゴーンがいたその場所に、ひとりの女神がたたずんでいた。

 (あお)い髪の毛、そのストレートの髪は腰のあたりまで伸びている。蒼いドレス、それは一枚の布で出来ていているようで、兵児(へこ)(おび)のようなものを腰に巻いて()めている。

 女神が、目を開く。印象としては、瞳が大きいと感じた。何色とも見分けがつかない、大きくて綺麗な瞳が輝いていた。

 一歩、二歩、と歩いて来る。彼女が結界に弾かれなかったことで、今更ながら遠坂の結界が(すべ)て、完全に消滅していることに気がづいた。

 彼女が両手をふわりと上げた。そして、いつの間にか俺の手が取られていた。俺の左手を持ち上げて、重さもなく握りしめる。

 

「えみや、しろう?」

「え? ……ああ」

「本当は“士郎”と呼ばなければいけないのですが、今だけは、“シロウ”と呼んでも?」

「あ、えっと……構わない、けど……」

「では、シロウ」

 

 彼女は、笑った。俺の左手を握ったままで。

 

「———出会えて、良かった」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 俺の部屋に移動した。

 俺は、彼女を迎えるにあたって部屋の隅に寄せられた本の山を背にしてちゃぶ台に座る。俺の左隣にセイバー、正面に彼女が座った。

 

「では、自己紹介ですね」

 

 彼女はずっと嬉しそうだった。今も、この部屋に来るまでも、ずっと。

 心持ち弾んだ声で、彼女はさらに言葉を(つむい)いだ。

 

(わたくし)の名はメーティス。“知恵”あるいは“女性の知恵”の名を冠する女神で、かつてのリビアという国があるところからアナトリアと呼ばれたあたりを中心に、その一帯(いったい)を治めていた“アマゾーン族”という民によって信仰されておりました」

 

 メーティスは三つ指をついてお辞儀する。日本人と見紛(みまが)うほどに、とても美しい座礼(ざれい)だった。

 

「自身の伝承を(かた)るというのも、可笑(おか)しなものではありますが……」

 

 と、前置きした上で彼女は、メーティス神という、ギリシア神話の中で登場してからたった四ページで殺される、そんな女神の伝承を語った。

 

(わたくし)という神格が(つかさど)るものは“(めぐ)り”と“知恵”です。

 そうですね、“生と死と再生の(めぐ)り”、“過去(かつて)現在(いま)未来(いつか)(めぐ)り”、“(あめ)(つち)黄泉(よみ)(めぐ)り”。

 それから、“女性の知恵”と“女の秘密”と」

 

 メーティスは(あご)に人差し指を当てて、何か考えているようだった。ウーンと悩んで、フムフムと頷いて。それから、俺とセイバーとに視線を向けた。

 

「せっかく、(わたくし)を見つけてくださったのてすし、このようなこと、もう二度と無いでしょうから———(わたくし)の、自己紹介を()ねた自慢話など、おひとつ如何(いかが)でしょうか」

 これからの戦闘でも、必要な武器になりますでしょうし。と、メーティスは言った。

 

 

 “女神メーティスの物語”。あるいは、“原初の女神の物語”。

 

 それは、壮大なものだった。ギリシア神話の遥か以前から(いま)現在(げんざい)に至るまで続く、(ひと)(はしら)の女神の、壮大な物語だった。

 

 “リビア”という地域は、かつてはエジプト以外のアフリカ大陸全土の事だった。“アナトリア”という地域は、現在のアナトリアとあまり変わらない。ただ、日本人が使う“アナトリア半島”の事ではなく、ヨーロッパの人々の使う“アナトリア(小アジア)”の事ではあるが。

 つまり、とても(さか)えた民族だった。ギリシア神話以前の世界では、彼らの一強だったと言っても過言ではないだろう。

 ではなぜ、ギリシア神話の中での“アマゾーン族”、つまり“アマゾーン族の女(アマゾネス)”たちは、隅っこに追いやられてしまったのだろうか。

 それこそが、“女神メーティスの物語”であったのだ。

 

(わたくし)、メーティス神を言い表す言葉は無数にあります。“出産という概念が存在するよりも前に生まれた万神(ばんしん)の母”、“(いま)いまし、(むかし)いまし、やがて来たるべき者”。

 面白いところでは“アルテミス”と、呼ばれたこともありました。“アルテミス”とは本来、(わたくし)(かたど)って作られた像の最初期の作品に付けられた名前だったりしたのです。現存する女神アルテミスは、遥か昔、ギリシア神話の発生と同時期に、(わたくし)から切り離された神格の一部が、自我を持ち生まれた女神。そう言う意味での、“万神(ばんしん)の母”でした。

 (わたくし)は、“死”です。“メーティス”という言葉は本来、“ヴェールをかぶる”という意味でありました。つまり、“決して(のぞ)いてはならないもの”、それは“至高(しこう)の女性の知恵”を意味するのです」

 

 俺から見ると、メーティスはちゃぶ台をはさんで向かい側、俺の対面に正座して、(もも)の上に両手を置いている。その状態でしゃべっている。

 でも、何も感じない。気迫(きはく)も、存在感も、まるでここにはいないみたいだった。

 

(わたくし)の信仰が始まったのは、古典期のギリシア神話から数えて、数千年くらい前……でしょうか。その頃からずっと、“人”を()ておりました」

 

 メーティスはスッ、と目蓋(まぶた)()ざす。

 

「“メーティス(ヴェールをかぶる者)”の顔を見ることは出来ません。しかし、(わたくし)は“死”です。ということは、死んだ者であれば見れないこともないのです。つまり、(わたくし)()うことが出来るのは、原則、巫女を除いては死者だけなのですね」

 

 そして目を閉じたまま、少し顔をほころばせた。

 

「死んでは生まれ、死んでは生まれる循環を、(わたくし)はずっと()ておりました。大切な人たちから『我が子になってくれ』と言われたのだとはしゃぐ子ら。それから、素晴らしい人と出逢(であ)えた、と語ってくれた娘もおりました」

 

 メーティスは楽しげに語る。その内に、目一杯(めいっぱい)の情動を込めて。

 

「そんな(わたくし)の終わりは、“父権制(ふけんせい)”と共に始まったのです」

 

 “父権制(ふけんせい)”とはつまり、“世界は大いなる母からではなく、至高の父から誕生した”とする考え方の事だ。

 

「紀元前十世紀。古代ギリシア人はアマゾーン族の都市アテナイを侵略し、父権制がスタートします。

 そして英雄たちと神々は、“自然”と“女”とを支配しました。天と地はもはや循環し(めぐ)るものではなくなった。その二つは永遠に分裂したのです。ギリシア神話の中で英雄たちは、自然を怪物に見立ててこれを侵略し、制服し、直線的な様式に書き換えてしまいました。そして、女もまた、野性的なものとして認識されたのです」

 

 メーティスは左手の、人差し指を一本立てた。

 

「女性はどちらかというと、“良いか悪いか”よりも“好きか嫌いか”で動く事が多いでしょう? 

 自分の大切な人が大怪我を負いながら他の誰かを助けた時、純粋にその成果を喜べる女は多くない。心配が先に出てしまいますから。

 そして、その人に向かって『ボロボロになっても、苦しみぬいて死んだとしても、それを続けろ』という事もまた、ありません。名も知らぬ誰かよりも、目の前の、その人の方が大事ですから」

 

 ですが。と言ってメーティスは、中指も立てる。指を、二本。

 

父権制(ふけんせい)において、コレは“悪”でしかありません。父権制、つまり男性原理は直線的な様式です。価値観の固定化こそがその真髄、よって“正しい事をしようとする者に対して邪魔をする事”がすべて“悪”になります。

 正しい事をしようとしている自分を妨害する(やつ)が“悪”であるならば、それを倒し、痛めつける行為は“正義”でありましょう。そして、“良いか悪いか”を絶対的な基準にしない女という生き物は、“野性的”で“邪悪”なもの、と分類されてしまったのです」

 

 そうして、ギリシア神話では“自然”と“女”とを化け物と呼び、それらを倒す者を英雄と呼んだ。()の神話における怪物を思い出して見るといい。大抵は、女であるか大地母神(ガイア)の子孫だ。

 

「紀元前七世紀、都市アテナイは陥落。古代ギリシア人は女神アテナを自分たちの守護(しゅご)女神(めがみ)に作り変えます。この頃から、古代ギリシア人は自らを“アテーナイ人”だと呼称するようになるのです」

 

 メーティスは淡々としている。正座をした状態でまるで書物を読み上げるかのように、その歴史を語っていく。

 

「紀元前六世紀、女神メーティスの祭儀(さいぎ)途絶(とぜつ)し、聖域は犯され、森の木々は切り倒され、(わたくし)の巫女たちは強姦され、その偶像は砕かれ、男性原理に支配されました。(わたくし)の力の一つである“ゴルゴーンの仮面”は当時でも広く知られていましたが、それでも、(わたくし)の権能は悪魔の力とされました。この時から、(わたくし)(みにく)い化け物になったのです」

 

 メーティスは顔を上げた。この時やっと、俺と彼女は目が合った。

 

(わたくし)はかつて、“神々の中で最も知恵あり、最も偉大な原初の母”と(うた)われておりました。だからこそ、ゼウスに犯され、()み込まれたのです。(わたくし)の知恵と血統を、(おの)がものとせんが(ため)に」

 

 メーティスが教えてくれた。ゼウスに犯されて最も辛かったことは、彼女の変身能力を強姦に使われた事だと。

 ゼウスがメーティスを()み込んだ事で、メーティスの能力は全て奪われたわけだが、その中に変身能力があったのだと言う。メーティスはゼウスから逃げる為にこの変身能力を駆使(くし)して撹乱(かくらん)した。だが、アマゾネスの女王を凌辱された事で走った動揺を突かれて捕まり、奪われたこの能力を、ゼウスは女を犯すために使っている。それが、何よりも(くや)しかった、と。

 

「ゼウスは、(わたくし)の知恵が欲しかった。(わたくし)の力が欲しかった。だからこそ、侵攻してきたのだと思います。そしてそれを奪うため、アマゾーン族を、(わたくし)を殺すことにした」

 

 正座をしているメーティスの全身に、一瞬力が入った気がした。

 

「そう易々(やすやす)とは殺させない。(わたくし)自身も、手にかかるつもりなど、毛頭(もうとう)ございませんでしたから、(こう)する事にいたしました」

 

 ———それが、いけなかったのかも……しれませんね———

 

「彼らは抵抗(それ)が、とても怖かったのかもしれません。結果、彼らは頭を悩ませて、とても巧妙な手口(てぐち)を思いついた。(わたくし)専用の滅却(めっきゃく)封印、一千年以上の時間を必要かとするかわりに、万に一つの逃げ道をも塞ぐ大儀式。その名を——“Fate/stay night”と、申します」

「“Fate”ですか」

 

 セイバーが声を出す。俺が横目で確認すると、セイバーと目が合った。セイバーはメーティスへと視線をうつした。

 

「いえ、英語だったもので、ふと疑問に思ったのです」

「不思議ですか? ちゃんと理由もあるのですが……せっかくですし、アルトリア。貴女(あなた)はこの術式を、どういったものだと思いますか?」

 

 メーティスはセイバーを見て、目を細めた。

 セイバーはちょうど、目を伏せていた。

 

「“Fate”というと、どうでしょうメーティス。運命神と関係があるのですか?」

 

 運命神というと、ギリシア神話ではモイラ三姉妹(モイライ)だろうか。それとも、彼女たちの母とされたアナンケーも候補に上がるが……

 なんて考えていると、フフッ、という笑い声が聞こえてきた。顔を上げた俺は、メーティスと目が合った。

 その笑い声は“思わず笑ってしまった”というよりは、“こっちに気づいて欲しい”と言った(ふう)だった。

 

「アルトリアはともかく、貴方(あなた)には思い当たって欲しかったです、士郎」

 

 と、言われでも、思い当たる節がない。確かに俺は魔術やら神秘やらと関わっているけど。それでも、ギリシア神話をちゃんと読んだのはメドゥーサと出会ってからだし、そんな人間がすぐ思い当たるものなんて、と。

 ここまで思考を巡らせて、始めて気づいた。自分の、間違いに。

 

「お前のことか? メーティス。運命の神“が”封印するのではなくて、運命の神“を”封印するのか」

 

 メーティスは、嬉しそうに答えてくれた。

 

「ええ、“Fate/stay night(夜に留まされし運命の神)”というこの大儀式の名は、その術式の第一工程からとって名付けられたものですが。

 まず、(わたくし)を夜に封印する、ということです」

「どうやって?」と、俺は聴いた。

 

「女神なんて存在を、どうやって夜に封じたんだよ」

「ギリシア神話の記述と同じですよ、士郎」

 

———【ゼウスは、彼が近づくのを()けるために様々な形に身を変じたメーティスと交わった。彼女が(はら)むや時を(いっ)せず()み込んだ】———*1

 

「あの時からメーティスという神は存在しなくなりました。ですが、死んだわけではありませんよ。メドゥーサとして生き延びました。もっとも、存在ごと呑み込まれたのですから、記憶を継承することは叶いませんでしたけれど」

 

 メーティスは穏やかに笑っている。その顔を見ながら俺は、少し違うことを考えていた。

 メーティスは名を捨て、記憶も捨てた。だが、自分の根幹は護り通したのかもしれない、と。

 “ Metis(メーティス)”はギリシア語で“女性の知恵”を意味する。そして、サンスクリット語で“女性の知恵”を意味する言葉は“ Medha(メードゥハゥ) ”だ。知恵の女神を表すこの言葉が、ギリシア語的になまると“Medusa(メドゥーサ)”になる。

 確かに、メーティスは名も記憶もなくしたかもしれない。だが、名は体を表すように、メドゥーサもまた、メーティスの一つの側面(オルタネイティブ)でもあったのだ。

 

(わたくし)の宝具を、お見せしようと思います」

 

 メーティスは右手を真っ直ぐ横に伸ばして、その手をギュッと握った。

 彼女の右手が握りこまれる瞬間、その手は取っ手を掴んでいた。小ぶりな、盾の取っ手を。

 

「仮面、ですか?」と、セイバーが聴いた。

 メーティスはその盾をちゃぶ台の上に置いて、俺たちにも見えるようにしてくれた。

 それは、顔のついた盾だった。噂に聞くゴルゴーンの顔かとも思ったが、覗いて見ると全然違う。そもそも、この顔は作り物、盾の表面に彫られただけのものだった。

 

「仮面のついた盾。しかしこれは———」

「ええ、この顔は“ゴルゴーンの顔”ではありませんよ。ですが、ゴルゴーンでは、あるのですけれど」

 

 メーティスは(たの)しげに笑う。俺たちをからかって(たの)しんでいる感じだ。

 

「宝具の名称を、“ゴルゴーンの仮面神盾(ゴルゴニス・アイギス)”と申します。

 ゼウスの持つ宝具、“ギリシア神盾(アイギス)”の原典に位置付けられるもの。“ゴルゴーン”とは本来、“女の怖い顔”を意味します。人間誰しも、絶対に逆らえない怖い女が、存在した時期がありますでしょう? 

 ———母親です。幼子(おさなご)にとって(いか)った母という存在は、神の天罰にも等しい恐怖を呼び起こすものなのです。

 この盾は、その“幼子(おさなご)にとっての(おこ)った母”という概念を、仮面として彫り込んだもの。(わたくし)はこれを、アマゾーン族に渡しておりました」

 ですから本当なら、アマゾネスの誰かの宝具になるべきなのですが。と、メーティスはこぼした。

 

 彼女は正座したまま盾を取り上げ、俺たちに向かって、構える。

 

「士郎、アルトリア。どんな形でも構いません。(わたくし)を攻撃していただけませんか?」

「? なぁ、メーティス。その宝具の性能を確かめたいなら、外でやった方がいいんじゃないか?」

「それには(およ)びません。被害など出ませんから」

 

 そこまで言うなら、ということで、俺はセイバーに目配(めくば)せする。目と目が合ったセイバーは、その右手を、左から右に振り抜きながら聖剣を取り出して———

 

「なっ———ッ——————!!」

 

 セイバーが、固まった。

 

「石になったわけでは、ありませんよ」

 

 メーティスの声が割り込んできた。

 

(わたくし)に攻撃しようとしなければ、アルトリアは自由に動けますので」

 

 というメーティスの言葉を聞いたセイバーが右手を下げる。一度セイバーは太腿の上に手を置いてから、その右手を見て、ニギニキしていた。

 

「この宝具、“ゴルゴーンの仮面神盾(ゴルゴニス・アイギス)”は対精神宝具です。能力は、“攻撃意図の抑止”。この盾の表面にある仮面を(わたくし)の目として機能させ、相手の『攻撃しよう』という意志そのものを縛る精神防御です」

 

 メーティスはそれをもう一度、ちゃぶ台に置いた。

 

「サーヴァントという特殊な枠に押し込められているからか、この宝具は今、手元にあります。ですが本来は、古代ギリシア人に侵略された時に奪われてしまいました。

 そして、何の因果かこの盾は、ギリシア世界において神々の主権に必要不可欠なものになってしまったのです。散々にやんちゃをしたからか、ゼウスですらこの盾がないと、()の神々を支配することができなくなった」

 

 他神話の女神から奪った盾を使わなければ、自陣営の神々すら従えることができなくなった時、ゼウスは、いくつかの選択を迫られることになる。

 

「そして、ゼウスは決断したのです。

 ゴルゴーンの仮面神盾(ゴルゴニス・アイギス)は、その始まりから自陣営に存在したギリシア神盾(アイギス)であったと、歴史を書き換えてしまおうという決断を」

 

 メーティスはゆっくり目を閉じた。

 

「だからこそ、何としても、メドゥーサの首を刈り取ってしまう必要があったのです」

 

 ペルセウス神話は、数あるギリシア神話の物語の中でも、特に異質である。なにしろ、勇者ペルセウスは、ギリシア世界で最も神々の寵愛(ちょうあい)を受けた英雄なのだから。

 ———ペルセウスに与えられた宝具は五つ。

 空を駆ける羽のサンダル。

 被った者の姿を消す兜。

 女神(アテナ)より贈られた鏡のように磨き上げられた青銅の盾。

 首狩りの鎌ハルペー。

 そして、魔物の首を収める袋、キビシス。

 ギリシア史上、これほど多くの宝具を与えられた勇者がいただろうか。それも、だった一つの魔物を狩るためだけに、である。

 ペルセウスは勝利するに相応(ふさわ)しい装備を持ち、敗北に(おちい)らないために多くの情報を心に刻んだ。

 信頼に足る武装と、それを支える戦略と知恵を(さず)かった。(いま)だ見ぬ敵、(いま)だ訪れぬ魔境であろうと、ペルセウスには欠片ほどの恐怖もなかった。

 どうしてだろう。どうしてこれほどに、神々はペルセウスに“魔物”を倒して欲しかったのだろうか。どうして、メドゥーサの首を確実に持ち帰られるよう、キビシスまで渡したのだろうか。

 

 ペルセウス神話は、数あるギリシア神話の物語の中でも、特に異質である。なにしろ、勇者ペルセウスは、ギリシア世界で最も神々の寵愛(ちょうあい)を受けた英雄なのだから。

 ペルセウス神話において、ペルセウスはアテナの助力なしにはその伝説を()()なかった。彼の冒険の間ずっと、彼を教え導いたのは、紛れもなくアテナだった。

 この神話は、メドゥーサの力の根源をアテナが簒奪(さんだつ)する物語だ。メドゥーサを見つけ出して、これを殺す方法を知っているのは、アテナだけなのだから。

 

「なんでアテナなんだ?」

 

 ふと、俺は聴いた。

 

「メーティスを呑み込んだゼウスが、頭からアテナを産んだのは知ってる。でも、メーティスの力を奪ったのはゼウスなんだろ? メドゥーサを殺したいと思ったのもゼウスなんだろ……だったらどうして、ペルセウスを導いたのがアテナなんだ?」

 

 メーティスは、ポカンと目を見開いた。

 

「おや? 気づかなかったのですか? 

 古代アナトリアの言葉、イオニア地方の方言でAthene(アテーネー)といえば、“知恵”を意味するのですよ。

 つまり、(わたくし)のことです。厳密には、まだ子供であった頃の(わたくし)、“メーティス・リリィ”とでも言いましょうか」

「あれ?」 

 

 俺は、手を顎に当てて首を捻った。

 

「なら余計におかしいじゃないか。メドゥーサもアテナもメーティスと同じなら、自分で自分を殺したのか?」

 

 俺が聴くとメーティスは、目を閉じて首を振った。

 

「まさか。これは、そう言った大層な話ではありません。ミステリ小説の手法と同じですよ、士郎。()()()()()()()()()()()()

 

 メーティスは目を開き、もう一度首を振る。それは、なんとも言えない表情で、俺には彼女の感情を、読み取ることが出来なかった。

 

「女神アテナなど、存在しません。その当時、(わたくし)はメドゥーサとなって、形のない島に幽閉されていましたから、ペルセウスに語りかけるなど、出来ようもない事です。

 士郎は、気になった事はありませんか? 

 アテナが英雄的行動に、とてもよく理解を示す事。

 アテナが女よりも男の味方をすることが多い事。

 アテナの思考形式が男性寄りである事。

 一応、(わたくし)とゼウスとの子、ということになっているのに、女神ヘラと仲が良い事。

 そして何より、やたらとゼウス贔屓(びいき)である事に」

 

「むっ」と、唸る。

 確かに、言われてみれば、引っかかる点があるにはある。

 俺は何か言おうとして、何も言えなかった。

 

「アテナ自身が『私に産みの母はいません』と、口にしています。彼女に母親はいない、つまり(わたくし)の娘ではありません。

 ゼウスの空想(あたま)から生まれた女神、アテナとは、ゼウスの女体化した姿なのです。アテナがゼウス贔屓(びいき)なのは、実は本人だったから。

『女はいわば、畑を貸しただけだから親子じゃない』などと言えるのも、また(しか)りです」

 

 メーティスは続けた。だからこそアテナは絶対に、男との性行を拒否し続けていたのだと。

 

(わたくし)の知恵と力を奪ったゼウスは、アテナに変じてペルセウスを導いた。万が一にもメドゥーサ(わたくし)を、殺し損ねることの、ないように」

「そうやって、メーティスは死んだのか」

 

 俺が呆然としているとまたしても、メーティスは柔らかく笑ったのだ。

 

「それが違うのです。(わたくし)が本当に死んだのは、ブリテンで、なのですか———」

「なんだとっ!」

 

 セイバーが反応した。

 思わず身を乗り出したらしいセイバーが、(まばた)きを二つ、正座に戻った。

 

「それは、本当なのですか?」

「ええ、勿論(もちろん)(わたくし)が死んだのはまさしく、アルトリア・ペンドラゴンが死んだ、まさにその瞬間なのです。

 もっと言うと、アルトリア・ペンドラゴンが死ぬことで、(わたくし)の命の(ともしび)が消えた、ということですね」

「私のせいで、貴女(あなた)が死んだと言うのですか」

「いいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうだ、メーティスはずっと、俺たちに笑いかけていた。それこそ、土蔵(どぞう)に現れた時から、ずっと。

 今も、ずっと笑っている。

 

(わたくし)安堵(あんど)したのです。ですから、貴女にもお礼が言いたい。

 アルトリア、(わたくし)を殺してくださって、ありがとう」

 

 そう言って、メーティスはもう一度三つ指をついて、とても綺麗な座礼をした。

 

 

*1
アポロドロースのギリシア神話、高津春繁訳。第一巻〔lll〕より抜粋。






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]


———第十九話、それぞれの切り札


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《第十九話、それぞれの切り札》

 

 

(わたくし)を、殺してくださって、ありがとう」

 

 そう言って三つ指をついたメーティスは、その理由を教えてくれた。

 

貴女(あなた)のお陰で……いいえ、貴女(あなた)と花の魔術師のお陰で、(わたくし)は、あの時、貴女(あなた)と共に死ねたのです」

 

 三つ指をついたまま、もう一度頭を下げる。

 

()(めん)なさい、アルトリア。(わたくし)滅却(めっきゃく)封印を、Fate/stay nightの呪いを、ブリテンにもたらしてしまったから」

 

 顔を上げたメーティスは、正座のまま、右手をセイバーに伸ばした。

 

「アルトリア、(わたくし)の手を取って」

 

 頭の中が疑問でいっぱいらしいセイバーが、メーティスの右手を下から取ると、光が、流れてきた。

 メーティスの胸のあたりから溢れ出した光は、周囲に粒子を漂わせながら彼女の右腕に移動した。まるで熱が伝わるように、メーティスの右手からセイバーの右手を伝って、セイバーの胸の中に潜っていった。胸から漏れ出していた光の粒も次第に弱くなり、その全てが胸の中に収まった頃、セイバーは右手を繋いだまま、左手で胸を、柔らかく押さえた。

 

「これは———」

「不思議に思ったことはありませんか? 

 選定の剣はどうして自分を選んだのだろう、

 どうして自分は男装して王をやっていたのだろう、

 どうして、あれだけの精鋭を集めた円卓の騎士たちがギリギリの戦いを()いられる程に、攻めてくる敵は強く、数は多かったのだろう……と」

「ッ———それは……」

「あの時、ブリテンの王になるのは、()()()()()()()()()()()()のです」

 

 メーティスは右腕をふわっと上げて、セイバーの左手で包まれた彼女の胸の奥を指差した。

 

「理由は、ブリテンを救うため。何故なら、(わたくし)を殺す呪い“Fate/stay night”の最終地点、最期(さいご)()(しき)(じょう)はブリテンだったのですから」

「——うん? どういう事だ。ブリテンでメーティスを殺す儀式を、やったってのか?」

 

 俺は首を捻った。メーティスはギリシア神話出身だ。それが何で、ケルト神話の色が濃いブリテンなんかで……

 

「と言うより、ブリテンという国そのものが、ひとつの儀式場だったのですよ。アマゾネスの子孫にあたるケルト民族を抹殺し、ブリテンごと滅ぼすことで、(わたくし)の信仰に終止符を打つための」

 

 メーティスは言う、ケルト民族はアマゾーン族の正統な後継(こうけい)民族(みんぞく)にあたるのだと。アマゾーン族の女戦士、アマゾネスたちは世界で初めて馬に乗って戦った“原初の騎馬民族”として有名だ。“ライダー”という言葉は、アマゾネスをさす言葉だった。

 アイルランドでは、 七世紀にキリスト教の法改正があって、女性は武器を取ることを禁じられたが、 それまでは女性の兵士がいたのだった。

 ケルト(しょ)()(けん)では、 九世紀以後、女性で武器を取る者には「魔女」のレッテルが貼られてしまった。だが、十七世紀まで、花嫁衣装の腰帯(こしおび)にはナイフがさしてあった。十八世紀まで、女性たちは男装し、馬にまたがり、男性と並んで戦ったのだ。

 

「アルトリアの時代でなら、まだ残っていたはずなのですが……

 覚えておりますか? “エポナ”という、神の名を」

 

 メーティスはジッとセイバーの瞳を(のぞ)いた。それは何かを確信しているようで。あるいは何かを、願っているようで。

 

「エポナ———ええ、覚えています。

 ブリテンにおいて、騎士階級の者は皆、()の神を信仰していた。『アフィントンにあるエポナを、一度は目にしておきなさい』と、命じたこともありました」

 

 セイバーの(こた)えを聞いて、メーティスは安堵した表情をした。緊張も抜け、柔らかな笑みになった

 

「“エポナ”という(めす)(はく)()は、(わたくし)の使いだったのです。エポナの背中には、いつも(わたくし)が乗っていました。

 メーティス(わたくし)の死後、あの子にはずいぶんな()(たん)を押しつけてしまって」

 

 アーサー王物語は、その始まりから破綻していた。どうあってもブリテンは滅びるしかなく、どうあっても民たちは死ぬしかなかった。

 “Fate/stay night”とは、そういう儀式だったのだ。

 ———それは、ブリテンという国を丸々ひとつ使って行われた大儀式。

 アーサー王と彼女が築いた国を滅ぼすことで、女の世界から男の世界へと変革するもの。

 アルトリアとは、“Artoria”と表記する。語源は月の女神Artemis(アルテミス)貞操(ていそう)と狩猟を司る女神だ。

 アーサー王は当時のケルト民族がアルテミスのことを“Art(アルト)”と縮めて呼んだことに由来する、アルテミスの(うつし)()のこと。故に、アーサー王は女性である必要があった。メーティスの最初期の像には、特別に名前が付けられていたのだ。

 その名を———そう、“アルテミス”。

 メーティスの、“女”と“母性”と“夜”の側面につけられた名前、“アルテミス”の名を冠する王によって国が(おさま)る事。その国ごと、王を滅ぼすこと。

 そうする事によって、人々から完全に、メーティスの神格を削ぎ落とすことに成功した物語、それが、“アーサー王と円卓の騎士”の物語だった。

 

 これより(のち)は、男の世界となったのだ、と。

 

「———そうです、アルトリア・ペンドラゴン。我が最期(さいご)祝女(はふりめ)よ」

 

 メーティスはセイバーの胸に突きつけた指先に力を込めた。

 すると、メーティスの指先とセイバーの体が感応し、共に光を放ち始める。

 

貴女(あなた)は、(わたくし)形代(かたしろ)にして、メーティスという女神を滅ぼす、最後のピースでもありました。

 ———ですが」

 

 ですが、と。メーティスは一度言葉をためた。そして今度は、心から楽しそうに、俺とセイバーに笑顔を見せた。

 

「魔術師マーリンの手によって、結末がわずかに変わったのです。

 ———(わたくし)にとっての最期(さいご)の巫女である貴女(あなた)が、メーティスの巫女としての資格を持つ娘(モートレッド)に殺される。

 それはつまり、ブリテン(あなた)の一族が“メーティスの存在を必要としなくなった”という事でございますから———その瞬間、アルトリア・ペンドラゴンの死と共に、(わたくし)もまた絶命したのです。

 かくして儀式は完成し、

 ———そして(わず)かに、ブリテンの民の命は残った」

 

 これにて、お仕舞(しま)い。

 

 メーティスは拍手(かわしで)を打ち、(まばた)きをひとつ。彼女の視線の先には———

 

「アルトリア、選定の剣の台座には“(わたくし)の巫女となれるか否か”を選定する術式が付加されていたのでしょう。そういう意味で、あのマーリンという男はとてつもない成果を上げた。王となるのが貴女(あなた)でなければ、民の命すら残らなかった(はず)ですから」

「……そう、ですか」

 セイバーは、唾をひとつ飲み込んだ。

 俺は横目で、セイバーの手に力がこもったのを、確認した。

 

 そして、メーティスは身を乗り出して、セイバーの目を覗き込んだ。

「心より、御礼(おんれい)申し上げます」

 

 そして

 

「———ありがとう、ございました」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———それは、奇跡のような会合(かいごう)だった。

 この世で、たった一度しか起こり()ない会合(かいごう)だった。

 聖杯戦争という、特殊な状況だったこと。にもかかわらず、美綴綾子の手によって、大聖杯が三つに分割されていたこと。

 それに何より、アルトリア・ペンドラゴンはセイバーのサーヴァントとして、死の()(ぎわ)に召喚されたため、この聖杯戦争中は()()()()()()()()()()()()()()()()こと。

 メーティスは、アルトリアと共に死ぬ。だから逆に、メーティスという女神は、この聖杯戦争の間だけ、奇跡のようにかろうじて、存在することが許される。

 その、ほんの(わず)かの期間の間に、衛宮士郎が、彼女の存在に気づいたこと。

 まさに、奇跡のような会合(かいごう)だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「———あの、メーティス神……少し、よろしいですか?」

 

 話がひと段落したことで、士郎がご飯を作っている間、一息ついているメーティスに、アルトリアが話しかけた。

 

「“メーティス”、で()いですよアルトリア。(わたくし)の権能は様々に分割され、ギリシアの女神たちに譲渡されました。かつてはともかく、今の(わたくし)(しぼ)りカスのようなもの、何の力もない、ただの女なのですから」

 

 先ほどにもましてポワポワした感じの漂うメーティスは、アルトリアの呼び方を(たしな)める。

 アルトリアは少しの間目を(つぶ)って、うんっと頷いて、もう一度目を開けた。

 

「では、メーティス。聴きたいことがあるのです」

「はい、何でしょう?」

「その……シロウのことなのですが」

「士郎が、どうかしたのですか?」

「シロウのことを、リンが『プログラムのよう』と言っていました。しかし私には、どうもそうは思えないのです」

 

「ああ」と、両手の指先を合わせるメーティス。その顔には納得が浮かんでいた。

 

「士郎と凛は、全く別のものを見ていますからね」

 

 メーティスは、ちゃぶ台の上に置いてある盾に、人差し指をはわせる。

 

「同じ出来事でも、見え方が違う。別の角度から同じものを見ているようです。

 あの二人の感性は、絶対に相入れません。絶対に、です。

 理由は、いくつかありますが」

 

 メーティスの人差し指がトン、っと盾の表面をたたく。盾は、空気に溶けて消えた。

 

「アルトリアは、自分の正しさを信じられますか?」

「それは…………それはいったい、いつの事を———」

「この時、反応が二通りに別れるのですよ。真面目に考えようとする人と、考える事をしない人です」

 

 メーティスが右手の指を二本伸ばした。アルトリアからは、ピースサインに見えた。

 

「アルトリアは間違いなく前者ですね」

 

 メーティスが人差し指をピクピク動かした。アルトリアは、その人差し指を意識に入れる。

 

「自分と感情とを切り離した上で、自身の行いを(かんが)みて、その行動は正しかったのか、と考える。これは、自分の感情や衝動と、出来事を分けて考えるから、ですね」

 

 ちゃぶ台の上を、つつーッと人差し指が走る。その指はアルトリアとメーティスの、真ん中で止まった。

 

「目の前で、(した)しい誰かが殺された。

 狂おしいほどの憎悪がある、どうしようもないほどの衝動もある。でも、それをぶつけて、誰かが戻ってくるでもない。

 実際は、たまたま運が悪かっただけ。たまたま、最悪の形で運命が交わっただけ。そこには事実があるだけで、“事実(それ)感情(これ)とは別”、なのでしょう?」

 

 ちゃぶ台の真ん中を軽くたたく人差し指に代わって、今度は中指がリズムを刻む。

 

「でもねアルトリア、みんなが“そう”ではないのです」

 

 トン、トン、と。ちゃぶ台から鳴っていた音が消えた。

 

「遠坂凛は、多分違う。

 彼女の場合は、きっと、“その行いが正しいか否か”よりも“自分自身の好き嫌い”が軸にあります。ですから、正しさを信じることに、意味などないのですよ。遠坂凛、個人にとっては」

 

 士郎なら凛のことを、『自分が楽しむことを知っている』と言うのでしょうね。と、微笑むメーティス。

 

「そういう意味で、士郎と桜は同じです。二人とも、自分を信用していない。もっと言うと、“自分の感覚と大勢の人の感覚とが、まるで違うことに気づいている”のです」

 

 アルトリアが聴きたがっていたことですが。と、メーティスがうつむいた。

 

「自分がされて嬉しいことと他人がされて嬉しいことが、同じではない。自分だったら平気で我慢出来ることでも、周りの人たちは耐えられない。

 自分の感覚でコミュニケーションを取ろうとすると、二人は必ず、周囲との不協和を引き起こすのです」

 

 たとえ上辺だけだったとしても、周りとうまくやっていく為にはどうすれば良いのか。

 士郎も桜も、自分の感覚を信じことをやめたのだ。とメーティスは説明する。

 自分がどれだけ苦しくても、顔を上げて周りをみる。周りの人達の泣くのを見て、やっと、自分も泣いていいんだと理解する。

 

「自分の感覚を信じることが出来ない人は、どうやって生きたらいいのでしょう。何を基準に世界を見たらいいのでしょうか。

 士郎と桜との違いはたった一つだけ、“何を基準に選んだか”です。

 桜は、自分の周囲の人の反応。士郎は、一般的な善悪(ぜんあく)()(ろん)です」

 

 他人を助けるのは良い事だ。人を殺すのは悪い事だ。誰かの悪口を言ってはいけない。など、社会通念と呼ばれるものは往々(おうおう)にして存在する。士郎はそれを、()(どころ)にしたのだと。

 

「ヒトは、経験もなく想像もできないものや、共感できないものを信じられるようには出来ていません。凛が士郎を“プログラム”と呼んだのは、きっと、士郎は“一度決めたことを曲げられない”から。それは、感情がないからではありませんよ、士郎の基準があくまでも、一般観念であるからでしょう。凛にはまるで、コンピュータ・プログラムのように、最後まで貫き通すと見えてしまう」

 

 メーティスは急に真顔になった。

 

「もしも、ですけれど……もしも、アルトリアが士郎に———」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「———それは、理想ですね」

「ええ、まさに。ですが、アルトリアと士郎だけが、その(とおと)さを知っている。理想を、ただの言葉としてではなく、その輝きを()の当たりするには、理想が理想のまま、現実に存在しうることを信じてみる必要があります。『有り得ない』と切り捨てるのではなく、『気持ち悪い』と吐き捨てるのでもない。自分の中にも、理想があるのではないかと、信じてみること。

 とても、難しいのですよ」

 

 俺がお盆を持って自室に戻った時、メーティスとセイバーは(ひたい)を突き合わせて話し込んでいた。

 

「簡単なものだけどさ。作って来た、食べてみてくれ」

 

 俺はお盆を床に置き、上に乗っているお皿をちゃぶ台に置いた。

 おむすびだ。

 それぞれの湯飲みをセットして、俺もまた、床に座った。

 

「二人とも、何の話をしたたんだ?」

「“理想”と“願い”の話です、シロウ」

 

 俺を振り返ったセイバーは、どこかスッキリした顔をしていた。

 

「———そっか、良かった」

 

 それなら俺も嬉しいと、二人に笑った。

 

 おむすびの具はオカカだけだ。上手いこと具になりそうな食材がなかったので、常備してあるかつお節を使った。

 それでも、「美味しい」と言って食べてくれていると、衛宮士郎としてはとても助かるのだ。

 俺の味覚とみんなの味覚とのズレを確認して、どれくらい調整すれば良いかを再確認できるから、とても助かる。

 

「ねぇ、士郎。明日お出かけしませんか?」

 

 メーティスは滑るように距離を詰めてきた。崩した正座で、俺の横までやって来た。

 

「“デート”をしましょう?」

「いくら何でも、それはマズいんじゃないか?」

 

 俺は両手を見せて牽制した。

 桜は捕まった。慎二と遠坂は焦っている。この状況で———

 

「大丈夫ですよ、(わたくし)は行きたいんです」

「メーティスは行きたいかもしれないけど———」

「だから士郎も行きましょう? ね、お(いや)?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 メーティスという女は色の白い肌をしていた。そのせいで、大きな目が一層強調されている。何色とも言い切れない彼女の瞳は、見つめると引き込まれそうになるくせに、見つめられると重圧にのしかかられている気分になる。

 アルトリア・ペンドラゴンは、メーティスの目の中にあらゆる感情を見たかと思うと、次の瞬間には、無機質な感情のこもらない目に見えて、彼女の瞳から逃げたくなる。

 だが、今日この状況では、メーティスの瞳も一貫して、わかりやすく輝いていた。

 

 そう、メーティスと士郎は出かけることになったのだった。

 

 メーティスは“デート”だと言い張っているが、外出の趣旨としては美綴綾子の、次の儀式場を特定することだ。

 

「士郎。このあたり一帯の霊地を、案内してくださいな」

 

 メーティスは昨日にも増して上機嫌に見えた。昨日の彼女は嬉しさを全身から発散し続けていたが、今日の彼女は楽しさが立ち昇るかのようだ。

 

「まずは、ここかな」

 

 士郎が最初に案内したのは、遠坂凛の家だった。

 広大な敷地の中に浮かび上がるレンガ造りの洋館。前庭から伸びるツルが侵食してきている。

 

「遠坂の家だ。冬木市でも例外なく、こういう霊地は誰かが握ってる。大規模な儀式をやりたいんなら、事前準備を邪魔されないように魔術師の工房になってない場所にするんじゃないか」

「では士郎、工房になってない場所への案内、お願いしますね」

 

 士郎とメーティスの会話を一歩引いて聞いていたアルトリアは、ここに来るまでの二人のやり取りをおおよそ全て見聞きしていたが、メーティスの感情表現には脱帽するばかりだった。

 メーティスは感情の一切を隠そうとしない。周りの状況に対する自分の心の反応の全てを、ストレートに示し続けてきた。子供のように真っ直ぐに、士郎に心を開示する。嬉しいなら「嬉しい」、楽しいなら「楽しい」と、全身で表現するメーティスに、アルトリアは気おくれしたのだ。

 だからこそ、今もこうして後ろから、二人を見ながら、小さな歩幅でついていく。

 

 何度めかの目的地、冬木市中央公園にたどり着いた時、メーティスは初めて、行き先を指定した。

 

「士郎。先ほど、通り過ぎた川にもう一度足を向けてくださいな」

 

 “先ほど通り過ぎた川”とは、“ 未遠(みおん)川”のことだ。冬木市中央を分断する川で、深山(みやま)町と新都の境界線。竜神が住む川という言い伝えがあり、それを鎮めたのがかつての柳洞寺住職であったという言い伝えもある。

 士郎のウンチクにもいちいち反応するメーティスの声を聞き流しながら、アルトリアは二人に続いて、大きな川にやって来た。

 

「ここです、士郎」

 

 メーティスは、海浜公園に設置されていた手すりに肘を預ける。両肘に体重を乗っけて川の中を覗きこんだ。

 

「まず間違いありません。美綴綾子はここで、次の儀式を行うでしょう」

「なんで判るんだ?」

「この川が、冬木市の中心だからです。『“この世全ての悪”を世界にばら撒く』と、美綴綾子が言ったのです。それは、ただ(こぼ)すだけでどうにかなるものではありません。何かを使って、意図的に拡散させる必要があります」

 

 それが、未遠川(ここ)か。

 アルトリアはメーティスの隣に立った。ちょうど士郎もメーティスを挟んで、アルトリアの反対側に位置したところだ。

 

「この川も霊地ですよ、士郎。かつて龍神がいた川。冬木市の中心を流れる川。

 冬木市は、日本でも有数の霊地なのでしょう? ここ一帯は大規模な龍脈の流れる土地です。ここにあるのは“循環と流転”の象徴である“川”です。ここを汚染されることがどれほどの被害を(まね)くか、想像したくもありませんが」

 後手に回ると一瞬で持って行かれかねませんね。とメーティスがこぼすのをアルトリアが聞いて、質問した。

 

「メーティス、何か対処法はありますか?」

「……そうですね」

 

 メーティスは、決して士郎を視界から外さないようにしている。川を覗くのをやめて、少し上向きに考えていた。

 

「切り札を(さず)けます。それくらいなら、可能でしょう」

 

 メーティスが後ろにいくらか退()がる。アルトリアと士郎とを一度に(とら)えて、士郎の胸を指でなぞった。

 

「士郎の胸に眠るものと、あなた達二人の絆と。

 これだけあれば大丈夫です。(わたくし)の切り札と合わせて二つ。必ず二人を、美綴綾子に、届かさせてあげましょう」

 

 ふと、気になった。

 ふと気になって、アルトリアは士郎を見上げた。

 士郎は眉をゆるめ、目を大きく開けていた。

 

「俺もさ、あるには……あるんだ。“切り札”ってヤツ」

 

 まるで、士郎の胸の隙間から、想いが流れてくるようだ。全身から力が抜けている。指先がダラっとたれている。そして何より、士郎の瞳は優しかった。

 

「俺はこれまで、遠坂や桜と一緒に、戦地におもむいてきた。いろいろな戦いを経験した。

 ———だから、俺にもあるにはあるんだ。“必殺の一撃”ってヤツ」

 

 士郎が、顔を上げた。日がさし、士郎の顔を照らしていた。

 

「美綴には分からない。でも、スカサハには届くと思う。

 勝てる保証なんてない。でも、届かせることはできると思う」

 

 士郎の左手が、動く。

 それはまるで、腰に刺した鞘を掴んでいるような形だ。

 

「俺がいつも投影してるあの剣は俺が打ったもので、アーチャーが言っていたように魔剣でもある。

 その能力は、“(にな)い手が切れる確信したものを切り裂く”こと」

 

 “(にな)い手が切れると確信したものを切り裂く魔剣”、そんな剣に意味はない。

 切れると確信したものを切ることは、剣の世界では当たり前の話だ。バスケットボーラーはシュートが入るかどうかが先に(わか)るし、サッカー選手もボレーシュートなんかを決める時、「これは入るな」と確信していたりする。これと同じ。

 ようは、切れると確信できるなら、どんな剣を持ってきたところで切ることが出来る。切れると確信出来ないなら、偶然切られてくれることを願うしかない。そして、そんな偶然は訪れない。

 だから、“担い手が切れると確信できるものを切る魔剣”なんてものは、存在自体が無意味なのだ。

 

(なまくら)で、ガラクタの魔剣。俺はこの剣に“無逆(むげき)“と(めい)を彫ったんだ。名前の通り、逆境ではいつも助けられた」

 

 士郎が左手で握った架空の剣の鞘。その架空の剣の(つか)に、士郎の右手がそえられた。

 

「俺が一番得意な武術は、居合だ」

 弓も、居合と感覚が似てるから得意な方ではあるが。と、士郎。

 

「真名開放、なんてサーヴァントみたいな事はできない。俺の切り札はただの居合術だ。愛剣“無逆(むげき)”を使った、ただの居合。

 逆境でしか使えないような技だけど、それが切り札。俺の全てだ」

 

 士郎は鯉口(こいぐち)を斬り、架空の剣を、ゆっくりと抜いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「いいですね? 士郎」

「ああ、存分にやってくれ」

 

 その夜、三人して士郎の部屋に立てこもり、メーティスの()り行う儀式が始まった。

 士郎があぐらをかいて座る。その正面にメーティスが座る。士郎が目をつぶり、メーティスは士郎の胸を指さした。

 

「———では」

 

 メーティスの指がゆっくりと士郎に迫っていく。指先が士郎の胸に触れる。そのまま、胸の中にめり込んだ。

 

「——————んっ———っ」

 

 士郎がもらす声が、隣で座るアルトリアにも聞こえてきた。思わず右手に力が入る。ずっと握っていた士郎の左手が、ピクッとゆれた。

 人差し指の第二関節までめり込んだ指を、メーティスは引き抜いていく。指先が士郎の胸から離れたとき、本来なら血が出るところが、代わりに光が噴き出した。

 噴き出した光は粒子となって部屋の中に充満し、ゆっくりと回転しながら収束し、士郎とメーティスとの中間に、ひとつの物体を形作った。

 

 それは静かに浮いている。

 それは微かに発光している。

 それは———

 

「聖剣の……(さや)……」

 

 アルトリアは自分の右手が汗で濡れているのも、さっきまで掌から感じられる体温に緊張していたことも忘れて、右手を握り締めたまま、左手を、空中の(さや)に伸ばした。

 

「衛宮切嗣は、第四次聖杯戦争の(おり)、士郎の命を救う為に、聖剣の鞘を体の中に埋め込みました。それが、アルトリア・ペンドラゴン召喚の触媒であり、二人の絆の一辺(いっぺん)です」

 

 刀身を覆う方はせまく、鍔元にいくに従って広くなっている造形の、蒼色(あおいろ)と金色とを基調とした鞘。

 アルトリアの手が触れると、その鞘は実体となって、彼女の手の中に収まった。

 

「———ではお二人に、切り札を授けましょう」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ランサーがガヤガヤと引っ掻き回した夕食も終わり、残すは就寝のみとなった時、俺がふと疑問に思ったことを聴いた。

 

「なあ、なんで聖杯戦争は六十年周期だったんだろうな」

 

 食後の余韻にひたりながら、お茶を飲みながら、なんとなく思ったことが口をついて出たのだった。

 

「聖杯に魔力を溜めるため、とうかがいましたが?」

 

 バゼットさんが聖堂教会から入手した情報を明かしてくれた。その情報は、俺も、遠坂に聞いて知っていた。

 バゼットさんと向き合うようにして、その先の疑問を提出する。

 

「でも今回の聖杯戦争は、前回から十年しかたっていない。つまり、サーヴァントを七騎召喚しても、なお魔力が余り続けてたって事になる。聖杯にくべられるモノがサーヴァントの魂で、聖杯が願いを叶えるシステムが“脱落したサーヴァントたちが座に帰るためにこじ開けられる空間の穴”であるのなら、余剰分の魔力を用意しておく必要はないはずなんだよな」

 

 興味がわいたのか、セイバーとランサーの会話が止まり、二人が俺を見る。突然に注目されて、舞台に立たさせた気分になった。

 

「だいたい、聖杯戦争の開催周期を六十年に固定する必要はないと思わないか? “聖杯に必要な魔力が溜まった時点で聖杯戦争を開始する”と設定しておけば、第二次聖杯戦争や第三次聖杯戦争はほとんどタイムラグなしで始められた筈なんだよな。だって、サーヴァントの召喚分の魔力を溜めるだけでいいんだから」

 

 サーヴァントの召喚分の魔力を溜めるのに六十年かかるじゃないか、という質問はナンセンスだ。だって、円蔵山の大空洞で俺たちは感じているんだから、サーヴァントを七騎召喚してなお、莫大な魔力をたたえる大聖杯を。

 今回の聖杯戦争の開催が、それ以前より五十年も短くなった理由を遠坂は、『第四次聖杯戦争では、誰の願いも叶えなかったから』と言っていた。これは、サーヴァントの召喚だけでは、六十年かけて蓄えた魔力を消費しきれなかったことを裏付けている。

 ということは、だ。魔力が溜まってすぐに、次の聖杯戦争を始めておけば、もっとたくさんの回数をやれたはずなんだ。

 

「けれど、実際はそうならなかった。明らかに“聖杯に必要分の魔力が溜まること”よりも“六十年周期で開催すること”に重きを置いていた。今回がイレギュラーだっていうのなら、なぜ十年も待ったのか。二・三年で始めてもよかったはずなのに」

 

 俺は、思った以上に注目された。

 軽い疑問だったはずだけど、思いのほかみんなの興味を引いたようだった。

 

「つってもま、儀式ってのは場所とタイミングだ。どっちかでもズレたら上手くいかない以上、六十年ってのにもなんかしら意味があるんだろうよ」

 

 ランサーが頬杖をついて返答する。既に興味を失っていた。

 

「じゃあ、他にも何かの目的があったのか?」

「しらねーよ。こういうのは、考えたからといって解るもんじゃねえ。頭の片隅い置いときゃいいんだよ。分かるんなら、いつか分かる」

 

 ランサーはテレビをつける。トッ、と華麗にステップを決めて、たった一歩でテレビ前を陣取った。

 

「しかし、気になるのも事実です」

 

 ランサーを目の端で追っていたバゼットさんは俺に向き合った。

 

「聖杯戦争の儀式に他の意味があるのなら、それはやはり、根源に(いた)ることではないですか? 魔術師は皆、そこを目指していると聞きます」

「遠坂に聞いたよ。御三家の奴らも、そのために大聖杯を用意したこと。だって言うなら、聖杯戦争が聖杯に魔力が溜まってすぐに始まらないのは、根源に(いた)るにはタイミングがあるからか?」

「今さっき、ランサーも言っていたでしょう。『儀式ってのは場所とタイミングだ。どっちかでもズレたら上手くいかない』と。案外、聖杯戦争が起きるのは、魔法使いになれるタイミングだけなのかもしれませんね」

 

 なるほど。と、俺はうなずいた。

 

「ああでも、美綴が聖杯を解体したから、魔法使いうんぬんは考えるだけ無駄かもな……」 

 

 俺は、食後のお茶を飲み干した。

 

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]


———第二十話、狼煙(のろし)


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《第二十話、衛宮 士郎》


 思うところがあって題名を変更しました。
 内容は前と同じです。




 

 

『私は、王になるべきではなかったのです。私ではブリテンを救えなかった。ならば聖杯によって、私よりもふさわしい人物が王になれば……』

 

 セイバーは一昨日(おととい)、キッチンの(そば)でそう言った。アルトリア・ペンドラゴンは、ブリテンの王に相応しくなかったのだ、と。

 だか、ブリテン王国が一度滅ぼされる運命にあったというのなら、話は全く変わってくる。

 “Fate/stay night”という儀式の被害を最小限に抑えることができたのか、その後のウェールズの発展に十分なものを残すことができたのか。

 それはきっと、未来の政治家が決めること。未来の国民が決めることだ。だってまだ、ブリテンは続いているのだから。“ブリテンという名前の国”はなくなっても、かつてブリテンの国民だった人たちの子孫が、まだこの世界に生き続けているのだ。なら、セイバーに必要なのは“それ”だけだ。自分がどういう王として噂されていたのか、かつての自分はどういう王として(うつ)っていたのか。

 

 だから、

 

 だからきっとセイバーは、何も、間違ってはいなかったのだ、と。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「では。シロウ、メーティス、しばらく留守にします」

「ああ、遠坂たちによろしくな」

 

 遠坂・慎二チームとの連絡係をかって出たアルトリアは、この日、衛宮邸を後にした。

 メーティスのこと、未遠(みおん)(がわ)のことを伝え、この先に(そな)えるために。(たな)ぼた的な展開で明らかになった戦力と情報、これらを遠坂たちと共有するために。

 

「行ってきます、シロウ」

 

 アルトリア・ペンドラゴンは走り出す。この事件の、収束の気配を感じながら。この聖杯戦争の結末も、美綴陣営との決着も、聖杯そのものがどうなっているのかすら分からないまま、収束していく気配を感じて。

 

 “衛宮士郎という人間はどういう人か”というのが、ここに来て少し分からなくなった、とアルトリアは思う。

 士郎とアーチャーが鍔競(つばぜり)り合う姿を見て、二人の姿を己に重ねた。けれど、こうして士郎とよく接するようになってみて、いくつか気づいたことがある。

 

「シロウは、サクラのことをどう思っているのですか?」

 

 アルトリアはその夜、士郎の部屋に訪れていた。本当は凛との連絡係を名乗り出ようと思ったのだが、その前に、気になったことを士郎に聴いた。士郎はなぜか、それに(こころよ)く答えてくれた。

 

「憧れた人、かな」

 

 そう言って士郎はまた、いつものように笑うのだ。お互いに向かい合って座っているこの状況で、アルトリアが見逃すなんてあり得なかった。

 

「俺が憧れている人間は、三人いるんだ」と、士郎が言った。

 

「一人目は、俺の親父(おやじ)になってくれた人。衛宮切嗣。

 二人目は、眩しいくらい鮮烈に生きる人。遠坂凛。

 そして、三人目が桜なんだ」

 

 アルトリアは、正座しながら聞いている自分の体を緊張させた。

 多分、ここがそうだと直感した。士郎がこれから話すこと、それこそが、士郎にとっての一番奥。士郎の、いちばん柔らかい場所。

 

「桜はさ、俺にとって、唯一安心できる人だった。

 取り(つくろ)わなくても良かったから」

 

 ほら、人と人とのコミュニケーションってのは、共感で成り立ってるところが大きいだろ? と、士郎はちょっと首をかしげた。

 

「俺はさ、誰かと共感しあえたことが無かったんだ。俺が感じた事をそのまま話すと、周りの人達は口をそろえて言うんだよな、『そう感じるのはおかしい』と。

 遠坂なんかは特にそうだった。『私は厳しく行くわよ』って言って、俺が暴走しそうになった時とか、普通とは違う価値観を元に動いた時なんかに、よく(たしな)めてくれた」

 

 それはとてもありがたい事だと、士郎は言う。遠坂が俺なんかの為に時間と熱意を使ってくれるのは、この上なくありがたい事だ、と。

 

「シロウ」

 

 アルトリアは、

 

「シロウは、どうしてそう、自分を卑下(ひげ)するのですか?」

 

 アルトリアは、士郎の手を握っていた。

 士郎は握りられていない方の手で首筋を触る。困ったように笑っている。

 

「自分を卑下(ひげ)してるつもりは、ないんだけどな……

 俺は自分の事を、“幸福な人間”だと思ってる。世界で一番、とまではいなくても、それなり以上には幸福だと」

 

 士郎はアルトリアの手を握りかえし、目と目を合わせた。

 

「人生っていうのは、お金のようなものだと思う。降って湧いた、あぶく銭のようなもの。

『これは俺のお金なんだから』と、自分のために使う人。『元々は自分のものじゃなかったから』と、誰かのために使う人。

 俺はどっちでもいいと思う。ただ俺は、それを自分のために使ってるんだ」

「ん? シロウは『正義の味方になりたい』と言っているのですから、“誰かのために使う”のではないのですか?」

 

 アルトリアの質問から少しだけ()があった。その(あいだ)士郎は、黒目を斜め上に向けていた。

 

「たとえば、誰かを助けるとするだろ。そうすれば、その人は(あん)()したり嬉しそうにしたりする。それを見てると俺も嬉しい。だから、やっぱり俺のためだ」

「しかしシロウは、報酬を求めないではないですか」

「そりゃあ、貰うものは全部最初に貰ってるんだ。今更(いまさら)、俺はいらない」

「シロウは、報酬として何を?」

「俺は、今ここに生きてるだろ? だから、報酬はとっくに貰ってるんだよ、セイバー」

 

 ———燃え盛る炎と、一面の焼け野原———

 

「確かに、あの場所“は”地獄だった。だけど、それだけでもなかったんだよ」

 

 燃え盛る炎の中、士郎が一人で歩いていると、さまざまな人を見た。(すべ)ての人が、死を間近に感じていた。

 その場の空気に当てられて泣きじゃくる赤ん坊を、ゆっくりと、座り込みながらあやすお母さん。

 道端で死んでいる大人たち。

 衛宮士郎の原初の記憶。

 そこでは、誰もが“今”を必死に生きていた。自分も、隣の誰かも、もうすぐ死ぬのは分かってるのに。死の瞬間が一分後か十分後か、それだけの違いでしかないのに、『それでも生きたい』と、全身で叫んでいたんだ、と。

 

「その光景が、とても綺麗だと思った。あの場所が綺麗だと思ったんだじゃない。あの場所でも、あんな場所でも輝いている人の心が、とても、綺麗だと思ったんだ。

 ———その果てに、切嗣がいた」

 

 繋がっている手と手を通して、士郎の心が染み渡ってくるようだった。

 交錯する目線と目線、重ね合った二人の(てのひら)、そして士郎の発する気配の全部。そういったものに、アルトリアは浸っていた。

 

「俺が『正義の味方になりたい』と言い続けているのは、あの光景があるからなんだ。

 世の中には、(しいた)げられている人がいたり、どうしようも無くなってしまった人がいたりする。でもあの日、俺が見た光景が本当なら、そんな人たちも、誰にも負けないくらい綺麗だと思うんだよ」

 

 ——— 果たして、私は誰を救いたくて、その戦場に(おもむ)いたのか。

 この手で切り落とし、この手で殺した人をこそ、救いたかった筈なのにな———

 

 こと、ここに(いた)って、アルトリアは初めて、自身の間違いに気がついた。士郎がいつも口にする、アーチャーがかつて口にした、『正義の味方』という言葉、この言葉の意味するものが、“衛宮士郎”とそれ以外とでは、天と地ほどに(へだ)たっていたのだという事に。

 

「では、シロウは……シロウの言う“正義の味方”とは……もしかして」

「“正義”、ではなく“正義の味方”。

 俺はあくまで、『味方をしたい』んだ。“頑張っている人たち”の味方を。

 結局、アイツですら、ただの一度も『正義をなしたい』だなんて事は、言わなかったんだよな」

「シロウは、いつだって“救いたい誰か”のために、戦場に(おもむ)いていたのですね」

 

 心持ち、手を握る力を強くする。そうすると、士郎が笑った。心からの笑みではなかったけれど……

 

「だから、そんな俺だからこそ、間桐桜に憧れた。

 俺は、誰かを恨んだことがない。ブチ切れたこともない。俺のそういうところが特に、『(いびつ)だ』と言われる。

 それはきっと、(ほか)の人とは世界の分け方が違うからだと思うんだ。だから、誰にも理解されない」

 

 当然だろう。とアルトリアは思う。

 “士郎が味方をしたい人たち”はきっと、士郎以外には見えないのだ。“士郎が味方をしたい人たち”は、加害者と被害者のことなのだから。

 士郎はきっと、加害者も被害者も助けたいのだ。だけど、加害者には加害者の味方がいて、被害者には被害者の味方がいる。そういった、加害者や被害者の味方たちはお互いに、反目しあっているのだから、混じり合うことはない。

 

 お互いに、敵陣営が幸福になることを許さない。

 

 ——— これが私からの教訓だ、衛宮士郎。衛宮士郎という人間は、大切な人を救おうとすればする程に、周囲に災厄を撒き散らす———

 

 だからこそ、加害者と被害者とを救おうとすれば、加害者や被害者の味方たちが、勝手に戦火を大きくしていく。

 

 ——— それからは、数を基準に人を救うようになった。己の心が信用できないと悟ったからだ———

 

「桜は、俺と似た感性を持っている。我慢するのが得意なところとか。『傷付けるくらいなら、自分はいない方が良い』って思うところとか。

 俺も、自分がいなくなる方が状況が良くなるなら、真っ先に自分を捨て駒に出来るし……

 でも、桜は、どこまで行っても普通の女の子なんだよ。

 下心や打算、好奇心の方が信用できるところとか、無償の愛ってヤツを『理解できなくて怖い』って思えるところとか、さ」

 

 いやだ。と、アルトリアは思った。

 士郎の、今の笑みを見るのが嫌だと。

 やっと、今しかた、士郎の笑顔が僅かに変化してきたところだったのに。

 

 困ったように、士郎が笑う。

 仕方ないな、と士郎が笑う。

 諦めたように、士郎が笑う。

 

「俺には、そんな事思えないから。俺は、そういった場所を、全部素通りしているから。

 ———そんな俺が、空っぽに見えるらしい」

 

 人間が覚悟を決める時、そこには、不安や痛みが必ず(ともな)う。そういったものと戦いながら、人は覚悟を決めるものだ。

 

「俺は、最近までそれがわからなかった。俺にとって覚悟ってのは、一番最初に決めるものだったからな。

 何かを始める時、何かが変わった時、未来の状況を予測して、最初に自分の行動を(さだ)めておくこと。考え()る最悪の状況を仮定して、『たとえそうなったとしても、俺はこれをやり続ける』と決めておけば、いざと言う時に迷わなくてすむ。即座に動くことが可能になる」

 

 アルトリアの左手が、士郎の手を握っていない方の手が、暖かく感じられた。手の(しょっ)(かん)を確かめてみると、士郎の太腿があることがわかった。

 二人は、ずいぶん近づいていた。

 

「いざと言う時、俺は迷わず行動に移す。移せることを知っている。その瞬間、たとえ苦しかったとしても、刃を振り抜く自分自身を、ありありと想像できるから。その為にこそ、俺は覚悟を口にする。

 だからかな……俺の覚悟は、軽く見えるみたいなんだよ」

 

『そんな簡単にやるって言えるわけないだろう』、『どうせ出来もしない事を(のたま)いやがって』。

 士郎の覚悟のほどを知らない人たちからすると、適当な事を言っているようにしか聞こえない。耳触(みみざわ)りの良い言葉を並べているようにしか見えてこない。

 実際に、士郎が行動に移す時、どれほどのモノを飲み込んだのか、想像できる人はそういない。

 

 人は、常に自分を基準にして考える生き物だ。だから、“もしも、自分がその状況になった時、そんな風に出来るか”と考えた時、自分なら絶対にできないと思ってしまったら、『そんな事出来るヤツなんかこの世に存在しない』という結論まで、ノンストップで進んでしまう。

 もし、そんな事が出来るヤツがいたのなら、そんなヤツは普通じゃない、どっかしらが狂っている。

 今まで生きてきた人生の中で、そんなヤツいなかったもの、そんなヤツは何かが壊れてるか、あるいは、気づかないだけで、壊れる寸前なんじゃないかな? 

 

 衛宮士郎という男は、感情と行動とを切り離す事が出来るらしい事を、アルトリアは知っていた。

 覚悟を行動に移す事が(つら)くないわけがないのだ。ただ、それはあの日の、“燃え盛る地獄”の中を我慢して生きることよりも、マシだっただけ。

 士郎にとっての原初の記憶は、“一面の焼け野原”だ。ならば、士郎にとっての“辛い”の基準もまた、“一面の焼け野原”になるのだろう。

 “一面の焼け野原”の中を歩いている時の感覚、それよりもマシなら、士郎はそれを飲み込んでしまえる。飲み込めることを知っている。

 だから士郎は、先に覚悟を決めることが出来る。決めた覚悟を行動に移せると、確信できてしまえるのだから。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 遠坂邸についたアルトリアは、呼び鈴を鳴らし、アーチャーに出迎えられて中に入った。部屋の中では、凛と慎二が猫足のついたアンティークチェアに腰掛けながら、ローテーブルに資料を広げて会議をしていた。

 アルトリアは、座っている凛と慎二に、ここ三日足らずの間に起きた出来事を語った。メーティスのことと、未遠(みえん)(がわ)のことだ。

 

「ふーん、成る程ね。良く分かったわ、セイバー。ありがとね」

「いえ、こちらこそ、連絡が遅くなってしまって」

 

 話し終わると、凛はなんとも奇妙な表情になった。笑みがこぼれそうな、泣き出しそうな、そして怒気が混ざったような、そんな表情に。

 

「あーあ、あんなに歩き(まわ)ったのにな」

 

 凛は両手で自分の頬を叩いた。

 バシッといい音がなり、ゆっくりと目を(ひら)いた凛は、とても、凛々しい顔になっていた。

 

「なんにせよ、そういう事なら動くっきゃないわね。

 戻るわよ、みんな。どうやら、聴かなきゃいけない事も増えたみたいだし、作戦会議といこうじゃないの!」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「皆さま、初めまして。リビアとアナトリアとの大地母神、“知恵”のメーティスです。

 現界(げんかい)したクラスはライダー、ステータスは人間並み、ですが、宝具を三つ持っております」

 

 衛宮邸に帰ってすぐ、士郎が入れたお茶が行き渡ったところで、メーティスが自己紹介した。

 居間の真ん中に陣取っている座敷机を八人で囲んで、メーティスのことを周知する。

 

「じゃあまずは、あなたの宝具を教えてちょうだい。

 これから反撃をかますんですもの、ちゃんと知っておきたいわ」

 

 遠坂凛は、膝の上に乗せていた真っ赤なコートを、背中に回して後ろに置いた。

 対面にいるメーティスは、心持ち真面目な顔をした。

 

「一つ目の宝具は“ゴルゴーンの仮面盾(ゴルゴニス・アイギス)”といいます。能力は、仮面の視線に(さら)された相手の、攻撃意志を縛るものです。

 二つ目は、“エポナ”という雌馬(めすうま)です。(わたくし)はライダーですから」

 

 メーティスは二度、三度、深呼吸をした。それから、もう一度口を(ひら)いた。

 

「そして最後が、“夜に留まされし運命の神(Fate / stay night)”。これに関しては形のある宝具ではありません。夜である事を条件に発動できる、“対神(たいしん)宝具(ほうぐ)”です」

「……、効果は?」

「ギリシアの女神たちに分散した“かつての権能”を、一時(いっとき)(あいだ)だけ、奪回(だっかい)するというもの。一度だけ女神として立つことが出来る宝具、というものです」

 

 凛が動かなくなった。目を伏せるようにして、(もの)()げに固まっている。

 誰も、慎二ですら動かないまま(いく)ばくかの時間が過ぎてから再起動をはたした凛は、ようやく、緊張を(ほど)いたように見えたのだった。

 

「それじゃあ、メシにしよう」

 すかさず、士郎の声が割って入った。空気が弛緩(しかん)した瞬間を使って一同の視線を集めた士郎は、彼にとって最も重要なことを質問した。

 

「みんな、何か食べたいもの、あるか?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「マヌケか貴様は。イカの特性を考えろ、味の具合を(かんが)みろ。料理の仕上がりを想像し、食べた瞬間をイメージしろ」

「わかってるよ、アーチャー。だから今———」

「手が止まってるぞ馬鹿(ばか)(もの)。そちらの湯にはニガリを入れておけ。アナゴの半分は皮のヌメリを完全に落とす」

 

 こうして、士郎とアーチャーとが、共に台所に立つ姿を自分が見るのは初めてかもしれない、とアルトリアは思った。これまでのアルトリアは、台所のことを気にも止めていなかったから。

 士郎もアーチャーも、アルトリアに背中を向けて(くち)喧嘩(げんか)しながら料理している。とは言え、二人の作業は淀みない。アーチャーは士郎にダメだしをしながら、士郎はそれに口ごたえしながら、それでも二人は完全な連携で。

 食材は士郎からアーチャーへ引き継がれ、アーチャーの手を()て別のボウルに入れられる。士郎の前にあるボウルからアーチャーの前にあるボウルへと移動している(あいだ)に、食材はその姿をガラリと変える。

 アルトリアはまるで、高等魔術を見ているような気分になっていた。

 そんなアルトリアの耳が、障子(しょうじ)()の閉まる音を捉えた。

 気になって追いかけてみると、長い廊下の途中、ちょうど中庭に出られる場所で凛が立ち止まっていた。日の光を浴びながら、赤いセーターを日に当てながら、中庭をぼんやりと眺めている。

 歩いて追いついたアルトリアは、そんな凛に後ろから声をかけた。

 

「ありがとうございます、リン」

 

 凛は目線だけでこっちをみた。

 

「良いのよセイバー。私と士郎との関係は、いつもあんな感じだから」

 

 それから凛は、そこにある縁側(えんがわ)に座って、つっかけに足を入れた。

 

「なんと言うか、“手のかかる弟”って感じなのよね、士郎は。

 バカな事をバカのままやり切ってしまう。上手(うま)くいかない時の方が多いけど、アイツは最後まで貫くから、なんらかの結果がついてくる。

 結果(それ)の、良い悪いは別にしてね」

 

 穏やかな冬の日差しに照らされて、凛の顔が白くみえた。

 

「私は、苦労したことがない、線を引いてしまうのよ。“自分に出来る事”と“自分には出来ない事”の(あいだ)に線引きをするの。“自分に出来る事”だけを選んで全力でやるから、大抵のことは、上手(うま)くやってしまえるわ」

 

 アルトリアには、今の凛がとても、とても、(はかな)げに見えた。

 

「アイツらのやり方は(みにく)い、あんなの偽善よ。

 アイツらにあるのは、ただ理想の結果だけ。“自分がしたいからそうする”んじゃなくて、こうなって欲しいという結果から逆算して、最も可能性の高い手段を選び取るの。『それで確実に成功するかどうか』を考えるんじゃなくて、『成功の可能性が一番高いのはどれか』を考えるのよ。つまり、アイツらはそもそも、“自分には出来ない事”を、ずっとやり続けてきた。

 たった一度でも、ある手段を選ぶと決めたなら、それを最後までやり通す。

 まるで、そうイップットされているロボットのように」

 

 凛が笑った。その笑みを見て、アルトリアは『シロウのようだ』と頭によぎった。

 

「でもね、セイバー。私、時々こう思うことがあるの。あんな風に、自分の能力で線引きなんかせずに、ただ物事に打ち込むことが出来るなら、それはなんて純粋なんだろう、って」

「リンは、サクラを選ばなかったシロウに、腹を立てていたのではなかったのですか?」

「前にセイバーも聞いてたでしょう? 士郎がどうやって冬木に帰ってきたのか。私たちに眠らされた後、どう行動してたのか」

 

 凛は、座ったまま上半身だけで振り向いて、アルトリアを見上げた。

 

「士郎と桜とは、もう終わってるみたいなのよ。

 ———ああ、『終わってる』って言うのは、“関係が”ってことじゃなくて、“覚悟を決めることが”ってことね。士郎と桜との(あいだ)には何かがあって、士郎はすでに覚悟を決めたみたいなのよ。

 だから、何の迷いもなく、士郎は冬木市まで戻ってきた」

 

 凛は、あの時の士郎の話を聞いて初めて、その事に思い(いた)ったらしい。

 

「それまでは、まるで気づかなかったわ。だってあの二人、感情も葛藤(かっとう)も、全然表に出さないんですもの」

 

 凛は不満を表すように、口をへの字に曲げて見せた。口元は不満を表してこそいるけれど、凛の表情は穏やかで。それをみたアルトリアは、一瞬、胸に詰まるものがあった。

 

「リンはこれまでも、そしてこれからもずっと、シロウと共に歩んでいくのですね」

 

 アルトリアにしては万感の思いを込めた言葉の(たば)を、凛はあろう事か、叩き落としてしまった。

 

「そんな事ないわ。士郎とはいつか別れるわよ、私」

「なぜです。これほどまでに、二人の関係は強固ではないですか」

「耐えられないから、かな。

 士郎はピンチの時、自分が信頼している人間を後回しにする傾向があるのよ。私や桜をどう思っているのか本当のところは判らない。でも、私たちと見知らぬ人とが同じように危機にいる時、士郎は見知らぬ人を先に助けるわ」

 ———たぶん、自分自身を助ける事に罪悪感を感じるのね。と凛は言う。

 士郎に感情がないわけじゃないのだと。()()()()()、士郎は躊躇(ちゅうちょ)するだと。自分の仲間が助かると自分も嬉しい。自分が嬉しいと感じるという事が、士郎には許せない。

 

「“大火災”での罪悪感から、『自分が幸せになるのは、世界で一番最後でいい』なんて考えるようなヤツだから。『もしも、“幸せという名の座席”に限りがあるのなら、代わりに、(ほか)の誰かを乗せてくれ』って、平気な顔で言うヤツだから。

 そんなヤツが普通の感情を持っているから、不幸に突っ込んで行くような性格になるのよ」

 

 凛は笑った。アルトリアが士郎に似ていると思った笑みだ。どこか困ったような、どこか諦めたような。

 

「結局、アイツは普通の男の子なのよね。過去の経験から、不幸に突っ込んで行くようになっただけで。

『人間はみんな幸せになりたがるのが普通だ』なんて考えているうちは、絶対に思い(いた)らない。

 士郎の異常のことを、精神がおかしいんだって考えているうちは、絶対に思い(いた)らない。

 士郎は普通の男の子なのよ。普通の男の子だからこそ、自分で自分が許せないの」

「リンは、ずっと?」

「ええ、士郎を()人間(にんげん)にしようとずっと頑張ってきた。

 でも、限界を感じているのかもね、私。

 ずっと、士郎が自分を許せるようにしたいと思い続けてきたけど。それってつまり、士郎自身に“世界中の人々が幸せになっている姿”を見せつけて、安心させてあげないといけないわけで……。そうなって初めて、士郎は自身の幸せを考えることが出来るようになる」

 

 凛は縁側(えんがわ)に腰掛けたまま、アルトリアを見上げた。

 アルトリアは凛を見下ろして、彼女の笑顔のわけを知った。

 

 凛はアルトリアを、眩しそうに見上げていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「これが、日本料理の真髄だ」と、ドヤ顔でアナゴを提供するアーチャー。

「前に食べたものと全然違います」と、目を輝かせるセイバー。

「ほう? なかなかやるじゃねーか」と、目を細めるランサー。

「美味しいですよ、士郎」と、ありがたいことを言ってくれるメーティス。

 そこに、マスターの面々も加えて、この日の昼食は(にぎ)やかに進んだ。

 

 俺、衛宮士郎はといえば、調理の主導権をアーチャーに握られたことにショックを受けながら皿洗いに(きょう)じていると、なんとセイバーが手伝いを申し出てくれたのだった。

 

「ありがとな、セイバー」

「いいえ、シロウ。私が手伝いたかったのです」

 

 俺が差し出すお皿を受け取って()きながら返答するセイバーの声に含むところを見つけた俺は、その内容を予想できる気がしたのだった。

 

「もうすぐ、聖杯戦争も終わりそうだよな」

「はい。それもありますが、私とシロウが出会ったのが、ほんの十日ほど前だなんて思えなくて。

 ずっと前から、もっと一緒にいるような……そんな気が、してきたものですから」

 

 水で流して泡を切った皿を、左手にいるセイバーに渡す。セイバーが皿を受け取って布巾(ふきん)()き、水を(ぬぐ)う。綺麗になった皿はセイバーによって、後ろのカウンターの上に置かれる。

 こうして、セイバーを見ることは度々あった。だがその度に俺は『衛宮士郎はセイバーのマスターには相応しくなかった』と、思うのだ。なまじ戦場を経験している分、俺には純粋さが欠けている。

 セイバーとくつわを並べるなら、もっと純粋な人の方がいいと思う。セイバーに対しては、少し強引にでも距離を詰めようとする人の方が、きっと良い結果を引き寄せてくれるのだと。

 俺は、セイバーに対して距離を詰めるようなことは出来なかった。俺とセイバーは同じものを掲げた者同士、“それ”がどういう意味かが分かってしまう。すでに最も大切なものを持っているセイバーに対して、それを捨てるように要求することが、俺にはついぞ出来なかった。

 

「ありがとうセイバー。俺の進むべき道が、少し分かった気がするよ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「毎度毎度、えらく()めてくれるじゃない」

 

 立ち上がった遠坂が、握り拳を震わせている。

 

「全くだ。だがこちらとしてはやりやすい。()めてもらっている(あいだ)に、勝ちを(ひろ)わせてもらうとしよう」

 

 アーチャーは後ろで、腕を組んでたたずんでいる。

 

「私たちはすでに二度、彼女に負けているのです。ランサー、今度こそあの女を、スカサハを倒しますよ」

「まあそう何度も、無様を(さら)すわけにもいかねえしな」

 

 武装を展開したランサー陣営は、静かに戦意を高めている。

 

「………………」

 一人座ったままの慎二は、口をつぐんでいる。

 そして、

 

(つい)に、この時が来ましたね」

「シロウ、メーティス。(いくさ)準備(じゅんび)万端(ばんたん)ですか?」

「もちろんだセイバー。今回は、本打(ほんうち)無逆(むげき)を持ってきた」

 

 俺は不思議な感覚に見舞われていた。

 これから何かが始まるような。あるいは、これで何かが終わるような。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「“宿命”と“運命”との違い、桜は分かる?」

 

 魔術によって空中に固定されている間桐桜に、右隣から声がかかった。

 

「結論を言ってしえば、“何のために生まれて来たのか”が“宿命”で、その答えになるのが“運命”ね」

 

 眼下には未遠(みおん)(がわ)の河口。左手には冬木大橋。桜の正面には、海浜公園があった。

 桜は今、未遠(みおん)(かわ)の河口付近に浮いている。

 

「“何のために生まれて来たのか”がハッキリしている奴も、たまにいる。

 “この伝統を守るため”に生まれて来た。

 “親から引き継いだこの知識を子に(たく)すため”に生まれて来た。

 それから、“この国を護るために生まれて来た”、とかね」

 

 右隣には、美綴綾子。巫女装束で、彼女も(ちゅう)に浮いている。

 

「でもそういうのさ、大抵の奴らにはないじゃん。

 忘れてるってのが、本当のところなんだろうけど」

 

 綾子は左手で桜に触れていて、右手で懐中時計を(にぎ)っている。

 綾子は、その懐中時計を使って、桜の魔力と周囲の空間とを結合させていた。

 

「かと言って、ずっと宿命の無いまま、なんて事はないワケよ。だって誰にだって、“自分の人生が変わった瞬間”ってのがあるものだから」

 

 懐中時計をパチリと閉じた綾子は、「よし、挑発完了っと」と呟いて、それからやっと、桜の姿を視界に入れた。

 桜は、捕まった当時のままの服装、黒のカーディガンに桜色のスカート。両腕を、腰の後ろで束ねるように固定されている。

 

「桜、“運命”ってのは、“(おのれ)(いのち)(はこ)ぶこと”。どこに運ぶかは、個人個人が決めれば良いんだ。

 (おの)宿命(しゅくめい)運命(うんめい)と決めて、宿命(しゅくめい)のままに生きても良い。

 (おの)宿命(しゅくめい)を叩き壊して、そっぽを向いて生きても良い。

 (おの)宿命(しゅくめい)を受け入れた上で、飛び超えたって良いんだから」

 

 ———(あたし)は、そうするつもりだぜ———

 

 美綴綾子は、右手で何もない空間を掴み、(つか)みながら振り上げた。まるで、虚空から引き抜くように、その手に薙刀を召喚した。

 

(あたし)は、宿命(しゅくめい)を軽やかに飛び超える。

 アンタはそこで、ベソかきながら見てるといい。衛宮に自分が、殺される瞬間をさ」






次回、Fate/stay night [Destiney Movement ]

———第二十一話、“この世全ての悪であれ(アンリ・マユ)


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《第二十一話、“この世全ての悪であれ(アンリ・マユ)”》

 

 

「あれっ? シロウは今回、袴姿(はかますがた)で行くのですか」

 

 俺が自室の(たたみ)()(はかま)()いた。それから真っ赤な(ひだり)(そで)、“聖バルバラの聖骸布”を装着したとき、近くにいたセイバーに小さな声で(たず)ねられたのだった。

 

「ああ。気合を入れる時は、いつもこれを着るようにしてる。稽古(けいこ)(ばかま)聖骸(せいがい)()だ」

 

 それに答えて、それから俺は、押し入れから引っ張り出してきた刀、無逆(むげき)を、腰に()した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「散々私たちをコケにしてくれたわね。この借りは高くつくわよ」

狼煙(のろし)を上げて呼び出したこと、もしかして怒ってる? 遠坂、『道に迷ってて遅れました』じゃあ、面白くないでしょ」

 

 海浜公園の、レンガ造りの地面の上から吠える遠坂。

 未遠(みおん)(がわ)の河口付近の空間に浮いて、余裕たっぷりに見下ろす美綴。

 乗っけから、二人は対象的だった。

 

「桜を返しなさい。そうするなら、半殺しで許してあげるわ」

「返すワケないでしょ。こっからが本番なのに」

 

 俺たちを上空から見下ろして、美綴は人数を数え始めた。

 

「えーっと。全部で八人、ちゃんといるわね」

 よしっ、と頷く美綴。

 

「それじゃあ早速。始めるよ、スカサハ」

「ああ、待ちわびたぞ」

 

 瞬間、周囲の魔力が鳴動(めいどう)した。空間が震えたかと思ったら、周辺の四方に魔力が収束し、俺たちを囲むように植えられている街路樹に纏わりつき、魔力の柱が四本、形成された。

 ランサーが槍を召喚し、一人、戦闘態勢をとった。

 

「木々に収束する魔力、“オガム”か」

「『“オガム”を軽んじるものは、“オガム”によって殺される』。我ら戦士にとっては、馴染み深いものだろう? 

 のう、セタンタ」

 

 スカサハが海浜公園の縁の手すりの上、そこに悠然(ゆうぜん)と現れた。黒と赤紫の布とを一枚ずつ重ねたような、身体に張り付く薄い服。ストレートの赤い髪。抜群のプロポーションを惜しげもなくさらし、両脚を重ねるようにして手すりの上に立ち、右手に槍を、一本だけ持っている。

 

仕合(しあ)うのは三度目か? 既に二度敗走しているな、次はないぞ」

「次なんざいらねえよ。ここで倒して、そんで終わりだ」

「ハハッ、そうか。楽しみだ」

 

 スカサハは右手に保持している槍の()(さき)を背後にむけた。自然、左肩が前にくる。左腕を前に伸ばし、人差し指を柔らかく伸ばし、ランサーを指差した。

 ランサーが反応して腰を落とす。その腰の沈みと重なるように、スカサハが人差し指を()(した)に振った。

 ドンッ、と魔力が駆け抜ける。

 俺たちを中心に存在する、魔力を()びた街路樹に囲まれた領域、それと重なるようににルーン文字が浮かび上がった。

 ()(じゅう)に、結界が発動していた。

 スカサハが、音も無く地面に降り立つ。

 コツン、と石突(いしづき)で地面を叩く音。それが二つ。

 一つはスカサハが立てたもの。もう一つは、

 

「せっかくだし、決めさせてやるよ、衛宮」

 

 巫女装束の美綴が、薙刀を持ってスカサハと並んだ音だった。

 

「最後の引き金は、お前たちに引かせてやる」

「だったら、すぐに桜を渡しなさい」

「嫌だね遠坂。それを決めるのは衛宮だし」

 

 ギュイン、と遠坂の魔術刻印が動きだした音を聞いた気がした。

 遠坂は三歩ほど前に出て、左手で照準をつけ、ガンドをその手に生み出した。

 

「アンタが選ぶのよ、綾子。大人しく桜をこっちに渡すか、ここでぶっ飛ばされてから桜を渡すか」

 

 遠坂の威圧を、美綴が柳に風と受け流す。この緊迫した状況の中、薙刀を右肩に(かつ)ぎ、薄く笑みすら浮かべていた。

 

「やめときなよ、遠坂。今桜をとり外せば、世界が滅ぶぜ」

 

 美綴は左手の親指で、後ろに浮かぶ桜を指した。

 

「アレには、“ただ悪であれ(アンリ・マユ)”の呪いが純粋な形で収まってんだぜ。聖杯という基盤もなく、ユスティーツアという(から)もない。

 あそこから桜を外せば、アンリ・マユが現出するんだ。人格もない、純粋な呪いの形で」

 

 美綴は薙刀を振り上げ、ゆっくりと、その()(さき)で俺を(しめ)した。

 

「———桜を殺せ、衛宮士郎。

 十のために一を捨てる、それが正義の味方だろ?」

 

 前方にいる遠坂から、ガリッと、歯をくいしばる音がした。見ると、遠坂が両手を握り締め、歯を噛んで唇を震わせていた。

 

「アンタ、どこまで……ッ。アンタ———」

「凛、問題無い。こちらにも(ふだ)はある」

 

 アーチャーがみんなに見えるよう右手を掲げて、手を(にぎ)りながら呪文を唱えた。

 

「——————投影(トレース)()開始(オン)

 

 アーチャーが右手を握った時、その手には一振りの短剣があった。数多(あまた)の宝石を溶かし固めたようなマーブル模様の刀身が、稲妻型にはしっている。その短剣に()はついておらず、稲妻型の刀身であることもあって、突き立てることしか出来そうにない(もの)

 アーチャーはその短剣を持つ手を、ゆっくりと下ろした。

 

「宝具の(めい)を、“ルールブレイカー”という。

 有する能力は“契約の白紙化”だ。つまり、これを間桐桜に突き立てれば、それで彼女は解放される」

 だから心配するな、と。アーチャーは遠坂をなだめて見せた。

 

「アーチャーっ! よくやったわ」

 

 一瞬前とは打って変わって、口元に笑みを浮かべる遠坂は「さあ、ここが正念場よ」と気合を入れた。

 

「まさか、それで助かると思ってるの? 遠坂。

 今言ったじゃん、『外せば呪いが(あふ)れる』ってさ。ルールブレイカー(それ)使っても一緒。桜を呪いから解放すれば、アンリ・マユが現出するんだ。もっとも、目に見える形で変化するものは何も無いけど」

 桜とアンリ・マユとの契約を破壊してしまえば、依代(よりしろ)をなくしたアンリ・マユが現出する。と、美綴は言った。

 

 美綴は薙刀の石突(いしづき)を地面につけて、俺たち一同を観察し始める。

 

「純粋な形で分離されたアンリ・マユは、泥のように固まることなく広がっていく。

 一見、何かしら変わったようには見えない。

 身体(しんたい)の不調を(うった)える者もおらず、環境が変わったと感じるものもない。

 ま、当然よね。この呪いで変わるのは肉体や土地や環境じゃない、人の心の方だからさ」

 

 美綴の両目が光った。琥珀色の大きなひとみが、魔力によって輝いた。

 舌打ちするアーチャーとランサー。どうやら、話を無視して奇襲する腹づもりらしかった。

 二騎のサーヴァントが動き始める直前に、美綴が魔眼を発動、攻撃の機会を潰していた。

 

「桜という(うつわ)(うしな)い、拡散していくアンリ・マユに感染した人々は、判断基準が少しずつ変化していくんだ。“目的の達成”に“他者を害するという行為”が(から)みつくようになってくる」

 

 でも、誰も気付けないんだよな。と、美綴が笑う。

 

「人間には攻撃本能があるからさ、区別なんてつくわけないんだ。最初は誰も気づかない。

 そして、気づいた時には手遅れだ」

 

 この呪いの厄介なところは、解呪(かいじゅ)に多大な犠牲を()いるところだ。

 解呪(かいじゅ)しようとするという事は、既に呪いが発動した後だという事だ。だから、解呪者も感染している可能性が高い。そして、感染した人間が目的を達成するためには誰かを(ころ)す必要がある。

 結果、もがけばもがくほど人は死に、世界は犯罪(あく)に染まっていく。

 

 美綴は左手を、士郎に差し出した。

 

「誰も悪くないよな、衛宮。人間に人を殺すよう仕向けているのはアンリ・マユなんだから。

 この先にある“闘争にまみれた世界”では、“何かをする(たび)に誰かを殺さないといけなくなる”。人々は(にく)み、(うら)み合い、地獄のような世界が生まれる。

 でも、誰も悪くないよな衛宮。悪いのはぜんぶ、アンリ・マユなんだから」

 だから、選ぶだけで良いんだ。と美綴が言う。

 

「選びなよ、衛宮。

 ルールブレイカーで桜を救って、世界を壊すか。桜を殺して世界を救うか。

 正義の味方か桜のミカ———」

 

 ふわっ、と美綴が跳んだ。(ひざ)を曲げ宙に上がり、軽やかに後ろの(さく)に降り立った。瞬間、その(さく)が爆散する。ランサーが叩き下ろした槍の穂先が(さく)を壊し、衝撃波を発生させた。

 

「ちょっとー、まだ喋ってんだけど」

 

 美綴がランサーの後ろに現れた。まるで瞬間移動のような速度だった。

 

「うるせぇ」

 

 ランサーは振り向きざま、赤い槍をなぎ払う。それは確かに、美綴のいた場所を切った———はずだった。

 振り向いたランサーのさらに後ろに移動していた美綴は、右手の人差し指と中指とをランサーの腰に当てて、軽く押した。

 ランサーが吹っ飛んで来る。海老(えび)()りとなって、突き出した腹を前にして、弾丸の(ごと)き速度で飛んで来るランサーを左腕でキャッチしたアーチャーが、右手の白い刀身の短剣、莫耶(ばくや)投擲(とうてき)する。

 回転しながら空間を切り裂いていく白い短剣は美綴の頭に当たる軌道だ。当然のように美綴が、少し前屈(まえかが)みになって(かわ)す。陰剣(いんけん)莫耶(ばくや)は美綴の頭の横を通り過ぎ———

 アーチャーが右手を引いた。投影した陽剣(ようけん)(かん)(しょう)を握った右手を。

 美綴の後ろから返ってくる莫耶(ばくや)干将(かんしょう)投擲(とうてき)するアーチャー。美綴の前後から、干将(かんしょう)莫耶(ばくや)挟撃(きょうげき)していた。

 二振りの短剣に前後から挟まれた美綴の身体(からだ)が、尻もちをつくように(わず)かに沈んだのを見た俺は、気づけば走り出していた。

 

「アーチャー!」

 

 前後からやってくる短剣二振りが両方とも美綴をすり抜けた。“美綴の眼”の能力を使ったわけじゃない、短剣を(かわ)挙動(きょどう)があまりにも(わず)かだったから、すり抜けたように錯覚しただけ。

 美綴の輪郭(りんかく)がブレる。縦にブレ、その(あと)横にブレ始める。

 マズい、と俺はアーチャーの前に飛び出した。腰に()してある無逆(むげき)鯉口(こいぐち)を切り、左肩を前に落とす。自然と、右肩と右腰とが後ろにさがった状態で“構え”る。

 次の瞬間、世界から美綴が消えた。もちろん、本当にいなくなったわけじゃない、そう錯覚しただけだ。

 だが、俺たちのメンバーは慎二を除き全員、近接戦闘ができる。だから(わか)った。今この瞬間は、美綴綾子へのあらゆる攻撃が通用しない、と。

 美綴は、気がついたらアーチャーの前にいた。美綴は左足前の脇構(わきがま)えから、左腕を上げて薙刀を立てた状態に移行する。

 そこから上体(じょうたい)だけを前屈みに沈ませ、(ひだり)前腕(ぜんわん)と頭との(すき)を、わざと(さら)した。

 俺はやっと、二人の(あいだ)に陣取ることに成功した。

 

 ———わざと(すき)(さら)すことにも利点はある。

 戦闘中はお互いに、相手の(すき)を探し合っている状態だ。そんなタイミングで大きな(すき)を見せつけられれば、嫌でもそこに意識がいってしまう。マジシャンのやるミスディレクションと同じものだ。戦闘中にのみ使用でき、武術の(こころ)()のある者にのみ作用するミスディレクション。

 つまり、この次の瞬間に、(すき)(さら)した地点から(わず)かでも移動すれば、美綴は相手の、視界から消える。

 美綴は(たい)を転換させ、左足が前の状態から右足が前の状態に移行した。この動作の中で30センチ。たった30センチだけ、美綴は右にズレた。それだけで、彼女は全員の視界から消えたのだ。

 (たい)の転換と同時、美綴は右手を押して薙刀の刃を下から上に斬り上げる———瞬間には、俺の抜刀(ばっとう)が完了していた。

 視界から消えた美綴の動きなんて、俺にはわからない。だから、“美綴が消える瞬間”にタイミングを合わせて抜刀(ばっとう)したのだ。

 

 ———抜刀(ばっとう)、つまり居合術といえど、“抜いて切ること”だけが本懐(ほんかい)ではない。

 居合術の神髄(しんずい)は、他に類を見ないほど精密な身体制御(しんたいせいぎょ)にある。

 刀身が(さや)から抜け出ないままに刀を操作しようとすれば、(さや)(けず)れ、刀身は(ゆが)む。刀を抜くのが特別に難しいわけじゃない。体幹を崩さず、居合術の流れのままに刀を抜くという事が、何にも増して難しいのだ。

 それをクリアするために必要な事、しなくてはならない動きがある。右手で刀を抜かず、左手で(さや)を引かない。右肩と左肩、右腰と左腰、そして右脚と左脚とを、同じタイミングで動かし始めて、全てバラバラのスピードで動かし、斬り付けるタイミングでピタリと一致するよう動き終わる。

 この体感(たいかん)獲得(かくとく)したとき、剣の感覚が一変(いっぺん)する。

 

 日本剣術における“強さ”というのは、ひとえに、“どれだけの時間を逆行できるか”というのと同じ意味だ。

 朝、起き抜けに因縁の敵と出会って殺し合いになった時、片方の剣士は10秒先の未来に()るとする。10秒先の未来から逆行し、10秒先の未来の情報を知っている状態で剣を振るう剣士がいるとする。

 では、もう一人の剣士が“夜から逆行してきた剣士”だとするとどうだろうか。

 もう一人の剣士は、起き抜けに出会った因縁の敵を切り倒してから朝食をとり、家の掃除をしてから昼食を食べ、昼寝をしてから買い物に行く。その(あと)近所(きんじょ)の子供と走り(まわ)って夕飯を食べて風呂に入って寝る直前に、『ああ、そういえば今朝因縁の敵と相対(あいたい)したな』と“今”を思い出すように剣を振るう剣士なら、どうだろうか。

 一人目の剣士に、勝ち目などないだろう。どれだけ感覚を研ぎ澄ましても、勝ち筋など、かけらも浮かんでこないだろう。

 

 ———勝敗など、始まる前から決まっているのだ。

 

 日本剣術の達者(たっしゃ)な者は、“(わず)かでも勝ち筋が有れば、それを掴み取ることが出来る能力”を持っている。身体(からだ)の感覚が未来に先行(せんこう)しているからだ。

 “未来視”ではなく、“未来体感”。

 ゆえに彼らは、自分がフライングできる範囲内において、たった一筋(ひとすじ)でも勝ち筋が有れば、必ずそれを掴み取れる。未来を見る能力ではなく、未来を収束(しゅうそく)させる能力だと言い換えてもいい。

 日本の剣士たちは古今東西、“相手を倒すため”ではなく“未来を掴み取るため”に、日々(ひび)剣を振るっているのだ。

 

 ならば、“居合”とは何だろう。居合術とは、剣術中(けんじゅつちゅう)の奥義だとか神髄(しんずい)だとか言われている。居合術という体系そのものが剣術の奥義として位置していると言う者もいるほどだ。

 

 居合の本願(ほんがん)、それは(はやし)(ざき)甚助(じんすけ)が神様から(さず)かったとされる、“願い”に対する、“もう一つの答え”だった。

 剣士の願い、それは『どうしても勝たなければならない時に、絶対に勝てるようになりたい』というものだ。

 “大切なものを取り返すため”、“大事な誰かを護り通すため”、“どうしても、倒さなければならない敵がいる”。そういった運命が、いつか自分の前に現れるとして、そういった運命と相対(あいたい)した時、どうしても勝たなければならない時に、絶対に勝てるようになりたいというのが、かつての剣士、(さむらい)と呼ばれる者たちの願いだった。

 

 それに対する、一つ目の答え。

 それが、剣術の本願(ほんがん)にある。“だった一筋(ひとすじ)でも勝ち筋が有れば、必ずそれを掴み取る能力(ちから)”。

 でも、それではどうしても満足できない男がいた。名を(はやし)(ざき)甚助(じんすけ)という。

「俺たちが日々修行しているのは、どうしても護りたいものがあるからだ。いざと言う時、『偶然で負けました』なんて嫌だと思うから。いざと言う時、絶対に勝ちたいと思うからだ。

 だが、俺たちが修行の果てに手に入れるものは何だ。“だった一筋(ひとすじ)でも勝ち筋が有れば、それを掴み取る能力(ちから)”でしかないじゃないか。勝ち目の無い戦いで、そんなモノはなんの意味も()さないじゃないか」

 そして、長年の鍛錬と全力の修行の末、彼は“(はやし)明神(みょうじん)”からもう一つの答えを()る。

 

 それが居合、“絶対に勝てない戦いで、それでも勝ち筋を見つける能力(ちから)”。

 

 とは言え、“抜いて切ること”だけが本懐(ほんかい)ではない。

 二人は、ただ止まっていた。

 美綴は、薙刀を股下(またした)から頭上(ずじょう)まで振り上げた状態で。

 俺もまた、刀を股下(またした)から頭まで斬り上げた状態で。

 二人の間合いは、少し、遠かった。

 

「ほう、身振りだけで綾子を()めたか」

 

 スカサハが声を出した。それによって(みな)が、状況に追いついたように動き始めた。

 ランサーが突進し、槍を振り回しながら美綴を狙う。槍が一回転するたびに訪れる()(さき)の斬撃は、その全てが必殺だった。様子(ようす)()やフェイントは一切ない、首や腹、着地した瞬間の足元なんかを刈りにいっている。

 美綴が右脚を一歩退()げる。刈り上げてくる槍を(かわ)した。

 トッ、と、両脚を(そろ)えて1メートルほど跳びずさる。なぎ払いから変化した、三連の突きの全てを(かわ)した。

 美綴はスカサハと並び立つと、懐から懐中時計を取り出し、琥珀色の両眼を魔力によって光らせた。

 

「これくらいで(あたし)は抜けるよ。スカサハ、後は頼んだ」

「そうか———ではな、綾子。また……」

「うん。またね、スカサハ」

 

 美綴の姿が揺らいだ。体そのものが薄れているのだ。スゥーっと、空気に溶けていくように。

 

「ちょっ、逃げるつもりっ?」

「じゃあね、遠坂」

「アーチャーッ!」

 

 アーチャーが(こた)えて、弓を構える。だが、最後まで放つことは出来なかった。

 

「すまない、凛。アレはもう、(あた)らない」

 

 消えゆく美綴に、一同(いちどう)がなす(すべ)なく立ち尽くすなか、今まで黙っていたメーティスがひとり、俺の右袖(みぎそで)を引っ張った。

 

「士郎、看過(かんか)できぬ事態です。彼女を行かせてはなりません。

 彼女に、最大戦力を当てる必要があります」

 

 俺は顔だけで振り向いた。

 

「移動手段はあるのか? メーティス」

(わたくし)のエポナは、“神話体系を()えて駆け抜けた神獣”です。この程度の結界、どうと言うことはありませんよ」

 

 一瞬、頭の中でシュミレートする。誰か行くのが、一番良いのか。

 俺の左側にいるセイバーを見てから、目線を前に、遠坂を見た。遠坂も俺を見ていた。

 

「遠坂、頼む」

 

 少しの間、うつむいた遠坂は顔を上げ、その視線で俺を射抜いた。

 

「……わかったわ」

「では、私は残ろう。『最大戦力を』というのなら———セイバー、君こそが相応(ふさわ)しい」

 

 後ろのアーチャーが左を、セイバーを見たのがなんとなく分かった。

 

「私、ですか?」

「もちろん、()(さや)を取り戻した君をおいて、(ほか)に誰がいるというのか。

 君が、最強だ」

 それに、そこなランサーは紫の師匠にご執心らしい。と、チャチャを入れる。

 

「うるせぇ、黙ってろアーチャー。オレは今、機嫌が悪いんだ」

 

 ランサーは赤い槍(ゲイボルク)を構えて、スカサハの正面に立っていた。

 

「先に行ってろ。オレは師匠をぶっ倒して、そんでお前らの後を追う」

「ですから、サクラさんはこちらで受け持ちます。もっとも、触れると爆発するようですので、あなたが帰ってくるまで放置、という対処になるでしょうが」

 少なくとも私たちは、目の前の女を倒さねばなりません。と付け足すバセットさんは、肩にかけていた金属製の(つつ)を地面に落とした。

 

「……遠坂」

「ワケ分かんないけど、とりあえず今だけは信じてあげるから。

 移動中にでも、説明してもらうわよ、メーティス」

「ええ、もちろんです」

 

 メーティスがエポナを召喚する。

 虚空から馬のいななきが聞こえ、(ひずめ)の足音が聞こえ。そして、白馬が姿を現した。

 俺と右隣にいるメーティスとの(あいだ)に割って入るように出現した真っ白な馬は、並足(なみあし)で進み、遠坂の前で停止した。

 

「そう上手く、行かせると思うのか?」

「『そう上手く行かせる』のが、英雄の仕事だろうが」

 

 スカサハとランサーとが火花を散らせる。もっとも、スカサハは楽しそうに笑っているが。

 ドッ、という衝撃音と共にランサーの魔力が爆発的に増大する。それは周囲に存在する大源(マナ)を巻き込みながら自身の槍に収束し、ランサーは足を一歩踏み出す。

 

「サッサと行け、お前ら!」

 

 ランサーが駆け、バセットさんが追従する。

 

「———刺し穿つ(ゲイ)

 

 槍を腰だめに構えたランサーが右足を大きく踏み込むと共に、その宝具を解放した。

 

「—————死棘の槍(ボルク)———!! 」

 

 ランサーの宝具がスカサハによって真っ向から迎撃されるのを見ることすらしなかったメーティスは、エポナにセイバーと遠坂とを乗せていた。

 

「では、()きますよ」

 

 セイバー、遠坂、メーティスの順に三人を乗せてなお危うげなく、その白馬は疾走(しっそう)する。海浜公園の(ふち)、スカサハの魔術によって()(じゅう)に結界の張られた、その境界へと。

 

「そおら———二本目だ、セタンタ」

 

 スカサハが飛び上がった。ランサーとバセットの二人から、体一つ分だけ浮き上がったスカサハは左手を引き絞る。その手にはもう一本の赤槍(せきそう)が召喚されていた。

 

「———突き穿つ(ゲイ)

「そのまま()け! 凛」

「—————— 死翔の槍(ボルク)!」

 

 スカサハが槍を投げるのと、アーチャーが右腕を上げるのとが同時だった。

 赤く尾を引く彗星(すいせい)のごとき一撃が、エポナを狙って空を走る。だが、ゲイボルクがエポナに突き刺さるより前に、それを阻むものが出現した。

 

 ———— 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)———

 

 アーチャーの呟きと共に、エポナに乗った面々を(まも)るように現れた桃色の花弁は、人を包み込めるほど大きな花を咲かせながら、その七枚の花びらで、ゲイボルクを受け止めて見せた。

 

「足りないな」と、着地したスカサハが()らす。

 実際、拮抗(きっこう)したのは一瞬だけで、次の瞬間にはパリン、という破砕(はさい)(おん)が連続して聞こえてきた。

 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)の花弁を何枚か破壊されたことで、投影の起点としたアーチャーの右腕が、上体(じょうたい)ごと後ろに流される。アーチャーが、よろめいた体幹を立てなおす。その衝撃の中、アーチャーの右袖(みぎそで)が魔力圧で持っていかれた。

 既に走り出しているエポナが結界の境界線を越えるまでもう(いく)ばくも時間はない。だが、その程度でゲイボルクの能力から逃げることなど出来ないことを、俺たちはよく知っている。

 

「万が一がある、かもしれないな。では保険をかけるか……」

 

 スカサハがエポナに向かって走りだす。身体(からだ)の右側に槍を保持して追いかける。

 スカサハの左手は槍の穂先(ほさき)側を握り、右手は石突(いしづき)側を握っていた。上半身は地面と平行になるほどに倒して、槍を地面スレスレに構えている。その槍が、赤い光を放ち始める。

 スカサハの槍が真名を解放するより先に、ランサーの槍がその能力を発揮した。スカサハが槍を持つ側、スカサハから見て右側から回り込むように近づいたランサーは彼女を射程に捉えるやいなや、もう一度、宝具の名を口にした。

 ランサーの宝具を相殺するため、スカサハも宝具を発動させる。

 “スカサハの心臓を穿(うが)つ”という結果を作りだすことに成功したランサーの“ 刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”が、その未来を実現させようと疾走する。

 “ランサーの持つゲイ・ボルクの穂先(ほさき)穿(うが)つ”という結果を確定させたスカサハの“ 刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”が、未来を実現させるために飛来する槍を迎撃する。

 かくして、二本のゲイボルクは、何度か時間を逆行し、何回か因果を逆転させながら、お互いの槍に付加された呪いで、お互いの“因果逆転の呪い”を、()らい合った。

 そこに、バセットさんが追いついた。

 

「———ハッ———!!」

 

 バセットさんがスカサハの左側から突きを入れた。スカサハは反応し、振り向きざまにバセットさんの突きに合わせて左手を出し、突きの軌道に割り込ませ、受け止める。

 インパクトの瞬間、バセットさんは膝を曲げてパンチの威力を底上げした。腕・肩・背中・腰・脚、身体(しんたい)各部(かくぶ)の筋肉を全て同時に、全く同じタイミングで収縮させることにより生まれる剛腕のパンチ、全身にくまなく作用させた身体強化と、グローブに付加された硬化のルーン。

 その一撃は、サーヴァントの(てい)で呼び出されたスカサハにも(とどき)()るものだった。

 バセットさんのパンチを、スカサハが左掌(ひだりてのひら)で受ける。(こぶし)に乗っていた威力のすべてをスカサハ自身の(からだ)の加速力に転化させ、衝撃に逆らわない事で、スカサハはランサーとバセットさんからの距離をとった。

 ランサーの槍、ゲイボルクがまた、赤く輝く。

 この一戦で、既に何度目になるか分からない回数の、真名解放(しんめいかいほう)

 キバるランサーが嬉しいのか、フフフと笑ったスカサハは、後ろ向きに飛び下がりながら両手に一本ずつ槍を握った。

 

 着地の瞬間には、誰しも必ず(すき)が生まれる。その一瞬を狙って放たれるランサーの“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”。

 これに対しスカサハは、普通ではない飛びかたで後ろに飛び下がることによって、“後ろに飛び下がった瞬間に前に踏み込む”という絶技を見せる。

 

()穿(うが)ち、()穿(うが)つ———」

 

 スカサハが左手に持つゲイボルクで、迫り来るランサーの“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を相殺し、お互いの魔槍が喰らい合っている状況下にあってなお、彼女は右腕をフリーにしていた。

 

「——————貫き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)———!!」

 

 魔槍ゲイボルク、その投擲(とうてき)による対軍宝具。

 その強大な呪いを“白馬を狙い撃つ”という一点に収束させて放つホーミング・ミサイル。その追尾性能は、地球の裏側に相手がいたとしても飛んでいくほど。

 ……知っているとも。

 スカサハ自身が張った二重(にじゅう)の結界など吹き飛ばし、どこまでもエポナを追いかけることなど始めから知っている。

 だからこそ、アーチャーがこちらに残ったことなど、俺は始めから知っている。

 だから俺は今、アーチャーの背中に手を当てている。

 よろめくアーチャーを支えるためなんかじゃない。ただ、アーチャーの体に、英霊となったアーチャーの体に、全力で魔力を注ぎ込むために。

 

 スカサハの二本目のゲイボルクがやって来る。一本だけでもヤバいってのに、二本目(これ)熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)にぶつかればどうなるかなど、火を見るよりも明らかだった。

 だから、一本目の槍を(こら)えているこの状況で、アーチャーに(ほか)の動作を完遂する余裕はないから。俺が代わりに、魔術回路を回すのだ。

 

「これを通したら承知しないからな、アーチャー」

「オレを誰だと思っている、(たわ)け」

 

 既に、遠坂にもらった大粒のルビーは()み込んでいる。その中に凝縮されていた魔力を、俺の魔術回路を通して“衛宮士郎”が使える状態にならしていく。そうして出来た“衛宮士郎の魔力”をアーチャーのヤツに、全力で注ぎ込んだ。

 

「「————体は剣で出来ている(I am the bone of my sword)」」

 

 赤い尾をたなびかせて飛来する二本目のゲイボルクが熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)に衝突する。今まで(かろ)うじて(たも)っていた花弁の盾がガラス細工のように粉砕された。二本の槍は、遮るものの無くなった空間を白馬に向かって疾走し———

 

「「アンリミテッド(UNLIMITED)ブレイド(BLADE)ワークス(WORKS)———!!」」

 

 アーチャーの魔術回路に強引に魔力をねじ込むことで詠唱をすっ飛ばして、その固有結界は発動した。

 

 ———ここはもう、果てなき荒野に無数の(つるぎ)が突き刺さっている風景が広がる、アーチャーの心象世界。その中に、スカサハを、放たれたゲイボルクごと取り込んだのだ。

 

「一度ロックオンすれば、“(いく)たび(かわ)されようと相手を貫く”という性質を持つために、標的が存在する限り、そこが地球の裏側だろうとすっ飛んでいく魔槍、ゲイボルク。

 だがどうやら、“世界を超えていくほどの追尾性能”は持っていないと見た」

 間違っていたかね。と、アーチャーが唇の(はし)を吊り上げた。

 

 スカサハは戻って来た二本のゲイボルクを送還し、残った一本の槍をクルクルと回した。

 

「見事、と言っておこうか。別の世界に飛ばされては、流石(さすが)の槍も追いきれんか」

 

 スカサハがゲイボルクを切り払い、左手を天高く伸び上げた。

 

「では此方(こちら)も、(ふだ)をひとつ切るとしよう」

「させるかよ!」

 

 真っ直ぐに突っ込んでいくランサーの進路上に虚空から現れたゲイ・ボルクが突き刺さる。

 それもただ突き刺さるのではなく、ランサーが通る瞬間と重なるように突き刺さっていく。ランサーは進路を変更せざるを()ず、さらにゲイボルクが突き刺さり……ランサーはバセットさんの隣まで下がった。

 

「せっかく、綾子と二人で組み上げたのだ。使わなければ損だろう?」

 

 スカサハの上げた左手に、異質な魔力が溜まっていた。反射的に飛び出そうとするランサーをバセットさんが静止する。

「どう見てもカウンターを狙っている。無策で突っ込むのは危険です」と。

 左手に溜まった魔力を握り締め、スカサハが口を開いた。

 

「——————“イマジナリ・アラウンド”」

 

 握った左を開くと共に、世界に魔力が展開された。

 






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第二十二話、イマジナリ・アラウンド(虚数領域)


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《第二十二話、イマジナリ・アラウンド(虚数領域)

 

 

 スカサハが、高くで握った左手を()けて、世界に魔力が展開された。

 

「—————“イマジナリ・アラウンド”」

 

 ……だが、何も変わらない。

 周囲には大量の剣が突き立ったまま、空を覆う雲の群れは依然(いぜん)、かなりの速度で流れている。

 この固有結界の主人(あるじ)、アーチャーは、その両手に双剣を構えた。

 

「“イマジナリ・アラウンド(虚数領域)”。ということは、魔力の発生源は間桐桜か」

「桜の魔力を、私が“死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)”を展開する要領でこの空間に流し込んだのだ。

 外見は何も変わるまい。だがこの世界は、サクラの魔術特性に感染している」

 

 スカサハは槍を右手に、こちらに一歩近づいた。

 

「この固有結界は、すでにイマジナリ・アラウンド(虚数領域)だ」

 

 俺はアーチャーの背中から手を離し、後ろに下がる。呆然としていた慎二の隣まで下がると、耳打ちした。

 

「大丈夫か? 慎二」

「衛宮うるさい。だいたいお前何しに来たんだ。前に出てろよ」

 

 慎二の言葉を聞いて安心した俺は、腰に()している無逆(むげき)を、帯と直角になるように立てて、自由に動けるように調節した。

 

「—————投影(トレース)開始(オン)

 

 打刀(うちがたな)を投影し、右手で握る。

 スカサハを、というより“イマジナリ・アラウンド”という術を警戒したランサーが、腰を深く落として防御の体勢をとって、ボソッとこぼした。

 

新技(しんわざ)かよ。能力と特性、弱点と制限、全部いちから調べねえとな。面倒くさえ」

 

 アーチャーは、双剣を手に警戒しながら、少しずつ前に出た。

「ランサーのマスター。君は先ほど、どうして“アレ”を使わなかった?」

 

 アーチャーは、ランサーとバセットさんとの二人と並んで、声を潜めて質問していた。

 

「あの状況だ、君の“アレ”ならばスカサハを一方的に殺せたのではないのか?」

「残念ながら、“斬り抉る戦神の剣(フラガラック)”を射出するには、まず起動させる必要があります。

 その(すき)を与えてくれるほど、あの女は容易(たやす)くありません」

 実際、前回の戦いではその(すき)を突かれました。とバセットさんが続けた。

 

「つまり、私としてはどうしても、その(すき)を引き出すところから始めなくてはいけません」

 

 バセットさんが(こぶし)を握って、「貴方はどう見るのです?」と、ランサーに振っていた。

 

「さぁな。あのスカサハだ、案外、ゲイボルクすら“切り札”じゃねえ可能性もある。考えだしたらキリなんざねぇよ。

 まあ(なん)にせよ、オレはやる事をやるだけだ」

 

 そんなランサーを横目に見ながら、アーチャーが双剣を手放し、弓に持ちかえる。

 

「ならば、“イマジナリ・アラウンド”とやらが厄介だな。

 起動はしているはずだが、何の気配もない。どんなカラクリが隠れているのか、まるで見当も付かん」

 

 俺たちが悩んでいる(さま)を眺めながら、スカサハは右手一本で、クルクルと槍を回していた。

 

「しかし、最近の魔術師というのも、馬鹿には出来んな。

 この場に流れる法則、“架空元素・虚数”なんぞというものは、我々の時代にはなかったものだ。

 “人間が世界を理解しようとする事”を属性として落とし込むとは。

 さしずめ、“最新の魔術属性”といったところか」

「貴様の戯言に付き合っていられる程、我々も暇ではないのでな。

 この目で直接、確かめさせてもらう」

 

 アーチャーは、矢を(つが)えてすらいない弓を引く。ギギッと音を立てて()一杯(いっぱい)引き絞った弓の中心に、電気のような魔力光が走る。そして、そこに矢が出現した。ドリル状に捻れた(やじり)矢羽(やばね)は無く、代わりに(ヒルト)が付いている。

 

「————偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

 アーチャーの放った矢は、剣の丘の上を、青い光を引きながら一直線に飛んでいく。

 スカサハに迎撃するようすはなかった。右手一本でゲイボルクを持ち、棒立ちに()()っている。

 そこに、偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)が着弾する。空間をえぐり取るほどの威力が、爆風に転化(てんか)して解き放たれた。

 

 衝撃で地面が()れ、爆風が吹き荒れ、キノコ雲が(のぼ)る。

 地響きと衝撃波、爆音が鳴り止んだ後、ゆっくりと煙が晴れていく。

 ……だが、

 だが、少し不思議なことがあった。キノコ雲の下、偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)の着弾地点にクレーターが見当たらないのだ。アレほどの爆発、アレほどの威力の宝具を撃ち込まれて、着弾した場所が以前と変わらないなんて事が、()たしてあるだろうか。

 

「言ったはずだがな、『ここは虚数領域だ』、『桜の魔力に感染している』、と」

 

 スカサハがいた。無傷でただ、立っていた。

 

「ココは“攻撃力”やら“防御力”やらが存在しない空間なのだ。あらゆる“比較”が、意味をなくす世界だからな」

 

 右足に体重をかけて立っているスカサハは、右手に持っている赤槍(せきそう)をクルクルと回しながら左手に渡した。その流れで左足重心になる。

 

虚数(イマジナリ・ナンバー)などと、面白いモノを考えるものだな。なぁ、セタンタ。

 綾子から聞いたぞ。“架空元素・虚数”ほど、嫌悪(けんお)されながら存在している魔術属性も、(ほか)にあるまい」

 と、スカサハは言った。

 

 架空元素・虚数とは、“魔術理論としては存在するが、物質界には存在しないモノ”だ。

 

 もしも身近(みじか)に数学者や教授、あるいは教師といった肩書(かたがき)の人間がいるなら、質問してみると良い。

「先生、虚数なんて幽霊みたいなモノでしょう? あんなの信じていいんですか」と。

 その人はきっと答えてくれる。

「どうだろうな。有ると便利だが、本当に虚数だなんてモノが存在するのか、私にも分からん」と。

 

 数学者や科学者たちは、便利だから“虚数”という概念を使ってはいるが、だからといって、虚数(それ)が本当に存在すると思っているのか、というと、また別だったりする。

 それに、学校で初めて“虚数”というモノを勉強する時、大抵の学生は拒否反応をしめし、『虚数なんていらない』と思うワケだが———

 

 その反応は、(ヒト)として正しい。

 

 “虚数”が見出(みいだ)された時、世界中が拒絶した。世界中の数学者たち、その全てが拒絶したのだ。

「虚数なんてモノを認めてしまうと、(かず)の計算すらできなくなる。数学という体系そのものが崩壊する」と。

 

 今まで自分たちが慣れ親しんできたもの、それが根幹から揺らいでしまう。“(かず)(かず)として機能しなくなる世界”、世界中の人間が何千年とかけて積み上げてきたものを、一撃で破壊する“文明にとっての毒”。それが虚数だった。

 だからこそ、当時の人たちは、数学者ですら、虚数というモノを認めたくなかったのだ。そんなモノを認めてしまうと、人間たちが歩んできた、この、人理(じんり)すらも、揺らいでしまいそうだったから。

 虚数を認めた瞬間、我々の文明が築き上げてきたモノの根幹に、致命的な欠陥(けっかん)が生じる。今日(きょう)明日(あす)か、といった単位で文明が滅びることはない。だが確実に、もっとゆっくりと、数十年から数百年の時間をかけて崩壊する。そんな状態に、かつての世界は(おちい)っていた。

 

 人類の集合的無意識、“アラヤ”は、人類の航海図たる“人理(じんり)”に、“虚数と関わらない”よう、ひとつの(こう)を書き加えた。

 かくして、この世界の人間は、その大多数は、虚数を嫌悪することに()()()()()。自らの正気を保ち、人類がより長く生存し、この文明をより強く発展させる。そのために、必要なことだったのだ。

 

 そもそもの話、虚数なんぞという意味不明なモノをサラッと登場させる“数学という学問”自体(じたい)を嫌いになる人は多い。

 だがもちろん、『虚数の意味を理解できない』という人は滅多(めった)にいない。

 “二乗(にじょう)してマイナスになる数”。

 その言葉自体(じたい)は、そう難しくないからだ。

 つまり、“虚数”ד虚数”=“マイナスなんちゃら”、だと言っているだけだから。だが、それ自体(じたい)は“虚数というキャラクターの設定”でしかない。

 

 衛宮士郎という人物の設定をあげるなら、『穂群原(ほむらはら)学園(がくえん)2年C組に在籍(ざいせき)する赤毛の少年で、魔術師見習い。養父の影響で「正義の味方」になることを本気で(こころざ)している』

 ——と、いったところだろうか。

 では、この設定を知って、衛宮士郎という人物を好きになれる人間が、一体(いったい)何人いるだろう。

 

 好きになるためには、設定以外の何か、“()”以外の何かが必要なのだ。それは感動だったり、想いに触れることだったりする。人それぞれ、色々あるものではあるが、設定だけでは、正しいだけでは、()りない。

 人はいつも、正しい事を言えば説得できると思いこむ生き物だ。

 “()”には“(じょう)”を説得する力があると信じて疑わない生き物だ。

 ……本当にそうだろうか。

 不登校の子供に、「学校に行くのが正しい事だ」と言えば、それだけで学校に行くようになるのだろうか。

 通り魔に我が子を殺された母親に、「通り魔に()うだなんて不幸だったね。でもコレは、ただ運が悪かっただけなんだから」と言えば、納得できるのだろうか。

 今まさに復讐(ふくしゅう)を成し遂げようとしている人間に、「それは犯罪だぞ」と言えば、引き下がってくれるのだろうか。

 

 そうだ。結局、どれ程正しい事だとしても、“()”に“(じょう)”を説得する力なんて、始めからありはしないのだ。嫌いな人間にイヤミな声色(こわいろ)で正しい事を言われて、素直に受け入れられる人なんて、まずいない。

 

 そんな事だから、虚数という概念は魔術世界・科学世界を()わず嫌悪され、拒絶されながら存在してきた。

 そんな“虚数”の性質をひとつだけあげるとするならば、それは“虚数に感染したモノは(ほか)と比べることが出来なくなる”というものだ。

 RPGに例えるなら、“ゲーム世界の全てのパラメーターに文字バケを引き起こさせるウィルス”のようなモノで、敵へのダメージの判定すら出来くなる。文字バケを起こしたパラメーター同士で『どっちが強いか』なんて、計算できるはずもないのだから。

 

「既存の価値観を叩き壊し、周りの人間に不快感しか与えない。だが、便利だから使えるモノ。

 “架空元素・虚数”とは、まさに、惰性(だせい)とエゴの塊とは思わぬか?」

 

 爆発が起こり、爆風が吹き荒れる。

 その中からスカサハが、爆風を突っ切って走り抜け、槍を構え、突きを繰り出す。

 槍の先端で前方の空間を(えぐ)るように螺旋に突き出してランサーの槍を弾くと、穂先(ほさき)を後ろに引き、石突(いしづき)で前方をなぎ払う事で、追撃しようと飛び出してきたバセットさんを牽制(けんせい)しつつ後ろに飛び下がる。

 スカサハとの距離が開いたことでバセットさんが気を緩めそうになった瞬間、スカサハは槍を地面と水平にぶん回しながら、その槍の遠心力に乗って、バセットさんの右隣に飛び込んだ。

 バセットさんを狙ったスカサハの槍は、ランサーによって弾かれる。

 スカサハは、ランサーが己の槍を弾く力をも利用してさらに槍をもう一回転、真正面から来たアーチャーに叩きつけた。

 アーチャーも、ランサーの援護と自分の防御のために周囲に刺さっている剣の群れを引き抜き、スカサハに飛ばしてはいるが、そのことごとくが無視されていた。

 飛んで来る剣群(けんぐん)をまるでそよ風のように突っ切って、それでもなお、スカサハの肌は傷ひとつなく、槍と共に横回転しながら飛び上がり、空中で回転軸を九十度ひねり、アーチャーへ唐竹(からたけ)()りに打ち込んだ。

 上から降ってきた槍の穂先(ほさき)干将(かんしょう)莫耶(ばくや)を交差させた受け止めたアーチャーは、フッと力を抜いてスカサハをひき込み、右足で横からの回し蹴りを放つ。

 スカサハが左手で受け止める。

 残った左足で地面を蹴ったアーチャーは、蹴りを受け止めたスカサハの左手を踏み台にして、距離を取った。

 

「小僧、準備だ。固有結界を自壊(じかい)させるぞ」

「———何?」

 

 驚きだった。

 アーチャーが展開した固有結界が、アーチャーの手を離れかけていたことに。

 

「魔力を、お前に流すだけで良いんだよな。アーチャー」

 

 俺はアーチャーの後ろに陣取り、声をかける。すでに魔術回路を回し、魔力の生成を始めている。

 

「覚悟しておけ、衛宮士郎。恐らくは固有結界の解除だけで、魔力は全部持っていかれるぞ」

「かと言って、このままだと永遠に遠坂の魔力を()らい続けるだけなんだろ。なら、やるしかないじゃないか」

 

 俺は、アーチャーの背中に、もう一度手を置いたのだった。

 

 アーチャーの背中に力がこもる。ググッと筋肉が収縮し、わずかに猫背になった。

 スカサハの標的が変更される。ランサーと打ち合う槍をそのままに、左手にもう一本のゲイボルクを召喚、ランサーの槍を挟み込むようにして巻き上げ、吹き飛ばした。

 ランサーはその俊敏(しゅんびん)でもって、吹き飛ばされたゲイボルクの軌道に自分の体を()()ませる。

 二回転三(ひね)り。アクロバティックな曲芸じみたジャンプによって空中を吹っ飛ぶ己の槍に追いついて、槍の()に右足を、そっと()えた。

 クルクルと回る槍がランサーの右足首に吸い付くように回転し、(まと)わり付いた。

 スカサハが、こっちに向かって走って来る。両手の槍が真っ赤に輝く。

 

()穿(うが)ち、()穿(うが)つ———」

 

 スカサハが左手の槍を突き出した。因果逆転の呪い、それを“アーチャーの心臓を(つらぬ)く”ためだけに収束させた、一撃。真紅の閃光をたなびかせながらやって来るゲイボルクを———上空からもう一本のゲイボルクが迎撃した。

 スカサハに巻き上げられ、吹き飛ばされた槍の勢いはそのままに、ランサーは右足を()わせる事でベクトルの向きだけを変え、スカサハのゲイボルクに狙いを定めた。さらに、ランサーの右足を振り抜く勢いをプラスされたゲイボルクは、空中を疾走しながら、赤い尾を引いていた。

 

「—————蹴り穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!」

 

 あり得ない軌跡(きせき)を描きながら突き出されたスカサハの槍は、あり得ない軌道(きどう)で降って来るランサーの槍と拮抗(きっこう)した。

 ———ここまで、一瞬の出来事だった。

 “イマジナリ・アラウンド”という名前の魔術に汚染された固有結界を解除するために、アーチャーが(おのれ)(うち)深くに沈み込んだ、その一瞬の出来事だった。

 アーチャーの目は()いている。だが、自らの心象世界に干渉するために集中した結果、アーチャーの目は外の世界を見ていない。

 その一瞬、無防備なこの瞬間、アーチャーはスカサハに反応出来ない。

 スカサハはワザと左手のゲイボルクでランサーの槍と拮抗させている。そうすればこの瞬間、ランサーはアーチャーを護るための一手(いって)を打てないから。

 

 ———ケルト神話、アルスターサイクルの英雄、彼のクー・フーリンを育てた師匠は、伊達(だて)ではなかった。

 (かず)ではこちらが(まさ)っている。僅か一年で影の国での修行を終えた天賦(てんぷ)の才もいる。理論化された戦闘経験だけで、その天才と拮抗し()錬鉄(れんてつ)の英霊もいる。

 それでも(なお)、こうもあっさり崩された。

 

 まるで“鶴翼三連”のような一連(いちれん)の動きだ、と士郎は思った。アーチャーと打ち合う中で読み取った、アーチャーにとっての“切り札”であり“必殺技”。

 アーチャーの最も使い慣れた双剣、干将(かんしょう)莫耶(ばくや)によって()り出される“多重(たじゅう)投影(とうえい)飽和(ほうわ)攻撃(こうげき)”。干将(かんしょう)莫耶(ばくや)の“(つい)になる短剣とお互いに引き合う”という特性を使って手数を増やし、攻撃を飽和(ほうわ)させ、相手の対応出来る限界を()え、(すき)を作り出す。

 アーチャーとって切り札とすら言える状況(それ)を、スカサハはいとも容易(たやす)く、作りあげた。

 

 そう、事ここに(いた)って、スカサハを邪魔するモノは何もない。彼女のゲイボルクに反応出来る位置には、誰もいなかった。

 

「——————貫き穿つ死翔の(ゲイ・ボルク・)……」

 

 だが、そんな“()み”に近い状況を、スカサハの“貫き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)”を、だった一小節の詠唱で、ひっくり返した人がいた。

 

「——————後より出て先に断つ者(アンサラー)

 

 スカサハの後ろから声がした。

 スカサハの動きが、一瞬止まった。

 

「—————おおぉぉぉぉ、りゃぁぁっっ——!!」

 

 空中で、右足の()()くランサー。

 急速に分裂を始める槍の穂先(ほさき)

 ランサーのゲイボルクがスカサハのいた場所に多数(たすう)突き刺さり、空中を回転した勢いをそのままにアーチャーの隣に着地したランサーの手に、戻っていった。

 スカサハは、俺たちより二十メートルほど後退していた。

 

「……おせぇぞ、バセット」

 

 そう言ったランサーの顔は、ほころんでいた。

 

「文句を言わないでください、ランサー。やっと(つか)んだ一瞬だったのですから」

 

 俺たちから見て左斜め前。ちょうど、さっきまでスカサハがいた場所を挟み込む位置にバセットさんがいる。彼女の右拳(みぎこぶし)は、緩やかに天を指していた。その拳から十センチほど上に、黒鉄色(くろがねいろ)の球体が、浮かんでいる。

 

 ———そして、

 

「足止めばかり頼んで。すまなかったな、ランサー」

「はっ、本気でそう思ってんなら、ニヤけたツラをどうにかしやがれ」

 

 薄く雲がかかった夜空。

 大きな月が浮いていた。

 それは、綺麗な半月だった。

 

斬り抉る戦神の剣(フラガラック)が反応しない? 今の流れから、全てをキャンセルしたというのか」

 

 バセットさんはランサーに背中を(あず)けて、スカサハの方を振り向いた。

 バセットさんの背後をカバーできる位置に立ったランサーが、今の発言に口をはさんだ。

 

「ゴチャゴチャ考えるだけ無駄だ、バセット。スカサハのヤロウ、オレに修行をつけてた頃より強くなってやがる。あの女に関しちゃあ、常識の外にいると思った方がいいくらいだからな」

 まぁ、でも。と脚を開いて腰を落とし、体に添わせるように槍を構えた。

 

「固有結界は解除して、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を起動した。“イマジなんとか”って新技の、特性と弱点も把握した。

 アーチャーの方は知らねえが、ことオレたちにとっちゃあ、切り札を切れば抜けられる。

 ———そうだろ、師匠?」

 

 ランサーが(あご)をしゃくる。(あご)で指されたスカサハが、ゆっくりと笑った。

 

「———さて、どうだろうな?」

 

 スカサハは両足を重ねるように、爪先(つまさき)だけで地面に立ち、二本の槍を軽く広げて構えをとった。

 

「いずれにせよイマジナリ・アラウンドは健在だ、現実空間にも感染している。

 お前の言うように、あらゆるパラメーターが意味を無くす世界でも“ゲイボルク”や“ルーの剣”は効果を発揮するのも知っているが———」

 

 スカサハは構えを崩さないままに俺たち全員を見渡した。

 

「お前たちは、“(わし)の足止め”に成功した。それは正しいだろう。実際、(わし)は神を追うことが出来なくなったからな。

 しかし、逆を考えてみようとは、しなかったな? 

 セタンタは言うに及ばず、士郎にも教えた筈だが……。『物事は自分たちの視点からだけでなく、敵の視点からも考えるように』と」

「オイっ、てことはまさか……」

「そう、そのまさかだセタンタ。お前たちが“(わし)の足止め”に成功したように、(わし)もまた、“貴様らの足止め”に成功したのだ。

 綾子の本当の(たくら)みを、邪魔(じゃま)する者共(ものども)を減らすためにな」

「待てよ、師匠。てことは何だ、“この世全ての悪(アンリ・マユ)”を、その呪いを、(おとり)に使ったってのか」

真逆(まさか)、コレはコレで本物だぞ? 何事(なにごと)も保険は必要だろうさ」

 

 ふと、考える。

 こっちの“アンリ・マユ拡散の儀式”の保険のために、美綴がどこかに向かってるとは、俺にはあまり思えなかった。美綴の性格を考えると、むしろ……

 

「“どっちでも良い”んだ。

 どちらか一つでも成功すれば世界を滅ぼせる。そんな儀式が二つあるのか」

「そうとも、どちらでも()いのだ。(わし)の受け持つこちらの儀式か、綾子の受け持つあちらの儀式か。どちらか一つでも成立すれば、綾子の願いは成就(じょうじゅ)される。

 (ゆえ)に———」

 

 ———足止めが、(わし)ひとりと思うでないぞ———

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「そんな、どうして? 

 一騎増えるだけでもあり得ないのに、九番目のサーヴァントだなんて……」

「マヌケめ、どこに目をつけておるか。召喚の順序から言えば、この(オレ)こそが始まりよ」

 

 深山(みやま)(ちょう)の郊外に、メーティスと凛とアルトリアの三人は立っていた。後ろには遠く町灯(まちあかり)が見える。山の(ふもと)の坂道で、前方には山頂がある。だが、それを(はば)むように、一人の、人影が立ち(ふさ)がっていた。

 

「……。まさかとは思いましたが、ここで貴方(あなた)が出てきますか。ヒトの王、ギルガメッシュ」

 

 そう言って、メーティスは盾を呼び出した。左手に盾を持ち、構え、アルトリアと凛を後ろに(かば)う。

 ゴゥゥ、と風が吹いた。山から吹き下ろした風が、ギルガメッシュの背後から吹きつける。メーティスの(あお)い髪とドレスが、正面から吹く風で後ろにはためいている。

 

「しかし、見上げた忠誠(ちゆうせい)よなぁ」

 

 赤い腰布のついた全身黄金(おうごん)の鎧をまとったギルガメッシュは、腕を組んでメーティスたちの乗ったエポナの前に立ちはだかった。ギルガメッシュは、メーティスの判断で進路を変更しようとしたエポナを“自身の蔵(ゲート・オブ・バビロン)”から空中に取り出した鎖で絡めとったのだ。

 

「自分を捨て駒に、主人(しゅじん)(ども)を逃すとは……」

 

 エポナは捕まった。だがエポナの奮闘で、メーティスたち三人は、鎖から距離を取ることに成功していた。

 

 エポナが鎖で雁字(がんじ)(がら)めにされ、空中に()られている、その真下(ました)。ギルガメッシュは依然(いぜん)として全身金ピカで、腕を組んで突っ立っていた。

 そこから十五メートルほど手前で、メーティスは盾を構え、二人より前に出る。後ろで、アルトリアは聖剣を持ち、凛はエメラルドを(にぎ)った。

 

「アルトリア、遠坂凛、お二人は御行(おゆ)きなさい。ヒトの王は、此処(ここ)(わたくし)が食い止めますから」

「はっ? ちょっ、メーティス何言って———」

「美綴綾子が向かった先は、此処(ここ)から真っ直ぐ、円蔵山(えんぞうざん)の大空洞です。かつて大聖杯が(ふさ)いでいたあの場所が、彼女には必要ですから。

 ———お行きなさい、アルトリア」

 

 メーティスは目線だけをアルトリアに一瞬飛ばす。

 アルトリアは、思わず声を上げていた。

 

何故(なぜ)ですメーティス、ここは三人がかりで———」

()れは貴女(あなた)が、士郎のサーヴァントだからです」

 

 メーティスは、今度こそ完全に振り返り、アルトリアを眺めた。

 

貴女(あなた)にはやはり、行く義務があるのでしょう。円蔵山で、見ておいでなさいな。

 ———()れがきっと、貴女(あなた)のためでもあるばずです」

 

 アルトリアが逡巡(しゅんじゅん)し、隣の凛に意識を向けた。

 

「リン———」

「先に行って、セイバー」

 

 凛は左手にエメラルドを持ち替えると、右手にサファイアを取り出して三歩進み、メーティスと並んだ。

 

「私が、マスターとして士郎より下だと思われる事に我慢ならないってのもあるけど……こんな関係でも、メーティスのマスターなのよね、私。

 だからまぁ……見届けさせなさい、メーティス。目の前の金ピカに勝って、サッサとセイバーを追いかけるわよっ!」

「そう意気込むこともないぞ、娘。そこなセイバーをこちらへ寄越(よこ)せば、残り二人は見逃してやる」

「……あら、随分(ずいぶん)とアルトリアに御執心(ごしゅうしん)なのですね、英雄王」

「ハッ、当然であろう。時代(とき)民草(たみぐさ)の希望を一身に引き受けたが(ゆえ)の、その威光。

 貴様が(いだ)いていた、身に余る理想(ユメ)は、最期には貴様自身をも焼き尽くした。

 ヒトの領分を超えた悲願に手を出した愚か者。その破滅を愛してやれるのは、天上天下にただ一人、この(オレ)だけだ」

 

 メーティスが口を閉じた。唇に力を入れて、それでも(こら)えきれずにフフッと笑った。

 

「ええ、確かに。

 ———()()()()()愛してやれるのは、でしょうが」

「……何が言いたい?」

「宣戦布告ですよ、ヒトの王。彼女を手中(しゅちゅう)に収めたくば、守護神たるこの(わたくし)を、殺してから御行(おゆ)きなさいな」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「お前たちを二手(ふたて)に分かれさせ、その両方に足止めを当てる。

 そうとも、前面に出る美味(おい)しい(やく)は、(わし)とギルガメッシュが担当する。その(うら)で綾子が儀式をやれば———そら、“詰み”だ」

 

 スカサハの唇は真一文字(まいちもんじ)に結ばれた。

 眉間(みけん)に少しシワを作り、二本の槍を翼のごとく広げ、腰を落とし、前のめりに構えをとる。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「「———さぁ、此処(ここ)からが本番だぞ」」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 腕を組むギルガメッシュの後ろの空間に、十を数える波紋が立った。

 坂の上から凛とメーティスとを見下ろして、ギルガメッシュは、その威容を(さら)け出す。

 

「ならば貴様の望み通り、“神話の戦い”を再現してやろう。

 ———(あわ)れな女神よ、この(オレ)()()してやる」






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第二十三話、神話の戦い


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《第二十三話、神話の戦い》


※食事中の方は、気をつけてお読みください。
 一応、そういった表現があります。




 

 

 腕を組んで仁王(におう)()ちする黄金の王(ギルガメッシュ)は、ここに開戦を宣言した。

 

「ならば貴様の望み通り、“神話の戦い”を再現してやろう。

 ———(あわ)れな女神よ、この(オレ)()()してやる」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 坂の上を陣取るギルガメッシュが(あご)を上げる。その背後に十数個の波紋が立ち、その(うち)から剣身(けんしん)が姿を(あらわ)す。

 

「せめて(オレ)(たの)しませろ、駄女神(だめがみ)

 

 背後に浮かんだ波紋の中から顔を(のぞ)かせた剣たちを一斉(いっせい)に射出。十数振りの剣は、まるで流星群のごとくメーティスに飛んでいった。

 

「凛、三十メートル(ほど)退()がってくださいな」

 

 メーティスは左手の盾を大きく(かか)げる。盾の表面にある仮面の目が、飛来する剣群(けんぐん)(とら)える。

 飛んできた剣の群れは、目に見えて遅くなった。いくつも(かぞ)えないうちに完全に停止し、空中で固まった。

 凛はメーティスの指示通り、後ろを向いてダッシュした。強化魔術を(ほどこ)された凛の両脚(りょうあし)は地面を蹴り、(またた)()に三十メートルを走りきる。

 ズガガガガッ、と凛の後ろで土煙(つちけむり)が立ち(のぼ)る。近くに突っ立っている巨木に手をついて振り返れば、自分がさっきまで立っていた場所には、いくつものクレーターが存在するのみだった。

 

()ずは、此方(こちら)の宝具を切るところからですね。このままでは戦いにすら持ち込めませんし……」

「ッツ———!!」

 

 凛の両肩が()ね上がった。背中から頭にかけての毛穴が泡立ち、鳥肌が立った。

 

「ちょっとメーティス! 後ろから急に声かけないでよ、驚くじゃないの!!」

 

 凛が目線だけを後ろ、木の影に向けた。

 

「そう言われましても……」

 

 凛の後ろに現れたメーティスは、少しだけ眉根(まゆね)を寄せる。

 そんなメーティスの反応を半ば無視して、凛はギルガメッシュを視界に収めたまま、メーティスに聴いた。

 

「それで? 何の話なのよ」

(わたくし)の宝具の話です。

 エポナは殺され、仮面盾(アイギス)ではいつまで()つか(わか)りません。

 ———ですから、最終宝具を発動させます」

 時間を(かせ)いで下さいませんか? と、メーティスは凛に盾を押しつけ、木陰(こかげ)から飛び出していった。

 

「ちょ、調子に乗るんじゃないわよ!」

 

 凛も(あわ)てて駆け出した。

 全く、何だっていうんだろう。士郎と関わった(おんな)(たち)は、何でこうも暴走(ぼうそう)気味(ぎみ)になるんだろう。

 

 凛は脚を動かしながら考える。

 メーティスが急に飛び出したのは、私に考える時間を与えないようにするためだ。(げん)に私は、心の贅肉(ぜいにく)(ののし)りながら走り出してしまった。

 メーティスが『時間を(かせ)いで下さいませんか』と言ったからには、ギルガメッシュとかいう金ピカの攻撃を気にせずに動きたいと言う事。集中するなり、真名(しんめい)を解放するなり、時間がかかるというワケだ。

 ここで問題になってくるのは、“どれくらいの時間を(かせ)げば良いのか”だが、これに関してはあまり考えなくてもいいと思う。戦闘中に一分も二分も時間を(ひね)り出せと言うのなら、一言あってもいいはずだ。そして時間を(かせ)ぐ方法も厳選(げんせん)する必要がある。

 なのに、あの女神は、何もしなかった。

 なら、後は簡単だ。あの女神が、遠坂凛に(おこな)わせたい動作(どうさ)を、そのままなぞってやるだけでいいのだから———

 

 メーティスが林の中を(かけ)(めぐ)る。

 ギルガメッシュの目の前、彼の視界の中を左から右へ駆け抜ける。ギルガメッシュはその痩躯(そうく)を瞳の中で追いかけながら、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を展開、自身の背後に細波(さざなみ)()った三つの波紋から、それぞれ“神殺しの剣”を一振りずつ射出した。

 ギルガメッシュが射出した三振(みふ)りの剣を一瞥(いちべつ)したメーティスは、速度を落とすことなく手短(てみじか)()に突っ込んだ。

 剣が着弾する寸前(すんぜん)、メーティスが地面を蹴って()び上がると、“壁走り”の要領で、樹の幹に左足を置く。右脚を振り上げる勢いも利用してさらに加速すると、空中で側転(そくてん)して上下逆さまになり、三発の剣弾をやり過ごした。

 ギルガメッシュの口がへの字に曲がる。

 滞空しているメーティス目掛けてさらに三発、先ほど発生させた波紋を使って剣弾(けんだん)を射出した。

 上下逆さまの体勢から、“後ろ回り”の要領で姿勢を制御、空中で体勢を立て直したメーティスは、迫り来る剣弾から目を()らすことなく別の樹の幹に両脚を揃えて着地する。

 両脚をバネに、自分の体を撃ち出すメーティス。空中で縦に回転しながら剣弾に突っ込んでいくと、三発の剣弾のうち、一番右側の一発に(かかと)()としを叩き込む。縦に回転する勢いを全て乗せた、右脚による一撃だった。

 

小癪(こしゃく)な……ナッ———ッツ!!」

 

 ギルガメッシュが硬直した。腕を組んだまま、坂道の上から凛とメーティスとを見下ろした状態で。

 いつの間にか数が増えて二十(もん)ほどになった波紋から顔を出している剣群(けんぐん)すらも全てまとめて、完全に固まっている。

 

「メーティス! これでしくじったら、本当(ほんっとう)容赦(ようしゃ)しないんだからねっ!」

 

 ギルガメッシュの眼球がメーティスの後ろにいる凛を(とら)える。(それ)ゴルゴーンの仮面盾(ゴルゴニス・アイギス)を、両手で(ささ)げ持っていた。

 

「———そして、(わたくし)の最終宝具を展開するための、一手でもあるのですよ」

 

 ギルガメッシュは急ぎ、メーティスに視線を合わせる。

 真っ先に目についたのは、変化した(ひとみ)だった。その大きな月色(つきいろ)の瞳だ。ギルガメッシュの知っているイシュタルの日色(ひいろ)の瞳とは真逆(まぎゃく)の、それでいて、金色の瞳。

 ただ立っているだけのメーティスの瞳に、ギルガメッシュは()せられたのだ。

 

「ほぅ、(オレ)もこれまで、幾多(いくた)の魔眼を目にしてきたが———お前のそれは格別よな」

「ええ、(わたくし)のコレはあらゆる魔眼の原典でございますから。

 魔眼とは本来、この目のことを指すのです。この世に蔓延(はびこ)るあらゆる魔眼は、全て、(わたくし)の目の模倣(もほう)に過ぎない。

 ———ですが貴方には差し上げませんよ。この眼は()()()()()()でございますから」

「その姿に戻ってなお、紛い物(アレら)を姉と(しょう)するか。貴様のそれも、筋金(すじがね)()りよな」

 

 メーティスとギルガメッシュ、両者の(あいだ)に緊張がはしる。

 坂道の(うえ)(した)。お互いにただ立ったまま、静寂(せいじゃく)の時間が過ぎる。

 

「遠坂凛、それなり以上に、離れては(いただ)けませんか? 

 このままでは、巻き込んでしまいますので」

 

 凛は沈黙(ちんもく)を保ったまま、ギルガメッシュからも目を()らさずに、バックステップで距離を取る。

 ギルガメッシュの剣弾のせいで周囲の木々は()ぎ倒され、一面、見渡しが良くなっていた。凛はその境界線を越える。ギルガメッシュの被害の、(およ)んでいない位置まで退がる。

 

「———それでは」

 

 メーティスはギルガメッシュに向き直る。

 最終宝具を発動しても、メーティスの姿はほとんど変わらなかった。唯一変わった彼女の瞳は、強く月色(つきいろ)に輝いていた。

 

「“神話の戦い”を始めましょうか。

 (わたくし)も、明日(あす)夜明(よあ)けは見たいので、この場所で、(ひね)り潰して差し上げますね」

「ハッ、言いおるわ。

 ———だがな女神よ、気づいているか? 神話とは常に、ヒトの歴史に()(つぶ)されるということを」

 

 ギルガメッシュが右腕を上げる。真っ直ぐ伸ばした右手で(ちゅう)(つか)む。そんなギルガメッシュの右手を中心に黄金の波紋が立つと、その中から大きな(かぎ)を取り出した。

 それは黄金の(かぎ)だった。(つか)のついた、小太刀(こだち)ほどの大きさの(かぎ)

 ギルガメッシュはその(かぎ)虚空(こくう)に突き刺し、回す。

 変化はすぐに(おとず)れた。

 (かぎ)の先端から上空に、赤い、魔術回路ような、あるいは巨大な樹形図(じゅけいず)のような、直線的な固形魔力が展開される。(かぎ)の先端を起点に、上空にいくにしたがって広く、大きく広がった樹形図(じゅけいず)(がた)の赤い魔力は、一瞬光ったかと思うと、急速に縮み、黄金の(かぎ)の先端に収束した。

 

「…………なっ、な……」

 

 凛が、口を開けて固まった。目が、離せなかった。ギルガメッシュとかいうサーヴァントが持つ、ソレ。先ほどの黄金の(かぎ)から変化した、剣のようなモノ。

 凛はソレを見上げる形で固まって、何かを言おうとして、何も言えなかった。

 ———(つか)がある。黄金のアームガードが付いている。その刀身があるところには、赤い幾何(きか)(がく)模様(もよう)が発光する、黒い円筒(えんとう)があるのみだった。

 

「“神話の戦い”と言うからには、この(オレ)も、本気で相手をしようではないか」

 

 突っ立っているだけのギルガメッシュが浮いていく。彼を中心に莫大(ばくだい)な魔力の奔流(ほんりゅう)(たた)え、まるで重力など無いかのように、ギルガメッシュは(ちゅう)にいた。

 

「忘れられた(あわ)れな女神よ、見せてやろう。これこそが、ヒトの(つむ)いだ重みと力よ。

 ———吹き荒れよ、エア。

 見よ! 天地を分かち、神を切り離し、ヒトとしての歴史を(ひら)いた。(オレ)()(ぎょう)をっ!」

 

 天高(てんたか)(かか)げた円筒形(えんとうけい)の、剣の先端部分が回転する。

 赤く色付いた魔力を逆巻(さかま)きながら放出する神造兵装(しんぞうへいそう)乖離(かいり)(けん)。その(きっさき)をメーティスに向けて、黄金の王は、自らの最強宝具の、真名(しんめい)(うた)()げる。

 

「それこそが、この(オレ)物語(ものがたり)天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)よっ!!」

 

 その時、メーティスが右腕を突き出した。

 衝撃波が駆け抜ける。

 ギルガメッシュの宝具、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)出鼻(でばな)(とら)えた一撃は乖離(かいり)(けん)の先端に当たり、剣に巻き込まれて(せめ)ぎ合う風を吹き散らした。

 右拳(うけん)の衝撃が、空中にいるギルガメッシュを強く叩く。赤い腰布がバタバタはためく。ギルガメッシュが歯を()いしばる。

 そして、宝具に魔力を()じ込んだ。

 

「———(あま)いわぁぁぁっ!!」

 

 乖離(かいり)(けん)の三つの円筒(えんとう)が回転を強める。それぞれが、(となり)円筒(えんとう)に対して逆回転し、それぞれが風を巻き込むことで発生する暴風の断層が擬似(ぎじ)(てき)な時空断層となり、ギルガメッシュの腕の突きと共にメーティスへと襲い来る。

 対するメーティスは、突き出した右拳(みぎこぶし)(ひら)き、五指を揃え、(てのひら)乖離(かいり)(けん)に照準する。その右掌(みぎてのひら)を基準にして左手を引き(しぼ)り、両手の(あいだ)で、メーティスは魔力をスパークさせた。

 黄金の光が、メーティスの両手の(あいだ)の空間から、外に向かって溢れ出る。その中から現れたのは、月色(つきいろ)に輝く矢であった。

 

「———————母親殺しへの贄の天罰(イーピゲネイア・エクディーキッスィ)

 

 メーティスが弓もなく放った矢と、乖離(かいり)(けん)の放つ時空断層(じくうだんそう)旋風(せんぷう)が衝突した。

 月色(つきいろ)の矢は乖離(かいり)(けん)の時空断層に触れるやいなや細切れにされ周囲に光を撒き散らしながら消滅する。

 ———衝突の様子(ようす)を観ていたギルガメッシュが、目を細める。

 次の瞬間、時空断層を内包(ないほう)する乖離(かいり)(けん)の暴風は、自らで自らを喰らい合い、時空断層どうしがぶつかり合い、それぞれで対消滅(ついしょうめつ)を引き起こし、メーティスに届くころには、完全に消えてしまった。

 

「———なるほど、貴様のソレは対神宝具、“神の権能を強制的に自身へと返還させる宝具”という訳か」

 

 今のは、“アルテミスの天罰”だった。

 かつてアルテミスの巫女だったイーピゲネイアという少女がいた。トロイア遠征隊が嵐から逃げてアウリスの港に立ち寄った時、アガメムノーンという男は仲間の隊長たちに説得されて、娘のイーピゲネイアを魔女として殺害した。

 これを知ったアルテミスは、運命を操り偶然を利用して、アガメムノーンが勝手に生贄(いけにえ)となって死ぬように、天罰を与えたのだった。

 “アルテミスの天罰”が描かれるのは、主に“母親殺し”に対してである事が多い。自らを産み落とした母という存在をその手にかける事。それは父権制(ふけんせい)であるギリシア神話が始まるまでは“ 究極の法を破った罪”だった。

 ギリシア神話世界では、この法を嫌ったゼウス一派によって『母というのは、その母の子と呼ばれる者の生みの親ではない、その胎内に新しく宿った“(たね)を育てる者”に過ぎないのだ。子を(もう)けるのは父親であり、母はただあたかも主人が客をもてなすように、その若い芽を護り育ててゆくわけなのだ』という理論のもと、『父親のみを“親”と認めることで“母親殺し”という現象は存在し()ない。よって、母を殺すことは罪ではない』という法律を作り上げ、アルテミスの権能の一部を剥奪(はくだつ)した。

 ゆえにこれは、今のアルテミスでは使えなくなった“(たい)()のアルテミスの天罰”だった。

 

 ギルガメッシュはもう一度乖離(かいり)(けん)を振り上げ、上段に構えた状態で、メーティスの力を分析する。

 

「……だが———」

 

 ギルガメッシュは口をつぐんだ。しかし、“ギルガメッシュが何を()たからそれを言おうとしたのか”は、すぐに知られる事になる。

 それは、メーティスを見れば一発だった。

 

「アッ——————ッ!!」

 

 メーティスが少し前屈(まえかが)みになって、左肩を押さえていた。その左肩から先、メーティスの左腕(ひだりうで)は脱力していて、左脚の少し前で揺れている。

 そんな、メーティスの左腕(ひだりうで)は白く、所々(ところどころ)が濃い青緑(あおみどり)(いろ)に変色していた。腕の皮膚(ひふ)次第(しだい)に伸びて、ゆっくりと垂れていく。腕のいたる所で急速に水膨(みずぶく)れが膨張し、破裂する。

 そして何より、メーティスの左腕(さわん)各所(かくしょ)から、蛆虫(うじむし)が湧き出してきた。

 

 メーティスが左腕(さわん)を垂らし苦しむ姿を(なが)め見て、ギルガメッシュはもう一度、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を、大量の波紋を展開する。

 

左腕(ひだりうで)が腐り果てた……だけではないな。貴様の左腕(ソコ)から、神秘と魔力が急速に抜け落ちている。左腕(ひだりうで)ごと、アルテミスに奪われよったな?」

 

 (くだ)らん、と吐き捨てたギルガメッシュは、乖離(かいり)(けん)を振りかぶった状態で、波紋から神殺しの武具を大量に射出。続けて、乖離(かいり)(けん)を起動した。

 

「まるで(くだ)らん。

 ———興醒(きょうざ)めも(はなは)だしいぞっ! ()女神(めがみ)ッ!!」

 

 乖離(かいり)(けん)が振り下ろされる。

 吹き荒れる時空断層の嵐と、飛んでくる剣群。

 上から眺めるつまらなそうなギルガメッシュの顔が———(きょう)(がく)()(ひら)かれた。

 

「一度でも権能を使えば、(わたくし)奪回(だっかい)されたことに気付(きづ)かれる。気付(きづ)かれただけで、肉体ごと奪われる脆弱(ぜいじゃく)な神性 。ですが、

 ———()めないで下さいね、英雄王。こうして無様(ぶざま)(さら)そうとも、(わたくし)も大地母神が一柱(ひとはしら)。神話体系の生みの親、万神(ばんしん)(はは)の一人です。

 残った力で勝利を(つか)み取ることの、なんと———容易(たやす)いことかッ」

 

 メーティスは腐り果て、ちぎれ落ちた左腕(ひだりうで)を完全に無視し、左肩(ひだりかた)を押さえながら、()()()()()()()()()()()()()()

 メーティスは腕を失い、それでもドレスを(ひるがえ)しながら、アマゾネスの女神として、立っていた。

 ギルガメッシュの口から「クッ!」という声が()れた。

 

石化の魔眼(キュベレイ)、双子の女神の光輪(こうりん)をも取り込んだ、その(しん)姿(すがた)かっ」

 

 ギルガメッシュが乖離(かいり)(けん)の出力を上げる。赤い嵐が吹き荒れる。しかし、メーティスに届くことはなかった。

 

「メドゥーサの魔眼の中に、(わたくし)の名の一つが残っていて良かったです。

 こうして、貴方(あなた)に対抗できる」

 

 メーティスは右手をギュッと握ると、右腕を真横(まよこ)にピンと伸ばす。(てのひら)を上に指を(ほど)くと、その中には小さな蛇が存在していた。

 メーティスの(てのひら)に収まる大きさの、細くて長い水の蛇。メーティスの「お()きなさい」の()け声で、その蛇は空中を泳いで、メーティスの後ろの方に飛んで行った。

 そして、ギルガメッシュに集中する。

 

「はぁぁぁぁああっ——————ッ!!」

 

 メーティスは腐りかけた(りょう)(がん)から血を流しながら、ギルガメッシュを(にら)み付ける。(りょう)(がん)が内側から爆散することと引き換えに石化の魔眼(キュベレイ)の出力をさらに上げたメーティスは、時空断層の嵐を抜いて、乖離(かいり)(けん)本体に効力を届かせることに成功した。

 とは言え、メーティスの魔眼(ゴルゴーン)の性質は“戦意の喪失(そうしつ)”。ゴルゴーンの仮面盾(ゴルゴニス・アイギス)の宝具と同じに、石化させる事は本質ではない。

 ゆえに、乖離(かいり)(けん)の硬直時間はそう長くない。“一瞥(いちべつ)するだけでモノの本質を見抜く眼”を持つギルガメッシュに、すでに一度見られている。だから、この眼で見られた場合の対処法も、知られていると思って行動すべきだ。

 

「———(かこ)いなさいな、オケアノスっ!」

 

 だからメーティスは、ペットを呼んだ。

 

 突如(とつじょ)、海が立ち上がった。海の水が、その巨大な鎌首(かまくび)をもたたげ、海水で出来た巨大な蛇が、空中を泳ぎ出した。

 ギルガメッシュは一度脱力する。メーティスの魔眼の能力は“ 相手の『攻撃しよう』という意志そのものを縛るもの”。だから、もう一度動きたいのなら、一度脱力し、自らを(しず)め、心を穏やかにする必要がある。

 この時、ギルガメッシュは無防備になる。だが、ギルガメッシュには()えていた。目の前に迫りくる海水の蛇が、何をしようとしているのかを。

 

「———神代(じんだい)回帰(かいき)か」

「ええ、この体です。(わたくし)は長期戦闘に向いておりません。(ゆえ)に、全力で戦える“場”を用意しました」

 

 海水と融合して巨大化した蛇、“オケアノス”と呼ばれた水の蛇が、周囲を旋回(せんかい)しながら浮遊していた。ギルガメッシュやメーティス、凛の周囲を大きく取り巻くように回遊する海流の蛇(オケアノス)は、次第(しだい)に自分の尾に追いついて、噛み付いた。(へび)(くち)尻尾(しっぽ)が触れた場所から合体し、ひとつの巨大な、円環(えんかん)し浮遊する海流になった。

 ———“オケアノス大結界”。

 最も古いタイプの結界のひとつ。水の流れによる円環結界(えんかんけっかい)だ。

 

 ギギギギッ、と時空の()れ合う音がする。

 その音を聞いて、ギルガメッシュは凄惨(せいさん)に笑う。

 

()いぞ、ならば(まく)()けといこうではないか。

 ———円環(えんかん)の大地母神よ、精々(オレ)(たの)しませよ。貴様のそれが、“気に入らぬ結末を、本を最初から読み直すことで回避しようとする愚行”であるのだとしても、道化っぷりは認めてやる。精々足掻(あが)き、この()(あと)を残すが()いぞっ!」

 

 メーティスが走る。空中にいるギルガメッシュの足元へと。姿勢を低くし、上体(じょうたい)を前に傾け、右腕は後ろを押し出す感じで、(すべ)るように前へと進む。

 ギルガメッシュが剣を放つ。自身の宝物庫に眠る武具のうち、目の前の女神の神性を貫通し()る性能を持つものを厳選し、走るメーティスに射出する。だが———

 

()(ほど)、砕け散った目で良く避ける。戦闘部族の神だけはあるな」

 

 メーティスは脚の回転を緩めることなく、ただ歩幅(ほはば)の調節だけで自分のスピードに緩急(かんきゅう)をつけ、飛来(ひらい)する剣を(かわ)していく。

 ギルガメッシュは一度、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を全て仕舞(しま)うと、新しい波紋を展開、さらなる武器を撃ち放つ。

 メーティスはそれも(かわ)そうとして、その行動を途中でキャンセル。空に向かって跳び上がりながら、大きく右脚を振り抜いた。

 

「———————歪められた女神の話(プルートニス・ヒストォリア)

 

 振り抜いたメーティスの右脚は風を巻き込み、風が権能に染められた。ペルセポネの権能によって“黄泉(よみ)(おく)り”の効果を付加された風は、ギルガメッシュが撃ち出した宝具の数々を、その効果が発揮されるより前に、(まと)めて異次元に飛ばしてしまう。

 

 そして、メーティスの右脚が腐り始める。

 (あお)いドレスの(すそ)から見える右脚は、すでに変色を始めている。皮膚の下で蛆虫(うじむし)(うごめ)いているのが分かる。

 それらの一切合切(いっさいがっさい)を、奥歯を噛みしめて(こら)えたメーティスが飛び込んだ。さっきまで剣群が存在していた空間を通り過ぎ、空中にいるギルガメッシュの目の前まで迫った時、メーティスは右腕を振りかぶる。

 

 ギルガメッシュが石化の魔眼(キュベレイ)の完成形、停戦の魔眼(ゴルゴーン)の対処法を看破したのと同じように、メーティスもまた、乖離(かいり)(けん)の欠点を看破していた。

 それは、“乖離(かいり)(けん)が強過ぎる”という事だ。発動前に発生する吹き荒れる魔力によって、“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”からの宝具射出攻撃が不可能となる。ゆえに、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)からの弾幕によってメーティスを足止めしつつ天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)をチャージすることができない。

 メーティスはこうして、高速起動による接近戦に勝機を見出した。

 

 ギルガメッシュがとっさに波紋を展開、宝物庫から盾の宝具を呼び寄せ、左手で()(つか)み、メーティスのパンチの軌道上に配置した。

 

 ゴォォーーン! と(かね)を叩いたような音が響いた。

 自らの(こぶし)に金属の硬さを感じながら、メーティスは腕を内側に(ねじ)る。

 メーティスの右腕が(わず)かに伸びた。メーティスのパンチに耐えるためにギルガメッシュは力を入れて全身が硬直している。その上から、メーティスの右腕が伸びた分の衝撃が、まるで打ち寄せる波のように、ギルガメッシュの体幹(たいかん)(おそ)う。

 

(なに)っ——————?」

 

 ギルガメッシュ自身、不思議なくらい気持ちよく、痛みの一切(いっさい)を感じることなく、地面に吹っ飛ばされていた。

 

 ———骨に対して筋肉は螺旋状に付いている。だから、人の体は螺旋状に動くようにできている。

 つまり、『腕を普通に上げなさい』と言われてその通りに行動する時は、()()()()()()()()()()のが自然なのだ。その体勢こそが“腕が最も高く上がる姿勢”でもある。

 しかし、『腕を普通に上げなさい』といきなり言われて、(ねじ)りながら上げる人はまずいない。

 “真っ直ぐに上げる”ってなんだろう? 

 腕を(ねじ)らずそのまま上げる? 

 まるでロボットのように? 

 人間の肉体の構造を(かんが)みると、筋肉は“螺旋状”についている。だから人の体は“螺旋”に動くようにできている。それが“自然な動き”なのだ。でも、思い込みによって“普通に動く”つもりが、いつの間にか“不自然な動き”になってしまった。

 “不自然な動き”でも、生きていける環境だからだ。

 不自然な動きを続ければ、必ず何処(どこ)かがおかしくなる。昔の人々も、きっとそれが分かっていたに違いない。だって、それぞれの国ごとに、対処法が伝承(でんしょう)され続けているのだから。

 ヨガや武術は、その発祥を紀元前まで(さかのぼ)る。

 スポーツの起源は、三万年前には確認されている。

 ウェイト・トレーニングは、ギリシア・ローマ時代だ。

 ———そうやって人々は、文明の発達によって“自然から解離(かいり)してしまう身体(からだ)”をなんとか(つな)ぎ止めようとしていた。

 それでもやがて、文明の発展に身体(からだ)の調整が追いつかなくなる時代が来る。

 ———現代だ。

 おそらく、現代のトップアスリートでさえ、古代ギリシアやメソポタミアで“普通に生活する”だけで、相当に消耗(しょうもう)するだろう。“日常”に求められる身体性能(しんたいせいのう)に、天と地ほどの差があるからだ。

 

 そういう意味では、ギルガメッシュの認識は正しい。

 

 ———その点で言えば前回のは落第だったな。あの程度の火で死に絶えるなど、今の人間は弱すぎる———

 

 では、今ここにいるメーティスはどうだろう。彼女は古代ギリシア世界の、さらに前に存在していた。その肉体理解(にくたいりかい)身体制御(しんたいせいぎょ)は、現代人の比ではない。加えて、“ 夜に留まされし運命の神(Fate / stay night)”を発動させ、ちゃんとしたサーヴァントとなったメーティスなら、どうだろうか。

 

 “純粋な盾としての性能”において、ギルガメッシュの王の財宝のなかでも、トップクラスの宝具を真正面から(つらぬ)いてギルガメッシュに衝撃だけを通し、吹き飛ばしたメーティスが着地する。

 右脚は腐り落ちているため左脚一本で着地したメーティスは、大きく(ひざ)を曲げ、しゃがみ込むようにして衝撃を逃す。遅れて、(あお)いドレスのスカート部分が、ふわふわと(ただよ)いながら、ゆっくりと(しず)まっていく。

 

 メーティスは節穴(ふしあな)となった両眼から血を流しながら、存在しない眼球で、それでもギルガメッシュに顔を向けた。

 

「よもやこの(オレ)が、このような無様を(さら)そうとはな」

 

 ギルガメッシュは、空中の至る所に波紋を展開し、そこから鎖を射出、それを別の波紋から宝物庫の中に繋げることで蜘蛛の巣のように網を張り、衝撃を吸収していた。

 そんなギルガメッシュは自分とメーティスとの(あいだ)王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の波紋を壁のように展開し、中から魔術師の杖を(のぞ)かせて威嚇(いかく)牽制(けんせい)している。

 ギルガメッシュは体を起こしながら、メーティスの体を観察した。

 

「だが女神よ、すでに貴様に猶予(ゆうよ)は無いぞ? 

 この戦いも、(オレ)の勝利で幕引(まくひき)きよ」

「何を言っているのですか? (わたくし)にはまだ、左脚と右腕が残っていますよ。此処(ここ)からが大詰(おおづ)めです」

 

 メーティスは片脚でしゃがんだ姿勢から、(わず)かに重心を前に傾ける。何時(いつ)でも、ジェットのように突っ込んでいける体勢をとった。

 それを見たギルガメッシュが、笑う。

 もはや抑えが効かぬとばかりに、右手で顔を(おお)い、左手を腰にあて、笑うのを我慢しているようだったが、やがてそれも出来なくなり、最後には堂々と爆笑する。

 

「———貴様ッ、それでも女神か? 

 (おのれ)が今何を背負っているのかも感じ取れずに女神だと? 

 ハッ! 笑わせるな()女神(めがみ)め。貴様はすでに終わっているのだ。ここまで時間をかけた時点で、貴様の負けよ」

 

 ギルガメッシュの言葉を聞いて、メーティスが自分の体を点検する。

 目で見ることは出来ない。全身の感覚は痛みが飽和(ほうわ)していて役に立たない。だから残った右手で体のあちこちを触り、異常がないかを確認する。と同時に、指先から魔力を流し、神秘的な視点からも確認した。

 すると———

 

「ガッ、ああぁぁぁぁああッ——————ッツ!!」

 

 右腕が、内側から(ねじ)り切られた。

 体から離れていく右腕、右肩に残る神秘を感じる。

 ———知っている。

 メーティスは、この感じを知っている。

 

 ——————女神アテナ——————

 

 マズい、このままではマズいと直感したメーティスは攻勢にでる。

 自分の右肩にはアテナの神秘がこびり付いて離れない。そしてさらに、メーティスの体をも、侵食しようとして来ていた。

 

 メーティスは、気持ち前のめりになっていた重心をさらに前へ、完全に倒れそうになる寸前(すんぜん)で魔力を()めた左脚を解放。自分の体重と、それに対する地面からの反発を左脚で受け止めながら、その全てを推進力(すいしんりょく)に転化する——————直前、メーティスの子宮が握り潰された。

 

「ッ—————————ッツ…………!!」

 

 最早(もはや)何の声もなく、メーティスは崩れ落ちた。

 うつ伏せに倒れる両手右脚のないメーティスに、ギルガメッシュがゆっくりと歩いて行った。

 

「右腕に加えて、子宮までも潰されよったな? 潰したのはアテナと……ヘラか。

 あまりにも暴れ過ぎたな、円環(えんかん)の女神よ。貴様側からアクセスせずとも、向こう側から干渉(かんしょ)されるとは……」

 

 ギルガメッシュは、倒れたメーティスから(いく)らか離れた場所で止まった。取り出してから、ついに一度も仕舞(しま)わなかった乖離(かいり)(けん)を高く(かか)げ、ゆっくりと起動する。

 

「この結末は、(わか)り切っていた筈だがな。何故(なぜ)宝具を起動した? 一度でも起動させてしまえば、貴様は“ギリシア神話という地獄”を追体験(ついたいけん)することになる。

 例え、気に食わぬ結末を(むか)えた物語であろうとも、否定することに意味などあるまい。例え始めから読み返したとしても、いつかまた、結末を読み直す羽目(はめ)になるだけだ」

 

 ギルガメッシュの(かか)げる乖離(かいり)(けん)の先端、三つの円筒(えんとう)(たが)(ちが)いに回転を始める。その一つ一つが、ひとつの世界を象徴するとすら言われる円筒(えんとう)が、それぞれに発生させた三層の力場によって時空流を()み出し空間変動を引き起こす。空間を巻き込み、(ねじ)り、千切(ちぎ)り、時空断層を発生させる。

 先端を上に向けられた乖離(かいり)(けん)から発生する時空断層の嵐は次第(しだい)にその半径を縮め、段々と細くなっていく。

 それが、まるで一本の赤い線のように見えた時、メーティスの口が(わず)かに動いた。

 

「ま……っ。まだ、です」

 

 メーティスは首の力だけでギルガメッシュを見上げる。

 高く掲げる乖離(かいり)(けん)の、“創造神エアの権能”を一部再現した力場がまるで剣のように収束した。

 ———それはまるで、赤く(まる)い実体のない光の剣。乖離(かいり)(けん)の先端からビームセイバーのように発生する“権能の力場”はゆっくりと、だか確実に、世界そのものに干渉(かんしょう)していた。海流によって世界を定義する大結界オケアノスが(きし)みを上げる。“神代(じんだい)回帰(かいき)”の起点となった海水の蛇(オケアノス)が、悲鳴を上げた。

 メーティスは存在しない(ひとみ)でギルガメッシュを見上げながら、自身の想いを(つむ)ぎ出した。

 

「例え、この先が地獄だとしても、構わないんです。

 例え、この先に無限の苦しみが待ち受けていたとしても、大丈夫。

 ———(わたくし)は、嬉しかったのです。あの瞬間は、何があっても忘れない。

 この先、(わたくし)がどうなろうとも———ずっと、幸せなのですから」

 

 うつ伏せに倒れているメーティスの左脚に神秘が纏わりついていく。ところどころが破れているドレスの裾から少し見える脹脛(ふくらはぎ)、そこに、女神キュベレイの力が()まる。

 大地の権能、その一端を引き出して、左脚を赤紫色に染めながら、メーティスはギルガメッシュに狙いを定める。

 

「ですから、如何(どう)しても、負ける訳には、いかないのですっ!」

「……女神よ、貴様には———エアの(しん)姿(すがた)をくれてやる」

 

 ギルガメッシュは、手に持つ乖離(かいり)(けん)を真っ直ぐに天に向けている。エアの先端に収束した赤い光のサーベル状の刀身から、天に向けて細いビームが放たれた。

 かつて、エア神が世界を安定させた(さい)(もち)いることになった、乖離(かいり)(けん)の最古のカタチ。剣という概念が出来る前に生まれたもの。人の望みによって作られながら人の意思に影響されず生まれる“神造兵装”の一つ。

 宇宙(そら)が、赤く渦巻いていく。

 

 メーティスとギルガメッシュ、二騎のサーヴァントは互いを見上げ、見下ろして……

 メーティスの脚の力が鳴動(めいどう)し、ギルガメッシュの右手がピクリと動き——————メーティスの頭が割れた。

 まるで、(おの)を振り下ろされたかのように、メーティスの脳天から()蓋骨(がいこつ)が半分ほど、カチ割れた。

 

「ゼウウゥゥゥゥーーーース!!」

 

 全身の激痛すら忘れて、メーティスは叫ぶ。

 ギリギリのところで()っていたのに、今のゼウスの介入で、メーティスの勝機はなくなったのだから。

 まるで、叫び声と共に命を吐き出したかのように、メーティスの存在感が消えていく。

 ギルガメッシュは目を細め、天に(かか)げた乖離(かいり)(けん)を、振り下ろす。

 

「……。——————天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ランサーのゲイボルクが、赤く輝きを放つ。

 そのゲイボルクを、スカサハが槍で上から(おさ)える。スカサハはランサーのゲイボルクを下に下にと押し下げながら、()ぐり込むように突きを入れる。

 

「ぬぅぅわっ!」

 

 ランサーが変な声を上げながら緊急回避する。体を思いっきり(ひね)りながら乱回転ジャンプして、空いた空間をアーチャーが()める。

 アーチャーが真正面から()り出す双剣の乱撃(らんげき)を、スカサハは右手一本で槍を(あやつ)り、回し、(ことごと)くを弾き、(さば)く。

 

 そんな、サーヴァント同士の戦いを見守りながら、俺はバゼットさんの隣にいた。バゼットさんは斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を構えながら、ランサーの戦いを注視している。

 そんなバゼットさんが、ボソッと、声を出した。

 

()()えず、今は安全策をとって、ランサーには打ち合って(もら)っていますが……

 士郎くん、“イマジナリ・アラウンド”の性質、(つか)めそうですか?」

「いや、ダメだ。

 さっきバゼットさんが証明してくれた“効果の中に破壊する対象が(しめ)されている宝具”でならダメージを見込める、ってこと以外さっぱり分からない」

 

 俺は右手で投影した打刀を持ったまま、左手を腰に、(さや)(うち)(おさ)まっている“本打(ほんうち)無逆(むげき)”を軽く()でた。

 

 ランサーやスカサハの持つ宝具、ゲイボルクの能力は『真名解放すると()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、後から“槍を放つ”という原因(げんいん)動作(どうさ)を行うことで、必殺必中の一撃を可能とする』というものだ。

 そして、バゼットさんの宝具、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)の能力は『“(たい)()した敵が切り札を使う事”を条件に発動することで自らの攻撃を“先に成したもの”とする順序を入れ替える付属効果が発生し、絶対に相手の攻撃よりも先にヒットする。そして、ほんの(わず)かでも敵の攻撃より先に命中した瞬間に順序を入れ替え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、“先に倒された者に反撃の機会はない”という事実を()(ちょう)することで、結果的に敵の攻撃は“起き()ない事”となり逆行するように消滅する』というもの。

 どちらの宝具の能力にも、“先に相手を倒すことを確定させる”という効果が付随(ふずい)している。

 宝具がキチンと発動すると、“自らが先に相手の急所を穿(うが)つ”という事実が確定する。そしてそこに、パラメーターは関係ないのだ。

 イマジナリ・アラウンドの効果によって全ての“攻撃力”が意味をなくしたとしても、“急所を穿(うが)つという効果によって破壊”される現象に対しては、何の防御にもなりはしない。

 

 だからこそ、『ゲイボルクと斬り抉る戦神の剣(フラガラック)の宝具による攻撃は、イマジナリ・アラウンドの影響を受けつけない』と言う事だった。

 

 俺は左手を(さや)から離し、しかして(つか)(がしら)(つか)むことなく、ダラりと下げる。

 右手一本で刀を(にぎ)って、サーヴァントたちの戦いから目を離して、俺は月夜に浮いている桜を見上げた。

 

 

 

 ———去年の夏、学校で“虚数の授業”があった。その時、全く理解できなかったものだから、図書館を(めぐ)って調べたことがある。

 

「……先輩。虚数って、やっぱり嫌な数だったんですね?」

 

 その図書館巡りにひと段落ついた時、一緒に付いて来ていた桜が、そう言った。

 穂村原(ほむらはら)学園(がくえん)の夏服に身を包んだ桜は、両手を組んで俺を見上げて、俺と二人、目と目を合わせた状態で、問いかけたのだ。

 そんな風に懇願(こんがん)する桜の言葉を、否定してやることが、当時の俺にはできなかった。

 

 図書館巡りの結果、俺が知り得た虚数の情報は一つだけ、『計算結果に虚数が浮かび上がってくる時、それは“出来ない”という意味だ』ということだけだった。

 例えば、『間桐桜がこのまま努力を続けていくと、何年後に遠坂凛に追いつくか』を計算したとする。

 答えが“3”と出たならば、『三年後には追いつける』という意味だ。

 答えが“−2”と出たならば、『二年前には追いついている』という意味になる。

 では、計算結果が虚数になったら、どういう意味になるのだろう。

 

 ———『追いつけない』という意味だ。

 

『あらゆる過去、現在、未来において、間桐桜が遠坂凛に追いつくことはない』という意味になるのだ。

 虚数という概念は(すう)直線(ちょくせん)(じょう)には存在しない。よって、現実世界では『(かい)なし』となって、結果『出来ない』というのが分かるだけだ。

 

 そんな事しか分からなかった図書館からの帰り道、「虚数は嫌な数ですね」と桜が言って、俺は否定できなかった。

 それから、虚数のことを調べ始めた。

 何でもいい、何か材料が欲しかった。『虚数はすごいヤツなんだ』と、桜に言える材料が。

 

「———桜。今日、一緒に帰らないか?」

 

 それがいつの頃だったか、今ではあまりハッキリしないが……ともかく俺は、その日、桜を呼び止めた。

 午後の授業の合間(あいま)、休み時間に一年の教室に行って、扉の近くにいた生徒に桜を呼んでもらって、一緒に帰る約束を取り付けた。

 やっと見つけた、宝物(たからもの)(たずさ)えて———

 

 

 

「———バゼットさん」

 

 上空で拘束されている桜から、(いま)だ戦闘中の三騎のサーヴァントたちに視線を移して、俺は隣のバゼットさんに声をかけた。

 

「このイマジナリ・アラウンドっていう魔術のことはサッパリだけど、でも、“虚数”は本来、もっとすごいヤツなんだ。もっと、祝福されていいようなヤツた。

 だから、何とも言えない」

「“架空元素・虚数”には、もっと別の力があると?」

「そう、だから俺は、最後まで手を伸ばし続ける」

「では私も、最悪を想定して動きましょう」

 

 俺も、バゼットさんも、三騎のバトルに集中する。

 たった三騎、たった三人による戦闘のくせに、それはもはや“戦争”だった。 

 スカサハは、自身の投槍(とうそう)をランサーに弾かせることで、一瞬その場に(くぎ)()けにして、もう一本の槍を(ひね)りながら思いっきり引く、その槍の回転でアーチャーの黒い短剣、干将(かんしょう)を弾く。

 槍を引きつける力を利用して5メートルほど飛び退()がった時、スカサハにとって相手のサーヴァントは(すき)だらけだった。

 右腕をカチ上げられたアーチャーに、投槍(とうそう)を弾いた直後のランサー。ランサーはすでに次の攻撃に備えつつあるが、アーチャーは……

 

「させねぇ!」  

 

 ランサーがスカサハに突っ込んでくる。

 それを見もって、スカサハは息をゆっくりと吐いた。

 呼吸と共に魔力を両脚に、そしてその先の地面へと流し、自分が流した魔力の流れに乗った(すべ)るような高速移動で、ランサーの突進を左にふくらむように(かわ)し、(よこ)一文字(いちもんじ)に斬撃を放つ。

 アーチャーの腹から、血が舞った。

 

 ランサーが振り向いた時にはもう、スカサハは離脱していて、両手でクルクルと槍を(もてあそ)びながらため息をついた。

 

(さそ)われたなセタンタ。

 いつも言っているだろう。戦闘に集中するのはいいが、熱中すると(おお)雑把(ざっぱ)になるのは欠点だと」

 

 スカサハがランサーを(よこ)()に見る。

 槍の回転は止まっていた。

 

「バディの危機と、私の(さら)した(すき)に惑わされ(はや)ったか。

 まったく……もう少しお前が冷静ならば、アーチャーが傷を負うことも無かったろうに」

 

 スカサハが眺める先、アーチャーの腹には、ちょうどヘソの辺りに一文字(いちもんじ)の傷がある。

 アーチャーの、莫耶(ばくや)のガードの上から()って、その身に斬線(ざんせん)を刻んでいた。

 

「やはり……か」

 

 アーチャーが右手で腹をさすりながら、思わず、といった風にこぼした。

 

「スカサハ、その身に虚数魔力を取り込んでいる貴様だけが、このイマジナリ・アラウンド(虚数領域)の中でダメージを与えられる、というわけか」

「虚数という概念は()の数と比較できない。だが虚数を()けてやれば話は別だ。“どちらが深く沈んでいるか”だけは、(かろ)うじて表現できるのだからな」

 

 スカサハが一歩、二歩、三歩と歩き、胸を張って声を張る。

 

「間桐慎二に綾子を追わせないことで無力化し、イマジナリ・アラウンドでアーチャーと士郎とを無力化した。セタンタの宝具は撃たせる前に(わし)が潰すし、(わし)がゲイボルクを放たなければ、そこな小娘は振り上げた“ルーの剣”を下ろせない。

 ———さぁ、次はどうする?」

 

 チッ、とランサーが(した)()つ。

 バゼットさんが(けわ)しい顔で黙り込む。

 

「お前たち、そろそろ気付いているのだろう?」

 

 スカサハは赤槍(せきそう)石突(いしづき)を地面に立てて、槍にもたれ掛かるように、右腕を(から)めて立っている。

 

「アーチャーが、極力(きょくりょく)魔力を使わずに戦っていることを。

 だからこそ、セタンタがよくカバーに入る。

 ———違うか?」

 

 スカサハは、目を細めてランサーを見た。

 ランサーは黙って槍を構える。

 そんな反応に、スカサハはフッと笑った。

 

()女神(めがみ)が戦っている。だから、アーチャーは魔力を制限して戦わざるを()ない。固有結界の発動には遠坂凛の宝石から。その解除は士郎の魔力から。

 ———お陰で、衛宮士郎も魔力(まりょく)()れだぞ?」

 

 そう、さっきの場面も、普段のアーチャーなら弾かれた干将(かんしょう)はすぐに手放していた。下手(へた)に握りしめた状態で腕ごと弾かれると、体幹が崩れて(すき)になる。だからこそアーチャーは、さっさと手を離し次を投影する。その時に飛ばされた剣をも攻撃に利用できるように、“干将・莫耶”を好んで使う。

 だか、さっきの一瞬、アーチャーは迷ったのだ。弾かれた干将(かんしょう)を、手放すかどうかで。

 

 少し、笑ってしまった。

 それほどに、ピンチだったから。

 

「———よし、じゃあ今度は、俺が出る」

 

 だから俺は前に出た。

 バゼットさんの隣にいた俺は、ずーっと歩いて、アーチャーを追いこし、ランサーをも追いこして、一人、先頭に立った。

 

須賀(すが)さんにも見せたことが無い、“切り札”を切る」

「———馬鹿(ばか)(もの)(わし)の名は“スカサハ”だ。

 何度言ったら(わか)るというのか……」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 神代(じんだい)回帰(かいき)の効果を持つ“オケアノス大結界”が消滅し、神秘の濃度が元に戻って、“神話の戦い”は終わりを()げた。

 隅っこに避難していた凛は、戦いの中心地に走った。その場所に辿(たど)り着いてみると、メーティスは倒れている。そこから、ある程度離れたところで、ギルガメッシュが立っていた。

 慌ててギルガメッシュを警戒する凛を見ると、ギルガメッシュは口を開き、ハキハキとした声で言ったのだった。

 

(オレ)よりも、だ。そこな女神を看取(みと)ってやれ。それの存在はもうじき終わる。

 せめて貴様が()てやるのが筋だろうよ、リン」

 

 ギルガメッシュの言葉に(したが)って、凛はメーティスを振り返った。(もと)より、凛が立ち止まった場所はメーティスの近くだった。だから、メーティスの状態がよく見える。

 

(わたくし)に……()れてはなりませんよ、凛。貴女(あなた)が…………汚れてしまいますから」

 

 凛がメーティスに駆け寄った時の第一声は、こちらを()(づか)う言葉だった。“汚れる”というのもやはり、文字通りの意味だろう。メーティスの全身は腐りかけ、蛆虫(うじむし)()い回っていた。

 そんなメーティスを、遠坂凛は()き起こす。

 

「汚れてない! 汚れてないからっ! 

 ———アンタは()(れい)だからっ」

 

 凛はメーティスの耳元から、それでも大声で叫んだ。万が一にも、メーティスが聞き(のが)すことのないように。

 

「でも、ほら———貴女(あなた)(ほほ)にも蛆虫(うじむし)が……ね?」

「関係ないっ! 蛆虫(うじむし)だろうが何だろうが、アンタの美貌を損ねるには、ぜんっぜん足りないのよ! アンタは、私が出会ったどんな女よりも、()(れい)だから」

 

 凛の声を言葉を聞いたメーティスは(ほほ)を緩めて、それからフッと凛の(ほほ)にいた蛆虫(うじむし)を吹き飛ばした。

 

「———女である貴女(あなた)がそう言うなら、少し、信じてみたくなりました」

 

 —————(わたくし)は、本当に—————

 

「士郎とアルトリア、それから桜のこと……どうか———」

「——————ッ、まかせなさいっ」

 

 メーティスは(さい)()に、微笑(ほほえ)んだ。

 

「……あぁ……月が、()(れい)ですね。叶うことなら、シロウと……次の夜明けを————」

 

 メーティスが、魔力の粒になって消えてゆく。

 ものの10秒も()たないうちに、凛の(うで)の中には、何も、いなくなってしまった。

 

「終わったな、ならば()くがいい。今ならまだ、間に合うだろうよ」

 

 メーティスの(さい)()看取(みと)った後、彼女の粒子の(ざん)()を見ながら、英雄王が口を開いた。

 凛は立ち上がり、ギルガメッシュに向きなおる。

 

「『間に合う』って、どういう意味よ?」

「ハッ! 何かと思えばそんな事か。(くだ)らん、(オレ)は“結末”に“間に合う”と言ったのだ。さぁ()け、後はその目で見るが()い」

 

 そこまで言うと、ギルガメッシュは黙ってしまった。ただ立ったまま、ずっと。

 これ以上は何も答えてくれないことを(さと)った凛は、全身に魔力による強化魔術を(ほどこ)した。

 

「ありがとう、王さま」

 

 それだけを言い残し、凛は走り出す。セイバーの後を()って、円蔵山(えんぞうざん)へ。

 

 ……、

 …………、

 ………………。

 

「———行ったか」

 

 ギルガメッシュが(ただ)ひとり、(こと)()(のこ)す。

 

「もう少し、きちんと説明すべきではあったが、王が無様な姿を(さら)すわけにはいかぬ(ゆえ)な。

 ———まあ、せいぜい頭をひねるが()いぞ、凛。貴様なら、辿(たど)り着くだろうよ」

 

 王はあくまでも、立ったまま、ずっと。

 

(たの)しかったぞ。この(オレ)が本気を出せる存在は(まれ)だ、(ほめ)めて(つか)わす」

 

 それは英雄王の前に立ちはだかった原初の女神、メーティスとの戦い。

 そして———

 

「ひと(にら)みで(オレ)を殺すか。

 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)のさらに上からねじ込まれるとは———()()()()()()()()()な、メーティス」

 

 

 —————じゃあね。さようなら、可愛いメドゥーサ。最後だから口を滑らせてしまうけれど、———憧れていたのは、私たちの方だったのよ? —————

 

 

「まぁ、今の貴様なら、逃げ回らずとも()かろうて……。

 いや、何にせよ……これで終わりか」

 

 黄金の英雄は、(さい)()まで立ったままだった。

 






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第二十四話、リミテッド/ゼロオーバー


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《第二十四話、リミテッド/ゼロオーバー》



 収斂(しゅうれん)こそ理想の証。
剣を鍛えるように、己を燃やすように、彼は鉄を打ち続ける。

———なぜか? それは、ただ一振りの完成の為に。






 

 

 (とき)(よる)

 場所は未遠(みおん)(がわ)近くの海浜公園(かいひんこうえん)

 地面はレンガ造り。

 頭上には半月と、(とら)われの桜が浮いている。

 

 眼前(がんぜん)には敵の、スカサハが一人。

 

「———よし。じゃあ今度は、俺が出る」

 

 そう意気込んで、俺は先頭に立った。

 アーチャーは遠坂の魔力切れを心配して全力で戦えない。

 ランサーの宝具は発動前に(つぶ)される。

 スカサハが宝具を発動しないから、バゼットさんの斬り抉る戦神の剣(フラガラック)は起動したまま、発射できない。

 

 なら、俺が出るしかないだろう。

 

 左手で腰をさぐる。腰に()した無逆(むげき)(さや)をひっつかみ、地面と並行になるように“シュルッ”と引き出す。

 そして、右手一本で太刀(たち)を握った。

 

「来るがいい、士郎」

 

 スカサハは、腰を落として槍を地面と並行に。

 彼女のボディーラインを強調する、赤紫の薄い服。腰に巻いている僅かばかりの遊び布が、夜風に吹かれてはためいた。

 そして、ゲイボルクが光を(とも)す。

 

 後ろから、息を()む音が聞こえた。それら一切(いっさい)の全てを無視して、(おのれ)の中に沈んでく。

 

 ———刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)という宝具を、衛宮士郎が初めてみたのは、冬木市にトンボ返りした、その日の夜だった。

 時間を逆行し、因果を逆転させながらセイバーに疾走していく赤い槍。セイバーはそれを左右に斬り払い、最後には偶然すらも味方につけて、ゲイボルクから生還(せいかん)したのだ。

 

 衛宮士郎が初めてゲイボルクを見た夜から、ずっと疑問に思っていることがあった。

 それは『どうしてセイバーはまだ生きているのか』ということだ。

 何のことはない、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)の能力が、“セイバーの心臓を穿(うが)つという結果”を()()()()()()()()()()()というのならば、当然、“セイバーの心臓が穿(うが)たれるという結果”は()()()()()()()()()()()()()()()だからだ。

 “人理定礎(じんりていそ)”、またの名を“事象(じしょう)固定(こてい)(たい)”と呼ばれるそれは、“人類史を固定する事象”を指す言葉だ。余計な可能性を()み取り、些細(ささい)な出来事によって変動しがちな歴史を固定する座標のこと。

 例えば、“フランス革命”や“ローマ帝国の崩壊”、“アメリカ合衆国の成立”といった人類史に大きな影響を(およぼ)ぼした出来事は、無かったことになると歴史が土台から崩れてしまう。

 こういった“変動してはマズい出来事を記録したもの”が“人理(じんり)定礎(ていそ)”だ。

 こうした出来事の“結果”をあらかじめ固定しておく事で、たとえ過去や未来から(かん)(しょう)を受けたとしても、世界は致命的な疾患(しっかん)を生じることなく、人類史は存続される。

 ようは抑止力の一つ、人類の集合的無意識、“アラヤ”のひとかけらだ。

 例えの一つとして、“ブリテン王国が滅びるという結末”があるとする。その“結末”を過去や未来からの介入(かいにゅう)によって変えようとしても無駄だ。

 『未来からの介入(かいにゅう)によってより繁栄はした。アーサー王はカムランの戦いを生き延びた。だが、キャメロットに帰り着いたアーサー王に居場所などなかった。ブリテン王国はやはり、最終的には消滅する』となるように、過程を(わず)かにしか変えられず、大筋(おおすじ)の“結末”は変わらない。

 

 だから刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)が、カタログスペック通りに相手の心臓を貫いたという結果を()()()()()()()()()()()ことができるなら、セイバーは今に至るまでのどこかの時点で死んでいないとおかしい。

 ———人理(じんり)定礎(ていそ)に刻まれるとは、そういう事だ。

 たとえ運良く、ランサーのゲイボルクを(かわ)したとしても、セイバーが死ぬことに変わりはない。死因が槍のひと突きである必要は、どこにもないのだから。

 死因はバーサーカーとの戦いか、美綴綾子との戦いか、あるいは何かの(ひょう)()にポックリと。

 人理定礎(じんりていそ)に“セイバーの心臓が穿(うが)たれる”ことが組み込まれるなら、セイバーは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 現実はどうだろうか。

 あの日からすでに、ゆうに十日は経過した。だが、セイバーは(いま)だ生きている。

 

 だから、衛宮士郎は()けてみることにした。

 ()の槍の能力が、人理(じんり)定礎(ていそ)にその結果を刻み込むものならば、衛宮士郎になす(すべ)はない。

 ———だが、

 そうでないのなら、地の果てまでも追い詰めるほどの圧倒的な(つい)()の呪いを、軌道を()()げ、分裂してでも対象(すべ)てを穿(うが)つ呪いを、一つの心臓に収束させることにより()()()()()()()()()()()()()()()()()のものであるならば、俺の、腰の剣が効いてくる。

 

 俺は左手で腰の(さや)(にぎ)り、右手で投影した無逆(むげき)を持って、前にいるスカサハに、ゆっくりと近づいていく。

 お互いの距離は10メートルほど。

 ———まだ、近づける。

 

 ゆっくりとスカサハに近づきながら、右手を、その先の打刀(うちがたな)を、後ろに構える。

 基本の()(ほう)の一つ、右脇構(みぎわきがま)えよりもさらに、刀を体の後ろに置いて、正面にいるスカサハから刀身が見えないように。

 ———5メートル。

 

 そこで止まった。

 

 左肩を前、右肩を後ろ。左腰を前、右腰を後ろ。

 (あし)肩幅(かたはば)よりも広くとり、(ひだり)(ひざ)を少し()げ、膝の(その)先端をスカサハに向ける。

 左手は鯉口(こいぐち)付近(ふきん)を握り、右手は刀を体に(かく)す。

 

 ———武術の歩法を極めれば、その全ては“(しゅく)()(ほう)”に行き着くとされている。

『視界にいてなお目で追えぬ』、『いつ動いたのかすら(わか)らない』、そんな縮地(しゅくち)(ほう)を居合術から求めようとする時、一番最初に始めること、縮地法への第一歩は“()(がま)えからの立ち上がり”だ。

 ———“()(がま)え”、居合道では“立膝(たてひざ)”と呼ばれる(かま)えは、ちょっと特殊な座り方で座る(かま)えだ。流派によっては“(かた)胡座(あぐら)”とも言われるコレは、一言(ひとこと)で言えば、『(ひだり)(せい)()(みぎ)胡座(あぐら)』。左足を正座のようにお尻に()き込み、右足首は胡座(あぐら)()くように左膝(ひだりひざ)の近くに置く。そして右膝(みぎひざ)を、横に寝かせる。

 ()(がま)えから立ち上がる時『右膝(みぎひざ)を立ててはいけない』。先に腰を()ね上げてから、その後に、腰と地面との(あいだ)、その()いた空間で右膝(みぎひざ)を立てる。

 居合術の(けい)()では、脚に力を入れている時間(ひま)などない。常に、相手は剣を振りかぶっていることを想定し、こちらは座った状態から、剣の()ろされるより、さらに(はや)くに立ち上がる。

 文字にすればどうという事はないコレの、どれほど難しいことか。

 通常、右脚にも左脚にも力を入れず、腰から上の動きだけで上方向の推進力を得ることなど、まず有り得ない。

 だが居合では、最初にそれが要求される。

 当然、秘訣(ひけつ)は腰から上にある(わけ)だから、慣れてくれば、正座からだろうと胡座(あぐら)からだろうと、脚に力を入れずとも立ち上がれるようになる。

 そして当然———()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “脚を使わずに(ちゅう)に浮く”、居合術が難しいと言われる所以(ゆえん)は、案外こんなところにあるんじゃないかと、衛宮士郎は思うのだ。

 

 (こし)を落とし槍を構えるスカサハに、右手の刀を投げつける。

 ここはまだ、イマジナリ・アラウンドの中にいる。だから、投げた刀でのダメージは見込(みこ)めない。だが、スカサハは刀を弾いた。

 士郎は刀を投げることで、スカサハの視界を(ふさ)いだ。自分の感覚を(さえぎ)られることを嫌って、スカサハは刀を弾いたのだ。

 

 左手は(さや)を握ったままで、衛宮士郎は、ググッと身体(からだ)を低くした。その右腕が(つか)へと伸びる。

 スカサハの槍が輝きを増した。飛んで来た刀を左に弾いたスカサハは、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)を発動しながら、右脚を大きく()()し、()(さき)が左を向いた槍を、右手一本で振り切った。

 

 ただそれだけで、(ぜつ)()だった。

 

『達人同士の戦いは単純は技の応酬になる』と言う人がいる。

 本当にそうだろうか? 

 例えば、目の前に紙屑(かみくず)が落ちているとしよう。それを(ひろ)う。

 武術を知らない人間が紙屑(かみくず)を拾う動作、武術の達人が紙屑(かみくず)を拾う動作。同じはずがないだろう。

 “腰を落とす”というただそれだけで、相手を吹き飛ばせる人がいるのだ。

 “肩に手を置く”というただそれだけで、相手を倒せる人がいるのだ。

 

 だから今でも、神様に(えん)()奉納(ほうのう)する武芸者がいる。

 自らの(きた)え上げられた身体(からだ)を見せるためだ。武術の達人の身体(からだ)は、一種の芸術品だと認識されている。彼らの身体は、その(つく)りからして一般人とは乖離(かいり)している。武術を知らない人間がどう動いても、彼らと同じようには、動けないのだから。

 

 世の中には目に見えないモノが(あふ)れている。

 物理学者は“アインシュタインの方程式”に興奮(こうふん)する、数学者は“オイラーの数式”を見て涙を流す。そういった人々には見えているのだ、我々には見えない、とてつもなく()(れい)なモノが。

 武術の動きもそれと同じで、“現実世界には存在しない”し“誰の目にも映らない”。それでも確かに、“美しい動き”は存在している。

 

 スカサハは左に構えたゲイボルクを()(よこ)一閃(いっせん)、振り切った。

 そんな(よこ)()ぎの斬撃は、いつの()にか消えている。

 

「——————刺し穿つ(ゲイ)———」

 

 (はや)()ぎて目で追えない(よこ)()ぎ。次に士郎の目が追いついた時、それは突きへと変化していた。

 

「—————————死棘の槍(ボルク)ッ!!」

 

 因果すらも逆転させる死の呪いが、士郎の心臓に(ねら)いを(さだ)め、放たれる。

 赤い閃光が士郎に向かって駆け抜ける。

 

 ———そして士郎は右腰(みぎこし)を、後ろに引いた。

 

「————御稜威(みいづ)(りゅう)居合術、奥儀(おうぎ)の始まり——」

 

 右腰を引き始めてから(のち)、ほんの(わず)かの時間差で、(つか)に手を置き、右腰(それ)を追い越すようにして、(ひだり)(こし)を引き切った。

 

「——————歩法(ほほう)水端(すいたん)・“居合(いあい)()め”」

 

 (ひだり)(こし)を引き始めた瞬間(しゅんかん)から、衛宮士郎には()(あし)の感覚がなくなった。自分の意識が体から離れていくような、目を開けたまま()(ぜつ)しているかのような。あるいは、体が、消えて無くなったかのような。

 

 士郎の体の左側を、ゲイボルクが駆け抜ける。

 脚に力を入れることなく、(りょう)(こし)操作(そうさ)だけでスカサハの突きを(かわ)しきった。

 だが、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)は発動している。つまり(すで)に、“衛宮士郎の心臓を穿つ”という結果は確定している。

 スカサハのゲイボルクはカクカクと()()がりながら分裂し、時間を逆行し、最初から分裂したことになって、複雑な軌道を描きながら五つの()(さき)が、心臓めがけて突っ込んで来た。

 

 士郎の右手は(つか)を持ち、その左手は(さや)を握る。士郎の肩と腰とが(ひら)き、するりと、そのその刀身が(あら)わになった。

 

 ———居合。

 それは、“絶対に勝てない戦いで、それでも勝ち筋を見つける能力(ちから)”。

 人間は時間を身体(からだ)で刻む。人間は自分の体を使って時間をカウントする(わけ)だから、体を(こま)かく割って使う事は、時間を割って使う事に帰結(きけつ)する。

 士郎の身体(からだ)は、今、(かく)()が別々のテンポで動いている。右肩と左肩、右腰と左腰、そして右脚と左脚とが全く違う時間を刻んでいる。

 居合術の神髄(しんずい)は、()(るい)を見ないほど精密な身体操作(しんたいそうさ)にある。ゆえに、別々の速度で動く(ろく)のパーツと、それらを俯瞰(ふかん)して()(ななつめ)のパーツ。これら(けい)七つの部位は、それぞれが未来へとフライングしている(わけ)だ。

 日本武術において“勝ち目が無い”ということは、“相手のほうがより先の未来に()る”ということだ。そして敵は、“未来(みらい)体感(たいかん)”のスキルを持っていると思っていい。極めれば“天眼(てんがん)”へと(しょう)()()るもの。無限にあるべき未来を“たった一つの結果”に限定する、極めて特殊なスキル。

 そんな相手から、未来を(つか)()ろうというのだ、それは並大抵(なみたいてい)ではない。

 

 その答えが、ここにある。

 

 (はやし)(ざき)甚助(じんすけ)(さず)かったもの。それこそが、“並列(へいれつ)逆行(ぎゃっこう)”だ。

 全身の時間感覚を七つに分け、それぞれが時間をフライングして“未来を体験”し、“勝てた未来に自分の全ての感覚を同調させる”ことで、その未来を引き寄せる。

 ———これら全てを、(ひと)呼吸(こきゅう)のうちに(かさ)ねるのだ。

 未来における、七つの同時(とうじ)並列斬撃(へいれつざんげき)。現在ではなく、体感する未来を飽和させて、未来において勝利をおさめる、それが居合(いあい)神髄(しんずい)だった。

 

 俺は、完全に(さや)から()()た刀を、(した)から(うえ)に、(いっ)(ちょく)(せん)に斬り上げた。

 

「——————極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……(すご)い」

 

 バセット・フラガ・マクレミッツには、その一言(ひとこと)精一杯(せいいっぱい)だった。

 衛宮士郎という赤毛の少年の一連の動きを頭の中で反芻(はんすう)していて、ハッと我に返ってから、やっと、自分が斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を発射していなかったことに気がついた。

 (ちから)(こぶ)を作るように構えた右腕と、天を向く(こぶし)。その10センチほど上で、(いま)だに滞空(たいくう)している黒い球。

 バセットは、自分の宝具を見ながら、ため息をついた。しかしそれは、“自分が宝具を使わなかった事への後悔”ではない。

 軽く魔力を(まと)いながら浮いている逆光剣から視線を切り、衛宮士郎に目を向けた。

 

 士郎は居合のあと、下から上へと刀を斬り上げた体勢だ。

 スカサハは右脚を大きく()()み、右手一本で、()()ぐに槍を突き出している。その右手にあるゲイボルクは、(なか)ばから切り飛ばされていた。

 

(すご)い、何ひとつ見えないなんて……」

 

 速くて見えない(わか)ではなかった。と、バセットは(ひと)りごちる。むしろ、感覚としては『衛宮士郎が遅すぎて見えなかった』感じだった。まるで、動いていないかのように見えたのだ。

 

()かったな、バセット」

 

 (みぎ)(どなり)から声がする。振り向くと、ランサーがいて、目と目が合うとニッと笑った。

 

「お前の宝具使ってたら、今頃(いまごろ)ボウズは死んでたからよ」

 

 付き合いの浅いバセットですら見抜ける程に上機嫌なランサーが、槍を右肩にかけ、三歩ほど前に出た。

 

「しっかしまぁ、面白(おもしれ)え状況だな。

 ()正面(しょうめん)からゲイボルクを、呪いごと切り裂きやがった」

 

 士郎とスカサハが急に離れる。二人が反対方向にバックステップし、さらに何歩か大きく退()がり、距離をさらに大きくとった。

 バセットの後ろから舌打ち、アーチャーが弓の投影を解除した。

 

「衛宮士郎、なんだその(ざま)は。

 自分だけで飛び出した挙句(あげく)()(うち)(さら)すだけで帰ってくるとは、ガキである(くせ)間抜(まぬ)けとは、最早(もはや)()が付けられんな」

 結果もイメージせず勢いだけで飛び出すからだ、馬鹿(ばか)め。とアーチャーが移動してランサーと肩を並べる。

 

確率(かくりつ)(もっと)も高い手段だけを取れ、衛宮士郎。(ぶん)()相応(そうおう)(あこが)れを持つお前では、それでもまだ不足(ふそく)だがな」

「まぁ、そう言うなよアーチャー。

 戦いには“流れ”ってもんがある。ボウズの切り札は一切(いっさい)効果がなかったが、それでも勢いだけはあった。

 ———良いじゃねえか」

 オレは好きだぜ、そういうの。と、ランサーもゲイボルクを光らせながら、低く(かま)えた。

 

 確かに、とバセットも(うなず)く。

 自分も、もう少しやれそうな気がしたから。

 心を入れ替えて、先頭に立つ三人の戦士と最後方(さいこうほう)にいる一人の兄をチラッと見た。

 

 この戦闘の始まる前、作戦会議を(おこな)った時に聞いた間桐慎二の切り札、起源(きげん)(だん)。そもそも、()構成(こうせい)からサーヴァントには効果があまり見込めない上に、イマジナリ・アラウンドの魔力源は間桐桜であるという。その事実があるだけで、起源(きげん)(だん)は使えない。

 アーチャーと士郎は、魔力がすでに心許(こころもと)ない。

 スカサハ(あの女)にダメージを与えられる武器が自分とランサーの宝具しかない以上、選択肢は(かぎ)られてく———

 

「……あらっ?」

 

 ふと、バセットは思った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。アーチャーはなぜ、この状況で前に出たのか。

 

「———まさかッ!」

 

 その真逆(まさか)だった。

 スカサハが、アーチャーの矢を(かわ)している。

 ランサーと士郎とで接近戦を仕掛け、少し離れた(ところ)からアーチャーが弓で援護している。その“(しゃ)”は何度見ても()()れする腕前(うでまえ)で、確実にスカサハに()たる軌道(きどう)(えが)いている。

 今まではそれを、スカサハは無視していた(はず)だった。

 

 “その事”に気づいた時、バセットは震えた。

 しばらく、鳥肌(とりはだ)が消えなかった。

 

「“魔剣・無逆(むげき)”—————そういう事ですか」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 間桐桜は、その戦闘をずっと、未遠(みおん)(がわ)の上空から(なが)めていた。

 今もそう、桜の(がん)()で、衛宮士郎が回避(かいひ)(たて)として戦っている。

 スカサハの注意を引き付けて、その突きを(かわ)す。士郎は地面を()ることなく、腰から上、体幹の操作だけで、自分の体を右に運んだ。

 士郎の体の左側を、スカサハの槍が突き抜ける。突きを繰り出すために踏み込んだスカサハは、この瞬間、士郎の剣の間合(まあ)いに入った。右脇(みぎわき)が前の脇構(わきがま)えから横一閃(よこいっせん)。ちょうど、ストライクゾーンに飛んで来た野球ボールを打つような位置関係で、士郎が刀を左から右に、一文字(いちもんじ)に振り抜いた。

 対してスカサハは、突き出した槍をそのまま、地面と並行にしたままで下から上に、自分の()(じょう)に引きつける。

 

 士郎の刀を、横に()かせた(やいば)(しのぎ)を、槍の()で上に押し上げることで空間を作りだし、体ごと(かが)めて、士郎の足元のスペースに飛び込んだスカサハは、相対的(そうたいてき)に体の上に位置する槍を、両手で(つか)んで、反転しながら振り下ろす。

 士郎は振り切った刀をそのままに、自分の体を反時計回りに180度回転させる。スカサハと向かい合い、体の後ろにある剣を頭の上から振り下ろす。

 

 士郎は刀、スカサハは槍。お互いに(しのぎ)(けず)りながら、両者共に振り下ろし、お互いの武器がお互いの武器を押しのけるように、両方の武器が()れていった。

 

 士郎はランサーに攻撃の場所を譲るように後ろに退()がり、()わりにランサーが、スカサハの前に(おど)り出る。

 

 ———まるで、(えん)()を見ているような、(みんな)で踊っているような。

 ———まるで、(なん)()も先を読みあっているような、全てが予定(よてい)調和(ちょうわ)であるような。

 

 桜は思う、『きっとこの人たちには、自分の“()(すじ)”が見えているに違いない』と。そして戦闘中、(はる)か未来に浮かび上がった“()(すじ)”を、丁寧(ていねい)(つぶ)しながら戦っている。

 

 それから、士郎が大活躍(だいかつやく)を始めた。

 今も、スカサハが攻撃に打って出ようとした瞬間に、スカサハの間合いギリギリで刀をひと振りすることで、スカサハの攻撃をキャンセルさせた。

 桜には、何がどうなっているのか全然(ぜんぜん)()からないけれど、スカサハは間違いなく士郎たちを殺しに来てるし、さっきも本気でゲイボルクを発動してたし。

 そんなスカサハが攻撃をキャンセルしたなら、キャンセルしたなりの理由がある(はず)で、それはやっぱり、士郎だと思うのだった。

 それとも。

 それとも桜が、“士郎が活躍(かつやく)できる理由”を知っているから、士郎の動きが変わったように見えるのだろうか。

 

 ———あのバカ遠坂っ、何が『()人間(にんげん)にする』だ。全然(わか)ってないじゃない———

 

 ……そうだ。

 間桐桜は、士郎が“極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)”を使()()()()()()()を知っている。

 もっと言うと、普段の士郎が抱える問題について正確に理解しているのが、桜だけだとも言える。

 

 ———『最近の士郎が変』だって? そんなの、随分(ずいぶん)前から(わか)り切っていたことじゃない。アンタだって、薄々(うすうす)気づいてたんじゃないの? 自分自身と、士郎が抱える問題にさ———

 

 アンタだって、魔術の才能が無いんだしさ。というような事を、美綴綾子に言われたと思う。

 その時は確か、ムキになって言い返したような気がする。「わたし、こんな才能なんていりません」って。

 そこは確か、衛宮(えみや)(てい)居間(いま)だった。

 美綴は、座敷(ざしき)(づくえ)に正座していた。右手を腰に当て、左手で顔を(おお)い、ため息と共に反論した。

 

「まぁ、アンタにとっては魔術の才能なんてどうでもいいモノだと思うけど、“何でも良いわけじゃない”んだからさぁ」

 

 そう言うと美綴は、右手を腰から離して人差し指をピンと立て、対面(たいめん)に座る桜の顔を見て、口を(ひら)いた。

 

「アンタは、遠坂凛とほぼ同じだけの魔術回路を持って生まれて来た。この意味分かる? メインの回路が40本、そしてメイン一本につきサブ回路が()()()()30本づつ持ってるワケなんだけど。

 ———つまり、1,200の魔術回路が、その体には流れてる」

 士郎なんか27本だぜ。と美綴。

 

「さらに言うなら、“架空元素・虚数”を持って生まれて来たアンタは、その属性の希少性でも“五大元素使い(アベレージ・ワン)”と比肩(ひけん)()る」

 

 解る? と美綴は、琥珀(こはく)(いろ)の目を少し細めた。

 

「そんなアンタに“魔術の才能が無い”なんてのは、嘘だろ」

「そんなっ、でもわたし———」

「『実際(じっさい)、何も出来てない』———そこだ、そこなんだよ桜。(あたし)がずっと言い続けてきたことは」

 

 座敷(ざしき)(づくえ)に置いている湯呑(ゆの)みを(つか)んで一気飲みする。ドンと湯呑(ゆの)みを叩きつけるように置いた美綴は、(なか)ばほど桜を()()けながら、士郎について(かた)り始めた。

 

「士郎はさ、才能が“有る”とか“無い”とか、そんな次元にはいないワケよ。アイツは初めから“()()ること”が出来たから、才能云々(うんぬん)以前に“始まりから(いた)ってる”んだ、アイツはさ。

 本人は魔術修行の成果だとか()かすけど、アレは生来(せいらい)の気質だぜ、絶対」

 

 そういえば一時期、()ねていたことがあったな。と桜は、湯呑(ゆの)みを持って一人(ひとり)ごちる。

(つか)を握るだけ無駄(むだ)じゃないのよ」と士郎に()()っていたことがあった。「アンタは刀を抜かずに勝てるんだから。抜刀(はっとう)するだけ“遅れ”だから」とか、なんとか。

 

 ———ふと、美綴綾子と目が合った。

 彼女の目は琥珀(こはく)(いろ)に輝いていた。

 

「でも、最近の士郎からは、剣の才能を感じない。桜の言う“士郎が変わった”ってのは、これのこと。士郎から、才能が消えている事。

 原因なんて、始めから(わか)りきってることだけど……。

 アンタと同じよ、桜」

 

 —————慢性的(まんせいてき)な、(きょく)()のストレス—————

 

 ほら、また、士郎がスカサハの槍を止めた。スカサハが突き出した槍に、そっと左手を(そえ)えているだけ。

 士郎はスカサハの握る槍を(かい)してスカサハの、(てのひら)皮膚(ひふ)(はたら)()けて、一瞬だけ、スカサハの体を硬直(こうちょく)させた。

 

 そんな、()()きしている士郎を上から眺める桜には、“士郎の感覚”が流れ込んできていた。

 

 ———それは、不思議な感覚だった。ただ、不快ではなかった。

 自分の体から士郎の()(あし)()えているような感じがした。士郎の手足(ソレ)(あき)らかに桜の体から()えているように感じるのに、士郎の手が握る(かたな)触感(しょっかん)がする。桜の体についていないはずの三本目と四本目の足が地面を()感触(かんしょく)がする。

 それだけではない。

 桜の胴体(とうたい)からもう一本(いっぽん)(くび)が生えている感覚もあるし、“士郎の目”が見たものや“士郎の耳”が感じたものが、桜にも分かった。

 ———それは、不思議な感覚だった。自分の肩や脚を目で見ても、当然(とうぜん)何も付いてないのに、その“付いてないはずの()(あし)”を、動かすことが出来るのだから。

 桜の両腕は背中で拘束されている。でも、桜にはもう一対(いっつい)の腕があって、その腕で、刀を()ったりできる。

 桜の両足は地面から浮いている。でも桜にはもう一対(いっつい)の足があって、その足で、地面を()ったりできる。

 ———それは不思議な感覚だった。まるで足が四本、手が四本、首が二つある()(もの)になったかのようだった。

 ただ、不快ではなかったのだ。

 

 ふふっ、という声が自分から()れた。それで初めて、自分が笑っていることに気がついた。

 士郎の心配はしていない。だって、士郎が死ぬことはあり()ないから。桜には、士郎が今、なにを感じているかがよく分かる。士郎がどれだけ丁寧(ていねい)に、死を回避するために先手(せんて)を打って行動しているかがよく分かるから、士郎は死なないと分かっているから、心配などしていない。

 

 桜は、快感(かいかん)だった。

 今、まさに今、自分と士郎とは(つな)がっているのだ。士郎がなにをどう感じているのか、手に取るようによく分かる。

 逆に、自分の感覚が全部、士郎に転送されていることも……。

 そして、二人は同じ事を考えている。

 だからこそ、桜が士郎の手を動かそうとして、その通りに士郎が動く。桜が一歩を踏み出そうとして、士郎の足がそう動く。

 

「……。そういう事だったんですね、先輩」

 

 桜は、目を閉じた。

 でも今は、士郎の見ているものが、桜にも見えている。

 目の前には、スカサハがいる。スカサハが槍を持ち、上から下に()()ろす———その()(さき)、スカサハの足元を(すく)うように、士郎は刀を低く()いだ。

 スカサハは、士郎の刀の届く距離にはいない。にもかかわらず、スカサハは攻撃をキャンセルし、防御の構えに移行する。結果、スカサハは一瞬、硬直した。

 

「———ありがとうございます、士郎さん」

 

 桜はもう一度、目を(ひら)く。

 桜の目には、空から()る無数の槍に追い立てられるランサーと、そのカバーに入ったアーチャー。ほとんど棒立ちで戦いに見入っている慎二とバセットが見えた。

 ふふっ、と桜が笑う。なんのことはない。この状況で、思い出してしまっただけだ。

 

 ———桜。今日、一緒に帰らないか? 見て欲しいものがあるんだ———

 

 あの日。

 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 士郎に連れられて、いつかの図書館に行った日のこと。

 

 図書館に着くより前から、士郎は少し興奮気味(ぎみ)で、(かばん)から一冊のノートを取り出した。

 士郎が広げて、そのページを見えるように持ち上げる。

 大学ノートの左のページの真ん中あたりに、その数式は存在した。

 士郎の左隣にいる自分は、士郎が右手で広げたノートをマジマジと見つめて問いかけた。

 

「何ですか? それ」

「これは、“(りょう)()の存在を書き表す方程式”だ」

「“(りょう)()”……、前に聞いたことがあります。“物理学の何か”、ですよね? 先輩」

 

 桜は学生鞄を(うし)()に両手持ちし、少し胸をそらせるようにして、士郎の左を歩いている。

 そんな桜と並走しながら、士郎はノートのページを、その数式をチラリと見た。

 

「“(りょう)()力学(りきがく)”。この世界の事をより正確に、より深く知ろうとしていると、あるところで考え方をガラッと変えなければいけなくなるんだ。一定(いってい)領域(りょういき)よりも小さな物を見ようとした時、そこには、今までの物理学では考えられないような世界が広がっていた。

 そういった世界、(りょう)()世界(せかい)の、最も基本的な方程式がコレ、“シュレーディンガー方程式”だ」

 

 桜は別に、物理やら数学やらに詳しいわけじゃない。でも、そんな桜でも、士郎の見せる方程式を見て一つだけ、分かることがあった。

 士郎がどうして、そんなものを持ってきたのか。

 

 桜は右手を(かばん)から離すと、士郎の見せる方程式の左端を指差した。

 

「先輩、ここに書いている“$i$”っていうの、これが虚数なんですよね?」

「そう、この“シュレーディンガー方程式”は量子力学の基本方程式だ。そこに虚数が混じっているってことは、『量子力学以降の物理学は虚数を使わないと理解すらできない』ってことだ。

 量子力学は世界の裏側を記述する理論なんだ。つまり、世界は虚数に満ちている」

 

 何かの“存在を書き表す方程式”があるなんて知らなかった。

 桜は図書館の戸をくぐりながら、そう思った。

 

「世界は二層構造になってるんだ」

 

 図書館の奥まった場所にある読書スペースに座りながら、士郎はそう切り出した。

 円形のテーブルに、椅子が二脚。それぞれが対面に座り、士郎はテーブルに(りょう)(ひじ)をついて、右手の指で、開いたノートの数式をなぞった。

 

「俺たちが知っている世界。一日は二十四時間で、原因の後に結果があって、起きたことは戻せない。そんな、(ひょう)(そう)の世界。

 もう一つの世界。原因の後に結果がなく、結果があっても原因はなく、そもそも時間すら存在しない。そんな、深層(しんそう)の世界」

 

 士郎の人差し指の先、桜にはちっとも分からない文字の()(れつ)が、少しだけ、色づいて見えた。

 

「桜、これはその世界への入り口なんだ。俺たちが普通に見ている世界、遠坂の(あやつ)五大元素(アベレージ・ワン)の世界とは別の、もっと深くにあるもう一つの世界への、入り口なんだ」

「でもそんなの……分からないじゃないですか。

 世界の裏側は、とっても(みにく)いかもしれない。だって“虚数の世界”なんですよ? そんなの、(みんな)嫌いに決まってます」

 

 桜が士郎の顔を見ると、士郎は目を細めて笑っていた。しょうがないな、という風に。

 士郎は一つ息を吐いて、桜の目を見て、言った。

 

「桜はさ、“世界一美しい数式”って、知ってるか?」

「知りません。知りたくないです、そんなの」

 

 桜が突っぱねると、士郎は「ハハハ」と声に出した。

 別に困らせたい(わけ)ではなかったから、せめて士郎の顔を見ていると、(つい)には左手で、首の後ろを()いてしまった。

 

「“世界一美しい数式”は、人類史の結晶なんだ。今まで人類が積み上げてきた“考え方”ってものが、一つにまとまった瞬間だった。

 人間は色々考えてる。長い歴史の中で、『こういう時にはこういう風に考えた方が良い』ってモノが、ずっと伝承されていた。

 そうやって、個々(ここ)別々(べつべつ)に生み出され、運用されてきた色々な考え方を、ある時、『虚数を触媒(しょくばい)にして連結させる事が出来る』ってことに気づいた人がいた」

 

 残った右手で、士郎はノートのページをめくる。

 一つ、二つ、三つ……。

 そして、桜の気づかないうちに、士郎の右手は止まっていた。

 士郎の開いたページの右下、最後の(ぎょう)に小さく書かれた数式を、桜は今でも覚えてる。

 

 —————— $e^{ i \pi }=-1$——————

 

「数学者たちが初めてこの数式を見た時、感動して泣いたらしい。

 だから俺も、先生たちに聴いてみたんだ。理系の先生の中で、数学を知ってる先生の中で、これを嫌いだって言う人はいなかった。“(みにく)い”だなんて(もっ)ての(ほか)だ。先生方が(みんな)そろって、俺にその“美しさ”を語ってくれた」

 全部理解したなんて、口が()けても言えないけどな。と士郎は、左手で首筋をモミモミしている。

 その手つきが面白くって、桜は不思議と笑ってしまった。

 

「確かに、虚数は()()()()()()かもしれない。でも、それはもう昔の話、だからな」

 

 それから士郎は、桜にたくさんのことを語った。

 “オイラー”という人が虚数の本当の意味に気づいた話。オイラーの公式を知った“シュレーディンガー”という人が世界の裏側に足を踏み入れた話。世界を正確に理解したいなら、一度“虚数領域”に(もぐ)り込んで、また現実世界に戻ってくる必要があるらしい事。

 そして、“世界一美しい数式”と出会った人は、(みんな)虚数を好きになると力説された。

 

「だから桜、苦しかったら『苦しい』で良いんだ。痛かったら『痛い』って言えば良い。

 ———傷は耐えるんじゃなく、ちゃんと(うった)えてくれ。じゃないと俺には、それが分からないんだ」

「それは———」

「俺は、自分から困難に突っ込んでる。それは、自分を成長させたいからだ。

 俺が成長できるのは、“自分の能力では乗り越えられない困難”に出逢(であ)った時。自分の出来る範囲のことやり続けていても、大した成長は見込めない。

 だから俺は、自分の知らない事を知るために、

 出来ない事を出来るようにする方法を見つけるために、

 そして今日、助けてられなかった人を、明日こそは、助けられる俺になるために、

 自分の命くらいまでは、()けるようにしてる」

「先輩がずっと、美綴部長に止められるまでずっと、あんな自殺(まが)いのことをしてたのは、そんな理由からなんだすか?」

 

 士郎は、(うなず)いた。

 

「俺の中には常識が無い。

たぶん、世界を見て感じる事が、あまりにも世間(せけん)から(はず)れすぎてる。

 ———前に、綾子から紹介してもらった人が、その事を“チャンネル”にたとえて、俺に話してくれたがあった」

 

 士郎は頭の裏を見ながら、少しばかり脱線した。

 

「俺は、『(ほか)の人と見ているチャンネルが違う』、と。

 (ほか)の人が8チャンネルを見ているところを、俺だけ11チャンネルを見ているんだと、そんなことを言っていた。

 だから、(ほか)の人が話す8チャンネルのテレビの話に、俺だけがついていけない。俺が11チャンネルの事を話そうとすると、周りの人間と不協和が起こる」

 

 士郎がノートをパタンと閉じた。

 桜の口から声がもれた。もう少し、見ていたかった。

 

「だからこそ、俺は知らなければいけない。

 何が良くって、何がダメで、桜はどうして欲しいのか。どの(あた)りから先、助けてほしいのか。

 ———痛みは、ちゃんと(うった)えてくれ」

 

 士郎の言葉に、桜はつい、(うつむ)いてしまった。

 桜の発する声が、口の中でこもってしまう。

 

「先輩、それなら……姉さんの方が良いと思います。

 わたしじゃダメです。姉さんの方が、ちゃんと“常識”を見ていますから」

「だからこそ桜なんだ。

 遠坂とじゃ、話がサッパリ噛み合わないからな。でも桜なら、チャンネルを切り替えることが出来るんだろ? 

 ———“世界一美しい数式”と同じように。

 俺と世界とを繋ぐ、触媒(しょくばい)になってくれないか?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 眼下に(うつ)る士郎を見る。士郎の目に(うつ)るスカサハを見る。 

 士郎の目に(うつ)る世界を見て、士郎の体感(たいかん)を感じとる。

 桜には、士郎の次の行動が、手に取るようにわかっていた。

 

 あの(あと)、桜は士郎に「もう少しやらせてほしい」と言ったのだった。間桐臓硯のこと、間桐慎二のこと、桜自身の手で決着を付けさせてほしいと、あの時言った。

 理由はいくつもあるけれど、一番は士郎と並びたかったからだと思う。士郎の独白を聞いた時、純粋に桜は、士郎が一番強いと思ったからだ。

 能力ではなくその精神性が、強い。

 

 周りの人間は時々、士郎のことを『ロボットのようだ』と言うけれど、桜にしてみれば、そんな彼らの方がよっぽどロボットみたいだった。

 ———人間の中にロボットがひとり。

 士郎のことを、そんな風に理解する。でも、それって『自分たちの方が人間だと思いたい』だけなんじゃないだろうか。

 彼らはきっと、(ぎゃく)を考えたことなんて一度もないのだ。

 ———ロボットの中に人間がひとり。

 士郎から見れば、きっと世間(せけん)はそう見える。世間(せけん)の“自称普通”の人々のことが、士郎にはきっと異常に見える。「(みんな)がそうしてるんだからしょうがないじゃない」って(あきら)めてる事が、士郎にとっては異常なのだと、桜は知った。

 

 そんな普通の、桜にすれば異常な人々の価値観を、士郎はずっと学ぼうとしている。自分のことを封印して、自分を異常者だと言ったりして。

 この世界に、“誰かのために自分を異常だと言える人間”が一体(いったい)何人いるだろう。

 (みんな)の“普通”を護るために、士郎は自分を“異常”にしている。

 だから桜は、士郎が最強だと思うのだ。

 

 そんな士郎の“切り札”なんて、たった一つしかないだろう。

 

 ———本当(ほんとう)の自分を解放すること。

 “リミテッド”というのはつまり、自分ではめた(かせ)のこと。自分で自分を制限したこと。

 それはまた、“常識の(かせ)”でもある(わけ)だ。『日本刀でそんなの斬れるワケない』と、周りが士郎に押し付けた(かせ)

 

 極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)

 

 士郎には“士郎の常識”がある。士郎には“士郎の普通”がある。それがたまたま、(ほか)の人とは違っただけ。

 それを無理に合わせようとして、士郎は“自分の普通”を封印した。そんな事も知らないで、(みんな)は士郎を『へっぽこ』と言うのだ。

 

「助けてっ! 士郎さんっ!!」

 

 士郎が一瞬、桜を見た。

 桜と士郎の目と目が合った。

 その瞬間、鏡合わせのようにお互いに、相手を通して自分を見た。

 

「———ああ、待ってろ桜。すぐにそこから解放してやる」

 

 士郎が、目を(はず)す。

 士郎の刀、無逆(むげき)をもう一度(さや)(おさ)めて、そのまま()()ぐスカサハを見る。

 

「さっきのは半端(はんぱ)だったけど、そのお(かげ)でコツを(つか)んだ。

 次は確実に、()()れる」

 

 士郎は(つか)に手をかけた。

 

 士郎の扱う剣術、“御稜威(みいづ)(りゅう)”の事も、桜は士郎に聞いていた。御稜威(みいづ)の剣術は決して打ち合わないのだと。

(やいば)同士(どうし)で打ち合って、刃こぼれしたら大変だろ」というのが理由だ。

 御稜威(みいづ)(りゅう)()対一(たいいち)を基本とする。刃こぼれすれば肉に引っかかって抜きづらくなる。その一瞬は、()対一(たいいち)では(すき)になる。

 だから、士郎は決して打ち合わない。

 ———ひとつの、例外を(のぞ)いては。

 

 極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)は、士郎の剣術の中で、唯一相手と打ち合うものだ。

 だが、刃こぼれを心配する必要はない。“打ち合い”はしても“(つば)()り合い”になることはないのだから。

 

 衛宮士郎の武装の中で唯一の真作(しんさく)、日本刀無逆(むげき)において繰り出される不可避(ふかひ)の一撃。

 士郎の心を“(から)”にすることで、相手の心を(おのれ)の内に映し出す。ならば、回避など不可能。相手のあらゆる行動は、士郎の(たもと)に、すでに映っているのだから。

 無逆(むげき)は士郎の最高傑作(さいこうけっさく)(にな)()が切れると断じたものを切り裂く魔剣。“普通”であれば、それは意味のない能力だろう。常識の中に生きて、常識という絶対法則に守られている人間には、まったく意味のないモノだろう。

 だが、“ありのまま”を解放し、“士郎の常識”を()るった時、魔剣は、(にな)()たる“士郎の常識”のもと、“世界の常識”を()()せる。

 概念にすら、手を伸ばす。

 

 居合の構えをとった士郎を眺め見て、桜は(うた)う。

 空中で縛られたまま、桜は(うた)う。

 

「———わたしは()して望まれぬ者」

 

 (つか)にかけた右手は添えるだけ、左手にも力を入れず、骨盤を開き肩甲骨をズラすことで刀を引き抜く。

 

「———心は壊れ、身体(からだ)は汚れ、その存在は(よど)みに()まる」

 

 桜の中から、士郎の手足の感覚が消えた。

 

「———でも、例えわたしが(けが)れていても——」

 

 桜は知っている、士郎が、今度こそ確実に、わたしとスカサハとの(つな)がりを、切り裂いてくれるということを。

 

「———潰されそうな野の花が、(ほこ)れる世界でありますように」




 

次回、Fate/stay night[Destiny Movement]

———第二十五話、深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)


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《第二十五話、深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)



———空想こそ自由の証。
 影の虚数は今、軽やかに駆ける風になる。





 

 

 桜は(うた)う。空に浮かぶ半月(はんげつ)の下、口だけが動く自分の体で。

 桜は(うた)う。拘束され、(ちゅう)に浮かんだ自分のままで。

 

「———潰されそうな野の花が、(ほこ)れる世界でありますように」

 

 桜の(がん)()で士郎が走る。

 それは、まるで(すべ)るかのようで、右手は軽く、(つか)()えた状態で。

 無逆(むげき)の刀身が(あらわ)になって、(した)から(うえ)に振り抜いて、その居合は完結していた。

 

「——————極限切り裂く無からの一撃(リミテッド・ゼロオーバー)

 

 その瞬間、桜に魔力が逆流してきた。今までスカサハに流れていたものが戻ってきたのだ。

 桜は、息をするのが楽になったような気がして、そのまま大きく吸い込んで、言葉と共に吐き出した。

 

「——————深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)

 

 世界がドッと流れて来る。どんどん桜を侵食しにくる。

 ———桜はそれを、受け入れた。

 

 やってみると、別段(べつだん)どうということはなかった。世界からの侵食なんて、今更(いまさら)、桜にとっては。

 第一、この手のものは先に桜の側が受け入れないと入ってこない。“間桐の蟲”やら“臓硯の悪意”やらと違って、今桜の中に流れてきつつあるものは、ほんのちょっとでも拒絶する素振(そぶ)りを見せると、たちまち搔き消えてしまう(たぐい)のものだから。

 

 “自分の核”だけを残して、世界に溶けていく感覚。

 桜のお腹の下、(ちつ)のあたりに(ちから)が入らない場所がある。その場所の筋肉を動かそうとする事すら、できない場所がある。

 自分の中にあるそんな場所を中心にして、自分の体が、皮膚の方から溶けていく。

 世界と桜との境界線、桜の皮膚の感覚がなくなって。どこまでが自分かが分からなくなった。

 今はもう、桜に残っているのは“濃淡の違い”だけ、膣のあたりの“濃い場所”だけは『ちゃんと自分だと言える』けれど、その場所から遠くなるに従って、どんどんと“桜である自信”がなくなっていく。

 でも逆に、桜の周囲の空間が自分の体の中のような、そんな不思議な感覚もあった。

 ———例えば、桜を縛っている拘束魔術、その“拘束魔術そのもの”が“桜自信の手足”のように錯覚するのだ。

 今、拘束魔術(桜自身)(りき)みを抜いた。すると、桜の体が落下を始めた。

 

「——————へっ?」

 

 急な展開に頭が追いつかなくなった桜が、直立のまま落ちていく。さっきまでは冬木大橋を見下ろすことができたのに、今はもう、橋桁(はしげた)を見上げている。

 ……と。

 次の瞬間、桜の体に重力がかかった。

 桜は足を下にして落ちていたハズなのに、今はお腹から背中へと重力がかかっているのだ。

 

 結局、自身が前に向かって加速していたのだと気づくまでに、十何秒かの時間が必要だった。そうなった時、つまり『勝手に体が前に加速するわけがないから、自分の体を誰かが加速させたいる』のだと思い(いた)った時、桜は自分が目を閉じていた事実を思い出して、目を開けた。

 

 目の前に、浅黒(あさぐろ)い顔があった。

 

「———アーチャーさん?」

 

 声が聞こえたのか、顔を前に向けたまま目線だけをこっちによこして、赤い弓兵はまた、前を見る。

 

「分かっていると思うが、今は君が生命線だ。大人しく(つか)まっていたまえ」

 

 アーチャーはジャンプして、桜を横抱きでキャッチしたのだ。空中に剣を投影して固定、それを足場に反転して、元の場所まで戻っていく。

 

「マスターが私に送る魔力の制限を解除した。つまり、『向こうは片付いた』というワケだ」

 

 アーチャーは着地した後、もう一度ジャンプして、最後方にいる慎二の前に降り立った。

 

「間桐慎二、桜を守るのがお前の役目だ。お前の(あし)は、サーヴァントにも引けをとらないからな」

「……。……」

 

 慎二は桜を受け取ると、ひたすら無言のままに、桜を抱え続けている。

 

「———さて」

 

 アーチャーが振り返る。視線の先には、スカサハがいた。

 士郎とランサーと向き合って、とっさに発動させたゲイボルクを士郎に切らせて致命傷を防いでいたスカサハの、(なか)ばから切り飛ばされた槍の穂先(ほさき)が、空中で停止している。

 桜は奪い返した力、“イマジナリ・アラウンド”でもって、スカサハを外側から握り潰そうといている。対抗して、スカサハの内側から固有結界のように展開する“死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)”が自身の周囲の空間を塗り替え、そこを“スカイ島の内部だとする”ことで、桜の干渉から逃れていた。

 結果、スカサハの周囲の空間は、拮抗(きっこう)して固まっている。

 

 ———だが。

 だが、あのスカサハが、この程度で終わると思っている者は、この中には、誰一人としていなかった。

 

「——————()穿(うが)ち、()穿(うが)つ」

 

 いつの間に発動体勢を整えたのか、(あるい)はこうなることを予見していたのか。切り飛ばされた槍とは別にもう二本、ゲイボルクを召喚していたスカサハが、空間が固定化された後、強引に放出した“スカイ島の魔力”の影響力で、深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)を押しのけて、両手にそれらを握り締める。

 

「———————貫き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)

 

 ゲイボルク二槍(にそう)(りゅう)、二発同時に発動する二種類のゲイボルク。それを一切の()めなしに解放する。

 

 ———この時、反応できたのは、二人だけだった。

 

 士郎は、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)を切り伏せる。

 ランサーは突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)同士で相殺させる。

 

 そうして、二人の手が(ふさ)がった。

 ならば次は、当然、スカサハの“もう一つ”が発動する。

 

「———開け、異境(いきょう)(とばり)

 

 スカサハの背後に、巨大な門が降臨した。

 石造りで、両開きの(とびら)のついたその門は、門柱(もんちゅう)のところに、無数の棘、無数の氷の結晶柱のような装飾がある。

 その、巨大な門戸(もんと)が開かれる。高さは10メートルを(ゆう)に超え、厚みが2メートルはあろうかと思われる、その重量感のある門戸(もんと)が、(きし)みを上げて、こちら側にゆっくりと開いていく。

 

「その(たましい)まで私のものだ。

 ——————死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)ッ!!」

 

 門の中から外側に向かって、スカイ島から冬木に向かって、ヒュルヒュルと風が吹き出している異様(いよう)な門を前にして、バゼットがやっと始動した。

 

「ッ……! これが彼女の“切り札”ですかっ!」

 

 最後方にいるアーチャーの視線の先、最前列にいるランサーの後ろに(じん)()ったバセットが腕を直角(ちょっかく)に構え、(てん)()(こぶし)が、(まん)()して、スカサハに突き出された。

 

「——————切り抉る戦神の剣(フラガラック)ッ!!」

 

 まるで、黒鉄(くろがね)の球体を押し出すように、バセットの(みぎ)(こぶし)が“切り抉る戦神の剣(フラガラック)”を殴り飛ばした。

 (こぶし)と球体が接触した部分から一番遠い場所、空気を割ってスカサハに突っ込んでいく先頭部分から短剣の刀身が出現する。バセットにぶん殴られた切り抉る戦神の剣(フラガラック)は閃光となってスカサハの胸を貫いた。

 

 ———その、直前。

 極限の状態にあって(なお)、その場にいた全員が、スカサハの声を聞いた。

 いつ(はっ)せられた言葉だったのか、どれだけのタイムラグの(のち)に自分たちがその言葉を理解したのか、最後までその答えは出なかった。それでも、皆がその声を聞いたというなら、それはきっとそうなのだろう。

 

 ———遅いな、小娘———

 

 バゼットは、切り抉る戦神の剣(フラガラック)を殴り飛ばしながら、スカサハの声を聞いていた。

 (いま)だ右手にある金属球の感触を感じながら、バゼットは冷や汗が止まらなかった。何故だか、この瞬間がとても長く感じられた。何故か“今”が、ずっと続いて欲しいと願った。

 

 ———(まこと)に遅いな、魔力充填(じゅうてん)・詠唱・構え・動作、どれもがワンテンポずつ遅れている。だから(わし)に三発目を許すのだ。状況の変化に取り残されたか? 将来性はあるが、まだまだ未熟。セタンタはやれんな、これでは———

 

 気がつくと、赤い閃光が、バゼットの目の前まで迫っていた。

 それがスカサハの放った、三発目のゲイボルクだと(おも)(いた)った時には、すでにバゼットになす(すべ)は無かった。

 ……と、そこに割り込む、もう一つのゲイボルクがあった。

 猛然(もうぜん)と、(けもの)のような笑みを浮かべながら戻ってきたクー・フーリンが、スカサハの槍とバゼットとの間に割り込んできて、発動したゲイボルクが目の前で拮抗(きっこう)している。

 そんなクー・フーリンの青い髪の毛を見ながら、バゼットは、自分の足が地面から離れていたことを知った。

「へっ?」と言う()に浮かび上がるバゼット。

 慌てて巨大な門を見ると、こちら側に開ききった門は、今度は逆にこちら側の物質を、あちら側に強烈(きょうれつ)に吸い出していた。

 門に吸い込まれていくバゼットの足首が、クー・フーリンに掴まれる。見ると右手でゲイボルクを維持したまま、左手でバゼットの右足を握っていた。

 

「…………あーあ、良いところまで行ったと思ったのによ。ちょうど、もう少しでコツが掴めるかと思ったところだったんだが……ま、しゃーねえか」

 

 クー・フーリンはその左腕に魔力を込める。

 

「まぁ、あれだ。

 ———また会おうや、バゼット」

 

 バゼットに()()られて、自分も浮き上がりながら、足場も無いその状況で、門とは全くの逆向きに、左腕を振り抜いた。

 

「———空飛ぶバゼット(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)……なんてな」

 

 ———そして、“スカサハの死”が確定する。

 切り抉る戦神の剣(フラガラック)はスカサハにヒットした瞬間に『“先に倒された者に反撃の機会はない”という事実を誇張する』のだから、キチンと発動したこの宝具は“必ず相手を倒す”。

 この手順を踏むことで、スカサハの宝具は相手まで届かなかった事になるのだ。

 だが、死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)は発動された。

 発動されたが相手に届くまでに殺された? 

 確かにそうだろう。死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)がバゼットを()()むより早く、スカサハの急所が穿(うが)たれた。切り抉る戦神の剣(フラガラック)()(えぐ)るのは敵ではなく“両者が相打つという運命”だ。

 だが、切り抉る戦神の剣(フラガラック)は迎撃礼装だ。ゆえに必ず、相手に先手を(ゆず)らなければならず、敵の切り札が発動したという事実の上に成り立つこの宝具では、“敵の切り札の発動”そのものを無かった事にすることはできない。だから、発動した瞬間に相手の死が確定するタイプの宝具からは逃れられない。

 ———死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)は、発動した瞬間に相手の生死が確定する。

 ゲーム風に例えるなら、スカサハが存在するフィールドに一緒にいる全てのキャラクターには、隠しパラメーターとして“スカサハに認められた者”と“スカサハに認められなかった者”のどちらかが与えられる。そして、スカサハが死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)を発動した瞬間に、その隠しパラメーターに沿()って判定が(くだ)されるのだ。そこに例外はない。

 (よう)は、ゲイボルクと同じタイミングで判定が(くだ)されるため、切り抉る戦神の剣(フラガラック)で死を回避することができないのだ。

 では、『死を回避する方法がないのか』といえば、そうでもない。これもゲイボルクと同じで、“全力で遠ざかる事”。いくら判定が(くだ)るとはいえ、吸い込めなかったものには届かないから。

 そもそも、死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)はスカサハが死んでも、展開するために込められた魔力が尽きるまでは存在し続けるのだ。これを回避したいなら、スカサハを殺した上で、門が消えるまで逃げ切る必要があるのだから。

 

 門の中に吸い込まれながらクー・フーリンは笑った。

 ()()まれたのは三人だけだ。バゼットはオレが投げた、間桐の嬢ちゃんはアーチャーが花びらで(かば)った(すき)に、嬢ちゃんの兄貴によって運ばれた。

 

 よって、クー・フーリンと士郎とアーチャー。

 

 クー・フーリンは左を見る。アーチャーが(ほど)けていた。「これじゃ、どっちか分かりゃしねえな」と、自分の声を聞いた。例え“スカサハに認められた者”だとしても魔力を急激に吸収されるため、サーヴァントには致命傷だ。強制的に魔力を枯渇(こかつ)させられては、肉体を維持できなくなる。

 

 一方、士郎の方は大丈夫そうだった。元より現地人である士郎には肉体がある。魔力が枯渇しても生きていけるなら、恐らく生還出来るだろう。

 

「しかしまぁ、坊主も運がねぇなぁ。あのスカサハに目を付けられるとは……」

 

 それが、この聖杯戦争での、クー・フーリンの最期(さいご)だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「———ふぅ」

 

 桜は息を吐き出した。

 初めて扱う魔術だったものだから、知らぬ間に全身で(りき)んでいたらしい。

 自らを抱えて走る慎二の肩越(かたご)しに消えゆく巨大な門を見て、本当に終わったのだと確信できた。

 

「だったら後は———」

 

 脚を止めて、慎二が言った。

 

「お前の体の———」

「いいえ、大丈夫ですよ兄さん。全部食べちゃいましたから」

 

 桜は笑う、心を込めて。

 

 

 ———あの日、士郎に『心を声に出してもいい』と言われた日から、桜は士郎の事を、少しでも多く知ろうとした。

「桜にやれって言ったんだから、俺もやらないとな」っという士郎に、“切り札”を教えて(もら)ったりもした。

 そこで、初めて桜は知ったのだった。士郎は今までも時々、切り札を切っていたという事を。

 それからだ。

 それから、士郎とは別人だということを、嫌でも自覚させられた。

 士郎と桜とでは、“言葉の使い方”からして違うのだということを。

 

 ———『人を愛する』という言葉がある。

 

 言葉にするのは簡単だった、ただ読み上げればいいのだから。

 でも、そこから連想されるもの…………ううん、自分の中にあるどういった“感情・(おも)い”を『愛する』と表現するのか、となると、桜と士郎とでは、まさに天と地ほどに(へだ)たっていた。

 

 士郎にとって、『誰かを愛する』とか『誰かを(おも)う』という言葉は、()()()()()()()()()()()()()だったのだ。つまり、『その人の笑顔が見たい』という意味で、それ以上でも以下でもない。

 つまり、『その人の笑顔が見れたら、それで満足できる』というのだ。士郎にとって、“その先”は無い。

 

 まるで『士郎が物語でも読んでいるように見える』と、始めのうち、桜は思った。物語の登場人物たちがエンディングで幸せになって、『ああ、良かった』と涙するように、士郎は見返りを求めない。その中に入っていきたいとは、カケラも思わないようだった。

 

 次に、桜は怖くなった。士郎の()(かた)が、だ。

 彼が本当に、全く見返りを求めていない事に、桜が気づいたからだ。

 

「愛されたいとは思わないんですか? 先輩」

 

 一度、士郎に聴いてみたことがあった。

 その日は夏休み中で、藤村先生も居なくって、夕飯の洗い物も少なくて。だから士郎と二人、ちょうど、ホラー映画の再放送を見終わった時だった。

 衛宮邸でテレビがあるのは居間だけだ。だから二人、居間の真ん中にドデンと置いている座敷(ざしき)(づくえ)(はさ)んで座って。お互いに向かい合った状態から、桜は右を向き、士郎は左を向いて、(すみ)にあるテレビを見ていて。テレビの中ではたった今、女妖怪が「誰も愛してくれなかったのよ〜」と、泣き叫びながら襲いかかっているところだった。

 桜としては、割と怖い話が好きなのだ。日常では感じない“恐怖という感情”を、唯一思い出させてくれるモノだから。

 そんな桜は、映画のエンドロールを見ながら、ふと、士郎のことが気になった。『士郎は今の映画をどう感じたのだろう』と。

 

「先輩。先輩は今の映画、怖かったですか?」

 

 士郎が画面から目を離して、桜と目が合う。それから目線を少し上げ、思い出すように返答した。

 

「“怖い”っていうより、“体が反応した”って言う方が近いんじゃないかな。

 ほら、俺って武術を日課にしてるだろ? そのせいか、ああいうのを見ると『今のヤツとどう戦うか』を考えている自分がいるんだ」

「あの妖怪さんのこと、どう思いましたか?」

「どうだろうな。俺だったら、妖怪にはなれないんじゃないかと思う。あの境遇なら、俺は満足してしまえるから」

「愛した人から、愛してもらえなくなったんですよ? それなの———」

「ああ……」

 

 士郎は左手を首の後ろにやって、何か悩んでいるような風で、しばらくして、手と顔を戻して話出した。

 

「俺さ、勉強したことがあるんだ、“男と女と人間”について。それが、“生物として”どうなっているのかを。

 ほら、俺って他の奴らと感性が合わないからさ」と士郎は笑う。困ったような、そんな笑みで。

 自分の姉、遠坂凛が嫌いな笑みだ。でも桜としては、憧れてしまうような笑みだった。

 

「だから、感覚として理解できないから、せめて頭デッカチでもいい、理論としてだけでもいい、他人というモノを知りたかったんだ」

 

 士郎が座敷(ざしき)(づくえ)の上に置いてあった(きゅう)()から桜の湯呑みにお茶を注ぐ。

 

「男性と女性とは、“脳味噌の形から違う”んだ。男の脳と女の脳は、全く別の器官(きかん)だった。

 だから俺は、“自分と他人との違い”を知る前にまず、“男と女の違い”から調べる必要に()られてしまった」

 

 桜の湯呑みにお茶を注いで、それでもまだ残った分を、士郎は自分の湯呑みに入れた。

 

男性(だんせい)(のう)女性(じょせい)(のう)との境界線は、5メートルにあると言われている。女性は、自分を中心に半径5メートル以内にあるものに、より強い関心を示す。だが、男性は逆で、自分を中心に半径5メートルより外側にあるものに、より強い興味を示すんだ」

 この二つの違いは、“生物としては”とても正しいと、士郎は言う。

 

 “スパイものの潜入任務”のような状況に追い込まれた時、あるいは新天地を開拓しに行く開拓者のような仕事についた時。つまり、『自分の信頼できる一握りの人間以外の全てが敵だと思わなければならなくなった時、生存確率が最も高いのが、“男と女の二人組”だ』という研究結果も存在するらしい。

 

 女は“半径5メートル以内に潜む危険”を察知する。

『今自分が摘み取った葉っぱが、実は毒草だった』とか、『いつも良くしてくれるご近所さんが、実は自分たちをハメようとしていた』とか、『赤ちゃんが病気になりかけているかもしれない』とか。

 男は逆に、“半径5メートルより外からやってくる危険”に対処できる。

『急に矢を射掛けられた』とか『暴漢が襲いかかってきた』とか『社会システムの不備のせいで、貧しい人が多い』とか。

 

 成体(せいたい)になった人間コミュニティの最小単位は“夫婦”だ。

 だからこそ、その二人が役割分担して別々のモノを()ることで、夫婦は、最も安全に生活できる。

 だからこそ、自分の恋人やパートナーが自分と同じモノを見てくれているとは、カケラも思わない方がいい。そもそも人間とは、男女(だんじょ)で同じモノを見るようには出来ていないのだ、と。

 

「調べたんだけどさ、“遠くを見る脳”と“近くを見る脳”。この二つの思考回路を一つのコンピューターの中にインストールすると、フリーズするらしいんだよな。

 男の脳と女の脳とは、同じ一つの問題に対して、走り出す向きが全くの逆になるんだと。それで、どちらを選択すれば良いのかが分からなくなって、コンピューターはフリーズする」

 

 士郎が言うに、男と女とでは『気持ちが良い』と感じる言葉が違う。“男が察して欲しい事”と“女が察して欲しい事”は全く別のところにある。そして何より、会話する目的が、天と地ほども(へだ)たっている。

 

 一つの出来事に二つの見方があって、両方ともを同時に見ることはできないから、二つの性がそれぞれに分担(ぶんたん)した。

 

「桜が感じるのと同じように、俺は感じることができない。今見た妖怪と同じ境遇になったとしても、俺だときっと成仏(じょうぶつ)しちまう」

 

 士郎は割り切っているのだ、と桜は思った。

 ゆっくりと湯呑みを傾ける士郎を見ながら、士郎が既に『自分が誰かに理解される事も共感される事もないと割り切っている』ことに気づいて、愕然(がくぜん)とした。

 その感情に、“諦め”が1ミリも無かったから。

 まるで()いだ()(めん)のように(しず)やかに、その事実だけを受け入れていた。

 

 桜は両手を、士郎から見えないよう(ひざ)に置いて、力いっぱい握りしめた。

 

 

 ———桜ってさ、綺麗すぎてつまらないわよね———

 

 ———そんな悩みを持てるなんて、桜はいいわよね———

 

 ———そんなのさ、孤独を受け入れるしかないんじゃないの———

 

 ———間桐(まとう)のそれはさ、才能だと俺は思うよ———

 

 桜はヒトを信じていない。

 それはやっぱり、桜が人を信じていないからで。誰かから(もら)った優しい言葉で、桜は自分を孤独に追い込むのだ。

 ———こんなに苦しい思いをするくらいなら、最初から何も無い方が良い、と。

 

『理解されたい』と桜は思う、そのために色々な事をやってきた。桜は『理解されないのが当たり前』だと思いたくなかったのだ。

 でも、そんな事は頭の(すみ)に追いやっていた。『理解されるのが当たり前だと思う』ことを傲慢だと思ってしまう時があるから。

 

 顔を上げると、士郎の顔がそこにある。

 

 桜にとって、それは“とても尊い理想”だった。

 だって、桜にとって、“割り切る事”はつねに“諦め”と共にあったから。

『わたしは理解されない』と割り切ることは、『所詮、わたしなんて誰も理解してくれない』と諦めることだし、『世界はわたしに優しくない』と割り切ることは、『わたしには優しくされる価値もないんだ』と諦めることだった。

 

 でも、士郎は違う。

 士郎にとって『自分は理解されない』と割り切ることは、『自分を理解しない人の事をどうやって理解しようか』と考えることだし、

 

 ———だって、そいつのことが理解できれば、そいつに理解して(もら)える言い回しを、工夫(くふう)する事もできるからな———

 

『世界は士郎に優しくない』と割り切ることは、『他の奴らにとって優しい世界になるために、俺はどうしようか』と行動することだったのだ。

 

 そして気づいた、桜にとって士郎は“毒”だということに。

 

 桜は、我慢するのが得意だが、それは“信じることをやめる”ことから発生する我慢ばかりだ。

 一方士郎は、信じ続けているが故に、我慢することが得意なのだ。

 

 そう、衛宮士郎の思想とは、無条件で何かを信じ続けるものだ。

 それは例えば、“地獄の中にいてなお輝きを放つ人の心”だったり、“世界は、本当はとても美しいんじゃないかと思うこと”だったりする。

 衛宮士郎の辞書に、“無駄”という言葉はないのだ。「やってみないと分からないからな」が口癖のような彼は、“出来ない”という事を信じない。常に“出来る”と、信じ続ける。

 士郎はずっと、信じることだけは絶対にやめない。どんなに辛いことがあっても、どれだけ裏切られようとも、きっと士郎は最後まで———

 

「———いいえ、大丈夫ですよ兄さん。全部食べちゃいましたから」

 

 だから。

 だからもし、そんな桜が、信じ続けることを覚えたなら。

 自らが“存在不適合者”である事を、肯定的に受け入れられるようになったなら。

 

 

 ——— だから、実験してみる事にしたわけだ。アンタは、“()()()()()()()()”なんじゃないか、ってさ———

 

 

「———ッ、衛宮ッ!!」

 

 慎二が()えた。桜を抱えたままで、空を向いて怒鳴(どな)っていた。

 

「どうしたんだよ、慎二」

 

 門のあった辺りから士郎の声がした。

 

「———衛宮ッ、これ見て何も思わないの? 桜が、人間じゃなくなったんだぞ!」

「ああ、そうだな」

「お前ッ、それで———」

「それでもだ。桜は、桜でしかないじゃないか」

 

 50メートルは離れて、声を張って話す二人。そこに桜が割って入った。慎二の腕から無理やり降りて、二歩ほど士郎に近づいて。

 

「行ってください、士郎さん。バゼットさんの捜索も、兄さんへの説明も、全部わたしがやりますから。

 だから士郎さんは先に行って、決着をつけてきてください。

 わたし、家で待ってますから」

 

 思い出したんですよね? と桜は念じる。士郎と目が合っている今なら、それだけで通じるのだ。

 

「———ああ、そうだな」

 

 桜の目を見て士郎が言った。

 

「衛宮ッ、まだ僕は———」

「そこまでです、兄さん」

 

 桜は指先に少しだけ力を込める。右手の五つの指先に意識を持ってきて、きゅっと握るように、1センチくらい指を動かす。

 士郎に向かって飛び出した慎二が、固まった。

 

深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)は、世界に裏側から干渉しますから……、いくら兄さんが速くでも、意味なんかないんです」

 

 士郎が、走り出した。魔術も使わずにいて(なお)、桜にとっては瞬間移動のような速さで———桜の方に。

 

「———へっ?」

 

 “バサッ”と、桜の視界が白く染まった。頭から何かが(かぶ)さっている。腕で少し押し上げてみると、それは士郎の着物だった。

 士郎の着ていた白衣(はくい)が、桜を頭から覆っていた。

 都合、上半身が裸になった士郎の肌から湯気が立ち昇っている。そんな士郎は、桜にふわっと笑いかけた。

 

「少しだけ、寒そうに見えたからな。カーディガンの上からでも羽織(はお)っていてくれ。

 綾子との決着をつけたら、また戻ってくる」

「はいっ。

 …………でも士郎さん、セイバーさんは……美綴部長だって」

「分かってる。だけど、俺は行かくちゃいけない。せっかく、自分で決めた夢なんだから」

「その先に、誰一人いなくなっても……ですか?」

「それでも、俺が決めた事だからな」

 

 桜は少し(うつむ)いて、士郎の白衣(はくい)打掛(うちかけ)のように羽織(はお)った。

 

「……やっぱり、すごい」

 

 桜が呟く。士郎の初恋は、決して……。

 そんな桜を眺め見て、士郎はひとつ頷いて、「行ってくる」と駆け出した。

 

 桜は、誰にも止めさせなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

随分(ずいぶん)と遅い到着ね、遠坂」

 

 凛が円蔵(えんぞう)(ざん)大空洞(だいくうどう)辿(たど)り着いた時、真っ先に飛び込んできた言葉がそれだった。

 

「お互い、千日手(せんにちて)でさ」

 

 大空洞の奥、暗がりの中、崖のような祭壇の前に(じん)()る綾子。それと対峙(たいじ)するセイバー。綾子は懐中時計と薙刀を、セイバーは聖剣とその(さや)を握っていた。

 凛はセイバーに駆け寄って、その背中に触れる。事前にパスを繋いでいたお陰で、スルリと魔力が通っていった。

 

「助かりました、凛」

 

 セイバーが美綴を見たまま、凛に言葉を返した。

 聖剣を解放、風王結界(インビジブル・エア)から解き放たれて、周囲に風を撒き散らしながら、その輝く剣身(けんしん)(あら)わにした。

 

「———これなら、全力で戦える」

 

 凛は、ゆっくり周囲を見渡した。ここは洞窟の奥、太陽光など入ってこない。だが凛には、周囲の光景を見ることができた。セイバーの聖剣の光、それと、大空洞の崖の上とに、光源があるからだ。

 大空洞の祭壇の上、かつて大聖杯の魔法陣が横たわっていたところから、今も光が漏れている。

 メーティスが急いだわけ、綾子が唐突に戦闘から身を引いたわけが、今、目の前にある祭壇の光だと直感した。

 

「それが、アンタの“切り札”ってワケね」

「そうだな。コレが発動すれば、世界は確実に致命傷だ。“今日から(さき)”は世界の果てだぜ」

 

 凛は目に力を込めて、綾子の顔を睨みつける。いつでも宝石をブン投げられるように、両手にそれぞれ隠し持って。

 

「“世界の果て”ね……、随分と大きく出るじゃないの」

「そりゃ、コレは“秩序を破壊するもの”だし、確実に人類を滅ぼしてくれるし」

「まどろっこしいわねっ。サッサと白状(はくじょう)しなさいよ、それとも何? まだ時間稼ぎが必要だっての?」

 

 凛の全身、全部の魔力が泡だった。ブクブクと沸騰するような魔力をそのまま綾子にぶつけると、アイツは少しだけ驚いた風で、それから、楽しそうに笑った。

 

「そうだな、遠坂。うだうだ喋るのも性に合わないし、

 ———いいぜ、教えてやるよ。(あたし)が世界を壊す方法、その手段は———」

 

 綾子はここぞとばかりに魔力を荒立て、遠坂凛と張り合うように、その手段を口にした。

 

 ——————魔法使いになる事だ——————

 

「……魔法使い? それでどうやって世界が滅ぶってのよ。魔法使いになって世界が滅んでたら、今頃人類なんて存在してないんじゃない?」

「今まではそうだろうさ。五つしかなかったんだから。第一法から第五法までの基盤(きばん)が存在する世界に(あたし)たちは生きている。

 そこに、今までに無い法則が生まれたら? 

 どう考えても、世界に根本的な改変がもたらされるんじゃない?」

「……そんな」

 

 急に、凛は口がカラカラになっているのに気づいた。

 手汗がすごい。両手のうちにある大きな宝石が、とてもトゲトゲしく感じられる。

 いつの間にか、凛はセイバーよりも前に出ていた。

 

「綾子アンタ……、アンタがいう魔法って、それは“五つあるソレ”のどれでもなくて……」

「Program No .6、第六法。

 第六魔法こそが、(あたし)(つかさど)る魔法なんだよ、遠坂」

 

 綾子は羽を広げるように、薙刀と懐中時計を見せつけた。

 

「第六魔法、Destiny (ディスティニー) Movement(ムーブメント)

 運命(うんめい)調律(ちょうりつ)機構(きこう)

 (あたし)は生まれた時から、そうなることが決まってたんだ」

「それじゃあ何? アンタは始めから魔法使いになれることが決まってて、それをわざわざ“今”やろうっていうの?」

「何事にもタイミングってのはあってさ、特に儀式なんてのはその(さい)たるモノだ。どんな儀式でも、だいたいその八割は時間と場所が握ってる。

 今回だってそれと同じでさ。どうしても、聖杯戦争の期間中に取り掛かる必要があったんだ。

 ———じゃないと門が()かなくってさ。魔法を“起動”させるには、それ相応(そうおう)の霊地がいるんだ」

 

 綾子はその左手で、その親指で、自身の背後を指差した。

 綾子の親指の先、崖のような岩の上、かつて大聖杯があった場所から、今まさに、琥珀色の光が漏れていた。

 

「だから、大聖杯が邪魔だったんだ。一番良いトコを塞がれてちゃ、霊地の神秘を引き継げないじゃない、ねえ———遠坂」

 

 凛は思わず、唇を噛んだ。

 遠坂凛は魔術師の家系の六代目だ。当然、アレやコレやも耳に入る。

 

 ———第六魔法。

 詳細は不明で、秩序を打破するものであるとされている。

 アトラスの錬金術師、ズェピア・エルトナム・オべローンが人類滅亡を阻止するために挑み、敗れたモノ。

 かつてオベローンが(いた)りかけた、いまだ誰も(いた)ってはいない魔法。世界平和や人類救済がその内容ではないかと噂されているものの、凛の所にすら、その話の先は流れて来ていない。

 第六魔法の使用者が現れた時、人類は滅ぶらしいという事だけは広まっていて、世界を根本から改変する魔法だという。

 ”6”という数字から、休眠中の二十七祖、“the dark six”との関係性も疑われているが、推測の域を出ていない———などなど。

 

「こんなの……これじゃ何も———」

「リン、気をしっかりと持ってください。揺さぶられではダメだ。

 手段と目的とがすり変わっています。彼女は魔法使いになる為にこんな事をしているのではないでしょう。彼女の目的はそれに付随(ふずい)して発生する“世界の滅亡”という現象にこそある。

 ———逆です、リン。彼女がしようとしている事、その理由は、魔法使いではないのです」

 

 言われて、凛はハッとした。

 そうだ、『()()()()するのか』を問いただしに来たのに、いつの間にか『()()()()()するのか』を話し合っていたのだ。

 急いで綾子の顔を見る。ヤツは、笑っていた、まるで凛を哀れむように。

 

「ッ———ッツ!!」

 

 フッーと長く息を吐く。沸騰した頭を(しず)め、極力(きょくりょく)冷静に綾子を見やる。

 

「……で? アンタの目的は結局何よ。“世界を壊す”とか意味わかんないこと言ってないで、サッサと吐きなさいよ、綾子。

 ———どうして、こんな事したのよ?」

 

 凛の問いかけに、10メートルほど離れた先で、綾子は、ため息をついたて、その拍子(ひょうし)に魔力が(こぼ)れる。荒立つ魔力でストレートのボブが舞い上がり、()(はかま)がはためいた。

 

「お前だよ、遠坂凛。

 お前じゃ衛宮士郎を壊しちまう。それを理解するのにどれだけかかってんだよ、って話だ」

「シロウが、壊れる?」

 

 セイバーは斜めに構える。右手の聖剣を引き、左手の(さや)を前に掲げて、綾子を睨んだ。

 

「セイバーは少し知っているかもしれないけど、アイツのアレは生来(せいらい)の気質だ。十年前の大火災で生まれたモノじゃない」

 

 セイバーが構えを緩める。ここに来て、綾子に戦う意志の無いことを感じとった———少なくとも、今は。

 

「『アイツのアレ』とは、つまりシロウの———」

「『一度決めたことは曲げられないし、自分を勘定にいれていない』。そう、アレのことよ。誰もが皆、士郎のアレは十年前の大火災のせいだと言う。『衛宮士郎は、十年前に一度死んだ』と言い出すんだ」

 最近じゃあ士郎も影響されて、同じ事を言い始めた。と、綾子は自嘲(じちょう)した。

 

「だったらどうして、十年前の士郎があの大火災の中、全てを見捨て歩き続けたと思ってるんだろうな。

 十年前の士郎の話をちゃんと聞いたら、思い(いた)らないハズがないんだ。

 ———()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

 美綴綾子の両眼が光る。その眼光は、凛とセイバーとを射抜いていた。

 

「おかしいだろ? 5歳のガキが、母親に『生きて』って言われただけでそこまでの覚悟を決めるだなんて」

 

 ———生きのびたからには生きなくちゃ、と思った。いつまでもココにいては危ないからと、あてもなく歩き出した———

 

 十年前、士郎の苗字がまだ“衛宮”ではなかった頃。

 冬木市の一角、冬木(ふゆき)市民会館(しみんかいかん)から発生した炎が、周囲の民間にまで延焼(えんしょう)した。

 その時、少年が()(さか)る家から脱出する時、父親は少年を(かば)い、母親は少年に「生きて」と(たく)した。

 両親から命を繋がれ、生きる事を約束した少年は、しかし外に出てすぐに、この火災からは助からない事を理解させられた。

 

 ———まわりに転がっている人たちのように、黒こげになるのがイヤだった訳じゃない。

 ……きっと、ああはなりたくない、という気持ちより。

 もっと強い気持ちで、心がくくられていたからだろう———

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ———誰かを助けようとして背負(せお)いこめば、自分は崩れ落ちてしまうからと、誰ひとり助けなかった———

 

 偶然にそうなった訳じゃなく、少年は明らかに、それを意識してそうしたのだ。

 

 ———でも、(くじ)けそうだった。

 助けを求める声を無視して、生きているのが辛かった。

「ごめんなさい」と。

 謝ってしまえば心が楽になると知っていたから、謝ることだけはしなかった。

 それが。

 何も出来なかった自分の、唯一の誠意だと信じて歩き続けた———

 

「ヒトは理解できないモノを拒絶する。なんとか理解できるカタチに落とし込もうとする。そうやって、衛宮は“一度死んだ”ことになった

 ———“強いストレスによる脅迫障害”。

 ———“サバイバーズギルト”。

 そうやって病気にして、病名までつけて、『衛宮士郎の気質は被災によって造り出されたモノだ』という事にしたんだ」

 

 綾子が薙刀を、その石突(いしづき)を打ち鳴らす。琥珀色の魔力波が地面を伝って拡散する。ドンッと広がる魔力の波紋は、凛たちにも軽く、衝撃として襲いかかった。

 

「だから、『真人間(まにんげん)にする』だなんてコト、平然と言えるんだよな、遠坂は」

 

 凛だけじゃない、アルトリアも気づいていた。美綴綾子が、ブチ切れているということを。

 

「その結果がコレだ。士郎は最後まで救われない。

 ———なら、そんな世界なんて()らないと思わないか?」

 

 美綴の眼は、凛を射抜いた。

 

「遠坂、お前は知ってるんだろ? 士郎の、“切り札”のこと」

「“リミテッド/ゼロオーバー”、でしょ。それがどうしたのよ」

「士郎の極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)は本来、居合とは無関係だってのは?」

「知ってるわ。士郎の切り札は“士郎の思いを押し付けるもの”。あの剣は“担い手が切れると思ったものを切る剣”だから、別に居合じゃなくでも良いって事は———」

「でもさ、実際、士郎は居合術をトリガーとしてしか極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)を発動できないじゃん。

 ———理由、分かる?」

「ジンクスとか、ルーティーンの類いじゃないの?」

「ああ、もちろん。その言葉で片付けちまえるモノではあるんだけどさ……。

 居合ってのは、“願いの結晶”だったりするんだ。『絶対に負けられない戦いで、勝てるようになりたい』って願いのさ」

 

 居合は“死に覚えゲー”のようなものだと、綾子は言った。一瞬の交錯(こうさく)(あいだ)だけ、何度もやり直すことができる“格ゲー技”。

 刀が(さや)から抜け出る一瞬に、次の打ち合いを体感する。当然負ける。負けた原因を考えて、身体(からだ)の使い方を微調整してもう一度挑み、また負ける。

 それらが、“抜刀の一瞬”に起こるのだ。

 だから相手が、どれほど先の未来を体感していようと関係ない。相手からすれば、自分の未来が一瞬のうちに何度も何度も書き変わるように感じる。

 ———直近(ちょっきん)の未来を、都合(つごう)六度(ろくど)書き換える技。

 死に覚えることでたどり着く動きを、未来から今へ手繰(たぐ)り寄せ、現実世界で勝利する。そんな技。

 

「なぁ、分かるか遠坂。

 勝ち目がないような戦いで士郎が居合を抜き放つ時、アイツは六回死んでるんだ。

 そこまでしないと、士郎は自分を解放できない。例え体感(たいかん)した未来の(なか)でだけだとしても、精神的なストレスにはなる。自分の死を何度も体感(たいかん)する程のストレスに(さら)されてやっと———士郎は自分をさらけ出せるんだ」

 

 懐中時計を(ふところ)に戻した綾子は、薙刀を両手で持って、“クルックルッ”と回して、右脇に大きく振りかぶって構える。

 

「そんなギリギリの士郎を前に、『別れる』だなんだと抜かす女がいる世界なんてサッサと潰して、(あたし)は魔法使いになる。

 ———来いよ遠坂、殺し合いを始めようぜ」

 

 綾子は、大きく一歩踏み込んだ。

 

「これでいつかの予言通りに、“殺す殺さないの関係”だな」

 

 

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第二十六話、「殺す、殺さない」


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《第二十六話、「殺す、殺さない」》

 

 

 セイバーが走る、美綴綾子へと。

 

 巨大な地下空洞の中、黄金に輝く剣身(けんしん)を持つ聖剣を八相(はっそう)に構え、右肩に(かつ)ぐようにして、両者の(あいだ)の空間を()める。

 

「——————ハッ!」

 

 袈裟斬(けさぎ)りに振り下ろされた聖剣は(くう)()る。

 綾子は右脇に構えた薙刀を大きく円を描くように横薙ぎすると、自身が振るった薙刀に運ばれるようにして右側に50センチほどふわりと動いたのだ。結果、セイバーから見て左側に(かわ)すと同時に、横薙ぎで左側から、セイバーの首を()りにきた。

 セイバーは全身から、風の魔力を放出する。

 聖剣を覆う必要のなくなった風王結界(インビジブル・エア)、それがセイバーの魔力に呼応して出力される。右回り、半時計廻りの渦を巻きながら吹き上がる風の魔力が、綾子の薙刀を弾き上げる———直前、綾子は(おのれ)の薙刀に、自分自身の魔力を通した。

 

「—————(こひ)するに、(しに)にするものにあらませば———」

 

 運命を調律する。

 綾子自身とセイバーとの(えにし)調(ととの)え、お互いは、同じ運命に(くく)られるのだ。

 そうして綾子の薙刀は、風王結界(インビジブル・エア)をすり抜ける。だがその刃が、首の骨を切り裂くその前に、セイバーは無言で、魔力放出を収束させた。

 袈裟懸(けさが)けに振り下ろした聖剣の先から、黄金の魔力が吹き荒れる。その魔力に押し出されるようにして、セイバーは後ろに飛んだ。体の周囲に風王結界(インビジブル・エア)による風の魔力を纏わせることで、空中での姿勢制御に成功したセイバーは、聖剣を左から右に、横薙ぎに振るうのだった。

 金の光の斬撃が、綾子に一閃(いっせん)、迫り来る。

 

「———()()千度(ちたび)()(かへ)らまし」

 

 それを綾子は、真正面から、縦に一閃(いっせん)切り裂いた。

 

 セイバーが、着地する。

 

「聖剣の一撃を切り裂くのですか」

 

 聖剣を正眼に構えなおすセイバーに、綾子は、薙刀の刃を向ける。

 

「なに、儀式場(ぎしきば)はもう(ととの)ってるんだ。少しくらい(あたし)の力が増したって、そう不思議でもないでしょ」

 

 ———“千日手”ってこういう事か。と凛は思った。

 セイバーと綾子の戦闘を後ろから見ていて、気づいたことがあったのだ。

 綾子は“(えにし)()浄眼(じょうがん)”、セイバーは直感による緊急回避、それと(さや)。二人が二人とも、防御過剰なのだ。そして恐らく二人とも、全力で戦っているわけでも、なさそうだったし。

 

「ややこしいわね」と、口から()れた。

 スカートの右ポケットからルビーを取り出しながら、ふと、家にしまった在庫のことを思ってしまった。大粒のルビーはあといくつあったっけ? 

 それはあまり、深く考えたくはない。

 

 ———これでいつかの予言通り、“殺す殺さないの関係”だな———

 

 先ほどの綾子の言葉、それはつまり、私たちが初めて会ったあの日からすでに、今日のことを予見(よけん)してたということだ。

 それにしては少し変だ、と思う。

 それなら何故(なぜ)、対策を打たなかったのか。

 凛ですら、綾子のことは知っている。当然、それは全てではないだろうが……それでも、ある程度は知っているのだ。

 ———美綴綾子の浄眼(じょうがん)は“(えにし)を見る”、『(えにし)は未来から流れてくる』とは綾子の(げん)で、つまりアイツは最初から、私と士郎とが上手くいかなくなる事を知っていた、ということでもある。

 それなら何故(なぜ)、未来を変えようとしなかったのか。

 士郎が壊れることを(うれ)いて世界をぶっ壊すくらいなら、他にやりようはいくらでもあった筈だ。特に、あの美綴綾子なら———

 

 その時、凛は違和感を感じた。

 違和感というか、魔力の感じが何処(どこ)かおかしい。

 ふと、右手の(こう)に視線をやった。そこからアーチャーとのパスに意識を向ける。すると、急速に魔力が吸われていることが分かった。

 

「アーチャーのヤツ、固有結界でも展開して———」

 

 “バチッ”と、右手の(こう)、アーチャーとの契約をしめす令呪から、赤い稲妻(いなずま)のような魔力光が(ちゅう)へと走り、凛はそれに引きずられるように、手の(こう)を、(そら)へ差し出すような格好になった。

 

「へっ? …………うそっ、そんな……ッ!」

 

 凛は(あわ)てて手の甲を見る。そこに、令呪の跡はカケラも無かった。

 

 凛が正気に戻ったのは、自身の耳元で金属音が、金属(きんぞく)同士(どうし)()れ、弾かれる音が鳴ったからで。つまりは、凛の後ろに(まわ)()んだ綾子の横薙ぎを、セイバーが上に弾いてくれたからだった。

 

「どうしたのよ遠坂、この()(およ)んでよそ見してさぁ。()らないんなら、その首(もら)うぜ」

「ちょっ、綾子っ。今アーチャーの令呪とパスが———」

「ああ、アーチャーが死んだのか。まあ、聖杯戦争なんだし、よくある事なんじゃない?」

 

 左手で右手首を握る凛に対して、右手一本で薙刀を握る美綴綾子。薙刀の刃を下にして、()らすように立っている。

 

「そろそろ、時間も押してるみたいだしな。儀式を、先に進めてみるか」

「私が、それをさせるとでも?」

 

 セイバーが聖剣を脇構(わきがま)えにした。右半身を綾子に向けて、左足を後ろに引いて、聖剣の(きっさき)が左後ろを指すように。

 

「私はここに、貴女(あなた)を止めるために来たのです」

「悪いけど、こっちはお前に興味がないんだ。救われるだけ救われて、サッサといなくなるヤツなんて。

 ———結局、お前は自分の(ほこ)りを守ったんだ。(まも)られたのはお前であってアイツじゃない。アイツの理想は、進展しないし解決しない。

 あんなのは、“御伽(おとぎ)(ばなし)のめでたしめでたし”。現実に救いは、カケラもないんだぜ」

「……なんの話をしているのです?」

「お前と士郎の話だ。“お前と士郎との物語”、お前は救われて“めでたし”だけど、そこに士郎の救いは無かった」

 

 ちょうど位置が反転し、大空洞の入り口側にたたずむ綾子。

 

「お前はさ、始めから全部持ってるんだ。

 騎士としての誇りも、王としての(ちか)いも、いつか夢みた、ただ一度の尊いモノ。

 お前はそれを確かめて、後はサッサと帰っちまった。あの朝、(わか)(ぎわ)に救われたのは士郎じゃない。お前が、ただ一人だけ」

 

 “はぁ”と凛はため息をついた。

「———何が言いたいのか、サッパリ(わか)らないんですけど」

 

 口を(はさ)む。

 何がムカつくって、コイツは、さっきからずっと“一人よがり”だ。

 

「適当なこと言ってないで、すぐに桜を返しなさい。ブッ飛ばすわよ」

 

 セイバーの左隣に陣取って、右手を上げてガンドを作る。五指(ごし)(そろ)えて綾子の顔に照準(しょうじゅん)し、威嚇(いかく)に何発か撃ち放つ。

 綾子はつまらなそうにガンドを“()る”。琥珀(こはく)(いろ)両眼(りょうがん)が一瞬だけ(ひか)ると、ガンドはたちまちに立ち消えてしまった。

 

「お前もお前だよな、遠坂」

 

 薙刀の()を右肩に乗せるようにして(かつ)ぎ、肩を落としてため息をつく綾子は、凛から見て、少し気落ちしているようだった。

 

「衛宮士郎にとって、あるいは英霊エミヤにとってすら、お前は“憧れ”だったんだよ、遠坂。

 衛宮士郎は遠坂凛に憧れた、『あんな風に生きられたなら、どんなにいいか』と憧れたんだ。

 ———『バカじゃないの』と思ったんだろ? 『頑張ってるヤツが(むく)われないなんて嘘だ』と思ったんだろ? 

 それなのに最後の最後、一番日和(ひよ)っちゃいけない時に、よりにもよって日和(ひよ)っちまった。

 あの朝お前は、英霊エミヤに救われたんだ。“絶対に口にしてはいけない言葉”を口にして。

 最後のひと言、『大丈夫だよ、遠坂』は、お前のための言葉だ。お前の恋を終わらせるため、“憧れの女”を、アイツはフッた」

「だから、何の話をしてるのよ? 

 そんな経験、無いんですケド」

「無いだろうぜ。だってコレは、いつかのイフのお前の話だ。数ある平行世界の一つ、お前とアーチャーとの物語。

 ———(あたし)が、関わらない世界の話。

 お前たちに言っても仕方がないのかもしれないけどさ。殺してからじゃあ、口も()けなくなっちまうしな」

 

 綾子は、(ふところ)から一枚の和紙(わし)を取り出した。家紋に使われるような菱形(ひしがた)の剣、“剣菱(けんびし)”が三つ、重なり合うような形に折られていて、つまりそれは折紙(おりがみ)だった。

 その折紙(おりがみ)を見せつけるように左手で(かかげ)げ、巫女(みこ)(ふく)の綾子は宣言する、『この世界を殺す』、と。

 

「第六魔法の使い手が現れる時、それは世界の滅びを()す。

秩序(ちつじょ)が、“第六(だいろく)”に(やぶ)れる日』

 (あたし)が存在するだけで、この世界は異変(いへん)する。この世界の、魔術基盤そのものが書き変わるんだ。そんなの、魔法使いを(のぞ)いて、影響を(のが)()る者は無い」

「させると思ってるの? アンタが何をどう思おうが勝手だけどね、それをこっちにまで押し付けるんじゃないわよ。

 アンタが“その目”で何を見たのか知らないし、知りたいとも思わないけど、()(おぼ)えのないことをウダウダと、()かしてんじゃ、ないわよッ!!」

 

 綾子の顔に照準(しょうじゅん)してある自分の右手指先からガンドを連射、綾子が眼力(がんりき)で消し去るのと、凛が叫ぶのとは、同時だった。

 

「行くわよッ、セイバー!」

 

 凛は走る、美綴綾子へと。

 ガンドの呪いをガトリング・ガンのように乱射(らんしゃ)しながら走り、綾子の手前(てまえ)、2メートル半くらいのところで、大きく、右に()んだ。

 凛が右に()ぶことで()いた空間を、光の斬撃が駆け抜ける。セイバーが剣を縦に振り下ろし、その 斬線(ざんせん)をなぞるように、剣身(けんしん)から(あふ)れる光が、まっすぐ、綾子へ向かって駆け抜ける。それを、綾子が(かわ)す。

 左から右へ、凛やセイバーから見て右から左へ、いつの()にか斬撃を(かわ)した後、綾子はさっそく攻撃に転じる。

 セイバーから見て左から横薙ぎに、綾子の薙刀が()るわれる。

 横から切りつけてくる一撃と打ち合うように、セイバーは聖剣を振り下ろす。だが、綾子の薙刀は聖剣をすり抜けた。

 音もなく、途中から気配も消えた薙刀による一撃は、振り下ろされる聖剣を(かわ)して最後まで振るわれる。()りきって止まった瞬間、綾子の右手は薙刀を離す。

 

空中に滞空する、薙刀。

 

折紙(おりがみ)(ふところ)仕舞(しま)い終わった左手で、()いた左手で、(ちゅう)にある薙刀をキャッチする。

 ———すると綾子の存在は、凛の目の前にあったのだ。

 

「クッ」と、凛の口から声が(こぼ)れた。

 魔力は一切感じなかった。綾子の()(ひか)らなかった。東洋系列(とうようけいれつ)呪術発動(じゅじゅつはつどう)(きざ)しもないまま。

 つまり、綾子は純粋な歩法(ほほう)だけで、瞬間移動じみた動きをしたというのか。

 

「———なんてヤツ」

 

 綾子が左手一本で、自身の(ひだり)体側(たいそく)に構えている薙刀の()に右手を()える。その右手が石突(いしづき)の方に何センチか(すべ)ったかと思うと、次に凛が気づいた時には、薙刀の()はが、凛の首の、右側(みぎがわ)にめり込みそうになっていた。

 その、今にも自分の首を切り落としそうな刃と、自分自身の首との(あいだ)に、右手の(こう)()(はさ)む。魔力が()()てることを示すように輝くルビーを握った右手に、その(こう)に、薙刀の(やいば)がめり込んで———そのまま、凛をまったく()()くことなく、凛の首を、すり抜けていく、その最中(さなか)———

「ハッ———」という()(ごえ)が、綾子の後ろで一つあがった。

 

 そして、凛に傷ひとつつけることなく首をすり抜けている薙刀が、凛の首を(なか)ばまで通り抜けた時、後ろから迫ったセイバーが、右から左に横一閃(よこいっせん)、聖剣を()(はら)った。

 ———それは、清廉(せいれん)とした(かぜ)(ささや)きのような斬撃だった。

 (すず)やかな歌い声を(ひび)かせながら振り抜かれた一閃(いっせん)は、綾子を()()み、大空洞を金色(きんいろ)に染め、その巨大な側壁(そくへき)手前(てまえ)まで吹き飛ばした。

 

「無事ですかッ! 凛」

「まあね、ちょっと反則(はんそく)気味(ぎみ)だけど。今はそんなこと、あまり気にしてられないし」

 

 凛の前に立ち、吹き飛ばした綾子を見つめながら問いかけるセイバーに、凛は右手の中のルビーを見ながら応答(おうとう)した。

 

「しかし、無事で良かったです。凛に()()()んだ時は、まさに()(あせ)ものでした」

 

 セイバーは再び、その聖剣に(ひかり)(とも)す。

 下段に構えた聖剣の、金色に輝く剣身(けんしん)から、“ゆらりゆらり”と、金の魔力が()(のぼ)る。

 

「それにしても、“(えにし)()る目”とは、思っていたよりもずっと、奇怪(きっかい)なもののようですね」

 

 セイバーが見つめる先、大空洞の横の壁、斬撃の余波(よは)によって吹き荒れる金色の魔力を押しのけるようにして、綾子が歩いて近づいてくる。右手には当然のように薙刀を持ち、綾子の左手は、またしても折紙(おりがみ)を持っていた。

 御札(おふだ)サイズの熨斗(のし)のような形の折紙(おりがみ)()()げたその折紙(おりがみ)に息を吹きかけると、たちまちにボロボロに崩れ、無くなってしまった。

 綾子が、二人を見据(みす)える。

 

眼力(がんりき)だけとは言え、“Destiny(ディスティニー) Movement(ムーブメント)”で位相(いそう)をずらした(はず)なんだけど……。

 その上から()()んでくるとか、その剣やっぱりデタラメだよな」

 士郎が()()むだけはある。と綾子は言った。

 

 とは言うものの、綾子の体は綺麗なもので、その身を(つつ)む巫女装束も、砂埃(すなぼこり)くらいしかついていない。

 

 セイバーが右の脇構(わきがま)えに移行(いこう)して、地面と平行にした剣身(けんしん)に魔力を()めるのを尻目(しりめ)に、凛は黙って、少し考えを(めぐ)らせた。

 

 ———まず大前提(だいぜんてい)として、綾子を魔法使いにしてはいけない。

 これは、分かりやすく世界が崩壊するからだ。『魔法使いとなった綾子が世界に存在している』という、ただそれだけで、人理には致命的な疾患(しっかん)(しょう)じる。結果、未曾有(みぞうう)の大災害となることはほぼ間違いない。

 ———次に、私とセイバーの右側にある“星の祭壇(さいだん)”。一枚岩の巨大な(がけ)のようなあの場所に、綾子を到着させてはいけない。

 どう考えでも、あそこは“魔法使いになるための魔法陣”があるだろうから、そんな場所に綾子が到着した時点で、私たちの負けが確定する。

 

 今のところ、私たちが負けるための必要(ひつよう)十分(じゅうぶん)条件(じょうけん)はこれだけだ。つまり最後まで綾子を、大空洞の奥にある、あの巨大な岩の上に登らせなければ、私たちに負けはない。

 そして儀式とは、場所と時間だ。

 何か大掛(おおがか)かりな儀式を(おこな)いたいなら、必ず、場所と時間とを吟味(ぎんみ)する必要がある。

 私だって、アーチャーを召喚する時には同じ事をやったのだ。“聖杯からのバックアップ”という強力な後盾(うしろだて)があってなお、私の魔力(オド)最高潮(さいこうちょう)に達する午前二時に、遠坂が管理する土地の中でも、かなり大きな龍脈の噴出口(ふんしゅつこう)の上にある遠坂邸(とおさかてい)の地下工房で、という具合(ぐあい)に。

 

 分かるだろうか、“その場所”に“その時間”、“その人”がいる。この三つが(そろ)って始めて、儀式というのは、そのスタートラインに立てるのだ。

 だから、その内のどれか一つでも狂わせてしまえば、理論上は、全ての儀式を妨害(ぼうがい)できるという(わけ)だ。

 となると問題を、『“魔法使いに()れる時間”というのがいつまでか』という一点に集約できる。

 

 ———アーチャーが負けるくらいだ、あっちの戦場はあまり(かんば)しくないのだろう。となると援軍(えんぐん)は期待できない。

 ———だが、『聖杯戦争が終わるまでずっと、いつでも魔法使いに()れる』という(わけ)でもないだろう。それが可能なら、ここの大聖杯をひっぺがした次の日にでも儀式をやれば良かったのだ。そうすれば、今頃は地獄絵図になってたろうし。

 

 そして何より、綾子はわざわざ、今夜みんなを未遠(みおん)(がわ)に集めている。足止めに使える人員が少ないからか、全員を一ヶ所に集めてから足止めとなる人員をあてがった。

 つまり綾子は、今日に全てをかけているのだ。全員を集めて足止めをかけた以上、すでに計画は露呈(ろてい)している。計画を露呈させてまでこうして行動したってことは、何はどうあれ綾子の方に、今夜中に決めたい理由があるのだろう。

 

 今のところ参考に出来そうな情報はこれくらいか、と顔を上げる時、ふと、ギルガメッシュの言葉がよぎった。

 

 ———(オレ)は“結末”に“間に合う”と言ったのだ。さぁ行ゆけ、後はその目で見るが()い———

 

 それはそう、ちょっとした疑問だった。

 “結末”に“間に合う”とは、一体(いったい)何に“間に合う”のだろうか、という疑問。

 こんなのは、“間に合う”もなにもない。凛が到着するのがギリギリだったというならまだしも、時間的には、セイバーひとりでももう少し()ちそうだったし。となると、考えられる事としてはもう一つ、この先に『まだ間に合う』何かがあるのか。

 

 “間に合う”、“間に合う”、“まだ間に合うこと”、となると———

 

「うそ……ホントに?」

 

 無意識に、左手で口を(おお)ってしまった。

 “あり()ない”、と切り捨てることは出来るが、しかし……。

 凛はチラリと右を見る。そこには“星の祭壇(さいだん)”がある。遠坂凛が守らなければいけないモノ、美綴綾子には、取らせてはいけないモノ。

 

「ねえ、セイバー。ちょっといいかしら」

「何でしょう凛。私は、彼女の攻撃に(そな)える必要があります。出来(でき)れば、()(みじか)に」

 

 セイバーは右脇(みぎわき)に剣を構えたまま、聖剣の魔力を高める。剣身から、勢いよく光が()き出した。

 

(いく)つかやって欲しいことがあるのよ。この戦いに勝つために」

 

 綾子は薙刀を、その両手に持ちなおす。薙刀を両手でふわりと持って、軽く下段に。一歩ずつこちらに近づきながら、ゆっくりと、存在感が消えていく。

 綾子が20メートルほど先で止まった時には、“そこに()なくて、でもそこに()る”ような、あるいは“そこに()てそこに()ない”ような、そんな不思議な状態になっていた。

 

「————()(かれ)と、(あれ)をな()ひそ、九月(ながつき)の———」

 

 綾子が薙刀を上段に構えて、

 

「———(つゆ)()れつつ、(きみ)()(あれ)を」

 

 それを、一直線に振り下ろす。

 

 反応して、凛の隣にいるセイバーが、右脚(みぎあし)を一歩踏み込みながら、腰だめに構えた聖剣を、右下から、左上に振り上げる。

 宝石の粒が(きら)めくような音、そんな音が数多(あまた)折り重なって、綾子の薙刀の斬撃を、金の奔流(ほんりゅく)(はじ)き上げる。

 残心を待つこともなくセイバーは、振り上げた聖剣から再び魔力を放出させて、下まで一気に、()り下ろす。

 空中に(いま)滞空(たいくう)する、金色の粒子を()り裂くように、金の光の斬撃が、ビームのように()(はな)たれた。

 甲高(かんだか)い大気の()(ごえ)、聖剣の斬撃に引き裂かれる周囲の空気が、まるで、祝福(しゅくふく)()のように響きわたった。

 ———その、最中(さなか)

 突き抜ける、光線のような斬撃を、“シュッ”と切り裂く音がした。

 

「——————参剣(さんけん)御符(ごふ)、“一刀両断”」

 

 下から上に、(たて)一直線(いっちょくせん)。金色の光線を()()って、中から綾子が跳び出してきた。

 “シューーッ”と、地面の上を軽く(すべ)り、スピードを弱めていく。()いた草鞋(わらじ)から砂埃(すなぼこり)を立ち上げ、後ろ向きに()ることでセイバーから目を離さずに、20メートルほど(ほし)祭壇(さいだん)に近づいて、綾子は止まった。

 無言で姿勢を立て直し、薙刀を右脇に構える。(ふところ)折紙(おりがみ)仕舞(しま)()えた左手を、スッと薙刀の()にそえた。

 

 そんなセイバーと綾子との戦いを、セイバーからも少し離れて見ていた凛は、一人、()をうかがっていた。

 

 ———(オレ)は“結末”に“間に合う”と言ったのだ———

 

 そう、あの王さまはそう言った。『後はその目で見るが()い』と。その言葉が本当ならば、この場に私がいる意味、その先も見えてくる。

 

「でも、ホントに?」

 

 凛が(つぶや)く。両脚には“強化”をかけて、両手には燃料となる宝石を握りしめる。ルビー、サファイア、トパーズとエメラルド。大量に持つ宝石の数々(かずかず)は、凛が持ってきた、現時点での全てである。

 つまり、失敗すれば全てが終わる。

 

 深く、息をはいた。

 

 今、凛の目の前では斬撃(ざんげき)応酬(おうしゅう)()り広げられている。セイバーが光の斬撃を()(はな)ち、綾子はそれを切り裂きながら右へ左へと(かわ)している。

 そんな異次元の戦いを見ながら、凛は走り出した。

 大空洞の奥、巨大な(がけ)の上にある、星の祭壇(さいだん)の中心へ。

 

 凛の動きに気づいた綾子が、それを止めようと動き出す。

 セイバーが聖剣を横薙(よこな)ぎし、その斬線(ざんせん)をなぞるように金色の光線が横に伸びる。

 綾子は、自分へと迫る光の斬撃を、セイバーへと突っ込み、聖剣にほど近い場所から、左手で折紙(おりがみ)を持ち、上から下まで斬り下ろすことで、斬撃が拡散するよりも前に、切り()みを入れた。

 一瞬だけ、金色の光のない空白地帯を作ると、そこに()()み、凛を()る。

 何処(どこ)からともなく“カチッ”と、時計の針が動く音が聞こえると、凛の動きが、目に見えて遅くなった。

 凛の体の動きは機敏(きびん)なままだ。だが、その動きから想像するスピードの半分も出ていない。まるで、凛と星の祭壇(さいだん)との(あいだ)の地面が、急速に伸び広がっているかのように、凛のスピードだけが遅くなった。

 

 ———凛と星の祭壇(さいだん)との(えにし)を切り離し、その運命をズラしたのだ。

 凛が懸命(けんめい)に走りながら、チラリと綾子の方を見た。だけど、すぐ前を向いた。

 セイバーの、二発目の斬撃を目にしたからだ。

 

 ドッ、という、空気が弾き飛ばされる音が凛まで届いた。地面から上空に向かって()き上がる巨大な金の奔流(ほんりゅう)は、綾子を容易(たやす)()み込んだ。

 後ろから響いてくる衝撃音に押されるように、凛のスピードは元に戻った。

 ようやく、(がけ)の手前まできてもスピードを緩めず、(がけ)の根元に一歩、その右脚を踏み出した。

 

 ……良かったと、心中でそう思う。この(がけ)が、断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)ではなくて。

 (ひざ)にかかる負荷が増した。でも、()()かなきゃいけないほどでもない。感覚としては、坂道(さかみち)を登る感じに近かった。

 傾斜(けいしゃ)にして、45度を()えるかどうか、といったところ。ゴツゴツとしている地面は、年月(ねんげつ)のせいか(かど)がとれ、全体としてみれば、そう大きな隆起(りゅうき)も無かった。

 これなら最後まで登りきれる、と確信した。

 凛が見上げた限りでは、頂上に近づくにしたがって傾斜(けいしゃ)はきつくなる。とはいえ、強化魔術を(ほどこ)した凛の脚力で突っ走れないほどではない。

 ———と、すぐ近く、凛の後ろで爆音がした。

 

「ツッ———!」

 

 踏み出した左足から、魔力を地面に流し込む。右足で地面を蹴りつけて前に進む。凛の重心が完全に左足に乗り切ると、地面に流し込んだ自分の魔力を、地面の中で“転換(てんかん)”した。

 

 ———(よう)は、宝石魔術の応用だ。いや、技術発展の系譜(けいふ)からすると、こっちの方がご先祖様かもしれないが。

 遠坂家は代々、“転換(てんかん)”の特性を()かし、宝石魔術を専門とする家系だ。宝石の中で魔力を流転(るてん)させ、本来は保存できないはずの魔力をストックできる状態にする。その後、宝石に宿った念に乗せてそのまま魔力を解放することにより、魔弾として戦闘に利用する。

 そう、凛が今やってる事は、宝石魔術と変わらない。

 足元にある地面、その中にあるケイ素を使って、凛は今、この瞬間に即興で、“遠坂家の宝石”を作り上げた。

 

「————Geben(グェーベン) Sie(スィエ) das(ダズ) Ziel an(ズィーラン)ッ……」

 

 凛が地面を踏みしめる、左足の下、そのから魔力の鼓動(こどう)が“ドクン”、と一つ振動した。

 

「—————Anfang(セット)Sprengen(スップリングァン)ッ!!」

 

 ドッ、と()き出す魔力圧と、指向性を持った炎。凛の足裏(あしうら)に直撃した爆風は、凛の体なんか一瞬で()()ばす威力だった。

 強化魔術をかけた脚で、その足裏(あしうら)で、凛は、噴き上がる爆風に乗る。“ピカッ”と、下からの光で視界が(おお)われる。その後からきた爆風でミニスカートがはためいて———そして、凛は飛んだ。

 両脚の膝をくっつけて前に突き出し、90度よりも深く曲げる。上半身は真っ直ぐに立てて、両腕は大きく左右に広げて。

 前からくる風を感じて、感じて、感じて……。

 すると、不意(ふい)に視界が(ひら)けた。

 

 ———それは、(やま)(いただき)のような風景だった。

 例えるなら、火山(かざん)()。大空洞の入り口から見た、あの(がけ)の上、そこには擂鉢(すりばち)(じよう)のクレーターが広がっていた。そのクレーターの、一番底。一番の中心点には莫大(ばくだい)な魔力が渦巻いている。

 銀色と金色と白。三色の光が、クレーターの中心に()る。まるで実体を持つ巨大な蛇のように渦巻き、うねり、互いに絡まりあっていた。

 

 ———それも、一瞬。

「トッ」というふくみ声を一つ上げ、綾子が()び上がっていたのだから。

 凛は体勢を崩さないように、目だけを後ろに向けるように振りかえる。

 

 ———綾子には、重力がはたらいてないようだった。薙刀を左の脇に構え、その(きっさき)を後ろにして振りかぶり、両膝を軽く曲げて浮いている。

 そんな格好で、()いているように()んでいる。

 当然、綾子も()び上がった(わけ)だから、凛に向かって進んでいる(はず)だが、その速度は遅い。

 両手で体の左側に保持(ほじ)した薙刀は(やいば)を後ろ、石突(いしづき)を前に。左手で刃の近くを持ち、右手は石突の近くを持ち、両手の親指を向かい合わせるようにして構えている。

 ———そんな綾子の、右手。

 石突の近くを握っている綾子の右手が、石突へと(すべ)り出す。薙刀の()は綾子が両手を広げた距離よりも長いから、当然、()の先端に辿り着くまでに限界(げんかい)(むか)える。その後は、自然に右手が右側に移動を始めて、それに影響された薙刀の(やいば)は、左から大きな円を(えが)きながら一気に前へと加速するのだ。

 でも、凛と綾子とは100メートル以上も離れていて、そんな場所からではまず、(やいば)は届かないはずだ。

 だが、綾子はその体勢から、薙刀を右に振りぬいた。

 

 ———つまり、それは……。

 

 瞬間、凛の足元から、金色の光が()(のぼ)る。

 セイバーが、そこにいた。

 風王結界(インビジブル・エア)を使って風を巻き上げている。

 セイバーが今までに放った聖剣の斬撃、それによって周囲に振りまかれた金色の光が、(まわ)りの地面で(いま)だに(くすぶ)り、淡く光を放っていて、そこから金色の粒子が、まるで(ほたる)の乱舞のように輝き、踊っている。

 そんな、周囲の空気を巻き上げているセイバーは、金色の風を(まと)っているかのように、視界の下から、凛の眼前(がんぜん)に現れた。

 セイバーの聖剣は下段に構えられている。

 その下段にある聖剣が、セイバーの左側で、後ろから円を(えが)くように振り上げられて、一閃(いっせん)

 金の斬撃が、()()んだ。

 

 凛がクレーターの(ふち)に着地した時、セイバーは重力に引かれてまっすぐ落ちていた。綾子は、吹き飛ばされて彗星(すいせい)のように、金色の尾を引きながら墜落(ついらく)していた。

 

 その激闘(げきとう)から顔を(そむ)ける。

 凛はクレーターの中心へ踏み出そうとして、足首の痛みに動きを止めた。左手で、左足首を触ってみると、“キィン”と痛む。

 仕方(しかた)なく、凛は右足だけで立ち上がり、左足首に魔力を通した。

 痛みが引くまで、遅くて10秒といったことろか……。

 ほんの一瞬、一瞬だけ手持(ても)無沙汰(ぶさた)になった凛は、後ろを振りかえり、セイバーと綾子を見て———

 

 痛くても、走り出さなかった自分を(うら)んだ。

 

「—————うそっ——」

 

 綾子は、金色に燃えていた。

 聖剣の光は炎となって、綾子の服を燃やしていた。でもそれは、時間と共に鎮火(ちんか)していく。

 問題はその後だ。

 聖剣の光がなくなった後、綾子は一度、その()を光らせた。

 

 振りかえった凛は、そんな綾子と……そんな綾子の琥珀(こはく)(ひとみ)と、目が合った。

 その瞬間、凛はマズいと直感した。綾子は本気だ。

 本気で、来る。

 

 (がけ)の根元にいるセイバーが迎撃に走りだす。

 それなのに、凛は全然(ぜんぜん)、安心できなかった。

 足首は痛めていて動かない。両手に持っている宝石は、これから先に必要になる。だから今は使えない。

 セイバーの迎撃は、突破される気がしてならない。 

 だって、綾子の握る薙刀に、(やいば)がないのだから。

 折れたのか、消しとんだのか。綾子は、薙刀の()の部分だけを、その右手で握っている。

 ……どうしよう、()んだ。

 

 ———今ならまだ、間に合うだろうよ———

 

 ……あの時、“王さま”はそう言ったハズだ。

 綾子はセイバーと接敵する。セイバーが剣を八相(はっそう)に構える。

 その時、綾子は薙刀の()を右手一本で持ったまま、その右足を、左足よりも左に、踏み出した。

 力なく()れた右腕から伸びる薙刀の()が、“するっ”と。綾子の動きに影響されて、まるで後を引くように、地面と水平になった。

 その()を、綾子は両手で握る。()石突(いしづき)のあたりを持つ右手と、真ん中あたりを持つ左。

 セイバーの間合(まあ)いに入る瞬間、綾子はすーっと、時計回りに回転を始めた。両手で持って前に突き出された薙刀の()が、綾子を中心に大きな円を(えが)く。

 廻る綾子に、セイバーは剣を振り抜いて————吹き飛んだ。

 大空洞の入り口付近(ふきん)まで一気に飛ばされたセイバーを尻目(しりめ)に、凛を目指して走ってくる、綾子。

 上体(じょうたい)を斜め前に倒し、両手は後ろの空間を押し出すようにお尻のあたりに、歩幅を小さくとることで(からだ)上下動(じょうげどう)することを抑え、かわりに脚の回転を早めることでスピードを出す。右手だけで、逆手に握った薙刀の()を尻尾のようにたなびかせて、綾子はこっちに、一直線に向かっていている。

 

 ———後は、その目で見るが()い———

 

「あっ、ああっ———!!」

 

 そうだ。今、やっと気づいた。

 あの“王さま”が、私に言おうとしていた事と、

 こだわる場所を間違えていた、という事に。

 

 例えば、遠坂家に与えられた(おお)師父(しふ)からの宿題。

(おお)師父(しふ)の魔術礼装、“宝石剣ゼルレッチ”を作成せよ』というモノがある。代々遠坂の家にて()がれてきた、“魔法使いになるために()さなければいけない事”。

 

 今にしてやっと、凛は思ったのだ。

 “宝石剣ゼルレッチ”があの形でないといけない理由なんて、何ひとつとして無い、と。

 必要なのは、形ではなくて性能なのだと。

 (よう)は、“宝石剣”としての性能さえあればいい。形は別に、剣でなくても(かま)わないのだ、と。

 士郎の“剣の投影”は、バカみたいなものだから、私はずっと、剣という形に(しば)られていた。だけど本来は、時空を切り裂く事が出来(でき)るなら、並行(へいこう)世界(せかい)から魔力を持ってくる事が出来るなら、姿や形なんてのは放棄してもいいものなのだ、と。

 もっと言うなら、『形なんて無くてもいい』と今、気づいた。

 

 この状況では士郎に(たよ)ることも出来ない。宝石を集めて工作する時間もない。面白(おもしろ)いくらいに“()()()くし”だ。

 ———と、考えた時、私は初めて、士郎の気持ちが(わか)った気がした。投影をしようとする時の、士郎の気持ちが。

 その、士郎の気持ちをなぞるように、あの呪文を口に出す。

 

「——————投影(トレース)開始(オン)

 

 それは、士郎専用の呪文。私が(とな)えても、本来は意味をなさないもの。

 ———でも、

 これしか思いつかなかったのだ。自分の内側に(もぐ)るために、これから(おこな)う魔術のために。そのために、私に唯一(ゆいいつ)欠けていたもの、私に足りなかったもの。それは———

 

「遠坂の魔術を()てること」

 

 今まで、私の全てをかけて学んできたものを、綺麗サッパリ()てること。

 (かた)に縛られてはいけないのだ。確かに始まりには、(かた)というものが必要だ。どういう風に考えて、どういう風に理解して、どういう風に体を使い、どういう風に実践(じっせん)するか。

 “遠坂家の魔術”を引き継ぐためにも、そういったものは必要だった。

 でも、今から私がやろうとしているのは、違う。基礎とか応用とか、そういったものではない。奥儀(おうぎ)ですら、生温(なまぬる)い。

 そして、私の中には、今までに学んできた“全部”がある。

 

 だったら後は、ただ全てを忘れるだけ。覚えたものを全部忘れて、“()()()くし”の自分に()ける。

 

 ———大丈夫。手本(てほん)は、嫌というほど見てきた(はず)だ。(まぶた)()じれば(よみがえ)る。ずっと見続けてきた者だ。

 私は、“それ”を知っている。

 

「——————投影(トレース)開始(オン)

 

 まだ、足りない。私にはまだ深さがない。

 

「—————投影(トレース)開始(オン)

 

 何も考えるな、凛。思考をとめ、心をとめろ。

 

「————投影(トレース)開始(オン)

 

 たった一つに集中すれば、ほかの全ては抜けてなくなる。

 

「———投影(トレース)開始(オン)

 

 心を(ゆだ)ねるたった一つは、ずっと前から決めている。

 

「——投影、開始」

 

 いまも私の中にある、この、暖かいもの。

 

 ——————投影(トレース)開始(オン)——————

 

 結局、私はとことん、宝石とは(えん)()いようだった。

 

投影(トレース)開始(おん)ッ!!」

 

 綾子が目の前に迫ってきて、凛は右手を、右上まで振り切った。

 指をそろえて手刀(しゅとう)型取(かたど)り、左下から右上まで、剣で切るように振り切った。

 そうやって凛がなぞった空間から、先。

 

「—————Der(デァ) Säbelhieb(ゼィーべルヒープ)

 

 扇状(おうぎじょう)に放たれる閃光(せんこう)が、大空洞を(まぼゆ)いばかりに染め上げた。

 なのに、閃光(せんこう)の中から、綾子の手が伸びてきたのだ。綾子の手は、振り切った凛の手首を掴み、ひっくり返した。

 それだけで、凛の体は浮き上がったのだった。

 

 “ぐるん”と、自分の体が回転したことだけは(わか)った。ただ、それが一回転だったのか、それとも何回転か回ったのか、そのあたりは(わか)らなかった。

 

「リンッ! 大丈夫ですか、リン」

 

 右脇(みぎわき)(かか)えられたかと思うと、セイバーに引き起こされていた。

 (あわ)てて(あた)りを見渡(みわた)すと、凛は(がけ)(くだ)っていて、その根元まで落とされていた。

 

「……遠坂。いくら何でも、この()(およ)んで“魔力砲”は無いんじゃない?」

 

 凛は、声の方、(がけ)の上を(ふり)(あお)ぐ。

 “星の祭壇”の(ふち)(がけ)(きわ)に綾子はあった。

 黒こげになった薙刀の()を放り捨て、琥珀(こはく)()を輝かせながら、遠坂凛を(にら)んでいる。

 

「アンタのそれは、同じ位相(いそう)に像を結んでいるヤツにしか当たらない。

 確かに、使い方によっては()尽蔵(じんぞう)にエーテル砲を撃てるけど、(あたし)は今、アンタとは違う位相(いそう)にいるんだ。アンタと(あたし)は、現在(えにし)が繋がってない。(めぐ)()う運命にはないワケさ。

 出逢(であ)うこともないヤツに、ぶっ放したってしょうがないだろ?」

 

 綾子は、(がけ)の上で目を閉じた。

 

「これで終わりだな、遠坂。

 ———世界を殺して、お前も殺す。それで終わりだ」

 

「リン」というセイバーの声で、やっと両手を思いっきり、(にぎ)()めていたことに気づいた。

 セイバーの介抱(かいほう)(ことわ)って、自分の脚で立ち上がる。(りょう)(てのひら)から(したた)る血を感じながら、綾子を睨んで、凛は()える。

 

「…………巫山戯(ふざけ)てんじゃ、ないわよッ!!」

 

 左手で、滅多(めった)矢鱈(やたら)にガンドを放ち、当たらない綾子に当てようとする。

 ガンドに当たれば呪われる。病気になったり、不幸になったりする呪いだ。『トコトンまで不幸になって、箪笥(たんす)(かど)で小指をぶつけるような不幸に半年ばかり見舞われなさい』とばかりに、ろくな照準(しょうじゅん)も付けずぶっ放し続けた。

 

「何でもかんでも『殺す殺す』してりゃ良いってもんじゃあ、ないでしょうがッ! 

 アンタはッ、ひとりよがりなのよ。

 その目は未来が見えるんでしょうが! 『人と人との繋がりだって見える』って、アンタ自分で言ってたじゃないの! 

 だったら……だったら何で、今まで何もしてこなかったのよ」

 

 当たらないガンドを放り投げ、凛は叫んだのだった。

 そんな凛を、綾子はただ、つまらなさそうに見つめている。

 

「———お前にさ、(あたし)の何が分かるんだよ」

「分からないわよ、分かるわけないじゃない。

 べつに、分かりたいとも思わないけど———」

「だったら。

 だったらそこで、黙って見てろよ」

「はぁ? 

 自分が殺されるのを黙って見るバカが何処(どこ)にいるってのよ」

「…………もういい。聴いた(あたし)がバカだった」

 

 綾子は、空中から何かを取り出すかのように、右手を、左に振るう。右手の振りからほんの(わず)かだけ遅れて、左手を、右手よりも遠くで、右に振るった。

 一瞬だけ、綾子の体が“ふわっ”と浮き、沈む。

 ———そして“(まい)”が始まった。

 

 左回りで“くるくる”と回っていたと思うと、いつの間にか右回りになっている。そんな綾子の右回転に引きずられるように、背後から光が立ち上がる。金銀白の三色の光は、互いに(から)まりながら綾子に渦巻き、銀河系の渦のように、綾子に(なら)って右回転にまとまっていく。

 

「セイバー、お願い」

 

 凛の一声を合図に、下段に構えていた聖剣を、ゆっくりと上段まで振り上げていく。

 

「—————束ねるは星の息吹(いぶき)、輝ける命の奔流(ほんりゅう)

 

 (がけ)の上で綾子は舞い、(がけ)の下でセイバーは(うた)う。

 上段に(かか)げた聖剣の、その剣身(けんしん)に光が(とも)る。

 それは絶望を裂き、希望を(とも)す“灯火(ともしび)の剣”。かつて『百の松明(たいまつ)を束ねたよりも(なお)、明るく輝いた』とされるこの剣が、今、(にま)()によって解放された。

 周囲の地面から光の粒が舞い上がり、踊る。

 その中心で(てん)()灯火(ともしび)の剣は、輝きを一気に増し、剣身(けんしん)から金の光を立ち昇らせる。

 

「—————約束された(エクス)——」

 

 セイバーは、(おの)が聖剣を振り下ろす。

 

「————勝利の剣(カリバー)ーーーッ!!」

 

 “ドンッ”という衝撃と共に駆け抜ける聖剣の輝きは、綾子へと一直線に突き進む。

 ———対して、綾子は神楽(かぐら)を舞っていた。

 右手で渦を描くようにゆったりと上に取り、ふわりふわりと右回転に回っている。それは、自分を中心に円運動をするのではなくて、見えない柱を(まわ)りを(めぐ)るような、そんな右回転だった。

 

 そこに、光の斬撃が撃ち込まれる。

 (がけ)の下からビームのように飛来した金の光は綾子を呑み込む。やがてそれは奔流(ほんりゅう)となって、上空へと噴き上がった。

 ———“すーっ”と、綾子が左回転に切り換える。

 約束された勝利の剣(エクスカリバー)奔流(ほんりゅう)が、不自然に揺らいだ。一度ブレた後、奔流(ほんりゅう)は左回転に巻き込まれてしまった。

 星の祭壇からの三色の魔力と同化して綾子の周りを(めぐ)(まわ)る、聖剣の奔流(ほんりゅう)

 

 両手の手刀(しゅとう)を切り払い、舞い終えた綾子が止まる。

 凛とセイバーとを見下ろしていた。

 

「言ったろ? 終わりだって。

 この()が明けると魔力も馴染(なじ)む、そうすればゲームオーバーだ。世界は変革(へんかく)し、(あたし)はその未来を生きる」

 

 見下(みくだ)してくる綾子に、凛は思わず唇を噛んだ。

 さっきのが、最後のチャンスだったのに……。

 そうとも、凛にはもう手立(てだ)てが無かった。“エーテル砲”が効果を見込めない時点で、凛自身にやりようは無い。何故だか綾子の術を抜けられるセイバーの聖剣も、凛を(まも)ってくれそうになかった。星の祭壇の(ふち)で十何秒か、凛が詠唱する時間を稼ぐことができないのだ。セイバーなら綾子とも打ち合える。でも、凛を護りながらとなると、難易度は一気に跳ね上がるから。

 

 そう、だから凛には手立(てだ)てが無かった。

 

「———悪い、遅くなっちまった」

 

 ……()()()手立(てだ)てが無かったのだ。

 

 

「状況は……、あまり良くないみたいだな。遠坂」






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———最終話、〜また、恋をしよう〜


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《最終話、〜また、恋をしよう〜》

 

 

「———悪い、遅くなっちまった」

 

 アルトリアは、振り向いた。

 地面はところどころ金色に光り、黄金の粒子を立ち昇らせている。その、さらに向こう。

 

「状況は、あまり良くないみたいだな。遠坂」

 

 大空洞の入り口に、袴姿(はかますがた)で、衛宮士郎が立っていた。

 

「「士郎(シロウ)ッ!!」」

 

 とっさに口をついて出た声が、隣にいる凛と重る。アルトリアは士郎へと一歩を踏み出しかけて、やっとのことで踏み止まった。

 

「———やっと、だな。

 待ってたぜ、いつか来るんじゃないかってさ」

 

 大空洞にある崖の上から、綾子が士郎に問いかける。

 

「それで? 何しに来たんだよ、衛宮」

「お前を止めに来たんだ、美綴。

 ———あの日、お前を止めに(おもむ)いて、そして、俺の記憶は持っていかれた」

「そう———記憶の内容は?」

「思い出せないんだ。お前に会いに行こうとしたところまでは、そこまでは覚えているんだが……」

「そう……」

 

 綾子は崖の上で構えをとる。

 右腕はかるく持ち上げて、左手を前に差し出す。(ひだり)半身(はんしん)を前にして、(りょう)(てのひら)は上を向き、その体は“ふわり”と、一度上がってまた沈む。

 

「なら来いよ。

 (あたし)は“衛宮の師匠”だしな、ちゃんと、やる事はやっておかないと」

 

 士郎は歩いて、アルトリアの左側、アルトリアと凛との(あいだ)に立った。

 士郎を挟んで反対側にいる凛は、隣に来た士郎に噛みついた。胸ぐらを(つか)み上げようとして、上半身が裸であることに気づき、士郎の胸をドツクように詰めよった。

 

「ちょっと士郎っ! 桜はどうしたのよ、アーチャーは!?」

 

 そんな凛に、士郎は(てのひら)を向けて落ち着けながら、事情を説明しているのだった。

 

「桜は無事……だと思う。ヒトではなくなってしまったけど、五体満足で生きて———」

「ハッ!? 『ヒトではなくなった』って何よ! 大丈夫なんでしょうねっ、士郎!」

「大丈夫だよ、遠坂。

 桜は()()()()()()()()()。何ひとつ不自由は無いし、何より寿命が()びたんだ。

 ひとまずは、安心していいと思う」

「それなら……アーチャーは? 令呪の反応が消えたのよ、こんなこ———」

 

 その時には(すで)に、士郎の姿が、凛の前から()()えていた。

 アルトリアは目線だけを右へ、士郎を追う。

 “シャキン”という金属音を後ろで聞いて、凛が振り向いた先、士郎は刀を抜き放ち、下から上までを、()り上げた後の体勢だった。

 士郎は刀を振り上げた体勢で、右の手首をクルッと返す。それだけで、刀は士郎の左側で大きな円を描くように後ろから(まわ)る。士郎は、刀を振りかぶった体勢になった。

 

 それを見てから、綾子はもう一度手刀(しゅとう)を振るった。右手で、左上から右下に。

 士郎が刀を振り下ろすと、“シャキン”という音が鳴る。

 それっきり、何の変化も無かった。

 

 アルトリアが、そんな士郎の視線を追って崖の上を(ちゅう)()すると、綾子は少し、嬉しそうに笑っていた。

 

「なんだ、思い出してんじゃん。無茶な死体を積み上げなくても、“リミゼロ”を、使えるようになったんだよな。

 ———いいぜ、衛宮。いつの間にか、居合をトリガーにしないと発動できなくなってたけど、それはお前の力なんだ。

 昔みたいに、普通に使っていいモノだからさ……」

 

 自然(しぜん)()ちして、刀を(さや)に戻す士郎。それから凛に向きなおり、事の顛末(てんまつ)を、語った。

 

「俺たちはスカサハの宝具に(とら)われたんだ。

 “死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)”。

 そこでは、魔力を急激に吸い取られる事がわかった時、アーチャーはルールブレイカーを投影して、自分自身に突き刺した。

 多分、自分から契約を切れば、遠坂の魔力だけは温存(おんぞん)できると考えたんだろう。門の中で、保有する全ての魔力が無くなって、アイツは消えた」

 

 士郎は一瞬、凛から目を()らしかけて、やっぱりもう一度目を合わせた。

 

「桜は、ヒトではなくなった。

 “神様”に、なったんだと思う」

「えっ?」

 

 凛は目を見開いて、声を()らす。

「んんっ」と咳払いして、「それで?」と士郎に(うなが)した。

 

「———“(マガ)(カミ)”って、知ってるか? 遠坂」

 

 士郎は少し、目を()せた。

 

「桜は、この世全ての悪(アンリ・マユ)を呑み込んだ。拡散する前のこの世全ての悪(アンリ・マユ)の呪いを、全部背負ったんだ」

「ちょっと、どうしてよ。

 ———だいたい、何で桜が。受け止めきれるワケないじゃない。“この世全ての悪”なのよ? あんなモノ、人の精神が耐えきれるワケが———」

「そう、遠坂は正しい。

 普通なら、受けきれる訳がないんだよな。でもさ、桜は“神に()()られる者”みたいだったから……」

 

 士郎が話を終わらせようとする気配を感じたのか、凛はすでに動いてあた。

 一歩士郎に詰め寄って、魔力を(あら)()て、言い逃れできないくらいの気迫を込めて、声に出す。

 

「……何よ。その訳の分からない呼び名は」

 

 士郎は一度だけ、深呼吸をした。目を閉じて、それから再び瞳を見せれば、それはもう、いつもの士郎の顔だった。

 

「“神に()()()()()者”。御伽(おとぎ)(ばなし)の主人公とも、呼べるかもしれない……。

 “浦島(うらしま)太郎(たろう)”とか“花咲爺(はなさかじい)さん”とか、そういうヤツだ」

 前に、美綴がそう呼んでいた事があったと、士郎は続けた。

 

「“浦島太郎”という御伽(おとぎ)(ばなし)があるだろ? でもアレは御伽(おとぎ)(ばなし)だからさ、亀に暴力を振るってる人達が、悪者になるんだよな」

 

 士郎は、笑った。

 それを見たアルトリアは、士郎が、少し悲しそうに見えたのだ。

 

「普通に考えてみればさ、異質なのは亀の方なんだよな。

 自分たちが漁をしに浜辺(はまべ)に行ったら、大きな亀が打ち上げられていた。そして、その亀は(しゃべ)るんだ。

 ———異常だよな、そんなの。

 最初に『御伽(おとぎ)(ばなし)だ』と言われてから話を聞くから、俺たちはそのファンタジーを受け入れちまうけどさ……。当時の状況を考えれば、あり得ないほどに不気味なモノだ」

 

 士郎は一息ついた。そして———

 

御伽(おとぎ)(ばなし)の主人公は、そんな異常を受け入れる。

 日本の御伽(おとぎ)(ばなし)の、主人公であるかどうかを決めるのは、『景色の反転した“異常”の中へ、易々(やすやす)と踏み込んでいけるかどうか』。そこが、分かれ目になる。

 そしてそれは、“自らも異質な存在になること”と、同義(どうぎ)でもあるわけだ」

「桜が……、桜がそうだって言うつもり?」

 

 凛の声は、震えている。

 士郎は、目を伏せた。

 

「すまない遠坂。悪いのは、多分俺だ」

 

 アルトリアからは、士郎の両手が力いっぱい(にぎ)(しめ)められているのが見える。

 それでも、士郎の声は普通だった。

 

「少し前、桜の数学の成績が急に上がった事があったろ? あの時俺は、絶対に押してはいけない筈の、桜の背中を押してしまった」

 

 ———桜は、“神に愛せられる者”なんだ。と士郎は言った。

 もっとも、これは美綴の受け売りだけどな。とも。

 

 士郎は崖の上を見上げて、美綴綾子の姿を見る。いくらかの()があって、士郎の方から視線を切って、凛と、それからアルトリアとを見た。

 

「日本の御伽(おとぎ)(ばなし)には、“神に愛せられる者”が登場することが多い。

 “浦島太郎”では浦島太郎が、“桃太郎”や“カチカチ山”、“花咲爺(はなさかじい)さん”なら、お爺さんとお婆さんがコレに当たるわけだけど」

 

 御伽(おとぎ)(ばなし)を少し思い返してみてほしい。種々様々なお話と、色々なバリエーションがあるように見えるが、そのほとんどは“異常な存在を受け入れる者達”の物語であることが多い。

 浦島太郎が生きていた時代、普通の人間ならば、(しゃべ)る巨大な亀を実際に見た時どうするだろうか。

『そんな不気味なモノなど一刻も早く自分の世界から消し去りたい』と考えるのが“普通”ではないだろうか?

 

 ではもし、「竜宮城に招待します」と言われた時……呼吸出来る保証もなく、無事にたどり着ける保証もなく、何より相手が信頼できる保証もないのに、一切疑うことなく平然と、亀の背中に乗れるだろうか? 

 ……何も亀だけの話ではない。

 御伽(おとぎ)(ばなし)の多くは、“不気味で人ならざる何物(ナニモノ)か”が突然にやって来るものである。

 皆が寝静まった頃、()を叩く音で起こされたと思ったら、見ず知らずの、顔も見えない人物から求婚されたり。

 話しかけられたと思ったら相手は犬で、その犬が「付いて来い」と、森の中に誘い込まれたりするのである。

 だが—————

 御伽(おとぎ)(ばなし)の主人公達は、何の情報も無いままに、コレを平然と受け入れるのだ。

 そして、間桐桜もまた……

 

「それはさ、見方を変えれば、神霊への第一歩と同じ事なんだよ。

 浦島太郎は竜宮城に行ったけどさ。その時亀をいじめていた少年たちは、あの後どうなったんだろうな。

 ———きっと、村で幸せに暮らした(はず)だ」

 そうは思わないか? と、凛とアルトリアとを見る士郎。

 

「あの村で浦島太郎はと言えば、“行方不明になった少年”でしかない。それも、自分たちが死ぬまでずっと、竜宮城で、(とし)を取らずに生きていた少年だ。

 ———そんなのはもう神様だろう?」

 

 士郎はただ、力なく笑う。

 肩の力が抜け、少し猫背になっていた。

 

「だって、神と同じ物を見て、神と同じものを感じ、神と同じように考えるんだ。

 そんなの、誰がどう見たって、神様にしか見えないじゃないか」

 

 そういう意味で言えば、浦島太郎は最後の最後で、人間に戻れたのかもしれない。とだけ、士郎は最後に付け加えた。

 

 浦島太郎は、帰りたいの願ったのだ。人間たちのいる、あの村に。

 それはきっと、人間に戻れる最後のチャンスで……。“浦島太郎”とはきっと、人間に戻る物語だった。と、士郎は(うつむ)いて、それだけをひねり出していた。

 

「桜はこの世全ての悪(アンリ・マユ)の一件で、その先へ踏み込んでしまったんだ。

 きっともう、桜は元には戻れない」

「———なら」

 

 士郎の語りに、上から声が割り込んできた。

 

「なら、桜の方は上手くいったって事でしょ。良かったじゃない。これで、少なくとも桜は、この世全ての悪(アンリ・マユ)を受け入れたんだ。それはさく———」

「フッ———ザケてんじゃないわよッ!! 綾子、降りてきなさいっ! アンタなんか、地獄にも天国にも居場所がないままに、その辺りを延々(えんっえん)彷徨(さまよ)わせてやるんだからっ!!」

 

 気炎(きえん)を上げる凛。

 それを一歩下がって眺めていたアルトリアは、ふと、綾子を見上げるのだった。

 

「まさか、これを狙っていたのですか? サクラがこうなることを分かった上で、貴女(あなた)は計画を組み立てた、と?」

「いいや」

 

 綾子は崖の上、構えもろくに取らないままで、首を振った。

 

(あたし)は別に、どっちでも良かったんだ、セイバー。

 この世全ての悪(アンリ・マユ)を抑えきれずに世界が滅んでも、この世全ての悪(アンリ・マユ)を受け入れて桜がヒトから外れても。別に、どっちでも良かった」

 

 綾子はほんの少しだけ、その口元を(ほころ)ばせた。

 

(あたし)としては、世界が滅んでくれた方が、都合が良かったのは事実だけどさ」

 

 瞬間、凛が尻餅(しりもち)をついて倒れた。

 凛の右手を士郎がしっかりと握ってて、凛は士郎に、抗議の視線を飛ばしている。

 

「離しなさい、士郎」

「ダメだ」

「離しなさいって言ってるのよ」

「ダメだ遠坂。今行っても、やられるだけだ」

「でもっ———」

「大丈夫だ遠坂。ちゃんと、切り札を(そろ)えて来たんだから」

 

 アルトリアからでは士郎の顔は見えなかったが、それでも、士郎の表情を想像することは、さほど難しいことではなかった。

 士郎はやっとのことで凛を(なだ)め、立ち上がる。そしてその目は、綾子の姿を(とら)えていた。

 士郎と視線が交差する、綾子。

 綾子は一歩だけ前に出て、(がけ)(ほとり)に立って、士郎を、見遣(みや)った。

 

「衛宮、ひとつだけ、言っておきたいことがあるんだけど……」

(かま)わないぞ。俺で良ければ(いく)らでも」

「じゃあ、言うげどさ———」

 

 綾子は一度言葉を切って、ためる。深呼吸をひとつ入れて、それからやっと口を開いた。

 

「士郎。(あたし)は士郎が好きだ」

「……。そうか」

 

 士郎は黙って、目を(つぶ)って、その言葉を反芻(はんすう)した。

 士郎が目を(ひら)いた時、その目を(じか)に見た綾子の方が、今度は目を閉じた。

 

「悪い、美綴。

 ———俺は、セイバーが好きだ」

「……うん。知ってた」

 

 綾子は目を閉じたまま、上を向き、呼吸を整えて、目を(ひら)く。

 

「それなら(あたし)は、この全部を殺してみせる」

 

 アルトリアは凛と士郎よりも前に出て、二人を背に、綾子の前に立ちはだかった。

 上を見上げる。

 アルトリアの視界には、綾子が映った。

 

 こうして綾子と相対(あいたい)して、綾子の想いを(じか)に聞いて。そしてアルトリアは、メーティスとのことを思い出していた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———もしも、ですけれど……。もしも、アルトリアが士郎に———

 

「士郎に、“感謝の念”を(いだ)いているなら、大切にしなければいけませんよ」

 

 アルトリアの対面に正座するメーティスは、急に真顔になったのだった。

 アルトリアは二度(まばた)きをして、メーティスへと返答した。

 

「ええ、勿論です。

 私はシロウに感謝している。その想いも、シロウ本人も———私は(けっ)して」

 

 思わず、アルトリアは姿勢を正した。

 視線を広げ、周囲を認識する。士郎の部屋の中央に置かれたちゃぶ台と、アルトリアの対面に座るメーティス。

 そのメーティスの目がアルトリアに告げていた。『話は、これで終わりではありませんよ』と。

 だから今度は、アルトリアから口を(ひら)いた。

 

「ですがそれは……今までの話と、どういった関係があるのです?」

「今までの話とは、それほど……。ですがこれからの話とは、とても、です」

 

 メーティスは少し、照れくさそうに(ほほ)()いた。

 

「変な言い回しになってしまいましたね。

 ですが、もしも貴女(あなた)が、最善の未来を手繰(たぐ)()せたいと願うなら———あるいは、士郎を認めたいと思うなら、必ずや、避けては通れぬ道ですよ」

 

 それから、メーティスはもう一度だけ、真面目な顔を作って言った。

 

(わたくし)から貴女(あなた)へ、どうしても伝えたい事が一つだけ。

『“愛する”という感情の源泉(げんせん)は、“感謝の心”だということ』ただ、それだけです」

 

 アルトリアが、メーティスの言葉を咀嚼(そしゃく)しようと頑張っていると、メーティスはさらに(たた)()けてきた。

 

「アルトリア。“(あい)”と“(こい)”との区別だけは、つけておきなさいな。

 それはきっと、貴女(あなた)に必要なことですから」

 

 メーティスはここにきて、悪戯っ子のようにニヤリと笑った。

 

此処(ここ)が、この聖杯戦争の地が日本で良かったです。英語で(かた)るとなると、微妙なニュアンスが難しいですからね」

 

 “恋”という単語は、“こひ”という大和(やまと)言葉(ことば)に、漢字の“(レン)”という字を当てたものだと、メーティスは言った。この“こひ”を、意味を(そろ)えて漢字にすると“()ひ”となるということも。

 

「“()ひ”とは、()(ねが)う事。欲しいという感情です。

 ———対して、“愛”は“()い”。“(かな)しい”というという意味を持つ言葉に、漢字を当てたもの」

 

 では、この国において、“(かな)しい”と“(かな)しい”とでは、何が違うと思いますか? 

 と、メーティスは目を細めている。

 

「“(かな)しい”は広く一般的に使えるものです。ですが“(あい)”は違う。『何も出来なかったことに対する悲しみ』それを日本人は“(あい)”の字を使って表現するのですよ」

 

 ———“哀悼(あいとう)()”とは、生前にたくさんお世話になったにも(かか)わらず、自分は何一つとして恩返しが出来ていないという、不甲斐(ふがい)なさを含んだ悲しみの気持ちのこと。

 

「“()い”という感情は、“(かな)しい”と読むにもかかわらず、その本質は感謝なのです。

 いいですか、アルトリア。始めに、感謝があるのです」

 

 母親とはそういうものです。と、メーティスは自分の胸に右手を当てる。

 

「自らが心の底から欲していた、“我が子”という存在を与えてくれた。だけれど、(わたくし)(いま)だ、この子に何も返せていない。

 ———母が子に向ける感情を“(あい)”と呼ぶのは、つまりそういう事なのですよ、アルトリア」

 

 ———私に、こんなにも素晴らしいもの与えてくれて“ありがとう”。でも、“ごめんなさい”。私は、あなたに何も返せていない。だから———

 

「———そういえば、士郎も日本人ですね」

 

 メーティスがいきなり脱線(だっせん)した。

 

「世界でも、日本人だけだそうですよ。“ありがとう”と“ごめんなさい”を、同じ言葉で話すのは」

 

 アルトリアの目をみて、それから一つ(うなず)いて。

 

「ですから、そう———“すみません”こそが、愛の種かもしれませんね。アルトリア」

 

 

 

 

「いいですね? 士郎」

「ああ、存分にやってくれ」

 

 その夜、三人して士郎の部屋に立てこもり、メーティスの()り行う儀式が始まった。

 暗がりの中、士郎があぐらをかいて座る。その正面にメーティスが座る。士郎が目をつぶり、メーティスは士郎の胸を指さした。

 

「———では」

 

 メーティスの指がゆっくりと士郎に迫っていく。指先が士郎の胸に触れる。そのまま、胸の中にめり込んだ。

 

「——————んっ———っ」

 

 士郎がもらす声が、隣で座るアルトリアにも聞こえてきた。

 アルトリアは右手に力を込めた。すると、ずっと握っていた士郎の左手が、ピクッとゆれた。

 人差し指の第二関節までめり込んだ指を、メーティスは引き抜いていく。指先が士郎の胸から離れたとき、本来なら血が出るところが、代わりに金色が噴き出した。

 噴き出した光は粒子となって部屋の中に充満し、ゆっくりと回転しながら収束し、士郎とメーティスとの中間に、ひとつの物体を形作った。

 

 静かに浮いている。

 

「聖剣の……(さや)……」

 

 刀身を覆う方はせまく、鍔元にいくに従って広くなっている造形の、蒼色(あおいろ)と金色とを基調とした鞘。

 アルトリアの手が触れると、その鞘は実体となって、彼女の手の中に収まった。

 そこまでの、一連の動作を見届けて、メーティスは言う。

 

「ではお二人に、切り札を授けましょう。

 ———ただその前に、一つだけ、知っておいて欲しい事があるのです」

 

 メーティスは一度、アルトリアがその右手に持つ、聖剣の(さや)に目をやって。それから、士郎の胸のあたりを見た。

 

 ———士郎の持つ心象風景は、アーチャーのものと同じだという事を———

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「シロウ!」という言葉と共に、アルトリアが何かを投げた。それは真っ直ぐにアルトリアの後ろへと走り、士郎の、()(うち)に収まった。

 

「———アヴァロンか?」

 

 それは、綾子の言葉。

 予想外だったのか、(ほか)に何かあったのか。綾子は疑問の言葉と共に、もう一歩、前に出た。

 

「させ———」

 

 崖から飛び降りようとする綾子。彼女の瞳は(えにし)を見る。だからきっと、綾子には見えていたのだろう。

 (さや)を持った士郎が何をするつもりかと、自分では止められないことと、それから———

 

「——————身体(からだ)(つるぎ)で出来ている」

 

 世界は、神秘に包まれた。

 

「固有結界、起動。

 その願いは()だ、無限の(つるぎ)の中にある」

 

 士郎の詠唱をトリガーに、アルトリアは、士郎の持つ(さや)の結合を解除する。()かれた(さや)はその存在を(ちゅう)へと(およ)がし、光に変わる。

 “光塵(こうじん)”、と呼ばれるべきものだ。

 舞い上がる光の粒は使用者を(おお)い、その存在を妖精郷(アヴァロン)へと隔離(かくり)する。しかし、この場合はどちらなのだろうか。使用者が妖精郷(アヴァロン)に行ったのか、それとも妖精郷(アヴァロン)の方が、使用者を(おお)う形で顕現(けんげん)したのか。

 

 それはきっと、どちらも正しい筈だ。ただ、“誰の立場でものを見たのか”ということろが違うだけ。

 ———相対性(そうたいせい)

 どの立場に立つかによって、同じ事象でも、その原理としての法則が違ってくる。ひとつの出来事に二つの見方、『どちらが正しいか』ではなく、『どちらも正しい』のだ。矛盾する二つのものをどちら(とも)が正しいと認め、その上で現実を(とら)(なお)した場合にのみ、その矛盾は消滅する。

 

 では、全て遠き理想郷(アヴァロン)の適合者とは誰か。当然、()の宝具はアルトリアにしか扱えない。

 だが考えてみて欲しい、(ほか)に誰かいなかったろうか。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)“が”適合したのではなく全て遠き理想郷(アヴァロン)“に”適合した存在が。幼い頃に埋め込まれた(さや)に、己の起源を塗り潰された男が、此処(ここ)にいなかったろうか。

 起源を塗り潰されたが(ゆえ)に、彼の魔術は“剣”に特化したものとなった。彼に許された唯一の魔術は、その心象風景を具現化する大禁呪、固有結界。

 

 では何故、士郎の心象は“剣の丘”なのか。

 未来の彼は、それを『俺が行き着いた世界』と言ったが、彼は本当に何処(どこ)かの丘に剣の墓標を建てたのだろうか。もしそれが本当であるならば、未来の彼だけでなく現在の士郎ですら、同じ丘の心象を(いだ)くのは何故だろうか。そして何故、あの丘には大量の剣が突き立っているのだろうか。

 

 ———未来の彼が本当に、その場所に行き着いたと言うのであれば、それはどれ程の幸せでありましょうか———

 

 その(さや)は、持ち主(アルトリア)から引き離され、収めるべき剣も無く。剣を求めて彷徨(さまよ)うも、いつまで()っても出会えなかった。

 そして(つい)に少年の、中に落ち着いたその(さや)は……。

 

 かくして、剣を求めた(さや)によって、少年は、目視した剣を貯蔵する能力(ちから)を得た。

 

 ———いつか、聖剣の不在を()めるに()る、剣と出会えるその日のために———

 

 ならば———

 

「——————抜剣(ばっけん)、完了」

 

 アルトリアは崖の下で陣取りながら、遠隔操作で、(おのれ)の宝具を起動した。

 

「固定化解除、夢幻始動。

 ———我が理想をもって今ここに、太古(たいこ)アヴァロンを顕現(けんげん)す」

 

 ならば、衛宮士郎の固有結界の真の姿は“剣の丘”などではなく。

 その真の能力は、剣を複製する事ではなく。

 その名は決して、“無限の剣製”ではあり得ない。

 

「————真名解放(しんめいかいほう)———」

 

 左手を高らかに(かか)げ、アルトリアは、その名を呼んだ。

 

「——————全て遠き理想郷(アヴァロン)ッ!!」

 

 変化は、一瞬だった。

 

 ———其処(そこ)は、黄金の下草(したくさ)()(そろ)う、一面の草原だった。

 さっきまでの気温が嘘のように暖かく、明るく。(まわ)りの花々は咲き誇り、眼下に遠く、木々には真っ赤な林檎(りんご)()っている。

 

「———セイバー」

 

 黄金の草原に立つ、アルトリアの後ろから、士郎の声がした。

 振り返ってみると、近いような、あるいは遠くぼやけているような、士郎の姿と声がした。

 

「セイバー、俺はセイバーのマスターには相応(ふさわ)しくないみたいだ」

 

『そんな事はない』と言おうとして、声は出なかった。だから、アルトリアは首を振った。

 それでも士郎はお構いなしで、困ったように少し笑って、また、口を(ひら)く。

 

「俺は、マスターらしい事なんて、何ひとつ出来なかった不甲斐(ふがい)ないマスターだげどさ。今回ばかりは、少しだけ———」

 

 士郎は、腰に()してあった(さや)を引き出し、居合の準備を(おこな)った。

 

「セイバーの行手(ゆくて)(はば)むものは、俺が全部()()せる。セイバーの剣を、今度こそ確実に届かせてやれる」

 

 言うだけ言って、士郎はずっと半透明のまま、アルトリアを追い越して、黄金の草原の、もっと先まで走って行った。

 アルトリアは目を(つぶ)って、深呼吸を一つだけ。

「よし」と(つぶや)くその顔は、(ほころ)んでいた。

 

 直後、世界が(ほど)け、全てが金の粒子に変わる。乱舞(らんぶ)する光の先、崖から飛び降りてきた綾子に向かって、士郎が走っていくのが見えた。

 綾子は両脚を揃え、曲げて。上体(じょうたい)を少し斜めにしてバランスをとる。体幹を維持したままで、高速で落下している。

 突っ込んでくる士郎に対して、綾子は右の手刀(しゅとう)を振るった。左上から袈裟(けさ)に一閃、銀色の魔力が、斬撃となって駆け抜ける。

 

 士郎は左手で(さや)を引き出し、右手でその(つか)を握る。

 

「行け———遠坂っ!!」

 

 アルトリアの左隣を追い越して、凛が崖を登っていく。“強化”をかけた両脚で、急な傾斜を駆け上がる。

 

 それと同時、アルトリアには士郎が一瞬、ふわりと浮かび上がったように、見えたのだった。

 

御稜威(みいづ)(りゅう)奥儀(おうぎ)の始まり」

 

 綾子の斬撃が放たれた時、士郎はそこにはいなかった。

 まるで、位相がズレたようだと、アルトリアは思った。

 多分、体捌(たいさば)きで(かわ)した(はず)だ。でもアルトリアには、綾子の斬撃がすり抜けたようにしか見えない。

 士郎は真っ直ぐ突っ込んだだけで、斬撃の方が(かわ)したように。

 

「—————歩法(ほほう)水端(すいたん)、“居合染め”」

 

 士郎の体が、一瞬ブレた。

 銀色の斬撃が士郎の後ろに着弾した後で、綾子は地面に降り立った。両脚をそろえて()き、しゃがみ、纏う白衣(はくい)緋袴(ひはかま)とが浮き、広がっている。少し遅れて、綾子の(はかま)が落ち着いた時には、綾子の体は、(すで)(じゅつ)の発動を完了していた。

 星の祭壇から溢れて出る神秘を引き連れて、綾子は()を光らせて、魔法の一端(いったん)を行使する。

 綾子の体に、琥珀(こはく)の魔力が渦巻いた。

 

「——————()ひ死なむ、(のち)(なん)せむ()が命」

 

 左手を地面に、右手を士郎へ向ける。綾子は(えにし)(たば)ね、調整し、自分と龍脈と士郎とを、一つの運命で(くく)りつける。

 次の一撃を、確実に士郎にぶつける(ため)に。

 

「——————()ける()にこそ、()まく()りすれ」

 

 アルトリアは、一瞬の攻防を妖精郷(アヴァロン)の中から眺めていた。一瞬の攻防のはずなのに、アルトリアにはその詳細が全て見えた。

 まるで、アルトリアの時間だけが伸びているような、そんな感覚だった。

 大空洞の中に広がる、聖剣による魔力の(あと)。金色に光る地面は、そこから金の粒子を(のぼ)らせていて、アルトリアにはその場所もはっきりと(わか)った。

 

降臨(こうりん)せよ。

 ———理想(りそう)(きょう)を、今ここに」

 

 アルトリアの呟きに呼応(こおう)して、大空洞の、金の地面が輝きを()す。立ち上がる金色の粒は、大空洞の全てを(おお)い、その一帯(いったい)を、全て妖精郷(アヴァロン)置換(ちかん)した。

 大空洞の中は、その全てが妖精郷(アヴァロン)になったのだ。当然、その中に隔離された美綴綾子は、冬木の龍脈と繋がれなくなってしまう。

 だがそれでも、綾子の()には(えにし)が見える。綾子の能力は運命の調律。

 綾子なら、妖精郷(アヴァロン)の中に()ってすら、それを手繰(たぐ)ることができる。

 運命の調律者が、一度繋がった運命を、取り(こぼ)すことなどないのだから。

 

御稜威(みいづ)(りゅう)奥儀(おうぎ)中今(なかいま)

 

 ———そう、だから。

 だからこそ、全て遠き理想郷(アヴァロン)の展開と同時に放たれた士郎の居合を、止めることなど出来なかった。

 

「——————八方(はちほう)(はら)う、“(はら)太刀(だち)”」

 

 士郎は一切(いっさい)(さや)から刀を、引き抜こうとはしていない。アルトリアが見るかぎり、士郎は自分の両腕に、一切(いっさい)の力を入れていなかった。

 なのに、綾子の斬撃を(かわ)した時には、(さや)から刀身が露出していた。

 (ひと)りでに(さや)から抜け出でた刀を、士郎は、下から上に、一直線に切り上げる。

 

 その斬線は、士郎と綾子の(あいだ)に走る。

 その斬撃は、二人の(あいだ)を切り裂いた。

 

 士郎の日本刀、その刀身(とうしん)が通り過ぎた空間で、魔力が(いかずち)のようにスパークした。いや、それは魔力というよりも……

 

(あたし)(えにし)が……」

 

 綾子は握り締めた右手の中で、運命がほつれていくのを感じていた。

 それは、綾子が右手に握ったモノは、“士郎と綾子との(えにし)”だ。それを切ったということは、二人は現在、(えにし)による繋がりがないということで、二人はお互いに、攻撃が当たらないということだ。

 ———(えにし)が繋がっていないということは、“(めぐり)()う運命にない”ということ。

 出逢(であ)うこともない相手に、攻撃など、当たるはずもないのだから。

 

「これにて御仕舞(おしま)い、奥儀(おうぎ)の終わり」

 

 士郎は刀を、右手一本で下から切り上げ、(きっさき)は綾子を向いている。その格好から、振り上げた右手の手首を返す。士郎が手に持つ真剣は、士郎の左側で、大きな円を描くようにして、縦に回る。

 士郎の手首を中心に、下に落ち、後ろから上に上がり、(きっさき)が天を()した時には、士郎は両手で、真剣を握っていた。

 

「——————五方(ごほう)調(ととの)う、“()みの比礼(ひれふり)”」

 

 士郎は、縦に一閃、二躬(にのみ)を振るう。

 居合とは本来、抜き切って終わりではない。第二撃、この二躬(にのみ)をもって、居合はその終わりを(むか)える。

 

 そう、そして———、士郎はこの二躬(にのみ)でもって、綾子の、左後ろの空間を切った。

 妖精郷(アヴァロン)の中に居てすら、ずっと(つか)み続けていた、冬木との(えにし)、魔法使いになる運命を、断ち切った。

 

 アルトリアは士郎の動きを見終わって、全て遠き理想郷(アヴァロン)を止める。

 急速に神秘は縮み、あっという間に、そこは大空洞に戻っていった。

 

 そして———。

 自分が天高く(かか)げている金に輝く聖剣に、(いま)(がた)凛から送られてきた、莫大(ばくだい)な魔力を注ぎ込む。

 

「—————約束された(エクス)……」

 

 この世で最も有名な剣。

 人々の『こうあって欲しい』という想念(そうねん)が星の内部で結晶・精製されたもの。神造兵装であり最強の幻想(ラスト・ファンタズム)

 アルトリアは、渾身(こんしん)の力でもって、並々ならぬ想いを込めて、その一撃を、振り下ろしたのだ。

 

「——————勝利の剣(カリバー)ーーーッ!!」

 

 大空洞の地面の上に、約束された勝利の剣(エクスカリバー)の斬撃が走る。縦に振り下ろされた一撃は、綾子へと、一直線に進んでいった。

 

 ———絶望を()き、希望を(とも)す、“灯火(ともしび)の剣”。

 この剣において、“光の斬撃”は副次効果(ふくじこうか)に過ぎない。

 その本質は“(おも)いを(たば)ねる”こと。(にな)()の魔力を()(みず)に、眠る者たちに語りかける。

 “光の斬撃”の殺傷能力は、おまけである。

 聖剣によって“束ねられた想い”は、平和に向けて作用する。だからこそ、“ラスト・ファンタズム”と呼ばれているのだ。その一撃で物語を終わらせ、平和な世界を(つむ)ぐために。

 

 ———それこそが、“束ねられた想い”だから。

 ()(ぎわ)の一瞬に(いだ)いた願い、今際(いまわ)宿(やど)(はかな)き祈り。

 何も、英霊豪傑(えいれいごうけつ)だけではない。凡人(ぼんじん)だろうと常人(じょうじん)だろうと、(いだ)く願いは常に同じだ。

『幸せになりたかった』『幸せにしたかった』『(まも)りたかった』『一緒にいたい』

 それらはいつも、平和を想う心なのだ。だからこそ、アルトリアの声に(こた)えてくれる。

 

 そう、同時のブリテンにおいて、アーサー王の聖剣が信仰(しんこう)を集めた原因は、その剣が“輝く剣”だったからだ。

 宵闇(よいやみ)(はら)い、暖かな光をくれる。そんな剣だったからこそ、()の国の民たちはアーサー王に従ったのだろう。きっと———

 

 大空洞を金色に染め上げた、聖剣の光が消えていく。

 下から上に伸び上がるように消滅する光の後には、淡い光が残された。今や大空洞の中は、聖剣に(とも)る光だけが照らしている。

 大空洞の奥、崖の上、星の祭壇からの光は、ゆっくりと消えていったのだった。それはつまり———

 

「遠坂が……、土地と契約を交わした(わけ)ね。

 アイツのスペックなら、いづれ辿(たど)()く場所だったけど」

 

 綾子はまだ、立っていた。

 緋袴(ひはかま)から煙を上げながら、それでも、五体満足で立っていた。

 左手を(ふところ)に突っ込んで、折紙(おりがみ)を引っ張り出して、ボロボロになったそれを捨てる。もう一度、折紙(おりがみ)を引っ張り出して、剣菱(けんびし)のマークを三つ重ねたような折紙(おりがみ)、“参剣(さんけん)護符(ごふ)”を眺めた。

 

「ああ、これで———」

 

 綾子から50メートルほど遠く、アルトリアから見ても分かりやすく、綾子は笑った。

 

「———これで、準備は全て(ととの)った」

 

 —————参剣(さんけん)御符(ごふ)、“一刀両断”—————

 

 士郎が慌てて振り返る。

 だが、もう遅い。

 綾子は護符を右手に持ち替え、自分の周囲を横一(よこいっ)(しゅう)、円を(えが)いて切り裂いていた。

 

 誰もが、綾子を見つめるだけだった。

 やっとのことで、崖の上から顔を出した遠坂凛は当然として。衛宮士郎もアルトリア・ペンドラゴンも、綾子が何をしたのかが、(まった)く何も分からなかった。

 

 地響(じひび)きが起きた。大空洞は揺れている。

 空間が(きし)みを上げる。世界が、揺らいだように見えた。

 

「何をしたんだよ。 美綴」

 

 士郎か聴いた。

 納刀(のうとう)を終えて、その状態で振り向いて、士郎はただ呆然と、綾子を見ているだけだった。

 綾子は、士郎と向き合った。

 

「“パンドラ計画”がついに終わったな、って思ってさ。

 ———衛宮。どうやらこれで、お別れみたいだ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———“世界”とは、自分を中心にした概念だ。

 普段私たちが感じている“世界”は、私たちの体が感じとったものでしかない。

 この肌が触れた世界。

 この目がとらえた世界。

 この耳が聞き取った世界。

 

 自分の体で感じとった、自分の周囲の情報を『世界だ』と認識するならば、“世界の正体”は“自分と周囲との関係性”だということになる。

 つまり、世界を殺すということは……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「——————参剣(さんけん)護符(ごふ)、“一刀両断”」

 

 崖の上から覗き込んだ凛が見たのは、決定的な瞬間だった。

 崖の下、士郎の後ろにいる綾子は、右手に持った“三重(みえ)剣菱(けんびし)()”、参剣(さんけん)御符(ごふ)で、自分の周囲を一周し、水平に、左回りに切り裂いていた。

 

 士郎が、綾子を振り返る。

 

「何をしたんだよ。 美綴」

 

 納刀(のうとう)を終えた直後の体勢から、上半身だけ振り向いて、(つか)に手をかけたままで士郎が聴いた。

 構えを()いて自然(しぜん)()ちして、左足を一歩引いて振り返る。

 士郎を見て、綾子は言った。

 

「“パンドラ計画”がついに終わったな、ってさ。

 ———衛宮。どうやらこれでお別れみたいだ」

 

 士郎から視線を外して、上を見た綾子は、目を(つぶ)って息を()った。

 そして()く。

 

「これで本当(ホント)に、終わりだな」

 

 凛は、崖の斜面に踏み出した。

 何か大変なことが起きてる。それは分かる。でも『何が起きたか』、それがさっぱり分からない。

 

 革靴に、魔力を通して強化する。強化した革靴の底で、崖の斜面を(すべ)る。両手を前後に広げて、スノーボードのように崖を(くだ)る凛を尻目(しりめ)に、事態は少しずつ進行していた。

 

 セイバーは士郎に()()って、その隣に立っていた。手に持つ剣は下ろしたままだが、それでも士郎より半歩前に出て、綾子の挙動(きょどう)を警戒している。

 

「これ以上、何があると言うのですか。貴女(あなた)の狙いは阻止(そし)した(はず)だ、アヤコ」

 

 対する綾子は構えもしない。セイバーを、全く警戒していない。

 先ほどの折紙(おりがみ)を、鼻の先で眺めてすらいた。

 でも、その体はボロボロだった。聖剣の攻撃で服は焦げ、皮膚からは煙が上がっているのだから。

 

(あたし)はさ、最初に説明したぜ。『パンドーラに持たされた箱、それと同じことをする』って」

 

 綾子は折紙(おりがみ)をパタパタと振った。熱を(はっ)する折紙(おりがみ)は、次第に黒ずんで、炭のようになってしまった。

 

「あの話は、原典の方ともう一つ、イソップ物語の方にも、解釈の違うものが()っているんだよな。

 原典の方は“ゼウスが送り込んできた女”による災厄(さいやく)(えが)くだけだったけど、イソップ物語のラストは違う」

 

 ———パンドーラは箱を開け、災厄は世界に飛び出した。だけれど、パンドーラが慌てて蓋を閉めたために希望だけはそこに残った———

 

災厄(さいやく)は常に外から訪れる。けれど、(つい)()すように、人間は一つだけを、自ずから生み出すことができるのだ、と」

 

 綾子はゆっくりと、士郎へ向かって歩いていった。

 セイバーが前に出ようとして、何を思ったか、その場に(とど)まる。

 綾子は、左脚を引きずりながら、ゆっくりと、ゆっくりと、士郎に向かって。

 

 ———そう、パンドーラのおかげで、希望だけが、(こころ)の中に残ったのだから———

 

「要は二面性ってこと。“世界を滅ぼす方”の計画は第一段階、“災厄(さいやく)”。

 そして今が第二段階、“希望(きぼう)”。

 ———当然だけど、(あたし)にとっての希望だぜ。こればっかりは、お前たちは関係ないんだ」

 (あたし)の個人的な問題のための、(あたし)の個人的な計画ってこと。と綾子はいった。

 

 やっとの思いで崖を(くだ)り終えた凛は、士郎たちに駆け寄りながら、思わず、話に割り込んでいた。

 

「そんなの、今までだってずっとそうだったじゃない。ひとりよがりで、自意識過剰で———」

「今までのは一応、“師匠たる矜恃”とか何とか、色々とあったワケよ。でもコレは違う。(あたし)の望みで、(あたし)の希望」

 

 やっと、綾子の手が士郎に触れた。

 脚を引きずりながら、それでも伸ばした(みぎ)(てのひら)が、士郎の胸に触れている。

 

「これからも士郎は、ずっとずっと生きてくんだ。

 いろんな場所を旅してさ、いろんなヤツと出逢(であ)ってさ。それで、いろんな人を助けるんだ。

 そんな士郎の人生を、呪いたくないと思った」

 

 だから———

 

「美綴っ! おい美綴ッ!!」

 

 凛が士郎に駆け寄った時、綾子は地面に倒れていて、それを士郎が、左腕で()き起こしていた。

 セイバーは士郎の反対側から綾子を覗き込んでいる。鎧は着ているが聖剣は実体化していない。綾子にはもう戦えないことを、セイバーは読み取ったのだろう。

 いや、読み取るまでもなかった。

 

 駆け寄った凛ですら分かる、存在の希薄(きはく)さ。

 それは聖剣に受けた傷とは別で、“死にそうな”と表現するよりかは、“消えそうな”と表現したくなるような、そんな風体(ふうてい)だ。

 今にも透き通り、浮き上がり、そのまま消えてしまいそうな綾子は、凛が(のぞ)き込んだ時、士郎との会話の真っ最中だった。

 

(あたし)とアンタが共に存在する未来なんてのはさ、だから、始めから無かったんだ」

 

 力なく横たわる綾子を抱き起こしている士郎。左腕を首の後ろにまわし、左手で綾子の左肩を抱いていた。そのま左脚を綾子の背中の下に入れ、背もたれにすることで、綾子の上半身がもたれ掛かることができるようにして、士郎は綾子を支えていた。

 

「この世界では、(あたし)と士郎とは相容(あいい)れない。

 それは、(あたし)が魔法使いだったから。第六魔法が“人類を滅ぼすもの”だったから」

 

 士郎は、何か言い返そうと口を開いて———結局、何も言わずに口を閉じる。

 綾子は、士郎の腕の中で目を閉じた。

 

「だったら話は簡単でしょ、士郎。

 士郎のリミゼロを利用して、(あたし)自身の“魔術の素養(そよう)”を切り離した。(あたし)()を使って(とら)えた、“平行世界を含む全ての自分の体”から、“魔術の素養(そよう)全て”を、だ」

 

 綾子が最期(さいご)に目を開く。琥珀色の綺麗な瞳は、士郎を射抜いて、世界が止まった、ようだった。

 

「ねぇ、士郎。

 もしも、もしもの話。(あたし)が、運命を背負わされることがなくなったら、(ただ)の女になって、何のしがらみも無くなったら、その時は———」

 

 士郎の(ほほ)に綾子の左手が、その指先が触れていた。親指で士郎の目尻(めじり)()でる。

 綾子の目が、細められた。

 

「また、(あたし)と恋してくれますか?」

「ああ————ッ、ああ」

 

 士郎は(ちから)一杯(いっぱい)、綾子を胸に押しつけていた。

 綾子を胸に抱き、髪の上に鼻をつけて、目を閉じた。

 

「またいつか、恋をしよう。な、美綴」

「———はい」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 綾子の死から何日か()った頃、衛宮邸の、中庭に面した縁側には、二人の人影があった。

 

『自分自身から魔術に関する全てを切り取った』の発言の通りに、あの後、美綴の体は消えてしまった。

 それだけではなく、綾子が魔術に関わった痕跡(こんせき)の全てが、今では跡形(あとかた)もなく消えている。

 美綴綾子は魔術師の家系ではなく、一般人だったことになっているし、“どこぞのマンションに一人暮らししていた”という風に、記録が書き変わっていた。

 遠坂が確認したことろによると、「平行世界のどこを探しても、綾子が魔術師だった痕跡を、一つとして見つけることが出来なかったわ」と言うことだ。

 つまり、平行世界の美綴は魔術師ではなくて、だから美綴の()は“(えにし)をみる浄眼”ではなくて、(えにし)()た美綴が俺と幼少期に出逢(であ)う事もなくて、俺は聖杯戦争が勃発(ぼっぱつ)するまでずっと、魔術回路を作っては壊し続けているらしい。

 

 そんなこんなで、聖杯戦争は終結した。

 セイバーは“座”に帰り、綾子の遺体は消滅し、遠坂は時計塔(ビッグベン)に飛び立った。

 

 そうして、残ったのが二人。

 衛宮邸の縁側(えんがわ)に二人して座って、板張りの冷たさをお尻に感じながら、朧月(おぼろづき)を見上げている。

 

「———少し、あったかくなってきましたね、士郎さん」

 

 右隣に座る、桜が言った。

 

「明日には、雨、()るかもですね」

「ああ、そうだな……」

 

 俺があまりいい返事をしなかったからか、桜は前を向いて、夜空を見上げ、すーっと、息を吸った。

 そんな桜を横目に見て、俺はようやく、口を(ひら)いた。

 

「———桜。やっぱり俺、“正義の味方”になりたいと思ったんだ」

 

 俺の右側で、桜が目を閉じるのが、見えた。

 

「美綴は色んなものを見せてくれた。“正義の味方”に必要なこと、誰かを救うために大切なこと。

 人は、何をもって救われるのか」

 

 さっきのは(まばた)きだったのか、桜は俺に顔を向けて、こっちを見て、聞いてくれる。

 ゆっくりと、感情を傾けてくれる。

 (はげ)ますのではなく、前から引っ張るのでもない。ただただ、俺の話を聞いていた。

 

「始めから、世界平和を目指す道のりが、とても(けわ)しいものだと分かっている。

 “この世全ての平和”だなんて、目指すべきじゃないということも、分かっているつもりだった。

 ———第一、あのアーチャーですら、そんなモノは願わなかった」

 

『より多くの人間を救うのが正義の味方だ』と、そう自分に言い聞かせて。そして恐らくは、最も救いたかった筈の人を、アイツはその手にかけたのだ。

 

()()()()()、“正義の味方”になりたいんだ。正しく“正義の味方”になって、俺が最も救いたい人を、二度とこの手から離さないように」

 

 俺は、夜空を見上げた。

 満月は明後日の(はず)だが、それでも、薄い雲に隠れた今夜の月は(おぼろ)()で、俺にとっては、満月のように見えていた。

 

 ———世界の全てを救うために、だった一人、犠牲になった(ひと)がいた。

 彼女は確かに、最期(さいご)は満足して()ったのだろう。でも、そんなのはもう嫌だ。

 世界を護るために自分(ひと)りが犠牲になるなんて、もう見たくない。かといって、世界の方を犠牲にすると、アイツもやっぱり悲しむと思う。

 衛宮士郎としても、色んな意味で、その選択肢は取れそうにない。

 

 ———だったらもう、“世界平和”しかないじゃないか。

 アイツを助けて世界も救う。“世界を背負わされた(ひと)”を後腐れなく救うには、もう、それしかないじゃないか。

 だから俺は目指したい。“世界平和”を実現できる、正義の味方を。

 

 隣にいる桜は無言だ。

 いつの間にか目を瞑っている。けれど表情は柔らかいし、優しい雰囲気がにじみ出ていた。

 

 …………、やがて。

 

 やがて桜は、閉じていた目を()けて、こっちを見て、綺麗な瞳で笑ったのだ。

 

「なんだ、簡単じゃないですか」

 

 士郎さん、と桜が言う。俺が何かを言うより先に、桜はもう一つ言葉を(つむ)いだ。

 

「それって、『魔法使いになる』ってことですよね?」

 

 魔法使い? どうしてここで魔法使いが出てくんだ? と、俺の頭が混乱している。そんな内面が顔にでも出ていたのか、桜は口に手を当てて少しだけ笑って、今度はもっと目力を込めて、俺と視線を合わせてきた。

 

「『その時代の技術では、どんなに時間や手間をかけたとしても実現できないもの』、それが魔法の定義です。

 だったら“世界平和”も、立派な魔法じゃないですか?」

 

 桜が両手で、俺の右手をとる。その柔らかな感触と共に、じんわりと(ぬく)もりが伝わってくる。

 

「『(けわ)しい』なんてこと、ないです。『目指してはいけない』なんてこと、あるはずがないんです。

 だってわたし達、二人も、知ってるじゃないですか」

 

 桜の(てのひら)の温もりで、俺の右手が暖かくなってきた。目線を右手から上げると、紫の瞳が輝いていた。

 桜は、綺麗な瞳で(まばた)きをひとつ。それから、視線を夜空に逃した。

 

「見て下さい、月がとても綺麗ですよ」

 

 つられて、俺も月を見た。

 薄い雲に隠れていた満月間近(まじか)の今夜の月が、一瞬だけ、雲から顔を(のぞ)かせていた。

 

「ああ、本当だ。

 ———本当に、いい月だな」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 衛宮邸を見上げる私の心は、ずいぶんと寂寥(せきりょう)(かん)に満ちていた。

 そりゃあ半年ぶりの帰国だし、仕方ない部分もあるかもだけど、今回の帰国はちょっと、今までのそれとは違うのだ。

 

 衛宮邸の門をくぐると玄関までの石畳、それにヒールを打ちつけて歩いていると、奥の方からパタパタパタと、足音がやってきた。

 衛宮邸に出入りする人の中であんな足音を立てるのは1人しかいない。やって来る人物を思い浮かべて、ひとり微笑んでいると、その人物は、(とびら)の向こうに到着したみたいだった。

 

 私の予想通り、ガラガラと引戸(ひきど)を開けて現れたのは、桜だった。

 白いロングスカートに、桜色のカーディガン。つっかけを()いて(とびら)に手をかけたまま、桜が挨拶をしてくれた。

 

「おかえりなさい、姉さん。

 飛行機の時間を教えてくれたら、空港までお出迎(でむか)えしたのに……」

「そう? 士郎のヤツが張り切ってたら、じゃましない方がいいかな〜とか、思ってたんだけど」

「士郎さんなら大丈夫ですよ、準備はもう終わってます。

 今は、最後の確認をしてるだけですから」

 

 そう言って、桜は私を案内する。

 板張りの廊下を先導する桜、ついていく私。

 案内されなきゃならない程、私はここの地理に(うと)(わけ)じゃないんだけど、私たちはこういうのが好きなのだ。なんというのだろうか、この距離感。“仲のいい姉妹”というには少し離れている気がするが、じゃあ知人同士の様なものかと聞かれたら、それもやっぱり違うカンジ。自分でもよく分からないこの距離感が、私は好きだ。

 

 途中の部屋に荷物を置いて、中庭をつっかけで横切って、奥にある小さめの小屋、その引戸(ひきど)を開けて中を(のぞ)く。

 板張りの道場の真ん中に、男が一人座っていた。

 胡座(あぐら)をかいて、私たちに背中をむけて座る人影は、黒い着流(きながし)を着て、少し背を丸めた格好で、何やら作業をしているようだ。

 

 桜に続いて、私も中に入っていった。

 その瞬間に空気が変わる。この感じも、我ながら(なつ)かしく思う。空気が()んでいるというか、精錬(せいれん)されたというか。多分セイバーか来てからだ、聖杯戦争が始まるまでは、こんな感じはしなかったから。

 

「姉さんを連れて来ました、士郎さん」

「ありがとう桜。こっちの点検もこれで終わりだ」

 

 振り返ったのは、何を隠そうあの、衛宮士郎だ。

 手には刀、眼前(がんぜん)には打粉(うちこ)と油。どうやら、手入れをしていたらしい。まあ、戦場から帰った後は必ずコレをやってるから、つまりは日課(にっか)だ。

 士郎が自分から買って出た用事をすっぽかすとも思えないから、『用事を全部済ませた後、張り切ってる桜に台所から追い出された』ってのが私の見立(みた)てだけど、そう間違ってはいないと思う。

 

「それじゃあ士郎さん、それを片付けたら居間に来て下さい。お昼、出来てますから」

「ああ、そうしよう」

 

 私は、士郎の片付けを待って、士郎と一緒に居間へ行く。

 桜は、一足お先に行ってしまった。

「今日の姉さんはお客さんです。そんなこと、させられません」なんて言ってたけど、あの顔は自分がやりたいだけだ、スキップなんかしちゃってたし。

 

 士郎と二人、中庭を渡り、廊下を歩く。

 それにしても、隣に立つと良くわかる。隣のこいつがアーチャーとは決定的に違う路線をつっ走ってるってことが。

 別に人体工学とかスポーツ科学とか、そんなに詳しい訳じゃないけれど、身体つきが全然違う。同じ人間でも鍛え方次第(しだい)でこうも変わるのかって、なんか、“人体の不思議”とか“生命の神秘”とかに触れちゃった気がするのは、気のせいだろうか。

 

 アーチャーは全体的にもっとゴツかった。あれはあれで(ととの)った身体をしていたけど、今の士郎はもっとスリムだ。無駄な筋肉をそぎ落として、必要最低限だけ残した感じ、あれからニ年で背も伸びたから、アーチャーを知る身としてはちょっと頼りなく感じてしまう。

 

 ……まぁ、士郎が強いのは身にしみて分かってるんだけどね。

 

「今日は久しぶりに姉さんが帰って来るから、わたし、張り切っちゃいました」

 

 桜は、そう言って座敷(ざしき)(づくえ)に、肉じゃがを並べる。

 いつものように、三人で座る。居間にある座敷(ざしき)(づくえ)を、贅沢(ぜいたく)一辺(いっぺん)ずつ陣取(じんど)って。

 半年ぶりに食べた、桜のごはんは、かつてより繊細な味がした。

 

「それで、士郎。ちゃんと用意してるんてしょうね。

 今日帰る事、事前に伝えてたんだから、最高のヤツを頼むわよ」

 

 私は入り口に近い一辺に座っている。そして、その対面に座っていて、桜の肉じゃがを箸で(つま)み上げた士郎に、念のために注告した。

 

「分かってるよ遠坂。ちゃんと仕込(しこみ)は済ませてある。

 最後の処理は桜に任せてあるから、多分、より美味(おい)しくなってると思う」

「頼むわよ、士郎。アナゴの天ぷら、ずっと楽しみにしてたんだから」

 

 既に帰国した時の恒例(こうれい)になりつつある、士郎の()げた“アナゴの天ぷら”を(たい)らげて、食後のお茶でまったりして。

 それから私は、手を叩いて宣言した。

 

「さて、食後のお茶も終わったところで、いよいよ本題よね」

 

 いくら半年ぶりの帰国とはいえ、今回の趣旨はまったり日本を楽しむ事じゃない。聖杯戦争のあと、三人で決めた約束を果たす時がやって来たのだ。

 それが———

 

「行きますか、並行世界へ」

 

 “並行世界への移動”、もっというなら“セイバーに会いに行くこと”。

 

 綾子が死んで、その遺体が消えてしまって。そして、次の朝を(むか)えた。

 その朝日に()かされるように、セイバーは“座”へと帰っていった。ただ一言、士郎に「好きだ」と言い残して。

 

 ———すみません、シロウ。

 それでも私は、貴方(あなた)を愛している———

 

 私達の恋愛戦争に終止符を打つため、いずれセイバーの辿(たど)()妖精郷(ようせいしょう)、つまり“アヴァロン”に、私達も行ってやると、あの時、私たちは決めたのだ。

 

 それから、私たちは全力を()くした。個人的には『聖杯戦争よりこっちの方が難易度高いんじゃないの』と、いったい何度思ったことか。

 その回数は計り知れない。

 

 そして、結果だけ言えば、私たちはついに、ここに辿(たど)()いたのだ。とは言っても、“世界間移動に”ではない。

 そもそも第二魔法には聖杯戦争中に辿(たど)()いていたのだし、“平行世界への移動”だって、当時でも出来たのだ。だから問題はそこではなく、“あのセイバーを見つけること”にあった。

 

 平行世界に移動できるってことはどういうことか。(よう)は船が使えるようになったと思えばいい。だからと言ってセイバーを探さなくていい事にはならないのだ。

 例えば、『セイバーがイギリスのロンドンに居る』とわかって、『その場所がどっちの方角か』も調べた上で、初めて航海が可能になる。場所も方角もわからないのに船を出したって遭難するに決まって居るのだ。

 

 だから、セイバーを見つける方法を探していて、やっとそれを見つけたからこそ、こうしてまた三人が(つど)った、というわけだ。

 

「やっと、コレの掌握(しょうあく)に成功したわ。

 ホント長かった。綾子のヤツ、すんごい面倒なロックをかけてるんだもの」

 

 私は正座をしている、その右ポケットにあるものを取り出した。

 座敷(ざしき)机《づくえ》の上にそっと置いて、士郎と桜とに見えるようにする。

 

「綾子の(のこ)した懐中時計、“運命の調律機構(ディスティニー・ムーブメント)”」

 

 あの日、綾子が消えた後、その場にあってひとつだけ、消え残ったモノがあった。その懐中時計を士郎が拾い上げると、中央が透明になっている懐中時計の(ふた)から、中に紙が入っているのが見えた。

 士郎が()けて中を見る。四つ折りに(たた)まれた紙、それを(ひら)いた士郎は、無言で、私に時計を渡してきた。

 中にあった、遺書と共に。

 

 ———追伸、この時計は遠坂にくれてやる。

 きっと役に立つだろうぜ。せいぜい、上手(うま)く使ってみろよ———

 

上手(うま)く使ってみろよ』という割に、この時計にはロックがかけられていて、そのロックを解除するために、私は急いで、ロンドンに飛ぶ羽目(はめ)になった。

 というのも、綾子の生きた痕跡が消え始めていたからだ。時計塔に保存されている綾子の資料を回収するのに、時間制限があると知ったからには、行かない訳にはいかなくなった。

 

 冬木にある綾子の痕跡を集めに集めて、それから飛行機に飛び乗って、あらゆる手段を使い倒して。

 そうして集めた綾子の資料を解読し、ひとつひとつ、時計のロックを外していった。

 

 その中でわかった事があった。

 それは『あの事件の大半(たいはん)は、私と桜のためにあった』ということだ。

 “並行世界の自分たちを見た今”なら(わか)るが、つまり私たちに、『ありのままの士郎を、そのまま受け入れさせたかった』。

 私たちが士郎に何かを求める、士郎自身がどうなって欲しいかを(しゃべ)ると、士郎はそうなろうと頑張ってしまう。

 それは士郎にとって、とてつもないストレスになる。

 そのストレスは士郎を縛る、“満足して死ぬとこ”と、“ストレスを感じないとこ”とは別だ。士郎の場合は、どんなストレスも我慢できる、我慢できてしまえるから、(まわ)りの人間には分かりにくい。

 

 綾子は、自分がいなくなった後、士郎のことを任せられる人間を探していた。条件は、『ありのままの士郎を受け入れること』。

 今にして(わか)る。その条件の、なんと難しいことか。

 

 ———条件に合うヤツがいないなら、自分で作ってしまえばいい。

 綾子が(まわ)りくどいことをしていた理由の一つは、そんな感じだった筈だと、密かに私は思っている。

 

 そしてもう一つは、本番にたいする練習だった。

 綾子が最初に始めたことは、青崎(あおざき)橙子(とうこ)に会いに行くことだったらしい。“天才人形師の青崎(あおざき)”に、魂を入れる器を作ってもらって、そこに、影の国から意識だけを飛ばしたスカサハを入れ込んだ。

 

スカサハは“綾子が第六法に到達すれば世界が崩壊する”事を逆手にとって、綾子が死を予約されたスカサハを青崎の人形に召喚したモノ。

 

 なんの事はない。ここまで来ると、もはやただの降霊術だ。難しいのはスカサハとコンタクトを取るところだが、それも綾子ならクリアできる。自分と“(えん)の深い関係”をサーチして、『己の存在そのものによって、その土地を(ほろぼ)すモノ』という(えにし)を見つけて、繋いだらしい。

 

 士郎と桜に、ロンドンでの事を話していると、不意に、士郎が口を(ひら)いた。

 

「なあ、遠坂。

 俺、分かったような気がするんだ、“七番目の魔法”のありかが」

 

 それはさりげなく、まるで明日の予定でも話すように、おかわりのお茶を()ぎながら、士郎は言った。

 だから、私もさりげない風を(よそお)って、士郎に返事をしたのだった。

 

「へぇ、じゃあ聴いてあげるわ。

 ———いったい、何を見たのかしら?」

 

 (そそ)ぎ終わった急須(きゅうす)を机に置いて、私の目を見て、士郎は言った。

 

「綾子にもらった、言葉の中に」

 

 そう、きっと。

 綾子にとって、聖杯戦争とはその程度のもので、彼女がそれに割り込んだのは、(ひとえ)に、呪いを()くためだったのだろう。

 

 ———この、バカな男の。




  


『どのルートを選択しますか?』


・Fate……………………………clear!
・Unlimited Blade Works……clear!
・Heaven's feel ………………clear!
▶︎・          





『……そのルートは存在しません』


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《エピローグ》

 

 

「……あまり、面白くなかったわね」

 

 それが、目の前の女に惚気(のろけ)られた後の感想だった。

 日曜日の正午、テラスのあるカフェで優雅に昼食を楽しもうとしていたら、目の前の女に捕まったのだ。

 

 結局、この女に昼食を(おご)らせることと引き換えに、女の惚気(のろけ)(ばなし)を聞く羽目(はめ)になってしまって、それから、どれくらいの時間が()ったのだろう。

 ここのオススメだというカレーライスはとうに冷め、あまり魅力を感じなくなってしまった。

 

 秋らしく爽やかな日差しの差し込む、カフェのテラス席に私はいる。

 ここはウッドデッキになっていて、季節の割に冷え込んだ、今日の寒さを和らげているような。床と同じく、木で統一されたテラスのテーブルは数も少なく、ゆったりとした空間を演出していた。

 

 その、一角(いっかく)

 この席は、店の中からは死角になる位置。加えて、隣のテーブルとの(あいだ)には、観葉植物の鉢植えが三つ配置されている、奥まった一席(いっせき)

 目の前には丸い天板(てんばん)の木のテーブル、その向こうに一人の女。

 その女は全身が真っ黒に統一されていた。

 薄手の黒いセーターに黒いタイトスカート、同色の、濃い目のストッキング。先ほど店員に真っ赤なロングコートを預けていた。

 

 そんな女が目の前で、テーブルに(ひじ)をついて、身を乗り出し気味にして話しているのを、今までずっと聞いていた、という(わけ)だった。

 

「……だいたい、勝手に(しゃべ)ってくれたみたいだけど、私にも用事があるのよ。

 この後、ここで待ち合わせしてるから、帰って(もら)える?」

 

 目の前の女は、身を引きながら左手で髪をかき上げると、サイドに垂れた髪を背中に落として、背もたれに上体を預けたのだ。

 目を閉じて、数秒、目を開けて、私の目を見て、口を(ひら)いた。

 

「私は私で、スッキリしたから良かったわ。

 知名度もだいぶ上がってきたみたいだし……。この分なら、次のアニメの公開日には飛び立てるんじゃないかしら」

 

 そんな、訳の分からない言葉を残して、目の前の女は去っていった。

『衛宮士郎という少年をめぐる、ちょっとした事件の物語』、あの女が散々話してから立ち去ったものだから、随分と時間が()ってしまった(はず)だけど———

 どうも、十分くらいしか、()ってなかったみたいに感じる。

 腕時計を確認すると、そろそろ待ち合わせ時間だった。

 

「まぁ、暇つぶしにはなったかしらね」

 

 冷めたカレーを食べさせられるのもシャクだったけど、それでも“優雅”を心がけて、心持ちゆっくりとスプーンを運んでいると、私の席のテーブルに、頭の影が映り込んだ。

 

 食べ終えたスプーンを皿まで戻し、左手の紙ナプキンで口元を隠しながら上を向くと、目が合ったその人物は、私に柔らかく微笑んだ。

 

「お待たせしました、姉さん」

 

 少し癖のある黒髪を、肩の少し先まで伸ばした、間桐桜がそこにいた。

「久しぶり」と挨拶し、「お久しぶりです」と帰ってくる。

 乾いた風の吹くなか、薄手のカーディガンを羽織(はお)っただけの桜に、大事なことを聞いたのだ。

 

「本当に大丈夫なの? キツかったら言いなさいよ、私が守ってあげるから」

 

「はい」と、桜は(うなず)く。「わたし達も、もう子供ではないんですから」

 

 桜はふと、後ろを振り向く。テラスの出入り口、この場所からは見えない、店内へと繋がるドアを見つめた。

 

「それにしても、綺麗な(ひと)でしたね。姉さんのお知り合いですか?」

「違うわ、赤の他人よ赤の他人。

 ———今日ここで出逢(であ)っただけの、(えん)所縁(ゆかり)も無い女」

「それにしては———」

 

 桜は立ったまま、私の顔を、見た。

 

「あの(ひと)、姉さんによく似てましたね」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「良かったんですか? 姉さん、あんなこと……」

 

 隣立って歩く、桜を横目に。歩く速度を緩めることなく、肩で風を切って歩いている。

 

 ———テラスから、一度店内に入って、そのまま、誰にも気づかれる事なく、木造の(とびら)を押し開けて外に出ると、ちょうど、目の前の道路を、左手から向かってくる桜を見つけた。

 黒のカッターシャツに、ベージュの膝丈スカート。

 桜の隣を歩いている黒髪の女性とは、歩きながら話しをしていたみたい。

 声をかけると、桜は、隣の女性との話しを切り上げ、私に手を振り返してくれたのだった。

 

「桜……、さっきの女性って……」

「はい。この世界線でのわたしです」

 

 やっぱり。

 連れ立って歩いている、桜の顔から視線を切って、前を向く。

 

「別に良いんじゃないかしら。

 “私たちのゲーム”も、ずいぶん浸透してきたし。それに(ともな)って基盤から、神秘も引きやすくなってきたし」

「こっちに来た時は大変でしたから。

 この世界線からはセイバーさんのところまで繋がってなかったですから。

 ———魔術基盤も未発達だったから、元の世界線に戻ることも出来なかったし」

 

 涼しい顔で左を歩く桜を、私は盗み見た。

 

「私たちについて来て、本当に良かったわけ? 

 元の世界線に、残っていても良かったのに」

「本気で言っているんですか? 

 本気でそう言ったなら———姉さんの頭は随分と、可愛(かわい)そうな感じになってるんですね」

 

 ギュッと、右手を握り締める。

 反射的に稼働(かどう)させてしまった、右手の魔術刻印をなだめてから、力を抜いた。

『言い争っても意味はないのよ』と息を吐き、顔を上げた。

 凛は正面に(えき)の看板を見つけて、ふと、口が開いた。

 

「ここに来てから、もうすぐ一年ね。

 一年前、神秘のカケラも無いこと世界線に来てから、魔術基板を整えるために奔走(ほんそう)して、“Fate/stey night”ってゲームを作ってもらって、世界に浸透するように裏から手を伸ばして———」

「途中から姉さんが『面倒になった』と言って確信もないのに未来に飛ぼうとして———」

「ちょっと!」

 

 反射的に桜を睨む。

 つい見てしまった桜の瞳は、“永遠を生きる者”にしては絶望に染まってい。それを再確認しては、いつも少しだけ安心する。

 

「結果。それは上手くいったんだからいいでしょ、それは」

 

 駅の中に入り、自動改札を(くぐ)り抜ける。“ピッ”という電子音を置き去りにホームに入りながら、桜の投げた“時間の話”に切り替えた。

 

「私のおかげで、魔術基板から少しずつ魔力を取り込めることがわかったから、今こうして、十年を一年で駆け抜けることが出来てるんだし……。

 次は『聖杯戦争』で(えにし)(くく)って平行世界を抜けるから確実にセイバーには近づけるワケだし」

 

「誰も『ダメだ』なんて言ってませんよ」と、桜が笑う。

 ドアの停車目印の上に立ちながら、口元を隠すようにおおった手の甲をどけて、左隣の妹は、少し、真面目な表情を向けてきた。

 

「セイバーさんに会ったら、どうなると思います?」

「一発ブン殴るわ」

 

 首をふる、桜。

「そういう事ではなくてですね」と前置きして、「士郎さんは、振られに行くと思うんです」と続けた。

「聖杯戦争の時、先輩が士郎さんになった日に、士郎さんは思ったんです。『セイバーの行く場所にも、俺の行く場所にも、お互いの存在はいらないんじゃないか』って。

『お互いに夢を持っていて、それがたまたま、あの瞬間に交わっただけ』

『人を愛することは、その人が“本分(ほんぶん)”を(まっと)うできるようにする事だから』って」

 

 桜の独白を聞き流しながら、深々とため息をついてみせる。

 全く、あのバカは恋愛もまともに出来ないんだろうか。あのバカが“そんな”だから、私たちが苦労することになるのだ。

 

「これがメロドラマとかだったら、もっと真正面から叩き潰せるのに……」と。

 

 自分で自分の声を聞いて、言葉が漏れていたことに気がついた。

 急いで左を向いて、最悪の事態を確認して、私はそそくさと降参した。

 

「私が悪かったわ。『相手の女を潰さない』が、私たちの戦争のモットーだものね」

 

 降参よ、と、両手をひらひら。

 

「分かればいいんです」と無駄に胸をはる桜。

 視線が私から()れ、桜の視線の先をたどると、電車がホームに入ってきた。

 

「まぁ、でも———」

 

 電車が止まってドアが開く。電車の中に吸い込まれながら、私には、桜の声が大きく響いた。

 

「士郎さんがセイバーさんに会う時に、何もない(はず)ないんですよね」

 

 それはそうだ。だって———

 

 私たちの目がお互いを捉えた時に、ちょうど電車は出発したのだ。

 

 

「「———だって、士郎さん(士郎)ですから(だもの)」」

 

 

 

———$fin$———

 



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